周易口诀义
《周易口訣義》六巻(永楽大典本)・四庫提要
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
《周易口訣義》六巻(永楽大典本)・四庫提要
唐史徵撰。《崇文總目》曰:“河南史徵,不詳何代人。”晁公武《讀書志》曰:“田氏以為魏鄭公撰,誤。”陳振孫《書錄解題》曰:“三朝史志有其書,非唐則五代人。”避諱作證字。《宋史·藝文志》又作“史文徽”,蓋以徽徵二字相近而訛。別本作“史之徵”,則又以之文二字相近而訛耳。今定為史徵,從《永樂大典》。定為唐人,從朱彝尊《經義考》也。
この書は唐代の史徵の撰である。北宋の官修書目《崇文総目》の著録によれば、作者は河南の人・史徵で、いつの時代の人かは明らかでない。晁公武《郡斎読書志》によれば、田氏の書目はこの書を唐初の名臣魏徵(魏鄭公)の撰としたが、それは誤りである。陳振孫《直斎書録解題》によれば、宋の三朝国史の《芸文志》にすでにこの書が著録されており、作者は唐人でなければ五代の人である。宋代は宋仁宗趙禎の名を避けたため、書中の「徵」字を「証」字に書き換えた。《宋史・芸文志》はまた作者を「史文徽」と書くが、これは「徽」「徵」二字の字形が近いことによる誤りであろう。別の本に「史之徵」とあるのは、「之」「文」二字の形が似たための誤りである。いま作者を史徵と定めるのは《永楽大典》に拠り、唐人と定めるのは清の朱彝尊《経義考》の判断に拠る。
《永樂大典》載徵《自序》云:“但舉宏機,纂其樞要,先以王注為宗,後約孔疏為理。”故《崇文總目》及晁氏《讀書志》皆以為“直鈔註疏,以便講習,故曰口訣”。今詳考之,實不盡然。
《永楽大典》は史徵の《自序》を収めており、序に曰く、本書は《周易》の最も宏大な枢機のみを挙げ、その要領を編纂し、まず三国魏の王弼の《周易注》を宗主とし、次いで唐代孔穎達《周易正義》の疏解を採って義理を通ずる、と。ゆえに《崇文総目》と晁公武《郡斎読書志》はいずれも、この書は王弼注と孔穎達疏をそのまま写し取って講習の便としたものだから「口訣」と名づけたのだ、と考えた。しかし今日よく考えてみると、実際は必ずしもそうではない。
如《乾·彖》引周氏說,《大象》引宋衷說,《屯·彖》引李氏說,《師·彖》引陸績說,六五引莊氏說,《謙》六五引張氏說,《賁·大象》引王廙說,《頤·大象》引荀爽說,《坎·大象》引莊氏說,上六引虞氏說,《咸·大象》引何妥說,《萃·彖》引周宏正說,《升·彖》引褚氏說,《井·大象》引何妥說,《革·彖》引宋衷說,《鼎·彖》引何妥說,《震》九四引鄭眾說,《漸·彖》引褚氏說,《大象》引侯果說,《困·大象》引周宏正說,《兌·大象》引鄭眾說,《漸》九五引陸績說,多出孔穎達《疏》及李鼎祚《集解》之外。
たとえば乾卦《彖伝》の下に周氏の説を引き、乾卦《大象伝》の下に後漢の宋衷の説を引き、屯卦《彖伝》の下に李氏の説を引き、師卦《彖伝》の下に三国呉の陸績の説を引き、師卦六五爻の下に庄氏の説を引き、謙卦六五爻の下に張氏の説を引き、賁卦《大象伝》の下に晋の王廙の説を引き、頤卦《大象伝》の下に後漢の荀爽の説を引き、坎卦《大象伝》の下に庄氏の説を引き、坎卦上六爻の下に虞翻の説を引き、咸卦《大象伝》の下に南朝の何妥の説を引き、萃卦《彖伝》の下に南朝の周宏正の説を引き、升卦《彖伝》の下に褚氏の説を引き、井卦《大象伝》の下に何妥の説を引き、革卦《彖伝》の下に宋衷の説を引き、鼎卦《彖伝》の下に何妥の説を引き、震卦九四爻の下に後漢の鄭衆の説を引き、漸卦《彖伝》の下に褚氏の説を引き、漸卦《大象伝》の下に唐の侯果の説を引き、困卦《大象伝》の下に周宏正の説を引き、兌卦《大象伝》の下に鄭衆の説を引き、漸卦九五爻の下に陸績の説を引いている――これらの材料はいずれも孔穎達《周易正義》と李鼎祚《周易集解》の収める範囲を超えている。
又如《賁·大象》所引王氏說,《頤·大象》所引荀爽說,雖屬集解所有,而其文互異。《坎》上六所引虞翻說,則《集解》刪削過略,此所載獨詳。蓋唐去六朝未遠,《隋志》所載諸家之書猶有存者,故徵得以旁搜博引。
さらに賁卦《大象伝》に引く王廙の説、頤卦《大象伝》に引く荀爽の説は、李鼎祚《周易集解》にも残っているが、両者の文字は互いに異なる。坎卦上六爻に引く虞翻の説は、《集解》の刪削があまりに簡略で、この書に載るものだけが最も詳しい。これはおそらく唐代が六朝からさほど遠くなかったため、《隋書・経籍志》に著録された諸家の易学著作がなお世に残っており、史徵は広く捜し求めて多くを引くことができたのである。
今閱年數百,舊籍佚亡,則遺文緒論,無一非吉光片羽矣。近時惠棟作《九經古義》,餘蕭客葺《古經解鉤沈》,於唐以前諸儒舊說,單辭只義,搜採至詳,而此書所載,均未之及,信為難得之秘本。
その後さらに数百年が経ち、六朝の旧籍は多くが亡佚したため、この書に残された断片的な遺文・緒論は、どれ一つとして稀世の吉光片羽でないものはない。近世の恵棟は《九経古義》を撰し、余蕭客は《古経解鉤沈》を輯し、唐代以前の諸儒の旧説を、片言隻句に至るまできわめて詳しく捜し求めたが、この書に残るこれらの材料は彼らもいずれも見ていない。まさに得がたい秘本というべきである。
雖其文義間涉拙滯,傳寫亦不免訛脫,而唐以前解《易》之書,《子夏傳》既屬偽撰,王應麟所輯鄭玄注,姚士粦所輯陸績注,亦非完書。其實存於今者,京房、王弼、孔穎達、李鼎祚四家,及此書而五耳。固好古者所宜寶重也。徵《自序》作六卷,諸家書目並同。今僅闕《豫》、《隨》、《無妄》、《大壯》、《晉》、《暌》、《蹇》、《中孚》八卦,所佚無多。仍編為六卷,存其舊焉。
この書の文辞・義理はところどころ拙く滞り、転写の間に誤字・脱文も免れないが、唐代以前に《周易》を解説した書は、《子夏易伝》はもともと後人の偽託であり、宋の王応麟が輯録した鄭玄注、明の姚士粦が輯録した陸績注も、いずれも完全な書ではない。真に今日まで残っているのは、京房・王弼・孔穎達・李鼎祚の四家だけで、これにこの書を加えてやっと五家となる。本来、古学を好む者が宝重すべきものである。史徵《自序》は全書六巻と言い、諸家の書目の著録もすべて同じである。いま欠けているのは豫・随・无妄・大壮・晋・睽・蹇・中孚の八卦の解説だけで、散佚した分量は多くない。よって引き続き六巻に編し、その本来の姿を保存した。
原序(唐・史徵)
乾象既分,蒼牙應運,三才闡位,八卦昭彰,故能道濟不通,人用無極。自茲已降,祖述多家。田何□於丁寛,京房得之焦貢,遂使異聞競起,蹖駁紛多,深乖述作之由,全誤聖人之見。若使廣求文句,博引證驗,浮誕日興,華偽滋蔓,誠謂周鼠終虧於鄭璞,魚目以混於隨珠。
天体の形象がすでに分かれ定まると、蒼牙のごとき聖者が運に応じて生まれ、天・地・人の三才がそれぞれ位次を定め、八卦の義理が明らかに彰かれた。ゆえに《周易》はその道をもってあらゆる通じない処を済い、人の用に供して尽きることがない。それ以降、易学を祖述する流派は多く、前漢の田何は易学を丁寛に伝え、京房はまた焦延寿から易学を受け継いだ。こうして種々の異説が競い起こり、雑駁きわまりなく、聖人の著述の本意に深く背き、聖人の見地をまったく誤解した。もしさらに文句を広く求め、証例を博く引いて、虚浮で誇妄な説が日々に起こり、浮華虚偽の議論が蔓延し続けるなら、まさに周人の言う「朴」(干鼠)が鄭人の言う「璞」(美玉)を損ない、魚の目が随侯の珠を混じられたと言うべきである。(底本は「田何」の下に一字脱漏があり、いま「□」を存して標示し、みだりに補わない。)
今則但舉宏機,纂其樞要,先以王注為宗,後約孔疏為理。至於卦繇六位,並備而釋之;彖以詳略,闕而不敘。大抵舉其六卷,分為上下兩經,直以口訣為名,義決要為旨。或經象未顯,輒提緯以證文;傳疏未明,將考名以銷義。遂使疑祛理悟,還希述作之功;學寡難周,恥騰波於翰海云爾。
いま私はただ《周易》の最も宏大な枢機を挙げ、その要領を編纂する。まず王弼の《周易注》を宗主とし、次いで孔穎達《周易正義》の疏文を採って義理を通ずる。各卦の卦辞・爻辞と六つの爻位については、いずれも備えて解釈を加え、《彖伝》は旧解の詳略が一様でないため、しばらく缺いて叙説しない。全書はおおむね六巻に分かれ、上経・下経の二部に配列し、直ちに「口訣」を書名とし、義理を断明し綱要を取り出すことを旨とする。時に経文と卦象の意が十分に顕豁でなければ、緯書を引いて経文を証し、時に《易伝》と旧疏が明らかに説かなければ、名義を考訂して疑難を消す。こうして読者の疑惑を払い義理を悟らせ、なおこの著述の功が成ることを希う。ただ自分の学識が浅く、遍く及びがたく、浩瀚の学海に波を興すのは慙愧に堪えない。
周易口訣義巻第一・上経一(乾から小畜まで)
上經一。周易傳為上經第一者,先儒云:易有三名,夏曰《連山》,殷曰《歸藏》,周曰《周易》。康成云:《連山》者,象山之出雲;《歸藏》者,莫不歸藏於其中;《周易》者,言易道周普,無所不備。竊謂易者是文王所演,因代為名,故稱周也。易取變通為義。上經者三十卦,象陽,取其三之竒數也。經猶徑也,謂聖人亦以易道敎人,可以踐履濟涉,徑路無所不通也。卦者掛也,謂懸掛物象,吉凶之理顯焉。傳者傳也,如孔氏傳之類也。
これは上経の第一巻である。《周易》の経伝を上経第一に列したのは、先儒にこういう解釈がある。「易」には三つの名称があり、夏代の易を《連山》、殷代の易を《帰蔵》、周代の易を《周易》という。後漢の鄭玄(字は康成)は言う、《連山》は山中の雲気が昇って絶えない象を取る、《帰蔵》は万物が帰り蔵まらないものはない、《周易》は易道が周く普く備わらないものはない、と。私見では、《周易》は周文王が推演したもので、朝代によって名づけたから「周」と称する。「易」字は変化通達をその義とする。上経は全部で三十卦で、陽を象り、「三」という奇数の意を取る。「経」は「径」のごとく、聖人もまた易道をもって世人を教え、人はそれに依って践履し渡り行くことができ、道路のごとくどこへも通ずるということである。「卦」は「掛」のごとく、物象を掛け示せば吉凶の理が顕れるということである。「伝」は伝述することで、《尚書》に孔安国伝があるような類である。
乾卦(乾下乾上)
乾下乾上。乾:元亨利貞。初九,潛龍勿用。九二,見龍在田,利見大人。九三,君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。乾至小畜。九四,或躍在淵,無咎。九五,飛龍在天,利見大人。上九,亢龍有悔。用九,見群龍無首,吉。
乾卦は下卦が乾、上卦も乾で、六爻すべて陽で、天を象り、卦徳は「健」である。卦辞は言う、乾は、元始・亨通・和宜・貞正である、と。初九の爻辞、潜んでいる龍は、しばらく施展してはならない。九二の爻辞、龍が田野に現れる、徳ある大人に見るのがよい。九三の爻辞、君子は一日中勤勉怠らず、夜になってもなお危険に臨むように警惧する、こうして初めて咎がない。(ここの「干至小畜」四字は原書巻内の書眉標目で、本巻が乾卦から小畜卦までを説くことを標すもので、経文ではない。)九四の爻辞、あるいは躍り上がり、あるいは深淵に退処する、いずれも咎がない。九五の爻辞、龍が天上に飛翔する、徳ある大人に見るのがよい。上九の爻辞、高く昇りすぎた龍は悔いがある。用九、群の龍がみな首となることを争わないのを見る、吉。
彖曰:大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施,品物流形。大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合太和,乃利貞。首出庶物,萬國咸寧。
《彖伝》は言う、偉大なるかな、乾卦の元始の徳!万物はすべてそれに依って初めて始まり、それは天の道全体を統摂する。雲気は流行し雨沢は施降し、各種の物類は流布して形を成す。太陽の光明は終始を貫き、六つの爻位は時序に随って順次成立し、聖人は時に応じてこの六条の龍に乗って天の道を御する。乾の法則は絶えず変化し、万物にそれぞれ本性と命分を正しくさせ、最高の和を保ち会合する。これが「利」と「貞」である。乾道は万物の首に出て現れ、天下万国はこれによってことごとく安寧を得る。
象曰:天行健,君子以自強不息。潛龍勿用,陽在下也。見龍在田,徳施普也。終日乾乾,反復道也。或躍在淵,進無咎也。飛龍在天,大人造也。亢龍有悔,盈不可乆也。用九,天徳不可為首也。
《大象伝》は言う、天の運行は剛健でやまない、君子はこれに法り、自ら奮い励んでやまない、と。以下は《小象伝》の各爻への解釈である。「潜龍勿用」は、陽気がなお最も下の位置にあるからである。「見龍在田」は、徳沢がすでに普く施布されたということである。「終日乾乾」は、正道の上を反復して行くということである。「或躍在淵」は、進取しても咎がないということである。「飛龍在天」は、大人が興作するということである。「亢龍有悔」は、盈満の状態は長く続かないということである。「用九」は、天の徳性は首の位を争ってはならないということである。
乾元亨利貞者,乾天也。天是體名,乾是用名。謂天體凝寂,非人所法,故聖人慾使人法天之用,不法天之體,故名之曰乾,而不名之曰天也。若元亨利貞,此四者亦是天之四徳也。天以四時之氣,春生秋殺,冬寒夏暑,有此四時之義,故名為天也。
卦辞「乾、元亨利貞」の「乾」は、天を指す。「天」は本体について立てた名称であり、「乾」は功用について立てた名称である。天の本体は凝然として静寂で、人の効法しうるものではない。ゆえに聖人は人に天の功用を効法させ、天の本体を効法させないことを欲し、したがってこの卦を「乾」と名づけ、「天」とは名づけなかった。元・亨・利・貞の四項については、これも天の四つの徳性である。天は四季の気機をもって運行し、春は生養し、秋は粛殺し、冬は寒く夏は暑い。このような四時の義を備えるから、これを天と名づけるのである。
周氏云:元,始也,於時配春,言萬物始生,得其元始之序,發育長養。亨,通也,於時配夏,夏以通暢,合其嘉美之道。利者,義也,於時配秋,秋以成實,得其利物之宜。貞者,正也,於時配冬,冬以物之終,納幹正之道。若以五行言之,元木也,亨火也,利金也,貞水也,土則資運四事,故不言之。若以人事,則元為仁,亨為禮,利為義,貞為信。不言智者,謂此四事因智而用,故《乾鑿度》云:水土二行兼智兼信是也。
周氏は解釈する、「元」は始まりで、四時の中で春に配し、万物が萌し始め、その元初の次序を得て発育し長養することを言う。「亨」は通達で、夏に配し、夏は万物が通暢して茂り、美善の道に合う。「利」は合宜で、秋に配し、秋は果実が熟し、万物を利する宜しきを得る。「貞」は正固で、冬に配し、冬は万物の終結で、乾道の純正の理に帰する。もし五行で言えば、元は木、亨は火、利は金、貞は水で、土はこの四者を供給し運転するので、単独には言わない。人事に配すれば、元は「仁」、亨は「礼」、利は「義」、貞は「信」である。「智」を挙げないのは、この四つの事がみな智慧に依って発用されるからである。ゆえに緯書《乾鑿度》に、水・土の二行は智と信を兼ね含む、というのはまさにこの理である。
初九潛龍勿用者,潛,隠也。龍者,變化之物,喻天之陽氣。初九建子之月,陽氣始動於地中,既未萌芽,猶是潛伏。比聖人有龍徳,時未可行,惟宜潛藏韜光遁世,故言勿用。
初九の爻辞「潜龍勿用」の「潜」は隠れることである。「龍」は変化を善くする動物で、天の陽気を喩える。初九は一卦の最も下の位置に処り、建子の月(旧暦十一月)に配し、陽気がちょうど地下に萌動し始め、まだ土を破って芽を出さず、依然として潜伏の状態にある。これは聖人が龍のごとき徳性を備えながらも、時機がまだ施行を許さず、ただ潜藏し光を韬めて世を遁れるのがよいのに似る。ゆえに「勿用」と言う。
九二見龍在田,利見大人。此當建丑之月,陽氣發見,文明顯著,故言在田也。利見大人者,此以人事明之,猶似聖人道徳漸顯,為天下眾庶之所利見。若夫子敎於洙泗,人虛往實歸,見者皆利,故稱大人。
九二の爻辞「見龍在田、利見大人」。九二は下卦の中に居り、建丑の月(旧暦十二月)に配し、陽気が顕れ始め、文采光明がすでに彰著である。ゆえに龍が田野に現れると言う。「利見大人」は、人事をもってこれを明らかにする。すなわち聖人の道徳修養が次第に顕揚して、天下の百姓が見て利益を得る対象となるのに似る。孔夫子が洙水・泗水の間で講学したように、学人は虚しく往き実りて帰り、彼に見る者はみな益を得た。ゆえに彼を「大人」と称する。
九三君子終日乾乾,夕惕者厲,無咎者。若,如也。厲,危也。既居下卦之上,不可驕盈;入上卦之下,心懷猶豫,故曰終日乾乾。從晝至夕,常懷憂惕,若有危厲。如此戒懼,乃得無咎。先儒云:若文王反國,大釐政之日。
九三の爻辞「君子終日乾乾、夕惕若厲、无咎」(底本はここの「若」字を「者」と作り、伝写の誤りで、いま照録して改めない)。「若」は「如同」の意で、「厲」は危険である。九三は下卦乾の最上爻に処り、位はすでに極処に至り、驕り満ちてはならない。また上卦の最下爻に入ろうとして前途は未だ卜しがたく、心中に猶予を懐く。ゆえに一日中勤勉怠らないと言う。昼から夜に至るまで、常に憂懼し警惕して、あたかも危険な境地に身を置くようである。このように戒慎恐懼できて、初めて禍患に遭わない。先儒は言う、これはちょうど周文王が羑里から本国に返り、政事を大いに整えたあの日々のようなものだ、と。
九四或躍在淵,無咎。或,疑;躍,跳也。陽氣漸盛,猶龍躍在乎淵。如聖人位漸尊髙,欲進王位,心懷疑慮,未敢果決,相時而動,故得無咎。若武王觀兵孟津,候時而進,合經常道,故無咎。
九四の爻辞「或躍在淵、无咎」。「或」は疑って定まらないこと、「躍」は跳び上がることである。この時陽気は次第に盛んになり、あたかも龍が深淵の上で躍り立つようである。これは聖人の地位が次第に尊貴高崇になり、さらに一歩進んで王位に登ろうとしながら、心中に疑慮を懐き、果断に事を行うことを敢えてせず、時機を観てから動くのに似る。ゆえに過咎を免れる。ちょうど周武王が孟津で諸侯を会し兵を陳べて威を示しながらも、時機の熟するのを待ってから進兵して紂を伐ったように、常道理に合うから災いがないのである。
九五飛龍在天,利見大人。如聖人有聖徳而登盛位,為天下眾庶利見,故云利見大人。夫龍之為物,在地則行,在淵則躍,在天則飛。
九五の爻辞「飛龍在天、利見大人」。九五は上卦の中に居り、また陽爻が陽位に居り、位を得て中正であり、全卦で最も尊い爻である。これは聖人が聖徳を備えて極盛の君位に登り、天下の百姓が見て利益を受ける者となるのに似る。ゆえに「利見大人」と言う。龍という物は、地にあれば歩行し、深淵にあれば躍り、天に至れば飛翔し、まさに爻位が下から上への次第に合う。
上九亢龍有悔。亢,極也,驕也。以陽氣盛極喻之。聖人久處君位,不能謙和自守而為驕亢,故致悔恨。先儒云:但九五之位,亦有大聖而居者,亦有非大聖而居者。非大聖而居者,不能免其憂悔,猶如堯之末年,四凶在朝,是以有悔。
上九の爻辞「亢龍有悔」。「亢」は極点で、また驕矜の意を含み、ここでは陽気が極点まで盛んなのを喩える。聖人が長く君位に処り、もし謙遜平和に自らを守ることができず、かえって驕矜高亢になると、悔恨を招く。先儒は言う、九五という尊位は、大聖人が居る時もあれば、大聖人でない者が居る時もある。大聖人でない者がこの位を占めると、憂患悔恨を免れない。堯のような聖君でさえ、晩年に四凶の人が朝廷にいたので、悔恨を免れなかった。
用九見群龍無首,吉者。用,總也。此九陽之徳也。謂聖人用此九陽之徳,不可驕盈為物頭首,更在謙柔卑退,降情接下,如此乃吉,故曰無首吉也。
「用九、見群龍无首、吉」。「用」は総括の意で、ここでは「九」という陽数の表す徳性を言う。聖人がこの純陽の徳を運用する時、驕り満ちて万物の先頭者となって争ってはならず、むしろ謙遜柔和に卑下退譲し、身を低くして下位の人を容れるべきである。このようにできて初めて吉である。ゆえに「无首」で吉と言う。
象曰:天行健,君子以自強不息。行者,運動之稱;健者,強壯之名。所以乾稱健者,以其運行不息,無時虧退。故宋衷云:晝夜不懈,以健詳其名,餘卦各當名,不假於詳也。君子以自強不息者,凡言君子,聖賢之通呼。故堯舜一日萬幾,文王日昃不暇食,仲尼終夜不寢,顏子欲罷不能自已,蓋是修徳乾乾,無時休息也。
《大象伝》は言う、「天行健、君子以自強不息」。「行」は運転移動の称で、「健」は強壮有力の名である。乾が「健」と称されるのは、その運行が停まらず、いかなる時も損なわれ退かないからである。ゆえに後漢の宋衷は言う、天は昼夜運行して少しも懈怠せず、ゆえに「健」の字を用いてその名義を詳しく説明するのだ、他の卦は卦名がすでに卦義に合っているから、あらためて詳釈する必要はない、と。「君子以自強不息」――およそ「君子」と言うのは、聖賢の通称である。ゆえに堯・舜は一日に上万件の政務を処理し、周文王は日が西に傾いても食事の暇がなく、孔子は夜を徹して安睡できず、顔回は用功を止めようとしても止められなかった――これはみな徳を修め勤勉し、片時も休まない表れである。
坤卦(坤下坤上)
坤下坤上。坤:元亨,利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主,利西南得朋,東北喪朋,安貞吉。
坤卦は下卦が坤、上卦も坤で、六爻すべて陰で、地を象り、卦徳は「順」である。卦辞は言う、坤は、元始亨通で、牝馬のように柔順に正を守るのが宜しい。君子が往くところあるとき、先んじて前に居れば方向を迷い、後に従えば主人を得る。西南へ行けば同類の友を得、東北へ行けば友を失う。正道を安く守れば吉である、と。
彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,徳合無疆,含弘光大,品物咸亨。牝馬地類,行地無疆,柔順利貞。君子攸行,先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行;東北喪朋,乃終有慶。安貞之吉,應地無疆。
《彖伝》は言う、至極なるかな、坤卦の元始の徳!万物はすべてそれに依って生成を得て、それは柔順に天道を承奉する。坤の地は厚くして万物を載せ、その徳性は広大にして辺際がなく、含容寛厚・光明博大で、各種の物類はこれによってことごとく亨通する。牝馬は地上の物類に属し、大地の上を疆界なく行くことができ、まさに柔順に正を守る徳を体現する。君子が行うところあるとき、先んじて前に居れば道を迷い、後に従えば常理に合う。西南へ行って友を得るのは、同類の陰爻とともに行くからである。東北へ行って友を失うのは、終りにはかえって喜慶がある。正道を安く守る吉は、大地の無辺際と応じ合う。
象曰:地勢坤,君子以厚徳載物。初六,履霜堅冰至。象曰:履霜堅冰,陰始凝也,馴致其道,至堅冰也。六二,直方大,不習無不利。象曰:六二之動,直以方也;不習無不利,地道光也。六三,含章可貞,或従王事,無成有終。象曰:含章可貞,以時發也;或従王事,知光大也。六四,括嚢,無咎無譽。象曰:括嚢無咎,慎不害也。六五,黃裳元吉。象曰:黃裳元吉,文在中也。上六,龍戰于野,其血黃。象曰:龍戰于野,其道窮也。用六,利永貞。象曰:用六永貞,以大終也。
《大象伝》は言う、大地の形勢は天道を承順する、君子はこれに法り、深厚な徳性をもって万物を載せる、と。初六の爻辞、足もとに霜を踏めば、堅い氷がもうじき来る。《小象伝》は言う、霜を踏んで堅氷の至るを知るのは、陰気が凝り始めるので、この勢いに馴れて一歩一歩発展してゆけば、堅氷の地步に至る、と。六二の爻辞、正直・方正・博大で、わざと習練しなくても利しないことはない。《小象伝》は言う、六二の動は、正直でかつ方正である、習練しなくても利しないことがないのは、大地の道が光大であるからだ、と。六三の爻辞、自分の文采を含蓄して蔵すれば正を守ることができる、あるいは君王の事に従えば、その成功を居らずして善い終りを保つ。《小象伝》は言う、含章して正を守るのは、時機を待ってから発揮するため、君王の事に従うのは、見識が光明博大であるからだ、と。六四の爻辞、袋を結び締めれば、咎もなく誉れもない。《小象伝》は言う、袋を結び締めて咎がないのは、謹慎だから傷つけられないのだ、と。六五の爻辞、黄色の下裳は大いに吉。《小象伝》は言う、黄裳元吉は、文徳が中位に含まれているからだ、と。上六の爻辞、龍が郊野で交戦し、その血は黄色である(底本はここに一「玄」字を脱し、通行本は「其血玄黄」と作る。いま照録して補わない)。《小象伝》は言う、龍が野に戦うのは、陰の道がすでに窮極に至ったからだ、と。用六、永く正を守るのが宜しい。《小象伝》は言う、用六が永く正を守るのは、広大をもって終局を収めるからだ、と。
坤元亨利牝馬之貞。坤,地也,順也。地之為體,能生始萬物,各得亨通,故有元亨也。利牝馬之貞者,地體必以柔順而為其正,故借牝馬而為其貞。牝馬是柔順之物,所以將馬為喻。馬行地能窮其邊疆,是明地有廣之徳。故先儒云:在天為龍,在地為馬。君子有攸往者,明君子但以柔順為徳,又復行其貞正,故利有所往也。
卦辞「坤、元亨、利牝馬之貞」。「坤」は地を指し、その卦徳は「順」である。大地という本体は、万物を生育・開創でき、万物にそれぞれ亨通を得させる。ゆえに坤卦も元始亨通の徳を備える。「利牝馬之貞」と言うのは、大地の本体は必ず柔順をもってその正道とするので、牝馬を借りてその貞正を表す。牝馬は柔順の動物だから、馬を喩えに用いる。馬は地上を行って大地の辺際を尽くすことができ、これは大地に広大無辺の徳性があることを明らかにする。ゆえに先儒は言う、天にあっては龍と現れ、地にあっては馬と現れる、と。「君子有攸往」と言うのは、君子がただ柔順を徳とし、同時にまた貞正の道を奉行するので、往くところあるのが宜しいことを表明する。
先迷後得主利者,夫陰之為道,不可首倡居先。若在陽氣之先,則不能發生滋育,必待陽而為首,所以後得主利也。猶如臣子處君之朝,順事主終;在家為迷,得主為利也。
「先迷後得主利」――陰の法則は、先頭に立って倡導し先んじて前に居ることはできない。もし陰気が陽気の前に走れば、万物は萌し滋長養育することができない。必ず陽気が来て先頭者となるのを待たねばならない。ゆえに後に従って初めて主人を得て利を得ると言う。これは臣子が君主の朝廷で任事するにあたり、ただ柔順に君主に仕えて終了するのがよいのに似る。自分の家で独り処れば方向を迷い、依り従うべき主人を見つけることが利なのである。
西南得朋者,西南坤位,是陰也,今以陰就陰,是得朋也。東北喪朋,安貞吉者,東北艮位,為陽也。西南陰類,往雖得朋,必無所利;若能喪失朋而就陽,則獲安靜貞正之吉。以人事明之,猶人臣離其黨,入君之朝;女子舎其家,入夫之室是也。
「西南得朋」は、西南が後天八卦で坤の方位で陰に属するからである。いま陰爻をもって陰方へ行けば、同類の友を得るのである。「東北喪朋、安貞吉」は、東北が艮の方位で陽に属するからである。西南は陰の同類で、そこへ往けば友は得られるが、実際の利益は必ず得られない。もし朋党を捨てて陽剛に帰れば、かえって安静貞正の吉を得られる。人事をもってこれを明らかにすれば、臣子が自分の朋党を離れて君主の朝廷に入り、女子が実家を離れて夫の家に入るのに似る。
象曰:地勢坤,君子以厚徳載物者。天圓地方,是形不順也;其勢承順天道之常,故曰地勢坤也。君子當須以容厚為徳,包載萬物,象地之道廣育也。
《大象伝》の言う「地勢坤、君子以厚徳載物」――天は円く地は方い。形体について言えば、方は柔順とは言えない。しかし大地の態勢は終始天道の常を承奉し順従する。ゆえに「地勢坤」と言う。君子は寛容深厚を自分の徳性とし、万物を包容して載せ、大地の広大に化育する法則を効法すべきである。
初六履霜堅冰至者。初六陰氣之微,要假積漸以成其功,故引履霜以為其喻。且五月一陰爻始生,九月五陰始為霜降,至於十一月乃至堅冰。此明禍福之由,積乆乃顯,所以防萌杜漸,慎終於始。故文言云:臣弒其君,子弒其父,猶辨之不早辨也。
初六の爻辞「履霜堅氷至」。初六は一卦の最下位に処り、陰気が最も微弱な時で、必ず次第の積累に仮ってその功效を成さねばならない。ゆえに「薄い霜を踏む」を引いて喩えとする。十二消息卦で推算すれば、五月の姤卦に一陰が生じ始め、九月の剥卦に五陰が事を為して霜降の候があり、十一月の復卦の時にはすでに堅氷が結ぶ。これは禍と福の由来がいずれも積み累ねて久しくして顕れることを明らかにする。ゆえに芽生え初めに防いで次第の滋長を杜絶し、端緒の処で終局を慎み考えるべきである。ゆえに《文言伝》は言う、臣子が君主を弑し、子が父を弑するのは、みな弁察すべきを早く弁察しなかったからだ、と。
六二直方大,不習無不利。六二居中得位,盡地之美,故有三徳:直、方、大。生物不邪,直也;地體安厚,方也;無所不載,大也。既有斯徳,盡地之善,故不假積習而無不利。施之於人,為臣忠,為子孝,與朋友信故也。
六二の爻辞「直方大、不習无不利」。六二は陰爻が陰位に居り、位に当たり下卦の中に居て、中と正を兼ね得て、大地の美徳を極致まで発揮する。ゆえに直・方・大の三つの徳性を備える。万物を生養して少しも偏邪でないのが「直」、地体が安定して厚いのが「方」、載せないものがないのが「大」である。これらの徳性を備えて大地の善い処をことごとく占めるので、わざと学習演練しなくても往いて利しないことがない。これを人の身に施せば、臣子となれば忠を尽くし、子となれば孝を尽くし、友と交われば信を守るのである。
六三含章可貞,或従王事,無成有終者。六三既居上位,有造為陽之事者,含章美之徳,待時而發,可以得貞之吉。既居臣體,不可先倡;或従王事者,言其不敢自專也。無成有終者,不敢居事之先,主成於物,惟順君命而成其終。
六三の爻辞「含章可貞、或従王事、无成有終」。六三はすでに下卦の最上の一位に処り、上に向かって作為し陽剛の事業に参与する機会がある。しかしそれは自分の文采美善の徳性を含蔵し、時機を待ってから施展すべきで、こうすれば正を守る吉を得られる。六三は陰爻で、臣属の地位に身を置き、先んじて倡議してはならない。「或従王事」と言うのは、まさにそれがみだりに専断しないことを表明する。「无成有終」と言うのは、それが事の首功を占めず、成就を他人に帰し、ただ君主の命令に順従して、事を善始善終に完遂することを言う。
六四括囊,無咎無譽者。括,結也;囊,所以盛物,喻人心藏智也。既是陰位,不可顯發,亦猶不遇其時,閉而不用也,故曰括囊也。戒慎自守,不與物忤,故曰無咎也。徳既不施,無聲譽之美,故曰無譽也。
六四の爻辞「括嚢、无咎无誉」。「括」は結び締めること、「嚢」は物を盛る袋で、人が智慧を心に蔵することを喩える。六四は陰爻が陰位に居り、多く惧れる地に処り、顕露発揮してはならない。またちょうど適した時機に遇わないので、閉じ蔵して施用しないのがよい。ゆえに「括嚢」と言う。それは戒慎して自らを守り、外物と抵触衝突しない。ゆえに咎がないと言う。しかし徳行がすでに施展されなければ、声名讃誉の美しきを得ることもない。ゆえに誉れがないと言う。
六五黃裳元吉者。五是貴位,六以陰居之,是臣道極貴者也。黃是中之色也,裳是下之飾也。上衣比君,下裳法臣。六五既是臣體,不可比衣,故云黃裳以表臣道,黃中之美也。以文徳居中,盡臣之善,故獲大吉也。
六五の爻辞「黄裳元吉」。第五爻は尊貴の位で、六という陰爻をもってその上に居るのは、臣道の中で最も尊貴な種類である。黄は五色の中で中に居る正色で、裳は下身に着る服飾である。上身の衣は君主に比し、下身の裳は臣子に法る。六五はもともと陰柔の臣属の体で、上衣に比することができない。ゆえに「黄裳」を用いて臣子の道を表明し、同時にその中に居る美徳を示す。それは文徳をもって上卦の中に居り、臣たるの善さを極点まで発揮する。ゆえに大吉を得られる。
上六龍戰于野,其血黃者。上六陰極似陽,故稱龍也。陰既強盛,則侵於陽,故與陽氣之龍交戰也。戰於卦外,故曰野也。陰陽俱傷,故有黃之色也。陽色,陰色黃也。用六利永貞者,用,總此六爻之義也。坤體柔順,不可用之剛暴,故須永長貞正,則能廣大而終也。乾吉在無首,坤利在永貞。
上六の爻辞「龍戦于野、其血黄」。上六は陰気が極点まで発展し、性状が転じて陽に近似するので、「龍」とも称する。陰気がすでに強盛になれば、陽気を侵犯する。ゆえに同じく陽気の龍と交戦する。交戦は一卦の外で起こるので、郊野と言う。陰陽ともに傷つくので、流れる血に色がある。(底本は「陽色、陰色黄也」と作り、「陽色」の下に一「玄」字を脱す。いま照録して補わない。通行本は「陽色玄、陰色黄也」と作るべきである。)「用六、利永貞」の「用」はこの六爻の義を総括する。坤の本体は柔順で、剛強暴烈の方式をもってそれを運用してはならない。ゆえに必ず長く貞正を保持し、こうすれば広大にして善終できる。乾卦の吉は首とならないことにあり、坤卦の利は永く正を守ることにある。
屯卦(震下坎上)
震下坎上。屯:元亨利貞,勿用有攸往,利建侯。彖曰:屯,剛柔始交而難生,動乎險中,大亨貞。雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧。象曰:雲雷屯,君子以經綸。
屯卦は下卦が震、上卦が坎で、震は雷・動、坎は雲雨・険で、険中に動く象である。卦辞は言う、屯は、元始亨通にして正を守るのが宜しく、往くところあるべからず、諸侯を封建するのが宜しい、と。《彖伝》は言う、屯は、剛と柔が初めて交合し艱難がそれに随って生じ、険境の中にありながら行動できるので、大いに亨通して正を守ることができる、と。雷雨の鼓動は天地の間に充満盈溢し、天道はちょうど草創蒙昧の段階にあり、この時諸侯を分封して自ら安逸を求めてはならない。《大象伝》は言う、雲が上にあり雷が下にある、これが屯卦である、君子はこれに法り、糸縷を整えるように天下を経営治理する、と。
初九,盤桓,利居貞,利建侯。象曰:雖盤桓,志行正也;以貴下賤,大得民也。六二,屯如邅如,乘馬班如,匪冦婚媾,女子貞不字,十年乃字。象曰:六二之難,乘剛也;十年乃字,反常也。六三,即鹿無虞,惟入于林中,君子不如舍,往吝。象曰:即鹿無虞,以従禽也;君子舍之,往吝窮也。六四,乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利。象曰:求而往,明也。九五,屯其膏,小貞吉,大貞凶。象曰:屯其膏,施未光也。上六,乘馬班如,泣血漣如。象曰:泣血漣如,何可長也。
初九の爻辞、徘徊して進まず、安居して正を守るのが宜しく、諸侯を封建するのが宜しい。《小象伝》は言う、徘徊して進まないが、心志の行うところは端正である、尊貴の身をもって卑賎の者の下に屈するので、大いに民心を得る、と。六二の爻辞、艱難の処にあって回旋して前に進まず、馬に乗って行きつ戻りつし、来た者は盗賊ではなく求婚である、女子は貞を守って嫁ぐことを肯んぜず、十年を経て初めて嫁ぐ。《小象伝》は言う、六二の艱難は、初九という剛爻の上に乗り凌ぐからである、十年にして嫁ぐのは、艱難が過ぎて常道に返るからだ、と。六三の爻辞、鹿群を追うが山林を掌る虞人の導きがなく、ただ密林に陥るだけである、君子は捨てて追わないのに及ばず、強いて往けば憾惜がある。《小象伝》は言う、鹿を逐うも虞人なきは、ひたすら禽獣を貪求するからである、君子はそれを捨て、強いて往けば困窮に陥る、と。六四の爻辞、馬に乗って行きつ戻りつし、婚配を求めて往けば吉で、利しないことはない。《小象伝》は言う、求めて往くのは、明智だからだ、と。九五の爻辞、自分の恩沢を施布するのが難しい、小事は正を守れば吉、大事は正を守れば凶。《小象伝》は言う、恩膏を屯積して施さないのは、恩徳の布施がまだ広大でないからだ、と。上六の爻辞、馬に乗って行きつ戻りつし、泣いて血の涙が漣々と流れる。《小象伝》は言う、血の涙が漣々とする、この局面がどうして長く続けられようか、と。
屯元亨利貞者,屯,難也,盈也。天地造始,剛柔始交,動則難生,故曰難也。元,大也。以天地始交為難,由難始大通也,故曰元亨。因此大通,而乃以行貞正,故曰利貞也。
卦辞「屯、元亨利貞」。「屯」には二層の意がある。一つは艱難、一つは充盈である。天地がちょうど開創した時、剛と柔が初めて交合し、動きがあれば艱難がそれに随って生じる。ゆえに「難」と称する。「元」は大きいの意である。まさに天地が始めて交わる時に艱難に遭い、まさにこの艱難から始めて大きな通達へ向かう。ゆえに「元亨」と言う。これによって大いに通達を得たからには、この通達に拠って貞正の道を推行しなければならない。ゆえに「利貞」と言う。
勿用有攸往者,攸,所也。當屯難之時,小人道長,君子道消,若有所往,即為小人侵害,故勿用有所往也。利建侯者,處屯難之時,弱求於強,民思其主之時,故利建君侯以為民主。詩云:百姓盈盈,匪君子而不寧是也。
「勿用有攸往」の「攸」は「所」である。ちょうど艱難困頓の時、小人の勢力は増長しつつあり、君子の道は消退しつつある。この時もし軽率に往くところあれば、小人に侵害される。ゆえに往くところあるべからずと言う。「利建侯」は、屯難の時に処るとき、弱者は強者に助けを求め、まさに百姓が拠り頼むべき君主を思う時だからである。ゆえに君侯を分封して彼らを百姓の主宰とするのが宜しい。《詩経》は言う、百姓は惶惶として安んぜず、君子なくては安寧を得ない、まさにこの理を言う。
象曰:雲雷屯,君子以經綸者。李氏云:云,陰也;雷,陽也。陰陽二氣相激薄而未通,感情不相得,故難生也。君子處屯難之時,不得安然無事,經營綸理以輔屯難也。
《大象伝》の言う「雲雷屯、君子以経綸」――李氏は解釈する、雲は陰に属し、雷は陽に属する。陰陽二気が互いに激し逼迫しあってまだ貫通できず、彼此の感応の情が相合しない。ゆえに艱難がここに生じる。君子がこのような艱難の時世に身を処るとき、安然として事なかれで袖手傍観してはならない。必ず糸縷を整えるように天下を経営治理して、天下が屯難を渡るのを助けなければならない。
初九盤桓,利居貞,利建侯者。盤桓是進退不安之貌也。初九以剛陽之徳,處群陰之下,即是用謙為體,以貴下賤者也。時未可通,盤桓不安,但以守正而不失其居,故曰利居貞也。處難之時,以謙得眾,民思其君之時,故利封建君侯以為民主也。
初九の爻辞「盤桓、利居貞、利建侯」。「盤桓」は進むことも退くこともできない不安のさまである。初九は陽剛の徳をもって衆陰爻の下に処り、まさに謙遜を立身の本とし、尊貴の身分をもって卑賎の者の下に屈する。この時時運がまだ通達せず、徘徊して安んぜないしかないが、それは正道を守って自分の本位を失わない。ゆえに安居して正を守るのが宜しいと言う。艱難の時に処り、謙遜によって衆人の擁戴を得、またちょうど百姓が君主を思う時である。ゆえに君侯を分封して彼を百姓の主宰とするのが宜しい。
六二屯如邅如,乘馬班如,匪冦婚媾,女子貞不字,十年乃字者。邅,回也;字,愛也。處屯難之時,強者陵弱,六二是九五之匹,時逢險難,與初相近,情不相得,被初為難,不獲前進,故邅回也。乘馬班如者,班旋不進貌也。二既去五既逺,但乘馬班旋而不敢前進。
六二の爻辞「屯如邅如、乘馬班如、匪冦婚媾、女子貞不字、十年乃字」。「邅」は迂回して進まないこと、「字」は嫁を許し愛育することである。屯難の時に処り、強者は弱者を陵駕する。六二は陰爻が陰位に居り中を得て正を得、九五ともともと正応の配偶であるが、ちょうど険難の世に逢い、また下の初九と隣接し比し、双方の情意が合わず、初九に困められて、前に進むことができない。ゆえに迂回徘徊するしかない。「乘馬班如」は、馬に乗って原地で盤旋して前進できないさまである。六二は九五と距離が遠く、また初九に制されるので、馬に乗って転ぐしかなく前に進むことを敢えてしない。
女子貞不字者,二是五之匹,故執貞奉五而不受初之字愛也。十年反常,難道乃通,故受五之所愛矣。易之為書,曲暢義理,反明人事。所言女子不字,亦猶忠臣遇難,上下暌違,守節不違,其如蘇武困於單于,後乃歸漢也。
「女子貞不字」は、六二がもともと九五の配偶であるので、貞節を守って九五に奉仕し、初九の求愛を受けないことを言う。第十年に至ると、反常の局面が終り、艱難の道が終に通暢し、ここにおいて初めて九五の恩愛を受けることができる。《周易》という書は、委曲詳尽に義理を暢発し、反ってそれをもって人事を明らかにする。ここに言う女子が嫁を肯んじないのは、忠臣が患難に遭い、上下が阻隔乖違しても、終始節を守って改めないのに似る。まさに漢の蘇武が匈奴の単于に北海に扣留され、艱苦を歴尽し、最後にやはり漢朝に帰ったようなものである。
六三即鹿無虞,惟入于林中,君子不如舍,往吝者。即,就也;虞是掌山澤之官也。六三處屯難之時,陰先求陽,弱者求強,而六三既無正應,往依於五,五又有應在二。而六三若往就五,五所不納。猶如獵鹿,要假虞官揆度山川,知鹿所在;既無虞人,徒入於林,終不獲鹿。故君子見此,不如棄舎,若強就之,徒勞而已,終至悔吝。故略例云:見情者獲,直往即違是也。
六三の爻辞「即鹿无虞、惟入于林中、君子不如舎、往吝」。「即」は近づき追うこと、「虞」は山林川沢を掌る官吏である。六三は屯難の時に処り、陰柔の一方が自ら動いて陽剛を求め、弱者が強者に投靠しようとする。しかし六三にはこれと正応する爻がなく、上って九五に依附しようとしても、九五はすでに六二と相応している。六三が強いて往って九五に近就しようとしても、九五はそれを容納しない。これは猟をして鹿を追うにあたり、虞官を借りて山川の形勢を揆度し、鹿の行方を掌握する必要があるのに似る。虞人の導きがなければ、空しく樹林に闖入しても、終に鹿を捕えることはできない。ゆえに君子はこのような情形を見て、捨てるのに及ばない。もし無理に追求すれば、ただ労して功なく、終に悔恨憾惜を招く。ゆえに王弼《周易略例》は言う、情実を洞見できる者のみ獲るところがあり、ひたすら直ちに往けば事理に背く、まさにこの意である。
六四乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利者。六四意就初九,見二與初相近,疑二與初相合,心懷嫌疑,故乘馬班旋而不敢進。今六二不従於初,而六四見其情狀,可以就往初九,必獲媾合,是以往獲吉而無不利,言兩情相得也。
六四の爻辞「乘馬班如、求婚媾、往吉、无不利」。六四はもともと心あって正応の初九に親就しようとするが、六二が初九と位置が近接しているのを見て、六二がすでに初九と結合したのではないかと疑い、心中に猜忌を存する。ゆえに馬に乗って原地で転じて前に進むことを敢えてしない。いま六二が初九に順従しないので、六四はこの情状を見て、前に往って初九に親就可以きことを知り、必ず婚配を成し遂げられる。ゆえに往けば吉を獲得して利しないことがない。これは双方の情意が相投相得することを言う。
九五屯其膏,小貞吉,大貞凶者。九五既處尊位,當屯難之時,固宜拯弱救衰,濟民危難,而乃獨應於二,即是用心狹,所濟不廣。處難以斯,乃非大人博之道,即是小貞吉、大貞凶也。膏喻恩澤施惠之義。
九五の爻辞「屯其膏、小貞吉、大貞凶」。九五はすでに尊貴の君位に居り、屯難の時に処り、本来弱者を扶助し衰敗を救済し、百姓の危難を解除すべきである。しかしそれは六二の一爻のみと相応し、これは心の用いるところが狭く、救済の及ぶ範囲が広くない。艱難の世にこのような方式で事に処するのは、大人の広く衆を済う正道に合わない。ゆえに小事では正を守れば吉を得られるが、大事では正を守ればかえって凶がある。「膏」は恩沢施恵の意を喩えるのに用いる。
上六乘馬班如,泣血漣如者。居陰柔之質而無應援,處難之時,不能自濟,雖復乘馬之班旋而無所適,故泣血沲嗟,滅亡在近。說文云:漣如,泣垂下之貌也。
上六の爻辞「乘馬班如、泣血漣如」。上六はそれ自身が陰柔の質で、また全卦の終極に居て呼応支援できる爻がなく、屯難の時に処って自らを済うことができない。馬に乗って行きつ戻りつしても往くべきところがない。ゆえにただ血の涙を泣き悲嘆し、覆亡は目の前にある。《説文解字》は言う、「漣如」は、涙が垂れ下るさまである、と。
蒙卦(坎下艮上)
坎下艮上。蒙:亨。匪我求童蒙,童蒙求我。初筮告,再三瀆,瀆則不告,利貞。彖曰:蒙,山下有險,險而止,蒙。蒙亨,以亨行時中也。匪我求童蒙,童蒙求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。象曰:山下出泉,蒙。君子以果行育徳。
蒙卦は下卦が坎、上卦が艮で、坎は険・水、艮は山・止である。卦辞は言う、蒙は、亨通である。私が蒙昧の童を求めるのではなく、蒙昧の童が私を求めるのである。初めて占問すれば告げ、再三繰り返して問えば涜し、涜せばもはや告げない。正を守るのが宜しい、と。《彖伝》は言う、蒙卦は、山下に険阻があり、険に遇って停止して前に進まない、ゆえに蒙と言う、と。蒙にして亨通できるのは、亨通の道をもって行いまた時宜に合い中道を守るからである。「匪我求童蒙、童蒙求我」は、彼此の心志が相応することを言う。「初筮告」は、九二が陽剛にして下卦の中に居るからである。「再三涜、涜則不告」は、かえって蒙者の心を攪乱するからである。蒙昧未開の段階をもって純正を涵養するのは、聖人を造就する功業である。《大象伝》は言う、山下から泉水が湧き出る、これが蒙である、君子はこれに法り、果断に行事して自分の徳性を培育する、と。
初六,發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。象曰:利用刑人,以正法也。九二,包蒙吉,納婦吉,子克家。象曰:子克家,剛柔接也。六三,勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。象曰:勿用取女,行不順也。六四,困蒙,吝。象曰:困蒙之吝,獨逺實也。六五,童蒙,吉。象曰:童蒙之吉,順以巽也。上九,擊蒙,不利為□,利御冠。象曰:利用御□,上下順也。
初六の爻辞、蒙昧を啓発する、刑罰を用いて人を懲戒するのが宜しく、また人の桎梏を解脱するのが宜しい、ひたすら刑を用い続ければ憾惜がある。《小象伝》は言う、刑を用いて人を懲すのが宜しいのは、法度を端正するためだ、と。九二の爻辞、蒙昧の者を包容できれば吉、婦人を容れれば吉、子は家業を担当できる。《小象伝》は言う、子が家業を担当できるのは、剛爻と柔爻が互いに交接するからだ、と。六三の爻辞、このような女子を娶ってはならない、彼女は銭ある勢いある男子を見れば自身を保つことができず、何の益もない。《小象伝》は言う、彼女を娶ってはならないのは、その行いが順道に合わないからだ、と。六四の爻辞、蒙昧の中に困る、憾惜がある。《小象伝》は言う、困蒙の憾惜は、それが独り陽剛の実体から遠く離れているからだ、と。六五の爻辞、童のように蒙昧無知であれば吉。《小象伝》は言う、童蒙が吉なのは、それが柔順で謙遜だからだ、と。上九の爻辞、剛猛の力をもって蒙昧を撃破する、自分から侵掠する者となるのは宜しくない、外からの侵掠を防御するのが宜しい。《小象伝》は言う、外寇を御するのに用いるのが宜しいのは、上下ともに順うからだ、と。(この段の二箇所の「□」は底本原有の缺字で、いずれも「冦」と作るべきもの。また「利御冠」の「冠」も「冦」字の誤りで、いま併せて照録して改めない。)
蒙亨者,蒙者童稚之名,闇昧之義。處童蒙之時,所願獲通,故曰蒙亨。匪我求童蒙,童蒙求我者,匪,非也。童蒙者謂五也,我謂二也。五處童蒙之時,當求九二之明師也。
卦辞は言う「蒙、亨」。「蒙」はもともと児童の幼稚の名称で、引き延ばして昏暗不明の意である。人が幼稚蒙昧の段階に処るとき、望むところは開通明達できることである。ゆえに蒙は亨通できると言う。「匪我求童蒙、童蒙求我」の「匪」は「非」である。ここの「童蒙」は六五を指し、「我」は九二を指す。六五は蒙昧未開の時に身を処り、理の上では自ら動いて九二という明師に求教すべきである。
再三瀆,瀆則不告者,瀆,亂也。蒙昧之人,心多疑惑,若明師與之決蒙,須一理而說,使其曉悟。若其廣說引諭,至於繁多,即蒙者瀆亂,亂即還同不告。利貞者,蒙而未曉,心須養正,乃通至聖之功也。
「再三涜、涜則不告」の「涜」は攪乱である。蒙昧の人は心中に疑惑が多く、明師が彼のために蒙昧を解く時、必ず一つの道理を捉えて説き透し、彼を豁然と明らかに悟らせなければならない。もし広く陳べ旁徴博引し、説くことが過度に繁雑になれば、かえって蒙者の心を攪乱する。いったん攪乱すれば、その効果は根本から告げなかったのと同じになる。「利貞」は、人が蒙昧未開で心中まだ明白でない時、必ず先に自分の純正を涵養し、こうすれば聖徳を成就する功業に通じられることを言う。
象曰:山下出泉,蒙。君子以果行育徳者。王氏云:山下出泉,未知所適,蒙之象也。君子處是時而未獲通,當須果決為行,育養已徳。徳立道成,可以適蒙之險。
《大象伝》の言う「山下出泉、蒙。君子以果行育徳」――王弼は解釈する、山下から泉水が湧き出て、まだどこへ流れゆくか知らない、これはまさに蒙昧の象徴である。君子がこのような時に処ってまだ通達を得なければ、果断決然として実践し、自分の徳性を涵育培養すべきである。徳性がいったん立ち道業がいったん成れば、蒙昧不明のもたらす険阻に応じに行くことができる。
初六發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝者。初六雖是闇昧,而與九二相近,即是親比明師,以去蒙暗。蒙既顯發,即心無凝滯,乃能利用刑罰罪人,又能脫去罪人桎梏之象,言其明於法律,舉事合宜。凡刑罰之道,不可常行,鞭撲不可弛之家,刑罰不可弛之國。若用刑不已,民所不堪,即有悔吝之道,故曰以往吝。爾雅云:杻謂之桎,械謂之梏也。
初六の爻辞「発蒙、利用刑人、用説桎梏、以往吝」。初六はそれ自身昏昧無知だが、九二と隣接し比しており、まさに明師に親近依附して、これに拠って自分の蒙昧を除く。蒙昧がいったん啓発されれば、心の中にもはや阻滯がなくなり、ここにおいて罪人を刑罰で懲治するのに適切に用いることも、罪人の枷鎖を適時に解くこともできる。これは法律に明るく事を挙げるのが合宜であることを言う。およそ刑を用いる道は、長く不断に施行してはならない。鞭打責罰は家の中で廃してはならず、刑罰制度は国の中で廃してはならない。しかしもし刑を用いるのに止境がなければ、百姓は堪えられず、悔恨憾惜を招く道に至る。ゆえにひたすらこのように続ければ憾惜があると言う。《爾雅》は言う、手の刑具を「桎」と言い、足の刑具を「梏」と言う、と。
九二包蒙吉,納婦吉,子克家者。凡言婦者,配已成徳。九二剛陽之徳而居中,群陰悉來,物來歸已而能納之,故曰包蒙吉也。心既通,不拒於物,即配徳者歸焉,故曰納婦吉也。剛而處中,納此匹配,是能幹濟家事,施之子孫而能克荷家事,故曰子克家也。
九二の爻辞「包蒙吉、納婦吉、子克家」。およそ「婦」と言うのは、みな自分と対になってともに徳業を成就する対象を指す。九二は陽剛の徳を持ちながら下卦の中に居り、衆陰爻がみな帰附してくる。外物が自分に帰り向かってきて、それを一つずつ容納できる。ゆえに蒙昧の者を包容すれば吉を得られると言う。それは内心が通達しており、外物を拒まない。そこでその徳性と相配する一方が帰附してくる。ゆえに婦人を容れれば吉を得られると言う。九二は陽剛であって中に居り、このような配偶を容納できることは、家事を仕切る能力があることを示す。この能力を子孫に及ぼせば、子が家業を担うことができる。ゆえに「子克家」と言う。
六三勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利者。蒙之為體,陰先求陽,弱先求強。六三是陰柔,即是先求上九者也。喻之人事,是女先求於男也。女以婉順為徳,待禮而行,今既先求於男,故不可取也。見金夫,不有躬,無攸利者,金,剛也。上九剛夫,而乃往就之,是無閨閣之徳,故不可取之,而無所利也。
六三の爻辞「勿用取女、見金夫、不有躬、无攸利」。蒙卦の体例は、陰爻が自ら動いて陽爻を求め、弱者が自ら動いて強者を求めることである。六三は陰柔の爻で、まさに自ら動いて上九を求めるものである。人事に比すれば、女子が自ら男子を求めることである。女子は婉約柔順を徳とし、礼に合う求聘を待ってから行動すべきである。いま彼女はかえって先んじて男子を求める。ゆえに彼女を娶ってはならない。「見金夫、不有躬、无攸利」の「金」はここでは剛強の意で、上九は剛強の男子である。六三はあえて自ら往って彼に親就する。これでは閨門の内にあるべき貞静の徳がない。ゆえに彼女を娶ってはならず、娶っても何の益もない。
六四困蒙吝者,既不近明師,無人顯發其暗,深可鄙也。六五童蒙吉者,柔而處尊,不自任察,但委付於二,不勞已之聰明,猶如童稚之人,自可獲吉,如成王委用周公之義。
六四の爻辞「困蒙、吝」。六四は上下に隣るのがみな陰爻で、九二という明師に親近することもできず、また人も来てその昏暗を啓いてくれない。したがって蒙昧に困守して、実に鄙び惜しい。六五の爻辞「童蒙、吉」。六五は陰柔の爻で尊位に居り、自ら聡明を恃んで事ごとに明察せず、ただ政事を九二に委託し、自分の耳目心力を労せず費やさず、ちょうど天真な孩童のようで、自然に吉を得られる。これは周成王が国政を周公に委託して処理させたようなものである。
上九擊蒙,不利為冦,利御冦者。上九陽明之徳,處眾陰之上,能於眾陰擊去蒙暗,故曰擊蒙也。眾陰親托,皆願求安,能為群陰去除冦難,則荷戴彌深。若因人之隙,便生苟且而以取之,則眾陰叛矣,故云不利為冦,而利用御冦也。
上九の爻辞「撃蒙、不利為寇、利御寇」。上九は陽剛明察の徳を備え、衆陰爻の上に居り、衆陰のために蒙昧昏暗を撃破することができる。ゆえに「撃蒙」と言う。衆陰爻はみなそれに親近依托し、みな安寧を得ることを願う。それがもしこれらの陰爻のために外からの侵掠禍患を掃除してやれば、衆陰のそれへの擁戴はいっそう深まる。反対に、それがもし人の隙に乗じて苟且の心を起こし、己れのものに据えれば、衆陰はそれに叛く。ゆえに自ら侵掠する者となるのは宜しくなく、人のために侵掠を防御するのが宜しいと言う。
需卦(乾下坎上)
乾下坎上。需:有孚,光亨,貞吉,利涉大川。彖曰:需,須也,險在前也。剛健而不□,其義不困窮矣。需有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。象曰:雲上於天,需。君子以飲食宴樂。
需卦は下卦が乾、上卦が坎で、乾は剛健、坎は険陥で、剛健の者が険に遇って前にありて待たねばならない象である。卦辞は言う、需は、心に誠信を存して、光明亨通で、正を守れば吉を得、大河を渡るのが宜しい、と。《彖伝》は言う、「需」は待つことで、険難が前に横たわる。剛健にして軽率に冒進せざれば、理の上では困窮に陥らない。「需有孚、光亨、貞吉」は、九五が天位に居りまた中正だからである。「利渉大川」は、往けば必ず功があることを言う。《大象伝》は言う、雲気が天に昇る(まだ雨とならない)、これが需である、君子はこれに法り、ゆったりと飲食宴楽して時機を待つ、と。(「不□」の処は底本が一字を缺く。いま缺を存して補わない。)
初九,需于郊,利用恆,無咎。象曰:需于郊,不犯難行也;利用恆無咎,未失常也。九二,需于沙,小有言,終吉。象曰:需于沙,衍在中也;雖小有言,以吉終也。九三,雷于泥,致寇至。象曰:需于泥,災在外也;自我致寇,敬慎不敗也。六四,需于血,出自穴。象曰:需于血,順以聴也。九五,需于酒食,貞吉。象曰:酒食貞吉,以中正也。上六,入于穴,有不速之客三人來,敬之終吉。象曰:不速之客來,敬之終吉,雖不當位,未大失也。
初九の爻辞、郊野で待つ、恒常を保つのが宜しく、咎がない。《小象伝》は言う、郊野で待つのは、険難を犯して行かないからである、恒を用いて咎がないのは、常道を失わないからだ、と。九二の爻辞、砂浜で待つ、責める言葉が少しあるが、最後は吉。《小象伝》は言う、砂浜で待つのは、中に居て心が寛裕だからである、少しの閑言はあっても、終に吉で終る、と。九三の爻辞、泥濘の中で待つ、強寇の到来を招く。(底本は「需于泥」の「需」を「雷」と誤る。いま照録して改めない。)《小象伝》は言う、泥の中で待つのは、災患がなお卦外にあるからである、自ら強寇を招いたので、恭敬謹慎なら敗れない、と。六四の爻辞、血の池の中で待つ、洞穴から脱け出る。《小象伝》は言う、血の中で待つのは、柔順に形勢に聴従するからだ、と。九五の爻辞、酒食の中で待つ、正を守れば吉。《小象伝》は言う、酒食で正を守り吉なのは、九五が中に居て正を得るからだ、と。上六の爻辞、洞穴に入り、招かれざる三人の客が来る、恭敬して彼らに接すれば、終に吉。《小象伝》は言う、不速の客が来る、恭敬に接して終に吉を得る、上六の処す位は当たらないが、大きな損失もない、と。
需有孚,光亨,貞吉者,需,待也。乾健獲進,坎險在前,畏而不進,故稱待也。凡人待物,必須有信,信既立矣,即道徳亨通,於正獲吉,故曰光亨貞吉也。利涉大川者,以信待物,又以乾之剛健,不患於險,故可濟涉大川,不憂沉溺也。
卦辞「需、有孚、光亨、貞吉」。「需」は待つことである。下卦乾は剛健で本来前進すべきだが、上卦坎の険難が前に横たわり、畏れるところあって軽く進まない。ゆえに「待」と称する。およそ人が外物と相対して待つところある時は、必ず心に誠信を存さねばならない。誠信がいったん立てば、道徳はそれに随って亨通し、正道を守持すれば吉を得られる。ゆえに光明亨通・正を守り吉と言う。「利渉大川」は、誠信をもって外物に対し、また乾の剛健の力に拠れば、険難を憂える必要がなく、ゆえに大河を渡ることができて沉溺を心配しないと言う。
象曰:雲上於天,需。君子以飲食宴樂者。坎為雲也,乾,天也。雲上於天,待時降雨,是需待之象也。君子當其時,待養而成。故王氏云:童蒙已發,盛徳光亨,飲食宴樂,其在茲乎。
《大象伝》の言う「雲上于天、需。君子以飲食宴楽」――坎はここで雲を象徴し、乾は天を象徴する。雲気が天に昇り、時機を待って初めて雨を降らせる。これはまさに待つ形象である。君子がこのような時に処るときも、待つ中で自らを涵養してのち成を得るべきである。ゆえに王弼は言う、蒙昧がすでに啓発され、盛んな徳性が光明亨通して、ゆったりと飲食宴楽する、言うのはおそらくこの境界であろう、と。
初九需于郊,利用恆,無咎者。爾雅云:邑外謂之郊也。初九去難既逺,雖不應於□速,但可以處於郊境之外,待時而已也。利用恆,無咎者,既不逼於險難,其所營為不失恆道,故不□於咎也。
初九の爻辞「需于郊、利用恒、无咎」。《爾雅》は言う、城邑の外を「郊」と言う、と。初九は一卦の最下位に処り、上卦坎の険難から最も遠い。急速に冒進するのは宜しくないが、郊野の外に安処して、静かに時機を待つだけでよい。「利用恒、无咎」は、それが険難に逼迫されず、経営する事が恒常の道に背かないので、咎に陥らないことを言う。(文中の二箇所の「□」は底本の缺字で、いま缺を存して補わない。)
九二需于沙,小有言,終吉。沙謂水之旁,去難漸近。既近於難,不能不有責讓之言。以其剛健寛而處中,待時而進,雖有責讓之言,終保吉矣,故曰小有言終吉也。
九二の爻辞「需于沙、小有言、終吉」。「沙」は水辺の砂地を指し、九二が上卦の険難からすでに次第に近いことを示す。すでに険難に近づけば、いくらかの責め議る言葉を招くのは免れない。しかし九二は陽剛強健であって心が寛裕で、下卦の中に居て中道を守り、時機の熟するを待って前進する。ゆえに責めの言があっても、終に吉を保てる。ゆえに「小有言、終吉」と言う。
九三需于泥,致冦至者。九三已逼於難,故稱泥,泥謂險難也。致冦至者,招也。既逼險難,即是招致冦害以相侵敵。然而不為遽進,猶有待焉,故不為困憊。
九三の爻辞「需于泥、致寇至」。九三はすでに上卦坎の険難に紧逼している。ゆえに「泥」で形容し、「泥」は険難を指す。「致寇至」の「致」は招き引くの意で、すでに険難に迫れば、それは寇害を招いて侵犯し対抗させるのに等しい。ただし九三は険に近いが、急躁に冒進せず、依然として待つ姿勢を保つ。ゆえに困頓疲弊に陥らない。
六四需于血,出自穴者。血是陰陽相傷也。六四以陰柔之質,當剛健之路,乾剛既進,必見侵傷,故曰需于血。陽既強盛而前進,力不能敵,故以出於窟穴而避之,故曰出自穴也。
六四の爻辞「需于血、出自穴」。「血」は陰と陽が互いに傷つけ合うことを示す。六四は陰柔の資質をもって、ちょうど下卦乾の剛健が上行する路を遮っており、乾の三つの陽爻がいったん推進すれば、それは必ず侵害を受ける。ゆえに血の池で待つと言う。陽気がすでに強盛で前に推進すれば、六四の力では敵しがたい。ゆえに自分の洞穴を離れて退避するほかない。ゆえに「出自穴」と言う。
九五需于酒食,貞吉者。人之所須以求貴位,身既處於尊位而為天下所歸,即何更望求焉,但施酒食,暢其中情而已,故曰需于酒食也。然至飲食過莭,患所生焉,故紂作靡靡之樂,天下為之離叛。必須飲食以宜,而不失貞正之道,可以獲吉,故曰貞吉也。
九五の爻辞「需于酒食、貞吉」。人が望み追求するのは尊貴の地位にほかならない。九五はそれ自身すでに至尊の位に居り天下の帰心するところである。さらに求めるものがあろうか。ただ酒食を設えて君臣上下の情を暢達するだけでよい。ゆえに酒食の中で待つと言う。しかし飲食がいったん節度を超えれば、禍患はそれに随って生じる。商の紂王は靡靡の楽・酒池肉林を作り、天下はこれによって離叛した。ゆえに必ず飲食を適度に合わせ、貞正の道を失わないことが、吉を得る所以である。ゆえに「貞吉」と言う。
上六入于穴,有不速之客三人來,敬之終吉者。上六需難既終,不須出穴,安於舊位,故曰入于穴也。速,召也。三人謂乾三陽也。言難道既終,三陽務進,不待上六召喚而自來矣,故曰有不速之客三人來也。陽貴陰賤,而上六既是陰柔,又居無位之地,三陽若來,必須恭敬之而終獲吉,故曰敬之終吉。
上六の爻辞「入于穴、有不速之客三人来、敬之終吉」。上六は需卦の終点に処り、待つ艱難はすでに終った。もはや穴を出て奔走する必要はなく、自分の元の位置に安守すればよい。ゆえに「入于穴」と言う。「速」は召し請うの意で、「三人」は下卦乾の三つの陽爻を指す。これは険難の道がすでに尽き、三つの陽爻が上進を務め、上六の召喚を待たずして自ら来ることを言う。ゆえに招かれざる三人の客が来ると言う。陽は貴く陰は賤い。上六はすでに陰柔の質で、また全卦の極の実位なき地に処する。三つの陽爻がすでに来たからには、恭恭敬敬をもって彼らに接し、終に吉を得なければならない。ゆえに「敬之終吉」と言う。
訟卦(坎下乾上)
坎下乾上。訟:有孚窒惕,中吉,終凶,利見大人,不利涉大川。彖曰:訟,上剛下險,險而健,訟。訟有孚窒惕中吉,剛來而得中也。終凶,訟不可成也。利見大人,尚中正也。不利涉大川,入于淵也。象曰:天與水違行,訟。君子以作事謀始。
訟卦は下卦が坎、上卦が乾で、坎は険・乾は健で、内に険陥を懐いて外に剛強を逞しくする象で、ゆえに訟と名づける。卦辞は言う、訟は、心に誠信があるが塞き止められ、よって戒懼する。中で適度に止まれば吉、終りまで争えば凶。大人に見るのが宜しく、大河を渡るのは宜しくない、と。《彖伝》は言う、訟卦は上体が剛強で下体が険陥、内険にして外健、ゆえに訟となる、と。「有孚窒惕、中吉」は、九二という剛爻が来て下卦の中に居るからである。「終凶」は、争訟を争い尽くしてはならないことを言う。「利見大人」は、九五の中正の徳を尚ぶことである。「不利渉大川」は、軽率に険を渉れば深淵に墜ちることを言う。《大象伝》は言う、天は西へ転じ水は東へ流れ、両者は道に背いて行く、これが訟である、君子はこれに法り、事を興すにあたりみな先に端緒の処で謀を周全にする、と。
初六,不永所事,小有言,終吉。象曰:不永所事,訟不可長也;雖小有言,其辯明也。九二,不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚。象曰:不克訟,歸逋竄也;自下訟上,患至掇也。六三,食舊徳,貞厲,終吉,或従王事,無成。象曰:食舊徳,從上吉也。九四,不克訟,復即命,渝安貞,吉。象曰:復即命,渝安貞,不失也。九五,訟元吉。象曰:訟元吉,以中正也。上九,或錫之鞶帶,終朝三禠之。象曰:以訟受服,亦不足敬也。
初六の爻辞、争訟の事を長く引き延ばさず、責めの言が少しあっても、終に吉。《小象伝》は言う、訟事を長く引かないのは、争訟は長くすべきでないからである、少しの閑言はあっても、是非は終に弁明できる、と。九二の爻辞、この訴訟に勝てず、帰って逃避し隠れる、彼の三百戸だけの小邑は災いを免れる。《小象伝》は言う、勝てなければ退帰し隠れ逃れる、下の身分をもって上の者と争訟すれば、禍患の招来は手を伸ばして拾うように易しい、と。六三の爻辞、旧来の俸禄恩徳を安く享け、正を守り危惧を知り、終に吉。あるいは君王の事に従うときは、その成功を居らない。《小象伝》は言う、旧徳を安く享くるのは、上の者に順従して初めて吉だ、と。九四の爻辞、この訴訟に勝てず、振り返って正理に従い、態度を改めて正を守ることに安んずる、吉。《小象伝》は言う、正理に帰り改めて安貞すれば、損失することはない、と。九五の爻辞、訟を断じて大いに吉。《小象伝》は言う、訟にして元吉なのは、九五が中に居て正を得るからだ、と。上九の爻辞、あるいは争訟に勝って大帯を賜ることがあっても、一朝のうちに三度剥奪される。《小象伝》は言う、訴訟を打って得た服飾も、尊敬に値しない、と。
訟有孚窒惕,中吉終凶者。訟者,喧競之名,乖爭之義。窒,塞也;惕,懼也。凡為訟之體,必須信實被人止塞。若能因此而懷惕懼,於中途而止,即獲吉也。若終竟相訟,雖暫獲勝,而終必有凶,故曰終凶也。利見大人者,大人能斷枉直,不失情理也。不利涉大川者,爭訟之時,人心乖異,涉難濟川,必見謀害。故周氏云:與相爭必被襲謀,當見墜於深淵也。
卦辞「訟、有孚窒惕、中吉、終凶」。「訟」は喧嘩競争の名目で、乖違争闘の意を含む。「窒」は塞き、「惕」は恐れである。およそ争訟を構成する情形は、必ず自分に確かな誠信実情があるのに他人に塞き止め圧制されることである。もしこれによって心に戒懼を存し、中途で止まれば、吉を得られる。もし終りまで争えば、一時優勢を占めても、最終的には必ず凶がある。ゆえに「終凶」と言う。「利見大人」は、大人が曲直を裁断でき、人情事理に背かないことを言う。「不利渉大川」は、争訟の時には人心が乖離しており、この時に冒険して河を渡れば、必ず人に暗算されることを言う。ゆえに周氏は言う、人と争えば必ず人に襲われ謀られ、深淵に墜ちる結末となる、と。
象曰:天與水違行,訟。君子以作事謀始者。天自西轉,水乃東流,二體相違,故是訟也。君子興為,必須謀慮其始。若初始分明,不相忤犯,訟無由生也。
《大象伝》の言う「天与水違行、訟。君子以作事謀始」――天体は東から西へ回転し、水流は東へ奔流し、両者の運行の方向は互いに背離する。ゆえに訟卦となる。君子が一事を興さんとするには、必ず最初に事を謀慮し考え尽くさねばならない。もし初めから界域が分明で、彼此犯し合わなければ、争訟は生じる由もない。
初六不永所事,小有言終吉者。爭訟之體,剛先犯弱。初六既是陰柔,不敢先訟九四,九四先訟者也。往就辯答,道理分明,不被稽留,故不永所事,謂不永長為爭訟之事也。
