Libo

周易杭氏学

清 · 杭辛斋

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

易に太極有りこれ両儀を生ずるの図

易経易学典籍

術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。

図書第一

《易》注自宋以前未嘗有圖也。逮周廉溪傳陳希夷《太極圖》而為之說,遂開理學之宗。但《圖》與《易》猶不相屬也。至朱子《本義》,取邵子河洛、先後天八卦、大小方圓各圖,與其改訂之卦變圖,弁諸經首,歷代宗之。自是圖之與《易》,相為附麗。後之說《易》者,無不有圖。

宋代以前、《周易》に注釈を加えた人々は図を用いたことがなかった。北宋の周敦頤が陳摶から《太極図》を伝授され、そのために《太極図説》を著して、ようやく理学(理気の学)の一派の宗脈を開いた。しかしその当時も《太極図》と《周易》の経文とは依然として各々別々のことを論じており、両者はまだ相属するとは言えなかった。朱熹が《周易本義》を作り、邵雍の伝えた河図・洛書、先天と後天の八卦方位、大小方円の諸図、および自ら改訂した卦変図を、いっしょに経文の巻首に冠するに及んで、歴代は皆この体例に遵った。それ以後、図と《易》とは互いに依附しあい、後世に《易》を講ずる者で図を帯びない家はなかった。

漢學家雖力攻河洛先後天之名,而其為說,仍不能廢陰陽四象及五行生成、九宮變化之義。而為之圖者,且層出不窮。蓋數理繁賾,卦爻錯綜,表之以圖,說乃易明。故學《易》者先辨圖書,識其陰陽生化之原,奇偶交變之義,而後觀象玩辭,有所準的。不致眩惑歧誤而靡所適從,亦事半功倍之一道焉。

清代に漢学を講ずる人々は「河図」「洛書」「先天」「後天」といった名目を極力攻撃したが、自分たちが説を立てる際にも、やはり陰陽・四象および五行生成の数、九宮飛布の変化という一連の義理を廃することはできなかった。そしてこの義理のために図を配する者は、むしろ一代ごとに増えていった。これは数と理の端緒が繁密で、卦画・爻位が交錯し雑然としており、図で表してこそ道理が明らかに講じやすいからである。だから《易》を学ぶ者はまず河図・洛書の類の図式を辨別し尽くし、陰陽生化の本原、奇数・偶数が交互に変動する義理を認識してから、卦象を観察し卦爻辞を玩味すれば、心に準縄があって、各家の異説に眩惑されて従うべき所がないということにはならず、これもまた事半にして功倍する一つの門径である。

太極

《繫傳》曰“《易》有太極”,又曰“六爻之動,三極之道也”。極者,至極而無對之稱。三極者,天極地極人極也。故曰“太極”者,所以異於三極也。極既無對,極而益之曰“太”,則更無有可以並之而尚之者矣。

《繋辞伝》に「《易》に太極有り」と言い、また「六爻の動は三極の道なり」と言う。いわゆる「極」とは、至高至極で、もはやこれに相対するものがないという呼称である。いわゆる「三極」とは、天極・地極・人極の三つを指す。孔子があえて「太極」と称したのは、まさにそれを天地人の三極と区別するためである。「極」はもともとすでに相対するものがないのに、「極」の字の上にさらに「太」の字を加えるのは、もはやこれと並び立ちこれを尚(こ)えることのできるものが全くないことを表している。

是以太極者,立乎天地之先,超乎陰陽之上,非言詞擬議所可形容。蓋狀之以言則有聲,有聲非太極也。擬之以形則有象,有象亦非太極也。《詩》曰“上天之載,無聲無臭”,庶或似之。然無字為有字之對,有對亦非太極也。

ゆえに太極は天地生成の前に立ち、陰陽二気の上に超越しており、言語・議論で形容しうるものではない。言語でそれを描き摹ろうとすれば声音のうちに落ち込み、声音あるものはすべて太極ではない。形体でそれに比喩すれば形象のうちに落ち込み、形象あるものもまた太極ではない。《詩経・大雅・文王》に「上天の載(おこな)い、声なく臭(にほ)いなし」と言い、上天の運化には声音・臭気がないと形容しているが、これはおそらく少し近い。しかし「無」という字は「有」の字に対してこそ成立するのであり、対待のあるものは依然として太極ではない。

孔子於無可形容擬議之中,而形容擬議之曰“太極”,可謂聖人造化之筆,更無他詞足以附益而增損之矣。然而有太極之名,似亦非太極之真諦。乃無礙其為太極者,則以“太極”二字,均無物質無精神可言,更無其他之詞義足以相併相對。可以謂之名,亦可以謂之非名。此聖筆之神化,所以不可思議也。

まったく形容・比擬する術のない場所において、孔子はあえて「太極」という二字を形容・比擬として造り出した。これは聖人が造化を参賛した筆力と言うべきで、ほかにこれに増したり減じたりできる語を見出すことはできない。ただし「太極」という名を立てた以上は、すでに太極の真諦ではないようにも見える。それにもかかわらず依然として太極であることに妨げがないのは、「太極」という二字が物質に属するとも言えず、精神に属するとも言えず、さらにそれと並び対しうる別の語義を見出すこともできないからである。それを一つの名称と見なすこともでき、まったく名称でないと言うこともできる。これこそ聖人の筆法が神妙にして不可思議なる所以である。

夫焉能又為之圖?自周子而後,相傳之圖有三。於是“太極圖”三字,流播環寰宇,幾於婦孺皆知。以論傳論,恐學者認《太極圖》為太極,則是非混淆(“《易》有太極,是生兩儀”。《易》曰“辨是與非”,即辨諸此。另有《圖說》見後。)。差以毫釐,謬以千里,而象數終無以明矣。爰詮其義,並列後出諸圖,以資辨別。

このようであるのに、どうしてまた太極に図を画くことができようか。周敦頤以後、相伝する太極図は三種あり、「太極図」という三字はここから天下に流播して、ほとんど婦孺(婦人・小児)にまで知られるようになった。前人の成説に沿って議論を進めるにあたり最も憂慮すべきは、学者が《太極図》そのものを太極と見なし、「是」と「非」の両頭を混淆してしまうことである(《繋辞》に「《易》に太極有り、これ両儀を生ず」と言い、《易》にまた「是と非とを辨ず」とある。辨ずべきはまさにこの一か所である。なお《図説》は後文に見える)。初めに毫釐(ごうり)を差し違えれば結果は千里を謬る。象数の学はついに講明しえなくなる。それゆえここでは先に「太極」の義理を詮釈し、それから後世に出た各種の図をいっしょに掲げて、読者の辨别に供する。

老子曰“有物無形,先天地生”,即謂太極也。以孔子《十翼》告成,老子已出關西去,故未知孔子有此假定之名,而曰“無以名之,強名之曰道”。究竟“道”字,實未能妙合無間,老子亦無可如何,而強名之耳。使老子得見孔子“《易》有太極”一語,必舍其名而從之。《道德經》更可省卻無數語言矣。

老子は「物有りて形無く、天地に先だちて生ず」と言ったが、これは太極を講したものである。孔子が《十翼》を書き成した頃には、老子はとっくに函谷関を西に出て行ってしまっていたので、孔子がすでにこの一層のために「太極」という仮定の名を立てていたことを知らず、「名づくるに無く、強いて名づけて道と曰う」と言うほかなかった。実のところ「道」の一字でそれを指称するのは、ついに貼り合わせて間隙なしとはいかず、老子自身もほかに方法がなく、ただ強いて名を取っただけである。もし老子が孔子の「《易》に太極有り」の一句を見ることができたなら、必ず自分の名目を捨ててそれを採用したであろうし、《道徳経》の中でも無数の弁説の語を省くことができたはずである。

《說文》:“極,棟也。”《易·大過》:“棟隆,本末弱也。”棟亦訓極。“建中立極”,故極亦訓中。棟從東從木,木生於東,得木之正,故以室中主幹之巨木謂之棟。蓋上棟下宇,初創宮室之時構造皆甚簡單,以巨木支柱正中而四周下垂,與今日營帳之制略同。故棟必在室之正中,與極字之訓,義可以相通。若以今日之所謂棟者例之,則與“極”字之義不相蒙矣。此亦言太極者不可不知者也。

《説文解字》は「極」の字を「極は棟なり」と訓じ、屋の正中の大黒梁を指す。《周易・大過》に「棟隆なり」の文があり、《彖伝》は「本末弱きなり」と釈しているので、「棟」もまた「極」と訓じうることが分かる。古語にまた「中を建て極を立つ」という説があり、ゆえに「極」はさらに「中」とも訓じうる。「棟」の字は東と木とからなり、木は東方に旺(さか)んで木気の正を得るので、屋の中央にある主幹の巨木を棟と称するのである。上古に初めて宮室を造ったとき、構造は皆簡単で、ただ一本の巨木を正中に立てて支柱とし、四周の覆いは勢いに任せて垂れ下がり、今日の営幕の形制とおおよそ同じであった。ゆえに棟は必ず屋の正中にあり、これが「極」を「中」と訓ずる意義と相通ずる。今日いうところの棟梁をもって比附すれば、かえって「極」の字の本義と干渉しない。これも太極を講ずる者が知らざるべからざる一層である。

周濂溪の太極図

周子《太極圖說》曰“無極而太極。太極動而生陽,動極而靜。靜而生陰,靜極復動。一動一靜,互為其根。分陰分陽,兩儀立焉。陽變陰合,而水火木金土五氣順布,四時行焉。五行一陰陽也,陰陽一太極也,太極本無極也。五行之生也,各一其性。無極之真,二五之精,妙合而凝。乾道成男,坤道成女。二氣交感,化生萬物,萬物生生而變化無窮焉。

周敦頤の《太極図説》に曰く、無極にして太極。太極は一動すれば陽気を生じ、動き極まれば転じて静となる。一静すれば陰気を生じ、静まり極まればまた転じて動となる。一動一静は互いに相手の根柢となり、陰と陽はここから分立して両儀が確立する。陽気は変動し陰気は凝合し、ここに水火木金土の五つの気が順に布列し、春夏秋冬の四時がこれに随って運行する。五行は結局のところ一陰一陽に帰し、陰陽は結局のところ一つの太極に帰し、太極はもともと無極である。五行は各々生成し、各々一つの性質を具える。無極の真体と陰陽二気・五行の精とが、妙に結合し凝聚して、乾道は男を成し坤道は女を成し、二種の気が交互に感応して万物を化生し、万物は生々として息まず、変化に窮まりがない。

惟人也得其秀而最靈。形既生矣,神知發矣。五性感動,而善惡分萬事出矣。聖人定之以中正仁義,而主靜立人極焉。故聖人與天地合其德,日月合其明,四時合其序,鬼神合其吉凶。君子修之吉,小人悖之凶。故曰‘立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義’,又曰‘原始反終,故知死生之說’。大哉《易》也!斯其至矣。”

ただ人のみが五行のうち最も秀異な一分を得て、最も霊性に富む。形体すでに生成すれば、精神・知覚はこれに随って発動し、仁・義・礼・智・信の五つの性が外物に触れて動き、善悪はここから分途し、万事はここから生ずる。聖人は中・正・仁・義をもってそのために準則を立て、かつ静を主とすることを主張して、ここに「人極」を確立した。ゆえに聖人の徳は天地と合し、その光明は日月と合し、その節序は四時と合し、その吉凶は鬼神と合する。君子はこの理に依って身を修めれば吉を得、小人はこれに背けば凶を致す。それゆえ《説卦伝》に「天の道を立つるは陰と陽と曰く、地の道を立つるは柔と剛と曰く、人の道を立つるは仁と義と曰く」と言い、《繋辞伝》にまた「原を始め終わりに反る、故に死生の説を知る」と言う。偉大なるかな《周易》、これこそその極致である。

周子此圖,出自希夷,宋儒諱之甚深。然希夷亦非自作也,實本諸《參同契》。彭曉注《參同契》,有《明鏡圖訣》一卷。(《序》稱:廣政丁未為蜀孟昶廣政十年,漢天福十二年也。彭號真一子,字秀川,蜀人。)

周敦頤のこの図は陳摶に源を発するが、宋代の儒者はこの来歴を深く諱んで語らなかった。しかし陳摶もまた自分で創作したのではなく、実は東漢の魏伯陽《周易参同契》に本づいている。五代の時、彭暁が《参同契》に注を作り、別に《明鏡図訣》一巻を撰した(彼の《序》には「広政丁未」と題し、これは後蜀・孟昶の広政十年、すなわち後漢の天福十二年である。彭暁の道号は真一子、字は秀川、蜀の人)。この筋線は太極図の祖本を丹家(道教煉丹家)にまで遡らせる。

毛氏奇齡曰:“《參同契》諸圖,自朱子注後(朱子注《參同契》,隱姓名為鄒欣,號空同道人。),學者多刪之。”徐氏注本已亡(按:徐名景休,東漢人,官青州從事,注《參同契》。桓帝時授淳于叔通。),他本龐雜不足據。惟彭本有《水火匡廓圖》、《三五至精圖》、《斗建子午圖》、《將指天罡圖》、《昏見圖》、《晨見圖》、《九宮八卦圖》、《納甲圖》、《舍元播精圖》、《三五歸一圖》。

清代の毛奇齢が言うには、《参同契》がもともと帯びていたあの一批の図は、朱熹が注を作って以後(朱熹が《参同契》に注した際には真の姓名を隠して鄒欣と署名し、空同道人と号した)、学者たちは多くそれを削除してしまった。東漢の徐氏の注本はすでに亡佚している(杭氏按:徐氏の名は景休、東漢の人で、青州従事を務め、《参同契》に注を作り、桓帝の時にこの学問を淳于叔通に伝えた)。その他の本子は龐雑で拠り所に足らない。ただ彭暁本だけがなお《水火匡廓図》《三五至精図》《斗建子午図》《将指天罡図》《昏見図》《晨見図》《九宮八卦図》《納甲図》《舎元播精図》《三五帰一図》を保存している。この十幅の図こそ、後人が太極図の来歴を追及する唯一の拠り所となる実物である。

今周子之黑白分三層者,即《水火匡廓圖》也。其中間之水火金木土,即《三五至精圖》也。惟圖式雖同,尚末有太極之名也。考唐《真元妙經品》,有《太極先天圖》,合三輪五行為一,而以三輪中一○五行下一○為太極,又加以陰靜陽動男女萬物之象,凡四大○。陰靜在三輪之上,陽動在三輪之下,男女萬物皆在五行之下,則與周子之圖名義皆同,但多“先天”二字耳。

今日見られる周敦頤の図のうち、黒白が相間して三層に分かれたあの部分は、すなわち彭本の《水火匡廓図》である。図の中央に水火金木土の五行が連なったあの部分は、すなわち《三五至精図》である。ただ図式は同じでも、当時はまだ「太極」という名目がなかった。さらに唐代の《真元妙経品》を考えると、その中に一幅の《太極先天図》があり、三層の輪圏と五行とを一つに合成し、三輪のうちの一つの圓圏と五行の下の一つの圓圏とをもって太極を表し、さらに陰静・陽動および男女万物の象を添えて、合わせて四つの大きな圓圏としている。陰静は三輪の上にあり、陽動は三輪の下にあり、男女・万物は皆五行の下に列べられている。これを見ると、それと周敦頤の図とは図形も名義も全く一致しており、ただ「先天」の二字が多いだけである。

然則此圖,自道家傳出,已無疑義。周子但為之說,並將上下次序略有修改而已。首曰“無極而太極”,終有語病。當時陸梭山已有疑義,與朱子往反辯論累數萬言。朱子雖曲為迴護,並於《太極圖說》注中申明謂“非太極之上覆有無極”,但其圖明明確太極之上有無極,其說終不可通也。其作《本義》,取邵子先天諸圖,而不以此圖列諸卷首,殆亦有所悟歟!

このように見れば、この図が道家から伝出したことはもはや疑問の余地がない。周敦頤はただそのために一篇の説解を書き、上下の次序をわずかに調整したにすぎない。彼の冒頭の一句「無極にして太極」は、ついに語病を残した。当時陸九韶(梭山)がすでに疑義を提出し、朱熹と往復弁論して累計数万言に及んだ。朱熹は曲解して回護し、なお《太極図説》の注に「太極の上に別に一つの無極があるのではない」と申明したが、図の上には明らかに太極の上にさらに一層の無極が画かれており、この説は結局説明がつかない。朱熹は後に《周易本義》を作ったが、邵雍の先天諸図のみを選んで巻首に冠し、この太極図を列し入れなかった。おそらく彼自身にもまた悟るところがあったのであろう。

古太極図

古太極圖,亦名“天地自然之圖”。趙氏撝謙《六書本義》曰:“天地自然之圖,伏羲氏龍馬負之出於滎河,八卦所由以畫也。世傳蔡季通得於蜀隱者,秘而不傳。趙氏得之於陳伯敷氏,熟玩之有太極函陰陽,陰陽函八卦之妙。自明洪武以後,此圖遂盛傳於世。”

古太極図はまた「天地自然之図」と名づく。明代の趙撝謙《六書本義》に曰く、この天地自然之図は、相伝えるところ伏羲の時に竜馬が滎河から背負って出た図で、八卦はこれに依って画き成された。世人の伝えるところでは、南宋の蔡元定(季通)が蜀地のある隠士の手からこれを得て、秘蔵して伝えなかった。趙撝謙自身は陳伯敷からこれを得て、反復玩味した末に、やっとその中に太極が陰陽を包含し、陰陽がまた八卦を包含する妙処を見出した。明代の洪武以後、この図はすなわち世に盛んに伝わった。

(按:蔡氏晚年得此圖未久即病卒,故朱子亦未之見也。蔡死後秘藏於家,至其孫始傳佈之,已在宋亡之後。胡元一代,尚鮮稱述。至明初劉青田取以繪入八卦之中,遂風行海內,幾於家喻戶曉,無人不知有太極圖矣。)

(杭氏按:蔡元定は晚年にこの図を得てまもなく病没したので、朱熹もまた見ることがなかった。蔡氏の死後、図は家中に秘蔵され、その孫の輩になってやっと伝布され出したが、それはすでに南宋亡国の後のことであった。元代は全くこれを称述する者が稀であった。明初の劉基(青田)がこれを八卦の中に描き込んで以来、やっと海内に風行し、ほとんど家に諭え戸に暁し、太極図あることを知らぬ者がなくなったのである。)

朱子發云:“陳摶以《先天圖》授种放,三傳而至邵雍。則康節之學,實出自希夷。所演《先天圖》,陰陽消長,亦與此圖悉合,故又謂之《太極真圖》。其環中為太極,兩邊黑白回互。白為陽,黑為陰。陰盛於北,而陽起而薄之,故邵子曰‘震始交陰而陽生’。自震而離而兌以至於乾,而陽斯盛焉。

宋代の朱震(子発)が言うには、陳摶は《先天図》を種放に伝え、輾転して三伝して邵雍に至った。これを見ると邵雍の学は実に陳摶から出たことが分かる。彼の推演した《先天図》は陰陽の消長を講じ、この古太極図と至る所吻合している。ゆえにこの図はまた《太極真図》とも呼ばれる。図の環心は太極で、両辺は黒白が回環して互いに抱く。白は陽を代表し、黒は陰を代表する。陰気が最も盛んなのは北方で、陽気はここから生じて陰に逼(せま)る。ゆえに邵雍は「震は始めて陰に交わりて陽生ず」と言った。震から離を経て兌を経て一路乾に至ると、陽気は一歩一歩壮盛になっていく。

震東北,白一分,黑二分,是為一奇二偶。兌東南,白二分,黑一分,是為二奇一偶。乾正南全白,是為三奇純陽。離正東,取西之白中黑點,為二奇含一偶,故云‘對過陰在中也’。

さらに図上の分数を見ると、震は北東にあって白が一分・黒が二分を占め、ちょうど一奇爻・二偶爻の震卦に合する。兌は南東にあって白が二分・黒が一分を占め、二奇一偶の兌卦である。乾は正南にあって通體全く白く、三奇純陽の乾卦である。離は正東にあって、西辺の白色の中にあるあの一つの黒点を取って、二奇に一偶を含ませることを要する。ゆえに「向かい過ぐるの陰、中に在り」と言う。すなわち向かい側の陰が自己の中に含まれているのである。

陽盛於南,而陰來迎之,故邵子曰‘巽始消陽而陰生’。自巽而坎而艮以至於坤,而陰斯盛焉。巽西南,黑一分,白二分,是為一偶二奇。艮西北,黑二分,白一分,是為二偶一奇。坤正北全黑,是為三偶純陰。坎正西,取東之黑中白點,為二偶含一奇,故云‘對過陽在中也’。

陽気が最も盛んなのは南方で、陰気はここから来てそれを迎える。ゆえに邵雍は「巽は始めて陽を消して陰生ず」と言った。巽から坎を経て艮を経て一路坤に至ると、陰気は一歩一歩壮盛になる。巽は南西にあって黒が一分・白が二分を占め、一偶二奇の巽卦である。艮は西北にあって黒が二分・白が一分を占め、二偶一奇の艮卦である。坤は正北にあって通體全く黒く、三偶純陰の坤卦である。坎は正西にあって、東辺の黒色の中にあるあの一つの白点を取り、二偶に一奇を含ませる。ゆえに「向かい過ぐるの陽、中に在り」と言う。

坎離為日月,升降於乾坤之間,而無定位。納甲寄中宮之戊己,故東西交易,與六卦異也。八方三畫之奇偶,與白黑之質,次第相應,深得陰陽造化自然而然之妙。但既有黑白之分,備陰陽之用,已非太極之真相,不當稱之為《太極圖》。今北方俗呼此圖為‘陰陽魚兒’,‘魚’字實‘儀’字之誤。稱之曰‘陰陽儀圖’,或曰‘兩儀圖’,斯名實相符矣。”

坎・離の両卦は日月を象徴し、乾坤の間で升降し往来し、もとより固定した方位がない。「納甲」について言えば、それらは中宮の戊・己の両干に寄せられる。ゆえに東西の両位は互いに換えて象を取ることを要し、残りの六卦の取り方とは異なる。図上の八方三画の奇偶は、黒白の色塊の多寡と一層一層対応して毫釐も違わず、よく陰陽造化の自然にしてしかもなる妙を見せている。しかしすでに黒白を分かち陰陽の功用を具えた以上、もはや太極の真相ではなく、これを《太極図》と称すべきではない。今日北方の民間で俗にこの図を「陰陽魚児」と呼ぶが、「魚」の字は実は「儀」の字の誤りである。これを「陰陽儀図」または「両儀図」と呼んでこそ、名実相符する。

此圖流傳甚古,蘊蓄宏深,決非後人所能臆造。大抵老子西出函關,必挾圖書以俱行,故遺留關中,為道家之秘藏。至於唐宋而後,始逐漸傳佈,要皆為三代以上之故物,無可疑也。

この図の流伝は極めて古遠で、内に藴(うず)めるところは宏深であり、決して後人が空から捏造しうるものではない。おおよその経過はこうである。老子が函谷関を西に出た時、必ず図書を携えてともに道に上り、それゆえこの類の図籍は関中一帯に遺留して道家に秘密裏に収蔵され、唐宋以後に至ってやっと徐々に世に伝布されたのである。帰する所、これらは皆夏・商・周三代以上の旧物であり、この点に疑うべきところはない。これに拠れば、古太極図の年代は宋儒よりはるかに前であって、宋人は旧図を承け継いだにすぎないことが知られる。

惟圖像既顯分黑白,是已生兩儀。分之為四,即成四象。分之為八,即成八卦。可謂之“兩儀生四象,四象生八卦之圖”。但流傳既久且遠,世俗已無人不認此為太極圖者。所謂習非勝是,辨不勝辨。惟學者宜詳究其義理,因名責實,而求得真諦。斯源頭不誤,自能清澈見底。不可以習見而忽之,反為流俗所誤也。

ただ図像がすでに明白に黒白の両色に分かれている以上、両儀すでに生じたに等しい。黒白を各々さらに一度分かち四とすれば四象となり、さらに一度分かち八とすれば八卦となる。ゆえにこの図は多くても「両儀四象を生じ、四象八卦を生ずるの図」と呼びうるのみで、太極図とは呼べない。しかしそれが久しくかつ広く流伝し、世俗にはすでにこれを太極図と認めない者がなく、これはいわゆる非を積んで是を成すで、弁じても弁じ勝てない。学者はただその義理を細かく究め、名称に依って実質を追求して真諦を求めるべきである。源頭の一か所が誤らなければ、下りて自然に清澈で底まで見える。見慣れたからといってこれを軽忽し、かえって流俗の説に誤られてはならない。

来氏の太極図

此來瞿塘氏之圖,亦從《古太極圖》研索而出者也。以居中之黑白二線,代兩點,以象陽方盛而陰已生,陰方盛而陽已生,有循環不絕之義。留中空者以象太極,其陰陽之由微而顯,由顯而著,亦悉合消息之自然。與河圖陰陽之數,由微而著,由內而外,亦適相合。來氏另有一圖,以河圖陽數佈於白中,陰數佈於黑中,又以配八卦四時十二辰,及古今治亂盛衰之象。圖多,茲不贅錄。

これは明代の来知徳(瞿塘)の作った図で、また《古太極図》の中から研尋して出したものである。彼は中央に位置する黒白の二条の線をもって原図の黒白二点に代え、陽正しく盛んな時に陰すでに暗に生じ、陰正しく盛んな時に陽すでに暗に生ずることを象徴させ、循環絶えざるの意を含ませた。図中に留出した一塊の空白をもって太極を象徴させた。陰陽が隠微から顕露に至り、顕露から彰著に至るのも、全く自然の消息・盈虚に合致する。これは河図の陰陽の数が微より著に、内より外へと排布するのと、ちょうど相合する。来知徳にはもう一幅の図があり、河図の陽数を白の一辺に布き、陰数を黒の一辺に布き、またそれをもって八卦・四時・十二辰および古今の治乱盛衰の象に配した。この類の図は甚だ多いので、ここではもう一々録し出さない。

來氏此圖,蓋亦悟太極之非圖所可狀,非言語可能形容,故留其外之黑白回互者為兩儀,而空其中以為太極。然“太極”二字之下繫之以圖,終有所難通也。以上三圖,皆稱太極。周子之圖,僅見於性理諸書,習之者今已不多。來氏之圖,傳亦不廣。惟第二圖風行宇內,幾與八卦並傳。圖像雖精,與孔子“太極”二字之義,實不相符。此為學易推原象數之第一步,不可不深思明辨,而求得其至當者也。

来知徳のこの図も、おそらく太極が図の描き摹れるものでなく、言語の形容しうるものでもないことを悟ったのであろう。ゆえに外囲の黒白回環・互抱する部分のみを両儀として残し、中央を空けて太極とした。しかしながら「太極」の二字の下には結局やはり一幅の図が繋がっており、この一層は終始説明がつかない。以上の三幅の図は皆太極と号する。周敦頤の図は性理を講ずる書の中にのみ見え、今日これを研習する者はすでに多くない。来知徳の図も流伝が広くない。ただ第二幅の古太極図のみが天下に風行し、ほとんど八卦とともに流伝している。その図像は精妙だが、孔子の言う「太極」二字の含義とは符節せず、これは《易》を学び象数を推原する第一歩であって、深く思い明らかに辨して最も妥当なる結論を求めざるべからざる所以である。

易に太極有りこれ両儀を生ずるの図

太極既不可以圖,然非圖又不足明陰陽顯化之妙,是惟有舍太極而圖兩儀。兩儀既明,則太極自立乎其先。無象之象,亦因象而顯矣。

太極はすでに図に画き成すことができないが、図を画かなければまた陰陽顕現・変化の妙を説明するに足らない。そこで太極を撇(す)て置いて、転じて両儀を画くほかない。両儀がいったん画き明らかになれば、太極は自然にその前に立つ。あの形象なき形象も、形象ある両儀を借りて顕現するのである。

此端木國瑚氏之圖也,於文日正為是。下正北方正而上直日,日中影正。影正,則左右自分為兩。左陽而右陰。故《易》於乾之初爻曰“不見是”,未濟之上爻曰“有孚失是”。全《易》六十四卦,三百八十四爻,以此一“是”為始終,其故可深長思也。

これは清代の端木国瑚の作った図である。字形について言えば、「日」の下に「正」を加えれば即ち「是」の字である。図の下方は端正に正北に対し、上方は直に太陽に対し、日が正中にあれば影は端正となり、影が一たび正しければ左右は自然に両辺に分かれ、左を陽・右を陰とする。ゆえに《周易》乾卦初九に《文言伝》「是を見ずして悶えざるなり」の語があり、未済卦上九の爻辞に「孚有りて是を失う」の文がある。《周易》全部六十四卦・三百八十四爻は、この一つの「是」の字をもって始終を貫徹しており、その中の故は深く長く思い求めるに値する。

有丨畫中央,便分兩列。《繫傳》曰:“乾坤成列,而易立乎其中矣。”是則乾坤左陽儀,右陰儀。從丨生出,是太極,是兩儀。一至而二分(東西分,南北至。),是一是二,易陰陽生,不待再言“太極生兩儀”,此為“《易》有太極,是生兩儀”。

図中に一竪「丨」が中央に立ち、左右はすなわち両列に分かれる。《繋辞伝》に「乾坤列を成して、易その中に立つ」と言うのは、まさにこれと合する。乾は左にあって陽儀とし、坤は右にあって陰儀とする。これらはすべて中間のあの一竪から生じたのであり、それはすなわち太極であり、また両儀でもある。一つの「至」が二つの「分」を帯び出す(春分・秋分は東西に分かれ、冬至・夏至は南北に至る)。一にしてまた二である。《易》の陰陽はここに就いて生じ、もはや「太極両儀を生ず」の一句を補うまでもない。これこそまさに「《易》に太極有り、これ両儀を生ず」の本旨である。

端木氏此圖,似較舊說更為明顯。不名曰“太極圖”,更無語病。學者與前三圖合而觀之,“太極”二字之義,可瞭然矣。“太極”之上,無能更加以字者。惟孔子曰“《易》有太極”。“《易》有”二字,必須重讀,與《序卦》“有天地”“有萬物”諸“有”字,皆一氣貫注。孔子贊易,皆是從“有”立說,以示與老子之以“無”立說者不同。

端木国瑚のこの図は、旧説よりもさらに明白なようである。それは「太極図」と称せず、ゆえに語病もない。学者がこれを前の三幅の図と合わせて見れば、「太極」二字の含義は了然とするであろう。「太極」の上にはもはや別の字を加えられず、ただ孔子が「《易》に太極有り」と言ったのみである。その中の「《易》に有り」の二字は必ず重読しなければならない。これは《序卦伝》の「天地有り」「万物有り」の一連の「有」の字と、一気に貫注して下るものである。孔子が《易》を賛するには至る所「有」の一字から説を立て、もって老子が「無」の字から説を立てる路数と異なることを表明する。

故將“有”字直提至“太極”之上,曰“《易》有太極”,而全《易》之生生不已,皆由此“有”字以發生者也。繼之曰“是生兩儀”,此“是”字上貫“《易》有太極”四字,而下澈全章。全《易》六十四卦,皆以此一字作骨,故特於初、終二爻發明之。觀此知孔子贊《易》筆法,一字一義,無不與全書精神貫注,脈絡相通,未可滑口讀過也。

ゆえに孔子は「有」の字を直に「太極」の上にまで提げて、「《易》に太極有り」と言った。《周易》全部の生々として息まざる道理は、皆この一つの「有」の字から発生した。続いて「これ両儀を生ず」と言う。この「是」の字は上は「《易》に太極有り」の四字を承け、下は章全体の文義を貫通する。《易》全部の六十四卦は皆この一字をもって骨幹とする。ゆえに孔子はわざと乾卦の初爻と未済卦の上爻という一始・一終の両か所においてこれを点明した。これにより、孔子が《易》を賛する筆法は一字に一字の義があり、《易》全書の精神と貫通して脈絡が連なり、読む際に口に随って滑り過ごしてはならないことが知られる。

《繫傳》曰“形而上者謂之道,形而下者謂之器”,太極者實超乎道與器之上,而立乎其先者也。故分言之。形而上者有太極,形而下者亦未始無太極也。故曰“天地一太極”。萬物各有其太極。後儒以太極為形而上者,是與形而下者對待,實失“太極”之本義也(老子曰:“無以名之,強名之曰道。”此道字與形而上之道意義不同。)。

《繋辞伝》に「形而上なる者をこれ道と謂い、形而下なる者をこれ器と謂う」と言うが、太極は実は道と器の上に超え、かつ両者に先だって立つ。ゆえに分かちて言えば、形而上の一層に太極あり、形而下の一層にもまた未だ嘗て太極なきに非ず。それゆえ「天地は一つの太極なり」と言い、万物はまた各々その太極有りとする。後の儒者はただ太極をもって形而上なる者とし、ここにそれと形而下なる者とが一対の相待する両端を構成するに至った。これは実に「太極」の本義を失ったものである(老子の言う「名づくるに無く、強いて名づけて道と曰う」、あの「道」の字は形而上の道の意義と同じではない)。

是以天下之事事物物,凡有對待者,皆太極所生之兩儀,非太極也(今世科學家曰精神,曰物質,相對待者也,太極實超乎精神物質之上。曰空間,曰時間,相交午者也,太極實超乎空間時間之外。哲學主唯心論者謂一切唯心所造,主唯物論者謂科學萬能物質不滅。太極則超乎唯心唯物之上,而不可以唯心唯物概之者也。)。

ゆえに天下の一切の事事・物物で、対立面を挙げて相待を成しうるものは皆太極の生じた両儀であって、太極本身ではない(当今の科学者の言う精神と物質は、まさに一対の相待するものであり、太極は実は精神と物質の上に超えている。言う所の空間と時間は縦横交午する両軸であり、太極は実は空間と時間の外に超えている。哲学上唯心論を主とする者は一切唯心の造る所と言い、唯物論を主とする者は科学万能・物質不滅と言う。太極はすなわち唯心・唯物の上に超えており、この両辺のいずれの一辺をもっても概括しうるものではない)。

以質言之曰剛與柔,而太極超乎柔剛之外。以氣言之曰陰與陽,而太極立乎陰陽之先。以事理言之曰動與靜,曰善惡吉凶,而太極實幾於動靜善惡吉凶之微,無有而無不有,無在而無不在。《序卦傳》曰“盈天地之間唯萬物”,謂盈天地之間惟太極可也。此天地一太極也。小而至一塵之微,極至於微而不可見之物,亦莫不各具有動靜生滅之機,即莫不有其太極,此物各一太極也。

質地から言えば剛と柔とがあり、太極は剛柔の外に超える。気から言えば陰と陽とがあり、太極は陰陽に先だって立つ。事理から言えば動と静とがあり善悪吉凶があり、太極は動静・善悪・吉凶の萌えんとし未だ萌えざる幾微の処に潜伏し、それ無しと言えば有る所なく、それ在らずと言えば在らざる所なし。《序卦伝》に「天地の間に盈つるは唯万物のみ」と言う。もし天地の間に充満するのはただ太極のみと言っても、また不可なし。これがすなわち「天地一太極」である。小さくは一粒の微塵に至り、乃至細微にして肉眼の見えざるものに至るまでも、各々動静・生滅の機括を具えずはなく、すなわち各々その太極を有せずはない。これがすなわち「物各々一太極」である。

宋儒言太極,不離乎動靜陰陽,已落言詮。牽及五行,則更遠矣。朱子注《太極圖說》,謂“無靜不成動,無動不成靜。譬如鼻息,無時不噓,無時不吸。噓盡則生吸,吸盡則生噓。理自如此,陰陽只是一氣。陰氣流行即為陽,陽氣凝聚即為陰”。其論雖精,總未達一間。程子曰:“動靜無端,陰陽無始。非知道者,孰能識之?”然動靜無端而自有其端,陰陽無始而自有其始也。識此端與始,以言太極,庶乎近矣。

宋儒が太極を講ずるには、総じて動静・陰陽を離れず、これはすでに言詮のうちに落ち込んでいる。さらに五行に牽扯すれば、離れることはなお遠い。朱熹が《太極図説》に注して曰く、「静無くんば動を成すあたわず、動無くんば静を成すあたわず。譬えば鼻の呼吸のごとく、呼ばざる時なく吸わざる時なし。呼び尽きればすなわち吸を生じ、吸い尽きればすなわち呼を生ず。道理もとよりかくのごとく、陰陽はただ一気のみ。陰気は流行し開けばすなわち陽となり、陽気は凝聚すればすなわち陰となる」と。この議論は精到だが、終局になお一層を欠く。程頤が曰く、「動静に端なく、陰陽に始めなし。真に道を知る者に非ざれば、誰かよくこれを識らん」と。しかし動静は端なしと言うも、自ずからその端あり。陰陽は始めなしと言うも、自ずからその始めあり。この端と始めとを識って、さらに太極を談ずれば、相去ること遠からず。

河図洛書

《繫傳》曰:“河出圖,洛出書,聖人則之。”《書·顧命》曰:“河圖在東序。”《論語》曰:“河不出圖。”《禮記·禮運》曰:“山出器車,河出馬圖。”鄭康成《易注》引《春秋緯》:“河以通乾出天苞,洛以流坤吐地符。河龍圖發,洛龜書成。河圖有九篇,洛書有六篇。”揚雄《旡靈賦》曰:“大《易》之始,河序龍馬,洛出龜書。”

《繋辞伝》に曰く、「河図を出し、洛書を出す。聖人これに則(のっと)る」と。《尚書・顧命》に「河図東序に在り」と記し、これを見ればかつて王室の東廂に陳設されたことが分かる。《論語》に孔子の「河図を出さず」の慨叹を記す。《礼記・礼運》に「山器車を出し、河馬図を出す」と言う。鄭玄《易注》は《春秋緯》を引いて曰く、「河は乾に通じて天苞を出し、洛は坤に流れて地符を吐く。河竜図発し、洛亀書成る。河図に九篇有り、洛書に六篇有り」と。意味は、河図は乾天に通じて天の符命を吐き出し、洛書は坤地に流れて地の符信を吐き出す。両者はもとより一天一地相配する一対である。揚雄《旡霊賦》にも曰く、「大《易》の始め、河竜馬を序し、洛亀書を出す」と。

《漢書·五行志》劉歆曰:“伏犧氏繼天而王,受河圖則而畫之,八卦是也。禹治洪水,錫洛書而陳之,洪範是也。聖人行其道而實其真,河圖洛書,相為經緯;八卦九章,相為表裡。昔殷道弛,文王演《周易》。周道敝,孔子作《春秋》。則乾坤之陰陽,效洪範之咎徵。天人之道粲然著矣。”

《漢書・五行志》は劉歆の言を引いて曰く、伏羲は天命を承けて王と称し、河図を受けて、それに依って卦を画いた。これがすなわち八卦である。大禹は洪水を治め平げ、上天は洛書を賜い、それに依って条目を陳列した。これがすなわち《洪範》九疇である。聖人はその道を推行してその真を落実し、河図と洛書とは互いに経緯を為し、八卦と九章とは互いに表裏を為す。昔、商朝の政道は弛緩し、文王は《周易》を推演した。周朝の政道は衰敗し、孔子は《春秋》を作った。一つは乾坤の陰陽に取法し、一つは《洪範》の咎徴に効験する。天と人と相通ずる道理はすなわち昭然として顕著となった。

河圖洛書之見於經傳者如此,而其內容如何,則無可考。至宋初陳希夷氏,始有龍圖之數。邵康節因之,以五十五、四十五兩數,分為河圖洛書,當時頗多爭議。如范諤昌、劉牧諸氏,以四十五為河圖,五十五為洛書。漢上朱氏因之。朱文公從蔡季通之議,定十為河圖,九為洛書,以冠《本義》之首。更詳演其數,以入《易學啟蒙》,相傳至今。

河図洛書の経伝に見える記載はこれだけであって、それらの内容が究竟いかなるものであったかは、すでに考証の術がない。北宋初年の陳摶に至って、やっと所謂「竜図」の数があった。邵雍はこの一路を承け、五十五と四十五の二つの数を分かちて河図と洛書と定め、当時頗る争議があった。范諤昌・劉牧などのごときは、四十五を河図・五十五を洛書とし、漢上先生朱震もこの説に従った。後に朱熹は蔡元定の意見を採納し、十数のものを河図・九数のものを洛書と定め、両図を《周易本義》の巻首に冠し、またそれらの数を詳しく推演して《易学啓蒙》に書き入れ、一路相伝して今日に至った。

復經丁易東、張行成、熊良輔,及勝清江慎修、萬彈峰諸氏之推演,義蘊畢宣。所謂神變化而行鬼神者,無不與易義悉相貫通,而《彖》、《象》所不可解者,亦得以數象相證而通其義。雖未敢謂此即為古之河圖洛書,而數理之神化,則固建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑者也。

この後また丁易東・張行成・熊良輔、および清代の江永(慎修)・万年淳(弾峰)諸家の推演を経て、その中の義藴はようやく全部顕発された。《繋辞》の言う「神変化して鬼神を行う」のあの一層は、易理に貫通せざる処なし。《彖伝》《象伝》のうち従来講じ通らなかった処さえ、数と象とが互いに印証しあって講明しえた。敢えてこれが上古のあの河図洛書であると断定はしないが、この数理の神妙なる変化は、確かに天地の間に立って違悖せず、鬼神に質証して疑うべきなく、百世の後に聖人出でても迷惑せざるものである。

自明季以來,言漢學者雖盡力攻擊,但只能爭河洛之名。而於其數,則無能置喙焉。欲探易道無盡之蘊,發千古神秘之局者,端在於是。乃舍其實而鶩其名,不亦慎哉!茲仍從《本義》、《啟蒙》之名,以五十五者為河圖,以四十五者為洛書,以便稱引。至陳希夷龍圖之說,義甚膚淺,故朱子疑為偽造。然其所謂龍圖者,分合之數皆五十有五,且明明曰龍圖不曰龜圖。劉牧之以九為圖十為書,是顯畔其師說矣。

明末以来、漢学を講ずる者は河洛を竭力攻撃したが、ただ名称を一つ争うのみで、それの数に至っては嘴を挿むことができなかった。易道の無窮の藴蔵を探求し、千古神秘の局面を掲開せんとするには、関鍵はまさにこの数の上にある。実質を捨てて名目を追逐するのは、慎重に反省すべきではないか。ゆえにここでは依然として《周易本義》《易学啓蒙》の名称を沿用し、五十五数を河図・四十五数を洛書として、称引に便とする。陳摶の竜図の説に至っては、義理が十分浅薄なので、朱熹は偽造を疑った。ただし彼の言う竜図は、分かつも合するも数は皆五十五で、しかも明らかに竜図と呼び亀図とは呼ばなかった。劉牧は九数を河図・十数を洛書としたが、それは明らかに彼の師門の説に背离する。

揚子《太玄》曰:“一六為水,二七為火,三八為木,四九為金,五十為土。一與六共宗(北),二與七為朋(南),三與八成友(東),四與九同道(西),五與五相守(中)。”按:揚子不言十者,五與五即十,太玄用九數,故置十不言。且數止於九,至十則復為一。故河洛以十為盈虛,亦數象關鍵之一。學者宜深思之。

揚雄《太玄》に曰く、「一と六とは水に属し、二と七とは火に属し、三と八とは木に属し、四と九とは金に属し、五と十とは土に属す。一と六とは宗を共にし(北に在り)、二と七とは朋を為し(南に在り)、三と八とは友を成し(東に在り)、四と九とは道を同じくし(西に在り)、五と五とは相守る(中に在り)」と。杭氏按:揚雄が「十」を提げないのは、五に五を加えれば即ち十だからである。《太玄》は九をもって用数とするので、十を置いて言わない。況んや数は九に至って止み、十に至ればまた一に反る。それゆえ河図洛書は十をもって盈と虚の関鍵と見なす。河図の五十五の数は十を含み、洛書の四十五の数は十を見せず、分別はまさにここに在る。これもまた数象上の一つの枢紐で、学者は深く思うべきである。

鄭康成氏曰:“天地之氣各有五。五行之次:一曰水,天數也。二曰火,地數也。三曰木,天數也。四曰金,地數也。五曰土,天數也。此五者,陰無匹,陽無耦,故又合之地六為天一匹也,天七為地二耦也,地八為天三匹也,天九為地四耦也,地十為天五匹也。”又曰:“布六於北方以象水,布八於東方以象木,布九於西方以象金,布七於南方以象火。”

鄭玄が言うには、天地の気は各々五種ある。五行の次序は、一を水とし天数に属し、二を火とし地数に属し、三を木とし天数に属し、四を金とし地数に属し、五を土とし天数に属す。この五つの生数は、陰の一辺に配偶なく、陽の一辺にも対子なし。ゆえにまた各々それに一つの成数を配する。地六は天一と匹し、天七は地二と耦(ぐ)し、地八は天三と匹し、天九は地四と耦し、地十は天五と匹す。彼はまた言う、六を北方に布いて水を象とし、八を東方に布いて木を象とし、九を西方に布いて金を象とし、七を南方に布いて火を象とすと。河図の四方成数の排布は、来歴がまさにここに在る。

朱子曰:“此言天地之數。陽奇陰耦,即所謂河圖者也。中五為衍母,次十為衍子。次一二三四為四象之位,次六七八九為四象之數。二老位於西北,二少位於東南。其數則各以其類,交錯於外也。”按:此非言大衍之數,不必以衍母衍子相牽涉。而四象之數之位,亦為揲蓍得卦之用。於此言之,其義反窄矣。

朱熹が言うには、ここに講ずるは天地の数で、陽を奇・陰を偶とする。すなわち所謂河図である。中間の五は大衍の数の母で、その次の十は大衍の数の子である。さらにその次の一・二・三・四は四象の位で、六・七・八・九は四象の数である。老陽・老陰の二つの「老」は西北に居り、少陽・少陰の二つの「少」は東南に居り、それらの数は各々同類に按じて交錯して外囲に排る。杭氏按:この一段はもとより大衍の数を講ずるものではなく、何の衍母・衍子を牽扯する必要もない。四象の数と位は、別に揲蓍して卦を成す際の用処があり、ここに置いて講ずればかえってその意義を窄く講じてしまう。

《繫傳》曰:“天一,地二。天三,地四。天五,地六。天七,地八。天九,地十。天數五,地數五,五位相得而各有合。天數二十有五,地數三十。凡天地之數五十有五,此所以神變化而行鬼神也。”揚子《太玄》及鄭注所演其方位與生成之數,均極明晰。雖未繪為圖,已與圖無異矣。陳邵但按其說而圖之耳。

《繋辞伝》に曰く、「天一・地二、天三・地四、天五・地六、天七・地八、天九・地十。天数五つ有り、地数五つ有り、五つの位次は両々相配して各々会合有り。天数合計二十五、地数合計三十、天地の数は合わせて五十五。まさにこの数をもっての故に、神妙に変化して鬼神を運行しうる」と。揚雄《太玄》および鄭玄注の推演した方位と生成の数は、すでに十分清楚であって、図を画き成さなかったとは言え、実は図有ると異ならない。陳摶・邵雍はこれらの説に照らしてそれを画き出したにすぎない。これを見れば図上の内容は宋人の空からの創造ではなく、経伝本文の中にすでに具備していたことが分かる。

五行之次,始見於《洪範》。而坎水、離火、乾金、巽木,均備載於《說卦》。經傳之互見者,更不勝枚舉。故毛西河雖攻擊河圖洛書之說最力,終不能蔑去此數,謂應改名曰“天地生成圖”。然其數之體用自在,名稱之同異,抑其末耳。

五行の次序は最も早く《尚書・洪範》に見え、坎は水・離は火・乾は金・巽は木とするのも、皆完備に《説卦伝》に載る。経と伝とが彼此互見する例はさらに挙げても挙げ尽くせない。ゆえに毛奇齢(西河)は河図洛書の説を攻撃すること最も力を尽くしたが、ついにこの数を抹殺することはできず、ただ名前を「天地生成図」に改めるべしと主張するのみであった。しかしこの数の体と用はもとよりそこに摆(さら)れており、名称が相同じか否かは、ただ末節にすぎない。

後儒有泥於“龍馬負圖”之文,謂此五十五數,馬體所生之旋毛。黑白五十五點,其陰陽匹耦如今圖,惟當繪圖點為旋毛形。於是有繪馬而寫圖於馬腹者,亦有將五十五點均改作旋毛形者。其拘泥附會,與漢學家之斷斷然徒爭其名稱者,同一蔽耳。更有泥圓方之說,將河圖一六二七三八四九之數,均作弧線成圓形,於義理並無出入,均可不必也。

後の儒者に「竜馬図を負う」の一句に拘泥する者があって、この五十五の数が即ち馬の身に生じた旋毛であり、黒白合わせて五十五点、陰陽の配偶は今日見る図のごとくで、ただ図上の点を旋毛の形状に画くべしと言った。そこで馬を一疋画いて図を馬の腹に書く者もあり、また五十五の点を一様に旋毛形に改め画く者もあった。この種の拘泥・附会は、漢学家が名称を死に咬んで争い休まざるのと、同一の蔽塞である。さらに天円地方の説に拘泥する者があって、河図の一六・二七・三八・四九の各数を一様に弧線に画いて連ねて円形とした。これは義理上出入りはないが、実もまた全くこのようである必要はない。

關子明曰:“洛書之文,九前一後,三左七右。四前左,二前右。八後左,六後右。”邵子曰:“圓者星也。曆紀之數,其肇於此乎?(《啟蒙》曰:曆法合三始以定剛柔,二中以定歷律,二終以紀閏餘。是所謂曆紀也。)方者土也,畫州井地之法,其仿於此乎?蓋圓者河圖之數,方者洛書之文,故羲文因之而造《易》,禹箕敘之而作《範》也。”

関朗(子明)が言うには、洛書の排布は九を前とし一を後とし、三を左とし七を右とし、四を前左・二を前右とし、八を後左・六を後右とする。邵雍が言うには、円なるものは星象に属し、暦法紀年の数はおそらくここに発端するのであろう(《易学啓蒙》に曰く、暦法は「三始」を合して以て剛柔を定め、「二中」を合して以て暦律を定め、「二終」を合して以て閏余を紀る。これがすなわち所謂暦紀である)。方なるものは土地に属し、州域を画し井田を経営する办法はおそらくここに倣傚したのであろう。大体にして言えば、円なるは河図の数、方なるは洛書の文である。ゆえに伏羲・文王はそれに依って《易》を造り、大禹・箕子はそれに依って《洪範》を排出した。

《大戴禮·明堂篇》曰:“明堂者,古有之也,凡九室。二九四七五三六一八。”(其數及位均與此同。明堂九室,故亦稱九宮。)

《大戴礼記・明堂篇》に曰く、明堂のこの建制は古くより有りて、合わせて九間の屋あり、その数は順に二・九・四、七・五・三、六・一・八とす(この九つの数とそれらの居する方位は洛書と全く同じである。明堂は九室有るが故に、また九宮とも称す)。これを見れば洛書の数はすでに早く古代の建築制度の上に落実していたことが分かる。

《易乾鑿度》:“太一取其數以行九宮。”鄭注曰:“太一者,北辰神名也。下行八卦之宮,每四乃還於中央。中央者,北辰之所居,故謂之九宮。天數大分,以陽出,以陰入。陽起於子,陰起於午。

《易緯乾鑿度》に曰く、「太一その数を取りて以て九宮を行く」と。鄭玄注に曰く、太一は北極星の神名で、それは上より下へと八卦の主する宮位を巡行し、四宮を走り満つるごとに中央に一回帰る。中央は北辰の居する位置なので、合わせて九宮と称す。天数は大体にして両路に分かれ、陽をもって出で陰をもって入る。陽気は子の位に起こり、陰気は午の位に起こる。

是以太一下九宮,從坎宮始。自此而從於震宮,自此而從於巽宮,所行半矣。還息於中央之宮,既又自此而從於乾宮,又自此而從於兌宮,又自此而從於艮宮,又自此而從於離宮,則周矣。上游息於太一之星,而反於紫宮。行起從於坎宮始,終於離宮也。”

ゆえに太一が九宮を下行するには、坎宮(北方一)から起步し、ここから震宮(東方三)に転じ、さらに巽宮(南東四)に転じる。路程は半ばを走り了えば、すなわち中央の宮(五)に帰って歇息する。続いてまたここから乾宮(西北六)に転じ、また兌宮(西方七)に転じ、また艮宮(東北八)に転じ、また離宮(南方九)に転じて、一周すなわち走り尽くす。最後に上って太一の星に游息し、紫微宮に返る。整条の路線は坎宮に起こり、離宮に終わる。

九宮之色:一白,二黑,三碧,四綠,五黃,六白,七赤,八白,九紫,以次遞推。今《曆書》承用不廢,亦猶行古之道也。

九宮は各々一色を配す。一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫。この次序に依って循環して逓推する。今日の《暦書》はなおこの九宮飛星の顔色を沿用して廃せず、これもまた古人の道を奉行するものと言えよう。

張平子曰:“臣聞聖人明審律曆,以定吉凶。重之以卜筮,雜之以九宮。經天驗道,本盡於此。且河洛六藝,篇錄已定。後人皮傅,無所容竄。律曆卦候,九宮風角,數有徵效,世莫肯學,而競稱不占之書。譬猶畫工惡圖犬馬而好作鬼魅,誠以實事難形,而虛偽不窮也。”觀此可見易象數理之學,在漢時已就式微。宜晉唐而後之言《易》者,失所師承。致悉棄實事,而專尚空談也。

張衡(平子)が疏を上げて曰く、「臣聞く、聖人は律暦を詳審して以て吉凶を判定し、また卜筮を加え、九宮を参す。天象を観測し天道を験証するに、根本は全く尽くここに在り。況んや河洛と六藝とは篇目すでに早く定まり、後人は表皮上に附会するのみで、偽作を挿し込むべからず。律暦・卦気物候・九宮・風角のこれらの学問は数の上に徴験の実効あるも、世人は肯んじて学ばず、かえって争いあいて占験しえざる書を称道す。これは譬えば画工が犬馬を画くを悪み鬼魅を画くを好むがごとく、実に真実のものは描摹し難く、虚仮のものは随意に编造して尽きざるが故なり」と。これにより見れば易学中の象と数の一路は、漢代にすでに衰微していた。晋・唐以後に《易》を講ずる者が師承を失い、切実に験しうる一面を全く丢開して、専ら空談を崇尚したも無怪(むげ)なり。

洛書之數,四十有五。與河圖相合,適為一百。凡一百之數,列為平方,對角分之,則一得五十有五,一得四十有五,此亦數理之自然,非人意可為增損其間也。故圖之與書,相為表裡,不能分析。或謂伏羲得河圖而畫卦,禹受洛書而演範,是言其取用之方。伏羲則圖畫卦,以圖為主。禹受書演範,以書為主。非伏羲時未嘗有書,大禹未嘗有圖也。

洛書の総数は四十五で、河図の五十五と相加すればちょうど一百となる。およそ一百のこの数は、十行十列の正方形に排してさらに対角線に沿って一を二に分かてば、一辺はちょうど五十五を得、一辺はちょうど四十五を得る。これもまた数理上自然にしかくで、人の意が中間に増減しうるものではない。ゆえに河図と洛書とは互いに表裏で、拆き開いて看るべからず。伏羲が河図を得て卦を画き、大禹が洛書を得て《洪範》を演じたという説は、ただ各々取用の偏重に就いて言うのみである。伏羲は河図に取法して卦を画くを以て図を主とし、大禹は洛書を受けて《洪範》を推演するを以て書を主とす。伏羲の時代に洛書有らざりしとは言わず、大禹の時代に河図有らざりしとも言わざるなり。

朱子《啟蒙》曰:河圖洛書之位與數,其所以不同何也?曰:河圖以五生數,統五成數,而同處其方,蓋揭其全以示人,而道其常,數之體也。洛書以五奇數統四偶數,而各居其所。蓋主於陽以統陰,而肇其變,數之用也。

朱熹《易学啓蒙》は問答を設けて曰く、河図と洛書の方位と数とがなぜ同じからざるか。答曰く、河図は五つの生数をもって五つの成数を統轄し、生数・成数は同じく一方に処す(一と六とは同じく北に在り、二と七とは同じく南に在り、其余これを類推す)。全体を和盤托出して人に看せるもので、講ずるは常道で、数の「体」に属す。洛書は五つの奇数をもって四つの偶数を統轄し、奇偶は各々自己の位置を占む(奇数は四正と中央に拠り、偶数は四隅に拠る)。陽を主として以て陰を統攝し、以て変化を開啓するもので、数の「用」に属す。

曰:其皆五居中何也?曰:凡數之始,一陰一陽而已矣。陽之象圓,圓者徑一而圍三。陰之象方,方者徑一而圍四。圍三者以一為一,故參其一陽而圍三;圍四者以二圍一,故兩其一陰而為二,是所謂參天兩地者也。三二之合則為五矣,此河洛之數所以皆以五為中也。

問う、両者はなぜ皆五をもって中に居らしめるか。答曰く、およそ数の起頭はただ一陰一陽のみ。陽の象は円で、円の直径を一とし周長を三とす。陰の象は方で、方の直径を一とし周長を四とす。周長三なるは一をもって一を為すが故に、一陽を取って三を得る。周長四なるは二をもって一を囲むを以ての故に、一陰を折半して二を得る。これがすなわち《説卦伝》の所謂「天を参じ地を両(ふた)つにす」である。三と二と相加えばすなわち五となる。これこそまさに河図洛書が皆五をもって中に居らしめる所以である。

數與位皆三同而二異。蓋陽不可易,而陰可易。成數雖陽,固亦生之陰也。河圖之一二三四,各居其五象本方之外。而二四六八者,又各因五而得數,以附於其生數之外。洛書之一三七九,亦居其五象本方之外。而二四六八者,又各因其類以附於奇數之側。蓋中者為主,而外者為實。正者為君,而側者為臣,亦各有條而不紊也。

両者の数と位とは、三か所相同じく、両か所相異なる。その原因は、陽は移易すべからずで陰は移易すべきにある。成数は陽に属するも、もとより生数の陰から生じ出たものである。河図の一二三四は、各々その五象本方の外に居り、二四六八はまた各々中五に相加して数を得るを因り、生数の外層に依附す。洛書の一三七九も、同じくその五象本方の外に居り、二四六八は則ち各々その類に按じ、奇数の旁(かたわ)らに附す。中間にあるを主と為し、外囲にあるを実(しん?)と為す。正位に居るは君に象り、側位に居るは臣に象る。皆各々条理有りて紊乱せず。これがすなわち河図は生成を重んじ、洛書は奇偶を重んずるの分別の在る所である。

曰:其多寡之不同何也?曰:河圖主全,故極於十,而奇偶之位均。論其積實,然後見其偶贏而奇乏也。洛書主變,數極於九,而其位於實,皆奇贏而偶乏也。必皆虛其中焉,然後陰陽之數,均於二十,而無偏耳。

問う、両者の数目の多寡はなぜ同じからざるか。答曰く、河図は全体を主とするが故に、数は一直に十に排するまでし、奇位・偶位の数目は均等なり。しかし実際の積数を論ずれば、偶数余り有りて奇数足らざるを見る(陰数二四六八十は合わせて三十、陽数一三五七九は合わせて二十五)。洛書は変化を主とし、数はただ九に排するまでに止まり、その位次の実際に就いて看れば、皆奇数余り有りて偶数足らず。必ず中間の五を虚き去って計せざるを要し、然る後に陰陽両辺の数が各々二十を得て偏勝なからん。

曰:其序之不同何也?曰:河圖以生出之次言之,則始下,次上,次左,次右,以復於中,而又始終下也。以運行之次言之,則始東,次南,次中,次西,次北。左旋一周,而又始於東也。其生數之在內者,則陽居左而陰居上右也。

問う、両者の次序はなぜ同じからざるか。答曰く、河図はもし生数の出生の先後に按じて言わば、先ず下(北方一)、その次上(南方二)、その次左(東方三)、その次右(西方四)、再び中(五)に帰り、然る後に依然として下方より重新開始す。もし運行の次序に按じて言わば、則ち東に起こり、次いで南、次いで中、次いで西、次いで北、左に旋転して一周し、また東方より始まる。内に居る生数に至っては、陽数は左辺に排し、陰数は上辺と右辺とに排す。

洛書之次,其陽數,則首北,次東,次中,次西,次南。其陰數,則首西南,次東南,次西北,次東北也。合而言之,則首北,次西南,次東北,次中,次西北,次西,次東北,而究於南也。其運行,則水克火,火克金,金克木,木克土。右旋一周,而土復克水也。是亦各有說矣。

洛書の次序は、陽数に就いて言わば、先ず北(一)、次いで東(三)、次いで中(五)、次いで西(七)、次いで南(九)。陰数に就いて言わば、先ず西南(二)、次いで南東(四)、次いで西北(六)、次いで東北(八)。合わせて言えば、すなわち先ず北、次いで西南、次いで東北、次いで中、次いで西北、次いで西、次いで東北、最後に南に終わる。その運行に至っては、則ち水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克ち、木は土に克ち、右に旋転して一周し、土はまた回頭して水に克つ。これもまた各々その道理有り。

曰:其七八九之數不同何也?曰:河圖六七八九,既附於生數之外矣,以陰陽老少進退饒乏之正也。其九者,生數一三五之積也。故自北而東,自東而西,以成於四之外。其六者,生數二四之積也。故自南而西,自西而北,以成於一之外。七則九之自西而南者也,八則六之自北而東者也,此又陰陽老少互藏其宅之變也。

問う、七八九のこれらの数はなぜ同じからざるか。答曰く、河図の六七八九はすでに生数の外に附する以上、取る所は陰陽・老少・進退・多寡の正例である(九は老陽、六は老陰、七は少陽、八は少陰)。その中の九は、生数一・三・五の相加の積なので、北より東、東より西に由り、四の外に成る。その中の六は、生数二・四の相加の積なので、南より西、西より北に由り、一の外に成る。七は九が西より南に転じて来たもの、八は六が北より東に転じて来たもの。これはまた陰陽・老少が互いに相手の屋宅の裏に蔵れるの変例である。

洛書之縱橫十五,而七八九六迭為消長。虛五分十,而一含九,二含八,三含七,四含六,則參伍錯綜,無適而不遇其合焉。此變化無窮之所以為妙也。又曰:乾無十者,有坤以承之。坤無一者,有乾以首之。(按:洛書偶數,當曰由東南次西南,次西北,次東北。朱子蓋未知陰數逆行,從四起也。)

洛書は縦横相加して皆十五で、七八九六は輪流に消長す。中五を虚き去り十を拆分けすれば、すなわち一は九を含み、二は八を含み、三は七を含み、四は六を含むとなり、ここに三五錯綜して、いかように搭配するも相合の数を湊(あ)つめ出せる。これこそまさにその変化無窮の妙処である。朱熹また曰く、乾に十無きも、自ずから坤有りてこれを承接し、坤に一無きも、自ずから乾有りてこれに開頭を与う、と。(杭氏按:洛書の偶数は、南東より南西に由り、さらに西北に至り、さらに東北に至ると言うべし。朱熹はおそらく陰数が逆行し四より数え起こすを知らざりしならん。)

蔡氏元定曰:古人傳記,自孔安國、劉向父子、班固,固皆以為河圖授羲,洛書錫禹。關子明、邵康節,皆以十為河圖,九為洛書。蓋《大傳》既陳“天地五十有五”之數,《洪範》又明言“天乃錫禹洪範九疇”。而九宮之數,戴九履一,左三右七,二四為肩,六八為足,龜背之象也。

蔡元定が言うには、古人の伝記は孔安国・劉向・劉歆父子から班固に至るまで、皆河図は伏羲に授け、洛書は大禹に賜うと認めた。関朗・邵雍もまた皆十数を河図・九数を洛書とした。《繋辞》がすでに「天地之数五十有五」を陳述し、《洪範》がまた明らかに「天乃ち禹に洪範九疇を錫う」と言うを以てである。九宮の数は九を戴き一を履み、左三右七、二四を肩と為し六八を足と為すは、正に亀背の形象に象(かた)る。両辺各々経文に証あるが故に、十を図・九を書と定む。

劉牧以九為河圖,十為洛書,託言出於希夷。既與諸儒舊說不合,其易置圖書,並無明驗。其實天地之理,一而已矣。伏羲作《易》,不必預見洛書,而已逆與之合。大禹作《範》,不必追考河圖,而已暗與之符。誠以此理之外無他理故也。

劉牧は却って九数を河図・十数を洛書とし、仮託してこれは陳摶に出ると言う。これはすでに諸儒の旧説と合せず、彼の図書を掉換する做法もまた明確なる験証を挙げるに能わず。実は天地の理はただ一つあるのみ。伏羲は《易》を作るに、必ずしも事先に洛書を見ずして自然に洛書と暗合し、大禹は《洪範》を作るに、必ずしも回頭して河図を考察せずして自然に河図と相符す。これはこの理の外に再び別の理無きを以てである。

律呂有五聲十二律,而其相乘之數,究於六十。日有十干十二支,而其相乘之數,亦究於六十。二者皆起於《易》之後,其起數又各不同(按:聲律干支皆始於黃帝,其度數皆出於八卦。《周易》之《象》、《彖》、《爻》詞,根據於聲律干支者正多。故謂二者起於伏羲畫卦之後可也,謂起易後不可也。今之易周文王之易也。)。

音律には五声十二律有りて、両者相乗して究竟の数は六十となる。日辰には十天干十二地支有りて、両者相配して究竟の数もまた六十となる。この両套のものは皆《易》の後に產生したるも、各々数を起こす路徑はまた相同じからず(杭氏按:声律と干支とは皆黄帝に始まり、それらの度数は皆八卦より出ず。《周易》の《象伝》《彖伝》および爻辞は、声律・干支に依拠して説を立つる処正に多し。ゆえにこの両者が伏羲の画卦の後に起こると言うは可なり、それらが《易》の後に起こると言うは不可なり。今日の言う《易》は、周文王の《易》なり)。

然與《易》之陰陽策數多少自相配合皆為六十者,無不若合符契也。下至《運氣》、《參同》、《太一》之屬,雖不足道,(《運氣》、《參同》、《太乙》與《遁甲》、《六壬》皆出於易,皆說易之最精者。不明此而讀《彖》、《象》,爻詞不可解者多矣。舊儒皆以經學自大,以術數為小道,宜易道之終不能明也。蔡氏之說不免囿於積習,學者更不可囿其說以自域也。)然亦無不相通,蓋自然之理也。

しかしそれらは《易》の中の陰陽策数の多寡と互いに配合し、皆六十に帰結して、符契のごとく吻合せざる処なし。下って《運気》《参同契》《太一》の類のごときは、蔡氏は取り上げるに足らずとしたが(杭氏按:《運気》《参同契》《太乙》と《遁甲》《六壬》とは皆《易》より出で、しかも《易》を説くに最も精なる数家である。これらを明らめずして《彖伝》《象伝》を読めば、爻辞の講じ通らざる処多からん。旧日の儒者は皆経学をもって自ら大とし、術数を小道と見なした。易道が終に講明しえざりしも無怪なり。蔡元定のこの説は積習に拘限せられたるを免れず、学者はなおさら彼の説に框はめられて自ら限りを設くべからず)、実もまた互いに相通ぜざるなく、これ自然の理なり。

彭申甫曰:河圖,聖人嘆其不出而已。重典藏於柱下,史府固未嘗亡,適周蓋得見之。河洛之書,漢時猶存。《後漢書》:“楊厚字仲桓,廣漢新都人。臨命戒子統曰:吾娣表中有先祖所傳秘記。統感父遺言,從犍為周循學習先法,又就同郡鄭伯山受河洛書,及天文推步之術。”鄭氏所云九篇六篇,今皆無傳。

彭申甫が言うには、河図については孔子はただそれが再び現れないことを慨叹したにすぎない。この類の重要典籍は柱下史に収蔵されており、史館はもともと亡失しなかったので、孔子が周に適いて礼を問うた時におそらく見たのであろう。河図洛書の類の書は、漢代にまだ存在していた。《後漢書》に記す:楊厚は字を仲桓といい、広漢・新都の人で、臨終に子の楊統に誡めて曰く、我が妹の匣の中に先祖の伝えた秘記ありと。楊統は父の遺言を感念し、犍為の人周循に従って先人の法を学び、また同郡の鄭伯山に就いて河洛の書および天文推歩の術を受け読んだ。鄭玄の言う河図九篇・洛書六篇に至っては、今日では皆すでに失伝している。

大抵如緯書所傳,真偽參錯。《尚書·中候》曰:“帝堯即政七十載,修壇河洛,仲月辛日禮備至於日稷(按:稷、昃古通用字。豐“日盈則昃”,亦作稷。),榮光出河,龍馬銜甲,赤字綠色,臨壇吐圖。”顧野王玉符瑞圖,虞舜時洛水出黃龍,舜與三公臨觀,黃龍五采,負圖出舜前,頌聖瑞者,固多侈陳。

大体に言えば、緯書の伝えたごときものは、真偽が混雑している。《尚書・中候》に曰く、帝堯が政を執ること七十年、河洛の濱に祭壇を築き、仲月の辛の日に礼儀を備えて、日頭の西に斜むを待つと(杭氏按:「稷」と「昃」は古く通用し、《豊》卦の「日盈たれば則ち昃(かたむ)く」もまた稷と作る)、榮光が河の中より起こり、竜馬が甲書を口に銜み、赤色の字・緑色の地で、壇に臨んで図を吐き出すのを見たと。顧野王《玉符瑞図》にまた曰く、虞舜の時に洛水より黄竜が出で、舜と三公とが臨んで親しく観た。黄竜は五彩で、図を負いて舜の面前に現れたと。この類の聖瑞を歌頌する説は、もとより鋪張多し。

然天生神物,不容終秘。洛書文得箕子演之,未聞有圖。河圖有數無文,得夫子繫《易》明著之,蓋有圖而亡於周末矣。歷千五百餘年,邵子因數演圖,因圖立說。雖云得之於陳希夷,實則河圖方位,本之《參同契》。洛書方位,本之《太一·九宮》。點畫陰陽,即揚子《太玄經》,及《漢書·五行志》而神悟變化,自符乎奇偶生成之體用,故朱子宗之,以冠全經。雖疑者猶多,終不可掩也。

しかし上天の生じた神物は、永く蔵れて露われずはいられない。洛書の文字は、箕子がかつてこれに拠って《洪範》を推演し成したが、図あるを聞かず。河図は数あって文字なく、孔子が《繋辞》を作して初めてそれを明白に標出した。これを見ればもとより図が有りて、周朝の末年に亡佚したのである。一千五百余年を経て、邵雍が数に依って図を推演し、また図に依って学説を建立した。陳摶より得たとは言うも、実は河図の方位は《参同契》に本づき、洛書の方位は《太一・九宮》に本づき、黒白点画の分陰分陽は揚雄《太玄経》と《漢書・五行志》に本づく。彼はその中より神悟して変化の理を出し、自然に奇偶生成の体と用に合した。ゆえに朱熹はこれを尊奉して全経の首に冠した。疑う者はなお多いが、終に掩蓋しうべからざるなり。

万氏の河図

萬氏彈峰《易拇·更正河圖洛書說》曰:“河圖洛書,邵子朱子闡發無餘蘊矣。但後人所傳,不無少差。如舊河圖一六居北,二七居南,三八居東,四九居西,五十居中,其點皆平鋪無兩折者,而十在中間分二五對置,便失其旨。

万年淳(弾峰)《易拇・更正河図洛書説》に曰く、河図洛書の道理は、邵雍・朱熹がすでに闡発して余藴なきに至ったが、ただ後人の伝えた図式は、些かの小差錯を免れない。たとえば旧伝の河図は、一六は北に居り二七は南に居り三八は東に居り四九は西に居り五十は中に居り、各所の点はもとより皆平鋪に排列して両行に折らざるに、ただ中間の十のみが、拆かれて二つの五となり上下に対置せられた。これ即ち本旨を失えるなりと。

蓋河圖外方而內圓,一三七九為一方,其數二十也。二四六八為一方,其數亦二十也。中十五共五十五數,中十點作十方圓布,包五數在內。此外方內圓而五數方布在中者,中一圈,即太極圓形。外四圈分佈四方,為方形。十包五在內,仍然圓中藏方,方中藏圓;陰中有陽,陽中有陰之妙也。而十五居中,即洛書縱橫皆十五之數,是又河圖包裹洛書之象。

もともと河図は外方にして内円である。一・三・七・九は合わせて一組を為しその数は二十、二・四・六・八は合わせて一組を為しその数もまた二十、さらに中間の十と五とを加えて、共に五十五数を成す。中間のあの十個の点は十方円形に布列して、五数をその内に包むべきである。これがすなわち所謂外方内円にして五数は中に方布するである。中間の一圈は即ち太極の円形で、外の四圈は四方に分布して方形を構成する。十が五をその内に包むは、依然として円中に方を蔵し方中に円を蔵し、陰中に陽有り陽中に陰有るの妙処である。そして十と五とが合して十五を成して中央に居るは、正に洛書の縦横相加して皆十五を得るあの数で、これはまた河図が洛書を包裹するの象である。

河圖點皆平鋪無兩折,洛書亦然。舊洛書圖,二四六八皆兩折。不知河洛本二四六八,亦宜平鋪。洛書外圓而內方,圓者黑白共四十數。圓佈於其外,一三七九為一方,二四六八為一方,仍然河圖本體。此又圓中藏方,洛書包裹河圖之象,而中五又有方中藏圖之妙。

河図の点は皆平鋪して両行に折らざるが、洛書もまたしかくあるべし。旧伝の洛書図は、二・四・六・八を皆両行に折る。知らずや、河図洛書が本有する二四六八も、同じく平鋪すべきことを。洛書は外円にして内方である。外囲の黒白合わせて四十数を、円形を作して外層に布く。その中に一・三・七・九は合わせて一組を為し、二・四・六・八は合わせて一組を為すは、依然として河図の本体である。これはまた円中に方を蔵し、洛書が河図を包裹するの象で、而して中間の五はまた方中に円を蔵するの妙処有り。

河圖已具洛書之體,洛書實有運用河圖之妙,因將圖書奇偶方圓交互表之以圖。漢劉氏云河圖洛書相為經緯,八卦九章相為表裡,此語自有傳授,非漢儒所能言也。”(二四六八當曰四二八六,萬氏亦未知陰數逆用之序也。)

河図は本身すでに洛書の体を具え、洛書は実に河図を運用するの妙用を含む。ゆえに万氏は両図の奇偶・方円を交互に表現して一幅の図と為した。漢代の劉歆は河図洛書は互いに経緯を為し八卦九章は互いに表裏を為すと言ったが、この言は自ら師承の来歴有りて、一般の漢儒の言い出しうる所に非ず。(杭氏按:万氏の言う「二四六八」は「四二八六」と言うべきなり。これを見れば彼もまたなお陰数逆用の次序を知らざりしなり。)

萬氏之圖,較僅改形式而無意義者(如以河圖為旋毛形,洛書作龜坼形者是也。),自高一籌。然兩數之體用分合,固極明晰。不必改作,意自可見。惟初學得此,未始不可為觸目會心之一助,故特錄之。

万氏のこの図は、ただ形式を改めて毫も意義なき改動(たとえば河図を旋毛形に画き、洛書を亀甲裂紋形に画くの類)を為すものに比すれば、自然に一籌を高うす。ただし両套の数は体用・分合の上にもとよりすでに十分明白で、実は改作する必要なく、意思もまた自然に見うべし。ただ初学の人がこの図を得れば、未だ嘗て触目して会心するの一助に非ざらん。ゆえにわざとこれをここに録す。

至兩圖之加減除乘,及進退變化之妙,除朱子《易學啟蒙》,邵子《皇極經世》外,有蔡西山之《經世節要》,張行成之《經世演義》、《易通變》,丁翼東之《衍翼》,胡滄曉之《周易函書》,江慎修之《河洛精蘊》,張楚鍾之《易圖管見》。推衍至詳,千變萬化,未能悉錄。

両図の数の加減・乗除および進退変化の妙処に至っては、朱熹《易学啓蒙》・邵雍《皇極経世》の外に、なお蔡元定(西山)の《経世節要》、張行成の《経世演義》《易通変》、丁易東(翼東)の《衍翼》、胡煦(滄暁)の《周易函書》、江永(慎修)の《河洛精藴》、張楚鍾の《易図管見》有り。これらの書は推衍すること極めて詳尽で、千変万化、ここに一々収録する能わず。

有以圖書配八卦者,多拘執牽滯,不能悉當。其實河圖為體,洛書為用。河圖即先天,洛書為後天。河圖為體而體中有用,洛書為用而用中有體。此即萬氏圖,中分圓分方,方含圓,圓又含方之意也。歷代數理、曆象、推步、占驗、醫學、風鑑諸家,均以洛書為用,其義悉本於易。前人罕有言者,茲特扼要略述如左。

ある人は河図洛書をもって八卦に配するも、多くは拘執・牽強して、処処妥帖なるを得ず。実は河図は体であり、洛書は用である。河図は即ち先天、洛書は即ち後天である。河図は体を為して体中に用を含み、洛書は用を為して用中に体を含む。これ正に万氏図のうち円を分かち方を分かち、方は円を含み円はまた方を含むの意である。歴代に数理・暦象・推歩・占験・医学および相術風鑑を講ずる各家は、皆洛書をもって用と為し、その義理は《易》に本づかざるなし。河図は生成の数を布いて以て体を立て、洛書は九宮の数を布いて以て用を起こす。一静一动、一つも欠くべからず。この一層は前人まれに言い及ぶ所なれば、ゆえにここにわざと扼要して叙述するに左のごとし。

洛書與河圖相異,驟視之似一六與三八未易,而二七四九乃互易其方者,實則惟一三五不動。一三五者,天陽之生數,不可動者也。《周易》乾用九,九即一三五之積數也。故易道扶陽而抑陰,非陽之有待於扶,而陰必於抑也。天地陰陽之數,理本如是。論其體,陽生於陰。言其用,則陰統於陽。

洛書は河図と同じからず、乍(たちま)ち看れば一と六・三と八の両組は変動なく、ただ二七と四九とが方位を互換したのみのごとし。其の実、真に動かざるはただ一・三・五のみ。一・三・五は天陽の生数にして、移動すべからず。《周易》乾卦の「用九」、この九は正に一・三・五相加の積なり。ゆえに易道は陽を扶けて陰を抑う――陽が真に人の扶けを須(もち)い、陰が真に人に抑えらるべきに非ず。天地陰陽の数の道理もとよりかくのごとし。体に就いて言えば、陽は陰の中より生じ出ず。用に就いて言えば、陰は陽に帰して統攝せらるるを要す。

如河圖之六合一為七,七陽也。二合七為九,九陽也。三合八為十一,一陽也。四合九為十三,三陽也。五合十為十五,五陽也。總數五十有五,亦陽也。洛書之對位,則皆陰也。一九合十,三七合十,二八合十,四六合十,總數四十,皆陰數也。而御之以中五,則縱橫上下交錯無不為十五,總數四十有五,皆陽數矣。

試みに河図を看よ。六と一と相合して七を得、七は陽数なり。二と七と相合して九を得、九は陽数なり。三と八と相合して十一を得、個位に落ちて依然として一、陽に属す。四と九と相合して十三を得、個位に落ちて三、陽に属す。五と十と相合して十五を得、個位に落ちて五、陽に属す。総数五十五もまた陽数なり。さらに洛書の対位相加を看るに、一と九と合して十、三と七と合して十、二と八と合して十、四と六と合して十、総数四十、全く陰数なり。しかるに一旦中間の五をもってそれを統御すれば、縦・横・上下交錯して相加すれば成らざるなく十五を為し、総数四十五、便ち全く変じて陽数と為る。

(此為以陽統陰,君子道長,小人道消,《周易》之大義也。觀天地生成之數,天數二十有五而地數三十,陽少陰多,故古今來恆苦治世少而亂世多。君子少而小人多。聖人參天兩地,建中立極,以五御十,化陰為陽,而以洛書四十五數為用。則天數二十有五,地數二十,陽多陰少,十數不見而潛藏於兩數相合之中。是小人皆化為君子,撥亂反正成燮理陰陽之功,其樞機悉在中。五與十五能御十,則君子道長。五不能御十,則君子道消。五十者,中孚也。故孔子“五十學易,可以無大過”。詳見《學易筆談》。)

(これ即ち陽をもって陰を統べ、君子の道長じて小人の道消ゆるは、《周易》の大義なり。天地生成の数を看るに、天数二十五にして地数三十、陽少なく陰多し。ゆえに古往今来、常に治世少なく乱世多く、君子少なく小人多きに苦しむ。聖人は天を参じ地を両にし――天数三・地数二を取り――中を建て極を立て、五をもって十を駕御し、陰を化して陽と為し、而して洛書四十五数をもって用と為す。かくすれば天数は依然として二十五、地数はただ二十を残すのみ、成りて陽多く陰少なし。あの十は再び単独に露面せず、而して両数の相合の中に潜蔵す。これ小人を化して皆君子と為すに等しく、乱を撥き正に反り、燮理陰陽の功を成すは、枢機全く一「中」の字の上に在り。五と十五と能く十を駕御すれば君子の道増長し、五が十を駕御する能わざれば君子の道消退す。五と十と合すればすなわち「中孚」なり。意は五が中に居りて能く十に孚合するを謂う。ゆえに孔子は「五十をもって易を学ばば、以て大過なからん」と曰いたり。詳しくは作者の《学易筆談》を見よ。)

洛書之位,一居於北,與河圖同。此為萬數之本,不可動搖,《乾·文言》曰“確乎其不可拔”者此也。由北而東北,而東,而東南,本一二三四之數也。由西北,而西,而西南,而南,本六七八九之數也。古聖於此,但將二八兩數互易其位,遂成今日洛書之數。天地造化之機,陰陽變化之妙,悉在於此。略圖如下。

洛書の方位は、一は北方に居り、河図と相同じ。これ万数の根本にして、動揺すべからず。《乾・文言》の言う「確乎として抜くべからざるなり」は正にこの一点を指す。北より東北・東・南東に至るは、もとより順に一・二・三・四。西北より西・西南・南に至るは、もとより順に六・七・八・九。古代の聖人はこの底子の上に、ただ二と八の両数を互換して位置を易えたのみで、すなわち今日見る洛書と為れり。東北は二より変じて八と為り、西南は八より変じて二と為り、恰も九を戴き一を履み、二四を肩と為し六八を足と為すの形制に合す。天地造化の機括・陰陽変化の奥妙、全くこの一換の中に在り。略図下のごとし。

此二八兩數,其位之相易,尚易見也,前人亦有言之者。而暗中實為五十之變化,則未易知之,前人亦從無發明者。蓋二八位,在先天卦則巽震也,在後天卦則坤艮也。坤艮皆土,為五十之數。萬物皆生於土,皆歸於土。成始成終,而皆在於艮之一位矣(此須合先後卦位詳玩之)。

二と八の両数が方位を互換するは、なお見出し易く、前人にも言い及ぶ者あり。しかしその暗裏には実は五と十の変化にして、すなわち知り難く、前人曾て発明したることなし。もとより二・八のこの両位置は、先天卦においては巽と震、後天卦においては坤と艮なり。坤艮は皆土に属し、正に五と十の数に合す。万物は皆土より生じ、皆土に帰し、始を成し終を成すは、全く艮のこの一位に落つ(この一層は先天・後天の卦位を合わせて細かく玩味すべし)。

巽震相易,故雷風恆之《象傳》曰“立不易方”,此言其未易之體也。易則為巽震,故風雷益之《彖傳》曰“自上下下”,曰“天施地生”,此即其已易後之用也。坤艮為謙,《謙·彖傳》曰:“天道下濟而光明,地道卑而上行。”曰:“天道虧盈而益謙,(風雷益)地道變盈而流謙,鬼神(二西南未申,八東北丑寅。西南為神極,東北為鬼藏。)害盈而福謙,人道惡盈而好謙。”《象》曰:“裒多益寡。”

先天の巽震はこの両位上に互易すれば、ゆえに雷風《恒》卦の《象伝》に「立ちて方を易えず」と言う。講ずる所は未だ変易せざる時の体なり。一たび変易を経ればすなわち風雷《益》と為る。ゆえに《益》卦の《彖伝》に「上より下下(たれ)る」と言い、また「天施し地生ず」と言う。これ即ち既易の後の用なり。後天の坤艮は相合して《謙》卦を成す。《謙・彖伝》に曰く、「天の道は下済して光明なり、地の道は卑にして上行す」と。又曰く、「天の道は盈を虧きて謙を益し(この一句は正に風雷益の象に応ず)、地の道は盈を変じて謙に流れ、鬼神(二は西南に在り未申に属し、八は東北に在り丑寅に属す。西南は神の極、東北は鬼の蔵)は盈を害して謙を福し、人の道は盈を悪(にく)みて謙を好む」と。《象伝》は則ち「多きを裒(あ)つめ寡きを益す」と曰う。

凡此皆指二八兩位,陰陽變化之玄妙。先儒專就坤艮本卦之象以求其義,無論如何附會穿鑿,終不能字字著落也。此即《易》與河洛二數關合之證,亦即二八兩數易位之證。於此求《易》,則《易》彖象之辭,昔之所謂不可解者,亦可十解其五六矣(此理精深微妙,先儒未肯輕洩。邵子《皇極經世》但微露其機,學者宜潛心體會,勿忽視焉。)。

およそこの種々は、皆二・八両位の陰陽変化の玄妙を説くものなり。先儒は専ら坤・艮両卦本身の卦象に就いて義理を求め、いかように附会・穿鑿するも、終に字字実処に落ち着く能わず。これ正に《易》と河洛の両套の数が彼此關合するの証拠にして、正に二八両数の位を易うるの証拠なり。ここより《易》を求めれば、あの《彖伝》《象伝》の辞句の、従来講じ通らずと号せられたるも、また十の五六を解き得ん(この道理は精深微妙にして、先儒は肯んじて軽々しく泄露せず。邵雍《皇極経世》はただ微微たる一点の機関を透し出すのみ。学者は心を潜めて体会し、軽忽すべからず)。

其兩圖位次,五行順逆生克之序,舊說甚詳,亦淺而易,茲不贅述。惟洛書五行之次,既悉與後天八卦相符,而河圖之四方與中央,亦悉本生生之義,正不必牽扯補湊為也。

両図の位次および五行順行・逆行・相生・相克の次序に至っては、旧説の講ずる所甚だ詳細にして、かつ浅く顕く瞭解し易し。ここに再び贅述せず。ただ洛書の五行の次序はすでに全く後天八卦と相符し、河図の四方と中央ともまた全く生生の義に本づくを知るを須(もち)うべし。もとより再び牽扯・拼凑に往くを須せざるなり。

孔子曰“河出圖,洛出書,聖人則之”。古籍殘闕,既無從取證,此所謂河圖洛書者,未必為當日所取則之河圖洛書。但其奇偶相得之數,必為天一天二之五十五數。雖有蘇張之舌,決不能指其為非者也。其數之悉符於易象,順逆變化之與天地同流。亦雖有蘇張之舌,不能辨其為否者也。

孔子曰く「河図を出し、洛書を出す。聖人これに則る」と。古籍は残缺して、すでに証を取るに由なく、今の言う河図洛書は、未だ必ずしも当日の聖人の取法せしあの一帙に非ず。然るにその中の奇偶相配の数は、必ず《繋辞》「天一地二」の一路に数え下りし五十五数なり。縦(たと)ひ蘇秦・張儀の口才あるも、決してこれを指して非と為す能わず。この数は処処易象と相符し、順逆変化は天地と其の流行を同じくす。同じく縦ひ蘇秦・張儀の口才あるも、またこれを弁説して是ならずと為す能わず。換言すれば、図は未だ必ずしも当年のあの図に非ざれども、数は必ず当年のあの数なり。

然則非則圖以畫卦,必則卦以畫圖,所謂相為表裡者也。愚以為龍馬負圖,乾龍坤馬,即乾坤也。靈龜吐書,戴九履一,即坎離也。後人不察,必求龍馬以實之,泥龜形而坼之,不亦傎乎!

すでに然りとせば、然らば図に取法して卦を画くに非ざれば、必ず卦に取法して図を画くなり。これ即ち所謂互いに表裏なり。吾の思うに「竜馬図を負う」、竜は乾に属し馬は坤に属す。言う所は乾坤両卦なり。「霊亀書を吐く」、九を戴き一を履む。言う所は坎離両卦なり。後人体察を加えず、必ず一疋の真の竜馬を找出して以てこれを坐実せんとし、亀の形状に拘泥して図を割裂するは、豈に颠倒なること甚だしきに非ずや。

二五之精,妙合而凝,實為萬物生化之源。而二八易位,即二五構精之妙用也。古今丹家千言萬語譬喻百端,皆以玄機隱秘,終不肯一語道破,皆由不知圖書易象,早已顯示其端。

「二五の精、妙合して凝る」は、実に万物生化の根源なり。而して二と八と位を易うるは、正に二五交合構精の妙用なり。古往今來の丹家は千言万語を写し下し、上百種の譬喻を設くるも、皆玄機を見て隠秘と為すを以て、終始肯んじて一語道破せず。皆実は河図洛書と易象の裏に、すでにこの端倪を顕示し出せるを知らざるに由るなり。

學者畏難苟安,不肯從易學根本下手,致枉費心血,暗中摸索,千古長夜。有白首無成者,有終身由之而莫明其妙者,良可慨矣!茲復繪二五構精圖如下,明白淺顯。無論何人,皆可一目瞭然矣。幸勿因其淺近,且得之太易而忽視焉。

学者は難を畏れ安んじ苟(いやしく)もし、肯んじて易学の根本の処より下手せず。以て心血を枉費して暗の中に摸索し、千古長夜のごとし。或る者は頭白くして老いるまで一成する所なく、或る者は終身それに依って行事して始終その中の妙処を明白にせず。実に感慨すべし。ゆえにここに再び一幅の「二五構精図」を画きて下に列す。画くこと明白浅顯にして、何人を問わず一目瞭然たらしむ。願わくはその浅近・得ること太も易きを以てこれを軽忽すること勿れ。

二五構精図

周濂溪《太極圖說》曰:“二五之精,妙合而凝。”《通書》曰:“二氣五行,化生萬物。五殊二實,二本則一,是為萬一。一實萬分,成一各正。”此數語實扼陰陽變化之要,宜注意焉。

周敦頤《太極図説》に曰く、「二五の精、妙合して凝る」と。その《通書》にまた曰く、「二気五行、万物を化生す。五殊にして二実、二本は則ち一。これを万一と為す。一実万に分かれ、一を成して各々正す」と。意は五行は分殊するも陰陽二気は実なり。二気は根に推せばただ一つの太極のみ。ゆえに万物の帰根もただ一つの理なり。一理は散じて万殊と為り、万物は各々その一を成就して各々性命を正しくす。この数句は実に陰陽変化の関鍵を把扼したり。特に留意すべし。

(二實者,天以陽生萬物,地以陰成萬物。動而陽,靜而陰,陽變陰合而生五氣,由五氣而生萬物,故曰“五殊”也。五殊本於陰陽,互為其根也。兩儀生,而陽交於陰,陰交於陽而生四象,四象分而生八卦,八卦錯而萬物生焉。是曰“一動一靜,天地之至妙歟”,是以五氣布四時行,萬物生生而無窮,“五行一陰陽也,陰陽一太極也”。太極散而為萬物,則萬物各一其性,各具一太極,渾然全體而靜者,常為主焉。兼有無全體,用涵動靜,為萬化之源,萬有之本者,妙合二五之精焉。)

(所謂「二実」とは、天は陽気をもって万物を生じ、地は陰気をもって万物を成すを言う。動は即ち陽、静は即ち陰。陽変し陰合して五気を生じ、五気より再び万物を生ず。ゆえに「五殊」と曰う。五殊はまた陰陽に本づき、陰陽は互いに相手の根を為す。両儀一たび生ぜば、陽は陰に交はり陰は陽に交はりて四象を生じ、四象再び分かれて八卦を生じ、八卦交錯して万物これに由り產生す。これ即ち言う所の「一动一静、天地の至妙なるかな」なり。ここに五気布列して四時運行し、万物生々して窮尽有らず。「五行は一陰陽なり、陰陽は一太極なり」。太極は散り開きて万物と為り、万物は便ち各々その性有り、各々一つの太極を具う。あの渾然たる全体にして常に静なるは、永く主宰を為す。有と無とを兼摂する全体、其の用は動静を涵括し、万化の源・万有の本と為るは、正に二五の精の妙合なり。これ即ち「妙合して凝る」の四字を実処に落とし着けたり。)

原數左五六而右三二,數偏倚而不平。雖有中五,無從化生。以二五交易其位,則左右皆八。《謙·象》曰:“君子以裒多益寡,稱物平施。”謙為坤艮二八之位。二八交易,即二五交易也。二八合十為土,二五亦合十為土,陰陽生化,因以不窮。數似淺而義蘊極深,二千年來無人道破。會於此用苦功者,必當悉著者之苦心也。

もとより数は、左辺は五と六、右辺は三と二にして、両辺の軽重は偏倚して均平ならず。中間に五有りと言えども、発動して化生するに由なし。もし二と五と位置を交換せば、左右両辺とも八を成さん。《謙・象伝》に曰く、「君子以て多きを裒め寡きを益し、物を稱して平らかに施す」と。多きを減じ少なきを補い、事物を稱量して公平に給与するは、講ずる所正にこの道理なり。《謙》卦は坤艮より組成して、占する所正に二・八両位なり。二八交換は、すなわち二五交換なり。二と八と相合して十を為して土に属し、二と五と相合してまた十を為して土に属す。陰陽これに因りて生化窮まらず。この数は看るに浅きも、義藴は極めて深し。二千年來人道破する者なし。肯んじてここに苦功を下し過ぐる者は、必ず作者の一片の苦心を体諒せん。

卦位第二

《周易》八卦方位之有先天後天,雖始於有宋,然推之於數而悉符,求之於象而胥合,證之於《彖》、《象》十翼,而確有可據。是乃易象之所固有,不但《周易》為然,即《連山》、《歸藏》,其經卦別卦既同,恐亦不能有用而無體,有後天而無先天也。

《周易》八卦の方位は先天と後天とに分かつ。この提法は宋代より始まると言うも、数をもって推せば処処符合し、象をもって求めれば一一契合し、さらに《彖伝》《象伝》等の十翼をもって印証するも、確かに拠り所の据うべき有り。これを見ればそれは易象の裏にもとより有るのものなり。《周易》のみならずかくのごとし。《連山》《帰蔵》と雖も、すでに三画の経卦と六画の別卦と皆《周易》と相同じき以上、おそらくもまた用有りて体無く、後天有りて先天無きはあらざらん。

漢《易》雖鮮傳書,然如荀氏慈明之升降,虞氏仲翔之納甲,取象於先天卦位者甚多。自朱子本者甚多,而《參同契》尤先後天並用,特未立此先天後天之名目耳。自朱子《本義》,以邵子先後天八卦方位各圖,弁諸經首,遂開後儒攻擊之門。明清以來言漢學者,以排詆宋學為先,乃波及於邵子。

漢代易学は専書の伝え来たる少なしと言えども、荀爽(慈明)の講ずる升降、虞翻(仲翔)の講ずる納甲のごときは、先天卦位に取象する処甚だ多し。朱熹以後先天卦位に依拠して説を立つるもまた甚だ多し。而して《参同契》はとくに先天・後天並用して、ただ「先天」「後天」のこの一対の名目を立てざりしのみ。朱熹《周易本義》が邵雍の先後天八卦方位の各図を経文の巻首に冠してより、便ち後世儒者攻撃の口子を開けり。明清以来漢学を講ずる者は、排斥・詆毀宋学をもって第一の要務と為し、ここに邵雍に至るも牵连を受けたり。

實則宋季項氏安世,早有平論。謂河洛卦象,體用分明,悉出理數之自然,無可攻擊。所以遭後世之非議者,只以立名未當耳。故謂天地定位為伏羲八卦可也,謂帝出乎震為文王八卦,未免無據。蓋伏羲畫卦,體用一源,當然先後天並有,不能至文王而始有此八卦之用也。

其の実、南宋末年の項安世は早くも公允の評論有り。彼は河洛と卦象とは体用分明にして、全く理と数の自然より出で、攻撃するに由なしと認む。後世の非議に遭う所以は、ただ立名の当を得ざるが為のみと。ゆえに「天地位を定む」のあの一套を伏羲八卦と言うは可なり。「帝震より出づ」のあの一套を文王八卦と言うは、未だ根拠なきを免れず。伏羲が卦を画く時は体と用とは同一源より出づるが故に、当然先天・後天並有りて、文王を待ちて始めてこの八卦の用有らんとは能わざるが故なり。

故後儒有改伏羲八卦為天地定位圖,改文王八卦為帝出乎震圖者,自較舊名為佳。但改伏羲與文王之名可也,至先天後天之名,則不可改。《序卦》定名,與《彖》、《象》、《繫辭》之明言先後天者甚多,不但“先天而天弗違,後天而奉天時”二語,足為先後天之證也。

ゆえに後に伏羲八卦図を改称して「天地定位図」と為し、文王八卦図を改称して「帝出乎震図」と為す者有り。旧名に比ぶれば好し。ただし伏羲・文王のこの両人名を改むるは可なり。「先天」「後天」のこの両名目に至っては、則ち改むべからず。《序卦伝》の定名および《彖伝》《象伝》《繋辞伝》の裏に明らかに先天後天を言う処甚だ多し。ただ乾卦《文言》の「先天にして天違(たが)はず、後天にして天時に奉(たてまつ)る」の両句のみ先後天の証拠を為すに足るに非ざるなり。これを見れば先後天の説は宋人の杜撰し出せる所に非ず。

吳喬《他石錄》謂乾卦先天之先讀去聲,非邵子所謂先天之先,是真世儒之見。孔子贊《易》之時,豈有沈約四聲之譜,已傳異音別義之說哉!《彖》、《象》,《文言》、《繫辭》,無不有韻,分陰分陽,細入毫芒,獨未嘗有異讀改義之例。

呉喬《他石録》は乾卦《文言》の裏の「先天」の「先」は去声に読みて、邵雍の言う「先天」の「先」とは一事に非ずと言う。これ真に俗儒の見なり。孔子《易》を賛するの時、何の沈約の四声譜有らん、何のすでに異音別義のあの一套の説法流行せんや。《彖伝》《象伝》《文言》《繋辞》は一篇として韻を押さざるなく、分陰分陽細かにして毫芒に至るも、独り曾て改読して改義するの例有らず。

漢學家博考群籍,亦明知乾坤坎離之先後體用,極陰陽造化之妙,無可非難。於是又遁其辭,指為外道,曰希夷仙也,不妨以外道說《易》。邵子交於二程,何可出此?

漢学家は群書を博考して、また明らかに乾坤坎離先後天の体用が陰陽造化の妙処を窮尽するを知る。もとより非難すべきなし。ここにまた一套の遁詞を換えて、これを指して外道と為し、陳摶は個の神仙道士にして、妨げず外道をもって《易》を講ずと言う。しかるに邵雍は二程と往来して学を論ず。怎(いか)でかこの種の事を作さんや。

“考亭于丹道有所見,是以手注魏伯陽之《參同契》。見邵之圖,欣然會心,入於《本義》,而不計丹道可以倚《易》,《易》不為丹道作也”云云,是非但昧禮失求野之義,且聲聲言易,與易道之相去遠甚。博學雄辯,適見其客氣之盛。茲編去取,一本經傳,準之象數。門戶異同之見,概所不取。

彼らまた曰く、「朱熹は丹道に領会有る所あり。ゆえに手ずから魏伯陽《参同契》に注し、邵雍の図を見て欣然として会心し、便ちこれを《本義》に収めたり。然れども思わず、丹道は《易》に依傍すべきも、《易》は丹道の為に作さるるに非ざるを」と。この類の言は、「礼失われば則ち諸を野に求む」の道理を懂(わか)らざるのみならず、且つ口々声々に易を講じて、易道を離るること甚だ遠し。彼らは博学・雄弁にして、恰好意気の太りて盛んなるを顕す。本書の取舍は、一律に経伝をもって本と為し象数をもって準と為す。門戸異同の成見は、一概に取らず。

先天八卦

《說卦傳》曰:“天地定位,山澤通氣。雷風相薄,水火不相射。數往者順,知來者逆。八卦相錯。是故易,逆數也。”

《説卦伝》に曰く、天と地とは上下の位置を定め、山と沢とは気息相通じ、雷と風とは互相いに盪激し、水と火とは相厭(いと)い相滅せず。已往を数うるは順にして、未来を知るは逆なり。八卦は彼此交錯す。ゆえに《易》は一門の逆推の学問と曰う。この一章は正に先天八卦方位の経文根拠なり。乾坤は上下を定め、艮兌は気を通じ、震巽は相薄(せま)り、坎離は対峙し、八卦は両両相対して交錯して用を成す。

(胡東樵《易圖明辨》曰:按此章與八卦之位無涉。天地定位言乾坤自為匹也,山澤通氣言艮兌自為匹也,雷風相薄言震巽自為匹也,水火不相射言坎離自為匹也,云云。夫《說卦傳》本文明明曰“天地定位”,而曰“與位無涉且自為匹”者,無位又安見其相匹乎?其恣意辯駁,不顧前後如此。)

(胡渭(東樵)《易図明辨》に曰く、この一章は八卦の方位と関なく、「天地位を定む」は乾坤が自ら一対を成すを言い、「山沢気を通ず」は艮兌が自ら一対を成すを言い、「雷風相薄る」は震巽が自ら一対を成すを言い、「水火相射(い)らざる」は坎離が自ら一対を成すを言う。かくのごとく云云と。しかるに《説卦伝》本文は明らかに「天地位を定む」と写すも、彼はかえって方位と関なくただ各々対を成すのみと言う。位置さえ無くんば、また何処よりかそれらの両両相匹するを見んや。彼のかく恣(ほしいまま)に弁駁するは、前後自ら相矛盾するや此(かく)のごとき地步に至れり。)

邵子曰:“此一節明伏羲八卦也。八卦相錯者,明交錯成六十四卦也。數往者順,若順天而行,是左旋也。皆已生之卦也,故曰數往也。知來者逆,若逆天而行,是右行也。皆未生之卦也,故云知來也。夫易之數由逆而成矣。此一節直解圖意,若逆知四時之謂也。”

邵雍曰く、この一節は伏羲八卦を講ずるなり。所謂「八卦相錯る」とは、八卦が交錯して六十四卦を成すを言う。「往を数うるは順」とは、譬えば天時に順らいて行くがごとき、左に旋転するなり。数う所は皆すでに生成せし卦なれば、ゆえに「往を数う」と曰う。「来を知るは逆」とは、譬えば天時に逆らいて行くがごとき、右に推行するなり。推す所は皆未だ生成せざる卦なれば、ゆえに「来を知る」と曰う。《易》の数は正に逆推に由りて成立す。この一節は直に先天図の図意を解説するにして、逆らいて四時を推知するがごとし。

(以次序觀之有乾一而後,有兌二。有兌二而後、有離三震四,而巽五坎六艮七坤八亦以次而生。自圖之左方,震之初為冬至,離兌之中為春分,以至於乾之求而交復。至焉,皆逆而得其已生之日。因自今日而追逆昨日也,故曰“數往者順”。

(次序に就いて看れば、先ず乾一有りて、然る後に兌二有り。兌二有りて然る後に離三・震四有りて、巽五・坎六・艮七・坤八もまた依次に生ず。図の左半辺より看れば、震の起点は冬至にして、離と兌との間は春分にして、一路乾の尽頭に至りて復卦に交(あ)う。およそここに数え至るは、皆逆らいて推してすでに過去せし日子を得るなり。正に今日より昨日を回溯するがごときなれば、ゆえに「往を数うるは順」と曰う。

其右方自巽之初為復,至坎艮之中為秋分。艮至於坤之末而交姤。至焉,皆進而得其未生之日。因自今日而逆訃來日也,故曰“知來者逆”也。按:此但以言邵子之數,至《說卦》所言蘊義甚廣,實不僅此。朱子僅取邵說,故攻擊之者謂取《十翼》為先天卦註腳。然先天圖豈邵子私有哉!)

図の右半辺は、巽の起点より起こりて(此処原文は「復」と標作す)、坎と艮との間に至りて秋分と為り、艮より直ちに坤の末尾に至りて姤卦に交う。およそここに数え至るは、皆往きて推して未だ来たらざる日子を得るなり。正に今日より明日を預推するがごときなれば、ゆえに「来を知るは逆」と曰う。杭氏按:これはただ邵雍一家の数に就いて言うのみ。至りて《説卦》の講ずる藴義は十分広大にして、実にこれに止まらず。朱熹はただ邵雍の説を採るのみなれば、ゆえに攻撃する者はすなわち彼が《十翼》をもって先天卦の注脚と為したりと言う。然れども先天図は豈に邵雍一人の私有せし所ならんや!)

邵子《觀物外篇》曰:“震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生。兌陽長也,艮陰長也。震兌在天之陰也,巽艮在地之陽也。故震兌上陰而下陽,巽艮上陽而下陰。天以始生言之,故陰上而陽下,交泰之義也。地以既成言之,故陽上而陰下,尊卑之義也。乾坤定上下之位,離坎列左右之門。天地之所闔闢,日月之所出入。是以春夏秋冬,晦朔弦望,晝夜長短,行度盈縮,莫不由乎此矣。”

邵雍《観物外篇》に曰く、震は乾の始めて陰に交はりて陽気初めて生ずるなり、巽は坤の始めて陽を消して陰気初めて生ずるなり。兌は陽の増長するに在り、艮は陰の増長するに在り。震兌は天中の陰に属し、巽艮は地中の陽に属す。ゆえに震兌両卦は上爻を陰と為して下爻を陽と為し、巽艮両卦は上爻を陽と為して下爻を陰と為す。天は始生の上より言うが故に、陰は上に在りて陽は下に在り、取る所は交泰の義なり。地は既成の上より言うが故に、陽は上に在りて陰は下に在り、取る所は尊卑の義なり。乾坤は上下の位置を定め、離坎は左右の門戸を排成す。天地これに由りて開闔し、日月これに由りて出入す。ここに春夏秋冬・晦朔弦望・昼夜長短・行度盈縮、ここより生ぜざる無し。

(《朱子語類》曰:先天圖直是精微,不起於邵子。希夷以前元有,只是秘而不傳,次第是方土輩所相傳授。《參同契》所言,亦有些意思。)

(《朱子語類》に曰く、先天図は実に精微にして、邵雍より起こるに非ず。陳摶以前もとよりもと有りて、ただ秘蔵して伝えず。大抵は方士の一輩人が輾転伝授して来れるなり。《参同契》の裏に講ずる所も、また頗るこの層の意思有り。)

先天八卦,以乾坤坎離為四正,震巽艮兌為四維。四正者,所以立體。故河圖之位,亦只列四方。乾坤坎離者,即天地水火(以曆象言,離坎亦為日月。)。水火者,天地之大用。合天地水火,而萬象無不畢舉矣。釋氏言地水火風,西儒言水火土氣,亦即乾坤坎離也(坎水離火。地即土,天即氣也。釋氏言風,風亦為氣也。)。

先天八卦は乾坤坎離をもって四正と為し、震巽艮兌をもって四維と為す。四正是(これ)以て本体を確立するに用い、ゆえに河図の方位もまたただ四方を排出するのみ。乾坤坎離は即ち天・地・水・火なり(若し暦象の上より言わば、離坎はまた日月を代表す)。水火は天地の最大の功用にして、天地水火を合わせれば、万彖は備わらざる無し。仏家の講ずる地水火風、西方学者の講ずる水火土気は、其の実もまた即ち乾坤坎離なり(坎は水を為し、離は火を為す。地は即ち土、天は即ち気。仏家の言う所の風は、風もまた気に属す)。これを見れば東西方が宇宙の本元を論ずるは、帰結して皆この四卦を跳出る能わず。

邵子所謂震始交陰而陽生者,謂乾與坤接,而震一陽生於下。《參同契》曰:“三日出為爽,震庚受西方。”言三日之夕,月見庚方,納震一陽之氣也。巽始消陽而陰生者,謂坤與乾交,而巽一陰生於下。《參同契》曰:“十六轉就統,巽辛見平明。”言十六日月旦月退辛方,納巽一陰之氣也。

邵雍の言う所の「震は始めて陰に交はりて陽生ず」とは、乾が坤と相接して、震卦の一陽が下爻に生ずるを指す。《参同契》に「三日の出づるを爽(は)れと為し、震庚は西方を受く」と言う。講ずるは毎月初三の傍晚、新月は庚位(西方)に現出して、震卦の一陽の気を納受するなり。言う所の「巽は始めて陽を消して陰生ず」とは、坤が乾と相交はりて、巽卦の一陰が下爻に生ずるを指す。《参同契》に「十六転じて統に就き、巽辛は平明に見ゆ」と言う。講ずるは十六日の天明の時分、月は辛位に退して、巽卦の一陰の気を納受するなり。

自震一陽進而納兌之二陽,至乾之陽而滿。兌納丁,乾納甲。此望前之候,明生魄死之月象也。自巽一陰退,而納艮之二陰,至坤三陰而滅。艮納丙,坤納乙,此望後三候魄生明死之月象也。

震の一陽より往きて推進し、兌の二陽を納め、乾に至りて三陽円満す。兌は丁を納め、乾は甲を納む。これ望日以前の月候にして、月明漸く生じ暗魄漸く死するの月象なり。巽の一陰より後ろに退譲し、艮の二陰を納め、坤に至りて三陰尽き滅す。艮は丙を納め、坤は乙を納む。これ望日以後三候の月象にして、暗魄漸く生じ月明漸く死す。八卦は十干に分納して、月相の盈虧は便ち卦爻の消長と一一対応す。

此所謂納甲。雖出於《參同契》,虞氏翻說《易》,皆本於此,與先天八卦方位之陰陽消長悉合。可見自漢以前,必有此說。魏伯陽得假之以明丹學,與朝屯暮蒙之候,同為取資於《易》,非伯陽所創造也。

これ即ち所謂「納甲」なり。それは《参同契》より出づると言うも、虞翻は《易》を説くに全くこれに本づき、また先天八卦方位の陰陽消長と全く吻合す。これを見れば漢代以前必ず早くもこの説法有りしなり。魏伯陽はただそれを借用して以て丹学を講明せしのみ。これは彼が「朝屯暮蒙」をもって火候を定むると同じく、同じく《易》に取資するにして、彼自ら創造し出せる所に非ざるなり。

今指納甲為道家外說,然則屯蒙需訟之次,將因《參同契》定為火候,亦謂之外說耶(今屯蒙需訟,幸有孔子《序卦》一篇得以無紊。使《序卦》不傳,而簡冊紊亂,亦惟有取《參同契》所列朝屯暮蒙之次以定六十四卦之序耳。何獨疑於納甲為哉!)!

今やある人納甲を指して道家の外道の説と為す。然らば屯・蒙・需・訟のこの卦序も、また曾て《参同契》に拿去せられて火候を定められたり。豈にまたこれを外道と呼ばんとするや(今日の屯蒙需訟の次第は、幸いに孔子《序卦伝》一篇有りて紊乱せざるを得たり。仮に《序卦》失伝して簡冊散乱せんには、またただ《参同契》の所列せし朝屯暮蒙の次序を取りて以て六十四卦の先後を定むるのみ。何ぞ偏(ひとへ)に納甲に就きて疑を起こさんや)!

《禮運》曰:“播五行於四時,和而後月生也。是故三五而盈,三五而闕。”正合此意。播五行於四時,以一歲中四氣之流行言之,出震齊巽之方位是也。三五而盈三五而闕,以一月中月體之消長言之,乾南坤北之方位是也。

《礼記・礼運》に曰く、「五行を四時に播き、和して然る後に月生ず。これを故に三五にして盈ち、三五にして闕(か)く」と。正にここの意に合す。所謂「五行を四時に播く」とは、一年の中の四気の流行に就いて言うなり。即ち「帝震より出で、巽に齊(ひと)し」のあの一套の後天方位なり。所謂「三五にして盈ち、三五にして闕く」とは、一月の中の月体の消長に就いて言うなり。即ち乾は南に在り坤は北に在るの先天方位なり。

月生明謂陽之進,月生魄謂陰之退者;天地之數,天數二十有五,地數三十。故一月三十日,而月之得光只二十五日(每月二十八日至初二日,月無光也。)。《參同契》曰:“七八數十五,九六亦相當。四者合三十,陽氣索滅藏。”此象數兼資,不能離數以言象,亦不能離象以言數者也。附納甲圖如下。

所謂月は明を生ずるは陽の前進、月は魄を生ずるは陰の退譲は、また数をもって印証すべし。天地之数の中、天数二十五にして地数三十。ゆえに一月三十天にして、月の真に光有るはただ二十五天のみ(毎月二十八日より下月初二に至るは、月は光無し)。《参同契》に曰く、「七八数は十五、九六もまた相當たり。四者合わせて三十、陽気索(つ)きて滅蔵す」と。少陽七に少陰八を加えて十五を得、老陽九に老陰六を加えてもまた十五を得、四数相合して正に三十。恰も一月三十日に相當たりて、陽気はここに至りて便ち隠没潜蔵す。これ正に象と数とが彼此互いに凭借するなり。数を離れて象を講ずる能わざるがごとく、象を離れて数を講ずるも能わず。納甲図を附して下のごとし。

納甲図

納甲之說,不但與先天圖之陰陽消長相合,與河圖之數位亦合。河圖三八居東為甲乙木,二七居南為丙丁火,四九居西為庚辛金,一六居北為壬癸水,五十居中為戊己土。乾納甲,坤納乙,東方木也。兌納丁,艮納丙,南方火也。震納庚,巽納辛,西方金也。坎納戊,離納己,中央土也。乾又納壬,坤又納癸,北方水也。漢上朱氏曰:“納甲者,舉甲以該十日也。乾納甲壬,坤納乙癸。震巽庚辛,坎離戊己,艮兌丙丁,皆自下生。聖人仰觀日月之運,配之以坎離之象,而八卦十日之義著矣。”乾坤甲乙,艮兌丙丁,震巽庚辛,坎離戊己,為日月本體,故圖未列。乾又納壬,坤又納癸,乃陽中之陰,陰中之陽。目所不見,故亦不列於圖。

八卦を十天干に分配する「納甲」の法は、ただ「先天図」上の陰陽此消彼長の次第と吻合するのみならず、《河図》の各方位に配する所の数目とも一一相合す。《河図》の配置は、三と八と東方に居りて「甲乙木」に属し、二と七と南方に居りて「丙丁火」に属し、四と九と西方に居りて「庚辛金」に属し、一と六と北方に居りて「壬癸水」に属し、五と十と中央に居りて「戊己土」に属す。納甲をもって対照するに、「乾」は甲を納め「坤」は乙を納め、正に東方の木に落ち、「兌」は丁を納め「艮」は丙を納め、正に南方の火に落ち、「震」は庚を納め「巽」は辛を納め、正に西方の金に落ち、「坎」は戊を納め「離」は己を納め、正に中央の土に落ち、「乾」は別にまた壬を納め「坤」は別にまた癸を納め、正に北方の水に落つ。宋人朱震(世に「漢上先生」と称す、《漢上易伝》を著す)曰く、所謂「納甲」とは、天干の首たる「甲」を挙出して十天干を概括するなり。乾卦は甲と壬とを納め、坤卦は乙と癸とを納め、震・巽は庚と辛とを納め、坎・離は戊と己とを納め、艮・兌は丙と丁とを納む。皆下爻より起こりて依次に生じ出ずるなり。聖人は頭を擡げて日月運行の軌跡を観察し、坎・離両卦の象をもってそれに配合し、八卦と十天干と相配するの義理便ち昭然として見ゆべし。乾・坤の納する甲・乙、艮・兌の納する丙・丁、震・巽の納する庚・辛、坎・離の納する戊・己に至っては、皆日月本身の形体に属すれば、ゆえに納甲図上に再び別に標出せず。乾の別に納する壬・坤の別に納する癸は、則ち陽中の含む所の陰・陰中の含む所の陽にして、肉眼の見えざる一層なれば、ゆえにまた図裏に列し入れず。

《繫傳》曰:“懸象著明,莫大乎日月。”虞氏注謂:“日月懸天成八卦象,三日暮震象月出庚,八日兌象月見丁,十五日乾象月盈甲壬,十六日旦巽象月退辛,二十三日艮象月消丙,三十日坤象月滅乙癸,晦夕朔旦則坎,坎象水流戊。日中則離離象火就己,戊己土位,象見於中。”“日月相推而明生焉。”《坤·象》“西南得朋”。虞曰:“陽喪滅坤,坤終復生。”此指說易道陰陽之大要也。又曰:“消乙入坤,滅藏於癸。”

《繋辞伝》に曰く、天上に懸かりて光明昭著なる物象は、日月より大なるは莫(な)しと。三国呉人虞翻はこれが為に注を作して曰く、日月は天空に懸かりて、その運行はすなわち八卦の象を構成す。毎月初三の傍晚、新月は西方「庚」の位より露出するは「震」の一陽初動の象なり。初八上弦月は「丁」の位に見ゆるは「兌」の二陽の象なり。十五月満ちて「甲」の位・「壬」の位に盈つるは「乾」の三陽純全の象なり。十六日清晨月は始めて虧退して「辛」の位なるは「巽」の一陰初生の象なり。二十三下弦月は「丙」の位に消ゆるは「艮」の二陰の象なり。三十日月の光尽き滅して「乙」の位・「癸」の位なるは「坤」の三陰の象なり。晦日の夕と朔日の旦と交接するの時は則ち「坎」に帰す。坎は水にして、水は流れて「戊」に配す。日中天に至れば則ち「離」に帰す。離は火にして、火は就きて「己」に配す。戊・己は同じく中央土位に属して、その象は正中に顕現す。《繋辞伝》また曰く、日月相推し移して光明これに由り產生すと。《坤卦・象辞》は「西南朋を得る」を講じ、虞翻解釈して曰く、陽気は喪尽して坤体はこれに随いて隠滅し、而して坤は終点に走到りてまた重新に生出せんと。これらの言は皆《易》道陰陽循環の大綱を点明するに在り。虞翻また曰く、月の光は「乙」に消して坤に入り、最後に「癸」の位に滅蔵すと。

《參同契》曰:“天地設位,而易行乎其中矣。天地者,乾坤之象也。設位者,列陰陽配合之位也。易謂坎離。坎離者,乾坤二用。二用無爻位,周流行六虛。往來既不定,上下亦無常。幽潛淪匿,升降於中。包囊萬物,為道紀綱。”漢以前易字皆從日從月,日上月下。日勿之易後出,遂滋異議。許叔重《說文》“日”字引《秘書》“日月為易”,可見相傳甚古矣。

東漢魏伯陽《周易参同契》に曰く、天地は上下の位置を設定して、而して変易の道はすなわちこの中間に運行す。所謂「天地」とは、乾・坤両卦の象を指す。所謂「設位」とは、陰陽相配合するの方位を排出するを指す。ここに言う「易」とは、坎・離両卦を指す。坎・離は乾・坤の発出せる両種の作用にして、この両種の作用は本身固定して某一爻位を占居せず、而して周流運行して上下四方のこの「六虚」の間に在り。来去定処なく、升降もまた常軌なし。それらは幽隠潜蔵して、天地の中に上下往来し、包裹容納して万物を為し、大道の綱紀と為る。さらに「易」の字を言う。漢代以前の写法は皆上「日」下「月」にして、日・月両個の部件より合成す。後に始めて上「日」下「勿」の写法現れて、ここに種種の異説を滋生せり。東漢許慎(字は叔重)《説文解字》は「日」の字を解する時《秘書》の「日月を易と為す」の説法を引用す。これを見ればこの説法の流伝は相当に古遠なり。

《虞氏易》卦位,乾坤列東,艮兌列南,震巽列西,坎離居中,與納甲圖同。蓋先天卦位立其體,故天地定位,日東月西。陰陽消長,各循其序。納甲言其用,故卦各從其所納之方,雖異而實同也。離東坎西,至望夕則日西月東。坎離易位,其離中一陰,即是月魄。坎中一陽,即是日光。東西正對,交注於中。此二用之氣,所以納戊己也。故曰“坎戊月精,離己日光。日月為易,剛柔相當。蟾蜍與兔魄,日月氣雙明”也。

虞翻一系の《虞氏易》の用うる所の卦位は、乾・坤は東に列し、艮・兌は南に列し、震・巽は西に列し、坎・離は中央に居る。「納甲図」と全く一致す。これは先天卦位は以て本体を確立するに用うるを以ての故に、ゆえに天地上下位を定め、日は東に在り月は西に在り、陰陽消長は各々固定の次序に依る。而して納甲の講ずるは作用なれば、ゆえに毎一卦は皆それの納する所の天干の方位に跟(したが)いて安排せらる。両者看るに同じからざるに似たるも、其の実は一事なり。常態に按じて「離」(日)は東に在り「坎」(月)は西に在ると言うも、然るに十五望日の傍晚に至れば、太陽は西に沈み月は東に昇りて、坎・離はすなわち位置を換う。離卦中間のあの一根の陰爻は、正に月の魄なり。坎卦中間のあの一根の陽爻は、正に日の光なり。日月は東西正に相対望して、二気は中央に交注す。これ即ち坎・離のこの両種の作用の気が要するに中央土の「戊」「己」を納するの所以の故なり。ゆえに《参同契》に曰く、坎は「戊」を納むるは月の精華なり、離は「己」を納むるは日の光輝なり。日・月合わさりてすなわち「易」の字を為し、剛柔恰好相當たり。月中の蟾蜍と兎魄とに、日中の陽精を加えて、日月の気をして双双として明を呈せしむと。

乾納甲而納壬,坤納乙而納癸者,以乾之中畫即太陰之精,望夕夜半月當乾,納其氣於壬方,地中(地中者,即地之下面也。)對月之日也。坤之中畫即太陽之精,晦朔之間日在坤,納其氣於癸方,地中合日之月也。徐敬可曰:“望夕之陽既盈於甲,其夜半日行至壬,而月與為衡。日中原有陰魄,所謂離中一陰者,平時含蘊不出(今西人以遠鏡窺日,見日中有甚大之黑影,與離卦之象適合。),至是盛陽將革,又感正對之陰,乃充溢流滋,而為生陰之本,故其象為⊙,即望夕夜半壬方之日也。

乾すでに「甲」を納めてまた「壬」を納め、坤すでに「乙」を納めてまた「癸」を納むるの道理は、乾卦中間のあの一画は実は太陰(月)の精にして、十五望日の半夜、月は正に乾位に当たり、それは気を「壬」の方に納め、あれは地下に在りて(所謂「地中」とは、即ち大地の下面なり)月と正相対する太陽の所在なり。坤卦中間のあの一画は実は太陽の精にして、晦朔の交、太陽は坤位に在りて、気を「癸」の方に納め、あれは地下に在りて太陽と会合する月の所在なり。清人徐世沐(字は敬可)曰く、十五の夕、陽気すでに盈満して「甲」に在り、その日の半夜太陽は「壬」の位に行到りて、月と遥遥として相対して秤衡の両端のごとし。太陽の裏にもとより陰魄を含めり。すなわち所謂「離中一陰」、平素藴蔵して内に顕露せず(今や西洋人は望遠鏡をもって太陽を観測し、日面上に甚だ大きなる黒影あるを見る。恰も離卦中虚の象と相合す)。この時に至りて盛極の陽は将に変革せんとし、また正対面の陰気を感受して、陰魄ここに充溢流布して、生陰の根本と為る。ゆえにその図象は「⊙」と画作す。即ちあれは望日半夜「壬」方の太陽なり。

晦旦之陽,既盡於乙,其夜半日行至癸,而月與同躔。月中原有陽精(今西人遠鏡窺見月中有類於河流者,其形不定。雖未敢斷為即月中之陽精,然與坎卦之象亦無不合矣。),所謂坎中一陽者,平時胚渾而不分,至是則盛陰將革,又感摩戈之陽,乃剖發迸洩而為生陽之本,故其象為〇,即晦朔間癸方之月也。故曰壬癸配甲乙,乾坤括始終。”此論納甲極精。以證先天卦位,益可見漢人以前,必有相傳之學說。或即許叔重所謂《秘書》(《說文》“日月為易”引《秘書》)之類,不但非陳邵所創造,亦非魏伯陽所能創造也。

晦日清晨、陽気すでに尽きて「乙」に在り、その日の半夜太陽は「癸」の位に行到りて、月はそれと同行して一条の軌道上に在り。月の裏にもとより陽精を含めり(今や西洋人は望遠鏡をもって月面上に河流に類する痕跡あるを見る。形状は並びに固定せず。敢えてそれが即ち月中の陽精と断定せざるも、坎卦中実の象ともまた合せざる処なし)。すなわち所謂「坎中一陽」、平素混沌として未だ分かれず。この時に至りて盛極の陰は将に変革せんとし、また相摩相激するの陽気を感受して、陽精ここに剖裂迸発し出でて、生陽の根本と為る。ゆえにその図象は「〇」と画作す。即ちあれは晦朔の間「癸」方の月なり。ゆえに「壬」「癸」と「甲」「乙」と相配し、乾・坤は終と始とを包挙したりと曰う。徐氏のこの一段の納甲を論ずるや極めて精到なり。これをもって先天卦位に印証すれば、さらに漢代以前必ず別に一套の師承相伝の学説有りしを見るべし。或いは許慎の言う《秘書》(《説文解字》の「日月を易と為す」の一語は即ち《秘書》より引く)のあの類ならん。これを見れば納甲と先天の説とは、宋人陳摶・邵雍の創造する所に非ざるも、また東漢魏伯陽の能く創造しうる所に非ざるなり。

(萬氏彈峰曰:天地定位一節,孔子已發明納甲之旨,得《參同契》其義始著。以六卦證月候,而坎離為日月之本體,居中不用。五行家謂初三以後庚金旺,初八以後丁火旺,十五以後甲木旺,十六以後辛金旺,二十三以後丙火旺,三十日後乙木癸水旺。蓋月受日之精光,而五行又受日月之精光,故乘日月所泊之地而旺也。東方朔以納甲五行定人命之吉凶禍福,則其說亦不起於《參同契》也。)

万弾峰曰く、《説卦伝》「天地位を定む」のあの一節は、孔子すでに納甲の宗旨を点出したり。《周易参同契》有るに及びて、この層の意思始めて彰顯せられたり。《参同契》は震・兌・乾・巽・艮・坤の六卦をもって一月の中の月相変化に印証し、而して坎・離をもって日月の本体と為して、中に居りてあの六卦の輪転に参与せず。五行家これに由りて説を立つ。毎月初三以後「庚金」は旺に当たり、初八以後「丁火」は旺に当たり、十五以後「甲木」は旺に当たり、十六以後「辛金」は旺に当たり、二十三以後「丙火」は旺に当たり、三十日以後「乙木」「癸水」は旺に当たると。これは月が太陽の精光を承受し、五行はまた日月の精光を承受するが故に、日月の停泊する処所に配する天干に随いて各々旺に当たるなり。漢代東方朔はすなわち納甲をもって五行に配して以て人の命運吉凶禍福を判定せり。これを見ればこの套の説法もまた《参同契》より始まるに非ざるなり。

《繫傳》曰:“雷以動之,風以散之。雨以潤之,日以烜之。艮以止之,兌以說之。乾以君之,坤以藏之。”邵子本此節,繪六十四卦方圖,其中心四卦為震巽恆益,外一層為坎離,再外一層為艮兌,再外一層為乾坤,次序悉合。與其小橫圖(即《本義》所謂《伏羲八卦次序》者)八卦之次序亦合(震巽居中,外為坎離,又外為艮兌,首尾為乾坤)。故邵子《大易吟》曰:“天地定位,泰否反類。山澤通氣,咸損見義。風雷相薄,恆益起意。水火相逮,既濟未濟。四象相交,成十六事(十六事者,四畫之卦即中爻是也)。八卦相蕩,為六十四。”

《繋辞伝》に曰く、雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散し、雨は以て万物を滋潤し、日は以て万物を烘干し、艮は以て万物を停止せしめ、兌は以て万物を欣悦せしめ、乾は以て万物を統御し、坤は以て万物を収蔵す。宋人邵雍はすなわちこの一節の次序に依拠して、「六十四卦方図」を画出す。図の正中四卦は震・巽・恒・益にして、外に往きて一層は坎・離、さらに外に往きて一層は艮・兌、最外一層は乾・坤にして、次序は経文と全く吻合す。これは彼の画ける「小横図」(即ち朱熹《周易本義》の称する所の《伏羲八卦次序》)中の八卦の排列とも一致す――震・巽は中に居り、外は坎・離、さらに外は艮・兌、首尾両端は乾・坤。ゆえに邵雍《大易吟》に曰く、天地上下位を定む、《泰》《否》両卦はこれが反覆して成るの一類なり。山沢二気相通ず、《咸》《損》両卦はこの層の義理を見出す。風雷互相盪激す、《恒》《益》両卦はこれに由りて意を起こす。水火互相通達す、すなわち《既済》《未済》と為る。四象両両相交はりて、十六件事に配成す(所謂「十六事」とは、即ち四画の卦、即ち六画卦裏の中爻の成す所の卦なり)。八卦互相推盪して、すなわち六十四卦と為る。

此邵子有得於先天之學,而擷其精蘊處也。惟乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八之數,乃邵子貫澈易理,獨有會心,自成一家之學。與揚子《太玄》,皆足與《易》相發明,而實非《周易》卦象之數也。自《本義》以邵圖弁首,後之說《易》者,以邵子之數為易象之數。如來瞿塘、胡滄曉、張乘槎比比皆是,實屬大誤。故茲編於邵子之小橫圖、大橫圖、大圓圖、方圖,皆不贅錄。間有足資參考者,今所刊行之《易經》皆具此圖,檢尋固極便也。

この数句は正に邵雍が先天の学上に確かに心得有りて、その中の精義を擷取するの処なり。ただし「乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八」のこの一套の数目は、邵雍が易理を融貫した後に独自体会し出せる所にして、自ら一家の学を成し、譬えば漢人揚雄の《太玄》のごとき、皆《周易》と互相発明するに足るも、それは実に《周易》卦象本身の数に非ず。朱熹《周易本義》が邵氏諸図を巻首に冠してより、後に《易》を講ずる者は便ち邵雍の数をもって易象の数と為せり。明人の来知徳(号は瞿塘)・胡滄暁・張乘槎等々のごとき、比々として是り。これ実に大錯なり。ゆえに本書は邵雍の「小横図」「大横図」「大円図」「方図」に対して皆再び抄録せず。その中偶々参考に供すべき有るも、今や坊間刊行の《易経》本子は皆これらの図を附すれば、検尋するもとより極めて方便なり。

《說卦傳》曰:“乾天也,故稱乎父。坤地也,故稱乎母。震一索而得男,故謂之長男。巽一索而得女,故謂之長女。坎再索而得男,故謂之中男。離再索而得女,故謂之中女。艮三索而得男,故謂之少男。兌三索而得女,故謂之少女。”此節明乾坤交生六子之序,《本義》別立為圖,曰“文王八卦次序”,(伏羲八卦因而重之為六十四,豈至文王而始有乾坤六子之序?況後天八卦以坎離為用,乾坤退居,何得以此為文王八卦乎?)實即先天圖。陽始交陰,陰始交陽,由先天八卦,變為後天之樞紐也。學者以先天後天兩圖,並列互觀,詳察其陰陽變化之序,先後更易之次,自有無窮妙境。諸家之說,雖各明一理,非具有心得者,閱之轉無所適從耳。

《説卦伝》に曰く、乾は即ち天なれば、ゆえにこれを父と称す。坤は即ち地なれば、ゆえにこれを母と称す。震は坤が乾に求索して一次得たる男なれば、ゆえに長男と曰う。巽は乾が坤に求索して一次得たる女なれば、ゆえに長女と曰う。坎は求索して二次得たる男なれば、ゆえに中男と曰う。離は求索して二次得たる女なれば、ゆえに中女と曰う。艮は求索して三次得たる男なれば、ゆえに少男と曰う。兌は求索して三次得たる女なれば、ゆえに少女と曰う。この一節は乾・坤交感して六子を生出するの次序を講ずるなり。朱熹《周易本義》は却って別にこれを立てて一図と為し、「文王八卦次序」と題作す。(伏羲八卦は重叠の後すなわち六十四卦を成せり。豈に文王を待ちて始めて乾坤六子の次序有らんや。況んや後天八卦は坎・離をもって用と為し、乾・坤はすでに退居して用ゐざるの位に在り。怎でかこれをもって文王八卦と為さんや。)其の実それの講ずるは即ち先天図なり。陽は始めて往きて陰に交はり、陰は始めて往きて陽に交はる。これ正に先天八卦より後天八卦に転変するの枢紐なり。《易》を学ぶ者は若し先天・後天の両図を並び排して対看し、細察してその中の陰陽変化の次序・先後更換の層次をば、自然に無窮の妙境有らん。各家の説法は各々一条の道理を講じ通すと言えども、自ら真に心得有るに非ざれば、読みて却ってどの一説に依従すべきかを知らざらん。

後天卦

《說卦傳》曰:“帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。萬物出乎震,震東方也。齊乎巽,巽東南也。齊也者,言萬物之絜齊也。離也者,明也,萬物皆相見,南方之卦也。坤也者,地也,萬物皆致養焉。故曰致役乎坤。兌正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌(坤地也,不可以一方言,故不曰西南。兌正秋也,舉兌則坎冬震春離夏可知矣。西南為神,神無方而易無體,故獨此兩卦不言方。)。戰乎乾,乾西北之卦也,言陰陽相薄也。坎者水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮東北之卦也,萬物之所成終而成始也(艮居丑寅二辰。丑十二月成,終也。寅正月成,始也。),故曰成言乎艮。”

《説卦伝》に曰く、化育を主宰する「帝」は震位より出で、巽位に至りて斉整し、離位に至りて彼此相見え、坤位に至りて効力して養を受け、兌位に至りて欣悦して言説し、乾位に至りて陰陽交戦し、坎位に至りて労倦し、艮位に至りて終結を完成す。万物は震位より生出す。震は東方に在り。巽位に至りて斉整す。巽は東南に在り。所謂「斉」とは、万物の長じて潔斉斉整なるを言う。離は即ち明なり。万物ここに至りて皆彼此顕現す。南方の卦なり。坤は即ち地なり。万物は皆ここに於て養育を得。ゆえに「役を坤に致す」と曰う。兌は正に秋令に当たりて、万物欣悦成熟の時節なり。ゆえに「言を兌に説(よろこ)ぶ」と曰う。(坤は大地を代表して、某の一方をもってこれを限定する能わず。ゆえに経文はそれが西南に在ると言わず。兌は正に秋に当たる。兌を挙出せば、則ち坎は冬に属し震は春に属し離は夏に属すもまた推知すべし。西南の位は「神」に属す。神は固定の方所なく、《易》もまた固定の形体なし。ゆえにただ坤・兌のこの両卦のみ方位を標せず。)「乾に戦う」、乾は西北の卦にして、言う所は陰陽ここに於て相迫り相激するなり。坎は即ち水にして、正北方の卦にして、労倦の卦にして、万物ここに至りて皆帰蔵す。ゆえに「坎に労す」と曰う。艮は東北の卦にして、万物はここに於てすでに終結を完成してまた新たなる開端を開啓す(艮は丑・寅両辰に居る。丑は十二月にして一歳の成終なり。寅は正月にして一歳の成始なり)。ゆえに「言を艮に成す」と曰う。

《觀物外篇》曰:“至哉!文王之作易也。其得天地之用乎?故乾坤交而為泰,坎離交而為既濟也。乾生於子,坤生於午。坎終於寅,離終於申。以應天之時也。置乾於西北,退坤於西南,長子用事,而長女代母,坎離得位,兌震為偶,應地之方。王者之法,其盡於是矣。”

邵雍《観物外篇》に曰く、偉大なるかな、文王の《易》を演ずるや!彼はおそらく天地の功用を掌握せしならん。ゆえに乾・坤交感して《泰》卦を成し、坎・離交感して《既済》卦を成す。乾の気は「子」に生じ、坤の気は「午」に生じ、坎の気は「寅」に終わり、離の気は「申」に終わる――これ以て上天の時令に対応す。乾を西北に安置し、坤をして西南に退居せしめ、長子「震」より出でて政に当たらしめ、長女「巽」に代行して母職せしめ、坎・離各々正北正南の位を得、兌と震と両々相偶す――これ以て大地の方位に対応す。王と為る者の天下を治理する法度、尽くこの裏面に在り。

林氏《易稗傳》曰:“先天所以立體也,後天所以致用也。以陰陽之體論之,巽離兌本陽體也,而陰來交之。震坎艮本陰體也,而陽來交之。伏羲之卦,得陽多者屬乎陽,得陰多者屬乎陰。後天之卦,得一陰者為三女,得一陽者為三男。先天之位,三女附乎乾,三男附乎坤。陰附陽,陽附陰也。後天之位,三男附乎乾,三女附乎坤者,陰附陰,陽附陽也。”(按:先天言體,故陰陽從其多者為主。後天言用,故陰陽取其少者為主也。)

宋人林至《易稗伝》に曰く、先天卦は以て本体を確立するに用い、後天卦は以て功用を発揮するに用う。陰陽の本体に就いて講ずれば、巽・離・兌はもとより陽体にして、陰爻有りて来たりて之に交はる。震・坎・艮はもとより陰体にして、陽爻有りて来たりて之に交はる。伏羲の先天卦は、およそ陽爻多きは則ち陽に帰属し、陰爻多きは則ち陰に帰属す。後天卦は則ち一陰爻を含むを算して三女と為し、一陽爻を含むを算して三男と為す。先天の方位は、三女は乾の旁に依附し三男は坤の旁に依附するにして、陰の陽に依附し陽の陰に依附するに属す。後天の方位は、三男は乾の旁に依附し三女は坤の旁に依附するにして、陰の陰に依附し陽の陽に依附するに属す。(杭氏按:先天の講ずるは本体なれば、ゆえに陰陽を論ずるは爻数多きの一方を以て主と為す。後天の講ずるは功用なれば、ゆえに陰陽を論ずるは爻数少なきの一方を取りて以て主と為す。)

《說卦傳》曰:“神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,撓萬物者莫疾乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化既成萬物也。”(既讀若概,古字通也。《本義》:此去乾坤而專言六子,以見神之所為然。其位序亦上章之說,未詳其義。朱子不強不知以為知,是其篤實處。但此章為易學綱領,與“帝出乎震”一章並列。全《易》精蘊,悉從此出。不知其義,《易》何從說哉!)

《説卦伝》に曰く、所謂「神」とは、それが万物を運化するの微妙に就いて立言するなり。万物を鼓動するに雷より迅疾なるは莫く、万物を吹拂攪動するに風より迅疾なるは莫く、万物を烘干するに火より熾烈なるは莫く、万物を欣悦せしむるに沢より能く悦ばしむるは莫く、万物を滋潤するに水より能く潤すは莫く、万物を終結してまた万物を開始するに艮より盛なるは莫し。ゆえに水火は互相通達し、雷風は互いに相違逆せず、山沢二気相通じ、然る後に乃ち変化して尽く万物を成す能くす。(「既」は「概」のごとく読む。古字通用す。朱熹《周易本義》に曰く、この一章は乾・坤を撇きて専ら六子を講じ、以て「神」の作為を見るなり。その方位次序はすなわち上一章の説法なり。その中の道理は未だ詳しく知る能わず。朱子は肯んじて懂らざるを硬く懂ると言わざるは、正にこれが彼の篤実の処なり。ただしこの一章は易学の綱領にして、「帝震より出づ」の一章と並列す。《易》理全部の精藴は皆ここより流出す。その意思を明白にせざれば、《易》はまた何処より講じ起こさんや!)

後天八卦,為人用之卦。古聖帝王制作之大原,治平之經緯,皆出於後天八卦之用。下而曆象、推步、運氣、樂律、占卜、風鑑、星命諸術,亦皆後天卦也。《周易》序卦,則以先天為體,後天為用,二者兼行。漢學家之攻擊先天,由於門戶之見過深,未暇取經文而詳玩之耳。《上經》始乾坤終坎離,明明先天卦位也。《下經》始咸恆終既未濟,明明後天之卦位也。而六十四卦之命名,於先後天相關者尤多。

後天八卦は人事取用に供するの卦なり。古代聖王の一切の制度創作の大本・治国平天下の経緯は、皆後天八卦の功用より出づ。下って暦法星象・推歩測算・五運六気・楽律・占卜・堪輿相術・星命の学に推すも、また一として後天卦を用ゐざるなし。《周易》の卦序を排列するは、則ち先天をもって本体と為し後天をもって功用と為し、両者兼行並用す。清代漢学家の一味に先天の説を攻撃するは、門戸の見が深く、工夫有りて経文を取り来たり細々と玩味せざるが故のみ。《上経》は乾・坤に起こりて坎・離に終わる。分明として即ち先天卦位なり。《下経》は《咸》《恒》に起こりて《既済》《未済》に終わる。分明として即ち後天卦位なり。而して六十四卦の命名の、先天・後天と関連せるはさらに不少なり。

如天火曰同人,同人親也。水地曰比,比親也。同人比何以親?非以先後天,乾離坤坎之位相合乎?火雷曰噬嗑,噬嗑合也。水澤曰節,節亦符合之意。非離震坎兌,亦先後之位相合乎?此其最顯者也。蠱卦幹父之蠱,幹母之蠱,本卦未嘗有父母之象。虞氏以卦變言之,謂蠱由否來,父母謂否之乾坤。然損亦否變,未嘗言父母,否本卦亦未言父母,何獨著其象於蠱?惟以先後天證之,則先天山風之位,後天以乾坤居之,可不煩言而自解矣。各卦類此者甚多,詳下《卦名》章。

たとえば上天・下火の卦を《同人》と曰う。《雑卦伝》に「同人は親なり」と曰う。上水・下地の卦を《比》と曰う。「比」もまた親近の意なり。《同人》と《比》とは何ぞ皆「親」の義を取るや。正に先天の乾位と後天の離位と相合し、先天の坤位と後天の坎位と相合するを以てに非ずや。上火・下雷の卦を《噬嗑》と曰う。「噬嗑」は合攏なり。上水・下沢の卦を《節》と曰う。「節」(符節)もまた符合の意を含む。これもまた先天の離位と後天の震位と相合し、先天の坎位と後天の兌位と相合するに非ずや。これ最も明顯なる幾個の例なり。また《蠱》卦爻辞の「父の蠱を幹す」「母の蠱を幹す」を講ずるが如き、然るに《蠱》卦本身は並びに父母の象無し。虞翻は卦変をもって解釈し、《蠱》は《否》卦より変じ来たり、父母は即ち《否》卦中の乾・坤と言う。然るに《損》卦もまた《否》より変じ来たるも、曾て父母を提げず、《否》卦本身もまた父母を講ぜず。何ぞ偏に《蠱》卦に於てこの象を標出せんや。ただ先後天をもって印証するのみ。先天の山(艮)・風(巽)の所在する方位は、後天正に乾・坤を由りて占居す。かくのごとくすれば便ち多く言うを待たずして自然に明白なり。このごとき卦はなお甚だ多し。詳しくは下の《卦名》の一章を見よ。

《說卦傳》“帝出乎震”一章,與“神也者”一章,皆言後天八卦之方位及作用。一“帝”字,一“神”字,皆貫澈全章。帝也者,所以主宰此出震齊巽之用者也。神也者,所以變化此雷風山澤之妙者也。帝出乎震而神妙於兌,兌為少女(今西洋相傳上古之神像,類作少女形,其用意與此亦不謀而合者也),兌說言,故曰“妙萬物而為言”者也。先天水火不相射,雷風相薄。至後天二八易位,則水火相逮。雷風不相悖,山澤通氣(山澤通氣,先後天同也。然後天山澤之用,即見於震兌。以震兌反之,即艮巽也。),然後能變化既(既當讀若概)成萬物也。

《説卦伝》裏の「帝震より出づ」の一章と「神なるや」の一章とは、講ずる所皆後天八卦の方位と作用なり。一個の「帝」の字・一個の「神」の字は、各々全章を貫穿す。「帝」は「震より出で、巽に斉し」のこの一套の運行の用を主宰するなり。「神」は雷・風・山・沢のこれらの変化をして微妙たらしむるなり。帝は震位より出でて、神は則ち兌位に於てその妙用を顕す。兌は少女を為す(今や西洋人の相伝える上古神像は、大多少女の模様を作す。その用意はこれと謀らずして合す)。兌は欣悦言説を主る。ゆえに《説卦伝》は始めて「神」は「万物を妙にして言を為す」と曰う――万物の妙は言説に頼りて始めて顕発し出づ。先天卦位は水火両々相厭わず雷風互相盪激す。後天に至りて、坤二と艮八のこの両方位は対調して、すなわち水火互相通達し雷風互いに相違逆せず山沢二気相通ずと成る(「山沢気を通ず」の一句は先後天相同じ。ただし後天山沢の作用は、其の実すなわち震・兌の上に体現す。震・兌を反覆し来れば、すなわち艮・巽なり)。然る後に乃ち変化して尽く万物を成す能くす(「既」は当に「概」のごとく読むべし。尽の意なり)。

“萬物出乎震”,以下“萬物之絜齊也,萬物皆相見,萬物皆致養,萬物之所說,萬物之所歸,萬物之所成終而所成始”,凡七言“萬物”。獨乾曰“陰陽相薄”,不言萬物。以後天乾居戌亥之位,為萬物入無之數,八風不周之方,群龍無首,用藏而不可見(乾無也。《說文》:天屈西北為無。),故不言萬物。至坎藏艮成,終而復始,震出用九,即以長子代父之用也。“神也者”一章,備言六子,皆稱萬物。不言乾坤,以六子之用皆乾坤之用,故始曰“妙萬物”而為言,終曰“既成萬物”。凡言“萬物”者八,雖不言乾坤,而乾坤之用已並舉矣。

「万物は震より出づ」より始まり、下って「万物の絜斉(かつきよくひとし)きなり」「万物皆相見ゆ」「万物皆養を致す」「万物の説(よろこ)ぶ所」「万物の帰する所」「万物の終を成し始めを成す所」に至るまで、合わせて七度「万物」を提げた。ただ乾を講ずる時のみ「陰陽相薄(せま)る」と言うのみで、万物を提げない。これは後天の乾が戌・亥の位に居り、正に万物が「無」に入る数の位に当たり、八風の周遍しえざる方位だからである。《乾》卦用九の爻辞の言う「群竜に首なし」のごとく、その作用は潜蔵して見るべからず(乾は即ち「無」なり。《説文解字》に曰く、天は西北に屈して至らず、故に「無」と為す)、ゆえに万物と言わない。坎位に至りて収蔵し、艮位に終を成し、終わりて復た始まり、震位また出でて発動する。これ即ち長子をもって父職を代行せしめる作用なり。「神なるや」のあの一章は遍く六子を説き、毎処皆「万物」と称し、然るに乾・坤を提げず。六子の作用は全く乾・坤の作用なるが故に、ゆえに冒頭に「万物を妙にして言を為す」と言い、結尾に「すでに万物を成す」と言う。この一章に「万物」を提ぐること合わせて八次。明言して乾・坤を言わざるも、而して乾・坤の作用は実にすでに一併して挙げ出せられたり。

《說卦》自“天地定位”至“神也者”四章,詳言先後天八卦方位功用,備極明顯。雖未有圖,亦與圖無異。而“易逆數也”以下,如“動散潤烜說止君藏”,與下兩節之摹擬虛神,更有非圖之所能描畫者。舊說謂先天卦圓,後天卦方,固未嘗誤。然不可泥於字面,兼玩圖書圓中有方,方中有圓之義,方能得變化活潑之機。

《説卦伝》は「天地位を定む」より「神なるや」に至るこの四章に、詳しく先天・後天八卦の方位と功用を講じ、言うこと再び明白なるより過ぐるなし。原文は図を附せざるも、其の実図有ると異ならず。而して「易は逆数なり」以下の諸語、「之を動かし、之を散じ、之を潤し、之を烜(かわ)かし、之を説び、之を止め、之を君とし、之を蔵(おさ)む」のごとき、および後の両節のあの虚霊神妙の境を摹写する所は、さらに図画の描きえざる処有り。旧説の講ずる「先天卦は円図を作し、後天卦は方図を作す」は、もとより並びに錯誤なし。ただ字句を死に摳(こじ)るべからず。なお兼ねて《河図》《洛書》中の円裏に方を含み方裏に円を含むの意思を玩びて、始めてあの変化活潑の生機を領会しうべし。

且所謂圓者,非紙上所畫一圈之平圓,乃如天體之渾圓耳。讀者但認定所畫圓圖之形以為圓,每多窒礙而難通矣。所謂方者,不僅四方,亦兼八方。要亦非紙上所畫之平方,學者詳玩圖書,必先深求其意,得其形而不滯於形,明其體而不囿,先後融貫,兩圖不啻一圖,亦即可以無圖。或有疑吾言者,可取此四章誦讀至百千遍,目追心寫,自悟孔聖神化之筆,真與造物同功,決非後人先天、後天兩圖所能盡。此孔子贊《易》之所以無藉乎圖也。

況んや所謂「円」とは、紙上に画けるあの一個の平面圓圈に非ず。而して天体のごとき立体渾円なり。読者若しただ紙上の円図の形状を認定してこれを円と為さば、往々処処窒碍して講じ通らず。所謂「方」もまた、ただ東西南北四方のみならず、兼ねて八方を含む。同じく紙上に画けるあの平面方框に非ず。《易》を学ぶ者《河図》《洛書》を細玩するには、必ず先ずその中の用意を深求し、その形を得て形に滞らず、その体を明らめて体に限らず、先天後天を融會貫通せば、両張の図は即ち一張の図に等しく、最後に至りて甚至図を用ゐずとも可なり。若し我が言を疑う者有らば、妨げずこの四章を誦読して千百遍に至り、眼は其の文を追い心は其の境を摹せば、自ら孔子のあの出神入化の筆を体悟せん。真に造化と其の功用を同じくして、決して後人の先天図・後天図の窮尽しうる所に非ず。これまた正に孔子が《易》を賛するに並びに図を借助せざりし所以の故なり。

後天方位,離南坎北。漢學家遂據此以攻擊乾南坤北之先天圖,謂孔子《說卦傳》,明言乾西北之卦,坤雖不言方,居離兌之間,自在西南。故曰“乾寒坤暑”。若乾南坤北,則乾暑坤寒,豈非與孔子之說大悖乎!先天駁議,當以此說為最有根據。後人雖有辨之者,其說仍不出邵氏方圓二圖之外,未足以辨漢學之惑焉。夫《繫傳》曰“天地定位”,曰“天地設位”,皆以天地言,而乾坤在其中。易者,一易而無不易,上下易,陰陽易,此所以成天地之用。而乾坤之位,豈有一定而不易之理?

