周易集解
乾卦は下卦も乾・上卦も乾で、純陽が重なり合っている。卦辞にいう。乾は元・亨・利・貞の四徳を備える。李鼎祚の案語にいう。《説卦伝》の「乾は健な…
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
巻一
乾卦
(乾下乾上)。乾:元、享、利、貞。案:《說卦》:乾,健也。言天之體以健為用,運行不息,應化無窮,故聖人則之。欲使人法天之用,不法天之體,故名乾,不名天也。《子夏傳》曰:元,始也。亨,通也。利,和也。貞,正也。言乾稟純陽之性,故能首出庶物,各得元始、開通、和諧、貞固,不失其宜。是以君子法乾而行四德,故曰“元、亨、利、貞”矣。
乾卦は下卦も乾・上卦も乾で、純陽が重なり合っている。卦辞にいう。乾は元・亨・利・貞の四徳を備える。李鼎祚の案語にいう。《説卦伝》の「乾は健なり」とは、天の形体が剛健をもって功用とし、運行が止まらず、感応変化に窮まりがないから、聖人がそれに則ったのである。聖人は人に天の功用を法らせようとし、天の形体を法らせようとしたのではない。だからこの卦を「乾」と名づけ「天」とは名づけなかった。《子夏伝》は四徳を一字ずつ説明する。「元」ははじめ、「亨」は通ずること、「利」は和すること、「貞」は中正である。乾は純陽の性を禀けているから、衆物に先んじて出で、万物がそれぞれ創始・開通・和諧・貞固を得て、合宜を失わない。ゆえに君子は乾道に法ってこの四つの徳を行う。卦辞に「元・亨・利・貞」というのはこのためである。
初九:潛龍勿用。崔覲曰:九者,老陽之數,動之所占,故陽稱焉。潛,隱也。龍下隱地,潛德不彰,是以君子韜光待時,未成其行。故曰“勿用”。《子夏傳》曰:龍,所以象陽也。馬融曰:物莫大於龍,故借龍以喻天之陽氣也。初九,建子之月。陽氣始動於黃泉,既未萌芽,猶是潛伏,故曰“潛龍”也。
初九の爻辞にいう。潜んでいる龍は用いるべからず。崔覗の説明では、「九」は老陽の数で、占筮は変動する爻で断を立てるから、陽爻を「九」と称する。「潜」は隠れることである。龍が地下に沈み隠れ、潜んだ徳がまだ顕れないから、君子は光を収めて時を待ち、事業がいまだ成っていない。だから爻辞に「勿用」という。《子夏伝》にいう。龍は陽気を象るためのものである。馬融は別に天象から説を立てる。万物のうち龍より大きいものはないから、龍を借りて天の陽気に喩えたのである。初九は建子の月、すなわち夏暦十一月に配され、陽気が黄泉の底で萌動し始めたばかりで、まだ芽も出ず、なお潜伏している。だから「潜龍」という。
沈驎士曰:稱龍者,假象也。天地之氣有升降,君子之道有行藏。龍之為物,能飛能潛,故借龍比君子之德也。初九既尚潛伏,故言“勿用”。干寶曰:位始,故稱初。陽重,故稱九。陽在初九,十一月之時,自復來也。初九,甲子天正之位,而乾元所始也。陽處三泉之下,聖德在愚俗之中,此文王在羑里之爻也。雖有聖明之德,未被時用,故曰“勿用”。
沈驎士は「龍」は仮借の物象にすぎないと考える。天地の気には昇降があり、君子の道には出で行くことと隠れることがある。龍というものは飛ぶことも潜ることもできるから、これを借りて君子の徳に喩えたのである。初九はなお潜伏の中にいるから「勿用」という。干宝は卦気・納甲と史事を兼ねて説明する。位次が最下にあるから「初」と称し、陽爻が重厚だから「九」と称する。陽気が初九に行きあたるのは十一月にあたり、《復》卦の一陽来復から来たものである。納甲の爻配りによれば初九は甲子で、ちょうど周暦の天正建子の位に合い、乾元の発端のところである。陽気が三重の地泉の下に処るのは、聖人の徳が愚俗の中に埋没しているようなもので、この爻は文王が羑里に囚われた姿である。聖明の徳がありながら時に用いられないから「勿用」という。
九二:見龍在田,利見大人。王弼曰:出潛離隱,故曰“見龍”。處於地上,故曰“在田”。德施周普,居中不偏,雖非君位,君之德也。初則不彰,三則乾乾,四則或躍,上則過亢。利見大人,唯二五焉。鄭玄曰:二於三才為地道,地上即田,故稱“田”也。干寶曰:陽在九二,十二月之時,自臨來也。二為地上,田在地之表,而有人功者也。陽氣將施,聖人將顯,此文王免於羑里之日也。故曰“利見大人”。
九二の爻辞にいう。龍が田に現れ、大人を見るに利あり。王弼にいう。龍は潜伏を出て隠を離れたから「見龍」という。地上に処るから「在田」という。この爻は徳沢の施しが周く普く、下卦の中に居り偏らない。君位ではないが人君の徳を備えている。初九は徳がまだ顕れず、九三は終日戒懼し、九四は進退に猶疑し、上九は亢極に過ぎる。六爻のうち真に「利見大人」なのは二・五の二爻だけである。鄭玄は三才の分位に依って説明する。二爻は地道に属し、地上が田だから「田」と称する。干宝はなお卦気と史事に従っていう。陽気が九二に行きあたるのは十二月にあたり、《臨》卦から来たものである。二爻は地上を表し、田は地の表にあって人力の耕作する所である。陽気がまさに施されようとし、聖人がまさに顕れようとする。この爻は文王が赦されて羑里を出た日で、だから「利見大人」という。
九三:君子終日乾乾,夕惕,若厲,無咎。鄭玄曰:三於三才為人道。有乾德而在人道,君子之象。虞翻曰:謂陽息至三,二變成離。離為日,坤為夕。荀爽曰:日以喻君。謂三居下體之終,而為之君,承乾行乾,故曰“乾乾”。夕惕以喻臣。謂三臣於五,則疾修柔順,危去陽行,故曰“無咎”。
九三の爻辞にいう。君子は終日勤勉して怠らず、夕方になってもなお警惕し、危険があるかのようであれば、咎がない。鄭玄は三才の分位に依っていう。三爻は人道に属する。乾の剛健の徳を備えて人道の位に処るのは君子の象である。虞翻は陽息と爻変に依って説明する。陽気が消息して第三爻に生長すると、このとき二爻が変じて下体が《離》を成す。《離》は日であり《坤》は夕であるから、爻辞に「終日」「夕惕」の文がある。荀爽は乾升坤降の説を用いる。日は君主に喩え、三爻は下体の終わりに居りて下体の君となり、乾を承け乾を行うから「乾乾」という。「夕惕」は臣子に喩え、三爻は九五に対して臣だから、急いで柔順を修め、危険な剛亢の行いを去らねばならない。だから「无咎」という。
干寶曰:爻以氣表,繇以龍興,嫌其不關人事,故著君子焉。陽在九三,正月之時,自泰來也。陽氣始出地上,而接動物。人為靈,故以人事成天地之功者,在於此爻焉。故君子以之憂深思遠,乾夕匪懈。仰憂嘉會之不序,俯懼義和之不逮。反覆天道,謀始反終。故曰“終日乾乾”。此蓋文王反國大理其政之日也。凡無咎者,憂中之喜,善補過者也。文恨早耀,文明之德,以蒙大難,增修柔順,以懷多福,故曰“無咎”矣。
干宝にいう。爻は陰陽の気で表され、卦爻辞はまた龍を借りて興す。読者が人事と関わりないと思うのを恐れ、わざわざ「君子」を標したのである。陽気が九三に行きあたるのは正月にあたり、《泰》卦から来たものである。このとき陽気が初めて地上に出て、動く生物に接する。人は万物の霊だから、人事をもって天地の功を成すのがこの爻に当たる。ゆえに君子はこれによって憂い深く思い遠く、朝夕怠らない。仰いでは嘉い会合が序ならぬを憂え、俯しては暦を司る羲和の官が天時に及ばぬを懼れる。天道を反復して推窮し、始めを謀り終わりを顧る。だから「終日乾乾」という。これは文王が本国に帰り大いに政事を治めたときのことである。おおよそ「无咎」というのは、憂患の中に喜びを含み、よく過ちを補うことである。文王は自らの光輝が早く顕れすぎたを悔い、文明の徳のために大難を蒙ったので、いっそう柔順を修めて多くの福を招こうとした。だから「无咎」という。
九四:或躍在淵,無咎。崔覲曰:言君子進德修業,欲及於時。猶龍自試躍天,疑而處淵。上下進退,非邪離群。故“無咎”。干寶曰:陽在九四,二月之時,自大壯來也。四虛中也。躍者,暫起之言,既不安於地,而未能飛於天也。四,以初為應。淵,謂初九甲子,龍之所由升也。或之者,疑之也。此武王舉兵孟津,觀釁而退之爻也。守柔順,則逆天人之應;通權道,則違經常之教。故聖人不得已而為之,故其辭疑矣。
九四の爻辞にいう。あるいは躍り、あるいはなお淵に在り、咎なし。崔覗にいう。これは君子が徳を進め業を修め、時に及ぼうと欲するを説く。龍がみずから試みて天に躍ろうとし、疑って淵に退き処るようなものである。上下往来・進退の斟酌は、邪道を行き群れを離れるのではないから「无咎」である。干宝はなお卦気・納甲と史事を合わせて説を立てる。陽気が九四に行きあたるのは二月にあたり、《大壮》卦から来たものである。四爻は上体の下に処り中が虚である。「躍」はしばらく起ち上がることで、地に安んじず、また天に飛ぶに能わない。四爻は初爻をもって応爻とし、「淵」は初九甲子を指し、それは龍の昇る由るところである。「或」は疑って未定のこと。この爻は武王が孟津で兵を挙げ会盟し、機を観て兵を退いた姿である。ひたすら柔順を守れば天人の応に逆らい、権変に通じれば常道の教えに背く。だから聖人も已むを得ずこれを為したので、爻辞の語気もまた遅疑を帯びている。
九五:飛龍在天,利見大人。鄭玄曰:五於三才為天道。天者,清明無形,而龍在焉,飛之象也。虞翻曰:謂四已變,則五體離。離為飛,五在天,故“飛龍在天,利見大人”也。謂若庖犧觀象於天,造作八卦,備物致用,以利天下,故曰“飛龍在天”。天下之所利見也。干寶曰:陽在九五,三月之時,自夬來也。五在天位,故曰“飛龍”。此武王克紂正位之爻也。聖功既就,萬物既睹,故曰“利見大人”矣。
九五の爻辞にいう。飛ぶ龍が天に在り、大人を見るに利あり。鄭玄は三才の分位に依っていう。五爻は天道に属する。天は清明にして形体なく、龍がその中を飛行する、これが「飛」の物象である。虞翻は爻変に依って説明する。九四がすでに変じて陰爻となれば、上体は《離》を成す。《離》は飛であり、五はまた天位に居るから「飛龍在天,利見大人」という。これは伏羲が仰いで天象を観、八卦を作り、器物を備え用を致して天下を利するようなものだから「飛龍在天」という。天下の人々は皆彼を見て利を得る。干宝は卦気と史事に従っていう。陽気が九五に行きあたるのは三月にあたり、《夬》卦から来たものである。五は天子の位に居るから「飛龍」という。この爻は武王が商の紂を克ち天子の位に正した姿である。聖人の功業すでに成り、万物みな瞻仰を得る。だから「利見大人」という。
上九:亢龍有悔。王肅曰:窮高曰亢。知進忘退,故“悔”也。干寶曰:陽在上九,四月之時也。亢,過也。乾體既備,上位既終。天之鼓物,寒暑相報;聖人治世,威德和濟;武功既成,義在止戈。盈而不反,必陷於“悔”。案:以人事明之,若桀放於南巢,湯有慚德,斯類是也。
上九の爻辞にいう。昇りすぎた龍は悔いあり。王粛にいう。高きに窮まるを「亢」という。進を知り退を忘れるから「悔」がある。干宝にいう。陽気が上九に行きあたるのは四月にあたる。「亢」は過度である。乾卦の六爻の体すでに備わり、上位すでに終わる。天が万物を鼓動するは寒暑が交代し報い、聖人が天下を治めるは威と徳とを和らげ済わす。武功すでに成れば、義は干戈を止めるに在り。盈ち満ちて返るを知らなければ必ず「悔」に陥る。李鼎祚の案語にいう。人事をもってこれを明かせば、夏の桀が南巢に放逐され、殷の湯がこれによって慙れの徳を懐いた類である。
用九:見群龍無首,吉。劉瓛曰:總六爻純陽之義,故曰“用九”也。王弼曰:九,天之德也。能用天德,乃見群龍之義焉。夫以剛健而居人之首,則物之所不與也。以柔順而為不正,則佞邪之道也。故乾吉在無首,坤利在永貞矣。
用九の辞にいう。群れの龍が現れ、いずれも首領と自らせず、吉。劉瓛にいう。これは六爻純陽の義理を総括するから「用九」と称する。王弼にいう。九は天の徳性で、天徳を運用できてこそ群龍の意義が見える。剛健猛をもって衆人の首に居るのは衆人の戴かぬところであり、ひたすら柔順にして正を守れなければ諂佞邪僻の道となる。だから乾卦の吉は首とならざるにあり、坤卦の利は永く正を守るに在る。
彖曰:劉瓛曰:彖者,斷也,斷一卦之才也。大哉乾元,《九家易》曰:陽稱大。六爻純陽,故曰“大”。乾者純陽,眾卦所生,天之象也。觀乾之始,以知天德,惟天為大,惟乾則之,故曰“大哉”。元者,氣之始也。
《彖伝》にいう――劉瓛はまず篇名を説く。「彖」とは断定で、一卦の材質を断定するものである。《彖伝》の冒頭にいう。大いなるかな乾元。《九家易》の説明では、陽を「大」と称し、乾卦の六爻は純陽だから「大」という。乾は純陽にして衆卦の出ずるところであり、また天の物象である。乾のはじめを観れば天の徳性を知ることができる。天のみ大にして、乾のみこれに法る能くすればこそ「大哉」と讃嘆するのである。「元」は気のはじめである。
萬物資始,荀爽曰:謂分為六十四卦,萬一千五百二十冊,皆受始於乾也。冊取始於乾,猶萬物之生稟於天。乃統天。《九家易》曰:乾之為德,乃統繼天道,與天合化也。雲行雨施,品物流形。虞翻曰:已成既濟,上坎為雲,下坎為雨,故“雲行雨施”。乾以雲雨,流坤之形,萬物化成,故曰“品物流形”也。
《彖伝》にいう。万物は乾元によって始まる。荀爽は筮法から説く。蓍策は六十四卦に分れて計一万千五百二十策あり、皆乾からはじめを受ける。策数が乾をもって始とするのは、万物の生成が天に禀受するようなものである。《彖伝》にいう。乾は天道を統領する。《九家易》にいう。乾の徳性はまさに天道を統摄承継し、天と合して化育する。《彖伝》にいう。雲気流れ行き、雨施し降りて、万物流布して形を成す。虞翻は卦変に依って説明する。乾坤交易してすでに《既済》を成し、そのうち上体の坎象を雲とし、下体の坎象を雨とすればこそ「雲行雨施」という。乾は雲雨を用いて潤し、坤の形体を流布せしめ、万物これにより化育生成するから「品物流形」という。
大明終始,荀爽曰:乾起坎,而終於離。坤起於離,而終於坎。離坎者,乾坤之家,而陰陽之府,故曰“大明終始”也。六位時成,荀爽曰:六爻隨時而成乾。時乘六龍以御天。侯果曰:大明,日也。六位,天地四時也。六爻效彼而作也。大明以晝夜為終始,六位以相揭為時成。言乾乘六氣而陶冶變化,運四時而統御天地,故曰“時乘六龍以御天”也。故《乾鑿度》曰:“日月終始萬物”,是其義也。
《彖伝》にいう。太陽の光明は終始を貫く。荀爽にいう。乾は坎に始まりて離に終わり、坤は離に始まりて坎に終わる。離と坎は乾坤の帰宿にして、また陰陽の府庫であるから「大明終始」という。《彖伝》にいう。六爻の位次は時序に依って成る。荀爽にいう。六爻は時序に随って乾道を成就する。《彖伝》にいう。時に六龍を駕して天道を御す。侯果の説明では、「大明」は太陽を指し、「六位」は天地と四時を指し、六爻はこれらを効法して作られたものである。太陽は昼夜をもって終始とし、六位は相次いで推すをもって時成とす。これは乾が六気に乗って陶冶変化し、四時を運転して天地を統御するを説く。だから「時乘六龍以御天」という。ゆえに《乾鑿度》に「日月は万物に終始あらしむ」というのはこの意である。
乾道變化,各正性命。保合大和,乃利貞。首出庶物,萬國咸寧。劉瓛曰:陽氣為萬物之所始,故曰“首出庶物”。立君而天下皆寧,故曰“萬國咸寧”也。《象》曰:案:象者,象也,取其法象卦爻之德。天行健,何妥曰:天體不健,能行之德健也。猶如地體不順,承弱之勢順也。所以乾卦獨變名為健者。宋衷曰:晝夜不懈,以健詳其名。餘卦各當名,不假於詳矣。
《彖伝》にいう。乾道の運行変化は万物をしておのおの本性と命分を正せしめ、太和の気を保ち合して、利あり貞あり。衆物に先んじて出で、万国これにより皆寧し。劉瓛にいう。陽気は万物のはじめの源だから「首出庶物」という。君主を立てて天下皆寧だから「万国咸寧」という。《象伝》にいう――李鼎祚の案語にいう。「象」は象を取るで、卦爻の徳性に効法する意を取るのである。《象伝》にいう。天の運行は剛健である。何妥にいう。天の形体それ自体は健と言うべからず、その運行し能う徳性をこそ健と言う。ちょうど地の形体それ自体は順と言うべからず、その柔弱を載せる勢いをこそ順と言うようなもので、だから六十四卦の中で乾卦のみ別に名を換えて「健」と称す。宋衷は補していう。昼夜運転して懈らぬをもって「健」の字で乾の名義を詳説したのである。其余の各卦は名称それ自体すでに的確だから、更に別の説を作るを要しない。
君子以自強不息。虞翻曰:君子謂三。乾健,故強。天一日一夜過周一度,故自強不息。老子曰:自勝者強。干寶曰:言君子通之於賢也。凡勉強以進德,不必須在位也。故堯舜一日萬機,文王日昃不暇食,仲尼終夜不寢,顏子欲罷不能,自此以下,莫敢淫心舍力。故曰“自強不息”矣。
《象伝》にいう。君子はこれにより自ら奮発して息まない。虞翻にいう。ここに「君子」は九三を指す。乾性は剛健だから「強」と称す。天は一昼一夜に周天一度を超えて運行するから「自強不息」という。《老子》に「自らに勝つ者を強という」という。干宝にいう。これは君子が乾道を賢人に貫通することを説く。おおよそ勉めて徳を進める者は、必ずしもその位に身を居するを要しない。だから堯舜は一日に万件の政務を処理し、文王は日が傾いても食に遑あらず、孔子は夜通し寝ず、顔回は止まろうと欲しても能わなかった。彼ら以下、心を放して労を捨てるを敢えてする者なし。だから「自強不息」という。
潛龍勿用,陽在下也。荀爽曰:氣微位卑,雖有陽德,潛藏在下,故曰“勿用”也。見龍在田,德施普也。荀爽曰:見者,見居其位。田,謂坤也。二當升坤五。故曰“見龍在田”。大人,謂天子。見據尊位,臨長群陰,德施於下,故曰“德施普也”。終日乾乾,反復道也。虞翻曰:至三體復,故“反復道”,謂否泰反其類也。
《象伝》にいう。潜龍勿用は、陽気がまだ下に在ればこそ。荀爽にいう。気なお微弱にして位次また卑下、陽徳を備えながら下に潜む。だから「勿用」という。《象伝》にいう。見龍在田は、徳沢の施布が普遍なればこそ。荀爽はなお乾升坤降の説を用いる。「見」は顕現してその位に据わること、「田」は坤を指し、九二は坤の五位に昇るべきだから「見龍在田」という。「大人」は天子を指し、顕現して尊位に居り、君臨して衆陰爻を統率し、徳沢を下に施すから「徳施普也」という。《象伝》にいう。終日乾乾は、正道を反復して行えばこそ。虞翻にいう。陽気が消息して第三爻に至り、下体《復》を成すから「反復道」という。すなわち《否》《泰》両卦が互相反覆して各々その類に帰るである。
或躍在淵,進無咎也。荀爽曰:乾者,君卦。四者,陰位。故上躍居五者,欲下居坤初,求陽之正。地下稱淵也。陽道樂進,故曰“進無咎也”。飛龍在天,大人造也。荀爽曰:飛者,喻無所拘。天者,首事造制。大人造法,見居天位,聖人作為萬物睹,是其義也。亢龍有悔,盈不可久也。《九家易》曰:陽當居五,今乃居上,故曰“盈”也。亢極失位,當下之坤三,故曰“盈不可久”,若太上皇者也。下之坤三,屈為諸侯,故曰“悔”者也。
《象伝》にいう。或躍在淵は、進めば咎なければこそ。荀爽は乾升坤降の説に依る。乾は君卦だが第四位は陰位だから、九四が上に躍りて五位に居るのは、もと其上に居る陰爻を坤の初位に下さしめ、各々陽位の正を求めんとするである。地下を「淵」と称す。陽道は上進を楽しむから「進无咎也」という。《象伝》にいう。飛龍在天は、大人の興作あればこそ。荀爽にいう。「飛」は拘われざるを喩え、「天」は創制の所。大人が法度を創制し、顕現して天位に居るは、まさに「聖人興りて万物瞻仰する」の意に合う。《象伝》にいう。亢龍有悔は、盈満は長く保つべからざればこそ。《九家易》にいう。陽は本来五位に居るべきだが、今は上位に居るから「盈」という。亢極して位を失い、坤の三位に降るべきだから「盈不可久」という。退居した太上皇の如くである。坤三に下って諸侯と屈するから「悔」という。
用九,天德不可為首也。宋衷曰:用九,六位皆九,故曰“見群龍”。純陽則天德也。萬物之始,莫能先之,不可為首。先之者凶,隨之者吉,故曰“無首,吉”。《文言》曰:劉瓛曰:依文而言其理,故曰“文言”。姚信曰:乾坤為門戶。文說乾坤,六十二卦皆放焉。
《象伝》にいう。用九は、天徳は首位に居るべからざればこそ。宋衷にいう。いわゆる用九は六つの爻位が皆九だから「見群龍」という。純陽はすなわち天徳である。それは万物のはじめで、それに先んずること能う者なし。ゆえに首となるべからず。それに先んずるは凶、それに随うは吉だから「无首,吉」という。《文言》にいう――劉瓛は篇名を説く。卦爻の文に依ってその道理を闡明するから「文言」という。姚信にいう。乾坤両卦は《易》の門戸で、《文言》はもっぱら乾坤を解説し、其余の六十二卦はみなこれに照らして類推できる。
元者,善之長也。《九家易》曰:乾者,君卦也。六爻皆當為君,始而大通,君德會合,故元為“善之長也”。亨者,嘉之會也。《九家易》曰:通者,謂陽合而為乾。眾善相繼,故曰“嘉之會也”。利者,義之和也。荀爽曰:陰陽相合,各得其宜,然後利矣。貞者,事之幹也。荀爽曰:陰陽正而位當,則可以乾舉萬事。
《文言》にいう。元は衆善の首長である。《九家易》にいう。乾は君卦で、六爻は皆君と見做すべき、はじまりに大いに通達し、君徳ここに会合するから「元」は「善之長」である。《文言》にいう。亨は美好の会合である。《九家易》にいう。いわゆる「通」は、陽気が会合して乾を成すを指し、衆多の善行が相継いで来るから「嘉之会也」という。《文言》にいう。利は義理の調和である。荀爽にいう。陰陽互いに配合して各々その宜を得、然る後に利と言うべきものあり。《文言》にいう。貞は事を幹とするのである。荀爽にいう。陰陽端正にして爻位相当ならば、万事を主干する可し。
君子體仁,足以長人;何妥曰:此明聖人則天,合五常也。仁為木,木主春,故配元為四德之首。君子體仁,故有長人之義也。嘉會,足以合禮;何妥曰:禮是交接會通之道,故以配通。五禮有吉凶賓軍嘉,故以嘉合於禮也。利物,足以和義;何妥曰:利者,裁成也。君子體此利以利物,足以合於五常之義。貞固,足以幹事。何妥曰:貞,信也。君子貞正,可以委任於事。故《論語》曰:敬事而信,故幹事而配信也。
《文言》にいう。君子が仁徳を体すれば、衆人の長たるに足る。何妥にいう。これは聖人が上天に法り五常に配することを示す。仁は木に属し、木は春季を主るから「元」に配し、四徳の首とする。君子が仁徳を体するゆえに人の長たる義がある。《文言》にいう。美しき会合は、礼に合するに足る。何妥にいう。礼は交接会通の法則だから「亨通」に配する。五礼は吉・凶・賓・軍・嘉に分れるから、「嘉」を取って礼に合する。《文言》にいう。万物をして各々その利を得せしめるは、義を和するに足る。何妥にいう。「利」は裁断成全であり、君子がこの利を体して万物を利すれば、五常の義に合するに足る。《文言》にいう。正固を守るは、事を干するに足る。何妥にいう。「貞」は信であり、君子が正を守れば事を委任する能くす。だから《論語》に「事を執りて敬しくかつ信なり」という。これにより「幹事」を信に配属する。
案:此釋非也。夫在天成象者,乾元、亨、利、貞也。言天運四時,以生成萬物。在地成形者,仁、義、禮、智、信也。言君法五常,以教化於人。元為善長,故能體仁。仁主春生,東方木也。亨為嘉會,足以合禮。禮主夏養,南方火也。利為物宜,足以和義。義主秋成,西方金也。貞為事乾,以配於智。智主冬藏,北方水也。故孔子曰:仁者樂山,智者樂水,則智之明證矣。不言信者,信主土,而統屬於君。故中孚云:信及豚魚,是其義也。若首出庶物,而四時不忒者,乾之象也。厚德載物,而五行相生者,土之功也。土居中宮,分王四季,亦由人君無為皇極,而奄有天下。水火金木,非土不載。仁義禮智,非君不弘。信既統屬於君,故先言乾。而後不言信,明矣。
李鼎祚の案語にいう。何妥が「貞」を信に配するのは当らない。天において物象を成すは乾の元・亨・利・貞で、上天が四時を運行して万物を生成することを説く。地において形体を成すは仁・義・礼・智・信で、君主が五常に効法して人民を教化することを説く。元は衆善の長だから仁を体する能くし、仁は春の生発を主り、東方の木に属す。亨は美しき会合で、礼に合するに足る。礼は夏の長養を主り、南方の火に属す。利は物をして各々その宜を得せしめ、義を和するに足る。義は秋の成熟を主り、西方の金に属す。貞は事の骨幹で、智に配属すべきである。智は冬の収蔵を主り、北方の水に属す。だから孔子に「仁者は山を好み、智者は水を好む」という。これが貞の智に配する明証である。「信」を挙げないのは、信が土を主り、土は君に統属するからである。だから《中孚》卦に「信は豚魚に及ぶ」というのはこの意である。あの衆物に先んじて出でて四時に差錯なからしめるは乾の物象であり、深厚の徳が万物を載せて五行相生不息ならしめるは土の功用である。土は中央の宮に居り、四季に分れて王たる。これも人君が無為をもって皇極の道を立て、もって天下を尽有するに同じ。水火金木は土なくして載する所なく、仁義礼智は君主なくして弘める由なし。信はすでに君に統属するから、先に乾を説き、後文に改めて信を単説せず。その理は明らかである。
君子行此四德者,故曰:乾,元、亨、利、貞。干寶曰:夫純陽,天之精氣。四行,君之懿德。是故乾冠卦首,辭表篇目,明道義之門在於此矣,猶春秋之備五始也。故夫子留意焉。然則體仁正已,所以化物;觀運知時,所以順天;氣用隨宜,所以利民;守正一業,所以定俗也。亂則敗禮其教淫;逆則拂時,其功否;錯則妨用,其事廢;忘則失正,其官敗。四德者,文王所由興。四愆者,商紂所由亡。
《文言》にいう。君子はこの四つの徳を行う。だから「乾,元・亨・利・貞」という。干宝にいう。純陽は上天の精気で、元亨利貞の四つの運行は君主の美徳である。だから乾卦は六十四卦の首に冠し、卦辞を篇目に標挙して、道義の門戸がここに在るを示す。《春秋》に「五始」の例を具えるがごとく、ゆえに孔子はこれに格別留意した。このように見れば、仁徳を体し身を正すは万物を化育するため、運数を観時勢を通ずるは上天に順うため、気用を宜に随って調節するは百姓を利するため、正を守り其の業を一にするは風俗を安んずるため。逆に言えば、紊乱すれば礼制が敗れ教化これに随って淫滥し、違逆すれば時勢に拂い功業これに随って成らず、錯乱すれば施用を妨げ事これに随って荒れ、遺忘すれば正道を失い官守これに随って敗れる。この四つの徳は文王がこれによって興ったもので、この四つの過は商紂がこれによって亡びたものである。
初九曰:潛龍勿用,何謂也?何妥曰:夫子假設疑問也。後五爻皆放此也。子曰:龍德而隱者也。何妥曰:此直答言聖人有隱顯之龍德。今居初九窮下之地,隱而不見,故云“勿用”矣。不易世,崔覲曰:言據當潛之時,不易乎世而行者,龍之德也。不成名。鄭玄曰:當隱之時,以從世俗,不自殊異,無所“成名”也。
《文言》は問を設けていう。初九の爻辞に「潜龍勿用」とは何の謂いか。何妥にいう。これは孔子の設けた疑問で、以下の五爻もみなこの格式に倣う。孔子答えていう。これは龍の徳を有して隠居する人である。何妥にいう。この句は直に答えるもので、聖人は隠るべく顕るべき龍徳を具えるという。今は初九に処り窮居最下の地、隠伏して顕れないから「勿用」という。《文言》にいう。世俗に改められず。崔覗にいう。これはまさに潜蔵すべき時に就いていうので、世俗に随って操守を改易しないはまさに龍の徳性である。《文言》にいう。名を成すを求めず。鄭玄にいう。まさに隠居の時に当り、世俗に随順し、自ら異特を命じないから「成名」と言うに足らない。
遁世無悶,崔覲曰:道雖不行,達理“無悶”也。不見是而無悶。崔覲曰:世人雖不已是,而已知不違道,故“無悶”。樂則行之,憂則違之,虞翻曰:陰出初震,為樂為行,故“樂則行之”。坤死稱憂,隱在坤中,遁世無逆流,故“憂則違之”也。確乎其不可拔,潛龍也。虞翻曰:確,剛貌也。乾剛潛初,坤亂於上。君子弗用,隱在下位。確乎難拔,潛龍之志也。
《文言》にいう。世を避けて隠居して煩悶せず。崔覗にいう。主張は行われなくとも事理に通ずればこそ「不悶」である。《文言》にいう。人に称許されなくとも煩悶せず。崔覗にいう。世人はみずからを認めなくとも、己は正道に違わぬを知るから「不悶」である。《文言》にいう。楽しむべきはこれを行い、憂うべきはこれを避く。虞翻は爻変により象を取って説く。陰爻が退き初爻が《震》を成せば、震は悦楽・行動だから「楽則行之」という。坤は死喪を主り憂と称し、陽は坤の中に隠れ、世を避けて逆流して強争せぬから「憂則違之」という。《文言》にいう。堅定にして拔くべからざる、これが潜龍である。虞翻にいう。「確」は剛強の貌。乾の剛陽は初位に潜伏し、坤陰は上に在りて乱る。君子は用いられず、隠居して下位にあり、堅定にして拔き難し。これぞ潜龍の志である。
九二曰:見龍在田,利見大人,何謂也?子曰:龍德而正中者也。虞翻曰:中下之中,二非陽位,故明言能“正中”也。庸言之信,荀爽曰:處和應坤,故曰“信”。庸行之謹。《九家易》曰:以陽居陰位,故曰“謹”也。庸,常也。謂言常以信,行常以謹矣。閒邪存其誠,宋衷曰:閒,防也。防其邪而存誠焉。二在非其位,故以“閒邪”言之。能處中和,故以“存誠”言之。
《文言》は問を設けていう。九二の爻辞に「見龍在田,利見大人」とは何の謂いか。孔子答えていう。これは龍の徳を有して正しく中に居る人である。虞翻にいう。二はただ下体の中で、本来陽爻の処るべき位ではない。だからわざわざその「正中」能うを点明する。《文言》にいう。平常の言は信を守る。荀爽にいう。九二は和順の地に処りて上に坤体に応ずるから「信」という。《文言》にいう。平常の行は謹を存す。《九家易》にいう。陽爻をもって陰位に居るから「謹」という。「庸」は平常で、言は常に信用を守り、行は常に謹慎を存するを説く。《文言》にいう。邪を防ぎ誠を存す。宋衷にいう。「閑」は防範で、邪を防範して誠心を存する。九二はその処るべき陽位に在らぬから「閑邪」をもってこれを説き、また中和に処る能くするから「存誠」をもってこれを説く。
善世而不伐,《九家易》曰:陽升居五,處中居上,始以美德利天下。不言所利,即是不伐。故老子曰:上德不德,是以有德。此之謂也。德博而化。荀爽曰:處五據坤,故“德博”。群陰順從,故物“化”也。《易》曰:見龍在田,利見大人,君德也。虞翻曰:陽始觸陰,當升五為君。時舍於二,宜利天下。直方而大德,無不利。明言君德,地數始二。故稱“易曰”。
《文言》にいう。善は天下に及びて自ら誇らず。《九家易》は乾升坤降に依る。陽爻上昇して五位に居り、中に処りて上に居れば、初めて美徳をもって天下を利す。自ら施した利を称せざるは誇耀せざるなり。だから《老子》に「上徳は徳と自らせず、これにより真有徳なり」という。《文言》にいう。徳沢は広博にして化育する能くす。荀爽にいう。九二は上に五位に処りて坤体に据るから「徳博」、群陰順従するから万物「化育」を受く。《文言》は《易》を引いていう。見龍在田,利見大人は人君の徳である。虞翻にいう。陽気が初めて陰爻に接し、五位に升って君となるべき、いま暫く二位に留まり、まさに天下を利すべし。坤徳は正直・方正にして広大、利ならざるなし。ここに君徳と明言するは、地数が二から起算するから、特に「《易》曰」を称引する。
九三曰:君子終日乾乾,夕惕若,厲,無咎。何謂也?子曰:君子進德修業。虞翻曰:乾為德,坤為業,以乾通坤,謂為“進德修業”。宋衷曰:業,事也。三為三公,君子處公位,所以“進德修業”也。忠信,所以進德也。翟玄曰:忠於五,所以修德也。崔覲曰:推忠於人,以信待物,故其德日新也。
《文言》は問を設けていう。九三の爻辞に「君子終日乾乾,夕惕若,厲,无咎」とは何の謂いか。孔子答えていう。君子は徳を進め業を修める。虞翻は乾坤両象を取って解く。乾を徳とし坤を業とし、乾をもって坤を貫けば「進徳修業」という。宋衷は職位から説を立てる。「業」は政事である。三爻は三公の位に当り、君子は三公の位に処るから「進徳修業」を要す。《文言》にいう。忠誠守信は徳を進める所以である。翟玄にいう。九三は九五に忠を効すから徳を修養する能くす。崔覗にいう。忠心を他人に推し及ぼし、誠信をもって外物に待せば、徳行日々に新たなり。
修辭立其誠,所以居業也。荀爽曰:修辭謂“終曰乾乾”。立誠,謂“夕惕若厲”。居業,謂“居三”也。翟玄曰:居三修其教令,立共誠信,民敬而從之。知至至之,可與言幾也。翟玄曰:知五可至而“至之”,故可與行幾微之事也。知終終之,可與存義也。姚信曰:知終者,可以知始終。終謂三也。義者,宜也。知存知亡,君子之宜矣。
《文言》にいう。言辞を修飭し誠信を立つるは、功業を守る所以である。荀爽は句ごとに爻を配していう。「修辭」は「終日乾乾」を指し、「立誠」は「夕惕若厲」を指し、「居業」は三位に安居するを指す。翟玄にいう。三位に居りて教令を修明し誠信を立てれば、百姓敬服して従う。《文言》にいう。至るべき所を知りて果たして至る、かかる者とともに幾微の事を語る可し。翟玄にいう。五位に至るべきを知りて果たして至るを行えば、彼と幾微の事を為す可し。《文言》にいう。終わるべき所を知りて果たして終わる、かかる者とともに義理を保守する可し。姚信にいう。「終」を知る者は始と終に通ずる。ここに「終」は三位を指す。「義」は合宜で、何れを存すべきか何れを亡すべきかを知るはまさに君子の合宜である。
崔覲曰:君子,喻文王也。言文王進德修業,所以貽厥武王,至於九五。至於九五,可與進修意合,故言“知至至之”,可與言微也。知天下歸周,三分有二,以服事殷,終於臣道。終於臣道,可與進修意合,故言“知終終之,可與存義”。是故居上位而不驕。虞翻曰:天道三才。一乾而以至三乾成,故為“上”。“夕惕若厲”,故“不驕”也。在下位而不憂。虞翻曰:“下位”謂初。隱於初,憂則違之,故“不憂”。
崔覗は史事をもってこの二句を解く。ここに「君子」は文王に喩う。文王が徳を進め業を修め、これにより基業を武王に伝え、九五の尊に登るに至るを説く。九五に至るは進徳修業の意旨に合するから「知至至之」といい、彼と幾微を語る可し。文王は天下の心が周に帰し三分天下の二を有すると明らかに知りながら、なお殷商に服事し臣道を終守した。臣道を終守するもまた進徳修業の意旨に合するから「知終終之,可与存義」という。《文言》にいう。これにより上位に居りて驕らず。虞翻にいう。天道は三才に分れ、初爻の乾から一路第三爻に至って乾体乃ち成るから、三は「上」と算す。「夕惕若厲」なるがゆえに「不驕」。《文言》にいう。下位に処りて憂えず。虞翻にいう。「下位」は初爻を指す。初に隠居し、憂に遇えば避けるから「不憂」。
故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。王弼曰:惕,怵惕也。處事之極,失時敗廢,懈怠則曠。故“乾乾因其時而惕,雖危無咎”。九四曰:或躍在淵,無咎,何謂也?子曰:上下無常,非為邪也。荀爽曰:乾者,君卦。四者,臣位也。故欲上躍。居五下者,當下居坤初,得陽正位。故曰:“上下無常,非為邪也”。進退無恆,非離群也。荀爽曰:進,謂居五。退,謂居初。故“進退無恆,非離群也”。
《文言》にいう。だから終日勤勉し時に随って警惕すれば、危あれど咎なし。王弼にいう。「惕」は戒懼である。事の極に処り、時機を失せば敗壊廃弛し、一たび懈怠すれば荒疏する。だから「乾乾として其の時に因りて惕み、危あれど咎なし」。《文言》は問を設けていう。九四の爻辞に「或躍在淵,无咎」とは何の謂いか。孔子答えていう。上下往来に定準なく、邪路を行くに非ず。荀爽は乾升坤降に依る。乾は君卦で第四位は臣位だから、九四は上に躍升せんと欲す。もと五位の下に居る陰爻は坤の初位に降るべく、各々陽位の正を得るから「上下無常,非為邪也」という。《文言》にいう。進退に常規なく、同類を離るるに非ず。荀爽にいう。「進」は五位に升るを指し、「退」は初位に降るを指すから「進退無恒,非離群也」という。
君子進德修業,欲及時也,故無咎。崔覲曰:至公欲及時濟人,故“無咎”也。九五曰:飛龍在天,利見大人,何謂也?子曰:同聲相應。虞翻曰:謂震巽也。庖犧觀變而放八卦,雷風相薄,故“相應”也。張璠曰:天者,陽也。君者,陽也。雷風者,天之聲。號令者,君之聲。明君與天地相應,合德同化,動靜不違也。同氣相求。虞翻曰:謂艮兌山澤通氣,故“相求”也。崔覲曰:方諸與月,同有陰氣,相感則水生。陽燧與日,同有陽氣,相感則火出也。
《文言》にいう。君子は徳を進め業を修めるは時に及ばんと欲するが故、咎なし。崔覗にいう。至公の心を懐きて時に人を救わんと欲すればこそ「无咎」。《文言》は問を設けていう。九五の爻辞に「飛龍在天,利見大人」とは何の謂いか。孔子答えていう。同類の声は互いに応和す。虞翻は八卦の象を取っていう。これは震と巽を指す。伏羲は万物の変化を観て八卦を推演し、雷と風は互いに迫薄するから「相応」という。張璠は君道から説を立てる。天は陽に属し、君もまた陽に属す。雷風は上天の声で、号令は君主の声である。明君と天地とが互いに応和し、徳性契合・化育相同じく、一動一静皆違逆せざるが見える。《文言》にいう。同類の気は互いに求む。虞翻にいう。これは艮と兌を指し、山沢の気相通ずるから「相求」という。崔覗は実物を挙げて証とす。方諸と月は同じく陰気を具え、互いに感応すれば水を凝らし出す。陽燧と太陽は同じく陽気を具え、互いに感応すれば火を取り出す。
水流溼,荀爽曰:陽動之坤而為坎,坤者純陰,故曰“溼”也。火就燥。荀爽曰:陰動之乾而成離,乾者純陽,故曰:“燥”也。虞翻曰:離上而坎下,水火不相射。崔覲曰:決水先流溼,然火先就燥。雲從龍,荀爽曰:龍,喻王者。謂乾二之坤五為坎也。虞翻曰:乾為龍,雲生天,故“從龍”也。風從虎。荀爽曰:虎,喻國君。謂坤五之乾二為巽,而從三也。三者,下體之君,故以喻國君。虞翻曰:坤為虎,風生地,故“從虎”也。
《文言》にいう。水は湿る所に流る。荀爽は乾升坤降に依る。陽爻動きて坤に入れば坎を成し、坤は純陰だから「湿」という。《文言》にいう。火は燥く物に向かう。荀爽にいう。陰爻動きて乾に入れば離を成し、乾は純陽だから「燥」という。虞翻にいう。離は上に在り坎は下に在り、水火互いに害せず。崔覗は常理からいう。水口を決きれば水はまず低湿の所に流れ、火を点ければ火はまず燥く物に向かう。《文言》にいう。雲は龍に従う。荀爽にいう。龍は君王に喩え、乾の九二が坤の五位に上って坎を成すを指す。虞翻にいう。乾は龍で、雲は天に生ずるから「従龍」という。《文言》にいう。風は虎に従う。荀爽にいう。虎は国君に喩え、坤の六五が乾の二位に下って巽を成し、これにより三爻に順うを指す。三は下体の君だからこれをもって国君に喩う。虞翻にいう。坤は虎で、風は地に生ずるから「従虎」という。
聖人作而萬物睹。虞翻曰:睹,見也。聖人則庖犧,合德乾五,造作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。五動成離,日出照物皆相見,故曰“聖人作而萬物睹”也。陸績曰:陽氣至五,萬物茂盛,故譬以聖人在天子之位,功成制作,萬物咸見之矣。
《文言》にいう。聖人興りて万物皆瞻仰す。虞翻にいう。「睹」は見ること。この聖人は伏羲に法り、徳性は乾の九五に契合し、八卦を創作して神明の徳性を会通し、万物の実情を比類する。九五が変動すれば上体《離》を成し、太陽升りて万物を照らせば万物皆互いに見える。だから「聖人作而萬物睹」という。陸績は卦気から説を立てる。陽気が五位に上りて万物茂るから、聖人の天子の位に居るを取って比とす。功業すでに成り制作すでに立てば、万物皆彼を瞻仰す。
本乎天者親上,荀爽曰:謂乾九二,本出於乾,故曰“本乎天”。而居坤五,故曰“親上”。本乎地者親下,荀爽曰:謂坤六五,本出於坤,故曰:“本乎地”。降居乾二,故曰“親下”也。崔覲曰:謂動物親於天之動,植物親於地之靜。則各從其類也。虞翻曰:“方以類聚,物以群分”。“乾道變化,各正性命”。“觸類而長”,故“各從其類”。
《文言》にいう。天に本づくは上に親しむ。荀爽は乾升坤降に依る。これは乾の九二を指し、本は乾から出づるから「本乎天」という。而上に坤の五位に居るから「親上」という。《文言》にいう。地に本づくは下に親しむ。荀爽にいう。これは坤の六五を指し、本は坤から出づるから「本乎地」という。而下に乾の二位に居るから「親下」という。崔覗は物性からいう。動物は天の運動に親附し、植物は地の静止に親附す。《文言》にいう。万物は各々その類に従う。虞翻は経文を連引して解く。「方は類を以て聚まり、物は群を以て分かる」「乾道変化して万物各々性命を正す」「類に触れて推しこれを長ぜしむ」。だから「各従其類」という。
上九曰:亢龍有悔,何謂也?子曰:貴而無位,荀爽曰:在上,故“貴”。失正,故“無位”。高而無民,何妥曰:既不處九五帝王之位,故“無民”也。夫率土之濱,莫非王臣。既非王位,則民不隸屬也。賢人在下位,荀爽曰:謂上應三,三陽德正,故曰“賢人”。別體在下,故曰“在下位”。而無輔,荀爽曰:兩陽無應,故“無輔”。是以動而有悔也。荀爽曰:升極當降,故有“悔”。
《文言》は問を設けていう。上九の爻辞に「亢龍有悔」とは何の謂いか。孔子答えていう。地位尊貴にして実位なし。荀爽にいう。最上に処るから「貴」、正位を失うから「无位」。《文言》にいう。居処崇高にして百姓なし。何妥にいう。すでに九五帝王の位に処らざればこそ「无民」。普天の下、王の臣民ならぬはなく、王位に居らざれば百姓は彼に隷属せず。《文言》にいう。賢人は下位に処る。荀爽にいう。これは上九と九三の相応するを指し、三爻の陽徳端正だから「賢人」と称す。三は別に下体に属すから「在下位」という。《文言》にいう。而して輔助を得ず。荀爽にいう。上九と九三は同じく陽爻で相応せざるから「无輔」。《文言》にいう。これにより一たび動きあれば悔恨を生ず。荀爽にいう。極に升れば降るべきだから「悔」あり。
潛龍勿用,下也。何妥曰:此第二章,以人事明之。當帝舜耕漁之日,卑賤處下,未為時用,故云“下”。見龍在田,時舍也。何妥曰:此夫子洙泗之日,開張業藝,教授門徒,自非通舍,孰能如此。虞翻曰:二非王位,時暫“舍”也。終日乾乾,行事也。何妥曰:此當文王為西伯之時,處人臣之極,必須事上接下,故言“行事”也。或躍在淵,自試也。何妥曰:欲進其道,猶復疑惑。此當武王觀兵之日,欲以試觀物情也。
《文言》にいう。潜龍勿用は下位に処ればこそ。何妥にいう。これは《文言》第二章で、人事をもって説明する。虞舜が田を耕し魚を捕った日に当り、身分卑賤にして下位に処り、まだ時世に用いられず。だから「下」という。《文言》にいう。見龍在田は暫く留まる。何妥にいう。これは孔子が洙泗の間に学を講じた日に当り、六芸の教を開き門徒に教えた。通達にして暫くここに居る人でなければ誰が能くせん。虞翻は爻位からいう。二は王位に非ず、ただ一時の「停留」にすぎない。《文言》にいう。終日乾乾は事を勤め行う。何妥にいう。これは文王が西伯を為した時に当り、人臣の頂点に処りて、上君王に事え下群下に接せねばならぬから「行事」という。《文言》にいう。或躍在淵は自ら試みる。何妥にいう。己の主張を行わんと欲してなお疑慮あり。これは武王が孟津に兵を観た日に当り、これにより人心の向背を試みんとした。
飛龍在天,上治也。何妥曰:此當堯、舜冕旒之日,以聖德而居高位,在上而治民也。亢龍有悔,窮之災也。案:此當桀、紂失位之時。亢極驕盈,故致悔恨窮斃之災禍也。乾元用九,天下治也。案:此當三皇五帝禮讓之時。垂拱無為,而天下治矣。
《文言》にいう。飛龍在天は上位に在りて治を施す。何妥にいう。これは堯・舜が冕旒を頂いた日に当り、聖徳をもって高位に居り、上に在りて百姓を治む。《文言》にいう。亢龍有悔は窮極の招く災禍。李鼎祚の案語にいう。これは夏桀・商紂の位を失った時に当り、亢極驕盈だから悔恨と窮困斃亡の災を招く。《文言》にいう。乾元用九は天下治まる。李鼎祚の案語にいう。これは三皇五帝の禮讓の時代に当り、衣を垂れ手を拱き無為にして治め、天下おのずから大治す。
王弼曰:此一章全以人事明之也。九,陽也。陽,剛直之物也。夫能全用剛直,放遠善柔,非天下之至治,未之能也。故“乾元用九”,則“正下治也”。夫識物之動,則其所以然之理,皆可知也。龍之為德,不為妄者也。潛而勿用乎?必窮處於下也。見而在田,必以時之通舍也。以爻為人,以位為時,人不妄動,則時皆可知也。文王明夷,則主可知矣。仲尼旅人,則國可知矣。
王弼はこの章を総論していう。この章は全く人事をもって説明する。九は陽で、陽は剛強正直の物である。剛直を完全に運用し、ひたすら柔媚に取容る作風を摒棄疏遠する能くするは、天下極治の世に非ざれば能わざる所。だから「乾元用九」にしてこそ天下の治を得る。およそ物の動向を識別する能くすれば、その然る所以の理は皆推知する可し。龍の徳性は妄動せざるなり。それ潜伏して施用せざるか。必ず窮居して下位に在る。それ顕現して田野に在れば、必ず時勢に因りて暫くその位に居る。爻を人と看、位を時と看れば、人妄動せず時勢は皆推知する可し。文王が《明夷》の世に身を処せば、その時の君主如何は想い見る可し。孔子が羈旅の人に淪れば、その国家如何は想い見る可し。
潛龍勿用,陽氣潛藏。何妥曰:此第三章,以天道明之。當十一月,陽氣雖動,猶在地中,故曰“潛龍”也。見龍在田,天下文明。案:陽氣上達於地,故曰“見龍在田”。百草萌牙孚甲,故曰“文明”。
《文言》にいう。潜龍勿用は陽気まだ潜蔵すればこそ。何妥にいう。これは《文言》第三章で、天道をもって説明する。十一月に当り、陽気すでに萌動したれどなお地中に在るから「潜龍」という。《文言》にいう。見龍在田は天下文采光明を煥す。李鼎祚の案語にいう。陽気上昇して地面に抵るから「見龍在田」という。百草萌芽し殻を脹破して出づるから「文明」という。
孔穎達曰:先儒以為九二當太蔟之月,陽氣見地。則九三為建辰之月,九四為建午之月,九五為建申之月,上九為建戌之月,群陰既盛,上九不得言與時偕極。先儒此說,於理稍乖。此乾之陽氣漸生,似聖人漸進,宜據十一月之後,建巳之月已來。此九二爻當建丑建寅之間,於時地之萌牙物有生者,即是陽氣發見之義也。但陰陽二氣,共成歲功。故陰興之時,仍有陽在;陽生之月,尚有陰氣。所以六律六呂,陰陽相關,取象論義,與此不殊也。
孔穎達は前人の月建を爻に配した旧説を弁析する。先儒は九二を太蔟の月すなわち正月に当て、陽気が地面に顕現すとした。これにより推排すれば九三は建辰の月、九四は建午の月、九五は建申の月、上九は建戌の月となる。しかし建戌に至れば群陰すでに盛んで、上九は「与時偕極」と言う能わず。だから先儒のこの説は理にやや偏差あり。乾卦が説くは陽気の漸次生長で、聖人の歩々上進に喩うべく、十一月以後から建巳の月に至るまで算すべし。これにより九二一爻はまさに建丑と建寅の間に当り、その時地上草木萌芽し万物に生発の象あり、まさに陽気顕現の意である。ただ陰陽二気は共に一年の功を成すもので、陰気興盛の時もなお陽気存在し、陽気生発の月もなお陰気を留む。ゆえに六律六呂は陰陽交錯して相関し、象を取り義を論ずるはここと異ならず。
終日乾乾,與時偕行。何妥曰:此當三月。陽氣浸長,萬物將盛,與天之運俱行不息也。或躍在淵,乾道乃革。何妥曰:此當五月。微陰初起,陽將改變,故云“乃革”也。飛龍在天,乃位乎天德。何妥曰:此當七月。萬物盛長,天功大成,故云“天德”也。亢龍有悔,與時偕極。何妥曰:此當九月。陽氣大衰,向將極盡,故云“偕極”也。
《文言》にいう。終日乾乾は時とともに進む。何妥は月份を爻に配していう。三月に当り、陽気漸々増長し万物まさに茂らんとし、上天の運行とともに推進して止まず。《文言》にいう。或躍在淵は乾道ここに変革す。何妥にいう。五月に当り、微弱の陰気初めて起り、陽気まさに転変せんとす。だから「乃革」という。《文言》にいう。飛龍在天はここに天徳の位に居る。何妥にいう。七月に当り、万物盛大に生長し上天の功用大成す。だから「天徳」という。《文言》にいう。亢龍有悔は時とともに尽く。何妥にいう。九月に当り、陽気大いに衰減し、まさに尽きんとす。だから「偕極」という。
乾元用九,乃見天則。何妥曰:陽消,天氣之常。天象法則,自然可見。王弼曰:此一章全說天氣以明之也。九,剛直之物,唯乾體能用之。用純剛以觀天,天則可見矣。乾元者,始而亨者也。虞翻曰:乾始開通,以陽通陰,故始通。
《文言》にいう。乾元用九は、ここに天の法則を顕現す。何妥にいう。陽気の消退はもと天気の常態で、天象の示す法則は自ずから見る可し。王弼は総論していう。この章は全く天気をもって説明する。九は剛直の物で、乾体のみがこれを運用する能くす。純剛の道をもって天を観れば、天の法則は見る可し。《文言》にいう。いわゆる乾元は、開創して通達する。虞翻にいう。乾は初めに開辟通達し、陽をもって陰を貫通するから「始通」という。
利貞者,性情也。干寶曰:以施化利萬物之性,以純一正萬物之情。王弼曰:不為乾元,何能通物之始。不性其情,何能久行其正。是故始而亨者,必乾元也。利而正者,必性情也。乾始而以美利利天下,虞翻曰:美利謂雲行雨施,品物流形,故“利天下”也。不言所利,大矣哉!虞翻曰:天何言哉!四時行焉,百物生焉,故利者大也。
《文言》にいう。いわゆる利・貞は、万物の性と情を説く。干宝にいう。施化をもって万物の本性を利し、純一をもって万物の情実を正す。王弼にいう。乾元に非ざれば何によりて万物のはじめに通ぜん。情を性に返帰せしめざれば、何によりてその中正を長く保たん。だから開創して通達するは必ず乾元であり、利あり中正なるは必ず性情である。《文言》にいう。乾は初めから美善の利をもって天下を利す。虞翻にいう。「美利」は《彖伝》のいう雲気流行・雨水施降・万物流布成形だから「利天下」という。《文言》にいう。而して自ら施した利を称せず、実に大いなるかな。虞翻は孔子の言を引く。上天は何かを言ったか。四時は依然として運行し、百物は依然として生長す。だからその利は大と称するに足る。
大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。崔覲曰:不雜曰純,不變曰粹。言乾是純粹之精,故有剛、健、中、正之四德也。六爻發揮,旁通情也。陸績曰:乾六爻發揮變動,旁通於坤;坤來入乾,以成六十四卦,故曰“旁通情也”。時乘六龍,《九家易》曰:謂時之元氣,以王而行,履涉眾爻,是“乘六龍”也。以御天也。荀爽曰:御者,行也。陽升陰降,天道行也。
《文言》にいう。大いなるかな乾。剛強・健猛・居中・守正、これ純粋の精気である。崔覗は字義を訓釈する。駁雑せざるを「純」といい、変易せざるを「粹」という。乾は純粋の精気だから剛・健・中・正の四徳を備えるを説く。《文言》にいう。六爻は発揮変化し、旁通して万物の情に通ず。陸績は旁通の説に依って解く。乾の六爻が発揮変動して坤と旁通し、坤はまた反って乾に交入し、これにより六十四卦を生成す。だから「旁通情也」という。《文言》にいう。時に六龍を駕す。《九家易》にいう。これはその時の元気を説き、主宰の勢いをもって運行し、各爻を歴遍す。これが「乗六龍」である。《文言》にいう。もって天道を駕御す。荀爽にいう。「御」は運行で、陽升陰降はまさに天道の運行である。
雲行雨施,天下平也。荀爽曰:乾升於坤,曰“雲行”。坤降於乾,曰“雨施”。乾坤二卦,成雨既濟。陰陽和均,和而其正,故曰“天下平”。君子以成德為行,干寶曰:君子之行,動靜可觀,進退可度,動以成德,無所苟行也。日可見之行也。虞翻曰:謂初。乾稱君子。陽出成為上德,雲行雨施則成離,日新之謂上德,故“日可見之行”。
《文言》にいう。雲気流行し雨水施降して、天下太平。荀爽は乾升坤降に依って説く。乾が升りて坤に入るを「雲行」といい、坤が降りて乾に入るを「雨施」という。乾坤両卦がかくのごとく交易して雨を成し《既済》と為り、陰陽調和均平にして和順に各々その正を得るから「天下平」という。《文言》にいう。君子は徳性の成就を行事の準則とす。干宝にいう。君子の行いは動静皆人の観瞻に供し、進退皆法度循う可きあり。一挙一動皆徳性の成就を為し、苟且の作為なし。《文言》にいう。これは日々見る可き行いである。虞翻にいう。これは初爻を指す。乾は君子と称し、陽気発出して上徳を成就す。雲行雨施すれば《離》を成し、日々更新するを上徳という。だから「日可見之行」という。
潛之為言也,隱而未見,行而未成,是以君子弗用也。荀爽曰:“隱而未見”,謂居初也,“行而未成”,謂行之坤四。陽居陰位,未成為君。乾者,君卦也。不成為君,故不用也。君子學以聚之,問以辯之,虞翻曰:謂二。陽在二。兌在口;震為言,為講論;坤為文,故“學以聚之,問以辯之”。兌象,君子以朋友講習。
《文言》にいう。いわゆる「潜」は、隠伏して未だ顕れず、行事して未だ成らず。これにより君子は暫く施用せず。荀爽は句ごとに爻を配していう。「隠而未見」は初位に居るを指し、「行而未成」は前行して坤の四位に至るを指す。陽爻が陰位に居りて、なお君主と成る能わず。乾は君卦で、君を成す能わざれば施用せず。《文言》にいう。君子は学びをもって学識を積聚し、問うをもって是非を弁別す。虞翻は取象に依って説を立てる。これは九二を指す。陽は二位に在り、兌は口、震は言語・講論、坤は文章である。だから「学以聚之,問以辯之」といい、また兌卦《象伝》のいう「君子以朋友講習」に正しく合う。
寬以居之,仁以行之。虞翻曰:震為寬,仁為行,謂居寬行仁,德博而化也。《易》曰:見龍在田,利見大人,君德也。虞翻曰:重言君德者,大人善世不伐。信有君德,後天而奉天時,故詳言之。九三:重剛而不中。虞翻曰:以乾接乾,故“重剛”。位非二五,故“不中”也。
《文言》にいう。寛厚をもって自ら処り、仁愛をもって事を行う。虞翻にいう。震は寛で、仁はすなわち行である。寛厚をもって自居し仁愛をもって行事するを説き、すなわち徳沢広博にして化育する能くすである。《文言》は再び《易》を引いていう。見龍在田,利見大人は人君の徳である。虞翻にいう。重ねて「君徳」を説くは、大人の善行天下に及びて自ら誇らず、確かに君徳を備え、天時に後れて天道を奉行する能くすればこそ、詳しく申説する。《文言》にいう。九三は陽爻重畳にして中位に居らず。虞翻にいう。乾体をもって乾体を承ぐから「重剛」といい、三は二位にも五位にも在らぬから「不中」という。
上不在天,下不在田。何妥曰:上不及五,故云“不在天”。下已過二,故云“不在田”。處此之時,實為危厄也。故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。何妥曰:處危懼之地,而能乾乾懷厲,至夕猶惕,乃得“無咎”矣。九四:重剛而不中,案:三居下卦之上,四處上卦之下,俱非得中,故曰“重剛而不中”也。
《文言》にいう。上は天位に在らず、下は田地に在らず。何妥にいう。九三は上は五位に及ばぬから「不在天」といい、下はすでに二位を越えたから「不在田」という。かかる時位に処り、実に危険困厄である。《文言》にいう。だから終日勤勉し時に随って警惕すれば、危あれど咎なし。何妥にいう。危懼の地に処りて能く勤勉不懈・心に戒懼を懐き、夕方に至ってもなお警惕すればこそ「无咎」を得る。《文言》にいう。九四は陽爻重畳にして中位に居らず。李鼎祚の案語にいう。三は下卦の最上に居り、四は上卦の最下に処り、いずれも中を得ず。だから「重剛而不中」という。
上不在天,下不在田,中不在人,侯果曰:案下《繫》:易有天道,有地道,有人道,兼三才而兩之,謂兩爻為一才也。初兼二,地也。三兼四,人也。五兼六,天也。四是兼才,非正,故言“不在人”也。故或之。或之者,疑之也。故無咎。虞翻曰:非其位,故疑之也。夫大人者,《乾鑿度》曰:聖明德備,曰“大人”也。
《文言》にいう。上は天に在らず、下は田に在らず、中もまた人位に在らず。侯果は経を引いて証とす。《繫辞下》に《易》に天道あり地道あり人道あり、三才を兼取して各々これを倍すという。すなわち二爻ごとに合して一才を為す。初と二は合して地を為し、三と四は合して人を為し、五と上は合して天を為す。九四は合併して才を成す列に在るが、その正に居らぬから「不在人」という。《文言》にいう。だから「或」の字を用いる。「或」は疑って未定で、これにより咎なし。虞翻にいう。九四はその処るべき陽位に在らぬから遅疑不決である。《文言》にいう。いわゆる大人。《乾鑿度》にいう。聖明にして徳性完備の人を「大人」という。
與天地合其德,荀爽曰:與天合德,謂居五也。與地合德,謂居二也。案:謂撫育無私,同天地之覆載。與日月合其明,荀爽曰:謂坤五之乾二成離,離為日。乾二之坤五為坎,坎為月。案:威恩遠被,若日月之照臨也。與四時合其序,翟玄曰:乾坤有消息,從四時來也。又案:賞罰嚴明,順四時之序也。
《文言》にいう。大人は天地とその徳を契合す。荀爽は乾升坤降に依る。天と徳を合するは九二の上に五位に居るを指し、地と徳を合するは上位の爻の下に二位に居るを指す。李鼎祚の案語にいう。これは大人が万物を撫育して偏私なきを説き、天地の覆い載するがごとし。《文言》にいう。日月とその明を契合す。荀爽にいう。坤の五爻が乾の二位に下って離を成し、離は日である。乾の二爻が坤の五位に上って坎を成し、坎は月である。李鼎祚の案語にいう。威厳と恩沢は遠く播く、日月の照臨のごとし。《文言》にいう。四時とその序を契合す。翟玄にいう。乾坤に陰陽の消息あり、四時はまさにこれに由りて来る。李鼎祚また案語にいう。賞罰厳明にして四時の次序に順う。
與鬼神合其吉凶,虞翻曰:謂乾神合吉,坤鬼合凶,以乾之坤,故“與鬼神合其吉凶”。案:禍淫福善,葉鬼神之吉凶矣。先天而天弗違,虞翻曰:乾為天、為先。大人在乾五,乾五之坤五,天象在先。故“先天而天弗違”。崔覲曰:行人事,合天心也。後天而奉天時。虞翻曰:奉,承行。乾四之坤初成震,震為後也,震春兌秋,坎冬離夏,四時象具。故“後天而奉天時”。謂承天時,行順也。崔覲曰:奉天時佈政,聖政也。
《文言》にいう。鬼神とその吉凶を契合す。虞翻にいう。乾は神に属して吉に合し、坤は鬼に属して凶に合す。乾より坤に往くから「与鬼神合其吉凶」という。李鼎祚の案語にいう。淫邪に禍を降し良善に福を賜うは、まさに鬼神の主る吉凶に合す。《文言》にいう。天時に先んじて行えど天は彼に違わず。虞翻にいう。乾は天・先である。大人は乾の五位に居り、乾五は坤五に往き、天象これに随いて至る。だから「先天而天弗違」という。崔覗にいう。行う所の人事は皆天心に合す。《文言》にいう。天時に後れて行い天道を奉ず。虞翻は爻変と四時の象に依っていう。「奉」は承受推行である。乾の四爻は坤の初位に至りて震を成し、震に「后」の意あり。震は春に配し、兌は秋に配し、坎は冬に配し、離は夏に配し、四時の象完備す。だから「後天而奉天時」といい、すなわち天時を承受して順行す。崔覗にいう。天時を奉りて政令を頒布す、これが聖人の政治である。
天且弗違,況於人乎?荀爽曰:人謂三。況於鬼神乎?荀爽曰:神謂天,鬼謂地也。案:大人惟德動天,無遠不屆。鬼神饗德,夷狄來賓。人神葉從,猶風偃草,豈有違忤哉。亢之為言也,知進而不知退,荀爽曰:陽位在五,今乃居上,故曰“知進而不知退”也。
《文言》にいう。天すら彼に違わず、いわんや人においてをや。荀爽にいう。ここに「人」は三爻を指す。《文言》にいう。いわんや鬼神においてをや。荀爽にいう。神は天を指し、鬼は地を指す。李鼎祚の案語にいう。大人はただ徳行をもってすれば上天を感動する能くし、再遠の地も至らざるなし。鬼神はその徳を歆享し、四夷も来り帰附す。人と神皆協同順從して、風の草を倒すがごとし。何ぞ違逆抵触あらん。《文言》にいう。いわゆる「亢」は、進を知りて退を知らざるなり。荀爽にいう。陽爻は本来五位に在るべきに今は上位に居るから「知進而不知退」という。
知存而不知亡,荀爽曰:在上當陰,今反為陽,故曰“知存而不知亡”也。知得而不知喪,荀爽曰:得謂陽,喪謂陰。案,此論人君驕盈過亢,必有喪亡。若殷紂招牧野之災,太康遘洛水之怨,即其類矣。其唯聖人乎!知進退存亡而不失其正者,其唯聖人乎!荀爽曰:進謂居五。退謂居二。存謂五,為陽位。亡謂上,為陰位也。再出聖人者,上聖人謂五,下聖人謂二也。
《文言》にいう。存を知りて亡を知らざるなり。荀爽にいう。上位は本来陰に属すべきに今は反って陽爻だから「知存而不知亡」という。《文言》にいう。得を知りて喪を知らざるなり。荀爽にいう。「得」は陽を指し、「喪」は陰を指す。李鼎祚の案語にいう。これは人君の驕盈亢極に過ぎれば必ず喪亡の禍あるを説く。殷紂の牧野の敗を招き、太康の洛水の怨に遭うがごとき、この類に属す。《文言》にいう。おそらく聖人のみか。進退存亡を知りてその正を失わざるは、おそらく聖人のみか。荀爽にいう。「進」は五位に升るを指し、「退」は二位に降るを指す。「存」は五を指し五は陽位なればこそ、「亡」は上を指し上は陰位なればこそ。二度聖人を説き、前の聖人は五爻を指し、後の聖人は二爻を指す。
案:此則乾元用九,天下治也。言大寶聖君,若能用九天德者,垂拱無為,芻狗萬物,生而不有,功成不居,百姓日用而不知,豈荷生成之德者也。此則三皇五帝,乃聖乃神,保合太和,而天下自治矣。今夫子《文言》再稱聖人者,嘆美用九之君,能知進退存亡,而不失其正,故得“大明終始,萬國咸寧,時乘六龍,以御天也”。斯即有始有卒者,其唯聖人乎!是其義也。崔覲曰:謂失其正者,若燕噲讓位於子之之類是也。案:三王五伯,揖讓風頹,專恃干戈,遞相征伐,失正忘退,其徒實繁。略舉宏綱,斷可知矣。
李鼎祚の案語にいう。これが「乾元用九,天下治也」の意である。大宝の位に身を居する聖君が、もし九という天徳を運用する能くすれば、衣を垂れ手を拱き営為する所なく、万物を芻狗と看てその自化に任せ、万物を生養して己が有とせず、功業成って自ら居らず、百姓日々受用して自ら知らず。何ぞ生成の徳を承けたを自ら居とせんや。これぞ三皇五帝のごとき又聖又神の境界である。太和の気を保ち合すれば天下おのずから安治す。今孔子は《文言》に二度聖人を称す。これは用九の徳を行う能う君主を讃美し、進退存亡を知りてその正を失わざる能くするから、「大明終始,万国咸寧,時乘六龍,以御天」を為す能くする。これまた《論語》のいう始終ある人はおそらく聖人のみか、まさにこの意である。崔覗にいう。いわゆるその正を失うは、燕王噲が君位を子之に譲った類である。李鼎祚また案語にいう。三王五覇以来、揖譲の風気衰頽し、もっぱら兵戈に恃み、番番に征伐す。正道を失い退譲を忘るる者実に多し。ここにただ大綱を略挙するのみ、其余は断然推知する可し。
巻二
坤卦
(坤下坤上)。坤:元亨,利牝馬之貞。干寶曰:陰氣之始,婦德之常,故稱“元”。與乾合德,故稱“亨”。行天者莫若龍,行地者莫若馬,故乾以龍繇,坤以馬象也。坤,陰類,故稱“利牝馬之貞”矣。虞翻曰:謂陰極陽生,乾流坤形,坤含光大,凝乾之元,終於坤亥,出乾初子,品物咸亨,故“元亨”也。坤為牝,震為馬,初動得正,故“利牝馬之貞”矣。
坤卦は下卦も坤・上卦も坤で、純陰が重なり合う。卦辞にいう。坤は大いに亨通し、母馬の如く正を守るに利あり。干宝にいう。坤は陰気のはじめ、婦徳の常道だから「元」と称す。乾徳と合するから「亨」と称す。天に運行するは龍に及ぶなく、地に行うは馬に及ぶなし。だから乾は龍をもって辞を繫ぎ、坤は馬をもって象を取る。坤は陰類に属すから「利牝馬之貞」という。虞翻は消息と納甲に依る。陰極まりて陽生じ、乾気坤に流入して形を成す。坤は広大の光明を含蔵し、乾の元気を凝聚す。陰気は坤の納する亥位に終結し、陽気はまた乾の納する初爻子位から出づ。万物皆亨通を得るから「元亨」という。坤は母、震は馬である。初爻変動してその正位を得るから「利牝馬之貞」という。
君子有攸往,先迷,後得主,利。盧氏曰:坤,臣道也、妻道也。後而不先,先則迷失道矣,故曰“先迷”。陰以陽為主,當後而順之,則利。故曰“後得主,利”。《九家易》曰:坤為牝,為迷。西南得朋,東北喪朋,安貞吉。崔覲曰:妻道也。西方坤兌,南方巽離,二方皆陰,與坤同類,故曰“西南得朋”。東方艮震,北方乾坎,二方皆陽,與坤非類,故曰“東北喪朋”。以喻在室得朋,猶迷於失道;出嫁喪朋,乃順而得常。安於承天之正,故言“安貞吉”也。
卦辞にいう。君子往くところあり、先んずれば道に迷い、後れて主人を得、利あり。盧氏にいう。坤は臣道でありまた妻道である。後に居るべく先んずべからず。先んずれば正道を迷失すから「先迷」という。陰は陽を主とし、後に居りてこれに順従すればこそ利あり。だから「後得主,利」という。《九家易》にいう。坤は母でありまた迷である。卦辞にいう。西南に往けば朋を得、東北に往けば朋を喪う。安んじて正を守れば吉。崔覗は八卦方位に依って説く。これは妻道を説く。西方は坤・兌、南方は巽・離、この両方皆陰に属し坤と同類だから「西南得朋」という。東方は艮・震、北方は乾・坎、この両方皆陽に属し坤と類を同じくせぬから「東北喪朋」という。これは女子が家に在れば朋類多しと雖もなお正道を迷い、嫁いで朋類を離れ反って順從してその常道を得るに喩う。上天の正道を承奉するに安んずるから「安貞吉」という。
《彖》曰:至哉坤元,《九家易》曰:謂乾氣至坤,萬物資受而以生也。坤者純陰,配乾生物,亦善之始,地之象也,故又嘆言至美。萬物資生,荀爽曰:謂萬一千五百二十策,皆受始於乾,由坤而生也。策生於坤,猶萬物成形,出乎地也。乃順承天。劉瓛曰:萬物資物於地,故地承天而生也。
《彖伝》にいう。至極なるかな坤元。《九家易》にいう。これは乾気が坤に至り、万物がそれを凭借承受して生成を得るを説く。坤は純陰にして乾に配合して万物を生養す。これも善のはじめにして地の物象だから、《彖伝》またこれを至美至善と讃嘆す。《彖伝》にいう。万物はこれによって生長す。荀爽は筮法から説く。一万千五百二十策は皆乾からはじめを承受し坤によりて生出す。策数の坤に生ずるは、万物の形を成すが地上より長出するがごとし。《彖伝》にいう。ここに上天を順承す。劉瓛にいう。万物は地に資を取るから、地は上天を承奉して万物を生養す。