初六の爻辞「不永所事、小有言、終吉」。争訟の通例は、剛強の一方が先に柔弱の一方を侵犯することである。初六はもともと陰柔の爻で、敢えて自ら九四と争訟せず、九四が先に訟端を挑んできた。初六は往って応答弁白し、道理を明らかに説き、よって累を引かれ滞らない。ゆえにこの事を長く引かないと言い、争訟の事を長く了わないことにしない意である。
九二不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無眚者。克,勝也;逋,逃也。九二體剛居陰,好為爭訟之事,乃與九五相爭也。以下訟上,以臣訟君,勢不可敵,爭訟如何得勝,故不克訟也。然訟既不勝,禍患必至,懼罪及身,遂將逃竄,竄歸小邑,可免災也。若其邑大人強,君疑不息,必被誅罰,故曰三百戶乃無眚也。
九二の爻辞「不克訟、帰而逋、其邑人三百戸、无眚」。「克」は勝ち取ること、「逋」は逃亡である。九二は陽爻が陰位に居り、性好んで争訟の事を為し、争う対象はまさに九五である。下の爻をもって上の爻と争訟し、臣子の身分をもって君主と争訟すれば、形勢上根本から抗し得ない。どうして勝てようか。ゆえに「不克訟」と言う。すでに勝てなければ、禍患は必ず随って至る。九二は罪責が身に及ぶを惧れ、逃亡して避け、小邑に逃げ帰れば、災禍を免れられる。もしその退居する封邑が大きく人衆勢強であれば、君主の疑忌は静まらず、終に誅罰を免れない。ゆえに特に三百戸の小邑だけが無災となりうると言う。
六三食舊徳,貞厲終吉,或従王事無成者。六三體柔弱,順従上九,不敢有違,所有舊日之恩徳而不被黜奪,故曰食舊徳也。然處兩剛之間,情不相得,以貞自危,故曰貞厲也。體柔奉上,不敢為先,但須従上九之王事,不敢先成,故曰或従王事無成也。
六三の爻辞「食旧徳、貞厲、終吉、或従王事、无成」。六三は柔弱の陰爻で、それに応する上九に順従し、敢えて違逆しない。ゆえに従前享有した恩沢俸禄は剥奪されない。ゆえに旧徳を安く享くると言う。しかしそれは九二・九四という二つの剛爻の間に挟まれ、彼此情意が合わず、正を守って自処し心に危惧を存するほかない。ゆえに「貞厲」と言う。それは体質が柔順で上の者に奉事し、敢えて先んじて頭を出さず、ただ上九に随いて王事を為し、成功の名を占めようとしない。ゆえに「或従王事、无成」と言う。
九四不克訟,復即命,渝安貞吉者。克,勝也;即,就也;復,反也;渝,變也。四體剛而訟初六,初對答道理分明,四既不勝於初六,故曰不克訟也。若因此不勝而能反就初六,悔過自新,即獲安貞之吉,故曰安貞吉也。
九四の爻辞「不克訟、復即命、渝安貞、吉」。「克」は勝ち取ること、「即」は近づき帰就すること、「復」は返ること、「渝」は変えることである。九四は剛爻で、自ら動いて初六と争訟したが、初六が応答するに道理を明らかに説き、九四はついに初六に勝てない。ゆえに「不克訟」と言う。もしこの不勝によって振り返って初六に親近し、過ちを悔い改め新たに為ることができれば、正道に安んずる吉を得られる。ゆえに「安貞吉」と言う。
九五訟元吉者。餘皆不當尊位,悉是爭訟之人。九五體尊履正,即是斷訟之主。剛即無所滯溺,中即心無偏曲,處位以斯,故獲大吉,故曰訟元吉也。
九五の爻辞「訟元吉」。他の各爻は尊位に居らず、すべて争訟に参与する当事者である。ただ九五のみ至尊に身を居め処るところが正しく、まさに訟案を裁断する主持者である。それは陽剛だから人情に引きずられ沉溺せず、中だから心に偏私曲護がない。このような資質をもってこのような位に居れば、大吉を得られる。ゆえに「訟元吉」と言う。
上九或錫之鞶帶,終朝三褫之者。以剛處上,是訟而得勝,乃受鞶帶之錫。然則不義而富於我如浮雲,以訟受榮,如何可保。故終一朝間,三被褫脫,不足敬也。因訟至錫,非徳而受,故不足敬。旦至食時為朝。馬云:鞶帶,大帶衣也。
上九の爻辞「或錫之鞶帯、終朝三褫之」。上九は陽剛をもって全卦の最上位に処り、官司に打ち勝った一方で、大帯を賜る栄寵を受けた。しかし孔子は言ったことがある、不義の手段で得た富貴は、私にとっては天上の浮雲のようだ、と。訴訟で換えた栄顕は、どうして保てようか。ゆえにわずか一朝の間に、三度剥奪されてしまう。実に尊敬に値しない。争訟によって賞賜を得るのは、徳行に拠って禄を受けるのではない。ゆえに敬重に足らない。夜明けから朝飯を食う頃までを「朝」と言う。馬融は言う、鞶帯とは、衣の外に束ねる大帯である、と。
師卦(坎下坤上)
坎下坤上。師:貞,丈人吉,無咎。彖曰:師,眾也;貞,正也。能以眾正,可以王矣。剛中而應,行險而順,以此毒天下而民從之,吉又何咎矣。象曰:地中有水,師。君子以容民畜眾。
師卦は下卦が坎、上卦が坤で、坎は水・険、坤は地・順で、水が地中に聚蔵される象である。卦辞は言う、師は、正を守り、老成持重の長者が統率すれば吉で、咎がない、と。《彖伝》は言う、「師」は衆人で、「貞」は端正である。正道をもって衆人を統率できれば、王業を成すことができる。九二は陽剛にして中に居り六五と相応し、険難の中を行きながらも柔順である。この方式をもって天下を役使しても百姓はなお従う。吉を得て、どこに咎があろうか。《大象伝》は言う、地中に水を蓄える、これが師である、君子はこれに法り、百姓を容納し民衆を蓄聚する、と。
初六,師出以律,否臧凶。象曰:師出以律,失律凶也。九二,在師中吉,無咎,王三錫命。象曰:在師中吉,承天寵也;王三錫命,懷萬邦也。六三,師或輿尸,凶。象曰:師或輿尸,大無功也。六四,師左次,無咎。象曰:左次無咎,未失常也。六五,田有禽,利執言,無咎,長子帥師,弟子輿尸,貞凶。象曰:長子帥師,以中行也;弟子輿尸,使不當也。上六,大君有命,開國承家,小人勿用。象曰:大君有命,以正功也;小人勿用,必亂邦也。
初六の爻辞、兵を出すには軍法号令をもって約束せねばならず、さもなければ功があっても凶。《小象伝》は言う、師を出すには紀律に拠る、紀律を失えば凶だ、と。九二の爻辞、兵を統べて中道を守れば吉で咎がなく、君王が三度賜命を頒く。《小象伝》は言う、師の中に居て吉なのは、天と君王の恩寵を承けたからである、君王が三度賜命するのは、万邦を安んじ懐柔するためだ、と。六三の爻辞、軍隊はあるいは屍を車に載せて帰る、凶。《小象伝》は言う、敗軍が屍を載せて帰るのは、まったく戦功がないからだ、と。六四の爻辞、軍隊は左に退き営を張る、咎なし。《小象伝》は言う、左方に退駐して咎なきは、用兵の常法を失わないからだ、と。六五の爻辞、田に野獣があって禾を荒らす、声討して捕えるのが宜しく咎なし。年長持重の者が軍を統べればよく、年少無徳の者が統べれば屍を載せて帰り、正を守っても凶。《小象伝》は言う、長子が軍を統べるのは、中道を行うからである、弟子が屍を載せるのは、任用が適当でないからだ、と。上六の爻辞、天子が詔命を頒き、功を論じて賞を行い、大功の者は諸侯に封じ国を開かせ、小功の者は采邑を受け家を承けさせる、小人は任用してはならない。《小象伝》は言う、天子に命あるは、功労を端正に評定するためである、小人を用いないのは、用いれば必ず国家を禍乱するからだ、と。
師貞丈人吉無咎者。師者,眾也,軍旅之名,法長之義。故陸績云:師為眾首,法長而行是也。以師為正,故曰師貞。丈人吉無咎者,丈人謂嚴毅徳長之人,可以監臨於眾,故曰丈人也。夫興師征伐,必須有功勞,即無罪咎,故曰吉無咎也。
卦辞「師、貞、丈人吉、无咎」。「師」は衆人で、軍隊の名称で、尊長に法る意を含む。ゆえに三国呉の陸績は言う、師は衆人の先頭者で、法度に循って行動する、まさにこの意である、と。兵を用いるには必ず正道を本としなければならない。ゆえに「師貞」と言う。「丈人吉、无咎」の「丈人」は、荘厳剛毅で徳高く年長の人を指し、衆人を統摂監臨できる。ゆえに彼を丈人と称する。およそ兵を興して征伐するには、必ず戦功を立てねばならず、こうして初めて罪責過失がない。ゆえに吉にして咎なしと言う。
象曰:地中有水,師。君子以容民畜眾者。緣地能包水,亦猶為師之主,容納於民也。君子為眾之長,當含小過,不尚絶嚴,容納民人,畜聚於眾也。
《大象伝》の言う「地中有水、師。君子以容民畜衆」――大地が江河湖沢の水を包容できるのは、ちょうど軍隊を統率する主帥が百姓を容納できるのに似る。君子は衆人の領袖として、属下の小さな過失を寛容し、ひたすら厳酷苛察を尚ばず、百姓を容納し人衆を蓄聚できなければならない。
初六師出以律,否臧凶者。律,法也;否,破敗也;臧,有功也。初六為師之首,必須齊整師旅而不失法律者也。若其失律違法,雖見獲功,徒勞而已,故否之與臧,皆見凶也。
初六の爻辞「師出以律、否臧凶」。「律」は法度号令、「否」は敗績を指し、「臧」は功を立てることを指す。初六は師卦の端緒に処り、師を出す始めで、必ず部伍を整粛して軍法紀律に背かないようにしなければならない。もし紀律を失い軍法を犯せば、たとえ僥倖に戦功を得ても、労するだけで益がない。ゆえに敗でも勝でも、結果は凶である。
九二在師中吉,無咎,王三錫命者。九二以剛徳處中,為君委任,故曰在師中也。既為君所任,任大役重,必須有功,無功即凶,故曰吉無咎也。吉者,有功之辭也。王三錫命者,以其能招萬邦而有功,故君王三度錫賜其命。
九二の爻辞「在師中吉、无咎、王三錫命」。九二は陽剛の徳をもって下卦の中に居り、また六五君主の委任を受けている。ゆえに軍の中にあって中道を守ると言う。すでに君主の重託を受ければ、責任は重大で労役は繁巨であり、必ず戦功を立てねばならない。戦功がなければ凶である。ゆえに功あれば吉で咎なしと言う――「吉」はここではまさに功を立てることの言い方である。「王三錫命」は、それが万邦を招徕して功勲を立てられるから、君王が三度賜命を頒してそれを褒賞するのである。
六三師或輿尸凶者。六三體質柔弱,而復乘剛,又無應援,若使之行師,必見喪敗,故曰輿尸而歸凶也。六四師左次無咎者,以陰得位而無其應,無應即不可征伐也,得位則可以自處也。夫為帥眾而處,必須量其便宜,取其右背山陵,前左水澤,而次止之,則無咎也。又云:左是偏將處之,右是上將有主死之權也。
六三の爻辞「師或輿尸、凶」。六三は体質が柔弱で、また九二という剛爻の上に騎り、上にも相応する援手がない。もしそれに兵を率いさせれば、必ず喪敗を招く。ゆえに屍を車に載せて帰るという、凶である。六四の爻辞「師左次、无咎」。六四は陰爻が陰位に居て位を得ているが、相応する爻がない。相応がなければ自ら征伐してはならないが、位を得れば自らその処を守れる。およそ軍隊を統べて駐屯するには、必ず地形の便宜を量らねばならない。右側に山陵を負い、前方左側に水沢に臨ませ、このような地に営を安んじて止息すれば、咎はない。また一説に、左方は偏将の処る位置で、右方は主将の処る位置で、主将は生殺の権を握る、と。
六五田有禽,利執言,無咎,長子帥師,弟子輿尸,貞凶者。以柔處尊,不先威猛,只是物來先犯者也。猶如田之苗稼,為禽所犯,故用執之言語問其情,誅亦無咎,故曰田有禽利執言無咎。六五體既柔弱,不可自行攻伐,故任用長子帥領師眾也。若任之弟子,則致輿尸之凶。故莊氏云:長子謂九二,徳長於人也;弟子謂六三,徳劣於物也。
六五の爻辞「田有禽、利執言、无咎、長子帥師、弟子輿尸、貞凶」。六五は陰柔をもって尊位に居り、自ら威猛を逞しくせず、ただ外物が先に侵犯してきた時に受動して応対する。これはちょうど田の禾苗稼が野獣に荒らされるので、出て声討し捕え、その実情を査問し、誅除を加えても咎がないのに似る。ゆえに「田有禽、利執言、无咎」と言う。六五はそれ自身柔弱で、自ら出征討伐できない。ゆえに「長子」を任用して軍隊を統率させる。もし「弟子」に改めれば、屍を載せて帰る凶禍を招く。ゆえに庄氏は言う、「長子」は九二を指し、徳行が衆人の上にある人である、「弟子」は六三を指し、徳行が人に劣る者である、と。
上六大君有命,開國承家,小人勿用者。上六處師之極,即是有功之人。既有功勞,即天子錫之爵命矣。若其功大,開國為諸侯;若其功小,使之承家為卿大夫也。若山入有功,但錫之金帛,不可任之以位,故勿用小人,必亂邦也。大君為天子,亦喻大人有天命,用之開國;小人無命,止於為盜。
上六の爻辞「大君有命、開国承家、小人勿用」。上六は師卦の終極に処り、まさに戦功がすでに成った人である。すでに功労を立てたからには、天子は彼に爵位と任命を賜る。功の大きい者には、土地を分封し国を立てて諸侯とし、功の小さい者には、采邑を賜い家業を承継させて卿大夫とする。小人については戦功があっても、金銀布帛を賞するだけにすべきで、官位を授けてはならない。ゆえに小人を任用するなと言い、用いれば必ず国家を禍乱する。(底本の「若山入有功」の「山入」は「小人」二字の誤りであろう。いま照録して改めない。)「大君」は天子で、ここではまた徳ある大人が天命を受け、よって国を開き邦を建てられることを喩える。小人にはこのような天命がなく、せいぜい盗賊となるにすぎない。
比卦(坤下坎上)
坤下坎上。比:吉。原筮,元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。彖曰:比,吉也;比,輔也,下順従也。原筮元永貞無咎,以剛中也。不寧方來,上下應也。後夫凶,其道窮也。象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯。
比卦は下卦が坤、上卦が坎で、坎水が地上に流行し、地と相親附する。ゆえに比と名づける。卦辞は言う、比は、吉。原を推して占問し、長久貞正の人を得れば、咎がない。安寧ならざる四方の国がみな帰附してくるが、後れて来る者は凶、と。《彖伝》は言う、比は吉である、「比」は輔佐で、下の衆陰が柔順に九五に従う。「原筮元永貞无咎」は、九五が陽剛にして上卦の中に居るからである。「不寧方来」は、上下が彼此感応するからである。「后夫凶」は、彼の道がすでに尽きるところに至ったことを言う。《大象伝》は言う、地上に水がある、これが比である、先王はこれに法り、万国を分建し諸侯を親しくする、と。
初六,有孚比之,無咎。有孚盈缶,終來有他吉。象曰:比之初六,有他吉也。六二,比之自內,貞吉。象曰:比之自內,不自失也。六三,比之匪人。象曰:比之匪人,不亦傷乎。六四,外比之,貞吉。象曰:外比於賢,以從上也。九五,顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉。象曰:顯比之吉,位正中也;舍逆取順,失前禽也;邑人不誡,上使中也。上六,比之無首,凶。象曰:比之無首,無所終也。
初六の爻辞、誠信を懐いて親附すれば咎がない。誠信が瓦缶に満ちたように盈ち満てば、終に意外の吉慶が到来する。《小象伝》は言う、比卦の初六は、意外の吉慶がある、と。六二の爻辞、内から親附する、正を守れば吉。《小象伝》は言う、内から親附するのは、自分の操守を失わないからだ、と。六三の爻辞、親附するのは適した人でない。《小象伝》は言う、親附すべきでない人を親附した、傷しいではないか、と。六四の爻辞、外へ親附する、正を守れば吉。《小象伝》は言う、外へ親附して賢明の九五に就くのは、上の者に順従するからだ、と。九五の爻辞、光明正大に衆人を親附する、君王は田猟に三面から駆り立てるだけで、前方の禽獣を逃がし、自分の邑中の人にも戒備を設けない、吉。《小象伝》は言う、顕比して吉なのは、九五が中正の位に居るからである、逆えて逃げ来る者を捨て背いて去る者を取るので、前方の禽獣を失う、邑人が戒備を設けないのは、上の者の役使が中道に合うからだ、と。上六の爻辞、親附するも先頭者がいない、凶。《小象伝》は言う、親附して首なきは、良い結末がない、と。
比吉,原筮元永貞無咎者。比是親比之義,與人親比,自然獲吉,故曰比吉也。與人親比,必須尋其根源。筮是問也,審其情原,方得大。永貞是貞正之人,與之親比,乃得無咎;若遇奸邪之人,則不能保其親比之道。
卦辞「比、吉。原筮、元永貞、无咎」。「比」は彼此親近依附の意である。人と親近相輔できれば、自然に吉を得られる。ゆえに「比、吉」と言う。ただし人と親近依附するには、必ず先に相手の根底来歴を探求しなければならない。「筮」はここでは訊ねるの意で、相手の実情本原を審察して明らかにして初めて、大きな収穫を得られる。「永貞」は長久貞正の人を指す。このような人と親近依附して初めて咎がない。もし奸邪の徒に遇えば、親比の道を保全できない。
不寧方來者,比是寜樂之時,亦猶人君有徳,不寧之方,悉來歸化焉。後夫凶者,比道宜速,若處後而來,被人疏隔,所以凶也。
「不寧方来」は、比卦がちょうど天下安寧和楽の時に当たり、ちょうど君主に徳があれば、もともと動揺安んぜざる四方の邦国が、みな帰附して教化を受けに来るのに似る。「后夫凶」は、親附の道は時機に速やかなのを貴ぶ、もし他人に後れて来れば、人に疎隔されてしまう。ゆえに凶がある。
象曰:地上有水,比。先王以建萬國,親諸侯者。子夏傳云:地得水而柔,水得地而流是也。先王以建萬國,親諸侯者,萬方各據境域,謂王者封建有功之臣也;親諸侯謂爵賞及親友,令助君之化也。
《大象伝》の言う「地上有水、比。先王以建万国、親諸侯」――《子夏易伝》は解釈する、大地は水の潤浸を得て柔和となり、水は大地の承載を得て初めて流動できる、まさにこのような相親相輔の関係を言う、と。「先王以建万国、親諸侯」は、四方の万国がそれぞれ一方の疆域に拠ること、これは王者が功ある臣子を封建することを言う。いわゆる諸侯を親しくするとは、爵位賞賜を親族友朋に及ぼし、彼らに君主を助けて教化を推行させることである。
初六有孚比之無咎,有孚盈缶,終來有他吉者。處比之初,唯須以信待物,先須以信,始得免咎,故曰有孚比之無咎。初六既無偏應,來者皆與相親,著信立誠,盈溢於質素之噐,心無偏黨,應者非一,故有他人而來,終亦不相拒,故有他吉。
初六の爻辞「有孚比之、无咎;有孚盈缶、終来有他吉」。初六は比卦の端緒に処り、ただ誠信をもって外物に対すればよい。必ず先に誠信があって初めて咎を免れられる。ゆえに誠信を懐いて親附すれば咎がないと言う。初六はもともと偏私の正応がなく、来て親近する者にはみな一概に相親し、明信実を顕し誠意を立て、その誠信の盈ち満ち溢れること、素朴無華の瓦缶に盛るがごとし。それは心に偏袒党私がなく、応ずる者が一方に止まらない。ゆえに別に他人が来ることがあっても、終に拒まない。よって意外の吉慶がある。
六二比之自內,貞吉者。專應於五,不能更比他人,劣於初六,故得當家內正之吉也。
六二の爻辞「比之自内、貞吉」。六二は陰爻が陰位に居り、中でかつ正で、専ら九五と相応して、別の爻に親附しに行かない。広く容納するという点では、初六に及ばない。しかしそれは本分を守って、内にあって家を持ち正を守る吉を得る。
六三比之匪人者。匪,非也。處比之時,雖近二四,情不相得。二四柔謟,非已所親,故曰匪人,謂非已親比之人也。
六三の爻辞「比之匪人」。「匪」は「非」である。六三は親附を講求する時に処り、上下に六二と六四に隣接しているが、彼此の情意は相投合しない。六二・六四はともに陰柔諂媚の質で、それが親近すべき対象ではない。ゆえに「匪人」と言い、これらはみな自分と親比できる人でない意である。
六四外比之,貞吉者。本應在初,初既逺,即親於所近。九五有徳行,可以親比之,故稱貞吉也。
六四の爻辞「外比之、貞吉」。六四はもともと初六と相応だが、初六との距離が遠すぎるので、転じて自分に隣接する爻に親近する。九五は徳行を備えており、親附に値する対象である。ゆえに正を守れば吉と言う。
九五顯比,王用三驅,失前禽,邑人不誡,吉者。處比之時,居得尊位,固當心無偏黨,來者比親,而乃獨應於二,顯明親比之道,是用心拘,故曰顯比也。夫不能普及於物,而乃親於二,亦如王用三驅田獵相似。凡三驅之禮,受來惡去,故逆來趣已者舍之,背己而走者射之,故失前禽也。然有中正之徳,不妄加之征伐,所有背叛,必須攻討。以其當邑之人,不須防誡而得吉矣。獨親邑人,心不通,非君上之道,可以為君上之使,故云上使中也。
九五の爻辞「顕比、王用三駆、失前禽、邑人不誡、吉」。九五は親附を講求する時に処り、また至尊の位に居り、本来心に偏私党附がなく、来て親近する者をみな一概に容納すべきである。しかしそれはただ六二のみと相応し、親比の対象を顕明に限定してしまう。これは心の用いるところがまだ開けていない。ゆえに「顕比」と言う。それは万物に普く及ぼすことができず六二のみに親しむのは、ちょうど君王が田猟に三面から駆り立てるだけに似る。三面駆りの礼法は、迎えて来る者を受け入れ、背いて去る者を放す。ゆえに正面から自分に奔ってくる者は放し、自分に背いて逃げる者を射取る。よって前方の禽獣を失うと言う。ただし九五は中正の徳を備え、恣意に兵を興して征伐せず、背叛する者だけを攻討する。ゆえにその属する邑中の人は防備を設けなくても吉を得られる。ただ本邑の人のみに親しんで遠方と通じないのは、君上たる者のあるべき襟懐ではなく、君上の使者としては充てられる。ゆえに《小象伝》は「上使中」と言う。
上六比之無首凶者。處比之終,最在於外,眾皆先至而相親比,已獨在後,違眾叛義,所以凶也。若禹會諸侯於塗山,防風氏後至,禹乃戮之,此之謂也。
上六の爻辞「比之无首、凶」。上六は比卦の終点に処り、位置は最も外にあたる。衆人はみな先んじて駆けつけ彼此親附したが、ただそれのみ最後に落ち、衆意に背き親比の義に背く。ゆえに凶がある。ちょうど大禹が塗山で諸侯を会し、防風氏が遅れて至り、大禹が彼を殺した、まさにこのような情形を言う。
小畜卦(乾下巽上)
乾下巽上。小畜:亨,密雲不雨,自我西郊。彖曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。健而巽,剛中而志行,乃亨。密雲不雨,尚往也;自我西郊,施未行也。象曰:風行天上,小畜。君子以懿文徳。
小畜卦は下卦が乾、上卦が巽で、乾は天・健、巽は風・順で、風が天の上を行く象で、一陰が五陽を畜止し、畜する所が有限なので、ゆえに小畜と名づける。卦辞は言う、小畜は、亨通。濃雲は密布するが雨は降らず、雲気は我が西の郊野から漂ってくる、と。《彖伝》は言う、小畜卦の中で六四という柔爻がその正位を得て、上下の五つの陽爻がみなそれに応和する。ゆえに小畜と言う、と。下卦は剛健、上卦は柔順で、九二・九五は陽剛にして中に居り心志が施行を得る。ゆえに亨通。「密雲不雨」は、陽気がなお上行し続けていることを言う、「自我西郊」は、恩沢の施布がまだ推行し開いていないことを言う。《大象伝》は言う、風が天の上を運行する、これが小畜である、君子はこれに法り、自分の文徳を修美する、と。
初九,復自道,何其咎,吉。象曰:復自道,其義吉也。九二,牽復,吉。象曰:牽復在中,亦不自失也。九三,輿說輻,夫妻反目。象曰:夫妻反目,不能正室也。六四,有孚,血去惕出,無咎。象曰:有孚惕出,上合志也。九五,有孚攣如,富以其鄰。象曰:有孚攣如,不獨富也。上九,既雨既處,尚徳載,婦貞厲,月望,君子征凶。象曰:既雨既處,徳積載也;君子征凶,有所疑也。
初九の爻辞、自分のもとの道路に循って返れば、どこに咎があろうか、吉。《小象伝》は言う、道に循って返るのは、理の上では吉だ、と。九二の爻辞、牽かれてともに返る、吉。《小象伝》は言う、牽引して返りまた下卦の中に居る、自分を失わない、と。九三の爻辞、車が輻条を脱し、夫妻が目を反らし争う。《小象伝》は言う、夫妻が反目するのは、家室を整粛できないからだ、と。六四の爻辞、誠信を懐き、血光の災いが去り、恐懼が解け、咎なし。《小象伝》は言う、誠信ありて恐懼が解けるのは、上の者と心志が相合するからだ、と。九五の爻辞、誠信を懐いて牵係し相連なり、財をもって鄰里に恵むことができる。《小象伝》は言う、誠信ありて牵連相係するのは、独り富貴を占めないからだ、と。上九の爻辞、雨はすでに降り、雲はすでに止み、徳行の積累が載せるに足る、婦人は正を守っても危厲がある。月が満ちようとし、君子がこの時出征すれば凶。《小象伝》は言う、既雨既処とは、徳が積み累ねて載せるところあること、君子が征して凶なのは、前途に疑難があるからだ、と。
小畜亨者。畜謂止積制遏之名。乾陽上進,巽體柔順,陽氣上升,陰不能固,所畜微劣,故曰小畜。以陽氣得通,故曰亨也。
卦辞「小畜、亨」。「畜」は止蓄・積聚・制止遏抑の名称である。下卦乾の陽気は一路上行し、上卦巽の体性は柔順である。陽気は絶えず上昇し、陰柔の一方はそれを固く止められず、畜止する力が微弱で限られている。ゆえに「小畜」と称する。まさに陽気が終に通行を得るので、「亨」と言う。
密雲不雨,自我西郊者。陰既微劣,不能止畜於陽,陽氣上通,雖復至盛,密雲而不能施降於雨,但止在西邑之郊而已。亦喻徳薄位尊,不能廣其恩惠,所化止於一隅也。
「密雲不雨、自我西郊」。陰の力はすでに微弱で、陽気を畜止できず、陽気はずっと上昇して貫通する。雲気が極盛まで積聚し、濃雲は密布しても、終に雨と化して降りてくることはできず、ただ西の城邑の郊野に止まるだけである。これはまた徳行が薄く地位が尊崇な人を喩え、恩惠を広く推し及ぼすことができず、感化できる範囲が一隅の地に限られる。
象曰:風行天上,小畜者。風諭恩敎之義,風既行於天上,即是敎化不及於下,故云小畜象也。君子以懿文徳者,懿,美也。化既不行,可以修美文徳之行,待時乃施也。
《大象伝》の言う「風行天上、小畜」――風は恩沢教化を喩えるのに用いる。風がただ天の上を吹き行くのは、教化がまだ民間に下達していないことを意味する。ゆえにこれが小畜の象と言う。「君子以懿文徳」の「懿」は修美の意である。教化がすでに一時推行しがたければ、君子は先に自分の文徳の操行を修美し、時機の熟するを待って世に施行すればよい。
初九復自道,何其咎吉者。復,反也。處畜之初,畜道未盛,往之於四,無所見閡,猶似反歸之家,何慮咎害,所以吉矣。九二牽復吉。牽,挽相連也。畜道未極,猶可牽挽而進,反覆就五,可以吉也。
初九の爻辞「復自道、何其咎、吉」。「復」は返ることである。初九は小畜の端緒に処り、畜止の勢いがまだ強盛でない。それが上行して六四と相応しに往くに、路に阻碍がなく、自分の家に帰るように順当で、災いを慮る必要がどこにあろうか。ゆえに吉。九二の爻辞「牽復、吉」。「牽」は牽き挽き相連なる意である。この時畜止の勢いがまだ極点に至らず、なお互いに牽き挽きあって前進できる。九二は返り上行して九五に親就する。ゆえに吉を得られる。
九三輿說輻,夫妻反目者。夫小畜之道,先通後畜,至於九三,畜道已成,不可前進,故輿敗輻破,難可以行,故輿說輻也。三是陽卦之極,上是陰卦之極,陰而制陽,亦猶女之制夫,室家不正,反目相視,故曰夫妻反目也。
九三の爻辞「輿説輻、夫妻反目」。小畜の規律は先に通行してのち畜止されることである。九三に至り、畜止の勢いはすでに形成され、さらに前に推進できない。ゆえに車身が損壊し車輻が折れて、歩行しがたい。よって車が輻条を脱したと言う。九三は下卦乾という陽卦の最上爻で、上九は上卦巽という陰卦の最上爻である。陰柔をもって陽剛を制約するのは、ちょうど妻が夫を管束し、家室の内の名分が正しくないようなもので、ここにおいて彼此顔を翻し相視る。ゆえに「夫妻反目」と言う。
六四有孚,血去惕出,無咎者。孚,信也;惕,懼也;血,傷也。九三前進,四塞其路,必被侵傷,故稱血也。畏三侵害,故惕懼也。然則上九處物之極,而惡於三,乃得安其位,不被侵傷,遂得血去而畏懼總除也。
六四の爻辞「有孚、血去惕出、无咎」。「孚」は誠信、「惕」は恐懼、「血」は傷つくことを示す。九三は上に推進せんとして、六四がその路を塞ぐ。勢い侵害を受けるのは免れない。ゆえに「血」に言及する。九三の侵害を恐れるので心に恐懼を懐く。しかし上九は全卦の極処に居って九三を悪み、六四は上九の庇護を得て、自らの位に安んじて侵傷されない。ここにおいて血光の災いは消え去り、畏懼の心も併せて解除される。
九五有孚攣如,富以其鄰者。二欲上升,而五不相拒也。二牽於五,五又攣二,合信同體,牽攣而行,故曰有孚攣如也。五處尊位,富貴昌盛,不獨已有,而與於鄰,鄰謂二也。
九五の爻辞「有孚攣如、富以其鄰」。九二は上行せんと欲し、九五はそれを拒まない。九二は九五に牽かれ、九五はまた反って九二に係連し、双方誠信が相合し気を同じくして枝連なり、牽挽相連なってともに前行する。ゆえに「有孚攣如」と言う。九五は尊位に身を居め富貴昌盛であるが、独り己れのものに据えず、近隣の一方に分かち与える――ここの「鄰」は九二を指す。
上九既雨既處,尚徳載,婦貞厲,月望,君子征凶者。上九雖是陽爻,而統屬陰卦,以上九陰極而致九三之陽,陽不得通,故既雨也。不被陽侵而安其位,既處也。以陰制陽,是婦制其夫,臣制其君,正之危也,故曰婦貞厲。處陰卦之極,積久方顯,其猶人之積尚道徳,可以運載於下,故曰尚徳載也。陰之盛極,如月近望以敵日也,故曰月望也。處盛極之地,不可以盈,盈而求進,必見侵傷,故君子之行亦凶,故曰君子征凶也。
上九の爻辞「既雨既処、尚徳載、婦貞厲、月望、君子征凶」。上九はそれ自身陽爻だが、上卦巽という陰卦に隷属する。それが陰の極点に処るために九三の陽気を招いて上り交合し、陽気は一味に暢通できず、ここにおいて陰陽和合して雨を降らす。これが「既雨」である。それが陽気に侵奪されず本位に安んずる。これが「既処」である。陰柔をもって陽剛を制約するのは、妻が夫を制し、臣下が君主を挟制するようなもので、守るところが正しくてもすでに危うい。ゆえに「婦貞厲」と言う。上九は陰卦の極処に居り、積み累ねて久しくして功效を顕す。ちょうど人が長期に道徳を崇尚し積み累ねれば、下の人を載せ庇うことができる。ゆえに「尚徳載」と言う。陰気が盛んになる極点は、月が満望に近づいて太陽と抗できるのに似る。ゆえに「月望」と言う。極盛の位に処れば、さらに盈満を求めてはならない。一味に盈ち満ちてさらに進を求めれば、必ず侵害を招く。ゆえに君子のこの時の出行も凶である。よって「君子征凶」と言う。
周易口訣義巻第二・上経二(履から観まで)
履卦(兌下乾上)
上經二,履至觀。兌下乾上。履虎尾,不咥人,亨。彖曰:履,柔履剛也。說而應乎乾,是以履虎尾不咥人,亨。剛中正,履帝位而不疚,光明也。象曰:上天下澤,履。君子以辨上下,定民志。
これは上経の第二巻で、履卦から観卦までを説く。履卦は下卦が兌、上卦が乾で、兌は沢・悦、乾は天・剛健で、卦徳は柔悦をもって剛健に順承することである。卦辞は言う、虎の尾を踏んでも、虎は人を噛まない、亨通、と。《彖伝》は言う、履卦は、柔爻が剛爻の上を踏むことである。和悦の態で乾の剛健に応和するので、虎尾を踏んでも噛まれず、亨通する。九五は陽剛中正で、帝王の位に居り心中に愧るところがない。ゆえに光明磊落である。《大象伝》は言う、上に天、下に沢、これが履である、君子はこれに法り、上下の名分を弁別し、百姓の心志を安定させる、と。
初九,素履往,無咎。象曰:素履之往,獨行願也。九二,履道坦坦,幽人貞吉。象曰:幽人貞吉,中不自亂也。六三,眇能視,跛能履,履虎尾咥人,凶,武人為于大君。象曰:眇能視,不足以有明也;跛能履,不足以與行也;咥人之凶,位不當也;武人為于大君,志剛也。九四,履虎尾,訴訴,終吉。象曰:愬訴終吉,志行也。九五,夬履,貞厲。象曰:夬履貞厲,位正當也。上九,視履考祥,其旋元吉。象曰:元吉在上,大有慶也。
初九の爻辞、質朴無飾の方式で礼を践みて往く、咎なし。《小象伝》は言う、素履して往くのは、独り自分の心願を行うからだ、と。九二の爻辞、歩く道は平坦で広く、幽居の人は正を守れば吉。《小象伝》は言う、幽人が正を守り吉なのは、内心が中に居て自ら乱さないからだ、と。六三の爻辞、片目の人が強いて見え、跛脚の人が強いて歩ける、虎尾を踏んで虎に噛まれる、凶、武夫があろうことか大君に仕えようとする。《小象伝》は言う、眇目で見えるのは、明察と称するに足らない、跛足で歩けるのは、人とともに行くに足らない、噛まれる凶は、六三の処す位が当たらないからである、武人が大君に仕えるのは、心志が剛猛に過ぎるからだ、と。九四の爻辞、虎尾を踏み、戒懼安んぜず、終に吉。《小象伝》は言う、戒懼して終に吉を得るのは、心志が施行を得るからだ、と。九五の爻辞、剛決の態度で践履する、正を守っても危厲がある。《小象伝》は言う、夬履貞厲は、その居る位がまさに尊極に当たるからだ、と。上九の爻辞、自分の行いを顧みて禍福の徴を考察し、礼道に返れるなら大いに吉。《小象伝》は言う、大吉にして上位に居るのは、大きな福慶があるからだ、と。
履虎尾不咥人亨者。履,禮也,踐也。故先儒云:統之於心曰體,踐而行之曰履。夫禮尚卑謙,今六三以柔乘剛,違謙越禮,如履踐虎尾,言其危懼之甚也。不咥人亨者,咥,齧也。雖復履踐虎尾,以其悅奉於剛正之徳,所以不被咥齧而得亨通也。
卦辞「履虎尾、不咥人、亨」。「履」は礼でもあり、また践行でもある。ゆえに先儒は言う、これを心に統攝するを「体」と言い、実際に践み行うを「履」と言う、と。礼は卑下謙退を尚ぶ。いま六三は陰柔の身をもって九二という剛爻の上に騎り、謙退に背き礼分を僭越する。ちょうど虎の尾を踏むがごとく、その危険と恐れが極まったことを形容する。「不咥人、亨」の「咥」は噛み嚙むこと。虎尾を踏んでも、兌卦が和悦の態で乾の剛健中正の徳に奉仕するので、噛まれず、かえって亨通を得た。
象曰:上天下澤,履。君子以辨上下,定民志者。天尊澤卑,各得其序,故曰履,禮之象也。君子以分辨上下,君臣有禮,正定人民志意,使尊卑有別也。
《大象伝》の言う「上天下沢、履。君子以辨上下、定民志」――天は上にあって尊く、沢は下にあって卑く、それぞれあるべき次序に安処する。ゆえに「履」と言い、これはまさに礼の形象である。君子はこれによって上下の等級を分辨し、君臣の間にそれぞれ礼節を持たせ、百姓の心志を端正安定させ、尊卑貴賤に区別を持たせる。
初九素履往無咎者。禮貴儉約,今初九處履之初,不尚華飾,以質素為用。既行其禮以素,可以往而無咎矣。
初九の爻辞「素履往、无咎」。礼は倹省節約を貴ぶ。いま初九は履卦の端緒に処り、華麗な文飾を尚ばず、質朴素浄を立身の本とする。すでに質朴の方式で礼を践行するのだから、往って事を行っても咎はない。
九二履道坦坦,幽人貞吉者。坦坦,平易之貎。九二陽居陰而用卑巽,往之於應,途路平坦,無所險厄,故曰履道坦坦也。在內履中,謙巽以行,不以處內為屈、居外為榮,是幽隠之人而不失貞正之道,故曰幽人貞吉也。
九二の爻辞「履道坦坦、幽人貞吉」。「坦坦」は平坦で寛舒なさま。九二は陽爻が陰位に居り、よって卑下謙遜の道を施行できる。それが上行して相応の爻と会合するに、一路平坦で、険阻困厄がない。ゆえに行く道が平坦広大だと言う。それは内卦に居って中道を守り、謙遜柔順の態度で行事し、内位に居ることを屈とせず外位に居ることを栄としない。これはまさに幽居隠処しても貞正の道を失わない人である。ゆえに「幽人貞吉」と言う。
六三眇能視,跛能履,履虎尾咥人凶,武人為于大君者。以陰居陽,不行謙巽之道,猶如眇目之人,所視不明也;跛足之人,所行不能逺也。既無謙巽之行,則為物害,猶如履踐虎尾,必見咥齧,所以凶也。以微劣之軀,而欲行其剛武,為于大君,是兇頑之甚,故曰武人為于大君也。
六三の爻辞「眇能視、跛能履、履虎尾咥人、凶、武人為于大君」。六三は陰爻が陽位に居り、位が当たらず、しかも謙遜の道を行おうとしない。ちょうど隻眼の人が見えても見え分明にならず、跛脚の人が歩けても遠くに行けないようなものである。それはすでに謙遜柔順の操行がないので、外物に害される。まさに虎の尾を踏めば必ず噛まれるようなもので、ゆえに凶。自分の微弱低劣な資質をもって、剛猛威武の手段を施展して大君に仕えようとするのは、凶頑の極みである。ゆえに「武人為于大君」と言う。
九四履虎尾,訴訴終吉者。子夏傳:訴訴,恐懼之貎也。九四逼近至尊,心之憂懼,若蹈虎尾而訴訴恐懼。故書云:若蹈虎尾,涉於春冰是也。以陽居陰,用之謙巽,上奉於君,故終吉也。
九四の爻辞「履虎尾、愬愬、終吉」。《子夏易伝》は言う、「愬愬」は恐懼不安のさまである、と。九四は九五という至尊の位に紧逼し、心に憂慮戒懼を抱き、ちょうど虎尾を踏むように惶恐不安である。ゆえに《尚書》は言う、あたかも虎尾を蹈み、春の薄氷を渉るがごとし、まさにこの意である。九四は陽爻が陰位に居り、よって謙遜柔順の道を用い、上に君主に奉仕する。ゆえに終に吉。
九五夬履貞厲者。夬,決也。為履之主,裁之以義,正之以禮,故以剛決貞,故曰夬履貞厲也。然以陽居尊,滿之道矣。禮尚謙虛,而以盈滿為用,是危厲者也。
九五の爻辞「夬履、貞厲」。「夬」は決断である。九五は履卦の主爻で、道義をもって事を裁断し、礼法をもって事を端正する。ゆえに剛毅決断して正を守る方式を取る。よって「夬履貞厲」と言う。しかしそれは陽剛の質をもって至尊の位に居り、すでに盈満の路に上っている。礼はもともと謙遜虚己を尚ぶのに、いま盈満剛決を用いとする。これが危険の存するところである。
上九視履考祥,其旋元吉者。考是察也,祥謂禎祥也,旋,反也。上九處履之極,能察禍福禎祥也,又能視其所履踐之徳行,不為驕怠,而能旋反行禮,以應尊卑,施惠向下,故獲大吉也。
上九の爻辞「視履考祥、其旋元吉」。「考」は考察、「祥」は吉凶の徴を指し、「旋」は回転である。上九は履卦の終極に処り、禍福の徴を審察でき、また回顧検視して自分が一路践行してきた徳行を見て、高く居ることで驕縦懈怠せず、回転して礼に依って行い、尊卑が各々その応を得、下位の人に恩惠を施及する。ゆえに大吉を得る。
泰卦(乾下坤上)
乾下坤上。泰:小往大來,吉亨。彖曰:泰,小往大來吉亨,則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。象曰:天地交,泰。后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。
泰卦は下卦が乾、上卦が坤で、天気は下にあって上昇し、地気は上にあって下降し、二気が交感する。ゆえに泰と名づける。卦辞は言う、泰は、陰柔が外へ往き、陽剛が内へ来る、吉利亨通、と。《彖伝》は言う、泰卦は小が往き大が来て吉亨、これは天地の二気が相交して万物が通暢し、君臣上下が相交して心志が同じくなることである。陽が内にあり陰が外にあり、剛健が内にあり柔順が外にあり、君子が内にあり小人が外にあり、君子の道は日増しに長じ、小人の道は日増しに消す。《大象伝》は言う、天地が交合する、これが泰である、君主はこれに法り、天地運行の法則を裁成し、天地生養の宜しきを輔助し、これをもって百姓を扶助する、と。
初九,拔茅茹,以其彚,征吉。象曰:拔茅征吉,志在外也。九二,包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。象曰:包荒,得尚于中行,以光大也。九三,無平不陂,無往不復,艱貞無咎,勿恤其孚,于食有福。象曰:無往不復,天地際也。六四,翩翩不富以其鄰,不戒以孚。象曰:翩翩不富,皆失實也;不戒以孚,中心願也。六五,帝乙歸妹,以祉元吉。象曰:以祉元吉,中以行願也。上六,城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。象曰:城復于隍,其命亂也。
初九の爻辞、茅を抜けば、根鬚が連れて起き、同類とともに前進する、吉。《小象伝》は言う、茅を抜いて征して吉なのは、心志が外に向かい進取するからだ、と。九二の爻辞、荒穢を包容でき、徒渉して河を渡ることができ、疎遠の人を遺棄せず、党を結んで私を営まず、よって中正の道に配するに足る。《小象伝》は言う、荒穢を包容して中行に配するを得るのは、胸懐が光明博大だからだ、と。九三の爻辞、常に平らかで斜めないものはなく、常に往きて返らないものはない。艱難の中で正を守れば咎はなく、自分の誠信を憂えなくても、俸禄を享くる上で自ずと福分がある。《小象伝》は言う、無往不復は、天地の交接の処の必然だ、と。六四の爻辞、軽やかに飄として下り来て、財富に依らず鄰里とともに行くことができ、戒めなくても彼此信じ合う。《小象伝》は言う、翩翩として富まないのは、衆陰がみな陽実を失ったからである、戒めなくても信じるのは、内心の意願から出るからだ、と。六五の爻辞、帝乙が少女を嫁がせる、これによって福を得て大いに吉。《小象伝》は言う、福を得て大吉なのは、中に居て心願を実現したからだ、と。上六の爻辞、城壁が倒れて城壕に帰る、兵を用いるな、ただ自分の封邑で命令を布告するのみ、正を守っても憾惜がある。《小象伝》は言う、城が倒れて壕に帰るのは、政令がすでに紊乱したからだ、と。
泰小往大來吉亨者。泰是通泰之名,以天地交感,萬物長育,故名泰也。陰氣消,故曰小往;陽氣長,故曰大來。以天地通泰,君子道長,小人道消,以此吉而亨通矣,故曰吉亨也。
卦辞「泰、小往大来、吉亨」。「泰」は通達安泰の名称で、天地の二気が交相感応し、万物が生長化育を得るので、泰と名づける。陰気が消退するので「小往」と言い、陽気が増長するので「大来」と言う。天地が通泰なので、君子の勢力は不断に増長し、小人の勢力は不断に消退する。よって吉利にして亨通する。ゆえに「吉亨」と言う。
象曰:天地交,泰者。天氣降下,地氣騰上,上下交感,萬物資育,故是通泰之象也。后以財成天地之道,輔相天地之宜,以左右民者。後,君;財,裁也,剪也。道不失其宜,即是春生秋殺,各有宜也。相,助也,謂助天地所宜之物,五土所生,各以其時也。左右者,助也,謂左右群臣助君之化也。裁成天地發育所生之宜,欲明通泰之時,助天地之化,非南面之君,不可以施其化成天地之功也。
《大象伝》の言う「天地交、泰」――天気が下降し、地気が上騰し、上下二気が交相感応し、万物はそれに依って養育を得る。ゆえにこれは通泰の形象である。「后以財成天地之道、輔相天地之宜、以左右民」の「后」は君主を指し、「財」は「裁」に通じ、裁断剪定の意である。天地の道がそのあるべき分寸を失わないようにすること、すなわち春は生養し秋は粛殺し、それぞれの宜しきがある。「相」は輔助で、天地の宜しく生ずる物類を助け、五種の土壌の産するものが各々時令に依って生長するようにすることを指す。「左右」も輔助で、左右の群臣が君主を助けて教化を推行することを指す。天地の化育の生ずる宜しきを裁断成就することは、明らかにせんとする、通泰の時にあって天地の化育の功を助けるには、南面して尊と称する君主でなければ、この化育を施行して天地の功を成すことはできない、と。
初九拔茅茹,以其彚,征吉。茹,相牽引之貎也。夫通泰之道,天氣下降,地氣上騰,三陽皆欲上升。初為三陽之首,若行則眾類從之,猶似拔其茅根,以相連茹。以其三陽之類,陰不敢拒,所以征進而獲吉矣。
初九の爻辞「拔茅茹、以其彙、征吉」。「茹」は根鬚が彼此牽連するさま。通泰の道は天気が下降し地気が上騰することにあり、下卦の三つの陽爻はみな上昇進しようとする。初九は三陽の中の先頭で、それが動けば同類はみなそれに随いて行く。ちょうど茅を抜けば根鬚が併せて牽連して出るがごとし。それが三陽という一類全体を連れて同行するので、陰柔の一方は敢えて遮らない。ゆえに前進すれば吉を得られる。
九二包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行者。包,含也;荒,穢也;馮河是無舟渡水,馮陵於河,此頑愚之人也。言九二以剛取中,心又通泰,即物無不納,雖復荒穢之物、頑愚之人,悉皆包含,不計遐逺,無所棄遺,故曰包荒用馮河不遐遺也。心既□大,無偏無黨,即不私於朋友,天下皆悉納之,故曰朋亡也。亡,無也,謂無私於朋友。得尚乎中行者,尚,配也;中行,君也。此九二既備眾徳,無物不納,即可以配於君位,下治天下也。
九二の爻辞「包荒、用馮河、不遐遺、朋亡、得尚于中行」。「包」は容納、「荒」は荒穢の物を指す。「馮河」は船なく徒渉して大河を強行する、頑劣愚妄の人を指す。これは九二が陽剛をもって下卦の中に居り、心地がまた通達坦荡なので、万物に対して容れないものがないことを言う。たとえ荒穢の物、頑愚の人であっても、一概に包容し、相手が疎遠だからと別眼に見ず、遺棄される者がない。ゆえに荒穢を包容し、冒険して河を渉る輩を容れ、疎遠の者を遺棄しないと言う。それの心がすでに寛広博大で、偏私もなく党羽もないから、朋友に対して私愛することがなく、天下人を併せて容納する。ゆえに「朋亡」と言う――「亡」は「無し」で、朋友に私心を存さないことを指す。「得尚乎中行」の「尚」は相配すること、「中行」は君主を指す。九二はすでに衆多の徳性を備え、万物を納れないことがないので、君位に相配することができ、下にあって天下を輔佐治理できる。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存して補わない。)
九三無平不陂,無往不復,艱貞無咎,勿恤其孚,于食有福者。陂,險陷也;復,反也。九三處天地之際,當通泰之時,天氣降下,地氣騰上。今泰道將極,否道卻至,即天氣上升,地氣下復,猶似平路必致崩,如暫往必有反覆,故曰無平不陂,無往不復也。時既變革,必致危殆,當須艱固其志,守正不回,乃得無咎,故曰艱貞無咎。眾皆同志,已去即從,故不須憂恤,而同其信,故曰勿恤其孚。誠信既施,徳澤歸矣,自獲福慶,故曰于食有福。
九三の爻辞「无平不陂、无往不復、艱貞无咎、勿恤其孚、于食有福」。「陂」は傾斜険陥、「復」は返ることである。九三は下卦乾と上卦坤の交接の処に処り、ちょうど通泰の時にあたり、天気は下降し地気は上騰する。いま泰道は極点に至ろうとし、閉塞の道がすぐに来臨し、ここにおいて天気は転じて上昇し地気は転じて下沈する。ちょうど平らかな路に必ず塌陷があり、暫時往けば必ず折返があるがごとし。ゆえに常に平らかで斜めないものはなく、常に往きて返らないものはないと言う。時勢がすでに変革せんとすれば、必ず危殆を招く。この時艱難の中で自分の心志を堅固にし、正道を守って改弦易轍せざれば、咎なしを得られる。ゆえに「艱貞无咎」と言う。衆人はみなそれと志を同じくし、それが動けばみな従う。ゆえに自分の誠信が人に信ぜられるかを憂える必要はない。よって「勿恤其孚」と言う。誠信がすでに施行されれば、徳沢は自然に帰附し、福慶が随って来る。ゆえに禄食を享くるに自ずと福分があると言う。
六四翩翩不冨以其鄰,不戒以孚者。翩翩者,飛動之貎也。六四處坤之首,眾陰皆隨之,故六四翩翩飛動,歸於下,故曰翩翩。泰道既極,坤復其體,眾皆志願同歸於下。六四若行,五之與上皆相隨從,故六五、上六不待六四與之財相誘,故曰不冨以其鄰也。鄰皆願下,而不待賙贍,眾願同行,故不假戒告而自孚信,故曰不戒以孚也。
六四の爻辞「翩翩不富以其鄰、不戒以孚」。「翩翩」は軽快に飛動するさま。六四は上卦坤の頭の爻に処り、衆陰爻がみなそれに随う。ゆえに六四は軽やかに飛動して下に帰附する。よって「翩翩」と言う。泰道がすでに極点に至れば、坤はその下沈の本性に回復し、衆陰はみな心より願ってともに下に向かう。六四がいったん動けば、六五と上六はみな随いて行く。ゆえに六五・上六は六四が財物をもって誘うのを待たない。よって財富に依らず鄰里を連れて同行できると言う。隣の陰爻はみな自ら願って下行し、周済賑給を待つ必要もなく、衆人の意願はもともと一致する。ゆえに告誡叮嚀を用いずして自然に彼此信じ合う。よって「不戒以孚」と言う。
六五帝乙歸妹,以祉元吉。歸妹猶言嫁妹也。以五貴位降徳就二,猶似帝王嫁妹於二,故曰帝乙歸妹也。處通泰之時,天地交好,以帝王之妹降於庶人,得配匹之宜,盡通泰之道,故獲祉福而得大吉也,故曰以祉元吉。祉,福也。
六五の爻辞「帝乙帰妹、以祉元吉」。「帰妹」は妹を嫁がせる意である。六五は尊貴の君位をもって身分を降下して九二に親就する。ちょうど帝王が妹を九二に下嫁させるがごとし。ゆえに「帝乙帰妹」と言う。ちょうど通泰の時にあたり、天地が交合し和美し、帝王の妹を庶人に降嫁させるのは、婚配の宜しきを得、通泰の道を極致まで発揮したので、福祉を獲得して大いに吉利となる。ゆえに「以祉元吉」と言う。「祉」は福である。
上六城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝者。隍,城塹也。處通泰之時,上下相扶,君臣和順,猶似當初以土相培而就其城。今泰道已極,否道至,即是城之崩倒,卻至於塹,故曰城復于隍也。否道既至,敎令不行,故不煩用師;假使歸其已邑,告戒令命,亦皆不從,是正之賤矣,故曰勿用師,自邑告命,貞吝也。
上六の爻辞「城復于隍、勿用師、自邑告命、貞吝」。「隍」は城壁の外の護城濠溝である。通泰の時に処れば、上下は互いに扶助し、君臣は和睦順従する。ちょうど当初に一筐ずつ濠溝の土を取り培い積んで城壁を築いたがごとし。いま泰道はすでに極点に至り、閉塞の道がそれに随って来れば、城壁が崩塌して土がまた濠溝に倒れ帰るに等しい。ゆえに「城復于隍」と言う。閉塞の道がすでに来れば、政令教化は行き通らない。ゆえにもはや軍隊を動用する必要がない。たとえ自分の封邑に退き、告誡して命令を布しても、聴き従う者がいない。これは正を守ってもすでに卑賤無力である。ゆえに兵を用いるな、ただ本邑で命令を布くのみ、正を守っても憾惜があると言う。
否卦(坤下乾上)
坤下乾上。否之匪人,不利君子貞,大往小來。彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來,則是天地不交而萬物不通也,上下不交而天下無邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子。小人道長,君子道消也。象曰:天地不交,否。君子以儉徳辟難,不可榮以祿。
否卦は下卦が坤、上卦が乾で、天気は上昇し地気は下沈し、二気は交わらない。ゆえに否と名づける。卦辞は言う、否卦の処するは人道の通行する時ではなく、君子が正を守るに利せず、陽の大なる者は外へ往き、陰の小なる者は内へ来る、と。《彖伝》は言う、否卦は人道に合わず、君子の正を守るに利せず、大往小来、これは天地の二気が相交らず万物が通暢できず、君臣上下が相交らず天下が邦国あるに等しからぬことである。陰が内にあり陽が外にあり、柔が内にあり剛が外にあり、小人が内にあり君子が外にある。小人の道は日増しに長じ、君子の道は日増しに消す。《大象伝》は言う、天地が相交らない、これが否である、君子はこれに法り、倹約の徳行をもって禍難を避け、禄位をもって自分を栄えさせてはならない、と。
初六,拔茅茹,以其彚,貞吉亨。象曰:拔茅貞吉,志在君也。六二,包承,小人吉,大人否亨。象曰:大人否亨,不亂群也。六三,包羞。象曰:包羞,位不當也。九四,有命無咎,疇離祉。象曰:有命無咎,志行也。九五,休否,大人吉,其亡其亡,繋于苞桑。象曰:大人之吉,位正當也。上九,傾否,先否後喜。象曰:否終則傾,何可長也。
初六の爻辞、茅を抜けば根鬚が連れて起き、同類とともにあり、正を守れば吉利亨通。《小象伝》は言う、茅を抜いて正を守り吉なのは、心志が君主にあるからだ、と。六二の爻辞、ひたすら包容承順する、小人はこれによって吉、大人は閉塞の中でかえって亨通する。《小象伝》は言う、大人が否の時に亨通するのは、小人と同流合汚しないからだ、と。六三の爻辞、包蔵するものはみな羞恥の事である。《小象伝》は言う、羞恥を包蔵するのは、六三の居る位が当たらないからだ、と。九四の爻辞、君命に奉承して事を行えば咎がなく、同類もともに福沢を蒙る。《小象伝》は言う、命ありて咎なきは、心志が施行を得るからだ、と。九五の爻辞、閉塞の勢いを休止できる、大人は吉。心中に時々警戒して「亡びそうだ、亡びそうだ」とし、よって叢生する桑の根に繋ぎ結んだように牢固である。《小象伝》は言う、大人が吉なのは、処する位が正当だからだ、と。上九の爻辞、閉塞の局面を傾覆する、先は閉塞で後に喜悦。《小象伝》は言う、否は尽きれば傾覆する、どうして長く続けられようか、と。
否之匪人,不利君子貞者。否以上下不交,君臣不孚,故為閉塞之義也。當否塞之時,小人道長,非是君子徳通之時,故曰匪人也。小人侵陵,君子邪道乃興,故不利君子而為正,故曰不利君子貞也。
卦辞「否之匪人、不利君子貞」。否卦は上下が相交通せず、君臣の間に誠信がないので、閉塞不通の意を取る。ちょうど閉塞の時にあたり、小人の勢力は日に盛んで、君子の徳行が通行しうる時ではない。ゆえにこれは人道の暢行する局面でないと言う。小人が侵奪欺凌し、邪僻の道がここに興る。ゆえに君子が正道を堅持するに利せずと言う。よって「不利君子貞」と言う。
象曰:天地不交,否者。天氣上,地氣下,二氣不相交通,故曰否閉之象也。君子以儉徳避難,不可榮以祿者,言君子當否閉之時,不可處寵求安,故以節儉為徳,避於小人之難,不可榮其身,食以祿也。
《大象伝》の言う「天地不交、否」――天気は一味に上へ向かい地気は一味に下へ向かい、二つの気は交通往来できない。ゆえにこれは閉塞不通の形象である。「君子以倹徳辟難、不可栄以禄」は、君子が閉塞の時に処るとき、寵遇を貪恋し苟且に安を求めてはならず、ゆえに節倹朴素を自分の徳行として、小人のもたらす禍難を避け、自身の栄顕を貪って俸禄を享受してはならないと言う。
初六拔茅茹,以其彚,貞吉亨者。夫柔之為道,必依於剛;弱之為道,必親於強。故獨處須托之以君子。今初六體既柔劣,不事乾進,但以眾類親比於上,既不往謟,守正應上,所以獲正之吉也。
初六の爻辞「拔茅茹、以其彙、貞吉亨」。柔弱者の処世の道は、必ず剛強の一方に依附しなければならない。弱小者の処世の道は、必ず強大の一方に親近しなければならない。ゆえに独り処世する時は君子に托身しなければならない。いま初六はそれ自身柔弱低微で、鑽営して進を求めず、ただ同類を連れて上の者に親附する。それは往って諂媚せず、また正道を守って上位に応ずる。ゆえに正を守る吉を得られる。
六二包承,小人吉,大人否亨者。六二以柔順之質,但施包納承順於君,故曰包承也。處否閉之時,是小人道長,故小人獲吉。大人當否閉之時,雖復小人為亂,但防之以道,遏絶小人,所以獲亨通也,故曰大人否亨也。
六二の爻辞「包承、小人吉、大人否亨」。六二は陰柔順従の資質をもって、ひたすら包容承順を施展して上の者に取り入る。ゆえに「包承」と言う。ちょうど閉塞の時にあたり、小人の得勢の段階である。ゆえに小人はこれによって吉を得る。大人については、閉塞の時に処り、小人が到る処で乱を為しても、正道をもってこれを防范し、遏止断絶して小人の路を絶つ。ゆえにかえって亨通を得られる。よって「大人否亨」と言う。
六三包羞者,葢恥辱也。六三以謟媚之身,而為小人之行,所為之事,皆包羞恥故也。九四有命無咎,疇離祉者。夫君子親於小人,則有恥累至焉。今九四若有招命於初,是親於小人,禍咎必至;只為初六修正,不敢為謟,故九四命之則無咎,故曰有命無咎。既有招命初六,初六必當受福,故曰疇離祉也。疇,初也,謂初六;離,著也;祉,福也,謂九四命之,因此招命,得其福也。
六三の爻辞「包羞」の「羞」は恥辱である。六三は諂媚取容の姿態をもって、小人の所業を為し、その為す事は一つとして羞恥を包蔵しないものがない。ゆえにこのように言う。九四の爻辞「有命无咎、疇離祉」。君子がもし小人に親近すれば、恥辱の牽累が随って来る。いま九四がもしそれに相応する初六を招き引けば、それは小人に親近するので、禍患過咎が必ず至る。ただ初六が正道を修持して諂媚しようとしないので、九四がそれを招き引いてもかえって咎がない。ゆえに「有命无咎」と言う。すでに初六を招き引けば、初六は必ずこれによって福を受ける。ゆえに「疇離祉」と言う。「疇」はここでは初六を指し、「離」は附着、「祉」は福で、九四がそれを招き、それがこの招引によって福分を得ることを言う。
九五休否,大人吉,其亡其亡,繋于苞桑者。休,美也。處否閉之時而居尊位,以休美之徳,悅諭小人,使小人不妄為非,故曰休否也。有斯美徳,悅服小人,若非大徳之人、拯世之君,即不能獲吉,故曰大人吉也。以小人道長之時,恐有危亂及身,故丁寜戒懼,慮其滅亡;再言之者,憂懼之甚,故云其亡其亡也。既慮危亂,故必繋于苞桑之固矣。苞,本也;桑者根多固,有牢固之義,故曰繋苞桑也。
九五の爻辞「休否、大人吉、其亡其亡、繫于苞桑」。「休」は美善である。九五は閉塞の時に処り尊位に居り、美善の徳に拠って小人を開導感化し、小人に妄りに非を為させない。ゆえに「休否」と言う。このような美徳を備え、小人を心より悦服させられるのは、徳行が宏大で世道を拯救できる君主でなければ、吉を獲得できない。ゆえに「大人吉」と言う。ちょうど小人の勢力が増長する時にあたり、危乱が身に及ぶことを恐れ、よって再々丁寧に戒懼し、覆亡を憂慮する。二度続けて言うのは、まさに憂懼の深さを示す。ゆえに「其亡其亡」と言う。すでに危乱を憂慮する以上、必ず叢生する桑の根に繋ぎ結んだように牢固でなければならない。「苞」は根本で、桑は根系が繁多で牢固で、穏固の義を含む。ゆえに「繫于苞桑」と言う。
上九傾否,先否後喜者。處否之極,泰道將至,故傾棄其否,以至通泰,故曰傾否。先塞後通,故後有喜慶,故曰先否後喜也。
上九の爻辞「傾否、先否後喜」。上九は否卦の極点に処り、通泰の道がまさに来臨せんとする。ゆえに閉塞の局面を傾覆抛棄して、通泰に向かうことができる。よって「傾否」と言う。先は閉塞、後に転じて通達するので、後に初めて喜慶がある。ゆえに「先否後喜」と言う。
同人卦(離下乾上)
離下乾上。同人于野,亨,利涉大川,利君子貞。彖曰:同人,柔得位得中而應乎乾,曰同人。同人曰:同人于野,亨,利涉大川,乾行也。文明以健,中正而應,君子正也,唯君子為能通天下之志。象曰:天與火,同人。君子以類族辨物。
同人卦は下卦が離、上卦が乾で、離は火・文明、乾は天・剛健で、火の性は炎上して天と同じくする。ゆえに同人と名づける。卦辞は言う、曠遠の郊野で人と和同する、亨通、大河を渡るのが宜しく、君子が正を守るのが宜しい、と。《彖伝》は言う、同人卦は、六二という柔爻が正位を得中を得て、また上に九五の乾に応ずる。ゆえに同人と言う。卦辞の言う「同人于野、亨、利渉大川」は、乾徳の健行による。内に文明の徳があり外に剛健の力を備え、中に居て正を得て上下相応ずる、これは君子の正道である。ただ君子のみが天下人の心志を貫通できる。《大象伝》は言う、天と火は同類相親しむ、これが同人である、君子はこれに法り、類に依って人を聚合し事物を分辨する、と。
初九,同人于門,無咎。象曰:出門同人,又誰咎也。六二,同人于宗,吝。象曰:同人于宗,吝道也。九三,伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。象曰:伏戎于莽,敵剛也;三歲不興,安行也。九四,乗其墉,弗克攻,吉。象曰:乗其墉,義弗克也;其吉,則困而反則也。九五,同人先號咷而後笑,大師克相遇。象曰:同人之先,以中直也;大師相遇,言相剋也。上九,同人于郊,無悔。象曰:同人于郊,志未得也。
初九の爻辞、門外に出て人と和同する、咎なし。《小象伝》は言う、門を出れば人と和同できる、誰が咎めようか、と。六二の爻辞、自分の宗族の内でのみ人と和同する、憾惜あり。《小象伝》は言う、宗族の内でのみ相親しむのは、狭隘吝嗇の道だ、と。九三の爻辞、兵を草莽の中に埋伏させ、高い地に登って眺望するも、三年しても起動できない。《小象伝》は言う、兵を草莽に伏せるのは、剛強の九五に対抗せんとするからである、三年しても起動できない、どうして敢えて行動できようか、と。九四の爻辞、相手の城墻に登ったが、攻め落とせない、吉。《小象伝》は言う、城墻に登ったが、理の上では攻め落とせない、その吉は、困窮した後に法則に返れるからだ、と。九五の爻辞、人と和同するに、先は号哭し後に笑う、大軍が勝利して彼此会合する。《小象伝》は言う、同人が先に哭くのは、九五が中に居て心地が正直だからである、大軍が相遇うとは、阻隔する者を克ち勝つと言うことだ、と。上九の爻辞、郊野で人と和同する、悔いなし。《小象伝》は言う、郊野で和同するのは、心志がまだ実現していないからだ、と。
同人于野亨者。同人者,謂和同於人,故曰同人也。既與人同,若不廣逺,即不能□博矣。野者,曠野之所,喻其與人相同,必須廣逺,無所不通,故曰同人于野亨也。
卦辞「同人于野、亨」。いわゆる「同人」は、人と和睦し同じくすることを言う。ゆえに同人と言う。すでに人と和同するからには、もし広遠に推し及ぼせなければ、博大と言うに足らない。「野」は空曠遼遠の地で、人と和同するには必ず広大深遠で、通じないところがなければならないことを喩える。ゆえに「同人于野、亨」と言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存して補わない。)
利涉大川,利君子貞者。既與人同,不憂患難,雖大川亦能濟涉,故曰利涉大川也。與人和同,若不以正,則是同於邪妄之道,故曰君子相同,利以為正,利君子貞。
「利渉大川、利君子貞」。すでに衆人と和同一心なれば、患難を憂える必要はなく、たとえ大江大河でも渡ることができる。ゆえに大河を渡るのが宜しいと言う。人と和同するに、もし正道に依らなければ、それは邪僻妄妄の途に同流することになる。ゆえに君子が彼此和同するには、正を守ることを以て利とする。よって「利君子貞」と言う。
象曰:天與火,同人者。天體高,火炎上,即火勢上逼以同於天,喻己之同於人也。君子以類族辨物者,族,聚也;辨,分也;物,事也。君子以類而聚,君子小人如有所同,又須分辨事物,各處其道也。
《大象伝》の言う「天与火、同人」――天体は高く上に居り、火の性は上に向かって燃え、火勢は上に逼って天と同じくする。自分が他人と和同することを喩える。「君子以類族辨物」の「族」は聚合、「辨」は区分、「物」は事物を指す。君子は類に依って人を聚合する。君子と小人にもし共通の処があれば、さらに各種の事物を分辨し、それらを各々そのあるべき位置に安処させなければならない。
初九同人于門,無咎者。初九志既□廣,不拒於物,出門與人同,即無人與之為咎也。六二同人于宗,吝者。六二専志在五,所與人同,其意狹,是鄙吝之道也。
初九の爻辞「同人于門、无咎」。初九は心志が寛広で、何人も拒まない。門を出ればすぐに人と和同できるので、それを咎める者はいない。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存して補わない。)六二の爻辞「同人于宗、吝」。六二は専ら心志を九五に置き、それが和同する範囲は過度に狭窄である。これは鄙陋吝嗇の道である。
九三伏戎于莽,升其高陵,三歲不興者。與二相近而欲親二,故盜憎其主,惡於五,所以潛隠兵戎於草莽之中,將以襲五,故曰伏戎于莽也。時升高陵,以望前敵,故曰升其高陵。以九三之臣而欲拒九五之君,勢不可敵也,縱三年亦不能興起兵眾以侵害於君,故曰三歲不興也。
九三の爻辞「伏戎于莽、升其高陵、三歳不興」。九三は六二に隣接して六二に親近しようと欲する。ちょうど盗賊が物の主を憎むがごとく、それは六二と正応する九五を憎悪し、兵馬を草莽の中に隠し、九五を襲撃せんと企てる。ゆえに「伏戎于莽」と言う。それは時々高い地に登って前方の敵を眺望する。ゆえに「升其高陵」と言う。九三という臣属の身分をもって九五という君主に抗しようとするのは、形勢上根本から敵しえない。たとえ三年を経ても起兵して君主を侵害することはできない。ゆえに「三歳不興」と言う。
九四乘其墉,弗克攻,吉者。三處下卦之極,似乘墉牆,而不能克敵矣,困罷乃反,以改過修其徳,乃獲吉也。九五同人先號咷而後笑,大師克相遇者。九五所應在二,隔於三四,不得其應合,乃悲泣也。三四是臣,而五是君,以臣拒君,力不可敵,後乃與二相遇,故後笑。不能以服物,而以興舉師旅乃克,以明失同人之徳也。
九四の爻辞「乗其墉、弗克攻、吉」。九三は下卦の極位に処り、九四はその上に登臨する。ちょうどすでに城墻に騎ったが如く、それでもなお相手を攻め落とせない。困頓疲弊した後に転じて回頭し、過ちを改正し徳性を修養して、初めて吉を得る。九五の爻辞「同人先号咷而後笑、大師克相遇」。九五が相応するのは六二で、中間は九三・九四に阻隔され、それと会合できない。ゆえに悲傷哭泣する。九三・九四は臣属、九五は君主で、臣属をもって君主に抗すれば、力は終に敵しない。のちに九五は終に六二と相会したので、転じて歓笑する。九五は徳行に拠って人を帰服させることができず、大軍を動用して初めて勝ち得た。これはまさにそれがすでに「同人」のあるべき徳性を失ったことを説明する。
上九同人于郊,無悔者。獨處於外,與人和同,在於郊境之外也。內無其應,無所陵競,未得和同之志,但無悔而已。
上九の爻辞「同人于郊、无悔」。上九は独り全卦の外に処り、人と和同する場所は城郊の外に遠くある。それは内卦に相応の爻がなく、よって争い競逐すべき対象もなく、人と和同する心志は実現していない。ただ悔いがないだけである。
大有卦(乾下離上)
乾下離上。大有:元亨。彖曰:大有,柔得尊位大中,而上下應之,曰大有。其徳剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。象曰:火在天上,大有。君子以遏惡揚善,順天休命。
大有卦は下卦が乾、上卦が離で、火が天の上にあり、光が照らして遠く届かないところなく、一柔が尊に居り五陽がそれに帰し、所有する者が大きい。ゆえに大有と名づける。卦辞は言う、大有は、大いに亨通、と。《彖伝》は言う、大有卦は、六五という柔爻が尊位を得て中に居て偏らず、上下の五つの陽爻がみなそれに応ずる。ゆえに大有と言う。その徳性は内に剛健で外に文明、天道に順応して時に依って行う。ゆえに大いに亨通する。《大象伝》は言う、火が天の上にある、これが大有である、君子はこれに法り、邪悪を遏止し善行を表彰し、天道に順従して万物の性命を美化する、と。
初九,無交害,匪咎,艱則無咎。象曰:大有初九,無交害也。九二,大車以載,有攸往,無咎。象曰:大車以載,積中不敗也。九三,公用亨于天子,小人弗克。象曰:公用亨于天子,小人害也。九四,匪其彭,無咎。象曰:匪其彭無咎,明辨晰也。六五,厥孚交如威如,吉。象曰:厥孚交如,信以發志也;威如之吉,易而無備也。上九,自天佑之,吉無不利。象曰:大有上吉,自天佑也。
初九の爻辞、まだ交わる害がない、咎ではない、艱難の中で戒懼できれば咎がない。《小象伝》は言う、大有卦の初九は、まだ交わる害がない、と。九二の爻辞、大車で載せる、往くところあり、咎なし。《小象伝》は言う、大車で載せるのは、積むところが中にあって覆るに至らないからだ、と。九三の爻辞、諸侯が天子に進献して誠を通ずる、小人はこれができない。《小象伝》は言う、公侯が天子に献享するが、小人がこの位に処れば禍害となる、と。九四の爻辞、傍らの盛大な九三に依附しない、咎なし。《小象伝》は言う、傍に依附しないのは、明らかに辨別できるからだ、と。六五の爻辞、その誠信が上下を交相感応させ、かつ威厳を失わない、吉。《小象伝》は言う、誠信が交孚するのは、信実をもって衆人の心志を激発するからである、威あって吉なのは、平易近人で備えを要しないからだ、と。上九の爻辞、天から佑助が降る、吉にして利しないことなし。《小象伝》は言う、大有卦の上爻の吉は、天の護佑から来る、と。
大有元亨者。柔處尊位,不拒於物,群陽並應,大為所有,故稱大有。故老子云:江海所以能為百谷王者,以其善下也。元亨者,能包容萬物,則大得亨通也。
卦辞「大有、元亨」。六五は陰柔をもって尊位に居り、いずれの一方も拒斥せず、衆多の陽爻が一斉に来て応ずる。所有する範囲は極めて大きい。ゆえに「大有」と称する。ゆえに《老子》は言う、江海が百川の帰する王者となりうる所以は、それが下位に処ることを善くするからだ、と。「元亨」と言うのは、万物を包容できれば、大いに亨通を得られるからである。