後天卦の方位は離は南に在り坎は北に在り。清代漢学家はすなわちこれに拠りて「乾南坤北」の先天図を攻撃し、孔子《説卦伝》は明らかに「乾は西北の卦なり」と講ずと言う。坤は点明して方位を言わざるも、然るにそれは離と兌との間に夾(はさ)まれて、自然に西南に在り。ゆえに《説卦伝》に「乾は寒を為し、坤は暑を為す」の説有りと。倘若真に乾南坤北ならば、則ち乾は暑を主り坤は寒を主ると成りて、豈に孔子の説法と大相違背せずや!歴來先天図を駁斥する議論は、算してこの一条をもって最も根拠有りと為す。後人もまた先天図の為に弁解する者有るも、言い來たり言い往きて依然として邵雍のあの方・円両張の図の範囲を跳出る能わず。以て漢学家の疑惑を解くに足らず。其の実《繋辞伝》の「天地位を定む」と言い、「天地位を設く」と言うは、皆天地に就いて立言して、而して乾・坤はすなわちその中に含まる。所謂「易」とは、一処変易すれば即ち処処変易せざる無し。上下は互換すべく、陰陽は互換すべし。正にこのが為にこそ天地の功用を成就す。然らば乾・坤の方位に、何処に固定して変らざるの道理あらんや。

乾南坤北者,天地之體,陰陽升降,冬寒夏暑,布五行而成四時。天度一歲而一周,此天地之南北以一年而言者也。而日行一日而一周,子南午北,以分晝夜。卯酉東西,以正昏旦。此晝夜之南北,以一日而言者也。故論卦位,有一年之南北,有一日之南北。一日之南北,子北在夜,午南為晝,午南而子北,離午而坎子,此人人所知者也。而論一年之南北,則冬至日南至,而夏至日北至,體用相錯,則子午不啻易位,坤居南而乾在北矣。是以八卦陰陽,都要活看。先天後天之圖,只存其大體之梗概,萬不可沾滯泥執。以紙上之卦爻,為天地之法象也。

「乾南坤北」と言うは、天地の本体を講ずるなり。陰陽は升降し、冬は寒く夏は暑く、五行を布列して四時を成す。周天度数は一年一周を運行す。これ一年に就いて言う天地の南北なり。而して太陽は一天一周を運行し、子は南に在り午は北に在りて以て昼夜を分かち、卯酉は東西に分居して以て黄昏と清晨を定む。これ一天に就いて言う昼夜の南北なり。ゆえに卦位を談ずるに、一年に按じて算うるの南北有り、また一天に按じて算うるの南北有り。一天に按じて算えば、子位は北に在りて夜間に属し、午位は南に在りて白昼に属す。午は南に在りて子は北に在り、離は午に配し坎は子に配す。これ人人の知る所なり。然るに一年に按じて算えば、冬至の日は太陽南行して極処に至り、夏至の日は太陽北行して極処に至る。寒暑の体と昼夜の用と彼是交錯して、子午は即ち位置を対調するに等しく、ここに坤は却って南に居り乾は却って北に在るを成す。これを見れば同一の「南北」も、論ずる所の一日なるか一歳なるかに随いて、卦位は即ち翻転せん。ゆえに八卦陰陽は皆活きて看るべし。先天図・後天図はただ一個の大体輪廓を保存するのみ。万万拘執・粘滞すべからず。紙上に画けるあの卦爻をもって天地本身の法象と為すこと勿れ。

讀《易》首在明卦。六爻之卦,皆三畫之八卦因而重之,以成六十四卦。不明三畫之卦,何以明《彖》、《象》而識經傳之意義乎?不明先後天之方位體用,何以明象數而識陰陽之變化乎?專言漢《易》者,向無八卦方位之圖。專言宋學者,卦圖皆宗朱子《本義》,全取邵氏之說,均無論矣。其號稱兼取漢宋,如《周易折中》、《來氏集註》、《周易函書》等,皆蒐羅宏富。卦象之圖,多至數百,要皆偏重於宋學者為多。所謂以先天數為易數之誤,均未能免焉。

《易》を読むの第一の要務は卦を明白にするに在り。六爻の卦は皆三画の八卦が重叠して成りて、始めて六十四卦有り。三画卦を明白にせざれば、何を凭(も)てか《彖伝》《象伝》を読み懂り経伝の意義を認識せん。先後天方位の体と用とを明白にせざれば、何を凭てか象数を通暁し陰陽の変化を認識せん。あの専ら漢《易》を講ずるは、歴來八卦方位図を列せず。専ら宋学を講ずるは、卦図一概に朱熹《周易本義》を宗奉し、全盤に邵雍の説を採用す――この両派は即ち言うを須たず。至りて兼ねて漢宋を取ると号するは、《御纂周易折中》・来知徳《周易集注》・胡煦《周易函書》等の書のごとき、捜羅皆宏富にして、載する所の卦象の図多きこと数百幅に至るも、総じて言えば依然として宋学を偏重するが居多し。前面に講じし「先天の数をもって易数と為す」のこの錯誤は、それら皆免れ能わざりしなり。

邵氏之說理非不精也,特皆其悟而自得之理,別有境界。初學於數理尚無端倪,驟讀其說,極易以辭害意。即如“天根”“月窟”諸說,非深造有得,不易領會。若展圖而指之,曰此天根也,此月窟也,乃乾遇巽時地逢雷處也,意非不明,而心得何在?且跡象橫梗胸中,以後更難言進步,實為初學之大患。茲編之有圖,出於萬不得已。因為初學說法,非此不便指講。故陳陳相因之圖,雖有佳者,亦徒割愛。學者能象義觕(同粗)明,然後最求前人之圖說觀之,是非去取,自有成竹。不致以訛傳訛,此著書者之微意也。

邵雍の講ずる道理は精ならざるに非ざるも、ただそれらは皆彼自ら参悟して得たる所の理にして、別に一重の境界有り。初学の人は象数の理にまだ頭緒を摸(さぐ)る能わずして、猛然として彼の書を読めば、極めて容易く字面に拖累されて本意を誤会せん。「天根」「月窟」のこの類の説法を就(まま)いて言えば、造詣深く真に体会有るに非ざれば、領会し易からざるなり。倘若図を攤(ひら)きて指して言わば、ここは天根なり、ここは月窟なり、即ち「乾は巽に遇う時」「地は雷に逢う処」なりと――言は固より明白なれども、自家の心得はまた何処に在らん。況んやこれらの現成の形跡が胸中に横梗せば、此の後なおさら長進を談ずるに及ばず。実に初学の一大禍患なり。本書のなお図を用うる所以は、万已むを得ずに出づ。初学の為に講説するに、図を借助せざれば指點に便ならず。ゆえにあの輾転相襲の旧図は、画き好しき有ると雖も、一概に割愛して録せず。学者は能く卦象卦義の大概を明白にして(「觕」は「粗」に同じ)、然る後にさらに往きて前人の図と説とを搜求して看れば、孰(いず)れか是孰れか非・取るべきか舍つべきか、心中自ら成竹有りて、訛を以て訛を伝うるに至らざらん。これ我が書を著すの一点の微意なり。

卦材第三

程朱《傳》、《義》,宗王《注》,其釋《彖》、《象》,均以卦德卦義卦名為言。來知德氏《集註》言性情,以內卦為性,外卦為情,意非不當,要皆強為之名。實則孔子《繫傳》、《說卦》,當名辨物,已有定稱。《傳》曰:“彖者,才也。才也者,材也。”言材則體用皆賅,德性兼備無餘蘊矣。《說卦》“雷動風散”,“乾健坤順”兩章,皆言八卦之材。知八卦象之材,而後知六十四卦因重交互,無不各因其材。而辨其情偽吉凶,銖兩悉稱,名實相副。《彖》、《象》傳贊,亦無不各因其材以為之辭,無一字之虛設焉。

程頤《伊川易伝》と朱熹《周易本義》とは皆王弼《周易注》を宗奉して、それらの《彖伝》《象伝》を解釈するや、一概に「卦徳」「卦義」「卦名」を用いて説を立つ。明人来知徳《周易集注》は改めて「性情」を講じ、内卦を以て性と為し外卦を以て情と為す。用意は当を得ざると言う能わざれども、然れどもこれらは皆勉強して別に立てたる名目なり。其の実孔子は《繋辞伝》《説卦伝》の裏に名に循い物を辨じて、早くもすでに定称有り。《繋辞伝》に曰く「彖とは才なり。才とは材なり」と。「材」と言えば、即ち体と用とを皆概括し尽くし、徳と性と兼備して遺漏する所なし。《説卦伝》裏の「雷は以て之を動かし風は以て之を散ず」のあの一章と「乾は健なり、坤は順なり」のあの一章とは、講ずる所皆八卦の「材」なり。八卦の象が各々その材有るを懂得して、然る後に乃ち六十四卦が重叠・交互して成り、一として各々その材に依らざるなきを懂得す。従いでそれらの情実と虚偽・吉凶と得失とを辨别するに分毫差わらず、名と実と全く相副(かな)う。《彖伝》《象伝》の賛語もまた、一として各々その材に就いて辞を下さざるなく、一個の字も虚設する有らず。

學者宜詳玩經文,而合之於象,準之於數,融會貫通,由一卦以推各卦,而觀一卦,更必遍取各卦,參互比例,而後能得其真確之意義。不可因字義註釋之已明,而不復研求深意之所在焉。健順動入陷麗止說,各一字概一卦之德性功用。而父母男女,亦各因其名,以定一卦之分際。今皆謂之材者,以六十四卦之《彖》、《象》,無不合內外兩卦之材以命辭。而一卦六爻,及內外中爻,亦無不取材於是。

《易》を学ぶ者は当に経文を細玩し、これを卦象に合し卦数に準じ、融會貫通して一卦より各卦に推及すべし。而して一卦を観るの時は、さらに必ず遍く其余の各卦を取り来たりて参照比較して、然る後に始めて真確の意義を得べし。字面訓詁すでに講じ通ぜりを以て、便ち再びその中の深意を深究せざること勿れ。「健・順・動・入・陥・麗・止・説」――乾は健・坤は順・震は動・巽は入・坎は陥・離は麗・艮は止・兌は説、各々一個の字を用いて一卦の徳性と功用とを概括す。而して父・母・長男長女・中男中女・少男少女のこれらの称謂も、また各々その名分に依りて一卦の分際を定め出せり。今やこれらを統称して「材」と為すは、六十四卦の《彖伝》《象伝》は、一として内外両卦の材を合して以て辞を下さざるなきを以てなり。而して一卦の六爻および内卦・外卦・中間互体の爻も、また一としてここより材を取らざるなし。

《傳》曰:“君子觀其彖辭,則思過半矣。”彖辭因材而施之辭也,且不特內外卦為然。即卦中之一爻,為何卦之爻,即具何卦之材。如為坎爻必有陷義,或險義。為離爻者,必具明義,或麗義。惟乾坤兩卦,不以爻言。而《雜卦》之“震起兌見巽伏艮止”,此“起止見伏”四字,尤為八卦變化之門。觀象玩辭,均不可不於此鄭重注意也。

《繋辞伝》に曰く、「君子その彖辞を観れば、則ち思半ば過ぎん」と。彖辞は正に一卦の材に依りて下せる断辞なれば、ゆえに彖辞を看懂すれば、義理もまた就いて大半を領会せり。且つ取材はただ内外両卦に限らず。即ち卦中の某一爻も、それはどの一卦の爻に属すれば、便ちどの一卦の材を具備す。譬えば坎に属する爻は、必ず「陥」の義あるいは「険」の義を帯び、離に属する爻は、必ず「明」の義あるいは「麗」の義を帯ぶ。ただ乾・坤両卦のみ純陽純陰にして、爻上より分かちて言わず。至りて《雑卦伝》の講ずる所の「震は起なり、兌は見なり、巽は伏なり、艮は止なり」、この「起・止・見・伏」の四個の字は、とくに八卦変化の門戸なり。卦象を観察し卦辞を玩味するに、皆ここに於て郑重に留意せざるべからず。

卦名第四

《易》六十四卦,八純卦外,五十六卦,皆合兩卦之象數而立之名。名所由來,兩漢之師說既不盡傳,後人遂不能明其意之所在。為之說者,皆賴《序卦》及《雜卦》之單辭雙義,推衍而申明之。不知《序卦》,但據文王之卦序而貫串之,《雜卦》則專以中爻交錯,明剛柔消長之理,而終之以剛決柔之大用。此皆孔子贊《易》微言大義所在,與當名辨物,別為一義,不容依附牽涉併為一談者也。蓋自《連山》、《歸藏》,經卦別卦,相傳各有其名。文王之序《周易》,有仍其舊名者,有別言新名者。今《連山》、《歸藏》,既無全書,無從參考。而《周易》卦名,各家注《易》者,迄無所發明。

《周易》六十四卦は、八個の純卦(乾坤坎離震艮巽兌が各々自相重ねる)を除去するの外、其余五十六卦は皆両個の三画卦の象と数とを合して以て名を立つ。これらの名称の由来は、両漢師承の旧説すでに完整に流伝する能わざれば、後人はすなわちその中の用意を明白にするに由なし。それが為に解説を作す者は、皆ただ《序卦伝》《雑卦伝》のあの単句片語・一名両義の言に頼りて推演申説するのみ。彼らは明白にせず、《序卦伝》はただ文王の排定せし卦序に依りて六十四卦を貫串して講ずるのみ。《雑卦伝》は則ち専ら中爻交錯に就いて論を立て、剛柔消長の理を闡明し、最後に「剛は柔を決す」の大用に帰結す。この両篇は皆孔子《易》を賛する時に微言大義を寄托せし処にして、「名に循い物を辨ず」(卦に因りて名を立て以て事物を分辨す)と本来両事なり。牽合・附会して混然一談と為すを容れず――《序卦》《雑卦》をもって卦名の由来を解釈するは、甲事の理を用いて乙事の名を説くに等し。もとより《連山》《帰蔵》以来、三画の経卦と六画の別卦とは、相伝えて各々その名有り。文王の排定せし《周易》は、旧名を沿用する有り、また別に新名を立つる有り。今や《連山》《帰蔵》は並びに全書の世に伝わる無く、参考するに由なく、而して《周易》の卦名は、歴代《易》に注する者終始曾て闡発し出せざりしなり。

其淺顯易見者,如泰否損益等卦,尚不難顧名思義。若火山之何以名旅,山火之何以名賁,及大過小過之類,則望文生義,即難自圓其說。眾議紛紜,乃無可折中矣。不知名位象數,互相因緣,不能相離。不知名,其何以知《易》?遍徵群籍,兼及古今占筮諸書,始知《周易》卦名,有合內外兩象之名義而成者,如屯蒙需訟等卦是也。有取象於先天卦位者,如大小過等卦是也。有取象於後天方位者,如謙睽家人等卦是也。有合取先後天卦位者,如噬嗑同人節比中孚觀頤大小畜等卦是也。更有取象於八宮世應,及五行順逆者,至不一例,要無不各有其義。舊說只限於內外兩象者,說尚可通。餘皆以不解解之,茲特疏舉所已知者如左,未知者仍闕疑以俟後之君子。

その中の浅顯易見なるは、《泰》《否》《損》《益》等の卦のごときは、なお難からずして名を顧み義を思うべし。至りて上離下艮の火山の卦は何を以てか《旅》と曰い、上艮下離の山火の卦は何を以てか《賁》と曰う、および《大過》《小過》の一類は、若しただ文を望みて義を生ぜば、甚だ自ら円其の説を為し難く、ここに衆説紛紜として折中するに由なし。須らく知るべし、卦名・爻位・卦象・卦数の四者は互いに因縁を為して、彼此割裂する能わざるを。一卦の名の由来さえ明白にせざれば、なお何を凭てか《易》を懂らん。我これが為に遍く群書を査し、兼ねて古今各種の占筮の書に及びて、始めて《周易》の卦名は大致以下の幾類の来歴有るを知れり。内外両象の名義を合して成る有り、《屯》《蒙》《需》《訟》等の卦のごとき。先天卦位に取象する有り、《大過》《小過》等の卦のごとき。後天方位に取象する有り、《謙》《睽》《家人》等の卦のごとき。兼ねて先後天卦位を取る有り、《噬嗑》《同人》《節》《比》《中孚》《観》《頤》《大畜》《小畜》等の卦のごとき。さらに京房八宮世応および五行順逆に取象する有りて、体例極めて一律ならざるも、然るに一個として各々その義有らざるなし。旧説はただ内外両象のあの一類に限りて、講じ来たればなお可に通ず。其余は便ちただ「不解」を以て解と為すのみ。ここにわざとすでに明白にせるを疏列して下にし、未だ明白にせざるは依然として疑を存し、後來の君子に留め待たん。

乾 象辭“天行健”三字盡之。八純卦名,皆不易。既知八卦之方位,象數重卦之名位,象數舉可知矣。 坤 象辭“地勢坤”三字盡之。乾不稱乾而坤稱坤者,此天地陰陽之分際,聖人之物筆也。按:《序卦》不序乾坤,以乾坤為天地,萬物皆覆載於天地之中。全《易》六十四卦皆乾坤六爻所生,故《繫辭》稱為“《易》之門”,“《易》之蘊”,非屯蒙以下六十二卦所能等量而齊觀也。《序卦》首曰“有天地”,天地即乾坤也。

《乾》卦:《大象伝》「天行健」の三個の字はすでにこれを説き尽くせり。八個の純卦の卦名は皆三画卦の旧名を沿用して、別に新名を換えず。ただ八卦の方位と象数を弄清すれば、重卦の名称・爻位と象数もまた皆推知すべし。《坤》卦:《大象伝》「地勢坤」の三個の字はすでにこれを説き尽くせり。乾卦《大象》は「天行乾」と言わずして「天行健」と言い、坤卦《大象》は却って依然として「坤」の字を用う。これ正に天地陰陽分際の不同にして、聖人下筆の分寸の在る所なり。杭氏按:《序卦伝》は乾・坤を相生の次序の裏に納れず。乾・坤は即ち天地にして、万物は皆天地に覆載せらるるを以てなり。《易》全部の六十四卦は皆乾・坤六爻に由りて生ずれば、ゆえに《繋辞伝》はそれらを称して「《易》の門」「《易》の藴」と為す。《屯》《蒙》以下六十二卦の等量斉観しうる所に非ず。《序卦伝》の冒頭に「天地有り」と言う。「天地」は指す所即ち乾・坤なり。

屯 屯,難也,陰陽始交,故為六十二卦之始。按:屯象,草木初出地,而尾猶屈。一陽動於下,而上未應。中爻艮止,故難。此由內外兩象取義以立名者也。 蒙 蒙,物之始生。按:陽氣動於地之下,而二上兩爻包坤,有離象。如日光下燭,則地之上必有氣蒸發,所謂蒙氣是也。故名曰“蒙”。

《屯》卦:「屯」は艱難の意なり。陰陽始めて交合するのみなれば、ゆえにそれを乾坤の後・其余六十二卦の首に排す。杭氏按:「屯」の字の象は、草木の初めて地面を出でて尾梢なお蜷曲せるに象(かたど)る。《屯》は下震上坎にして、一陽は下に在りて発動し、而して上面は未だ回应有らず。三・四・五爻は互体して「艮」を成し、艮は止なれば、ゆえに「難」と曰う。これ内外両卦の象に由りて義を取りて名を立つるの一例なり。《蒙》卦:「蒙」は万物初生の状態なり。杭氏按:陽気は地下に在りて発動し、而して九二と上九のこの両根の陽爻は中間三・四・五爻の成す所の「坤」を包住す。外実内虚にして、正に「離」の象有り。日光の上より照射し下るがごとく、地面上必ず水気蒸騰有り。あれ即ち所謂「蒙気」なれば、ゆえに名を取りて「蒙」と曰う。

需 《象》曰:“雲上於天”。《序卦》:“需,養也。”按:需從雨從而。“雨”為坎,“而”與古文天字同,乾也。 訟 《象》曰:“上剛下險。險而健,訟。”言其義也。天與水違行,言其象也。按:天水違行,何以有訟之名?夫乾父也,坎為中男,天與水乎,抑父與子也。聖人不忍斥言父子,而云天水,所謂微言也。《雜卦》“訟不親也”,可互文見義矣。

《需》卦:《大象伝》に「雲天に上る」と曰い、《序卦伝》に「需は養なり」と曰う。杭氏按:「需」の字は「雨」に従い「而」に従う。「雨」は坎に取象し、「而」は古文の「天」の字と形同じくして乾に取象す――《需》は正に下乾上坎にして、字形と卦象と相合す。《訟》卦:《彖伝》に「上剛下険にして、険にして健なれば訟」と曰う。これそれの義理を講ずるなり。《大象伝》に天と水と背道して行くと曰う。これそれの物象を講ずるなり。杭氏按:天と水と背向して行くは、何を以てか即ち「訟」と曰わん。須らく知るべし、乾は父にして坎は中男なり。所謂「天と水」とは、其の実言う所は父と子なり。聖人は忍びずして直に父子相訟せるを言わず、始めて改めて天水と言う。これ即ち所謂「微言」なり。《雑卦伝》に「訟は親ならざるなり」と曰う。両処対照して、互文義を見る。

師 《彖》曰:“地中有水,師。師,眾也。”按:大地所載之物,莫多於水。而地中之水,尤多於地上之水。故云“眾”。 比 《象》曰:比,輔也。按:水地相比,先天卦坤居北方,後天卦坎居北方,坤坎同位,故曰“比”。此合先後天之象而立名者也。

《師》卦:《彖伝》に「地中に水有りは師なり。師は衆なり」と曰う。杭氏按:大地の承載する所のものは、水より多きは莫し。而して地下に蔵するの水は、また地面上の水より多し。ゆえに「衆」の意を取る。《比》卦:《大象伝》に「比は輔なり」と曰う。親附・輔助の義なり。杭氏按:《比》は上坎水・下坤地にして、水と地と相亲比す。先天卦位「坤」は北方に在り、後天卦位「坎」もまた北方に在り。坤と坎とは同じく一位を占むれば、ゆえに「比」と曰う。これ先天・後天両重の卦位の象を合取して名を立つるの一例なり。

小畜 《象》曰:風行天上,小畜。按:後天巽東南,乾西北,乾巽對宮,畜有相近相合之意。此取後天方位之象以立名者也。月卦乾為四月,與巽辰巳亦同位。 履 《彖》曰:柔履剛也。按:“柔履剛”三字,聚訟不決。或云“乾履兌”,或曰“三履四”,皆非也。柔履剛,坤三柔履乾三剛,此由對卦取象以立名者也。坤曰“履霜”,離曰“履錯然”。始終以履,即始終以禮。先天兌居乾之左,後天兌居乾之右,左右逢源,禮和為貴,合先後天之象觀之,更見象義之精,立名之當也。

《小畜》卦:《大象伝》に「風天の上に行く、小畜」と曰う。杭氏按:後天卦位「巽」は東南に在り「乾」は西北に在り、乾・巽両宮は正に相対す。「畜」は相近・相合して聚めて蓄うるの意思を含む。これ後天方位の象を取りて名を立つるの一例なり。さらに十二消息卦より看れば、「乾」は四月(巳月)に当たり、而して後天巽位の配する所の地支は正に辰・巳なり。両者もまた同じく一位を占む。《履》卦:《彖伝》に「柔は剛を履(ふ)むなり」と曰う。杭氏按:「柔は剛を履む」の三個の字は歴來争論決せず。ある人は「乾が兌を踏む」と言い、ある人は「六三が九四を踏む」と言う。皆当らず。所謂柔は剛を履むとは、《坤》の三根の柔爻が《乾》の三根の剛爻を踩踏するなり。これ相対の卦(乾と坤と相対す)より取象して名を立つるなり。《坤》卦爻辞に「霜を履む」と曰い、《離》卦爻辞に「錯然として履む」と曰う。一始一終皆「履」の字を用うは、即ち一始一終皆「礼」に帰するなり。さらに方位を看るに、先天「兌」は乾の左辺に在り、後天「兌」は乾の右辺に在り。左右皆乾と相逢い、正に「礼の用は和を以て貴しと為す」の義に合す。先後天の象を合わせて看れば、さらに取象の精・立名の当を見る。

泰 《彖》曰:小往大來。否 《彖》曰:大往小來。按:泰否之說,先儒言之詳矣。然其立名,則取象於卦候,及先後天方位者也。玩《坤·文言》自見。 同人 天火同人。《雜卦傳》曰:同人親也。按:先天乾,後天離,先後同位,故曰“同人”,曰“同人親也”。

《泰》卦:《彖伝》に「小往き大来る」と曰う。陰気は外に往き、陽気は内に来る。《否》卦:《彖伝》に「大往き小来る」と曰う。陽気は外に往き、陰気は内に来る。杭氏按:泰・否両卦の義理は、前代儒者すでに講ずる所甚だ詳し。ただ立名に就いて論ずれば、卦気節候(《泰》は正月卦、《否》は七月卦)および先後天方位に取象するなり。《坤卦・文言》の講ずる所の陰陽消長を玩味せば、自然に看るべきを得ん。《同人》卦:上天・下火を《同人》と為す。《雑卦伝》に「同人は親なり」と曰う。杭氏按:先天卦位「乾」は南に在り、後天卦位「離」もまた南に在り。先後天は同じく一位を占むれば、ゆえに名を取りて「同人」と曰い、《雑卦伝》は始めて「同人は親なり」と曰えり。

大有 《象》曰:火在天上。按:大有亦先後同位,而其立名,不取先後天,而取對卦水地比覆象之地水師,故師眾也,大有眾也。變化不測,精義入神。《學易筆談二集》,述其一端,餘義尚未能盡。 謙 《象》曰:地中有山。按:後天坤艮對宮,坤未艮丑,子正在丑,午正在未,丑二未八。二八易位,天地之數由此勻平,故曰“謙稱平”。

《大有》卦:《大象伝》に「火天の上に在り」と曰う。杭氏按:《大有》もまた先後天同位の卦に属す(先天乾は南に在り、後天離は南に在り)。然れどもそれの立名は並びに先後天を取らず、而してその対卦《比》(水地比)より翻覆して成る所の《師》(地水師)に取る。《師》は「衆」と訓じ、《大有》もまた「衆」なり――所有する者多し。この種の取象は変化測る能わずして、精義は神妙に入る。我《学易筆談二集》の裏にその中の一端を講じたり。其余の意思はなお未だ言い尽くす能わず。《謙》卦:《大象伝》に「地中に山有り」と曰う。杭氏按:後天卦位坤と艮の両宮は相対して、坤は「未」に配し艮は「丑」に配す。子(正北)の正は丑に緊接し、午(正南)の正は未に緊接す。地支を以て順に数えれば、丑は数二を得、未は数八を得る。二と八と位置を交換すれば、天地之数これに由りて匀平を得るを以て、ゆえに《彖伝》に「謙は物を稱して平らかに施す」と曰う。「謙」の本義は即ち持平なり。

豫 《象》曰:雷出地奮。按:豫之立名,與大有與師謙與履同例。履以制禮,禮之本在謙。豫以作樂,樂之本在小畜。孟子曰“畜君何尤”,又曰“一遊一豫為諸侯度”,乃深得易象之精意者也。 隨 《象》曰:澤中有雷。按:隨之立名,取象後天之少女長男,陽動陰隨,夫倡婦隨。而六爻未嘗言夫婦,則重在隨時。有孚在道,不以形下之名與器限也。此非熟玩先後天八宮納甲,及六十四卦,上下變通,未易窺測。

《豫》卦:《大象伝》に「雷地を出でて奮(ふる)う」と曰う。杭氏按:《豫》の立名は、《大有》の《師》に取象し、《謙》の《履》に取象するに同じ体例に属す。《履》は以て礼を制定するに用い、而して礼の根本は「謙」に在り。《豫》は以て楽を制作するに用い、而して楽の根本は「小畜」の節制・蓄養に在り。《孟子》は晏子の言を引いて曰く「君を畜する何ぞ尤(とが)めん」――君主の過失を蓄止するは何の責むべきあらんと。又曰く「一游一豫、諸侯の度と為る」――天子の出游と逸楽とは皆諸侯の法度と為らんと。これ正に易象の精意を深く得たるの言なり。《随》卦:《大象伝》に「沢中に雷有り」と曰う。杭氏按:《随》の立名は、後天卦位上の少女(兌)と長男(震)とに取象す。陽先に動きて陰これに随うは、夫唱え婦随うがごとし。然れども《随》卦六爻は並びに夫婦を講ぜず。これを見れば重点は「時に随う」の二字に在り。爻辞の「孚有りて道に在り」は、頼る所は誠信が正道に合するに在りて、並びに形而下の名分器物に局限せられず。この一層は若し先後天卦位・京房八宮・納甲および六十四卦上下変通の法を玩び熟せざれば、容易く窺見し得ざるなり。

蠱 《象》曰:山下有風。按:山風兩卦,先天在右,後天居左。立名之取象於先後天自無疑義。爻象多取父母,即後天乾坤之證也。所以謂之蠱者,蠱訓事,亦訓故。史稱三皇五帝之故事,亦云“蠱事”,故曰“幹蠱”。陰陽之數,至十八而變化備,蠱次第十八。物之變莫不由於風,實由於蟲。巽之風兼今日之所謂空氣。空氣不可見,於風見之。巽之入,風之無微不入,實氣之無微不入耳。蟲生於氣化,氣非有止之者亦不化。上卦艮止,故蠱能變化。物理之精,一名之微,而鉅細無遺。非造化之筆,其孰能之!

《蠱》卦:《大象伝》に「山下に風有り」と曰う。杭氏按:艮山・巽風のこの両卦は、先天図上に皆右側に居り、後天図上に皆左側に居る。これを見れば《蠱》の立名は先後天卦位に取象する、疑問無し。その爻辞は屡々「父の蠱を幹(くさ)す」「母の蠱を幹す」を講ずは、正に後天乾・坤が先天艮・巽の位を占居するの証拠なり。「蠱」と曰う所以は、「蠱」は「事」と訓じうべく、また「故」とも訓じうべきを以てなり――史書は三皇五帝の旧事を称して「故事」と為し、また「蠱事」とも作る。ゆえに爻辞は始めて「蠱を幹す」と曰う。即ちその事を整治するなり。さらに数の上より看れば、陰陽の数は十八に至りて変化斉備す。《蠱》は卦序の中に恰好(かっこう)第十八に排せらる。万物の変化は風に由らざる莫くして、而して其の実は虫(微細の生物)に由る。巽の代表する所の風は、兼ねて今日の言う所の「空気」を含む。空気は見えずして、風の上よりして始めて見るを得。巽の卦徳は「入」なり。風は微に入らざる無し。其の実すなわち気の微に入らざる無きなり。虫は気化に由りて生ずるも、然れども気は若しもの有りて以て止蓄せらるるなくんば、また化生せず。《蠱》卦上体は艮にして、艮は止なり。ゆえに《蠱》は能く変化を生ず。事物の理はかくのごとく精微にして、ただ一個の卦名の微なるも、すなわち巨細遺すなくその中に包羅す。若し造化の筆に非ざれば、誰か能くかくせらんや!

臨 《象》曰:澤上有地。按:臨為月卦,立名自出於卦候,觀彖辭自見。臨丑月卦,丑數二。丑與子合,為天地始合,故復小臨大。 觀 《象》曰:風行地上。按:巽坤亦先後天同位之卦。名曰“觀”者,觀以目。目上下相合,觀八月卦,故亦兼取卦候。 噬嗑 《象》曰:電雷噬嗑。按:先天離,後天震,故曰“噬嗑合”也。明先後天之相合也。

《臨》卦:《大象伝》に「沢の上に地有り」と曰う。杭氏按:《臨》は十二消息卦の一に属し、立名は自然に卦気節候より出づ。その《彖辞》を看れば即ち明白なり。《臨》は丑月に当たり、丑は地支順数の中に二を為す。丑は子と相合して、天地の始めて交會するなり。ゆえに《復》(子月一陽)は小と為して《臨》(丑月二陽)は大と為す。《観》卦:《大象伝》に「風地の上に行く」と曰う。杭氏按:先天卦位「巽」は西南に在り、後天卦位「坤」もまた西南に在り。巽と坤ともまた先後天同位の卦なり。名を取りて「観」と曰うは、観察は眼目を用うるを要し、而して「観」の字の象は正に上下両目相合するを以てなり。《観》はまた八月卦なれば、ゆえにその命名もまた兼ねて卦気節候を取る。《噬嗑》卦:《大象伝》に「電雷噬嗑」と曰う。杭氏按:先天卦位「離」と後天卦位「震」とは同じく一処を占むれば、ゆえに《雑卦伝》に「噬嗑は合なり」と曰う。正に先天と後天とここに於て相合するを表明するなり。

賁 《象》曰:山下有火。按:山以草木為飾。賁無色也。山下有火,草木焚山成賁矣。此由內外兩象立名者也。旅之“鳥焚其巢”,象出於賁,所謂上下易之卦也。 剝 《象》曰:山附於地。按:剝為九月卦,當然由卦候立名。陰之消陽以漸,剝與夬相對。履霜堅冰,非至柔變剛,尚不悟其為剝也。

《賁》卦:《大象伝》に「山下に火有り」と曰う。杭氏按:山は草木を頼りて以て装飾を作すを靠(よ)る。而して「賁」は極処に至りて却って無色と為る(上九爻辞「白賁にして咎(とが)なし」)。山下に火有れば、草木は焼き尽されて、山は便ち素白の「賁」と成る。これ内外両卦の象に由りて名を立つるの一例なり。《旅》卦九三に「鳥その巣を焚(や)く」とあり、あの象は正に《賁》より来たる――《旅》と《賁》とは内外両象上下互換して、即ち所謂「上下易」の卦なり。《剥》卦:《大象伝》に「山地に附(つ)く」と曰う。杭氏按:《剥》は九月卦にして、当然卦気節候に由りて名を立つ。陰の陽を消蝕するは一歩一歩来たる。《剥》と《夬》とは正に相対す。《夬》は五陽が一陰を決去し、《剥》は五陰が一陽を剥落す。《坤》卦初六に「霜を履めば堅氷至る」と曰う。人は若し至柔の陰の積成して剛強の勢と為るを待たずんば、なお醒悟してすでに「剥」と為れるを知るに及ばざるなり。

復 《象》曰:雷在地中。又曰:復其見天地之心乎?按:復為一陽來復,立名即取本卦之一爻為主,而兼取卦候。《傳》曰“復小而辨於物”。辨之於早,所以能見天地之心也。 無妄 《象》曰:天下雷行,物與無妄。按:妄,《說文》“亂也”。馬、鄭、王、蕭皆作望。以剛自外來為主於內,前人都以變卦釋之,而說各不同,未敢妄斷。觀象辭“君子以茂對時育萬物”,則亦有取卦候。故端木氏《周易指》以為對時卦,亦無他書可證,姑闕疑以待博雅君子。

《復》卦:《大象伝》に「雷地中に在り」と曰い、《彖伝》にまた曰く「復は其れ天地の心を見るか」と。杭氏按:《復》は一陽来復にして、立名は即ち本卦初九のこの一爻を以て主と為し、同時に兼ねて卦気節候を取る(《復》は十一月子月に当たりて一陽始めて生ず)。《繋辞伝》に「復は小にして物に辨(わか)つ」と曰う――極微小の処に於てすなわち事物の動向を辨明しうべし。正に辨察するや早きを以て、始めて天地生生の心を見る能くす。《无妄》卦:《大象伝》に「天下雷行き、物与(とも)に妄なからず」と曰う。杭氏按:「妄」の字は《説文解字》は「乱」と訓す。馬融・鄭玄・王肅・蕭氏諸家は皆「望」と作る。《彖伝》は「剛外より来たりて内に主を為す」を講ず。前人は皆卦変を用いて解釈するも、然れども各家説法一ならず。我敢えて妄りに断語を下さず。《大象伝》「君子以て時に対して茂く万物を育す」の一句を看れば、それもまた兼ねて卦気節候を取るを見るべし。ゆえに清人端木国瑚《周易指》は《无妄》を定めて「対時卦」と為す。ただ別に他書有りて以て印証すべきなく、姑く疑を存し、博雅の君子を留め待ちて解答せしめん。

大畜 《象》曰:天在山中。按:艮乾亦先後同位之卦,乾巽以闢卦及後天同位曰“小畜”。故此先後八卦同位者,曰“大畜”。 頤 《象》曰:山下有雷。按:頤亦先後天同位,故取象上下相合。凡頤皆下動而上下動者也。爻取龜息虎視,當為古易相傳之象,為今道家修養之秘龠。孔子非道家之學,故以節言語慎飲食言之,而象數亦無不悉合。所謂殊塗而同歸也。

《大畜》卦:《大象伝》に「天山の中に在り」と曰う。杭氏按:艮と乾ともまた先後天同位の卦なり――先天艮は西北に在り、後天乾もまた西北に在り。前面の《小畜》は、乾と巽とが十二辟卦の数と後天方位とに凭りて同位して以て名を得たり。ここは則ち先天・後天八卦が整箇に同位すれば、ゆえに「大畜」と曰う。《頤》卦:《大象伝》に「山下に雷有り」と曰う。杭氏按:《頤》もまた先後天同位の卦なり(先天震は東北に在り、後天艮は東北に在り)。ゆえに上下相合の象を取る。大に口頤が咀嚼するや、皆下頷(したあご)の発動にして上下相随う。爻辞は「霊亀」の吐納の息・「虎視耽耽」の視を取るは、当に古《易》の相伝え来たれる旧象にして、即ち今日道家修養の秘訣門鑰なり。孔子の講ずる所は道家の学に非ざれば、ゆえにただ節制言語・謹慎飲食の上より説を立つ。而して象数ともまた一として合せざるなし――これ即ち所謂「途殊くして帰同じ」なり。

大過 《象》曰:澤滅木。按:大過,大者過也。陽大陰小,過者過乎中之謂。大過言大過乎中,即陽過乎中也。此全取象於先天卦位。先天巽兌居乾之左右,皆偏而不中。巽兌皆二陽,所謂陽過乎中(先天以體為主,以二陽者為陽卦,二陰者為陰卦。後天以用為主,以一陰為陰卦,一陽為陽卦。觀大小過立名,先天卦之方位已明白如見矣。)。大者過也。“大過棟橈”,棟極也,極中也,本末弱則合上下兩象而言之。頤中重坤,大過重乾,以結上篇。終以坎主,開後天之局,即以啟下篇之端。故離履錯然,上下篇相錯,六十四卦皆一氣呵成矣。

《大過》卦:《大象伝》に「沢木を滅す」と曰う。杭氏按:《大過》は即ち「大なる者過(あやま)るなり」。陽を大と為し陰を小と為す。「過」は中位を超出するの意なり。「大過」の講ずるは大なる者の中を過ぐる、即ち陽の中を過ぐるなり。これ全く先天卦位に取象す。先天巽・兌は分居して乾の左右両側に在り、皆一辺に偏して中に居らず。而して巽・兌のこの両個の三画卦は皆両個の陽爻を含む。正に所謂「陽の中を過ぐる」なり。(先天は本体を以て主と為すれば、ゆえに両陽の卦は陽卦と算じ両陰の卦は陰卦と算す。後天は功用を以て主と為すれば、ゆえに一陰の卦は陰卦と算じ一陽の卦は陽卦と算す。ただ《大過》《小過》の立名を看るに、先天卦の方位はすでに歴歴として見ゆべし。)ゆえに「大なる者過るなり」と曰う。卦辞「大過、棟橈(たわ)む」――「棟」は屋脊の極にして、「極」は即ち中なり。《彖伝》に「本末弱きなり」と曰う。あれは上下両象を合して講ずるなり(初・上両爻皆陰なれば、故に首尾俱に弱し)。さらに上経の収束を看るに、《頤》卦中間四爻は重叠して坤を成し、《大過》中間四爻は重叠して乾を成し、以て上篇を収結す。最後に坎を以て主と為し(《坎》《離》は上経の末に居る)、後天の格局を開出し、亦(ま)た下篇の為に端緒を啓す。ゆえに《離》卦初九に「錯然として履む」と曰う。上下両篇彼此交錯して、六十四卦一気呵成なり。

習坎 《象》曰:水洊至。按:八純重卦,皆不易卦名,獨坎曰“習坎”。先儒論議紛如,各有所見,偏以理想者多。坎勞卦也,後天居坤位,坤“不習無不利”,所謂安而行之者也。非生知之聖,詎足語此?聖人立教,首重時習。坎子一始,故特於重坎著“習”字以明立教之旨,亦為全《易》入門之關鍵也。 離 《象》曰:明兩作。按:“明兩作”者,兼日月而言。月得日光而明,月之明即日之明,故重離以象日月也。離居乾位,而曰“牝牛”,正與《坤·彖》之“牝馬”對。所謂八卦相錯。

《習坎》卦:《大象伝》に「水洊(しきりに)至る」と曰う。水は接連して来る。杭氏按:八個の純卦は相重の後皆卦名を改めず。ただ坎卦のみ「習坎」と称す。前代儒者の議論は紛紜として各々見る所有り。多半は空に凭りて推想するに偏す。坎は《説卦伝》の言う所の「労卦」にして、後天に於てそれの占むるは正に先天坤の位置なり。而して《坤》卦六二に「習わずして利あらざる無し」と曰う。あれは学習を待たずして安然として行うの境界にして、生じてこれを知るの聖人に非ざれば、何ぞ談ずるに及ばん。聖人の教を設くるや、首として「学びて時に習う」を重んず。坎は子位に配して、一歳一日の始めなれば、ゆえにわざと重坎の上に一個の「習」の字を標して、以て教を立つるの宗旨を点明す。これまた《易》全部を通読するの入門関鍵なり。《離》卦:《大象伝》に「明両作(ふたたびおこ)り」と曰う。杭氏按:所謂「明両作」とは、兼ねて日と月とに就いて言う。月は日光を得て始めて明るく、月の明は其の実すなわち日の明なれば、ゆえに両個の離を相重ねて以て日月を象徴す。離は今や先天乾の位置を占居するも、而して卦辞は却って「牝牛を畜すれば吉」と曰う。正に《坤卦・彖辞》の「牝馬の貞」と相対す。これ即ち所謂「八卦相錯る」なり。

咸 《象》曰:山上有澤。按:《序卦》無咸。咸無也。孔子以有立教,故不序咸。卦之立名全取先天卦象。先天兌艮對宮,艮居西北。後天乾位,戌亥無數。咸從戌口,天地娵訾之口,八風不周之方,精義入神,合乾坤之體用而賅之矣。後天乾居西北,闢卦坤居西北,故曰乾坤合居。後天巽乾對宮,先天兌艮對宮,下篇以巽兌震艮代乾坤之用,而咸居首,神矣哉聖人之筆也!

《咸》卦:《大象伝》に「山の上に沢有り」と曰う。杭氏按:《序卦伝》は下経を講ずる時「咸」の字を出現せず。「咸」は「無」に通じ、而して孔子は「有」の上より教を立つるを以て、ゆえに《咸》を以て序次に列し入れず。この一卦の立名は全く先天卦象を取る。先天兌と艮の両宮は相対して、艮は西北に居る。西北は正に後天の乾位にして、戌・亥に配し、数上「無」に属す。「咸」の字は「戌」に従い「口」に従い、天地「娵訾(しゅし)」の口なり(娵訾は十二星次の一にして亥位に当たる)。また八風の吹き到らざる方位なり。義を取ること精微にして神に入り、乾・坤の体と用とを一併に包挙せり。後天乾は西北に居り、而して十二辟卦中坤もまた西北に当たる(亥月は坤に属す)。ゆえに乾坤は合して一処に居ると曰う。後天巽と乾の両宮は相対し、先天兌と艮の両宮は相対す。下経は巽・兌・震・艮の四卦を用いて乾・坤の作用を代行せしめ、而して《咸》は下経の首に居る――聖人のこの一筆は真に神妙なり!

恆 《象》曰:雷風恆。按:恆兼取先天卦象而言也。先天艮東北,巽西南,與澤山之對宮,適成交線。謂之恆者,對咸而言。咸無而恆,有咸無方體,而恆則“立不易方”。咸速恆久,在數為一正一負,而交相為用者也。後天震巽相連,震出巽齊,長男長女,身修家齊,故有恆久之道。 遁 《象》曰:天下有山。按:遁亦先後天同位之卦,獨不取相合之義,而用相違之遁,正與大畜相對。一進一退,同為西北入無之方。大畜為世間法,而遁則出世法也。乾天艮門,戌亥空亡,故曰“遁入空門”。卦象及卦數,皆與今日佛經合。神哉《易》之廣大悉備!宇宙之內,無一能外之者矣。

《恒》卦:《大象伝》に「雷風、恒」と曰う。杭氏按:《恒》もまた兼ねて先天卦象を取りて名を立つ。先天艮は東北に在り巽は西南に在り、《咸》の依る所の沢(兌)・山(艮)対宮連線と恰好交差して十字を成す。「恒」と曰う所以は、《咸》に相対して言うを以てなり。《咸》は「無」と訓じ、《恒》は「有」と訓ず。《咸》は固定の方所形体無く、《恒》は則ち「君子以て立ちて方を易えず」を講ず。《咸》は速を主とし《恒》は久を主とし、数上に於て一正一負にして交互に用を為す。さらに後天を看れば、震と巽とは方位相连なり。震は「出」を主とし巽は「斉」を主とし、長男と長女と相配す。正に身修めて然る後に家斉(ととの)うにして、ゆえに恒久の道を含む。《遁》卦:《大象伝》に「天下に山有り」と曰う。杭氏按:《遁》もまた先後天同位の卦なり。然れどもそれは偏に「相合」の義を取らず、却って「相違退避」の「遁」を用う。正に《大畜》と相対す。一進一退にして、同じく西北の「無」に入る方位に処す。《大畜》は世間法にして、《遁》は則ち出世法なり。乾は天を為し艮は門を為す。戌亥は空亡に属すれば、ゆえに俗語に「空門に遁入す」と曰う。この卦象と卦数とは、皆今日見る所の仏経と相合す。《易》の広大悉備は真に神妙なり!宇宙の内、一様としてその範囲を超出しうる無し。

大壯 《象》曰:雷在天上。按:大壯與無妄,為上下相易卦。立名亦取象卦候。馬氏曰“壯傷也”,虞氏說亦同,蓋古訓也。意較壯盛為深。 晉 《象》曰:明出地上。按:晉之名,合先後天卦位之象而言也。離為坤陰,坤先天居北,地道卑而上行,麗乾而合明,故曰晉。晉者,進也。

《大壮》卦:《大象伝》に「雷天の上に在り」と曰う。杭氏按:《大壮》と《无妄》とは内外両象上下互換して、一対の「上下相易」の卦なり。それの立名もまた卦気節候に取象す(《大壮》は二月卦にして四陽盛長す)。漢人馬融は「壮は傷なり」と曰い、虞翻の講法もまた相同じ。これ大概古訓にして、ただ「壮盛」を講ずるより意思一層深し。《晋》卦:《大象伝》に「明地の上を出づ」と曰う。杭氏按:《晋》のこの名は、先天・後天両重の卦位の象を合して講ずるなり。離はもとより坤の生ずる所の陰にして(離は中女なり)、坤は先天に於て北方に居る。地の道は卑下にして向上に行き、乾に附麗してそれと合明すれば、ゆえに「晋」と曰う。「晋」は即ち前進・上升なり。

明夷 《象》曰:明入地中。按:明夷與晉反,天道下濟。日在地下,無所謂傷。明夷之傷,因八宮為坎之游魂,坎傷也,為日食象。取象不一,而義必有所由來,豈可執一端而論哉! 家人 《象》曰:風自火出。按:家人立名,全取後天卦象。雷風風火,皆後天東南相連之卦,故象稱言有物而行有恆。卦本二女,而曰“女正位乎內,男正位乎外”,以爻言也。參看《學易筆談二集》。

《明夷》卦:《大象伝》に「明地の中に入る」と曰う。杭氏按:《明夷》と《晋》とは正に相反覆して、講ずる所は天道下降して物を済すなり。太陽は運行して地底の下に至る。もとより「傷」を談ずるに及ばず。《明夷》の「傷」の義を取る所以は、京房八宮に按じて排算すれば、それは坎宮の游魂卦にして、而して坎はもとより「傷」の意思有るを以てなり(《説卦伝》に坎は加憂を為し心病を為す)。また日食の象を含む。これを見れば取象の来路は一条に止まらずして、而して毎一層の意義は必ず各々来歴有り。怎(いか)でか一端を抓住して即ち断語を下さんや!《家人》卦:《大象伝》に「風火より自(よ)り出づ」と曰う。杭氏按:《家人》の立名は全く後天卦象を取る。雷と風(震巽)、風と火(巽離)は、皆後天東南一帯彼此相连の卦なれば、ゆえに《大象伝》に「君子以て言に物有りて行に恒有り」と曰う。此の卦はもとより二女同居にして(離は中女、巽は長女)、而して《彖伝》は却って「女正位を内にし男正位を外にす」と曰う。あれは就(つ)いて六二・九五両爻各々中正を得るを以て講ずるなり。我が《学易筆談二集》を参看すべし。

睽 《象》曰:上火下澤。按:睽之名,亦取後天象。離之與兌為火金相剋,爻除初九,位皆不當,陰陽相違,與家人相反。 蹇 《象》曰:山上有水。按:蹇由本卦內外兩象之義以立名也。 解 《象》日:雷雨作。按:解之命名,與蹇同例。與屯兩象易,難得解矣。 損 《象》曰:山下有澤。按:損益定名,與泰否同例。

《睽》卦:《大象伝》に「上火下沢」と曰う。杭氏按:《睽》のこの名もまた後天の象を取る。離は火に属し兌は金に属し、火金相克す。六爻の中、初九を除去するの外其余の各爻は皆位に当たらず(陽は陰位に居り陰は陽位に居る)、陰陽彼此乖違して、恰も《家人》と相反す。《蹇》卦:《大象伝》に「山の上に水有り」と曰う。杭氏按:《蹇》は本卦内外両象の意義に由りて名を立つるなり――下艮は止を為し上坎は険を為し、険前に止まりて行歩艱難なり。《解》卦:《大象伝》に「雷雨作(おこ)る」と曰う。杭氏按:《解》の命名は《蹇》と同じ体例に属す。それは《屯》と内外両象互換の卦なり(《屯》は下震上坎、《解》は下坎上震)。険は前頭に在ればすなわち屯難を成し、険すでに後に在りて動きて外に出づれば、艱難はすなわち化解す。《損》卦:《大象伝》に「山下に沢有り」と曰う。杭氏按:《損》《益》両卦の定名は、《泰》《否》と同じ体例に属して、皆陰陽往来・増損の義を取る。

益 《象》曰:風雷益。按:《象》曰“風雷”,而《彖》特著曰“木道乃行”,此為《象傳》中之特筆,與天道地道人道相併。以天地人之氣,非木不通。故天地人三才齊於巽,文不著於巽,而著於益,學者宜深思之。 夬 《象》曰:澤上於天。按:夬姤皆十二月消息卦,自重在卦候。但夬姤立名,取於本卦上下之一爻,與剝復同例。

《益》卦:《大象伝》に「風雷、益」と曰う。杭氏按:《大象》はただ「風雷」と言うのみにして、而して《彖伝》は却ってわざと「木の道乃ち行わる」の一句を標出す。これ伝文裏の一処の特筆にして、「木道」を天道・地道・人道と並列す。これは天・地・人三者の気は木を借らざれば貫通する能わざるを以てなれば、ゆえに天地人三才は皆「巽」に会斉す(巽は木を為す)。然れども経文は《巽》卦に在りて点破せず、偏に《益》卦に在りて点破す。《易》を学ぶ者は当にその中の用意を深思すべし。《夬》卦:《大象伝》に「沢天に上る」と曰う。杭氏按:《夬》と《姤》とは皆十二消息卦に属し、もとより卦気節候を以て重んずるを為す。ただしこの両卦の立名は、取る所は本卦の最上あるいは最下のあの一爻なり――《夬》は上六一陰将に決去せんとし、《姤》は初六一陰剛(かた)く生ぜり。《剥》《復》と同じ体例に属す。

姤 《象》曰:天下有風。按:姤鄭氏作“遘”,序剝於復先,而次姤於夬後,與泰否損益同意,聖人之微旨焉。 萃 《象》曰:澤上於地。按:萃之名,由本卦內外兩象及中爻巽艮取義,而皆萃於六四之一爻。 升 《象》曰:地中生木。按:立名與萃同例。《雜卦傳》曰:“萃聚而升不來也。”不來者,往而不復之謂。

《姤》卦:《大象伝》に「天下に風有り」と曰う。杭氏按:「姤」の字は鄭玄は「遘」と作る。相遇うの意なり。卦序上《剥》を以て《復》の前面に排して、却って《姤》を以て《夬》の後面に排す。これ《泰》《否》《損》《益》の排法と用意相同じくして、その中に聖人の微旨を含む。《萃》卦:《大象伝》に「沢地の上に有り」と曰う。杭氏按:《萃》のこの名は、本卦内外両象(下坤上兌)および中間互体の成す所の巽・艮に由りて義を取りて、而してこれらの象は最後皆六四のこの一爻の上に聚萃す。《升》卦:《大象伝》に「地中木を生ず」と曰う。杭氏按:それの立名は《萃》と同じ体例に属す。《雑卦伝》に「萃は聚まりて升は来たらざるなり」と曰う――所謂「来たらず」とは、即ち一味に上に往きて再び回還せざるなり。

困 《象》曰:澤無水。按:下坎為水,而曰“無水”者,坎漏而上澤之水竭也。坎兌亦先後天同位之卦,而困之名,則以“剛掩也”。先儒皆以本卦六爻推尋,義無一當。剛柔相推,由於對象之賁。故在六三一爻。詳《學易筆談》。 井 《象》曰:木上有水。《彖》曰:巽乎水而上水。按:井之名,出於火雷噬嗑,與困同例。市井相聯,往來井井,為六十四卦,陰陽往來之樞紐。更與鼎相通。

《困》卦:《大象伝》に「沢に水無し」と曰う。杭氏按:《困》は下体坎もとより水なりて、却って「水無し」と言うは、水が坎より漏れ下るを以て、上面兌沢裏の水はすなわち枯竭す。坎と兌ともまた先後天同位の卦にして、而して《困》の名を得るは、《彖伝》「剛掩なり」を取る――剛は柔に掩蔽せらるるなり。前代儒者は皆ただ本卦六爻の裏に推求して、一説も講じ妥當する無し。其の実剛柔の推移は、それの対卦《賁》の上より看るを要し、関鍵は六三のこの一爻に落つ。詳しくは我が《学易筆談》を見よ。《井》卦:《大象伝》に「木の上に水有り」と曰い、《彖伝》に「水に巽(したが)いて水を上ぐ」と曰う。杭氏按:《井》のこの名は火雷《噬嗑》より出でて、《困》の名を取るの体例と相同じ。市と井と相连して「市井」を成し、人来たり往きて秩序「井井」たり。《井》は六十四卦中の陰陽往来の枢紐にして、且つ《鼎》卦と互相貫通す。

革 《象》曰:澤中有火。按:革之名,取象後天。離火克金,而兌金繼離而代之。金曰“從革”,故名“革”。革而信之,己日乃革,中得坤土,故曰“革而當,其悔乃亡”。當者,九四之一爻。四爻變則六爻皆當矣。 鼎 《象》曰:木上有火。《彖》曰:以木巽火。按:《鼎·彖》曰:“鼎象也。”亦彖辭之特筆。鼎象在屯,名則仍由內外兩象取義者也。又與井對,井性鼎命。略見《學易筆談》。

《革》卦:《大象伝》に「沢中に火有り」と曰う。杭氏按:《革》の取名は後天の象に取る。離火は金を克し、而して兌金は離位に接して之に代わりて取る(後天離は南に在り兌は西に在り、次第相接す)。《尚書・洪範》は金の性質は「革に従う」と曰う――変革に順従す。ゆえに名を取りて「革」と為す。変革の後に乃ち人に信を取りうべし。卦辞に「己の日に乃ち孚(まこと)あらん」と曰う。「己」は中央坤土に属して、中土の徳を得。ゆえに《彖伝》に「革めて当(あた)れば其の悔乃ち亡(な)くならん」と曰う。所謂「当」とは、指す所は九四のこの一爻なり。四爻は位に当たらざるより変じて位に当たると為り、六爻もまた就いて皆位に当たる。《鼎》卦:《大象伝》に「木の上に火有り」と曰い、《彖伝》に「木を以て火に巽(い)る」と曰う。即ち木を用いて火に順い入る。杭氏按:《鼎卦・彖伝》に「鼎は象なり」と曰う。これもまた彖辞裏の一処の特筆なり。「鼎」の物象は其の実《屯》卦より出づるも、而してその名は依然として内外両象(下巽木・上離火)に由りて義を取る。《鼎》はまた《井》と相対す。《井》は性を主とし《鼎》は命を主とす。大略は我が《学易筆談》を見よ。

震 《象》曰:洊雷震。按:震先後天方位相連,故《彖》言“虩虩”“啞啞”,多疊文。 艮 《象》曰:兼山艮。按:兼山者,別於《連山》也。 漸 《象》曰:山上有木。按:《序卦》以漸為進,承上文而言耳。實漸之義不限於進。《坤·文言》曰“其所由來者漸矣”。巽之初爻,履霜之漸也。下艮止之,得漸之正,故取女歸。亦由本卦兩象定名而兼取義於對象者也。

《震》卦:《大象伝》に「洊雷、震」と曰う。雷の声は接連して至る。杭氏按:震は先天・後天両図上に方位相连なり(先天震は東北に在り、後天震は正東に在り、彼此毗邻す)。ゆえに卦辞は多く叠字を用う。「虩々(けきけき、恐懼の様子)」「啞々(あくあく、笑語の声)」のごとし。《艮》卦:《大象伝》に「兼山、艮」と曰う。杭氏按:「兼山」と言うも「重山」と言わざるは、夏代の《連山》易と相区別せんが為なり。《漸》卦:《大象伝》に「山の上に木有り」と曰う。杭氏按:《序卦伝》は「漸」を解して「進」と作す。あれはただ上文を承接して言うのみ。其の実「漸」の意義は「進」に限らず。《坤卦・文言》に「其の来る所の者は漸なり」と曰う。講ずる所正に微より著に至り逐步積累するなり。《漸》の上体は巽にして、巽の初爻は陰なり。正に《坤》初六の「霜を履む」のあの漸のごとし。而して下体艮はこれを止めて、「漸」の正道を得たり。ゆえに卦辞は「女帰(とつ)げば吉」を取る。女子の出嫁は須らく循序に循いて行うべし。これもまた本卦両象に由りて名を定めて兼ねて対卦に義を取るの一例なり。

歸妹 《象》曰:澤上有雷。按:漸之吉以艮止也。易為震動,適相反矣。故曰“征凶”。然事有常變,處變得正,亦天地大義所不廢。而八宮以雷澤為最終歸魂之卦,故以歸妹名之。 豐 《象》曰:雷電皆至。按:豐與噬嗑上下易,亦先後天同位之卦也。而豐之名,則只取象後天。東南震曰出,離日中,謂之豐者,萬物皆相見,生物至盛之時也。

《帰妹》卦:《大象伝》に「沢の上に雷有り」と曰う。杭氏按:《漸》の吉なる所以は、下体艮の能く止むに在り。換えて震動と為せば(《帰妹》は下兌上震、止は変じて動と為る)、情形はすなわち恰好相反す。ゆえに卦辞に「征けば凶」と曰う。ただし事情には常有りまた変有り。変局に処して能く正を守るも、また天地大義の廃棄せざる所なり。再び京房八宮に按じて排算すれば、雷沢《帰妹》は兌宮最末の帰魂の卦なり。「帰魂」は即ち本宮に帰返す。ゆえに「帰妹」を用う――女子出嫁して帰する所有り――を以て命名す。《豊》卦:《大象伝》に「雷電皆至る」と曰う。杭氏按:《豊》と《噬嗑》とは内外両象上下互換して、また先後天同位の卦に属す。ただし《豊》の取名はただ後天の象を取る。後天東方と東南一帯、震は「出」を主とし、離は正南日中の時に当たる。これを称して「豊」と為すは、此の時万物皆彼此顕現して、正に生物最も繁盛の時なるを以てなり。

旅 《象》曰:山上有火。按:旅與賁為上下易之卦,名之曰“旅”。昔人多未詳其義,不知亦由八宮取象者也。乾七世游魂為火地晉,歸魂火天大有。仍復乾位,若歸魂不歸,遊入離宮,則四爻變為火山,故曰“旅”也。 巽 《象》曰:隨風巽。按:重木而曰“隨風”。隨對象為蠱,蠱先後甲,巽先後庚,因緣所在,學者最宜注意。

《旅》卦:《大象伝》に「山の上に火有り」と曰う。杭氏按:《旅》と《賁》とは内外両象上下互換の卦なり。名を取りて「旅」と曰うは、前人多半その意思を弄清せず、これもまた京房八宮より取象するを知らざりき。乾宮諸卦は第七位に排して游魂卦は火地《晋》にして、帰魂卦は火天《大有》にして、帰魂は便ち乾位に回復す。假如游魂は本宮に帰らずして、而して離宮に游入せば、則ち第四爻を把(も)て一変すれば、すなわち火山《旅》と成る。ゆえに「旅」と曰う――羈旅して外に在りて帰るを得ざるなり。《巽》卦:《大象伝》に「風に随う、巽」と曰う。杭氏按:両個の巽相重はもとより重木なりて、却って「風に随う」と曰う。《随》卦の対卦は《蠱》なり。《蠱》卦辞は「甲に先だつ三日、甲に後るる三日」を講じ、《巽》九五は「庚に先だつ三日、庚に後るる三日」を講ず。甲と庚とは一始一終にして、その中の因縁の在る所は、《易》を学ぶ者最も当に留意すべし。

兌 《象》曰:麗澤兌。按:麗,離也。鄭氏作離。兌講學,離明兩作,在明明德,大學之始。詳《學易筆談初集》。 渙 《象》曰:風行水上。按:渙,亦以本卦兩象之名者也。渙與畜對。 節 《象》曰:澤上有水。按:節亦先後天同位。噬嗑合,同人親,節者符節,比者比附,特以先後天四正之卦,立此合同節比之名,先後之大義亦顯著矣。乃後人猶聚訟不休,何哉!

《兌》卦:《大象伝》に「沢を麗(つ)く、兌」と曰う。杭氏按:「麗」は即ち「離」なり。附麗相连の意にして、鄭玄本は正に「離」と作る。《兌》の《大象》は「君子以て朋友講習す」を講ず。是れ講学なり。《離》の《大象》は「明両作り」を講ず。是れ明德を明らむなり――これ正に《大学》開宗の功夫なり。詳しくは我が《学易筆談初集》を見よ。《渙》卦:《大象伝》に「風水の上に行く」と曰う。杭氏按:《渙》もまた本卦両象(下坎水・上巽風)を用いて命名するなり。《渙》と《畜》とは相対して、涣散と蓄聚とは正に相反す。《節》卦:《大象伝》に「沢の上に水有り」と曰う。杭氏按:《節》もまた先後天同位の卦なり。《噬嗑》は「合」を取り、《同人》は「親」を取り、《節》は符節相合を取り、《比》は親附相并を取る――聖人はわざと先後天四正方位相合の卦を用いて、「合」「同」「節」「比」のこの幾個の名を立てたり。先天後天相通ずるの大義はすでに甚だ顕豁なり。然れども後人はなお争論して休まざる。これ何の為ぞや!

中孚 《象》曰:澤上有風。按:中孚亦先後天同位之卦。孚者同也,中者巽五兌十,五十居中,故曰“中孚”。 小過 《象》曰:山上有雷。按:小過與大過同例。先天震居坤之左,艮居坤之右,皆過乎中。陰體,故曰小過。 既濟 《象》曰:水在火上。按:既未濟坎離相交,與泰否損益同例。既濟六爻皆當,陰陽定,而易之道窮。故《虞氏易》以乾坤成兩既濟為凶。

《中孚》卦:《大象伝》に「沢の上に風有り」と曰う。杭氏按:《中孚》もまた先後天同位の卦なり。「孚」は即ち同・即ち相合なり。「中」と曰う所以は、巽の数を五と為し兌の数を十と為すを以てなり。五と十とは正に《河図》居中の数なれば、ゆえに「中孚」と曰う。《小過》卦:《大象伝》に「山の上に雷有り」と曰う。杭氏按:《小過》と《大過》とは同じ体例に属す。先天震は坤の左辺に居り艮は坤の右辺に居りて、皆一側に偏して中を過ぐ。震・艮のこの両個の三画卦は皆両陰一陽にして、陰体に属すれば、ゆえに「小過」と曰う――小なる者(陰)の中を過ぐるなり。《既済》卦:《大象伝》に「水火の上に在り」と曰う。杭氏按:《既済》《未済》は皆坎・離相交に由りて成りて、《泰》《否》《損》《益》と同じ体例に属す。《既済》は六爻陰陽各々その位を得。陰陽すでに安定せば、変易の道は便ち尽頭に走到る。ゆえに《虞氏易》は乾坤を変じて両個の《既済》と為るを以て凶と看なす。

未濟 《象》曰:火在水上未濟。按:既濟則易無可易而窮,物不可窮,故《序卦》以未濟終。濟者濟河也,地天泰馮河,坎離濟河,(天地際,亦陰陽際。善惡生死,皆此際。故人處天地間,不能逃陰陽之外,即不能不濟渡此際。佛經所謂渡也,即濟謂已登彼岸,已渡此泰河也。未濟離上坎下之位未動,猶未登彼岸者也。此佛經與《易》名異而義皆相通者也。)濟此河也。泰馮河馬壯,坎馬亟心,立心恆,乾健不息,坤行無疆,皆合先後天之義,通天地人之道。六十四卦往復,皆為此“濟”之一字。故《易》者濟世之書,孔子贊《易》以濟天下萬世,後人猶以《易》為教人卜筮之書,豈不痛哉!

《未済》卦:《大象伝》に「火水の上に在り、未済」と曰う。杭氏按:《既済》に至りては、変易は已に再び易うべき無くして窮尽す。然れども万物は窮尽しうべからざるなれば、ゆえに《序卦伝》は《未済》を用いて全経を収束す。「済」は即ち河を渡るなり。《泰》卦九二に「河を馮(ふ)みて用(ゆく)」と曰う。即ち徒歩して大河を渉るなり。坎離相交もまた河を渡るなり。(天と地との交界は、即ち陰と陽との交界なり。善悪・生死は皆この交界の上に在り。ゆえに人生は天地の間に在りて、陰陽の外を逃るる能わず。すなわちこの一道の界限を渡らざるべからず。仏経の言う所の「渡」とは、即ち《易》の言う所の「済」なり。已に彼岸に登れば、即ちすでにこの泰河を渡り了えり。《未済》は離上坎下の位置は未だ変動せず。正にまだ彼岸に登らざるに象(かた)る。これ仏経と《易》と名称は同じからざるも義理相通ずるの処なり。)所謂「済」とは、即ちこの河を渡るなり。《泰》卦は徒渉大河は馬の壮なるを頼るを講じ、《説卦伝》は坎は「馬に於ては亟心を為す」を講じ、《坎》卦《大象》は「徳行を常にす」を講じて立心恒有りて、加うるに乾の剛健不息・坤の地を行くに疆(かぎり)無きは、皆先後天の義理に合し、天地人三才の道を貫通す。六十四卦の往復循環は、帰根到底皆この一個の「済」の字の為なり。ゆえに《易》は一部の済世の書にして、孔子《易》を賛するは正に天下万世を済わんと欲するなり。後人は却って《易》を以て人に卜筮を教うるの書と為す。豈に人心を痛めしめずや!

卦別第五

《易》之為書,有天道焉,有地道焉,有人道焉。故《易》三畫而成卦。立天之道,曰陰與陽。立地之道,曰柔與剛。立人之道,曰仁與義。分陰分陽,迭用柔剛。故《易》六位而成章。三畫之卦,因而重之。為六畫之卦六十有四。《周禮》“太卜掌三《易》之法,《連山》、《歸藏》、《周易》,經卦皆八,其別皆六十有四”。經卦即乾坎艮震巽離坤兌三畫之卦,別卦則六畫之卦。三《易》法雖不同,而經卦別卦之數皆同。可見文王以前,早有六畫之卦。安得至《周易》始有後天八卦之方位乎?三代而後,師說紛歧,因卦有正反及上下左右相易,而皆別成一卦。故類別日多,稱名互異,後人幾無所適從。爰擇要疏錄,並各舉其例。以便初學。其名異而實同,或名同而各家之說互異者,名從其朔。要皆由別卦所孽乳,故署曰“卦別”。

《易》のこの書の裏に天道有り・地道有り・人道有れば、ゆえに《易》は三画を用いて一卦を成す。天の道を確立するを「陰」と「陽」と曰い、地の道を確立するを「柔」と「剛」と曰い、人の道を確立するを「仁」と「義」と曰う。陰を分かち陽を分かち、交替して柔と剛とを用うれば、ゆえに《易》は六個の爻位を要して始めて文章を成す。三画の卦を重叠すれば、すなわち六画の卦六十四个と為る。《周礼》に記載す。太卜は三種の《易》法を掌管す。即ち《連山》《帰蔵》《周易》なり。それらの経卦は皆八個にして、別卦は皆六十四个なり。所謂「経卦」とは、即ち乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌のこの八個の三画卦なり。「別卦」とは即ち六画の卦なり。三種の《易》の方法は同じからざるも、而して経卦・別卦の数目は全く一様なり。これを見れば文王以前は早くもすでに六画の卦有りし。何ぞ《周易》に至りて始めて後天八卦の方位有らんや。夏商周三代以後、各家師説は分歧す。一卦は正有り反有り、また上下・左右互換の種種の変化有るを以て、毎変一次するごとに別に一卦を成せば、ここに類別は越えて分かれ多く、名称彼此一ならず。後人ほとんど従うべき所無し。ここに要を擇んで疏列し出し、并せて各々例証を挙げて、以て初学に便ならしむ。その中名称同じからざるも実は一事を指す者、あるいは名称相同じくして各家説法互いに異なる者は、一律に最早の叫法を依りて準と為す。これらの名目は帰根到底皆「別卦」より孳生し出せるなれば、ゆえに標題を「卦別」と作す。

内卦外卦

重三為六畫,合兩卦成一卦。故六十四卦,每卦均有內外之分。卦畫由下生,故以下卦為內,上卦為外。泰否之“內陰”而“外陰”,“內柔”而“外剛”,即《象傳》之自舉其例也。 泰 乾內坤外。故《彖》曰“內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人”。 否 坤內乾外。故《彖》曰“內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子”。 觀泰否兩《彖》,內卦外卦之別,顯然易明。惟卦有以內外言者,有不必以內外言者。通變無常,各適其當,未可泥一端而論也。

三画の卦を重叠して六画を成すは、両個の三画卦を合して一卦を成すを以て、ゆえに六十四卦毎一卦皆内・外の分有り。卦画は自ら下より上に向かいて生成すれば、ゆえに下面のあの三画卦を以て「内卦」と曰い、上面のあのを「外卦」と曰う。《泰》《否》両卦の講ずる所の「内…而して外…」「内柔にして外剛」のこの一類の言は、正に伝文自ら挙出せる体例なり。《泰》卦は乾は内に在り坤は外に在り。ゆえに《彖伝》に「内陽にして外陰、内健にして外順、内君子にして外小人」と曰う。《否》卦は坤は内に在り乾は外に在り。ゆえに《彖伝》に「内陰にして外陽、内柔にして外剛、内小人にして外君子」と曰う。《泰》《否》のこの両条《彖伝》を看れば、内卦と外卦の分別はすなわち明明白白なり。ただし六十四卦中、以て内外を講ずべき有り、また必ずしも内外を講ずるを須せざる有り。通変はもとより定則無く、各々其の宜に随いて、一端を拘執して以て論ずべからず。

陰卦陽卦

《繫傳》曰:“陽卦多陰,陰卦多陽。陽卦奇,陰卦偶。”此專指六子之卦言也。後天以用為先,故以少者為主。一陽之震坎艮為陽卦,一陰之巽離兌為陰卦。而先天以體立言,則取多者為主。故兌巽以二陽之卦,合為澤風大過,言陽過乎中也。震艮以二陰之卦,合為雷山小過,言陰過乎中也。乾坤坎離,各得陰陽之中,皆三畫卦也。

《繋辞伝》に曰く、「陽卦は陰多く、陰卦は陽多し。陽卦は奇にして、陰卦は偶なり」と。これ専ら乾坤の生ずる所の六子の卦に就いて言う。後天は功用を以て先と為すれば、ゆえに爻数少なきの一方を取りて主と為す。一根の陽爻を含む震・坎・艮は陽卦と算し、一根の陰爻を含む巽・離・兌は陰卦と算す。而して先天は本体に就いて立言するれば、すなわち爻数多きの一方を取りて主と為す。ゆえに兌・巽は皆両陽の卦と算し、両者相合して沢風《大過》を成す。講ずる所は陽の中を過ぐるなり。震・艮は皆両陰の卦と算し、両者相合して雷山《小過》を成す。講ずる所は陰の中を過ぐるなり。至りて乾・坤・坎・離は、各々陰陽の中を得――乾は純陽・坤は純陰・坎離は陰陽各半――以上の言う所はなお皆三画の卦なり。

若六畫之卦,其陰陽之分,例至不一。有以卦言者,則乾與三男為主者稱陽卦,坤與三女為主者稱陰卦。有以爻為主者,則以奇爻為主者稱陽卦,偶爻為主者稱陰卦。自宋以後,諸說紛歧。有以邵子陽儀陰儀立論者,有以闢卦陰陽所生分別者,有以《序卦》之先後分陰陽者,如屯陽蒙陰需陽訟陰之類。雖各言之成理,要皆有當有不當。蓋乾坤為《易》之門,六子生自乾坤。八純而外,餘五十六卦。雖各有陰陽之分,必先明其體用,而後有分陰分陽之可言。以體用交互,體陽者用必陰,體陰者用必陽。準此以觀,諸家之圖說,自可瞭然矣。

至りて六画の卦は、陰陽の劃分の体例はすなわち極めて一律ならず。卦上より講ずる有り。乾と三男とを以て主と為すを陽卦と称し、坤と三女とを以て主と為すを陰卦と称す。爻上より講ずる有り。奇数の爻(陽爻)を以て主と為すを陽卦と称し、偶数の爻(陰爻)を以て主と為すを陰卦と称す。宋代以後、各家説法さらに加えて分歧す。邵雍「陽儀」「陰儀」に依りて論を立つる有り、十二辟卦の生ずる所の陰陽に按じて分別する有り、《序卦伝》先後次序を照りて陰陽を分かつ有り――《屯》は陽に属し《蒙》は陰に属し、《需》は陽に属し《訟》は陰に属すの類のごとし。各家皆講じて理を成すと言うも、総じて講じ通ずるの処有りてまた講じ通らざるの処有り。須らく知るべし、乾・坤は《易》の門戸にして、六子は皆乾坤より生ず。八個の純卦の外になお五十六卦有りて、各々陰陽の分有りと言うも、却って必ず先ずそれらの体と用とを弄清して、然る後に始めて分陰分陽を談ずるに及ばん。体と用とは交互なるを以てなり。体は陽に属する者は、用は必ず陰に属し、体は陰に属する者は、用は必ず陽に属す。この準則を照りて往きて看れば、各家の図説は自然に一目瞭然なり。

貞卦悔卦

卦之有貞悔,亦如爻之有動靜也。悔古作每卜。論卦體,則內貞而外悔。言占卜,則靜貞而動悔。坤之六三曰“含章可貞”,乾之上九曰“亢龍有悔”,此內貞外悔,經文之自舉其例也。《左傳》:“秦伯伐晉,卜徒父筮之,其卦遇蠱。曰:蠱之貞風也,其悔山也。”亦內貞外悔之一例也。《國語》:“秦伯召公子重耳於楚,楚子厚幣以送公子於秦。公子親筮之曰:尚有晉國。得貞屯悔豫皆八。”此靜貞動悔之例也。

一卦は「貞」有りて「悔」有るは、一爻の静有り動有るがごとし。「悔」の字は古文は上「毎」下「卜」と写す。卦体に就いて言えば、内卦を貞と為し外卦を悔と為す。占卜に就いて言えば、変らざるを貞と為し変動するを悔と為す。《坤》卦六三に「章を含みて貞にすべし」と曰い、《乾》卦上九に「亢竜悔有り」と曰う。これ内貞外悔にして、経文自ら挙出せるの例なり。《左伝》に記載す。秦穆公は晋国を討伐して、卜徒父は彼が為に筮を起こし、《蠱》卦を得て曰く、「《蠱》の貞は風(下体巽)にして、其の悔は山(上体艮)なり」と。これもまた内貞外悔の一例なり。《国語》に記載す。秦穆公は楚国より公子重耳を召請して、楚王は厚礼を備えて公子を以て秦国に送往せり。公子は自ら筮を起こして、祷辞に曰く「但だ晋国を得んことを願わん」と。占して「貞《屯》悔《豫》皆八」を得たり。これ即ち変らざるを貞と為し変動するを悔と為すの例なり。

消卦息卦

《左傳正義》曰:“伏羲作十言之數,曰乾坤震巽坎離艮兌消息。”虞仲翔氏,即本此十言立說。《荀九家易注》:“泰卦曰陽息而升,陰消而降。”虞氏十二消息,復臨泰大壯夬乾為息卦,姤遁否觀剝坤為消卦。《易》曰:“君子尚消息盈虛,天行也。”又曰:“天地盈虛,與時消息。”故陰陽往復,此息則彼消,此消則彼息,亦卦義相傳之最古者也。卦例圖說詳下《卦候》章。

《春秋左伝正義》に曰く、「伏羲は創制して十言の数を為す。即ち乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌に、消・息を加う」と。三国虞翻(字は仲翔)は即ちこの十個の字に依拠して説を立つるなり。《荀爽九家易注》は《泰》卦を解して曰く、「陽気は生長して上升し、陰気は消退して下降す」と。虞翻の言う所の十二消息卦は、《復》《臨》《泰》《大壮》《夬》《乾》を「息卦」と為し、即ち陽気は月を逐いて生長す。《姤》《遁》《否》《観》《剥》《坤》を「消卦」と為し、即ち陰気は月を逐いて生長す。《易》の裏に「君子は消息盈虚を尚(たっと)ぶ、天の行なり」と曰い、また曰く「天地盈虚して、時与(とも)に消息す」と。ゆえに陰陽は往復已まずして、こちらは生長すれば即ちかちらは消退し、こちらは消退すれば即ちかちらは生長す。これもまた卦義中の相伝え最も古きの一種なり。具体の卦例と図説とは、詳しくは下面《卦候》の一章を見よ。

往卦来卦

易道陰陽往來,乾圓往屈,坤方來信,往來屈伸。而六十四卦陰陽,與時消息,循環不窮。數往者順,知來者逆。《序卦》首乾坤終既未濟。乾往卦,坤來卦。屯往卦,蒙來卦。至既濟往卦,而未濟來卦,一往一來,各以其序。順逆之數,皆天地自然之法象也。

《易》道は陰陽往来を以て宗と為す。乾体は円にして、其の往は屈と為る。坤体は方にして、其の来は伸と為る(「信」は即ち「伸」なり)。一往一来は正に一屈一伸なり。六十四卦の陰陽は時に随いて消長して、循環窮無し。《説卦伝》に「往を数うるは順にして、来を知るは逆なり」と曰う――已往を推算するは順行の序に依り、将来を預知するは則ち逆推の数を用う。《序卦伝》は乾・坤に起こりて《既済》《未済》に終わる。乾は往卦にして、坤は来卦なり。《屯》は往卦にして、《蒙》は来卦なり。かくのごとく一直に排して《既済》に至るを往卦と為し《未済》を来卦と為す。一往一来、各々其の次序に依る。この種の順逆の数は、皆天地自然の法象なり。

対卦

對卦(旁通、錯卦、類卦)者,陰陽相對。如乾對坤,坎對離,屯對鼎,蒙對革,頤對大過,中孚對小過之類。虞氏謂之旁通,來知德氏謂之錯卦,《周易指》謂之類卦,皆對卦也。六十四卦相對者八,皆自為一卦。不相對者二十八卦,反之別為一卦,得五十六卦。然不相對者,亦各有其相對之卦。略例如右:以上八卦,陰陽相對,反覆不衰,有對而無反者也。餘卦類推,有對而又有反者也。

所謂「対卦」(また旁通・錯卦・類卦と曰う)とは、両卦六爻の陰陽全く相反するを指す。たとえば《乾》は《坤》に対し、《坎》は《離》に対し、《屯》は《鼎》に対し、《蒙》は《革》に対し、《頤》は《大過》に対し、《中孚》は《小過》に対するの類なり。虞翻はこれを称して「旁通」と為し、来知徳はこれを称して「錯卦」と為し、端木国瑚《周易指》はこれを称して「類卦」と為す。講ずる所皆対卦なり。六十四卦中、倒せ来れば依然本身たるの八個の卦有りて、各々自ら一卦を成す。其余この一類に属せざるの二十八个卦は、一たび倒転せられれば便ち別に一卦を成し、合わせて共に五十六卦と為る。ただしあの倒転して能く別に一卦を成すも、また各々別にそれと相対するの卦有り。大略の例子を列挙して下のごとし。以上のこの八個の卦は、陰陽彼此相対して、而して整卦倒転し来れば形状変らず。「対」有りて「反」無きの一類に属す。其余の各卦はこれに依りて類推して、皆すでに「対」有りてまた「反」有るなり。

覆卦

覆卦(反卦、綜卦)者,一卦覆之而又別成一卦者也。如屯之覆為蒙,需之覆為訟,師之覆為比。六十四卦,除乾坤坎離等八卦,餘五十六卦皆有覆卦也。漢人亦曰反卦,來知德氏謂之綜卦。(來氏謂綜者如織布扣經之綜,一上一下者也,故名反覆之卦為綜。然覆實上下相倒置,非一上一下之謂,綜之名殊未確合,故非議者甚多。)如震反為艮,巽反為兌。而震之與巽,艮之與兌,又為對卦也。餘卦類推。若泰否既未隨蠱漸歸妹等卦,對而兼覆,所謂反覆不衰者也。

所謂「覆卦」(また反卦・綜卦と曰う)とは、一卦を把(と)りて整箇倒してまた別に一卦を成すなり。たとえば《屯》を倒せば《蒙》を成し、《需》を倒せば《訟》を成し、《師》を倒せば《比》を成す――所謂「倒」とは、六爻の上下次序を把りて整箇顛倒するなり。六十四卦裏、乾・坤・坎・離等の八個の倒転して変らざる卦を除去して、其余五十六卦は皆各々自己の覆卦有り。漢代人もまたこれを「反卦」と曰い、来知徳はこれを称して「綜卦」と為す。(来氏は「綜」を言うや、織布の時に経線を提放する綜片のごとく、一上一下すれば、ゆえに反覆の卦を「綜」と呼ぶと。然れども「覆」は其の実整卦上下倒置にして、並びに一上一下に非ず。「綜」のこの名称は甚だ貼切ならず。ゆえに非議する者多し。)また三画卦震を倒せば艮を成し、巽を倒せば兌を成すのごとし。而して震と巽、艮と兌とは、彼此また互いに対卦を為す。其余の各卦はこれに依りて類推せよ。至りて《泰》《否》、《既済》《未済》、《随》《蠱》、《漸》《帰妹》等の卦は、則ちすでに相対してまた相覆するなり。即ち所謂「反覆して衰えざる」なり。

交卦

交卦(兩象易、上下易)者,本卦內外兩象,交相易位。內卦出外,外卦入內。虞氏謂之兩象易,亦有謂上下易者,向無定稱。今以其內外交易,故名之曰交卦,取便演講時之辨識,非敢云確當也。(來氏謂綜者一上下,以名此卦,或尚相近。惜數一百年來稱名久混,不能用也。)交卦之義,互見於經傳甚多。略舉如左:如天澤履與澤天夬,內外兩象,交相易位者也。故履上九曰“夬履,貞厲”。又如雷風恆與風雷益,內外兩象,交相易位者也。故恆曰“立不易方”,益曰“為益無方”。各卦以此類推,《彖》、《象》之相互見義者,厥例正多,不勝縷指也。

所謂「交卦」(また両象易・上下易と曰う)とは、本卦内外両象を把りて位置を交換するなり。内卦は外面に升りて往き、外卦は裏面に落ちて来る。虞翻はこれを称して「両象易」と為し、またこれを「上下易」と呼ぶ者有り。向來定名無し。今やそれが内外相交にして位を換うるを以て、ゆえに我はこれが為に名を取りて「交卦」と曰う。講授の時分辨に便ならんが為にして、並びに敢えてこの名字の甚だ確当なるを言わず。(来知徳の言う所の「綜」は一上一下にして、拿て来りてこの一類の卦を称呼せば、或いはなお比較的接近せん。惜しいかな数百年來名称は久しく混淆して、再び用いる能わざるなり。)「交卦」の意義は経伝中互いに印証するの処甚だ多し。略々幾例を挙ぐ。天沢《履》と沢天《夬》のごときは、即ち内外両象位置を交換するの一対なり。ゆえに《履》卦上九に「夬履して貞めば厲(あや)うし」と曰う。また雷風《恒》と風雷《益》のごときも、また内外両象位置を交換するの一対なり。ゆえに《恒》卦に「立ちて方を易えず」と曰い、《益》卦に「益を為すに方無し」と曰う。其余の各卦はこれに依りて類推せよ。《彖伝》《象伝》彼此対照して始めて意義を見出すは、例子正に多くして挙げ尽くす能わず。

半対卦

半對者,本卦之內外兩象,有一象易為對卦,(如乾易坤、震易巽之類)或內或外,均與所易之卦,象義相關。其例如下:如雷澤歸妹,外卦之雷易為風,成風澤中孚,是上半之對卦也,故歸妹曰“月幾望”,中孚亦曰“月幾望”。又如山水蒙,外卦之山易為澤,成澤水困,亦上半之對卦也。故蒙曰“困蒙”。

所謂「半対」とは、本卦内外両象の中に、一象を把りてその対卦に換うる(乾を把りて坤に換え、震を把りて巽に換うるの類)を言う。換うる所の内象なるか外象なるかを論ぜず、換え成すの後のあの一卦は、本卦と象と義の上に於て彼此相関す。例子は下のごとし。雷沢《帰妹》のごとき、外卦の雷(震)を把りて風(巽)に換えれば、すなわち風沢《中孚》と成る。これ上半相対の卦なれば、ゆえに《帰妹》六五に「月幾(ほと)んど望(もち)なり」と曰い、《中孚》六四にまた「月幾んど望なり」と曰う。また山水《蒙》のごとき、外卦の山(艮)を把りて沢(兌)に換えれば、すなわち沢水《困》と成る。もまた上半相対の卦なれば、ゆえに《蒙》卦六四に「蒙に困む」と曰う。

以上為上卦對易者也,名曰“上對”。其下卦對易者,更舉例如左:如天澤履,內象之澤易為山,成天山遁,是下半之對卦也。故履曰“履虎尾”,遁曰“遁尾”。又如地水師,內象之水易為火,成地火明夷,亦下半之對卦也。故師曰“左次”,明夷曰“左股”。以上為下卦對易者也。無論上下卦對易,與所易之卦,象義必相聯貫。惟有見於《彖》、《象》者,有不見於《彖》、《象》者。然雖不見於《彖》、《象》,而其意義自在。潛心玩之,必有所得也。

以上講ずる所は上卦対換の情形にして、「上対」と名づく。至りて下卦対換の者は、再び例を挙げて下のごとし。天沢《履》のごとき、内象の沢(兌)を把りて山(艮)に換えれば、すなわち天山《遁》と成る。これ下半相対の卦なれば、ゆえに《履》卦に「虎の尾を履む」と曰い、《遁》卦初六に「遁尾なり」と曰う。また地水《師》のごとき、内象の水(坎)を把りて火(離)に換えれば、すなわち地火《明夷》と成る。もまた下半相対の卦なれば、ゆえに《師》卦六四に「左次(ひだりとど)まる」と曰い、《明夷》六二に「左股に夷(やぶ)る」と曰う。以上講ずる所は下卦対換の情形なり。上卦対換なるか下卦対換なるかを論ぜず、本卦と換え成す所のあの一卦とは、象と義の上に於て必ず互相聯貫す。ただ《彖伝》《象伝》裏に見え得る者有り、《彖》《象》裏に見えざる者有るのみ。然れども《彖》《象》に明言せざると雖も、あの一層の意義は依然として存す。心を潜めて玩味せば、必ず領会有る所あらん。

半覆卦

半覆卦者,與半對卦同例。或內或外,各以覆象所得之卦求之,其義自見。舉例如左:如水雷屯,內卦之雷覆為山,成水山蹇,即下半之覆卦也。故“屯難也”,“蹇難也”。又如天雷無妄,內卦之雷覆為山,成天山遁,亦下半之覆卦也。故無妄曰“無妄之疾”,遁曰“有疾厲”。無妄曰“行人得牛”,遁曰“執用黃牛”。

「半覆卦」の取法は前面の講ずる「半対卦」と同じ体例なり。一個の六画卦の内外両個の三画卦象の中、ただその中の一象を把りて整箇倒転し来りて、その「覆象」を取り、別の一象は依然として動かざるによりて得出せる新卦は、本卦の義理と自然相通ず。例を挙げて言えば、水雷屯卦は、内卦は震雷にして、震を把りて倒転し来れば便ち艮山を成し、全卦はすなわち変じて水山蹇を作す。これ下半截取の覆卦なり。ゆえに《序卦伝》は屯は「難」と言い、蹇もまた「難」と言う。両卦は同じく険難を以て義を立つ。また天雷无妄卦は、内卦の震雷を倒転して艮山と為れば、全卦は変じて天山遁を成す。もまた下半截取の覆卦なり。ゆえに《无妄》九五は「无妄の疾」を講じ、《遁》九三は「疾有りて厲し」を講ず。皆疾病を言い及ぶ。《无妄》六三は牛の人に牽かれ行かれ「行人」これを得るを言い及び、《遁》六二は「黄牛の革を用いて之を執(つか)む」と曰う。皆牛より象を取る。両卦の用語彼此照応するは、正にそれらが半覆の関係なるを以てなり。

以上下半之覆卦也,名曰“下覆”。其上卦易為覆卦者,為例亦同。更略舉如左:如山天大畜,外象之山覆為雷,成雷天大壯,即上半之覆卦也。故大畜“利貞”,大壯“利貞”。大畜曰“輿說輹”,大壯曰“壯于大輿之輹”。又如風天小畜,外象之風覆為澤,成澤天夬,亦上半之覆卦也。故小畜曰“惕出”,夬曰“惕號”。小畜曰“既雨”,夬曰“遇雨”。

以上皆下半截取覆卦の例にして、「下覆」と命名す。若し換えて上卦に覆象を取らば、体例全く一様なり。再び略々数例を挙ぐ。山天大畜卦は、外象は艮山にして、艮を倒転して震雷を成せば、全卦は変じて雷天大壮を作す。これ上半截取の覆卦なり。ゆえに《大畜》卦辞に「貞に利(よろ)し」と曰い、《大壮》卦辞にまた「貞に利し」と曰う。《大畜》九二に「輿は輹(ふく、車廂と車軸の間の伏兎)を説(ぬ)く」と曰い、《大壮》九四に「大輿の輹に壮(やぶ)る」と曰う。両卦は皆車軸伏兎より象を取る。また風天小畜卦は、外象は巽風にして、巽を倒転して兌沢を成せば、全卦は変じて沢天夬を為す。もまた上半截取の覆卦に属す。ゆえに《小畜》六四に「血去り惕(いつくし)み出づ」と曰い、《夬》九二に「惕み号(よばわ)る」と曰う。同じく戒懼を講ず。《小畜》上九に「すでに雨しすでに処(とど)まる」と曰い、《夬》九三に「雨に遇えば濡るるがごとし」と曰う。同じく雨に遇うを講ず。

以上上半之覆卦也,名曰“上覆”。覆卦亦稱反易,故互見之義,往往相反。如地山謙下覆為地雷復,謙曰“利用征伐”,復曰“十年不克征”,其最顯著者也。昔人不解八卦相錯,即六十四卦相錯之義,每卦只於六爻中摸索,望文生義,宜無從索解者多矣。

以上皆上半截取覆卦の例にして、「上覆」と命名す。覆卦はまた「反易」と曰う。それは一個の三画卦を把りて整箇倒すを以て、ゆえに両卦互見の義理は往々恰好相反す。たとえば地山謙卦は、下面の艮山を倒転して震雷を成せば、全卦は変じて地雷復を作す。《謙》は「征伐を用うるに利し」と言う可しと曰い(六五は「侵伐を用うるに利し」と言い、上六は「師を行い邑国を征するを用うるに利し」と言う)、《復》上六は却って「十年に至るまで征に克たず」と曰う。十年も兵を出す能わざるなり。一辺は征する宜しく一辺は征する能わず。これ覆卦の義理相反する最も顯著の例証なり。従前の人は八卦両々相錯り、推して六十四卦彼此相錯るに至るの道理を明白にせず。一卦を読めばただこの一卦の六爻の裏に摸索し、字面に照りて意思を猜(はか)る。难怪《易》中にあの多くの講じ通らず解き開かざるの言有るや。

上下対易卦

上下對易者,本卦上下兩象,自相對易。如泰否既未濟之類。象既對易,卦義必自相對。如泰否,上下自相對易者也。故泰曰“小往大來”,否曰“大往小來”,自相對舉。既未濟言上下例同,不贅。

所謂「上下対易」とは、本卦の上下両個の三画卦象が彼此位置を互換するを指し、《泰》と《否》、《既済》と《未済》のこの一類のごときなり。すでに両象対調せりと雖も、卦義もまた必ず彼此相対立す。《泰》《否》を以て例とせば、地天泰の上下両象一たび交換せば、すなわち天地否と成る。これ正に上下自ら相対易するなり。ゆえに《泰》卦辞に「小往き大来る」と曰い、陰柔は外に往き、陽剛は内に来る。《否》卦辞に「大往き小来る」と曰い、陽剛は外に往き、陰柔は内に来る。両句は恰好針鋒相対す。既済と未済との講ずる上下両象互易の道理はこれと同じくして、再び贅言せず。

上下反易卦

上下反易者,本卦上下兩象,自相反易,如頤如大過及中孚小過之類。象既反易,卦義亦往往見相反之意。舉例如下:頤,山雷頤,上下兩象,自相反易。故《象》曰“道大悖也”。悖字古文本從兩或字,正反相對。一字之微,其與卦象之適合精當至此,謂非造化之筆哉!

所謂「上下反易」とは、本卦の上下両個の三画卦象が互いに倒転の象を為すを指し、たとえば頤卦・大過卦および中孚・小過のこの一類のごときなり。すでに両象彼此翻転の関係たれば、卦義もまた往々正反相背の意思を顕出す。例を挙げて説明す。頤は山雷頤にして、上艮下震なり。震を倒せば恰好艮を為し、艮を倒せば恰好震を為して、上下両象自ら相反易す。ゆえに《頤》六三《象伝》に「道大いに悖(もと)るなり」と曰う。「悖」の字の古文はもとより両個の「或」の字より構成して、一正一反彼此相対して、字形本身すなわち相背の象なり。一個の字の細微の処も、竟て能く卦象とかくも精当に契合し得べし。これ豈に造化の筆に非ずや!

頤之名,取上下相合。而上止下動,非頤亦無以確肖其象。而象之上下,又為反易。玩《彖》、《象》六爻,無不各顯其義。神矣哉!又如大過,澤風大過,亦上下兩象自相反易。故象取枯楊生稊,枯楊生華,亦以示反常之意也。

「頤」のこの卦名は、取る所は上下の顎相合して口腮を成すの義なり。上卦艮は止を為し、下卦震は動を為して、上顎動かずして下顎開合す。「頤」の外にさらに別の物象能くかくも貼切にそれを摹写し得る無し。而してこの両象上下の間はまた恰好反易の関係なり。《彖伝》《象伝》と六爻爻辞とを細玩すれば、一処として各々この層の意思を透し出さざる無し。真に神妙なり!また大過卦のごときは、沢風大過にして、上兌下巽なり。兌の倒転して巽を為し、巽の倒転して兌を為すも、また上下両象自ら相反易に属す。ゆえに卦中の取象に「枯楊稊(に)を生ず」と曰い、枯萎せる楊樹が却って新芽を抽出す。又曰く「枯楊華を生ず」と、枯楊が却って開花す。同じく用て反常顛倒の意思を表すなり。

半對半覆以下,古人皆未嘗言之。觀象玩辭,發見各卦之互見其義,或互見其名者,於卦象無不相關。反覆推求,始知皆由於上下兩象,各有正對反對之故。《彖》、《象》經傳,不啻自舉其例,至為明顯。遍徵各卦,無不貫通。一旦豁然,如撥雲霧,而見天日。因廣對卦覆卦之意,類別其名,以便講習之稱引。然字累而文不雅馴,殊為歉憾。海內外專精小學名學之君子,能各撰一簡賅切當之名,畀垂久遠,則著者所寤寐求之,馨香祝之者焉。

「半対」「半覆」以下のこの幾類の卦例は、古人皆曾て説かざりしなり。我は卦象を観察し卦爻辞を玩味して、各卦の間義理互見し、甚至卦名互見するの現象を発見せり。一として卦象と相関せざる無し。反覆推求して、始めて明白にせり。これ皆上下両個の三画卦象が各々「正対」(陰陽全く変ず)と「反対」(上下倒転)の両条の路数有るより出づるなり。《彖伝》《象伝》のこれらの経伝は、自ら凡例を摆し出せるに等しく、再び明白なるより過ぐるなし。遍く各卦を査せば、貫通せざる無し。一旦豁然開朗せば、雲霧を撥きて天日を見るがごとし。ここに我は「対卦」「覆卦」の意思を推広して、分門別類してそれらの為に名を立て、講習の時に称引に便ならしめんと欲す。ただこれらの名目は字数累贅にして、文辞は雅正に足らず。甚だ遺憾とす。海内外の文字訓詁と名学とに精通せる君子は、若し各々一個の簡明貼切の名称を撰してこれを久遠に流伝せしめば、則ち正に我が夢寐も忘れず焚香祝祷して盼望する所なり。

之卦

《繫傳》曰:“爻也者,各指其所之。”之,往也,由此往彼也。《左傳》蔡墨曰“坤之乾,亦乾之坤”,言八卦陰陽相交,奇偶相易。虞仲翔氏專言之正,謂不當位之爻(如陽爻之二四六,陰爻之一三五。),皆當之而當位。

《繋辞伝》に曰く、「爻とは、各々その之く所を指すなり」と。「之」は即ち往にして、此処より彼処に前往す。《左伝》に記載す。晋国太史蔡墨は「坤の乾に之く、また乾の坤に之く」と曰う。講ずる所正に八卦陰陽相交して、奇画と偶画と彼此交換するなり。三国虞翻(字は仲翔)は専ら「之正」を講じて、凡そ位に当たらざるの爻は――原注:たとえば陽爻は二・四・六のこれらの偶数位に処り、陰爻は一・三・五のこれらの奇数位に処る――皆当に変動一次して以て当位に帰るべしと認む。

乾之二四六爻不當位,之坤之一三五則當位。坤之一三五不當位,之乾之二四六則當位。名曰“之正”,謂之而得其正也。惟乾之坤,坤亦之乾,則乾坤兩卦,成兩既濟。既濟定,陰陽消息,皆止而不行,乾坤幾乎息矣。故又以成兩既濟為凶。

乾卦の二・四・上三爻は陽の偶位に居るにして、位に当たらざるに属す。坤卦の一・三・五のあれらの奇位に往けば位に当たれり。坤卦の一・三・五爻は陰の奇位に居るにして、位に当たらざるに属す。乾卦の二・四・六のあれらの偶位に往けば位に当たれり。これを称して「之正」と為し、意思は一往すればすなわち其の正を得るなり。然れども乾は坤に往き坤もまた乾に往いて、両卦交換するの後、乾坤は便ち皆既済卦と変成す。既済一成すれば、卦体は定めて死し、陰陽の消長は全く停まりて動かず、乾坤ほとんど熄滅せんとす。ゆえに虞氏はまた「両既済を成す」を判じて凶と為す。

必乾初之坤四而上之坤三,然後旁通交變以周六十四卦。初上未動,而二五先行,亦為凶。焦理堂《易通釋》,又本此以演為《時行》、《失道》各圖。要皆一家之言,足備參考。若泥其例以言《易》,多窒礙難通,學者不可不知也。

虞氏の例に依れば、必ず先ず乾の初九を坤の六四に往かせ、乾の上九を坤の六三に往かせ、然る後に再び旁通交変せしめて、始めて六十四卦に周流する能くす。若し初爻・上爻なお未だ動かざるに、二爻・五爻は先に争い変動せば、また凶と算す。清人焦循(字は理堂)の《易通釈》は、またこの套の説法に拠りて《時行》《失道》の諸図を推演せり。これら皆一家の言に過ぎず、備えて参考を作すべし。若しこの套の体例を拘泥して以て《周易》を解説せば、処処窒碍して通じ難し。《易》を学ぶ者はこの一点を知らざるべからざるなり。

右為乾坤二卦之正,餘卦類推。惟占家言卦變亦曰之,則不以一爻為限。三爻變至五爻變,皆以所變之卦為之。如乾之剝,家人之睽。一卦變六十三卦,皆謂之曰之卦也。詳《學易筆談初集》。

以上の講ずる所は乾・坤両卦「之正」の情形にして、其余の各卦はこれに照りて類推すべし。ただし占筮家は卦変を講ずる時もまた一個の「之」の字を用うれば、則ち一爻変動に限らず。三爻変より五爻変に至るまで、皆変じて成るあの卦を以て「之某卦」と称す。たとえば「乾の剥に之く」「家人の睽に之く」なり。一卦は能く其余の六十三卦を変出し、全く「之卦」と称す。詳しくは我が著わせる《学易筆談初集》を見よ。

互卦

互卦(中爻、約象)者內外四爻,二至四,三至五,又各成三畫之卦一。兩卦交互,又成兩卦,故漢人謂之互卦。京氏曰:“會於中而以四為用,一卦備四卦者,謂之互。”崔氏子元曰:“中四爻雜合所主之事,撰集所陳之德,能辨其是非,備在中四爻也。”(京氏所謂一卦備四卦,以本卦內外兩象,更以二至四三者至五,又各得一卦,合為四卦也。)

「互卦」(また「中爻」「約象」と称す)とは、一個の六画卦内外の間の四爻を取るなり。第二爻より第四爻に至りて一個の三画卦を組成し、第三爻より第五爻に至りてまた一個の三画卦を組成す。両卦交互して、別に両個の卦を生出すれば、ゆえに漢代人はこれを称して「互卦」と為す。京房曰く、「中に会して四を以て用と為し、一卦に四卦を備うる者は、これを互と謂う」と。崔憬(字は子元)曰く、「中間の四爻は錯雑して卦の主たる事を包涵し、卦の陳する徳を汇集し、能く是非を辨别して、全くこの四爻の裏に具備せり」と。――原注:京房の謂う所の一卦に四卦を備うとは、本卦すでに内外両個の三画卦象有りて、さらに二至四・三至五より各々一卦を得て、合わせて共に四卦を為すを説くなり。

《繫傳》曰:“《易》之為書也,原始要終,以為質也。六爻相雜,唯其時物也。其初難知,其上易知,本末也。初辭擬之,卒成之終。若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備。噫!亦要存亡吉凶,則居可知矣。”

《繋辞伝》に曰く、「《周易》のこの書は、事物の開端を推原し、事物の終局を帰結して、これを以て其の本質と為す。六爻互相錯雑するは、ただ各々其の時に随い各々其の物を象るのみ。初爻の意思は看清し難く、上爻の意思は明白し易し。一は本を為し一は末を為すを以てなり。初爻の爻辞はただ其の開端を擬議し、上爻に至りて乃ち最後に完成す。至りて万物を錯雑し、其の徳性を撰述し、是と非とを辨别すれば、則ち中間四爻に凭らざれば斉備する能わず。嗚呼!存亡吉凶の関鍵を抓住せんと欲せば、安坐してもまた推知すべし」と。

又曰:“二與四,同功而異位,其善不同。二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利遠者。其要無咎,其用柔中也。三與五,同功而異位。三多凶,五多功,貴賤之等也。其柔危,其剛勝耶?”(阮氏《校勘記》:其用柔中也“用柔”下有“得”字。)

《繋辞伝》にまた曰く、「二爻と四爻とは、功用相同じくして位置同じからず。ゆえに両者の善もまた一様ならず。二爻は多く称誉を得、四爻は多く畏懼有り。これ則ち四爻が君位に逼近するを以てなり。柔順の道は尊位に遠離するに利せず。二爻の能く過無きを求め得る所以は、正に其の柔を用いてかつ中に居るに在り。三爻と五爻とも、また功用相同じくして位置同じからず。三爻は多く凶険有り、五爻は多く功業有り。これ貴賤等級の差別なり。この類の位置に処して、柔を用いれば危険にして、剛を用いて乃ち勝任せんか」と。――原注:阮元《校勘記》は指出す。「其の用柔中なり」の一句は、「用柔」の下面にさらに一個の「得」の字有りと。

《繫傳》之言中爻,詳矣備矣。字字精實,孕育宏深,不可忽略。即以六爻言,初上及中四爻之時位象數,已劃然分明。後儒尚有疑互卦為非聖人之說者,則承掃象之餘習,不辨中爻二四三五之說,他更無論矣。《繫傳》既詳備至此,而《左傳》之說,尤可為三代言易不廢中爻之確證。為圖如下:

《繋辞伝》の中爻を講ずるや、詳尽完備と言うべく、字字精実にして、含藴宏深にして、決して軽易に放過すべからず。単に六爻に就いて論ずれば、初爻・上爻と中間四爻との各々の時・位・象・数は、すでに劃分するや清清楚楚なり。後世儒者は竟てさらに人の互卦は聖人の説法に非ずと疑う者有るは、則ち王弼「掃象」の余習を承襲して、《繋辞伝》裏の二と四・三と五とのこの層の中爻の説さえ分辨し出せず。其他はさらに言うを須たず。《繋辞伝》すでに詳備するやこの地步に至りて、而して《左伝》の載する所の筮例は、さらに以て夏商周三代《易》を講ずるに中爻を廃せざるの確証と作すべし。今や図を作して下のごとし。

《左氏傳》:“敬仲之將生也,周史有以《周易》見陳候者,陳候使筮之,遇觀之否(四爻動,偶變奇,風地觀變天地否)。曰:是謂觀國之光,利用賓于王。又曰:坤土也,巽風也,乾天也。風為天(風為天,猶云風變天,即巽變乾也)於土上,山也。”謂觀中爻三至五為艮,變否二至四亦為艮,此言互卦之最古者。

《左伝》に記載す。「陳厲公の子敬仲の将に生まれんとする時、周王室の太史は《周易》を携えて陳侯に見え、陳侯は彼に請いて占筮せしめ、観卦を得て否卦と変ず――原注:第四爻変動して、偶画は奇画と変成し、風地観はここに天地否と変ず。太史曰く、これ則ち所謂「国の光を観る、王に賓するに用うるに利し」なり。又曰く、坤は土にして、巽は風にして、乾は天なり。風は天と変ず――原注:「風は天と為る」とはすなわち風が天と変成し、即ち巽が乾と変成すを説く――而して土の上に処る。これ便ち山の象なり」と。太史は何を以てか坤土・巽風・乾天の外に忽然として一個の「山」を断出せん。関鍵は正に互卦に在り。観卦は第三爻より第五爻に至りて互出して艮を為し、艮は山を為す。否卦と変成するの後、第二爻より第四爻に至りて同じく互出して艮を為して、依然として山なり。ゆえに彼は敢えてこれに拠りて説を立つ。これ互卦を講ずる最も古き一条の記載なり。

故《朱子語錄》曰:“互體如屯卦震下坎上,就中四爻觀之,自二至四,則為坤。自三至五,則為艮。互體漢儒多用之。《左傳》中說占得觀卦處亦分明,看來此說亦不可廢。”蓋其時言易者,皆莫明中爻,而反對互卦。故朱說云爾。

ゆえに《朱子語類》に曰く、「互体とは、たとえば屯卦は震は下に在り坎は上に在れば、中間四爻に就いて看れば、二至四より則ち坤を成し、三至五より則ち艮を成す。互体は、漢代儒者多くこれを用う。《左伝》裏の観卦を占得するのあの一処もまた講じて分明なり。看るにこの説法もまた廃棄すべからず」と。大概朱熹当時《易》を講ずる人は皆中爻を明白にせずして、一味に互卦に反対せり。ゆえに朱子は始めてかくのごとく言えり。

《繫傳》言中爻謂二五三四,初與上不與焉。因二與五為本卦上下兩象之中爻,三為二至四成一卦之中爻,四為三至五成一卦之中爻,故四者皆謂之中爻。然後人之言互卦者,則不僅二三四五,實合初上與二三四五言之。又自五至上,復反至初言之,皆謂之互。故京氏又謂之約象。觀《雜卦傳》兩卦對舉,中爻皆成互卦。而自頤以下八卦,皆首尾交互,返歸於乾坤坎離四卦。列互卦如左:

《繋辞伝》の言う所の中爻とは、二・五・三・四のこの四爻を指し、初爻と上爻とは算内に入れず。二と五とは分かちて本卦の下・上両個の三画卦象の中位なるを以てなり。三は二至四の成す所の卦の中位にして、四は三至五の成す所の卦の中位なれば、ゆえにこの四爻は皆中爻と称す。然れども後人の互卦を講ずるや、則ち二三四五に限らず、実際は初爻・上爻を連れ二三四五と一併に計入し、また第五爻より数えて上爻に至り、再び折返して初爻に来たりて象を取るも、皆「互」と曰う。ゆえに京房はまたこれを称して「約象」と為す。《雑卦伝》を看れば両卦対挙して、其の中爻は皆能く新卦を互出す。而して頤卦以下の八個の卦は、皆首尾交互して、最後に乾・坤・坎・離の四卦に帰結す。今や互卦を列挙して左のごとし。

吳草廬曰:“自昔言互體者,只以六畫之四畫互二卦而已,未詳其法象之精也。今以先天圖觀之,互體所成十六卦,皆隔八而得(外一層隔八卦得二卦,即中一層互體之卦名),縮四而一(內層一卦縮外層四卦)。

元代呉澄(号は草廬)曰く、「従前互体を講ずる人は、ただ六画の中に就いて四画を取りて両卦を互出せしのみにして、並びに其の中法象の精妙を弄清せざりき。如今先天卦図を用いて看れば、互体の成す所の十六個の卦は、皆毎に八卦を隔てて得――原注:外面の一一層は毎に八個の卦を隔てて両個の卦を得出すは、即ち中間一層互体の成す所の卦の卦名なり――而且に四個の卦は収縮して一個の卦を為す――原注:内層の一個の卦は、外層の四個の卦より収縮して成る。

圖之左邊,起乾歷八卦至睽歸妹(中層睽妹即接乾夬),又歷八卦而至家人既濟(家人既濟即接睽妹,餘卦仿此),又歷八卦至頤復。圖之左邊,起姤大過,歷八卦至未濟解,又歷八卦至蹇漸,又歷八卦至剝坤。左右各二卦互一卦,合六十四卦互體只成十六卦,又合十六卦互成四卦,即乾坤既未濟。學《周易》始乾坤終既未濟,以此歟!”

図の左辺は、乾卦より起こりて、八卦を経歴して睽・帰妹に至る――原注:中層の睽・帰妹は則ち乾・夬に接続す――再び八卦を経歴して家人・既済に至る――原注:家人・既済は則ち睽・帰妹に接続す。其余の各卦はこれに倣え――再び八卦を経歴して頤・復に至る。図の別の一辺(原文は依然として「左辺」と作るも、文義に按ずれば当に右辺なるべし)は、姤・大過より起こりて、八卦を経歴して未済・解に至り、再び八卦を経歴して蹇・漸に至り、再び八卦を経歴して剥・坤に至る。左右各々両卦互いに一卦を成して、六十四卦の互体を合してただ十六卦を成し、再びこの十六卦を相互に推求せば、また互いに四卦を成して、即ち乾・坤・既済・未済なり。《周易》を学ぶに乾坤を以て開端と為し、既済・未済を以て収尾と為すの道理は、大概ここに在らんか」と。

蓋統云互卦,不但為中四爻,二至上五至初,亦皆交互成兩卦。更以五至上,復由上反之初二三四,亦互成兩卦,所以又稱約象。《序卦》“剝窮上反下”,即由上反初之一例也。

総じて言えば互卦と称すれば、則ち中間四爻の互出する所のみを指さず。第二爻より上爻に至り、第五爻より初爻に至るも、また皆能く交互して両個の卦を成す。さらに一歩進めて、第五爻より数えて上爻に至り、再び上爻より折返して初・二・三・四爻に至るも、同じく能く両卦を互成す。ゆえにまた「約象」と曰う。《序卦伝》の剥卦「上に窮まりて下に反る」と曰うは、正に上爻より折返して初爻に至るの一個の例子なり。

澤山咸。中爻為天風姤。五至初,互天山遁。二至上,互澤風大過。若由五至上,更反之初二三四,仍互澤雷隨。由四至上,更反至初二,互地天泰,澤山反為雷風,則中爻又與上下互亦各相反。

沢山咸卦を以て例とせば、中間四爻の互出する所は天風姤なり。第五爻より数えて初爻に至れば、互出して天山遁を為す。第二爻より数えて上爻に至れば、互出して沢風大過を為す。若し第五爻より数えて上爻に至り、再び折返して初・二・三・四爻に至れば、依然として互出して沢雷随を為す。第四爻より数えて上爻に至り、再び折返して初・二爻に至れば、則ち互出して地天泰を為す。咸卦は上兌下艮にして、整卦を倒転し来ればすなわち雷風恒を成す。これを見ればそれの中爻の互出する所と上下の互出する所の両組の卦象とは、彼此また各々相反の勢いを成す。

地天泰。中爻為雷澤歸妹。五至初,互雷天大壯。二至上,互地澤臨。五至上,更反之一二三四,為澤山咸。四至上,更反至初二,為澤雷隨。地天泰,反為天地否。即上下易,中爻上下互,相反亦同。

再び地天泰卦を以て例とせば、中間四爻の互出する所は雷沢帰妹なり。第五爻より数えて初爻に至れば、互出して雷天大壮を為す。第二爻より数えて上爻に至れば、互出して地沢臨を為す。第五爻より数えて上爻に至り、再び折返して一・二・三・四爻に至れば、沢山咸を得。第四爻より数えて上爻に至り、再び折返して初・二爻に至れば、沢雷随を得。地天泰を倒転し来れば便ち天地否を成して、即ち上下両象互易するなり。而してそれの中爻と上下の互出する所の卦の彼此相反する情形は、咸卦と全く一様なり。

辟卦 月卦

闢卦亦稱十二消息卦,與月卦另詳下《卦氣》章。

「辟卦」はまた「十二消息卦」と曰い、復・臨・泰・大壮・夬・乾より姤・遁・否・観・剥・坤に至るこの十二個の陽息陰消・陰息陽消の卦を指す。それと「月卦」との配法は別に下面《卦気》の一章の裏に詳説して、ここはただ名目を標出すのみ。

包卦

宋儒言《易》,又有包卦之名。包卦者,六畫之卦,以上下三畫,中包三畫。如咸恆為坤包乾,損益為乾包坤之類,亦由互卦推衍而得者也。包卦之名,始於林黃中氏,謂由一卦分兩卦,兩卦分四卦,一正一反,又得四卦。是即太極生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦也。因朱晦庵力駁之,故其說不行。然言之成理,亦不可謂毫無意義也。後儒如紀大奎等,頗採其說。略舉其例,如右圖:

宋代儒者の《易》を講ずるや、さらに一個の「包卦」の名目を立てたり。所謂包卦とは、六画卦の最上一画と最下両画(あるいは最下一画と最上両画)を把りて外囲の三画卦と看なし、它よりて中間の三画卦を包住せしむるなり。たとえば咸卦・恒卦は坤の乾を包み、損卦・益卦は乾の坤を包むがごとし。この種の取法もまた互卦より推衍し出せるなり。「包卦」の名は宋人林栗(号は黄中)より始まる。彼は一卦は両卦を分出し、両卦は再び四卦を分出し、一正一反また四卦を得て、これ即ち《繋辞伝》の言う所の太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ずの道理なりと認む。朱熹(号は晦庵)の極力駁斥するを以て、ゆえにこの説法は通行せざりき。ただしそれの講ずる所は自ら条理を成して、また毫無意義と言う能わざるなり。後來の学者は清人紀大奎等のごとき、則ち頗る其の説を採用せり。略々其の例を挙げて、右図の示すがごとし。

六十四卦,皆可以此類推。但咸恆坤包乾也,而咸亦可謂之坎包巽,恆亦可謂之坎包兌。損益乾包坤也,損亦可謂之離包震,益亦可謂之離包艮,其實即中爻之二與四三與五也。他卦上下相推,亦無不如此。特以陰陽內外言之,亦自有此一象。故存之。

六十四卦は皆この弁法に照りて類推すべし。ただし咸・恒は坤の乾を包むと言うと雖も、咸卦もまた坎の巽を包むと説くべからざる無く、恒卦もまた坎の兌を包むと説くべからざる無し。損・益は乾の坤を包むと言うと雖も、損卦もまた離の震を包むと説くべく、益卦もまた離の艮を包むと説くべし。帰根到底して、これらの包み出せる卦は、其の実すなわち互卦裏の二至四・三至五のあの両組の中爻なり。其他の各卦を上下に推求すれば、かくのごとからざる無し。ただ陰陽の内外包含のこの角度より看れば、確実に別に一種の卦象を成せば、ゆえにそれを保留し置く。

像卦

像卦者,合六爻之奇偶觀之,像三畫之一卦也。《繫傳》曰:“象也者像也。”故謂之像卦。來知德氏謂之大象,如大坎大離之類,實皆像卦也。於卦義均有關係,《彖》、《象》可證者甚多。舉例如下:頤像離,中孚像離,大過像坎,小過像坎。

所謂「像卦」とは、六爻の奇偶を合して通看して、整個卦体の形状はある一個の三画卦に像るなり。《繋辞伝》に曰く、「象とは、像なり」と。ゆえにこれを称して像卦と為す。明人来知徳はそれを把りて「大象」と曰い、大坎・大離の類のごとき、其の実皆像卦なり。それと卦義とは皆関連有りて、能く《彖伝》《象伝》裏に印証を覓め出すの例子甚だ多し。例を挙げて下のごとし。頤卦は上下両陽・中間四陰にして、形状は離に像る。中孚は上下両陽・中間両陰にして、また離に像る。大過は上下両陰・中間四陽にして、形状は坎に像る。小過は上下四陰・中間両陽にして、また坎に像る。

此來氏所謂大象之坎離,故《序卦》以列於坎離既未濟之前也。餘卦仿此。重畫或單畫者例亦同。大壯像兌。雷天大壯無兌,而合全卦觀之,有兌象。兌為羊,故象辭云“羝羊”“喪羊”。

これ即ち来知徳の言う所の「大象坎離」なれば、ゆえに《序卦伝》は頤・大過を以て坎・離の前に排し、中孚・小過を以て既済・未済の前に排す。其余の各卦はこれに倣いて推求すべし。大象を組成するは重叠の両画なるか単独の一画なるかを論ぜず、体例は皆一様なり。また大壮は兌に像るがごとし。雷天大壮六爻の中にもとより兌卦無きも、然れども全卦を合して看れば、上面両陰・下面四陽は、正に一個の放大せる兌象なり。兌は《説卦》裏に羊を為せば、ゆえに《大壮》爻辞は始めて「羝羊(ていよう、牡羊)藩に触る」「羊を易(かわ)るに喪(うしな)う」と曰えり。

剝像艮。山地剝,合全體觀之,有艮象,故重艮,《象》云“孚于剝”。六爻合觀之象,無不各有取義。如咸恆損益,為乾坤互交,而又像坎離者也。故咸恆繼坎離為《下經》之首,而損益次十一十二,與泰否等,其義大可見矣。

剥卦は艮に像る。山地剥はもとよりすでに艮は上に在りて、全体を合して看れば、上面一陽・下面五陰は、また一個の放大せる艮象にして、艮上に艮を加うるに等し。ゆえに《剥》六五《象伝》に「剥に孚(まこと)あらん」と曰う。六爻を合して看て得る所の大象は、一処として各々義を取らざる無し。たとえば咸・恒・損・益の四卦は、皆乾坤両卦の交互して成る所にして、而して其の整体はまた坎に像り離に像る。ゆえに咸・恒は坎・離を承接して以て《下経》の開端に列し、損・益は則ち《下経》の第十一・十二位に排して、恰好《上経》裏の泰・否の居る所の位と相当す。その中の用意は則ち大いに体会すべし。

命卦

命卦(動在其中)者,昔無此名。青田端木氏《周易指》,據《大傳》“繫辭焉而命之,動在其中矣”而發其例。凡卦六爻,《象》下所繫之辭,言卦名者是也。卦有陰陽,不論其爻之剛柔,爻無卦名。卦陽六爻以陽論,卦陰六爻以陰論。

「命卦」(また「動き其の中に在り」と称す)のこの名目は、従前人の立てし者有らずして、浙江青田人端木国瑚が《周易指》の中に、《繋辞伝》「辞を繋げて之を命じ、動き其の中に在り」の一句に拠りて凡例を発起せるなり。それの取法は、一卦六爻、凡そ爻辞の中に本卦卦名を提及する者は、則ち「卦名有り」の爻と算す。卦本身は陰卦・陽卦に分かち、判定する時は該爻本身の剛なるか柔なるかを看ず。凡そ爻辞裏に卦名を出現せざるの爻は、一律に本卦の陰陽に随いて定む――本卦陽に属せば、これらの爻は則ち陽として論じ、本卦陰に属せば、これらの爻は則ち陰として論ず。

如乾陽卦也,惟九三一爻有卦名,則九三為陽。餘以陰論,即命為謙,如坤陰卦也。六爻無卦名,六爻皆以陰論,仍為坤。如屯陽卦也,二五兩爻有卦名。二五為陽,餘皆陰論,即命為坎。蒙陰卦也,初二四五上有卦名,皆為陰。二爻以陽論,則命為謙。

たとえば乾は陽卦にして、六爻の中にただ九三爻辞のみ「君子終日乾乾」の卦名を出現せば、則ち九三は陽を取る。其余五爻は皆陰として論じて、ここに一陽は三に在りて五陰これを環りて、命じ出せる卦は則ち地山謙なり。また坤は陰卦にして、六爻爻辞皆卦名を出現せざれば、六爻は便ち全く陰として論じて、命じ出せるは依然として坤なり。また屯は陽卦にして、六二・九五両爻の爻辞に「屯」の字を出現せば、この両爻は陽を取り、其余四爻は陰として論じて、二五は陽を得余位は陰を得て、命じ出せば則ち坎なり。また蒙は陰卦にして、初六・九二・六四・六五・上九の爻辞は皆「蒙」の字を出現せば、これらの爻は一律に陰を取り、ただ六三一爻のみ残りて陽として論じて、命じ出せる卦もまた謙なり。

如震六爻皆有卦名,震陽卦,六爻皆陽,命為乾。餘可類推。動在其中者,合陰陽兩卦之中,陰陽交變。如屯命坎,坎離動在其中,為小過中孚是也。

また震卦のごとき、六爻爻辞裏皆「震」の字を出現し、而して震は陽卦なれば、六爻は便ち皆陽と為して、命じ出せる卦は則ち乾なり。其余の各卦は類推すべし。至りて所謂「動き其の中に在り」とは、本卦と命ずる所の卦とのこの一陰一陽両卦を合して、中間より陰陽交変を生出すを説く。たとえば屯卦の命ずる所は坎にして、坎と離とは其の中に変動して、則ち小過と中孚とのこの両卦を得出す。

声応卦

聲應卦,亦發例於《周易指》。同聲相應,孔子於六爻《象傳》讚語,皆有韻以分陰陽。平為陽仄為陰,如乾分贊三次,曰:“陽在下也”,“德施普也”,“反復道也”,“進無咎也”,“大人造也”,“盈不可久也”,為六陰聲是坤卦。

「声応卦」の体例もまた端木国瑚が《周易指》の中に発明せるなり。「同じ声は相い応ず」の義を取りて、孔子の六爻の為に作せる《象伝》の賛語は、皆韻を押りて以て以て陰陽を分別すべしと認む。平声を読むを陽と算し、仄声を読むを陰と算す。たとえば乾卦の賛語は三批に分かれて、第一批は「陽下に在るなり」「徳施普しなり」「反覆道なり」「進みて咎なきなり」「大人造(いた)るなり」「盈(み)つるは久しからざるなり」にして、六句の韻脚は皆仄声にして、六個の陰声を成せば、六陰は即ち坤卦なり。

又曰:“下也”,“時舍也”,“行事也”,“自試也”,“上治也”,“窮之災也”,五陰一陽是剝卦。又曰:“陽氣潛藏”,“天下文明”,“與時偕行”,“乾道乃革”,“位乎天德”,“與時偕極”,三陰三陽是泰卦也。

第二批賛語は「下なり」「時に舍(やす)むなり」「行事なり」「自ら試むるなり」「上治なり」「窮の災なり」にして、その中五句は仄声・一句は平声にして、五陰一陽にして、得出す所は剥卦なり。第三批は「陽気潜蔵」「天下文明」「時と偕に行く」「乾道乃ち革(あらた)まる」「天徳に位す」「時と偕に極(いた)る」にして、平仄各半にして、三陰三陽相間にして、得出す所は泰卦なり。

坤卦六爻曰:“致堅冰也”,“地道光也”,“知光大也”,“慎不害也”,“文在中也”,“其道窮也”。初二四上,皆陽,三四陰,坤應聲中孚也。

坤卦六爻の賛語は「堅氷を致すなり」「地道光なり」「光大を知るなり」「慎みて害せざるなり」「文中に在るなり」「其の道窮まるなり」なり。平仄に按じて分判すれば、初・二・五・上の諸句は陽に属し、中間両句は陰に属して、両陽は外に在り両陰は中に居りて、坤の応ずる所の声は則ち中孚卦なり。

卦象第六

《傳》曰:“物生而後有象,象而後有滋,滋而後有數。”是先有象而後有數。而古聖人之作《易》也,仰以觀象於天,俯以觀法於地。河出圖,洛出書,聖人則之。然則八卦之象,皆法天地之象。萬物之象,並則河圖洛書以定其數者也。

《左伝》に韓簡の言を記載して曰く、「物生じて後に象有り、象有りて後に滋(まさ)り有り、滋有りて後に数有り」と。これを見れば先に象有りて、然る後に始めて数有るなり。古代聖人の《周易》を創作するや、頭を擡げて天上の星象を観察し、頭を低れて地上の法則を考察す。黄河は「河図」を出現し、洛水は「洛書」を出現して、聖人は便ち取りて以て法と為せり。かく看れば、八卦の象は皆天地の象に取法して、万物の象は則ち一併に河図・洛書に依照してそれらの数を確定す。

八卦之象,始於羲農黃帝,而後代有孳乳。《說卦傳》之象,非孔子所創造,必有所受。問禮於老子,象數在其中,故曰“觀其會通以行其典禮”。列舉之象雖不多,而用無不備。自王弼有“得意忘象”之言,後人未得其意,輒以掃象為擴清蕪穢,易學由此荒矣。

八卦の物象は伏羲・神農・黄帝に始まりて、後代不断に孳生繁衍す。《説卦伝》の載する所の象は、並びに孔子の空に凭りて創造するに非ずして、必定別に承受有り。孔子は曾て老子に向かい礼を問えり。象数の学は則ち其の中に包含せられり。ゆえに《繋辞伝》に「其の会通を観て以て其の典礼を行う」と曰う。《説卦伝》の列挙する象は多しと算せざると雖も、用いれば備えざる無し。王弼の「意を得て象を忘る」の説法を提出するよりして、後人は彼の本意を領会する能わずして、動もすれば卦象を掃除するを以て雑草穢物を清除するに在りと為し、易学はこれよりして荒废せり。

南宋而後,漸知象之重要,然又未能求諸根本,以邵子大小方圓各圖為易象之標準。而《說卦傳》八卦之象義,反略焉不講,或以不解解之。有明來知德氏,研求象學二十餘年,頗有發明。然未解者,亦尚什之七八也。

南宋以後、人々は漸漸卦象の重要を懂得すれども、また根本処より求むる能わずして、ただ邵雍の大小方円の各図を把りて易象の標準と為せり。而して《説卦伝》裏の八卦の象義は却って略過して講ぜず、あるいは乾脆として「講じ通らず」の三個の字を用いて搪塞す。明代の来知徳は象学を钻研する二十余年にして、頗る発明有るも、然れども依然として講じ通らざるは、なお十分の七八を占む。

前清經師,如黃、毛、朱、王、胡、錢、惠、段、桂、張、焦、端木諸家,各有心得。而是丹非素,不相會通。爰萃眾說,擇善而從。縱未能盡,參諸《學易筆談》所述,亦庶幾矣。

清代の経学家は、黄宗羲・毛奇齢・朱駿声・王引之・胡煦・銭大昕・恵棟・段玉裁・桂馥・張恵言・焦循・端木国瑚の諸家のごとき、各々其の心得有るも、然れども彼此己を以て是と為し人を以て非と為して、互いに会通せず。これが為に我は衆家の説を汇集して、善を擇びて従う。縱いてなお窮尽する能わざると雖も、若し再び我が《学易筆談》裏に講ずる所を参看せば、また差不多(ほぼ)ならん。

大象

乾,天。天不可見,以日月星辰見之。故蔡墨言“乾之六龍”,皆指星象。天行不可測,由地測之。故天無方無體,乾無方無體。坤,地。地為實質,有體可測,有方可紀。承天而時行,天之用皆著於地。而地代天終,時行物主,靜而有常。天地定位,法象備矣。

乾の大象は天なり。天本身は見えずして、日月星辰に靠りて乃ち顕現し出せるなれば、ゆえに《左伝》裏蔡墨の講ずる「乾の六竜」は、指す所皆星象なり。天の運行は直接測度する法無くして、ただ地面上よりそれを測るのみ。ゆえに天は固定の方位無く具体的形体無くして、乾もまた同じく方無く体無し。坤の大象は地なり。地は実実在在の物質にして、形体有りて測量すべく、方位有りて記録すべし。それは天を承奉して時に按じて運行し、天の作用は全く地上に落実す。地は天に替わりて終結を完成して、時序に随いて万物を生養して、静止すると雖も常度有り。天は上に在り地は下に在りて、位置一定すれば、天地に取法するの卦象もまた就いて完備す。

艮,山。高於地者為山,地氣乃上通於天而云出也。一陽上覆,萬寶蘊藏,山之用也。兌,澤。下於地者為澤,天氣乃深入於地而龍潛焉。一陰外見,以陰涵陽,澤之用也。山澤通氣,上感下應,人生乃通乎天地。

艮の大象は山なり。地面より高出するは山にして、地気はこれに由りて上に天に通じ、雲は便ち山中より生出す。艮卦一陽は両陰の上に覆いて、山体が万般の宝蔵を裏面に蕴含するを象徴して、これ即ち山の功用なり。兌の大象は沢なり。地面より低きは沢にして、天気はこれに由りて深く地中に入り、竜は則ち其の間に潜蔵す。兌卦一陰は両陽の外に顕露して、陰柔を以て陽気を涵養するを象徴して、これ即ち沢の功用なり。山と沢とは気息相通じて、上感する所有り下応する所有りて、人の生命もまた正にこの一感一応に靠りて天地と相通ず。

震,雷。雷伏地中,一陽奮出,萬象昭蘇。見天地之心,為乾之肖子,動萬物莫疾乎雷。巽,風。風行天下,陰陽相遇,品物咸章。風不可見,而無微不入。撓萬物者,莫疾乎風。雷風相薄,出入無疾。陰陽和,地天泰矣。

震の大象は雷なり。雷は地下に潜伏して、一陽奮然として出づれば、万物の景象はここに因りて復甦す。これ正に《復卦》の言う所の「天地の心を見る」の時なり。震は乾卦の初交して得る所の長子にして、最も父に像れば、ゆえに《説卦伝》に「万物を動かすは雷より疾(はや)きは莫し」と曰う。巽の大象は風なり。風は天下に吹行して、陰陽をして彼此相遇わしめ、万物はこれに因りて各自彰顕す。風は形体を見えずして、而して入らざる孔無ければ、ゆえに《説卦伝》に「万物を撓(な)ぐは風より疾きは莫し」と曰う。雷と風とは互相迫近して推蕩して、一出一入して阻碍無く、陰陽調和せば、則ち地天泰の局面なり。

坎,水。坎本坤體,故水性就下。陽含陰中,氣化為質,潤萬物者莫潤乎水。天一之精,萬物資生,資此坤中之一元也。離,火。離本乾體,故火性炎上。陰麗於陽,氣盛生光,萬物皆相見。其精為日,水火不相射而相逮,天地之大用備矣。

坎の大象は水なり。坎はもとより坤体中間に一陽を塡(い)れ入れて成るを以て、ゆえに水性は下に向かいて流る。陽気は陰の中に含まれて、気凝聚して形質と化すれば、ゆえに《説卦伝》に「万物を潤すは水より潤すは莫し」と曰う。「天一水を生ず」。水は天一の精にして、万物はそれに靠りて乃ち生長する能くし、靠る所は正に坤体中間のこの一点の元陽なり。離の大象は火なり。離はもとより乾体中間に一陰を嵌入して成るを以て、ゆえに火性は上に向かいて炎上す。陰は陽の中に附麗して、気盛んにして光明を発出して、万物はこれに因りて彼此相見ゆるを得。その精華は天上に在れば則ち太陽なり。水と火とは相傷害せずして能く互相接済すれば、天地間最大の功用もまた就いて完備す。

天地山澤雷風水火,為八卦之大象,《易》之本也。八卦相錯,因而重之為六十四。陰陽相交,變化以生。而象之變易,亦各因時位而異。而要不越此八者之範圍也。

天・地・山・沢・雷・風・水・火は、八卦の大象にして、また《周易》の根本なり。八卦は両々交錯して、これに因りて重叠して六十四卦を成す。陰陽彼此相交して、変化は便ちこれに由りて産生す。卦象の変易は、また各々処する所の時と位とに随いて同じからず。然れども万変の中も、終竟この八種の大象の範囲を跳出る能わざるなり。

本象

昔者聖人之作《易》也,觀象畫卦,近取諸身,遠取諸物,以通神明之德,以類萬物之情。而物各有所本,象以象物,亦莫不各有其本。故本象著焉。乾為馬。物性馬最健,得陽剛之精,晝夜不眠。房星為天駟七星之次,七星為馬,於辰為午,故馬為火畜。蠶馬首龍精,故馬蠶同氣。在天為龍,在地為馬,皆乾行也。

従前聖人の《周易》を創作するや、物象を観察して卦を画き出せり。近きは人の身体より取り、遠きは天地万物より取りて、用いて神明の徳性を会通し、万物の情状を比擬せり。而して万物は各々其の本源有れば、卦象すでに用て物を象徴するなれば、また各々其の本象有り。ゆえに専ら「本象」の一節を立つ。乾は馬を為す。万物の中数るに馬最も健にして、陽剛の精を禀受して、昼夜皆睡らず。二十八宿中の房宿は「天駟」と称して、位次は七星に緊接す。七星は星象上馬に属して、十二辰に配すれば午を為して、ゆえに馬は火に属する牲畜なり。蚕の頭形は馬首に像りて、同じく竜精を禀けば、ゆえに馬と蚕とは同気なり。天上に在れば竜を為し、地上に在れば馬を為して、皆乾健運行の表現なり。

坤為牛。牛性柔順,屬土屬陰,不動即眠,起先後足,與馬相反。牛為大物,故物從牛。坤備萬物,故以牛象之。震為龍。乾變震為長子。龍雷同類,龍馬同種。馬八尺以上曰龍,龍陽物而生於純陰之地,震象也。

坤は牛を為す。牛の性情は柔順にして、五行に在れば土に属し陰陽に在れば陰に属して、動かざる時は則ち伏臥安眠す。身を起す時は先ず後腿を擡ぐは、馬の先ず前腿を起すと正に相反す。牛は龐然たる大物なれば、ゆえに「物」の字は牛旁に従う。坤は万物を含容すれば、これが為に牛を用いてそれを象徴す。震は竜を為す。乾卦初爻は坤に交じて震と変成し、震は長子なり。竜と雷とは同一類に属し、竜と馬とは同一種に属す。馬の身高八尺以上は則ち竜と称す。竜は陽性の物にして、却って純陰の水土の地に生ず。一陽は二陰の下に生ずるは、これ正に震の卦象なり。

巽為雞。雞善伏,《九家》曰“應八風也”。風應節而變,變不失時。雞時至而鳴,與風相應。故有風疾者禁食雞。雞將鳴,必動股振羽,故曰“翰音”。坎為豕。豕水畜。《傳》言星斗散精為彘,斗星坎地。朱氏曰:“亥為豕者直室也,坎之所自生也。”

巽は鶏を為す。鶏は伏臥孵抱するに善く、《九家易》はそれを「八風に応ずるなり」と曰う。風は節令に按じて変じて、変じて其の時を失わず。鶏もまた時辰一到すれば則ち啼鳴して、風と相応ず。ゆえに風疾に患える人は鶏肉を食するを忌む。鶏は将に啼かんとする時、必ず先ず腿を蹬(ふ)み翅を振えば、これが為に古人はそれを称して「翰音」(高く飛ぶの音)と為す。坎は豕を為す。猪は水に属する牲畜なり。古伝説に北斗の星は精気を散布して猪と化すと曰い、斗星の居る所は正に坎の方位なり。朱震曰く、「地支亥の豕を為す所以は、亥は室宿の位に当たりて、而して室宿は正に坎水の由りて生ずる所の地方なるを以てなり」と。

離為雉。雉文采象離。朱氏曰:“雉方伏時,東西風則復,南北風則去而不復。坎勝離也。”卜楚邱論明夷之謙曰“當鳥”。鳥者朱鳥也,離之次也。艮為狗。《九家》曰:“艮止,主守禦也。”艮數三,七九六十三,三主艮。斗為犬,故犬三月而生。斗運十三時日出,故犬生十三日開目。艮火之精,畏水不飲,而以舌舐,斗則以水解也。

離は雉を為す。野鶏は羽毛に文采有りて、正に離卦の文明の象に像る。朱震曰く、「野鶏は正に卵を伏する時、東風西風に遇えばさらに回帰し、南風北風に遇えば則ち一去返らざるは、これ坎水が離火に勝過するの故なり」と。《左伝》裏卜楚丘の明夷の謙を論ずるに「鳥に当たる」と曰う。この「鳥」の指すは南方朱鳥にして、正に離の居る所の星次なり。艮は狗を為す。《九家易》曰く、「艮は止にして、看守防御を主管す」と。艮の先天数は三にして、七九相乗じて六十三を得て、その中の三は則ち艮の主たるに帰す。北斗は星象上犬に応ずれば、ゆえに狗は懐胎三個月にして産す。北斗は十三個の時辰を運行して太陽乃ち出づれば、ゆえに小狗は生下十三天にして乃ち眼を開く。艮は火の精にして、水を怕れて飲むを肯ずして、ただ舌を用いて舔むのみ。至りて北斗は、則ち水を用いて其の燥性を化解す。

兌為羊。朱氏曰:“兌,說也,羊內狠者。二陽伏於一陰之下也。”項氏曰:“未為羊而主兌者,金生於土也。土旺則金生,故坤伏必於建未之月。”此所謂“遠取諸物”也。漢上朱氏曰:“說八卦本象也。”

兌は羊を為す。朱震曰く、「兌は即ち悦にして、而して羊は外貌馴順にして内里執拗なるは、正に兌卦両陽の一陰の下に伏するの形状に合す」と。項安世曰く、「十二地支中未は羊に属するも、却って兌より来たりて主管するは、則ち金が土より生ずるを以てなり。土気旺盛なれば金は則ち産生すれば、ゆえに坤土の潜伏する月は必ず建未の月(夏暦六月)に在り」と。以上即ち《繋辞伝》の言う所の「遠くは諸を物に取る」なり。漢上先生朱震曰く、「これらの講ずるは八卦の本象なり」と。

乾為首。首為眾陽所宗,乾尊在上故為首。《虞氏易》:“明夷九三得其大首,乾三之上也。”坤為腹。《正義》:“坤能包藏含容,故為腹。坤體中虛,亦象腹。”朱氏曰:“坤又為身為躬。按艮為身,言坤之變艮為背,則坤為腹也。”

乾は首を為す。頭は全身陽気の帰宗する所の処にして、乾は尊貴にして上に居れば、ゆえに頭に取象す。虞翻《易》注曰く、「《明夷》九三「其の大首を得」とは、乾の第三爻が上行して上位に至るを以てなり」と。坤は腹を為す。孔頴達《周易正義》曰く、「坤は能く包蔵含容すれば、ゆえに腹を為す。坤体中間虚空にして、また腹部に像る」と。朱震曰く、「坤はまた身を為し躬を為すべし」と。按すに、艮は身に取象するは、坤が艮と変成すれば則ち背を成すを説く。すでに背は艮に属せば、則ち坤本身は便ち腹なり。

震為足。震動於下,故為足。震為乾初,健行,故稱足也。陽起自下,亦足之象。巽為股。《正義》:“股隨於足,巽順故為股也。”按:足動而股不動,隨足而動,故咸曰“執其隨”。巽下偶,亦股之象。

震は足を為す。震の一陽は下方に動けば、ゆえに脚に取象す。震は乾の初爻が坤に交じて成るにして、剛健を秉承して行走に善ければ、これが為に足と称す。陽気は下方より兴起するも、また正に脚の象なり。巽は股を為す。《周易正義》曰く、「大腿は脚に随いて動き、巽は順従の義有れば、ゆえに股を為す」と。按すに、脚は動を主として、大腿本身は並びに自ら動かずして、ただ脚に随いて動くのみ。ゆえに《咸》九三爻辞に「其の随を執(つか)む」と曰う。巽卦下面は一画の偶爻にして、中間分かれて両腿の形のごとく、また大腿の象なり。

坎為耳。《正義》:“北方之卦主聽,故為耳。”按:坎陽涵陰中,故耳聰內。腎開竅於耳,腎水竭則耳聾,皆坎象也。離為目。《正義》:“南方之卦主視,故為目。”按:離陰麗陽中,故目明於外。心開竅於目,仍繫於腎而見於外,皆離象也。

坎は耳を為す。《周易正義》曰く、「坎は北方の卦にして、聴覚を主管すれば、ゆえに耳を為す」と。按すに、坎は一陽の両陰の中に含まるるにして、ゆえに耳の聡敏は内に向かいて収むるなり。《黄帝内経》は腎は耳に開竅すると講じ、腎水枯竭せば人は則ち耳聾して、これら皆坎の卦象に合す。離は目を為す。《周易正義》曰く、「離は南方の卦にして、視覚を主管すれば、ゆえに目を為す」と。按すに、離は一陰の両陽の中に附麗するにして、ゆえに眼の明亮は外に向かいて発す。《内経》は心は目に開竅すると講じ、而して目の明は依然として腎水に系りて、ただ外面に顕現して、これら皆離の卦象に合す。

艮為手。艮動於上,故為手。朱氏曰:“艮止者,動極而止也。震艮相反,行者必止,止者必行。疾走者掉臂,束手者緩行。”項氏曰:“李椿年號逍遙子,作《周易傳》曰:一身之榮衛,還周會於手太陰。一日之陰陽,昏曉會於艮時。在人其象為手。”按:此說最精。證諸《內經》,與震之為足,合觀方見。古聖“近取諸身”一節之玄妙精微,非僅以表面之動靜,合卦畫之陰陽已也。

艮は手を為す。艮の一陽は上方に動けば、ゆえに手に取象す。朱震曰く、「艮の謂う所の止は、動極処に至りて止むなり。震と艮とは正に相反す。走る人は必ず停まり、停まる人は必ず走る。快跑する人は両臂擺動し、手を束ねる人は走ること則ち慢し」と。項安世曰く、「李椿年は逍遥子と号し、作る所の《周易伝》に講じて曰く、人の一身の営気衛気は、循環一周して手太陰肺経に会合し、一日之内の陰陽は、黄昏と払暁とに艮の主たる丑寅の時に交会す。人身上に在れば、その象は則ち手なり」と。按すに、この説法は最も精到なり。《黄帝内経》を拿(と)りて来りて印証し、再び震の足を為すと合して看れば、始めて真に看明白すべし。古聖人の「近くは諸を身に取る」のこの一節の玄妙精微は、並びにただ表面の動と静とを拿りて卦画の陰陽に比附するのみに非ず。

兌為口。鄭氏曰:“上開似口。”《正義》:“兌西方之卦,主言語,故為口。”朱氏曰:“艮為鼻。口鼻通氣,山澤通也。”此所謂“近取諸身”也。餘氏舒芑曰:“八卦之象,近取諸身者,六子以反對。遠取諸物者,六子以序對。四者易而坎離不易也。”

兌は口を為す。鄭玄曰く、「兌卦上面一画は断れて、張開せる口に像る」と。《周易正義》曰く、「兌は西方の卦にして、言語を主管すれば、ゆえに口を為す」と。朱震曰く、「艮は鼻を為す。口と鼻とは気息を互通して、正に《説卦伝》の講ずる所の「山沢気を通ず」なり」と。以上即ち《繋辞伝》の言う所の「近くは諸を身に取る」なり。余舒芑曰く、「八卦の取象に、近くは諸を身に取るの一路は、震巽坎離艮兌の六子は倒転相対に按じて排せり。遠くは諸を物に取るの一路は、六子は次序に按じて相対して排せり。この両路の裏、震と艮・巽と兌の四卦は位置互換して、ただ坎離のみ変らず」と。

王氏夫之曰:“因此見人之一身,無非乾坤六子之德業所著。由此而推之血氣營衛箸骸皮肉之絡理,又推之動靜語默周旋進退之威儀,又推之喜怒哀樂愛惡攻取之秩序,無非健順陰陽之所合同。而乘時居位之得失吉凶,應之不爽。君子觀象玩占,而於疾眚之去留,言行動作之善惡,皆可因此以反躬自省而俟天命。”按:六十四卦,上下往來,象之變化無窮,要皆以大象本象為準,所謂萬變不離其宗者也。初學觀象,首宜反覆研求,必得其會通,而後始有變化之可言也。

王夫之曰く、「これに由りて人の一身は、一処として乾坤と六子卦の徳性功業の顕現に非ざる無きを見るべし。ここより血気営衛・骨骸皮肉の脈絡纹理に推し、さらに動静語黙・周旋進退の儀容挙止に推し、さらに喜怒哀楽・愛憎取舍の先後秩序に推せば、一として剛健と柔順・陰と陽との相合に非ざる無し。而して人の乗ずる所の何の時・居る所の何の位の招致する所の得失吉凶は、これと相応じて、毫厘差わらず。君子は卦象を観察し占辞を玩味して、疾病灾眚の来去・言行動作の善悪に対しては、皆これに借りて反躬自省し、然る後に静かに天命を候(ま)つ」と。按すに、六十四卦の上下往来は、卦象の変化は無窮無尽なれども、然れども帰根は皆前面の講ずる「大象」と「本象」との両節を以て準縄と為す。これ即ち所謂万変その宗を離れずなり。初学者の象を観るや、首として当にこの両節を反覆研求して、必ず八卦の天地・雷風・水火・山沢、および馬牛竜鶏・首腹足股のこれらの根本の象を通通貫通して、然る後に乃ち卦象の変化を講ずるに及ばん。

広象

《說卦傳》末章,先儒皆以為廣八卦之象,朱子《本義》謂多不可解。且按之於經,亦不盡合,故與《序卦》、《雜卦》皆不加註釋。漢上朱氏曰:“說重卦別象也。六爻變化,其象豈能悉盡,此凡例也。智者觸類而長矣。”

《説卦伝》の最後の一章は、前代儒者は皆八卦の象を推広するを以て是と為し、朱熹《周易本義》は却って其の中多半は講じ通らずと曰う。而且にそれを拿りて経文に対照するに往くも、また処処相合する能わざれば、ゆえに朱熹は《序卦伝》《雑卦伝》を連ねて一併に注釈を加えず。漢上先生朱震曰く、「この一章の講ずるは、重卦以後に別に生ずる所の象なり。六爻千変万化して、卦象は怎(いか)でか一々列挙し尽くさんや。ここはただ其の凡例を挙げるのみ。智慧有る人は自然に類に触れて旁通して、それを推衍し開かん」と。

彭申甫曰:“《說卦》篇,不與《繫辭》、《文言》一例。蓋聖人觀河圖而定八卦之方位,因以臚列八卦之象,其開章即著明卦之所由立,爻之所從生,而歸本於和順道德窮理盡性以至於命。又申明性命之理,不外陰陽剛柔。其在人則為仁義,而理之所以窮,性之所以盡,則不外乎順時而已。

彭申甫曰く、「《説卦伝》のこの一篇は、体例は《繋辞伝》《文言伝》と同じからず。聖人は河図を観察して以て八卦の方位を確定し、ここに逐一八卦の象を羅列す。それは開篇すなわち卦は何を凭りて建立するか・爻は何処より産生するかを点明して、而して最後に「道徳に和順する」「理を窮め性を尽くして命に至る」に帰本す。それはまた性命の理は天道の陰陽と地道の剛柔とに外ならざるを申明して、この両者の人身上に落るや、則ち仁と義と為る。而して理の能く窮尽しうる所以・性の能く到底まで発揮しうる所以は、帰結してもまた時勢に順応するのこの一条に外ならざるのみ。

蓋聖人仰觀俯察,實見乎《易》之為道,無時無地而不在焉,無人無物而不賦焉。於是分別卦位之性情,而先以人道之廣生大生,推而至於窮神而妙萬物,近取諸身吾身則全乎《易》也。遠取諸物,則一物皆有一《易》也。

聖人は頭を擡げて天を観、頭を低れて地を察して、実実在在として《易》のこの道理は時として処として存在せざる無く、人として物として禀受せざる無きを看出せり。ここに分かちて各卦方位の性情を標出して、先ず人道の広生大生より説き起こし、一路推して神妙を窮究して万物を妙運するに至る。近くは人身に取れば、則ち我がこの一身は則ち一部の完整なる《易》なり。遠くは外物に取れば、則ち毎一件の物の上に各々一部の《易》有り。

然猶恐人之泥於物而滯於象也,更推而廣之,於一卦各立無方之象以盡其變,俾讀《易》者即象可以見《易》,即物可以求象,不滯於理而能妙乎理。此聖人繼天立極,所以上承羲文之畫之辭。所謂神而明之,不可為典要,唯變所適者也。故聖人假象以明《易》。自後儒執《易》以求象,而《易》反亡矣。”彭氏之言,可謂得觀象玩辭之通,為學者指南之針矣。

然れども聖人はさらに人の物に拘泥し象に膠着するを怕れて、ここにまた一歩進めて推広して、毎一卦の為に定方無きの種種の象を立てて、用いて其の変化を窮尽し、読《易》の人をして能く象に就いて《易》を見、物に就いて象を求め、死理に拘住せられずして能く其の理を妙用せしめんとす。これ正に聖人の天道を継承し法則を樹立して、用いて上に伏羲の卦を画き文王の辞を繋げるを承くるの処なり。即ち《繋辞伝》の言う所の「神にしてこれを明らむ」「典要と為すべからず、ただ変の適う所のみ」なり。ゆえに聖人は象を借りて以て《易》を闡明す。後世儒者が反転して《易》を抓住して往きて死に某一個の象を求むるよりして、《易》は却って亡失せり」と。彭氏のこの番の言は、以て観象玩辞の門径を講じ通ぜりと言うべく、学者の指南針なり。

乾為天。為圜(朱氏曰:圜者渾淪無端,周而復始也。按:不曰圓而曰圜者、以著渾淪圓轉,不滯不息之意也。鄭東卿曰:圜者數之本。)。為君。為父(君,群之長。父家之。長皆首出之意,人中之元也。)。為玉。為金(純粹以精,象玉。堅剛不屈,象金。物中之元也。)。

乾は天を為す。圜を為す――原注:朱震曰く、圜は渾然一体にして端首無く、周流してまた開始に回帰すと。按すに、「円」と写さずして「圜」と写すは、為に渾淪円転して停滞せず休息せざるの意思を顕出せんと欲するなり。鄭東卿曰く、圜は数の根本なり。乾は君を為し父を為す――原注:君は一群の人の首長にして、父は一家の長にして、皆「庶物に首出す」の義を取りて、人中の元首なり。乾は玉を為し金を為す――原注:純粋にして精美なるは玉に像り、堅硬剛強にして屈せざるは金に像りて、それらは物中の元首なり。

為寒,為冰(乾位西北,時為十月,故有寒冰之象。)。為大赤(赤為周之色,故以首出之乾象赤。曰“大赤”者,以別於坎也。闢卦乾四月盛陽,赤亦盛陽之色稱焉。)。為良馬。為老馬。為瘠馬。為駁馬(良馬為乾之本象。來氏曰:“老,時變也。瘠,形變也。駁,色變也。”其說頗當。)。

乾は寒を為し、氷を為す――原注:乾は後天卦位に於て西北に居り、月份に配するに十月を為すを以て、ゆえに寒冷結氷の象有り。乾は大赤を為す――原注:赤は周朝の尚う所の顔色にして、ゆえに万物に首出するの乾を拿りて赤を象る。「大赤」と称するは、為に坎の「赤を為す」と相区別せんが為なり。十二辟卦中に於て乾は四月に当たりて、陽気最も盛んにして、而して赤もまた正に盛陽の色なれば、これが為に赤を以て之を名づく。乾は良馬を為し、老馬を為し、瘠馬を為し、駮馬を為す――原注:良馬は乾の本象なり。来知徳曰く、「老は時間上の変にして、瘦は形体上の変にして、駮雑は毛色上の変なり」と。この解釈は相当妥当なり。

為木果(木之有果,生生不已。凡果皆圓,故取乾象。程子曰:“《說卦》於乾雖言為無,又言為金玉,以至木果,所謂類萬物之情也。故孔子推明之曰:此卦於天文地理為某,於鳥獸草木某於身體為某,各以例舉不盡言也。學者觸類而求之,思過半矣。”)。

乾は木果を為す――原注:樹木は果実を結出して、生生已まず。凡そ果実は皆円なるが故に、乾の圜象を取る。程頤曰く、「《説卦伝》の乾を講ずるや、すでにそれの天を為すを言い、またそれの金を為し玉を為すを言い、木果に至るに至る。これ則ち所謂「以て万物の情を類す」なり。ゆえに孔子は推衍闡明して曰く、この一卦は天文地理の上に於て某の物を為し、鳥獣草木の上に於て某の物を為し、人の身体の上に於て某の物を為すと。皆ただ例を挙げるのみにして、能く一々説き尽くす能わず。学者は能く類に触れて旁通して求索せば、思い半ばを過ぎん」と。

坤為地,為母(父之配也)。為布(布有衣被天下之功。布者,播也。陽施陰布,與乾對也。)。為釜(《正義》:“取其化物成熟。”張氏曰:“釜者,化物而不化於物者也。”蔡氏曰:“虛而聚物,故為釜。”)。

坤は地を為し、母を為す――原注:母は父の配偶にして、乾の父を為すと相対す。坤は布を為す――原注:布は天下を覆い、人に衣着を与うるの功用有り。「布」はまた播散と訓ず。陽は施与を主とし、陰は播布を主とするは、正に乾と相対す。坤は釜を為す――原注:《周易正義》曰く、「它能く物類を化生して之を成熟せしむるを取る」と。張氏曰く、「釜は能く他物を変化して自ら他物に変化せられざるの物なり」と。蔡氏曰く、「中間空虚にして能く物品を聚納すれば、ゆえに釜を為す」と。

為吝嗇(朱氏曰:《易》言“吝”者,十二卦,十三艾,陽爻只居其三。蓋陰性翕而斂藏,故“多吝”。嗇,則吝之甚也。蓋坤之變象也。)。為均(地道均平。崔氏曰:“地生萬物,不擇善惡。”朱氏曰:“乾獨陽也,坤陰均之得平。”項氏曰:“吝,其靜之翕。均,其動之闢也。陶人制物之形者,謂之均。”亦此義。)。

坤は吝嗇を為す――原注:朱震曰く、《周易》が「吝」に講じ及ぶは合わせて十二卦・十三爻有りて、その中陽爻はただ三処を占むるのみ。これ則ち陰の性情が収斂閉蔵するを以て、ゆえに吝多し。至りて「嗇」は、則ち吝の極処に到れるなり。これ坤の変象なり。坤は均を為す――原注:地道は平均にして偏無し。崔憬曰く、「大地は万物を生養して、善悪を挑択せず」と。朱震曰く、「乾は純陽にして、坤は陰を以てそれを均調して、始めて平衡を得」と。項安世曰く、「吝は、坤の静なる時の収合にして、均は、坤の動ける時の開辟なり。陶を制する人の用いて器物の形状を規範するの転輪は則ち「均」と曰う」と。もまたこの意思なり。

為子母牛(坤為牛,重坤則子母牛。朱氏曰:“坤交離也,離‘畜牝牛’,母也。大畜艮坤之初為‘童牛’,子也。”)。為大輿(坤能載物。朱氏曰:“地方而載,輿也。動而直方,大也。故曰大輿。”)。為文(朱氏曰:“一剛一柔相錯成文。有天而後有地,一不獨立二,則為文天。一地二也。”)。

坤は子母牛を為す――原注:坤はもとより牛に取象すれば、坤上に坤を加えれば便ち母牛の小牛を帯ぶるを成す。朱震曰く、「これは坤と離と相交じりて、《離》卦辞の講ずる「牝牛を畜す」は、指す所は母牛なり。《大畜》六四は艮下の坤の初位より来りて、講ずる「童牛の牿(こく)」は、指す所は小牛なり」と。坤は大輿を為す――原注:大地は能く万物を承載す。朱震曰く、「地体は方正にして能く物を載するは、則ち車輿なり。それの動くやまた直にして方なるは、大を為して、ゆえに大輿と曰う」と。坤は文を為す――原注:朱震曰く、「一剛一柔は互相交錯して始めて文采と成る。天有りて後に地有りて、「一」は単独に成立する能わずして、「二」を配上して始めて文を成すは、即ち天一地二の意思なり」と。

為眾(坤育萬物,眾也)。為柄(俞氏炎曰:“乾圓而曲,坤方而直。故有柄象。”崔氏曰:“萬物依之以為本。”)。其於地也為黑(黑,極陰之色,與乾對也。坤為地。又曰“其於地也”者,坤為黑,其於地乃其一耳。)。

坤は衆を為す――原注:坤は万物を生育して、衆多の義なり。坤は柄を為す――原注:兪琰曰く、「乾は円転して弯曲し、坤は方正にして平直なれば、ゆえに柄の象有り」と。崔憬曰く、「万物は皆それに依靠して以て根本と為す」と。坤は地上に在りて黒を為す――原注:黒は極陰の顔色にして、乾の大赤を為すと相対す。坤はもとより地なりて、ここにまた「其の地に於いてや」と言うは、坤の黒を為すはただそれの地のこの一類の中の一種の表現なるを以てのみ。

震為雷,為龍(鄭氏曰:“龍讀為尨,取日出時色,雜也。”按:龍,乾象,而用則見之於震。)。為玄黃(玄黃,天地之離也。震為乾坤始交,故備乾坤之文。)。為旉(王肅曰:“旉,華之通名。”虞氏以旉為專,姚信“專,專一也”。《正義》曰:“春氣至,草木皆吐,敷布而生也。”按:旉者,陽敷於陰。)。

震は雷を為し、竜を為す――原注:鄭玄曰く、「竜」は当に「尨(ぼう)」と読むべし。日出ずる時天色駮雑するの義を取る。按すに、竜はもとより乾の象にして、而して其の作用は則ち震の上に顕現す。震は玄黄を為す――原注:玄は天色にして黄は地色にして、玄黄相雑じるは、天地交合して分離する時に現ずるの顔色なり。震は乾坤の初次相交じて生ずる所なれば、ゆえに兼ねて乾坤両色の文采を具備す。震は旉を為す――原注:王肅曰く「旉は花の通称なり」。虞翻は「旉」を把りて「専」と読み、姚信は「専」を解して専一と為し、《周易正義》曰く「春気一到すれば、草木皆芽を吐きて、敷布展開して生長す」と。按すに、所謂「旉」は、即ち陽気の陰に敷布するなり。

為大塗(大塗,萬物所出,震卯兌酉,陰陽往來之路也。震為行,大塗充盡,震行之用者也。)。為長子。為決躁(程氏曰:“陰來陽必決,兌陽中,故決而和。震剛動不中,故決而躁。”)。為蒼筤竹(《正義》:“竹初生之時色。蒼筤,取其春生之美也。”)。為萑葦(朱氏曰:“萑葦,震之廢氣也。”張氏曰:“剛為竹,柔為葦。”)。

震は大涂(大路)を為す――原注:大路は万物の出生する所経の途なり。震は東方卯位に居り兌は西方酉位に居りて、正に陰陽往来の通道なり。震は行走の義有りて、大路は四通して阻無ければ、即ち震の「行」のこの一功用の体現なり。震は長子を為す。震は決躁を為す――原注:程頤曰く、「陰来たれば陽は必定それを決除す。兌は陽の中に居るにして、ゆえに決して能く和す。震は剛動して中に居らざれば、ゆえに決して躁急す」と。震は蒼筤竹を為す――原注:《周易正義》曰く、これは竹子の剛(かた)く生出する時の顔色なり。「蒼筤」を用うるは、其の春生の美を取るなり。震は萑葦を為す――原注:朱震曰く、「萑葦は震の余る所の廃気の化する所なり」と。張氏曰く、「剛なるは竹にして、柔なるは葦なり」と。

其於馬也為善鳴(朱氏曰:“《易》凡有震聲曰鳴。”程沙隨曰:“震分乾一體,故為馬。得陽之聲,故善鳴。”)。為馵足(京氏荀氏曰:“馵足,陽在下。”《正義》:“馬後足白為馵,取其動而見也。”朱氏曰:“下伏巽,故後足白。”)。為作足(虞氏曰:“馬白後左足為馵。震為左為足為作,初陽白,故為作足。”徐氏曰:“作足,雙舉前足也。”程氏曰:“與薄蹄反。”)。

震は馬のこの一類の裏に於て善鳴を為す――原注:朱震曰く、「《周易》凡そ震声有るは皆「鳴」と称す」と。程迥(沙随先生)曰く、「震は乾の一体を分かち得れば、ゆえに馬を為す。それの得る所は陽の声なれば、ゆえに善く鳴く」と。震は馵足(後足白き馬)を為す――原注:京房・荀爽曰く、「馵足は、陽画の下方に在るの象なり」。《周易正義》曰く、「馬の後足白きを馳と曰い、それの一動すれば則ち顕露し出づるを取る」と。朱震曰く、「震の下面に巽を潜伏し、巽は白を為せば、ゆえに後足白し」と。震は作足を為す――原注:虞翻曰く、「馬の後左足白きを馳と曰い、震は方位に在りて左を為し、身体に在りて足を為し、動作に在りて作を為す。初爻は陽にして色白ければ、ゆえに作足を為す」と。徐氏曰く、「作足は、両隻の前蹄同時に擡起するなり」。程氏曰く、「これは坎の「薄蹄」と正に相反す」と。

為的顙(朱氏曰:“乾為首,上發震爻為的顙。《傳》所謂的顱也。”虞氏曰:“的,白額。”)。其於稼也為反生(鄭氏曰:“生而反出也。”宋氏曰:“陰上陽下,故反生。”)。其究為健(究,極也。虞氏曰:“震巽相薄,變而至三,則下象究。其究為健為蕃鮮,與四成乾故。”參看《學易筆談》。),為藩鮮。

震は的顙(額上に白斑有る馬)を為す――原注:朱震曰く、「乾は頭を為して、上面に震爻を発露すれば則ち的顙を成し、即ち《伝》裏の言う所の「的顱」なり」と。虞翻曰く、「的は即ち白額なり」。震は庄稼のこの一類の裏に於て反生を為す――原注:鄭玄曰く、「種子の発芽する時は、反向して土面を頂出すなり」。宋衷曰く、「陰は上に在り陽は下に在れば、ゆえに反りて生ずるなり」。震は「其の究めて健を為す」――原注:「究」は極処に推し至るなり。虞翻曰く、「震と巽とは互相迫近して、第三爻に変じ至れば、下卦の象は則ち窮尽し尽くせり。窮尽するの後健を為し蕃鮮を為すは、第四爻と合して乾を成すを以てなり」。我が《学易筆談》を参看すべし。震はまた蕃鮮(草木繁茂鮮明)を為す。

巽為木(朱氏曰:“震巽皆木。獨言於巽者,蕃鮮之時,震剛木,巽柔木。”)。為風(陸績曰:“風,土氣也。巽坤之所生,亦取靜於本而動於末也。”按:震巽陰陽始交,天感地應;震動則巽為風,而風之鳴仍為震。)。為長女。為繩直(翟氏曰:“上二陽,其正一陰,使不得邪僻,如繩之直。”按:索,繩也。陰陽交索,坤初素得巽,坤動而直,故為“繩直”。)。

巽は木を為す――原注:朱震曰く、「震と巽とは皆木に属す。ここに単に巽の下に「木」を標出するは、講ずる所は草木繁茂の時なるを以てなり。震は剛硬の木にして、巽は柔軟の木なり」と。巽は風を為す――原注:陸績曰く、「風は土気の生ずる所なり。巽は坤の生ずる所の女卦にして、また根本処安静にして末梢処揺動するの義を取る」と。按すに、震と巽とは陰陽初交にして、天感ずる所有り地応ずる所有り。震は一動すれば巽は則ち風を成して、而して風の発出する所の声響は依然として震に属す。巽は長女を為す。巽は縄直を為す――原注:翟氏曰く、「上面の両画は陽にして、下面のあの一画の陰を把りて矯正住せしめ、それをして偏斜する能わざらしむるは、縄墨のあの直きがごとし」。按すに、「索」は即ち縄なり。陰陽交互に求索して、坤は初爻の上に陽を求得して巽を成せば、坤は動いて能く直なれば、ゆえに「縄直」を為す。

為工(荀氏曰:“以繩木,故為工。”朱氏日:“天地變化萬物者以巽,而莫見其變化之跡,故巽為工。”木曰曲直。巽,德之制,工也。)。為白(萬物之色盡於七,巽齊萬物,七色和一,故為白。詳《學易筆談初集》)。為長。為高(陰伏於下,陽升於上,故為長為高。震巽初索皆稱長。獨著於巽者,震長而大,巽長而高,互文也。)。

巽は工(工匠)を為す――原注:荀爽曰く、「縄墨を用いて木材に正を取れば、ゆえに工を為す」と。朱震曰く、「天地は万物を変化するに巽に靠るも、却って其の変化の痕跡を見えず。ゆえに巽は工を為す」と。《尚書・洪範》は「木は曲直と曰う」を講じ、《繋辞伝》は巽は「徳の制」なりと曰う。制作裁断は正に工匠の事なり。巽は白を為す――原注:万物の顔色は七色の数を出でずして、巽は能く万物を斉整すれば、七色は調和して一に帰すれば便ち白を成す。ゆえに白を為す。詳しくは《学易筆談初集》を見よ。巽は長を為し高を為す――原注:陰は下に潜伏して陽は上に上升すれば、ゆえにすでに長を為してまた高を為す。震と巽とは皆初次索求して得る所にして、皆「長」と称すべし。ここに単に巽の下に標出するは、震は長にして大、巽は長にして高なるを以て、両処互文して義を見るなり。

為進退(荀氏曰:“風行無常,故進退。”按:巽居辰巳、辰五巳六,陰陽之中,進退之間也。)。為不果(或進或退,不果之象。乾為木果,巽變其初,故曰“不果”。)。為臭(虞氏曰:臭,氣也。風至知氣,巽二入艮鼻,故為“臭”)。其於人也為寡髮(鄭作宣髮。虞曰:“為白,故宣髮。”馬君以宣為寡髮,非也。《正義》“寡,少也。”)。

巽は進退を為す――原注:荀爽曰く、「風の行止は常度無ければ、ゆえに進退を為す」と。按すに、巽は後天卦位に在りて辰・巳の間に居り、辰の数は五にして巳の数は六にして、恰当陰陽交界の中に在りて、正に進と退との間に処す。巽は不果を為す――原注:一会儿進み一会儿退くるは、則ち果決せざるの象なり。乾は木果を為して、巽は乾の初爻の陰に変じて成れば、ゆえに「不果」と曰う。巽は臭(気味)を為す――原注:虞翻曰く、臭は即ち気なり。風は一到すれば則ち能く気味を辨知し、巽の第二爻は艮の象る所の鼻に進入せば、ゆえに臭を為す。巽は人身の上に於て寡髪(頭髪稀少)を為す――原注:鄭玄本は「宣髪」と作り、虞翻曰く「巽は白を為せば、ゆえに花白の髪なり」。馬融は「宣」を把りて「寡」と解す。当らず。《周易正義》曰く、「寡は即ち少なきなり」と。

為廣顙(《正義》:“額闊為廣顙。二陽在上,故稱廣。”形見於巽而色著於震,亦互文也。)。為多白眼(虞氏曰:“巽白,離目向上,則白眼見,故多白眼。”)。為利市三倍(巽位居離與震之間,火雷噬嗑,“日中為市”。詳《學易筆談》。)。其究為躁卦(朱氏曰:“巽三變成震,震為決躁。”)。

巽は広顙(寛額)を為す――原注:《周易正義》曰く、「額頭開闊なるを広顙と曰い、巽の上面両画は陽なれば、ゆえに広と称す」と。額の形状は巽に見え額の顔色は震に顕れて(震は的顙を為す)、両処もまた互文して義を見るなり。巽は多白眼を為す――原注:虞翻曰く、「巽色は白にして、離の象る所の眼睛は上に向かいて翻れば、白眼は則ち露出す。ゆえに白眼多し」と。巽は利市三倍を為す――原注:巽の方位は離と震との間に夾まれて、離震相合して火雷噬嗑を為し、《繋辞伝》の神農氏「日中にして市を為す」を講ずるは正に噬嗑の象を取れば、ゆえに巽は市利の象有り。詳しくは《学易筆談》を見よ。巽は「其の究めて躁卦を為す」――原注:朱震曰く、「巽の第三爻変すれば則ち震を成して、而して震は決躁を為す」と。

坎為水,為溝瀆(虞氏曰:“以陽闢坤,水性流通,故為溝瀆。”)。為隱伏(虞氏曰:“陽藏陰中。”)。為矯輮(宋氏曰:“曲者更直為矯,直者更曲為輮,水流曲直似之。”)。為弓輪(乾為圓,坎得乾中爻,半規象弓,全規象輪。舊說多破碎,少可取者。)。

坎は水を為し溝瀆を為す――原注:虞翻曰く、「陽爻を用いて坤体を剖開し、水性流通せば、ゆえに溝渠を為す」と。坎は隠伏を為す――原注:虞翻曰く、「陽は陰の中に蔵る」と。坎は矯輮を為す――原注:宋衷曰く、「弯れるを把りて直くするを「矯」と曰い、直きを把りて弯めるを「輮」と曰い、水流は曲有り直有りて、正にこの両種の工序に像る」と。坎は弓を為し輪を為す――原注:乾は円を為して、坎の得る所は乾の中爻なり。半個の円規の形は弓に像り、整個の円規の形は輪に像る。旧有の解釈は多半瑣碎破裂して、取るべき甚だ少なし。

其於人也為加憂(《素問》:“金在志為憂,水在志為恐。恐則甚於憂,故曰加憂。”)。為心病。為耳痛(火臟在心,坎水勝之,故為心病。水臟在腎,開竅於耳。而水在志為恐,恐則傷腎,故為耳痛。)。為血卦。為赤(《正義》:“人之血,猶地之水也。赤,血色。”李鼎祚曰:“十一月一陽爻生,在坎陽氣初生於黃泉,其色赤也。”)。

坎は人身の上に於て加憂を為す――原注:《黄帝内経・素問》曰く、「金は情志の上に於て憂を主り、水は情志の上に於て恐を主る」と。恐は憂よりも一層深ければ、ゆえに「加憂」と曰う。坎は心病を為し耳痛を為す――原注:火に属するの臓は心にして、坎水はそれを克制すれば、ゆえに心病を為す。水に属するの臓は腎にして、腎は耳に開竅して、而して水は情志の上に於て恐を主り恐れれば則ち腎を傷れば、ゆえに耳痛を為す。坎は血卦を為し赤を為す――原注:《周易正義》曰く、「人身上の血は、大地の上の水に好(よ)く比す。赤は血の顔色なり」と。李鼎祚曰く、「十一月一陽爻初生するや、坎に在りて、陽気は剛(かた)く黄泉の下より生起して、其の色は赤を為す」と。

其於馬也為美脊(陽在中央,脊也。)。為亟亟心(荀氏曰:“極,中也。”坎居北子一位,剛動,故亟心。按:亟,古極字。)。為下首。為薄蹄(下首者上無陽,薄蹄者下無陽)。其於輿也,為多眚(眚,病也。虞曰:“敗也。”坤為大輿,坎折坤體故也。)。

坎は馬のこの一類の裏に於て美脊(脊背強健の馬)を為す――原注:陽爻中に居るは、正に脊梁の象なり。坎は亟心(性子急の馬)を為す――原注:荀爽曰く、「極は即ち中なり」。坎は北方子位に居りて、中間の剛爻は動を主れば、ゆえに性急なり。按すに、「亟」は古の「極」の字なり。坎は下首(頭を低れる馬)を為し薄蹄(蹄薄き馬)を為す――原注:頭を低るは、上面に陽爻無きを以てなり。蹄薄きは、下面に陽爻無きを以てなり。坎は車輿のこの一類の裏に於て多眚(毛病多く損壊し易し)を為す――原注:眚は病にして、虞翻は解して「敗壊」と作す。坤はもとより大車にして、坎は坤体を把りて中より折断して成れば、ゆえに車子は毛病多し。

為通(坤“黃中通理”,通於坎也。)。為月(《正義》:“月,水之精也。”按:乾陽流於坤,形如日之光被於月體,與離日對也。)。為盜(虞與孔疏皆以水潛行象盜。按:盜,寇也。水之蝕土,如盜之侵掠也。或云:盜與竊古訓通。竊淺也。)。,其於木也為堅多心(陽剛在中,故堅多心。)。

坎は通を為す――原注:《坤・文言》の講ずる「黄中にして理を通ず」のあの「通」は、正に坎に向かい通ずるなり。坎は月を為す――原注:《周易正義》曰く、「月は水の精華なり」と。按すに、乾陽は坤中に流入して坎を成して、形状は日光の月体の上に照被するに好く比して、離の日を為すと恰好一対を成す。坎は盗を為す――原注:虞翻と孔頴達の疏とは、皆水の潜行暗流するを取りて以て盗賊に比擬す。按すに、盗は即ち寇にして、水は土を侵蝕して、正に盗賊の侵掠するに像る。ある人もまた「盗」と「窃」とは古義相通ずと言いて、而して「窃」は浅きの意有り。坎は木のこの一類の裏に於て堅多心(心材堅実)を為す――原注:陽剛中に居れば、ゆえに木心は堅硬充実す。

離為火。為日。為電(在地為火,在天為日,陰陽相薄,則為電。)。為中女。為甲冑(上下皆剛,上為胄,下為甲。)。為戈兵(虞氏曰:“乾金離火煅之,故為戈兵。”《正義》:“取其剛在外以自捍也。”)。其於人也為大腹(乾為大,坤為腹。坤麗乾中,故曰“大腹”。)。為乾卦(詳《學易筆談》)。

離は火を為し日を為し電を為す――原注:地上に在れば則ち火にして、天上に在れば則ち日にして、陰陽互相迫近摩蕩せば、則ち電を成す。離は中女を為す。離は甲胄を為す――原注:離卦上下両画は皆剛爻にして、上面のは頭盔に像り、下面のは鎧甲に像る。離は戈兵を為す――原注:虞翻曰く、「乾は金に属して、離火を用いてそれを鍛錬せば、ゆえに兵器と成る」。《周易正義》曰く、「其の剛が外面に在りて能く自我防衛するを取る」と。離は人身の上に於て大腹を為す――原注:乾は大を為し坤は腹を為して、坤の一陰は乾の中間に附麗して離を成せば、ゆえに「大腹」と曰う。離は乾卦(乾燥の卦)を為す――原注:詳しくは《学易筆談》を見よ。

為鼈。為蟹。為蠃。為蚌。為龜(鄭氏曰:“皆剛在外。”虞氏曰:“取外剛內柔也。”朱氏曰:“鼈離交巽,巽巳為蛇,蛇或化鼈。為蟹者,巽交離也。蟹連兩目,重離也。為螺者,兌交離也。螺生於月,旋也。為蚌者,離交坎也。雀為蛤,雉為蜃,其類也。為龜者,坎交離也。龜遊山澤,出入水火,含神負智,得坎離之正。頤損益三卦皆然。)。其於木也為科上槁(宋氏曰:“陰在內則空中,木空中則上科槁也。”《正義》:“科,空也。”)。