坤厚載物,蜀才曰:坤以廣厚之德,載含萬物,無有窮竟也。德合無疆。蜀才曰:天有無疆之德,而坤合之,故云“德合無疆”也。含宏光大,荀爽曰:乾二居坤五為含,坤五居乾二為弘,坤初居乾四為光,乾四居坤初為大也。品物咸亨。荀爽曰:天地交,萬物生,故“咸亨”。崔覲曰:含育萬物為弘,光華萬物為大,動植各遂其性,故言“品物咸亨”也。
《彖伝》にいう。坤は深厚にして万物を載す。蜀才にいう。坤は広大深厚の徳性をもって万物を載せ包容し、窮尽なし。《彖伝》にいう。徳性は無辺無際に合す。蜀才にいう。天に無辺無際の徳性あり、坤は能くこれと合するから「徳合無疆」という。《彖伝》にいう。宏大を含み光輝広大なり。荀爽は乾升坤降に依りて字ごとに爻を配す。乾の二爻が坤の五位に居るを「含」とし、坤の五爻が乾の二位に居るを「弘」とし、坤の初爻が乾の四位に居るを「光」とし、乾の四爻が坤の初位に居るを「大」とす。《彖伝》にいう。万物皆亨通を得る。荀爽にいう。天地交感して万物生長すればこそ「咸亨」。崔覗は字義から説く。包容化育万物するを「弘」といい、万物をして光華煥発せしむるを「大」という。動物植物各々その本性を遂ぐるから「品物咸亨」という。
牝馬地類,行地無疆,侯果曰:地之所以含弘物者,以其順而承天也。馬之所以行地遠者,以其柔而伏人也。而又牝馬,順之至也。誡臣子當至順,故作易者取象焉。柔順利貞。君子攸行。《九家易》曰:謂坤爻本在柔順陰位,則利貞之。乾則陽爻來據之,故曰“君子攸行”。先迷失道,後順得常。何妥曰:陰道惡先,故先致迷失。後順於主,則保其常慶也。
《彖伝》にいう。母馬は地と類を同じくし、大地を行くに辺際なし。侯果にいう。地の宏大万物を包容し能う所以は、順從して上天を承奉すればこそ。馬の大地を遠行し能う所以は、柔馴にして人に伏従すればこそ。いわんやまた母馬なるをや、これは順の極である。これは臣子に極めて柔順たるべしを誡める。だから《易》を作る者この象を取った。《彖伝》にいう。柔順にして正を守るに利あり、これ君子の行う所である。《九家易》にいう。坤爻は本来柔順の陰位に処り、すなわち正を守るに宜し。乾の陽爻来りてこれを占据す。だから「君子攸行」という。《彖伝》にいう。先んずれば正道を迷い、後れ順えばその常を得る。何妥にいう。陰道は先んずるを忌むから、先を争えば迷失を招く。後れて主に順従すれば、その長久の吉慶を保つ能くす。
西南得朋,乃與類行。虞翻曰:謂陽得其類,月朔至望,從震至乾,與時偕行,故“乃與類行”。東北喪朋,乃終有慶。虞翻曰:陽喪滅坤,坤終復生,謂月三日震象出庚,故“乃終有慶”。此指說易道陰陽消息之大要也。謂陽月三日,變而成震,出庚。至月八日成兌,見丁。庚西丁南,故“西南得朋”。謂二陽為朋,故兌“君子以朋友講習”。《文言》曰:敬義立而德不孤。《彖》曰:乃與類行。二十九日,消乙入坤,滅藏於癸,乙東癸北,故“東北喪朋”。謂之以坤滅乾,坤為喪故也。
《彖伝》にいう。西南に往けば朋を得るは、同類とともに行えばこそ。虞翻は納甲月象に依る。これは陽がその同類を得るを説く。初一より十五に至るまで、月象は震から一路乾に増し、時序とともに推進す。だから「乃与類行」という。《彖伝》にいう。東北に往けば朋を喪うは、終に反って喜慶あればこそ。虞翻にいう。陽は坤を喪滅し、坤終わりて後また復生す。毎月初三に新月現れて震象を成し納甲は庚に配すを指す。だから「乃終有慶」という。これまさに《易》道の陰陽消息の大綱を説く。初三に陽気変じて震を成し庚に納し、初八に至り兌を成し丁に納す。庚は西に在り、丁は南に在るから「西南得朋」という。二つの陽爻は朋なればこそ、兌卦《象伝》に「君子以朋友講習」といい、《文言》に「敬義立てて徳孤ならず」といい、《彖伝》に「乃与類行」という。二十九日に至れば月象乙に消入して坤に帰し、癸に隠滅蔵す。乙は東に在り癸は北に在るから「東北喪朋」という。それは坤をもって乾を滅し、坤は喪亡を主ればこそである。
馬君云:孟秋之月,陰氣始著,而坤之位,同類相得,故“西南得朋”。孟春之月,陽氣始著,陰始從陽,失其黨類,故“東北喪朋”。失之甚矣。而荀君以為陰起於午,至申三陰,得坤一體,故曰“西南得朋”。陽起於子,至寅三陽,喪坤一體,故曰“東北喪朋”。就如荀說,從午至申,得坤一體,故曰“西南得朋”。陽起於子,至寅三陽,喪坤一體,故曰“東北喪朋”。就如荀說,從午至申,經當言南西得朋;子至寅,當言北東喪朋。以乾變坤,而言喪朋,經以乾卦為喪耶?此何異於馬也。
虞翻は続けて前賢の旧説を評議す。馬融の説くところ、孟秋七月に陰気初めて顕著になり、それまさに坤の方位に当り、同類相い得るから「西南得朋」。孟春正月に陽気初めて顕著になり、陰気初めて陽気に随従し、己の党類を失うから「東北喪朋」――これは錯の甚だしきもの。荀爽は陰気は午に起り申に至りて三陰を成し、坤の半卦体を得るから「西南得朋」。陽気は子に起り寅に至りて三陽を成し、坤の半卦体を喪うから「東北喪朋」とす。荀爽の説に依らば、午より申に坤一体を得て「西南得朋」と称し、陽は子に起り寅に至り三陽は坤一体を喪うて「東北喪朋」と称す。しかしこの次序に照らせば、午より申に至るは経文「南西得朋」と言うべく、子より寅に至るは「北東喪朋」と言うべき。いわんやここに乾が坤に変じて喪朋を説くにあたり、経文が乾卦をもって喪亡と為さんや。これは馬融の失と何の異ならん。
安貞之吉,虞翻曰:坤道至靜,故“安”;復初得正,故“貞吉”。應地無疆。虞翻曰:震為應。陽正於初,以承坤陰;地道應,故“應地無疆”。《象》曰:地勢坤,王弼曰:地形不順,其勢順。宋衷曰:地有上下九等之差,故以形勢言其性也。君子以厚德載物。虞翻曰:勢,力也。君子謂乾陽,為德動。在坤下,君子之德車。故“厚德載物”。老子曰:勝人者有力也。
《彖伝》にいう。正を守るに安んずるの吉祥。虞翻にいう。坤道は極めて安静だから「安」と称す。《復》卦の初爻が正を得るから「貞吉」という。《彖伝》にいう。地道に応じて辺際なし。虞翻にいう。震は応である。陽爻が初位に在りて正を得、もって坤陰を承奉し、地道に感応ある所。だから「応地無疆」という。《象伝》にいう。地の勢いはすなわち坤。王弼にいう。地の形体それ自体は順と言うべからず、その勢いが順である。宋衷にいう。大地に上下九等の高低の差あり。だから形勢をもってその性質を説明す。《象伝》にいう。君子はこれにより深厚の徳性をもって万物を載す。虞翻にいう。「勢」は力である。「君子」は乾陽を指し、徳性の発動者であり、それは坤の下に処り、すなわち君子の徳車である。だから「厚徳載物」という。《老子》に「人に勝つ能くするを力ありとす」という。
初六:履霜,堅冰至。干寶曰:重陰,故稱六。剛柔相推,故生變。占變,故有爻。《繫》曰:爻者,言乎變者也。故《易》、《繫辭》皆稱九、六也。陽數奇,陰數偶,是以乾用一也。坤用二也。陰氣在初,五月之時,自姤來也。陰氣始動乎三泉之下,言陰氣之動矣。則必至於履霜,履霜則必至於堅冰,言有漸也。藏器於身,貴其俟時,故陽有潛龍,戒以“勿用”。防禍之原。欲其先幾,故陰在三泉,而顯以履霜也。
初六の爻辞にいう。霜を踏めば堅氷まさに至らん。干宝にいう。陰気重畳するから「六」と称す。剛柔互いに推移し、これにより変化を生じ、占筮はその変を取り、これにより爻あり。《繫辞》に「爻は変動を説く」という。だから《易経》と《繫辞》は九・六をもって爻を称す。陽数は奇、陰数は偶である。ゆえに乾は一を取用し、坤は二を取用す。陰気が初爻に行きあたるは五月に当り、《姤》卦の一陰始生より来る。陰気が初めて三重地泉の下に萌動す。これは陰気が一たび発動すれば必ず踏霜に発展し、霜を踏めばまた必ず堅氷に発展すと説き、それが循序漸来することを明かす。器具を身に蔵するは時を待つを貴ぶ。だから陽に潜龍の象あり、「勿用」をもって告誡す。禍患の源を防ぐは、人が苗头初現の時に察知するを願う。だから陰気なお三泉の下に在るとき、すなわち「履霜」をもってこれを揭示す。
《象》曰:履霜堅冰,陰始凝也。馴致其道,至堅冰也。《九家易》曰:霜者,乾之命也。堅冰者,陰功成也。謂坤初六之乾四,履乾命令而成“堅冰”也。此卦本乾,陰始消,陽起於此爻,故“履霜”也。馴,猶順也,言陽順陰之性,成堅冰矣。初六始姤,姤為五月。盛夏而言堅冰,五月陰氣始生地中,言始於微霜,終至堅冰,以明漸順至也。
《象伝》にいう。霜を踏みて堅氷に至るは、陰気初めて凝結し、この道に順い発展すれば堅氷に至る。《九家易》にいう。霜は乾の発する命令で、堅氷は陰の功用すでに成れるを指す。坤の初六が乾の四位に往き、乾の命令を奉行して「堅氷」を結ぶ。こ卦は本来乾より来り、陰気の陽気を消解するはこの爻より起る。だから「履霜」という。「馴」は順で、陽が陰の本性に順い、終に堅氷を結ぶを説く。初六は《姤》卦の始に当り、《姤》は五月に配す。盛夏の時節に堅氷を談ずるは、五月に陰気すでに地中に初生するがゆえ、薄霜に始まり堅氷に終わると言い、漸次順延して至るを表明するためである。
六二:直方大。荀爽曰:大者,陽也。二應五,五下動之,則應陽出,直布陽於四方。不習無不利。荀爽曰:物唱乃和,不敢先有所習。陽之所唱,從而和之,“無不利”也。干寶曰:陰氣在二,六月之時,自遁來也。陰出地上,佐陽成物,臣道也,妻道也。臣之事君,妻之事夫,義成者也。臣貴其直,義尚其方,地體其大,故曰“直方大”。士該九德,然後可以從王事;女躬四教,然後可以配君子。道成於我,而用之於彼。不妨以仕舉為政,不妨以嫁學為婦。故曰“不習無不利”也。
六二の爻辞にいう。正直・方正・広大。荀爽は乾升坤降に依る。「大」は陽を指す。六二は九五に応じ、五爻下りてこれを発動すれば、陽気これに応じて出で、陽気を正直に四方に布散せしむ。爻辞またいう。学ぶを要せずして利ならざるなし。荀爽にいう。万物は倡導あってこそ応和す。六二は敢えて先んじて修習する所あらず。陽の倡導する所、それは随いて応和す。だから「無不利」。干宝は卦気と人倫に依って説を立てる。陰気が二爻に行きあたるは六月に当り、《遁》卦より来る。陰気は地面上に出でて陽気を輔佐し万物を生成す。これは臣道でありまた妻道である。臣子の君主に事え、妻子の夫に事うるは、皆義をもって成全せらる。臣は正直を貴び、義は方正を崇び、地は広大を体す。だから「直方大」という。士人は九徳を具えて然る後に王事に従事する可く、女子は身に四教を受けて然る後に君子に匹配する可し。道は己が身に成って対方に施用す。だから出仕して後に政事を挙行するも妨げず、嫁して後に主婦を為すを学ぶも妨げず。「不習无不利」という。
《象》曰:六二之動,直以方也。《九家易》曰:謂陽下動,應之,則直而行,布陽氣於四方也。不習無不利,地道光也。干寶曰:女德光於夫,士德光於國也。六三:含章可貞。虞翻曰:貞,正也。以陰包陽,故“含章”。三失位,發得正,故“可貞”也。
《象伝》にいう。六二の動は正直にして方正なればこそ。《九家易》にいう。これは陽が下に発動し、六二これに応和すれば正直に施行し、陽気を四方に布散するを説く。《象伝》にいう。学ぶを要せずして利ならざるなしは、地道の光大なればこそ。干宝にいう。女子の徳性は夫によりて光大し、士人の徳性は国家によりて光大す。六三の爻辞にいう。美質を含蓄して正を守る可し。虞翻にいう。「貞」は正である。六三は陰爻をもって陽を包裹するから「含章」という。三爻は本来位を失い、発動して陽に変ずればその正を得るから「可貞」という。
或從王事,無成有終。虞翻曰:謂三已發成泰,乾為王,坤為事,震為從,故“或從王事”。地道無成而有終,故“無成有終”。干寶曰:陰氣在三,七月之時,自否來也。陽降在四,三公位也。陰升在三,三公事也。上失其權,位在諸侯。坤體既具,陰黨成群。君弱臣強,戒在二國。唯文德之臣,然後可以遭之,運而不失其柔順之正。坤為文,坤象既成,故曰“含章可貞”。此蓋平襄之王垂拱以晉鄭之輔也。苟利社稷,專之則可,故曰“或從王事”。遷都誅親,疑於專命,故亦或之。失後順之節,故曰“無成”。終於濟國安民,故曰“有終”。
六三の爻辞またいう。あるいは王事に従い、成を居せずして終りあり。虞翻は爻変に依って説く。六三すでに発動して陽に変じ《泰》を成し、乾は王、坤は事、震は跟従だから「或従王事」という。地道は成功を自ら居せずして終りある能くすから「无成有終」という。干宝は卦気と史事に依る。陰気が三爻に行きあたるは七月に当り、《否》卦より来る。陽は四爻に降り、それ三公の位である。陰は三爻に升り、それ三公の事である。君上は権柄を失い、実権は諸侯の手に落ちる。坤体すでに備わり、陰党は群伙を結び、君弱くして臣強し。戒懼は晋・鄭二国に在り。文徳を具える臣子のみ、身にかかる局面に逢い周旋応変し、柔順の正を失わざる能くす。坤は文で、坤象すでに形成せらるから「含章可貞」という。これはおそらく周平王・周襄王が衣を垂れ手を拱きて晋・鄭の輔佐に倚靠した情状である。もし確かに国家に利あらば、専断行事もまた不可ならず。だから「或従王事」という。ただ遷都・親族誅戮の類は擅りに号令を発するに近し。だからまた「或」の字をもって疑を存す。後に居り順う節度を失うから「无成」といい、終に能く国安かり民を救うから「有終」という。
《象》曰:含章可貞,以時發也。崔覲曰:陽命則發,非時則含也。或從王事,知光大也。干寶曰:位彌高,德彌廣也。六四:括囊,無咎,無譽。虞翻曰:括,結也。謂泰反成否。坤為囊,艮為手,巽為繩,故括囊在外多咎也。得位承五,繫於包桑,故“無咎”。陰在二多譽,而遠在四,故“無譽”。
《象伝》にいう。含章可貞は、時機を待ちて発動するに在り。崔覗にいう。陽に命令あれば発動し、時に至らざれば含蔵す。《象伝》にいう。或従王事は、智慧の広大なればこそ。干宝にいう。位置高ければ徳行もまた広し。六四の爻辞にいう。袋を括り、咎なく誉れなし。虞翻は卦変に依りて象を取る。「括」は扎結で、これは《泰》の反転して《否》と成るを説く。坤は袋、艮は手、巽は縄だから袋を括る象あり。外卦に処りて多く災咎あるが、六四は正位を得て上に九五を承け、叢生の桑根に係るがごとく牢固なり。だから「无咎」。陰爻は二位に在れば多く称誉あるが、それは遠く四位に在るから「无誉」。
干寶曰:陰氣在四,八月之時,自觀來也。天地將閉,賢人必隱,懷智苟容,以觀時釁,此蓋甯戚、籧瑗與時卷舒之爻也。不艱其身,則無咎。功業不建,故無譽也。《象》曰:括囊,無咎,慎不害也。盧氏曰:慎言則無咎也。
干宝は卦気と史事に依る。陰気が四爻に行きあたるは八月に当り、《観》卦より来る。天地まさに閉塞せんとし、賢人必ず隠退し、才智を懐蔵して姑く身を容れ、時局の裂痕を観察す。これはおそらく甯戚・籧瑗のごとき時に随い舒巻する一爻である。身を艱険に陥らしめざれば咎なく、功業建立せざれば誉れなし。《象伝》にいう。袋を括り咎なきは、謹慎にして傷害を受けざればこそ。盧氏にいう。言うこと謹慎なれば咎なし。
六五:黃裳,元吉。干寶曰:陰氣在五,九月之時,自剝來也。剝者,反常道也。黃,中之色。裳,下之飾。元,善之長也。中美能黃,上美為元,下美則裳。陰登於五,柔居尊位,若成昭之主,周霍之臣也。百官總已,專斷萬機,雖情體信順,而貌近僣疑,周公其猶病諸。言必忠信,行必篤敬,然後可以取信於神明,無尤於四海也。故曰“黃裳,元吉”也。
六五の爻辞にいう。黄色の下裳、大いに吉祥。干宝は卦気と史事に依る。陰気が五爻に行きあたるは九月に当り、《剥》卦より来る。《剥》はまさに常道に反する象である。黄は居中の色、裳は下身に服する飾、元は衆善の長である。居中の美は黄をもって表し、居上の美は元と称し、居下の美はすなわち裳である。陰爻が五位に登り、柔順者尊位に居るは、周成王・漢昭帝のごとき幼主に、周公・霍光のごとき輔臣を配するがごとし。百官各々その職を守りて摂政の人に聴命し、摂政者は万機を専断す。内心確かに忠信順従と雖も、外貌は僭越して疑わしきに近く、周公もこれがため難を感じた。ゆえに必ず言語忠信・行事篤厚恭敬にして、然る後に神明に信を取り四海に責を見ず。だから「黄裳,元吉」という。
《象》曰:黃裳,元吉,文在中也。王肅曰:坤為文,五在中,故曰“文在中也”。干寶曰:當總已之任,處疑僣之間,而能終元吉之福者,由文德在中也。上六:龍戰于野,荀爽曰:消息之位,坤在於亥。下在伏乾,為其兼於陽,故稱“龍”也。
《象伝》にいう。黄裳元吉は、文徳が中位に存すればこそ。王粛にいう。坤は文で、六五は上卦の中に処るから「文在中也」という。干宝にいう。百官聴命の摂政の重任を担い、僭越と疑わるる境地に処りて、終に大吉の福を獲る能くするは、まさに文徳の内心に存するに由る。上六の爻辞にいう。龍は郊野の上に交戦す。荀爽は十二消息卦位に依る。消息の位によりて坤は亥に配す。坤の下に乾を伏蔵し、それは陽を兼含するがゆえに「龍」と称す。
其血玄黃。《九家易》曰:實本坤體,未離其類,故稱“血”焉。血以喻陰也。玄黃,天地之雜,言乾坤合居也。侯果曰:坤,十月卦也。乾位西北,又當十月。陰窮於亥,窮陰薄陽,所以戰也。故《說卦》云“戰乎乾”是也。六稱龍者,陰盛似龍,故稱“龍”也。
上六の爻辞またいう。流れ出ずる血は青黑と黄色と相雑る。《九家易》にいう。それは実はもと坤体に属し、まだ陰の族類を脱せざるから「血」と称す。血は陰を喩えるに用いる。玄黄は天地二色の相雑るで、乾坤の一処に合居するを説く。侯果は卦気と方位に依る。坤は十月の卦で、乾位は西北に在り、また正しく十月に当る。陰気は亥に至りて窮尽し、窮極の陰は陽を逼迫す。だから交戦を要す。《説卦伝》に「戦乎乾」というはこの意である。上六は陰爻にして龍と称すは、陰の盛んこと極まりて龍に近似するがゆえに「龍」と称す。
干寶曰:陰在上六,十月之時也。爻終於酉,而卦成於乾。乾體純剛,不堪陰盛,故曰“龍戰”。戌亥,乾之都也,故稱“龍”焉。陰德過度,以逼乾戰。郭外曰郊,郊外曰野。坤位未申之維,而氣溢酉戌之間,故曰“于野”。未離陰類,故曰“血”。陰陽色雜,故曰“玄黃”。言陰陽離則異氣,合則同功。君臣夫妻,其義一也。故文王之忠於殷,抑參二之強,以事獨夫之紂。蓋欲彌縫其闕。而匡救其惡,以祈殷命,以濟生民也。紂遂長惡不悛,天命殛之。是以至於武王,遂有牧野之事,是其義也。
干宝は卦気・方位と史事を合わせて詳説す。陰気が上六に行きあたるは十月に当る。爻位は酉に終結し、卦体は乾位の上に完成す。乾体純剛にして陰気の強盛を受け堪えず。だから「龍戦」という。戌・亥は乾の都邑の在所だから「龍」と称す。陰の勢力過度にして、これにより乾に逼近して開戦す。城郭の外を郊といい、郊の外を野という。坤位は未・申の間の隅角に在りて、その気は酉・戌の間に漫溢す。だから「于野」という。上六はなお陰類を脱せざるから「血」といい、陰陽二色相雑るから「玄黄」という。これは陰陽分離すれば気類各々異なり、会合すれば功用相同じを説く。君臣と夫妻、理はこれに一なり。だから文王は殷商に忠で、己が三分天下の二を有する強勢を抑制し、独夫商紂に服事した。もとは朝政の缺失を弥補し、紂の過悪を匡正救挽し、これにより殷の国運を延續し天下生民を救済せんと祈った。商紂は終に悪に長じて悔改せず、天は彼を誅滅せんと欲す。だから武王に至り、終に牧野の戦あり。まさにこの意である。
《象》曰:龍戰于野,其道窮也。干寶曰:天道窮,至於陰陽和薄也。君德窮,至於攻戰受誅也。柔順窮,至於用權變矣。用六:利永貞。干寶曰:陰體其順,臣守其柔。所以秉義之和,履貞之幹。唯有推變,終歸於正。是周公始於負扆南面,以光王道,卒於復子明辟,以終臣節,故曰“利永貞”也。
《象伝》にいう。龍戦于野は、その道の尽きるに至ればこそ。干宝にいう。天道窮極すれば陰陽相迫相争の地に至り、君徳窮極すれば兵を興し攻戦し身に誅戮を受くる地に至り、柔順窮極すれば已むを得ず権変を動用する地に至る。用六の辞にいう。永く正を守るに利あり。干宝にいう。陰は順従を体し、臣子は柔道を守持し、これにより義の和を秉持し貞の骨幹を履行する能くす。推移変通するのみ、終に仍りて正に帰す。これまさに周公の如く、初め屏風に背き南を面して摂政し、もって王道を光大し、最後に政権を年幼の成王に還して親政せしめ、これにより臣節を守全す。だから「利永貞」という。
《象》曰:用六,永貞,以大終也。侯果曰:用六,妻道也,臣道也,利在長正矣。不長正,則不能大終陽事也。《文言》曰:何妥曰:《坤·文言》唯一章者,以一心奉順於主也。坤至柔,荀爽曰:純陰至順,故“柔”也。而動也剛,《九家易》曰:坤一變而成震。陰動生陽,故“動也剛”。
《象伝》にいう。用六永く正を守るは、広大をもって終局を成全するに在り。侯果にいう。用六が説くは妻道・臣道で、利益は永く正を守るに在る。永く正を守る能わざれば、陽の事業を広大に成全する能わず。《文言》にいう――何妥にいう。《坤・文言》は一章のみ、一心に君主を奉順する意を取る。《文言》にいう。坤は極めて柔順。荀爽にいう。純陰至って柔順だから「柔」と称す。《文言》にいう。しかしてそれ一たび動けば剛健なり。《九家易》にいう。坤は一変すれば震を成し、陰動きて陽を生ず。だから「動也剛」という。
至靜而德方,荀爽曰:坤性至靜,得陽而動,佈於四方也。後得主而有常,虞翻曰:坤陰,先迷後順,得常。陽出初,震為主,為常也。含萬物而化光。干寶曰:光,大也。謂坤含藏萬物,順承天施,然後“化光”也。坤道其順乎,承天而時行。荀爽曰:承天之施,因四時而行之也。
《文言》にいう。極めて安静にして徳性方正。荀爽にいう。坤性極静にして、陽気を得て初めて発動し、これにより四方に布散す。《文言》にいう。後れて主に従い常道あり。虞翻にいう。坤は陰に属し、先んずれば迷失し後れば順從し、これによりその常を得る。陽は初爻より出づれば、震はすなわち主にして常である。《文言》にいう。万物を包容して化育光大す。干宝にいう。「光」は広大で、坤が万物を包蔵し、上天の施与を順承し、然る後に化育光大するを説く。《文言》にいう。坤道の柔順なることや、上天を承奉して時に依りて運行す。荀爽にいう。上天の施与を承受し、四時に順いてこれを推行す。
積善之家,必有餘慶;虞翻曰:謂初。乾為積善,以坤牝。陽滅出復,震為餘慶,謂“東北喪朋”,乃終有慶也。積不善之家,必有餘殃。虞翻曰:坤積不善,以臣弒君,以乾通坤,極姤生巽,為餘殃也。
《文言》にいう。善行を積累する家は、必ず余留の福慶あり。虞翻にいう。これは初爻を指す。乾は積善の象で、坤をもって母とす。陽は消滅せられて後また《復》卦より出づれば、震はすなわち余留の福慶で、すなわち《彖伝》のいう「東北喪朋,乃終有慶」の意である。《文言》にいう。不善を積累する家は、必ず余留の災殃あり。虞翻にいう。坤は不善を積累し、臣子が君主を弑殺するに至る。乾をもって坤を貫けば、陽消して極まり《姤》卦は巽を生ず。それはすなわち余留の災殃である。
案:聖人設教,理貴隨宜,故夫子先論人事,則不語怪力亂神,絕四毋必。今於易象,闡揚天道,故曰“積善之家,必有餘慶。積不善之家,必有餘殃”者:以明陽生陰殺,天道必然。理國修身,積善為本。故於坤爻初六,陰始生時,著此微言,永為深誡。欲使防萌杜漸,災害不生,開國承家,君臣同德者也。故《繫辭》云:善不積,不足以成名。惡不積,不足以滅身。是其義也。
李鼎祚の案語にいう。聖人の教化を設立するは、道理は宜に随いて施すを貴ぶ。だから孔子はまず人事を談じ、怪異・勇力・悖乱・鬼神を談ぜず、また四つの毛病を杜絶して主観武断せず。今は《易》象の裏に天道を闡揚せんとすればこそ、「積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃」という。もって陽は生を主り陰は殺を主る、これは天道の必然なるを表明す。治国と修身は皆積善をもって根本と為す。だから坤卦初六の陰気剛生の時に、わざわざこの数句の精微の言を書き、永く深切入の告誡と為し、人をして苗头萌生の時に防杜を加え、災害をして発生せざらしめ、開国承家の君臣をして同心同徳ならしめんと欲す。だから《繫辞》に「善行積累せざれば名声を成就するに足らず、悪行積累せざれば自身を毀滅するに足らず」という。まさにこの意である。
臣弒其君子弒其父,虞翻曰:坤消至二,艮子弒父。至三成否,坤臣弒君。上下不交,天下無邦。故子弒父,臣弒君也。非一朝一夕之故,其所由來者漸矣。虞翻曰:剛爻為朝,柔爻為夕;乾為寒,坤為暑,相推而成歲焉。故“非一朝一夕”,所由來漸矣。由辯之不早辯也。孔穎達曰:臣子所以久包禍心,由君父不早辯明故也。此文誡君父防臣子之惡也。
《文言》にいう。臣子の君主を弑殺し、兒子の父を弑殺す。虞翻は消息卦に依って説く。坤陰が陽を消して第二爻に至れば、その中の艮は少男で、子が父を弑する象あり。第三爻に消して《否》を成せば、坤は臣で、臣が君を弑する象あり。上下相い交通せざれば天下は邦国を成さず。だから子弑父・臣弑君の事あり。《文言》にいう。これは一朝一夕の故に非ず、その由来は漸次に形成せらる。虞翻にいう。剛爻は早朝を代わり、柔爻は傍晚を代わる。乾は寒、坤は暑で、寒暑相推して一年を成す。だから「非一朝一夕」といい、その由来は漸々積成す。《文言》にいう。これは辨明すべき時に及早辨明せざるに由る。孔穎達にいう。臣子の久しく禍心を包蔵する所以は、君父が及早に辨察し明らかにせざるに由る。この句は君父を誡めて臣子の悪念に防備せしむ。
《易》曰:履霜,堅冰至,蓋言順也。荀爽曰:霜者,乾之命令。坤下有伏乾,履霜堅冰,蓋言順也。乾氣加之,性而堅,象臣順君命而成之。直其正也,方其義也。虞翻曰:謂二。陽稱直。乾,其靜也專,其動也直,故“直其正”。方為闢,陰開為方。坤,其靜也翕,其動也闢,故“方其以也”。
《文言》は《易》を引いていう。霜を踏みて堅氷至るは、おそらく勢いに順い成るを説く。荀爽にいう。霜は乾の発する命令で、坤の下に乾を伏蔵す。霜を踏みて堅氷に至るは、まさに一の「順」の字を説く。乾気を陰に加えれば、陰の本性は凝結堅硬なり。臣子が君命に順従して事を辦成するを象徴す。《文言》にいう。「直」はその正、「方」はその義。虞翻は《繫辞》を引いて解く。これは六二を指す。陽は直と称す。乾は静なるとき専一、動くとき正直だから「直其正」という。方はすなわち開辟で、陰の開張するがすなわち方。坤は静なるとき収斂し、動くとき開張す。だから「方其義」という。
君子敬以直內,義以方外,敬義立而德不孤。虞翻曰:陽息在二,故“敬以直內”。坤位在外,故義以方外。謂陽見兌丁,西南得朋,乃與類行,故德不孤。孔子曰:必有鄰也。直方大,不習,無不利,則不疑其所行也。荀爽曰:直方大,乾之唱也。不習無不利,坤之和也。陽唱陰和,而無所不利,故“不疑其所行也”。
《文言》にいう。君子は敬をもって内心を正直にし、義をもって外行を方正にす。敬と義と立てば、徳は孤ならず。虞翻は消息と納甲に依る。陽気消息して第二爻に生長すればこそ「敬以直内」。坤位は外卦に在ればこそ「義以方外」。陽は兌に顕現して丁に納し、正しく「西南得朋,乃与類行」に合す。だから徳は孤ならず。孔子に「必ず鄰人相伴あり」という。《文言》にいう。正直・方正・広大、学ぶを要せずして利ならざるなし。すなわちその行う所を疑わざるなり。荀爽にいう。直方大は乾の倡導で、不習无不利は坤の応和である。陽倡導して陰応和すれば、これにより利ならざるなし。だから「不疑其所行也」という。
陰雖有美,含之,以從王事,弗敢成也。荀爽曰:六三陽位,下有伏陽。坤陰卦也。雖有伏陽,含藏不顯。以從王事,要待乾命,不敢自成也。地道也,妻道也,臣道也。翟元曰:坤有此三者也。地道無成,而代有終也。宋衷曰:臣子雖有才美,含藏以從其上,不敢有所成名也。地得終天功,臣得終君事,婦得終夫業,故曰“而代有終也”。
《文言》にいう。陰は美質あると雖も、これを含蓄して、もって王事に従い、敢えてその成を居せず。荀爽にいう。六三はもと陽位で、下に陽を伏蔵す。坤は陰卦で、伏陽あると雖も含蔵して顕露せず。もって王事に従うは、総じて乾の命令を待ち、敢えて自ら成就せず。《文言》にいう。これは地道であり、妻道であり、また臣道である。翟元にいう。坤はこの三種の道を兼具す。《文言》にいう。地道は成功を自ら居せず、天に代わりて終局を完成す。宋衷にいう。臣子は才華美徳あると雖も、これを含蔵して君上に順従し、敢えて成名する所なし。地は能く天の功業を完成し、臣は能く君の政事を完成し、婦は能く夫の事業を完成す。だから「而代有終也」という。
天地變化,草木蕃。虞翻曰:謂陽息坤成泰。天地反,以乾變坤,坤化升乾,萬物出震,“故天地變化,草木蕃”矣。天地閉,賢人隱。虞翻曰:謂四。泰反成否,乾稱賢人。隱藏坤中,以儉德避難,不榮以祿,故“賢人隱”矣。《易》曰:括囊,無咎,無譽,蓋言謹也。荀爽曰:六四陰位,迫近於五,雖有成德,當括而囊之,謹慎畏敬也。
《文言》にいう。天地交感変化して、草木繁茂す。虞翻は消息に依る。これは陽気の消息生長して坤を《泰》と成すを説く。天地位置反転し、乾をもって坤に変じ、坤化して上昇して乾に入る。万物は震より出づ。だから「天地変化,草木蕃」という。《文言》にいう。天地閉塞して、賢人隠退す。虞翻にいう。これは四爻を指す。《泰》反転して《否》と成り、乾は賢人と称し、坤中に隠れ、倹約の徳をもって患難を避け、爵禄をもって栄と為さず。だから「賢人隠」という。《文言》は《易》を引いていう。袋を括り咎なく誉れなしは、おそらく謹慎を説く。荀爽にいう。六四は陰位で、九五に緊逼近す。成就の徳性を具えると雖も、これを括りて袋に収め、謹慎敬畏を保つべし。
孔穎達曰:括,結也。囊,所以貯物,以譬心藏智也。閉其智而不用,故曰“括囊”。不與物忤,故“無咎”。功名不顯,故“無譽”也。君子黃中通理,正位居體,虞翻曰:謂五。坤息體觀,地色黃,坤為理。以乾通坤,故稱“通理”。五正陽位,故曰“正位”。艮為居,體謂四支也。艮為兩肱,巽為兩股。故曰“黃中通理,正位居體”。
孔穎達は字義を説く。「括」は扎結、「囊」は物を装う袋で、心中に智慧を蔵するに喩う。智慧を閉蔵して施用せざるから「括囊」といい、外物と抵触せざるから「无咎」、功名顕揚せざるから「无誉」である。《文言》にいう。君子は内に中和の美を含みて文理に通達し、正位に居りてその身を安んず。虞翻は消息と取象に依る。これは六五を指す。坤は陽息して《観》体を成し、地の色は黄で、坤は条理である。乾をもって坤を貫くから「通理」と称す。五はもと陽の正位だから「正位」という。艮は居で、「体」は四肢を指す。艮は両臂、巽は両腿だから「黄中通理,正位居体」という。
美在其中,而暢於四支,虞翻曰:陽稱美,在五中四支。謂股肱。發於事業,《九家易》曰:天地交而萬物生也。謂陽德潛藏,變則發見。若五動為比,乃事業之盛。美之至也。侯果曰:六五以中和通理之德,居體於正位,故能美充於中。而旁暢於萬物,形於事業,無不得宜,是“美之至也”。
《文言》にいう。美は心中に蘊えて、四肢に暢達す。虞翻にいう。陽は美と称し、それは五位の中に在りて四肢に通ず。四肢はすなわち両股両肱である。《文言》にいう。事業に発揮す。《九家易》にいう。天地交感して万物生長す。これは陽徳本来潜蔵し、一たび変動すれば顕現するを説く。仮に六五変動して《比》卦を成せば、それはまさに事業の盛大である。《文言》にいう。これは美の極まりである。侯果にいう。六五は中和通理の徳性を以て、正位に安処す。だから能く美好充実を内にし、また旁通して万物に暢達し、事業に表れて合宜ならざるなし。これが「美之至也」である。
陰疑於陽,必戰。孟喜曰:陰乃上薄,疑似於陽,必與陽戰也。為其兼於陽也,故稱龍焉。《九家易》曰:陰陽合居,故曰“兼”。陽謂上六,坤行至亥,下有伏乾,陽者變化,以喻龍焉。猶未離其類也,故稱血焉。荀爽曰:實本坤卦,故曰“未離其類也”。血以喻陰順也。崔覲曰:乾坤交會,乾為大赤,伏陰柔之,故“稱血焉”。
《文言》にいう。陰盛んにして陽と匹敵するは必ず交戦す。孟喜にいう。陰気は上に迫近し、陽と相似匹敵すれば、必ず陽と交戦す。《文言》にいう。それは陽を兼含するがゆえに「龍」と称す。《九家易》にいう。陰陽一処に合居するから「兼」という。ここに陽は上六に就いていう。坤は亥位に運行し、下に乾を伏蔵し、陽は能く変化す。だから龍をもって喩う。《文言》にいう。終にその族類を脱せざるがゆえに「血」と称す。荀爽にいう。それは実はもと坤卦に属するから「未離其類」という。血は陰の順從を喩えるに用いる。崔覗にいう。乾坤交會し、乾の色は大赤で、伏蔵の陰がこれを柔ならしむ。だから「称血焉」。
夫玄黃者,天地之雜也。荀爽曰:消息之卦,坤位在亥,下有伏乾,陰陽相和,故言“天地之雜也”。天玄而地黃。王凱沖曰:陰陽交戰,故血玄黃。荀爽曰:天者陽,始於東北,故色玄也。地者陰,終於西南,故色黃也。
《文言》にいう。いわゆる玄黄は、天地二色の相雑るなり。荀爽は消息卦位に依る。十二消息卦の方位によりて坤位は亥に在り、下に乾を伏蔵し、陰陽互いに調和す。だから「天地之雑也」という。《文言》にいう。天色は玄黑にして地色は黄。王凱冲にいう。陰陽交戦するがゆえに血は玄黄の色を呈す。荀爽にいう。天は陽に属し、東北に起始すればこそ色は玄。地は陰に属し、西南に終結すればこそ色は黄。
《序卦》曰:有天地,然後萬物生焉。盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者,盈也。屯者,萬物之始生也。崔覲曰:此仲尼序文王次卦之意也。不序乾坤之次者,以一生二,二生三,二生萬物。則天地之次第可知,而萬物之先後宜序也。萬物之始生者,言剛柔始交,故萬物資始於乾,而資生於坤。
《序卦伝》にいう。天地あって然る後に万物资くして生ず。天地之間に充満するは万物のみ。だから乾坤の後に《屯》卦が続く。「屯」は充盈の意であり、また万物の生長を始める意である。崔覗にいう。これは孔子が文王の卦序排列の用意を解説した言である。乾坤両卦の次序を解説せざる所以は、一生じて二、二生じて三、三生じて万物で、天地の先後次第は自ずから知る可くして、万物の先後こそ排序を加えるを要すればこそ。いわゆる万物の生長を始むとは、剛柔が初めて交合するを説き、万物は乾によりて始まり坤によりて生成す。
屯卦
(震下坎上)。屯:元、亨、利、貞。虞翻曰:坎二之初,剛柔交震,故“元、亨”;之初得正,故“利、貞”矣。勿用有攸往,利建侯。虞翻曰:之外稱往。初震得正,起之慾應,動而失位,故“勿用有攸往”。震為侯,初剛難拔,故利以建侯。老子曰:善建者,拔也。
屯卦は下卦が震・上卦が坎。卦辞にいう。屯,元・亨・利・貞。虞翻は卦変に依って説く。《屯》は《坎》より来り、坎の二爻が初位に下りて剛柔交合し下体震を成すから「元・亨」という。この爻初位に至りてその正を得るから「利・貞」という。卦辞にいう。往くところあるに宜しからず、諸侯を分封するに利あり。虞翻にいう。外卦に出づるを「往」という。初爻震を成して正を得、起りて上に応ぜんと欲するも、一たび動けば正位を失うから「勿用有攸往」という。震は諸侯で、初爻剛正にして拔き難し。だから諸侯を分封するに利あり。《老子》に「善く樹るる者は拔かれず」という。
《彖》曰:屯,剛柔始交而難生。虞翻曰:乾剛坤柔,坎二交初,故“始交”。確乎難拔,故“難生”也。崔覲曰:十二月陽始浸長,而交於陰,故曰“剛柔始交”。萬物萌芽,生於地中,有寒冰之難,故言“難生”。於人事,則是運季業初之際也。
《彖伝》にいう。屯は、剛柔初めて交合して艱難生ず。虞翻にいう。乾は剛、坤は柔で、坎の二爻が初位に交るから「始交」といい、堅定にして拔き難きから「難生」という。崔覗は卦気と人事に依る。十二月に陽気初めて漸々生長し、陰と交接すればこそ「剛柔始交」。万物萌芽して地中に生れ、なお寒冰の難を経るべし。だから「難生」という。人事に就いていえば、これはまさに一の運数将に終らんとし、新たな基業初めて起る交替の際である。
動乎險中,大亨貞。荀爽曰:物難在始生,此本坎卦也。案:初六升二,九二降初,是剛柔始交也。交則成震,震為動也,上有坎,是動乎險中也。動則物通而得正。故曰“動乎險中,大亨貞”也。雷雨之動滿形,荀爽曰:雷震雨潤,則萬物滿形而生也。虞翻曰:震雷坎雨,坤為形也。謂三巳反正,成既濟。坎水流坤,故“滿形”。謂雷動雨施,品物流形也。
《彖伝》にいう。険難の中に動きて、大いに亨通して正を守る。荀爽にいう。万物の艱難は初生に在り、この卦はもと《坎》卦より変じて来る。李鼎祚の案語にいう。坎の初六が二位に升り、九二が初位に降る。これが剛柔の初めて交合するなり。一たび交合すれば下体便ち震を成し、震は動を主り、上にまた坎あり。これが「動乎険中」である。動くところあれば万物通達して各々その正を得るから「動乎険中,大亨貞」という。《彖伝》にいう。雷雨の鼓動は万物をして形体に充満せしむ。荀爽にいう。雷は震動し雨は滋潤すれば、万物充盈成形して生長す。虞翻は卦変に依りて象を取る。震は雷、坎は雨、坤は形である。三爻が正位に返るを待てば《既済》を成し、坎水は坤中に流入す。だから「満形」といい、すなわち雷動雨施・万物流布成形の意である。
天造草昧。荀爽曰:謂陽動在下,造物於冥昧之中也。宜建侯而不寧。苟爽曰:天地初開,世尚屯難,震位承乾,故“宜建侯”。動而遇險,故“不寧”也。虞翻曰:造,造生也。草,草創物也。坤冥為昧,故“天造草昧”。成既濟定,故曰“不寧”,言寧也。干寶曰:水運將終,木德將始,殷周際也。百姓盈盈,匪君子不寧。天下既遭屯險之難,后王宜蕩之以雷雨之政,故封諸侯以寧之也。
《彖伝》にいう。上天は草創冥昧の中に万物を生成す。荀爽にいう。これは陽気が下に発動し、幽暗不明の中に万物を創生するを説く。《彖伝》にいう。諸侯を分封するに宜しく、而して安寧を得ず。荀爽にいう。天地初めて開け、世道はなお屯難の中に在り。震位は乾を承ぐから「宜建侯」。一たび動けば険陷に遇うから「不寧」。虞翻にいう。「造」は創生、「草」は万物を草創す。坤の幽暗はすなわち「昧」だから「天造草昧」という。《既済》を成して各爻安んずるに至るまで、だから「不寧」といい、実はまさに安寧を言わんとす。干宝は五徳終始と史事に依る。水運将に終らんとし、木徳将に始まらんとす。これはまさに殷周交替の際である。百姓惶惶として安まず、君子なくして安寧を得ず。天下すでに屯に屯険の難に遭遇せば、後の君王は雷雨のごとき政令をもってこれを滌蕩すべし。だから諸侯を分封して天下を安んず。
《象》曰:雲雷,屯。《九家易》曰:雷雨者,興養萬物。今言屯者,十二月雷伏藏地中,未得動出。雖有雲雨,非時長育,故言屯也。君子以經論。荀爽曰:屯難之代,萬事失正。經者,常駐也。論者,理也。君子以經論,不失常道也。姚信曰:經,緯也。時在屯難,是天地經論之日,故君子法之,須經論艱難也。
《大象伝》にいう。雲は上に在り雷は下に在り、これが《屯》卦の象である。《九家易》の説明では、雷と雨はもと万物を興発・養育する力だが、今「屯」と称するは、十二月に雷はなお地中に潜伏し、振動して出ずる能わざればこそ。このとき天上に雲雨あると雖も、万物を長養する時節に在らず。だから「屯」という。経文は続けていう。君子はこれにより天下を経綸す。荀爽は屯難の時代、万事皆その正位を失うと考え、「経」は恒常の道、「論」はすなわち治理で、君子はこの時に世務を経綸し、終始常道を背离せざるを要すとす。姚信は別に解く。「経」は「緯」と相対し、織造経営の意である。まさに屯難の時は、まさに天地経緯創制の日だから、君子は天地に効法し、必ず艱難の中に経営治理すべし。
初九:盤桓,利居貞,利建侯。虞翻曰:震起艮止,動乎險中,故“盤桓”。得正得民,“利居貞”。謂君子居其室,慎密而不出也。《象》曰:雖盤桓,志行正也。荀爽曰:盤桓者,動而退也。頓謂從二動,而退居初,雖盤桓,得其正也。以貴下賤,大得民也。荀爽曰:陽貴而陰賤,陽從二來,是以貴下賤,所以得民也。
初九の爻辞にいう。徘徊盘旋し、居りて正を守るに利あり、諸侯を建立するに利あり。虞翻は卦象に依って解く。《屯》の下体震は動を主りて興起し、互体艮は静を主りて停止す。一動一止また身に坎険の中に処るから「盤桓」と称す。初九は陽をもって陽に居りて正位を得、また衆陰の下に居りて民心を得るから「利居貞」といい、すなわち《繫辞》のいう君子はその室に安居し、慎密にして軽出せずである。《小象伝》にいう。盤桓して前進せざると雖も、志と行事は端正なり。荀爽の説明では、「盤桓」は動きて後退る貌。この一陽爻はもと九二の位より動きて来り、初位に退居し、盘旋して進まざるに似るが、これによりて己の正位を得る。《小象伝》またいう。尊貴の身をもって卑賤の下に屈居すれば、大いに民心を得る。荀爽は陽を貴・陰を賤とし、この一陽はすでに二位より下降して来り、まさに貴者の自ら賤者の下に居るなり。だから民心を得る。
六二:屯如邅如,荀爽曰:陽動而止,故“屯如”也。陰乘於陽,故“邅如”也,乘馬班加。虞翻曰:屯邅盤桓,謂初也。震為馬作足,二乘初,故“乘馬”。班,躓也。馬不進,故“班如”矣。匪寇婚媾,女子貞不字,十年乃字。虞翻曰:匪非也。寇謂五。坎為寇盜,應在坎,故“匪寇”。陰陽德正,故“婚媾”。字,妊娠也。三失位,變復體離。離為女子,為大腹,故稱“字”。今失位為坤,離象不見,故“女子貞不字”。坤數十。三動反正,離女大腹。故十年反常乃字。謂成既濟定也。
六二の爻辞にいう。屯難にして回旋難行。荀爽の説明では、陽気は動かんと欲して阻止せらるから「屯如」といい、六二は陰柔をもって初九の陽に凌乘するから「邅如」といい、すなわち盘旋して進まず。爻辞またいう。馬に乘れど盘旋して前進せず。虞翻はいわゆる屯邅盤桓は初九を指すと考える。下体震は馬でありまた「作足」の馬で、六二は初九の上に乘るから「乘馬」という。「班」は馬の蹄を失い躓絆すること、馬肯んじて前進せざるから「班如」という。爻辞さらにいう。来る者は強盗に非ず、婚配を求めて来る者である。女子は正を守りて嫁育を肯ぜず、十年の後に初めて生育す。虞翻の説明では、「匪」はすなわち非。「寇」は九五を指し、上体坎は寇盗で、六二の応ずる所の爻はまさに坎中に在るから「匪寇」という。それは六二と陰陽相配しその徳皆正だから「婚媾」と称す。「字」は懐孕生育である。六三は位を失い、一変すれば重ねて離体を成し、離は中女・大腹だから「字」の象あり。今は六三位を失いて坤体に属し、離象隠没見えず。だから「女子貞不字」という。坤の成数は十で、六三変動して正位に返るを待てば、離女大腹の象は重ねて現る。だから十年の後に常道に返帰して初めて生育すといい、すなわち全卦《既済》と変じて六爻各々その定位を得る。
《象》曰:六二之難,乘剛也。崔覲曰:下乘初九,故為之難也。十年乃字,反常也。《九家易》曰:陰出於坤,今還為坤,故曰“反常也”。陰出於坤,謂乾再索而得坎。今變成震,中有坤體,故言陰出於坤。今還於坤,謂二從初即逆,應五順也。去逆就順,陰陽道正,乃能長養,故曰“十年乃字”。
《小象伝》にいう。六二の艱難は、剛爻を凌乘するに在り。崔覗の説明では、六二は上に在りて初九の剛は下に在り、柔をもって剛に乘るからその艱難を成す。《小象伝》またいう。十年にして初めて生育すは、常道に返ればこそ。《九家易》の説明では、この一陰爻はもと坤中より出で、今また坤に回帰すればこそ「反常」といい、すなわち本常に返帰す。いわゆる「陰は坤より出づ」とは、乾が第二番に坤に求索して坎を得るを指す。今《屯》の下体は震と変じ、震中に坤体を含むから陰は坤より出づという。いわゆる今坤に回帰すとは、六二がもし初九に順從すればすなわち逆で、上に九五に応ずればこそ順である。逆を離れて順に帰就すれば、陰陽の道各々その正を得て、万物乃ち生長養育する能くす。だから「十年乃字」という。
六三:即鹿無虞,惟入于林中,虞翻曰:即,就也。虞謂虞人,掌禽獸者。艮為山,山足稱麓。麓,林也。三變體坎,坎為叢木。山下,故稱“林中”。坤為兕虎;震為麋鹿,又為驚走;艮為狐狼。三變禽走入林中,故曰“即鹿無虞,惟入林中”矣。君子幾,不如舍,往吝。虞翻曰:君子謂陽已正位。幾,近。舍,置。吝,疵也。三應於上,之應歷險。不可以往,動如失位。故“不如舍”之,往必吝窮矣。
六三の爻辞にいう。野鹿を逐うて虞人の引導なく、空しく山林の中に陷入す。虞翻の説明では、「即」は趨就・追逐で、「虞」は虞人を指し、山林禽獣を掌る官である。上体艮は山で、山の脚を「麓」といい、麓はすなわち林である。六三一変すれば坎体を成し、坎は叢生の樹木でまた山下に在るから「林中」と称す。坤は兕虎、震は麋鹿にしてまた驚駭奔走、艮は狐狼である。六三一変すれば群獣驚き走りて林中に入るから「即鹿无虞,惟入林中」という。爻辞続いていう。君子は幾微の兆を見て、逐うを舎するに如かず。往けば必ず憾惜あらん。虞翻の説明では、「君子」はすでに正位に居る陽爻を指す。「幾」は接近、「舎」は舎置、「吝」は瑕疵である。六三は上六に相応するが、応爻に往くは坎険を経歴するを要す。ゆえに往く可からず。一たび動けば位を失うから「不如舎」として歩を止め、強いて往けば必ず困窘して憾を生ず。
《象》曰:即鹿無虞,以從禽也。案:《白虎通》云:禽者,何鳥?獸之總名,為人所禽制也。即此卦九五爻辭。王用三驅,失前禽,是其義也。君子舍之,往吝窮也。崔覲曰:君子見動之微,逆知無虞,則不如舍,勿往。往則吝窮也。
《小象伝》にいう。野鹿を逐うて虞人なきは、ひたすら禽獣を貪求すればこそ。李鼎祚の案語は《白虎通》を引く。何をか「禽」と謂うや。それは鳥獣の総名で、人に擒獲制服せらる可きによりて禽という。これは《比》卦九五の爻辞「王用三駆,失前禽」に用いる「禽」の字と同一の意義である。《小象伝》またいう。君子が舎して逐わざるは、往けば困窘して憾を生ずればこそ。崔覗の説明では、君子は変動の細微の兆を見る能くし、あらかじめ引導する人なきを知れば、寧ろ舎して往かず。一たび往けば憾惜と窮困に陥る。
六四:乘馬班如,虞翻曰:乘,三也。謂三巳變坎,為馬,故曰“乘馬”。馬在險中,故“班如”也。或說乘初,初為建侯,安得乘之也。求婚媾,往吉,無不利。崔覲曰:屯難之時,勿用攸往。初雖作應,班如不進。既比於五,五來求婚。男求女,“往吉,無不利”。《象》曰:求而往,明也。虞翻曰:之外稱“往”。體離,故“明也”。
六四の爻辞にいう。馬に乘れど盘旋して前進せず。虞翻の説明では、乘る所は六三である。六三すでに変じて坎を成し、坎は馬だから「乘馬」という。馬は坎険の中に陥るから「班如」という。ある人は六四の乘るは初九と説くが、初九は諸侯を建立する爻で、何ぞ凌乘せらる可けんや。爻辞続いていう。往きて婚配を求むれば、往きて吉祥、利ならざるなし。崔覗の説明では、屯難の時はもと往くところあるに宜しからず。初九は六四と相応すると雖も盤桓して進まず。六四はすでに九五に親比す。九五来りて婚を求むるは、男の女を求むる正礼だから「往吉,无不利」。《小象伝》にいう。求むる所あって往くは、明智なればこそ。虞翻の説明では、外卦に往くを「往」という。六四の処る所は離体を成し、離は明だから「明也」という。
九五:屯其膏,虞翻曰:坎雨稱“膏”。《詩》云:陰雨膏之,是其義也。小貞吉,大貞凶。崔覲曰:得屯難之宜,有膏澤之惠。謂與四為婚媾,施雖未光,小貞之道也,故“吉”。至於遠求嘉偶,以行大正,赴二之應,冒難攸往,固宜且凶。故曰“大貞凶”也。貞,正也。《象》曰:屯其膏,施未光也。虞翻曰:陽陷陰中,故“未光也”。
九五の爻辞にいう。膏沢屯聚して施布し難し。虞翻の説明では、坎は雨で、雨水は物を潤すから「膏」と称す。《詩経》に「陰雨これを膏す」というはまさにこの用法である。爻辞続いていう。小事の正を守れば吉、大事の正を守れば凶。崔覗の説明では、九五は屯難の時の分寸に合す能くし、なお膏沢の恩恵あり。それは六四と婚媾を結び、沢を施すはなお広大ならざるも、小処に正を守る道に合すから「吉」という。遠く佳偶を求め、大いなる正道を施行し、六二の正応に奔赴し、屯険を冒して往くに至っては、理応凶あるべし。だから「大貞凶」。「貞」はすなわち正である。《小象伝》にいう。膏沢屯聚は、施与なお広大ならざればこそ。虞翻の説明では、九五の陽は上下二陰の中に陥るから「未光」。
上六:乘馬班如,虞翻曰:乘,五也。坎為馬,震為行,艮為止,馬行而止,故“班如”也。泣血漣如。《九家易》曰:上六乘陽,故“班如”也。下二四爻雖亦乘陽,皆更得承五,憂解難除。今上無所復承,憂難不解,故“泣血漣如”也。體坎為血,伏離為目,互艮為手,掩目流血,泣之象也。《象》曰:泣血漣如,何可長也。虞翻曰:謂三變時,離為目。坎為血,震為出。血流出目,故“泣血漣如”。柔乘於剛,故不可長也。
上六の爻辞にいう。馬に乘り盘旋して前進せず。虞翻の説明では、乘る所は九五である。上体坎は馬、下体震は行、互体艮は止で、馬は行かんと欲して止めらるから「班如」という。爻辞続いていう。哭泣して血を流し、涕涙漣漣たり。《九家易》の説明では、上六は九五の陽を凌乘するから「班如」。下の六二・六四も陽に乘ると雖も、皆なお上に九五を承ぐ能くし、憂愁は化解し屯難は消除する可し。今上六は最上に在りて承ぐべき陽なく、憂患は解き難し。だから「泣血漣如」。象に就いていえば、上六は坎体に処り、坎は血、坎の伏する所の離は目、互体艮は手である。手をもって目を掩いて血涙流れ下るは、まさに哭泣の象である。《小象伝》にいう。哭泣流血漣漣たる、この局面何ぞ長久せんや。虞翻の説明では、六三変動の時を待てば、離は目、坎は血、震は出で、血は眼より流出すから「泣血漣如」。上六は柔をもって剛爻を凌乘するから長久す可からず。
蒙卦
《序卦》曰:物生必蒙,故受之以蒙。蒙者,蒙也,物之稚也。崔覲曰:萬物始生之後,漸以長稚,故言“物生必蒙”。鄭玄曰:蒙,幼小之貌。齊人謂萌之蒙也。(坎下艮上)。蒙:亨。虞翻曰:艮三之二。亨謂二。震剛柔接,故“亨”。蒙亨,以通行時中也。
《序卦伝》にいう。万物初生は必ず蒙昧幼小なり。だから《屯》の後に《蒙》が続く。「蒙」はすなわち蒙昧で、万物幼稚の段階である。崔覗の説明では、万物生長を始めて後、漸々萌芽より幼苗に長ずるから「物生必蒙」という。鄭玄の説明では、「蒙」は幼小の貌で、斉地の人は草木の初萌を「蒙」と呼ぶ。本卦は下体が坎・上体が艮。卦辞にいう。《蒙》,亨通。虞翻は卦変に依って解く。《蒙》は《艮》卦の九三が第二位に下居して来る。いわゆる「亨」は九二を指す。二より四に至る互体は震で、このとき剛爻と柔爻と相接相通すればこそ「亨」。《蒙》の亨通する所以は、それが通達の道をもって行い時に合し中を得ればこそ。
干寶曰:蒙者,離宮陰也。世在四。八月之時,降陽佈德,薺麥並生,而息來在寅,故“蒙”。於世為八月,於消息為正月卦也。正月之時,陽氣上達,故屯為物之始生,蒙為物之稚也。施之於人,則童蒙也。敬得其運,雖蒙必亨,故曰“蒙亨”。此蓋以寄成王之遭周公也。
干宝は納甲世応と消息の法に依って解く。《蒙》は離宮に属し、離宮の陰卦で、世爻は第四爻に在り。八月の時、陽気下降してその徳を布施し、薺と麦は一斉に萌生す。而して十二消息をもって推せば、その生息の気は寅位に来るから「蒙」という。世位に就いていえば八月に属し、消息に就いていえば正月の卦である。正月のとき陽気上達すればこそ《屯》は万物の萌生を始め、《蒙》は万物のなお幼稚に在るを説く。人事に用いれば幼童の蒙昧である。ただ恭敬に己の遇う所の時運に順応すれば、蒙昧の中に在ると雖も必ず亨通する能くす。だから「蒙亨」という。干宝はここに卦義を借りて周成王が周公の輔佐に遇う史事を寄寓したと考える。
匪我求童蒙,童蒙求我。虞翻曰:童蒙謂五,艮為童蒙。我謂二也。震為動起,嫌求之五,故曰“匪我求童蒙”。五陰求陽,故“童蒙求我,志應也”。艮為求,二體師象,坎為經。謂禮有來學,無往教。
卦辞にいう。われ幼稚蒙昧の人を求むるに非ず、蒙昧の人われを求むるなり。虞翻の説明では、「童蒙」は六五を指し、上体艮は少男だから童蒙を象る。「我」は九二を指す。二より四に至る互体は震で、震は動きて起るを主り、人をして九二が自ら六五を求めに行くと誤会せしめ易し。だからわざわざ「匪我求童蒙」という。六五は陰をもって陽を求むから「童蒙求我,志応也」といい、すなわち両爻心志相応ず。艮はまた求索の義あり。九二は群陰を統率し、《師》卦の象を具え、坎は經常の法である。これはまさに礼制のいう、学者のみ師に就きて学を受くるあり、師の往きて教を施す理なきに合す。
初筮告,再三瀆,瀆則不告,崔覲曰:初筮,謂六五求決於九二。二則告之。再三瀆,謂三應於上。四隔於三,與二為瀆,故二“不告”也。瀆,古黷字也。利貞。虞翻曰:二五失位,利變之正,故“利貞”。蒙以養正,聖功也。
卦辞にいう。初めて占問すればこれに告げ、再び三び追問するはすなわち褻瀆で、褻瀆すれば便ち告げず。崔覗の説明では、いわゆる「初筮」は六五が九二に決断を請えば九二これに告ぐ。「再三瀆」は六三が上に上九に応じ、六四また六三に隔てられ、二者皆九二に軽慢冒犯の嫌あり。だから九二は再び相告げず。「瀆」はすなわち古書の「黷」の字で、軽慢の意。卦辞またいう。正を守るに利あり。虞翻の説明では、九二は陰位に居り六五は陽位に居り、両爻皆位に当らざるから、変動して各々その正に帰するに利あり。だから「利貞」といい、蒙昧の時にその正道を涵養するはまさに聖徳の功業を成就す。
《彖》曰:蒙,山下有險,險而止,蒙。侯果曰:艮為山,坎為險,是山下有險。險被山止,止則未通,蒙昧之象也。蒙亨,以亨行時中也。荀爽曰:此本艮卦也。案:二進居三,三降居二。剛柔得中,故能通。發蒙時,令得進中矣。故曰“蒙亨,以亨行時中也”。
《彖伝》にいう。《蒙》卦は山下に険あり、険に遇いて歩みを止む、これが蒙である。侯果の説明では、上体艮は山、下体坎は険、まさに山下に険あり。険は山に阻止せられ、止まれば通達する能わず。これが蒙昧の象である。《彖伝》またいう。《蒙》の亨通する所以は、通達の道をもって行いて時に合し中に居ればこそ。荀爽はこの卦もと《艮》卦より変じ来ると考える。李鼎祚の案語にいう。《艮》の九二は上進して三位に居り、六三は下降して二位に居り、ここに剛柔各々その中を得、だから通達する能くす。まさに蒙昧を啓発する時に当り、陽剛をして進みて中に居らしむるを得るから「蒙亨,以亨行時中也」という。
匪我求童蒙,陸績曰:六五陰爻,在蒙暗。蒙又體艮,少男,故曰“童蒙”。童蒙求我,志應也。荀爽曰:二與五志相應也。初筮告,以剛中也。崔覲曰:以二剛中,能發於蒙也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。荀爽曰:再三,謂三與四也。皆乘陽,不敬,故曰“瀆”。瀆不能尊陽,蒙氣不除,故曰“瀆蒙也”。
《彖伝》は卦辞「匪我求童蒙」を引き、陸績の説明では、六五は陰爻で、蒙昧幽暗の中に処り、《蒙》の上体また艮で、艮は少男だからこれを「童蒙」と称す。《彖伝》に「童蒙求我,志応也」といい、荀爽の説明では、九二と六五は心志相互に感応す。《彖伝》に「初筮告,以剛中也」といい、崔覗の説明では、九二の陽剛にして中に居ればこそ、能く蒙昧を啓発す。《彖伝》に「再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也」といい、荀爽の説明では、いわゆる「再三」は六三と六四を指し、それらは皆陽爻を凌乘し、不恭敬の表れだから「瀆」という。軽慢して陽剛を尊崇する能わざれば、蒙昧の気は除去する由なし。だから「瀆蒙」という。
蒙以養正,聖功也。虞翻曰:體頤,故養。五多功。聖謂二,二志應五,變得正而亡其蒙,故“聖功也”。干寶曰:武王之崩,年九十三矣。而成王八歲,言天後成王之年,將以養公正之道,而成三聖之功。
《彖伝》にいう。蒙昧の中に正道を涵養するは、聖徳を成就する功業である。虞翻の説明では、《蒙》の二より上に至るは《頤》卦の象あり、《頤》は頤養を主るから「養」といい、第五爻はもと功業多し。「聖」は九二を指し、九二の心志は上に六五に応じ、変動の後各々正位を得て蒙昧尽く除かる。だから「聖功」という。干宝は史事から説を立てる。周武王の歿す時すでに九十三歳にして、成王は纔かに八歳。上天は成王の年寿を延長し、まさに公正の道をもって彼を涵養し、これにより文王・武王・周公三位の聖人の功業を成就せんとす。
《象》曰:山下出泉,蒙。虞翻曰:艮為山,震為出,坎象流出,故“山下出泉”。君子以果行育德。虞翻曰:君子謂二。艮為果,震為行。育,養也。二至上有頤養象,故“以果行育德”也。
《大象伝》にいう。山下より泉湧き出づ、これが《蒙》卦の象である。虞翻の説明では、上体艮は山、互体震は出、坎は水にして流出の象あるから「山下出泉」という。《大象伝》続いていう。君子はこれにより果決に行事し徳性を培育す。虞翻の説明では、「君子」は九二を指す。艮は果実にして果決の義あり、震は行である。「育」はすなわち養。二爻より上爻に至るは《頤》卦頤養の象あるから「以果行育徳」という。
初六:發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往吝。虞翻曰:發蒙之正,初為蒙始,而失其位。發蒙之正以成兌,兌為刑人,坤為用,故曰“利用刑人”矣。坎為穿木,震足艮手,互與坎連,故稱“桎梏”。初發成兌,兌為說,坎象毀壞,故曰“用說桎梏”。之應歷險,故“以往吝”。吝,小疵也。
初六の爻辞にいう。蒙昧を啓発し、刑罰を施して衆を警戒するに宜しく、人をして脚鎌手梏を解脱せしむ。もしひたすら往けば憾惜あらん。虞翻の説明では、蒙昧を啓発するはそれを正位に帰せしめるを要す。初六は蒙昧の開端で、しかも陰をもって陽に居りてその正位を失う。初六変動して正に帰した後、下体は兌を成し、兌は刑殺の人、坤は施用だから「利用刑人」という。坎は木材を穿鑿する象、震は足、艮は手で、互体また坎と相連す。脚上に械あり手上に梏あるから「桎梏」と称す。初六一変して兌を成し、兌は悦・脱で、坎象これに随いて毀壊す。だから「用説桎梏」といい、すなわち械梏を解く。初六は応爻に往くに坎険を経歴するを要すから「以往吝」といい、「吝」は小さき瑕疵である。
《象》曰:利用刑人,以正法也。虞翻曰:坎為法,初發之正,故“正法也”。干寶曰:初六戊寅,平明之時,天光始照,故曰“發蒙”。此成王始覺周公至誠之象也。坎為法律,寅為貞廉,以貞用刑,故“利用刑人”矣。此成王將正四國之象也。說,解也。正四國之罪。宜釋周公之黨,故曰“用說桎梏”。既感金滕之文,追恨昭德之晚,故曰“以往吝”。初二失位,吝之由也。
《小象伝》にいう。刑罰を施用するに宜しきは、法度を端正するを為とすればこそ。虞翻の説明では、坎は法で、初六変動して正位に帰するから「正法」という。干宝は納甲と史事に依って解く。《蒙》の下体坎は戊に納し、初爻は寅に配す。戊寅は天明破曉の時で、天光初めて照耀す。だから「発蒙」といい、これはまさに成王が初めて周公の一片至誠を察覚する象である。坎は法律、寅は貞正廉直で、貞正の徳をもって刑罰を施用すればこそ「利用刑人」。これは成王がまさに四方の国を匡正せんとする象である。「説」はすなわち解脱。すでに四国の罪を治定せば、周公の一党を釋放すべし。だから「用説桎梏」という。成王は金縢中の冊文を読みて感動し、己が周公の徳を彰明するの晚きを追悔す。だから「以往吝」という。初爻と二爻は皆位に当らず、これまさに憾惜の由来である。
九二:包蒙,吉。納婦,吉。子克家。《象》曰:子克家,剛柔接也。虞翻曰:坤為包。應五據初,初與三四同體,包養四陰,故“包蒙,吉”。震剛為夫,伏巽為婦,二以剛接柔,故“納婦,吉”。二稱家。震,長子,主器者。納婦成初。故有“子克家”也。
九二の爻辞にいう。蒙昧の人を包容すれば吉祥。妻室を娶納すれば吉祥。兒子は能く家業を撑持す。《小象伝》にいう。兒子の能く家業を撑持するは、剛柔相接すればこそ。虞翻の説明では、坤に包容の象あり。九二は上に六五に応じ下に初六に据り、而して初六は六三・六四と同じく一体に属す。九二はこの四つの陰爻を包容養育するから「包蒙,吉」。互体震は剛・夫で、震下に伏する巽は柔・婦である。九二は剛をもって柔を接ぐから「納婦,吉」。第二爻は「家」と称す。震は長子にして宗廟祭器を主持する者である。婦を娶りて初爻をしてその位を成就せしむるから「子克家」の象あり。
六三:勿用娶女,見金夫,不有躬,無攸利。虞翻曰:謂三誡上也。金夫謂二。初發成兌,故三稱“女”。兌為見。陽稱金。震為夫。三逆乘二陽,所行不順,為二所淫。上來之三,陟陰。故曰“勿用娶女,見金夫”矣。坤身稱躬,三為二所乘,兌澤動下,不得之應,故“不有躬”。失位多凶,故“無攸利”也。《象》曰:勿用娶女,行不順也。虞翻曰:失位乘剛,故“行不順也”。
六三の爻辞にいう。かかる女子を娶るなかれ。彼女は金ある勢いある男子を見れば自身の操守を失い、利ある所なし。虞翻の説明では、これは六三が上九を告誡するである。「金夫」は九二を指す。初六変動の後、下体は兌を成し、兌は少女だから六三は「女」と称す。兌はまた見で、陽剛は金と称し、互体震は夫である。六三は逆に九二の陽を凌乘し、行う所順ならず、反って九二に侵淫せらる。上九下りて三に応ずるは、陰柔に登臨するなり。だから「勿用娶女,見金夫」という。坤は身だから「躬」と称す。六三は九二に乘せられ、兌は沢にしてその性下に流るるを向く。能く前に上九と相応ずるを得ざるから「不有躬」といい、すなわち自身を保つ能わず。六三は位を失い、位を失えば多く凶。だから「无攸利」。《小象伝》にいう。かかる女子を娶るなかれは、その行い順ならざればこそ。虞翻の説明では、六三は位を失いてまた剛爻を凌乘すればこそ「行不順」。
六四:困蒙,吝。《象》曰:困蒙之吝,獨遠實也。王弼曰:陽稱實也。獨遠於陽,處兩陰之中,闇莫之發,故曰“困蒙”也。困於蒙昧,不能比賢以發其志,亦鄙矣,故曰“吝”。六五:童蒙,吉。虞翻曰:艮為童蒙,處貴承上,有應於二,動而成巽,故“吉”也。《象》曰:童蒙之吉,順以巽也。荀爽曰:順於上,巽於二,有似成王任用周召也。
六四の爻辞にいう。蒙昧に困み、憾惜あり。《小象伝》にいう。困蒙の憾惜は、ただそれ陽実に遠きに在り。王弼の説明では、陽爻は「実」と称す。六四は独り陽爻に遠ざかり、また六三・六五両陰の間に夹処し、幽暗にして啓発する人なし。だから「困蒙」。蒙昧の中に困みて、賢者に親しみ己が心志を啓発する能わざれば、鄙陋に流る。だから「吝」。六五の爻辞にいう。童稚蒙昧、吉祥。虞翻の説明では、上体艮は童蒙である。六五は身に尊貴の位を居りて上に上九を承け、下はまた九二に相応す。変動の後巽を成して柔順なればこそ「吉」。《小象伝》にいう。童蒙の吉祥なる所以は、それが柔順にして謙遜なればこそ。荀爽の説明では、六五は上に上九に順從し下に九二に謙遜す。成王の周公と召公を任用するがごとし。
上九:擊蒙,不利為寇,利禦寇。虞翻曰:體艮為手,故“擊”。謂五巳變,上動成坎,稱寇。而逆乘陽,故“不利為寇”矣。御,止也。此寇謂二。坎為寇,巽為高,艮為山,登山備下,順有師象,故“利禦寇”也。《象》曰:利用禦寇,上下順也。虞翻曰:自上御下,故“順”也。
上九の爻辞にいう。猛撃の方式をもって蒙を治むるは、自ら寇害の事を為すに利あらず、寇害を抵御するに利あり。虞翻の説明では、上体艮は手だから「撃」の象あり。もし六五すでに変動し上九再び動かば、便ち坎体を成して寇と称す。かくのごときは逆に陽爻を乘るなり。だから「不利為寇」。「御」は遏止で、ここに御る所の寇は九二を指す。坎は寇盗、巽は高、艮は山で、高山に登りて下方を防備し、柔順相従して《師》卦の象あればこそ「利御寇」。《小象伝》にいう。寇害を抵御するに利あるは、上下皆順從する能くすればこそ。虞翻の説明では、上位によりて下位を治御すればこそ「順」という。
需卦
《序卦》曰:物稚不可不養也。故受之以需。需者,飲食之道也。干寶曰:需,坤之游魂也。雲升在天,而雨未降,翱翔東西,須之象也。王事未至,飲宴之日也。夫坤者,地也;婦人之職也;百穀果蓏之所生,禽獸魚鱉之所託也;而在游魂變化之家,即烹爨腥實以為和味者也。故曰“需者,飲食之道也”。
《序卦伝》にいう。万物幼稚なれば養育を加えざる可からず。だから《蒙》の後に《需》が続く。「需」が説くは飲食の道である。干宝は八宮世応の法に依って解く。《需》は坤宮の游魂卦である。雲気は天上に升りて雨はいまだ降らず、東西に往來飄蕩す。まさに等待の象で、王家の政事いまだ至らざるは、まさに宴飲の日である。坤は地で、婦人の主る職分にして、百谷瓜果の生長する所であり、また禽獣魚鼈の身を托する所である。而して《需》は游魂変化の一宮に処り、まさに生腥の物を烹煮調和して美味と成す意である。だから「需者,飲食之道也」という。
(乾下坎上)。需:有孚,光亨,貞吉。虞翻曰:大壯四之五。孚謂五。離日為光。四之五,得位正中。故“光亨”。“貞吉”,謂“壯于大輿之輻也”。利涉大川。何妥曰:大川者,大難也。須之待時,本欲涉難,既能以信而待,故可以“利涉大川”矣。
本卦は下体が乾・上体が坎。卦辞にいう。《需》,誠信を心に懐き、光明亨通し、正を守れば吉祥。虞翻は卦変に依って解く。《需》は《大壮》の九四が第五位に上居して来る。「孚」は九五を指す。離は日・光である。九四が五位に升りて位を得て中に居り偏らざればこそ「光亨」。いわゆる「貞吉」は《大壮》九四の爻辞のいう「壮于大輿之輻」で、根基壮実である。卦辞またいう。大河を渡渉するに利あり。何妥の説明では、「大川」は大いなる患難に喩う。等待はすなわち時機を待つを要し、本意もと難を渉るに在り。すでに能く誠信をもって待てば、だから「利渉大川」を得。
《彖》曰:需,須也。險在前也,何妥曰:此明得名由於坎也。坎為險也。有險在前,不可妄涉,故須待時然後動也。剛健而不陷。其義不困窮矣。侯果曰:乾體剛健,遇險能通,險不能險,義不窮也。
《彖伝》にいう。「需」はすなわち等待で、険陷が前方に在ればこそ。何妥の説明では、これは卦名の由来が上体坎に在るを明かす。坎は険で、険阻が前面に横たわれば、贸然として渉越す可からず。だから必ず時機を待ちて然る後に行動す。《彖伝》続いていう。剛健にして険中に陥らざれば、その義理は困頓窮尽せざるなり。侯果の説明では、下体乾の体性は剛健で、険難に遇えどなお通過する能くし、険もまたそれを険しむる能わず。だから義理は窮尽せず。