象曰:火在天上,大有。君子以遏惡揚善,順天休命者。火是日,如日在天上,無所不照,無逺不燭,是大有之象也。君子當須遏匿人之過惡,稱揚人之徳善,又須順天之道,休美萬物之性命,是好生惡殺之義也。
《大象伝》の言う「火在天上、大有。君子以遏悪揚善、順天休命」――ここの火は太陽を指す。太陽が天に高く懸かり、照らさないところなく、いかに遠い所にも照り届く。これはまさに「所有する者大」の形象である。君子は他人の過失罪悪を遏止し隠没し、他人の徳行善挙を表彰讃揚すべきであり、また天道に順従し、万物の性命に各々その美を得させるべきである。これが生を好み殺伐を悪む意である。
初九無交害,匪咎,艱則無咎者。處大有之初,不能履中謙柔,必至驕盈陵物,故戒之。即日雖無交切之害,後必將至。若欲免其凶咎,當須艱固不盈,即得無咎也。
初九の爻辞「无交害、匪咎、艱則无咎」。初九は大有の端緒に処り、もし中を守り謙柔を保てなければ、必ず驕矜自満・他人を陵駕するに至る。ゆえにここで告誡する。目下はまだ直接切実の禍害がなくても、後日必ず至る。もし凶禍罪咎を免れようと欲すれば、艱難の中で堅守して自分を盈満させざるべきである。こうすれば咎がない。
九二大車以載,有攸往,無咎者。以剛居中而應於五,為君委任,即是持正之臣,任重専權。猶如大車所載非少,體既剛強,不懼傾敗,謂車材強壯,以斯而往,何咎之有,故曰大車以載,有攸往,無咎也。
九二の爻辞「大車以載、有攸往、无咎」。九二は陽剛をもって下卦の中に居り、また六五と相応し、君主の委任を受け、まさに正道を持守する臣子で、責任重大で専断の権を握る。これはちょうど大車の載せる物が分量軽からぬが、車体はもともと剛強で、覆り損壊を惧れない――車の材質が堅固結実であることを言う。このような条件で往って事を行えば、どこに咎があろうか。ゆえに「大車以載、有攸往、无咎」と言う。
九三公用亨于天子,小人弗克者。公謂臣之貴極也。九三以剛健盛極,權臣之象也。若以賢良處之,即得亨于天子,助化之道也;若以小人處之,禍害立至,故曰小人弗克也。九四匪其彭,無咎者。彭,旁也,謂去三之旁而從於君也。九四逼近九三,三是權臣,威權之盛,所以九四欲舎九五而從九三。舎君事臣,違於常理,若能棄三旁而歸於五,即得無咎也。
九三の爻辞「公用亨于天子、小人弗克」。「公」は臣子の中で最も尊貴な爵位である。九三は陽剛をもって下卦の極に処り、気勢盛大で、権臣の形象である。もし賢良の人がこの位置を占めれば、天子に進献して誠を通じ、教化を輔助する本分を尽くせる。もし小人がこの位置を占めれば、禍害は直ちに至る。ゆえに「小人弗克」と言う。九四の爻辞「匪其彭、无咎」。「彭」はここでは傍らの意で、九三という傍側の強鄰を離れて君主に帰従することを言う。九四は九三に隣接し、九三は権臣で威勢が盛んなので、九四は九五を撇き去って九三に依附しようとするを免れない。君主を捨てて権臣に仕えるのは、常理に背く。もし傍らの九三を抛きて九五に帰れば、咎がなくなる。
六五厥孚交如威如吉者。以柔處尊,志又大,體柔即和順於物,居中即所納不遺,群賢悉歸,信接於下,故不言之化而敎自行,不令之威而人皆服,自然獲吉。何難何防,任之得人,故易而無備矣。
六五の爻辞「厥孚交如威如、吉」。六五は陰柔をもって尊位に居り、しかも心志が宏大である。体性が柔和なので和順に万物に対することができ、上卦の中に居るので容納する人に漏れがなく、衆多の賢才がすべて帰り来て、それは誠信をもって下の人に接する。ゆえに口を開いて説教しなくても教化が自ら行われ、号令を発しなくても威望が自ら人を服させ、自然に吉を得る。何の畏難もなく、備える必要もなく、任用するのもみな適した人である。ゆえに平易近人で備えを設ける必要がない。
上九自天佑之,吉無不利者。居大有之時而不履位,尚賢也。餘皆乘剛,而上九獨乘柔,順思順也。五有信徳而親比焉,是履信也。有此三徳,故從天以下皆佑助之,而得其吉,無所不利也。
上九の爻辞「自天祐之、吉无不利」。上九は大有の世に身を処りながら尊位を占めない。これは賢者を崇尚することである。他の各爻は多く剛爻の上に騎るが、ただ上九のみが六五という柔爻の上に騎る。これは心に順従を存することである。六五は誠信の徳を備え上九がそれに親近比する。これは信実を践行することである。上九は崇賢・順従・守信の三つの徳性を兼ね備える。ゆえに天から以下みな護佑扶助し、吉を得て利しないことがない。
謙卦(艮下坤上)
艮下坤上。謙:亨,君子有終。彖曰:謙亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可逾,君子之終也。象曰:地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。
謙卦は下卦が艮、上卦が坤で、高山がかえって大地の下に居る、まさに己を屈して人に下る象で、卦徳は謙である。卦辞は言う、謙は、亨通、君子は終りまで保てる、と。《彖伝》は言う、謙が亨通する所以は、天道は下に向かって万物を済いその徳は光明で、地道は卑下してその気は上行する。天道は盈満を損い謙退を益し、地道は盈満を変えて謙下に流注し、鬼神は盈満を損い謙退に福を賜い、人道は盈満を悪み謙遜を好む。謙徳は尊者をいっそう光大にし、卑者を越えられなくする。これが君子が善い終りを得られる理である。《大象伝》は言う、高山が地中に蔵する、これが謙である、君子はこれに法り、多きを減損し寡きを增益し、事物を権衡して公平に施与する、と。
初六,謙謙君子,用涉大川,吉。象曰:謙謙君子,卑以自牧也。六二,鳴謙,貞吉。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。九三,勞謙君子,有終吉。象曰:勞謙君子,萬民服也。六四,無不利,撝謙。象曰:無不利撝謙,不違則也。六五,不冨以其鄰,利用侵伐,無不利。象曰:利用侵伐,征不服也。上六,鳴謙,利用行師,征邑國。象曰:鳴謙,志未得也;可用行師,征邑國也。
初六の爻辞、謙にしてまた謙の君子、この品德をもって大河を渡る、吉。《小象伝》は言う、謙謙君子は、卑下をもって自らを涵養する、と。六二の爻辞、謙徳の声名が遠くまで播れ、正を守れば吉。《小象伝》は言う、鳴謙して正を守り吉を得るのは、内心に真の得るところがあるからだ、と。九三の爻辞、勤労にして謙遜の君子、終りまで保てて吉。《小象伝》は言う、労謙の君子は、万民がみな彼に帰服する、と。六四の爻辞、利しないことなし、至る処で謙徳を発揮する。《小象伝》は言う、不利なく謙徳を発揮できるのは、法則に違背しないからだ、と。六五の爻辞、財富に依らず鄰里を動かせる、兵を出して討伐するのに利し、利しないことなし。《小象伝》は言う、征伐に利するのは、服従しない者を討つからだ、と。上六の爻辞、謙名が外に揚がる、兵を出すに利し、属邑の国を征討する。《小象伝》は言う、鳴謙は、心志がまだ実現していない、兵を用いることができるが、自分の属邑の国を征討するのみだ、と。
謙亨者,謙是屈己先人,以自卑巽為用,如是何往而不亨也。君子有終者,小人行謙,多不能久,惟有君子盡能保終也。
卦辞「謙、亨」。いわゆる謙は、自分を屈して他人を先に置き、自ら処るに卑下をもってし人を待つに恭順をもってするのを立身の用とすることである。こうできれば、どこへ往っても亨通せざることがあろうか。「君子有終」は、小人も偶には謙遜を行うが、多くは持久できない。ただ君子のみが終始謙徳を守り善い終りを保つことができることを言う。
象曰:地中有山,謙者。九家易義曰:山至高,地至卑,以高下卑,故云謙也。所以言地中者,以明多之與少俱行其謙也。君子以裒多益寡,稱物平施者。裒,聚也;寡,少也。謂人資財此多者行謙,即物益裒聚,故曰裒多也;比寡少行謙,即物漸増益,故曰益寡也。稱量事物,隨其多少,均平而施給,故曰稱物平施也。
《大象伝》の言う「地中有山、謙」――《九家易》の義解は言う、山は最も高峻、地は最も卑下、いま高きを低きの下に置く。ゆえに謙と言う。「地中」と言う所以は、多き方も少なき方も、同じく謙徳を奉行することを表明するためである。「君子以裒多益寡、称物平施」の「裒」は聚集、「寡」は少なきである。資財豊厚な人がもし謙徳を奉行すれば、財物はかえっていっそう聚まる。ゆえに「裒多」と言う。財物乏しい人がもし謙徳を奉行すれば、財物も次第に増える。ゆえに「益寡」と言う。君子は各種の事物を権衡し、その多少に照らし、公平均衡に施与する。ゆえに「称物平施」と言う。
初六謙謙君子,用涉大川吉者。處謙更在下,則是卑退之甚也,故曰謙謙也。君子以謙自牧,守謙不失,用濟大難,物無見害,故曰用涉大川吉。牧,養也。
初六の爻辞「謙謙君子、用渉大川、吉」。それは謙卦の中に処りまた最も下の位に居る。これは卑下退譲の極みである。ゆえに「謙謙」と言う。君子は謙徳をもって自らを涵養し、謙遜を守って失わない。この品德をもって大きな患難を救済すれば、外物は彼を傷つけない。ゆえに「用渉大川、吉」と言う。「牧」は養育の意である。
六二鳴謙貞吉者。鳴者,聲名聞之謂也。處謙之時,位居中正,即謙之聲聞於外境,是正而獲吉,故曰鳴謙貞吉。
六二の爻辞「鳴謙、貞吉」。「鳴」は名声が揚がり伝わる意である。六二は謙徳の世に処り、陰爻が陰位に居りまた下卦の中に居て、中でかつ正である。よって謙遜の名声が境外まで伝わる。これは正を守って吉を得ることである。ゆえに「鳴謙、貞吉」と言う。
九三勞謙君子有終吉者。九三以剛陽之質,為一卦之主,上即承奉於君,下又撫綏萬人,勞勤于謙,以君子處之,能保其終而獲吉。
九三の爻辞「労謙君子、有終吉」。九三は全卦唯一の陽爻で、剛陽の質をもって一卦の主となる。それは上に君主に奉事し、下に万民を安撫し、勤労辛苦しながら終始謙遜を保つ。君子がこの位置に処れば、謙徳を守り善始善終して吉を得られる。
六四無不利撝謙者。六四上近至尊,下近權臣,處是時不可違于謙巽,故三之於五,有事指撝,無不從順,不敢違於法則,故曰無不利撝謙也。
六四の爻辞「无不利、撝謙」。六四は上は六五という至尊の位に緊挨し、下は九三という実権ある大臣に緊挨し、このような位置に処する以上、謙遜恭順の道に背くことは絶対に許されない。ゆえに九三と六五の双方に対して、指揮調度すべき事があれば、従順配合しないことはなく、敢えてあるべき法度に背かない。ゆえに利しないことなく至る処で謙徳を発揮すると言う。
六五不富以其鄰,利用侵伐,無不利者。六五為謙之君,敎化大行,下既行謙,人自富貴,故不假以財物賙贍於鄰,故曰不富以其鄰。身既謙卑,不妄加討伐,若有驕逆不行此道者,故用誅伐,故云利用侵伐,無不利。張氏云:葛伯仇餉,湯往伐之是也。
六五の爻辞「不富以其鄰、利用侵伐、无不利」。六五は謙卦の君主で、教化が天下に大行し、下の人がすでに謙徳を奉行するので、百姓は自ずと富足する。ゆえにさらに財物を取って隣の人を周済する必要がない。よって「不富以其鄰」と言う。それ自身がすでに謙遜卑下なので、妄りに兵を興して討伐することはない。ただ驕横悖逆で謙道を奉行しようとしない者に対してのみ、征伐を用いる。ゆえに兵を出して討伐するに利して利しないことなしと言う。張氏は言う、葛伯が農人に飯を送る者を殺害したので、商湯がこれを討伐しに行った、まさにこの類の状況である、と。
上六鳴謙,利用行師,征邑國者。不預內政,于謙不實,惟有虛聲外揚而已,故曰鳴謙也。有所興為,其功未得,但可征旁邑國驕逆之人,故曰利用行師,征邑國也。
上六の爻辞「鳴謙、利用行師、征邑国」。上六は卦外に居り、国内の政事に参与しない。その謙遜は実に落ちず、ただ空洞の名声が外に揚がるのみである。ゆえに「鳴謙」と言う。それは為し成そうと欲しても、功業は成就しがたく、ただ近くの属邑の中の驕横悖逆の者を征討するのみである。ゆえに兵を出し属邑の国を征討するに利すると言う。
豫卦(坤下震上)・底本は経文のみ存す
坤下震上。豫:利建侯行師。彖曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎。天地以順動,故日月不過而四時不忒;聖人以順動,則刑罰清而民服。豫之時義大矣哉。象曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇徳,殷薦之上帝,以配祖考。
豫卦は下卦が坤、上卦が震で、雷が地上に動き、万物が奮発して和楽する。ゆえに豫と名づける。卦辞は言う、豫は、諸侯を分封し軍隊を出動するに宜しい、と。《彖伝》は言う、豫卦は、九四という剛爻が衆陰の応を得て心志が施行される、形勢に順って動く、これが豫である。豫は順って動くので、天地の運行もまたこのようである。まして諸侯を分封し兵を出して征伐するようなことにおいておや、と。天地は規律に順って運動するので、日月の運行に差錯がなく四季の更替に偏失がない。聖人は民心に順って行動すれば、刑罰は清簡にして百姓は帰服する。豫卦の含む時機と意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、雷が地から出て万物が奮い立つ、これが豫である、先王はこれに法り、音楽を制作し徳行を推崇し、隆重にそれを上帝に献げ、祖先を配享する、と。(按:史徵の本書に元あった豫卦の口訣解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが保存されている。四庫館臣の言う豫・随など八卦を欠くとはこのことである。)
初六,鳴豫,凶。象曰:初六鳴豫,志窮凶也。六二,介于石,不終日,貞吉。象曰:不終日貞吉,以中正也。六三,盱豫,悔,遲有悔。象曰:盱豫有悔,位不當也。九四,由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。象曰:由豫大有得,志大行也。六五,貞疾,恆不死。象曰:六五貞疾,乘剛也;恆不死,中未亡也。上六,□豫成,有渝無咎。象曰:豫在上,何可長也。
初六の爻辞、得意忘形で享楽を張揚する、凶。《小象伝》は言う、初六の鳴豫は、心志が窮尽して凶に至る、と。六二の爻辞、石のように堅定で、一日が終わるのを待たずして幾微を見極める、正を守れば吉。《小象伝》は言う、終日せずして正を守り吉を得るのは、六二が中に居て正を得るからだ、と。六三の爻辞、諂媚して上位を仰ぎ見て安楽を求める、悔いあり、さらに遅疑していれば悔いが多い。《小象伝》は言う、盱豫して悔いあるのは、六三の居る位が当たらないからだ、と。九四の爻辞、衆人がそれによって安楽を得、大いに得るところあり、猜疑するな、朋友が簪で髪を束ねるように聚合して来る。《小象伝》は言う、由豫して大いに得るのは、心志が広大に施行されたからだ、と。六五の爻辞、一種の痼疾を抱えながら、長らく死なない。《小象伝》は言う、六五に疾ある所以は、九四という剛爻の上に騎るからである、長らく死なざる所以は、居中の徳がまだ失われていないからだ、と。上六の爻辞、享楽への耽溺がすでに成ったが、改変できればまだ咎を免れる。《小象伝》は言う、逸楽に耽ってしかも最上に居る、どうして長く続けられようか、と。(爻辞中の「□」は底本の缺字で、通行本は「冥」と作る。いま缺を存して補わない。)
随卦(震下兌上)・底本は経文のみ存す
震下兌上。隨:元亨利貞,無咎。彖曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。大亨貞無咎,而天下隨時。隨時之義大矣哉。象曰:澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。
随卦は下卦が震、上卦が兌で、震は動、兌は悦で、動いて人を喜ばせれば、人は自ずと相随う。ゆえに随と名づける。卦辞は言う、随は、大いに亨通し正を守るに宜しく、咎なし、と。《彖伝》は言う、随卦は、剛爻が前に来て柔爻の下に屈居し、一動すれば人を喜ばせる、これが随である。大いに亨通し正を守って咎なく、よって天下はみな時勢に随う。時勢に随う意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、雷が沢中に蔵する、これが随である、君子はこれに法り、天色が晩に向かえば屋に入り休息する、と。(按:史徵に元あった随卦の解説もまたすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初九,官有渝,貞吉,出門交有功。象曰:官有渝,從正吉也;出門交有功,不失也。六二,係小子,失丈夫。象曰:係小子,弗兼與也。六三,係丈夫,失小子,隨有求得,利居貞。象曰:係丈夫,志舍下也。九四,隨有獲,貞凶,有孚在道,以明,何咎。象曰:隨有獲,其義凶也;有孚在道,明功也。九五,孚于嘉,吉。象曰:孚于嘉吉,位正中也。上六,拘係之,乃從維之,王用亨于西山。象曰:拘係之,上窮也。
初九の爻辞、主とする事に変動がある、正を守れば吉、門を出て人と交われば功効あり。《小象伝》は言う、官に変動あるも、正道に従えば吉利、門を出て交わりて功あるは、正道を失わないからだ、と。六二の爻辞、年少者に係恋すれば、成年の男子を失う。《小象伝》は言う、小子に係恋するのは、両辺を兼ねることができないからだ、と。六三の爻辞、成年の男子に係附すれば、年少者を失う、随従して求めあれば得るところあり、安居して正を守るに宜しい。《小象伝》は言う、丈夫に係附するのは、心志が下の初九を捨てたからだ、と。九四の爻辞、随従して獲るところあり、正を守っても凶があり、もし誠信を懐いて正道に合い、明智をもって処すれば、何の咎かあらん。《小象伝》は言う、随いて獲あるは、理の上では凶である、誠信あって道に合うは、明智の致す功効だ、と。九五の爻辞、美善に誠信をもって接する、吉利。《小象伝》は言う、孚于嘉して吉なのは、九五が居位正中だからだ、と。上六の爻辞、それを拘禁し、続いて繩索で捆縛する、周王が西山で祭享を行う。《小象伝》は言う、拘禁捆縛は、随道が上位においてすでに窮尽したからだ、と。
蠱卦(巽下艮上)
巽下艮上。蠱:元亨,利涉大川,先甲三日,後甲三日。彖曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱元亨而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。象曰:山下有風,蠱。君子以振民育徳。
蠱卦は下卦が巽、上卦が艮で、風が山下に吹いて回旋して出ず、物が久しく積もれば弊壊を生ずる。ゆえに蠱と名づける。卦辞は言う、蠱は、大いに亨通し、大河を渡るに宜しく、甲の日の前三日、甲の日の後三日ともに号令を申明せよ、と。《彖伝》は言う、蠱卦は、剛爻が上に居り柔爻が下にあり、遜順でありかつ停止できる、これが蠱である。蠱でありながら大いに亨通できれば、天下は治理を得る。「利渉大川」は、往けば必ず為すべき事があると言う。「先甲三日、後甲三日」は、事に終わりがあれば始まりがある、これは天道の運行規律と言う。《大象伝》は言う、山下に風が起こる、これが蠱である、君子はこれに法り、百姓を振済し徳行を培育する、と。
初六,幹父之蠱,有子考無咎,厲終吉。象曰:幹父之蠱,意承考也。九二,幹母之蠱,不可貞。象曰:幹母之蠱,得中道也。九三,幹父之蠱,小有悔,無大咎。象曰:幹父之蠱,終無咎也。六四,裕父之蠱,往見吝。象曰:裕父之蠱,往未得也。六五,幹父之蠱,用譽。象曰:幹父用譽,承以徳也。上九,不事王侯,高尚其事。象曰:不事王侯,志可則也。
初六の爻辞、父輩の遺した弊乱を匡正する、このような子があれば、父は咎なし、危厲ありても終に吉。《小象伝》は言う、父輩の弊を匡正するのは、意が父志を継承するに在る、と。九二の爻辞、母輩の遺した弊乱を匡正する、ひたすら剛直に固執してはならない。《小象伝》は言う、母輩の弊を匡正するのは、中道を守りえるからだ、と。九三の爻辞、父輩の遺した弊乱を匡正する、やや悔いあるも、大きな咎はなし。《小象伝》は言う、父輩の弊を匡正するは、終に咎なし、と。六四の爻辞、父輩の遺した弊乱を寛緩に対処する、このまま往けば憾惜に遭う。《小象伝》は言う、父輩の弊を寛縦するは、往けば得るところなし、と。六五の爻辞、父輩の遺した弊乱を匡正し、これによって美譽を得る。《小象伝》は言う、干父して誉を得るは、徳行をもって先人を継承するからだ、と。上九の爻辞、王侯に仕えず、自分の操守を一切より高く見る。《小象伝》は言う、王侯に事えず、この志節は効法の準則とすることができる、と。
蠱元亨,利渉大川。蠱,事也,謂創制立法有為之事也。敎化必大通,故曰元亨也。立法施令大行,故曰利涉大川也。
卦辞「蠱、元亨、利渉大川」。「蠱」はここでは「事」と訓じ、制度を創立し法度を訂立するような有所作為の事業を指す。教化は必ずこれによって大いに通行する。ゆえに「元亨」と言う。法度が確立し政令が広く推行を得る。ゆえに大河を渡るに宜しいと言う。
先甲三日,後甲三日者。甲,創制之始,故創令立法先三日,恐人未曉,殷勤告示雲後甲三日。如此再三丁寜宣佈,此後犯者必誅,使民無怨,乃得無咎也。
「先甲三日、後甲三日」。甲は十天干の首で、制度創立の端緒を代表する。ゆえに新令を頒布し新法を訂立する前の三日に先行して公告し、また百姓がまだ明らかに解していないことを恐れ、甲の日の後三日に再び殷勤に反復して暁喩する。このように再三丁寧に宣講した後、この後に違犯する者は必ず誅罰を加える。百姓に怨言がなく、こうして初めて咎がない。
象曰:山下有風,蠱者。先儒云:蠱,惑也。按春秋女惑男、風落山謂之蠱。既有惑亂,當以敎事制之,非是蠱訓為事。亦猶風行山下,惑亂萬物;奸在人間,惑亂眾庶,故以敎法齊之也。君子以振民育徳者,君子以振濟人民,象風之散佈;育養其徳,象山之安靜也。
《大象伝》の言う「山下有風、蠱」――先儒は言う、「蠱」は迷惑の意である、と。《左伝》に載る医和の蠱を論じた条りに依れば、女子が男子を惑わすこと、狂風が山木を摧落することをみな「蠱」と言う。すでに迷惑淆乱が現れた以上、教化の事をもってこれを整治すべきであり、「蠱」の字自体が「事」と訓じうるのではない。これはちょうど風が山下に吹行して万物を擾乱するがごとく、奸邪の徒が人間に混じり衆庶を惑乱する。ゆえに教化と法度をもって彼らを整斉する。「君子以振民育徳」は、君子が百姓を振済するに、風の四散吹拂を象に取り、自分の徳性を培育するに、山の安定沈静を象に取ると言う。
初六幹父之蠱,有子考無咎,厲終吉者。考是父,妣是母,此即先儒通稱也。初六處事之初,即能幹成父事,故曰幹父之蠱也。子能幹了家事,父又何憂,父能無慮,故曰有子考無咎也。治家之初,恐有危厲,而能幹濟家事,克終父命,故曰厲終吉也。
初六の爻辞「干父之蠱、有子考无咎、厲終吉」。「考」は父を指し、「妣」は母を指す、これは先儒の通行の称谓である。初六は事を弁ずる端緒に処りながら、父輩の遺した事業を弁成できる。ゆえに「干父之蠱」と言う。子が家事を料理し妥当にできれば、父に何の憂いがあろうか。父が憂慮なしとできれば、ゆえにこのような子があれば父は咎なしと言う。家を治め始める時、難を免れず危険があるが、それは家事を操持でき、終に父の遺命を完成する。ゆえに危厲ありても終に吉利を獲ると言う。
九二幹母之蠱,不可貞者。以陽居陰而又處中,女人以內為本,故曰幹母之蠱也。女人之性情多狠戾,故不可全為正,故云不可貞。
九二の爻辞「干母之蠱、不可貞」。九二は陽爻が陰位に居りまた下卦の中に処る。婦人は内事を主持するを根本とする。ゆえにこれは母輩の弊を匡正すると言う。古人は婦人の性情は往々にして執拗剛戾であると認めた。ゆえにひたすら剛直方正の方式で矯正してはならない。よって「不可貞」と言う。(これは唐人が当時の観念に依って説を立てたもので、いま実のままに訳出するに過ぎない。)
九三干父之蠱,小有悔,無大咎者。以陽居陽,處一家之剛正,能幹濟父事,故曰幹父之蠱。為無其應,即不可以行,故小有悔吝。能堪家事,即終無大咎矣。
九三の爻辞「干父之蠱、小有悔、无大咎」。九三は陽爻が陽位に居り、一家の中の剛強方正の一方に属し、操持して父輩の事業を完成できる。ゆえに「干父之蠱」と言う。しかしそれは相応の爻がなく、よって事が順暢に施行できない。ゆえにやや悔恨憾惜がある。ただそれは畢竟家事を担当できるので、終に大きな咎はない。
六四裕父之蠱,往見吝者。裕,寛也。以陰得位,寛猛得宜,即是能容裕父之蠱也。亦是無應而行,人所不親,故曰往見吝也。
六四の爻辞「裕父之蠱、往見吝」。「裕」は寛緩である。六四は陰爻が陰位に居り位を得、寛和と厳猛の拿捏が適当で、よって寛容に父輩の遺した弊乱に対処できる。しかしそれは同様に相応の爻がないのに行動しようとするので、人が来てそれに親近しない。ゆえに往けば憾惜に遭うと言う。
六五干父之蠱,用譽者。幹事得至尊位,是能幹辦父事,承先之徳,故有美譽於外。孝經云:立身行道,揚名於後世,以顯父母是也。
六五の爻辞「干父之蠱、用誉」。それは事務を弁理するに至尊の位に居り、父輩の事業を弁成し先人の徳業を継承できる。ゆえに外に美好の声譽を得る。《孝経》は言う、身を立て正道を奉行し、名声を後世に揚げ、もって父母を顕耀する、まさにこの理を講じている、と。
上九不事王侯,高尚其事者。最處事上,是能高尚其名,不羈其身,但可清虛守道,不事君侯,眾多敬仰,故曰高尚其事也。
上九の爻辞「不事王侯、高尚其事」。それは整卦の最上、事外の地に処り、よって自分の名節を高く掲げ、自身を羈絆束縛されず、ただ清心寡欲にして道義を守り、君王諸侯に仕えに行かない。衆人はかえって彼を敬仰する。ゆえに「高尚其事」と言う。
臨卦(兌下坤上)
兌下坤上。臨:元亨利貞,至于八月有凶。彖曰:臨,剛浸而長,說而順,剛中而應,大亨以正,天之道也。至于八月有凶,消不久也。象曰:澤上有地,臨。君子以敎思無窮,容保民無疆。
臨卦は下卦が兌、上卦が坤で、地は高く沢は低く、高をもって下に臨み、大をもって小に臨む。ゆえに臨と名づける。卦辞は言う、臨は、元始亨通して正を守るに宜しく、八月に至れば凶がある、と。《彖伝》は言う、臨卦は、陽剛が漸々に滋長し、内心は和悦で外表は柔順、九二の陽剛は中に居り六五と相応し、大いに亨通しかつ正を守る、これは天の法則である。「至于八月有凶」は、陽気の消退がすでに遠くないと言う。《大象伝》は言う、沢上に地あり、これが臨である、君子はこれに法り、百姓を教化する用心に窮尽なく、容納保育するに辺界なし、と。
初九,咸臨,貞吉。象曰:咸臨貞吉,志行正也。九二,咸臨,吉無不利。象曰:咸臨吉無不利,未順命也。六三,甘臨,無攸利,既憂之,無咎。象曰:甘臨,位不當也;既憂之,咎不長也。六四,至臨,無咎。象曰:至臨無咎,位當也。六五,知臨,大君之宜,吉。象曰:大君之宜,行中之謂也。上六,敦臨,吉,無咎。象曰:敦臨之吉,志在內也。
初九の爻辞、感応の道をもって上に居て下に臨む、正を守れば吉。《小象伝》は言う、咸臨して正を守り吉を得るは、心志の行いが端正だからだ、と。九二の爻辞、感応の道をもって上に居て下に臨む、吉利にして利しないことなし。《小象伝》は言う、咸臨して吉にして不利なしは、それがひたすら上の命令に順従するのではないからだ、と。六三の爻辞、甘い言葉をもって下に臨む、得るところの利なし、もし常に憂懼を懐けば、咎なし。《小象伝》は言う、甘臨は、六三の居る位が当たらないからである、憂懼できれば、咎は長久しない、と。六四の爻辞、最も切至の方式で下に臨む、咎なし。《小象伝》は言う、至臨して咎なきは、位置が当たるからだ、と。六五の爻辞、明智の道をもって下に臨む、これは大君のあるべき做法、吉。《小象伝》は言う、大君の宜しきは、まさに中道を奉行すると言うことだ、と。上六の爻辞、敦厚の徳をもって下に臨む、吉利、咎なし。《小象伝》は言う、敦臨の吉は、心志が内卦の賢者に繋がるからだ、と。
臨元亨利貞者。臨,大也,以陽氣方長,萬物皆盛,亦猶王者盛大之徳,威臨於下,故稱臨也。凡物盛之時,能備四徳,故曰元亨利貞也。
卦辞「臨、元亨利貞」。「臨」は盛大の意を含む。この時陽気はまさに生長し、万物はみな繁盛に趨り、ちょうど君王が盛大の徳威をもって下民に君臨するがごとし。ゆえに「臨」と称する。およそ事物が興盛の時に処れば、元・亨・利・貞の四つの徳性を具備できる。ゆえに「元亨利貞」と言う。
至于八月有凶者。夫盛極必衰,自然常理。臨為盛大之卦,故以垂戒之言凶者。臨卦是建丑之月卦,陽氣方長,至及八月,即四陰已長,四陽卻退,小人道長,君子道消也,故曰八月有凶也。
「至于八月有凶」。事物は盛りが極まれば必ず衰に転ずる、これは自然の常理である。臨は盛大を象徴する卦なので、わざわざ「凶」の字を用いて垂示告誡する。臨卦は建丑の月(陰暦十二月)に配当し、この時陽気はまさに増長し、八月に至るを待てば、すなわち観卦が当令し、四つの陰爻はすでに長成し四つの陽爻はかえって退き、小人の勢力は増長し君子の勢力は消退する。ゆえに八月に凶があると言う。
象曰:澤上有地,臨者。是以大臨小、以高臨下之義也。君子以敎思無窮,容保民無疆者,凡為君長以臨,當須敎化思念無有窮已,又須含容保愛民人,人即歸徳,邊境不計逺邇也。
《大象伝》の言う「沢上有地、臨」――これは大をもって小に臨み、高をもって下に臨む意である。「君子以教思无窮、容保民无疆」は、およそ君主尊長として下民に君臨する者は、教化に用心して已まず窮尽なくしなければならず、また包容愛護して百姓を保たなければならない。百姓は自ずと彼の徳に帰向し、辺境の遠近を問わず一视同仁とする。
初九咸臨,貞吉者。咸,感也。以陽感應於陰,相感而臨,志行其正,故曰貞吉也。
初九の爻辞「咸臨、貞吉」。「咸」は感応である。初九は陽爻で、陽をもって六四の陰に感応し、彼此感応して後に上に居り下に臨む。その心志の行いは正道に合う。ゆえに正を守れば吉利と言う。
九二咸臨,吉無不利者。以陽應陰,相感而臨也。二是剛陽,五是柔陰,若全順於五,則剛徳全損;全與相違,又失感應之道。必須量時進退,如君臣獻可替否之義,故得吉無不利。
九二の爻辞「咸臨、吉无不利」。それも同じく陽爻をもって陰爻に応和し、彼此感応して後に下に臨む。九二は陽剛、六五は陰柔で、もし九二が完全に六五に順従すれば、その剛徳は全く失われ、もし完全に六五に違逆すれば、また感応相与の道を失う。ゆえに必ず時勢を権衡して進退を知らなければならない。まさに君臣の間で行うべき策を献じ、行うべからざる事を廃止するがごとし。よって吉利を得て利しないことがない。
六三甘臨,無攸利,既憂之,無咎者。以陰居陽,即是越陰柔之道,小人之行也。甘謂言辭甘美,邪佞不正之名也。六三以邪謟之行以臨於物,患必生焉,故無施而利,故曰甘臨無攸利。若能恆憂其危,改過自新,乃得無咎,故曰既憂之無咎也。
六三の爻辞「甘臨、无攸利、既憂之、无咎」。六三は陰爻が陽位に居り、陰柔の守るべき本分を越えたに等しく、これは小人の行径である。「甘」は言辞が甘美動聴であると言い、邪僻諂佞で正道に循わない呼称である。六三がこの邪僻諂媚の手段で他人に臨駕すれば、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに何をしても好処を得ない。よって「甘臨、无攸利」と言う。もしそれが常に自身の危険を憂慮し、過ちを改めて新たに人となれば、咎がなくなる。ゆえに「既憂之、无咎」と言う。
六四至臨,無咎者。以陰應陽,不懼剛長,以至極之善而應臨於初,乃得無咎也。六五知臨,大君之宜,吉者。以柔處尊,納剛以禮,不以威武,是用而知臨於物,如似大君之宜,所以獲吉也。上六敦臨,吉,無咎者。敦,厚也。處坤之極,即是敦厚以為臨也;處於上體,志在尊賢,故獲吉也。
六四の爻辞「至臨、无咎」。六四は陰爻をもって陽爻に応和し、陽剛の増長を懼れず、最も切至篤実の善意をもって応和し初九に臨撫する。よって咎がない。六五の爻辞「知臨、大君之宜、吉」。六五は陰柔をもって尊位に居り、礼節をもって陽剛を接納し、威勢武力に倚仗しない。これはすなわち明智を運用して万物に臨駕し、まさに大君のあるべき做法に合う。ゆえに吉利を得る。上六の爻辞「敦臨、吉、无咎」。「敦」は厚重である。上六は坤卦の極点に処り、まさに敦厚の徳をもって下に臨む。それは上体に居り心志は賢者を尊崇するに在る。ゆえに吉利を得る。
観卦(坤下巽上)
坤下巽上。觀:盥而不薦,有孚顒若。彖曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒;聖人以神道設敎,而天下服矣。象曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設敎。
観卦は下卦が坤、上卦が巽で、風が地上に行き届かないところなく、四陰が二陽を仰観する。ゆえに観と名づける。卦辞は言う、観は、祭祀の際にちょうど灌酒降神の礼を完成してまだ祭品を進献しないその一刻のように、誠信を懐き容色が荘厳である、と。《彖伝》は言う、偉大なる観らるべき者が上位に居り、柔順でありかつ謙遜、中正の徳をもって天下に昭示する。「観盥而不薦、有孚顒若」は、下の者がその徳を仰観して感化を受けると言う。天の神妙なる運行の道を観察すれば、四季の更替に絲毫の差錯もない。聖人はこの神妙の道に依って教化を設立すれば、天下はみな帰服する。《大象伝》は言う、風が大地の上に吹行する、これが観である、先王はこれに法り、四方を巡視し民風を観察して教化を設立する、と。
初六,童觀,小人無咎,君子吝。象曰:初六童觀,小人道也。六二,窺觀,利女貞。象曰:窺觀女貞,亦可醜也。六三,觀我生進退。象曰:觀我生進退,未失道也。六四,觀國之光,利用賓于王。象曰:觀國之光,尚賓也。九五,觀我生,君子無咎。象曰:觀我生,觀民也。上九,觀其生,君子無咎。象曰:觀其生,志未平也。
初六の爻辞、児童のように浅陋に観る、小人がこれなら咎なし、君子がこれなら憾惜あり。《小象伝》は言う、初六の童観は、小人の路数だ、と。六二の爻辞、門の隙間から偷看する、女子が正を守るに利あり。《小象伝》は言う、窺視して女子の正に合うも、男子にとってはまた可羞だ、と。六三の爻辞、自分の所行を観察して進退を決める。《小象伝》は言う、我生を観て進退を定めるは、正道を失わないからだ、と。六四の爻辞、一国の光輝盛徳を観仰する、君王の賓客となるに宜しい。《小象伝》は言う、国光を観るは、上賓に遇せられたいからだ、と。九五の爻辞、自分の施す教化を観察する、君子がこうすれば咎なし。《小象伝》は言う、我生を観るは、実は百姓の風俗を観ることだ、と。上九の爻辞、自分の外に現れる言行を観察する、君子がこうすれば咎なし。《小象伝》は言う、其生を観るは、心志がまだ安然と平定していないからだ、と。
觀盥而不薦者。觀謂王者道徳,民所觀看也。盥謂瓶罍灌洗之器物也,薦謂籩豆陳薦之屬也。今所觀王者施瓶盥之禮,為民祈福,還威儀嚴敬否,故不觀陳薦之物也。
卦辞「観、盥而不薦」。「観」は君王の道徳を指し、百姓の仰望観看する対象である。「盥」は祭祀の際に盛水灌洗に用いる瓶罍などの器具を指し、「薦」は籩豆を陳設して祭品を進献する類の儀節を指す。ここで観ようとするのは、君王が灌洗降神の礼を挙行し百姓のために福を祈る時、威儀が荘厳恭敬かどうかである。後の祭品を陳設する環節は、かえって観察の重点ではない。
有孚顒若者。孚,信也;顒是嚴整之貎,謂君子行禮潔信立誠,端敬顒然,若鬼神在,則下觀其徳,民順其化。故詩云:顒顒卬卬,如珪如璋,君徳之義也。
「有孚顒若」。「孚」は誠信、「顒」は荘厳整粛のさまである。君子が祭礼を挙行するに、心を潔め誠信を樹立し、端荘恭敬にして儀容粛穆とし、まるで鬼神が真に座に降臨したがごとくである。こうすれば下の人がその徳を観仰し、百姓はその教化に順従する。ゆえに《詩経》は言う、容貌が温和で気度が軒昂とし、徳は珪璋のように純潔、まさに君主の徳を講じている、と。
象曰:風行地上,觀者。風如王者風敎,行於地上,人所觀也。先王省方觀民設敎者,先王以省視萬方,觀看民俗,施設敎化。故鄭眾云:從俗所為,順民之敎,故君子治人,不求變俗是也。如封太公於齊,五月報政,為簡其君臣禮,從俗不同;伯禽於魯,變其俗,易其禮,三年報政也。
《大象伝》の言う「風行地上、観」――風はちょうど君王の風化教令のごとく、大地の上に吹行し、誰もが見ることができる。「先王以省方観民設教」は、先王が四方を巡視し各地の民俗を考察し、これに拠って教化を施行すると言う。ゆえに後漢の鄭衆は言う、当地の習俗の做法に依循し、百姓の実情に順って教化する、ゆえに君子が人民を治めるに、わざと彼らの風俗を変えようとしない、まさにこの理である、と。例えば太公望が斉に封ぜられ、わずか五ヶ月で朝に回り政績を報告したのは、君臣の礼を簡約化し一切当地の旧俗に因循したからである。一方伯禽が魯に封ぜられ、当地の風俗を改変し元の礼制を更換したため、三年して初めて朝に回り政績を報告した。
初六童觀,小人無咎,君子吝者。觀之為體,下賤上貴也。最處於下而不近朝廷之美,所觀狹,如童稚之見,故云童觀也。大觀之時若如是,乃小人之見,才得無咎;君子居之,深可鄙吝也。
初六の爻辞「童観、小人无咎、君子吝」。観卦の体例は下位が卑賤で上位が尊貴である。初六は最も下に処り、朝廷の美善の気象に接することができず、見る範囲が狭小で、幼童の見識のようである。ゆえに「童観」と言う。この大いに観らるべき時にまだこのようなさまなら、それはただ小人の眼界で、辛うじて咎を免れる。もし君子がこの位置に処れば、実に鄙しく惜しい。
六二窺觀,利女貞者。居內處中,所見非大,猶窺竊而觀望,此乃利女之正,非丈夫之正。處大觀之時而為窺竊觀看,誠可醜也。
六二の爻辞「窺観、利女貞」。六二は内卦に居り下卦の中に処り、見るところは依然として広大ではなく、門の隙間からこっそり張望するがごとし。この方式は女子の守るべき正道に合うが、男子の守るべき正道には合わない。大いに観らるべき時に処りながら偷々窺視するしかないのは、実に可羞である。
六三觀我生進退者。生猶道也。六三處下卦之上,是可進之時;居上卦之下,又是可退之地。處此之時,可以觀風相幾,而不失其道也。
六三の爻辞「観我生進退」。ここの「生」は「道」に相当し、自身の行事の道を指す。六三は下卦の最上の爻に処り、向前して進取すべき時である。同時に上卦の最下に貼り、退守できる位置でもある。この種の進退両可の境地に処り、ちょうど風向を観て幾微を審度し、自分の正道を失わないようにできる。
六四觀國之光,利用賓于王者。處近君之尊,故可觀國之光華矣;習國家之禮儀,故可利為王賓也。
六四の爻辞「観国之光、利用賓于王」。六四は九五という尊位に緊鄰し、よって近くに一国の光輝盛美を観仰できる。それは国家の礼儀制度に熟習する。ゆえに君王の上賓に遇せられるに宜しい。
九五觀我生,君子無咎者。居得尊位,為觀之主,四海之內,皆由我化。我化若善,天下習君子之風;我化不善,天下有小人之俗。故我觀之道,有君子之風著,又何有咎也。
九五の爻辞「観我生、君子无咎」。九五は尊位に居り、全卦の仰観する主体で、四海の内の風気はみなその教化によって決まる。その教化がもし良善なら、天下は君子の風気に染まる。その教化がもし良善でなければ、天下は小人の習俗を成す。ゆえにそれが自我省察する道は、君子の風の風範を顕現できさえすれば、どこに咎があろうか。
上六觀其生,君子無咎者。觀其生,則是為人所觀者也。最上處極,為天下所觀。於已之道,若能自戒慎,高尚其事,著君子之風,故得無咎。王傳云:獨處異地,不易執持。此明上九但卓立其身,異於塵俗,何咎之有。故論語云:君子之過,如日月之食,過也人皆見之,更也人皆仰之。
上九の爻辞「観其生、君子无咎」。(底本はここで爻題を「上六」と作るが、実は上九を指す。いま照録して改めない。)いわゆる「観其生」は、それ自身が他人に観られる対象であると言う。上九は全卦最上の極位に処り、天下人が共同して瞻仰する所在である。その自分の立身の道について言えば、自ら警戒謹慎し、操守を一切より高く見て、君子の風範を顕出できさえすれば、咎がない。王弼の注は言う、独り異なった位置に処り、持守しやすくはない、と。これは上九がただ卓然として其身を自立し、流俗と異なることを説明する。どこに咎があろうか。ゆえに《論語》は言う、君子の過ちは日食月食のようで、過ちを犯せば人は皆それを見、改めれば人は皆それを仰ぐ、と。
周易口訣義巻第三・上経三(噬嗑より離まで)
噬嗑卦(震下離上)
上經三。震下離上。噬嗑:亨,利用獄。彖曰:頤中有物曰噬嗑,噬嗑而亨。剛柔分,動而明,雷電合而章。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。象曰:雷電,噬嗑。先王以明罰勑法。
これは上経の第三巻である。噬嗑卦は下卦が震、上卦が離で、震は雷・動、離は電・明で、動いて威あり照らして明あり。ゆえに噬嗑と名づける。卦辞は言う、噬嗑は、亨通、刑獄を施用するに宜しい、と。《彖伝》は言う、口の中に物を含むを噬嗑と言い、咬合して後に通暢する。剛爻柔爻が上下に分布し、一動してまた明察、雷と電が相合して事理を彰明にする。六五という柔爻が中を得て上行し、陰が陽位に居り位に当たらないが、刑獄を処理するに宜しい。《大象伝》は言う、雷電が交作する、これが噬嗑である、先王はこれに法り、刑罰を申明し法度を整飭する、と。
初九,屨校滅趾,無咎。象曰:屨校滅趾,不行也。六二,噬膚滅鼻,無咎。象曰:噬膚滅鼻,乘剛也。六三,噬臘肉,遇毒,小吝,無咎。象曰:遇毒,位不當也。九四,噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。象曰:利艱貞吉,未光也。噬嗑至離。六五,噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。象曰:貞厲無咎,得當也。上九,何校滅耳,凶。象曰:何校滅耳,聰不明也。
初九の爻辞、脚に刑具を戴き、脚指を遮没する、咎なし。《小象伝》は言う、脚鎖を戴き脚趾を遮没するは、彼をして再び邪路を歩ませないためだ、と。六二の爻辞、柔嫩の肉を咬み、深くして鼻を遮没する、咎なし。《小象伝》は言う、噬膚して深く鼻を没するに至るは、六二が初九という剛爻の上に騎るからだ、と。六三の爻辞、乾腊肉を咬み、毒味に遇う、やや憾惜、咎なし。《小象伝》は言う、毒味に遇うは、六三の居る位が当たらないからだ、と。九四の爻辞、骨付きの乾肉を咬み、銅の矢じりを得る、艱難の中で正を守るに宜しく、吉利。《小象伝》は言う、利艱貞して吉は、その道がまだ光大していないと言うことだ、と。(ここの「噬嗑至離」の四字は原書の巻内の書眉の標目で、本巻が噬嗑卦から離卦まで講じることを標明し、経文ではない。)六五の爻辞、乾肉を咬み、黄銅を得る、正を守り危を知る、咎なし。《小象伝》は言う、貞厲して咎なきは、処置が適当だからだ、と。上九の爻辞、肩に枷鎖を担ぎ、耳を遮没する、凶。《小象伝》は言う、何校して耳を滅するは、聴覚はあれど事理に明らかでないからだ、と。
噬嗑亨,利用獄者。噬,齧也;嗑,合也。喻人口中有物,則隔人隔塞正法,使正法不行;如口中有物,間齧而必通。刑去奸邪,正法無礙,故曰利用獄也。
卦辞「噬嗑、亨、利用獄」。「噬」は咬嚙、「嗑」は合攏である。これは比喻で、人が口に異物を含めば、上下顎は合攏できない。ちょうど人が中から梗を作し、正当の法度を阻隔堵塞して法令を推行させられないがごとし。口の中に物があれば必ず咬み砕いて初めて通暢できるように、刑罰を用いて奸邪の徒を除き去れば、正当の法度は暢行無阻となる。ゆえに刑獄を施用するに宜しいと言う。
象曰:雷電,噬嗑。雷動而威,電照而明,明動相合,故曰噬嗑也。先王以明罰勑法者,勑,整理也,謂先王以明鑑之德,刑罰兼施,整齊法度也。
《大象伝》の言う「雷電、噬嗑」――雷は一たび動けば威勢を帯び、電は一たび照らせば光明をもたらす。明察と威動の両者が相配合する。ゆえに噬嗑と言う。「先王以明罰勑法」の「勑」は整頓治理の意で、先王が明察洞鑑の徳性に拠り、一面で刑罰を申明し一面で法度を整斉し、両者を併用すると言う。
初九履校滅趾,無咎者。屨猶履也,滅,沒也,趾,足也。初九既居無位之地,是受刑之人,罪之尚微者也。若能於是時著械沒其趾足,而因懲戒,爾後改行修德,故終身無咎。故云小懲大戒,此小人之福也。
初九の爻辞「屨校滅趾、无咎」。「屨」は「履」のごとく、脚に穿戴するを指す。「滅」は遮没、「趾」は脚である。初九は最も下、爵位なきの地に居り、刑を受ける人で、しかも罪過はなお軽微である。もしこの時に脚鎖を戴かせ脚趾を遮らせ、それによって懲戒を受けさせ、今より後に行いを改め徳を修めさせれば、終身大きな罪咎はない。ゆえに《繋辞》は言う、小さな懲罰が大きな警戒をもたらす、これはまさに小人の福である、と。
六二噬膚滅鼻,無咎。二為得位處中,所刑者當,故曰噬膚滅鼻。膚是柔脆之物,喻伏罪之人。然乘剛用刑,即刑人深矣,噬過其分,以至滅鼻。雖復過深,而所刑者當,故曰無咎。
六二の爻辞「噬膚滅鼻、无咎」。六二は陰爻が陰位に居り位を得、また下卦の中に処る。ゆえにそれが刑を施す対象は適当である。よって「噬膚滅鼻」と言う。「膚」は柔軟脆嫩の物で、甘んじて罪に伏す人を喩える。ただ六二は初九という剛爻の上に騎って刑罰を動用するので、用刑は未免過度に深く、咬むのがあるべき分寸を超え、鼻まで陥入するに至った。用刑は深重に偏ったが、懲治する対象は確かに罰すべきだった。ゆえに咎なしと言う。
六三噬臘肉,遇毒,小吝,無咎者。以陰處陽不正,行刑罪人不伏,怨生。而不乘剛,不失順道,雖有小吝,於義無咎,故曰小吝無咎也。噬喻刑人,臘喻不伏,毒喻怨生。
六三の爻辞「噬腊肉、遇毒、小吝、无咎」。六三は陰爻が陽位に居り、それ自身正しくない。用刑の時に罪人が服しようとせず、よって怨恨を生ずる。しかしそれは剛爻の上に凌駕せず、柔順の道を失わない。ゆえにやや憾惜はあれど、理の上では咎がない。よって「小吝、无咎」と言う。ここの「噬」は人に刑を施すを喩え、「腊肉」は罪人が罪に伏そうとしないを喩え、「毒」はこれによって生じた怨恨を喩える。
九四噬乾胏,得金矢,利艱貞吉者。九四以陽失位,不正行刑,罪人不伏,故曰噬乾胏。乾胏,肉之幹者。得金矢,利艱貞吉,金,剛也;矢,直也。雖刑不伏物,而能得其剛直也。既剛且直,又利艱固,不失其正,可以獲吉也。
九四の爻辞「噬干胏、得金矢、利艱貞、吉」。九四は陽爻が陰位に居り位を失い、用刑が端正でなく、罪人が服しようとしない。ゆえに咬むのは骨付きの乾肉だと言う。「干胏」は骨を連ねた乾肉である。「得金矢、利艱貞、吉」の「金」は剛強を象徴し、「矢」は正直を象徴する。懲治する対象は服しようとしないが、それは剛強正直の原則を秉持できる。すでに剛強でかつ正直、加えて艱難の中で固守し正道を失わないに宜しい。よって吉利を得られる。
六五噬乾肉,得黃金,貞厲無咎。位既不正,有所刑人,人亦不伏,猶如噬齧乾堅之肉,物所以難噬也。得黃金,貞厲無咎者,黃,中也;金,剛也。以其居中履剛,得其剛正之道,剛勝也。位既不正,刑戮得當,然則居貞以危,亦免咎也。
六五の爻辞「噬干肉、得黄金、貞厲、无咎」。六五は陰爻が陽位に居り、位が正しくない。よって人に刑を施すに、相手も服さず、ちょうど乾硬の肉を咬みに行くがごとく、咬み動かしがたい。「得黄金、貞厲、无咎」の「黄」は居中の正色、「金」は剛強を象徴する。六五は上卦の中に居り下に剛爻を履むので、剛健中正の道を得、剛強の一面が上風を占めた。その位置は正しくないが、刑罰の施用は適当である。よって正を守り常に危懼を懐けば、咎を免れられる。
上九何校滅耳凶。何,擔何也;校,枷鎖也;滅,沒也。上九喻人積惡之極,不能懲改,須至擔何枷鎖,以沒其耳,將至誅滅之凶。故云惡積而不可揜,罪大而不可解也。
上九の爻辞「何校滅耳、凶」。「何」は肩に担ぐこと、「校」は枷鎖の類の刑具、「滅」は遮没である。上九は悪行が極点まで積もり、また懲戒を受け入れて改過しようとしない人を喩えるのに用い、ついに枷鎖を肩に担ぎ耳まで遮られるに至り、誅戮の凶禍に直面せんとする。ゆえに《繋辞》は言う、悪行は積もって掩えず、罪過は重くして解けない、と。
賁卦(離下艮上)
離下艮上。賁:亨,小利有攸往。彖曰:賁亨,柔來而文剛,故亨;分剛上而文柔,故小利有攸往。天文也,文明以止,人文也。觀乎天文以察時變,觀乎人文以化成天下。象曰:山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。
賁卦は下卦が離、上卦が艮で、火が山下に照り、山色を斑斕たらしめる。ゆえに賁と名づけ、卦義は文飾である。卦辞は言う、賁は、亨通、やや往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、賁が亨通する所以は、柔爻が下りて剛爻を文飾するからである。剛爻を分かち上行して柔爻を文飾するので、やや往くところあるに宜しい。剛柔が交錯する、これは天の文采である。文明でありかつ節止できる、これは人の文采である。天の文采を観れば時序の変化を察知でき、人の文采を観れば教化して天下を成就できる。《大象伝》は言う、山下に火あり、これが賁である、君子はこれに法り、各種の政務を明察するが、敢えて文飾のみに拠って獄訟を果決に裁断しない、と。
初九,賁其趾,舎車而徒。象曰:舎車而徒,義弗乘也。六二,賁其須。象曰:賁其須,與上興也。九三,賁如濡如,永貞吉。象曰:永貞之吉,終莫之陵也。六四,賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。象曰:六四當位疑也;匪寇婚媾,終無尤也。六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。象曰:六五之吉,有喜也。上九,白賁,無咎。象曰:白賁無咎,上得志也。
初九の爻辞、自分の脚趾を文飾する、車を捨てて徒歩する。《小象伝》は言う、車を捨て徒歩するは、道義の上でその車に乗るべきでないからだ、と。六二の爻辞、自分の鬚を文飾する。《小象伝》は言う、其須を賁するは、上の九三とともに行動するからだ、と。九三の爻辞、文飾して光潤神あり、長久に正を守れば吉利。《小象伝》は言う、永貞の吉は、終に彼を欺凌する者がいないからだ、と。六四の爻辞、文飾しようとしてなお一片素白、白馬が馳せて来る、来た者は強盗ではなく求婚の者だ。《小象伝》は言う、六四は位に当たるも心に疑慮を存す、来た者は寇ではなく婚配で、終に過失なし、と。六五の爻辞、文飾の対象は山丘園圃、用いるのは一小束の帛に過ぎず、鄙吝に見えるも終に吉。《小象伝》は言う、六五の吉利は、喜慶あり、と。上九の爻辞、素白をもって文飾とする、咎なし。《小象伝》は言う、白賁して咎なきは、上位に居て心志が実現を得たからだ、と。
賁亨,小利有攸往者。賁,飾也,以剛柔交雜而相文飾也。
卦辞「賁、亨、小利有攸往」。「賁」は文飾で、剛爻と柔爻が交錯相雑し、彼此が相手のために文采を添えることを指す。ゆえにそれは亨通できる。しかし文飾は畢竟根本ではない。ゆえにやや往くところあるに宜しいと言うのみである。
象曰:山下有火,賁。王廙云:山下有火,文明相照。夫山之為體,層峰峻嶺,巖巒峭麗,參差被日光照耀,如以雕飾而見文章,賁之象也。君子以明庶政,無敢折獄。庶,眾也;敢,果也;折,斷也。君子以明鑑之德,必須審察為眾庶之政,無直果敢折斷獄訟,當審慎用刑也。
《大象伝》の言う「山下有火、賁」――晋の人王廙は解釈する、山下に火あり、文采と光明が彼此輝映する、と。山の形体は、層巒畳嶂・高峰峻嶺、岩壑が峭抜秀麗で、参差錯落として日光に照耀され、彫琢文飾を経て花紋を顕すがごとし。これはまさに賁卦の形象である。「君子以明庶政、无敢折獄」の「庶」は衆多、「敢」は果決、「折」は裁断である。君子は明察洞鑑の徳性に拠り、必ず審慎に考察して各種の政務を処理しなければならない。しかし一時の果決に拠って軽率に獄訟を裁断してはならない。用刑は審慎であるべきである。
初九賁其趾,舎車而徒者。趾,足也。處無位之地,不尚華侈,所飾在於足趾,故曰賁其趾。以其執志耿介,不乘不義之車,而從有義徒步,故曰舎車而徒也。
初九の爻辞「賁其趾、舎車而徒」。「趾」は脚である。初九は最も下、爵位なきの地に処り、華奢を尚ばず、文飾できるのは自分の脚趾のみである。ゆえに「賁其趾」と言う。それは志節を持守して耿介として苟もせず、来路不義の車に乗ることを肯んぜず、むしろ道義に従って徒歩する。ゆえに「舎車而徒」と言う。
六二賁其須。須,須也。與三相近,情意相得,以下親上,猶如須之附面,修其所理,隨之興動,故小象云與上興也。
六二の爻辞「賁其須」。「須」は鬚である。六二は九三と位置が緊鄰し、彼此情意が相投じ、下の者が上の者に親附する。ちょうど鬚が面頬に附着するがごとく、面が動けば鬚が動き、鬚はただ自身の纹理を修飾するのみで、依附する一方に随って動く。ゆえに《小象伝》はそれを「与上興」と言う――上の九三とともに興起する。
九三賁如濡如,永貞吉者。與二相得,以飾以潤,故曰賁如濡如也。以其非應相親,永保其正,物莫能犯,故曰永貞吉也。
九三の爻辞「賁如濡如、永貞吉」。九三と六二は彼此投合し、文飾もあり潤沢も得る。ゆえに文飾して光潤神ありと言う。それらは正応ではなくただ相鄰相亲なので、さらに長久に正道を保たなければならない。こうできれば、外物はそれを侵犯できない。よって長久に正を守れば吉利と言う。
六四賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾者。四應在初,被三隔礙,志唯猶豫,或文或素,故曰賁如皤如。質素也。既不得前進,但鮮潔其馬,翰如徘徊以待之矣,故曰白馬翰如也。若非九三與己為寇難,即與初已為媾婚,故曰匪寇婚媾也。
六四の爻辞「賁如皤如、白馬翰如、匪寇婚媾」。六四が相応するのは初九だが、九三に中から阻隔され、心志がよって猶豫不定となり、ある時は文飾を思いある時は素朴に帰る。ゆえに「賁如皤如」と言う――「皤」は白浄質朴の意である。それはすでに前進できないので、馬を潔く鮮明に整え、徘徊して待つほかない。ゆえに「白馬翰如」と言う。もし九三が自分を阻む寇仇でなかったなら、それはとっくに初九と婚配を結んでいた。ゆえに来た者は強盗ではなく婚配の人だと言う。
六五賁于丘園,束帛戔戔,吝終吉者。處得尊位,為飾之主,不尚華飾,所賁質素,故其致飾如似丘園。丘園所生草木,質素而已,則不縻費。國之盈盛,乃束帛珍寶戔戔眾多,故曰賁于丘園,束帛戔戔。若能儉而約侈,費用得宜,處約之吝,乃得終吉,故曰吝終吉也。
六五の爻辞「賁于丘園、束帛戔戔、吝、終吉」。六五は尊位に身を居し、全卦の文飾の主宰であるが、華麗な装点を尚ばず、文飾するものはみな質朴に帰する。ゆえにそれが営造する装飾は山丘園圃のようである。丘園に生ずるは草木に過ぎず、質朴無華で、よって浪費しない。国家の富足充盈は、まさに束帛珍宝が積聚繁多することに現れる。ゆえに「賁于丘園、束帛戔戔」と言う。もし節倹して奢侈を約束し、費用支出を得宜にすれば、倹約によって鄙吝に見えても、最終的にはかえって吉利を得る。ゆえに「吝、終吉」と言う。
上九白賁無咎者。處飾之終,終乃反素矣。他人以色為飾,而我以素為飾,守志任真,得其夲性,何咎之有哉。
上九の爻辞「白賁、无咎」。それは文飾の終点に処り、文飾は尽きれば質朴に返る。他人は彩色を取って装飾とするが、我は純白素浄をもって装飾とする。自分の志節を守り本真に任せるので、自分の本性を保全した。どこに咎があろうか。
剥卦(坤下艮上)
坤下艮上。剝:不利有攸往。彖曰:剝,剝也,柔變剛也。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。象曰:山附於地,剝。上以厚下安宅。
剥卦は下卦が坤、上卦が艮で、五陰が下にあり一陽が上にあり、衆陰が孤陽を侵剥する。ゆえに剥と名づける。卦辞は言う、剥は、往くところあるに利せず、と。《彖伝》は言う、剥は剥落で、陰柔が陽剛を改変する。往くところあるに利せざるは、小人の勢力がまさに増長しているからである。柔順に対し時に止まる、これは卦象を観て得た理である。君子は消退・生息・盈満・亏虚の循環を崇尚する、これはまさに天道の運行規律である。《大象伝》は言う、山が大地の上に依附する、これが剥である、上位の者はこれに法り、下民を厚待して自分の居所を安定させる、と。
初六,剝床以足,蔑貞凶。象曰:剝床以足,以滅下也。六二,剝床以辨,蔑貞凶。象曰:剝床以辨,未有與也。六三,剝之,無咎。象曰:剝之無咎,失上下也。六四,剝床以膚,凶。象曰:剝床以膚,切近災也。六五,貫魚,以宮人寵,無不利。象曰:以宮人寵,終無尤也。上九,碩果不食,君子得輿,小人剝廬。象曰:君子得輿,民所載也;小人剝廬,終不可用也。
初六の爻辞、床を剥蝕する、床脚から始め、正道を削滅する、凶。《小象伝》は言う、床を剥して脚より始まるは、下より毀滅を始めるからだ、と。六二の爻辞、床を剥蝕し、床身と床脚の交接の処に至り、正道を削滅する、凶。《小象伝》は言う、床辨に剥るは、まだ依拠すべき伙伴がないからだ、と。六三の爻辞、剥落の中に処るも、咎なし。《小象伝》は言う、剥之して咎なきは、上下の衆陰を離れて独り上九に応ずるからだ、と。六四の爻辞、床を剥蝕し、すでに人の肌膚に傷を及ぼす、凶。《小象伝》は言う、肌膚に剥るは、災禍がすでに身に貼りついたからだ、と。六五の爻辞、串に穿った魚のように、宮人を率いて寵幸を承ける、利しないことなし。《小象伝》は言う、宮人の身分で寵を受けるは、終に過失なし、と。上九の爻辞、碩大の果実が食されなかった、君子はこれによって車輿を得、小人は屋舎まで剥毀される。《小象伝》は言う、君子が輿を得るは、百姓に擁戴されるからである、小人が廬を剥るは、小人が終に任用できないことを説明する、と。
剝不利有攸往者。剝,落也。以陰剝陽,以小人損君子,是小人道長,君子道消,小人侵害君子,故君子不利有攸往。
卦辞「剥、不利有攸往」。「剥」は剥落である。この卦は陰柔をもって陽剛を剥蝕し、小人をもって君子を損害する。まさに小人の勢力が増長し君子の勢力が消退する時で、小人が到る処で君子を侵害する。ゆえに君子は往くところあるに利せず。
象曰:山附於地,剝者。山本高峻,今附於地,是剝落之象也。上以厚下安宅者,宅,人居者也。剝之為體,自下而起,為乾,從初九而至剝也,即是小人在下而起,上侵於君子。君子即可敦厚為徳,制伏下人,各令安其居也。
《大象伝》の言う「山附于地、剥」――山はもともと高聳険峻だが、いま地面に依附貼伏する。これはまさに剥落された形象である。「上以厚下安宅」の「宅」は人の居住する処所である。剥卦の体勢は下より上へ逐層剥落し、もと乾体で、初九の一爻より剥蝕され始めた。これはまさに小人が下より興り、一歩ずつ上に向かい君子を侵犯することを示す。君子はこれに対し敦厚を徳とし、在下の人を安撫駕御し、彼らを各々安居楽業させるべきである。
初六剝床以足,蔑貞凶。蔑,削也;床者,人所安之物也。今剝道自下而起,似侵剝床足,人漸不安,處削除中正之道,所以凶也。
初六の爻辞「剥床以足、蔑貞凶」。「蔑」は削損、「床」は人が身を安んずるに頼る器物である。いま剥落の勢いが最も下より興り、ちょうど先に床脚を侵蝕するがごとく、人も次第に安穏でいられなくなる。このように中正の道を削除する局面に処するので、凶。
六二剝床以辨,蔑貞凶。是床梐之間,床足之上,分辨之處也。剝之漸盛,削不已,至於床梐之間分辨之處,削去正道,正道陵夷,所以凶也。
六二の爻辞「剥床以辨、蔑貞凶」。いわゆる「辨」は、床身と床架の間、床脚の上の上下分界の部位である。剥落の勢いは次第に加劇し、削蝕が止まず、すでに床身と床脚の交界の処に至った。正道が一歩ずつ削り去られ、日に衰頽崩壊する。ゆえに凶。
六三剝之無咎。眾皆剝陽,唯六三與上九相應,是獨親狎於君子,雖當剝時,可以無咎也。六四剝床以膚,凶。床既削盡,以至人膚,身體被其侵剝,切近於災,故為凶矣。
六三の爻辞「剥之、无咎」。衆多の陰爻がみな陽爻を剥蝕する中、ただ六三のみが上九と相応し、単独で君子に親近依附するに等しい。ゆえに剥落の世に身を処しても、咎がなくいられる。六四の爻辞「剥床以肤、凶」。床はすでに削蝕し尽され、進んで人の肌膚に傷を及ぼし、身体が直接侵害を受け、災禍がすでに身に貼りついた。ゆえに凶。
六五貫魚,以宮人寵,無不利者。獨處於尊,為剝之主,眾陰皆歸,騈頭相次,如貫穿之魚。小人得寵以消君子,若接待眾陰而似宮人在內,未能害於外政矣。既不預政事,故云無不利也。
六五の爻辞「貫魚、以宮人寵、无不利」。六五は独り尊位に居り、剥卦の主爻で、衆多の陰爻がみなそれに帰附し、一つずつ並んで相次ぐ。ちょうど繩で穿った一連の魚のようである。小人が寵を得るのは本来君子を消滅するためだが、もし六五が衆陰に接する方式が、後宮の嬪妃が各々内廷に安んずるがごときなら、外朝の政事に危害を及ぼすに至らない。それらがすでに政務に干預しないので、利しないことなしと言う。
上九碩果不食,君子得輿,小人剝廬者。處剝之上,獨處不落,猶碩果之不食。若君子處於此位,似車輿運載下人,令其獲安,故云君子得輿,民所載也。小人處此上位,即侵削下人廬舎,民何以安,故曰小人不可用為君長,故曰小人剝廬,終不可用也。
上九の爻辞「碩果不食、君子得輿、小人剥廬」。上九は剥卦の最上に処り、剥落されなかった唯一の陽爻で、ちょうど樹梢のあの碩大で摘食されなかった果実のようである。もし君子がこの位置に居れば、ちょうど一台の大車が下の人を載せて運び、彼らを安頓させるがごとし。ゆえに君子が車輿を得るは百姓に擁戴されるからだと言う。もし小人がこの上位を占めれば、下の百姓の房舎を侵奪削毀せんとする。百姓は何によって身を安んずるか。ゆえに小人は君長にしてはならないと言い、よって小人が屋廬を剥毀し終に任用できないと講じる。
復卦(震下坤上)
震下坤上。復:亨。出入無疾,朋來無咎,反復其道,七日來復,利有攸往。彖曰:復亨,剛反,動而以順行,是以出入無疾,朋來無咎。反復其道,七日來復,天行也。利有攸往,剛長也。復其見天地之心乎。象曰:雷在地中,復。先王以至日閉關,商旅不行,后不省方。
復卦は下卦が震、上卦が坤で、一陽が五陰の下に生じ、雷が地中に蔵し、陽気が回返する。ゆえに復と名づける。卦辞は言う、復は、亨通。出入に疾患なく、朋類が来ても咎なし、往返循環にその規律あり、七日すれば一度回復する、往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、復が亨通する所以は、陽剛が返回するからである。行動して順勢に依って行えば、よって出入に疾なく朋来り咎なし。往返循環にその規律あり七日に一復するは、天道の運行である。往くところあるに宜しきは、陽剛がまさに生長するからである。復卦より天地の生生已まざる本心がおおよそ見えるであろう。《大象伝》は言う、雷が地中に潜蔵する、これが復である、先王はこれに法り、冬至の日に関口を閉ざし、商旅は外出通行せず、君主も四方を巡視しない、と。
初九,不逺復,無祇悔,元吉。象曰:不逺之復,以修身也。六二,休復,吉。象曰:休復之吉,以下仁也。六三,頻復,厲,無咎。象曰:頻復之厲,義無咎也。六四,中行獨復。象曰:中行獨復,以從道也。六五,敦復,無悔。象曰:敦復無悔,中以自考也。上六,迷復,凶,有災眚,用行師終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。象曰:速復之凶,反君道也。
初九の爻辞、遠くまで行かずに回頭する、大きな悔恨に至らず、大いに吉。《小象伝》は言う、遠く行かずして復するは、これによって身を修養するからだ、と。六二の爻辞、美善に回復する、吉利。《小象伝》は言う、休復の吉は、仁徳ある初九の下に屈居できるからだ、と。六三の爻辞、屡々回復し屡々失守する、危厲あれど咎なし。《小象伝》は言う、頻復の危厲は、理の上では咎なし、と。六四の爻辞、衆陰の中を行きながら独り回復する。《小象伝》は言う、中行して独り復するは、正道に従うためだ、と。六五の爻辞、敦厚に回復する、悔恨なし。《小象伝》は言う、敦復して悔いなきは、中に居て自ら省察成就できるからだ、と。上六の爻辞、方向を迷って初めて回復を思う、凶、天災人禍あり、このような人を用いて兵を率いれば、終に大敗し、よって国君までも凶に遭い、十年の内出征できないに至る。《小象伝》は言う、迷って後に復するの凶は、君たるの道に反するからだ、と。(底本《小象伝》の「迷復」は「速復」と誤作す。いま照録して改めない。)
復亨者。復是歸本之名,靜黙為義。故老子云:歸根曰靜,是謂復命也。陽氣反覆,所以亨通,故曰亨也。
卦辞「復、亨」。「復」は本原に回帰する名称で、静定沈黙の意を含む。ゆえに《老子》は言う、根本に帰るを静と言い、これを本然の命に復すと謂う、と。この卦は一陽が下より回返し、陽気が改めて萌動する。よって亨通を得る。ゆえに「亨」と言う。
出入無疾,朋來無咎者。出則剛長,入則陽復,理會其時,故無疾。朋謂眾陽,以陽氣漸長,眾陽朋聚而來,故無咎。
「出入无疾、朋来无咎」。外に出れば陽剛が不断に生長し、内に入れば陽気が回返帰復する。これはみな時節の理に合う。ゆえに疾患がない。「朋」は衆多の陽爻を指す。陽気が日々増長するので、衆陽が朋友のごとく聚集して来る。ゆえに咎がない。
反復其道,七日來復者。反之與復,理其宜,故曰反復其道。陽氣滅絶之後,不過七日,陽復生來,故云七日來復。利有攸往,以陽氣漸盛,陰柔乃消,故利有所往。
「反復其道、七日来復」。往返と回帰は、みなそのあるべき理に合う。ゆえに「反復其道」と言う。陽気が剥尽された後、七つの段階を出ずして、陽気が改めて萌生して帰る(五月の姤卦で一陰が生を始め、遯・否・観・剥・坤を歴て復に至る、まさに七変)。ゆえに「七日来復」と言う。「利有攸往」は、陽気が次第に旺盛となり陰柔がそれに随って消退するので、往くところあるに宜しいと言う。
象曰:雷在地中,復。以靜黙為義,雷本動物,今在地中,靜黙之象。先王以至日閉關,商旅不行,后不省方者。方,事也。先王於至之日,閉塞視聽,不親其事,商旅不行道路,在於君后,亦不省察四方之事也。
《大象伝》の言う「雷在地中、復」――この卦は静定沈黙を義とする。雷はもともと発動の物だが、いま地中に潜蔵する。まさに静黙の形象である。「先王以至日閉関、商旅不行、后不省方」の「方」はここでは政事を指す。先王は冬至の日に、視聴を閉塞し政務を親理せず、商旅も道路上を往来しない。君主本人についても、同様に四方の事を巡察しない。
初九不逺復,無祇悔,元吉。祇,大也。最處復初,初知福之機,不為迷逺,尋能求復,歸於善道,故無大悔而終獲大吉也。
初九の爻辞「不遠復、无祇悔、元吉」。「祇」はここでは「大」と訓ずる。初九は復卦の最初に処り、初めから吉福の繋がる幾微を知り、遠くまで迷わず、すぐに回帰を求めて善道に帰ることができる。ゆえに大きな悔恨がなく終に大吉を獲る。
六二休復吉。處復之時,近初之陽,是親仁善鄰。既親賢德之行,而獲休美之吉。