離は鼈を為し蟹を為し螺を為し蚌を為し亀を為す――原注:鄭玄曰く、「この幾種は皆剛硬の殻を外面に在り」と。虞翻曰く、「外剛内柔の義を取る」。朱震曰く、「鼈は、離と巽と相交じて成る所にして、巽は地支巳位に当たりて蛇を為し、蛇は時に鼈と化成する有り。蟹を為すは、巽の離に交ずるなり。螃蟹は両眼相連なるは、両個の離の重叠するの象なり。螺を為すは、兌の離に交ずるなり。螺は月の盈虚に随いて生長して、其の殻は旋転の形を作す。蚌を為すは、離の坎に交ずるなり。古人は雀は水に入りて蛤と化し雉は水に入りて蜃と化すと曰いて、皆この一類に属す。亀を為すは、坎の離に交ずるなり。亀は山沢の間に游行して、水火の中に出入して、神明を含藴し智慧を背負して、坎離の正を得。頤・損・益の三卦は亀に講じ及ぶは、皆この道理なり」。離は木のこの一類の裏に於て科上槁(中空にして上端枯槁)を為す――原注:宋衷曰く、「陰は裏面に在れば、樹心は則ち空なり。樹心一空すれば、上端は便ち枯干す」。《周易正義》曰く、「科は即ち空なり」と。

艮為山,為徑路(徑路,小路也。卦有大小,震大艮小。震為大塗,艮反震,故為徑路。)。為小石(水雷屯“磐桓”。磐,大石也。震象艮反震,故為小石。張氏曰:“徑,小也。路,大也。萬物自此而入,故小自此而出。故大石之小者,有可轉之理,乃能動能靜者乎?”按:震陽長至艮而極,已寓必反之理,故艮象皆以反動為言。)。

艮は山を為し径路を為す――原注:径路は即ち小路なり。卦は大小の別有りて、震は大を為し艮は小を為す。震は大路に取象して、艮は震の倒転し来れるの卦なれば、ゆえに小路に取象す。艮は小石を為す――原注:水雷屯卦初九は「磐桓(ばんかん)」を講じ、磐は大石なり。あれは震の象にして、而して艮は震の倒転なれば、ゆえに小石を為す。張氏曰く、「径は小にして路は大なり。万物はこれに由りて入れば、ゆえに小と称し、これに由りて出づれば、ゆえに大と称す。大石の中の較小なるあの種は、もとより滚転すべきの理有りて、正に能く動き能く静かなるの物なるか」と。按すに、震の陽気は生長して艮に至れば則ち極処に到りて、その中にすでに必然反転するの道理を含めば、ゆえに艮の諸象は皆「反動」の上より説を立つ。

為門闕(虞氏曰:“乾為門。艮陽在門外。故為門闕。”按:先天艮處西北,闕之地也。),為果蓏(張寞曰:“有核曰果,無核曰蓏。”宋氏曰:“木實為果,草實為蓏。”郭氏曰:“乾為木果。艮,乾之餘氣也。”)。為閽寺(俞氏曰:“艮以剛止外,衛內之柔。閽人止物之不應入者,寺人止物之不得出者。”按:因上門闕而類及也。)。為指(指者止也。項氏曰:“與堅多節同義。”)。

艮は門闕を為す――原注:虞翻曰く、「乾は門を為して、艮の一陽は門外に横たわれば、ゆえに門闕を為す」。按すに、先天卦位艮は西北に処りて、正に宮闕の所在の地なり。艮は果蓏を為す――原注:張氏曰く、「核有るを果と曰い、核無きを蓏と曰う」。宋衷曰く、「樹上に結ぶの実を果と曰い、草上に結ぶの実を蓏と曰う」。郭氏曰く、「乾は木果を為して、而して艮は乾の余気の成す所なり」。艮は閽寺(門を守る人と近侍)を為す――原注:兪琰曰く、「艮は外面の剛爻を以て来路を止住して、裏面の柔爻を護衛す。閽人は進入すべからざるを挡住し、寺人は出去すべからざるを挡住す」。按すに、これは上文の「門闕」の一象を承けて類を連ねて推及せるなり。艮は指を為す――原注:「指」は即ち止住なり。項安世曰く、「これは下文の「堅多節」と同一意思なり」と。

為狗(虞作拘。注曰:“指屈伸制物為拘。舊作狗。”朱氏曰:“此言為狗者,熊虎之子。《爾雅》曰:熊虎丑其子狗,初生未有文,猶狗也。”馬融虞翻郭璞以兌艮為虎,艮居寅位,艮究成兌,故艮為虎子。)。

艮は狗を為す――原注:虞翻本は「拘」と作りて、彼は注して曰く、「手指は一屈一伸して能く外物を制すれば、則ち拘と曰う。旧本は狗と写す」と。朱震曰く、「ここに言う所の狗は、指す所は熊虎の類の幼崽なり。《爾雅》は熊虎のこの一類の幼獣を「狗」と曰い、剛く生まれて未だ花紋有らずして、狗のごとく有らん」と。馬融・虞翻・郭璞は皆兌・艮を以て虎と為し、艮は十二支に在りて寅位に居り(寅は虎に属す)、而して艮は極処に推せばまた兌と変ずれば、ゆえに艮は虎子に取象す。

為鼠(虞氏曰:“似狗而小,在坎穴中,故為鼠。晉九四是也。”郭雍曰:“坎隱伏。在君子為隱,在小人為盜。艮之止,利則為狗,害則為鼠,皆一象而二義者也。”)。為黔喙之屬(馬氏曰:“肉食之獸,謂豺狼之屬。黔黑也,玄在前也。”程迥曰:“黔東北方之色,青黑雜也。”按:飛鳥之摯者,喙亦黔,不專指獸也。)。其於木也為堅多節(陽在外故堅多節)。

艮は鼠を為す――原注:虞翻曰く、「形状は狗に像りて小さく、坎の象る所の洞穴の裏に蔵れば、ゆえに鼠を為す。《晋》九四「晋すること鼫鼠のごとし」は即ちこの象なり」。郭雍曰く、「坎は隠伏を主として、君子的身上に在れば退隠にして、小人的身上に在れば則ち偷盗なり。艮は止を主として、有利の一面に向かいて言えば家を看るの狗にして、有害の一面に向かいて言えば則ち物を偷むの鼠なり。皆同一の象にして両層の意思を含む」。艮は黔喙の属(黒嘴の動物)を為す――原注:馬融曰く、「指す所は肉を喰うの野獣にして、豺狼の類のごとし。黔は即ち黒にして、黒色が嘴前に顕るを以てなり」。程迥曰く、「黔は東北方の顔色にして、青黒相雑ず」。按すに、猛禽の喙もまた黒ければ、ゆえに専ら走獣を指さず。艮は木のこの一類の裏に於て堅多節を為す――原注:陽爻は外に在れば、ゆえに木質堅硬にして疤節多し。

兌為澤(虞氏曰:“坎水半見。”)。為少女。為巫。為口舌(古巫皆少女以口舌通神者也。故類及之。)。為毀折。為附決(二象之舊說繁而鮮當,實皆對象。毀折對艮而言,艮為成終成始,艮兌陰陽相反,故兌為毀折附決。對震而言,震為決躁。巽之究為躁,巽覆為兌,故兌為附決。)。

兌は沢を為す――原注:虞翻曰く、兌は坎水のただ上面一半を露出せるなり。兌は少女を為し巫を為し口舌を為す――原注:古代の巫は皆少女にして、口舌に靠りて神霊と溝通せば、ゆえに巫より連類して口舌に推及す。兌は毀折を為し附決を為す――原注:この両個の象は、旧説の講ずる所は繁瑣にして恰当なる少なし。其の実皆対卦の上より取るなり。「毀折」は艮に対して言うなり。艮は終を成し始を成して、艮と兌とは陰陽恰好相反せば、ゆえに兌は毀折・附決の義を取る。「附決」は震に対して言うなり。震は決躁を為して、而して巽は極処に推せばまた躁卦を成し、巽を倒転し来れば則ち兌なれば、ゆえに兌は附決を為す。

其於地也為剛滷(澤涸為地必為剛滷。今日內外蒙古之間沙漠延長萬餘里,西連新疆之戈壁,號稱萬里長沙,其左右地皆斥鹵,蓋為上古以前之大澤久涸成地,不知紀年,而滷質猶在。此確合兌為剛滷之象,甚易見也。曰剛滷者,更含有物質變化作用。以今日化學之分劑準其陰陽正負而研索,尤饒興味,當別論之。)。

兌は土地のこの一類の裏に於て剛鹵(堅硬の鹸鹹地)を為す――原注:湖沢乾涸して陸地と変成せば、必定鹸鹹地と成る。今日内蒙古と外蒙古との間の沙漠は绵延して一万余里にして、向西新疆の戈壁に連接して、「万里長沙」と号称す。其の左右の土地は全く鹸鹹にして、あれは大概遠古以前の大湖沢の長久乾涸して成れる陸地にして、年代はすでに紀算するに由無くして、而して鹽鹵の質地は依然として留まる。これ正に兌の剛鹵を為すの象に合して、甚だ看易し。「剛鹵」と言う所以は、さらに物質が変化を発生するの作用を含めて其の内に在り。若し今日化学上の元素配比の道理を用いて、往きて其の陰陽正負を比准して以て研究を加えば、さらに饒有興味にして、当に別に専論を作すべし。

為妾(《正義》:“少女從姑姊為媵也。”)。為羊(虞作羔,訓為女使。鄭作陽,謂養無家女行賃炊事,今時有之,賤於妾也。說另詳《學易筆談》。)。

兌は妾を為す――原注:《周易正義》曰く、「少女は姑母・姐姐に随従して一同に出嫁して陪嫁の媵妾を作す」と。兌は羊を為す――原注:虞翻本は「羔」と作りて、解して女僕と為す。鄭玄本は「陽」と作りて、无家に帰る可きの女子を收养し彼女を雇いて炊事を做さしむるを説く。如今もまたこの種の人有りて、地位は妾よりもさらに低し。詳細の説法は別に《学易筆談》に見えり。

右八卦為象,共百十有四。所謂舉例發凡,非物象之盡於此也。其例有互文者,有對取者,有類及者,有從變者。詳《學易筆談》。

以上八卦の列する所の象は、合わせて一百一十四条なり。これはただ例を挙げて凡を発するに過ぎずして、並びに天下物象ただこれのみ多きと言うに非ず。それの象を取るの体例は四種有りて、両処互文して義を見る有り、対卦の上より取る有り、一象に由りて類を連ねて推及する有り、爻変に随いて来る有り。詳しくは《学易筆談》を見よ。

逸象

《荀九家》逸象

《荀九家易》,八卦逸象,共三十有一。雲出自河內女子獻《說卦》後,實皆由本經《彖》、《象》採取。其未見者,只坤之漿,巽之鸛二象,去留皆無關宏旨。惟荀爽《集解》,去古未遠,當有所本。而朱子亦仍陸氏《釋文》之舊,附各卦後。今列舉如左:

《荀九家易》の載する所の八卦の「逸象」(《説卦伝》の収めざりし所の象)は、合わせて三十一条なり。相伝えて河内の一位の女子が《説卦》を献じ出せるの後に乃ち出現せると曰うも、其の実皆《周易》本経の《彖伝》《象伝》の裏より採集し来れるなり。その中経伝裏に拠据を覓め得ざるは、ただ坤の「浆」為る・巽の「鸛」為るの両条のみにして、留下するも删去するも大局に関せず。ただし荀爽の《集解》は古を去る未だ遠からずして、当に拠依する所有るべし。朱熹もまた陸徳明《経典釈文》の旧例に沿襲して、それらを各卦の後に附せり。今や列挙して左のごとし。

乾之象四:為龍,為直,為衣,為言。坤之象八:為牝,為迷,為方,為囊,為裳,為黃,為帛,為漿。震之象三:為玉,為鵠,為鼓(玉或作王。鵠,項氏云:“鵠鶴古通用,當作鶴。”)。巽之象二:為楊,為鸛。

乾の逸象四条:竜を為し、直を為し、衣を為し、言を為す。坤の逸象八条:牝(雌性)を為し、迷(迷路)を為し、方を為し、囊(口袋)を為し、裳(下衣)を為し、黄を為し、帛(絲織品)を為し、浆(飲料)を為す。震の逸象三条:玉を為し、鵠を為し、鼓を為す――原注:「玉」はある本子は「王」と作る。「鵠」は、項安世は鵠と鶴とは古字通用して、当に「鶴」と作るべしと曰う。巽の逸象両条:楊(楊柳)を為し、鸛(水鳥)を為す。

坎之象八:為宮,為律,為可,為棟,為叢棘,為狐,為蒺藜,為桎梏。離之象一:為牝牛。艮之象三:為鼻,為虎,為狐。兌之象二:為常,為輔頰。

坎の逸象八条:宮(宮室)を為し、律(律法・音律)を為し、可を為し、棟(棟梁)を為し、叢棘(《坎》上六「叢棘に寘(お)く」は、牢獄を指す)を為し、狐を為し、蒺藜(刺有る野草)を為し、桎梏(脚鐐手銬)を為す。離の逸象一条:牝牛(母牛)を為す。艮の逸象三条:鼻を為し、虎を為し、狐を為す。兌の逸象両条:常(旌旗、一説は常度を指す)を為し、輔頰(面頰)を為す。

孟氏逸象

孟氏逸象,傳自焦氏,亦自本經採取為多。間有互異者,以兩漢經師,各守師說,傳述不同。備錄如後,以資參證。

孟喜の一系の逸象は、焦延寿に由りて伝え来れるにして、また大多《周易》本経の裏より採取せるなり。その中偶有《荀九家》と互相出入するは、則ち両漢の経学家が各々自己師門の説法を守りて、伝述同じからざるを以てなり。今や全部を録して下にして、参考印証に供せん。

乾為王,為先王,為明君,為人,為大人,為聖人,為賢人,為君子,為武人,為行人,為物,為易,為立,為直,為敬,為畏,為咸,為嚴,為堅剛,為道,為德,為盛德,為行,為性,為精,為言,為信,為善,為揚善,為積善,為良,為仁,為愛,為忿,為生,為祥,為慶,為天休,為嘉,為福,為介福,為祿,為先,為始,為知,為大,為盈,為茂,為肥,為好,為施,為利,為清,為治,為大謀,為高,為揚,為宗,為族,為高宗,為甲,為老,為舊,為古,為大明,為遠,為郊,為野,為門,為道門,為百,為歲,為頂,為朱,為衣,為圭,為蓍,為瓜,為龍。

乾の逸象。人物の一類に在りて:王を為し、先王を為し、明君を為し、人を為し、大人を為し、聖人を為し、賢人を為し、君子を為し、武人を為し、行人(出行して外に在る人)を為す。体性の一類に在りて:物を為し、易(平易)を為し、立を為し、直を為し、敬を為し、畏を為し、咸(普遍)を為し、厳を為し、堅剛を為し、道を為し、徳を為し、盛徳を為し、行を為し、性を為し、精を為す。言徳の一類に在りて:言を為し、信を為し、善を為し、揚善を為し、積善を為し、良を為し、仁を為し、愛を為し、忿を為す。福慶の一類に在りて:生を為し、祥を為し、慶を為し、天休(上天の降する所の美善)を為し、嘉を為し、福を為し、介福(大福)を為し、禄を為す。時序位次の一類に在りて:先を為し、始を為し、知を為し、大を為し、盈を為し、茂を為し、肥を為し、好を為し、施を為し、利を為し、清を為し、治を為し、大謀を為し、高を為し、揚を為し、宗を為し、族を為し、高宗(殷高宗武丁)を為し、甲(天干の首)を為し、老を為し、旧を為し、古を為し、大明を為し、遠を為す。地物の一類に在りて:郊を為し、野を為し、門を為し、道門を為し、百を為し、歳を為し、頂を為し、朱(朱紅)を為し、衣を為し、圭(玉圭)を為し、蓍(蓍草)を為し、瓜を為し、竜を為す。

坤為臣,為順臣,為民,為萬民,為姓,為小人,為邑人,為鬼,為形,為身,為牝,為母,為躬,為我,為自,為至,為安,為康,為富,為財,為積,為聚,為萃,為重,為厚,為致,為用,為包,為寡,為徐,為營,為下,為容,為裕,為虛,為書,為邇,為近,為疆,為無疆,為思,為惡,為理,為體,為禮,為義,為事,為業,為大業,為庶政,為俗,為度,為類,為閉,為藏,為密,為默,為恥,為欲,為過,為丑,為積惡,為迷,為殺,為亂,為怨,為害,為遏惡,為終,為永終,為敝,為死,為喪,為冥,為晦,為夕,為莫夜,為暑,為乙,為年,為十年,為戶,為義門,為闔戶,為閉關,為盍,為土,為積土,為階,為田,為邑,為國,為邦,為大邦,為萬國,為異邦,為方,為鬼方,為裳,為級,為車,為輹,為器,為擊,為囊,為虎,為兕,為黃牛,為牝牛。

坤の逸象。人の一類に在りて:臣を為し、順臣を為し、民を為し、万民を為し、姓(百姓)を為し、小人を為し、邑人を為し、鬼を為し、形を為し、身を為し、牝を為し、母を為し、躬を為し、我を為し、自を為す。安厚積聚の一類に在りて:至を為し、安を為し、康を為し、富を為し、財を為し、積を為し、聚を為し、萃を為し、重を為し、厚を為し、致を為し、用を為し、包を為し、寡を為し、徐(緩)を為し、営を為し、下を為し、容を為し、裕を為し、虚を為し、書を為し、邇を為し、近を為し、疆を為し、无疆を為し、思を為す。事理教化の一類に在りて:悪を為し、理を為し、体を為し、礼を為し、義を為し、事を為し、業を為し、大業を為し、庶政(各種の政務)を為し、俗を為し、度を為し、類を為す。閉蔵の一類に在りて:閉を為し、蔵を為し、密を為し、黙を為し、恥を為し、欲を為し、過を為し、醜を為し、積悪を為し、迷を為し、殺を為し、乱を為し、怨を為し、害を為し、遏悪を為す。終尽昏暗の一類に在りて:終を為し、永終を為し、敝(破敗)を為し、死を為し、喪を為し、冥を為し、晦を為し、夕を為し、莫夜(即ち「暮夜」、傍晚)を為し、暑を為し、乙(天干の乙)を為し、年を為し、十年を為す。門戸土地の一類に在りて:戸を為し、義門を為し、闔戸(門を関ず)を為し、閉関を為し、盍(合)を為し、土を為し、積土を為し、階を為し、田を為し、邑を為し、国を為し、邦を為し、大邦を為し、万国を為し、異邦を為し、方を為し、鬼方(遠方の国)を為す。器物牲畜の一類に在りて:裳を為し、級を為し、車を為し、輹(車軸伏兎)を為し、器を為し、撃を為し、囊を為し、虎を為し、兕(犀牛の一類)を為し、黄牛を為し、牝牛を為す。

震為帝,為主,為諸侯,為人,為士,為兄,為夫,為元夫,為趾,為出,為行,為徵,為作,為逐,為驚走,為警衛,為定,為百,為言,為講議,為問,為語,為告,為響,為聲,為音,為鳴,為夜,為交,為徵,為反,為後,為後世,為從,為守,為左,為生,為嘗,為緩,為寬仁,為樂,為笑,為喜笑,為笑言,為道,為陵,為祭,為鬯,為禾稼,為百穀,為草莽,為鼓,為筐,為馬,為糜鹿。

震の逸象。人の一類に在りて:帝を為し、主を為し、諸侯を為し、人を為し、士を為し、兄を為し、夫を為し、元夫(元配の夫)を為す。動作の一類に在りて:趾(脚)を為し、出を為し、行を為し、征を為し、作(兴起)を為し、逐を為し、驚走を為し、警衛を為し、定を為す。言語声響の一類に在りて:百を為し、言を為し、講議を為し、問を為し、語を為し、告を為し、響(回声)を為し、声を為し、音を為し、鳴を為す。時位往復の一類に在りて:夜を為し、交を為し、征を為し、反(返回)を為し、後を為し、後世を為し、従を為し、守を為し、左を為す。生養和悦の一類に在りて:生を為し、嘗を為し、緩を為し、寛仁を為し、楽を為し、笑を為し、喜笑を為し、笑言を為す。祭祀草木器物の一類に在りて:道を為し、陵を為し、祭を為し、鬯(祭祀に用うるの香酒)を為し、禾稼を為し、百穀を為し、草莽を為し、鼓を為し、筐を為し、馬を為し、麋鹿を為す。

巽為命,為命令,為號令,為教令,為誥,為號,為號咷,為處女,為婦,為妻,為商旅,為隨,為入,為處,為入伏,為利,為齊,為同,為交,為進,為退,為舞,為谷,為長木,為苞,為楊,為果木,為茅,為白茅,為闌,為草木,為草莽,為杞,為葛藟,為薪,為庸,為休,為繩,為帛,為腰帶,為繑,為蛇,為魚,為鮒。

巽の逸象。号令の一類に在りて:命を為し、命令を為し、号令を為し、教令を為し、誥を為し、号を為し、号咷(声を放ちて大哭す)を為す。人の一類に在りて:処女を為し、婦を為し、妻を為し、商旅を為す。進退出入の一類に在りて:随を為し、入を為し、処を為し、入伏(潜伏)を為し、利を為し、斉を為し、同を為し、交を為し、進を為し、退を為し、舞を為す。草木の一類に在りて:穀を為し、長木(高木)を為し、苞(叢生の草木)を為し、楊を為し、果木を為し、茅を為し、白茅を為し、闌(栏)を為し、草木を為し、草莽を為し、杞(枸杞の一類の樹)を為し、葛藟(藤蔓)を為し、薪(柴)を為し、庸(墻)を為し、休(樹蔭)を為す。縄帛虫魚の一類に在りて:縄を為し、帛を為し、腰帯を為し、繑(褲を繋ぐの帯子)を為し、蛇を為し、魚を為し、鮒(小魚)を為す。

坎為聖,為雲,為玄云,為川,為大川,為河,為心,為志,為思,為慮,為憂,為謀,為惕,為疑,為艱,為蹇,為恤,為悔,為逖,為忘,為勞,為濡,為涕洟,為眚,為疾,為疾病,為疾癘,為疑疾,為災,為破,為罪,為悖,為欲,為淫,為寇盜,為暴,為毒,為瀆,為孚,為平,為法,為罰,為獄,為則,為經,為習,為入,為內,為聚,為脊,為要,為臀,為膏,為陰夜,為歲,為三歲,為尸,為酒,為叢木,為叢棘,為蒺藜,為棘匕,為穿木,為校,為弧,為弓彈,為木,為車,為馬。

坎の逸象。天水の一類に在りて:聖を為し、雲を為し、玄雲(黒雲)を為し、川を為し、大川を為し、河を為す。心思憂患の一類に在りて:心を為し、志を為し、思を為し、慮を為し、憂を為し、謀を為し、惕(戒懼)を為し、疑を為し、艱を為し、蹇(艱難)を為し、恤(憂恤)を為し、悔を為し、逖(遠)を為し、忘を為し、労を為し、濡(沾湿)を為し、涕洟(眼涙鼻涕)を為す。灾病罪咎の一類に在りて:眚(灾病)を為し、疾を為し、疾病を為し、疾癘(瘟疫)を為し、疑疾を為し、灾を為し、破を為し、罪を為し、悖を為し、欲を為し、淫を為し、寇盗を為し、暴を為し、毒を為し、瀆(亵渎)を為す。信法刑獄の一類に在りて:孚(誠信)を為し、平を為し、法を為し、罰を為し、獄を為し、則を為し、経を為し、習(重習)を為し、入を為し、内を為し、聚を為す。人身と時日の一類に在りて:脊を為し、要(腰)を為し、臀を為し、膏を為し、陰夜を為し、歳を為し、三歳を為し、尸を為し、酒を為す。叢木刑具車馬の一類に在りて:叢木を為し、叢棘を為し、蒺藜を為し、棘匕(棘木の做れる匕勺)を為し、穿木を為し、校(枷)を為し、弧(弓)を為し、弓弾を為し、木を為し、車を為し、馬を為す。

離為女子,為婦,為孕,為惡人,為見,為飛,為爵,為日,為明,為先,為甲,為黃,為戎,為折首,為刀,為斧,為資斧,為矢,為飛矢,為黃矢,為網,為罟,為甕,為鳥,為飛鳥,為鶴,為隼,為鴻。

離の逸象。人の一類に在りて:女子を為し、婦を為し、孕を為し、悪人を為す。顕見光明の一類に在りて:見を為し、飛を為し、爵(爵位、一説は酒器)を為し、日を為し、明を為し、先を為し、甲を為し、黄を為す。兵刃の一類に在りて:戎(兵戎)を為し、折首(首級を斬獲す)を為し、刀を為し、斧を為し、資斧(利斧)を為し、矢を為し、飛矢を為し、黄矢を為す。網罟器物の一類に在りて:網を為し、罟(漁網)を為し、瓮を為す。飛禽の一類に在りて:鳥を為し、飛鳥を為し、鶴を為し、隼を為し、鴻を為す。

艮為弟,為小子,為君子,為賢人,為童,為童蒙,為僮僕,為官,為友,為閽,為時,為豐,為星,為沫,為霆,為果,為慎,為節,為待,為制,為執,為小,為多,為厚,為取,為舍,為求,為篤實,為道,為穴居,為石,為城,為宮室,為門闕,為廬,為牖,為居,為門庭,為宗廟,為社稷,為鼻,為肱,為背,為腓,為皮,為膚,為小木,為碩果,為豹,為狼,為小狐,為尾。

艮の逸象。人の一類に在りて:弟を為し、小子を為し、君子を為し、賢人を為し、童を為し、童蒙を為し、僮僕を為し、官を為し、友を為し、閽(門を守る人)を為す。天時の一類に在りて:時を為し、豊を為し、星を為し、沫(微小の星光)を為し、霆を為す。止守徳行の一類に在りて:果(果決)を為し、慎を為し、節を為し、待を為し、制を為し、執を為し、小を為し、多を為し、厚を為し、取を為し、舍を為し、求を為し、篤実を為し、道を為す。居処建築の一類に在りて:穴居を為し、石を為し、城を為し、宮室を為し、門闕を為し、廬を為し、牖(窗)を為し、居を為し、門庭を為し、宗廟を為し、社稷を為す。人身の一類に在りて:鼻を為し、肱(手臂)を為し、背を為し、腓(小腿肚)を為し、皮を為し、膚を為す。草木禽獣の一類に在りて:小木を為し、碩果を為し、豹を為し、狼を為し、小狐を為し、尾を為す。

兌為妹,為妙,為妻,為朋,為友,為講習,為刑人,為小,為少,為密,為通,為見,為右,為下,為少知,為契。右舉象至四百四十餘,然猶未能盡也。別本坎下有竊象,巽下有繫象,兌下有窺象,殆逸之中又有逸歟!

兌の逸象:妹を為し、妙(少艾)を為し、妻を為し、朋を為し、友を為し、講習を為し、刑人(刑を受けし人)を為し、小を為し、少を為し、密を為し、通を為し、見を為し、右を為し、下を為し、少知を為し、契(契約・刻記)を為す。以上の挙ぐる所の象は多きこと四百四十余条に達すれども、然れども依然として窮尽せざりき。別に有りて別の本子は坎の下にさらに「窃」の象有り、巽の下にさらに「繋」の象有り、兌の下にさらに「窺」の象有り――看るに逸象の外に、さらに別に逸象有らんか!

補象

《易》注如《瞿塘來氏集註》等,均有補象,要皆由《彖》、《象》十翼之辭,擬議以意增補。然來氏乾之為郊為野等補象均已列《孟氏逸象》之中,而又補之。殆來氏僻居巫峽,得書不易,《孟氏逸象》,或未之見耳。

《周易》の注本は、来知徳の《瞿塘来氏易経集注》等のごとき、皆別に「補象」を立てて、大体皆《彖伝》《象伝》等の十翼の文辞に就いて、自己の体会を凭りて擬議増補し出せるなり。然れども来氏の補する所の乾の郊を為し野を為す等の象は、其の実早くもすでに《孟氏逸象》の中に列せられ、彼は却又一遍を補せり。大概来氏は巫峡の一帯に僻居して、書を覓むること容易ならずして、《孟氏逸象》は或いは根本未曾に見たること有らん。

實則《說卦》廣象,簡而能賅,提綱挈領,各卦《彖》、《爻》之象,無不可會通演繹,而各得其變化。及根本之所在,必字字而擬之補之,則泥象以言《易》,而《易》反不可見矣。各家補象,爰不復贅錄。

其の実《説卦伝》の広する所の象は、簡明にして周備にして、提綱挈領す。各卦の《彖辞》《爻辞》裏の象は、一個としてそれに由りて会通演繹し出せざるなく、各々変化を求得して、并せて根本の所在を覓め得。若し必ず一字一字に就いて往きて比擬し往きて増補せば、則ち象に拘泥して《易》を講ずると成りて、《易》は却って見えざるを成す。ゆえに各家の補する所の象は、ここに再び一々抄録せず。

参象

參象者,乃八卦陰陽交變,未能以一卦之本象或變象盡之,因參合兩卦之象而會通之,其例已見於《廣象》。順德鄭氏《易譜》,觸類引伸,並證以前史占驗之詞,列為參象,亦足為初學之隅反也。

所謂「参象」とは、八卦陰陽交互変動の際に於て、単に一個の卦の本象あるいは変象を靠るのみにて其の意思を説き尽くし能わざれば、ここに変動前後の両個の卦の象を把りて参合して会通して義を取るなり。この種の取法の例子は前面《広象》の一節裏にすでに出現せり。広東順徳人鄭氏の著わせる《易譜》は、類に触れて引申して、并せて歴代史書裏の占験の断辞を拿りて来りて印証して、編成して「参象」の一門と為せば、また以て初学者をしてこれに由りて彼に及び、一隅を挙げて三隅を反らしむるに足る。

離之艮,為火焚山,山敗之象。於人為言,敗言為讒,故又為讒言之象。乾之兌,天降為澤,為天子降心逆公之象。震之離,火反燒木,有女嫁反害其母之象。巽見艮,為山之材,而之乾有照以天光之象。坤之乾,又見艮,有廷實旅百,奉之以玉帛之象。蓋艮為廷實旅百,乾為玉而坤為帛也。坤之震,曰安而能殺,為公侯之象。

離は艮と変ず。離火は下に在り艮山は上に在りて、是れ火の山を焼き山の焼き毀るの象なり。人事の上に落れば、離はまた言語を主として、敗壊せられし言語は則ち讒言なれば、ゆえにまた讒言の象なり。乾は兌と変ず。天は降りて来りて沢と成るは、天子の尊を屈し心を降して公侯を迎接するに往くの象なり。震は離と変ず。震は木を為し離は火を為して、木はもとより火を生ずるも、如今火は反転して木を焼くは、正に女児の出嫁して却って母親を害するの象に像る。巽は艮に遇う。艮は山を為し巽は木を為して、是れ山上の木材なり。再び乾に変じ至れば、乾は天を為して、則ち《左伝》陳敬仲筮例の言う所の「山の材有りて之を天光を以て照らす」の象と成る。坤は乾と変じてまた艮に遇う。これは《左伝》の言う所の「庭実旅百(庭に実を旅陳すこと百)、之を玉帛を奉じて以てす」の象なり――艮は庭中に陳列するの百物を主り、乾は玉を為して坤は帛を為すを以てなり。坤は震と変ず。《左伝》畢万筮仕の断辞に「安くして能く殺す」と曰う。坤は安静にして震は粛殺を主るは、正に公侯の象なり。

坤之坎,坤貞也,坎和也。和以率貞,有信之象。震之坤,震為足,坤靜而不動,有足居之之象。震車也,坤馬也,又為車從馬之象。震為長兄,坤為母,又有兄長之,母覆之之象。又為眾,眾又歸之之象。乾之坤,君降為臣也,為不終為君之象。乾天子也,變坤三爻皆出於乾,又為三出於天子之象。坎之巽,為夫從風,風隕妻之象。蓋風為隕落物也。

坤は坎と変ず。坤は正固を主り坎は和順を主りて、和順を以て来たりて正固を率領すれば、則ち誠信有るの象なり。震は坤と変ず。震は足を為し坤は安静不動にして、是れ《左伝》畢万筮例の言う所の「足之に居る」の象なり。震は車を為し坤は馬を為して、また「車馬に従う」の象なり。震は長兄を為し坤は母を為して、また「兄之を長とし母之を覆う」の象有り。坤はまた衆を為せば、ここにさらに「衆之に帰す」の象有り。乾は坤と変ず。君は降りて来りて臣を做すは、能く終身君を為るに能わざるの象なり。乾は天子にして、坤に変ずるの後三個の爻は皆乾より変じ来りて、また三度天子より出づるの象と成る。坎は巽と変ず。坎は丈夫を為し巽は風を為して、是れ丈夫の風に随いて行き風の妻子を吹き落すの象なり――風は正に物を墜落せしむるの物なるを以てなり。

震之坎,在春木旺龍德之時,為廢水之氣。來見乘加,昇陽未布,隆陰仍積,坎為刑獄,為刑獄壅濫之象。乾之離,為中天出日,有光顯之象,離之艮,為日落西山之象。艮之離,為山下起日,乃方升之象。艮之坎,為山嶽變海之象。坎之艮,為深谷為陵之象。

震は坎と変ず。震は春木に属して当旺にして竜徳正に盛んの時節にして、而して坎水は此の時すでに退廃の気なり。それは却って勢いに乗じて加臨し来りて、上升するの陽気をして未だ布散せざらしめ、深重の陰気を依然として積聚せしむ。坎は刑獄を主れば、ゆえに刑獄壅塞泛濫の象なり。乾は離と変ず。是れ太陽の中天に升りて光明显耀の象なり。離は艮と変ず。是れ日の西山に落つるの象なり。艮は離と変ず。是れ太陽の山下より升起して剛(かた)く東升するの象なり。艮は坎と変ず。是れ山岳の大海と変成するの象なり。坎は艮と変ず。是れ深谷の丘陵と変成するの象なり。

坎月也,變震為雷生明,變兌為上弦之月,變乾為十五夜月,變巽為十八晚初虧月,變艮為下弦月,變坤為晦。離日也,變震為初出日,變乾為中天之日,變巽為方斜之日,變艮為落山之日,坤知入地矣。離之坤,曰太陽入地,有退休之象,有傷夷之象。巽見乾之兌,有花木被馬毀折之象。

坎は月を為す。坎は震に変ずれば、是れ月光初生の震卦納甲の象なり。兌に変ずれば、是れ上弦月なり。乾に変ずれば、是れ十五の満月なり。巽に変ずれば、是れ十八日の晚上剛(かた)く開始して虧缺するの月なり。艮に変ずれば、是れ下弦月なり。坤に変ずれば、則ち月尽の晦日なり。この一列は正に納甲の月を以て八卦に相配するの次第なり。離は日を為す。離は震に変ずれば、是れ剛(かた)く出づるの朝日なり。乾に変ずれば、是れ中天の正午の日なり。巽に変ずれば、是れ開始して西斜するの日なり。艮に変ずれば、是れ山に落つるの日なり。坤に変ずれば、則ちすでに地に入れりを知るなり。離は坤と変ず。之を称して太陽地に入ると曰う。すでに退隠休止の象有りて、また受傷損害の象有り。巽は乾に遇い再び兌と変ず。巽は花木を為し乾は馬を為し兌は毀折を為して、是れ花木の馬に啃踏毀折せらるるの象なり。

離之坎,坎來乘物,為月來掩日之象。郭景純曰:“變坎加離,厥象不燭,必有欺蔽之象。”坎之離,為月往日來。離甲冑,用兵戈之象也。而之坎知遇險於前,又不成出兵之象。坤之乾,為自地昇天之象。艮之坤,有舍高就卑,去畸嶇從平坦之象。坎之巽,風還吹水,有波濤之象。坎之兌,水竭耳聾,臣壅主聽之象。

離は坎と変ず。坎は離の上面に凌駕し来るは、月亮の太陽を遮掩するの象なり。郭璞(字は景純)曰く、「坎を変出して離の上に加えば、其の象は能く照明せざるにして、必定欺瞞蒙蔽の事有らん」と。坎は離と変ず。則ち月去りて日来るなり。離は甲胄を主るは、兵戈を動用するの象なり。但し一たび坎に変じ至れば、便ち前面に険有るを知りて、就又兵を出すに宜からざるの象と成る。坤は乾と変ず。是れ地の上より天上に升るの象なり。艮は坤と変ず。高処を舍弃して低処に走向し、崎嶇を離れて平坦に走上するの象有り。坎は巽と変ず。風は頭を回らして来りて水を吹くは、波濤の象なり。坎は兌と変ず。坎は耳を為し兌は沢を為して水すでに涸るるは、水干きて耳聾し、臣下が君主の聴聞を壅塞せしむるの象なり。

坤之坎,有平地開通之象。兌之艮,兌口舌講和,而艮又止之,有欲和不成和之象。乾之離,為圓器在爐灶之側。坎之乾,為雲從龍。巽之艮,為風從虎。震之離,離為矢,而火還燒震木,有張弧反射之象。

坤は坎と変ず。坤は平地を為し坎は溝瀆を為して、是れ平地の上に通道を開出するの象なり。兌は艮と変ず。兌は口舌を主りてもとより和を講ぜんとするも、艮は却又それを止住せば、是れ和せんと欲して和成らざるの象なり。乾は離と変ず。乾は円を為し離は火を為して、是れ円形器皿を炉灶の旁边に放置するの象なり。坎は乾と変ず。坎は雲を為し乾は竜を為して、是れ「雲は竜に従う」の象なり。巽は艮と変ず。巽は風を為し艮は虎を為して、是れ「風は虎に従う」の象なり。震は離と変ず。離は箭矢を為して、而して離火は反転して震の象る所の木を焼くは、弓弩を張開して却って自己を射著するの象なり。

離之乾,在乾宮為同復於父,為歸宗。震木之艮,有木入山之象。坎之震,兌之震,為水澤中木,如逢坎離同位,乃其木是湯藥煎煮之象。坎之艮,為官司刑獄而止不復升矣。艮之巽,為居其所而風自播而今自行。

離は乾と変ず。若し是れ乾宮の内に在らば、離は乾の生ずる所の女にして、如今また乾に変回せば、則ち一同に父親の身辺に回帰して祖を認め宗に帰するの象なり。震木は艮と変ず。是れ木材の山中に運入するの象なり。坎は震に変じ兌は震に変ず。坎水兌沢の中に木を生じて、若し再び坎離の同居其位に遇えば、則ちあれはこの木の水火に煎熬せられて、湯薬を熬煮するの象と成る。坎は艮と変ず。坎は刑獄を為し艮は止を為して、是れ官司刑獄ここに至りて止み再び上に追究せざるの象なり。艮は巽と変ず。艮は居止其所を為して巽は風を為して、是れ人の原処に安居して風自ら播散行き、事情自ら伝揚し開くの象なり。

五行象

陰陽化合,播為五行。《禮運》曰:“布五行於四時,和而後月生也。”五行非質也,實天地陰陽之氣。氣有盛衰,而時位乘之,而生克變化之跡著也。氣不可見,仍見之於八卦之象。

陰陽交合変化して、散布し開けば則ち五行を成す。《礼記・礼運》曰く、「五行を四時に布きて、和して後に月生ずるなり」と。五行は並びに具体的の物質に非ずして、実際は天地間の陰陽の気なり。気は盛有り衰有りて、再加うるに時と位と其の間に乗ずれば、生と克・変と化との痕跡は便ち顕現し出づ。気本身は見えずして、依然として八卦の卦象を靠りて乃ち見るを得。

聖人作《易》,既極數定象,復發其凡於蠱巽之《彖》、《爻》。先後甲庚,各舉其端,而全《易》卦爻之陰陽五行無不可以此類推。而卦氣占候、九宮三式之術數雖繁,亦無能越此範圍。列象如右。卦數另詳下篇。

聖人の《周易》を創作するや、すでに其の数を窮極し其の象を確定し、また《蠱》卦の《彖辞》と《巽》卦の爻辞の裏に凡例を点出せり。《蠱》は「甲に先だつ三日、甲に後るる三日」と曰い、《巽》九五は「庚に先だつ三日、庚に後るる三日」と曰いて、各々一個の頭緒を挙げ出せり。これに由りて推し往けば、全部《易》中の卦爻の陰陽五行は類推すべからざる無し。至りて卦気占候および九宮・太乙雷公六壬三式のこれらの術数は、名目は繁と雖も、また皆この範囲を跳出る能わざるなり。今や五行の象を列して右に在り。至りて卦数は、別に下一篇に詳説す。

水火木金土,分陰分陽,有柔剛,各有配偶,共為十象,舊稱八卦。土金木皆有二,惟水火各一,實未知震兌各具水火之用也。震兌為陰陽出入之門,日月往來之路,不啻五行生化之原,故後天與坎離皆居中位。坎離居先天乾坤之位,震兌即居先天坎離之位。參觀《內經》,則陰陽升降,五行生化之作用,更顯著矣。

水・火・木・金・土の五者は、各々陰陽に分かち各々柔剛有りて、両々配対して、合わせて共に十象を成す。旧時はただ八卦に按じて称呼す。八卦の裏に於て、土・金・木は皆各々両卦を占め(坤艮は土を為し、乾兌は金を為し、震巽は木を為す)、ただ水・火のみ各々一卦のみ有り(坎・離)。これ実に震と兌と本身もまた各々水火の用を具備するを知らざるなり。震と兌とは陰陽出入の門戸・日月往来の道路にして、直に五行生化の本源なれば、ゆえに後天卦位の上に於てそれらは坎・離と一様に四正の中位に処す。坎離は先天図上の乾坤の位置を占居すれば、震兌は則ち先天図上の坎離の位置を占居す。再び《黄帝内経》を参看せば、陰陽升降・五行生化の作用はさらに加えて顕豁なり。

意象影象

意象影象者,日本易學之名詞也。經學諸書,自唐開元時傳入日本者為多。故日人講《易》,多宗李鼎祚《集解》,其占筮亦用唐人之揲法。卦象取用,有所謂意象者,如以震為船,翼為剪,離為鏡,艮為亭,類取形似,無甚深意義。但象本無方,意動成象,故得意既可忘象,亦能成象。

「意象」「影象」は日本易学裏の名詞なり。中国の経学典籍は、多半は唐代開元年間に日本に伝入せしを以て、ゆえに日本人の《易》を講ずるは大都李鼎祚の《周易集解》を尊奉し、占筮もまた唐人の揲蓍方法を用う。彼らの卦象を取用するに、所謂「意象」有りて、たとえば震を把りて船と看なし、巽を把りて剪刀と看なし、離を把りて鏡子と看なし、艮を把りて亭子と看なすがごとき、皆形状相似の上に就いて取りて、甚だ深意無し。ただし卦象はもとより固定の方所無ければ、意念一動すれば便ち象を成すべし。ゆえにすでに「意を得て象を忘る」べくして、同じくまた意に由りて象を成すべし。

《易》冒天下之道,以八卦相錯,陰陽反覆,能曲成萬物而不遺者,正以象之變化無盡,而肆應不窮。盈天地間唯萬物,生生不已,《易》亦生生不已。萬物之孳乳,日積月累,其數量為巧曆所不能計,而《易》之八卦,足以盡之。非神而明之,其孰能與於斯?

《周易》の能く天下の道理を涵盖するは、八卦交錯・陰陽翻覆に靠りて、従いで「曲りて万物を成して遺さず」なり。正に卦象の変化窮尽無きを以て、万事に応付するもまた窮尽無し。天地間に充満するはただ万物のみにして、万物は生生已まず、《易》もまた生生已まず。万物は不断に孳生繁衍して、日積月累して、其の数量は最も精なる暦算の人を以てすらも算い清むる能わざるも、而して《易》の八卦は却って以てそれらを統統包括し入るるに足る。若し「神にしてこれを明らむ」に非ざれば、誰か能くかくのごとき境界に参与せんや?

海通而後,西學東漸,名物之繁,百倍於昔。而鼎新革故,索之於《易》,無不各有其數,各有其象。如廣象以乾為金為玉,金玉或非伏羲畫卦時所有物。而三代以後,既有其物,而即以伏羲所畫乾卦之象當之。以三代之時,物質之最精最堅莫金玉若也。而今則金剛石之精粹堅剛,更出金玉之上,自可由金玉而更廣之以乾為金剛石。乾之因物付物,仍莫不確合而確肖也。

海禁開通するよりして、西学東伝して、名目器物の繁多なるは、従前より多きこと百倍す。然れどもこれらの除旧布新の事物は、《周易》の裏に拿到りて尋求すれば、一として各々其の数有り各々其の象有らざる無し。たとえば《説卦》広象は乾を以て金を為し玉を為すと雖も、金玉は未だ必ず伏羲の卦を画ける時すでに有りしの物に非ざるも、然れども夏商周三代以後すでにこの類の物品有れば、則ち伏羲の画ける乾卦の象を用いて往きてそれに当てたり。三代の時に在りては、物質裏最も精美最も堅硬なるは金玉に比ずる無きを以てなり。而して今天金剛石の精純堅剛はさらに金玉の上に在れば、自然に金玉より再び一歩を推広して、乾を以て金剛石を為すべし。乾卦はかくのごとく物に随いて象を賦して、依然として切合せざる無く逼肖せざる無し。

廣象以坎為輿,坤為大輿,震為大塗,合坎通坤載震行而定其象,以當時載物之具,莫利於輿,莫過於大輿。而通行之路,莫便捷於大塗故也。今則交通之廣,運輸之捷,器用日新,幾非一名一物所能限。然則占事知來,制器尚象,非由廣象更推而廣之,安能盡其用哉!

広象は坎を以て車を為し坤を以て大車を為し震を以て大路を為すは、坎の流通・坤の承載・震の行走の三義を合して以てこれらの象を確定せるなり。当時東西を載運するの工具は、車より便利なる莫く、大車より能く装むる莫くして、而して通行すべきの道路は、大路より便捷なる莫きを以てなり。今天に到りて、交通の広・運輸の快・器物の日新月異なるは、ほとんどある一個の名目・ある一件の東西の限定しうる所に非ず。すでにしかれば、「事を占して来を知る」に要し、「器を制して象を尚ぶ」に要すれば、若し広象より再び外に向かいて推広せざれば、怎(いか)でか能く其の用を窮尽せんや!

以卦言之,小過飛鳥遺之音,固未知今日之有飛機也,而象已確肖之。既未濟之曳其輪,未必知今日之有汽機也,而象已不啻曲繪之。古未嘗有化學之分劑也,而今日化學各原質之分化輕重,其量劑數無不與八卦之數合。

卦に就いて言えば、《小過》卦辞は「飛鳥其の音を遺す」を講じて、古人は固より今天の飛機有るを知らざるも、然れどもこの象はすでに飛機と極めて相肖す。《既済》《未済》は「其の輪を曳く」を講じて、未だ必ず今天の蒸汽機有るを知らざるも、然れどもこの象はすでにそれを曲曲描画し出せるに等し。古時は並びに化学上の元素配比無かりしも、而して今天化学中の各種元素の分化する時の軽重は、それらの分量と比数とは、一様として八卦の数と相合せざる無し。

是故但以象言,或猶疑為附會之適相巧合。若更證之以數度,參之以陰陽剛柔之氣運,而形質狀態,性情功用,無不一一彰明顯著。此意象之為用,非經生家鑽研故紙,取經傳之一名一物,自稱補象之足並論也。我國雖無意象之名,而京焦管郭之占象,見於本傳及《易林》、《洞林》諸書者,其以意廣古人之象者,固不勝指數。故特著之,為初學擴其心胸之一助焉。

ゆえに、若しただ象の上より講ずれば、或いはさらに人の疑いてただ牽強附会碰巧相合するに過ぎずと為す者有らん。但し若し再び数と度とを拿りて印証し、陰陽剛柔の気運を参照して推求せば、則ち事物の形質状態・性情功用は、就いて一として一々顕豁明白ならざる無し。これ即ち「意象」の功用にして、決してあれらのただ故紙を钻研する能くの経生が、経伝裏より一個の名目・一件の器物を挑出して便ち自ら「補象」と称するの做法の相提並論しうる所に非ず。我国は「意象」のこの名称無きと雖も、然れども京房・焦延寿・管輅・郭璞の占断取象は、彼らの本伝および《焦氏易林》《洞林》の諸書に見る所は、其の中意念を凭りて古人の象を推広するの例子は実に数え勝れず。ゆえにわざとこの一門を把りて標挙し出して、初学者の胸襟を開闊するを幇助するの一助と為さんとす。

影象之說,當本於吾國相傳之卦影。卦影之術,始於晉唐,而盛於南宋。嚴君平亦即其儔,今已失傳。而日本之所謂影象,類似吾國之伏象。惟不限以震伏巽,艮伏兌,大概與意象略同。說詳東京易學討論會丁巳年發行之易學雜誌,亦足供學者之參考也。

至りて「影象」の説法は、当に我国の相伝え来れる「卦影」に本ずべし。卦影の術は晋唐の間に起こりて、南宋に盛行せり。西漢の厳遵(字は君平)もまたこの一路の人物に属し、如今其の法はすでに失伝せり。日本人の言う所の影象は、我国の「伏象」に類似して、ただ震は巽に伏し艮は兌に伏するのあの固定の配対を限定せざるのみにして、大体上意象と差不多なり。詳細の説法は東京易学討論会丁巳年(一九一七年)出版の《易学雑誌》に見えて、また以て学者の参考に供すに足る。

卦数第七

“天一,地二。天三,地四。天五,地六。天七,地八。天九,地十。”又曰“天數二十有五,地數三十。天地之數,五十有五。”河圖洛書之數,即此五十有五之數所分佈而進退者也。聖人則圖畫卦,是故卦之數即圖書之數,亦即天地之數也。“大衍之數五十,其用四十有九”者,所以衍《易》,即以衍此五十有五之數者也。

《繋辞伝》に曰く、「天一、地二。天三、地四。天五、地六。天七、地八。天九、地十」と。又曰く、「天数は二十有五、地数は三十、天地の数は五十有五」と。奇数一・三・五・七・九は天に属して、相加えて二十五を得。偶数二・四・六・八・十は地に属して、相加えて三十を得。両項合わせて正に五十五なり。河図と洛書との数は、則ちこの五十五の数の分布排列・進有り退有りの結果なり。聖人は河図洛書に取法して卦を画けば、ゆえに卦の数は即ち図書の数にして、即ち天地の数なり。至りて「大衍の数五十、其の用四十有九」は、あれは用て《周易》を推演するに在りて、其の推演する所の対象は依然としてこの五十五の数を出でず。これを見れば「天地の数」と「大衍の数」とはもとより両事にして、必ず先ず分かち清むべし。

自宋儒竄易經文,以“天一地二”一節,移置“大衍之數五十”以前,兩數遂相混合,併為一談。異論紛若,左支右吾,卒無是處。漢學家雖力糾其繆,而於兩節之數理,亦未能分析清楚,與卦象《彖傳》相證明。乃沿繆襲誤,以迄於今。

宋代儒者が経文を改動して、「天一地二」のこの一節を「大衍の数五十」の前に挪移せるよりして、天地の数と大衍の数とは便ち混在して、一回事と當(あ)てられり。ここに異説紛紜として、左に支え右に絀(つ)むれば、終竟一処も講じ通らず。清代の漢学家は極力この錯誤を糾正するも、然れどもこの両節の数理に対してもまた能く分析清楚せず、さらに卦象と《彖伝》とを拿りて互相印証する無くして、ここに訛を以て訛を伝えて、一直に今天に沿襲す。

程朱而後,言《易》者皆崇理論,言象者已不多,言數者尤少。偶有一鱗半爪,又皆似是而非。同人講習,幾於無可取資。爰就所知,略貢芻蕘。所憾數學既淺,又荒廢日久,自知膚淺已甚。姑引其端,以待專家之續竟其緒也。

程頤・朱熹以後、《易》を講ずる人は皆義理を推崇して、象を講ずるはすでに多からずして、数を講ずるはさらに少なし。偶にあの一鱗半爪有るも、また皆似て是に非ず。同人と在りて講習するに、ほとんど取資すべきの物を覓め得ず。これが為に我は則ち自己の知る所に就いて、略々一点の粗浅の見を献ず。遺憾なるは我が数学はもとより浅くして、また荒废するや日久しきを以て、自ら知るに十分膚浅なり。姑く頭を開きて、専家を待ちて接着してこの一条の線索を続け尽くさん。

先天数

乾一,兌二,離三,震四,巽五,坎六,艮七,坤八之數,邵子《皇極經世》之數,所謂先天數也。相傳康節從李挺之氏學《易》三年,未能窺其奧,請益於李,叩其要旨。李乃授以一二三四五六七八之八字,康節言下大悟,恍然於乾兌離震巽坎艮坤之天然位次,與數適合。

乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八のこの一套の数は、邵雍《皇極経世》の用うる所の数にして、即ち通常の言う所の「先天数」なり。相伝えて邵雍(諡は康節)は李之才(字は挺之)に随従して《易》を学ぶこと三年して、なお其の中の奥妙を窺見せずして、便ち李に向かい請教して要旨を叩問せり。李之才はここにただ彼に一・二・三・四・五・六・七・八のこの八個の字を伝えて、邵雍は当下大悟して、恍然として乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤のこの天然の位次が、正に一至八の数と相合するを明白にせり。

而陰陽交錯,順逆往來,無不妙合。極深研幾,遂得貫澈天人,成《皇極經世》一書。程子嘆為內聖外王之學,朱子《木義》,又取其大小方圓各圖,弁諸經首。其後言《易》者,即以先天數為易數。於卦爻《彖》、《象》之言數者,如“七日”“八月”“十年”“九陵”之類,悉以先天數當之,歧誤乃不可究詰。

而且陰陽交錯・順行逆行往来推移するも、また一としてこの套の数と巧妙に契合せざる無し。彼はこれに由りて精微を深研して、終に天道人事を貫通して、《皇極経世》の一書を写成せり。程頤はそれを内聖外王の学なりと賛嘆し、朱熹《周易本義》はまた彼の大小方円の各図を採用して、経文の前面に冠せり。この後《易》を講ずる人は便ち径直に先天数を把りて《易》数と當てて、凡そ卦爻辞と《彖伝》《象伝》の裏の数に講じ及ぶ処は、《復》の「七日にして来復す」・《臨》の「八月に至れば凶有らん」・《屯》の「十年にして乃ち字む」・《同人》の「其の高陵に升る」の類のごとき、一概に先天数を拿りて往きて套せば、岐出の錯誤は則ち多きこと追究し得べからざるに至れり。

夫邵子先天數,非不合也。特邵子別有妙悟,以一二三四五六七八為主,如算學之數根。乾兌離震巽坎艮坤,只為其數之符號耳,故用乾兌離震巽坎艮坤可也,用日月星辰水火土石亦無不可也。

其の実邵子の先天数は並びに合せざるに非ず。ただ邵子は別に彼の妙悟有りて、彼は一二三四五六七八を以て主体と為し、算学裏の根数に像るがごとし。乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤はただこれらの数の符号なるのみ。ゆえに乾兌離震巽坎艮坤を用いて標記するは固より可なるも、改めて彼自ら書裏の「日月星辰・水火土石」を用いて標記するも同じく可なり。

因邵子未嘗以此注《易》,但借卦爻以演其數,而所得之數理,變化分合,仍能與《易》相符。所謂殊途同歸,法異而實不異也。若以言《易》,則自當以乾兌離震巽坎艮坤為主。先後體用,各有其數。與邵子之數同出天一地二之十數,並圖如左:

正に邵子が従來この套の数を拿りて《易》に注せず、ただ卦爻を借りて来りて彼の数を推演し、而して推し出せる所の数理は変化分合の上に於て依然として《易》と相符する能くするを以て、これ即ち所謂殊途同帰――方法は同じからずして実質は異ならずなり。然れども若し用て《易》を講ぜんと欲せば、則ち自然に当に乾兌離震巽坎艮坤のこの八個の卦を以て主体と為すべし。先天と後天・体と用とは、各々其の数有り。それらと邵子の数とは同じく「天一地二」のこの一套の十位の数より出づ。今や各図を一併に列して左に在り。

乾一對坤八,合九。兌二對艮七,合九。離三對坎六,合九。震四對巽五,合九。四九合三十六。乾陽三畫,坤陰六畫,合九。兌四畫,艮五畫,合九。離四畫,坎五畫,合九。震五畫,巽四畫,合九。四九亦合三十六。

先ず数を看よ。乾一と坤八とは相対して、両数相加えて九を得。兌二と艮七とは相対して、九を得。離三と坎六とは相対して、九を得。震四と巽五とは相対して、九を得。四個の九は合わせて三十六なり。再び画を看よ。乾は三爻皆陽にして、是れ三画なり。坤は三爻皆陰にして、毎爻中に断れて二を為し、是れ六画なり。両卦相加えて九を得。兌は四画・艮は五画にして、相加えて九を得。離は四画・坎は五画にして、相加えて九を得。震は五画・巽は四画にして、相加えて九を得。四個の九は合わせて同じく三十六なり。これを見れば数と画との両条の路は、得出す所の総数は全く一致す。

八卦相蕩成六十四,除乾坤坎離頤中孚大小過八卦反覆不變,餘五十六皆一卦反覆成二卦,實只二十八卦。合乾坤等不變之八卦,亦共合三十六卦。三十六者,六之自乘也。故邵子曰“三十六宮都是春”,乃用六藏九,為邵子之獨有心得,別具用法。

八卦互相推蕩して六十四卦を成す。乾・坤・坎・離・頤・中孚・大過・小過のこの八個の卦の倒転し来れば形状変らざるを除去するの外、其余五十六卦は皆一個の卦の倒転し来れば別に一卦を成して、両々相配し、実際はただ二十八个の卦体のみ有り。再加うるに乾坤等の八個の変らざるの卦を以てすれば、総計もまた恰好三十六卦なり。三十六は、即ち六の自乗なり。ゆえに邵雍の詩中に「三十六宮は皆是れ春なり」と曰う。これは六を用いて九を蔵めて、邵子の独り得る所の心得に属し、別に一套の用法有り。

故依此數方位,與五行干支納甲皆不相合。納甲之象與乾一兌二之數無關,漢學家力闢先天卦位,而於乾一兌二之數,無能辯駁。偶有言者,亦隔靴搔癢,無當於理。茲另圖先天八卦之合洛書河圖數如下:

正にこのが為に、この套の数に依照して排する所の方位は、五行・干支・納甲と皆相合せず。納甲の取る所の象は、もとより乾一兌二のこの套の数と関無し。清代漢学家は極力先天卦位を駁斥するも、然れども乾一兌二のこの套の数に対しては弁駁するに由無し。偶に人の説き及ぶ有るも、また隔靴掻痒にして、点子上に講じ到らず。今や別に一図を画きて、先天八卦の如何に洛書・河図の数と相合するかを説明して、列して下に在り。

聖人則圖畫卦,卦數即圖書之數。圖書之一六,皆從下起,陽從一始,陰以六終,皆歸藏於北方,未有從上起者。邵子先天數,獨悟“易逆數也”一語,故反用圖書而逆由乾位起一,藏九不用,為兩數之對待。如洛書之藏十,其妙用在卦順則數逆,卦逆則數順,故仍不悖於陽順陰逆之天則。錯綜變化,而無不相通。

聖人は河図洛書に取法して卦を画けば、ゆえに卦の数は即ち図書の数なり。図書上の一と六とは皆下方より起算して、陽は一より開始し、陰は六を以て終結して、両者皆北方に帰蔵して、従來上方より起算する有らず。邵子の先天数は、独り《説卦伝》「易は逆数なり」のこの一句を領悟して、ゆえに反りて図書を用い、逆らいて乾位より一を起こして、九を把りて蔵めて用いずして、一と九とをして両数の対待を為さしむるは、正に洛書の十を把りて蔵むるがごとし。其の妙用は、卦序順行する時は数は則ち逆行し、卦序逆行する時は数は則ち順行すれば、ゆえに依然として「陽順陰逆」のこの一条の天然法則に違背せず。錯綜変化の下に於て、相通ぜざる無し。

若論先天八卦之本數,則自當取則河圖,陰逆陽順,以合於一六二七三八四九之匹偶。而陰陽相對,皆得五數。如雷風一四合五也,水火二三合五也,山澤七八合十五,天地九六合十五,皆五也。仍以五為中樞。而一六為地雷復,九四為天風姤,二七為水澤節,三八為火山旅。所謂布五行於四時,無不合也。

若し先天八卦本身の数を論ぜんと欲せば、則ち自然に当に河図に取法すべし。陰は逆行し陽は順行して、以て一と六・二と七・三と八・四と九のこの四組の配偶に合す。而して陰陽両々相対して、所得は皆五の倍数なり。雷と風とは一加四して五を得、水と火とは二加三して五を得、山と沢とは七加八して十五を得、天と地とは九加六して十五を得て、全く五に帰結して、依然として五を以て中枢と為す。再びこれらの配対の成す所の卦を看れば、一と六とは合して地雷復を為し、九と四とは合して天風姤を為し、二と七とは合して水沢節を為し、三と八とは合して火山旅を為す。《礼運》の言う所の「五行を四時に布く」は、ここに於て一処として吻合せざる無し。

和而後月生,此納甲所以用先天之象,而取後天之數也。此理千餘年來,未有發明。由於不知陽順陰逆之數,以邵氏之數,強解京、焦之《易》,紛紜糾結,遂莫可究詰矣。陽數順由一始,為一三七九。陰數逆由四起,為四二八六。宋以後,皆以二四六八為陰數之用,此其根本之錯誤也。

《礼運》は続けて「和して後に月生ず」と曰う。これ正に納甲の先天の卦象を採用する而して後天の数を取用するの故の所以なり。この道理は一千多年来人の揭示せし有らず。陽順陰逆の数を明白にせざるに由りて人々は邵雍の数を拿りて往きて京房・焦延寿の《易》を硬解して、糾纏して清まらずして、ここに追究するに由無し。其の実陽数順行は一より起こりて、依次は一・三・七・九なり。陰数逆行は四より起こりて、依次は四・二・八・六なり。宋代以後一概に二・四・六・八を拿りて陰数と當てて用うるは、これ即ち根本上の錯誤なり。

陽順陰逆圖數,餘於庚申之秋,始由“乾乘六龍”一語悟得“乘六”之法,繪圖以明之。始知極數定象,通變成文,參伍錯綜,皆在陽順陰逆。而千餘年來,似是而非之註釋,均可一掃而空矣。圖說另詳《易數偶得》。

陽順順陰逆の図と数とに関するは、我は庚申年(一九二〇年)秋に在りて、始めて《乾・彖伝》「時に六竜に乗る」の一語より「六に乗る」の法を悟出して、并せて図を繪成して以てそれを説明せり。これに至りて始めて明白にせり。《繋辞伝》の言う所の「其の数を極めて、遂に天下の象を定む」「其の変を通じて、遂に天地の文を成す」「参伍して以て変じ、其の数を錯綜す」の関鍵は、全く陽順陰逆の四個の字に在り。かくのごとくなれば、一千多年間のあれらの似て是に非ざるの注釈は、皆一掃して空しくすべし。図と説とは別に我が著わせる《易数偶得》に詳し。

坎一坤二震三巽四離九艮八兌七乾六。乾坎相連,一與六合。坤兌相連,二與七合。震艮相連,三與八合。巽離相連,四與九合。水火金木之數,各有配合,獨闕五十兩數。

後天八卦は洛書の数に配するは、坎一・坤二・震三・巽四・離九・艮八・兌七・乾六なり。乾と坎とは相連なりて、一と六と相合するは、水の数なり。坤と兌とは相連なりて、二と七と相合するは、火の数なり。震と艮とは相連なりて、三と八と相合するは、木の数なり。巽と離とは相連なりて、四と九と相合するは、金の数なり。水火金木の四行の数は各々配合有りて、ただ五と十とのこの両個の数を缺くのみ。

非闕也,坎一離九合十,中央戊己,而坤艮二八,亦合十為丑未,皆五與十土數所分寄,方位與洛書合,而數亦兼符納甲。其說已詳《卦位》章先天納甲圖,茲不贅述。更以數之順序,並列與洛書參照,則第一章二八易位,二五構精,兩圖之妙更可見矣。

其の実並びに缺くに非ず。坎一と離九とは相加えて十を得て、正当中央戊己の位に当たる。坤二と艮八とは相加えてもまた十を得て、正当丑・未の両個の土位に当たる。五と十とのこの両個の土数は、則ち分かちてこれらの地方に寄托するなり。それらの方位は洛書と相合して、而して其の数はまた同時に納甲に符合す。この層の道理はすでに《卦位》の一章の先天納甲図裏に講じたり。ここに再び贅言せず。若し再びこれらの数を按じて順序に排列して、洛書と並列対照せば、則ち第一章の講ずる所の坤艮二八の位置を互換し・二と五と交感して精を構するの道理は、両図の妙処はさらに加えて顕豁ならん。

坎離乾巽震兌坤艮皆相對,與卦位合。惟坤二與艮八之位互易,五運中樞,而十暗寓於八方。所謂通變化而行鬼神者,即在此坤艮易位之妙用。故曰“神樞鬼藏”,向來道家珍為神秘。非入其門奧者,不肯輕洩。實則邵子天根月窟,子正在丑,午正在未數言,已不啻明明揭示,特後人不自悟耳。

坎と離・乾と巽・震と兌・坤と艮とは、皆両々相対して、卦位と完全に相合す。ただ坤二と艮八との両個の位置のみ互相調換す。かくのごとくなれば、五は則ち運転の中枢と成りて、而して十は便ち暗暗八方の中に寄寓す。《繋辞伝》の言う所の「変化を通じて鬼神を行う」の妙用は、則ち坤艮易位のこの一着の上に在り。ゆえに術家はこれを称して「神枢鬼蔵」と為して、向來道家の珍視して秘密と為す所にして、門径深処に入るの人に非ざれば、軽易に泄露するを肯ぜず。其の実邵雍の「天根月窟」を講じ・「子の正位は丑に在り、午の正位は未に在り」のこの幾句を講ずるは、すでに明明白白に揭示し出せるに等しきも、ただ後人自ら領悟せざるのみなり。

先後天八卦合数

先後天八卦,既各有其本位本數,而體用相生,升降變化,由合而分,亦由分而合。是以《易》之《彖》、《象》凡涉言數者,亦各有體用之不同。先天八卦本數者,以河圖為體者也。後天八卦本數者,以洛書為體者也。先後天八卦合數者,兼先後天之象而納十干之數者也。此數相傳最古,虞氏《易》即用此數也。

先天と後天八卦とは、すでに各々其の本位・本数有りて、而して体と用とはまた互相化生して、一升一降不断変化して、合より分かれ、また分より合す。ゆえに《周易》の《彖伝》《象伝》凡そ数に涉及する処は、また各々体・用の不同有り。先天八卦の本数は、河図を以て体と為すなり。後天八卦の本数は、洛書を以て体と為すなり。至りて「先後天八卦合数」は、則ち兼ねて先天・後天両種の卦象を取りて、而して十天干の数に配上するの一套なり。この一套の数は相伝えて最も古老にして、虞翻の《易》に注するに用うる所は正にそれなり。ゆえに漢人の《易》注を読むに、凡そ数を講ずる処に遇えば、必ず先ず彼の用うる所は究竟どの一套なるかを辨清して、始めて牽合して誤を致さざるべし。

古納甲圖:東方甲乙配乾坤,南方兌艮配丙丁,西方庚辛屬震巽,而坎戊離己中央,因壬癸為乾坤兼納也。此圖壬癸居北屬坎離,以坎離代乾坤。有作離一坎六.者,陰陽互根,亦自可通。並前兩圖合觀之,當知邵子數與《易》之分別矣。

古納甲図の配法は、東方甲・乙は乾・坤に配し、南方丙・丁は兌・艮に配し、西方庚・辛は震・巽に配して、而して坎は戊を納れ離は己を納れて中央に居る。至りて壬・癸は、則ち乾・坤より兼納す。この一図は壬・癸を把りて北方に放ちて坎・離に帰属せしむるは、坎離を拿りて乾坤に代わるなり。また離一・坎六と作る有るは、陰陽互いに其の根を為すの義を取りて、同じく講じ通ず。この一図と前面の両図とを合して看れば、則ち当に邵雍のあの套の数と《周易》本身の数との分別を明白にすべし。

天地範囲数

天地範圍數,相傳即《連山》卦數。因其以艮為始終,所謂“範圍天地而不過,曲成萬物而不遺”者也。略舉例如左:

「天地範囲数」は、相伝えて則ち夏代《連山》易の卦数なり。この套の数は艮卦を以て開端と為しまた艮卦を以て終結と為すを以て、正に《繋辞伝》の言う所の「天地の化を範囲して過たず、曲りて万物を成して遺さず」の意思に合す。下面に略々幾個の例子を挙げて、左に列す(原書ここに図表を附せり。今源本の図はすでに佚失せり)。

右圖始艮一,終艮十,而又以艮七為用,象數體用皆艮,故有《連山》易數之名。雖未必即為《連山》,而其象則兼先後天,數則合河圖洛書。與納甲納音,融會而貫通之者也。天地萬物之數,莫能外於是矣。

上面のこの幅の図の排数は、起頭は「艮」が一に配し、収尾は依然として「艮」が十に配し、中間はまた「艮」を拿りて七に配して以て実際起用するの位置と為す。象と数との「体」は艮に落ち、「用」もまた艮に落れば、これが為にこの套の数は《連山》易数と称せらる。それは未だ必ず真に夏代のあの部《連山》易の原様に非ざるも、但しそれの象を取るは兼ねて先天八卦と後天八卦との両套の方位を収め、数を取るはまた同時に《河図》と《洛書》とに合し、さらに能く「納甲」(八卦は天干に配す)と「納音」(六十甲子は五音五行に配す)のこの両套の体系を一併に打通して、融会して一個の整体を成す。天地の間の万事万物の数は、一様としてこの框架の外に跑り出づる能わざる無し。

陽數極於九,陰數極於六。陽,天也。天之用皆見於地,故數至六而體全,得七而六數之用行也。太陽無七,太陰無十,而艮兼用一、七、十者,一始十終,七則具成終成始之用者也。

陽数は九を以て極限と為し、陰数は六を以て極限と為す。陽は天に属して、天自身形無くして、其の作用は必定要るに地上に落ちて乃ち見え得。ゆえに数は六に排せられれば、地のこの一面の「体」は則ち完備せり。再び一層を進めて七を得れば、六のこの数の「用」は始めて真に運転し起こる――七は六の後の第一歩にして、正に体より用に転ずるの関口なり。四象の中に於て、「太陽」の数は九にして七を取らず(七は少陽に属す)、「太陰」の数は六にして十を取らず(十はすでに四象の外に出づ)。ただ艮卦のみ一身兼ねて一・七・十の三個の数を用う。一は起点にして、十は終点にして、七は中間に居りて、《説卦伝》の言う所の「万物を終わらしめ万物を始まらしむるは艮より盛んなるは莫し」のあの既に収尾しまた開頭するの功能を具備す。ゆえにこの幅の図は始めて能く艮一に起こり艮十に止まりて、而して艮七を把りて立てて実際運用の枢紐と為す。

八卦成列数

夫《易》開物成務,冒天下之道,如斯而已者,非他,即天一,地二,天三,地四,天五,地六,天七,地八,天九,地十之數也。八卦成列,天地之數,分陰分陽,與八卦並列,而五位配合,五行生布也,干支屬也。

《繋辞伝》は《易》の能く「物を開き務を成し、天下の道を冒う」と曰う――万物を開発し事業を成就して、天下の道理を全く覆蓋し入るるなり。所謂「ただこれのみ」とは、指す所は別のに非ずして、則ち《繋辞》の列出せるあの一串の数なり。天一・地二・天三・地四・天五・地六・天七・地八・天九・地十。八卦は一旦序列を排成せば、天地のこの十個の数は便ち陰陽を分出す――奇数は天に属して陽を為し、偶数は地に属して陰を為す――八卦と並列相配して、十個の数はまた一と六・二と七・三と八・四と九・五と十とに按じて両々相合して、五組の方位を凑成して、五行はこれに由りて生发布列して、天干地支の帰属もまた就いて随いて定下す。

一始十終,順往逆來,六十四卦先後天往復循環,周而復始,而數有不周,獨闕西北。先天則艮闕,後天則乾無,而盈虛消長,於以無閥,皆出“乾知大始”。冒天下之道,以極天之數,定天下之象,通天下之志,定天下之業,斷天下之疑,興神物以前民用,盡在於斯矣。

この十個の数は一より起こり十に至りて止まり、順いて数え出でて逆らいて数え回れば、六十四卦は便ち先天と後天との両套の卦位の間に於て往復循環して、周りて復た始まる。然れども数は排し下りて偏に一処の円満ならざる有りて、ただ西北方のみ位を缺く。先天卦位に按ずれば、西北は艮にして、艮位は数無し。後天卦位に按ずれば、西北は乾にして、乾もまた数を占めず。天地間の盈虚消長の能く永遠に運転して堵死せられざる所以は、正にこの缺口を留下せるを以て、而してこの缺口の拠据は《繋辞》の「乾は大始を知る」より出づ――乾はただ開端を管するのみにして、本身は形数の上に落ちず。《繋辞》の講ずる所の「天下の道を冒う」とは、即ち天の数を窮尽し・天下の象を確定し・天下の人の心志を溝通し・天下の事業を成就し・天下の疑難を決断し・蓍亀のこの類の神物を兴起して以て百姓の日用を引導するは、全くこの一套の数の裏に包含せらる。

坎子一,艮丑二寅三,震卯四,巽辰五巳六,離午七,坤未八申九,兌酉十,乾戌亥無數。子午南北至卯酉春秋分,寒暑往來,日月出入,先天咸無,後天乾無,皆以無出有。此《易》數之精義入神,《易》道之廣大悉備,皆在此八卦成列之時位象數。

具体の排法は、坎は正北に居り子に配して、数一を得。艮は丑・寅の両位を跨ぎて、丑は二を得寅は三を得。震は正東に居り卯に配して、数四を得。巽は辰・巳の両位を跨ぎて、辰は五を得巳は六を得。離は正南に居り午に配して、数七を得。坤は未・申の両位を跨ぎて、未は八を得申は九を得。兌は正西に居り酉に配して、数十を得。乾は戌・亥の両位を跨ぐるも、却って数に配せず。子は正北に在り午は正南に在りて、冬至と夏至とに対応し、卯は正東に在り酉は正西に在りて、春分と秋分とに対応して、寒暑の往来・日月の出入は皆この四個の点の上に於て転折す。而して西北のこの一格は先天卦位の上に於て一概に数を立てず(先天西北は艮に属し、艮位はもとより阙く)、後天卦位の上に於ては則ち乾は数を占めずして、両者皆「無」の裏より「有」を生出するなり。《易》数の精微入神の所以・《易》道の広大周備の所以は、全く八卦の序列を排成する時のこの一套の時・位・象・数の配合の上に在り。

宋後言《易》,先別門戶,爭道統,宗宋者以老莊之說為異端,宗漢者以先天卦位為不經,而《易》遂無從言矣。程傳號為易學正宗,而程子《自序》,謂予所傳者辭也,冀學者由辭以得其意。然《彖》、《象》十翼之辭,無一辭一字,不由象數而來。舍象數而言辭,辭烏從得哉!此圖之數,前人所未言。清季青田端木鶴田氏始創為之圖,簡要精當,足與經傳相參證。與舊有諸圖會而通之,不但於數理之要領可得,而古今來占筮推步之本源,悉在於是矣。

宋代以後《易》を講ずる人は、一上来すれば先ず門戸を分かち道統を争う。宋学を尊崇するは老荘の一路の講法を把りて異端と斥け、漢学を尊崇するはまた先天卦位は経に拠无しと認めて、結果《易》は却って講ずる法無し。程頤の《伊川易伝》は易学正宗と号称するも、然れども程子は《自序》裏に自ら曰く、我が伝うる所はただ卦爻辞のみにして、学者の辞に由りて其の中の義理を体会せんことを希望すと。然れども《彖伝》《象伝》以至《十翼》の文字は、一句の言・一個の字として象数の中より来らざる無し。象数を丢開して辞を談ずれば、辞の拠据はまた何処より来らん。この幅の図の排する所の数は、前人は従來講じし有らず。清朝末年浙江青田人端木国瑚(字は鶴田)に至りて始めて首創してそれを画きて図を成して、簡明にして精確にして、以て経伝と互相印証するに足る。それを旧有の各種の易図と会通し来れば、不但数理の綱領は掌握すべく、古往今来の占筮と推歩暦算との根源も、また皆この裏面に在り。

卦気第八

既明方位象數,而氣可得言矣。氣不可見,顯之以象,定之以數,而驗之以候。五日為一候,故亦曰卦候。天地陰陽之消息,日月寒暑之往來,萬物生成,變化動靜,莫不先見乎氣。《彖》、《象》、《繫辭》,皆隱合氣候而未明言。

方位と象数とすでに講じ明白なれば、接続して則ち「気」を談ずべし。気本身は見えず摸れずして、ただ卦象を借りてそれを顕示し出し、数を用いてそれを固定し下り、再び物候を用いて往きてそれを験証す。古暦は五天を以て一「候」と為せば、ゆえにこの套の学問もまた「卦候」と曰う。天地間の陰陽の消退と生長・日月の運行・寒暑の来去、および万物の生成・変化・動静は、一様として先に気の上に於て苗头を露出せざる無し。《彖伝》《象伝》《繋辞》裏は其の実処処暗く気候の理に合すれども、ただ話を点破せざるのみ。

言氣者莫著於京房,遂相傳京房卦氣,實非京氏所創也。周公之時訓與《月令·夏小正》,皆以象數為氣候之準,無不與圖書卦象契合。京氏特整齊而排比之,以六十卦直日用事,以風雨寒溫,定占候災變,或為京房之法耳。

卦気を講じて最も名有るは西漢の京房にして、ここに世人は相伝えて「京房卦気」の名有るも、其の実この套の東西は並びに京房の創造するに非ず。相伝えて周公の《時訓》(即ち《逸周書・時訓解》の載する所の七十二候)より出づ、および《礼記・月令》と《大戴礼記・夏小正》とは、皆象数を拿りて以て気候の標準と作して、一処として《河図》《洛書》と卦象と相契合せざる無し。京房はただ旧有の材料を把りて整理排比する一遍せしのみにして、六十卦をして輪流して日に値り令に当たらしめ、再び風・雨・寒・温の実況を用いて占候と灾変とを推定す――この一套の占験の弁法は、或いは始めて真に京房自己の方法と算すべし。

黃粵洲曰:“上繫七爻,起中孚‘鳴鶴在陰’,十一爻起於咸‘憧憧往來’。”卦氣從中孚至井,八十九陽,九十一陰。咸至頤,八十九陰,九十一陽,與《繫傳》恰合。而孔子復於咸言“日月寒暑往來,陰陽屈伸”,是必三代已有此卦象氣候,孔子故於《繫傳》及之,否則安有如此之巧合乎?特著錄其圖。非僅為占卜之用也。

黄粵洲曰く、《繋辞上伝》の引く所の七条の爻辞は、第一条は則ち《中孚・九二》の「鳴鶴陰に在り」に起こる。《繋辞下伝》の引く所の十一条の爻辞は、第一条は《咸・九四》の「憧憧として往来す」に起こる。卦気の排列に按じて、《中孚》より数えて《井》に至るに、其の間合わせて八十九個の陽爻・九十一個の陰爻有り。《咸》より数えて《頤》に至れば、則ち八十九個の陰爻・九十一個の陽爻にして、両段は恰好陰陽対調して、《繋辞》の先後この両卦を引くの次序と完全吻合す。而して孔子は《咸》卦の下にまた「日往けば則ち月来り、寒往けば則ち暑来る」および陰陽屈伸相感するのこの類の話を説き及べば、これを見れば夏・商・周三代は早くもすでにこの套の卦象が気候に配するの学問有りて、孔子は始めて《繋伝》裏に順手に帯び来れるなり。否ざれば怎でかこのがごとく巧なる巧合有らんや。これが為にわざとこの幅の卦気図を把りて収録し下せり――それは並びにただ占卜の為に用うるに非ず。

京氏以六十卦當周天三百六十五度四分度之一,每卦值六日七分,故又名為六日七分術。坎離震兌為後天四正,別立為監司,分管二十四氣,不入六十卦之內。六十卦之中,更有復臨泰大壯夬乾姤觀否遁剝坤十二卦為闢卦,分領十二月,每月約五卦。始六日曰公卦,次闢卦,次侯卦,則值月中節氣交界。次大夫,次卿,以畢一月。周而復始。

京房は六十卦を用いて周天三百六十五又四分の一度に配せり。毎卦は六日七分に当値す(一日は八十分に分作す)。ゆえにこの套の弁法はまた「六日七分術」と曰う。坎・離・震・兌は後天八卦の四正卦にして、単独に抽出せられて「監司」を立てられて、分かちて二十四節気を管し、あの六十卦の中に列入せず。六十卦裏にまた復・臨・泰・大壮・夬・乾・姤・観・否・遁・剥・坤の十二卦を挑出して「辟卦」を作し(即ち君卦なり)、分かちて十二箇月を統領して、毎月大約五卦に配す。一箇月之内の次序は、開頭六天は「公卦」を為し、接続して「辟卦」、再び接続して「侯卦」――侯卦は正当月中節気交替の処に当たる。然る後に「大夫卦」、最後に「卿卦」にして、一箇月は就いて此に排満して、然る後に周りて復た始まる。

卦氣起冬至,為中孚之二爻,至七日復卦,十二日復卦畢,第十三十四十五日則屯之內卦當之,約兩卦半當一氣,約十五爻當十五日也。小寒自屯四起,至謙與睽,亦兩卦半也。茲分舉其例如下:

卦気は冬至より起算して、冬至のこの一天は正に《中孚》の第二爻の上に落つ。数えて第七天に到れば《復》卦に進入し、第十二天に到れば《復》卦は値し尽くせり。第十三・十四・十五のこの三天は、《屯》卦下卦の三個の爻に由りて承当す。かく算え来れば、大約毎両卦半は一個の節気に当たり、約十五個の爻は十五天に当たる。小寒に到れば、則ち《屯》卦第四爻より起算して、《謙》と《睽》とを経歴して、同じく両卦半なり。下面に分条して其の実例を挙出す。

或謂京房卦氣出《易緯》,不足以望先天。然按之《繫辭》,既有中孚與咸之前徵,而驗之氣候,又與《時訓》、《夏小正》合,而邵子河洛先天諸數亦不能不採用其說。圖雖別用乾坤坎離,而河洛化工,仍取坎離震兌。蓋實始於《連山》曆法,四監周度。惟首起艮卦,然則京學之自來遠矣。

ある人は京房卦気は漢代の《易緯》より出づと言いて、档次は先天の学に够らずと為す。但し《繋辞》を拿りて来りて対照すれば、前面すでに《中孚》《咸》の両卦を以て先例と為す有り。実際の気候を拿りて来りて験証すれば、また《時訓》《夏小正》と相合す。連ねて邵雍の《河図》《洛書》と先天諸数とを推演するも、またこの套の説法を採用せざる能わざるなり。邵雍の図は別に改めて乾・坤・坎・離の四卦を用いて四正に当てるも、然れども《河図》《洛書》造化の功を講ずるの時は、依然として坎・離・震・兌を取らざるべからず。これを見ればこの套の弁法は其の実《連山》暦法に起源す――四卦を以て「監」(監司)と為して分かちて周天度数を管するは、ただ《連山》は艮卦を以て首に居るのみ。かく看れば、京氏の学の来歴は甚だ久遠なり。

闢卦主一年十二月,自冬至七日後起,陰陽往復,周而復始。朱子曰:“是當以一爻分三十分,陰陽進退日一分。如陰剝每日剝三十分之一,一月方剝得盡。陽長每日長三十分之一,亦一月方長得成。

十二辟卦は分かちて一年十二箇月を主る。冬至後第七天より起算して、陰陽は一去一来して、循環已まず。朱熹曰く、ここは当に一爻を再び細分して三十分と為し、陰陽は毎天進退一分すべし。譬えば陰気は陽を剥ぐるに、毎天この一爻の三十分之一を剥去し、整整一箇月を要して始めてこの一爻を剥尽す。陽気の生長は、もまた毎天三十分之一を長じて、同じく一箇月を要して始めて一整爻を長成す。

故復之一陽,不是頓然便生,乃是自坤卦中積來。從小雪後一日生一分,竟大雪共三十日,生三十分,然後成冬至之一陽。姤之陰亦生於小滿,一日一分,積三十日,然後成夏至之一陰。觀此知陰陽絕續之際,果無一息之間斷也。”

ゆえに《復》卦下面のあの一根の陽爻は、並びに冬至に到りて始めて忽然として冒出し来るに非ずして、而して純陰の《坤》卦の裏より一点一点積累し起これるなり。小雪の後より開始して、一天一分を生じ、大雪を経過して、前後合わせて三十天して三十分を生満して、冬至に到りて始めて一整根の陽爻を凑成す。《姤》卦のあの一根の陰爻もまた一様にして、小満より則ち開始して生じ、一天一分して、積満三十天して、夏至に到りて始めて一整根の陰爻と成る。これに由りて知るべし、陰陽交替断続のあの当口は、其の実一息の間断すらも連ねて無し。以上皆朱子の言なり。

列子曰:“一氣不頓進。”又曰:“天道密移,疇覺之哉!”聖人作《易》,仰觀俯察,知天地陰陽之運行消息甚微,人無從覺,故以懸象著明之日月,分畫八卦,象陰象陽,以《易》道示人,天道斯昭昭矣。更以六十四卦,合周天之度,自疏而密,由略而詳。由一年十二月,分日分時分刻,以逮秒忽之微,均可顯之以象,推之以數,豈但為吉凶占卜之用哉!

《列子》曰く、「一気は頓進せず」と。一股の気は一步到位する能わず。又曰く、「天道は密移す。疇か之を覚えんや」と。天道は暗中悄悄として迁移して、誰か能く察覚し得べしと。聖人の《易》を作るや、上は天文を観、下は地理を察して、天地陰陽の運行消長は極其細微にして、人は根本感覚し得ざるを知りて、ここに《繋辞》の言う所の「象を懸けて著明なるは日月より大なるは莫し」の日月を取りて以て準と為し、八卦を劃分して、陽爻を用いて陽を象り陰爻を用いて陰を象りて、《易》道を把りて摆し出して人に看しめて、天道はここに始めて明明白白なり。さらに一歩進めてまた六十四卦を用いて往きて周天の度数に配して、粗より細に至り略より詳に至り、一年十二箇月より下に分かちて日に至り・分かちて時に至り・分かちて刻に至り、一直に細かく秒・忽のこのがごとき極微の単位に至るまで、皆能く象を用いて顕示し出し数を用いて推算し出すべし――これ怎でかただ拿りて来りて吉凶を占するに用うるのみならんや!

聖功王道基於是,百姓日用宥於是。彼自絕於天而言人者固背道,舍人以言天者,豈知道哉!孔子之《易》,明天地人三極之通,而齊之於木道(見於風雷益《彖傳》“木道乃行”。古今言《易》者均未注意,而道家亦由之而不知致。《易》道大用始終不明,可慨也夫!)。坎離秉天地之中,震兌劑陰陽之和,以成位育之功。釋道二教,闡咸恆之義,裁成輔相,協乎泰否,所以皆範圍於《易》數之內,而莫能外乎!進象數而言氣精微之蘊,更非潛心玩索,不能會其通也。

聖人の功業・帝王の治道は皆この上に建立して、百姓毎天の日用もまた皆それに涵盖せらるる其の内に在り。あの種の天を撇開してただ人を談ずるは、固より道に背離せり。反転して人を撇開してただ天を談ずるは、また怎でか道を懂ると算せんや。孔子の伝えし《易》は、天・地・人の三極は貫通するを講明して、而して三者を「木道」の上に統一す(この話は風雷《益》卦の《彖伝》「木道乃ち行わる」に見えり。古今《易》を講ずる人は皆留意せず。道家は其の実天天之を用いて而して其の所以然を知らず。《易》道最大の功用は終始講じ清められず。実に嘆くべし)。坎・離両卦は天地の中位を秉持し、震・兌両卦は陰陽の和気を調剤して、合して《中庸》の言う所の「天地は位し、万物は育つ」の功效を成就す。仏・道両教の闡発する所は、其の実《咸》《恒》両卦の義理なり。彼らの「天地の道を裁成し、天地の宜を輔相す」の做法も、また《泰》《否》両卦の範囲を出でず――ゆえに両教は皆《易》数之内に籠罩せられて、誰も跳出る能わざるなり。至りて象数より再び一歩を進めて往きて「気」の精微含藴を講ずれば、則ちさらに心を静めて反覆玩味せざるに非ざれば、融會貫通する能わざるなり。

按:一卦值六日,共三百六十日,而歲度周,尚餘五日四分日之一。每日以八十分計,五日四分日之一,共得四百二十分,每卦應得七分,故合計六日七分,一卦始畢。五日為一候,三候成一氣,約一氣盡十六爻,為兩卦又四爻。是每月五卦,又盈兩爻也。故卦氣起中孚之二爻。節氣有長短,卦爻亦有盈縮。此揚子雲《太玄》所以分七百二十九贊,以兩贊當一日,以當一歲三百六十四日半,而更以立踦贏二贊,以為坤縮也。

按すに、一卦は六天に値りて、六十卦は合わせて三百六十天にして、一歳の度数は走り完れば、さらに五又四分の一天を多出す。毎天は八十分と算えば、五又四分の一天は合わせて四百二十分を得て、六十卦に攤けば、毎卦は七分を分かち得れば、ゆえに合わせて六日七分にして、一卦は始めて値満と算す。五天は一候を為し、三候は一個の節気を成す。一個の節気は大約十六爻を用い尽くして、即ち両卦零四爻なり。かくのごとく毎月五卦の外にさらに両爻を多出して、卦気の起点はこれが為に《中孚》初爻に落らずして第二爻の上に落つ。節気本身は長有り短有りて、卦爻の分配もまた就いて盈有り縮有り。これ正に揚雄(字は子雲)の《太玄》を作る時に全書を分かちて七百二十九「賛」と為せるの故なり。両賛は一天に当たりて、恰好一年三百六十四天半に合し、再び別に「踦」「贏」の両賛を立てて往きて零頭を補足して、用いて坤道の「縮」に対応す。

卦氣起《中孚·九二》“鳴鶴在陰”。鶴陽鳥也,居漢陰地,陽生於陰之義也。終於頤,“頤者養也”,歸養中宮,至中孚復出。斯造化之機軸。孔子贊《易》,以人事言天道,故贊《中孚·九二》曰“天下應之”,曰“天下之樞機”,可謂天人合一。冬烘先生以附會兩字抹煞之,吾無言矣。

卦気の起点は《中孚・九二》の「鳴鶴陰に在り」に定む。鶴は陽鳥にして、却って水辺背陰の処に栖むるは、正に冬至一一陽の極陰の中に生ずるの意思に合す。卦気の終点は《頤》卦に在りて、《序卦伝》は「頤とは養なり」と曰う。是れ気の中宮に帰入して涵養して、養い足れば再び《中孚》に到りて重新に発出するなり。これ即ち造化運転の軸心なり。孔子は《易》を解するに、人事を用いて天道を講ずるに慣わしければ、ゆえに《繋辞》裏に《中孚・九二》を解する時に「千里の外之に応ず」と曰い、また言行は「君子の枢機」なりと曰いて、以て天人合一の講法と言うべし。あれらの迂腐の老先生はただ「附会」の両個の字を用いて則ちそれを一笔抹殺すれば、我もまた言う可き無し。

日行與天度每不相及,因有歲差。東晉虞喜云:“五十年退一度。”何承天云:“百年退一度。”隋劉約云:“七十五年退一度。”唐僧一行又以八十三年退一度,許衡郭敬皆謂六十六年有餘退一度,較前說為近。

太陽毎年の行ずる所と周天の度数とは総じて一点を差上ぐれば、これが為に「歳差」を産生す。東晋の虞喜曰く、五十年の後に一度を退くと。南朝宋の何承天曰く、一百年に一度を退くと。隋代の劉焯(原文は「劉約」と作る)曰く、七十五年に一度を退くと。唐代僧一行はまた八十三年に一度を退くを主張す。元代の許衡と郭守敬(原文は「郭敬」と作る)とは皆六十六年余りして一度を退くと認めて、前面幾家の説法よりもさらに実測に接近せり。

鄭氏《易譜》引環中子說曰:“周天三百六十五度四分度之一,是正數也。”邵子《皇極》曰:“三百六十五度二十五分七十五秒(邵子以一度作百分,京氏以一日作八十分,故其數異。)。”其二十五分即四分度之一矣,又另多七十五秒,是天過正數外七十五秒也。而歲周止得二百六十五日二十四分二十五秒,是日不及正數二十五秒也。假以天所多七十五秒,補日所少二十五秒,作百秒為一分,則天恰合正數,日亦恰足正數矣。

鄭氏《易譜》は環中子の言を引きて曰く、周天三百六十五又四分の一度は、これは一個の標準数にして、即ち所謂「正数」なり。邵雍《皇極経世》はこの数をさらに細かく説きて曰く、三百六十五度二十五分七十五秒と(邵雍は一度を把りて一百分に分作し、京房は一天を把りて八十分に分作せば、ゆえに両家の数字は看上去同じからず)。邵数裏のあの二十五分は、則ち四分の一度なり。此の外さらに七十五秒を多出して、これを見れば天の実際の行度は標準数より七十五秒多し。而して一歳の実際の周期はただ三百六十五日二十四分二十五秒のみにして(原文は「二百六十五日」と作るは、当に「三百六十五日」の訛なるべし)、標準数より二十五秒を少了せり。即ち天は一点を多く走り、日は一点を少なく走りて、両辺は斉(ととの)わず。假如天の多出する七十五秒を拿りて往きて日の短缺する二十五秒を補い、再び一百秒を以て凑して一分を成して通算せば、則ち天は恰好標準数に合し、日もまた恰好標準数を補足せり――天と日とは各々其の正に帰して、歳差の推算は始めて共同の基準有るを算す。

今乃日止二十四分,比天二十五分為欠一分又二十五秒,比天七十五秒為欠五十秒,故天行餘一分五十秒也。然則日之於大,每年退一分五十秒,十年退十五分也。六十年則退九十分,再加六年,又退九分,是六十六年,其退九十九分,是一度尚欠一分。以每年一分五十秒計之,則一分當八個月,便是六十六年零八個月,即退天一度也。曆法今密於古,當詳求之,以定卦值星度之位。庶數自密合,無毫釐釐之差。於萬事萬物之動靜吉凶,胥可以是準之矣。

如今日はただ二十四分のみ有りて、天の二十五分より一分を少了し、再び秒数上の差额二十五秒を算上す。単に秒に就いて看れば、日の短缺する所は天の多出する七十五秒よりもさらに五十秒差えれば、ゆえに天行は毎年日行より一分五十秒を多出すを要す。かく推算し下れば、日は天に相対して毎年一分五十秒を後退し、十年は十五分を退き、六十年は九十分を退き、再加うるに六年にまた九分を退きて、合わせて六十六年に九十九分を退去し――一整度(毎度一百分)に離れてさらに一分を差えり。毎年退くる一分五十秒に按じて折算せば、この剩下の一分は約合八箇月にして、ゆえに準確に言えば、六十六年零八箇月を要して始めて天一度を退きて、恰好前面の許衡・郭守敬の「六十六年有余りして一度を退く」の説法と吻合す。今天の暦法は古代より精密にして、当にこれに拠りて仔細に推求して、用いて毎一卦の値する所の星度位置を確定すべし。かくすれば数目は自然密合して、毫厘の偏差有らずして、万事万物の動静吉凶も、また皆它を拿りて以て準と作すべし。

萬氏彈峰曰:“乾附於坤,坤歸於乾。坤之游魂乾仍歸乾,坤仍歸坤,坤仍歸坤,謂之歸魂。”六子互變,震巽二長,乃四孟月之主。五爻變後退歸四位,震附於巽,巽附於震為游魂。震仍歸震,巽仍歸巽為歸魂。

明代万廷言(号は弾峰)曰く、乾宮は変じて游魂に至る時は坤に依附し、坤宮は変じて帰魂に至る時はまた乾に回帰す。坤宮の游魂卦の裏に於て、乾は依然として乾に帰し坤は依然として坤に帰せば、これを則ち「帰魂」と曰う(此の句原文に重文訛字有り)。六子卦の間もまたこのがごとく互相変換す。震・巽は長男長女にして、四個の孟月を主管し、即ち正月・四月・七月・十月なり。一卦は初爻に由りて依次上に変じて第五爻に至れば五世卦と成りて之を後、再び続けて上に変ぜずして、而して第四爻に退回して再び変じて游魂を作せば、ここに震宮の游魂は巽に附し・巽宮の游魂は震に附す。再び下に変じて帰魂と成れば、震は依然として震に帰し・巽は依然として巽に帰す。

坎離二中,乃四仲月之主。五爻變後,退歸四位。離附於坎,坎附於離,為游魂。離仍歸離,坎仍歸坎,為歸魂。坎離之游魂在乾坤,乾坤之游魂在坎離。此四正互換之卦。艮兌二少,乃四季月之主。五爻變後,退歸四位。艮附於兌,兌附於艮,為游魂。艮仍歸艮,兌仍歸兌,為歸魂。艮兌之游魂在震巽,震巽之游魂在艮兌。此四隅互換之卦也。此正《說卦》“神也者”一章,去乾坤而言六子之義,乾坤主一歲之運,一卦管一月。六子為四時之主,一卦管十日。月有值月之卦,日月值日之卦,亦理數自然也。

坎・離は中男中女にして、四個の仲月を主管し、即ち二月・五月・八月・十一月なり。同じく五爻変じ過ぐる之後第四爻に退回して変じて游魂を作せば、ここに離宮の游魂は坎に附し・坎宮の游魂は離に附す。帰魂に到れば、離は依然として離に帰し・坎は依然として坎に帰す。坎離両宮の游魂は乾坤に落ち、乾坤両宮の游魂は坎離に落つるは、これは四正卦の間の互換なり。艮・兌は少男少女にして、四個の季月を主管し、即ち三月・六月・九月・十二月なり。もまた五爻変じ後第四爻に退回して変じて游魂を作せば、艮宮の游魂は兌に附し・兌宮の游魂は艮に附す。帰魂の時艮は依然として艮に帰し・兌は依然として兌に帰す。艮兌両宮の游魂は震巽に落ち、震巽両宮の游魂は艮兌に落つるは、これは四隅卦の間の互換なり。これ恰好即ち《説卦伝》「神とは、万物を妙ならしめて言を為す者なり」のあの一章の乾坤を撇開して専ら六子を講ずるの用意の所在なり。乾坤は一年の大運を主管して、一卦は一箇月を管る。六子は四時の主を作して、一卦は十天を管る。ここに月份は値月の卦有り、日子は値日の卦有るは、これもまた理数上自然にかくのごとし(「日月値日」の「月」は当に「有」の字の訛なるべし)。

京氏卦氣,出於納甲。八宮世應,皆與卦氣一貫。用八宮納甲之法,而莫名其義,得萬氏著明之。始知其天然之序,不假人為。特錄其圖如下,與下《卦用》章八宮參看。

京房の卦気の学は、根子は「納甲」の上に出づ。八宮卦の世位・応位も、また皆卦気と貫通して一を為す。世人はただ八宮納甲の口訣に照らして往きて用うるのみ能くして、却って其の中の所以然を説き出す能わざりしが、万廷言に至りてそれを闡発し明白にして、人々始めてこの次序は天然に生成するにして、並びに人為に安排し出せるに非ざるを知れり。これが為にわざと彼の図を録して下に在りて、以て下一章《卦用》裏の八宮を講ずるの部分と対照して参看すべし。

卦用第九

八卦名位象數氣候既明,而用可得言矣。大用大效,小用小效,大小雖殊,其理則一。《彖》、《象》十翼,皆以明用。而無一辭一字,不根於象數。自象數失傳,專尚夫辭。乃望文生義,以今概古,論愛惡不出六爻之外,言變化限於兩象之中。而《彖》、《象》十翼之大義,不明於世也久矣。

八卦の名称・方位・卦象・数目と気候とはすでに皆講じ清められり。接続して則ち其の「用」を談ずべし。用るや大なれば則ち大効を見、用るや小なれば則ち小効を見て、大小は分別有ると雖も、道理は却って同一個なり。《彖伝》《象伝》および《十翼》は、全くこの「用」を闡明せんが為にして、而且一句の言・一個の字として象数の上に扎根せざる無し。象数失伝するよりして、学者は専門に文辞を推崇して、ここに文に望みて義を生じて、今人の想法を拿りて往きて古人に套す。愛憎を談ずるは六爻の範囲を跳出る能わず、変化を講ずるは上下両個の卦象の中に限死せらる。《彖伝》《象伝》と《十翼》の大義は、これが為に久しく世に明ならず。

朱子《本義》,遂以《易》為聖人教人卜筮之書,以占卜為《大易》之本義。後之學者,既宗程朱,又蔑視數學小道而不屑言,是欲渡而去其楫,卒致占卜之用亦無可徵驗,反不若壬、遁、火珠之術為足憑。《易》道之大,乃盡失其用。舉世徒震其名,視為神秘杳渺而莫敢問津。嗚呼!是誰之過哉!

朱熹は《周易本義》を作りて、索性《易》を把りて聖人の人に卜筮を教うるの書と説成して、占卜を把りて《大易》の本来の意義と當てり。後来の学者はすでに程頤・朱熹を尊奉し、また象数を鄙薄して入流せざるの小道と為して一談するに屑(あ)たずと為せば、これ即ち河を渡らんと欲して却って先ず船桨を扔掉するに好く比して、結果連ねて占卜のこの一層の功用もまた名堂を験出せずして、却って六壬・遁甲・《火珠林》のこれらの術数の來るが如く可靠ならず。《易》道のあのがごとき宏大なる、竟(つい)に其の功用を把りて干干净净に丢き尽くせり。举世の人はただ其の名声に震住せられて、神秘渺茫と看作して過問するを敢てせず。嗚呼、これは誰の過錯ぞや!

行遠自邇,登高自卑,乾簡坤易,古聖已詔我矣。近取諸身,簡之至也。遠取諸物,易之至也。故又曰:《易》簡而天下之理得矣。天下之理得,而用無不彰。其為用焉,孰大於是?京氏八宮世應飛伏之說,經學家素鄙為術數,而不入於經傳。而其為用簡易,深合於乾坤之變化。

遠路を走るは近処より起步し、高山を登るは低処より起脚す。乾は「簡」を以て徳と為し坤は「易」を以て徳と為すは、古代聖人は早くもすでにこの道理を我らに告げたり。「近くは諸を身に取る」は、簡の極処に到れるなり。「遠くは諸を物に取る」は、易の極処に到れるなり。ゆえに《繋辞》は又曰く、「易簡にして天下の理を得」と。天下の理は一旦掌握せば、用処は自然として顕彰せざる無し。「用」を論ずるに、さらにこれより大なる有らんや。京房のあの套の八宮・世応・飛伏の学説は、経学家は向來術数と鄙視して、それをして経伝に進入せしめず。然れどもそれを施用し起こせば簡便平易にして、深く乾坤変化の道理に合す。

朱子知其用,以囿於世故,不敢昌言,僅取八宮世應歌訣,列《本義》之前,亦與隱名注《參同契》。同一苦心也。程子《易傳》,雖自稱尚辭,亦不能廢陰陽世應之例。術家專取八宮身世遊歸飛伏之用,而又不明乾坤簡易之理,逐末忘本,與經生之有體無用,同一蔽也。

朱熹は其の実其の用処を明白にするも、ただ世俗成見の拘束を受くるを以て、公開して申明するを敢てせず、ただ八宮世応の歌訣を取りて来りて《周易本義》巻首に列せるのみ。これは彼の真実の姓名を隠去して往きて《周易参同契》に注せると、同一番の苦心なり。程頤の《伊川易伝》は自ら文辞を重んずると称するも、もまた終竟陰陽世応の体例を廃する法無し。反転して、術数家は専ら八宮の身位・世位・游魂・帰魂・飛伏のこれらの用法を取るも、却って乾坤簡易の根本の道理を明白にせずして、末を逐いて本を忘る。これは経生たちの空しく体有りて用無きと、其の実同一種の蒙蔽なり。

頻年講習,博考周諮,始知三《易》之卦爻象數,同源共貫。京氏之學,實遠符《連山》之曆數,近合《周易》之變通。稽諸經傳,證例正多,爰取為立用之準。有精於術數者,更深求之。以推衍《彖》、《象》十翼之辭,其相得有合者,必不止如吾之所知。知無盡而無窮,占卜云乎哉!

我は多年講習して、広汎に考訂し四処に請教して、始めて《連山》《帰蔵》《周易》の三部の易書の卦・爻・象・数は原本同一源頭・彼此貫通するを明白にせり。京房の学は、遠処に往きて看れば暗く《連山》の暦数に合し、近処に往きて看れば《周易》の変通の義に合す。経伝を拿りて往きて核対すれば、以て印証すべきの例子は相当多し。ゆえにそれを取りて以て「用」を立つるの準則と為す。将来若し術数に精なる人有りて再び深入探求し、それを用いて往きて《彖伝》《象伝》および《十翼》の文辞を推演せば、能く彼此契合すべきの処は、必定我が如今知る所のこれらに止まらざらん。知る可きの道理は無窮無尽にして、怎でか「占卜」の両個の字の限量し得べき所ならんや!

乾伸二用

《易》之大用,孔子《繫傳》,言之詳矣。特後儒類以文字釋之,致孔子之徵言精義,皆忽略讀過,而莫名其蘊蓄宏深之妙。果能以孔子之言,一一以八卦之象數證之,則一字一義,無不各有體用之所在,亦無不各與象數相發明,而“為用不窮”一語決非以空言了之者也。

《易》の大用は、孔子は《繋辞伝》裏にすでに甚だ詳尽に講じたり。ただ後来の儒者は一概に文字訓詁を拿りて往きてそれを解釈せるを以て、孔子のあれらの精微の言語は皆囫圇として読み過ごされて、誰も其の中に藴蔵する所の宏深の妙処を説き出す能わず。若し真に能く孔子の毎一句の話を皆八卦の象数を拿りて往きて印証せば、則ち一字一義は皆各々体と用との着落有りて、もまた各々自ら象数と互相発明す。《繋辞》「用にして窮まらず」のあの句は、決して空口に帯び過ぐべきの門面話に非ず。

八卦之用,皆本於乾坤,後天坎離代乾坤之用,而六十四卦之用,莫不由乾坤而生。孔子曰:“剛柔相摩,八卦相蕩。鼓之以雷霆,潤之以風雨。日月運行,一寒一暑。乾道成男,坤道成女。”天地萬物之用,備於是矣(雷霆震與艮風雨巽與兌皆相反之卦也,日月坎離與乾坤皆相對之卦也。詳玩其象,八卦之用可悟矣。)。

八卦の用は皆乾坤に本づく。後天に到りては、坎離に由りて乾坤の功用を代行して、而して六十四卦の用は、一個として乾坤より生出せざる無し。孔子は《繋辞》裏に曰く、剛爻と柔爻とは互相摩擦し、八卦は彼此推移激蕩して、雷霆を用いてそれを鼓動し、風雨を用いてそれを滋潤し、日月は輪番運行して、ここに一寒一暑の往復有り。乾道は男を成就し、坤道は女を成就す。天地万物の功用は、全くこの幾句の話の裏に備われり(「雷霆」は震卦を指し、震は艮と相反す。「風雨」は巽卦を指し、巽は兌と相反す。「日月」は坎離を指し、坎離はまた乾坤と両々相対す。此の幾句は其の実八卦を把りて「相反」と「相対」との両種の関係に按じて一遍点せるなり。仔細にこれらの卦象を玩味せば、八卦の用処は便ち領悟すべし)。

而又承之以“乾知大始,坤作成物”。《易》之大用,孰逾於是?故乾用九,坤用六。六十四卦,皆乾坤之用,皆九六之用。乾無方體用不可見,故乾九之用,用於坤六。《傳》曰:“顯諸仁,藏諸用。”乾顯而坤藏,惟藏而用乃顯焉。乾坤象也,九六數也。象數不明,用何由顯?為圖如左,餘卦類推。

接続して孔子はまた一句「乾は大始を知り、坤は物を作り成す」を続上せり。《易》の大用は、さらにこの両句を超過する有らんや。ゆえに乾は「用九」有り、坤は「用六」有り。六十四卦は全く乾坤の用にして、もまた全く九・六の両個の数の用なり。乾は方所無くもまた形体無くして、其の用本身は見え得ず。ゆえに乾の九の用は、必ず坤の六の上に落ちて乃ち顕れ出づるを得。《繋辞伝》曰く、「諸を仁に顕し、諸を用に蔵む」と。乾は顕を主とし坤は蔵を主として、ただ先ず蔵めて、用は始めて却って顕現す。乾坤は象にして、九六は数なり。象数は明白にせざれば、用はまた何処より顕れ出づらん。今や図を把りて列して左に在りて、其余各卦は此に依りて類推す。

端木鶴田曰:“乾坤天地一二,始子復一,丑臨二。而臨二坎爻,其初復一震爻。天地一二子丑數造始(坎震屯),一主日,二主月。子復一交午七數,為復‘七日吉’。丑臨二交未八數,為臨‘八月凶’。故七八正當子丑一二正位。《易》,七八數之正也,九六數之變也。七吉以七而九進為用,午進而七數之正。進而用九數之變,乾用九是也。八凶以八而六退為用,未退而八數之正,退而用六數之變,坤用六是也。六坎數,九震數,皆天地一二造始數。乾坤卦用七八正爻用九六變,此其數是也。”

端木国瑚曰く、乾坤は即ち天地にして、天一・地二のこの両個の起始の数に配す。十二辟卦中、子月は《復》にして一に配し、丑月は《臨》にして二に配す。《臨》の配する所の二は正に坎の爻数にして、《復》の配する所の一は正に震の爻数なり――坎・震は相重ねば便ち《屯》卦にして、天地一・二の両個の数は則ち子・丑の両位の上に於て万物を開創す。一は日を主とし、二は月を主とす。子位の《復》は一に配して、正対面午位の七数と相交じれば、ゆえに《復》卦辞は「七日にして来復す」と曰いて而して吉と為す。丑位の《臨》は二に配して、正対面未位の八数と相交じれば、ゆえに《臨》卦辞は「八月に至れば凶有らん」と曰う。これを見れば七と八とは正好子丑・一二の本位の上に坐す。《易》に就いて言えば、七・八は数の常態にして、九・六は数の変態なり。七の吉なる所以は、それは七に由りて向前進みて九を取りて用と為すを以てなり。午位は往きて前に進めば、先ず七のこの正数を得、再び一歩を進めば則ち九のこの変数を用う。乾の「用九」は正にかくのごとし。八の凶なる所以は、それは八に由りて向後退きて六を取りて用と為すを以てなり。未位は往きて後に退けば、先ず八のこの正数を得、再び一歩を退けば則ち六のこの変数を用う。坤の「用六」は正にかくのごとし。六は坎の数にして、九は震の数にして、皆天一地二の万物を開創するの数に属す。乾坤両卦の爻位は七・八の両個の正数を取りて、起用する時は則ち九・六の両個の変数を取るは、講ずる所は則ちこの套の数理なり。

晁氏公武曰:“餘有志學《易》,本好王氏,妄謂弼之外,自有名象者。果得京氏傳,而文字顛倒舛訛,不可訓知。迨其服習甚久,漸有所窺,今二十有四年矣。乃能以其象數辨正文字,而私識之曰:是書兆乾坤之二象以成八卦,凡八變而六十有四,於其往來升降之際,以觀消息盈虛於天地之元,而酬酢乎萬物之來者,炳然在日也。

宋代の晁公武曰く、我は志を立てて《易》を学び、本来王弼の一派を偏愛するも、却って私下に王弼の外に当に別に卦名・卦象を講ずるの学問有るべしと猜想せり。後来果して《京氏易伝》を得るも、然れども文字は顛倒錯訛にして、読み通す能わず。反覆研習するや久しくして、漸々些かの門径を窺見して、如今に到りてすでに二十四年なり。ここに始めて能く其の象数を凭りて文字を校正して、并せて私下に自己の心得を記せり。この部の書は乾坤両象を以て発端と為して八卦を生成し、八重の変化を経過して六十四卦を成して、卦爻往来升降の間に於て、天地本原の消長盈虚を観察して、拠りて以て万物の到来を応接するは、条理清楚なること白日の空に当たるがごとく明白なり。

大抵辨三《易》,運五行,正四時,謹二十四氣,志七十二候,而位五星,降二十八宿,其進退以幾,為一卦之主者謂之世。奇耦相與,據一以起二而為主之相者謂之應。世之所位而陰陽之肆者,謂之飛。陰陽肇乎所配,而終不脫乎本,以應顯佐神明者謂之伏。起乎世而周乎內外,參乎本數以紀月者謂之建。終之始之,極乎數而不可窮以紀日者,謂之積。會於中而以四為用,一卦備四卦者,謂之互。

大体上、この部の書は《連山》《帰蔵》《周易》の三易を辨別し、五行を運転し、四時を釐正し、二十四節気を謹守し、七十二候を記録し、五星の位次を安排し、二十八宿を排布す。其の中卦爻進退の機微に随いて一卦の主と成るを、「世」と曰う。奇偶相配して一より起こり二を為し・世爻の輔佐を充当するを、「応」と曰う。世爻の居る所の位・陰陽の外面に顕露するを、「飛」と曰う。陰陽は配する所の卦に依りて生じて終竟本宮を脱離せず・背後に隠れて神明を輔助するを、「伏」と曰う。世爻より起算して・内外両卦を周遍し・本宮の数を参照して以て月を紀るを、「建」と曰う。終有り始有り・其の数を窮尽して窮竭すべからず・用て日を紀るを、「積」と曰う。中間四爻に会聚して・四爻を以て用と為し・一卦の中に兼ねて四卦を備うるを、「互」と曰う。

乾建於甲子於下,坤建於甲午於上。八卦之上,乃生一世之初,分五世之位。其五世之上,乃為游魂之世。五世之初,乃為歸魂之世。而歸魂之初,乃生後卦之初。其建剛日剛節氣,柔日則中氣,其數虛則二十有八,盈則三十有六。其可言者如此。”晁氏之說,可謂挈《京易》之綱領矣。茲分列八宮暨飛伏諸例如下,若應與配位五行六神諸說,詳下《爻位》、《爻數》各章。

乾は下面の甲子より建を起こし、坤は上面の甲午より建を起こす。八純卦の上に便ち一世卦の開端を生出し、依次五世卦の位次を分出す。五世の上は便ち游魂の世にして、五世の初は便ち帰魂の世なり。帰魂の初は、また下一卦の開端を生出す。建を起こす時は、剛日に遇えば則ち節気に配し、柔日に遇えば則ち中気に配す。其の数は、虚なれば則ち二十八にして、盈なれば則ち三十六なり。言い出す能くする所は、大概これらのみ。以上は晁公武の言なり。晁氏此の一段の議論は、以て《京氏易》の綱領を抓住せりと言うべし。下面に分列して八宮および飛伏の各種の条例を為す。至りて応爻・配位・五行・六神のこれらの説法は、詳しくは下面《爻位》《爻数》各章に見えり。

八純卦各以五行所屬為主,乾金坎水艮土震木巽木離火坤土兌金,所謂進退以幾而為一卦之主者謂之世也。本宮不變,初爻變為一世,至五爻變為五世,上爻六世,即本宮,謂之宗廟不變。初至七世仍以三爻變為游魂,八世下三爻,全復本宮,為歸魂。故二世為地《易》,三四世為人《易》,五六世為天《易》,游魂歸魂為鬼《易》。

八個の純卦は各々自己所属の五行を以て主と為す。乾は金に属し・坎は水に属し・艮は土に属し・震は木に属し・巽は木に属し・離は火に属し・坤は土に属し・兌は金に属す――これ即ち晁氏の言う所の「進退の機微に随いて一卦の主と成るを世と曰う」なり。本宮卦変らざる時は、世は上爻に在り。初爻変ずれば便ち一世卦にして、依次第五爻に変じ至れば便ち五世卦なり。上爻若し変ずれば則ち六世を為して、等しく本宮に回到するにして、ゆえに上爻は「宗廟」と称して、定めて変らざるを為す。初爻に由りて数えて第七変に至れば、依然として第三重のあの一爻(即ち第四位)を取りて変じて游魂を成す。第八変に至れば、下卦三爻は全部本宮の原様を恢復して、則ち帰魂を成す。これが為に二世卦は「地易」と称し、三世・四世卦は「人易」と称し、五世・六世卦は「天易」と称し、游魂・帰魂両卦は「鬼易」と称す。

乾坎艮震巽離坤兌之序,決非京氏所創。《繫傳》曰:“乾知大始,坤作成物。”雖乾坤對舉,而詳玩後天八卦方位,及六十四卦之次序,所謂“仰以觀於天文,俯以察於地理。天道下濟,地道上行”者,皆足以見八宮之用,即分陰分陽之大義也。

乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌のこの八宮の次序は、決して京房の独創に非ず。《繋辞伝》曰く、「乾は大始を知り、坤は物を作り成す」と。ここは乾坤を併挙するも、然れども後天八卦の方位と六十四卦の次序とを仔細に玩味せば、即ち《繋辞》の言う所の「仰いで以て天文を観、俯して以て地理を察す」および「天道は下済して光明、地道は卑にして上行す」のあの一番の道理は、皆八宮排序の用意を看るに足る――正に「陰を分かち陽を分かつ」の大義の所在なり。

八卦東震西兌,東西平衡,若地平線。故巽離坤三陰卦,實處於地之上,所謂地道卑而上行也。而乾坎艮三陽卦,皆處於地之下,所謂天道下濟也。上下以震兌為始終,故雷澤歸妹曰“天地大義人終始”者此也。震之始,始於乾,“乾知大始”也。兌之終,終於坤,坤“代終”也。三《易》之卦,爻象皆同,不同者其序耳。八宮之序,或謂出於《連山》,非無所見也。

八卦の中、震は東に在り兌は西に在りて、東西対峙して平衡して、一条の地平線に像る。ゆえに巽・離・坤の三個の陰卦は実際此の線の上に処して、正に「地道は卑にして上行す」に合し、乾・坎・艮の三個の陽卦は皆此の線の下に処して、正に「天道は下済す」に合す。上下両截は震・兌を以て起訖を為せば、ゆえに雷沢《帰妹》の《彖伝》は「天地の大義なり」「人の終始なり」と曰いて、講ずる所は正にこのれなり。震の代表する所の「始」は、源頭は乾に在り、即ち「乾は大始を知る」なり。兌の代表する所の「終」は、帰宿は坤に在り、即ち坤の能く「終を代なす」なり。三部の易書の卦は、爻と象と皆相同じくして、同じからざるはただ排列次序なるのみ。ある人は八宮の次序は《連山》より出づと言うは、この話は並びに拠据無しに非ず。

世卦月卦

世応

《周易》雖無八宮之別,而世應仍所不廢。惟《周易》之世應,但以爻論,而京《易》則特重在卦。京氏曰“卦有八世爻分六位,配乎人事,以定吉凶”者,固不僅為占筮言也。《易乾鑿度》曰:“三畫以下為地,四畫以上為天。易氣從下生,動於地之下,則應於天之上。動於地之中,則應於天之中。

《周易》は八宮の分別無きと雖も、世・応のこの一套の体例は却って廃棄せられず。ただ《周易》は世応を講ずるはただ爻の上に就いて説き、而して《京氏易》は則ち特別に卦を看重す。京房曰く「卦は八世有り、爻は六位を分かち、人事に配して、以て吉凶を定む」と。これを見ればこの套の東西はもとより並びにただ占筮の為に設けらるるに非ず。《易緯・乾鑿度》曰く、初・二・三の此の三画以下は地に属し、四・五・上の此の三画以上は天に属す。易気は下より上に向かい生発せば、ゆえに地位最下の一爻に動けば、則ち天位最上の一爻に応じ、地位居中の一爻に動けば、則ち天位居中の一爻に応ず。

動於地之上,則應於天之上(此以上下二象分天地,故不曾人。人秉天地之氣以生,一身之陰陽之氣亦有感必應。言其精則水火升降,言其粗則脈絡之交布,穴氣之分行。與夫一身外相所表見者,無不各按其位,而上下相應。如人身上部口面耳目間有痣者,下部相應之位亦必有之,毫釐不爽。此上下相應之最顯而易見者也。一卦六爻亦如一身上下相通,如有否隔,即為疵病。天地人物,因無二理也。)。”

地位最上の一爻に動けば、則ち天位最上の一爻に応ず(ここはただ上下両個の三爻卦を用いて天地を分かつを以て、ゆえに別に単独に人位を立てず。人は天地の気を禀受して生まれて、一身の陰陽の気もまた同じく感有れば応有り。精微の一面を講ずれば、心腎水火の升降なり。粗顕の一面を講ずれば、経絡の交錯分布・穴位気機の分行なり。至りて一身外表の顕現する所の種種も、また一として各々部位に按じて上下相応せざる無し。譬えば人身上部口・面・耳・目の間に痣の長する有らば、下部相対応の部位は必定もまた一顆有りて、分毫差らず。これは上下相応の最も明らかに見易きの例子なり。一卦六爻もまた人の一身のがごとく上下貫通して、一旦阻隔して通ぜざる有れば、則ち毛病を成す。天・地・人・物は、もとより両様の道理無し)。以上は《乾鑿度》の言なり。

初與四,二與五,三與上,陰應陽,陽應陰,二氣感應以相與,此其正也。蓋天地之氣有終始,六世之位有上下,故《易》始於一(《易》本無體,氣變而為一,故氣從下生也。),分於二(清濁分於二儀。公武曰:奇偶相與,據一以起二,而為主之相者,謂之應是也。),通於三(陰陽氣交,人生於中。天地氣通,故三陽成泰,而泰為通。),交於四,盛於五(二壯於地,五壯於天,故如盛也),終於上(上則數極,極則反也)。故六爻皆有應,而世取其一。與世對者,則為應也。

初爻と四爻・二爻と五爻・三爻と上爻とは、陰は往きて陽に応じ陽は往きて陰に応じて、両種の気は互相感応して彼此親附するは、これは正例なり。天地の気は始有り終有りて、六個の爻位は上有り下有るを以て、ゆえに《易》は一に起始し(《易》はもとより形体無くして、気は一変して一と成れば、ゆえに気は下面より生起すると曰う)、二に分化し(清濁二気は分かれて両儀を成す。晁公武曰く、奇偶相配して一より起こり二を為し・世爻の輔佐を充当するを応と曰うは、則ち此を指す)、三に貫通し(陰陽二気は交會して、人は則ち其の中に生まれり。天地の気は相通ずれば、ゆえに三陽は生じて《泰》を成し、「泰」は即ち通なり)、四に交合し、五に壮盛し(二爻は地に於て壮盛し、五爻は天に於て壮盛せば、ゆえに盛と曰う)、上に終結す(上爻に至れば数はすでに頂に到り、頂に到れば則ち返回せんと欲す)。ゆえに六爻個個皆応有りて、而して世位はただ其の中の一爻を取る。世位と正相対するのあの一爻は、則ち応爻なり。

水火既濟,初陽而四陰,二陰而五陽,三陽而上陰,所謂六爻當位、上下皆相應者者也。既濟屬坎宮三世卦,三之應在上。火水未濟,既濟之反也。六爻皆不當位,而上下剛柔相應,屬離宮三世卦應亦在上。

水火《既済》卦は、初爻は陽にして四爻は陰、二爻は陰にして五爻は陽、三爻は陽にして上爻は陰にして、これ即ち所謂六爻各々其の位を得て上下三組両々相応ずるなり。《既済》は坎宮の三世卦に属して、世は第三爻に在れば、ゆえに其の応は上爻に落つ。火水《未済》は《既済》の倒反の卦にして、六爻は全く其の位を得ずと雖も、然れども上下剛柔は依然として両々相応す。それは離宮の三世卦に属して、世もまた同じく第三爻に在りて、応もまた上爻に落つ。

月卦非月建,由世卦生,亦由十二月闢卦生者也。世分陰陽,陽世起子月,陰世起午月,以數不以氣。雖以闢卦為綱,而不去坎離震兌,仍以六十四卦配八宮之屬也。乾為本宮,上爻六世,陽爻陽世,從初爻子月起數至上爻為巳,故乾為四月卦。豐為坎宮五世卦。五陰爻陰世,從初爻午月起至五爻為戌,豐為九月卦。餘類推。

「月卦」は「月建」に非ずして、それは世卦より推し出せるにして、また十二辟卦より推し出せると言うべきなり。世爻は陰陽を分かつ。世爻の陽爻なるは子月より起こして数え、世爻の陰爻なるは午月より起こして数える――これは数目に按じて排するにして、節気に按じて排するに非ず。十二辟卦を以て綱と為すと雖も、然れども卦気のあのがごとく坎・離・震・兌を把りて抽出し出すに像らずして、依然として全部六十四卦を用いて八宮に配属す。例を挙げて言えば、乾は本宮卦にして、世は上爻に在りて即ち六世にして、上爻は陽爻にして陽世に属せば、則ち初爻に就いて子月に當てて起こして数えて、子・丑・寅・卯・辰・巳と数えて上爻に至れば正に巳なれば、ゆえに乾は四月卦なり。《豊》は坎宮の五世卦にして、第五爻は陰爻にして陰世に属せば、則ち初爻に就いて午月に當てて起こして数えて、午・未・申・酉・戌と数えて第五爻に至れば正に戌なれば、ゆえに《豊》は九月卦なり。其余各卦は此に依りて類推す。

八宮飛伏

世之所位,而陰陽之肆者謂之飛,陰陽肇乎所配(乾與坤,震與巽,坎與離,艮與兌),而終不脫乎本(以飛某宮之卦,乃伏某宮之位),以顯應佐神明者謂之伏。故有卦之飛伏,有爻之飛伏。

世爻の居る所のあの位置・陰陽の明らかに外面に摆れて見え得べきは、「飛」と曰う。陰陽の起頭は其の配する所の対卦に係り(乾は坤に配し・震は巽に配し・坎は離に配し・艮は兌に配す)も、然れども終始本宮を脱開する能わず(凡そ飛び出せるは某宮の卦なれば、伏する所は則ち某宮の位なり)。この種の背後に隠れて神明を輔助して顕象をして應験を得さしむるは、則ち「伏」と曰う。ゆえに飛伏はすでに整卦一層の飛伏有りて、もまた単爻一層の飛伏有り。

《文言》曰:“同聲相應,同氣相求。”飛之與伏,聲氣相通,或顯或隱,各以類求。《中庸》曰:“莫現乎隱,莫顯乎微。”此精義入神之論也。後儒以經學自誇,謂孔子未嘗言此,指為術數小道,不知《十翼》之言飛伏者多矣。奈學者瞠目視之,皆未見耳。《雜卦傳》“兌見而巽伏也”,是明言飛伏之一例。《說卦》“坎為隱伏”,而《離·象》“飛鳥”,亦飛伏之見端。而六十四卦《彖》、《象》言之者,更不勝枚舉也。

《乾・文言》曰く、「同じき声は相応じ、同じき気は相求む」と。飛と伏との間は声気もとより相通じて、一顕一隱して、各々類別に按じて往きて尋求す。《中庸》曰く、「隠より見ゆるは莫く、微より顕なるは莫し」と――愈々隱蔽の地方は愈々暴露し易く、愈々細微の地方は愈々顕露し易し。これ正に「精義神に入る」の一路の論断なり。後来の儒者は経学を以て自ら誇りて、孔子は従來飛伏を講じし無しと言いて、それを把りて術数小道に划帰するも、殊に知らず《十翼》裏の飛伏を講ずる処は多きこと甚だしきを、ただ学者たちは目を瞪らして看過ぎて、一処も看て出せざるのみ。《雑卦伝》は「兌は見え巽は伏すなり」と曰う。これ即ち明明白白に挙出せる一条の飛伏の例なり。《説卦伝》は「坎は隱伏を為す」と曰いて、而して《離》卦の《象》辞は「飛鳥」を講ずるも、もまた皆飛伏の説の露出せる端倪なり。至りて六十四卦《彖伝》《象伝》裏の飛伏に説き及ぶは、さらに数え勝れず。

月建 積算

《京氏易傳》以爻直月,從世起建,佈於六位(惟乾坎二卦從初爻起)。乾起甲子,坤起甲午。一卦凡六月,計一百八十日。積算以爻直日,即從月建所止之日起,如姤卦月建起庚午至乙亥(姤初爻庚午,上爻乙亥),積算即從乙亥起。上九為一日,周而復始,一卦凡百有八十日。

《京氏易伝》は毎一爻をして一箇月に当値せしめ、世爻より「建」を起こして、依次六個の爻位に布満す(ただ乾・坎両卦のみ初爻より建を起こす)。乾は甲子より建を起こし、坤は甲午より建を起こす。一卦は六箇月を管りて、合計一百八十天なり。「積算」は則ち毎一爻をして一天に当値せしめて、則ち月建の止住するのあの一天に接続して起算す。譬えば《姤》卦の月建は庚午より起こり乙亥に至りて止まり(《姤》の初爻は庚午を納れ、上爻は乙亥を納る)、積算は便ち接続して乙亥より開始して、上九は第一天と算して、かくのごとく循環往復して、一卦は同じく合計一百八十天なり。

今占家用《火珠林》術,大半出於京氏。惟月建積算,罕有傳其法者。後人或以月為直符,日為傳符,指六爻所見之支當之,非其義也。此為京氏占法,詳晁氏《別錄》,說繁不贅錄。八純卦外,一至六世,皆以本宮納甲為伏,而變宮遊歸以爻論。詳下章。

如今占卦の人の用うる所の《火珠林》の一路の方法は、大半京房より出づ。ただ月建・積算のこの両項のみ、其の算法を伝え下せる人甚だ少なし。後人あるは月を把りて「直符」と為し日を把りて「伝符」と為して、六爻上の現成の地支を拿りて数を充てるも、これは並びに月建積算の本義に非ず。以上は京房の占法にして、詳しくは晁公武の《別録》に見えて、説き来れば繁瑣なれば、ここに則ち再び抄録せず。此の外さらに一条の通例有りて、八個の純卦を除去するの外、一世より六世に至るの卦は皆本宮の納甲を以て「伏」と為す。至りてすでに宮を変じ了れる游魂・帰魂の両類の卦は、則ち要するに爻に就いて論ずべし。詳しくは下一章に見えり。

八卦五行の用

《說卦》“帝出乎震”,及“神也者”兩節,皆言後天八卦之用者也。術家言後天八卦皆居旺地,語雖俚而所見甚精。蓋帝出乎震之帝,非專屬震卦。帝者主也,主權所在,即王也。術家曰旺,即土之用。

《説卦伝》裏の「帝は震より出づ」と「神とは、万物を妙ならしめて言を為す者なり」とのこの両節は、講ずる所は皆後天八卦の功用なり。術数家は後天八卦は各々皆自らの旺地の上に坐すと言うも、話は粗俗なりと雖も、見解は却って相当精到なり。「帝は震より出づ」の「帝」は並びに専ら震卦を指すに非ざるを以てなり。「帝」は即ち主にして、主宰の権の所在にして、即ち「王」なり。術数家の言う所の「旺」は、其の実則ちこの「王」が作用を起こすなり(原文「土の用」の「土」は当に「王」の字の訛なるべし)。

《大平御覽·五行休旺論》曰:“立春艮旺(艮居丑寅之交,立春之候也),震相,巽胎,離沒,坤死,兌囚,乾廢,坎休。立夏巽旺(巽居辰巳之交,立夏之候也),離相,坤胎,兌沒,乾死,坎囚,艮廢,震休。

《太平御覧》の引く所の《五行休旺論》曰く、立春の時艮卦は旺に当たり(艮は丑と寅との交界の処に居りて、正に立春の時節なり)、震は相を為し、巽は胎を為し、離は没を為し、坤は死を為し、兌は囚を為し、乾は廃を為し、坎は休を為す。立夏の時巽卦は旺に当たり(巽は辰と巳との交界の処に居りて、正に立夏の時節なり)、離は相を為し、坤は胎を為し、兌は没を為し、乾は死を為し、坎は囚を為し、艮は廃を為し、震は休を為す。(原文の書名は「大平御覧」と作る。即ち《太平御覧》なり。)

立秋坤旺(坤居未申之交,立秋之候也),兌相,乾胎,坎沒,艮死,震囚,坎廢,離休。立冬乾旺(乾居戌亥之交,立冬之候也),坎相,艮胎,震沒,離囚,坤廢,兌休(《唐典》:王、相、胎、沒、休、廢為八卦之氣)。”王充《論衡》亦同。蓋立冬之候也,得地為旺,旺之沖死,旺所生相,相之沖囚,胎之對廢,沒之對休。

立秋の時坤卦は旺に当たり(坤は未と申との交界の処に居りて、正に立秋の時節なり)、兌は相を為し、乾は胎を為し、坎は没を為し、艮は死を為し、震は囚を為し、坎は廃を為し(此処「坎」の字は重出せり。当に「巽」と作るべし)、離は休を為す。立冬の時乾卦は旺に当たり(乾は戌と亥との交界の処に居りて、正に立冬の時節なり)、坎は相を為し、艮は胎を為し、震は没を為し、離は囚を為し、坤は廃を為し、兌は休を為す(《唐六典》は王・相・胎・没・休・廃を把りて合して八卦の気と称す)。王充《論衡》の記する所もまた此と相同じ。此の一段は正に立冬のこの節候に就いて説を立つるなり。其の例を総括すれば、本位の地を得れば便ち「旺」にして、旺位と相冲するは便ち「死」にして、旺位の生ずる所は便ち「相」にして、相位と相冲するは便ち「囚」にして、胎位と相対するは便ち「廃」にして、没位と相対するは便ち「休」なり。

《淮南·墜形訓》曰:“五行:木壯,水老,火生,金囚,土死。火壯,木老,土生,水囚,金死。土壯,火老,金生,木囚,水死。金壯,土老,水生,火囚,木死。水壯,金老,木生,土囚,火死。”

《淮南子・墜形訓》曰く、五行の盛衰はこのがごとく輪転す――木は壮に当たるの時、水は則ち老い、火は正在生じ、金は囚せられ、土はすでに死す。火は壮に当たるの時、木は老い、土は生じ、水は囚し、金は死す。土は壮に当たるの時、火は老い、金は生じ、木は囚し、水は死す。金は壮に当たるの時、土は老い、水は生じ、火は囚し、木は死す。水は壮に当たるの時、金は老い、木は生じ、土は囚し、火は死す。其の中「壮」は令に当たり勢を得て、我を生ずるの一行は功を成し身を退きて「老」に居り、我が生ずる所の一行は方興して「生」に居り、我を克するの一行は制せられて「囚」し、我に克たるるの一行は則ち「死」す。

春令:木王,火相,土休,金囚。夏令:火王,土相,金休,水囚。秋令:金王,水相,木休,火囚。冬令:水王,木相,火休,土囚。土王四季,金相。

これは一張の展平せる四季五行旺衰の表にして、毎行は令に当たるの季の「王・相・休・囚」の四種の状態を列出す。春季は木は王に当たり、火は相を為し、土は休を為し、金は囚を為す。夏季は火は王に当たり、土は相を為し、金は休を為し、水は囚を為す。秋季は金は王に当たり、水は相を為し、木は休を為し、火は囚を為す。冬季は水は王に当たり、木は相を為し、火は休を為し、土は囚を為す。土は専ら一季を主らずして、而して四季の末に分王して各々十八天にして、あの時金は相を為す。所謂「王」は即ち令に当たり勢を得るなり(後世は多く「旺」と写す)。「相」は令に当たる者の生ずる所にして、王に次ぎて将に興らんとす。「休」は令に当たる者を生ずるにして、功を成して退きて休息に居る。「囚」は令に当たる者を克するにして、反って压制せられて困を受く。

十二卦地支蔵用

地支藏用,分晰陰陽,最為精密。周天三百六十有五度四分度之一,歷三百六十五日四分日之一而氣周,即六十卦三百六十爻之爻周。坎離震兌,分主二至二分,共三百八十四爻。陰陽錯綜,消息盈虛,無不合矣。藏天干於地支者,即乾體坤用。乾之用九,用於坤六,學者以術家言而忽之。是猶悅琢玉之精美,而賤斧鑿為匠器。《十翼》造化之筆,因無斧鑿之痕。然不知斧鑿之用者,又安識良工之心苦哉!

地支の「蔵用」は、即ち毎一支の中の蔵する所の天干および各干の令に当たるの日数にして、陰陽を分辨するや極其精密なり。周天は三百六十五又四分の一度にして、三百六十五又四分之一天を経歴して一気は走り完して、正に六十卦三百六十爻の一轮を走り完るに対応す。再び坎・離・震・兌の四卦を把りて分かちて冬至・夏至と春分・秋分との二十四爻を主らしめて併せ入れ来れば、合共三百八十四爻なり。陰陽交錯綜合して、消長盈虚して、一処として吻合せざる無し。天干を把りて地支の裏に蔵め入るるは、正に「乾は体を為し坤は用を為す」の道理なり。乾の「用九」は、必ず坤の「六」の上に落ちて乃ち功用の見え出づるを得。学者は一たびこれは術数家の言なりと聞けば則ち軽軽に放過するも、これはただ琢み成せる玉器の如何に精美なるかを賞玩して、却って斧鑿はただ工匠の傢伙なるを看不起るに好く比す。《十翼》は造化の筆より出づれば、自然斧鑿の痕跡を留めず。然れども連ねて斧鑿の用処すらも懂らざるの人は、また怎でか良工の一片の苦心を体会し得べけんや!

壬五日三分半,癸二十日六分半,辛長生。癸九日二分半,辛三日一分,己十八日六分。戊七日二分半,丙七日二分半,甲十六日五分。甲十日三分半,乙二十日六分半,癸長生。乙九日三分,癸二日一分半,戊十八日六分。庚七日二分半,戊七日二分半,丙十六日五分。午丙十日三分半,己九日三分,丁十三日三分半。丁九十三分,乙三日一分半,己十分日六分。戊己共七日,壬七日三分半,庚十六日五分。庚十日三分半,辛二十日六分半,丁長生。辛九日三分,丁三日一分,戊十八日六分。戊七日二分半,甲七日二分半,未十六日五分。

これは一張の展平せる十二支蔵用の表にして、元来十二行に分作して、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の次序に依りて排列して、逐支に当該支の蔵する所の天干および各干の令に当たるの日数を列出す(第七行は一個の「午」の字を残存して、正にこれに拠りて以て全表の次序を確認すべし)。子は壬水五日三分半を蔵し(当に十日と作るべし)・癸水二十日六分半を蔵し、辛金は子に於て長生す。丑は癸水九日二分半・辛金三日一分・己土十八日六分を蔵す。寅は戊土七日二分半・丙火七日二分半・甲木十六日五分を蔵す。卯は甲木十日三分半・乙木二十日六分半を蔵し、癸水は卯に於て長生す。辰は乙木九日三分・癸水二日一分半・戊土十八日六分を蔵す。巳は庚金七日二分半・戊土七日二分半・丙火十六日五分を蔵す。午は丙火十日三分半・己土九日三分・丁火十三日三分半を蔵す。未は丁火九日三分・乙木三日一分半・己土十八日六分を蔵す。申は戊己共七日・壬水七日三分半・庚金十六日五分を蔵す。酉は庚金十日三分半・辛金二十日六分半を蔵し、丁火は酉に於て長生す。戌は辛金九日三分・丁火三日一分・戊土十八日六分を蔵す。亥は戊土七日二分半・甲木七日二分半・壬水十六日五分を蔵す(末行は「未十六日五分」と作る。「未」は「壬」の字の訛なり)。毎支の中三干は依次輪値して、日数相加えて約当一箇月に當たる。これ即ち術数家の言う所の「人元司事」なり。

明爻第十

積爻而成卦,故爻為卦之體。爻動而卦變,故爻又為卦之用。卦之體用,具在於爻。《說卦傳》曰:“昔者聖人之作《易》也,將以順性命之理。是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三才而兩之,故《易》六畫而成卦。分陰分陽,迭用柔剛,故《易》六位而成章。”

爻は累積して始めて卦と成れば、ゆえに爻は卦の「体」なり。爻は一動すれば卦は則ち随いて変ずれば、ゆえに爻はまた卦の「用」なり。一卦の体と用とは、全く爻の上に落つ。《説卦伝》講じて曰く、從前聖人の《易》を創作するや、是れ性命の道理に順応せんと欲するに在りて、これが為に天の道を確立して「陰」と「陽」と曰い、地の道を確立して「柔」と「剛」と曰い、人の道を確立して「仁」と「義」と曰う。天・地・人の三才を把りて各々加倍せば、ゆえに《易》は六画を要して始めて一卦を成す。また六画の中に陰位陽位を分出し・柔爻剛爻は交替して使用せらるるを以て、ゆえに《易》は六個の爻位を要して始めて条理を排し出すべし。この段の話は両件の事を点明せり。六画の来暦は、三才各々両爻を占むるなり。六位の秩序は、則ち陰陽と柔剛との交錯配合より来るなり。

《繫傳》曰:“《易》之為書也,廣大悉備。有天道焉,有人道焉,有地道焉。兼三才而兩之,故六。六者非它也,三才之道也。道有變動故曰爻,爻有等故曰物,物相雜故曰文。文不當故吉凶生焉。”

《繋辞下伝》は接続して曰く、《易》のこの部の書は広大にして備わらざる無くして、裏面は天道有り・人道有り・地道有り。三才を把りて各々加倍せば、ゆえに是れ六画なり。この「六」は別のに非ずして、正に三才の道なり。道は変動すること会すれば、ゆえにそれに為に名を取りて「爻」と曰う。爻は高下等級の別有れば、ゆえにまた「物」と称作す。不同の物は交錯雑処して、ここに「文」と称す。文の配置は若し其の当を得ざれば、吉と凶と便ち其の中より生じ出づ。これを見れば「六」より「爻」に至り、「爻」より「物」「文」に至るまで、一層々皆位次と配合とに就いて名を立つるにして、而して吉凶はただこの套の配合の当と不当とに由りて結び出せる果なるのみ。

又曰:“《易》之為書也不可遠,為道也屢遷。變動不居,周流六虛。上下無常,剛柔相易。不可為典要,唯變所適。”又曰:“爻也者效此者也,象也者像此者也。爻象動乎內,吉凶見乎外,功業見乎變,聖人之情見乎辭。”孔子之所以言爻者,詳且備矣。後世言《易》者,既昧於象數,而六虛六位之義,亦泛焉而莫知所指。每卦僅就所見之上下六爻,為承應當否,卦之情其何由見哉!

《繋辞》は又曰く、《易》のこの部の書は須臾も遠離すべからず。其の講ずる所の道は不断迁移するなり――変動して一処に停留せずして、六個の虚位の間に周流す。上上下下常規無くして、剛爻柔爻は互相替換す。それを把りて一成不変の教条と當てる能わずして、ただ変化に跟いて走るのみ能くす。又曰く、爻とは、この変化を仿效するなり。象とは、この変化を摹擬するなり。爻と象とは卦内に於て変動して、吉凶は則ち卦外に於て顕現す。功業は変化の裏より見え出でて、聖人の心意は則ち卦爻辞の裏より見え出づ。孔子の爻を講ずるは、以てすでに詳細にしてまた完備と言うべし。然れども後世《易》を講ずる人はすでに象数に昧くして、「六虚」「六位」の意義に対してもまた含含糊糊にして、究竟何を指すかを説き出す能わずして、毎一卦はただ眼前見え得るの上下六爻に就いて往きて承を論じ・応を論じ・当位不当位を論ず――かくのごときは、一卦の実情はまた何処より顕現し出で得べけんや!

卦氣由下生,故以下為初。重三畫之卦為六畫,仍分三才。陽奇陰偶,陽剛陰柔。以配天地,中爻為人,曰仁曰義。上下進退,為內外兩象之中樞。孔子贊《易》,《彖傳》以內外兩象之陰陽剛柔,釋一卦之義。《象傳》則專取中爻,聯合上下象數,以人合天。

卦気は下より上に向かい生発せば、ゆえに最下面のあの一爻を「初」と曰う。三画の経卦を把りて重畳して六画の別卦を成すも、依然として天・地・人の三才を分かつを要す。陽は奇を為し陰は偶を為し、陽性は剛にして陰性は柔なり。上両爻は天に配し下両爻は地に配し、中間両爻は人に配するは、説く所は則ち「仁」と「義」なり。中間両爻は上る可く下る可く・能く進み能く退くは、正に内外両個の卦象の間の枢紐なり。孔子は《易》を解するに、《彖伝》は内外両象の陰陽剛柔を拿りて往きて整卦の義理を解釋し、《象伝》は則ち専ら中間の爻を取りて、上下の象数を把りて聯結し起こして、人事を用いて往きて天道に合す。

六十四卦《象傳》,皆曰“君子以”或“先王以”者,即以人事明天地之道者也。天地之道往復不窮,而人事之千變萬化,皆在三四兩爻之反覆。孔子曰“其初難知,其上易知,本末也”,《大過·彖》曰“本末弱也”。明六爻之本末,而後一卦之體用可知。而元亨利貞,亦可以陰陽之升降上下而明其序也。

六十四卦の《大象伝》は皆「君子は以て……」あるいは「先王は以て……」と曰うは、正に人事を拿りて来りて天地の道を闡明するなり。天地の道は往復循環して窮尽無くして、而して人事の千変万化は、全く三・四のこの両爻の往復の間に係る。孔子曰く「其の初は知り難く、其の上は知り易し。本末なり」と――初爻は根本なれば、ゆえに知り難し。上爻は末梢なれば、ゆえに見易し。《大過》の《彖伝》もまた「本末弱きなり」と曰う。六爻の本と末とを弄清して、然る後一卦の体と用とは始めて明白なるを得。而して「元・亨・利・貞」の四徳も、また以て陰陽昇降上下の次第に順いて、それらの先後順序を看清すべし。

端木氏曰:《易》太極含三為一,乾坤上下中,上天極,立在下地極,而中人極。離坎天地中,日月二人象,天地中人道,離坎交中,天地間生人。天地顛,乾下首,生人出。乾是坎,北極艮背。坤是離,南極巽高。而中極人道,震兌出入,天地大義人之終始。此六爻三極之道也。

端木国瑚曰く、《易》の太极は三者を把りて含摂して一と為すなり。乾坤は上・中・下の三層を分かつ。上は天極にして、之と対立して下面に処するは地極にして、居中なるは人極なり。離と坎とは天地の中に処して、是れ日月両象にして、即ち人の象なり。天地の当たり中の人道は、正に離坎交會に由りて成りて、天地の間に始めて人を生出す。天地は一たび顛倒すれば、乾は便ち首を垂れて下に在りて、人はこれに由りて生出す。後天に就いて言えば、先天の乾位は坎に換えられて北極に居りて、而して《艮》卦は「其の背を艮にす」を講じ、先天の坤位は離に換えられて南極に居りて、而して巽は「高」の取象有り。中間のこの一層は人道にして、震・兌に由りて出と入とを主管して、正に《帰妹・彖伝》の言う所の「天地の大義なり」「人の終始なり」に合す。これ即ち六爻が天・地・人の三極を分配するの道理なり。

爻位第十一

六位六虚

六位

分陰分陽,迭用柔剛,故《易》六位而成章。六位者,初爻二爻為地位,三爻四爻為人位,五爻上爻為天位。以乾卦例之,初九在地之下,故曰“潛”。九二地之上,故曰“田”。三爻為人之正位,故曰“君子”。四爻不當位,故曰“或”。五爻天位,故曰“在天”。上九在天之上,故曰“亢也”。

《説卦伝》曰く「陰を分かち陽を分かちて、柔剛を迭び用い、ゆえに《易》は六位にして章を成す」と。所謂六位とは、即ち初爻・二爻は地位を為し、三爻・四爻は人位を為し、五爻・上爻は天位を為すなり。乾卦を拿りて例子と作せば、初九は地位の下に処すれば、ゆえに爻辞は「潜竜用うる勿かれ」の「潜」を曰う。九二は地位の上に処すれば、ゆえに「見竜田に在り」の「田」を曰う。三爻は人の正位なれば、ゆえに「君子終日乾乾たり」を曰う。四爻はすでに人の正位を離れて而して未だ天位に及ばずして、居る所は当ならざれば、ゆえに「或いは躍りて淵に在り」の「或」を曰う。五爻は天位なれば、ゆえに「飛竜天に在り」を曰う。上九はさらに天位の上に在れば、ゆえに「亢竜悔有らん」の「亢」を曰う。

位有一定,而爻則變動無常。學者必先知有定之位,定其為陰為陽,為上為下,而後爻之奇偶當否,可得而言也(偶居陰,奇居陽,為當,反之為不當)。分陰分陽,迭用柔剛。惟既濟一卦,為陰陽柔剛各當其位,故曰“既濟定也”。定則不動,不動則不生,而《易》道或幾乎息矣。

位は固定して、爻は却って変動して定まらず。学者は必ず先ずこの固定する位を弄清して――それを定め出して是れ陰位なるか抑も陽位なるか・上に居るか下に居るか――然る後始めて爻の奇偶の当と不当とを談じ得べし(偶数の爻は陰位に居り奇数の爻は陽位に居るを、「当」と曰う。反って来れば則ち「不当」なり)。六位は陰を分かち陽を分かちて、柔剛交替して使用す。六十四卦裏はただ《既済》の一卦のみ、陰陽柔剛個個皆其の位を得れば、ゆえに《雑卦伝》は「既済は定まるなり」と曰う。然れども一旦定まり住せば則ち再び動かず、動かざれば則ち再び生ぜずして、《易》道もまた就いてほとんど停息せんとす。

故荀虞均以乾坤成兩既濟為凶。《序卦》曰:“《易》不可窮也,故受之以未濟終也。”此以陰陽之位言之也。若以用言,則一卦六爻,惟中四爻得用。初未用事,而上則失位。故《乾·上》曰:“高而無位”,《需·上》日“位不當也”。王弼曰“上下無位”者,指此也。

ゆえに荀爽・虞翻は皆乾坤を把りて変じて両個の《既済》と成るを凶象と看作す。《序卦伝》曰く、「《易》は窮まるべからず。ゆえに之を受くるに《未済》を以てして終わる」と。以上は則ち陰陽の位に就いて言えるなり。若し角度を換えて「用」に就いて言えば、一卦六爻の当中はただ中間四爻のみ真に用を得。初爻は未だ事を辦ずるに輪番せずして、上爻は則ちすでに位を出でたり。ゆえに《乾》卦上九は「高くして位無し」と曰い(《文言》原作は「貴にして位無く、高くして民無し」)、《需》卦上六の《象伝》は「位に当たらずと雖も」と曰う。王弼の所謂初・上両爻の「位無し」は、指す所は正にこの一層なり。

六虚

《繫傳》曰:“上下無常,周流六虛。”六虛者,即初二三四五上之位也。爻實位虛,爻有上下,而位無變動。爻有柔剛,位有陰陽(一三五為陽,二四六為陰),剛柔雜居(剛居陽,柔居陰,為當。或以剛居陰,柔居陽,則相雜而文生焉),吉凶以著。《參同契》曰:“二用無爻位,周流行六虛。”二用者即九與六也。

《繋辞伝》曰く、「上下常なく、六虚に周流す」と。所謂「六虚」とは、即ち初・二・三・四・五・上のこの六個の位置なり。爻は実にして、位は虚なり。爻は上有り下有りて移動する会し、位は却って固定して変らず。爻は柔剛を分かち、位は陰陽を分かつ(第一・三・五は陽位を為し、第二・四・六は陰位を為す)。剛柔は其の間に雑処して(剛爻は陽位に居り柔爻は陰位に居るは「当」にして、若し剛爻は陰位に居り柔爻は陽位に居れば、便ち相雑じて「文」を生出す)、吉凶は則ち此に由りて顕現し出づ。《周易参同契》曰く、「二用は爻位無く、六虚に流行す」と。ここの「二用」とは、即ち乾の「用九」と坤の「用六」なり。

乾九坤六,上下升降,周流六虛,以成六十四卦。故觀象者不可僅觀所見之六爻。六爻之下,尚有六虛,皆與此所見之六爻相關。爻為飛,位為伏,實易辨而虛難知。必由實而究其虛,庶遇爻而知其用,於《易》之道思過半矣。

乾の九と坤の六とは上下の間に於て昇降往来して、六虚の中に周流して、従いて六十四卦を生成す。ゆえに象を観る人はただ眼前見え得るの六爻を盯着するのみ能わず。六爻の背後にはさらに六虚有りて、皆眼前の此の六爻と息息相関せり。爻は「飛」にして、位は「伏」なり。実なるは辨认し易くして、虚なるは知り難し。必ず実処に由りて往きて虚処を追究して、始めて一たび爻に遇えば則ち其の用を明白にするを得。能くこの一歩を做到せば、《易》道に対してもまた領会すること半ばを過ぎん。

八卦正位

爻位六而卦有八,八卦於六爻,各有其當位之爻,曰正位。家人曰“男正位乎外,女正位乎內”,言九五與六二,則但以陰陽言也。陰陽以二五爻為得中得正,乾坤為卦之宗主,亦陰陽之純體。故乾以九五為正位,坤以六二為正位,坎離為乾坤之交(坎中之陽即乾爻,離中之陰即坤爻)。故坎離之正位,與乾坤同。震以初九為正位,艮以九三為正位,巽以六四為正位,兌以上六為正位。卦各有其正位,故六爻具六子之位。為圖如下:

爻位はただ六個のみ有りて、卦は却って八個有りて、八卦は六爻の中に各々自己占拠すべきのあの一爻有りて、「正位」と曰う。《家人》の《彖伝》は「男は外に正位し、女は内に正位す」と曰うは、指す所は九五と六二にして、あれはなおただ陰陽に就いて言えるのみ。陰陽は二爻・五爻を以て中を得正を得ると為す。乾坤は衆卦の宗主にして、もまた陰陽の純粋の体なれば、ゆえに乾は九五を以て正位と為し、坤は六二を以て正位と為す。坎離は乾坤の交合に由りて成り(坎の中間のあの一根の陽爻は則ち乾爻にして、離の中間のあの一根の陰爻は則ち坤爻なり)、ゆえに坎離の正位は乾坤と相同じ。此の外、震は初九を以て正位と為し、艮は九三を以て正位と為し、巽は六四を以て正位と為し、兌は上六を以て正位と為す。毎一卦各々其の正位有れば、これが為に一卦六爻は正好六子の卦の位置を安放し得。今や図を把りて列して下に在り。

端木氏曰:天地六爻,坎離既濟定位,五多功二多譽,位當也。離坎未濟居方,三多凶四多懼,不當位也。有當位而不正者,而正位未有不當者也。而《彖》、《象》之言正則以二五,故八卦惟乾坤坎離之為得中得正也。

端木国瑚曰く、天地六爻の中に於て、坎は上に在り離は下に在りて合して《既済》を成して、各爻皆其の定位を得れば、ゆえに《繋辞》は「五は功多し」「二は誉多し」と曰うは、正にそれらの位に当たるを以てなり。反転して離は上に在り坎は下に在りて合して《未済》を成すは、ただ各々其の方に居るのみにして、ゆえに「三は凶多し」「四は懼多し」と曰うは、それらの位に当たらざるを以てなり。ある爻は位に当たると雖もなお「正」と談ずるに及ばざるも、但し凡そ正位と称し得べきは、位に当たらざる無し。而して《彖伝》《象伝》の「正」を講ずるは、一律に二爻と五爻とを取れば、ゆえに八卦の中はただ乾・坤・坎・離のみすでに中を得また正を得ると称し得べし。

六爻三極定位,天地定位。六爻上山澤,下雷風,中水火。六爻三極,下二初地爻地極,雷風恆,天地下極立心恆,坤地極立不易方,二初震巽爻是也,五上天爻天極,山澤損天上極員(損從員),乾天恆無方,中日月斗,三人行,乾極與時偕行,五上艮兌爻是也。

六爻は分かちて天・地・人の三極に属して各々定位有るは、正に《説卦伝》の言う所の「天地は位を定む」に合す。六爻の中、上両爻は山沢に属し(艮兌)、下両爻は雷風に属し(震巽)、中間両爻は水火に属す(坎離)。三極に就いて言えば、下面の第二爻と初爻とは地爻にして地極に属し、雷風相合して《恒》卦を成して、天地の下極は則ちこの「恒」を靠りて心志を立定す――《恒・象伝》は「君子は以て立ちて方を易えず」と曰う。坤は地を為して、地極は正にこの「方を易えず」にして、指す所は即ち初・二の両爻の上の震と巽なり。第五爻と上爻とは天爻にして天極に属し、山沢相合して《損》卦を成して、天の上極は「円」の義を取る(「損」の字は「員」に従う)。乾は天を為して、恒久にして固定の方所無くして、当中は日月と北斗とを懸る。《損》卦六三は「三人行けば則ち一人を損す」と曰い、《損・彖伝》は「時と偕に行く」と曰うは、指す所は即ち五・上の両爻の上の艮と兌なり。

四三人爻人極,水火既濟,天地中間人,於天地上下初終,首尾續終,中為人極。兼三才而兩之,定上下中極,四三坎離爻是也。六爻三極,天地南北居方,六爻辨物辨等。乾坤六十四卦終下坎北極,故曰“初難知”,曰“亦不知極也”。此《易》居方上下六爻三極之道也。

第四爻と第三爻とは人爻にして人極に属し、水火相合して《既済》を成して、人は正に天地の当たり中に処す。天地上下の起訖首尾の間に於て接続収束して、居中のこの一段は便ち人極なり。「三才を兼ねて之を両にす」は、ここに上・中・下の三極の位置を定め出せるは、指す所は即ち三・四の両爻の上の坎と離なり。六爻は分かちて三極に属して、天地南北は各々其の方に居りて、六爻は則ち用て「物を辨じ」「等を辨ず」るを為す。乾坤の統摂する六十四卦は、最後下方の坎・即ち北極の上に収結せば、ゆえに《繋辞》は「其の初は知り難し」と曰い、また「亦た其の極する所を知らず」と曰う(原文は「亦た極を知らざるなり」と作る)。これ即ち《易》の六爻を以て方に居り位を定め・分かちて三極に属するの道理なり。

六爻定位図

右圖與前圖合觀,則知爻位之隱見變化,不但卦有飛伏交互,而爻之飛伏交互,亦與卦等也。向之說《易》家,能究心於爻位之義者甚鮮,而於爻位之分,更未有言之者。來知德氏,雖有八卦之正位一圖,而注中仍不能用,則以未明爻位之體用有別也。今合二圖而一之,並附以說,庶閱者可瞭然矣。

上面の此の幅の図と前面のあの幅の図とを合して看れば、則ち能く爻位の隱顕変化の道理を明白にすべし。不但整卦は飛伏有り交互有るのみならず、単爻の飛伏と交互とは、其の分量もまた整卦と相等し。從前《易》を講ずる人は、肯んじて爻位の義の上に功夫を下すはもとより甚だ少なくして、至りて爻位の如何に劃分するかは、さらに人の講じし有らざるなり。明代の来知徳は一幅の八卦正位図を画けし有ると雖も、然れども注解裏は依然として用い上ぐる能わざりしは、あれは彼の爻位の「体」と「用」とはもとより別有るを弄清せざるを以てなり。如今両幅の図を把りて合して一と為し、并せて説明を附せば、読者は大概以て一目了然すべし。

六十四卦三百八十四爻,皆乾坤二用,周流六虛,至既濟而全卦之爻位相當。故曰“既濟定也”。爻位既明,二用斯章。然乾元用九,綱領全《易》。地道無成,坤之用皆乾之用也。乾無方無體,乾之用皆見於坤之用也。孔子《文言傳》曾發乾九用坤,坤六承乾之旨,已極詳備。大明終始,六位時成,乃非既濟而為未濟,其故可深長思矣。

六十四卦は合わせて三百八十四爻にして、全く是れ乾坤「用九」「用六」の此の両種の用が六虚の中に周流往来するなり。《既済》に到れば、一卦の爻位は個個相当せば、ゆえに《雑卦伝》は「既済は定まるなり」と曰う。爻位は一旦明白にせば、乾坤二用もまた就いて随いて彰顯す。不過「乾元用九」こそ始めて整部《易》を統摂するの綱領なり。《坤・文言》は「地道は成す无くして代わりて終有り」と曰う。これを見れば坤の用は其の実皆乾の用なり。乾はまた方所无く・形体无ければ、ゆえに乾の用はまた全く坤の用の上に落ちて乃ち見え得べし。孔子は《文言伝》裏にすでに乾の九は須く坤に用いられ・坤の六は須く乾に承くべしの此の宗旨を発揮するや極其詳備なり。《乾・彖伝》は「大明終始にして、六位時に成る」を講じて、而して全経の収尾は偏偏《既済》に非ずして《未済》なり。此の裏頭の道理は深長に思索するに値す。

六位時成図

乾六位,火本天親上。離五位,水本地親下。坎二位,而上下剛柔應位。山澤,艮上位兌三位。雷風,震四位巽初位。而上下六位,巽伏,震起,兌見,艮止,皆中離坎日月象。故曰“大明終始六位時成(下巽伏,上兌見,即坎象。下震起,上艮止,即離象。)。”

乾は六個の爻位を統摂す。火はもとより天に属して上に親附せば、ゆえに離は第五位を占む。水はもとより地に属して下に親附せば、ゆえに坎は第二位を占む――かくのごとく上下剛柔は各々位に応ず。山沢は一対にして、艮は上爻位に居り、兌は第三位に居る。雷風は一対にして、震は第四位に居り、巽は初爻位に居る。ここに上下六位の中に於て、巽は「伏」を主とし・震は「起」を主とし・兌は「見」を主とし・艮は「止」を主として、四者皆中間の離坎の象る所の日月を囲繞す。ゆえに《乾・彖伝》は「大明終始にして、六位時に成る」と曰う(下面は巽の伏・上面は兌の見にして、合せば則ち坎象なり。下面は震の起・上面は艮の止にして、合せば則ち離象なり)。

《上經》始乾坤終坎離,其往來卦十八。《下經》始咸恆終既未濟,其往來卦十八。十八為二九數,乃離坎二卦日月終始。離一九,寅數止戌。坎一九,申數正辰。此離坎二九,皆乾用九圓,日月為大明象。乾二九十八卦,《上經》始乾坤,終坎離,大明終始六位是也。

《上経》は乾坤に起こり坎離に終わりて、其の中両々往来相対するの卦は合して十八組を成す。《下経》は《咸》《恒》に起こり《既済》《未済》に終わりて、往来相対するの卦もまた十八組なり。十八は二乗九の数にして、正に離・坎両卦の象る所の日月の終と始とに対応す。離は一個の九に配す。寅位より起こして九位を数えて、戌に止まる。坎は一個の九に配す。申位より起こして九位を数えて、辰に止まる。離坎の此の両個の九は、皆乾「用九」の円道にして、日月は合せば便ち「大明」の象なり。乾の二九は合わせて十八卦にして、《上経》は乾坤に起こり坎離に終わるは、所謂「大明終始にして、六位時に成る」は正に此を指すなり。

離坎二卦,南北終始,皆出入於震兌二卦,東西往來。震一九亥數止未,兌一九巳數止丑。此震一九離出震,兌一九坎出兌,皆乾用九圓。而上、下《經》各往來卦十八,始乾終既未濟,乾六位成而坤天下平。此離坎上下六位,南北居方卦大明日月也。

離・坎両卦は一南一北にして、終始を主管して、而してそれらの出入は皆震・兌両卦を経由して、東西の間に於て往来す。震もまた一個の九に配す。亥位より起こして九位を数えて、未に止まる。兌もまた一個の九に配す。巳位より起こして九位を数えて、丑に止まる。震の此の九は、離は震より出づるなり。兌の此の九は、坎は兌より出づるなり――同じく皆乾「用九」の円道なり。上・下両経は各々十八組の往来卦有りて、全経は乾に起こりて《既済》《未済》に終わりて、乾の六位は一旦成就せば、坤は便ち「天下平」なり。これ即ち離坎の分かちて上下六位に居り・南北各々其の方を占めて以て大明日月を象徴するの道理なり。

上下卦十八終始三十六,是為乾四九出入,南北上下為之極。其卦三十六,皆離坎首尾終之始之。而乾坤上下六十四卦六位,皆此離坎六位終始之。是乾用九乾圓象,而六十四卦以成終成始,乾大明終始,六位時成是也。

上下両経は各々十八にして、首尾相合せば便ち三十六なり。これ即ち乾の四個の九が出入運転して、南北上下皆これを以て極と為すなり。この三十六組の卦は、全く離坎に由りて首尾両端に於て収束し開啓す。而して乾坤の統轄する六十四卦・六個の爻位も、また皆此の離坎の六位に由りて来りて之を終わらしめ・之を始まらしむ。これを見れば乾の「用九」は正に乾道の運行して円を成すの象なり。六十四卦は此を借りて以て終を成し始を成す。《乾・彖伝》の言う所の「大明終始にして、六位時に成る」は、講ずる所は則ちこの一層なり。

六爻二極,尤重在人。天地之氣,以人而通。陰陽之道,以人而和。孔子贊《易》“立人之道”,以合乎天地之正。《京氏易傳》:孔子曰“陽三陰四,位之正也”,三者東方之數,日之所出也。四者西方之數,日之所入也。言日月終天之道。

六爻は分かちて三極に属して、其の中最も要紧なるは依然として人の此の一極なり(原文「二極」は当に「三極」と作るべし)。天地の気は人を靠りて始めて貫通し得べく、陰陽の道は人を靠りて始めて調和し得べし。孔子は《易》を解して「人の道を立つ」を講ずるは、正に人をして天地の中正に合せしめんと欲するなり。《京氏易伝》は孔子の言を引きて曰く「陽は三・陰は四、位の正なり」と。三は東方の数にして、太陽はあの処より升起す。四は西方の数にして、太陽はあの処に到りて落下す――講ずる所は日月の一天を貫穿し・天に周行するの道理なり。

故《易》卦六十四,分上下象陰陽也。故奇偶之數取之於乾坤。乾坤者,陰陽之根本也。陰陽之道備著於坎離。坎離者,陰陽之性命也,而其樞要皆在於三四兩爻。於此求之,六十四卦之辭義可迎刃而解矣。圖附後。

ゆえに《易》の六十四卦は分かちて上下両経を成すを要して、用て陰と陽との此の両面を象徴す。奇数と偶数とは乾坤より取るは、乾坤は陰陽の根本なるを以てなり。而して陰陽の道はまた坎離の身上に完備に体現せらるは、坎離は陰陽の性と命なるを以てなり――乾坤は陰陽の体を給出して、坎離は陰陽の用を顕出す。而して此の一切の枢紐関鍵は、皆第三・第四の此の両爻・即ち人の居る所のあの両個の位置の上に落つ。此処より入手して往きて探求せば、六十四卦の卦爻の辞と義理とは便ち刃に迎えて解くべし。図は後面に附す。

天地人六爻往復,天地上下,在人中爻三四迴轉。而上下天地爻,乃往復不窮。此乾坤六爻上下應位,二三四五同功異位,皆具此六爻往復中,皆在中人爻迴轉。人於天地上下,不見首尾,乃中間背脊,其道反覆不已。天地往復,其道不窮。孔子六十四卦大象,著六十四“以”字。“以”,古文作□,即結合上下兩卦往復迴轉之象也。

天・地・人の六爻は循環往復す。天は上に在り地は下に在りて、全く人の居る所の三・四の両爻が中間に於て回旋転折するを靠りて、上下天地両截の爻は始めて往復して無窮を得。乾坤六爻の上下相応、および《繋辞》の言う所の二と四・三と五の「功を同じくして位を異にす」は、皆此の六爻の往復の中に包含せられて、もまた皆中間の人爻の上に於て打転せんと要す。人は天地上下の間に処して、首を見えず・もまた尾を見えずして、ただ当中の一段の脊梁なるのみにして、其の道は反反復復して止息無し。天地往復して、其の道は自然無窮なり。孔子は六十四卦の為に《大象伝》を作りて、一連に六十四个の「以」の字を用いたり。「以」の古文字形(此処原書の摹する所の古文字形は缺失せり)は、正に上下両卦を把りて結合して往復回転するの象なり。

爻象第十二

爻分於卦,卦之象即爻之象。卦由爻變,爻之象亦卦之變象也。《說卦》廣象,半為卦變言之。名隸於卦,而重實在爻。六十四卦,《彖》、《象》要皆以象之交易變易反易而互變其義,以定其辭。變之所在,即象之所在。所謂“辭也者,各指其所之”是也。

爻は卦の裏より分出せるなれば、ゆえに卦の象は即ち爻の象なり。卦はまた爻の変動に由りて成れば、ゆえに爻の象もまた即ち卦変以後の象なり。《説卦伝》の鋪陳する所のあの一大批の「広象」は、一半は卦変に就いて講ずるなり。名義上は卦に帰属するも、分量は其の実爻の上に落つ。六十四卦の《彖伝》《象伝》は、大抵皆象の交易・変易・反易に凭りて互相其の義を変換して、拠りて以て卦爻の辞を確定す。変化は何処に在れば、象は則ち何処に在り――《繋辞》の言う所の「辞とは、各々其の之く所を指す」は、正にこの意思なり。

變不同,象亦不同。或一爻變,或二爻變,或三爻變。三爻變者,則為對象。以一卦全變,本體之象已不見,所謂伏也。若二爻或一爻變,則變其半而存其半,京氏所以有半象之說也。

変の方式は同じからざれば、得出す所の象もまた就いて同じからず。一爻変の有り、両爻変の有り、三爻変の有り。三爻全変すれば、内卦あるいは外卦は便ち整個翻して相対の卦と成りて、「対象」を為す。若し一卦六爻全変すれば、本体の象は完全に見えざるを成りて、これ即ち所謂「伏」なり。至りてただ両爻を変ずるのみあるいはただ一爻を変ずるのみは、あれは一半を変じて一半を留むるにして、京房「半象」の説法は正に此に由りて来るなり。

向來講《易》者莫明京氏半象之義,往往置之不論。焦理堂氏《易通釋》宗虞仲翔氏之說者也,乃駁其半象,不遺餘力。謂“坎之半即巽之半,坤之半即艮之半”云云,而不知京說之正謂“坎半即巽半,坤半即艮半”耳。孔子《雜卦》,“震起艮止,巽伏兌見”,即發明離坎變化,乃震艮巽兌起止伏見之作用。《虞注》:“小畜密雲不雨,謂坎象半見。”即指巽為坎之半耳。

歴來《易》を講ずる人は京房「半象」の含義を弄明白せずして、往往擱置して論ぜず。清代焦循(字は理堂)の《易通釈》はもとより虞翻(字は仲翔)の一派を尊奉するも、却って余力を遺さず半象を駁斥して、何の「坎の一半は即ち巽の一半にして、坤の一半は即ち艮の一半」の云云を言う――彼は却って知らず、京房の説法はもとより正に「坎の半象は即ち巽の半象にして、坤の半象は即ち艮の半象」なり。孔子《雑卦伝》は「震は起なり、艮は止なり」「巽は伏なり、兌は見なり」と曰うは、正に離坎の変化を闡発して、震・艮・巽・兌の起・止・伏・見の此の四種の作用の上に落実するなり。虞翻は《小畜》の「密雲雨らず」に注して「坎象半ば見ゆ」と曰うは、指す所もまた即ち巽は坎の一半を為すなり。

惟半象二字,在可解不可解之間。與其謂之半象,不如名之曰爻象為簡當而易曉也。一卦六爻,本有風雷山澤水火之爻位。與八卦之正位,有其位即有其象。故僅知卦象,而不明爻象,仍未能盡象義之蘊也。

ただ「半象」の此の両個の字は、解すべきと解すべからざるとの間に処す。それを把りて半象と叫ぶよりは、毋寧「爻象」と称作するに如かずして、來りて簡明確当にして明白し易し。一卦六爻は、もとより各々風・雷・山・沢・水・火の爻位有りて、再び配上するに前面の講ずる所の八卦の正位を以てせば、あの位有れば則ちあの象有り。ゆえにただ卦象を知りて而して爻象を明白にせざれば、終究依然として象の意藴を把りて講じ尽くす能わざるなり。

爻象有正變之分,亦與卦同。如本卦不變,而分爻取象者,則以其位之上下而象異。如震為足,正象也,爻分震之初則為趾。乾為首,正象也,爻分乾之上則為顛,為額,或為項。而六子分乾坤之爻者,亦得推此義以取象。如艮為乾之上爻,亦有首之象。離得坤之中爻,亦取腹象。此不變之變,即廣象之義也。

爻象もまた「正」と「変」との分別有りて、この一点は卦象と相同じ。譬えば本卦は並びに変せずして、ただ分かちて各爻を来りて象を取れば、則ち爻位の上下に随いて象各々同じからず。震は足を為すは、これは正象にして、震の初爻に分かち到れば、便ち「趾」と成る。乾は首を為すは、これは正象にして、乾の上爻に分かち到れば、便ち「顛」(頭頂)と成り・「額」と成り、あるいは「項」と成る。而して六子卦はすでに乾坤の爻を分かち得れば、もまたあの道理に照らして往きて象を取る可し。譬えば艮は乾の上爻の成す所にして、もまた「首」の象を帯び、離は坤の中爻を得て、もまた「腹」の象を取る可し。これ即ち本卦変らずして象はすでに変じて、もまた正に《説卦》の「広象」を鋪陳するの用意なり。

其因本卦已變,而爻即隨其變而易其象,則必以其時其位之不同,而各異其義,即各異其象。如離為目,正象也,因變巽而為多白眼。艮為山,正象也,因反為震,而變為陵。巽為雞,正象也,因反為兌,而稱鶴。其餘變化,各以類求,未可指數也。一卦六爻,初爻為足為趾;二爻為脛,為股;三四為心,為腹;上五為首,為面。比例甚多,更論爻而不論卦,可謂專以爻位取象,為爻象之本義矣。

至りて本卦すでに変じて、爻もまた変に随いて其の象を改換すれば、則ち必定時に因り位に因りての不同を以て各々其の義を異にし、就いて各々其の象を異にす。譬えば離は目を為すは、これは正象にして、巽に変成するを以て、便ち「白眼多し」と成る。艮は山を為すは、これは正象にして、倒転して震と成るを以て、便ち「陵」に変作す。巽は鶏を為すは、これは正象にして、倒転して兌と成るを以て、便ち「鶴」と称作す。其余の変化は、各々類別に按じて往きて推求せば、多きこと指を挙げて勝えざらん。再び人身に就いて象を取りて言えば、一卦六爻は、初爻は足を為し趾を為し、二爻は脛を為し股を為し、三爻・四爻は心を為し腹を為し、上爻・五爻は首を為し面を為す。この類の比配は甚だ多くして、而且ただ爻を論じて卦を論ぜずして、以て専ら爻位に就いて象を取ると言うべくして、此れこそ始めて「爻象」の本義なり。

爻数第十三

六位成章,陰陽迭運。位虛爻實,奇偶相生。積爻成卦,數亦相因。復一坎子,震未出用,故曰“復小”。臨二丑寅,坤兌數十,故曰“臨大”。陰爻無始,陽爻無終。陰陽首尾,往復不窮。故數盡十位,而爻十二。天五地六,以定甲子。八宮六世,三四相重。飛伏隱見,變化無盡,而無不可以數稽之。故爻位與象義既明,必征之於數,而後是非可辨也。

六個の爻位は排して条理を成して、陰陽交替して運行す。位は虚にして、爻は実にして、奇数と偶数とは彼此相生す。爻は累積して卦を成せば、数もまた就いて随いて相因じて生ず。《復》卦は子位に当たり数一に配して坎に属す。此の時震の一陽は剛く生じて而して未だ真に起用せざれば、ゆえに《雑卦伝》は「復は小にして物に辨ゆ」と曰う。《臨》卦は丑・寅の位に当たり数二に配す。坤と兌と相合して数は十に満てば、ゆえに「臨は大なり」と曰う。陰爻は起頭無くして、陽爻は終結無くして、陰陽首尾相銜して、往復して無窮なり。ゆえに数はただ十位に排し至れば止まるも、爻は却って十二有り(乾坤各々六)。天数五と地数六と相配して、用て六十甲子を定め出す。八宮各々六世有りて、三と四との両爻は反復重畳して、飛と伏とは一隱一顕して、変化は窮尽無し。然れども一様として数を用いて往きて稽考し得べからざる無し。ゆえに爻位と象義と弄明白する之後は、還(ま)た数を拿りて来りて験証せざるべからずして、是非は始めて辨じ清むるを得。

陰陽六爻,皆指乾坤。乾父坤母,六子卦皆分乾坤之爻,各得乾坤之一體。象數變化,皆不離其宗。鄭氏爻辰,即以乾坤兩卦,分十二辰。鍾度聲律,亦各以此數交錯,相生相合,而各得其應得之數。《節·彖傳》曰:“節以制度。君子以制度數,議德行。”若由後儒之說,德行與度數何涉?