需,有孚,光亨,貞吉。位乎天位,以正中也。蜀才曰:此本大壯卦。案:六五降四,有孚,光亨,貞吉。九四升五,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。虞翻曰:謂二失位,變而涉坎,坎為大川。得位應五,故“利涉大川”。五多功,故“往有功也”。
《彖伝》にいう。《需》は誠信あり、光明亨通し、正を守れば吉祥なるは、天子の位に居りしかも中正にして偏らざればこそ。蜀才はこの卦もと《大壮》より変じ来ると考える。李鼎祚の案語にいう。《大壮》の六五は四位に下降し、ここに誠信・光明亨通・正守吉祥あり。九四は五位に上昇し、ここに天位に居りて中正なり。《彖伝》またいう。大河を渡渉するに利ありは、往けば功業あらん。虞翻の説明では、九二は位を失い、変動の後はまさに坎水を渉るべし。坎は大川である。変正の後位を得て上に九五に応ずればこそ「利渉大川」。第五爻は多く功業あるから「往有功也」という。
《象》曰:雲上於天,需。宋衷曰:雲上於天,須時而降也。君子以飲食宴樂。虞翻曰:君子謂乾。坎水兌口。水流入口為飲。二失位,變體噬嗑,為食,故“以飲食”。陽在內,稱宴。大壯,震為樂,故“宴樂”也。
《大象伝》にいう。雲気は天上に升る、これが《需》卦の象である。宋衷の説明では、雲すでに天上に升り、ただ時機を待ちて然る後に雨を降さんとす。《大象伝》続いていう。君子はこれにより飲食宴楽し、安んじて時を待つ。虞翻の説明では、「君子」は下体乾を指す。坎は水、互体兌は口で、水は口に流れ入るを「飲」という。九二は位を失い、変動の後《噬嗑》の体を成し、《噬嗑》は咀嚼進食の象あるから「飲食」という。陽爻は内卦に在りて「宴」と称す。《需》は《大壮》より来り、《大壮》の下体震は楽だから「宴楽」という。
初九:需于郊,利用恆,無咎。干寶曰:郊,乾坎之際也。既已受命,進道北郊,未可以進,故曰“需于郊”。處不避汙,出不辭難,臣之常節也。得位有應,故曰“利用恆”。雖小稽留,終於必達,故曰“無咎”。《象》曰:需于郊,不犯難行也。利用恆無咎,未失常也。王弼曰:居需之時,最遠於險;能抑其進,不犯難行;雖不應幾,可以保常,故“無咎”。
初九の爻辞にいう。郊野に待ち、常を守りて変ぜざるに宜しく、咎なし。干宝の説明では、「郊」は乾体と坎体の交接する地帯である。すでに使命を受け、前進の道は北郊に至るも、なお再び進む可からず。だから「需于郊」という。居処に污濁を回避せず、出仕に艱難を推辞せざるは、人臣恒常の節操である。初九は正位を得てまた上応あればこそ「利用恒」。稍有停留耽擱と雖も、終に必ず到達する能くすから「无咎」。《小象伝》にいう。郊野に待つは、険難を冒犯せずして行えばこそ。常道を守りて咎なきは、常規を失わざればこそ。王弼の説明では、初九は等待の時に処り、険難に最も遠し。能く己の前進の念を抑制し、険に冒り難を犯さざれば、眼前の機会に応合する能わざると雖も、常道を保全する可し。だから「无咎」。
九二:需于沙,小有言,終吉。虞翻曰:沙謂五。水中之陽稱沙也。二變之陰,稱小。大壯震為言,兌為口。四之五,震象半見,故“小有言”。二變應之,故“終吉”。《象》曰:需于沙,衍在中也。虞翻曰:衍,流也。中謂五也。荀爽曰:二應於五,水中之剛,故曰“沙”。知前有沙漠。而不進也。體乾處和,美德優衍在中,而不進也。雖小有言,以吉終也。荀爽曰:二與四同功,而三據之,故“小有言”。乾雖在下,終當升上,二當居五,故“終吉也”。
九二の爻辞にいう。沙地に待ち、略ば言語の責難あり、終に吉祥。虞翻の説明では、「沙」は九五を指し、水中の陽剛の物をすなわち沙と称す。九二は陰爻に変じ、陰は「小」と称す。《大壮》の下体震は言、互体兌は口で、九四が五位に升った後、震象は半ばのみ顕露す。だから「小有言」といい、九二変じて上に九五に応ずればこそ「終吉」。《小象伝》にいう。沙地に待つは、寛綽余裕ありて中に居ればこそ。虞翻の説明では、「衍」は流衍で、「中」は九五を指す。荀爽は別に解く。九二は上に九五に応じ、九五は水中の陽剛だから「沙」と称す。九二は前面に沙漠険阻あるを知りて冒進せず。それは身に乾体に処りて中和の位に居り、美徳寛裕して内に充盈すればこそ安守して進まず。《小象伝》またいう。略ば言語の責難あると雖も、終竟吉祥をもって収場す。荀爽の説明では、九二と九四は同功で、六三はその間に占据す。だから「小有言」。乾体は眼下下卦に在ると雖も、終に上に升るべく、九二は五位に居るべし。だから「終吉」。
九三:需于泥,致寇至。荀爽曰:親與坎接,故稱“泥”。須止不進,不取於四,不致寇害。《象》曰:需于泥,災在外也。崔覲曰:泥近乎外者也。三逼於坎,坎為險盜,故“致寇至”。是災在外也。自我致寇,敬慎不敗也。虞翻曰:離為戎,乾為敬。陰消至五遁,臣將弒君。四上壯坤,故“敬慎不敗”。
九三の爻辞にいう。泥濘の中に待ち、寇敵の至るを招致す。荀爽の説明では、九三は上体坎水に緊挨着するから「泥」と称す。それは止りて進まず、六四を求取せざるべく、すれば寇害を招致せず。《小象伝》にいう。泥濘の中に待つは、災禍外卦に在ればこそ。崔覗の説明では、泥濘すでに外卦に靠近す。九三は坎体に逼近し、坎は険陷盗寇だから「致寇至」。これが災禍の外に在るなり。《小象伝》またいう。これは自ら寇敵を招くにして、ただ恭敬謹慎なれば敗れず。虞翻の説明では、互体離は兵戎、乾は恭敬である。もし陰気消剥して第五爻に至れば《遁》を成し、それは臣下まさに君を弑せんとする局面である。九四と上爻は壮盛にして坤陰を抑制すればこそ「敬慎不敗」。
六四:需于血,出自穴。案:六四體坎。坎為雲,又為血卦。血以喻陰。陰體卑弱,宜順從陽,故曰“需于血”。《九家易》曰:雲從地出,上升於天。自地出者,莫不由穴。故曰“需于血,出自穴”也。
六四の爻辞にいう。血泊の中に待ち、洞穴の中より出づ。李鼎祚の案語にいう。六四は坎体に処り、坎は雲にしてまた「血卦」である。血は陰を喩えるに用いる。陰の体性は卑弱にして陽剛に順從すべし。だから「需于血」という。《九家易》の説明では、雲気は地中より生出し、再び天上に上昇す。およそ地中より出づるは孔穴に経由せざるなし。だから「需于血,出自穴」という。
《象》曰:需于血,順以聽也。王弼曰:穴者,陰之路也。四處坎始,居穴者也。九三剛進,四不能距,見侵則避,順以聽命也。《九家易》曰:雲欲昇天,須時當降。順以聽五,五為天也。
《小象伝》にいう。血泊の中に待つは、柔順にして命を聴けばこそ。王弼の説明では、洞穴は陰気の行う所の路である。六四は坎体の始めに処り、まさに穴中に居る人である。九三陽剛は上進し、六四は抗拒する力なく、侵逼せられれば退避し、柔順に命令を聴従す。《九家易》の説明では、雲気は天に升らんと欲するも、時機を待ちて下降するを須う。六四は柔順に九五に聴命し、九五すなわち天位なればこそ。
九五:需于酒食,貞吉。荀爽曰:五互離,坎水在火上,酒食之象。需者,飲食之道。故坎在需家,為酒食也。雲須時欲降,乾須時當升。五有剛德,處中居正。故能帥群陰,舉坎以降。陽能正居其所,則吉。故曰“需于酒食”也。《象》曰:酒食貞吉,以中正也。《九家易》曰:謂乾二當升五,正位者也。盧氏曰:沈湎則凶,中正則吉也。
九五の爻辞にいう。酒食の中に待ち、正を守れば吉祥。荀爽の説明では、九五の在る所の互体は離で、坎水は離火の上に在り、まさに酒食を烹煮する象である。《需》の講ずる所はもと飲食の道だから、坎は《需》卦这一家に在りて、便ち酒食の義を取る。雲気は時機を待ちて降らんと欲し、乾陽は時機を待ちて升るべし。九五は剛健の徳を具え、中に居りて正を得るから、能く衆陰を統率し、坎水を挙げてこれを下降せしむ。陽剛は能く端正に己が位に安処するはすなわち吉。だから「需于酒食」という。《小象伝》にいう。酒食に正を守りて吉なるは、中に居りて正を得ればこそ。《九家易》の説明では、これは乾体の九二が五位に升るべく、すればこそ各々その位を正すを言う。盧氏は別に解く。酒食に沉湎すれば凶、中を守り正を得れば吉。
上六:入于穴,荀爽曰:需道已終,雲當下入穴也。雲上升極,則降而為雨,故《詩》云:朝躋於西,崇朝其雨,則還入地,故曰“入于穴”。雲雨入地,則下三陽動而自至者也。有不速之客三人來,敬之終吉。荀爽曰:三人,謂下三陽也。須時當升,非有召者,故曰“不速之客”焉。乾升在上,君位以定;坎降在下,當循臣職。故“敬之終吉”也。《象》曰:不速之客來,敬之終吉。雖不當位,未大失也。荀爽曰:上降居三,雖不當位,承陽有實,故“終吉”,無“大失”矣。
上六の爻辞にいう。洞穴の中に入る。荀爽の説明では、等待の道すでに終点に至り、雲はまさに下降して穴に入るべし。雲は上昇して極処に至れば、すなわち降落して雨と成る。だから《詩経》に朝に雲西方に起り、一朝の内に便ち雨を下し、雨は落ちてまた地に帰すという。だから「入于穴」。雲雨は地に入り、下の三つの陽爻は自ずから動いて上る。爻辞続いていう。請わざるに自ら来る三人の客の至るあり、恭敬して彼らを待せば、終竟吉祥。荀爽の説明では、「三人」は下体の三つの陽爻を指す。それらはもと時機を待ちて升るべく、人の召請あるに非ず。だから「不速之客」と称す。乾陽は上昇して上位に居り、君位これにより定まる。坎陰は下降して下位に居り、臣子の職分に遵循すべし。だから「敬之終吉」。《小象伝》にいう。不速の客の至る、恭敬に待して終竟吉祥。位当らざると雖も、大いなる過失なし。荀爽の説明では、上六は下降して三位に居り、位当らざると雖も、上に陽剛を承けて依拠する実あり。だから「終吉」、「大失」なし。
巻三・訟卦
《序卦》曰:飲食必有訟,故受之以訟也。鄭玄曰:訟,猶爭也,言飲食之會恆多爭也。(坎下乾上)。訟:有孚,干寶曰:訟,離之游魂也。離為戈兵,此天氣將刑殺,聖人將用師之卦也。訟,不親也。兆民未識天命不同之意。荀爽曰:陽來居二,而孚於初,故曰“訟有孚”矣。
《序卦伝》にいう。飲食の利あれば必ず争訟を引起す。だから《需》の後に《訟》が続く。鄭玄の説明では、「訟」は争奪に比す。飲食聚會の場合は常に争奪多しという。本卦は下体が坎・上体が乾。卦辞にいう。《訟》,誠信を心に懐く。干宝は八宮世応の法に依って解く。《訟》は離宮の游魂卦。離は戈兵で、これは天時まさに刑殺を行い、聖人まさに軍旅を動用せんとする卦である。訟はすなわち相亲せざるなり。億万の百姓はいまだ天命すでに改易した理を明白せず。荀爽の説明では、陽爻下りて第二位に居り、初六と相孚信す。だから「訟有孚」という。
窒惕,中吉,虞翻曰:遁三之二也。孚謂二。窒,塞止也。惕,懼二也。二失位,故不言貞。遁將成否,則子弒父,臣弒君。三來之二,得中;弒不得行,故“中吉”也。終凶。虞翻曰:二失位,終止不變,則入於淵,故“終凶”也。利見大人,不利涉大川。侯果曰:大人,謂五也。斷決必中,故“利見”也。訟是陰事,以險涉險,故“不利涉大川”。
卦辞にいう。誠信は窒塞せられて心に戒懼を存し、中にして過ぎざれば吉。虞翻は卦変に依って解く。《訟》は《遁》の九三が第二位に下居して来る。「孚」は九二を指す。「窒」は堵塞阻止、「惕」は九二が心に畏懼を存す。九二は位を失うから、卦辞は「貞」を言わず。《遁》は再び下に消えば《否》を成さんとす。すなわち兒子の父を弑し臣下の君を弑する乱局である。今九三下りて二位に居りて中位を得、弑逆の事は行わる可からず。だから「中吉」という。卦辞またいう。終竟凶あり。虞翻の説明では、九二は位を失い、もし始終停住して変動するを肯ぜざれば、深淵に陷入せん。だから「終凶」。卦辞またいう。大人を見るに利あり、大河を渡渉するに不利。侯果の説明では、「大人」は九五を指し、彼は案情を決断するに必ず中道に合す。だから「利見」。争訟は陰晦の事で、険をもって険を渉る。だから「不利渉大川」。
《彖》曰:訟,上剛下險,險而健,訟。盧氏曰:險而健者,恆好爭訟也。訟,有孚窒惕,中吉,剛來而得中也。蜀才曰:此本遁卦。案:二進居三,三降居二,是剛來而得中也。終凶,訟不可成也。王肅曰:以訟成功者,終必凶也。
《彖伝》にいう。《訟》卦は上体剛健・下体険陷、険陷にしてまた剛健なればこそ訟を成す。盧氏の説明では、内心険陷にして外表剛強の人は、常に争訟を好む。《彖伝》にいう。《訟》に誠信の窒塞せられて戒懼を心に懐き、中に居れば吉なるは、剛爻下りて中位に居ればこそ。蜀才はこの卦もと《遁》卦より変じ来ると考える。李鼎祚の案語にいう。《遁》の六二は上進して三位に居り、九三は下降して二位に居る。これが剛爻の下りて中を得るなり。《彖伝》またいう。終竟凶あるは、争訟はその成就を求む可からざればこそ。王肅の説明では、打官司に依りて功業を成就する人は、最后必ず凶あり。
王弼曰:凡不和而訟,無施而可,涉難特甚焉。唯有信而見塞懼者,乃可以得吉也。猶復不可以終,中乃吉也。不閉其源,使訟不至,雖每不枉,而訟至終竟,此亦凶矣。故雖復有信,而見塞懼,猶不可以為終,故曰“訟,有孚,窒惕,中吉,終凶”也。無善聽者,雖有其實,何由得明。而令有信塞懼者,得其中吉,必有善聽之主焉。其在二乎?以剛而來,正夫群小,斷不失中,應其任矣。
王弼の説明では、およそ彼此不和にして争訟を興すは、いかに為すとも妥当なるなし。殊に険難を渉越する時にはしかり。ただ自ら誠信あるに堵塞せられ、しかるがゆえに戒懼を心に懐く人のみ、吉祥を獲得する可し。かくのごとくと雖も訟を打ち尽す可からず、適可に止むるこそ吉。もし争訟の源頭を堵塞せずして争訟を再び発生せしめざれば、すなわち毎次の判決皆人を冤枉せざるも、訟事をひたすら打ち尽すは、なおこれ凶である。だから縱い誠信ありて窒塞戒懼せられとも、争訟を終局に進行する可からず。これにより卦辞に「訟,有孚,窒惕,中吉,終凶」という。もし善く訟を聴く人なくんば、当事者は縱い真実の道理あらんも、また何をもってか昭明を得ん。而して能く誠信あるに窒塞戒懼せらるる人をして中道の吉を獲得せしむるは、必ず善く訟を聴く主事者あるを以てす。蓋し九二ならんか。それは陽剛の徳をもって下り、衆多の陰柔小人を匡正し、決断して中道を失わず。まさにこの職任に配す。
案:夫為訟,善聽之主者,其在五焉。何以明之?案爻辭:九五:訟,元吉。王氏注云:處得尊位,為訟之主,用其中正,以斷枉直。即《彖》云:利見大人,尚中正,是其義也。九二《象》曰:不克訟,歸逋竄也。自下訟上,患至掇也。九二居訟之時,自救不暇。訟既不克,懷懼逃歸,僅得免其終凶禍,豈能為善聽之主哉!年代綿流,師資道喪,恐傳寫字誤,以五為二,後賢當審詳之也。
李鼎祚の案語にいう。争訟の中に善く訟を聴く主事者は、まさに九五に在るべし。何を以てかくのごとく断定するか。請う爻辞を見よ。九五に「訟,元吉」といい、王弼自らの注解は彼の身は尊位に処り、聴訟の主なりとし、中正の道を用いて曲直を判斷す。すなわち《彖伝》のいう所の「利見大人,尚中正」、まさにこの意である。而して九二の《小象伝》に「不克訟,帰逋竄也。自下訟上,患至掇也」といい——九二は身に争訟の時に処り、自ら救うなお及ばず。官司すでに打勝つ能わざれば、恐懼を懐きて家中に逃帰る。ただ勉强に最后の凶禍を免るるのみ、いずくんぞ能く善く訟を聴く主事者と為さん。年代久遠綿延し、師承の道亡失せり。恐らくは傳抄の時に字を写錯して、「五」を「二」と写したならん。後の賢者はまさに仔細に審辨すべし。
利見大人,尚中正也。荀爽曰:二與四訟,利見於五。五以中正之道,解其訟也。不利涉大川,入于淵也。荀爽曰:陽來居二,坎在下,為淵。《象》曰:天與水違行,訟。荀爽曰:天自西轉,水自東流,上下違行,成訟之象也。
《彖伝》にいう。大人を見るに利あるは、中正を崇尚すればこそ。荀爽の説明では、九二と九四は相争訟し、九五を見るに利あり。九五は中正の道をもって彼らの争訟を化解す。《彖伝》またいう。大河を渡渉するに不利は、深淵に陷入せん。荀爽の説明では、陽爻下りて第二位に居り、坎体は下に在り。すなわち深淵である。《大象伝》にいう。天と水は道に背きて行く。これが《訟》卦の象である。荀爽の説明では、天体は自ら西より東に旋轉し、水流は自ら東より下に流去る。上下道に背きて行くは、まさに争訟を形成する象である。
君子以作事謀始。虞翻曰:君子謂乾。三來變坤,為作事。坎為謀。乾知大始。故“以作事謀始”。干寶曰:省民之情,以制作也。武王故先觀兵孟津,蓋以卜天下之心,故曰“作事謀始”也。
《大象伝》にいう。君子はこれにより事を興辦する初めに先んじて謀劃す。虞翻の説明では、「君子」は上体乾を指す。九三下りて下体を坤に変ぜしむ。坤は營作を主るから「作事」。坎は謀慮である。《系辞》に乾は大始を知るを主るといい、だから「以作事謀始」という。干宝は史事より解く。これは民情を省察し、然る後に制作あるなり。周武王の先に孟津に於て兵を觀たる所以は、まさに天下人心の向背を占驗せんが為なり。だから「作事謀始」という。
初六:不永所事,小有言,終吉。虞翻曰:永,長也。坤為事,初失位,而為訟始,故“不永所事”也。小有言,謂初四易位成震,言三食舊德,震象半見,故“小有言”。初變得正,故“終吉”也。《象》曰:不永所事,訟不可長也。雖小有言,其辯明也。盧氏曰:初欲應四,而二據之。蹔爭,事不至永。雖有小訟,訟必辯明,故“終吉”。
初六の爻辞にいう。争う所の事を拖長せず、略ば言語の争執あり、終竟吉祥。虞翻の説明では、「永」は長久。坤は事を主り、初六は位を失いてまた争訟の開端なり。だから「不永所事」。いわゆる「小有言」は、初六と九四とが其の位を互換して震を成し、震は言で、指す所は六三の其の旧徳を食むの一爻辞。この時震象は半ばのみ顕露す。だから「小有言」といい、初六変動して正を得ればこそ「終吉」。《小象伝》にいう。争う所の事を拖長せざるは、争訟は長久なる可からざればこそ。略ば言語の争執あると雖も、その是非は終に辯説明白せん。盧氏の説明では、初六は上に九四に応ぜんと欲し、而して九二は其の間に占据す。ここに短暫相争い、事は拖長に至らず。小さき訟争あると雖も、是非必ず辯明する能くす。だから「終吉」。
九二:不克訟,歸而逋。虞翻曰:謂與四訟,坎為隱伏,故“逋”乾位剛在上,坎濡失正,故“不克”也。其邑人三百戶,無眚。虞翻曰:眚,災也,坎為眚,謂二變應五。乾為百,坤為戶;三爻,故三百戶。坎化為坤,故“無眚”。
九二の爻辞にいう。官司打勝つ能わず、逃げて自らの封邑に帰る。虞翻の説明では、これは九二と九四とが争訟するを指す。坎は隠伏だから「逋」すなわち逃匿の象あり。乾位の陽剛は高居して上に在り、坎体は濡陷して九二その正位を失う。だから「不克」、すなわち取勝する能わず。爻辞続いていう。彼の封邑は三百戸の人家のみあり、災眚なし。虞翻の説明では、「眚」は災禍で、坎は災眚である。これは九二変動の後上に九五に応ずるを言う。乾の数は百、坤は門戸で、坤に三爻あるから「三百戸」。坎変化して坤と成れば災象消失す。だから「无眚」。
《象》曰:不克訟,歸逋竄也。荀爽曰:三不克訟,故逋而歸。坤稱邑。二者,邑中之陽人。逋,逃也,謂逃失邑中之陽人。自下訟上,患至掇也。荀爽曰:下與上爭,即取患害,如拾掇小物而不失也。坤有三爻,故云“三百戶,無眚”。二者,下體之君。君不爭,則百姓無害也。
《小象伝》にいう。官司打勝つ能わざれば、封邑に逃帰りて躲藏す。荀爽の説明では、争訟取勝する能わざればこそ、逃匿して帰る。坤は邑と称し、九二は邑中の陽剛の人である。「逋」はすなわち逃亡で、邑中この陽剛の人を失去したを指す。《小象伝》またいう。下位を以て上位と相争うは、禍患の到来は手を伸べて物を拾うがごとし。荀爽の説明では、下位の人と上位の人と争闘するは、自ら禍害を取るに等し。小物を拾取するがごとく一取すれば便ち到り、決して落空せず。坤に三爻あるから爻辞に「三百戸,无眚」という。九二は下体の君で、君長自ら争わざれば、百姓は害を受けず。
六三:食舊德,貞厲,終吉。虞翻曰:乾為舊德。食謂初。四二已變之正。三動得位,體噬嗑食。四變食乾,故“食舊德”。三變在坎,正危貞厲,得位二,故“終吉”也。或從王事,無成。虞翻曰:乾為王。二變否時,坤為事,故“或從王事”。道無成而代有終,故曰“無成”。坤三同義也。《象》曰:食舊德,從上吉也。侯果曰:雖失其位,專心應上,故能保全舊恩,食舊德者也。處兩剛之間,而皆近不相得。乘二負四,正之危也。剛不能侵,故“終吉”也。
六三の爻辞にいう。旧有の俸禄徳沢を享用し、正を守りて危厲を戒懼し、終竟吉祥。虞翻の説明では、上体乾は旧徳である。「食」は初六を指す。九四と九二は皆すでに変じて各々其の正に帰す。六三一動すれば便ち正位を得、《噬嗑》の体を成して咀嚼進食の象あり。九四変じて乾陽を承食すればこそ「食旧徳」という。六三変動の後坎中に処り、まさに危険の地に当る。だから「貞厲」。二位と相配して位を得ればこそ「終吉」。爻辞続いていう。あるいは君王に輔佐して事を辦するも、自ら其の成に居るを敢てせず。虞翻の説明では、乾は王である。九二変動して《否》を成す時、坤は事を主る。だから「或從王事」。臣道は自ら成功に居るを敢てせず、君に代りて其の事を始終す。だから「无成」。これは《坤》卦六三の爻義と相同じ。《小象伝》にいう。旧有の徳沢を享用し、上位に順從すれば吉。侯果の説明では、六三その正位を失うと雖も、専心に上九に上応す。だから能く旧日の恩沢を保全す。まさに「食旧徳」の人である。それは九二・九四両剛爻の間に夹処し、両辺近しと雖も皆相得ず。下に九二を乘り上に九四を負うは、まさに其の危処である。然るに剛爻は終竟それを侵奪する能わず。だから「終吉」。
九四:不克訟,復即命渝,安貞吉。虞翻曰:失位,故“不克訟”。渝變也。不克訟,故復位。變而成巽,巽為命令,故“復即命渝”。動而得位,故“安貞吉”。謂二已變坤安也。《象》曰:復即命渝,安貞吉,不失也。侯果曰:初既辯明,四訟妄也。訟既不克,當反就前理。變其詔命,則安靜貞吉而不失初也。
九四の爻辞にいう。官司打勝つ能わざれば、回頭して正命に就き態度を改変し、安んじて正を守れば吉。虞翻の説明では、九四は陽をもって陰に居りて位を失うから「不克訟」。「渝」は改変である。すでに争訟勝たざれば、自らの正位に返回すべし。変動の後巽を成し、巽は命令だから「復即命渝」という。動いて位を得ればこそ「安貞吉」。これは九二すでに坤に変じ、坤は安順を主るを言う。《小象伝》にいう。正命に回り態度を改変し、安んじて正を守れば吉なるは、失去する所なければこそ。侯果の説明では、初六の是非すでに辯明せば、九四の争訟は妄挙である。官司すでに打勝つ能わざれば、まさに原先の道理に返回し、自ら発出した命令を改変すべし。すれば安静に正を守りて吉にして、初六この正応を失うこともなし。
九五:訟,元吉。《象》曰:訟,元吉,以中正也。王肅曰:以中正之德,齊乖爭之俗,元吉也。王弼曰:處得尊位,為訟之主。用其中正,以斷枉直。中則不過,正則不邪,剛則無所溺,公則無所偏。故“訟,元吉”。
九五の爻辞にいう。争訟を聴断すれば、大いに吉祥。《小象伝》にいう。訟を聴きて大吉なるは、中に居りて正を得ればこそ。王肅の説明では、中正の徳を以て其の乖戾好争の風俗を整齊すればこそ大吉。王弼の説明では、九五は身に尊位に処り、聴訟の主事者である。其の中正の徳を用いて曲直を判斷す。中に居れば過ぎざらず、正を得れば邪僻ならず、陽剛なれば私情に沉溺せず、公道なれば偏袒する所有らず。だから「訟,元吉」という。
上九:或錫之鞶帶,虞翻曰:錫謂王之錫命。鞶帶,大帶。男子鞶革。初四已易位,三二之正,巽為腰帶,故“鞶帶”。終朝三拕之。虞翻曰:位終乾上。二變時,坤為終。離為日,乾為甲。日出甲上。故稱“朝”。應在三,三變時,艮為手,故“終朝三拕之”。使變應已,則去其鞶帶。體坎乘陽,故象曰“不足敬也”。
上九の爻辞にいう。あるいは彼に一条の大帯を賜う。虞翻の説明では、「錫」は君王の賜命で、「鞶帯」は大帯である。《礼記》に男子の鞶帯は革を以て製すという。初六と九四はすでに其の位を互換し、六三と九二は各々其の正に帰す。この時互体は巽で、巽は縄帯、人の腰帯を象る。だから「鞶帯」。爻辞続いていう。一朝の内に三次剥奪せらる。虞翻の説明では、上九は乾体の終に位す。九二変動の時坤は終である。離は日、乾は甲で、太陽は甲位より上昇す。だから「朝」と称す。上九の応ずる所は六三に在り、六三変動の時互体は艮で、艮は手である。だから「終朝三拕之」という。もし六三を変じて上九と相応せしめば、彼の鞶帯を奪去すべし。上九は坎体に処りて陽爻を凌乘すればこそ《小象伝》に「不足敬也」という。
侯果曰:褫(拕),解也。乾為衣、為言,故以訟受服。荀爽曰:二四爭三,三本下體,取之有緣。或者,疑之辭也。以三錫二,於義疑矣。爭競爭之世,分理未明,故或以錫二。終朝者,君道明。三者,陽成功也。君明道盛,則奪二與四,故曰“終朝三拕之”也。鞶帶,宗廟之服。三應於上,上為宗廟。故曰“鞶帶”也。翟玄曰:上以六三錫下二陽,群剛交爭,得不以讓,故終一朝之間,各一奪之,為三拕。
侯果の説明では、「褫」はすなわち解脱剥奪。乾は衣服にしてまた言語である。だから打官司に因りて服飾を得る象あり。荀爽の説明では、九二と九四は六三を争奪し、六三はもと下体に属す。九二それを取るは縁由あり。「或」は疑いていまだ定まらざるを表す詞で、六三を九二に賜うは義理上なお可疑に属す。争競の世道に在りては、名分道理いまだ釐清せず。だからただ「或」九二に賜う。いわゆる「終朝」は君道昌明の時を言う。「三」は陽徳が功業を成就したを表す。君主明察にして王道興盛なれば、六三を九二と九四の手中より奪回せん。だから「終朝三拕之」という。鞶帯は宗廟祭祀の礼服である。六三は上に上九に応じ、上九は宗廟の位である。だから「鞶帯」。翟玄の説明では、上九は六三を下の両陽爻に賜い、衆剛は交々相争奪し、得ても相譲るを肯ぜず。だから一朝の内に各々一奪し、合せて三次の剥奪と成す。
《象》曰:以訟受服,亦不足敬也。虞翻曰:服謂鞶帶。終朝見褫(拕),乾象毀壞。故“不足敬”。《九家易》曰:初、二、三、四皆不正,以不正相訟,而得其服,故“不足敬”也。
《小象伝》にいう。打官司に依りて得たる服飾も、また尊敬に値せざるなり。虞翻の説明では、「服」は鞶帯を指す。一朝の内に剥奪せられ、乾の象もこれに随いて毀壊す。だから「不足敬」。《九家易》の説明では、初六・九二・六三・九四の四爻は皆位に当らず。不正の身を以て相争訟して那の服飾を得たればこそ「不足敬」。
師卦
《序卦》曰:訟必有眾起,故受之以師。師者,眾也。崔覲曰:因爭必起眾相攻,故受之以師也。(坎下坤上)。師:貞,丈人吉,無咎。何晏曰:師者,軍旅之名。故《周禮》云:二千五百人為師也。王弼曰:丈人,嚴莊之稱,有軍正者也。為師之正,丈人乃吉。興役動眾,無功則罪,故“吉”乃“無咎”。陸績曰:丈人者,聖人也。帥師未必聖人,若漢高祖、光武應此義也。崔覲曰:《子夏傳》作大人,並王者之師也。
《序卦伝》にいう。争訟あれば必ず群衆の蜂起を引起す。だから《訟》の後に《師》が続く。「師」はすなわち衆である。崔覗の説明では、争闘は必ず衆人の相攻伐を引起すればこそ、《師》卦に続く。本卦は下体が坎・上体が坤。卦辞にいう。《師》,正を守り、老成尊厳の人により統率せられれば吉にして咎なし。何晏の説明では、「師」は軍旅の名称である。だから《周礼》に二千五百人を編して一師と為すという。王弼の説明では、「丈人」は荘厳の人の称呼で、軍法紀律を執掌する能くする人を指す。軍を統るは正道を以てし、丈人により統率せられてこそ吉。徭役を興動し民衆を調発すれば、功なくんば便ち罪過である。だから必ず吉にしてこそ無咎を得。陸績の説明では、丈人はすなわち聖人である。軍隊を統率するは必ずしも皆聖人ならず。漢高祖・漢光武のごとき人のみこの義理に合す。崔覗の説明では、《子夏伝》は「丈人」を「大人」と作す。指す所は皆王者の師である。
案:此《彖》云:師,眾。貞,正也。能以眾正,可以王矣。故老子曰:域中有四大,而王居其一焉。由是觀之,則知夫為王者,必大人也,豈以丈人而為王哉!故,《乾?文言》曰:夫大人與天地合其德,與日月合其明,先天而天不違,後天而奉天時,天且不違,而況於人乎!況於行師乎!以斯而論,《子夏傳》作大人,是也。今王氏曲解大人為丈人,臆云“嚴莊之稱”,學不師古,匪說攸聞,既誤違於經旨,輒改正作大人明矣。
李鼎祚の案語にいう。本卦の《彖伝》は「師」は衆「貞」は正と講じ、能く衆人を率いて正道に上らしめば、王業を成就する可し。だから《老子》に宇宙の中に四種の大ありて、王は其の一に居るという。これより観れば、能く王者と為るは必ず「大人」にして、いずくんぞ一「丈人」に由りて王を為さんや。だから《乾・文言》にいう。大人の徳は天地と合し、光明は日月と合し、天時に先だちて動けば天は彼に違わず、天時に後れて行えば天時を奉承す。上天なお彼に違わず、いわんや人に於てをや。いわんや兵を用い師を行うに於てをや。かくのごとく論断するに照れば、《子夏伝》の「大人」と作すこそ是なれ。今王弼は「大人」を曲解して「丈人」と為し、臆断して「荘厳の人の称呼」という。学を為して古に取法せず、言う所毫も依拠なし。すでに錯誤して經文の本旨に違背せり。われ便ち徑直に改正して「大人」と作す。その理甚だ明らかなり。
《彖》曰:師,眾也。貞,正也。能以眾正,可以王矣。虞翻曰:坤為眾,謂二失位,變之五,為比。故“能以眾正“,乃“可以王矣”。荀爽曰:謂二有中和之德,而據群陰,上居五位,可以王也。剛中而應,行險而順,蜀才曰:此本剝卦。案:上九降二,六二升上,是剛中而應,行險而順也。
《彖伝》にいう。「師」はすなわち衆、「貞」はすなわち正。能く衆人を率いて正道に上らしめば、王業を成就する可し。虞翻の説明では、坤は衆である。九二は位を失い、変動して五位に升れば《比》卦を成す。だから「能以衆正」といい、こそ「可以王矣」。荀爽の説明では、九二は中和の徳を具え、また群陰を統据し、上昇して五位に居れば、王と成る可し。《彖伝》またいう。陽剛は中に居りて上下相応じ、身に険難を行いて衆心順從す。蜀才はこの卦もと《剥》卦より変じ来ると考える。李鼎祚の案語にいう。《剥》の上九は二位に下降し、六二は上位に上昇す。これが剛爻中に居りて応あり、険中に行いて能く順なるなり。
以此毒天下,而民從之,干寶曰:坎為險,坤為順,兵革刑獄,所以險民也。毒民於險中,而得順道者,聖王之所難也。毒,荼,苦也。五刑之用,斬刺肌體,六軍之鋒,殘破城邑,皆所以荼毒姦凶之人,使服王法者也。故曰“以此毒天下,而民從之”。毒以治民,明不獲已而用之,故於彖象六爻,皆著戒懼之辭也。
《彖伝》にいう。かかる办法を以て天下を役苦すれど、而して百姓なお彼に順從す。干宝の説明では、下体坎は険、上体坤は順である。兵器甲冑・刑罰牢獄は、皆民に険を加うるに用いる物である。険難の中に百姓を役苦して、なお順服の道を得るは、聖王もまた難しと為す事である。「毒」はすなわち荼で、苦の意である。五種の刑罰は用うれば人の肌体を斬殺刺傷し、六軍の鋒刃は城邑を摧毀攻破す。これらは皆奸凶の徒を荼毒して彼らをして王法に服従せしむる手段である。だから「以此毒天下,而民從之」という。苦刑兵革を以て民を治むるは、これ已むを得ずして動用するを明かす。だから《彖伝》《象伝》および六爻の中に於て、皆警戒畏懼の言辞を写下す。
吉又何咎矣。崔覲曰:剛能進義,中能正眾,既順且應,行險戡暴,亭毒天下,人皆歸往而以為王,“吉又何咎矣”。《象》曰:地中有水,師。陸績曰:坎在坤內,故曰“地中有水”。師,眾也。坤中眾者,莫過於水。君子以容民畜眾。虞翻曰:君子謂二。容,寬也。坤為民眾,又畜養也。陽在二,寬以居之,五變執言時,有頤養象。故“以容民畜眾矣”。
《彖伝》にいう。吉祥なれば、また何の咎かあらん。崔覗の説明では、陽剛は能く道義を推進し、中に居れば能く衆人を端正す。すでに柔順にしてまた上下相応じ、険を冒して暴乱を戡定し、天下を養育調理すれば、人人皆帰附して彼を擁戴して王と為す。だから「吉又何咎矣」。《大象伝》にいう。地中に水を含む。これが《師》卦の象である。陸績の説明では、坎体は坤体の内に在るから「地中有水」という。「師」は衆で、坤地の中に最も衆多なるは水に如くなし。《大象伝》続いていう。君子はこれにより百姓を包容し民衆を畜養す。虞翻の説明では、「君子」は九二を指す。「容」は寛厚である。坤は民衆にしてまた畜養を主る。陽爻は二位に在り、寛厚の道を以て之に居る。六五変動して「執言」の象ある時に至れば、卦中に《頤》卦養育の象を含有す。だから「以容民畜衆」という。
初六:師出以律,否臧凶。《象》曰:師出以律,失律凶也。案:初六以陰居陽,履失其位,位既匪正,雖令不從。以斯行師,失律者也。凡首率師出必以律,若不以律,雖臧亦凶。故曰“師出以律,失律凶也”。《九家易》曰:坎為法律也。
初六の爻辞にいう。兵を出すは紀律に依るを要し、紀律不良なれば便ち凶険あり。《小象伝》にいう。兵を出すは紀律に依るを要し、紀律を失えば凶。李鼎祚の案語にいう。初六は陰爻を以て陽位に居り、踏む所の位すでに其の正を失う。位すでに正ならざれば、すなわち号令を発施すとも聴従する人なし。かかる方式を以て軍を行うは、まさに失律の人である。およそ師を率いて出征するは必ず紀律に依拠するを要す。もし紀律に依らざれば、すなわち一時打ちて好しとも終帰凶あり。だから「師出以律,失律凶也」という。《九家易》は補充していう。下体坎は法律である。
九二:在師中,吉,無咎。王三錫命。《象》曰:在師中吉,承天寵也。《九家易》曰:雖當為王,尚在師中,為天所寵,事克功成。故“吉,無咎”。二非其位,蓋謂武王受命而未即位也。受命為王,定天下以師。故曰“在師中,吉”。
九二の爻辞にいう。身に軍中に在りて能く中道を守れば吉祥にして咎なし。君王は三次賜命して褒奨す。《小象伝》にいう。軍中に在りて中道を守りて吉なるは、上天の恩寵を承受せればこそ。《九家易》の説明では、九二は理当り王たるべしと雖も、眼下なお軍旅の中に在り、上天に眷寵せられ、しかるがゆえに事は成る能くし功業は就くを得。だから「吉,无咎」。九二は王位に在らず、蓋し周武王すでに天命を受けていまだ天子の位に即かざるを指す。彼は命を受けて王と為り、兵を用いて天下を安定す。だから「在師中,吉」という。
王三錫命,懷萬邦也。荀爽曰:王謂二也。三者,陽德成也。德純道盛,故能上居王位,而行錫命,群陰歸之。故曰“王三錫命,懷萬邦也”。案:二互體震,震木。數三,王三錫命之象。《周禮》云:一命受職,再命受服,三命受位,是其義也。
《小象伝》にいう。君王三次賜命するは、万邦を安撫せんと欲すればこそ。荀爽の説明では、ここに「王」は九二を指す。「三」は陽徳すでに成就したを表す。徳行純正にして王道興盛なればこそ、能く上に王位に居りて賜命を頒行し、衆陰皆来りて帰附す。だから「王三錫命,懐万邦也」という。李鼎祚の案語にいう。九二の在る所の互体は震で、震は五行に木に属し其の数は三。まさに「王三錫命」の象である。《周礼》にいう。一命は職事を受け、再命は衣服を受け、三命は爵位を受く。まさにこの意である。
六三:師或輿尸,凶。虞翻曰:坤為尸,坎為車多眚。同人離為戈兵,為折首:失位乘剛無應,尸在車上,故“輿尸,凶”矣。《象》曰:師或輿尸,大無功也。盧氏曰:失位乘剛,內外無應,以此帥師必大敗。故有輿尸之凶,功業大喪也。
六三の爻辞にいう。軍隊あるいは車を以て屍体を載せて帰るべく、凶。虞翻の説明では、坤は屍、坎は車にしてまた多くの災眚を主る。《同人》の離は戈兵・首級を折斷するである。六三は位を失いて剛爻を凌乘し、また正応なし。屍体は車上に載せらる。だから「輿屍,凶」。《小象伝》にいう。軍隊車を以て屍を載せて帰るは、全く功労なければこそ。盧氏の説明では、六三は位を失いてまた剛爻を凌乘し、内外皆応援なし。かかる人を以て軍隊を統率せば必ず大敗す。だから屍を載せて還るの凶険あり、功業尽く失う。
六四:師左次,無咎。荀爽曰:左謂二也,陽稱左。次,舍也。二與四同功,四承五,五無陽,故呼二舍於五,四得承之,故“無咎”。《象》曰:左次無咎,未失常也。崔覲曰:偏將軍居左。左次,常備師也。師順用柔,與險無應,進取不可,次舍無咎,得位故也。
六四の爻辞にいう。軍隊は左方に退駐し、咎なし。荀爽の説明では、「左」は九二を指し、陽爻は左と称す。「次」は駐扎止舎である。九二と六四は同功で、六四は上に九五を承け、而して九五本身陽なし。だから九二を招呼して五位に居らしめ、六四便ち陽剛を承奉するを得。だから「无咎」。《小象伝》にいう。左方に退駐して咎なきは、常法を失わざればこそ。崔覗の説明では、偏将軍の位は左に在り。「左次」はすなわち常規の備戦駐扎である。用兵の道は柔順を以て用と為す。六四は険陷の爻と相応する所なく、前進攻取すでに行う可からざれば、退きて駐扎するは便ち咎なし。それ本身正位を得るのゆえなり。
六五:田有禽,利執言,無咎。虞翻曰:田謂二。陽稱禽。震為言。五失位,變之正,艮為執。故“利執言,無咎”。荀爽曰:田,獵也。謂二帥師禽五,五利度二之命,執行其言,故“無咎”也。案:六五居尊失位,在師之時,蓋由殷紂而被武王擒於鹿臺之類是也。以臣伐君,假言田獵。六五離爻,體坤,離為戈兵,田獵行師之象也。
六五の爻辞にいう。田中に禽獣の為害あり、命を奉じて捕執するに宜しく、咎なし。虞翻の説明では、「田」は九二を指し、陽爻は「禽」と称し、互体震は言である。六五は位を失い、変動して正に帰した後艮を成し、艮は執持だから「利執言,无咎」という。荀爽は別に解く。「田」は田獵である。九二は軍隊を統率して六五を擒獲し、六五はまさに九二の命を揣度して彼の号令を執行すべし。だから「无咎」。李鼎祚の案語にいう。六五は身に尊位に居りて位に当らず、またまさに用兵の時に当る。蓋し殷紂王が周武王に鹿台に於て擒獲せられたるがごとき類の事ならん。臣下を以て君主を討伐し、辞を托して田獵と称す。六五はもと離爻にして坤体に処り、離は戈兵。まさに田獵と行師の象である。
長子帥師,虞翻曰:長子謂二,震為長子,在師中,故“帥師”也。弟子輿尸,貞凶。虞翻曰:弟子謂三。三體坎。坎震之弟而乾之子,失位乘陽,逆,故“貞凶”。《象》曰:長子帥師,以中行也。荀爽曰:長子謂九二也。五處中應二,二受任帥師,當上升五。故曰“長子帥師,以中行也”。弟子輿尸,使不當也。宋衷曰:弟子謂六三也。失位乘陽,處非所據。眾不聽從,師人分北,或敗績死亡,輿尸而還,故曰“弟子輿尸”。謂使不當其職也。
爻辞にいう。長子に由りて軍隊を統率せしむ。虞翻の説明では、「長子」は九二を指し、震は長男で、九二は軍中に在り。だから「帥師」。爻辞続いていう。子弟たちに兵権を同掌せしめば、屍を載せて帰らんとし、これを守れば凶。虞翻の説明では、「弟子」は六三を指す。六三は坎体に処り、坎は震の後に在りて弟にしてまた乾の子である。それは位を失いて陽爻を凌乘し、悖逆の挙である。だから「貞凶」。《小象伝》にいう。長子軍隊を統率するは、それが中道を行けばこそ。荀爽の説明では、長子は九二を指す。六五は中に居りて下に九二に応じ、九二は命を受けて軍を統す。理当り五位に上昇すべし。だから「長子帥師,以中行也」という。《小象伝》またいう。弟子屍を載せて帰るは、任使当らざればこそ。宋衷の説明では、「弟子」は六三を指す。それは位を失いて陽爻を凌乘し、処る所それが占むべき位置に非ず。衆人聴従するを肯ぜず、軍中人心離散し、甚だしきは戦敗死亡して屍を載せて還るに至る。だから「弟子輿屍」といい、すなわち任用する人其の職に称わざるなり。
上六:大君有命,虞翻曰:同人,乾為大君巽為有命。干寶曰:大君,聖人也。有命,天命也。五常為王位,至師之家,而變其例者。上為郊也。故易位,以見武王親征,與師人同處於野也。離上九曰:王用出征,有嘉折首。上六為宗廟,武王以文王行,故正開國之辭於宗廟之爻,明已之受命,文王之德也。故《書?泰誓》曰:予克紂,非予武,惟聯文考無罪。紂克予,非朕文考有罪,惟予小子無良。開國,封諸侯也。承家,立都邑也。小人勿用,非所能矣。
上六の爻辞にいう。偉大なる君主は命令を頒下す。虞翻の説明では、《同人》の乾は大君、巽は号令だから「有命」。干宝は史事より解く。「大君」は聖人を指し、「有命」は天命を指す。第五爻は通常王位で、《師》卦这一家に至りてはこの通例を改変す。上爻は郊野を代表すればこそ。だから其の位を変換し、以て武王親ら出征して将士と同じく郊野の中に処るを表明す。《離》卦上九の爻辞に「王用出征,有嘉折首」といい、参照す可し。上六はまた宗廟の位である。武王師を出すに文王の木主を載せて行けり。だから開国封賞の辞句を正正しく宗廟この一爻に安放在し、以て自ら受くる所の天命、実に文王の徳より出づるを表明す。だから《尚書・泰誓》は武王の言を記載していう。われ紂に勝つは、われ武力あるに非ず、わが先父文王過失なければなり。紂もしわれに勝たば、またわが先父罪あるに非ず、われ小子の賢ならざるなり。「開国」は諸侯を分封し、「承家」は都邑を建立す。「小人勿用」に至りては、それは小人の担当する能わざる所なり。
開國承家,虞翻曰:承,受也。坤為國。二稱家。謂變乾為坤,欲令二上居五,為比,故“開國承家”。荀爽曰:大君,謂二。師旅已息,既上居五,當封賞有功,立國命家也。開國,封諸侯。承家,立大夫也。宋衷曰:陽當之五,處坤之中,故曰“開國”。陰下之二,在二承五,故曰“承家”。開國,謂析土地以封諸侯,如武王封周公七百里地也。承家立大夫,為差次立大夫。因采地名,正其功勳,行其賞祿。
爻辞にいう。邦国を開建し、家邑を承受す。虞翻の説明では、「承」は承受である。坤は国、第二爻は家と称す。これは陽変して乾を坤と為した後、九二をして五位に上居せしめて《比》卦を成さしむるを言う。だから「開国承家」。荀爽の説明では、「大君」は九二を指す。軍旅の事すでに平息し、九二すでに五位に上居せば、まさに有功の人を封賞し、封国を建立し卿大夫の家を任命すべし。「開国」は諸侯を分封し、「承家」は大夫を設立す。宋衷の説明では、陽爻はまさに五位に上るべく、坤体の中に処る。だから「開国」。陰爻は二位に下り、二位に在りて上に九五を承く。だから「承家」。開国は土地を劃分して諸侯を分封するで、武王の周公に七百里の地を封ずるがごとし。承家大夫を立つるは、等級次第に依りて大夫を設立し、彼らの采邑に依りて命名し、其の功勲を評定し、其の賞賜俸禄を頒行す。
小人勿用。虞翻曰:陰稱小人,坤虛無君,體迷復凶,坤成乾滅,以弒君,故“小人勿用”。《象》曰:大君有命,以正功也。虞翻曰:謂五多功,五動正位,故“正功也”。干寶曰:湯武之事。小人勿用,必亂邦也。虞翻曰:坤反君道,故“亂邦也”。干寶曰:楚靈、齊閔,窮兵之禍也。
爻辞にいう。小人は任用す可からず。虞翻の説明では、陰爻は小人と称す。坤は虚にして君なく、其の体に《復》卦上六の「迷復」の凶あり。坤は長成して乾陽滅尽すれば、君を弑する事発生せんとす。だから「小人勿用」。《小象伝》にいう。偉大なる君主命令を頒下するは、功勲を論定せんが為なり。虞翻の説明では、第五爻は多く功業あり。五爻変動して各々其の位を正すればこそ「正功」。干宝は別にいう。これは商湯・周武革命の事を指す。《小象伝》またいう。小人は任用す可からず。之を用いれば必ず邦国を禍乱す。虞翻の説明では、坤陰は君道に違反すればこそ「乱邦」。干宝は史事を挙げていう。楚霊王・斉湣王の兵を窮め武を黷するは、かかる禍患なり。
比卦
《序卦》曰:眾必有所比,故受之以比。比者,比也。崔覲曰:方以類聚,物以群分,人眾,則群類必有所比矣。上比相阿黨,下比相和親也。相黨則相親,故言比者比也。(坤下坎上)。比:吉。虞翻曰:師二上之五,得位,眾陰順從,比而輔之,故“吉”。與大有旁通。《子夏傳》曰:地得水而柔,水得土而流,比之象也。夫凶者生乎乖爭,今既親比,故云“比吉”也。
《序卦伝》にいう。衆人聚集すれば必ず親附する所有り。だから《師》の後に《比》が続く。「比」はすなわち親附である。崔覗の説明では、事物は類に依りて相聚り群に依りて区分す。人一多くなれば、各類の人は必ず相互に親附す。上位の相親附すれば朋党を成し、下位の相親附すれば和睦を成す。結党もまたすなわち相亲なり。だから「比者比也」という。本卦は下体が坤・上体が坎。卦辞にいう。《比》,吉祥。虞翻は卦変に依って解く。《師》の九二は五位に上昇して正位を得、衆陰皆柔順に跟従し、親附してそれを輔佐す。だから「吉」。《比》と《大有》両卦の六爻陰陽全く反し、互いに旁通す。《子夏伝》の説明では、地は水を得て柔潤と成り、水は土を得て流行する能くす。これが相亲附の象である。凶険は乖違争闘より生ず。今すでに彼此亲附せば、だから「比吉」という。
原筮元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。干寶曰:比者,坤之歸魂也。亦世於七月,而息來在已。去陰居陽,承乾之命,義與師同也。原,卜也。《周禮》三卜,一曰原兆。砷德變化,反歸其所,四方既同,萬國既親,故曰“比吉”。考之蓍龜,以謀王業,大相東土,卜惟洛食,遂乃定鼎郟鄏。卜世三十,卜年七百,德善長於兆民,戩祿永於被業,故曰“原筮元永貞”。逆取順守。居安如危,故曰“無咎”。天下歸德,不唯一方,故曰“不寧方來”。後服之夫,違夭失人,必災其身,故曰“後夫凶”也。
卦辞にいう。占筮を推原して大善・長久・貞正の徳を得、咎なし。四方安寧ならざる邦国は皆来りて帰附し、後に落つる人はすなわち凶。干宝は八宮世応と消息の法に依って解く。《比》は坤宮の帰魂卦で、其の世位もまた七月に在り、而して生息の気は巳位に来る。それは陰位を離れて陽位に居り、乾の命令を承受す。義理《師》卦と相同じ。「原」は卜である。《周礼》は三種の占卜の法を講じ、第一种を便ち「原兆」と称す。神明の徳は変化測る可からず、最終に本位に返帰す。四方すでに帰同し万国すでに相亲せば、だから「比吉」。周人は蓍草と亀甲を以て考問し、王業を謀劃し、大規模に東方の土地を相度し、占卜の結果ただ洛邑のみ吉利なり。ここに郟鄏に於て都を定め鼎を安んず。卜して傳世三十代・享国七百年を得、徳善は億万の百姓に長養せられ、福禄は永く承ぐる所の基業に被る。だから「原筮元永貞」。逆を以て天下を取りて順道を以て成を守り、身に安楽に居りてなお危境に臨むがごとし。だから「无咎」。天下其の徳に帰向し、一方のみならず来朝す。だから「不寧方来」。最后に帰服する人に至りては、天時に違背して人心を失い、必ず自らに災禍を招来す。だから「后夫凶」。
《彖》曰:比,吉也。比輔也。下順從也。崔覲曰:下比於上,是下順也。原筮元永貞,無咎,以剛中也。蜀才曰:此本師卦。案:六五降二,九二升五,剛往得中,為比之主。故能原究筮道,以求長正,而“無咎”矣。不寧方來,上下應也。虞翻曰:水性流動,故“不寧”。坤陰為方,上下應之,故“方來”也。
《彖伝》にいう。《比》は吉祥なり。「比」はすなわち輔助にして、下に在る者の上に在る者に順從するなり。崔覗の説明では、下の衆爻は上の九五に親附す。これが在下者の柔順である。《彖伝》またいう。占筮を推原して大善長久貞正の徳ありて咎なきは、陽剛中に居ればこそ。蜀才はこの卦もと《師》卦より変じ来ると考える。李鼎祚の案語にいう。《師》の六五は二位に下降し、九二は五位に上昇し、剛爻は前往して中を得、全卦親附の主爻と成る。だから能く占筮の道を推原窮究し、以て長久の正固を求む。しかるがゆえに「无咎」。《彖伝》またいう。安寧ならざる邦国皆来りて帰附するは、上下相応ずればこそ。虞翻の説明では、坎水の本性は流動して居らず。だから「不寧」。坤は陰・方国で、上下の衆爻皆九五と相応ず。だから「方来」。
後夫凶,虞翻曰:後謂上,夫謂五也。坎為後,艮為背。上位在背後,無應乘陽,故“後夫凶”也。其道窮也。荀爽曰:後夫謂上六。逆禮乘陽,不比聖王,其義當誅,故“其道窮凶”也。
《彖伝》は卦辞「后夫凶」を引く。虞翻の説明では、「后」は上六を指し、「夫」は九五を指す。坎は後、互体艮は背で、上六の位はまさに九五の背後に在り。それは既に正応なくまた陽爻を凌乘す。だから「后夫凶」。《彖伝》またいう。これ其の道すでに窮尽に走到せればこそ。荀爽の説明では、「后夫」は上六を指す。それは礼法に違逆して陽剛を凌乘し、聖王に親附するを肯ぜず。義理に按ずれば誅討すべし。だから其の道路窮尽して凶を致すという。
《象》曰:地上有水,比。何宴曰:水性潤下,今在地上,更相浸潤,比之義也。先王以建萬國,親諸侯。虞翻曰:先王謂五。初陽已復。震為建,為諸侯。坤為萬國,為腹,坎為心。腹心親比,故“以建萬國,親諸侯”。《詩》曰:公侯腹心,是其義也。
《大象伝》にいう。地上に水あり。これが《比》卦の象である。何宴の説明では、水の本性は潤沢にして下に向く。今水は地上に在り、地と相互に浸潤滲透す。まさに親附の義理である。《大象伝》続いていう。先王はこれにより万国を建立し諸侯を親近す。虞翻の説明では、「先王」は九五を指す。初爻の陽すでに来復し、互体震は建立にしてまた諸侯である。坤は万国・腹、坎は心である。腹と心は彼此亲附す。だから「以建万国,親諸侯」。《詩経》に諸侯公卿は天子の腹心なりという。まさにこの意である。
初六:有孚比之,無咎。虞翻曰:孚謂五。初失位,變來得正,故“無咎”也。荀爽曰:初在應外,以喻殊俗,聖王之信,光被四表。絕域殊俗,皆來親比,故“無咎”也。有孚盈缶,終來有它,吉。虞翻曰:坤器為缶。坎水流坤。初動成屯。屯者,盈也,故“盈缶”。終變得正,故“終來有它吉”。在內稱來也。
初六の爻辞にいう。誠信を懐きて彼に親附し往けば、咎なし。虞翻の説明では、「孚」は九五を指す。初六は位を失い、変動の後正位に帰す。だから「无咎」。荀爽は別に解く。初六は正応の外に在り、以て風俗同じからざる遠方の民を喩う。聖王の誠信は四方の外を光照し、絶遠の域・異俗の邦皆来りて親附す。だから「无咎」。爻辞続いていう。誠信は瓦缶に充満し、終に意外の人前来して吉祥あらん。虞翻の説明では、坤は器物だから瓦缶を象る。坎水は坤器の中に流入す。初六一動すれば便ち《屯》卦を成し、《屯》はすなわち盈満。だから「盈缶」という。初六は終に変じて正を得ればこそ「終来有它吉」。内卦に来るを「来」と称す。
《象》曰:比之初六,有它吉也。荀爽曰:缶者應內,以喻中國。孚既盈滿中國,終來及初,非應,故曰“它”也。《象》云:“有它吉”者,謂信及非應,然後吉也。六二:比之自內,貞吉。干寶曰:二在坤中。坤,國之象也。得位應五,而體寬大,君樂民人自得之象也,故曰“比之自內,貞吉”矣。《象》曰:比之自內,不自失也。崔覲曰:自內而比,不失已親也。
《小象伝》にいう。《比》卦の初六は、意外の人来附して吉を得るあらん。荀爽の説明では、瓦缶は内卦に取象し、以て中原の国を喩う。誠信すでに中国に充満せば、終にまた初六に推及す。而して初六は九五の正応に非ず。だからそれを「它」と称す。すなわち分外の人である。《小象伝》のいう所の「有它吉」は、誠信の非正応の人に施及して、然る後に吉祥あるを指す。六二の爻辞にいう。内部より彼に親附し、正を守れば吉祥。干宝の説明では、六二は坤体の中に処り、坤は邦国の象である。それは正位を得て上に九五に応じ、体性寛厚博大にして、まさに君主喜楽・百姓各々其の所を得るの象である。だから「比之自内,貞吉」。《小象伝》にいう。内部より親附するは、自らの操守を失わざればこそ。崔覗の説明では、内より出でて上に親附するは、自ら親しむ所の人を失う会わざるなり。
六三:比之匪人。虞翻曰:匪,非也,失位無應,三又多凶,體剝傷象,弒父弒君,故曰“匪人”。《象》曰:比之匪人,不亦傷乎。干寶曰:六三乙卯,坤之鬼吏。要比之家,有土之君也。周為木德,卯為木辰,同姓之國也。爻失其位,辰體陰賊,管蔡之象也。比建萬國,唯去此人。故曰“比之匪人”,不亦傷王政也。
六三の爻辞にいう。親附する所は正当の人に非ず。虞翻の説明では、「匪」はすなわち非で、六三は位を失いてまた正応なく、第三爻はもと多く凶、其の体にまた《剥》卦傷剥の象あり。父を弑し君を弑するの徴兆である。だから「匪人」という。《小象伝》にいう。不正当の人に親附すれば、また傷む可きことなからんや。干宝は納甲爻辰に依って解く。六三は乙卯に配す。坤宮の鬼吏の爻である。およそ親比この一家に属するは、皆封土ある君長である。周朝は木徳に属し、卯は爻辰の中に木に属す。まさに同姓の封国である。この爻は其の正位を失い、而して配する所の地支の体は陰険にして賊害す。まさに管叔・蔡叔の象である。万国に親比し諸侯を建立せんとすれば、ただかかる人を除去すべし。だから「比之匪人」といい、これまた王政を傷害せざらんや。
六四:外比之,貞吉。虞翻曰:在外體,故稱外。得位比賢,故貞吉也。《象》曰:外比於賢,以從上也。干寶曰:四為三公,在比之家,而得其位。上比聖主,下御列國,方伯之象也。能外親九服,賢德之君,務宣上志,綏萬邦也。故曰“外比於賢,以從上也”。
六四の爻辞にいう。外に向かいて上に親附し、正を守れば吉祥。虞翻の説明では、六四は身に外卦の体に在るから「外」と称す。それは正位を得て賢者九五に親附すればこそ、正を守りて吉。《小象伝》にいう。外に向かいて賢者に親附するは、上位に順從すればこそ。干宝の説明では、第四爻の地位は三公に相当し、《比》卦这一家に在りてまた其の正位を得。上は聖明の主に親附し、下は各諸侯国を統御す。まさに方伯の象である。彼は能く外に九服の内の賢徳の君を親撫し、専ら力めて君上の意志を宣揚し、万邦を安撫す。だから「外比于賢,以從上也」という。
九五:顯比。虞翻曰:五貴多功,得位正中,初三以變體重明,故“顯比”。謂顯諸仁也。王用三驅,失前禽,虞翻曰:坎五稱王。三驅,謂驅下三陰,不及於初,故“失前禽”。謂初已變成震,震為鹿,為驚走,鹿之斯奔,則“失前禽”也。邑人不戒,吉。虞翻曰:坤為邑師,震為人師。時坤虛無君,使師二上居五中,故不誡吉也。《象》曰:顯比之吉,位正中也。虞翻曰:謂離象明。正上中也。舍逆取順,失前禽也。虞翻曰:背上六,故“舍逆”。據三陰,故“取順”。不及初,故“失前禽”。邑人不戒,上使中也。虞翻曰:謂二,使師二上居五中。
九五の爻辞にいう。光明正大に天下に親附す。虞翻の説明では、第五爻は尊貴にして多く功業あり。九五は正位を得て中に居り偏らず。初爻と三爻変動の後重明の体を成す。だから「顕比」といい、すなわち《系辞》の講ずる所の仁徳を顕現す。爻辞続いていう。君王の田獵は三面より駆りてのみ、前に逃走する禽獣を放走す。虞翻の説明では、坎の第五爻は王と称す。「三駆」は下の三つの陰爻を駆るにして、初爻に及ばず。だから「失前禽」。これは初爻すでに変じて震を成し、震は鹿にしてまた驚駭奔走す。鹿群はかくのごとく奔逃し去る。すなわち「失前禽」である。爻辞またいう。邑中の人は戒備するを須わず、吉祥。虞翻の説明では、坤は邑、震は人である。当時坤は虚にして君なく、ここに《師》卦の九二をして上昇して五位の中に居らしむ。だから戒備せずして吉。《小象伝》にいう。光明に親附するの吉なる所以は、位置中正なればこそ。虞翻の説明では、これは離象の光明にして端正にして上位の中に居るを言う。《小象伝》またいう。背逆するを舎て順從するを収る。だから前に向かう禽獣を放す。虞翻の説明では、九五は上六に背対すればこそ「舎逆」。下に三つの陰爻に据ればこそ「取順」。初爻に及ばざればこそ「失前禽」。《小象伝》またいう。邑人は戒備するを須わざるは、上に居る者彼らをして各々其の中を得しむればこそ。虞翻の説明では、これは九二を指し、《師》卦の九二をして上昇して五位の中に居らしむ。
上六:比之無首,凶。荀爽曰:陽欲無首,陰以大終。陰而無首,不以大終。故“凶”也。虞翻曰:首,始也。陰道無成,而代有終,“無首,凶”。《象》曰:比之無首,無所終也。虞翻曰:迷失道,故無所終也。
上六の爻辞にいう。親附するも元首に依る可きなく、凶。荀爽の説明では、陽の道理は物に先んぜずして首なく、陰の道理は大いなる終結ある能くす。今上六は陰にしてまた從う可き首なく、また大いなる終結ある能わず。だから「凶」。虞翻の説明では、「首」は開始である。陰道は自ら成就に居るを敢てせず、ただ陽に代りて其の事を終成す。今從う所の首すらなし。だから「无首,凶」。《小象伝》にいう。親附して首に依る可きなきは、帰結する処なければこそ。虞翻の説明では、上六は迷惑して正道を失う。だから終成する所なし。
小畜卦
《序卦》曰:比必有所畜,故受之以小畜。崔覲曰:下順從而上下應之,則有所畜矣。韓康伯曰:由比而畜,故曰“小畜”也。(乾下巽上)。小畜:亨。侯果曰:四為畜主,體又稱小,唯九三被畜,下剛皆通,是以“小畜,亨”也。
《序卦伝》にいう。親附の後は必ず畜聚する所有り。だから《比》の後に《小畜》が続く。崔覗の説明では、下に在る者順從して上下相応ずれば、畜聚する所有らん。韓康伯の説明では、親附によりて畜聚を生ず。だから「小畜」と称す。本卦は下体が乾・上体が巽。卦辞にいう。《小畜》,亨通。侯果の説明では、六四は畜聚の主爻で、陰柔を以て体と為すから「小」と称す。畜止せらるるはただ九三の一爻のみ、下体其の余の剛爻は皆通行する能くす。だから「小畜,亨」。
密雲不雨,自我西郊。崔覲曰:雲如不雨,積我西邑之郊,施澤未通,以明小畜之義。案:雲雨者,陰之氣也。今小畜五陽而一陰,既微少,才作密雲,故未能為雨。四互居兌,西郊之象也。
卦辞にいう。濃雲密布するも雨を降らさず、雲気はわが西郊より来る。崔覗の説明では、雲は積聚すと雖も雨を成さず、わが西の城邑の郊外に堆積し、恩沢いまだ施行する能わず。以て「小畜」の蓄聚多からざるの義理を説明す。李鼎祚の案語にいう。雲と雨は皆陰気の化する所である。今《小畜》は五陽にしてただ一陰のみ。陰気すでに微弱稀少なれば、濃雲を凝成するのみなり。だからいまだ雨を成す能わず。六四の処る互体は兌に在り、兌は西方。まさに西郊の象である。
《彖》曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。王弼曰:謂六四也。成卦之義,在此一爻者也。體無二陰,以分其應,既得其位,而上下應之,三不能陵,小畜之義。健而巽,剛中而志行,乃亨。虞翻曰:需上變為巽,與豫旁通。豫四之坤初為復,復小陽潛,所畜者少,故曰“小畜”。二失位,五剛中正,二變應之,故“志行乃亨”也。
《彖伝》にいう。《小畜》,柔爻其の正位を得て上下の衆爻皆それと相応ず。だから小畜と称す。王弼の説明では、いう所の柔爻はすなわち六四である。全卦の卦を成す所以は、義理便ちこの一爻に係る。卦体の中に第二の陰爻なく其の応与を分薄せず。それすでに正位を得て上下皆それに応じ、九三もまたそれを凌越する能わず。これが小畜の義理である。《彖伝》またいう。剛健にしてまた謙遜、陽剛は中に居りて心志行を得、しかるがゆえに亨通す。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《需》の上爻は変じて巽と成る。すなわち《小畜》で、それは《豫》卦と旁通す。《豫》の九四は下りて坤の初位に至りて便ち《復》を成し、《復》はただ一個の微小の陽が下に潜蔵するのみ。畜聚する所甚だ少なし。だから「小畜」と称す。九二は位を失い、九五は陽剛中正。九二変動して九五と相応ずればこそ「志行乃亨」という。
密雲不雨,尚往也。虞翻曰:密,小也。兌為密。需坎昇天為雲,墜地稱雨。上變為陽,坎象半見。故“密雲不雨,尚往也”。自我西郊,施未行也。虞翻曰:豫坤為自我。兌為西,乾為郊,雨生於西,故“自我西郊”。九二未變,故“施未行”矣。荀爽曰:體兌位秋,故曰“西郊”也。時當收斂,臣不專賞,故“施未行”。喻文王也。
《彖伝》にいう。濃雲雨なきは、陰気なお上行せればこそ。虞翻の説明では、「密」は細小で、兌に細密の義あり。《需》卦の坎水は天上に升れば便ち雲、地上に墜落してこそ雨と称す。上爻は陽に変じた後、坎象は半ばのみ顕露す。だから「密雲不雨,尚往也」。《彖伝》またいう。雲気はわが西郊より来るは、恩沢いまだ施行せざればこそ。虞翻の説明では、旁通の卦《豫》の坤は「自我」である。互体兌は西、乾は郊で、雨気は西方より生ず。だから「自我西郊」。九二はいまだ変動せず。だから「施未行」。荀爽は別に解く。卦体に兌あり、兌位は秋に在る。だから「西郊」。時令まさに收斂の際に当り、人臣は賞賜を專擅するを敢てせず。だから「施未行」。これは文王の殷に事うる時の処境を喩う。
《象》曰:風行天上,小畜。《九家易》曰:風者,天之命令也。今行天上,則是令未下行,畜而未下,小畜之義也。君子以懿文德。虞翻曰:君子,謂乾。懿,美也。豫坤為文。乾為德,離為明。初至四體夬,為書契。乾離照坤,故懿文德也。
《大象伝》にいう。風は天上に行く。これが《小畜》卦の象である。《九家易》の説明では、風は上天の号令である。今風はただ天上に運行するは、号令いまだ下達施行せざるを表す。蓄積して未だ万物に下及する能わざるは、まさに小畜の義理である。《大象伝》続いていう。君子はこれにより自らの文徳を美化す。虞翻の説明では、「君子」は下体乾を指す。「懿」は美好である。旁通の卦《豫》の坤は文采、乾は徳、離は光明である。初爻より四爻に至るは《夬》卦の体あり、《夬》は書契文字である。乾と離は坤地を照臨す。だから文徳を美化すという。
初九:復自道,何其咎,吉。《象》曰:復自道,其義吉也。虞翻曰:謂從豫四之初成復卦,故復自道。出入無疾,“朋來無咎,何其咎,吉。”乾稱道也。九二:牽復,吉。崔覲曰:四柔得位,群剛所應,二以中和牽復自守,不失於行也。《象》曰:牽復在中,亦不自失也。虞翻曰:變應五,故不自失,與比二同義也。
初九の爻辞にいう。自らの道路より返回すれば、何の咎かあらん、吉祥。《小象伝》にいう。自らの道路より返回するは、義理に就きて言えば吉なり。虞翻の説明では、これは《豫》卦の九四が初位に下りて《復》卦を成すを指す。だから「復自道」。《復》の卦辞は出入疾患なく朋友の来る咎なしと講じ、まさにここの「何其咎,吉」と相合す。乾は道と称す。九二の爻辞にいう。牽連して返回すれば、吉祥。崔覗の説明では、六四は柔を以て正位を得、衆剛の応ずる所と為る。九二は中和の徳を以て牽連して返り、自ら其の位を守り、行事失あるに至らず。《小象伝》にいう。牽連して返回して中位に居るは、また自らの操守を失わざるなり。虞翻の説明では、九二変動の後上に九五に応ず。だから自守を失わず。これは《比》卦六二の義理と相同じ。
九三:車說輻,虞翻曰:豫、坤為車,為輻。至三成乾,坤象不見,故“車說輻”。馬君及俗儒皆以乾為車,非也。夫妻反目。虞翻曰:豫震為夫,為反。巽為妻。離為目。今夫妻共在四,離火動上,目象不正,巽多白眼,夫妻反目。妻當在內,夫當在外,今妻乘夫而出在外,象曰“不能正室”。三體離需,飲食之道。飲食有訟,故爭而反目也。
九三の爻辞にいう。車輪上の輻条脱落せり。虞翻の説明では、旁通の卦《豫》の坤は車にしてまた輻である。陽は長して第三爻に至れば便ち乾を成し、坤象は隱沒して見えず。だから「車説輻」。馬融と一般の俗儒は皆乾を以て車と為す。これは錯りである。爻辞続いていう。夫妻反目して相争う。虞翻の説明では、《豫》の震は夫にしてまた反覆の義あり、巽は妻、離は目である。今夫と妻は四爻の位に同聚し、離火は上に炎動し、目象はしかるがゆえに正ならず。巽はまた多く白眼を主る。だから夫妻反目す。妻はもと内に在るべく夫はもと外に在るべし。今妻は夫に凌乘して出でて外に居る。だから《小象伝》に「不能正室」という。九三の処る体は離と《需》を兼ね、《需》の講ずるは飲食の道で、而して飲食の會は常に争訟を生ず。だから争奪に因りて反目す。
《象》曰:夫妻反目,不能正室也。《九家易》曰:四互體離,離為目也。離既不正,五引而上,三引而下,故反目也。輿以輪成車,夫以妻成室。今以妻乘夫,其道逆,故“不能正室”。
《小象伝》にいう。夫妻反目するは、家室を整治する能わざればこそ。《九家易》の説明では、六四の在る互体は離で、離は目である。離すでに其の正を得ざれば、九五は上にそれを牽引し九三は下にそれを牽引し、両々相乖離す。だから反目す。車箱は車輪に依ってこそ車を成し、丈夫は妻子に依ってこそ家を成す。今却って妻は夫の上に凌乘し、其の道悖逆なり。だから「不能正室」という。
六四:有孚,血去惕出,無咎。虞翻曰:孚謂五。豫坎為血,為惕。惕,憂也。震為出,變成小畜,坎象不見,故血去惕出。得位承五,故“無咎”也。《象》曰:有孚惕出,上合志也。荀爽曰:血以喻陰。四陰,臣象。有信順五。惕,疾也。四當去初,疾出從五,故曰“上合志也”。
六四の爻辞にいう。誠信を心に懐き、血傷遠去して憂懼消散し、咎なし。虞翻の説明では、「孚」は九五を指す。旁通の卦《豫》の坎は血・惕で、「惕」はすなわち憂懼である。震は出である。《小畜》に変じた後、坎象は見えず。だから血去り惕出づという。六四は正位を得て上に九五を承く。だから「无咎」。《小象伝》にいう。誠信ありて憂懼消散するは、上位と心志相合せればこそ。荀爽の説明では、血は以て陰を喩う。六四は陰爻で、臣子を象徴し、誠信を懐きて九五に順從す。「惕」はここに迅疾の義である。六四はまさに初九を離れ、速やかに出でて九五に追随すべし。だから「上合志也」という。
九五:有孚攣如,富以其鄰。虞翻曰:孚五,謂二也。攣,引也。巽為繩。豫、艮為手。二失位,五欲其變,故曰“攣如”。以,及也。五貴,稱富。鄰,謂三。兌西震東,稱鄰。二變承三,故富以其鄰,《象》曰“不獨富”。二變為既濟,與東西鄰同義。《象》曰:有孚攣如,不獨富也。《九家易》曰:有信,下三爻也。體巽,故“攣如”,如謂連接其鄰。鄰,謂四也。五以四陰作財,與下三陽共之,故曰“不獨富也”。
九五の爻辞にいう。誠信を懐きて牽係断えず、富有を以て其の隣に分かつ。虞翻の説明では、九五の孚信する所は九二である。「孿」は牽引で、上体巽は繩索、旁通の卦《豫》の艮は手である。九二は位を失い、九五は其の変じて正に帰するを希望す。だから「孿如」。「以」は及ぶなり。第五爻は尊貴だから「富」と称す。「隣」は九三を指す。兌は西・震は東に在り、東西相対して隣と称す。九二変動の後上に九三を承く。だから「富以其隣」。《小象伝》はしかるがゆえに「不独富」を講ず。九二一変すれば全卦《既濟》を成し、これは《既濟》の東隣西隣を講ずる義理と相同じ。《小象伝》にいう。誠信ありて牽係断えざるは、独り其の富を専有せざればこそ。《九家易》の説明では、いわゆる「有信」は下の三つの陽爻を指す。卦体は巽で、巽は繩。だから「孿如」といい、すなわち其の隣を牽連す。ここに「隣」は六四を指す。九五は六四この一陰爻を財富と為して、下の三つの陽爻と共に享有す。だから「不独富也」という。