六二の爻辞「休復、吉」。それは回復の時に処り、初九という陽爻に緊鄰する。まさに仁者に親近し善を鄰とする。すでに賢徳ある人の操行に親附できれば、美善の吉利を獲る。
六三頻復,厲無咎。頻,蹙之貎也。六三去復已逺,雖勝上六之迷暗,猶可頻蹙而復於危厲之中,而得無咎也。
六三の爻辞「頻復、厲、无咎」。「頻」は眉を蹙め屡々難儀するさま。六三は初九という回復の起点よりすでに遠く、上六のような徹底的迷暗よりは勝るが、眉を蹙り憂懼する中で反復して帰るしかない。このような危厲の状態に処りながら、それでも咎を免れられる。
六四中行獨復。獨應於初,即是棄惡歸善。處四陰之中,獨得善道,故曰中行獨復。六五敦復無悔者,敦,厚也。處尊位以敦厚之德,而能考成其行,故無悔而已也。
六四の爻辞「中行独復」。それは単独で初九と相応し、まさに邪悪を抛棄して善道に帰る。それは四つの陰爻の中間に身を処しながら、ただ自分のみが善道を行く。ゆえに衆陰の中を行きて独り回復すると言う。六五の爻辞「敦復、无悔」の「敦」は厚重である。六五は尊位に身を居し敦厚の徳をもって自処し、自分の品行を省察成就できる。ゆえにただ悔恨がないのみである。
上六迷復凶,有災眚,用行師終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征者。上為最處復後,是迷暗而更求復也。以迷求復,去善既逺,必致凶災,故曰迷復凶,有災眚。用此迷暗之人興行師旅,終有大敗;若用於其國內,即反違君道,故曰用行師終有大敗,以其國君凶也。縱使修身改悔,至於十年,猶不能征進矣,故曰至于十年不克征。傷害曰災,妖祥曰眚。
上六の爻辞「迷復、凶、有災眚、用行師終有大敗、以其国君凶、至于十年不克征」。上六は回復の路の最末端に処り、すでに昏迷に陥って初めて回帰を思う。迷惑を帯びて回帰を求めるので、善道よりすでに遠く、必ず凶禍災殃を招く。ゆえに迷復して凶、天災人禍ありと言う。このような昏迷不明の人を任用して兵を興し戦わせれば、終に必ず大敗する。もし彼を国内に用いれば、君たり治国の道に反逆する。ゆえに彼を用いて兵を率いれば終に大敗し、国君もこれによって凶に遭うと言う。たとえ彼がこの後身を修め悔改めても、十年を過ごしても、依然として出兵前進できない。ゆえに十年の内征伐できないと言う。外から来る傷害を「災」と言い、反常の妖異を「眚」と言う。
无妄卦(震下乾上)・底本は経文のみ存す
震下乾上。無妄:元亨利貞,其匪正有眚,不利有攸往。彖曰:無妄,剛自外來而為主於內,動而健,剛中而應,大亨以正,天之命也。其匪正有眚,不利有攸往,無妄之往,何之矣。天命不佑,行矣哉。象曰:天下雷行,物與無妄。先王以茂對時,育萬物。
无妄卦は下卦が震、上卦が乾で、雷が天下に行き、万物が各々その真を得て虚妄ならず。ゆえに《无妄》と名づける。卦辞は言う、无妄は、大いに亨通して正を守るに宜しく、行いが正しからざれば災殃あり、往くところあるに利せず、と。《彖伝》は言う、无妄卦は、陽剛が外より来て内卦の主爻となる、行動してしかも剛健、九五の陽剛は中に居り六二と相応し、大いに亨通しかつ正を守る、これは上天の命令である。行いが正しからざれば災殃あり往くに利せざるとは、无妄の世にあってなお妄動すれば、どこへ行けるか、天命が保佑を加えねば、行き通ることができようか、と言う。《大象伝》は言う、天下に雷声が運行し、万物は各々真実无妄の性を賦与される、先王はこれに法り、勉めて天時に順応し、万物を養育する、と。(按:史徵に元あった无妄卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初九,無妄往吉。象曰:無妄之往,得志也。六二,不耕穫,不災畬,則利有攸往。象曰:不耕穫,未富也。六三,無妄之災,或繫之牛,行人之得,邑人之災。象曰:行人得牛,邑人災也。九四,可貞,無咎。象曰:可貞無咎,固有之也。九五,無妄之疾,勿藥有喜。象曰:無妄之藥,不可試也。上九,無妄行,有眚,無攸利。象曰:無妄之行,窮之災也。
初九の爻辞、真実无妄の心をもって往く、吉利。《小象伝》は言う、无妄にして往くは、心志が実現を得たからだ、と。六二の爻辞、収穫を求めて耕さず、熟田を求めて開墾せず、このようにすればかえって往くところあるに宜しい。《小象伝》は言う、収穫のために耕さないは、富に就くを貪らないからだ、と。六三の爻辞、端なくして来る災禍――或る人が牛をそこに繋ぎ、通行人が牛を牽き去り、本邑の人がこれによって冤罪を蒙る。《小象伝》は言う、行人が牛を牽き去れば、邑人の災となる、と。九四の爻辞、正を守れる、咎なし。《小象伝》は言う、可貞して咎なきは、それが本来この徳を固有するからだ、と。九五の爻辞、自ら招いたのではない疾病は、薬を服さず自ずと痊癒する。《小象伝》は言う、无妄の疾に薬を用いるは、軽々しく試みてはならない、と。上九の爻辞、无妄の極にあってなお行動すれば、災殃あり、得るところの利なし。《小象伝》は言う、无妄にして妄行するは、窮極に至って招いた災だ、と。
大畜卦(乾下艮上)
乾下艮上。大畜:利貞,不家食吉,利涉大川。彖曰:大畜,剛健篤實輝光,日新其德。剛上而尚賢,能止健,大正也。不家食吉,養賢也。利涉大川,應乎天也。象曰:天在山中,大畜。君子以多識前言往行,以畜其德。
大畜卦は下卦が乾、上卦が艮で、山が上に止り天がその中に蘊え、蓄積する者が宏大である。ゆえに大畜と名づける。卦辞は言う、大畜は、正を守るに宜しく、家中で自ら食せず朝に禄を受ければ吉利、大河を渡るに宜しい、と。《彖伝》は言う、大畜卦は、剛健篤実にして輝光奮発し、徳性が日々に新たとなる。陽剛が上に居り賢者を崇尚し、剛健の力を制止できる、これは大いなる正道である。「不家食吉」は、賢人を供養すべきと言うことである。「利渉大川」は、それが上に天に応ずるからである。《大象伝》は言う、天が山中に蘊含する、これが大畜である、君子はこれに法り、前代の言論と往哲の事跡を多く記取し、もって自分の徳性を蓄積する、と。
初九,有厲利己。象曰:有厲利己,不犯災也。九二,輿說輹。象曰:輿說輹,中無尤也。九三,良馬逐,利艱貞,曰閒輿衛,利有攸往。象曰:利有攸往,上合志也。六四,童牛之牿,元吉。象曰:六四元吉,有喜也。六五,豶豕之牙,吉。象曰:六五之吉,有慶也。上九,何天之衢,亨。象曰:何天之衢,道大行也。
初九の爻辞、危険あり、止まるに宜しい。《小象伝》は言う、厲あって止るは、災禍を犯しに行かないからだ、と。九二の爻辞、車が車軸の伏兎を脱ぐ。《小象伝》は言う、輿が輹を説くは、九二が中に居り過失がないからだ、と。九三の爻辞、良馬が奔馳追逐する、艱難の中で正を守るに宜しく、日々に車の駕と防衛を練習せよ、往くところあるに宜しい。《小象伝》は言う、利有攸往は、上九と心志が合するからだ、と。六四の爻辞、小牛の角に横木を装着する、大いに吉利。《小象伝》は言う、六四の大吉は、喜慶あり、と。六五の爻辞、去勢した豚は、その獠牙は害を為すに足らず、吉利。《小象伝》は言う、六五の吉は、福慶あり、と。上九の爻辞、通天の大道を肩に荷う、亨通。《小象伝》は言う、何天之衢は、道路が大いに暢通したからだ、と。
大畜利貞者。艮止於上,乾剛前進不得通,故曰大畜也。柔能制剛,非正不可,故曰利貞也。
卦辞「大畜、利貞」。上卦の艮が上辺で止め、下卦乾の剛健の気は向前に推進しようとしても通過できない。ゆえに大畜と称する。柔弱をもって剛強を制約するには、正道に拠らねば成し得ない。ゆえに「利貞」と言う。
不家食吉。有大畜之財,常須養贍賢人,使賢德食祿,非食自家之食也。利涉大川者,豐財養賢,是合天之道,應人之心,故可濟涉大川,不懼沉溺也。
「不家食吉」。すでに大量に蓄積した財物を有する以上、常に賢能の士を供養贍済し、徳ある者に国家の俸禄を享受させ、彼らを自家の口粮のみに頼って日を過ごさせてはならない。「利渉大川」は、財用が豊足でかつ賢才を供養できることは、天道に合いかつ人心に順応するので、大河を渡っても沈没を懸念する必要がないと言う。
象曰:天在山中,大畜者。艮山上止,乾陽不得通,故曰大畜也。君子以多識前言往行,以畜其徳者。君子識前代人言、往哲之行,使多聞多見,以畜積而為己德也。
《大象伝》の言う「天在山中、大畜」――艮山が上辺で止め、乾の陽気は上へ通行できない。ゆえに大畜と言う。「君子以多識前言往行、以畜其徳」は、君子が前代人の言論と往古先哲の行事を広く記取し、自分の見聞を広博にし、これらを蓄積して自身の徳性に化すと言う。
初九有厲利己。己,止也。初欲前進,遇四畜盛,若進即有危厲,若休已不進,即有所利,故曰有厲利己。九二輿說輹,處畜之盛,不可前進,進而不已,則輿說輹敗,不可以行。然九二有居中之德,不妄前進,豈有過尤哉。
初九の爻辞「有厲利己」。「己」はここでは停止の意である。初九はもともと向前に推進しようとしたが、六四の蓄止の力がまさに盛んなのに遇う。この時強行して前進すれば危険があり、止まって進まなければかえって好処がある。ゆえに危厲あって止まるに宜しいと言う。九二の爻辞「輿説輹」は、それが蓄止の勢い最も盛んの時に処り、再び前に往くことはできない。一味に前進して止まなければ、車軸の伏兎が脱落損壊し、車も走れなくなる。ただ九二は居中の徳があり、妄りに前進しない。どこに過失があろうか。
九三良馬逐,利艱貞,曰閒輿衛,利有攸往者。夫大畜者,先畜後通。今處乾之上,畜道見通,可以升進。以上九有尚賢之徳而不拒於九三,三可以乘其壯馬馳騁而來,故曰良馬逐。途路近通而未全泰,宜艱固而守貞正,故曰利艱貞。曰閒輿衛者,閒,礙也;衛,護也。雖日日見有人閒礙於輿,此則人之助已,乃是防衛見護也。何衢既通,小為阻礙,故無妨攸往。
九三の爻辞「良馬逐、利艱貞、曰閑輿衛、利有攸往」。大畜の道は、常に先に蓄止して後に通達する。九三は下卦乾の最上の爻に処り、蓄止の勢いはまさに通暢に転ぜんとし、よって上進できる。上九に賢者を崇尚する徳性があり九三を拒斥しないので、九三は自分の健馬に駕して奔馳して上がることができる。よって「良馬逐」と言う。ただ道路は通ぜんとしてなお完全に暢達していない。依然として艱難の中で固守し貞正を守るに宜しい。ゆえに「利艱貞」と言う。「閑輿衛」については、「閑」は阻碍、「衛」は護持である。日々車の前に阻を設ける人がいるが、これは実は他人が自分を助けているのであり、まさに一種の防衛保護である。すでに通天の大道が開かれた以上、この小さな阻碍は往くを妨害しない。
六四童牛之牿,元吉。童牛,一歲之牛,其角如繭栗。處艮之下,是畜之首,畜道將盛。初既止而不進,故六四可以童牛之角而止牿於初,以柔制剛,以息強爭,非惟獲其大吉,而亦有喜慶也。
六四の爻辞「童牛之牿、元吉」。「童牛」は一歳の小牛で、牛角は繭栗ほどの大きさに過ぎない。六四は上卦艮の最下の爻に処り、蓄止の端緒で、蓄止の勢いはまさに盛んに転ぜんとする。初九がすでに止まって進まないので、六四は牛角がまだ小さいうちに横木を加えて、初九を蓄止できる。柔順をもって剛強を制約し、強横の争いを消弭する。こうすれば大吉を獲るだけでなく、喜慶ももたらす。
六五豶豕之牙,吉者。豕牙,橫猾難制之物,謂九二也。九二前進如豕之牙,五處畜盛而能制之,故豶制其牙,使不前,能止強暴,非惟獲勝,乃得吉慶,故云有慶。
六五の爻辞「豶豕之牙、吉」。野豚の獠牙は、横衝直撞・狡猾で制しがたいもので、ここでは九二を指す。九二が一味に前へ衝くのは、ちょうど野豚が獠牙で人を拱くがごとし。六五は蓄止の勢い最も盛んの位置に処り、それを制服できる。ゆえに豚を去勢すれば、その獠牙はもはや兇を逞しせず、再び前へ拱くことができない。強横暴烈の力を制止できれば、勝利を得るだけでなく吉慶も得る。ゆえに《小象伝》は「有慶」と言う。
上九何天之衢,亨者。處畜之極,何須更畜,途徑大通,無復為礙。衢者,四達之路。爾雅云:四達謂之衢是也。
上九の爻辞「何天之衢、亨」。それは蓄止の極点に処り、蓄積はすでに尽きた。どうしてさらに蓄止を要しようか。この時道路は大いに暢通し、もはやいかなる阻碍もない。「衢」は四通八達の大路で、《爾雅》は言う、四面通達の路を「衢」と謂う、まさにこの意である、と。
頤卦(震下艮上)
震下艮上。頤:貞吉,觀頤,自求口實。彖曰:頤貞吉,養正則吉也。觀頤,觀其所養也;自求口實,觀其自養也。天地養萬物,聖人養賢以及萬民。頤之時大矣哉。象曰:山下有雷,頤。君子以慎言語,節飲食。
頤卦は下卦が震、上卦が艮で、上が止まり下が動き、ちょうど人の口頬が咀嚼する状のようである。ゆえに頤と名づけ、卦義は頤養である。卦辞は言う、頤は、正を守れば吉利、養育の道を観察し、自ら口の中の食物を求めよ、と。《彖伝》は言う、頤が正を守り吉とは、正道をもって養育すれば吉利と言うことである。「観頤」は、彼の養育するは如何なる人かを観察すること、「自求口実」は、彼がどのように自分を養育するかを観察することである。天地は万物を養育し、聖人は賢才を養育して万民に恵及する。頤卦の含む時機の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、山下に雷あり、これが頤である、君子はこれに法り、言語を謹慎し飲食を節制する、と。
初九,舍爾靈觀,我朵頤,凶。象曰:觀我朵頤,亦不足貴也。六二,顛頤,拂經,于丘頤,征凶。象曰:六二征凶,行失類也。六三,拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利。象曰:十年勿用,道大悖也。六四,顛頤吉,虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。象曰:顛頤之吉,上施光也。六五,拂經,居貞吉,不可涉大川。象曰:居貞之吉,順以從上也。上九,由頤,厲吉,利渉大川。象曰:由頤厲吉,大有慶也。
初九の爻辞、お前自身の霊明本性を捨てて、我が大いに嚼む様を睨む、凶。《小象伝》は言う、人が大嚼するを睨んで貪羡を生ずる、この態度は実に称道するに足らない、と。六二の爻辞、顛倒して下に向かい養を求める、常理に背く、転じて上の丘陵に養を求める、往けば凶。《小象伝》は言う、六二が征して凶は、行いが同類を失ったからだ、と。六三の爻辞、頤養の道に背く、正を守っても凶、十年の内任用できず、得るところの利なし。《小象伝》は言う、十年用いられざるは、その路数が完全に正道に背くからだ、と。六四の爻辞、顛倒して下の者を養う、吉利、虎のように目光沈静に注視し、欲望は敦厚で軽浮ならず、咎なし。《小象伝》は言う、顛頤の吉は、上の者の施与する徳沢が光大だからだ、と。六五の爻辞、常理に背く、安居して正を守れば吉、ただし大河を渡るべからず。《小象伝》は言う、居貞の吉は、柔順に上九に従うからだ、と。上九の爻辞、天下がみなそれによって養を得る、厳しく自持すれば吉、大河を渡るに宜しい。《小象伝》は言う、由頤して厲にして吉は、大いに福慶あり、と。
頤貞吉者。頤,養也。養正則吉,故曰頤貞吉也。觀頤者,謂在下之人,觀其君上所養之人,若所養之人賢良,即能助君行化也。自求口實者,謂其自養,求其口中之實物。飲食不節,患必生焉。故荀爽云:飲食失宜,患之所起是也。
卦辞「頤、貞吉」。「頤」は頤養である。正道をもって養育すれば吉利。ゆえに「頤、貞吉」と言う。「観頤」は、下位の人が君上の養育するは如何なる人々かを観察することを言う。もし養育される者がみな賢良の士なら、彼らは君主を助けて教化を推行できる。「自求口実」は、各人が自らを養い、口の中の食物を求取することを言う。飲食に節制なければ、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに後漢の荀爽は言う、飲食が適宜を失うは、まさに禍患の興る根源である、と。
象曰:山下有雷,頤者。艮止於上,雷動於下,猶人口動咀嚼飲食,皆下動上止,頤之象也。君子以慎言語,節飲食者。啟發言語,榮辱之階,不可不慎;飲食過傷,員之所起,不得不節也。
《大象伝》の言う「山下有雷、頤」――艮が上辺で静止し、雷が下辺で発動する。ちょうど人の口部が咀嚼し食事する時、常に下顎が活動し上顎が動かないがごとし。これはまさに頤卦の形象である。「君子以慎言語、節飲食」は、口を開き言語を発するは、栄辱の生ずる階梯であり、謹慎せざるべからず、飲食が過量にして身を傷つくるは、禍患の生ずる根源であり、節制せざるべからず、と言う。(底本「員之所起」の「員」は「患」の字の訛であるべき、いま照録して改めない。)
初九舎爾靈觀我朵頤凶者。靈謂神靈明兆之物,喻己之明德;朵猶動嚼也,喻貪婪躁求食祿之人。當養賢之初,不能修德待用,而貪羨它人躁欲求之,如舎己明德,貪竊躁求,所以凶也。
初九の爻辞「舎爾霊、観我朵頤、凶」。「霊」は神明明妙で徴兆を顕現しうるものを指し、自分の本来有する光明の徳性を喩える。「朵」は口が鼓動し咀嚼するさまで、貪婪浮躁で汲々として禄食を求取する人を喩える。まさに賢を養う世の端緒にあたり、それは徳を修養して任用を待つことができず、かえって他人の享受を羨み、躁急に追求する。自分の本来有する明德を抛くに等しく、貪求窃取の浮躁の所業を為す。ゆえに凶。
六二顛頤,拂經,于丘頤,征凶者。顛,倒也,謂倒下養初也;拂,違也;經猶義也;丘,所履之常。凢頤養之道,只合以下養上。今既倒下養初,即是違於經義所履之常,以此而養,所行必凶,故曰頤征凶也。
六二の爻辞「顛頤、拂経、于丘頤、征凶」。「顛」は顛倒で、反転して下へ向かい初九を養うことを指す。「拂」は違背、「経」は常理に相当し、「丘」は遵循すべき常道を指す。およそ頤養の道は、ただ下より上を養うべきである。いま六二は顛倒して下へ初九を養う。これは常理と守るべき常道に違背する。この方式で養育の事を行えば、所行は必ず凶。ゆえに往けば凶と言う。
六三拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利者。頤養之體,貴於守正。今六三以陰居陽,是納上以謟媚也。既為謟行,違養之道,是正之凶矣。雖復十年,猶未可見用,故無施而利,故曰無攸利也。
六三の爻辞「拂頤、貞凶、十年勿用、无攸利」。頤養の道が最も重んずるのは正道を守ることである。いま六三は陰爻が陽位に居り、位に当たらず、諂媚に頼って上位を取悦するしかない。すでに諂諛の事を行い、頤養の正道に違背した以上、たとえ自守してもなお凶である。このような人は十年を過ごしてもまだ起用されない。ゆえに何をしても好処を得ない。よって「无攸利」と言う。
六四顛頤吉,虎視耽耽,其欲逐逐,無咎者。耽耽,威肅也;逐逐,敦實也。以上養下,所養賢人,故曰顛頤吉也。親德養賢也,不可以慢,必須威而不猛,如虎之視,近志逺,雖不怒而有威;又須寡慾少求,情志逐逐。修此二德,是頤養之美,故無咎也。
六四の爻辞「顛頤吉、虎視眈眈、其欲逐逐、无咎」。「眈眈」は威厳粛穆のさま、「逐逐」は敦厚篤実のさまである。六四は上の者の身分をもって下の者を養育し、養育されるのはまた賢人である。ゆえに顛頤して吉と言う。徳ある人に親近し賢才を養育するには、態度を怠慢にしてはならない。必ず威あって猛ならず、虎が獲物を注視するがごとく、目光は近くに落ちて志は遠くにあり、怒らずして威儀がある。同時に寡欲少求で心志は敦厚篤実でなければならない。この二つの徳性を修成できれば、まさに頤養の道の美善である。ゆえに咎なし。
六五拂經,居貞吉,不可涉大川者。以陰居陽而位不正,是違經義。若居之能守貞正即吉。以不正之身而處尊位,故不利涉大川也。
六五の爻辞「拂経、居貞吉、不可渉大川」。六五は陰爻が陽位に居り、位置が正しくなく、よって常理に違背する。ただそれが本位を安守し貞正を持守できれば、吉利を獲られる。しかし位の正しからざる身をもって尊位を占めるので、力は終に足らず、大河を渡り険を渉って事を行うに宜しくない。
上九由頤,厲吉,利涉大川者。四陰皆宗歸上,莫不由上九而養之,故曰由頤也。為眾陰之主,又非其尊位,不可以慢,故嚴厲乃得吉,故曰厲吉。為眾之主,既能嚴正,即物不敢違,故利涉大川也。
上九の爻辞「由頤、厲吉、利渉大川」。四つの陰爻がみな上九を尊奉し帰附し、上九によって養を得ない者がない。ゆえに天下がみなそれによって養を得ると言う。それは衆陰の主宰だが、居る所は九五のような尊位ではない。よってなおさら怠慢に自処してはならず、厳粛に自持して初めて吉利を得る。ゆえに「厲吉」と言う。それがすでに衆人の主宰を為しかつ厳正に自守できるので、万物は敢えて違逆しない。ゆえに大河を渡るに宜しい。
大過卦(巽下兌上)
巽下兌上。大過:棟橈,利有攸往,亨。彖曰:大過,大者過也。棟橈,本末弱也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。大過之時大矣哉。象曰:澤滅木,大過。君子以獨立不懼,遁世無悶。
大過卦は下卦が巽、上卦が兌で、四陽が中に居り初上の両爻がみな陰で、陽が盛んで陰が弱く、過ぎる者が大きい。ゆえに大過と名づける。卦辞は言う、大過は、屋梁が撓む、往くところあるに宜しく、亨通、と。《彖伝》は言う、大過は、陽の大なる者が常度を超えた。「棟撓」は、初爻と上爻の頭尾がみな柔弱に過ぎるからである。陽剛は過盛ながら九二九五が中を守り、遜順かつ和悦に行う。ゆえに往くところあるに宜しく、亨通しうる。大過の処する時勢の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、沢水が樹木を淹没する、これが大過である、君子はこれに法り、卓然として独立し畏懼せず、世を避け隠遁して心中に煩悶なし、と。
初六,藉用白茅,無咎。象曰:藉用白茅,柔在下也。九二,枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。象曰:老夫女妻,過以相與也。九三,棟橈,凶。象曰:棟橈之凶,不可以有輔也。九四,棟隆,吉,有它吝。象曰:棟隆之吉,不撓乎下也。九五,枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。象曰:枯楊生華,何可乆也;老婦士夫,亦可醜也。上六,過涉滅頂,凶,無咎。象曰:過涉之凶,不可咎也。
初六の爻辞、潔白の茅草を衬墊とする、咎なし。《小象伝》は言う、白茅を衬墊とするは、柔順の者が最下位に処るからだ、と。九二の爻辞、枯れた楊が改めて嫩芽を生じ、年老いた男子が若い妻を娶る、利しないことなし。《小象伝》は言う、老夫が少妻は、過分の方式で互相結合するからだ、と。九三の爻辞、屋梁が撓む、凶。《小象伝》は言う、棟撓の凶は、有効な輔助を得られないからだ、と。九四の爻辞、屋梁が隆起する、吉利、別に牽係あれば憾惜。《小象伝》は言う、棟隆の吉は、下に向かい撓まないからだ、と。九五の爻辞、枯れた楊が花を開く、年老いた婦人が若い男子に嫁ぐ、咎もなく誉もなし。《小象伝》は言う、枯楊が花を生ずる、どうして久しくあらんや、老婦が少夫に配るも、また可羞だ、と。上六の爻辞、渉ること深くして水が頭頂を淹す、凶、ただし責められるべきことはない。《小象伝》は言う、過渉の凶は、彼に帰咎してはならない、と。
大過者,謂過越也。衰亂之世,德大之人過越常分,以拯患難,故曰大過也。棟橈者,棟謂屋棟也,橈,弱也,曲也,衰亂之世,始終皆弱也。利有攸往亨者,謂德大之人挺身救難,維持叔世,往必亨通。
いわゆる「大過」は、常度を超越することを指す。衰敗混乱の時世にあって、徳行宏大の人が常人の本分を超出して身を挺し、患難を拯救する。ゆえに大過と言う。「棟撓」の「棟」は屋の正梁を指し、「撓」は柔弱・彎曲である。これは衰乱の世で、頭尾両端がみな軟弱なことを言う。「利有攸往、亨」は、徳行宏大の人が身を挺して危難を解救し、この末世を支え持つので、往って事を行えば必ず亨通すると言う。
象曰:澤滅木,大過者。滅,沒也;澤,水也。如水泛溢,以至沒木,亦如小人過越常分也。君子以獨立不懼,遁世無悶者。此論國之大柄,故先儒於此不敢梗概而言也。謂君子欲有救難之心,卓爾獨立,無所憂懼;不然逃遁避世,而心無憂悶也。
《大象伝》の言う「沢滅木、大過」――「滅」は淹没、「沢」は水を指す。ちょうど大水が泛濫漫溢し、樹木を淹没するに至るがごとく、これはまた小人が常分を越えて肆意妄為するに似る。「君子以独立不懼、遯世无悶」は、ここで論じるのは国家の重大な権柄なので、先儒はここで敢えて粗略籠統の解説のみとしなかった。意は言う、君子がもし難を救う心を懐くなら、卓然として自立し憂懼する所なきべし、さもなくば干脆と逃遁避世し、内心にも煩悶を感じないべし、と。
初六藉用白茅,無咎者。以柔處下,苟能肅不怠,而用潔白之茅置羞於地,謹慎如此,雖遇大過之難,而亦無咎也。
初六の爻辞「藉用白茅、无咎」。それは陰柔の質をもって最下の位置に処り、厳粛恭敬にして懈怠せざるを得れば、潔白の茅草を衬墊とし、祭品を地上に置く。謹慎がこの地步に至れば、たとえ大過の世の患難に遭っても、咎はない。
九二枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利者。以陽處陰,是拯難之人,又無偏應而無私黨,猶如枯槁之楊,更生稊穗,所益乆也。衰老之夫,得其少妻,可有後嗣也。救難既多,所濟廣,故無所不利也。
九二の爻辞「枯楊生稊、老夫得其女妻、无不利」。九二は陽爻が陰位に居り、剛にして能く柔なり、まさに危難を拯救できる人である。それはまた偏私の正応がなく、よって党を結んで私を営まない。これはちょうど枯乾した楊が改めて嫩芽を抽出し、得るところの益が長久であるがごとし。またさよう、衰老の男子が若い妻を娶れば、なお後嗣を生育しうるがごとし。それが拯救する患難はすでに多く、済助する範囲もまた広い。ゆえに利しないことなし。
九三棟橈凶者。以陽處陽,不能拯救危難,又應於上,有偏繫之心,故棟折榱崩而致凶也。九四棟隆吉,有它吝者。以陽處陰,猶有救難之心,故棟得隆起也。獨應於初,心不廣,救難褊狹,故有它吝。
九三の爻辞「棟撓、凶」。九三は陽爻が陽位に居り、剛に剛を加えて危難を救助できない。それはまた上六と相応し、心中に偏私牽掛を存する。ゆえに屋梁が折れ椽子が崩れるがごとく凶を招く。九四の爻辞「棟隆、吉、有它吝」。九四は陽爻が陰位に居り、剛の中に柔を帯び、なお難を救う心を存する。ゆえに屋梁が隆起して下に曲がらない。しかしそれは単に初六と相応し、心胸が十分に広くなく、難を救う範囲が褊狭である。ゆえに別に牽係あって憾惜を生ずる。
九五枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽者。以陽居陽,不能拯救衰難,以其居尊,未即橈弱,猶如枯槁之楊,雖復生華,尋見衰落。亦猶衰老之婦而得少壯之夫,即不能有益也。以其處得尊位,才得免咎而已,既不能拯救於人,故無聲譽之美,故曰無咎無譽也。
九五の爻辞「枯楊生華、老婦得其士夫、无咎无誉」。九五は陽爻が陽位に居り、剛であれど済する力なく、衰乱の危難を拯救できない。ただ尊位に居るので、一時は折損軟弱に至らず、ちょうど枯乾した楊が花を開いても、瞬く間に凋落するがごとし。これはまた、衰老の婦人が若く力壮な夫を得ても、終に増益がないに似る。その尊位に処るをもって、辛うじて咎を免れるのみである。すでに人を拯救できない以上、声名讃誉の美を得ることもない。ゆえに咎もなく誉もなしと言う。
上六過涉滅頂,凶,無咎者。處大過之極,是救難過甚,遂滅頂也。為救時之苦,身至亡,深可哀而嗟之,又何有咎也。
上六の爻辞「過渉滅頂、凶、无咎」。それは大過の極点に処り、難を救うに過ぎて、水を渡る時頭頂まで淹されたに至る。時世の苦難を救わんとして自身の犠牲に至った。これは実に深く哀悼嘆惜すべきことで、どうして彼に咎を帰せられようか。
坎卦(坎下坎上)
坎下坎上。坎:有孚維心亨,行有尚。彖曰:習坎,重險也。水流而不盈,行險而不失其信。維心亨,乃以剛中也。行有尚,往有功也。天險不可升也,地險山川丘陵也,王公設險以守其國,險之時用大矣哉。象曰:水洊至,習坎。君子以常德行,習教事。
坎卦は上下両体がともに坎で、坎は水・険で、重険が相畳する。ゆえに習坎と名づける。卦辞は言う、坎は、心中に誠信を存しよって亨通し、行動は崇尚を受ける、と。《彖伝》は言う、習坎は、重なる険難である。水は流動して停滞盈満せず、険境を行きながら自分の信実を失わない。「維心亨」は、九二・九五の陽剛が中に居るからである。「行有尚」は、往けば必ず功あると言う。天の険は、高くして攀じがたいこと、地の険は、山川丘陵である。王公は険固の城池を設けて国家を守衛する。険というものは時に因って用いる、その意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、水が一波接一波に湧き来る、これが習坎である、君子はこれに法り、徳行を恒常に保ち、教化の事を反復演習する、と。
初六,習坎,入于坎窞,凶。象曰:習坎入坎,失道凶也。九二,坎有險,求小得。象曰:求小得,未出中也。六三,來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用。象曰:來之坎坎,終無功也。六四,樽酒簋貳,用缶,納約自牖,終無咎。象曰:樽酒簋貳,剛柔際也。九五,坎不盈,祗既平,無咎。象曰:坎不盈,中未大也。上六,係用徽纆,置于叢棘,三歲不得,凶。象曰:上六失道,凶三歲也。
初六の爻辞、重険の中に身を処り、また坎底の小洞に落ち込む、凶。《小象伝》は言う、習坎してまた坑中に落るは、正道を失って凶に至る、と。九二の爻辞、坎中に確かに険難あり、小さな収穫を求めるのみ。《小象伝》は言う、小さな得を求めるのみなのは、まだ険中より出ていないからだ、と。六三の爻辞、来るも坎、去るも坎、危険でありかつ安枕できず、坎底の深洞に落ち込む、有所作为すべからず。《小象伝》は言う、来去ともに坎なのは、終に功なし、と。六四の爻辞、一樽の酒、二簋の飯を瓦缶に盛り、窓よりこの簡約の礼を納れ入る、終に咎なし。《小象伝》は言う、樽酒簋貳は、剛爻と柔爻の交接相亲だ、と。九五の爻辞、坎中の水がまだ盈満せず、地面と斉平に至れば咎なし。《小象伝》は言う、坎が盈まざるは、居中の徳がまだ広大でないからだ、と。上六の爻辞、繩索で捆縛し、荊棘の叢中に関し込め、三年しても出られない、凶。《小象伝》は言う、上六が正道を失い、三年の久しきにわたり凶となる、と。
習坎者,習為便習也。坎,險陷也。夫險難之事,非經便習,不可以行,故加習坎之字。
卦名「習坎」――「習」は熟練練習の意、「坎」は険阻坑陥である。およそ険難の事に対応するには、反復演練して熟練しなければ、施行できない。ゆえに「坎」の字の上に「習」の字を加えた。
有孚維心亨者。維於險難之中而有剛中之質,故其孚信維繫於心,所以通也。行有尚者,內心剛正信實不失,以此而行,人所尊尚也。
「有孚維心亨」。それは重なる険難の中に身を陥れながら、陽剛居中の品質を具備する。ゆえにその誠信は終始心中に維繫し、よって通達できる。「行有尚」は、内心が剛正で信実を失わず、このような品質をもって行動すれば、自ずと人に推崇尊尚されると言う。
象曰:水洊至,習坎者。洊,因仍也。雨水因仍相洊而至,故重險。君子以常德行,習教事者。王君云:至險未夷,教不可廢。維處險難之中,以恆常德行,習修政教之事。故莊氏云:雖處急難之時,道教豈可忘哉是也。
《大象伝》の言う「水洊至、習坎」――「洊」は連接相因の意である。雨水が一場接一場に相続して来る。ゆえに重なる険難を成す。「君子以常徳行、習教事」は、王氏は言う、極めて大きな険難がまだ平定されない中、教化は廃してはならない、と。これは険難の中に身を処りながら、なお恒常不変の徳行を保ち、政教の事を反復研習修治するを言う。ゆえに荘氏は言う、危急艱難の時に処しても、道義と教化をどうして忘れられようか、まさにこの意である、と。
初六習坎,入于坎窞凶者。習坎猶其始習險事。窞,坎底也。處坎之無人救援,失道而窮,所以凶也。
初六の爻辞「習坎、入于坎窞、凶」。「習坎」はここではそれがちょうど険難の事に接触し始めたと言うに等しい。「窞」は坎の最底部である。それは坎険の最下方に処り救援する人がなく、正道を失い走投無路である。ゆえに凶。(底本「處坎之」の下に一「初」字を脱した疑いあり、いま照録して補わない。)
九二坎有險,求小得者。實德無應,猶處險中,故曰坎有險也。與初三相近,緣初三陰柔,皆是小人,不足以為大援,故只可求小得也。
九二の爻辞「坎有険、求小得」。それは陽剛実徳があるが、相応の爻がなく、依然として険境の中に陥っている。ゆえに坎中に確かに険難ありと言う。それは初六・六三と上下に緊鄰するが、初六と六三はみな陰柔の爻で、小人の一流に属し、強大な援助とするに足らない。ゆえに小さな収穫を求めるのみできる。
六三來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用者。位既不正,又居兩坎之間,來之與往,皆入於坎,故曰來之坎坎也。枕者,不安之貎。出即無應,居又不安,故曰險且枕也。往來皆危,入於坎底,故曰入于坎窞也。失位無應,雖復往來,徒勞而已,故曰勿用也。
六三の爻辞「来之坎坎、険且枕、入于坎窞、勿用」。六三は陰爻が陽位に居り、位置が正しくなく、またちょうど上下二つの坎体の間に挟まれる。退いて来るにしろ行き渡るにしろ、坎の中に落ち込む。ゆえに来去ともに坎と言う。「枕」は安臥できないさま。出て行けば応援がなく、留まれば不安穏である。ゆえに危険でありかつ安枕できずと言う。往来ともに危途で、終に坎の最底部に落ち込む。ゆえに「入于坎窞」と言う。それは位を失い応もないので、たとえ来回奔走しても、ただ徒労である。ゆえに有所作为すべからずと言う。
六四樽酒簋貳,用缶,納約自牖,終無咎者。以柔得位,上奉於君,君臣相親,時明信顯著。雖復一樽之酒、二簋之食,而用瓦缶,為此儉約,進獻於牖,明徳惟馨,故終無咎也。
六四の爻辞「樽酒簋貳、用缶、納約自牖、終无咎」。六四は陰爻が陰位に居り位を得、上に九五の君に奉事し、君臣彼此親近し、この時誠信は明白顕著である。ゆえにたとえ一樽の酒、二簋の飯、しかも瓦缶で盛った、このように倹朴簡約なものを窓より送り入れても、依然として貴い。まさに《尚書》の言うように、光明の徳こそ真の芬芳である。ゆえに終に咎なし。
九五坎不盈,祗既平,無咎者。獨陷難中而無救助,是無匡弼之臣,故曰坎不盈也。身處尊位,不可安然,必須釋難濟時,使天下安平,乃得無咎。故書云:其爾萬方有罪,在予一人是也。
九五の爻辞「坎不盈、祗既平、无咎」。九五は独り険難の中に陥り救助する人がなく、それは身辺に匡正輔弼する賢臣がないことを説明する。ゆえに坎中の水がまだ盈満しないと言う。それは尊位に身を居し、安然として動かないことはできない。必ず危難を解除し時局を拯済し、天下を安定平順に帰さなければならない。こうすれば咎がない。ゆえに《尚書》は言う、汝ら万方の百姓に罪過あらば、責任はみな予一人に在り、まさにこの意である、と。
上六係用徽纆,置于叢棘,三歲不得凶者。徽纆猶墨索也。上六處險之極,即是犯於嚴法之人,遂乃以徽墨之繩而繫之,置于叢棘之中,令其思過矣。虞氏云:以置九棘,取改過自新,故曰係用徽纆,置于叢棘也。若置之九棘之中,而不能改過自新,必致罪咎,故曰三歲不得凶也。
上六の爻辞「繫用徽纆、置于叢棘、三歳不得、凶」。「徽纆」は捆縛に用いる繩索である。上六は険難の極点に処り、まさに厳刑峻法に触犯する人である。ここにおいて繩索で彼を捆縛し、荊棘の叢中に関し、彼に自分の過失を反省させる。虞翻は言う、犯人を九棘の下に安置するは、彼に改過自新させる意を取る、ゆえに繩索で捆縛し荊棘の叢中に関すと言う、と。もし九棘の中に関されてなお改過自新できなければ、必ず罪罰を招く。ゆえに三年しても出られない、凶と言う。
離卦(離下離上)
離下離上。離:利貞,亨,畜牝牛吉。彖曰:離,麗也。日月麗乎天,百榖草木麗乎土,重明以麗乎正,乃化成天下。柔麗乎中正,故亨,是以畜牝牛吉也。象曰:明兩作,離。大人以繼明照于四方。
離卦は上下両体がともに離で、離は火・日・明で、その義は附麗である。ゆえに離と名づける。卦辞は言う、離は、正を守るに宜しく、亨通、母牛を畜養すれば吉利、と。《彖伝》は言う、「離」は附着である。日月は天に附麗し、百穀草木は土地に附麗し、上下二重の光明が正道に附麗すれば、教化して天下を成就できる。六二・六五という柔爻が中正の位に附麗するので亨通し、よって母牛を畜養すれば吉利となる。《大象伝》は言う、光明が相連して興る、これが離である、大人はこれに法り、光明を相継ぎ絶えずして四方を照臨する、と。
初九,履錯然,敬之無咎。象曰:履錯之敬,以辟咎也。六二,黃離,元吉。象曰:黃離元吉,得中道也。九三,日昃之離,不鼔缶而歌,則大耋之嗟,凶。象曰:日昃之離,何可乆也。九四,突如其來如,焚如,死如,棄如。象曰:突如其來如,無所容也。六五,出涕沱若,戚嗟若,吉。象曰:六五之吉,離王公也。上九,王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎。象曰:王用出征,以正邦也。
初九の爻辞、歩みが錯雑して安んぜず、恭敬に対すれば咎なし。《小象伝》は言う、歩みが錯雑して心に恭敬を懐くは、咎を避けるためだ、と。六二の爻辞、中正の黄色に附麗する、大いに吉利。《小象伝》は言う、黄離元吉は、中道を得たからだ、と。九三の爻辞、日が西に傾く時の光明、瓦缶を叩きて歌を歌い自楽しなければ、年老いて尽きゆくの悲嘆あり、凶。《小象伝》は言う、日がすでに西傾きの光明、どうしてまた長くあらんや、と。九四の爻辞、突然として闖来し、火の燃ゆるが如く、死するが如く、人に棄てられるが如し。《小象伝》は言う、突然として来るは、容れる所なし、と。六五の爻辞、涙が滂沱して下り、憂傷嘆息する、吉利。《小象伝》は言う、六五の吉は、王公の位に附麗するからだ、と。上九の爻辞、君王が兵を出して征伐する、首悪を斬獲する美功あり、捕獲するのは本族同類ではない、咎なし。《小象伝》は言う、王が出征するは、邦国を端正するためだ、と。
離利貞亨者。離,麗也,柔著於中正。柔而處中,恐陷邪謟,邪謟則不獲亨通,故須利貞正後乃得通,故利貞亨。麗猶著也,如出著於物也。
卦辞「離、利貞、亨」。「離」は附麗で、柔爻が中正の位に附着することを指す。ただ柔順にして中に居るも、邪僻諂媚に流れることがあり、一旦邪僻諂媚となれば亨通を得られない。ゆえにまず貞正を守り、然る後に通達を得なければならない。よって正を守るに宜しくして後に亨通すると言う。「麗」は附着で、ちょうど事物が顕現する時常に他のものに依附するがごとし。
畜牝牛吉者。畜,養也。牛者外強內順,然離之為體,故不可養剛猛之物,則可畜養牝牛。牛者順從之物,而又牝焉。
「畜牝牛吉」。「畜」は畜養である。牛という動物は外表が強壮で内性は柔順である。しかし離卦の体性は柔麗を主とする。ゆえに剛強凶猛の物を畜養してはならず、母牛を畜養するに適する。牛はもともと馴順の動物で、まして母牛ならば、なおさら柔順である。
象曰:明兩作,離者。上下重明相照,故云明兩作離也。故東宮有重明門,欲令太子續於明也。大人以繼明照于四方者,繼明猶緝熙之義。
《大象伝》の言う「明両作、離」――上下二つの離体が重畳し、光明が彼此照映する。ゆえに光明が相連して興り離卦を成すと言う。これによって皇太子の居する東宮に「重明門」を設け、太子に君父の光明を承継させようとする意を取った。「大人以継明照于四方」の「継明」は《詩経》の言う「緝熙」に相当する――光明が持続不断に積聚し照耀する意である。
初九履錯然,敬之無咎者。履而錯然,謂不安之貎也。初九處無位之地,心常不安,常慮危害,若能恭敬為本,以避於害,即得無咎,故曰敬之無咎也。
初九の爻辞「履錯然、敬之无咎」。いわゆる「履錯然」は、歩みが交錯し心神が安まないさまである。初九は最も下、爵位なきの地に処り、心中常に安まず、時々危害を憂慮する。もしそれが恭敬を根本とし、この態度をもって禍害を避ければ、咎がない。ゆえに恭敬に対すれば咎なしと言う。
六二黃離元吉者。黃,中色也;離,文明也。得黃中之色,而又處文明,故復大吉也。
六二の爻辞「黄離、元吉」。「黄」は五色の中の中に居る正色、「離」は文采光明を代表する。六二はすでに黄という中の正色を得、また文明の体に身を処し下卦の中に居り、中正を兼ね備える。ゆえに大いに吉利。
九三日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶者。處下卦之上,如日昃之離。喻人中年以上,可委政於人,求已之樂,鼓缶而歌,樂天知命而已。若不知天命,獨親執政事,至於耋老嗟怨,無益,所以凶也。
九三の爻辞「日昃之離、不鼓缶而歌、則大耋之嗟、凶」。九三は下卦離の最上の爻に処り、ちょうど日が西に傾く時の余光のようである。これは人が中年以後に至れば、政事を他人に委託し、自ら閑適の楽を求め、瓦缶を叩きて歌い、天を楽しみ命を知ればよいことを喩える。もし天命を知らず、なお独り政務を把持して、年老いて力衰え空しく嗟嘆埋怨するに至れば、事に益なし。ゆえに凶。
九四突如其來如,焚如,死如,棄如者。三處下離已沒之際,四為上離始出之初,突如始出,忽然而來,故曰突如其來如。欲進炎而焚於君,故曰焚如。以臣害君,命必不全,故曰死如也。違於臣節,眾之所棄,故曰棄如也。
九四の爻辞「突如其来如、焚如、死如、棄如」。九三は下卦離がまさに沈没せんとする時に処り、九四は上卦離がちょうど升起した端緒である。それは突兀として冒し出て、忽然として至る。ゆえに「突如其来如」と言う。それは上に向かい火勢を蔓延させ君主を焚焼せんと欲する。ゆえに「焚如」と言う。臣属の身分をもって君主を謀害すれば、性命は必ず保てない。ゆえに「死如」と言う。それは臣たるの節操に違背し、衆人に唾棄される。ゆえに「棄如」と言う。
六五出涕沱若,戚嗟若,吉者。陰居陽位,不勝所履。四為逆首,欲來害己,若其出涕沱憂,戚嗟如此,戒懼為眾所助,乃得吉也。
六五の爻辞「出涕沱若、戚嗟若、吉」。六五は陰爻が陽位に居り、自分の処する尊位を担えない。九四は叛逆の首悪で、まさに上り来てそれに危害を加えんとする。この時それが痛哭流涕し憂傷嘆息できれば、このように戒懼不安となり、衆人の援助を得、よって吉利を獲る。
上九王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎者。處離之極,離道已盛,則須除其非類,以去民害,故王用出征伐,必有嘉美之功,折斷罪人之首。獲得非類者,始可免咎。以處窮極之地,當須去民之害,乃得無咎,故曰獲匪其醜無咎也。丑,類也。
上九の爻辞「王用出征、有嘉折首、獲匪其丑、无咎」。上九は離卦の極点に処り、光明の道はすでに極盛である。この時まさに自分と同類でない邪悪の徒を清除し、百姓のために害を除くべし。ゆえに君王が兵を出して征伐すれば、必ず美好の功勲を建て、罪魁の首級を斬断する。捕獲するのは必ずあの異類元凶であってこそ、咎を免れられる。それが窮極の地に身を処するので、必ず百姓のために禍害を除き、初めて咎がない。ゆえに「獲匪其丑、无咎」と言う。「丑」はここでは同類の意である。
周易口訣義巻第四・下経一(咸より益まで)
咸卦(艮下兌上)
下經一。艮下兌上。咸:亨,利貞,取女吉。彖曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與。止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平。觀其所感,而天地萬物之情可見矣。象曰:山上有澤,咸。君子以虛受人。
これは下経の第一巻である。咸卦は下卦が艮、上卦が兌で、艮は少男にして下に居り、兌は少女にして上に居り、二気が交感する。ゆえに咸と名づける。卦辞は言う、咸は、亨通、正を守るに宜しく、妻を娶れば吉利、と。《彖伝》は言う、「咸」は感応である。柔爻が上行し剛爻が下降し、陰陽二気が彼此感応して相与結合する。艮は止まり兌は悦び、男子が女子の下に身を降す。ゆえに亨通し正を守るに宜しく、妻を娶れば吉利となる。天地二気が相感じて万物が化育生長し、聖人が人心を感化して天下が和睦太平となる。各種の感応の理を観れば、天地万物の実情が見て取れる。《大象伝》は言う、山上に沢あり、これが咸である、君子はこれに法り、虚懐若谷にして他人を容納する、と。
初六,咸其拇。象曰:咸其拇,志在外也。六二,咸其腓,凶,居吉。象曰:雖凶居吉,順不害也。九三,咸其股,執其隨,往吝。象曰:咸其股,亦不處也;志在隨人,所執下也。咸至益。九四,貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思。象曰:貞吉悔亡,未感害也;憧憧往來,未光大也。九五,咸其脢,無悔。象曰:咸其脢,志末也。上六,咸其輔頰舌。象曰:咸其輔頰舌,滕口說也。
初六の爻辞、感応が脚の大拇趾に生ずる。《小象伝》は言う、拇趾に感ずるは、心志がすでに外を指向したからだ、と。六二の爻辞、感応が小腿肚に生ずる、凶、安居して動かなければ吉利。《小象伝》は言う、凶なれど居れば吉なのは、柔順で動かなければ害を受けないからだ、と。九三の爻辞、感応が大腿に生ずる、ひたすら執意して人に随いて行けば、往けば憾惜。《小象伝》は言う、股に感ずるは、それも安処できないのを見る、心志が人に追随するのみならば、執守する所は卑下に過ぎる、と。(ここの「咸至益」の三字は原書の巻内書眉の標目で、本巻が咸卦から益卦まで講じることを標明し、経文ではない。)九四の爻辞、正を守れば吉で悔恨が消える、心神が定まらず往来奔走すれば、お前が思う朋だけがお前に従う。《小象伝》は言う、貞吉悔亡は、まだ感応に害されていない、心神が定まらず往来するは、その道がまだ光大でないことを説明する、と。九五の爻辞、感応が背脊に生ずる、悔恨なし。《小象伝》は言う、脢背に感ずるは、心志がすでに末節に流れたからだ、と。上六の爻辞、感応が牙床・面頰と舌にのみ生ずる。《小象伝》は言う、輔頰舌に感ずるは、口舌の弁を逞しゅうするに過ぎない、と。
咸亨利貞者。咸,感也,感應也。以二氣交感,所以亨通。感應之道,必須以正,故曰利貞也。取女吉者,以艮兌俱是少,相配交感,感而又正,備禮乃行,即是婚取之善也。
卦辞「咸、亨、利貞」。「咸」は感、すなわち感応である。陰陽二気が交相感応するので、亨通できる。感応の道は必ず正道に依循しなければならない。ゆえに「利貞」と言う。「取女吉」は、艮が少男で兌が少女で、二者とも年少に属し、彼此相配して交感するので、すでに感応ありかつ正道に合い、礼数が斉備して後に婚娶を行う。これはまさに婚配の中で最も美善の情形である。
象曰:山上有澤,咸者。山體空虛,艮陽;澤性潤下,兌陰。山受澤潤,萬物以生,是相感之象也。君子以虛受人者,夫欲感人之心,懷來萬邦者,必須空虛其心,受納諸物,無所棄遺。何妥云:虛心受人,不閒不拒,即物來歸已,君子之志也。
《大象伝》の言う「山上有沢、咸」――山の形体は中が空虚で、艮は陽に属す。沢水の本性は下に向かい浸潤し、兌は陰に属す。山が沢水の滋潤を受け、万物はこれによって生長する。これはまさに彼此感応の形象である。「君子以虚受人」は、人心を感動させ四方万国を招来せんと欲する者は、必ず自分の心懐を空虚にし、万物を受納して遺棄する所なきべし、と言う。南朝の何妥は言う、虚心をもって人を受け、遮らず拒まずすれば、万物は自ずと来て己に帰す、これはまさに君子の志である、と。
初六咸其拇者。拇是足大指。初六處感之始,而應於四,喻體之中在於足指,相感微淺,故無吉凶悔吝也。
初六の爻辞「咸其拇」。「拇」は脚の大拇趾である。初六は感応の端緒に処り、九四と相応する。人の身体に喩えれば、それは脚趾の位置に相当する。ゆえに彼此の感応はなお微弱浅薄である。よって爻辞は吉凶を言わず、悔吝をも言わない。
六二咸其腓,凶,居吉者。腓,膊腸也。腓體動躁,或屈或伸,不能安靜。若以躁感物,必致凶災;若靜而相感,即懷吉慶,故曰咸其腓,凶居吉。
六二の爻辞「咸其腓、凶、居吉」。「腓」は小腿肚である。小腿という部位は動いて浮躁を好み、ある時は屈しある時は伸び、安静できない。もしこの浮躁の方式で外物に感応すれば、必ず凶災を招く。もし安静下来て彼此感応すれば、吉慶を獲られる。ゆえに小腿に感ずれば凶、安居して動かなければ吉と言う。
九三咸其股,執其隨,往吝者。股,腿也;隨謂足。九三漸進於腿之間,股之為體,動靜不能自處,常執隨其足。股非動躁之物,而強抑其情。譬之於人,自無特操卓然獨處,而乃隨從於人,是所執卑劣,以斯而行,必招恨辱,故曰往吝也。
九三の爻辞「咸其股、執其随、往吝」。「股」は大腿で、「随」は脚を指す。九三の位置はすでに大腿の段に上昇した。大腿という部位は、動くにも静めるにも自主できず、常に執意して脚に随いて行く。大腿はもともと動き浮躁を好む物ではないのに、迫られて自分の本性を抑えて人に随い行動する。人に喩えれば、自分に特立独行の操守がなく、かえって一味に他人に追随するので、執守する所は実に卑下低劣である。これに照らして行えば、必ず怨恨屈辱を招く。ゆえに往けば憾惜と言う。
九四貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思者。以陽居陰,邪僻相感,患必生焉,故須貞正獲吉,憂悔乃亡,故云貞吉悔亡也。憧憧,往來之貌。夫相感之道,固當修徳安處其位,使物自來,即朋黨從爾所思,斯未為光大,故小象云未光大也。
九四の爻辞「貞吉悔亡、憧憧往来、朋従爾思」。九四は陽爻が陰位に居り、もし邪僻不正の方式で人と感応すれば、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに必ず貞正を守持して初めて吉利を得、憂慮悔恨が消える。よって「貞吉悔亡」と言う。「憧憧」は往来不定のさまである。感応の道は、本来徳性を修養し自分の位置に安守し、外物を自然に来らしめるべきである。いま奔走して求取すれば、結果はお前の心に思う同党のみがお前に従って来るに過ぎず、これは光明博大と算えない。ゆえに《小象伝》はそれを「未光大」と言う。
九五咸其脢,無悔者。脢,背脊也。夫感應之道,貴乎心實。今九五所感在於脢,明其非在衷心,薄於交義,故但無悔而已。脢亦心之上、口之下也。
九五の爻辞「咸其脢、无悔」。「脢」は背脊である。感応の道の貴ぶ所は内心の真実にある。いま九五が感応する部位は背脊にあり、それは内心深処から発するのではなく、交感の義において淡薄であることを説明する。ゆえにただ悔恨がないのみである。「脢」という部位は、また心の上方、口の下方にある。
上六咸其輔頰舌。輔頰是言語之具。上六咸道之末,所感在於口舌頰頷之間,不能以心相感,但滕達口舌傳說而已,故小象云滕口說也。
上六の爻辞「咸其輔頰舌」。牙床と面頰は言語を発する器官である。上六は感応の道の末梢に処り、感応する所は口舌頰頷の間にのみあり、真心をもって相感じることができず、ただ口舌に拠って言論を伝揚するのみである。ゆえに《小象伝》はそれを口舌の説を騰達するに過ぎないと言う。
恒卦(巽下震上)
巽下震上。恆:亨,無咎,利貞,利有攸往。彖曰:恆,久也。剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。恆亨無咎利貞,久於其道也。天地之道,恆久而不已也。利有攸往,終則有始也。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成。觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。象曰:雷風,恆。君子以立不易方。
恒卦は下卦が巽、上卦が震で、雷が動き風が行き、二者が相与して息まない。ゆえに恒と名づける。卦辞は言う、恒は、亨通、咎なし、正を守るに宜しく、往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、「恒」は長久である。剛爻が上にあり柔爻が下にあり、雷と風が互相助益し、遜順でありかつ行動でき、剛柔の各爻がみな彼此相応する、これが恒である。恒が亨通し咎なく正を守るに宜しきは、長久に正道を行えるからである。天地の法則は、恒久に運行して已まないことである。「利有攸往」は、一つの終結がすなわち別の一つの開始だからである。日月は天道に依循して長久に照耀でき、四時は不断に変化して長久に万物を成就でき、聖人は長久にその道を奉行して天下が教化されて成る。これら恒久の理を観れば、天地万物の実情が見て取れる。《大象伝》は言う、雷と風が相薄する、これが恒である、君子はこれに法り、身を立て世に処して自分の方向を改変しない、と。
初六,浚恆,貞凶,無攸利。象曰:浚恆之凶,始求深也。九二,悔亡。象曰:九二悔亡,能久中也。九三,不恆其徳,或承之羞,貞吝。象曰:不恆其徳,無所容也。九四,田無禽。象曰:久非其位,安得禽也。六五,恆其徳貞,婦人吉,夫子凶。象曰:婦人貞吉,從一而終也;夫子制義,從婦凶也。上六,振恆,凶。象曰:振恆在上,大無功也。
初六の爻辞、初めより深を求め久を求める、正を守っても凶、得るところの利なし。《小象伝》は言う、浚恒の凶は、初めに求めが深すぎるからだ、と。九二の爻辞、悔恨が消える。《小象伝》は言う、九二が悔亡するは、長久に中道を守れるからだ、と。九三の爻辞、自分の徳行を恒守できず、時にこれによって羞辱を蒙る、自ら正と思っても憾惜あり。《小象伝》は言う、その徳を恒守しなければ、容身の処なし、と。九四の爻辞、猟に出て禽獣を獲られない。《小象伝》は言う、長久に自分のものでない位置に居れば、どうして禽獣を猟得できようか、と。六五の爻辞、自分の徳行を恒守して固執して変えず、婦人がこうすれば吉利、男子がこうすれば凶。《小象伝》は言う、婦人が正を守り吉なのは、一に従って終る、男子は義に依って事を裁断すべきで、一味に婦人の道に従えば凶だ、と。上六の爻辞、躁動安んぜず恒を求める、凶。《小象伝》は言う、振恒して上位に居るは、全く功効を得られない、と。
恆亨者,恆,久也。恆久之道,所貴變通,不能變通,無由長久。故繫辭云:易窮則變,變則通,通則久是也。
卦辞「恒、亨」。「恒」は長久である。長久の道の最も貴ぶ所は変化通達できることにある。変通できなければ、長久に至る由がない。ゆえに《繋辞伝》は言う、易の道は窮まれば変を要し、変すれば通じ、通じれば久しきを得る、まさにこの意である、と。
無咎利貞,利有攸往者。恆而亨,以濟三事也。謂旣變通即無咎過,故利以修正,正道既行,即何往不利也。
「无咎、利貞、利有攸往」。恒久にして亨通できることによって、以下の三つの事を成就できる。すでに変化通達できれば咎過がない。ゆえに正道を修養するに宜しい。正道が一旦施行され開かれれば、どこへ往っても利せざることがあろうか。
象曰:雷風,恆。先儒皆云:雷資風而益逺,風假雷以增威。故君子以立不易方者,方,道也。言君子立身修行,舉事合宜,不移其道,宜於世俗也。
《大象伝》の言う「雷風、恒」――先儒はみな言う、雷は風勢を借りてさらに遠く伝わり、風は雷威を仮りてさらに声勢を増す。両者は相輔相成するので、恒久已まずとできる。「君子以立不易方」の「方」は道である。君子が身を立て徳を修め、事を挙げて合宜であり、自ら守る道を改変しないので、長久に世間に適用しうると言う。
初六浚恆,貞凶,無攸利者。浚,深也。初六處恆之始,即合漸漸以求於恆,而乃浚然使深,深為恆是凶。正害徳,無施而利,故貞凶無攸利也。
初六の爻辞「浚恒、貞凶、无攸利」。「浚」は深掘り・深を求むである。初六は恒道の端緒に処り、本来循序漸進して恒久を求めるべきところ、それは一上来より深掘り窮究し、一味に深を求めて恒久の道とする。これは凶である。このようにしてかえって正徳を傷つけ、何をしても好処を得ない。ゆえに正を守っても凶、得るところの利なしと言う。
九二悔亡。以陽居陰,位旣不正,所以有悔;守其謙道,所以悔亡也。
九二の爻辞「悔亡」。それは陽爻が陰位に居り、位置は本来正しくない。ゆえに悔恨がある。しかしそれは謙遜の道を守り、また下卦の中に居る。ゆえに悔恨が消除できる。
九三不恆其徳,或承之羞,貞吝者。居下卦之上,即是進慕高位;處上卦之下,又欲靜退自守。故不恆守其一徳,是執心不定,徳行無恆,即有恥辱至焉。以此為正,亦可賤矣,故貞吝也。
九三の爻辞「不恒其徳、或承之羞、貞吝」。それは下卦の最上の爻に居り、よって向上して高位を慕う心があり、同時に上卦の最下に貼り、静退して自守しようとも欲する。ゆえにそれは一貫の徳性を恒久に守ることができない。これは心志が揺摆不定である。徳行に恒常がなければ、耻辱が随って至る。この態度をもって自ら正と思うも、実に鄙すべきである。ゆえに「貞吝」と言う。
九四田無禽者,畋獵也;禽喻有功也。處恆之時,位既不正,即是田獵無所獲,喻有事而無功也。
九四の爻辞「田无禽」。「田」は田猟で、「禽」は功効を喩えるのに用いる。九四は恒久を講ずる時世に処り、居る位がまた正当でない。ちょうど猟に出ても一獲もないがごとく、所為あれど功効を収められないを喩える。
六五恆其徳貞,婦人吉,夫子凶。處恆之時而得尊位,當須普親天下,而乃專志在二,即是執守一徳,故曰恆其徳貞也。既不能廣親賢徳,守一而已,斯乃婦人之道;若譬之丈夫,即致凶災,故夫子凶也。
六五の爻辞「恒其徳貞、婦人吉、夫子凶」。六五は恒久を講ずる時世に処り尊位を占める。本来広く天下の賢才に親近すべきところ、それは心志を六二一爻の身に専注する。これは一種の徳性を死守して変えぬことである。ゆえに「恒其徳貞」と言う。すでに広く徳ある人に親近できず、ただ一端を固守するのみは、これは婦人の循るべき道である。もし男子の立身の道をもって衡量すれば、このようにすれば凶災を招く。ゆえに男子がこうすれば凶と言う。
上六振恆凶者。振,躁動也。處夫動極,即合安靜無為無事而已,反以躁動求為,即有凶危及也。
上六の爻辞「振恒、凶」。「振」は躁動安まならざるである。それは震卦動の極点に処り、本来安静無為にして事端を生ぜずあるべきところ、いまかえって躁動の方式で所為を求取する。凶険危難がまさにその身に降臨せんとする。
遯卦(艮下乾上)
艮下乾上。遁:亨,小利貞。彖曰:遁亨,遁而亨也。剛當位而應,與時行也。小利貞,浸而長也。遁之時義大矣哉。象曰:天下有山,遁。君子以逺小人,不惡而嚴。
遯卦は下卦が艮、上卦が乾で、山が天に逼近するも天は高遠に退避し、二陰が下に生じて陽が上へ退く。ゆえに遯と名づける。卦辞は言う、遯は、亨通、やや正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、遯して亨しうるは、退避して初めて亨通を得るからである。九五の陽剛が正位に居り六二と相応し、時勢に随って行動できる。「小利貞」は、陰気がまさに漸々に増長するからである。遯卦の含む時機の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、天下に山有り、これが遯である、君子はこれに法り、小人に遠ざかり、憎悪を表さず威厳を自持する、と。
初六,遁尾,厲,勿用有攸往。象曰:遁尾之厲,不往何災也。六二,執之用黃牛之革,莫之勝說。象曰:執用黃牛,固志也。九三,係遁,有疾厲,畜臣妾吉。象曰:係遁之厲,有疾憊也;畜臣妾吉,不可大事也。九四,好遁,君子吉,小人否。象曰:君子好遁,小人否也。九五,嘉遁,貞吉。象曰:嘉遁貞吉,以正志也。上九,肥遁,無不利。象曰:肥遁無不利,無所疑也。
初六の爻辞、退避の時に最後に落ちる、危険あり、往くところあるに宜しくない。《小象伝》は言う、遯尾の危厲は、往かなければどこに災いかあらん、と。六二の爻辞、黄牛の皮繩でそれを捆り留める、誰も解き放てない。《小象伝》は言う、黄牛の革を用いて執するは、その心志を堅固にするからだ、と。九三の爻辞、退避したいが牽係あり、よって困頓危厲、奴僕侍妾を畜養するに用いれば吉利。《小象伝》は言う、繫遯の危厲は、疾患疲憊あり、臣妾を畜養すれば吉とは、それが大事を為しえないことを説明する、と。九四の爻辞、愛するところを割舍して退避できる、君子は吉利、小人はできない。《小象伝》は言う、君子は好遁できる、小人は否だ、と。九五の爻辞、美善に退避する、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、嘉遯して貞吉は、自分の心志を端正できるからだ、と。上九の爻辞、寛綽従容に退避する、利しないことなし。《小象伝》は言う、肥遯して不利なきは、心中に何の疑慮牽掛もないからだ、と。
遁亨者。遁是逃隠退避之名,諭小人道長,君子當退避而後可亨也。小利貞者,雖居小人道長之時,正道亦未全滅,亦可小利為正也。
卦辞「遯、亨」。「遯」は逃避隠居・退譲避開の名称で、小人の勢力がまさに増長し、君子は退避して然る後に亨通できることを説明するのに用いる。「小利貞」は、小人の得勢の時に身を処しても、正道はまだ完全に消滅していないので、なお小さな方面で正道を守持して獲益できると言う。
象曰:天下有山,遁者。積陽為天,積陰為地。山者,陰長之象。山勢漸長以逼於天,天性高逺,逼而不至,如天漸高避于山。君子之逺小人,不惡而嚴者,處小人道長之世,近之必致危害,故須逺避,不可與之為惡,又須莊敬嚴恭,自保其身也。
《大象伝》の言う「天下有山、遯」――陽気が積聚して天を成し、陰気が積聚して地を成す。山は陰気が増長する象徴である。山勢は日に長高して天に逼るが、天の本性は高遠で、山は逼るも終に届かない。ちょうど天が次第に高く升って山を避けるがごとし。「君子以遠小人、不悪而厳」は、小人の勢力が増長する時世に身を処し、彼らに近づけば必ず危害を招くので、必ず遠く避けなければならない。同時に彼らと怨を結び敵となってもならず、なお荘重恭敬・威儀厳整として、これによって自身を保全するを言う。
初六遁尾厲,勿用有攸往者。尾之為物,最在體後。處遁之時,眾皆逃遁,唯初六最在於後,即必被執獲,故致危厲。若能知尾為危,不如不往,即無災害,故曰勿用有攸往也。
初六の爻辞「遯尾、厲、勿用有攸往」。尾巴という部位は、身体の最後面に処る。まさに退避の時にあたり、衆人はみな逃遁する中、ただ初六は最後に落ち、必ず人に捕えられる。ゆえに危険を招く。もしそれが最後に落ちること自体が危険であると明白に知れば、それならむしろ動かないほうがよく、災害もない。ゆえに往くところあるに宜しくないと言う。
六二執之用黃牛之革,莫之勝說者。黃,中色也,以譬中和也;牛革即是牛皮,喻其厚順也。處逃遁之時,眾皆逃遁,唯六二得位守中,不肯逃遁,意欲率眾以安其處。何以勸勉之,必須用中和之道、厚順之徳,有此之善,人莫勝已,可脫免逃遁而去也。
六二の爻辞「執之用黄牛之革、莫之勝説」。「黄」は中に居る正色で、中和の道を喩えるのに用いる。「牛革」は牛皮で、厚重柔順を喩える。まさに逃遁の時にあたり、衆人はみな退避する中、ただ六二はすでに正位を得また中道を守り、逃げ去ることを肯んぜず、かえって衆人を率いて原地に安処させようと欲する。何によって衆人を勧勉するか。必ず中和の道と厚重柔順の徳に拠らなければならない。このような美徳を具備すれば、他人の誰も自分に勝る者がなく、よって逃げなければならない処境を脱免できる。
九三係遁,有疾厲,畜臣妾吉者。夫親暱小人,即為小人侵傷,故有疾憊危厲也。然親洽於二,雖得如似畜養臣妾,不可興建大事,故小象云不可大事也。
九三の爻辞「繫遯、有疾厲、畜臣妾吉」。およそ小人に親昵愛する者は、終に必ず小人に侵害される。ゆえに疾患困頓と危険がある。九三は六二と親密相処するが、この関係はたかだか奴僕侍妾を畜養するようなもので、まだ安穏と算えられるが、それに拠って大事を興弁することはできない。ゆえに《小象伝》は「不可大事」と言う。
九四好遁,君子吉,小人否者。有應在內,即情有所戀;身處於外,即志欲逺遁。若知幾君子,思慮危害,而能超然不顧所應而好遁避,即獲吉矣,故曰好遁君子吉。小人處此,情有所戀,不肯遁,故曰小人否。否是否臧之否也。
九四の爻辞「好遯、君子吉、小人否」。九四は内卦に初六と相応するものがあり、よって情感上に留戀するところがある。しかしそれ自身は外卦に処り、心志上は遠く退避したいと欲する。もし幾微を洞察できる君子であれば、留まることの危害を考慮して、超然として相応の爻を顧念せず毅然として退避できる。こうすれば吉利を獲る。ゆえに君子は愛するを割舍して退避すれば吉と言う。小人がこの位置に処れば、情感に留戀する所があり、退避を肯んじない。ゆえに「小人否」と言う――この「否」は「否臧」(善からず)の「否」である。
九五嘉遁貞吉者。嘉,美也。五居尊位,為遁之主,率正小人之志,以安於俗,不令遁散,故獲美善之吉也。
九五の爻辞「嘉遯、貞吉」。「嘉」は美善である。九五は尊位に身を居し、遯卦の主宰である。それは小人の心志を引導端正し、彼らを常道に安じさせ、人心を離散させない。ゆえに美善の吉利を獲る。
上九肥遁,無不利者。肥者,優饒之名。上九處遁之時,最居於外,內又無應,即無顧戀,超然高舉,不為小人所累,是逃遁之時而得優饒者也。既有如斯之徳,即無不利矣。
上九の爻辞「肥遯、无不利」。「肥」は寛綽富余の呼称である。上九は退避の時に処り、位置は最も外に寄り、内卦にはまた相応の爻がない。ゆえに留戀牽掛が全くなく、超然として遠挙でき、小人に累されない。これはまさに退避の世にあって従容寛裕たりうる人である。すでにこのような徳性を具備すれば、自ずと利しないことなし。
大壮卦(乾下震上)・底本は経文のみ存す
乾下震上。大壯:利貞。彖曰:大壯,大者壯也。剛以動,故壯。大壯利貞,大者正也。正大而天地之情可見矣。象曰:雷在天上,大壯。君子以非禮弗履。
大壮卦は下卦が乾、上卦が震で、雷が天上に響き、四陽が盛長する。ゆえに大壮と名づける。卦辞は言う、大壮は、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、大壮は、陽の大なる者が強盛である。剛健をもって行動するので強盛である。「大壮利貞」は、陽の大なる者は端正すべきことを言う。すでに正しくかつ大なれば、天地の実情が見て取れる。《大象伝》は言う、雷が天上にあり、これが大壮である、君子はこれに法り、礼に合わぬ事は一切行わない、と。(按:史徵に元あった大壮卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初九,壯于趾,征凶,有孚。象曰:壯于趾,其孚窮也。九二,貞吉。象曰:九二貞吉,以中也。九三,小人用壯,君子用罔,貞厲。羝羊觸藩,羸其角。象曰:小人用壯,君子罔也。九四,貞吉悔亡,藩決不羸,壯于大與之輹。象曰:藩決不羸,尚往也。六五,喪羊于易,無悔。象曰:喪羊于易,位不當也。上六,羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。象曰:不能退不能遂,不詳也;艱則吉,咎不長也。