陰陽六爻は、説き到りて底を尽くせば皆乾坤を指向す。乾は父にして坤は母にして、六子卦は皆分かちて乾坤の爻を取りて、各々乾坤の一部分を得。象数の種種の変化は、皆この本宗を離開する能わず。鄭玄の「爻辰」は、則ち乾坤両卦の十二爻を拿りて十二辰に分配するなり。鐘律の度数と五声六律とは、もまた皆この套の数に按じて交錯推排して、相生相合して、各々其の応得の数目を得。《節》卦の《彖伝》は「節は以て度を制す」と曰い、《大象伝》は「君子は以て数度を制し、徳行を議る」と曰う。若し後世儒者の講法に照らせば、徳行と度数とはまた何の相干有らんや。

宋人性理諸書,汗牛充棟,所謂表裡精粗無不到者,獨無度數以節之。陰陽五行,皆鑿空之談。而所謂異端者,若老子若墨子若莊列諸子,及釋家大乘經典,其言之精者,各有數度,各有法象之可征。皆所謂法言,非任意空談可擬也。故明乎八卦之象數,明乎《彖》、《象》十翼無一辭一字之不合象數,而後三代兩漢文章之度數可辨。後世之書是否合於度數者,亦皆可辨矣。

宋人の性理を講ずるの著作は汗牛充棟にして、表裏精粗到らざる無しと号称するも、ただ度数を以てそれを節制する無くして、陰陽五行を談じ起こせば全く是れ凭空に説を立つるなり。反って彼らに斥けられて異端と為せらるる、老子・墨子および荘子・列子の諸家のごとき、さらに仏家の大乘経典有りて、其の中精到の言論は皆各々数有り各々度有りて、皆験証すべきの法象有りて、皆法度有るの言語に属して、随口空談の比拟し得べき所に非ず。ゆえにただ先ず八卦の象数を弄明白し、《彖伝》《象伝》および《十翼》は一句の言・一個の字として象数に合せざる無きを弄明白して、然る後夏・商・周三代と両漢の文章の度数は始めて辨じ出すべくして、後世の著作の度数に合するや否やも、就いて皆分辨し得べし。

(揚子雲知《易》象數理之精,恐後人不解,乃苦心焦思作《太玄》,以明數。作《法言》,以仿《論語》。非擬經侮聖也,其意欲人之由淺入深,因《太玄》而進於《易》。因《法言》而悟《論語》之法度,用心良苦。乃後人並《太玄》不能解,何有於《易》?讀《論語註疏》,更蔑視《法言》。又以朱子綱目“莽大夫”三字作揚雄定評,後世遂存以人廢言之成見。《太玄》、《法言》乃真成覆醬瓶之物。《太玄》、《法言》不足惜,《易經》、《論語》法象數度之不明,貽人心世道之優,良足痛焉!)。

原注:揚雄(字は子雲)は深く《易》の象・数・理の精微にして伝え難きを知りて、後人の看懂せざらんことを怕れて、始めて苦心焦思して《太玄》を写して以て数を闡明し、《法言》を写して以て《論語》を仿照せり。彼は並びに経書を摹擬し・聖人を軽慢せんと欲するに非ずして、用意は人をして浅より深に入らしめんとするに在りて、《太玄》を借りて進みて《易》に通じ、《法言》を借りて《論語》の法度を領悟せんとは、用心は以て良苦と謂うべし。誰か知らん後人は連ねて《太玄》すらも読み懂らざれば、還た《易》を懂ると談じ及ぶに足らんや。《論語注疏》を読む人は、さらに《法言》を看不起り。加うるに朱熹《通鑑綱目》は「莽大夫」の三個の字を用いて揚雄に為に定評を下せば、後世は便ち人に因りて言を廃するの成見を存下して、《太玄》《法言》は真に当年劉歆の譏る所の「醤瓿を覆う」の廃紙と成れり。《太玄》《法言》本身は還た惜しむに足らずして、惜しむ可きは《易経》《論語》裏のあの一套の法象数度の従此明ならざるにして、人心世道に遺害するは、実に人をして痛心せしむ(「人心世道の優を貽す」の「優」は当に「憂」と作るべし)。

乾簡坤易,象數著明。象由微而知著,數執簡以御繁。太極由是生兩儀,生四象,生八卦,以生六十四卦。而六十四卦仍以一“是(《未濟·上六·象》曰“有孚失是”,為全經最後之一字。)”返本還原。故欲求其“是”,當求諸始。乾坤《易》之始,六爻乾坤之始,一畫開天又六爻之始。故言卦數者,必自爻數始。

乾は簡を以て徳と為し坤は易を以て徳と為して、象と数とはこれが為に顕豁明白なり。象は細微の処より推して顕著の処を知り、数は簡を執りて繁を馭す。太极は此に由りて両儀を生じ、四象を生じ、八卦を生じて、進みて六十四卦を生出す。而して六十四卦は最後また一個の「是」の字を靠りて本に返り原に還る(原注:《未済・上六》に「孚有りて是を失う」の一句有り。「是」の字は全経の最後の一個の字なり)。ゆえにこの「是」を探求せんと欲せば、則ち当に開端の処に到りて求むべし。乾坤は《易》の開端にして、六爻は乾坤の開端にして、而して「一画天を開く」のあの一画はまた六爻の開端なり。ゆえに卦数を講ずる人は、必定爻数より講じ起こさざるべからず。

爻変第十四

先儒言卦變者多矣。虞氏以後,眾說紛紜,莫衷一是。虞《易》既無完書,其注及《周易集林》,僅於《李氏集解》中得一鱗片甲,語焉不詳。漢上朱氏,據此以定虞氏卦變圖,當時已多異議。李氏挺之,有六十四相生及反對兩圖。朱子《本義》,復有變更。陰陽重出,其為卦乃至一百二十有四。雖稱根據《彖傳》,而其舉例之十九卦,有自一卦來,兩卦三卦來者,參差不一,亦不能自圓其說。後之為圖者更多,如朱楓林等,更自鄶以下無足言矣。

前代学者の卦変を講ずるは甚だ多し。虞翻以後、衆説紛紜にして、定論無し。虞翻の《易》注は早くもすでに完書を成さずして、彼の注と《周易集林》とはただ李鼎祚《周易集解》裏より一鱗半爪を撿い得るのみにして、語は焉(いずく)んぞ詳ならん。宋代朱震(世は漢上先生と称す)は則ち此の点の材料を凭りて虞氏卦変図を定め出せるも、当時すでに不少の異議を引起せり。李之才(字は挺之)は「六十四卦相生」と「反対」との両幅の図を作れり。朱熹《周易本義》はまた加えて変更して、陰陽両路は重複して排し出されて、所得の卦は竟に多きこと一百二十四个に至れり。彼は自ら《彖伝》に依拠すと称するも、然れども挙ぐる所のあの十九個の卦例は、あるは一卦より来ると説き、あるは両卦・三卦より来ると説きて、参差不斉にして、もまた自ら其の説を圓うる法無し。後来図を作る人はさらに多くして、明代の朱升(号は楓林)の流のごときは、則ちさらに等を下りて、提起するに値せず。

虞李二氏之圖,皆根本乾坤,其立論自不可磨。後儒如來氏知德,胡氏滄曉,錢氏辛楣,焦氏理堂,各有變通修正,均不能越其範圍。然皆爻變,而不盡為卦變也。夫卦者,必一卦盡變,如坤之變乾,巽之變震,斯謂之卦變可矣。若乾變姤夬同人大有小畜履,坤變剝復師比謙豫,則只一爻變。上下之乾坤,固未變焉。且占變知來,因貳以濟民行,事物萬變,烏能以六十四卦之變,應之而不窮乎?

虞翻・李之才両家の図は、皆乾坤を以て根本と為して、立論は自然磨灭すべからず。後来の学者は来知徳・胡煦(号は滄暁)・銭大昕(号は辛楣)・焦循(字は理堂)のごとき、各々変通修正有るも、皆此の両家の範囲を跳出る能わず。不過これらの講ずる所は其の実皆「爻変」にして、並びに全く「卦変」と算せず。所謂卦変とは、必ず一卦六爻全変して始めて算すべくして、譬えば坤は変じて乾と成り巽は変じて震と成るのごとき、かくのごとく卦変と称して始めて説き通ずべし。至りて乾は変じて《姤》《夬》《同人》《大有》《小畜》《履》を出し、坤は変じて《剥》《復》《師》《比》《謙》《豫》を出すは、あれは皆ただ一爻変のみにして、上下両個の経卦の中の乾坤は其の実並びに変ぜず。況んや占変は未来を預知し・吉凶両端に凭りて以て百姓の行事を幇助する為なり。而して事物の変化は無窮にして、単に六十四卦の此の点の変化を靠るのみにて、怎でか能く応付し来りて窮竭せざらんや。

故朱子占法,據《左》《國》所載故事為例,而又自定前十卦後十卦之別,以補其未備。無論其所謂前後十卦者,即其卦變圖百二十四卦之次序,決非古人所有。即能相合,而上下二編彖辭象辭並計,亦只四百四十八變,再加合兩卦彖辭,亦僅五百十二,烏能悉應所占之事,而定其吉凶?其無當可斷言也。

ゆえに朱熹の占法を訂立するは、《左伝》《国語》の載する所の旧例を拿りて以て依拠と作して、また自ら「前十卦」「後十卦」の区別を分出して、来りて其の不足を補うなり。且つ彼の所謂前後十卦を説かず、連ねて彼のあの幅の卦変図裏の一百二十四卦の次序も、もまた決して古人の原有するに非ず。退一步を説いて、即便皆対え得上ぐると雖も、上下両経の彖辞・象辞を合して計算すれば、もただ四百四十八種の変のみ有り。再加うるに両卦彖辞を合するの算法を以てすれば、もただ五百一十二種に過ぎず。此の点の数目は怎でか能く一一占する所の事を応付し・それらの吉凶を判定せんや。それを把りて切実に用いずと説くは、以て断言すべし。

《周官》太卜所掌三《易》,自別有占法。而文周上下二編之《彖》、《象》,特其綱領。孔子《十翼》,但示人以觀象玩辭,為進德明道之本,來嘗為人言占卜之方也。“大衍”一章,明象數之根本。揲蓍求卦,以盡變通之義。引伸觸類,以盡天下之能事。亦非專為卜筮而言也。

《周礼》裏の太卜の掌管する所の三部の易書は、もとより別に一套の占法有りて、文王・周公の上下両経に係する所の彖辞・象辞は、不過あの套の占法の綱領なるのみ。孔子の《十翼》を作るや、ただ人に象を観し辞を玩することを教うるのみにして、それを把りて徳を進め道を明らかにするの根本と當てて、従來人の為に占卜の具体の門路を講じ替わりし無し(「来嘗」は当に「未嘗」と作るべし)。《繋辞》「大衍の数」のあの一章は、講ずる所は象数の根本なり。揲蓍の弁法を用いて卦を求むるは、変通の意義を窮尽せんが為なり。「引きて之を伸ばし、類に触れて之を長ず」は、天下の能事を窮尽せんが為なり――同じくもまた専ら卜筮の為に説くに非ず。

自“掛一”,“再扐”之義不明,自唐以後,異說紛起。如劉夢得、張轅、莊綽、程伊川、朱元晦、張理、郭兼山諸家,議論不一。要皆書生之見,無當於事,無與於《易》。故歷代精於占筮者,皆屏不用,徒留為經生家聚訟之資而已(沈氏需時眇言,據天地之數由大衍求一之術,證以微積分,合而定揲四之義,與《易》象數皆能確合。俟參考儀象諸書,更試驗得實,當別為一書詳之。)。故茲編於卦變之說,概棄不錄。卦變皆由爻變,言爻變即所以言卦變也。卦變可圖,爻變則非圖所能盡也。略圖示意,閱者以意會之可耳。

「一を挂けて以て三を象り」「再び扐して後に挂く」のこれらの揲蓍歩驟の含義の講じ清められざるよりして、唐代以後異説紛起せり。劉禹錫(字は夢得)・張轅・荘綽・程頤・朱熹(字は元晦)・張理・郭忠孝(号は兼山)の諸家のごとき、議論は各々相同じからず。これらは大抵皆書生の見解にして、実事に補い無く、《易》にもまた相干せず。ゆえに歴代真に占筮に精なる人は皆撇開して用いずして、ただ留めて経生たちに為に互相争訟の材料を作らしむるのみ(沈氏《需時眇言》は天地の数に拠拠して・大衍「一を求む」の算法を用いて・微積分を拿りて来りて印証して、拠りて以て「四を以て揲する」の意義を確定して、《易》の象数と皆能く確切に吻合す。参考して測天儀象の一類の書を過ぎて・再び試験して実証を得ば、当に別に一書を写して詳論すべし)。これが為に本編は卦変の種種の説法に対して、一概に捨去して録せず。卦変は皆爻変に由りて来れば、爻変を講ずれば就いて卦変を講ずるに等しきなり。卦変は画きて図を成すべきも、爻変は却って図の窮尽し得べき所に非ざれば、只好く略々一図を画きて意を示すのみにして、読者は意を以て会取すれば則ち是れなり。

爻分陰陽奇偶二者而已。卦有六爻,乾坤十有二爻而已。一爻變至二三四五六爻俱變,一卦之變,六十有四,四千零九十六而已。四千九十六,亦烏足盡萬事萬物之變哉!故爻之變,有時有位,有主有應,有物有事,而數與象,猶不預焉。

爻の分別は、不過陰陽・奇偶の両様なるのみ。一卦六爻にして、乾坤合わせてもただ十二爻に過ぎず。一爻変より一直に二・三・四・五・六爻全変に至るまで、一卦は変じて六十四種を出すべくして、六十四卦相乗して合わせて四千零九十六種にして、かくのごとくのみ。四千零九十六種は、また怎でか万事万物の変化を窮尽するに够(た)らんや!ゆえに爻の変は、還た時を看・位を看て、誰か主を為し誰か応を為すかを看て、指す所は物なるか抑も事なるかを看るを要す。而して此れは還た未だ数と象との両項を把りて算え入れざるなり。

如同一卦也,卦不變,爻亦不變。而時與位六者有一變,則利害情偽,已迥乎不同,此不變之變一也。更有爻不變而象數已變者,如七與九,皆陽也。六與八,皆陰也。七八易九六,爻之陰陽如故,而數與象,均各不同。此不變之變二也。

譬えば同じく一個の卦にして、卦は変ぜず爻もまた変ぜずと雖も、然れども時・位・主・応・物・事の此の六項の裏はただ一項変ずるのみあれば、利害真偽はすでに大いに相同じからず。これは第一種の「変らざるの変」なり。還た一種有りては爻は変ぜずと雖も而して象数はすでに変じたるなり。七と九とは同じく陽に属し、六と八とは同じく陰に属して、七・八を把りて換えて九・六と為せば、爻の陰陽は依然として老様子なるも、然れども数と象とは皆各々相同じからず。これは第二種の「変らざるの変」なり。

故《易》曰:動則變,變則通。動之機甚多,不必爻之動而卦始變也。朱子曰:“坤初之變為復,非頓然而變也。自小雪起,一日變一分,至冬至而始成復之一爻。”知言哉!惟其變由微而顯,由顯而著,至見於象,而陰陽始判,吉凶始見耳。僅知卦爻之變,而不知不變之變,不足以言卦,不足以言爻,並不足以言變也。

ゆえに《易》曰く、動けば会して変じ、変じて始めて通ずと。「動」を触発するの機縁は甚だ多くして、並びに非ざるに爻動するを等たずして卦は始めて変ず。朱熹曰く、坤卦初爻の変じて《復》と成るは、並びに忽然として一下子変じ成るに非ずして、而して小雪より起こりて一天一分を変じて、冬至に到りて始めて《復》卦のあの一根の陽爻を凑成すと。この話は真に点子上に説き到れり。正に変は細微より顕現に至り・顕現より彰著に至りて、一直に象の上に落ち至れば、陰陽は始めて分かち開かれ、吉凶は始めて見え得べし。ただ卦爻の明面上の変を知りて、而してあの種の「変らざるの変」を知らざれば、則ち卦を談ずるに足らず・爻を談ずるに足らず、もまた変を談ずるに足らざるなり。

上圖略舉其例,非事物之必初上,主應之必二五。六爻皆具此六者,而六者又各有變化之不同。如今昔時也,盛衰亦時也,月建日符亦時也。位則有方位,有地位,有貴賤之位。千態萬狀,何可數限?但概之以動,察之以幾,知幾其神,而《易》始可言矣。

上面のあの幅の図はただ略々其の例を挙げたるのみにして、並びに「物」「事」は必定初爻と上爻に落ち、「主」「応」は必定二爻と五爻に落つと説くに非ず。六個の爻は皆同時に時・位・主・応・物・事の此の六項を具備して、而して此の六項はまた各々不同の変化有り。「時」に就いて言えば、今と昔とは時にして、盛と衰ともまた時にして、月建・日符は同様に時なり。「位」に就いて言えば、方位有り、地位有り、還た貴賤の位有り。千姿万態にして、何処でか数え清むるを得んや。ただ一概に一個の「動」の字に帰結して、あの剛く萌動せる「幾」を用いてそれを体賽するのみなり。《繋辞》曰く「幾を知るや其れ神なるかな」、能く幾を知りて、然る後始めて《易》を講ずるに足るなり。

爻辰第十五

先天八卦,以陰陽升降,應日月之晦朔弦望,於是乎有納甲。因而重之,為六十四卦。卦有六爻,卦納乾而爻納支,於是乎有爻辰。辰者天度十二宮之次舍。而地支之十二,與天度相應者也。

先天八卦は陰陽の升降に按じて、月亮の晦・朔・上弦・下弦・望の盈虧変化に対応して、是に於て「納甲」有り。経卦を把りて兩兩相重して六十四卦と成し、毎卦六爻にして、卦は天干に配して爻は地支に配して、是に於てまた「爻辰」有り。所謂「辰」とは、周天十二宮の位次舍所にして、地支十二個は正に此の十二個の天度と一一相応す。

漢人言爻辰者,有鄭氏,有京氏,其說不同。鄭氏以乾陽坤陰,十二爻順逆交錯,以應十二月。而又以六十四卦之爻,合乾坤,分二十八宿之度數、星象合卦爻之象,以釋經。其書久佚,僅自《李氏集解》,及各經註疏採集其說,但存其梗概而已。有清戴氏棠,據《甘石星經》、《開元占經》等書,按六十四卦之《彖》、《象》、《繫辭》,有以星象名義,或形似相類,援鄭例而補之,名《爻辰補》。然於經義象數,均未有當,無足採焉。

漢代爻辰を講ずるは鄭玄・京房の両家有りて、説法各々相同じからず。鄭玄は乾を以て陽と為し坤を以て陰と為して、両卦の十二爻を把りて一順一逆交錯排して、用て一年十二箇月に対応せしめ、また六十四卦の爻を乾坤に合して、二十八宿の度数を分配して、星象を拿りて卦爻の象に配合して、拠りて経文を解釈す。彼の此の部の書は早くもすでに散佚して、如今ただ李鼎祚《周易集解》および各経注疏の引く中より些かを輯むるを得るのみにして、僅かに一個の梗概を存するのみなり。清代の戴棠は《甘石星経》《開元占経》の一類の星暦書に依拠して、六十四卦の《彖伝》《象伝》《繋辞》を通じて一遍検ぬして、凡そ星象の名義有りて対応し得るか、あるいは形状相似にて比附し得るものは、一律に鄭玄の成例を援用して補え入れて、《爻辰補》と取名せり。可惜経義と象数との両方面より看れば、彼の補える所は皆甚だ妥当ならずして、採録に値せず。

京氏納辰為古今術家所遵用,證之於《彖》、《象》十翼,多能相合。有與經義相發明,為經學家所不能道者。始知黃帝五甲六子三元九宮,實探陰陰造化之秘,明天人之際。以濟世利民者,固不僅卜筮之用也。

京房の納辰の法は、古往今來の術数家は皆遵照して沿用す。《彖伝》《象伝》および《十翼》を拿りて印証せば、多数皆能く相合して、其の中還た能く経義と互相発明して、而して経学家の講じ出せざるの処有り。此に由りて始めて知る、黄帝に託名する「五甲」「六子」「三元九宮」のあの一套は、確かに陰陽造化の秘奥を探究し・天人の間の関係を闡明して、用て世を濟い民を利するにして、本来ただ拿りて卜筮するのみに非ず(「陰陰」は当に「陰陽」と作るべし)。

康成生於漢季,施、孟、梁丘之《易》,已多失傳。獨費氏,因其說簡約而獨存。康成亦有所不足,故採取殘缺之緯書,兼及五行律曆星象,以釋卦爻,固費《易》之所無,或亦三家之遺義也。惜其書又亡。致三代之《易》,不能盡見於今。猶幸京《易》雖亡,而八宮世應納音納甲之數,猶得貫通,得與《周易》相參證。乃學者又畏其繁瑣,目為蕪穢,必盡棄之,以自詡擴清之功,《易》道又何自明哉!

鄭玄(字は康成)は東漢末年に生る。あの時施讐・孟喜・梁丘賀三家の《易》はすでに大半失伝するも、唯だ費直の一派は講法の簡約なるを以て独り留存せり。鄭玄もまた費氏《易》の不足する所有ると覚えて、所以に残缺的の緯書を採取して、兼ねて五行・律暦・星象を取りて以て卦爻を解釈す。これらは固然費氏《易》の無き所にして、あるいは正に施・孟・梁丘三家の遺留せる義理ならん。可惜彼の書は後来もまた亡佚して、以致て三代の《易》学は能く完整地に保存して今天に至る能わず。幸なるかな、京氏《易》はすでに亡佚するも、八宮・世応・納音・納甲の此の一套の数目は仍(な)ほ能く貫通して、還た拿りて《周易》と互相参証す可し。偏えに学者はまた其の繁瑣を嫌い、それを把りて蕪雑汚穢の東西と看為して、非ずと一掃して空しくせんとし、還た自ら廓清の功有りと誇る――かくのごとくして、《易》道はまた何を靠りて彰明せんや。

京氏六爻納辰図

卦納甲而爻納辰,京氏以陽順陰逆,交錯為用。以乾坤為綱,六子分乾坤之爻,以次相推。仍以本宮為體,而六爻所納之支,視其與本宮生克,以為親疏遠近利害之分。圖如下:

卦は天干に配し爻は地支に配して、京房は「陽順陰逆」の原則を用いて交錯して取用す。乾坤両卦を以て綱領と為して、六子卦は分かちて乾坤の爻を取りて、依次に往下して推排す。仍ほ本宮を以て体と為して、再看六爻の納する所の地支と本宮の五行とは相生なるか相克なるか、此に拠りて親疎遠近と利害吉凶とを分出す。図は下面に列す。

陽卦納陽,於陽支皆順行。陰卦納陰,於陰支皆逆行。乾內納甲,外納壬,支起子,子寅辰午申戌順行。坤內納乙,外納癸,支起未,未巳卯丑亥酉逆行。陰陽交錯,以相合為用者也。

陽卦は陽干を納して、配する所の陽支は一律に順いて数え、陰卦は陰干を納して、配する所の陰支は一律に逆いて数う。乾卦の下卦は甲を納し上卦は壬を納して、地支は子より起り、初爻より上爻に至るまで依次子・寅・辰・午・申・戌にして、全部順行す。坤卦の下卦は乙を納し上卦は癸を納して、地支は未より起り、依次未・巳・卯・丑・亥・酉にして、全部逆行す。陰と陽と交錯して排布して、彼此相合するを以て用と為す。

故乾生震,震為長子。長子代父納庚,而六爻之支,與乾全同。子寅辰午申戌皆順行也。坎中男,得乾中爻,乾內中寅,坎納戊,故初爻自寅起,為戊寅,戊辰,戊午,戊申,戊戌,戊子也。艮少男,得乾之上爻。乾內三辰,艮納丙,故初爻自辰起為丙辰,丙午,丙戌,丙子,丙寅也。

ゆえに乾は震を生じ、震は長子なり。長子は父に代わりて事を行い、納干は庚と為して、而して六爻の納する所の地支は乾と完全相同じくして、子・寅・辰・午・申・戌にして、一律順行す。坎は中男にして、得る所は乾の中爻にして、乾の下卦の中間のあの一爻は寅を納し、坎の納干は戊と為して、ゆえに坎の初爻は便ち寅より起り、依次戊寅・戊辰・戊午・戊申・戊戌・戊子なり。艮は少男にして、得る所は乾の上爻にして、乾の下卦の第三爻は辰を納し、艮の納干は丙と為して、ゆえに艮の初爻は便ち辰より起り、依次丙辰・丙午・丙申・丙戌・丙子・丙寅なり(原文は「丙申」の一位を脱せり)。

坤生長女為巽,長女代母,而納不起於丑,而起於未,與震襲乾不同者,此男女之別,陰陽之分。女以出為歸,故自內出外。由四爻起未,五巳上卯,而反至初為丑二為亥三為酉也。離為中女,得坤中爻,故於外中五爻起未。兌為少女,得坤上爻,故於外上起未,皆未巳卯丑亥酉,與巽同例也。季彭山不知陰陽之別,妄改坤起乙丑。又有不分陰陽,不知本末,妄改乾為甲子,甲戌,甲午,甲寅,甲辰者,皆絕無意義。學者不可好奇喜新,為所誤也。

坤の生ずる所の長女は巽にして、長女は母に代わりて事を行うも、然れども其の納支は丑より起らずして未より起りて、震の完全に乾の排法に沿襲すると同じからず、此れ正に男女の別・陰陽の分なり。女子は出嫁を以て帰宿と為せば、ゆえに自ら内より出でて外に至るを要す。巽は第四爻より未を起り、第五爻を巳と為し、上爻を卯と為し、然る後折れ頭して返りて、初爻を丑と為し・二爻を亥と為し・三爻を酉と為す。離は中女にして、得る所は坤の中爻にして、ゆえに外卦の中間・即ち第五爻に於て未を起す。兌は少女にして、得る所は坤の上爻にして、ゆえに外卦の最上の一爻に於て未を起す。三卦は皆未・巳・卯・丑・亥・酉の此の一串にして、巽と例を同じくす。明代の季本(号は彭山)は陰陽の分別を懂らずして、胡乱に坤を改めて乙丑より起らしめ、また人有りて陰陽を分たず・本末を辨ぜずして、乾を胡乱に甲子・甲戌・甲午・甲寅・甲辰の類に改めたるは、皆毫も意義無し。学者は奇を貪り新を好むべからずして、これらの説法に耽誤せらるるなかれ。

六十四卦,八純卦外,一世至六世,皆取本宮納甲。見者為飛,不見者為伏。游魂歸魂十六卦,不取本宮為伏。分舉爻位如下:晉以艮為伏,而取艮四爻者,以游魂仍為四爻變。而晉上之離,由剝上之艮變來者也。故不以本宮不以對宮而取艮。大有下卦之離,由晉下卦之坤變來者也。歸魂為三爻,故取坤三。餘卦仿此。

六十四卦の中、八個の純卦を除く以外、一世より六世に至る卦は皆本宮の納甲を取る。露れて外面に在りて見え得るを「飛」と為し、蔵れて裏面に在りて見えざるを「伏」と為す。遊魂・帰魂の此の十六卦は則ち本宮を取りて伏と為さず。現に分かちて其の爻位を挙げて如左にす。《晋》卦は艮を以て伏と為し、而且艮の第四爻を取るは、遊魂は仍ほ第四爻より変じ来るを以てなり。《晋》卦の上面の離は、《剥》卦の上面の艮より変じ来れるにして、ゆえにそれは既に本宮を取らず・もまた対宮を取らずして、而して艮を取る。《大有》の下卦の離は、《晋》卦の下卦の坤より変じ来れるにして、帰魂は第三爻に変ずれば、ゆえに坤の第三爻を取る。其余の各卦は此に依りて類推す。

鄭氏爻辰氏爻辰図

鄭氏爻辰,亦以陰陽六爻,相間用事。乾辰子寅辰午申戌,其次與京氏同,而坤則為未酉亥丑卯巳與京氏異。蓋陰陽雖間一位,而皆順行。蓋以十二律相生為據也。他卦分乾坤之爻,亦分乾坤之辰,不論納甲。

鄭玄の爻辰もまた、陰陽六爻を譲りて位を隔てて轮流して当値せしむ。乾の六爻は子・寅・辰・午・申・戌に配して、此の次序は京房と相同じ。坤は則ち未・酉・亥・丑・卯・巳に配して、京房と同じからず。鄭玄は同様に一位を隔てて一支を取るも、然れども乾坤両卦は一律順行するを以てなり(京房は則ち坤逆行なり)、彼の依拠する所は十二律相生の次第なり。其余の各卦は乾坤の爻を分かち得れば、便ち就いて乾坤の辰を分かち得て、納甲を講ぜず。

爻征第十六

徵者,用之見乎外者也。壽陽閻氏《爻徵廣義》,詳於鄭氏爻辰,殊於實用無征焉。六爻制用,肆應不窮,皆以五行陽干陰支為綱領,以生克刑害少壯盛休廢類別去取,以征吉凶。以其與卦爻象數,相為統系,足以推六十四卦變化往來之跡。且有與經傳互相發明者,亦初學所不可不知者也。爰取《京氏易》與《易緯》諸書之著錄者,分隸六爻,徵爻用,亦以存古義也。至推演條理,今密於古,術家所習用,更毋庸備述焉。

所謂「征」とは、指す所は「用」の外面に顕現せるあの種の験証なり。山西寿陽閻氏の作る所の《爻征広義》は、鄭玄の爻辰を講じて甚だ詳細なるも、然れども実際の応用の上には却って何を験し出すを得ず。六爻の制用は、応接して無窮にして、皆五行および陽干・陰支を以て綱領と為して、生・克・刑・害および少・壮・盛・休・廃のこれらの状態に按じて分類して取捨して、拠りて吉凶を験証す。其の卦爻の象数と彼此貫串して一個の系統と成るを以て、六十四卦の変化往来の軌跡を推出するに足り、而且ある処は還た能く経伝と互相発明して、此れ初学者の知らざるべからざる所なり。此に因りて《京氏易伝》と《易緯》の諸書の著録する所の内容を選取して、分かちて六爻の下に繋属して、用て爻の功用を験証して、もまた古義を保存すると算ず。至りて推演の条理は、今天古代より精密にして、あれらは皆術数家の慣用する所にして、便ち一一に詳述するを要せず。

六親

京氏曰:“八卦鬼為繫爻,財為制爻,天地為義爻,福德為寶爻,同氣為專爻。”此五者,今術家謂之六親(親者,族也。《易》曰“類族辨物”,先辨諸爻。),蓋與本身為六也。相傳甚古,義簡而賅,言占者所不能廢。

京房曰く、八卦の中、「鬼」は系爻と称し、「財」は制爻と称し、「天地」は義爻と称し、「福徳」は宝爻と称し、「同気」は専爻と称すと。此の五項は、今天の術数家は「六親」と叫ぶ(「親」とは則ち族類なり。《同人・象伝》曰く「君子は以て類族し物を辨ず」、首先各爻の上に於て分辨し清むるを要す)、本身を加えて正に六個に凑成するを以てなり。此の套の名目は相伝えて甚だ古くして、含義は簡明にして賅備して、占卦を講ずる人はそれを廃棄する法無し。

朱子《周易本義》,以周孔之《易》為教人卜筮之用,而焦京之言卜筮者,反悉廢之,僅以六爻之動靜為占,宜其無徵驗之可言也。茲以京說為主,而以近世皆用者附之。非敢謂援古證今,亦發其凡而已。

朱熹は《周易本義》を作りて、周公・孔子の《易》を説きて是れ人に卜筮の用を教うると為すも、然れども焦延寿・京房のこれらの真に卜筮を講ずる人の立てる所の法に対しては、反って一概に廃棄して、ただ六爻の動静に凭りて占うのみにして、無怪や何の応験あると談ずるに足らざるなり。此処は京房の説法を以て主と為して、再把近世通行の名目を後面に附す。敢えて是れ援古して今を証すと説かず、不過凡を発し例を起こすのみなり。

專爻一,同氣為專爻。陸績曰:同氣兄弟也,如金與金,木遇木之類。今稱兄弟。寶爻二,福德為寶爻。福德子孫也。我所生者也。如金與水,水與木是也。今稱子孫。義爻三,天地為義爻。天地父母也,生我者也。如木為水生,水為金生。今稱父母。制爻四,財為制爻。財者我所制也。如木克土,土為木之財是也。今稱妻財。繫爻五,鬼為繫爻。繫者束縛之意,制我者也。如火克金,火即金之鬼也。今稱官鬼。

此れ一張の展平せる六親対照表にして、原来五行に分作して、毎行依次に京房の旧名・釈義・三国呉人陸績の注解、および今天術数家の通称を列す。第一、専爻、即ち「同気を専爻と為す」――陸績曰く、同気とは則ち兄弟にして、例えば金は金に遇い・木は木に遇うの類にして、今天は「兄弟」と称す。第二、宝爻、即ち「福徳を宝爻と為す」――福徳とは則ち子孫にして、是れ我が生ずる所の一方にして、例えば金は水を生じ・水は木を生ずるにして、今天は「子孫」と称す。第三、義爻、即ち「天地を義爻と為す」――天地とは則ち父母にして、是れ我を生ずる一方にして、例えば木は水に生ぜられ・水は金に生ぜらるるにして、今天は「父母」と称す。第四、制爻、即ち「財を制爻と為す」――財は我の能く制服する所にして、例えば木は土を克せば、土は便ち木の財にして、今天は「妻財」と称す。第五、系爻、即ち「鬼を系爻と為す」――「系」は束縛の意思にして、指す所は我を制する一方にして、例えば火は金を克せば、火は便ち金の鬼にして、今天は「官鬼」と称す。

五者與本身為六。今稱六親者,義亦近古。親者族也。類族辨物,舉一起例,凡言兄弟,則比肩者可類;言子孫,則後我者可類;言父母,則庇我者皆其類;言妻財,則奉我者皆其類;言官鬼,則制我害我者皆其類。遠近不同,則親疏自異。而為利為害,爰有重輕之別。是在察其爻之所在,而鑑別之,非可概論也。

此の五項に本身を加えて六を合成して、今天は「六親」と称作して、取義もまた頗る古に近し。「親」とは則ち族類なり。所謂「類族辨物」とは、一例を挙げて通例を立つるなり。凡そ「兄弟」と説かば、一切我と并肩して同列するは皆此の一類に帰入す可く、「子孫」と説かば、一切我の後に排するは皆此の一類に帰入す可く、「父母」と説かば、一切我を庇護するは皆此の一類に属し、「妻財」と説かば、一切我を供養するは皆此の一類に属し、「官鬼」と説かば、一切我を制約し・我を損害するは皆此の一類に属す。関係は遠有近き有りて、親疎は自然同じからずして、是れ利を得るか害を受くるかは、便ち軽重の分別有り。此れあの一爻の何の位置上に落つるかを看て分辨するを要して、一概に論ずる能わざるなり。

六神

神(神者存也。成性存存,陰陽不測,假定其名,亦猶類族辨物之意也。)也者,妙萬物而為言。過化存神,有非可以跡象求之者。六親征其實,六神徵諸虛。周流六虛,無乎不在。渺焉漠焉,將何從徵?曰陰陽之氣,布為五行,其幾甚微。《傳》曰:“本於陰陽而立卦,陰陽變化,而神寓也。”此六爻之神所由名,要非泥其名以為實者也。

「神」の此の個の字は(所謂神とは、則ち「存」なり。《繋辞》曰く「性を成し存存たり」、陰陽変化は測度すべからずして、姑くそれに為に名目を安んずるに、もまた「類族辨物」のあの様の分辨に便りするのみ)、《説卦伝》の講法に按じれば「万物を妙にして言を為す者なり」。《孟子》曰く「過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり」、見ゆべし本来より形跡を靠りて追い得るに非ざるの東西有るを。六親の験証するは実の一面にして、六神の験証するは虚の一面なり。神は六虚の中に周流して、処に在らざる無くして、然れども渺渺茫茫として、また何処より験証せんや。回答は曰く、陰陽の気は布散して五行と成りて、其の萌動の機は極めて細微なり。伝文は「陰陽に本づきて卦を立て、陰陽変化して神は其の中に寓る」と曰う――此れ即ち六爻の神の名を得るの縁由にして、要紧なるは名目に拘泥するべからずして、それを把りて実に其の物有ると當てるなかれ。

震東方木,木之神青龍,甲乙日起青龍。離南方火,火之神朱雀,丙丁日起朱雀。兌西方金,金之神白虎,庚辛日起白虎。坎北方水,水之神玄武,壬癸日起玄武。坤艮中央土,土之神勾陳螣蛇,戊己日起勾陳騰蛇。

此れ一張の展平せる六神配属表にして、卦・方位・五行・神名と起神の日とを把りて一一対応す。震は東方に在りて木に属して、木の神は青竜にして、甲・乙の日に逢えば便ち青竜より起りて排す。離は南方に在りて火に属して、火の神は朱雀にして、丙・丁の日に逢えば便ち朱雀より起りて排す。兌は西方に在りて金に属して、金の神は白虎にして、庚・辛の日に逢えば便ち白虎より起りて排す。坎は北方に在りて水に属して、水の神は玄武にして、壬・癸の日に逢えば便ち玄武より起りて排す。坤・艮は中央に居りて土に属して、土の神は勾陳と螣蛇とにして、戊・己の日に逢えば便ち勾陳・螣蛇より起りて排す。占卦の時は当日の天干に按じて起首の神を定め出して、再び依次に六爻の上に装配す。

《傳》曰:“前朱雀而後玄武,左青龍而右白虎。”古者五行各有專官,官世其守,功德在民,民不能忘。即假人名以神號,舉其名知其用,所以便事也。吉凶神煞之名,皆此類也。必求其人以實之,愚也。必妄其名而斥之,亦詎足為智哉!六壬、太乙、遁甲之言神,舉可隅反矣。

《礼記・曲礼》曰く、「前朱雀にして後玄武、左青竜にして右白虎」と。古時五行は各々専職の官員有りて、官職は世代相守して、功徳は百姓の身上に留まりて、百姓は彼らを忘れ得ずして、是に於てこれらの人の名字を借りて神号に充当す。一たび名字を提げれば便ち其の何の用を管するかを知りて、かくのごとく事を弁ずるに方便なり。吉凶神煞の種種の名目は、皆此の一類に属す。非ずと実に其の人有るを考え出して以て坐実せんとするは、是れ愚蠢なり。反って一口にこれらの名目は全く虚妄に属すと咬定して以て駁斥するは、豈に聪明と算さんや。六壬・太乙・遁甲の裏に講ずる所の各種の神は、皆此の道理に照らして一を挙げて三を反る可し。

六属

六屬者以五音分屬六爻,即本於納音。納音與納甲相表裡。屬之於爻,仍隨八卦之納甲以定其數也。舉例如下:

所謂「六属」とは、宮・商・角・徵・羽の五音を拿りて分かちて六爻の上に配属するにして、根子は便ち「納音」に在り。納音と納甲とは互いに表裏を為して、五音を把りて爻の上に繋属する時は、仍ほ八卦の納甲に随いて其の数を確定するを要す。例を挙げて如左にす。

納甲配支表

子午屬庚,震初爻也,庚子午。

此の一行は「六属」配属表の第一条なり。所謂「六属」とは、五音を把りて六爻の上に分配するにして、其の根拠は仍ほ「納甲」なり。震卦は通卦天干「庚」を納して、其の初爻は地支「子」に配して、第四爻は地支「午」に配して、ゆえに子・午の两支は庚に帰属して、写し出せば便ち「庚子」「庚午」なり。表中のただ初爻を挙ぐる所以は、初爻は一卦の納支の起点なるを以てなり。陽卦は自ら初爻より起りて順行して、毎に一位を隔てて一支を取りて、数えて第四爻に到れば恰好初爻と相隔たること六位にして対冲と成るを以て、ゆえに一個の天干は正好く両個の相冲する地支を統住す。

卯酉屬己,離初爻也已,卯酉。

卯・酉の两支は天干「己」に帰属して、説く所は離卦なり。納甲の法は八卦を以て十干に分納して、乾坤は父母と為して各々两干を占めて、六子卦は各々一干を占めて、離の分かち得る所は正に「己」なり。離は陰卦にして、納支は自ら初爻より起りて逆行す。初爻己卯・二爻己丑・三爻己亥・第四爻己酉にして、ゆえに初・四の两爻は恰も卯と酉とを得て、写して「己卯」「己酉」と作す。表中の第三欄は「已」と刻するは、「己」の形近の誤なり。

寅申屬戊,坎初爻也,戊寅申。

寅・申の两支は天干「戊」に帰属して、説く所は坎卦なり。坎は陽卦にして、納干は「戊」を得て、離卦の「己」と正好く十干の中の居中の一対の土干にして、一は北に在り一は南に在りて、恰も坎離の日月と為し・中気と為すの卦位に合す。坎の納支は自ら初爻より起りて順行す。初爻戊寅・二爻戊辰・三爻戊午・第四爻戊申にして、ゆえに初・四の两爻は寅と申とを得て、写して「戊寅」「戊申」と作して、寅申は相冲して、仍ほ一干は两支を統ぶ。

辰戌屬丙,艮初爻也,丙辰戌。

辰・戌の两支は天干「丙」に帰属して、説く所は艮卦なり。艮は陽卦にして、納干は「丙」を得。其の納支は同様に自ら初爻より起りて順行して、一位を隔てて一支を取る。初爻丙辰・二爻丙午・三爻丙申・第四爻丙戌にして、ゆえに初・四の两爻は正に辰と戌とを得て、写して「丙辰」「丙戌」と作す。辰戌は四庫の中の两土にして、艮の山と為し・止と為し・土と為すの卦徳ともまた相応す。

巳亥屬丁,兌初爻也,丁巳亥。

巳・亥の两支は天干「丁」に帰属して、説く所は兌卦なり。兌は陰卦にして、納干は「丁」を得て、納支は自ら初爻より起りて逆行す。初爻丁巳・二爻丁卯・三爻丁丑・第四爻丁亥にして、ゆえに初・四の两爻は巳と亥とを得て、写して「丁巳」「丁亥」と作す。既に「六属」と名づくれば、本来六条有るべきに、此処ただ震・離・坎・艮・兌の五卦を列す。缺する所の一条は巽卦にして――巽は「辛」を納して、初爻辛丑・四爻辛未にして、即ち「丑未は辛に属す」にして、伝本は脱去せり。

不言乾坤,六子之爻,皆乾坤之爻也。《說卦》“神也者”一章,不言乾坤,非特六子之用,皆乾坤之用。而所謂神者,即乾坤之陰陽不測,周流六虛者也。納音之說似淺而實深。精微之理,非可以跡象求之。

上表はただ震・離・坎・艮・兌を列して而して乾・坤を提げざるは、六個の子卦の爻は本来乾・坤両卦の爻の分化より来れば、六子を講ずれば乾・坤もまた其の中に在るを以てなり。《説卦》の裏の「神なる者は、万物を妙にして言を為す者なり」のあの一章は同様に通篇乾・坤を提げずして、用うる所は正に同一の筆法なり。あの一章の講ずる所は並びにただ六子の功用なるのみに非ずして、其の実処処皆乾・坤の功用なり。所謂「神」とは、指す所は乾・坤二気の陰陽変化の測度すべからざる・六爻虚位の間に周流するあの種の作用なり。「納音」の此の套の説法は看るに浅近なるも、其の実極めて深くして、其の中精微の道理は、単に表面の形迹象数に凭るのみにて便ち求め得る所に非ず。

謂之音者,乾坤爻辰左行右行。間辰六位,即六律六呂,相生之所本,故以分屬六爻,各納其辰,而謂之納音。今術家占筮推演及風角堪輿諸家,均不能廢納音以為言,而莫知其所由來。因備六爻所屬,並列《內經》及揚子雲、抱朴子諸家之圖於後,庶閱者可悉其始末矣。

之を「音」と称する所以は、乾卦の爻辰は左に向かい順行し・坤卦の爻辰は右に向かい逆行して、両辺彼此相間じて各々六位を隔てて、此れ正に「六律」「六呂」の十二律相生の根拠なり。此の十二律を把りて六爻の上に分派して、毎爻各々一辰を納して、ゆえに「納音」と叫作す。如今占筮の術士の推演する卦爻、および風角を看・堪輿を看るの各家は、誰も納音を離れて説を立つる能わずして、却って其の来歴を説き清むる人無し。此に因りて杭氏は此処に於て六爻各自の所属を備列して、又把《黄帝内経》および揚雄・葛洪の几家の図式を後面に附して、読者をして此の套の学説の来竜去脈を把りて明白に看せしめんと好む。

納音始於黃帝,今《內經》所載最詳。京氏六十律與甲子分配,自是古法。蓋以一律納五音,十二律納六十音。《內經》五音,始於金,傳火傳木傳水傳土。陽律陰呂,隔八相生。葛稚川曰:“一言得之者,宮與土(所屬者即一言而得)。三言得之者,徵與火(如戊去庚三位,故曰三言。下仿此)。五言得之者,羽與水。七言得之者,商與金。九言得之者,角與木。故子午九,丑未八,寅申七,卯酉六,辰戌五,巳亥四也。”

納音の法は黄帝の世に起りて、今天保存の最も詳細なるは《黄帝内経》なり。京房は六十律と六十甲子とを把りて相配するは、本来古法なり。其の弁法は一律は五音を統領して、十二律は便ち六十音を統出す。《内経》の排する所の五音は、金より頭を起して、依次に火を伝え・木を伝え・水を伝え・土を伝う。十二律の中陽なる者は「律」にして陰なる者は「呂」にして、彼此八位を隔てて相生す。葛洪は《抱朴子》の中に曰く、一言にして得る所は「宮」と土とにして(本位の所属にして、一たび口を開けば便ち得れば、ゆえに一言と称す)、三言にして始めて得る所は「徵」と火とにして(例えば戊より数えて庚に到るに三位を隔てれば、ゆえに三言と叫び、以下は類推す)、五言にして得る所は「羽」と水とにして、七言にして得る所は「商」と金とにして、九言にして得る所は「角」と木とにしてと。ゆえに子午の数は九にして、丑未は八にして、寅申は七にして、卯酉は六にして、辰戌は五にして、巳亥は四なり。

揚子雲《太玄》以火土木金水為序,與《內經》不同。甲子乙丑金者,言甲乙子午其數九,乙庚丑未其數八,甲乙子丑積數三十四,以五除之餘四,故為金。

揚雄《太玄》の排する五行は火・土・木・金・水の次序を用いて、《内経》の金より頭を起すと同じからず。至りて「甲子乙丑」の納音の金に属するを説かば、是れかくのごとく算す。甲・己と子・午とは一組にして其の数は九にして、乙・庚と丑・未とは一組にして其の数は八にして、甲・乙・子・丑の四字の数を把りて累積して起きて共に三十四にして、五を用いて之を除して四を余して、四は五行に於て金なれば、ゆえに甲子乙丑の納音は金に属す。(原刻は此処に「甲乙子午」「乙庚丑未」と作して、前の一処の「甲乙」は当に下文に依りて「甲己」と作るべくして、是れ伝写の誤なり。)

餘仿此數,列右圖。按:甲己子午九,乙庚辛未八,丙辛寅申七,丁壬卯酉六,戊癸辰戌五,巳亥四(己亥對宮亥空為虛,己與虛對為孤,己亥者孤虛之數也。)。

其余の各組は皆此の数目に照らして類推す。杭氏の原書は右図を列するも、今の伝本はすでに脱せり。杭氏自ら按語して曰く、甲・己と子・午とは九に配し、乙・庚と丑・未とは八に配し(原刻は「辛未」と作すは、当に「丑未」の誤と為すべし)、丙・辛と寅・申とは七に配し、丁・壬と卯・酉とは六に配し、戊・癸と辰・戌とは五に配して、巳・亥は則ちただ四に配するのみにて而して別に天干を出さずと。何以かくのごとくなるや。己と相対するあの一宮は亥にして、亥位は空いて便ち「虚」と称されて、己は「虚」と相対して便ち「孤」と成れば、ゆえに「己亥」は正に孤虚の数にして、其の数は独り少なきなり。

黃梨洲先生《象數論》所評議者,頗多未當。其謂甲子乙丑金者,甲九子九,乙八丑八,積三十四,以五除之餘四故為金。其數則是,其術則非也。故於丙寅丁卯,丙七寅七丁六卯六積二十六,以五陰之餘一故為火,便不成文矣。金四為一當為水,何以為火?而猶曰餘準此將無一能合者矣。

黄宗羲は《易学象数論》の裏に於て納音に対する評議は、多くの処甚だ妥当ならず。彼は甲子乙丑の金に属する所以は、甲は九を得・子は九を得・乙は八を得・丑は八を得て、合わせ起きて三十四にして、五を用いて之を除して四を余せば、ゆえに金に属すと曰う。此の得数は固然錯り無きも、然れども彼の用うる所の算法は却って錯りなり。ゆえに一たび丙寅丁卯に到れば便ち講じ通ぜず。丙は七・寅は七・丁は六・卯は六にして、合わせ起きて二十六にして、彼は五を用いて之を除して一を余して、便ち火と断ずるは、此の話は根本話と成らず。既に余四は能く金と算せらるれば、あの処同じ一条の例に按じて余一は水と算すべきに、何を憑りて火と算せんや。彼は却って還た「其余は此に照らして類推す」と説くは、かくのごとくすれば便ち一条として対え得上ぐる無し。

蓋納音得數之算法,當以大衍為本。以大衍之數五十去一,除去甲己子午之積數,餘則以五除之,得一則屬水,水生木,其納音為木。丙寅丁卯之為火,當以積數二十六,除大衍五十去一,餘二十三,以五除之餘三,屬木,木生火,故納音為火。甲子乙丑之積三十四,以除大衍去一餘五,五屬土,土生金。非三十四餘五餘四之謂也。

其の実納音の数を求むるの算法は、当に「大衍の数」を以て根本と為すべし。大衍の数五十を取りて再び一を減じて、四十九を得て、甲己子午の一類の積数を拿りてそれを減じて、余る所の数を再び五を用いて之を除す。一を得れば便ち水に属して、水は能く木を生じて、納音は便ち木と定まる。丙寅丁卯の納音の火に属する所以は、当にかくのごとく算すべし。積数二十六にして、四十九を用いてそれを減じて二十三を余して、再以て五に除して三を余して、三は五行に於て木にして、木は能く火を生ぜば、ゆえに納音は火と為す。甲子乙丑の積数は三十四にして、同様に先ず大衍の一を去る数を減じて、余る所以て五に之を推して五を得て、五は五行に於て土にして、土は能く金を生ぜば、ゆえに納音は金と為す。関鍵は「先ず大衍を減じ・再び生ずる所を取る」に在りて、而して黄氏のあの様の直接三十四を拿りて五に除して・余五余四如何如何を説くが如くに非ず。

納音納甲,與天干地支,皆始於黃帝。蓋自伏羲畫卦,利用宜民,至神農黃帝,文明日進,變化益繁。非單純八卦之象數所能濟用,故益之以陰陽五行。天五地六,迎日推歷,布算測地,以盡八卦之用。所謂“窮則變,變則通,通則久”。

納音・納甲の此の两套の法は、連ねて天干地支の本身も、皆黄帝の世に起る。伏羲の卦を画き・民に利用厚生を教えしより以來、神農・黄帝の時代に到るまで、文明は一天一天進歩して、事物の変化もまた一天一天繁複して、単に八卦本身のあの点の象と数とを靠るのみにてすでに応付するに足らずして、是に於て八卦の外にまた陰陽五行を添え入れり。「天五」「地六」を以て綱と為して、日影に迎えて暦法を推定して、筹を布きて演算し・地形を測量して、八卦の功用を把りて極処に発揮す。此れ正に《繋辞伝》の説く所の「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通じ、通ずれば則ち久しき」なり。

納甲取先天,法象乎日月,仰以觀於天文也。納音以先天合後天,取數於陰陽十二消息,以布五行,俯以察於地理也。故京孟之《易》,悉本於此。朱元升《三易備遺》推衍納音最詳,巳亥數伏,一六相合,以為即《歸藏》之數,非無見也。

「納甲」の取る所は先天卦位にして、取法は日月の出没盈虧に於てして、「仰ぎて以て天文を観る」の《繋辞伝》の説く所に属す。「納音」は則ち先天と後天とを把りて合わせて用いて、陰陽十二消息卦の中より数を取りて、再び拠りて五行を布排して、「俯して以て地理を察する」に属す。ゆえに京房・孟喜の一路の《易》学は、全部此を以て根基と為す。宋人朱元升は《三易備遺》を作りて、納音を推衍して最も詳尽にして、彼は巳・亥の两支の数は隠伏して顕れずして、一と六とは恰好相合するを指出して、是れ即ち《帰蔵》易の数なりと認為す――此の話は並びに見地無きに非ず。

運気第十七

運氣升降由於氣,氣之盛衰由於數,數之進退在乎人。聖人作《易》立人極以明人道,言天言地,皆為人言而為人謀。人在天地中,為善為惡,為君子,為小人,皆在人之自為。而氣機之感召,陰陽進退,而數即隨之而消長。積氣成運,積運成象,為殃為祥,皆視所積。積之以漸,非一朝一夕之故。及其至焉,則為泰為否。君子小人之消長,似乎天實為之,命實定之。嗚呼!天豈任其責哉!

「運」の升降は「気」に取决まり、気の盛衰は「数」に取决まりて、而して数の進退は、関鍵は却って人に在り。聖人は《易》を作して、「人極」を立て起きて以て人道を闡明す。凡そ天を講じ・地を講ずるの話は、根柢を帰し到底皆人の為に説き・人に替わりて籌画するなり。人は天地の間に生れて、善を行うか悪を作すか・君子を為すか小人を為すかは、全く自己の怎様に為すかに在りて、気機は此の感召を受けて、陰陽は之に随いて進退して、数もまた就いて消長す。気は積もり久しきに至りて「運」と成りて、運は積もり久しきに至りて「象」と顕れて、是れ災を降すか祥を降すかは、全く積める所は何なるかを看る。此の種の積累は一点ずつ一点ずつ来るにして、並びに一朝一夕の縁故に非ず。積もりて極処に到りて待てば、便ち「泰」と成るか「否」と成る。君子小人の此の消彼長は、表面に看れば好もしき天が主使するが如く・命が注定するが如く――嗚呼、天は何処でか此の責任を担え得起こさんや。

《易》以象設教,善惡吉凶,無不備著於象。而以陰陽五行生合升降,為之節度。法象於天地,而示人以進德修業之天則,各有數度。此君子以人合天之本,而古聖人經緯天地,燮理陰陽之大用,皆備於此焉。

《周易》は「象」を用いて教化を施行するにして、善と悪と・吉と凶とは、一様として完整地に象の裏に顕現せざる無し。再び陰陽五行の相生・相合・上升・下降を用いて、これらの象に為に節度を定め出す。それは天地の形象に取法して、徳を進め業を修むるの天然法則を把りて人に昭示して、每一步皆確定の度数有りて循る可し。此れ即ち君子「人を以て天に合わす」の根本にして、古代聖人の天地を経緯し・陰陽を調理するの大用処もまた、全部此処に具備せり。

後儒不察,空言性命,而莫知其象,莫悉其數。反以聖人示之陰陽氣運,為小道,為術數,棄置不言。不知《易》以道陰陽,卦象彖爻無論矣,即孔子之《十翼》,亦無一言無一字,不與陰陽度數相密合。觀於納甲納音,而後知五運六氣,皆出於八卦,在在足與《易》象《易》數相發明。欲知《易》之蘊者,不可不深察焉。

後世の儒者は肯んじて細察せずして、ただ空談して性命を論じ、既に卦象を懂らず・もまた卦数に通ぜずして、反って聖人の用て陰陽気運を昭示する此の一套を把りて小道と斥け・術数と斥けて、一辺に丢きて講ぜず。彼らは《周易》は本来陰陽の道を講ずるなりを明白せずして、卦象・彖辞・爻辞は言うに及ばず、連ねて孔子の作る所の《十翼》も、一句の話・一個の字として陰陽の度数と厳密に吻合せざる無し。納甲・納音を看て過ぎての後始めて知る、医家の説く所の「五運六気」は全部八卦より出でて、処処皆《易》象・《易》数と互相に印証発明するに足る。凡そ《周易》の深蔵の義を懂らんと欲する人は、此の一層に対して深く考察を加えざるべからざるなり。

此主運也。客運則以本年所屬五行作初運,輪流而布。

上図の排する所は「主運」にして、即ち一年の中の木・火・土・金・水の五步の運の固定次第なり。至りて「客運」は、則ち当年の年干の属する所の五行を用いて初運に充当して、再び五行相生の次序に依りて轮流布排して下りて、逐年推移して、年年変わらざる主運と正好く相対す。

是為《月令》之氣,年年定局不易,謂之主氣。至於客氣,則從年司天,自正南位起輪布,看主與客相臨,其氣相得則和,不相得則害。

上図の排する所は、即ち《礼記・月令》の講ずる所のあの一套の時令の気にして、一年六步にして、毎年格局は固定して変わらずして、「主気」と称す。至りて「客気」は、則ち当年の「司天」の気に依りて之を定めて、正南の方位より手を起して、次序に按じて輪転して布排す。排し定めて之後は再看主気と客気と如何に相遇するかを。両者の気性相投ずるは便ち調和して、気性相違うは便ち相害して、一年の災眚疾疫は多く此に由りて生ず。

五運六氣,天地陰陽之橐龠,其傳最古,今惟《內經》言之最詳。聖人作《易》,法象乎天地,近取諸身,遠取諸物。而天地萬物,皆範圍乎運氣之中。所謂造化之機,與吾人身心性命,息息相關。民胞物與,豈空言所濟!讀董子《春秋繁露》、《淮南鴻烈》、揚子《法言》,當知鄙言之非妄也。

「五運六気」は天地陰陽の風箱にして、一たび鼓し一たび息して万物は之に随いて升降す。此の套の学説は流伝最も古くして、如今講じて最も詳細なるはただ《黄帝内経》あるのみ。聖人は《易》を作して、天地の形象に取法して、近処は人身に於て象を取り、遠処は万物に於て象を取りて、而して天地万物は一様として運気の範囲の内に籠罩せられざる無し。所謂造化の枢機とは、其の実我ら自身の身心性命と息々相関するなり。張載の説く所の「民は吾が同胞にして、物は吾が与なり」は、豈に空しく一句を喊ぶのみにて便ち落実し得べけんや。董仲舒の《春秋繁露》・劉安の《淮南鴻烈》と揚雄の《法言》とを一読せば、便ち我が此の番の話は妄説に非ざるを知らん。

正辞第十八

《繫傳》曰:“開而當名辨物,正言斷辭,則備矣。”故斷辭必先正言,正言必先辨物,辨物必先當名,名稱其實為當。名而當,則舉其名而物之大小情偽畢見矣。盈天地之間唯萬物,物各有其名,不能悉舉也。而《易》以《彖》、《象》、《爻》三者賅之,以三者舉其綱,而八卦六十四卦之名無不當,天地萬物胥可以名辨而別之。擬之後言,議之後動,而正言斷辭如視之掌矣。

《繋辞伝》曰く、「開きて当に名を辨じ物を辨じ、言を正しくし辞を断ずれば、則ち備わらん」と。ゆえに卦爻に為に判断の辞を下さんと欲せば、必ず先ず話を正しくせざるべからず。話を正しくせんと欲せば、必ず先ず事物を分辨し清めざるべからず。分辨し清めんと欲せば、必ず先ず名称を恰当ならしめざるべからず――名と実と相副えば、始めて「当」と叫作す。名は一旦恰当なれば、ただ此の名を挙げ出せば、物の大小・情実なるか虚偽なるかは、便ち全部顕露出す。天地の間に充塞するはただ万物のみにして、物は各々名有りて、根本挙げて勝えずして、而して《周易》は《彖辞》《象辞》《爻辞》の三者を用いて彼らを統摂して、此の三者を用いて綱を提げ領を挈げて、是に於て八卦・六十四卦の名は一個として恰当ならざる無くして、天地万物は皆名に凭りて分辨区別す可し。《繋辞伝》の説く所の「之を擬して後に言い、之を議して後に動く」の如くなれば、あの処正言と断辞とは便ち自己の手掌を看るが如く明白なり。

顧不曰名,而概之以辭者,以《易》之所謂名,皆假名也。本無是物,而以象擬之。無是事,而以象言之。聖人設卦觀象,大而天地風雷,小而蟲鳥沙石,常則家人夫婦,怪則鬼車狐尾,皆假設此物比事,擬諸其形容,象其物宜,以明陰陽造化之妙用,而定人事之吉凶,故曰“繫辭”。

然れども《周易》は「名」と称せずして一概に「辞」と称するは、《易》の裏の説く所の名は皆假借の名なるを以てなり。本来並びにあの様の東西有るに非ずして、ただ一個の象を借りて以てそれを比拟するにして、本来並びにあの件事有るに非ずして、もまたただ一個の象を借りて以てそれを陳説するなり。聖人は卦体を設立し・卦象を観察して、大ききは天・地・風・雷より小さきは虫・鳥・沙・石に至りて、尋常の処は「家人」「夫婦」のごとく・怪異の処は「鬼車」「狐尾」のごとく、皆これらの物を假借して以て人事を比況するにして、即ち《繋辞伝》の説く所の「其の形容に之を擬し、其の物宜に象る」にして、用て陰陽造化の妙用を闡明して、進みて人事の吉凶を判定すれば、ゆえに之を「繋辞」と称す。

辭焉者,各指其所之。有名辭也,有動辭也,有狀辭及介辭也,未嘗不可辨而晰之。第《易》道通變,其辭亦通變。有名辭而兼作動辭者,有動辭或兼狀辭之用者,如乾為木果,變巽則為不果。雷風相薄,而《繫辭》曰“茅之為物薄”。用一字而面面皆通,立一義皆頭頭是道。苟泥其辭而不察其象,察其象而不究其理,而繫辭之意終不可得。故必欲執一例以求之,則六十四卦皆死物矣。

所謂「辞」とは、各々其の趨向する去処を指示す。其の中名詞性の辞有り、動詞性の辞有り、もまた形容詞・介詞の一類の辞有りて、本来是一一分辨し清むる可し。ただ《易》道は通変を貴ぶを以て、其の辞もまた之に随いて通変す。あるは名詞は兼ねて動詞として用いられ、あるは動詞はまた兼ねて形容詞の功能を有す。譬えば《説卦》は乾を講じて「木果」と為すも、乾は一たび変じて巽と成れば便ち「不果」と成り、また「雷風相薄す」の「薄」は迫近の義なるも、而して《繋辞伝》の講ずる「茅の物と為すや薄し」の「薄」は却って微薄の義なり。一個の字は用いて下れば面面皆講じ通じて、一層の意思を立てば処処皆道理を成す。倘若死に字面を抠りて而して卦象を体察せざるか、あるいはただ卦象を看るのみにて而して其の中の理を深究せざれば、繋辞の本意は終究求め到らざるなり。ゆえに若し必定一條の固定的例式を拿りて以て套せんとすれば、あの処六十四卦は便ち全く死物と成れり。

然則《易》之辭果無例可求乎?曰是在學者之神而明之,變而通之,無定之中,亦未始無一定之軌則可循。旨遠而辭隱,是在虛其心以求之,潛其心以會之而已。

あの処《易》辞は豈に真に條例の尋う可き無からんや。回答は曰く、此れ《易》を学ぶ人の自ら心領神会し・変じて之を通ずるを靠るを要す。看似るに定準無きも、其の中に未嘗て一定の軌則にして遵循すべき無きに非ず。《易》の旨意は深遠にして辞句は隠微にして、ただ虚しく心を着けて尋求し・沈めて心を下して体会するのみなり。

《易》以道陰陽,故《傳》曰“一陰一陽之謂道”,又曰“立天之道,曰陰與陽”,舉天道而地道人道一以貫之矣。蓋剛柔仁義,亦無非一陰一陽之對待也。而六十四卦,而三百八十四爻,亦無非一陰一陽之對待也。故孔子於乾之初九曰“陽在下也”,於坤之初六曰“陰始凝也”,即為六十四卦三百八十四爻之舉例發凡,以明九之皆為陽,六之皆為陰。而《易》之《彖》、《象》十翼,均無非闡明陰變化作用,故先以對待之辭舉例如下。

《周易》は用て陰陽の道を闡明するにして、ゆえに《繋辞伝》曰く「一陰一陽これを道と謂う」にして、《説卦》もまた曰く「天の道を立つ、陰と陽と曰う」と。天道を挙げ出せば、地道と人道ともまた一併せて貫通す。地道の剛と柔と・人道の仁と義とは、非ずと皆一陰一陽の両兩相対にして、六十四卦・三百八十四爻もまた、同様に非ずと皆一陰一陽の両兩相対なり。ゆえに孔子は乾卦初九の下に於て「陽在下なり」と曰い、坤卦初六の下に於て「陰始めて凝るなり」と曰うは、此れ即ち六十四卦・三百八十四爻に為に立て下せる通例にして、用て凡そ「九」と称するは皆陽に属し・凡そ「六」と称するは皆陰に属すを表明す。而して《周易》の《彖伝》《象伝》以至十翼諸篇もまた、非ずと皆陰陽変化の作用を闡明するに在り。ゆえに下面は先ず成対して相待すの辞を挙例して列出す。

動静

乾“其靜也專,其動也直”,坤“其靜也翕,其動也闢”。動靜二字,直陰陽所由判,吉凶所由生,如水火互相為根。昔儒“陽動陰靜”之說,與太極動則為陽,靜則為陰之說,辭意似均未圓滿。陰陽如環無端,動靜亦如是也。

《繋辞伝》は乾を説きて「其の静なるや専にして、其の動くや直なり」といい、坤を説きて「其の静なるや翕にして、其の動くや闢なり」という。「動」「静」の此の両個の字は、正に陰と陽との分判の界線・吉と凶との産生の源頭にして、二者は水と火とに好比して、互いに根柢を為して偏廃すべからず。従前儒者の「陽は動を主とし・陰は静を主とす」の講法、および「太極は一たび動けば便ち陽にして・一たび静まれば便ち陰」の講法は、措辞立意は似て皆円満ならざるがごとし。陰と陽とは円環の如く起点終点無くして、動と静とは同様に此くのごとくにして、動を把りて一味に陽に帰劃し・静を把りて一味に陰に帰劃する能わざるなり。

剛柔

《雜卦傳》“乾剛坤柔”,《說卦》曰“立地之道,曰柔與剛”,又曰“分陰分陽,迭用柔剛”,《繫傳》“動靜有常,剛柔斷矣”,又曰“剛柔相摩”,又曰“剛柔相推,而生變化”,又曰“剛柔者晝夜之象也”,又曰“剛柔相推,變在其中矣”,又曰“剛柔者立本者也”,又曰“知柔知剛,萬夫之望”,又曰“上下無常,剛柔相易”,又曰“剛柔雜居,而吉凶可見矣”,又曰“柔之為道不利,遠者其要無咎,其用柔中也。其柔其危,其剛勝耶?”

経伝の中に「剛柔」を講ずるの文句は極めて多し。《雑卦伝》曰く「乾は剛にして坤は柔なり」。《説卦》曰く「地の道を立つ、柔と剛と曰う」、また曰く「陰を分かち陽を分かちて、柔剛を迭用す」。《繋辞伝》曰く「動静に常有りて、剛柔は断たる」、曰く「剛柔相摩す」、曰く「剛柔相推して、変化を生ず」、曰く「剛柔は昼夜の象なり」、曰く「剛柔相推して、変は其の中に在り」、曰く「剛柔は本を立つる者なり」、曰く「柔を知り剛を知るは、万夫の望なり」、曰く「上下に常無くして、剛柔相易う」、曰く「剛柔雑居して、吉凶は見る可し」、末にまた曰く「柔の道と為すは利ならずして、遠き者は其の咎無きを要とす、其の用は柔中なり。其の柔其の危は、其の剛の勝たんとするか」と。最後の此の一句は説く所は、柔爻の道は遠位に居処するに利ならずして、其の還た能く過錯無きを保住する所以は、全く柔を用いて能く中を守るに靠りて、柔は一旦中を失えば便ち危険有りて、あの処剛を用うるに如かざるなり。

《周易》用剛,故曰“乾元用九,而天下治”。陽剛而陰柔,亦猶以陽統陰之義也。齊小大者存乎卦,陽大陰小,在八卦,坤小乾大,艮止巽齊,是為大與小不齊也。止而齊之,則大通於小,小進於大。裒多益寡,故泰否“小往大來”,與“復小臨大”,皆無非於萬有之不平者,而求其平,此《易》之微旨也。

《周易》は剛を用うるを以て主と為せば、ゆえに《乾卦・文言》曰く「乾元は九を用う、天下は治まるなり」と。陽性は剛にして陰性は柔にして、此れもまた即ち陽を以て陰を統摂するの意思なり。《繋辞伝》曰く「小大を斉しするは卦に存り」と、陽を大と為し・陰を小と為して、八卦の中に於て坤は小にして乾は大にして、艮は静止を主とし・巽は斉一を主とすれば、見ゆべし大と小とは本来斉しからざるを。「止」の工夫を用いてそれを斉平せば、便ち大なる者は小に通じ・小なる者は大に進ましむるを得。此れ正に謙卦の《象伝》の説く所の「多きを裒ね寡きを益す」にして、有余を削去して不够を補足す。ゆえに泰・否の両卦は「小往大来」「大往小来」を講じて、復卦の一陽は小と為し臨卦の二陽は大と為すは、皆非ずと皆万有の不平の中に於て一個の平を求取するにして――此れ正に《周易》の幽微の宗旨なり。

《否·上九》“先否後喜”,蠱之“先甲後甲”,巽之“先庚後庚”,說者謂陽先陰後,陰宜後而順承陽。不順陽而先陽,則迷而失道。陽宜先陰,不先而反後,則失時失道,此一義也。自康節之學行,又有先天後天之說。言漢學者,攻擊之不遺餘力,然其數理精確,且皆出於天然,不加造作。而按之於經,胥有徵驗。近儒端木鶴田,作《周易指》,以先後天說《易》,逐爻推尋,如按圖索驥,字字吻合,尤為發前人所未發。較虞氏之旁通,更為直捷而少枝節也。

《否卦・上九》曰く「先ず否して後に喜ぶ」、蠱卦の卦辞曰く「甲に先だつ三日、甲に後る三日」、巽卦九五曰く「庚に先だつ三日、庚に後る三日」。解説する人は是れ陽は先に在り・陰は後に在ると認為す。陰は本来応に後に居りて順く承けて陽に随うべくして、若し陽に順従せずして反って陽の前に搶ち立てば、便ち迷失して正道に背離せん。陽は本来応に陰の先に居るべくして、若し先に居らずして反って後面に落てば、便ち時を失いて正道に背離せん。此れ「先後」の一層の意思なり。邵雍の学の流行せるより自りて、また先天・後天の説法を生出せり。漢学を治する人はそれに対して攻撃して余力を遺さずするも、然れども此の套の説法は数理精確にして、而且皆自然より出でて、並びに人為造作に非ず。それを拿りて経文を核対せば、処処皆験証有り。近代学者端木国瑚は《周易指》を作りて、専ら先天後天を用いて《易》を解して、逐爻して推尋して、図に按じて驥を索むるが如くして、字字吻合して、尤も能く前人の未だ発せざる所を発す。虞翻の「旁通」の法に比ぶれば、更に直捷にして枝蔓少なし。

順逆

《坤·彖傳》曰“乃順承天”,又曰“後順得常”。《說卦》曰:“坤順也。”坤順承天,則天逆行,順逆交,錯而四時錯行。日月代明,而天地之道乃成。陽在陽中陽順行,而陽在陰中則逆行。陰在陰中陰順行,而陰在陽中則逆行。大明生於東,月生於西。日行東陸則為秋,日行西陸則為春,陰陽非交互不能成其用也。五行順行則生,逆行則克。有生無克,不能成物。有逆無順,不能生物。故逆生順死,其旨甚微。故曰“《易》逆數也”。

《坤卦・彖伝》曰く「乃ち順く承けて天に随う」、また曰く「後に順えば常を得」。《説卦》曰く「坤は順なり」。坤は既に順く承けて天に随えば、あの処天は便ち逆行者なり。一順一逆は交互して錯雑して、四時は始めて交錯して運行し・日月は始めて交替して照明し・天地の道もまた始めて成立を得。分かちて説かば、陽は陽位の中に処れば便ち順行して、陽は陰位の中に処れば便ち逆行し、陰は陰位の中に処れば便ち順行して、陰は陽位の中に処れば便ち逆行す。太陽は東方より升起して、月亮は西方より明を生じて、太陽は東陸を行経する時は人間は秋にして、西陸を行経する時は人間は春なり――見ゆべし陰と陽とは交互せずして便ち其の功用を成さざるを。五行もまた是れ然り。次序に順いて行えば便ち相生にして、次序に逆いて行えば便ち相克す。ただ生有りて而して克無ければ、万物は形を成すに従り無くして、ただ逆有りて而して順無ければ、万物は化生するに従り無し。ゆえに「逆すれば則ち生じ・順えば則ち死す」、其の中の意旨は極めて幽微にして、《説卦》は始めて曰く「《易》は逆数なり」と。

内外

《泰·傳》曰:“內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人。”《否·傳》曰:“內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子。”《明夷·傳》曰:“內文明而外柔順。”《家人·傳》曰:“男正位乎外,女正位乎內。”此以卦之上卦為外,下卦為內也。《雜卦傳》曰:“睽外也,家人內也。”

《泰卦・彖伝》曰く、「内陽にして外陰、内健にして外順、内君子にして外小人」。《否卦・彖伝》曰く、「内陰にして外陽、内柔にして外剛、内小人にして外君子」。《明夷・彖伝》曰く、「内文明にして外柔順」。《家人・彖伝》曰く、「男は外に位を正しくし、女は内に位を正しくす」。此の幾処は皆一卦の上卦を把りて「外」と當てて・下卦を把りて「内」と當てるなり。然れども《雑卦伝》はまた曰く、「睽は外なり、家人は内なり」。此の一処は便ち上下卦に按じて内外を分かつに非ず。

言虞氏學者,以家人與睽分屬內外,則以旁通之兩卦而言。睽與蹇旁通,睽為外則蹇為內。家人與解旁通,家人為內則解為外。內其故也,外其新也。內其躬也,外其鄰也。蓋以五已正位者為內,五未正位者為外。無妄,剛自外來而為主於內,亦以無妄之九五自睽來。以明睽為外,既成無妄,則為主於內,以明無妄為內也。無妄五剛,睽五柔,此兼剛柔言內外也。《周易指》:“以凡言內者,皆因家人。言外者,皆因睽。”《坤·文言》:“直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外。”亦取象家人與睽,即《易》言內外之凡例也。

虞翻の学を講ずる人は《家人》と《睽》とを把りて内・外に分属するは、「旁通」の両卦に就いて言うなり。《睽》は《蹇》と旁通して、睽は外と為れば、蹇は便ち内と為り、《家人》は《解》と旁通して、家人は内と為れば、解は便ち外と為る。所謂「内」とは、其の旧有の本位に就いて説きて、「外」とは、其の新変の来処に就いて説くなり。「内」は自身を指し、「外」は鄰近の爻を指す。大体は第五爻のすでに正位に居るを算して内と為し、第五爻の還た未だ正位に居らざるを算して外と為す。《无妄・彖伝》曰く「剛は外より来りて内に於て主と為る」は、もまた《无妄》の九五は《睽》卦より変じ来るを以てなり。此に由りて見ゆべし《睽》は外に属して、《无妄》と変成して以後は便ち内に在りて主と為りて、見ゆべし《无妄》は内に属すを。《无妄》の第五爻は剛にして、《睽》の第五爻は柔にして、此れまた兼ねて剛柔に就いて内外を講ずるなり。端木国瑚《周易指》曰く、「凡そ内を講ずるは皆《家人》に因り、凡そ外を講ずるは皆《睽》に因る」。《坤卦・文言》曰く、「其の正を直くし、其の義を方くす。君子は敬を以て内を直くし、義を以て外を方くす」。もまた《家人》と《睽》とに於て象を取るなり――此れ即ち《周易》の内外を講ずるの通例なり。

往来

《繫傳》曰:“往者屈也,來者信也。一往一來謂之變,往來不窮謂之通。”蓋陰陽以往來始成其變化,故日往月來,月往日來,大往小來,小往大來,往來而得其道則吉,失道則凶。卦例:由內而之外為往,由外而之內為來。

《繋辞伝》曰く、「往く者は屈なり、来る者は信なり。一往一来これを変と謂い、往来窮まらざるをこれを通と謂う」。陰陽は正に此の一往一来に靠りて其の変化を成就すれば、ゆえに太陽は西に去りて月亮は東に来り・月亮は西に去りて太陽は東に来り、否卦は「大往小来」にして、泰卦は「小往大来」なり。往来して正道に合せば便ち吉にして、正道に背離すれば便ち凶なり。卦例に就いて説かば、内卦より外卦に走向するを「往」と叫作して、外卦より内卦に回帰するを「来」と叫作す。

八卦、六十四卦,皆此一往一來,以經綸運轉而不窮。八卦,乾圓往者屈,而坤方來者信。由乾圓往者,東南西北也。由坤方來者,西南東北也。六十四卦,則乾往坤來,屯往蒙來,以迄於既濟未濟,皆此往來也。此以卦言者也。其以爻言者,如“往得中也”,“往有功也”,“剛來而得中也”,“剛來而文柔也”,要皆指二五而言。詳於虞氏之旁通。

八卦然り・六十四卦然り、皆是れ此の一往一来にして、経緯運転して窮尽無し。八卦に就いて説かば、乾体は円にして「往」に属して、往は則ち屈にして、坤体は方にして「来」に属して、来は則ち伸なり。乾の円より往きて出ずるは、東・南・西・北の四正の方にして、坤の方より来りて過ぐるは、西南・東北の一類の四隅の方なり。六十四卦に就いて説かば、則ち乾往きて坤来り・屯往きて蒙来りて、一直に排して既済・未済に至るまで、全是れ此の一往一来なり。以上是れ整卦に就いて講ずるなり。若し爻に就いて講ずれば、《彖伝》の裏の「往きて中を得るなり」「往きて功有るなり」「剛来りて中を得るなり」「剛来りて柔に文るなり」のこれらの話の如きは、指す所は皆二爻と五爻との間の往来にして、詳細の推法は虞翻の「旁通」の説を見よ。

上下

上者,丄也。下者,丅也。上天下地,而中為人。故《易》經文言“上下”者,僅小過一卦,曰“小過亨利貞,不宜上宜下。大吉”。《傳》曰:“不宜上宜下,大吉,上逆而下順也。”蓋《易》者,聖人寡過之書。五十學《易》,可以無大過,而小過或不免也。小過之中二爻,正當六畫卦之人爻,所謂“立人之道,曰仁與義”者此也。故乾之三四兩爻(小過爻也),特著無咎。“無咎者,善補過也。”惟明乎此上下,則得乎中,而過可免矣。

「上」の字の古文は「丄」と写し、「下」の字の古文は「丅」と写して、一画は上に在り一画は下に在るのみ。上は天と為し・下は地と為して、中に居るは人なり。《周易》の経文の裏に直接「上下」を講ずるは、ただ小過の一卦有るのみにして、曰く「小過は亨る、貞に利あり、上に宜しからずして下に宜しくして、大いに吉なり」。《彖伝》は解釈して曰く、「上に宜しからずして下に宜しくして大いに吉とは、上は逆にして下は順なるを以てなり」。《周易》は本来聖人が人に過錯を少く犯すを教うるの書にして、孔子は五十歳にして《易》を学べば大なる過錯無かる可しと曰い、至りて小なる過錯は則ち未だ必ず免れ得べしとせず。小過卦の中に居るの両爻は、正当六画卦の裏の「人爻」にして、もまた即ち《説卦》の所謂「人の道を立つ、仁と義と曰う」の所在なり。ゆえに乾卦の九三・九四の両爻は(正当小過の爻位にして)特別に「咎なし」を標出して、而して《繋辞伝》曰く「咎なき者は、善く過を補うなり」――所謂過錯無しとは、善く過失を補救するを以てなり。ただ此の一層の上下の別を明白にせば、始めて其の中道を得るを得て、過錯もまた免る可きなり。

故《乾·文言》曰:“本乎天者親上,本乎地者親下。”於九三、九四,皆曰“上不在天,下不在田”,又曰“上下無常”。《雜卦傳》曰“離上而坎下也”,《益·彖傳》曰“損上益下”,《損·彖傳》曰“損下益上”,皆以損益得宜,以蘄合乾坤坎離之中,而上下交泰(乾坤交成泰),以成既濟者也。故明小過之上下,而六十四卦之上下,均可以言矣。

ゆえに《乾卦・文言》曰く、「天に本づく者は上に親しみ、地に本づく者は下に親しむ」。九三・九四の両爻の下に於て皆「上は天に在らず、下は田に在らず」と曰い、また曰く「上下に常無し」。《雑卦伝》曰く「離は上にして坎は下なり」、《益卦・彖伝》曰く「上を損じて下を益す」、《損卦・彖伝》曰く「下を損じて上を益す」は、皆損益の得当なるを靠りて、以て乾・坤・坎・離の中道に合せんと求めて、上下をして交感して泰と成らしめ(乾坤は相交すれば則ち泰卦と成る)、最終に既済の局を成就す。ゆえにただ小過卦の上下を弄明白せば、六十四卦の上下もまた皆講ずる可きなり。

方円

《說卦》“乾為圓”,《荀九家》“坤為方”,《繫傳》“蓍之德,圓而神。卦之德,方以知”,《坤·六二》“直方大”,《繫傳》又曰“無窮盡,無方體”,又曰“是故神無方而《易》無體”。蓋圓者,神也。方者,體也。乾為天為圓,無體故無方。坤為地,有體故有方。

《説卦》曰く「乾は円と為す」、《荀氏九家易》曰く「坤は方と為す」。《繋辞伝》曰く「蓍の徳は円にして神、卦の徳は方にして知」。《坤卦・六二》の爻辞曰く「直く方く大なり」。《繋辞伝》はまた曰く「窮尽無くして、方体無し」、また曰く「是の故に神は方無くして《易》は体無し」。見ゆべし「円」は講ずる所は神妙にして定所無きにして、「方」は講ずる所は形体にして定位有るなり。乾は天と為し・円と為して、形体無ければ、ゆえにもまた方所無し。坤は地と為して、形体有れば、ゆえに始めて方所有り。

舊說“圓象天,方法地”,簡言之,則曰“天圓地方”,“奇圓耦方”。近人知地球之為渾圓而非方也,於是曲為之說曰“天圓地方”,言其德非言其體也。而不知《易》之所謂“圓而神,方以知”者,明明指蓍與卦,未嘗謂天之德圓與地之德方也。而乾圓坤方,則確不可易。第所謂方者,即西南東北之方,非謂地體之為立方形也,又何必曲為之解哉!圓無盡而方有盡,故度圓者必以方。玩“乾其靜也專,其動也直”,“坤其靜也翕,其動也闢”二語,則方圓之妙用已闡發無遺。近世幾何形學之界說,皆不能出其範圍矣。

旧説は「円は天に於て象を取り、方は地に於て法を取る」を講じて、簡単に説けば便ち「天円地方」「奇数は円と為し・偶数は方と為す」なり。近人は地球は渾円にして而して方に非ざるを知りて、是に於て委曲に旧説に為に弁護して、「天円地方」は講ずる所は天地の徳にして而して天地の形体に非ずと曰う。彼らは《周易》の説く所の「円にして神、方にして知」は、分明に蓍策と卦体とを指して、並びに天の徳は円と為し・地の徳は方と為すと説かざるを知らず。至りて乾円坤方は、あれは却って確かに動揺す可からず。ただ此処の説く所の「方」とは、指す所は西南・東北の此一類の方位にして、並びに大地の形体は一個の立方塊なりと説くに非ずして、又た何ぞ必ず曲意してそれに為に開脱せんや。円は窮尽無くして、方は窮尽有れば、ゆえに円を量度するは必ず方に借助せざるべからず。《繋辞伝》の「乾は其の静なるや専にして、其の動くや直なり」「坤は其の静なるや翕にして、其の動くや闢なり」の此の両句を細かく玩せば、方と円との妙用はすでに闡発して遺無し。近世の幾何学の点線面体に関する種種の界説は、皆其の範囲を跳出る能わず。

進退

《繫傳》曰:“變化者,進退之象也。”剛柔相推而生變化,故進退與往來不同。《序卦傳》曰:“晉者進也,遁者退也。”又曰:“漸者進也。”《雜卦傳》云:“遁則退也,需不進也。”《說卦傳》曰:“巽為進退。”《巽·初六》:“進退利武人之貞。”《觀·六三》曰:“觀我生進退。”《乾·九四·文言傳》曰:“進退無恆。”上九:“知進而不知退。”蓋陽進陰退,由內而之外進也,由上而之下退也。進而當,則為得為吉。進而不當,則為失為凶。是皆由陰陽變化而生,故曰“變化者,進退之象也”。

《繋辞伝》曰く、「変化とは、進退の象なり」。剛と柔と互相推移して変化を生出せば、ゆえに「進退」と前面の講ずる所の「往来」とは並びに相同じからず。《序卦伝》曰く、「晋とは、進なり。遯とは、退なり」。また曰く、「漸とは、進なり」。《雑卦伝》曰く、「遯は則ち退なり、需は進まざるなり」。《説卦伝》曰く、「巽は進退と為す」。《巽卦・初六》の爻辞曰く、「進退は、武人の貞に利あり」。《観卦・六三》曰く、「我が生の進退を観る」。《乾卦・九四・文言伝》曰く、「進退に恒無し」。上九はまた曰く、「進むを知りて退くを知らず」。大体陽は進を主とし・陰は退を主として、内卦より外卦に走向するは進にして、上位より下位に落つるは退なり。進みて恰当なれば、便ち所得有りて吉にして、進みて不恰当なれば、便ち所失有りて凶なり。これらは皆陰陽の変化より生出せば、ゆえに「変化とは、進退の象なり」と曰う。

遠近

《繫傳》曰:“遠近相取,而悔吝生。”近與邇同義。《繫傳》言“遠近”者三,言“遠邇”者二。《震·彖》“驚遠而懼邇也”,《蒙·六四》“獨遠實也”,《剝·六四》“切近災也”。餘或單言遠單言近者,要皆指爻位而言。蓋爻之相得者宜近,不相得者不宜近。故《傳》又重言以申明之曰:“凡《易》之情近而不相得,則凶。或害之,悔且吝。”又曰:“二與四同功而異位。二多譽,四多懼,近也。柔之為道不利,遠者其要無咎,其用柔中也。”

《繋辞伝》曰く、「遠近は相取りて、悔吝生ず」。「近」と「邇」とは同義なり。《繋辞伝》の中に「遠近」を講ずるは三処有り、「遠邇」を講ずるは両処有り。此の外《震卦・彖伝》の「遠に驚きて邇に懼るるなり」のごとき・《蒙卦・六四・象伝》の「独り実を遠ざくるなり」・《剥卦・六四・象伝》の「災に切近し」のごとき、其余ただ単に「遠」を説くかあるいは単に「近」を説くは、講ずる所もまた皆爻位なり。大体両爻の情性相投ずるは相近するに宜しくして、情性相違うは便ち相近するに宜しからず。ゆえに《繋辞伝》はまた反復して申明して曰く、「凡そ《易》の情は、近くして相得ざれば則ち凶、あるいは之を害して、悔しく且つ吝なり」。また曰く、「二と四とは功を同じくして位を異にす。二は誉多く、四は懼多し、近ければなり。柔の道と為すや遠き者に利ならず、其の咎無きを要とす、其の用は柔中なり」。四爻は多く畏懼有るは、正に其の君位に切近するを以てなり。柔爻は遠に居りて仍ほ能く過錯無きを保住するは、柔を用いて能く中を守るに靠るなり。

故論爻之遠近以明吉凶,有就本卦之爻位論者,有就變卦之爻位論者。本卦之爻位,以承乘、與比、相應、相合者,為近。否則為遠。變卦之爻位,則他卦之爻一變而即得者為近,須再變三變而始到本卦者為遠。凡卦爻之言遠近者,皆含此二義,不可不審也。

ゆえに爻位の遠近に凭りて吉凶を判定するは、あるは本卦の爻位に就いて説き、あるは変卦の爻位に就いて説く。本卦の爻位に就いて説かば、凡そ両爻の間に承・乘・比・応・相合の関係を構成するは「近」と算して、然らざれば「遠」と算す。変卦の爻位に就いて説かば、則ち別の卦はただ一爻を変動すれば便ち本卦の此の一爻を得るを「近」と算して、須要両度三度変じて始めて本卦に到り得るを「遠」と算す。凡そ卦爻辞の裏に遠近を講ずるは、皆此の両層の意思を含有して、細かく辨別を加えざるべからざるなり。

新旧

《易》用九用六。九六變也。變則新,故《繫傳》曰“日新之謂盛德”,《大畜·彖》曰“剛健篤實輝光,日新其德”。鼎“取新也”,革“去故也”,隨“無故也”。故六舊之義也。《訟·六三》曰“食舊德”,《井·初六》曰“舊井無禽”。食舊德,則貞厲。“舊井無禽”,則不食,皆去舊而宜從新者也。此外如噬嗑之“噬臘肉”,大壯之“壯于前趾”,乾為“老馬”,曰“老”,曰“前”,曰“臘”,亦皆舊之義也。遠近以位言,新舊以時言,變通者趣時者也。趣時則日新,是以《雜卦》曰“大畜時也”。

《周易》の占筮は「九」を用い「六」を用いて、九と六とは皆要変の爻にして、一たび変ずれば便ち新なれば、ゆえに《繋辞伝》曰く「日新これを盛徳と謂う」、《大畜・彖伝》曰く「剛健篤実にして輝光あり、日に其の徳を新たにす」。《雑卦伝》は鼎を説きて「新を取るなり」、革を説きて「故を去るなり」、随を説きて「故無きなり」――見ゆべし「六」は旧の意思を含有す。《訟卦・六三》曰く「旧徳を食む」、《井卦・初六》曰く「旧井に禽無し」――旧有の禄徳を守りて以て過活するは、正を守ると雖も危厲を免れず。旧井の裏は連ねて禽鳥も来らざれば、井水は便ち食用すべからず。これらは皆当に旧を去りて新に従うべきの例なり。此の外噬嗑卦の「腊肉を噬む」を説き、大壮卦の「前趾に壮ん」を説き、《説卦》の乾を講じて「老馬」と為すのごとき、凡そ「老」を説き・「前」を説き・「腊」を説くは、もまた皆旧の意思を含有す。遠近は爻位に就いて説きて、新旧は則ち時間に就いて説くなり。能く変通する人は正に能く時宜に趨合する人にして、時宜に趨合すれば便ち能く日新せば、ゆえに《雑卦伝》曰く「大畜は時なり」と。

死生

“生生之謂《易》”,《易》之道本生生而不已者也。然不能盡其道,即不能有生而無死。《繫傳》曰:“原始反終,故知死生之說。”故《檀弓》曰:“君子曰終,小人曰死。”終則有始,而死則不能復生,此君子小人之別也。經之稱“生”者二卦:觀之“觀我生”,“觀其生”;大過之“枯楊生稊”,“枯楊生華”是也。稱“死”者二卦:離之“突如其來如,焚如死如棄如”,豫之“貞疾恆不死”是也。

《繋辞伝》曰く「生生これを《易》と謂う」、《周易》の道は本来生生して已まざるなり。但し人は若し此の道を把りて極処に尽くす能わざれば、ただ生有りて而して死無からんと欲するは不可能なり。《繋辞伝》曰く、「原に始め反りて終われば、故に死生の説を知る」。ゆえに《礼記・檀弓》曰く、「君子は終と曰い、小人は死と曰う」。終結の之後は還た新たなる開始有る可くして、死しては却って再び活くる能わず、此れ正に君子と小人との分別なり。経文の裏に「生」を称するは両卦有り。観卦の「我が生を観る」「其の生を観る」、大過卦の「枯楊に稊生ず」「枯楊に華生ず」。「死」を称するはもまた両卦有り。離卦九四の「突如として来たる如く、焚くる如く、死する如く、棄つる如く」、豫卦六五の「疾を貞にして、恒に死せず」。

蓋乾為大生,坤為廣生。大生故“資始”,廣生故“資生”。而所以資始而資生者,實惟“大哉乾元,坤順承乾”,坤元亦統於乾元。《文言》曰:“元者善之長。”於人為仁。元從二兒,仁亦從二兒,於乾坤二象為二五之中。豫之“恆不死”,《象》曰“中未亡也”。困之六三以陰乘陽,以柔掩剛,是賊仁害義,昧其天良者也。故《繫傳》曰“死期將至”。中未亡者,終則有始。亡其中,則生亦幸。所謂行尸走肉,待死而已。

乾は「大生」を主とし、坤は「広生」を主とす。大生なるを以て、ゆえに《彖伝》は乾を説きて「万物は之に資りて始まる」と為す。広生なるを以て、ゆえに坤を説きて「万物は之に資りて生ず」と為す。而して万物の能く之に資りて始め・之に資りて生ずる所以は、実在ただ「大なるかな乾元」に由りて而して坤はまた順く承けて乾に随い、坤元もまた乾元に統属す。《文言》曰く、「元とは、善の長なり」。人の身上に落てば便ち「仁」なり。「元」の字は二より従い児より従い、「仁」の字もまた二より従い人より従いて、乾坤両卦の象の上に於ては、便ち二爻と五爻との此の「中」なり。豫卦六五は「恒に死せず」と曰い、《象伝》は「中未だ亡びざるなり」と解すは、即ち中気は還た未だ亡失せざるなり。困卦六三は陰爻を以て陽爻を乘凌し・柔を以て剛を掩住するは、此れ仁義を戕害し・天良を蒙昧するの作法にして、ゆえに《繋辞伝》は彼を断じて「死期将に至らん」とす。中気未だ亡びざるの人は、一段終了して還た新たなる開始有る可くして、中気を把りて亡きたる人は、即便活きると雖ももただ僥倖に過ぎずして、即ち俗話の説く所の行尸走肉にして、死を等つのみなり。

有無

《易》以有立教者也。《易》有太極,是生兩儀。四象八卦,而定吉凶以生大業。故《序卦·上傳》曰“有天地然後萬物生焉”,《序卦·下傳》曰“有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯”,皆以明有之義也。

《周易》は「有」を拿りて以て教を立つるなり。《繋辞伝》曰く「《易》に太極有り、是れ両儀を生ず」、両儀は四象を生じ・四象は八卦を生じ・八卦は吉凶を定め・吉凶は大業を生ず。ゆえに《序卦伝》の上篇曰く「天地有りて然る後万物生ず」、下篇曰く「天地有りて然る後万物有り、万物有りて然る後男女有り、男女有りて然る後夫婦有り、夫婦有りて然る後父子有り、父子有りて然る後君臣有り、君臣有りて然る後上下有り、上下有りて然る後礼義は錯する所有り」。一連は皆「有」の字を用いて領起して、正に此の「有」の意義を点明せんと要す。

《下經》首咸,《序卦》不言咸,咸無也。不言無而言有,此即《易》之開宗明義也。然《序卦》不言咸,而《繫下傳》於“憧憧往來朋從爾思”一爻,推闡“往來屈信”之理。而以窮神知化歸之,聖人之意亦可見矣。《傳》曰“書不盡言,言不盡意”,故聖人立象以盡意。

《下経》は咸卦を以て頭を開くも、然れども《序卦伝》のあの一段は却って始終咸卦を提げず――「咸」は即ち「感」なるを以て、其の体は虚にして心無くして、「無」に属す。「無」を説かずしてただ「有」を説くは、此れ正に《周易》の宗を開き義を明らかにするの立場なり。不過《序卦伝》は咸を提げずと雖も、《繋辞下伝》は却って咸卦九四「憧憧として往来し、朋は爾の思いに従う」の此の一爻に就いて、「一往一来・一屈一伸」の道理を推闡して、最後「神を窮め化を知る」の上に帰結せり。聖人の用意は此に由りてもまた看て出る可し。《繋辞伝》曰く「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」、ゆえに聖人は別に卦象を立てて以て意思を把りて表達し尽くす。

書所未言者,自當求之於言外之意。意有未得者,當索之於所立之象。自象學不明,或空言以說理,或執經而忘象。更以門戶派別之故,互相攻擊,入主出奴,是丹非素,而《易》道遂晦盲終古矣。須知《易》固以有立教,然有無實相對待,言有而無可見。孔子猶慮後人之以辭害意,而不能通也,故特表咸之九四一爻,以明同歸殊途之旨。

書上に写し出さざる所は、自然に言外の意の裏に到りて尋求するを要し、意思は還た領会し到らざれば、便ち立てる所の卦象の裏に到りて捜索するを要す。象学は明ならざるより自りて、学者あるいは空談して義理を論じ、あるいは死に経文を抱えて而して卦象を忘れ、再加うるに門戸派別の縁故を以て、彼此攻撃して、此の一家に進めば便ち主人と奉じ・あの一家に出でれば便ち奴僕と視同して、自家は紅・別家は白と認定して、《周易》の道は是に於て長久に昏昧不明なり。要知るべし《周易》は固然「有」を以て教を立つるも、然れども有と無とは本来相対して存すれば、「有」を把りて講じ透れば、「無」もまた便ち顕出す。孔子は還た後人の文辞に拘泥して本意を妨害し・終究講じ通じ通ぜざらんことを擔心して、ゆえに特意咸卦九四の此の一爻を標出して、来りて「帰を同じくして途を殊にす」の宗旨を闡明す。

蓋立教為中人以下說法,而精義入神之道,則非言所能盡。而立象盡意,是在中人以上自悟之耳。故卦象乾為無,自無而有,由坎出震,而生生之道乃循環而不已。咸為無,君子以虛受人,而窮神知化之學,始日進而不窮。乾之無,天極也。咸之無,人極也。通天地人謂之儒,貫通三才而返本窮源,則仍必以契合乎天為止境。故六十四卦統歸納於一乾,而“大哉乾元乃統天”。明乎此,則後儒斷斷於有無之界者,均可渙然而冰釋矣。

大凡教を設けるは中等以下の人に替わりて説法するなり。至りて「精義は神に入る」のあの一層は、便ち言語の能く説き尽くす所に非ず。象を立てて以て意を尽くすは、ただ中等以上の人の自ら領悟するを靠るのみ。ゆえに卦象に就いて説かば、乾は「無」と為して、無よりして有を生じて、坎の中の一陽は出でて震と為りて、生生の道は是に於て循環して已まず。咸もまた「無」と為して、《象伝》曰く「君子は虚を以て人を受く」、惟れ其の能く虚なれば、神を窮め化を知るの学問は始めて日日長進して止境無し。乾の「無」は「天極」にして、咸の「無」は「人極」なり。能く天・地・人の三者を貫通して始めて儒と称するに配して、而して三才を貫通し・本に返り源を窮めて、最終は仍ほ必ず天に契合するを以て帰宿と為すべし。ゆえに六十四卦は統統一個の乾に帰納して、《彖伝》は始めて曰く「大なるかな乾元、万物は之に資りて始まる、乃ち天を統ぶ」。此の一層を明白にせば、後世儒者の有と無との界限の上に於て争弁して休まざるあれらの話は、皆可なり氷を渙らし釈らしむべし。

此外如尊卑、貴賤、幽明、始終、多寡、善惡、利害、窮通、遲速、安危、治亂、存亡、寒暑、晝夜、燥溼、俯仰、平陂、虛實、闢翕、分合、輕重、微顯、厚薄,與夫天地、日月、男女、禮樂、仁義,凡相對待者,皆一陽一陰之義,未可悉舉。所謂“因貳以濟民行,以明得夫之報”者也。孔子《十翼》以“乾剛坤柔”終篇,取五十六卦一一以對待明義,而又於《繫傳》特著其例,曰“乾坤為《易》之門”。得其門而入者,可知所自矣。

此の外尊と卑と・貴と賤と・幽と明と・始と終と・多と寡と・善と悪と・利と害と・窮と通と・遅と速と・安と危と・治と乱と・存と亡と・寒と暑と・昼と夜と・燥と湿と・俯と仰と・平と陂と・虚と実と・闢と翕と・分と合と・軽と重と・微と顕と・厚と薄と、および天地・日月・男女・礼楽・仁義のごとき、凡そ両兩相対して立てるは、皆一陽一陰の意思にして、多きこと挙げて勝えず。此れ即ち《繋辞伝》の説く所の「貳に因りて以て民行を濟し、以て失得の報を明らかにす」(原刻は「失得」は「得夫」と訛す)――陰陽の此の一対の両端を借りて百姓の行事を幇助して、人をして得失の報応を明白せしむ。孔子の《十翼》は、末篇《雑卦伝》は即ち「乾は剛にして坤は柔なり」を以て首を開きて全書を終結して、五十六卦を取りて一対一対に其の義を闡明し、また《繋辞伝》の裏に於て特地此の條の通例を標出して、「乾坤は、其れ《易》の門なるか」と曰う。此の道の門を找して走りて入る人は、便ち《易》理は何処より来るを知らん。

對待之辭曰“對辭”,而非對待者曰“單辭”。單辭者,凡以為對辭之用也。且單辭亦往往含有二義,辭繁非可悉舉,茲略舉如左。

両兩相対して立てるの辞は「対辞」と叫作して、成対ならずして単出するの辞は「単辞」と叫作す。単辞の用処は、大体仍ほ対辞に為に服務するなり。而且単辞本身もまた往往両層の意思を兼含す。此の一類の辞は太だ繁多にして、一一に列挙する法無し。下面はただ要を擇みて幾條を挙げ出す。

中

《易》道尚中。凡過乎中者,大過小過,皆變化之進退之以求合乎中。蓋人為天地之中,故以中立人之極,而陰陽剛柔始各得其正,而無所偏倚,而後盡《易》之能事也。中有虛實二義:實者有形,以所處之位言之,如卦之二五兩爻是也。虛者無質,以至當之主義言之,如卦之主爻是也。蓋一卦之主爻,有時在二五,有時不在二五。如比以五陽為主,同人以五陰為主者,主爻在爻位之中者也。復以初陽為主,小畜以四陰為主者,主爻不在二五之中者也。故曰“中無定在”。

《周易》の道は「中」を以て貴しと為す。凡そ中を超過するは、大過・小過の両卦のごとき、皆変化に靠り・進退に靠りて以て中に合するを求得するを要す。人は天地の中に居れば、ゆえに「中」を用いて人の準極を立て起きて、陰陽剛柔は始めて各々其の正を得て偏らず倚らずして、《周易》の功用もまた始めて尽くし得と算す。「中」は虚・実の両層の意思を含有す。実の一層は形有りて指す可くして、処する所の爻位に就いて説かば、一卦の二爻と五爻とのごときは便ち是れなり。虚の一層は形質無くして、一卦の最も恰当の主脳に就いて説かば、一卦の「主爻」のごときは便ち是れなり。一卦の主爻は、ある時は正在二五にして、ある時は並びに二五に在らず。例えば比卦は九五の此一陽爻を以て主と為し、同人卦は六二の此一陰爻を以て主と為すは、此れ主爻は恰も中位に在るなり。復卦は初九の一陽を以て主と為し、小畜卦は六四の一陰を以て主と為すは、此れ主爻は並びに二五の中に在らざるなり。ゆえに「中に定在無し」と曰う。

以二五為中者,如天平倚點居正中,重心與中心,同居一位。不在二五之中者,如秤桿之倚點,視重點力點比例之差,求得其力點與倚點距。重點與倚點距,相等之所在,即中心之所在也。孟子曰“子莫執中”,執中為近之。執中無權,猶執一也。蓋即如天平之中也。《易》道之中,即孟子所謂權,可以前後移動,以求合力點重點與倚點相等之中者也。

二爻五爻を以て中と為すは、好比天平の支点は正に正当中に処して、重心と中心とは同一処に在るがごとし。二五に在らずして仍ほ中と称するは、好比秤杆の上の提紐にして、重物と力臂との比例の差別を看て、力点より提紐に至るの距離と重点より提紐に至るの距離とを算い出して、両辺相等しきあの位置は、即ち中心の所在なり。孟子曰く「子莫は中を執る」、中を執るはすでに道に接近するも、然れども彼は続けて説きて曰く「中を執れども権無ければ、猶ほ一を執るがごとし」――ただ中点を死守することを知りて而して軽重を称量するを会せざれば、便ち一点を抱えて放さざるに等しくして、あの種の中は不過天平式の固定的の中なるのみ。《周易》の講ずる所の中は、正に孟子の説く所の「権」なり。それは前後に移動して、以て力点・重点と支点との両辺相等しきあの中を求得す可し。

時

孔子之道曰“時”曰“中”,後人稱為“時中之聖”,要皆推本於《易》道。於《蒙·彖》贊曰:“蒙亨,以亨行時中也。”蒙以養正,聖功之始。然《易經》之言時者,惟《歸妹·九四》曰“遲歸有時”,他無見也。孔子贊《易》,始於時字多所發揮,而於《繫傳》總揭其義曰“變通配四時”,又曰“變通莫大乎四時”,又曰“變通者趣時者也”。於《豐·傳》曰“天地盈虛與時消息”。合而觀之,孔子言“時”之旨趣,具可見矣。

孔子の学説は一個の「時」を講じ・一個の「中」を講じて、後人は此に因りて彼を「時中の聖」と称す。これは皆《周易》の道の上に推本するを要す。孔子は《蒙卦・彖伝》の裏に於て賛して曰く、「蒙は亨る、亨を以て時中に行うなり」。蒙昧の時は正道を用いて培養するは、正に聖功の開端なり。不過《易経》の経文の裏に「時」を説き到るは、ただ《帰妹・九四》の「遅く帰するは時有り」の一処有るのみにして、別処は再び無し。孔子は《易》を賛して、始めて「時」の字に対して大いに発揮を加えり。《繋辞伝》の裏に於て其の義を総括して曰く「変通は四時に配す」、また曰く「変通は四時より大なるは莫し」、また曰く「変通とは、時に趣く者なり」。《豊卦・彖伝》の裏に於て曰く「天地は盈虚して、時と消息す」。合わせて看れば、孔子の「時」を講ずるの意趣は便ち全部顕出す。

故於乾之九三日“與時偕行”,於上九曰“與時偕極”。損益皆曰“與時偕行”,隨曰“隨時”,節曰“失時”,革曰“明時”,無妄曰“對時”,睽蹇皆曰“時用”,豫姤旅皆曰“時義”,坤曰“時發”,賁曰“時變”,而於《艮·彖傳》總揭其義曰:“時止則止,時行則行。動靜不失其時,其道光明。故君子進德修業欲及時也。”此可謂孔子於《易》獨得之秘,而為天下萬世指迷者也。

ゆえに孔子は乾卦九三の下に於て「時と偕に行う」と曰い、上九の下に於て「時と偕に極る」と曰い、損・益の両卦は皆「時と偕に行う」と曰い、随卦は「時に随う」と曰い、節卦は「時を失う」と曰い、革卦は「時を明らかにす」と曰い、无妄卦は「時に対す」と曰い、睽・蹇の両卦は皆「時の用」と曰い、豫・姤・旅の三卦は皆「時の義」と曰い、坤卦は「時に発す」と曰い、賁卦は「時に変ず」と曰い、最後《艮卦・彖伝》の裏に於て其の義を総括して曰く、「時に止まれば則ち止まり、時に行えば則ち行う。動静は其の時を失わずして、其の道は光明なり。ゆえに君子は徳を進め業を修むるに、総じて時に赶上ぐるを要す」と。此れ孔子の《周易》の中より独得せる秘要と謂う可くして、もまた彼の天下万世に為に迷津を指点するの処なり。

若以時論時,則亦含有二義:一曰有定之時。如天之四時,時有定候,非人之所能變更,是惟順承乎天,所謂後天而奉天時者也。一曰無定之時。如人事之有輕重緩急,而陰陽五行各有始有壯有究,或損或益,或行或止,所謂觀乎天文以察時變者也。故時有以盈虛消息言者,泰否剝復之類是也。有以事言者,訟師噬嗑頤之類是也。有以理言者,謙履咸恆之類是也。有以象言者,井鼎之類是也。

若し単に「時」の本身に就いて講ずれば、もまた両層の意思を含有す。一は有定の時にして、天上の四季のごとき、時候は各々一定の節候有りて、並びに人の能く変更する所に非ずして、ただ順く承けてそれに奉ずるのみにして、もまた即ち《乾卦・文言》の説く所の「天に後れて天時を奉ず」なり。二は無定の時にして、人事に軽重緩急有るがごときにして、而して陰陽五行は各々開始有り・壮盛有り・終究有りて、あるいは損じあるいは益し、あるいは行いあるいは止まるは、もまた即ち《賁卦・彖伝》の説く所の「天文を観て、以て時変を察す」なり。ゆえに《周易》の時を講ずるは、盈虚消息の上より講ずる有りて、泰・否・剥・復の一類は是れなり。具体的事情の上より講ずる有りて、訟・師・噬嗑・頤の一類は是れなり。義理の上より講ずる有りて、謙・履・咸・恒の一類は是れなり。物象の上より講ずる有りて、井・鼎の一類は是れなり。

位

《繫傳》曰“卑高以陳,貴賤位矣”,又曰“列貴賤者存乎位”。《說卦傳》“天地定位”,“《易》六位而成章”,此皆指卦位與爻位而言也。《繫傳》曰“危者安其位者也”,又曰“德薄而位尊”,此則由爻象而擬議之爵位之位也。故“位”字亦有此二義。帝出乎震,震東方也,至艮東北之卦也。此八卦之方位。卑高以陳,貴賤位矣,則上下卦(即外卦內卦)之位定。上卦為高,下卦為卑,貴宜卑而賤有高矣。

《繋辞伝》曰く「卑高以て陳なり、貴賤は位せり」、また曰く「貴賤を列する者は位に存り」。《説卦伝》曰く「天地は位を定む」、《繋辞伝》曰く「《易》は六位にして章を成す」――これらは皆卦位と爻位とに就いて言うなり。《繋辞伝》はまた曰く「危なる者は、其の位を安んずる者なり」、曰く「徳薄くして位尊し」、此れ即ち爻象より推擬して人間の爵位に到るの「位」なり。ゆえに「位」の字もまた此の両層の意思を含有す。《説卦》は「帝は震より出づ」を講じて、震は東方に在りて、一路数えて艮に到りて、艮は東北の卦にして、講ずる所は八卦の方位なり。「卑高以て陳なり、貴賤は位せり」は、講ずる所は則ち上卦と下卦と(もまた即ち外卦と内卦との)位次のすでに定まれるなり。上卦は高と為し・下卦は卑と為すも、然れども尊貴なる者は反って卑下に自処するに宜しくして、卑賤なる者もまた高処に居るの時有り。

列貴賤者存乎位,則卦爻二五,五貴而二賤。王弼謂中四爻有位,初上無位者,即此位也。《易》六位而成章,則分陰分陽,迭用柔剛。所謂陰陽之位,初三五為陽位,二四六為陰位。陽居陽,陰居陰,為當位。反之為不當位。位從立從人,所謂“立人之道曰仁與義”,故三畫卦與六畫卦,皆分天地人三位。而孔子贊《易》則專言人道,天位地位皆以人居之,必能合乎仁義之道,方能與天地參而無慚此位也。

「貴賤を列する者は位に存り」は、爻に就いて言えば二爻と五爻と相対して、五は貴と為して二は賎と為す。王弼は中間四爻に位有り・初爻と上爻とは位無しと曰うは、指す所は即ち此の位なり。「《易》は六位にして章を成す」は、講ずる所は則ち「陰を分かち陽を分かちて、柔剛を迭用す」なり。所謂陰陽の位とは、初・三・五は陽位と為し・二・四・上は陰位と為して、陽爻は陽位に居り・陰爻は陰位に居るを「当位」と叫作して、反って来れば便ち「不当位」なり。「位」の字は立より従い人より従いて、正に《説卦》の「人の道を立つ、仁と義と曰う」の意思に合せば、ゆえに三画の経卦と六画の重卦とは、皆天・地・人の三位を分かつ。而して孔子は《易》を賛して専ら人道を講ず。天位然り・地位然り、皆人に由りて居るを要す。人は必ず仁義の道に合せば、始めて天地と並び立てて三と為して此の位に愧じ無し。

徳

《易》之言德,亦分二義:一曰卦德。《繫辭》“雜物撰德”,又曰“陰陽合德,剛柔有體,以體天地之撰”,此卦德也。夫乾天下之至健也,德行恆易以知險。夫坤天下之至順也,德行恆簡以知陰。健順乾坤之德也。推之震動巽入,離麗坎陷,艮止兌說,皆其德也。而人用即謂之材。彖者材也,故亦謂之卦材。

《周易》の「徳」を講ずるは、もまた両層の意思に分かつ。第一層は卦徳なり。《繋辞伝》曰く「物を雑えて徳を撰す」、また曰く「陰陽は徳を合して、剛柔は体有り、以て天地の撰に体す」、講ずる所は便ち卦徳なり。乾は天下最も剛健にして、其の徳行は永遠に平易にして、因りて能く険難を識破す。坤は天下最も柔順にして、其の徳行は永遠に簡約にして、因りて能く阻塞を識破す(原刻は「阻を知る」は「陰を知る」と訛す)。健と順とは、即ち乾坤両卦の徳なり。此に由りて類推せば、震は動を主とし・巽は入を主とし、離は附麗を主とし・坎は陥険を主とし、艮は静止を主とし・兌は喜説を主として、皆各々一卦の徳なり。これらの徳は一たび人事の上に落ちて使用せらるれば、便ち「材」と叫作して、《繋辞伝》曰く「彖とは、材なり」、ゆえに卦徳もまた「卦材」と称せらる。

一曰道德。《說卦》曰“和順於道德”,《繫傳》曰“天地之大德日生”,又曰“以通神明之德”,又曰“默而成之不言而信存乎德行”,皆道德之德也。德有大小,必與位稱。無德而據位,謂之竊位。德薄而位尊,其形渥凶。《易》之興也,其於中古。去古已遠,降而言德。《繫辭下傳》七章之三陳九德,即孔子以《易》設教,而示人以立德之方也。

第二層は道徳なり。《説卦》曰く「道徳に和順す」、《繋辞伝》曰く「天地の大徳は生と曰う」、曰く「以て神明の徳に通ず」、曰く「黙して之を成し、言わずして信たり、徳行に存り」、講ずる所は皆道徳の徳なり。徳は大有り小さき有りて、必ず居る所の位と相称せざるべからず。徳無くして位を占むるを「窃位」と叫作して、徳行浅薄にして地位尊崇なれば、便ち鼎卦九四の説く所の「其の形渥にして、凶」のごとくして、鼎足は折断し・粥粥飯は傾覆して狼狽して害を受く。《繋辞伝》曰く「《易》の興るや、其れ中古に於けるか」――あの時到れば上古より已に遠くして、始めて已むを得ず退きて徳を講ず。《繋辞下伝》の第七章は三たび九個の卦の徳を陳説するは、正に孔子の《周易》を借りて教を設けて、人に徳を立つるの門径を指示するなり。

変

《繫傳》曰“道有變動,故曰爻”,又曰“爻者言乎變者也”,又曰“一闔一闢謂之變”,又曰“剛柔相推而生變化,變化者進退之象也”,又曰“參伍以變,錯綜其數。通其變遂成天地之文,極其數遂定天下之象。非天下之至變,其孰能與於此”,又曰“《易》窮則變,變則通”,又曰“變而通之以盡利”,又曰“變動不居,周流六虛。上下無常,不可為典要,唯變所適”。繫辭之言變,詳且盡矣。蓋宇宙以變而久存,亦以變而日新。無時不變,無境不變。特其跡甚微,人自不知覺耳。

《繋辞伝》曰く「道に変動有り、故に爻と曰う」、曰く「爻とは、変を言う者なり」、曰く「一闔一辟これを変と謂う」、曰く「剛柔相推して変化を生ず、変化とは、進退の象なり」、曰く「参伍を以て変じ、其の数を錯綜す。其の変を通ずれば、遂に天地の文を成し、其の数を極めれば、遂に天下の象を定む。天下の至変に非ざれば、其れ孰か能く此に与らん」、曰く「《易》は窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」、曰く「変じて之を通じて以て利を尽くす」、また曰く「変動して居らず、六虚に周流し、上下に常無くして、典要と為すべからず、惟れ変する所に適う」。《繋辞伝》の「変」を講ずるは、詳尽して遺無しと謂う可し。大凡宇宙は正に変有るを以て始めて長久に存在し得べく、もまた正に変有るを以て始めて天天更新し得べし。一刻と雖も変せざる無くして、一処と雖も変せざる無し。ただ変の痕迹は極めて細微にして、人は自ら察覚し得ざるのみなり。

通

《易》窮則變,變則通。故“變通”二字,往往聯綴而言。《繫傳》曰“一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通”,又曰“化而裁之謂之變,推而行之謂之通”,又曰“變通配四時”,又曰“無思也,無為也,寂然不動,感而遂通天下之故”,又曰“唯深也,故能通天下之志”,又曰“通乎晝夜之道而知”,又曰“觀其會通以行其典禮”,又曰“體天地之撰以通神明之德”。合變通而觀之,而《易》之所以為《易》可見矣。

《周易》は「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」を講じて、ゆえに「変」「通」の両個の字は常常連綴して一緒に説く。《繋辞伝》曰く「一闔一辟これを変と謂い、往来窮まらざるをこれを通と謂う」、曰く「化して之を裁すをこれを変と謂い、推して之を行うをこれを通と謂う」、曰く「変通は四時に配す」、曰く「思い無く、為無く、寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ず」、曰く「惟れ深きや、故に能く天下の志を通ず」、曰く「昼夜の道に通じて知る」、曰く「其の会通を観て、以て其の典礼を行う」、また曰く「以て天地の撰に体し、以て神明の徳に通ず」。「変」と「通」との両面を把りて合わせて看れば、《周易》の《易》と叫作す所以もまた、便ち明白なり。

而《序卦傳》曰“泰者通也。物不可以終通,故受之以否”,《雜卦傳》曰“井通而困相遇也”,《繫傳》又曰“困窮而通”,《乾·文言》曰“六爻發揮旁通情也”,《坤·文言》曰“君子黃中通理”。合而觀之,而《易》可通矣。

再看《序卦伝》曰く「泰とは、通なり。物は終に通ずるべからず、故に之を受くるに否を以てす」、《雑卦伝》曰く「井は通じて困は相遇うなり」、《繋辞伝》はまた曰く「困は窮して通ず」、《乾卦・文言》曰く「六爻発揮して、旁通するは情なり」、《坤卦・文言》曰く「君子は黄中にして理に通ず」。これらの話を把りて合わせて看れば、《周易》もまた貫通す可きなり。

当

適其可之謂當。凡變也通也,變而通之以盡利,無非由不當而變通之以求其當而已矣。止於至善,位之當也。當其可之謂時,時之當也。陽九陰六之位當矣,而時不相得,或情不相得,則仍有未當。故《象傳》有以當位之爻而言位不當者,如需之上六等類是也。變通之最大者,莫過於革。《革·彖傳》曰“革而當其悔乃亡”,而當之義可見矣。

恰好其の当に応ずべきに合するを、便ち「当」と叫作す。凡そ変を講じ・通を講じ、所謂「変じて之を通じて以て利を尽くす」は、非ずと皆不当の状態より変通を経由してあの当を求得するのみなり。《大学》曰く「至善に止まる」、あれは位置上の当なり。《学記》曰く「其の可に当るを時と謂う」、あれは時機上の当なり。ある時は陽爻は九位に居り・陰爻は六位に居りて、位置はすでに当と算するも、然れども時機上は彼此合わず、あるいは情性上は彼此合わざれば、あの処仍ほ未だ当ならざるの処有り。ゆえに《象伝》の中には明明当位の爻なるに仍ほ其の位は当ならずと説くの情形を出現す。需卦上六の一類のごときは便ち是れなり。変通の裏最大なるは「革」より過ぐる莫くして、《革卦・彖伝》曰く「革めて当なれば、其の悔は乃ち亡ぶ」――変革は恰当なれば、悔恨は始めて消失す。「当」の字の意義は、此に由りて便ち看て明白なり。

交

易者交易也。非交無以為易,故交者《易》之妙用,亦不啻為《易》之代名辭也。《繫傳》曰“君子安其身而後動,易其心而後語,定其交而後求”,又曰“無交而求,則民不與也”。蓋《易》以明道,而道在人。人在天地間,決不能離群而獨立也。近則男女夫婦父子,遠則君臣朋友,無不有所合也。有合則必有交。人在天地間,又不能絕物而自養也。小則日用飲食,大則養生送死,無不有所需也。有需則必有交。

「易」の一層の本義は便ち交易なり。交無ければ、便ち易を構成する能わざれば、ゆえに「交」は《周易》の妙用にして、簡直《易》の代名詞と當てる可し。《繋辞伝》曰く「君子は其の身を安んじて後に動き、其の心を易えて後に語り、其の交を定めて後に求む」、また曰く「交無くして求むれば、則ち民は与せざるなり」――交情は未だ定まらずして人を求めに往けば、人家は応答するを会せざるなり。《周易》は用て道を闡明するにして、而して道は便ち人の身上に落つ。人は天地の間に生れて、絶対に群體を離れて独自存在するは不可能なり。近きは男女・夫婦・父子有りて、遠きは君臣・朋友有りて、一様として結合を需要せざる無し。結合有れば必定交往有り。人は天地の間に生れて、また外物を断絶して自給自養するは不可能なり。小さきは日常の飲食より大ききは生者を奉養し・死者を送別するに至るまで、一様として人に取給するを需要せざる無し。需要有れば必定交往有り。

甲有所需於乙,乙有所需於甲,丙有求合於丁,丁有求合於丙,於是交相為需,交相為養,而人事以興。故《易》象以陰陽明之。陰交於陽,陽交於陰,大有之“無交害”,隨之“交有功”是也。《家人·傳》曰“交相愛也”,《睽·傳》曰“交孚無咎”,故必相愛相孚,而交之道始可久。天地交則泰,否則天地不交萬物不生,人道息矣。西人曰“互助”,惟《易》之“交”足以盡其義也。

甲は乙に求むる所有り、乙もまた甲に求むる所有り、丙は丁と結合せんと要して、丁もまた丙と結合せんと要して、是に於て彼此互相需を供い・互相養を奉じて、人間の事業は始めて興盛に起れり。ゆえに《周易》は陰陽の象を用いて此の層の道理を説明す。陰と陽と交わり・陽と陰と交わるは、大有卦初九の「交り害無し」・随卦九四の「交り功有り」は便ち是れなり。《家人・彖伝》曰く「交わり相愛すなり」、《睽卦・彖伝》曰く「交わり孚あれば、咎無し」――彼此誠を以て相信ずれば、便ち過錯あるを会せず。ゆえに必ず互相愛し・互相信ぜれば、交往の道は始めて長久なるを得。天地は相交すれば便ち泰卦と成りて、反って天地交わらざれば、万物は化生するに従り無くして、人道もまた便ち断絶す。西方人の講ずる「互助」は、もまたただ《周易》の一個の「交」の字のみが其の意思を説き尽くすに足るなり。

幾

吉凶悔吝生乎動,而欲動未動之前,則為幾。《繫傳》曰“知幾其神”,又曰“幾者動之微吉之先見者也”。《乾·九三》“終日乾乾夕惕若”,《文言》曰“知至至之可與幾也”。《屯·六三》曰“君子幾,不如舍,往吝”,《豫·六三》“介于石不終日”,《繫傳》曰“見幾而作,寧用終日”。蓋乾九三為人爻之始,動靜所生,吉凶著焉。理欲之界,人禽判焉。孟子所謂“人之所以異於禽獸者幾希”,即此幾也。周子所謂“誠無為,幾善惡”,亦此幾也。

吉・凶・悔・吝は皆「動」の上より生出して、而して将に動かんとして未だ動かざるあの一瞬は、便ち「幾」と叫作す。《繋辞伝》曰く「幾を知るや其れ神なるかな」、また曰く「幾とは、動の微にして、吉の先見なる者なり」。《乾卦・九三》曰く「終日乾乾たり、夕に惕たること若し」、《文言》は解釈して曰く「至るを知りて之に至る、与に幾なり」。《屯卦・六三》曰く「君子は幾なり、舎するに如かず、往かば吝なり」。豫卦の爻辞曰く「石に介して、終日せず」、《繋辞伝》は申説して曰く「幾を見て作す、終日を俟たず」。乾卦九三は正に人爻の開端にして、一動一静は此に由りて生出して、吉凶もまた便ち之に随いて顕現す。天理と人欲との分界・人と禽獣との判別もまた、皆此の一点上に在り。孟子の説く所の「人の禽獣に異なる所以の者は幾希なり」は、指す所は即ち此の幾にして、周敦頤《通書》の説く所の「誠は為無く、幾に善悪あり」は、指す所もまた此の幾なり。

復之初九“不遠復,毋祗悔”,孔子曰“顏氏之子,其庶幾乎”。故幾者,《易》道精微之所在。堯舜之心傳,曰:“人心惟危,道心惟微。”幾者,動之微,即此道心之微也。君子知幾,即在“不遠復”之“反復其道”。故《文言》又曰“終日乾乾,反復道也”。聖人丁寧告誡之意,亦可謂深切而著明矣。“夫《易》,聖人所以極深而研幾也。唯深也,故能通天下之志。唯幾也,故能成天下之務。”“幾事不密則害成”,是以“君子洗心退藏於密”。

復卦初九曰く「遠からずして復る、祗悔無し」、孔子は《繋辞伝》の裏に於て讃嘆して曰く「顔氏の子は、其れ殆ど庶幾なるか」。見ゆべし「幾」は正に《易》道の最も精微の所在なり。堯舜相伝える心法は曰く、「人心は惟れ危く、道心は惟れ微し」。幾は動の微にして、もまた即ち此処の講ずる所の道心の微なり。君子は幾を知らんと要して、功夫は便ち「遠からずして復る」の体現する所の「其の道を反復す」の上に落つれば、ゆえに《文言》はまた曰く「終日乾乾たり、道を反復するなり」。聖人の反復して告誡を叮嚀するの用意は、既に深切にしてもまた明白と謂う可し。《繋辞伝》曰く、「夫れ《易》は、聖人の深きを極め幾を研ぐ所以なり。惟れ深きや、故に能く天下の志を通ず。惟れ幾なるや、故に能く天下の務を成す」。また曰く「幾事は密ならざれば則ち成を害す」、ゆえに「君子は心を洗い、退きて密に蔵る」。

至

《乾·彖傳》曰“大哉乾元”,《坤·彖傳》曰“至哉坤元”。大無限量,而至有際極。大也,至也,聖人贊《易》開始之第一字也。即此一字,已將乾坤全體之精神分量,概括無遺。並將乾坤兩卦之方式作用,分析明自。挈全《易》之綱領,洩造化之神秘。《繫傳》曰:“《易》其至矣乎!”聖人之情見乎辭矣。大者何,由小以至大也。非至無由顯其大,非大無以極其至,故至亦有大義。

《乾卦・彖伝》は頭を開きて「大なるかな乾元」と曰い、《坤卦・彖伝》は頭を開きて「至れるかな坤元」と曰う。「大」は限量無くして、「至」は辺際極処に到達す。一個の「大」の字・一個の「至」の字は、聖人の《易》を賛する時に落下せる第一個の字にして、此の一個の字に凭るのみにて、すでに乾・坤全体の精神分量を把りて概括して遺無くして、并且乾坤両卦の形式と作用とを把りて分析明白せり(原刻は「明白」は「明自」と訛す)。それは全部《周易》の綱領を提起して、もまた造化の神秘を泄露せり。《繋辞伝》曰く、「《易》は其れ至れるかな」。聖人の心意は便ち皆辞句の裏に表現せり。何を「大」と叫ぶや。是れ小より一步步大に到達するなり。「至」らざれば便ち其の大を顕出すに従り無くして、「大」ならざればもまた其の至を窮尽するに従り無し。ゆえに「至」の字の裏もまた「大」の意思を含有す。

家人、豐、渙,皆云“王假”。假,大也,至也,皆坤之義也。《坤·初六》“履霜堅冰至”,履通謙,謙履相錯為臨遁,故《臨·六四》曰“至臨”。《坤·六四》“括囊”,括,亦至也。而《臨·彖》“至于八月有凶”,謂臨至遁也。由此至彼,必上有所承,故必須承乎乾元,始得止於至善,而為坤元,為至哉坤元,為至道,為至德。為至當不易,失其所承,則為失道,為迷。

家人・豊・渙の三卦は皆「王假(假は格に読みて、是れ到達の義)」を説く。「假」は便ち大にして便ち至にして、皆坤の意義に属す。《坤卦・初六》曰く「霜を履めば、堅氷至る」。履卦は謙卦と旁通して、謙・履は相錯すれば便ち臨と遯とを成れば、ゆえに《臨卦・六四》曰く「至臨」。《坤卦・六四》曰く「嚢を括る」、「括」もまた至・極の意思を含有す。《臨卦・彖伝》曰く「八月に至りて凶有り」は、講ずる所は臨卦より推して遯卦に到るなり。凡そ此処よりあの処に到るは、上面は必ず承け接ぐる所有るを得て、ゆえに必定乾元を承け接げば、始めて至善に止まりて其の坤元と為るを成し、始めて「至れるかな坤元」と称するに配し、始めて其の至道・至徳を成して、其の至当にして移らざるを成す。一旦承け接ぐる所を失掉せば、便ち失道と成りて、迷途と成る。

《復·上六》“迷復凶”,《傳》曰“至于十年不克征”,故得道則曰“朋至(解)”,失道則曰“寇至(需)”,“朋至”則“得其友(損)”,“寇至”則“傷之”者至矣(益)。履和而至(履通謙,則陰陽和),則非堅冰至,則積善必有餘慶。《繫傳》曰:“勞謙,君子有終,吉。勞而不伐,有功而不德,厚之至也。”又曰:“藉之用茅,何咎之有?順之至也。”順與厚,皆坤德也。《文言》曰:“坤,至柔而動也剛,至靜而德方,後得主而有常,含萬物而化光。坤道其順乎?順天而時行。”贊坤元無餘蘊矣。故《易》者,天下之至精,天下之至變,天下之至神。皆“至哉坤元”之至,故“不疾而速,不行而至”。

《復卦・上六》曰く「復に迷う、凶」、《象伝》曰く「十年に至るまで征すること克たず」。ゆえに道を得るは便ち「朋至る」と曰い(解卦九四の「朋至りて斯に孚あり」を見よ)、道を失うは便ち「寇至る」と曰う(需卦九三の「寇を致し至る」を見よ)。「朋至る」は便ち能く「其の友を得」(損卦六三を見よ)、「寇至る」は則ち連ねて「之を傷つく」の人もまた跟着して到る(益卦上九を見よ)。《繋辞伝》曰く「履は和して至る」(履は謙と旁通すれば、ゆえに陰陽は調和す)、あの処便ち「堅氷至る」のあの種の凶険に非ずして、而して善を積むの家は必ず余慶有るなり。《繋辞伝》はまた曰く、「労くして謙む、君子は終り有りて、吉なり。労くして伐たず、功有りて徳とせず、厚の至りなり」。また曰く、「用いるに茅を藉く、何の咎之れあらんや。順の至りなり」。順と厚とは、皆坤の徳なり。《坤卦・文言》曰く、「坤は至柔にして動くや剛にして、至静にして徳は方にして、後れて主を得て常有りて、万物を含みて化に光あり。坤道は其れ順なるか、天に順いて時に行う」。坤元を讃頌して再び余蘊無し。ゆえに《周易》は天下最も精・最も変・最も神の書にして、これらの「至」の字は皆「至れるかな坤元」のあの至に本づけば、ゆえに《繋辞伝》はそれを説きて「疾からずして速く、行かずして至る」と曰う。

道

《說卦》曰:“昔者聖人之作《易》也,將以順性命之理。是以立天之道,曰陰與陽。立地之道,曰柔與剛。立人之道,曰仁與義。兼三才而兩之,故《易》六畫而成卦。分陰分陽,迭用柔剛。故《易》六位而成章。”《繫傳》曰:“《易》之為書也,廣大悉備。有天道焉,有地道焉,有人道焉。兼三才而兩之,故六。六者,非它也,三才之道也。”又曰:“六爻之動,三極之道也。”此《易》道也。

《説卦》曰く、従前聖人は《易》を作して、是れそれを用いて性命の理に順応せんと要せり。ゆえに天の道を確立して陰と陽と叫作して、地の道を確立して柔と剛と叫作して、人の道を確立して仁と義と叫作す。天地人の三才を把りて各々一層を重ねて、ゆえに《易》は六画を画いて始めて一卦と成るを要す。もまた陰位陽位を分出して、交替して柔爻と剛爻とを使用して、ゆえに《易》は六位有りて始めて文章を成すを要す。《繋辞伝》曰く、《周易》の此の部の書は広大にして完備にして、天道を其の裏に有り・地道を其の裏に有り・人道を其の裏に有りて、三才を把りて各々一層を重ねれば、ゆえに是れ六なり。六は別のに非ずして、便ち三才の道なり。また曰く、「六爻の動は、三極の道なり」。此れ即ち所謂「《易》道」なり。

經之言“道”者四:《復·彖》曰“反復其道”,《小畜·初九》曰“復自道”,《履·九四》曰“履道坦坦”,《隨·九四》曰“有孚在道,以明”,皆在《上經》,已將道字發揮淨盡,故《下經》不復贅言,以俟後人之觸類旁通而己。《傳》之言“道”者,曰“一陰一陽之謂道”,又曰“形而上者謂之道”。一陰一陽,變化往來,生生不已。以陽易陰,以陰易陽。乾道成男,坤道成女。陰陽反覆,一陰則反其道,一陽則復其道。故《復·彖》曰“反復其道”,而《乾·九三·傳》亦日“反復道也”。

経文の裏に「道」を説き到るは共有四処有り。《復卦・彖伝》曰く「其の道を反復す」、《小畜・初九》曰く「道より復る」、《履卦》曰く「道を履むこと坦坦たり」(杭氏は九四に繋す、今本は九二に在り)、《随卦・九四》曰く「孚有りて道に在り、以て明なり」。此の四処は皆《上経》に在りて、すでに「道」の字を把りて発揮して干净にせば、ゆえに《下経》は再び贅述せずして、留めて後人をして類に触れて旁通せしむるのみなり。《易伝》の裏に「道」を説き到るは、「一陰一陽これを道と謂う」有りて、「形而上の者はこれを道と謂う」有り。一陰一陽は変化往来して、生生して已まず。陽を以て陰を換え・陰を以て陽を換う。乾道は男性を成就して、坤道は女性を成就す。陰陽は往复回環して、一陰に遇えば便ち其の道を「反」して、一陽に遇えば便ち其の道を「復」すれば、ゆえに《復卦・彖伝》曰く「其の道を反復す」、《乾卦・九三・象伝》もまた曰く「道を反復するなり」。

蓋陽以統陰,失其統則亢,亢則宜復。陰以承陽,失其承則迷,迷則宜反。反而不復,有陰而無陽,失道也。復而不反,有陽而無陰,亦失道也。“終日乾乾”之反覆,已復而欲其反也。“七日來復”之反覆,已反而欲其復也。反而不復,則其道窮。復而不反,則其道困。窮而知變,困而知通,通變隨時,損益得中,聖人之道也。知周乎萬物,而道濟天下,故不過,而《易》之道盡矣。

陽の職分は陰を統率するにして、統率を失掉せば便ち亢にして、亢せば便ち「復」すべし。陰の職分は陽を承け接ぐるにして、承け接ぐを失掉せば便ち迷にして、迷えば便ち「反」すべし。ただ反して而して復せざれば、あの処便ち陰有りて而して陽無くして、是れ失道なり。ただ復して而して反せざれば、あの処便ち陽有りて而して陰無くして、同様に是れ失道なり。乾卦「終日乾乾たり」の説く所の反復は、是れすでに復して而してそれを再び反せしめんと要す。復卦「七日にして来り復る」の説く所の反復は、是れすでに反して而してそれを再び復せしめんと要す。反して復せざれば、其の道は便ち窮し、復して反せざれば、其の道は便ち困す。窮して変を懂得し・困して通を懂得して、通変して能く時に随い・損益して能く中を得れば、此れ便ち聖人の道なり。《繋辞伝》曰く「知は万物に周し而して道は天下を濟す、故に過らず」、《周易》の道は此処に到ればもまた便ち講じ尽くせり。

《傳》稱“得中道”五(《離·六三》,《既濟·六二》,《夬·九二》,《蠱·九二》,《解·九二》),“未失道”二(《睽·九二》,《觀·六三》),“其道窮”四(《比·彖》,《蹇·彖》,《坤·上六》,《節·上六》),“失道”三(《坎·初六》、《上六》,《漸·九三》)。由陽而陰,小人之道也,否也。由陰而陽,君子之道也,泰也。

《易伝》の中に「中道を得」を説くは五処有りて、即ち《離卦・六三》《既済・六二》《夬卦・九二》《蠱卦・九二》《解卦・九二》なり。「道を失わず」を説くは両処有りて、即ち《睽卦・九二》《観卦・六三》なり。「其の道窮す」を説くは四処有りて、即ち《比卦・彖伝》《蹇卦・彖伝》《坤卦・上六》《節卦・上六》なり。「道を失う」を説くは三処有りて、即ち《坎卦》の初六と上六と・《漸卦・九三》なり。総じて説かば、陽より転じて陰に向かうは、是れ小人の道にして、もまた即ち否なり。陰より転じて陽に向かうは、是れ君子の道にして、もまた即ち泰なり。

命

有天地而後萬物生焉。萬物生於天地間者,莫不有命。蓋當其未生之前,本無是物也。乃忽而受氣成形,以有是物,形成於地,氣受於天,果孰使之然者?是則所謂命也。聖人設卦觀象,以明萬物之理,即以卦爻之變化往來,以示各有定命之所在。所謂設辭以明之也。《乾·彖》曰“乾道變化,各正性命”,可見命之所自來。即由乾道之變化,乾非坤無以變也,乾變坤化而乾道斯成。亦如男子必得婦生子,而始有父道也。

天地有りて、然る後万物は始めて生出す。凡そ天地の間に生るる万物は、一様として「命」を帯びざる無し。其の還た未だ生出せざる之前に在りては、本来並びに此の様の東西有るに非ざるを以てなり。忽然の間気を禀受し・形を凝成して、是に於て始めて此の様の東西有り。形は地の上に於て成るにして、気は天より受くるにして、究竟是れ誰かそれをして此くのごとくせしむるか。此れ便ち所謂「命」なり。聖人は卦体を設立し・卦象を観察して、用て万物の理を闡明して、もまた便ち卦爻の変化往来を借りて、各物の定命の所在を指出す。此れ便ち所謂「辞を設けて以て之を明らかにす」なり。《乾卦・彖伝》曰く「乾道は変化して、各々其の性命を正しくす」、見ゆべし命の来処は正に乾道の変化の上に在るを。然れども乾は坤無ければ便ち変ずるに従り無くして、乾変じて坤化して、乾道は始めて成立を得。此れ便ち好比男子は必ず妻室有りて児女を生めば、始めて父と為すの道理を談じ得るがごとし。

故曰“一陰一陽之謂道”,分於道之謂命。經之稱“命”者六卦,《否·九四》“有命無咎”,《訟·九四》“復即命”,《革·九四》“改命吉”,《師·九二》“王三錫命”,上六“大君有命”,《泰·上六》“自邑告命”,《旅·六五》“終以譽命”,《傳》則曰“受命”,曰“順命”,曰“舍命”,曰“改命”,曰“申命”,曰“致命”,曰“凝命”。《易》之言命,略具於是矣。

ゆえに「一陰一陽これを道と謂う」と曰いて、而して道の裏より分かち得るあの一份を便ち「命」と叫作す。経文の裏に「命」を説き到るは共有六卦有り。《否卦・九四》「命有りて咎無し」、《訟卦・九四》「復りて命に即く」、《革卦・九四》「命を改むれば吉」、《師卦・九二》「王三たび命を錫う」と上六「大君命有り」、《泰卦・上六》「邑より命を告ぐ」、《旅卦・六五》「終に誉命を以てす」。《易伝》の裏は則ち「命を受く」を説き、「命に順う」を説き、「命を舎つ」を説き、「命を改む」を説き、「命を申ぶ」を説き、「命を致す」を説き、「命を凝す」を説く。《周易》の命を講ずるの話は、大略皆此処に在り。

蓋卦之變化,以正性命者,惟二五。乾二之坤五,其例也。二五之精,妙合而凝。故鼎曰“正位凝命”。命分於道,則道有變化,命亦有變通。受命者,得於天也。凝命者,全其體也。順命者,順其正也。舍命者,察其幾也。申命者,行其事也。致命者,遂其志也。改命者,革其故也。《詩》日:“維天之命,於穆不已。”窮理盡性以致於命,故曰“不知命無以為君子也”。孔子五十而知天命,其亦在學《易》以後乎?

卦の変化の中真に能く「各々其の性命を正しくす」は、ただ二爻と五爻あるのみ。乾卦九二は往きて坤卦の五位に居るは、便ち其の例なり。周敦頤《太極図説》は「二五の精、妙に合して凝る」を講じて、ゆえに《鼎卦・象伝》曰く「位を正しくして命を凝す」。命は既に道の裏より分かち出でたれば、あの処道に変化有れば、命もまた便ち変通有り。所謂「命を受く」とは、是れ天のあの処より得るにして、「命を凝す」とは、是れ其の本体を保全するにして、「命に順う」とは、是れ其の正道に順うにして、「命を舎つ」とは、是れ其の幾微を審察するにして、「命を申ぶ」とは、是れそれを把りて事に推行するにして、「命を致す」とは、是れ自己の志向を遂成するにして、「命を改む」とは、是れ其の旧弊を革除するなり。《詩経・周頌》曰く、「惟れ天の命、於乎穆として已まず」。《説卦》は「理を窮め性を尽くして以て命に至る」を講じて、孔子もまた曰く「命を知らざれば、以て君子と為る無きなり」。孔子は五十歳にして天命を知るは、恐怕くもまた《易》を学ぶ之後ならんか。

理

《說文》:“理,治玉也。從玉里聲。”孔子繫《易》於“理”字約分二義。《說卦》:“和順於道德而理於義。”此理字與和字相針對。和之義為合,理之義為分。分理之理,即治玉之理也。蓋物質之堅緻,而仍有條理可分者,無過於玉。堅則固,致則密。既固且密,則最不易分者,亦無過於玉。故以理為治玉之名,又廣其義為處分萬事。

《説文解字》曰く、「理とは、玉を治むるなり。玉より従い、里は声なり」。孔子は《易》に繋する時「理」の字を用いて、約莫両層の意思に分かつ。《説卦》曰く、「道徳に和順して義に理む」。此処の「理」の字は「和」の字と正相対照す。「和」の意思は合にして、「理」の意思は分にして、分理の理は、もまた即ち玉を治むるの理なり。大凡質地堅硬細密にして仍ほ纹理有りて剖分す可きは、玉より過ぐる無し。堅ければ便ち牢固にして、密なれば便ち緊致にして、既に牢固にしてもまた緊致なれば、あの処最も剖分し易からざるもまた、玉より過ぐる無し。ゆえに「理」を拿りて玉を治むるの名称と作して、後来また其の意義を推広して、用て万事を処置分理するを指す。

萬物之名,《易》道廣大,必分而析之,分而又分,析而又析,而後其精微者乃可得而見。亦如今之治化學者,於一物之體質,必分而析之,至於分無可分,析無可析,而所得者,即為此物之原質矣。故邵子之加一倍法,亦即分析法之還原者也。物理數理,皆有跡象可求,分而理之尚易。至理於義,則精微之至矣。其下文“窮理盡性以至於命”,此理字則為名詞,而非動詞,即指性分中所有之理。

万物の名目は繁多にして、《易》道はまた極めて広大にして、必ず分かち開きて剖析して、分かちて再び分かち・析りて再び析れば、あれらの精微の処は始めて顕現して出る可し。此れ好比今天化学を研究する人は、一件の東西の体質に対して必定分析を加えて、一直に分かちて分かつ能わざるに到り・析りて析る能わざるに到りて、得る所は便ち此の件の東西の元素なり。ゆえに邵雍の「加一倍法」――一は二に分かち・二は四に分かちて、逐層倍增する――もまた即ち分析法の還元なり。物理・数理は皆形跡有りて尋う可くして、分かち開きてそれを条理するは還た容易と算す。至りて「義に理む」の此の一層は、あの処便ち精微極点に到れり。下文「理を窮め性を尽くして以て命に至る」のあの「理」の字は、則ち名詞にして而して動詞に非ずして、指す所は性分の中に本来具有するの理なり。

故鄭康成注《樂記》曰“理猶性也”,朱子注《中庸》曰“性即理也”,竟以理與性,相為轉註。然詳加研究,則終有未安。未可以大儒之說,遂附和之,而以為確當也。蓋性固有理,不能謂理即性,性即理。猶物各有理,不能謂物為理,謂理為物也。先儒此種訓詁,貽誤後學最多。是在學者之自有領悟,愈講解而糾纏愈甚矣。《坤·文言》曰“君子黃中通理”,與《乾·傳》“利貞者,性情也”,呼吸相通。苟於此領悟而有得焉,於明理之學,思過半矣。

ゆえに鄭玄は《礼記・楽記》に注して「理は猶ほ性のごとし」、朱熹は《中庸》に注して「性は即ち理なり」、竟に「理」と「性」とを把りて互相訓釈すべきの同義詞と當てり。然れども細かく研究を加えれば、終究講じて安穏ならずして、大儒の口より出ずるを以て随声附和して・確当と認為すべからざるなり。性の裏頭は固然理を含有するも、然れども理は便ち性・性は便ち理なりと説く能わず。正に物は各々其の理有るが如くにして、然れども物は便ち理・理は便ち物なりと説く能わず。前代儒者の此の一類の訓詁は、後学に貽誤する最も多し。此れただ学者の自ら領悟するを靠るのみにして、越えて講解すれば、糾纏するも越えて利害なり。《坤卦・文言》曰く「君子は黄中にして理に通ず」、《乾卦》の伝文「貞に利なる者は、性情なり」とは、両句の気息は相通ず。若し能く此処に於て領悟して所得有れば、理を明らかにするの学に対して、もまた便ち一大半を懂れり。

性

分於道之謂命,分於命之謂性。心生為性,有生斯有命,有命斯有性,性命恆相聯屬。故《易》言命而不言性。孔子贊《易》,則曰“乾道變化,各正性命”,又曰“窮理盡性以至於命”,又曰“一陰一陽之謂道。繼之者善也,成之者性也”。言性之本源,可謂明白曉暢矣。

道の裏より分かち出でたるを「命」と叫作して、命の裏より分かち出でたるを「性」と叫作す。「性」の字は心より従い生より従いて、心の生ずる所は便ち性にして、生有りて始めて命有り・命有りて始めて性有りて、性と命とは総じて連属して一緒に在り。ゆえに《周易》の経文はただ命を講じて而して性を講ぜず。孔子の《易》を賛するに到りて、始めて「乾道は変化して、各々其の性命を正しくす」を説き、「理を窮め性を尽くして以て命に至る」を説き、また曰く「一陰一陽これを道と謂う。之を継ぐ者は善なり、之を成す者は性なり」。性の本源を講ずるは、明白にして暁暢と謂う可し。

後之言性者,約分三類:孟子,言性善;荀子,言性惡;告子,言性無善無不善。各明一義。性善之說,於立教為宜,故後世多宗之。其實曰善曰惡,已為性之所見端,未可謂之性也。告子無善無不善之說,殊未可厚非。孔子曰“性相近,習相遠”,亦此意也。宋儒因迴護孟子之說,於是創為義理之性,氣質之性,以分別善惡。謂生而善者,義理之性。習而惡者,氣質之性。益支離而不可通矣。

後世の性を講ずるは約莫三派に分かつ。孟子は性善を講じ、荀子は性悪を講じ、告子は性に善無く不善無しを講じて、各々一個の側面を闡明す。性善の説は教を設けるに便利なれば、ゆえに後世は多半それを宗奉す。其の実一は善を説き・一は悪を説くは、すでに性の顕露出せる端倪にして、還た性の本体と算せず。告子の「善無く不善無し」の説法は、実在厚く非すべからざるなり。孔子曰く「性は相近きなり、習は相遠きなり」、講ずる所もまた正に此の意思なり。宋儒は孟子の性善説を回護せんが為に、是に於て「義理の性」と「気質の性」とを造出して以て善悪を分別して、生れて便ち善なるは義理の性に属し・習染して悪なるは気質の性に属すと曰う――此れ便ち越發支離にして講じ通じ通ぜざるなり。

情

情者,性之動也。所謂人生而靜,天之性也。感於物而動,性之慾也。故性與情亦恆相聯屬。《易》言欲而不言情。孔子贊《易》,曰“利貞者,性情也”。《白虎通》曰:“性者,陽之施。情者,陰之化也。”《論衡》曰:“性生於陽,情生於陰。”《說文》:“性,人之陽氣,性善者也。情,人之陰氣,有欲者也。”皆性情並舉。性貞於誠,而情則有誠有偽。《繫辭》曰“設卦以盡情偽”,又曰“爻彖以情言”,又曰“吉凶以情遷。凡《易》之情近而不相得,則凶或害之悔且吝”,又曰“六爻發揮,旁通情也”。觀旁通而情可見矣。

「情」は性の発動なり。《礼記・楽記》の所謂「人は生れて静なり、天の性なり。物に感じて動くは、性の欲なり」は、講ずる所は正に此の層の意思にして、ゆえに性と情ともまた総じて連属して一緒に在り。《周易》の経文はただ欲を講じて而して情を講ぜず。孔子の《易》を賛するに到りて、始めて「貞に利なる者は、性情なり」を説く。《白虎通》曰く、「性とは、陽の施なり。情とは、陰の化なり」。《論衡》曰く、「性は陽より生じ、情は陰より生ず」。《説文解字》曰く、「性とは、人の陽気にして、性の善なる者なり。情とは、人の陰気にして、欲有る者なり」。皆性と情とを把りて並挙す。性は誠を以て正と為して、情は則ち誠有りてもまた偽有り。《繋辞伝》曰く「卦を設けて以て情偽を尽くす」、曰く「爻彖は情を以て言う」、曰く「吉凶は情を以て遷る、凡そ《易》の情は、近くして相得得ざれば則ち凶、あるいは之を害して、悔しく且つ吝なり」、また曰く「六爻発揮して、旁通するは情なり」。「旁通」の推法の上より看れば、情の真偽向背もまた便ち顕出す。

教

教以立人,道以立己,己立立人。故《易》之為書,無非道也,無非教也。卦之言教者三:坎“習教事”,臨“教思無窮”,觀“觀民設教”,而要以“蒙養”為立教之始。孔子更廣其義於漸,曰“居賢德善俗”。於蠱曰“振民育德”。於無妄曰“茂對時育萬物”。於是今世謂之文明教育之事業,而《易》無不備舉矣。而其博大精深之教義,則尚非今世物質文明之教育家,耳目思想所能及。當於卦爻內詳論之,茲未遑悉舉也。

「教」は用て別人を成就するにして、「道」は用て自己を成就するにして、自己先ず立って住し得れば、始めて別人をして立って住し得せしむ。ゆえに《周易》の此の部の書は、一処として道ならざる無くして、もまた一処として教ならざる無し。卦の裏に直接「教」を講ずるは三処有り。坎卦の《象伝》「徳行を常にし、教事を習う」、臨卦の《象伝》「教は思いて窮まり無し」、観卦の《象伝》「方を省み民を観て教を設く」。而して教を立つるの起点は、総じて蒙卦の「蒙にして以て正を養う」に帰するを要す。孔子はまた此の層の意思を把りて推広して開き去り、漸卦に於て「賢徳に居りて俗を善くす」を説き、蠱卦に於て「民を振い徳を育てる」を説き、无妄卦に於て「時に茂く対して万物を育てる」を説く。見ゆべし今天所謂文明教育の種種の事業は、《周易》は一様として已に具備せざる無きを。至りて其の博大精深の教義は、還た並びに今日ただ物質文明を重んずる教育家の耳目見聞と思想との能く企及する所に非ず。これらは当に各卦各爻の中に放りて詳細に討論すべくして、此処は一一に列挙するに及ばざるなり。

用

《易》者,用世之書也。故以有立教,亦以用立教,亦即以中立教。有貴乎能用,有而不能用,則與無等耳。然非無不能明有之用,非用無以盡有之功,非中無以盡用之妙,故曰“有”,曰“用”,曰“中”。此《易》之界說也。必明此界說,而後《易》可得而言。《易》六十四卦,無一非用,而以乾坤用九用六發其凡。用六而曰以大終,則六亦九之用,故以乾元用九而天下治,以竟《易》之全功。《乾·九二》“庸言”“庸行”,言行君子之所以動天地也。而曰“庸”者,庸者用也,明用之非中不立也。

《周易》は一部の経世致用の書なり。ゆえにそれは既に「有」を以て教を立て、もまた「用」を以て教を立てて、同時にもまた即ち「中」を以て教を立つるなり。「有」は能く用いるを貴ぶにして、有りて而して用いる能わざれば、あの処便ち無きと一様なり。然れども「無」を懂らざれば、便ち「有」の作用を説き清むる能わず。「用」し去らざれば、便ち「有」の功效を発揮し尽くす能わず。「中」を得ざれば、便ち「用」の妙処を窮尽する能わず。ゆえに「有」を説き・「用」を説き・「中」を説くは、此れ便ち《周易》の界説なり。必ず先ず此の三條の界説を弄明白して、然る後始めて《易》を講ずるに足る。六十四卦は一卦として用を講ぜざる無くして、而して乾卦の「九を用う」・坤卦の「六を用う」を以て其の通例を発す。坤卦は六を用いて「大を以て終るなり」と説けば、見ゆべし六もまた九の用なるを。ゆえに「乾元は九を用う、天下は治まるなり」、《周易》の全部の功用は此処に到りて始めて完成と算す。《乾卦・九二・文言》は「庸言の信、庸行の謹」を講じて、言と行とは正に君子の拠りて天地を感動するの憑借にして、而して一個の「庸」の字を用うる所以は、「庸」は即ち用なるを以て、用は中を離れば便ち立たざるを表明するなり。

以

以,用也。孔子傳《易》,以明大用,於六十四卦之《象傳》明之。“天行健,君子以自強不息”。“地勢坤,君子以厚德載物”。六十四卦皆此以一字挈其綱,即“五十以學《易》”之以,亦即“以《易》傳教”本旨之所在也。

「以」は便ち用なり。孔子は伝を作りて《易》を解するは、為る所は《周易》の大用を闡明するにして、此の一点は集中して六十四卦の《大象伝》の裏に体現せり。「天行は健なり、君子は以て自ら強めて息まず」「地勢は坤なり、君子は以て厚徳をもって物を載す」――六十四卦は皆此の一個の「以」の字を用いて綱領を提起す。此の「以」は、即ち孔子の説く「五十にして以て《易》を学ぶ」のあの以にして、もまた正に「《周易》を拿りて来りて教を施す」の此の一宗旨の着落処なり。

蓋《彖傳》者,釋內外兩卦之用也。《象傳》則取兩卦之中,合上下之義而貫串之。兩卦之中者何?即三四兩爻,所謂中爻所謂人爻者是也。故曰“若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備”。而二四三五同功,三四於六爻為人位,“立人之道”立於此。孔子之六十四“以”字,亦發明於此。明乎此,則庶乎可盡《易》之用。雖吉凶有命,而悔吝可免矣。故《易》於乾之九三九四兩爻,特著曰“無咎”。

《彖伝》は内卦外卦の両体各自の用を解釈するにして、《大象伝》は則ち両体の交界の処を取りて、上下の意義を把りて合わせて貫串す。所謂両体の交界処は指す所は何なるか。便ち第三・第四の両爻にして、もまた即ち所謂「中爻」・所謂「人爻」なり。ゆえに《繋辞伝》曰く、「若し夫れ物を雑えて徳を撰し、是と非とを辨ずれば、則ち其の中爻に非ざれば備わらず」。二爻と四爻とは同功にして、三爻と五爻とは同功にして、而して三四の両爻は六爻の中に於て正に人位に当たりて、「人の道を立つ」は便ち此処に立てられたるなり。孔子の六十四卦《象伝》の裏に下せるあの六十四个の「以」の字もまた、正に此処より発明して出でたるなり。此の一層を明白にせば、大致便ち《周易》の用を把りて発揮し尽くすを得。吉凶は命数在ると雖も、悔と吝とは却って避免し得べきなり。ゆえに《周易》は乾卦九三・九四の両爻の下に於て、特地「咎なし」の二字を標出して、善く過失を補えば便ち災禍有らざるを表示す。

之

之者,《易》之用也。爻有變動,故曰之。“辭也者各指其所之”,有所之而吉凶見焉。之字作屮。屮者一生三也。《易》者,一陰一陽。動有所之,而用生焉,則二生三也。故曰“一陰一陽之謂道”。之而當,則得道。之而不當,則失道。《無妄·傳》曰:“無妄之往,何之矣。”何之則道窮,是以君子慎其所之。

「之」の字は講ずる所は《周易》の用なり。爻に変動有れば、ゆえに一個の「之」の字を用いて以て表示す。「乾之姤」「乾之同人」の類のごとし。《繋辞伝》曰く「辞とは、各々其の之く所を指す」――往く所有れば、吉凶は便ち之に随いて顕現す。「之」の字の古文は「屮」と写して、屮は一茎は三歧を生出すにして、「一は三を生ず」の意思を取る。《周易》の講ずる所は一陰一陽にして、一たび動きて往く所有れば、用は便ち此に由りて産生して、此れ便ち二は三を生ずるなり。ゆえに「一陰一陽これを道と謂う」と曰う。往きて恰当なれば、便ち道を得るにして、往きて不恰当なれば、便ち道を失うなり。《无妄・彖伝》曰く、「无妄の往く、何に之く」。既に往く可きの処無ければ、道もまた便ち窮せば、ゆえに君子は自己の往かんと要する方向に対して格外謹慎す。

孚

舊說“孚,信也”。坎為信。凡卦言“有孚”,皆指坎,似是而實非也。孚果指坎,何以中孚無坎象?孚固有信之一義,然信字不足以盡孚也。孚從爪,從子,象鳥以爪抱子。鳥子為卵,爪子以象抱卵,有化育之意。中孚卦象,實以巽五兌十,乃五十五數之中,於五行為土。土主化物,故曰中孚。

旧説は「孚は便ち信なり」を講じて、また坎は信と為すと曰いて、凡そ卦爻辞の裏に「孚有り」を講ずるは皆坎卦を指す――此の話は看似るに理有るも、其の実然らず。孚は若し真に専ら坎を指せば、あの処中孚卦の裏は並びに坎象無きに、もまた怎様に解釈せんや。「孚」は固然信の一義を含有するも、但し一個の信の字は孚を把りて説き尽くすに足らず。「孚」の字は爪より従い子より従いて、鳥の爪を用いて其の子を抱えるを象りて、鳥の子は便ち卵にして、爪と子と合わせ起きて卵を抱えるを象りて、孵化生育の意思を含有す。中孚の卦象は、実際は巽は五に居り・兌は十に居りて、正に天地の数五十五の当中に当たりて、五行に於て土に属す。土は万物を化育するを主とすれば、ゆえに「中孚」と称す。

其曰“有孚”者,“有”謂大有。火天大有,離也。孚,則指坎。坎離居南北之位,合乾坤之中,維中能孚,故曰“有孚”。有則大,孚則化,“有孚”者,即《中庸》所謂“大德敦化”也。凡《易》之道,一陰一陽,必陽孚於陰,而陰孚於陽,而後陰陽和,而成化育之功。

至りて「孚有り」を説かば、あの「有」は指す所は大有卦なり。大有は離は乾の上に在りて、所謂「火天大有」にして、離に於て象を取る。「孚」は則ち坎を指す。坎と離とは分かちて北・南の両方の位に居りて、恰好乾坤の中に合す。惟れ中に居るは始めて能く相孚れば、ゆえに「孚有り」と曰う。「有」すれば便ち能く大にして、「孚」すれば便ち能く化せば、ゆえに「孚有り」もまた即ち《中庸》の説く所の「大徳敦化」なり。大凡《易》道は一陰一陽にして、必ず陽来りて陰に孚し・陰来りて陽に孚するを得て、然る後陰陽は調和して、化育の功は始めて成就し得べし。

人品有君子小人,泰、否,君子小人之相消長者也。遁曰“君子吉,小人否”,觀曰“小人無咎,君子吝”。必君子能孚小人,則小人亦能化為君子。所謂“有孚顒若”,下觀而化,則先否後喜,天下受福矣。若不能用觀,則成大壯。義非不正,理非不直也。而剛以反動,小人用壯,君子用罔。羝羊觸藩,天下被其禍矣。乾元用九,必有孚而始致其用。故孚有信義,有化義,有容義,又有合義,有感義。所謂精義入神之用,以孚字盡之矣。非統全《易》而詳察之,又烏知其妙哉!