上九:既雨既處,尚得載,婦貞厲。虞翻曰:既,已也。應在三。坎水零雨。巽為處,謂二已變,三體坎雨,故“既雨既處”。坎雲復天,坎為車,積載在坎上,故上得積載。巽為婦,坎成巽壞,故“婦貞厲”。月幾望,君子征凶。虞翻曰:幾,近也。坎月離日,上已正,需時成坎,與離相望。兌西震東,日月象對,故“月幾望”。上變陽消,之坎為疑,故“君子征,有所疑”矣。與歸妹、中孚“月幾望”義同也。《象》曰:既雨既處,得積載也。虞翻曰:巽消承坎,故“得積載”。坎習為積也。君子征凶,有所疑也。虞翻曰:變坎為盜,故“有所疑也”。
上九の爻辞にいう。雨すでに下り事すでに止息し、なお承載する能くす。婦人これを守れば危なし。虞翻の説明では、「既」はすでになり。上九の応ずる所は九三に在り。坎は水にして雨を降し、巽は処止である。これは九二すでに変じ、六三便ち坎体に処りて雨象あるを言う。だから「既雨既処」。坎雲は天に返帰し、坎はまた車で、積載の物は坎上に圧す。だから上九は積載する所有る能くす。巽は婦で、坎すでに成れば巽体壊る。だから「婦貞厲」。爻辞続いていう。月は満盈に接近し、君子出征すれば凶あり。虞翻の説明では、「幾」は接近である。坎は月・離は日で、上爻すでに其の正に帰し、《需》の時に至りて坎を成し、離と両々相望対す。兌は西・震は東に在り、日月の象は東西相対す。だから「月幾望」。上爻変ずれば陽気消退し、坎中に往けば疑懼を生ず。だから君子出征すれば疑ある所有らん。これは《帰妹》《中孚》両卦の「月幾望」を講ずる意義と相同じ。《小象伝》にいう。雨すでに下り事すでに止息するは、積載する所有る能くすればこそ。虞翻の説明では、巽体消退して上に坎体を承く。だから「得積載」。坎に重習積累の義あり。《小象伝》またいう。君子出征すれば凶あるは、心中疑慮ある所なればこそ。虞翻の説明では、上爻変じて坎を成し、坎は盗寇だから「有所疑也」という。
履卦
《序卦》曰:物畜然後有禮,故受之以履。崔覲曰:履,禮也。物畜不通,則君子先懿文德,然後以禮導之,故言“物畜物後有禮”也。(兌下乾上)。履:履虎尾,不咥人。亨,利貞。虞翻曰:謂變訟初為兌也。與謙旁通。以坤履乾,以柔履剛,謙坤為虎,艮為尾,乾為人,乾兌乘謙,震足蹈艮,故“履虎尾”。兌說而應虎口,與上絕,故“不咥人”。剛當位,故通。俗儒皆以兌為虎,乾履兌,非也。兌剛滷,非柔也。
《序卦伝》にいう。万物畜聚する所有れば便ち礼あるを要す。だから《小畜》の後に《履》が続く。崔覗の説明では、「履」はすなわち礼である。万物畜積して通行する能わざれば、君子便ち先に自らの文徳を美化し、然る後に礼を以てそれを引導す。だから「物畜然后有礼」という。本卦は下体が兌・上体が乾。卦辞にいう。《履》,虎の尾を踏みて、虎は人を咬まず、亨通、正を守るに利あり。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《履》は《訟》卦の初爻を変じて兌と為して来り、それは《謙》卦と旁通す。坤柔を以て乾剛を踩踏するは、すなわち柔を以て剛を履るなり。《謙》の坤は虎、艮は尾、乾は人である。乾・兌の体は《謙》の上に乘り、震足は艮尾上に踏む。だから「履虎尾」。兌は和悦を主りて虎口に正対し、また上爻と隔絶して接せず。だから「不咥人」。陽剛各々其の位に当ればこそ通達す。一般の俗儒は皆兌を以て虎と為し、乾は兌を踩踏すという。これは錯りである。兌の性質は剛鹵にして、柔に非ず。
《彖》曰:履,柔履剛也。虞翻曰:坤柔乾剛,謙坤籍乾,故“柔履剛”。荀爽曰:謂三履二也。二五無應,故無元。以乾履兌,故有通。六三履二非和正,故云“利貞”也。說而應乎乾,虞翻曰:說,兌也。明兌不履乾,故言應也。《九家易》曰:動來為兌為應上,故曰“說而應乎乾”也。以喻一國之君,應天子命以臨下。承上以巽,據下以說,其正應天,故虎為之“不咥人”也。
《彖伝》にいう。《履》は、柔の剛を踩踏するなり。虞翻の説明では、坤は柔・乾は剛で、《謙》卦の坤は乾の下に墊藉す。だから「柔履剛」。荀爽は別に解く。これは六三の九二を踩踏するを指す。九二と九五は相応せず。だから卦辞に「元」の字なし。乾体を以て兌体を踩踏すればこそ「亨」あり。六三の九二を踩踏するは和順中正ならざればこそ「利貞」。《彖伝》またいう。和悦にして上に乾に応ず。虞翻の説明では、「説」はすなわち兌である。これは兌は乾を踩踏するに非ずを表明す。だからただ相応ずるを言うのみ。《九家易》の説明では、変動して来りて兌と成り、上に乾に応ずればこそ「説而応乎乾」という。以て一国の君を喩う。天子の命を承奉して来りて下民を臨治す。上には謙遜の道を以て承事し、下には和悦の道を以て統御す。其の応ずる所はまさに上天である。だから虎は之が為に「不咥人」。
是以履虎尾,不咥人。亨。《九家易》曰:虎尾,謂三也。三以說道履五,之應上順於天,故“不咥人,亨”也。能巽說之道,順應於五,故雖踐虎,不見咥噬也。太平之代,虎不食人,亨謂於五也。剛中正,履帝位而不疚,光明也。虞翻曰:剛中正,謂五。謙震為帝。五,帝位,坎為疾病,乾為大明。五履帝位,坎象不見。故“履帝位而不疚,光明也”。
《彖伝》にいう。だから虎尾を踏みて虎は人を咬まず、亨通す。《九家易》の説明では、「虎尾」は六三を指す。六三は和悦の道を以て九五を踩踏し、前往して上に応じて天に順從す。だから「不咥人,亨」。それは能く謙遜和悦の道を行い、九五に順応す。だから虎を踏むと雖も、咬噬せられず。太平の時代は虎は人を食わず。ここに「亨」は九五に就きて言う。《彖伝》またいう。陽剛中正にして、帝位に登臨して病咎なく、光明なり。虞翻の説明では、「剛中正」は九五を指す。《謙》卦の震は帝、第五爻は帝位、坎は疾病、乾は大明である。九五帝位に登臨する時、坎象すでに見えず。だから「履帝位而不疚,光明也」という。
《象》曰:上天下澤,履。君子以辯上下,定民志。虞翻曰:君子,謂乾。辯,別也。乾天為上,兌澤為下。謙坤為民,坎為志。謙時坤在乾上,變而為履。故“辯上下,定民志也”。
《大象伝》にいう。上は天・下は沢。これが《履》卦の象である。君子はこれにより上下の名分を辨别し、民衆の心志を安定す。虞翻の説明では、「君子」は上体乾を指す。「辯」は分别である。乾は天にして上に居り、兌は沢にして下に居る。《謙》卦の坤は民、坎は志である。《謙》の時は坤は反って乾の上に在り、今《履》に変じ、上下各々其の位を得。だから「辯上下,定民志也」という。
初九:素履,往無咎。虞翻曰:應在巽,為白,故“素”。履四失位,變往得正,故“往無咎”。初已得正,使四獨變,在外稱往。《象》曰:“獨行願也”。《象》曰:素履之往,獨行願也。荀爽曰:初九者,潛位。隱而未見,行而未成。素履者,謂布衣之士,未得居位,獨行禮義,不失其正,故“無咎也”。
初九の爻辞にいう。質朴無華の方式を以て行走し、前往すれば咎なし。虞翻の説明では、初九の応ずる所の爻は巽体に在り、巽は白色だから「素」と称す。《履》卦の九四は位を失い、変動して前往すれば便ち其の正を得。だから「往无咎」。初九自らすでに正を得、ただ九四をして単独に変動せしむるを須う。外卦に往くを「往」と称す。だから《小象伝》に「独行願也」という。《小象伝》にいう。質朴にして行って前往するは、独り自らの心願を実践すればこそ。荀爽の説明では、初九は潜蔵の位で、隱れていまだ顕れず行いていまだ成らず。「素履」は布衣の士いまだ官位を得ざるを言い、独り礼義を踐行して其の正を失わず。だから「无咎」。
九二:履道坦坦,幽人貞吉。虞翻曰:二失位。變成震,為道、為大塗,故“履道坦坦”。訟時二在坎獄中,故稱幽人。之正得位,震出兌說,幽人喜笑,故“貞吉”也。《象》曰:幽人貞吉,中不自亂也。虞翻曰:雖幽訟獄中,終辯得正,故“不自亂”。
九二の爻辞にいう。行う所の道路は平坦寛闊にして、幽居守静の人は正を守れば吉祥。虞翻の説明では、九二は位を失い、変動の後震を成し、震は道路・大途である。だから「履道坦坦」。《訟》卦の時には、九二は坎の牢獄の中に陥在せり。だから「幽人」と称す。変正して位を得た後、震は出を主り兌は悦を主る。幽居の人は転じて歡喜笑楽と為る。だから「貞吉」。《小象伝》にいう。幽人正を守りて吉なるは、中に居りて自ら乱れざればこそ。虞翻の説明では、訟獄の中に幽困せると雖も、終に是非を辯明して正に帰す。だから「不自乱」。
六三:眇而視,跛而履,虞翻曰:離目不正,兌為小,故“眇而視”。視上應也。訟坎為曳。變震時,為足。足曳,故跛而履。俗儒多以兌刑為跛,兌折震足,為刑人見刑斷足者,非為跛也。履虎尾,咥人,凶。虞翻曰:艮為尾,在兌下,故“履虎尾”。位在虎口中,故“咥人凶”。既跛又眇,視步不能,為虎所齧,故“咥人凶”。《象》曰:“位不當也”。
六三の爻辞にいう。目は偏盲するも勉强に視、足は跛するも勉强に行く。虞翻の説明では、互体離は目にして其の正を得ず、兌は小。だから「眇而視」といい、視る所は其の上の応爻である。《訟》卦の坎に拖曳の象あり。震に変ずる時震は足で、足は拖曳せらる。だから「跛而履」。一般の俗儒は多く兌の刑傷を以て跛と為す。実に兌は震足を折斷し、それは刑を受くる人の脚を砍斷せられたるなり。跛に非ず。爻辞続いていう。虎尾を踏めば、虎は人を咬み、凶。虞翻の説明では、艮は尾にして兌下に在る。だから「履虎尾」。六三の位はまさに虎口の中に在り。だから「咥人凶」。すでに跛にしてかつ眇なれば、視るも明らかならず行くも穩やかならず。虎に咬嚙せらる。だから「咥人凶」といい、《小象伝》はしかるがゆえに「位不当也」という。
武人為于大君。虞翻曰:乾象在上,為武人。三失位,變而得正,成乾。故曰“武人為于大君”。志剛也。《象》曰:眇而視,不足以有明也。跛而履,不足以與行也。侯果曰:六三,兌也。互有離巽,離為目,巽為股。體俱非正,雖能視,眇目者也。雖能履,跛足者也。故曰“眇能視,不足以有明。跛能履,不足以與行”。是其義也。
爻辞にいう。勇武の人は大君に用いらる。虞翻の説明では、乾象は高居して上に在るから、武人の象あり。六三は位を失い、変動の後正を得て乾を成す。だから「武人為于大君」といい、これが《小象伝》の講ずる所の心志剛強である。《小象伝》にいう。偏盲して勉强に視るも、明らかに視るに足らず。跛して勉强に行くも、人と同行するに足らず。侯果の説明では、六三はもと兌体に属し、卦中の互体にまた離と巽あり。離は目、巽は股である。これらの体は皆其の正を得ず。だから視る能くすと雖も、却って眇目の人なり。行く能くすと雖も、却って跛足の人なり。だから「眇能視,不足以有明;跛能履,不足以与行」といい、まさにこの意である。
咥人之凶,位不當也。案:六三為履卦之主。體說應乾,下柔上剛,尊卑合道,是以“履虎尾,不咥人,通”。今於當爻以陰處陽,履非其位,互體離兌,水火相刑。故獨唯三被咥,凶矣。武人為于大君,志剛也。案:以陰居陽,武人者也。三互離爻,離為響明,為于大君,南面之象,與乾上應,故曰“志剛”。
《小象伝》にいう。虎に咬まるるの凶険は、位置当らざればこそ。李鼎祚の案語にいう。六三は《履》卦の主爻で、兌体に処りて和悦にして上に乾に応じ、下柔上剛にして尊卑各々其の道に合す。だから全卦はこそ「履虎尾,不咥人,亨」という。しかるにこの一爻本身に至りては、却って陰爻を以て陽位に居り、踏む所それが応有の位置に非ず。互体はまた離と兌を兼ね、水火相互に刑剋す。だから独り六三の一爻咬を遭う。しかるがゆえに凶あり。《小象伝》またいう。勇武の人は大君に用いらるるは、心志剛強なればこそ。李鼎祚の案語にいう。陰爻を以て陽位に居るは、まさに勇武の人の様である。六三はまた互体離爻の中に処り、離は向明の象にして、大君に用いられて南面して民に臨むの象あり、しかも上体乾と相応ず。だから「志剛」という。
九四:履虎尾,愬愬,終吉。虞翻曰:體與下絕,四多懼,故“愬愬”。變體坎,得位,承五應初,故終吉。《象》曰:“志行也”。《象》曰:愬愬終吉,志行也。侯果曰:愬愬,恐懼也。履乎兌主,履虎尾也。逼近至尊,故恐懼。以其恐懼,故“終吉”也。執乎樞密,故“志行”也。
九四の爻辞にいう。虎尾を踏みて、戒懼恐慎し、終竟吉祥。虞翻の説明では、九四の体は下卦と隔絶して接せず、而して第四爻はもと多く畏懼す。だから「愬愬」。変動の後坎体を成して位を得、上に九五を承け下に初九に応ず。だから終帰吉祥にして、《小象伝》はしかるがゆえに「志行也」という。《小象伝》にいう。戒懼恐慎して終に吉祥を獲るは、心志行うを得ればこそ。侯果の説明では、「愬愬」は恐懼の様である。九四は兌の主爻の上に踏む。すなわち虎尾を踏るなり。それはまた至尊の位に逼近す。だから心に恐懼を存す。まさに能く恐懼戒慎するを以て「終吉」。それは機要枢密の任を執掌すればこそ「志行」。
九五:夬履,貞厲。虞翻曰:謂三。上已變,體夬象,故“夬履”。四變五,在坎中也,為上所乘,故“貞厲”。《象》曰:“位正當也”。《象》曰:夬履貞厲,位正當也。干寶曰:夬,決也。居中履正,為履貴主。萬方所履,一決於前,恐決失正,恆懼危厲。故曰“夬履貞厲,位正當也”。
九五の爻辞にいう。剛決の道を以て行事し、これを守りて心に危懼を存す。虞翻の説明では、これは六三に就きて言う。上爻すでに変じ、卦体便ち《夬》卦の象あり。だから「夬履」。九四変動の後五位に至り、坎中に処り、また上爻に凌乘せらる。だから「貞厲」。《小象伝》はしかるがゆえに「位正当也」という。《小象伝》にいう。剛決にして行き、これを守りて危懼するは、位置正当なればこそ。干宝の説明では、「夬」はすなわち決断である。九五は中に居りて踏む所正を得、《履》卦中の尊貴の主爻である。万方百姓の遵行するを要する規矩は、皆彼の面前に於て一挙に決断す。彼はただ決断の正道を失わんことを恐る。だから常に危懼を懐く。だから「夬履貞厲,位正当也」という。
上九:視履考詳,其旋元吉。虞翻曰:應在三,三先視上,故上亦視三。故曰“視履考詳”矣。考,稽。詳,善也。乾為積善,故“考詳”。三上易位,故“其旋元吉”。《象》曰:“大有慶也”。《象》曰:元吉在上,大有慶也。盧氏曰:王者履禮於上,則萬方有慶於下。
上九の爻辞にいう。自らの行いし路を回顧して其の善を稽考し、能く周旋返復すれば大いに吉祥。虞翻の説明では、上九の応ずる所は六三に在り、六三先に上九を視る。だから上九もまた六三を視る。しかるがゆえに「視履考詳」という。「考」は稽察、「詳」は善で、乾は積善である。だから「考詳」。六三と上九は其の位を互換す。だから「其旋元吉」。《小象伝》はしかるがゆえに「大有慶也」という。《小象伝》にいう。大吉は最上の一爻に在り、大いに福慶あるなり。盧氏の説明では、王者は上に於て礼制を踐行し、天下万方は便ち下に於て福慶を同受す。
巻四・泰卦
《序卦》曰:履而泰,然後安,故受之以泰。泰者,通也。崔覲曰:以禮導之,必通。通然後安,所謂君子以辯上下,定民志,通而安也。(乾下坤上)。泰:小往大來,吉、亨。虞翻曰:陽息坤反,否也。坤陰詘外,為小往。乾陽信內,稱大來。天地交,萬物通,故“吉、亨”。
《序卦伝》にいう。礼制を踐行し然る後に通泰し、通泰し然る後に安定す。だから《履》の後に《泰》が続く。「泰」はすなわち通である。崔覗の説明では、礼を以て百姓を引導すれば、必ず通達し、通達し然る後にこそ安定す。すなわち《履》卦《大象》のいう所の君子上下を辨别し民志を安定する、通によりて安を得るなり。本卦は下体が乾・上体が坤。卦辞にいう。《泰》,小なる者往き大なる者来る、吉祥亨通。虞翻は消息卦に依って解く。陽気は下より生長して坤陰は退返し、《否》卦と正相反す。坤陰は屈縮して外卦に在るはすなわち「小往」。乾陽は伸展して内卦に在るはすなわち「大来」。天地の気は交感し、万物しかるがゆえに通暢す。だから「吉、亨」。
《彖》曰:泰,小往大來,吉、亨。蜀才曰:此本坤卦。小,謂陰也。大,謂陽也。天氣下,地氣上,陰陽交,萬物通,故“吉、亨”。則是天地交而萬物通也;何妥曰:此陰在道泰也。夫泰之為道,本以通生萬物。若天氣上騰,地氣下降,各自閉塞,不能相交,則萬物無由得生。明萬物生,由天地交也。
《彖伝》にいう。《泰》,小なる者往き大なる者来る、吉祥亨通。蜀才はこの卦もと《坤》卦より変じ来ると考える。「小」は陰を指し、「大」は陽を指す。天気は下降し地気は上昇し、陰陽交感して万物通暢す。だから「吉、亨」。《彖伝》続いていう。これはすなわち天地交感して万物通達す。何妥の説明では、この一句は天地の道の通泰を講ず。通泰の道理は、もと万物をして通暢して生長せしむるに在り。もし天気ひたすら上騰し地気ひたすら下降して、各々閉塞して相交わる能わざれば、万物に生成の途径なし。これより観れば、万物の生ずる能くする所以は、まさに天地の相交わるに由る。
上下交而其志同也;何妥曰:此明人事泰也。上之與下,猶君之與臣,君臣相交感,乃可以濟養民也。天地以氣通,君臣以志同也。內陽而外陰,內健而外順;何妥曰:此明天道也。陰陽之名,就爻為語。健順之稱,指卦為言。順而陰居外,故曰“小往”。健而陽在內,故曰“大來”。
《彖伝》にいう。上下交感して心志相同じ。何妥の説明では、この一句は人事上の通泰を講ず。上と下の関係は、君と臣に比す。君臣彼此交感してこそ、民を養うの功を成就する可し。天地は気に凭りて相通じ、君臣は志に凭りて相同ず。《彖伝》またいう。内卦は陽にして外卦は陰、内卦は剛健にして外卦は柔順。何妥の説明では、この一句は天道を講ず。陰陽の名目は、爻に就きて言う。健順の称呼は、卦に就きて言う。柔順にして陰は外卦に居ればこそ「小往」。剛健にして陽は内卦に居ればこそ「大来」。
內君子而外小人,崔覲曰:此明人事也。陽為君子,在內,健於行事。陰為小人,在外,順以聽命。君子道長,小人道消也。《九家易》曰:謂陽息而升,陰消而降也。陽稱息者,長也。起復成巽,萬物盛長也。陰言消者,起姤終乾。萬物成熟。成熟則給用,給用則分散。故陰用特言消也。
《彖伝》にいう。君子は内に在りて小人は外に在り。崔覗の説明では、この一句は人事を講ず。陽は君子にして、内卦に処り、剛健にして事を任ずるに勇し。陰は小人にして、外卦に処り、柔順にして命令を聴従す。《彖伝》またいう。君子の道は日漸に増長し、小人の道は日漸に消退す。《九家易》の説明では、これは陽気の生息して上昇し、陰気の消退して下降するを言う。陽の「息」と称する所以は、それが生長を主ればこそ。《復》卦の一陽始生より、長じて《大壮》《夬》に至りて巽体を成すの時に当りては、万物まさに盛大に生長す。陰の「消」と称する所以は、それが《姤》卦の一陰始生より、終に乾陽剥尽に至ればこそ。その時万物すでに成熟し、成熟すれば便ち人の取用に供し、取用すれば便ち分散耗減す。だから陰の作用は特に一個の「消」の字を以て言う。
《象》曰:天地交泰,荀爽曰:坤氣上升,以成天道。乾氣下降,以成地道。天地二氣,若時不交,則為閉塞。今既相交,乃通泰。后以財成天地之道,虞翻曰:後,君也。陰升乾位。坤,女主,故稱後。坤富,稱財。守位以人,聚人以財,故曰“成天地之道”。
《大象伝》にいう。天地交感して通泰を成す。荀爽の説明では、坤気は上昇し、以て天道を成就す。乾気は下降し、以て地道を成就す。天地の二気もし時に到りて相交わらざれば、閉塞と成る。今すでに相交われば、ここに通泰す。《大象伝》続いていう。君主はこれにより天地の道を裁成す。虞翻の説明では、「后」はすなわち君である。ここに陰爻は乾の位置に升る。坤は女主だから「后」と称す。坤は富厚を主るから「財」と称す。《系辞》に君位を守るは人に頼り、人心を聚むるは財に頼るという。だから「成天地之道」という。
輔相天地之宜,以左右民。虞翻曰:相,贊。左右,助之。震為左,兌為右,坤為民,謂以陰輔陽。《詩》曰:宜民宜人,受祿於天。鄭玄曰:財,節也。輔,相。左右,助也。以者,取其順陰陽之節,為出內之政。春崇寬仁,夏以長養,秋教收斂,冬敕蓋藏,皆可以成物助民也。
《大象伝》にいう。天地の宜する所を輔助贊成し、以て百姓を佑助す。虞翻の説明では、「相」は贊助で、「左右」もまた幇助である。互体震は左、兌は右、坤は民。これは陰を以て陽を輔助するを言う。《詩経》に民と人とをして各々其の宜を得しめ、しかるがゆえに禄を天に受くという。まさにこの意である。鄭玄は別に解く。「財」はまさに節制の「裁」と読むべく、「輔」は輔相、「左右」は佑助である。いわゆる「以」は、陰陽の節候に順応して出納の政令を制定するの義を取る。春は寛厚仁愛を崇尚し、夏は其の生長養育を助け、秋は民に收斂を教え、冬は其の覆蓋收藏を督す。これらは皆万物を成就し百姓を佑助する可し。
初九:拔茅茹,以其匯,征吉。王弼曰:茅之為物,拔其根而相牽引也。茹,相牽引之貌也。三陽同志,俱志在外。初為類首,已舉,則從若茅茹也。上順而應,不為違距,進皆得志。故“以其類,征吉”也。
初九の爻辞にいう。茅草を抜き起こせば、草根は牽連して叢を成し、同類相從して前行すれば、吉祥。王弼の説明では、茅この植物は、其の根を抜き起こせば牽連して相引く。「茹」はまさに相互牽引の様である。《泰》卦の下の三つの陽爻は心志相同じく、皆外に向かい進取するに志あり。初九は同類の首で、それ一旦挙動すれば、其の余の二陽はこれに随いて起つ。茅根の相牽くがごとし。上の三陰は柔順にしてこれと相応じ、違逆阻拒を加えず。だから三陽は前進して皆心志を遂るを得。しかるがゆえに自らの同類を帯びて前行すれば吉という。
泰卦(続)
《象》曰:拔茅征吉,志在外也。虞翻曰:否泰反其類,否巽為茅。茹,茅根。艮為手。匯,類也。初應四,故拔茅茹以匯。震為征,得位應四,征吉。外,謂四也。
《象伝》にいう。茅草を抜きて出行して吉を得るは、初九の心志が卦外に指向すればこそ。虞翻は「旁通」の法を以て解く。《否》《泰》両卦の爻象は正相反して互いに同類と為る。《否》卦中の巽象はすなわち「茅草」。「茹」は茅草の相牽連する根鬚を指す。艮象は「手」で、だから能く抜取す。「匯」は同類の聚合である。《泰》卦の初九は上に九四に応ず。だから「抜茅茹以匯」といい、一根を抜き起こせば一片の同類を牽連す。震象は「出行」で、初九すでに正位を得てまた上に九四に応ずればこそ、出行して吉を得。爻辞のいう所の「外」は、指す所まさに外卦に居る九四なり。
九二:包荒。翟玄曰:荒,虛也。二五相應,五虛無陽,二上包之。用馮河,不遐遺。荀爽曰:河出於乾,行於地中。陽性慾升,陰性慾承。馮河而上,不用舟航。自地昇天,道雖遼遠,三體俱上,不能止之,故曰“不遐遺”。朋亡,得尚于中行。荀爽曰:中,謂五。坤為朋,朋亡而下,則二上居五,而行中和矣。
九二の爻辞に「包荒」という。翟玄の説明では、「荒」は空虚である。九二と六五は相応じ、六五の位は空虚にして陽爻なし。九二は便ち下より上に向かいこれを包容し入る。爻辞また「用馮河,不遐遺」という。荀爽は「乾升坤降」に依りて説を立つ。黄河は源を乾天より出でて大地の中に流行す。陽の本性は上昇するを要し、陰の本性は承奉するを要す。徒歩にて河を渉りて上行し、舟船を借助せず。地面より直に天に升るに至り、路途遥遠と雖も、下卦乾の三爻は一斉に上行し、誰も彼らを攔住する能わず。だから「不遐遺」——再遠と雖も遺落せられず。爻辞再び「朋亡,得尚于中行」という。荀爽の説明では、「中」は六五の位を指す。坤象は朋党で、朋党は消散して下降し、九二便ち上に五位に居るを得て、中和の道を行うを得たり。
《象》曰:包荒,得尚于中行,以光大也。虞翻曰:在中稱包。荒,大川也。馮河,涉河。遐,遠;遺,亡也。失位變得正,體坎。坎為大川,為河。震為足。故“用馮河”。乾為遠,故“不遐遺”。兌為朋,坤虛無君,欲使二上,故“朋亡”。二與五易位,故得上於中行。震為行,故“光大也”。
《象伝》にいう。能く広大を包容し、また能く中道を崇尚して行うは、其の徳光明盛大なればこそ。虞翻は逸象と「之正」の説に依って解く。卦中に居りてこそ「包」と称す。「荒」は大河を指す。「馮河」はすなわち徒歩にて水を渉り河を過ぐ。「遐」は遠、「遺」は失落である。九二はもと陽を以て陰に居りて正を失い、変じて正を得た後坎体を成し、坎象は大川・河である。震象は足で、足を以て水中に行く。だから「用馮河」。乾象は遠。だから「不遐遺」。兌象は朋友で、坤の中は空虚にして君なく、まさに九二をして上行せしめんとす。だから「朋亡」。九二と六五は其の位を互換し、しかるがゆえに中位に升りて中道を行うを得。震象はまた行走である。だから《象伝》はそれを「光大」と称賛す。
九三:無平不陂,無往不復。虞翻曰:陂,傾。謂否上也。平,謂三。天地分,故平。天成地平,謂危者使平,易者使傾。往,謂消外。復,謂息內。從三至上,體復。終日乾乾,反復道。故“無平不陂,無生不復”。艱貞無咎。勿恤其孚,于食有福。虞翻曰:艱,險。貞,正。恤,憂。孚,信也。二之五,得正,在坎中,故“艱貞”。坎為憂。故“勿恤”。陽在五孚,險坎為孚,故有孚。體噬嗑食也。二上之五據四,則三乘二。故“于食有福”也。《象》曰:無平不陂,天地際也。宋衷曰:位在乾極,應在坤極,天地之際也。地平極則險陂,天行極則還復,故曰“無平不陂,無往不復”也。
九三の爻辞にいう。ひたすら平坦にして傾側せざるはなく、ひたすら前往して返回せざるはなし。虞翻の説明では、「陂」は傾斜で、《否》卦の上爻を指す。「平」は九三を指す。天地各々其の位を分かつ。だから平という。天道成就して地道平定す。すなわち《系辞》のいう所の危険なる者をして平安に帰せしめ、軽慢なる者をして傾覆に帰せしむ。「往」は陽気の外卦に於て消退するを指し、「復」は陽気の内卦に於て生息するを指す。九三より上六に数えて、まさに《復》卦の体に合す。これもまた《乾》卦九三の「終日乾乾」にして、往復道を行うの意である。だから爻辞に「无平不陂,无往不复」という。爻辞続いていう。処境艱難にして正を守れば咎あらず。自らの誠信を憂慮するを須わず。飲食俸禄の上に自から福分あり。虞翻の説明では、「艱」は険難、「貞」は守正、「恤」は憂慮、「孚」は誠信である。九二は上行して五位に至りて正を得、身に坎険の中に処る。だから「艱貞」。坎象はまた憂患だから「勿恤」と告誡す。陽爻五位に居るは有信を為し、険陷の坎はもと誠信の象を含む。だから有孚という。この時卦体はまた《噬嗑》の進食の象を含む。九二は上に五位に居りて六四を据有し、九三便ち反って其の下に在りて九二を承奉す。だから「于食有福」。《象伝》にいう。「无平不陂」は、天地交接の際を講ず。宋衷の説明では、九三の位は下卦乾の極点に在り、応ずる所の上六は上卦坤の極点に在り、まさに天地交接の処である。地勢は平の極処に至れば転じて険陂と為り、天は極処に行きて便ち本位に返回す。だから「无平不陂,无往不复」。
六四:翩翩,不富以其鄰,虞翻曰:二五變時,四體離飛,故“翩翩”。坤虛無陽,故“不富”。兌西震東,故稱“其鄰”。三陰乘陽,不得之應。《象》曰:“皆失實也。”不戒以孚。虞翻曰:謂坤。邑人不戒,故使二升五,信來孚邑,故“不戒以孚”。二上體坎,中正。《象》曰:“中心願也。”與比邑人不誡同義也。《象》曰:翩翩不富,皆失實也。宋衷曰:四互體震,翩翩之象也。陰虛陽實,坤今居上,故言“失實也”。不戒以孚,中心願也。《九家易》曰:乾升坤降,各得其正。陰得承陽,皆陽心之所願也。
六四の爻辞にいう。翩然として下降し、自らは富有ならざれど、能く隣伴を帯びて同行す。虞翻の説明では、九二と六五とが互変する時に当り、六四の処る体は離を成し、離は飛鳥。だから「翩翩」。坤は虚で、其の中に陽爻なし。だから「不富」。兌は西方に居り震は東方に居り、東西相接す。だから「其隣」と称す。三つの陰爻は陽爻の上に凌駕し、応有の感応を得ず。だから《象伝》は彼らを「皆充実の徳を失掉せり」という。爻辞また「不戒以孚」という。虞翻はこれは坤を言うを指出す。邑中の人は防禦戒備を設けず、しかるがゆえに九二をして五位に上昇せしむ。誠信到来して邑人をして信服せしむ。だから「不戒以孚」。九二上行の後坎体を成し、中に居りて正を得。だから《象伝》に「これまさに内心の願う所なり」という。これは《比》卦のいう所の「邑人不誡」と同一の意である。《象伝》にいう。翩然として下降して富有ならざるは、衆陰皆充実の徳を失掉せればこそ。宋衷の説明では、六四の在る互体は震で、震は動きて上挙す。まさに翩翩飛挙の象である。陰は虚にして陽は実。今坤体は高居して上卦に在る。だから「失実」。《象伝》またいう。防禦を設けずして自然に孚信するは、内心の願望より出づればこそ。《九家易》は「乾升坤降」に依りて立論す。乾陽は上昇し坤陰は下降し、各々皆正位に帰す。陰爻は能く陽爻を承奉す。これは皆陽剛の心の願意する所なり。
六五:帝乙歸妹,以祉元吉。《九家易》曰:五者,帝位,震象稱乙,是為帝乙。六五以陰處尊位,帝者之姊妹。五在震後,明其為妹也。五應於二,當下嫁二。婦人謂嫁曰歸。故言“帝乙歸妹”。謂下居二,以中和相承,故“元吉”也。虞翻曰:震為帝,坤為乙。帝乙,紂父。歸嫁也。震為兄,兌妹,故嫁妹。祉,福也。謂五變體離,離為大腹,則妹嫁而孕,得位正中,故“以祉元吉”也。
六五の爻辞にいう。帝乙は妹を嫁出し、しかるがゆえに福を獲て大吉す。《九家易》の説明では、五は帝王の位で、震は納甲の中に天干「乙」に配す。合せて便ち「帝乙」。六五は陰柔を以て尊位に居り、まさに帝王の姊妹を象徴す。五位は震の後に在り、彼女は妹妹にして姐姐に非ざるを見る可し。六五は下に九二に応じ、理当り下に九二に嫁すべし。古人は女子の出嫁を「帰」と称す。だから「帝乙帰妹」。彼女は下降して二位に居り、中和の徳を以て相承奉す。だから「元吉」。虞翻は別に納甲に依りて解説す。震象は帝で、坤は納甲の中に「乙」に配す。「帝乙」はすなわち商紂王の父である。「帰」はすなわち出嫁。震は兄長、兌は少女すなわち妹妹。だから嫁妹の象あり。「祉」は福である。六五変動の後離体を成し、離は大腹。まさに妹妹出嫁して懐孕するを象徴す。また中に居りて正を得。だから「以祉元吉」。
《象》曰:以祉元吉,中以行願也。《九家易》曰:五下於二,而得中正,故言“中以行願”也。上六:城復于隍,虞翻曰:否艮為城,故稱城。坤為積土。隍,城下溝。無水稱隍,有水稱池。今泰反否,乾壞為土,艮城不見,而體復象,故“城復于隍”也。勿用師,自邑告命,貞吝。虞翻曰:謂二,動時體師。陰皆乘陽,行不順,故“勿用師”。坤為自邑,震為言,兌為口,否巽為命。今逆陵陽,故“自邑告命”。命逆不順,陰道先迷,失實遠應,故“貞吝”。
《象伝》にいう。福を獲るに因りて大吉なるは、能く中道を守りて心願を実現するに由ればこそ。《九家易》の説明では、六五は二位に下降し、しかるがゆえに中を得て正を得。だから「中以行願」という。上六の爻辞にいう。城墻は乾壕の中に傾覆せり。虞翻は旁通の法を以て解く。《否》卦中の艮象は城である。だから「城」と称す。坤象は堆積の土である。「隍」は城下の壕溝で、水なきを「隍」と称し、水あるを「池」と称す。今《泰》極まりて反って《否》と成り、乾体は崩壊して泥土と化し、艮の象する所の城墻は復た見る可からず。卦体はまた《復》卦返回の象を含む。だから「城復于隍」。爻辞続いていう。軍隊を動用する勿れ、ただ自らの城邑の中より命令を発布するのみ、縱い正を守るとも困窘を免れず。虞翻の説明では、これは九二を言う。九二変動の時、卦体は《師》卦の象を含む。この時衆陰は皆陽爻の上に凌駕し、行事順ならず。だから「勿用師」と告誡す。坤象は自家の城邑、震象は言語、兌象は口、《否》卦中の巽象は号令である。今陰気は逆に行いて陽剛を欺凌す。だから「自邑告命」という。政令は悖逆して順ならず、陰柔の道はもと易く先に方向を迷失し、加うるに上六は其の実徳を失い、応ずる所に遠離す。だから「貞吝」。
《象》曰:城復于隍,其命亂也。《九家易》曰:乾當來上,不可用師而拒之也。自邑者,謂從坤性而降也。告命者,謂下為巽,宣佈君之命令也。三陰自相告語,俱下服順承乾也。城復于隍,國政崩也。坤為亂,否巽為命,交在泰上,故“其命亂也”。《序卦》曰:物不可以終通,故受之以否。崔覲曰:物極則反,故不終通而否矣,所謂“城復于隍”者也。
《象伝》にいう。城墻壕溝に傾覆するは、政令すでに紊亂せればこそ。《九家易》の説明では、乾陽は理当り上行して来るべく、軍隊を動用してそれを抗拒する可からず。いわゆる「自邑」は、坤の柔順の本性に順從して下降するを言う。いわゆる「告命」は、下体は巽にして巽に申命の義あるを言い、すなわち君主の命令を宣布す。三つの陰爻は相互に転告し、一斉に下降して乾陽を順服承奉す。城墻の壕溝に傾覆するは、国家政事の崩壊を象徴す。坤象は紊亂、《否》卦中の巽象は政令で、二者は交錯して《泰》卦の上に在り。だから「其命乱也」という。《序卦伝》にいう。事物は永遠に通泰なる能わず。だから《泰》卦の後に《否》卦が続く。崔覗の説明では、事物は極点に至れば便ち反面に走向す。だからひたすら通泰なる能わずして閉塞に転ず。これまさに「城復于隍」の講ずる所の道理である。
否卦
(坤下乾上)否:否之匪人,不利君子貞,大往小來。虞翻曰:陰消乾,又反泰也。謂三。比坤滅乾,以臣弒其君,子弒其父,故曰“匪人”。陰來滅陽,君子道消,故“不利君子貞”。陰信陽詘,故“大往小來”。則是天地不交而萬物不通,與比三同義也。
《否》卦は坤は下、乾は上。卦辞にいう。閉塞の世は人道に合せず、君子の正を守るに利あらず。陽の大なる者は外に往き、陰の小なる者は進み来る。虞翻は十二消息卦に依りて説を立つ。これは陰気の乾陽を消蝕し、また《泰》卦と相反する卦で、指す所は六三この一爻である。坤の能く乾を滅する情形に比照すれば、臣子の君主を弑殺し、兒子の父を弑殺するがごとし。だから「匪人」という。陰気は上に来りて陽気を消滅し、君子の道は消退す。だから「不利君子貞」。陰気は伸張して陽気は屈縮す。だから「大往小来」。かくのごとくなれば天地の気は相交感せず、万物は亨通する能わず。其の義は《比》卦六三と相同じ。
《彖》曰:否匪人,不利君子貞。崔覲曰:否,不通也。於不通之時,小人道長,故云“匪人”。君子道消,故“不利君子貞”也。大往小來,蜀才曰:此本乾卦。大往,陽往而消。小來,陰來而息也。則是天地不交而萬物不通也。何妥曰:此明天道否也。
《彖伝》にいう。閉塞の世は人道に合せず、君子の正を守るに利あらず。崔覗の説明では、「否」はすなわち不通である。不通の時に処り、小人の道は日に益々増長す。だから「匪人」。君子の道はこれに随いて消退す。だから「不利君子貞」。《彖伝》また「大往小来」という。蜀才は卦変に依りて説を立つ。この卦はもと《乾》卦より変じ来る。「大往」は陽爻の外に往きて消退するなり、「小来」は陰爻の進み来りて生長するなり。《彖伝》続いていう。これはすなわち天地相交わらずして万物通ぜず。何妥の指出では、この一句は天道の閉塞を説明す。
上下不交而天下無邦也。何妥曰:此明人事否也。泰中言志同,否中雲無邦者,言人志不同,必致離散,而亂邦國。崔覲曰:君臣乖阻,取亂之道,故言“無邦”。內陰而外陽,內柔而外剛,崔覲曰:陰、柔,謂坤。陽、剛,謂乾也。內小人而外君子。小人道長,君子道消也。崔覲曰:君子在野,小人在位之義也。
《彖伝》にいう。上下相交通せざれば、天下は便ち邦国なきに等し。何妥の指出では、この一句は人事の閉塞を説明す。《泰》卦の《彖伝》は上下「志同」を講じ、《否》卦ここには却って「无邦」という。人心志向の一致せざるを言う意は、必ず離散を招致し、これによりて邦国を擾乱す。崔覗の説明では、君臣の間は乖違阻隔す。まさに禍乱を招致する道なり。だから「无邦」。《彖伝》またいう。内卦は陰・外卦は陽、内裏柔弱にして外表剛強。崔覗の説明では、陰と柔は内卦坤を指し、陽と剛は外卦乾を指す。《彖伝》再びいう。内裏は小人にして外辺は君子、小人の道は増長し、君子の道は消退す。崔覗の説明では、これはすなわち君子は草野に棄置せられ、小人は却って高位を竊据するの意である。
《象》曰:天地不交,否。宋衷曰:天地不交,猶君臣不接。天氣上升,而不下降;地氣沈下,又不上升。二氣特隔,故云“否”也。君子以儉德辟難,不可榮以祿。虞翻曰:君子謂乾,坤為營,乾為祿,難謂坤為弒君,故以“儉德辟難”。巽為入伏,乾為遠,艮為山,體遁象,謂闢難遠遁入山,故“不可營以祿”。營,或作榮。儉,或作險。孔潁達曰:言君子於此否時,以節儉為德,闢其危難,不可榮華其身,以居祿位。若據諸侯公卿而言,是闢時群小之難,不可重受官爵也。若據王者言之,謂節儉為德,闢陰陽厄運之難,不可自重榮貴而驕逸也。
《象伝》にいう。天地の気は相交感せず、これが《否》である。宋衷の説明では、天地交わらざるは、君臣の相接洽せざるに比す。天気はひたすら上昇して下降せず、地気はひたすら沉降して上昇せず。両種の気は各々隔絶す。だから「否」と称す。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて徳行を収斂し以て危難を避け、栄華禄位を以て自ら炫る可からず。虞翻は逸象に依って解く。「君子」は乾を指し、坤象は經營、乾象は爵禄で、いわゆる危難は坤に君を弑する象あるを指す。だから「以儉徳辟難」を要す。巽象は潜入隱伏、乾象は遥遠、艮象は山で、卦体はまた《遁》卦退避の象を含む。禍難を躲けて遥かに山中に遁入するを言う。だから「不可營以禄」。「營」はある本子は「榮」と作し、「儉」はある本子は「險」と作す。孔穎達は人事より説を立つ。君子はこの閉塞の時に処り、まさに節儉を以て徳と為し、当前の危難を躲避し、自身をして栄華顯赫にして禄位を占踞せしむる可からず。もし諸侯公卿に就きて言えば、当時群小の造成する禍難を躲け、一再に官爵を接受す可からざるを要す。もし君王に就きて言えば、節儉を以て徳と為し、陰陽厄運の帯來する災難を躲避し、自ら尊貴に恃みて驕縱逸楽す可からず。
初六:拔茅茹以其匯,貞吉,亨。荀爽曰:拔茅茹,取其相連,匯者,類也。合體同包,調坤三爻同類相連,欲在下也。貞者,正也。謂正居其所則“吉”也。《象》曰:拔茅貞吉,志在君也。《九家易》曰:陰志在下,欲承君也。案:初六,巽爻。巽為草木,陽爻為木,陰爻為草。初六陰爻,草茅之象也。
初六の爻辞にいう。茅草を抜き起こせば根鬚に連なり、同類相隨い、正を守れば吉にして亨通。荀爽の説明では、「抜茅茹」というは、根鬚の相牽連するの義を取る。「匯」は同類である。三陰は合して一体を成し同じく包容を受く。坤の三爻は同類相連なり、皆情願に下位に居るを言う。「貞」はすなわち正で、端正に自らの位置に安処すれば便ち吉を得るを言う意。《象伝》にいう。茅草を抜きて正を守りて吉を得るは、心志が君上に係ればこそ。《九家易》の説明では、陰爻の心志は下に居るに在り、君主を承奉せんと欲するなり。李鼎祚の案語にいう。初六は巽爻で、巽象は草木で、其の中の陽爻は樹木・陰爻は小草である。初六は陰爻だから、草茅の象を取る。
六二:包承,小人吉,大人否,亨。荀爽曰:二與四同功,為四所包,故曰“包承”也。小人,二也。謂一爻獨居,間象相承,得繫於陽,故“吉”也。大人,謂五。乾坤分體,天地否隔,故曰“大人否”也。二五相應,否義得通,故曰“否,亨”矣。《象》曰:大人否享,不亂群也。虞翻曰:否,不也。物三稱群,謂坤三陰亂弒君,大人不從,故“不亂群”也。
六二の爻辞にいう。包容承順すれば、小人は吉を得、大人は閉塞に処ると雖も終に亨通する能くす。荀爽の説明では、六二と六四は同じく陰爻にして功用相同じ。六四に包まる。だから「包承」。「小人」は六二を指し、それは一爻独り処り、中間の象を隔てて承奉し、能く陽に系属するを言う。だから吉を得。「大人」は九五を指す。乾坤は分かれて両体を成し、天地閉塞隔絶す。だから「大人否」。但し六二と九五は相応じ、閉塞の中になお相通ずるの義あり。だから「否,亨」。《象伝》にいう。大人否に処りて亨なるは、群陰と同流して乱を作さざればこそ。虞翻の説明では、ここの「否」は「不」と講ずべし。三個の同類の物を「群」と称し、坤の三つの陰爻の乱を作し君を弑するを指し、而して大人は附從するを肯ぜず。だから「不乱群」。
六三:包羞。《象》曰:包羞,位不當也。荀爽曰:卦性為否,其義否隔。今以不正,與陽相承,為四所包,違義失正,而可羞者,以“位不當”故也。九四:有命,無咎,疇離祉。《九家易》曰:巽為命。謂受五之命,以據三陰,故“無咎”。無命而據,則有咎也。疇者,類也。謂四應初據三,與二同功,故陰類皆離祉也。離,附。祉,福也。陰皆附之,故曰有福。謂下三陰離,受五四之福也。《象》曰:有命無咎,志行也。荀爽曰:謂志行於群陰也。
六三の爻辞にいう。包容する所の事は羞ず可し。《象伝》にいう。包羞は、処る所の位の恰も当らざればこそ。荀爽の説明では、この卦の性質は閉塞で、其の義は隔絶不通に在り。今六三は不正の身を以て陽爻を承奉し往き、また六四に包まる。すでに卦義に違背してまた正道を失う。羞ず可き所以は、まさに「位不当」に在り。九四の爻辞にいう。君命を秉承すれば、咎なし、同類皆福に附着するを得。《九家易》の説明では、巽象は命令で、九四は九五の命を承受して下の三つの陰爻を据有するを言う。だから「无咎」。もし君命なくして擅自に据有せば、それは咎あり。「疇」は同類で、九四は下に初六に応じ上に六三に据り、また六二と功用相同じきを言う。だから陰類は皆福に附着する能くす。「離」は附着、「祉」は福である。衆陰皆来りてそれに依附す。だから福ありといい、すなわち下の三つの陰爻は附麗して九五・九四の賜る所の福沢を承受す。《象伝》にいう。君命を秉承して咎なきは、心志行うを得ればこそ。荀爽の説明では、これは九四の心志の能く群陰の中に施行するを言う。
九五:休否,大人吉。《九家易》曰:否者消卦,陰欲消陽。故五處和居正,以否絕之。乾坤異體,升降殊隔,卑不犯尊,故“大人吉”也。其亡其亡,荀爽曰:陰欲消陽,由四及五,故曰“其亡其亡”。謂坤性順從,不能消乾使亡。繫於包桑。荀爽曰:包者,乾坤相包也。桑者,上玄下黃,以象乾坤也。乾職在上,坤體在下,雖欲消乾,繫其本體,不能亡也。
九五の爻辞にいう。閉塞の勢いを休止せしめば、大人は吉を得。《九家易》の説明では、《否》は陰の陽を消する消卦で、陰気は陽気を消蝕せんと欲す。だから九五は中和に処りて正位に居り、閉絶の办法を用いてそれを截断す。乾坤は各々一体を成し、升降は懸隔して通ぜず。卑下の者は尊上の者を侵犯する能わず。だから「大人吉」。爻辞また「其亡其亡」という。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。陰気は陽気を消滅せんと欲し、すでに四位より五位に逼り至る。だから反復して警惕していう。「まさに亡びんとす、まさに亡びんとす」。但し坤の本性は順從で、終竟乾を消滅する能わず。爻辞再び「系于包桑」という。荀爽の説明では、「包」は乾坤の互相包裹すなり。「桑」この樹は上部青黒にして下部色黄なり。まさに乾天坤地を象徴する可し。乾の職守は上に在り、坤の形体は下に在り。陰は乾陽を消蝕せんと欲するも、なお其の本体に系属す。だからそれを亡ぼさしむる能わず。
京房曰:桑有衣食人之功,聖人亦有天覆地載之德,故以喻。陸績曰:包,本也。言其堅固不亡,如以巽繩繫也。案:其亡其亡,近死之嗟也。其與幾同。幾者,近也。九五居否之時,下包六二。二互坤艮,艮山坤地,地上即田也。五互巽木,田上有木,莫過於桑。如曰“其亡其亡,繫于苞桑”。言五二包繫,根深蒂固,若山之堅,如地之厚者也。雖遭危亂,物莫能害矣。鄭玄曰:猶紂囚文王於羑里之獄,四臣獻珍異之物,而終免於難,繫於包桑之謂。
京房の説明では、桑樹に蚕を養い衣を取り椹を結びて食を充たすの功用あり。聖人もまた天の覆い地の載するがごとき恩徳あり。だから桑を以て比喻と為す。陸績は別にいう。「包」は根本の意で、それは堅固にして亡失せざるを言う。巽象の取る所の繩索を以て系住するがごとし。李鼎祚の案語にいう。「其亡其亡」は死亡に臨近する時の嗟嘆である。「其」は「几」と相通じ、「几」は接近の意である。九五は閉塞の時に処り、下に六二を包容す。六二の在る互体に坤と艮あり、艮は山・坤は地で、地面の上はすなわち田である。九五の在る互体は巽で、巽は木である。田上に生長する樹木は桑より常見なるはなし。だから「其亡其亡,系于苞桑」という。これは九五と六二の互相包系して根は深く蔕は固く、山のごとく堅牢にして大地のごとく厚重なりを言う。すなわち危乱に遭遇すとも、外物はそれを傷害する能わず。鄭玄は史事を以て解を作す。これは商紂王が周文王を羑里の牢獄の中に囚禁し、四位の大臣は珍奇異宝を進獻し、文王は終に禍難を免れたるに比す。まさに「系于包桑」のいう所の情形である。
《象》曰:大人之吉,位正當也。崔覲曰:得位居中也。上九:傾否,先否後喜。侯果曰:傾為覆也。否窮則傾矣。傾猶否,故“先否”也。傾畢則通,故“後喜”也。《象》曰:否終則傾,何可長也。虞翻曰:否終必傾,盈不可久,故“先否”。下反於初,成益,體震,民說無疆,故“後喜”。以陰剝陽,故不可久也。《序卦》曰:物不可以終否,故受之以同人。崔覲曰:否終則傾,故同於人。通而利涉矣。
《象伝》にいう。大人の吉を得るは、居る所の位正当なればこそ。崔覗の説明では、九五はすでに正位を得てまた中に居る。上九の爻辞にいう。閉塞の局を傾覆し、先は閉塞にして後に喜悅に転ず。侯果の説明では、「傾」はすなわち傾覆である。閉塞は尽頭に至れば便ち傾覆す。まさに傾覆する時に閉塞を帯びたるままなり。だから「先否」。傾覆完畢すれば便ち通達に転ず。だから「后喜」。《象伝》にいう。閉塞は終点に至れば便ち傾覆す。いずくんぞ能く長久ならんや。虞翻の説明では、《否》は終点に至れば必ず傾覆し、盈満は持久する能わず。だから「先否」。上九は下に返りて初位に至りて《益》卦を成し、卦体に震を含み、まさに《彖伝》のいう所の百姓喜悅窮まりなきの義に合す。だから「后喜」。陰を以て陽を剥落すればこそ、長久なる能わず。《序卦伝》にいう。事物はひたすら閉塞して下去る能わず。だから《否》卦の後に《同人》卦が続く。崔覗の説明では、閉塞は終点に至れば便ち傾覆し、しかるがゆえに人と和同に転ず。すでに通達せば、大川を渉越する可し。
同人卦
(離下乾上)同人:同人于野,亨。鄭玄曰:乾為天,離為火。卦體有巽,巽為風。天在上,火炎上而從之,是其性同於天也。火得風,然後炎上益熾,是猶人君在上施政教,使天下之人和同而事之。以是為人和同者,君之所為也。故謂之“同人”。風行無所不遍,遍則會通之德大行,故曰“同人于野,亨”。利涉大川,利君子貞。崔覲曰:以離文明,而合乾健。九五中正,同人於二,為能通天下之志,故能“利涉大川,利君子之貞”。
《同人》卦は離は下、乾は上。卦辞にいう。曠遠の郊野に於て人と和同すれば、亨通。鄭玄の説明では、乾は天、離は火である。卦中の互体にまた巽あり、巽は風である。天は高居して其の上に在り、火性は炎上して天を追随す。火の本性は天と相同じきを見る可し。火は再び風助を得て、然る後に火焔上騰して益々熾烈なり。これは君主の上に在りて政教を施行し、天下の人をして和睦一心に彼を事奉せしむるに比す。能く衆人を和同せしむるは、まさに君主の作為である。だから「同人」と称す。風の流行は到らざる所なく、到らざる所なければ便ち会通の徳は世に大行す。だから「同人于野,亨」。卦辞また「利渉大川,利君子貞」という。崔覗の説明では、離の文明の徳を以て乾の剛健の性に配合し、九五は中に居りて正を得、六二と和同す。しかるがゆえに能く天下人の心志を溝通す。だから能く「利渉大川,利君子之貞」。
《彖》曰:同人,《九家易》曰:謂乾舍於離,同而為日。天日同明,以照於下。君子則之,上下同心,故曰“同人”。柔得位得中,而應乎乾,曰同人。蜀才曰:此本夬卦。九二升上,上六降二,則“柔得位得中,而應乎乾”。下奉上之象,義同於人,故曰“同人”。
《彖伝》に「同人」という。《九家易》の説明では、これは乾の離に寄居するを言い、二者相同じくして共に太陽の象を成す。天と日は其の光明を同じくし、以て下土を照臨す。君子はそれに效法し、上下同心を致す。だから「同人」と称す。《彖伝》またいう。柔爻すでに正位を得てまた中位に居り、しかも上に乾に応ず。だから《同人》と称す。蜀才は卦変に依りて説を立つ。この卦はもと《夬》卦より変じ来り、《夬》の九二は上位に上昇し、上六は二位に下降し、ここに「柔得位得中,而応乎乾」と成り、在下者の在上者を奉戴する形象を形成す。其の義は人と和同するに在り。だから「同人」と称す。
同人曰:同人于野,亨,利涉大川,乾行也。虞翻曰:旁通師卦。巽為同,乾為野。師震為人。二得中應乾。故曰“同人于野,亨”。此孔子所以明嫌表微。師震為夫,巽為婦,所謂二人同心。故不稱君臣、父子、兄弟、朋友,而故言人耳。乾四上失位,變而體坎,故曰“利涉大川,乾行也”。侯果曰:九二升上,上為郊野,是“同人于野”而得通者,由乾爻上行耳。故特曰“乾行也”。
《彖伝》続いて卦辞を引いていう。曠野に於て人と和同すれば亨通し、大川を渉越するに利あるは、乾徳の運行なり。虞翻は旁通の法に依って解く。《同人》は《師》卦と旁通す。巽象は「同」、乾象は「野」、《師》卦中の震象は「人」である。六二は中に居りて上に乾に応ず。だから「同人于野,亨」。これはまさに孔子の以て嫌疑を辨明し幽微の処を顯示するなり。《師》卦の震は丈夫、巽は婦人で、すなわち《系辞》のいう所の「二人同心」。だから君臣・父子・兄弟・朋友と称せずして、ただ泛く一個の「人」の字を言う。乾の四爻と上爻は位を失い、変動の後坎体を成す。だから「利渉大川,乾行也」。侯果は別に卦変に依って解く。九二は上位に上昇し、上位はすなわち郊野である。これが「同人于野」にして能く通達するなり。原因ただ乾爻の上行に在るのみ。だから特に「乾行也」を點出す。
文明以健,中正而應,君子正也。何妥曰:離為文明,乾為剛健。健非尚武,乃以文明。應不以邪,乃以中正。故曰“利君子貞”也。唯君子為能通天下之志。虞翻曰:唯,獨也。四變成坎。坎為通、為志。故“能通天下之志”。謂五以類族辯物,聖人作而萬物睹。崔覲曰:君子謂九五。能舍已同人,以通天下之志。若九三、九四,以其人臣,則不當矣。故爻辭不言同人也。
《彖伝》にいう。すでに文明の徳ありてまた剛健なる能くし、中に居りて正を得て上下相応ずるは、君子の正道なり。何妥の説明では、離は文明、乾は剛健である。いわゆる剛健は武力を崇尚するに非ずして、文明を以て本と為す。いわゆる相応もまた邪僻を以て相合するに非ずして、中正を以て相応ず。だから「利君子貞」。《彖伝》またいう。ただ君子のみ能く天下人の心志を溝通す。虞翻の説明では、「唯」は唯獨である。九四変動の後坎を成し、坎象は通・心志である。だから「能通天下之志」といい、九五の能く類に依りて族属を分别し事物を辨明するを指す。まさに《文言》のいう所の聖人興起して万物矚目するがごとし。崔覗は別にいう。君子は九五を指し、彼は能く私己を捨棄して人と和同す。これに因りて天下人の心志を溝通す。九三・九四に至りては、身に人臣と為るは、便ち此事を担当するに適せず。だからこの両爻の爻辞は皆「同人」を提げず。
《象》曰:天與火,同人。荀爽曰:乾舍於離,相與同居,故曰“同人”也。君子以類族辯物。虞翻曰:君子謂乾。師坤為類,乾為族。辯,別也。乾,陽物。坤,陰物。體姤,天地相遇,品物咸章,以乾照坤。故“以類族辯物”。謂方以類聚,物以群分。孔子曰:君子和而不同,故於同人象見,以“類族辯物”也。
《象伝》にいう。天と火は相亲す。これが《同人》である。荀爽の説明では、乾は離に寄居し、二者相与に同処す。だから「同人」と称す。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて類に依りて族属を分别し事物を辨明す。虞翻の説明では、君子は乾を指す。旁通の《師》卦中の坤象は「類」、乾象は「族」である。「辯」はすなわち分别である。乾は陽物、坤は陰物である。卦体に《姤》を含み、天地相遇いて各類の事物皆彰顯せらる。乾を以て坤を照臨す。だから「以類族辯物」といい、すなわち《系辞》のいう所の方位は類に依りて相聚り事物は群に依りて相分かる。孔子かつていう。「君子は和して同ぜず」。だから《同人》の《象伝》の裏に便ち「類族辯物」の義を見出す。
初九:同人于門,無咎。虞翻曰:乾為門,謂同於四,四變應初,故“無咎”也。《象》曰:出門同人,又誰咎也。崔覲曰:剛而無應,比二以柔,近同於人,出門之象,“又誰咎矣”。案:初九,震爻。帝出乎震。震為大塗,又為入門出門之象也。
初九の爻辞にいう。門を出でて人と和同すれば、咎なし。虞翻の説明では、乾象は門で、初九と九四とが和同するを言い、九四変動の後初九と相応ず。だから「无咎」。《象伝》にいう。門を出でて便ち人と和同するは、また誰か彼に咎帰せんや。崔覗の説明では、初九は剛健にして正応なく、ただ柔順の六二に親比し、就き近く人と和同するのみ。まさに門を出づるの象である。だから「又誰咎矣」。李鼎祚の案語にいう。初九は震爻で、《説卦》に「帝出乎震」と講ず。震象は大道にして、また門を出で門に入るの形象あり。
六二:同人于宗,吝。荀爽曰:宗者,眾也。三據二陰,二與四同功,五相應,初相近,上下眾陽,皆欲與二為同,故曰“同人于宗”也。陰道貞靜,從一而終,今宗同之,故“吝”也。《象》曰:同人于宗,吝道也。侯果曰:宗,謂五也。二為同人之主,和同者之所仰也。有應在五,唯同於五,過五則否,不能大同於人,則為主之德吝狹矣。所同雖吝,亦妻臣之道也。
六二の爻辞にいう。ただ本宗の内に於て人と和同するは、吝惜する所有り。荀爽の説明では、「宗」は衆多の意である。九三は両個の陰爻を据有し、六二は九四と功用相同じく、九五と相応じ、初九と相近し。上下の衆陽爻は皆六二と和同せんと欲す。だから「同人于宗」。但し陰柔の道は貞静を貴しとし、一に從いて終る。今衆人皆来りてそれと和同す。だから「吝」。《象伝》にいう。ただ本宗の内に於て和同するは、狭吝の道なり。侯果の説明では、「宗」は九五を指す。六二は《同人》一卦の主で、和同する者の仰望する対象である。それは正応を九五に在りと有し、ただ九五と和同するのみ。九五を超出する以外は便ち再び和同せず、能く廣く衆人と大同する能わざれば、一卦の主と為るに其の徳は便ち吝嗇狭隘と顯れん。和同する対象は狭吝と雖も、また妻と為り臣と為るの本分に合す。
九三:伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。虞翻曰:巽為伏,震為草莽,離為戎。謂四變時三在坎中,隱伏自藏,故“伏戎于莽”也。巽為高,師震為陵,以巽股升其高陵。爻在三。乾為歲。興,起也。動不失位,故“三歲不興”也。《象》曰:伏戎于莽,敵剛也。三歲不興,安行也。崔覲曰:與二相比,欲同人焉。盜憎其主,而忌於五,所以隱兵於野,將以襲之,故曰“伏戎于莽”。五既居上,故曰“升其高陵”。一爻為一年,自三至五,頻遇剛敵,故“三歲不興,安可行也”。案:三互離巽,巽為草木,離為戈兵,伏戎于莽之象也。
九三の爻辞にいう。兵士を草莽の中に埋伏し、彼の高高たる山陵に登るも、三年も兵を興すを敢てせず。虞翻の説明では、巽象は潜伏、震象は草莽、離象は兵戈である。九四変動の時、九三は坎険の中に処り、隱蔽して自ら蔵る。だから「伏戎于莽」。巽象は高、旁通の《師》卦中の震象は丘陵で、巽の象する所の腿足に凭りて高陵に登る。この爻の位は第三に在り、乾象は「歳」。「興」は興起である。九三は変動して其の位を失わず。だから「三歳不興」。《象伝》にいう。兵士を草莽の中に埋伏するは、敵手過度に剛強なればこそ。三年兵を興すを敢てせざれば、またいずくんぞ行動する所有らんや。崔覗の説明では、九三と六二は相隣り、それと和同せんと欲す。盗賊は常に物主を憎恨し、しかるがゆえに九五を忌恨す。だから兵士を郊野に隱蔵し、突襲を準備す。だから「伏戎于莽」。九五すでに高位に高居せば、だから「升其高陵」。一爻は一年を代表し、三位より五位に数えて、屢々剛強の敵手に遇上す。だから「三歳不興,安可行也」。李鼎祚の案語にいう。九三の在る互体に離と巽あり、巽は草木、離は戈兵。まさに兵士を草莽の中に埋伏する形象である。
九四:乘其庸,弗克攻,吉。虞翻曰:巽為庸,四在巽上,故“乘其庸”。變而承五。體訟,乾剛在上。故“弗克攻”,則“吉”也。《象》曰:乘其庸,義弗克也。其吉,則困而反則也。王弼曰:處上攻下,力能乘庸者也。履非其位,與三爭二。二自應五,三非犯已,攻三求二,尤為效之。違義傷禮,眾所不與。勢雖乘墉,義終弗克,而得吉者,以困而反正則也。
九四の爻辞にいう。彼の城墻に登るも、進攻する能わず、吉。虞翻の説明では、巽象は城墻で、九四は巽体の上に居る。だから「乘其庸」という。それは変動の後九五を承奉し、卦体はまた《訟》を含み、乾剛は上に在り。だから「不能進攻」。しかるがゆえに吉を得。《象伝》にいう。城墻に登りて進攻する能わざるは、義に於て可ならざればこそ。其の吉を得る所以は、困に処りて法則に返回せればこそ。王弼は義理と爻位より説を立つ。九四は上位に居りて下を攻打す。力は城墻に登るに足る。但し其の処る所は正位に非ざるに、九三と六二を争奪せんとす。六二はもと自ら九五と相応じ、九三もまた自らを侵犯せず。今九三を攻打して以て六二を求め得んとするは、殊に他人の争奪を仿効するを加う。これは既に道義に違背してまた礼法を傷害し、衆人の賛同する所に非ず。形勢上は城墻に登る能くすと雖も、道義上は終竟取勝する能わず。而してなお吉を獲るは、困に処りての後正当の法則に返回せればこそ。
九五:同人先號咷而後笑,大師克相遇。虞翻曰:應在二。巽為號咷,乾為先,故“先號咷”。師震在下,故“後笑”。震為後笑也。乾為大,同人反師,故“大師”。二至五,體姤遇也,故“相遇”。《象》曰:同人之先,以中直也。大師相遇,言相剋也。侯果曰:乾德中直,不私於物,欲天下大同,方始同二矣。三四失義,而近據之,未獲同心,故“先號咷”也。時須同好,寇阻其途,以言相剋,然後始相遇,故笑也。《九家易》曰:乾為言。
九五の爻辞にいう。人と和同するに、先に号咷大哭して後に歡笑し、大軍勝利を得ての後相遇う。虞翻の説明では、九五の正応は六二に在り。巽象は号咷、乾象は先。だから「先号咷」。旁通の《師》卦中の震は下体に在り。だから「后笑」。震はまさに歡笑の象あり。乾象は大、《同人》は反覆せば便ち《師》。だから「大師」。二爻より五爻に至る、卦体に《姤》を含み、《姤》はすなわち相遇うなり。だから「相遇」。《象伝》にいう。人と和同するの初めに号咷する所以は、九五是中正にして心直なればこそ。大軍相遇うは、彼此言辞を以て相争勝するを言う。侯果の説明では、乾徳は中正にして正直、外物に私心を存せず、一心に天下を大同せしめんと欲して、纔かに六二と和同を始む。九三・九四は道義に背棄して就き近く六二を据有し、九五はそれと同心する能わず。だから「先号咷」。当時もと同心相好すべしと雖も、寇仇の道路を阻断するあり、ただ言辞を以て相勝するのみ、然る後に終に相遇うを得。だから歡笑す。《九家易》は補充していう。乾象は言語である。
上九:同人于郊,無悔。虞翻曰:乾為郊。失位無應,與乾上九同義,當有悔。同心之家。故“無悔”。《象》曰:同人于郊,志未得也。侯果曰:獨處於外,同人于郊也。不與內爭,無悔吝也。同人之時,唯同於郊,“志未得也”。《序卦》曰:與人同者,物必歸焉,故受之以大有。崔覲曰:以欲從人,物必歸已,所以成大有。
上九の爻辞にいう。城外の郊地に於て人と和同すれば、悔恨なし。虞翻の説明では、乾象は郊である。上九は位を失いてまた正応なく、《乾》卦上九の情形と義を同じくし、もと悔あるべし。但しそれは身に同心の家に処る。だから「无悔」。《象伝》にいう。郊外に於て人と和同するは、心志いまだ実現せざればこそ。侯果の説明では、上九は独り卦外に処り、まさに「同人于郊」である。それは卦内の争奪に参与せず。だから悔恨吝惜なし。但し人と和同する時代に処りて、却って郊外の人と和同するのみを得。だから「志未得也」。《序卦伝》にいう。能く人と和同するは、万物必ず彼に帰附す。だから《同人》の後に《大有》卦が続く。崔覗の説明では、能く私欲を捨棄して他人に順從すれば、万物必ず自らに帰向す。これに因りて大有を成就す。
大有卦
(乾下離上)大有:元亨。虞翻曰:與比旁通。柔得尊位大中,應天而時行,故“元亨”也。姚規曰:互體有兌,兌為澤,位在秋也。乾則施生,澤則流潤,離則長茂,秋則成收,大富有也。大有,則“元亨”矣。鄭玄曰:六五體離,處乾之上,猶大臣有聖明之德,代君為政,處其位,有其事而理之也。元亨者,又是能長群臣以善,使嘉會禮通,若周公攝政,朝諸侯於朋堂,是也。
《大有》卦は乾は下、離は上。卦辞にいう。元始亨通。虞翻は旁通の法に依って解く。《大有》は《比》卦と旁通す。六五は柔を以て尊位に居りて大いに中道を得、上天に順応して時に依りて運行す。だから「元亨」。姚規の説明では、卦中の互体に兌あり、兌は沢で、方位は秋に配す。乾は施生を主り、沢は流潤を主り、離は生長茂盛を主り、秋は收成を主る。だから大いなる富有なり。すでに大有なれば、自然に「元亨」。鄭玄は人事礼制に依りて説を立つ。六五は離体に処り、乾の上に居る。大臣の聖明の徳を具え、君主に代りて政を執り、其の位に居り其の事を掌りて之を治理するに比す。いわゆる「元亨」は、また彼の能く善道を以て群臣を導引し、美好の聚會を礼に合して通暢せしむるを言う。周公の政を摂して明堂に於て諸侯を朝見せしめたるがごとし。
《彖》曰:大有,柔得尊位,大中而上下應之,曰大有。王弼曰:處尊以柔,居中以大。體無二陰,以分其應,上下應之,靡所不納,大有之義也。其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。虞翻曰:謂五,以日應乾而行於天也。時,謂四時也。大有亨。比初動成震為春;至二,兌為秋。至三,離為夏。坎為冬。故曰“時行”。以乾亨坤,是以“元亨”。
《彖伝》にいう。《大有》,柔爻は尊位を得、大いに中道を得て上下の衆爻皆来りて応從す。だから大有と称す。王弼の説明では、柔順を以て尊位に居り、宏大を以て中位に居る。一卦の中に第二の陰爻なく衆陽の相応を分散せず。上下皆来りて応從し、容納せざる所なし。これが「大有」の含義である。《彖伝》またいう。其の徳性は剛健にしてまた文明、上天に順応して時に依りて運行す。これに因りて元始亨通。虞翻の説明では、これは六五を言い、太陽の象を以て上に乾に応じて天に運行す。「時」は四時を指す。《大有》すでに亨通せば、旁通の《比》卦の初爻は変動して震と成りて春と為し、二爻に至りて兌と成りて秋と為し、三爻に至りて離と成りて夏と為し、坎は則ち冬と為る。だから「時行」。乾を以て坤を亨通せしむればこそ「元亨」。
《象》曰:火在天上,大有。荀爽曰:謂夏,火王在天,萬物並生,故曰“大有”也。君子以遏惡揚善,順天休命。虞翻曰:遏,絕。揚,舉也。乾為揚善,坤為遏惡,為順。以乾滅坤。體夬,揚于王庭。故“遏惡揚善”。乾為天休,二變時,巽為命,故“順天休命”。
《象伝》にいう。火は天上に在り。これが《大有》である。荀爽の説明では、これは夏を言い、火気まさに旺にして高く天に懸り、万物一斉に生長す。だから「大有」と称す。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて邪悪を遏止し善行を表彰し、上天の美善の命令に順承す。虞翻の説明では、「遏」は断絶、「揚」は挙揚である。乾象は善行を表彰し、坤象は邪悪を遏止しまた順である。乾を以て坤を滅し、卦体に《夬》を含み、まさに《夬》卦のいう所の王庭に於て宣揚するの義に合す。だから「遏悪揚善」。乾は上天の美善で、九二変動の時巽象は命令である。だから「順天休命」。
初九:無交害,匪咎,艱則無咎。虞翻曰:害謂四。四離火,為惡人,故“無交害”。初動,震為交。比坤為害。匪,非也。艱,難,謂陽動比初成屯。屯,難也。變得位,艱則無咎。《象》曰:大有初九,無交害也。虞翻曰:害,謂四。
初九の爻辞にいう。人と交往せざれば傷害を受けず、もと過錯に非ず、艱難に処りて守持すれば咎なし。虞翻の説明では、いう所の禍害は九四を指す。九四は離火の中に処り、悪人である。だから「无交害」。初九変動すれば、震象は交往である。旁通の《比》卦の坤象は禍害である。「匪」は非、「艱」は艱難で、陽爻変動の後、《比》卦初爻に比照して《屯》を成し、《屯》はすなわち艱難なりを言う。変じて正位を得ればこそ、艱難に処れば便ち咎なし。《象伝》にいう。《大有》の初九は、交往せざれば便ち害を受けざるなり。虞翻は再び點明す。いう所の禍害は、指す所はすなわち九四なり。
九二:大車以載,有攸往,無咎。虞翻曰:比坤為大車,乾來積上,故“大車以載”。往,謂之五。二失位,變得正應五。故“有攸往無咎”矣。《象》曰:大車以載,積中不敗也。盧氏曰:乾為大車,故曰“大車以載”。體剛履中,可以任重,有應於五。故所積皆中,而不敗也。
九二の爻辞にいう。大車を以て装載し、往く所有り、咎なし。虞翻の説明では、旁通の《比》卦中の坤象は大車で、乾陽は一路積聚して上る。だから「大車以載」。「往」は五位に前往するを言う。九二は陽を以て陰に居りて位を失い、変動の後正を得て上に九五に応ず。だから「有攸往,无咎」。《象伝》にいう。大車を以て装載するは、積載する所中に居りて傾覆を致さざればこそ。盧氏の説明では、乾象は大車である。だから「大車以載」。九二の体質は剛健にして履む所は中に居り、重任を担当する可く、また九五と相応ず。だから装載する所皆中に居りて穩当にして、敗壊せず。
九三:公用亨于天子,小人弗克。虞翻曰:天子謂五。三,公位也。小人謂四。二變得位,體鼎象。故“公用亨于天子”。四折鼎足,覆公餗,故小人不克也。《象》曰:公用亨于天子,小人害也。虞翻曰:小人,謂四也。