初九の爻辞、強壮が脚趾に表れる、往けば凶、これは確実に信じられる。《小象伝》は言う、趾に壮んなるは、この確信は窮途に至るのみだ、と。九二の爻辞、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、九二が貞吉なのは、中に居るからだ、と。九三の爻辞、小人は強壮に凭恃し、君子は強壮を無物と視る、正を守っても危険である。羝羊が角で籬を觝けば、角が卡住する。《小象伝》は言う、小人は強に恃み、君子は若し無きがごとく視る、と。九四の爻辞、正を守れば吉利で悔恨が消える、籬を冲開すれば角が困られず、強壮が大車の車軸伏兎に表れる。《小象伝》は言う、籬を決して角が困られぬは、さらに往くべきだ、と。六五の爻辞、田畔で羊を失う、悔恨なし。《小象伝》は言う、易にて羊を喪うは、六五の居る位が当たらないからだ、と。上六の爻辞、羝羊が籬を觝きて、退くこともできず進み通ることもできず、得るところの利なし、艱難を守れば吉。《小象伝》は言う、退くことも進むこともできぬは、処置が周詳でない、艱難して後に吉なのは、咎が長くないからだ、と。
晋卦(坤下離上)・底本は経文のみ存す
坤下離上。晉:康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。彖曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。象曰:明出地上,晉。君子以自昭明徳。
晋卦は下卦が坤、上卦が離で、太陽が地面より升り出て、光明が日々に進む。ゆえに晋と名づける。卦辞は言う、晋は、邦国を安治する諸侯が衆多の車馬を賜り、一日のうちに三度接見を受ける、と。《彖伝》は言う、「晋」は前進である。光明が地面より升り出て、柔順にして大光明に附麗し、柔爻が上進して尊位に居る。ゆえに安国の侯伯が衆多の車馬を賜り、一日のうちに三度接見を受ける。《大象伝》は言う、光明が地上より升り出る、これが晋である、君子はこれに法り、自ら自分の美德を彰明する、と。(按:史徵に元あった晋卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初六,晉如摧如,貞吉,罔孚,裕無咎。象曰:晉如摧如,獨行正也;裕無咎,未受命也。六二,晉如愁如,貞吉,受茲介福于其王母。象曰:受茲介福,以中正也。六三,眾允,悔亡。象曰:眾允之志,上行也。九四,晉如鼫鼠,貞厲。象曰:鼫鼠貞厲,位不當也。六五,悔亡,失得勿恤,往吉,無不利。象曰:失得勿恤,往有慶也。上九,晉其角,維用伐邑,厲吉無咎,貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。
初六の爻辞、上進せんとして挫抑を受ける、正を守れば吉、信任されぬ時は寛裕して自処すれば咎なし。《小象伝》は言う、晋如摧如は、独り正道を堅持する、寛裕して咎なきは、まだ任命を受けていないからだ、と。六二の爻辞、上進して心に憂愁を懐く、正を守れば吉、王母より大福を受ける。《小象伝》は言う、この大福を受けるは、六二が中正だからだ、と。六三の爻辞、衆人の信従を得、悔恨が消える。《小象伝》は言う、衆人が信従する心志は、みな上に向かい進取する、と。九四の爻辞、上進するに貪婪な鼫鼠のごとし、正を守っても危険。《小象伝》は言う、鼫鼠して貞厲なのは、九四の居る位が当たらないからだ、と。六五の爻辞、悔恨が消え、得失を憂慮するなかれ、往けば吉利、利しないことなし。《小象伝》は言う、得失を計らざるは、往けば必ず福慶あり、と。上九の爻辞、上進が犄角の地步に至る、ただ自分の属邑を討伐するに用いるべし、危厲して後に吉、咎なし、ただこれを守るにも憾惜あり。《小象伝》は言う、属邑を討伐するのみできるは、その道がまだ光大でないことを説明する、と。
明夷卦(離下坤上)
離下坤上。明夷:利艱貞。彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。象曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。
明夷卦は下卦が離、上卦が坤で、光明が地中に沈み、明徳が傷つく。ゆえに明夷と名づける。卦辞は言う、明夷は、艱難の中で正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、光明が地中に入る、これが明夷である。内心に文明があり外表は柔順で、よって大患難を受けられる、周文王はこのようにした。「利艱貞」は、自分の光明を隠蔵するを要す。内部の患難に身を処しながら自分の心志を端正できた、箕子はこのようにした。《大象伝》は言う、光明が地中に入る、これが明夷である、君子はこれに法り、民衆を治めるに表面は鋒芒を収斂して内心は洞明である、と。
初九,明夷于飛,垂其翼,君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。象曰:君子于行,義不食也。六二,明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。象曰:六二之吉,順以則也。九三,明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。象曰:南狩之志,乃大得也。六四,入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。象曰:入于左腹,獲心意也。六五,箕子之明夷,利貞。象曰:箕子之貞,明不可息也。上六,不明晦,初登于天,後入于地。象曰:初登于天,照四國也;後入于地,失則也。
初九の爻辞、明夷の世に飛ぶ、自分の翼を垂す、君子が路上を奔走し、三日食事を得ない、往くところある時、主人になお責怪の言あり。《小象伝》は言う、君子が路上を奔走するは、義理に照らせば禄食を受けるべきでないからだ、と。六二の爻辞、明夷の時、左腿に傷を受けた、健壮的馬をもって救助すれば吉利。《小象伝》は言う、六二の吉は、柔順にして法則に合うからだ、と。九三の爻辞、明夷の時、南に向かい征討し、相手の首領を擒獲した、急ぎすぎてその帰正を求めてはならない。《小象伝》は言う、南征の心志は、終に大いに獲る所あり、と。六四の爻辞、左側の腹地に入り、明夷の君の心意を探り知り、門庭を出て行く。《小象伝》は言う、左腹に入るは、相手の心意を探り得たからだ、と。六五の爻辞、箕子のように明夷の世に処る、正を守るに宜しい。《小象伝》は言う、箕子の貞正は、光明が熄滅すべからざるを説明する、と。上六の爻辞、光を発せず一片に昏暗、初め天に登り、後に地に墜ちる。《小象伝》は言う、初め天に登るは、四方の国を照耀した、後に地に入るは、法則を失ったからだ、と。
明夷利艱貞者。夷,傷也。離為日,喻日入地中,傷明之象,故曰明夷。以人事明之,亦猶君在上,臣不敢顯其明徳,必須艱固為貞,又不可隨世傾邪,故曰利艱貞也。
卦辞「明夷、利艱貞」。「夷」は損傷である。離は太陽を象徴し、この卦は太陽が地下に落ちるを喩え、光明が損傷を受けた形象である。ゆえに明夷と言う。人事をもってこれを説明すれば、ちょうど昏君が上にあり、臣子が自分の光明的徳性を顕露することを敢えてせず、必ず艱難の中で堅定に正道を守持しなければならない。同時にまた流れに随い波に逐い、世の道に従い傾斜邪僻してはならない。ゆえに艱難の中で正を守るに宜しいと言う。
象曰:明入地中,明夷者。夫日之為道,即合升髙照耀,今在地中,傷其光耀之象。君子以蒞眾用晦而明者,蒞,臨也;晦,暗也。故君子當是時,以臨於眾,內懷明徳,外彰晦暗,無為無事,清淨不欺,閉智塞耀。故老子云:我無為而人自化是也。
《大象伝》の言う「明入地中、明夷」――太陽はその常道に照れば、本来高く升って大地を普照すべきところ、いま地下に沈む。これは光輝が損傷された形象である。「君子以莅衆、用晦而明」の「莅」は臨馭、「晦」は昏暗である。ゆえに君子はこのような時に処して衆人を治めるに、内心に光明の徳性を懐き、外表は昏昧不明を顕し、清浄無為にして事端を生ぜず、百姓を欺圧せず、自分の智巧を収斂し自分の鋒芒を掩う。ゆえに《老子》は言う、我無為にして人民自ずから化する、まさにこの理である、と。
初九明夷于飛,垂其翼,君子于行,三日不食,有攸往,主人有言者。上六以陰居上,是暗君之象。初九旣居無位之地,未食暗君之祿,可以逃避危難,不由軌路,如鳥之飛,故曰于飛。懷懼而行,以求隠翳,故曰垂其翼。雖處危懼,志存道義,故曰於行。切於逃難,飢不暇食,故曰三日不食。處危懼之時,與眾乖異,故主人有相疑之言,故曰有攸往主人有言也。
初九の爻辞「明夷于飛、垂其翼、君子于行、三日不食、有攸往、主人有言」。上六は陰爻をもって全卦の最上に居り、まさに昏君の象徴である。初九は最も下、爵位なきの地に処り、まだ昏君の俸禄を享けたことがない。よって危難を逃避できる。それは尋常の道路を行かず、ちょうど鳥が空に凌ぐがごとく飛び去る。ゆえに「于飛」と言う。それは恐懼を満懐して行き、隠蔽して身を蔵する所を探す。ゆえに翼を垂すと言う。危懼の中に身を処しながら、心志はなお道義に繋がる。ゆえに「于行」と言う。それは難を逃れるに急ぎ、飢えても食事に暇がない。ゆえに三日食せずと言う。危懼の時に処り、行事が衆人と異なる。よって主人がそれに猜疑の言語を持つ。ゆえに往けば主人に責怪の言ありと言う。
六二明夷,夷于左股,用拯馬壯吉者。左者,明所傷小也。左股被傷,猶得順而處位。六二以柔居中,不為剛猛之事,即不為暗主所疑,猶處其位,然後時進退,乃得隨時用拯馬而避之得吉也。
六二の爻辞「明夷、夷于左股、用拯馬壮、吉」。「左」と言うは、受けた損傷がなお比較的軽いことを表明する。左腿は傷ついたが、依然として柔順に自分の位置を守れる。六二は陰爻が陰位に居り下卦の中に処り、中でありかつ正しく、剛猛激烈の事を為さない。よって昏君に猜忌されず、なお原位を保てる。然る後に時機に随い進退を決し、健壮の馬に凭って時を得て身を脱し禍を避ける。よって吉利を獲る。
九三明夷于南狩,得其大首,不可疾貞者。南是陽明之方也,狩者征伐之義。九三以離明之極,而以征伐至暗之主,乃獲暗君之頭首,故曰南狩得其大首也。既誅暗主,將正其民,民迷日久,即可化之以漸,不可速使從正,故曰不可疾貞也。
九三の爻辞「明夷于南狩、得其大首、不可疾貞」。南方は陽気光明の方位で、「狩」は征伐の意を含む。九三は下卦離の極点に処り、光明が最盛に達する。よって兵を出して最も昏暗の君主を討伐でき、終に昏君の首級を擒獲する。ゆえに南に征討して元凶を擒得したと言う。すでに昏君を誅除した以上、続いて百姓を端正せねばならない。しかし百姓は迷惑を受けてすでに久しく、循序漸進して感化を加えるのみできる。急いで強迫して即刻に帰正させてはならない。ゆえに操りすぎてその守正を求めてはならないと言う。
六四入子左腹,獲明夷之心,于出門庭者。左者,取其順也;腹者,獲其心。既知君意,雖近不危,縱使逃難不逺,適止於門庭而已也。
六四の爻辞「入于左腹、獲明夷之心、于出門庭」。(底本「入于」の「于」は「子」と訛作し、いま照録して改めない。)「左」と言うは、それが柔順の意を取る。「腹」と言うは、すでに相手の内心を探り得たことを表示する。それがすでに昏君の心意を探知した以上、近側に身を処しても危険に至らない。たとえ難を避けんとするにも、遠く逃げる必要はなく、ただ門庭の外まで歩けば足りる。
六五箕子之明夷,利貞者。最近暗君,猶箕子之近殷紂,執正不回,而不能滅,利以正貞。故小象云明不可息也。息,滅也。
六五の爻辞「箕子之明夷、利貞」。六五は最も上六という昏君に接近し、ちょうど箕子が殷紂王の近辺に身を処するがごとし。彼は正道を堅守して改めず、昏君も彼を消滅できない。よって貞正を守持するに宜しい。ゆえに《小象伝》は「明不可息」と言う――「息」はここでは熄滅の意で、光明の徳性が撲滅されうるものでないことを言う。
上六不明晦,初登于天,後入于地者。處明夷之極,是暗晦之主,殷紂當之也。初登於位,本謂光徳顯於四方,及其無道,果致被伐,至於喪滅,故曰後入于地也。
上六の爻辞「不明晦、初登于天、後入于地」。それは明夷の極点に処り、まさに昏暗の君の象徴で、殷紂王がこの一爻に相当する。彼がちょうど君位に登った時、本は光明的徳業を四方に顕耀できると思っていた。彼が昏乱無道に至っては、果たして征伐を招き、終に覆滅に至った。ゆえに後に地に墜ち入ると言う。
家人卦(離下巽上)
離下巽上。家人:利女貞。彖曰:家人,女正位乎內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。父父、子子、兄兄、弟弟、夫夫、婦婦,而家道正,正家而天下定矣。象曰:風自火出,家人。君子以言有物,而行有恆。
家人卦は下卦が離、上卦が巽で、火が燃えて風を生じ、風火が相成する。ちょうど夫婦が同心して家を成すがごとし。ゆえに家人と名づける。卦辞は言う、家人は、女子が正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、家人卦は、六二という女位が端正に内卦に居り、九五という男位が端正に外卦に居り、男女が各々その正を得る、これは天地間の大義である。一家の中に厳正の主宰あり、これは父母を指す。父が父道を尽くし、子が子道を尽くし、兄が兄道を尽くし、弟が弟道を尽くし、夫が夫道を尽くし、妻が婦道を尽くせば、家道が端正する。家家が端正すれば、天下もまた安定する。《大象伝》は言う、風が火中より生ずる、これが家人である、君子はこれに法り、言うに必ず実在の内容あり、行うに必ず恒常の準則あり、と。
初九,閒有家,悔亡。象曰:閒有家,志未變也。六二,無攸遂,在中饋,貞吉。象曰:六二之吉,順以巽也。九三,家人嗃嗃,悔厲吉;婦子嘻嘻,終吝。象曰:家人嗃嗃,未失也;婦子嘻嘻,失家節也。六四,富家,大吉。象曰:富家大吉,順在位也。九五,王假有家,勿恤,吉。象曰:王假有家,交相愛也。上九,有孚威如,終吉。象曰:威如之吉,反身之謂也。
初九の爻辞、家を治める初めに防範を設ける、悔恨が消える。《小象伝》は言う、家を治めるに先ず防閑を立つるは、人心がまだ悪く変わらないうちに趁くからだ、と。六二の爻辞、自ら主張して成就することなく、ただ家中で飲食の事を主持する、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、六二の吉は、柔順にしてまた謙遜だからだ、と。九三の爻辞、家を治めるに過度に厳厲ならば、悔恨危厲あれど終に吉利を帰する、もし婦人と子供が嬉笑して度を越せば、終に憾惜あり。《小象伝》は言う、家を治めるに厳厲は、まだ正道を失わない、婦子が嬉笑すれば、家中の規矩を失う、と。六四の爻辞、家庭を富ませる、大いに吉利。《小象伝》は言う、富家して大吉は、柔順にしてまた居位が得当だからだ、と。九五の爻辞、君王が徳をもって感化してその家を有する、憂慮する必ずしも要せず、吉利。《小象伝》は言う、王が家を假るは、上下が彼此相愛するからだ、と。上九の爻辞、心に誠信を懐き威厳あり、終に吉利。《小象伝》は言う、威如の吉は、反躬して自省できるを言う、と。
家人利女貞者。家人謂室家之人,故孔氏云:明家內之道,正一家之人是也。治家之道,非丈夫獨正,內在女子,故曰利女貞也。
卦辞「家人、利女貞」。「家人」は一家の内の人を指す。ゆえに孔穎達は言う、この一卦は家庭内部の道理を闡明し一家の人を端正する、まさにこの意である、と。家を治める道は、男子が独りで端正すれば足りるのではなく、要は内室の女子に在る。ゆえに女子が正を守るに宜しいと言う。
象曰:風自火出,家人者。離火巽風,夫火之為體,因風而生;火既炎盛,還復生風。風火相成,似夫婦成家之義也。君子以言有物而行有恆者,物,事也。君子所言,皆須有事論語典實,事不虛妄矣。所行徳行,不虧於常,故曰行有恆也。
《大象伝》の言う「風自火出、家人」――離は火を象徴し、巽は風を象徴する。火というものは、風に依ってこそ燃え起こる。火が一旦盛んに焼けば、反ってまた風を生ずる。風と火が互相成就する。ちょうど夫婦が彼此配合して一つの家を成就するがごとし。「君子以言有物而行有恒」の「物」は実事である。君子の言う所はみな事実の根拠があり、言論は典正で切実にして虚妄に渉らない。行う徳行は終始常道に虧けない。ゆえに「行有恒」と言う。
初九閒有家,悔亡者。閒,防也。夫治家之道,必須先以防慮,不令瀆亂。若候瀆亂之後方始治之,即憂悔生矣。今治家之初,便能防閒,悔必亡矣。
初九の爻辞「閑有家、悔亡」。「閑」は防範である。家を治める道は、必ず事前に防備考慮を加え、家中に軽慢混乱を生ぜしめない。もしすでに乱れてから手を着けて整治すれば、憂愁悔恨が生ずる。いま家を治める最初に防範を設ければ、悔恨は自ずから消える。
六二無攸遂,在中饋,貞吉者。以柔處中,以陰應陽,正夫婦之義也。婦人職務,但事供給饋食祭祀而已,全非遂志之人,故曰無攸遂,在中饋,貞吉也。
六二の爻辞「无攸遂、在中饋、貞吉」。六二は陰柔をもって下卦の中に居り、また陰爻をもって上に九五の陽に応じる。これはまさに夫婦名分の義に合う。婦人の職責は、ただ飲食を供給し祭祀を承弁するのみで、本来は自ら主張し己志を遂行する人ではない。ゆえに自専して成就せず、ただ家中で飲食を主持し、正を守れば吉と言う。
九三家人嗃嗃,悔厲吉,婦子嘻嘻,終吝者。嗃嗃,嚴整之貌;嘻嘻,喜笑之聲;悔,過也。九三處一卦之上,為一家之長,理家之道,必須嚴整,直是過於猛難,雖似危酷,後乃獲吉,故曰家人嗃嗃悔厲吉。若從婦人笑語,不制不節,終致悔吝,故曰嘻嘻終吝也。
九三の爻辞「家人嗃嗃、悔厲吉、婦子嘻嘻、終吝」。「嗃嗃」は厳粛整飭のさま、「嘻嘻」は嬉笑の声、「悔」は過失である。九三は下卦の最上の爻に処り、一家の長である。家を治める道は必ず厳粛整飭たるべし。たとえ厳しさがやや苛猛に過ぎて、危厲厳酷に見えても、最後にはなお吉利を獲られる。ゆえに家を治めるに厳厲、悔厲あれど終に吉と言う。反対にもし一味に婦人の嬉笑に従い、約束も節制もしなければ、終に悔恨憾惜を招く。ゆえに嬉笑度なく終に憾惜と言う。
六四富家大吉者。富謂祿位昌盛之名也。六四柔巽之質,上奉於君而得其位,即是祿位昌盛而富其家,長保安吉之大也。
六四の爻辞「富家、大吉」。「富」は禄位が興盛の呼称である。六四は柔順謙遜の資質で、上に九五の君に奉事してまた居位が得当である。これはまさにそれが禄位昌盛で家道を富足させ、長く安寧吉慶を保有できることを表示する。ゆえに大いに吉利と言う。
九五王假有家,勿恤吉者。假,至也。體剛居巽而得尊位,能以巽順接待於下,至於天下盡有其家,莫不歸王之化,故不假憂恤,自然獲吉。先儒云:猶如舜能治家,處於媯汭,即是歸讓至焉。
九五の爻辞「王假有家、勿恤、吉」。「假」は感格・到達の意である。九五は体質が剛健で巽体の中に処り、また尊位に居る。謙遜柔順の態度をもって下の人に接待し、天下人が皆その家に安んずるに至り、君王の教化に帰向せぬはない。ゆえに憂慮操心する必ずしも要せず、自ずから吉利を獲る。先儒は言う、これはちょうど虞舜が家を治められ、嬀水の弯曲の処に居って家道が整粛し、ここにおいて天下が帰心し堯が帝位を禅譲したに似る、と。
上九有孚威如終吉者。處家人之極,家道大成也。刑于寡妻,義彰於外,信被天下,故曰有孚。威及遐邇,故曰威如。威信並至,敬義交接,終保其吉,故曰終吉也。
上九の爻辞「有孚威如、終吉」。それは家人卦の終極に処り、家道はすでに大いに成就した。《詩経》の言うようにまず自分の妻子に典範を示せば、道義はこれによって外に彰顕し、誠信はこれによって天下に及ぶ。ゆえに「有孚」と言う。威望は遠近に知れ渡る。ゆえに「威如」と言う。威厳と誠信が同時に具備し、恭敬と道義が彼此交融する。よって終始吉利を保つ。ゆえに「終吉」と言う。
睽卦(兌下離上)・底本は経文のみ存す
兌下離上。睽:小事吉。彖曰:睽,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也。睽之時用大矣哉。象曰:上火下澤,睽。君子以同而異。
睽卦は下卦が兌、上卦が離で、火性は上に炎え沢水は下に流れ、二者が背離する。ゆえに睽と名づける。卦辞は言う、睽は、小事に吉利、と。《彖伝》は言う、睽卦は、火が上に燃え動き沢が下に流動し、中女と少女が一処に同じ居るも、心志は一つの方向に向かわない。和悦にして光明に附麗し、柔爻が上進して尊に居り、中に居りて陽剛と相応する。ゆえに小事に吉利。天と地は相睽違するも化育の事は同じく、男と女は相睽違するも結合の志は通じ、万物は彼此睽違するもその生成の事は同類である。睽卦が時に因って用いる意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、上は火で下は沢、これが睽である、君子はこれに法り、大同の中に自分の独異を保つ、と。(按:史徵に元あった睽卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初九,悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人無咎。象曰:見惡人,以避咎也。九二,遇主于巷,無咎。象曰:遇主于巷,未失道也。六三,見輿曳,其牛掣,其人天且劓,無初有終。象曰:見輿曳,位不當也;無初有終,遇剛也。九四,睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。象曰:交孚無咎,志行也。六五,悔亡,厥宗噬膚,往何咎。象曰:厥宗噬膚,往有慶也。上九,睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧,匪寇婚媾,往遇雨則吉。象曰:遇雨之吉,群疑亡也。
初九の爻辞、悔恨が消える、馬を失っても追いかけるなかれ、それ自ら帰って来る、品行の悪い人に接見しても咎なし。《小象伝》は言う、悪人に見るは、咎を招くを避けるためだ、と。九二の爻辞、小巷の中で君主に遇う、咎なし。《小象伝》は言う、巷中で主に遇うは、正道を失わないからだ、と。六三の爻辞、車が拖拽されるを見、車を牽く牛も牽制され、車を駆る人は刺額割鼻の刑罰を受けた、始めは順ならざれど終結は成せる。《小象伝》は言う、車が拖曳されるを見るは、六三の居る位が当たらないからだ、始めは順ならず終に成せるは、終に陽剛の上九に遇うからだ、と。九四の爻辞、睽違の時孤立無援、陽剛の善士に遇う、彼此誠信を交わす、危厲あれど咎なし。《小象伝》は言う、相い誠信を交わして咎なきは、心志が施行を得たからだ、と。六五の爻辞、悔恨が消える、彼の宗族親人が柔嫩の肉を咬むがごとく容易に彼を容納する、往けば何の咎かあらん。《小象伝》は言う、宗族が相亲相合するは、往けば必ず福慶あり、と。上九の爻辞、睽違の極にして孤立、一頭の豚が背に污泥を満たすを見、また一車の鬼怪を見る、先ず弓を張りて射んとし、後に弓を放下する、来たのは強盗ではなく求婚の者、往くに雨に遇えば吉利。《小象伝》は言う、雨に遇って吉なのは、種種の疑慮がみな消散したからだ、と。
蹇卦(艮下坎上)・底本は経文のみ存す
艮下坎上。蹇:利西南,不利東北,利見大人,貞吉。彖曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。蹇利西南,往得中也。不利東北,其道窮也。利見大人,往有功也。當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。象曰:山上有水,蹇。君子以反身修徳。
蹇卦は下卦が艮、上卦が坎で、山上に水あり、険が前に在りて内に止まり、行走が艱難である。ゆえに蹇と名づける。卦辞は言う、蹇は、西南に宜しく、東北に宜しくない、大人に見るに宜しく、正を守れば吉利、と。《彖伝》は言う、「蹇」は艱難で、険阻が前に横たわる。険阻を見て止まりうる、これはまことに明智である。「蹇利西南」は、往けば中道を得ると言う。「不利東北」は、その路はすでに窮尽に至ったと言う。「利見大人」は、往けば必ず功あると言う。各爻が居位得当で正を守り吉を獲るは、邦国を端正するためである。蹇卦が時に因って用いる意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、山上に水あり、これが蹇である、君子はこれに法り、反って自身を検査し徳行を修養する、と。(按:史徵に元あった蹇卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみが存する。)
初六,往蹇來譽。象曰:往蹇來譽,宜待也。六二,王臣蹇蹇,匪躬之故。象曰:王臣蹇蹇,終無尤也。九三,往蹇來反。象曰:往蹇來反,內喜之也。六四,往蹇來連。象曰:往蹇來連,當位實也。九五,大蹇朋來。象曰:大蹇朋來,以中節也。上六,往蹇來碩,吉,利見大人。象曰:往蹇來碩,志在內也;利見大人,以從貴也。
初六の爻辞、往けば険に遇い、退いて帰れば称誉を得る。《小象伝》は言う、往蹇来誉は、時機を待つべきだ、と。六二の爻辞、王の臣が重なる艱難を冒して国事に赴く、自身のためではない。《小象伝》は言う、王臣が蹇蹇なのは、終に過失なし、と。九三の爻辞、往けば険に遇い、退いて帰るが正途である。《小象伝》は言う、往蹇来反は、内卦の衆陰がみなそれを喜ぶからだ、と。六四の爻辞、往けば険に遇い、退いて帰り同類と連結する。《小象伝》は言う、往蹇来連は、六四が居位得当で実徳あるからだ、と。九五の爻辞、大難の中に処り朋友が来て相助ける。《小象伝》は言う、大蹇して朋来るは、九五が中に居り節度あるからだ、と。上六の爻辞、往けば険に遇い、退いて帰れば大いに獲る所あり、吉利、大人に見るに宜しい。《小象伝》は言う、往蹇来碩は、心志が内卦に繋がるからだ、大人に見るに宜しきは、尊貴の九五に従うためだ、と。
解卦(坎下震上)
坎下震上。解:利西南,無所往,其來復吉,有攸往,夙吉。彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也。其來復吉,乃得中也。有攸往夙吉,往有功也。天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼。解之時大矣哉。象曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。
解卦は下卦が坎、上卦が震で、動いて険陥より脱出し、険難が消散する。ゆえに解と名づける。卦辞は言う、解は、西南に宜しい、為すべきことがなければ本位に帰れば吉利、弁ずべき事あれば早く行動すれば吉利、と。《彖伝》は言う、解卦は、険に遇いて行動でき、一動すれば険境を脱する、これが解である。「解利西南」は、往けば衆人の擁護を得ると言う。「其来復吉」は、帰れば中道を守れると言う。「有攸往夙吉」は、往けば必ず功あると言う。天地の気が舒解して雷雨が興り、雷雨が興って各種の果実草木がみな殻を破り発芽する。解卦の処する時勢の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、雷雨が興作する、これが解である、君子はこれに法り、過失を赦免し罪愆を寛宥する、と。
初六,無咎。象曰:剛柔之際,義無咎也。九二,田獲三狐,得黃矢,貞吉。象曰:九二貞吉,得中道也。六三,負且乘,致寇至,貞吝。象曰:負且乘,亦可醜也;自我致戎,又誰咎也。九四,解而拇,朋至斯孚。象曰:解而拇,未當位也。六五,君子維有解,吉,有孚于小人。象曰:君子有解,小人退也。上六,公用射隼于高墉之上,獲之,無不利。象曰:公用射隼,以解悖也。
初六の爻辞、咎なし。《小象伝》は言う、剛爻と柔爻の交接の際は、理に照らせば咎なし、と。九二の爻辞、田猟で三匹の狐狸を捕獲し、黄銅の箭头を得た、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、九二が正を守り吉なのは、中道を得たからだ、と。六三の爻辞、物を背負ってまた車に坐る、強盗を招来する、正を守っても憾惜あり。《小象伝》は言う、物を負いて車に乗るは、実に羞るべき、自ら兵禍を招いた、また誰を咎めよう、と。九四の爻辞、脚の絆を解脱し去れ、朋友が来てこそ誠信ある。《小象伝》は言う、脚趾の牽係を解くは、九四の居る位が当たらないからだ、と。六五の爻辞、君子はただ小人の患を解除してこそ吉利、こうすれば小人に信を取れる。《小象伝》は言う、君子が禍患を解除すれば、小人は自ずから退去する、と。上六の爻辞、公が高牆の上で鷹隼を射猟し、一射して獲る、利しないことなし。《小象伝》は言う、公が隼を射るは、悖乱を解除するためだ、と。
解利西南者。解,緩也,謂難道解釋,物情舒緩,故謂解也。西南坤位,坤訓眾也。夫散難釋險,利施於眾,即所濟大,故曰利西南也。
卦辞「解、利西南」。「解」は舒緩で、険難の道がすでに消解し、事物の情勢が緊張より舒緩に転じるを言う。ゆえに解と言う。西南は後天八卦の中の坤の方位で、坤は衆多と訓釈できる。およそ患難を駆散し険阻を解除するには、好処を衆人に施及し、済助する範囲が広大であってこそ算入する。ゆえに西南に宜しいと言う。
無所往,其來復吉者。若難道已散,無難可救,即宜反覆守其靜黙,即合於常理也。有攸往夙吉者,夙,早也,速也。若難道方殷,慮其侵傷平人,必須速往救濟,以安險俗,故曰夙吉。
「无所往、其来復吉」。もし険難がすでに消散し、救助すべき患難がなければ、まさに本位に返り静黙に自守すべきで、これは常理に合う。「有攸往、夙吉」の「夙」は早く・速くである。もし険難がまさに緊迫し、それが善良な百姓を傷つけるを憂えるなら、必ず速やかに往って救助し、険境に処する民俗を安定させなければならない。ゆえに早く行動してこそ吉利と言う。
象曰:雷雨作,解者。雷既發動,雨澤施降,物情舒暢,故是解緩之象也。君子以赦過宥罪者,赦,放也;宥,寛也。過謂誤犯,罪謂故為。過輕即放舍,罪重即寛宥,如似合死從流,合流從徒,皆是緩其罪刑也。
《大象伝》の言う「雷雨作、解」――雷がすでに発動すれば、雨沢が随いて降下し、万物の情態は鬱結より舒暢に転ずる。ゆえにこれは舒解寛緩の形象である。「君子以赦過宥罪」の「赦」は釈放、「宥」は寛減である。「過」は無心の失を指し、「罪」は有意に悪を為すを指す。過失の軽いはすなわち釈放し、罪行の重いはすなわち寛減する。例えば本は死すべきを流刑に改判し、本は流すべきを徒刑に改判する、みなその刑罰を減緩するものである。
初六無咎者。難道已散,上有所應,故無咎也。
初六の爻辞「无咎」。この時険難の道はすでに消散し、初六は上に九四と相応するものあり、依托する所がある。ゆえに咎なし。
九二田獲三狐,得黃矢,貞吉者。隠伏之物,喻犴猾之人。九二以剛居其位,為君委任,能散險難,能除奸暴之人,如似田獵而獲三狐。能持中直之道而令其正,故曰得黃矢貞吉也。
九二の爻辞「田獲三狐、得黄矢、貞吉」。狐狸は藏匿隠伏を善くする動物で、狡猾奸詐の人を喩えるのに用いる。九二は陽剛をもって恰当の位置に居り、また君主の委任を受け、険難を駆散し奸邪凶暴の徒を剷除できる。ちょうど田猟の時に三匹の狐狸を捕獲したがごとし。それは居中正直の道を秉持して一切を端正に帰せしめる。ゆえに黄銅の箭头を得て正を守れば吉利と言う。
六三負且乘,致寇至,貞吝者。六三位既不正,而以諂媚上附九四,下乘於二,如似擔負之人乘君子之乘,即寇盜必見其侵傷,故曰負且乘致寇至。以不正之身,雖幸而免,是正人之所賤,故曰貞吝也。
六三の爻辞「負且乗、致寇至、貞吝」。六三の居る位は本来正しくないのに、諂媚に依って上に九四に依附し、下にまた九二の上に騎る。これはちょうど本来重物を背負うべき下人が君子の車に坐ったがごとく、強盗は自ずから来て奪い侵害する。ゆえに物を背負ってまた車に乗りて寇盗を招き至らしむと言う。位の正しからざる身をもって僥幸に一劫を躲れたも、依然として正人君子に鄙視される。ゆえに正を守っても憾惜ありと言う。
九四解而拇,朋至斯孚者。拇,足指也;而,汝也。九四位既不正,三亦不正,以相親比,三附於四,如指附足。然九四本應在初,若與三相附,即失其本應;若四能棄三之拇,即初六之朋與已合信,故曰朋至斯孚也。
九四の爻辞「解而拇、朋至斯孚」。「拇」は脚趾で、「而」は「お前」である。九四の居る位は正しくなく、六三の居る位も正しくない。両者はこれによって互相親比し、六三は九四に依附着し、ちょうど脚趾が脚に附着するがごとし。しかし九四は本来初六と相応する。もしそれが六三と黏着すれば、自分の本有の正応を失う。もし九四が六三という「脚趾」を甩き去れれば、初六という朋友がそれと誠信相合する。ゆえに朋友が来てこそ誠信あると言う。
六五君子維有解吉,有孚于小人者。以柔居尊,不自專制,而委九二,任用得人,是有君子之徳而能解釋險難,故曰君子維有解吉也。以君子之道而能散難,即小人雖伏闇昧,亦能信服君子,不敢為非,故曰有孚于小人也。
六五の爻辞「君子維有解、吉、有孚于小人」。六五は陰柔をもって尊位に居り、独断専行せず、事を九二に委託し、任用する人が得当である。これは君子の徳を具備して険難を消解できることである。ゆえに君子はただ禍患を解除してこそ吉利と言う。君子の道に凭って患難を駆散できれば、小人はたとえ暗処に潜伏しても、君子に心服誠服し、敢えて再び非為を作らない。ゆえに小人に信を取れると言う。
上六公用射隼于高墉之上,獲之,無不利者。公者,臣之極貴者也。上六以陽居極,故稱公也。居動之上,為解之極,是能去貪暴、除凶悖,故以射隼論之。隼者,貪賤之鳥,鷹鸇之屬。為六三失位不正,隼之為鳥宜居山林,而止於人家墉牆之上,即為人所憎,射之克中,故曰獲之無不利也。
上六の爻辞「公用射隼于高墉之上、獲之、无不利」。「公」は臣子の中で最も尊貴の爵位である。上六は全卦の極処に居り地位が崇高である。ゆえに「公」と称す。それは震動の体の最上、解卦の終点に居り、まさに貪暴を剷除し凶悖を清除しうる時である。ゆえに鷹隼を射猟するをもって喩えとする。隼は貪婪卑劣の鳥で、鷹鸇の一類に属す。ここでは失位不正の六三を指す。隼は本来山林に棲息すべきなのに、いま人家の高牆に停まる。自ずから人に憎悪され、一箭射れば正に目標に中る。ゆえに射て獲る、利しないことなしと言う。
損卦(兌下艮上)
兌下艮上。損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享。彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享,二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。
損卦は下卦が兌、上卦が艮で、沢が山下にあり、下体を減損して上体を增益する。ゆえに損と名づける。卦辞は言う、損は、心に誠信を懐く、大いに吉利、咎なし、正を守りうる、往くところあるに宜しい、何をもって祭献するか、二簋の薄食をもって享祀しうる、と。《彖伝》は言う、損は、下を減損して上を增益し、その道は上に向かい運行する。減損して誠信を保ちうるので、大吉・无咎・可貞・往くに宜しきを得る。何をもって祭献するか、二簋の薄食で足りる、ただこれは特定の時にのみ適用する。剛を減損し柔を増益するにもその時機あり、減損・増益・盈満・虧虚は、みな時勢に随いともに推移する。《大象伝》は言う、山下に沢あり、これが損である、君子はこれに法り、自分の忿怒を懲戒し自分の私欲を堵塞する、と。
初九,已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,尚合志也。九二,利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。六三,三人行則損一人,一人行則得其友。象曰:一人行,三則疑也。六四,損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。六五,或益之十朋之,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。上九,弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。
初九の爻辞、自分の事を弁じ終えれば速やかに往く、咎なし、ただ斟酌して減損すべし。《小象伝》は言う、事畢えて速やかに往くは、上に在る者の心志に相合わんとするからだ、と。九二の爻辞、正を守るに宜しく、出征すれば凶、自分を減損しないことがすなわち増益である。《小象伝》は言う、九二が利貞は、中を守るを心志とするからだ、と。六三の爻辞、三人が同行すれば一人を減ずる、一人が独行すればかえって伙伴を得る。《小象伝》は言う、一人独行してこそよい、三人同行すれば互相猜疑する、と。六四の爻辞、自分の疾患を減損し、相手を速やかに来らしめれば喜慶あり、咎なし。《小象伝》は言う、その疾を損するも、また欣喜すべきだ、と。六五の爻辞、人が彼に価値十朋の大亀を贈り、推辞できない、大いに吉利。《小象伝》は言う、六五が大吉なのは、上天よりの保佑からだ、と。上九の爻辞、他人を減損しないことがすなわち増益、咎なし、正を守れば吉利、往くところあるに宜しい、臣民を得て内外親疎を分たない。《小象伝》は言う、損せずして益するは、心志が大いに実現したからだ、と。
損有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往者。損是減損之名,喻人臣損下而益於上,故名損也。夫損之為道,若不以誠信,即咎莫大焉,必須有信然後大吉,故曰有孚元吉也。既立誠信而獲大吉,即無咎過而可止,故曰無咎可貞。以無咎可貞之徳,故利有攸往也。
卦辞「損、有孚、元吉、无咎、可貞、利有攸往」。「損」は減損の名称で、臣子が自身を減損して君上に奉益するを喩える。ゆえに卦名を損と言う。およそ減損の道を行うに、もし誠信より出でなければ、咎はこれより大きいはない。必ずまず誠信あって然る後に大吉を得られる。ゆえに「有孚、元吉」と言う。すでに誠信を樹立して大吉を獲れば、咎がなく止まりて変えずあるべき。ゆえに「无咎、可貞」と言う。この無咎可貞の徳性に凭るので、往くところあるに宜しい。
曷之用,二簋可用享者。曷,何也。當損之時,物皆儉損,何用豐厚,但以簋薄之禮,應時而行,可以享獻神明也。
「曷之用、二簋可用享」。「曷」は「何」である。まさに減損の時にあたり、一切の事物はみな倹省に趨く。どうして豊盛厚重の祭品を用いることがあろうか。ただ二簋の薄食という簡朴の礼数を用い、時勢に順応して行えば、神明に祭献するに足りる。
象曰:山下有澤,損者。澤在山下,澤卑山高,以澤自損以崇于山,亦猶下之自損,奉益於上也。君子以懲忿窒欲者,懲,止也;窒,塞也。夫情慾所興,隨境而動,若任其情慾,患必生焉。故君子修徳益損其身,當須懲止忿怒,窒塞情慾,即善莫大焉。
《大象伝》の言う「山下有沢、損」――沢は山の下面にあり、沢は低く山は高い。沢が自ら不断に掏挖減損されて、反って山をさらに崇高に顕せしめる。これはまた在下者が自分を減損し、もって在上者に奉献增益するに似る。「君子以懲忿窒欲」の「懲」は遏止、「窒」は堵塞である。情欲が一旦興れば、外境に随って躁動する。もし情欲を放任すれば、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに君子は徳性を修養し自身を損抑するに、まさに忿怒を遏止し情欲を堵塞すべきで、これこそ最大の善である。
初九已事遄往,無咎,酌損之者。已,竟也;遄,速也。損之為道,損下益上,猶如人臣損己而奉於君。然初九猶有權務,若廢職而往,潛為求進,即咎莫大焉;若已事不往,即為拒上敖貴。故事竟速往,乃得無咎,故曰已事遄往無咎也。夫剛往即柔危,若全以剛往,即四不相納,故酌減損之,與四合志,故曰酌損之也。
初九の爻辞「已事遄往、无咎、酌損之」。「已」は完畢、「遄」は迅速である。減損の道は下を減損し上を増益するにあり、ちょうど臣子が己を損抑して君主に奉事するがごとし。ただ初九は手上にまだ職務を担う。もし本職を抛いて上に走り、暗裏に進身を謀れば、咎はこれより大きいはない。反対にもし事が弁じ終えても往かなければ、また上級に拒絶し尊者に傲視するとなる。ゆえに本職の事務が弁じ終えた後に即ち往き、こうすれば咎がない。よって事畢えて速やかに往けば咎なしと言う。剛爻が上行すれば、柔爻は危険を感ずる。もし一味に剛強の姿態をもって往けば、六四はそれを容納しようとしない。ゆえに斟酌して自ら減損し、六四と心志相合せしむる。よって「酌損之」と言う。
九二利貞,征凶,弗損益之者。當損之時,雖以下奉上,損剛益柔,然損剛太極,即剝道成焉。故九二利居其位,守正而處,即可以貞;若進於柔,即凶,故曰利貞征凶。然知進必有凶,故九二以中為志,不求損已而務增益,故曰弗損益之也。
九二の爻辞「利貞、征凶、弗損益之」。まさに減損の時にあたり、下者をもって上者に奉事し、陽剛を減損して陰柔を増益するを要するが、陽剛が極点まで減損されれば、剥落の道が形成される。ゆえに九二は自分の位置に安守し、正を持して自処するに宜しく、こうすれば貞を守り得る。もし一味に上行して陰柔に遷就すれば、反って凶あり。よって正を守るに宜しく出征すれば凶と言う。それがすでに冒進すれば必ず凶険あるを明白に知るので、九二は中を守るを自分の心志とし、一味に己を損じて媚を求めない。これはすなわち増益である。ゆえに「弗損益之」と言う。
六三三人行則損一人,一人行則得其友者。處損之時,損之為義,其道上行。三人謂六三已上三陰也。夫天地之道,以淳一相感;男女之道,以正一相配。今六三應於上九,若往就上九,即六四、六五緣同類必隨之俱行,此茅義也。若六三獨行,即上九納之無疑而得配友,故曰三人行即六三獨損,六三自行即得匹配,此是致一之道也。
六三の爻辞「三人行則損一人、一人行則得其友」。減損の時に処り、減損の意義はその道が上に向かい運行するにある。ここでの「三人」は六三およびその上の六四・六五という三つの陰爻を指す。天地の道は、純一無雑をもって彼此感応し、男女の道は、専一守正をもって彼此匹配する。いま六三は上九と相応する。もしそれが前に進みて上九に親就すれば、六四・六五は同じ陰類に属するゆえ必ず随いて俱に行く。これは泰卦・否卦の「拔茅連茹」牽連して行く意である。もし六三が単独で往けば、上九は疑慮なくそれを容納し、よって配偶を結成する。ゆえに三人同行すれば六三という一個を減じ、六三が独自で往けば匹配を得ると言う。これはまさに専一に帰する理である。
六四損其疾,使遄有喜,無咎者。疾謂相思之疾也。久而不相見,必有勤望之憂,故積憂成疾。六四以柔納剛,同志斯來,即無復勤思之疾,故使遄速乃有喜,有喜乃無咎矣,故曰使遄有喜無咎也。
六四の爻辞「損其疾、使遄有喜、无咎」。ここでの「疾」は彼此思念して成る心病を指す。久しく相見えなければ、必ず殷切に盼望の憂愁あり、憂愁が積久すれば病となる。六四は陰柔の質をもって初九の陽剛を容納し、志同道合の一方が随いて至れば、思念の疾はもうない。ゆえに相手を速やかに来らしめてこそ喜慶あり、喜慶あれば咎なし。よって彼を速く来らしめれば喜あって咎なしと言う。
六五或益之十朋之,弗克違,元吉者。處損之時,以柔處尊,是能益損於已而用柔和,則天下莫不歸而益之,故曰或益之。朋,黨也。者,決疑明鑑之物,喻明智也。克,能也。六五以柔居尊,是損己奉人,納賢自輔,即賢智必歸,各貢其能,不違於五,故曰不克違也。群才既至,天與我民無不扶佑,天人並助,故獲大吉,故曰元吉也。先儒皆云:十朋者,一曰神,二曰靈,三曰攝,四曰寶,五曰文,六曰筮,七曰山,八曰澤,九曰水,十曰火。
六五の爻辞「或益之十朋之、弗克違、元吉」。減損の時に処り、六五は陰柔をもって尊位に居り、まさに己を損抑して柔和をもって人に接しうる。こうすれば天下人は帰附せぬはなくまた来てそれを增益する。ゆえに「或益之」と言う。「朋」は朋党・成群の義。(底本「朋、党也」の下に「亀」字あるべく脱去、いま照録して補わない。)指す所はあの疑难を決断し吉凶を明鑑しうる宝物で、明智を喩える。「克」は能够である。六五は陰柔をもって尊に居り、己を損抑して他人に奉事し、賢才を容納して自身を輔佐せしむる。ここにおいて賢能智慧の士は必ず帰り来て、各々その才能を貢献し、六五に相違背しない。ゆえに「弗克違」と言う。衆多の人才がすでに至れば、上天と百姓は扶佑せぬはなく、天人両方面がみな来て助ける。ゆえに大吉を獲る。よって「元吉」と言う。先儒はみな言う、いわゆる十朋の亀は、一を神亀と言い、二を霊亀と言い、三を摂亀と言い、四を宝亀と言い、五を文亀と言い、六を筮亀と言い、七を山亀と言い、八を沢亀と言い、九を水亀と言い、十を火亀と言う、と。
上九弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家者。損極反益,象人能抑損其身而奉它人,乃為物所益,故曰弗損益之。損極而反受益,即剛徳遂長,不憂於咎,用正而吉,故曰無咎貞吉也。既備斯徳,何往不利,故曰利有攸往也。居上乘柔,損極反益,體本剛徳,為物所歸,故曰得臣。得臣者,謂得臣子而輔君為政,使天下通而為一,故曰無家。無家者,光宅天下,不為私已,以天下為一家,故曰無家也。
上九の爻辞「弗損益之、无咎、貞吉、利有攸往、得臣无家」。減損が極点に至れば増益に転ず。人が己を抑制減損して他人に奉養するを象徴し、結果はかえって外物に增益される。ゆえに他人を減損しないことがすなわち増益と言う。減損が極に至ってかえって增益を受ければ、陽剛の徳はここに増長し、咎を憂慮する必ずしもなく、正道を行いて吉を獲る。ゆえに咎なし、貞吉と言う。すでにこのような徳性を具備すれば、どこへ往っても不利ではない。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。上九は最上に身を居し下に陰柔を乗り、減損が極に至って増益に転じ、本体はまた陽剛の徳で、万物の帰向する所となる。ゆえに「得臣」と言う。いわゆる得臣は、臣子を得て君主を輔佐し政事を治め、天下を貫通して一体に合せしむるを言う。ゆえに「无家」と言う。いわゆる无家は、光明に天下を覆臨し、それを私有とせず、天下を一家となすことを指す。ゆえに「无家」と言う。
益卦(震下巽上)
震下巽上。益:利有攸往,利涉大川。彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶;利涉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆;天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。象曰:風雷,益。君子以見善則遷,有過則改。
益卦は下卦が震、上卦が巽で、風雷が相益し、上体を減損して下体を增益する。ゆえに益と名づける。卦辞は言う、益は、往くところあるに宜しく、大河を渡るに宜しい、と。《彖伝》は言う、益卦は、上を減損して下を增益し、百姓は喜悦して疆りがない、上に在る者が身を下位に屈すれば、その道は大いに光明を放つ。「利有攸往」は、九五・六二が中正にして福慶あるから、「利渉大川」は、巽木が舟を成す道が施行を得るからである。益卦は下が動き上が順うので、日々に進益して辺際がない。天が施降して地が化生し、その増益は在る所なし。およそ増益の道は、みな時勢に随いともに推行する。《大象伝》は言う、風と雷が相助ける、これが益である、君子はこれに法り、善行を見れば随いて行い、過ちあれば即ち改正する、と。
初九,利用為大作,元吉,無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。六二,或益之十朋之,弗克違,永貞吉,王用享于帝,吉。象曰:或益之,自外來也。六三,益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,固有之也。六四,中行告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。九五,有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我徳,大得志也。上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。
初九の爻辞、大事を興弁するに用いるに宜しく、大いに吉利、咎なし。《小象伝》は言う、元吉无咎は、下位に在る者が本来厚重の事務を担うべきでないからだ、と。六二の爻辞、人が彼に価値十朋の大亀を贈り、推辞できない、長く正を守れば吉、君王がこれをもって上帝に祭享する、吉利。《小象伝》は言う、人が来て彼を益するは、外より来たからだ、と。六三の爻辞、凶を救い難を済う方式で増益を求める、咎なし、誠信を懐きて中道を行い、圭を執って王公に禀告する。《小象伝》は言う、凶事に藉りて益を得るは、それが本来かくあるべきだからだ、と。六四の爻辞、中道を行いて王公に禀告し王公が聴従する、依托に凭って国都を遷移するに宜しい。《小象伝》は言う、公に告げて聴従されるは、公家を益する心志のためだ、と。九五の爻辞、誠信の施恵の心を懐く、問わずとも大いに吉と知れる、衆人もまた誠信をもって我が恩徳を感念する。《小象伝》は言う、有孚恵心は、問う必ずしも要せず、衆人が我が徳沢を感念するは、心志が大いに実現したからだ、と。上九の爻辞、彼を益する人なく、かえって彼を撃つ人あり、心を立てて恒せず、凶。《小象伝》は言う、益する人なきは、一方に偏する説法、撃つ人あるは、外より招いたからだ、と。
益利有攸往者。益是増長之名,饒裕為義也。損卦損下益上,益卦損上益下者,亦猶人君能自損己而惠下人。故宋衷云:明君之徳,必須損己而利人,則下盡益矣。君能以益物為意,動而無有違者,即斯而往,何所不利,故曰利有攸往也。利渉大川者,能益於物,則理絶難險,故利涉大川也。
卦辞「益、利有攸往」。「益」は増長の名称で、富饒寛裕の意を取る。損卦は下を減損し上を増益し、益卦は上を減損し下を増益する。これはまた君主が自ら己を減損して下民に恵を施すに似る。ゆえに東漢の宋衷は言う、賢明君主の徳性は、必ず己を損抑して人に利すべく、こうすれば下は人人益を得る、と。君主がすでに万物を益するを心とすれば、一挙動に違逆する人なく、これに照らして往けば、何の不利あらん。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。「利渉大川」は、万物を益できれば、理の上に険難が絶無なので、大河を渡るに宜しいと言う。
象曰:風雷,益者。雷以發生,風能長育,萬物皆益,故益之為義在雷風也。君子以見善則遷,有過則改。遷,進移也;改,更懲也。君子求益,莫過遷進,企慕道徳;其有過惡,改更懲戒,不再為也。
《大象伝》の言う「風雷、益」――雷はもって万物の萌発を鼓動し、風はもって万物の生育を助長し、万物はみなこれによって益を得る。ゆえに「益」の意義は雷と風に體現される。「君子以見善則遷、有過則改」の「遷」は歩を移して進取し、「改」は更正懲戒である。君子の求める進益は、善に遷り移り道徳を企慕するより緊要なるはない。一旦過失悪行あれば、更正懲戒して重ねて犯さない。
初九利用為大作,元吉無咎者。處益之初,應巽之始,體剛乾事,能堪建大事之端,以成王事者也。然雖有其才而得其時,不居其位,實時人不輔,欲有興作,即禍必生焉,必須有大功以補其過,即得無咎,故曰元吉無咎。元吉是有功之詞,大作謂興作大事也。
初九の爻辞「利用為大作、元吉、无咎」。それは益卦の端緒に処り、上卦巽の第一爻六四と相応し、自身は陽剛で事を任ずべく、大事の興弁の端緒を担当するに足り、よって王家の事業を成就する。ただそれはこの才幹があり時機に遇うも、相当の高位に居らず、当時の人は必ずしもそれを輔助しようとしない。この時もし大いに興作せんと欲すれば、禍患は必ず生ずる。ゆえに必ず大功を樹立してありうべき過失を弥補し、咎なきを得なければならない。よって「元吉、无咎」と言う。「元吉」は功労を立てたの説法を指し、「大作」は大事を興作するを指す。
六二或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉,王用享于帝吉者。以柔居中,又應於□,處益而懷巽,即物皆歸焉,故曰或益之。朋,眾也;龜,靈鑑也。六二既懷謙沖,即物自外來,朋靈獻策,群才響應,故十朋之龜弗克違也。然位不當尊,故永貞吉也。處益如斯,上下歸徳,故王用此時可以享獻天帝,即朋靈降福,故曰王用享于帝吉也。
六二の爻辞「或益之十朋之亀、弗克違、永貞吉、王用享于帝、吉」。六二は陰柔をもって下卦の中に居り、また上の九五と相応する。それは受益の時に身を処り心に謙遜を懐く。ここにおいて万物がみな帰附する。ゆえに人が来てそれを益すと言う。「朋」は衆多、「亀」は通霊明鑑しうる宝物である。六二がすでに謙虚冲和の心を懐けば、外物は自ずから外より来り、衆多の霊物が智謀を献上し、各路の人才が紛々として響応する。ゆえに価値十朋の大亀もそれに違背できない。ただその居る位は至尊ではない。ゆえに長く正を守ってこそ吉となる。受益の世に処りこのようになしうれば、上下ともにその徳性に帰向する。ゆえに君王はこの時に祭享上帝の大礼を挙行でき、衆霊は福沢を降下する。よって君王が用いて上帝に祭享すれば吉と言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)
六三益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭者。以陰居陽,以剛健而求於益,故曰益之。不能行謙而用剛壯求益,即物所不與;若以謙讓責之,理合誅討。若以意測原本,情志在救難,即物皆恃之,是用凶事而得免咎,故曰用凶事無咎也。若乃求益不為私已,志在救難,用壯不至剛暴,斯乃適合時宜,是有信實而得中行。此中行之道,執圭以告於公,救凶危之事,故曰有孚中行告公用圭也。
六三の爻辞「益之用凶事、无咎、有孚中行、告公用圭」。六三は陰爻が陽位に居り、剛健の姿態をもって増益を求取する。ゆえに「益之」と言う。それは謙遜を奉行できず、かえって剛強に凭って益を求める。本来は衆人に認められない。もし謙譲の標準をもってそれを責めれば、理に照らせば誅討を受くべきである。しかしその本心を推究すれば、その志向は危難の救助にあることが分かり、衆人はここにおいてみなそれに依頼する。よってそれは凶危の事を処理するに藉りて咎を免除される。ゆえに凶事を用いて咎なしと言う。もし増益を求めるが己の私利のためでなく、志が難の救いにあり、剛強を用いて暴戻に至らなければ、これはまさに時宜に適合し、誠信ありて中道を行くと算えられる。このような中道に凭り、玉圭を手に執って王公に禀告し、弁ずるは凶危を救助する大事である。ゆえに誠信を懐き、中道を行い、圭を執って公に告ぐと言う。
六四中行告公從,利用為依遷國者。以柔處臣位,居□之初,在上應下,位雖不中,用中而行,故曰中行。與君相近,即是藩屏之臣。以此中行之道而告於公,公必從之。以此道依人而遷國,人無不順,明以中行之道而遷國,人無不利矣,故曰利用為依遷國也。
六四の爻辞「中行告公従、利用為依遷国」。六四は陰柔をもって臣属の位に居り、上卦の頭の一爻に処り、上に在りて下に初九と応ずる。その居る位置は卦中の位ではないが、中道に按じて行事できる。ゆえに「中行」と言う。それは君主九五と相隣り、まさに王室を拱衛する藩屏の臣である。このような中道に凭って王公に禀告すれば、王公は必ず聴従する。この方式に凭って他人に依托して国都を遷移すれば、人々は順従せぬはない。これは中道を用いて国を遷すは、衆人に不利なしを説明する。ゆえに依托に凭りて国都を遷移するに宜しいと言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)
九五有孚惠心,勿問元吉,有孚惠我徳者。得位處尊,為益之主,兼張徳義。徳義之本,莫盛乎信;為益之大,莫大於心。因人所欲而已與人,有信有惠,盡物之心,益之盛矣。既有斯徳,必獲大吉,不假疑問,徳必昭彰,故曰有孚惠心勿問元吉。我既以信惠被於物,則天下皆以信惠歸我,故有孚惠我徳也。
九五の爻辞「有孚恵心、勿問元吉、有孚恵我徳」。九五は正位を得て至尊に居り、益卦の主宰で、徳と義を兼ねて張る。徳義の根本は、誠信より盛大なるはない。益を施す要は、本心より出ずるより重大なるはない。それは人の望む所に順って与え、誠信ありて恵みもあり、万物を体恤する心を尽くす。これは増益の道の極盛である。すでにこのような徳性を具備すれば、必ず大吉を獲る。疑慮追問する必ずしもなく、徳沢は自ずから昭然と彰顕する。ゆえに誠信の施恵の心を懐き、問わずとも大吉と言う。我がすでに誠信恩惠を万物に被及すれば、天下人もみな誠信感念をもって我に帰向する。ゆえに衆人が誠信を懐きて我が徳沢を感念すると言う。
上九莫益之,或擊之,立心勿恆,凶者。處益之極,益之甚也。既已過盈,即人之不與,故曰莫益之也。無厭之求,怨怒非一,故曰或擊之也。勿,無也。益以過極而更有求,是立心無恆,凶禍必至,故曰立心勿恆凶也。
上九の爻辞「莫益之、或撃之、立心勿恒、凶」。それは益卦の極点に処り、受ける増益はすでに過分である。すでに盈満に過ぎれば、人々はもうそれに賛成しない。ゆえにそれを益する人なしと言う。それは貪求して厭くことなく、招く怨恨憤怒は一処に止まらない。ゆえにそれを撃つ人ありと言う。「勿」はここでは「无」である。増益がすでに極点を過ぎたのに、なお索求する。これは心を立てて恒常がないことで、凶禍は必ず至る。ゆえに心を立てて恒せざれば凶と言う。
周易口訣義巻第五・下経二(夬より艮まで)
夬卦(乾下兌上)
下經二。乾下兌上。夬:揚于王庭,孚號有厲,告自邑,不利即戎,利有攸往。彖曰:夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有厲,其危乃光也。告自邑,不利即戎,所尚乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。象曰:澤上於天,夬。君子以施祿及下,居德則忌。
これは下経の第二巻である。夬卦は下卦が乾、上卦が兌で、五陽が一陰を決去する。ゆえに夬と名づける。卦辞は言う、夬は、君王の朝廷に公開宣揚し、誠信に号令して心に危懼を存す、まず自分の城邑より誥戒を発し、即ち兵を動かすに宜しくず、往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、「夬」は決断で、陽剛が陰柔を決除する。剛健にして和悦、決断にして平和である。「揚于王庭」は、上六という柔爻が五つの剛爻の上に凌駕するからである。「孚号有厲」は、心に危懼を存してこそ道が光大すると言う。「告自邑、不利即戎」は、一味に武力を崇尚すれば窮途に至ると言う。「利有攸往」は、陽剛が増長して最後に至れば成功すると言う。《大象伝》は言う、沢水が天上に升る、これが夬である、君子はこれに法り、俸禄を下の人に施及し、徳を己に居るに戒忌する、と。
初九,壯于前趾,往不勝為咎。象曰:不勝而往,咎也。九二,惕號,莫夜有戎,勿恤。象曰:有戎勿恤,得中道也。九三,壯于頄,有凶,君子夬夬獨行,遇雨若濡,有慍,無咎。象曰:君子夬夬,終無咎也。九四,臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。夬至艮。象曰:其行次且,位不當也;聞言不信,聰不明也。九五,莧陸夬夬,中行無咎。象曰:中行無咎,中未光也。上六,無號,終有凶。象曰:無號之凶,終不可長也。
初九の爻辞、強壮が前脚趾に表れる、往いて勝てなければ咎となる。《小象伝》は言う、勝てないと明白に知りながらなお往く、これが咎だ、と。九二の爻辞、警ふして呼号する、傍晚夜間に敵兵が襲来しても、憂慮する必ずしも要せず。《小象伝》は言う、敵兵あれど憂えざるは、九二が中道を得たからだ、と。九三の爻辞、強壮が面頰顴骨に表れる、凶険あり、君子は断然決絕して独り前行すべし、途中で雨に遇いて濡れ、人に怨怒を招いても、咎なし。《小象伝》は言う、君子が断然決絕するは、終に咎なし、と。九四の爻辞、臀部に皮肉なく、行走が躊躇して進み難し、もし強壮なる者に牽係すれば悔恨が消える、惜しむらくは忠言を聞いても肯じて信ぜぬ。(ここの「夬至艮」の三字は原書の巻内書眉の標目で、本巻が夬卦から艮卦まで講じることを標明し、経文ではない。)《小象伝》は言う、行走が躊躇するは、九四の居る位が当たらないからだ、言を聞きて信ぜざるは、聴覚はあれど事理を明らかにしないからだ、と。九五の爻辞、莧陸を剷除するがごとく断然決除する、中道を行けば咎なし。《小象伝》は言う、中行して咎なきは、その居中の徳がまだ光大せざるを言う、と。上六の爻辞、呼号しても益なし、終に凶あり。《小象伝》は言う、号呼して益なきの凶は、それが終に長くできざるを言う、と。
夬揚于王庭者。夬,決也。陽長至五,上六一柔而乘五剛,以人事喻,猶小人乘陵君子而為不順,眾共決之,故曰夬也。以剛決柔,以君子除小人,以剛正之德去邪謟,故可顯然於王者之庭,發揚決斷之事,示公正而無私隱,故曰揚于王庭。王庭亦公庭也。
卦辞「夬、揚于王庭」。「夬」は決断清除である。陽気が増長して第五爻に至り、上六という一つの陰爻のみが残って五つの陽爻の上に凌駕する。人事をもって喩えれば、ちょうど小人が君子を欺凌し行事が悖逆するに、衆人が共に立ちて彼を清除するがごとし。ゆえに夬と言う。陽剛をもって陰柔を決除し、君子をもって小人を剷除し、剛健方正の徳性をもって邪僻諂佞を除く。ゆえに光明正大に君王の朝廷においてこの決断の事を公開宣揚でき、処置の公正で私下の隠蔵なきを表明する。よって「揚于王庭」と言う。王庭はすなわち公開の朝堂である。
孚號有厲者。號,號令也;厲,危也。以剛正之德而行孚信號令,施決斷之事,即上六之柔,亦喻邪謟小人憂危之理,分明可見矣。
「孚号有厲」。「号」は号令、「厲」は危懼である。剛健方正の徳性に凭って誠信の号令を発し、決除の挙措を施行する。こうなれば、上六という陰柔者――すなわち邪僻諂佞の小人――その処境が岌岌として危うきの理は、分明に眼前に現れる。
告自邑,不利即戎者。夫興師動眾,必擾國亂人。今上六一柔既乘剛不順,更喻小小之人,要除只可獨行決斷,不必更興師旅,故不利即戎也。利有攸往者,剛德既長,柔邪必消,剛道既成,利有所往也。
「告自邑、不利即戎」。およそ兵を興し衆を動かすは、必ず国家を騒擾し百姓を擾乱する。いま上六はただ一つの陰爻に過ぎず、陽剛の上に騎って行事は順ならざれども、ただ渺小の人に比作できるのみ。彼を清除するには、ただ独り果断に処置すれば足り、さらに師旅を興動する必ずしも要せず。ゆえに即ち兵を動かすに宜しくずと言う。「利有攸往」は、陽剛の徳がすでに増長すれば、陰柔邪僻は必ず消退し、剛正の道がすでに形成されるゆえ、往くところあるに宜しいと言う。
象曰:澤上於天,夬者。澤性流動,雖蹔上天,必決而下,故取夬象。君子以施祿及下,居德則忌者。夫行決斷之道,必維恩並行。若威而不恩,即過在苛暴;若恩而不威,即失於制斷。君子行決之時,必須恩祿及於下人,又須居德於身,人則稟其威禁也。忌是禁也。
《大象伝》の言う「沢上于天、夬」――沢水の本性は流動で、たとえ一時天上に蒸腾されても、終に必ず潰決して降り下る。ゆえに「夬」という決潰の象を取る。「君子以施禄及下、居徳則忌」は、およそ決断の道を施行するに、必ず威厳と恩沢を並行せしめなければならない。もし威厳のみで恩沢なければ、過失は苛酷暴烈に在る。もし恩沢のみで威厳なければ、裁断できないに失する。君子が決断を施行する時、必ず恩惠俸禄を下の人に施及し、同時に必ず徳操を己身に立てなければならない。こうすれば衆人は自ずからその威厳禁令を禀受する。「忌」はここでは禁の意である。
初九壯于前趾,往不勝為咎。趾,足也,處體最下。初九處決之首,欲行決斷之事,必須審其事宜,量其可否,然後始行其令。今為剛健之初,所壯在於趾足,剛壯未全,往必不勝,先有咎生,故曰往不勝為咎也。
初九の爻辞「壮于前趾、往不勝為咎」。「趾」は脚で、身体の最下部に処る。初九は決除の事の開頭に処り、決断を施行せんと欲すれば、必ずまず事情が合宜かを審察し可行かを衡量し、然る後に命令を発しなければならない。いまそれは剛健の初めに過ぎず、強壮の部位はただ脚趾にあり、剛強の力量はまだ完備せず、猛然として往けば必ず勝てず、過失が先行して生ずる。ゆえに往いて勝てなければ咎となると言う。
九二惕號,莫夜有戎,勿恤者。惕,懼;號,呼也。九二以剛處中,剛則正直,中又不偏,而有此德,能行決斷。雖有人懼呼來報雲至莫必有戎寇侵害,緣九二自恃中直,不枉刑斷,雖聞此言,心無疑憂而惑,故曰勿恤也。
九二の爻辞「愓号、莫夜有戎、勿恤」。「愓」は戒懼、「号」は呼喊である。九二は陽剛をもって下卦の中に居る。剛であれば正直、中であれば偏らず。このような徳性を具備するので、決断を施行できる。たとえ人が慌てて走り来て、傍晚に黒くなれば必ず敵兵が侵害に来ると報告しても、九二は自ら行事が居中正直で断案用刑が人を枉げないを恃む。ゆえにこの言を聞くも、心中に疑慮憂懼を生ぜず。よって「勿恤」と言う。「莫夜」は暮夜、日が暮れた後である。
九三壯于頄,有凶,君子夬夬獨行,遇雨若濡,有慍,無咎者。頄,面顴也,謂上六也。上六居眾陽之上,居而不安,若顴之處面。以九三剛陽而應上六,即是君子以助小人。頄之處面,誰人不見,故曰壯于頄有凶也。剝卦以陰應陽為善,為陰柔須有所附;今九三以陽應陰,眾欲決去,獨往應之為凶。若達理君子,知小人不可與親,而能舎其本應,決之不疑,故曰君子夬夬也。若獨行殊志,應於小人,即有罪罰,如遇雨沾濡,徒懷忿恨;能無怨於人,即須有慍無咎也。
九三の爻辞「壮于頄、有凶、君子夬夬独行、遇雨若濡、有愠、无咎」。「頄」は面頰の顴骨で、ここでは上六を指す。上六は衆陽の上に居り、処境が安穏でなく、ちょうど顴骨が顔面に突出するがごとく顕眼である。九三は陽剛の身でありながら上六と相応する。これは君子が小人を助けるに等しい。顴骨は顔に生える、誰が見えざらん。ゆえに強壮が顴骨に顕露して凶ありと言う。剥卦においては、陰爻が陽爻に上応するは善と算えられた、陰柔は本来依附する所を要するゆえ。いま九三は陽爻をもって陰爻に応ずる。衆陽はみな上六を清除せんと欲する中、独り前に往きてそれに響応する。ゆえに凶あり。もし事理に通達する君子であれば、小人を親近すべからずと明白に知り、よって自分の本有の正応を捨棄し、遅疑せずこれを決除する。ゆえに君子が断然決絶すると言う。もしそれが一意孤行し衆と異なりて小人に響応すれば、責罰を受くべく、ちょうど途中で雨に遇いて濡れるがごとく、空しく一腹の忿恨を懐く。ただそれが他人を怨怪しなければ、怒恼あれど咎なし。
九四臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信者。次且,行不前之貎也;羊,壯也。九四據下三陽,前進必見侵傷,猶如臀無膚,則居不得安;居不得安,行亦難進。然五陽當位,體又剛壯,四若牽繫於五,身有所託,即不剛,不敢侵傷,故曰牽羊悔亡也。然四亦是剛陽,雖五有剛壯,未肯信服事五,故曰聞言不信也。