人品は君子と小人との別有りて、泰・否の両卦の講ずる所は正に君子小人の此の消彼長なり。遯卦曰く「君子は吉にして、小人は否なり」、観卦曰く「小人は咎無くして、君子は吝なり」。必ず君子は能く小人を感孚して、小人は始めて化して君子と為るを得。観卦の説く所の「孚有りて顒若たり」は、便ち下に在る人は瞻仰して感化を受けて、是に於て先ず否して後に喜びて、天下は皆福沢を蒙受す。倘若能く「観」の弁法を用いざれば、便ち大壮と変成す。大壮の義は並びに正ならざるに非ず・理は並びに直ならざるに非ざるも、然れども剛は頭を過ぎれば便ち反弾す。「小人は壮を用い、君子は罔を用う」、公羊は角を拿りて籬笆に撞き往けば、反って角は籬の上に挂りて進退するを得ずして、天下もまた便ち跟着して殃に遭う。「乾元は九を用う」もまた必ず孚有るを要して、始めて真に其の用を発揮し得べし。ゆえに「孚」の字は信の意思・化の意思・容の意思を含有して、もまた合の意思・感の意思を含有す。《繋辞伝》の説く所の「精義は神に入りて以て用を致す」は、一個の孚の字は便ち説き尽くせり。若し全部《周易》を統観して細かく体察を加えざれば、もまた怎様にして其の妙処を知るを得んや。

以上單辭,略舉一隅,可見經傳字無虛設。或一字而含數義,或數卦合用一字,無不脈絡貫通。潛心體玩,均有線索可尋。此外有字以類從,因意義相同,而互見於各卦而相貫串者,可謂之類辭,如則法律一類也,克伐徵一類也,速疾遇一類也,需繻須濡一類也,怠緩徐慢裕一類也。凡同乎此者,皆以義相類者也。如弟娣娣涕一類也,頄仇九一類也,輪綸一類也。凡同乎此者,皆以形聲相類者也。相類之字,於卦爻之變通意義,皆有關係,均可互相印證者也。

以上の挙げる所の単辞は不過略々一隅を挙げるのみにして、此に由りて見ゆべし経伝の中は一個の字として虚設せる無きを。あるは一個の字は好幾層の意思を含着し、あるは好幾卦は合わせて一個の字を用いて、彼此一様として脈絡貫通せざる無し。ただ心を潜めて体味し把玩せば、皆線索有りて尋う可し。此の外還た一類の字有りて、意義相同なるを以て類を以て相従して、散見して各卦に在りて彼此串連して、「類辞」と叫作す可し。例えば「則・法・律」は一類にして、「克・伐・征」は一類にして、「速・疾・遇」は一類にして、「需・繻・須・濡」は一類にして、「怠・緩・徐・慢・裕」は一類なり。凡そ此の種に属するは、皆意義に按じて相類なり。もまた「弟・娣・涕」は一類にして、「頄・仇・九」は一類にして、「輪・綸」は一類のごときは、凡そ此の種に属するは、皆字形字声に按じて相類なり。相類の字は卦爻の変通の意義に対して皆関係有りて、皆互相印証す可し。

其單辭之外,更又綴屬一字,或二字,或三四五字,以成一名辭,或成一句者,可謂之類句。如由頤、由豫;甘節、甘臨;頻復、頻巽;艮其腓、咸其腓;困于酒食、需于酒食;我心不快、其心不快;同人,先號咷而後笑;旅人,先笑而後號咷之類,亦無不互相聯貫。

単辞の外に於て、また其の上頭に一個の字・両個の字を綴連し、あるいは三四五個の字を綴連して、一個の名詞あるいは一整句を合成するは、「類句」と叫作す可し。例えば「由頤」と「由豫」と、「甘節」と「甘臨」と、「頻復」と「頻巽」と、「其の腓を艮にす」と「其の腓を咸にす」と、「酒食に困む」と「酒食に需く」と、「我が心快からず」と「其の心快からず」、および同人卦の「先ず号咷して後に笑う」と旅卦の「旅人は先ず笑いて後に号咷す」とのごとき、此の一類は彼此もまた一様として互相聯貫せざる無し。

如密雲不雨、帝乙歸妹、用拯馬壯吉、不富于其鄰,完全相同之一句,或二句,分見於兩卦或三卦者,則更為顯而易見。具詳於焦理堂氏之《易通釋》,茲不贅述也(《易通釋》偏於旁通之正立言。有未可盡通化學者,以意逆之,勿以其辭云意也可。)。

至りて「密雲雨らず」「帝乙は妹を帰す」「用て馬を拯えば壮にして吉」「其の鄰に富まず」のこれらの完全相同の一句あるいは両句のごとき、分かちて両卦甚至三卦の中に出現するは、あの処便ち更に顕而易見なり。これらは焦循の《易通釈》は講じて極めて詳しくして、此処は再び贅述せず。(焦氏の《易通釈》は偏えに旁通の正を得る一面に就いて立論して、其の中ある処は未だ必ず皆講じ通ぜざるも、読者は己意を以て往きて彼の用意を逆求して、必ず死に字面を抠らざれば則ち是れなり。)

舉單辭、對辭、類辭、類句,經傳之概略,已可見矣。而正言斷辭,尚有數例,更舉如左。

単辞・対辞・類辞・類句の此の四類を挙げ出せば、経伝の字を用うるの大概の情形はすでに看清むる可し。至りて「正言」と「断辞」との此の一面は、還た幾條の通例有りて、下面は接いで挙げ出す。

称号

號者,名也。稱其名使與實相稱,亦當名辨物之意也。孟長卿曰:“周人五號,帝,天稱,一也。王,美稱,二也。天子,爵號,三也。大君者,興盛行異,四也。大人者,聖明德備,五也。”

「号」は便ち名なり。其の名を称呼して名と実と相副えしむるは、もまた即ち前面の説く所の「名を当て物を辨ず」の意思なり。漢代易学家孟喜(字は長卿)曰く、周人に五種の称号有り。「帝」は天に対する称呼にして、此れ第一種なり。「王」は賛美の称にして、此れ第二種なり。「天子」は爵位の号にして、此れ第三種なり。「大君」は、指す所は興盛にして行事卓異なるにして、此れ第四種なり。「大人」は、指す所は聖明にして徳行完備なるにして、此れ第五種なり。

以上五者,皆經之特稱。孔子贊《易》,更廣其義。曰“先王”。豫,“先王以作樂崇德”。曰“後”。泰,“后以裁成輔相之道”。

以上五種は、皆経文の裏に特有の称号なり。孔子は《易》を賛して、また彼らの範囲を把りて推広せり。一は「先王」にして、豫卦《象伝》の「先王は以て楽を作り徳を崇ぶ」を説くがごとし。二は「后」にして、即ち位に在るの君主にして、泰卦《象伝》の「后は以て天地の道を財成し、天地の宜に輔相す」を説くがごとし。

經稱爵號,王之下有三:曰“公”。大有,“公用享于天子”。解上六,“公用射隼”。益六三,“告公用圭”。六四,“告公從”。鼎九四,“覆公餗”。曰“侯”。屯,“利建侯”。豫,“利建侯”。晉,“康侯”。曰“子”。明夷,“箕子之明夷”。鼎,“得妾以其子”。言公、候、子而不及伯、男。或曰:“此殷制也。文王演《易》於紂之世,故從殷制。”

経文の称する所の爵号は、「王」以下に三等に分かつ。一は「公」にして、大有九三「公は用て天子に亨す」、解卦上六「公は用て隼を射る」、益卦六三「公に告ぐるに圭を用う」・六四「公に告げて從う」、鼎卦九四「公の餗を覆す」。二は「侯」にして、屯卦「侯を建つるに利あり」、豫卦「侯を建つるに利あり」、晋卦「康侯」。三は「子」にして、明夷「箕子の明夷」、鼎卦「妾を得て其の子を以てす」。ただ公・侯・子を講じて而して伯・男の両爵に涉及せず。人説く有り、此れ殷代の制度にして、文王は紂王の世に於て《周易》を推演せれば、ゆえに殷制に沿用すと。

正名之稱有六:曰“大人”。一人為大。孟子日:“大人者,不失其赤子之心者也。”《文言》“與天地合其德”一節,孔子贊大人也至矣。曰“君子”。乾為君,震為子。乾震為無妄,君子者,無妄之稱。

用て名分を端正するの称号は六種有り。第一は「大人」にして、「一」と「人」と合わせ起きれば便ち「大」の字なり。孟子曰く、「大人とは、其の赤子の心を失わざる者なり」。《乾卦・文言》の「夫れ大人とは、天地と其の徳を合す」のあの一節は、孔子の大人に対する賛美は極処に到りと謂う可し。第二は「君子」にして、乾は君と為し・震は子と為して、乾上震下は合わせて《无妄》卦を成せば、ゆえに「君子」は便ち《无妄》の一卦の称号なり。

曰“小人”。天大,地大,人亦大。與天地參,故大。違反天地之道,則曰小人。曰“惡人”。睽“見惡人”,人而見惡於人,曰惡人。於象,離為惡人。曰“寇”。寇者悖逆之詞。於象,坎為寇。曰“匪人”。匪同非。“比之匪人”,“否之匪人”,失人道,故曰“匪人”。孟子曰:“無惻隱之心,非人也。無羞惡之心,非人也。無辭讓之心,非人也。無是非之心,非人也。”

第三は「小人」にして、天は大にして地は大にして人もまた大にして、人は能く天地と並び列して三と為れば、ゆえに大と称し、天地の道に違背するは、便ち小人と叫作す。第四は「悪人」にして、睽卦初九曰く「悪人を見る」。身は人と為して而して人に厭悪せらるれば、便ち悪人と叫び、卦象に就いて説かば、離は悪人と為す。第五は「寇」にして、「寇」は悖逆の徒を形容するの詞にして、卦象に就いて説かば、坎は寇と為す。第六は「匪人」にして、「匪」は「非」に同じくして、比卦六三「之を比するに匪人」・否卦の卦辞「否の匪人」は、皆指す所は做人の道を喪失せるにして、ゆえに「匪人」と叫ぶ。孟子曰く、「惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪の心無きは、人に非ざるなり。辞譲の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり」。

孔子贊《易》,更廣其義。曰“聖人”,曰“賢人”,曰“盜”,亦曰“暴客”,日“吉人”,曰“躁人”,曰“誣善之人”。

孔子は《易》を賛して、また此の類の称号の範囲を把りて推して更に広くして、是に於て「聖人」有り、「賢人」有り、「盗」有りて、《繋辞伝》の「蔵を慢にすれば盗を誨う」を説くがごとし。もまた「暴客」と叫びて、「門を重ね柝を撃ちて、以て暴客を待つ」を説くがごとし。「吉人」有りて、「吉人の辞は寡し」を説くがごとし。「躁人」有りて、「躁人の辞は多し」を説くがごとし。「善を誣うの人」有りて、「善を誣うの人は其の辞は游ぶ」を説くがごとし。

名當而辭可斷矣。爻有等,故曰“物”。辨物當名,名不等也。正言,言不等也。故斷辭亦不等。凶至吉為七等:凶,厲,悔,吝,無咎,無不利,吉。凶不若厲,厲不若悔,悔不若吝,吝不若無咎,無咎不若無不利,無不利不若吉。

名称は恰当なれば、判断の辞は便ち下し出ずるを得。《繋辞伝》曰く「爻に等有り、故に物と曰う」、爻は既に等級の別有れば、ゆえにそれを称して物と為す。物を辨別し・名を訂正して、名に等級有りて、話を把りて正しくすれば、話もまた等級有りて、此に因りて断辞は同様に等級有り。凶より吉に到るまで共に七等に分かつ。凶・厲・悔・吝・咎無し・不利無し・吉。凶は厲に如かず、厲は悔に如かず、悔は吝に如かず、吝は「咎無し」に如かず、「咎無し」は「不利無し」に如かず、「不利無し」は吉に如かず。此の七級は重より軽に至るまでして、占問する人は此に拠りて便ち自己の処する境地の深軽を量り出すを得。凶は災禍の已に成れるにして、厲は危くして而して未だ敗れざるにして、悔は懊恨有りて而して尚ほ挽回す可くして、吝は小さく憾惜有りて、咎無しは善く過失を補いて而して災禍無くして、不利無しは則ち事事行う可くして、吉は始めて真の美満なり。

学易筆談序

海寧先生之於《易》,得異人傳授,又博極諸家傳注,故能竟委窮源,而獨見其大。先生於書,無所不讀,故能探賾索隱,鉤貫於新舊之學,而獨得其通。昔嘗聞之先生曰:《易》始於包犧氏,備於神農、黃帝,大明於文王、周公、孔子。漢人去古未遠,其卦氣、飛伏、陰陽、消息,皆有所授受,非能自創。孔子贊《易》,專重人道,以明立教之旨。故三陳九德,以人合天,而筮法僅略言及之。

海寧先生杭辛斎は《易》学を研治して、既に奇人の親伝を得て、また遍く歴代各家の伝注を読めば、ゆえに能く源を窮め委を竟えて、独り《易》道の大体を看見せり。先生の読書は渉らざる無くして、此に因りて能く深隠の義理を探取して、新学旧学を把りて鉤連貫通して、独り其の中の通ずる処を領会し得たり。我は従前先生の説くを聴きて曰く、《易》は伏羲(包犠氏)に起りて、神農・黄帝に到りて完備し、文王・周公・孔子に到りて大明せりと。漢代人は上古より遠からざれば、彼らの講ずる「卦気」「飛伏」「陰陽」「消息」は、皆師徒授受して来歴有りて、並びに自己の凭空創造に非ず。孔子は《易伝》を作りて、専ら人道の一面を看重して、用て教を設け訓を立つるの宗旨を闡明せば、ゆえに《繋辞》の中に三たび九卦の徳を陳説して、人をして人道を以て天道に合せしめんと要す。至りて揲蓍占筮の法は、反ってただ略々提げ及ぶのみなり。

朱子乃謂“《易》為聖人教人卜筮之書”,豈知方耶?然河、洛為《易》象所取則,漢學只詆為偽造,朱子獨取以冠經首,是其卓識,亦有不可及者。又曰:“道家祖黃老,淵源悉出於《易》。”其七返九還,六歸八居,度數與卦象悉合無論矣。所異者佛產印度,耶穌生於猶太,而《華嚴》之乘數,《金剛》之相數,一八、三六、百零八之數,及“七日來復”、“十三見凶之數”,亦無不得。僅以素所聞於先生者,弁諸簡端,並志其緣起如此云。

朱熹は却って《易》は聖人の人に卜筮を教うるの書と曰うは、此れ豈に門径を識ると算さんや。不過「河図」「洛書」は本来《易》象の取法する所の根拠にして、漢学家は一概に後人の偽造と斥けるも、唯だ朱熹は取りて経文の首に列せり。此の份の見識もまた旁人の赶上がたきの処有り。先生はまた曰く、道家は黄帝・老子を尊奉して祖と為して、其の淵源は全く《易》より出でて、丹家の講ずる「七返九還」「六帰八居」は、あれらの度数と卦象とは処処相合して、自然多く説くを要せず。怪しむ可きは仏教は印度に産生し・耶蘇は猶太に生るるも、而して《華厳経》の講ずる乗数・《金剛経》の講ずる相数、および一と八と・三と六と・一百零八のこれらの数目、還た「七日にして来り復る」「十三にして凶を見る」の数は、もまた一項として《易》数と暗合せざる無し。我はただ平日先生のあの処より聴き来れる話を把りて巻首に写して、併せて成書の縁起を記述して上のごとくす。

学易筆談述旨

《易》道至大,《易》理至遂;辛齋之愚,何敢妄談?顧念吾師忍死狴犴,剋期以待,密傳心法,冀綿絕學,又曷敢自棄?丙辰出獄,爰蒐集古今說《易》之書,惟日孳孳,寢饋舟車,未嘗或輟。丁巳以後,國會蒙塵。播越嶺嶠,議席多暇,兩院同人,合組研幾學社於廣州之迥龍社。謬推都講,計日分程,商兌講習。雖兵戈擾攘,而課約罔閒。

《易》道は極めて広大にして、《易》理は極めて深遠にして、我が杭辛斎は才識浅陋にして、何処でか敢えて随意に談論せんや。ただ先師の当年身は牢獄に陥り・死を忍びて等待して、時日を約定して心法を秘密に我に伝授して、此の門の断絶に瀕する学問の能く接続して下らんを指望するを思えば、我もまた怎様にして敢えて自暴自棄せんや。丙辰年出獄して以後は、我便ち古今の《易》を解説するの書籍を捜集して、天天勤勉懈らずして、寝食行旅の間も放下せずして、未嘗中断せり。丁巳年以後国会は迫られて播遷して、我は流落して嶺南に在りて、議席上に余暇多くして、両院の同人は便ち広州の迥龍社に於て合わせて「研幾学社」を組せり。大家は謬りて我を推挙して主講と為して、日に按じて進度を排定して、彼此商量して講習せり。当時兵戈は擾攘するも、講課の約期は却って始終荒廃せざりき。

講義纂輯,得書若干,名曰《易楔》。而晨昏餘晷,切磋問難,隨時筆錄者,又積稿盈尺。同人艱於傳寫,乃謀刊印。釐為四卷,名曰《筆談》,蓋紀實焉。己未庚申,由粵而滬。同志之友,聞聲畢集。風雨一廬,不廢討論。以續前稿,又得四卷,另為《二集》。借閱傳鈔,恐多遺失。適前印之書,久已告罄。同人請合兩《集》與《易楔》、《易數偶得》、《讀易雜記》諸稿,均以聚珍板印行。始於壬戌八月,至十月抄,《筆談》八卷工竣。爰紀顛末,並述旨如左。

講義を纂集して起きて、書を成すこと若干にして、《易楔》と取名せり。而して早晚の剩る所の時間に於て彼此切磋して問難して、随時記録し下せる稿子は、また堆積して一尺来り高し。同人は抄写伝閲の不便に苦しんで、便ち刻印を商議して、四巻に分作して、《筆談》と取名して、其の実況を紀録するの意思を取る。己未・庚申の両年、我は広東より上海に転じて、志同道合の朋友は聞を聞きて紛紛聚攏して、風雨の中に同じく一屋に住して、討論は断たず。前稿を接続してまた四巻を写し成して、別に《二集》と編ず。これらの稿子は借り出して伝抄せば、ただ散失を怕れて、恰好先前印せる書は早くも售罄すれば、同人は便ち両《集》を《易楔》《易数偶得》《読易雑記》の各稿と連ねて、一併せて聚珍活字版を用いて印行せんことを請う。此の事は壬戌年八月に工を開きて、十月末に到りて、《筆談》八巻は全部印成せり。是に於て前後の経過を把りて記し下して、併せて本書の宗旨を叙述して下のごとくす。

一、承學之士,不廢筆札,談論所及,擇要綴錄,聊以備忘。除《初集》第一卷,於臨印時略有增減,以明源流外,餘悉隨時編訂,並無先後次序。二、講《易》與詁經不同。詁經當有家法,有體例,義不容雜。而講《易》則以闡明卦爻象數之原理原則,但以經文為之證明。故凡與象數有涉,足與《易》道相發明者,博採旁搜,不限時地,更無所謂門戶派別也。

第一、学に従う人は平日筆記を廃せずして、凡そ討論の涉及する所は、要点を擇取して記録して、聊か遺忘に備えり。《初集》の第一巻は臨みて付印する時略々増删有りて、用て学術源流を交代するを除く以外、其余の各條は皆随時編次するにして、並びに先後次第の言う可き無し。第二、《易》を講ずるは経書を訓解すると同じからず。経書を訓解するは「家法」を講ずるを要し・一定の体例有るを要して、義訓は混雑を容れず。《易》を講ずるは則ち卦爻象数の原理原則を闡明するを以て主と為して、ただ経文を拿りて来りて印証を作す。ゆえに凡そ象数と関係有りて・《易》道を発明するに足るの材料は、一概に広く捜し博く採って、時代地域を限らずして、更に何の門戸派別を談じ及ばんや。

三、《易》本法象於天地。乾易坤簡,易知易能,雖見仁見智,各隨學識之深淺而異,要無不可知之理。自象義不明,學者無所適從,幾視《易》為絕學,而不敢問津。致《易》簡之理,日即湮晦。本編有鑑於斯,立說皆取淺顯明白,務期盡人能解,不敢以艱深文淺陋也。

第三、《易》は本来天地に取法して象を立つるなり。乾道は平易にして・坤道は簡能にして、知り易くもまた践踐し易し。読者は仁を見智を見て・各々学識の深軽に随いて同じからずと雖も、総じて知る可からざるの道理無し。卦象の意義は講じ明白せざるより自りて、《易》を学ぶ人は適従する所無くして、幾んど《易》を把りて断絶の絶学と當てて敢えて津を問わざるに至りて、以致て「易簡」の此の一層の本来平易の道理は日渐湮没晦暗せり。本書は此を鑑みて有して、立説は一律に浅顕明白の講法を採取して、務めて人人皆能く読み懂らしめんと求めて、敢えて艱深の字面を用いて内容の浅陋を掩飾せず。

四、孔子贊《易》,身逢亂世,行危言遜。有因時忌不能顯言者,不得不以微言大義,隱寓於象數之中,與春秋同一例也。後人不察,悉以文字求之,孔子憂天憫人之苦心湮沒盡矣。歷代學者,如邵康節,如劉青田、黃姚江,均抱此隱痛而未敢昌言者也。鼎革以後,世雖亂而言可無諱。發歷聖之心傳,彌前賢之遺憾,維世道而存絕學,不可謂非千載一時之良機。剝極必復,時乎不再,幸我同人勿自暴棄以負天心也。

第四、孔子は《易》に為に伝を作る時身は乱世に処して、行事は端方にして言辞は謙退なり。あるは当時の忌諱に因りて能く明説せざるは、只好く微言大義を把りて暗暗象数の裏面に寄托して、此れ彼の《春秋》を修めるの筆法と是れ同一個の例子なり。後人は体察を加えずして、一味に文字の上より往きて解を求めば、孔子のあの一片の世を憂え人を憫むの苦心は便ち全く埋没せられり。歴代学者は宋代の邵雍(康節)・明代の劉基(青田)・黄宗羲(姚江)のごとき、皆此の一份の隠痛を抱えて而して敢えて公開して講じ出さず。改朝換代して以後は、世道は乱るると雖も、話を説くは却って避諱するを要せざるを得。歴代聖人の心伝を把りて発掘して出で、前賢の遺憾を弥補して、世道を維繫して絶学を保存するは、千載難逢の好機会と謂わざるべからざるなり。《剥》卦は剥して極処に到れば必定《復》に転じて、時機は一たび去れば再び来らず。我らの同人は自暴自棄して・天心を辜負せざらんことを冀望す。

五、卦因數衍,數緣象起,象由心生。《易》準天地,廣大悉備。雖人事遞演,世變日繁,要不能出乎此象數之外。故洲殊種別,文字語言,萬有不齊,維數足以齊之。宗教俗尚,各有不同,惟數足以同之。兩千年來,數學失傳。宋後言《易》者,往往以邵子先天數為《易》數。數理繁嘖,固非短扎所能盡。然於舊說之顯然挑牴牾者,不能不援據象數以為商榷,非敢故翻成案也。

第五、卦は数に由りて推衍して成りて、数は象に依りて起りて、象は則ち心に由りて生ず。《易》は天地を以て準則と為して、広大にして備わらざる所無し。縦に人事は不断に演変し・世局は日益繁紛するも、終究此の一套の象数の外を跳出る能わず。ゆえに各大洲の人種は同じからず・文字語言は千差万別なるも、ただ「数」は能く彼らを把りて斉一して起きるを得。各種の宗教風俗は互いに同じからざるも、もまたただ「数」は能く彼らを把りて打通す可し。両千年来易数の学は失伝して、宋代以後《易》を講ずる人は、往往邵雍の「先天数」を把りて《易》数と當てり。数理は繁複にして、本来並びに短篇札記の能く講じ尽くす所に非ず。不過旧説の中に明らかに自相抵牾するの処は、象数を援引して以て商榷を加えざるべからずして、並びに故意に前人の成案を翻さんと欲するに非ず。

六、占筮固《易》之一端,而聖人修《易》以明道,實非盡為占筮。孔子贊《易》,紹述文周,以人合天,兢兢寡過,豈導人於趨吉避凶哉!朱子以占筮為《易》之本義,未免偏見。而《大衍》揲蓍之法,自唐以後,於掛一再扐兩端,立說互歧。往諸數理,並多遺憾。未敢盲從,以誤後人。

第六、占筮は固然《易》の一個の方面なるも、但し聖人の《易》を整理するは為に大道を闡明せんとするにして、並びに全く占筮の為に非ず。孔子は《易伝》を作りて、上は文王・周公を承けて、人をして人道を以て天道に合するを教えて、戦戦兢兢として過錯を少く犯さんを求むるは、豈に人を引導して吉に趨き凶を避けしめんとするならんや。朱熹は占筮を把りて《易》の本義と當てるは、未免偏見なり。至りて《繋辞》「大衍の数」のあの一套の揲蓍して卦を成すの方法は、唐代以後自りて、「一を挂く」と「再び扐す」との此の両処に於て各家の説法は互相分岐して、其の中の数理を推求すれば、もまた多く説き通ぜざるの処有りて、我は敢えて盲目に跟従せずして、以て後人に貽誤せんことを免れんとす。

七、至誠之道,雖可前知,惟道本一貫,學無躐等。必正心修身,能盡人之道以合天,斯天人契合,感而遂通,百世可知。初無二理。若一知半解,妄談禍福,自欺欺人,實學《易》之大戒。兢兢自箴者,竊願以此勉人。

第七、《中庸》は至誠の道は未来を預知し得べしと説くも、但し道理は本来一を以て之を貫くにして、学問を為すは躐等して進む能わざるなり。必ず先ず心を正しくし身を修めて、能く人道を尽くして以て天道に合して、かくのごとく天人相契して、一たび感じて通ずれば、縦に百代以後の事もまた推知し得べくして、其の中に並びに両種の道理無し。倘若ただ一知半解を得るのみにして、便ち胡乱に吉凶禍福を談論するは、あれは自ら欺き人を欺いて、実在《易》を学ぶの大忌なり。此れもまた我の時々警惕して自省する所にして、願わくはそれを拿りて来りて同学を勉励せんとす。

八、盡性至命,乃易學之極功。孔子之聖,猶韋編三絕,但云寡過,罕言性命。後生末學,更宜踐履篤實,下學上達。同學講習,竊本斯旨。《初集》刊佈,朋自遠來,往往以只言象數,不談身心性命相責。但愚尚以象數之未能盡明為憾。果象數通解,則身心性命之理,胥在其中,更無待言說為也。

第八、心性を窮尽して・直ちに天命に達するは、易学の最高の成就なり。孔子のあの様の聖人を以てすれば、《易》を読むに尚且編簡の皮縄を把りて三度翻断して、もまたただ自己は過錯を少くせんを求むるのみと説きて、甚だ少くも性と命とを談ぜず。後輩末学は更に踏実に践行して、切近の処より下学して然る後上達すべし。同学の講習は、我は私下正に此の宗旨に本づくなり。《初集》は印行して以後は、遠方より来るの朋友は常常我を責めてただ象数を講じて・身心性命を談ぜずと曰うも、但我は還た象数は未だ講じ透らざるを嫌いて以て遺憾と引為す。倘若象数は真に能く貫通了解せば、あの処身心性命の道理は皆其の中に在りて、更に別に往きて説くを用いざるなり。

九、形而下者謂之器,形而上者謂之道。凡有形可指者皆器。道本於心,未可以言盡焉。故八卦因重,羲農法天以垂象;兩編《十翼》,周孔立言以明道。然未可遽執卦象經傳以為道也。譬諸升高必以梯,而梯非高。求飽必以飯,而飯非飽。宋後講《易》,開口言性理,言道統,是猶指梯而稱高,看飯而說飽也。今之談道者,無宋人之學,而立說更高出宋人。自誤誤人,更不待言。願學者共明斯旨,各求實學,返諸身心。勿好高鶩遠,循前車之覆轍焉。

第九、《繋辞》は形有るは「器」と叫作し・形無きは「道」と叫作すと曰う。凡そ形跡有りて指す可きは皆器に属して、道は則ち人心に本づきて、並びに言語の能く説き尽くす所に非ず。ゆえに八卦は相重して六十四卦と成るは、伏羲・神農の天道に効法して来りて卦象を垂示するにして、両番《十翼》を編成するは、周公・孔子の著述して言を立てて以て大道を闡明するなり。然れどももまた便ち卦象経伝を把りて道の本身と當てる可からず。譬えば高きに登るは必定梯子を用いるを要するも、然れども梯子は並びに即ち高きに非ず。飽を求むるは必定飯を食らうを要するも、然れども飯は並びに即ち飽きに非ず。宋代以後《易》を講ずる人は、一たび口を開けば便ち性理を談じ・道統を談ずるは、此れ正に梯子を指して自己はすでに高しと説き・飯を望みて便ち自己はすでに飽きと説くが如し。今天道を談ずる人は、宋儒のあの様の学問無くして、立論は却って宋儒よりも還た高遠にして、自ら誤り人を誤るは、更に説くに及ばず。願わくは《易》を学ぶ人は共同して此の宗旨を明白にして、各々往きて実在の学問を求めて、自己の身心の上に回帰して印証して、好高して遠きに騖ること勿くして、前人の車を翻すの旧轍を蹈襲せざらんことを。

十、潔淨精微之學,非潛修靜養,未能深造。勞人草草,敢言心得?惟匯積年涉獵所得,聊供同學參考之便。深望海內鴻碩,時加匡正。幸得學與年進,尚擬續,以供採擇。十一、世道陵夷,聖學中絕。人慾橫流,罔知紀極。謹願之士,苦身心之無所寄託,蒿目時艱,恆懷消極。或附托西教,或皈向佛門。而仙靈神鬼,導引修養,及飛鸞顯化之壇宇,遂遍於域中。影附風從,是丹非素。不知我國固有之學,貫澈天人,足以安身立命。保世滋大,概群藉而羅萬有者,悉在此一畫開天,人文肇始之《易經》。存人道,挽世運,千鈞一髮,絕續在茲。弘道救世,責無旁貸。惟我同人,自奮勉焉。

第十、《礼記》は《易》教を称して「潔斎精微」の学と為して、心を潜めて修習し・静の中に涵養せざれば、深造する法無し。我は奔忙労碌して・倉促に書を成せば、何処でか敢えて何の心得有ると説かんや。不過多年渉猟して得る所を把りて汇集して起きて、姑く同学の参考に供するのみ。海内博学の士の随時匡正するを深く望む。倘若学問は能く年歳に随いて増進せば、還た陸続続写して、以て採択に供せんと打算す。第十一、世道は日渐衰敗して、聖人の学は中途断絶して、人欲は横流して、一個の止境有るを知らず。あれらの謹厚老実の人は、身心の寄托する処無きに苦しんで、時局の艱難を看て而して常常悲観を懐けば、是に於てあるは西方宗教に依附し・あるは仏門に帰依す。而して神仙鬼神・導引修養および扶乩降壇顕霊の場所を講ずるは、もまた便ち国中に遍布せり。人々は影に随い風に従いて、紅なるを把りて白と説き成して、是非分かたず。彼らは我が国固有の学問は原來天人を貫通して・人をして身を安んじ命を立てしむるに足るを知らずして、能く世道を保全し・発揚光大して・諸家を涵蓋して万有を囊括するは、全く此の部の一画は天を開き・人文を開啓するの《易経》の裏に在るを。人道を保存し・世運を挽回するは、正に千鈞一発の際に在りて、断と続とは便ち此処に繋れり。大道を弘揚し・世人を拯救するは、我らは責を負うて貸す無くして、願わくは我が同人は各々奮勉せんことを。

上古之易

上古之世,無所謂《易》也。但後世之《易》,實本於伏羲,故《周官》掌太卜者有“三《易》”之稱。因周以《易》名,遂追諡《連山》、《歸藏》皆謂之《易》。餘所謂上古之《易》者,亦援斯義而追稱之耳。

上古の時は、本来「《易》」の此の名目無し。但し後世の《易》は実在伏羲に淵源せば、ゆえに《周官》(《周礼》)は太卜の掌管する所有「三《易》」の称有るを記載す。周代は自己の此の一部を《易》と叫作するを以て、是に於て名号を追加して、《連山》《帰蔵》もまた一併せて《易》と称作す。我の此処の説く所の「上古之《易》」もまた、是れ此の意思を援用して追称するのみなり。

溯自伏羲一畫開天,其時雖文字未興,而結繩為治,已有等秩倫紀之可觀。《繫傳》稱仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。其條理井然,而觀法於地暨觀鳥獸之文與地之宜,已能將地之所有,分析觀察,頗如近世科學家,區地文地質學為二類。

伏羲の第一画を画きて而して天地の文を開闢するを追溯すれば、あの時文字は還た未だ産生せざると雖も、但し結縄の弁法を用いて天下を治理して、すでに等級次序・人倫綱紀有りて観る可し。《繋辞伝》は彼は頭を抬げて天上の形象を観察し・頭を低れて地上の法則を観察し・鳥獣の纹理と土地の所宜とを観察して、近きは自身に於て象を取り・遠きは万物に於て象を取りて、是に於て始めて八卦を画出して、用て神明の徳性に通達し・用て万物の情状を比類せりと曰う。此の番の条理は井然として序有りて、其の中「地に法を観る」と「鳥獣の文と地の宜とを観る」との両項は、すでに能く地面上の所有の東西を把りて分かち開きて観察して、甚だ似て近代科学家の「地文学」と「地質学」とを把りて両門に分かつが如し。

此豈歐洲人所謂上古時代野蠻酋長之可比擬哉!以佃以漁,雖未脫游牧之風,而政治亦已斐然可觀矣。況八卦成列,有形,有象,有聲,實已備具文字之作用。因而重之為六十四卦。益之以變化,固已肆應而不窮矣。此伏羲之《易》,所以為我中國文化之初祖也。

此れ豈に欧洲人の説く所の上古時代の野蛮部落の酋長の比拟し得べき所ならんや。あの時猟を打ち魚を捕えて、還た未だ游牧の風気を脱離せざると雖も、然れども政治はすでに甚だ観る可き有り。況んや八卦は排列して序を成して、形状有り・物象有り・音読有りて、実際はすでに文字の功用を具備せり。再把八卦を把りて兩兩相重して六十四卦と成して、爻位の変化を加えれば、本来已に無窮の事変を応付するに足る。此れ即ち伏羲の《易》の我らの中国文化の最初源頭と成るの縁故なり。

伏羲氏沒,神農氏作。斫木為耜,揉木為耒。耒耨之利,以教天下。日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,是已由游牧時代而進於農商。且規模宏遠,政教並行。又嘗百草以御疾災,民無夭折,創制顯庸,澤及萬世。然其時文字未興,所賴以為政治之具者,實維伏羲所遺傳之卦象。度神農氏必有所增益而變通之,是名《連山》。相傳以重艮為首,經卦皆八,重卦皆六十四者也。故神農為炎帝,亦號列山氏。

伏羲は去世して以後、神農は興起す。彼は木頭を砍削して耜を做成し・木材を弯曲して耒を做成して、耕作農具の便利を把りて天下人に教え、また正午に集市を設立して、天下の百姓を招来し・天下の貨物を聚集して、交換し完わりて各自散去して、人人皆需要する所の東西を得。此れ便ちすでに游牧時代より農業と商業との時代に進入せり。而且規模は宏大深遠にして、政令と教化とは並行す。彼はまた遍く百草を嘗めて以て疾病災患を防治して、百姓をして夭亡せざらしめて、器物を創制し・功用を顕揚して、恩沢は万世に流及す。然れどもあの時文字は尚未だ興起せざれば、用て天下を治理するの憑借は、実在ただ伏羲の伝え下せる卦象あるのみ。神農は必定卦象に対して増益変通する所有りと推想して、此れ便ち《連山》と叫ぶ。相伝えて《連山》は《艮》を重ねて首卦と為して、単卦は仍ほ八個にして、重卦は仍ほ六十四个なり。ゆえに神農は炎帝と号称して、もまた列山氏と称作す。

神農氏沒,黃帝堯舜氏作。通其變使民不倦,神而化之使民宜之。《易》窮則變,變則通,通則久。蓋至是文明日進,制器尚象,人事日繁。而舊有之八卦,不足以應用。於是廣卦象為六畫,而文字以生。益以天干地支,而陰陽五行之用愈精。

神農は去世して以後、黄帝は堯・舜と相継いで興起す。彼らは事物の変化を会通して、百姓をして疲倦を覚えざらしめ・神妙に化育を加えて、百姓をして各々其の宜を得せしむ。《繋辞伝》曰く、《易》道は尽頭に走り到れば便ち変を要して、変じて始めて通じ・通じて始めて長久なるを得と。大概此の時に到りて文明は一天天進歩して、器物を制作して卦象に取法して、人事は一天天繁複して、原有の八卦はすでに応用するに足らずして、是に於て卦象を把りて六画の卦に拡充して、文字もまた之に随いて産生し、再加うるに天干地支を以てすれば、陰陽五行の運用は便ち更に精密なり。

吹律定聲,民氣以和。而禮樂以興,本黃鐘以定度量權衡。治曆明時,定璇璣玉衡以齊七政。絕地天通,百官以治,萬民以察。而《易》之為用,益無乎不備。故黃帝之《易》曰《歸藏》,以坤乾為首者也。堯舜繼黃帝之後,於變時雍,垂衣裳而天下平。今讀《繫辭下傳》之二章,上古進化之歷史,與三《易》之源流,可概見矣。此上古之《易》也。

律管を吹奏して以て音高を定めて、民気は此に因りて調和して、礼楽は此に由りて興起し、また黄鐘の律に依拠して以て長度・容量と軽重との標準を確定す。暦法を制定して以て時令を明確にして、璇璣玉衡を設置して以て日月五星の運行を校正す。人人皆鬼神に通じ得るの混乱局面を断絶して、百官は各々職守有りて政事は治を得て、万民は稽考するを得。《易》の功用は此の時に到りて便ち更に備わらざる所無し。ゆえに黄帝の《易》は《帰蔵》と叫ばれて、是れ《坤》《乾》を以て首卦と為すなり。堯舜は黄帝の後を承接して、天下は和睦融洽に変じて、ただ衣を垂れ手を拱するのみにて海内太平なり。今天《繋辞下伝》の第二章を読めば、上古進化の歴史と「三《易》」の源流とは、大略便ち看て出る可し。此れ即ち上古の《易》なり。

中古之易

夏易《連山》,蓋繼述神農氏者也。商易《歸藏》,蓋繼述黃帝氏者也。周曰《周易》,或曰“祖述堯舜”。孔子曰:“《易》之興也,其於中古乎?作《易》者,其有憂患乎?”雖指《周易》,以文王與紂之事當之。然帝降而王,德不如古。神禹受命,開家天下之局。湯武革命,《易》揖讓而征誅,均不能無慚德焉。故三代之《易》,皆可謂之中古,所謂“於稽其類其衰世之意”邪?上視羲皇,已不無今昔之感矣。

夏代の《易》は《連山》と叫ばれて、大概是れ神農の一系を承継するなり。商代の《易》は《帰蔵》と叫ばれて、大概是れ黄帝の一系を承継するなり。周代のは《周易》と叫ばれて、人あるいはそれを「堯舜を祖述す」と説く。孔子曰く、「《易》の興起は、大概中古時代ならんか。《易》を作る人は、怕らくは心に憂患を懐けんか」。此の話は《周易》を指して言うと雖も、是れ文王と商紂との間の事を拿りて往きてそれを坐実するなり。但し帝道より降りて王道と為るより自りて、徳行はすでに上古に如かず。大禹は命を受けて、「天下を家とする」の局面を開き出だし、商湯・周武は武力を以て革命して、禅譲を把りて征伐に改めたり。皆毫も慙愧の処無しと説く能わざるなり。ゆえに夏・商・周三代の《易》は皆「中古之易」と称すべくして、もまた即ち《繋辞》の説く所の「其の此の類の辞句を考察するに、約莫衰世の意思を含有す」ならんか。伏羲の世に比ぶれば、すでに今昔の感有るを免れざるなり。

三代之政綱本于易

制度文物,皆出於《易》。故曰“觀其會通以行其典禮”。《易》在三代,不啻為政治之書。夏宗《連山》,其禮樂政刑胥以《連山》為則。殷宗《歸藏》,其禮樂政刑胥以《歸藏》為則。故紀曆有人統地統天統之殊。而尚忠尚質尚文,亦各有所專重。蓋變通損益以蘄合于時宜,而成一代之制。必統系分明,而後綱舉目張,有條不紊。今夏殷之制不可悉睹,而《周禮》一書,雖經竄改,而周家之典章文物,猶可得其梗概,足與《周易》相印證。自秦漢以降,目《易》為卜筮之書,政失其綱也久矣。

一代の制度器物は皆《易》より出でれば、ゆえに《繋辞》曰く「其の会通する所を観て、以て其の典礼を行う」。《易》は夏・商・周三代に於ては、簡直一部の政治の書なり。夏代は《連山》を尊奉して、礼楽刑政は一概に《連山》を以て準則と為し、殷代は《帰蔵》を尊奉して、礼楽刑政は一概に《帰蔵》を以て準則と為す。ゆえに三代の暦法に「人統」「地統」「天統」の分別有りて、而して忠を崇び・質を崇び・文を崇ぶは、もまた各々其の側重有り。これは皆時に因りて変通し・増損する所有りて、以て当時の需要に切合せんと求めて、従りて一代の制度を形成す。必ず統系は分明にして、然る後始めて綱を挙げて目を張り・條理有りて紊れざるを得。今天夏・殷の両代の制度はすでに能く全部看るを得ざるも、而して《周礼》の一書は後人の竄改を経ると雖も、周代の典章文物は還た其の中より大概を看て出るを得て、以て《周易》と互相印証するに足り。秦漢以後自りて、《易》を把りて一部の卜筮の書と看為して、政治は綱紀を失掉してすでに久しきなり。

学術之派別出于易

我國學術,約可分為三派:曰儒,曰道,曰墨。其餘諸子百家,名類雖多,要無不可以此三派歸納之。道家宗老氏,而實導源於黃帝,故相傳曰“黃老”。墨家出於禹,而實濫觴於神農。《孟子》有為神農之言者許行,主並耕之說,亦墨之別派也。儒家集大成於孔子,《論語》曰:“文王既沒,文不在茲乎?”則孔子固自承為繼續文王者也。故儒家之學出於《周易》,道家之學出於《歸藏》,墨家之學出於《連山》,各有所本。

我が国の学術は大致三派に分かつ可し。儒家・道家・墨家。其余の諸子百家は名目は多きと雖も、根柢を帰し到底皆此の三派の中に納入す可し。道家は老子を奉じて宗主と為して、其の実源頭は黄帝に在れば、ゆえに歴來合わせて「黄老」と称す。墨家は倹朴力行を崇尚して、相伝えて夏禹より出づと説くも、其の実発端は神農に於てす。《孟子・滕文公》の裏のあの位の「神農の言を為す」の許行は、君主もまた百姓と一同に耕して自ら食らうを要すと主張するは、便ち墨家の一個の支派なり。儒家は孔子に到りて大成を集めて、《論語》は孔子の説く「文王は已に世を去りて、礼楽文化は便ち我が此処に在らずや」を記すれば、見ゆべし孔子は本来便ち自ら文王を接続する人と認すを。ゆえに儒家の学は《周易》より出で・道家の学は《帰蔵》より出で・墨家の学は《連山》より出でて、各々其の本源有りて、並びに凭空より生出せるに非ず。

自漢而後,雖罷斥百家,獨崇儒道,而道與墨之學,亦實有不可磨滅之精神。歷代之治,舍其名而用其實者,不可枚舉。至於今日,儒術亦掃地盡矣。而老氏墨氏之學,則因與歐西之哲學,及其他科學之相契合者頗多,崇尚新學之士,漸有取而研究之者。禮失求野,循末反本,則吾文明初祖之羲《易》,或尚有大明之一日乎?

漢代以後百家を罷黜して・独り儒術を尊ぶと雖も、然れども道家と墨家との学問は実在もまた磨灭すべからざるの精神有り。歴代の国を治むるは、彼らの名目を抛開して而して暗中彼らの実際の主張を採用するは、多きこと数え清むる能わず。今天に到りては、儒術もまた已に掃地して余無し。老子・墨子の学説は反って欧洲哲学および其他各門の科学と相合するの処頗る多きを以て、新学を崇尚する人は漸漸取りて研究する有り。古語曰く礼制は失伝すれば民間に到りて尋求するを要すと、末流に順いて根本に回溯せば、あの処我らの文明の初祖伏羲の伝える所の《易》は、あるいは還た大いに光明を放つの一天有らんか。

孔子之易

《易》者,明道之書也。五帝之治天下也以道,三王以德,五霸以功。世運自帝降而王,王降乎而霸,道之不明也久矣。孔子生當衰周,五霸之功已杳,浸浸乎由功而降而尚力。至惟力是尚,弱肉強食,人道或幾乎悉矣。故孔子贊《易》以存道,又以道之未可驟幾焉,乃取中爻以明功,陳九卦以崇德。循序而進,由功而德,其庶幾乎與道近矣。

《易》は一部の大道を闡明するの書なり。五帝は天下を治理するに「道」を靠りて、三王は「徳」を靠りて、五霸は「功」を靠る。世運は帝道より降りて王道と為り・王道より降りて覇道と為りて、大道は明ならざるすでに久しきなり。孔子は周室衰微の時代に生れて、連ねて五霸のあの様の事功もまた早く渺茫にして、世風は漸漸事功を講ずるより降りて力量を崇尚するに変じて、一旦ただ力量を以て尚びと為せば、弱肉強食にして、人道は便ち幾んど断絶せんと要す。ゆえに孔子は《易伝》を作して以て大道を保存し、もまた大道は並びに骤然として企及すべきに非ざるを以て、便ち六爻の中間のあの幾爻を取りて以て事功を闡明し、《履》《謙》等の九卦を陳述して以て徳行を推崇す。人をして循序漸進して・事功より徳行に進ましめば、かくのごとくもまた便ち差不多道に接近す。

両漢易学之淵源

孔子傳《易》於商瞿。商瞿字子木,其行事不見於《論語》,蓋孔子晚年之弟子也。商瞿授魯橋庇子庸,子庸授江東對馯臂子弓,子弓授燕周丑子家,子家授東武孫虞子乘,子乘授齊田何子莊。凡六傳,而周滅於秦。

孔子は《易》を把りて商瞿に伝えり。商瞿は字は子木にして、其の事迹は《論語》に見えずして、大概是れ孔子晚年の収める学生なり。商瞿は魯国の橋庇子庸に伝えて、子庸は江東の馯臂子弓に伝えて、子弓は燕国の周丑子家に伝えて、子家は東武の孫虞子乗に伝えて、子乗は斉国の田何子荘に伝えり。前後一共に六代を伝えて、而して周朝は便ち秦国に滅ぼされり。

秦焚書,而《易》以卜筮獨免。漢興,田何以齊之公族徙杜陵,號杜田生。授東武王同子中,及洛陽周王孫、丁寬,齊伏生。王同子中授淄川楊何,丁寬授同郡田碭王孫,王孫授沛施讎,蘭陵孟喜,琅邪梁丘賀,是為三家之《易》,皆立於學官置博士。

秦始皇は書を焚くるに、《易》は卜筮の書と看為せらるるを以て独り焚毀を免れり。漢朝興起して、田何は斉国公族の身份を以て杜陵に遷居して、人は「杜田生」と称す。彼は東武の王同子中に伝えて、および洛陽の周王孫・丁寛と斉国の伏生に伝えり。王同子中は淄川の楊何に伝えて、丁寛は同郡碭地の田王孫に伝えて、田王孫は沛県の施讐・蘭陵の孟喜・琅邪の梁丘賀に伝えて、此れ便ち漢代《易》学の三大家にして、皆学官に立てられて・博士を設置せられり。

施讎授張禹,及琅邪魯伯。禹授淮陽彭宣,沛戴子崇平。魯伯授琅邪邴丹、伏曼容。孟喜授同郡白光少子,沛瞿牧,及焦延壽。延壽授京房。梁丘賀傳子臨,臨授五鹿充宗。充宗授平陵士孫、張仲方,鄧彭祖子夏,齊衡咸長賓。

施讐は張禹と琅邪の魯伯とに伝えて、張禹は淮陽の彭宣・沛県の戴崇(字は子平)に伝えて、魯伯は琅邪の邴丹と伏曼容とに伝えり。孟喜は同郡の白光(字は少子)・沛県の瞿牧および焦延寿に伝えて、焦延寿は京房に伝えり。梁丘賀は児子の梁丘臨に伝えて、梁丘臨は五鹿充宗に伝えて、五鹿充宗は平陵の士孫張(字は仲方)・鄧彭祖(字は子夏)と斉国の衡咸(字は長賓)に伝えり。

東萊費直,治《易》長於卜筮,無章句,徒以《彖》、《象》、《繫辭》、《文言》,解釋上、下《經》。傳琅邪王璜子中。同時沛高相治《易》,與費略同,亦無章句,說陰陽災異,自言出於丁將軍。授子康,及蘭陵毋將永。高氏費氏之學,皆未立於學官。

東莱人費直は《易》を研治して、占筮に長じて、逐句訓釈するの章句の学を作らずして、ただ《彖伝》《象伝》《繋辞》《文言》を拿りて上下両篇の経文を解説して、琅邪の王璜(字は子中)に伝えり。同時沛県人高相は《易》を治めて、路数は費直と大略相同じくして、もまた章句を作らずして、専ら陰陽災異を講じて、自ら学問は「丁将軍」丁寛より出づと称す。彼は児子の高康と蘭陵の毋将永とに伝えり。高氏と費氏との两家の学は、皆未嘗て学官に立てられざりき。

漢代易學,以施、孟、梁丘三家為盛。京氏專言災異,高氏亦與京略同。至東漢傳施學者,有劉昆,及子軼。傳孟學者有握丹鮭,陽鴻任安。傳梁丘學者,有范升、楊政、張興、及子魴,皆不甚顯。至漢季獨費《易》盛行,若馬融、鄭玄、荀爽、陸績、劉表、宋衷諸人,皆習費氏古文《易》。孟學獨一虞翻,施梁之學無聞矣。

漢代の易学は、施讐・孟喜・梁丘賀の三家を以て最も興盛と為す。京房の一派は専ら災異を講じて、高相の一派もまた京房と大略相同じ。東漢に到りて、施氏の学を伝えるは劉昆と其の児子劉軼と有りて、孟氏の学を伝えるは洼丹・觟陽鴻・任安有りて、梁丘の学を伝えるは范升・楊政・張興および張興の児子張魴有りて、此の几家は皆甚だ顕赫ならず。漢朝末年に到りて、ただ費直の一系の《易》は独り盛んにして、馬融・鄭玄・荀爽・陸績・劉表・宋衷のこれらの人のごとき、皆費氏の古文《易》を研習せり。孟氏の学はただ虞翻の一人を剩すのみにして、施氏と梁丘氏との学は便ち再び伝人の消息有るを得ざりき。

晋唐間之易学

魏晉以後,王弼之《易》,盛行江左。弼為劉表之甥,表固治費《易》者。弼之說《易》,不盡宗費,屏棄象數,專以玄理演繹,自謂得意忘象。又分《繫》、《彖》、《象》諸《傳》於經文之下。學者以其清雋新穎,且簡便而易學也,靡然宗之。由是施讎、梁丘諸家之《易》盡亡。費氏之古本,亦為所淆亂,而盡失其本來面目矣。

魏晋以後、王弼の注せる《易》は江東の一帯に於て盛行せり。王弼は劉表の外甥にして、劉表は本来便ち費氏《易》を治めり。但し王弼の《易》を解するは並びに完全に費氏の家法を遵守せずして、彼は象数を摒弃して、専ら玄理を用いて往きて推演して、自ら「意を得て象を忘る」と称し、また《繋辞》《彖伝》《象伝》の諸伝を把りて拆散して、分かちて経文の下に附せり。学者は彼の講じたるを清新俊逸にして、而且簡便にして学び易しと覚えて、便ち一窩蜂に彼を奉じて宗主と為せり。此より自りて施讐・梁丘等の家の《易》は全部亡佚して、費氏の古本もまた彼に打亂せられて、完全に本来面目を失掉せり。

然弼年二十有四即死,《繫辭》、《說卦》三篇,均不及注,後人以韓康伯注續之。永嘉之亂,中原板蕩,經籍散失。李唐統一,掇拾燼餘,雖六經本文幸而未闕,而兩漢以來各家之師說傳注,已十亡其七八矣。孔穎達疏《易》,復崇王而黜鄭。太學肄業,一以王注為本,古《易》遂不可復見。

然れども王弼は二十四歳にして便ち死して、《繋辞》《説卦》等の三篇は皆注を作るに及ばざれば、後人は便ち韓康伯の注を用いて以て接続せり。西晋永嘉の乱に、中原は動蕩して、経籍は大量に散失せり。李唐は統一して以後劫余を收拾して、六経の本文は侥幸残缺せざると雖も、然れども両漢以来各家の師説と伝注とは、已に十之七八を亡佚せり。孔穎達は《易》に為に疏を作りて、また王弼を推崇して而して鄭玄を廃黜す。太学の講習は一概に王弼注を以て根本と為して、古《易》は此より自りて再び見るを得ざるに到れり。

賴李鼎祚《集註》,掇拾殘闕,蒐集漢注至三十餘家。窺管一斑,全豹之形,似尚可約略而得。後之言漢學者,莫不循是蹊徑,以為登峰造極之基。至滿清中葉,王(念孫)、惠(棟)、張(惠言)、焦(循)諸家,皆精研漢學。單辭只義,不惜殫畢生之全力以赴之。鄭氏虞氏之《易》,始差堪董理。而施讎、梁丘之學說,終不獲復見於世也。惜哉!

幸に唐代李鼎祚の《周易集解》に頼りて残缺を收拾して、漢人の注解を捜羅すること多きこと三十余家に達す。ただ竹管の裏より一斑を窺うのみと雖も、全豹の模様は似乎還た約略推知す可し。後来漢学を講ずる人は、此の條の路径に沿いて走らざる無くして、それを把りて登峰造極の根基と當てり。清代中葉に到りて、王念孫・惠棟・張惠言・焦循の諸家は皆漢学を精研して、一個の詞・一條の義訓の為に、惜しまず毕生精力を傾注して往きて追索して、鄭玄・虞翻の两家の《易》学は此れ始めて勉强整理を得たり。然れども施讐・梁丘の两家の学説は、終究能く世に重見するを得ざりき。可惜なるかな。

宋人之易学

宋人講《易》,自司馬溫公以至程子,大抵皆不出王弼範圍。周子《通書》,發明太極圖,為理學之宗,與易學尚無其關涉也。自邵康節創為先天之說,取《說卦》“天地定位”一章,安排八卦,謂之先天卦。以“帝出乎震”之方位為後天卦。

宋代人の《易》を講ずるは、司馬光(温公)より一直に程頤に到るまで、大抵皆王弼の範囲を跳出る能わず。周敦頤の《通書》は《太極図》を闡発して、理学の宗主と成るも、易学本身とは其の実還た多少の牽渉有らず。直ちに邵雍(康節)に到りて「先天」の説を創立して、《説卦伝》の「天地は位を定め・山沢は気を通ず」のあの一章の説法を取りて以て八卦を排布して、「先天卦」と称し、また《説卦伝》の「帝は震より出づ」の一章の講ずる所の方位を以て排して「後天卦」と成せり。

又以乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八,為先天八卦之數。更反劉牧九圖十書之說,以五十五數者為河圖,四十五數者為洛書,為八卦之所自出。於是太極兩儀,四象八卦,而十六,而三十二,而六十四。立說與漢人完全不同,不啻在易學中另闢一新世界。

彼はまた乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八を定め出して、以て先天八卦の数序と為し、更に劉牧の九数を以て《河図》と為し・十数を以て《洛書》と為すの旧説を推翻して、五十五の数を把りて《河図》と定め・四十五の数を把りて《洛書》と定めて、八卦は便ち此に由りて出づと認為す。是に於て太極より両儀を生じ・両儀より四象を生じ・四象より八卦を生じて、再加倍して十六・三十二・六十四と為す。此の一套の立論は漢代人と完全不同にして、簡直易学の裏に於て別に一個の新世界を開闢せり。

然當其時,並未盛行。如溫公、程子,皆與邵為老友,且極推重其為人,稱為“內聖外王,孔孟沒後之一人”,而未嘗取其說以講《易》。其反對如歐陽文忠諸人,更無論矣。至朱子撰《周易本義》,取河圖、洛書與先天、大、小、方、圓各圖,弁諸卷首。又另著《易學啟蒙》以闡明之,而後邵子之先天學與《易經》相聯綴。

但し当時に在りては、此の套の学説は並びに流行して開かざりき。司馬光・程頤のごときは皆邵雍の老朋友にして、而且極めて其の为人を推重して、彼を称して「内聖外王にして、是れ孔子孟子之後の第一人」と曰うも、却って曾て彼の説法を採用して以て《易》を講ぜず。至りて欧陽修のあの一班の反対者は、更に説くに及ばず。直ちに朱熹の《周易本義》を撰するに到りて、《河図》《洛書》および先天の大円図・小円図・方図等の各種図式を把りて巻首に列せて、また別に《易学啓蒙》を写して以て彼らを闡明して、此後邵雍の先天の学は始めて《易経》と連綴して一緒に在れり。

歷宋元明清,皆立諸學官,定為不刊之程式。後之學者,幾疑此諸圖為《易經》所固有矣。雖漢學家抨擊非難,不遺餘力,而以其理數出自天然,推算又確有徵驗,終非討生活於故紙堆中者,空言所能排斥也。故宋之易學,能有所發揮,獨樹一幟與漢學相對峙者,自當首推邵氏。

宋・元・明・清の各代を経過して、これらの図は皆学官に立てられて、更改すべからざるの程式と定め成されて、後来の学者は幾んど彼らを以て本来《易経》の裏に固有のものと為せり。漢学家は極力抨撃して非難し・これらの図は道士陳抟の一系より出でて而して経文の所有に非ずと斥けると雖も、但し其の中の理と数とは自然より出づるを以て・推算して起きてもまた確かに応験有るに因りて、終究並びに一班の故紙堆の裏に生活を討う人の凭空の話の能く駁倒する所に非ず。ゆえに宋代の易学の中に於て、能く発揮する所有り・独り一樹の幟を立てて而して漢学と相対峙するは、自然まさに邵雍を首と推すべし。

朱子《本義》,頗能矯王弼以來空談玄理之弊,而注意於象數,故取用邵子之說頗多。顧未能會通全《易》,博採兩漢諸家之說,以明聖人立象之意。又泥於門戶之見,不敢暢所欲言,而以聖人以卜筮教人一言,為立說之本義。此何異以璇璣玉衡為定南北方向之用,不亦隘乎?

朱熹の《周易本義》は頗る能く王弼以来の空談玄理の毛病を矯正して、肯んじて象数に留意せれば、ゆえに邵雍の説法を採用すること甚だ多し。可惜しむらくは彼は能く整部《易》理を貫通せず・広く両漢各家の説を採って、以て聖人の卦象を設立するの用意を闡明せざりき。もまた門戸の見に拘泥して、敢えて所欲言を暢せずして、ただ「聖人は卜筮を用いて人を教う」の此の一句を把りて當てて立論の根本宗旨と為せり。此れ天象を観測するの璇璣玉衡を把りてただ南北方向を辨別するの器具と當てると何の両様有らんや、不もまた太だ狭隘ならずや。

兩宋《易》家之著錄者頗多,以當時鐫版業已發明,流傳較易。今《四庫》所存,及刊入《通志堂經解》,與《惜陰》、《聚珍》諸叢書者,尚有六十餘種。而納蘭氏又彙輯諸儒語錄別集,暨佚書之單辭剩義,為《大易萃言》八十卷,可謂極宋學之大觀已。

両宋の易学家の著録に見ゆるは甚だ多くして、当時雕版印刷は已に発明せられて・書籍の流伝は比較的容易なるを以てなり。如今《四庫全書》の収める所、および《通志堂経解》と《惜陰軒叢書》《聚珍版叢書》等の叢書に刻入せるは、還た六十余種有り。而して納蘭性徳はまた各家儒者の語録・別集、および散佚書の中に零星残存するの片言隻義を把りて汇集して起きて、《大易萃言》八十巻を編成して、宋代易学の一大総匯と謂う可し。

元明之易学

元明兩代之言《易》學者,無甚發明。著錄者大抵盤旋於程朱腳下為多。元之熊與可、胡一桂、熊良輔、王申之、董真卿,明之黃道周、喬中和,皆其傑出者也。然皆有所依傍,不能成一家之言。黃道周之《易象正》、《三易洞璣》,雖以天象曆數闡明易理,而艱深奧衍,流傳不廣。

元・明の両代の易学を講ずる人は多少の新たなる発明無くして、著録に見ゆるの著作は大多ただ程頤・朱熹の脚下に於て転打して、彼らに替りて疏解補苴を作るのみ。元代の熊与可・胡一桂・熊良輔・王申之・董真卿、明代の黄道周・喬中和は、皆其の中の佼佼者と算す。然れども彼らは皆各々依傍有りて、自成一家の学説を成る能わざりき。黄道周の《易象正》《三易洞璣》は、天象暦数を用いて以て易理を闡明すると雖も、然れども文字は艱深繁奥にして、流伝は広からずして、読む人は甚だ少なし。

惟來知德氏崛起川中,以二十九年之功,成《來氏集註》一書,風行大江以南,三百年來未絕。雖其錯綜之說,頗貽人口實。然取象說理,淺顯明白,惟恐人之不易索解,恆罕譬曲喻以明之。視故作艱深以文其淺陋者,自勝一籌。初學者得此,尚為善本也。

ただ来知徳は四川に於て崛起して、二十九年の工夫を用いて《来氏易注》の一書を写し成して、長江以南に風行して、三百年来流伝して絶えず。彼の講ずる「錯卦」「綜卦」の説は頗る人の非議を招くと雖も、但し象を取り理を説くは浅顕明白にして、惟れ読者の容易に索解せざらんことを恐れて、常常多方に譬を設け・委婉に譬喩して以て講じ清むる。あれらの故意に艱深を写して以て自己の浅陋を掩飾する人に比ぶれば、自然一籌を高出せり。初学の人は此の部の書を得れば、還た一個の好本子と算す。

勝朝之易学

有清一代,經學之盛,遠過宋明。其治易學專家,如刁氏包、李氏光地、胡氏、胡氏渭、任氏啟運、惠氏奇、惠氏棟、萬氏年淳、姚氏、張氏、彭氏,皆能獨抒己見,各有心得。而顧亭林、毛大可、錢辛楣、王引之、江慎修、段懋堂、王蘭泉諸氏,雖不專治《易》,其音韻訓詁考據,於吾《易》亦多所發明。

清朝一代の経学の興盛は、遥かに宋・明の両代を超過せり。専ら易学を治するの名家は、刁包・李光地・胡氏・胡渭・任啓運・恵士奇・恵棟・万年淳および姚氏・張氏・彭氏の諸人のごとき、皆能く旧説に因襲せずして・独り己見を抒べて、各々其の心得有り。而して顧炎武(亭林)・毛奇齡(大可)・銭大昕(辛楣)・王引之・江永(慎修)・段玉裁(懋堂)・王昶(蘭泉)の此の几位は、専ら《易》を治せざると雖も、然れども彼らは音韻・訓詁・考拠の方面に下せる工夫は、我らの此の門の《易》学に対してもまた多く発明の功有り。

至若焦氏循之《通釋》、紀氏大奎之《易問》與《觀易外編》,一則宗漢學,而能串合六十四卦之爻象,無一辭一字不相貫通;一則講宋學而能闡發性理,與六十四卦之爻象變通化合,尤為歷來講《易》家之所未有。端木國瑚後起,更冶漢宋於一爐,一一以經傳互證,無一辭一字之虛設。視焦紀二氏為更上一層,允足以殿全軍而為勝清一代易學之結束矣。

至りて焦循の《易通釈》・紀大奎の《易問》と《観易外編》は、前者は漢学を宗奉するも、却って能く六十四卦の爻象を把りて串連して起きて、一句一字として互相貫通せざる無し。後者は宋学を講ずるも、却って能く性理を闡発して、併せて六十四卦の爻象と変通融合して、尤其れ歴來《易》を講ずる人の未曾て做し到れざる所なり。此の両部の書は一は漢学を宗とし・一は宋学を宗として、路数は正に相反るも、却って各自極処に做し到れり。端木国瑚は後起して、更に漢学・宋学を把りて一炉に熔かして、処処経文と伝文とを用いて互相印証して、一句一字として虚設せる無し。焦・紀の両人に比ぶればまた更に一層を上にして、以て陣を圧し殿後するに足りて、清朝一代の易学の収束と作為す。

歴代易注之存廃

兩漢之《易》注,永嘉而後,已無完書。雖經歷朝好古之士,探討搜輯,然皆東鱗西爪。除《李氏集註》外,其能集合成書者,不可概見。濟南馬氏,旁搜博採,更於《太平御覽》、《永樂大典》與《說文》、《爾雅》、《文選》、《水經》諸注,傍及《內經》、《道藏》之所稱引者,悉為編次,共得《易部》之逸書八十餘種。承學之士,亦可略得其梗概矣。

両漢の《易》注は、西晋永嘉の乱以後自りて已に完整の本子無し。歴朝の古を好むの士は皆探寻して捜輯するも、得る所もまた皆東の一鱗西の一爪なり。李鼎祚の《周易集解》を除く以外、能く汇集して書を成すは幾んど看るを得ず。済南の馬国翰は広く捜し博く採って、進んで《太平御覧》《永楽大典》および《説文》《爾雅》《文選》《水経》の各家注の中より、旁ら《黄帝内経》《道蔵》の征引する所の材料に及ぶまで、一一に編次を加えて、共に《易》類の佚書八十多种を輯出せり。後学の士もまた便ち以て大略漢《易》の梗概を看て出るを得。

魏晉以降,其完全無缺者,推王弼注為最古。今與孔穎達之《正義》,陸德明之《音訓》並傳,與《程傳》、《朱義》,皆歷代官書所刊佈,士林所奉為金科玉律者也。其餘唐宋諸家之《易》注,世罕單行。賴《津逮》、《汲古》、《曠照》、《漢魏》諸叢書刊佈,而以後之聚刻叢書者,必以《易》為甲部之冠。孤本秘錄之藉此僅存者,為不少矣。

魏晋以後の完整無缺の《易》注は、王弼注を数えて最も古しと為す。如今それは孔穎達の《周易正義》・陸徳明の《経典釈文》の音訓と一併せて流伝して、《程氏易伝》《朱子本義》と同じく歴代官府の刊布する書と為して、もまた士林の奉じて金科玉律と為す所なり。其余の唐宋各家の《易》注は、世上甚だ少く単行本有りて、全靠く《津逮秘書》《汲古閣叢書》《曠照閣叢書》《漢魏叢書》等の叢書の刊行す。而して後来叢書を匯刻する人もまた、必定《易》類を把りて経部の首に放る。此の一條の路を靠りて始めて保存し下るを得たる孤本秘籍は、数を為すこと少なからず。

納蘭氏之《通志堂經解》,輯刊《易》注至四十餘種,尤為各叢書之所未有。而勝朝《經解》正、續兩編,選錄當時之《易》注,亦皆卓然可傳之書也。綜計清《四庫全書》,《易部》所藏,都一百五十二種。其存目著錄而無書者,約三倍其所藏之數。

納蘭性徳の《通志堂経解》は《易》注を輯刻すること多きこと四十余種に達して、尤其れ別の叢書の無き所なり。而して清代《皇清経解》の正編・続編の選録する当時人の《易》注もまた、皆卓然として以て世に伝う可きの書なり。総計清代《四庫全書》の収める所の《易》類の著作は共に一百五十二種にして、ただ存目を列して而して書を把りて収め入れざるは、大約収める所の数の三倍にして、即ち四百五十種の上下なり。

辛齋自學《易》以後,歷年購求,所得已有四百六十三種。計《四庫》所藏之一百五十二種購求未得者,尚有二十九種。《四庫》存目所錄已購得者,有七十八種。《四庫》編錄於道家及術數類者,如《皇極》、《洞林》、《三易洞璣》等計三十餘種,餘皆為叢書及家刻單行之本,而寫本及辛齋所手抄者亦六十餘種,為日本人所著述者三種。嗣在廣東上海蘇杭揚州,陸續又得一百五十餘種。前後都六百數十種。以視歷代《經籍志》,及陳東塾《朱竹垞》所著錄者,曾不逮十之三四。然以現世所有者而論,則所遺已無幾矣。

我は《易》を学びて以後自りて、歴年捜購して、已に四百六十三種を得たり。其の中《四庫》の収める所の一百五十二種は、還た二十九種は未だ買い到らず。《四庫》存目の裏に著録して而して已に買い到れるは、七十八種有り。本は《易》学に属して而して《四庫》は却って道家類と術数類との裏に編せるは、《皇極経世》《洞林》《三易洞璣》等のごとき、約三十多种。其余は皆叢書本および私家刻印の単行本にして、別に写本と我が親手抄録せると有りてもまた六十多种有りて、日本人の著述する所有りて三種有り。後来広東・上海・蘇州・杭州・揚州の各地に於て、また陸続百五十多种を得て、前後合計六百幾十种なり。拿りて来りて歴代史志の《経籍志》および陳澧(東塾)・朱彝尊(竹垞)の著録する所の書目と相較すれば、還た人家の十分之三四に到らざれば、見ゆべし歴代《易》類著作の亡佚の多きを。不過現今世の上に還た存留するの書に就いて論ずれば、我の遺漏する所は已に多からざるなり。

日本之易学

日本文學,皆我國所津逮。故我國已佚之書,而日本尚保存者甚夥。黎氏《古逸叢書》所刊,未能盡焉。光緒甲午以後,我國新進,厭棄古學。而竺舊之士,又墨守糟粕,不能發揮精義,與新理相調和,而資利用。致精義入神之學,日就澌滅。

日本の学術文教は皆我が国より伝え過ぐる所なり。ゆえに我が国は已に失伝せる書にして、日本は還た保存するは甚だ多くして、黎庶昌の刻せる所の《古逸叢書》は並びに彼らを把りて収め尽くさざりき。光緒甲午(一八九四)以後、我が国の新派人物は旧学を厭棄して、而して旧を守る人もまた死守して糟粕を、能く其の中の精義を把りて発揮して出で・新たなる学理と互相調和以て実用に供せざれば、以致て「精義は神に入る」の此の門の学問は一天天消亡す。

清季以國立大學,求一完全經師而不可得,致羲經竟任缺席。鼎革以後,竟公然廢棄經學,而隸於文科之下,亦可謂臻晦盲否塞之極運矣。而日本既厭飫於物質文明之利,更反而求諸精神。雖舉國喧囂於功利競爭之途,而學術之研究,尚不忘初祖。仍有多數之學子,從事於《易經》。

清朝末年、堂堂国立大学は一位の格に够る経学教習を找うても亦た都合見つからざれば、以致て伏羲之《易》の此の一科は竟然空きて人の講授する無し。改朝換代して以後、索性公然経学を廃棄して、それを把りて文科底下の一門に降作して、真に昏暗閉塞の極点に走り到りと謂う可し。反観日本は、已に飽きて物質文明の好処を嘗めて、転じて精神の方面に向かいて以て追求す。挙国は功利競争の路上に於て喧嚷すると雖も、学術研究の上に於ては却って本源を忘れずして、仍ほ旧として許多の学生は《易経》を研治して在り。

東京有易學會,有易學演講所,有《易學講義》之月刊。其占筮亦尚用古法。我國二千年來失傳之揲蓍法,經學鉅子所未能決其用者,彼中隨處可購得揲蓍之器也。惟蓍不產於日本,則以竹代之。禮失求野,不僅維繫易學之一助也。

東京は易学会を設けて、易学演講所有りて、還た《易学講義》の月刊有り。彼らの占筮もまた仍ほ古法に沿用す。我が国両千年来失伝せる揲蓍して卦を成すの法は、連ねて経学大家も亦た断じ定むる能わざる怎様に使用すべきかを、日本に於ては却って随処買い到るを得て揲蓍に用うるの器具を。ただ蓍草は日本に産せざれば、便ち竹籤を用いて代替す。此れ正に礼制は失伝すれば民間に到りて尋求するを要すにして、其の意義は還た止まらずして易学を維繫するの一点の助力のみならず。

辛齋會購其《易學講義》,其取象悉宗漢學,大抵取資於《李氏集解》者為多。有所謂影象意象者,則為彼所擴而充之者也。有《易學新講義》,為我國北宋人之著述。《四庫》有其書,外間已乏刊本,亦為日本所印行。而近出之《高島易斷》,於明治維新以後五十年間,內政外交諸大事,均有占驗論斷,亦可覘彼國之所尚矣。

我は曾て彼らの《易学講義》を買いたり。其の中の象を取るは全く漢学を宗として、大抵李鼎祚《周易集解》に取材するは居多を占む。所謂「影象」「意象」の説は、則ち彼らは漢人の象を取る以外に推衍拡充して出でたるの名目なり。もまた一部の《易学新講義》有りて、本是れ我が国北宋人の著作にして、《四庫》は著録して此の部の書有るも、国内は却って已に少く刻本を見て、もまた日本に由りて印行せり。至りて新近出版の高島呑象の《高島易断》は、明治維新以後五十年間の内政外交の種種の大事に対して皆占断論定有りて、此処よりもまた以てあの国家の崇尚する所の風気を看て出る可し。

米国図書館所蔵之易

美國國會圖書館,以四十萬金鎊,專為購買中國書籍之用。除前清殿版各書,為清政府所饋送外,其餘所採購之漢文書籍,亦有數千種之多。皆為日本人所販運,直接購自中國者無幾也。友人江亢虎君,現為其漢文部之管理員。丁巳夏間回國,邂逅於滬上。雲彼中所藏《易部》,亦幾有四百種。因囑其將目錄鈔寄,以較辛齋所藏者未知如何。然彼以異國之圖書館,而其所藏,視本國《四庫》所有,至兩倍有半,殊足令人生無窮之感也。

米国国会図書館は四十万金鎊の専款を撥出して、専ら用て中国書籍を採購す。前清内府殿版の各種の書は清政府の贈送するを除く以外、其余採購して来れる漢文書籍もまた幾千種の多有りて、而してこれらの書は皆日本人の販運して過ぎて転売する所にして、直接中国より買い去るは多少有らず。我が朋友江亢虎先生は現在該館漢文部の管理員を担任して、丁巳年(民国六年)の夏帰国して、我は彼と上海に於て期せずして遇う。彼曰く該館の所蔵する《易》類の書もまた将に四百種に近しと。我便ち彼を嘱託して書目を把りて抄して我に寄せしめて、好比く我の所蔵すると孰れか多き孰れか少なきを一比せば、如今還た知るを得ず。然れども一個の外国の図書館を以てして、所蔵は竟に我が国《四庫》の収める《易》類の数の两倍半に達するは、実在人をして感慨無窮ならしむ。

漢宋学派異同

自來言《易》者,不出乎漢宋二派。各有專長,亦皆有所蔽。漢學重名物,重訓詁,一字一義,辨晰異同,不憚參伍考訂,以求其本之所自。意之所當,且尊家法,恪守師承,各守範圍,不敢移易尺寸。嚴正精確,良足為說經之模範。然其蔽在墨守故訓,取糟粕而遺其精華。且《易》之為書,廣大悉備;網羅百家,猶恐未盡;乃株守一先生說,沾沾自喜,隘陋之誚,雲胡可免?

従来《易》を講ずるは漢学・宋学の両派より外ならずして、各々其の専長有りて、もまた各々其の蒙蔽有り。漢学は名物を看重し・訓詁を看重して、一個の字・一條の義訓も皆其の異同を辨析して、反復参校して考訂するを怕れずして、以て其の本源の自りと意義の確当とを弄清せんと求む。而且家法を尊崇し・師承を謹守して、各自自己の範囲を守りて、敢えて分寸を移動せず。此の種の厳正精確の態度は、確かに以て経を解するの典范と做す可し。但し其の毛病は旧訓を死守するに在りて、糟粕を取りて而して精華を丢てり。況んや《易》の此の部の書は広大にして備わらざる所無くして、百家の説法を把りて皆網羅して入れて還た足らざるを怕るるも、而して偏偏死に某一位先生の成説を抱住して沾々として自ら喜べば、あの処狭隘鄙陋の譏評は、もまた怎様にして躲げ得られんや。

宋學正心誠意,重知行之合一,嚴理欲之大防。踐履篤實,操行不苟。所謂和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命者,亦未始非義經形而上學之極功。但承王弼掃象之遺風,只就經傳之原文,以己意為揣測。其不可通者,不憚變更句讀,移易經文,斷言為錯簡脫誤。此則非漢學家所敢出者也。

宋学は心を正しくし意を誠にすることを講じて、知行合一を重視して、天理と人欲との間に於て厳に界限を立てて、践行は踏実にして、操守は苟あらず。《説卦伝》の説く所の「道徳に和順して義に理を合し、物理を窮究し・人の性を尽くして以て天命に至る」もまた、未だ嘗て《易》経の形而上の一路の最高功夫ならざるに非ず。但し宋学は王弼の卦象を掃除するの遺風を承接して、ただ経伝の字面に就いて自己の意思を用いて往きて揣测し、講じ通ぜざる処に碰到すれば、便ち句読を改動し・経文を移換するを惜しまずして、断言して彼は簡冊の錯乱あるいは脱漏訛誤と為す。此の種の做法は、倒是れ漢学家の敢えて下手せざる所なり。

元明以來,兩派對峙,門戶攻擊之陋習,雖賢者亦或不免。甚者以意氣相爭尚,視同異為是非。不但漢學與宋學相爭訟也。同漢學焉,尊鄭者則黜虞,是孟者則非荀。同宋學焉,而有洛蜀之辯駁,朱陸之異同。其下者更或依巨儒之末光,蒙道學之假面,為弋名乾祿之具者,尤不足道矣。

元・明以来両派は対立して、互相攻撃するの門戸陋習は、連ねて賢者もまた時に幸免する能わざりき。厳重なるは甚至意気に事を用いて、自己と意見相同なるか還た不同なるかを把りて當てて是非の標準と為す。此れ還た止まらずして漢学と宋学との間の争訟のみならず。同じく漢学に属して、鄭玄を尊崇するは便ち虞翻を貶斥し、孟喜を肯定するは便ち荀爽を非難す。同じく宋学に属して、もまた洛派と蜀派との辨駁有り・朱熹と陸九淵との異同有り。至りて等を以て之に下るは、還た大儒に依傍するの余光有り・道学の仮面を戴着して、学問を把りて當てて名声を猟取し・官禄を謀求するの工具と為すは、あの処便ち更に一提に値せざるなり。

坊本易経之謬

國學淪亡,書局盡廢。承學之士,求一善本之經書,已不可得。近日坊間石印之《易經》,其謬誤尤甚。校對之疏略,姑置不論。序文則《程傳》也,目錄之標題則《本義》也。目錄之卷帙則《程傳》也,首列河圖、洛書,及先後天八卦六十四卦各圖,亦《本義》也。而上、下《經》與《繫傳》之篇第,則又皆《程傳》也,其注則又皆《本義》也。可謂極參伍錯綜而莫明其妙者矣。

国学は淪喪して、官書局もまた皆停辦せられて、読書人は一部の好き経書版本を求めんと欲しても皆辦し到る能わず。近来書坊は石印を用いて翻印するの《易経》は、錯誤尤其厳重なり。校对上の粗疏錯漏は還た以て姑く論ぜざる可し。単に序文の用うる所は《程氏易伝》の序にして、目録の標題は却って《本義》にして、目録の巻次もまた《程伝》に依りて、巻首は《河図》《洛書》と先天後天八卦・六十四卦の各図を列出するは、もまた《本義》の体例にして、而して上下《経》と《繋辞伝》との篇次もまた全く《程伝》に依りて、注文は却ってもまた全く《本義》なり。一部の書の裏に程・朱の两家の体例を把りて東拼西湊するは、真に錯雑交互して人をして莫名其妙ならしむるの地步に到りと謂う可し。

觀其封面所署,則又曰“監本《易經》”。推求其故,則謬誤相仍,已非一日。蓋明刻永樂之監本,固程子之《傳》與朱子《本義》並列者。而篇第章句,悉依《程傳》,而以《本義》之注,錄於《程傳》之後。清刻《易經》傳義音訓亦猶是也。

再び其の封面上の題する所を看れば、もまた「監本《易経》」と叫ぶ。其の縁由を推究すれば、此の類の錯誤は因襲相沿して已に一天に非ず。原來明代永楽年間国子監の刻せる本子は、本是れ程頤の《易伝》と朱熹の《本義》とを把りて並列するにして、篇次章句は一概に《程伝》に依照して、而して《本義》の注を把りて《程伝》の後に録せり。清代の刻せる《易経》伝義音訓本もまた是れ此の様子なり。

後以考試功令,專重朱義。坊賈射利,為節減篇幅計,以去《傳》留《義》,而篇帙則仍未之改。明嘉靖間蘇州學官成某,復即是本而刊佈之,成此非驢非馬之怪象,公然流佈。讀者既不求甚解,而所謂教育部教育廳教育會者,皆熟視無睹,不加糾正。嗚呼!易世而後,將不知經書之為何物矣!

後来科挙功令は専ら朱熹の《本義》を重んずるを以て、書商は牟利する為に、もまた篇幅を節省し・成本を減低せんと要して、便ち《程伝》を删去して而してただ《本義》を留めて、篇巻次第は却って仍ほ旧のままに照らして改めず。明代嘉靖年間蘇州の学官成某は、もまた此の本子に照りて刻印流通して、是に於て此の種の非驢非馬の怪相を造成して、公然流伝す。読者は本来便ち甚解を求めずして、而して所謂教育部・教育庁・教育会の類もまた、皆見て見ざるとして、従来以て糾正を加えず。噫。再び一両代人の後を過ぎれば、ただ怕らくは便ち経書は一個の何の東西なるかを知らざらんとす。

講易家之錮蔽

歷來講《易》家,無論其為漢學,為宋學,而有一宗牢不可破之錮蔽:即將“經學”二字橫梗於胸中是也。埋其龐然自大之身於故紙堆中,而目高於頂,不但對於世界之新知識、新思想,深閉錮拒;而於固有之名物象數氣運推步之原本於《易》者,亦皆視為小道,而不屑措意。

歴來《易》を講ずる人は、漢学に属するを論ぜず還た宋学に属するを論ぜず、皆一様の牢として破る可からざるの痼疾有りて、便ち「経学」の此の両個の字を把りて胸中に横梗して、當てて逾越すべからざるの界限と作為す。彼らは自己のあの龐然として自ら大なるの身軀を把りて故紙堆の裏に埋めて、眼睛は却って頭頂の上に長せり。不但世界上の新知識・新思想に対して大門を緊閉し・一概に拒絶するのみならず、就中我が国固有の名物訓釈・象数推衍・気運消長・暦法推歩のこれらの本来《易》に源出するの学問もまた、一律に旁門小道と看為して、留意するに屑とせざるなり。

凡經傳所未明言,註疏所未闡發者,悉目為妄談,為異端。排斥攻擊,不遺餘力。而不知《易》之為書,廣大悉備。上自天地之運行,下及百姓所日用,無不彌綸範圍於其中。孔子贊《易》已明白言之,曰“書不盡言,言不盡意”,故聖人立象以盡意,變而通之以盡利,鼓之舞之以盡神。

凡そ経伝の裏に明説せず・注疏の裏に闡発せざるは、一概に胡説と斥け・異端と斥けて、排斥して攻撃して、余力を遺さず。彼らは《易》の此の部の書は広大にして備わらざる所無きを懂得せず。上は天地の運行より、下は百姓の日常応用に到るまで、一様としてそれに包羅籠括せられて内に在らざる無し。孔子は《易伝》を作りて已に講じて甚だ明白にして、曰く「文字は説かんと要する話を写し尽くさず、話は心の裏の意思を説き尽くさず」。ゆえに聖人は卦象を設立して以て意思を窮尽し、卦爻を変通して以て功利を窮尽し、鼓動振作して以て神妙を窮尽す。

是書之所未言者,固當求之於意。意有所未得者,當求之於象。象有所未盡者,當變通之以盡其利。而《易》之道始應用而不窮。今乃盡反孔子之言,曰“吾言義不言利”,曰“得意而忘象,得象而忘言”。目光之盤旋,不出於書外一寸。此《易》道之所以終古長夜也夫!

見ゆべし文字の上に説き到らざるは、本来当に「意」の裏に到りて求むべくして、意思の上に還た未だ領会せざるは、当に「象」の裏に到りて求むべくして、卦象の上に還た未だ窮尽せざるは、当に変通の弁法を用いて往きて其の功用を窮尽すべし。かくのごとく《易》道は始めて応用無窮を得。如今《易》を講ずる人は却って孔子の話を把りて完全に反了して過ぎて、一面は「我はただ義を講じて利を講ぜず」と説きて、一面は「意を得れば便ち象を忘れ、象を得れば便ち言を忘る」と説く。眼光は盤旋して来去して、書本以外の一寸を跑出る能わず。此れ即ち《易》道の千古に長夜のごとくなるの縁故なり。

今後世界之易

《易》窮則變,變則通,通則久。黃帝堯舜,通其變使民不倦,神而化之,使民宜之。蓋民之情,恆厭故而喜新。厭則倦,倦則精神懈弛,而百事皆墮壞於無形。此蠱之象也,故君子以振民育德而變化之。蠱成隨,則元亨而天下治。隨元亨利貞而天下隨時,隨時之義大矣哉!

《易》道は窮尽すれば便ち変を要して、変じて始めて通じて、通じて始めて長久を得。黄帝・堯・舜は事物の変を会通して、百姓をして疲倦を覚えざらしめ・神妙に化育を加えて、百姓をして各々其の宜を得せしむ。人情は総じて旧を厭いて而して新を喜ぶを以て、旧を厭えば便ち倦怠を生じて、倦怠すれば便ち精神は松懈して、百事は皆無形の中に於て敗壊して下る。此れ正に《蠱》卦の象にして、ゆえに《蠱・象伝》は君子はまさに百姓を振作し・徳行を培育して以て変革を加うべしと曰う。《蠱》は変じて《随》と成れば、便ち大いに亨通して而して天下は治を得。《随》卦は元・亨・利・貞を講じて而して天下は時に随いて動く。「時に随う」の此の層の意義は真に太だ大きし。

今之時何時乎?五洲交通,天空往來,百礦並興,地寶盡發。所謂萬物皆相見,其重明繼照之時歟!離火之功用,遍於坤輿,極則為災。或致突如其來如焚如死如棄如之占,果能神而化之,變通盡利,則將由物質之文明,而進於精神之文明。是明出地上,火地為晉,受茲介福之時矣。

今天は何の時代なるか。五大洲は交通往來して、天空は飛渡すべくして、百様の鉱業は一斉に興起して、地下の宝蔵は全く開発せられり。此れ正に《離》卦の説く所の「万物は皆互相顕現す」・光明は接続して照耀するの時代ならんか。然れども離火の功用は大地に遍布して、極処に到れば便ち災害と成りて、あるいは《離》卦九四の「突如として来たり、焚くがごとく、死すがごとく、棄つるがごとし」のあの様の占象を招来せんか。倘若真に能く神妙に化育し・変通して而して其の利を尽くし得れば、便ち物質の文明より精神文明に進んで進み、あれ便ち光明は地面より升出し・火は地の上に在りて《晋》卦と成りて、「兹の介福を受く」大福を承受するの時候なり。

《易》道於此,必有大明之一日。吾輩丁茲世運絕續之交,守先待後,責無旁貸,亟宜革故鼎新,除門戶之積習,破迂拘之謬見。以世界之眼光觀其象,以科學之條理玩其辭,集思廣益,彰往察來,庶五千年神秘之鑰可得而開。興神物以前民用,必非尼父欺人之語也。

《易》道は此の時候に到れば、必定大いに光明を放つの一天有らん。我らは正に世運断続交替の際に逢いて、前人を承接し・後人を等待して、責を負うて貸す無くして、当に赶紧旧弊を革除し・新局を開創して、門戸の積習を掃掉して、迂腐拘執の謬見を破除すべし。世界の眼光を用いて其の卦象を観察し、科学の条理を用いて其の文辞を玩味して、思を集め益を広めて、既往を彰明し・将来を推察すれば、或いは五千年来の此の把の神秘の鑰は便ち打開し得べからん。《繋辞》は聖人は蓍亀の此の類の神物を興して、百姓の為に先路を開導すと曰うは、あれ必定並びに孔子の人を騙すの話に非ず。

新名詞足与経義相発明

物生而後有象,象而後有滋,滋而後有數。民物之孳乳無窮,而象數之遞演而遞進,遞進而遞繁,無有止境。故在黃帝之時演《易》,伏羲之八卦已不足用,乃益之以干支。文王演《易》,干支已不足用,乃益之以《彖》、《爻》。孔子贊《易》,則《彖》、《爻》又不足以盡世變物情,乃益之以繫辭《十翼》。

事物は産生して以後始めて形象有りて、形象有りて始めて滋生有りて、滋生有りて始めて数目有り。人と物とは繁衍して窮まり無くして、象と数ともまた便ち一層層推演し・一層層増進して、愈推し愈繁にして、止境無し。ゆえに黄帝時代は《易》を推演して、伏羲の八卦は已に用に足らずして、便ち天干地支を添えて以て配合す。文王は《易》を推演して、干支はもまた用に足らずして、便ち《彖辞》《爻辞》を添えり。孔子は《易伝》を作りて、《彖辞》《爻辞》はもまた以て世事の変化と万物の情態とを説き尽くすに足らずして、便ち《繋辞》以下の《十翼》十篇を添えり。

今距孔子之世又三千年矣!世界大通,事物之紛紜繁變,十百倍蓰千萬於古昔。而所用之文字,乃不能隨世事遞演遞進以應所需。且小學中絕,音移義晦,經典固有之字,因廢置已久,不復為人所識者,十殆四五。

如今孔子の時代より距りてもまた三千年を過ぎたり。世界は彼此貫通して、事物の紛繁変化は古時に比ぶれば十倍百倍以至千万倍を多出するも、然れども我らの用うる所の文字は却って能く世事に随いて一步步推演増進して、以て需要に応付する能わず。況んや文字訓詁の学は中途断絶して、字音は転移し・字義は晦暗にして、経典の裏に原有の字は、久しく已に棄置して用いざるを以て而して人の再び認得する無きは、幾んど十分之四五を占めり。

故說《易》者,往往於《易》之一字一義,累千萬言之解釋,而仍不能明。然必待小學既明而說《易》,又如臨渴掘井,不能濟目前之用,且不能令多數之學子盡通小學焉。則雖說亦如無說,而《易》仍不能明。則不如假世界通用之名詞以代之,以補文字之闕憾,而閱者亦《易》於瞭解也。豈非《易》之一助乎?

ゆえに《易》を解説する人は、往往《易》の中の一個の字・一條の義訓の為に千言万語の解釈を写下して、仍ほ旧として講じ明白せず。然れども若し必定要して文字訓詁の学を弄清し通じて再来りて《易》を講ぜば、あれもまた臨渇に井を掘るがごとくにして、眼前の急を救う能わずして、而且もまた能く多数の学生をして個個小学に精通せしむる不可能なり。あの様にすれば即便ち講ずるもまた没に講ずるに等しくして、《易》は還た明ならず。倒れて世界通用の名詞を借用して以て代替するに如かずして、それを用いて文字上の缺憾を弥補すれば、読者もまた容易に理解して、此れ豈に《易》を講ずるの一大助力ならざらんや。

如《易》言“坤其靜也翕,其動也闢”,而翕與闢之義,以舊文字釋之,則翕為聚也合也,闢為開也。一開一合,字義雖盡,而於《易》言闢會之妙用,仍未著也。若假新名詞以解之,則闢者即物理學之所謂離心力也,翕者即物理學所謂向心力也。凡物之運動能循其常軌而不息者,皆賴此離心向心二力之作用。地球之繞日,即此作用之公例也。以釋闢翕,則深切著明,而閱者亦可不待煩言而解矣。不僅名詞已也,新思想與新學說,足與吾《易》相發明者甚多。而經學家見之,必又曰穿鑿附會,誣衊聖經,則吾其奈之何哉!

例えば《繋辞》は「坤は静なる時は翕にして、動くる時は辟なり」と曰う。「翕」と「辟」との意思は、旧き字義を用いて以て解釈すれば、翕は便ち聚にして便ち合にして、辟は便ち開なり。一開一合にして、字面の意思は講じ完わると雖も、然れども《易》の講ずる所のあの種の開合の妙用は仍ほ旧として顕れ出でざりき。如果新名詞を借用して以て解釈すれば、「辟」は便ち物理学の上の説く所の遠心力にして、「翕」は便ち物理学の上の説く所の向心力なり。凡そ物体運動の能く一定の軌道に沿いて而して停息せざるは、皆此の遠心・向心の両種の力の作用に靠る。地球は太陽を繞りて運行して、一面は吸引せられて而して飛散に至らずして、一面もまた旋転に因りて而して墜落に至らざるは、便ち此の一作用の通例なり。それを用いて以て「辟」「翕」を解釈すれば、便ち深切顕明にして、読者は多く説くを待たずして便ち能く懂る。ただ名詞のみならずして已り、新思想・新学説の以て我らの《易》と互相発明するに足るは還た甚だ多し。然れども経学家は看見すれば、必定もまた曰いて此れ穿鑿附会・聖経を誣蔑すと為さん。あれ我はもまた何の弁法有らんや。

俗義による経文訓詁の流弊

今日所用之字,猶數千年前之字也。然形式雖未改,而精神則非複數千年之舊。音與義,類皆變易。任舉一字而衡論之,若此者蓋比比焉。其僅音變而義未變者,如“下、無”等字,於詁經尚無出入。其訓義變易者,雖古音尚存,於經義已不可通矣。

今日使われている字は、依然として数千年前の字である。しかし字形は変わっていないが、その精神はもう数千年前の古いものではない。読み音と意義は大抵変化している。任意に一字を取り上げて論じても、このような例はあちこちにある。そのうち音だけが変わって義が変わっていないもの、例えば「下」「無」などの字は、経文を訓詁するのにまだ出入りはない。だが訓義が変化したものは、古音が残っていても、経義を説くにはもう通用しない。

如君臣二字,古訓但為主從之別。降及漢魏,猶為普通尊人卑己之謙辭,未嘗專屬諸朝廷也。自宋以後,則專以君為尊無二上之天子,臣為庶司百職之官僚,而君字遂神聖不可侵犯矣。官字之古訓,亦僅為專任職司之名,並未含有尊崇高貴之意。人之耳目口鼻舌曰五官,言其各專所用,不能彼此互代也。故手足則曰肢而不稱官,其義甚明。

例えば「君」「臣」の二字は、古義では単に主と従の区別であった。漢・魏の時代になっても、なお一般に相手を敬い己を謙る言葉であって――例えば相手を「君」と呼び、自らを「臣」と称する――必ずしも朝廷に専属していなかった。宋代以後になって、初めて「君」を至高無二の天子とし、「臣」を各部門に任じる官僚として、「君」の字は神聖不可侵のものとなった。「官」の字の古義も、ある職務を専任する名称にすぎず、尊貴崇高の意味を含んでいなかった。人の耳・目・口・鼻・舌を「五官」というのは、それぞれ専用の働きがあって互いに代えられないということである。だから手足は「肢」と呼んで「官」とは称さない。この道理は明白である。

自漢後天子曰縣官,曰官家,而官之義遂混。後世官之權位浸大浸崇,而官字漸成尊崇高貴之稱。今之俗尚,凡物美者,轍加一官字以為標幟,其去官字之本義,不可以道里(理)計矣。於是龍飛九五,遂為帝王之祥;惟闢作威,亦附卦爻之義。兢兢乎僭越之虞,凜凜乎生殺之柄。如《周易折中》者,《易》竟為專制帝王之護符矣。非以今義釋經階之厲哉!

漢代以後、天子を「県官」「官家」と称したことで、「官」の意味は混同された。後世には官の権勢と地位がますます大きく高くなり、「官」の字は次第に尊貴崇高の称呼となった。今の風潮では、物がよいものであれば必ず「官」の一字を付けて標幟とするが、それは「官」の本義から里程をもって計れないほど遠く離れている。こうして《乾》卦九五の「飛龍在天」は帝王の祥瑞となり、《尚書・洪範》の「惟辟作威」も卦爻の義理に付会された。《易》を講ずる者は戦々兢々として僭越の嫌疑を恐れ、凛として生殺与奪の権柄を畏れた。《周易折中》のような書では、《易》はついに専制帝王のお守りとなった。これこそ今義で経を解したために生じた禍いではないか。

大宝は位と曰う

《下繫》一章,“天地之大德曰生,聖人之大寶曰位,何以守位曰人,何以聚人曰財,理財正辭,禁民為非曰義”,意義本相聯貫,而文字亦緊相銜接。乃中間插一“位”字,便為上下辭意之梗。宋儒遂改“何以守位曰人”之“人”字為“仁”,以迴護“位”字,而與下“聚人”一句又不相貫。

《繋辞下伝》の一章に「天地の大德は生と曰い、聖人の大宝は位と曰う。何をもって位を守るかを人と曰い、何をもって人を聚めるかを財と曰い、財を理め辞を正し民の非を為すを禁ずるを義と曰う」とある。この数句の意味は本来一気に貫かれ、文字も緊密に連なっている。ところが中間に一つの「位」の字が挿入されたために、上下の辞意がふさがれた。宋儒はそこで「何以守位曰人」の「人」の字を「仁」に改めて「位」の字を弁護したが、こう改めると今度は下の「聚人」の句とつながらなくなる。

於是呂氏本又改從古本作“人”,而曲為之說,亦終不可通。其實誤不在“人”字而在“位”字。“人”字不當改“仁”字,而“位”字當改作“仁”字。蓋“仁”字與“位”字形式相近,以致傳訛。古訓相傳,“所寶惟仁”,未有以位為寶者也。況以位為天下之公器耶?則不必寶;以位為一人之私有耶?則不能寶。晉文之答秦使曰:“亡人無以為寶,仁親以為寶。”詎作《易》之聖人,見出重耳下哉!

そこで呂氏の本ではまた古本に従って「人」に戻し、屈折した説明を加えたが、結局のところ通じない。実は誤りは「人」の字ではなく「位」の字にある。「人」の字は「仁」に改めるべきではなく、むしろ「位」の字を「仁」に改めるべきなのである。「仁」と「位」は字形が近いため、伝写の誤りとなったのであろう。古来相伝の訓では「宝とするは惟れ仁」であり、「位」を宝とした例はない。まして位を天下の公器と見るならば宝とする必要はなく、位を一人の私有と見るならば宝とし続けることはできない。かつて晋文公の重耳は秦の使者に答えて「亡命の身には宝とするものがない、ただ仁をもって親を宝とする」と言った。まさか《易》を作った聖人の見識が、重耳に劣ることがあろうか。

按:此說初創,同人善其新穎,慫恿存錄。嗣閱張之銳氏《易學闡微》,立說相同,更以自信。但數年以來,研窮數理名象,覺此“位”字“人”字皆文所應有,實不當輕議更改。此次重印,原擬將此條削去。惟前書既已傳佈,不能追改,特存之而附註原委,以志吾過。並令閱者得更進一層之研究,未始不足為“筌蹄”之一助焉。

付記:この説が初めて出たとき、同人はその新穎さをよしとして、記録に残すよう勧めた。のちに張之鋭氏の《易学闡微》を読み、立論が同じであるのを見て、いっそう自信を得た。しかしこの数年、数理と名象を研究し尽くすうちに、ここの「位」の字も「人」の字も原文に本来あるべきもので、軽々しく改変を論ずべきでないと悟った。このたびの重印では本来この一条を削ろうと思ったが、以前の本がすでに流布して追い改めることもできないので、あえて残し、由来を注記して我が過ちを記すとともに、読者がこれをもとにさらに一層の研究を進められるようにする。この「筌蹄」を残すことも、少なからぬ助けとなろう。

元字の精義

《象傳》曰:“大哉乾元!乃統天。”此“元”字,即“元亨利貞”之元。舊注“元始也”,《本義》“元大也”,何休公羊注曰“變一而為元。元者氣也,無形以起有形,以分造起天地,天地之始也”。邵子亦曰“元者氣之始”。合觀諸家之說,於“元”字之精義,尚有未盡。

《乾》卦の伝文に「大なるかな乾元、天を統べる」とある。この「元」の字は「元亨利貞」の元である。旧注は「元」に「はじまり」と訓じ、朱熹《本義》は「大」と訓じ、何休の《公羊伝》注は「『一』を変えて『元』と称する。元とは気であり、無形から有形を起こし、分化造作して天地を生じる、天地のはじまりである」と言う。邵雍も「元は気のはじめ」と言った。各家の説を合わせて見ると、「元」の字の精義について、まだ言い尽くされていないところがある。

辛齋以為舉“元亨利貞”並言之,為乾之四德。而“元”之一字,不但可包舉“利亨貞”三字,並可舉全《易》而一氣貫注,故曰“大哉乾元乃統天”。超乎無始,以立乎天地之先者也。《文言》“乾元者始而亨者也”,此元字乃天之元焉。《坤·象》“至哉坤元”,乃地之元也。《文言》“元者善之長也”,則人之元也。

私は考えるに、「元亨利貞」の四字を並べて言うのは、《乾》卦の具える四つの徳性である。しかし「元」の一字は、「亨」「利」「貞」の三字を包摂するばかりでなく、《易》の全書を一気に貫くこともできる。だから「大なるかな乾元、天を統べる」と言うのである――それは一切の始まりを超えて、天地の先に立つものである。《文言》に「乾元とは始めて亨るもの」とある、この元は天の元である。《坤》卦の伝文に「至れるかな坤元」とある、あれは地の元である。《文言》に「元は善の長なり」とある、あれは人の元である。つまり一つの「元」の字が、天・地・人の三才に随ってそれぞれ指すところがあるのである。

善之長,即仁義禮智之仁。仁從二從人,元亦從二從人,故仁為人之元。所謂天經地義,簡言之即天良也。蓋物各有元,大而天地,小而飛潛動植各物,均莫不具有此元。得之則生,不得則死。顧元之為元,無聲無臭,無形質可見,而其功用所著,亦幾非言語筆墨所能摩寫而形容之。

「衆善の長」というのは、仁義礼智のうちの「仁」のことである。「仁」の字は「二」に「人」が従い、「元」の字も「二」に「人」が従う。だから仁は人の元である。いわゆる天経地義とは、簡単に言えば人の天良である。およそ物にはそれぞれ元があり、大きくは天地、小さくは飛ぶもの・潜むもの・動物・植物の各類に至るまで、この元を具えていないものはない。それを得れば生じ、得なければ死ぬ。ただ元が元たる所以は、声も臭もなく、見るべき形質もなく、その顕す功用はほとんど言語や筆墨で描き形容できるものではない。

然元不可見,而仁可見。仁不可見,而仁之寓於事物者可見。古人造字,其精義往往互相鉤貫。而即物定名,亦無不各寓其意。如果實核中之質體,名之曰仁,已可見矣。而元亦即可因仁而顯其用。如果核桃曰桃仁,杏曰杏仁,而桃與杏之元,即在此仁之中。果核之所以能滋生者,實賴有此仁,賴有此仁中之元。

しかし元は見えないが仁は見える。仁そのものは見えないが、仁が事物に寄託している姿は見える。古人が字を造ったとき、字と字との間の精義は往々にして互いに鉤連貫通しており、実物に即して名を定めるにも必ずそれぞれ一層の意味が寄せられている。例えば果実の核の中の質体を「仁」と名づけたのは、見える例である。そして元はまたこの仁によってその用を顕す。桃の核仁を「桃仁」、杏の核仁を「杏仁」というが、桃と杏の元はまさにこの仁の中にある。果核が生長できるのは、実にこの仁があり、この仁の中の元があるからである。

吾於西人之紀載得一說,足為斯義之確證。西人於埃及地中,掘得四千年之古尸,尸腹中往往實以林禽及小麥等物。以保藏之非常完密,故均歷久久而不壞。取林禽及麥而播種之,仍能發榮滋長,與新者無異。此無他,以其元之尚存在也。

私は西洋人の記載の中に、この道理の確証となる一説を得た。西洋人がエジプトの地中から四千年前の古い屍体を掘り出したところ、その腹中には往々にして林檎や小麦などが詰められていた。保存が非常に厳密だったため、長い年月を経ても腐らなかった。これらの林檎と麦を取り出して播種すると、なんと発芽して生長し、新しく取れた種と変わらなかったという。これは他ならない、それらの「元」がまだ存在していたからである。

若其元已失散無存,則雖當年之果核,種之亦不能發生。因此可證明物各有元之理,而人元所存,則惟此天良。天良不滅,生機亦不滅。天良漸滅,則亦無元之果核,已無萌生之望。雖幸而生,亦行尸走肉而已。剝之上九,“碩果不食”,即此僅存之天良也歟!

もしその元がすでに散失して残っていなければ、たとえ当年結ばれた果核でも、蒔いても芽が出ない。これによって万物にそれぞれ元があるという理が証明できる。そして人の元の寄託する所は、ただこの一点の天良である。天良が滅びなければ生機も滅びない。天良が徐々に滅びれば、元を失った果核と同じで、もはや萌発の望みはなく、たとえ僥倖に生きていても行尸走肉にすぎない。《剥》卦の上九の爻辞に「碩果食らわれず」とあるのは、まさにこの僅かに残った一点の天良を言うのであろう。

陽無きを嫌う

《坤·上六·文言》:“陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉。”註疏與各家講解,均未能明悉。鄭注“嫌”讀如“群公謙”之謙,或作謙。謙,雜也。以嫌作雜字解。雜於無陽,語亦費解。《九家》作兼,謂陰陽合居,故曰“兼陽”,則“無”字又為贅文。王弼云“為其嫌於非陽而戰”,《正義》謂“陰盛似陽為嫌,純陰非陽,故稱龍以明之”。說各不同,其未能暢發經旨則一也。

《坤》卦上六の《文言》に「陰が陽に疑われるほど盛んになれば必ず戦う。陽無きを嫌うがゆえに、龍と称する」とある。従来の注疏と各家の講解はいずれも明らかにしなかった。鄭玄の注は「嫌」を「群公謙」の「謙」と読み、あるいは「謙」と作り、「謙」を「雑」と訓じて、「嫌」を「雑」の字と解したが、「雑于無陽」という語は依然として解し難い。《九家易》は「兼」と作り、陰陽が合居するので「兼陽」と曰うというが、そうすると「無」の字がまた贅文となる。王弼は「陽でないことを嫌って戦う」と言い、《周易正義》は「陰気が盛んで陽に似るを嫌といい、純陰は本來陽でないので、龍と称してそれを明らかにする」と言う。説はそれぞれ異なるが、経文の旨意を暢達に発揮できなかった点では一つである。

辛齋按:陽本無盡,坤之上六為純陰之候,近乎有無陽之嫌。今可舉例以明之:五月初五日,相傳為端午節,又曰端陽節。九月初九日,曰重陽日。而十月曰小陽月。夫五月,於卦之消息為姤,一陰始生,端者始也,當曰“端陰”,何以稱之曰“端陽”?九月,於卦為剝,碩果僅存,陽已將盡,乃何以稱之曰“重陽”?十月於卦為坤,爻辰正值坤之上六,純陰無陽,何以曰“小陽”?此正扶陽抑陰之意,為其嫌於無陽也,故稱“端陽”“重陽”“小陽”焉。則坤上之“嫌於無陽”,其義可比例而得,不待煩言而解矣。

私が按ずるに、陽気は本来尽きることがなく、《坤》卦の上六は純陰の時節で、「陽がない」の嫌疑に近い。ここで例を挙げて明らかにしよう。五月五日は端午節と伝えられ、端陽節ともいう。九月九日は重陽という。そして十月は小陽春という。五月は十二消息卦では《姤》で、一陰が初めて生じたばかりであり、「端」は始まりの意だから、本来「端陰」と呼ぶべきところを、なぜ「端陽」と称するのか。九月は消息卦で《剥》で、碩果が一つ残るのみで陽気は尽きようとしているのに、なぜ「重陽」と称するのか。十月は消息卦で《坤》で、六爻すべて陰、爻辰(十二辰を六爻に配するもの)も《坤》の上六に当たり、純陰にして陽なしというのに、なぜ「小陽」というのか。これはまさに陽を扶け陰を抑える意図であり、「陽がない」ことを嫌うがゆえに、あえて「端陽」「重陽」「小陽」と称したのである。それならば《坤》卦上六の「嫌于無陽」の意義も、この比較によって推し知ることができ、多くの言葉を費やさずとも明らかである。

陰陽

《易》數,以陽統陰者也。《易》象,以陽變陰者也。《易》義,扶陽抑陰者也。故陽大陰小,陽貴陰賤。凡對待之字,幾無不以此為例。顧何以立天之道,不曰“陽與陰”,而曰“陰與陽”?又曰“一陰一陽之為道”,又曰“分陰分陽”?輒以陰居先而陽居後,必曰陰陽,無言陽陰者,其義何居?

《易》の数は陽をもって陰を統摂するものであり、《易》の象は陽をもって陰を変化させるものであり、《易》の義理は陽を扶けて陰を抑えるものである。だから陽は大で陰は小、陽は貴で陰は賎であり、対となり相待つ字はほとんどすべてこの順序に従って並ぶ。それなのになぜ《説卦伝》は天の道を立てるにあたって「陽与陰」と言わず「陰与陽」と言い、《繋辞》もまた「一陰一陽之謂道」と言い、「分陰分陽」と言うのか。常に陰を先に置き陽を後に置いて、必ず「陰陽」と言い、「陽陰」と言う者はいない。この中にどんな道理があるのか。

曰:此即天地之在義,而《易》道之妙用也。天尊地卑,《易》之序也。乃乾天顛下首而周乎地之下,坤地有常而高舉於天之上。於是地天泰,四時成。天德不為首,而地道代終。一陰一陽,往來升降。至三陰三陽水火既濟六爻皆當位,乾坤定矣。反之為一陽一陰,至三陽三陰,乃火水未濟。六爻皆不當位,離坎不續終,而為男之窮矣。

答えて言えば、これこそ天地の間に存する義であり、《易》道の妙用である。天尊地卑は本来《易》の常序だが、乾の天は頭を垂れて地の下に周り、坤の地はかえって天の上に高く挙がる。こうして地が上・天が下の《泰》卦となり、四時がそれによって運行する。だから《乾》は天徳が首とならずと言い、《坤》は地道が天に代わって終えると言う。一陰一陽が往来昇降し、三陰三陽となって水が火の上にある《既済》となれば、六爻すべてその位に当たり、乾坤の位次も定まる。逆に一陽一陰となり、三陽三陰に至れば、火が水の上の《未済》となり、六爻すべて位に当たらず、離と坎が終わりまで続かず、これが男子の窮途である。

陽卦は陰多く、陰卦は陽多し

《繫傳》曰:“陽卦多陰,陰卦多陽。其故何也?陽卦奇,陰卦偶。其德行何也?陽一君而二民,君子之道也。陰二君而一民,小人之道也。”此章闡明《易》道陰陽之大義,為全《易》之關鍵。辨卦爻陰陽之德行,數理之體用,乃學者入手之綱領。故設為問答以明之。

《繋辞伝》に「陽卦は陰多く、陰卦は陽多し。その故は何ぞや。陽卦は奇、陰卦は偶なり。その德行は何ぞや。陽は一君にして二民、君子の道なり。陰は二君にして一民、小人の道なり」とある。この章は《易》道における陰陽の大義を闡明するもので、《易》全体の鍵である。卦爻の陰陽の德行を弁じ、数理の体と用を辨ずることは、学ぶ者の入手の綱領である。だからあえて問答を設けて明らかにしたのである。

陽卦者,震、坎、艮,皆一陽而二陰。陰卦者,巽、離、兌,皆一陰而二陽。乾坤為各卦之原,且純體不易,其陰陽易知,故不在此設問之列。歷來注《易》家,於“一君二民”、“二君一民”之義,異說紛歧,莫可折衷。皆因泥於一二之數聯屬君民,故無論如何曲折遷就,終不可通。

いわゆる陽卦とは《震》《坎》《艮》で、いずれも一陽爻に二陰爻である。いわゆる陰卦とは《巽》《離》《兌》で、いずれも一陰爻に二陽爻である。《乾》《坤》は各卦の本原であり、しかも純陽純陰の体で他爻を交えないので、陰陽は一目で分かり、今回の設問には含まれない。従来《易》を注した人々は、「一君二民」「二君一民」の意味について異説が紛岐し、折衷しようがなかった。これはみな「一」「二」の数を君と民に固く結びつけて考えたためで、どんなに屈折して取り繕っても、結局は通じなかったのである。

孫氏取鄭康成氏《禮記·王制》注云:“一君二民,謂黃帝堯舜。地方千里,為方千里者百。中國之民居七千里,計七七四十九方千里。四裔之民,居五十一方千里。是中國四裔,二民共事一君。二君一民,謂三代之末,以地方五千里。一君有五千里之五,五五二十五,更足以一君。二十五始滿千里之方五十,乃當堯舜一民之地。故曰二君一民。”

孫氏は鄭玄の《礼記・王制》注を引いて言う。「いわゆる一君二民とは黄帝と尭舜の時代を言う。領土は縦横各一万里で、方千里の区画が都合百ある。中原の民は七千里の内に住み、七七四十九の方千里を占める。四方の辺境の民は五十一の方千里の内に住む。これが中原と四裔の二つの民がともに一人の君に事えるということである。いわゆる二君一民とは三代の末を言い、領土は縦横五千里、一君は五つの方千里を持ち、五五二十五で、さらにもう一人の君を置くに足る。二つの二十五でやっと五十の方千里が満ち、ちょうど尭舜の時の一民の地に当たる。だから二君一民という」という。

可謂極迂迴曲折之致,而不敢謂其確合經義。至《朱子語類》,謂“二君一民,試問一個民而有兩個君,看是甚麼樣”。則尤為滑稽矣。宋人講解大意與朱子略同。其實孔子語意,甚為明白。“一君二民”。謂君得其一民得其二也。“二君一民”,謂君得其二民得其一也。“一”“二”兩字,不過表示多寡之意。故下文曰“君子之道”“小人之道”,經義顯豁呈露,無待曲解。何以時歷三千年,經無數之經師大儒而迄未講明?是可怪也。

これは迂回曲折の極みと言うべきで、真に経文の本意に合うとは言い難い。《朱子語類》に至っては「二君一民とは、試しに一人の民に二人の君があると考えてみよ、どんな有様になるか」と言い、これはいっそう滑稽である。宋代の人々の講解は大意が朱熹とほぼ同じで、同じく君と民の数にこだわっている。実は孔子の語意は非常に明白で、「一君二民」とは君がその一を占め民がその二を占めるということ、「二君一民」とは君がその二を占め民がその一を占めるということである。「一」と「二」の字は、多寡を示すにすぎない。だから下文に「君子の道」「小人の道」と言う。経文の意味は明らかにそこに呈露しており、曲解を待つ必要がない。なぜ三千年を経て、無数の経師大儒を経ながら、いまだにこれが講明されなかったのか。これは実に怪しむべきことである。

見伏動変

見伏動變,謂之四通。“見”者,即本卦所獨動之一爻也(如地雷復,則復之初九即為見)。見之下,即為“伏”(如復內為震,震下即伏巽)。見顯向伏隱,所謂由其可見,推其所不可見,故有見即有伏。見者動,動必有所之。之者往也,動之始也。有所之而之其所,則見者伏而伏者見,所以為變也。

「見」「伏」「動」「変」の四項を合わせて「四通」という。いわゆる「見」とは本卦の中で単独で発動する一爻である(例えば地雷《復》卦なら、《復》の初九が見である)。見の下がすなわち「伏」である(例えば《復》の内卦は《震》で、《震》の下には《巽》が伏している)。見は顕露し、伏は隠蔵する。すなわち見えるものから見えないものを推知するので、見があれば必ず伏がある。見の爻は動こうとし、動けば必ず往く所がある。「之」とは往くことで、動きの始まりである。往く所があってその当たる所に至れば、もと見ていた者は伏に転じ、もと伏していた者は見に転ずる。これを変と呼ぶ。

於八卦之象,兌見巽伏,震起艮止,而八卦之循環變化,悉在其中。故即以此而推之於爻,則亦不外此四者。而爻之性情才用,亦胥可見矣。見知現在,伏知將來。覆以窮其相反之情,變動中爻以盡其曲折之妙。故動而之於伏曰“動”,通變而存其位曰“變”。通一爻而有四卦之通,是以能該隱顯,極常變,以周知天下之務。

八卦の取象で言えば、《兌》は顕現を主り《巽》は潜伏を主り、《震》は起動を主り《艮》は静止を主る。八卦の循環変化はすべてこの中に含まれる。だからこの理を爻に推しても、「見伏動変」の四項を出ない。各爻の性情と才用もこれによってすべて見える。見は現在を知らせ、伏は将来を知らせる。卦を覆せば相反の情を窮め、中爻を変動すれば曲折の妙を尽くす。だから動いて伏位に至るを「動」と言い、通変してなおその位を存するを「変」と言う。一爻を通じて四つの卦が通じるので、隠と顕を兼摂し、常と変を極め、天下の事務を遍く知ることができる。

見伏動變,循環迭更。如坤初為見,則乾初為伏,而姤復包其中。如復初為見,則姤初為伏,而乾坤又包其中。至其性情之同,則伏與動變,均與可見之爻互相發明。陰陽動靜,流行不息,無往而不還隱而不見之理。故伏卦者,即見卦之所託以變動者也。動在內卦,則陰下而陽上。動在外卦,則陰上而陽下。是陰陽所生之陰陽,所以有少陰少陽之別。變在內外卦者反是。見伏為交,則動變為之摩蕩矣。

見・伏・動・変の四者は循環して迭たがわる。例えば《坤》卦の初爻が見なら、《乾》卦の初爻が伏となり、《姤》《復》の二卦がその中に包まれる。また《復》卦の初爻が見なら、《姤》卦の初爻が伏となり、《乾》《坤》の二卦がその中に包まれる。その性情の同じところに至っては、伏卦と動・変はいずれも見える爻と互いに発明する。陰陽の動静は流行して息まず、往って返らず、隠れて再び現れないという理はない。だから伏卦とは、見卦が変動するにあたって託するところのものである。動が内卦に起これば陰が下に陽が上となり、動が外卦に起これば陰が上に陽が下となる――これは陰陽が生み出した陰陽なので、少陰・少陽の区別がある。変が内外卦に起こるときはこれと正反対である。見と伏が交われば、動と変がその中で互いに摩盪する。

一爻而具四爻之通,如乾二獨動,則坤二伏矣(乾“利見大人”,坤“直方大”)。師二為動,則同人之二為伏矣。故設卦觀象,不可泥於一卦一爻。古人一家之學,雖未必能通貫全經,而一無障礙。如孟氏之旁通,京氏之飛變,虞氏之之正,邵氏之加倍四分,均各有獨到之處。但證之於經傳而合者,固皆有可取。而足與經義相發明,由博反約,慎擇精審,是在學者之神而明之,非一言之所能盡者矣。

一爻の中に四爻相通の関係が具わっている。例えば《乾》卦の九二が単独で発動すれば、《坤》卦の六二がその伏となる(《乾》の九二の爻辞は「大人を見るに利し」、《坤》の六二の爻辞は「直方大」)。《師》卦の九二が動なら、《同人》卦の六二が伏となる。だから卦を設けて象を観るに、一卦一爻に固執してはならない。古人各家の学は必ずしも全経を貫通して少しの障碍もないとは言えないが、孟喜の「旁通」、京房の「飛伏変化」、虞翻の「之正」、邵雍の加一倍法と四分の説は、いずれも独得の所がある。およそ経伝に照らして合うものは本来皆取るべき所があり、経義と互いに発明し、博から約に返り、慎んで選択し精細に審辨することは、学者自身が神明自得するに在るのであって、一言で言い尽くせるものではない。

八字命爻

胡氏煦《周易函書》,原文多至一百餘卷。後雖節錄為《約注》、《約存》、《別集》,尚有三十餘卷,亦《易》說之大觀矣。其全書綱要,以《繫傳》開而當名辨物一語為主。謂伏羲先天圖,以黑白二色分別陰陽,皆連貫若環,至文王始開而為八卦,開而為六十四卦,以為發千古未有之秘。

清代の胡煦の《周易函書》は、原稿が百余巻に及んだ。のちに《約注》《約存》《別集》に節録されてもなお三十余巻あり、これも《易》説中の一大観である。全書の綱領は《繋辞伝》の「開而當名辨物」の一句を主とする。聖人が卦象を開示して名称と事物を相当させて弁別せしめるという意である。彼は伏羲の先天図が黒白二色で陰陽を分け、すべて環のごとく連貫し、文王に至って初めてそれを「開」いて八卦となし、「開」いて六十四卦としたと言い、千古未曽有の秘を発したと自負している。

其實周子太極圖,陰陽相互,分為三層。胡氏所繪之先天、小圓、大圓圖,即由周子太極圖衍而成之。又拆之為八卦六十四卦,謂為文王所開,其牽強固不待智者而知,即其本書中亦往往不能自圓其說。蓋八卦不但有其象,尚有其數。若以黑白二色分別陰陽之爻,將一九四六之數,亦以黑白二色代之乎?其誣不待辨而明矣。然其於《易》理,致力頗深。融合漢宋,時有心得,瑕不掩瑜。三書之可取者甚多。其八字命爻之說,尤為詳人所略,語極精到,大有畀於初學,特約其大意如左。

実は周敦頤の《太極図》は黒白陰陽が相互に交わり三層に分かれており、胡煦の画いた先天図・小円図・大円図は周氏の《太極図》から衍化したものである。彼はまたそれを八卦・六十四卦に分解して文王が「開」いたものと言うが、この牽強は知者を待たずとも明らかで、彼自身の書の中にも往々にして自説を円かにできない所がある。なぜなら八卦には象があるばかりでなく数もあるからである。もし黒白二色だけで陰爻陽爻を分けるなら、一・九・四・六の数も黒白二色で代えるのか。その説の信用に足りないことは弁駁を待たず明らかである。ただし彼は《易》理に力を尽くすこと深く、漢学と宋学を融合し、時折心得があって、瑕は瑜を掩わない。三書の中に取るべき所は非常に多い。中でも「八字命爻」の説は、他人が略した所を詳しく論じ、語ごとに精到で、初学の人に大いに資するところがあるので、特にその大意を採録して以下に示す。

命爻十二様の筆法

聖人命爻之義,有十二樣筆法:陰陽各六,九六分稱是也。然其因卦論爻,因爻論卦,而三百八十四爻之義,已各各迥別。顧此十二樣筆法,要其寓意止有八字:初、上、九、六、二、三、四、五是也。

聖人が爻に命名するに寄託した意義には、全部で十二種の書き方がある。一卦六位において、陽爻がこの六位に居れば「初九」「九二」「九三」「九四」「九五」「上九」と称し、陰爻がこの六位に居れば「初六」「六二」「六三」「六四」「六五」「上六」と称する。陰陽それぞれ六種を得て、「九」「六」で分けて称し、合わせてちょうど十二様となる。ただ命名はこの十二式にすぎないが、具体的な卦に落ちれば、卦の性質によって爻を論じ、また爻の処遇によって卦を論じるので、六十四卦三百八十四爻の各爻の含義はそれぞれ異なる。帰するところ、この十二様の筆法に用いる字は八つしかない。「初」「上」「九」「六」「二」「三」「四」「五」である。

卦を立てるに何ぞ三爻に止まるや

何以初命為初,上命為上也?曰:聖人立卦,止於三爻,不以兩畫,不以四畫,其妙正在於此。何也?以天下之物,各有其位。位之所乘,各有其時。時與位合,而參差不齊之數出焉。聖人設卦立象,凡以考時之所值,位之所乘而已。然時有三候,位有三等,故立卦亦止於三爻。

問うていわく、最下の爻をなぜ「初」と言い、最上の爻をなぜ「上」と言うのか。答えて曰く、聖人が卦体を創制するに三爻のみを用い、二画でも四画でもなかったのは、妙がまさにここにある。なぜか。天下の万物はそれぞれ一つの位置を占め、位置はまたそれぞれ一段の時間を承載し、時と位が配合して初めて参差不斉千差万別の「数」が生まれる。聖人が卦を設け象を立てたのは、ある物がいかなる時に当たりいかなる位を乗じるかを考察することにすぎない。時は初・中・末の三候に概括でき、位は上・中・下の三等に概括できる。だから卦を立てるのも三爻のみを用いるのである。

何云時有三候?曰:此概辭也。今但取一時,銖銖寸寸而較之,雖累百千萬,不足盡此一時之數矣。譬自盤古開天以及堯舜,其中歷年原不可考。今以三候約之,曰此古之初,此古之中,此古之末,則無不可以意會者(近世科學家研究歷史地質等學者亦概用此法)。又一歲十二月,今亦以三候約之,為歲之初,歲之中,歲之末,亦無不可心意會者。下至時日亦然。是流行之機,或遠或近,或舒或促,皆無有踰此三候者也。

なぜ時は三候しかないと言うのか。これは概括の言葉である。一段の時間を取って銖々寸々に細かく計れば、百千万の刻みを累ねても、その時間内の数は尽くせない。例えば盤古の開天から尭舜に至るまで、経た年数はもともと考証できないが、今これを三候に約して上古の初・上古の中・上古の末と言えば、誰でも意会できる(近代の科学者が歴史・地質などを研究するのにも大抵この分期の方法を用いている)。また一年十二ヶ月も三候に約して年初・年中・年末に分かれば、同じく誰でも会意できる。下って一日・一時も同じである。時間の流行する機括は、スパンが遠かろうが近かろうが、テンポが緩かろうが急かろうが、すべてこの初・中・末の三候を出ない。

何云位有三等?曰:此亦概辭也。今但取一物銖銖寸寸而數之,累千百萬,不足盡此一物之位矣。譬若立五尺之竿於此,以三等約之,上者上,中者中,下者下,盡之矣。又立千尺百尺之竿於此,亦以三等約之,上者上,中者中,下者下,盡之矣。是形器之屬,或高或卑或廣或狹,均無有踰此三等者也。

なぜ位は三等しかないと言うのか。これも概括の言葉である。一つの物を取って銖々寸々にその部位を数えても、千百万を累ねても一物の位置は尽くせない。例えばここに五尺の竿を立てて三等に約すれば、上段は上、中段は中、下段は下で、それで言い尽くせる。また百尺千尺の竿を立てても同じく三等に約して、上段は上、中段は中、下段は下で言い尽くせる。およそ形体ある器物は、高かろうが低かろうが、広かろうが狭かろうが、すべてこの上・中・下の三等を出ない。

況上古民淳事簡,以三候約時,以三等約位,得其大概,已可共喻。後世知識日開,人事日繁,一歲之候,分而為月,又分而為日,又分而為時刻分秒,細分之至於毫釐絲忽之不可盡。其於位之大小長短,亦復如是。皆其細已甚者也。至約以三等三候,曾有出聖人之範圍者乎?

まして上古は民風が淳厚で事務が簡単だったので、時を三候に約し、位を三等に約して大略を得れば、すでに互いに明らかにできた。後世は知識が日に開け人事が日に繁密になり、一年の節候はまず月に分かれ、さらに日に分かれ、さらに時・刻・分・秒に分かれ、毫・厘・糸・忽まで細分しても分け尽くせない。位の大小長短についても同じである。これは皆細かすぎるのである。しかしいったん仍お三等三候に約すれば、いずれか一つでも聖人の定めた範囲を出たものがあったか。

凡有位者必有時,於是乎有上之時,中之時,下之時。凡有時者必有位,於是乎有初之位,中之位,末之位。聖人慾以卦象盡天下之物,則不得不體物象所自具之時位而命之爻。所以三爻之設,決不可以增減也。

およそ位置を占めるものは必ずある時間の中にあり、そこに上位の時・中位の時・下位の時がある。およそ時間の中にあるものは必ずある位置を占め、そこに初時の位・中時の位・末時の位がある。聖人が卦象をもって天下の万物をすべて包挙しようとすれば、物象自体の具える時と位に従って爻を命名せざるを得なかった。それゆえ三爻の設置は一爻も増やすことも減らすこともできない。

然就三爻而立之名,則取時必遺位,取位必遺時。聖人知陰陽必偶,而物生必先氣而後形,於是乎立為重卦。以時而命內卦之初,明乎氣之肇端,於此始也。以位而命外卦之上,明乎形之成質,於此定也。周公釋爻,每兼時位,職是故也。時陰而位陽,時虛而位實。時由乾出,位由坤始也。

しかし三爻のみに就いて命名すれば、「時」を取れば「位」を遺し、「位」を取れば「時」を遺して、両方を兼ねることが難しい。聖人は陰陽が必ず対になること、万物の生成が必ず先に気あり後に形あることを知り、単卦を重ねて六爻の重卦とした。「時」をもって内卦の最下爻を命じて「初」と称したのは、気の端倪がここから発動することを明らかにするためであり、「位」をもって外卦の最上爻を命じて「上」と称したのは、形質がここに至って定まることを明らかにするためである。周公の作った爻辞が往々にして時・位を兼ねて言うのは、まさにこの故である。属性から言えば時は陰に属し位は陽に属し、時は虚で位は実である。由来から言えば時は「乾」の健動から出て、位は「坤」の静定から始まる。

時は乾より出で、位は坤より出ず

流行不息者時,乾道之動用也。故不可定之以位。鎮靜而有常者位,坤德之靜體也。故不可定之以時。卦爻剛柔,悉出乾坤。無一卦一爻無剛柔,則無一卦一爻無動靜,則無一卦一爻不具此時位者矣。然時出於乾,而陰爻亦得言之;位出於坤,而陽爻亦得言之者,此又乾坤相須之大用,不可偏廢者也。

流転して止まないのが「時」であり、それは乾道の動用なので、固定的な位置で限定することはできない。安静で常度あるのが「位」であり、それは坤徳の静体なので、流動する時間で限定することはできない。卦爻の剛柔はすべて乾坤より出る。どの卦どの爻も剛柔を含まないことはなく、動静を含まないこともなく、ゆえにどの卦どの爻も時と位を兼ね具えないことはない。ただ時は乾より出るが、陰爻も同じく時を論じられる。位は坤より出るが、陽爻も同じく位を論じられる。これはまさに乾坤が互いに依待する大きな作用で、どちらも偏廃できない。

言初而不言中末,言上而不言下中何也?曰:《易》為上古之書,文字初起,不能不簡而賅,使人便於傳習,而深致其思。後世文字既繁,遂連篇累牘而不止,反不若古人之簡而能賅其要也。如屯卦繼乾坤而居《序卦》之首,曰剛柔始交。剛柔者,乾坤也。交者,剛柔之互也。始者賅六十二卦之辭,聖人知六爻各一其時位,而又不能合一時位,乃賅以一字,即以初字著其時之理於下,而以上字著其位之理於上,各從其所重而定之云爾。

問うていわく、時は初・中・末に分かれるのになぜ「初」だけを言って中・末を言わず、位は上・中・下に分かれるのになぜ「上」だけを言って下・中を言わないのか。答えて曰く、《周易》は上古の典籍で、文字が起こったばかりの頃、簡約でありながら賅備せざるを得ず、人が伝習しやすく、かつそこから深く思索できるようにした。後世は文字が繁多で、動すれば篇を連ね牘を累ねて止まず、かえって古人の簡約で要領を賅するに及ばない。例えば《屯》卦は乾坤に続いて《序卦》の首に列し、《序卦伝》はそれを「剛柔始めて交わる」と言う。剛柔とは乾坤であり、「交」とは剛柔の交互であり、一つの「始」の字がその後の六十二卦の辞意をすべて賅括する。聖人は六爻がそれぞれ各々の時と位を持ち、またそれらを一つの時位に併せられないことを知り、一字をもって統括した。下において「初」の字をもって「時」の理を標出し、上において「上」の字をもって「位」の理を標出した。各々その偏る所に従って名を定めたにすぎない。

乾以始之,故舉其端而言初。坤以終之,故竟其委而言上。又使知卦既有初,則其為中為末舉可類推。既有上,則其為中為下舉可意想也。又使知上與初對,則上字原可以賅末。初與上對,則初字原可以賅下。皆簡而能賅,引端而無待竟委者也。《周易》卦爻,文字所不能賅者,而象無不可以賅之。象固不可限量也。

乾は始めを主るので、その端を挙げて「初」と言う。坤は終えを主るので、その委を竟えて「上」と言う。このように命名すれば人に、卦に「初」がある以上、中爻・末爻はこれを類推できること、「上」がある以上、中爻・下爻もこれより想見できることを知らせることができる。また「上」は「初」と対なので「上」の字はもともと「末」の意を包み、「初」は「上」と対なので「初」の字はもともと「下」の意を包むことを知らせる。これは皆簡約でありながら賅備し、一端を引くだけで首尾を尽くすを待たない。《周易》の卦爻は、文字で包挙できないものを、卦象は包挙できないことがない――象はもともと限量できないのである。

内卦は来と為り、外卦は往と為る

內卦為來,外卦為往。初則來之始,上則往之極也。用一初字,是欲人溯源於太極。用一上字,是欲人知極則必反也。有往則必有反,有來則必有初。如人從何處來,則必有最初發足之地,非僅向發足時考之也。是要窮到地頭,知其來自何處耳。

六爻のうち下三爻は内卦で「来」に属し、上三爻は外卦で「往」に属する。初爻は「来」の起点であり、上爻は「往」の尽頭である。「初」の一字を用いるのは、人に「太極」という源頭へ向かって遡らせるためであり、「上」の一字を用いるのは、人に事物が極に至れば必ず返ることを知らせるためである。往があれば必ず返があり、来があれば必ず初がある。人にどこから来たかを問えば、彼は必ず最初に起脚した所があり、ただ起脚した時刻を調べるだけではなく、到底まで追いかけて彼が果たしてどこから来たのかを知ることである。

緣爻象從來之處,非可易察。故孔子曰“其初難知”。若其既有所往,自無往而不反之理。今以一字說到極處,而必反之理即在其中。由其上之已無可加,則往到極處,已顯而易明。故孔子曰“其上易知”也。

爻象がどこから来るかは察しやすいものではないので、孔子は《繋辞下伝》で「其の初は知り難し」と言った。既に往く所があれば、往いて返らないという理はない。今「上」の一字で話を尽頭まで言えば、「極に至れば必ず返る」という理もその中に含まれる。「上」の上にはもう加えるべきものがないので、往が極に至ったことは顕豁に明らかである。だから孔子は「其の上は知り易し」と言ったのである。

何を以て之を命じて初と曰うか

今以上之一字例諸初,則初當曰下。以二三四五之序次例諸初,則初當曰一。乃不曰下不曰一而特命為初,此正聖人寓義之最精處。因《易》之卦爻,原本先天,在陰陽未判之先,渾然一太極耳。逮一畫開天,自無出有,乾元一亨,萬物之始,悉資於此。但形質未成之先,止有氣耳。氣機初萌,實托始於乾元,毓靈於太極。

「上」の字をもって最下の爻に比照すれば、それは「下」と呼ぶべきである。二・三・四・五の序数をもってそれに比照すれば、それは「一」と呼ぶべきである。ところが「下」とも「一」とも言わず、あえて「初」と命名したのは、これがまさに聖人の義理を寄託する最も精微な所である。《周易》の卦爻はもともと先天に本し、陰陽が未だ分判しない先には、混然として一つの「太極」があるのみだった。一画が天を開くに及んで、無の中から有が生じ、乾元が亨通して発動し、万物の始まりはすべてここに資った。ただ形質が未だ凝成しない先には、あるのは「気」だけである。気機が初めて萌動したとき、実は乾元に託始し、太極に毓霊したのである。

方斯時也,既無實質可指以定其位,非考之以時,曷由辨乎?顧時有三候而初則氣機之方萌,方從太極天心流衍而出,故特用一“初”字,以發明卦爻所從出源頭。而“來”字之義,亦即寓於“初”字之中。《彖》以內卦稱“來”,即從“初”字出也。凡物既有初,則此後豈有窮盡?故不言中末,是初之重於中末也。位既定於上,則下焉皆其所統。故不言下中,是上重於下中也。

まさにこの時、実質を指してその位を定めることはできない。「時」の上から考察しなければ、何によってそれを弁ずるか。時は三候に分かれるが、初爻はまさに気機が方に萌動し、太極天心から流衍して出たばかりの一刻である。だからあえて「初」の一字を用いて、卦爻の出る源頭を点明したのである。そして「来」の意味もまた「初」の字の中に寄せられている。《彖伝》が内卦を「来」と称するのは、この「初」の字から生じたものである。およそ物に初があれば、この後にどこか窮尽があろうか。だから中・末を言わず、「初」の方が中・末よりも重んじられるのである。位が「上」に定まっている以上、下の各爻は皆その統轄に帰するので、下・中を言わず、「上」の方が下・中よりも重んじられるのである。

八卦本於太極,而太極無象可求。故以兩儀初成之爻,命之曰初。為其有形可睹,自此一爻而始。故二三四五皆紀之以數。乃初之一爻,非數所能始,以有太極在其前也。巽以伏卦而取震象一陽未生之始,亦曰無初,是正有無分界之始,亦即此初字之義也。緣其分位,本屬兩儀,又不得上侵太極之一。論其成質,實居有形之最先,又不得連太極而序之。以下侵中爻之二,故以初命爻。使人探本窮源,由其能來之故。而追索於所以有初者,果何在耳?

八卦は太極に本するが、太極には求めるべき象がない。だから両儀が初めて成った一爻を「初」と命名した――有形で見えるものがまさにこの一爻から始まるからである。二・三・四・五は皆数をもって記すが、初爻だけは数で始めることができない。その前に太極があるからである。《巽》卦はその伏卦《震》から象を取り、一陽未だ生ぜざるの始を取るので、《巽・九五》に「初なし終あり」と言う。あれがまさに「有」と「無」の分界の起点であり、すなわちこの「初」の字の意味である。その分位から言えば、もともと両儀に属するので、上に向かって太極の「一」を侵すことはできない。その成質から言えば、実は有形の物の最先に居るので、太極に連なって序されることもできず、下に向かって中爻の「二」を侵すこともできない。だから「初」をもってこの爻を命じた。人に本を探り源を窮めさせ、それが「来」ることができる故から、さらに追索させる。それにこの「初」を有せしめる者は果たしてどこにあるのか。

何を以て之を命じて上と曰うか

以初爻之義例諸上,則上當曰末。以二三四五之序例諸上,則上當曰六。今不曰末不曰六而特命為上者,言乎其爻極於此止於此也。蓋立卦定於三爻,重卦止於六畫。伏羲畫卦至六爻,已成六十四象,足以備天下萬事萬物之理。六爻之外,無以復加。聖人即寄無以復加之義,於最後所成之一爻,而命之為上,言此外已無可上也。

初爻の取義をもって最上の爻に比照すれば、それは「末」と呼ぶべきである――「初」は時間の開端を指すので、それと対するのは時間の終結である。二・三・四・五の序数をもってそれに比照すれば、それは「六」と呼ぶべきである。今「末」とも「六」とも言わず、あえて「上」と命名したのは、この爻がここに極まりここに止まるということである。単卦は三爻に定まり、重卦は六画に止まる。伏羲が卦を画いて六爻に至れば、すでに六十四の卦象が成り、天下万事万物の理を賅備するに足り、六爻の外に加えるべきものはない。聖人は「もう加えられない」という意を最後に成った一爻に寄託し、「上」と名づけた。これ以外にもう上がるべき地位がないということである。

二三四五紀之以數,而上獨非數者,以數之所衍,原無終窮之時。即上之一位,亦非數之所能極也。然以九二六二之類比之,而初之九六,何獨在下?蓋因乾元之亨,先氣後形;而氣之將至,則無形可執。今觀揲蓍求卦之時,分二掛一,揲四歸奇,明知此爻之形體,必將有成,則是此爻已有其初矣。

二・三・四・五は数をもって記すのに、「上」だけは数を用いないのは、数の推衍にはもともと終窮の時がなく、「上」の一位もまた数の極められる所ではないからである。しかし「九二」「六二」の類に比照して見ると、初爻がなぜ「初九」「初六」で、九・六を後に置くのか。これは乾元の亨通発動が先に気あり後に形あるので、気が至らんとして未だ至らぬ際には把捉すべき形体がないからである。試しに揲蓍して卦を求める時を見れば、蓍草を二つに分け一本を掛け、四本ずつ数えて余りを指の間に帰す。この時すでにこの爻の形体が必ず成ることを明らかに知る。つまりこの爻はすでにその「初」を有しているのである。

然氣至而形未著,則陰陽之體猶未可定,故不能定之以位,而但可考之以時,而稱之為初。必待三變既足,察其數之多少,有陰陽老少之可辨,乃始有九六之可稱矣。譬若妊娠將娩,當胞胎乍轉,業已知其生之初矣。然分別男女,必待既生以後,審其形體而後能定。是時之可征者在先,而形之可觀者在後。故九六在初字之下也。

しかし気は至ったが形がまだ著われていなければ、陰陽の体は依然として定まらない。だから「位」で確定することはできず、「時」の上から考察するのみで、それを「初」と称する。必ず三変が充足するのを待ち、得た数の多寡を察し、陽の老少・陰の老少を弁別してから、初めて「九」「六」と称することができる。これはちょうど婦人が分娩に臨み、胎児が動き始めれば、すでにその生の初めを知ったようなものである。男女を分かつのは、生まれた後に形体を審査してからでなければ定まらない。検証できる「時」が先にあり、観察できる「形」が後にある。だから「九」「六」の二字は「初」の字の下に置かれるのである。

二三四五は何を以て数を以て紀るか

二三四五別之以數,不與初上同類,何也?曰:聖人立卦之法,取象於天地之化育。上爻覆之於上,天也。初爻承之於下,地也。其中所有,則資始資生之化,所稱為萬物者也。萬物成形之後,其類實繁。非紀以數,曷由辨之?曰初上何獨不記之以數也?曰:初在理氣相接之始,非數之所能始也。上爻極盡而反,貞下又復起元,豈有終窮之數?故亦不以數紀也。

問うていわく、二・三・四・五は数で区別し、「初」「上」と同類でないのはなぜか。答えて曰く、聖人の卦を立てる法は、天地の化育万物に象を取ったものである。上爻は最上に覆う、あれは天である。初爻は最下に承える、あれは地である。その中間に挟まるのは、天の資始し地の資生する造化であり、いわゆる万物である。万物が形を成した後は種類がきわめて繁多で、数をもって記さなければ何によってそれらを弁ずるか。問うていわく、初・上の二爻はなぜ数で記さないのか。答えて曰く、初爻は理と気が方に交接する開端にあって、数の始められる所ではない。上爻は尽頭に至って返る時で、一段が終わればまた元から始まる、いわゆる貞下元起であり、どこに終窮の数があろうか。だからこれも数で記さないのである。

九六の居る上下

初上二爻,九六在下;二三四五,九六在上。何也?曰:卦之初爻既成,陰陽兩象,確有定體。然後審定陰陽所至之分數,如陰陽到二分,便以為九六之二;到三分,便以為九六之三。若嬰孩既生,業已男女可辨,然後可以數紀其長幼之次序。故二三四五在九六之下也。

初・上の二爻では「九」「六」が爻名の後に書かれて「初九」「上六」となり、二・三・四・五の四爻では「九」「六」が前に書かれて「九二」「六五」となる。これはなぜか。答えて曰く、一卦の初爻がすでに成って陰陽両象に定体があってから、初めて陰陽が第何分まで推進したかを審定する。第二分まで推せば「九二」「六二」と呼び、第三分まで推せば「九三」「六三」と呼ぶ。ちょうど嬰児がすでに生まれて男女が弁別できてから、初めて数で長幼の次序を排定できるようなものである。だから「二」「三」「四」「五」の数字は「九」「六」の後に排されるのである。

卦至上爻,九六又復在下。何也?曰:上為窮極將返之時,其上更無可加。是上之一位,即此卦之大終大止,其位得而主之。陰陽至此,皆不能以自主。泰之復隍,否之傾否,剝之剝廬,皆謂其極則必反。故九六字在下也。

卦が上爻に至ると、「九」「六」の二字はまた後に戻って「上九」「上六」となる。これはなぜか。答えて曰く、上爻は窮極して返らんとする時に当たり、その上にはもう添えるべきものがない。だから「上」の一位は全卦の大終大止であり、「位」が主となる。陰陽はここに至ってはみな自ら主張できない。《泰》卦の上六に「城隍に復る」、《否》卦の上九に「否を傾く」、《剥》卦の上九に「廬を剥ぐ」とあるのは、皆極に至れば必ず返ることを言う。だから「九」「六」の二字は「上」の字の後に排されるのである。

内三爻は皆来を言い、外三爻は皆往を言う

既以初為來處,則來之義只可言於初。既以上為往時,則時之義只可言於上。乃內三爻均言來,外三爻均言往。何也?曰聖人以三畫成卦,則此三爻雖陰陽上下不同,莫不同具此一卦之性情,又不可執定實有此等三畫之象,確然植立於此而不可易也。

「初」を来る所と定めた以上、「来」の意義は初爻にのみ言うべきである。「上」を往の至る時と定めた以上、この「時」の意義は上爻にのみ言うべきである。ところが《彖伝》は「来」を言うに内三爻を皆来と数え、「往」を言うに外三爻を皆往と数える。これはなぜか。答えて曰く、聖人が三画をもって一卦を成す以上、この三爻は陰陽上下は異なっても、皆この一卦の性情を共に具えている。同時にまた、本当にこのような三画がそこに横たわり確然として立って移せないと固執してもならない。

只是聖人假此著數,以探討太極陰陽將形未形之氣機,不能無太少動靜之別,而因畫出奇偶以擬議陰陽相變之分數。其內外上下多寡,純雜有如是耳。氣機無截然可分之候,故三畫只宜作一卦看。氣機亦非形體之可似,故亦不必以連斷之形體拘也。重卦雖分內外,不過體用兩端而已。今既同為內卦,則皆可自初而言來;同為外卦,則皆可因上而言往矣。

聖人は蓍草の数を借りて憑り所とし、太極陰陽が形を成さんとして未だ成さざる時の気機を探討するにすぎない。この気機には太陽・少陽・太陰・少陰と動静の区別がなければならず、そこで奇画・偶画を画いて、陰陽相互転変の分数を拟議するのに借りた。いわゆる内外・上下・多寡・純雑とは、こういうことにすぎない。気機には截然と分かれる境目がないので、三画は一つの卦として見るべきである。気機はまた形体のように拟すべき形がないので、連画・断画の形体に拘る必要もない。重卦は内外に分かれるが、所詮「体」と「用」の両端にすぎない。今既に同じく内卦ならば、皆「初」から言って「来」とできる。同じく外卦ならば、皆「上」によりて「往」と言うことができる。

位の中に時あり、時の中に位あり

初爻考之以時,然欲追尋來處,則又宜在位上考究。上爻定之以位,然欲人知為窮極將反,則又宜在時上著意。即此時位兩字,所謂有位中之時,有時中之位。參伍錯綜,維精維妙維肖。神而明之,更非言語可盡矣。

初爻は「時」の上から考察するが、その来る所を追尋しようとすれば、また「位」の上で考究すべきである。上爻は「位」をもって確定するが、人にそれが窮極して返らんとすることを知らせようとすれば、また「時」の上で着意すべきである。まさにこの時・位の二字に、いわゆる位中の時・時中の位の区別があり、交互に参錯して、このうえなく精微、このうえなく巧妙、このうえなく貼切である。心に神会して自在に运用できるに至っては、いっそう言語の尽くせるところではない。

《易》を読む方法

或問:讀《易》之方法如何?曰:必先讀經。或曰:經文奧衍,初學者不能驟解,必先得明白解釋之注本,而後經始可讀。現所通行之讀本,大都為朱子《本義鄉。而《本義》之解釋既略,且多以不解解之。往往曰“其象如此其占如此”,而究其何以如此,仍不得而知。初學讀之,不但茫無頭緒,且如其解以解經文,亦味同嚼蠟。雖極好學者,讀不終卷,已昏倦欲睡,則經又烏能讀乎?