九三の爻辞にいう。公侯は天子に獻享し、小人は則ち勝任する能わず。虞翻の説明では、天子は九五を指し、三は公侯の位、小人は九四を指す。九二変動して正位を得れば、卦体に《鼎》の象を含む。だから「公用亨于天子」。九四は鼎足を折斷し、王公の美食を傾覆す。だから小人は勝任する能わず。《象伝》にいう。公侯天子に獻享するは、小人に対しては反って禍害なり。虞翻は指明す。ここにいう所の小人は、すなわち九四なり。
九四:匪其尫,無咎。虞翻曰:匪,非也。其位尫。足尫,體行不正,四失位,折震足,故“尫”。變而得正,故“無咎”。尫或作彭,作旁聲,字之誤。《象》曰:匪其尫,無咎,明辯折也。虞翻曰:折之離,故“明辯折也”。四在乾則尫;在坤為鼠;在震噬用胏得金矢;在巽折鼎足,在坎為鬼方;在離焚死;在艮旅于處,言無所容;在兌睽孤孚厲。三百八十四爻,獨無所容也。
九四の爻辞にいう。自らの盛壮を顯示せざれば、咎なし。虞翻の説明では、「匪」は非である。九四の処る位に跛曲の象あり。脚跛なれば便ち形体行走正ならず。九四は位を失い、震の象する足を折斷す。だから「尫」。変動して正を得ればこそ「无咎」。「尫」の字はある本子は「彭」と写す。これは「旁」の声を取るで、字形上の訛誤に属す。《象伝》にいう。盛壮を顯示せずして咎なきは、能く明辨して決断すればこそ。虞翻の説明では、折れて離に入る。だから「明辯折也」。彼はまた遍く第四爻の各卦中の凶険の象を挙ぐ。乾に在れば跛曲、坤に在れば則ち鼠、震に在れば則ち《噬嗑》九四の乾肉を咬みて金矢を得るがごとく、巽に在れば則ち鼎足を折斷し、坎に在れば則ち鬼方、離に在れば則ち焚かれて死し、艮に在れば則ち羈旅して身を安んずる処なく、兌に在れば則ち《睽》卦の孤独にして危厲あるがごとし。三百八十四爻の中、独りこの一爻處處身を容るる所なし。
六五:厥孚交如,威如吉。虞翻曰:孚,信也。發而孚二,故“交加”。乾稱威,發得位,故“威如吉”。《象》曰:厥孚交如,信以發志也。威如之吉,易而無備也。侯果曰:其體文明,其德中順。信發乎志,以覃於物。物懷其德,以信應君。君物交信,厥孚交如也。為卦之主,有威不用,唯行簡易,無所防備。物感其德,翻更畏威,威如之吉也。
六五の爻辞にいう。其の誠信は能く人と交々感通し、威厳自ら足りて吉を得。虞翻の説明では、「孚」は誠信である。六五は発動して九二と相孚す。だから「交如」。乾は威と称し、発動して正位を得。だから「威如吉」。《象伝》にいう。誠信は交々感通するは、誠信を以て衆人の心志を激発するなり。威厳は吉を得るは、平易にして防備を設けざればこそ。侯果の説明では、六五の形体は文明にして、徳性は中正柔順である。誠信は心志より発して廣く万物に被り、万物は其の徳を感懐し、また誠信を以て君主に回応す。君と物と交々取信す。これが「厥孚交如」である。それは身に一卦の主と為り、威厳ありて動用せず、ただ簡易の政を推行し、毫も防備なし。万物は其の徳を感念し、反って益々其の威を敬畏す。これが「威如之吉」である。
上九:自天右之,吉,無不利。虞翻曰:謂乾也。右,助也。大有通比,坤為自,乾為天,兌為右,故“自天右之”。比坤為順,乾為信。天之所助者順,人之所助者信。履信思順,又以尚賢,故“自天右之,吉無不利”。王弼曰:餘爻皆乘剛,已獨乘柔順也。五為信德,而已履焉,履信者也。居豐富之代,物不累心,高尚其志,尚賢者也。爻有三德,盡夫助道,故《繫辭》具焉也。
上九の爻辞にいう。上天より来りて彼を佑助すれば、吉にして利あらざる所なし。虞翻の説明では、これは乾を言う。「右」はすなわち佑助である。《大有》は《比》卦と旁通し、坤象は「自」、乾象は天、兌象は右。だから「自天右之」。旁通の《比》卦中の坤は順、乾は信である。《系辞》に天の佑助する所は順、人の佑助する所は信という。上九は誠信を踐履し順道を思慮し、また能く賢人を崇尚す。だから「自天右之,吉无不利」。王弼は爻位より説を立つ。其の余の各爻は皆剛爻を乘凌し、独り上九の乘る所は柔順の六三なり。六五は誠信の徳を具え、而上九は親ら其の上を踐履す。これが履信である。彼は身に豊足富有の時代に処りて、外物に心神を牽累せられず、其の志を高尚にす。これが尚賢である。この爻はこの三種の徳行を兼備し、受助の道を尽備せり。だから《系辞》は特に詳しく称述す。
《象》曰:大有上吉,自天右也。《九家易》曰:上九說五,以柔處尊,而自謙損。尚賢奉已,上下應之,為乾所右,故吉且利也。《序卦》曰:有大者不可以盈,故受之以謙。崔覲曰:富貴而自遺其咎,故有大者不可盈。當須謙退,天之道也。
《象伝》にいう。《大有》上九の吉なる所以は、上天の佑助を得ればこそ。《九家易》の説明では、上九は六五の柔を以て尊位に居るを喜悅し、而自らは能く謙遜退損す。彼は賢者を崇尚し君上を奉戴し、上下皆来りて応和す。しかるがゆえに乾に佑助せらる。だから既に吉にしてかつ利なり。《序卦伝》にいう。盛大を有するは自満する可からず。だから《大有》の後に《謙》卦が続く。崔覗の説明では、富貴にして自ら過咎を招來すればこそ、盛大を有するは自満す可からずという。まさに謙虚退譲すべく、ここにこそ上天の道に合す。
謙卦
(艮下坤上)謙:亨。虞翻曰:乾上九來之坤,與履旁通。天道下濟,故亨。彭城蔡景君說:剝上來之三。君子有終。虞翻曰:君子謂三。艮終萬物,故“君子有終”。鄭玄曰:艮為山,坤為地。山體高,今在地下,其於人道,高能下下,謙之象。亨者,嘉會之禮,以謙而為主。謙者,自貶損以下人,唯艮之堅固,坤之厚順,乃能終之,故君子之人有終也。
《謙》卦は艮は下、坤は上。卦辞にいう。亨通。虞翻は卦変と旁通に依りて説を立つ。乾の上九は下りて坤中に居り、この卦は《履》卦と旁通す。天道は下に向かいて済助す。だから亨通。彭城人蔡景君は別にこの卦は《剥》卦より変じ来ると言い、《剥》の上爻が下りて三位に居るなり。卦辞また「君子有終」という。虞翻の説明では、君子は九三を指す。艮に万物を終成するの義あり。だから「君子有終」。鄭玄は卦象と人道に依りて説を立つ。艮は山、坤は地である。山の形体はもと高大にして、今却って地下に処る。人道に就きて言えば、すなわち地位高き人の能く卑下の者の下に屈居するなり。これまさに謙の形象である。いわゆる「亨」は、嘉美聚會の礼にして、謙を以て主と為す。謙は、すなわち自ら貶抑退損して人の下に甘居す。ただ艮の堅固と坤の厚順あるのみ、能くそれを堅持して底す。だから君子かかる人のみ能く終あり。
《彖》曰:謙亨。《九家易》曰:艮,山。坤,地。山至高,地至卑,以至高下至卑,故曰“謙”也。謙者兌世,艮為兌合,故“亨”。天道下濟而光明,荀爽曰:乾來之坤,故“下濟”。陰去為離,陽來成坎,日月之象,故“光明”也。地道卑而上行。侯果曰:此本剝卦。乾之上九來居坤三,是“天道下濟而光明”也。坤之六三上升乾位,是“地道卑而上行”者也。
《彖伝》にいう。謙にして亨通す。《九家易》の説明では、艮は山、坤は地である。山は極めて高く、地は極めて卑し。極高なるを以て極卑なるの下に屈居す。だから「謙」と称す。卦世に就きて言えば、《謙》は兌宮の世に属し、艮と兌と相合す。だから「亨」。《彖伝》またいう。天道は下に向かいて済助して光明を顯す。荀爽は乾升坤降に依りて説を立つ。乾陽は下りて来りて坤中に至る。だから「下済」。陰爻は離去して離を成し、陽爻は到来して坎を成す。まさに日月の象である。だから「光明」。《彖伝》続いていう。地道は卑下にして上に向かいて運行す。侯果は卦変に依って解く。この卦はもと《剥》卦より変じ来り、《剥》卦の乾の上九は下りて坤の三位に居る。これが「天道下済而光明」。坤の六三は上昇して乾の原来の位置に至る。これが「地道卑而上行」。
天道虧盈而益謙,虞翻曰:謂乾盈履上,虧之坤三,故“虧盈”。貴處賤位,故“益謙”。崔覲曰:若日中則昃,月滿則虧,損有餘以補不足,天之道也。地道變盈而流謙,虞翻曰:謙二以坤變乾盈。坎動而潤下,水流溼,故“流謙”也。崔覲曰:高岸為谷,深谷為陵,是為變盈而流謙,地之道也。
《彖伝》にいう。天道は盈満を虧損して謙虚を增益す。虞翻の説明では、乾はもと盈満にして上位を踐履す。今それを虧損して下りて坤の三位に至る。だから「虧盈」。尊貴の者は卑賤の位に居る。だから「益謙」。崔覗は天象を以て喩と為す。太陽は正中に至れば便ち偏斜し、月は円満すれば便ち虧缺す。有余を減損して以て不足を補充す。これまさに上天の道なり。《彖伝》またいう。地道は盈満を変改して謙虚に流注す。虞翻の説明では、《謙》の第二爻は坤体を以て乾の盈満を変改す。坎水は動きて下に向かい滋潤し、水は常に低湿の処に流向す。だから「流謙」。崔覗は地形を以て喩と為す。高き堤岸は崩陥して深谷と成り、深谷はまた壅積して丘陵と成る。これがすなわち盈満を変改して謙虚に流注し、まさに大地の道なり。
鬼神害盈而福謙,虞翻曰:鬼謂四。神謂三。坤為鬼害,乾為神福,故“鬼神害盈而福謙”也。崔覲曰:朱門之家,鬼闞其室,黍稷非馨,明德惟馨,是其義矣。人道惡盈而好謙。虞翻曰:乾為好,為人。坤為惡也。故人道惡盈。從上之三,故“好謙”矣。崔覲曰:滿招損,謙受益,人之道也。
《彖伝》にいう。鬼神は盈満を加害して謙虚に降福す。虞翻の説明では、鬼は六四を指し、神は九三を指す。坤象は鬼・加害、乾象は神・賜福である。だから「鬼神害盈而福謙」。崔覗は成語と《尚書》を引きて証と為す。朱門大戸の家は、鬼は暗がりに其の屋室を窺伺す。《尚書・君陳》に黍稷は馨と算せず、ただ光明の徳行のみ馨と算すという。まさにこの理である。《彖伝》またいう。人道は盈満を厭悪して謙虚を喜好す。虞翻の説明では、乾象は喜好・人、坤象は厭悪である。だから人道は盈満を厭悪すという。乾は上位より三位に下る。だから「好謙」。崔覗は《尚書・大禹謨》を引いていう。自満は損害を招來し、謙虚は增益を承受す。これまさに人と為るの道なり。
謙,尊而光,卑而不可逾,虞翻曰:天道遠,故“尊光”。三位賤,故“卑”。坎水就下,險弱難勝,故“不可逾”。君子之終也。孔潁達曰:尊者有謙,而更光明盛大。卑者有謙,而不逾越,是君子之終也。言君子能終其謙之善,而又獲謙之福,故曰“君子有終”也。
《彖伝》にいう。謙は、尊位に居りて徳行は愈々光明、卑下に処りて逾越せられざるなり。虞翻の説明では、天道は高遠。だから「尊而光」。三は卑賤の位。だから「卑」。坎水は常に低処に趨向し、険弱なるがごとく見ゆれど勝つこと難し。だから「不可逾」。《彖伝》最後にいう。これは君子の善終なり。孔穎達は人事より説を立つ。尊貴の者能く謙虚なれば、便ち愈々光明盛大。卑下の者能く謙虚なれば、便ち彼を逾越欺凌する人なし。これがすなわち君子の善終である。君子は能く謙徳を堅持して底し、しかるがゆえにまた謙虚の帯來する福報を獲得するを言う意。だから「君子有終」。
《象》曰:地中有山,謙。劉表曰:地中有山,以高下下,故曰“謙”。謙之為道,降已升人,山本地上,今居地中,亦降體之義,故為謙象也。君子以捋多益寡,稱物平施。虞翻曰:君子謂三。捋,取也。艮為多;坤為寡;乾為物,為施;坎為平。謙乾盈益謙,故“以捋多益寡,稱物平施”。侯果曰:裒,聚也。《彖》云:天道益謙,則謙之大者,天益之以大福;謙之小者,天益之以小福。故君子則之,以大益施大德,以小益施小德,是“稱物平施”也。
《象伝》にいう。地中に山あり。これが《謙》である。劉表の説明では、地中に山あるは、高大の者を以て卑下の者の下に屈居す。だから「謙」と称す。謙は一種の道理と為し、すなわち自らを貶抑して他人を抬挙す。山はもと地上に高踞す。今却って地中に処る。これもまた自身を降低するの意なり。だから取りて謙の形象と為す。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて多余を減取して以て缺少を増補し、事物を衡量して公平に施与す。虞翻の説明では、君子は九三を指す。「捋」は取るなり。艮象は多、坤象は少、乾象は物・施与、坎象は平である。《謙》卦は乾の盈満を虧損して以て謙虚を增益す。だから「捋多益寡,称物平施」。侯果は別に「裒」を聚集と訓し、かつ《彖伝》に依りて説を立つ。《彖伝》は天道の謙虚を增益するを講ず。すれば謙徳大なるは、上天は便ち大福を以て彼を增益し、謙徳小なるは、上天は便ち小福を以て彼を增益す。君子はこの一点に效法し、大いなる利益を以て徳行大なる人に施与し、小さなる利益を以て徳行小なる人に施与す。これがすなわち「称物平施」である。
初六:謙謙君子,用涉大川,吉。荀爽曰:初最在下,為謙。二陰承陽,亦為謙。故曰“謙謙”也。二陰一陽,相與成體,故曰“君子”也。九三體坎,故“用涉大川,吉”也。《象》曰:謙謙君子,卑以自牧也。《九家易》曰:承陽卑謙,以陽自牧養也。
初六の爻辞にいう。謙にしてまた謙なる君子は、これに凭りて大川を渉越する可く、吉。荀爽は爻位に依りて説を立つ。初六は全卦の最下に処り、一重の謙なり。六二はまた陰爻を以て陽爻を承奉し、これもまた一重の謙なり。だから「謙謙」。両個の陰爻と一個の陽爻と相与に体を成す。だから「君子」と称す。九三の在る体は坎で、坎は水である。だから「用渉大川,吉」。《象伝》にいう。謙にしてまた謙なる君子は、卑下を以て自処して自らを涵養するなり。《九家易》の説明では、陽爻を承奉して卑に処りて謙を守るは、すなわち陽剛の徳を用いて自身を牧養するなり。
六二:鳴謙,貞吉。姚信曰:三體震,為善鳴,二親承之,故曰“鳴謙”。得正處中,故“貞吉”。《象》曰:鳴謙貞吉,中心得也。崔覲曰:言中正心與謙相得。虞翻曰:中正謂二。坎為心也。
六二の爻辞にいう。謙徳に声名伝揚ありて、正を守れば吉を得。姚信の説明では、九三の在る体は震で、震は声を発するに善く、六二は緊挨して下にそれを承奉す。だから「鳴謙」という。六二すでに正位を得てまた中に処る。だから「貞吉」。《象伝》にいう。鳴謙にして正を守りて吉を得るは、内心に確たる得る所有ればこそ。崔覗の説明では、これは中正の心と謙徳とが彼此契合するを言う。虞翻は爻位と卦象より補充す。いわゆる中正は六二を指し、坎象は心である。
九三:勞謙,君子有終,吉。荀爽曰:體坎為勞,終下二陰,君子有終,故“吉”也。《象》曰:勞謙君子,萬民服也。荀爽曰:陽光居五,自卑下眾,降居下體,君有下國之意也。眾陰皆欲捴陽上居五位,群陰順陽,故“萬民服也”。
九三の爻辞にいう。勤労にして謙虚の君子は、能く善終す、吉。荀爽の説明では、九三の在る体は坎で、坎に労苦の義あり。それは下の両個の陰爻を統領して其の事を終成す。まさに君子有終なり。だから吉。《象伝》にいう。勤労謙虚の君子は、万民皆彼に帰服す。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。陽爻はもとまさに五位に高居すべし。今却って自ら卑下に甘んじ、衆人の後に屈居し、降りて下体に処る。これまさに君主に下国に俯就するの心意あるなり。衆陰爻は皆この陽爻を挙薦して五位に上居せしめんと欲す。群陰は陽剛に順從す。だから「万民服也」という。
六四:無不利,捴謙。荀爽曰:四得位處正,家性為謙,故“無不利”。陰欲捴三,使上居五,故曰“捴謙”。捴,猶舉也。《象》曰:無不利捴謙,不違則也。《九家易》曰:陰捴上陽,不違法則。
六四の爻辞にいう。利あらざる所なく、謙徳を挙揚す。荀爽の説明では、六四は陰を以て陰に居り、位を得て正に処り、一卦の本性また謙を以て主と為す。だから「无不利」。陰爻は九三を挙薦し、それをして五位に上居せしめんと欲す。だから「捴謙」といい、「捴」は便ち挙薦に相当す。《象伝》にいう。利あらざる所なくして謙徳を挙揚するは、法則に違背せざればこそ。《九家易》の説明では、陰爻は陽爻を挙薦して上行せしめ、応有の法則に違背せず。
六五:不富以其鄰,荀爽曰:鄰謂四與上也。自四以上乘陽,乘陽失實,故皆不富,五居中有體,故總言之。利用侵伐,無不利。荀爽曰:謂陽利侵伐來上,無敢不利之者。《象》曰:利用侵伐,征不服也。荀爽曰:不服,謂五也。案:六五離爻。離為戈兵,侵伐之象也。
六五の爻辞にいう。自らは富有ならざれど、能く隣伴を帯びて同行す。荀爽の説明では、「隣」は六四と上六を指す。四位より上に至るまで皆陽爻を乘凌し、陽爻を乘凌すれば充実の徳を失掉す。だから皆富まず。六五は中に居りて自ら一体を成す。だから総括してかく言う。爻辞また「利用侵伐,无不利」という。荀爽の説明では、これは陽爻まさに征伐の勢いを以て上行すべきを言い、敢て阻撓してそれを不利ならしむる者なし。《象伝》にいう。兵を興して征伐するに利あるは、彼の服せんと肯ぜざるを討伐せんとすればこそ。荀爽の説明では、いわゆる不服は、指す所まさに六五自身なり。李鼎祚の案語にいう。六五は離爻で、離象は戈兵。まさに侵伐の形象である。
上六:鳴謙,利用行師,征邑國。虞翻曰:應在震,故曰“鳴謙”。體師象,震為行,坤為邑國,利五之正,已得從征,故“利用行師,征邑國”。《象》曰:鳴謙,志未得也,可用行師,征邑國也。《九家易》曰:陰陽相應,故“鳴謙”也。雖應不承,故“志未得”。謂下九三可行師來上。坤為邑國也;三應上,上呼三徵,來居五位,故曰“利用行師征邑國”也。案:上六兌爻。兌為口舌,鳴謙之象也。《序卦》曰:有大而能謙,必豫。故受之以豫。鄭玄曰:言國既大而能謙,則於政事恬豫。雷出地奮豫,行出而喜樂之意。
上六の爻辞にいう。謙徳に声名伝揚あり、兵を出して作戦するに利あり、邑国を討伐す。虞翻の説明では、上六の応ずる所の九三は震体に在り、震は鳴くに善し。だから「鳴謙」。卦体に《師》の象を含み、震象は行、坤象は邑国である。まさに九三をして上行して五位に至りて正を得せしむるに宜しく、上六は自ら便ちこれに随いて出征するを得。だから「利用行師,征邑国」。《象伝》にいう。鳴謙は、心志いまだ実現せず、兵を出して作戦する可く、邑国を討伐す。《九家易》の説明では、陰陽彼此相応ずればこそ「鳴謙」。相応あると雖も就き近く承奉する能わざればこそ「志未得」。これは下の九三の兵を領して上行する可きを言う。坤象は邑国である。九三と上六は相応じ、上六は九三を招呼して出征せしめ、それをして五位に居らしむ。だから「利用行師征邑国」。李鼎祚の案語にいう。上六は兌爻で、兌象は口舌。まさに鳴謙の形象である。《序卦伝》にいう。すでに盛大にして能く謙虚なれば、必ず安楽す。だから《謙》卦の後に《豫》卦が続く。鄭玄の説明では、これは国家すでに盛大にしてまた能く謙虚なれば、政事を処理するに従容安楽なるを言う。雷は地中より震出して万物奮発す。まさに行動施出して人をして喜楽せしむるの意である。
豫卦
(坤下震上)豫:利建侯、行師。鄭玄曰:坤,順也。震,動也。順其性而動者,莫不得,得其所,故謂之豫。豫,喜逸說樂之貌也。震又為雷,諸侯之象。坤又為眾,師役之象。故“利建侯、行師”矣。虞翻曰:復初之四,與小畜旁通。坤為邦國,震為諸侯。初至五,體比象。四利復初,故“利建侯”。三至上,體師象,故“行師”。
《豫》卦は坤は下、震は上。卦辞にいう。諸侯を封建し兵を出して作戦するに利あり。鄭玄の説明では、坤は柔順、震は動作である。事物の本性に順いて行動すれば、成らざるはなく、皆各々其の所を得。だから「豫」と称す。「豫」は歡喜安逸・悦楽の様である。震はまた雷で、諸侯の象徴である。坤はまた衆で、軍旅役事の象徴である。だから「利建侯、行師」という。虞翻は卦変と旁通に依りて説を立つ。この卦は《復》卦の初爻より四位に升りて来り、《小畜》と旁通す。坤象は邦国、震象は諸侯である。初爻より五爻に至る、卦体に《比》の象を含み、九四は初位に返回するに宜し。だから「利建侯」。三爻より上爻に至る、卦体に《師》の象を含む。だから「行師」。
《彖》曰:豫,剛應而志行,侯果曰:四為卦主,五陰應之,剛志大行,故曰“剛應而志行”。順以動,豫。崔覲曰:坤下震上,順以動也。豫順以動,故天地如之,虞翻曰:小畜,乾為天。坤為地。如之者,謂天地亦動,以成四時,而況建侯行師。言其皆應而豫也。
《彖伝》にいう。《豫》卦は陽剛に衆爻の応する所得て、心志施行するを得。侯果の説明では、九四は一卦の主で、五個の陰爻皆来りてそれに応從し、剛陽の心志は大いに施行す。だから「剛応而志行」。《彖伝》またいう。形勢に順いて行動す、これが《豫》である。崔覗の説明では、坤は下・震は上。まさに順にして動なり。《彖伝》続いていう。《豫》は時に順いて動く。だから天地もまたかくのごとし。虞翻は旁通に依って解く。旁通の《小畜》中の乾は天、本卦の坤は地である。いわゆる「如之」は、天地もまた一様に運動し、これによりて四時を成就するを言う。いわんや諸侯を封建し兵を出して作戦するかかる人事は、皆上下相応じて各々其の楽しみを得。
而況建侯行師乎!《九家易》曰:震為建侯,坤為行師;建侯所以興利,行師所以除害。利興害除,民所豫樂也。天地有生殺,萬物有始終。王者盛衰,亦有迭更,猶武王承亂,而應天地。建侯行師,奉辭除害,民得豫說,君得安樂也。
《彖伝》にいう。いわんや諸侯を封建し兵を出して作戦するをや。《九家易》の説明では、震象は諸侯を封建し、坤象は兵を出して作戦するなり。諸侯を封建するは利益を興辦せんが為、兵を出して作戦するは禍害を除去せんが為なり。利益興起し禍害除去さるるは、まさに百姓の歡楽する所なり。天地に生長あればまた肅殺あり、万物に開始あればまた終結あり。王者の興盛と衰敗もまた交替更迭するなり。これは周武王の殷末の乱局を承接して天地に順応し、諸侯を封建し兵を出して作戦し、討伐の辞令を奉行して禍害を除去し、ここに百姓は歡悦を得て君主は安楽を得たるに比す。
天地以順動,虞翻曰:豫變通小畜。坤為地。動初至三成乾,故天地以順動也。故日月不過,而四時不忒。虞翻曰:過謂失度,忒,差迭也。謂變初至需,離為日,坎為月,皆得其正,故“日月不過”。動初時,震為春。至四,兌為秋。至五,坎為冬。離為夏。四時位正,故“四時不忒”。通變之謂事,蓋此之類。
《彖伝》にいう。天地は順道に依りて運動す。虞翻の説明では、《豫》は《小畜》に变通す。坤象は地で、初爻より変動して三爻に至れば乾を成す。だから天地は順道に依りて運動すという。《彖伝》またいう。これに因りて日月の運行は常度を超越せず、四時もまた差錯あらず。虞翻の説明では、「過」は法度を失うなり、「忒」は差錯更迭なり。初爻より変じて《需》卦を成すに至りて、離は日・坎は月で、皆各々其の正を得。だから「日月不過」。初爻変動の時震は春、四爻に至りて兌は秋、五爻に至りて坎は冬、離は夏で、四時各々其の正位を得。だから「四時不忒」。《系辞》のいわゆる「通変の謂事」は、蓋しこの一類の情形ならん。
聖人以順動,則刑罰清而民服。虞翻曰:清,猶明也。動初至四,兌為刑。至坎,為罰。坎、兌體正,故“刑罰清”。坤為民,乾為清,以乾乘坤,故“民服”。案:帝出震,聖人也。坎為法律,刑罰也。坤為眾,順而民服也。豫之時義大矣哉。虞翻曰:順動天地,使日月四時,皆不過差。刑罰清而民服,故“義大”也。
《彖伝》にいう。聖人は順道に依りて行動すれば、刑罰清明にして百姓服從す。虞翻の説明では、「清」は便ち明に相当す。初爻より変動して四爻に至れば、兌象は刑、坎に至れば則ち罰である。坎・兌両体は皆其の正を得。だから「刑罰清」。坤象は百姓、乾象は清明で、乾を以て坤の上に凌駕す。だから「民服」。李鼎祚の案語にいう。《説卦》に「帝出乎震」と講ず。この帝はすなわち聖人である。坎象は法律、すなわち刑罰である。坤象は民衆で、順從するがゆえに百姓は服気す。《彖伝》最後に讚嘆す。《豫》卦の時に因りて宜を制するの意義は真に重大なり。虞翻の説明では、天地に順応して動き、日月四時をして皆常度を失わしめず、刑罰清明にして百姓服從せしむ。だから其の意義重大なりという。
《象》曰:雷出地奮,豫。崔覲曰:震在坤坤,故言“雷出地”。雷,陽氣,亦謂龍也。夏至後,陽氣極而一陰生。陰陽相擊,而成雷聲。雷聲之疾,有龍奮迅豫躍之象,故曰“奮豫”。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。鄭玄曰:奮,動也。雷動於地上,而萬物乃豫也。以者,取其喜佚動搖,猶人至樂,則手欲鼓之,足欲舞之也。崇,充也。殷,盛也。薦,進也。上帝,天帝也。王者功成作樂,以文得之者,作鑰舞;以武得之者,作萬舞;各充其德而為制。祀天帝以配祖考者,使與天同饗其功也。故《孝經》云:郊祀后稷以配天,宗祀文王於明堂,以配上帝是也。
《象伝》にいう。雷は地中より震出して万物奮発す。これが《豫》である。崔覗の説明では、震は坤の上に処る。だから「雷出地」。雷は陽気で、また言う可くすなわち龍なり。夏至以後、陽気は極点に盛んにして一陰始めて滋生し、陰陽互相撞撃して便ち雷声を形成す。雷声は迅疾にして、甚だ龍の奮然として騰躍する形象あり。だから「奮豫」。《象伝》にいう。先王はこれに因りて音楽を制作して以て徳行を充実し、隆盛に上帝に獻享し、かつ祖先を以て配享す。鄭玄は礼制に依って解く。「奮」は動である。雷は地上に震動して、万物これに歓暢す。いわゆる「以」は、万物の喜悅安逸して揺動奮発するの意を取る。人の快楽極点に至りては、手は便ち撃拍せんと欲し足は便ち起舞せんと欲するがごとし。「崇」は充実、「殷」は盛大、「薦」は進獻、「上帝」はすなわち天帝である。王者は功業告成すれば便ち楽舞を制作す。文徳を以て天下を取るは籥舞を制作し、武功を以て天下を取るは万舞を制作し、各々成す所の徳に依りて定制す。天帝を祭祀して祖先を以て配享するは、祖先をして上天と一同に其の功業を享受せしめんと欲するなり。だから《孝経》にいう。南郊に於て天を祭るに后稷を以て配享し、明堂に於て文王を宗祀して以て上帝に配す。まさにこの意である。
初六:鳴豫,凶。虞翻曰:應震善鳴,失位,故“鳴豫,凶”也。《象》曰:初六鳴豫,志窮凶也。虞翻曰:體剝蔑貞,故“志窮凶也”。六二:介于石,虞翻曰:介,纖也。與四為艮,艮為石,故“介于石”。不終日,貞吉。虞翻曰:與小畜通,應在五。終變成離,離為日,得位。欲四爭復初,已得休之。故“不終日,貞吉”。
初六の爻辞にいう。鳴叫して安楽に自嗚得意すれば、凶。虞翻の説明では、初六の応ずる所の九四は震体に在り、震は声を発するに善く、而して初六本身は位を失う。だから「鳴豫,凶」。《象伝》にいう。初六の鳴豫は、心志窮極して凶を致せばこそ。虞翻の説明では、卦体に《剥》を含み、まさに《剥》卦のいう所の正道を蔑棄するの義に合す。だから「志窮凶也」。六二の爻辞に「介于石」という。虞翻の説明では、「介」は細微である。六二と九四は合して艮体を成し、艮象は石。だから「介于石」。爻辞また「不終日,貞吉」という。虞翻の説明では、《豫》は《小畜》と旁通し、六二の応ずる所は五位に在り。最終に変動して離を成し、離は日で、六二また正位を得。九四はまさに争うて初位に返回せんと欲し、六二はすでに能くそれを止息せしむ。だから「不終日,貞吉」。
《象》曰:不終日,貞吉,以中正也。侯果曰:得位居中,柔順正一,明豫動之可否,辯趣舍之權宜。假如堅石,不可移變,應時則改,不待終日。故曰豫之正吉。六三:盱豫悔,遲有悔。《象》曰:盱豫有悔,位不當也。王弼曰:履非其位,承動豫之主。若其雎盱而豫,悔亦至焉。遲而不從,豫之所疾,進退離悔,位不當也。向秀曰:雎盱,小人喜說、佞媚之貌也。
《象伝》にいう。一日の終了を待たずして正を守りて吉を得るは、中に居りて正を得ればこそ。侯果の説明では、六二は位を得て中に居り、柔順純正專一にして、能く安楽の時に於ける行動の可否を明察し、取捨の権宜を辨别す。それは堅石のごとく動揺改変す可からずと雖も、一旦時機需要あれば便ち即刻更改し、一日の過ぐるを待つを須わず。だからこれは《豫》卦中の守正の吉と言う。六三の爻辞にいう。媚眼上視して以て楽しみを求むれば、悔あらん。遅疑して前進せざれば、また悔あらん。《象伝》にいう。盱豫して悔あるは、処る所の位恰も当らざればこそ。王弼の説明では、六三の履む所は正位に非ざれど、上に安楽を主導する九四を承く。もし諂媚に仰視して楽しみを求めば、悔恨便ち随いて至る。もし遅疑して順從するを肯ぜざれば、また安楽の時に厭棄せらる。進むも退くも悔恨を免れず。まさに「位不当」なればこそ。向秀は補充していう。「雎盱」は小人の喜悅討好し諂媚獻媚するの神態である。
九四:由豫,大有得,勿疑,朋盍戠。侯果曰:為豫之主,眾陰所宗,莫不由之以得其豫。體剛心直,志不懷疑,故得群物依歸,朋從大合,若以簪菾之固括也。虞翻曰:由,自從也。據有五陰,坤以眾順,故“大有得”。得群陰也。坎為疑,故“勿疑”。小畜兌為朋。盍,合也,坤為盍。戠,聚會也。坎為聚,坤為眾,眾陰並應,故“朋盍戠”。戠,舊讀作撍,作宗也。
九四の爻辞にいう。衆人は彼に由りて安楽を得、大いに得る所有り、猜疑するを須わず、朋類は髪簪の髪を束るがごとく聚合して来らん。侯果の説明では、九四は《豫》卦の主で、衆陰の宗仰する所と為り、彼に由りてこそ安楽を得ざるはなし。彼の体質は剛強にして心地は正直、志向は疑虑を存せず。だから能く衆物をして依附帰向せしめ、朋類は跟從して大いに聚合す。髪簪を以て牢牢に頭髪を束住するがごとし。虞翻の説明では、「由」は自・從の意である。九四は五個の陰爻を据有し、坤は衆多を以て柔順す。だから「大有得」といい、群陰を得たを指す。坎象は疑。だから「勿疑」。旁通の《小畜》中の兌象は朋である。「盍」は合で、坤象は合である。「戠」は聚會で、坎象は聚、坤象は衆で、衆陰は一斉に来りて応ず。だから「朋盍戠」。「戠」の字は旧時「撍」と読み、またある人は「宗」と解作す。
《象》曰:由豫,大有得,志大行也。崔覲曰:以一陽而眾陰從已合簪交歡,故其“志大行”也。六五:貞疾,恆不死。虞翻曰:恆,常也。坎為疾。應在坤,坤為死。震為反生。位在震中,與坤體絕。故“貞疾,恆不死”也。《象》曰:六五貞疾,乘剛也。恆不死,中未亡也。侯果曰:六五居尊,而乘於四,四以剛動,非已所乘。乘剛為政,終亦病。若“恆不死”者,以其中也。
《象伝》にいう。衆人は彼に由りて安楽を得て大いに得る所有るは、心志大いに施行するを得ればこそ。崔覗の説明では、一個の陽爻を以て衆陰をして皆自らに跟從せしめ、髪簪の聚合するがごとく交々歡洽す。だから「志大行」。六五の爻辞にいう。久病愈えざれど、始終として死せず。虞翻の説明では、「恒」は長久である。坎象は疾病である。六五の応ずる所は坤に在り、坤象は死亡で、而して震象は反復更生である。六五の位は震体の中に在り、坤体と隔絶す。だから「貞疾,恒不死」。《象伝》にいう。六五の久病するは、剛爻を乘凌すればこそ。始終として死せざるは、中に居るの徳いまだ喪失せざればこそ。侯果の説明では、六五は尊位に居りて、却って九四の上に凌駕す。九四は剛強を以て動き、もと自らの乘凌する能くする所に非ず。剛爻を乘凌して政を執れば、終竟病患と成らん。至于「恒不死」は、其の中に居るに憑藉するのゆえなり。
上六:冥豫,成有渝,無咎。虞翻曰:應在三。坤為冥。渝,變也。三失位,無應,多凶。變乃得正,體艮成。故“成有渝,無咎”。《象》曰:冥豫在上,何可長也?荀爽曰:陽性冥昧,居尊在上,而猶豫說,故不可長。
上六の爻辞にいう。安楽の中に昏冥す。事すでに成りて能く変改する所有れば、便ち咎なし。虞翻の説明では、上六の応ずる所は九三に在り。坤象は昏冥で、「渝」は変改である。九三は位を失いてまた正応なく、もと多く凶。変動の後にこそ正位を得、卦体は艮を成して成就する所有り。だから「成有渝,无咎」。《象伝》にいう。安楽に昏冥して上位に居るは、いずくんぞ能く長久ならんや。荀爽の説明では、其の性すでに昏昧に陥り、身に尊位に居りて上極に処るも、なおひたすら逸楽に沉溺す。だから能く長久ならず。
巻五・随卦
《序卦》曰:豫必有隨也,故受之以隨。韓康伯曰:順以動者,眾之所隨。(震下兌上)隨:元、亨、利、貞,無咎。虞翻曰:否上之初,剛來下柔,初上得正,故“元、享、利、貞,無咎”。鄭玄曰:震,動也。兌,說也。內動之以德,外說之以言,則天下之人,咸慕其行,而隨從之,故謂之隨也。既見隨從,能長之以善,通其嘉禮,和之以義,乾之以正,則功成而有福,若無此四德,則有凶咎焉。焦贛曰:漢高帝與項籍,其明徵也。
《序卦伝》にいう。歓楽は必ず跟隨を引來す。だから《豫》卦の後に《随》卦が続く。韓康伯の説明では、形勢に順いて行動する人は、まさに衆人の跟隨せんと願う所なり。《随》卦は震は下、兌は上。卦辞にいう。元・亨・利・貞にして、咎なし。虞翻は卦変に依りて説を立つ。この卦は《否》卦の上爻が下りて初位に至りて来り、陽剛は下降して柔爻の下に居り、初爻と上爻は皆正位を得。だから「元、亨、利、貞,无咎」。鄭玄は徳教より説を立つ。震は動、兌は悦である。内に在りては徳行を以て人を感動し、外に在りては言語を以て人に取悦すれば、天下の人皆其の品行を仰慕して彼に跟隨す。だから「随」と称す。すでに人の跟隨する有れば、便ち能く善道を以て彼らを導引し、嘉美の礼を通暢せしめ、道義を以て彼らを和諧せしめ、正道を以て彼らを匡正するを要す。かくして功業こそ成就して福を獲る能くす。假令この四種の徳行なくんば、凶険と過咎を招來せん。焦贛は史事を挙げて証と為す。漢高祖と項羽の成敗は、すなわちこの一点の最も明白なる検証なり。
《彖》曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。虞翻曰:否乾上來之坤初,故“剛來而下柔”。動,震,說,兌也。大亨貞,無咎。荀爽曰:隨者,震之歸魂。震歸從巽,故大通。動爻得正,故利貞。陽降陰升,嫌於有咎。動而得正,故“無咎”。而天下隨時,虞翻曰:乾為天,坤為下,震春兌秋。三四之正,坎冬離夏。四時位正,時行則行,故“天下隨時”矣。
《彖伝》にいう。《随》卦は陽剛下りて柔爻の下に居り、行動して人をして喜悅せしむ。これが随である。虞翻の説明では、《否》卦の乾の上爻は下りて坤の初位に来る。だから「剛来而下柔」。「動」は下卦震を指し、「説」は上卦兌を指す。《彖伝》またいう。大いに亨通して正を守れば、咎なし。荀爽は八宮卦世に依りて立論す。《随》は震宮の帰魂卦で、震は帰して巽に從う。だから大いに通達す。変動の爻は各々正位を得。だから正を守るに利あり。陽爻下降して陰爻上昇するは、もと咎あるの嫌いあり。但し動きて能く正を得ればこそ「无咎」。《彖伝》続いていう。しかるがゆえに天下皆時勢に随順す。虞翻の説明では、乾象は天、坤象は下、震は春・兌は秋である。三・四の両爻は各々其の正に帰すれば、則ち坎は冬・離は夏と為り、四時各々正位を得、行うべきは則ち行う。だから「天下随时」。
隨之時義大矣哉。蜀才曰:此本否卦。剛自上來居初,柔自初而升上,則內動而外說,是動而說隨也。相隨而大亨無咎。得於時也。得時,則天下隨之矣。故曰“隨之時義大矣哉”。《象》曰:澤中有雷,隨。《九家易》曰:兌澤震雷,八月之時。雷藏於澤,則天下隨時之象也。
《彖伝》讚嘆していう。《随》卦の時に因りて宜を制するの意義は真に重大なり。蜀才は卦変に依って解く。この卦はもと《否》卦より変じ来り、陽剛は上位より下りて初位に居り、陰柔は初位より上昇して上位に至る。ここに内卦は震動して外卦は兌悦す。これがすなわち行動して人をして喜悅せしむる「随」である。彼此相随い大いに亨通して咎なきは、時宜に合すればこそ。時宜に合せば、天下便ち皆来りて随從す。だから「随之时義大矣哉」。《象伝》にいう。沢中に雷あり。これが《随》である。《九家易》の説明では、兌は沢・震は雷で、まさに八月の時に当る。雷は沢中に潜蔵す。すなわち天下の時序に随順する形象である。
君子以嚮晦入宴息。崔元曰:晦者,冥也。雷者,陽氣,春夏用事。今在澤中,秋冬時也。故君子象之。日出視事,其將晦冥,退入宴寢而休息也。侯果曰:坤為晦,乾之上九來入坤初,嚮晦者也。坤初升兌,兌為休息入宴者也。欲君民者,晦德息物,動說黎庶,則萬方歸隨也。
《象伝》にいう。君子はこれに因りて天色向晚の時に内に入りて安寝休息す。崔元の説明では、「晦」は昏暗である。雷は陽気で、もと春夏に当令用事する在り。今却って沢中に潜蔵す。見る可くこれは秋冬の時なり。だから君子はそれに取法す。日出ずる時は出外して事を治め、天色まさに昏暗ならんとすれば、便ち退きて内室に入りて安寝休息す。侯果は卦変に依って解く。坤象は昏晦で、乾の上九は下りて来りて坤の初位に入る。まさに「向晦」。坤の初爻は上昇して兌を成し、兌に休息入寝の象あり。これは百姓に君臨せんと欲する者は、まさに自らの徳行を韜斂して万物をして歇息を得せしめ、行動を以て黎民に取悦せば、四面八方皆帰附随從せんを言う。
初九:官有渝,貞吉。出門交有功。《九家易》曰:渝,變也。謂陽來居初,得正為震。震為子,得土之位故曰“官”也。陰陽出門,相與交通,陰往之上,亦不失正,故曰貞吉而交有功。《象》曰:官有渝,從正吉也。出門交有功,不失也。鄭玄曰:震為大塗,又為日門。當春分,陰陽之所交也。是臣出君門,與四方賢人交有成功之象也。昔舜慎徽五典,五典克從。納於百揆,百揆時序。賓於四門,四門穆穆。是其義也。
初九の爻辞にいう。守る所の職司に変動あるも、正を守れば吉を得。門を出でて人と交往すれば能く功業を建立す。《九家易》の説明では、「渝」は変動で、陽爻の下りて初位に居り、正を得て震を成すを言う。震は十二支に「子」に配し、また土の位を得る。だから「官」と称す。陰と陽は皆門を出でて彼此交往溝通し、陰爻は上行して上位に至りても、また其の正を失わず。だから正を守りて吉を得て交往して功ありという。《象伝》にいう。職司に変動あるは、正道に順從して吉を得ればこそ。門を出でて交往して功あるは、失誤なければこそ。鄭玄は爻辰と史事に依って解く。震象は大道にしてまた日出の門である。この時まさに春分に当り、陰陽交會の際なり。これがすなわち臣子の君門を走出し、四方の賢人と交往して功業を成就するの形象である。昔虞舜は謹んで五常の教を美化し、五教は皆遵従する能くし。彼に百官の事務を総攬せしめれば、百官の事務皆井井然として序あり。彼に四門に於て賓客を迎接せしめれば、四門の賓客皆粛穆にして礼あり。言う所まさにこの理なり。
六二:係小子,失丈夫。虞翻曰:應在巽。巽為繩,故稱繫。小子謂五,兌為少,故曰“小子”。丈夫謂四,體大過老夫,故稱“丈夫”。承四隔三,故“失丈夫”。三至上,有大過象,故與老婦、士夫同義。體咸象,夫死大過,故每有欲嫁之義也。《象》曰:係小子,弗兼與也。虞翻曰:已繫於五,不兼與四也。
六二の爻辞にいう。年少の男子に係れば、成年の丈夫を失う。虞翻の説明では、六二の応ずる処は巽に為り、巽象は繩索である。だから「系」。「小子」は九五を指し、兌は少。だから「小子」と称す。「丈夫」は九四を指し、卦体に《大過》の老夫の象を含む。だから「丈夫」と称す。六二はもとまさに九四を承奉すべしと雖も、中間に九三を隔つ。だから「失丈夫」。三爻より上爻に至る《大過》の象あり。だから《大過》のいう所の老婦・士夫と同一の意なり。卦体はまた《咸》象を含み、而して《大過》に丈夫死亡の象あればこそ、屢々改嫁せんと欲するの含義を出現す。《象伝》にいう。年少者に係るは、両辺を兼顧する能わざればこそ。虞翻の説明では、六二すでに九五に系属せば、便ち同時に九四を兼顧する能わず。
六三:係丈夫,失小子,隨有求,得。利居貞。虞翻曰:隨家陰隨陽,三之上無應。上繫於四,失初小子,故“係丈夫,失小子”。艮為居、為求,謂求之正。得位遠應,利上承四,故“利居貞”矣。《象》曰:係丈夫,志舍下也。王弼曰:雖體下卦,二已據初,將何所附,故舍初繫四,志在丈夫也。四俱無應,亦欲於已隨之,則得其求矣,故曰:“隨有求,得”也。應非其正,以繫於人,何可以妄,故“利居貞”也。初處已下,四處已上,故曰“係丈夫,失小子”也。
六三の爻辞にいう。成年の丈夫に係れば、年少の男子を失う。随從して求むる所有れば、便ち得るを得、安居して正を守るに宜し。虞翻の説明では、《随》卦の通例は陰の陽に随從するなり。而して六三は上行して上位に至り相応の爻なく、ただ上に九四に系属するを得るのみ、しかるがゆえに初九この「小子」を失う。だから「系丈夫,失小子」。艮象は安居・求取で、求むる所はすなわち正に帰するを言う。六三すでに処る所の位を得て応ずる所遥遠なれば、上に九四を承奉するに宜し。だから「利居貞」。《象伝》にいう。成年の丈夫に係るは、心志が下の初九を捨棄せればこそ。王弼は爻位より説を立つ。六三は身に下卦に在ると雖も、初九はすでに六二に据有せらる。それはなお誰に依附するを得んや。だから初九を捨棄して九四に系属し、心志は丈夫の身上に放つ。九四は同様に正応なく、また六三の来りて自らに随從するを希望す。すれば六三は求むる所を得るを得。だから「随有求,得」。但しこの種の相応は正当の匹配に非ず、ただ人に系属するに頼るのみ。いずくんぞ放縱妄行する可けんや。だから「利居貞」。初九は自らの下に処り、九四は自らの上に処る。だから「系丈夫,失小子」。
九四:隨有獲,貞凶。有孚在道,以明,何咎。虞翻曰:謂獲三也,失位相據,在大過,死象,故“貞凶”。《象》曰:“其義凶矣”。孚謂五。初震為道。三已之正,四變應初,得位在離。故“有孚在道,以明,何咎”。《象》曰:“明功也”。《象》曰:隨有獲,其義凶也。虞翻曰:死在大過,故“凶也”。有孚在道,明功也。虞翻曰:功謂五也。三四之正,離為明,故“明功也”。
九四の爻辞にいう。随從して獲取する所有るも、正を守るもまた凶険あり。誠信を心に懐きて正道に合し、また能く明察すれば、また何の咎かあらん。虞翻の説明では、獲取する所は六三である。九四は位を失いて六三と互相据有し、《大過》の中に処り、《大過》に死亡の象あり。だから「貞凶」。《象伝》もまた「于義為凶」という。「孚」は九五を指す。初九の在る震象は道路である。六三すでに正に帰し、九四変動して初九と相応じ、位を得て離体の中に処る。だから「有孚在道,以明,何咎」。《象伝》もまたこれを「明察之功」という。《象伝》にいう。随從して獲取する所有るは、道義に就きて言えば凶なり。虞翻の説明では、死亡の象は《大過》に在る。だから凶。《象伝》またいう。誠信ありて正道に合するは、これ明察の功なり。虞翻の説明では、いわゆる「功」は九五を指す。三・四の両爻は各々其の正に帰し、離象は明。だから「明功也」という。
九五:孚于嘉吉。虞翻曰:坎為孚,陽稱嘉,位五正,故“吉”也。《象》曰:孚于嘉,吉,位正中也。虞翻曰:凡五言中正,中正皆陽得其正,以此為例矣。上六:拘係之,乃從維之。虞翻曰:應在艮。艮手為拘,巽為繩,兩繫稱維,故“拘係之,乃從維之”。在隨之上,而無所隨,故維之。《象》曰“上窮”。是其義也。
九五の爻辞にいう。誠信を以て美善の者に対待すれば、吉。虞翻の説明では、坎象は誠信で、陽爻は「嘉」と称し、九五の位は既に中にしてかつ正。だから「吉」。《象伝》にいう。誠信を以て美善に対待して吉を得るは、居る所の位既に正にしてかつ中なればこそ。虞翻はこれにより凡例を帰納す。およそ五爻の「中正」を講ずるは、中正は皆陽爻の其の正位を得るを指し、全書これを以て通例と為す。上六の爻辞にいう。彼を拘拿綑綁し、進んでまた繩索を以て纏係す。虞翻の説明では、上六の応ずる処は艮に為り、艮象は手。だから拘拿の義あり。巽象は繩索である。両重の系縛を「維」と称す。だから「拘系之,乃從維之」。上六は《随》卦の最上に処り、すでに随う可き所なし。だから繩索を用いてそれを系住するを要す。《象伝》の「上窮」というは、まさにこの意である。
王用亨于西山。虞翻曰:否乾為王,謂五也。有觀象,故“亨”。兌為西,艮為山,故“王用亨于西山”也。《象》曰:拘係之,上窮也。虞翻曰:乘剛無應,故“上窮也”。《序卦》曰:以喜隨人者,必有事,故受之以蠱。蠱者,事也。《九家易》曰:子行父事,備物致用,而天下治也。備物致用,立成器以為天下利,莫大於聖人。子修聖道,行父之事,以臨天下,無為而治也。
爻辞また「王用亨于西山」という。虞翻の説明では、《否》卦の乾象は王で、ここには九五を指す。卦中に《觀》の象を含有す。だから「亨」といい、すなわち宗廟の中に於て獻享す。兌は西方に居り、艮象は山。だから「王用亨于西山」。《象伝》にいう。彼を拘拿綑綁するは、上に居りてすでに窮尽に到ればこそ。虞翻の説明では、上六は剛爻を乘凌してまた相応なし。だから「上窮」。《序卦伝》にいう。取悦を以て人をして跟隨せしむるは、必ず事端を生出す。だから《随》卦の後に《蠱》卦が続く。「蠱」はすなわち事である。《九家易》の説明では、兒子は父親の事業を承辦し、器物を備辦し其の功用を尽くす。天下しかるがゆえに治を得。《系辞》に器物を備辦し其の功用を尽くし、器具を制成して以て天下に造福するは、聖人より大なるはなしという。兒子は聖人の道を修行し、父親の事業を承辦し、これを以て天下を臨御すれば、便ち無為にして治する能くす。
蠱卦
(巽下艮上)蠱:元亨。虞翻曰:泰初之上,與隨旁通。剛上柔下,乾坤交,故“元亨”也。伏曼容曰:蠱,惑亂也。萬事從惑而起,故以蠱為事也。案:《尚書大傳》云:乃命五史,以書五帝之蠱事。然為訓者,正以太古之時無為無事也。今言蠱者,是卦之惑亂也。時既漸澆,物情惑亂,故事業因之而起惑矣。故《左傳》云:女惑男,風落山,謂之蠱,是其義也。
《蠱》卦は巽は下、艮は上。卦辞にいう。元始亨通。虞翻は卦変と旁通に依りて説を立つ。この卦は《泰》卦の初爻より上位に升りて来り、《随》卦と旁通す。陽剛は上行し陰柔は下降し、乾坤交感す。だから「元亨」。伏曼容の説明では、「蠱」は惑乱である。万事皆惑乱の中より生起す。だから「蠱」を以て事情を指す。李鼎祚の案語にいう。《尚書大傳》の記載に、ここに五位の史官を命令し、五帝の蠱事を書寫せしむ。その訓釋する所以は、まさに太古の時は無為にして無事なればこそ。今「蠱」というは、この卦の含む所の惑乱を指す。世風すでに日に澆薄し、物情はこれに随いて惑乱し、事業もまた惑乱に因りて興起せり。だから《左傳》にいう。女子は男子を迷惑し、狂風は山木を吹落す。これを「蠱」と称す。まさにこの意である。
利涉大川。虞翻曰:謂二失位,動而之坎也,故“利涉大川”也。先甲三日,後甲三日。《子夏傳》云:先甲三日者,辛、壬、癸也。後甲三日者,乙、丙、丁也。馬融曰:甲在東方,艮在東北,故云“先甲”。巽在東南,故云“後甲”。所以十日之中唯稱甲者。甲為十日之首,蠱為造事之端,故舉初而明事始也。言所以三日者,不令而誅謂之暴,故令先後各三日,欲使百姓遍習,行而不犯也。
卦辞に「利渉大川」という。虞翻の説明では、九二は位を失い、変動の後坎体に入り、坎は大川。だから「利渉大川」。卦辞また「先甲三日,后甲三日」という。《子夏易傳》にいう。甲日の前の三天は、辛・壬・癸。甲日の後の三天は、乙・丙・丁。馬融は方位に依って解く。甲は東方に配し、艮は東北に居りて甲の前に在り。だから「先甲」。巽は東南に居りて甲の後に在り。だから「后甲」。十天干の中に単に「甲」を挙出する所以は、甲は十日の首にして、《蠱》は創制事業の開端なればこそ。だから最初の一日を挙出して以て事情の起始を表明す。何を以てか各々三日を取るに至りては、予め申令せずして誅罰を加うるを暴虐と称すればこそ。だから甲日前後に各々三天を留めて號令を申告し、百姓をして普遍に熟習せしめ、照して施行して犯觸するに至らざらしめんがためなり。
《彖》曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。虞翻曰:泰初之上,故“剛上”;坤上之初,故“柔下”。上艮下巽,故“巽而止蠱”也。蠱元亨,而天下治也。荀爽曰:蠱者,巽也。巽歸合震,故“元亨”也。蠱者,事也。備物致用,故“天下治”也。利涉大川,往有事也。《九家易》曰:陽往據陰,陰來承陽,故“有事也”。此卦泰乾天有河,坤地有水,二爻升降,出入乾坤,利涉大川也。陽往求五,陰來求二,未得正位,戎事不息,故“有事”。
《彖伝》にいう。《蠱》卦は陽剛上行して陰柔下降し、謙巽にして止るを知る。これが蠱である。虞翻の説明では、《泰》卦の初爻は上行す。だから「剛上」。坤の上爻は初位に下る。だから「柔下」。上卦は艮・下卦は巽。だから「巽而止蠱」。《彖伝》またいう。《蠱》は元始亨通して天下治を得。荀爽の説明では、《蠱》はすなわち巽である。巽は帰して震に合す。だから「元亨」。「蠱」はすなわち事である。器物を備辦し其の功用を尽くす。だから「天下治」。《彖伝》続いていう。大川を渉越するに利あるは、前往して事を辦すればこそ。《九家易》の説明では、陽爻は前往して陰爻を据有し、陰爻は前来して陽爻を承奉す。だから「有事」。この卦は源を《泰》より出づ。乾天に天河あり、坤地に地水あり。二爻は升降往來し、乾坤の間に出入す。だから大川を渉越するに利あり。陽爻は前往して五位に居らんと求め、陰爻は前来して二位に居らんと求め、皆いまだ正位を得ず、兵戎の事止息する能わず。だから「有事」。
先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。虞翻曰:謂初變成乾,乾為甲。至二成離,離為日。謂乾三爻在前,故“先甲三日”。賁,時也。變三至四,體離。至五成乾,乾三爻在後,故“後甲三日”。無妄,時也。易出震,消息歷乾坤象。乾為始,坤為終,故“終則有始”。乾為天。震為行,故“天行”也。
《彖伝》にいう。甲前三日・甲后三日は、終結すればまた開始あり、これ上天の運行する規律なり。虞翻は納甲と消息に依りて説を立つ。初爻変動して乾を成し、乾は納甲の中に「甲」に配す。第二爻に至りて離を成し、離は日である。乾の三爻は甲の前に在り。だから「先甲三日」。この時卦は《賁》を成す。これは時位に就きて言う。再び三爻より四爻に変じて、卦体は離を成す。五爻に至りて乾を成し、乾の三爻は甲の後に在り。だから「后甲三日」。この時卦は《无妄》を成す。これもまた時位に就きて言う。《易》の道は震より起り、陰陽消息は乾坤の象を遍歴す。乾は開始、坤は終結である。だから「終則有始」。乾象は天、震象は運行。だから「天行」。
《象》曰:山下有風,蠱。何妥曰:山者高而靜,風者宣而疾,有似君處上而安靜,臣在下而行令也。君子以振民育德。虞翻曰:君子,謂泰乾也。坤為民。初上撫坤,故“振民”。乾稱德,體大畜,須養,故以“育德”也。
《象伝》にいう。山下に風あり。これが《蠱》である。何妥の説明では、山は高大にして安静、風は流布して迅疾。甚だ君主の上位に居りて安静無為、臣子の下位に処りて政令を奉行するに似たり。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて百姓を振済し徳行を培育す。虞翻の説明では、君子は《泰》卦の乾を指す。坤象は百姓で、初爻は上行して坤衆を撫臨す。だから「振民」。乾は徳と称し、卦体に《大畜》を含み、蓄養待用の義あり。だから「育徳」。
初六:幹父之蠱,有子考,無咎。厲,終吉。虞翻曰:乾,正。蠱,事也。泰乾為父,坤為事。故“幹父之蠱”。初上易位,艮為子,父死大過稱考,故“有子考”。變而得正,故“無咎。厲,終吉”也。案:位陽令首,父之事也;爻陰柔順,子之質也。《象》曰:幹父之蠱,意承考也。王弼曰:幹事之首,時有損益,不可盡承,故意承而已也。
初六の爻辞にいう。父親の遺留する事業を匡正すれば、かかる儿子あれば、先父便ち過咎なし。危厲あると雖も、終竟吉を得。虞翻の説明では、「干」は匡正、「蠱」は事である。《泰》卦の乾は父、坤は事。だから「干父之蠱」。初爻と上爻は其の位を互換し、艮象は兒子である。父親すでに故し、《大過》の象は「考」と称す。だから「有子考」。初六変動して正位を得。だから「无咎。厲,終吉」。李鼎祚の案語にいう。初位は陽に属して全卦の首に居るは、父親の事業である。この爻は却って陰柔順從なり。まさに兒子の資質である。《象伝》にいう。父親の事業を匡正するは、心意上に於て先父を継承すればこそ。王弼の説明では、事業を匡正する開端に処り、時勢各々増損あり、全部を照らして旧に承襲する能わざる可からず。だからただ心意上に於て継承するのみ。
九二:幹母之蠱,不可貞。《象》曰:幹母之蠱,得中道也。虞翻曰:應在五。泰坤為母,故幹母之蠱。失位。故“不可貞”。變而得正,故貞而“得中道也”。案:位陰居內,母之象也。九三:幹父之蠱,小有悔,無大咎。《象》曰:幹父之蠱,終無咎也。王弼曰:以剛乾事,而無其應,故“有悔”也。履得其位,以正幹父,雖小有悔,終“無大咎”矣。案:爻位俱陽,父之事。
九二の爻辞にいう。母親の遺留する事業を匡正すれど、固執して正を守る可からず。《象伝》にいう。母親の事業を匡正するは、中道を得ればこそ。虞翻の説明では、九二の応ずる所は六五に在り。《泰》卦の坤は母である。だから「干母之蠱」。九二は陽を以て陰に居りて位を失う。だから「不可貞」。変動の後正を得、しかるがゆえに正を守りて「得中道」。李鼎祚の案語にいう。二位は陰に属して内卦に居る。まさに母親の形象である。九三の爻辞にいう。父親の遺留する事業を匡正すれば、稍有悔恨あれど、大なる過咎なし。《象伝》にいう。父親の事業を匡正するは、終竟咎あらざるなり。王弼の説明では、九三は剛強を以て事業を匡正するも、相応の爻なし。だから「有悔」。但し其の履む所は正位を得、能く正道を以て父業を匡正す。小悔恨あると雖も、終竟「无大咎」。李鼎祚の案語にいう。三この一爻の位と性は皆陽に属す。だから父親の事業である。
六四:裕父之蠱,往見吝。虞翻曰:裕,不能爭也。孔子曰:父有爭子,則身不陷於不義。四陰體大過,本末弱,故“裕父之蠱”。兌為見,變而失正,故“往見吝”。《象》曰:“往未得”。是其義也。《象》曰:裕父之蠱,往未得也。虞翻曰:往失位,折鼎足,故“未得”。
六四の爻辞にいう。父親の遺留する事業を寛縦すれば、前往すれば必ず困窘を遭う。虞翻の説明では、「裕」はすなわち規諫爭辯する能わざるなり。孔子かつていう。父親に敢て直諫する儿子あれば、自身便ち不義に陥らず。六四は陰爻にして《大過》の体に処り、《大過》は本末皆柔弱である。だから「裕父之蠱」。兌象は見で、六四変動の後反って正を失う。だから「往見吝」。《象伝》の「前往未有所得」というは、まさにこの意である。《象伝》にいう。父親の事業を寛縦するは、前往して得る所未だ有らざるなり。虞翻の説明では、前往すれば便ち位を失う。鼎足を折斷するがごとし。だから「未得」。
六五:幹父之蠱,用譽。荀爽曰:體和應中,承陽有實,用斯干事,榮譽之道也。《象》曰:幹父用譽,承以德也。虞翻曰:譽,謂二也。二五失位,變而得正,故“用譽”。變二使承五,故承以德。二乾爻,故稱“德”矣。
六五の爻辞にいう。父親の遺留する事業を匡正して、しかるがゆえに称譽を獲得す。荀爽の説明では、六五は体性平和にして下に居中の爻に応じ、陽剛を承受して充実の徳あり。かかる資質を以て事業を匡正するに往けば、まさに榮譽を取得するの道なり。《象伝》にいう。父業を匡正して称譽を獲るは、徳行を以て先人を承継すればこそ。虞翻の説明では、「譽」は九二を指す。二・五の両爻はもと皆位を失い、変動の後各々其の正を得。だから「用譽」。九二をして変動して往きて六五を承奉せしむ。だから「承以徳」。九二は乾爻で、乾は徳と称す。だからここに「徳」という。
上九:不事王侯,虞翻曰:泰乾為王,坤為事。應在於三。震為侯,坤象不見,故“不事王侯”。高尚其事。虞翻曰:謂五已變,巽為高,艮陽升在坤上,故“高尚其事”。《象》曰:不事王侯,志可則也。荀爽曰:年老事終,不當其位。體艮為止。故“不事王侯”。據上臨下,重陰累實,故“志可則”。《序卦》曰:有事而後可大,故受之以臨。臨者,大也。崔覲曰:有蠱元亨,則可大之業成。故曰“有事然後可大”也。
上九の爻辞に「不事王侯」という。虞翻の説明では、《泰》卦の乾は王、坤は事である。上九の応ずる所は九三に在り、震象は諸侯で、而してこの時坤象すでに見えず。だから「不事王侯」。爻辞また「高尚其事」という。虞翻の説明では、これは六五すでに変動し、巽象は高。艮の陽爻は上昇して坤の上に居るを言う。だから「高尚其事」。《象伝》にいう。王侯に侍奉せざるは、其の心志は以て法則と為す可ければこそ。荀爽の説明では、上九は年歳すでに老い事業すでに終わり、再び具体の職位を担当せず。卦体は艮で、艮に静止の義あり。だから「不事王侯」。それは上位に据りて下方を俯臨し、重々の陰爻は其の下に積累してそれを充実せしむ。だから「志可則」。《序卦伝》にいう。事業あって然る後に壮大する可し。だから《蠱》卦の後に《臨》卦が続く。「臨」はすなわち大なり。崔覗の説明では、《蠱》卦の元始亨通ありて、壮大する可き事業便ち成就を告ぐ。だから「有事然后可大」。
臨卦
(兌下坤上)臨:元、亨、利、貞。虞翻曰:陽息至二,與遁旁通。剛浸而長,乾來交坤,動則成乾,故“元、亨、利、貞”。至于八月有凶。虞翻曰:與遁旁通,臨消於遁,六月卦也。於周為八月。遁弒君父,故“至于八月有凶”。荀公以兌為八月,兌於周為十月。言八月,失之甚矣。
《臨》卦は兌は下、坤は上。卦辞にいう。元・亨・利・貞。虞翻は十二消息と旁通に依りて説を立つ。陽気は生息して第二爻に至り、この卦は《遁》卦と旁通す。陽剛は漸漸浸潤生長し、乾は来りて坤と交合し、変動すれば乾を成す。だから「元、亨、利、貞」。卦辞また「至于八月有凶」という。虞翻の説明では、《臨》は《遁》と旁通し、《臨》は消退すれば《遁》を成す。《遁》は夏暦六月の卦で、周暦の中には則ち八月である。《遁》に臣の君を弑し子の父を弑する象あり。だから「至于八月有凶」。荀爽は兌を以て八月と為す。然るに兌は周暦の中には十月なり。それを以て八月を講ずるは、錯ること甚だし。
鄭玄曰:臨,大也。陽氣自此浸而長大,陽浸長矣。而有四德,齊功於乾,盛之極也。人之情盛則奢淫,奢淫則將亡,故戒以凶。臨卦斗建丑而用事,殷之正月也。當文王之時,紂為無道,故於是卦為殷家著興衰之戒,以見周改殷正之數雲。臨自周二月用事,訖其七月,至八月而遁卦受之,此終而復始,王命然矣。
鄭玄は暦法と史事に依りて説を立つ。「臨」は盛大である。陽気はここより始めて漸漸生長壮大す。陽気すでに浸長し、この卦また元・亨・利・貞の四徳を具備し、功用は《乾》と相斉く、盛んなる極点に到ると謂う可し。而して人の常情は、興盛すれば便ち奢侈淫佚し易く、奢侈淫佚すれば便ち滅亡に走向せん。だから「凶」を以て告誡す。《臨》卦は北斗の斗柄が丑位に指向する時に当令用事し、殷暦の正月に相当す。まさに周文王の時に当り、商紂王は暴虐無道なり。だからこの一卦の裏に殷王朝の為に興衰の鑒戒を標明し、またこれに借りて周朝の殷暦正朔の月数を更改するを見出す。《臨》は周暦二月より用事を始め、七月に至りて止み、八月に至れば便ち《遁》卦に接替せらる。かくのごとく終わりて復た始まるは、王朝の命運もまたまさにかくのごとし。
《彖》曰:臨,剛浸而長。虞翻曰:剛,謂二也。兌為水澤,自下浸上,故“浸而長”也。說而順,剛中而應。大亨以正,天之道也。虞翻曰:說,兌。順,坤也。剛中,謂二也。四陰皆應之,故曰“而應”。大享以正,謂三動成乾。天得正為泰,天地交通。故“亨以正,天之道也”。至于八月有凶,消不久也。蜀才曰:此本坤卦。剛長而柔消,故“大亨利正”也。案:臨十二月卦也。自建丑之月,至建申之月,凡歷八月,則成否也。否則天地不交,萬物不通,是至于八月有凶,斯之謂也。
《彖伝》にいう。《臨》卦は陽剛漸漸浸潤生長す。虞翻の説明では、「剛」は九二を指す。兌は水沢で、水は下より上に向かい浸潤す。だから「浸而長」。《彖伝》またいう。喜悅にして柔順、陽剛は中に居りて上下相応じ、大いに亨通してまた能く正を守るは、これ上天の道なり。虞翻の説明では、「説」は兌を指し、「順」は坤を指す。「剛中」は九二を指し、四個の陰爻は皆来りてそれに応ず。だから「而応」。「大亨以正」は第三爻変動して乾を成すを言う。天は其の正を得れば《泰》を成し、天地交通往來す。だから「亨以正,天之道也」。《彖伝》にいう。八月に至りて凶険あらんは、陽気消退して能く長久ならざればこそ。蜀才は卦変に依って解く。この卦はもと《坤》卦より変じ来り、陽剛は生長して陰柔は消退す。だから「大亨利正」。李鼎祚の案語にいう。《臨》は夏暦十二月の卦である。斗柄の丑を指す月より斗柄の申を指す月に数えて、一共に八箇月を経歴して、便ち《否》卦に変ず。《否》は則ち天地相交わらず万物通達せず。いわゆる「至于八月有凶」は、言う所まさにこれなり。
《象》曰:澤上有地,臨。荀爽曰:澤卑地高,高下相臨之象也。君子以教思無窮,容保民無疆。虞翻曰:君子,謂二也。震為言,兌口講習。學以聚之,問以辯之。坤為思,剛浸長,故“以教思無窮”。容,寬也。二寬以居之,仁以行之;坤為容,為民,故“保民無疆”矣。
《象伝》にいう。沢上に地あり。これが《臨》である。荀爽の説明では、沢は低く地は高し。まさに高きに居る者が卑下の者を俯臨する形象である。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて教誨の心思窮尽なく、百姓を容納保護するに疆界なし。虞翻の説明では、君子は九二を指す。震象は言語、兌象は口で、合せてまさに講習の象なり。すなわち《文言》のいう所の学問を以てそれを聚積し、詢問を以てそれを辨析す。坤象は思慮で、陽剛また浸長せり。だから「教思无窮」。「容」は寛宏である。九二は寛宏を以て自処し、仁愛を以て行事す。坤象は容納・百姓である。だから「保民无疆」。
初九:咸臨,貞吉。虞翻曰:咸,感也。得正應四,故“貞吉”也。《象》曰:咸臨貞吉,志行正也。荀爽曰:陽始咸升,以剛臨柔。得其正位而居,是吉。故曰:“志行正”。九二:咸臨,吉,無不利。虞翻曰:得中多譽。兼有四陰。體復初。元吉。故“無不利”。《象》曰:咸臨吉,無不利,未順命也。荀爽曰:陽感至二,當升居五,群陰相承,故“無不利”也。陽當居五,陰當順從,今尚在二,故曰“未順命也”。
初九の爻辞にいう。感応の徳を以て俯臨し、正を守れば吉を得。虞翻の説明では、「咸」は感応である。初九は正位を得て上に六四に応ず。だから「貞吉」。《象伝》にいう。咸臨して正を守りて吉を得るは、心志の行う所端正なればこそ。荀爽は乾升坤降に依りて説を立つ。陽気は始めて感通して上昇し、剛を以て柔に臨み、また正位を得て安居す。だから吉、故に「志行正」という。九二の爻辞にいう。感応の徳を以て俯臨すれば、吉にして利あらざる所なし。虞翻の説明では、九二は中に居りて多く称譽を獲、また上の四個の陰爻を兼領す。卦体に《復》卦初爻の元吉の義を含む。だから「无不利」。《象伝》にいう。咸臨して吉にして利あらざる所なきは、いまだ天命に順承せざればこそ。荀爽の説明では、陽気は第二爻に感通し、もとまさに上昇して五位に居るべく、群陰は依次に承奉す。だから「无不利」。陽はもとまさに五位に居るべく、陰はもとまさに順從すべし。今陽はなお二位に停留在す。だから「未順命也」という。
六三:甘臨,無攸利,既憂之,無咎。《象》曰:甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。虞翻曰:兌為口,坤為土,土爰稼穡作甘。兌口銜坤,故曰“甘臨”。失位乘陽,故“無攸利”。言三失位無應,故“憂之”。動而成泰,故“咎不可長也”。
六三の爻辞にいう。甘言を以て俯臨すれば、利益ある所なし。すでにこれが為に憂慮すれば、便ち咎なし。《象伝》にいう。甘臨は、処る所の位恰も当らざればこそ。すでに憂慮すれば、過咎は長久ならざらん。虞翻の説明では、兌象は口、坤象は土である。《尚書・洪範》に土は稼穡を主管して甘味を生出すという。兌口は坤土を含む。だから「甘臨」。六三は位を失いてまた陽爻を乘凌す。だから「无攸利」。まさにそれが位を失いてまた正応なければこそ、これが為に憂慮するを要す。それは変動の後《泰》卦を成す。だから「咎不可長」。
六四:至臨,無咎。虞翻曰:至,下也。謂下至初,應當位,有實,故“無咎”。《象》曰:至臨無咎,位當也。荀爽曰:四與二同功,欲升二至五,已得承順之,故曰“至臨”也。陽雖未乘,處位居正,故得“無咎”。是位當也。
六四の爻辞にいう。親ら下に至りて俯臨すれば、咎なし。虞翻の説明では、「至」はすなわち下に到るなり。六四の初九に下至るを言い、応ずる所の爻は位に居りて当を得て充実の徳あり。だから「无咎」。《象伝》にいう。至臨して咎なきは、位置恰も当なればこそ。荀爽は升降に依りて説を立つ。六四と九二は功用相同じく、九二の上昇して五位に至るを希望し、自ら便ち能くそれを承順す。だから「至臨」。陽爻はいまだ升りて来りて其の承奉に供することなしと雖も、六四の処る所の位は正に居る。だから能く「无咎」。これがすなわち位当なり。
六五:知臨,大君之宜,吉。《象》曰:大君之宜,行中之謂也。荀爽曰:五者,帝位。大君,謂二也。宜升上居五位,吉。故曰“知臨,大君之宜”也。二者處中,行升居五,五亦處中,故曰“行中之謂也”。
六五の爻辞にいう。智慧を以て俯臨するは、これ大君の応有の作為にして、吉。《象伝》にいう。大君の応有の作為は、講ずる所すなわち中道を行うなり。荀爽は乾升坤降に依りて説を立つ。五は帝王の位で、「大君」は九二を指す。九二は上昇して五位に占居するに宜し。だから吉、故に「知臨,大君之宜」という。九二は本身下卦の中に処り、上行して五位に居り、五位もまた上卦の中に処る。だから「行中之謂也」。
上六:敦臨,吉,無咎。荀爽曰:上應於三,欲因三升二,過應於陽,敦厚之意,故曰:“敦臨吉無咎”。《象》曰:敦臨之吉,志在內也。《九家易》曰:志在升二也。陰以陽為主。故志在內也。《序卦》曰:物大然後可觀也。故受之以觀。崔覲曰:言德業大者,可以觀政於人,故受之以觀也。
上六の爻辞にいう。敦厚の徳を以て俯臨すれば、吉にして咎なし。荀爽の説明では、上六と六三は相応じ、六三に借りて九二の上昇を接引せんと欲し、常例を超出して陽爻に応ず。敦厚の意を含有す。だから「敦臨吉无咎」。《象伝》にいう。敦臨の吉なる所以は、心志を内卦に放てばこそ。《九家易》の説明では、これは心志が九二をして上昇せしむるに在るを言う。陰は陽を以て主と為す。だから心志は内に在りという。《序卦伝》にいう。事物盛大なるの後にこそ觀仰せらる可し。だから《臨》卦の後に《觀》卦が続く。崔覗の説明では、これは徳行事業盛大の人は、自らの政教を以て人に觀看するに展示する可きを言う。だから《觀》卦に続く。