九四の爻辞「臀无膚、其行次且、牽羊悔亡、聞言不信」。「次且」は行かんと欲して行き動かざるさま、「羊」はここでは剛壮の者を代表する。九四は下の三つの陽爻の上に凌駕し、一旦前進すれば必ず侵害を受ける。ちょうど臀部に皮肉なく、坐って安穏できないがごとし。坐してすでに安まざれば、行くもまた前進し難い。ただ九五は陽爻が正位に居り体質が剛強で、九四がもし九五に牽係依附し身に託する所あれば、自ら強を逞しゅうする必ずしもなく、他人も敢えてそれを侵害しない。ゆえに剛壮の者に牽係すれば悔恨が消えると言う。しかし九四自身もまた陽剛で、たとえ九五が剛強であっても、それは肯じて心悦誠服して九五に奉事しない。ゆえに勧告を聞いても肯じて信信ぜぬと言う。
九五莧陸夬夬,中行無咎者。莧陸,草之柔脆,謂上六也。以九五之剛,決上六之柔,決之至易,如決柔脆之物,故曰莧陸夬夬。以居尊位而親決上六,即是以至尊而敵至卑,雖其克勝,不足為貴,但處位中行,才得免咎而已,故曰中行無咎也。
九五の爻辞「莧陸夬夬、中行无咎」。「莧陸」は柔嫩脆弱の草で、ここでは上六を指す。九五の陽剛をもって上六の陰柔を決除するは、実に易挙で、ちょうど柔脆の草を折るがごとし。ゆえに莧陸を剷除するがごとく断然決除すると言う。ただそれは尊位に身を居しながら親ら上六と較量する。これは至尊の身をもって至卑の人に対するに等しい。たとえ勝利しても、貴ぶに足らない。ただその居る位に凭って中道を守り、辛うじて咎を免れるのみである。ゆえに中道を行いてこそ咎なしと言う。
上六無號,終有凶者。以柔乘剛而居眾陽之上,其猶小人乘陵君子,凶危必至,故戒之曰不用號咷,終致凶也。
上六の爻辞「无号、終有凶」。それは陰柔をもって陽剛の上に騎り、また高く衆陽の頂に居る。これはちょうど小人が君子を欺凌するがごとく、凶険危難は必ず降臨する。ゆえに爻辞は誥戒して言う、号咷して救いを呼んでも益なく、終に凶禍を招く、と。
姤卦(巽下乾上)
巽下乾上。姤:女壯,勿用取女。彖曰:姤,遇也,柔遇剛也。勿用取女,不可與長也。天地相遇,品物咸章也。剛遇中正,天下大行也。姤之時義大矣哉。象曰:天下有風,姤。后以施命誥四方。
姤卦は下卦が巽、上卦が乾で、一陰が五陽の下に生じ、柔が来て剛に遇う。ゆえに姤と名づける。卦辞は言う、姤は、女子が過度に強壮、このような女子を娶るなかれ、と。《彖伝》は言う、「姤」は相遇で、陰柔が陽剛に遇う。このような女子を娶るなかれは、彼女と長久に相処すべからずと言う。天地二気が相遇すれば、各類の物種はみな彰顕する。陽剛が中正の位に遇えば、教化は天下に大行する。姤卦の含む時機の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、天下に風が吹行する、これが姤である、君主はこれに法り、政令を頒布して四方に誥戒する、と。
初六,繫于金柅,貞吉,有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。象曰:繫于金柅,柔道牽也。九二,包有魚,無咎,不利賓。象曰:包有魚,義不及賓也。九三,臀無膚,其行次且,厲,無大咎。象曰:其行次且,行未牽也。九四,包無魚,起凶。象曰:無魚之凶,逺民也。九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。象曰:九五含章,中正也;有隕自天,志不舎命也。上九,姤其角,吝,無咎。象曰:姤其角,上窮吝也。
初六の爻辞、銅製の車閘に拴る、正を守れば吉利、もし往くところあれば、凶険に遇う、痩弱の母豚は確かに躁動徘徊する。《小象伝》は言う、金柅に拴るは、柔弱の道が牽制されるからだ、と。九二の爻辞、厨中に魚あり、咎なし、ただ賓客を待つに用いるに宜しくず。《小象伝》は言う、厨中に魚あるは、理に照らせば賓客に分与すべからず、と。九三の爻辞、臀部に皮肉なく、行走が躊躇して進み難し、危厲あり、大きな咎なし。《小象伝》は言う、行走が躊躇するは、それがまだ牽係されざるからだ、と。九四の爻辞、厨中に魚なし、動けば凶あり。《小象伝》は言う、魚なきの凶は、民衆を疎遠にしたからだ、と。九五の爻辞、枸杞の枝葉をもって瓠瓜を包裹する、内に章美を含む、天より降るものあり。《小象伝》は言う、九五が章を含むは、それが中正だからだ、天より隕るは、心志が天命を捨棄せんと肯ぜざるからだ、と。上九の爻辞、遇う所はただ犄角、憾惜あり、咎なし。《小象伝》は言う、角に遇うは、上に居りて窮極するゆえ憾惜あり、と。
姤女壯,勿用取女者。姤者,遇也。初六一柔而遇五剛,譬之人事,即是一女而遇五男。夫女之為道,固合婉娩貞順,處於幽室,待禮乃行。今遇五男,淫壯若斯,故不可取,故曰女壯勿用取女也。
卦辞「姤、女壮、勿用取女」。「姤」は相遇である。初六という一つの陰爻が五つの陽爻に遇う。人事に喩えれば、一女子が同時に五男子に遇うである。女子の正道は、本来柔婉安順にして貞静に自守し、深閨の中に安処して、礼数に合う求聘を待ってこそ行動すべきである。いま彼女は一下に五男子に遇い、放縦強横がこの地步に至る。ゆえに彼女を娶るべからず。よって女子が過度に強壮、彼女を娶るなかれと言う。
象曰:天下有風,姤者。風行天下,無物不遇,故是姤象也。后以施命誥四方者,後,君也;誥,誡也。風譬王者風教也,故風行草偃,所以人君象此,以施命誥戒於四方也。
《大象伝》の言う「天下有風、姤」――風が天下に吹行して、それと遇わぬ物はない。ゆえにこれは相遇の形象である。「后以施命誥四方」の「后」は君主を指し、「誥」は誥戒である。風は君王の風化教令を喩えるのに用いる。ゆえに風が一吹きすれば草は伏倒する。これによって君主はこれに法り、政令を頒布し四方に誥戒する。
初六繫于金柅,貞吉,有攸往見凶,羸豕孚蹢躅者。金者,堅剛之物;柅者,制動之主,謂九四也。初六應在九四,若繫於正應,制動由四,即合理之宜,正之吉矣,故曰繫于金柅貞吉也。然初六處遇之初,性又躁動,即是不牽繫於四而有所往,斯乃凶危立見,故曰有攸往見凶。然淫躁若斯,又如羸弱之豕蹢躅而進,故曰羸豕乎蹢躅也。羸豕,牝豕,為淫醜也;蹢躅,行不正貎。
初六の爻辞「繫于金柅、貞吉、有攸往見凶、羸豕孚蹢躅」。「金」は堅硬剛強の物、「柅」は車輪の転動を制止する物で、ここでは九四を指す。初六は九四と相応する。もしそれが自分の正応に繫属して、九四に己の躁動を節制させれば、事理の適宜に合し、正を守りて吉を獲る。ゆえに金柅に繫れば正を守りて吉利と言う。しかし初六は相遇の端緒に処り、性情はまた浮躁して動を好む。もし九四に牽係せず擅りに往くところあれば、凶険はたちまち現れる。ゆえに往くところあれば凶を見ると言う。このように放縦浮躁するは、また痩弱の母豚が来回躁動して前に拱るがごとし。ゆえに痩母豚は果たして徘徊躁動すると言う。「羸豕」は母豚で、淫乱醜悪を象徴するのに用いる。「蹢躅」は行走が端正ならざるさまである。
九二包有魚,無咎,不利賓者。初六陰柔處下位,故稱魚也。初六與二相近,不能逆於所近,樂充九二之包廚,故曰包有魚也。初自願來,非已侵奪,故無咎也。擅人之物以為已恵,故不利賓也。
九二の爻辞「包有魚、无咎、不利賓」。初六は陰柔で最も下の位置に処る。ゆえに「魚」をもってそれを呼称する。初六は九二と緊鄰し、自分に最も近い一方に違逆できず、よって九二の庖厨に入るを楽しむ。ゆえに厨中に魚ありと言う。これは初六が自願して来るのであって、九二が侵奪したのではない。ゆえに咎なし。ただ他人の物を拿って自分の人情とするは、賓客を款待するに用いるに適しない。ゆえに賓に利せずと言う。
九三臀無膚,其行次且,厲,無大咎者。九三居下卦之上,是一卦之主。今初六與二相得,而九三失其所據,居即不安,行亦不進,故曰臀無膚,其行次且。然九三履得其位,非為妄處,直以不遇其時,故致危厲,災非已招,故無大咎,故厲無咎也。
九三の爻辞「臀无膚、其行次且、厲、无大咎」。九三は下卦の最上の爻に居り、本は一卦の中の分量ある一爻である。いま初六はすでに九二と相投合し、九三は依拠すべき相手を失い、坐って安穏できず行くも進まない。ゆえに臀部に皮肉なく行走が躊躇すると言う。ただ九三は陽爻が陽位に居り位を得、妄りに占めるべからざる処に占めたのではなく、ただちょうど合適の時機に遇わず、よって危厲を招く。災禍はそれ自ら招いたのではない。ゆえに大きな咎なし。よって危厲あれど咎なしと言う。
九四包無魚,起凶。初六與二相近,樂充九二之包廚,四失本應,故曰包無魚。九四既失其應,即是下無民人;若無人而動,失應而作,有所興為,即致凶災,故曰起凶也。
九四の爻辞「包无魚、起凶」。初六は九二と緊鄰し、九二の庖厨に入るを楽しみ、九四はこれによって本来自分と相応する一方を失う。ゆえに厨中に魚なしと言う。九四がすでに相応の爻を失えば、下に民衆なきに等しい。人手なきの情况下に猛然として行動し、応援を失いてなお興作あれば、凶禍を招く。ゆえに動けば凶ありと言う。
九五以杞包瓜,含章,有隕自天者。杞,枸杞也;瓜,瓠瓜也。杞生於肥地,瓠瓜為物,繫而不食也。五居尊位,下無其應,猶如杞包瓜,繫而不食,其猶人君雖居貴位,下既無人,何以施其教命,故曰以杞包瓜也。下無應援,教命不可行,雖有章美之德而但包含之,故曰含章也。然以剛居尊,懷剛中之德,雖即教命不行,無人敢有傾隕矣,所有隕絶惟天而已,故曰有隕自天也。
九五の爻辞「以杞包瓜、含章、有隕自天」。「杞」は枸杞、「瓜」は瓠瓜である。枸杞は肥沃の土地に生え、瓠瓜という物はただ懸りて食用に供しない。九五は尊位に身を居し、下には相応の爻がない。ちょうど枸杞の枝葉で瓠瓜を包裹して、懸かっても食べられないがごとし。これはまた君主が尊貴の地位を占めても、下にすでに人なければ、何をもって己の教令を施行するかに似る。ゆえに「以杞包瓜」と言う。下に応援なく教令が推行できなければ、章美の徳性あるも含蔵するのみできる。ゆえに「含章」と言う。ただそれは陽剛をもって尊位に居り、剛健中正の徳を懐く。たとえ教令が一時行き通らなくても、それを傾覆しに来る者はない。それを隕落断絶させうるは、ただ上天のみである。ゆえに天より降る変故ありと言う。
上九姤其角,吝無咎者。處遇之極,無所復遇,其猶一體之中,遇角而已,故曰姤其角也。角既處上,即非所安,與不遇無異,故生悔吝。然下既無應,不與物競,故無凶災,故曰吝無咎也。
上九の爻辞「姤其角、吝、无咎」。それは相遇の道の極点に処り、さらに遇うべきがない。ちょうど身体全体を摸索して、最後に頭上の犄角に触れたのみに似る。ゆえに「姤其角」と言う。犄角はすでに最高処に生える、本は身を安ずる所にあらず。この相遇は遇わぬと異なりなし。ゆえに悔恨憾惜を生ず。ただそれの下にはすでに相応の爻なければ、人と争奪せず。よって凶禍災殃なし。ゆえに憾惜あれど咎なしと言う。
萃卦(坤下兌上)
坤下兌上。萃:亨,王假有廟,利見大人,亨,利貞,用大牲吉,利有攸往。彖曰:萃,聚也。順以說,剛中而應,故聚也。王假有廟,致孝享也。利見大人亨,聚以正也。用大牲吉,利有攸往,順天命也。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。象曰:澤上於地,萃。君子以除戎器,戒不虞。
萃卦は下卦が坤、上卦が兌で、沢水が地上に聚り、万物が匯聚する。ゆえに萃と名づける。卦辞は言う、萃は、亨通、君王が宗廟に親臨し、大人に見るに宜しく、亨通、正を守るに宜しく、大牲を用いて祭祀すれば吉利、往くところあるに宜しい、と。《彖伝》は言う、「萃」は會聚である。柔順にして和悦、九五の陽剛が中に居りて六二と相応するので會聚できる。「王假有廟」は、孝敬祭享の誠を尽くす。「利見大人亨」は、會聚が正道に依循するを言う。「用大牲吉、利有攸往」は、天命に順応する。万物の會聚の理を観れば、天地万物の実情が見て取れる。《大象伝》は言う、沢水が地上に升る、これが萃である、君子はこれに法り、兵器を修治し、意外の変に戒備する、と。
初六,有孚不終,乃亂乃萃,若號一握為笑,勿恤,往無咎。象曰:乃亂乃萃,其志亂也。六二,引吉,無咎,孚乃利用禴。象曰:引吉無咎,中未變也。六三,萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。象曰:往無咎,上巽也。九四,大吉,無咎。象曰:大吉無咎,位不當也。九五,萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡。象曰:萃有位,志未光也。上六,齎諮涕洟,無咎。象曰:齎諮涕洟,未安上也。
初六の爻辞、誠信あれど終始できず、ここにおいて心思が紛乱して聚合に往く、もし呼号して助を求めれば、瞬く間にまた嬉笑と化す、憂慮する必ずしも要せず、往けば咎なし。《小象伝》は言う、心思が紛乱して聚合に往くは、その心志がすでに乱れたからだ、と。六二の爻辞、牽引されて往けば吉、咎なし、誠信を懐けば、微薄の禴祭を用いるに宜しい。《小象伝》は言う、牽引を受けて吉で咎なきは、その居中の徳が改変していないからだ、と。六三の爻辞、聚合せんとして嘆息するのみ、得るところの利なし、往けば咎なし、ただ小さな憾惜あり。《小象伝》は言う、往けば咎なきは、上六が柔順をもって納くるからだ、と。九四の爻辞、大いに吉利、こそ咎なし。《小象伝》は言う、大吉してこそ咎なきは、九四の居る位が当たらないからだ、と。九五の爻辞、會聚して尊位に居る、咎なし、人の信を取る能わざれば、長く正を守るを要して、悔恨が消える。《小象伝》は言う、萃して位あるは、心志がまだ光大せざるからだ、と。上六の爻辞、嗟嘆已まず、涕涙が交流る、咎なし。《小象伝》は言う、嗟嘆涕泣するは、それが上に居りて安処できざるからだ、と。
萃亨者。萃,聚也。其猶王者有德,懷來萬邦,人皆歸之,故曰萃也。人既歸已,即無所不通,故曰萃亨也。
卦辞「萃、亨」。「萃」は會聚で、これはちょうど君王に徳あり、万国を安撫招徠して、人人が来て彼に帰附するがごとし。ゆえに萃と言う。衆人がすでに己に帰向すれば、行き通らぬ所なし。ゆえに「萃、亨」と言う。
王假有廟者。假,至也。天下離散,雖則有廟,與無廟同,縱使享祭,神明不降。今王既有德,人神大同,孝德乃洽,王至此時,始可假有宗廟,故周正云:鬼神享德不在食也。
「王假有廟」。「假」は親至・感格である。天下がもし離心離散すれば、たとえ宗廟を設けても、宗廟なきと同じ、たとえ祭享を挙行しても、神明は降臨せんと肯んじない。いま君王はすでに徳あり、人と神が同心し、孝敬の徳が周遍を得る。君王がこの時に至り、初めて真に親臨して宗廟を有すと言いうる。ゆえに周氏は言う、鬼神の享用するは徳行で、祭品の豊盛に在らず、と。
利見大人,亨,利貞者。當聚之時,必須德大之人而為其主,故書云:惟天生民有欲,無主乃亂,故曰利見大人也。大德之人能正道,即使下民亨通,而利以為正,故曰亨利貞也。
「利見大人、亨、利貞」。まさに會聚の時にあたり、必ず徳行が宏大の人を主宰としなければならない。ゆえに《尚書》は言う、上天が百姓を生じ、人おのおの欲望あり、君主なければ乱る、よって大人に見るに宜しいと言う、と。徳行宏大の人が世道を端正しうれば、下の百姓を通達順遂させ、守正をもって利とする。ゆえに亨通して正を守るに宜しいと言う。
用大牲吉,利有攸往者。大牲,犠牛也。大德之人而為其主,聚道既全,即宜用大牲吉,利用攸往也。
「用大牲吉、利有攸往」。「大牲」は祭祀に用いる純色の犠牛である。すでに徳行宏大の人を主宰とすれば、會聚の道はすでに完備する。然らば大牲を用いて隆重的祭祀を挙行して吉を獲るに宜しく、また往くところあるに宜しい。
象曰:澤上於地,萃者。澤處地上,水潦聚物,是萃聚象也。君子以除戎器,戒不虞者。除,治也。當大聚之時,慮恐人心有異,故曰君子亦修戎器,戒慎防備不虞,文聚武備是也。
《大象伝》の言う「沢上于地、萃」――沢水が地面の上に積聚し、雨水が匯聚して万物が随いて聚攏する。これが會聚の形象である。「君子以除戎器、戒不虞」の「除」は修治である。まさに大規模會聚の時にあたり、人心が変を生ぜんかを恐れる。ゆえに君子もまた兵器を整修し、意外の変を戒慎防備するを言う。これは文治が人を聚め武備が廃せざるの理である。
初六有孚不終,乃亂乃萃,若號一握為笑,勿恤,往無咎者。初六應於九四,見六三與九四相近,心生嫌疑,始以誠信相就,忽然生疑未進,故曰有孚不終也。當萃之時,貴於合會,奔馳而往,進不以禮,故曰乃亂乃萃。夫謙恭之道,百行之本,若以謙而行,即無不合。今初六若執此謙遜,自比身雲一握之小,又為柔懦卑劣之容,即六三邪偶,安能固守於四,即初六往必相得,不用憂慮,所以無咎,故曰勿恤往無咎也。一握者,卑小之質,喻已身如一握之微小也;為笑者,懦劣之容,不敢作強剛之貎也。
初六の爻辞「有孚不終、乃乱乃萃、若号一握為笑、勿恤、往无咎」。初六は九四と相応するが、六三が九四と位置緊鄰するを見て、心中に猜疑を生ず。初めは本は誠信をもって前に親就したが、忽然として疑心が大いに起こり進まず止まる。ゆえに誠信あれど終始できずと言う。まさに會聚の時にあたり、貴ぶ所は彼此の會合である。それは慌乱して奔走して往き、進取が礼数に合わない。ゆえに心思が紛乱して聚合に往くと言う。謙遜恭敬の道は、各種徳行の根本である。もし謙遜に凭って行事すれば、合わざるなし。いま初六がもしこの謙遜を執守し、自分を一握の物ほど渺小に見、柔弱卑下の姿態を呈せば、六三という不正の匹配がどうして九四を牢牢に守住できようか。初六は往けば必ず九四と相合える。憂慮する必ずしも要せず、ゆえに咎なし。よって憂慮するなかれ、往けば咎なしと言う。「一握」は卑微渺小のさまで、自身が一握の物のように微不足なを喩える。「為笑」は柔弱謙卑の容態で、剛強の架势を敢えて出さない。
六二引吉,無咎,孚乃利用禴者。禴,殷春祭名,四時最薄也。處聚之時,貴相聚集,方始合宜。今六二體柔居坤,守中不變,意欲靜退,不肯相從以為聚會,斯乃違眾時,即凶危必至,必須牽引,然後始行,遂得吉而免咎,故曰引吉無咎。以六二體中懷信,不求苟進,既有斯徳,即可以往,至薄之物薦於鬼神,鬼神降福,故曰孚乃利用禴也。
六二の爻辞「引吉、无咎、孚乃利用禴」。「禴」は殷代の春祭の名称で、四時の祭祀の中で最も簡薄である。會聚の時に処り、貴ぶ所は彼此が聚攏することで、こうすれば時宜に合う。いま六二は体性が柔順で坤体の中に居り、中を守りて改めず、一心に静退自守せんと欲し、衆に随い聚会に参与することを肯んじない。これは衆人と時勢に違背し、凶険は必ず至る。それは必ず人が牽引しに来るを待ち、然る後に肯じて行動し、ここにおいて吉利を獲て咎を免れる。ゆえに牽引を受ければ吉で咎なしと言う。六二が中に居り誠信を懐き、苟且に進を求めないゆえ、すでにこのような徳性を具備すれば、往くべき所あり。たとえ最も簡薄の祭品をもって鬼神に奉献しても、鬼神は福沢を降下する。ゆえに誠信を懐けば禴祭を用いるに宜しいと言う。
六三萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝者。六三與九四不正,不正相聚,陰邪之應,患必生焉,故乃憂嗟而無所利,故曰萃如無攸利。然上六與三本是正應,上六懷巽之道以求朋友,故六三可以往而無咎,與上合志而無所咎,故往無咎。然上六與三俱是陰柔,雖是相應,俱失其匹配之義,故有小吝也。
六三の爻辞「萃如嗟如、无攸利、往无咎、小吝」。六三と九四の居る位はともに正当でなく、不正をもって相聚合するは、これは陰邪の結合で、禍患は必ずここから生ずる。ゆえに憂愁嘆息するのみで好処を得られない。よって聚合せんとして嘆息するのみ、利する所なしと言う。ただ上六と六三は本来相応の一対で、上六が柔順の道を懐きて朋友を招求する。ゆえに六三は往けば咎なし。それが上六と心志相合するので、咎責がない。ゆえに往けば咎なしと言う。しかし上六と六三はともに陰柔で、位次は相応するも、ともに陰陽匹配の本義を失う。ゆえになお小さな憾惜あり。
九四大吉,無咎。居位不正,又下據三陰,即擅君之權,禍咎將至,必須立大功以補其過,可以免咎,故曰大吉無咎。
九四の爻辞「大吉、无咎」。九四は陽爻が陰位に居り位置が正しくなく、また下に向かい三つの陰爻を据える。これは君主の権柄を擅奪したに等しく、禍患罪責がまさに頭に臨まんとする。それは必ず大きな功勲を建立してこの過失を弥補し、咎責を免れられる。ゆえに必ず大吉してこそ咎なしと言う。
九五萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡者。處聚之時,最得盛位,故曰萃有位也。九四下據三陰,専制已權,已所宣命,人不信服,但自守而已,故曰無咎匪孚也。若能不與物競,但自克修仁德,久而獲福,即憂悔可銷,故曰元永貞悔亡。
九五の爻辞「萃有位、无咎、匪孚、元永貞、悔亡」。九五は會聚の時に処り最も尊盛の位置を占める。ゆえに會聚して尊位に居ると言う。ただ九四は下に三つの陰爻を据え、本属九五の権柄を專擅した。よって九五の頒布する命令に、衆人は信服しない。それはただ自らその位を守るのみである。ゆえに咎なきも人の信を取る能わずと言う。もしそれが人と争奪せず、ただ己を克って仁徳を修養すれば、日久しきに必ず福報を得、憂愁悔恨も消散しうる。ゆえに長く正を守れば悔恨が消えると言う。
上六齎諮涕洟,無咎者。齎諮,嗟嘆辭也。居萃之極,乘剛居上,內無應援,則憂患生焉,故齎諮涕泣不安。如此憂懼,即眾所不害,遂將免咎,故曰無咎。先儒云:自目曰涕,自鼻曰洟。
上六の爻辞「賚咨涕洟、无咎」。「賚咨」は嗟嘆の語詞である。それは會聚の極点に処り、陰柔をもって九五という剛爻の上に騎って最高処に居り、内に応援がない。憂患はここから生ず。ゆえに嗟嘆して涙を流し、惶惶として安まない。このように憂懼戒慎できれば、衆人はそれを傷つけに来ない。ここにおいて咎責を免除される。ゆえに咎なしと言う。先儒は言う、眼より出るを「涕」と言い、鼻より出るを「洟」と言う、と。
升卦(巽下坤上)
巽下坤上。升:元亨,用見大人,勿恤,南征吉。彖曰:柔以時升,巽而順,剛中而應,是以大亨。用見大人,勿恤,有慶也。南征吉,志行也。象曰:地中生木,升。君子以順德,積小以成高大。
升卦は下卦が巽、上卦が坤で、木が地中に生じて下より上に向かい生長する。ゆえに升と名づける。卦辞は言う、升は、大いに亨通、大人に見るに宜しく、憂慮する必ずしも要せず、南方に向かい進発すれば吉利、と。《彖伝》は言う、柔順の者が時勢に順応して上昇し、遜順にして柔和、九二の陽剛が中に居りて六五と相応するので大いに亨通する。「用見大人、勿恤」は、必ず福慶あると言う。「南征吉」は、心志が施行を得ると言う。《大象伝》は言う、地中に樹木が生ずる、これが升である、君子はこれに法り、徳性に順循し、細小を積累して高大を成就する、と。
初六,允升,大吉。象曰:允升大吉,上合志也。九二,孚乃利用禴,無咎。象曰:九二之孚,有喜也。九三,升虛邑。象曰:升虛邑,無所疑也。六四,王用亨于岐山,吉,無咎。象曰:王用亨于岐山,順事也。六五,貞吉,升階。象曰:貞吉升階,大得志也。上六,升,利于不息之貞。象曰:升在上,消不富也。
初六の爻辞、許可を得て上昇する、大いに吉利。《小象伝》は言う、允升大吉は、上の陽爻と心志相合するからだ、と。九二の爻辞、誠信を懐けば、微薄の禴祭を用いるに宜しい、咎なし。《小象伝》は言う、九二の誠信は、喜慶をもたらす、と。九三の爻辞、一座の空城に入るがごとく順調に上昇する。《小象伝》は言う、虚邑に升るは、何の滞礙疑慮もなきからだ、と。六四の爻辞、君王が岐山で祭享を挙行する、吉利、咎なし。《小象伝》は言う、王が岐山に祭るは、柔順をもって遇う事に対するからだ、と。六五の爻辞、正を守れば吉利、台阶に沿い上昇する。《小象伝》は言う、貞吉して階を升るは、心志が大いに実現したからだ、と。上六の爻辞、昏昧に一味に上昇する、間断なき正道を持守するに宜しい。《小象伝》は言う、最上に升るは、ただ消減して再び富ならず、と。
升元亨者。升者,漸進之名,登升之義,計必大通,故曰元亨。褚氏云:猶人日思善道,進而不已,其德日新,故能亨也。
卦辞「升、元亨」。「升」は漸々に進取する名称で、登高上行の意を含む。理に照らせば必ず大いに通達する。ゆえに「元亨」と言う。褚氏は言う、これはちょうど人が日々に善道を思い、不断に進取して停息せず、徳性が日々に更新するので、亨通しうるがごとし、と。
用見大人,勿恤者。剛不居中,無以統御於下,故須用見徳大之人,然後無復憂恤也。
「用見大人、勿恤」。上卦坤の陽剛は中位に居らず、よって下を統御する力量に乏しい。ゆえに必ず徳行宏大の人に見えて主持せしめ、然る後に憂慮挂念が再びない。
南征吉者。南是陽明之方。當升之時,若往陰方,即彌加闇昧;既見德大之人,復宜適陽明之方,即升進之道通矣。二方以喻人之明昧也。
「南征吉」。南方は陽気光明の方位である。上昇の時に処り、もし陰暗の方向に向かって行けば、さらに昏昧不明となる。すでに徳行宏大の人に見えた以上、まさに再び陽明の方向に向かうべし。こうすれば上昇の道は通暢する。ここでは南北二つの方位をもって人の明智と昏昧を喩える。
象曰:地中生木,升者。升是漸漸登升、道長之義,亦猶地中生木,從下升高,自微至著也。君子以順德,積小以成高大者。孔義云:君子象之,所以順行其德,積其小善以成高大。又何妥云:君子謹習為先,修習道德,積其微小以至高大。案此之義,順字恐當為慎也。
《大象伝》の言う「地中生木、升」――「升」は逐漸登高してその道が日に長ずる意で、ちょうど地の中に樹木が生じて、低きより高きに、細微より顕著に長ずるがごとし。「君子以順徳、積小以成高大」は、孔穎達の義解は言う、君子がこれに法るゆえに、自分の徳性に順って実行し、細小の善行を積累して高大の徳業を成就する、と。何妥はまた言う、君子は謹慎修習を先とし、道徳を修養研習し、微小を積累して高大に至る、と。後の解釈に照れば、「順」の字はおそらく本は「慎」と作るべきである。
初六允升大吉者。允,當也。二三皆有應於上,故升之不疑。唯初六上無其應,體又柔劣,不能自進。當九二九三升進之時,與之俱行,上合志,必大得矣,故曰允升大吉。亦猶九二九三許允,即獲吉也。
初六の爻辞「允升、大吉」。「允」は允当・許可である。九二・九三は上にいずれも相応の爻があるので、それらの上昇は疑慮なし。ただ初六のみ上に相応の爻がなく、本身はまた柔弱低微で、自ら上進できない。それは九二・九三が上昇する時に趁い、随いて一同に前行し、上と心志相合すれば、必ず大いに獲る所ある。ゆえに「允升、大吉」と言う。これはすなわち九二・九三の許可同行を得て、吉利を獲るを言う。
九二孚乃利用禴,無咎者。九二與五為應,九二前進,五必信任,故曰有孚也。二體剛中,誠乎信實,進不求寵,志大業直,是享薦神明,但可儉約薄省而已,亦得喜慶臻至,更有何咎,故利用禴無咎,蓋為上應於君矣。
九二の爻辞「孚乃利用禴、无咎」。九二は六五と相応し、それが一旦前進すれば、六五は必ずそれを信任する。ゆえに誠信ありと言う。九二は本体が陽剛で中に居り、誠懇信実で、上進するも寵幸を求めず、志向は宏大で行事は正直である。このような人はたとえ神明に祭献するに倹省簡薄の礼数のみを用いても、照樣に喜慶を招来しうる。また何の咎かあらん。ゆえに禴祭を用いるに宜しく咎なしと言う――これはみなそれが上に君主に応ずるゆえである。
九三升虛邑者。以剛得位,已以進前,上體應柔,不拒於已,若升其虛邑,無所疑滯,故小象云無所疑也。
九三の爻辞「升虚邑」。九三は陽爻が陽位に居り位を得、自身奮力して前に向かう。上の坤体は柔順で、それを拒絶しない。よってその上昇は一座の空城に入るがごとく、何の疑慮停滞もない。ゆえに《小象伝》は「无所疑」と言う。
六四王用亨于岐山,吉無咎者。體柔居四,下體三爻皆悉上升,處升之際,可納而不可拒,其猶太王避狄之難,居岐山之會,故曰王用亨于岐山也。若能因物而成,順事之情,納而不拒,所以得吉而無咎,故曰吉無咎也。
六四の爻辞「王用亨于岐山、吉、无咎」。六四は体性が柔順で第四位に居り、下卦の三つの爻はみな一斉に上に向かい升進する。このような時に処り、それは容納するのみで拒絶すべからず。これはちょうど周の太王が狄人の侵擾を避けるため岐山の下に遷居し、各方が帰附してそこに會集したがごとし。ゆえに君王が岐山で祭享を挙行すると言う。それがもし形勢に順って事を成就し、事理の実情に順応し、容納して拒斥しなければ、吉利を獲て咎がない。ゆえに吉で咎なしと言う。
六五貞吉升階者。以柔居尊,不自専制,委任九二,任用得人,故得保其升階而踐貴位也。
六五の爻辞「貞吉、升階」。六五は陰柔をもって尊位に居り、独断専行せず、政事を九二に委託し、任用する人が恰当である。ゆえに穏やかに台阶に沿い上昇して尊貴の位に登臨できる。
上六升,利于不息之貞者。猶瞑也。既處升極而更升進,即是瞑暗不得明瞭而猶求升,故曰升。若然求升,欲為物之主者,即喪亡交至;如克己修身而不暫息,施於正,即利莫大焉,故曰利于不息之貞也。
上六の爻辞「升、利于不息之貞」。(通行本はこの爻を「冥升」と作り、底本は「冥」の字を脱し、ただ解語の中に「猶瞑也」の三字を残すのみ、いま照録して補わない。)「冥」は「瞑」に同じく、昏暗である。上六はすでに上昇の極点に処りながらなお上昇し続ければ、それは昏暗不明の状態の中で依然として升を求めること。ゆえに「升」と言う。このように一味に升を求め、なお万物の主宰とならんと欲すれば、喪亡の禍患が交わり至る。反対にもし己を克し身を修めて片刻も歇息せず、この不息を正道に用いれば、その利はこれより大きいはない。ゆえに間断なき正道を持守するに宜しいと言う。
困卦(坎下兌上)
坎下兌上。困:亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。彖曰:困,剛揜也。險以說,困而不失其所亨,其唯君子乎。貞大人吉,以剛中也。有言不信,尚口乃窮也。象曰:澤無水,困。君子以致命遂志。
困卦は下卦が坎、上卦が兌で、沢中に水なく、陽剛が陰柔に掩蔽される。ゆえに困と名づける。卦辞は言う、困は、亨通、正を守る、大人は吉利、咎なし、この時言を発しても人に信じられない、と。《彖伝》は言う、困は、陽剛が掩蔽されること。険境に身を処しながらなお和悦でいられ、困厄に遭いながら自分を亨通せしめるものを失わない、たぶん君子のみがこれをなしうるだろう。「貞、大人吉」は、九二・九五の陽剛が中に居るからである。「有言不信」は、一味に口舌の弁説に恃めば窮途に至ると言う。《大象伝》は言う、沢中に水なし、これが困である、君子はこれに法り、命を捨てても自分の志を実現する、と。
初六,臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。象曰:入于幽谷,幽不明也。九二,困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎。象曰:困于酒食,中有慶也。六三,困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。象曰:據于蒺藜,乘剛也;入于其宮不見其妻,不祥也。九四,來徐徐,困于金車,吝,有終。象曰:來徐徐,志在下也;雖不當位,有與也。九五,劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。象曰:劓刖,志未得也;乃徐有說,以中直也;利用祭祀,受福也。上六,困于葛藟,于臲卼,曰動悔,有悔,征吉。象曰:困于葛藟,未當也;動悔有悔,吉行也。
初六の爻辞、臀部が木の株に困され、幽深の山谷に退入し、三年して天日を見ない。《小象伝》は言う、幽谷に入るは、幽暗にして明らかならざるからだ、と。九二の爻辞、酒食に困される、赤色の祭服がまさに送来する、祭祀を挙行するに宜しく、この時出征すれば凶、ただ咎なし。《小象伝》は言う、酒食に困されるは、中に居りて福慶あるからだ、と。六三の爻辞、石に挡かれ、また蒺藜の上に踏み、自分の家に帰るも、妻子を見ない、凶険。《小象伝》は言う、蒺藜の上に据るは、剛爻の上に騎るからだ、家に帰りて妻子を見ざるは、不祥の兆だ、と。九四の爻辞、来ること遅緩、金車に困される、憾惜あり、ただ終に事を成せる。《小象伝》は言う、来ること遅緩は、心志が下の初六に繋がるからだ、居る位は当たらざれど、相応の伙伴あり、と。九五の爻辞、割鼻断足の刑を受け、赤色の祭服に困される、ゆっくりとして終に解脱しうる、祭祀を挙行するに宜しい。《小象伝》は言う、劓刖の刑を受けるは、心志がまだ実現せざるからだ、ゆっくりとして解脱を得るは、九五が居中正直だからだ、祭祀を挙行するに宜しきは、福沢を承受しうるからだ、と。上六の爻辞、葛藤に纏困され、動揺不安の中に処る、心の中で「動けば悔いる」と言い、果たして悔恨あり、この時往けばかえって吉利。《小象伝》は言う、葛藤に困されるは、処する所が当たらざるからだ、動けば悔いると知りて果して悔あれば、往けば吉、と。
困亨者。困者,窮厄委頓之名,道乖力疲之義。小人遭困,則窮斯濫矣;君子處之,貞節不改,而不失其通之道,困而獲濟,故曰困亨。困而不能得通,小人也。
卦辞「困、亨」。「困」は窮迫困頓の名称で、道路が通ぜず気力が疲竭する意を含む。小人が困境に遇えば、孔子の言う「窮すれば濫す」のごとく、何をもやってのける。君子が困境に身を処すれば、貞正の節操が毫も改めず、よって自分を通達せしめる道を失わず、困まれど終に済渡を獲る。ゆえに「困、亨」と言う。反対に、困に遭いて終始通達できなければ、それは小人である。
貞大人吉無咎者。處困不濫,而能自通,此唯體正修德之人,處困而能保之,然後吉無咎也。
「貞、大人吉、无咎」。困境に身を処して放縦妄為せず、なお自ら通達に向かえる、これはただ本身が端正で徳性を修養する人のみがなしうる。このような人は困境に処してもなお自らを保全し、然る後に吉利にして咎なし。
有言不信者。當困之時,欲希濟困,必須修身慎行,立德立誠,而乃巧辭飾言以求其濟,人何以信,轉益困窮也。
「有言不信」。まさに困厄の時にあたり、困境を脱せんと欲すれば、必ず自身を修養し行事を謹慎し、徳行を樹立し誠信を樹立せねばならない。もし反って巧言令色・言辞を粉飾して解脱を謀れば、他人は何をもって信じようか。それはただ自分をいっそう困窮せしめるのみである。
象曰:澤無水,困者。水在澤下,澤中萬物枯稿,困之象也。君子以致命遂志者。君子守道而處,雖遭困厄之世,而不渝濫以謟世俗;假使致命喪身,固當守節不移,以遂高尚之志。故素書云:如其不遇,沒身而已是也。
《大象伝》の言う「沢无水、困」――水が沢の下に漏れ去り、沢中の万物はこれによって干枯凋敝する。これはまさに困頓の形象である。「君子以致命遂志」は、君子が道義を守って自処し、たとえ困厄の時世に遭逢しても、節を改めて放縦して世俗に迎合しない。たとえ性命を捨てるに及んでも、依然として節操を守りて毫も動揺せず、これをもって自分の高尚の志を実現する。ゆえに《素書》は言う、もし終に明主に遇わなければ、身を守りて終るのみ、まさにこの意である、と。
初六臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿者。以陰爻最居窮下,即是沉滯窮困,居不得安,若處於株木之上,故曰臀困于株木也。處困之時,欲進即二隔其路,欲且處又居之不安,懼於困危,遂乃逃竄,故曰入于幽谷也。困極即通,事之常理,不過數年,困危必釋,可以出矣,故曰三歲不覿也。
初六の爻辞「臀困于株木、入于幽谷、三歳不覿」。それは陰爻をもって全卦の最も下の窮困の地に処り、まさに沈滞困窘にして坐っても立っても安んぜず、ちょうど光秃の木の株の上に坐るがごとし。ゆえに臀部が木の株に困されると言う。困厄の時に処り、それは上進せんと欲するも、九二が去路を挡く。就地に安処せんと欲するも、坐りて安穏ならず。困厄危難を畏れるゆえ、逃走して蔵匿する。ゆえに幽深の山谷に退入すると言う。困に極まれば通に転ずるは事の常理で、数年を過ごさずして、困厄危難は必ず解除され、その時出るべき。ゆえに三年して天日を見ないと言う。
九二困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎者。以剛處中,以陽居正,又無偏應。體剛即能濟困,居陰即以謙待物,物之所歸也;處中即德行不邪,無應即心無私黨。有此眾美,即物皆歸已,不勝飽飫,故曰困于酒食也。朱紱,南方祭服也。九二體屬坎卦,坎為北方,言九二有此美徳,陽明方物而來,即東西二方必至,故曰朱紱方來。四方歸向,庶物豐盈,可以亨薦神明,克降其福,故曰利用亨祀也。盈而又進,傾敗道也,以此征行,凶危交至,故征凶。凶禍自已所招,豈合咎怨他人,即得無咎也。
九二の爻辞「困于酒食、朱紱方来、利用亨祀、征凶、无咎」。九二は陽剛をもって下卦の中に居り、位を得てまた偏私の正応がない。本体が剛健なので、困厄を救助できる。陰位に居るので、謙遜をもって外物に対でき、万物はこれによって帰附する。中位に処るので、徳行が偏邪しない。正応がないので、心中に私党がない。これら多くの美徳を具備すれば、万物はみな己に帰向し、酒食が多くて食べ尽くせない。ゆえに酒食に困されると言う。「朱紱」は南方に用いる祭服である。九二は坎体に属し、坎は方位上北方に属す。これは九二にこのような美徳あり、南方陽明の地の物産まで門を訪ねて送来し、然らば東・西の两方も自ずから必ず至るを言う。ゆえに赤色の祭服がまさに送来すると言う。四方が帰心し、各種の物産が豊足すれば、神明に祭献でき、神明が福沢を降下する。ゆえに祭祀を挙行するに宜しいと言う。ただ盈満して後にさらに進むは、傾覆敗亡の道である。この態度をもって出征遠行すれば、凶険危難が一斉に至る。ゆえに出征すれば凶と言う。凶禍がすでに自分の招いた以上、どうして他人を咎怨すべきか。よって咎なしと言う。
六三困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶者。石者為物,堅剛而不可入,謂九四也;蒺藜之草,有刺而不可踐,謂九二也。六三以陰居陽,不正而處,上無應援,無所之適,志懷剛武,欲親於四,四又不受,如石之堅;欲附九二,二又不許,猶如蒺藜刺而難踐,故曰困于石,據于蒺藜也。無應而行,失其配偶,譬之入於宮中而不見其妻,處困如斯,固其凶矣。
六三の爻辞「困于石、据于蒺藜、入于其宮、不見其妻、凶」。石という物は堅硬剛強で、鑽り入ることができない。ここでは九四を指す。蒺藜という草は硬刺が満ち、踏みつけることができない。ここでは九二を指す。六三は陰爻が陽位に居り、位が正しからずして強いて処り、上にまた応援がなく、往く所なく、心中には剛強好闘の志を懐く。それは九四に親近せんと欲するも、九四はそれを容納せず、石のように堅硬で入り難い。九二に依附せんと欲するも、九二はまた許さず、ちょうど蒺藜が刺を帯びて踏めないがごとし。ゆえに石に挡かれ、また蒺藜の上に踏むと言う。それは正応がないのに強いて行動し、自分の配偶を失う。喩えて言えば家中に帰って妻子を見ぬがごとし。困境に処してこの地步に至れば、もちろん凶険である。
九四來徐徐,困于金車,吝有終者。徐徐是疑懼不速之貎也。金車謂九二,以剛處中,如車材強壯也。四欲就初六,懼九二為難,心懷疑懼,不敢速進,是困於九二之金車,故曰來徐徐,困于金車也。有應在初而未相遇,是以有吝;以謙得物,故乃有終也。
九四の爻辞「来徐徐、困于金車、吝、有終」。「徐徐」は心に疑懼を存して速く歩くを敢えてしないさま。「金車」は九二を指し、それは陽剛をもって下卦の中に居り、ちょうど車の材質が堅固強壮ながごとし。九四は初六に親就せんと欲するも、九二が間から作梗するを恐れ、よって心に疑懼を懐き、迅速に前進することを敢えてしない。これはまさに九二という金車に困される。ゆえに来ること遅緩、金車に困されると言う。それは初六に相応の爻がありながらまだ會合していないので、憾惜がある。ただそれは謙遜をもって他人を獲得できるので、終に事を成しうる。
九五劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀者。以陽居陽而無謙遜,物則不附;怒其不來附已,乃行劓刖之刑,故異方之人轉更離叛,故曰困于赤紱矣。以剛居中,不昧所見,改修其道,以謙得眾,故用寛徐,人悉歸已,乃有喜恱,故曰乃徐有說。剛而處尊,而用中直,即可亨祭而獲福慶,故曰利用祭祀也。
九五の爻辞「劓刖、困于赤紱、乃徐有説、利用祭祀」。九五は陽爻が陽位に居り、剛であれど謙遜なければ、外物はそれに帰附せんと肯じない。それは人が来て己に附かぬを恼怒し、ここにおいて割鼻断足の酷刑を動用する。結果は遠方の人が反ってさらに離叛する。ゆえに赤色の祭服に困されると言う。ただそれは陽剛をもって尊位に居り、見識は昏昧でなく、改弦更張して自分の做法を修正し、謙遜に凭って衆人を獲得できる。よって寛緩従容の方式に改用すれば、衆人はみな来て己に帰附し、ここにおいて喜悦がある。ゆえにゆっくりとして終に解脱と言う。それは陽剛にして尊位に居り、また中正正直の道を行えば、祭享を挙行して福慶を獲られる。ゆえに祭祀を挙行するに宜しいと言う。
上六困于葛藟,于臲卼,曰動悔,有悔,征吉者。葛,蔓也;藟,纒繞貎;臲卼,搖動不安貎。上六處困之極,即是困極也。無應乘剛,行即被物纒繞,居則臲卼不安,故曰困于葛藟于臲卼也。曰,思謀之辭也。凡物窮思變,極即謀通。處至困之地,何有通路,故須思謀曰:我若守此,必見不濟,謀逃逸可以免之。發意逃時,其悔乃生,故繫辭云:吉凶悔吝生乎動。是初動而有憂悔。當奔逸冒險之時,又生憂悔;既出險外,即不慮危困,所以征行而獲吉,故曰動悔有悔征吉也。
上六の爻辞「困于葛藟、于臲卼、曰動悔、有悔、征吉」。「葛」は藤蔓で、「藟」は纏繞のさま、「臲卼」は揺晃して安まらざるさま。上六は困卦の極点に処り、すなわち困厄が極処に至った。それは相応の爻がなくまた剛爻の上に騎り、一動すれば物に纏われ、安処すれば揺晃して安まない。ゆえに葛藤に纏困され動揺不安の中に処ると言う。「曰」は思量謀劃の語詞である。およそ事物が窮極すれば変を思い、尽頭に至れば通路を謀る。極困の地に身を処して、どこに通路があらん。ゆえに必ず反復思量せねばならない。我がもしここに守り続ければ、必ず過ごせない、逃走を謀ってこそ脱せられる。しかし逃走の念を動かしたばかりに、悔恨が随いて生ずる。ゆえに《繋辞伝》は言う、吉・凶・悔・吝はみな行動から生ずる、と。これは一動すれば憂悔を生ず。本当に奔逃冒険する時に至って、また憂悔を生ず。しかし一旦険境の外に脱出すれば、もはや困厄を憂慮する必ずしもなく、ゆえに往けばかえって吉利を獲る。よって動けば悔いると知りて果して悔あり、往けば吉と言う。
井卦(巽下坎上)
巽下坎上。井:改邑不改井,無喪無得,往來井井,汔至亦未繘井,羸其瓶,凶。彖曰:巽乎水而上水,井。井養而不窮也。改邑不改井,乃以剛中也。汔至亦未繘井,未有功也。羸其瓶,是以凶也。象曰:木上有水,井。君子以勞民勸相。
井卦は下卦が巽、上卦が坎で、木桶が水に入りて水を汲み上げる。ゆえに井と名づける。卦辞は言う、井は、城邑は改建しうるも井は改変せず、井水は減少せず増加もせず、来往の人はみな井に汲みに至る、水がまさに井口に提げられんとして綱がまだ完全に引出されず、汲水の瓦瓶を打破る、凶険、と。《彖伝》は言う、水中に深く入りて水を提げ上げる、これが井である。井は衆人を養い窮まることなし。「改邑不改井」は、九二・九五の陽剛が中に居るからである。「汔至亦未繘井」は、功業がまだ成就せざるを言う。「羸其瓶」は、ゆえに凶。《大象伝》は言う、木桶の上に水あり、これが井である、君子はこれに法り、百姓を慰労し、彼らが互相帮助うを勉励する、と。
初六,井泥不食,舊井無禽。象曰:井泥不食,下也;舊井無禽,時舍也。九二,井谷射鮒,甕敝漏。象曰:井谷射鮒,無與也。九三,井渫不食,為我心惻,可用汲,王明並受其福。象曰:井渫不食,行惻也;求王明,受福也。六四,井甃,無咎。象曰:井甃無咎,修井也。九五,井洌寒泉食。象曰:寒泉之食,中正也。上六,井收勿幕,有孚元吉。象曰:元吉在上,大成也。
初六の爻辞、井の中に污泥が満ち、水が飲めない、この廃井には禽鳥すら来ない。《小象伝》は言う、井泥して食うべからざるは、それが最も下にあるからだ、廃井に禽なきは、時人に遺棄されるからだ、と。九二の爻辞、井底の泉眼はただ下に向かい小魚の身に浇るのみ、汲水の瓦甕がまた破れて漏れる。《小象伝》は言う、井谷して鮒を射るは、それに配合すべき相手がないからだ、と。九三の爻辞、井はすでに淘洗潔淨なれど飲む人なし、我が心を悲しましむ、この水は汲取しうる、君王がもし明察ならば、大家がみな福沢を蒙る。《小象伝》は言う、井渫して食われざるは、行路の人もこれがため悲しむ、君王の明察を祈求するは、共に福沢を受けるためだ、と。六四の爻辞、磚石をもって井壁を修砌する、咎なし。《小象伝》は言う、井甃して咎なきは、この井を修治するからだ、と。九五の爻辞、井水が清洌で、寒泉のごとく飲用に供しうる。《小象伝》は言う、寒泉が食うべきは、九五が中正だからだ、と。上六の爻辞、井水を汲取し上げて遮蓋せず、心に誠信を懐く、大いに吉利。《小象伝》は言う、元吉にして上位に居るは、井道が大功告成したからだ、と。
井改邑不改井者。古人穿地汲水以供人用,故謂之井。井以潔淨為義也。邑,民產也,其屋遷移,井體不改,亦猶人之常德,改過不吝,德行有恆,故曰改邑不改井也。
卦辞「井、改邑不改井」。古人は地を穿ち水を取りて衆人に供用した。ゆえに井と謂う。井は潔淨をもってその意義とする。「邑」は百姓が聚居する産業を指し、房屋は遷移しうるも、井の本体は改変しない。これはまた人の恒常不変の徳性に似る。過失を改めるに吝惜せず、徳行は終始恒あり。ゆえに城邑は改めうるも井は改めずと言う。
往來井井者。往者來者皆汲引之,而不以貴賤汲引改其清潔之性也。無喪無得者,此舉井體有恆,不隨物之遷變,故終日泉注,未嘗言溢;終日汲引,未嘗言竭也。
「往来井井」。去る人も来る人も、みな井に水を打ちに行く。井は汲水者の身分の貴賤によって自分の清潔の本性を改変しない。「无喪无得」は、井の本体にその恒常あり、外物の遷変に随って改変しないを言う。ゆえに終日泉水が注入しても、それが溢出したを見ず、終日人が汲取しても、それが枯竭したを見ない。
汔至亦未繘井,羸其瓶,凶者。繘,綆繩也;汔,將至之義;羸,舒展也。言汲水將至井口,其綆猶未盡出,而鉤舒繩斷,傾覆其瓶,即是勞而無功。喻人行其恩德,須善始令終;若有始無終,不能永保其故,就人事言凶也。書云:為山九仞,功虧一簣是也。
「汔至亦未繘井、羸其瓶、凶」。「繘」は汲水の繩索、「汔」はまさに到達せんとする意、「羸」は松脱舒展である。これは水がすでに井口に提げられんとするも、繩索がまだ完全に引出されず、鉤が松脱し繩が断絶し、瓦瓶を打翻した。結果は力を費やして一成なし。人が恩徳を施行するに、必ず善始善終せねばならないを喩える。もし有始無終ならば、原有の成果を永久に保住できない。人事に就いて言えばこれは凶である。《尚書》は言う、九仞の山を堆するも、最後の一筐の土を欠けば前功尽棄、まさにこの理である、と。
象曰:木上有水,即是汲水而上,井之象也。君子以勞民勸相者,勞,賚;相,助也。井之為義,養而不窮,以勞賚之恩,勸恤勤恵,令助百姓,使有成功。故周正云:勸助民人,使功日濟是也。
《大象伝》の言う「木上有水」――すなわち木桶をもって水を提げ上げる、これはまさに井の形象である。「君子以勞民勸相」の「勞」は慰労賞賜、「相」は帮助である。井の意義は衆人を養育して窮尽なきに在る。君子はここにおいて慰労賞賜の恩惠を用い、体恤を勉励し勤めて恵を施し、人々をして互相帮助い百姓を助けしめ、事功を成就せしめる。ゆえに周氏は言う、民人を勉励帮助し、功業を日々に有成せしむ、まさにこの意である、と。
初六井泥不食,舊井無禽者。初六最處井底,即是井下淤泥沉滓而不可食。井既舊穢,不曾淘渫,即禽鳥賤類而尚不向,即人與禽俱在棄舍,故曰舊井無禽。喻人不潔已修行,為人所棄是也。
初六の爻辞「井泥不食、旧井无禽」。初六は井の最底部に処り、まさに井底に泥沙渣滓が淤積し、水が飲めない。この井はすでに長久污穢で、かつて淘洗疏浚したことがない。然らば禽鳥のごとき低賤の物すら肯じて光顧しない。人と禽鳥がともにそれを拋棄したが見える。ゆえに廃井に禽鳥すら来ないと言う。これは人が自身の品行を修潔せず、よって衆人に棄てられるを喩える。
九二井谷射鮒,甕敝漏者。鮒,井底小魚也。夫井之為道,以下給上為義。今九二與初六相近而附於初,即是附給下之義,如以溪谷之水,從上注下,射轍鮒魚,故曰井谷射鮒也。井不上汲,反以下注,失井之道,又似甕之破漏,出水而注下,故曰甕敝漏也。子夏傳曰:鮒是蝦蟆也。
九二の爻辞「井谷射鮒、甕敝漏」。「鮒」は井底の小魚である。井の道理は、本来下より上に供給するに在る。いま九二は初六と位置緊鄰して下に向かい初六に依附する。これは下に向かい供給するとなり、ちょうど溪谷の水が上より下に浇注して、正に小魚の身に潑くがごとし。ゆえに井底の泉眼は小魚に浇るのみと言う。井水が上に汲取せず、反って下に流瀉する。これは井の本義を失う。また瓦甕が破れて漏れて、水がみな下に漏れ去るに似る。ゆえに瓦甕が破漏と言う。《子夏易伝》は言う、「鮒」は蛤蟆を指す、と。
九三井渫不食,為我心惻,可用汲,王明並受其福者。為猶使也;渫,治也。言井既淘渫修治,其水清潔,可以食之,猶人德行已成,可以任用。今既不食,即使我中心惻愴,故曰井渫不食,為我心惻。若王者明鑑,用我以為輔弼,既喜其行,又欽其用,故曰王明並受其福也。得人助己而化洽,民之有幸,故獲其福矣。
九三の爻辞「井渫不食、為我心惻、可用汲、王明並受其福」。「為」は「使」に相当し、「渫」は淘洗整治である。これは井がすでに淘洗修治され、水質が清潔で、まったく飲用できる。これはちょうど人の徳行がすでに修成し、まったく任用できるに似る。いま飲みに来る人がない。これは我が心中を悲しましむ。ゆえに井はすでに淘淨なれど飲む人なく、我が心を悲しましむと言う。もし君王が明察して我を用いて輔弼の臣とせば、すなわちその徳行に欣喜し、またその才用を敬重する。ゆえに君王が明察ならば衆人が共に福沢を受けると言う。君王が賢人の助けを得て教化が周遍するは、百姓の幸いで、よって大家がみな福分を獲る。
六四井甃無咎者。甃猶修治也,壞處以磚甃壘也。六四得位無應,得位即可以自處,無應即不可以行。其猶人之為道,無施行之功,即可以修德自處,故無咎也。
六四の爻辞「井甃、无咎」。「甃」は修葺整治で、井壁の壊損した処を磚石で砌壘することを指す。六四は正位を得るも相応の爻がない。位を得れば安処自守でき、応なければ行動すべからず。これはちょうど人の処世の道で、すでに事功を推行する機会がなければ、徳性を修養して安然と自処しうるがごとし。ゆえに咎なし。
九五井洌寒泉食者。洌,清潔也;寒者,表清潔之義也。餘爻不當貴位,皆修德待用;九五既居尊位,能擇人而用之。以剛居中,下無私應。剛中即能斷制非妄,下無私應即無偏曲之心,猶剛正之主不任貪濁之臣,必須行潔賢明而後始用,故曰寒泉食也。
九五の爻辞「井洌寒泉食」。「洌」は清澈潔淨、「寒」もまた清潔を表明する意。其余の各爻はみな尊貴の位に居らず、ただ徳性を修養して任用を待つのみできる。九五はすでに尊位に身を居し、人才を選択して任用できる。それは陽剛をもって上卦の中に居り、下にはまた偏私の正応がない。剛にして中に居れば、裁断しうるも妄為しない。下に私応なければ、偏袒曲護の心がない。これはちょうど剛正の君主が貪濁の臣を肯じて任用せず、必ず品行潔淨・賢能明達の人才であってこそ録用するに肯じるがごとし。ゆえに寒泉のごとく清洌にして飲むべしと言う。
上六井收勿幕,有孚無吉者。凡五榖收成倍於常年者曰收也。上六處井之極,井道大成,如五榖之有收成,故曰井收也。幕是覆蓋也。井既大成,不須覆蓋,而不私其利,使天下悉皆汲引,即是信被天下而致大成,故獲大吉,故曰勿幕有孚元吉也。
上六の爻辞「井収勿幕、有孚元吉」。(底本は「元吉」を「无吉」と訛作し、いま照録して改めない。)およそ五穀の収成が常年に倍するを「収」と言う。上六は井卦の極点に処り、井養の道が大功告成し、ちょうど五穀が豊収を獲たがごとし。ゆえに「井収」と言う。「幕」は遮蓋である。井がすでに大成した以上、さらに遮蓋を加える必ずしもなく、その利益を私有とせず、天下人がみな来て汲水しうる。これはすなわち誠信が天下に遍及して大功を成す。ゆえに大吉を獲る。よって遮蓋せず、誠信を懐きて大吉と言う。
革卦(離下兌上)
離下兊上。革:已日乃孚,元亨利貞,悔亡。彖曰:革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。已日乃孚,革而信之。文明以說,大亨以正,革而當,其悔乃亡。天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人。革之時大矣哉。象曰:澤中有火,革。君子以治厯明時。
革卦は下卦が離、上卦が兌で、火が沢中にあり、水火が相滅息する。ゆえに革と名づける。卦辞は言う、革は、当日を過ぎてから人に信ぜられる、元始に亨通して正を守るに宜しく、悔恨が消える、と。《彖伝》は言う、革卦は、水と火が互相熄滅し、中女と少女が一処に同じ居るも心志が彼此相合わず、ゆえに革と言う。「已日乃孚」は、変革の後に人々が初めてそれを信ずる。内に文明あり外に和悦あり、大いに亨通してまた正を守る。変革が得当なれば、悔恨が消える。天地が変革して四季が形成し、商湯・周武が天命を変革し、上は天道に順い下は人心に応ず。革卦の処する時勢の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、沢中に火あり、これが革である、君子はこれに法り、暦法を修治して時序を明確にする、と。
初九,鞏用黃牛之革。象曰:鞏用黃牛,不可以有為也。六二,已日乃革之,征吉,無咎。象曰:已日革之,行有嘉也。九三,征凶,貞厲,革言三就,有孚。象曰:革言三就,又何之矣。九四,悔亡,有孚改命,吉。象曰:改命之吉,信志也。九五,大人虎變,未占有孚。象曰:大人虎變,其文炳也。上六,君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。象曰:君子豹變,其文蔚也;小人革面,順以從君也。
初九の爻辞、黄牛の皮で牢く捆り留める。《小象伝》は言う、黄牛の革で捆縛するは、この時有所作为すべからずを言う、と。六二の爻辞、当日を過ぎてからそれを変革する、往けば吉利、咎なし。《小象伝》は言う、已日して後に変革するは、行動に美好の結果あり、と。九三の爻辞、出征すれば凶、正を守っても危厲、変革の主張を反復申説して三度成れば、人の信を取れる。《小象伝》は言う、変革の言が三度成議するは、またどこへ往かんや、と。九四の爻辞、悔恨が消える、誠信を懐きて旧命を更改する、吉利。《小象伝》は言う、改命して吉は、心志が信従を得たからだ、と。九五の爻辞、大人の変革は虎が毛を換えるがごとく文采が焕然とする、占問せずともすでに人の信を取る。《小象伝》は言う、大人が虎変するは、その文采が光明显耀だからだ、と。上六の爻辞、君子の変革は豹が毛を換えるがごとく、小人はただ顔色を改換するのみ、この時出征すれば凶、安居して正を守れば吉。《小象伝》は言う、君子が豹変するは、文采が潤沢茂盛、小人が面を革するは、柔順に君上に服従するからだ、と。
革已日乃孚者。革,改變之名,易舊之義,故名革也。革既改舊易新,即是王者創制命令,改前王之法度。以其初施法令,民有所感,未便從伏,必須已竟今日,明日方始從令。故宋□云:人性習常,不說改易;及變之後,樂其所成。故即日不孚,已日乃孚矣,故曰已日乃孚也。已,竟也。
卦辞「革、已日乃孚」。「革」は改変の名称で、旧物を革除する意を含む。ゆえに卦名を革と言う。変革はすなわち除旧布新で、すなわち君王が制度法令を創立し前代君王の法度を更改することである。法令がちょうど頒行されたので、百姓は一時まだ適応せず、すぐには服従しない。必ず今日が畢わるを待ち、明日に至って初めて命令に聴従し始める。ゆえに宋衷は言う、人の天性は常規に習慣し、改変を喜ばない、変革が完成して後に、それのもたらす成果を楽しむ、と。よって当日にはまだ信を取らず、この日を過ぎて初めて信ぜられる。ゆえに「已日乃孚」と言う。「已」は完畢である。(「宋」の下の一字は底本に缺き、いま缺を存し補わない。文義に拠れば宋衷を指すべし。)
元亨利貞悔亡者。悔之所生,生乎變動也。今革既變故,人心不安,必有憂悔。今革道既當,即得大通,利正而憂悔乃亡,故須備此四德矣。
「元亨利貞、悔亡」。悔恨の発生は、みな変動から来る。いま変革がすでに旧物を除去すれば、人心は安んぜざるを免れず、必ず憂愁悔恨あり。ただ変革の道が処置得当なれば、大いに通達し、正を守りて利を獲て憂悔が随いて消える。ゆえに変革は必ず元・亨・利・貞の四徳を具備せねばならない。
象曰:澤中有火,革者。火居澤下,火炎上,澤潤下,二性交,故能變革也。君子以治厯明時者,寒暑迭終,日月更運,天時人事,各以時遷,故君子觀茲革象,修治厯數,以明天時也。
《大象伝》の言う「沢中有火、革」――火が沢の下に居り、火性は上に向かい燃焼し、沢性は下に向かい浸潤し、二種の性質が彼此交攻する。ゆえに変革を生じうる。「君子以治暦明時」は、寒暑が交替して終始し、日月が更迭して運行し、天時と人事がみな時序に随いて遷移する。ゆえに君子はこの変革の象を観察し、暦法算数を修治し、もって天時節候を明確にする。
初九鞏用黃牛之革者。鞏,固也;黃,中也;革是牛皮,生曰革,熟曰韋。今初九處革之初,未肯從變,言其執志堅固,守中和之道,不肯造次從變,如似牛皮堅韌,不從改變之命也。
初九の爻辞「鞏用黄牛之革」。「鞏」は牢固、「黄」は中に居る正色、「革」は牛皮を指す――生皮を「革」と言い、熟皮を「韋」と言う。いま初九は変革の端緒に処り、まだ変に従うを肯んじない。これはそれが心志を持守するに堅定で、中和の道を恪守し、軽率に流れに随い波に逐って変ずるを肯んぜず、ちょうど牛皮のように堅韌で、改変の命令に服従しないを言う。
六二已日乃革之,征吉無咎者。陰柔之體,不敢為先,故革命已行,竟日之後,乃始從之,故曰已日乃革之。既從革命,無復疑阻,往就於五,不被疑難,故可以征進而獲無咎也。
六二の爻辞「已日乃革之、征吉、无咎」。六二は陰柔の体で、先んじて行動するを敢えてしない。ゆえに変革の命令がすでに推行され、一日を過ごした後に、それは初めて跟従し始める。よって当日を過ぎてから変革すると言う。それがすでに変革の命に服従すれば、もはや疑慮阻隔なく、前に往きて九五に親就しても猜疑刁難に遭わない。ゆえに前進して咎なきを獲られる。
九三征凶,貞厲,革言三就,有孚者。三處炎極,火性上炎,上體是水,水性柔順。九三以剛居火極,火性剛猛,故有革命之言,而上體三爻以受命令,不敢有違,其言不虛,故曰革言三就有孚也。人既從命,更興征伐,即是非理興師,所以致凶。夫興師動眾,是正道之危,故曰征凶貞厲也。
九三の爻辞「征凶、貞厲、革言三就、有孚」。九三は離火の頂点に処り、火性は上に向かい燃焼する。上卦兌は水に属し、水性は柔順である。九三は陽剛をもって火の極処に居り、火性が剛猛なので、変革の主張を提出する。上体の三つの爻はみなこの命令を接受し、敢えて違背しない。それの言が空談でないが見える。ゆえに変革の言が三度成議して人の信を取ると言う。衆人がすでに命令に服従したのに、なお兵を興して征伐すれば、それは情理に合わず武を動かすことで、よって凶険を招く。およそ師を興し衆を動かすは、それ自体が正道の面する危険である。ゆえに出征すれば凶、正を守っても危厲と言う。
九四悔亡,有孚改命吉者。無應故有憂悔,能從革命,故曰悔亡也。居水火之際,不為固吝,信彼改命之制,合時之願,所以獲吉,故曰有孚改命吉也。
九四の爻辞「悔亡、有孚改命、吉」。それは相応の爻がないので、本来憂愁悔恨あり。しかしそれは変革の命に服従しうる。ゆえに悔恨が消えると言う。それは上下水火の交接の処に居り、固執守旧せず、あの旧命を更改する制度を信従し、時勢の願望に合す。よって吉利を獲る。ゆえに誠信を懐きて旧命を更改すれば吉と言う。
九五大人虎變,未占有孚者。居得尊位,以大人之德,為革之主,即是革去前王之命,為新創之君。信德自著,合人之心,不勞占決,斯湯武之君是也。虎變者,謂改正朔,易服色,取其文章炳煥,又取虎之威猛可畏之義也。
九五の爻辞「大人虎変、未占有孚」。それは尊位に居り、大人の徳性に凭って変革の主宰を充て、まさに前代君王の天命を革除して新朝を開創する君主となる。その誠信と徳行は自ずから彰顕し、人心の向う所に合し、占卜して疑を決するを労せず。商湯・周武のごとき君主がこの類に属す。いわゆる「虎変」は、暦法正朔を改正し車服顔色を更易するを指し、その文采の光明煥発の意を取り、同時に老虎の威猛で畏るべきの含義をも取る。
上六君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉者。處革之極,變道已成。君子居之,雖不如大人之變如虎之文,然亦可順時而行,如豹文之映蔚,故曰君子豹變也。若小人處之,但能變其顏面,順上而已,故曰小人革面也。革變已極,人皆從命,固宜靜處,而更以征伐為求,即是躁擾於人,所以致凶;如靜而居之,皆獲吉,故曰征凶居貞吉也。
上六の爻辞「君子豹変、小人革面、征凶、居貞吉」。それは変革の極点に処り、変革の道はすでに完成した。君子がこの位置に居れば、大人のあの虎紋のごとき輝煌の変革に及ばないまでも、時勢に順応して行え、ちょうど豹の斑紋が潤沢茂盛のがごとし。ゆえに君子豹変と言う。もし小人がここに処すれば、ただ顔色を改換して上に在る者に順従するのみできる。ゆえに小人革面と言う。変革がすでに極点に至り、衆人はみな命令に服従した。本来安静に自処すべきところ、もしなお一味に征伐を務めとすれば、それは衆人を攪擾することで、よって凶険を招く。反対に静かに居守すれば、みな吉利を獲られる。ゆえに出征すれば凶、安居して正を守れば吉と言う。
鼎卦(巽下離上)
巽下離上。鼎:元吉,亨。彖曰:鼎,象也。以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。巽而耳目聰明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。象曰:木上有火,鼎。君子以正位凝命。
鼎卦は下卦が巽、上卦が離で、木が火中に入りて食物を烹煮し、卦体もまた鼎の形状に似る。ゆえに鼎と名づける。卦辞は言う、鼎は、大いに吉利、亨通、と。《彖伝》は言う、鼎は、器物の形象を取る。木柴を火中に送入するは、烹煮するためである。聖人が食物を烹煮して上帝に祭享し、また大規模に烹煮して聖賢を供養する。遜順にして耳目が聡明、六五という柔爻が上進して尊位に居り、中に居りて陽剛と相応するので大いに亨通。《大象伝》は言う、木上に火あり、これが鼎である、君子はこれに法り、名位を端正し政令を厳明にする、と。
初六,鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎。象曰:鼎顛趾,未悖也;利出否,以從貴也。九二,鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。象曰:鼎有實,慎所之也;我仇有疾,終無尤也。九三,鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。象曰:鼎耳革,失其義也。九四,鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。象曰:覆公餗,信如何也。六五,鼎黃耳金□,利貞。象曰:鼎黃耳,中以為實也。上九,鼎玉,大吉,無不利。象曰:玉在上,剛柔節也。
初六の爻辞、鼎足が翻倒する、鼎中の穢物を倒出するに宜しい、妾を娶りて彼女により子を生せば、咎なし。《小象伝》は言う、鼎足が顛倒するも、まだ常理に背かざる、穢物を倒出するに宜しきは、尊貴の一方に順うためだ、と。九二の爻辞、鼎中に食物が満ちる、我が対手は病あり、来て我に接近できず、吉利。《小象伝》は言う、鼎に実あるは、自分の去向を謹慎せよ、我が対手に病あるは、終に過失なし、と。九三の爻辞、鼎耳が変故を生じ、抬挙が阻格される、肥美の雉肉が食べられない、降雨に至れば悔恨が減少し、終に吉利。《小象伝》は言う、鼎耳の変故は、それの應有の意義を失ったからだ、と。九四の爻辞、鼎足が折れ、王公の美食を打翻し、鼎身が沾污狼藉し、凶険。《小象伝》は言う、公家の美食を打翻すは、このような信用がどうなろうか、と。六五の爻辞、鼎に黄色の耳、金属の鼎鉉を配す、正を守るに宜しい。《小象伝》は言う、鼎に黄耳あるは、居中をもってその実徳とするからだ、と。上九の爻辞、鼎に玉製の鼎鉉を配す、大いに吉利、利しないことなし。《小象伝》は言う、玉鉉が上にあるは、剛と柔が各々その節度を得たからだ、と。(爻辞中の「□」は底本の缺字で、通行本は「鉉」と作す、いま缺を存し補わない。)
鼎元吉亨者。鼎者,器象之名。故何妥云:古者鑄金為此器,能調五味,變故取新,以成烹飪之用,以供宗廟,次養聖賢。天子以天下為鼎,諸侯以國為鼎,變故成新,尤須當理,故先元吉,後乃亨通,故曰元吉亨也。
卦辞「鼎、元吉、亨」。「鼎」は器物の形象を取って立てた卦名である。ゆえに何妥は言う、古人が金属を熔鋳してこの器皿を造り、それで五味を調和し、生を熟に変え陳を新に換え、烹饪の功用を成就して、宗廟に供奉し、次いで聖賢を供養するに用いた、と。天子は天下全体を自分の鼎とし、諸侯は自分の封国を鼎とする。除旧布新はとりわけ情理に合せねばならない。ゆえにまず大吉あって、然る後に亨通しうる。よって「元吉、亨」と言う。
象曰:木上有火,鼎者。巽,木也,又為入;離,火也。木入火中,是烹飪鼎之象也。君子以正位凝命者。凝,嚴整也。鼎既變故成新,所以君子象之,正定尊卑之位,使其有別;布示嚴凝之命,使其不妄輕犯也。
《大象伝》の言う「木上有火、鼎」――巽は木を象徴し、また「入」の意あり。離は火を象徴する。木が火中に送入される。これはまさに食物を烹煮し鼎器を使用する形象である。「君子以正位凝命」の「凝」は厳粛整饬である。鼎がすでに除旧布新しうるので、君子はこれに法り、尊卑の名分を端正確定し、上下に区別あらしめ、厳整凝重の政令を頒布して、人をして妄りに軽く犯さざらしめる。
初六鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎者。趾,足也;顛,倒也。鼎之為義,下實上虛,虛以納物,實以受物也。今初六以陰處下,即是鼎口向下,鼎足倒上,即是鼎傾覆,足倒在上,故曰鼎顛趾也。鼎既顛趾,其所利者,利在傾棄鄙穢之物,故曰利出否也。以事明之,亦猶正室雖亡,媵妾不可為室主;若以妾為室主,亦猶鼎之顛趾,咎莫大焉。妾若有子,即母以子貴,以此繼室,猶可免咎,故曰得妾以其子無咎也。