ある人が問うた。《周易》を読むにはどんな方法を用いるべきか。答えて曰く、必ずまず経文そのものを読むべきである。相手は言った。経文は奥深く繁衍で、初学者はすぐには読み解けない。まず明瞭に解釈した注本を得てから、初めて経が読める。現に通行している読本は大抵朱子の《周易本義》だが、《本義》の解釈は簡略にすぎ、そのうえ多くは「解釈しない」ことをもって解釈としている。往々にして「其の象はかくのごとく、其の占はかくのごとし」と言うだけで、なぜかくのごとくなのかは、読者は依然として知る由もない。初学者がこれを読めば、茫漠として端緒がないだけでなく、その解に従って経文を解しても蠟を嚼むがごとき味しかない。たとえ極めて学を好む者でも、一巻を読み終えないうちにすでに昏々として眠くなり、それでは経がどうして読めようか。

曰:不讀經而看注無益也。不熟讀經而看注,亦仍無益也。讀經之方法,宜先讀最後之《說卦傳》,次讀上、下《繫傳》,然後讀上、下《經》,則於卦位、爻位、象義及彖、象、爻之材德,已略有頭緒。以讀經文,自可領會。必逐卦讀之極熟,認之極清,任舉一爻,而各爻之文相類而相似者,俱可列數;任舉一卦,而反正上下變互諸卦,俱可意會。更有未喻者,然後求之諸家之註釋,方能擇善而從,確獲其益也。

答えて曰く、経を読まずに注だけを見ても益はない。経を熟読せずに注を見ても、やはり益はない。経を読む次第は、まず最後に置かれた《説卦伝》を読み、次に《繋辞》上・下伝を読み、それから上経・下経を読む。こうすれば卦位・爻位・取象の義例、および彖辞・象辞・爻辞の示す材徳について、おおよその端緒がつき、それをもって経文を読めば自ずと領会できる。必ず卦ごとに極めて熟して極めて明らかに読み、任意に一爻を挙げても、それと相類相似の各爻の文句をすべて列挙でき、任意に一卦を挙げても、その反卦・正卦・上下相易の卦と互体の卦をすべて了然と意会できるようにする。この段階に至ってなお明らかでない所があれば、初めて各家の注釈に求め、こそ初めて善を択んで従い、確かにその益を得ることができるのである。

曰:諸家之註釋,浩如煙海,宜先閱何種為最善?曰:《易》有四道,辭變象占。尚辭者莫備於《程傳》,深有得於潔淨精微之旨。然其所短者,往往離象數以言理,而有時不免於鑿空。是宜參以紀慎齋之《易問》及《觀易外編》(紀氏名大奎,臨川人,有《雙桂堂叢書》。以性理說《易》而不離於象數,能會漢宋兩派之說而擷其精,乃近人《易》說之最善者也。),庶可以補其闕失矣。

また問うた。各家の注釈は浩煙海のごとく、まずどれを読むのが最もよいか。答えて曰く、《繋辞伝》が言うように《易》には四つの門径がある――辞・変・象・占である。「尚辞」の一路では程頤の《伊川易伝》ほど完備したものはなく、《易》教の「洁静精微」の旨を深く得ている。その短所は往々にして象数を措いて義理だけを言い、時には鑿空に立説するを免れないことである。これには紀慎斎の《易問》と《観易外編》を参看すべきである(紀氏は大奎と名乗り、江西臨川の人で、《双桂堂叢書》を著した。性理をもって《易》を説きながら象数を離れず、漢学・宋学両派の説を会通してその精を摂ることができ、近人の《易》説の中で最も善い一家である)。こうして初めて《程伝》の缺失を補うことができる。

至於象數,宜從漢學。但兩漢《易》說之存於今者,幾無一完本。《李氏集解》雖蒐羅宏富,然東鱗西爪,初學每苦其不能貫串。則宜先閱瞿塘來知德氏《集註》,其於象也較詳,且處處為初學說法,反覆周詳,惟恐讀者不能瞭解。與貌為艱深,故意令人無從索解者,殊有上下床之別。

象数の一路に至っては、漢学に依るべきである。しかし両漢の《易》説で今日に伝わるものは、ほとんど完本がない。唐人李鼎祚の《周易集解》は捜羅こそ宏富だが、東鱗西爪で、初学者はしばしばそれを貫串できないことに苦しむ。そこでまず四川瞿塘の来知德の《周易集注》を読むべきである。それは象について比較的詳しく、しかも至る所で初学者のために説法し、繰り返し丁寧に説いて読者が了解できないことを恐れている。わざと艱深を装い、故意に人に索解の途を与えない書とは、上下牀の別がある。

惟來氏僻處巫峽,僅憑自力之研求,於古人之著述,未得遍覽,故其問有自以為創解者,實早為昔人所已言。如用九用六之類,不勝枚舉。而其錯綜之說,尤為後人所攻擊。蓋儒流積習,凡講學者,或漢或宋,必標明一種旗幟,而附他人門戶之下,而後其學說始克成立。雖亦不免一方之攻擊,而必能得一方之擁護。來氏之學,非漢非宋,故受兩方之攻擊,幾體無完膚矣。

ただ来知德は巫峡の辺地に僻居し、もっぱら独力で研鑽したので、古人の著述を遍く閲することができなかった。だから書中に自分では新しい解だと思っている説でも、実は前人がとっくに言っていたものがある。「用九」「用六」の類など、例は挙げきれない。そして彼の言う「錯」「綜」の説は、特に後人の攻撃するところとなった。もともと儒者に相沿の積習があって、およそ学を講ずる者は、漢に帰すか宋に帰すか、必ず一面の旗幟を標明して他人の門戸に依附してからでなければ、その学説は成立しなかった。こうすれば一方からの攻撃は免れなくても、必ず他方の擁護を得られた。来氏の学は漢でも宋でもなかったので、両方からいっせいに攻撃され、ほとんど完膚なきまでに駁されたのである。

然來氏於象,亦僅得十之五六,而於數尤未能辨晰。蓋數雖原本於河洛,但《易》有體數,有用數,有五行數(即納音數),有納甲數,各有不同。來氏不辨於此,故遇言數之卦,開口便錯,是則其所短矣。

しかし来氏の象についての解明も十分の五六を得たにすぎず、数についてはいっそう辨析が明らかでなかった。数は《河図》《洛書》に本原するが、《易》には体数・用数・五行数(すなわち納音数)・納甲数があり、それぞれ異なる。来氏はこの点を弁えていなかったので、数を言う卦に出会うと口を開くなり間違いを犯した。これがまさに彼の短所である。

曰:《易》注之言數者,宜閱何書?曰:《易》之言數,皆根於孔子《繫傳》之天一地二至天九地十。河洛實數之淵源,雖漢學家盡力辨駁,而數理實有其徵驗,非空言所可掩也。朱子《啟蒙》演繹頗詳,宋人丁易東氏之《數衍》,及近人江慎修氏之《河洛精蘊》,更推闡盡致。餘如宋末朱元昇氏之《三易備遺》,於五行數尤有獨到之處。

また問うた。数を言う《易》注はどの書を読むべきか。答えて曰く、《易》が数を言うのは、皆孔子の《繋辞伝》の「天一地二」から「天九地十」に至る一段に根ざしている――奇数の一・三・五・七・九は天に属し、偶数の二・四・六・八・十は地に属する。《河図》《洛書》は実にこれらの数の淵源で、漢学家はこれらが後人の偽託と極力弁駁したが、数理には確かに応験の徴があり、空言の議論で掩えるものではない。朱子の《易学啓蒙》は演繹がかなり詳しく、宋人丁易東の《数衍》と近人江慎修の《河洛精蘊》は、推闡がさらに尽くされている。そのほか宋末の朱元昇の《三易備遺》のごときは、五行数において特に独得の所がある。

至邵子《皇極》先天數,雖自成一家(邵子專以一二三四五六七八分陰陽剛柔之太少,乾兌離震但為一二三四之代名詞耳。惟先天圓方二圖於陰陽消長推衍精詳,妙合天然,是於六日七分之外又另闢蹊徑。然以之入用,仍取京圖。),然於卦義發明實多。朱子《啟蒙》,採用其說十之八九,自為言象數者不可不讀之書也。揚子《太玄》,演數甚精,足與《易》道相證。學者果有餘暇,不妨涉獵及之,以廣理趣。若溫公之《潛虛》,更不逮《太玄》遠矣。

邵康節《皇極経世》の先天数に至っては、自ら一家を成しているが(邵子は専ら一・二・三・四・五・六・七・八をもって陰陽剛柔の太少を分け、乾・兌・離・震は一・二・三・四の代名詞にすぎない。ただ先天の円図・方図は陰陽消長の推衍が精詳で、天然に妙合し、これは「六日七分」の外に別に蹊畷を開いたものである。ただし実際に用いるにはやはり京房の卦気図を取る)、卦義の発明は実に多い。朱子の《易学啓蒙》はその説を十の八九採用しており、もともと象数を言う者が読まざるを得ない書である。漢代の揚雄の《太玄》は数理の推演が精緻で、《易》道と互いに証するに足る。学者がもし余暇あれば、あえて渉猟して理趣を広めるのもよい。司馬温公の《潜虚》に至っては、《太玄》に遠く及ばない。

理象気数の気

或曰:向之言《易》者,每曰理象氣數。理象與數,既聞之矣。所謂氣者,是否即指卦氣?曰:氣者,即天地陰陽之氣。故一曰氣始,二曰形始。氣居於形之先,形包於氣之中。流行不息,連化無窮。大無外而細無間,皆氣之所周也。

ある人が問うた。従来《易》を言う者は常に「理・象・気・数」の四項を挙げる。理・象と数についてはすでに承った。いわゆる「気」とは、卦気を指すのか。答えて曰く、気とは天地陰陽の気である。だから第一に「気始」、第二に「形始」と言う――気は形の先に居り、形は気の中に包まれる。それは流行して止まず、運化して窮まらず、大きくて外なく、細かくて間なく、至る所気の周遍しないところはない。

然氣不可見,故顯之以象,而節之以數,析之以理。言理言數言象,皆所以言氣也。固不僅為卦氣,卦氣但以明一歲四時七十二候之序耳。五行者,所以別氣之剛柔。干支者,所以明氣之盛衰。納甲以象氣之交錯,納音以盡氣之變化。而出入內外,節以制度,皆在於數。故明乎數之理,象與氣可坐而致焉。

しかし気は見えないので、「象」をもってそれを顕し、「数」をもってそれを節し、「理」をもってそれを析る。理を言い数を言い象を言うのは、皆気を言うためであって、単に卦気のみを指すのではない。卦気はただ一年の四時七十二候の次序を明らかにするだけである。「五行」は気の剛柔を区別し、「干支」は気の盛衰を標明し、「納甲」は気の交錯に象を取り、「納音」は気の変化を尽くす。気の出入内外を制度をもって節するのは、すべて「数」に落ちる。だから数の理を明らかにすれば、象と気は坐して致すことができる。

占を言うには術数に求むべし

曰:然則以何書為善?曰:是宜求之於陰陽之學。向來陰陽術數之書,皆精粗雜揉,瑕瑜參半。《數理精蘊》與《儀象曆象考成》、《五行大義》諸書,皆宜參看。《易緯乾鑿度》、《乾坤鑿度稽覽》等書,亦不盡無稽。是在讀者能審其當否耳。

また問うた。ではどの書がよいか。答えて曰く、これは陰陽之学の中に求めるべきである。従来の陰陽術数の書は、精粗が雑糅して瑕瑜が半々である。清代の《数理精蘊》、および《儀象考成》《暦象考成》、隋人蕭吉の《五行大義》などの書は、皆参看すべきである。《易緯乾鑿度》や《乾坤鑿度》《稽覧図》の類の書も、必ずしも全く根拠がないわけではない。要は読者が自らその当否を審辨できるかにある。

曰:道廣大,因不僅為占卜之用。然辭變象占,則占亦在易學所不廢。究竟言占者,宜何道之從?曰:周人占筮,各有專官。三《易》分稱,則三《易》當各有其占法,而今已失傳。孔子贊《易》,實以明道,非斷吉凶分別去取者,迄未嘗言之。後人但取《左傳》、《國策》等書,所紀占筮之文而模仿之,(《啟蒙》等書是)以一爻變二爻變至六爻變,定為去取之例。(即用本卦或用之卦)無論其或用變爻,或用不變之爻,已與《周易》用變之例自相矛盾。

また問うた。《易》道は広大で、もともと占卜の用だけに供するものではない。しかし辞・変・象・占の四つの門径がある以上、占もまた《易》学が廃しないものである。果たして占を言う者はどの道に従うべきか。答えて曰く、周代の占筮にはそれぞれ専職の官があった。《連山》《帰蔵》《周易》の三《易》が並称される以上、三《易》にはそれぞれ占法があったはずで、今は皆失伝している。孔子が《周易》を賛述した本意は道を明らかにするにあり、どう吉凶を断じどう取捨するかは、終始言わなかった。後人は《左伝》《戦国策》などの書に記された占筮の文を取って模倣するほかなく(朱子《易学啓蒙》などの書がそうである)、一爻変・二爻変から六爻変までによって取捨の条例を定めた(すなわち本卦を用いるか之卦を用いるか)。しかし彼らが変爻を取ろうが不変の爻を取ろうが、すでに《周易》の変をもって占とする通例と自相矛盾している。

即如其所言,則所得之爻或吉或凶,亦無方法以判斷其所以吉凶之故。亦如問籤枚卜者之偶中即以為驗,不中亦無以明其不中之故。至精至神之《易》道,恐不如是也。夫《易》彰往察來,斷無占而不驗,驗而無以知其所以然之理。特占法未明,《左傳》等書所載但如紀算術者,只載其得數,而未演其細草也。既無細草,則安能知其方式?不知其方式,又安知其數之從何而得哉!今但以其得數為方式,宜其所求之數無從而得矣。

仮に彼らの言う通りにしても、占い得た爻が吉か凶か、その吉・凶である所以の故を判明する方法がない。籤を求め珓を擲く者と同じで、偶然的中すれば霊験とし、中らなければ中らない故も言えない。至精至神の《易》道は、おそらくこのようなものではない。《周易》は往きを彰らかにし来るを察するのであって、断じて占って験せず、験してその所以然の理を知り得ないということはない。ただ占法が失伝して明らかでないがゆえに、《左伝》などの書に載せたものは、算術を記する者が得数だけを書き、その細草を演じなかったのと同じである。細草がなければ、どうしてその算法を知ることができよう。算法を知らなければ、またどうしてその数がどこから得られたかを知ることができよう。今はただ人の得数を算法としているので、その求める数が得られないのも当然である。

故《火珠林》之術,(今術家所用者是)以及六壬、太乙、奇門三式,其操術精者,尚無不驗。獨宋賢《筮儀》之揲蓍求卦,其驗否茫無把握。豈孔子知來藏往之說為欺人哉!是未得其法也。斷可訓矣!

だから《火珠林》の占法(今日の術士が用いているのはまさにこの系統である)、および「六壬」「太乙」「奇門」の三式は、術者の手法が精到であれば、験しないことはない。ただ宋儒の《筮儀》が定めた揲蓍求卦だけは、験するかどうか茫漠として把捉がない。まさか孔子の「来るを知り往くを蔵す」という言が人を欺くものであろうか。分明に後人が真の方法を得ていないのである。この理は断然として明らかにできる。

蓋京焦之術,大儒所薄為方技而不屑道者,而不知西漢去古未遠,其飛伏世應五行順逆之法,必有所受(孔子《上繫》起中孚,《下繫》起咸,與京氏卦氣正合。可見孔子以前,必有此六十四卦之序。故孔子於無意中即舉此二卦為言,否則六十四卦何卦不可為《繫辭》之首?又安有如是之巧合也?即此以推,則世應飛伏之有所自來,亦斷可識矣。)。故以之推算,非但吉凶確有可憑,而遠驗諸年,近征之日,雖時刻分秒亦均有數之可稽。管輅郭璞等占驗,亦均有準的,皆是術也。

京房・焦延寿一派の術法は、大儒に方技と鄙薄されて語るに値しないとされたが、西漢は古に去ること遠からず、彼らの「飛伏」「世応」と五行順逆の法は必ず伝授する所があったことを知らない(孔子が《繋辞上伝》で爻を挙げるのは《中孚》から始め、《繋辞下伝》で挙げるのは《咸》から始めて、正に京房の卦気図と合する。孔子以前に必ずすでにこの六十四卦の次序があったことが分かる。だから孔子が意識せぬ間にこの二卦を挙げて立説したのであり、さもなければ六十四卦のどの卦を《繋辞》の首に置けないことがあろうか、またどうしてこのような巧合があろうか。これによって推せば、「世応」「飛伏」の説に由来があることも断然として識ることができる)。だからこれをもって推算すれば、吉凶が確かに憑拠があるばかりでなく、遠くはある年に験し、近くはある日に徴し、時・刻・分・秒に至るまで皆稽える数がある。三国の管輅、晋代の郭璞らが占って必ず中ったのも、用いたのはまさにこの一路の術法である。

自王弼掃象,後之言《易》者,以性理為精微。凡陰陽五行九宮星象,皆目為蕪穢而絕口不談。不知《易》道廣大悉備,況占筮本術數之一端,陰陽乃《易》道之大綱;既言《易》,而屏除陰陽;既不明術數,而仍欲言占卜,豈非至不可解之事乎?

王弼が象数を掃除して以来、後に《易》を言う者は性理を精微と見なし、およそ陰陽・五行・九宮・星象を一概に蕪穢と見て口を絶って言わない。彼らは《易》道が広大にして備わらない所がないことを知らず、しかも占筮はもともと術数の一端であり、陰陽はさらに《易》道の大綱である。既に《易》を言いながら陰陽を屏除し、既に術数を明らかにせずに仍お占卜を言おうとするのは、最も解しかねることではないか。

故餘以為欲明象占,宜求諸術數,更由術數而求諸經義,方可謂技焉而進於道。必有超出尋常而為術士所不及者,蓋術者但知其當然不知其所以然。果能一一以經義證之,以明其所以然之理,此正吾輩之責耳。自邵子以降,如劉青田、姚廣孝之儔,類皆能明其所以然之故者。是以能知未來,如燭照數計。

だから私は思うに、象と占を明らかにしようとすれば、術数の中に求め、さらに術数から進んで経義に求めるべきである。これで初めて技から進んで道に入ると言え、必ず尋常を超出して一般の術士の及ばない所がある。術者はその当然を知ってその所以然を知らないからである。もし一々経義をもって証し、その所以然の理を明らかにできれば、これこそまさに我々書を読む者の責任である。邵康節以降、青田の劉基、姚広孝の輩のごときは、大抵皆その所以然の故を明らかにすることができた者である。だから未来を知ることができ、燭が物を照らし指を屈めて数を計るがごとく分明であった。

惜處專制政體之下,禁治陰陽壬遁之學。有其書者,必令銷燬。今所傳者,都為抄本。傳寫謬訛,且多割裂改竄,僅略留形式,尚不完備,又烏能施之於用乎?且不但禁三式諸書,即《易》注之涉及神化,或精論術數者,亦在所嚴斥。故士流所習,僅限於王《注》、孔《疏》、程《傳》、朱《義》,此外皆屬違式。至有清中葉以後,居然上及馬鄭;而道咸之際,且盛行虞義者,則以阮儀徵輩之提倡,而朝廷欲博古文之虛名,故為之網開一面耳。

惜しいことに専制政体の下にあって、朝廷は陰陽と六壬・遁甲の学の研治を禁じ、この種の書を蔵する者は皆焼棄を命じられた。今日伝わるものは皆写本で、転写の間に訛誤が多く、しかも大半が割裂改竄されて形式をわずかに残すのみで、内容は完備せず、どうして実用に供することができよう。しかも三式類の書が禁じられたばかりでなく、《易》注で神化に渉りあるいは術数を精論するものも、厳しく斥禁の列にあった。だから士流の習う所は王弼《注》・孔穎達《正義》・程頤《易伝》・朱熹《本義》に限られ、それ以外は皆違式に属した。清代中葉以後になって、ようやく馬融・鄭玄にまで遡ることができ、道光・咸豊の頃にはまた虞翻の義が盛んになったが、これは儀徴の阮元ら一輩の提倡と、朝廷が古文経学を崇尚する虚名を博しようとしたため、これに網を開いて一面を赦したにすぎない。

今政體既革,讀書尚得自由,則《易》道之昌明,更無其他之阻力。學者宜致力於全經以立其本,然後廣求秘籍,旁及科學。凡有足以與吾《易》相發明者,無不可兼收並蓄。既會其通而征諸實,然後由博反約,以擷其精英,而仍縮千里於尺幅。《易》之大用,庶乎其可見歟!

今は政体がすでに変革され、読書もなお自由を得ているので、《易》道の昌明にはもはや他の阻力はない。学者はまず全経に力を尽くして根本を立定し、それから広く秘籍を求め、傍ら近代科学に及ぶべきである。およそ我が《易》と互いに発明するに足るものは、兼収並蓄できないものはない。すでに会通して実事に徴し、それから博より約に返り、その精華を摂取して、依然として千里を尺幅の間に縮める。《易》の大用は、ほとんど見出すことができるであろう。

全経注本の評騭

曰:致力全經,更有無較善之注本?曰:向之說《易》者,其空談性理無論矣。即能求諸象數者,要皆見卦說卦,見象說象,鮮能會六十四卦之通,合全《易》以明一卦一爻者。勝清之季,惟焦氏循之《易通釋》、姚氏《易》、端木氏之《周易指》與紀氏之《易問》、《觀易外編》,皆能自出杼,不依傍古人門戶。會通全《易》以立說者,雖各有所蔽,而精到之處有非前人可及者。學者但依據經文以為去取,自能可得其所長,更可觸類而有所悟矣。

また問うた。全経に力を尽くすにあたり、さらに比較的よい注本はあるか。答えて曰く、従来《周易》を説く者で、空に性理を談ずる者は言うに及ばない。象数に求め得た者でも、大抵は一卦を見ては一卦を説き、一象を見ては一象を説き、めったに六十四卦を貫通し、全《易》を合して一卦一爻を明らかにすることができない。清朝末年には、焦循の《易通釈》、姚配中の《周易姚氏学》、端木国瑚の《周易指》、および紀大奎の《易問》と《観易外編》のみが、皆自ら機杼を出して古人の門戸に依傍せず、全経を会通して学説を立てた。彼らは各々蔽塞の所があるが、精到の所は前人の及ばないところがある。学者はただ経文に依拠して取捨を決すれば、自ずから彼らの長所を吸収でき、さらに類に触れて悟る所もあろう。

又長沙彭氏,刻有《易經解注傳義辨正》一書。雖以李氏《集解》、王弼《注》、程《傳》、朱《義》為本,而引據極博。各家註釋,皆採取其精。攜此一編,足以薈百數十家之學說而便於參考,亦近今之佳著也。

また長沙の彭氏が刻した《易経解注伝義辨正》という書がある。それは李鼎祚《周易集解》・王弼《注》・程頤《易伝》・朱熹《本義》を底本としながら、徴引が極めて広博で、各家の注釈は皆その精粋を採っている。この一編を携えれば、百数十家の学説を荟集して参考に便なり、これも近今の佳著である。

象を観る方法

或曰:讀《易》之次序,既聞之矣,觀象之方法如何,可得聞歟?曰:君子所居而安者,《易》之序也。所樂而玩者,爻之辭也。故觀象必先觀其序。《周易》之卦序,與《連山》、《歸藏》不同。《周易》之彖辭爻辭,皆一依《序卦》之義。如乾坤後繼之以屯,屯後次之以蒙,《序卦傳》已詳述其義。凡一卦之《彖》,及六爻之辭,即本此義,與本卦之名義而發揮之者也。如屯之義為難,故六爻皆取屯難之義。蒙之六爻皆取蒙昧之義,此猶其易見者也。

ある人が問うた。《易》を読む先後の次序はすでに承ったが、象を観る方法はどうか、聞くことができるか。答えて曰く、《繋辞上伝》が言うように、君子が平居所安とするのは《易》の卦序であり、楽しんで玩味するのは爻の辞である。だから象を観るには必ずまず卦序を見る。《周易》の卦序は《連山》《帰蔵》と異なり、《周易》の彖辞・爻辞は一様に《序卦》の義理に依る。例えば乾坤の後に《屯》が続き、《屯》の後に《蒙》が次ぐのは、《序卦伝》がすでにその理を詳述している。およそ一卦の彖辞と六爻の爻辞は、皆この次序の義に本づき、本卦の名称の含義に合わせて発揮したものである。例えば《屯》の義は難なので、六爻は皆「屯難」の義を取る。《蒙》の六爻は皆「蒙昧」の義を取る。これはまだ見やすいほうである。

如睽之六爻,曰“喪馬勿逐自復,見惡人無咎”,曰“遇主于巷”。不觀卦名之義,其爻辭即無從解釋。蓋睽有乖舛違戾之意,故其辭爻無不乖違。夫喪馬宜逐者也,乃勿逐自復;見惡人宜有咎者也,乃無咎;遇主應於朝廟,今乃遇之於巷,皆乘異之權者也。蓋當睽之時,禍福顛倒,見為禍者或且為福,見為福者或反得禍。以下爻辭,亦皆類此。若不明睽之義,又何從而測之?略舉其一,餘可類推矣。

また《睽》卦の六爻は、初九が「馬を喪うも逐うなかれ、自ら復る。悪人を見るも咎なし」と言い、九二が「主に巷に遇う」と言う。卦名の含義を見なければ、これらの爻辞は根本から解釈のしようがない。「睽」には乖舛違戾の意があるので、その爻辞は一つとして常情に反しないものがない。馬を失えば追うべきなのに、追うな・自ら帰ると言い、悪人に遭えば咎あるべきなのに、咎なしと言い、主に遇うは朝廷宗廟であるべきなのに、今は巷で遇う――皆反常の面に就いて立言したものである。もともと乖違の時に当たれば禍福が転倒し、禍と見えるものがかえって福となり、福と見えるものがかえって禍を得ることがある。以下各爻の辞も皆この類である。もし「睽」の含義を明らかにしなければ、どこから推し測ることができよう。ここでは一卦を挙げて例としたにすぎず、他はこれを類推できる。

既觀其序之次,與本卦命名之義,以讀其辭,已思過半矣。然後玩內外之卦象,為陰為陽,為正為隅(坎離正也中也,震兌正也,乾坤巽艮隅也。然乾坤先天亦為中)。或相成,或相害(《大有·初九》“無交害”,害即火克金也)。如水火相息,水上火下為既濟,二女同居為睽為革之類,皆合兩卦之名義而取象者,不可不察也。

すでに卦序中の位次を見て、本卦の命名の義を明らかにしてからその辞を読めば、すでに大半を思慮したことになる。それから内外二つの経卦の象を玩味する。陰か陽か、四正に居るか四隅に居るか(後天方位では坎・離は正にして中に居り、震・兌もまた正で、乾・坤・巽・艮は四隅に居る。ただし乾・坤は先天方位では中に算えられる)。両卦の間はあるいは相輔相成し、あるいは互いに害する(《大有・初九》の「交害なし」の「害」とは火の金を剋することである)。水と火が互いに消長する如く、水が上・火が下なら《既済》となり、二女が同居すれば《睽》となり《革》となる類は、皆二つの経卦の名義を合せて取象したもので、細察しないわけにはいかない。

內外之義既明,然後分六位而觀之,別剛柔,分陰陽;察往來,定主爻;看應與之有無,辨爻位之當否,而六爻之象始可睹矣。以驗爻辭及《象傳》,是否與所觀察者相合。如爻象之辭,出於所觀察之外,則必詳求其故。或求諸中爻,或求諸互卦。更有未得,則求諸反卦(即來氏所謂“綜”)對卦(即來氏所謂“錯”,虞氏曰“旁通”),與上下交易之卦(如山水蒙,上下相易水山蹇),則必有所得矣。

内外卦の意義が明らかになった後、六爻を六位に分けて観察する。剛柔を弁じ、陰陽を分け、往来を考察し、主爻を定め、相応する爻の有無を見、爻位の当否を弁じて、初めて六爻の象が明らかに見える。続いて爻辞と《象伝》をもって印証し、観察した所と合うかを見る。もし爻辞・象辞が観察の範囲を出ていれば、必ずその故を詳しく求める。あるいは中間の四爻に求め、あるいは互体の卦に求める。なお得られなければ、反卦(来知德の言う「綜」)・対卦(来知德の言う「錯」、虞翻は「旁通」と呼ぶ)、および上下二経卦を対調した卦(例えば山水《蒙》は上下相易すれば水山《蹇》となる)に求める。こうすれば必ず得る所がある。

更不能得,再詳玩先後天八卦之圖。以本卦之方位合之,看是如何。如山風蠱,六爻皆取父母之象,反覆推求不能得。考之各家註釋,亦均無發明。最後求之先後天方位,乃恍然矣。蓋艮巽在先天圖,巽西南而艮西北,即後天乾坤之位。乾父坤母,故蠱卦之父母之象即由此而來。

さらに得られなければ、先天・後天二種の八卦方位図を細かく玩味する――先天図は伏羲より出たと伝え、後天図は文王より出たと伝え、同じ卦でも両図での方位は同じではない――本卦の方位をもって比合し、果たしてどうかを見る。例えば山風《蠱》は六爻が皆「父」「母」の象を取るが、反覆推求しても得られず、各家の注釈を遍く考えても講じ通したものがなかった。最後に先後天の方位から求めて初めて恍然とした。艮・巽は先天図で巽は西南、艮は西北に居り、それはちょうど後天図で乾・坤の占める位である。乾は父・坤は母なので、《蠱》卦の父母の象はここから来たのである。

須知聖人彖、象之辭,皆根於卦象,無一字之虛設,無一義之虛懸。即假借之虛字,亦均與卦象有關。而《象傳》之韻,更字字分陰分陽。或雙聲疊韻,或一字兩音,則必陰陽相通,而以一字兼給二卦之義者也。精細緻密,剖析毫芒,故讀《易》必須字字咀嚼,字字反覆推求,方能得聖人之意於萬一也。一卦即明其大意,然後推之於類卦,以及六十四卦,證之以《繫傳》、《雜卦》,更參之以數理,準之以天時,《易》之道庶乎其可通矣。

知るべきことは、聖人の作った彖辞・象辞は皆卦象に根ざし、虚設の字は一つもなく、虚懸の義は一つもない。仮借して来た虚字さえ皆卦象と関係がある。《象伝》の用韻はさらに字字に陰陽を分かつ。あるいは二字の声母が同じ双声であり、あるいは二字の韻母が同じ畳韻であり、あるいは一字が二種の読みを兼ねるが、それは必ず陰陽が相通じ、一字をもって二卦の義を兼帯するのである。このように精细致密で毫芒を剖析するので、《易》を読むには必ず字字咀嚼し、字字反覆推求して、初めて聖人の本意の万分の一を領会できる。一卦の大意が明らかになれば、それから卦体の近い同類の卦に推し、六十四卦に及び、《繋辞伝》《雑卦伝》をもって証し、数理を参し、天時を准ずれば、《易》の道理はほとんど貫通できるであろう。

人の道を立てる

立人之道,曰仁與義,實惟六爻中三四兩位。孔子贊《易》,藉以明人道而立人極,以參天地之化育,故特注重中爻。三五同功而三多凶,二四同功而四多懼。以見人生為憂患始,畢生在多凶多懼之中,如作繭自縛而不能脫。於是本悲天憫人之心,不惜韋編三絕,闡發陰陽造化之機,明貞勝貞一之理,而示人以進德修業人定勝天之道,皆在於三四兩爻盡之。

《説卦伝》に「人の道を立つるは仁と義と曰う」とあるが、卦に落とせば、まさに六爻のうち三・四という二つの人位である。孔子が《周易》を賛述したのは、これを借りて人道を明らかにし、人たるの準則を立てて、天地の化育と三を並べるためであり、だから特に中爻を重んじた。《繋辞下伝》に三と五は同功で三爻は凶多く、二と四は同功で四爻は惧れ多しとあるのは、人生が憂患から始まり、一生涯が多凶多惧の中にあって、繭を作って自ら縛るように抜け出せないことを示している。そこで孔子は天を悲しみ人を憫む心をもって、編書の革紐が三度切れるのも惜しまず、陰陽造化の枢機を闡発し、「貞勝」「貞一」の理を明らかにし、人に徳を進め業を修め人定が天に勝つ道を指示した――これらはすべて三・四の両爻に尽きている。

乾之九三九四,六十四卦人爻之開始也。九三曰“君子終日乾乾夕惕若厲無咎”,九四曰“或躍在淵無咎”。乾乾夕惕,修己以仁也。躍而稱或,揆之於義也。常存戒謹恐懼之心,庶幾可免於大過(乾六爻中四爻動成頤,頤失道而口實自養則成大過。乾九三九四兩爻本小過之中爻,能得其道則小過亦可免而成中孚,中孚則合乎立人之道矣。故曰“《易》者聖人教人寡過之書”。)。吉凶雖有命,而悔吝寡矣。故曰無咎。無咎者,善補過也。

《乾》卦の九三・九四は、六十四卦における人爻の始まりである。九三は「君子は終日乾乾として、夕に惕れること若のごとく、厲けれども咎なし」といい、九四は「或いは躍り淵に在り、咎なし」という。終日勤勉して怠らず、夜に入ってもなお警惕するのは、仁をもって己を修めることであり、躍ろうとするのにまず「或」の一字を置くのは、義をもって進退を権衡することである。常に戒慎恐懼の心を存すれば、ほとんど大きな過ちを免れられるであろう(《乾》卦六爻のうち四爻が動けば《頤》となり、《頤》が正しい道を失い口腹の自養のみを図れば《大過》となる。《乾》の九三・九四はもともと《小過》の中爻であり、その正道を守れば小過すら免れて《中孚》を成し、《中孚》はすなわち立人之道に合する。だから《周易》は聖人が人に過ちを少なくすることを教える書という)。吉凶にはそれぞれ命定があるが、悔と吝は減らせるので、爻辞に「咎なし」と言う。いわゆる「咎なし」とは、過ちをよく補うことである。

《九三·文言》曰:“知至至之,可與幾也。”因三爻在上下之交,乃進退存亡之幾。理欲之界,人禽之別,得失之間,不容毫髮。孟子曰:“人之所以異於禽獸者幾希”,即此幾也。

《乾・文言》が九三を解して「至るを知りて之に至らば、与に幾を言うべし」と言う。意味は、どこまで行くべきかを知ってそこまで行ける者なら、彼と幾微を語ることができる。三爻は下卦と上卦の交接の処にあり、まさに進退存亡の幾である。天理と人欲の境界、人と禽獣の分別、得と失の分際には、一毫の誤差も容れない。孟子が「人の禽獣に異なる所以の者は幾希なり」と言ったのは、まさにこの「幾」である。

《屯·六二》曰“君子幾不如舍”,《豫·六二》曰“介于石不終日”(《乾·九三》曰“終日”,《豫·六二》故曰“不終日”),《繫傳》曰“知幾其神乎?君子上交不諂,下交不瀆,其知幾乎?幾者動之微,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。《易》曰‘介于石不終日貞吉’。介如石為,寧用終日?斷可識矣。君子知柔知剛,萬夫之望”,又曰“顏氏之子,其庶幾乎!夫《易》者,聖人之所以極深而研幾也。唯幾焉,故能成天下之務”,皆所以闡發此九三一爻之義也。

《屯》の六二は「君子は幾に如くは舎するに如かず」と言い、《豫》の六二は「石に介として終日せず」と言う(《乾・九三》が「終日」と言うので、《豫・六二》は「終日せず」と言う)。《繋辞下伝》に言う。幾微を見抜けば神妙と言えよう。君子は上に交わって諂わず、下に交わって瀆さず、これが幾を知るということである。いわゆる「幾」とは、変動の最も微細な兆しで、吉凶が未だ顕れぬ先に最初に透けて見える端倪である。君子はこの兆しを見れば即座に行動し、一日の終わりを待たない。《周易》に「石に介として終日せず、貞にして吉」とある――操守が石のごとく堅固なら、一日待つ必要がどこにあろうか、分明に即座に判断できる。君子は柔を知り剛を知るので、万人の望むところとなる。《繋辞上伝》はまた言う。顔回はほとんど幾を知るに近いであろう。《周易》という書は、まさに聖人が幽深を窮極し幾微を研求するためのもので、幾を研求できるがゆえに天下の事務を成就できる。これらの言葉はすべて《乾》卦九三の一爻の意義を闡発しているのである。

至九四,則其動已著,已由下卦而進於上卦。進而及時,則為豫之“大有得”,為隨之“有孚在道”,為大過之“棟隆”,為萃之“大吉無咎”,為革之“有孚改命”。進而失時,為晉之“碩鼠”,為夬之“無膚”,為姤之“無魚”,為震之“遂泥”,為鼎之“折足”。或得或失,只能安之於羲命。

九四に至れば、その動きはすでに著しく、下卦から上卦に進んでいる。進んで時に及べば、《豫》九四の「大いに有得る」、《随》九四の「孚あり道に在り」、《大過》九四の「棟隆なり」、《萃》九四の「大吉咎なし」、《革》九四の「孚ありて命を改む」となる。進んで時を失えば、《晋》九四の「碩鼠」、《夬》九四の「臀に膚なし」、《姤》九四の「包に魚なし」、《震》九四の「震して遂に泥る」、《鼎》九四の「鼎の足折る」となる。或いは得、或いは失、ただ義理と命数に安んじるのみである。

孔子更於咸之九四一爻,特暢其義,曰:“天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮。天下何思何慮?日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感而利生焉。尺蠖之屈,以求信也。龍蛇之蟄,以存身也。精義入神,以致用也。利用安身,以崇德也。過此以往,未之或知也。窮神知化,德之盛也。”

孔子はさらに《咸》卦の九四一爻において、この意を格別暢達に発揮した。《繋辞下伝》に曰く、天下に何の思慮があろうか。天下の万事は殊途にして同帰し、百慮にして一致する。天下に何の思慮があろうか。日が往けば月が来り、月が往けば日が来り、日月が互いに推し移って光明が生ずる。寒が往けば暑が来り、暑が往けば寒が来り、寒暑が互いに推し移って一年が成る。往く者は屈であり、来る者は伸である。屈と伸が互いに感応して利益が生ずる。尺蠖が身を屈するのは、前に伸びるためである。龍蛇が蟄伏するのは、身を存するためである。義理を精研して神妙に入るのは、実用に致すためである。学んだことを善く用いて己の身を安んずるのは、徳行を崇め高めるためである。この一層を過ぎて上に至れば、人の知り得る所ではない。神妙を窮め造化を知ることは、徳の最も盛んな境涯である。

蓋乾為《上經》之首,咸為《下經》之首,故特於此兩卦,分言三四兩爻,以明立人之道。而聖人作《易》,與孔子贊《易》之微旨,胥於是見之矣。

もともと《乾》は上経の首であり、《咸》は下経の首である。だから孔子はわざわざこの二卦において三爻・四爻に分けて立論し、立人之道を明らかにしたのである。聖人が《易》を作った用心と、孔子が《周易》を賛述した深微の旨意は、皆ここから見える。

乾九三為當位之爻,九四為不當位之爻。故《九四·文言》“上不在天,下不在田,中不在人”,而《咸·象傳》曰“君子以虛受人”。“以虛受人”者,即此九四一爻為虛爻也。九四為虛,則九三為實。修辭立誠,忠信進德,學以聚之,問以辨之,寬以居之,仁以行之,皆立德之事也。

《乾》卦の九三は陽爻が陽位に居る当位の爻で、九四は陽爻が陰位に居る不当位の爻である。だから《乾・文言》が九四について「上は天に在らず、下は田に在らず、中は人に在らず」と言い、《咸・象伝》は「君子は虚をもって人を受く」と言う。いわゆる「虚をもって人を受く」とは、まさにこの九四一爻が虚爻だからである。九四が虚なら九三は実である。《文言》が九三について言う言辞を修め誠意を立てること、忠信をもって徳業を進めること、学をもって聚め問をもって辨じ、寛をもって居り仁をもって行うことは、皆徳を立てる事である。

一致百慮,殊塗同歸,日月生明,寒暑成歲,而一身之往來屈信,亦如日月寒暑之推移迭更,而悉出於自然。是能與天地相感通,如龍蛇之變化,所謂陰陽不測之謂神,皆形而上者之謂也(“無思也,無為也,寂然不動感而遂通天下之故,非天下之至神,其孰能與於此?”此即咸之精義,二氣感應之妙用。而下文即繼之以“極深研幾”,可見三四兩爻貫通之線索矣)。

帰趣は一致して思慮は百端、道路は異なって終に一処に帰す。日月が交替して光明が生じ、寒暑が交替して一年が成る。一身の往来屈伸もまた日月寒暑のように推移迭更し、すべて自然より出る。これがすなわち天地と感通でき、龍蛇のごとく変化して測りがたく、《繋辞伝》の言う「陰陽測るべからざる之を神と謂う」で、皆形而上の一層に属する(《繋辞上伝》に「思うことなし、為すことなし、寂然として動かず、感じて遂に天下の故を通ず。天下の至神にあらずんば、孰れか能く此に与らん」とある。これがまさに《咸》卦の精義で、陰陽二気の感応の妙用である。下文に続いて「極深研幾」を講じているので、三・四两爻が前後に貫通する線索が見える)。

道運於虛,而德徵諸實。孔子贊《易》立教,是為中人說法(《論語》:“中人以上,可以語上也。中人以下,不可以語上也。”)。故以仁義立本,以致用為歸。言有不言無,言德不言道。於六十四卦《象傳》,發明立教之旨。皆以人合天,修身俟命(凡卦《彖傳》以釋上下兩象,《象傳》則合兩卦而貫串之,即以明中爻之義,即以明三四兩人爻之義,所謂立人之道。詳《易楔》“以”字下。)。

「道」は虚において運行し、「徳」は実事に徴する。孔子が《周易》を賛述して教を設けたのは、中等の資質の人のための説法である(《論語》に「中人以上は、与に上を語るべし。中人以下は、与に上を語るべからず」とある)。だから仁義をもって根本とし、致用を帰結とする。「有」を言って「無」を言わず、「徳」を言って「道」を言わない。彼は六十四卦の《象伝》において随所に設教の宗旨を発明し、皆人に人事をもって天道に合わせ、己の身を修めて天命を待たせるのである(およそ一卦の《彖伝》は上下二つの卦象を解釈するもので、《象伝》は両卦を合わせて貫串し、まさに中爻の義を明らかにし、すなわち三・四の二つの人爻の義を明らかにする。これがいわゆる立人之道である。詳しくは拙著《易楔》の「以」の字の条を見よ)。

乾以易知,坤以簡能。夫婦之愚,可以與知與能者也。至形上之道,則下學上達,乃成德以後所有事,不在教義範圍以內(《論語》:“夫子之文章,可得而聞也。夫子之言性與天道,不可得而聞也。”“文章”即九三之“修辭立其誠”,“性與天道”則九四之“感而遂通,精義入神,窮神知化”之功也。)。

乾は平易をもって人に知られ、坤は簡約をもってその事を成す。尋常の夫婦のごとき浅陋な者でも、このような知と能に参与できる。形而上の「道」に至っては、下学して人事を学び上達して天理に至らねばならず、これは徳行が成就してからの事で、設教の範囲内にはない(《論語》に「夫子の文章は得て聞くべきなり。夫子の性と天道を言うは得て聞くべからず」とある。いわゆる「文章」とは九三の「修辞立其誠」であり、いわゆる「性と天道」は九四の「感じて遂に通ず」「精義入神」「窮神知化」の功夫である)。

故《序卦傳》以“有天地,有男女,有夫婦,有父子,有君臣,有上下,然後禮義有所錯”,以標明立教之旨。而六十四卦,獨不列乾坤與咸之卦名。蓋以乾為天道,坤為地道。咸乃無思無為形上之道,特闕之以清明道與立教之界限。而於《繫傳》中,闡發明道之功。更於《說卦》“窮理盡性至命”一章,為上達之指歸。

だから《序卦伝》は「天地ありて男女あり、男女ありて夫婦あり、夫婦ありて父子あり、父子ありて君臣あり、君臣ありて上下あり、上下ありて礼義錯る所あり」という一節をもって、設教の宗旨を標明した。そしてこの節が卦を歴数する中で、ただ乾・坤と咸の三卦の卦名を列しないのは、乾は天道、坤は地道、咸は無思無為の形而上の道だからで、わざわざ空けて置いて「明道」と「立教」の界限を清く分けたのである。道を闡明する功夫は《繋辞伝》の中に置いて発揮し、さらに《説卦伝》の「理を窮め性を尽くして命に至る」の一章をもって、上達の指帰としたのである。

孔子贊《易》以明道立教之旨,固已脈絡分明,先後次序,一線不亂。乃朱子《本義》猶謂以卜筮教人,示人以避凶趨吉之書,不幾與《感應篇》、《陰鷺文》等量而齊觀耶?是何異以璇璣玉衡而僅為指南針之用焉?

孔子が《周易》を賛述した明道と立教の宗旨は、もともと脈絡が分明で、先後の次序は一糸も乱れない。ところが朱子の《周易本義》はなお《周易》を卜筮で人を教え、人に凶を避け吉に趨ることを示す書だと言う。これはそれを《太上感応篇》《文昌陰騭文》の類の勧善書と等量斉観するのではないか。天象を観測する璇璣玉衡をただ指南針として使うのと、何の違いがあろうか。

中孚

孔子立教之要義,曰中,曰時。大過乎中者曰大過,小過乎中者曰小過。無往而非中者,乾坤坎離也。巽兌震艮,皆過乎中。故澤風為大過,雷山為小過。聖人教人於二四三五致其功。大過而至於小過,小過而至於無過,皆三四中爻反復其道。小過反之為頤,大過反之為中孚,而過可免矣。中孚“豚魚吉”。至誠之所感,物無不化,而況於人乎?

孔子の設教の要義は二条ある。一つは「中」、二つは「時」である。中を大きく過ぎたのを《大過》といい、中をわずかに過ぎたのを《小過》という。往く所なく中に合わないものは、乾・坤・坎・離である。巽・兌・震・艮の四卦は皆中を偏り過ぎたので、兌沢が上・巽風が下で《大過》となり、震雷が上・艮山が下で《小過》となる。聖人は人に二・四・三・五の数爻において功を致すことを教える。大過から小過に収め、小過から無過に至るには、皆三・四の二つの中爻がその道を反復するのに依る。《小過》を反すれば《頤》となり、《大過》を反すれば《中孚》となり、過ちは免れられる。《中孚》の卦辞は「豚魚に吉」と言う。豚や魚のような無知の物さえ感動できるのだから、至誠の感ずる所は万物で化育を受けないものはない。まして人においてをや。

然中孚之風澤,非即大過之澤風乎?何以澤風為大過而不中,風澤即為中孚而合乎中?舊說或曰“以其中虛也”。然頤之中更虛,何以不言中?或曰“孚者信也”,大象離伏坎,故曰中孚。然則重坎更孚矣,何以曰“習坎有孚”,不曰“中孚”?是皆於中孚之義未有得也。

しかし《中孚》の上巽風・下兌沢は、《大過》の上兌沢・下巽風を顛倒したものではないか。なぜ沢が上で風が下なら《大過》で中に合わず、風が上で沢が下なら《中孚》で中に合うのか。旧説には「その中間の二爻が虚だから」と言うものがあるが、《頤》卦の中間はもっと空いているのに、なぜ「中」と称しないのか。あるいは「孚とは信である」といい、《中孚》の大象は離に似て、離の伏卦は坎で、坎は信だから「中孚」と言うとするが、それなら坎を二つ重ねた《坎》卦はもっと「孚」ではないか。なぜ卦辞は「習坎孚あり」と言って「中孚」と言わないのか。これらの説は皆《中孚》の含義を真に把握していないことが分かる。

按天地之數,坎天一至兌地十(坎一,艮二、三,震四,巽五、六,離七,坤八、九,兌十。)。巽五兌十,五十居五十五數之中,所以神變化而行鬼神者也。巽與兌合,五與十合,故曰中孚。子曰:“五十以學《易》可以無大過矣。”即中孚之道也。

天地之数に按ずれば、坎の天一から兌の地十まで数える(坎は一、艮は二・三、震は四、巽は五・六、離は七、坤は八・九、兌は十、乾は戌・亥で数なし)。巽は五を得、兌は十を得る。五と十はちょうど天地之数五十五の中に居り、すなわち《繋辞伝》の言う「所以に変化を神にして鬼神を行わしむる」の鍵である。巽と兌が合すれば、すなわち五と十が合するので、「中孚」と言う。孔子が「五十をもって《易》を学べば、以て大過なかるべし」と言ったのは、まさに《中孚》の道理である。

卦氣冬至起中孚九二,夏至起咸,故孔子於《上繫》十一爻,首“鳴鶴在陰”;《下繫》十一爻,首“憧憧爾思”。而《中孚·象傳》曰:“中孚利貞,乃應乎天也。”應乎天則合乎天之氣,而日月寒暑相推,則二氣感應之理尤明。孔子繫《易》,雖未明言卦氣,而言行昭垂,無不上合法象(《中庸》:“仲尼祖述舜堯,憲章文武。上律天時,下襲水土。闢如四時之錯行,日月之代明。”)。所以與天地參,而建中立極也夫!

卦気の法に按ずれば、冬至は《中孚》の九二から起算し、夏至は《咸》から起算する。だから孔子は《繋辞上伝》に挙げる十一爻のうち、頭一つが《中孚》九二の「鶴陰に鳴く」であり、《繋辞下伝》に挙げる十一爻のうち、頭一つが《咸》九四の「憧憧として往来し、朋従して爾が思う」である。そして《中孚》の《象伝》は「中孚は利貞とは、乃ち天に応ずるなり」と言う。天に応ずれば天の気に合し、日月寒暑が互いに推し移るのは、陰陽二気の感応の理がいっそう分明である。孔子が辞を繋いで《易》を解くに、卦気を明言はしなかったが、その言行は後世に昭垂して、上は天地法象に合しないことはない(《中庸》に言う。仲尼は遠く尭舜の道を祖述し、近く文王・武王の法を憲章とし、上は天時に律し、下は水土に襲う。四時が錯行し、日月が代明するがごとしである)。これがまさに彼が天地と三を並べ、中道を建てて準則を立てられ故である。

(大過反覆為中孚小,過反覆為頤。初九“舍爾靈龜”,六四“虎視眈眈”。龜離象而屬北方玄武,火伏水中故能服氣。虎艮象,下應初,金生水,丹家所謂龍從火裡出,虎向水中生之象也。初莫若舍其靈龜,不能應乎四,則虎視眈眈,兩敗俱傷矣。頤曰“觀頤”,“神道”,本言道之卦。孔子不言神,故以“君子以慎言語節飲食”釋之。)

《大過》を反復すれば《中孚》となり、《小過》を反復すれば《頤》となる。《頤》の初九は「爾が霊亀を舎て」と言い、六四は「虎視耽耽」と言う。亀は離の象に属して北方の玄武に配し、火が水中に潜蔵するので気を服して養生できる。虎は艮の象に属し、下において初爻に応じ、金が水を生ずる。まさに丹家の言う「龍は火裏より出で、虎は水中に生ずる」の象である。初爻がもしその霊亀を舎てることを惜しみ、四爻に応じられなければ、四爻は虎視耽耽として、両方とも敗れ傷つく。《頤》卦は「頤を観る」と言い、天地の万物を養育する神道を講じ、もともと「道」を言う卦である。孔子は神を言わないので、「君子は言語を慎み飲食を節す」をもってそれを解釈したのである。

仁と義と曰う

孔子以《易》立教,示人以用世之道。故“立人之道,曰仁與義”。仁從二人,蓋必人與我相交接,而後可用吾仁。義從羊。羊者善群之物也。合多數人而為群,則有親疏遠近同異好惡之殊。於是仁之術,或有時而窮,不能不裁之以義。群既合,則必循有條理之組織,以定其秩序,於是禮緣義起。禮者理也,履也,各有定程,為人所循其當行者,而躬行實踐者也。

孔子は《周易》を借りて教を設け、人に世を用うる道理を示した。だから《説卦伝》に「人の道を立つるは仁と義と曰う」と言う。「仁」の字は「人」に「二」が従う。人と我が互いに交接して、初めて我の仁を用いることができる。「義」の字は「羊」に従う。羊はよく群れる動物である。多くの人が合して一群となれば、親疏・遠近・同異・好悪の差別が生じ、そこで仁を行う術も時に行き詰まることがあり、「義」をもって裁断せざるを得ない。群が既に結合すれば、必ず条理ある組織に循って秩序を定めねばならず、そこで「礼」が「義」によって起こる。礼とは理であり、履でもある。各々一定の程式があり、人が循るべきであり、かつ躬行実践するものである。

有組織,有定程,則必有所契約以共守之,而信著焉。故禮與信者,仁義之器也。皆人世之道也。《易》曰“元亨利貞”,孔子以四德釋之。君子行此四德,用之則行者焉。故曰用世。若離群絕世,翛然物外,則將何所用吾仁?何所用吾義?又何所用吾禮與信?然非無仁義也,非無禮與信也。舍之則藏,蓄吾德以復吾性。率性為道,庶幾下學上達,由器而進乎道矣。

組織があり定程があれば、必ず共に守るべき契約があって、そこに「信」が著立する。だから礼と信は仁義を載せる器であり、皆人世の道理に属する。《乾》卦辞に「元亨利貞」とあるのを、孔子は元・亨・利・貞の四徳で解釈した。君子がこの四徳を行い、世に用いられれば出て有為となるので、これを用世の学と言う。もし群を離れ世を絶ち、翛然として物外にあれば、我の仁をどこに用いよう。我の義をどこに用いよう。我の礼と信をまたどこに用いよう。しかし彼に仁義がないのではなく、礼と信がないのでもない。用いられなければ退いて蔵れ、己の徳を涵养して本性に復帰する。本性に率いて行うのが道であって、こうすれば下学から上達でき、「器」から進んで「道」に至ることができる。

是故形而下者之謂器,非必制器尚象舟車宮室耒耜杵臼等之為器也。苟不能盡吾性,則禮樂政刑皆器也,仁義亦器也。形而上者之謂道,非必仁義禮信之為道也。能盡吾性,即一器一物之微,亦何莫非道之所寓?然因人立教,故未可驟言道也。故曰立仁與義。(佛家出世法無所謂仁義禮信,大圓性海中惟智燈獨照而已。)

それゆえ「形而下者之を器と謂う」とは、必ずしも象を尚んで器を制する所の舟車・宮室・耒耜・杵臼などだけを器というのではない。もし己の性を尽くすことができなければ、礼・楽・政・刑も皆器であり、仁と義も器である。「形而上者之を道と謂う」もまた、必ずしも仁・義・礼・信だけが道というのではない。己の性を尽くすことができれば、一器一物のごとき微細なものでも、どれ一つとして道の寄寓する所でないことがあろうか。ただ教を設けるには人に因って施さねばならず、いきなり「道」を語るわけにはいかないので、人の道を立てるは仁と義と言うのである(仏家の出世法にはいわゆる仁義礼信がなく、広大円満の性海の中に、ただ智慧の灯が独り照らすのみである)。

六日七分

《易緯》卦氣,六十四卦中,提出坎震離兌為四伯,亦曰四監,以主一年二十四氣。坎主冬至迄驚蟄,震主春分迄芒種,離主夏至迄白露,兌主秋分迄大雪。餘六十卦,以中孚起冬至,每卦主六日七分,每五卦分公闢侯大夫卿,主六候兩氣一節,六十卦共三百六十五日四分日之一,以合周天三百六十五度四分度之一。

《易緯》に伝わる卦気の法は、六十四卦の中から坎・震・離・兌の四卦を「四伯」として提出し、「四監」ともいい、一年の二十四節気を主らせる。坎は冬至から驚蟄までを主り、震は春分から芒種までを主り、離は夏至から白露までを主り、兌は秋分から大雪までを主る。残りの六十卦は《中孚》から冬至を起こり、各卦が六日七分を主る(一日を八十分に分け、六十卦で三百六十五又四分の一日を分配すると、各卦がちょうど六日七分を得る)。五卦ごとに公・辟・侯・大夫・卿の五等に分け、共に六候・二気・一節を主る。六十卦で合計三百六十五又四分の一日となり、周天の三百六十五又四分の一度とちょうど合致する。

又別置復、臨、泰、大壯、夬、乾、姤、遁、否、觀、剝、坤為十二闢卦,每爻各主一候(五日五分,又六分分之,五為一候。)。自復至乾為息卦,曰太陽。自姤至坤為消卦,曰太陰。息卦所屬者曰少陽,消卦所屬者曰少陰。以四伯領十二闢,十二闢領公闢侯大夫卿五卦,以司一歲之卦氣,以推吉凶,名為六日七分之學。

また別に《復》《臨》《泰》《大壮》《夬》《乾》《姤》《遯》《否》《観》《剥》《坤》の十二卦を「十二辟卦」として立てる――「辟」とは君で、この十二卦は一年十二ヶ月の君主のごときものである――各爻がそれぞれ一候を主る(五日五分、さらに六分の五分を加えて一候とする)。《復》から《乾》までは陽気が逐月成長する息卦で「太陽」といい、《姤》から《坤》までは陽気が逐月消退する消卦で「太陰」という。息卦に属する者を「少陽」、消卦に属する者を「少陰」という。四伯をもって十二辟卦を統領し、十二辟卦をもって公・辟・侯・大夫・卿の五等の卦を統領し、これをもって一年の卦気を司掌し吉凶を推断するのを、「六日七分」の学という。

盛於西漢,而尤於京氏為精。故後人輒稱之為京房卦氣。其實此法相傳最古。今所傳《連山》,卦雖殘缺不完,然以坎離震兌分主四季,亦復相同。可見自三代時已有此學。故孔子《繫傳》上繫起中孚,下繫起咸,亦述而不作焉。漢人去古未遠,三代遺法猶有存者。京氏之學,自必有所師承,非所能臆造者。

この学問は西漢に盛んで、特に京房が最も精しく講じたので、後人はしばしばそれを「京房卦気」と称する。実はこの法は相传が極めて古い。今日伝わる《連山》は、卦こそ残欠不備だが、同じく坎・離・震・兌で四季を分けて主らせている。夏・商・周の三代の時にすでにこの学問があったことが分かる。だから孔子の《繋辞》は上伝で爻を挙げるのに《中孚》から始め、下伝で爻を挙げるのに《咸》から始めたのも、ただ旧法に沿って述べるのみで新たな意を出さなかった、いわゆる「述べて作らず」である。漢人は古に去ること遠からず、三代の遺法はなお存留していたので、京房の学は必ず師承する所があったのであって、彼が憑空に造り出せたものではない。

特其時讖緯之說盛行,各自為說,真贗莫辨,漸入於怪誕支離,幾不可究詁。至禁習緯書以遏其頹波,而三古僅存之遺法,亦為之湮沒不彰,良可痛也。

ただその時讖緯の説が盛んで、人は各々説を立て、真贋の弁別がつかず、次第に怪誕支離に流れ、ほとんど考究できなくなった。後に朝廷が緯書の研習を禁じてこの頽風を遏止したため、上古に僅かに残っていた遺法もまたこれに連なって湮没して顕れなくなった。実に痛ましいことである。

後之言卦氣者,變化百出,有自乾至未濟,依文王《序卦》,以一卦直一日,乾直甲子,坤直乙丑,迄未濟直癸亥,周而復始。六周盡三百六十日,而坎離震兌直二分二至,此焦氏之法也。有以乾坤坎離為橐龠,餘六十卦,依《序卦》一爻值一時;而周一月,又以十二闢卦,每卦管領一時。此魏伯陽之法也。

後に卦気を講ずる者は変化百出した。ある者は《乾》から《未済》まで、文王《序卦》の次序に依って一卦を一日に値させ、《乾》は甲子、《坤》は乙丑、《未済》は癸亥に値し、周に復して始まる。六回でちょうど三百六十日となり、坎・離・震・兌が二分二至に値する――これが焦延寿の法である。ある者は乾・坤・坎・離を鼓風の橐籥とし(橐籥とは風箱で、ただ鼓动を司り自らは流転に参与しない意を取る)、残りの六十卦を《序卦》の次序に依って一爻を一時辰に値させ、一ヶ月で一周を終え、また十二辟卦が各卦で一つの時辰を管領する――これが魏伯陽の法である。

有以六十卦,一爻主一日,《上經》起乾甲子,泰甲戌,噬嗑甲申,至離三十卦,而三甲盡。《下經》起咸甲午,損甲辰,震甲寅,至癸亥而終,亦三十卦。另以中孚小過既未濟,代坎離震兌,以應分至。每爻直十五日,以應二十四氣。此史繩祖之法也。

ある者は六十卦をもって一爻が一日を主らせ、上経は《乾》から甲子を起こし、《泰》は甲戌を起こし、《噬嗑》は甲申を起こし、《離》まで三十卦で甲子・甲戌・甲申の三輪の干支がちょうど遍く回る。下経は《咸》から甲午を起こし、《損》は甲辰を起こし、《震》は甲寅を起こし、癸亥で終わり、同じく三十卦である。別に《中孚》《小過》《既済》《未済》をもって坎・離・震・兌に代えて二分二至に応じ、各爻が十五日に値して二十四節気に応ずる――これが史繩祖の法である。

至邵康節以先天圖定卦氣,以復起冬至,姤起夏至,以乾坤坎離,分主二至二分。而張理又取邵子先天方圖,以冬至起復,至泰而正月,乾四月,否七月,坤十月。又以一陰一陽至六陰六陽分列,六陽處南,自下而升;六陰處北,自上而降,則又合漢宋為一家矣。《易占經緯》又以文王八卦,依邵子先天式列為圓圖,而以渙起冬至。紛紛不一。

邵康節に至っては先天図をもって卦気を定め、《復》をもって冬至を起こし、《姤》をもって夏至を起こし、乾・坤・坎・離をもって二至二分を分主した。元人の張理はまた邵子が六十四卦を方陣に排した先天方図を取り、冬至から《復》を起こし、《泰》に至って正月、《乾》は四月、《否》は七月、《坤》は十月とし、また一陰一陽から六陰六陽まで分列して、六陽は南辺に居り下から升り、六陰は北辺に居り上から降るとした。これで漢学と宋学を一家に合した。《易占経緯》はさらに文王の後天八卦を取り、邵子の先天図の様式に照らして円図に排し、《渙》をもって冬至を起こした。諸説紛紜として一様でない。

除焦氏為別立占法,非關卦氣;魏伯陽《參同契》,乃借《易》以演其丹經;邵子先天數,以《易》演其《皇極經世》,各自成一家,當從別論外,其餘皆模仿六日七分法以之推演者。雖具有條理,而按諸理數而無當,驗諸天時而不合。雖斥為無知妄作,亦未為不可。至因眾說之蕪雜,並卦氣而亦妄之,無乃矯枉而過其正歟!

そのうち焦延寿は別に一套の占法を立てたので卦気に関係なく、魏伯陽の《周易参同契》は《周易》を借りて彼の丹経を推演したもので、邵子の先天数は《周易》を用いて彼の《皇極経世》を推演したものである。この三家は各々派を成したので、別に論ずべきである。そのほかの説は皆「六日七分」の法を模倣して推演したものにすぎず、条理は備わっているが、理数に按ずれば妥当でなく、天時に験しても合わない。これを無知妄作と斥けても過分ではない。しかし衆説の蕪雑のために、卦気そのものまで一緒に妄誕と見なすならば、それは矯枉過正ではなかろうか。

月建積算

攻京氏之術,其占法所用月建,與近世術家之所謂月建不同。近以占日所隸節為月建,而京氏以爻直月,從世起建,佈於六位。惟乾坎二卦從初爻起,餘卦均從世爻起。如乾起甲子,坤起甲午,一卦凡六月也。積算則以爻直日,即從建所止起日,如姤之上九乙亥,即以乙亥起上九為一日,終而復始。一卦凡一百八十日。近則月為直符,日為傳符,以見於爻之卦支,合於日月者當之,與古法異矣。

京房の術を研治する者は知るべきである。京氏の占法に用いる「月建」は、近世の術家の言う月建と同じではない。近人は卦を起こした当日が属する節気をもって月建とするが、京氏は爻をもって月に値させ、世爻から建を起こして順次六つの爻位に布く。ただ《乾》《坎》の二卦のみ初爻から起こり、他の卦は一律に世爻から起こる。例えば《乾》は甲子から起こり、《坤》は甲午から起こる。一卦で都合六ヶ月を管する。「積算」は爻をもって日に値させ、月建が終止した所から日を起こす。例えば《姤》卦の上九は乙亥なので、乙亥をもって上九を起こして第一日とし、終わりてまた始まる。一卦で凡そ百八十日である。近人のやり方は月を「直符」、日を「伝符」とし、爻に納められた地支が日辰・月建に合するものを取って用いるので、古法と異なる。

蓋京氏之學,魏晉以後,已鮮傳人。至宋時,僅存《火珠林》之法。而所謂《火珠林》者,亦不詳其所自,未知撰述者何人。要之以錢代蓍,與近世所傳相近,而《火珠林》之書卒不可見。間有傳本,又鈔寫不同,未能確辨其真偽也。

もともと京房の学は魏晋以後伝習する者がほとんどなく、宋代に至っては《火珠林》の一路の方法のみが残った。しかしその《火珠林》というものも、その由来が詳らかでなく、撰述者が何人かも分からない。要するに銅銭をもって蓍草に代えるもので、近世に伝わる銭を振って卦を起こす法に近いが、《火珠林》という書は結局見ることができない。たまに伝本があっても、鈔写がそれぞれ異なり、その真偽を確かに弁別できない。

今所傳卜筮之書,大都出於唐宋之後。溯其淵源,終不出京氏世應飛伏之範圍。而取用分類,或視昔較繁。世事紛紜,孳乳遞演,累進無已。機械之用,尤日出不窮。故推算之術,往往今密於古。但按於理而可通,徵諸道而不悖者,正不妨變通以宜民,必執舊法以相繩無謂也。

今日伝わる卜筮の書は、大抵唐宋以後に出たものである。その淵源を遡れば、終に京氏の「世応」「飛伏」の範囲を出ないが、取用の門類は昔よりやや繁密である。世事が紛紜として代代滋生演化し、累進して止まず、機械器物の用途は特に日出に窮まりがないので、推算の術は往々にして今が古より綿密である。ただ理に按じて通じ、道に徴して悖らなければ、変通して民に便りを図るのを妨げることはない。必ず旧法に固執して一切を衡量するのは無意味である。

夕に惕れること若夤

《乾·九三》“君子終日乾乾夕惕若夤厲無咎”,舊本無“夤”字,後據《說文》所引補入。高郵王氏駁之,列舉五義,其說詳矣。然以卦象推之,乾九三爻即艮爻,《艮·九三》“艮其限列其夤厲熏心”,足以證乾九三之“夕惕若夤厲無咎”之“夤”字,決非《說文》所誤引,與後人傳寫之訛也。

《乾》卦九三の爻辞「君子は終日乾乾として、夕に惕れること若夤、厲けれども咎なし」について、旧本にはもともと「夤」の字がなく、後人が《説文解字》の引く《易》文に拠って補い入れた。高郵の王氏はこの補法を駁斥して五条の理由を挙げ、説は甚だ詳しい。しかし卦象から推求すれば、《乾》の九三の爻はまさに艮爻に相当し、《艮・九三》の爻辞は「其の限を艮し其の夤を列す、厲しくして心を薰す」であって、《乾》九三の「夕に惕れること若夤、厲けれども咎なし」の「夤」の字が、決して《説文》の引き違いでもなく後人の伝写の誤りでもないことを証明するに足る。

王氏以《文言》亦無“夤”字,為所據五證之最有力者。然傳以釋經,固未必全錄經文。“坤先迷後得主利”,而《文言》曰“後得主而有常”,亦無利字,豈足以證《坤·彖》“先迷後得主利”之“利”字為衍文乎?“夤”字於卦義爻義,均極有關係,當別為說以詳之。

王氏は《文言伝》にも「夤」の字がないことを、彼の五条の証拠のうち最も有力なものとした。しかし伝は経を釈するもので、もともと経文を全く写す必要はない。《坤》卦辞に「先に迷い後に主を得、利あり」とあるのに、《文言伝》は「後に主を得て常あり」と言うだけで「利」の字がない。これをもって《坤・彖》の載せる「先迷後得主利」の「利」の字が衍文と断定できるだろうか。「夤」の字は卦義・爻義に対して関係が極めて大きいので、別に専文を作って詳しく論説すべきである。

経を改めるの貽誤

《繫傳》“天一地二天三地四”至“所以神變化而行鬼神也”一節,原本在“《易》有聖人之道四焉”一節之前。下文所謂“參伍以變錯綜其數,通其變極其數”云云,皆根據於此。程子以之移在“大衍之數五十”之上,後人皆因之,遂將經文前後隔截,不相貫串,致發生二種錯誤。

《繋辞上伝》の「天一地二天三地四」から「所以に変化を成して鬼神を行わしむる」に至る一節は、もともと「《易》に聖人の道四なる者有り」の一節の前にあった。下文のいわゆる「参伍以て変じ錯綜其の数」「其の変を通じ……其の数を極む」などの語は、皆この節を根拠とする。程頤はこれを蓍策を用いるを講じる「大衍之数五十」の節の上に移し、後人は皆これに因って、本来連貫していた経文を前後に割断し、互いに貫串しなくなり、それによって二種の誤りが生じた。

其一,“參伍錯綜”二語;無所附麗輾轉相訛,異說滋多。來瞿塘之錯綜,張乘槎之參伍,其病根皆伏於此。其二,今“大衍之數五十”,因與“天地之數五十有五”不符,發生無數異議。其實天地之數自天地之數,大衍之數自大衍之數,本不相蒙。因經文移易之後,兩節相為聯屬,遂混兩說而一之,費無限辯論駁議,於經文無所發明。

その一、「参伍」「錯綜」の二句が依拠を失い、輾転に訛伝されて異説がますます多くなった。来知德が「錯」「綜」を講じ、張乗槎が「参伍」を講じたのは、病根が皆ここに伏している。その二、今の「大衍之数五十」は「天地之数五十有五」と合わないため、無数の異議を引き起こした。実は天地之数は一至十を加えて得た総数であり、大衍之数は揲蓍の時に実際に取用する蓍策の数で、両者は各々別の事で、もともと互いに関係しない。ただ経文の位置が一たび移動したため、二節が緊密に連なり、人は二つの説を混同して一つにしてしまい、限りない弁駁議論を空費して経文には何の発明もなかった。

此皆改經之流弊也。宋儒好擅改經文,貽誤後學實多,此特其一耳。至有明喬氏黃氏,及清任釣臺等,擅將《繫辭》顛倒錯亂,尤為無知妄作,要亦宋儒之有以開其先也。

これは皆勝手に経文を改めたために残された流弊である。宋儒は勝手に経文を改動するのを好み、後学を貽誤した所は実に多く、これはその一例にすぎない。明代の喬氏・黄氏および清代の任釣台らに至っては、勝手に《繋辞伝》を顛倒錯乱させ、特に無知妄作である。ただ追究すれば、やはり宋儒がその先を開いたのである。

九六

《周易》“用九用六”。“九”“六”二字,注《易》者立說不一。《正義》云:“陽爻稱九,陰爻稱六。”其說有二:一者乾體三畫,坤體六畫。陽得兼陰,故其數九。陰不得兼陽,故其數六。二者老陽數九,老陰數六。老陰老陽皆變,《周易》以變為占。揲蓍之數,九過揲則得老陽,六過揲則得老陰。少陽稱七,少陰稱八,皆不變,為爻之本體。老陽老陰交而後變,故為爻之別名。

《周易》の乾坤両卦の後には別に「用九」「用六」がある。「九」「六」の二字について、《易》に注する者の立説は一様でない。孔穎達《周易正義》は「陽爻は九と称し、陰爻は六と称す」と言い、その理由は二条ある。第一、乾の卦体は三条の整画で、坤の卦体は六条の断画である。陽は陰を兼含できるのでその数は九であり、陰は陽を兼含できないのでその数は六である。第二、老陽の数は九、老陰の数は六で、老陰老陽は皆変わり、《周易》は変爻をもって占とする。揲蓍の数に就いて言えば、過揲の策が九組に合すれば老陽を得、六組に合すれば老陰を得る。少陽は七と称し、少陰は八と称し、皆変動せず、爻の本体である。老陽老陰は交感して後変動するので、「九」「六」は爻の別名である。

邵子曰:“《易》有真數三而已。三天者三三而九,兩地者倍三而六。陰無一,陽無十。”楊氏萬里曰:“積天數之一三五曰九,積地數之二四曰六。”

邵康節は言う。《周易》の真の数は「三」一つだけである。「参天」は三個の三を乗じて九を得、「両地」は三に一倍を加えて六を得る。陰の中に「一」はなく、陽の中に「十」はない。楊万里は言う。天数の一・三・五を累加すれば九となり、地数の二・四を累加すれば六となる。

《朱子語類》:“奇陽體圓,其法徑一圍三而用其全,故少之為數三。偶陰體方,其法徑一圍四而用其半,故多之為數二。歸奇積三三為九,過揲四九為三十六。積三二為六,過揲四六為二十四。積二三一二為八,過揲四八三十二。積二二一三為七,過揲四七二十八。七八九六,經緯乎陰陽。陽進陰退,故九六為老,七八為少。陽極於九,退八而為陰。陰極於六,進七而為陽。占用九六而不用七八,取其變也。”

《朱子語類》は言う。奇数は陽に属し形体は円で、算法は直径一・周長三でその全数を取用するので、策数の少ない一分を三と算する。偶数は陰に属し形体は方で、算法は直径一・周長四でその半のみを取るので、策数の多い一分を二と算する。帰奇の数は三個の三を累加して九となり、過揲の数は四九三十六となる。三個の二を累加して六となり、過揲は四六二十四となる。二個の三に一個の二を加えて八となり、過揲は四八三十二となる。二個の二に一個の三を加えて七となり、過揲は四七二十八となる。七・八・九・六が交織して陰陽の経緯を成す。陽は前進を主り陰は後退を主るので、九・六を老とし七・八を少とする。陽は九に極まり、八に退けば陰となる。陰は六に極まり、七に進めば陽となる。占卦は九・六のみを用い七・八を用いないのは、それらが変わることを取るのである。

王氏夫之曰:“於象一二函三,三奇之畫一,全具其數。三奇而成陽,三三凡九陰。左一右一,中缺其一。三二而為六。”來氏之所謂“參天兩地”,即楊氏萬里說也。其餘諸家,大約宗孔義與朱說者為多。

王夫之は言う。象から見れば、一と二の中に三を函む。三条の奇画は各画が一で、完全にその数を具える。三条の奇画が合して陽となり、三三で凡そ九。陰画は左一段・右一段で中間に一段が欠け、三個の二を合せて六となる。来知德の講じた「参天両地」は、実は楊万里のあの説である。その余の諸家は、大抵孔穎達の義と朱子の説を宗とする者が多い。

王氏夫之雖似從《正義》第一說,而實較孔氏為精。蓋數極於九,本陰陽之所同具,故二九十有八變而成卦。陰之稱六,特虛其三耳。以推之象,則惟乾九坤六,震坎艮皆七,巽離兌皆八。此《易》之獨繫二用於重乾重坤之下歟?(《易》數稱奇偶,不曰單雙。奇圓偶方稱數而形已寓其中,乾圓坤方圓周三百六十為率分四象,限為九十度。圓內容方方邊自為六十度。此數理之自然。“圓”見《易數偶得》)

王夫之は《正義》の第一説に依るように見えるが、実は孔穎達より精緻に講じている。数は九を極とし、もともと陰陽が共に具えるものなので、二つの九、都合十八変をもって一卦を成す。陰が六と称されるのは、ただその中の三を虚にしただけである。この理をもって卦象を推せば、乾のみが九・坤のみが六で、震・坎・艮の三卦は皆七、巽・離・兌の三卦は皆八である。これがほとんど《周易》が「用九」「用六」の二条を重乾・重坤の下にのみ繋げた所以であろう(《易》の数は「奇」「偶」と称して「単」「双」とは言わない。奇は円・偶は方で、数を称すれば形はすでにその中に寓る。乾は円・坤は方で、円周は三百六十を率として四象に分け、各象限は九十度で、円内に容れる正方は各辺が自ら六十度を成す。これは数理の自然にそうである。「円」については拙著《易数偶得》を見よ)。

貞悔

爻有動靜,卦有貞悔。占例:內卦為貞,外卦為悔。靜卦為貞,動卦為悔。《春秋左氏傳》曰:“貞風也,悔山也。”此內貞外悔者也。貞屯悔豫,此靜貞動晦者也。向來講《易》家皆宗此說,朱子《啟蒙》言之尤詳。

爻には動静があり、卦には貞悔がある。占筮の通例は、内卦を「貞」とし、外卦を「悔」とする。変わらない卦を「貞」とし、変動する卦を「悔」とする。《春秋左氏伝》が占辞を記して「貞は風なり、悔は山なり」と言うのは、内卦を貞・外卦を悔とするもので、また「貞は《屯》、悔は《豫》」というのは、本卦を貞・之卦を悔とするものである。従来《易》を講ずる者は皆この説に遵っており、朱子《易学啓蒙》に言う所は特に詳しい。

而不知《易》之經文,已明明自舉其例。《坤·六三》曰“可貞”,明內卦之為貞也。《乾·上九》曰“有悔”,明外卦之為悔也。如《乾·初九·傳》曰“陽在下也”,《坤·初六·傳》曰“陰始凝也”,亦為陽九陰六自舉其例也。

しかし《周易》の経文そのものが、すでに明らかにこれらの義例を自ら挙げているのを知らない。《坤》卦六三に「貞にすべし」とあるのは、まさに内卦が「貞」であることを表明し、《乾》卦上九に「悔有り」とあるのは、まさに外卦が「悔」であることを表明している。また《乾・初九》の《小象伝》に「陽下に在るなり」とあり、《坤・初六》の《小象伝》に「陰始めて凝るなり」とあるのも、まさに経伝が「陽を九と称し陰を六と称す」ために自ら挙げた例証である。

先天卦位は邵子に始まらず

朱子以河圖洛書及先天卦位圓方各圖,弁於《周易》之首,為後世言漢學者所抨擊,幾於體無完膚。然趙宋以前,雖未有先天之圖,而乾坤坎離震巽艮兌之卦位,固早散見於漢人之《易》注。荀慈明之升降,虞仲翔之納甲,細按之殆無不與先天之方位相合。即以經文上下二篇之卦論之,《上經》首乾坤終坎離,非四正之卦乎?《下經》首上兌下艮之咸,上震下巽之恆,非四隅之卦乎?至《說卦》“天地定位山澤通氣”之一章,兩兩對舉者,更無論矣。

朱熹は「河図」「洛書」および先天卦位の円図・方図を一緒に《周易》の巻首に置いたので、後世の漢学を講ずる者に大いに撃撃され、ほとんど駁されて完膚なきに至った。しかし趙宋以前には、先天図はまだ画かれていなかったが、乾・坤・坎・離・震・巽・艮・兌の八卦が互いに相対する方位は、実はとっくに漢代の学者の《易》注に散見して保存されていた。荀爽(字は慈明)の講ずる「昇降」、虞翻(字は仲翔)の講ずる「納甲」は、細かく照合すればほとんど先天方位に合わない所がない。経文上下二篇の卦序だけに就いて言っても、《上経》は乾・坤で始まり坎・離で終わるが、これは先天図の「四正」の卦ではないか。《下経》は上兌下艮の《咸》卦で始まり、続いて上震下巽の《恒》卦であるが、これは「四隅」の卦ではないか。《説卦伝》の「天地位を定め、山沢気を通ず」の一章が八卦を両両相対して挙げるに至っては、いっそう言うまでもない。

乃漢學家必一概抹煞,謂經傳無乾南坤北離東坎西之文。然先王制禮,推本於《易》,固漢學家所公認焉。乾天坤地,離日坎月,亦漢學家所公認焉。《祭義》“祀天南郊,祭地北郊。朝日東門,夕月西門”,豈亦“帝出乎震”一章之方位乎?

ところが漢学家はこれらの線索を一概に抹殺して、経文・伝文に「乾南・坤北・離東・坎西」という字句は全くないと言う。しかし先代の聖王が礼制を定めるに《易》を根本としたことは、漢学家自身が公認している。乾を天・坤を地とし、離を日・坎を月とすることも、漢学家自身が公認している。《礼記・祭義》に「南郊に天を祀り、北郊に地を祭る。東門に朝日を拝し、西門に夕月を拝す」とある。天が南・地が北・日が東・月が西というこの方位体系は、まさか《説卦伝》の「帝は震より出ず」の一章の排す後天方位であろうか。それは分明に先天卦位である。

“河出圖洛出書”,明見於《繫傳》,是否即今所傳之河圖洛書?誠不敢必。但天地之數五位相得而各有合,既為孔子所明言;一六二七三八四九之位數,又為鄭康成揚子雲所列舉;而兩數之經緯錯綜,加減乘除,又極盡陰陽變化之妙,悉出造化之自然,非人力所能造作。乃亦以經所未載,訾議亦駁斥不留餘地?

「河より図出で、洛より書出ず」という言は明らかに《繋辞伝》に見えるが、それが今日伝わるあの二幅の「河図」「洛書」を指すかどうかは、確かに断定はできない。しかし天地之数が五位相配して各々合する所があるのは、孔子が《繋辞伝》に明らかに言ったことであり、一と六・二と七・三と八・四と九という方位数は、また鄭玄(字は康成)・揚雄(字は子雲)が列挙したことがある。そしてこの二組の数が縦横に錯綜して、加減乗除が至る所で轍に合い、陰陽変化の奥妙を極点まで発揮しているのは、全く自然造化そのものから出て、人力で捏造できるものではない。漢学家はただ経文に明言されていないというだけで、一味に毀訾駁斥して、少しの余地も留めない。

毛西河改河圖為天地生成圖,洛書為太乙九宮圖。夫此二名,詎為經文所載乎?鄭康成之爻辰,所謂子寅辰午申戌,亦經所未載。乃一則據為典要,一則斥為異端。豈得謂是非之平,黨同伐異之見,不能為賢者諱矣。

毛奇齢(号は西河)は「河図」を「天地生成図」と改名し、「洛書」を「太乙九宮図」と改名した。しかしこの二つの新しい名目は、まさか経文に載せられたものであろうか。鄭玄の「爻辰」説が乾卦の六爻に子・寅・辰・午・申・戌を配するのも、同じく経文にないものである。漢学家は鄭玄の爻辰を不易の準則と奉じながら、河図洛書を異端と斥ける。同じく経文に未載なのに取捨がこうも懸殊では、どうして評判が公平と言えよう。同党を偏袒し異己を攻撃するという成見は、たとえ先輩の賢者の身に出たとしても、彼らのために隠し立てできない。

許叔重《說文》云:“《秘書》日月為《易》,象陰陽也。”所謂“秘書”者,當時必有傳本。許與魏伯陽同時,決非指《參同契》也。杜預《春秋左氏傳集解後序》曰:“汲郡有發舊塚者,大得古書。《周易》上下篇與今本同。別有陰陽說,而無《彖》、《象》、《文言》、《繫辭》。疑於時仲尼造之於魯,尚未播之於遠國也。”由是觀之,《周易》上下二篇外,必尚有類於圖說之簡篇。漢時猶有流傳,或稱為“秘書”,亦未可知。

許慎(字は叔重)《説文解字》に「《秘書》は『日・月の二字が合して易の字を成す』と言い、陰陽に象を取ったものである」と言う。彼の引くこの《秘書》は、当時必ず別に伝本が世にあったはずである。許慎は魏伯陽と同時代の人で、指す所は決して魏伯陽の《周易参同契》ではない。杜預《春秋左氏伝集解後序》に曰く。「汲郡に古塚を発く者あり、大いに古書を得たり。その中の《周易》上下篇は今本と同じ。別に陰陽を説く書ありて、《彖伝》《象伝》《文言》《繋辞》なし。孔子が当時魯において十翼を作ったが、まだ遠方の国に伝播していなかったと疑われる」と。これによって見れば、《周易》上下二篇の外に、必ず図説の類に似た簡册があって、漢代にもなお伝わり、「秘書」と称されたことがあったかも知れない。

朱子謂“先天各圖,決非後儒所能偽造,必當初所本有,後來散佚,流入道家。至希夷傳出,得復還儒家之舊”云云,殊非無所見而云然也。後人或據劉長民之說,以九為河圖,十為洛書。或欲避先後天之名,以先天為伏羲八卦,後天為文王八卦;或以先天為天地定位圖,後天為帝出乎震圖。舍其實而鶩於名,是更可以不必矣。

朱熹は言う。「先天の諸図は決して後代の儒者が偽造できるものではなく、必ず当初に本有の物で、後に散失して道家に流入した。陳摶(号は希夷)がそれを伝出して、初めて儒門の旧物に復帰できた」と。この言は決して根拠のない懸揣ではない。後人に至っては、ある者は劉牧(字は長民)の説に拠り、九宮の数を「河図」、十数の図を「洛書」と称し、ある者は「先天」「後天」の二つの名目を避けようとして、先天を「伏羲八卦」・後天を「文王八卦」と改め称し、またある者は先天を「天地定位図」・後天を「帝出乎震図」と改め称した。これらは皆実質を捨てて名目で勝を争うもので、いっそう必要がない。

易学は王莽に厄す

易學於西漢為盛。乃至東京,幾成絕響。施孟梁丘三家之學,若存若亡。費氏高氏,亦罕傳述。至漢季始有馬鄭荀虞諸氏,繼緒而興。陸績劉表宋衷諸氏,均有撰著。然習費氏古文者為多。三家之《易》,僅虞翻延孟氏一線,餘子皆湮沒無聞矣。嘗疑東西二京,相去非遙,何以易學之驟然衰落,一至於是?此其中必有原因。

《易》学は西漢に極めて盛んで、東漢に至ってはほとんど絶響となった。施讐・孟喜・梁丘賀の三家の官学は、この時若存若亡で、費直・高相の二家も、伝述する者がほとんどいない。漢末に至って初めて馬融・鄭玄・荀爽・虞翻らが先緒を続けて再興し、陸績・劉表・宋衷らも各々著述があったが、彼らが研習したのは多くが費直の伝えた古文《易》であった。施・孟・梁丘の三家の《易》学は、虞翻の一系だけが孟喜の一線の血脈を延ばしているのみで、他の各家は皆湮没して聞こえなくなった。私は常に疑問に思う。西漢と東漢は相隔たること遥かでないのに、なぜ《易》学が驟然と衰落してこのような有様になったのか。この中には必ず原因がある。

嗣據金石家所探索,謂西漢無碑,因王莽惡稱頌漢德,故剷除殆盡。間有存者,非伏藏土中,或深埋窮谷,為搜剔所不及者耳。於是悟《易》注之亡,亦或莽之所為。蓋西漢易學既盛,而讖緯之說,又成俗尚。西京士大夫,往往侈言陰陽。觀馬班諸書所錄書疏,可見其概。莽初則利為己用,名位既成,惡而去之,乃勢所必然。竄改五經之作用,亦此物此志焉。

後に金石学家の考察を読んで、西漢一代にはほとんど碑刻が伝わらないのは、王莽が碑文に漢の功徳を称頌するのを悪み、それらを剷除して尽くしたためで、たまに留存するのも、土中に埋もれたか深山幽谷に深く埋もれたかして、捜剔の及ばないものにすぎないことを知った。これによって私は悟った。西漢の《易》注が亡佚したのも、おそらく王莽のやったことであろう。西漢の《易》学は盛んで、「讖緯」の説がまた一時の風尚となり、京城の士大夫は動もすれば大いに陰陽災異を談じた。司馬遷・班固の書に収録された奏疏を見れば、その一斑が窺える。王莽は初めはちょうどこの一套を借りて自らの勢いを作り、名位が手に入ると、反対にそれを悪んで剷除した。これは勢いの必然であり、彼が五経を竄改した用心も、同じ心の持ちようである。

又據《班書·儒林傳》,高相子康以明《易》為郎,王莽居攝。東郡太守崔誼,謀舉兵誅莽。事未發,康候知東郡有兵亂,私語門人,門人上書言之。後數月崔誼兵起,莽召問,對受師高康,莽惡之。以為惑眾斬康,亦足為莽摧殘易學之一證焉。行篋無書,他日當詳考之。

また班固《漢書・儒林伝》の記載によると、高相の子の高康は《易》学に通じて郎官となった。王莽が摂政の時、東郡太守の崔誼が兵を起こして王莽を誅することを謀ったが、事が未だ発しないうちに、高康は占候によって先に東郡に兵乱があることを察し、内々に門人に告げたが、門人は上書してこの事を告発した。数ヶ月後に崔誼は果たして兵を起こし、王莽は召して問うたが、その人は師の高康から聞いたと答えたので、王莽は彼を悪み、妖言衆を惑わすの罪で高康を斬った。これも王莽が《易》学を摧殘した一つの証拠として足る。私の行囊には書を携えていないので、他日詳しく考訂しよう。

嗚呼,《易》幸不亡於暴秦,乃厄於偽新。殆所謂美新劇秦也歟?(按:呂政不知書,故儕《易》於卜筮,不甚注意。而王莽則深於經學者也,知《易》道廣大,必為小人之憂。乃陽奉而陰沮之。一手遮天,直欲盡掩天下後世之耳目。諺曰:家賊之禍,倍烈於盜寇哉!)

ああ、《周易》は幸いにも暴秦の焚書に毀られなかったのに、反対に王莽の偽造した「新」朝に厄困された。これはほとんど揚雄の《劇秦美新》の一路、「暴秦を貶斥して新莽を讃美する」やり方の遺した悪果であろうか。(原按:秦始皇の嬴政は書を読まなかったので、《易》を卜筮の類に帰してあまり意に介せず、《易》はそれによって保全できた。王莽は経学に深く通じた人で、《易》道が広大であることを知り、必ず奸人の心腹の患となると考えて、表面では尊奉しながら陰では阻絶し、一手で天を遮って、天下後世の耳目を一緒に蒙らんと欲した。諺に言う。家賊の禍は、強盗より一倍烈しいと)

王弼は後生に誤られた

輔嗣說《易》,陳誼甚高。而文辭雋逸,超乎物外,故能得意忘象。司空表聖所謂超於象外得其環中者,其斯之謂歟?惟必超乎象之外,方可以忘象。如探驪龍之領而既得其珠,則龍亦廢物,更何論乎魚兔之筌蹄?

王弼(字は輔嗣)が《易》を説くに、立論の境界は甚だ高く、文辞は清雋にして飄逸、超然として物外にあるので、「意を得て象を忘る」――義理を領会したら卦象を脇に置くことができた。司空図(字は表聖)の《二十四詩品》の言う「象外を超えて環中を得る」は、ほとんどこのような境界を言うのであろう。ただ必ず真に卦象を超越してこそ、象を忘れることができる。驪龍の頷下の珠を探る者で、珠が既に手に入れば、龍そのものも无用の物となり、まして魚を捕る竹笱・兎を捕る網罟の類の工具をや論ずべきだ。

後之言《易》者,既畏象數之繁頤奧衍,莫窺其蘊,喜王氏之學,可以避去繁頤奧衍之象數而說《易》也。於是群焉奉之為圭顳,而又病輔嗣陳義之過高,未能企而及焉,乃曰此玄談也。非孔子之道,為王《易》之微疵焉。吾輩舍其短而取其長,斯盡善盡美白圭無玷矣。因之空談性命,不著邊際。但讀“一陰一陽之謂道”一句,卦爻盡屬贅疣。《彖》、《象》十翼,望文生義以解之,而《易》之能事畢矣。

後世に《易》を講ずる者は、もともと象数の学が繁賾奥衍でその底藴を窺えないことを畏れ、王弼の一路の学問を好んだ。それによって繁賾奥衍の象数を措いて《易》を説くことができるからである。彼らは群れをなして王弼を準縄と奉じながら、また彼の立義が高すぎて自分が及ばないことを嫌い、そこで言う。これは「玄談」で孔子の道に合わず、王氏の《易》学の小疵であると。我々はその短を舎ててその長を取れば、尽善尽美・白圭無玷であると。そこで一味に性命の理を空談して、全く辺際に着かない。ただ「一陰一陽之謂道」の一句を読むだけで、卦爻を皆余分の贅疣と見なし、《彖伝》《象伝》以下の十翼を望文生義に口を任せて解説し、《易》学の能事はすでに尽きたと思った。

不知王《易》之所以能掃象而仍無礙其說者,正惟其深得玄理,故能獨超乎意象之表也。乃以玄談為病而去之,則所存之不病者,皆糟粕耳。猶冥然自侈為輔嗣之功臣,致令後世宗漢《易》者以掃象為王氏罪,曰“輔嗣學行無漢《易》”,輔嗣豈任受哉?

彼らは明らかにしない。王弼の《易》が卦象を掃除してもなお説が立つのは、まさに彼が玄理を深く得て、独自に意と象の表を超越できたからである。今「玄談」を病みとして剔除すれば、残った「病まない」部分は皆糟粕となる。この輩はまだ懵々として自ら王弼の功臣を誇り、結果として後世の漢《易》を尊ぶ学者に「象を掃った」罪を王弼の帳簿に記させ、「輔嗣の学が行われて漢《易》が絶えた」と言わせるに至った。この罪名を、王弼がどうして任じ受けることができよう。

《坤・彖》の三「無疆」

《坤·彖傳》“坤厚載物德合無疆”,“牝馬地類行地無疆”,“安貞之吉應地無疆”。《程傳》雖已分晰言之,殊未悉當。郭氏云雍曰:“坤合乾德之無疆,馬行類地之無疆,聖人應坤之無疆。”

《坤卦・彖伝》に三度「無疆」が現れる。一は「坤の厚くして物を載するは、徳合して疆なし」、二は「牝馬は地の類、地を行ること疆なし」、三は「安貞の吉、地に応じて疆なし」である。程頤《伊川易伝》はすでに分けて解説したが、必ずしも皆妥当とは言えない。郭雍(字は子和、世に白雲先生と称す)は言う。第一の所は坤徳が乾徳の無疆に契合することを言い、第二の所は牝馬の行が地の無疆に取法することを言い、第三の所は聖人が坤の無疆に感応することを言う。

邱建安富國曰:“德合無疆,乾之無疆也。行地無疆,坤之無疆也。應地無疆,君子之無疆也。無疆,天德也。地能合天之德。君子法地,地法天。”郭邱二說,似較《程傳》為勝。此與“大哉乾元”“至哉坤元”“元者善之長也”三“元”字,為例正同,所謂三才之道也。

建安の人邱富国は言う。「徳合して疆なし」は乾の無疆を言い、「地を行ること疆なし」は坤の無疆を言い、「地に応じて疆なし」は君子の無疆を言う。無疆はもともと天徳で、地は天の徳に契合し、君子は地に法り、地はまた天に法る。郭雍・邱富国の二つの解釈は、《伊川易伝》より勝れているようである。この三つの「無疆」の用法は、《易》中の「大なるかな乾元」「至れるかな坤元」「元は善の長なり」の三つの「元」の字が天・地・人に分属する体例と全く同じで、いわゆる天地人の「三才」の道を貫くものである。

字義に広狭の分あり

經傳用字,往往含有廣狹二義。如天,以狹義言之,則與地對。而廣義之天,則廣大無垠,非地可並擬者也。如陽之狹義,則與陰對,而廣義則陽可統陰,陰生於陽,非陰可同論矣。如乾之狹義,則與坤對,而廣義則乾可包坤。乾之一卦,實統轄乎六十四卦。上下篇六十四卦,為三十六卦之反覆,實得二百一十有六爻,為重乾一卦之策。如坤之百四十有四策,悉歸納於乾之內矣。此意義廣狹之最顯者也。

経文と伝文の用字は、往々にして広・狭の二層の意味を兼含する。「天」の字を取って言えば、狭義の天は地と対する天である。広義の天は広大にして垠がなく、地が並んで拟すことができるものではない。「陽」の字も同じで、狭義の陽は陰と対し、広義の陽は陰を統摂できる。陰はもともと陽から生じたので、陽と等量斉観できない。「乾」の字も同様で、狭義の乾は坤と対し、広義の乾は坤を包含できる。乾の一卦は、実は六十四卦を統轄する――上下篇の六十四卦は三十六の卦体が正反覆して成ったもので、実に二百十六爻を得、ちょうど重乾一卦の策数に等しい。こうなれば坤卦の百四十四策も、すべて乾の中に帰納される。これが字義の広狭の別の最も顕豁な例である。

若更進一層言之,則廣義狹義之中,又各有大小或淺深精粗之不同,非詳察其上下之文義,及所聯綴之名詞。逐字剖析,則與經傳之本意,便大有出入。往往因一字之牽連混合,而誤會經旨,輾轉謬誤,歧中又歧,遂致乖戾不可究詁。

さらに深く一層言えば、広義の中にさらに大小があり、狭義の中にも深浅精粗の差別がある。もし上下文の語意脈絡およびそれと連綴する名詞を仔細に体察し、字ごとに剖析して明らかにしなければ、解したものは経伝の本意と大いに出入りする。往々にして一字の牽連混淆のために全経の宗旨を誤会し、輾転訛伝して一歧再歧となり、最後には乖謬して考求できなくなる。

如道德等,皆經傳中最主要之字也,而道字之意義,其範圍廣狹大小,各各不同。老子曰“有物無形先天地生,無以名之強名之曰道”者,此道字範圍最大。乃立乎天地之先,孕育萬有之根。此先天之道,無可比擬也。《易》以有立教,從“《易》有太極”說起。故《易》之道,皆一陰一陽之謂道,此《易》中道字廣義之界說也。

例えば「道」「徳」の二字は、皆経伝の中で最も肝要な字だが、単に「道」の字だけに就いて論じても、その範囲は大小各々異なる。《老子》に言う。「一つの物があって形体がなく、天地に先んじて生まれ、それを呼ぶ術がないので、強いて名を取って『道』とする」と。この「道」の字の範囲は最大で、天地生成の先に立ち、万有を孕育する根本で、先天の道に属し、比擬できるものがない。《周易》は「有」の上に教を立てるので、口を開けば「《易》に太極あり」である。だから《易》の言う道は、皆「一陰一陽之謂道」のあの道で、これが《易》の中の「道」の字の広義の界説である。

經文“道”字凡四見,皆屬此義。《十翼》中如“未失道焉”,“道大悖也”,“其道光明”等道字,皆廣義也。其狹義者,如“天道”“地道”“人道”“君子之道”“小人之道”是也。而“夫婦之道”、“陰陽之道”、“三極之道”,則又狹隘義中之廣義矣。

経文の中で「道」の字は合計四度現れ、皆この広義に属する。《十翼》の中では、「道を失わざるなり」「道大いに悖れるなり」「其の道光明なり」などの「道」の字も皆広義である。狭義の用法に至っては、「天道」「地道」「人道」「君子之道」「小人之道」の類である。そして「夫婦之道」「陰陽之道」「三極之道」は、さらに狭義の中の相対的に広い一層である。

德字如“通神明之德”,德之盛也。“和順於道德”之“德”字,皆廣義之德也。如“陰陽合德”、“位乎天德”、“而德不孤”之“德”字則狹義矣。但無論廣義狹義,又各有內外之別。如健順動入為卦德,乃德之見於外者,為才德之德,如“三陳九德”之德(即“履德之基也”一章),及“進德修業”“神明其德”等德字,乃德之蓄乎內者,為“道德”之德。類乎此者,不勝枚舉。非極深研幾,逐字衡量而剖析之,則差以毫釐,謬以千里矣。

「徳」の字も同じである。「神明の徳を通ず」「徳の盛んなり」「道徳に和順す」の数カ所の「徳」は皆広義の徳で、「陰陽徳を合す」「天徳に位す」「徳孤ならず」の数カ所の「徳」は狭義の徳である。しかし広義狭義を問わず、さらに各々内外の別がある。健・順・動・入のごとき八卦の性情――乾は健・坤は順・震は動・巽は入――は「卦徳」と呼ばれ、徳が外に顕れた面で、「才徳」の徳に属する。《繋辞伝》が三度陳説する九卦の徳(すなわち「履は徳の基なり」の一章)および「徳を進め業を修む」「其の徳を神明す」などの「徳」の字は、徳が内に蘊蓄する面で、「道徳」の徳に属する。この類の例は挙げ尽くせない。「極深研幾」は《繋辞伝》の言葉で、極めて隠微な処まで鑽研することを言う。このような功夫を下さず、字ごとに権衡剖析しなければ、毫厘を差して千里を謬ることになる。

此猶就一字言之,更有兩字互相為用。而彼此迭相發明者,如《乾·九五》曰“位乎天德”,《坤·六三》曰“地道光也”。此“道”“德”二字,實互相關聯。各卦之類此者,亦不勝枚舉。蓋聖人作《易》,實與造化同功。其神妙不可思議,而文字亦非常理可以測度。故有以非同一之字,而以形聲之相同而通之為一者,如弟娣梯涕、爤籣連漣之類是也。即有以同一之字,同一意義,而大小內外分際各殊,絕不相假借者,二四三五同功異位,同人以同而異,睽以異而同,神而明之,存乎其人,先聖已一言以蔽之矣。

以上はまだ単字について言ったにすぎない。さらに二つの字が互いに用を成して、彼此迭々発明する者がある。例えば《乾卦・九五・文言》に「天徳に位す」と言い、《坤卦・六三・象伝》に「地道光なり」と言う。乾は徳を言い坤は道を言う。この「道」「徳」の二字は、実に互いに関連し交錯して義を取る。各卦の中のこの類の例も数え尽くせない。聖人が《易》を作るに、その功用は造化と同じく、神妙にして思議すべからざるもので、用いる文字も常理で揣測できるものではない。だからもともと同じ字でないのに、形体と声音が同じために通用して一つとなる者があり、「弟・娣・梯・涕」「爤・籣・連・漣」の類がそれである。すなわち明らかに同じ字・同じ意義であっても、大小内外の分際が異なって、絶対に通假しない者もある。二爻と四爻・三爻と五爻は「同功にして位を異にし」、《同人》卦は「同」によってその「異」を見、《睽》卦は「異」によってその「同」を見る。この間の分際は、まさに《繋辞伝》の言う「神と明とは其の人に存る」で、先聖はすでに一言をもってこれを蔽い尽くしたのである。

因革

澤火革,《彖傳》曰“水火相息二女同居其志不相得曰革”,“湯武革命順乎天而應乎人”。《序卦傳》曰“井道不可不革”,《雜卦傳》曰“革去故也”,《易》之言革也著矣。而言因無專文,讀者胥不甚注意,不知有革必有因。天下萬事萬物,無事無因,無物無因,故六十四卦,皆因而重之。因而重之而爻在其中,剛柔相推而變在其中,變則革矣。因與革皆在其中中爻,因與革皆人所為。故尤在中爻中之三四兩人爻。

沢火《革》卦の《彖伝》は言う。「水火は相息し、二女同居して其の志相得ず、之を革と曰う」。また「湯武は命を革するに、天に順い人に応ず」と言う。《序卦伝》は「井の道革まざるべからず」と言い、《雑卦伝》は「革とは故を去るなり」と言う。《易》が「革」を講ずるのは十分に顕豁である。しかし「因」には専門の文字がなく、読者は大抵留意しないが、実は革があれば必ず先に因があることを知らない。天下の万事万物に、因る所のない一事も一物もない。だから六十四卦は皆「因りて之を重ぬ」――八経卦を因襲して重ねて六十四卦とする。因りて之を重んずれば、六爻はその中にあり、剛柔が互いに推移すれば変化はその中にあり、変化があれば革である。因と革は皆一卦の中間の数爻に落ち、因と革は皆人の為す所なので、殊に中爻の中の三・四の二つの「人爻」に落ちる。

《乾·九四·傳》曰“乾道乃革”,三爻《傳》曰“因其時而惕”。蓋重乾二與四是恆乾,三與五是咸乾。三爻居恆乾之中,恆“不易方”,不易因也。四居咸乾之中,咸為恆之反,則不易者易,革也。

《乾卦・九四・文言伝》に「乾の道乃ち革む」とあり、九三の《文言伝》に「其の時に因りて惕る」とある。一カ所は革を言い、一カ所は因を言う。もともと重乾一卦の中で、二爻から四爻までの一段は「恒乾」に属し、三爻から五爻までの一段は「咸乾」に属する。九三は「恒乾」の中位に居り、《恒卦・象伝》の講ずる「君子は立ちて方を易えず」、常を守って改めないのが「因」である。九四は「咸乾」の中位に居り、《咸》はまさに《恒》を反覆した卦なので、もともと改めない者が改まる、それが「革」である。

乾三爻天五數,四爻地六數。天五地六,相乘為三十。革古文從三十,三十年為一世。四與初應,初不易乎世,至四則易世。易世,革也。五六於干支為戊己,故革曰“己日乃革”。以三四重剛不中,變則為中孚,故革曰“己日乃孚”。明乎革而因可知矣。《論語》“殷因於夏禮周因於殷禮”,明乎因而革可知矣。

爻数に就いて言えば、乾卦の第三爻は天数の五に属し、第四爻は地数の六に属す。天五と地六は相乗じて三十を得る。「革」の字の古文はまさに「三十」に従い、三十年を一世とする。四爻は初爻に応じ、初九の《文言》は「世に易えられず」と言い、世俗に改易されない。四爻に至れば「世を易う」、一世を改易するのが革である。五・六の二数は天干で戊・己に配するので、《革》卦は「己日に乃ち革む」と言う。また三・四の両爻は重剛にして中に居らず、一変すれば《中孚》卦となるので、《革》卦はまた「己日に乃ち孚あり」と言う。革を明らかにすれば因も推知でき、《論語》の「殷は夏の礼に因り、周は殷の礼に因る」を明らかにすれば、革も推知できる。

乾坤は《易》の門

《繫傳》:“乾坤其《易》之門邪?是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,一闔一闢謂之變。”案:天地數,天一始北方坎,地十終西方兌(坎子一,艮丑寅二三,震卯四,巽辰己五六,離午七,坤未申八九,兌酉十,乾戌亥無數。),而乾無數。乾圓周流坤方,西北不掩,是為不周。故八風於西北為不周風。西北娵訾口,亥東闢。闢,閉也,是閉戶謂之乾也。

《繋辞伝》に「乾坤は其れ《易》の門か。故に戸を闔すを坤と謂い、戸を闢すを乾と謂い、一闔一闢を変と謂う」とある。按ずるに、天地之数に就いて言えば、天一は北方の坎に始まり、地十は西方の兌に終わる(坎は子で数一、艮は丑・寅で数二・三、震は卯で数四、巽は辰・巳で数五・六、離は午で数七、坤は未・申で数八・九、兌は酉で数十、乾は戌・亥に居って数なし)。ただ乾のみ配数がない。乾は円で、坤の方位の上を周流して、西北の一角で掩い合わさらない。これを「不周」というので、八風の中で西北の一風がまさに「不周風」と名づく。西北は十二次の「娵訾の口」に当たり、亥位の東を「闢」という。「闢」はここでは閉に訓するので、門を閉じるを乾と言うのである。

坤西南括囊,天地閉,天地建侯數七十二(五日一候,一年七十二候)。四隅方數,西南未申八九,合七十二,為天地包象。東北丑寅二三,成六。東南辰己五六,成三十,皆坤用數六。坤地數,三十包之(南極入地三十六度。北極出地三十六度),為地坤囊包藏萬物之象,是闔戶謂之坤也。乾戶闢而開物成務,自無出有,坤戶闔而萬物歸藏。自有入無,天地門戶,出入於東西亞卯亞酉震兌,得乾坤之門,而《易》道始可言矣。

坤位は西南にあり、「括嚢」を象する――袋の口を緊く括る、天地が閉塞する。天地の建候の数は七十二(五日を一候とし、一年は凡そ七十二候)。四隅の方位数に就いて言えば、西南の未・申は八と九で、相和して七十二となり、まさに天地包容の象である。東北の丑・寅は二と三で、相乗じて六を成す。東南の辰・巳は五と六で、相乗じて三十を成す。皆坤の数六を用いる。坤は地数に属し、三十をもって一切を包裹する(南極は地に入ること三十六度、北極は地より出ること三十六度)。まさに大地が袋のごとく万物を包蔵する象で、門を閉じるを坤と言うのである。乾の門は闢いて開物成務し、無の中から有を生じ、坤の門は闔して万物が各々蔵に帰し、有から無の中に入る。天地のこの二扇の門戸は、出入が皆東西の両端にある――卯位に次ぐ震と酉位に次ぐ兌である。乾坤のこの道の門を把捉して、初めて《易》道を講ずることができる。

乾坤列を成す

庖羲畫卦以象天地人物,而代結繩之治。然畫契未興,又未有方策帛書之制,則所賴以紀錄者,要不外以石質之刀錐,刻畫於竹簡,或皮革之上耳。故曰“畫卦”。考古人簡策之制,皆狹而長。庖羲之畫卦,未必如後世八卦六十四卦之方圓各圖,故《繫傳》曰“乾坤成列”。“成列”雲者,必以乾坤分列二行。而兌離震,巽坎艮,或以類從。

伏羲が卦を画いたのは、天地人物に象を取って結縄記事の旧いやり方に代えるためであった。しかしあの時は刻契の技術が未だ興らず、簡册・帛書の類の制度もなかったので、憑借できる記録手段は、所詮石質の刀錐をもって竹簡あるいは皮革の上に刻畫するだけであった。だから「画卦」と言う。古人の簡策の形制を考察すれば、皆狭くて長い。伏羲が当初卦を画いた時、必ずしも後世のように八卦・六十四卦の円図・方図に排してはいなかったので、《繋辞伝》は「乾坤列を成す」と言う。「列を成す」と言う以上、必ず乾・坤を二行に分けて排し、兌・離・震は乾に従い、巽・坎・艮は坤に従い、各々その類に依って相従したのである。

三代時八卦排列如何,固不可考。而自秦漢以迄五代諸家之《易》,則均無八卦六十四卦之圖。故邵子學《易》數年,未得要領。及師事李挺之,挺之授以乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八之數,始恍然大悟。先天之學,即由是發明。一部《皇極經世》,無非此一二三四五六七八所推衍。可知邵子以前之《易》,其八卦之排比,皆為行列,而未有此八角形之方式也。

夏・商・周の三代の時、八卦がどう排列したかは、固より考証できない。しかし秦漢から五代まで、各家が《易》を講ずるに八卦・六十四卦の図がなかったことは確かである。だから邵雍は《易》を学ぶこと数年、ずっと要領を摸えなかった。李之才(字は挺之)に師事するに及び、李之才が彼に乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八の一組の次序数を伝えて、彼は初めて恍然と悟り、先天の学はこれによって発明された。天地歴数・古今治乱を推演する一部の《皇極経世》は、全てこの一・二・三・四・五・六・七・八を推衍したものに他ならない。これによって邵雍以前の《易》学では、八卦の排比は皆行列の形を成し、後のような八角形の図式はなかったことが分かる。

“帝出乎震”一章,雖明言八卦方位,而當時亦未必有圖。故漢人之言《易》者,或以乾坤列東,艮兌列南,震巽列西,而坎離處中,無一定之方式。然其升降、消息、納甲諸說,實已為先天八卦之端倪。是以邵子聞李氏一言,即能觸類旁通而發其神悟也。顧李挺之氏亦必有所受,故朱子疑三代以前所本有。後經散佚而流入道家者,雖為臆度之辭,亦或有可信之理也。

《説卦伝》の「帝は震より出ず」の一章は、八卦の方位を明らかに講じているが、当時も必ずしも図があったとは限らない。だから漢代に《易》を講ずる者は、ある者は乾・坤を東に列し、艮・兌を南に列し、震・巽を西に列し、坎・離を中に処らせて、一定の格式がなかった。しかし彼らの講ずる「昇降」(爻位の上下昇降)・「消息」(陽長陰消・陰長陽消)・「納甲」(十干を八卦に配する)の諸説は、実はすでに先天八卦の端倪を透けて見せていたので、邵雍は李之才の言を一聞すれば、類に触れて旁通し豁然として神悟できたのである。さらに李之才自身にも必ず別に師承があったので、朱熹が先天図は三代以前に本有の物で後に散失して道家に流入したと疑ったのは、推測の辞とはいえ、必ずしも信ずべき理がないわけではない。

一生二、二生三

天地之數,一生二,二生三。老子曰:一生二,二生三,三生萬物。蓋物一者自無而有,未為數也。至二而成數矣,然猶為一奇一偶之名,而未著乎數之用也(近世俗語尚有以二為一雙為一對者。由今以溯古,其意可想見矣。)。至三,則數之用生。以此遞衍,可至於無窮。故一不用,二為體,三為用。

天地之数は、一が二を生み、二が三を生む。《老子》に言う。「一生二、二生三、三生万物」。およそ「一」というものは、無から有に至り、浑然として自ら一つの整体を成し、それ自体はまだ数とは言えない。「二」に至って初めて数を成すが、この時もまだ一奇一偶の二つの名目にすぎず、数の作用は未だ顕れない(今日の口語でも「二」を一双・一対と呼び、依然として二つを一つの整体として見ている。今から古に遡れば、古人の意は想見できる)。「三」に至って初めて数の作用が生じ、これに依って推して衍けば、無窮に至ることができる。だから「一」は用を起こさず、「二」は体であり、「三」こそ用である。

《易》有太極一也,陰陽二也,陰陽之用三也(二其三用六,三其三用九。)。如六爻皆一乾也,六爻皆一坤也,而動則或為○或為X,必用其一。如六爻皆變為○,則乾變為坤。然此六○之坤,與六- -之坤,其占不同。是由二而生三矣。

「《易》に太極あり」は一であり、太極が陰陽に分かれるのは二であり、陰陽の功用は三である(二に三を乗じて六を得、これが老陰の用。三に三を乗じて九を得、これが老陽の用)。例えば六爻が皆陽なら一つの乾であり、六爻が皆陰なら一つの坤である。しかし一たび爻が動けば、或いは「○」(陽が陰に変わる)と画き、或いは「X」(陰が陽に変わる)と画き、必ずその一を択用しなければならない。もし六爻が皆変わって皆「○」となれば、乾は坤に変わる。しかしこの六つの「○」から変わった坤と、本来六画が皆陰の坤とは、占断が同じでない。これが二から三が生じる所以である。

是故《易》之道備於三(由天生地,一生二也。由地生人,二生三也。非人則天地之功用不彰,故曰與天地參。),卦畫止於三,數之體也。爻以靜為一,動為二,用為三。數之用也,有一即有二,有二必有三,乃天地自然之理,自然之數,所謂先天而天不達者也。《乾鑿度》曰:“《易》一名而含三義。交易也,變易也,不易也。”鄭康成氏《易論》云:“易簡一也,變易二也,不易三也。”

それゆえ《易》道は「三」に備わる(天から地を生ずるは一生二、地から人を生ずるは二生三。人がなければ天地の功用は顕れないので、《中庸》は人は天地と三を並ぶと言う)。八経卦の卦画は三画に止まり、これが数の体である。一爻は静を一、動を二、発用を三とし、これが数の用である。一があれば二があり、二があれば必ず三がある。これは天地自然の理・自然の数で、すなわち《乾卦・文言》の言う「先天にして天も違わず」――聖人が天時に先んじて動いても、天も彼に違わない。《易緯乾鑿度》に言う。「《易》は一つの名にして三義を含む。交易・変易・不易である」と。鄭玄(字は康成)《易論》に言う。「易簡は一、変易は二、不易は三」と。この三層の意味は、まさに上文の言う一・二・三と互いに対応する。

聖人以《易》立教,其道亦有三。上焉者道也,中焉者德也,下焉者占卜也。老子取其上,孔子取其中,焦京取其下,三者各有其用,而不相悖,且互相發明而不可離(道不准諸象數則失其鵠,德不原於道則失其統。占卜不合乎道德,則惑世誣民而已矣。)。後之學者,擇其一以為宗,而嚴立界說以明系統則可,若入主出奴,不揣其木妄自尊大,而排斥異己。執一不化,欲求其通也難矣。

聖人が《易》をもって教を立てるに、その道もまた三層に分かれる。最上の一層は「道」であり、中の一層は「徳」であり、最下の一層は「占卜」である。老子はその上を取り、孔子はその中を取り、焦延寿・京房はその下を取った。三者は各々その用があり、彼此悖らず、しかも互いに発明して離れられない(道を講じて象数を準則としなければその鵠を失い、徳を講じて道に本づかなければその統を失う。占卜が道徳に合しなければ、ただ世を惑わし民を誣うのみである)。後の学者は、その一一層を択んで宗旨とし、厳に界説を立てて自分の系統を明らかにするのは許される。もし入主出奴して、自分の根柢を量らずに妄自尊大し、異己を排斥して、一端に執着して変通を知らなければ、貫通を求めるのは難しい。

孔子立教,雖為中人說法,然正所以立德以明道,以為下學上達之階梯。故《十翼》傳經,無一字一言不根據於象數(法象莫大乎天地,必合乎法象者,乃謂之法言者。經非先王之法言不敢言,非先王之法行不敢行,法言法行皆合乎天地法象者也。故曰“建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑”。)。若舍法象以為言,則詩書執禮所雅言者,其為教焉詳矣。又何必韋編三絕,為此鉤深致遠之辭乎?子貢曰“夫子之文章可得而聞,”凡立言必有合乎法象者,乃謂之文章。孔子特於《易》象闡發之,以為萬世之準,此為學《易》者所不可不知者也。故論及之。

孔子が教を立てるに、中等の資質の人のために説法したとはいえ、まさに人に徳を立てて道を明らかにさせ、下学して上達する階梯とするためである。だから《十翼》が経を伝えるに、一字一言でも象数に根拠しないものはない(取法すべき象は天地より大きいものはなく、およそ法象に合う言を「法言」と言う。先王の法言でなければ敢えて言わず、先王の法行でなければ敢えて行わず、法言法行は皆天地法象に合するもので、だから《中庸》は「天地の間に建てて悖らず、鬼神に質して疑いなし、百世を俟ちて聖人出でて惑わず」と言う)。もし法象を措いて立論するなら、《詩》《書》《礼》など孔子が平日に講じた内容は、教誨がすでに十分詳しい。どうして竹簡を繋ぐ革紐が三度切れるほどに《易》を読み、これらの鉤深致遠の言を書き記す必要があろうか。子貢は「夫子の文章は得て聞くべきなり」と言った――およそ立言は必ず天地法象に合するもので、初めて「文章」と称するに足る。孔子は特に《易》象においてこれを闡発し、万世の準則としたので、これは《易》を学ぶ者が知らないわけにはいかない。ゆえにここに論列する。

祭祀

《易》之言“祭祀”“享祀”,均含有二義。一為祭神祀鬼,此祭祀之本義也。一為人群之集會,以謀一群公共之事,亦以祭祀行之。蓋古人風氣淳樸,而庶民之家,又無廣庭巨廈,足以為集會之地者。故凡有會議之事,往往藉祭祀以行之。一鄉一邑之事,則集之於社。一家一族之事,則集之於宗廟。所謂“利用祭祀”,“利用享祀”,及“孚乃利用禴”等象,不盡為禱祀求福,實含有會集群眾之意焉。

《周易》に言う「祭祀」「享祀」は、皆二層の意味を含む。一つは神を祭り鬼を祀ることで、これが祭祀の本義である。もう一つは人群の集会で――一群の人の公共の事務を商議するために聚まるのも、祭祀の名義を借りて行う。もともと古人の風気は淳樸で、百姓の家には広い庭や高い屋宇がなく集会の地とすることができなかったので、およそ議事があれば、往々にして祭祀に借りて行った。一郷一邑の事は社壇に聚まり、一家一族の事は宗廟に聚まった。だから《困》《萃》の諸卦の言う「祭祀を用うるに利し」「享祀を用うるに利し」、および《既済》九五の「孚あれば乃ち禴を用うるに利し」(「禴」は四時の祭の中で最も簡薄な一種)という爻象は、皆禱祀して福を求めるだけではなく、実に衆を会集する意を含んでいる。

降及後世,厲行專制政治,普通人民,更不容有公然集會之事。幸有此祭祀成例可援,得藉事神為合群自衛之一道(上以神道愚民,民以神道自衛,可見“無平不陂”。《易》道之妙用,即寓於其間矣。)。近如各鄉之有社廟,各業與僑民之有會館,無不以祭祀為集合群眾之介,猶足以覘《易》之遺意焉。

後世に至って専制政治が厳行され、普通人民は公然と集会することがさらに許されなくなり、幸いに祭祀という成例を援用して、神明に事えることを借りて聚合自衛の一つの門路とした(上に在る者は神道をもって民を愚弄し、民もまた神道をもって自らを守る。《泰》卦九三の「平らかなりて陂らざるなし」という言の道理が見える。《易》道の妙用はまさにこの中に寄寓する)。近世は各郷に社廟があり、各行业と外地に僑居する同郷人に会館があり、皆祭祀をもって群衆を聚集する媒介とする。ここから《易》の遺意を窺うことができる。

典礼

《繫傳》:“聖人有以見天下之動,觀其會通以行其典禮,是故謂之爻。”“典禮”者,乃所以處斷萬事萬物之一切制度之謂也。故古聖王之所以治天下也,大而禮樂政刑,小而訓詁名物,無不下順民情。而上合法象,法象莫大乎天地,民受天地之中以生,能合乎天地法象者。民情自無不順。故謂之典禮。典者守也,禮者履也。必能會通乎天人,然後足以昭信守而見履行。

《繋辞伝》は言う。「聖人は天下万物の変動を見て、その中の会合貫通する処を観察し、もって典章礼制を施行したので、これを『爻』と名づけた」と。いわゆる「会通」とは、紛紜とした変動の中に共に循うべき通則を見出すことであり、いわゆる「典礼」とは、万事万物を裁断するための一切の制度である。だから古代の聖王が天下を治めるに、大は礼・楽・政・刑から、小は名物訓詁に至るまで、下は民情に順い、上は法象に契合しないものはなかった。取法すべき象は天地より大きいものがなく、《左伝》は百姓が天地中和の気を禀けて生まれたと言う。およそ天地法象に合い得るものには、民情は自ずと順服しないことはないので、これを「典礼」と称する。「典」は守持すること、「礼」は践履することである。必ず天と人を会通できて、初めて守る所を昭示し、履き行うことに顕すに足る。

孔子之周,問禮於老聃,即此禮也。蓋周自東遷而後,文武之道載於方策者,散佚殆盡。諸侯惡其害己焉,皆毀之以自便。孔子周流列國,雖得百二國之寶書,要皆屬各國之歷史故事,而所謂典禮者,迄不可得,故不得不求諸老聃。老氏世掌周史,耳熟能詳。先王之典禮,不啻若自其口出,而提綱挈領,鉅細畢賅,則莫備於《易》。

孔子は周の都に赴いて老聃に礼を問うたが、問うたのはこの礼である。もともと周室が東に遷って以後、典册に記載された文王・武王の道は大抵散逸して尽きた――諸侯はそれが自分の妨げになるのを嫌い、思い切って毀って便宜を図った。孔子は列国を周遊して、百か国余りの諸侯国の珍藏典籍を見はしたが、それらは大抵各国の歴史掌故で、真のいわゆる「典礼」は終始得られなかったので、やむなく老聃に教えを求めた。老氏は代代周朝の史官の職を掌り、これらに耳に熟し詳しく、先王の典礼はまるで彼の口から直に流れ出るごとくであった。そして提綱挈領・巨細兼備を論ずれば、《易》より完備なものはなかった。

孔子受之,極深研幾,得其會通,又慮觸當世諸侯之忌也。正言之不可,乃寓微言於《十翼》之中。所謂“其稱名也小,其取類也大。其旨遠,其辭文。其言曲而中,其事肄而隱”者,非夫子之自道邪!於是更廣其旨以修《春秋》,刪《詩》、《書》,訂《禮》、《樂》,而古先聖王之典禮,乃燦然大備於六經。永如日月之經天,江河之行地,與天地法象,並昭千古。此孔子所以為述而不作,而功在生民者,非《易》又烏乎知之?

孔子はこの一套の学問を承受し、深く鑽研して至精至微の処に至り、その中の会通の理を掌握した。また当時の諸侯の忌諱に触れることを慮り、正面から直説しては通らないと考え、そこで微言を《十翼》に託した。《繋辞伝》のいわゆる「挙げた名目は小さいが、取った類は大きい。旨意は深遠で、文辞に采がある。言語は婉曲にして切に中り、叙事は肆えて含蓄がある」とは、まさに夫子の自らを写した姿ではないか。そこで彼はまたこの宗旨を推し広めて《春秋》を修め、《詩》《書》を刪定し、《礼》《楽》を厘訂して、古代先王の典礼を燦然として六経に大備させ、永遠に日月が天を行り江河が地を流れるがごとく、天地法象とともに千古を照らした。孔子が自ら「述べて作らず」と称しながら功が万民に及んだのは、《易》の中からでなければ、またどこからこの一層を明らかにできようか。

訟獄

《訟·彖傳》曰:“上剛下險,險而健訟。”訟者爭也。君子平其爭則訟解。《傳》曰:“訟不可長。”訟不可長,則不至成獄矣。故訟者,民事之爭,尚情感理喻而不必恃乎用刑。九五曰“訟元吉”,是能平其爭而使無訟者也。訟之凶在終於訟而不可解,則成獄矣。噬嗑曰“亨利用獄”,《象傳》曰“君子以明罰勅法”,則不能不用刑以闢以止闢矣。

《訟卦・彖伝》は言う。「上卦は剛健、下卦は険陷。険にして健なり、もって訟を成す」と。訟とは争いである。君子が争端を平息すれば、訟もまた解ける。《象伝》は「訟は長くすべからず」――争訟は長引かせてはならない、長引かせなければ刑獄に醸成するに至らない。だから「訟」は民事上の争いに属し、情を講じ理を説くのを重んじ、用刑に依る必要はない。九五の爻辞は「訟、元吉」と言う。これはまさに争端を平息して天下を訟なからしめることができる人である。訟が凶ある所以は、最後まで争って化解できないことにあり、それなら刑獄となる。《噬嗑》の卦辞は「亨、用て獄に利し」と言い、《象伝》は「君子はもって罰を明らかにし法を敕す」と言う。この地步に至れば刑罰を動かさざるを得ず、刑をもって刑を止めるのである。

噬嗑之象上離下震。離者明也,萬物皆相見,則物無遁形,以示治獄者必明察庶物,一無壅蔽。中爻三四五為坎,坎為法律,為智,為水。二至四為艮,艮為手,為山,為止。下震為動,治獄者即明且智,用法如水之平,絕無偏倚(坎離皆中正象)。無論在下者變動百出,皆能明燭其隱。執法如山,止而不動,所以能止一切之動,而令悉合於法(噬嗑,合也)。只此六畫之象,已將近世司法之精義,包括無遺。

《噬嗑》の卦象は上離下震である。離は光明で、万物はここですべて互いに顕現し、誰も形迹を隠せない。これは案を審理する者が必ず万物を明察し、一点の壅塞蒙蔽も容れないことを示す。中間の三・四・五爻は互体して坎となり、坎は法律であり、智慧であり、水である。二から四爻は互体して艮となり、艮は手であり、山であり、止である。下卦の震は動である。案を審理する者は明察でかつ智慧があり、法を用いること水のごとく平正で、偏倚が絶無である(坎・離は皆中に居って正を得る象)。下の人がどれほど変動百出しても、皆その隠微な処を照見できる。法を執ること山のごとく、自ら静止して動かず、それによっていっさいの妄動を止め、悉く法度に合わせる(「噬嗑」はまさに「合」の意)。わずかこの六画の象だけで、すでに近代司法の精義を余すところなく包摂している。

蓋古聖王之治天下也,道之以德,齊之以禮,刑罰但以濟禮之窮。禮以待君子,刑以治小人。人之情無不樂為君子而甘為小人者,故人人能範圍於禮,而刑罰可以不用。自上失其道,君子弗用,小人譸張,不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,始訟獄繁興。故睽之六三曰“其人天且劓(天同而)”,困初六曰“臀困于株木”,九五曰“劓刖”,睽“失道”,困“剛掩”。理窮數極(《雜卦》困數三十,睽數三十六。四九三十六而乾道窮,五六三十而天地之數極。),禮崩樂壞,不得不用刑以濟之。

古代の聖王が天下を治めるに、徳をもって導き、礼をもって斉え、刑罰はただ礼の及ばない所を補うに用いた。礼は君子を待遇するために用い、刑は小人を治めるために用いた。人情に君子となるを願わず小人に甘んずる者はないので、人は皆礼に範囲され、刑罰は措いて用いずにおくことができた。上に在る者が道を失って以後、君子は任用されず、小人は欺誑が横行し、不仁を恥とせず不義を惧れず、利を見なければ幹そうとせず、威嚇を加えなければ懲戒を受けない。そこで争訟刑獄が紛紜として起こった。だから《睽》卦の六三は「その人は額を黥され鼻を割かれる刑を受け」と言い(「天」はここで「而」に同じく、額を黥する刑を指す)、《困》卦の初六は「臀部が枯木に困る」と言い、九五は「劓刖」の刑を言う。《睽》の病根は「道を失う」にあり、《困》の病根は「剛が柔に掩われる」にある。道理が窮まり気数が尽きる(《雑卦》で《困》の数は三十、《睽》の数は三十六。四九三十六で乾道が窮まり、五六三十で天地之数が極処に至る)、礼は崩れ楽は壊れて、刑罰をもって補救せざるを得なくなるのである。

所謂窮則變,非《易》之常道也。聖人猶憂之,慮後世淫刑以逞者有所藉口也,特於豐著之。曰“君子以折獄致刑”,言刑非折獄者不能妄用也。於旅曰“君子以明慎用刑而不留獄”,言用刑者宜審慎迅速不可留滯也。於中孚曰“君子以議獄緩死”,恐折獄者之或猶有冤濫,更議擬之而求其當也。嗚呼!《易》道之生生,與聖人質《易》之深心,可以見矣。

これがいわゆる「窮すれば則ち変ずる」であって、《易》の常道ではない。聖人はこれに対してなお安心せず、後世に刑罰を濫施する者がそれを口実にするのを恐れ、わざわざ《豊》卦に点明した。「君子はもって獄を折り刑を致す」とは、案を断ずる職を担任しない者は、妄りに用刑してはならないということである。《旅》卦で言う。「君子はもって明愼に用刑し獄を留めず」とは、用刑は審愼かつ迅速で、拖延積圧してはならないということである。《中孚》卦で言う。「君子はもって獄を議して死を緩む」とは、案を断ずる者に或いは冤枉・過濫の処があるかも知れないのを恐れ、そこでさらに復議斟酌を加え、必ず判決が妥当となるを求めるのである。ああ、《易》道の生々息々の仁心と、聖人が《易》理を質証した一片の苦心は、ここにおいて明らかに見ることができる。

司法独立

司法獨立者,近三十年來之學說也。我國自三代以降,於古人設官分職之遺意。久已泯棼而莫可紀極。以行政官操生殺之柄,威福自恣,積非成是。恬焉安之而莫以為妄,而不謂《易》象已明著之,孔子贊《易》更一再言之。賁之《象》曰:“君子以明庶政無敢折獄。”明示以折獄之必有專職。行政者雖明,亦無敢越俎,非司法獨立之精義乎?

「司法独立」は近三十年に入って初めて伝来した学説である。我が国は夏・商・周三代以後、古人が官を設け職を分けた本意はすでに淆乱して堪えず、理清すところがない。行政長官が生殺の大権を手握し、威を作り福を作して、非を習いて是となし、人々はこれに安んじて素のごとく、何の荒謬も感じない。しかし《易》象はすでにこの道理を明白に掲示しており、孔子の《易》を賛したのはさらに再三申し説いていることを知らない。《賁》は山下に火ある象で、政事を修明し治道を文飾する義を取る。その《象伝》は言う。「君子はもって庶政を明らかにし、敢えて獄を折らず」と。これは断案には必ず別に専職を設けねばならないと明白に指し示す。行政官員はたとえ精明でも、越俎して代庖することを敢えてしない――これはまさに司法独立の精義ではないか。

《豐·象》曰:“君子以折獄致刑。”明示以用刑為折獄者之專責。凡非折獄者,皆不許有用刑之權,非司法獨立之明證乎?蓋豐與噬嗑為同體之卦(火雷噬嗑,雷火豐),噬嗑曰“利用獄”,故孔子更於豐申明其義以見除此之外,雖賁為噬嗑之往來卦,亦無敢折獄。其謹嚴如此。近世詡為新學說,而《易》象已深切著明於七千年之前。《易》道之廣大悉備,此其一端矣。

《豊卦・象伝》は言う。「君子はもって獄を折り刑を致す」と。これは用刑が断案者の専責であると明白に指し示し、およそ断案の職を担任しない者は、一概に用刑の権を許さない――これはまさに司法独立の明証ではないか。もともと《豊》と《噬嗑》は同じ一対の経卦が上下互いに換わって成ったもので(火雷《噬嗑》は、上下一たび換われば雷火《豊》となる)、《噬嗑》は「用て獄に利し」と言う。だから孔子はまた《豊》卦においてその義を申明し、もってこの外は、たとえ《賁》が《噬嗑》を反覆した往来の卦であっても、勝手に断案することを敢えてしないことを見せた。その間の謹厳はここに至った。近世に自ら新学説と謳うものは、《易》象において七千年前にすでに深く切に明白に講じられていた。《易》道の広大周備は、これはその中の一端にすぎない。

教育

近世教育制度,發軔於歐西,裨販於日本。規模弘遠,成效彰著。適值我時衰俗敝之秋,以國力之不競,舍興學無以為圖強之本,遂盡棄其學而學焉。而不知現世所行之學制,為我國所採取而未能遍舉者,無不悉備於《易》象之中。河南張之銳氏,近世以新學講《易》者也。其論近世教育,足與《易》相印證者,略謂《易》之教育,約分五種:一曰“蒙養教育”,二曰“國民教育”,三曰“人才教育”,四曰“通俗教育”,五曰“世界教育”。

近世の教育制度は西欧に起源し、また日本を経て転販されてきたもので、規模は宏大深遠で、成效は顕著である。ちょうど我が国が時局衰敗・風俗凋敝の際に遭い、国力が振るわず、学校を興办する以外に強を図る根本がなかったので、そこで自家の学問を全く抛って、一味に他人を学んだ。しかし当今推行しているこの一套の学制が、およそ我が国ですでに採用されてなお全面施行できていない部分は、どれも早くから《易》象の中に完備していたことを知らない。河南の人張之鋭は、近世に新学をもって《易》を講じた者で、彼の論じた近代教育が《易》と互いに印証するに足る処は、大略《易》の教育は約五種に分かれると言う。一は「蒙養教育」、二は「国民教育」、三は「人材教育」、四は「通俗教育」、五は「世界教育」である。この五種は家庭から国家へ、専門人材から民間風俗へ、一直線に天下万物まで推し広げ、層層に拡展する。

“蒙以養正”,蒙養教育也。蒙養本於家庭,故九二曰“納婦吉子克家”,以明克家之子,必有賴於母教也。“包蒙”之包,亦作“彪蒙”,與革旁通,以明“豹變”“虎變”之大人,皆正始於彪蒙也。

《蒙卦・彖伝》は「蒙をもって正を養う」と言い、講ずるは蒙養教育である。蒙養の根拠は家庭にある。だから九二の爻辞は「婦を納れて吉、子は家に克つ」と言い、もって門戸を撑持できる子は、必ず母の教導に頼ることを説明する。九二の「包蒙」の「包」は、また「彪」と作り、「彪蒙」はすなわち童稚が初めて啓かれる時である。《蒙》と《革》の両卦は旁通し、まさに《革》卦の講ずる「豹変」「虎変」の大人物は、皆孩童の発蒙の時に端正から始まることを説明している。

蠱之“振民育德”,國民教育也。國事之敗壞,由於民氣之萎靡頹喪。昧匹夫有責之義,故先甲後甲,教令一新,以振民氣。《傳》曰“蠱元亨而天下治”。六十四卦言天下治者,除乾元用九外,惟此一卦也。臨之“教思無窮容保民無疆”,人才教育也。政以臨民,培植政治之人才,非有專門教育不為功。蓋普通教育,有一定之教科,有不二之主義。而專門教育,則任學者自由研究。蓋人類之知識不可限量,不能限學者之思想,而範之以有盡之課程,故曰教思元窮也。

《蛊卦・象伝》は「民を振し徳を育む」と言い、講ずるは国民教育である。《蛊》は積弊が久しくして整治を加えざるべからざる象である。国事の敗壊は、まさに民気の萎靡頽喪に源し、人は皆「天下の興亡、匹夫にも責あり」の道理を知らない。だから《蛊》卦は「甲に先んずること三日、甲に後るること三日」と講じる――甲は十干の首で、法令を更張する起点を象徴し、事前に三日申明し、事後に三日申誡して、教令を一新し、もって民気を振作する。《彖伝》は「蛊、元亨にして天下治まる」と言う――六十四卦の中で「天下治まる」と言うのは、乾卦の「元を用い九」以外には、この一卦だけである。《臨卦・象伝》は「教え思うこと窮まりなく、容れて民を保すること疆なし」と言い、講ずるは人材教育である。政を為すには百姓に臨莅せねばならず、政治人材の培植は専門教育なくして奏效できない。普通教育には固定の教科・画一の宗旨があり、専門教育は学者の自由研究に聴き任せる。人類の知識は限量すべからざるがゆえに、学者の思想を束縛し、有限の課程をもって彼を框に入れることができない。だから「教え思うこと窮まりなし」と言うのである。

《觀·象》之“省方設教”,通俗教育也。四方之風氣不齊,習尚亦異,故必省其方俗之所宜,觀其民情好尚而設教始當。《無妄·象》曰“君子以茂對時育萬物”,世界教育也。《中庸》曰“能盡人之性則能盡物之性,能盡物之性則可以贊天地之化育”,大亨以正,使天下萬物各正其性命,各全其天賦之能,而後教育之,道始達於圓滿之一境,則尚非近世言教育者可能幾及焉。以上張說之大旨如此,未知於近世師範之學,有當否也。

《観卦・象伝》の「先王はもって方を省み民を観て教を設く」は、講ずるは通俗教育である。四方の風気は斉しくなく、習尚は各々異なる。だから必ず各地の風俗の宜しき所を体察し、民情の好悪を観察して、設ける教化が初めて妥当である。《無妄卦・象伝》は「先王はもって茂く時に対し、万物を育む」と言い、講ずるは世界教育である。《中庸》は言う。「人の本性を窮め尽くせば、物の本性を窮め尽くすことができる。物の本性を窮め尽くせば、天地の万物を化育するを賛助できる」と――大いに亨通して正道を守り、天下万物に各々その性命を端正にし、各々その天賦の能を成全さしめ、しかる後に教育を加えれば、教育の道は初めて円満の境地に達する。この一層はまだ近世に教育を談ずる者の企て及ぶ所ではない。以上が張之鋭の説法の大旨であって、近世の師範の学に対して妥当に講じているかどうかは知らない。

死生の説

死生亦大矣!《繫傳》曰:“原始反終,故知死生之說。”始終者數也,天也。萬物數,一始十終。始子一丑二,而終於酉十一,戌亥無數。萬物自有而入無,為死之候。乾居西北戌亥之地,故無方無體(太虛之象)人而克全其為人,則全受於始者,全歸諸終,終則反乎太虛。精氣不滅,與造化同遊者神也。是以君子有終(君子之死曰終)。終則有始,順乎天行,自有而入無者,亦自無出有。乾知大始,復藏於坎。一純二精(坎子一,坎艮之間丑二),至艮寅三而仍為人。此生死循環,佛家輪迴之說所自來也。

死生は実に人生の大事である。《繋辞伝》は言う。「事物の開端を推原し、反ってその終結を求む。故に死生の道理を知る」と。始と終は「数」に属し、天に属する。万物の数は一に起こって十に終わる。子位の一・丑位の二から数え起こして、酉位に至って十となり、一輪はここに終わり、戌・亥の两位は数を配さない。万物が「有」から「無」に入るのが、すなわち死亡の時である。乾はまさに西北の戌亥の地に居るので、方所なく形体なし(これは太虚の象)。人若しその人たるの道を保全できれば、当初「始」において完整に承受したものを、「終」において完整に帰還する。帰終はすなわち太虚に返ることで、精気は滅せず造化とともに游する者を「神」と呼ぶ。だから《謙卦》は「君子は終り有り」と言う(君子の死は「終」と称す)。終があれば始があり、天道の運行に順って、有から無に入る者は、無から再び有に出る。乾は万物の大始を主管し、また復帰して坎に収蔵される。坎は子に属して一で、純である。坎と艮の間の丑は二に属し、精である。艮位の寅に至れば三となり、再び人となる。この生死循環は、まさに仏家の輪廻の説の由来である。

人而不能全其為人,則自失其人道,斫其生理。全受於始者,不能全歸於終。數盡則死(小人曰死),形消骨化,餘氣無歸,游魂為變者鬼也。變則失常,依其生前所自造之因而證其果,則為人為物,所趣各殊。此佛家輪迴六道之所由分也。

人若しその人たるの道を保全できなければ、それは自ら人道を失い、生生の理を戕害したのであり、当初「始」において完整に承受したものを、「終」に完整に帰還することができない。気数が一たび尽きれば死ぬ(小人の死は「死」と称す)、形体は消尽し骨骸は化去して、残余の気は帰着する処なし。「游魂は変を為す」となって成るのが「鬼」である。「変」であれば既に常軌を失い、ただ生前に自ら造った因に依って報を受けるのみで、或いは転生して人となり、或いは転生して物となり、向かう所は各々同じでない。これが仏家の「輪廻六道」が途に分かれる由来である。

故生者死之始,死者生之終,死於此者生於彼。《易》道乾息於坤,坤即消於乾。莊子曰“方死方生,方生方死”,立論之最精者也。聖人作《易》,窮造化之原,洩陰陽之秘,無非示人以所以全其為人之道。原始反終者,即由終而反始。老氏佛氏,皆由終反始,皆由後天而反諸先天,由有而反諸無,由形而反諸氣,由氣而反諸神。實即由生而反諸死,故曰原始反終。

だから生は死の始まりであり、死は生の終結であり、こちらで死ねば、かなたで生まれる。《易》道の中で乾は坤の中で生長し、坤はまた乾の中で消退する――「息」は生長、「消」は消退で、一消一息はもともと同じ一事の両面である。《荘子》は「まさに死する時、まさに生ず。まさに生ずる時、まさに死す」と言う。これは立論が最も精到な一句である。聖人が《易》を作るに、造化の本原を窮究し陰陽の秘密を漏洩したのは、ほかならず人にその人たるの道を保全することを指示するためである。いわゆる「原始反終」とは、終点から起点に返ることである。老子と仏家は皆終から始に返り、皆後天から先天に返り、有から無に返り、形から気に返り、気から神に返る――実際はすなわち生から死に返るので、だから「原始反終」と呼ぶのである。

反終者,不續終也(未濟不續終也)。不續終,則始無暨極。故老氏曰“元始乃長生而不死”,佛家曰“無始乃無始而無終”。(乾西北為無,乃由有而反諸無者也。故老氏之無為萬有之根,佛教之無為不生不滅之本。乾為金為圓為剛,老曰“金丹”,佛曰“金剛”,而《易》曰“終日乾乾”。乾乾者。上乾為咸乾,下乾為無恆乾。咸無也,恆有也。觀其所咸,而天地萬物之情可見。觀其所恆,而天地萬物之情可見。蓋斟酌於有無之間而用其中,而要皆殊塗而同歸者也。)

いわゆる「反終」とは、終に接続しないことである(《未済・彖伝》は「終を続がざるなり」と言う)。終に接続しなければ、「始」に窮尽の処がない。だから老子が講ずる「元始」は、長生して死なないことであり、仏家の講ずる「無始」は、始まりもなく終結もないことである。(乾は西北に在って「無」であり、まさに有から無に返る所在である。だから老子の「無」は万有の根であり、仏教の「無」は不生不滅の本である。乾は金であり、円であり、剛である。老家はそれによって「金丹」を講じ、仏家はそれによって「金剛」を講じ、《易》は「終日乾乾」を講じる。いわゆる乾乾とは、上の乾は「咸乾」、下の乾は「恒乾」である。咸は無を主り、恒は有を主る。《咸・彖伝》はその感通する所を観れば、天地万物の情状が見えると言い、《恒・彖伝》はその恒久なる所を観れば、天地万物の情状がまた見えると言う。要するに有と無の間に斟酌してその中道を取るのであり、詰まる所は皆経路が異なって帰趣は同じである。)

無始無終,夫然後歸於太極,則無所謂《易》矣。《易》之立教,為中人說法,故執兩而用其中。然聖人致治之極功,則亦曰無為而治;德成而默契乎天,亦曰予欲無言。則亦與由有而反諸無者,初無二致焉。故《易》者逆數也。儒與佛老之立教雖異,而道無不同。蓋天地之數,至三而備。天地萬物,舉莫能外。損之六三,曰“三人行,則損一人,一人行則得其友”,始終生死之道,不外乎此三者。後之立教者,可等諸自檜以下矣。

无始無終であって、しかる後に太極に帰し、あの地步に至れば《易》もまた言う所がない。《易》の立教は中等の資質の人のための説法なので、両端を把捉してその中道を取る。しかし聖人が世を治める最高の功效も、やはり「無為にして治まる」と言い、徳行が円成して黙然として天に契合するも、やはり「予は言わんと欲す」と言う――これは有から無に復帰する路数と、もともと二様でない。だから《易》は逆推の数と言う。儒家と仏・老は立教は同じでないが、その道は相通じないことがない。天地之数は「三」に至って完備し、天地万物でそれを超出できるものはない。《損》卦の六三は言う。「三人同行すれば一人を減じ、一人独行すれば反って伴侶を得る」と。始終・死生の道は、この三者の外に出ない。後世に別に教門を立てる者は、季札が楽を観て「鄶以下」と聞いたのに譬えられ、さらに評論するに値しない。

鬼神の情状

《中庸》曰:“鬼神之為德,其盛矣乎?”《繫下傳》曰:“過此以往,未之或知也。窮神知化,德之盛也。”然則鬼神之為德,又何以知之?曰:以幽明之故,坎幽離明,陽變陰化,天地萬物,無一非氣與形二者之相迭更。既原始反終而知死生之說,則精氣為物游魂為變,鬼神之情狀亦可由是以知矣。

《中庸》は言う。「鬼神の徳行は、実に盛大である」と。《繋辞下伝》は言う。「この一歩を過ぎてさらに前に行けば、人の知り得る所ではない。神妙を窮究し変化を通暁するは、徳行の極盛である」と。さて鬼神の徳行は、また何をもって知ることができるか。答えて曰く、幽と明の道理をもってする。坎は幽であり、離は明である。陽は変を主り、陰は化を主る。天地万物で、「気」と「形」の両者が交替迭更して成らないものは一つもない。すでに「原始反終」によって死生の道理を知ったならば、「精気が聚合して物を成し、游魂が離散して変を成す」ので、鬼神の情状もまたこれによって推知できる。

精坎也,魂離也。故天地八卦,六爻上下,上五天爻為天《易》,三四人爻為人《易》,二初地爻為地《易》。游魂歸魂,復取三四兩爻,則為鬼《易》。三四兩爻,有當不當之別。克全乎其生之德者,即不失其死之道,乃得當而為神。不能全乎其生之德者,亦失其死之,道即不得當而為鬼(生之德立人之道,曰仁與義是也)。敬生而既反乎人道,是不待其死已失其為人,尚何鬼神之有?

「精」は坎に属し、「魂」は離に属する。だから天地八卦・一卦六爻が上下相配し、上爻と五爻の二つの天爻は「天《易》」であり、三爻と四爻の二つの人爻は「人《易》」であり、二爻と初爻の二つの地爻は「地《易》」である。そして游魂・帰魂の説は、また三・四の両爻を取って講じ、あれはすなわち「鬼《易》」である。三・四の両爻には当位と不当位の別がある。生時の徳を保全できる者は、死時の道を失わず、その当を得て「神」となる。生時の徳を保全できない者は、死時の道を失い、その当を得ずして「鬼」となる(いわゆる生時の徳とは、人道を確立する仁と義である)。若し生きている時にすでに人道に違背していたなら、それは死を待たずしてすでにその人たるを喪失したのであり、なんの鬼神を論ずることがあろうか。

卦象天地生人,始乾三中爻坎子,終地十兌酉。終始死生,反覆有游魂歸魂,而以三歸之地十歸妹,為天地大歸魂卦,而六十四卦終焉。歸妹東震西兌,其先天為東離西坎,日魂月魄,合為天地中生人精氣。子一丑二,為天地始合(子丑日月。天地之數,合一二為始,合五六為中,合九十為終)。一主日,二主月。子一日,至酉十月。故人十月而生,此日月魂魄合,精氣始也。

卦象は天地が人を生ずるを講ずる。乾の第三爻に起こり、中爻は坎で子に属す。地数の十の兌に終わり酉に属す。終始死生が反覆往来して、ここに游魂・帰魂の説がある。そして「三帰」の地数十の《帰妹》をもって、天地の大帰魂卦とし、六十四卦はここに終結する。《帰妹》は震が東に在り兌が西に在り、それらの先天の位置は東は離・西は坎である。日の魂と月の魄とが相合し、天地の中で人の精気を合成する。子は一・丑は二で、天地の初めて交合する所である(子・丑は各々日・月を分主する。天地之数は、一と二が相合して始となり、五と六が相合して中となり、九と十が相合して終となる)。一は日を主り、二は月を主る。子の一から酉の十まで数えると、ちょうど十ヶ月である。だから人は十月懐胎して生まれる――これがすなわち日月魂魄の相合・精気の始まりの道理である。

陰陽之道,始坎終離,魂升魄降。離午七未八,日魄七日不復,月魄八月有凶。離上坎下,歸魂不歸,而游魂為變者也。是故八卦之六變為游魂,仍為三爻變。至七變則復歸本宮,游魂乃有所歸。苟不復本宮,則遊而不歸(乾宮游魂為火地晉,七變復。下卦三爻乾,成火天大有若不復乾之三爻,而依次以四爻變,則成火山旅。遊入離宮,而游魂為變矣。),必七日而後來復(火山旅為離宮二世卦。再七變成天火同人,為歸魂上卦,始復為乾)。

陰陽の道は、坎に起こって離に終わり、魂は上昇して魄は下降する。離は午において数を七に配し、未において数を八に配する。だから日魄は七日にして復せず、月魄は八月にして凶有りと言う――《復》卦が「七日にして来り復す」と講じ、《臨》卦が「八月に至りて凶有り」と講じるのは、皆これに本づく。離が上・坎が下なのは、帰魂して帰るを得ないので、そこで「游魂は変を為す」となる。それゆえ八宮卦は第六変に変わって「游魂卦」となり、依然として第三爻が変わる。第七変に至れば本宮に復帰し、游魂は初めて帰着する所がある。倘若本宮に回らなければ、游荡して帰るを得ない(乾宮の游魂卦は火地《晋》で、第七変は本來回復すべきである。下卦の三爻を乾に変え戻せば、すなわち火天《大有》となる。若し乾の三爻に変え戻さず、順次第四爻を変えに行けば、火山《旅》となり、離宮に游入して、そこで游魂が変を為す)、必ず七日を経て初めて帰って来ることができる(火山《旅》は離宮の二世卦で、さらに七変すれば天火《同人》となり、帰魂卦の上卦として、これで初めて乾に復帰する)。

復而反,丑而子,氣來信為神。復而不反,午而未,氣往屈為鬼。往來屈信,均以天地之數可推而知之。季路問事鬼神。子曰:“未能事人焉能事鬼。”問死。子曰:“未知生焉知死。”此即原始反終之說。言之所不能盡者,聖人以象顯之,以數明之。精氣為物,游魂為變,於六十四卦之象數推衍,皆合乎物理之自然。或有或無,各依其類,而未可概舉也。故經文有明言者,不明言者。明言者以舉其例,而不明言者皆觸類而知之矣。

復帰して本位に返り得る者は、丑から子に回るので、気が来て伸展し、あれがすなわち「神」である。復帰して返り得ない者は、午から未に至るので、気が往って屈縮し、あれがすなわち「鬼」である。一往一来・一屈一伸は、皆天地之数で推算できる。子路が鬼神にどう事えるかを問うと、孔子は言う。「まだ人に事えることができないのに、どうして鬼に事えることができよう」と。死について問うと、孔子は言う。「まだ生を知らないのに、どうして死を知ることができよう」と。これがまさに「原始反終」の意である。言語が言い尽くせない所を、聖人は卦象をもってそれを示し、数目をもってそれを闡明した。「精気は物を為し、游魂は変を為す」は、六十四卦の象数の上に推衍すれば、皆事物自然の理に合う。その間に或いは有り或いは無きは、各々その類に依り、一概に論じることができない。だから経文には明言する者もあり、明言しない者もある。明言するのは範例を挙げるのであり、明言しないのは類に触れて旁通するによって領会せねばならない。

如風火家人,夫夫婦婦父父子子而家道正,人情之各得其正者也。而反乎人情者,則為鬼之狀。故睽曰“見惡人”,曰“載鬼一車”。雷天大壯,大者壯也,大者正也,壯者狀也,即正大之狀也。能通乎正大之狀者,則知鬼神之情狀。故觀曰“觀天之神道”,曰“以神道設教”。此《易》言鬼神情狀之最著者也。

譬えば風火《家人》卦は、夫は夫らしく、妻は妻らしく、父は父らしく、子は子らしく、家道が端正で、これは人情が各々その正を得た姿である。そして人情に違反する者は、鬼の形状となる。だから《睽》卦は「悪人を見る」と言い、また「鬼を一車に載せる」と言う。雷天《大壮》は、「大」はすなわち壮であり、「大」はすなわち正であり、「壮」はすなわち状である。合わせればまさに「正大の状」である。正大の状を通暁できる者は、鬼神の情状を知る。だから《観》卦は「天の神道を観る」と言い、また「神道をもって教を設く」と言う。これらは《易》の中で鬼神情状を講じた最も顕著な処である。

天地の大義・人の終始

乾坎艮震巽離坤兌八宮,六十四卦,終於雷澤歸妹。歸妹為兌宮歸魂,而兌又居八宮之終,故歸妹為天地大歸魂卦。歸妹上下錯為隨(澤雷隨),隨“元亨利貞,天下隨時,出門交有功,男之始也”,歸妹“女之終也”。(《雜卦傳》)《彖》言人之終始,則合男女而言之也。

乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八宮は合計六十四卦で、最後に雷沢《帰妹》に終結する。《帰妹》は兌宮の帰魂卦であり、兌はまた八宮の末に居るので、《帰妹》はすなわち天地の大帰魂卦である。《帰妹》の上下二卦を交錯すれば《随》となる(沢雷《随》)。《随》は「元亨利貞」を講じ、《彖伝》は「天下は時に随う」と講じ、九四は「門を出て交わりて功有り」と講じ、そして《雑卦伝》は《随》は「男の始」であり、《帰妹》は「女の終」であると言う。《彖伝》が「人の終始」と講ずるのは、まさに男と女を合わせて言ったのである。

歸妹上卦震東甲乙,帝出乎震,甲不為首首乙,故曰“帝乙歸妹”。下卦兌西庚辛,前坤後乾,坤乾為地天泰,故泰之六五亦曰“帝乙歸妹”。泰反為否,《否·彖傳》亦曰“則是天地不交而萬物不通也”,而《歸妹·彖傳》亦曰“天地不交而萬物不興”,泰否“天地反類”,(《雜卦傳》曰:泰否反其類也。邵子曰:天地定位,泰否反類。)皆東西震兌出入反覆,而日月寒暑往來,(離日坎月,乾寒坤暑)循環不窮。

《帰妹》の上卦は震で、東方に居り、天干の甲・乙に配する。「帝は震より出ず」、しかしここでは甲が首に居らず乙を首とするので、六五の爻辞は「帝乙が妹を帰す」と言う――帝乙は商朝の君王で、妹を人に下嫁させた。下卦は兌で、西方に居り、天干の庚・辛に配し、前は坤・後は乾で、坤上乾下はすなわち地天《泰》である。だから《泰》卦の六五も「帝乙が妹を帰す」と言う。《泰》を反覆すれば《否》となり、《否卦・彖伝》は「これはすなわち天地交わらずして万物通ぜず」と言い、《帰妹・彖伝》も「天地交わらずして万物興らず」と言う。《泰》《否》は「天地その類を反す」(《雑卦伝》は「泰否その類を反するなり」と言い、邵雍は「天地位を定め、泰否類を反す」と言う)で、皆東西の震兌の間の出入反覆であり、それによって日月・寒暑が往来して(離は日・坎は月、乾は寒・坤は暑)、循環して窮まらない。

坎離既濟定,有歸妹在中,而南北離坎未濟不續終者。首尾續終,(《未濟·彖傳》曰“不續終也”。《雜卦》,歸妹在既濟未濟兩卦之中。)故曰“天地之大義也”。歸妹漸相錯成隨蠱,故《漸·彖》曰“女歸吉”,《蠱·彖傳》曰“終則有始”。蓋蠱之始,乃由故之已終而新復更始。歸妹之終始,乃續終其始。故《象傳》曰“永終知敝,天地大義”者,夫婦之道也。人類之所以不絕,以有男女夫婦,生生不已,終則有始。家人為夫婦之正,故《傳》曰“家人男正位乎外女正位乎內,天地之大義也”。

坎離が相配して《既済》が位を定め、《帰妹》はまさに中間に処る。そして南北の離・坎はまた《未済》を組成して、「終を続がざる」である。首尾が相接してその終を続ぐ(《未済・彖伝》は「終を続がざるなり」と言う。《雑卦伝》において、《帰妹》はまさに《既済》《未済》の両卦の間に挟まる)ので、だからこれを「天地の大義」と言う。《帰妹》と《漸》は互いに交錯して、《随》と《蛊》となる。だから《漸卦・彖伝》は「女帰りて吉」と言い、《蛊卦・彖伝》は「終われば則ち始まり有り」と言う。《蛊》の「始」は、旧きがすでに終了して改めて更始することである。《帰妹》の終始は、その終を接続して再びその始を開くことである。だから《象伝》は「永く終わりて敝を知る」と言う。そしていわゆる「天地大義」は、講ずるは夫婦の道である。人類が綿延して絶えない所以は、まさに男女夫婦が生生して已まず、終わって復た始まるからである。《家人》は夫婦の正なので、《彖伝》は「家人の卦は、男子が端正に外位に居り、女子が端正に内位に居る。これは天地の大義である」と言う。

然天下之事,有常有變,有得有失。先王之制,女子十五而笄,男子二十而冠,為婚媾之始。女至二十而嫁,男至三十而娶,為最遲之限,此婚媾之常。得其時者也。逾此限則為失時。但或於此時而更遇變故,如父母之喪之類,則至二十三年而嫁。此婚媾之變,失其時者也。

しかし天下の事には常もあれば変もあり、得もあれば失もある。先王の制度は、女子は十五歳で笄礼を行い、男子は二十歳で冠礼を行う。これが婚配可能の起点である。女子は二十歳に至って嫁ぎ、男子は三十歳に至って妻を娶る。これが最遅の界限である。これは婚配の「常」で、その時を得た者に属する。この界限を超えれば時を失するに算入する。しかし時にまさにこの際に当たってまた変故に遭逢することがあり、例えば父母の喪の類ならば、二十三歳に引き延ばして初めて嫁ぐことになる。これは婚配の「変」で、その時を失する者に属する。

處變失時,乃人情之大可憐也。故先王亦不以常制限之。能守正不阿,為漸之女歸,則固協於禮而得吉。即不能固守其正,如歸妹之說動而隨,而天地之大義。亦仍不可廢。所謂聘則為妻,奔則為妾。但以禮絀之,而不以法禁之也。故特著之曰“天地大義人之終始”,深望後之人能慎終於始,不至變常而失時,庶免乎凶,而維人道於不敝矣。意深哉!

変故に身を処して婚期を過ぎるのは、人情の中で最も憐憫すべきものなので、先王もまた常規をもって苛求しない。正を守り阿らず、《漸》卦の講ずる「女帰りて吉」のように礼に依って嫁ぐことができれば、自ずと礼に合して吉を得る。たとえその正を固守できず、《帰妹》のように喜悅によって動き人に随って行っても、天地間のこの一大義は依然として廃棄できない。いわゆる明媒正娶した者を妻と算し、私奔して来た者を妾と算す――ただ礼数の上で彼女を貶抑するだけで、刑法をもって彼女を禁絶しない。だから《彖伝》はわざわざ「天地の大義なり、人の終始なり」と標明し、深く後人が開始の時に慎重に結局を思い、常道を変乱して時機を錯失しないよう、ほとんど凶険を免れて、人道を維繋して敗壊に至らないことを切望した。その用意は実に深遠である。

革は暦を治め時を明らかにす

《乾·九四·文言》曰“或躍在淵,乾道乃革”,以九四去內卦之終,而居外卦之始,為新陳代謝之際。故《雜卦傳》曰:“革去故也。”(乾二之坤五,乾成同人,坤成比。再以乾四之坤初,乾成家人,坤成屯。屯反蒙,蒙通革。家人反睽,睽上下交錯亦為革。)

《乾卦・九四・文言伝》は言う。「或いは躍り淵に在り、乾の道乃ち革む」と。九四はすでに内卦の終を離れて、外卦の始に居り、まさに新陳代謝の関口に当たるからである。だから《雑卦伝》は「革とは故を去るなり」と言う。(乾の二爻と坤の五爻を互いに易えれば、乾は《同人》となり、坤は《比》となる。さらに乾の四爻と坤の初爻を互いに易えれば、乾は《家人》となり、坤は《屯》となる。《屯》を反覆すれば《蒙》となり、《蒙》と《革》は旁通する。《家人》を反覆すれば《睽》となり、《睽》を上下交錯しても《革》となる。)

革上兌下離,《象》曰“澤中有火革,君子以治曆明時”。其所以治曆明時者,仍在九四之一爻,與乾之九四爻,實互相發明者也。(《周易折中》以革九五為成卦之主,於《彖》、《象》之義無當也。)

《革》卦は上兌下離で、《象伝》は言う。「沢の中に火あり、これが革である。君子はこれによって暦法を修治し、四時を明辨する」と。それが「暦を治め時を明らかにす」ことができる鍵は、依然として九四の一爻にあり、乾卦の九四と実に互いに発明する。(《御纂周易折中》は《革》卦の九五を成卦の主としたが、これは《彖伝》《象伝》の意旨と相合しない。)

乾坤二策,合三百有六十,當期之日。變通在四時,時各九十日。八卦分值一年。一卦盡,得四十五日。(五日為一候,三候為一氣,八卦一爻主一氣,三氣四十五日而一卦畢。)

乾・坤の両卦の策数を合わせれば合計三百六十で、ちょうど一年の日数に相当する。変通は四時に體現し、毎時各々九十日を占める。八卦は頭を分かって一年を值守し、一卦が値し満ちて四十五日を得る。(五日を一候とし、三候を一気とし、八卦は毎一爻が一気を主り、三気合わせて四十五日で一卦が値し終わる。)

乾九四已入外卦,內卦三爻之氣已盡,故曰“乾道乃革”。兌離為西南之卦,金火相乘,(四時:春木生夏火,秋金生冬水,冬水又生春木,惟夏秋為火克金,故金曰“從革”。)志不相得乃革,故《象》曰“己日乃孚”。己者土也,以坤土行離兌之間,孚而信之,革道乃成。《彖傳》曰:“天地革而四時成”。虞仲翔氏云:“曆象謂日月星辰。離為明,坎為月,離為日,蒙艮為星,(革通蒙)四動成坎離。日月得正,謂四爻動外卦變坎,成水火既濟。日月得正,曆象正而時序明矣。”王弼云:“曆數時會存乎變。”則渾括其意,義雖當,初學視之益蕩然矣。

乾卦の九四はすでに外卦に進入し、内卦三爻の気はすでに用い尽くしたので、「乾の道乃ち革む」と言う。兌と離は分かれて西方・南方の卦に属し、金と火は互いに凌駕する(四時の相生の序は、春木が夏火を生じ、秋金が冬水を生じ、冬水がまた春木を生ずる。ただ夏と秋の間のみ火が金を克するので、《尚書・洪範》は金の性質を「従革」と呼ぶ)、両者の心志は合わず、そこで革がある。だから《革》卦は「己日に乃ち孚あり」と言う。「己」は五行において土に属し、坤土をもって離・兌の間に運行し、人を信従せしめて、革の道が初めて成就する。《彖伝》は言う。「天地が変革して四時が形成される」と。虞翻(字は仲翔)は言う。「暦象とは日月星辰を指す。離は明であり、坎は月であり、離は日であり、《蒙》卦の艮は星である(《革》と《蒙》は旁通する)。四爻が一たび動けば坎離となる。いわゆる日月が正を得るとは、四爻が一たび動いて、外卦が坎に変わり、全卦が水火《既済》となることである。日月が各々その正を得れば、暦象は端正で、時序もまた分明となる」と。王弼は言う。「暦数と時令の会合は、変化に存する」と。この言はただ籠統に包み過ぎて、義理は誤りでないが、初学の人が見ると反っていっそう茫漠として落ち着きがない。

蓋革象下離為日,上坎為月,而九四一爻奇於其間,致日與月,不能相齊。日有餘而月不足,三為終,四連於三,歸餘於終之象,歸日之餘於終,積而成月,則閏也。積閏為章,(七閏十九年為一章)積章為蔀。(四章為一蔀,二十蔀為一遂,三遂為一首,七首為一極。詳《周髀算經》。)章蔀之名,不見於革而見於豐。豐六二、九四皆云“豐其蔀”,上六“蔀其家”,六五“來章”,蓋豐五變則成革也。孔子贊《易》,於一字一義,無不與卦爻往來脈絡貫通。非參互錯綜以求之,又烏能得其意之所在哉!(凌銳按:革五爻皆當位,惟九四一爻不當位。故曰“革而當其悔乃亡”。)

もともと《革》卦の象は、下の離は日であり、上に変わって出る坎は月であり、そして九四の一爻が孤零零として中間に挟まり、日と月とを整斉に相配させない――日数に余りがあり月数が不足する。三爻は「終」であり、四爻は三爻に緊接して、まさに「余数を終位に帰する」の象である。日行の余数を終位に帰併し、積み累ねれば一月となり、これがすなわち「閏」である。閏を積んで「章」を成し(十九年に七閏を置いて一章とする)、章を積んで「蔀」を成す(四章を一蔀とし、二十蔀を一遂とし、三遂を一首とし、七首を一極とする。詳しくは《周髀算経》に見える)。「章」「蔀」の二つの名目は《革》卦に見えず《豊》卦に見える。《豊》の六二・九四は皆「その蔀を豊ならしむ」と言い、上六は「その家を蔀す」と言い、六五は「章を来す」と言う――《豊》卦の第五爻が一変すれば《革》となるからである。孔子が《易》を賛するに、毎一字・毎一層の意義において、卦爻の往来脈絡と貫通しないことはない。互体・錯綜を参照して求索しなければ、またどうして彼の用意する所在を領会できよう。(凌鋭按:《革》卦は五爻が当位で、九四一爻のみ不当位である。だから《彖伝》は「革めて当たれば、その悔乃ち亡ぶ」と言う。)

納甲爻辰を辨ず

京氏卦納甲:乾貞子,坤貞未;乾納甲壬,內子外午;坤納乙癸,內未外丑;六子之卦,各按其所納之幹,而依乾坤之爻以為序。震貞子,坎貞寅,艮貞辰。巽從坤而內外相易,貞丑。離貞卯,兌貞己。乾子寅辰午申戌,左轉;坤未己卯丑亥酉,右行。陰陽相間,而周十二辰。

京房の卦に甲を納める法は、乾卦の初爻を子に定め、坤卦の初爻を未に定める。乾は甲・壬の両干を納め、内卦は子に起こり外卦は午に起こる。坤は乙・癸の両干を納め、内卦は未に起こり外卦は丑に起こる。その余の六つの子卦は、各々己の納める天干に按じて、乾坤両卦の爻序に依って排列する。震の初爻は子に定め、坎の初爻は寅に定め、艮の初爻は辰に定める。巽は坤に随従して内外を互いに換え、初爻を丑に定める。離の初爻は卯に定め、兌の初爻は巳に定める。乾は子・寅・辰・午・申・戌で、左に順転し、坤は未・巳・卯・丑・亥・酉で、右に逆行する。一陰一陽が相間して、ちょうど十二地支を一周する。

鄭氏爻辰:乾貞於子左轉,子寅辰午申戌。間時而治六辰,與納甲同。坤貞於未亦同。乃由未而酉亥丑己卯,則與乾同為左轉。後學因此,每多歧誤。或謂康成說《易》本《乾鑿度》,故與京氏不同。然《乾鑿度》云“乾貞於十一月子,左行陽時六。坤貞於六月未,右行陰時六。歲終次從於屯蒙,屯蒙主歲。屯為陽,貞於十二月丑,其爻左行。以間時而治六辰。蒙為陰,貞於正月寅,其爻右行。亦間時而治六辰,歲終則從其次”云云。乃以六十四卦依《序卦》之次,前卦為陽,後卦為陰,每兩卦分主一歲。故三十二歲而一周,與爻辰之說不相蒙也。

鄭玄の爻辰の法は、乾卦の初爻を子に定め、左に順転して子・寅・辰・午・申・戌とし、一辰を隔てて一爻に配して六辰を管轄する。この点は京房の納甲と同じである。坤卦の初爻は未に定め、起点も同じだが、未から酉・亥・丑・巳・卯と、乾と同じく左に順転する。後の学者はこれによって常に歧誤を生じ、ある者は鄭玄が《易》を講ずるは《易緯乾鑿度》に本づくので京房と異なると言う。しかし《乾鑿度》は言う。「乾卦の初爻は十一月の子に定め、左に順行して陽時六位を巡る。坤卦の初爻は六月の未に定め、右に逆行して陰時六位を巡る。一年終われば、順次《屯》《蒙》の両卦が歳を主るに輪る。《屯》は陽に属し、初爻は十二月の丑に定め、その爻は左行して、一辰を隔てて六辰を管る。《蒙》は陰に属し、初爻は正月の寅に定め、その爻は右行して、同じく一辰を隔てて六辰を管る。一年終われば順次輪転する」と。これで見れば《乾鑿度》は六十四卦を《序卦》の次第に按じて排し下ろし、前の卦を陽・後の卦を陰とし、毎二卦が一年を分主し、三十二年で一周転するのであって、鄭玄の爻辰の説とは根本的に干渉しない。

錢溉亭《述古錄》謂“京氏本律呂之合聲,鄭氏本月律”。其說具見《周官·太師》鄭氏注:“太師掌六律六同,(疏云:六律左旋,六同右轉)以合陰陽之聲。陽聲黃鐘子,太簇寅,姑洗辰,蕤賓午,夷則申,無射戌。子寅辰午申戌,其次與乾六爻左旋同也。陰聲大呂丑,應鐘亥,南呂酉,林鐘未,小呂己,夾鐘卯,則丑亥未酉己卯,其次與坤六爻不相合矣。鄭氏以律呂相生為主,則六律六同皆左旋。以律為夫,以呂為婦。婦從夫,故皆左旋。”是京氏之納甲,與《乾鑿度》同主合聲。而鄭之爻辰,則主相生,非本於《乾鑿度》者也。

銭塘(号は溉亭)《述古録》は言う。「京房の説法は律呂の合声に本づき、鄭玄の説法は月律に本づく」と。この一説は《周礼・春官・太師》の鄭玄の注に完整に見える。「太師は六律六同を掌る(賈公彦の疏は、六律は左旋し六同は右転すると言う)、もって陰陽の声を調合する。陽声は黄鍾が子に配し、太蔟が寅に配し、姑洗が辰に配し、蕤賓が午に配し、夷則が申に配し、無射が戌に配する。子・寅・辰・午・申・戌というこの次序は、乾卦六爻の左旋と同じである。陰声は大呂が丑に配し、応鍾が亥に配し、南呂が酉に配し、林鍾が未に配し、小呂が巳に配し、夾鍾が卯に配する。丑・亥・未・酉・巳・卯というこの次序は、坤卦六爻に対し合わない。鄭玄は律呂相生を主としたので、六律六同は皆左旋する――律を夫と見なし、呂を婦と見なし、婦は夫に随従するので、皆左旋する」と。これによって見れば、京房の納甲は《乾鑿度》と同じく「合声」を主とし、鄭玄の爻辰は「相生」を主とするので、《乾鑿度》に本づいたのではない。

辛齋按:陰從於陽,陰陽之體也。河圖一三七九、二四六八皆左行者是也。(若陰陽分言,則陰逆陽順。陽自一三五七九,而陰則從四起,為四二十八六。故五位相得而各有合。若如舊說,則五與十無相合之理。詳見《易數偶得》)陽左旋陰右轉,陰陽之用也。洛書之一三九七左旋、二四八六右轉是也。非順行不能相生,非逆行不能相合,《易》之體用無不如是,明乎此,則聚訟不決之懸案,可片言而斷矣。

辛斎按。陰は陽に順従する、これは陰陽の「体」であって、河図の上で生数と成数が両両相配して、一・三・七・九と二・四・六・八が皆左に行くのは、この理である。(若し陰陽を分けて言えば、陰は逆にして陽は順である。陽は一・三・五・七・九に按じて排列し、陰は四から起こって、四・二・十・八・六と作す。だから五つの方位が両両相配して各々配合がある。若し旧説の排法に照らせば、五と十は相合する理がない。詳しくは拙著《易数偶得》に見える。)陽が左旋して陰が右転する、これは陰陽の「用」であって、洛書の上で一・三・九・七が左旋し、二・四・八・六が右転するのは、この理である。順行しなければ相生できず、逆行しなければ相合できない。《易》の体と用は皆このごとし。この一点を明白にすれば、あれらの争訟決まらない懸案は、一言で判定できる。

或問:既如子言,則京氏既主合聲矣,何以坤之未己卯丑亥酉,又與陰聲之丑亥酉未己卯不同也?曰:此即洛書七與九、二與八易位之理也。故巽之六爻則為丑亥酉未己卯矣。此中玄妙,具有至理。神而明之,非言所能盡焉。

ある人が問う。あなたの言うとおりなら、京房は「合声」を主張したのに、坤卦の未・巳・卯・丑・亥・酉は、なぜまた陰声の丑・亥・酉・未・巳・卯と一様でないのか。答えて曰く。これはまさに洛書の上で七と九、二と八が位置を互いに換える理である。だから巽卦六爻の次序は、ちょうど丑・亥・酉・未・巳・卯である。この中の玄妙には自ら極精の理があって、ただ人が自ら心領神会するに頼るのみで、言語の言い尽くせる所ではない。

辰の星象

或問鄭康成氏爻辰說《易》,以星象證爻辭,而原注已佚。從《禮》注與《乾鑿度》注搜輯者,寥寥無幾。近世戴棠氏,撰《鄭氏爻辰補》。而全《易》三百八十四爻,各取《甘石星經》及《開元占經》所載諸星名,以印證爻辭,無不恰合。詎伏羲之播爻,文王之繫辭,果一一仰觀天文以取象乎,何巧合若是?