觀卦
(坤下巽上)觀:盥而不薦,有孚顒若。鄭玄曰:坤為地,為眾。巽為木,為風。九五,天子之爻。互體有艮。艮為鬼門,又為宮闕。地上有木。而為鬼門宮闕者,天子宗廟之象也。王弼曰:王道之可觀者,莫盛乎宗廟。宗廟之可觀者,莫盛乎盥也。至薦簡略,不足復觀,故“觀盥而不薦”也。
《觀》卦は坤は下、巽は上。卦辞にいう。ただ祭前に酒を灌ぎて神を降すの礼を觀て、後の犠牲を進獻するを觀ず。觀る者の心中はすでに誠信に充満して粛然として敬起す。鄭玄は卦象と礼制に依って解く。坤は地・衆、巽は木・風、九五は天子の爻である。卦中の互体に艮あり、艮は鬼門にしてまた宮闕である。地上に樹木ありて、また鬼門宮闕の象あり。これまさに天子宗廟の形象である。王弼の説明では、王道の中に最も觀仰に値するは、宗廟より盛大なるはなし。宗廟の礼の中に最も觀仰に値するは、酒を灌ぎて神を降すより盛大なるはなし。犠牲を進獻するに至れば、礼節便ち簡略にして、再び看るに値せず。だから「觀盥而不薦」という。
馬融曰:盥者,進爵灌地,以降神也。此是祭祀盛時,及神降薦牲,其禮簡略,不足允也。國之大事,唯祀與戎。王道可觀,在於祭祀。祭祀之盛,莫過初盥降神。故孔子曰:諦自既灌而往者,吾不欲觀之矣。此言及薦簡略,則不足觀也。以下觀上,見其至盛之禮,萬民信敬,故云“有孚顒若”。孚,信。顒,敬也。案:鬼神害盈,禍淫福善。若人君修德,至誠感神。信則黍稷非馨,明德惟馨。故“觀盥而不觀薦”,饗其誠信者也。斯即東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福,是其義也。
馬融の説明では、「盥」は爵を捧げて酒を地上に澆灌し、以て神霊を迎降す。これまさに祭祀最も隆盛の時刻である。神すでに降臨して犠牲を進獻するに至れば、礼節便ち簡略にして、人に取信するに足らず。国家の大事は、ただ祭祀と軍事のみ。王道中に觀仰に値するは祭祀に在り、而して祭祀最も隆盛の処は、開頭の酒を灌ぎて神を降すに如くなし。だから孔子はいう。禘祭を挙行するに、灌酒以後の部分は、われ便ち再び看んと欲せず。これはすなわち犠牲を進獻するに至りて礼節簡略なれば、便ち觀仰に値せざるを言う。下に在る者を以て上に在る者を觀仰し、かくのごとき至極隆盛の礼儀を見れば、万民皆誠信にして敬服す。だから「有孚顒若」。「孚」は誠信、「顒」は敬粛である。李鼎祚の案語にいう。鬼神は盈満を加害し、淫邪に降禍し善良に賜福す。假令君主徳行を修養し、至誠を以て神明に感通せば、すればまさに《尚書》のいう所のごとく、黍稷は馨と算せず、ただ光明の徳行のみ馨と算す。だからただ灌酒の礼を觀て犠牲の進獻を觀ず。神明の享受する所はすなわちあの誠信なればこそ。これもまた《既濟》のいう所の東辺の隣国は牛を殺して盛祭するも、西辺の隣国の微薄の禴祭の真に福沢を承受するに如かずと、まさに同一の道理なり。
《彖》曰:大觀在上,蜀才曰:此本乾卦。案:柔小浸長,剛大在上,其德可觀,故曰“大觀在上”也。順而巽,中正以觀天下。虞翻曰:謂陽息臨二,直方大。臨者,大也。在觀上,故稱“大觀”。順,坤也。中正謂五。五以天神道觀示天下,咸服其化,賓于王庭。
《彖伝》にいう。偉大なる觀仰の対象は上位に高居す。蜀才は卦変に依って解く。この卦はもと《乾》卦より変じ来る。柔小の者は漸漸生長し、剛大の者は上位に高居し、其の徳は人に觀仰せらる可し。だから「大觀在上」。《彖伝》またいう。柔順にして謙遜、中正の徳を以て天下に展示す。虞翻の説明では、これは陽気の生息して《臨》卦の第二爻に至り、《坤》卦六二のいう所の正直・方正・宏大の徳を具備するを言う。《臨》はすなわち大にして、而してそれはまた《觀》の上に在る。だから「大觀」と称す。「順」は坤を指し、「中正」は九五を指す。九五は上天神明の道を以て天下に展示し、天下皆其の教化に服從し、来りて王庭に於て賓客と為る。
觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。虞翻曰:觀,反臨也。以五陽觀示坤民,故稱“觀”。盥,沃盥。薦,羞牲也。孚,信,謂五。顒顒,君德,有威容貌。若,順也。坎為水,坤為器,艮手臨坤,坎水沃之,盥之象也。故“觀盥而不薦”。孔子曰:諦自既灌,吾不欲觀之矣。巽為進退,容止可觀,進退可度,則下觀其德而順其化。上之三,五在坎中,故“有孚顒若,下觀而化”。《詩》曰:顒顒卬卬,如珪如璋。君德之義也。
《彖伝》は卦辞を引いていう。ただ酒を灌ぎて神を降すを觀て犠牲の進獻を觀ず、誠敬粛然たるは、これ在下者の觀仰して感化を受くるなり。虞翻の説明では、《觀》は《臨》を反覆した卦である。九五この一陽爻を以て坤の象する所の百姓に展示す。だから「觀」と称す。「盥」は水を澆ぎて手を洗い酒を灌ぐなり。「薦」は犠牲を進獻するなり。「孚」は誠信で九五を指す。「顒顒」は君主の徳容で、威厳の儀表あり。「若」は順である。坎は水、坤は器皿、艮の象する所の手は坤器の上に臨み、坎水を以て澆灌す。まさに盥洗の象である。だから「觀盥而不薦」。孔子かつていう。禘祭を挙行すれば、灌酒以後はわれ便ち再び看んと欲せず。巽象は進退で、儀容举止は觀仰に供す可く進退は法度を作す可し。すれば在下者は便ち其の徳行を觀仰して其の教化に順從す。上爻より三位に至り、九五は坎体の中に処る。だから「有孚顒若,下觀而化」。《詩経・大雅・巻阿》にいう。儀容荘厳軒昂、圭のごとく璋のごとく美好なり。講ずる所まさに君主の徳なり。
觀天之神道,而四時不忒。虞翻曰:忒,差也。神道謂五。臨,震兌為春秋,三上易位,坎冬離夏,日月象正。故“四時不忒”。聖人神道設教,而天下服矣。虞翻曰:聖人謂乾,退藏於密,而齊於巽,以神明其德教,故“聖人設教”,坤民順從,而天下服矣。
《彖伝》にいう。上天神妙の運行の道を觀仰すれば、四時便ち差錯あらざらん。虞翻の説明では、「忒」は差錯で、「神道」は九五を指す。《臨》卦中に震は春・兌は秋で、三爻と上爻と其の位を互換せば、則ち坎は冬・離は夏と為り、日月の象各々其の正を得。だから「四時不忒」。《彖伝》またいう。聖人は神道に依りて教化を設立すれば、天下便ち皆服從す。虞翻の説明では、聖人は乾を指す。《系辞》にそれは退隱して幽密の中に潜蔵し、而して巽位の上に於て万物を整斉し、神妙を以て自らの徳教を彰明すという。だから「聖人設教」。坤の象する所の百姓は順從し、しかるがゆえに天下服從す。
《象》曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設教。《九家易》曰:先王謂五。應天順民,受命之王也。風行地上,草木必偃,枯槁朽腐,獨不從風,謂應外之爻。天地氣絕,陰陽所去,象不化之民,五刑所加,故以省察四方,觀視民俗,而設其教也。言先王德化,光被四表,有不賓之民,不從法令,以五刑加之,以齊德教也。
《象伝》にいう。風は地上に吹行す。これが《觀》である。先王はこれに因りて四方を巡視し民情を觀察して教化を設立す。《九家易》の説明では、「先王」は九五を指し、天命に順応し民心に順從して命を受けて王と為る人である。風は地上に吹行すれば、草木必ず風に随いて倒伏す。ただ彼の枯槁朽爛するのみ風に随いて動かず。指す所は外卦と相応する那の幾爻なり。彼らは天地の気すでに断絶し、陰陽すでに離去し、彼らの教化を受けざる百姓を象徴す。まさに五刑の施加するを要する所なり。だから先王は四方を巡察し、民間風俗を觀看し、これによりて教化を設立す。これは先王の徳化は四方の外を普照し、もし帰服するを肯ぜざる百姓の法令に遵従せざるあらば、便ち五刑を以て之に加え、これを以て徳教を整斉するを言う。
初六:童觀,小人無咎,君子吝。虞翻曰:艮為童。陰,小人。陽,君子。初位賤,以小人承君子,故“無咎”。陽伏陰下,故“君子吝”矣。《象》曰:初六童觀,小人道也。王弼曰:失位處下,最遠朝美,無所鑑見,故曰“童觀”。處大觀之時,而童觀趣順而已。小人為之,無可咎責。君子為之,鄙吝之道。
《觀》卦初六の爻辞にいう。孩童のごとく瞻望し、小人かく為れば咎を受けず、君子かく為れば則ち困窘を免れ難し。虞翻は取象を以て解く。上卦艮は幼童を象徴す。だから「童観」と称す。陰爻は小人を代表し、陽爻は君子を代表す。初六は全卦の最下に居り、地位卑賤にして、これ小人の身份を以て上に在る君子を承奉す。本分いまだ失わず。だから「咎を受けず」という。但し陽気は陰爻の下に潜伏し、君子は下位に屈居して見識淺陋なり。だから「君子吝」。《象伝》にいう。初六の「童観」は、まさに小人の走る所の路数なり。王弼は爻位より立論す。初六は陰を以て陽に居りて正を失い、また全卦の最下に処り、九五の朝廷盛美に最も遥遠にして、鑒察するに由なし。だから「童観」と称す。まさに《觀》卦の天下を大観する時に当りて、却って孩童のごとくひたすら随順するのみを得。小人かくのごときは責む可きなし、君子かくのごときは、便ち鄙陋困窘の道と成る。
六二:窺觀,利女貞。虞翻曰:臨兌為女。竊觀稱窺兌女反成巽。巽四五得正,故“利女貞”。艮為宮室,坤為闔戶,小人而應五。故“窺觀女貞利”,不淫視也。《象》曰:窺觀女貞,亦可醜也。侯果曰:得位居中,上應於五。窺觀朝美,不能大觀。處大觀之時,而為窺觀。女正則利,君子則丑也。案:六二離爻,離為目,又為中女。外互體艮,艮為門。闕女目近門,窺觀之象也。
《觀》卦六二の爻辞にいう。門縫の中より偸看す。女子の正道を守持するに宜し。虞翻は卦変に依りて説を立つ。《觀》は《臨》卦より変じ来り、《臨》の下体兌は女子を象徴す。暗がりに偸看するを「窺」と称し、兌女は翻転せば便ち巽と成り、巽は四・五の両位の上に於て各々正を得。だから「利女貞」。また艮は宮室を象徴し、坤は閉合の門戸を象徴す。六二は陰柔の小人にして上に九五に応ず。だから「窺觀女貞利」といい、其の意は目光を放縱して乱看せざるなり。《象伝》にいう。女子の窺看は正を守る可しと雖も、君子に在りてはまた羞ず可きなり。侯果は爻位よりいう。六二はすでに位に当りてまた下体の中位に居り、上に九五と相応ず。然るにそれはただ門縫の中より朝廷の盛美を窺看するのみ能く、放眼して大観する能わず。身に大観の世に処りてただ窺観を作すのみは、女子に在りては正を守りて利を得、君子に在りては便ち羞恥と成る。李鼎祚の案語は補充す。六二は離卦の爻で、離は眼目を象徴し、また中女を象徴す。外卦の成す所の互体は艮で、艮は門戸を象徴す。女子の眼睛は門戸に貼近して外に向かい看る。まさに「窺観」の物象である。
六三:觀我生,進退。虞翻曰:坤為我,臨震為生。生,謂坤生民也;巽為進退,故“觀我生進退”。臨震進之五,得正居中,故《象》曰“未失道”。《象》曰:觀我生進退,未失道也。荀爽曰:我,謂五也。生者,教化生也。三欲進觀於五,四既在前,而三故退,未失道也。
《觀》卦六三の爻辞にいう。自らの作為を省察し、之に拠りて進退を決定す。虞翻はなお卦変を以て解く。坤は「我」を象徴し、《觀》の自ら来る所の《臨》卦の下体震は「生」を象徴す。「生」は坤の生養する所の百姓を指す。巽に進退不定の象あり。だから「觀我生進退」。もし《臨》の震陽前進して第五位に至れば、便ちすでに正を得てまた中に居る。だから《象伝》に「未失道」という。《象伝》にいう。自身を省察して進退を決定するは、正道に背離せざるを説明す。荀爽は別に「我」は九五の君を指し、「生」は教化の化生を指すを主張す。六三はもと上進して九五を瞻仰せんと欲すれど、六四すでに前面に挡在せり。ここに六三は退譲して争わず、進退宜に合す。だから正道に背離せずという。
六四:觀國之光,利用賓于王。虞翻曰:坤為國。臨陽至二,天下文明。反上成觀,進顯天位,故“觀國之光”。王謂五陽。陽尊賓坤。坤為用、為臣,四在王庭,賓事於五。故“利用賓于王”矣。《詩》曰:莫敢不來賓,莫敢不來王。是其義也。《象》曰:觀國之光,尚賓也。崔覲曰:得位比尊,承於王者。職在搜揚國俊,賓薦王庭,故以進賢為尚賓也。
《觀》卦六四の爻辞にいう。一国の光輝盛徳を觀瞻するは、賓客の礼を以て君王の礼遇を受くるに宜し。虞翻の解説では、坤は邦国を象徴す。《臨》卦の陽気は第二爻に上昇し、天下文明大いに開け、陽気は反転して上位に至りて《觀》卦を成し、君徳は天位に顯揚す。だから「觀国之光」。「王」は九五の陽を指し、陽位は尊貴にして坤陰を以て賓と為す。坤に「用」と「臣」の象あり。六四すでに王庭に進入し、賓客の身份を以て九五に事奉す。だから「利用賓于王」。《詩経・商頌・殷武》に「敢て賓に来らざるなし、敢て王に来らざるなし」という。講ずる所まさにこの道理である。《象伝》にいう。一国の光輝を觀瞻するは、賓礼を崇尚すればこそ。崔覗は補充す。六四は位に当りて至尊の位に緊隣し、直に君王を承奉し、職責は国中の俊彦を搜訪薦挙するに在り、賓礼を以て王庭に引進す。だから賢才を挙薦するを以て「尚賓」と為す。
九五:觀我生,君子無咎。虞翻曰:我,身也,謂我生。生,謂生民。震生象。反坤,為死喪。嫌非生民,故不言民。陽為君子,在臨二,失位之五,得道處中,故“君子無咎”矣。《象》曰:觀我生,觀民也。王弼曰:觀我生,自觀其道也。為眾觀之主,當宣文化,光於四表,上之化下,猶風之靡草。百姓有過,在予一人。君子風著,已乃無咎。欲察已道,當觀民也。虞翻曰:坤為民,謂三也。坤體成,故觀民也。
《觀》卦九五の爻辞にいう。自らの生養する所の百姓を省察すれば、君子かく為れば咎あらず。虞翻の説明では、「我」は自身を指し、「我生」の「生」は生養する所の民衆を指す。震に生発の象あり、一旦坤に反成すれば便ち死喪を主る。人をして誤会して指す所生民に非ずとせしむるを怕る。だから爻辞はただ「生」を言いて明らかに「民」を言わず。陽爻は君子を代表し、それはもと《臨》卦の第二爻に在り、位を失いて上行して第五位に至り、すでに正道を得てまた中位に居る。だから「君子咎あらず」という。《象伝》にいう。自らの作為を省察するは、すなわち百姓を省察するなり。王弼は申論す。「觀我生」は自ら省察して自らの行う所の道を見るなり。九五は衆人の瞻仰する主宰で、まさに文教を宣揚し四方に光被すべし。上に在る者は下に在る者を化育す。風の草地を吹き過ぐるがごとく、草は風に随いて伏せざるなし。百姓もし過失あらば、責任は君王一人の身上に在り。君子の徳風顯著なれば、自らこそ咎なからん。だから自らの徳政を考察せんと欲せば、まさに百姓を觀察すべし。虞翻は再び一句を補う。坤は民を象徴し、ここに指すは六三なり。坤体すでに成ればこそ「觀民」という。
上九:觀其生,君子無咎。虞翻曰:應在三,三體臨震,故“觀其生”。君子謂三,之三得正,故“無咎”矣。《象》曰:觀其生,志未平也。王弼曰:觀其生,為人所觀也。最處上,極天下所觀者也。處天下所觀之地,其志未為平易,不可不慎。故君子德見,乃得無咎。生,猶動出也。虞翻曰:坎為志,為平,上來之三,故“志未平”矣。
《觀》卦上九の爻辞にいう。他人の作為を省察すれば、君子かく為れば咎あらず。虞翻の説明では、上九の応ずる所の爻は六三に在り、六三は《臨》卦の震体に属す。だから「觀其生」。「君子」は六三を指し、上九は下行して第三位に至れば便ち正を得。だから咎あらず。《象伝》にいう。「觀其生」は、心志いまだ平静安適する能わざるを言う。王弼は申説す。「觀其生」は自らは他人に觀看せらるるなり。上九は全卦の最高処に処り、天下人の瞻望の極致なり。身に天下の矚目する地に居りて、心志は安然平易なる能わず、一挙一動皆慎重ならざる可からず。だから君子は必ず徳行顯著ならば、こそ咎なきを得ん。ここに「生」は、挙動施為を言うに等し。虞翻はまた卦象よりいう。坎は心志を象徴し平を象徴す。上九は下行して第三位に至りて坎を成す。だから「志未平」という。
噬嗑卦
《序卦》曰:可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。崔覲曰:言可觀政於人,則有所合於刑矣,故曰“可觀而有所合”。(震下離上)。噬嗑:享,利用獄。虞翻曰:否五之坤初,坤初之五,剛柔交,故“亨”也。坎為獄,艮為手,離為明,四以不正,而繫於獄。上當之三,蔽四成豐,折獄致刑,故“利用獄”。坤為用也。案:頤中有物曰噬嗑,謂九四也。四互坎體,坎為法律,又為刑獄,四在頤中,齧而後亨。故“利用獄”也。
《序卦伝》にいう。瞻仰す可き徳政あって然る後にこそ会合する所有り。だから《觀》卦の後に接するは《噬嗑》なり。「嗑」はすなわち会合である。崔覗の説明では、これは能く政教を昭示して人に觀看せしむれば、便ち刑法と相合するを言う。だから「可觀而有所合」。《噬嗑》卦は下は震上は離。卦辞にいう。亨通、刑を用いて獄を断ずるに宜し。虞翻は卦変に依りて説を立つ。《噬嗑》は《否》卦の九五が降りて坤の初位に至り、坤の初六が升りて第五位に至りて変じ来る。剛柔交錯す。だから「亨」。坎は牢獄を象徴し、艮は手を象徴し、離は明察を象徴す。九四は位に当らずして獄中に拘係せられ、上九はまさに第三位に下るべく、九四を遮蔽して《豊》卦を成し、《豊》に獄を断じ刑を用うるの義あり。だから「利用獄」。坤にまた「用」の象あり。李鼎祚の案語にいう。口腮の中に物を含むを「噬嗑」と称す。この物はすなわち九四なり。九四は互体坎の中に処り、坎は法律を象徴しまた刑獄を象徴す。九四は口中に梗在し、必ずそれを咬断して然る後にこそ亨通する能くす。だから「利用獄」。
《彖》曰:頤中有物,曰噬嗑。虞翻曰:物謂四,則所噬乾脯也。頤中無物,則口不噬。故先舉“頤中有物曰噬嗑”也。噬嗑而亨。崔覲曰:物在頤中,隔其上下,因齧而合,“乃得其亨焉。”以喻人於上下之間,有亂群者,當用刑去之,故言“利用獄”。剛柔分,動而明,雷電合而章。盧氏曰:此本否卦。乾之九五,分降坤初;坤之初六,分升乾五。是剛柔分也。分則雷動於下,電照於上,合成天威,故曰雷電合而成章也。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。侯果曰:坤之初六,上升乾五,是柔得中而上行。雖則失位,文明以中,斷制枉直,不失情理,故“利用獄”。
《彖伝》にいう。口中に物を含有するを「噬嗑」と称す。虞翻の説明では、この「物」は九四を指し、すなわち咬む所の那の乾肉なり。口中もし物なくんば、また咬むを言う所なし。だから《彖伝》は先ず「頤中有物曰噬嗑」を標出す。經文続いて「噬嗑而亨」という。崔覗の説明では、物は口中に梗在し、上下顎を隔開し、それを咬断することに凭りて上下こそ合攏する能くし、ここにこそ亨通を得。以て人群上下の間にもし秩序を擾乱する人あらば、まさに刑法を以て彼を除掉すべきを喩う。だから卦辞に「利用獄」という。《彖伝》また「剛柔分,動而明,雷電合而章」という。盧氏の指出では、この卦はもと《否》卦より変じ来り、乾の九五は分出して坤の初位に下降し、坤の初六は分出して乾の五位に上昇す。これがすなわち「剛柔分」。分開の後、雷は下に震動し電は上に照耀し、合せて上天の威勢を構成す。だから雷電相合して文采彰明なりという。《彖伝》再び「柔得中而上行,雖不当位,利用獄也」という。侯果の説明では、坤の初六は乾の第五位に上昇す。これがすなわち柔爻の中位を取得して上行するなり。それは陰を以て陽に居りて位を失うと雖も、能く文明の徳を以て中に居り、曲直を裁断して情理に違背せず。だから「利用獄」。
《象》曰:雷電,噬嗑。宋衷曰:雷動而威,電動而明,二者合而其道章也。用刑之道,威明相兼。若威而不明,恐致淫濫;明而無威,不能伏物。故須雷電併合,而噬嗑備。先王以明罰敕法。侯果曰:雷所以動物,電所以照物。雷電震照,則萬物不能懷邪。故先王則之,明罰敕法,以示萬物,欲萬方一心也。
《大象伝》にいう。雷電交作す。これが《噬嗑》である。宋衷の説明では、雷は一動すれば便ち威勢あり、電は一閃すれば便ち光明あり。二者相合せば、刑を用うるの道こそ彰顯せらる。刑を用うるの道は必ず威勢と明察と兼備するを須う。威勢のみあって明察なければ、濫罰に流るるを恐る。明察のみあって威勢なければ、また人を鎮服する能わず。だから必ず雷電並作するを須うてこそ、《噬嗑》の意義こそ完備と算す。《大象伝》続いていう。先王はこれに因りて刑罰を申明し法令を整飭す。侯果の説明では、雷は以て万物を震動するに用い、電は以て万物を照見するに用いる。雷電は震動照耀すれば、万物は敢て心に奸邪を懐かず。だから先王はこの卦象に效法し、刑罰を申明し法度を整粛し、公布して天下人に看せしむ。四方万国をして同心に遵守せしむるを為とするなり。
初九:屨校滅趾,無咎。虞翻曰:屨,貫。趾,足也。震為足,坎為校;震沒坎下,故“屨校滅趾”。初位得正,故“無咎”。干寶曰:趾,足也,屨校,貫械也。初居剛躁之家,體貪狠之性,以震掩巽,強暴之男也。行侵陵之罪,以陷屨校之刑,故曰“屨校滅趾”。得位於初,顧震知懼,小徵大戒,以免刑戮,故曰“無咎”矣。《象》曰:屨校滅趾,不行也。虞翻曰:否坤小人。以陰消陽,其亡其亡。故五變滅初,否坤殺不行也。干寶曰:不敢遂行強也。
《噬嗑》初九の爻辞にいう。脚上に刑具を套し、脚趾を遮没す。咎を受けず。虞翻の説明では、「屨」は套上・貫穿の意で、「趾」はすなわち脚である。震は足を象徴し、坎は桎梏刑具を象徴し、震は坎の下に陥没す。だから「屨校滅趾」。初九は陽を以て陽に居りて正を得。だから咎を受けず。干宝は人事より立論す。「趾」は脚、「屨校」は脚に刑械を套上するなり。初九は剛躁の震体の中に処り、稟性貪狠にして、震を以て巽を掩伏す。これ強横暴戻の男子にして、他人を侵凌するの罪を犯下し、しかるがゆえに脚鎌を戴する刑罰に落る。だから「屨校滅趾」。但しそれは初位に於て正を得、回頭して震動に因りて畏懼を知り、小懲を受けて大戒を得、これより更に重き刑戮を免る。だから「咎を受けず」という。《象伝》にいう。刑具を戴きて脚趾を遮没するは、彼をして再び前に往きて邪路に上らしめざればこそ。虞翻の説明では、《否》卦の坤は小人を代表し、陰を以て陽を消す。まさに《否》九五の警惕する所の「其亡其亡」なり。だから九五は一変して初爻を消滅せば、《否》卦坤陰の殺伐の勢いは便ち行通らず。干宝は一言にして點明す。これは彼の敢て再び一味逞強せざるを言うなり。
六二:噬膚滅鼻,無咎。虞翻曰:噬,食也。艮為膚,為鼻;鼻沒坎水中,隱藏不見,故“噬膚滅鼻”。乘剛,又得正多譽,故“無咎”。《象》曰:噬膚滅鼻,乘剛也。侯果曰:居中履正,用刑者也。二互體艮。艮為鼻,又為黔喙,噬膚滅鼻之象也。乘剛,噬必深,噬過其分,故“滅鼻也”。刑刻雖峻,得所疾也。雖則滅鼻,而無咎矣。
《噬嗑》六二の爻辞にいう。嫩肉を咬みて深く咬み過ぎ、鼻子までも陥入せり。咎を受けず。虞翻の説明では、「噬」はすなわち喰うなり。艮は柔嫩の肌膚を象徴し、また鼻子を象徴す。鼻子は坎水の中に陥没し、隠蔵して見えず。だから「噬膚滅鼻」。六二は初九陽剛の上に凌駕すると雖も、それは位に当りて正を得、陰は二位に居りて多く称譽を獲。だから咎を受けず。《象伝》にいう。膚を咬み鼻を滅するは、それが陽剛の上に乘凌すればこそ。侯果の説明では、六二は中に居りて位に当る。これ刑罰を執行する人である。二爻は互体艮の中に処り、艮は鼻を象徴し、また鳥獣の黒喙を象徴す。まさに「噬膚滅鼻」の象なり。陽剛を乘凌するに因りて、口を下すは必ず深く、咬むこと本分を超過す。だから「滅鼻」。刑罰は厳峻なれど、其の痛恨する対象に打中せり。だから縱令鼻を滅すとも、咎を受けず。
六三:噬昔肉,遇毒,小吝,無咎。虞翻曰:三在膚裡,故稱肉。離日之,為昔;坎為毒,故“噬昔肉遇毒”。毒謂矢毒也。失位承四,故“小吝”。與上易位,利用獄成豐,故“無咎”也。《象》曰:遇毒,位不當也。荀爽曰:昔肉,謂四也。三以不正,噬取異家,法當遇罪,故曰“遇毒”。為艮所止,所欲不得,故“小吝”也。所欲不得,則免於罪,故“無咎”矣。
《噬嗑》六三の爻辞にいう。風乾の腊肉を咬みて、毒味を吃出す。稍有困窘あれど、咎を受けず。虞翻の説明では、六三は肌膚の内に在る。だから「肉」と称す。離は日で、日光曝曬を経て乾肉と成る。すなわち「昔肉」なり。坎は毒を象徴す。だから「噬昔肉遇毒」。ここに「毒」は箭鏃の上に敷する所の毒を指す。六三は陰を以て陽に居りて位を失い、また上に九四を承く。だから「小吝」。もし上九と爻位を互換せば、便ち「利用獄」に合して《豊》卦を成す。だから咎を受けず。《象伝》にいう。毒味を吃出するは、処る所の爻位当ならざるに由ればこそ。荀爽は別に一解を立つ。「昔肉」は九四を指す。六三は本身正ならざれど、別家の物を啃咬しに往く。法理に按ずればまさに罪を獲るべし。だから「遇毒」。それは艮の止性に阻まるるが為に、欲する所得られず。だから「小吝」。またまさに欲望の得逞せざるに因りて、反って罪責を免る。だから「咎を受けず」という。
九四:噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。《象》曰:利艱貞吉,未光也。陸績曰:肉有骨,謂之胏。離為乾肉,又為兵矢。失位用刑,物亦不服。若噬有骨之乾胏也。金矢者,取其剛直也。噬胏雖復艱難,終得申其剛直,雖獲正吉,未為光大也。
《噬嗑》九四の爻辞にいう。骨帯の乾肉を咬みて、金属箭鏃を咬到す。艱難の中に正を守るに宜しく、吉祥なり。《象伝》にいう。艱難に正を守りて吉を獲るに宜しきは、其の道いまだ光大ならざるを言えばこそ。陸績の説明では、骨頭を帯びた肉を「胏」と称す。離は乾肉を象徴し、また兵器箭矢を象徴す。九四は陽を以て陰に居りて位を失い、刑を用うる時人心もまた服せず。骨帯の乾肉を咬みに往くがごとく費力なり。「金矢」は其の剛強正直の意を取る。骨帯乾肉を咬むは艱難なれど、最終に能く自らの剛直を伸展す。然而正を守りて吉を獲ると雖も、畢竟光明盛大と算するに足らず。
六五:噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。虞翻曰:陰稱肉,位當離,日中烈,故乾肉也。乾金黃,故“得黃金”。貞,正。厲,危也。變而得正,故“無咎”。王弼曰:乾肉,堅也。黃,中也。金,剛也。以陰處陽,以柔承剛,以噬於物,物亦不服,故曰“噬乾肉也”。然處得尊位,而居於中,能行其戮者也。履不正而能行其戮,剛勝者也。噬雖不服,得中而勝,故曰“噬乾肉得黃金”也。已雖不正,而刑戮得當,故雖貞厲而無咎也。《象》曰:貞厲無咎,得當也。荀爽曰:謂陰來正居,是而厲陽也。以陰厲陽,正居其處。而無咎者,以從下升上,不失其中。所言得當。
《噬嗑》六五の爻辞にいう。風乾の肉を咬みて、黄金を得。正を守りて戒懼を知れば、咎を受けず。虞翻の説明では、陰爻は「肉」と称し、六五の処る所はまさに離位に当り、日は中天に到りて熾烈なれば、曬成する所は便ち乾肉なり。乾は金に属して色黄なり。だから「得黄金」。「貞」は正を守るなり、「厲」は危懼なり。六五は一変して正を得。だから咎を受けず。王弼は義理より立論す。「乾肉」は其の堅硬を取り、「黄」は其の中に居るを取り、「金」は其の剛強を取る。六五は陰を以て陽に居り、柔を以て剛を承く。それを以て物を咬みに往けば、対方もまた服気せず。だから「噬乾肉」。然而それは身に尊位に処りてまた中を得るは、能く誅戮を施行する人なり。立身は正ならざるもなお能く刑を行うは、剛強の対方に勝てばこそ。咬む所の対象は心服せざるも、それは中に居るの徳に憑りて終竟取勝す。だから「噬乾肉得黄金」。自身は位に当らざるも、刑戮は施行当を得。だから正を守り戒懼すと雖も、咎を受けず。《象伝》にいう。正を守り戒懼して過咎なきは、処置当を得ればこそ。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。これは陰爻の前来して正位に端居し、しかるがゆえに陽爻に対して威逼を構成するを言う。陰を以て陽を威逼して其の位に端居するも、なお咎を受けず。それが下位より上位に升到し、中道を失わざればこそ。だから《象伝》はそれを「得当」と称す。
上九:何校滅耳,凶。荀爽曰:為五所何,故曰“何校”。據五應三,欲盡滅坎。上體坎,為耳。故曰“滅耳凶”。上以不正,侵欲無已,奪取異家,惡積而不可掩,罪大而不可解,故“宜凶”矣。鄭玄曰:離為槁木;坎為耳,木在耳上,“何校滅耳”之象也。《象》曰:何校滅耳,聰不明也。《九家易》曰:當據離坎,以為聰明。坎既不正,今欲滅之。故曰“聰不明也”。
《噬嗑》上九の爻辞にいう。肩上に枷を扛ぎて、耳朵を遮没す。凶険なり。荀爽の説明では、上九は六五に荷負せらる。だから「何校」。それは六五に凌駕して下に六三に応じ、坎体を完全に消滅せんと欲す。上卦は坎を成し、坎は耳を象徴す。だから「滅耳凶」。上九は立身正ならず、侵奪の欲望に止境なく、別家の物を掠取し、悪行は掩盖する能わざるに積累し、罪過は解脱する能わざるに重大なり。だから理の当に凶険なるべし。鄭玄は取象を以て説を立つ。離は枯木を象徴し、坎は耳を象徴す。木は耳朵の上に架す。まさに「何校滅耳」の物象である。《象伝》にいう。枷を扛ぎて耳朵を遮没するは、聴覚明ならざればこそ。《九家易》の説明では、もとまさに離の明と坎の聡とに憑藉して耳聡目明を構成すべし。今坎すでに正ならず、上九はまたそれを消滅せんと欲す。だから「聡不明」という。
賁卦
《序卦》曰:物不可以苟合而已,故受之以賁。賁者,飾也。崔覲曰:言物不可苟合於刑,當須以文飾之,故受之以賁。(離下艮上)。賁:亨。虞翻曰:泰上之乾二,乾二之坤上,柔來文剛,陰陽交,故“亨”也。小利有攸往。虞翻曰:小謂五。五失正,動得位。體離,以剛文柔。故“小利有攸往”。鄭玄曰:賁,文飾也。離為日,天文也。艮為石,地文也。天文在下,地文在上,天地二文,相飾成賁者也。猶人君以剛柔仁義之道飾成其德也。剛柔雜,仁義合,然後嘉會禮通,故“亨”也。卦互體坎艮,艮止於上,坎險於下,夾震在中,故不利大行,小有所之,則可矣。
《序卦伝》にいう。万物はただ草率に凑合する可からず。だから《噬嗑》の後に接するは《賁》なり。「賁」はすなわち文飾である。崔覗の説明では、これは万物はただ刑法に頼りて苟且相合する能わず、なお文采を以て修飾を加うるを須うを言う。だから《賁》卦に続く。《賁》卦は下は離上は艮。卦辞にいう。亨通。虞翻は卦変に依って解く。《賁》は《泰》卦より変じ来り、《泰》の上六は乾の第二位に下り、乾の九二は坤の上位に上る。柔は来りて剛を文飾し、陰陽交錯す。だから「亨」。卦辞また「小利有攸往」という。虞翻の説明では、「小」は六五を指す。六五は正を失い、一動すれば便ち位を得、処る所は離体に為り、これ剛を以て柔を文飾するなり。だから「小利有攸往」。鄭玄は別に発揮す。「賁」は文飾の義である。離は日を象徴し、これ天上の文采なり。艮は石を象徴し、これ地上の文采なり。天文は下、地文は上にして、天地両種の文采は互相修飾して《賁》を成す。人君の剛柔仁義の道を以て自らの徳行を修飾成就するに比す。剛と柔と交雑し、仁と義と配合し、然る後にこそ嘉美會聚・礼節通達する能くす。だから「亨」。この卦の互体に坎あり艮あり、艮は上に在りて止り、坎は下に在りて険にして、中間はまた震を夾む。だから大有作為するに利あらず。ただ小処に於て前往する有所のみ可なり。
《彖》曰:賁亨,柔來而文剛,故亨。分剛上而文柔,故小利有攸往。荀爽曰:此本泰卦。謂陰從上來,居乾之中,文飾剛道,交於中和,故“亨”也。分乾之二,居坤之上,上飾柔道,兼據二陰故“小利有攸往”矣。天文也。虞翻曰:謂五。利變之正,成巽,體離。艮為星,離日坎月,巽為高。五,天位。離為文明,日月星辰,高麗於上。故稱天之文也。文明以止,人文也。虞翻曰:人謂三。乾為人。文明,離。止,艮也。震動離明。五變據四,二五分則止文三。故以三為人文也。
《彖伝》にいう。《賁》の亨通する所以は、柔爻の前来して剛爻を文飾すればこそ。剛爻を分出して上行して柔爻を文飾せしむればこそ、小処に前往するに利あり。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。この卦はもと《泰》卦より来り、陰爻は上位より下りて乾体の中位に居り、剛健の道を文飾し、中和の気と相交わる。だから「亨」。また乾の九二を分出して坤体の上に上居せしめ、上に在りて柔順の道を文飾し、かつ上六・六五の両個の陰爻を据有す。だから「小利有攸往」。《彖伝》に「天文也」という。虞翻の説明では、これは六五を指し、それは変じて正を得れば巽を成し、処る所は離体に為る。艮は星を象徴し、離は日・坎は月、巽は高を象徴す。第五爻は天位で、離は文明を象徴し、日月星辰は高く上に附麗す。だから天の文と称す。《彖伝》に「文明以止,人文也」という。虞翻の説明では、「人」は九三を指し、乾は人を象徴す。「文明」は離、「止」は艮である。震は動きて離は明るく、六五は一変すれば便ち六四を據有し、二と五と分開し、ここに文飾して第三爻に止まる。だから九三を以て人文と為す。
觀乎天文,以察時變。虞翻曰:日月星辰,為天文也。泰震春,兌秋。賁坎冬,離夏。巽為進退,日月星辰,進退盈縮,謂朓側朏也。曆象在天成變,故“以察時變”矣。觀乎人文,以化成天下。虞翻曰:泰乾為人。五上動,體既濟。賁離象,重明麗正,故“以化成天下”也。干寶曰:四時之變,縣乎日月;聖人之化,成乎文章。觀日月而要其會通,觀文明而化成天下。
《彖伝》にいう。天上の文采を觀察し、以て四時の変化を考察す。虞翻の説明では、日月星辰はすなわち天文なり。《泰》卦中に震は春を主り兌は秋を主り、《賁》卦中に坎は冬を主り離は夏を主る。巽は進退を象徴し、日月星辰の運行に進あり退あり盈あり縮あり。すなわち暦法のいう所の月行の疾きに過ぐる「朓」・月行の遅滞する「側匿」・月初の新月の「朏」なり。これらの天象は天上に於て変化を形成す。だから「以察時変」。《彖伝》またいう。人間の文采を觀察し、以て天下を教化成就す。虞翻の説明では、《泰》卦の乾は人を象徴す。六五と上九は一動せば、卦体は便ち《既済》を成す。《賁》に離象あり、両重の光明にして正道に附麗す。だから「以化成天下」。干宝は天道と人事より立論す。四時の変化は、日月の運行に係る。聖人の教化は、礼楽文章に成る。日月を觀察して其の会合貫通の理を把握し、文明を觀察して天下を教化成就す。
《象》曰:山下有火,賁。王廙曰:山下有火,文相照也。夫山之為體,層峰峻嶺,峭嶮參差。直置其形,已如雕飾。復加火照,彌見文章。賁之象也。君子以明庶政,無敢折獄。虞翻曰:君子謂乾。離為明,坤為庶政,故“明庶政”。坎為獄,三在獄得正,故“無敢折獄”。噬嗑四不正,故“利用獄”也。
《大象伝》にいう。山下に火を燃やす。これが《賁》である。王廙の説明では、山下に火あり、文采互相輝映す。山この形体は、層巒疊嶂・陡峭参差にして、単に其の形状を看るのみですでに彫飾を経たるがごとし。さらに火光の照耀を加え、愈々紋理文章を顯出す。これまさに《賁》の卦象である。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて各種政務を昭明し、敢て軽率に案を断ぜず。虞翻の説明では、「君子」は乾を指す。離は明を象徴し、坤は衆多の政務を象徴す。だから「明庶政」。坎は牢獄を象徴し、九三は獄象の中に在りて正を得。だから「无敢折獄」。これに比べて、《噬嗑》の九四は位に当らず、かの処にこそ「利用獄」を言う。
初九:賁其趾,虞翻曰:應在震,震為足,故“賁其趾”也。舍車而徒。虞翻曰:應在艮。艮為舍,坎為車;徒,步行也。位在下,故“舍車而徒”。《象》曰:舍車而徒,義弗乘也。崔覲曰:剛柔相交,以成飾義者也。今近四棄於二比,故曰“舍車”。車士大夫所乘,謂二也。四乘於剛,艮止其應,初全其義,故曰“而徒”。徒,塵賤之事也。自飾其行,故曰“賁其趾”。趾,謂初也。王肅曰:在下,故稱趾。既舍其車,又飾其趾,是徒步也。
《賁》卦初九の爻辞にいう。其の脚趾を文飾す。虞翻の説明では、初九の応ずる所の爻は震体に在り、震は足を象徴す。だから「賁其趾」。爻辞続いて「舍車而徒」という。虞翻の説明では、応ずる所は艮に在り、艮に捨棄の象あり、坎は車を象徴し、「徒」はすなわち步行である。初九は位最下に処る。だから車子を捨棄して徒歩すという。《象伝》にいう。車を捨て歩行するは、道義に按ずればもと乘坐すべからざればこそ。崔覗の説明では、剛柔相交じてこそ文飾の義を成就する能くす。今初九は六四に親近して九二と比鄰するを捨棄す。だから「舍車」。車子は士大夫の乘る所で、指す所はまさに九二なり。六四は陽剛に凌乘し、艮またそれと初九の相応を阻止す。初九はここに自らの節義を保全す。だから「而徒」。徒歩は卑賤労苦の事で、初九はこれを以て自ら行為を修飾す。だから「賁其趾」。「趾」は指す所はすなわち初爻なり。王肅は補充す。初九は最下位に在る。だから「趾」と称す。すでに車子を捨棄し、また脚趾を文飾す。見る可くこれは徒歩にして行くなり。
六二:賁其須。《象》曰:賁其須,與上興也。侯果曰:自三至上,有頤之象也。二在頤下,須之象也。二無其應,三亦無應,若能上承於三,與之同德,雖俱無應,可相與而興起也。九三:賁如濡如,永貞吉。《象》曰:永貞之吉,終莫之陵也。盧氏曰:有離之文以自飾。故曰“賁如”也。有坎之水以自潤,故曰“濡如”也。體剛履正,故“永貞吉”。與二同德,故“終莫之陵”也。
《賁》卦六二の爻辞にいう。其の鬍鬚を文飾す。《象伝》にいう。鬍鬚を文飾するは、上の九三に随いて一同に興起せんと欲すればこそ。侯果の説明では、第三爻より上爻に至るまで《頤》卦の象を構成し、六二は口腮の下に処る。まさに鬍鬚の象なり。六二に相応の爻なく、九三にも相応の爻なし。もし能く上に九三を承奉してそれと同心同徳ならば、両者と雖も皆正応なくとも、また互相扶持して一同に興起する可し。九三の爻辞にいう。文采煥発し、潤沢にして光有り。長久に正を守れば吉祥なり。《象伝》にいう。長久に正を守るの吉祥は、終竟彼を欺凌する人なければこそ。盧氏の説明では、九三に下卦離の文采ありて以て自らを修飾す。だから「賁如」。互体坎の水ありて以て自らを潤沢す。だから「濡如」。それは陽を以て陽に居り、体質剛健にして処る所正を得。だから「永貞吉」。また六二と同徳相亲す。だから「終莫之陵」。
六四:賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。王弼曰:有應在初。三為寇難,二志相感,不獲交通。欲靜則失初之應,欲進則懼三之難,故或飾或素。內懷疑懼,鮮潔其馬,翰如以待。雖履正位,未果其志。匪緣寇隔,乃為婚媾,則終無尤也。陸績曰:震為馬,為白,故曰“白馬翰如”。案:皤亦白,素之貌也。《象》曰:六四,當位疑也。案:坎為盜,故疑。當位乘三,悖禮難飾,應初遠陽,故曰“當位疑也”。匪寇婚媾,終無尤也。崔覲曰:以其守正待應,故“終無尤也”。
《賁》卦六四の爻辞にいう。また文飾を加えまた素白を存し、白馬は奔馳して飛ぶがごとし。来るは強寇に非ずして、求婚の人なり。王弼の説明では、六四の正応は初九に在るも、九三は中間に横在して寇難と成り、両心は相感ずれど往來する能わず。安静にして動かざらんと欲すれば初九との相応を失い、前進せんと欲すれば九三の阻難を畏懼す。だから時に飾を加え時に素を守り、内心は疑懼を懐き、ただ馬匹を潔浄鮮亮に刷洗し、首を昂げて等待す。それは身に正位に居ると雖も、心願はいまだ実現する能わず。一旦阻隔する者の強寇に非ずして、前来して婚配を求むる人なるを看清せば、最終に便ち過失あらざらん。陸績は取象より補充す。震は馬を象徴し、また白色を象徴す。だから「白馬翰如」。李鼎祚の案語にいう。「皤」もまた白なり。素浄の様である。《象伝》にいう。六四は位に当りて心に疑懼を存す。李鼎祚の案語の解釈では、坎は盗寇を象徴す。だから疑を生ず。六四は位に当るも九三に乘凌し、礼節に違背して文飾し難く、初九と相応じてまた陽剛に遠離す。だから「当位疑也」。經文に「匪寇婚媾,終无尤也」という。崔覗の説明では、まさに六四の正道を守持し静かに正応を待てばこそ、最終に過失あらざるを得ん。
六五:賁於邱園,束帛戔戔,吝。終吉。虞翻曰:艮為山。五半山,故稱邱;木果曰園,故“賁於邱園”也。六五失正,動之成巽。巽為帛、為繩。艮手持,故“束帛”。以艮斷巽,故“戔戔”。失位無應,故“吝”。變而得正,故“終吉”矣。《象》曰:六五之吉,有喜也。荀爽曰:艮,山。震,林。失其正位,在山林之間,賁飾邱陵,以為園圃,隱士之象也。五為王位,體中履和,勤賢之主,尊道之君也。故曰“賁於邱園,束帛戔戔”。君臣失正,故“吝”。能以中和飾上成功,故“終吉”而“有喜也”。虞翻曰:五變之陽,故有喜。凡言喜慶,皆陽爻。束帛戔戔,委積之貌。案:六五離爻,離為中女。午為蠶絲,束帛之象。
《賁》卦六五の爻辞にいう。山丘園圃の間に於て文飾す。成束の繒帛は一疊々として陳列す。吝惜を顯すと雖も、最終に吉祥なり。虞翻は取象を以て解く。艮は山を象徴し、六五は山の半腰に処る。だから「邱」と称す。果木を種植するの地を「園」と称す。だから「賁于邱園」。六五は陰を以て陽に居りて正を失い、一動すれば便ち巽を成す。巽は帛を象徴し、また繩を象徴し、艮は手持を象徴す。だから「束帛」。艮の止性を以て巽繩を截断すれば、帛は遂に一段一段と成る。だから「戔戔」。それは位を失いてまた正応なし。だから「吝」。一変して正を得。だから「終吉」。《象伝》にいう。六五の吉祥は、喜慶有ればこそ。荀爽は乾升坤降の義に依りて人事より説を立つ。艮は山、震は林である。六五は正位を失い、身に山林の間に在り、丘陵を修飾を加えて園圃を闢く。まさに隠士の象徴である。第五爻は王位で、六五は中に居りて行事和順なり。これ勤く賢士を求むる君主・大道を尊崇する国君なり。だから「賁于邱園,束帛戔戔」といい、彼の束帛の礼を以て山林の隠逸を延聘するを指す。君臣皆正位に当らず。だから「吝」。但し彼は能く中和の徳を以て上に在りて文飾して事功を成就す。だから「終吉」にして「有喜」。虞翻はまた補充す。六五は一変して陽と為る。だから喜あり。およそ喜慶を講ずるは皆陽爻を指す。「束帛戔戔」は、繒帛堆積の様である。李鼎祚の案語にいう。六五は離卦の爻で、離は中女を象徴す。午位は蚕糸を主る。まさに束帛の象なり。
上九:白賁,無咎。虞翻曰:在巽上,故曰“白賁”。乘五,陰變而得位,故“無咎”矣。《象》曰:白賁無咎,上得志也。干寶曰:白,素也。延山林之人,採素士之言,以飾其政,故“上得志”也。虞翻曰:上之五得位,體成既濟,故曰“得志”。坎為志也。
《賁》卦上九の爻辞にいう。素白を以て文飾と為せば、咎を受けず。虞翻の説明では、上九は巽の上に居り、巽の色は白なり。だから「白賁」。それは六五に乘凌し、六五は一変すれば各爻各々位に当る。だから咎を受けず。《象伝》にいう。素白を飾と為して過咎なきは、上に在る者心志を実現せればこそ。干宝は史事政教より立論す。「白」はすなわち素朴である。上に在る者は山林の隠逸の人を延請し、布衣寒士の言論を採納し、以て自らの政教を修飾す。だから「上得志」。虞翻は別にいう。上九は第五位に下れば便ち正を得、卦体は《既済》を成す。だから「得志」。坎は心志を象徴す。
剥卦
《序卦》曰:致飾然後通則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。崔覲曰:以文致飾,則上下情通,故曰“致飾然後通”也。文者致理,極而無救則盡矣。盡,猶剝也。(坤下艮上)。剝:不利有攸往。虞翻曰:陰消乾也,與夬旁通。以柔變剛,小人道長;子弒其父,臣弒其君,故“不利有攸往”也。
《序卦伝》にいう。文飾は極致を做して上下通達し、通じて尽頭に至れば便ち窮尽せり。だから《賁》卦の後に接するは《剥》なり。「剥」はすなわち剥落である。崔覗の説明では、文采を以て修飾を加えれば、上下の情意は便ち通達する能くす。だから「致飾然后通」。文采はもと条理を成就するに用いるなり。一旦極端に推して挽救するに由なければ、便ち尽頭に走到し、尽頭はまたすなわち剥落なり。《剥》卦は下は坤上は艮。卦辞にいう。前往する所有るに宜しからず。虞翻は十二消息と旁通の法に依りて説を立つ。《剥》は陰気の乾陽を消蝕する卦で、《夬》卦と旁通す。柔爻を以て剛爻を変換するは、小人の道は日に増長し、兒子の父親を弑殺し臣子の君主を弑殺するの地步に至るまで。だから「不利有攸往」。
《彖》曰:剝,剝也。盧氏曰:此本乾卦。群陰剝陽,故名為剝也。柔變剛也。荀爽曰:謂陰外變五。五者至尊,為陰所變,故曰“剝也”。不利有攸往,小人長也。鄭玄曰:陰氣侵陽,上至於五,萬物零落,故謂之“剝也”。五陰一陽,小人極盛,君子不可有所之,故“不利有攸往”也。
《彖伝》にいう。《剥》は、すなわち剥落なり。盧氏の説明では、この卦はもと乾卦より来り、衆多の陰爻は陽爻を剥蝕す。だから取名して《剥》と為す。《彖伝》続いて「柔変剛也」という。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。これは陰気の外に在りて一路侵変して第五爻に至るを言う。第五爻は至尊の位で、竟に陰に変換せらる。だから「剥」と称す。《彖伝》また「不利有攸往,小人長也」という。鄭玄の説明では、陰気は陽気を侵犯し、一直に第五爻に上昇す。万物しかるがゆえに凋零飘落す。だから「剥」と称す。この時五個の陰爻はただ一個の陽爻を残すのみ。小人の勢力は極めて興盛なり。君子は前往する所有る可からず。だから「不利有攸往」。
順而止之,觀象也。虞翻曰:坤順艮止,謂五消觀成剝,故“觀象”也。君子尚消息盈虛,天行也。虞翻曰:乾為君子,乾息為盈,坤消為虛,故“君子尚消息盈虛,天行也”。則出入無疾,反復其道。易虧巽消艮,出震息兌,盈乾虛坤,故於是見之耳。
《彖伝》にいう。形勢に順応して停止して進まざるは、これ卦象を觀察して得たる道理なり。虞翻の説明では、坤の性は柔順、艮の性は静止である。陰気は第五爻に消蝕し、《觀》より再び一歩を進めば《剥》を成す。だから「觀象」。《彖伝》またいう。君子は消長盈虚の規律を崇尚す。これ天道の運行なればこそ。虞翻は消息卦に依って解く。乾は君子を象徴し、乾陽の生長は「盈」に為り、坤陰の消退は「虚」に為る。だから「君子尚消息盈虚,天行也」。これもまたまさに《復》卦のいう所の「出入无疾」「反复其道」に合す。陽気は巽に於て虧損し艮に於て消尽し、震に於て出生し兌に於て滋長し、充盈して乾と為り虚空して坤と為る。だからこの一往一復の間より便ち天道を見る能くす。
《象》曰:山附於地,剝。陸績曰:艮為山,坤為地。山附於地,謂高附於卑,貴附於賤,君不能制臣也。上以厚下安宅。盧氏曰:上,君也。宅,居也。山高絕於地。今附地者,明被剝矣。屬地時也。君當厚錫於下,賢當卑降於愚,然後得安其居。
《大象伝》にいう。山は地面上に依附す。これが《剥》である。陸績の説明では、艮は山を象徴し、坤は地を象徴す。山は地に依附するは、高きの低きに依附し貴きの賤きに依附するなり。君主すでに臣下を節制する能わざるを象徴す。《大象伝》続いていう。上に在る者はこれに因りて下民を厚待してこそ、其の位に安居する能くす。盧氏の説明では、「上」は君主を指し、「宅」は居所を指す。山はもと高聳して地面と判然の別あり。今却って地に貼附す。見る可くすでに剥蝕せられたり。これまさに山の地に帰属する時なり。君主はまさに厚く下民を賞賜し、賢者はまさに謙卑にして愚者に俯就し、然る後にこそ安穏に自らの居処を保住する能くす。
初六:剝床以足,蔑貞凶。虞翻曰:此卦坤變乾也。動初成巽,巽木為床;復震在下,為足,故“剝床以足”。蔑,無。貞,正也。失位無應,故“蔑貞凶”。震在陰下,《象》曰:以滅下也。《象》曰:剝床以足,以滅下也。盧氏曰:蔑,滅也。坤所以載物,床所以安人。在下,故稱“足”。先從下剝,漸及於上,則君政崩滅。故曰“以滅下也”。
《剥》卦初六の爻辞にいう。床身を剥落するは床脚より始まる。正道は滅せられ、凶険なり。虞翻の説明では、この卦は坤陰の乾陽を変換して成れるなり。初爻は一動すれば便ち巽を成し、巽は木に属し、木は床を象徴す。下面にまた《復》卦の震あり、震は足を象徴す。だから「剥床以足」。「蔑」は無、「貞」は正である。初六は位を失いてまた正応なし。だから「蔑貞凶」。震は陰爻の下に陥在す。だから《象伝》に「以滅下也」という。《象伝》にいう。床身を剥落するは床脚より始まるは、下面より先に毀滅を起こればこそ。盧氏の説明では、「蔑」はすなわち滅なり。坤は以て物を載するに用い、床は以て人を安頓するに用いる。初爻は下に在る。だから「足」と称す。剥蝕は先ず下面より始まり、漸次上層に波及す。君主の政権は便ち崩毀せんとす。だから「以滅下也」。
六二:剝床以辨,蔑貞凶。虞翻曰:指間稱辨剝。剝二成艮。艮為指,二在指間。故“剝床以辨”。無應在剝,故“蔑貞,凶”也。《象》曰:剝床以辨,未有與也。鄭玄曰:足上稱辨,謂近膝之下。屈則相近,信則相遠,故謂之辨。辨,分也。崔覲曰:今以床言之,則辨當在第足之間,是床梐也。“未有與”者,言至三則應,故二“未有與”也。六三:剝無咎。《象》曰:剝之無咎,失上下也。荀爽曰:眾皆剝陽,三獨應上,無剝害意,是以“無咎”。《象》曰:失上下也。
《剥》卦六二の爻辞にいう。床身を剥落するは床板と床脚の相接する処に至る。正道は滅せられ、凶険なり。虞翻の説明では、指節の間を「辨」と称す。《剥》卦の第二爻は艮を成し、艮は手指を象徴し、六二はまさに指節の間に処る。だから「剥床以辨」。それは正応なくしてまた剥落の世に身を処す。だから「蔑貞,凶」。《象伝》にいう。剥落して床辨に至るは、いまだそれと相応相助する人あらざればこそ。鄭玄は人体を以て象を取る。脚の上面の部位を「辨」と称し、膝蓋以下に靠近するの処を指す。彎曲すれば上下相近づき、伸直すれば上下相遠ざかる。だから「辨」と称し、「辨」はすなわち分界なり。崔覗は別に床に就きていう。「辨」はまさに床板と床脚の間に在るべく、すなわち床の横木である。いわゆる「未有与」は、第三爻に至りてこそ相応あるを言う。だから六二はなお「未有与」。六三の爻辞にいう。剥落の中に処りて咎を受けず。《象伝》にいう。六三は剥落して過咎なきは、それが上下の同類に離れればこそ。荀爽の説明では、其の余の陰爻は皆陽爻を剥蝕す。独り六三は上九と相応じ、陽剛を剥害するの用心なし。だから「咎を受けず」。《象伝》はしかるがゆえにそれを「失上下」という。
六四:剝床以膚,凶。虞翻曰:辨上稱膚。艮為膚。以陰變陽,至四乾毀,故“剝床以膚”。臣弒君,子弒父,故“凶”矣。王肅曰:在下而安人者,床也。在上而處床者,人也。坤以象床,艮以象人。床剝盡,以及人身,為敗滋深,害莫甚焉。故曰:“剝床以膚,凶”也。《象》曰:剝床以膚,切近災也。崔覲曰:床之膚謂薦席,若獸之有皮毛也。床以剝盡,次及其膚,剝於大臣之象,言近身與君也。
《剥》卦六四の爻辞にいう。剥落すでに皮膚に及ぶ。凶。虞翻の説明では、床辨の上を「膚」と称し、艮は膚を象徴す。陰爻を以て陽爻を変換し、第四爻に至りて乾体すでに毀壊せらる。だから「剥床以膚」。これは便ち臣子の君を弑し兒子の父を弑するの地步に到る。だから「凶」。王肅は人事より譬を取る。下に在りて人を安頓するは床、上に在りて床に躺臥するは人である。坤は床を取象し、艮は人を取象す。床すでに剥尽して人の身に波及す。敗壊は愈々深く、禍害はこれより重きはなし。だから「剥床以膚,凶」。《象伝》にいう。剥落して皮膚に及ぶは、災禍すでに身に貼せればこそ。崔覗の説明では、床の「膚」は床上に鋪する薦席を指し、野獣の身に皮毛の長ずるがごとし。床身剥尽せば、接いで便ち薦席に剥る。これは剥落すでに大臣に及ぶの象徴で、禍患すでに君主自身に逼近するを説明す。
六五:貫魚,以宮人寵,無不利。虞翻曰:剝消觀五。巽為魚,為繩;艮手持繩貫巽,故“貫魚”也。艮為宮室,人謂乾;五以陰代陽,五貫乾,為寵人,陰得麗之,故“以宮人寵”。動得正成觀,故“無不利”也。何妥曰:夫剝之為卦,下比五陰,駢頭相次,似貫魚也。魚為陰物,以喻眾陰也。夫宮人者,后夫人嬪妾,各有次序,不相瀆亂,此則貴賤有章,寵御有序。六五既為眾陰之主,能有貫魚之次第,故得“無不利”矣。《象》曰:以宮人寵,終無尤也。崔覲曰:魚與宮人皆陰類,以比小人焉。魚大小一貫,若后夫人嬪婦御女,小大雖殊,寵御則一,故“終無尤也”。
《剥》卦六五の爻辞にいう。繩を以て一串の魚を串起するがごとく、宮中の婦人を率いて依次に君王の寵幸を承受す。不利なき所なし。虞翻は消息卦に依って解く。《剥》は陰気が《觀》卦の第五爻より再び一歩を消して成れるなり。巽は魚を象徴し、また繩を象徴し、艮は手を象徴す。手は繩を持ちて巽を貫穿す。だから「貫魚」。艮は宮室を象徴し、「人」は乾を指す。六五は陰爻を以て陽位を取代し、乾体を串起して受寵の人と成る。陰は陽に附麗するを得。だから「以宮人寵」。六五は一動すれば便ち正を得て《觀》卦を成す。だから「无不利」。何妥は卦体に就きて説を立つ。《剥》卦は下面に五個の陰爻を並列し、一個接一個にして頭尾相次ぐ。串起した魚に相似たり。魚は陰物に属し、以て衆陰に比喩す。いわゆる宮人は、王后・夫人・嬪妃侍妾で、各々次第あり、相褻乱せず。ここに貴賤分明にして寵幸に序あり。六五はすでに衆陰の主なれば、彼女らをして貫魚のごとく井然有序ならしむる能くす。だから能く「无不利」。《象伝》にいう。宮人を率いて寵を受くるは、終竟過失あらざるなり。崔覗の説明では、魚と宮人は皆陰類に属し、以て小人に比喩す。魚は大小を論わず皆一条の繩に串在す。まさに王后・夫人・嬪婦・御女のごとく、尊卑は同じからざるも、寵幸を承受するは一視同仁なり。だから「終无尤也」。
上九:碩果不食。君子德車,小人剝廬。虞翻曰:艮為碩果,謂三已復位,有頤象。頤中無物,故“不食”也。夬乾為君子,為德;坤為車,為民;乾在坤,故以德為車。小人謂坤,艮為廬;上變滅艮,坤陰迷亂,故“小人剝廬”也。《象》曰:君子德車,民所載也。小人剝廬,終不可用也。侯果曰:艮為果,為廬。坤為輿。處剝之上,有剛直之德,群小人不能傷害也。故果至碩大,不被剝食矣。君子居此,萬姓賴安,若得乘其車輿也。小人處之,則庶方無控,被剝其廬舍,故曰“剝廬,終不可用”矣。
《剥》卦上九の爻辞にいう。碩大なる果実は食せられず。君子は徳を以て車と為し、小人は則ち房舍までも剥毀せらる。虞翻の説明では、艮は碩大の果実を象徴す。もし六三すでに正位に回れば、卦中に便ち《頤》の象あり、而して口中に食物なし。だから「不食」。《夬》卦の乾は君子を象徴し徳を象徴し、坤は車を象徴し民を象徴す。乾は坤の上に在る。だから徳を以て車と為すという。「小人」は坤を指し、艮は廬舍を象徴す。上九は一変すれば、艮体は消滅せられ、坤陰は迷乱に陥る。だから「小人剥廬」。《象伝》にいう。君子は徳を以て車と為すは、万民の承載擁戴する所なり。小人は廬舍を剥毀すれば、終竟任用する可からず。侯果の説明では、艮は果実を象徴し、また廬舍を象徴し、坤は車輿を象徴す。上九は剥落の世の最上位に処り、剛強正直の徳を具え、衆小人はそれを傷害する能わず。だから果実は碩大に長じて剥食せられず。君子はこの位置に居れば、万姓は仰頼して安寧を得、その車輿に坐上するがごとし。小人はこの位置を占據すれば、四方は統攝を失い、自らの房舍までも剥毀せらる。だから「剥廬,終不可用」という。
巻六
復卦
《序卦》曰:物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復也。崔覲曰:夫易窮則有變,物極則反於初。故剝之為道,不可終盡,而受之於復也。(震下坤上)。復:亨。何妥曰:復者,歸本之名。群陰剝陽,至於幾盡,一陽來下,故稱反覆。陽氣復反,而得交通,故云“復亨”也。出入無疾,朋來無咎。虞翻曰:謂出震成乾,入巽成坤。坎為疾,十二消息,不見坎象,故“出入無疾”。兌為朋,在內稱來;五陰從初,初陽正息而成兌,故“朋來無咎”矣。
《序卦伝》にいう。万物は一直に剥落して尽頭に至る能わず。《剥》卦は最上爻に剥り至れば便ち最下に返回するを要す。だから《復》卦に続く。崔覗の説明では、《周易》の理は、窮極すれば便ち変化し、事物は極点に到れば便ち本初に返回す。だから剥落の道は一直に窮尽する能わず、隨後便ち《復》卦に接上す。《復》卦は下は震上は坤。卦辞にいう。亨通。何妥の説明では、「復」は本根に返帰するの名称である。衆陰は陽爻を剥蝕して幾ほど剥尽せんとす。一個の陽爻は下面より回來す。だから「反复」と称す。陽気は重新に返回し、天地は交通を得。だから「復亨」。卦辞また「出入无疾,朋来无咎」という。虞翻は十二消息卦に依って解く。陽気は震に出でて乾を生成し、巽に入りて坤を生成す。坎は疾患を象徴するも、而して十二消息卦の循環の中には并びに坎象を出現せず。だから「出入无疾」。兌は朋友を象徴し、内卦に在るを「来」と称す。五個の陰爻は皆初爻に順從し、初爻の陽気はまさに滋長して兌を成さんとす。だから「朋来咎を受けず」という。
反復其道,七日來復。案:易軌:一歲十二月,三百六十五日四分日之一。以坎、震、離、兌四方正卦,卦別六爻,爻生一氣。其餘六十卦,三百六十爻,爻主一日,當周天之數,餘五日四分日之一,以通閏餘者也。剝卦陽氣盡於九月之終,至十月末,純坤用事。坤卦將盡,則復陽來。隔坤之一卦六爻。為六日。復來成震,一陽爻生,為七日。故言“反復其道,七日來復”。是其義也。天道玄邈,理絕希慕,先儒已論,雖各指於日月,後學尋討,猶未測其端倪。今舉約文,略陳梗概,以候來悊,如積薪者也。
卦辞にいう。往復循環に其の常道あり、七天すれば便ち重新に回來す。李鼎祚の案語は卦気の法に依りて推算す。《易》の暦軌に按ずれば、一年十二箇月、共に三百六十五又四分の一日。坎・震・離・兌を以て四方正卦と為し、每卦六爻、每爻は一個の節気を主る。其の余の六十卦は共に三百六十爻、每爻は一日を主り、まさに周天の数に合し、残る五又四分の一日は、以て閏余を通融す。《剥》卦の陽気は九月の末に耗尽し、十月底に至りて、純坤は当令用事す。坤卦まさに尽きんとして、《復》卦の陽気は便ち回來す。中間に坤这一卦の六爻を隔て、すなわち六日なり。《復》卦は来到して震を成し、一個の陽爻新生せば、便ち第七日なり。だから「反复其道,七日来復」といい、講ずる所まさにこの道理である。天道は幽深遼遠にして、其の理は企及し難し。前代の儒者すでに討論あり、各々日を以て月を以て説を立つると雖も、後来の学者は反復尋繹して、なお頭緒に摸着せず。今ただ簡要の文字を挙出し、略々梗概を陳し、以て後世の明達の士を待つ。堆柴するがごとく、後来の者は自然上層に居らん。
利有攸往。虞翻曰:陽息臨成乾,小人道消,君子道長,故“利有攸往”矣。《彖》曰:復亨,虞翻曰:陽息坤,與垢旁通。剛反交初,故“亨”。剛反動,而以順行,虞翻曰:剛從艮入坤,從反震,故曰“反動”也。坤順震行,故“而以順行”。陽不從上來反初,故不言剛自外來。是以明不遠之復,入坤出震義也。
卦辞に「利有攸往」という。虞翻は消息卦に依って解く。陽気は滋長し、《臨》卦を経て最終に乾を成す。小人の道は消退し、君子の道は生長す。だから「利有攸往」。《彖伝》に「復亨」という。虞翻の説明では、《復》は陽気の坤中に於て滋生する卦で、《姤》卦と旁通す。陽剛は返回して初位に交わる。だから「亨」。《彖伝》に「剛反動,而以順行」という。虞翻の説明では、陽剛は艮より坤に入り、また坤より返回して震を成す。だから「反動」。坤性は柔順にして震は其の中に於て運行す。だから「而以順行」。陽は并びに上面より下りて初位に返回するに非ず。だから《彖伝》は「剛自外来」を言わず。これまさに「不遠之復」を點明せんとするなり。すなわち陽気の坤に入りて復た震に出づるの意である。
是以出入無疾,朋來無咎。侯果曰:陽上出,君子道長也。陰下入,小人道消也。動而以行,故“出入無疾,朋來無咎”矣。反復其道,七日來復,天行也。虞翻曰:謂乾成坤,反出於震而來復,陽為道,故“復其道”。剛為晝日。消乾六爻。為六日。剛來反初,故“七日來復,天行也”。侯果曰:五月天行至午陽復而陰升也;十一月天行至子,陰復而陽升也。天地運往,陰陽升復,凡歷七月,故曰“七日來復”。此天之運行也。豳詩曰:一之曰觱發,二之日栗烈。一之日,周之正月也;二之日,周之二月也。則古人呼月為日明矣。利有攸往,剛長也。荀爽曰:利往居五,剛道浸長也。
《彖伝》に「是以出入无疾,朋来无咎」という。侯果の説明では、陽気は上に向かい出生す。これ君子の道の生長なり。陰気は下に向かい退入す。これ小人の道の消退なり。かくのごとく運動前行すればこそ「出入无疾,朋来咎を受けず」。《彖伝》に「反复其道,七日来復,天行也」という。虞翻の説明では、乾陽は消尽して坤を成し、また返りて震に出でて回來す。陽はすなわち「道」なり。だから「復其道」。陽剛は白昼を象徴し、乾の六爻を消去すればすなわち六日、陽剛は回來して初位に返帰す。だから「七日来復,天行也」。侯果は別に月份を以て推算す。五月は天道は午位に運行し、陽気は此に到りて返転して陰気は始めて上昇す。十一月は天道は子位に運行し、陰気は此に到りて返転して陽気は始めて上昇す。天地は運転し、陰陽は升降往復し、一共に七箇月を経歴す。だから「七日来復」といい、これがすなわち上天の運行なり。《詩経・豳風・七月》に「一之日觱発,二之日栗烈」という。「一之日」は周暦の正月で、「二之日」は周暦の二月である。見る可く古人はもと月を以て日と称せり。《彖伝》に「利有攸往,剛長也」という。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。初九は前往して第五位に居るに宜し。これは陽剛の道の漸次生長するなり。
復,其見天地之心乎。虞翻曰:坤為復。謂三復位時,離為見,坎為心。陽息臨成泰,乾天坤地。故“見天地之心”也。荀爽曰:復者,冬至之卦。陽起初九,為天地心。萬物所始,吉凶之先,故曰“見天地之心”矣。
《彖伝》にいう。《復》卦に從うは、蓋し天地生生の本心を見る可からん。虞翻の説明では、坤に回復の象あり。六三の正位に回るに当りては、卦中の離は見を象徴し坎は心を象徴す。陽気は継続して滋長し、《臨》によりて《泰》を成し、乾は天・坤は地なり。だから「見天地之心」。荀爽は卦気に依って解く。《復》は冬至の主る所の卦で、陽気は初九より発動す。この一点の陽気はすなわち天地の心なり。それは万物の開端・吉凶の先兆なり。だから「見天地之心」という。
《象》曰:雷在地中,復。先王以至日閉關,商旅不行,后不省方。虞翻曰:先王謂乾初。至日冬至之日。坤闔為閉關。巽為商旅,為近利市三倍,姤巽伏初,故商旅不行。姤象曰:后以施命誥四方。今隱復下,故后不省方,復為陽始,姤則陰始。天地之始,陰陽之首。已言先王,又更言後,後,君也。六十四卦,唯此重耳。宋衷曰:商旅不行,自天子至公侯,不省四方之事,將以輔遂陽體,成致君道也。制之者,王者之事。奉之者,為君之業也。故上言先王而下言後也。
《大象伝》にいう。雷は地中に潜蔵す。これが《復》である。先王は冬至この日に関口を閉鎖し、商旅は往來を停止し、君主もまた四方を巡察せず。虞翻の説明では、「先王」は乾の初爻を指し、「至日」はすなわち冬至の那の一日なり。坤に閉合の象あり。だから「閉関」。巽は商旅を象徴し、また集市に臨近して利を三倍にするを象徴す。《姤》卦の巽は《復》の初位に潜伏す。だから商旅は出行せず。《姤》卦の《大象伝》に「后以施命誥四方」という。今巽は《復》卦の下に隠伏す。だから「后不省方」。《復》は陽気の始め、《姤》は陰気の始めで、皆天地の開端・陰陽の起首なり。此処すでに「先王」を説き、また再び「后」を説く。「后」はすなわち君主である。六十四卦の中、ただこの一卦のみかくのごとく重複して称説す。宋衷は政教より立論す。商旅は出行せず、上は天子より下は公侯に至るまで四方の事を過問せず。初生的陽気を扶助し、君と為るの道を成就せんが為なり。この制度を制定するは、王者の事である。この制度を遵奉するは、人君の職分である。だから上文に「先王」といい下文に「后」という。
初九:不遠復,無祗悔,元吉。崔覲曰:從坤反震,而變此爻,不遠復也。復而有應故獲“元吉”也。《象》曰:不遠之復,以修身也。侯果曰:祗,大也。往被陰剝,所以有悔。覺非遠復,故無大咎。以此修身,顏子之分矣。六二:休復,吉。《象》曰:休復之吉,以下仁也。王弼曰:得位居中。比初之上,而附順之下,仁之謂也。既處中位,親仁善鄰,復之休也。
《復》卦初九の爻辞にいう。遠からずして返回すれば、大なる悔恨なく、大いに吉祥なり。崔覗の説明では、坤より返回して震を成すは、まさにこの一爻を変出するなり。すなわち「不遠復」。返回の後また相応の爻あり。だから「元吉」を獲得す。《象伝》にいう。遠からずして返回するは、以て自身を修養するに用いればこそ。侯果の説明では、「祗」は大の意である。前往すれば則ち陰気に剥蝕せらる。だから悔恨あるべし。一たび対ならざるを覚察すれば便ち遠からずして返回す。だから大なる過咎なし。この種の態度を以て身を修むれば、すなわち顔回一類の人の本分なり。六二の爻辞にいう。美善に返回すれば、吉祥。《象伝》にいう。美善に返回するの吉祥は、それが能く仁徳に俯就するに在ればこそ。王弼の説明では、六二はすでに位に当りてまた下卦の中位に居り、初九の上に緊隣し、甘んじて下に在る陽剛に依附順從す。これを仁と称す。それはすでに中位に処り、また仁者に親近し隣爻を善待す。だからこれは返回の中の最も美善なるなり。
六三:頻復,厲,無咎。虞翻曰:頻蹙也。三失位,故“頻復,厲”。動而之正,故“無咎”也。《象》曰:頻復之厲,義無咎也。侯果曰:處震之極,以陰居陽,懼其將危,頻蹙而復,履危反道,義亦無咎也。六四:中行獨復。《象》曰:中行獨復,以從道也。虞翻曰:中謂初。震為行。初一陽爻,故稱“獨”。四得正應初,故曰“中行獨復,以從道也”。俗說以四位在五陰之中,而獨應復,非也。四在外體,又非內象,不在二五,何得稱“中行”耳?