初六の爻辞「鼎顛趾、利出否、得妾以其子、无咎」。「趾」は足、「顛」は倒すである。鼎の意義は下が充実し上が空虚にある。虚は物を容納するに用い、実は物を盛受するに用いる。いま初六は陰爻をもって最下位に処る。すなわち鼎口が下に向かい鼎足が上に向かい、すなわち鼎が翻倒され、脚がかえって上にある。ゆえに鼎足が顛倒すると言う。鼎がすでに翻倒すれば、その好処は裏面の污穢の物を倒し去れるに在る。ゆえに穢物を倒出するに宜しいと言う。人事をもってこれを説明すれば、これはまた正妻がすでに亡故しても、陪嫁の妾室は家室の主と立てられないに似る。もし妾を正室とすれば、ちょうど鼎足が顛倒するがごとく、咎はこれより大きいはない。ただ妾がもし兒子を生めば、母が子によって貴くなりうる。この方式をもって正室に続けば、なお咎を免れうる。ゆえに妾を娶りて彼女により子を生せば咎なしと言う。
九二鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉者。實為陽也;即,就也。鼎之為義,虛中待物,乃是其常。今九二以陽居中,失虛中之義,施之人事,即是志意盈滿,不受規誨,故曰鼎有實也。我仇謂五也,仇,匹也。然六五是我之仇匹,有乘剛之疾,不得來就於我,為六五下有二剛爻為疾也。我得全其志,不為驕盈,即獲吉也,故曰我仇有疾,不我能即吉也。
九二の爻辞「鼎有実、我仇有疾、不我能即、吉」。「実」は陽爻を指し、「即」は靠近である。鼎の常道は中間が空虚にして外物を容納を待つに在る。いま九二は陽爻が下卦の中に居り、虚中にして物を待つの意義を失う。人事に落とせば、すなわち心志が自満し、規勧教誨を聞き入れない。ゆえに鼎中に物が満ちると言う。「我仇」は六五を指し、「仇」はここでは匹配の意。六五は本は我と匹配する一方なれど、剛爻に凌駕する病を害し、来て我に親就不能ない。これは六五の下に九三・九四という二つの剛爻を隔て、それの病患となるからである。こうなれば、我はかえって自分の心志を保全し、驕矜自満に至らず、よって吉利を獲る。ゆえに我が匹配者に病ありて来て我に接近できず、かえって吉と言う。
九三鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉者。鼎之為義,下實上虛。九三既處下卦之上,即是鼎耳。鼎耳之用,唯在虛空,以待而舉之。今九三以陽處之而自實塞,即是變革鼎耳之常道也,故曰鼎耳革。以人事明之,是懷小人之行而自實塞,不納賢良,故曰其行塞也。既無虛中待物之心,物亦不來歸已,猶之雉膏美物而終不得食,故曰雉膏不食也。方雨虧悔終吉者,此戒其勿行剛處亢,以柔和為用。若不全任剛亢,務在和通,方欲為此和通,即虧減其悔,終獲吉矣。雨喻陰陽和順也。
九三の爻辞「鼎耳革、其行塞、雉膏不食、方雨虧悔、終吉」。鼎の意義は下が充実し上が空虚にある。九三は下卦の最上の爻に処り、正に鼎耳の位置に相当する。鼎耳の功用は全て中空に在り、鼎鉉を穿りて鼎を抬き上げしめるためである。いま九三は陽爻をもってこの位に居り自分で塞満する。これは鼎耳の應有の常道を改変する。ゆえに鼎耳が変故を生じると言う。人事をもってこれを説明すれば、心に小人の行径を存して自ら壅塞し、賢良を容納せんと肯ぜぬ。ゆえにその行路が堵住されると言う。それがすでに虚心にして物を待つ胸懐なければ、外物もまた来て己に帰附しない。ちょうど肥美の雉肉がそこに陳べられても終に食べられないがごとし。ゆえに雉肉が食べられないと言う。「方雨虧悔、終吉」は、それに一味に剛強にして亢極に処するなかれ、柔和をもって用とすべしを誥戒する。もし全て剛亢に倚仗せず、一心に和順通達を追求すれば、まさに和通に向かわんとする時、悔恨が減少し、終に吉利を獲る。「雨」はここでは陰陽の調和順暢を喩える。
九四鼎折足,覆公餗,其形渥,凶者。餗是八珍糝,鼎之實也;渥,沾濡之貌。九四應在初,初已傾棄穢物,即九四有以受其珍美之物也。九四上近於五,即有承五之心;下又應初,又有施下之義。既承且施,力所不任,即致折足而傾棄其餗,故曰鼎折足,覆公餗。鼎足既折,覆於地,即被沙滷沾濡。喻之於人,智小謀大,力小任重,受其至辱,災及其身,故曰其形渥凶。
九四の爻辞「鼎折足、覆公餗、其形渥、凶」。「餗」は八珍を調和した糁食で、すなわち鼎中に盛る美味である。「渥」は沾湿污染のさま。九四は初六と相応し、初六はすでに污穢の物を倒し去った。よって九四はあの珍美の食物を盛受できる。九四は上に九五に緊鄰するので、九五に承奉する心あり、下にまた初六と相応するので、下に恵を施す責任もある。上を承けまた下に施すは、力量が担當しきれず、ここにおいて鼎足が折れ鼎中の美食を打翻すに至る。ゆえに鼎足が折れ、公家の美食を傾覆すると言う。鼎足がすでに折れれば、鼎身は地に倒れ、泥沙鹸土に沾污される。人に喩えれば、智慧が短浅なのに大事を謀劃し、能力が薄弱なのに重任を担負し、よって極大の羞辱を蒙り、災禍が自身に波及する。ゆえに鼎身が狼藉して凶と言う。
六五鼎黃耳金利貞者。黃,中,謂五也;金,剛,謂二也;者,扛鼎之物也。六五以柔居中,故曰黃耳;應在九二,以柔納剛,納金而以舉之,故曰金也。所納剛正,不為虛妄,故曰利貞。
六五の爻辞「鼎黄耳金鉉、利貞」。(底本は「金」の下に「鉉」の字を脱し、解語中の「者扛鼎之物也」の前にも一「鉉」字を欠く、いま照録して補わない。)「黄」は中に居る正色で、六五を指す。「金」は剛強を象徴し、九二を指す。缺けたあの字は鼎耳を横穿し鼎を抬くのに用いる器具を指す。六五は陰柔をもって上卦の中に居る。ゆえに「黄耳」と言う。それは九二と相応し、柔順をもって陽剛を容納する。これは金属の鼎鉉を納入してそれに借りて鼎を抬き上げるに等しい。ゆえに「金」と言う。その容納する所はすでに剛にして正しく、虚妄に渉らない。ゆえに正を守るに宜しいと言う。
上九鼎玉□,大吉無不利者。堅剛之物而懷潤澤之性,喻道大成而有斯美。體剛履柔,是用玉而以自舉,故曰鼎玉也。應不在下,不私其用,故獲大吉而無不利,故曰大吉無不利也。
上九の爻辞「鼎玉鉉、大吉、无不利」。(底本は「玉」の下に一字を缺く、いま缺を存し補わない、「鉉」と作すべし。)玉は堅硬剛強の物でありながら、また温潤の性質を含む。道業が大成してこの美徳を兼備するを喩えるのに用いる。上九は本体が陽剛で下に柔爻を履む。まさに玉鉉を用いて自分を抬挙する。ゆえに鼎に玉鉉を配すと言う。それは下に相応の爻がないので、鼎の功用を私有としない。ゆえに大吉を獲て利しないことなし。よって大吉、利しないことなしと言う。
震卦(震下震上)
震下震上。震:亨。震來虩虩,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。彖曰:震亨。震來虩虩,恐致福也;笑言啞啞,後有則也。震驚百里,驚逺而懼邇也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。象曰:洊雷,震。君子以恐懼修省。
震卦は上下両体とも震で、雷声が連続して至る。ゆえに震と名づける。卦辞は言う、震は、亨通。雷声が襲来すると人人が恐懼戦慄し、事後はまた談笑自如、雷声が百里の遠さを驚動しても、主祭者は匕と鬯酒をすら失手しない、と。《彖伝》は言う、震が亨通する所以は、「震来虩虩」は恐懼によって福沢を招く、「笑言唖唖」は事後の行事に法度がある、「震惊百里」は遠方の人が驚き近処の人が懼れる、長男が外出すれば宗廟社稷を守り、主祭の人と成りうる、と。《大象伝》は言う、雷声が連続して至る、これが震である、君子はこれに法り、恐懼の心を懐きて身心を修養し過失を省察する、と。
初九,震來虩虩,後笑言啞啞,吉。象曰:震來虩虩,恐致福也;笑言啞啞,後有則也。六二,震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。象曰:震來厲,乘剛也。六三,震蘇蘇,震行無眚。象曰:震蘇蘇,位不當也。九四,震遂泥。象曰:震遂泥,未光也。六五,震往來厲,億無喪有事。象曰:震往來厲,危行也;其事在中,大無喪也。上六,震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,無咎,婚媾有言。象曰:震索索,中未得也;雖凶無咎,畏鄰戒也。
初九の爻辞、雷声が襲来して恐懼戦慄し、事後は談笑自如、吉利。《小象伝》は言う、震来虩虩は、恐懼によって福沢を招く、笑言唖唖は、事後の行事に法度がある、と。六二の爻辞、雷震の襲来は危険あり、銭財を損失したと哀嘆し、高い山陵に登る、追尋する必ずしも要せず、七日後に自ずから失って復た得る。《小象伝》は言う、震来して危厲は、六二が剛爻の上に騎るからだ、と。六三の爻辞、雷震の下で惶惶として安まらず、驚懼の中に行動すれば災殃なし。《小象伝》は言う、震蘇蘇は、六三の居る位が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、雷震の下で泥淖に陥る。《小象伝》は言う、震して泥に遂うは、その道がまだ光大せざるからだ、と。六五の爻辞、雷震の来去にいずれも危険あり、哀嘆の余りなれど損失なく、大事を主持しうる。《小象伝》は言う、震の往来に厲あるは、行事が危難の中に在るからだ、その主持する事が中道に合するので、大体上損失なし、と。上六の爻辞、雷震の下で瑟縮して安まず、目光が驚惶して四顧する、往けば凶あり。雷震が自分の身に落ちず隣人の身に落ちれば、咎なし、ただ婚親の間に責備の言語あらんを免れず。《小象伝》は言う、震索索は、居中の徳がまだ得られざるからだ、凶なれど咎なきは、隣人の災いを見て警戒を知るからだ、と。
震亨者。震,動也。此象雷之卦,雷是天之威動也。雷之威震,人皆驚懼,因此恐懼而乃修德,恭儉整肅,所以獲通,故曰震亨也。
卦辞「震、亨」。「震」は震動である。これは雷に取象した卦で、雷は上天の威厳の震動を代表する。雷の威勢が一発すれば、人人が惊恐畏懼する。この恐懼によって徳行を修養し、恭敬倹朴にして自身を整粛するので、通達しうる。よって「震、亨」と言う。
震來虩虩,笑言啞啞者。虩虩,恐懼之貎;啞啞,語笑之聲。故迅雷風烈,君子為之變容。天既威震,人皆恐懼,不敢怠慢,遂乃修德。道成德立,福慶亦至;福至之後,方敢喜樂,故曰笑言啞啞也。
「震来虩虩、笑言唖唖」。「虩虩」は恐懼して安まらざるさま、「唖唖」は談笑の声音である。ゆえに《論語》に記す、迅疾の雷・猛烈の風に遇えば、孔子は必ず容色を変えた、と。上天がすでに威厳に震怒すれば、人人が恐懼し、怠慢を敢えてせず、ここにおいて徳行を修養する。道業が成り徳行が立つに及び、福慶もまた随いて至る。福慶が到来して後に、初めて歓欣喜楽を敢えてする。ゆえに事後に談笑自如と言う。
震驚百里,不喪匕鬯者。匕者,其形如箄,可以舉鼎中之物也;鬯是香草,取之釀酒,祭廟之用也。震卦體屬長子,若君出於外,或為巡狩等事,即長子監臨於國,威震肅齊,廣及百里。百里者,取雷震百里之義。承主祭祀粢盛之器,守而不失,故曰不喪匕鬯也。
「震惊百里、不喪匕鬯」。「匕」の形状は筲箕に似て、鼎中から祭肉を取出すに用いる器具である。「鬯」は香草で、それをもって香酒を醸成し、宗廟を祭祀するのに供する。震卦は八卦の中で長男を代表する。もし君主が外出し、あるいは巡狩などに行くときは、長男が留守して国を監臨し、威厳粛穆・綱紀を整斉し、声威の及ぶ所は広く百里に達する。「百里」と言うは、雷声が百里を震動しうるの意を取る。彼は祭祀を主持し祭品を盛る礼器を掌る責を担い、守護得当にして失手しない。ゆえに匕と鬯を失落しないと言う。
象曰:洊雷,震者。洊者,因仍之義。雷聲連續,威震相仍,雷電赫赫,故曰洊雷震也。君子以恐懼修省者,恐,怖也;懼,驚駭也。君子立身,恆懷驚肅,若臨泉谷,如履薄冰。況遇天之威怒,彌益修身,省察已過也。
《大象伝》の言う「洊雷、震」――「洊」は連続して相因る意である。雷声が一陣また一陣で、威勢が不断に相続き、電光雷鳴が赫然として耳を震わす。ゆえに連続の雷が震と言う。「君子以恐懼修省」の「恐」は畏怖、「懼」は驚駭である。君子が立身处世するに、心中に常に驚惕粛敬を懐き、ちょうど深淵幽谷に臨み薄氷の上を踏むがごとし。まして上天の威怒に遇えば、なおさら加倍して自身を修養し自分の過失を省察する。
初六震來虩虩,後笑言啞啞吉者。以剛處卦之先,剛則不暗於幾,先則能有前識。當威振之時,天威大行,而能懼以修德,遂至笑語之盛,吉福臻焉。
初九の爻辞「震来虩虩、後笑言唖唖、吉」。(底本は爻題を「初六」と作すも、実は初九を指す、いま照録して改めない。)それは陽剛をもって一卦の首に居る。剛であれば、事の幾微に昏昧に至らない。先に居れば、預見を有しうる。まさに威震が大行の時にあたり、上天の威厳が四方に遍施される中、それは恐懼によって徳行を修養でき、ここにおいて終に談笑の歓暢に至り、吉慶福沢が随いて到来する。
六二震來厲,億貝,躋于九陵,勿逐,七日得者。初九以剛居下,因懼修徳,即是有德之人。今六二不能敬剛陽、尊有德,而反乘之,即為天之所誅罰,故威震若來,即致危厲。哀嗟傷嗟,亡其資貨糧用之屬也,故曰震來厲,億□貝也。億,傷嘆之辭也;貝者,資貨糧用之屬也。違天不敬,遂被天誅,懼天之威,而乃迯竄。威嚴大行,人不容舍,無糧而走,必將困危。雖超九陵,不過七日,為有司所獲,故曰躋于九陵,勿逐,七日得也。
六二の爻辞「震来厲、億喪貝、躋于九陵、勿逐、七日得」。(ここの解語中に一「喪」字を脱し、いま「□」を存して標示し、補わない。)初九は陽剛をもって最下に居り、恐懼によって徳を修める、まさに徳ある人である。いま六二は陽剛を敬重し徳ある者を尊崇できず、かえってその上に騎る。これは天に責罰されるべく、ゆえに雷威が一たび来れば、危険を招く。それは悲嘆して懐を傷め、自分の財貨糧食の類を失う。ゆえに震来して危厲、哀嘆して財貨を喪失すると言う。「億」は傷嘆の語詞、「貝」は財貨糧食の類を指す。それは天意に違い敬畏を知らず、ここにおいて天誅に遭う。上天の威厳を恐れて逃亡窜匿する。この時威厳が世に大行し、それを容留するを敢えてする者なし。糧なくして走れば、必ず困厄危境に陥る。それはたとえ高い山陵に逃れ上っても、七日を出ずして官に捉獲される。ゆえに九陵に登る、追尋する必ずしも要せず、七日後に自ずから得ると言う。
六三震蘇蘇,震行無眚者。蘇蘇是心懐憂慮不安之貌。六三履位不正,心恆憂慮,不獲安寧,故曰震蘇蘇也。雖心不安,而不乘剛,不為乖逆,故可以懼行而無災眚,故曰震行無眚也。
六三の爻辞「震蘇蘇、震行无眚」。「蘇蘇」は心に憂慮を懐き惶惶として安まらざるさま。六三は陰爻が陽位に居り、処する位置が正しくなく、心に常に憂慮を存し、安寧を得られない。ゆえに雷震の下で惶惶として安まらずと言う。ただそれは心中安まざれども、剛爻の上に騎らず、行事も悖逆しない。ゆえに驚懼の中に行動しても災殃に遭わない。よって驚懼の中に行動して災殃なしと言う。
九四震遂泥者。泥,沉溺也。九四以剛陽之質,在四陰之中,為四陰之主,固宜挺身獨立,以安於眾。若以自懷恐懼,不能挺,即致泥溺沉困於難。故鄭眾云:身既不安,豈能安眾是也。
九四の爻辞「震遂泥」。「泥」は陥溺である。九四は陽剛の質をもって四つの陰爻の中間に処り、これらの陰爻の主宰で、本来身を挺して自立し、もって衆人を安定すべきである。もしそれ自身も心に恐懼を満たして挺立できなければ、泥淖に陥り患難に沈困する。ゆえに東漢の鄭衆は言う、身がすでに安まらないのに、どうして衆人を安んじえようか、まさにこの理である、と。
六五震往來厲,億無有事者。往即無應,來又乘剛,往之與來,不免危厲也。夫處威厲之時而居尊位,即是天助君命,威令大行,斯乃有事之機矣。故戒之曰:但保其位,守中自安,能髙大其行,無所失,即懷大事,故曰億無有事也。
六五の爻辞「震往来厲、億无喪有事」。(解語中は「億无有事」と作り、爻辞と略しく異なる、いま照録して改めない。)それは上に向かい往けば相応の爻なく、退り来ればまた九四という剛爻の上に騎る。往くも来るも、危険を免れない。ただ威厳震動の時に身を処りかつ尊位に居れば、これは天が君主の命令を助成し、威厳号令が大行しうる時で、まさに有所作為できる時機である。ゆえにそれを誥戒して言う、ただ自分の位置を保ち、中道を守って安然と自処し、自分の行為を高大にして失誤なければ、大事を担負しうる、と。よって哀嘆の余りなれど大事を主持しうると言う。
上六震索索,視矍矍,征凶,震不于其躬,于其鄰,無咎,婚媾有言者。索索,不安不専之貎;矍矍,視不正不審諦之容也。上六處震之極,是懼之極矣。既居極懼之地而欲求安,亦不能得,故心懷不安,乃索索然;而所瞻視又不専審,乃矍矍矣。憂懼若此,更有徵即將有凶危至,故曰征凶也。若所懼之事非是已作,若因鄰家有事,懼相連及,預先防戒,即得免咎,故曰震不于其躬,于其鄰,無咎。處極懼之時,雖復姻親,亦不無相疑之言,故曰婚媾有言也。
上六の爻辞「震索索、視矍矍、征凶。震不于其躬、于其鄰、无咎、婚媾有言」。「索索」は心神が安まらず注意力が涣散のさま、「矍矍」は眼神が游移して見真実ならざる神態。上六は震卦の極点に処り、すなわち恐懼が極処に至った。それはすでに身が極度恐懼の地に在りてなお安を求むれば、自ずから求め得ない。ゆえに心中安まらずして瑟縮戦慄し、目光の及ぶ所もまた専注審視できず、ここにおいて驚惶四顧する。憂懼がこの地步に至り、もしなお往くところあれば、凶険危難が至る。ゆえに往けば凶と言う。もし畏れる所の事が自分の招いたのではなく、ただ隣家に事あって自分に連累するを憂うのみであれば、よって預め防範戒備して咎を免れうる。ゆえに雷震が自分の身に落ちず隣人の身に落ちれば咎なしと言う。極度恐懼の時に処れば、たとえ婚親の間でも、互相猜疑の言語を免れない。ゆえに婚媾に言ありと言う。
艮卦(艮下艮上)
艮下艮上。艮其背,不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。彖曰:艮,止也。時止則止,時行則行,動靜不失其時,其道光明。艮其止,止其所也。上下敵應,不相與也,是以不獲其身,行其庭不見其人,無咎也。象曰:兼山,艮。君子以思不出其位。
艮卦は上下両体とも艮で、二山が重畳し、その義は止である。ゆえに艮と名づける。卦辞は言う、心を背に止め、よって自分の身を見ず、自家庭院を行いても、庭中の人を見ない、咎なし、と。《彖伝》は言う、「艮」は停止である。止むべき時に止み、行くべき時に行く、動と静がみな時機に背かず、その道は光明である。「艮其止」は、止むべき所に止む。上下各爻は両両として敵対して相応せず、彼此相亲与しない。よって自分の身を見ず、庭院を行いても人を見ず、よって咎なし、と。《大象伝》は言う、二山が相重なる、これが艮である、君子はこれに法り、思慮が自分の職位を出ず、と。
初六,艮其趾,無咎,利永貞。象曰:艮其趾,未失正也。六二,艮其腓,不拯其隨,其心不快。象曰:不拯其隨,未退聽也。九三,艮其限,列其夤,厲熏心。象曰:艮其限,危熏心也。六四,艮其身,無咎。象曰:艮其身,止諸躬也。六五,艮其輔,言有序,悔亡。象曰:艮其輔,以中正也。上九,敦艮,吉。象曰:敦艮之吉,以厚終也。
初六の爻辞、自分の脚趾を止める、咎なし、長く正を守るに宜しい。《小象伝》は言う、脚趾を止めるは、まだ正道を失わざるからだ、と。六二の爻辞、小腿肚を止める、それの随う脚を抬げること能わず、心はこれによって痛快ならず。《小象伝》は言う、随う足を抬げること能わざるは、上の九三が退譲して聴従せんと肯ぜざるからだ、と。九三の爻辞、腰部に止める、脊背の肉を撕裂する、危厲に心を焼くがごとし。《小象伝》は言う、腰間に止めるは、危難が心を灼くがごとし、と。六四の爻辞、自分の身躯を止める、咎なし。《小象伝》は言う、その身を止めるは、自身を把持して止めるからだ、と。六五の爻辞、自分の口を止める、言語に条理あり、悔恨が消える。《小象伝》は言う、その口を止めるは、六五が居中得正だからだ、と。上九の爻辞、敦厚に止める、吉利。《小象伝》は言う、敦艮の吉は、厚重をもって善く終るからだ、と。
艮其背。艮者,靜止之義。此卦象山之為體,安然靜止,不動不移,故以為名也。以人事喻之,貪慾之情,傷性壞義,防其動欲,制其未成。故老子云:不見可欲,使心不亂是也。背者,無見之物,今既止在其背,目之不見,即動欲之情不生,故曰艮其背也。
卦辞「艮其背」。「艮」は静止の意である。この卦は山の形体に取象し、安穏に静止して動かず移らず、ゆえにそれをもって卦名とする。人事をもって喩えれば、貪求の欲念は本性を損傷し道義を敗壊する。よって欲念がちょうど動く時に防範し、それがまだ成形せぬ時に節制する。ゆえに《老子》は言う、貪欲を引起すべきものを見なければ、心を乱らさず、まさにこの理である、と。背は自分で見えない部位である。いますでに心を背に止め、眼が見えなければ、躁動の欲念もまた生じない。ゆえに「艮其背」と言う。
不獲其身,行其庭不見其人,無咎者。夫對面而止,即情有所動,抑傷其情而強使止,患必生焉。今止在其背,故不獲其身,雖行於庭不見其人,即無咎矣。
「不獲其身、行其庭不見其人、无咎」。もし面と向かって制止すれば、情感は牽動される。強いて人の情感を抑傷して勉强にそれを止めせしめれば、禍患は必ずここから生ず。いま止の功夫を背後に置くゆえ、自分の身体を覚察しない。たとえ庭院を行いても、庭中の人を見ない。こうすれば咎がない。
象曰:兼山,艮者。孔氏云:兩山兼重,謂之兼山也。直置一山,已能鎮止;兩山重迭,止義彌大,故曰兼山艮也。君子以思不出其位者,艮之為義,各止其所,故君子象之,思慮不出已位,不妄動求,不相侵也。
《大象伝》の言う「兼山、艮」――孔穎達は言う、二つの山が重畳して一つになるを「兼山」と謂う。ただ一座の山を置いても、すでに鎮定静止しうる。二山が重畳すれば、止の意義はいっそう宏大。ゆえに「兼山艮」と言う。「君子以思不出其位」は、艮の意義は万物が各々処すべき所に止むに在る。ゆえに君子はこれに法り、思慮が己の職位を越えず、軽挙妄動して求取せず、他人の分内の事を侵犯もしない。
初六艮其趾,無咎,利永貞者。趾,足也,又處卦之下,即是趾在於足。既止於是,不為躁動,而得無咎,故曰艮其趾無咎。靜止之初,心無動欲,其利在於永長貞正,故曰利永貞也。
初六の爻辞「艮其趾、无咎、利永貞」。「趾」は脚で、それはまた一卦の最下位に処り、正に脚上の趾に相当する。それはすでにここに止り、軽挙妄動せず、よって咎なし。ゆえに脚趾を止めれば咎なしと言う。静止の端緒に処り、心中にまだ躁動の欲念なし。この時の好処は長く貞正を持守するに在る。ゆえに長く正を守るに宜しいと言う。
六二艮其腓,不拯其隨,其心不快者。腓,腨腸也;拯,舉也;隨謂足也。六二止於腓,腓體動躁,屈伸搖動,皆隨其足。今止在腓腸,足既不舉,腓無由動,故艮其腓不拯其隨也。腓性動躁而強止之,則傷其本性,情與體乖,故其心不能快樂矣,故曰其心不快也。
六二の爻辞「艮其腓、不拯其随、其心不快」。「腓」は小腿肚、「拯」は抬挙、「随」は脚を指す――小腿はつねに脚に随いて行くゆえ。六二の止める部位は小腿肚にある。小腿という部位は動を好み、屈伸揺摆はみな脚に随う。いま止の功夫を小腿に置き、脚がすでに抬げ上げなければ、小腿もまた動く由なし。ゆえに小腿を止めてそれの随う脚を抬げること能わずと言う。小腿の本性は動を好むのに強いてそれを制止すれば、その本性を傷つけ、情感と形体が互相に背反する。よって心が痛快になれない。ゆえに其心不快と言う。
九三艮其限,裂其夤,厲熏心者。限是身之中,人繫帶之處。三居兩卦之際,實時止在其限,故曰艮其限也。夤,當脊中之肉也;熏,燒灼也。三既處二卦之際,即上下不通,是分裂其夤,身將矣,乃憂危之切,故熏灼其心,故曰厲熏心也。然君子治國,若治於身,上下不通,君臣不接,故裂夤即身亡,不接則國。故王云:體分兩主,大器矣。大器謂國之與身也。
九三の爻辞「艮其限、列其夤、厲熏心」。「限」は身体の中段で、すなわち人が腰帯を繋する処。九三は正に上下二つの艮体の交接の処に居る。ゆえにそれの止める所はまさに腰部で、よって腰間に止むと言う。「夤」は脊背の正中の肉、「熏」は灼焼である。九三はすでに二卦の交界に処り、上下は貫通せず、脊背の肉を撕裂開くに等しく、身体も随いて危殆となる――この憂懼危急の切なること、火がその心を灼焼するがごとし。ゆえに危厲に心を焼くと言う。(底本は「身将」の下、「不接則国」の下にいずれも脱文あり、いま照録して補わない。)君子の国を治めるは、自分の身体を調理するがごとし。上下が相通ぜざれば、君臣が相接せず。脊背が撕裂すれば身体が死に、君臣が相接せざれば国家も終る。ゆえに王弼は言う、一つの身体が二つの主宰に分属すれば、その大器は危うし、と。「大器」はまさに国家と身体を指す。
六四艮其身,無咎者。已入上體,與九三相得,兩體不分,全乃謂之身。履得其位而全其身,不陷非妄,所以無咎也。
六四の爻辞「艮其身、无咎」。それはすでに上卦の体に入り、九三と相処融治し、上下両体は割裂せず、完整无缺してこそ「身」と称しうる。それは陰爻が陰位に居り位を得、よって自身を保全し、邪妄に陥らない。ゆえに咎なし。
六五艮其輔,言有序,悔亡者。輔,夾車也。六五艮於輔頰之間,即是慎止言語,密於樞機,故曰口無擇言,言有倫序,所以悔亡,故曰言有序悔亡也。
六五の爻辞「艮其輔、言有序、悔亡」。「輔」は両頰の牙床骨である。六五の止める部位は牙床面頰の間に在り、すなわち謹慎に自分の言語を節制し、言語という要枢の処を厳密に守る。ゆえに《孝経》の言うがごとく、口に法度に合わぬ言を出さず、言談に条理次序ある。よって悔恨が消除しうる。ゆえに言に条理あれば悔恨が消えると言う。
上九敦艮吉者。敦,厚也。居止之極,敦厚在上,不為妄累所牽,故獲吉也。
上九の爻辞「敦艮、吉」。「敦」は厚重である。それは止道の極点に処り、敦厚の徳をもって最上に居り、邪妄の牽累に拖动されない。ゆえに吉利を獲る。
周易口訣義巻第六・下経三(漸より未済まで)
漸卦(艮下巽上)
下經三。艮下巽上。漸:女歸吉,利貞。彖曰:漸之進也,女歸吉也。進得位,往有功也。進以正,可以正邦也。其位剛得中也。止而巽,動不窮也。象曰:山上有木,漸。君子以居賢徳,善俗。
これは下経の第三巻である。漸卦は下卦が艮、上卦が巽で、山上に木ありて循序して生長する。ゆえに漸と名づける。卦辞は言う、漸は、女子が嫁ぐに吉利、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、漸は循序して進むゆえ、女子が嫁ぐに吉利。前進して正位を得れば、往けば必ず功あり。正道をもって前進すれば、邦国を端正しうる。九五の居る位は陽剛で中を得る。内止め外順うので、行動して窮困に至らない。《大象伝》は言う、山上に樹木あり、これが漸である、君子はこれに法り、賢徳の人を各々その位に安んぜしめ、もって風俗を改善する、と。
初六,鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。象曰:小子之厲,義無咎也。六二,鴻漸于盤,飲食衎衎,吉。象曰:飲食衎衎,不素飽也。九三,鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶,利禦寇。象曰:夫征不復,離群醜也;婦孕不復,失其道也;利用禦寇,順相保也。六四,鴻漸于木,或得其桷,無咎。漸至未齊。象曰:或得其桷,順以巽也。九五,鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。象曰:終莫之勝吉,得所願也。上九,鴻漸于陸,其羽可用為儀,吉。象曰:其羽可用為儀吉,不可亂也。
初六の爻辞、鴻雁が徐々に水辺に飛来す、小子に危険あり、責難を招く、ただ咎なし。《小象伝》は言う、小子の危険は、理に照らせば咎なきを言う、と。六二の爻辞、鴻雁が徐々に磐石上に飛来す、飲食が和楽、吉利。《小象伝》は言う、飲食が和楽は、それが徒らに俸禄を享するのではないを言う、と。九三の爻辞、鴻雁が徐々に高地に飛来す、夫が出征して一たび去りて帰らず、婦人は怀孕するも生育できず、凶険、外寇を抵御するに宜しい。《小象伝》は言う、夫が出征して返らざるは、自分の同類を離れたからだ、婦人が怀孕して生育できざるは、正道を失ったからだ、外寇を抵御するに宜しきは、彼此順従して相保全するからだ、と。(ここの「漸至未斉」の四字は原書の巻内書眉の標目で、本巻が漸卦から未済卦まで講じることを標明し、経文ではない。)六四の爻辞、鴻雁が徐々に樹上に飛来す、あるいは平直の枝を得て足を止める、咎なし。《小象伝》は言う、平直の枝を得るは、それが柔順にして謙遜だからだ、と。九五の爻辞、鴻雁が徐々に山陵上に飛来す、婦人は三年して怀孕せず、ただ終にそれに勝てる者なし、吉利。《小象伝》は言う、終に勝てる者なく吉は、自分の願望を実現したからだ、と。上九の爻辞、鴻雁が徐々に高地に飛来す、その羽毛は礼儀の装飾に用いうる、吉利。《小象伝》は言う、羽毛が儀飾と成しうるに吉は、この節操が扰乱すべからざるを言う、と。
漸女歸吉,利貞者。漸者,徐進之名;歸,嫁也。女子生有外成之義,以夫為家,故嫁為歸也。女人之嫁,備禮乃行,吉斯善矣,故曰女歸吉也。漸進禮全,嫁娶之正,故曰利貞也。
卦辞「漸、女帰吉、利貞」。「漸」は緩慢に前進する名称、「帰」はすなわち出嫁。女子は生まれながらに出嫁して後に家を成すの意義あり、夫の家を自分の家とする。ゆえに出嫁を「帰」と称する。女子の出嫁は、必ず礼数が斉備して後に成行してこそ吉利美善と算えられる。ゆえに女子が嫁ぐに吉利と言う。循序漸進して礼数が完備するは、まさに嫁娶の事の正道。ゆえに正を守るに宜しいと言う。
象曰:山上有木,漸者。山上生木,漸漸進長,因山而髙,非是忽然而起,故曰漸之進也。君子以居賢徳善俗者,君子求人,須求賢徳,使其居位,發施教令,善誘風俗也。侯果云:賢者,徳成之名;徳是資賢之實也。
《大象伝》の言う「山上有木、漸」――山上に樹木が生え、一点ずつ上に向かい生長し、山勢に凭って高大に見える、突然に出来上がるのではない。ゆえにこれは循序漸進と言う。「君子以居賢徳善俗」は、君子が人才を選抜するに、必ず賢徳ある人を求め、彼らを相応の位置に居らせ、教令を発施行し、善く誘導して風俗を改良するを言う。唐の侯果は言う、「賢」は徳行が成ったの称呼、「徳」は賢者を成就する実質内涵である、と。
初六鴻漸于干,小子厲,有言,無咎者。鴻是水鳥,以況從下至髙漸進之義。乾,水涯也。鴻之進至於水涯,故曰鴻漸于干也。進未得位,必被凌辱,乃困於小子,危於謗言,故曰小子厲有言也。雖困於小人之言,而但懷道徳,安能損於君子之道,故曰無咎也。乾亦喻水上非安之所,更以無應也。
初六の爻辞「鴻漸于干、小子厲、有言、无咎」。鴻は水鳥で、それが低きより高きに逐段飛進するをもって循序漸進の意を喩える。「干」は水辺である。鴻雁が水辺に飛来す、ゆえに鴻雁が徐々に水涯に飛来すと言う。それは上進してまだ應有の地位を獲らざれば、必ず人に欺凌され、ここにおいて小子に困られ謗言に危められる。ゆえに小子に危険あり、責難を招くと言う。ただそれは小人の言語に困られども、自ら道徳を懐きてさえいれば、どうして君子の道を損傷せん。ゆえに咎なしと言う。「干」はまた水辺が身を安ずべき所にあらざるを喩え、まして初六には相応の爻なし。
六二鴻漸于盤,飲食衎衎吉者。盤者,山中盤石也。以柔處中,進而得位,猶鴻鳥棲於盤石,得可安之地,故曰鴻漸于盤。既得可安之地,居中有應,吉福至焉,故飲食豐飽,不素飽而已,故曰衎衎吉也。衎衎是喜樂之貌也。
六二の爻辞「鴻漸于盤、飲食衎衎、吉」。「盤」は山中の大块の磐石である。六二は陰柔をもって下卦の中に居り、上進してまた正位を得る。ちょうど鴻雁が磐石に停歇して、身を安ずべき処を見出したがごとし。ゆえに鴻雁が徐々に磐石上に飛来すと言う。すでに安身の処を得、中に居りて九五と相応すれば、吉慶福沢が随いて至る。よって飲食が豊足し、しかも徒らに飽食して功なく禄を受けるのではない。ゆえに和楽して吉と言う。「衎衎」は歓欣喜楽のさまである。
九三鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶,利用禦寇者。陸是山頂之髙處也。九三處下卦之上,如山之頂,如鴻升進至於山頂,故曰鴻漸于陸也。三之於二,同處一體,其猶夫婦一體之義。今九三務進不肯卻回,即是夫之征進不肯反家,故曰夫征不復也。九三前進與四相得,貪務邪偶,即婦亦不能守貞,非夫而孕,故不能育,故曰婦孕不育也。見利忘義,貪進忘舊,凶之道矣。與四相得,邪偶相與,恐人為難以為間阻,故利用防禦寇害,順相保也。
九三の爻辞「鴻漸于陸、夫征不復、婦孕不育、凶、利御寇」。「陸」は山頂の高処である。九三は下卦の最上の爻に処り、山の頂端のごとく、鴻雁が一路飛上して山頂に達したがごとし。ゆえに鴻雁が徐々に高地に飛来すと言う。九三と六二は同じく下卦一体の中に処り、夫妻が一体を同じうするがごとし。いま九三は一味に進を求めて回頭せんと肯ぜず。これは夫が出征して家に帰るを肯肯ぜざるに等しい。ゆえに夫が出征して一たび去りて帰らずと言う。九三は前に進みて六四と相投合し、この不正当の配偶を貪恋すれば、婦人(六二)も貞節を守住できず、夫ならぬ人と怀孕する。よって生育できない。ゆえに婦人は怀孕して生育できずと言う。利を見て義を忘れ、新たの進取を貪って旧の伴侣を忘れるは、凶を招く道である。九三と六四が相投合するは、邪僻の配偶が彼此結交することで、人が間から作難し阻隔するを恐れる。ゆえに共同して外来の侵害を防御し、彼此順従して相保全するに宜しい。
六四鴻漸于木,或得其桷,無咎者。桷,榱桷也。以柔得位,如鴻棲於平直之枝,堪榱桷之用,是可棲息之處,故曰鴻漸于木,或得其桷。與三相得,心無憂慮,雖乘剛相合,固無咎也。
六四の爻辞「鴻漸于木、或得其桷、无咎」。「桷」は屋上の方椽である。六四は陰柔にして正位を得る。ちょうど鴻雁が平直の樹枝に停まるがごとく――あのような枝は正に椽子に充当しうる、栖息すべき処である。ゆえに鴻雁が徐々に樹上に飛来し、あるいは平直の枝を得ると言う。それは九三と相処融治し、心中に憂慮なし。陰爻が剛爻の上に騎るとはいえ、双方が相合するゆえ、本来咎なし。
九五鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。陸績云:陸陵俱是髙處,然陵卑於陸也。九五進處尊位,如鴻進髙以止於陵,故曰鴻漸于陵也。正應在二,隔於三四,不得與應相交,是兩情勤慕,阻隔不通,故曰三歲不孕也。二與五各懐中正,九五是君,三四是臣,以臣欺君,勢不可勝。三歲以來,道成事濟,久塞其路,不得勝於君,五二各得其願,故曰終莫之勝吉也。
九五の爻辞「鴻漸于陵、婦三歳不孕、終莫之勝、吉」。三国呉の陸績は言う、「陸」と「陵」はともに高処を指すも、陵は陸より低い、と。九五は上進して尊位を占める。ちょうど鴻雁が高処に飛往して山陵に停まるがごとし。ゆえに鴻雁が徐々に山陵に飛来すと言う。その正応は六二で、中間に九三・九四に阻隔され、相応の爻と交合できない。双方は彼此殷切に愛慕するも、阻隔されて通ぜず。ゆえに三年して怀孕せずと言う。六二と九五は各々居中得正で、九五は君、九三・九四は臣、臣下をもって君主を欺凌するは、形勢上終に上風を占められない。三年を経て、正道が成就し事が済渡すれば、あの二爻は長く道路を堵塞したといえど、最終に君主に勝てず、ここにおいて九五と六二は各々願望を実現した。ゆえに終にそれに勝てる者なし、吉利と言う。
上九鴻漸于陸,其羽可用為儀吉者。三之於上,皆處山頂,並稱陸也。然上九最居卦上,是能為超勝,進處髙潔,不累名位,徳髙之人,無物屈心,不亂其志,故其羽翼清虛,可為世之儀表,峨峨清竒,可貴可則,故曰其羽可用為儀吉也。
上九の爻辞「鴻漸于陸、其羽可用為儀、吉」。九三と上九はいずれも山頂のごとき位置に処るので、同じく「陸」をもって呼称する。ただ上九は全卦の最上に居り、超然と勝出でき、高潔の境に上進し、名位に拖累されない。これは徳行高尚の人で、彼の心志を屈折し彼の操守を扰乱しうる物なし。ゆえにその羽翼は清虚脱俗で、世人の儀範に充当しうる。あの高峻清奇の風姿は、貴重すべく効法すべし。ゆえにその羽毛は礼儀の装飾に用いうるに吉利と言う。
帰妹卦(兌下震上)
兌下震上。歸妹:征凶,無攸利。彖曰:歸妹,天地之大義也。天地不交而萬物不興,歸妹人之終始也。說以動,所歸妹也。征凶,位不當也。無攸利,柔乘剛也。象曰:澤上有雷,歸妹。君子以永終知敝。
帰妹卦は下卦が兌、上卦が震で、少女が長男に随いて動く。ゆえに帰妹と名づける。卦辞は言う、帰妹は、往けば凶あり、得るところの利なし、と。《彖伝》は言う、帰妹は、天地間の大義である。天地二気が相交わらなければ、万物は興起できない。帰妹は人倫の終結と開端に関わる。和悦によって行動する、嫁ぐ所は少女である。「征凶」は、爻位が当たらざるからだ。「无攸利」は、陰柔が陽剛の上に騎るからだ。《大象伝》は言う、沢上に雷あり、これが帰妹である、君子はこれに法り、永く善終を保ちて弊端を預知する、と。
初九,歸妹以娣,跛能履,征吉。象曰:歸妹以娣,以恆也;跛能履吉,相承也。九二,眇能視,利幽人之貞。象曰:利幽人之貞,未變常也。六三,歸妹以須,反歸以娣。象曰:歸妹以須,未當也。九四,歸妹愆期,遲歸有時。象曰:愆期之志,有待而行也。六五,帝乙歸妹,其君之袂,不如其娣之袂良,月幾望,吉。象曰:帝乙歸妹,不如其娣之袂良也;其位在中,以貴行也。上六,女承筐無實,士刲羊無血,無攸利。象曰:上六無實,承虛筐也。
初九の爻辞、少女を嫁がせて陪嫁の妹の身分をもって随行する、跛脚の人がなお行走しうる、往けば吉利。《小象伝》は言う、娣の身分をもって出嫁するは、常道を守るからだ、跛にして行うるに吉は、主室に順承しうるからだ、と。九二の爻辞、独眼の人がなお見るべし、幽居の人のように正を守るに宜しい。《小象伝》は言う、幽人の正に宜しきは、常規を改変せざるからだ、と。六三の爻辞、少女を嫁がせるも等待を要す、やむをえず退りて娣の身分をもって出嫁する。《小象伝》は言う、帰妹して等待を要すは、処する所が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、少女を嫁がせるも婚期を過誤した、遅く嫁ぐに自ずからその時機あり。《小象伝》は言う、婚期を過誤した心志は、時機を待ちて行動するからだ、と。六五の爻辞、帝乙が妹を嫁がせ、正室新婦の衣袖は陪嫁の妹の衣袖の華美に及ばず、月がまさに満ちんとする、吉利。《小象伝》は言う、帝乙が妹を帰すに、正室の衣袖が陪嫁者の華美に及ばざるは、それが位に居りて中を守り、尊貴の身をもって行するからだ、と。上六の爻辞、女子が筐を捧ぐも空なり、男子が羊を宰すも血出ず、利する所なし。《小象伝》は言う、上六が空にして有する所なきは、一つの空筐を捧ぐからだ、と。
歸妹者。女人以嫁為歸,歸妹即是從姊而嫁,故曰歸妹也。然古者諸侯一娶九女,侄娣從之。虞翻云:九女者,貴其男女繼嗣,宗享不絶也。
卦名「帰妹」。女子は出嫁を「帰」と称する。「帰妹」はすなわち妹が姉に随いて一同に出嫁すること。ゆえに帰妹と言う。古代の諸侯は一度に九人の女子を娶り、姪女と妹が一同に陪嫁随行した。虞翻は言う、九女を娶る所以は、子嗣の繁衍が絶えぬを重んじ、宗廟祭享を延续断絶せしめぬためである、と。
征凶,無攸利者。徵謂進而求寵也。妹從姊而行,固宜卑退敬事女後。若妄求進寵,希謂並後,即有並後之亂,凶禍斯至而無利,故曰征凶無攸利也。
「征凶、无攸利」。「征」は前に往きて寵幸を爭取するを指す。妹はすでに姉に随いて一同に出嫁する以上、本来謙卑退譲して正室たる姉を恭敬に奉事すべきである。もし彼女が妄りに進身して寵を爭い、正室と並列せんを指望すれば、後宮に並立の禍乱を醸成し、凶禍が随いて至り、何の好処も得られない。ゆえに往けば凶あり、利する所なしと言う。
象曰:澤上有雷,歸妹者。澤上有雷,悅而有動,歸妹之象也。君子以永終知敝者,諸儒於此各以意見互說不同,不可隨波而流,彌増惑亂,今則取師說為義也。所以一娶九女者,貴其蕃育繼嗣,宗享不絶,則是永長延祚,保後之終;若九女無子,即絶其後嗣,即有不終之敝。蓋為正經云:天地之大義,人倫之終始矣。
《大象伝》の言う「沢上有雷、帰妹」――沢上に雷声が響くは、内心に喜悦あり外に行動あり、これはまさに帰妹の形象である。「君子以永終知敝」は、従来の諸学者はここにおいて各々己見に凭って解説し、彼此不同である。波に随い流れて照抄すべからず、それはただ迷惑混乱を増すのみ。いまは先師の説法を取って解釈とする。一度に九人の女子を娶る所以は、子嗣の繁育・宗廟祭享が断絶せぬを重んずるがゆえ、これはすなわち長久に福祚を延續し後嗣を保全する善終である。もし九女がみな子なければ、後嗣を断絶す、それは善終できぬの弊端である。これはまさに経文の言う「天地之大義」「人倫之終始」の意である。
初九歸妹以娣,跛能履,征吉者。少女謂之娣也。以兌適震,以幼從長,非其匹配,是從姊而行,故歸妹以娣也。雖不失其道,然幼從長,譬之跛足之人,足雖蹇跛,不妨履踐,故曰跛能履。妹從姊行,不可僣進為嫡,即凶;為娣即吉,故曰征吉也。
初九の爻辞「帰妹以娣、跛能履、征吉」。年幼の女子を「娣」と謂う。兌の少女をもって震の長男に嫁がせるは、年幼者をもって年長者に跟従するで、正式の匹配ではなく、姉に随いて一同に出嫁する。ゆえに娣の身分をもって出嫁すると言う。こうすれば正道を失うとは算えられないが、幼者が長者に従うは、跛脚の人のごとく、脚は跛げども、行走を妨げない。ゆえに跛にして行うと言う。妹は姉に随いて出嫁し、僭越して正妻を争うべからず、然らば凶。陪嫁の位に安んずれば吉。ゆえに往けば吉利と言う。
九二眇能視,利幽人之貞者。位雖不正,而居內處中,守其卑禮,不能妄進,猶如眇目之人,不妨所視,故曰眇能視也。居內守中,不失常道,是居幽而不虧其正,故曰利幽人之貞也。
九二の爻辞「眇能視、利幽人之貞」。九二は陽爻が陰位に居り、処する所は正しからざれど、それは内卦に身を居して下卦の中に在り、謙卑の礼節を守り、敢えて妄りに進を求めない。これはちょうど一只眼が失明した人で、なお物を見るを妨げないがごとし。ゆえに独眼にして視るべしと言う。それは内卦に居りて中道を守り、常規を失わない。これはまさに幽隠に身を処して自分の正道を亏損せざる。ゆえに幽居の人のように正を守るに宜しいと言う。
六三歸妹以須,反歸以娣者。六三處下卦之上,位又不正,即是僣進求為室主。室主猶存,進不值時,故宜待時,故曰歸妹以須也。既不值時,固當反歸,且為娣從,俟時而進,故曰反歸以娣也。
六三の爻辞「帰妹以須、反帰以娣」。六三は下卦の最上の爻に処り、居る位がまた正当でない。これはすなわち僭越して進を求め、正室の主とならんと欲する。しかし正室はなお存し、それがこのように上進するは時宜に合わず。ゆえにただ時機を待つべし。よって出嫁して等待を要すと言う。すでに時機が合わない以上、本来退り返るべく、しばらく陪嫁者の身分をもって随行し、時機を俟ちてさらに進取を図るべし。ゆえに退りて娣の身分をもって出嫁すると言う。
九四歸妹愆期,遲歸有時者。以陽居陰,位不正也;下又無應,以不正無應而行,是為妄進。故須愆過於期,若有所適,候彼道窮盡,待時而行,然後可往,故遲歸有時也。
九四の爻辞「帰妹愆期、遅帰有時」。九四は陽爻が陰位に居り、処する所が正しくなく、下にまた相応の爻なし。位が正しからずまた応援なきの条件で贸然と行動すれば、それは妄りに進を求むである。ゆえに必ず婚期を過越せしめなければならない。もし真に往くところあらんと欲すれば、相手のあの道が尽頭に至り時機が成熟するを待ちて行動し、然る後に往くべし。ゆえに遅く嫁ぐに自ずからその時機ありと言う。
六五帝乙歸妹,其君之袂不如其娣之袂良,月幾望吉者。居得尊位,應在九二,是帝王嫁妹以降於二,故曰帝乙歸妹。袂者,衣袖,為禮容,帝王嫁妹,則以衣裳為崇飾也。其君即五也,應在九二,以震適兌,以長從幼,即是降尊就卑,不如以卑就尊合於常道,故曰君之袂不如其娣之袂良。月陰之盛,猶如月近望,可以敵日,以貴而行,以斯適配,往亦必合,故月幾望吉。幾,近也。陰盛為位在於中,以貴而行也。
六五の爻辞「帝乙帰妹、其君之袂不如其娣之袂良、月幾望、吉」。六五は尊位に居りて九二と相応する。これは帝王が妹を嫁がせて九二に下降する。ゆえに帝乙が妹を嫁がせると言う。「袂」は衣袖で、礼服の儀容を代表する。帝王が妹を嫁がせるは、衣裳をもって最も隆重の装飾とする。「其君」はすなわち六五を指す。それは九二と相応し、震の長者をもって兌の少者に就く。すなわち尊を降じて卑に就くで、卑者をもって尊者に就くほど常道に合わず。ゆえに正室の衣袖が陪嫁者の華美に及ばざると言う。月は陰気が最も盛んなる象徴で、この時はまさに月が満望に近く、光華が太陽に抗し足る。六五は尊貴の身をもって行し、この方式をもって匹配に適すれば、往いても必ず會合しうる。ゆえに月がまさに満ちんとして吉と言う。「幾」は接近である。陰気は盛んなれど、その居る位は上卦の中に在り、尊貴の身分に凭って行する。
上六女承筐無實,士刲羊無血,無攸利者。女子之行,以承順為徳;士之為道,以下之應命為美。今上六居卦之上而無承應,其猶女子承捧虛筐,空無所有。筐本盛幣帛,今既空虛,即上無所奉,故曰女承筐無實也。下既無應,人不奉命,譬之刲刺其羊而無血矣。羊本有血,今既無血,即是教令不行,故曰士刲羊無血。進退莫與,故曰無攸利。羊謂六三也。
上六の爻辞「女承筐无実、士刲羊无血、无攸利」。女子の行事は、承順をもって徳とする。男子の処世の道は、下の人がその命令に響応するを美とする。いま上六は全卦の最上に居りて承奉し呼应すべき相手なし。ちょうど女子が一隻の空筐を捧げ、中に何もないがごとし。筐は本来币帛祭品を盛放するのに用いる。いま空々如々たり。すなわち上に供奉すべきがない。ゆえに女子が空筐を捧ぐと言う。下にすでに相応の爻なければ、他人もその命令に聴従しない。喩えて言えば羊を宰して血が見えぬがごとし。羊は本来血あり、いま血が出ないは、まさに教令が行き通らざるを表示する。ゆえに男子が羊を宰して血なしと言う。それは前進しても後退しても相与する人なし。ゆえに利する所なしと言う。ここの「羊」は六三を指す。
豊卦(離下震上)
離下震上。豐:亨,王假之,勿憂,宜日中。彖曰:豐,大也。明以動,故豐。王假之,尚大也。勿憂宜日中,宜照天下也。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息,而況於人乎,況於鬼神乎。象曰:雷電皆至,豐。君子以折獄致刑。
豊卦は下卦が離、上卦が震で、明にして動くべく、盛大豊満。ゆえに豊と名づける。卦辞は言う、豊は、亨通、君王はこの盛大に達しうる、憂慮する必ずしも要せず、日中のごとく普照すべし、と。《彖伝》は言う、「豊」は盛大である。内明にして外動するので豊なりうる。「王假之」は、盛大を崇尚する。「勿憂、宜日中」は、天下を普照すべきを言う。太陽は正午に至れば西に傾き、月は円満すれば虧蝕する。天地の盈満と虚亏も、なお時序に随いて消長する。まして人においてをや、鬼神においてをや。《大象伝》は言う、雷と電が一斉に来る、これが豊である、君子はこれに法り、獄訟を審断し刑罰を施行する、と。
初九,遇其配主,雖旬無咎,往有尚。象曰:雖旬無咎,過旬災也。六二,豐其蔀,日中見斗,往得疑疾,有孚發若,吉。象曰:有孚發若,信以發志也。九三,豐其沛,日中見沬,折其右肱,無咎。象曰:豐其沛,不可大事也;折其右肱,終不可用也。九四,豐其蔀,日中見斗,遇其夷主,吉。象曰:豐其蔀,位不當也;日中見斗,幽不明也;遇其夷主,吉行也。六五,來章,有慶譽,吉。象曰:六五之吉,有慶也。上六,豐其屋,蔀其家,窺其戶,其無人,三歲不覿,凶。象曰:豐其屋,天際翔也;窺其戶其無人,自藏也。
初九の爻辞、自分と相配の主人に遇う、彼此が均等なれど咎なし、往けば嘉許を受ける。《小象伝》は言う、均等なれど咎なきは、この限度を過ぐれば災あり、と。六二の爻辞、遮蔽物が厚い、正午に竟に北斗星を見る、往けば猜疑の患を招く、ただ誠信を懐きて啓開すれば、吉利。《小象伝》は言う、誠信ありて啓開するは、信実をもって心志を激発するからだ、と。九三の爻辞、遮蔽の幔帳が大きい、正午に細小の星光を見る、右臂を折断す、咎なし。《小象伝》は言う、幔帳が盛大は、大事をなすべからず、右臂を折るは、終に任用すべからず、と。九四の爻辞、遮蔽物が厚い、正午に竟に北斗星を見る、自分と相当の主人に遇う、吉利。《小象伝》は言う、遮蔽が厚重は、居る位が当たらざるからだ、正午に斗を見るは、幽暗にして明らかならざるからだ、相当の主人に遇うは、行動すれば吉、と。六五の爻辞、文采ある賢才を招来する、福慶と讃誉あり、吉利。《小象伝》は言う、六五の吉利は、福慶あるからだ、と。上六の爻辞、房屋を高大に建て、家宅を遮蔽する、門縫より窺看すれば、屋裏に人なし、三年しても見えず、凶険。《小象伝》は言う、屋宇が高大は、天辺に翱翔するがごとし、その戸を窺うも人なきは、自分で蔵れたからだ、と。
豐亨者。豐是大之名,饒益為義。財徳盛大,故謂之豐。財多能濟於眾,徳大無所不通,故曰豐亨也。
卦辞「豊、亨」。「豊」は盛大の名称で、富饒充裕の意を取る。財貨と徳行がともに盛大。ゆえに豊と謂う。財貨が多ければ衆人を救済でき、徳行が大なれば通ぜざる所なし。ゆえに「豊、亨」と言う。
王假之者。假,至也。王能至於豐大之徳,無所不周也。勿憂宜日中者,勿,無也。徳能廣大,無所不通,如日之中,盛明照臨萬國。徳備如此,無復憂慮。為天下主,須令微細隠滯者獲通,豐亨勿憂之徳,故宜日中也。
「王假之」。「假」は到達である。君王が豊大の徳性に達しうれば、周遍せざる所なし。「勿憂、宜日中」の「勿」は「无」である。徳性がすでに広大にして通ぜざる所なければ、ちょうど太陽が正中に升りて光明が極盛に万国を照臨するがごとし。徳性がこの地步に完備すれば、もはや憂慮する所なし。天下の主たる身として、必ずあの細微幽隠・滞塞不通の処をも通達を獲せしめ、これこそ豊亨にして憂えざるの徳性。ゆえに日中のごとく普照すべしと言う。
象曰:雷電皆至,豐者。雷,天威也;電,光輝也。威光並至,所以豐大也。君子以折獄致刑者,折也,致,至也。君子法天而行,故折獄訟須察虛實,至於刑罰,不濫及無辜也。文明以動,不失情理也。
《大象伝》の言う「雷電皆至、豊」――雷は上天の威厳を代表し、電は光明輝耀を代表する。威厳と光明が一斉に至るので、その盛大を成す。「君子以折獄致刑」の「折」は裁断、「致」は施加である。(底本は「折也」の下に釈義の字を脱し、いま照録して補わない。)君子は天道に效法して行するゆえ、獄訟を審断するに必ず虚実を查明し、刑罰を施行するに至っても、無辜の人に濫及しない。これはまさに文明の徳ありてまた行動しうるゆえ、人情事理に背かない。
初九遇其配主,雖旬無咎,往有尚者。以陽應陽,旬為均平也。豐大之世,文明以動,所貴光大,以合時宜。今初九與四俱陽爻,兩體均平,安得有咎,故曰遇其配主,雖旬無咎。能相光大,往有嘉尚也。
初九の爻辞「遇其配主、雖旬无咎、往有尚」。初九と九四は同じく陽爻で相「応」し、「旬」はここでは均等相当の意。豊大の時世に、内文明にして外行動する、貴ぶ所は光明を発揚光大して時宜に合するに在る。いま初九と九四はともに陽爻で、两方の分量が均等、どこに咎あらん。ゆえに自分と相配の主人に遇う、均等なれど咎なしと言う。彼此が互相照亮し光大しうるので、往けば嘉許を受ける。
六二豐其蔀,日中見斗,往得疑疾,有孚發若吉者。處豐之時,貴於光顯而惡闇昧。今六二以陰之質,應五又陰,是重暗之極,故日中盛明乃見斗星,故曰豐其蔀,日中見斗也。蔀者,曖光明之物也。往就於四,四又闇昧,不能啟發其明,心生狐疑而不自決;居乎本位,則暗疾未除;往之與來,不免暗疾,故曰往得疑疾。然履中居位,處暗不邪,但懐忠信,不為暗疾所累,而能啟發其志,故獲吉矣,故曰有孚發若吉也。
六二の爻辞「豊其蔀、日中見斗、往得疑疾、有孚發若、吉」。豊大の時に処り、貴ぶ所は光明显耀で、最も忌むは昏暗蒙昧である。いま六二は自身が陰質で、応ずる六五もまた陰爻。これは重々の昏暗が極点に至った。ゆえに正午の最も明るい時に反って北斗星を見る。よって遮蔽が厚重、正午に斗を見ると言う。「蔀」は光明を遮蔽する物である。それは前に往きて九四に親就するも、九四も同じく昏昧で、それの光明を啓発できない。ここにおいて心に狐疑を生じて自決できない。もし本位に安守すれば、昏暗の病はまた除けない。往くも留まるも、この昏暗の患を免れない。ゆえに往けば猜疑の患を招くと言う。ただ六二は中に居りて位を得、昏暗の中に処しても邪路を走らず、一心に忠誠信実を懐きてさえいれば、昏暗の患に拖累されず、かえって自分の心志を激発しうる。よって吉利を獲る。ゆえに誠信を懐きて啓開すれば吉と言う。
九三豐其沛,日中見沫,折其右肱,無咎。沛,幡幔,御蔽光明之物也;沬是微暗不明之謂也。九三應在上六,志在乎陰,雖免豐蔀見斗愈乎,以陰處陰,而猶豐沛見沬,是日中盛明而見微沬矣,故曰豐其沛,日中見沬。處豐大之時而見物微沬,斯則不可施於大事。其猶人之所用在於左右之肱,今右肱既折,況復見物微沬,只可自守而已,乃得無咎,故曰折其右肱無咎。為施明即見昧,施用則折肱矣。
九三の爻辞「豊其沛、日中見沬、折其右肱、无咎」。「沛」は幡幔の類で光明を遮挡する物、「沬」は微弱昏暗にして見分明ならざるを指す。九三は上六と相応し、心志が陰柔の一方に繋がる。それは六二のあの「豊蔀見斗」に比べれば多少善いが、なお応ずる所が陰爻なるがゆえ、「豊沛見沬」の地步に落ちる。すなわち正午の最も明るい時に微弱の星光のみ見える。ゆえに幔帳が盛大、正午に沬を見ると言う。豊大の時に身を処してこのような微弱の物のみ見えるならば、大事を担當すべからず。これはちょうど人が事を為すに全て左右両臂に恃むに、いま右臂はすでに折断し、まして見る所もこのように昏暗ならば、ただ自守するのみ。こうすれば咎なし。ゆえに右臂を折って咎なしと言う。明察を施展せんとすれば見るは昏昧、力を出して事を任せんとすれば臂膀はすでに折れている。
九四豐其蔀,日中見斗,遇其夷主吉者。九四以陽居陰而懷闇昧,如日中見斗也。夷,平也。應在初九,以陽適陽,二體均平,能相顯發,若遇初九夷主,所以獲吉,故曰遇其夷主吉也。
九四の爻辞「豊其蔀、日中見斗、遇其夷主、吉」。九四は陽爻が陰位に居りて心に昏昧を懐く。ちょうど正午に北斗星を見るがごとし。「夷」は均等である。それは初九と相「応」し、陽をもって陽に対す、两方の分量が均等で、よって互相照亮し顕発しうる。一旦初九という自分と相当の主人に遇えば、吉利を獲られる。ゆえに相当の主人に遇えば吉と言う。
六五來章,有慶譽吉者。以陰之質來居陽位,是暗而求明。既居尊位,能獲章美慶譽,所以吉,是光大彰顯其徳矣。
六五の爻辞「来章、有慶誉、吉」。それは陰柔の質をもって陽位に来居す。まさに自身が昏暗にして外に向かい光明を求む。それはすでに尊位に身を居し、また文采美善の士を招来して福慶声誉を獲得しうる。ゆえに吉利。これはすなわち自分の徳性を発揚光大し彰顕したのである。
上六豐其屋,蔀其家,窺其戸,其無人,三歲不覿凶者。屋者,藏陰隠之處。上六以陰處外而不居其位,即是幽隠之人,絶跡深藏者。既是藏隠,恐為人所見,故豐厚其屋,而又蔀覆其家。假使窺覷其戶,隠翳之深,而寂不見其人,故曰豐其屋,蔀其家,其戶其無人也。亦是棄其所止,外處深藏,以髙其行。然處豐大之時,即是明君之徳光被天下,野無遺賢,固合睹斯明代,居位佐時,共施政事,而反以自隠三年者,豐道已成而猶不見,所以致凶。治道未濟,隠藏猶可;治道既濟,何為藏身不出,失時尚凶,況復更藏,凶其宜也。
上六の爻辞「豊其屋、蔀其家、窺其戸、其无人、三歳不覿、凶」。房屋は身を蔵隠する処所である。上六は陰柔をもって卦外に居りて実位を占めず、まさに幽隠の士・絶跡深藏の人である。それはすでに隠蔵せんと欲して、また人に発見されるを恐れる。ゆえに屋宇を高厚に造り、また障蔽をもって家宅を遮蓋する。たとえ人が門縫より窺看しても、遮蔽が深すぎて、寂として人を見ない。ゆえに屋宇が高大、家宅を遮蔽し、戸を窺うも人を見ずと言う。これはすなわち自分が処すべき位置を捨棄し、外に退きて深藏し、これをもって自分の操行を抬高する。しかしそれの処する所はまさに豊大の世、すなわち明君の徳沢が天下を普照し民間に遺漏の賢才なきの時で、本はこのような清明の時代を見て出でて位に居り時を輔け、共に政事に参与すべきところ、それは反って自ら隠蔵して三年、豊盛の道はすでに成就したのに依然として露面せんと肯ぜず。よって凶険を招く。治世の道がまだ成功せざる時は、隠蔵するもまだ言い訳が立つ。治道がすでに成功したのに、どうして身を蔵して出でないのか。時機を失するは本来凶、まして一味に深藏し続けるは、凶険は自ずから当然である。
旅卦(艮下離上)
艮下離上。旅:小亨,旅貞吉。彖曰:旅小亨,柔得中乎外而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨旅貞吉也。旅之時義大矣哉。象曰:山上有火,旅。君子以明慎用刑,而不留獄。
旅卦は下卦が艮、上卦が離で、火が山上にあり、草を逐いて行き、久しく留まること能わず。ゆえに旅と名づける。卦辞は言う、旅は、稍しく亨通、行旅の人が正を守れば吉、と。《彖伝》は言う、旅が小亨する所以は、六五という柔爻が外卦で中を得てまた陽剛に順従し、内止め外に光明に附麗するので、稍しく亨通して旅人が正を守りて吉を獲る。旅卦の含む時機の意義はまことに重大である。《大象伝》は言う、山上に火あり、これが旅である、君子はこれに法り、明察にして謹慎に刑罰を施用し、案件を久しく拖延せしめない、と。
初六,旅瑣瑣,斯其所取災。象曰:旅瑣瑣,志窮災也。六二,旅即次,懷其資,得童僕貞。象曰:得童僕貞,終無尤也。九三,旅焚其次,喪其童僕,貞厲。象曰:旅焚其次,亦以傷矣;以旅與下,其義喪也。九四,旅于處,得其資斧,我心不快。象曰:旅于處,未得位也;得其資斧,心未快也。六五,射雉,一矢亡,終以譽命。象曰:終以譽命,上逮也。上九,鳥焚其巢,旅人先笑後號咷,喪牛于易,凶。象曰:以旅在上,其義焚也;喪牛于易,終莫之聞也。
初六の爻辞、行旅の人が猥瑣卑微、これはまさに自ら災禍を取る。《小象伝》は言う、旅して猥瑣は、心志が窮困して災を致すからだ、と。六二の爻辞、行旅の人が旅舎に住み込み、懐に銭財を帯び、また忠貞の童僕を得る。《小象伝》は言う、忠貞の童僕を得るは、終に過失なし、と。九三の爻辞、行旅の人が自分の旅舎を焼き、童僕を失う、正を守っても危厲。《小象伝》は言う、旅して舎を焚くは、傷を受けたも甚だしき、行旅の身をもって下人に対すれば、理に照らせば彼らを失うべし、と。九四の爻辞、行旅の人が落脚の処を得、また斧头銭財を得たが、我が心は痛快ならず。《小象伝》は言う、旅して処あるは、まだ應有の位置を得ざるからだ、資斧を得たは、心がなお痛快ならざるからだ、と。六五の爻辞、雉を射る、一支の箭を失うも、最終に美誉と爵命を獲得する。《小象伝》は言う、終に誉命を獲るは、上の賞識が彼に達したからだ、と。上九の爻辞、鳥の巣が焼かれた、行旅の人は先ず歓笑し後に号咷大哭す、田畔に於て牛を喪失す、凶険。《小象伝》は言う、行旅の身をもって最上に居れば、理に照らせば焚かれるべし、田畔に牛を喪うは、終に告げに来る人なし、と。
旅小亨,旅貞吉者。旅者,客羇旅之稱也。旅人觸目乖阻,困於途路,求容僅存,假道濟通,所通非大,但小亨而已,故旅小亨也。羇旅而得小通,是旅之正吉,故旅貞吉也。
卦辞「旅、小亨、旅貞吉」。「旅」は他郷に客居し羇旅の外にあるの称呼。行旅の人は目に触れるはみな隔閡阻碍で、路途の中に困頓し、ただ身を容れて勉强存活せんを求め、道を借りて暫く通行を得る。通達する範囲は有限で、ただ小さな亨通のみである。ゆえに旅は小亨のみと言う。羇旅の外にありてこの一点の通達を得るは、まさに行旅の道の正当な吉利。ゆえに旅人が正を守れば吉と言う。
象曰:山上有火,旅者。火在山上,因風而起,逐草而行,勢不久留之象也。君子以明慎用刑而不留獄者。旅卦而引斷獄,案六十四卦有文明者多稱用刑。今旅卦有艮止離明,止即審慎用刑,明即不濫不枉,故聖人之意取其明察止審,不妄刑罰,蓋以人命至重。故陽膚為士師,曽子誡之曰:治獄之道,如得其情,則哀矜而勿喜。死者不可復生,斷者不可復續是也。
《大象伝》の言う「山上有火、旅」――火が山上にあり、風勢を借りて燃え起こり、草木を追いかけて蔓延し、形勢上長く停留しない。これはまさに行旅の形象である。「君子以明慎用刑、而不留獄」は、旅卦が断案の事を引出すは、六十四卦の中で凡そ「文明」の象を帯びるものは、多く用刑を講ずるを考察するに基づく。いま旅卦は上下に艮の「止」と離の「明」あり。「止」はすなわち審慎に刑罰を施用し、「明」はすなわち濫殺せず冤枉せず。ゆえに聖人の用意は、それの明察にして審慎、軽率に刑を動かさざるを取る。人命が最も貴重なるがゆえ。ゆえに陽膚が典獄官とならんとする時、曾子は彼を誡めて言う、案件を審理する原則は、もし実情を査清したならば、心に哀愍を懐きて自喜してはならない。人は死ねば復た生きず、肢体は断てば復た接げず、まさにこの意である、と。
初六曰旅瑣瑣,斯其所取災者。瑣瑣,細小卑賤之貌也。處旅之時,最居人下,是卑賤細小矣,故旅瑣瑣也。身處人下,不得所安,有所興為,災禍自至,故曰斯其所取災。
初六の爻辞「旅瑣瑣、斯其所取災」。「瑣瑣」は瑣碎卑微のさま。それは行旅の時に処りて衆人の下に位し、まさに卑賤渺小。ゆえに旅人が猥瑣卑微と言う。それは人の下に身を処り、安身の所を得ず、もしなお興作あれば、災禍は自ずから至る。ゆえにこれは自ら災禍を取ると言う。
六二旅即次,懐其資,得童僕貞者。次是旅店,旅人所居之處也。六二以柔居中得位乘上,即是旅人得其所安,只可店舍而處,故曰旅即次也。處旅行謙,不為剛猛,但有童僕之正,懷來資貨,不慮喪失,故曰懷其資,得童僕貞也。
六二の爻辞「旅即次、懐其資、得童僕貞」。「次」は旅舎で、行旅の人が住宿する処所。六二は陰柔をもって下卦の中に居りて位を得、また初六の上に在る。まさに旅人が安身の処を見出した。ただそれは旅店に住むのみできる。ゆえに旅人が旅舎に住み込むと言う。それは旅途に身を処りて謙遜を奉行し、剛猛を逞しゅうしない。よって忠貞の童僕を得、懐に銭財を帯びても丟失を憂慮する要なし。ゆえに其の資を懐き、童僕の貞を得ると言う。
九三旅焚其次,喪其童僕,貞厲者。九三處下卦之上,上無應,與初二相得,遂欲自尊而施惠於下。當旅之時,不能謙和靜慎,而乃預萌侵權,為君所疑,遂被黜奪,焚其次舍,是喪童僕之正而身危矣,故曰喪其童僕貞厲。
九三の爻辞「旅焚其次、喪其童僕、貞厲」。九三は下卦の最上の爻に処り、上に相応の爻がないのに、初六・六二と相処融治する。ここにおいて自ら尊位に居りて下に恩恵を施さんと欲する。行旅の時に身を処しながら謙和にして静かに謹慎できず、かえって預め権柄を侵奪する心を萌芽する。よって君主に猜疑され、終に罷黜剝奪に遭い、旅舎までも焼かれる。これはすなわち童僕の忠貞を失い自身が危境に陥る。ゆえに童僕を失い、正を守っても危厲と言う。
九四旅于處,得其資斧,我心不快者。九四以陽居陰,即懷謙之道。處旅行謙,雖不得平坦之處,而得用斧之地,謂除荊棘而治次舍以自居之,故曰旅于處,得其資斧也。寄旅求安,不得平坦而得荊棘之地,即其心不樂,故曰我心不快也。
九四の爻辞「旅于処、得其資斧、我心不快」。九四は陽爻が陰位に居り、よって謙遜の道を懐く。それは旅途に身を処して謙遜を奉行し、平坦安適の地を得られなかったが、斧を用いて開闢すべき地を得た――荊棘を砍除し旅舎を修治して自ら居住するを言う。ゆえに落脚の処を得、また斧头を得たと言う。旅途に身を寄せて安頓を求めるに、平坦の地を得られず荊棘の地を得たのみならば、心中自ずから快くない。ゆえに我が心が痛快ならざると言う。
六五射雉,一矢亡,終以譽命者。羇旅之時,不可以處盛位,縱使居之,終不可保。有喻射雉,一矢射之不中而失其矢,雉雖有而終不可得,故曰射雉一矢亡也。然五居文明之中,能審禍福之機,不乘剛而専權,但棄下而恭願奉上,故終美譽而見命也。
六五の爻辞「射雉、一矢亡、終以誉命」。羇旅の外にある時は、本来顕盛の位置を占めるべきではない。たとえ勉强にその上に居っても、終に保てない。ここでは雉を射るを喩える。一支の箭を射出して中らず、徒らにあの箭を失う。雉はそこにあるのに、終に獲られない。ゆえに雉を射て一箭を失うと言う。ただ六五は離体文明の中に居り、禍福の要枢を審察でき、剛爻を凌駕して権柄を專擅せず、ただ下の牽扯を捨棄して恭順に上に在る者に奉事する。ゆえに最終に美誉を贏得し任命を受ける。
上九鳥焚其巢,旅人先笑而後號咷,喪牛于易,凶者。居髙危以為宅,鳥巢之象。旅人最處髙位,眾心所嫉,居嫉害之地,因被侵奪,必致凶塞。得髙位而先笑也,凶禍至而後號咷也,侵奪而似鳥焚巢。牛是稼穡之資,喪失其牛,理在不難。眾所同嫉,物莫之與,危而弗扶,無人以為聞報,無所依託,即傷切甚矣,故於易凶。
上九の爻辞「鳥焚其巣、旅人先笑後号咷、喪牛于易、凶」。それは高く危険な処に住んで自分の居所とする。これはまさに鳥巣の形象。行旅の人が最高の位置を占めれば、自ずから衆人に嫉恨される。人に嫉害される地に身を処するゆえ、人に侵奪され、必ず凶険窘塞を招く。高位を得た時は先ず歓笑し、凶禍が臨頭してから号咷大哭する。人に侵奪されるのはちょうど鳥巣が火で焼かれたがごとし。牛は庄稼を耕種する憑藉で、それが自分の牛を失うのは、情理から言って理解し難くない。衆人がみなそれを嫉恨し、それに相与するを肯じる者なく、それが険に遇うも扶助する人なく、消息を通報してくれる人もなく、依托する所なく、受ける傷害は極めて深切である。ゆえに田畔で牛を喪失して凶と言う。
巽卦(巽下巽上)
巽下巽上。巽:小亨,利有往往,利見大人。彖曰:重巽以申命,剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨,利有攸往,利見大人。象曰:隨風,巽。君子以申命行事。
巽卦は上下両体とも巽で、風と風が相随い、その義は順・入である。ゆえに巽と名づける。卦辞は言う、巽は、稍しく亨通、往くところあるに宜しく、大人に見るに宜しい、と。(底本は「利有攸往」を「利有往往」と誤作し、いま照録して改めない。)《彖伝》は言う、二重の巽は反復して命令を申明するを象徴する。九二・九五の陽剛が中正の道に遜順し、よって心志が施行を得る。各柔爻がみな陽剛に順従するので、稍しく亨通、往くところあるに宜しく、大人に見るに宜しい。《大象伝》は言う、風と風が相随う、これが巽である、君子はこれに法り、反復して政令を申明して後に政事を推行する、と。
初六,進退,利武人之貞。象曰:進退,志疑也;利武人之貞,志治也。九二,巽在床下,用史巫紛若,吉,無咎。象曰:紛若之吉,得中也。九三,頻巽,吝。象曰:頻巽之吝,志窮也。六四,悔亡,田獲三品。象曰:田獲三品,有功也。九五,貞吉,悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。象曰:九五之吉,位正中也。上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。象曰:巽在床下,上窮也;喪其資斧,正乎凶也。