ある人が問う。鄭玄は爻辰をもって《易》を講じ、星象をもって爻辞を印証したが、彼の原注はすでに失伝して、《礼》注と《乾鑿度》注から輯録されたものは寥寥として僅かである。近世の戴棠は《鄭氏爻辰補》を著して、全《易》三百八十四爻に、各々《甘石星経》と《開元占経》に載せられた星名を取って爻辞を印証し、ついに一処として恰好に吻合しない所がなかった。まさか伏羲が爻画を布き画し、文王が卦爻辞を繋げたのは、果たして一條一條仰いで天文を観て象を取って成ったのか。そうでなければなぜ巧合がこの地步に至ったのか。

曰:伏羲畫卦之時,文字未作,器用未備,又何有星名?蓋一畫開天,奇偶以生。仰觀俯察,法象於天地,變通乎四時。陰陽剛柔,動靜變化,而洽於造化數理之自然。而天地之運行,人物之遞演,自不能出此常軌之外。故先天而天不違。至黃帝以黃鐘定律,準度量,定權衡,悉本於伏羲之卦。而窺天測地,定日月星辰以紀歲時。

答えて曰く。伏羲が卦を画いた時、文字はまだ造られておらず、器用も斉わなかった。どこに星宿の名称があろう。彼はただ一画をもって天を開き、奇偶の両画がこれによって生じ、仰いで天文を観、俯して地理を察し、天地の象に取法し、四時の序に変通した。陰陽剛柔・動静変化は、皆造化数理の自然と契合した。そして天地の運行・人事万物の遞相演変は、もともとこの常軌を跳び出せないので、「先天にして天も違わず」と言う。黄帝に至って黄鍾をもって音律を定め、度量を校准し権衡を厘定し、皆伏羲の卦に本づいた。この後天地を窺測し、日月星辰を確定して歳時を紀とした。

然天廣無垠,既以象限立儀(象限儀分圓周為四,即法乎四象。儀者,分陰分陽,即法乎兩儀。),以分躔度次舍,而不可無以名之以資識別也。於是各按八卦之象數以定其名。故天星之名,大都出自卦象,非卦象之強合星名也。鄭氏爻辰以星名證其爻義,已不免倒果為因。必逐爻求象於星,而以爻辭附會之,以期或有一字一義之合;無論其未必盡合,即合矣,於經義仍未必有所發明。是亦可以不必矣。

しかし天体は広大にして辺なく、すでに象限儀をもって法を立て(象限儀は円周を四つに分ける。まさに四象に取法したもので、「儀」は陰を分け陽を分ける。まさに両儀に取法したものである)、日月運行の度数と二十八宿の次舎を分けた以上(「次舎」とは日月の運行の途中に停駐する処)、名称なくして識別に供することはできない。そこで各々八卦の象数に按じてそれらに名を定めた。だから天上の星宿の名は、大抵卦象から出たのであって、卦象が星名に牵强迁就したのではない。鄭玄が星名をもって爻義を印証したのは、すでに果を倒して因と為すを免れない。若し必ず爻ごとに星宿の上から象を求め、さらに爻辞を取って附会して、一字一義の相合を指し望むなら――姑く合うとは限らないを論ぜずとも、たとえ合っても、経義に対して未だ必ずしも発明があるとは言えない。このようにするのは大いに必要がない。

陰陽上下往来

《易·彖傳》言“陰陽上下往來”,後儒或主卦變,或主錯綜,(此指來氏之所謂錯綜)眾論紛若,莫衷一是。而卦變之例,荀虞以下既各不同,而同一虞《易》,其為圖也又參差不一。朱子既圖卦變,又取《彖傳》之言往來者十九卦,編為歌訣。然與其圖,已不相符合。且《彖傳》之言往來上下者,亦不僅此十九卦。故證以經文,參諸卦象,自以主兩卦之一往一來者,(即來氏錯綜)其說較優。

《易・彖伝》の講ずる「陰陽上下往来」は、後代の儒者に或いは「卦変」をもって解釈せんと主張する者あり、或いは「錯綜」をもって解釈せんと主張する者あり(ここでは来知徳の言う錯綜を指す)、衆説紛紜として定まる所がない。そして卦変の体例は、荀爽・虞翻以下の各家ですでに互いに同じでなく、たとえ同じく虞翻一家の《易》でも、後人が彼のために画いた図は参差不斉である。朱熹は卦変図を画き、また《彖伝》の往来を講じた十九卦を取って歌訣に編んだが、歌訣と彼自身の図はすでに対応しない。まして《彖伝》の往来上下を講じるのは、この十九卦だけに止まらない。だから経文をもって印証し、卦象を参照して考察するに、やはり相反覆する両卦の一往一来に就いて説を立てるのが(すなわち来知徳のいわゆる錯綜)、比較的に高明である。

蓋文王之《易》,本以兩卦反覆一往一來。則《彖傳》以釋《彖》,自必於此兩卦推勘其義,理至當也。上卦為外為上為往,下卦為內為下為來。(此卦之下即彼卦之上,此往則彼來,彼上則此下。)上卦二陽一陰者,陰上進而往。二陰一陽者,陽上進而往。下卦之為來亦然。

もともと文王の《易》は、本から两卦が反覆し一往一来して排定されたものである。されば《彖伝》はすなわち卦辞を解釈するものだから、自ずとこの相覆う両卦の間にその義を推求するのが、理において最も妥当である。上卦は外に属し上に属して「往」であり、下卦は内に属し下に属して「来」である(この卦の下卦はすなわち彼の卦の上卦で、こちらが往けばかなたが来り、かなたが上に在ればこちらが下に在る)。上卦が若し二陽一陰ならば、その陰爻が上進して「往」となる。若し二陰一陽ならば、その陽爻が上進して「往」となる。下卦の「来」と称する情形も、これに準じて類推する。

故《孔疏》云“凡言往來者皆據異類而言。”若三陰三陽之卦,則上下並言。泰否之兼言往來,咸蠱之兼言上下,噬嗑賁渙節言來言上言分是也。四陰四陽之卦,則以一陰一陽之在上下者言,晉升無妄大畜訟需是也。二陰二陽,則以陰陽之在上卦者言,賽解鼎睽是也。五陰五陽者,以一陰一陽言,復姤是也。似較卦變之茫無一定者,差可依據。

だから孔穎達《周易正義》は言う。「およそ往来を講ずる者は、皆多数と異なるあの一類の爻に就いて言う」と。若し三陰三陽の卦ならば、上下を併せて言う。《泰》《否》は往来を兼ねて言い、《咸》《蛊》は上下を兼ねて言い、《噬嗑》《賁》《渙》《節》は来を言い・上を言い・分を言う。皆この類に属する。四陰四陽の卦は、上卦あるいは下卦に処るあの一つの陰爻・陽爻を取って言う。《晋》《升》《無妄》《大畜》《訟》《需》がそれである。二陰二陽の卦は、上卦に処る陰爻・陽爻を取って言う。《蹇》《解》《鼎》《睽》がそれである。五陰五陽の卦は、その唯一の陰爻あるいは陽爻を取って言う。《復》《姤》がそれである。これは卦変の説の茫漠として定準なきに比べれば、いっそう依拠がある。

然此但以上下兩象而言,間有以專重之一爻為主者,則又不在此例。乾坤為《易》之門,往來者必於此門。二陽一陰者坤體,而陰往來上下於其間也。二陰一陽者乾體,而陽往來上下於其間也。上下無常,剛柔相易,原非可執一例以求之。但初學者不可不先求一隅之可舉者以為根據耳。

ただこれはただ上下二つの経卦の象に就いて言うのみで、その間にも専ら某一の重要の爻を主とする者があって、それならばこの例の内に在らない。乾坤は《易》の門戸で、往来は必ずこの道の門から出入する。二陽一陰の卦は坤を体とし、あの一つの陰爻がその間を上下往来する。二陰一陽の卦は乾を体とし、あの一つの陽爻がその間を上下往来する。上下は変動して常なく、剛柔は互いに推易して、もともと一つの条例を死に執って求めることはできない。ただ初学の人は、先ず一つの挙げられる例を求めて依拠とせざるを得ないだけである。

経卦と別卦

《周禮·太卜》:“掌三《易》之法,《連山》、《歸藏》、《周易》。其經卦皆八,其別卦皆六十有四。”段若膺云:“《連山》、《歸藏》、《周易》三《易》,每《易》有八,每八分為六十四,故云其別卦。經卦即乾坤震巽坎離艮兌,別卦即因而重之之六十四卦也。”

《周礼・春官・太卜》は言う。「三種の《易》の筮法を掌るは、すなわち《連山》《帰蔵》《周易》である。それらの経卦は皆八で、別卦は皆六十四である」と。段玉裁(字は若膺)は言う。「《連山》《帰蔵》《周易》の三種の《易》は、毎一種に皆八つの経卦があり、毎八卦がさらに分衍して六十四卦となるので、『別卦』と呼ぶ。経卦とは乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌であり、別卦とは経卦を两两相重ねて成った六十四卦である」と。

楊用修《丹鉛錄》云:“別當作□。從重八。八八六十四,故云別卦。”蓋別訓分,八亦訓分。□從八八,謂分而又分。八八為六十四,正合八卦重為六十四卦之義。可見古人修辭之學,其用字之精當,迥非後人所可及也。

楊慎(字は用修)《丹鉛録》は言う。「『別』の字は『□』と作るべきで、二つの『八』が重畳して成る。八八は六十四なので、別卦と呼ぶ」と。もともと「別」の字は分と訓し、「八」の字も分と訓する。「□」は二つの「八」が構成するもので、意は分かれてまた分かれる。八八が六十四を得るのは、ちょうど八卦が相重なって六十四卦を成すの意に合する。これで見れば古人の修辞の学は、用字が精確妥帖で、遥かに後人の及ぶ所ではない。

震巽の究

《說卦傳》:震其究為健為蕃鮮,巽其究為躁卦。健為乾,蕃鮮指巽。躁卦即震也。考其他六卦,皆不稱究,獨於震巽兩卦言之何也?物有始有壯有究,震巽陰陽變化之始也。震以一陽變於坤,坤成震而乾成巽。原始要終,可得其究。至於坎離,為陰陽之壯,又得乾坤之中,不至極於一偏。艮兌已為陰陽之究,所謂其上易知。故艮成言,兌說言,皆無須推極其究者也。

《説卦伝》は言う。震卦を推究して極処に至れば、「健」と成り「蕃鮮」と成る。巽卦を推究して極処に至れば、「躁卦」と成る。「健」は乾を指し、「蕃鮮」は巽を指し、「躁卦」はすなわち震である。その余の六卦を考察すれば皆「究」を講じないが、ただ震・巽の両卦に於いて講じる。これは何の故か。万物には始・壮・究の三段階があり、震と巽はまさに陰陽変化の開端である。震は一陽が坤の中に変入し、坤はそれによって震と成り、乾はそれによって巽と成る。開端を推原してその終局を求めれば、その「究」を見出すことができる。坎・離に至っては、陰陽の壮盛の時で、また乾坤の中爻を得て、一偏の極に至ることはない。艮・兌はすでに陰陽の究極であり、すなわち《繋辞伝》のいわゆる「其の上は知り易し」である。だから《説卦伝》は「言を成すは艮にあり」「説くは兌にあり」と講じて、皆もはやその究極を推求する必要がない。

惟巽之究為躁,似與其木性相反。而震之究為健,則為復其本性。為蕃鮮則為極其功用,其究同而究不同,則陰陽之分際然也。蓋陽為萬物之本,(天地五十五數,陽奇陰隅,而陰陽合數則仍為奇。一六合為七,二七合為九,三八合為十一,四九合為十三,總數五十五皆奇也。故曰陰必歸陽。)非若陰之為用有限也。

ただ巽を推究して極処に至れば「躁」と成るのは、似たもその木に属する柔順の本性と正に相背くようである。そして震を推究して極処に至れば「健」と成るのは、それはその本来の陽剛の性に回復するのであり、「蕃鮮」と成るはその功用を極点に発揮することである。同じ一つの「究」の字で、究極の結果が同じでないのは、まさに陰と陽の分際が同じでないに因る。陽は万物の根本だからである(天地之数は合計五十五で、陽は奇数・陰は偶数であるが、陰陽相合の数は依然として奇数である。一と六は合して七、二と七は合して九、三と八は合して十一、四と九は合して十三、総数五十五もまた奇数である。だから陰は必ず陽に帰すると言う)、陰の功用のように限りあるものではない。

血卦と乾卦

或問:《說卦傳》“坎為血卦”,《荀氏易》作“血衄”。說者謂血為人身之水,以病故衄然歟?曰:否。坎為血卦,猶離之為乾卦也。六子惟坎離得乾坤之中,特稱卦以別之。離為乾體,故曰“乾卦”。坎為坤體,故曰“血卦”。血坤也。《坤·上六》曰“其血玄黃”,《傳》曰“猶未離其類也,故稱血焉”。以見血為坤之類,是坎之稱血卦,與離之稱乾卦為例正同,未可以血衄改之也。

ある人が問う。《説卦伝》は「坎は血卦」と言うが、荀爽の一系の《荀氏易》は「血衄」と作る。経を解する者は血は人身中の水で、病気のために鼻から血が出る故に、坎は兼ねて血を主ると考える。この説法は正しいか。答えて曰く、正しくない。坎が「血卦」と称するのは、まさに離が「乾卦」と称するのと同一の体例である。乾坤が生んだ六つの子卦の中で、坎・離のみが乾坤の中爻を承接したので、わざわざ象名の下に「卦」の一字を綴って、もってその余の四子と区別する。離卦は外の両爻が陽で中爻が陰、本体は乾に属するので「乾卦」と呼ぶ。坎卦は外の両爻が陰で中爻が陽、本体は坤に属するので「血卦」と呼ぶ――「血」はすなわち坤である。《坤卦・上六》の爻辞は「その血玄黄なり」と言い、《文言伝》は「なおその類を離れざるなり、故に血と称す」と解釈する。これで見れば血はまさに坤の一類に属する。これによって坎の名「血卦」と離の名「乾卦」は取る例が全く同じで、《荀氏易》に依って「血衄」に改めるべきでないことが分かる。

或曰:離之為乾卦,乾讀若干,乃燥萬物者莫熯乎火,故曰乾卦。與乾坤之乾,音訓其可通乎?曰:鄭注云乾當為乾,陽在外作幹正也。虞《易》亦同。而張湛雲乾音乾,則音固可通。《易》之用字,恆以形聲相類者,分見互用,以相鉤貫。焦氏《通釋》言之詳矣。而《說卦》言象,尤往往舉甲以概乙,又或對舉相互以見意者。如乾為圓,則坤之為方可知。巽為臭,則震為聲可知。

また或る人が問う。離が「乾卦」と称するのは、この「乾」は「干」と読むべきで、《説卦伝》の「万物を燥す者は火より熯なるは莫し」の義を取る。火が万物を烘干できるを言うので「乾卦」と称す。それと乾坤の「乾」とは、読音と訓釈が真に相通ずるか。答えて曰く。鄭玄が注を作して「乾」は「干」と作るべしと言い、陽爻が外に在るので、「干」と書いて初めて正とする。虞翻の《周易注》もまたこのごとし。そして晋人の張湛は「干」は音が「乾」に同じと言う。これで見れば読音はもともと相通ずる。《周易》の用字は、常に形旁声旁の相近い字を分けて互いに用い、これを借りて彼此に勾連貫串する。焦循《易通釈》はすでに非常に詳しく講じた。《説卦伝》が卦象を講ずるに至っては、さらに常に甲を挙げて乙を概し、あるいは両両対挙して含義を顕す。乾は円と言えば、坤は方であると推知でき、巽は気味と言えば、震は声音であるとまた推知できる。

此以離為乾卦,以與坎之血卦相對。貞者事之幹也。乾貞在坎,而著乾之義於離,離其類為血,而存血之文於坎,交互見意,錯綜成文,可謂極天下之至精至變者矣!故《易》之為書,廣大悉備。孔子贊《易》之文,悉與相稱。一名一字,於形聲訓義,均鉤深致遠,無不各有精義存乎其間,非言語所能形容也。舉一三反,是在讀者之神而明之。

ここで離を「乾卦」と称するのは、まさに坎の「血卦」と相対せしめんとするである。《乾卦・文言》は「貞とは事の干なり」と言い、「貞」はすなわち一つの事の主幹である。乾の貞位は坎に落ち(後天の方位では坎は正北に居り、まさに乾の貞位の所在)、しかるに「干」の意義を離の上に標する。離の属する一類はもともと血であるのに、「血」の字を坎の上に保存する。両辺が交互に意を顕し、錯綜して文を成す。真に天下の最も精微・最も善変の道理を窮め尽くしたと言うべきである。だから《周易》という書は広大にして備わらない所なく、孔子の《易》を賛した文辞もまた処処にこれと相応する。一つの名目・一つの字が、形声と訓義の上に幽を探り微に入って、各々精義を含み、言語の形容し得る所ではない。一を挙げて三に反ることができるかは、全く読者自身が心領神会するに存する。

馬と木は象を取ること独り多し

或問《說卦》之取象,震坎皆言馬,合之乾共三卦。巽為木,而坎於其木也堅多心,離其於木也為科上稿,艮於其木也為堅多節,凡四卦。乾又為木果,而震為蒼筤竹,又其於稼也為反生,亦木之類。何馬與木之取象獨多也?

ある人が問う。《説卦伝》の取象は、震と坎の両方が馬に言及し、乾を加えて、合計三卦が馬を象とする。巽は木であり、そして坎は「木に於いては堅くして心多し」(木の心が堅実)、離は「木に於いては科にして上槁れたり」(中間が空虚で上端が枯槁)、艮は「木に於いては堅くして節多し」(堅硬にして節多し)と言い、合計四卦が木に言及する。乾はまた木果であり、震は蒼筤の竹であり、さらに震は「稼に於いては反生す」(穀物の種子が倒れて萌发する)と言う。これらも皆木の類に属する。なぜ八卦の取象は、ただ馬と木だけがこのように多く出現するのか。

曰:此為切於人生日用者言之。行者以馬,居者以木,為用廣,故取象多也。又周以火德王,馬為離午之精,行地無疆,周乎天下。故乾坤坎離皆言馬。伏羲以木德王,木者火之母也。損上益下,木道乃行。天施地生,其益無方者木也。故《易》言馬與木為獨多也。

答えて曰く。これは百姓の日常生活と最も切近い物に就いて説を立てたのである。出行は馬に頼り、居処は木に頼る。用途が最も広いので、取象もまた最も多い。さらに周朝は火徳をもって王と称し、馬は離火午位の精気である。《坤卦・彖伝》のいわゆる「地を行ること疆なし」は、天下を走遍できるので、乾・坤・坎・離の四卦が皆馬に言及する。伏羲は木徳をもって王と称し、木はまた火の母である。《益卦・彖伝》は「上を損して下を益す」「木の道乃ち行わる」と言い、また「天施し地生じ、その益す所方なし」と言う。この至らない所なき生養の功を担うことができるのはまさに木である。だから《周易》の中で馬を講じ木を講ずる処は特に多い。

虞《易》平議

漢《易》之存於今者,惟虞氏注未盡亡佚。經勝清惠定宇、張惠言二氏之搜輯演繹,儼然首尾貫串,而規模畢具矣。顧宋學家及同為漢學之馬鄭者,悉力攻擊之。或謂其納甲之說,以魏伯陽《參同契》而擅改聖經之卦位;或謂其之正之說,全背《彖》、《象》傳義。王氏《經義述聞》,辯駁尤甚。

漢代の《易》学で今日に流伝するのは、虞翻の注だけがまだ完全に亡佚していない。清代の惠棟(字は定宇)・張惠言の両家の捜輯と推演を経て、虞氏《易》はすでに首尾貫通し、規模は大体具備した。しかし宋学の一派は、同じく漢学に属しながら馬融・鄭玄を宗奉する学者をも連れて、全力でそれを攻撃した。ある者は彼の「納甲」の説は魏伯陽《参同契》の丹家の配法を襲用して、勝手に聖人経典の卦位を改動したと言い、ある者は彼の「之正」の説は全く《彖伝》《象伝》の義理に違背すると言う。その中で王引之《経義述聞》の駁斥が最も激烈である。

略謂仲翔發明卦爻,多以之正為義。陰居陽位為失正,則之正而為陽。陽居陰位為失正,則之正而為陰。蓋本《彖傳》之言位不當者而增廣之,變諸卦失正之爻以歸於既濟,可謂同條共貫矣。然經云位不當者,惟論爻之失正,以決其悔吝之由,示觀象玩辭、觀變玩占者,知所警耳。

王氏の大意は言う。虞翻(字は仲翔)が卦爻を闡発するに、多く「之正」をもって義を立てる――陰爻が陽位に居れば失正と算し、陽爻に変じて正に帰さねばならず、陽爻が陰位に居れば失正と算し、陰爻に変じて正に帰さねばならない。これはもともと《彖伝》の言う「位当たらず」の一語を推し広めて、各卦の失正の爻を悉く《既済》のごとく六爻が各々その位に当たる格局に変えるので、見れば条理は一貫しているようにも思える。しかし経伝の言う「位当たらず」は、ただ某一爻が失正することを討論して、もって悔吝が何に由って生ずるかを判定し、あの象を観て辞を玩び、変を観て占を玩ぶ人に警惕あるを提醒するにすぎない。

夫爻因卦異,卦以爻分,各有部居,不相雜廁。若爻言初六、六三、六五,而易六以九;言九二、九四、上九,而易九以六言,則爻非此爻,卦非此卦矣。虞氏以為變而之正,實自失其本體,不且紊亂而無別乎?遍考《彖》、《象》傳文,絕無以之正為義者。既已無所根據,乃輒依附於經之言貞者,而以之正解之。

爻は卦によって異なり、卦はまた爻によって分別される。各々その位次があって、彼此混雑することはできない。假如爻辞に明らかに初六・六三・六五と書いてあるのに、「六」を「九」に換え、九二・九四・上九と書いてあるのに、「九」を「六」に換えたならば、爻はもはやこの爻でなく、卦ももはやこの卦ではない。虞翻は「変じて之れ正しきに至る」と考えたが、実は自ら本体を失い、卦爻を攪乱して分別し得ないようにしたのではないか。《彖伝》《象伝》の文字を遍く査すれば、根本的に一処も「之正」をもって義を立てた所がない。依拠が見つからないので、彼は一味に経文中に「貞」の字が出現する処に攀附して、一概に「之正」をもって解釈した。

如注“坤利牝馬之貞”,云“坤為牝,震為馬。初動得正,故利牝馬之貞”。注“安貞吉”,云“復初得正故貞吉”。案《彖》曰“牝馬地類,行地無疆,柔順利貞”,又曰“安貞之吉,應地無疆”,皆以坤純陰言之,未嘗以為初爻之正也。且如其說,文王於復卦繫於“利牝馬之貞”,不更合耶?何為紛紛然由此之彼,乃以彼釋此耶?以下逐卦指駁,斥謂盡亂聖人之成法。

例えば《坤卦》の卦辞「牝馬の貞に利し」に注して、虞翻は「坤は牝、震は馬、初爻が一たび動いて正を得るので、牝馬の貞に利し」と言い、「安貞吉」に注して「変じて復卦と成り、初爻が正を得るので貞にして吉」と言う。しかし《坤卦・彖伝》は明らかに「牝馬は地の類、地を行ること疆なし、柔順にして貞に利し」と言い、また「安貞の吉は、地に応じて疆なし」と言う。皆坤卦の純陰の整体に就いて説を立てて、従来かつて初爻が変じて正となると講じたことはない。しかも虞氏の講法に照らせば、文王はむしろ「牝馬の貞に利し」を直に復卦の下に繋げた方が、なお一層貼切ではないか。どうして繞り回って、あの卦を取ってこの卦を解釈する必要があろう。王氏は以下卦ごとに指摘して、虞注が聖人の成法を悉く攪乱したと斥責した。

又駁其旁通之說,謂《易》《彖》及《大象》惟取義於本卦。健順動巽陰明止說之德,天地風雷水火山澤之象,無不各如其本卦,義至明也。虞仲翔以卦之旁通釋之,雖極竟彌縫,究與《經》相牴牾。

王氏はまた虞翻の「旁通」の説を駁斥し、《周易》の《彖伝》と《大象伝》はただ本卦に就いて義を取ると考えた。健・順・動・入・陷・麗・止・説の八種の徳性、天・地・風・雷・水・火・山・沢の八種の物象は、一つとして本卦に相応しないものはなく、意はもともと極めて明白である。虞翻はところが両卦の陰陽が全変する「旁通」を取って解釈し、極力弥縫したが、終に経文と相抵触した。

如《履·彖》曰“履,柔履剛也”,虞曰“坤柔乘剛,謙坤藉乾,故柔履剛”。又“履帝位而不疚”,虞曰“謙震為帝,坎疾為病,至履帝位坎象不見,故履帝位而不疚”。此謂履與謙通,謙上體有坤,互體有震坎也。然《經》云說而應乎乾,謂下兌上乾也。若取義於下艮上坤之謙,則是止而應乎坤矣,豈說而應乎乾之謂乎?亦逐卦指駁,謂《彖》、《象》釋《易》也,不合於《彖》、《象》,尚望其合於《易》乎?

譬えば《履卦・彖伝》は「履は柔が剛を履むなり」と言う。虞翻は「坤の柔爻が剛爻の上に乗り、謙卦の坤が乾を借りたので、柔が剛を履むと言う」と解し、《彖伝》がまた「帝位を履んで疚しからず」と言うのを、虞翻は「謙卦の震は帝、坎は疾病、帝位を履むに至る時に坎象はすでに見えないので、帝位を履んで病痛がない」と解した。これは皆履卦と謙卦が旁通すると言うので、謙卦の上体が坤で、互体がまた震・坎を含むからである。しかし《履卦・彖伝》は分明に「説にして乾に応ず」と言い、指すは下卦が兌・上卦が乾である。若し下艮上坤の謙卦から改めて義を取れば、それは「止にして坤に応ず」となり、どこにまだ「説にして乾に応ず」の意があろうか。王氏もまたこのように卦ごとに指摘して、《彖伝》《象伝》はもともと《周易》を解釈するもので、《彖》《象》にすら合わないなら、なおそれが《周易》に合するを指望できるかと言った。

王氏之說,辨而詳矣。然六爻發揮旁通情也,辭也者各指其所之,而變卦以不當位之爻變而當位,又古今說《易》家所不廢,則旁通與之正,要不可謂非《易》中之一例。第必執此一例以概全《易》,其所不通者亦必強而通之,不得不謂虞氏之一蔽。必如王氏之說,則《彖》、《象》之外,更不容有一義之引伸比附,則廣大悉備之《易》象,恐學者更未易明也。

王引之の弁駁は、詳明と言うべきである。ただ《乾卦・文言》はもともと「六爻発揮して、旁通は情なり」と言い、《繋辞伝》も「辞とは、各々その之く所を指す」と言う。そして卦を変ずる時に不当位の爻を当位に変ずるは、さらに古今《易》を説く者が廃棄しなかった办法である。これで見れば「旁通」と「之正」は、終に《周易》の中の一種の体例でないと言うことはできない。ただ必ずこの一種の体例をもって整部の《周易》を概括し、講じて通らない処も硬く講じ通そうとすれば、それは虞翻の一処の蒙蔽と算せざるを得ない。しかし若し必ず王氏の主張に照らし、《彖伝》《象伝》以外に、さらに一点の引申比附をも許さないならば、広大悉備の《易》象は、おそらく学者は反っていっそう明白にし難いであろう。

況《彖》、《象》所釋,或含意待申,或僅舉一隅,或專重一事者,其例正多。故孔子曰“觀其彖辭則思過半矣”,又曰“書不盡言”,未嘗以《彖》、《象》所釋為已盡,更不容他人置喙也。

まして《彖伝》《象伝》の解釈は、或るものは含意がなお後人の引申を待ち、或るものはただ一つの角落を挙げ、或るものは専ら一件事に就いて説を立てる。この類の情形はもともと甚だ多い。だから孔子は《繋辞伝》の中で「その彖辞を観れば、すなわち思い半ばを過す」と言い、また「書は言を尽くさず」と言う。これで見れば彼は従来《彖》《象》の解釈がすでに言を尽くしたと認めたことはなく、さらに他人が再び一詞を置くを許さないのではない。

虞仲翔生於易代之際,世道人心,江河日下。說《易》大師,有曲說阿時以聖經為羔雁者矣。(如荀慈明輩是也。)故憤時疾俗,或不免有過激之論。如以坤初為“子弒其父臣弒其君”,謂坤陰漸而成遁弒父,漸而成否弒君,於象義亦未允當,(坤消至剝而乾象滅迷不復,常大變以其國君,凶方為家滅國滅之象。近書《周易指》已辨正之。)要皆有為而言。

虞翻は改朝換代の際に生まれ、世道人心は日に日に下がり、当時《易》を講じた大師の中には、ついに経義を曲解し時局に迎合して、神聖経典を干謁進身の礼物にした者があった(荀爽のあの輩がすなわちこれである)。だから彼は世に憤り俗を嫉み、議論には過激の処が免れなかった。譬えば《坤卦》初六の「霜を履みて堅氷至る」を「子がその父を弑し、臣がその君を弑す」と講じ、坤陰が漸く長じて遯卦となれば弑父で、漸く長じて否卦となれば弑君であると言った。これは象義において確かに允当に足りない(理に依れば坤陰が乾を消して剥卦に至るまで消し続け、乾象が滅没して迷い返らなくなって、初めてその国君を大变じ、家が滅び国が亡ぶ凶象がある。近人の端木国瑚《周易指》はすでに辨正した)が、しかし彼の言う所は皆為す所あって発したのである。

其納甲消息,皆與荀氏升降之說針鋒相對,意尤顯然。以之正立論,明天地大義。以既濟定也為歸,期人心之不正者胥歸於正,於是乎世亂或可少定。此虞氏之或苦心孤詣,千載而下猶皦然可見者也。

彼が納甲を講じ消息を講ずるに、処処に荀爽の升降の説と針鋒相対し、その用意は特に明顯である。彼が「之正」をもって立論するのは、天地間の大義を闡明せんとするのであり、《既済》の六爻が各々その位を定めるを帰宿とするのは、人心の正ならざる者が皆正に帰すことを盼望し、さすれば乱世も或いはなお少し安定できるということである。これがまさに虞翻の一片の苦心孤詣で、千載の後も依然として清清楚楚と見える。

嗚乎!今之時何時乎?世道人心,視三國紛爭之際為何如?人材之消乏,視三國紛爭之際又何如?仲翔以梗直不見容流俗,被擯嶺表,尚不忘情於世,欲以《易》道濟之。相傳廣州六榕寺,猶仲翔講《易》之遺趾,流風未沫。今有其人,吾願執鞭以從之矣。

ああ、今日はいかなる時世であろうか。世道人心は三国紛争の年頭に比べていかがであろう。人材の凋敝は三国紛争の年頭に比べてまたいかがであろう。虞翻は性情が耿直で流俗に容れられなかったため、嶺南に貶斥されながら、依然として世事に情を忘れず、《易》道をもってそれを救済せんとした。伝える所によれば広州の六榕寺は今もなお彼が《易》を講じた旧址を留め、流風余韻は断絶しない。今日若し真にこのような人があれば、私は喜んで彼のために鞭を執り車を駕して、左右に追随しよう。

半象と両象易

虞仲翔氏說《易》,有半象與兩象易之兩例,後人多非議之。如解“小有言”為震象半見,解小畜“密雲不雨”為坎象半見,蓋皆以三畫卦之上兩畫,或下兩畫言之。後之說《易》者,駁詁非難,不勝備記。

虞翻が《易》を解するに、「半象」と「両象易」の二条の体例を立て、後人に多く非議された。例えば彼は《訟卦》の「小さく言有り」を震象が半分だけ露われたと解し、《小畜》の「密雲雨らず」を坎象が半分だけ露われたと解し、皆三画卦の上の二画あるいは下の二画に就いて言うものである。後に《易》を講ずる者がこの二条を駁詰非難したのは、多くて記し勝えない。

如焦理堂說《易》,固主虞氏旁通者也。乃於半象亦攻之甚力,謂“乾之半,亦巽兌之半;坤之半,亦艮震之半。震之下半,何異於坎離之上半?坎之半,又何異於兌艮之半?求其故而不得,造為半象,又造為三變受上之說。試思半象之說興,則履姤之下,均堪半坎;師困之上,皆可半震。究何從乎?朱漢上譏其牽合,非過論也”云云。

焦循(字は理堂)の如く《易》を解する者は、もともと虞氏の「旁通」を主張したが、「半象」に対しては攻撃が極めて猛烈であった。彼は言う。乾の半分はすなわち巽・兌の半分であり、坤の半分はすなわち艮・震の半分である。震の下半は、坎・離の上半と何の区別があるか。坎の半分は、また兌・艮の半分と何の区別があるか。虞翻はその所以然を求めて求め得ず、初めて「半象」を造り出し、また「三変して上を受く」の説法を造り出した。試みに思うに、半象の説が一たび成立すれば、履卦・姤卦の下体は皆半個の坎と算することができ、師卦・困卦の上体は皆半個の震と算することができる。果たしてどれに依従するか。朱震(人は漢上先生と称す)が彼を牵强附会と譏諷したのは、過分と算しない――かくのごとし等々である。

嗚呼!漢上固宋人之深於象數者,而焦理堂之《易通釋》,亦能貫串全經確有心得,非一知半解人云亦云者比,乃亦有此似是而非之論,可見解人難索。象學之發明,正未易言矣。焦氏所指駁者,驟觀之似極有理,實於象學茫然未辨也。虞氏半象之名,未能達意,且別無詳析之釋文,宜淺近者之詫為無理焉。

ああ、朱震はもともと宋人の中で象数に精しい者であり、焦循の《易通釈》もまた全経を貫串して確かに心得があり、あの一知半解・人云亦云の者ではない。ついにこのような是に似て非なる議論を発した。これで見れば真に会心できる人は実に尋ね難く、象学を発明して明白にするは実に容易でない。焦循の指摘した言は、猛く見れば極めて道理があるようだが、実は彼は象学に対して根本的にまだ辨別し明白にしていない。虞翻の「半象」という名目は、確かに意を表達できず、また詳細な分析の解説文字を留めなかった。学問の浅近い人がそれに驚き怪しんで道理がないとするも無理はない。

蓋八卦之象,惟乾坤坎離,反覆皆同。震艮巽兌四卦,則為二卦之反覆。震反即艮,兌反即巽。故孔子《雜卦》,曰“震起,兌見,巽伏,艮止”,又曰“離上而坎下也”。坎離雖不可反易,實即震艮巽兌之中體。下震起而上艮止即為離,下巽而上兌見即為坎。八卦之變化,皆此震起艮止巽伏兌見所往來。若去此四者,乾坤坎離皆為死物,無易可言矣。

もともと八卦の卦象は、乾・坤・坎・離の四卦だけが倒転してもなお原様であり、震・艮・巽・兌の四卦は、両两互いに倒転する。震を倒せば艮となり、兌を倒せば巽となる。だから孔子《雑卦伝》は「震は起つなり、兌は見るなり、巽は伏すなり、艮は止むなり」と言い、また「離は上り坎は下るなり」と言う。坎離は倒転できないが、実はまさに震艮巽兌の中間形体である。下に震が起ち上に艮が止まれば合して離となり、下に巽が伏し上に兌が見えれば合して坎となる。八卦の一切の変化は、全くこの震起・艮止・巽伏・兌見の四者の往来に頼る。若しこの四者を除き去れば、乾坤坎離は皆死物となり、再び「易」の講ずべきはない。

故六爻之卦,初爻為震爻,二為坎爻,三為艮爻,四為巽丈,五為離爻,上為兌爻。虞氏所謂震體半見者,即震爻也。坎象半見者即坎爻也。六爻皆乾坤之體,故乾坤不可分爻。焦氏謂乾之半坤之半,正見其於卦象未通,未足以闢虞氏也。虞之失,在半象二字之辭不達意,謂其立名未當則可,謂為無所適從不可也。

だから六画の卦は、初爻は震爻、二爻は坎爻、三爻は艮爻、四爻は巽爻(源文は「巽丈」と作る。「丈」は「爻」の誤り)、五爻は離爻、上爻は兌爻である。虞翻のいわゆる「震体半ば見ゆ」とは、指すは震爻である。いわゆる「坎象半ば見ゆ」とは、指すは坎爻である。六爻は通体皆乾坤の体なので、乾坤自身はいわゆる分爻がない。焦循が「乾の半分・坤の半分」を取って質問したのは、ちょうど彼が卦象に於いてまだ通透していないことを暴露し、虞翻を駁倒するに足らない。虞翻の失誤はただ「半象」の二字が辞意に達しないにあり、彼の立名が妥当でないと言うのは可だが、この一套の講法が人を従う所なからしめると言うのは不可である。

至虞氏之所謂兩象易,實即上下錯。孔子《雜卦》亦即兩卦之上下交錯。六十四卦以交錯見義者,不勝枚舉。如履上下錯(上天下澤易上澤下天)為姤,履柔履剛也,姤柔遇剛也。屯上下錯為解,屯雷雨之動滿盈,解雷雨作而百果草木皆甲坼。恆上下錯為益,恆立不易方,益為益無方,皆兩象易也。苟以為非,則孔子之《彖傳》亦盡非乎?辛齋非宗虞氏《易》者,但以是非為去取,絕無成見。恫向之言《易》者,蔽於門戶之見,動輒是己而非人。故特著之,亦以自警焉。

虞翻の言う所の「両象易」に至っては、実はすなわち上下両体の対調である。孔子《雑卦伝》の用いるも、まさに両卦が上下交錯する办法である。六十四卦の中で交錯によって義を見る例は、多く挙げて勝えない。履卦の上下を対調すれば(上乾下兌を上兌下乾に換える)姤卦となり、《履卦・彖伝》は「柔が剛を履むなり」と言い、《姤卦・彖伝》は「柔が剛に遇うなり」と言う。屯卦の上下を対調すれば解卦となり、《屯卦・彖伝》は「雷雨の動き満盈するなり」と言い、《解卦・彖伝》は「雷雨作して百果草木皆甲坼す」と言う。恒卦の上下を対調すれば益卦となり、《恒卦・大象》は「立ちて方を易えず」と言い、《益卦・彖伝》は「その益す所方なし」と言う――これらは皆両象易である。若しこの办法が正しくないと認定するなら、まさか孔子の《彖伝》もまた全て正しくないのか。我が杭辛斎は虞氏《易》を宗奉せず、ただ是非によって取捨し、成見が絶無である。ただ昔《易》を講じた人が門戸の見に蒙蔽され、動もすれば己を以て是と為し人を以て非と為したを痛惜し、そこでわざわざこの層の道理を書き出して、またもって自ら警める。

《説卦》の象に重出する三卦

《說卦》象重出者三卦,“震為龍,艮為狗,兌為羊”,皆已見於第五章,而第八章又重出。八章“震為雷”之下,考《虞氏易》及《李氏集解》均作尨,注云幕色。震東方,故為尨。蓋馬八尺以上為尨,尨與龍,音亦同也。

《説卦伝》の中で卦象が重複出現するのは合計三処で、「震は龍」「艮は狗」「兌は羊」は、皆すでに第五章に見え、第八章にまた重出する。第八章の「震は雷」の一条の下に列する「為龍」は、虞翻《周易注》と李鼎祚《周易集解》を査すれば、皆「尨」と作り、注中に雑色と言う。震は東方に居るので、「尨」を取って象とする。按ずるに馬の高さ八尺以上を「尨」と呼び、しかも「尨」と「龍」は読音も同じである。

八章之“艮為狗”,虞氏及《李氏集解》,皆作拘。虞注云“指屈伸制物故為拘”(按:《隨·上六》“拘係之乃從維之”,即此拘也。),而朱氏《漢上易傳》曰“上言艮為狗,乃狗馬之狗。此言為狗者,熊虎子未有文猶狗也”。虞翻以兌艮為虎,艮寅位也,艮究成兌,故艮為虎子,未免迂曲矣。

第八章の「艮は狗」は、虞翻と《李氏集解》は皆「拘」と作る。虞注は「手指は屈する能く伸する能くして外物を制するので、拘と為す」と言う(按:《随卦・上六》の「拘して係え、乃ち従いて維う」は、用いるはまさにこの「拘」の字)。朱震《漢上易伝》はしかし言う。前の第五章の講ずる「艮は狗」は、指すは狗馬の狗である。ここで再び「為狗」と言うのは、熊虎の幼崽でまだ斑紋が長出せず、形状が狗に似る者を指す。虞翻は兌・艮をもって虎と為し、艮が寅位に当たり、艮を推究して極処に至ればまた兌に変ずるので、そこで艮は虎子と言う。これは迂曲を免れない。

艮為羊之異說滋多,虞作“羔”,注云女使,《集解》同。鄭作“陽”,注云此陽謂養無家女行賃炊釁,今時有之,同於妾也。王氏《經義述聞》,謂“羔與羊,《書》、《傳》無訓女使”者。羔當為恙字之誤,恙亦通作養。

「為羊」の一条に至っては(源文は「艮為羊」と作るが、実は兌卦を指す)、異説はさらに多い。虞翻は「羔」と作り、注に女僕と言い、《李氏集解》は同じ。鄭玄は「陽」と作り、注にこの「陽」は夫家なき女子を収養して、彼女に飯を炊かせ釁祭の礼を行わしめると言い、当時なおこの種の人があって、地位は妾に等同しい。王引之《経義述聞》はしかし言う。「羔」と「羊」は《尚書》と各家の伝注の中で女僕と訓した例がなく、「羔」は「恙」の字の誤りであるべく、そして「恙」はまた「養」に通ずべしと。

辛齋按以上諸說均有根據,惟無論為羔為恙為養,均須竄易經文,則不若依鄭說讀羊為陽。羊陽本通用,《春秋左氏傳》“夷養五”亦作“夷陽五”,可不必改經,而於諸家之義均可通矣。

我が杭辛斎按。以上の各家の説法は皆依拠がある。ただ「羔」に改めようと「恙」に改めようと「養」に改めようと、皆経文を竄改せねばならない。それならば鄭玄の説に依り、「羊」を「陽」と読むに如かず。「羊」「陽」はもともと通用し、《春秋左氏伝》の中の「夷養五」も「夷陽五」と作る。このようにすれば経文を改動する必要もなく、各家の意もまた皆講じ通る。

象義一得

八卦取象,精義入神,其微妙乃至不可思議。漢儒言《易》,不離象數,惜多散佚,已無完書。唐人以王弼為宗,言象者不著。其後如宋之邵子,及朱氏子發,與林氏黃中,鄭氏剛中,邱氏富國,黃氏東發;元之胡氏一桂,王氏申子,熊氏與可任重,龍氏仁夫;明之來氏矣鮮,黃氏道周;清之刁氏蒙吉,胡氏滄曉,惠氏仲儒定宇,萬氏彈峰諸家,皆於象義各有發明。

八卦の取象は、精微の義が直に神妙に入り、細緻の処はついに思議すべからざる地步に至った。漢代の儒者は《易》を講ずるに、従来象数を離れなかった。惜しいかな著述は大抵散佚して、すでに完整の本がない。唐人は王弼を宗とし、卦象を講ずる者はすなわち顕れなくなった。この後宋代の邵雍、および朱震(字は子発)・林栗(字は黄中)・鄭剛中・邱富国・黄震(学者は東発先生と称す)、元代の胡一桂・王申子・熊与可(字は任重)・龍仁夫、明代の来知徳(字は矣鮮)・黄道周、清代の刁包(号は蒙吉)・胡煦(号は滄暁)・惠士奇と惠棟の父子(字は仲儒・定宇)・万年淳(号は弾峰)の諸家は、象義において各々発明があった。

而姚氏與端木氏二家,(《姚氏易》及《周易指》)能原本經傳,發抒己見,不依傍昔賢門戶,尤為卓絕一時。雖或有所偏,其精到處皆確切不移,不可泯沒。辛齋為學日淺,僅就昔人之所未言,或言而未盡者,聊以助學《易》者之興趣也。

その中の姚配中と端木国瑚の両家(すなわち《姚氏易》と《周易指》の両部の書)は、経伝をもって根本とし、自己の見解を抒発して、前賢の門戸に依傍せず、特に一時に卓絶した。彼らは各々偏頗もあったが、精到の処は皆確切にして移易すべからず、埋没されるべきでない。我が杭辛斎は学を治める日がなお浅く、ただ前人の未だ言わざる所、あるいは言って尽くさざる所に就いて一点の心得を談じ、姑くもって《易》を学ぶ者の興趣を引き起こすに供するのみである。

凡言象者,不可忘《易》之義。《易》義不易者其體,而交易變易者其用。故八卦之象,無不交錯以見義。故乾為圜而形著於坤,離為日而光被於月。正秋者西也,而日行東陸。出震者東也,而日行西陸。執片面以言象,象不可得而見。泥一義以言象,象不得可而通也。

およそ卦象を講ずる者は、「易」という字そのものの含義を忘れてはならない。《易》には三義がある。「不易」はその本体を講じ、「交易」「変易」はその功用を講ずる。だから八卦の象は、交錯して意を顕さないものはない。乾は円だが、円の形体は坤の上に落実する。離は日だが、日の光輝は月の上に施加する。兌は正秋で方位は西だが、太陽は秋に至って東陸を行る。震は春生の方で方位は東だが、太陽は春に至って西陸を行る。一つの片面を捉えて象を講ずれば、象は見えない。一層の意を死守して象を講ずれば、象は講じ通らない。

凡言象者,不可忘其數,天一地二天三地四天五地六天七地八天九地十。黃帝而後,皆以干支紀之。卦有定位,即有定數。(如坎子一,艮丑二寅三至兌酉十,乾戌亥數無。)《易》數乾元用九,乃天一不用,用地二至地十。數定而象之無定者,可因數而定。故觀象必倚數。如體物者必準諸度量,測遠者必察其角度。自舍數言象,而象茫如捕風矣。

およそ卦象を講ずる者は、その背後の数を忘れてはならない。それはすなわち《繋辞伝》の言う天一・地二・天三・地四・天五・地六・天七・地八・天九・地十である。黄帝以後、これらの数は皆天干地支をもって標記された。卦に既に一定の方位があれば、一定の数がある(例えば坎は子に当たって一、艮は丑に当たって二・寅に当たって三、依り数えて兌は酉に当たって十、乾は戌亥に在って数を占めない)。《周易》の用数は「乾元は九を用う」で、すなわち天一は存して用いず、ただ地二から地十までを用いる。数が一旦定まれば、象の中の不確定の部分もまた数によって確定できる。だから象を観るには必ず数に憑藉せねばならず、ちょうど物体を量度するには必ず尺度に依准し、遠きを測量するには必ず角度を察看するがごとし。人が数を抛って象を講じて以後、象は茫茫として風を捕えるがごとくなった。

凡言象者,不可不明其體。體者用之主也,故卜筮者亦曰取用。(每卦六爻,先取所用者一爻為主,即體也。)以所用者為主,而後察他爻之或從或違或動或靜,為利為害,吉凶始可得而斷焉。

およそ卦象を講ずる者は、「体」を弄清せざるべからず。体は用の主人である。だから占卜する者もまたそれを「取用」と呼ぶ(毎卦六爻、先ず用いる所のあの一爻を取って主とし、この一爻がすなわち体である)。先ず用いる所のあの一爻を立定して主とし、しかる後にその余の各爻が順従するか違逆するか、動するか静するか、我に利あるか害あるかを見て、吉凶はこれで初めて判断できる。

用有大小,象則因其小而小之。因其大而大之,如乾也。大則為天,小則為木果,如坤也。大則為地,小則為布為釜,坎為大川,小則為溝瀆。離日大明,小亦為螢火。小大無方,各隨其體。明體以達用,象之用乃無窮矣。

用いる対象には大有り小あり、象もまたそれに随って小なれば小を取り、大なれば大を取る。譬えば乾は、大に言えば天で、小に言えば一枚の木果に過ぎない。譬えば坤は、大に言えば地で、小に言えば一塊の布・一口の鍋にすぎない。坎は大に言えば大江大河、小に言えば溝渠である。離は大に言えば太陽の光明、小に言えば一点の螢火である。大小に定準なく、全く取る所の本体に随って変ずる。本体を弄明白にして、再びその功用を推せば、象の用は無窮無尽である。

言凡象者,不可不視其所以。以者與也,及也。(《易》曰“不富以其鄰”及“剝床以足以其國君凶”,“拔茅茹以其匯”,諸“以”字皆與“及”字同訓。)卦因而重之,重為六畫,實具兩象。兩象必以其一為主,則必有所與。而六畫之二三四五中爻之象及其變動所生之象,無一而非與也。

およそ卦象を講ずる者は、その「所以(以)」を見ざるべからず。「以」はすなわち「与」であり、すなわち「及」である(《周易》の中の「富まざるは其の鄰を以てす」、および「床を剥して足を以てす」「其の国君を以て凶」「茅を拔き茹を以て其の彙を以てす」、これらの「以」の字は皆「及」の字と同一の訓釈)。八卦が相重なって六画の卦を成すに、実際は上下二つの象を包含し、両象の中に必ず一つの主なるものがあれば、もう一つはすなわちそれが連帯する対象である。そして六画卦の中の二・三・四・五の諸爻が結成する互体の象、および爻変して後に新生じ出る象は、一つとしてそれが連帯する対象でないものはない。

所與者而善,乃吉之幾。所與者而不善,乃凶之兆。而善惡又有大小之殊,所與者又有遠近之別,《繫傳》曰“遠近相取而悔吝生”,又曰“凡《易》之情,近而不相得,則凶或害之”。悔且吝,故必觀其所與者之善惡之大小,及情偽遠近,然後吉凶生而悔吝著,庶乎可得象之用焉。

連帯する対象が善なれば、すなわち吉の先兆であり、連帯する対象が不善なれば、すなわち凶の徴候である。善悪にはまた大小の差別があり、連帯する所にはまた遠近の分野がある。《繋辞伝》は「遠近相い取りて悔吝生ず」と言い、また「およそ《易》の情は、近くして相い得ざれば則ち凶、或いはこれを害し、悔しみ且つ吝なり」と言う。だから必ず連帯する対象の善悪がどの程度かを見清め、彼此の間が真情か虚偽か、相近いか相遠いかを見て、しかる後に吉凶が顕現し悔吝が彰明し、これで初めてほとんど象の用を掌握したと算することができる。

凡言象者,不可不觀其所由。《繫傳》曰:“辭也者,各指其所之。”此有所之者,即彼有所由。《文言》曰:“臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣。”蓋於坤之第一爻“履霜堅冰”,為三百八十四爻之所由來者,舉其例焉。

およそ卦象を講ずる者は、その来路を見ざるべからず。《繋辞伝》は言う。「辞とは、各々その之く所を指す」と。この一頭に往く所あれば、あの一頭にすなわち自ら来る所がある。《坤卦・文言》は言う。「臣がその君を弑し、子がその父を弑するは、一朝一一夕の故に非ず、その来る所の者は漸なり」と。これは坤卦の初爻「霜を履みて堅氷至る」の下に、三百八十四爻が各々来路あるというこの一点に就いて、一つの範例を挙げ出したのである。

觀象者先明定其體象之所在。而更觀其所由來。如乾之姤,若用乾為天,則下巽為風,此風所由來為乾。乾為西北之卦,即西北風也。乾為冰為寒,則其風必寒。若用乾為木果,則巽不取象於風,當取象於蟲。因巽所由來為乾,既用為木果矣,則木果豈能生風?自應作蟲斷焉。舉其一例,餘可類推。不觀所由,象烏乎定哉!

象を観る者は先ず本体の象がどこに落ちるかを認定し、しかる後にその来路を見る。譬えば乾卦の初爻が変じて姤と成る。若し乾を天と取れば、下卦の巽はすなわち風で、この風の来路は乾である。乾は西北方の卦なので、あれはすなわち西北風である。乾はまた冰であり寒なので、さらばこの風は必ず寒冷である。若し乾を木果と取れば、巽は風に象を取るべきでなく、虫に象を取るべきである。巽の来路が乾であり、乾がすでに木果と用いられた以上、木果がどうして風を生じ得ようか。自然に生虫と断ずべきである。この一つの例を挙げれば、その余は皆類推できる。来路を見なければ、象はどうして定められよう。

凡言象者,不可不察其所安。安也者,位也。《繫傳》曰:“君子安其身而後動。”觀象者既定其主體之所在矣,必察其所在之處,能否得位。位得矣,必察其位之能否得時得用,而後其象始可得而言。

およそ卦象を講ずる者は、その「所安」を考察せざるべからず。いわゆる「安」とは、すなわち位である。《繋辞伝》は言う。「君子はその身を安んじて後に動く」と。象を観る者はすでに主体がどの爻に在るかを定めた以上、必ずそれが処する所の位を得るか否かを察看せねばならない。位を得ても、またこの位が時を得るか否か、用を得るか否かを察看して、しかる後にこの一卦の象を論ずるに足る。

如用巽為木,則必察其所處之位為甲乙。或為丙丁壬癸,或為庚辛,為甲乙則當,為丙丁則相。為壬癸則生,而庚辛則死,既當或相與生矣,則更應察衰旺。並視所與者及所由者之如何,則象之情可畢見矣,如巽木處甲為剛木,所由來為乾,必為堅強之果木;所與者為艮,必是園林;為坤而壯者(如在四季月之終或戊己日時),為廣土;其衰者(如春令或甲乙日之類),則為盆缶。其他可準此。

譬えば巽を木と取れば、必ずそれが処する位が甲乙か、丙丁壬癸か、それとも庚辛かを見ねばならない。甲乙の木位に処れば「当令」であり、丙丁の火位に処れば「相」(生を受けて次に旺える)であり、壬癸の水位に処れば「生」(母気の生扶を得る)であり、庚辛の金位に処れば「死」(金に克される)である。すでに当令し、あるいはすでに相を得生を得たなら、さらに一歩進んでその衰旺を察し、再びそれが連帯する所と自ら来る所が何かを見れば、こうすれば象の情状は全て顕現する。例えば巽木が甲位に処れば剛木で、来路が乾ならば必ず堅硬な果木である。連帯する所が艮ならば、あれはすなわち園林である。連帯する所が坤で正に壮盛ならば(四季月の月末に在るがごとき、あるいは戊己日・戊己時)、あれはすなわち広闊の田土である。坤が若し正に衰弱ならば(春令に在るがごとき、あるいは甲乙日の類)、あれはただ盆盆罐罐にすぎない。その余は皆これに照らして推断できる。

凡言象者,不可不明消息。消則滅,息則滋。如復姤臨遁之十二卦,消息之大焉者也。乾息坤,坤消乾。陰陽之大義,造化之橐龠,物理所莫能違,人事所莫能外。故物無大小,事無鉅細。言象者必先明乎消息盈虛之故,而象始可明。

およそ卦象を講ずる者は、消息を明白にせざるべからず。「消」は退滅であり、「息」は滋長である。復・姤・臨・遯などの十二消息卦のごときは、すなわち消長の中の最大の例である。乾陽が滋長すればすなわち坤に侵入し、坤陰が滋長すればすなわち乾を消退する。これは陰陽の大義・造化の風箱で、物理において違背すべからず、人事において例外すべからず。だから物件の大小・事情の巨細を問わず、象を講ずる者は皆必ず先に消長盈虚の道理を弄明白にして、初めて象を講じ明白にできる。

凡一卦本體之消息,或因時言之,或以位論之。當其消焉,象雖吉而未可言福。當其息焉,象若凶而益長其禍。其時值消而位當息,或位據息而時見消,則須辨其重輕,而異而分劑。或可亭毒均處而劑其平,或雖截短補長終莫齊其數。則又勢為之,未可泥於一端也。蓋勢之所趣,每善不敵惡,福不勝禍,一薰一蕕,十年尚猶有臭。一朝失足,而畢生之功盡棄。此君子之所以戒惡念之萌,而《易》道之所以扶陽而抑陰,嚴堅冰之防於履霜之始也。

一卦本体の消長は、或いは時令に就いて言い、或いは爻位に就いて論ずる。正に消退の時に当たれば、象は吉でも福を論ずるに足らず、正に滋長の時に当たれば、象はたとえ凶でも反ってその禍を助長する。若し時令が消に在って爻位が息に当たるか、あるいは爻位が息に属して時令が消を見せるならば、必ず軽重を分辨し、区別して対待し斟酌調配せねばならない。或るものは調停均衡して両辺を持平せしめることができ、或るものはたとえ長を截り短を補っても、終にその数を凑え斉えることができない。これはまた形勢が成す所で、一端を死守すべからず。大抵形勢の趨く所は、往々にして善は悪に敵せず、福は禍に勝たない――一株の香草と一株の臭草を一緒に置けば、十年の後に聞く所は依然として臭味である。一朝失足すれば、一生の功業は全数丢弃される。これがまさに君子が悪念の剛く萌動する時に戒惧を加える所以であり、まさに《易》道が陽気を扶助し陰気を抑制して、「履霜」の初めに「堅氷」の到来を厳防する所以の緑故である。

言象之大要如此。故夫陰陽之順逆,五行之休廢,氣數之盛衰,均不可不辨焉。向之言《易》者,曰吾治經,非以談休咎,奚用此術數為?而不知《易》以道陰陽,原本天地之數,以著天地之象,以通神明之德,以類萬物之情。非數則無以見《易》,非數即無以見象,未有象不明而能明《易》者也。

象を講ずる大要はすなわちこれである。だから陰陽の順逆・五行の休廃・気数の盛衰は、皆分辨を加えざるべからず。昔《易》を講じた人は常に言う。我は経を治める者で、吉凶禍福を談じに来たのではない。あの一套の術数をして何をせんと。彼らは《荘子・天下》が早くからすでに「《易》はもって陰陽を道う」と言ったことを知らない――《周易》はもともと陰陽を闡明するを職志とし、天地之数に根源して、もって天地の象を顕示し、もって神明の徳性を会通し、もって万物の情状を分類する。数がなければ《易》を見る由なく、数がなければまた象を見る由なし。従来象さえ講じ明白にできずして、《易》を講じ明白にできた人はない。

舍象以言《易》,故宋儒之性理,往往流於禪說而不自知。舍《易》以言象,方士之鼎爐,每每陷於魔道而殺其身。唯之與阿,相去幾何?然方士之說,不足以惑人,尚其為害之小者也。

象を撇いて《易》を講ずれば、だから宋儒が性理を講ずるに、往々にして禅家の路数に流入して自ら覚らない。象を撇いて去って象を講ずれば、だから方士が炉鼎を摆弄し丹薬を焼煉するに、屢々邪道に陥って性命を送り失う。《老子》は「唯と阿との相去ること幾何ぞ」と言う。この両者の距離は実はまた遠くない。ただ方士のあの一套はなお衆人を惑乱するに足らず、害を為すことは終に小と算する。

易學自邵子以前,無八卦之圖。故言象者,除納甲以外,皆卦自為象。其有通兩卦又言者,即卦變及覆卦(來氏曰綜)耳。未有求之於八卦者,先天八卦無論矣。即後天八卦方位,亦鮮探索。惟“西南得朋”,“先甲”“先庚”等《彖》、《象》,注家或求諸卦位,餘則罕見矣。至先天八卦,更為言漢學者眾矢之的。焦氏之《易通釋》亦只以旁通貫串各卦,終不承認八卦之有先天也。

易学は邵雍以前に八卦方位図がなかったので、象を講ずる者は納甲以外は、皆一卦が自ら一象を成していた。たまに两卦を貫通して講ずる者があっても、所詮卦変と覆卦(来知徳は之を「綜」と称す)にすぎず、八卦方位の上に求めに至る者はなく、先天八卦はさらに言うまでもない。後天八卦の方位すら、前人が探索すること少なし。ただ《坤卦》の「西南に朋を得」・《蛊卦》の「甲に先んずること三日」・《巽卦》の「庚に先んずること三日」のこの類の《彖伝》《象伝》の文句に、注家がたまに卦位の上に根拠を求めるのみで、その余は少なく見える。先天八卦に至っては、さらに漢学を講ずる人の衆矢の的となり、焦循の《易通釈》もまたただ「旁通」をもって各卦を貫串し、終始八卦にいわゆる先天があることを承認しない。

今按之六十四卦之《彖》、《爻》,其取象之所由,無不原本於先天後天兩圖。苟明其例,則逐卦逐爻象義相合。如按圖而索驥。否則各爻之象,有決非本卦與互卦及旁通所有者。如山風蠱,六爻有四爻言父,一爻言母。而父母之象,從何而來?不於先後兩圖求之,雖輾轉穿鑿,終不能得。迨考諸先後天,則知先天艮巽之位,即後天乾坤之位。乾父坤母,其所由來了如指掌矣。

今や六十四卦の《彖辞》《爻辞》を取って核対すれば、それらの象を取る来路は先天・後天の两図に本づかないことはない。ただこの体例を弄清すれば、卦を逐い爻を逐って象と義が皆相合し、図に按じて馬を尋ねるがごとく容易である。そうでなければ各爻の象の中に、総じていくらかは決して本卦・互卦・旁通の有し得るものでないものがある。譬えば山風の蛊卦は、六爻の中に四爻が「父」に言及し、一爻が「母」に言及するが、父母の象はどこから来るか。先天後天の两図の上に求めなければ、輾転穿凿に任せても求め出せない。先后天を一たび対照すれば、先天の艮・巽が居る位置は、まさに後天の乾・坤が居る位置であることを知る――乾は父・坤は母で、来路はすなわち掌に指すがごとく瞭たるである。

又如《象傳》天火同人九五,曰“同人之先,以中直也”,“先”字從何而來?無從索解。考諸先後天,則後天離位,即先天乾位,更明析矣。故先天後天二圖,實闡發全《易》之秘籥。非但無可駁議,而先後二字,亦決不可易。或改先天為天地定位圖,後天為帝出乎震圖,乃昧於先後之義者也。

また《象伝》が天火同人の九五を解して「同人の先とは、中直なるを以てなり」と言うが、この「先」の字はどこから来るか。旧説に照らせば索解する由がない。先后天の两図を一考すれば、後天の離が居る位置はまさに先天の乾が居る位置で、そして乾はまさに「先」である。来歴はいっそう明白である。だから先天・後天の两図は実に整部《周易》を闡発する秘鍵で、ただ駁議すべき所がないのみならず、「先天」「後天」の二つの名目すら決して更改してはならない。ある人が先天図を改めて「天地定位図」と称し、後天図を改めて「帝出乎震図」と称せんとするのは、それは「先」「後」の二字の含義を知らない人である。

惟邵子以先天圖為伏羲所畫,後天圖為文王所定,則殊可議。蓋兩圖實體用相生,不能離拆。伏羲既作先天八卦,決不能無後天卦以通其用,故先天後天,與重卦六十四,皆一時並有。其六十四卦之大圓圖與方圖,或為邵子所發明,未必為伏羲氏之所畫也。

ただ邵雍が先天図は伏羲の画いた所、後天図は文王の定めた所と言う、この一点は大いに商榷すべきである。両図は実に体と用が相生するので、拆いて見ることができない。伏羲がすでに先天八卦を画いた以上、決して後天卦なくしてその功用を貫通できたはずがない。だから先天図・後天図は、重畳して成った六十四卦とともに、皆同時に併存していたのである。あの六十四卦の大円図と方図に至っては、或いは邵雍自身が発明したものかも知れず、未だ必ずしも伏羲当年の画いた所ではない。

漢《易》家駁先天圖者,曰:“離南坎北,《說卦傳》明定之方位也。乃以西北之乾置之南,西南之坤移之北。離為火故南方熱,坎為水故北方寒。今以乾居南方,則乾為寒為冰,豈不大謬?”當時以為名言。孰知南極北極,固皆為冰洋,今則三尺之童亦知之矣。駁議已不值一笑。然南北冰洋之發見,近三百年內事耳。乃何以伏羲畫卦時,已預有是象,謂非天下之至神乎?

漢学の一派で先天図を駁斥する人は言う。「離は南・坎は北、これは《説卦伝》が明々に定めた方位である。先天図はところが本來西北に在るべき乾を南方に摆き、本來西南に在るべき坤を北方に挪した。離は火なので南方は炎熱であり、坎は水なので北方は寒冷である。今乾を南方に居らしめて、《説卦》はまた乾は寒であり冰であると言う。これは大錯特錯ではないか」と。この一番の言は当時名言と奉じられた。誰が料ったか、南極北極はもともと皆冰封の海洋で、今日は三尺の孩童すら知っている。あの一套の駁議はすでに一笑に値しない。しかし南北の冰洋が発見されたのは、近三百年間の事に過ぎない。なぜ伏羲が卦を画いた時に預めこの象を具備していたのか。これはまさに天下の最も神妙な事ではないか。

乾為圜。圜者,渾圓,非平圓也。故《易》道之圓象,直四面凌空,不能僅觀其一面。鄉之言象者,目光不出於書外,泥於紙上之一圈,以為圓。錢竹汀至以地勢北高南下,駁乾南坤北之圖。具此目光以觀象,何異鄉愚觀李思訓山水。雖尺幅千里,以為不如春牛圖之得情,豈不辜負良工心苦!

《説卦》は「乾は圜」と言う。いわゆる「圜」とは、立体の渾円球体で、平面の円圏ではない。だから《易》道の講ずる円象は、四面凌空の球体で、ただその一面を見ることはできない。昔象を講じた人は眼光が書本を跳出できず、紙上に画かれたあの圏子を死に盯着して円と為した。銭大昕(号は竹汀)は甚だしくは地勢が北高南低であるをもって「乾南坤北」の先天図を駁斥した。このような眼光をもって象を観れば、郷下人が唐代李思訓の山水画を見るのと何の異なりがあろう――画の中の尺幅の内に千里の勢があるのに、彼は衙署の裡に張貼した春牛図のほど親切でないを嫌う。豈に画家の一片の苦心を辜くことならんや。

乾為天,亦渾圓之天。故初潛而上亢。南極入地不見,潛也。北極出地,亢也。若在赤道以南觀之,則北極入地,而南極出地。若於正中赤道下觀之,則南北極皆不見,而成大過象。故大過曰“顛也,本末弱也”。

「乾は天」とは、この天もまた渾円の球体である。だから乾卦の初爻を「潜」と呼び上爻を「亢」と呼ぶ。中国の在る北半球に立って見れば、南極は地下に沈んで見えず、これがすなわち潜であり、北極は地面より高出し、これがすなわち亢である。若し赤道以南に換えて見れば、便ち反対となる。北極は地下に沈み、南極は地面より高出する。若し正に中に当たる赤道の下に立って見れば、南北両極とも見えず、大過卦の象となる――上下の两爻が皆陰で中間四爻が皆陽である。だから《大過・彖伝》は「大過とは顛なり」と言い、また「本末弱し」と言う。

六爻以三四兩爻為人爻,合言之,則上天下地中人。三極之道,與天地參者也。分言之,則人於天地間,只估三分之一。故乾以六爻言天行,則六龍皆為星象。言人道,則六龍以喻君子。言地勢,則中二爻為人居之地。初九、九二、九五、上九,皆龍之所宅。龍所宅,則海洋耳。即一卦分合言之,無不各具至理。舉乾而他卦可隅反矣。

六爻の中で、三・四の两爻をもって人爻とする。合わせて見れば、すなわち上は天・下は地・中は人で、まさに《繋辞伝》の言う「三極の道」で、人は天地と並び列んで三と為るを得る。分けて見れば、人は天地の間でただ三分の一を占める。だから乾卦を若し六爻に就いて天体運行を講ずれば、あの六条の龍は皆星象(東方蒼龍七宿)であり、若し人道を講ずれば、あの六条の龍は便ち君子の比喻であり、若し地勢を講ずれば、中間の两爻は人の居住する陸地で、初九・九二・九五・上九は皆龍の栖息する所――龍の栖息する所は、すなわち海洋である。一卦に就いて論ずれば、分けて講じ合わせて講じて、各々極めて深い道理がないことはない。乾卦を挙げて例とすれば、その余の各卦は皆これによって反推できる。

坎陷也,險也。說者謂以一陽陷兩陰之中,故險也。似矣,而未盡也。論卦象,坎為坤體,坤為順,何險之有?然正以上下皆順,如一人處至順之境,則陷溺其中而不自知。上下皆順,惟我是從,則更無匡弼輔導之資,其險莫險於是矣。反觀夫離,以一陰陷二陽之中,厥狀相等,何以不曰陷曰險,而乃曰麗?則離為乾體,乾德剛健,能匡輔之,乃剛柔相濟,自無險陷之虞矣。聖人取象之精,意極深遠。徒以陰陽言之,不免皮相之論也。

坎は陥であり、険である。経を解する者は言う、一つの陽爻が二つの陰爻の中間に陥るので、険と為ると。この言は正しいようだが、言い尽くしてはいない。卦象に就いて論ずれば、坎の本体は坤に属し、坤は順で、どこから来る険があろう。しかし正に上下が皆順なればこそ、譬えば一人の人が样样順遂の境地に身を処して、その中に陥溺して自ら毫も覚らないがごとき。上下皆順で人々唯々として我に従えば、再び匡正輔弼の憑藉がなく、天下の険でこれより険しきはない。反って離卦を見れば、一つの陰爻が二つの陽爻の中間に陥り、形状は坎と相当するのに、なぜ「陥」と呼ばず「険」と呼ばず、反って「麗」(附麗)と呼ぶか。離の本体は乾に属し、乾徳は剛健で、それを匡正し輔助できるからで、そこで剛柔相済い、自ずと険陥の憂いがない。聖人の象を取るの精微、用意は極めて深遠である。ただ陰陽爻位の上から講ずれば、皮相の論に流れるを免れない。

巽為雞,離為雉。雉俗呼為野雞,亦雞類也。巽既為雞,何不足以概雞,又特著於離?似近煩複矣。乃細察象義,則巽二陽在上,陽以象雞之翅。二陽重疊不分,故雞不能飛。離則兩陽在外,兩翅開張,故雉能飛。取象之妙,其細微不遺如此。

《説卦》は巽は鶏・離は雉と言う。雉は俗に野鶏と称し、また鶏の類に属する。巽がすでに鶏と為った以上、なぜなお鶏を全部概括するに足らずして、必ず離の下に再び特別に一つの雉を標出するのか。見れば近く重複するようである。しかし細かに象義を察すれば明白となる。巽卦は二つの陽爻が皆上に在り、陽爻は鶏の翅膀を象徴し、两陽が重畳して分かれないので、家鶏は飛び上がれない。離卦はすなわち二つの陽爻が外に分列し、两翅の張開するがごときなので、野雉は飛ぶことができる。象を取るの巧妙は、細微にこの地步に至るまで遺漏しない。

兌為羊,說者謂羊性外柔內剛,故《陰符》曰“猛如虎狠如羊”。羊見死絕下畏避,且不號呼,切齒瞪目以就刃,剛狠極矣。而外極柔順,故以象兌之外柔內剛是也,猶未盡焉。兌,正秋也,五行屬金。土能生金,兌金為羊,故土可種羊,而土之怪亦曰羵羊。象理物理之妙合。實不可思議。

《説卦》は兌は羊と言う。経を解する者は羊の性情は外柔内剛なので、《陰符経》に「猛きこと虎のごとく、狠きこと羊のごとし」の言があると言う。羊は眼に見て宰殺されんとするも、決して退縮躲避せず、哀号もせず、ただ牙関を咬緊め眼睛を瞪いて刀口に向かう。剛狠は極点に至り、しかも外表はまた極めて柔順である。だからこれをもって兌卦の外柔内剛を象徴する――この説法は錯ではないが、ただまだ言い尽くしていない。兌は正秋の卦で、五行は金に属する。土は金を生じ得、兌金は象を羊に取るので、土の中に「種」して羊を出すことができる。《国語》は季桓子が井を掘って土怪を得たを記し、孔子はあれを「羵羊」と呼ぶと言い、まさにこれは土中の羊である。象理と物理がこのように巧合するのは、実に思議すべからずである。

難者曰:坤土為牛,火能生土,何以火不能種牛?巽木為雞,水能生木,何以水不能種雞?曰:物各有理,非可概論。羊於辰屬未,坤貞未土,故土之生羊,不盡因於土金之相生焉。他物之生,各有原理。恨吾人學識尚淺,未能悉知之耳。

ある人が詰難して言う。坤は土であり牛である。火は土を生じ得るのに、なぜ火の中に種して牛を出せないか。巽は木であり鶏である。水は木を生じ得るのに、なぜ水の中に種して鶏を出せないか。答えて曰く。万物は各々その道理があって、一概に論じられない。羊は十二地支の中で未に属し、そして坤卦の貞位はまさに未土に落ちる。だから土は羊を生じ得るのであって、全て土金相生のこの一層に因るのではない。その他の物類の化生は、各々その原理があって、ただ我々の学識がなお浅く、一一知ることができないを恨むのみである。

坎為水,離為火。水火天地之大用,道家謂為人生之至寶。修道之功,歸結於取坎填離。而平時所致力者,所謂龍虎升降。二五交媾,皆不越坎離之功用。古來傳記,所載物類能煉形修道者,惟狐為最多。且其收效之易且速,恆為人類所不及。雖為經史所未載,然不盡為荒唐無稽之語,可斷言也。

坎は水、離は火。水火は天地間の最大の功用で、道家はそれらを人生の至宝と見做す。道を修める功夫は「坎を取って離を填む」に帰結し、平日に着力する所のいわゆる龍虎升降・二五交媾も、皆坎離の作用範囲を出ない。古来よりの伝記の中で、物類が形を煉し道を修めること能くするを記載するは、狐狸をもって最多とし、しかもそれが効を見るの容易さ・迅速さは、往々にして人類を超過する。この類の事は正経正史に見えないが、しかし一概に荒唐無稽の談と為すこともできない。この一点は断言できる。

要皆未能證明其理,乃考之於《易》,狐為坎象(《荀九家補》)。而水火既濟、火水未濟之兩卦,皆取象於狐。夫既濟未濟,非道家之乾坤,《參同契》之關鍵乎?乃文王作《彖》,周公繫《爻》,皆取象於狐。則狐之性靈形體,必與人近。或其內體有特異之機能,合於水火升降之作用,有非為人所及者,故能事半而功倍。古聖必已確知其故,因以繫諸離坎交媾之兩卦,非偶然也。

ただ従来その中の道理を証明できた人がいない。そこで《周易》を取って考察するに、狐は坎の卦象である(《荀九家易》の補した逸象に見える)、そして水火既済・火水未済の両卦は皆狐に象を取る。既済・未済はまさに道家の言う乾坤・《参同契》の一書の関鍵ではないか。文王が《彖辞》を作り、周公が《爻辞》を繋げて、偏偏ともこの两卦の上に狐に象を取った。さらば狐の性霊と形体は必ず人に相近く、或いはその体内に或る特異の機能があって、恰好水火升降の作用に合し、人の及ばない所である故に、修煉すれば功半にして事倍す。古代の聖人は必ず早くからこの縁故を確知して、初めて狐を離坎交媾のこの两卦の上に繋げたのであって、決して偶然ではない。

但非詳於動物生理學者,不能剖此疑團。在北京時,會以質諸大學教習日耳曼人沙某。沙亦向喜中國古學。而精於生理解剖者也。辛齋詳語其故,而沙乃鼓掌狂喜曰:“此足與吾國學者之研究相印證矣!近年解剖之學日精,凡人類與動物之身體之結構,無不明晰其作用:如人之腦筋有十二對,若者司觀,若者司聽司嗅,無不條分縷析。獨狐之腦筋,異常繁複。經多數博士之考驗,迄今尚未能解決。今由《易》象,可得其端倪。即從心腎兩臟以探察之,或可得其要領乎?”即此以觀,可見吾人於科學知識未能充分,而《易》象之精深奧衍,則斷非一知半解之腐儒所可擬議矣。

しかし若し動物生理学に精通した人でなければ、この疑団を剖き開くことはできない。私が北京に在った時、かつてこの問題を取って大学の中のドイツ人教習沙某に請教した。沙氏は平素中国の古学を喜好し、また生理解剖に精しい。私はその中の縁由を細々と彼に講じて聴かせると、彼はついに鼓掌して大いに喜んで言った。「これは我が国の学者の研究と互いに印証するに足る。近年解剖の学は日に日に精密となり、およそ人類と動物の身体の構造は、作用として明白にし尽くされないことはない。例えば人の脳神経は十二対あり、どの一対が視覚を管り、どの一対が聴覚・嗅覚を管るか、皆条分縷析である。ただ狐の脳神経のみが異常に繁複で、許多の博士が反復検験しても、今日までなお解決できていない。今《易》象から倒して端倪を得ることができる――すなわち心・腎の两臓から手を入れて探察すれば、或いは要領を摑めるかも知れない」と。この事から見れば、我々の科学知識はなお充分でなく、《易》象の精深宏富は、決して一知半解の腐儒の妄りに議論を加え得る所ではないことが見える。

凡卦之象,合言之各有陰陽剛柔之別。陰陽以氣言,剛柔以形言。如乾為天為剛,坤為地為柔,坎為水為氣之形,離為火為形之氣,是也。而分言之,每卦又各自有其剛柔氣形之用。如乾為天為圜為父為君,又為玉為金為寒為冰,又為大赤,為良馬為老馬為瘠馬為駁馬,又為木果。

およそ卦の象は、合わせて見れば、各々陰陽剛柔の分別がある。陰陽は気に就いて言い、剛柔は形に就いて言う。譬えば乾は天であり剛であり、坤は地であり柔であり、坎は水で気の凝りて成した形であり、離は火で形の化して成した気である。この意である。分けて見れば、毎一卦がまた各々剛柔気形の種種の作用を具備する。譬えば乾は、《説卦伝》はそれを天と為し圜と為し父と為し君と為し、また玉と為し金と為し寒と為し冰と為し、また大赤と為し、良馬・老馬・瘠馬・駮馬と為し、また木果と為すと列す。

說者謂乾元資始,天與圜乾之體也,父與君,人之元也。玉與金,物之元也。寒與冰,氣之元也。大赤,色之元也。馬與木果,動物植物之元也。又來瞿唐云:“乾為馬,良馬其本體也。時變為老,形變為瘠,色變為駁,皆能得觀象之要者也。”學者由此類推,更可得無窮之精義。

経を解する者は言う。乾元は万物の創始の根源で、天と圜は乾の本体である。父と君は人倫の中の元であり、玉と金は物質の中の元であり、寒と冰は気の中の元であり、大赤は顔色の中の元であり、馬と木果は動物・植物の中の元である。来知徳(号は瞿唐)はまた言う。「乾は馬である。良馬はその本体で、時間に随って変じれば老馬と成り、形体に随って変じれば瘦馬と成り、毛色に随って変じれば雑色馬と成る」と。これらの講法は皆象を観る要領を摑み得る。学者はこれによって類推すれば、なお無窮の精義を得ることができる。

如為玉為金,金玉乃物質之最堅最精最純正者。《乾·文言》曰“剛健中正,純粹精也”,故以金玉象之。然物質之發明,日進無窮。近世所寶貴之金剛石,在畫卦時未必有是物也。而乾之剛純粹精,已酷肖其象。故自金剛石出世,而金玉失其貴。擬乾之象,當亦以金剛石為最肖矣。

譬えば乾の「玉と為す」「金と為す」は、金と玉は物質の裡で最も堅硬・最も精美・最も純正の物である。《乾卦・文言》は「剛健中正、純粹にして精なり」と言う。だから金玉をもってそれを象徴する。しかし物質の発見は日に新たに月に異なり、近世に至宝と視られる金剛石は、卦を画いた時代に未だ必ずしも出現していなかったかも知れないが、乾卦の剛健純粹精一の徳は、早くからすでに酷似してその形象のごとし。だから金剛石が世に問われて以後、金玉は便ち従前の尊貴を失った。今日乾の象に比擬するにも、また金剛石をもって最も相像るとすべきである。

蓋乾乃純粹之氣,而凝合成形,又極剛極堅,無物足以比擬。據近世化學家所考驗,金剛石乃純粹之炭氣所凝結,化之仍散而為氣,絕無渣滓。夫至精至純至剛至堅,又光明通達,聚之成質,而散仍復為氣。非乾之全德,又烏足以肖之?此象之可以物理之確當而補之者也。

乾はもともと純粹の気が凝聚して形を成し、また極剛極堅で、別に比擬できる物がないからである。近世の化学家の検験に拠れば、金剛石はまさに純粹の炭素が凝結して成ったもので、焼化した後に依然として散じて気体となり、一点の渣滓もない。至精・至純・至剛・至堅で、しかも光明通透し、聚めれば実体と成り、散じればまた気に還元する――乾の全部の徳性を具備するのでなければ、どこにそれに比擬するに配する所があろう。これがすなわち確切の物理知識をもって卦象を補充し得る一つの例である。

凡卦之擬象,有自其陰陽之本體言者,有自其陰陽既合以後言者。如乾道成男,坤道成女,為男為女,是各就其本體言也。若乾為父,坤為母為婦,則自其陰陽既合以後而言也。凡卦之擬象,有取其全體者,有取三畫中之一畫者。乾坤為陰陽之宗,故取象皆以其全體。六子各分乾坤之一爻,故取象亦各就其一爻而言。如震巽以下爻,坎離以中爻,艮兌以上爻是也。

およそ卦の取象は、或いは陰陽の本体の上から言い、或いは陰陽が交合して後より言う。譬えば《繋辞伝》が講ずる「乾の道は男を成し、坤の道は女を成す」とは、それを男と為し女と為すのは、すなわち各々本体に就いて言うのである。乾を父と為し、坤を母と為し婦と為すと言うに至っては、あれはすなわち陰陽交合して後より言うのである。またおよそ卦の取象は、或いは整卦全体を取り、或いはただ三画の中の某一画を取る。乾坤は陰陽の総源頭なので、取象は皆全体を用いる。六子は各々乾坤の一爻を分かち得たので、取象もまた各々あの一爻に就いて言う。震・巽は下爻を取り、坎・離は中爻を取り、艮・兌は上爻を取る。この道理である。

六子既各分乾坤之一爻,故即分乾坤之象。如乾為馬,震坎皆言馬。坤為牛,離亦為牛。坤為腹,離為大腹。乾為首,坎為大首。“大腹”見於《傳》而不見於《經》,“大首”見於《經》而不見於《傳》,此尤見經傳互相發明之妙也。

六子はすでに各々乾坤の一爻を分かち得たので、また各々乾坤の一部分の卦象を分かち得た。譬えば乾は馬で、震と坎は皆馬に言及し、坤は牛で、離もまた牛であり、坤は腹で、離は便ち大腹であり、乾は首で、坎は便ち大首である。その中の「大腹」はただ《説卦伝》に見えて経文に見えず、「大首」はただ経文に見えて《説卦伝》に見えない。一は伝に在り、一は経に在り、恰好相い補う。これは特に経と伝が彼此発明するの巧妙を見るに足る。

震為聲。凡天下之聲,無不由動而發者也。震為群動之宗,故又為聲。然《說卦傳》未言震為聲者,以巽之為臭對照而可得者也。《說卦》一言象,往往於相對待者舉其一端。如舉坤為眾,知乾之為一。舉乾為寒,知坤之為暑。舉坎為憂,知離之為樂。此以對卦互見其義者也,亦有反對互見其義者。如震為大塗,而艮為徑路。巽為疑而兌為決。此皆《說卦》所明言者,則其未明言者可類推而知矣。如舉巽為長為高,則知兌為渺小為纖細。舉艮為門闕,則知震為盤桓。非神而明之,象義莫能見矣。

震は声である。天下の一切の声音で、動に由って発しないものはない。震は万動の総源頭なので、また声と為る。しかし《説卦伝》は並びに明らかに震は声と言わず、これは巽は気味とするを取って対照して初めて推し出せる。《説卦伝》が象を講ずるに、常に相対する两者の中でただ一端を挙げる。坤は衆と挙げれば、乾は一であることを知り、乾は寒と挙げれば、坤は暑であることを知り、坎は憂と挙げれば、離は楽であることを知る――これは相対の卦をもって互いにその義を見るである。また反対の卦をもって互いにその義を見る者もある。震は大路で、艮は便ち小径であり、巽は疑で、兌は便ち決断である。これらは皆《説卦伝》が明白に講じ出したもので、さらばそれが講じ出さなかったもまた類推して知るべきである。巽は長であり高と挙げれば、兌は渺小・纖細であることを知り、艮は門闕と挙げれば、震は盤桓であることを知る。若し心領神会できなければ、象義は見出せない。

坎為水,離為火,其單象也。而陰陽既合,而離又為電為光為熱。物理之作用,非水不能溶解,非光熱不能融合。無論動物之生,不能離水火與光力熱力,為循環之挹注。既礦物諸質,其凝結之初,亦無不由此。故以電光熱之力,無物不可化分,亦無物不可以化合。故《易》以坎離為六十四卦之中樞,而殿之以水火既濟火水未濟。

坎は水・離は火、これはそれらの単純の象である。陰陽が交合して後に至っては、離はまた電と為り光と為り熱と為る。物理の作用に就いて言えば、水がなければ溶解する法なく、光熱がなければ融合する法なし。ただ動物の生長が水火と光力・熱力の循環不断の補給を離れられないのみならず、各種の鉱物質も最初凝結する時に、皆これに由って来ないことはない。だから電・光・熱の力量に憑れば、分解できない物なく、化合できない物もなし。正にこの因をもって、《周易》は坎離をもって六十四卦の中枢と為し、水火既済・火水未済の两卦をもって全書の殿軍とする。

或問:乾為天,又為木果。小大之不倫,何懸絕若是?曰:天者元也,元無所不至。木果雖小,即乾之貞,而為元之所伏也。剝之上九曰“碩果不食”,反而為復,貞下起元,故終則有始也。其取象於木果者,以其形圓。圓內有核,核內有仁,仁內即元之所存,物雖小而生意無窮。至初爻變為巽,則元已不可見。故巽為不果,又為伏。伏者即謂元之伏藏而不可見,即無首之義也。《易》象之妙,極深研幾,無一字不有精義存乎其間。

ある人が問う。乾は既に天であり、また木果と為る。大小がこのように相称せず、なぜ懸殊がこの般の地步に至ったか。答えて曰く。天はすなわち「元」で、元は至らない所なし。木果は小さいが、まさに乾の「貞」であり、すなわち元の潜蔵する所である。《剥卦》上九は「碩果食われず」と言う。剥極まりて返れば復卦と成り、貞尽きて元また起こる。だから終有れば必ず始有る。木果に象を取るのは、その形状が渾円なるに因る。円の裡に核あり、核の裡に仁あり、仁の裡はすなわち元の存する所――物は小さいが生機は無窮である。乾の初爻が一変して巽と成れば、元は見えなくなる。だから《説卦》は巽は「果たさず」と為し、また「伏」と為すと言う。いわゆる「伏」とは、まさに元が潜蔵して見えざるべからずを言い、すなわち《乾》の用九「群龍を見るに首なし」の意である。《易》象の妙は、賾を探り幾を研じて、一つの字として精義を含まないものはない。

或問:乾為木果,即乾上爻之象乎?曰:碩果不食,上爻之象也。而窮上反下,則為初爻。故“木果”二字,須合兩爻以見義。經於剝上曰“碩果”,曰“不食”,二字均有分寸,不可不深思熟察也。

ある人が問う。乾は木果、これはすなわち乾卦上爻の象か。答えて曰く。「碩果食われず」は確かに上爻の象だが、上に窮まれば下に返らねばならず、そこでまた初爻と成る。だから「木果」の二字は、上爻と初爻の両処を合わせて初めてその意義を見出せる。経文が《剥卦》上九に「碩果」と言い、また「食われず」と言うに、「碩」と「食われず」の両処の措辞は皆極めて分寸があり、深思細察せざるべからず。

或問:乾乃純陽,何以為寒為冰?曰:陽畜於陰,寒與冰,皆以陰畜陽。乾居西北,固陰沍寒。陰陽相薄,凝而為冰(所謂陰陽既合以後之象也)。故乾西北對東南巽。乾巽曰小畜,乾居西北,於先天之位為艮,艮乾曰大畜,大畜小畜而陽始生,猶必潛以養之,勿用以守之。剛健純粹,夫豈一朝一夕之故哉!

ある人が問う。乾は純陽であるのに、なぜ《説卦》はそれを寒と為し冰と為すと言うか。答えて曰く。これは陽が陰に畜聚された故である――寒と冰は皆陰をもって陽を畜する。乾は後天方位で西北に居り、もともと陰気が凝閉して寒冷で、陰陽が相迫って、凝結して冰と成る(これはまさにいわゆる陰陽交合して後の象)。だから乾は西北に在って、正に東南の巽に対する。上巽下乾はすなわち小畜である。乾の居る西北は、先天方位の上では艮である。上艮下乾はすなわち大畜である。大畜・小畜の畜養を経て、陽気は初めて生発する。それでもなお、必ず乾卦初九のごとく潜蔵をもってそれを涵養し、「勿用」をもってそれを守護せねばならない。剛健純粹の乾徳は、どこに一朝一夕に成就し得る所があろう。

或問:艮為虎,兌亦為虎。艮為虎,乃荀九家之說。按之於《經》,則履之“虎尾”,革之“虎變”,皆似兌象。究何從乎?曰:履與革,固有兌象。而頤之“虎視眈眈”,則艮象也。此即前文所謂以對卦而相通之一例也。

ある人が問う。艮は虎で、兌もまた虎である。艮が虎であるのは《荀九家易》の補象に出るが、経文を取って核対すれば、《履卦》の「虎尾を履む」・《革卦》の「大人虎変」は、見れば皆兌象に似る。果たしてどれに依従すべきか。答えて曰く。履卦と革卦は確かに皆兌象を含み、そして《頤卦》六四の「虎視耽耽」はすなわち艮象である。これはまさに前の言う所の、相対の卦をもって彼此相通ずる一つの例である。

考八卦之象,艮為狗,因艮外剛而內柔,狗之性似之,故為狗。然艮有成終成始之德,能與剛德相終始,則為虎。兌之本象為羊,履之“虎尾”,革之“虎變”,曰“尾”曰“變”,明非兌之本象也。至兌之為虎,乃另屬一義。兌居西方,上直昂宿白虎之位,亦如乾卦之取象蒼龍,則因位而取象。與剛柔之說無與矣。

八卦の象を考察すれば、艮は狗であるのは、艮が外剛にして内柔で、狗の性情が正にこれと相似るに因り、だから狗を取って象とする。しかし艮はまた「終を成し始を成す」の徳性があって、剛徳と相始終し得るので、そこでまた虎と為り得る。兌の本象は羊である。《履》は「虎尾」を言い《革》は「虎変」を言うが、一処は「尾」を言い一処は「変」を言い、分明に皆兌の本象ではない。兌が虎と為る所以に至っては、別に一義に属する。兌は西方に居り、正に昴宿白虎七宿の位に当たる。これはちょうど乾卦が東方蒼龍に象を取るがごとく、方位に依って象を取るので、外柔内剛のあの一套の説法と関係ない。

或問:坤為布為釜,乃坤之本象乎?曰:非也。此皆陰陽化合而生之象也。坤與乾合,則陰陽經緯而有布象。坤得離坎,則水火濟用而有釜象或缶象。缶亦釜也。《易》有缶而無釜,因上古火化之始,未有釜也。觀比之盈缶,坎用缶,離鼓缶,可會通其義矣。曰:陰陽經緯,既乾坤相合之象,何獨於坤言之?曰:陽氣而陰質也。曰:乾亦有稱布乎?曰:有諸。乾施坤受,施亦布也。布五行於四時,乾之布也。布同而義殊矣。妙哉!《易》之為書也。

ある人が問う。坤は布であり釜である。これは坤の本象か。答えて曰く。否である。これは皆陰陽化合して後に生じた象である。坤と乾とが相合して、陰陽が縦横交織して、そこで布の象がある。坤が離と坎を得れば、水火が交わり相いに用を為して、そこで釜あるいは缶の象がある――缶はすなわち釜である。《周易》の経文の中にはただ缶があって釜がない。上古が剛く火を会して熟食するとき、まだ釜という器皿がなかったからである。《比卦》上六の「孚あれば缶に盈つ」・《坎卦》六四の「樽酒簋貳、缶を用う」・《離卦》九三の「缶を鼓して歌わず」を見れば、その中の意を会通できる。また問う。陰陽縦横交織はすでに乾坤相合の象であるのに、なぜ単に坤の下に布を言うか。答えて曰く。陽はただ気で、陰こそ質だからである。また問う。乾もまた布と称し得るか。答えて曰く。ある。乾は施与し坤は承受する。「施」はすなわち布である。五行を四時の中に布散するは、まさに乾の布である。同じ一つの「布」の字で意義は同じでない。《周易》という書は、真に奇妙である。

或問:離為鼈、為蟹、為蠃、為蚌、為龜。此五者,惟龜象見於頤與損益,餘象皆不見經傳,其義何居?曰:五者皆水族也。不屬諸坎而屬諸離,以見陰陽互藏之妙焉。舊說以五者皆甲蟲,外剛內柔,故以取象。是矣,而未盡也。離中虛能受,故能納五行之精。得巽木之精為鱉,得震雷之精為蟹,得兌月之精為蚌,得乾金之精為蠃,得坎艮之精為龜,而畢受化於坤土。觀象於頤可得其義。推而廣之,其象可見也。(焦氏《易通釋》謂《易》之言敝即鱉也,言解即蟹也,言贏即蠃也,言邦即蚌也,於義亦通。)

ある人が問う。《説卦》は離は鼈であり蟹であり螺であり蚌であり亀であると言う。この五種の中でただ亀の象のみ《頤》と《損》《益》に見え、その余の四種は皆経伝に見えない。取象の用意は何に在るか。答えて曰く。この五種は皆水族であるが、坎に隷属せず離に隷属するのは、正に陰陽が互いに含蔵する奥妙を見せる。旧説はこの五種は皆甲殻ある虫類で、外は剛硬にして内は柔軟なので、取りて象と為すと考えた――言は錯ではないが、ただ言い尽くしていない。離卦は中間が空虚で、虚なれば則ち容受し得る。だから五行の精気を納蔵し得る。巽木の精を得て鼈と成り、震雷の精を得て蟹と成り、兌月の精を得て蚌と成り、乾金の精を得て螺と成り、坎艮の精を得て亀と成り、そして最後に皆坤土に由って化育される。《頤卦》の上に象を観れば、この層の意を明白にできる。推し広めて行けば、これらの象は皆見出せる。(焦循《易通釈》は言う。《周易》経文の中の「敝」はすなわち鼈、「解」はすなわち蟹、「贏」はすなわち螺、「邦」はすなわち蚌で、義理の上でも講じ通ると。)

或曰:坎為月,今以兌為月,是非邵子之象乎?曰:非也。卦之言象,以相對見義。坎離相對,離為日,則坎為月。離為火,則坎為水。兌之為月,對於震巽取義。《易》之言月者,除日月對舉者則指坎。餘皆指兌言也。

ある人が言う。坎は月であるのに、今や兌をもって月と為す。これは邵雍の一派の取象ではないか。答えて曰く。否である。卦が象を取るは、相対の中に意義を見出すを要とする。坎と離は相対す。離は日ならば、坎は便ち月である。離は火ならば、坎は便ち水である。兌の月と為るに至っては、震・巽に対して義を取るのである。《周易》経文がおよそ月に言及する所は、日月対挙の場合が坎を指すを除く外、その余は皆兌を指す。

或問:《繫下傳》“龍蛇之蟄以存身焉”,是否指乾卦之象?曰:然。咸卦三爻至五爻互乾,乾四爻之“上不在天下不在田中不在人”者,以此四爻乃在乾卦之中。《咸·象》曰“君子以虛受人”者,即此一爻,故稱龍蛇。龍蛇者,未確指其為龍為蛇,與“或躍在淵”之或字相應者也。蓋乾之對宮為巽,巽於十二辰,貞在辰巳,辰為龍,巳為蛇。躍者,超越而上之名,言四爻能超躍越過巳之一位,即及於離午而為飛龍。不能及於離午,則在巳而為蛇。辭意極為明析。按之於象數,無不絲絲人扣者。聖人之文,真與造化同一工也!

ある人が問う。《繋辞下伝》は「龍蛇の蟄は、もって身を存するなり」と言うが、これは乾卦の象を指すか。答えて曰く。その通りである。咸卦の三爻から五爻は互いに乾体を成し、そして乾卦九四のいわゆる「上は天に在らず、下は田に在らず、中は人に在らず」は、まさにこの一爻が乾卦の中間の過渡地位に処るに因る。《咸卦・大象》は「君子は虚をもって人を受く」と言い、指すもまたまさにこの一爻なので、それを「龍蛇」と称する。「龍蛇」と称するのは、確かにそれが果たして龍か蛇かを指さないので、九四爻辞の「或いは躍り淵に在り」のあの「或」の字と相呼応する。もともと乾の対宮は巽で、巽は十二辰の中で貞位が辰・巳に落ちる。辰は龍、巳は蛇である。「躍」は超越して上る名目で、意は九四が一躍して巳のこの一位を越えれば、すなわち離午に至って飛龍と成り、越えられなければ、依然として巳位に留まってただ蛇である。辞の意は極めて明白で、象数を取って核対すれば、糸糸として扣に入らないことなし。聖人の文字は、真に造化と同一の手筆である。

或問:《說卦》“離為龜”,乃六十四卦之有離者,均不言龜,獨見之於頤與損益何也?曰:頤與損益,皆剛外柔內,有離之象。來氏所謂大象是也。頤與損益,大象似離,故言龜。亦即聖人示人以取象之一例焉。

ある人が問う。《説卦伝》は「離は亀」と言うが、六十四卦の中でおよそ離体を含む卦は皆亀を言わず、偏偏とただ《頤》と《損》《益》の裡に出現する。これは何の故か。答えて曰く。頤卦と損・益の両卦は、皆外剛にして内柔で、離の形状を具え、すなわち来知徳の言う「大象」である。この三卦の整体の輪郭は離に似るので、亀に言及する。これもまたまさに聖人が人に示範して見せる一条の取象通例である。

曰:在損益皆稱“十朋之龜”何也?曰:十者,取其最多之數,即天一至地十之數也。朋者,陰陽相合。以天一地二天三地四,數各有合,故曰朋。此“龜”字與震卦“億喪貝”之貝字同。古人無錢布,龜與貝皆寶貨之一類也,故以象言之。頤之龜乃活龜,而損益之龜則龜版耳。

また問う。《損》《益》の両卦は皆「十朋の亀」と言う。これは何の縁故か。答えて曰く。「十」は最大の数を取るので、すなわち天一から地十までのこの一串の数の尽頭である。「朋」は陰陽が相配する。天一は地二に配し、天三は地四に配し、毎一数に各々配偶があるので「朋」と呼ぶ。ここの「亀」の字は、《震卦》六二の「億、貝を喪う」の「貝」の字と同類である。古人は銅銭布幣がなく、亀甲と貝殻は皆宝貨の一類に属したので、取りて象とした。《頤卦》の言う亀は活亀で、《損》《益》の言う亀はすなわち占卜に用いる亀甲に過ぎない。

或問:巽為寡髮,《李氏集解》作宣髮。虞注曰巽為白,故宣髮。將何說之從?曰:兩說皆可通也,巽為長女。凡女之愆時未嫁。及早嫁而生育過多者。血皆失其經而髮禿。故曰寡髮。禿必於前額,故亦可曰宣髮。《考工記》“半矩謂之宣”,似宣之義更能形容酷肖,較寡字尤周到也。

ある人が問う。《説卦》は巽は「寡髪」と為すと言うが、李鼎祚《周易集解》は却って「宣髪」と作り、虞翻の注は巽は白色なので「宣髪」と言う。果たしてどの説に依従すべきか。答えて曰く。両説とも講じ通る。巽は長女で、およそ女子が婚期を過ぎてまだ嫁がないか、あるいは早く嫁いで生育が多すぎる者は、血が皆常度を失い、頭髪がそれによって稀禿となるので「寡髪」と言う。そして禿は必ず前額から始まるので、また「宣髪」と言い得る。《周礼・考工記》は「矩の半を宣と謂う」と言い、「宣」には前額が寛露の義があって、似たも「寡」の字より形容が逼真で、また周到である。

或問:巽為近利市三倍,其於象也何居?曰:此象之微妙,非通全卦而觀之,僅就巽之三畫以探索之,無從得其義焉。巽為入,有入而無出,得坤吝嗇之性。然坤柔順,故雖吝音,尚不致為貪。而巽之體,則乾體也。以乾體之健,行坤性之吝,更兼其本性之人。三者合之,所謂三倍也。

ある人が問う。《説卦》は巽は「近く利市三倍」と為すと言うが、象の上に根拠は何に在るか。答えて曰く。この象は甚だ微妙で、全卦を通観せずしてただ巽の三画の上に摸索するだけでは、その意を求め出せない。巽は「入」で、ただ進んで出ず、坤卦の吝嗇の性情を得た。しかし坤の性は柔順なので、吝嗇ではあるが、まだ貪と成るには至らない。そして巽の本体は却って乾体である。乾体の剛健をもって、坤性の吝嗇を行い、さらにそれ自身の「入」の本性を加えれば、三者合わさって、すなわちいわゆる「三倍」である(源文の「吝音」は「吝嗇」と作るべく、「本性之人」は「本性之入」と作るべし)。

然則近利市三字之象,又從何而來也?曰:此則須索之於八卦方位也。八卦巽居東南,其前則東震也,其後則南離也。離與震,火雷噬嗑。日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。今巽之方位,適介於噬嗑上下卦之間,非近利市而何?故聖人之於象,一字一義,必有根據。潛心以求之,多方以索之,方能知其妙。若以不解解之,其奧義終莫能得也。

さらば「近利市」の三字の象はまたどこから来るか。答えて曰く。これはすなわち八卦方位の上に求めねばならない。八卦の中で巽は東南に居り、その前は正東の震で、後は正南の離である。離と震が相合すれば、まさに火雷噬嗑卦である。《繋辞下伝》は言う。「日の中に市を為し、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退き、各々その所を得るは、蓋しこれを噬嗑に取る」と。今巽の方位は恰好噬嗑の上下両卦の間に挟まる。これが「利市に近し」でなくて何であろう。これで見れば聖人の象を立つるに、一つの字・一層の意義も必ず根拠がある。潜心して求め多方に索して、初めてその妙処を知ることができる。若し一知半解を取って敷衍解釈すれば、あれらの奥義は終に得られない。

或曰:宣髮與近利市三倍,其象義之妙既聞之矣。而巽又為多白眼,亦必有妙義,可得聞歟?曰:此則前人已有言之者矣。曰離柔居中,為目之正。巽陰反下,而二陽上,故多白眼。似為來氏之說。於義頗近,尚未明暢。請申言之。

ある人が言う。「宣髪」と「近利市三倍」の二条の象義の精妙は、すでに教を領いた。巽はまた「白眼多し」と為す。思うにまた妙義があろう。私に説いて聴かせてくれないか。答えて曰く。この一条は前人がすでに講じた。彼らは言う。離卦は柔爻が中に居り、眼睛が端正の象である。巽卦の陰爻は反って下に在り、二つの陽爻が上に在るので、眼白が多い。これは似たも来知徳の説法で、意は相当に近いが、ただまだ講じ明暢していない。私がさらに申し説く番を容れよう。

離為目,巽之下,即離之上也。離之下,即兌之上也。此即虞氏所謂半象。故經文於兌稱“眇目”,履與歸妹皆兌,皆曰“眇能視”是也。以兌例巽,則巽亦眇耳。惟巽又為白。白者,上二陽也。是巽之眇,白且占三分之二。非多自眼而何?“多白眼”二字,不啻將巽之眇活畫出來。神哉化工之筆也!

離は目である。巽の下半は、まさに離の上半であり、離の下半は、まさに兌の上半である――これがすなわち虞翻の言う「半象」である。だから経文は兌卦の上に「眇目」と称し、《履》と《帰妹》は皆兌体を含み、皆「眇も能く視る」(一隻眼が瞎れてなお見ることができる)と言う。兌を取って巽に比照すれば、巽も同じく「眇」である。ただ巽はまた白と為る。いわゆる白とは、指すは上のあの二つの陽爻である。このようになれば、巽の「眇」の裡に白色がついに三分の二を占める。「白眼多し」と呼ばずして何と呼ぶか(源文は「多自眼」と作る。「自」は「白」の誤り)。「白眼多し」のこの名目は、まさに巽のあの白み泛ぶ眼睛を活画した。真に造化神工の手筆である。

或問:坎,其於人為加憂,為心病,為耳痛。舊解為陽陷陰中,心危慮深,故加憂。憂之甚為心病,心以虛為體。剛畫梗於其中故病。惟耳亦然。坎為耳,外陰內陽,取象陽之總也。又為耳痛,象陽畫之梗於其中也。其說當乎?

ある人が問う。《説卦》は坎は「人に於いては、憂を加え、心病を為し、耳痛を為す」と言う。旧注は解釈して言う。陽爻が陰爻の中間に陥り、心裡に危惧して思慮が深いので「憂を加う」とし、憂が極処に至れば便ち「心病」と成る。心は虚空をもって本体とするので、一根の剛爻が中間に横梗するので病を生ず。耳朵も同じで、坎は耳で、外陰内陽で、陽気の会聚に象を取る。それを「耳痛を為す」と言うのも、またあの根の陽爻が中間に横梗するを象徴する。この説法は妥当か。

曰:否否。坎曰惟心亨,正以陽之正中也。若以陽之梗於中為病,則天下之心,殆無不病者矣。陽梗於中為耳痛,則天下之耳,將無不痛者矣。其說之誣,不待辯矣。坎為耳為心,其本象也。其為加憂,為心病,為耳痛,則因所處之時與位而言。所謂陰陽既合以後之象,陰陽合則變化生,曰憂,曰病,曰痛,明明既動以後之事,烏得以本象之陰陽言之?

答えて曰く。否、否。《坎卦・彖伝》は「惟れ心亨る」と言う。まさに陽爻が正中に居るに因る。若し陽爻が中間に横梗すればすなわち病と言うなら、天下人の心でほとんど病を生じない者はなかろう。陽爻が中間に横梗すればすなわち耳痛なら、天下人の耳朵は痛まない者がなくなろう。この説法の荒謬は、弁争を待たずして明白である。坎が耳・心と為るは、その本象である。憂を加え・心病・耳痛と為るに至っては、すなわちそれが処する時と位に就いて言うので、前に講じた陰陽交合して後の象に属する。陰陽は一たび交合すれば変化を生ず。憂を言い病を言い痛を言うは、分明に皆既動して後の事である。どうして本象の陰陽を取って講じ得ようか。

比樂師憂,同一坎焉,何為於比則樂,於師則憂?豈比之坎剛畫梗於其中,而師之坎則無剛畫梗於其中耶?豈比之坎陽陷陰中而師之坎陽出陰外耶?同一坎也,同一坎與坤也,同為一剛而五柔也,乃優樂頓異者,則惟其所處之時與位之不同耳。

《雑卦伝》は「比は楽しみ師は憂」と言う。両卦は同じく一つの坎を含むのに、なぜ比卦においては楽で師卦においては憂か。まさか比卦の坎には剛爻がその中に横梗し、師卦の坎には剛爻がその中に横梗しないのか。まさか比卦の坎は陽が陰の中に陥り、師卦の坎は却って陽が陰の外に跑出したのか。同じく坎、同じく坎と坤と相配し、同じく一剛五柔なのに、憂と楽とが截然として相反する。原因はただ処する時と位が同じでないだけである。

然憂與樂固同此心焉。處憂則憂,當樂而樂。或先憂而後樂,或先樂而後憂。時與位無定,君子處之無成心焉。故曰加憂。加者非所固有,從而加之之辭。《坎·彖》曰“惟心亨,往有尚”,尚即加之義也。物失其中為病,艮之“危薰心”,心病也。不安其中亦病,咸之“憧憧往來”,亦心病也。坎者通也,失其通為痛。噬嗑之“荷校滅耳”,《傳》曰“聰不明也”,乃耳痛也。未聞剛梗於中之為病為痛也。

しかし憂と楽はもともとこの一顆の心から同出する。憂うべき境地に処れば憂え、楽しむべき時に遇えば楽しむ。或いは先に憂えて後に楽しみ、或いは先に楽しんで後に憂える。時と位に定準なく、君子はこれに処して成見を存さない。だから《説卦》の言うは「憂を加う」――「加」はもともと無くして後に附加されたの意である。《坎卦・彖伝》は「惟れ心亨り、行きて尚ある」と言い、「尚」もまたまさに「加」の意である。物はその中を失えば病と成る。《艮卦》九三の「厲しくして心を薰す」は、すなわち心病である。その中に安んぜざるもまた病である。《咸卦》九四の「憧憧として往来す」もまた心病である。坎の意は通である。通を失えばすなわち痛である。《噬嗑》上九の「何校耳を滅す」、《象伝》は「聡明ならざるなり」と言う。あれこそ耳痛である。剛爻が中間に横梗すればすなわち病・痛と算すると聞いたことはない。

腐儒不明象義,又不熟經文,僅知於一卦三畫中求象。求而不得,於是以剛柔之卦畫,以己意揣測而附會之,而不顧其理之是非。此言象者之所以授人口實也。坎之為矯輮,亦非其本象也。凡物件之矯輮者,必先炙以火,而以水定之。故坎象之為矯輮,亦必在與離相合,或在與離通變之後,而弓輪則更因矯輮推而及之者也。蓋物之有弓與輪,乃為矯輮之最著者也。《易》象有相因而及者,如艮為門闕,因更為閽寺;兌為口舌,因更為巫,皆與此一例也。

腐儒は象義を明白にせず、また経文に熟悉せず、ただ一卦三画の内に象を求めることを知る。求め出せなければ、剛柔の爻画を取って自己の意思で揣测附会し、全く道理が講じ通るか通らないかを顧みない。これがまさに象を講ずる者が人に話柄を摑まれる縁故である。さらに坎の「矯輮を為す」も、またその本象ではない。およそ木料を揉み弯げ矯め直さんとするは、必ず先ず火をもって烤り、再び水をもって定型する。だから坎の矯輮と為るも、必ず離と相合し、あるいは離と交通変化して後に成立する。「弓輪を為す」に至っては、さらに矯輮から再び推衍し開いた――器物の中で、弓と輪はまさに矯揉の功が最も顕著である。《易》象の中にこの種の彼此相い因りて牵及する例がある。艮は門闕と為し、因りてまた門を守る阍寺と為し、兌は口舌と為し、因りてまた巫祝と為す。皆これと同一体例である。

或問:象之言數,是否即“七日來復”,“八月有凶”,與“十年不字”、“十年勿用”之類?曰:非也。此乃言爻與卦之數。雖與象不盡無關,然不可即謂象之數也。然則象之倚於數者如何,可略舉其例歟?曰:《易》之為書,參天兩地而倚數。三畫成卦,參天也。因而重之,兩地也。六畫而分三才,又參天也。三才而迭用柔剛,又兩地也。用九用六,又參天而兩地也。故《易》之立言,殆無一不倚於數。詳言之,非短辭所能罄,當別論之。

ある人が問う。象の中の言う数は、すなわち《復卦》の「七日にして来り復す」・《臨卦》の「八月に至りて凶有り」、および《屯卦》の「十年にして乃ち字す」・《蒙卦》の「十年用うる勿れ」のこの類か。答えて曰く。否である。あれらの講ずるは爻と卦の数で、象と全く関係なしと言うことはできないが、しかし便ち象の数と呼ぶことはできない。さらば象の依憑する数はどのようか、略々幾つかの例を挙げられるか。答えて曰く。《説卦伝》は《周易》という書が「天を参し地を両として数を倚る」ものと講じる。三画で一卦を成すは「参天」で、两卦が相重なって六画を成すは「両地」で、六画がさらに三才に分かれるはまた「参天」で、三才にして交替に柔剛を用うるはまた「両地」で、九を用い六を用いるは、依然として参天にして両地である。だから《周易》の立言は、ほとんど数に依憑しない一処なし。細かく講じ起こせば、三言両語の言い尽くす所ではない。別に専論を作るべきである。

象之倚數,亦不能離乎陰陽。陽數參天,陰數兩地。參兩之數,無不原本天一至地十之五十五數,而折為五行,分寄於象。故象之言數,以根於五行及九宮之數為多。而五行各有始有壯有究,數又有別也。

象の依憑する数も、また陰陽を離れられない。陽数は「参天」を取って三を率とし、陰数は「両地」を取って二を率とする。参と両の両種の数は、天一から地十まで合計五十五というこの総数に本づかないことはなく、さらに折りて五行と為し、分かれて各種の象の上に寄托する。だから象の中に数を講ずるは、大抵五行の数と九宮の数に根づく。そして五行は各々起始・壮盛・終究の三段階があって、数は各段階においてまた分別がある。

《易》窮則變,窮於數也(天數極於二十有五,地數極於三十,天地之數窮於五十有五。故生數終於五,成數始於六,天地生成之數合於五。六乃為天地之中,七則反以天之五分陰分陽。故乾之數十。以地之六迭用柔剛,故支之數十二,十三則凶。陰九陽六,六九五十四,為窮之災。而五十六為凶之始,而九十六與一百零六皆凶數。)是故欲明象之數,必先別其時位。時有三候(即始壯究也),位有三等(即初中上也),明乎此,於象倚於數之理思過半矣。

《繋辞伝》は「《易》は窮すれば則ち変ず」と言う。窮まる所はまさに数である(天数は二十五をもって極とし、地数は三十をもって極とし、天地之数は五十五に窮まる。だから生数は五に終わり、成数は六に始まり、天地生成の数は五に会合する。六はこそ天地の中数で、七は反って天の五を陰陽の両半に分ける。それゆえ天干の数は十である。さらに地数の六をもって交替に柔剛を配用するので、地支の数は十二で、十三に至れば凶となる。陰は九をもって極とし、陽は六をもって用とし、六九相乗じて五十四を得るは窮極の災で、五十六は凶の開端であり、そして九十六と一百零六は皆凶数に属する)。だから象の数を弄明白にせんとすれば、必ず先ずその時と位を分辨せねばならない。時には三候あり、すなわち起始・壮盛・終究である。位には三等あり、すなわち初・中・上である。この一層を明白にすれば、象が数に依憑する道理に対して、また一大半を領会したと言える。

逸象

《易》象掌於太卜,周室版蕩,典章散迭。東遷而後,未能盡復故物。孔子《說卦》所傳,即為掇拾殘闕之遺,而又歷經劫火,簡策散失。比及西漢,兩篇《十翼》,猶闕《說卦》三篇。後得河內女子發於廢屋,即今之《說卦》是也。

《易》象はもともと太卜の官が掌管していた。周室が動蕩し、典章制度は散失した。平王が東に遷って以後、旧有の典籍は全部回復できなかった。孔子の《説卦伝》に伝わったのは、もともと残欠の中から掇拾して来た遺文で、その後また屢々兵燹の災に遭い、簡册は散失した。西漢に至って、《十翼》両篇の中にまだ《説卦》三篇が欠けていたが、後に初めて河内の一女子が拆毁した旧屋の中で発見し、すなわち今日伝わる《説卦伝》である。

卦象殘闕,自所不免。《荀九家》補象,乾有四,坤八,震三,巽二,坎八,離一,艮三,兌二,都三十有一。朱子已取以列入《本義》。而孟氏之逸象,文十倍於《九家》。計乾之象六十有一,坤八十一,震四十九,坎四十七,艮三十七,巽二十,離十九,兌九,共三百二十三,亦云夥矣。

卦象に残欠あるは、自ずと免れ難い。《荀九家易》の補した逸象は、乾四条、坤八条、震三条、巽二条、坎八条、離一条、艮三条、兌二条、合計三十一条で、朱熹はすでに《周易本義》に採り入れた。そして孟喜の一系に伝わった逸象は、篇幅は《九家》の十倍で、計れば乾象六十一条、坤八十一条、震四十九条、坎四十七条、艮三十七条、巽二十条、離十九条、兌九条、都合三百二十三条で、また多いと算する。

而後儒如何妥、於令升、侯果、朱震、來知德,及勝清毛錫齡,亦均有補象。要皆採自二篇《十翼》者為多。如《九家》所補之三十一象,惟坤之帛與漿,震之為鵠,巽之為鶴,未見於經,餘皆經傳所有者也。《易》道廣大,無所不包,象足以盡物,物不足以盡卦。《易·說卦》於《象》曰其於物也,其於人也,亦舉一隅而已。觸類旁通,非列舉所能盡也。

後世の学者如何妥・干宝(字は令升)・侯果・朱震・来知徳、および清代の毛奇齢(源文は「毛錫齢」と作る)も、また各々補象がある。ただ大抵《十翼》両篇の裡から採り出したものである。例えば《九家》の補した三十一象の中で、ただ坤の「帛を為す」「漿を為す」、震の「鵠を為す」、巽の「鶴を為す」が経文に見えないのみで、その余は皆経伝の中に元有のものである。《易》道は広大にして包まざるなし。象は万物を窮めるに足るが、万物は一卦を窮めるに足らない。《説卦伝》が象を講ずる時に「物に於いては」「人に於いては」と言うも、所詮一つの角落を挙げるにすぎない。全く類に触れて旁通に頼るので、一一列挙して窮め尽くせる所ではない。

(《荀九家》者,荀慈明集九家《易》解,為書十卷,見於《班書》。而《文獻通考》引陳氏說,謂漢淮南王所聘明《易》者九人,荀爽嘗為之集解。但陸氏《釋文序錄》列九家姓氏為京房、馬融、鄭玄、宋衷、虞翻、陸績、姚信、翟子元、荀爽,與前說不同。但考陸氏所列諸家,無論時代後先,且立說各異,有相冰炭,決非可合而為一者。姑錄其說以備參考可耳。)

(いわゆる《荀九家》とは、荀爽(字は慈明)が九家の《易》説を汇集して成した注解で、全書十巻、班固《漢書・芸文志》に著録される。そして《文献通考》の引く陳振孫の説法は、漢代淮南王が聘請した九位の《易》に通ずる士で、荀爽がかつて彼らのために集解を作ったと言う。しかし陸徳明《経典釈文・序録》の開列した九家の姓名は京房・馬融・鄭玄・宋衷・虞翻・陸績・姚信・翟子玄・荀爽で、前の説と同じでない。細かく考えるに陸氏の列したこの数家は、まず時代に先後があるを言わずとも、各人の立説も彼此相い異なり、或いは針鋒相対して水火のごとく、決して一書に合成できるものではない。姑くこれらの説法を併せ録して、参考に備えるのみである。)

君子は往く所有り

《坤·彖》曰“君子有攸往”。讀者於此一句,往往忽略,順口讀過。而自漢以後,講《易》者無慮千數百家,亦均未著眼於此。宋儒或以為占辭,以君子指筮者,則更為無稽。須知此卦為六十四卦之第二卦,上承六十四卦第一卦之乾卦。

《坤卦》の卦辞は「君子は往く所有り」と言う。読者はこの一句に対して往々にして忽略し、口に順って読み過ぎる。漢代以来《易》を講ずる者は千百家を下らないが、皆ここに着眼しなかった。宋儒には或いはこれを占筮の辞と作して、「君子」は占卦する人を指すと認め、それならさらに根拠がない。知るべきは、坤は六十四卦の中の第二卦で、上は第一卦の乾卦を承けて来る。

文王於《乾·彖》,只繫以“元亨利貞”四字,以概括乾德,即以概括六十四卦。以乾為天行,蕩蕩莫名。舍此四字,實無可以表示乾德而概括無遺者。坤以承乾,故亦首繫以“元亨利牝馬之貞”。“牝馬”二字,綰合乾坤,以示陰陽合德,剛柔有體。所謂立天之道,立地之道者,皆以此“元亨利貞”四字挈其綱矣。

文王は乾卦の卦辞の下にただ「元亨利貞」の四字を繋げ、それをもって乾徳を概括し、またそれをもって整个の六十四卦を概括した。乾は天の運行で、広大にして名状する由なく、この四字以外に、実に乾徳を表示して毫も遺漏なき別の説法がない。坤は乾を承接するので、卦辞の開頭もまた「元亨利牝馬の貞」を繋げる。「牝馬」の二字が乾と坤を綰結して一つにし、もって陰陽合徳・剛柔が各々その体あることを表明する。《説卦伝》のいわゆる「天の道を立つ」「地の道を立つ」は、全てこの「元亨利貞」の四字に由って提挈し総綱とする。

然天地之道,非人莫明;天地化育,非人莫參。先聖作《易》,原以明人道以立人極。故於《坤·彖》“貞”字之下,即大書特書曰“君子”,所以正名定分,乃《周易》開宗明義之第一特筆也。

しかし天地の道は、人なくして彰明することができず、天地の化育は、人なくして参賛する由なし。先聖が《易》を作ったのは、もともと人道を闡明し人たるの準則を樹立せんとするためである。だから《坤卦》卦辞の「貞」の字の下に、立刻に大書特書して一つの「君子」を置き、もって名を正し分を定める――これは《周易》が宗を開き義を明らかにする第一処の特筆である。

讀者疑吾言乎?試即文王六十四卦之《彖辭》索之,可比較而得之矣。謙為人道之卦,曰“君子有終”。否曰“不利君子貞”,同人曰“利君子貞”,皆此君子也。周公繫爻於乾三之“君子終日乾乾”。孔子贊《易》,六十四卦《大象》之“君子”,皆述文王之意,所以闡發此一句“君子”兩字者也。乃後人猶不注意,不將前聖後聖垂教之苦心,一筆抹煞乎?

読者は私の言を疑うか。妨げず文王の繋げた六十四卦の卦辞に就いて捜検してみよ。一比較すれば明白となる。謙卦は人道を講ずる卦で、卦辞は「君子終り有り」と言い、否卦は「君子の貞に利あらず」と言い、同人卦は「君子の貞に利し」と言う。講ずるは皆この「君子」である。周公が爻辞を繋げ、乾卦九三に「君子は終日乾乾」と書き下した。孔子が《易》を賛し、六十四卦《大象伝》の中の「君子」も、皆文王の意を転述して、もって坤卦卦辞のこの二字を闡発したのである。後人はついに依然として留意を加えず。豈に前聖後聖が訓を垂れ教を施した一片の苦心を、一笔に抹殺するにあらざらんや。

“有攸往”者,乃鄭重指導之辭,三字具有無窮深意,亦不當忽略讀過。此“有”字,乃全《易》開卷第一“有”字,即《序卦》“有天地然後有萬物”與“有男女有夫婦有父子及禮義有所錯”之有。言既有“乾元亨利貞”,既有“坤元亨利牝馬之貞”,而後君子始“有攸往”之可言矣。

「往く所有り」は一句の鄭重なる指點の辞で、三字が無窮の深意を含み、また忽略して読み過ごすべきでない。この「有」の字は、全部《周易》の開卷の第一個の「有」の字で、すなわち《序卦伝》の「天地有りて然る後に万物有り」、および「男女有り、夫婦有り、父子有り」から「礼義錯る所有り」に至るあの一串の「有」の字である。意は言う。先ず乾の「元亨利貞」が有り、また坤の「元亨利牝馬の貞」が有って、然る後に君子は初めて「往く所有り」を論じ得る。

攸者,安也,久也;往者,進也。上言乾坤之“元亨利貞”,乃天地之道,循環而無端者也。而君子以參贊天地,乃進化而不已者也。故曰“有攸往”。與近世哲學家所謂天行之往復為循環線,人治之進化為螺旋線,其理正相吻合。以下六十四卦皆根此立言,以明人事之是非得失而定吉凶。

「攸」は安であり久であり、「往」は前進である。上に言う所の乾坤の「元亨利貞」は、天地の道で、循環往复して起訖がない。そして君子が天地の化育を参賛するは、不断に前へ進化するので、「往く所有り」と言う。これは近世の哲学家の言う「天行の往复は円圏式の循環線で、人治の進化は盤旋上昇の螺旋線である」と、道理が正に相吻合する。以下六十四卦は皆この一点に根拠して言を立て、もって人事の是非得失を闡明して吉凶を判定する。

自讀者將此重要之經文滑口讀過,宋人不得其解,更以君子二字為指筮者而言。於是全《易》,《彖》、《象》,皆索然毫無生氣。孔子之《大象》所謂“君子以”者,亦味同嚼蠟矣。

読者がこの最も緊要の経文を軽々しく滑り過ぎて以後、宋人はまたそれを解して通じず、思い切って「君子」の二字を占筮する人を指すと言い立てた。そこで整部の《周易》は《彖伝》《象伝》をも連れて、皆索然として味なく、毫も生気がないものとなり、孔子《大象伝》の裡の一句一句の「君子は以て」も、読んで蠟を嚼むがごとき味となった。

朋を得朋を喪う

“坤利西南得朋,東北喪朋”二語,註解不一。王肅以下,大概以朋為陰類,西南離巽兌皆陰卦,故“得朋”。東北震坎艮皆陽卦,故“喪朋”。以喻女子在室得朋,猶迷而失道;出嫁喪朋,乃順而得常。陰必從陽,離喪其朋類,乃能成化育之功,而有安貞之吉。史徵、崔憬,及程朱《傳》、《義》之解釋,大略如此。其於文義,終覺牽強。言虞氏學者,以納甲為言。以坤之得朋,為月之得明,則以朋為陽矣。辛齋以為欲解釋此二語,必先定朋字之確詁。究竟指陽說,抑指陰言?

《坤》卦の卦辞「西南に朋を得、東北に朋を喪う」の二句は、注家の説法が従来一せず。魏人の王粛以下、大抵「朋」を陰の同類と見做す。西南方位の上の《離》《巽》《兌》は皆陰卦なので「朋を得」と称し、東北方位の上の《震》《坎》《艮》は皆陽卦なので「朋を喪う」と称する。併せてこれをもって女子が未嫁で家に在り同伴と相聚まるを「朋を得」と喩え、しかるにまさに正道を迷失するのであり、出嫁して同伴を離れるを「朋を喪う」とし、反って柔順にして常理に合すると言う。陰は必ず陽に従い、自己の同類を舎棄して、初めて万物を化育する功を成就し、初めて「安貞」の吉がある。唐人の史徵・崔憬および程頤《伊川易伝》・朱熹《周易本義》の解釈は、大略皆この一路で、しかし取って経文の字面と対照すれば、終に勉强と覚える。漢代虞翻の学を講ずる人はすなわち改めて「納甲」をもって説を立て、《坤》卦の「朋を得」を月が光明を得ると講じ、こうすれば「朋」はまた陽となった。杭辛斎は考えて言う。この二句を講じ通せんとすれば、必ず先ず「朋」の字の確切な訓詁を定めねばならない。それは果たして陽を指すか、それとも陰を指すか。

按西南固坤之本位,坤中爻二三四為益坤(益卦二三四爻為坤),三四五為損坤(損卦二三四爻為坤)。故損之五,益之二,皆曰“十朋之龜”。此十朋,即《坤·象》“得朋”“喪朋”之朋也。而損之六三,曰“三人行則損一人,一人行則得其友,”以損之義為損下益上。損泰下卦之三,以益上卦之上,泰變為損,下乾(乾,子丑寅三人)去其一爻,故曰“三人行則損一人”。損此一爻以益坤上,雖成損,而上與三仍得陰陽相應,故日“則得其友”。據此以觀,則陰以得陽為朋,陽以得陰為友,其例甚明。

彼の考辨は卦象から手を入れる。西南はもともと《坤》の本位である。そして《坤》体は別に出処がある。《益》卦の二・三・四爻は互体して《坤》を成し、《損》卦の三・四・五爻もまた互体して《坤》を成す。だから《損》卦の六五・《益》卦の六二の爻辞は皆「十朋の亀」と言う。この「十朋」の「朋」は、まさに《坤》卦《彖》辞の裡の「朋を得」「朋を喪う」のあの「朋」である。再び《損》卦の六三を見よ。「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ちその友を得る」。《損》卦の取義は下卦を減損して上卦を増益することで、《泰》卦の下卦の第三爻を減じて、もって上卦の上爻を増益すれば、《泰》は《損》に変わる。下卦はもともと《乾》で、子・丑・寅に配して正に「三人」に合する。今一爻を去ったので、「三人行けば則ち一人を損す」と言う。この一爻を上の《坤》体に加えれば、卦は《損》と成るが、上爻と三爻は依然として陰陽相応ずるので、「則ちその友を得る」と言う。これによって見れば、陰が陽を得るを「朋」と呼び、陽が陰を得るを「友」と呼ぶ。体例は十分に清楚である。この一条はまさに彼と旧注とが分歧する根拠である。旧注は「朋」を同類の陰と講じ、彼は却って《損》《益》の両卦の爻辞の裡から「朋」は必ず陽を指すを求め出した。

而《坤·彖》之“朋”可得言矣。坤方於十二辰為未申之位,於消息卦為否為遁。否下卦坤,故“先迷”。上卦乾,故“後得主”。坤間辰六爻,未巳卯逆行,自西至南,由遁至乾,皆陽爻日增,故曰“西南得朋”。自乾以後,而東而北,夬壯泰臨復。陽爻遞減,故曰“喪朋”。至戌亥歸坤,純陰無陽,朋喪盡矣。更逆行至酉,為坤之終位(兌酉數十,十亦為終)。值兌之正位,兌九四之喜有慶也。故曰“乃終有慶”。

訓詁がすでに定まれば、《坤》卦《彖》辞の「朋」は講じ通る。《坤》の方位は十二地支の中で未・申に当たり、十二消息卦の中で《否》と《遯》に当たる。《否》の下卦は《坤》なので、卦辞は「先に迷う」と言い、上卦は《乾》なので、「後に主を得る」と言う。《坤》卦六爻の配する地支は、未・巳・卯に按じて逆行し、西から南に転じ、卦象は《遯》から一路に《乾》に逓進し、陽爻は日に日に增多するので、「西南に朋を得」と言う。《乾》を過ぎてさらに東・北に往けば、順次《夬》《大壮》《泰》《臨》《復》で、陽爻は逐歩に減少するので、「朋を喪う」と言う。戌・亥の二支に至れば《坤》に帰し、純陰にして陽なく、朋はすでに喪い尽くす。再び逆行して酉に至れば、まさに《坤》の終位で(《兌》は酉に配し、その数は十、十はすなわち終である)、また恰好《兌》の正位に当たり、《兌》卦九四の「喜び有り」の慶幸に合する。だから卦辞は続いて「乃ち終に慶有り」と言う。

則自“先迷後得主”以下,可一氣貫串,無一字不腳踏實地矣。至“十朋”之義,原為天一至地十之數,各相有合。在坤言坤,以陰得陽,故曰“十朋”,與前說亦相合也。(以消息言之,“得”者息也,“喪”者消也。得喪者,即消息二字之代名也。以坤消乾至東北而乾陽消盡,反為純坤。喪朋之為消陽,可無疑義矣。)

このように講ずれば、「先に迷い後に主を得」以下の卦辞は一気に貫通し、一つの字として悬空して実処に落ちないものはない。「十朋」の含義に至っては、もともと天一から地十のこの一組の数で、両両相配して各々会合がある。《坤》卦自身に就いて言えば、陰をもって陽を得るので「十朋」と称し、前の訓釈とも正に相吻合する。杭辛斎は別に按語を加えて言う。若し消息卦から見れば、「得」はすなわち「息」で、すなわち陽気の生長であり、「喪」はすなわち「消」で、すなわち陽気の消退である。「得喪」の二字は実は「消息」の二字の代称である。《坤》をもって《乾》を消して、東北方位に至る時に《乾》の陽爻は消尽し、全卦は純《坤》に返る。これで見れば「朋を喪う」はすなわち陽を消すことで、この一点に疑義はない。

霜を履みて堅氷至る

《坤·初六》:“履霜堅冰至”。舊說尚無悖於義,惟以“堅冰”二字為疑。於是臆說紛紜,妄相揣測。而於聖人立言之本旨,相去愈遠矣。須知此爻乃坤卦初爻,乃六十四卦陰爻之第一爻,亦即以陰消陽之第一爻也。剛柔始變,陰陽大化根本所自立之初,豈可輕易忽略看過?周公繫艾,鄭重言之曰“履”。履者何?踐履也。以“履”冠六十四陰爻之初,以明人生涉世之初步也。

《坤》卦初六の爻辞「霜を履みて堅氷至る」は、前人の旧説は義理の上でなお違背と算しないが、ただ「堅氷」の二字に疑を生じて、そこで臆測の説が紛紛として起こり、胡乱に猜度して、聖人が言を立てた本旨から反ってますます遠く離れた。知るべきは、この一爻は《坤》卦の初爻で、すなわち六十四卦全部の陰爻の中の第一爻であり、同時にまた陰をもって陽を消す第一爻である。剛と柔はここから転変を始め、陰陽大化の根本はこれによって奠定される。どうして軽々しく放過できよう。周公はここに爻辞を繋げ、鄭重其事に一つの「履」の字を用いた。「履」とは何か。すなわち践履で、脚を地面に踏み着けて歩くことである。「履」の字を六十四卦のすべての陰爻の最前頭に冠するのは、まさに人生が世に渉って踏み出す第一歩を点明せんとするである。

離卦之初曰“履錯然”,以殿《上經》,以示有始必有終。兩“履”字遙相呼應,非泛文也。孔子韋編三絕,深能契合文周之心,故《繫傳》於三陳九德,獨舉一履。再三反覆,推勘盡致。以明立德之本。雖僅舉九卦,而六十四卦可以意推之矣。故“履”之一字,即以為全《易》之綱領,為聖人以《易》立教精義之所在,亦無不可也。豈可輕易忽略看過哉!

これと相応じて、《離》卦初九の爻辞は「履き錯然たり」と言い、もって《上経》を収束し、始まり有れば必ず終結有ることを表示する。前後の二つの「履」の字は遥かに相呼応して、決して手を随って書き下した閑文ではない。孔子は《易》を読むに韋編三絶に至り、深く文王・周公の用心に契合し得た。だから《繋辞伝》の「三たび九徳を陳ぶる」の一段は、独り《履》卦を最前に挙げて、反復申し説き、道理を推究して尽くす処に至る。立德の根本を点明せんがためである。彼処はただ九つの卦を挙げたが、六十四卦の道理は皆これによって推想できる。だから「履」のこの一字を全部《周易》の綱領と見做し、聖人が《易》を借りて教を立てた精義の所在と見做しても、また不可ではない。このように緊要の字を、どうして軽々しく忽略し過ごせよう。

“堅冰至”,原非坤初爻之候,乃周公以繫於初爻者。雖曰防微杜漸之意,然實《周易》之一種特別筆法,學者更不可不知也。陽順陰逆,坤乃陰卦之宗。故聖人繫辭,皆用逆筆,特由“至”字反說到“初”。觀乾曰“元亨利貞”,坤曰“元亨利牝馬之貞”,其文氣亦皆一順一逆。孔子贊坤,亦以“至”字開口,真能與文王周公心心相印者矣。觀象玩辭,不可不於此等處加之意也。

「堅氷至る」の指す時令は、もともと《坤》卦初爻に属さず、周公が意ありてそれを初爻の上に繋げたのである。旧解は微を防ぎ漸を杜ずるの告戒と作すは固より錯ではないが、これはさらに《周易》の一種の特殊筆法で、《易》を学ぶ者は知らざるべからず。陽の運行は順を為し、陰の運行は逆を為す。そして《坤》は一切の陰卦の宗主なので、聖人はそれに辞を繋げるに一概に逆筆を用い、わざわざ結果の「至」から倒して開端の「初」に説き返す。試みに見よ、《乾》は「元亨利貞」と言い、《坤》は「元亨利牝馬の貞」と言う。文気もまた正に一順一逆である。孔子が《彖伝》を作して《坤》を賛するに、口を開けばすなわち「至れるかな坤元」の「至」の字で、真に文王・周公と心と心を印し合うことができる。卦象を観察し卦爻辞を玩味するに、この類の処において意を加えざるべからず。

習わずして利あらざるなし

《坤·六二》“習”之一字,亦《周易》最要之眼目也,亦不可忽略看過。初曰“履”,以明人生涉世之始也。二曰“習”,以明涉世後必至之一境也。繫接上文,一氣而來。霜猶履也,堅冰至則已習矣。人之生性相近也,習則遠矣。善惡分途,積微成著,無不由習之一字而來。聖人慎所習,惟立教以濟之,故坎特著曰“習坎”(坤二爻坎位也)。孔子《大象》曰“君子以常德行習教事”,而《論語》曰“學而時習之”,此皆善用其習以立人道者也。

《坤》卦六二の爻辞の中の「習」の字も、同じく《周易》の最も緊要の眼目で、また軽々しく放過すべからず。初六は「履」と言い、人生が世に渉る開端を点明し、六二は「習」と言い、世に渉って後に必然に進入する一種の境地を点明する。两爻の文意は相承け、一気に貫き下る。霜の上に踏むはなお「履」にすぎず、堅氷が凝成するに及んでは、すでに「習」である。人の天性はもともと相近いが、一旦習慣と成れば相去ること遥かである。善と悪はこれから道を分かち、細微から積みて顕著と成るは、皆「習」のこの一字から来ないことはない。聖人は習う所の畏るべきを深知し、ただ教を設けるをもって補救するのみ。だから《坎》卦は特別に卦名を標出して「習坎」とする(《坤》卦の二爻は正に《坎》の位置に当たる)。孔子《大象伝》は「君子は徳行を常にし教事に習うを以てす」と言い、《論語》の開篇は「学びて時に習う」と言う。これは皆善く「習」を用いて人道を確立する例である。

自世運遞遞降,天德王道已成故事(蠱,故事也)。後世雄才大略之君相,恆利用“習”之一字,為操縱斯民之具。非常之原,黎民懼焉。乃施之以漸,今習而安之,則習非且可以勝是矣!(如革命之說,初聞者無不掩耳卻走,駭為非常。乃一再試之輿論,和之。曾幾何,時昔之掩耳卻走者,或且醉心從之矣。此即習之說也。近世歐美大政治家,欲有所設施,恆先建議以造成輿論,使人民習見習聞而後行之。舉重若輕矣。)

しかし世運は一代一代下降し、天徳王道は早くから陳年旧事と成った(《蛊》卦の取る象は、まさに積久相い沿う旧事)。後世のあれらの雄才大略の君主と輔相は、往々にして反って「習」の字を百姓を操縦する工具と作す。およそ非常の挙は、百姓は初起は常に畏懼する。そこで先ず一点一点に推行し、人を習慣して以後安んじて素のごとくせしめ、到頭に錯が反って対を圧倒し得る。杭辛斎の自注は例を挙げて言う。革命の主張が剛く提出された時、聴く者は皆耳を掩いて逃げ、駭人聴聞と驚いた。輿論が一再試探・附和するを経て、久しからずして、当年耳を掩いて逃げた人が、甚だしくは沉迷追随する者すらある。これがまさに「習」の作用である。近世欧米の大政治家が或る措施を推行せんとするも、また先ず議案を提出してもって輿論を造成し、民衆を見慣れ聴き慣れさせて後に実行するに慣れ、そこで重きを挙げて軽きが若しである。

然聖人之化民成俗,尚道德不尚事功。操縱之術,非所屑焉。端民習於就學之始,薰陶而善良之,化行而俗美,則施之於事。不習自無不利,此豈一朝一夕之故哉!周公繫“習”於坤之二爻,以承“履霜堅冰”之後,其用意至深遠矣!

しかし聖人が百姓を化育し風俗を養成するに、崇尚するは道徳であって事功ではなく、この類の人心を操縦する権術は、彼の屑とする所ではない。聖人の办法は百姓の入学の初めからその習う所を端正にし、薰陶をもって善に向かわせ、教化が推行し開けば、風俗は自ずと淳美となり、しかる後に政事に施す。その時に至れば刻意に「習」せんとせずとも、自ずと順利でないことはない。これはどこに一朝一夕に弁じ得る事があろう。周公が「習」の字を《坤》卦の二爻に繋げ、「霜を履みて堅氷至る」の後に接したるは、用意は実に極めて深遠である。

乾坤の字法

乾,天行也。坤,地道也。天運於虛,地徵諸實。故乾以言道,坤以言德。道運於虛,德徵諸實也。詳玩兩卦《彖》、《象》,乾曰“元亨利貞”,坤則曰“元享利牝馬之貞”。全卦六爻,乾則象以“潛見躍飛亢”及“乾乾”“惕若”,皆用虛筆。而坤則曰“履”,曰“習”曰“可貞”,曰“括囊”曰“黃裳”,曰“血”,筆筆皆徵實矣。

《乾》の講ずるは天の運行で、《坤》の講ずるは地の法則である。天は虚処に運転し、地は実処に験証する。だから《乾》はもって「道」を言い、《坤》はもって「徳」を言う――道は虚に運行し、徳は則ち実事の上に印証を得ねばならない。細かく两卦の《彖伝》《象伝》を見れば、《乾》は「元亨利貞」と言い、《坤》はすなわち「元亨利牝馬の貞」と言い、一つの具体の物象を多く出す。六爻の措辞もまたこのごとし。《乾》は「潜」「見」「躍」「飛」「亢」および「乾乾」「惕若」を用い、全て虚筆である。《坤》はすなわち「履」を言い、「習」を言い、「貞すべし」を言い、「括嚢」「黄裳」を言い、「血」を言う。筆筆皆実処に落ちる。

聖人之筆,妙極神化。孔子贊《易》,為衰世之救濟,略天道而言人事,由下學以希上達。故首重立德,由立德以明道。然明道與立德,均非辭無以見焉。是以《文言》曰“修辭立其誠”。上下兩篇之《繫辭》,又各為之傳,又特表而出之曰“以言者尚其辭”,又曰“所樂而玩者爻之辭焉”,皆教人以學《易》之方也。卦有小大,辭有險易,言小大而陰陽可知,言險易而順逆虛實可知。學者必潛心玩索,始能微顯闡幽。茲略舉乾坤兩卦之字法,餘卦可類推,而《十翼》之辭亦可類及矣。

聖人が筆を下す分寸は、精妙にして出神入化である。孔子が《易伝》を作した本意は、衰乱の世のために救済を謀るにあり、だから天道を略して人事を多く講じ、切近の下学から手を入れて上達を企求し、それによってまず徳を立てるを重んじ、再び徳を立てるによって道を闡明する。しかし道を明らかにするも徳を立てるも、文辞を離れれば顕現する由なし。だから《文言伝》は「辞を修めてその誠を立つ」と言い、《繋辞》上下両篇はまた各々これがために伝を作し、わざわざ「言を以てする者はその辞を尚ぶ」を拈出し、また「楽しみて玩ぶ者は爻の辞なり」と言う。皆人に《易》を学ぶ門径を教えるである。卦に小有り大有り、辞に険有り易有り。小大を言えば、陰陽は知るべく、険易を言えば、順逆虚実は知るべし。《易》を学ぶ者は必ず潜心して玩索して、初めて顕より微に入り幽隠を闡発できる。ここにただ略々《乾》《坤》两卦の字を用いる之法を挙げ、その余の各卦はこれに照らして類推でき、《十翼》の文辞もまた併せて類推できる。

咸く寧く咸く亨る

《乾·彖》曰:“首出庶物,萬國咸寧。”《坤·彖》曰:“含弘光大,品物咸亨。”此以贊乾坤化育之功,皆陰陽合德,交相為用。乾用九以變坤,坤用六以承乾。僅一咸字,已將乾坤兩卦綰合,有天地絪縕之妙。咸者上兌下艮之卦,乾在坤中,所謂二氣感應以相與,天地感而萬物化生者也。

《乾》卦《彖伝》は「首に庶物を出で、万国咸く寧し」と言い、《坤》卦《彖伝》は「弘を含み大いに光く、品物咸く亨る」と言う。両句は皆《乾》《坤》の化育の功を賛美して、しかも両者は皆陰陽合徳・交互に用を為す。《乾》は「九を用い」て変じて《坤》に入り、《坤》は「六を用い」て《乾》を承接する。単に一つの「咸」の字が、《乾》《坤》の两卦を綰結して一つにし、天地の気の絪缊交合の妙処を具える。「咸」はもともと上《兌》下《艮》の卦で、卦体はまさに《乾》が《坤》の中に処るのであり、すなわち《咸》卦《彖伝》の言う「二気感応して以て相い与す」「天地感じて万物化生す」である。

夫庶物與萬國,皆坤象焉。乾元首出,久道化成。於是乎有咸寧之慶。弘與大,皆乾象焉,而坤能含之光之(凡陽必得陰而始光。如日,必遇地與月,或其他能受光之質,而光始見也。),於是乎品物有咸亨之象。然而乾之咸寧,寧於坤焉。而坤之咸亨,亨於乾焉。交互錯綜,妙合無間。神哉化工之筆也!至臨之“咸臨”,姤之“咸章”,皆以一“咸”字以形容陰陽構合之妙。臨數一二,一二為子丑,子丑陰陽始合。姤數七八,七八為午未,午未天地相遇,為陰陽中合。與乾坤兩卦之“咸”字,互相印證,互相發明者也。

さらに分けて見れば、「庶物」と「万国」は皆《坤》の象に属し、《乾》元は首に居って出でて、久長の道は化育して成有り、そこで「咸く寧し」の吉慶がある。「弘」と「大」は皆《乾》の象に属し、そして《坤》はそれを含容しそれを照亮し得る(およそ陽は、必ず陰を得て初めて光を顕す。譬えば太陽は、大地・月亮あるいは別の光を承受できる物質に遇って、初めて光が見られる)、そこで万物に「咸く亨る」の象がある。しかし《乾》の「咸く寧し」は、実は安寧が《坤》の上にあり、《坤》の「咸く亨る」は、実は亨通が《乾》に於ける。彼此交互錯綜して、妙合して一糸の間隙もなし。真に造化の筆の神奇である。《臨》卦爻辞の「咸く臨む」・《姤》卦爻辞の「咸く章たり」に至っては、また皆一つの「咸」の字をもって陰陽交合の妙処を形容する。《臨》の配する数は一・二で、一・二は地支の子・丑に対応し、子丑はまさに陰陽が始めて交合する処である。《姤》の配する数は七・八で、七・八は地支の午・未に対応し、午未はまさに天地相遇・陰陽が中途に会合する処である。これらの「咸」の字と《乾》《坤》两卦の「咸」の字は、彼此に印証し彼此に発明できる。

咸とは感なり

《咸·彖傳》曰“咸,感也。(舊說:咸感無心,兌說無言。無心之感,其感始至。無言之說,其說乃大。)二氣感應以相與”。蓋物理必異性者乃能相感,而善感者莫如人。人之善感者,莫如男女,尤莫如少女少男。故以少女少男之卦名之曰咸。而咸卦六爻,又均取象於人身,則以感覺之最靈且捷者,更莫過於一身焉。

《咸》卦《彖伝》は言う。「咸とは感なり……二気感応して以て相い与す」と。(旧説は指摘する。「咸」の字は「感」の字より一つの「心」が少なく、「兌」の字は「説」の字より一つの「言」が少ない。心なくして感ずれば、感応はこそ最も真切であり、言なくして悦べば、喜悦はこそ最も広大である。)大凡の物理は、必ず性質の相異なる物でなければ互いに感応できず、そして最も感応に善いは人に如くなく、人の中で最も善感するは男女に如くなく、特に少女と少男に如くない。だから《易》はすなわち少女《兌》が上・少男《艮》が下のこの一卦を取り、名づけて「咸」とする。そして《咸》卦の六爻はまた一律に人の身体に象を取る。感覚が最も霊敏・最も迅捷なのは、自己のこの一身を超えるものがないからである。

六爻初拇,二腓,三股,五脢,六輔頰舌。四當為心,乃不曰心,而曰“憧憧往來”。以心不可見,且咸之感,本無心也。卦爻取象之精細,可謂剖拆毫芒。至義蘊之妙,更有非言語所能形容。細玩逐爻之辭,見深見淺,必有所得焉。(物理:異性則相感相吸。兩性既感而吸合,則原有之兩性相消而等於無。故咸又為無。又咸從戌從口,戌亥數無。先天卦艮居戌口,與兌相對,故兌艮為咸,而咸為無。後天卦乾居戌亥,故乾亦為無。)

六爻は依次に象を取る。初六は脚の拇趾、六二は小腿肚、九三は大腿、九五は背脊肉、上六は頰輔と舌である。次序に按ずれば、九四は心であるべきだが、爻辞は「心」を言わず、ただ「憧憧として往来す」と言う。心は見えず、しかも「咸」の感応はもともと無心の感だからである。卦爻の取象の細密は、毫芒まで剖析したと言うべきである。その中の義蘊の精妙に至っては、さらに言語の形容し得る所ではない。ただ毎一爻の辞句を細々と玩味すれば、見ること深きも浅きも、総じて得る所がある。杭辛斎の自注は補充する。物理から言えば、異性は相い感じ相い吸う。两性がすでに感応吸合すれば、原有の两性は便ち相互に抵消して無に等しい。だから「咸」はまた「無」の義がある。さらに字形から見れば、「咸」は「戌」に従い「口」に従い、戌・亥の数は無である。先天卦位は《艮》が戌に居り《兌》と相対するので、《兌》《艮》が合して《咸》と成り《咸》は無と為る。後天卦位は《乾》が戌亥に居るので、《乾》もまた無と為る。

万物・庶物・品物

“大哉乾元!萬物資始”,“至哉坤元!萬物資生”。此言盈天地間之事事物物而約其大數,即上下二篇之策,萬有一千五百二十以當萬物之數者是也。《乾·彖》曰“品物流形”,《坤·彖》曰“品物咸亨”。品物者,物之既成,可以類而別之,故曰“品”。“品物流形”者,乾流坤形也,坎也。“品物咸亨”者,坤承乾亨也,離也。可見乾坤二《彖》,無一字不互文見義者也。

《乾》卦《彖伝》は「大なるかな乾元、万物は資りて始まる」と言い、《坤》卦《彖伝》は「至れるかな坤元、万物は資りて生ず」と言う。ここの「万物」は、天地之間に充満する一切の事物を帰結して一つの約数としたので、すなわち《繋辞伝》の言う《上経》《下経》両篇の策数を合わせて一万一千五百二十と為し、もって万物の数に当てるである。《乾》卦《彖伝》がまた「品物流形す」と言い、《坤》卦《彖伝》がまた「品物咸く亨る」と言うに至っては――いわゆる「品物」とは、万物がすでに生成して、類別に按じて区分できるを指し、だから「品」と称する。「品物流形す」は《乾》気が流行して《坤》がこれがために形を成し、《坎》に象を取る。「品物咸く亨る」は《坤》が《乾》を承接して亨通し、《離》に象を取る。これで見れば《乾》《坤》两卦の《彖伝》は、一つの字として互文にして義を見ないものはない。

至“首出庶物”,不曰“萬”,不曰“品”者,乃合萬與品而兼言之,對於首而言也。通言萬物,未分類也。物而曰品,則“方以類聚物以群分”矣。既類聚以群分,則必有一焉超乎其類統乎其群者。即首出之義,而不為首者皆庶也。故曰“庶”者,對於首而言也。不曰“首出萬物”,“首出品物”,而必曰“首出庶物”。可見聖人修辭之精,無一字虛設,無一字苟且焉。

「首に庶物を出で」の一句に至っては、「万物」と言わず、「品物」とも言わず、而も「庶物」と言うのは、「万」と「品」の両層の意思を合わせて講じ、しかも「首」の字に対して言うのである。籠統に「万物」と称すれば、まだ分類せず、「品物」と称すれば、すなわち《繋辞伝》のいわゆる「方は類を以て聚まり、物は群を以て分かつ」である。すでに類聚群分した以上、その中に必ず一つの同類を超出し全群を統領する者がある。これがすなわち「首に出で」の含義である。そして首位に居らないは、一概に「庶」と呼ぶ。だから「庶」の字を用いるは、まさに「首」の字に相対して言うのである。「首に万物を出で」と言わず、「首に品物を出で」とも言わず、必ず「首に庶物を出で」と言う。これで見れば聖人の修辞は精厳にして、一つの字として虚設のものなく、一つの字として苟且のものなし。

損益盈虚

《下經》之損益,猶《上經》之泰否也。《上經》始乾坤,至小畜履凡十卦。陰陽爻各三十,而繼之以泰否,為乾坤變。《下經》始咸恆至蹇解亦十卦。陰陽爻各三十,而繼之以損益。咸恆為乾在坤中,損益乃坤在乾中也。天行人事,均不外乎否泰往來損益盈虛而已。舊說泰損下益上,(損下卦之九三以益上卦之上六)則成損。否損上益下,(損上卦之上九以益下卦之六三)則成益。然則否泰往來,損益盈虛,其所以轉移變化之機關,俱在三爻。三爻者,人爻也。以明否泰損益皆在於人,而天地無與焉。天行之否泰,人得而轉移之。人事之否泰,天地無如何也。

《下経》の中の《損》《益》の两卦は、地位は《上経》の中の《泰》《否》に相当する。《上経》は《乾》《坤》から起こり、《小畜》《履》に至るまで合計十卦、陰爻陽爻は各々三十で、続けばすなわち《泰》《否》。あれは《乾》《坤》の変体である。《下経》は《咸》《恒》から起こり、《蹇》《解》に至るまでもまた十卦、陰爻陽爻は各々三十で、続けばすなわち《損》《益》。《咸》《恒》は《乾》が《坤》の中に処り、《損》《益》は則ち《坤》が《乾》の中に処る。天道の運行と人間の世事は、皆《否》《泰》の往来・《損》《益》の盈虚のこの数字を跳出できない。旧説は講じる。《泰》卦は下を損し上を益す――下卦の九三を減じて上卦の上六を増益する――すなわち《損》に変わる。《否》卦は上を損し下を益す――上卦の上九を減じて下卦の六三を増益する――すなわち《益》に変わる。このように見れば、《否》《泰》の往来・《損》《益》の盈虚は、その転移変化の枢紐は全く第三爻に在る。第三爻は人爻である。これで見れば《否》《泰》《損》《益》は皆人に取决まり、天地と相干渉せず。天道運行の否泰は、人は方法を設けて転移できるが、人事の上の否泰は、天地は如何ともすることができない。この一層は杭辛斎が論を立てる落点で――彼は治乱否泰の責任を天数から人事に移し返そうとする。だから特別に枢紐が人爻に在りて天地に在らざるを強調する。

孔子於乾之九三,反覆申明其義。曰“與時偕行”,在損曰“與時偕行”,在益曰“與時偕行”。否泰者時也,損益者人也。與時偕行,則否可轉泰。不能與時偕行,而與時偕極,則無泰而非否矣。與時偕行者何?即所謂“終日乾乾,乾行”者是也。然而經文於損,獨曰“有孚元吉”者何也?曰“損上益下”,其理近而易明,其事順而易行。故否泰之轉移尚易,然否轉為泰,泰復轉為否,泰否往復循環不已。又烏能日進無疆?