《復》卦六三の爻辞にいう。眉を皺めて一再に返回す。危険あれど、咎を受けず。虞翻の説明では、「頻」はすなわち頻蹙・皺眉である。六三は陰を以て陽に居りて位を失う。だから「頻復,厲」。一動して正位に回る。だから「咎を受けず」。《象伝》にいう。一再に返回するの危険は、道義に就きて言えば并びに過咎なし。侯果の説明では、六三は震体の頂端に処り、陰爻を以て陽位に居り、まさに危難あらんとするを害怕し、ここに愁眉不展にして一再に返回す。危地を踏むと雖も能く正道に回帰す。道義に按じてもまた過咎あらず。六四の爻辞にいう。中道の上を行きて独り返回す。《象伝》にいう。中道の上を行きて独り返回するは、正道を追随せんが為なり。虞翻の説明では、「中」は初九を指し、震は行走を象徴す。初爻は唯一の一個の陽爻なり。だから「独」と称す。六四は位に当りて初九と相応ず。だから「中行独復,以從道也」。世俗の説法は六四は五個の陰爻の正中に位処し、独り初九と相応ずと認む。これは対ならず。六四は外卦に在り、また内卦の象に属せず、既に第二位に在らずまた第五位に在らず。いずくんぞ能く「中行」と称せんや。
六五:敦復,無悔。《象》曰:敦復無悔,中以自考也。侯果曰:坤為厚載,故曰“敦復”。體柔居剛,無應失位,所以有悔。能自考省,動不失中,故曰“無悔”矣。上六:迷復,凶、有災眚。虞翻曰:坤冥為迷,高而無應,故“凶”。五變正時,坎為災眚,故“有災眚”也。用行師,終有大敗,以其國君凶,虞翻曰:三復位時,而體師象,故“用行師”。陰逆不順,坤為死喪,坎流血,故“終有大敗”。姤乾為君滅藏於坤,坤為異邦,故“國君凶”矣。荀爽曰:坤為眾,故“用行師”也。謂上行師,而距於初。陽息上升,必消群陰,故“終有大敗”。國君,謂初也。受命復道,當從下升。今上六行師,王誅必加。故“以其國君凶”也。
《復》卦六五の爻辞にいう。敦厚篤実にして返回すれば、悔恨なし。《象伝》にいう。敦厚に返回して悔なきは、それが中に居りて能く自我省察すればこそ。侯果の説明では、坤に深厚載物の象あり。だから「敦復」。六五は柔弱の質を以て剛位に居り、既に相応の爻なくまた正位に当らず。もとまさに悔恨あるべし。但しそれは能く自我考察反省し、一挙一動皆中道を失わず。だから「无悔」。上六の爻辞にいう。方向を迷失して返り來る能わざれば、凶険にして、并びに天災人禍あり。虞翻の説明では、坤は幽暗昏冥なり。だから迷失を象徴す。上六は最高処に居りてまた相応の爻なし。だから「凶」。六五の変じて正を得るに及びて、卦中に坎を出現し、坎は災眚を象徴す。だから「有災眚」。爻辞続いて「用行師,終有大敗,以其国君凶」という。虞翻の説明では、六三の正位に回る時、卦体は《師》卦の象を呈現す。だから「用行師」。陰気は悖逆不順で、坤は死喪を象徴し、坎は流血を象徴す。だから「終有大敗」。《姤》卦の乾は君主を象徴す。今埋没して坤中に隠蔵し、坤また異邦を象徴す。だから「国君凶」。荀爽は乾升坤降の義に依りて別に解釈す。坤は衆人を象徴す。だから「用行師」といい、上六の兵を出して初九に抗拒するを言う。陽気は滋長上昇し、必ず群陰を消尽す。だから「終有大敗」。ここに「国君」は初九を指し、それは天命を秉受して正道を回復し、もとまさに下より上昇進むべし。今上六は兵を挙げて抗拒す。王者の誅伐は必ず其の身上に加わらん。だから「以其国君凶」。
至于十年不克征。虞翻曰:坤為至,為十年。陰逆坎臨,故“不克征”。謂五變設險,故帥師敗喪,君而無征也。何妥曰:理國之道,須進善納諫。迷而不復,安可牧民?以此行師,必敗績矣。敗乃思復,失道已遠。雖復十年乃徵,無所克矣。案:坤為先迷,故曰“迷復”。坤又為師象,故曰“行師”。坤數十,十年之象也。《象》曰:迷復之凶,反君道也。虞翻曰:姤乾為君,坤陰滅之,以國君凶,故曰“反君道”也。
爻辞の末句にいう。以て十年の久しきに至るまで兵を出して征伐する能わず。虞翻の説明では、坤は「至」を象徴し、また十年を象徴す。陰気は悖逆して坎険は逼臨す。だから「不克征」。これは六五の一変して険阻を設下するを言う。しかるがゆえに兵を統る者は敗亡し、国君もまた征伐するに力なし。何妥は治国の道より立論す。国家を治理するは必ず善人を進用し諫言を聴納するを須う。すでに迷失して返回するを知らざれば、いずくんぞ能く百姓を牧養せんや。かかる状態を以て兵を出して打仗すれば、必定大敗せん。敗れてこそ回頭せんと想うも、正道に離るることすでに遠し。縱令十年を過ぎて再び征伐するも、また何の戦果かあらん。李鼎祚の案語は補充す。坤は卦辞の中に「先迷」の説あり。だから「迷復」と称す。坤にまた師衆の象あり。だから「行師」という。坤の成数は十。まさに十年の象なり。《象伝》にいう。迷失して返り來る能わざるの凶険は、それが君と為るの道に違反するに在ればこそ。虞翻の説明では、《姤》卦の乾は君主を象徴し、坤陰はそれを消滅し去り、しかるがゆえに国君は凶を遭う。だから「反君道」という。
无妄卦
《序卦》曰:復則不妄矣,故受之以無妄。崔覲曰:物復其本,則為成實,故言復則無妄矣。(震下乾上)。無妄。何妥曰:乾上震下,天威下行,物皆絜齊,不敢虛妄也。元享,利貞。虞翻曰:遁上之初。此所謂四陽二陰,非大壯則遁來也。剛來交初,體乾,故“元亨”。三四失位,故“利貞”也。其匪正有眚,不利有攸往。虞翻曰:非正謂上也。四已之正,上動成坎,故“有眚”。變而逆乘,天命不右,故“不利有攸往”矣。
《序卦伝》にいう。能く本然に回復すれば、虚妄あらざらん。だから《復》卦の後に接するは《无妄》なり。崔覗の説明では、万物は自らの本根に回復すれば、便ち果実を結成す。だから回復せば便ち虚妄なしという。《无妄》卦は下は震上は乾。何妥の説明では、乾は上・震は下にして、上天の威厳は上より下に向かい施行し、万物皆整粛斉一にして、敢て虚妄に行事せず。卦辞にいう。大いに亨通、正を守るに宜し。虞翻は卦変に依って解く。《无妄》は《遁》卦の上爻が初位に下りて変じ来る。これがすなわちいわゆる四陽二陰の卦で、《大壯》より来るに非ざれば、すなわち《遁》より来るなり。陽剛は下りて初位に交わりて乾体を成す。だから「元亨」。三・四の両爻は位に当らず。だから「利貞」。卦辞また「其匪正有眚,不利有攸往」という。虞翻の説明では、いわゆる「不正」は指す所は上九なり。六四すでに変じて正を得、上九は再び動けば坎を成す。だから「有眚」。上九は変動の後また逆行乘凌して、天命の佑助を得ず。だから「不利有攸往」。
《彖》曰:無妄,剛自外來而為主於內。蜀才曰:此本遁卦。案:剛自上降,為主於初,故“動而健,剛中而應”也。於是乎邪妄之道消,大通以正矣,無妄大亨,乃天道恆命也。動而健,剛中而應。大享以正,天之命也。其匪正有眚,不利有攸往。虞翻曰:動,震也。健、大亨謂乾。剛中謂五,而應二。大亨以正,變四承五;乾為天,巽為命,故曰“大亨以正,天之命也”。
《彖伝》にいう。《无妄》は、陽剛の外卦より下りて来りて内卦の主爻と為れるなり。蜀才はただ卦変の来歴を點明す。この卦はもと《遁》卦より来る。李鼎祚の案語は申説す。陽剛は上位より下降し、初爻の主宰と為る。だから《彖伝》続いて「動而健,剛中而応」という。ここに邪僻虚妄の道は消退し、大いに通達して正に帰す。《无妄》の大亨は、まさに天道恒久不変の命令なり。《彖伝》に「動而健,剛中而応。大亨以正,天之命也。其匪正有眚,不利有攸往」という。虞翻の説明では、「動」は下卦震を指し、「健」と「大亨」は上卦乾を指す。「剛中」は九五を指し、それは六二と相応ず。いわゆる「大亨以正」は、六四の変じて九五を承奉するなり。乾は天を象徴し、巽は命令を象徴す。だから「大亨以正,天之命也」。
無妄之往,何之矣。虞翻曰:謂四已變,上動體屯,坎為泣血漣如,故“何之矣”。天命不右,行矣哉。虞翻曰:天,五也。巽為命。右,助也。四已變成坤,天道助順。上動,逆乘巽命。故“天命不右,行矣哉”。言不可行也。馬君云:天命不右行,非矣。
《彖伝》に「无妄之往,何之矣」という。虞翻の説明では、これは六四すでに変正し、上九は再び動けば、卦体は便ち《屯》を成し、《屯》の上六に「泣血漣如」の象あるを言う。だからなお何処に往かんと言えんや。《彖伝》また「天命不右,行矣哉」という。虞翻の説明では、「天」は九五を指し、巽は命令を象徴し、「右」はすなわち佑助である。六四すでに変じて坤を成し、天道は柔順の者を佑助す。上九は一動すれば便ち逆行して巽の象徴する所の天命を乘凌す。だから「天命不右,行矣哉」といい、其の意は有所行動する可からざるなり。馬融はこの一句を「天命不右行」と読む。これは錯なり。
《象》曰:天下雷行,物與無妄,《九家易》曰:天下雷行,陽氣普遍,無物不與,故曰“物與”也。物受之以生,無有災妄,故曰“物與無妄”也。虞翻曰:與,謂舉。妄,亡也。謂雷以動之,震為反生,萬物出震,無妄者也,故曰“物與無妄”。《序卦》曰:復則不妄矣。故受之以無妄。而京氏及俗儒,以為大旱之卦,萬物皆死,無所復望,失之遠矣。有無妄然後可畜,不死明矣。若物皆死,將何畜聚,以此疑也。
《大象伝》にいう。天下に雷声運行し、万物皆賦与を得て虚妄ならず。《九家易》の説明では、天下に雷声運行し、陽気は普遍に施布し、一物と雖も給与を受けざるなし。だから「物与」。万物は陽気を承受して生長し、災害虚妄なし。だから「物与无妄」。虞翻は別に解釈す。「与」は挙の意で、「妄」はすなわち亡なり。これは雷の万物を震動し、震に反生の象あり、万物は震の中より生出すを言う。まさに亡失せざるなり。だから「物与无妄」。《序卦伝》に「復則不妄矣,故受之以无妄」という。而して京房及び世俗の儒者は却って《无妄》を以て大旱の卦と為し、以て万物尽死して再び指望なしと為す。実に錯ること遠し。《序卦伝》は明らかに《无妄》あって然る後にこそ畜養する可しと言う。見る可く万物は并びに死せず。もし万物皆死せば、なお何を以て畜積聚養せんや。これによりて彼らの説法の疑わしきを見出す能くす。
先王以茂對時育萬物。虞翻曰:先王謂乾。乾盈為茂,艮為對時。體頤養象,萬物出震。故“以茂對時育萬物”。言物皆死,違此甚矣。侯果曰:雷震天下,物不敢妄;威震驚洽,無物不與,故“先王以茂養萬物”,乃對時而育矣。時泰,則威之以無妄;時否,則利之以嘉遁。是對時而化育也。
《大象伝》続いていう。先王はこれに因りて奮勉して天時に順応して以て万物を養育す。虞翻の説明では、「先王」は乾を指す。乾陽の充盈はすなわち「茂」、艮に相対応時の象あり。卦体にまた《頤》の養育の象あり、万物は震の中より生出す。だから「以茂対時育万物」。あの万物尽死と認むるの説は、これと大相違背す。侯果の説明では、雷声は天下を震動し、万物は敢て虚妄せず。威勢は震懾して恩沢は普洽し、一物と雖も給与を得ざるなし。だから先王は奮勉して万物を養育すといい、まさに天時に順応して化育するなり。時運通泰なれば、便ち《无妄》の威厳を以てそれを整粛す。時運閉塞なれば、便ち《遁》卦の「嘉遁」の道を以てそれを利導す。これがすなわち時勢に順応して化育を施行するなり。
初九:無妄,往吉。虞翻曰:謂應四也。四失位,故命變之正。四變得位,承五應初,故“往吉”。在外稱往也。《象》曰:無妄之往,得志也。虞翻曰:四變應初,夫妻體正,故“往得志”矣。六二:不耕穫,不菑畲,則利有攸往。虞翻曰:有益耕象,無坤田,故“不耨”。震為禾稼,艮為手,禾在手中,故稱“獲”。田在初,一歲曰“菑”。在二、二歲曰“畲”。初爻非坤,故不菑而畲也。得位應五,利四變之益,則坤體成,有耒耨之利,故“利有攸往”。往應五也。《象》曰:不耕穫,未富也。虞翻曰:四動坤虛,故“未富也”。
《无妄》卦初九の爻辞にいう。虚妄ならずして前往すれば吉祥。虞翻の説明では、これは初九と六四の相応するを言う。六四は位に当らず。だからそれを命じて変じて正に帰せしむ。六四は一変すれば便ち位を得、上に九五を承け下に初九に応ず。だから「往吉」。外卦に往くを「往」と称す。《象伝》にいう。虚妄ならずして前往するは、能く心志を実現すればこそ。虞翻の説明では、六四は変じて初九と相応じ、夫妻の各々其の正を得るがごとし。だから前往すれば能く心志を実現すという。六二の爻辞にいう。耕種を事とせずして収穫あり、開荒せずして熟田あり。かくのごときは前往すれば便ち利あり。虞翻は卦変に依って解く。本卦は《益》と関連して耕作の象あれど、坤の象徴する所の田地なし。だから「不耨」。震は禾稼を象徴し、艮は手を象徴す。禾穀は手中に握在す。だから「獲」と称す。田は初爻に在り、開墾一年を「菑」と称し、第二爻に至りて開墾两年を「畬」と称す。初爻は坤に非ず。だから并びに開荒を経ずして直に熟田を有す。六二は位に当りて上に九五に応じ、六四の変動して《益》を成すに宜し。その時坤体は形成し、便ち耒耜耕耨の利あり。だから「利有攸往」といい、前往して九五に應合するなり。《象伝》にいう。耕せずして獲るは、いまだ富足せざればこそ。虞翻の説明では、六四は一動すれば、坤体は中虚す。だから「未富」。
六三:無妄之災,或繫之牛。行人之得,邑人之災。《象》曰:行人得牛,邑人災也。虞翻曰:上動體坎,故稱“災”也。四動之正,坤為牛,艮為鼻為止;巽為桑,為繩,繫牛鼻而止桑下,故“或繫之牛”也。乾為行人,坤為邑人,乾四據三,故“行人之得”。三繫於四,故“邑人之災”。或說:以四變剛牛應初,震坤為死喪,故曰“行人得牛,邑人災也”。
《无妄》卦六三の爻辞にいう。意外飛来の災禍、ある人は牛を彼処に拴し、過路の人は牛を牽き去り、同邑の人は却ってこれに因りて災を蒙る。《象伝》にいう。過路の人は牛を得、同邑の人は反って災殃を受く。虞翻の説明では、上九は一動すれば、卦体は坎を成す。だから「災」と称す。六四は動きて正を得、坤は牛を象徴し、艮は鼻を象徴し停止を象徴し、巽は桑樹を象徴し繩索を象徴す。牛鼻を拴して桑樹の下に系停す。だから「或繋之牛」。乾は過路の行人を象徴し、坤は同邑の人を象徴す。乾の第四爻は六三を據有す。だから「行人之得」。六三は九四に牽係せらる。だから「邑人之災」。別に一説あり。六四は剛爻に変じ、牛は初九と相応じ、震と坤は皆死喪を主る。だから「行人得牛,邑人災也」。
九四:可貞,無咎。虞翻曰:動得正,故“可貞”。承五應初,故“無咎”也。《象》曰:可貞無咎,固有之也。虞翻曰:動陰承陽,故“固有之也”。九五:無妄之疾,勿藥有喜。虞翻曰:謂四已之正,上動體坎;坎為疾,故曰“無妄之疾”也。巽為木,艮為石,故稱“藥”。坎為多眚,藥不可試,故“勿藥有喜”。康子饋藥,丘未達,故不嘗,此之謂也。《象》曰:無妄之藥,不可試也。侯果曰:位正居尊,為無妄貴主,百姓有過,在予一人。三四妄處,五乃憂疾,非乖攝,則藥不可試。若下皆不妄,則不治自愈,故曰“勿藥有喜”也。
《无妄》卦九四の爻辞にいう。正道を守持する可く、咎を受けず。虞翻の説明では、九四は一動すれば便ち正を得。だから「可貞」。上に九五を承け下に初九に応ず。だから「咎を受けず」。《象伝》にいう。正を守る可くして過咎なきは、それがもとよりこの徳性を固有せればこそ。虞翻の説明では、九四は動きて陰を成し陽剛を承奉す。だから「固有之也」。九五の爻辞にいう。自ら招きたるに非ざる疾病は、服藥せずとも痊愈して喜慶あらん。虞翻の説明では、六四すでに変正し、上九は一動すれば卦体は坎を成し、坎は疾病を象徴す。だから「无妄之疾」。巽は草木を象徴し、艮は礦石を象徴す。だから「薬」と称す。坎はまた多く災眚を象徴す。藥は随使試用する可からず。だから「勿藥有喜」。《論語・郷黨》に季康子の孔子に藥を送るを記載し、孔子は自ら藥性を了解せずと言い、しかるがゆえに敢て嘗服せず。講ずる所まさにこの道理である。《象伝》にいう。自ら招きたるに非ざる疾の用うる所の藥は、随使試用する可からず。侯果は君道より立論す。九五は位に当りて尊に居る。これ《无妄》の世の尊貴の主なり。百姓もし過失あらば、責任は君王一身に在り。三・四の両爻は虚妄にして位を失い、九五はここに之が為に憂慮して疾を成す。ただ政令乖違失当ならざるを須えば、那の藥は便ち乱試すべからず。下に在る人皆虚妄ならざれば、病は治せずとも自ら愈ゆ。だから「勿藥有喜」。
上九:無妄行,有眚,無攸利。虞翻曰:動而成坎,故“行有眚”。乘剛逆命,故“無攸利”。天命不右,行矣哉。《象》曰:無妄之行,窮之災也。崔覲曰:居無妄之中,有妄者也。妄而應三,上下非正。窮而反妄,故為災也。
《无妄》卦上九の爻辞にいう。《无妄》の世に在りてなお妄みずから行動すれば、便ち災患あり、利益ある所なし。虞翻の説明では、上九は一動すれば便ち坎を成す。だから行動すれば災眚あるを言う。それは陽剛を乘凌し天命に違逆す。だから「无攸利」。まさに《彖伝》のいう所の「天命不右,行矣哉」。《象伝》にいう。《无妄》の世に在りてなお妄行するは、窮途に走到して自ら災禍を招けばこそ。崔覗の説明では、上九は身に《无妄》の卦中に在れど、本身は却って妄あるなり。それは妄を以て六三と相応じ、上下皆正位に当らず。処境すでに窮まりて却って虚妄に反帰す。だから災禍と成る。
大畜卦
《序卦》曰:有無妄然後可畜,故受之以大畜。崔覲曰:有誠實,則可以中心藏之,故言有無妄然後可畜也。(乾下艮上)。大畜:利貞。虞翻曰:大壯初之上,其德剛上也。與萃旁通。二五失位,故“利貞”。此萃五之復二,成臨。臨者。大也。至上有頤養之象,故名大畜也。不家食,吉。利涉大川。虞翻曰:二稱家,謂二五易位,成家人。家人體噬嗑食,故“利涉大川,應乎天也”。
《序卦伝》にいう。虚妄ならざるの実徳あって然る後にこそ畜聚する可し。だから《无妄》の後に接するは《大畜》なり。崔覗の説明では、内心に誠実の徳あれば、便ちそれを心中に蔵して蓄積する可し。だから《无妄》あって然る後畜養する可しという。《大畜》卦は下は乾上は艮。卦辞にいう。正を守るに宜し。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《大畜》は《大壯》の初爻が上行して上位に至りて来る。だから《彖伝》に「其徳剛上」という。それは《萃》卦と旁通す。二・五の両爻は皆位に当らず。だから「利貞」。もし《萃》の第五爻が《復》の第二爻に下れば、《臨》卦を成し、《臨》はすなわち大なり。一直に上爻に至るまで《頤》の養育の象あり。だから命名して《大畜》と為す。卦辞また「不家食,吉。利渉大川」という。虞翻の説明では、第二爻は「家」と称し、二と五は爻位を互換すれば便ち《家人》卦を成す。《家人》卦体に《噬嗑》を含んで食の象あり。だから「利渉大川,応乎天也」。
《彖》曰:大畜,剛健篤實,輝光日新。虞翻曰:剛健謂乾,篤實謂艮。二已之五,利涉大川。互體離坎,離為日,故“輝光日新”也。其德剛上而尚賢。蜀才曰:此本大壯卦。案:剛自初升,為主於外。剛陽居上,尊尚賢也。能健止,大正也。虞翻曰:健,乾。止,艮也。二五易位,故“大正”。舊讀言能止健,誤也。不家食吉,養賢也。虞翻曰:二五易位成家人。今體頤養象,故“不家食吉,養賢也”。案:乾為賢人也,艮為宮闕也,令賢人居於闕下,不家食之象。利涉大川,應乎天也。京房曰:謂二變五體坎,故“利涉大川”。五天位,故曰“應乎天”。
《彖伝》にいう。《大畜》は剛強篤厚にして、光輝日々に更新す。虞翻の説明では、「剛健」は下卦乾を指し、「篤実」は上卦艮を指す。九二すでに第五位に上る。だから「利渉大川」。卦中の互体に離を含み坎を含み、離は日を象徴す。だから「輝光日新」。《彖伝》に「其徳剛上而尚賢」という。蜀才は卦変の来歴を點明す。この卦はもと《大壯》より来る。李鼎祚の案語は申説す。陽剛は初位より上昇し、外卦の主宰と為る。剛陽は上位に居る。まさに賢者を尊崇するなり。《彖伝》に「能健止,大正也」という。虞翻の説明では、「健」は乾を指し、「止」は艮を指す。二・五は爻位を互換す。だから「大正」。旧本は「能止健」と読む。これは錯なり。《彖伝》に「不家食吉,養賢也」という。虞翻の説明では、二・五は互換して《家人》を成し、今卦体にまた《頤》の養育の象あり。だから「不家食吉,養賢也」。李鼎祚の案語は補充す。乾は賢人を象徴し、艮は宮闕を象徴す。賢人をして宮闕の下に居りて禄を食せしむるは、まさに家に在りて自ら食するを須わざるの物象なり。《彖伝》に「利渉大川,応乎天也」という。京房の説明では、九二変動して第五爻と坎体を構成す。だから「利渉大川」。第五爻は天位である。だから「応乎天」。
《象》曰:天在山中,大畜。向秀曰:止莫若山,大莫若天,天在山中,大畜之象。天為大器,山則極止,能止大器,故名大畜也。君子以多志前言往行,以畜其德。虞翻曰:君子謂乾。乾為言,震為行,坎為志;乾知大始,震在乾前,故“識前言往行”。有頤養象,故“以畜其德”矣。
《大象伝》にいう。天は山の中に蕴含す。これが《大畜》である。向秀の説明では、止むる能くするは山より甚だしきはなく、広大なるは天より甚だしきはなし。天は山中に在り。まさに大いに畜積する有るの物象である。天は最大の器量で、山は最も能く静止する。かかる大器を止住する能くすればこそ、取名して《大畜》と為す。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて多く前賢の嘉言と往聖の懿行を記取し、以て自らの徳行を蓄養す。虞翻の説明では、「君子」は乾を指す。乾は言語を象徴し、震は行為を象徴し、坎は記志を象徴す。乾は万物の開創を主管し、震はまた乾の前に排在す。だから「識前言往行」。卦に《頤》の養育の象あり。だから「以畜其徳」。
初九:有厲,利已。王弼曰:四乃畜已,未可犯也。進則災危,有厲則止,故能“利已”。《象》曰:有厲,利已,不犯災也。虞翻曰:謂二變正,四體坎,故稱“災也”。九二:輿說腹。虞翻曰:萃坤為車,為腹;坤消乾成,故“車說腹。”腹,或作輻也。《象》曰:輿說腹,中無尤也。盧氏曰:乾為輿。案:輻車之鉤心。夾軸之物。處失其正,上應於五。五居畜盛,止不我升,故且說輻停留。待時而進退,得正,故“無尤”也。
《大畜》卦初九の爻辞にいう。危険あり、停止するに宜し。王弼の説明では、六四はまさに初九を畜止す。往きてそれを冒犯する可からず。貿然として前進すれば便ち災危あり、危険あるを覚察すれば便ち停止す。だから能く「利已」。《象伝》にいう。危険ありて停止するに宜しきは、往きて災禍を触犯せざらんが為なり。虞翻の説明では、九二変じて正を得、六四の処る所は坎体を成す。だから「災」と称す。九二の爻辞にいう。車子は車軸の下の伏兎を脱落す。虞翻は旁通に依って解く。《大畜》と旁通する《萃》卦中に、坤は車を象徴し、また伏兎を象徴す。坤は消えて乾を成す。だから車子は伏兎を脱落すという。「腹」は、ある本子は「輻」と写す。《象伝》にいう。車は伏兎を脱するも、中に居るに因りて過失あらず。盧氏の説明では、乾は車輿を象徴す。李鼎祚の案語は補充す。「輻」は車の鉤心で、車軸を夾住する部件である。九二は正位を失い、上に六五と相応ず。六五はまさに畜聚極盛の時に処り、それを止住して上行を許さず。だから九二は姑く輻軸を卸下して停留し、時機を等待して進退を斟酌し、終に正を得る能くす。だから「无尤」。
九三:良馬逐,利艱貞,吉。日閒輿衛,虞翻曰:乾為良馬,震為驚走,故稱“逐”也。謂二已變,三在坎中,故“利艱貞吉”。離為日。二至五,體師象。坎為閒習,坤為車輿;乾人在上,震為驚衛,講武閒兵,故曰“日閒輿衛”也。利有攸往。《象》曰:利有攸往,上合志也。虞翻曰:謂上應也。五已變正,上動成坎,坎為志,故“利有攸往,與上合志也”。
《大畜》卦九三の爻辞にいう。良馬は奔馳追逐す。艱難の中に正を守るに宜しく、吉祥。每日車馬防衛の事を演習す。虞翻の説明では、乾は良馬を象徴し、震は驚奔を象徴す。だから「逐」と称す。九二すでに変化し、九三は坎の中に処る。だから「利艱貞吉」。離は日を象徴す。第二爻より第五爻に至るまで《師》卦の象を構成す。坎は熟習演練を象徴し、坤は車輿を象徴す。乾の象徴する所の人は上に在り、震は警衛を象徴す。武事を講習し兵車を操演す。だから「日閑輿衛」。爻辞また「利有攸往」といい、《象伝》にいう。前往する所有るに宜しきは、上爻と心志相合せればこそ。虞翻の説明では、これは九三と上九の相応ずるを指す。六五すでに変じて正を得、上九は一動すれば便ち坎を成し、坎は心志を象徴す。だから「利有攸往,与上合志也」。
六四:童牛之告,元吉。虞翻曰:艮為童。五已之正。萃坤為牛。告謂以木楅其角。大畜,畜物之家,惡其觸害。艮為手,為小木。巽為繩。繩縛小木,橫著牛角,故曰“童牛之告”。得位承五,故元吉而喜,喜,謂五也。《象》曰:六四元吉,有喜也。侯果曰:坤為輿,故有牛矣。牿,楅也。以木為之,橫施於角,止其牴之威也。初欲上進,而四牿之。角既被牿,則不能觸四,是四童初之角也。四能牿初,與無角同,所以“元吉”而“有喜”矣。童牛,無角之牛也。《封人職》曰:設其楅衡。注云:楅設於角,衡設於鼻,止其牴觸也。
《大畜》卦六四の爻辞にいう。小牛の角の上に横木を加えて以て約束すれば、大いに吉祥。虞翻の説明では、艮は幼小を象徴す。だから「童」と称す。六五すでに変じて正を得。旁通の《萃》卦中の坤は牛を象徴す。「告」はすなわち木頭を以て牛角の上に架するなり。《大畜》は牲畜を畜養する卦で、最もそれの抵觸して人を傷るを怕る。艮は手を象徴し、また小木を象徴し、巽は繩索を象徴す。繩子を以て小木を捆住し、横に牛角の上に綁す。だから「童牛之告」。六四は位に当りて上に九五を承く。だから大吉にして喜慶あり。「喜」は指す所は九五なり。《象伝》にいう。六四の大吉は、喜慶有ればこそ。侯果の説明では、坤は車輿を象徴す。だから牛あり。「牿」はすなわち楅で、木頭を以て做成し、横に牛角の上に加え、其の抵觸の威力を制止す。初九は上進せんと欲し、六四は牿を以て之を加えて約束す。角すでに約束せらるれば、便ち六四に頂き到らず。これがすなわち六四の初九を以て小牛として処置するなり。六四は能く初九を約束すれば、効果は牛のもと角なきがごとし。だから「元吉」にして「有喜」。いわゆる童牛は、すなわちいまだ角を長ぜざる小牛なり。《周礼・地官・封人》に「設其楅衡」を記載し、鄭玄の注にいう。楅は角の上に安し、衡は鼻の上に安ず。以て其の抵觸して人を傷るを阻止するに用いるなり。
六五:豶豕之牙,吉。虞翻曰:二變時,坎為豕。劇豕稱豶。令不害物。三至上,體頤象。五變之剛,巽為白;震為出;剛白從頤中出,牙之象也。動而得位,“豶豕之牙,吉”。《象》曰:六五之吉,有慶也。虞翻曰:五變得正,故“有慶也”。崔覲曰:《說文》:豶,劇豕。今俗猶呼劇豬是也。然以豕本剛突,劇乃性和,雖有其牙,不足害物,是制於人也。以喻九二之剛健失位,若豕之劇,不足畏也;而六五應止之易,故“吉有慶矣”。案:九二坎爻,坎為豕也。以陽居陰,而失其位,若豕被劇之象也。
《大畜》卦六五の爻辞にいう。閹過の猪は獠牙を長ずると雖も、吉祥。虞翻の説明では、九二変動の時、坎は猪を象徴す。閹割した猪を「豶」と称し、それをして再び他物を傷害せざらしむ。第三爻より上爻に至るまで《頤》の象を構成す。六五は剛爻に変じ、巽は白色を象徴し、震は出を象徴す。剛硬潔白の物は口腮の中より露出す。まさに歯牙の象なり。六五変動して正位を得。だから「豶豕之牙,吉」。《象伝》にいう。六五の吉祥は、喜慶有ればこそ。虞翻の説明では、六五は変じて正を得。だから「有慶」。崔覗は書を引きて説を立つ。《説文解字》に「豶」はすなわち閹過の猪という。如今民间はなお劁猪と称す。猪の本性は剛烈にして衝撞を好む。閹過の後性情は便ち温和に変ず。獠牙を長ずると雖も、また他物を傷害するに足らず。すでに人に制服せられたればこそ。以て九二の剛健なれど位を失うに比喩す。閹過の猪のごとく畏懼するに足らず。六五は勢いに順いてそれを止住すること十分に易し。だから「吉有慶」。李鼎祚の案語は補充す。九二は坎卦の爻で、坎は猪を象徴す。それは陽を以て陰に居りて正位を失去す。まさに猪の閹割せられたるの物象のごとし。
上九:何天之衢,享。虞翻曰:何,當也。衢,四交道。乾為天,震艮為道。以震交艮,故“何天之衢,亨”。上變,坎為亨也。王弼曰:處畜之極,畜極則亨。何,辭也。猶云何畜,乃天之衢亨,道大行也。《象》曰:何天之衢,道大行也。虞翻曰:謂上據二陰。乾為天道,震為行,故“道大行矣”
《大畜》卦上九の爻辞にいう。通天の大道を肩負す。亨通。虞翻の説明では、「何」はすなわち担当で、「衢」は四通八達の路口である。乾は天を象徴し、震と艮は道路を象徴す。震を以て艮に交合す。だから「何天之衢,亨」。上九は一変すれば便ち坎を成し、坎に通達の義あり。王弼は別に一解を作す。上九は畜聚の極点に処り、畜して極点に至れば自然亨通す。「何」は語助の辞で、なお何をか畜聚せんと言うに等し。ここに天路は亨通し、正道は大いに通行す。《象伝》にいう。通天の大道を肩負するは、正道大いに通行せばこそ。虞翻の説明では、これは上九の下面の両個の陰爻を據有するを言う。乾は天道を象徴し、震は行進を象徴す。だから「道大行」。
頤卦
《序卦》曰:物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。崔覲曰:大畜剛健,輝光日新,可以觀其所養,故言“物畜然後可養”。(震下艮上)。頤:貞吉。虞翻曰:晉四之初。與大過旁通。養正則吉。謂三爻之正,五上易位,故“頤貞吉”。反覆不衰,與乾、坤、坎、離、大過、小過、中孚同義。故不從臨觀四陰二陽之例。或以臨二之上,兌為口,故有口實也。觀頤,虞翻曰:離為目,故“觀頤”,觀其所養也。
《序卦伝》にいう。万物は畜聚せられて然る後にこそ養育する可し。だから《大畜》の後に接するは《頤》なり。「頤」はすなわち養である。崔覗の説明では、《大畜》は剛強篤厚・光輝日新なれば、まさに其の養う所は何なるかを察看する可し。だから「物畜然后可養」。《頤》卦は下は震上は艮。卦辞にいう。正を守れば則ち吉。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《頤》は《晋》卦の第四爻が初位に下りて来り、《大過》卦と旁通す。養育は正を得てこそ吉祥なり。これは六三の正位に回り、五と上と爻位を互換するを言う。だから「頤貞吉」。この卦は上下翻転して其の象変わらず、乾・坤・坎・離及び《大過》《小過》《中孚》と同じく一類に属す。だから《臨》《觀》のかのごとき四陰二陽の卦の常例に按じて推求せず。またある人はそれは《臨》卦の第二爻が上行して上位に至りて来ると認む。兌は口を象徴す。だから卦中にこそ口中の物あり。卦辞に「觀頤」という。虞翻の説明では、離は眼目を象徴す。だから「觀頤」といい、すなわち其の養育する対象を觀察するなり。
自求口實。虞翻曰:或以大過兌為口,或以臨兌為口。坤為自,艮為求。口實,頤中物,謂其自養。鄭玄曰:頤中,口車輔之名也。震動於下,艮止於上,口車動而上,因輔嚼物以養人,故謂之頤。頤,養也。能行養,則其幹事,故吉矣。二五離爻,皆得中。離為目,觀象也觀頤,觀其養賢與不肖也。頤中有物曰“口實”。自二至五有二坤,坤載養物,而人所食之物皆存焉。觀其求可食之物,則貪廉之情可別也。
卦辞に「自求口実」という。虞翻の説明では、ある人は旁通の《大過》中の兌を取りて口と為し、ある人は《臨》卦中の兌を取りて口と為す。坤は「自」を象徴し、艮は「求」を象徴す。「口実」はすなわち口中に含む所の物で、人の自ら己を養うを指す。鄭玄は取象に依って解く。「頤」は口腮牙床の名称である。震は下に在りて動き、艮は上に在りて止る。牙床は上に向かい活動し、頬輔に借助して食物を咀嚼して以て人を養う。だから「頤」と称し、「頤」はすなわち養なり。能く養育を施行すれば、便ち事情を辦成する能くす。だから吉祥。第二・第五の両爻は皆離爻で、また皆中に居る。離は眼目を象徴す。だから觀看の象あり。「觀頤」はすなわち其の養う所は賢者か不肖の人かを觀察するなり。口中に食物を含むを「口実」と称す。第二爻より第五爻に至るまで両個の坤を含有し、坤は能く物を載せ物を養う。人の喰う所の物は皆其の中に存在す。一人の人の求取する如何なる食物を觀察すれば、貪婪か廉潔かの心性は便ち分辨し出すを得。
《彖》曰:頤貞吉,養正則吉也。姚信曰:以陽養陰,動於下,止於上,各得其正,則吉也。宋衷曰:頤者,所由飲食自養也。君子割不正不食,況非其食乎。是故所養必得賢明,自求口實,必得體宜,是謂“養正”也。觀頤,觀其所養也。侯果曰:王者所養,養賢則吉也。自求口實,觀其自養也。侯果曰:此本觀卦。初六升五,九五降初,則成頤也。是自求口實,觀其自養。案:口實,謂頤口中也。實事可言。震,聲也。實物可食。艮,其成也。
《彖伝》にいう。《頤》は正を守れば則ち吉とは、養育が正を得てこそ吉祥なるを言う。姚信の説明では、陽爻を以て陰爻を養育し、下面は震動し上面は艮止し、各爻皆各々其の正を得れば、便ち吉祥なり。宋衷は義理より立論す。「頤」は人の飲食に頼りて自養する所なり。君子は切割の方正ならざる肉すら喰わず。いわんやもと喰うべからざる物をや。だから養う所の人は必ず賢明の士たるを須い、自ら口中之食を求取するもまた必ず体統に合するを須う。これを「養正」と称す。《彖伝》に「觀頤,觀其所養也」という。侯果の説明では、王者の養う所の対象は、賢人を養えば便ち吉祥なり。《彖伝》に「自求口実,觀其自養也」という。侯果の説明では、この卦はもと《觀》卦より来り、《觀》の初六は第五位に升り九五は初位に降れば、便ち《頤》を成す。これがすなわち自ら口中之食を求取し、其の如何に自養するを看るなり。李鼎祚の案語は補充す。「口実」は口腮の中に含む所の物を指す。実在の言語は説出す可し。震は声音を象徴す。実在の物は喫下す可し。艮は成物を象徴す。
天地養萬物,崔元曰:天,上。地,初也。萬物,眾陰也。天地以元氣養萬物,聖人以正道養賢及萬民,此其聖也。聖人養賢以及萬民。虞翻曰:乾為聖人,艮為賢人,頤下養上,故“聖人養賢”。坤陰為民,皆在震上。以貴下賤,大得民,故“以及萬民”。頤之時大矣哉。天地養物,聖人養賢以及萬民,人非頤不生,故大矣。
《彖伝》に「天地養万物」という。崔元の説明では、「天」は上九を指し、「地」は初九を指し、「万物」は中間の衆多の陰爻を指す。天地は元気を以て万物を養育し、聖人は正道を以て賢者を養育して万民に及ぶ。これがすなわち其の聖と為る所以なり。《彖伝》に「聖人養賢以及万民」という。虞翻の説明では、乾は聖人を象徴し、艮は賢人を象徴す。《頤》卦の下体は上体を養育す。だから「聖人養賢」。坤陰は民衆を象徴し、皆震の上に在る。尊貴の身を以て卑賤の下に屈居し、しかるがゆえに大いに民心を得。だから「以及万民」。《彖伝》は「頤之時大矣哉」を讚嘆す。此下の解語にいう。天地は万物を養育し、聖人は賢者を養育して万民に推及す。人は養育なければ生存する能わず。だから《頤》の時義は十分に重大なり。
《象》曰:山下有雷,頤。劉表曰:山止於上,雷動於下,頤之象也。君子以慎言語,節飲食。荀爽曰:雷為號令,今在山下閉藏,故“慎言語”。雷動於上,以陽食陰,艮以止之,故“節飲食”也。言出乎身,加乎民,故慎言語所以養人也。飲食不節,殘賊群生,故節飲食以養物。
《大象伝》にいう。山下に雷あり。これが《頤》である。劉表の説明では、山は上に静止し、雷は下に震動す。まさに口腮の上止下動の形象である。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて言語を謹慎し、飲食を節制す。荀爽の説明では、雷は號令を象徴す。今雷は山下に潜蔵して閉して発せず。だから「慎言語」。雷もし上に在りて震動すれば、便ち陽を以て陰を吞食するなり。而して艮またそれを止住す。だから「節飲食」。言語は自身より出でて百姓に影響す。だから言語を謹慎するはまさに以て人を養うなり。飲食もし節制せざれば、便ち衆多の生霊を残害せん。だから飲食を節制するは以て物を養うに用いるなり。
初九:舍爾靈龜,觀我朵頤,凶。虞翻曰:晉離為龜,四之初,故“舍爾靈龜”。坤為我,震為動;謂四失離入坤,遠應多懼,故“凶”矣。《象》曰:觀我朵頤亦不足貴也。侯果曰:初本五也。五互體艮,艮為山龜。自五降初,則為頤矣。是“舍爾靈龜”之德,來“觀朵頤”之饌。貪祿致凶。故“不足貴”。案:朵頤垂下,動之貌也。
《頤》卦初九の爻辞にいう。爾自らの神亀を捨棄し、却って我の口を張き腮を垂れて喰わんと欲するを盯視す。凶。虞翻の説明では、《晋》卦の離は亀を象徴す。第四爻は初位に下る。だから「舍爾霊亀」。坤は「我」を象徴し、震は動を象徴す。これは第四爻の離体を脱離して坤中に進入し、遥遠の爻と相応じて多く畏懼あるを言う。だから「凶」。《象伝》にいう。我の口を張き腮を垂るるを盯視するは、亦た看重するに値せざるなり。侯果の説明では、初九はもと《觀》卦の第五爻で、第五爻は互体艮の中に処り、艮は山亀を象徴す。第五位より初位に降れば、便ち《頤》卦を成す。これがすなわち自身の「霊亀」のごとき徳性を捨棄し、転じて来りて他人の「朵頤」の食物を覬覦す。俸禄を貪図して凶険を招致す。だから「不足貴」。李鼎祚の案語は補充す。「朵頤」は腮頬下垂して咀嚼して喰わんと欲するの様である。
六二:顛頤,拂經于丘頤,征凶。王肅曰:養下曰顛。拂,違也。經,常也。丘,小山,謂六五也。二宜應五,反下養初,豈非顛頤,違常於五也,故曰“拂經於丘”矣。拂丘雖阻常理,養下故謂養賢。上既無應,徵必凶矣,故曰“征凶”。《象》曰:六二征凶,行失類也。侯果曰:正則失養之類。六三:拂頤,貞凶。十年勿用,無攸利。虞翻曰:三失位體剝,不正相應,弒父弒君,故“貞凶”。坤為十年,動無所應,故“十年勿用,無攸利”也。《象》曰:十年勿用,道大悖也。虞翻曰:弒父弒君,故大悖也。
《頤》卦六二の爻辞にいう。顛倒して下に向かい養を求め、常理に違背して丘上の人に養を求む。前往すれば則ち凶。王肅の説明では、下に向かい人を養うを「顛」と称し、「拂」は違背で、「経」は常理で、「丘」は小山で六五を指す。六二はもとまさに上に六五に応ずべしと雖も、却って反転して下に初九を養う。これは豈に顛倒の求養に非ざらんや、便ち六五に対し守るべき常理に違背す。だから「拂経于丘」。丘上の君に違背するは常理に悖ると雖も、下に向かい養育するは畢竟賢を養うと算す。ただ上面すでに正応なく、貿然として前往すれば必定凶険なり。だから「征凶」。《象伝》にいう。六二の前往すれば則ち凶は、行う所は同類を失えばこそ。侯果はただ一句を點す。正を守れば反って養う可き同類を失う。六三の爻辞にいう。養育の道に違背し、これを守れば則ち凶、十年の久しきも皆施用する可からず、利益ある所なし。虞翻の説明では、六三は位を失いて卦体は《剥》に近く、不正の身を以て上九と相応じ、父を弑し君を弑するの象あり。だから「貞凶」。坤は十年を象徴し、それは一動すれば便ち応ずる所なし。だから「十年勿用,无攸利」。《象伝》にいう。十年施用す可からざるは、其の道大いに悖乱すればこそ。虞翻の説明では、父を弑し君を弑すればこそ大いに悖乱という。
六四:顛頤,吉。虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。王弼曰:履得其位,而應於初,以上養下,得頤之義。故曰“顛頤吉”。下交近瀆,則咎矣。故“虎視眈眈”,威而不猛。故“其欲逐逐”,而尚敦實。修此二者,乃得全其吉而無咎矣。觀其自養則養正,察其所養則養賢,頤爻之貴,斯為盛矣。《象》曰:顛頤之吉,上施光也。虞翻曰:晉四之初,謂三已變,故“顛頤”。與屯四乘坎馬同義。坤為虎,離為目。眈眈,下視貌。逐逐,心煩貌,坤為吝嗇,坎水為欲,故“其欲逐逐”。得位應初,故“無咎”。謂上已反三成離,故“上施光也”。
《頤》卦六四の爻辞にいう。顛倒して下に向かい養を求むれば、吉祥。老虎のごとく目光沈沈として下視し、欲望は接続不断なれど、咎を受けず。王弼の説明では、六四は位に当りて初九と相応じ、上に在る者を以て下に在る者を養育す。まさに《頤》卦の義理に合す。だから「顛頤吉」。但し下に交接過密なれば便ち褻瀆に近づき、那は便ち過咎あらん。だから「虎視眈眈」を要し、威厳ありて凶猛ならず。だから「其欲逐逐」を要し、而して敦厚篤実を崇尚す。この両方面皆修養到れば、こそ其の吉祥を保全して咎あらざるを得ん。一人の如何に自養するを觀察すれば、便ち其の養い正を得るや否を知る。其の養う所は誰なるかを考察すれば、便ち其の養い賢才を得るや否を知る。《頤》卦各爻の可貴の処は、この爻を以て最盛と為す。《象伝》にいう。顛倒して養を求めて吉を獲るは、上に在る者の施与に光輝あればこそ。虞翻の説明では、《頤》は《晋》卦の第四爻が初位に下りて来り、六三すでに変正す。だから「顛頤」といい、《屯》卦の六四の坎馬に乘ると同一の義例なり。坤は虎を象徴し、離は目を象徴す。「眈眈」は頭を低くして下視するの様である。「逐逐」は心緒煩擾の様で、坤は吝嗇を象徴し、坎水は欲望を象徴す。だから「其欲逐逐」。六四は位に当りて初九と相応ず。だから「咎を受けず」。上九すでに第三位に返回して離を成す。だから「上施光也」。
六五:拂經,居貞吉,不可涉大川。虞翻曰:失位,故拂經。無應順上。故“居貞吉”。艮為居也。涉上成坎,乘陽無應,故“不可涉大川”矣。《象》曰:居貞之吉,順以從上也。王弼曰:以陰居陽,拂頤之義也。無應於下,而比於上。故宜居貞,順而從上,則吉。上九:由頤,厲,吉。虞翻曰:由,自從也。體剝居上,眾陰順承,故“由頤”。失位,故“厲”。以坤艮自輔,故“吉”也。利涉大川。《象》曰:由頤,厲吉,大有慶也。虞翻曰:失位,故厲之。五得正成坎,坎為大川,故“利涉大川”。變陽得位,故“大有慶”也。
《頤》卦六五の爻辞にいう。常理に違背す。安居して正を守れば則ち吉、大河を渡越する可からず。虞翻の説明では、六五は陰を以て陽に居りて位を失う。だから「拂経」。それは相応の爻なくして上九に順從す。だから「居貞吉」。艮に安居の象あり。もし険を渉りて上行せば便ち坎を成し、それは陽剛を乘凌してまた正応なし。だから「不可渉大川」。《象伝》にいう。安居して正を守るの吉祥は、柔順にして上爻に追随するに在ればこそ。王弼の説明では、陰爻を以て陽位に居るは、まさに養育の義に違背す。下面に相応の爻なくして、上九と親比す。だから安居して正を守るに宜しく、柔順にして上爻に追随すれば、便ち吉を獲る能くす。上九の爻辞にいう。全卦は皆彼に由りて養育せらる。危険あれど、吉祥。虞翻の説明では、「由」はすなわち自・從なり。上九は卦体《剥》に近くして最上に居り、衆陰は皆順從してそれを承奉す。だから「由頤」。それは位を失う。だから「厲」。能く坤の柔順・艮の静止を以て自らを輔助すればこそ「吉」。爻辞また「利渉大川」といい、《象伝》にいう。彼に由りて養育せられ、危なれど吉は、大いに喜慶あればこそ。虞翻の説明では、位を失うに因りて危という。六五は正を得て坎を成し、坎は大河を象徴す。だから「利渉大川」。変じて陽爻と為りて位を得。だから「大有慶」。
大過卦
《序卦》曰:不養則不可動,故受之以大過。崔覲曰:養則可動,動則過厚,故受之以大過也。(巽下兌上)。大過:棟橈。虞翻曰:大壯五之初,或兌三之初。棟橈謂三。巽為長木,稱棟。初上陰柔,本末弱,故“棟橈”也。利有攸往,亨。虞翻曰:謂二也。剛過而中,失位無應,利變應五;之外稱往,故“利有攸往”,乃“亨”也。
《序卦伝》にいう。養育を加えざれば行動する有所能わず。だから《頤》卦の後に接するは《大過》なり。崔覗の説明では、養育充足すれば便ち行動する可く、一行動すれば便ち豊厚に過ぐ。だから《大過》に続く。《大過》卦は下は巽上は兌。卦辞にいう。棟梁彎曲す。虞翻は卦変に依って解く。《大過》は《大壯》の第五爻が初位に下りて来るか、あるいは兌の第三爻が初位に下りて来るという。「棟橈」は九三を指す。巽は高長の木材を象徴し、棟梁と称す可し。初爻と上爻は皆陰柔で、房屋の本末两端は皆軟弱なり。だから「棟橈」。卦辞また「利有攸往,亨」という。虞翻の説明では、これは九二を指す。それは剛強にして盛に過ぐるも中に居り、位を失いてまた相応の爻なし。変動して九五に應合するに宜し。外卦に往くを「往」と称す。だから「利有攸往」といい、これにこそ「亨」。
《彖》曰:大過,大者過也。虞翻曰:陽稱大,謂二也。二失位,故“大者過也”。棟橈,本末弱也。向秀曰:棟橈則屋壞,主弱則國荒。所以橈,由於初上兩陰爻也。初為善始,末是令終。始終皆弱,所以“棟橈”。王弼曰:初為本而上為末也。侯果曰:本,君也。末,臣也。君臣俱弱,棟橈者也。剛過而中,巽而說行,利有攸往,乃亨。虞翻曰:剛過而中,謂二。說,兌也。故“利有攸往”。大壯震五之初,故“亨”。與遁同義。大過之時大矣哉。虞翻曰:國之大事,在祀與戎,藉用白茅。女妻有子,繼世承祀,故“大矣哉”。
《彖伝》にいう。《大過》は、陽大なる者の盛に過ぐるなり。虞翻の説明では、陽爻は「大」と称し、ここに指すは九二なり。九二は位を失う。だから「大者過也」。《彖伝》に「棟橈,本末弱也」という。向秀の説明では、棟梁彎曲すれば、房屋は便ち倒塌せん。君主軟弱なれば、国家は便ち荒廃せん。彎曲する所以は、初爻と上爻この両個の陰爻に由ればこそ。初爻は良好の開端、上爻は完美の収束で、首尾皆軟弱なり。だから「棟橈」。王弼は一句にして點明す。初爻は本、上爻は末なり。侯果は別に君臣を以て相配す。「本」は君主を指し、「末」は臣下を指す。君臣皆軟弱なれば、棟梁は自然彎曲す。《彖伝》に「剛過而中,巽而説行,利有攸往,乃亨」という。虞翻の説明では、「剛過而中」は九二を指す。「説」はすなわち上卦兌である。だから「利有攸往」。《大壯》の震体の第五爻は初位に下りて此の卦を成す。だから「亨」。《遁》卦と同一の義例なり。《彖伝》は「大過之時大矣哉」を讚嘆す。虞翻の説明では、国家の大事は祭祀と征戦に在り、初六の「藉用白茅」はまさに祭祀の礼で、九二の「老夫得其女妻」にして子を生めば、以て世系を承継し宗祀を奉守する可し。だから「大矣哉」。
《象》曰:澤滅木,大過。案:兌,澤也。巽,木滅漫也。凡木生近水者楊也。遇澤太過,木則漫滅焉。二五枯楊,是其義。君子以獨立不懼,遁世無悶。虞翻曰:君子謂乾初。陽伏巽中,體復一爻,潛龍之德,故稱“獨立不懼”。違則憂之,乾初同義,故“遁世無悶”也。初六:藉用白茅,無咎。虞翻曰:位在下稱藉,巽柔白為茅,故“藉用白茅”。失位,咎也。承二過四,應五士夫,故“無咎”矣。《象》曰:藉用白茅,柔在下也。侯果曰:以柔處下,履非其正,咎也。苟能絜誠肅恭不怠,雖置羞於地,可以薦奉,況藉用白茅,重慎之至,何咎之有矣。
《大象伝》にいう。大沢は樹木を淹没す。これが《大過》である。李鼎祚の案語の解釈では、兌はすなわち沢、巽はすなわち木で、木は水に漫過せられて淹没す。およそ近水の処に生長する樹木は多く楊柳で、水沢の泛濫太甚に遇えば、樹木は便ち漫没せらる。九二・九五の両爻は「枯楊」を講ず。まさにこの意である。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて独り挺立して畏懼せず、世を避け隠遁して苦悶を覚えず。虞翻の説明では、「君子」は乾の初爻を指す。陽は巽の中に潜伏し、卦体に《復》卦の一陽の爻を含有し、《乾》卦初九の「潜龍」の徳性を具備す。だから「独立不惧」と称す。世道は違逆すれば便ち之が為に憂惕し、《乾》の初九と義を同じくす。だから「遁世无悶」。初六の爻辞にいう。潔白の茅草を以て祭品を墊鋪すれば、咎を受けず。虞翻の説明では、位最下に処るを「藉」と称し、巽は柔順にして色白、茅草を象徴す。だから「藉用白茅」。初六は位を失い、もと咎あるべしと雖も、それは上に九二を承け、九四を越過して九五この「士夫」に應合す。だから「咎を受けず」。《象伝》にいう。白茅を以て墊鋪するは、柔順の者の下位に処ればこそ。侯果の説明では、陰柔の質を以て最下に処り、立身また正位に当らざるは、もと過咎あるなり。但し能く潔浄誠敬・粛穆恭謹にして懈怠せざれば、縱令祭品を直に地上に放置するもまた薦獻する可し。いわんやなお白茅を以て墊鋪するは、慎重極点に到る。また何の過咎かあらん。
九二:枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。虞翻曰,稊,穉也。楊葉未舒稱稊。巽為楊,乾為老,老楊故枯。陽在二也。十二月時,周之二月。兌為雨澤,枯楊得澤復生稊。二體乾老,故稱“老夫”。女妻謂上兌,兌為少女,故曰“女妻”。大過之家,過以相與,老夫得其女妻,故“無不利”。《象》曰:老夫女妻,過以相與也。虞翻曰:謂二過初與五,五過上與二。獨大過之爻得過其應,故“過以相與也”。
《大過》卦九二の爻辞にいう。枯萎の楊樹は重新に嫩芽を抽出し、老年の男子は年軽の妻子を娶得す。不利なき所なし。虞翻は取象と卦気に依って解く。「稊」は幼嫩で、楊葉はいまだ舒展せざる時を「稊」と称す。巽は楊樹を象徴し、乾は老を象徴す。老楊樹はしかるがゆえに枯萎す。陽気は第二爻に在り、夏暦十二月・周暦の二月に相当す。兌は雨沢を象徴し、枯楊は雨沢の滋潤を得て、重新に嫩芽を抽出す。九二は乾体に属して老を主る。だから「老夫」と称す。「女妻」は上六の在る兌を指し、兌は少女を象徴す。だから「女妻」と称す。《大過》この一卦は、各爻は常規を越過して相亲与す。老年の男子は年軽の妻子を娶到す。だから「无不利」。《象伝》にいう。老夫に少妻を配するは、常規を越過して相亲与すればこそ。虞翻の説明では、これは九二の初六を越過して九五と相配し、九五の上六を越過して九二と相配するを言う。独り《大過》の爻は其の本来の正応を越過する可し。だから「過以相与也」という。
九三:棟橈,凶。《象》曰:棟橈之凶,不可以有輔也。虞翻曰:本末弱,故橈。輔之益橈,故“不可以有輔”。陽以陰為輔也。九四:棟隆,吉。有他吝。虞翻曰:隆,上也。應在於初。已與五,意在於上。故“棟隆,吉”。失位動,入險而陷於井,故“有他吝”。《象》曰:棟隆之吉,不橈乎下也。虞翻曰:乾為動直,遠初近上,故“不橈下也”。
《大過》卦九三の爻辞にいう。棟梁彎曲す。凶険。《象伝》にいう。棟梁彎曲の凶険は、再び輔助を加うる能わざればこそ。虞翻の説明では、房屋の本末两端は皆軟弱なればこそ棟梁彎曲す。再びそれに輔助を加えば、ただいよいよ彎に壓するのみ。だから「不可以有輔」。陽爻は陰爻を以て輔助と作すればこそ。九四の爻辞にいう。棟梁は上に向かい隆起す。吉祥なれど、別に惜しまるる処あり。虞翻の説明では、「隆」はすなわち向上である。九四の正応は初六に在るも、それはすでに九五と結合し、心意は皆上面に在る。だから「棟隆,吉」。それは位を失いて変動すれば、便ち険境に落入して《井》卦に陥る。だから「有他吝」。《象伝》にいう。棟梁隆起して吉を獲るは、下に向かい彎曲せざればこそ。虞翻の説明では、乾の性質は運動にして正直、九四は初六に遠離して上爻に接近す。だから「不橈下也」。
九五:枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。虞翻曰:陽在五也。夬三月時,周之五月。枯楊得澤,故生華矣。老婦謂初,巽為婦,乾為老,故稱“老婦”也。士夫謂五。大壯震為夫,兌為少,故稱“士夫”。五過二,使應上。二過五,使取初。五得位,故“無咎”。陰在二多譽,今退伏初,故“無譽”。體姤淫女,故“過以相與”。使應少夫。《象》曰:“亦可醜也。”舊說以初為女妻,上為老婦,誤矣。馬君亦然。荀公以初陰失正,當變,數六,為女妻。二陽失正,數九,為老夫。以五陽得正位,不變,數七,為士夫。上陰得正,數八,為老婦。此何異俗說也。悲夫學之難,而以初本為小,反以上末為老。後之達者,詳其義焉。
《大過》卦九五の爻辞にいう。枯萎の楊樹は花を開出す。老年の婦人は年軽の丈夫を嫁得す。過咎なくまた称譽なし。虞翻は卦気と取象に依って解く。陽気は第五爻に在り、《夬》卦の主る所の三月・周暦の五月に相当す。枯楊は雨沢を得る。だから花を開出す。「老婦」は初六を指し、巽は婦人を象徴し、乾は老を象徴す。だから「老婦」と称す。「士夫」は九五を指し、《大壯》の震は丈夫を象徴し、兌は年少を象徴す。だから「士夫」と称す。九五は九二を越過して上六に應合し、九二は九五を越過して初六を娶る。九五は位に当る。だから「過咎を受けず」。陰爻は第二位に在りてもと多く称譽を獲。今初位に退伏す。だから「无譽」。初六は《姤》卦淫女の体に属す。だから「過以相与」といい、彼女をして年少の丈夫に應合せしむ。《象伝》はしかるがゆえに「亦可丑也」という。旧説は初六を以て「女妻」と為し上六を以て「老婦」と為す。これは錯なり。馬融もまたかくのごとく講ず。荀爽は則ち初六の陰爻は正を失いまさに変動すべく、其の数は六にして「女妻」、九二の陽爻は正を失い其の数は九にして「老夫」、九五の陽爻は正を得て変わらず其の数は七にして「士夫」、上六の陰爻は正を得て其の数は八にして「老婦」と為す。これは俗説とまた何の両様かあらん。嘆く可し学問を為すの難きを。初爻はもと幼小の一端なれど、彼らは反って上末の爻を説きて年老と為す。後世の通達の士、願わくは細々に其の中の義理を考究せんことを。
《象》曰:枯楊生華,何可久也。老婦士夫,亦可醜也。虞翻曰:乾為久,枯而生華,故不可久也。婦體姤淫,故“可丑”也。上六:過涉滅頂,凶,無咎。虞翻曰:大壯震為足,兌為水澤。震足沒水,故“過涉”也。頂,首也。乾為頂,頂沒兌水中,故“滅頂凶”。乘剛,咎也。得位,故“無咎”。與滅耳同義也。
《象伝》にいう。枯楊花を開くは、いずくんぞ能く長久ならんや。老婦に少夫を配するも、また羞ず可きなり。虞翻の説明では、乾は長久を象徴し、枯木にして花を開けばこそ長久する能わず。初六は《姤》卦淫女の体に属す。だから「可丑」。上六の爻辞にいう。水を渉りて深く過ぎ、水は頭頂を淹没す。凶険なれど、咎を受けず。虞翻の説明では、《大壯》の震は足を象徴し、兌は水沢を象徴す。震足は水の裡に陥没す。だから「過渉」。「頂」はすなわち頭で、乾は頭頂を象徴す。頭頂は兌水の中に沈没す。だから「滅頂凶」。上六は陽剛を乘凌し、もと咎あるべしと雖も、それは位に当る。だから「咎を受けず」。これは《噬嗑》上九の枷鎖の耳朵を遮没するがごとき同一の義例なり。
《象》曰:過涉之凶,不可咎也。《九家易》曰:君子以禮義為法,小人以畏慎為宜。至於大過之世,不復遵常,故君子犯義,小人犯刑。而家家有誅絕之罪。不可咎也。大過之世,君子遜遁,不行禮義,謂當不義則爭之,若比干諫而死是也。桀紂之民,可比屋而誅。上化致然,亦不可咎。曾子曰:上失其道,民散久矣。如得其情,則哀矜而勿喜,是其義也。
《象伝》にいう。水を渉りて深く過ぐるの凶険は、彼に帰咎する能わざればこそ。《九家易》は世道より立論す。君子は礼義を以て準則と為し、小人は敬畏謹慎を以て本分と為す。《大過》かかる時世に到れば、人々はもはや常道を遵守せず、ここに君子は道義を触犯し、小人は刑法を触犯し、家家皆誅絶に該当するの罪過あり。これは便ち一一に個人に帰咎する能わざるなり。《大過》の世は、君子は退譲隠遁し、礼義は推行する能わず。いわゆる不義の事に遇えば便ち理に拠りて力争するは、比干の進諫して処死せられたるがごとき、すなわちこの種の情形なり。夏桀・商紂の治下の百姓は、幾ほど挨家挨戸皆処死する可し。あれは上に在る者の教化の造成する所で、また百姓に帰咎する能わず。曾子はいう。上に在る者は正道を失い、民心は離散すでに久し。もし彼らの犯罪の実情を査清せば、まさに哀憐体恤して自喜自満せざるべし。講ずる所まさにこの道理である。
坎卦
《序卦》曰:物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。崔覲曰:大過不可以極,極則過涉滅頂,故曰“物不可以終過,故受之以坎”也。(坎下坎上)。坎:習坎,有孚,唯心亨,行有尚。虞翻曰:乾二五之坤,與離旁通。於爻,觀上之二。習,常也。孚,信,謂二五。水行往來,朝宗於海,不失其時,如月行天,故習坎為孚也。維心亨,虞翻曰:坎為心。乾二五旁行流坤,陰陽會合,故“亨”也。行有尚。虞翻曰:行謂二,尚謂五也。二體震,為行動得正應五,故“行有尚,往有功也”。
《序卦伝》にいう。万物は始終盛に過ぐる能わず。だから《大過》の後に接するは《坎》なり。「坎」はすなわち陥落である。崔覗の説明では、《大過》は極点に推する可からず。極点に到れば便ち上六のごとく水を渉りて深く過ぎて滅頂す。だから「物不可以終過,故受之以坎」。《坎》卦は上下皆坎。卦辞にいう。重重の陥陥の中にあってなお誠信を懐き、ただ内心亨通すれば、行動してこそ人の崇尚を受く。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《坎》は乾の二・五の両爻が坤に進入して成れ、《離》卦と旁通す。爻位に就きて言えば、《觀》卦の上爻が第二位に下りたなり。「習」は常習して輟まざるなり、「孚」は誠信で九二と九五を指す。水の流行往來は、終竟大海に朝宗して帰し、従より時を失わず。月の天上に運行するがごとき常有なり。だから重重の坎険は反って誠信を成就す。卦辞に「維心亨」という。虞翻の説明では、坎は心を象徴す。乾の二・五の両爻は旁行して坤に流注し、陰陽會合す。だから「亨」。卦辞に「行有尚」という。虞翻の説明では、「行」は九二を指し、「尚」は九五を指す。九二は震体に属して行動を象徴し、動きて正を得て上に九五に応ず。だから「行有尚,往有功也」。
《彖》曰:習坎,重險也。虞翻曰:兩象也。天險地險,故曰“重險也”。水流而不盈,荀爽曰:陽動陰中,故“流”。陽陷陰中,故“不盈”也。陸績曰:水性趨下,不盈溢崖岸也。月者水精,月在天,滿則虧,不盈溢之義也。行險而不失其信。荀爽曰:謂陽來為險,而不失中。中稱信也。虞翻曰:信,謂二也。震為行。水性有常,消息與月相應,故“不失其信”矣。
《彖伝》にいう。《習坎》は、重重の険阻なり。虞翻の説明では、これは上下両個の坎象で、天険あればまた地険あり。だから「重険」。《彖伝》に「水流而不盈」という。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。陽は陰の中に於て運動す。だから「流」。陽は陰の中に陥在す。だから「不盈」。陸績は別に解釈を作す。水の本性は下に向かい流るるにして、堤岸に満溢出ず。月は水の精華で、月は天上に在り、円満の後便ち虧缺す。これもまた盈満外溢せざるの意なり。《彖伝》に「行険而不失其信」という。荀爽の説明では、これは陽爻の前来して険陥を構成するも、中位を失わざるを言う。中に居るを「信」と称す。虞翻の説明では、「信」は九二を指す。震は行進を象徴す。水性に常度あり、其の消長は月と相応ず。だから「不失其信」。
維心亨,乃以剛中也。侯果曰:二五剛而居中,則“心亨”也。行有尚,往有功也。虞翻曰:功謂五。二動應五,故“往有功也”。天險不可升也,虞翻曰:謂五在天位。五從乾來,體屯難。故“天險不可升也”。地險山川丘陵也。虞翻曰:坤為地,乾二之坤,故曰“地險”。艮為山,坎為川;半山稱丘,丘下稱陵。故曰“地險山川丘陵也”。
《彖伝》に「維心亨,乃以剛中也」という。侯果の説明では、九二・九五は皆剛爻にして中位に居る。だから内心亨通す。《彖伝》に「行有尚,往有功也」という。虞翻の説明では、「功」は九五を指す。九二変動して上に九五に応ず。だから「往有功也」。《彖伝》に「天険不可升也」という。虞翻の説明では、これは九五の天位に処るを指す。九五は乾より来り、卦体に《屯》の艱難の象あり。だから天上の険阻は攀登する可からずという。《彖伝》に「地険山川丘陵也」という。虞翻の説明では、坤は地を象徴し、乾の第二爻は坤に進入す。だから「地険」。艮は山を象徴し、坎は河川を象徴し、山の半腰を「丘」と称し、丘下の高地を「陵」と称す。だから「地険山川丘陵也」。
王公設險以守其國,虞翻曰:王公大人謂乾五。坤為邦。乾二之坤成坎險,震為守,有屯難象。故“王公設險以守其國”。離言王用出征以正邦是也。案:九五,王也,六三,三公也。艮為山城,坎為水也。王公設險之象也。
《彖伝》に「王公設険以守其国」という。虞翻の説明では、王公大人は乾の第五爻を指し、坤は邦国を象徴す。乾の第二爻は坤に進入して坎険を形成し、震は守衛を象徴し、卦中にまた《屯》の艱難の象あり。だから「王公設険以守其国」。《離》卦上九に「王用出征,以正邦也」という。講ずる所まさに同一類の事なり。李鼎祚の案語は補充す。九五は王、六三は三公である。艮は山城を象徴し、坎は護城の水を象徴す。これがすなわち王公の険阻を設置するの物象なり。
險之時用大矣哉。 王肅曰:守險以德,據險以時,成功大矣。 《象》曰:水洊至,習坎。君子以常德行習教事。 陸績曰:洊,再。習,重也。水再至而溢,通流不舍晝夜。重習相隨以為常,有似於習,故君子象之。以常習教事,如水不息也。 虞翻曰:君子謂乾。五在乾,稱大人;在坎,為君子。坎為習、為常,乾為德,震為行,巽為教令,坤為事,故“以常德行習教事”也。
《彖伝》の末句は讚嘆す。険阻の時機と功効を善用するは、真に偉大なり。王肅の解説では、険を守るは徳政に靠り、険阻に憑據するは時宜に合するを要す。かくして建立する功業こそ盛大なり。《大象伝》にいう。流水は一重接一重に涌來す。これが《習坎》の象である。君子はこれに拠りて徳行操守を化して日常と為し、政教の事を反復演練す。陸績は字を訓していう。「洊」はすなわち「再」、一次接一次なり。「習」はすなわち「重」、一層疊一層なり。水は一再に涌來すれば便ち漫溢して開去し、晝夜奔流して停歇を肯ぜず、一重一重相接して常態と成る。甚だ人の反復演練するに似たり。だから君子は水に取象し、政教を演練するを以て常課と為し、流水の息まざるがごとし。虞翻は則ち卦象より立論す。「君子」は乾体を指し、九五は乾中に於て「大人」と称し、坎中に落れば便ち「君子」と称す。彼は坎を以て重複と恒常を象徴し、乾は徳を象徴し、震は行動を象徴し、巽は教令を象徴し、坤は事務を象徴す。六象は合せてまさに「以常德行習教事」の一句の来歴なり。
初六:習坎,入于坎窞,凶。 干寶曰:窞,坎之深者也。江河淮濟,百川之流行乎地中,水之正也。及其為災,則泛溢平地,而入于坎窞,是水失其道也。刑獄之用,必當於理,刑之正也。及其不平,則枉濫無辜,是法失其道也。故曰“入于坎窞,凶”矣。 《象》曰:習坎入坎,失道凶也。 虞翻曰:習,積也。位下,故習坎為人。坎中小穴稱窞。上無其應,初二失正,故曰“失道凶”矣。
初六の爻辞にいう。重重の陥陥の中にあって、また坎底の小洞穴に落進す。凶険。干宝は水患と刑政に按じて説を立つ。「窞」は坎底最深の小穴である。長江・黄河・淮水・済水これらの百川は大地の中に流行す。これ水の正道なり。一旦泛濫して災を成し、平地に漫過して深穴に灌進せば、すなわち水の其の正道を失うなり。刑罰獄訟の施用は必ず情理に合するを須う。これ刑の正道なり。一旦案を断じて平ならず、冤枉して無辜の人を濫殺せば、すなわち法の其の正道を失うなり。だから爻辞に「入于坎窞,凶」という。《小象伝》にいう。重険の中にまた坎に陥入するは、正道を失うに因りてこそ凶を致す。虞翻は則ち爻位より講ず。「習」は累積である。初六は最下の位に居る。だから重重の坎は皆人の身に壓す。坎卦中間の小穴を「窞」と称す。初六は上面に相応の爻なく、初・二の両爻また皆位に当らず。だから「失道凶」。
九二:坎有險,求小得。 虞翻曰:陽陷陰中,故“有險”。據陰有實,故“求小得”也。 《象》曰:求小得,未出中也。 荀爽曰:處中而比初三,未足為援。雖求小得,未出於險中。
九二の爻辞にいう。坎中は確かに険難あり、求むる所はただ小なる収穫を得るのみ。虞翻は爻位に依って解く。九二この一陽爻は初六・六三の両個の陰爻の間に陥在す。だから「有険」。但しそれは下に陰爻に據して自身充実す。だから能く「求小得」。《小象伝》にいう。ただ小有得るのみは、いまだ険の中間を走出せざればこそ。荀爽の解釈では、九二は下卦の中に居ると雖も、上下緊挨の初六と六三は皆陰柔にして、其の援手を充当するに足らず。だから縱令一点の小小的収穫を求め得るも、人はなお険境を脱出せず。
六三:來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用。 虞翻曰:坎在內,稱來,在坎終,故“來之坎坎”。枕,止也。艮為止。三失位乘二,則險。承五隔四,故“險且枕”。入于坎窞,體師三輿,故“勿用”。 《象》曰:來之坎坎,終無功也。 干寶曰:坎,十一月卦也。又失其位,喻殷之執法者,失中之象也。來之坎者,斥周人觀釁於周也。枕,安也。險且枕者,言安忍以暴政加民,而無哀矜之心,淫刑濫罰,百姓無所措手足,故曰“來之坎坎,終無功也”。
六三の爻辞にいう。来るも坎、去るも坎、すでに険にしてまた停滞前進せず、坎底の深穴に掉進す。作為する所有る可からず。虞翻は内外卦と爻位に按じて講ず。坎は内卦に在るを「来」と称し、六三はまた下坎の終点に処る。だから「来之坎坎」。「枕」は停止で、艮の止るの象を取る。六三は本身位に当らず、また九二に凌乘す。だから険あり。それは上に九五を承けんと欲するも、六四に隔断せらる。だから「険且枕」。坎窞に落進し、また《師》卦の「三人輿尸」の象に合す。だから「勿用」を告誡す。《小象伝》にいう。来去皆坎なるは、終竟功あらざるなり。干宝は改めて月建と殷周の史事に從い立説す。坎は十一月の卦で、六三はまた位に当らず。殷商の刑を掌る人の中道を失うに比喩す。いわゆる「来之坎」は、指す所は周人の前来して乗ず可き隙を窺伺するなり。「枕」はここに於ては安と訓し、「険且枕」は彼らの心安理得に暴政を百姓の身上に加え、毫も哀憐の心なく、刑罰を濫施して、百姓をして手脚を安んずる処なからしむを言う。だから「来之坎坎,終无功也」。
六四:樽酒簋,貳用缶。 虞翻曰:震主祭器,故有“樽簋”。坎為酒。簋,黍稷器。三至五,有頤口象。震獻在中,故為“簋”。坎為木,震為足;坎酒在上,樽酒之象。貳,副也。坤為缶,禮有副樽,故“貳用缶”耳。 內約自牖,終無咎。 虞翻曰:坎為內也。四陰小,故“約”。艮為牖,坤為戶,艮小光照戶牖之象;貳用缶。故“內約自牖”。得位承五,故“無咎”。 崔覲曰:於重險之時,居多懼之地,近三而得位,比五而承陽。修其絜誠,進其忠信,則雖祭祀省薄,明德惟馨。故曰“樽酒簋,貳用缶”。內約,文王於紂時行此道,從羑里內約,卒免於難,故曰“自牖,終無咎也”。
六四の爻辞にいう。一樽の酒・一簋の飯、副樽は瓦缶を以て盛る。虞翻は互体取象に依って解く。震は祭器を主管す。だから「樽」「簋」あり。坎は酒である。簋は黍稷を盛る器皿である。六三より九五に至る互成する《頤》卦は、口の形象あり、震は其の中に在りて献祭の状のごとし。だから「簋」と為す。坎は木、震は足で、坎の酒また上面に在る。まさに樽中に酒を盛るの象なり。「貳」は副の意で、坤は瓦缶に為り、礼制の中にもと副樽あり。だから「貳用缶」。經文続いていう。窗口より簡約に進獻すれば、最終に咎なし。虞翻の説明では、坎は内である。六四は陰爻で、陰は小。だから「約」と称す。艮は窗牖、坤は門戸で、艮の小明は門窗に照進し、さらに副樽の缶を用うるを加え、合して「内約自牖」の象を成す。六四は正位を得て上に九五を承く。だから「无咎」。崔覗は則ち人事に着眼す。重重険難の時に於て、六四は多懼の地に身を処し、九三に緊挨して自ら位に当り、また九五に親比して陽剛を承奉す。ただ潔浄誠敬を修持し、忠信を進獻すれば、祭品は縦令儉薄なれど、光明の徳行は自ら芬芳遠聞せん。だから「樽酒簋,貳用缶」。いわゆる「内約」は、文王の紂王の世に於ける行う所の道なり。彼は羑里に囚わるる時この簡約の節を守り、終に禍難を免るを得。だから「自牖,終无咎也」という。
《象》曰:樽酒簋,剛柔際也。 虞翻曰:乾剛坤柔,震為交,故曰“剛柔際也”。 九五:坎不盈,禔既平,無咎。 虞翻曰:盈,溢也。艮為止,謂水流而不盈。坎為平。禔,安也。艮止坤安,故“禔既平”。得位正中,故“無咎”。 《象》曰:坎不盈,中未光大也。 虞翻曰:體屯五中,故未光大也。
《小象伝》にいう。一樽の酒一簋の飯は、剛柔の交接するのゆえなり。虞翻の説明では、乾は剛・坤は柔で、震に交合の義あり。だから「剛柔際也」。九五の爻辞にいう。坎中の水は満溢せず、安穏にして平静に帰す。咎なし。虞翻の説明では、「盈」は満溢である。艮は止で、水は流動すると雖も漫出するに至らざるを指す。坎に平の象あり。「禔」は安である。艮は止り坤は安なり。だから「禔既平」。九五はすでに位に当りてまた中に居る。だから「无咎」。《小象伝》にいう。坎水は盈たらざるは、中に居るの徳いまだ光大せざればこそ。虞翻の説明では、九五は《屯》卦九五の中に居るの体象に合す。だから其の徳はいまだ光大せず。
上六:係用徽纆,寘于叢棘,三歲不得,凶。 虞翻曰:徽纆,黑索也。觀巽為繩,艮為手,上變入坎。故“係用徽纆”。寘,置也。坎多心,故“叢棘”。獄外種九棘,故稱“叢棘”。二變則五體剝,剝傷坤殺,故“寘于叢棘”也。不得,謂不得出獄。艮止坎獄。乾為歲,五從乾來,三非其應,故曰“三歲不得,凶”矣。
上六の爻辞にいう。繩索を以て捆縛し、荊棘叢中の牢獄に関進し、三年脱するを得ず。凶険。虞翻の説明では、「徽纆」は黒色の繩索である。《觀》卦より看れば、巽は繩、艮は手で、上爻変動して坎に入る。だから「繋用徽纆」。「寘」はすなわち安置である。坎木は堅硬にして多心なればこそ「叢棘」の象を取る。古時獄門の外に九棵の棘樹を種す。しかるがゆえに「叢棘」と称す。九二は一変すれば、九五の体は便ち《剥》を成し、剥に傷害の義あり、坤はまた殺を主る。だから「寘于叢棘」。「不得」は牢獄より出づる能わざるを指す。艮は止、坎は獄である。乾は歳数を主り、九五は乾より来れど、而して六三は并びに上六と相応せず。だから「三歳不得,凶」。
《象》曰:上六失道,凶三歲也。 《九家易》曰:坎為叢棘,又為法律。 案《周禮》:王之外朝,左九棘,右九棘,面三槐,司寇公卿議獄於其下。害人者,加明刑。任之以事。上罪三年而舍,中罪二年而舍,下罪一年而舍也。 案:坎於木堅而多心,叢棘之象也。坎下巽爻,巽為繩直,“係用徽纆”也。馬融云:徽纆,索也。劉表云:三股為徽,兩股為纆,皆索名。以繫縛其罪人矣。
《小象伝》にいう。上六は正道を失えばこそ、凶険は三年を延続するを要す。《九家易》にいう。坎はすでに叢棘を象徴し、また法律を象徴す。李鼎祚の案語は《周礼》を引いていう。天子の外朝は、左に九棵の棘樹を種え、右に九棵の棘樹を種え、正面に三棵の槐樹を種え、司寇と公卿は便ち樹下に於て獄案を評議す。人を害する人に対して明刑を施し、かつ彼を罰して労役に服せしむ。重罪は三年を服満して釈放し、中罪は二年にして釈放し、軽罪は一年にして釈放す。李鼎祚また按ず。坎は木類の中に於て堅硬にして多心の一種に属し、まさに叢棘の象なり。坎下に巽爻あり、巽は繩・直なり。これがすなわち「繋用徽纆」の由来なり。馬融にいう。徽纆はすなわち繩索なり。劉表にいう。三股を搓りて成るを「徽」と称し、両股を搓りて成るを「纆」と称す。皆繩索の名にして、以て罪人を捆縛するに用いるなり。
離卦
《序卦》曰:陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。 崔覲曰:物極則反。坎雖陷於地,必有所麗於天,而受之以離也。 (離下離上)。離:利貞,亨。 虞翻曰:坤二五之乾,與坎旁通。於爻,遯初之五,柔麗中正,故“利貞,亨”。 畜牝牛,吉。 虞翻曰:畜,養也。坤為牝牛。乾二五之坤成坎,體頤養象。故“畜牝牛,吉”。俗說皆以離為牝牛,失之矣。
《序卦伝》にいう。陥落の後は必ず附麗する所有らん。だから《坎》卦の後に《離》を接ぐ。「離」はすなわち附着である。崔覗の解釈では、事物は極点に到れば便ち反転し、坎は地下に陥在すると雖も、終竟天に依附する所有らん。しかるがゆえに後に接ぐは《離》なり。《離》卦は下は離上は離。卦辞にいう。正を守るに利あり、亨通。虞翻は卦変と旁通に依りて説を立つ。坤の二・五の両爻は乾に交入して離を成し、それは《坎》卦と互いに旁通す。もし爻変より看れば、則ち《遯》卦の初爻が五位に升る。柔爻は中正の位に附麗す。だから「利貞,亨」。卦辞またいう。母牛を畜養すれば、吉祥。虞翻の説明では、「畜」は養である。坤は母牛である。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、其の体に《頤》卦の養育の象あり。だから「畜牝牛,吉」。世俗の説は皆離本身を以て母牛と為す。あれは錯なり。
《彖》曰:離,麗也。 荀爽曰:陰麗於陽,相附麗也。亦為別離,以陰隔陽也。離者,火也。托於木,是其附麗也。煙焰飛昇,炭灰降滯,是其別離也。 日月麗乎天。 虞翻曰:乾五之坤成坎,為月;離為日。日月麗天也。 百穀草木麗乎也。 虞翻曰:震為百穀,巽為草木,坤為地。乾二五之坤成坎。震體屯。屯者,盈也。盈天地之間者唯萬物,萬物出震,故“百穀草木麗乎地”。
《彖伝》にいう。離は、すなわち附麗なり。荀爽の解釈では、陰は陽に附着す。これ彼此依附するなり。但し「離」にまた分離の義あり。陰が両陽を隔開せばこそ。離は火で、火は木の上に托附して燃焼するを要す。これがすなわち其の附麗なり。而して煙焰は上に向かい飛騰し、炭灰は下に向かい沈落す。これがすなわち其の分離なり。《彖伝》続いていう。日月は天に附麗す。虞翻の説明では、乾の五爻は坤に交入して坎を成し、坎は月である。離本身は日である。だから日月皆天に附麗す。《彖伝》またいう。百穀草木は地に附麗す。虞翻の説明では、震は百穀、巽は草木、坤は地である。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、震の体はまた《屯》卦に合し、「屯」は盈満の義である。天地の間に充盈するはただ万物のみ、而して万物は皆震より出づ。だから「百穀草木麗乎地」。
重明以麗乎正,乃化成天下。 虞翻曰:兩象,故重明。正謂五陽。陽變之坤來化乾,以成萬物,謂離日“化成天下”也。 柔麗乎中正,故亨。 虞翻曰:柔謂五陰,中正謂五伏陽。出在坤中,畜牝牛。故“中正”而“亨”也。 是以畜牝牛吉也。 荀爽曰:牛者,土也。生土於火。離者,陰卦。牝者,陰性,故曰“畜牝牛吉”矣。
《彖伝》にいう。両重の光明は正道に附麗し、ここに化育して天下を成就す。虞翻の説明では、上下両個の離象は疊りて一つに在る。だから「重明」と称す。「正」は五位の陽を指す。陽爻は坤中に変入して乾体を化育し、これによりて万物を生成す。これがすなわち離日の「化成天下」の意なり。《彖伝》にいう。柔順の者は中正の位に附麗す。だから亨通。虞翻の説明では、「柔」は六五この一陰爻を指し、「中正」は五位の下に潜伏する陽爻を指す。それは坤中に出現し、まさに母牛を畜養するの義に合す。だから既に「中正」にしてまた「亨」。《彖伝》最後にいう。これに因りて母牛を畜養してこそ吉祥なり。荀爽は別の角度に換えていう。牛は土に属し、而して土は火に生ぜらる所なり。離は陰卦で、「牝」はまた陰の属性である。だから「畜牝牛吉」。
《象》曰:明兩作離, 虞翻曰:兩謂日與月也。乾五之坤成坎,坤二之乾成離,離坎日月之象,故“明兩作離”。作,成也。日月在天,動成萬物,故稱作矣。或以日與火為明。兩作也。 大人以繼明照于四方。 虞翻曰:陽氣稱大人,則乾五大人也。乾二五之光,繼日之明。坤為方,二五之坤。震東兌西,離南坎北,故曰“照于四方”。
《大象伝》にいう。光明は両度興起す。これが《離》である。虞翻の説明では、「両」は日と月を指す。乾の五爻は坤に交入して坎を成し、坤の二爻は乾に交入して離を成す。離と坎はまさに日月の象なり。だから「明両作離」。「作」は生成の義で、日月は天に運行し、一動すれば便ち万物を生成す。故に「作」と称す。またある人は日と火を以て両重の光明と看す。同じく「両作」なり。《大象伝》続いていう。大人は相継不断の光明を以て四方に照臨す。虞翻の説明では、陽気は「大人」と称す可く、ここに指すは乾九五の大人なり。乾の二・五両爻の光輝は、太陽の光明に接続す。坤は方位で、二・五の両爻は坤に入る。ここに震は東・兌は西・離は南・坎は北なり。だから「照于四方」。
初九:履錯然,敬之,無咎。 荀爽曰:火性炎上,故初欲履錯於二。二為三所據。故“敬之”則“無咎”矣。 《象》曰:履錯之敬,以辟咎也。 王弼曰:錯然,敬慎之貌也。處離之始,將進其盛,故宜慎所履。以敬為務,闢其咎也。 六二:黃離,元吉。《象》曰:黃離元吉,得中道也。 侯果曰:此本坤爻,故云“黃離”。來得中道,所以“元吉”也。
初九の爻辞にいう。步履は交錯雜沓す。恭敬謹慎を以て対待すれば、咎なし。荀爽は陽升陰降の理に依りていう。火性は上に向かい燃焼す。だから初九は上行して六二と交錯せんと欲す。但し六二はすでに九三に占據せらる。しかるがゆえに初九はただ「敬之」してこそ「无咎」を得ん。《小象伝》にいう。步履交錯して恭敬を知るは、災咎を避開せんが為なり。王弼の説明では、「錯然」は恭敬審慎の様である。初九は離体の開端に処り、まさに興盛に走向せんとす。だからまさに自らの挙歩を謹慎し、恭敬を以て要務と為し、以て過咎を躲過すべし。六二の爻辞にいう。黄色の附麗は、大いに吉祥。《小象伝》にいう。黄離大吉は、中道を得ればこそ。侯果の説明では、六二はもと坤卦の爻で、坤の色は黄なり。だから「黄離」。それは来りて下卦の中に居りて中道を得。しかるがゆえに「元吉」。
九三:日昃之離, 荀爽曰:初為日出,三為日昃,以喻君道衰也。 不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。 《九家易》曰:鼓缶者以目下視。離為大腹,瓦缶之象,謂不取二也。歌者口仰向上,謂兌為口,而向上取五也。日昃者,向下也。今不取二,而上取五,則上九耋之陽稱大也。嗟者,謂上被三奪五,憂嗟窮凶也。火性炎上,故三欲取五也。 《象》曰:日昃之離,何可久也。 《九家易》曰:日昃當降,何可久長。三當據二,以為鼓缶,而今與四同取於五,故曰“不鼓缶而歌”也。
九三の爻辞にいう。太陽偏西の時の附麗。荀爽の説明では、初九は日出のごとく、九三は日斜のごとし。以て君道の衰落に比喩す。爻辞続いていう。瓦缶を敲きて歌わざれば、便ち年老の者の悲嘆あらん。凶険。《九家易》は取象より講ず。缶を敲く人は頭を低くして下視するを要す。離は大腹にして、まさに瓦缶の象なり。だから「不鼓缶」は九三の下の六二を取らざるを言う。歌う人は則ち口を仰いで上に向かう。兌は口にして上に向かうは、九三の往きて九五を争うを言う。日斜はもと下に向かうの勢いなり。今九三は下の六二を取らず、反って上に向かい五を争う。すれば上九この年老の陽は便ち「大耋」と称さる。いわゆる「嗟」は、上九は九三に五位を奪去せられ、憂愁悲嘆して窮困凶険を致すなり。火性はもと炎上なればこそ、九三はこそ上に九五を取らんと欲す。《小象伝》にいう。日斜の時の附麗は、いずくんぞ能く長久ならんや。《九家易》にいう。太陽は偏西すれば便ち落下すべし。いずくんぞなお能く長久ならん。九三はもとまさに六二を據有すべく、那はこそ「鼓缶」なり。今却って九四と一同に往きて九五を争取す。だから「不鼓缶而歌」という。
九四:突如,其來如,焚如,死如,棄如。 荀爽曰:陽升居五,光炎宣揚,故“突如”也。陰退居四,灰炭降墜,故“其來如”也。陰以不正,居尊乘陽。歷盡數終,天命所誅。位喪民畔,下離所害。故“焚如”也。以離入坎,故“死如”也。火息灰損,故“棄如”也。 《象》曰:突如,其來如,無所容也。 《九家易》曰:在五見奪,在四見棄,故“無所容也”。
九四の爻辞にいう。突然として冒出し、忽然として到来し、焚焼せらるるがごとく、すでに死去せるがごとく、抛棄せらるるがごとし。荀爽は乾升坤降に依って解く。陽爻は上昇して五位に居り、光焰は宣揚す。だから「突如」。陰爻は退下して四位に居り、灰炭の墜落するがごとし。だから「其来如」。陰は不正の身を以て尊位に居りて陽剛を凌乘す。気数は尽頭に走到し、これ天命の誅討せんと欲する所なり。一旦位を失いて百姓背叛せば、便ち下の離火に害せられん。だから「焚如」。離より坎に入り、坎は陥にして死なり。だから「死如」。火は熄滅し灰燼は散尽す。だから「棄如」。《小象伝》にいう。突然として冒出し忽然として到来するは、身を容るる処なければこそ。《九家易》にいう。それは五位の上に於て奪去せられ、四位の上に於てまた抛棄せらる。だから「无所容也」。
六五:出涕沱若, 荀爽曰:六五陰柔,退居於四,出離為坎,故“出涕沱若”。而下,以順陰陽也。 戚嗟若,吉。 虞翻曰:坎為心,震為聲,兌為口,故“戚嗟若”。動而得正,尊麗陽,故“吉”也。 《象》曰:六五之吉,離王公也。 《九家易》曰:戚嗟順陽,附麗於五,故曰“離王公也”。陽當居五,陰退還四,五當為王。三則三公也。四處其中,附上下矣。