初六の爻辞、進退が猶疑して定まらず、武人のように正固を守持するに宜しい。《小象伝》は言う、進退が定まらざるは、心志が疑惑するからだ、武人の正に宜しきは、心志を整治定当するからだ、と。九二の爻辞、恭順に床下に伏す、祝史巫覡を起用し、紛紛として多く祭祷する、吉利、咎なし。《小象伝》は言う、紛若の吉は、九二が中に居るからだ、と。九三の爻辞、一再勉强して恭順の様子を作る、憾惜あり。《小象伝》は言う、頻巽の憾惜は、心志がすでに窮困したからだ、と。六四の爻辞、悔恨が消える、田猟で三類の獲物を獲る。《小象伝》は言う、田で三品を獲るは、功効あるからだ、と。九五の爻辞、正を守れば吉利、悔恨が消える、利しないことなし、開頭は順ならざれど結局は成せる、庚日の前に三日、庚日の後に三日に号令を申明する、吉利。《小象伝》は言う、九五の吉は、その位に居りて中正だからだ、と。上九の爻辞、恭順に床下に伏す、自分の銭財と斧头を喪失す、これを守れば凶。《小象伝》は言う、床下に伏すは、上に居りて窮極するからだ、資斧を喪うは、これで往けばまさに凶、と。
巽小亨者。巽是卑順之名,和入為義,故謂之巽也。夫人用巽,必須恭儉莊敬,進退合宜。若過於卑巽,逾尊卑之分,敬恭不合禮,即所通非大,故曰小亨也。
卦辞「巽、小亨」。「巽」は卑下柔順の名称で、和順にして深入しうる意を取る。ゆえに巽と謂う。人が遜順の道を運用する時は、必ず恭敬倹朴・荘重厳粛で、進退がみな分寸に合わねばならない。もし謙卑遜順が頭を過ぎて、尊卑の應有の分際を越え、恭敬が礼数に合わなければ、通達しうる範囲は有限である。ゆえに小亨のみと言う。
利有攸往者。巽順以行,物不違拒,故曰利有攸往也。利見大人者,人用巽順,即無往不利;大人用巽,其道愈隆。巽順之美,上下皆須之,故曰利見大人也。
「利有攸往」。遜順の道をもって行事すれば、外物は違逆抗拒しない。ゆえに往くところあるに宜しいと言う。「利見大人」は、常人が遜順の道を用いれば、往いて利ならざるなし、大人が遜順の道を用いれば、その道業はいっそう隆盛となる。遜順という美徳は、上下各色の人がみなそれを要する。ゆえに大人に見るに宜しいと言う。
象曰:隨風,巽者。按說卦云:巽,入也。風之所入,物無不順,風相隨而行,故曰隨風巽也。君子以申命行事者,風行草偃,亦有王者風教行於天下意,故君子象此,申其命令,行其政教之事也。
《大象伝》の言う「随風、巽」――《説卦伝》に拠れば、巽は「入」の意あり。風の吹入する所、万物は順わざるなし。一陣の風がまた一陣の風と相随いて行く。ゆえに「随風巽」と言う。「君子以申命行事」は、風が一吹きすれば草は伏倒し、これはまた君王の風化教令が天下に通行するの意をも含む。ゆえに君子はこれに法り、反復して自分の命令を申明し、進んで政教の事を推行する。
初六進退,利武人之貞者。出令之初,人未從化,心懷猶豫,進退遲疑。申命之初,人未信服,成命齊邦,莫過威武以整齊之,故曰進退利武人之貞也。
初六の爻辞「進退、利武人之貞」。政令がちょうど頒布された時、人々はまだ感化されず、心中猶豫して、進んでも可ならず退いても可ならず。命令を申明する初め、衆人はまだ信服しない。命令を貫徹し邦国を整斉するに、威武の力に凭って整粛するより効果的はない。ゆえに進退が定まらぬ時は武人のように正固を守持するに宜しいと言う。
九二巽在床下,用史巫紛若,吉無咎者。史謂祝史,巫謂巫覡,皆是接事鬼神之人。九二處巽之中,在下位而以陽居陰,卑巽而順,故曰巽在床下者,卑謙過甚,失於正道,咎過生焉。然鬼神無形,所在怠慢,九二卑恭如是,事神祗而獲多福,故曰用史巫紛若吉無咎也。紛者,盛多之貌也。
九二の爻辞「巽在床下、用史巫紛若、吉、无咎」。「史」は祝祷を主持する祝史を指し、「巫」は男女の巫覡を指し、いずれも鬼神と打交道する人。九二は下卦巽の中に処り、下位に居りかつ陽爻が陰位に居り、謙卑柔順。ゆえに恭順に床下に伏すと言う。この卑謙はすでに分寸を過ぎ、正道を偏離し、咎は本来ここから生ずべき。ただ鬼神に形体なく、人はそれに対して往々にして怠慢しがち。九二がこのように卑恭でき、神祇に奉事するに用いれば、かえって多くの福沢を獲る。ゆえに祝史巫覡を起用して紛紛と祭祷すれば吉で咎なしと言う。「紛」は繁多衆盛のさま。
九三頻巽吝者。頻是頻蹙不樂之貌也。九三體剛居正,為四所乘,志意窮屈,不得舒暢,故懷頻蹙,即是鄙吝之道,故曰頻巽吝。
九三の爻辞「頻巽、吝」。「頻」は眉を顰めて快からざるさま。九三は本体が陽剛で陽位に居り正を得るが、六四に上に騎られる。心志が困屈せしめられ、舒展暢達できず、よって満面に愁蹙して勉强に恭順の姿態を作る。これは鄙陋吝嗇の道。ゆえに頻巽して憾惜ありと言う。
六四悔亡,田獲三品者。六四乘九三之剛,所以有悔;然得位乘五,上奉君命,所以悔亡。親近至尊,即是權臣,以斯行命,必有功勞,譬之田獵而獲三品之物,故曰田獲三品也。一曰乾豆,為豆實以奉宗廟;二曰賓客,以助君明目達聰;三曰充君之庖廚,供君之費也。
六四の爻辞「悔亡、田獲三品」。六四は九三という剛爻の上に騎るので、本来悔恨あり。しかしそれは陰爻が陰位に居り位を得、また上に九五を承りて君命を奉行する。ゆえに悔恨が消える。それは至尊に親近く、まさに権を掌る大臣。この身分をもって政令を推行すれば、必ず功労を建てる。ちょうど田猟して三類の獲物を獲るがごとし。ゆえに田で三品を獲ると言う。第一类を「干豆」と言い、腊肉を制成して豆器に盛り宗廟に供奉する。第二类は賓客を款待するに用い、これを借りて君主の耳聡目明を助ける。第三类は君主の庖厨を充実させ、君主の日常用度に供給する。(底本は「乗五」を「承五」と作るべし、いま照録して改めない。)
九五貞吉,悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉者。五以剛居位,違于謙巽,故有憂悔;能用中正以宣命令,人不敢違,所以悔亡而無不利也。初施命令,新用剛直,人未從化,故曰無初;以中正之徳宣佈命令,人漸從化,故曰有終也。申命令謂之庚,以人迷既久,不可卒然而理,故先申三日,殷勤勸諭,使其變從善令。著之後,復再申三日;人若不從,即當誅罰,民服其罪,所以獲吉,故曰先庚三日後庚三日吉也。
九五の爻辞「貞吉、悔亡、无不利、无初有終、先庚三日、後庚三日、吉」。九五は陽剛をもって尊位に居り、謙遜柔順の義と違背する所があるので、本来憂愁悔恨あり。しかしそれは中正の道をもって政令を宣布でき、衆人が敢えて違抗しない。よって悔恨が消えて利しないことなし。政令がちょうど施行された時、新たに用いるは剛直の手段で、人々はまだ感化されない。ゆえに「无初」と言う。それが中正の徳をもって命令を頒布すれば、人々は漸々に教化に順従する。ゆえに「有終」と言う。政令を申明するを「庚」と称す。民衆の迷惑がすでに久しいので、一下子に理順できない。ゆえにまず庚日の前に三日に申告し、殷勤に勧導し暁諭して、彼らをして旧習を改め善令に聴従せしめる。政令が公布された後、さらに庚日の後に三日に重ねて申明する。この時もしなお服従しない人あれば、誅罰を加えるべく、百姓もその罪に心服する。よって吉利を獲る。ゆえに先庚三日、後庚三日すれば吉と言う。
上九巽在床下,喪其資斧,貞凶者。處巽之極,言巽過甚,似巽於床下。斧者,是斬之物,喻決威制。今既處上,固合威臨下,而乃過於謙,即是喪其威,是正道之失,故曰喪其資斧貞凶也。
上九の爻辞「巽在床下、喪其資斧、貞凶」。それは遜順の道の極点に処り、恭順が過度に過ぎたを言う、ちょうど床下に伏するがごとし。「斧」は砍伐の器具で、決断の威権を喩えるのに用いる。いまそれは最上に身を居し、本来威厳をもって下を臨駕すべきところ、謙卑が頭を過ぎた。これはすなわち自分の威権を喪失し、正道上の失誤である。ゆえに資斧を喪失し、これを守れば凶と言う。
兌卦(兌下兌上)
兌下兌上。兌:亨,利貞。彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死。說之大,民勸矣哉。象曰:麗澤,兌。君子以朋友講習。
兌卦は上下両体とも兌で、二つの沢が相連わりて彼此滋潤し、その義は悦である。ゆえに兌と名づける。卦辞は言う、兌は、亨通、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、「兌」は喜悦である。陽剛が中に居りて陰柔が外にあり、喜悦の道をもってまた正を守りうる。よって上は天道に順い下は人心に応ず。喜悦の道をもって率先して百姓を帯引すれば、百姓は労苦を忘れる。喜悦の道をもって危難に赴けば、百姓は死亡を忘れる。喜悦の道はまことに偉大で、百姓はこれによって鼓舞される。《大象伝》は言う、二沢が相連なる、これが兌である、君子はこれに法り、朋友と共に講論研習する、と。
初九,和兌,吉。象曰:和兌之吉,行未疑也。九二,孚兌,吉,悔亡。象曰:孚兌之吉,信志也。六三,來兌,凶。象曰:來兌之凶,位不當也。九四,商兌未寧,介疾有喜。象曰:九四之喜,有慶也。九五,孚于剝,有厲。象曰:孚于剝,位正當也。上六,引兌。象曰:上六引兌,未光也。
初九の爻辞、平和の心をもって人と相悦する、吉利。《小象伝》は言う、和悦して吉は、行事がまだ猜疑を引起していないからだ、と。九二の爻辞、誠信をもって人と相悦する、吉利、悔恨が消える。《小象伝》は言う、孚兌の吉は、心志が信実だからだ、と。六三の爻辞、自ら来て人の欢心を求める、凶険。《小象伝》は言う、来兌の凶は、六三の居る位が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、誰と相悦すべきかを反復斟酌して心が安寧を得ず、邪悪の患を隔絶すれば喜慶あり。《小象伝》は言う、九四の喜悦は、福慶あるからだ、と。九五の爻辞、あの陽剛を剝蝕する小人を信任する、危険あり。《小象伝》は言う、剝に孚するは、その居る位が正当にして尊極だからだ、と。上六の爻辞、人に牽引されて相悦する。《小象伝》は言う、上六が兌を引くは、その道がまだ光大せざるからだ、と。
兌亨利貞者。兌澤能潤悅萬物,故謂兌悅也。喻人君能以兌澤潤於萬人,惠流人悅,無所不通,故曰兌亨也。以悅相親,恐陷邪諂,其所利者在貞正,故曰利貞也。
卦辞「兌、亨、利貞」。兌は沢を象徴し、沢水は万物を滋潤して万物を欣悦せしめる。ゆえに兌は悦と謂う。これは君主が沢水のように万民を潤沢し、恩惠を流布して人人を喜ばせれば、通ぜざる所なしを喩える。ゆえに「兌、亨」と言う。ただ喜悦をもって彼此親近するは、邪僻諂媚に流れることもありうる。ゆえにその好処はただ貞正を守持するに在る。よって正を守るに宜しいと言う。
象曰:麗澤,兌者。麗猶連也。兩澤相連,上下俱悅,故曰麗澤兌也。君子以朋友講習者,先儒云:同處師門曰朋,共執一志曰友,友猶黨也。必須友者,學記云:獨學無友,即孤陋寡聞。謂朋友聚居,講解道義,修習文禮,相悅之盛,莫盛於此。故鄭眾云:樂耽於酒,則有沉酗之凶;志累於樂,則有傷性之患。所以君子樂之美者,莫過於尚詩書、敦習道義,教之盛矣,樂在斯焉。
《大象伝》の言う「麗沢、兌」――「麗」は相連に同じ。二つの沢が彼此相連わり、上下ともに滋潤を得て喜悦する。ゆえに「麗沢兌」と言う。「君子以朋友講習」は、先儒は言う、同じく一師の門下に処るを「朋」と言い、共に一つの志向を抱持するを「友」と言い、友はすなわち同党の意である。友を必ず要する所以は、《礼記・学記》に言う、一人で独自学習して切磋する友なければ、孤陋寡聞となる、と。これは朋友が聚まり居り、道義を講解し文章礼法を研習し、彼此欣悦する盛况は、これより盛んはないを言う。ゆえに東漢の鄭衆は言う、快楽を飲酒に寄託すれば、沈湎酗酒の凶険あり、心志を声色の楽に耗費すれば、本性を傷害する禍患あり。ゆえに君子の最も美好の快楽は、《詩》《書》を崇尚して道義を切実に研習するに過ぎず、教化の盛大の境界は、快楽はまさにその中に在る、と。
初九和兌吉者。處悅之初而無私應,與眾和悅,天下皆親,以斯而往,何所疑乎,所以獲吉也。
初九の爻辞「和兌、吉」。それは喜悦の道の端緒に処りて偏私の正応がなく、衆人と平和に相悦でき、天下人がみな来てそれに親近する。このような態度を帯びて往いて行事すれば、何か疑慮する所あらん。ゆえに吉利を獲る。
九二孚兌吉,悔亡者。以剛處中,是懐信實之人。悅而施信,則吉從之,故曰孚兌吉。失位而處,所以有悔;志在忠信,所以悔亡也。
九二の爻辞「孚兌、吉、悔亡」。それは陽剛をもって下卦の中に居り、信実を懐く人である。喜悦の道をもってまた誠信を施行すれば、吉利は自ずから随いて至る。ゆえに誠信をもって相悦すれば吉と言う。それは陽爻が陰位に居り位を失して処するので、本来悔恨あり。ただそれの心志は忠誠信実に在るので、悔恨が消える。
六三來兌凶者。以陰居陽位,是來求悅。以不正之身,妄來求悅,是佞邪之道,所以致凶也。
六三の爻辞「来兌、凶」。それは陰爻が陽位に居り、自ら走り来て人の欢心を取る。自身の位置が正しからざるの条件をもって、胡乱に来て人の喜悦を求めるは、これは奸佞邪僻の道。よって凶険を招く。
九四商兌未寧,介有喜者。商謂商量裁制之謂;介,隔也。六三以諂侫之身而近至尊,妄求乾寵。夫侫邪之人,國之患害。今九四既是權臣,為君委任,固宜與君商量裁制,介隔邪侫之人,內掌樞機以匡王室,經營倫理,未遑安寧,故曰商兌未寧也。介疾是隔邪與君除害,四方安靜,故有喜慶,故曰介有喜也。
九四の爻辞「商兌未寧、介疾有喜」。「商」は商量裁断の意、「介」は隔絶である。六三は諂佞の身をもって至尊に逼近し、胡乱に干求寵幸を謀る。奸佞の人は本は国家の禍患である。いま九四はすでに権を掌る大臣で、君主に委任されている。本は君主と商量裁断し、邪佞の徒を隔絶せしめ、内に於て機要を掌握して王室を匡扶すべき。こうして労しながら綱紀を経営すれば、安寧する暇なし。ゆえに反復斟酌して安寧を得ずと言う。「介疾」はすなわち邪佞を隔絶して君主の害を除き、四方を安定せしめること。よって喜慶あり。ゆえに邪患を隔絶すれば喜ありと言う。
九五孚于剝,有厲者。剝是小人道長之稱也。九五為悅之主,固宜中正自安,惟賢是任,而乃反親上六,暱狎小人,遂為小人所害,危厲,故曰孚于剝有厲。書曰:逺耆徳,比頑童,是為亂風也。
九五の爻辞「孚于剝、有厲」。「剝」は小人の勢力が増長するの称呼。九五は兌卦喜悦の道の主宰で、本は中を守り正を持して安然と自処し、ただ賢能の人を任用すべきところ、それは反って上六に親近し、小人と狎昵する。ここにおいて小人に害されて危厲に陥る。ゆえに陽剛を剝蝕する小人を信任すれば危険ありと言う。《尚書》は言う、年高徳劭の人を疎遠し、頑劣の童稚を親近するは、これがいわゆる「乱風」である、と。
上六引兌者。六以陰最居悅後,是自靜退,不妄求進,必須他人牽引,乃從眾悅,故曰引兌也。
上六の爻辞「引兌」。上六は陰柔をもって喜悦の道の最後に居り、よって安静退譲して胡乱に進を求めぬ一方である。それは必ず他人の牽引に由りて、随いて衆人と一同に欣悦する。ゆえに牽引されて相悦すると言う。
渙卦(坎下巽上)
坎下巽上。渙:亨,王假有廟,利渉大川,利貞。彖曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。王假有廟,王乃在中也。利渉大川,乘木有功也。象曰:風行水上,渙。先王以享于帝立廟。
渙卦は下卦が坎、上卦が巽で、風が水上に行きて波瀾が四散する。その義は離散・解釈である。ゆえに渙と名づける。卦辞は言う、渙は、亨通、君王が宗廟に親臨し、大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、渙が亨通する所以は、九二という剛爻が前来して窮困に至らず、六四という柔爻が外卦で位を得て上の九五と同心するからだ。「王假有廟」は、君王が中位に居るを言う。「利渉大川」は、巽木の成す舟に乗れば必ず功あるからだ。《大象伝》は言う、風が水面の上を行く、これが渙である、先王はこれに法り、上帝に祭享し宗廟を建立した、と。
初六,用拯馬壯,吉。象曰:初六之吉,順也。九二,渙奔其機,悔亡。象曰:渙奔其機,得願也。六三,渙其躬,無悔。象曰:渙其躬,志在外也。六四,渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思。象曰:渙其群元吉,光大也。九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。象曰:王居無咎,正位也。上九,渙其血,去逖出,無咎。象曰:渙其血,逺害也。
初六の爻辞、健壯の馬を借りて拯救する、吉利。《小象伝》は言う、初六の吉利は、それが柔順だからだ、と。九二の爻辞、離散の際に凭倚すべき几案に奔る、悔恨が消える。《小象伝》は言う、渙して其の机に奔るは、自分の願望を実現したからだ、と。六三の爻辞、自身の私念を涣散する、悔恨なし。《小象伝》は言う、其の躬を涣するは、心志が外に在るからだ、と。六四の爻辞、朋党を涣散する、大いに吉利、涣散の中にまた丘陵のごとき隠憂あり、これは平常人の想い及ぶ所ではない。《小象伝》は言う、朋党を涣散して大吉は、その道が光明博大だからだ、と。九五の爻辞、汗を出すがごとく重大の号令を発布し、君王の積聚した財貨を散去する、咎なし。《小象伝》は言う、王居して咎なきは、その位に居りて端正だからだ、と。上九の爻辞、あの血光の災を涣散する、遥かに離れ去る、咎なし。《小象伝》は言う、其の血を涣するは、禍害を遠ざけるからだ、と。
渙亨,王假有廟者。渙者,離散之名,緩釋為義。然則小人遭難,奔走逃散,逃散方始獲濟;大徳之人處難之時,能建功立徳,散釋險難,以安時人,故謂之渙也。能釋險難,人皆獲濟,所以亨通。王能釋難而通,天下太平,至於建立宗廟,徳洽人神,雖復大川亦可濟涉。險難既釋,宜道化利物,聚人莫過於正,故曰利涉大川,利貞也。
卦辞「渙、亨、王假有廟」。「渙」は離散の名称で、消解释放の意を取る。小人が患難に遇えば、ただ奔走して逃散し、逃散に凭って辛うじて身を脱せられる。徳行宏大の人が患難に身を処する時は、功業と徳行を建立し、険難を消解し、もって当時の人を安定する。ゆえに「渙」と称する。すでに険難を解除しうれば、人人が済渡を得る。よって亨通。君王が患難を解除して天下を通泰太平ならしめ、進んで宗廟を建立し、徳沢が人と神に遍及すれば、たとえ大江大河であっても渡りうる。険難がすでに解除された以上、まさに正道の教化をもって万物に利を施すべし。人心を聚攏するに守正より緊要なるはない。ゆえに大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しいと言う。
象曰:風行水上,渙者。風行水上,激揚波濤,散釋之象。先王以享于帝立廟者,先王既釋險難,民泰時安,可以享獻上帝,建立宗廟,祭祀祖考,告以太平也。
《大象伝》の言う「風行水上、渙」――風が水面上を吹行して、波涛を激起し四散する。これはまさに消散解釈の形象である。「先王以享于帝立廟」は、先王がすでに険難を解除し、百姓が安泰し時世が安寧なれば、上帝に祭享する大礼を挙行し、宗廟を建立し、祖先を祭祀して、天下太平の消息を彼らに禀告できるを言う。
初六用拯馬壯吉者。拯,拔也。初六處難之初,乖散未甚,可以用馬拯拔,得其志而逺難。難初未至危劇,相時而行,是壯而獲吉也。
初六の爻辞「用拯馬壯、吉」。「拯」は拔救である。初六は患難の端緒に処り、離散の程度はまだ厳重でない。この時馬力を借りて身を拔出し、自分の心願を実現して禍難を遠ざけられる。患難が初起の段階にあってまだ危急の地步に至らず、それが時機を審察して行動できれば、これは力あって吉を獲る。
九二渙奔其機,悔亡者。機是案機,以承物也。謂初與二俱無應相得,既托於初,得其所安,逃難離散而奔,故曰渙奔其機悔亡也。
九二の爻辞「渙奔其机、悔亡」。「机」はすなわち几案で、物を承托するに用いる。これは初六と九二がともに相応の爻がなく、よって彼此投合したを言う。九二はすでに初六に身を托せば、安頓すべき所を見出した。それが患難を逃避し四散奔走する中にこの依托あれば、ゆえに離散の際に凭倚すべき几案に奔って悔恨が消えると言う。
六三渙其躬,無咎者。渙之為義,內險外安。六三有應於外,不顧所守,脫身而出,與剛合志,故得悔亡,故曰渙其躬無悔也。
六三の爻辞「渙其躬、无悔」。渙卦の意義は内卦を険とし外卦を安とする。六三は外卦に上九とそれに応ずる相手あり。よって自分の元来守った位置を顧惜せず、身を抽き出て、陽剛の一方と心志相合する。ゆえに悔恨を消除できる。よって自身を涣散して悔恨なしと言う。
六四渙其群,元吉,渙有丘,匪夷所思者。六四既在險外,即是已險難之人,近於至尊,為君委任,內主樞宻,外宣王命,而能散群眾之難,以安綏萬人也,而獲其大功,所以元吉,故渙其群元吉。然為君所任,任重憂深,雖能散眾之難,猶疑散難之中恐有未平丘墟之險,恆懷思慮,心未得安,故曰渙有丘匪夷所思也。丘,丘墟也;夷,平也。
六四の爻辞「渙其群、元吉、渙有丘、匪夷所思」。六四はすでに険境の外に処り、まさに険難を脱出した人である。それは至尊の位に接近し、君主に委任され、内に於て機要を主持し、外に於て王命を宣布する。よって衆人の患難を消散し万民を安撫し、もって大功を建立する。ゆえに大いに吉利。よって朋党を涣散して大吉と言う。ただそれはすでに君主に重托を受け、責任が重大で憂慮が深遠、衆人の患難を消解しえても、なお消散患難の過程中にまだ平定せざる丘陵のごとき険阻があるを疑慮し、時時に思慮を懐き、心中に安定を得られない。ゆえに涣散の中になお丘のごとき憂あり、これは平常人の想い及ぶ所ではないと言う。「丘」は丘陵廃墟を指し、「夷」は平坦である。
九五渙汗其大號,渙王居,無咎者。人之驚怖,既汗從體流,故以訓釋為汗也。九五處於尊位,而能發號施令,大散天下之險危,故曰渙汗其大號也。為渙之主,能散險難,若非王者正位,則不能然。正位不可假人,故王居無咎也。上九渙其血,去逖出,無咎者。血,傷害之義;逖,逺也。上九所居最是險外,是不為物之侵傷,逖逺而去,拔出險外,故曰渙其血也。散患於逺害之地,誰能與我為咎也。
九五の爻辞「渙汗其大号、渙王居、无咎」。人が惊恐を受けた時、汗は身上より流出する。ゆえに「汗」をもって号令が一たび発せられれば收回不可を訓釈する。九五は尊位に身を居して号令を発施し、大力して天下の険難危局を消散する。ゆえに汗を出すがごとく重大の号令を発布すると言う。それは渙卦の主宰で、険難を消解しうる。君王が正位に居らざれば、これをなしえない。そしてこの正位は他人に假借すべからず。ゆえに君王がその位に安居すれば咎なしと言う。上九の爻辞「渙其血、去逖出、无咎」。「血」は傷害を表示し、「逖」は遠である。上九の処する位置は最も険境の外に在るので、外物に侵害されない。それは遥かに離れ去り、身を抽きて険境を脱出する。ゆえにあの血光の災を消散すると言う。それが禍患を危害を遠ざけた処に消散すれば、誰が我に咎を加ええよう。
節卦(兌下坎上)
兌下坎上。節:亨,苦節不可貞。彖曰:節亨,剛柔分而剛得中。苦節不可貞,其道窮也。說以行險,當位以節,中正以通。天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。象曰:澤上有水,節。君子以制數度,議徳行。
節卦は下卦が兌、上卦が坎で、沢上に水ありて水量が有限、節制を要す。ゆえに節と名づける。卦辞は言う、節は、亨通、苦渋の節制は固守すべからず、と。《彖伝》は言う、節が亨通する所以は、剛爻と柔爻が各々半分で陽剛が中位を得るからだ。「苦節不可貞」は、あの路がすでに窮尽に至ったと言う。和悦の態をもって険中に行き、位に居りて当たりて節制あり、中正によって通達する。天地に節度あって四季が形成される。制度をもって節制すれば、財貨を損傷せず百姓を危害しない。《大象伝》は言う、沢上に水あり、これが節である、君子はこれに法り、礼数法度を制定し、徳行の高下を評議する、と。
初九,不出戸庭,無咎。象曰:不出戸庭,知通塞也。九二,不出門庭,凶。象曰:不出門庭凶,失時極也。六三,不節若,則嗟若,無咎。象曰:不節之嗟,又誰咎也。六四,安節,亨。象曰:安節之亨,承上道也。九五,甘節,吉,往有尚。象曰:甘節之吉,居位中也。上六,苦節,貞凶,悔亡。象曰:苦節貞凶,其道窮也。
初九の爻辞、内室の庭院を出ない、咎なし。《小象伝》は言う、戸庭を出ざるは、いつ通していつ塞ぐべきかを知るからだ、と。九二の爻辞、大門の庭院を出ない、凶険。《小象伝》は言う、門庭を出ざれば凶は、時機を失する極点だからだ、と。六三の爻辞、自ら節制を知らざれば、嘆息するのみ、人に帰咎すべきなし。《小象伝》は言う、節制を知らざるに嘆息するは、また誰を咎めよう、と。六四の爻辞、安然として節制を守る、亨通。《小象伝》は言う、安節が亨する所以は、それが上に在る者の道を順承するからだ、と。九五の爻辞、甘美の節制、吉利、往けば嘉許を受ける。《小象伝》は言う、甘節の吉は、その位に居りて中を守るからだ、と。上六の爻辞、苦渋の節制、固守すれば凶、ただ悔恨は消失しうる。《小象伝》は言う、苦節して貞に凶は、その路がすでに窮尽に至ったからだ、と。
節亨者。節,制度之名,節止之義,故謂之節也。節制要在得宜,尊卑有別,其道乃通,故曰節亨也。
卦辞「節、亨」。「節」は制度の名称で、節制約束の意を含む。ゆえに節と謂う。節制の要は恰好得宜に在り、尊卑に各々分別あらしめれば、その道が通行しうる。ゆえに「節、亨」と言う。
苦節不可貞者。為節之道,必須當理。若過刻薄,傷於物情,物所不堪,非為節道,不可為正,故苦節不可貞也。
「苦節不可貞」。節制の道を施行するに、必ず情理に合せねばならない。もし節制が過度に刻薄で、人情物理を傷害し、衆人が承受できなければ、それは真の節制の道ではなく、それを正道として固守し続けるべからず。ゆえに苦渋の節制は固守すべからずと言う。
象曰:澤上有水,節者。澤,陂陷之處也。澤之大小,各有區別,今水居節上,隨其大小得宜,各有止節,故為節象也。君子以制數度、議徳行者。數謂禮數等差也,度謂上下優劣也。議人徳行,輕重得宜,是皆節制度數之義。所以周禮五等諸侯所受錫命,皆有度數是也。
《大象伝》の言う「沢上有水、節」――「沢」は低窪して水を積する処所。沢に大小あり、各々相異なる。いま水が沢中に積して、沢の大小に随って各々その宜を得、各々蓄止の限度ある。ゆえに節の形象となる。「君子以制数度、議徳行」の「数」は礼数の等級差別を指し、「度」は上下高低の分限を指す。人の徳行を評議して軽重を恰好ならしめるは、みな節制度数の意義に属す。ゆえに《周礼》に公・侯・伯・子・男の五等諸侯が受ける冊命賞賜は、みな各々一定の等級数目ある、まさにこの意である。
初九不出戶庭,無咎者。節者,制度之義。今初九處節之初,即是初制法度,宜其慎宻,不令洩露。若教令未宣而乃洩露,即人心多險,奸詐生焉。若慎宻不失,施制合宜,應時無偽,乃得無咎,知通塞矣。
初九の爻辞「不出戸庭、无咎」。「節」の意義は制度に在る。いま初九は節卦の端緒に処り、まさに法度を制定し始めた時で、慎密に重んじて内容を外泄せしめぬべき。もし教令がまだ正式に頒布せざるに先んじて風声を走漏せば、人心は本多く険詐で、奸巧欺騙がこれによって生ずる。もし慎密にして失せず、制度の施行が当を得、時宜に順応して虚偽なければ、咎なしを得る。これはすなわちいつ通すべきかいつ塞ぐべきかを知る。
九二不出門庭凶者。初為制度之始,法制未成,固宜慎宻。今至九二,是法制已成,而猶溺之,失時之中,乃乖於理,失時之極,所以致凶,故曰不出門庭凶也。
九二の爻辞「不出門庭、凶」。初九は制度の草創の始に処り、法制はまだ完成せず、本は慎密に宣らざるべき。いま九二に至り、法制はすでに完成したのに、それはなおあの閉守の做法に沈溺し、施行すべき時機を錯失する。ここにおいて事理に違背し、時機を失するに極点に至る。よって凶険を招く。ゆえに門庭を出ざれば凶と言う。
六三不節若,則嗟若,無咎者。處節之時,故宜各得其序,不相乖越。今六三以陰居陽,以柔乘剛,以為驕僣而不為節,禍將及身,以至哀嗟,故曰不節若也。禍自已招,非人所與,無所怨咎於人,故曰無咎。
六三の爻辞「不節若、則嗟若、无咎」。節制を講求する時に処り、本は人人が各々次序を守り、彼此僭越せざるべき。いま六三は陰爻が陽位に居り、また柔弱をもって九二という剛爻の上に騎る。よって驕矜僭越して自ら節制せんと肯ぜず、禍患がまさに身に臨まんとし、悲哀嘆息に至る。ゆえに自ら節制を知らざると言う。この禍は自ら招いたので、他人の与えたのではない。よって他人に怨咎する由なし。ゆえに帰咎すべきなしと言う。
六四安節亨者。以柔得位,承順於君,是得節之道。但稱安行此節而不改變,則何往不通,故曰安節亨也。
六四の爻辞「安節、亨」。それは陰柔にして陰位に居り位を得、また九五の君に承順しうる。これは節制の道を得た。ただ安穏にこの節制を奉行して改変せざれば、どこに往いても通達しないことなし。ゆえに節制に安んずれば亨通と言う。
九五甘節吉,往有尚者。不苦而美謂之甘也。九五為節之主,履正居中,節以制度,不傷財,不害人。為節而無傷,即是不苦而甘,所以甘吉矣。為節不傷,苦而能甘,以此而往,人所嘉尚,故曰往有尚也。
九五の爻辞「甘節、吉、往有尚」。苦渋ならずして味美を「甘」と謂う。九五は節卦の主宰で、位に居りて正を得てまた中を守り、制度をもって節制し、財貨を損傷せず百姓を危害しない。節制して損傷を造らざれば、これはすなわち苦ならずして甘。ゆえに甘節して吉を獲る。節制して傷害する所なく、本は苦渋しえたが甘美をなした。この做法を帯びて往いて行事すれば、自ずから人々に讃許される。ゆえに往けば嘉許を受けると言う。
上六苦節貞凶,悔亡者。居節之極,是過節之中,傷於為正,物所不堪,正之凶矣,故曰苦節貞凶。若以施人,則是正道凶;若以苦節於身,修已自厲,則可以悔亡矣。
上六の爻辞「苦節、貞凶、悔亡」。それは節卦の極点に居り、節制が適中の限度を超過した。よって正を守る上で反って傷害となり、衆人が承受できない。これは正を守りて凶を致す。ゆえに苦節を固守すれば凶と言う。ただ分かちて見るべし。もしこの苛刻の節制を他人に施加すれば、それは正なるも凶。もしただ苦節をもって自身を約束し自分を修養し操行を砥礪すれば、悔恨を消失せしめうる。
中孚卦(兌下巽上)・底本は経文のみ存す
兌下巽上。中孚:豚魚吉,利涉大川,利貞。彖曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化邦也。豚魚吉,信及豚魚也。利涉大川,乘木舟虛也。中孚以利貞,乃應乎天也。象曰:澤上有風,中孚。君子以議獄緩死。
中孚卦は下卦が兌、上卦が巽で、二陰が中に居りて四陽が外にあり、中心に誠信あり。ゆえに中孚と名づける。卦辞は言う、中孚は、誠信が小猪と魚に感及する、吉利、大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しい、と。《彖伝》は言う、中孚卦は、陰柔が内に居りて陽剛が中位を得、和悦にして謙順、誠信がよって邦国を教化する。「豚魚吉」は、誠信が小猪と魚のごとき物にまで感動せしめる。「利渉大川」は、中間が虚空の木舟に乗るからだ。中孚にしてまた正を守りうるは、これは上に天道に応ず。《大象伝》は言う、沢上に風あり、これが中孚である、君子はこれに法り、獄案を審議し死刑を寛緩する、と。(按:史徴の元あった中孚卦の解説はすでに散佚し、底本のここには経文のみ存す。)
初九,虞吉,有他不燕。象曰:初九虞吉,志未變也。九二,鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。象曰:其子和之,中心願也。六三,得敵,或鼓或罷,或泣或歌。象曰:或鼓或罷,位不當也。六四,月幾望,馬匹亡,無咎。象曰:馬匹亡,絶類上也。九五,有孚攣如,無咎。象曰:有孚攣如,位正當也。上九,翰音登于天,貞凶。象曰:翰音登于天,何可長也。
初九の爻辞、預め審度すれば吉、もし他の求めあれば、安寧を得ず。《小象伝》は言う、初九が審度して吉は、その心志がまだ改変せざるからだ、と。九二の爻辞、白鶴が樹蔭の下で鳴く、それの幼雛が声に応えて和鳴する、我に一杯の好酒あり、爾と共に分享せん。《小象伝》は言う、幼雛が声に応えて和鳴するは、内心の意願に出るからだ、と。六三の爻辞、対手に遇う、ここにおいて時に鼓を撃ち進攻し時に疲れて兵を罷め、時に悲泣し時に歌唱す。《小象伝》は言う、忽ち鼓し忽ち罷むは、六三の居る位が当たらざるからだ、と。六四の爻辞、月がまさに満ちんとす、馬が配偶を失う、咎なし。《小象伝》は言う、馬が匹配を失うは、同類を断絶して上に九五を追随するからだ、と。九五の爻辞、誠信を懐きて牽繋し相連なる、咎なし。《小象伝》は言う、有孚攣如は、九五の居る位が正当だからだ、と。上九の爻辞、鶏の鳴声が天上に升る、固守すれば凶。《小象伝》は言う、翰音が天に登るは、どうして長久しえよう、と。
小過卦(艮下震上)
艮下震上。小過:亨,利貞,可小事,不可大事。飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉。彖曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。柔得中,是以小事吉也。剛失位而不中,是以不可大事也。有飛鳥之象焉,飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉,上逆而下順也。象曰:山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。
小過卦は下卦が艮、上卦が震で、四陰が外にありて二陽が中に居り、過ぎる所は小、卦体もまた飛鳥が翼を展くに似る。ゆえに小過と名づける。卦辞は言う、小過は、亨通、正を守るに宜しく、小事はなすべく大事はなすべからず、飛鳥がその鳴声を遺す、上に宜しくず下に宜しい、大いに吉利、と。《彖伝》は言う、小過は、陰小の者が稍しく超過して亨通を得る。超過してなお正を守るに宜しきは、時勢に随いて行くからだ。六二・六五の二柔爻が中を得るので、小事を為せば吉利。九三・九四の陽剛は位を失してまた中に居らず、ゆえに大事を為すべからず。この卦に飛鳥の形象あり。飛鳥が鳴声を遺す、上に宜しくず下に宜しく大いに吉利は、向上が違逆で向下が順当だからだ。《大象伝》は言う、山上に雷あり、これが小過である、君子はこれに法り、行事を恭敬に稍しく過度にし、居喪を哀痛に稍しく過度にし、用度を倹省に稍しく過度にする、と。
初六,飛鳥以凶。象曰:飛鳥以凶,不可如何也。六二,過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎。象曰:不及其君,臣不可過也。九三,弗過防之,從或戕之,凶。象曰:從或戕之,凶如何也。九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。象曰:弗過遇之,位不當也;往厲必戒,終不可長也。六五,宻雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴。象曰:宻雲不雨,已上也。上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚。象曰:弗遇過之,已亢也。
初六の爻辞、鳥の上に飛ぶがごとく、よって凶あり。《小象伝》は言う、飛鳥が凶を致すは、如何ともせんとするなし、と。六二の爻辞、祖父を越えて祖母に遇う、君主に及ばず、臣属に遇う、咎なし。《小象伝》は言う、君主に及ばざるは、臣子たる者は僭越すべからざるからだ、と。九三の爻辞、稍加防備せんと肯ぜず、人に跟従すれば殺害されることあり、凶険。《小象伝》は言う、跟従して殺害されるは、この凶険はまたどうしようもない、と。九四の爻辞、咎なし、超越せずして恰好相遇う、往けば危険あり、必ず戒慎せよ、長く固守すべからず。《小象伝》は言う、越えずして遇うは、九四の居る位が当たらざるからだ、往けば危厲に必ず戒備するは、この局面が終に長久しえぬを説明す、と。六五の爻辞、濃雲が密布して雨を降さず、雲気が我が西辺の郊野より飄来す、王公があの洞穴の中に隠る獲物を射取する。《小象伝》は言う、密雲して雨なきは、陰気がすでに上位に升ったからだ、と。上六の爻辞、相遇うを肯ぜず一味に超越す、飛鳥が遠く離れ去る、凶険、これを災殃と謂う。《小象伝》は言う、遇わずして過ぐるは、すでに亢極したからだ、と。
小過亨利貞者。小過者,過於小事,故謂小過也。以小事而濟用物,乃可通,故曰亨也。順時矯俗,利在歸正,故曰利貞也。
卦辞「小過、亨、利貞」。いわゆる「小過」は、小事の上で常度を稍しく超過するを指し、ゆえに小過と言う。小事に用いて人物を済助すれば、行き通れる。ゆえに亨通と言う。時勢に順応して流俗を矯正し、好処は最終に正道に帰するに在る。ゆえに正を守るに宜しいと言う。
可小事不可大事者。世既小通,即可正以小事,不可正以大事也。
「可小事、不可大事」。時世がすでに小さく通達するのみならば、小事をもってそれを端正するのみでき、大事をもってそれを端正すべからず。
飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉者。鳥之所棲,止於林澤。飛而向上,則入杳□,羽翮摧頺,遺其音響,哀以思處,願求所安,故不止則愈困;下則棲於林藪,故曰不宜上宜下大吉也。此論上乘剛逆也,下承陽順也。故君子為過矯之行,上則逆鱗,下則執柔守順,故以飛鳥上下而取義焉。
「飛鳥遺之音、不宜上宜下、大吉」。鳥の栖息する所は、ただ山林水沢。それが一味に上に飛べば、杳冥高遠の処に入り、羽翼が折損疲敝し、一路の哀鳴を遺すのみ。あの鳴声が悲切で、停歇せんを望み安身の所を求める心情を透して見せる。ゆえに止まらなければいっそう困頓する。下に飛べば、林莽草沢の中に栖息しうる。ゆえに上に宜しくず下に宜しく、大いに吉利と言う。ここで論ずる所は、上に向かえば陽剛を凌駕し、違逆に属す、下に向かえば陽剛を承順し、順当に属す。ゆえに君子が矯枉過正を要する時、上は逆鱗に触犯し、下は柔順を執守する。よって飛鳥の上飛と下落を借りて義を取る。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)
象曰:山上有雷,小過者。雷本出震於地上,今既出至山上,過其本處,故曰小過也。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉者。小過之世,戒其所過,小人居之,則慢易奢僣,故君子為過矯之行:過乎恭敬,喪孝之禮過乎哀慼,費用之宜過於儉約之謂也。
《大象伝》の言う「山上有雷、小過」――雷は本来地面上より震発するが、いま山頂の上に至って発した。それの本来の位置を超過した。ゆえに小過と言う。「君子以行過乎恭、喪過乎哀、用過乎倹」は、小さな超過の時世の中で、最も警戒すべきは過分である。この局面がもし小人に占められれば、軽慢放肆・奢侈僭越に流れる。ゆえに君子は矯枉過正の做法を取る。待人接物を恭敬に稍しく過度にし、居喪守孝の礼節を哀痛に稍しく過度にし、日常開支を倹約に稍しく過度にする、言う所はまさにこの意である。
初六飛鳥以凶者。小過之義,上逆下順。初應在四,若往就四,則是進於逆也,同於飛鳥上而無所措足,所以致凶。
初六の爻辞「飛鳥以凶」。小過卦の意義は向上を違逆とし向下を順当とする。初六は九四と相応する。もしそれが前に往きて九四に親就すれば、それは違逆の方向に向かい上進することで、ちょうど飛鳥が一味に上に飛んで落脚の処を見出せぬがごとし。よって凶険を招く。
六二過其祖,遇其妣,不及其君,遇其臣,無咎者。過而得之謂其遇也。六二居初之上而居中位,是過於初而遇六二也。祖,始也,謂初也;妣,母之稱也。六二居中履正,故謂之妣矣。已過初遇二位,遇母之內處,故曰過其祖,遇其妣。而得位處中,不至於僣,終守臣位,安可有咎,故曰不及其君,遇其臣,無咎也。
六二の爻辞「過其祖、遇其妣、不及其君、遇其臣、无咎」。ある処を越えてまた得る所あるを「遇」と謂う。六二は初六の上に居りてまた下卦の中に処る。これはすなわち初六を越えて恰好に六二という位置に停まった。「祖」は端緒で、初六を指す。「妣」は母の称呼――六二は中に居りて正位を得るので、「妣」をもってそれを称する。すでに初六を越えて第二爻という位置に遇うは、すなわち母の居る内位に遇った。ゆえに祖父を越えて祖母に遇うと言う。それはすでに正位を得てまた中道に処り、僭越に至らず、終始臣属の本分を守る。どこに咎あらん。ゆえに君主に及ばず臣属に遇う、咎なしと言う。
九三弗過防之,從或戕之,凶者。小過之世,大者不能立徳,故令小者僣過驕慢陵上也。九三以陽當位,又處下卦之上,固合防遏小人,不令奢僣,而九三更應上六,與小人同情,反為小人所害也,故曰弗過防之,從或戕之,凶也。戕者,殺害之義也。
九三の爻辞「弗過防之、従或戕之、凶」。小過の時世において、大位に居る人が徳行を樹立できず、よってあの小人をして僭越過分・驕横傲慢にして在上者を陵辱せしめる。九三は陽爻が陽位に居り位に当たり、また下卦の最上に処り、本は小人を防范遏制して、彼らをして奢侈僭越せしめざるべきところ、それは偏えに上六と相応し、小人と同心して、反って小人に加害される。ゆえに稍加提防せんと肯ぜず、彼らに跟従すれば殺害されることありて凶を致すと言う。「戕」はすなわち殺害の意。
九四無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞者。居小過之世,小人有過差之行,須大德之人防閒遏絶,不令過差。今九四雖復陽爻而不居位,故其所過咎責不在已,故得無咎。九四所以得免咎者,以其失位在上卦之下,不為過厚之行,故得遇其無咎之宜,故曰無咎弗過遇之也。既無防止遏制之能,自守其位則免咎而已;若有所往,則致危厲,故曰往厲也。不交於物,物亦不親,既無人相親,是無援助,欲有所往,必致危厲,無所告救,故必自戒慎以全其身,故曰必戒也。既不能裁制小人,亦不可任用,以其如此,故不足長行其正,故曰弗用永貞也。
九四の爻辞「无咎、弗過遇之、往厲必戒、勿用永貞」。小過の時世に身を処し、小人が種種の越軌の行為をなすので、大徳の人を要して防范遏止し、彼らをして過分ならしめぬ必要ある。いま九四は陽爻なれど、正位に居らず。ゆえにあの過失の責任はその身にない。よって咎なしを得る。九四が咎責を免れうる所以は、それが位を失して上卦の最下方に処り、過分に厚重張揚の事をなさざるゆえ、ちょうど咎なきの分寸に碰上した。ゆえに咎なく、超越せずして恰好相遇うと言う。それはすでに小人を防止遏制する能なし。ならば本位を安守してこそ咎を免れうるのみ。もし往くところあれば、危険を招く。ゆえに往けば危厲ありと言う。それは外物と交往せず、外物もまた来てそれに親近せず。すでに親近する人なければ、援助なきに等しい。この時往くところあらんと欲すれば、必ず危境に陥りて求救する処なし。ゆえに必ず自ら戒慎して自身を保全せねばならない。よって必ず戒備せよと言う。それはすでに小人を裁制できず、自身もまた重用すべからず。この故に、それのいわゆる「正」は長く推行し続けるに足らず。ゆえに長く固守すべからずと言う。
六五密雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴者。小過者,小過於大也。陰居陽位,是小者過於大,陰之盛矣。陰止於上,陽氣不通,雖復至盛密雲,止在西郊,而不能降其雨。以人事明之,是陰柔之主以處尊位,未能施其風教恩惠及下,故曰密雲不雨,自我西郊也。公者,臣之極貴也,五極陰盛,故稱公也。小過之時,其過猶小,是不能大作,猶為隠伏。以小徳之才,治小過之失,能獲在穴隠伏之物,又如公之弋獵而獲隠伏之獸,故曰公弋取彼在穴也。
六五の爻辞「密雲不雨、自我西郊、公弋取彼在穴」。いわゆる小過は、陰小の者が陽大の者を稍しく超過した。六五は陰爻が陽位に居り、まさに小者が大者を超過し、陰気はすでに盛んである。陰気が上に壅塞し、陽気が通行できない。よって雲気は極めて濃く積っても、ただ西辺の郊野に停まり、終に雨を降らせられない。人事をもって説明すれば、これはすなわち陰柔の君が尊位を占めて、なお教化恩惠を下民に施及できざる。ゆえに濃雲が密布して雨を降らず、雲は我が西郊より来ると言う。「公」は臣子の中の最も尊貴の爵位。六五は陰気が極めて盛んで君と称するに足らないので、「公」と称する。小過の時に処り、過ぎる所はなお小、よって大きな作為できず、ただ隠伏細微の事を為すのみ。徳性の大ならぬ才具に凭って小さな過失を糾治すれば、獲得しうるもただ洞穴の中に隠れた隠伏の物のみ、ちょうど王公が射猟して藏匿の野獣を捕獲するがごとし。ゆえに王公があの洞穴の中に隠る獲物を射取すると言う。
上六弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚者。處於小過之極,是小人過甚,不知限際,隨至穴極,過至穴無所復遇,故曰弗遇過之也。以小人之行,不守限量,過而不已,遂遭害網,亦如飛鳥飛而不已,無所棲托,必罹矰繳,所以凶矣,故曰飛鳥離之凶。過於亢極,以罹其凶,是謂不慎其身,災眚斯及,復何恨哉,故曰是為災眚。王注:過至於亢,將何所遇;飛而不已,將何所託也。
上六の爻辞「弗遇過之、飛鳥離之、凶、是謂災眚」。それは小過の極点に処り、まさに小人が過分にして極処に至り、界限の所在を知らず、一たび尽頭に至る。一味に超越して相遇うを肯ぜず、最後にもはや何にも遇わない。ゆえに相遇うを肯ぜず一味に超越すと言う。小人の行径に凭りて分寸を守らず、過分にして止まず、終に羅網に撞上する。これもまたちょうど飛鳥が一たび上に飛びて止まらんと肯ぜず、栖息依托すべき処を見出せず、必ず弋射の箭缴に傷されるがごとし。よって凶険。ゆえに飛鳥が遠く離れ去る、凶と言う。それは亢極に過度して凶禍に遭遇する。これを不謹慎に自身を保全せずと謂い、災殃が随いて至る。また何を怨恨せん。ゆえにこれを災殃と謂うと言う。王弼の注は言う、過分にして亢極に至れば、何に遇わん、一味に上に飛びて止まず、どこに依托せん、と。
既済卦(離下坎上)
離下坎上。既濟:亨小,利貞,初吉終亂。彖曰:既濟亨,小者亨也。利貞,剛柔正而位當也。初吉,柔得中也。終止則亂,其道窮也。象曰:水在火上,既濟。君子以思患而豫防之。
既済卦は下卦が離、上卦が坎で、水が火の上にあり、六爻が各々その位を得、事がすでに成就した。ゆえに既済と名づける。卦辞は言う、既済は、小者に至るもみな亨通、正を守るに宜しく、開頭は吉利、最終に禍乱あり、と。《彖伝》は言う、既済して亨は、細小の方面に至るも亨通を得るを言う。「利貞」は、剛爻と柔爻がともに正を得て位次が当を得るからだ。「初吉」は、六二という柔爻が中位を得るからだ。最後に停滞して止まれば乱を生ず、それはその道がすでに窮尽に至ったからだ。《大象伝》は言う、水が火の上にあり、これが既済である、君子はこれに法り、預めありうる禍患を思慮して事先に防備を加える、と。
初九,曳其輪,濡其尾,無咎。象曰:曳其輪,義無咎也。六二,婦喪其茀,勿逐,七日得。象曰:七日得,以中道也。九三,髙宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。象曰:三年克之,憊也。六四,繻有衣袽,終日戒。象曰:終日戒,有所疑也。九五,東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。象曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也;實受其福,吉大來也。上六,濡其首,厲。象曰:濡其首厲,何可久也。
初九の爻辞、車輪を拖き止め、尾を沾湿する、咎なし。《小象伝》は言う、車輪を拖くは、理に照らせば咎なし、と。六二の爻辞、婦人が車帘首飾を丟失する、追尋する必ずしも要せず、七日後に自ずから失って復た得る。《小象伝》は言う、七日して復を得るは、六二が中道を守るからだ、と。九三の爻辞、殷の高宗が鬼方を征伐する、三年してようやくそれを克つ、小人は任用すべからず。《小象伝》は言う、三年してようやく克つは、すでに疲憊不堪だからだ、と。六四の爻辞、華美の衣裳も終には破絮と化す、終日戒備せよ。《小象伝》は言う、終日戒備するは、心中に疑慮する所有るからだ、と。九五の爻辞、東辺の隣国が牛を殺して盛祭するも、西辺の隣国の簡薄の禴祭に及ばず、後者が真に福沢を承受する。《小象伝》は言う、東隣が牛を殺すは、西隣が祭るに時宜に合するに及ばず、真に福を受くるは、吉慶が大いに来るからだ、と。上六の爻辞、頭を沾湿する、危険。《小象伝》は言う、其の首を濡らして危厲は、どうして長久しえよう、と。
既濟亨小利貞者。既,盡也;濟,渡也。剛柔得正,上下相應,故曰既濟也。萬物盡皆濟渡,若小者不通,則無盡濟之理。今小者猶尚通亨,則柔大之物自然獲濟,故曰亨小也。物既盡濟,非正不可,故曰利貞。
卦辞「既済、亨小、利貞」。「既」は全部・完畢、「済」は渡過。此卦は剛爻と柔爻が各々その正を得、上下が彼此相応ずる。ゆえに既済と言う。万物がことごとく済渡を得た以上、もし細小の一面までも通通ぜざれば、「全部済渡」とは言いえない。いま細小の一面に至るもなお亨通するならば、柔大の物は自ずから済渡を獲る。ゆえに小者に至るも亨通と言う。万物がすでにことごとく済渡すれば、正を守らねば維持できない。ゆえに正を守るに宜しいと言う。
初吉終亂者。此設戒之辭。當既濟之時,若能戒慎謙守,不為驕恣,則既濟無窮,安有危亂及已。若其不能居安慮危、慎終如始,則既濟其極,危亂至矣。故王云:終亂不如自亂由止,故亂是也。
「初吉終乱」。これは誥戒を設ける言である。ちょうど事がすでに成就した時、もし戒慎謙遜して本分を持守し、驕縦放肆しなければ、既済の局面は無窮に延续しうる。どこに危乱が身に波及せん。反って、もし安に居りて危を思い、終を慎んで始のごとくできなければ、既済が一たび極点に至れば、危乱が来る。ゆえに王弼は言う、いわゆる「終乱」は、外来の禍乱と言うよりは自分の造ったもの――停滞して進まざるがゆえに乱を生ず、まさにこの意である、と。
象曰:水在火上,既濟者。孔義云:水在火上,炊之象。飲食以之而成,性命以之而濟,是故既濟象也。君子以思患豫防之者。處既濟之時,舉事合宜,恣情所欲,固當恭儉保守,存不忘亡,思慮後患,豫為防慎。故書云:制治於未亂,保邦於未危是也。
《大象伝》の言う「水在火上、既済」――孔穎達の義疏は言う、水を火の上に置くは、これは焼煮の形象。飲食はこれに依って成り、性命はこれに依って保养を得る。ゆえに既済の形象である。「君子以思患而豫防之」は、事がすでに成就した時に処り、事を弾するにみな合宜順手で、自分の欲望を放纵しがち。この時本は恭敬倹約して成業を持守し、安存の中に覆亡の可能を忘れず、日後の禍患を思慮し、預め防範謹慎を加えるべきを言う。ゆえに《尚書》は言う、禍乱がまだ発生せぬ時に治めておき、国家がまだ危殆に至らぬ時にそれを保全する、まさにこの理である、と。
初九曳其輪,濡其尾,無咎者。初九處既濟之初,是始濟渡也。始濟險難,未至乾燥之地,猶拖曳其輪,濡溼其尾,言其勞苦方始獲濟,其於義理,安有咎哉,故曰無咎也。
初九の爻辞「曳其輪、濡其尾、无咎」。初九は既済の端緒に処り、まさに河を渡り始めた時。それはちょうど険難を脱出し、まだ乾燥の岸に至らない。ゆえに車輪を拖き、尾を沾湿する。これはそれが労苦を歴尽してようやく渡り得たを言う。道理から言えば、これはどこに咎あると言えよう。ゆえに咎なしと言う。
六二婦喪其茀,勿逐,七日得者。茀者,婦人之首飾也。六二居中履正而應於五,雖與初三相近,情不相得,遂被初三相奪。以人事明之,其猶貞潔之婦,容儀光麗,夫暫不在,遂被他人侵陵,頭上花飾強為竊奪,故曰婦喪其茀。稱婦者,明已自有夫而被見侵。當既濟之時,法令明峻,不容邪道,婦既執貞如此,眾尚節志,皆願助之。假使逃竄,勢不能久,不過七日,必見執獲,故曰勿逐七日得也。
六二の爻辞「婦喪其茀、勿逐、七日得」。「茀」は婦人の頭上の首飾。六二は下卦の中に居りてまた正位を得、九五と相応する。初九・九三と位置が緊隣するも、彼此の情意が投合せず、よって初九・九三に侵奪される。人事をもって説明すれば、これはちょうど一位の貞潔の婦人で、容貌儀態が光彩照人、夫が一時不在家なれば、他人に欺凌され、頭上の花飾を強いて窃取されるがごとし。ゆえに婦人が首飾を丟失したと言う。あえて「婦」と称するは、彼女が本来すでに夫あるも侵犯に遭ったを表明する。ちょうど既済の時、法令が厳明峻切で、邪僻の事を容れない。この婦人はすでにこのように貞を執り、衆人もまた節操を崇尚し、みな彼女を助けんを願う。あの盗竊者はたとえ逃亡藏匿しても、形勢上長くは躲えられず、七日を出ずして必ず抓獲される。ゆえに追う必ずしも要せず、七日後に自ずから失って復た得ると言う。
九三髙宗伐鬼方,三年克之,小人勿用者。處既濟之時,居文明之末,將入險難,是居衰而能濟。其猶殷王髙宗諒陰三年,盛德中興,克伐鬼方。以其盛德始興,不能即勝,故三年已後乃始克勝,故曰三年克之也。髙宗者,武丁之號,殷之賢王,挺濟衰世,能伐逺方。若小人居之,必致危亂,不可任用,故曰小人勿用也。
九三の爻辞「高宗伐鬼方、三年克之、小人勿用」。それは既済の時に処り、下卦離という文明の体の末端に居り、まさに上卦坎の険難に入らんとする。ちょうど衰頽の際に身を処しながらなお有所済渡しうる。これはちょうど殷王高宗が守喪三年して言を発せず、この後に盛徳で中興し、兵を出して鬼方を討伐するがごとし。その盛徳がちょうど興起したばかりなので、すぐには勝ちえず。ゆえに三年を経て後にようやく克勝しえた。よって三年してようやくそれを克つと言う。「高宗」は武丁の廟号で、殷代の賢明君主、衰敗の時世を振拔し遠方を征伐しえた。もし小人がこの位置を占めれば、必ず危乱を招く。よって任用すべからず。ゆえに小人は任用すべからずと言う。
六四繻有衣袽,終日戒者。繻宜曰濡,是沾溼之義;袽者,衣敝爛者,可以塞漏舟也。六四處得其位,而與三五相近,情不相得,常慮危患及身。如舟之穿漏而能得濟渡者,必須敝爛之衣塞之,免為濡溺,方遂獲濟,故曰濡有衣袽也。鄰不親而得全者,須防戒得免,故曰終日戒也。
六四の爻辞「繻有衣袽、終日戒」。「繻」は「濡」と読むべく、沾湿の意。「袽」は破爛の旧衣で、漏れる船を堵塞するに用いうる。六四は陰爻が陰位に居り位を得るが、それは九三・九五とともに緊隣して情意が合わず。よってつねに危難が身に降臨せんを憂慮する。ちょうど船がすでに水漏れしてなお渡らんと欲するがごとく、必ず破舊の衣物をもって漏洞を塞ぎ、水に浸没せられるを免れ、こうしてこそ終に渡り得る。ゆえに水に沾湿して旧絮を備えて漏を堵ぐと言う。隣爻がすでに親近せざるにそれがなお保全しえたは、防範戒備に靠って禍を免れたからだ。ゆえに終日戒備せよと言う。
九五東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福者。牛,祭之盛也;禴是殷時春祭之名,四時最薄之祭也。九五處既濟之時,得居尊位,天下盡皆獲濟,亦何所營為,喻天下太平,不勞思慮。其所務者莫過祭祀,祭祀之本莫過修徳。今九五履正居中,修徳如此,但可禴祭省薄,精誠致敬,合時之宜,則神明降福。假使東鄰殺牛豐厚之盛,神靈不饗,不如西鄰薄祭,吉福大來,此蘋蘩可薦之義,故惟徳是馨矣。
九五の爻辞「東鄰殺牛、不如西鄰之禴祭、実受其福」。牛は祭品の中の最も隆盛のもの。「禴」は殷代の春祭の名称で、四時の祭の中で最も簡薄。九五は既済の時に処りて尊位に居り、天下はすでにことごとく済渡を得た。さらに何を経営せんと要す――これは天下太平で、もはや心を労し神を費す要なしを喩える。それの務むべき事は、祭祀より重要なるはなし。祭祀の根本は、また徳行の修養より大なるはなし。いま九五は位に居りて正を得てまた中を守り、徳行をこの地步に修養すれば、たとえ簡薄の禴祭のみ用いるも、精誠恭敬して時宜に合せば、神明は福沢を降す。反って、東辺の隣国はたとえ牛を殺して祭品が極めて豊盛でも、神霊は歆享せず、かえって西辺の隣国の薄祭が大きな吉福を帯来するに及ばない。これはまさに《詩経》の言う蘋を采り蘩を采りても神に荐めるべしの意。ゆえに《尚書》は言う、徳のみがまさに真の芬芳である、と。
上六濡其首厲者。處既濟之極,物極則反,遂至於未濟者,則首先犯焉。若既濟之時,守謙保位,無為無事,安能有咎。今既進而不已,遂遇危難,故濡其首也。既被濡者,將□於難,危莫甚焉,故曰濡其首厲也。
上六の爻辞「濡其首、厲」。それは既済の極点に処る。事物が極点に至れば反転し、ここにおいて未済に転向するに、それは首をもって其の衝に当たる。もし既済の時に謙遜を持守し本位を保ち、清浄無為にして事端を生ぜなければ、どうして咎あらん。いまそれは前進して止まず、終に危難に遭遇する。ゆえに頭まで水に浸湿した。すでに水に浸没せらるれば、危難の中に陥溺せんとする。これより危険なるはなし。ゆえに頭を沾湿して危険と言う。(文中の「□」は底本の缺字で、いま缺を存し補わない。)
未済卦(坎下離上)
坎下離上。未濟:亨,小狐汔濟,濡其尾,無攸利。彖曰:未濟亨,柔得中也。小狐汔濟,未出中也。濡其尾,無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。象曰:火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。
未済卦は下卦が坎、上卦が離で、火が水の上にあり、二者が相用いず、六爻がみな位に当たらず、事がまだ成らず。ゆえに未済と名づける。卦辞は言う、未済は、亨通、小狐がまさに河を渡らんとして、尾を沾湿す、利する所なし、と。《彖伝》は言う、未済して亨は、六五という柔爻が中位を得るからだ。「小狐汔済」は、それがまだ険中を出でざるを言う。「濡其尾、无攸利」は、事を底まで接続できぬを言う。此卦の各爻は位に当たらざれど、剛柔が両両として相応ず。《大象伝》は言う、火が水の上にあり、これが未済である、君子はこれに法り、謹慎に事物を分辨し、彼らを各々その所に安んぜしめる、と。
初六,濡其尾,吝。象曰:濡其尾,亦不知極也。九二,曳其輪,貞吉。象曰:九二貞吉,中以行正也。六三,未濟,征凶,利渉大川。象曰:未濟征凶,位不當也。九四,貞吉,悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國。象曰:貞吉悔亡,志行也。六五,貞吉,無悔,君子之光,有孚,吉。象曰:君子之光,其暉吉也。上九,有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是。象曰:飲酒濡首,亦不知節也。
初六の爻辞、尾を沾湿す、憾惜あり。《小象伝》は言う、尾を沾湿するは、限度を知らざるでもある、と。九二の爻辞、車輪を拖き止める、正を守れば吉利。《小象伝》は言う、九二が正を守りて吉は、中に居りて正道を行くからだ、と。六三の爻辞、事がまだ成就せざる時、この時出征すれば凶あり、大河を渡るに宜しい。《小象伝》は言う、未済にして征すれば凶は、六三の居る位が当たらざるからだ、と。九四の爻辞、正を守れば吉利、悔恨が消える、威勢を奮起して鬼方を討伐するに、三年の後に大国に封ぜられる賞を受くる。《小象伝》は言う、貞吉悔亡は、心志が施行を得るからだ、と。六五の爻辞、正を守れば吉利、悔恨なし、これは君子の光輝、誠信を懐く、吉利。《小象伝》は言う、君子の光輝は、その光暉が吉慶を帯来するからだ、と。上九の爻辞、誠信を懐きて飲酒作楽する、咎なし、ただ沈湎して頭を沾湿するに至れば、あの誠信もまた正当を失う。《小象伝》は言う、飲酒して頭を浸湿するは、節制を知らざるでもある、と。
未濟亨者。未濟是未能濟渡之名,喻人徳薄居位,才徳劣小,不能拔濟危難,必須任之於賢,委之於徳,則有可濟之理,故曰未濟亨也。
卦辞「未済、亨」。「未済」はまだ渡過できぬの名称で、徳行浅薄の人が高位を占め、才具徳望がともに低微渺小で、危難を拯拔できぬを喩えるに用いる。この種の人は必ず事を賢者に交托し徳ある人に委任してこそ、難関を渡る理あり。ゆえに未済でも亨通しうると言う。
小狐汔濟,濡其尾,無攸利者。汔,將盡之名。其猶小才之人,不能濟拔險難;譬之小狐渡水,智力羸劣,必須待水乾淺方可涉川。未及於岸,力已疲憊,遂濡溼其尾,幾至沒溺,豈有利焉,故曰濡其尾無攸利也。
「小狐汔済、濡其尾、无攸利」。「汔」はまさに窮尽せんの意。これはちょうど才具短小の人が、険難を拯拔できぬがごとし。小狐の河渡りを喩えとすれば、それは智力が孱弱で、必ず水が干浅するを待ちてこそ敢えて河を過ぐる。まだ岸に至らずして、力はすでに耗尽し、ここにおいて尾を水に浸湿し、危うく淹没せんとす。どこに好処あらん。ゆえに尾を沾湿して利する所なしと言う。
象曰:火在水上,未濟者。夫水火之用,相合而成,即能濟人之性命。今火居其上而上炎,水流於下而下注,火水各抗,焉能烹飪,故為未濟也。君子以慎辨物居方者,君子見未濟之患,以謹慎為用,故分辨事物,各安其居也。
《大象伝》の言う「火在水上、未済」――水と火の功用は、本来互相配合してこそ事を成し、そうすれば人の性命を養活しうる。いま火は上に居りて上に向かい燃え、水は下に在りて下に向かい流瀉し、水火が各々相反の方向に背離する。どうして物を烹煮できよう。ゆえに未済となる。「君子以慎辨物居方」は、君子が未済の帯来する禍患を見て、謹慎をもって立身の用とし、よって仔細に各種の事物を分辨し、彼らを各々その位に安んぜしめるを言う。
初六濡其尾吝者。初六處未濟之初,最居險下,而欲強進求濟,其如力薄何。所以進未達岸,濡溼其尾,故曰濡其尾也。然體雖陰柔,不為剛狠之性,而乃猶不思反,以斯而往,頑亦甚矣,故曰吝也。
初六の爻辞「濡其尾、吝」。初六は未済の端緒に処り、坎険の最下に位するのに、勉强に上進して済渡を求めんと欲する。自らの力量が薄弱なるを奈何せん。ゆえにまだ岸に至らずして尾を湿せた。よって尾を沾湿すと言う。それは本体は陰柔の質なれど、性情は剛愎狠戾と算うるに足らざれど、なお回頭を知らず。この態度を帯びて往くは、また未免あまりに頑固。ゆえに憾惜ありと言う。
九二曳其輪,貞吉者。九二以剛居中而應於五,為君委任,即是救難之人。然二雖處險中,不為難之所溺,故經綸屯蹇,任重憂深,所以曳拔其輪以出險外,故曰曳其輪也。救難濟危,莫過於正,故曰貞吉也。
九二の爻辞「曳其輪、貞吉」。九二は陽剛をもって下卦の中に居りて六五と相応し、君主に委任され、まさに難を救いうる人である。それは身は険中に在れど、険難に淹没されず、よって艱難困頓の中に於て経営治理しうる。任務が重大で憂慮が深遠なので、車輪を拖曳してそれを険境の外に拔出する。ゆえに車輪を拖くと言う。難を救い危を済するに、正を守るより緊要なるはなし。ゆえに正を守れば吉利と言う。
六三未濟征凶,利涉大川者。六三處未濟之時,以陰柔之質,失位之正,安能自濟。若征而求濟,必致凶危,故曰未濟征凶也。然九二剛陽為君委任,即是能救難之人,六三若能委質親二,即不慮沒溺,自然獲濟,故曰利涉大川也。
六三の爻辞「未済、征凶、利渉大川」。六三は事がまだ成就せざる時に処り、自身は陰柔の質で、居る位がまた正しからず。どうして自らを頼って難関を渡りえよう。それがもし贸然と出征して済渡を求めれば、必ず凶険を招く。ゆえに未済にして出征すれば凶と言う。ただ九二は陽剛にして君主に委任され、まさに難を救いうる人。六三がもし誠心をもって帰附し九二に親近すれば、沉溺を憂慮する要なく、自ずから渡りうる。ゆえに大河を渡るに宜しいと言う。
九四貞吉悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國者。九四履失其位,所以有悔。然出險難之外,居文明之初,接近於君,志行其正,所以獲吉,憂悔乃亡,故曰貞吉悔亡也。為君所任,正志既行,靡有禁其威者,故震發威怒以伐逺方,故曰震用伐鬼方。鬼方者,興衰之征也,每至興衰取義焉。四方文明之初,其徳未盛,不能即服,故曰三年也。五處中位,體包明徳,既居尊位,不奪物功,九四既有功勞,而乃以百里之國賞之,謂封以茅土,故曰有賞于大國也。
九四の爻辞「貞吉、悔亡、震用伐鬼方、三年有賞于大国」。九四は陽爻が陰位に居り位を失すので、本来悔恨あり。しかしそれはすでに坎険の外に脱出し、上卦離という文明の体の端緒に処り、また君主に接近し、心志の行く所が端正。よって吉利を獲て憂悔が随いて消失する。ゆえに正を守れば吉利、悔恨が消えると言う。それは君主に委任され、端正の心志がすでに施行されれば、その威勢を約束するものなし。よって威怒を奮発して遠方を討伐する。ゆえに威勢を奮起して鬼方を征伐すると言う。「鬼方」という言は、国運の興衰の征験で、興衰の際に遇う毎に《易》がそれを取って義を立てる。九四は文明の体の初起の段階に処り、徳沢がなお盛大ならず、すぐには相手を降服せしめられない。ゆえに三年を要すと言う。六五は上卦の中に居り、本体が光明の徳を涵容する。それはすでに尊位に居りて他人の功労を掠奪せず、九四がすでに戦功を立てれば、方円百里の封国をもって彼を賞する。すなわち土地を分封して諸侯国を建立する。ゆえに大国に封ぜられる賞を受くると言う。
六五貞吉無悔,君子之光,有孚吉者。以柔居尊,所以有悔。然以文明之質,為未濟之主,故必貞正,所以獲吉,憂悔乃亡,故曰貞吉無悔也。以文明之質,居於尊位,不自任察而委於二,是使武以文,御剛以柔,故有君子之光輝也。委其權於有能之人而心不疑,則人皆竭其誠信,功勞克濟,故曰有孚吉也。
六五の爻辞「貞吉、无悔、君子之光、有孚、吉」。それは陰柔をもって尊位に居るので、本来悔恨あり。しかしそれは離体文明の資質に凭って未済卦の主宰となる。よって必ず貞正を持守する。ゆえに吉利を獲て憂悔が随いて消失する。よって正を守れば吉利にして悔恨なしと言う。それは文明の質をもって尊位に居り、自ら聡明を恃みて事毎に躬親せず、事を九二に委托する。これはすなわち文徳をもって武力を駕御し、柔順をもって剛強を御制する。ゆえに君子の光輝を顕す。それは権柄を才能ある人に交し而して心中に猜疑を加えざれば、衆人はみな自分の誠信を竭尽し、功業が成就を得る。ゆえに誠信を懐きて吉と言う。
上九有孚于飲酒,無咎,濡其首,有孚失是者。處未濟之極,即入於既濟,既得濟矣,任人又當,心即無疑。信任得人,自取逸樂,飲酒而已,不慮危咎,故曰有孚于飲酒無咎也。飲酒不節,樂過淫荒,所以濡首之難,還復及之,故曰濡其首也。所以濡首之難及之者,良由信任於人,不憂禍患,失於所是,故曰有孚失是。
上九の爻辞「有孚于飲酒、无咎、濡其首、有孚失是」。それは未済の極点に処り、すなわち既済に入った。事がすでに済成し、任用の人がまたみな恰当なれば、心中に疑慮する所なし。すでに信任する所がみな合適の人なれば、自ずから安享して閑逸の楽を取り、飲酒作楽するのみ、もはや危難咎を憂慮する要なし。ゆえに誠信を懐きて飲酒すれば咎なしと言う。ただ飲酒に節制なければ、歓楽が過度にして荒淫に流れ、頭頂を淹没する禍難がまた自分の身に回帰する。ゆえに頭を沾湿すと言う。この没頂の患を招来する所以は、まさに一味に他人を信任してもはや禍患を憂慮せざるに由り、よって「是」の一点の上で分寸を失った。ゆえに誠信あるも正当を失うと言う。