孔子は《乾》卦九三の《文言》の裡に反復してこの層の意を申明し、「時と偕に行く」と言い、《損》卦《彖伝》に「時と偕に行く」と言い、《益》卦《彖伝》にも「時と偕に行く」と言う。否と泰は「時」に属し、損と益は「人」に属する。時と偕に行く能えば、否はすなわち泰に転じ得る。時と偕に行く能わざれば、反って時勢に随って極端に走向して、さらば一処として泰なく処処皆否となる。何をか時と偕に行くと謂う。すなわち《乾》卦の言う「終日乾乾」のあの息まざる行である。しかし経文は単に《損》卦の上に「孚あれば元吉」と言う。これは何の故か。「上を損し下を益す」の道理は浅近にして懂り易く、作るも順当にして行い易いので、否泰の間の転移はなお容易と算する。しかし否は転じて泰となり、泰はまた転じて否に返り、泰否は往复循環して停まず。こうではまたどうして日進疆なしを論じ得よう。

吾國數千年曆史皆一治一亂,循環往復致人事永無進步,不能與世界列強相抗衡者,正以吾人只知以益求益,而不能以損求益。故極其功只能轉否,而不能化否。能化否,則否變同人。同人而進於大有,世運始有進步。始避泰否之循環線而入於傾否之螺旋線,然後得合於進化之正軌也。故孔子又於益之《彖傳》申明之。曰“益動而巽,日進無疆”。此損益之大道,(天行先泰而後否,人事先損而後益)先聖之象已明示之。

我が国の几千年の歴史は総じて一治一乱で、循環往复して、人事は終始進歩なく、世界の列強と抗衡できない。癥結はまさに我々がただ「益」をもって益を求めるを知り、「損」をもって益を求めるを知らないに在る。だから功效を極処まで致しても、ただ「否を転ずる」ことができるのみで、「否を化する」ことができない。若し否を化し得れば、《否》卦はすなわち《同人》に変わる。《同人》からさらに進んで《大有》に至れば、世運はこそ真に進歩あり、泰否往复の循環線を避け、《否》卦上九の「否を傾ぐ」のごとき向上の螺旋線に進入して、これで初めて進化の正軌に合する。だから孔子はまた《益》卦《彖伝》の裡に申明する。「益すれば動いて巽し、日に進みて疆なし」と。これがすなわち損益の大道理である(天道運行は先ず泰にして後に否、人事経営はすなわち先ず損にして後に益すべし)。先聖は卦象を借りてすでに明白に指示し出した。彼の駁さんとする所は、まさにただ益を求めを知り、損を用いるを知らざるの積習であり、憑る所の証拠は、すなわち《否》卦上九の「否を傾ぐ」と《益》卦《彖伝》の「日進疆なし」のこの二条の経文である。

孔子贊《易》,又一再言之。乃三千年來竟無一人能察聖人之象,昧聖人之言,以求日進而無疆,坐令錦繡之乾坤,困於一治一亂之輪迴,而無發展之機,不亦深可痛哉!辛齋何人,於古先大師大儒之學,會不能仰望其肩背,詎謂能發前人所未發,明前人所未明,以補數千年之罅漏?或者時事相催,劫運當復,天誘其衷,困諸囹圄,導諸良師,開其一隙之明,畀引其端。庶聖意不致終晦,後人得藉此發揮而光大之,以臻世界之大同,未可知也。九仞之山,成於螘垤。辛齋其亦一蟻而已。

孔子が《易伝》を作しても、また一再この一層に講じ及んだ。しかし三千年来ついに一人も聖人の卦象を体察し聖人の言語を領会して、日進疆なしを追求した者がなく、空しく錦繍河山を一治一乱の輪廻の裡に困死せしめ、発展の機会なく、豈に深く痛惜すべからざらんや。杭辛斎は自ら謙して曰く。我は何人ぞや。古来の大師大儒の学問に対して、その肩背を仰望することすらできず、どこに敢えて前人の未だ発せざるを発し前人の未だ明らかにせざるを明らかにして、もって几千年の漏洞を弥補すると言うことができよう。大抵は時局に相逼められ劫運が将に回らんとし、上天が我が心志を誘導し、我を牢獄に困らせ、また良師を引き来って指點せしめ、一線の明を開いて、この頭緒を我が手の中に交したのであろう。或いは聖人の用意はこれによって終に晦暗に帰せず、後人がそれを借りて発揮光大して、もって世界大同に達することも、また未だ知るべからず。九仞の高山は蟻穴のごとき小土の堆積して成る所で、我が杭辛斎もまたその中の一只の螞蟻に過ぎない。

水火にもまた二有り

八卦播五行於四時,木金土各二,惟水與火各一。震糞木有二也,兌乾金有二也,坤艮土有二也,惟離火坎水各一。先儒謂離坎居中,中不可有二,故水火均一也。又謂木金土皆有剛柔,惟水火無剛柔可分,故不能有二。然以十干分配五行,則水火木金土各有二。以十二辰分屬五行,則水火木金各有二,而土有四,則水火不二之說又不可通。

八卦は五行を四季に分布するが、その中で木・金・土は各々二卦を占め、ただ水と火のみ各々一卦を占める。《震》と《巽》は共に木に属し、これは木に二有り。《兌》と《乾》は共に金に属し、これは金に二有り。《坤》と《艮》は共に土に属し、これは土に二有り。ただ《離》を火と為し《坎》を水と為すのみ、各々ただ一卦である。前代の学者はこれに対して二種の解釈がある。一説は《離》《坎》は中位に居り、中は二つあることができないので、水火は各々一のみと言う。一説は木・金・土は皆剛柔に分かつことができるが、ただ水火は剛柔に分かち出すことができないので、二有ることができないと言う。しかし十天干をもって五行に配れば、水火木金土は明々に各々二つあり、十二地支をもって五行に配れば、水火木金も各々二つあって、土はついに四つある。このようになれば、「水火は二ならず」の説法は講じ通らない。

辛齋以為八卦於水火,亦各有二,與木金土無異焉。離為火,震為雷,雷亦火也。坎為水,兌為澤,澤亦水也。震為雷,震之一陽出於坎。陰根於陽,《內經》所謂“龍雷之火”,乃真火也。故於十干屬丙,而離火屬丁。兌之一陰麗於離,故曰麗澤兌。陽根於陰,其義取明水於月,乃真水也。於十干屬壬,而坎水屬癸,水火同源,陰陽互根,皆歸本於太一。俗儒未察五行之原理,以卦只有八,而五行之分陰分陽,其數有十,遂無可措置。曲為之解,遂有水火不二之說,而不自知其不可通也。

杭辛斎は考えて言う。八卦は水火に対しても実は各々二つあり、木金土と異なるところはない。《離》は火で、《震》は雷で、雷もまた火である。《坎》は水で、《兌》は沢で、沢もまた水である。《震》は雷で、それのあの一陽爻は《坎》から出て、陰の中に陽を生ずるので、まさに《黄帝内経》の言う「龍雷の火」で、真火に属する。だから十天干の裡に丙に配し、そして《離》火は丁に配する。《兌》の一陰は《離》に附麗するので、《兌》卦《大象》は「麗沢兌」と言う。あれは陽の中に陰を生ずるので、古人が方諸をもって月に向かい「明水」を取るの義を取り、真水に属する。だから十天干の裡に壬に配し、そして《坎》水は癸に配する。水火は同源で、陰陽は互いに根柢を為し、最後に皆「太一」に帰本する。庸常の学者は五行の原理を察見せず、ただ卦が八つあるを見て、そして五行が陰を分かち陽を分かってその数が十あるので、そこで按排し下らず、やむを得ず曲意して解説し、「水火は二ならず」の説法を弄び出し、なお自らその講じ通らないを知らない。彼が論を立てる根拠は、《震》《兌》の両卦のあの一爻が分かれて《坎》《離》から出るので、それによって雷は丙火に配し得、沢は壬水に配し得て、八卦と十天干はこれで初めて恰好対い合う。

九宮八卦の真諦

八卦坎一,離九,震三,兌七,乾六,巽四,坤二,艮八,乃九宮之數,即洛書數也。後人不得其解,異說紛紜,各執一是,而互相駁難,究莫能得其要領。此由於不知九宮之真諦,無怪其開口便錯也。九宮本於太一,以一行九,如乾坤之周流六虛,分陰分陽,循環無端。一九三七二四六八,即陰陽太少之四位焉。

八卦に数を配すれば、《坎》は一・《離》は九・《震》は三・《兌》は七・《乾》は六・《巽》は四・《坤》は二・《艮》は八。これがすなわち九宮の数で、すなわち《洛書》の数である。後人はその道理を弄明白にできず、異説が紛紛として、各々一端を執って互いに駁難し、終に要領を摑めない。これは九宮の真義を懂らないに因るので、一たび口を開けば錯るも怪しむに足らない。九宮はもともと「太一」に源し、一をもって九宮を周行し、《乾》《坤》の気が六爻の位に周流するがごとく、陰陽を分かち出して、循環して起訖がない。一と九・三と七・二と四・六と八は、まさに太陽・少陽・少陰・太陰のこの四種の陰陽形態が居る位置である。

陽為氣,陰為形,氣與形有純駁,而太與少別也。一九太陽,純乎氣者也。故坎離居之。二八少陰,純乎形者也。故坤艮居之。三七少陽,氣與形相兼者也。故震兌居之。四六太陰,純乎形亦純乎氣者也,故乾巽居之。(巽為柔木,得氣之初,成形最早。乾為金剛,得氣最純,成形最堅。故柔木燒之而無炭,金剛化之而無質。此所以為太陰,陰極生陽,而玄牝為萬化之根也。)支支節節而解之,一卦一象以求之,其泥而不能通也宜矣。

陽は気に属し、陰は形に属する。気と形とに純粹と駁雑の別があり、太と少の分野はすなわちこれに由って来る。一と九は太陽で、純粹に気に属するので、《坎》《離》がこれに居る。二と八は少陰で、純粹に形に属するので、《坤》《艮》がこれに居る。三と七は少陽で、気と形を兼ね有するので、《震》《兌》がこれに居る。四と六は太陰で、既に純乎として形でありまた純乎として気なので、《乾》《巽》がこれに居る。杭辛斎の自注は末の一条を解釈する。《巽》は柔木で、気を得ること最も早く、形を成すことも最も早い。《乾》は金剛で、気を得ること最も純で、形を成すことも最も堅い。だから柔木は焼き過ぎても炭を留めず、金剛は熔化しても質を留めない。これがすなわちそれらが太陰に属する所以の緑故である。陰が極処に至ってまた陽を生じ、「玄牝」はここにおいて万物化生の根本となる。若し一節一節に拆き開いて講じ、一卦に強て一象を配して求めるなら、当然ただ拘泥して講じ通らないのみである。

天地絪縕、男女媾精

《上經》首乾坤,《下經》首咸恆。咸恆天地合體之卦也。泰否損益,亦天地合體之卦也。乾坤合德,見於咸恆。泰否交構(泰否為天地交),見諸損益。故“天地絪縕,萬物化醇。男女媾精,萬物化生”,贊諸損之六三。天地絪縕,陰陽首交,而物以氣化。男女媾精,雌雄尾接,而物以形化矣。形能奪氣,物既成形,專於形化,而氣不復化,亦致一也。

《上経》は《乾》《坤》をもって開頭とし、《下経》は《咸》《恒》をもって開頭とする。《咸》《恒》は天地合体の卦で、《泰》《否》《損》《益》もまた天地合体の卦である。《乾》《坤》の合徳は、《咸》《恒》に表れ、《泰》《否》の交構(《泰》《否》は皆天地相交の象)は、《損》《益》に表れる。だから《繋辞伝》のあの段の「天地絪縕して、万物化醇す。男女媾精して、万物化生す」は、まさに《損》卦の六三爻の下に繋げた賛語である。天地の気が絪縕相合するは、陰陽の初次の交感で、万物は気に由って化する。男女が交合するは、雌雄の形体が相接するので、万物は形に由って化する。形は気の作用を奪い去ることができる。万物はすでに形を成した以上、すなわち専ら形化の一路を走り、気化は再び進行しない。これもまた専一に趨る緑故である。

是故天下之物,其初生者無不以氣化,天地之始合也。天地終合,萬物畢具,形成名立,氣為形奪,而氣化者少矣。然終則復始,氣機之流行,仍無少異。即氣化之用終不可絕,不但形之微者仍歸氣化(如無骨之蟲類是也),即形化者亦或感於氣。而蛻化,而變化(如雀化蛤,魚化雀,沙魚化鹿化虎,人亦有時化虎之類)。生生化化,神妙莫測,皆資始於乾元,資生於坤元,實資於天元一(數學以立天元一御無窮不盡之數,亦此理也)。

だから天下の万物が最初に產生する時は、気に由って化しないものはなく、あれはまさに天地が始めて交合する段階である。天地が完全に交合し、万物が全て具備し、形体が既に成り名目が既に立てば、気は便ち形に奪い去られて、気化の情形は少なくなる。しかし終わってまた始まり、気機の流行は依然として両様なく、気化の作用は終に断絶しない。ただ形体の細微なものが依然として気化に頼るのみならず(例えば骨なき虫類)、すでに形化したものも、或いは時に気に感じて蜕変し、転化する(例えば古人の言う雀が蛤と化し、魚が雀と化し、沙魚が鹿と化し虎と化し、人もまた偶に虎と化すの説)。このように生生化化して神妙測るべからずは、皆《乾》元から始まりを取得し、《坤》元から生成を取得し、実際は皆「天元一」に取資するのである(数学の中で「天元一」を立てて無窮無尽の数を駕馭するも、また同一の道理)。

天元一不用(以不用為用,故其用不窮),用地元二(一二天地合,三三生萬物)。天元一子,地元二丑,子丑天地始合。絪縕氣化之候,在卦子一復丑二臨。復一小不用(復小而辨於物),用臨二大(臨下兌。兌數十。十數盈數也。故大。)。故臨之初九、九二,皆曰“咸臨”(咸,乾在坤中,以陰含陽。陽動陰中,陰陽合德。資始資生,二而一矣。)。而乾坤二《彖傳》,孔子皆以一“咸”字形容之。

「天元一」は自身は用いず(用いずをもって用と為すので、その用処は無窮である)、而も「地元二」を用いる(一と二とが相合するは天地の合で、三と三とが相乗ずれば則ち万物を生ず)。天元一は地支の子に配し、地元二は地支の丑に配し、子丑はまさに天地が始めて交合する処である。絪縕気化の時は、卦の上ではすなわち子位の《復》と丑位の《臨》である。《復》は一で、卦体は小にして用いず(《繋辞伝》は「復は小にして物に辨ゆ」と言う)、用いる所は《臨》のこの二・この大である(《臨》の下卦は《兌》で、《兌》の数は十、十は盈満の数なので大と称す)。それによって《臨》卦の初九・九二の爻辞は皆「咸く臨む」と言う(「咸」は《乾》が《坤》の中に在り、陰をもって陽を含む。陽が陰の中で発動し、陰陽合徳して、資始と資生の二が合一する)。そして《乾》《坤》両卦の《彖伝》も、孔子は皆一つの「咸」の字をもって形容した。

咸臨於初爻,初應四四曰“至臨無咎”,即“至哉坤元”之“至”也。咸臨於二爻二應五,五曰“知臨大君之宜”,即“大哉乾元”之“大”也。乾大坤至,天地之氣,充滿流行,密合無間。天地絪縕,萬物化醇也。一二合生三,天地合生人。一氣而二形一精而二純,子丑二而寅三為人道。在卦為泰,泰為通。天地之氣,以人而通。乾道成男,坤道成女。乾交於坤,坤交於乾,而咸恆夫婦之道立。損益盈虛,相為消息,男女媾精,萬物化生也。故孔子於損之六三爻言之。

「咸く臨む」は初爻に在り、初爻は四爻と相応じ、六四は「至りて臨む、咎なし」と言う。この「至」はすなわち「至れるかな坤元」の「至」である。「咸く臨む」は二爻に在り、二爻は五爻と相応じ、六五は「知りて臨む、大君の宜しき」と言う。この「大」はすなわち「大なるかな乾元」の「大」である。《乾》は「大」を主とし、《坤》は「至」を主とし、天地の気は充満流行して、密合して間なし。これがすなわち「天地絪縕して、万物化醇す」である。一と二とが相合して三を生じ、天地が相合して人を生ず。一は気であり二は形であり、一は精であり二は純であり、子丑は二で寅は三で、寅は便ち人道である。卦の上ではすなわち《泰》で、《泰》はすなわち通である。天地の気は人を借りて貫通する。《乾》の道は男を成就し、《坤》の道は女を成就する。《乾》は《坤》に交わり、《坤》は《乾》に交わり、《咸》《恒》の立てた夫婦の道はここにおいて成立する。《損》《益》の盈虚が彼此消長するは、まさに「男女媾精して、万物化生す」なので、孔子はこの句を《損》卦の六三爻の下に繋げた。

二と四、三と五

二與四,三與五,全《易》之重要關鍵也。不明乎此,則《象》《彖》終莫得而解。故孔子於“原始要終”一章,特詳言之。然此章文義深奧,學者莫明其妙,甚或不能句讀,因之異說蜂起。易傳燈甚至疑為偽作。是二三四五之說終不能明,故特將此章全文詮釋之。而後剛柔變易之道,始可得言也。《繫傳》曰:“《易》之為書也,原始要終,以為質也。六爻相雜,唯其時物也。其初難知,其上易知。本末也。初辭擬之,卒成之終”。此一節明設卦觀象之法。

二爻と四爻・三爻と五爻の関係は、全部《周易》の重要な関鍵である。この一点を明白にせざれば、《象伝》《彖伝》は終に解釈する由がない。だから孔子は《繋辞下伝》の「原其始要其終」のあの一章の裡に特別に詳細にそれを講じた。しかしこの一章は文義が深奥で、《易》を学ぶ人はその中の妙処を弄清できず、甚だしくは句読すら断ち開けない。それによって異説が蜂起して、《易伝灯》の一書すらそれを偽作と疑うに至った。このようになれば、二・三・四・五の説は終始講じ明白にできない。だから杭辛斎はわざわざこの一章の全文に詮釋を加え、しかる後に剛柔変易の道理は初めて談じ得る。《繋辞伝》は言う。「《易》の書と為るや、原其始要其終、以て質と為す。六爻相い雑り、唯だ其の時の物なり。其の初は知り難く、其の上は知り易し、本末なり。初辞は之を擬し、卒は之を終に成す」と。この一節の講ずるは、卦を設け象を観る方法である。

《易》之為書,上下二篇,皆原始要終。《上經》以乾坤始,坎離終。《下篇》以咸恆始,既未濟終。即全《易》以乾坤始而坎離終(乾坤坎離為先天,南北東西之中。乾坤純陽純陰,其體始終不易。坎離為陰陽之中,其體亦始終不易。故後天以離坎代乾坤之位。六十四卦原始要終,皆乾坤坎離而已。六十四卦有其始終,一卦亦各有其始終。乾坤坎離以為之體,而離變其終則為震。震反則為艮坎,變其始則為兌。兌反為巽而離,變其始亦為艮。坎變其終亦為巽,巽艮反仍為兌。震則六爻相雜矣。六爻相雜,唯其時之不同,而陰陽之變化,其成象各異。其初難知,變之始也。其上易知,物之終也。初立其本終得其末。初率其辭,而揆其方。既有典常,卒能成其終。而一卦之體用可見矣。),而一卦六爻相雜,唯其時物,亦各自有其始終。

《周易》という書は、上下両篇とも「原其始要其終」である。《上経》は《乾》《坤》をもって始め、《坎》《離》をもって終わり、《下経》は《咸》《恒》をもって始め、《既済》《未済》をもって終わる。合わせて見れば、全書もまた《乾》《坤》をもって始め《坎》《離》をもって終わる。杭辛斎はここに一大段の自注を加える。《乾》《坤》《坎》《離》は先天卦に属し、南北東西の中に居る。《乾》《坤》は純陽純陰で、卦体は終始変わらず、《坎》《離》は陰陽の中で、卦体もまた終始変わらない。だから後天卦位は《離》《坎》をもって《乾》《坤》の位置に代える。六十四卦の原始要終は、帰根到底《乾》《坤》《坎》《離》の四卦に過ぎない。全書にその終始があり、毎一卦もまた各々終始がある。《乾》《坤》《坎》《離》をもって体と為し、《離》はその終を変じれば《震》と成り、《震》は倒れて《艮》である。《坎》はその始を変じれば《兌》と成り、《兌》は倒れて《巽》で《離》に通じ、その始を変じても《艮》と成る。《坎》はその終を変じても《巽》と成り、《巽》《艮》は反覆して依然として《兌》に帰る。《震》に至れば、六爻はすなわち相い雑る。六爻が相い雑るは、ただ処する時が同じでないに因り、陰陽の変化の成す象もまた各々異なる。初爻は知り難し。あれは変化の開端だからである。上爻は知り易し。あれは事物の終結だからである。初爻は根本を立て、上爻は末梢を得る。初爻の辞に依循してその方向を推度すれば、既に常規に循うべく、終にその終を成就し得て、一卦の体と用もまた見出せる。正文に返る。一卦の六爻は互いに錯雑し、ただ処する時と値する物に随って定まり、また各自その終始がある。

初難上易,有本末之分。知其所先後,則擬之於初者,卒能成其終。此就全卦六爻而言之也。然初者物之始,而用未著。上者時已過,而用或窮。故又曰“若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備”。(物者,陰物陽物之總名。雜物則陰陽迭居其位而文生矣。撰者有選撰擬議之意。因陰陽之雜居,其德不同,則是非可辨矣。)

初爻は知り難く上爻は知り易い。ここに本と末の分別がある。先後の次序を知れば、さらば初爻の上に擬議する所は、最終にその終結を成就し得る。これは全卦の六爻を通盤に就いて言う。しかし初爻は事物の始で、功用はまだ顕現せず、上爻は時がすでに過去して、功用は或いはすでに窮尽したかも知れない。だから《繋辞伝》は続けて言う。「若し夫れ物を雑え徳を撰び、是と非を辨ずれば、則ち其の中爻に非ざれば備わらず」と。杭辛斎の自注。いわゆる「物」とは、陰物陽物の総称である。「雑物」とはすなわち陰陽が交替に各爻の位を占拠して文彩がこれに由って產生することである。「撰」には選択・擬議の意を含む。陰陽が雑居するので、各爻の徳が同じでなく、是と非は初めて辨じ出せる。

又曰:“噫!亦要存亡去凶,則居可知矣。知者觀其彖辭,則思過半矣。”(此又詠歎以長言之,而申明上文意也。來知德氏以亦要為句,而要讀腰,謂即指中爻,似屬牽強。亦要者,即大要云爾猶言約舉其大概也。居者,剛柔迭居屯見而不失其居,即二四三五是也。)二四三五,已過全卦之半,此四爻皆謂之中者。以二五乃上下卦之中,三四又二與四,三與五之中也。

《繋辞伝》は続けてまた言う。「噫、また存亡去凶を要すれば、則ち居れば知るべきなり。知者は其の彖辞を観れば、則ち思い過半す」と。意は大要はその存を保しその亡を防ぎ凶咎を避け去るに外ならず、ただ各爻の居る位を見れば便ち推知できるを言う。杭辛斎の自注。これは詠嘆の長句をもって再び上文の意を申明したのである。明人の来知徳は「亦要」を断じて一句と為し、併せて「要」を「腰」と読んで、それが中間の幾爻を指すと言う。似て牵强である。「亦要」は所詮「大要」の意で、約略その大概を挙げると言うに等しい。「居」は剛柔が交替に位を占め、屯聚顕現して各々その居る所を失わないを指し、すなわち二・四・三・五のこの幾爻である。二・四・三・五の四爻はすでに全卦の一半を超過し、皆「中」と呼び得る。二と五は分かれて下卦と上卦の中であり、三と四はまた二と四・三と五のこの二組の中間だからである。

故又曰:“二與四同功而異位,其善不同。二多譽,四多懼。近也,柔之為道,不利遠者。其要無咎,其用柔中也。”此即所謂下中爻也。二至四合成三畫卦一。既成一卦,又自有其上下之位。既分上下,其善與不善,便有不同。統觀六十四卦,凡二爻每多佳譽,而四爻每多恐懼。何哉?因四之位近於五,而四為柔爻。柔之為道,逼近於剛者不利,故多懼。而二雖同為柔爻,則遠於五矣。遠者大要可以無咎,況二又為下卦之中,柔而得用,此其所以多譽也。

だから《繋辞伝》はまた言う。「二と四とは功を同じくして位を異にす。其の善同じからず。二は誉れ多く、四は懼れ多し、近きなり。柔の道と為るは、遠き者に利あらず。其の要は咎なき、其の用は柔中なり」と。ここに言うはすなわち下の一組の中爻である。二爻から四爻は互体して一つの三画卦を合成する。すでに一卦を成した以上、それ自身にまた上下の分がある。すでに上下を分けば、好いと好くないとに差別がある。六十四卦を通観すれば、二爻は美譽多く、四爻は恐懼多い。何の故か。四の位置は五に緊挨するが、そして四は柔爻で、柔の世に処る道は、剛強に逼近すれば利なく、だから多懼である。二は同じく柔爻だが、五より離れること較べて遠く、遠きは大体において過ちないことができ、況んや二はまた下卦の中に居り、柔にしてその用を得ることをや。これがすなわちそれが美譽多きの緑故である。換言すれば、同じく柔爻で、吉凶は爻自身に取决まらず、それが九五より離るの遠近および中に居って位を得るか否かに取决まる。

又曰:“三與五同功而異位。三多凶,五多功,貴賤之等也。”此即所謂上中爻也。三至五,亦合成三畫卦一。而六十四卦之三爻,多凶,而五爻多功。何哉?則以五貴而三賤。五得位得中,而三則非所論也。綜二四三五而言之,二與四柔爻也,三與五剛爻也。故又曰:“其柔危,其剛勝耶?”二四雖同為柔,惟四獨危。三五雖同為剛,而五獨勝。此總論二四三五之位。而成卦以後,則剛柔雜居。柔者或以柔而益見其危,剛者或過剛而更著其凶。存亡凶吉,觀其居,則可知矣。

《繋辞伝》はまた言う。「三と五とは功を同じくして位を異にす。三は凶多く、五は功多し、貴賤の等なり」と。ここに言うはすなわち上の一組の中爻である。三爻から五爻もまた互体して一つの三画卦を合成する。六十四卦の裡で三爻は凶多く五爻は功多い。何の故か。五は尊貴で三は卑賤だからである。五はすでに正位を得また中に居り、三はこれらを談じに足らない。二四三五を合わせて見れば、二と四は柔位で、三と五は剛位である。だから《繋辞伝》は最後に言う。「其の柔は危うく、其の剛は勝たんか」と。二と四は同じく柔に属するが、ただ四のみが危険である。三と五は同じく剛に属するが、ただ五のみが勝ち取り能う。これは二四三五の位次に就いて総論を作す。卦がすでに成って後に至っては、剛柔がその位に雑居し、柔なる者は柔に因ってさらにその危を見ることがあり、剛なる者は過剛に因ってさらにその凶を顕すことがある。存と亡・凶と吉は、ただそれが居る位を見れば、便ち推知できる。これで見れば二・四・三・五のこの四つの中爻は、こそ一卦の存亡吉凶を判断する真の着眼処で、これもまたまさに杭辛斎が煩瑣を憚らず、この一章の全文を疏解し一遍したる用意である。

柔が剛に乘る

《易》柔乘剛之爻,皆二三五。始於屯之六二,陰陽始交而難生。難由於六二之乘剛也。(乘非二乘初之謂,乃坤六二之柔爻乘乾九二之剛爻。以柔敵剛,剛為所覆,而伏於下,故曰“乘剛”。)凡柔乘剛有其漸,始則柔遇剛。(姤,遇也,柔遇剛也。)遇而不以為異,漸而柔乘剛。(履,柔履剛也)履而不止,漸而柔乘剛。乘剛而不止,終之即柔變剛。(剝,柔變剛也)至柔變剛而乾爻二二五,均為柔乘。乃柔乘五剛。六十四卦終於柔變剛,乃剛決柔矣。

《周易》の中で柔爻が剛爻に凌乘するは、皆二・三・五のこの三つの位置に出現する。この例は《屯》卦の六二に起こる。陰陽が剛く交合を始めてすなわち艱難を產生したが、そして艱難はまさに六二の乘剛から来る。杭辛斎の自注。ここに言う「乘」とは、二爻が初爻に乘るを指すのではなく、《坤》の六二のこの柔爻が《乾》の九二のこの剛爻の上に乘る――柔をもって剛と相い敵し、剛が圧覆されて潜伏して下に在るので、「乘剛」と呼ぶ。大凡柔が剛に乘るには皆一つの漸進の過程がある。初起はただ柔と剛とが相遇するのみである(《姤》卦《彖伝》は「姤とは遇なり、柔が剛に遇うなり」と言う)。相遇しても何の異様も覚えず、漸漸とすなわち柔が剛の上に踏み成り(《履》卦《彖伝》は「柔が剛を履むなり」と言う)、踏み上げて肯んじて罷めなければ、一歩一歩に変じて柔が剛に凌駕するとなる。乘剛が再び停止せざれば、最後には便ち柔が剛を変ずるとなる(《剥》卦《彖伝》は「柔が剛を変ずるなり」と言う)。柔が剛を変ずるの地步に至れば、《乾》卦の二・三・五の諸剛爻は皆柔に乘られて、一柔が五剛に乘るの勢と成る。そして六十四卦は柔が剛を変ずるをもって終と為し、最後は則ち剛が来りて柔を決去する。

始柔遇剛,而姤柔壯,壯震起,不艮止之,而震起者皆乘剛爻矣。二三五乘剛爻,天地三人爻睽不同人,遇剛敵剛而乘剛,莫凶於三爻矣。是故乘剛,始《屯·六二》“乘馬”。屯“乘馬”出之井,井二三五剛爻不可柔乘。柔乘則剛掩,剛掩則困。故乘剛莫凶於困之六三爻也。是以《震·六二》,乘剛也;《噬嗑·六二》,乘剛也。天地乘剛爻皆於六二。乘剛難始,即難在三五。三五天地日月候。三柔乘,困剛掩。五柔乘,豫貞疾。皆日月掩食象也。

開頭は柔が剛に遇うが、そして《姤》の柔は一旦壮大すれば《大壮》と成る。《大壮》の下体は《震》で、起動を主とし、若し《艮》があってそれを止めなければ、およそ起動するは皆乘剛の爻と成る。二・三・五は皆乘剛の位である。天・地・人の三才の中で、人爻は第三位に居り、その象は乖異の《睽》であって和同の《同人》と成らない。剛に遇い・剛に敵して乘剛に至るに、第三爻より凶なるはなし。だから乘剛を論ずれば、《屯》卦の六二の「馬に乘りて班如たり」に起こる。《屯》の「馬に乘る」の象は《井》から出る。《井》卦の二・三・五は皆剛爻で、柔に乘られるべからず。一たび柔に乘られれば、剛は掩蔽を受け、剛が掩蔽を受ければ便ち《困》と成る。だから乘剛の凶は《困》卦の六三より過ぐるなし。この外《震》卦の六二は乘剛で、《噬嗑》卦の六二もまた乘剛で、天地の間の乘剛の爻は皆六二のこの一位に落ちる。乘剛の艱難は二に起こるが、真の難処は却って三と五に在る。三と五は天地日月の運行する時で、三爻が柔に乘られれば《困》の剛掩のごとく、五爻が柔に乘られれば《豫》の「貞疾」のごとく、皆日月が掩われて交食に至るの象である。

柔乘剛,則坤有尤,而乾有悔。故《易》無尤之爻,恆在二四五。尤,異也。睽,異也。(睽三五柔)西南坤柔道,以物見異為有尤,乃乘剛也。東北艮終止之,以終止坤柔,不見異,不乘剛,而終以無尤。故於天地西南(離兌)睽異,而終於東北蹇難,艮止之。二三五震起,而柔乘剛者,皆二四五。反震而艮止之,則終無尤矣。

柔が一旦剛に乘れば、《坤》の一方に「尤」有り、《乾》の一方に「悔」有り。だから《周易》の中で「尤なし」と言う爻は、総じて二・四・五のこの幾位に在る。「尤」はすなわち「異」で、そして《睽》はまさに乖異の卦である(《睽》の三爻・五爻は皆柔)。西南は《坤》に属し、走るは柔道で、物に遇って乖異を生ずれば「尤有り」と呼ばれ、あれはまさに乘剛である。東北は《艮》に属し、《艮》はそれを終止し得る――《坤》の柔を止めれば、乖異を見ず、また乘剛せず、最終に「尤なし」を得る。だから天地方位の上で、西南(《離》《兌》)は乖異を主とし、そして東北の《蹇》の難に終結し、《艮》に由って止められる。二・三・五は《震》に因って起動し、およそ柔が剛に乘るは皆この幾位に在る。《震》を倒転して《艮》と為して加えて止めれば、最終にすなわち尤なしとなる。

是以屯二,乘剛也。屯震反艮,屯成蹇,蹇二終無尤也。噬嗑二,乘剛也。噬嗑震反艮,噬嗑成旅。旅二,終無尤也。豫五,乘剛也。豫震反艮,豫成剝,剝五終無尤也。柔剛二三五終無尤,二四五天地中,三四反類,故困三乘剛也。困反類賁,賁四終無尤也。是以無尤皆二四五柔以艮止,乘剛皆二三五柔以震起也。

これに依って逐一推験すれば、《屯》卦の六二は乘剛で、《屯》の《震》が倒転して《艮》と為れば、《屯》は《蹇》に変わり、《蹇》の六二は便ち「終に尤なし」。《噬嗑》の六二は乘剛で、それの《震》が倒転して《艮》と為れば、《噬嗑》は《旅》に変わり、《旅》の六二は便ち「終に尤なし」。《豫》卦の六五は乘剛で、それの《震》が倒転して《艮》と為れば、《豫》は《剥》に変わり、《剥》の六五は便ち「終に尤なし」。柔剛が二・三・五に居って能く終に尤なきに帰するは、二・四・五が天地の中に処るに因る。三と四は則ち反ってその同類を取らねばならない。だから《困》卦の六三は乘剛で、《困》は類を反して《賁》と為り、《賁》の六四は便ち「終に尤なし」。これで見ればおよそ「尤なし」は皆二・四・五の柔が《艮》に止められるのであり、およそ「乘剛」は皆二・三・五の柔が《震》に因って起こるのである。

二三五不柔乘,二四五終無尤,於是坤無尤而乾悔亡,為貞吉悔亡。故《易》貞吉悔亡爻,恆為二四五。乃坤柔不乘剛,乾剛不柔乘,是以坤貞吉而乾悔亡。坤貞吉,貞於坎;乾悔亡,悔於離。天地南北離坎,《易》日月一二明始,故正北方卦子丑,坎艮蹇貞吉;南方卦午未,離坤晉悔亡;而晉以下子丑二初貞吉,上午未三五日月明悔亡。

二・三・五が柔に乘られず、二・四・五が終に尤なきに帰すれば、ここにおいて《坤》の方は尤なく《乾》の方は悔い亡び、合わせれば便ち爻辞の中の「貞吉」「悔亡」である。だから《周易》の中で「貞吉」「悔亡」と言う爻は、総じて二・四・五に落ちる。これは《坤》の柔が剛に乘らず、《乾》の剛が柔に乘られないに因り、だから《坤》は「貞吉」を得て《乾》は「悔亡」を得る。《坤》の貞吉は、《坎》に貞り、《乾》の悔亡は、《離》に悔いる。天地の南北は正に《離》《坎》に当たり、《周易》は日月をもち、一二をもって光明の始と為す。だから正北方の子丑の位は、《坎》《艮》が《蹇》を成して「貞吉」と言い、南方の午未の位は、《離》《坤》が《晋》を成して「悔亡」と言う。《晋》以下の諸卦で、およそ子丑に属する二爻・初爻は多く貞吉を言い、およそ午未に属する三爻・五爻は則ち日月の明に因って悔亡を言う。

內子丑一二,家人內也。外午未七八,睽外也。家人二貞吉而初悔亡,內也。睽五悔亡,外也。天地內外陰陽,陰不可過乎陽,內陰壯不可也。故家人內有恆不可有壯。是以家人二貞吉,而恆二悔亡。恆二悔亡,爻止二字;即大壯二悔亡,爻止二字。為內陰不可壯而止之。於是正北方坎卦內正,而南方離卦無悔。

内卦は子丑に当たり一二に当たり、《家人》の「内」に象を取る。外卦は午未に当たり七八に当たり、《睽》の「外」に象を取る。《家人》の六二は貞吉を言い初九は悔亡を言い、皆内に属す。《睽》の六五は悔亡を言い、外に属す。天地に内外の分があり、陰陽に分際あり。陰は陽を超過すべからず。だから内卦の陰は壮大を許されない。それによって《家人》の主とする内は、ただ《恒》のごとき常久あるべく、《大壮》のごとき壮盛あるべからず。ここにおいて《家人》の六二は貞吉を言い、そして《恒》卦の九二はただ「悔亡」を言うのみで、爻辞はただこの二字である。《大壮》の九二もまたただ「悔亡」を言うのみで、爻辞は同じくただこの二字である。内卦の陰は壮なるべからずとし加えて遏止するがためである。このようになれば、正北方の《坎》卦はその内正を得て、南方の《離》卦は悔なきを得る。

可大壯往外,是為大壯內二貞吉,而外四五貞吉悔亡而無悔也。天地坤始柔不可壯,壯則乘剛,坤有尤。乾後剛不可不壯,不壯剛柔乘剛,乾有悔。是以大壯於坤柔壯止,於乾剛晉進。大壯正大,天地之情可見,而二四五貞吉悔亡而無悔可也。《易》於南北離坎,乃未濟上下卦。大壯二四五剛柔爻,即未濟離坎二四五剛柔爻,故大壯二貞吉。坎貞吉,大壯四貞吉悔亡,坎離貞吉悔亡,大壯五無悔,離貞吉無悔,故南北乃天地未濟離坎六十四卦終也。故二三五二四剛柔中爻,為全《易》至要關鍵。不明乎此,《易》不可得而言也。

ただ壮にして外に向かうのみ行き通ることを得る。これがすなわち《大壮》の内卦の九二が「貞吉」を言い、そして外卦の四・五の两爻が分かれて「貞吉悔亡」に至って「悔なし」を言うの緑故である。天地の間、《坤》は先に在り、その柔は壮大すべからず、一たび壮なればすなわち剛に乘らんとし、《坤》は便ち「尤有り」。《乾》は後に在り、その剛は壮ならざるべからず、壮ならざれば剛は反って柔に乘られ、《乾》は便ち「悔有り」。だから《大壮》の一卦は、《坤》の柔に対してはその壮盛を止め、《乾》の剛に対してはそれを《晋》のごとく上進せしめる。《大壮》《彖伝》は「正にして大なるは天地の情見るべし」と言い、そして二・四・五の三爻が貞吉・悔亡に至って悔なしを言うは、まさにこの道理である。《周易》は南北の《離》《坎》をもって《未済》の上下両卦と為す。《大壮》の二・四・五の剛柔の爻は、すなわち《未済》の中の《離》《坎》の二・四・五の剛柔の爻である。だから《大壮》の九二が貞吉を言うは、《坎》の貞吉と相応じ、《大壮》の九四が貞吉悔亡を言うは、《坎》《離》の貞吉悔亡と相応じ、《大壮》の六五が悔なしを言うは、《離》の貞吉悔なしと相応ずる。それによって南北の二方はすなわち天地《未済》《離》《坎》で、また六十四卦の終結でもある。これに由って知るべし、二・三・五と二・四のこれらの剛柔の中爻は、全部《周易》の最も緊要の関鍵で、この一点を明白にせざれば、《易》は談ずる由なし。

乾陽二三五在井,(乾初九天一勿用,用地二陰陽合德。故乾陽不曰一三五,曰二三五。)故井初下也,時舍也。與乾初下也時舍同也。三多凶,惟井三王明受福。(坤陰晉二“受茲介福”,《既濟·九五》“東鄰殺牛不如西鄰之禴祭實受其福”。《象》曰“實受其福吉大來也”。《困·九五·象傳》“利用祭祀受福也”。經傳言福者,只此四爻而已。)坤陰二三五在噬嗑,故曰“噬嗑合也”,言陰與陽相合也。先王分疆畫界取諸井,日中為市,取諸噬嗑。燮理阻陽,以養萬民,得二四三五之用也。井反為困,二與五同也。而三則變九為六。《彖傳》曰“困剛掩也”,即井九三之陽為柔所掩,故曰“剛掩”。困數三十六。天地數窮,窮則變,變則通,而通在井二三五。乾陽出用,俱在三四人爻反覆。故二與四三與五內重要之關鍵,尤在三四也。

《乾》の陽は二・三・五に落ち、その象は《井》卦に見える(《乾》卦の初九は天一で、「潜龍用うる勿れ」。用いる所は地二で、陰陽合徳するので、《乾》の陽は一三五と称せず、二三五と称す)。それによって《井》卦の初爻は下に居りて「時に舎る」は、《乾》卦の初九が下に居りて「時に舎る」と同一の道理である。三爻は凶多いが、ただ《井》卦の九三のみ「王明くして、并せ其の福を受く」と言う。杭辛斎の自注は経伝が「福」を言う処を列挙する。《坤》の陰は《晋》卦の六二の「兹の介福を受く」に見え、《既済》の九五は「東鄰が牛を殺すは、西鄰の禴祭の実に其の福を受くに如かず」、《象伝》は「実に其の福を受く、吉大いに来るなり」と言い、《困》卦の九五《象伝》は「用いて祭祀するに利し、福を受くなり」と言う。経伝の中で「福」に講じ及ぶは、ただこの四爻のみである。《坤》の陰は二・三・五に落ち、その象は《噬嗑》に見える。だから《彖伝》は「噬嗑とは合なり」と言い、講ずるはまさに陰と陽とが相合する。《繋辞伝》は先王が疆界を划分するに《井》に象を取り、日の中に市を為すに《噬嗑》に象を取ったと言い、皆陰陽を調理してもって万民を養い、二四・三五の用に得力する。《井》は倒転して《困》と為り、二爻と五爻は変わらず、ただ三爻のみ九より六に変わる。《彖伝》は「困とは剛掩なり」と言い、まさに《井》卦の九三の陽が柔に掩われるので、「剛掩」と称す。《困》の数は三十六で、天地の数はここに至って窮まる。窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通じ、そして通ずるは依然として《井》の二・三・五に在る。《乾》陽が功用を顕出するは、皆三・四のこの二人爻の反覆の間に在る。だから二と四・三と五のこの一組の関鍵の中で、最も緊要なるはなお三と四である。

九を用い六を用いる

卦用七八,爻用九六。七八其體,九六其用。故六十四卦無一非九六之用。孔子首以乾坤發明之,以示六十四卦無一非九六之用,實無一非乾坤之用也。然坤以從乾,地道無成,坤之用皆乾之用,六之用皆九之用,故特於《乾·文言》一再申明其義,曰“乾元用九,天下治也”,“乾元用九,乃見天則”,又曰“天德不可為首也”。

卦の自身は七と八を用い、爻は則ち九と六を用いる。七・八は体で、九・六は用である。だから六十四卦に一卦として九六の用でないものはない。孔子はまず《乾》《坤》の両卦を取ってこの道理を揭示し、六十四卦がすでに一として九六の用でないものなければ、また一として《乾》《坤》の用でないものなきを表明した。しかし《坤》は《乾》に順従するを職と為し、地道は自身は成功に居らず、《坤》の用は実は皆《乾》の用で、六の用は実は皆九の用である。だから孔子は特に《乾》卦《文言伝》の裡に一再申明して、「乾元が九を用いれば、天下治まるなり」と言い、「乾元が九を用いるは、乃ち天則を見る」と言い、また「天徳は首と為るべからず」と言う。

先儒於用九用六二語,解釋不一。或以占變,或以剛柔,或泛論君臣之道,或比附天地之氣,或以“群龍無首”四字望文生義,或以“用六永貞”一言互明其旨,而皆未有確切不移之說,為至當不易之論者。揆厥原因,實由蔡墨之一語,曰乾之坤“見群龍無首吉”。故主占變之說者,皆以用九為純乾變純坤,用六為純坤變純乾。其他泛言義理言君臣,更悠悠無可捉摸矣。

前代の学者は「九を用い」「六を用い」の両句に対して、解釈が各々相同じない。或いは占筮の変爻から講じ、或いは剛柔から講じ、或いは泛泛として君臣の道を議論し、或いは天地の気に比附し、或いは「群龍首なし」の四字を摑んで文を望んで義を生じ、或いは「六を用い永く貞す」の一句を取って互いに発明する――しかし皆一つの確切不移の定論と称し得る説法がない。推究すれば原因は、実に《左伝》の記する蔡墨の一句の言に起こる。彼は《乾》の《坤》に之くは、占辞は「群龍を見るに首なし、吉」と言うと言った。だから占変の説を主張する人は、皆「九を用い」を純《乾》が純《坤》に変ずると講じ、「六を用い」を純《坤》が純《乾》に変ずると講じる。その余の泛く義理を論じ泛く君臣を論ずるに至っては、いっそう空泛にして捉摸する由がない。

夫經文既明明曰九曰六,則釋經者自當先從九六二字研究,得其確詁,然後推究用九用六及所以用九用六之原,而證之以經,方為有據。端木鶴田氏曰:“用九者,天一不用,用地二至地十。”誠為最扼要之論矣。夫先聖既以九六命爻,自無爻非用九用六也。既稱之曰九曰六,則必根據於天一地二之數可知也。

経文はすでに明々白々と「九」と「六」を書いた以上、さらば経を解する人は自らまず「九」「六」の二字から手を下して研究し、確切の訓釋を求め得て、しかる後に再び「九を用い」「六を用い」および九を用い六を用いる所以の根源を推究し、併せて経文を取って印証して、これで初めて憑拠有りと算する。清人の端木国瑚(字は鶴田)は言う。「いわゆる九を用いるとは、すなわち天一は用いず、而も地二より地十に至るまでを用いる」と。これは実に最も扼要の論断である。先聖はすでに九・六をもって爻を命名した以上、自然に一爻として九を用い六を用いないものはない。すでにそれを九と称し六と称す以上、さらば必ず天一・地二のこの一套の数に根拠して来たので、これは断定できる。

今以天一地二之數推之,惟一與九不變。一不變者體也,(以一乘十乘百皆仍為一,而乘三乘四仍為三四。與二合則生三,而一之本數乃不見,故一不用。)九不變者用也。(凡以九遍乘他數,無一非九。如二九十八,一八九也。三九二十七,二七亦九也。至九九八十一,八一亦九也。)故自九乘一以至十,其積數為三百八十四,乃全《易》六十四卦之爻數也。而自一以後遞加至十,積數為九十九,加至百為九千九百九十九,而皆虛其一。故一不用,不為首,而《易》之全數皆用九之數。

今や天一地二のこの套の数を用いて推算すれば、ただ一と九のみが変わらない。一の変わらざるは、体に就いて言う(一は十を乘じ百を乘じても依然として一で、三を乘じ四を乘じれば則ちただ三・四を得るのみ。二と相合すれば三を生じ出して、而も一の本数は反って見えなくなる。だから一は用いず)。九の変わらざるは、用に就いて言う(およそ九を取って別の数に遍く乘じれば、得る所に九でないものはない。二九は十八、一に八を加えれば九。三九は二十七、二に七を加えてもまた九。九九八十一に至るまで、八に一を加えてもなお九)。だから九に一を乘じるからずっと九に十を乘じるに至るまで、累ね加えれば三百八十四で、まさに全部《周易》の六十四卦の爻数である。そして一から逐次累ね加えて十に至れば、積数は九十九で、累ね加えて一百に至れば、積数は九千九百九十九で、皆一位を虚出して整数に満たない。これで見れば一は用いないので、首位に居らず、而も《周易》の全部の数目は皆九を用いるの数である。この一段の算式はまさに彼が「九を用い」るために見出した実拠で、占変に頼らず、義理の空談に頼らず、数の自身から九が用であり一が体であるを証明する。

坤之用六曰“利永貞”,天下之道貞夫一者也,則正與九對。由此推之,自二至八,其五位之相得相合,與卦位爻數之相得相合,均可次第而明。然後驗之於日月,征之於四時,考之於聲音律呂,發而為禮樂政治,人倫道德,皆一以貫之。而八卦六十四卦三百八十四爻,亦一以貫之。持論皆有實據,而非徒託之空言矣。(九六之用皆出於數理之自然,非人力可能加減。參看《易數偶得》各圖自明。)

《坤》卦の「六を用い」は「永く貞するに利し」と言い、《繋辞伝》は天下の道が「貞は夫れ一」に帰すると講ずる。これは正に九と相対する。これより下に推せば、二から八までのこの幾位の数は、それらの彼此の相い得相い合う、および卦位と爻数の間の相い得相い合うは、皆順次に明白にできる。しかる後に日月を取って検験し、四時を取って徴信し、声音律呂を取って考訂し、推行し出して礼楽政治・人倫道徳と為れば、全て一をもって貫くべし。八卦・六十四卦・三百八十四爻も、また全て一をもって貫くべし。このように論を立てて初めて実拠あり、空口白話ではない。杭辛斎の自注。九六の用は皆数理の自然に出て、人力の増減し得る所ではない。彼の著わす所の《易数偶得》の中の各幅の図を参看すれば明白である。

《大学》《中庸》と《易》象

《大學》、《中庸》,皆本於大《易》。以象證之,幾無一句無一字,不與卦義卦數相合。數始於天一,卦始於坎子。(八卦之位,坎北方子,其數一;艮東北丑寅,其數二三;震東方卯,其數四;巽東南辰巳,數五六;離南方午,其數七;坤西南未申,其數八九;兌西方酉,其數十;乾西北戌亥,其數無。乾無也,於文天屈西北為無。)子天一不用,乾初勿用,用始丑地二。(用地二至地十而一勿用,是為乾元用九)子天一復,復小。丑地二臨,臨大。坎習教事,(《坎·象》曰:“君子以常德行習教事。”)教者斆也。臨內卦兌,兌為學。子一至兌十,一始十終,而艮成終成始,念終始與於學,故曰“大學”。

《大学》と《中庸》の両篇は、皆《周易》に本源する。卦象を用いて印証すれば、ほとんど一句として一字として卦義卦数と合わないものはない。数は天一から始まり、卦は《坎》の配する子位から始まる。杭辛斎の自注は八卦の方位と数を言う。《坎》は北方の子に在り、その数は一。《艮》は東北の丑寅に在り、その数は二・三。《震》は東方の卯に在り、その数は四。《巽》は東南の辰巳に在り、その数は五・六。《離》は南方の午に在り、その数は七。《坤》は西南の未申に在り、その数は八・九。《兌》は西方の酉に在り、その数は十。《乾》は西北の戌亥に在り、その数は無――《乾》はすなわち無で、字形から言えば、「天」の字は西北方に屈折して、正に「无」の字を成す。子位の天一は用いず、まさに《乾》卦の初九「潜龍用うる勿れ」のごとく、真に用を起こすは丑位の地二から始まる(地二を用いて地十に至るまで、ただ一のみ用いず。これがすなわち「乾元九を用い」る)。子位の天一は《復》卦で、《復》は小と称す。丑位の地二は《臨》卦で、《臨》は大と称す。《坎》は「教事に習う」を主とする(《坎》卦《大象》は「君子は徳行を常にし教事に習うを以てす」と言う)、「教」はすなわち「斆」で、教と学の両義を兼ねる。《臨》の内卦は《兌》で、《兌》は学である。子位の一の数から《兌》位の十まで、一は始であり十は終である。そして《艮》は終を成し能くまた始を成す。念々に終始を離れずして学に力を致すので、「大学」と呼ぶ。

大學終始在艮,即在於《乾·九二》。(乾初一子勿用,用地二丑。地二丑乃坤二之數,乾坤合德,故坎子隱伏丑二。兌見故乾二曰“利見大人”。)九二“君子學以聚之,問以辨之,寬以居之,仁以行之”,大人之學也。大人之學,由於謹小而慎微。庸言之信,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化,乃龍德而正中者也。故曰“中庸”。故《大學》、《中庸》皆本於《易》,皆始於乾之九二。九二乃坎離爻。坎離南北正中,君子中道而行。《大學》由離而至坎,《中庸》由坎而至離。離坎上下,水火既濟。聖功王道,備於此矣。

《大学》の終始は《艮》に落ち、すなわち《乾》卦の九二に落ちる。杭辛斎の自注。《乾》卦の初爻は一であり子であり、用うる勿れ。用いる所は地二であり丑である。地二の丑はまさに《坤》二の数で、《乾》《坤》は合徳するので、《坎》の子は丑二の中に隠伏する。《兌》はすでに顕現したので、《乾》の九二は「大人を見るに利し」と言う。九二《文言》は「君子は学びて以て之を聚め、問いて以て之を辨じ、寛く以て之に居り、仁にて以て之を行う」と言う。これはまさに大人の学である。大人の学は、謹小慎微に成就する。平常の言語は誠信すべく、平常の行事は謹慎すべく、邪悪を防閑してもってその誠を存し、世に益あって自ら誇らず、徳行は広博にして人を化し得る。これがすなわち「龍徳にして正中」なので、「中庸」と呼ぶ。これで見れば《大学》《中庸》は皆《周易》に本づき、皆《乾》卦の九二に起こる。九二はまさに《坎》《離》の爻で、《坎》《離》は南北の正中に居り、君子はこれによって中道に循って行く。《大学》は《離》より《坎》に走向し、《中庸》は《坎》より《離》に走向する。《離》《坎》は一上一下して、便ち水火《既済》と成る。聖に成るの功と王者の道は、皆ここに完備する。

大學之道,道本於天。(乾為天戌亥數無。以無出有,乾知大始,冒天下之道,貞下起元,而元在坎子天一。)天一坎數,由一生二,陰陽合德,故曰“一陰一陽之謂道”。子一丑二,於天象為日月,子與丑合,(一二天地始合)天地合德,日月合明。明也者,離也。離坤(八卦離之右為坤,火地晉)乃晉卦,《晉·象》曰“君子以自昭明德”。“自昭明德”者,乃君子戒謹恐懼慎獨之功。其象著於西南離坤,而其本則仍在東北。故坎與艮,水山蹇,君子以反身修德。艮與坎,山水蒙,君了以果行育德。坎艮反覆,蒙以養正,而聖功基於此矣。然君子之德,非獨善其身己焉。己立立人,己達達人,重離繼照。《象》日“明兩作離,大人以繼明照于四方”。故曰“在明明德”。

「大学の道」の「道」は、天に本源する。杭辛斎の自注。《乾》は天で、戌亥に居りてその数は無である。無より有を生じ出し、《乾》は万物の大始を知るを主とし、天下の道を覆う。貞の下に元を起こし、そしてこの「元」はすなわち《坎》の子の天一に在る。天一は《坎》の数で、一より二を生じ、陰陽合徳する。だから《繋辞伝》は「一陰一陽之を道と謂う」と言う。子は一であり丑は二で、天象の上ではすなわち日と月である。子と丑とが相合すれば(一と二は天地の初合)、天地は徳を合し日月は明を合す。いわゆる「明」とは、すなわち《離》である。《離》と《坤》とが相接すれば(八卦の中で《離》の右辺は《坤》で、合して火地《晋》を成す)、便ち《晋》卦で、《晋》卦《大象》は「君子は自ら明徳を昭らかにするを以てす」と言う。「自ら明徳を昭らかにする」はまさに君子が戒慎恐懼し・慎独して自修する功夫で、その象は西南の《離》《坤》に顕れ、而も根本は依然として東北に在る。だから《坎》と《艮》とが合して水山《蹇》を成し、《大象》は「君子は身を反して徳を修めるを以てす」と言い、《艮》と《坎》とが合して山水《蒙》を成し、《大象》は「君子は行いを果して徳を育てるを以てす」と言う。《坎》《艮》は反覆して相い成し、蒙昧の時においてその正を培養すれば、聖に成るの功は便ちこれに基づき奠定する。しかし君子の徳は独善その身に止まらず、また己立ちて人を立て、己達して人を達せしめんとし、両《離》が相重なり光明が相継ぐがごとし。《大象》は「明両たび作すは離、大人は明を継いで四方に照らすを以てす」と言う。だから《大学》は「明徳を明らかにするに在り」と言う。

離南方之卦,在先天乃乾之位也。乾與離,天火同人。同人親也。乾君坤民,乾施坤受。離以乾體包孕坤陰,其親也至矣。故曰“在親民,在止於至善”。善者,乾之元也。(《文言》曰“元者善之長也”)至者,坤之元也。(《坤·彖》曰“至哉坤元”)乾元一,坤元二。乾一勿用,用在坤二。乾坤合德,則至善也。一生二,二生三,三乃艮之數。艮,止也,止於至善者也。(一二三三生萬物,子丑寅天地人。建子一復丑二臨寅三泰,泰通而天地人之道通,萬物咸備於我。此所以為君子立德之本,三者為《大學》之綱領焉。)

《離》は南方の卦で、先天卦位の上ではもともと《乾》の位置である。《乾》と《離》とが相合して天火《同人》を成し、《同人》はすなわち親である。《乾》は君であり《坤》は民で、《乾》は施与して《坤》は承受する。《離》は《乾》の卦体をもって《坤》の陰爻を包孕する。その親近は極点に至ったと謂うべし。だから《大学》は「民に親しむに在り、至善に止まるに在り」と言う。いわゆる「善」とは、《乾》の元である(《文言伝》は「元とは善の長なり」と言う)。いわゆる「至」とは、《坤》の元である(《坤》卦《彖伝》は「至れるかな坤元」と言う)。《乾》元は一で、《坤》元は二である。《乾》の一は用いず、用いる所は《坤》の二に在り、《乾》《坤》は合徳して、すなわち「至善」である。一は二を生じ、二は三を生じ、三はまさに《艮》の数である。《艮》はすなわち止で、すなわち「至善に止まる」である。杭辛斎の自注。一・二・三にして三は万物を生じ、子・丑・寅は天・地・人に配す。建子は一で《復》であり、建丑は二で《臨》であり、建寅は三で《泰》である。《泰》は通ずれば天地人の道は皆通じ、万物は我に斉備す。これがすなわち君子の徳を立てる根本で、明徳を明らかにし・民に親しみ・至善に止まるのこの三条は便ち《大学》の綱領である。

知止而後有定,(乾為知,艮為止,知止為乾坎。艮三位,艮反身修德,反諸坎。所謂含三為一是也。)知止反身修德,止於至善,則陰陽合德而既濟定,(既濟定也。既濟六爻皆當位,皆一陰一陽,此之謂道。)定而後能靜,(乾動坤靜,止於至善。以乾合坤,由動而返諸靜矣。)靜而後能安,(坤先迷後得主,後順得常。安貞之德,應地無疆。)安而後能慮,(由艮而返諸坎者,復由坎而出諸艮。坎為思慮。《傳》曰“能說諸心”,坎也。“能研諸侯之慮”,艮也。)慮而後能得。(乾坤合德,乾以易知,坤以簡能,易簡天下之理得矣。)

「止まる所を知りて而後に定まる」――《乾》は知であり、《艮》は止である。止まる所を知るは《乾》と《坎》に合す。《艮》は第三位に居り、身を反して徳を修めるを主とし、これは《坎》に返るで、すなわちいわゆる「三を含んで一と為す」である。止まる所を知りて身を反して徳を修め、至善に止まれば、便ち陰陽合徳して《既済》の定のごとし(《既済》《彖伝》は「定まるなり」と言う。《既済》の六爻は皆位に当たり、皆一陰一陽で、これを道と呼ぶ)。「定まりて而後に能く静かなり」――《乾》は動を主とし、《坤》は静を主とする。至善に止まるは《乾》をもって《坤》に合し、動より静に返る。「静かにして而後に能く安んず」――《坤》卦辞は先に迷いて後に主を得、後に順いて常を得ると言い、安貞の徳は大地に応合して疆なし。「安んじて而後に能く慮る」――《艮》より《坎》に返る者は、また《坎》より出でて《艮》に至る。《坎》は思慮を主とし、《繋辞伝》は「能く諸心を説ぶ」は《坎》であり、「能く諸侯の慮を研ぐ」は《艮》と言う。「慮りて而後に能く得」――《乾》《坤》は合徳し、《乾》は平易をもって知り、《坤》は簡約をもって能くし、易簡なれば則ち天下の理は尽く得る。杭辛斎はこのように句を逐って卦に配して、説明せんとする所は、《大学》の列する「定・静・安・慮・得」の五節の工夫は、決して口に随って排比した次第ではなく、毎一節に皆卦象と方位あって指し実すことができるを明らかにするである。

物有本末,(天地之數,子一丑二寅三,三生萬物,皆始於丑二。丑屬牛,牛大物也。故物從牛星,紀起於牽牛。本末皆從木,木下為本,上為末。寅與卯屬木,《易》象三才天地人,乾天坤地艮人,三才之數不齊,皆齊於巽木。故巽也者齊也。齊之以巽,巽震成益,木道乃行。象也者,材也。材成輔相而天地,人之用以彰。)

「物に本末有り」の一句は、杭辛斎の自注は解释道する。天地の数は、子は一・丑は二・寅は三で、三は万物を生じ、皆丑二から頭を起こす。丑は牛に属し、牛は大物なので、「物」の字は牛に従う。而も星紀もまた牽牛の宿から起こる。「本」「末」の两字は皆木に従い、木の下部は本で上部は末である。寅と卯は皆木に属する。《周易》は天地人の三才に象を取り、《乾》は天・《坤》は地・《艮》は人で、三才の数は参差不斉で、皆《巽》木を頼って斉いにせねばならない。だから《説卦伝》は《巽》はすなわち斉と言う。《巽》を用いてそれを斉くすれば、《巽》《震》が相合して《益》を成し、木道はここにおいて通行する。「象」はすなわち「材」で、材具はすでに成り、天地を輔助して、人の功用は便ちこれに由って彰顕する。

事有終始,(坤為有,乾為事。坤以從乾,故坤曰從事,從乾之事也。乾以統坤,故乾用格物,格坤之物也。乾始坤終,一始十終,而成終成始於艮。則終則有始,物無盡而事無窮。)知所先後。(有本末終始則有先後。先者體也,後者用也。先後一德。明德體也,在所先也。明明德,用也。在所後也。艮其止,止其所也。故所先所後皆在艮,而知其所先後則在乾。乾知太始。)知所先,則先天而天不違。知所後,則後天而奉大時。則庶幾近乎道矣。

「事に終始有り」の一句は、自注は言う。《坤》は有であり、《乾》は事である。《坤》は《乾》に順従するを職と為すので、《坤》は「事に従う」を講じ、すなわち《乾》の事に従う。《乾》は《坤》を統摂するを職と為すので、《乾》は「物を格す」を講じ、すなわち《坤》の物を格する。《乾》は始であり《坤》は終で、一は始であり十は終で、而も終を成し始を成すは皆《艮》に在り。ここにおいて終わってまた始まり有り、物は窮尽なく、事もまた窮尽なし。「先後する所を知る」の一句は、自注は言う。すでに本末終始有れば、すなわち先後有り。先は体に属し、後は用に属し、先後は実は同一の徳である。「明徳」は体で、先に属す。「明徳を明らかにする」は用で、後に属す。《艮》卦《彖伝》は「艮其の止まる、其の所に止まるなり」と言う。だから先する所後する所は皆《艮》に在り、而もその先後を知り能くするは則ち《乾》に在る。《乾》は万物の大始を知るを主とするからである。先する所を知れば、能く《文言伝》の言う「天に先んじて天違わず」のごとくなり、後する所を知れば、能く「天に後れて天時を奉ず」となり、こうすればまたほとんど道に近づいたと算する。

古之慾明明德於天下者,(乾坤一古今。乾以先坤,古以鑑今。乾鎮而靜,性也。感於坤而動性之慾也。人各有欲,欲貴知止。欲能知止,知止於至於善,足以自昭明德矣。)明明德者,明兩作離,大人以繼明照于四方,是所謂由離而到坎者也。知所先,必先治其國。由離而巽(南方離,東南巽)鼎,鼎通屯,屯建侯,鼎凝命,治其國也。由巽而震,巽為齊,震巽恆,夫婦之道。上承巽離風火家人,齊其家也。

《大学》は「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者」と言う。自注は解して言う。《乾》《坤》は古と今に分配し、《乾》は《坤》の先に在り、まさに古をもって今に鑑みるがごとし。《乾》は沈鎮して静か、あれは性である。《坤》に感じて動けば、すなわち性の生じた欲である。人は各々欲あり、貴ぶべきは欲して止まる所を知る。欲が能く止まる所を知り、至善に止まれば、足りて自ら光明の徳性を昭顕する。いわゆる「明徳を明らかにする」とは、すなわち「明両たび作すは離、大人は明を継いで四方に照らす」で、すなわち前に言う《離》より《坎》に走向するである。すでに先後を知れば、すなわち必ず先ずその国を治める。《離》より転じて《巽》に至り(南方は《離》、東南は《巽》)合して《鼎》を成し、《鼎》は《屯》と相通じ、《屯》は「侯を建てるに利し」を講じ、《鼎》は「位を正しくし命を凝める」を講ずる。これがすなわちその国を治めるである。再び《巽》より転じて《震》に至り、《巽》は斉いにするを主とし、《震》《巽》が相合して《恒》を成すは、夫婦の道である。上は《巽》《離》を承けて風火《家人》を成す。これがすなわちその家を斉えるである。

震反為艮,反身修德,修其身也。修身為本,自離至艮,由天下國家而反諸身,德之由用而歸之體也。更由艮而坎,坎維心亨,正於天一,正其心者也。由坎而乾,意出於心。乾為言,而艮成之。從成從言,誠也。誠其意者也。知者徹始徹終,聞一知十。由乾而兌,乾知大始,智至至之。從坎一至兌十,致其知者也。由兌而坤,坤為物,與艮對。艮手格之,故曰“致知在格物”。自艮而至坤終焉。此德之體也,皆知所先也。

《震》を倒転すれば《艮》で、《艮》卦《大象》は「身を反して徳を修める」と言う。これがすなわちその身を修めるである。身を修めるは根本である。《離》から一路《艮》に至り、天下・国家より返帰して自身に至るは、徳が用より体に帰るである。再び《艮》より転じて《坎》に至り、《坎》卦《彖伝》は「惟れ心亨る」と言い、天一の位に端正する。これがすなわちその心を正しくするである。《坎》より転じて《乾》に至り、意念は心より出で、《乾》は言を主とし、而も《艮》はそれを成せしめる。「誠」の字は「成」に従い「言」に従い、まさにその意を誠にするである。智慧ある人は能く終始を貫徹し一を聞いて十を知る。《乾》より転じて《兌》に至り、《乾》は万物の大始を知るを主とし、智の至る所は便ち到達し得て、《坎》の一の数から《兌》の十に至る。これがすなわちその知を致すである。再び《兌》より転じて《坤》に至り、《坤》は物で、《艮》と相対し、《艮》は手で、手を用いてそれを格する。だから《大学》は「知を致すは物を格するに在り」と言う。《艮》より《坤》に至るまで、この一路は便ち終結を告げる。以上は皆徳の体に属し、皆「先する所を知る」の一面である。

知所先,則知所後。物格而後知至,(至者坤也。)知至而後意誠,意誠而後心正,心正而後身修,身修而後家齊,家齊而後國治,國治而後天下平。是由本而及於末,由體而達諸用。於八卦從坤而兌,兌而乾,乾而坎,坎而艮。艮為修身,修身齊家之始,成終成始。而震而巽而離,更復於坤。所謂全體大用,無不明矣(坤為地,天之下也。坤體承乾坎,平也,亦由終而反始也。)。故大學之道,首明明德。明兩作離也。終天下平,祗既平坎也。坎離正中,由體達用,則水火既濟功成,剛柔正而位當,知止而後有定(既濟定也。),《易》道備矣。

先を知れば、すなわちまた後を知る。「物格して而後に知至る」(「至」は《坤》に属す)、「知至りて而後に意誠に、意誠にして而後に心正し、心正しくして而後に身修まり、身修まりて而後に家斉い、家斉いて而後に国治まり、国治まりて而後に天下平らかなり」。これは本より末に推し、体より用に達するである。八卦の上では、《坤》より《兌》に至り、《兌》より《乾》に至り、《乾》より《坎》に至り、《坎》より《艮》に至る。《艮》は身を修めるを主とし、身を修めるはまた家を斉えるの開端で、能く終を成し能く始を成す。再び《艮》より《震》に至り、《巽》に至り、《離》に至り、最後にまた《坤》に返る。いわゆる全体大用は、ここに至って明白ならざるなし(《坤》は地で、天の下に在り。《坤》体は《乾》《坎》を承接し、「平」の義を取る。これもまた終より返帰して始に至るである)。だから《大学》の道は、開頭は「明徳を明らかにする」を講じ、「明両たび作すは離」に象を取り、結尾は「天下平らかなり」を講じ、所詮「既に平らか」の《坎》象に過ぎない。《坎》《離》は正中に居り、体より用に達すれば、便ち水火《既済》の功が成り、剛柔が各々その正を得て位置が妥当となり、「止まる所を知りて而後に定まる」(《既済》《彖伝》は「定まるなり」と言う)、《易》道もまたすなわち完備する。これで見れば《大学》の物を格するから一直線に天下平らかに推すまでのこの一串の次第は、八卦の上で正に一周を繞行して元の処に帰り、首尾は恰好《離》《坎》の両卦と相応ずる。

自天子以至於庶人,一是皆以修身為本,言人類階級至不齊焉,惟道能齊之。名類大小至不一焉,惟道能一之。齊之一之,故曰壹是以修身為本。艮為身,艮止,止其所所先所後,無不歸於至善矣。其本亂而末治者否矣。修身為本,身不修,既濟道反,初吉終亂(既濟“初吉終亂”),本末易位。二之五亦五之二,為天地否矣。否泰反覆損益,益下不厚事,而損錯雷風相薄,天地變化,治亂之消息甚微。君子明乎消息盈虛,知所先後,明乎厚薄(剝上“以厚下安宅”則反覆。),安土敦仁(修身),而治可保矣。故曰“其所厚者薄而其所薄者厚,未之有也”。

「天子より庶人に至るまで、壹に是れ皆身を修めるを以て本と為す」は、説くは人の等級が極めて斉いならざるを、ただ道のみ能くそれを斉いにすることであり、名分品類の大小が極めて一致せざるを、ただ道のみ能くそれを一に帰することである。すでにそれを斉くしまたそれを一に帰するので、「壹に是れ皆身を修めるを以て本と為す」と言う。《艮》は身で、《艮》はまた止を主とし、それが止まるべき処に止まれば、先する所後する所は皆至善に帰しないことなし。「其の本乱れて末治まる者は否なり」に至っては、身を修めるはすでに根本で、身が若し修まらざれば、《既済》の道は倒転して、「初め吉く終わり乱る」と成る(《既済》の卦辞は正に「初め吉く終わり乱る」と言う)、本末は位を易える。二爻を五に換え五爻を二に換えれば、天地《否》に変わる。《否》《泰》は往复して《損》《益》は相い因る。《益》卦《大象》は「下を益すに厚く事せず」と言い、《損》はこれと相錯すれば則ち雷風が相い激蕩し、天地はこれに由って変化し、治と乱の消長は実に極めて細微である。君子は消息盈虚を明白にし、先後の次序を知り、厚薄の分際を明白にする(《剥》卦上九は「厚く以て下に安宅す」と言い、まさに反覆の義)、能く土に安んじて仁に敦厚なれば、すなわち身を修めるで、太平は保ち得る。だから《大学》は「其の厚くする所を薄くし、其の薄くする所を厚くするは、未だ之れ有らざるなり」と言う。

此謂知本,此謂知之至也。古本《大學》經文之末有此二句,今本移此二句於“大畏民志此謂知本”之下,作第五章。與“親民”之為“新民”,皆程子所改定者也。實則“親民”親字,含有教養二義。改作“新”字,僅有教之一義。則《傳》所稱如保赤子及同好同惡諸義,均贅文矣。證之於《易》,親字非訛尤確而可信,故並及之。

「此れを本を知ると謂い、此れを知の至ると謂う」の両句は、古本《大学》の裡では経文の末尾に位する。今本は却ってそれらを「大いに民志を畏る、此れを本を知ると謂う」の下に移して、別に第五章と作す。この一つの改動は、「民に親しむ」を改めて「民を新たにする」と為したと同じく、皆程頤の改定に出る。実は「親民」の「親」の字は教と養の両層の意を兼ね含み、「新」の字に改作すればただ教の一層のみ残る。さらば《伝》文の裡に言う所の「赤子を保するが如し」および民と同じく好み同じく悪むなどの義は、皆多余の言となる。《周易》を取って印証すれば、「親」の字は訛字ではないこの一点はいっそう確鑿として信ずべし。だからここに併せて言及する。

“中庸”之中,即離坎中正之中。庸者從庚。陰陽之義,用始乙庚(故蠱先甲後甲,巽先庚後庚。)。後天震出東方,首出庶物,萬象更新,故納甲以震納庚。而庚之本位則屬西方,西正秋兌,震仁兌義,立人之道。故庸字之義,乃合震兌二象,兼仁義之用者也。程子曰“不易之謂庸”,朱了曰“庸平常也”,均非確詁。《乾·九二》“庸言之信庸行之謹”,兌言震行,取象尤極顯明。

「中庸」の「中」は、すなわち《離》《坎》の中正の中である。「庸」の字は「庚」に従う。陰陽の義理に就いて言えば、乙と庚に起用する(だから《蛊》卦は「甲に先んずること三日、甲に後るること三日」を講じ、《巽》卦は「庚に先んずること三日、庚に後るること三日」を講ずる)。後天卦位は《震》が東方に出で、万物はまずこれに由って出でて、万象は更新する。だから納甲の法は《震》を用いて庚を納める。而も庚の本位は却って西方に属し、西方は正に秋令に当たり、《兌》に属す。《震》は仁を主とし、《兌》は義を主とし、仁義はまさに人道を確立する两端である。だから「庸」の字の含義は、《震》《兌》の両象を合し・仁義の用を兼ねるである。程頤は「易わらざるを庸と謂う」と言い、朱熹は「庸とは平常なり」と言うが、皆確切の訓詁ではない。《乾》卦九二《文言》は「庸言の信、庸行の謹」と言い、「言」は《兌》に属し「行」は《震》に属し、象を取ること特に顕豁である。

天命之謂性,惟天之命,於穆不已。天者,乾也。天命則乾元資始,而始於坎,即坎中之一陽,所謂性也。孔子贊《易》,利貞者性情也。又曰“一陰一陽之謂道,繼之者善也,成之者性也”,又曰“成性存存道義之門”,又曰“窮理盡性以至於命”。言簡意賅,源委分明,直截了當。後之言性理者,累千百萬言,枝枝葉葉,糾紛纏繞,其本根反不易尋覓矣。

《中庸》は「天の命を性と謂う」と言い、《詩経・周頌》は「惟れ天の命、於穆として已まず」と言う。ここの「天」はすなわち《乾》である。天命は便ち《乾》元が万物の資りてその始を取るので、而もこの始は《坎》に落ちる。すなわち《坎》卦の中間のあの一陽爻で、すなわちいわゆる「性」である。孔子が《易伝》を作して、《文言》は「利貞とは性情なり」と言い、《繋辞伝》は「一陰一陽之を道と謂い、之を継ぐは善なり、之を成すは性なり」と言い、また「性を成して存存たり、道義の門」と言い、また「理を窮め性を尽くして命に至る」と言う。これらの言は簡にして意賅かしで、本末源流は分明にして、干脆直截である。後世に性理を講ずる人は千百万言を書き下し、枝枝葉葉が糾纏して清らず、根本は反って見出し易からずとなった。

率性之謂道。率者率也,即成性存存也。率性之謂道,非性之謂道也。道本於天,性亦受於天。人能不失天賦之性,即能合於天之道矣。於《易》象坎為性,性隱伏不可見者也。坎常德行,習教事,教人明於天之道而察於民之故,凡皆所以成其性也。故曰修道之謂教。

《中庸》は続けて「性に率うを道と謂う」と言う。「率」はすなわち遵循で、すなわち《繋辞伝》の言う所の「性を成して存存たり」である。留意すべきは、言う所は「性に率うを道と謂う」で、「性を道と謂う」ではない。道は天に本源し、性もまた天に禀受する。人が能く天賦の本性を失わなければ、すなわち天の道に合し得る。《周易》の取象の裡では、《坎》は性で、性は隠伏して見えない。《坎》卦《大象》は「徳行を常にし、教事に習う」を講じ、人に天の道を明白にし民の故を体察せしめ、およそこれらは皆その性を成就するがためなので、《中庸》は続けて「道を修めるを教と謂う」と言う。

性不可見,感於物而動,則情也。情亦不可見,而見乎色(喜怒哀樂見於色),見乎辭,見乎行。性貞天一者也。動則情見乎色見乎辭見乎行。其為喜怒哀樂者,則不一矣。於是由艮而震,而以巽齊之。則不一者一,而合乎道。故道也者,不可須臾離也,可離非道也。此象之由坎而至於離者也。

性は自身は見えず、外物に感じて発動すれば、情と成る。情もまた見えないが、神色の上に顕現し(喜怒哀楽は面色に見える)、言辞の上に顕現し、行為の上に顕現する。性は天一に貞定するが、一たび動けば情はすなわち色に見え辞に見え行に見え、喜・怒・哀・楽と表現して、便ち千差万別となる。ここにおいて《艮》より転じて《震》に至り、再び《巽》を用いてそれを斉くすれば、参差不斉は斉一に帰して道に合する。だから《中庸》は「道とは、須臾も離るべからず、離るべきは道に非ざるなり」と言う。この一段落は卦象の上で、まさに《坎》より《離》に走向する一路である。

戒慎乎其所不睹(離目睹),恐懼乎其所不聞(坎耳聞),莫見乎隱,莫顯乎微者,皆坎為心,隱而顯微而著者也。坎心天地中,故喜怒哀樂之未發謂之中。坎一發而十至(兌十)。坎兌為節,故曰發而皆中節。先天乾坤南北中,後天震兌東西和(萬物出震),故曰“致中和天地位焉,萬物育焉”(《易》與天地準,東震西兌,準平震卯兌西。日月出入,天象半顯半隱。正北坎,西北乾,東北艮,皆隱而不見也。天地之氣,始於亥子之間微也。)。

《中庸》は「其の睹らざる所に戒慎し」(《離》は目で、見るを主とする)、「其の聞かざる所に恐懼す」(《坎》は耳で、聴聞を主とする)、「隠より見えるは莫く、微より顕るるは莫し」――これらは皆《坎》が心であるに因り、隠にして能く顕れ、微にして能く著る。《坎》の主とする心は天地の中に居るので、「喜怒哀楽の未だ発せざるを中と謂う」と言う。《坎》は一で、一たび発すれば十に至る(《兌》は十)。《坎》《兌》が相合して《節》を成すので、「発して皆節に中る」と言う。先天卦位は《乾》《坤》が南北に居りて中と為し、後天卦位は《震》《兌》が東西に居りて和と為す(万物は《震》より出ず)。だから「中和を致せば、天地位し万物育つ」と言う。杭辛斎の自注。《周易》は天地と相準じ、東は《震》・西は《兌》で、正に《震》が卯に配し《兌》が酉に配するに合す。日月は出入りして、天象は常に半ば顕れ半ば隠る――正北の《坎》・西北の《乾》・東北の《艮》は、皆隠伏して見るべからず。天地の気は亥子の交に起こり、最も微細である。

坎一復小,故小德川流。丑二臨大,故大德敦化。一二天地中,天下之大本也。天一勿用,用丑二艮成言。成言為誠,先坎後震。雲雷屯,經綸,故唯天下之至誠,為能經綸天下之大經,立天下之大本。天一勿用,用二至十。故凡為天下國家有九經,所以行之者一也。

《坎》は一に配し、その卦は《復》で、《復》は小と称す。だから《中庸》は「小徳は川流す」と言う。丑は二に配し、その卦は《臨》で、《臨》は大と称す。だから「大徳は敦化す」と言う。一と二は天地の中に居り、まさに「天下の大本」である。天一は用いず、用いる所は丑二で、《艮》は則ち「言を成す」。「言を成す」はすなわち誠で、その序は先ず《坎》にして後に《震》で、《坎》《震》は合して雲雷《屯》を成し、《屯》卦《大象》は「君子は経綸するを以てす」と言う。だから《中庸》は「唯だ天下の至誠のみ、能く天下の大経を経綸し、天下の大本を立つるを為す」と言う。天一は用いず二を用いて十に至るので、「およそ天下国家を為すに九経有り、之を行う者は一なる所以なり」と言う。

正北坎,西北乾,東北艮。乾天道,對巽為直。來者信也,由亥出子。坎一兌十,動而直,直而中節,唯聖者能之。其二屈往(往者屈也),故曰其次致曲。本東方艮人道,艮成言,曲能有誠。艮寅泰通,震出用事,萬物甲坼。誠則形也,巽物絜齊。形則著也,離皆相見,著則明也,皆由坎以至離者也。明動變化,由離坤而兌乾,故曰“唯天下至誠為能化”。

正北は《坎》、西北は《乾》、東北は《艮》。《乾》は天道を主とし、《巽》と相対してその性は直である。「来」はすなわち伸(《繋辞伝》は「往く者は屈なり、来る者は信なり」と言う)で、亥位より出でて子位に至る。《坎》は一・《兌》は十で、動いて能く直く、直くして節度に合するは、ただ聖人のみこれをなし得る。次の一等は則ち屈して往く(往くはすなわち屈)。だから《中庸》は「其の次は曲を致す」と言う。この一路は東方《艮》の主とする人道に本づき、《艮》は能く「言を成し」、曲委より入手しても誠有り得る。《艮》は寅に配して《泰》に通じ、《震》が出でて事を用いれば、万物は甲を破って出ず。「誠なれば則ち形る」は、《巽》が万物を潔净斉整せしめるである。「形れば則ち著る」は、《離》にして万物が相い見るである。「著れば則ち明らむ」――これらは皆《坎》より《離》に走向する一路である。再び下に「明れば則ち動き、動けば則ち変じ、変ずれば則ち化す」は、則ち《離》《坤》より転じて《兌》《乾》に至る。だから《中庸》は「唯だ天下の至誠のみ能く化すを為す」と言う。

誠者艮也,不誠無物,是故君子誠之為貴,與《大學》之壹是皆以修身為本,象義皆同,後先一貫者也。蓋艮寅為人位,曾子稱思不出其位,惟日三省,故獨得孔子一貫之傳。《大學》、《中庸》,皆端本於修身,即皆本於艮寅之一位,重乾爻辰二爻在寅,故《大學》、《中庸》之義,皆出於乾之九二也。顧孔子贊《易》,於立人之道,其樞機又在於三四兩爻何也?曰:此六爻之義也。論六爻三極,三四為人爻曰人極;而三四兩爻,居內外之際,合言之,則為兩卦之中;分言之又為內之終而外之始。六十四卦之反覆上下,無不由此。故《易》之言人道於三四兩爻。“中庸”“大學”,以卦位言之。故均以艮寅明修道之本,皆所謂同條而共貫者也。(誠者物之終始。艮者成終而成始也。)

「誠」は《艮》に属し、《中庸》は「誠ならざれば物なし」と言う。だから君子は誠を以て貴しと為す。これは《大学》の「壹に是れ皆身を修めるを以て本と為す」と、取象と義理が完全に相同じて、前後一貫する。《艮》は寅に配し、まさに人の居る位である。曽子は「思い其の位を出でず」と言い、また每日に三たびその身を省みたので、独り孔子の一を以て之を貫くの心伝を得た。《大学》《中庸》は皆身を修めるを以て端本と為し、すなわち皆《艮》の寅のこの一つの位置に本づく。《乾》を重ねるの爻辰は、第二爻が正に寅に落ちる。だから《大学》《中庸》の義理は皆《乾》卦の九二より出ず。しかし孔子が《易伝》を作して、人道を確立するを講ずる時、枢機はまた三・四の両爻に在る。これは何の故か。答えて曰く。あれは一卦六爻に就いて言うのである。六爻三極を論ずれば、三・四は人爻で、人極と称す。而も三・四の両爻は内卦と外卦の交接する処に処り、合わせて見れば上下両卦の中間で、分けて見ればまた内卦の終・外卦の始である。六十四卦の反覆上下は、皆これに由って生ぜざるなし。だから《易》が人道を講ずればすなわち三・四の両爻に落ちる。「中庸」「大学」に至っては、卦位に就いて言うので、皆《艮》寅を用いて道を修めるの根本を闡明する――両辺はもともと同一の条理・同一の脈絡である(誠は万物の終始で、《艮》は則ち終を成してまた始を成す)。換言すれば、爻位を講ずればすなわち三・四に帰し、卦位を講ずればすなわち《艮》寅に帰する。二者は見るに同じからざるがごとく、実は言う所は同一の事である。人道の枢紐は自身に在り、工夫の入手する処は身を修めるに在る。

誠為艮,而至誠則為乾。至誠之道,是反身修德。由艮而反諸坎,由三而反諸一,即所謂涵三為一也。涵三為一,太極之象。太極以無含有,自坎至乾,是即由有而入無(乾西北戌亥數無)。無思也,無為也。寂然不動,感而遂通天下之故,不疾而速,不行而至,乃天下之至神,故至誠之道可以前知。

「誠」は《艮》に属し、而も「至誠」は則ち《乾》に属す。至誠の道は、すなわち身を反して徳を修める。《艮》より《坎》に返り、三より一に返るは、すなわちいわゆる「三を涵して一と為す」である。三を涵して一と為すは、まさに太極の象である。太極は無をもって有を涵し、《坎》から《乾》に至るは、便ち有より入りて無に入るである(《乾》は西北の戌亥に居り、その数は無)。この一歩に至れば、すなわち《繋辞伝》の言う所の「思い無く、為すこと無く、寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ず」、「疾からずして速く、行かずして至る」。すなわち天下の最も神妙の境界なので、《中庸》は至誠の道は未来を預知し得ると言う。「誠」と「至誠」の分別は、すなわち《艮》と《乾》・有と無の分別である。

西北乾天道,東北艮人道。天地人,子丑寅,三建用中,建中立極。丑艮為身,寅艮為庶,三庶也,故曰“本諸身,徵諸庶民”,子天建,丑地建,寅人建,為“三王”、“三統”,故曰“考諸三王而不謬”。於乾知天,故曰“質諸鬼神而無疑”。“於艮知人”,故曰“百世以俟聖人而不惑”。此天地子丑而本諸戌亥,君子以一誠終始之,即以艮終始之也。誠則形,形則著,著則明,明則動,動則變,變則化。

西北の《乾》は天道を代表し、東北の《艮》は人道を代表する。天・地・人は子・丑・寅の三支に分配し、三建を併せ用いてその中を取り、中を建ててもって人極を立つ。丑は《艮》に配して身と為し、寅は《艮》に配して庶と為し、三はすなわち庶なので、《中庸》は「其の身に本づき、其の庶民に徴す」と言う。子は天建で、丑は地建で、寅は人建で、すなわち夏・商・周の「三王」と「三統」なので、「三王に考えて謬らず」と言う。《乾》において天を知るので、「鬼神に質して疑いなし」と言い、《艮》において人を知るので、「百世をもって聖人を俟ちて惑わず」と言う。この天地子丑は、根本は依然として戌亥に在る。君子は一つの「誠」の字をもって終始を貫徹し、すなわち《艮》をもって終始を貫徹する。だから《中庸》は「誠なれば則ち形り、形れば則ち著り、著れば則ち明らかなり、明らかなれば則ち動き、動けば則ち変じ、変ずれば則ち化す」と言う。

西北乾庸言庸行終之,乾戌遠,坤申近,知遠之近也。東南巽辰,風自乾亥,知風之自也。乾亥微,艮寅顯,知微之顯也。君子入德深藏乾亥下,人所不見,潛也。西北隅屋漏相在爾室,乾為斧為鉞,不怒而民威於斧鉞也。西北乾天至神道,丑用中本末盡以在之。乾天神道,於震無聲,於巽無臭,故曰“聲色之於以化民末也,上天之載無聲是無臭至也”。

最後に西北《乾》の「庸言庸行」をもって収束する。《乾》は戌に居りて遠く、《坤》は申に居りて近いので、《中庸》は「遠きの近きを知る」と言う。東南《巽》は辰に配し、而も風は《乾》の居る亥より起こるので、「風の自るを知る」と言う。《乾》亥は幽微で、《艮》寅は顕豁なので、「微の顕を知る」と言う。君子が徳を進むるの初めは《乾》亥の下に深藏して、人の見るべからざる所。あれはすなわち《乾》初九の「潜」である。西北の一隅は屋漏の所在で、《詩経》は「爾が室に在るを相るに、屋漏に愧じざるを尚とせよ」と言う。《乾》は斧であり鉞なので、「怒らずして民は鈇鉞に威す」と言う。西北の《乾》は天の至神の道で、丑位は中を用い、本と末は皆その中に尽くる。《乾》天の神道は、《震》においては声無く、《巽》においては臭無し。だから《中庸》の末章は「声色の民を化するを以てするは、末なり」、「上天の載す所、声無く臭無し、至れるなり」と言う。

此“中庸”乾九二正中,庸言庸行,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化。《中庸》一篇,以化終之也。

ここに講ずる「中庸」の二字は、卦爻の上に落ちればまさに乾卦の九二の一爻である。九二は下卦三爻の中に居り、「正中」の位で、「中」の字はすなわちここに取る。《乾・文言》は九二を解説して言う。「庸言の信、庸行の謹、邪を閑して其の誠を存し、世を善くして伐らず、徳博くして化す」と。平日の話に信用を講じ平日の事に謹慎を守るは、すなわち「庸言庸行」で、「庸」の字はすなわちここに取る。邪念を防閑してもって心中の誠を保全し、一世に沢を被せて自ら功労を誇らず、徳行は広博にして万物を化育し得る。《中庸》の全篇に論ずる「誠」と「化」は、まさにこの几句より推衍して出たので、その收尾もまた一つの「化」の字に帰結する。

十字架

泰西之十字架,相傳以為耶穌代眾人受刑釘死於十字架上,故尊奉之,以為耶穌流血之紀念。此宗教家附會之說,不足信也。其實十字架者,乃數學之交線也。數不交不生,如兩線平行,各不相交,雖引之至於極長,縱環繞地球一周,仍為兩平行線而已,不生數也。惟兩線相交,成十字形,動則為圓,靜則為矩,而三角勾股八線,皆由此生焉。此乃幾何原本之原本,實數學之初祖。

西洋の十字架は、伝える所では耶穌が衆人に代わって刑を受け、十字形の刑架に釘死されたに因ると言い、だから信徒はそれを尊奉し、それを耶穌が流血し犠牲した紀念と為す。これは宗教家の附会の辞で、憑信に足らない。実は十字架の本義は、数学上の両線が相交わることである。数目は相交わらなければ產生し出せない。譬えば両条の平行線は、各々その道を走り、永く相交わらず、たとえそれらを無限に延長して、地球を一周繞らせても、依然としてただ両条の平行線で、いかなる数も生じ出せない。ただ両線が相交わり、十字の形と成れば、転動すれば則ち円を画き、静止すれば直角矩尺と成り、三角・勾股および八線(正弦・余弦の一類の三角函数)が皆これに由って產生する。だからこの十字は、《幾何原本》の本とする根本で、実に数学の始祖である。

我國相傳之兩儀圖(今通俗皆稱為“太極圖”,其實此圖分陰分陽,有黑有白不可謂之太極,當名為兩儀圖,校為愜當。北方亦有稱之為陰陽魚兒者,魚字亦儀字之傳訛也),天然之配偶也。兩儀為理學之祖,由兩儀生四象,四象生八卦,變化無窮,莫不肇端於此一陰一陽。一陰一陽之謂道。道也者,形而上者也。

我が国に世々伝わる「両儀図」(現在俗には皆それを「太極図」と称すが、実はこの図はすでに陰を分かちまた陽を分かち、黒有り白有る以上、「太極」と呼ぶべきでなく、「両儀図」と改称して初めて妥帖と算する。北方にもまたそれを「陰陽魚児」と呼ぶ人があり、「魚」の字もまた「儀」の字の口耳の訛伝である)は、まさに西洋十字架の天然の一対の配偶である。一つは数を主とし、一つは理を主とし、一西一東に恰好相い配する。両儀は理学の鼻祖で、両儀より四象を生じ、四象より八卦を生じ、変化は窮尽なく、皆この一陰一陽に発端する。《繋辞伝》は「一陰一陽之を道と謂う」と言い、而も「道」は形而上の一層に属する。

交線成勾股成三角八線,推衍無盡,莫不導源於此一縱一橫。一縱一橫數也。數也者,成器之所先也。形而下者也。故道運於虛,而數徵諸實。我國數千年來,專尚儒家以空言談經,鄙術數為小道,崇虛黜實,末流之弊,舉國皆無用之學。所謂形而上者,幾墜於地矣。

交線に至っては、それに由って勾股を構成し、三角と八線を構成し、推衍すれば窮尽なく、而も皆この一竪一横に導源する。一竪一横は「数」に属す。数は器物を製成する先決条件で、形而下の一層に属す。だから「道」は虚処に運行し、「数」は則ち実事の上に験証せねばならない。我が国は几千年来、ただ儒家を推崇して空話をもって経を談じ、術数を末流小道と見做し、虚玄を崇尚して実証を排斥した。流弊の及ぶ所、举国の学ぶ所は皆無用の学と成り、彼ら自身が標榜する形而上の道すら、ほとんど地上に墜落して承接する人なきに至った。

泰西之學,則不尚空談,立一說必徵諸實驗,制一器必極其效用,不以理想為止境,不以無成而中輟,千迴百折,精益求精,於是科學功能,幾俟造化;器物利用,無阻高深;形學發達,於斯為盛。然極其弊,則謂世界將可以力爭,強權兒足以勝天演。物慾無限,而生人者適以殺人,殺人者即以自殺。物質之文明,浸成□焉不可終日之勢。此倚重於數之一偏,與倚重於理之一偏,各趨極端。其末流之失,亦正相等也。

西洋の学問は則ち空談を尚ばず、一種の学説を立てれば必ず実験を用いて験証し、一件の器物を造れば必ずその效用を極処に発揮し、想象を以て終点と為さず、また一時成就なきに因って半途に廃せず、千回百折して、精に精を求めて益す。ここにおいて科学の功能はほとんど造化と肩を並べるべくに至り、器物の利用は難度の高深に因って阻まれず、形学(幾何の学)もまたこれに因って大いに盛んとなった。しかし推して極処に至ればまた弊病を生ず。ついに世界の事は力量を憑って争奪し得、強権は即ち天演の理に戦勝するに足ると思うに至った。物欲に止境なく、本来人を養い活かすに用いた手段が、恰好人を殺すに用いられ、人を殺す手段は、最終にはすなわち自殺である。物質文明がこの一歩に発展して、漸く朝に保つ夕べを知らず、終日すべからざるの局面と成った。これは「数」の一端に偏重し、我が国の「理」の一端に偏重するは、各々極端に走向して、末流の失誤は恰好相等しい。

夫理與數,本不可以須臾離。故聖人倚數,必參天而兩地。故形上之道,與形下之器,雖相生相成,無偏重亦無偏廢。舍道而言器,則器為虛器。離器而言道,則道盡空談。三代傳統,一揆諸道(故曰“道統”),不但禮樂政刑,悉本度數(度生於律,律本黃鐘,子丑一二),即德行言語(言語即文章也),亦無不各有其典則。(《孝經》“先王之法言法行”。法者,即合於度數者也。)故節以制度,以議德行,而《大學》治國平天下之道,必本於絜矩也。

理と数はもともと一刻も分離できない。だから聖人が数を立てるに、必ず「天を参し地を両し」、天数の三・地数の二を用いて相配する。形而上の道と形而下の器は、相生相成するが、しかし偏重あるべからず、また偏廃あるべからず。道を丢き開きて器を談ずれば、器はすなわち空殼と成り、器を離れて道を談ずれば、道は全て空談である。夏・商・周三代の伝統は、一概に道に帰本し(だから「道統」と称す)、ただ礼・楽・政・刑が皆度数を以て本と為すのみならず(度は律に出で、律は黄鐘を以て根本と為し、子一・丑二の数に配す)、徳行と言語(言語はすなわち文章)すらも各々その法度準則がある。(《孝経》は「先王の法言法行」と言う。いわゆる「法」とは、すなわち度数に合することである。)だから《繋辞伝》は「度を以て節し、徳行を議す」を要し、《大学》の講ずる国を治め天下を平らぐの道も、必ず「絜矩」を以て根本と為さねばならない。

道不可見,故聖人示之以象。象無可稽,故聖人又準之以數。數與象合,而道無不可見。制器尚象,而器以立。載道以器,而道不虛。理象數一貫之道,皆出諸《易》。自王弼以玄理說《易》,後世畏象數之繁,因靡然從之,創掃象之說。(弼以玄理說《易》,運實於虛,歸有於無。芻狗天地,糟粕仁義,更何有於象?後儒既主其說,乃闢其玄談,是買櫝而還珠,亦非弼之所及料也。)自是象數與《易》,又離為二。

道は見えないので、聖人は「象」を用いてそれを顕示する。象はまた稽考する由がないので、聖人は再び「数」を用いてそれを規定する。数と象とが相合すれば、道は見えないものなくなる。象に依って器物を制作すれば、器物は成立を得、器物を用いて道を承載すれば、道は空に落ちない。理・象・数を一貫する学問は、全て《易》に出ず。王弼が玄理をもって《易》を講じて以後、後世の人は象数の繁瑣を怕れて、便ち一窩蜂に彼に跟い従い、「掃象」の説を創出した。(王弼は玄理を用いて《易》を説き、実を化帰して虚と為し、有を帰結して無と為し、天地を芻狗のごとく視、仁義を糟粕と視る。どこにまだ象を容れ得よう。後の儒者はすでに彼の説法を采用して、却又彼の玄談を攻撃する。これは櫝を買いて珠を還すで、また王弼の料り及ばざる所でもある。)これより象数と《易》はすなわち两截に分かれた。

周子傳太極圖(實即兩儀,以為繼述道統之圖),道果在是矣,而器已無存(禮樂政刑皆器也),則道亦不亡而亡矣。諺曰“皮之不存,毛將焉附”,其是之謂歟?是故三代而後,易學晦盲,數學流於西方(西人於借根方名之曰“東來法”),理學顯於有宋。即此一縱一橫之十字架,分陰分陽之兩儀圖,足以為東西近世學術源流之代表矣。

周敦頤は太極図を伝え下した(実はすなわち両儀図で、それを以て道統を継承する図式と為す)。道は固よりここに在るが、しかし器はすでに荡然无存し(礼・楽・政・刑は皆器)、さらば道もまた名存実亡である。諺語は「皮存せざれば、毛は将に焉にか附かん」と言う。言うはこの種の情形であろうか。だから三代以後、易学は晦暗不明となり、数学の一路は西方に流伝し(西洋人は借根方の一類の算法を「東来法」と称し、その源が東に出るを見るべし)、理学は則ち独り宋代に大いに顕れた。一辺はただ数のみ残り、一辺はただ理のみ残った。この一竪一横の十字架と分陰分陽の両儀図は、恰好東西方近世学術源流の二つの代表と為し得る。

近西人極物質文明之益,即倦而知返,更探其原於哲學。我受理學空疏之害,尤備嘗苦痛力求自拔於沉淪。是東西人心,已同有覺悟之機。所謂通其變使民不倦,《易》窮則變變則通通則久,其在斯乎!故合中西之學,融會而貫通之。以此所有餘,助彼所不足;截此之所長,補彼之所短,一轉移間而各劑其平,各得其當,非《易》道又烏能貫而通之!

近来西洋人は物質文明の好処を極処まで享受し、すなわちまた厭きを生じて回頭を知り、転じて哲学の裡に入りて本原を追尋する。我らは理学の空疏の害を受け、さらに痛苦を備嘗して、竭力して沈淪の中より自ら拔き出でんと欲す。これで見れば東西両方の人心は、すでに同時に覚悟の契機あることが見える。《繋辞伝》のいわゆる「其の変を通じて、民を倦ましめず」、「《易》は窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通じ、通ずれば則ち久し」は、言うはまさにこの時この事である。だから中西の学を合わせて、融会して貫通せねばならない。こちらの多余を取ってかちらの不足を補い、こちらの長処を取ってかちらの短所を補えば、一転手の間に、両辺ともその平を得各々その当を得る――《易》道でなければ、また何を憑ってそれらを貫通せんや。

夫十字架與兩儀圖,各產生於數千年前。一東一西,不相謀面。自西教東漸,於是天然配偶之兩代表,乃日相接近。又迭經幾許之歲月,始得消除種種之障害隔閡,而日即親洽,今殆去自由結婚之期會不遠矣。結婚以後,必能產生新文明之種子,為我全世界放一異彩。吾將摻券期之,拭目俟之矣。

十字架と両儀図は各々几千年以前に產生し、一つは東に一つは西に在り、従来かつて照面したことがない。西方宗教が東伝して以後、この一対の天然配偶の代表は初めて日に日に接近し、また若干の歳月を経て、初めて逐步に種種の障碍と隔阂を消除し、一日比べて一日に親近融洽し、如今それらが自由結婚する日子より離れること大概遠からず。結婚して後、必ず新文明の種子を生じ得て、我らの整个の世界のために一道の異彩を放つべし。我は願わくはこの紙の婚約を手持して憑拠と為し、こ の一日の到来を待ち、目を拭いて以て之を待たん。

無極を辨ず

宋以前言《易》者,未有圖也,而太極更不可圖。自周濂溪始為太極圖,又於太極之上添一無極,曰“無極而太極”。後儒因之,遂以太極為第二位,似乎太極之前,更有一無極之圖恍然在於心目間者,而不知其說之不可通也。

宋代以前に《易》を講じた人は皆かつて図を画いたことがなく、況んや太極はもともと図をもって画くことができない。周敦頤より始めて太極図を画出し、また太極の上に一つの「無極」を添えて、「無極にして太極」と言った。後の儒者はこの説を沿用して、ここにおいて太極を第二位に摆き、仿彿として太極の前に別に一幅の無極の図が恍恍惚惚として心目の間に浮ぶがごとくして、而もこの種の説法が根本的に講じ通らないを知らない。

《繫傳》曰“《易》有太極”。極者,至極而無對之稱。物各有極,故曰“天極”,曰“地極”,曰“人極”。陽有陽極,陰有陰極,所以別之曰“太極”。太者,至尊無上之稱,原以對三極及其他諸極而言也。即曰太極,則太字之上,又何能更有所加?況無者,有之對也。既可名之曰無,則無之對便是有。若云無極而有極則可,無極而太極,則文不當而辭不順也。

《繋辞伝》は「《易》に太極有り」と言う。「極」は至極にして之と相対すべきなきの称呼である。万物は各々その極あり、だから「天極」有り・「地極」有り・「人極」有り。陽に陽極有り、陰に陰極有り。これらと区別するがために、初めて「太極」と称す。「太」は至尊無上の称呼で、原本すなわち三極とその他各種の極に相対して立てた名である。すでに太極と叫んだ以上、「太」の字の上にまた何を加え得よう。況んや「無」は「有」と相対する。すでに之を無と名づけ得れば、さらば無の対面はすなわち有である。若し「無極にして有極」と言えば、文理はなお講じ通る。「無極にして太極」と言えば、名実の上に相當せず、文辞の上にも順わない。

夫太極者,渾淪無端,立乎天地之先,無名可以名之,無象可以象之。老子所謂“有物無形,先天地生,無以名之,強名之曰道”者,庶乎其近之。《易》道元亨利貞,而太極者,乃元之所自出。今之言幾何學者,曰點線面體,此物質之元亨利貞也。故物之形皆起於一點,謂之起點。而以精神上言之,則必有以立乎此起點之前者。

太極は浑然一体にして始なく端なく、天地の前に立ち、之を称呼すべき名字なく、之を摹擬すべき形象もない。老子の言う所の「物有りて形なく、天地に先んじて生す。以て之を名づくる無し。強いて之を名づけて道と曰う」は、ほとんどこの意に近い。《易》道は元・亨・利・貞の四徳に分かれ、而も太極はまさに「元」の出る所の源頭である。今日幾何学を講ずる人が点・線・面・体の四者を言うは、これは物質世界の元・亨・利・貞に相当する。だからいかなる物形も一つの点より起こり、「起点」と呼ばれる。しかし精神の一面から言えば、必ずまだ一つの東西がこの起点の前に先立って在る。

言能得此起點,譬有二人於此,甲繪平圓圖,而乙繪立方圖。平圓立方,各有其起點,起點之形式同也。而繪成以後,則圓者自圓,方者自方。則因甲於起點之前,其胸中之所蘊蓄者,已完具一平圓之形象。乙於起點之前,其胸中之所蘊蓄者,已完具一立方之形象。此蘊蓄者,即為平圓與立方之太極也。然當其未落筆以前,又烏從而見之?烏從而聞之?

この一層は起点の上から説明できる。譬えばここに両人の人あり。甲は平円図を画き、乙は立方図を画く。平円と立方は各々その起点あり、而も起点の形式は完全に同じである。しかし画き成って後、円なるは自然に円であり、方なるは自然に方である。これは甲が起点を落下する前に、胸中に藴蓄する所はすでに一つの完整の平円形象であり、乙が起点を落下する前に、胸中に藴蓄する所はすでに一つの完整の立方形象であるに因る。この胸中に藴蓄する物は、すなわち平円と立方の各自の太極である。しかしまだ筆を落さない以前に、この藴蓄の物はまた何処からそれを見るか。何処からそれを聴聞するか。これで見ればそれは実有するが、しかし声なく形なく求め得ない。

所以雲萬事萬物各有其太極,而《易》有太極,則在兩儀未判陰陽無始以前,先天渾沌之中,自有此肫然穆然、孕育萬物,具足萬理之渾淪元氣,以立乎天地之先,而為造化之主宰者,無形可象,無名可稱。孔子稱之為太極,已至矣盡矣。更何能於此外再加一字,再著一筆乎?加一字,著一筆,即非太極矣。

だから万事万物は各々その太極有りと言う。《易》の言う所の太極に至っては、則ち両儀が未だ分判せず・陰陽がまだ開端しない以前に、先天渾沌の中に、自ずとあの一団の誠摯深静・万物を孕育し・万理を具足する渾淪元気がある。それは天地の先に立ち、造化の主宰を為し、之を摹画すべき形なく、之を称呼すべき名なし。孔子がそれに名を取りて「太極」と為すは、すでに極処に言い至り尽頭に言い至った。どこにまだこの名目の外に再び一字を添え、再び一笔を着ることができよう。一たび字を添え一たび笔を着れば、言語形迹の上に落ちて、あれはすなわちすでに太極ではない。

惟周子之所謂太極者,即有其圖,圖中有黑有白,有陰有陽,是即兩儀四象,實已不可謂之曰太極。故又加一無極於其上。蓋為中人以下說法,非有跡象可指,不能以言語形容,乃繪此圖以明一陰一陽之道所由來,使人可一覽而得,其用心亦良苦矣。

ただ周敦頤の言う所の太極はすでに図有る以上、図の中に黒有り白有り・陰有り陽有れば、あれはすなわち両儀四象で、実に再び太極と呼ぶことができない。だから彼はやむを得ずその上に再び一つの「無極」を加えた。彼がこのようにするは、もともと中等資質以下の人のために説を立てたのである。太極には指點すべき形迹なく、言語を用いて形容し得ないので、ここにおいてこの幅の図を画出してもって一陰一陽の道の来歴を説明し、人に一見すれば領会できるをせしめた。彼の用心もまた甚だ良苦と言うべきである。

但以本無跡象之太極,以跡象求之,終有語病,無論如何設辭,終覺似是而非。(太極沖溟無形,可以意會,不可以言傳。言傳則有聲,有聲非太極也。著筆則有象,有象非太極也。)若讀者不善體會,以辭害意,是將使太極之真相,終無由瞭解。所謂“差以毫釐,謬以千里”矣。可不慎哉!

しかし本来形迹なき太極を強いて形迹をもって求めれば、終に語病を留め、いかに措辞しても、総じて是に似て非なると覚える。(太極は冲虚渺茫にして形状了となく、ただ心領神会すべく、言語を以て伝授すべからず。一たび言伝を経ればすなわち声音有り、声音有れば便ち太極に非ず。一たび笔に着ければすなわち形象有り、形象有れば便ち太極に非ず。)読者若し善く体会せざれば、文辞に本意を妨害されて、太極の真相は永く了解する由なし。まさにいわゆる「毫厘を以て差えば、千里を以て謬る」である。能く慎まざらんや。

《易》注旧説の人を誤る

生生之謂《易》,故《易》道遏惡而揚善,好生而惡殺,此所以扶陽而抑陰也(陽以象善,陰以象惡也)。自專制帝王,借經術以愚民,而頭巾腐儒,又逢惡助長,曲借經文為乾祿固寵之具,於是正義湮晦。古聖救世之經文,幾反為賊民之愛書矣。尊君而抑臣,貴君而賤民,受誣之甚,莫過《易》與《春秋》。蓋《春秋》亦原本於《易》者也。

《繋辞伝》は「生生之を《易》と謂う」と言う。だから《易》道は悪を遏止して善を表揚し、生を喜好して殺を厭悪する。これがすなわちそれが陽を扶助して陰を抑制する所以の緑故である(陽は以て善を象徴し、陰は以て悪を象徴する)。専制帝王が経学を借りて百姓を愚弄して以来、而もあれら方巾を戴く腐儒がまた上意に迎合しその悪を助長して、経文を曲解し、それを官禄を謀り寵幸を固くする工具と為した。ここにおいて経中の正義は湮没して彰らずとなり、古代聖人の世を救う経文は、ほとんど反って百姓を残害する憑拠と成った。君を尊び臣を抑え、君を貴び民を賤しむに、曲解誣蔑され最も厲しきは、《易》と《春秋》より過ぐるなし――《春秋》はもともとまた《易》より推衍して出たのである。

來瞿塘氏《易注》,尚為善本。乃其釋乾元用九,亦云為人君者體春生之元,用秋殺之元,一張一弛,為天道之法則。道千古人君以殺人者,皆此等曲說階之厲也。夫春生秋殺,《易》固無此明文。後儒以此明天地之氣,盈虛消息,亦如陽死陰生,陰死陽生之類。非春以生之者,至秋必殺之,天地預存一必殺之心也。

来知徳(号は瞿塘)の《周易集注》はなお善本と算するが、しかし彼が乾卦の「元」と「用九」を解釈するに、また人君たるは春の生育の元を体察し秋の肅殺の元を運用し、一張一弛して、これがすなわち天道の法則と言った。千古以来人君のために殺人の門路を開出したは、皆この類の曲説の醸成した禍害である。実は「春生秋殺」は、《易》の中にもともとこのような明文がない。後の儒者はそれを用いて天地の気の盈虚消長を説明するに、陽が死して陰が生じ・陰が死して陽が生ずの一類の話頭のごとく、春にそれを生じれば、秋に至ればすなわち必ずそれを殺さねばならぬと言うではない。まるで天地が預め一つの殺さざるべからざるの心を存するがごときではない。

帝王亦人耳,以人殺人而謂之道,而謂之天道之法則,可謂誣聖蔑經之甚矣。孔子懼人之誤解也,故特於《繫辭傳》鄭重以明之,曰“吉凶與民同患”,又曰“其孰能與於此哉!古之聰明睿知神武而不殺者夫”!聖意之深遠,亦可謂周且至矣,而謬誤仍若此。諸注類是者,不勝枚舉。聊舉一二,以見讀注者,當具隻眼。以辭害意且不可,況經本無其辭,而以意出入之,其誤天下後世也大矣。

帝王もまた所詮人に過ぎない。人をもって人を殺してそれを道と呼び、また天道の法則と呼ぶは、これは真に聖人を誣蔑し経典を涜瀆して極点に至った。孔子は後人の誤解を怕れ、だからわざわざ《繋辞伝》の裡に鄭重に説明して、「吉凶は民と患いを同じくす」と言い、また「其れ孰か能く此に与らん哉。古の聡明叡知神武にして殺さざる者夫」と言う――誰がこの一歩を致し得ようか。ただ古のあの聡明叡智・神武にして殺伐を用いない人であろう。聖人の意は何等に深遠周到であるか、しかし曲解は依然としてこの如し。各家の注解の中のこの類の例は挙げて勝げず。ここに姑く一两条を挙げ、好し《易》注を読む人に自ら一副の眼光を具ることを知らしめんとす。文辞を用いて経義を妨害するはすでに可ならず、況んや経の中にもともとこの句なく、しかも自己の意思を憑って増減出入すれば、あの天下後世に貽誤するはさらに大なり。

七色が白に変わる

日光具七色光線,而此七色之光線,動而合成一色,則為白色,此近世泰西科學家所發明也。現時學校儀器中,有一種圓形之平面版,其上分繪七色。附一機輪,以皮帶聯之,搖其輪令此圓版之旋轉極速,則只見白色。(另以青黃二色之版轉動則成綠色,紅青二色者則成紫色,其他之色之配合亦各如其應得之色,而色之深淺則以兩色所占面積之多寡而分,與兩色之顏料相調合者無異。惟七色則只成白色。)即所以證明七色變白之說也。凡高等小學以上之學生,殆無不知有此者矣。

日光は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色光線を含有し、而もこの七色光線は一たび運動して一色に合成すれば、すなわち白色と成る。これは近世西洋科学家の発見した所である。現在の学校の儀器の中に一種の円形平面板があり、板上には分かれて七種の顔色を涂り、一つの機輪を配し、皮帯を用いて連ね、機輪を揺動して円板を極快に旋転せしめれば、七色は迭々として相い掩映して、分辨に及ばず、眼中にはただ一片の白色のみ見える。(また青・黄の両色の板を旋転すれば緑色と成り、紅・青の両色は紫色と成り、その余各色の配合も各々その応得の色と成る。顔色の深浅は則ち両色の占める面積の多少に按じて分かれ、両種の顔料を調和して一起にするのと完全に同じ。ただ七色が斉備する時のみ任何の一色を顕さず、ただ白色に変ずる。)この具の儀器はすなわち七色が白に変わるの説を証明するに用いる。およそ高等小学以上の学生は、ほとんどこの事を知らない者なし。

然我國舊學家,固未有言之者也。不料《易經》於數千年以前,早已發明之。象義明晰,確切不移,與西人之說正相吻合。其象即見於山火賁之一卦,賁離內艮外,離為日,離居九位,九宮之色:一白,二黑,三碧,四綠,五黃,六白,七赤,八白,九紫。數雖九,而白居其三,並之仍為七色。離為日而居九位,則自當有七色,與西說正相同也。

しかし我が国の旧学者は、もともとこの道理を講じた人がいなかった。不料《易経》は几千年以前に早くからすでにそれを揭示し出していた。卦象の意義は明白清晰にして、確切として移易すべからず、西洋人の説法と正に吻合する。この象はすなわち山火《賁》の一卦に見える。《賁》卦は離が内に艮が外にあり、離は日である。離は九宮の中で第九位に居り、九宮の配色は、一は白・二は黒・三は碧・四は緑・五は黄・六は白・七は赤・八は白・九は紫である。数目は九つあるが、しかし白色は三つを占め、合併すれば依然としてただ七色である。離はすでに日でありまた第九位に居る以上、さらばそれは自然に七色を具備すべく、これは西洋の学説と正に相一致する。

由九三至六五,中爻為震。震,動也。震動而離之七色皆變為白,故六四曰“白馬翰如”(翰如即轉動極速之狀也),至上九曰“白賁無咎”。曰“白賁”,則全卦皆變白矣。與七色變白之新學說,完全吻合,無一絲一毫之勉強穿鑿。而“翰如”二字,則幾將近日學校所用之儀器,並其轉動之狀曲繪而出,可謂神妙不可思議矣。子曰“《易》之為書也,廣大悉備”,略指其一而已可見矣。惜我國讀《易》者,皆忽略讀過,更無科學之知識與眼光以研究之,宜乎其不可解者多矣。

九三・六四から六五までのこの三爻より互体を取れば、中間の一層の卦体はまさに震である。震の意はすなわち動である。震が一動すれば、離の七色は全て白色に変わる。だから六四爻辞は「白馬翰如」と言う(「翰如」はすなわち転動の極めて速きの様子)、上九爻辞に至ればすなわち「白く賁る、咎なし」と言う――「白く賁る」と言うは、全卦が皆白色に変わったのである。これは七色が白に変わるの新学説と完全に吻合して、一糸一毫の勉强穿鑿の処もない。而も「翰如」の两字は、ほとんど今日学校の用うるあの具の儀器およびそれが旋転する様子を連れて曲曲折折に画き出した。真に神妙にして思議すべからずと言うべし。孔子は「《易》の書と為るや、広大にして悉く備わる」と言う。ただ略々賁卦のこの一条を挙げれば、この句の言が虚誉でないを見るに足る。惜しいかな我が国で《易》を読む人は皆軽々しく放過し、また科学知識と眼光なくしてそれを研究せず。講じ通らざる処のあのように多きも無怪ならん。

(朱子注《易》,至理有不可通,輒以不可解或未詳二字了之。然尚能闕疑者也。後人或錯綜其象以求之,或為卦變、爻變以附會之。但求於象可以聯屬,不顧義理之是否可通,與本卦之才物是否應有此理者,蓋比比矣。如賁卦之白字,或以為巽為白。而本卦無巽,則曰艮錯兌,兌反巽也。或以六五變則上卦為巽,故言白也。而不顧巽之義為入為伏,與本卦之義固皆無當也。唯中爻為震,震下伏巽,動而為白,義尚較近。然不以新說參證之,又烏知古聖取象之妙,實與造化同工,斷非拘拘於一爻一卦之單辭所能悉解也。)

(朱熹が《易》を注するに、義理が講じ通らざる処に遇えば、往々にして「解すべからず」或いは「未だ詳らかならず」の二字を用いて帯び過ぐ。これはなお存疑し能うと算する。後人には或いは卦象を錯綜して解を求め、或いは卦変・爻変を用いて附会し、ただ象の上に連綴し起らんことを求めて、義理が講じ通るか否かを顧みず、また本卦の材質事物が応当にこの道理有るべきかをも顧みない。この一類の例は注家の中に処処に在りて是のごとし。譬えば《賁》卦の「白」の字は、或る人は巽は白と言うが、しかし本卦に巽有ることを并せず、すなわち艮と兌が相錯し・兌はまた巽の反卦と言い、或る人はまた六五が一変すれば、上卦はすなわち巽と成り、だから白を講ずと言う。彼らは皆巽の取義が「入」であり「伏」で、本卦の義理と原本とも相干渉せざるを顧みない。ただ中爻を取って震と為し・震の下に巽が伏し、一動して白と為るを取るのみ、意はなお較べて本卦に近いと算する。しかし若し新学説を取って参証せざれば、またどうして古聖の象を取るの妙が実に造化と同工して、決して一爻一卦を死に抠る孤立辞句の全部を解通し得る所ではないを知らんや。)

西教士の《易》説

西教士花之安氏,頗注意於中國之經籍,曾著《自西徂東》一書,謂畫卦之伏羲,乃巴比倫人。巴比倫高原,為西洋文化策源地。伏羲八卦,以乾為天,以坤為地,至今巴比倫人猶稱天為乾,地為坤,此一證也。又巴比倫亦有十二屬象,與中國之十二辰大略相同,其證二也。

西洋伝教士の花之安は甚だ中国の経籍に留意し、かつて《自西徂東》の一書を写した。卦を画いた伏羲はもともと巴比倫人と言う。彼の理由は、巴比倫高原は西洋文化の策源地である。伏羲八卦は乾を以て天と為し坤を以て地と為すが、而も巴比倫人は今に至るもなお天を「乾」と称し地を「坤」と称す。これは第一条の証拠である。巴比倫にもまた十二種の生肖属象あり、中国の十二辰と大致相同じる。これは第二条の証拠である。彼はこれに拠って八卦の学は巴比倫に出でて、中土の自生ではないと断定した。

或因花氏之說,更加推求,謂伏羲畫卦,以備萬物之象。宇宙偉大之象,無不列舉,如天地水火風雷山澤,以配八卦。而海為天地間最大之一象,獨付闕如。而舉澤以為山之對,則亦一疑問也。巴比倫介歐亞之間,四面皆大陸,距海最遠。其間惟裡海死海,為瀦水最大之區,故稱之為澤,亦足證花氏之說不盡無因。花氏更稱巴比倫古代之王,有號福巨者,與伏羲二字音亦相近。當即為始畫八卦之人,亦可謂讀書得間矣。

ある人は花之安の説法に順って再び下に推求して、伏羲が卦を画いたは万物の象を皆備斉せしめんとするで、宇宙間の偉大なる物象は列挙せざるなし。天・地・水・火・風・雷・山・沢のごときは、八卦に分配された。しかし海は天地の間の最大なる一つの物象であるのに、偏偏と缺して載せず、八卦の中に並びに海の位置なく、反って「沢」を挙げて「山」と相対する。これもまた一つの疑問である。巴比倫は欧亜の間に挟まれ、四面は皆大陸で、海より離れること最も遠く、境内にはただ裏海・死海が積水の最大の処のみ。だから之を沢と称す――これもまた足りて花之安の説法が全く根拠なきに非ざるを証明す。花之安はまた巴比倫の古代に一位の国王ありて号して「福巨」と曰い、「伏羲」の两字と読音もまた相近し、応に最初に八卦を画いた人とすべしと言う。これは書を読んで字縫の中に門道を見出し得ると算すべきである。

但我國上古之史,雖無可稽考,然自伏羲而後,代有傳人。一畫開天,即文字所造始。儷皮為禮,已姓氏之足徵。在中國之佚聞古蹟,無有可為伏羲來自遠方之證者。況伏羲之陵,猶在中州,至今無恙。其果否為伏羲埋骨之所,雖無從徵實,但有一事足以參證,有決非人力所能為者,則古聖揲以求卦之蓍草是也。

しかし我が国の上古の歴史は稽考する由ないが、伏羲以後は却って代代に伝人有り。「一画して天を開く」のあの一画は、すなわち文字の開端である。成対の鹿皮を用いて聘礼と為せば、すでに姓氏有りて稽考すべし。中国の伝聞遺跡の裡に、伏羲の遠方より来たるの証拠と為すべき一条なし。況んや伏羲の陵墓はなお中州に在り、今に至るも完好である。あの処が果たして伏羲の骨を埋むる所であるや否やは、坐実する法ないが、しかし一事有りて参証すべく、しかも決して人力の造作し得る所ではない。あれはすなわち古代聖人が揲算して卦を求めるに用いた蓍草である。

孔子曰:昔者聖人之作《易》也,幽贊於神明而生蓍。至今蓍草所產之地,厥惟伏羲文王周公孔子之墓,而他處無有也。(惟近今所生之蓍不及古時之長,余嘗採蓍於孔林,最長者乃不滿今尺三十寸,以合周尺僅四尺餘。所謂六尺及盈丈者,詢之孔氏,雲久未得見矣。)夫文周與孔子之墓,固確為聖穴,決無可疑。則伏羲之陵而有蓍草,亦斷然足證其非妄矣。其非巴比倫產,可不辨自明。

孔子は《説卦伝》の裡に言う。昔聖人が《易》を作すや、幽に神明の賛助を得て蓍草を生じたりと。今日に至るまで、蓍草を出産する処はただ伏羲・文王・周公・孔子の四処の墓地のみあり、別の処は皆なし。(ただ近来長出する蓍草は古時のごとく長からず。我はかつて孔林に蓍草を採り、最も長きは今尺の三十寸に満たず、周尺に折合すれば四尺余りのみ。古書の言う六尺乃至満一丈のは、孔氏の後人に打听すれば、久しくすでに見えずと言う。)文王・周公と孔子の墓地は確かに聖人の葬所で、絶えて疑うべきなし。さらば伏羲陵の上にも蓍草が長ずれば、足りてこの陵は虚妄假託でないを断定す。このようであれば、伏羲は巴比倫の産でないことは、辨せずして自ら明らかなり。

或者當伏羲之時,西北之人物殷繁(其時東南皆水陸地不多),治化流被於歐亞兩州之交,故巴比倫得有伏羲之學說(逮洪水為災,地形改變,流沙阻隔,西道遂不復通,故禹域西限流沙),未可知也。至八卦之象無海,則有說焉。夫江河海洋,皆後起之名辭。伏羲時文字未興,烏得有此析類之名?卦象水火山澤,皆以對舉為文。海固無可對也,故以澤對山。洪荒之世,世界一澤國耳。舉目所見惟山與澤,則亦以山澤象之耳。《周易》為中古之書,取象較廣。坎為大川,大川亦即海也。焉得以數千年後之名詞,而致疑於上古之世哉!

或いは伏羲のあの時代に、西北の一帯は人烟稠密で(当時東南は多く水域で、陸地は多からず)、教化は欧亜両洲の交界の処まで流布したので、巴比倫は初めて伏羲の学説を留めたのであろう(後に洪水が災を成し地形が改変し流沙が阻隔して、西行の路は便ち再び通ぜず。だから大禹の划定した疆域は西は流沙を以て界と為す)、これもまた未だ知るべからず。八卦の象の裡に海なきに至っては、あれは別に緑故有り。江・河・海・洋は皆後起の名詞で、伏羲の時に文字はまだ興起せず。どこにこの種の分門別類の名称有らんや。況んや卦象の中の水火山沢は皆対を成して相い挙げられ、海はもともと之と相対すべき物なし。だから沢を用いて山に対する。洪荒の世は、整个世界は所詮一片の沢国で、目を挙げて見る所はただ山と沢のみあり、すなわち山沢を用いて象を取るのみ。《周易》は中古時候の書で、取象は較べて寛広く、坎は大川で、大川はすなわち海である。どうして几千年以後の有るべからざる名詞を取って、上古の世を懐疑せんや。

化学の分剤と象数と合す

西人物質之化分,譯之為化學者,乃近世紀所發明者也。不謂地隔三萬里,時閱七千年,而吾《易》之象數,能與之一一吻合無毫釐之差。嗚呼!是所謂範圍天地而不過,曲成萬物而不遺者,豈空談性理所能悉其奧旨哉!張氏之銳《易象闡微》,取氣之分劑性質,以卦位爻數乘除推衍,無不妙合。尤奇者,陽三而陰二,足證古聖參天兩地之數,固俟之萬世而不惑者也。

西洋人は物質を分解し開いて研究し、中文に訳して「化学」と曰うは、近一二百年に初めて興起した学問である。想うに及ばず三万里の遥かを相隔て・七千年の久しきを相去りて、我ら《易》の象数は竟にそれと一一吻合し、絲毫の差錯もなし。嘆くべきかな。《繋辞伝》のいわゆる「天地の化を範囲して過ごさず、曲成して万物を遺さず」は、どこに空談して心性義理を談ずる人のその中の奥旨を窮尽し得る所あらん。張之鋭の著す所の《易象闡微》は、各種の気の分剤(すなわち原子量)と性質を取り、卦位・爻数を用いて乗除推衍すれば、妙合せざるなし。特に奇なるは陽数は三を用い陰数は二を用いるで、足りて古聖の「天を参し地を両し」の数が、確かに万世以後を待っても疑惑有るべからざるを証明す。

《易》以陽為氣而陰為質,乾坤氣質之總綱,六子乃氣質之分類。故氣質之分晰,當於六子求之。輕氣(亦曰水素)比較各氣重量為最輕,於《易》為震象,以乾通坤初,出於震之卦氣也。震初一陽始復,其幾甚微,故其氣甚輕。(地山謙,坤艮皆重也。乃曰謙輕者,亦以三四五爻之互震也。)震為動為陽,陽之氣輕清而上升,故坤變為震。動而氣升,則乾即成巽而為風。蓋乾陽之坤,熱漲上騰,而乾之本體反虛。他處空氣入而補之,因動盪而為風也。

《易》は陽を以て気と為し・陰を以て質と為し、乾坤の両卦は気と質の総綱で、震・坎・艮・巽・離・兌のこの六子は則ち気と質の分類である。だから気質を辨析せんとすれば、応当に六子の上に求むべし。軽気(また水素と曰い、すなわち今日の言う氫)は各種の気に比して重量最も軽く、《易》の裡では震象に属す。それは乾が坤に通ずる初爻・震の裡より発して出た卦気だからである。震卦の初爻は一陽が剛く復生して、あの点の苗头は極めて微小なので、その気は極軽である。(地山《謙》卦は、坤と艮は皆重きに属するが、却って「謙軽」と呼ばる。これもまた三・四・五爻が互いに一つの震を出すに因る。)震は動であり陽で、陽気は軽清にして上昇するので、坤は変じて震と成る。一動して気が上昇すれば、乾は便ち巽と成りて風と為る。これは乾陽が坤の中に進入し、熱を受け膨脹して上騰し、乾の本体は反って空虚と成り、別処の空気が流れ入りて補充し、流動激蕩するに因って風と成るに因る。

凡卦爻本體,不能互成他卦者,當為獨立之原點。其可以互成他卦者,即為化合之合點。如坎(六畫卦)五陽以上無互體,為獨立養氣(亦曰酸素)原點。下互艮為淡氣,此即養氣當與淡氣相合之象也。若五陽下降至四,則亦互震體,而變為雷雨作解。此即輕氣上升,與天空養氣化合而成雨之象也。又如震初陽無互體,為輕氣獨立原點。四陽互艮互坎,此亦與淡氣相和,及化合成雨之象也。

およそ卦爻の本体が別の卦を互いに出せないは、すなわち独立の原点と算し、すなわち化学上の元素である。別の卦を互いに出し得るは、すなわち化合の合点である。譬えば六画の《坎》卦は、九五の陽より上に再び互体を取るべきなく、これがすなわち独立の養気(また酸素と曰い、すなわち氧)の原点である。それの下は艮を互いに出し、艮は淡気(すなわち氮)で、これはまさに養気が淡気と相合すべきの象である。仮に九五の陽が四位に下降すれば、また震体を互いに出し、卦は変じて雷雨作《解》と成る。これはまさに軽気が上昇して、天空中の養気と化合して雨と成るの象である。また《震》卦の初爻の陽のごときは互体なく、軽気の独立原点である。九四の陽は艮を互いに出し坎を互いに出す。これもまた淡気と相和するおよび化合して雨を成るの象である。

坎五之陽由乾二來也,以陽三(爻體陽三陰二)與五位相加為八,以二乘八得數十六。震初之陽,由乾四來也。以陽三與初位相減為二,以二除四,仍得二二:十六二一:八,故輕氣之分劑數(亦曰原子量)為一,養氣之分劑數為八,一以乘得數,一以除得數也。

《坎》卦九五の陽は乾卦の九二より来る。陽数の三を用いて(爻体は陽は三を取り陰は二を取る)五位と相加して八を得、再び二を以て八に乘じて十六を得る。《震》卦初爻の陽は乾卦の九四より来る。陽数の三を用いて初位と相減して二を得、再び二を以て四を除して、依然として二を得る。二は十六に比し、約し下れば正に一は八に比す。だから軽気の分剤数(また原子量と曰う)は一と定め、養気の分剤数は八と定める。一つは乗法に由って得た数で、一つは除法に由って得た数である。

淡氣(亦曰窒素)者,愛力甚小。而其性安靜無為,其作用但在節止養氣之太過,故知此氣必為艮之卦氣(艮靜而止)也。如艮九三上九兩陽爻,皆為淡氣。上九之陽由乾三來,九三之陽由乾上來。以陽三與上位六相加則為三,三以陽三加入三位,則為二三。

淡気(また窒素と曰い、すなわち氮)の親和力は甚だ小さく、性情は安静無為で、その作用はただ養気を節制してそれを至らしめて過ぎざらしめるのみ。これに由って知るべし、この種の気は必ず艮の卦気である(艮の性は静にして能く止まる)。譬えば《艮》卦の九三・上九の両個の陽爻は、皆淡気に属す。上九の陽は乾卦の九三に由り来り、九三の陽は乾卦の上九に由り来る。陽数の三を以て上位の六と相加し、後面の用うる所の除数の三を得出す。陽数の三を以て三位に加入し、後面の用うる所の乘数の二を得出す。

艮下體之卦位,其和數為六(初二三之和)。上體之卦位,其和數為十五(四五六之和)。六與十五之和數為二十一,以三除之得七,後以二乘七得十四(以三除者陽,加於上位得三,陽數也。以二乘者陽,加於三位得二陽數也),為淡氣一分劑數。輕養二氣之乘除,以反對為用,淡氣則自為乘除。由此推之,可見卦氣每生一物,必變化其方式。方式不同,故形質有異也。

《艮》卦の下体三爻の卦位を相加すれば六を得(初・二・三の和)、上体三爻の卦位を相加すれば十五を得(四・五・六の和)。六と十五とを相加すれば二十一と為し、三を用いて除して七を得、再び二を用いて七に乘じて十四を得(三を用いて除数と為すは、陽数の三が上位に加わって三を得るは陽数なればに因る。二を用いて乘数と為すは、陽数の三が三位に加わって二を得るもまた陽数なればに因る)、得る所の十四は、すなわち淡気の一つの分剤数である。軽気と養気の両気の乗除は、互いに反対して為すを用う。淡気は則ち自己が自己に対して乗除を作す。これに由って推し開けば見るべし、卦気が一つの物を生出す毎に、必ずその算式を変換す。算式同じからざるが故に、生出する所の形質もまた各々相同じからざるなり。

輕淡養為三少陽氣類原點。此三氣者,常混合瀰漫於空中者也。試以三類氣質合成卦象如□,即蒙卦也。上艮為淡氣,下坎為養氣。九二六三六四互震為輕氣,九二至上九共歷五位。陽自初至二進一位,自初至上進五位。養氣即生,則應消去淡氣一位。故養氣居空氣五分之一,淡氣居空氣五分之四,而輕氣體積則甚小。輕養淡三氣混合瀰漫而成蒙象。蒙象者,其地球表面之蒙氣乎?

軽気・淡気・養気は三少陽の一類の気の原点で、この三種の気は常に混合して起り、空中に瀰漫す。試みにこの三類の気質を合して一つの卦象を成せば(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)、すなわち《蒙》卦である。上卦の艮は淡気で、下卦の坎は養気で、九二・六三・六四は互いに震を成して軽気と為る。九二より上九に数うるに共に五位を経歴す。陽は初位より二位に至るに一位を進み、初位より上位に至るに五位を進む。養気は一たび生出すれば、応当に淡気の上に一位を消去すべし。だから養気は空気の五分の一を占め、淡気は空気の五分の四を占め、而も軽気の体積は則ち極小である。軽・養・淡の三気は混合瀰漫して《蒙》の卦象を成す――いわゆる「蒙」とは、大概地球表面に籠罩するあの一層の蒙気であろうか。

綠氣(亦曰鹽素)能漂白物色,其臭甚烈,能傷人,此巽之象也。《說卦傳》“巽為白,又為臭”,又曰“巽也者言萬物之絜齊也”,皆綠氣之性能功用也。如巽□象,下體陽爻,積與位之和為十一(陽三加二位為五,陽三加三位為六,合之為十一也)。上體陽爻積與位之和為十七(陽三加五位為八,陰三加上位為九,合之為十七也),下體陰爻積與位之和為三(陰二加初位為三),上體陰爻積與位之和為六(陽二加四位為六),以三減六得三,以初加四得五。三五相加,再與十一十七相和,即等三十六,為綠氣之一分劑數(綠氣之一分劑數或作三五一五)。

緑気(また鹽素と曰い、すなわち今日の言う氯)は物体の顔色を漂白し得て、気味は極めて強烈で、吸入すれば能く人を傷る。これはまさに巽の象である。《説卦伝》は「巽は白」と言い、また巽は「臭」と為すと言い、また「巽とは、万物の絜斉を言うなり」と言う――「絜斉」はすなわち洗滌整治して之を潔净ならしむるで、講ずるは皆緑気の性能と功用である。《巽》卦の象に就いて算すれば(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)、下体陽爻の爻数と爻位の和は十一(陽三に二位を加えて五を得、陽三に三位を加えて六を得、合わせて十一)。上体陽爻の爻数と爻位の和は十七(陽三に五位を加えて八を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて十七)。下体陰爻の和は三(陰二に初位を加えて三を得)、上体陰爻の和は六(陰二に四位を加えて六を得)。三を以て六を減じて三を得、初位を以て四位に加えて五を得、三と五と相加して八と為し、再び十一・十七と相加して、恰好三十六に等し。これがすなわち緑気の一つの分剤数である(緑気の分剤数にはまた三五・一五と作る者有り、これと稍々出入有り)。

炭氣(亦曰炭素)為有形質之氣,故化學家謂之非金類,而煤炭所含者為最多。若在氣質內,則常與養氣化合,所謂炭養二是也。蓋炭氣之原點屬離,離陰卦也。陰常附陽(離麗也,必附麗於他物而始見。離為火,火必附於物始燃),是為有形質之物。故炭氣與綠氣,不能如輕淡養三氣,能卓然獨立於空氣界也。

炭気(また炭素と曰い、すなわち炭)は有形質の気なので、化学家はそれを非金属の一類に帰し、而も石炭の裡に含むこと最も多い。それが若し気体の中にあれば、すなわち常に養気と化合して、すなわちいわゆる「炭養二」で、一分の炭に二分の養を配す。炭気の原点は離に属し、離は陰卦である。陰は常に陽に依附せんとす(「離」はすなわち「麗」で、必ず別の物に附麗して初めて顕現する。離は火で、火もまた必ず物に附着して初めて燃焼し得る)、だからそれは有形質の物である。まさにこの因によって、炭気と緑気は皆軽・淡・養の三気のごとく、卓然として独立して空中に存在することができない。

□離卦二陰自坤五而來,下體陽爻積與位之和為十(陽三加初位為四,陽三加三位為六,合為十也)。上體陽爻積與位之和為十六(陽三加四位為七,陽三加上位為九,合為十六)。以上體陽五位數,除下體陽爻積與位之和,得數二。以下體陰二位數,除上體陽爻積與位之和得數八。二與八之較六,即為炭氣之一分劑數(綠氣一分劑數由和而得,炭氣一分劑數由較而得方式亦不同也)。

《離》卦(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)の中の両個の陰爻は、皆坤卦の六五のあの一爻から来る。下体陽爻の爻数と爻位の和は十(陽三に初位を加えて四を得、陽三に三位を加えて六を得、合わせて十)。上体陽爻の爻数と爻位の和は十六(陽三に四位を加えて七を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて十六)。上体陽爻の居る五位を用いて下体の和の十を除して、得数の二を得る。下体陰爻の居る二位を用いて上体の和の十六を除して、得数の八を得る。八と二と相減して、差数の六を得て、これがすなわち炭気の一つの分剤数である(緑気の分剤数は相加に由って得、炭気の分剤数は相減に由って得て、数を取るの算式は各々相同じず、だから両者の形質もまた相同じからざるなり)。

六子之卦,震坎艮巽離,皆有其自成之原點。惟兌獨無,蓋陽數大,陰數小,陽順生,陰逆生,陽始於震,陰始於兌。震之原點為一,則兌始生之陰數,必更小於一,退入零位,幾不可見,必不能成為獨立之原點矣。求之於化學氣類中,惟喜氣於兌象為近。兌為悅,悅喜意也(喜氣嗅之令人狂笑)。考喜氣為淡養所合成,西名為NO。此亦足證兌無自生之原點矣。

六子の卦の中で、震・坎・艮・巽・離は皆各々自成の原点有り、独り兌のみ無し。これは陽数は大にして陰数は小、陽は順に生じ陰は逆に生ずるに因る。陽は震より始まり、陰は兌より始まる。震の原点を一と算せば、さらば兌の初生する陰数は必ず一よりも小さく、零位に退いて、ほとんど見るべからず。当然に独立の原点と為ること能わざるなり。化学の気類の裡に求めれば、ただ喜気のみ兌象と最も相近し。兌は悦で、悦はすなわち喜の意である(喜気は嗅げば人をして狂笑せしむ)。考察すれば喜気は淡気と養気とが合成したもので、西文の名は NO である。それはすでに両気の化合に由って来た以上、自身はもともと原質ではない。これもまた正に足りて兌に自生の原点なきを証明す。

喜氣之分劑數為二十二,即八與十四所合之數(養氣一分劑數為八,淡氣一分劑數為十四)。淡氣為艮象,養氣為坎象。艮之上體三爻積與位之和為二十二(陰二加四位為六,陰二加五位為七,陽三加上位為九,合之為二十二也),坎之上體三爻積與位之和亦二十二(陰二加四位為六,陽三加五位為八,陰二加上位亦八,合之亦為二十二也)。以艮之上體,合兌之下體,則為□損卦。以坎之上體,合兌之下體,則為□節卦。

喜気の分剤数は二十二で、正に養気の八と淡気の十四と相加するの数(養気の分剤数は八、淡気の分剤数は十四)。これで見ればそれは確かに両気の合成である。淡気は艮象に属し、養気は坎象に属す。だから艮・坎の両卦の上に数を取る。《艮》卦の上体三爻の爻数と爻位の和は二十二(陰二に四位を加えて六を得、陰二に五位を加えて七を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて二十二)。《坎》卦の上体三爻の爻数と爻位の和もまた二十二(陰二に四位を加えて六を得、陽三に五位を加えて八を得、陰二に上位を加えてもまた八、合わせてもまた二十二)。艮の上体を兌の下体に配すれば、すなわち《損》卦と成る。坎の上体を兌の下体に配すれば、すなわち《節》卦と成る(両処にもともと卦画有り、今や已に闕ける)。この両卦は便ち下面の推算の依拠とする卦体である。

兌下體三爻積與位之和為十四(陽三加初位為四,陽三加二位為五,陰二加三位為五,合之為十四也),以下體兌之十四,減上體艮之二十二,即得坎養之八。以坎養之八,復減上體坎之二十二,即得艮淡之十四。故八與十四之和,即喜氣之分劑數。其數之妙合,極參伍錯綜之致,而無不吻合,誠不可思議矣。

《兌》卦の下体三爻の爻数と爻位の和は十四(陽三に初位を加えて四を得、陽三に二位を加えて五を得、陰二に三位を加えて五を得、合わせて十四)。下体兌の十四を用いて上体艮の二十二を減ずれば、正に坎の主とする養気の数の八を得る。再び坎養の八を用いて上体坎の二十二を減ずれば、正に艮の主とする淡気の数の十四を得る。両々相減して、得る所は皆恰好その本気の分剤数である。だから八と十四とを相加すれば、すなわち喜気の分剤数の二十二である。これらの数目の配合するの妙は、参伍錯綜して極処に至りて吻合せざるなし。実に思議すべからず。

以上輕(震象)養(坎象)淡(艮象)綠(巽象)炭(離象)喜(兌象)六氣,即乾坤二元所化生,震坎艮三少陽,巽離兌三少陰之六元象也。然三少陽所成之原質有三類,而三少陰所成原質只有兩類。可見陽三陰二之定則,離造物者亦不能越此範圍(五行之數亦天三地二,天地之生數亦天三地二)也。此外之原質,若碘,若砩,若金類,若非金類,為數甚夥。苟能各按其天然分劑之數與其品性,依卦象變化之條理,以方程求等之法細繹之,當無不有一定之公式,可斷言矣。

以上の軽気(震象)・養気(坎象)・淡気(艮象)・緑気(巽象)・炭気(離象)・喜気(兌象)のこの六種の気は、すなわち乾坤の両元の化生する所で、すなわち震・坎・艮の三少陽と巽・離・兌の三少陰のこの六元の象で、一気は一卦に配して、相当せざるなし。しかし三少陽の成した原質は軽・養・淡の三類有り、三少陰の成した原質はただ緑・炭の両類のみ。これで見れば「陽三阴二」のこの一條の定則は、たとえ造物者もこの範囲を跳出ること能わず(五行の数もまた天三地二で、天地の生数もまた天三地二)。この外の原質は、碘のごとく・砩のごとく・金属類のごとく・非金属類のごとく、数目は甚だ多い。ただ各々それらの天然の分剤数と品性に按じ、卦象変化の條理に依り、方程を用いて等を求むの方法で細々と推繹すれば、必ず皆各々一定の公式有りて循るべし。これは断言し得て、並びにただこの六種の気のみが象数に合するのではない。

《化學鑑原》云:輕氣與諸質化合,其性大似金類(與鋅或銅化合,顯此性尤大),故疑為氣質金類,如汞為流質金類是也。輕氣與汞若汞與鉑,雖視無金光,而叩之不堅,亦不足為必非金類之據。汞加熱可化為明氣質,亦與金類為例,是可見輕氣亦或為金類也。

《化学鑑原》は言う。軽気は各種の物質と化合する時、性質は甚だ金属に似て(鋅或いは銅と化合すれば、この種の性質は表現すること尤も顕著)、だからそれを気態の金属と疑う。まさに汞が液態の金属なるがごとし。軽気と汞・汞と鉑は、見るに金属光沢ないがごとく、叩撃しても堅硬でないが、しかしまた足りてこれに拠ってそれが必ず金属でないを断定すべからず。汞は熱を加えて以て透明の気体に化し得て、これもまた金属と同例で、これに由って見れば軽気は或いはまた金属の一種かも知れない。

又云:輕氣雖為萬物中至輕至稀之品,而分劑數為最小者,然依其分劑數而計其愛力,則甚大也。如一分重之輕氣,能與綠氣三十六分之重化合,能與溴八十分之重化合,與碘一百二十五分之重化合。極少之數,亦足支配此各質而變化其性。且所成之質,最難分析。化學以為極少之分劑,而生極大之愛力性,為甚奇也。

また言う。軽気は万物の中で最も軽く最も稀なる物で、分剤数もまた最も小さいが、しかしその分剤数に按じてその親和力を計算すれば、却って極大である。譬えば一分重の軽気は、能く三十六分重の緑気と化合し、能く八十分重の溴と化合し、能く一百二十五分重の碘と化合す――化合する所の分量はそれ自身より重なること几十倍乃至一百余倍。極小の分量もまた足りてこれらの物質を支配してそれらの性質を改変し、しかも化合して成った物は極めて分解し難い。化学家は分剤が極小にして能く極大の親和力を生出すを、甚だ奇怪の事と認む。

按化學家疑輕氣為金類,而不敢下確定之斷語。又奇其分劑數小而愛力極大,此由不明輕氣所以化生之原理也。若以《易》象證之,則所疑者皆渙然冰釋矣。蓋輕氣為震象,震者乾始交坤,其象恆通乾(震為乾之長子)。《說卦傳》“震其究為健”,健即乾也。乾為金,震者金氣之初發動者也。知輕氣之為震,則知輕氣為氣類之金可無疑矣。

按ずるに、化学家は軽気を金属と疑って確定の断語を下すこと敢えてせず、またその分剤数が小にして親和力が極大なるを怪しむは、皆軽気の化生する所以の原理を明白にせざるに因る。若し《易》象を取って印証すれば、疑う所は皆涣然として氷釈する。軽気は震象に属し、震は乾が始めて坤に交わりて成って、その象は終始に乾に通ず(震は乾の長子)。《説卦伝》は「震其の究は健たり」と言い、意は震は推究して到底すれば依然として乾に帰し、「健」はすなわち乾である。乾は金で、震は便ち金気が剛く発動するの時である。すでに軽気が震に属するを知れば、さらば軽気は気類の中の金属なることは、また何の疑うべきなきや。

一陽初復,故分劑數最小,所謂復小而辨於物是也。其感動力反甚大者,以乾健而震動也。震為物之始生,此天地之仁氣也。且又為最尊最大之乾卦最肖之長子,然則能以至小之分劑數化合最大之分劑數,而顯最大之愛力者,又何足怪乎!

一陽が剛く復生するので、分剤数は最も小さい。《繋辞伝》のいわゆる「復は、小にして物に辨ゆ」はまさにこの意である。それの感動する力は却って極大なるは、乾性が剛健にして震が震動を主とするに因る。震は万物が生長を始める処で、これは天地の仁気である。況んやそれはまた最尊最大の乾卦の最も相肖なる長子であるをや。このようであれば、それが能く最小の分剤数を以て最大の分剤数と化合し、最大の親和力を顕出するは、また何の怪しむべきならんや。

以上諸說,不但足與物理相發明,尤足以證明象之切切實實,非模糊影響而意為擬議者也。向來說《易》者,以空談性理為高,能精研象數者已不可多得。間有談象數者,又莫明象數之原理,於是東牽西扯,曲折附會以求合,而不知去《易》之道愈遠,而象數反為說《易》之累矣。故顯明象數,必知物理。離物理以言象數,亦與離象數而談性理者,敝正相等耳。

以上のこれらの説法は、但だ足りて物理と互いに発明するのみならず、特に足りて《易》象が切切実実の物で、決して模模糊糊・主観想象を憑って擬議し出したものでないを証明す。従来《易》を講ずる人は空談して心性義理を談ずるを高明と見做し、能く象数を精研する人はすでに甚だ得難い。偶に象数を講ずる者有れば、また象数の原理を明白にせず、ここにおいて東に牽かれ西に扯がれ、曲折して附会してもって凑合す。しかしこのようにして《易》道より離るること益々遠きを知らず、象数は反って《易》を説くの贅累と成る。だから象数を講じ明白にせんと欲せば、必ずまず物理を懂らねばならない。物理を撇き開きて象数を講ずるは、象数を撇き開きて性理を空談するのと、両者の毛病は恰好相等しく、誰も誰に高明なるなし。

仏教道教の象数は《易》に備わる

《易》之為書也,廣大悉備。範圍天地,曲成萬物,故凡世界所有,無遠近,無今古,均不能出於《易》教之外。道教佛教,皆後起者也,而佛教創始於西域,更與中國之文化無關。乃聖人之作《易》,早定其數於三千年以前,而概括其教於卦象之中,並其科儀名類,亦皆一一列舉而豫定之。乃後來者冥然罔覺,順天地之理數,以自力進行。初未與《易》相謀,而事事物物胥一一準之,莫能相悖。始信孔子“天且不違況於人乎況於鬼神乎”之贊,為確有徵驗,而非以虛義為頌美之辭焉。

《易》のこの部の書は広大にして備わらざるなし、天地の化を籠括し、万物の情を曲尽す。だからおよそ世界上に有る物は、遠近を論ぜず・古今を論ぜず、皆《易》教の範囲を跳出ること能わず。道教と仏教は皆後起の物で、而も仏教は西域に創始して、中国の文化とさらに何の関係をも談ずに足らない。しかし聖人が《易》を作すや、早くも三千年以前にすでにそれらの数を定下し、両教を皆卦象の中に概括し、それらの儀軌科目・名号分類に連ねても、また一一列挙して預め定め、遺漏せざるなし。後来の人は茫然として覚らず、ただ天地の理数に順い・自身の力量を憑って前に往くのみで、起初は並びに《易》と商量したことがなく、而も事事物物は却って一一《易》と相合して、相い違うこと能わざるなり。これにおいて初めて孔子が《乾・文言》の裡の「天且つ違わず、況んや人に於いてをや。況んや鬼神に於いてをや」の賛語が確かに験有りて、空話を以て頌美の辞と作すではないを信ず。

蓋天地之數,自天一地二至天九地十,八卦之入用準之。至乾而數為無,黃帝甲子,乾五支六,各分陰陽,以合八卦之用。至乾終戌亥,而數有孤虛(子一丑二至酉十盡於兌,至乾數無而於辰為虛。其對宮則為孤)。故乾坤陰陽皆極於己亥,己陽極陰始,亥陰極陽始。陰陽終始於己亥,而己亥實為天地陰陽之兩端(端者始也)。

天地の数は天一・地二から一直に天九・地十に排到り、八卦の入用は皆これを以て準とす。乾位に排到れば、数はすなわち「無」と成る。黄帝が甲子を創めて、天干は五対・地支は六対で、各々陰陽を分かち、以て八卦の用に配合す。乾に排到りて戌亥に終われば、数上に便ち「孤」「虚」有り(子一・丑二と順に酉十に数えて、兌に尽きる。乾に至れば則ち数は無で、而も辰に在るは「虚」で、それと相対する一宮はすなわち「孤」)。だから乾坤陰陽は皆己・亥の両位に終極す。己は陽極にして陰始め、亥は陰極にして陽始め。陰陽はすでに己亥の上に終わってまた始まるので、己亥は便ち天地陰陽の両端である(「端」はすなわち開始)。

聖人合陰陽之撰,通神明之德,先後皆履端伊始。己上先天乾兌卦,己履端始;亥下後天乾兌卦,亥履端始。是以聖人於己亥萬物終始,執其兩端,而用其中於民(天地子午正中,子一勿用。用子正在丑,用午正在未)。乃子丑中,天地協,使民協於中。南北乾坤坎離正中,堯舜通變宜民,垂衣裳而天下治。取諸乾坤,坎離水火,百姓日用而不知是也。

聖人は陰陽の体制を会合し、神明の徳性を通達して、前後は皆「履端」より起算す。己位の上は先天の乾・兌の両卦で、己は履端の始である。亥位の下は後天の乾・兌の両卦で、亥もまた履端の始である。だから聖人は万物終始の己亥の上にその両端を執り、而も「中」を百姓に用いる(天地は子午を以て正中と為し、子一は「用うる勿れ」の位で、子を用いるは実際に丑に落ち、午を用いるは実際に未に落ちる)。ここにおいて子丑の中を取り、天地は相い協い、百姓にもまた中に協わしむ。南北の乾坤坎離は皆正中に居り、堯舜はその変を通じて民を相宜ならしめ、衣裳を垂れて天下大治す。《繋辞伝》はこれは乾坤に象を取ったと言う。坎離水火の用に至っては、則ち百姓が天天に用いて自ら知らざるなり。

故“人心惟危,道心惟微。惟精惟一,允執厥中”(子坎一,道心寅;艮三,人心子。一純丑,二精子,丑天地正中)。“中庸”乾二用中,皆天地大中之道,帝王立極,聖人立本,於己亥執其兩端,子丑用其中於民。斯堯舜之道,文周孔子所繼述,即《易》道用中之旨也。

だから《尚書・大禹謨》は「人心は惟れ危うく、道心は惟れ微なり。惟れ精に惟れ一に、允に厥の中を執れ」と言う(子は坎一で、道心は寅に属す。艮は三で、人心は子に属す。一は純で、丑に配す。二は精で、子に配す。丑は正に天地の正中)。「中庸」は乾卦九二の用中を取る。皆天地の大中の道である。帝王はこれに拠って極を立て、聖人はこれに拠って本を立てる。己亥の両位の上にその両端を執り、子丑の位の上に中を百姓に用いる。これがすなわち堯舜の道で、また文王・周公・孔子の継承して闡述した所で、すなわち《易》道の「用中」の宗旨である。

兩端各倚於一偏。東南偏辰巳,有陽無陰,主有生無死,道教是也(道教主長生不死)。西北偏戌亥,無陰無陽(乾數無),主無死無生,佛教是也。以其偏於一端也,對於用中而言,謂之異端。然天地既有其數,既開其端,即皆有其教。天地南北,子一陽,物出有,道教始。午一陰,物入無,佛教始。故子出而辰巳有者陽,於午一陰未生,入無之佛未見,其象有,有者皆道教。

すでに「両端」なれば、各自便ち一辺に偏す。東南は辰・巳に偏し、陽有りて陰無く、生有りて死無きを主張す。これがすなわち道教である(道教は長生不死を以て宗と為す)。西北は戌・亥に偏し、陰無くまた陽無し(乾位の数は無)、死無くまた生無きを主張す。これがすなわち仏教である。それらが各々一端に偏するに因り、「用中」に対して言えば便ち異端と呼ばる。しかし天地はすでにこの数有り・すでにこの端を開きた以上、すなわち各々その教有り。天地は南北に分かつ。子位は一陽生じて、万物は出でて「有」と為る。道教はここより始まる。午位は一陰生じて、万物は入りて「無」に帰す。仏教はここより始まる。だから子位より出でて辰巳に至るまで、見る所は皆陽で、あの時午位の一陰はまだ生ぜず、無に帰する仏はなお見るべからず。その象は「有」で、およそ「有」に属するは皆道教である。

孔子刪書斷自唐虞。唐虞日中天,南北用中,日未過中,其唐虞以上書是道教(黃帝為道家之祖,廣成空同皆道家言),非用中之道,故刪書刪之。而《易》之書所以明道,不明道教,是缺南北一偏,則《易》不備,不足以明道,故《易》象往來。自子一出有,其數逆來,起子西北來,而午東南,其卦為水天需,為火風鼎,其象為水火逆運,而以求有生無死。此其有陽無陰之一偏也,東南象也。

孔子が《尚書》を刪定するや、起頭は唐堯虞舜より断たれた。唐虞は譬えば日が中天に在るがごとく、南北は皆用中に帰し、太陽はまだ中を過ぎず。唐虞以上の書は皆道教に属す(黄帝は道家の鼻祖で、広成子・空同の一類の話は皆道家の言)、用中の道に合わざるが故に、書を刪ずる時にそれらを刪去した。しかし《易》のこの部の書は用いて道を明らかにするので、若し道教を説明せざれば、すなわち南北の一偏を欠き、《易》は完備せず、足りて道を明らかにせず。だから《易》象は往有り来有り。子位より一陽出でて有と為るに、その数は逆に行きて来る。子位の西北より来りて、午位の東南に往くに、その卦は水天《需》・火風《鼎》と為り、その象は水火の逆運で、用いて生有りて死無きを求む。これがすなわち陽有りて陰無きの一偏で、東南の象に属す。

是以西北來東南,其對卦言姤(西北乾對東南巽,為天風姤)言復(西南坤對東北艮,反震為地雷復),姤奼女而復嬰兒,需鼎服食以求長生之道者也。變則鼎折足需于泥而道敗,有生有死,有需“不速之客三人來”,道家所謂“三尸”“三彭”是也。故《易》四三為人爻,而游魂歸魂為鬼《易》(遊歸亦在四三兩爻。凡上五爻為天《易》,四三爻為人《易》,二初爻為地《易》,游魂歸魂為鬼《易》)。

これに因って西北より来りて東南に至るに、その対宮の卦に就いて言えば、一は《姤》(西北の乾が東南の巽に対して、天風《姤》を成す)、一は《復》(西南の坤が東北の艮に対して、反って震と為り、地雷《復》を成す)。《姤》は丹家の言う所の「姹女」で、《復》は丹家の言う所の「嬰児」で、《需》《鼎》は則ち服食煉養して以て長生を求むの道である。一旦変壊すれば、便ち《鼎》の「鼎足を折る」・《需》の「泥に需く」で、道術は敗壊し、依然として生有り死有り。《需》卦にまた「速ならざるの客三人来る」有れば、すなわち道家の言う所の「三尸」「三彭」である。だから《易》は三・四の両爻を以て人爻と為し、而も游魂・帰魂の両類の卦は鬼《易》と為す(游魂帰魂もまた三・四の両爻の上に在り。およそ上爻・五爻は天《易》、四・三の両爻は人《易》、二・初の両爻は地《易》、游魂帰魂は鬼《易》)。

精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀。精氣為物者神,其道所謂神仙是也(艮寅人道,艮為山,故仙字從山從人。艮止其所,人極所自立也)。游魂為變者鬼,其道所謂尸彭是也。先天乾坤之位,而後天離坎居之。火上水下,其道未濟,魂升魄降(離魂坎魄),是死道也。故道以逆行。

《繋辞伝》は「精気は物を為し、游魂は変を為す。是の故に鬼神の情状を知る」と言う。精気が聚まりて物を為すは神で、道教の裡ではすなわちいわゆる神仙である(艮寅は人道の位で、艮は山なので、「仙」の字は山に従い人に従う。艮はその所に止まるで、まさに人極の自立する処)。游魂が散じて変を為すは鬼で、道教の裡ではすなわちいわゆる尸・彭である。先天乾坤の方位は、後天は離・坎に由って占拠せらる。火は上に水は下にありて、その卦は《未済》で、魂は往いて上昇し魄は往いて下降す(離は魂を主とし坎は魄を主とす)。これは死亡に走向する道である。だから道家の修煉は逆らって走るを要す。

降炎上之火,升潤下之水,龍飛在天(震為龍,震下一陽由坎而出,龍飛在天,即取坎填離之說。丹家所謂龍從火裡出者是也。震位東方,亦青龍之位,其德為仁。仁屬陽,主升,乾九五爻其候也),虎履其尾(兌為虎,兌上一陰為陰之始,而位於正西白虎之位,其德為義。義屬陰,陰主降,降則變兌見為巽伏。故道家曰伏虎,又曰虎向水中生也),皆於三四兩爻反復其道。

本来炎上する火を降し下し、本来潤下する水を升し上る。これがすなわち「龍の天に飛ぶ」(震は龍で、震の下面のあの一陽は坎の裡より出でた。「飛龍天に在り」はすなわち丹家の「坎を取りて離に填む」の説で、すなわち彼らの言う所の「龍は火の裡より出ず」。震位は東方に在り、すなわち青龍の位で、その徳は仁である。仁は陽に属し、上昇を主とし、乾卦の九五爻は正にそれの時である)、すなわち「虎の其の尾を履む」(兌は虎で、兌の上面のあの一陰は陰の開始で、位は正西の白虎の位に在り、その徳は義である。義は陰に属し、陰は下降を主とし、一降すれば則ち兌の顕は変じて巽の伏と為る。だから道家は「虎を伏す」と言い、また「虎は水の中に向かいて生ず」と言う)。これらは皆三・四の両爻の上にその道を反復する。

九四六三,陰陽反覆,是為雷澤歸妹,故歸妹天地大義人終始,為六十四卦之大歸魂卦也。先天乾,後天離,火天大有;先天坤,後天坎,地水師。大有眾也,師眾也。三人為眾,皆需之不速之客三人,故魂魄具而三尸即伏於中,是必損之三人損一,而後致一得天地之道。是《易》於道教明著其象,而魏伯陽之《參同契》,借《易》卦以明丹學,與《易》義無涉者,猶不與焉。儒者禁言異端,於他書則是,於《易》則非。《易》備萬物萬象,此道教東南一偏象,不可不知者也。

九四と六三は陰陽を互換して反復すれば、すなわち雷沢《帰妹》を成す。だから《帰妹》は「天地の大義」「人の終始」で、六十四卦の中の最大の帰魂卦である。先天の乾位は後天の離に由って居られ、合して火天《大有》を為し、先天の坤位は後天の坎に由って居られ、合して地水《師》を為す。《大有》は衆で、《師》もまた衆で、三人は衆を成して、皆《需》卦の「速ならざるの客三人来る」のあの三人である。だから魂魄は一たび具備すれば、三尸はすなわちその中に潜伏す。必ず《損》卦の言う所の「三人行けば則ち一人を損す」のごとく、一個を減去して、然る後に「一を致して」天地の道を得る。これは《易》が道教の上に明白に顕示し出した象である。魏伯陽の《参同契》に至っては、《易》卦を借りて丹学を講ずるも《易》義と並びに相干渉せざるは、なお算内に入れず。儒者が異端を談ずるを禁止するは、別の書に用いれば是であり、《易》の上に用いれば則ち非である。《易》は万物万象を備う。道教のこの東南偏象は、知らざるべからざるなり。

天地南北子一陽物出有,為恆有象(先天西南巽,東北震,為雷風恆象)。午一陰物入無,為咸無象(先天東南兌,西北艮,為澤山咸象)。咸無佛教也。午一陰生,午而戌亥,萬物歸無,為後天西北乾象。咸無反恆有,《春秋·莊七年》“夏四月夜,恆星不見”,為周莊王甲午,即佛誕生之日矣。佛誕生,天地咸象感,而恆星不見,而《易》已早徵其兆於先後天卦矣。

天地は南北に分かつ。子位は一陽生じて万物は出でて有と為るは、《恒》の「有」の象である(先天の西南は巽・東北は震で、合して雷風《恒》を成す)。午位は一陰生じて万物は入りて無に帰するは、《咸》の「無」の象である(先天の東南は兌・西北は艮で、合して沢山《咸》を成す)。《咸》の主とする「無」はすなわち仏教である。午位の一陰が生起し、午より戌亥に至るに、万物は無に帰して、正に後天西北の乾象である。《咸》の「無」は《恒》の「有」と相反する。《春秋》の荘公七年は「夏四月夜、恒星見えず」と記す。あの年は正に周荘王の甲午で、すなわち仏の誕生の日である。仏の誕生する時、天地は《咸》象に感じたので、恒星は見えず。而も《易》は早くよりすでに先天後天の両卦の上にこの徴兆を顕した。

故八卦於咸無順往,自東南午,而西北子,其卦為風火家人,為天水訟。家人由內出外,訟違行不親,其象為火水順滅,而以歸無死無生。此其無陰無陽之一偏也。西北乾剛乾金,故佛金剛不壞。佛說經金剛獨顯,為咸感應象。西北戌入夜明火,而佛始燃燈,西北天地以濟不通,而佛度彼岸(《易》利涉大川,皆由坎之乾東北往西南卦)。

だから八卦は《咸》の「無」の上に順行して往く。東南の午位より西北の子位に走向するに、その卦は風火《家人》・天水《訟》と為る。《家人》は内より出でて外にし、《訟》は行く所が相い違いて相い親しまず。その象は火水が順次に熄滅して、死無く生無きに帰す。これがすなわち陰無く陽無きの一偏である。西北は乾に属し、乾は剛にして金と為る。だから仏家は「金剛不壊」と言う。仏の説いた経の裡に独り《金剛経》を以て最も顕れたは、正に《咸》卦の感応する象である。西北の戌位は夜に入りて火を明らかにす。だから仏家に燃燈の説有り。西北は天地阻隔して相い済通せず。だから仏家は彼岸に度るを講ず(《易》の中でおよそ「大川を渉るに利し」と言うは、皆坎より乾に往き・東北より西南に往く卦である)。

天地數有無,以輔相左右民。左為輔,天地數甲三庚九,三九為二十七輔,是乾震無妄卦,乃天地有之數,而知無者妄也。右為相,天地數辛四乙八,四八為三十二相,是巽坤觀卦,乃天地無之數,而知觀者空也。故佛說以三十二相觀,不可以三十二相觀。

天地の数は「有」有り「無」有りて、用いて百姓を左右に輔佐す。左辺は「輔」と為す。天地の数は甲は三・庚は九で、三九は合して二十七輔。卦象は乾下震上の《无妄》で、これは天地の「有」の数で、知るべし「無」を講ずるは妄なりと。右辺は「相」と為す。天地の数は辛は四・乙は八で、四八は合して三十二相。卦象は坤下巽上の《観》で、これは天地の「無」の数で、知るべし観ずる所は空なりと。だから仏家は一面で三十二相を以て観ずべしと言い、一面でまた三十二相を以て観ずべからずと言う。

是以戌西北巽入無,辛四西北物往來入無。有乙八辛四,坤巽入,升不來,而四於東南巽不果。西北乾木果,故佛說四果,謂入而實無所入。往來而實無往來,不來而實無不來,有法而實無有法,為四果,皆西北四戌入無數。四西北右相合一(合子一),即是一合相,而無見有,即非一合相,皆西北數西北相也。

これに因って戌は西北に在り、巽は入りて無に帰するを主とす。辛数は四にして西北に居り、万物の往来は終に無に帰す。乙八と辛四と有りて、坤・巽の二卦は入るを主とし、ただ升り上るのみで帰り来らず。「四」は東南の巽に在れば「果たさず」で、西北の乾に在れば則ち「木果」で、だから仏家は「四果」と言う。入りて其の実入る所無く・往来して其の実往来無く・来らずして其の実来らざる無く・法有りて其の実法有る無しの、この四様は便ち四果で、皆西北の「四」と「戌」が無に入るの数である。「四」は西北に在りて右の「相」で、「一」と相合すれば(すなわち子位の一と合す)、すなわち「一合相」で、而も無の中より有を見れば、便ちまた「即ち一合相に非ず」と言う。これらは皆西北の数・西北の相である。

西北戌亥數無為空,而乾為門,故佛教曰空門。先天西北艮,艮為山,故佛門曰山門,佛祖曰開山。先後天乾艮合為遁,故又曰遁入空門。全《易》陰陽爻數,各一百零八,故佛之紀數,皆一百零八。西北陰,陰數窮於六,故佛至六祖而止(陰數窮於九,故道家丹以九轉)。西北咸,神無方而《易》無體,不疾而速,不行而至。咸感至神,故佛道感應至神。《易》備萬物萬象,此佛教於西北一偏象,不可不知者也。以上據端木鶴田氏之說而推衍之,其義尚多未盡,然亦可見其大概矣。

西北の戌亥の数は無で空で、而も乾はまた門なので、仏教は「空門」と称す。先天の西北は艮で、艮は山なので、仏門は「山門」と称し、仏祖を「開山」と称す。先天の乾と後天の艮と相合して《遯》卦と為るので、また「空門に遯れ入る」と言う。全部《易》の陰爻陽爻は各々一百八なので、仏家が数を紀るに皆一百八を用いる。西北は陰に属し、陰数は六に窮尽す。だから禅宗は第六祖に伝わりて便ち止まった(陽数は九に窮尽す。だから道家の煉丹は九転を講ず)。西北は《咸》で、「神は方なく《易》は体なし」、急がずして自然に速く、行かずして自然に至る。《咸》は感応を主として神妙に至る。だから仏道の両家は皆感応の神を講ず。《易》は万物万象を備う。仏教のこの西北偏象は、知らざるべからざるなり。以上は端木鶴田氏の説法に拠って推衍を加えたもので、その中の意思にはなお多く言い尽くさざる所有るが、しかしまた大概を見るに足る。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Mentioned in this book