六五の爻辞にいう。涕涙滂沱として流下す。荀爽の説明では、六五は陰柔の爻で、退下して四位に居り、離より出でて坎を成し、坎は水なり。だから「出涕沱若」。それは甘んじて下面に退くは、陰陽各々其の位に帰するの理に順応せんが為なり。爻辞続いていう。憂戚嘆息すれど、吉祥。虞翻は取象より講ず。坎は心、震は声、兌は口で、三象は合して「戚嗟若」を成す。六五は一動すれば便ち正位を得、また尊貴の身を以て陽に附麗す。だから「吉」。《小象伝》にいう。六五の吉は、王公に附麗するに在ればこそ。《九家易》にいう。憂戚嘆息して陽剛に順從し、五位の上に附着す。だから「離王公也」。陽はもとまさに五位に居るべく、陰は退還して四位に至れば、すれば五位はまさに王と為るべく、三位はすなわち三公なり。六四は王と公の間に処り、上下皆依附する所有り。
上九:王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎。 虞翻曰:王謂乾。乾二五之坤成坎,體師象;震為出,故“王用出征”。首謂坤。二五來折乾,故“有嘉折首”。丑,類也。乾徵得坤陰類,乾陽物,故“獲非其丑,無咎”矣。 《象》曰:王用出征,以正邦也。 虞翻曰:乾五出征坤,故“正邦也”。
上九の爻辞にいう。君王は兵を出して征伐し、嘉美の功あり、首悪を斬獲し、俘獲する所は同類に非ず、咎なし。虞翻の説明では、「王」は乾を指す。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、其の体は《師》卦の象に合し、震に出行の義あり。だから「王用出征」。「首」は坤を指す。二・五の両爻は前来して乾体を折斷す。だから「有嘉折首」。「丑」は類の意で、乾の出征して俘獲する所は坤の陰類なり。乾自身は陽物で、両者はもと同類に非ず。だから「獲非其丑,无咎」。《小象伝》にいう。君王の兵を出して征伐するは、以て邦国を端正せんが為なり。虞翻の説明では、乾九五は出でて坤を征伐す。だから「正邦也」。
巻七・咸卦
《序卦》曰:有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。 韓康伯曰:言咸卦之義也。咸柔上而剛下,感應以相與。夫婦之象,莫美乎斯。人倫之道,莫大夫婦。故夫子殷勤深述其義,以崇人倫之始,而不繫之離也。先儒以乾至離為上經,天道也;咸至未濟為下經,人事也。夫易六畫成卦,三材必備,錯綜天人,以效變化,豈有天道人事偏於上下哉。斯蓋守文而不求義,失不遠矣。
《序卦伝》にいう。天地あってこそ万物あり、万物あってこそ男女あり、男女あってこそ夫婦あり、夫婦あってこそ父子あり、父子あってこそ君臣あり、君臣あってこそ上下の分あり、上下の分あってこそ、礼義は安放施行する処あるを得ん。韓康伯の解釈では、この一段はまさに《咸》卦の義を講ず。咸卦は柔爻は上・剛爻は下にして、彼此感応して相交わる。夫婦の象はこれより美なるはなし。人倫の道もまた夫婦より重大なるはなし。だから孔子はここに於て懇切詳尽に其の義を申述し、以て人倫の開端を推崇し、而してこの段の話を《離》卦の下に係せず。先儒は《乾》より《離》に至るを上経と定め、それは天道を講ずと言い、《咸》より《未済》に至るを下経と定め、それは人事を講ずと言う。其の実《易》は六画を以て卦を成し、天・地・人の三才は必ず倶備し、天道と人事は交錯綜合して以て変化を摹写す。いずくんぞ天道偏に上経に在り人事偏に下経に在るの道理あらんや。これはただ文字に拘守して義理を深求せざれば、其の失誤すでに小ならざるなり。
(艮下兌上)。咸:亨,利貞,取女吉。 虞翻曰:咸,感也。坤三之上成女,乾上之三成男,乾坤氣交以相與。止而說,男下女。故“通利貞,取女吉”。 鄭玄曰:咸,感也。艮為山。兌為澤。山氣下,澤氣上,二氣通而相應,以生萬物,故曰“咸”也。其於人也。嘉會禮通,和順於義,幹事能正。三十之男,有此三德,以下二十之女,正而相親說,取之則吉也。
《咸》卦は下は艮上は兌。卦辞にいう。亨通、正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。虞翻は卦変に依って解く。「咸」は感応である。坤の三爻は上位に升りて兌女を成し、乾の上爻は三位に降りて艮男を成す。乾坤二気は交通して彼此相与す。艮は止、兌は悦で、止りて喜悅し、また男は女の下に在る。だから「亨通・利貞・取女吉」。鄭玄は別の角度に換えていう。「咸」は感応である。艮は山、兌は沢で、山気は下降し、沢気は上昇し、両気は相通相応して万物を生養す。だから「咸」と称す。人事に就きて言えば、則ち嘉美の聚會は礼節通達し、和順にして義理に合し、事を辦して能く正を守る。三十歳の男子はこの三種の徳行を具備し、而して二十歳の女子の下に屈身するを肯ず。双方は正道を以て相亲相悦す。この時彼女を娶れば吉祥なり。
《彖》曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與。 蜀才曰:此本否卦。案:六三升上,上九降三,是柔上而剛下,二氣交感,以相與也。 止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。 王肅曰:山澤以氣通,男女以禮感。男而下女,初婚之所以為禮也。通義正,取女之所以為吉也。 天地感而萬物化生, 荀爽曰:乾下感坤,故萬物化生於山澤。 陸績曰:天地因山澤孔竅,以通其氣,化生萬物也。
《彖伝》にいう。咸は、すなわち感応なり。柔爻は上行し剛爻は下降し、両種の気は彼此感応して相交わる。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《否》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。《否》卦の六三は上位に上昇し、上九は三位に下降す。これがすなわち柔上剛下で、二気は交感して相与す。《彖伝》続いていう。止りて喜悅し、男子は女子の下に屈居す。だから亨通・正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。王肅の説明では、山と沢は気に靠りて相通じ、男と女は礼に靠りて相感ず。男子は女子の下に屈居するを肯ずは、まさに初婚の礼に合する所以の処なり。義理は通達して端正なり。これがすなわち妻を娶るの吉祥なる所以のゆえなり。《彖伝》にいう。天地は互相感応して万物は化育生長す。荀爽は乾坤升降に依りていう。乾は下降して坤を感応す。だから万物は山沢の間に於て化育して生ず。陸績は補充していう。天地は山沢の孔竅を借りて以て其の気を溝通し、しかるがゆえに万物を化育す。
聖人感人心而天下和平。 虞翻曰:乾為聖人;初四易位成既濟;坎為心、為平,故“聖人感人心而天下和平”。此保合太和,品物流形也。 觀其所感,而天地萬物之情可見矣。 虞翻曰:謂四之初,以離日見天,坎月見地,懸象著明,萬物見離,故“天地萬物之情可見”也。 《象》曰:山上有澤,咸。 崔覲曰:山高而降,澤下而升。山澤通氣,咸之象也。 君子以虛受人。 虞翻曰:君子謂否乾。乾為人,坤為虛,謂坤虛三受上,故“以虛受人”。艮山在地下為謙,在澤下為虛。
《彖伝》にいう。聖人は人心を感化し、しかるがゆえに天下は和睦太平す。虞翻の説明では、乾は聖人である。初爻と四爻は位置を交換すれば便ち《既済》を成し、坎は心にしてまた平なり。だから「聖人感人心而天下和平」。これまさに《乾》卦《彖伝》の講ずる所の保合太和・品物流形なり。《彖伝》またいう。其の感応する所の道を觀察すれば、天地万物の実情は見る可きなり。虞翻の説明では、これは九四の初位に降るを指し、離日を以て天を照見し坎月を以て地を照見す。日月は懸象昭著分明にして、万物皆離に顕現す。だから「天地万物之情可見」。《大象伝》にいう。山の上に沢あり。これが《咸》である。崔覗の説明では、山は高くして気は下降し、沢は低くして気は上昇す。山沢二気は相通ず。まさに咸卦の象なり。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて己を虚しくして以て他人を接納す。虞翻の説明では、「君子」は《否》卦の乾を指す。乾は人、坤は虚で、すなわち坤は己を虚しくするの三爻を以て上爻を承受す。だから「以虚受人」。艮山は地の下に在れば便ち《謙》で、沢の下に在れば便ち虚なり。
初六:咸其母。《象》曰:咸其母,志在外也。 虞翻曰:母,足大指也。艮為指。坤為母,故“咸其母”。失位遠應,之四得正,故“志在外”。謂四也。 六二:咸其腓,凶。居吉。《象》曰:雖凶居吉,順不害也。 崔覲曰:腓,腳膊。次於母,上二之象也。得位居中,於五有應,若感應相與,失艮止之禮,故“凶”。居而承比於三,順止而隨於當禮,故“吉”也。
初六の爻辞にいう。脚の大拇指に感応す。《小象伝》にいう。其の拇に感ずるは、心志の外に向かえばこそ。虞翻の説明では、「母」はすなわち脚の大拇指で、艮は指、坤は拇なり。だから「咸其母」。初六は位に当らずして遥遠の九四と相応じ、四位に変れば便ち正を得。だから「志在外」といい、この「外」の指す所はすなわち九四なり。六二の爻辞にいう。小腿肚に感応すれば、凶険。安居すれば則ち吉。《小象伝》にいう。凶険なれど安居すれば吉なるは、順從すれば便ち被害せられざればこそ。崔覗の説明では、「腓」は小腿肚で、位次は脚拇指の上に在り、まさに第二爻の象に合す。六二は位に当りて中に居り、九五と相応ず。但しもし急いで往きて感応相与せば、便ち艮卦「止」の礼節を失掉す。だから「凶」。もし安居して上に九三を承け親比し、止の本分に順い礼に合する事に隨従すれば、便ち「吉」。
九三:咸其股,執其隨,往咎。 崔覲曰:股髀而次於腓,上三之象也。剛而得位,雖欲感上,以居艮極,止而不前,二隨於已,志在所隨,故“執其隨”。下比二也,而遂感上,則失其正義,故“往吝”窮也。 《象》曰:咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。 虞翻曰:巽為股,謂二也。巽為隨,艮為手,故稱“執”。三應於上,初四已變歷險,故“往吝”。巽為處女也,男已下女,以艮陽入兌陰,故“不處也”。凡士與女未用,皆稱“處”矣。志在於二,故“所執下也”。
九三の爻辞にいう。大腿に感応し、執意として人に跟従すれば、前往すれば過失あらん。崔覗の説明では、「股」は大腿で、位次は小腿の上に在り、まさに第三爻の象に合す。九三は陽剛にして位に当る。上六を上感せんと欲すると雖も、艮体の頂端に居るに因りて、止りて前せず。六二またそれに隨従すれば、其の心思は便ちこの隨従の者の身上に落つ。だから「執其随」。それは下に六二に親比すれど、却ってまた往きて上六に感応せんとす。すれば便ち正当の義理を失掉す。だから「往吝」にして困窮す。《小象伝》にいう。大腿に感応するは、また安処する能わざるなり。心志は人に隨従するに在り、執守する所は太だ卑下なり。虞翻は取象より講ず。巽は股で、ここに指すは六二なり。巽はまた随で、艮は手なり。だから「執」と称す。九三は上六と相応ずるも、初・四の両爻すでに変じて険難を経歴するを須う。だから「往吝」。巽は処女で、今男すでに女の下に屈居し、艮の陽を以て兌の陰に入る。だから「不処也」という。およそ士人と女子のいまだ出仕せず出嫁せざるは、皆「処」と称す。九三の心志は六二の身上に落つ。だから「所執下也」。
九四:貞吉,悔亡。憧憧往來,朋從爾思。 虞翻曰:失位悔也。應初動得正,故“貞吉”而“悔亡”矣。憧憧,懷思慮也。之內為來,之外為往。欲感上,隔五;感初,隔三,故“憧憧往來”矣。兌為朋,少女也。艮初變之四,坎心為思,故曰“朋從爾思”也。 《象》曰:貞吉悔亡,未感害也。 虞翻曰:坤為害也。今未感坤,初體遯弒父,故曰“未感害”也。 憧憧往來,未光大也。 虞翻曰:未動之離,故未光大也。
九四の爻辞にいう。正を守れば則ち吉、悔恨消失す。心思は往來不定なれど、朋友はただ爾の心念に跟従す。虞翻の説明では、九四は位に当らず、もと悔あり。但しそれは初六と相応じ、一動すれば便ち正位を得。だから「貞吉」にして「悔亡」。「憧憧」は心中反復思量の様である。内卦に向かうを「来」と称し、外卦に向かうを「往」と称す。それは上六に感応せんと欲するも九五に隔てられ、初六に感応せんと欲するもまた九三に隔てらる。だから「憧憧往來」。兌は朋で、少女を指す。艮の初爻は変じて四位に升り、坎は心・思なり。だから「朋従爾思」。《小象伝》にいう。正を守りて吉を得悔恨消失するは、いまだ傷害を感受せざればこそ。虞翻の説明では、坤は害である。今九四はいまだ坤に感応せず、而して初爻の体にまた《遯》卦「子弑其父」の危あり。だから「未感害」。《小象伝》またいう。心思往來不定なるは、徳いまだ光大せざればこそ。虞翻の説明では、九四はいまだ変動して離を成さず。だから光明はなお広大ならず。
九五:咸其脢,無悔。 虞翻曰:脢,夾脊肉也。謂四已變,坎為脊,故“咸其脢”。得正,故“無悔”。 《象》曰:咸其脢,志末也。 案:末,猶上也。四感於初,三隨其二,五比於上,故“咸其脢”。志末者,謂五志感於上也。 上六:咸其輔頰舌。 虞翻曰:耳目之間稱輔頰。四變之目,坎為耳,兌為口舌。故曰“咸其輔頰舌”。 《象》曰:咸其輔頰舌,媵口說也。 虞翻曰:媵,送也。不得之三,山澤通氣,故“媵口說也”。
九五の爻辞にいう。脊背両旁の肉に感応す。悔恨なし。虞翻の説明では、「脢」は脊骨を夾む肉である。九四すでに変動し、坎は脊なり。だから「咸其脢」。九五は位に当りて正を得。だから「无悔」。《小象伝》にいう。其の脢に感ずるは、心志の末梢に在ればこそ。李鼎祚の案語にいう。「末」は「上」に由くがごとし。九四は初六に感応し、九三は六二に隨従し、九五は則ち上六に親比す。だから「咸其脢」。いわゆる「志末」は、九五の心志は上六に感応するを言う。上六の爻辞にいう。牙床・面頬と舌頭に感応す。虞翻の説明では、耳と目の間を「輔頬」と称す。九四は一変して目を成し、坎は耳、兌は口舌なり。だから「咸其輔頬舌」。《小象伝》にいう。其の輔頬舌に感ずるは、ただ口舌の説を逞しくするのみなり。虞翻の説明では、「媵」は伝送の意である。上六は三位に下る能わず、ただ山沢通気の義に凭りて相感ず。だから「媵口説也」。
恒卦
《序卦》曰:夫婦之道,不可不久也。故受之以恆。恆者,久也。 鄭玄曰:言夫婦當有終身之義。夫婦之道,謂咸也。 (巽下震上)。恆:亨,無咎,利貞。 虞翻曰:恆,久也。與益旁通。乾初之坤四,剛柔皆應,故“通,無咎,利貞”矣。 鄭玄曰:恆,久也。巽為風,震為雷,雷風相須而養物,猶長女承長男,夫婦同心而成家,久長之道也。夫婦以嘉會禮通,故“無咎”。其能和順幹事,所行而善矣。 利有攸往。 虞翻曰:初利往之四,終變成益,則初四二五皆得其正,終則有始,故“利有攸往”也。
《序卦伝》にいう。夫婦の道は久しからざる可からず。だから《咸》卦の後に《恒》を接ぐ。「恒」はすなわち長久である。鄭玄の解釈では、これは夫婦はまさに終身相守するの義分あるべきを講ず。いわゆる夫婦の道は、指す所は前面の《咸》卦なり。《恒》卦は下は巽上は震。卦辞にいう。亨通、咎なし、正を守るに利あり。虞翻は旁通と卦変に依って解く。「恒」は長久で、この卦は《益》卦と互いに旁通す。乾の初爻は坤の四位に交わり、六爻は剛柔両両相応ず。だから「亨通・无咎・利貞」。鄭玄は別に物象と人倫よりいう。「恒」は久である。巽は風、震は雷で、雷と風は互相依待して万物を養育す。長女の長男を承事するに譬え、夫婦は同心にして家庭を組成す。これがすなわち長久の道なり。夫婦は嘉美の婚会に因りて礼節は通達す。だから「无咎」。能く和順に事を辦すれば、作為する所は自然良善なり。卦辞またいう。前往する所有るに利あり。虞翻の説明では、初爻は四位に往くに宜しく、最終に《益》卦に変ず。すれば初と四・二と五の各爻は皆正位に帰し、終了の処はまた新たな開始なり。だから「利有攸往」。
《彖》曰:恆,久也。剛上而柔下, 王弼曰:剛尊柔卑,得其序也。 雷風相與,巽而動, 蜀才曰:此本泰卦。 案:六四降初,初九升四,是剛上而柔下也。分乾與坤,雷也。分坤與乾,風也。是雷風相與,巽而動也。 剛柔皆應,恆。 《九家易》曰:初四二五雖不正,而剛柔皆應,故“通無咎”矣。 恆亨,無咎,利貞,久於其道也。 荀爽曰:恆,震世也,巽來乘之,陰陽合會,故“通無咎”。長男在上,長女在下,夫婦道正,故“利貞,久於其道也”。
《彖伝》にいう。恒は、すなわち長久なり。剛は上に在りて柔は下に在る。王弼の説明では、剛は尊・柔は卑にして、各々其の有るべき次序を得。《彖伝》続いていう。雷と風は相互に助成し、柔順にして能く奮動す。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《泰》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。《泰》卦の六四は初位に下降し、初九は四位に上昇す。これがすなわち剛上にして柔下なり。乾の一爻を坤に分与して震雷と成し、坤の一爻を乾に分与して巽風と成す。これがすなわち雷風相与・巽順にして奮動するなり。《彖伝》またいう。剛柔各爻皆相応ず。これがすなわち《恒》なり。《九家易》にいう。初と四・二と五は皆位に当らざると雖も、剛柔は彼此皆呼応あり。だから「亨通无咎」。《彖伝》にいう。恒の亨通・无咎・利貞は、能く其の正道を長久に守ればこそ。荀爽は世応と升降に依りていう。恒は震宮に属するの世卦で、巽卦は前来してそれに乘配し、陰陽會合す。だから「亨通无咎」。長男は上・長女は下にして、夫婦の道は端正なり。だから「利貞,久于其道也」。
天地之道,恆久而不已也。 虞翻曰:泰,乾坤為天地。謂終則復始,有親則可久也。 利有攸往,終則有始也。 荀爽曰:謂乾氣下終,始復升上居四也。坤氣上終,始復降下居初者也。 日月得天而能久照, 虞翻曰:動初,成乾為天。至二,離為日;至三,坎為月。故“日月得天而能久照”也。 四時變化而久成。 虞翻曰:春夏為變,秋冬為化,變至二離夏,至三兌秋,至四震春,至五坎冬。故“四時變化而能久成”。謂乾坤成物也。
《彖伝》にいう。天地運行の道は、恒久にして停止せず。虞翻の説明では、《恒》は《泰》卦より来り、泰の乾坤はすなわち天地なり。いわゆる恒久は、終了すれば便ち重新开始し、彼此亲合すれば便ち長久するを言う。《彖伝》にいう。前往する所有るに利あるは、終点すなわち起点なればこそ。荀爽は乾升坤降に依って解く。乾気は下行して尽頭に到れば、便ち重新に上昇して四位に居り、坤気は上行して尽頭に到れば、便ち重新に下降して初位に居る。《彖伝》にいう。日月は天に依附して能く長久に照耀す。虞翻の説明では、初爻は一動すれば便ち乾を成して天と為り、二爻に到りて離を成して日と為り、三爻に到りて坎を成して月と為る。だから「日月得天而能久照」。《彖伝》にいう。四時は更迭変化して能く長久に万物を生成す。虞翻の説明では、春夏は「変」に属し、秋冬は「化」に属す。変じて二爻に至れば離は夏、三爻に至れば兌は秋、四爻に至れば震は春、五爻に至れば坎は冬なり。だから「四時変化而能久成」といい、すなわち乾坤の万物を生成するなり。
聖人久於其道,而天下化成。 虞翻曰:聖人謂乾。乾為道。初二已正,四五復位,成既濟定。乾道變化,各正性命。有兩離象,重明麗正,故“化成天下”。 觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。 虞翻曰:以離日照乾,坎月照坤,萬物出震,故“天地萬物之情可見矣”。與咸同義也。 《象》曰:雷風,恆。 宋衷曰:雷以動之,風以散之。二者常相薄,而為萬物用,故君子象之,以立身守節而不易道也。 君子以立不易方。 虞翻曰:君子謂乾三也。乾為易,為立;坤為方。乾初之坤四,三正不動。故“立不易方”也。
《彖伝》にいう。聖人は長久に其の正道を守住し、天下はしかるがゆえに化育して成る有り。虞翻の説明では、「聖人」は乾を指し、乾は道である。初・二の両爻すでに正を得、四・五の両爻は再び各々本位に帰すれば、全卦は便ち《既済》を成して安定す。これまさに《乾》卦《彖伝》「乾道変化,各正性命」の義に合す。卦中にまた上下両個の離象あり、重重の光明は正に附麗す。だから「化成天下」。《彖伝》にいう。其の恒守する所を觀察すれば、天地万物の実情は見る可きなり。虞翻の説明では、離日を以て乾を照し坎月を以て坤を照し、万物はまた皆震より出づ。だから「天地万物之情可見矣」といい、これは《咸》卦《彖伝》と同一の意旨なり。《大象伝》にいう。雷と風、すなわち《恒》なり。宋衷の説明では、雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散す。両者は常に相互激盪して万物の用うる所と為る。だから君子は此に取象し、立身守節して自らの道を改変せず。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて立身して方向を改変せず。虞翻の説明では、「君子」は乾の三爻を指す。乾は変易・樹立で、坤は方である。乾の初爻は坤の四位に交わり、而して三爻は正に居りて動かず。だから「立不易方」。
初六:浚恆,貞凶,無攸利。 侯果曰:浚,深。恆,久也。初本六四,自四居初,始求深厚之位者也。位既非正,求乃涉邪。以此為正,凶之道也。故曰“浚恆,貞凶,無攸利”矣。 《象》曰:浚恆之凶,始求深也。 虞翻曰:浚,深也。初下稱浚,故曰“浚恆”。乾初為淵,故“深”矣。失位變之正,乾為始。故曰“始求深也”。 九二:悔亡。 虞翻曰:失位悔也,動而得正,處中多譽,故“悔亡”也。 《象》曰:九二悔亡,能久中也。 荀爽曰:乾為久也。能久行中和,以陽據陰,故曰“能久中也”。
初六の爻辞にいう。一上來して便ち深久を求め、固守して往けば凶険あり、利益ある所なし。侯果の説明では、「浚」は深、「恒」は久である。初六はもと《泰》卦の六四で、四位より初位に降り、一開始して便ち深厚の地位を求得せんと欲す。位置すでに正ならざれば、求むる所は邪僻に近づき、この種の做法を正道と為すは、まさに凶を致すの道なり。だから「浚恒,貞凶,无攸利」。《小象伝》にいう。浚恒の凶なる所以は、一開始して便ち求むること太だ深ければこそ。虞翻の説明では、「浚」は深である。初爻は最下に在る。だから「浚」と称し、合して「浚恒」を成す。乾の初爻はもと深淵の象あり。だから「深」という。初六は位に当らず、変動してこそ正に帰す。而して乾に初始の義あり。だから「始求深也」。九二の爻辞にいう。悔恨消失す。虞翻の説明では、九二は位に当らずもと悔あり。一動すれば便ち正位を得、また下卦の中に処りて多く称譽を獲。だから「悔亡」。《小象伝》にいう。九二の悔亡は、能く長久に中を守ればこそ。荀爽の説明では、乾に長久の義あり。九二は能く長久に中和の道を施行し、陽爻を以て陰位を據有す。だから「能久中也」。
九三:不恆其德,或承之羞,貞吝。 荀爽曰:與初同象,欲據初,隔二。與五為兌,欲悅之,隔四。意無所定,故“不恆其德”。與上相應,欲往承之,為陰所乘,故“或承之羞”也。貞吝者,謂正居其所,不與陰通也。無居自容,故“貞吝”矣。 《象》曰:不恆其德,無所容也。 《九家易》曰:言三取初隔二,應上見乘,是“無所容”。無居自容,故“貞吝”。 九四:田無禽。《象》曰:久非其位,安得禽也。 虞翻曰:田為二也。地上稱田,無禽,謂五也。九四失位,利二上之五,已變承之。故曰“田無禽”。言二五皆非其位,故《象》曰:“久非其位,安得禽也。”。
九三の爻辞にいう。其の徳行を恒久に保持する能わざれば、ある時羞辱を招来し、固守して往くもまた憾惜あり。荀爽の説明では、九三は初六と同じく陽位の象に処り、初六を據有せんと欲するも、九二に隔住せらる。それは九五と合して兌体を成し、往きて取悦せんと欲するも、また九四に隔住せらる。心意は安定する処なし。だから「不恒其徳」。それは上六と相応じ、往きて承奉せんと欲するも、却って反って陰爻に乘せらる。だから「或承之羞」。「貞吝」に至りては、それが端正に原処に守りて陰爻と相通ぜざるを言う。結果は安身の地までもなし。だから憾惜あり。《小象伝》にいう。徳行を恒久に保持する能わざれば、便ち身を容るる処なし。《九家易》にいう。九三は初六を取らんと要するも九二に隔断せられ、上六に応ぜんと要するもまた陰爻に凌乘せらる。これがすなわち「无所容」。身を安んじ自ら容るる処なければこそ「貞吝」。九四の爻辞にいう。田猟して禽獣を打获せず。《小象伝》にいう。長久に自らに属せざる位置上に待つは、いずくんぞ能く禽獣を猟得せんや。虞翻の説明では、「田」は九二を指し、地面の上を田と称す。「无禽」は九五を指す。九四は位に当らず、九二をして上行して五位に至らしめ、自ら変動の後再び往きてそれを承奉するに宜し。だから「田无禽」。これは二・五の両爻皆もと在るべき位置上に在らざるを言う。しかるがゆえに《小象伝》に「久非其位,安得禽也」という。
六五:恆其德,貞婦人吉,夫子凶。 虞翻曰:動正成乾,故“恆其德”。婦人謂初。巽為婦。終變成益,震四復初,婦得歸陽,從一而終,故“貞婦人吉也”。震,乾之子,而為巽夫,故曰“夫子”。終變成益,震四從巽,死於坤中,故“夫子凶”也。 《象》曰:婦人貞吉,從一而終也。 虞翻曰:一謂初,終變成益,以巽應初震,故“從一而終也”。 夫子制義,從婦凶也。 虞翻曰:震沒從巽入坤,故“從婦凶”矣。 上六:震恆,凶。《象》曰:震恆在上,大無功也。 虞翻曰:在震上,故“震恆”。五動乘陽,故“凶”。終在益上,五遠應,故“無功也”。
六五の爻辞にいう。其の徳を恒守すれば、婦人はこれを守れば則ち吉、男子はこれを守れば則ち凶。虞翻は卦変に依って解く。六五は一動して正を得て乾を成す。だから「恒其徳」。「婦人」は初六を指し、巽は婦である。全卦は最終に《益》に変じ、震の四爻は初位に回り、婦人は陽剛に帰属するを得、一に從い終わる。だから「貞婦人吉」。震は乾の長子なれど、却ってここに於て巽の丈夫を充当す。だから「夫子」と称す。最終に《益》に変じたる後、震の四爻は反って往きて巽に順從し、坤中に陥没す。だから「夫子凶」。《小象伝》にいう。婦人の正を守りて吉を得るは、一に從い終わればこそ。虞翻の説明では、「一」は初爻を指す。最終に《益》卦に変じ、巽を以て初位の震に応ず。だから「従一而終也」。《小象伝》またいう。男子はまさに事宜を裁断すべく、一味婦人に順從すれば凶なり。虞翻の説明では、震は沈没して下り巽に随いて坤に入る。だから「従婦凶」。上六の爻辞にいう。震動不已にして恒久を求むれば、凶険。《小象伝》にいう。震動不已にして高位に高居するは、大いに功なし。虞翻の説明では、上六は震体の上に在る。だから「震恒」と称す。六五は一動すれば便ち陽剛に凌乘す。だから「凶」。それは最終に《益》卦の上位に処り、六五と相隔遥遠にして呼応する所なし。だから「无功也」。
遁卦
《序卦》曰:物不可以久居其所,故受之以遁。遁者,退也。 韓康伯曰:夫婦之道,以恆為貴,而物之所居,不可恆,宜與世升降,有時而遁者也。 (艮下乾上)。遁:亨。 虞翻曰:陰消姤二也。艮為山,巽為入,乾為遠,遠山入藏,故“遁”,以陰消陽,子弒其父,小人道長,避之乃通,故遁而通。則當位而應,與時行也。
《序卦伝》にいう。万物は一個の地方に長久停留する可からず。だから《恒》卦の後に《遁》を接ぐ。「遁」はすなわち退避である。韓康伯の解釈では、夫婦の道は恒久を以て貴と為すも、事物の居る所の位置は却って一成不変する能わず。まさに世道に随いて起落すべく、しかるがゆえに時あれば便ち退避するを得。《遁》卦は下は艮上は乾。卦辞にいう。亨通。虞翻は十二消息卦に依って解く。《遁》は陰気の陽を消し、《姤》卦より再び一爻を進めて成れるなり。艮は山、巽は入、乾は遠で、遥遠に山に入りて身を蔵す。だから「遁」と称す。陰を以て陽を消すは、兒子の父親を弑殺するがごとく、小人の道はまさに滋長す。ただそれを躲開してこそ通達する能くす。だから退避して反って亨通す。而して九五は位に当りてまた六二と相応ず。まさに時勢に随いて行くなり。
小利貞。 虞翻曰:小,陰,謂二。得位浸長,以柔變剛,故“小利貞”。 鄭玄曰:遁,逃去之名也。艮為門闕。乾有健德。互體有巽,巽為進退。君子出門,行有進退,逃去之象。二五得位而有應,是用正道得禮見召聘。始仕他國,當尚謙謙。小其和順之道,居小官,乾小事其進以漸,則遠妨忌之害,昔陳敬仲奔齊辭卿是也。
卦辞続いていう。小なる者は正を守るに利あり。虞翻の説明では、「小」は陰を指し、すなわち六二なり。それは位を得て漸々滋長し、柔を以て剛を変ず。だから「小利貞」。鄭玄は則ち物象と史事に依りていう。「遁」は逃走の名称である。艮は門闕、乾は剛健の徳あり、互体にまた巽あり、巽は進退を主る。君子は門を走出し、行動に進退あり。まさに逃走の象なり。二・五の両爻は各々其の位を得て彼此相応ず。これは君子が正道に凭りて礼数に合するの征召聘請を受くるを表示す。初めて別国に到りて出仕するは、まさに謙にしてまた謙を崇尚し、自らの和順の道を放低し、小官を為し小事を辦し、一歩一歩慢慢に上進すれば、便ち忌を招き害を受くるの禍に遠離する能くす。從前陳敬仲は斉国に逃奔して卿位を辞したるは、すなわちかかる例子なり。
《彖》曰:遁亨,遁而亨也。 侯果曰:此本乾卦。陰長剛殞,君子遁避,遁則通也。 剛當位而應,與時行也。 虞翻曰:剛謂五而應二,艮為時,故“與時行”矣。 小利貞,浸而長也。 荀爽曰:陰稱小,浸而長,則將消陽,故“利正”。居二與五相應也。 遁之時義大矣哉。 陸績曰:謂陽氣退,陰氣將害,隨時遁避,其義大矣。 宋衷曰:太公遁殷,四皓遁秦之時也。
《彖伝》にいう。遁の亨通する所以は、退避を懂得してこそ亨通すればこそ。侯果の説明では、この卦はもと乾卦より来り、陰気は漸長して剛徳は損を受く。君子はここに退避し、一退避して反って通達す。《彖伝》にいう。剛爻は位に当りて相応あり、時勢に随いて行く。虞翻の説明では、「剛」は九五を指し、それは六二と相応ず。艮に時の意あり。だから「与时行」。《彖伝》にいう。小なる者は正を守るに利あるは、陰はまさに浸潤滋長すればこそ。荀爽の説明では、陰は「小」と称さる。それは一点点滋長して往けば便ち陽を消滅せんとす。だからそれに「正を守るに利あり」を叮嚀す。それは二位に居りて九五と相応ず。《彖伝》は讚嘆していう。《遁》卦の処する所の時勢と意義は、実に重大なり。陸績の説明では、これは陽気の退却・陰気のまさに害を為さんとするを言う。能く時勢に順応して退避すれば、其の中の義理は甚だ大なり。宋衷は史事を挙げて印證す。姜太公の殷紂を避け、商山四皓の秦朝を避けるは、まさにかかる時なり。
《象》曰:天下有山,遁。 崔覲曰:天喻君子,山比小人。小人浸長,若山之侵天。君子遁避,若天之遠山,故言“天下有山遁也”。 君子以遠小人,不惡而嚴。 虞翻曰:君子謂乾。乾為遠,為嚴。小人謂陰。坤為惡,為小人。故“以遠小人,不惡而嚴”也。 侯果曰:群小浸盛,剛德殞削,故君子避之。高尚林野,但矜嚴於外,亦不憎惡於內,所謂吾家耄遜於荒也。
《大象伝》にいう。天の下面に山あり。これが《遁》である。崔覗の説明では、天は君子に比喩し、山は小人に比喩す。小人は漸々滋長し、山の上天を侵逼するがごとし。君子は退避し、天の遥遠に山を離るるがごとし。だから「天下有山,遁」。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて小人を疏遠し、憎悪を表現せずして自ら威厳あり。虞翻は取象より講ず。「君子」は乾を指し、乾は遠・厳である。「小人」は陰を指し、坤は悪・小人なり。だから「以遠小人,不悪而厳」。侯果は人事より講ず。小人は群を成して気焔日に盛なり、剛正の徳は削損せらる。だから君子は彼らを躲開し、山林原野に隠居す。ただ外表の上に於て荘重威厳を保持し、内心は却って并びに憎恨を懐かず。すなわち《尚書・微子》のいう所の「我家老人退避于荒野」のごとき態度なり。
初六:遁尾,厲,勿用有攸往。 陸績曰:陰氣已至於二,而初在其後,故曰“遁尾”也。避難當在前,而在後,故“厲”。往則與災難會,故“勿用有攸往”。 《象》曰:遁尾之厲,不往何災也。 虞翻曰:艮為尾也。初失位,動而得正,故“遁尾厲”。之應成坎為災,在艮宜靜,若不往於四,則無災矣。
初六の爻辞にいう。退避して末尾に落れば、危険、前往する所有る可からず。陸績の説明では、陰気はすでに第二爻に進み、而して初六はなお其の後面に落つ。だから「遁尾」と称す。禍難を躲避するはもとまさに前頭を搶すべく、今却って後面に落つ。だから「厲」。再び前に往けば便ち災難に撞上せん。だから「勿用有攸往」。《小象伝》にいう。遁尾の危険なる所以は、前往せざればまた何の災禍かあらん。虞翻の説明では、艮は尾である。初六は位に当らず、変動の後にこそ正を得。だから「遁尾厲」。それはもし前に往きて九四に應和せば便ち坎を成して災と為る。身に艮体に処るはもとまさに安静すべく、ただ四位に往かざれば、便ち災禍なし。
六二:執之用黃牛之革,莫之勝說。 虞翻曰:艮為手,稱執;否坤為黃牛;艮為皮。四變之初,則坎水濡皮。離日乾之。故“執之用黃牛之革”。莫,無也。勝,能。說,解也。乾為堅剛,巽為繩,艮為手,持革縛三在坎中,故“莫之勝說”也。 《象》曰:執用黃牛,固志也。 侯果曰:六二離爻,離為黃牛。體艮履正,上應貴主。志在輔時,不隨物遁。獨守中直,堅如革束。執此之志,莫之勝說。殷之父師,當此爻矣。
六二の爻辞にいう。黄牛皮の做成する繩索を以て彼を捆住すれば、人は之を解開する能くするなし。虞翻は取象より講ず。艮は手なればこそ「執」と称す。《否》卦の坤は黄牛、艮は皮である。九四は初位に変れば便ち坎水は皮革を浸潤し、再び離日に由りてそれを晒乾す。だから「執之用黄牛之革」。「莫」は没有で、「勝」は能で、「説」は解開である。乾は堅剛、巽は繩、艮は手で、手は皮索を持ちて九三を坎中に捆縛す。だから「莫之勝説」。《小象伝》にいう。黄牛皮を以て捆縛するは、心志堅固なればこそ。侯果の説明では、六二は離体の爻で、離は黄牛である。それは身に艮体に処りて行為は正を守り、上に尊貴の君に応ず。其の心志は時局を匡輔するに在り、衆人と一同に退避するを肯ぜず、独り中正剛直を守る。堅固なること皮索の捆扎するがごとし。かかる志向を執守すれば、誰もまたそれを解開する法なし。殷商の父師箕子は、まさにこの一爻に当起るを得。
九三:係遁,有疾厲,畜臣妾,吉。 虞翻曰:厲,危也。巽為四變,時九三體坎,坎為疾。故“有疾厲”。遁陰剝陽,三消成坤,與上易位。坤為臣,兌為妾上來之三,據坤應兌,故“畜臣妾吉”也。 《象》曰:係遁之厲,有疾憊也。 王肅曰:三上繫於二而獲遁,故曰係遁。病此係執而獲危懼,故曰“有疾憊也”。此於六二,畜臣妾之象。足以畜其臣妾,不可施為大事也。 畜臣妾吉,不可大事也。 虞翻曰:三動入坤,坤為事,故“不可大事也”。 荀爽曰:大事謂與五同任天下之政。潛遁之世,但可居家畜養臣妾,不可治國之大事。
九三の爻辞にいう。牽係あるの退避は、疾患ありて危険、奴僕侍妾を畜養すれば則ち吉。虞翻の説明では、「厲」は危である。巽は九四変動の時、九三の体は坎を成し、坎は疾なり。だから「有疾厲」。遁卦は陰の陽を剥落し、三爻消去すれば便ち坤を成し、上爻と位置を交換す。坤は臣、兌は妾で、上爻は下りて三位に居り、下に坤に據して上に兌に応ず。だから「畜臣妾吉」。《小象伝》にいう。係遁の危険は、疾ありて困頓するに在ればこそ。王肅は人事より解釈す。九三は上に六二に牽係してこそ退避を得。だから「系遁」と称す。まさにこの種の牽係執着に苦むに因りてこそ危懼を招来す。だから「有疾憊也」。これは六二に対して言えば、すなわち臣妾を畜養するの象で、以て臣妾を豢養するに足るも、以て大事を為すに拿ずる能わず。爻辞にいう。臣妾を畜養すれば吉祥、大事を為す可からず。虞翻の説明では、九三は一動すれば便ち坤に入り、坤は事なり。だから「不可大事」。荀爽は補充していう。いわゆる大事は、九五と一同に天下の政務を担当するを指す。隠退避世の時候に於ては、ただ家中に安居して臣妾を畜養するのみ、治国の大事を辦しに往く能わず。
九四,好遁,君子吉,小人否。 虞翻曰:否乾為好,為君子;陰稱小人。動之初,故“君子吉”。陰在四多懼,故“小人否”。得位承五,故無凶咎矣。 《象》曰:君子好遁,小人否也。 侯果曰:不處其位,而遁於外,好遁者也。然有應在初,情未能棄。君子剛斷,故能舍之。小人繫戀,必不能矣。故“君子吉,小人凶”矣。 九五:嘉遁,貞吉。 虞翻曰:乾為嘉,剛當位應二,故“貞吉”。謂三已變,上來之三,成坎象,故曰“以正志也”。 《象》曰:嘉遁貞吉,以正志也。 侯果曰:時否德剛,雖遁中正,嘉遁者也。故曰“貞吉”。遁而得正,則群小應命,所謂紐以紊之。剛正群小之志,則殷之高宗當此爻矣。
九四の爻辞にいう。能く愛を割いて退避すれば、君子は吉祥、小人は之を為す能わず。虞翻の説明では、《否》卦の乾は美好の義あり、また君子と為り、陰は則ち小人と称さる。九四は変動して下に初位に応ず。だから「君子吉」。陰爻は四位に処りて多く憂懼あり。だから「小人否」。九四は位を得て上に九五を承く。しかるがゆえに凶険と過咎なし。《小象伝》にいう。君子は能く愛を割き退避すれど、小人は則ち能わず。侯果の説明では、自らの位置に安処せずして外面に退避するは、これがすなわち「好遁」なり。然りと雖も九四は初六と相応じ、情感の上ではなお捨て得ず。君子は剛毅果断なればこそ能く割舍す。小人は牽掛留戀すれば必定之を為す能わず。だから「君子吉,小人凶」。九五の爻辞にいう。嘉美の退避、正を守りて吉。虞翻の説明では、乾に嘉美の義あり、九五は陽剛にして位に当りて六二と相応ず。だから「貞吉」。九三すでに変じ、上爻は下りて三位に居りて坎象を成す。だから《小象伝》に「以正志也」という。《小象伝》にいう。嘉遁して正を守りて吉を得るは、心志を端正せばこそ。侯果は史事より講ず。時勢は閉塞して其の徳は剛健なり、退避すると雖もなお中正を守る。これがすなわち嘉美の退避なり。だから「貞吉」。退避して能く正を守れば、衆小人は便ち命を聴かん。すなわちいわゆる綱紐を以て紛乱を収束するなり。能く群小の心志を端正せば、すれば殷商の高宗武丁はまさにこの一爻に当起るを得。
上九:肥遁,無不利。 虞翻曰:乾盈為肥。二不及上,故“肥遁無不利”。《象》曰:“無所疑也。” 《象》曰:肥遁無不利,無所疑也。 侯果曰:最處外極,無應於內。心無疑戀,超世高舉。果行育德,安時無悶,遁之肥也。故曰“肥遁無不利”,則潁濱巢許當此爻矣。
上九の爻辞にいう。寛裕従容に退避すれば、不利なき所なし。虞翻の説明では、乾気の充盈はすなわち「肥」である。六二の陰気はなお上爻に够到せず。だから「肥遁无不利」。《小象伝》はしかるがゆえに「无所疑也」という。《小象伝》にいう。肥遁して不利なきは、心中毫も疑慮なければこそ。侯果の説明では、上九は最外の極点に処り、内卦にそれと相応ずる爻なく、心裏既に疑慮なくまた留戀なし。世俗を超脱して高蹈遠挙す。果決に事を行いて以て徳行を培育し、時命に安んじて苦悶を覚えず。これがすなわち退避の中の寛裕自得なり。だから「肥遁无不利」。潁水の濱の巢父・許由は、まさにこの一爻に当起るを得。
大壯卦
《序卦》曰:物不可以終遁,故受之以大壯。 韓康伯曰:遁,君子以遠小人。遁而後通,何可終耶。陽盛陰消,君子道勝也。 (乾下震上)。大壯:利貞。 虞翻曰:陽息,泰也。壯,傷也。大謂四,失位為陰所乘。兌為毀折傷,與五易位乃得正,故“利貞”也。 《彖》曰:大壯,大者壯也。 侯果曰:此卦本坤。陰柔消弱,剛大長壯,故曰“大壯”也。
《序卦伝》にいう。万物は始終退避する能わず。だから《遁》卦の後に《大壯》を接ぐ。韓康伯の説明では、遁は君子の以て小人を疏遠するに用いるなり。退避の後にこそ通達を得ん。いずくんぞ能く一直に退避して往かんや。陽気は盛にして陰気は消ゆ。まさに君子の道の上風を占むるなり。《大壯》卦は下は乾上は震。卦辞にいう。正を守るに利あり。虞翻は十二消息卦に依って解く。陽気は生長し、この卦は《泰》より来る。「壯」はここに於ては傷と訓す。「大」は九四を指し、それは位に当らずして陰爻に乘せらる。兌に毀折損傷の義あり、九四は六五と位置を交換してこそ正に帰す。だから「利貞」。《彖伝》にいう。大壯は、陽大なる者の強盛なり。侯果の説明では、この卦はもと坤より来り、陰柔は一路消退衰弱し、剛大の気は一路生長強盛す。だから「大壯」と称す。
剛以動,故壯。 荀爽曰:乾剛震動,陽從下升,陽氣大動,“故壯”也。 大壯利貞,大者正也。 虞翻曰:謂四進之五乃得正,故“大者正也”。 正大而天地之情可見矣。 虞翻曰:正大謂四之五成需。以離日見天,坎月見地,故“天地之情可見”也矣。 《象》曰:雷在天上,大壯。 崔覲曰:乾下震上,故曰“雷在天上”。一曰:雷,陽氣也。陽至於上卦。能助於天威,大壯之象也。 君子以非禮弗履。 陸績曰:天尊雷卑,君子見卑乘尊,終必消除,故象以為戒,“非禮不履”。
《彖伝》にいう。剛健を以て奮動すればこそ強盛なり。荀爽の説明では、下卦乾は剛、上卦震は動で、陽気は下方より上昇し、陽気は大いに鼓動す。だから強盛。《彖伝》にいう。大壯は正を守るに利あるは、陽大なる者は端正せんと要すればこそ。虞翻の説明では、これは九四の前進して五位に到りてこそ正位を得るを指す。だから「大者正也」。《彖伝》にいう。端正にして盛大なれば、天地の実情は見る可きなり。虞翻の説明では、「正大」は九四の五位に進みて《需》卦を成すを指す。離日を以て天を照見し、坎月を以て地を照見す。だから「天地之情可見」。《大象伝》にいう。雷は天上に響く。これが《大壯》である。崔覗の説明では、乾は下・震は上なり。だから「雷在天上」。別の一種の講法は、雷はすなわち陽気で、陽気は上達して上卦に至り、能く上天の威勢を助長す。これがすなわち大壯の象なり。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて礼に合せざる事は便ち為さず。陸績の説明では、天は尊貴にして雷は卑下なり。君子は卑者の尊者の上に凌駕するを見て、其の終竟消除せらるるを知る。だからこの象を借りて以て自ら警戒す。礼に合せざる事は決して一歩を踏進せず。
初九:壯于趾,征凶,有孚。 虞翻曰:趾謂四。徵,行也。震足為趾,為徵。初得位,四不征之五,故“凶”。坎為孚,謂四上之五成坎,已得應四,故“有孚”。 《象》曰:壯于趾,其孚窮也。 虞翻曰:應在乾終,故“其孚窮也”。 九二:貞吉。《象》曰:九二貞吉,以中也。 虞翻曰:變得位,故“貞吉”。動體離,故“以中也”。
初九の爻辞にいう。強壮は脚指の上に在り、出征すれば則ち凶、但し誠信あり。虞翻の説明では、「趾」は九四を指す。「征」は行走である。震は足なればこそ趾あり征あるの象あり。初九はもとすでに位を得、而して九四は肯じて五位に前進せず。だから「凶」。坎は孚で、九四の上行して五位に至れば便ち坎を成すを言う。初九はすでに九四と相応ず。だから「有孚」。《小象伝》にいう。強壮は脚指に在るは、其の誠信は窮尽に走到せんと要すればこそ。虞翻の説明では、初九の応ずる所の爻は乾体の終端に在る。だから「其孚窮也」。九二の爻辞にいう。正を守れば則ち吉。《小象伝》にいう。九二の正を守りて吉を得るは、中に居ればこそ。虞翻の説明では、九二変動すれば便ち正位を得。だから「貞吉」。一動すれば其の体は離を成し、離に附麗居中の象あり。だから「以中也」。
九三:小人用壯,君子用罔,貞厲。 虞翻曰:應在震也。三,陽,君子。小人謂上。上逆,故“用壯”。謂二已變離,離為罔,三乘二,故“君子用罔”。體乾,夕惕,故“貞厲”也。 羝羊觸藩,羸其角。 荀爽曰:三與五同功,為兌,故曰“羊”。終始陽位,故曰“羝”。藩,謂四也。三欲觸四而危之,四反羸其角。角,謂五也。 《象》曰:小人用壯,君子罔也。 侯果曰:藩,謂四也。九四體震,為竹葦,故稱“藩”也。三互乾、兌、乾,壯;兌,羊,故曰“羝羊”。四藩未決,三宜勿往,用壯觸藩,求應於上,故角被拘羸矣。 案:自三至五,體兌為羊,四既是藩,五為羊角,即“羝羊觸藩,羸其角”之象也。
九三の爻辞にいう。小人は蠻力を使用し、君子は網羅の道を用う。固守して往けば危険あり。虞翻の説明では、九三の応ずる所の爻は震に在る。三は陽位にして君子と為り、「小人」は上六を指す。上六は悖逆す。だから「用壯」。九二すでに変じて離を成し、離は網羅なり。九三は九二に凌乘す。だから「君子用罔」。九三は乾体の終に居り、まさに《乾》卦「夕惕若厲」の義に合す。だから「貞厲」。爻辞続いていう。公羊は藩籬に衝撞して、角を卡住せらる。荀爽の説明では、九三は九五と同功にして、合して兌体を成す。だから「羊」と称す。それは始終陽位に居る。だから「羝」と称し、すなわち公羊である。「藩」は九四を指す。九三は九四を衝撞してそれを危険ならしめんと欲するも、九四は反って其の角を卡住す。「角」は九五を指す。《小象伝》にいう。小人は蠻力を使用し、君子は則ち網羅を用う。侯果の説明では、「藩」は九四を指す。九四は震体に属し、震は竹葦なり。だから「藩」と称す。九三は互体に乾・兌・乾あり、乾は壯・兌は羊なり。だから「羝羊」。九四この道の藩籬はいまだ衝開せられず、九三はもと前往すべからざるも、偏に強を恃みて藩に触れ、上に向かい呼応を求む。結果は角は卡住せらる。李鼎祚の案語にいう。三爻より五爻に至りて互いに兌体を成して羊と為り、九四すでに藩籬なれば、九五はすなわち羊角なり。これまさに「羝羊触藩,羸其角」の取象なり。
九四:貞吉,悔亡。藩決不羸,壯于大輿之腹。《象》曰:藩決不贏尚往也。 虞翻曰:失位悔也。之五得中,故“貞吉”而“悔亡”矣。體夬象,故“藩決”。震四上處五,則藩毀壞,故“藩決不羸”。坤為大輿、為腹;四之五折坤,故“壯于大輿之腹”。而《象》曰“尚往者”,謂上之五。 六五:喪羊于易,無悔。 虞翻曰:四動成泰。坤為喪也。乾為易。四上之五,兌還屬乾。故“喪羊于易”動各得正,而處中和,故“無悔”矣。 《象》曰:喪羊于易,位不當也。 案:謂四五陰陽失正。陰陽失正,故曰“位不當”也。
九四の爻辞にいう。正を守れば則ち吉、悔恨消失す。藩籬は衝開せられ、角は再び卡住せられず、強壮して大車の車廂を撑起する能くす。《小象伝》にいう。藩決して羸せざるは、前往を崇尚すればこそ。虞翻の説明では、九四は位に当らずもと悔あり。前進して五位に到りて中を得。だから「貞吉」にして「悔亡」。其の体象は《夬》卦に合す。だから「藩決」。震の四爻は上行して五位に占據すれば、藩籬は便ち毀破せらる。しかるがゆえに「藩決不羸」。坤は大車・腹で、九四は五位に到りて坤体を折斷す。だから「壯于大輿之腹」。而して《小象伝》のいう所の「尚往」は、指す所は上爻の五位に前往するなり。六五の爻辞にいう。田場の上に於て羊を丟失す。悔恨なし。虞翻の説明では、九四は一動すれば便ち《泰》卦を成し、坤に喪失の義あり、乾は場埸なり。九四は上行して五位に至れば、兌体は重新に乾に帰属す。だから「喪羊于易」。各爻変動の後皆正に帰し、また中和の地に処る。だから「无悔」。《小象伝》にいう。喪羊于易は、位置恰當ならざればこそ。李鼎祚の案語にいう。これは四・五の両爻の陰陽皆其の正を失うを指す。陰陽は正を失えばこそ「位不当」という。
上六:羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。 虞翻曰:應在三,故“羝羊觸藩”。遂,進也。謂四已之五,體坎。上能變之巽,巽為進退。故“不能退,不能遂”。退則失位,上則乘剛,故“無攸利”。坎為艱,得位應三利上,故“艱則吉”。 《象》曰:不能退,不能遂,不詳也。 虞翻曰:乾善為詳,不得三應,故“不詳也”。 艱則吉,咎不長也。 虞翻曰:巽為長。動失位,為咎。不變之巽。故“咎不長也”。
上六の爻辞にいう。公羊は藩籬に衝撞し、退いて帰る能わず、また進みて上る能わず。利益ある所なし。能く艱難の道を守れば吉祥。虞翻の説明では、上六は九三と相応ず。だから「羝羊触藩」。「遂」は前進である。九四すでに五位に進み、其の体は坎を成す。上六もし変ぜば便ち巽を成し、巽は進退を主る。だから「不能退,不能遂」。後に退けば便ち本位を丟掉し、上に往けばまた陽剛に凌乘す。だから「无攸利」。坎に艱難の義あり、上六は位を得て下に九三に応じ、上行に宜し。だから「艱則吉」。《小象伝》にいう。退いて帰る能わずまた進みて上る能わざるは、審慎に足らざればこそ。虞翻の説明では、乾の善は便ち審詳なり。上六は九三の呼応を得ず。だから「不詳也」。《小象伝》またいう。艱難を守れば則ち吉は、過咎は長久せざればこそ。虞翻の説明では、巽に長の義あり。上六は一動すれば便ち位を失いて過咎と成るも、それは并びに巽に変ぜず。だから「咎不長也」。
晋卦
《序卦》曰:物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。 崔覲曰:不可以終壯於陽盛,自取觸藩,宜柔進而上行,受茲錫馬。 (坤下離上)。晉:康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。 虞翻曰:觀四之五。晉,進也。坤為康。康,安也;初動體屯,震為侯,故曰“康侯”。震為馬,坤為用,故“用錫馬”。艮為多,坤為眾,故“繁庶”。離日在上,故“晝日”。三陰在下,故“三接”矣。
《序卦伝》にいう。万物は始終強盛する能わず。だから《大壯》の後に《晋》を接ぐ。「晋」はすなわち前進である。崔覗の説明では、一直に陽気極盛の強壯の裡に停留する可からず。かくのごときはただ自ら触藩の禍を取るのみ。まさに柔順の道を以て漸進上行し、往きて賞賜の馬匹を承受すべし。《晋》卦は下は坤上は離。卦辞にいう。安国の諸侯は衆多の車馬を賜獲し、一日の内に三次接見を受く。虞翻は卦変に依って解く。この卦は《觀》卦の四爻が五位に升りて来れるなり。「晋」は進である。坤は康で、「康」は安である。初爻は一動して其の体は《屯》を成し、震は諸侯なり。だから「康侯」。震は馬、坤は用なり。だから「用錫馬」。艮は多、坤は衆なり。だから「蕃庶」。離日は上に在る。だから「晝日」。三個の陰爻は下に在る。だから「三接」。
《彖》曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明。 崔覲曰:渾天之義,日從地出,而升於天,故曰“明出地上”。坤,臣道也。日,君德也。臣以功進,君以恩接,是以“順而麗乎大明”。雖以卦名,晉而五爻為主,故言“柔進而上行”也。 柔進而上行, 蜀才曰:此本觀卦。案:九五降四,六四進五,是柔進而上行也。
《彖伝》にいう。晋は、すなわち前進なり。光明は地面より升出し、柔順にして大光明に附麗す。崔す。崔覗は渾天の説に依って解く。渾天の道理に按ずれば、太陽は地下より升出して天空に上到す。だから「明出地上」。坤は臣と為るの道、日は君と為るの徳である。臣は功労に凭りて上進し、君は恩寵を以て接納す。しかるがゆえに「順而麗乎大明」という。この卦は「晋」を以て名と為すと雖も、却って六五の一爻を以て主と為す。だから《彖伝》はこそ「柔進而上行」という。《彖伝》にいう。柔順の者は前進して上行す。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《觀》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。《觀》卦の九五は四位に降り、六四は五位に進む。これがすなわち柔進して上行するなり。
是以康侯用錫馬蕃庶。 荀爽曰:陰進居五,處用事之位。陽中之陰,侯之象也;陰性安靜,故曰“康侯”。馬,謂四也。五以下,群陰錫四也。坤為眾,故曰“蕃庶”矣。 晝日三接也。 侯果曰:康,美也。四為諸侯,五為天子,坤為眾,坎為馬。天子至明於上,公侯謙順於下,美其治物有功。故蕃錫車馬,一晝三覿也。《采菽》刺幽王侮諸侯詩曰:雖無與之,路車乘馬。《大行人職》曰:諸公:三饗,三問,三勞;諸侯:三饗,再問,再勞;子男:三饗、一問、一勞,即天子三接諸侯之禮也。
《彖伝》にいう。これに因りて安国の諸侯は衆多の車馬を賜獲す。荀爽の説明では、陰爻は上進して五位に居り、当権用事の位に処る。それは陽位上の陰爻で、まさに諸侯の象なり。陰の性情は安静なり。だから「康侯」と称す。「馬」は九四を指す。五位以下の衆陰の爻は馬を四に賞賜す。坤は衆なり。だから「蕃庶」。《彖伝》にいう。一日の内に三次接見す。侯果の説明では、「康」は美である。四は諸侯、五は天子、坤は衆、坎は馬である。天子は上に在りて極めて英明、公侯は下に在りて謙恭順從す。天子は其の事務を治理するに功あるを嘉美す。だから大量に車馬を賞賜し、一日の中に三次接見す。《詩経・小雅・采菽》は周幽王の諸侯を軽慢するを諷刺するの詩で、其の中に縦令別に贈与する可きなくとも、路車と四馬を彼に与えんと説到す。《周礼・大行人》の職文は規定す。諸公に対しては三次の宴饗・三次の慰問・三次の労賜、諸侯に対しては三次の宴饗・両次の慰問・両次の労賜、子爵男爵に対しては三次の宴饗・一次の慰問・一次の労賜。これがすなわち天子の諸侯を三次接見するの礼制なり。
《象》曰:明出地上。晉。君子以自昭明德。 鄭玄曰:地雖生萬物,日出於上,其功乃著,故君子法之,而“以明自昭其德”。 虞翻曰:君子謂觀乾。乾為德,坤為自,離為明。乾五動,以離日自照,故“以自昭明德”也。
《大象伝》にいう。光明は地面より升出す。これが《晋》である。君子はそれに取法し、自ら光明の徳行を彰顕す。鄭玄は物理より説を立つ。大地は万物を生養すると雖も、また太陽の地上より升起するを等待し、其の功效にこそ顕著ならん。だから君子はこの点を效法し、自身の光明を以て自らの徳行を昭示す。虞翻は則ち卦象より講ず。「君子」は《觀》卦の乾を指す。乾は徳、坤は自、離は明なり。乾の五爻は変動し、離日を以て自身を照亮す。だから「以自昭明徳」。
初六:晉如,摧如,貞吉。罔孚,裕無咎。 虞翻曰:晉,進。摧,憂愁也。應在四,故“晉如”。失位,故“摧如”。動得位,故“貞吉”。應離為罔,四坎稱孚,坤弱為裕,欲四之五成巽,初受其命,故“無咎”矣。 《象》曰:晉如,摧如,獨行正也。 虞翻曰:初動震為行。初一稱獨也。 裕無咎,未受命也。 虞翻曰:五未之巽,故“未受命也”。
初六の爻辞にいう。上進せんと欲するも、却って受挫して憂愁す。正を守れば則ち吉。いまだ信任せられず、寛裕従容なれば便ち咎なし。虞翻の説明では、「晋」は進、「摧」は憂愁である。初六は九四と相応ず。だから「晋如」。自身は位に当らず。だから「摧如」。一動すれば便ち正位を得。だから「貞吉」。応ずる所の離に網羅の象あり。故に「罔」と称す。九四の坎は「孚」と称す。坤性は柔弱なればこそ「裕」と為る。九四もし五位に前進せば便ち巽を成し、初六は其の命令を接受す。だから「无咎」。《小象伝》にいう。進まんと欲してまた受挫するは、独り正道を堅持して走ればこそ。虞翻の説明では、初六は一動すれば便ち震を成し、震は行なり。初は第一爻なればこそ「独」と称す。《小象伝》またいう。寛裕にして咎なきは、いまだ命令を接受せざればこそ。虞翻の説明では、五位はいまだ巽に変ぜず。だから「未受命也」。
六二:晉如,愁如,貞吉。 虞翻曰:震謂應,在坎上,故“愁如”。得位處中,故“貞吉”也。 受茲介福于其王母。 虞翻曰:乾為介福,艮為手,坤為虛,故稱“受”。介,大也。謂五已正中,乾為王,坤為母。故“受茲介福于其王母”。 《象》曰:受茲介福,以中正也。 《九家易》曰:五動得正中,故二受大福矣。大福,謂馬與蕃庶之物是也。
六二の爻辞にいう。上進せんと欲すれど、心裏は却って憂愁す。正を守れば則ち吉。虞翻の説明では、震は其の応ずる所の象で、坎の上面に処り、坎は憂険を主る。だから「愁如」。六二はすでに位に当りてまた中に居る。だから「貞吉」。爻辞続いていう。王母の処よりこの大福を承受す。虞翻の説明では、乾は大福、艮は手、坤は虚で、空手にて承接す。故に「受」と称す。「介」は大の意である。これは六五すでに中に居りて正を得るを言う。乾は王、坤は母なり。だから「受茲介福于其王母」。《小象伝》にいう。この大福を承受するは、中正なればこそ。《九家易》にいう。六五は変動して中を得正を得。だから六二はこそ大福を承受する能くす。いわゆる大福は、すなわち卦辞の裡のいう所の馬匹と衆多の賜物なり。
六三:眾允,悔亡。 虞翻曰:坤為眾。允,信也。土性信,故“眾允”。三失正,與上易位,則“悔亡”,故《象》曰“上行也”。此則成小過,小過故有飛鳥之象焉。臼杵之利,見碩鼠出入坎穴,蓋取諸此也。 《象》曰:眾允之志,上行也。 虞翻曰:坎為志。三之上成震,故曰“上行也”。
六三の爻辞にいう。衆人皆信從す。悔恨消失す。虞翻の説明では、坤は衆である。「允」は信で、土の属性は信を主る。だから「衆允」。六三は位に当らず、上九と位置を交換すれば便ち「悔亡」。しかるがゆえに《小象伝》に「上行也」という。この一交換すれば便ち《小過》卦を成し、《小過》はしかるがゆえに飛鳥の象あり。《繋辞伝》は杵臼の利は《小過》に取象するを講じ、而して碩鼠が坎穴に出入するの説は、蓋しまた此に由りて来れり。《小象伝》にいう。衆人信從の心志は、上に向かい行くに在ればこそ。虞翻の説明では、坎は志である。六三は上行して上位に至れば便ち震を成す。だから「上行也」。
九四:晉如碩鼠,貞厲。 《九家易》曰:碩鼠,喻貪,謂四也。體離欲升,體坎欲降。遊不度瀆,不出坎也。飛不上屋,不至上也。緣不極木,不了離也。穴不掩身,五坤薄也。走不先足,外震在下也。五伎皆劣,四爻當之。故曰“晉如碩鼠”也。 《象》曰:碩鼠貞厲,位不當也。 翟元曰:碩鼠晝伏夜行,貪猥無已。謂雖進承五,然潛據下陰,久居不正之地,故有危厲也。
九四の爻辞にいう。上進すること碩鼠のごとし。固守して往けば危険あり。《九家易》の説明では、碩鼠は貪婪に比喩し、指す所はすなわち九四なり。それは身に離体に処りて上に向かい升らんと欲し、また身に坎体に処りて下に向かい降らんと欲す。古人は鼫鼠に五種の本事あれど様様精ならずと言う。游水する能くすれど大川を渡る能わず。其の坎より出づる能わざればこそ。飛ぶ能くすれど屋頂に飛上る能わず。其の上爻に到る能わざればこそ。攀縁する能くすれど樹梢に爬到る能わず。其の離体を了結する能わざればこそ。洞を打つ能くすれど身を蔵住する能わず。五位の坤土太だ薄ければこそ。奔跑する能くすれど人の脚步に跑過る能わず。外卦の震足は反って下面に在ればこそ。五様の本事様様済ならざるは、まさに九四この一爻に応ず。だから「晋如碩鼠」。《小象伝》にいう。碩鼠が固守すれば危険あるは、位置恰當ならざればこそ。翟元の説明では、碩鼠は白晝躲蔵し夜裏出ず。貪婪猥瑣にして止境なし。これは九四の上進して六五を承奉すると雖も、却って暗中に下面の陰爻を盤踞し、長久に不正の位置に待つを言う。だから危厲あり。
六五:悔亡,矢得勿恤,往吉,無不利。 荀爽曰:五從坤動而來為離。離者,射也。故曰“矢得”。陰居尊位,故有悔也。以中盛明,光照四海,故“悔亡勿恤,吉無不利”也。 《象》曰:矢得勿恤,往有慶也。 虞翻曰:動之乾乾,為慶也。矢古誓字。誓,信也。勿,無。恤,憂也。五變得正,坎象不見,故“誓得勿恤,往有慶也”。
六五の爻辞にいう。悔恨消失し、得失は皆憂慮するを須わず。前往すれば吉祥、不利なき所なし。荀爽の説明では、五位は坤より変動して来りて離を成し、離に射の意あり。だから「矢得」。陰爻は尊位に居り、もと悔あるべしと雖も、それは居中の徳を以て大いに光明を放ち、四海を照耀す。だから「悔亡勿恤,吉无不利」。《小象伝》にいう。矢得して恤れざるは、前往すれば喜慶あらん。虞翻は別に一解を作す。六五は変動して乾に合し、乾に喜慶の義あり。「矢」は古の「誓」字で、「誓」はすなわち信である。「勿」は无で、「恤」は憂である。六五は一変して正位を得れば、坎の憂険の象は便ち見えず。だから「誓得勿恤,往有慶也」。
上九:晉其角, 虞翻曰:五已變之乾,為首。位在首上,稱角。故“晉其角”也。 惟用伐邑,厲吉無咎,貞吝。 虞翻曰:坤為邑。動成震,而體師象,坎為心。故“維用伐邑”。得位乘五,故“厲吉,無咎”而“貞吝”矣。 《象》曰:惟用伐邑,道未光也。 荀爽曰:陽雖在上,動入冥豫,故道未光也。
上九の爻辞にいう。上進して獣角の処に到る。虞翻の説明では、六五すでに変じて乾を成し、乾は首なり。上九の位置は頭の上に在る。だから「角」と称し、故に「晋其角」という。爻辞続いていう。ただ以て自らの城邑を討伐するに用いる可し。危厲して後に吉を得、咎なし。固守すれば則ち憾惜あり。虞翻の説明では、坤は邑である。上九は変動して震を成し、其の体はまた《師》卦の象に合し、坎は心なり。だから「維用伐邑」。それは位を得て六五に凌乘す。だから既に「厲吉、无咎」にしてまた「貞吝」。《小象伝》にいう。ただ以て城邑を討伐するに用いるは、道いまだ光大せざればこそ。荀爽の説明では、陽爻は高位に高居すると雖も、一動すれば便ち《豫》卦上六の「冥豫」のごとき昏冥の境に落入す。だから道いまだ光大せずという。
明夷卦
《序卦》曰:進必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。 《九家易》曰:日在坤下,其明傷也。言進極當降,復入於地,故曰明夷也。 (離下坤上)。明夷:利艱貞。 虞翻曰:夷,傷也。臨二之三而反晉也。明入地中,故傷矣。 利艱貞。 虞翻曰:謂五也。五失位,變出成坎,為艱,故“利艱貞”矣。 鄭玄曰:夷,傷也。日出地上,其明乃光。至其入地,明則傷矣,故謂之明夷。日之明傷,猶聖人君子有明德,而遭亂世。抑在下位,則宜自艱,無干事政,以避小人之害也。
《序卦伝》にいう。一味前進すれば必定損傷する所有らん。だから《晋》卦の後に《明夷》を接ぐ。「夷」はすなわち傷である。《九家易》の説明では、太陽は坤地の下に落ち、其の光明は傷を受く。これは前進して極点に到れば便ち下降し、重新に地裡に沈入するを言う。だから「明夷」と称す。《明夷》卦は下は離上は坤。卦辞にいう。艱難の中に正を守るに利あり。虞翻は卦変に依って解く。「夷」は傷である。この卦は《臨》卦の二爻が三位に升りて来り、《晋》卦と恰好相反す。光明は地中に沈入すればこそ傷を受く。卦辞に「利艱貞」といい、虞翻の説明では、これは六五を指す。六五は位に当らず、変動の後に坎象を現出し、坎は艱なり。だから「利艱貞」。鄭玄は日象と世道よりいう。「夷」は傷である。太陽は地面より升出して、其の光明はこそ照耀す。其の地下に落入するを等ちて、光明は便ち傷を受く。だから「明夷」と称す。太陽の光明の傷を受くるは、聖人君子の光明の徳行を懐きて乱世に遭逢し、下位に壓抑せられたるに譬ゆ。この時に於ては便ち自らを艱難に処し、政事を過問せずして、以て小人の加害を躲開すべし。
《彖》曰:明入地中,明夷。 蜀才曰:此本臨卦也。 案:夷,滅也。九二升三,六三降二,明入地中也。明入地中,則明滅也。 內文明而外柔順,以蒙大難, 荀爽曰:明在地下,為坤所蔽,大難之象。大難,文王君臣相事,故言大難也。 文王以之。 虞翻曰:以,用也。三喻文王。大難謂坤。坤為弒父,迷亂荒淫,若紂殺比干。三幽坎中,象文王之拘羑里。震為諸侯,喻從文王者,紂懼出之,故“以蒙大難”,得身全矣。
《彖伝》にいう。光明は地中に沈入す。これが《明夷》である。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《臨》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。「夷」はここに於ては滅と訓す。《臨》卦の九二は三位に升り、六三は二位に降れば、便ち光明は地中に沈入して成る。光明は地中に沈入す。すなわち光明は熄滅す。《彖伝》にいう。内裡は文采光明にして外表は柔順、しかるがゆえに大難を蒙受す。荀爽の説明では、光明は地下に落ち、坤に遮蔽せらる。まさに大難の象なり。いわゆる大難は、指す所は文王と紂王の君臣相处の処境なり。だから大難と称す。《彖伝》にいう。文王はこのごとく為せり。虞翻の説明では、「以」は用である。九三は文王に比喩し、「大難」は坤を指す。坤に父を弑するの象あり、昏乱荒淫して、紂王の比干を殺害するがごとし。九三は坎中に幽閉せられ、文王の羑里に囚わるるを象徴す。震は諸侯で、文王に追随する人に比喩す。紂王は忌憚する所有りて彼を放し出だす。だから彼の大難を蒙受して終に自身を保全する能くすを言う。
利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。 虞翻曰:箕子,紂諸父。故稱內難。五乾天位,今化為坤,箕子之象。坤為晦,箕子正之。出五成坎,體離,重明麗正。坎為志,故“正其志,箕子以之”,而紂奴之矣。 《象》曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。 虞翻曰:而,如也。君子謂三。體師象。以坎蒞坤。坤為眾,為晦,離為明,故“用晦如明”也。
《彖伝》にいう。艱難の中に正を守るに利あるは、自らの光明を隠蔵せんと要せばこそ。身に内部の禍難に処りて能く心志を端正するは、箕子はこのごとく為せり。虞翻の説明では、箕子は紂王の叔父なればこそ其の遭う所を「内難」と称す。五位はもと乾の天位なれど、今坤に変ず。まさに箕子の象なり。坤は晦暗で、而して箕子は晦暗の中に於て端正に自守す。五爻は出でて坎を成し、其の体にまた離あり、両重の光明は正に附麗す。坎は志なり。だから「正其志,箕子以之」といい、紂王は却って彼を奴隷に貶めたり。《大象伝》にいう。光明は地中に沈入す。これが《明夷》である。君子はこれに拠りて衆人を臨御し、隠晦の方式を用いて而して実際に明察す。虞翻の説明では、ここの「而」は「如」と訓すべし。「君子」は九三を指し、其の体は《師》卦の象に合し、坎を以て坤を臨御す。坤は衆・晦で、離は明なり。だから「用晦如明」。
初九:明夷于飛,垂其翼。君子于行,三日不食。 荀爽曰:火性炎上,離為飛鳥,故曰“于飛”。為坤所抑,故曰“垂其翼”。陽為君子。三者,陽德成也。日以喻君。不食者,不得食君祿也。陽未居五,陰暗在上。初有明德,恥食其祿,故曰“君子于行,三日不食”也。 有攸往,主人有言。 《九家易》曰:四者初應,眾陰在上,為主人也。初欲上居五,則眾陰有言。言,謂震也。四五體震,為雷聲,故曰“有攸往,主人有言”也。 《象》曰:君子于行,義不食也。 荀爽曰:闇昧在上,有明德者,義不食祿也。
初九の爻辞にいう。光明傷を受くるの時に飛行して、翅膀を垂下す。君子は路上に在りて、三天は飯を喫うに到らず。荀爽の説明では、火性は上に向かい燃焼し、離はまた飛鳥と為る。だから「于飛」。上面の坤に壓抑せらる。だから「垂其翼」。陽爻は君子である。「三」は陽徳すでに成るを表示す。「日」は以て君王に比喩す。「不食」は君主の俸禄を喫うに到らざるなり。この時陽はいまだ五位に居り到らず、陰暗の気は上面に盤踞す。初九は光明の徳を懐き、かかる俸禄を享用するを恥と為す。だから「君子于行,三日不食」。爻辞続いていう。前往する所有れば、主人は責難の言あらん。《九家易》の説明では、九四は初九の相応の爻で、衆多の陰爻は其の上に高居す。すなわち「主人」なり。初九は上行して五位に居らんと欲すれば、衆陰は便ち議論あり。いわゆる「言」は、震に取象す。四・五の両爻は合して震体を成し、震は雷声なり。だから「有攸往,主人有言」。《小象伝》にいう。君子は路上に在るは、道義に按じて禄を食すべからざればこそ。荀爽の説明では、昏暗の人は上位に在る。光明の徳を懐くの人は、道義に按じて便ち其の俸禄を喫うを肯ぜず。
六二:明夷于左股,用拯馬壯,吉。 《九家易》曰:左股謂初,為二所夷也。離為飛鳥,蓋取小過之義,鳥飛舒翼而行。夷者,傷也。今初傷,垂翼在下故曰“明夷于左股”矣。九三體坎,坎為馬也。二應於五,三與五同功,二以中和應天,應天合眾,欲升上三,以壯於五,故曰“用拯馬壯,吉”。 案:初為足。二居足上,股也。二互體坎。坎主左方,左股之象也。 《象》曰:六二之吉,順以則也。 《九家易》曰:二欲上三居五,為天子。坎為法律。君有法,則眾陰當順從之矣。
六二の爻辞にいう。光明傷を受く。傷は左の大腿に在る。以て拯救するの馬は甚だ健壮、吉祥。《九家易》の説明では、「左股」は初九を指し、それは六二に傷せらる。離は飛鳥で、蓋し《小過》卦の飛鳥の義を取る。鳥は翅膀を展開して飛行す。「夷」は傷で、今初九は傷を受け、翅膀を垂れて下面に在る。だから「明夷于左股」。九三は坎体に属し、坎は馬なり。六二は上に六五に応じ、九三は六五と同功す。六二は中和の徳を以て上に天位に応じ、既に天に応じてまた衆に合し、九三を推して上昇し、それをして五位上に於て強盛ならしめんと好む。だから「用拯馬壯,吉」。李鼎祚の案語にいう。初爻は足で、六二は足の上に在る。まさに大腿なり。六二の互体は坎を成し、坎は左方を主る。だから左股の象あり。《小象伝》にいう。六二の吉は、順從して法則に合せばこそ。《九家易》の説明では、六二は九三をして上に五位に居りて天子を為さしめんと欲す。坎は法律で、君主すでに法度を立てば、衆陰は自然まさに順從すべし。
九三:明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。 《九家易》曰:歲終田獵,名曰狩也。南者,九五大陽之位,故稱南也,闇昧道終,三可升上,而獵於五,得據大陽首位,故曰“明夷于南狩,得其大首”。自暗復明,當以漸次,不可卒正,故曰“不可疾貞”也。 《象》曰:南狩之志,乃大得也。 案:冬獵曰狩也。三互離坎,離南坎北,北主於冬,故曰“南狩”。五居暗主,三處明終,履正順時,拯難興衰者也。以臣伐君,故假言狩。既獲五上之大首,而三志“乃大得也”。
九三の爻辞にいう。光明傷を受くるの時に南方に向かい狩猟し、彼の首悪を擒獲す。但し操之過急にして正を求む可からず。《九家易》の説明では、一年まさに尽きんとする時の田猟を「狩」と称す。「南」は九五の大陽の位を指す。だから南と称す。昏暗の道は尽頭に走到し、九三は上行する可く、五位に到りて囲猟し、大陽の首位を占據す。だから「明夷于南狩,得其大首」。昏暗より光明に回帰するは、一步一步に来るを要し、骤然撥正する能わず。だから「不可疾貞」。《小象伝》にいう。南狩の心志は、大いに得る所有ればこそ。李鼎祚の案語にいう。冬天の狩猟を「狩」と称す。九三の互体に離あり坎あり、離は南・坎は北に在り、北方は冬を主る。だから「南狩」。六五は昏暗の君で、九三は離明の終点に処り、行為は正を守りて時勢に順応す。これ能く危難を拯救し衰世を振興するの人なり。臣子を以て君主を討伐すればこそ、「狩猟」を借りて托辞と為す。すでに五・上の両爻の首悪を擒獲せば、九三の心志は「乃大得也」。
六四:入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。 荀爽曰:陽稱左,謂九三也。腹者,謂五居坤,坤為腹也。四得位比三,應於順首。欲上三居五,以陽為腹心也。故曰“入于左腹,獲明夷之心”。言三當出門庭,升五君位。 干寶曰:一為室,二為戶,三為庭,四為門,故曰“于出門庭”矣。 《象》曰:入于左腹,獲心意也。 《九家易》曰:四欲上三居五為坎,坎為心;四以坤爻為腹。故曰“入于左腹,獲心意也”。
六四の爻辞にいう。左の腹中に進入し、明夷の君の心意を取得し、門庭の裡より走出す。荀爽の説明では、陽は「左」と称し、ここに指すは九三なり。「腹」は指す所は五位の坤中に処るを言い、坤は腹なり。六四は位に当りて九三に親比し、また上に在る之首に順応す。それは九三を推して上に五位に居らしめんと欲し、陽爻を以て自らの腹心と為す。だから「入于左腹,獲明夷之心」といい、其の意は九三はまさに門庭を走出し、五位の君位の上に升るべし。干宝は爻位に按じて屋舍を配して解く。初爻は室、二爻は戸、三爻は庭、四爻は門なり。だから「于出門庭」。《小象伝》にいう。左腹に進入するは、対方の心意を取得すればこそ。《九家易》の説明では、六四は九三をして上に五位に居りて坎を成さしめんと欲し、坎は心なり。六四は本身は坤爻で、坤は腹なり。だから「入于左腹,獲心意也」。
六五:箕子之明夷,利貞。 馬融曰:箕子,紂之諸父,明於天道、《洪範》之九疇。德可以王,故以當五,知紂之惡,無可奈何。同姓恩深,不忍棄去,被髮佯狂,以明為暗。故曰“箕子之明夷”。卒以全身,為武王師,名傳無窮,故曰“利貞”矣。 《象》曰:箕子之貞,明不可息也。 侯果曰:體柔履中,內明外暗,群陰共掩,以夷其明。然以正為明,而不可息;以爻取象,箕子當之,故曰“箕子之貞,明不可息也。”
六五の爻辞にいう。箕子のごとく昏暗の中に於て傷を受く。正を守るに利あり。馬融の説明では、箕子は紂王の叔父で、天道と《尚書・洪範》の載する所の九疇大法に通暁し、徳行は王為るに足る。だから彼を以て六五の位に当てはむ。彼は明らかに紂王の悪行を知るも之を如何ともする能わず。同じく王室宗親にして恩義深厚、国を棄てて去るに忍びず。ここに頭髪を披散して瘋癲を仮装し、光明を蔵して昏暗と為す。だから「箕子之明夷」。彼は終に自身を保全し、後来周武王の老師を為し、名声は流伝して尽きざるなり。だから「利貞」。《小象伝》にいう。箕子の正を守るは、光明は熄滅する可からざればこそ。侯果の説明では、六五は柔順の体を以て中位に居り、内裡は明白にして外表は昏暗なり。衆陰は一斉に遮掩して、以て其の光明を損傷す。然りと雖もそれは正を守るを以て光明と為す。この光明は便ち熄滅する可からず。爻に按じて象を取れば、まさに箕子に当起るを得。だから「箕子之貞,明不可息也」。
上六:不明晦,初登于天,後入于地。 虞翻曰:應在三。離滅坤下,故“不明晦。”晉時在上麗乾,故“登於天照四國。”今反在下,故“後入于地,失其則。” 《象》曰:初登于天,照四國也。後入于地,失則也。 侯果曰:最遠於陽,故曰“不明晦”也。初登于天,謂明出地上。下照於坤,坤為眾國,故曰“照於四國也。”喻陽之初興也。後入于地,謂明入地中,晝變為夜,暗晦之甚,故曰“失則也。”況紂之亂世也。此之二象,言晉與明夷,往復不已。故見暗則伐取之,亂則治取之,聖人因象設誡也。
上六の爻辞にいう。もはや光明ならずして一片昏晦、初めは天上に升り、後来は地下に沈入す。虞翻の説明では、上六は九三と相応ず。離の光明は坤の下面に熄滅す。だから「不明晦」。《晋》卦の時に於ては、それは上位に在りて乾に附麗す。だから「登于天,照四國」。今反って下面に落つ。だから「后入于地,失其則」。《小象伝》にいう。初め天上に升るは、四方の国を照耀すればこそ。後来地下に沈入するは、法則を失去せばこそ。侯果の説明では、上六は陽に最遠なり。だから「不明晦」。「初登于天」は指す所は光明の地面より升出し、下に坤を照耀するを言い、坤は衆国なり。だから「照于四國」といい、陽徳の刚刚興起するに比喩す。「后入于地」は指す所は光明の地中に沈入し、白晝は黑夜に変じ、昏暗は極点に到るを言う。だから「失則」といい、まさに紂王の乱世に比す。《晋》と《明夷》この両個の卦象は、升進と傷の往復循環已まざるを説く。だから昏暗を見れば便ち往きてそれを討伐取代し、禍乱を見れば便ち往きてそれを治理取代す。聖人はまさに卦象を借りて以て告誡を設立するなり。
巻八・家人卦
《序卦》曰:傷於外者必反於家,故受之以家人。 韓康伯曰:傷於外者,必反諸內也。 (離下巽上)。家人:利女貞。 虞翻曰:遁初之四也。女謂離巽。二四得正。故“利女貞”也。 馬融曰:家人以女為奧主。長女中女,各得其正,故特曰“利女貞”矣。
《序卦伝》にいう。外面に於て傷を受けた人は必定家中に回帰す。だから《明夷》の後に《家人》を接ぐ。韓康伯の説明では、外面に於て傷を受くれば、必定会って内里に返回す。《家人》卦は下は離上は巽。卦辞にいう。女子が正を守るに利あり。虞翻は卦変に依って解く。この卦は《遁》卦の初爻が四位に升りて来れるなり。「女」は離と巽この両個の女卦を指し、六二と六四は皆各々正位を得。だから「利女貞」。馬融は家礼より講ず。一家の中に於ては婦人を以て室内の主と為す。この卦は長女は上・中女は下にして、各々正位を守住す。だから特に「利女貞」という。
《彖》曰:家人,女正位乎內,男正位乎外。 王弼曰:謂二五也。家人之義,以內為本者也。故先說女矣。 男女正,天地之大義也。 虞翻曰:遁乾為天,三動坤為地。男得天,正於五;女得地,正於二。故“天地之大義也”。 家人有嚴君焉,父母之謂也。 荀爽曰:離巽之中有乾坤,故曰“父母之謂也”。 王肅曰:凡男女所以能各得其正者,由家人有嚴君也。家人有嚴君,故父子夫婦各得其正。家家咸正,而天下之治大定矣。 案:二五相應,為卦之主。五陽在外,二陰在內,父母之謂也。
《彖伝》にいう。《家人》卦は、女子は内に在りて其の正位を守り、男子は外に在りて其の正位を守る。王弼の説明では、これは六二と九五を指す。家人の一卦の義理は内を以て根本と為す。だから先に女を言う。《彖伝》にいう。男女は各々其の正を得。これは天地間の大義なり。虞翻は卦変に依りて象を取る。《遁》卦の乾は天、三爻変動して坤は地を成す。男は天の位を得て九五に正とし、女は地の位を得て六二に正とす。だから「天地之大義也」。《彖伝》にいう。一家の中に厳正の君長あり。言う所はすなわち父母なり。荀爽の説明では、離と巽の中に乾坤の両体を含有す。だから「父母之謂也」。王肅は治家より講ず。男女の皆能く各々其の正を得る所以は、まさに家中有厳正の君長あればこそ。家に厳君あれば、父子夫婦にこそ各々其の正に安んず。家家皆端正なれば、天下の治理もまた大いに安定す。李鼎祚の案語にいう。六二は九五と相応じ、全卦の主と為る。九五の陽爻は外・六二の陰爻は内に在る。これがすなわち父母なり。
父父,子子,兄兄,弟弟, 虞翻曰:遁乾為父,艮為子,三五位正,故“父父,子子”。三動時,震為兄,艮為弟,初位正,故“兄兄、弟弟”。 夫夫,婦婦, 虞翻曰:三動時,震為夫,巽四為婦,初四位正,故“夫夫,婦婦”也。 而家道正。正家而天下定矣。 荀爽曰:父謂五,子謂四,兄謂三,弟謂初,夫謂五,婦謂二也。各得其正,故“天下定矣”。 陸績曰:聖人教先從家始,家正而天下化之,修已以安百姓者也。
《彖伝》にいう。父は父たれ、子は子たれ、兄は兄たれ、弟は弟たれ。虞翻は取象して解く。《遁》卦の乾は父、艮は子で、三・五の両位皆正を得。だから「父父,子子」。三爻変動の時、震は兄、艮は弟で、初位また正を得。だから「兄兄、弟弟」。《彖伝》にいう。夫は夫たれ、妻は妻たれ。虞翻の説明では、三爻変動の時、震は夫、四位の巽は婦で、初・四の両位皆正を得。だから「夫夫,婦婦」。《彖伝》続いていう。家道は便ち端正なり。家家端正なれば、天下もまた安定す。荀爽は別に爻位を配していう。父は九五を指し、子は六四を指し、兄は九三を指し、弟は初九を指し、夫は九五を指し、婦は六二を指す。各々皆正位を守住す。だから「天下定矣」。陸績は教化より講ず。聖人の施教は先ず家庭より始め、家庭は端正なれば、天下は其の感化を受く。これがすなわち《論語》のいう所の自身を修養して以て百姓を安頓するなり。
《象》曰:風自火出,家人。 馬融曰:木生火。火以木為家,故曰“家人”。火生於木,得風而盛,猶夫婦之道,相須而成。 君子以言有物而行有恆。 荀爽曰:風火相與,必附於物。物大火大,物小火小。君子之言,必因其位。位大言大,位小言小。不在其位,不謀其政,故“言有物”也。大暑爍金,火不增其烈;大寒凝冰,火不損其熱,故曰“行有恆”矣。 初九:閒有家,悔亡。《象》曰:閒有家,志未變也。 荀爽曰:初在潛位,未乾國政,閒習家事而已。未得治官,故“悔”。居家理治,可移於官,守之以正,故“悔亡”。而未變從國之事,故曰“志未變也”。
《大象伝》にいう。風は火中より生出す。これが《家人》である。馬融の説明では、木は火を生ずる能くし、火は木を以て家と為す。だから「家人」と称す。火は木より生じ、風を得れば便ちいよいよ旺なり。夫婦の道は彼此依待してこそ成立するを要するに譬ゆ。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて言語に実在の内容あり、行為に恒常の準則あり。荀爽の説明では、風と火は相互助成し、必定物に依附するを須う。物大なれば火は大、物小なれば火は小なり。君子が話を説くもまた必ず自らの位分に依拠するを須う。位分高ければ便ち大事を説き、位分低ければ便ち小事を説き、その職位に在らざれば便ちその職位の政事を謀議せず。これがすなわち「言有物」。酷暑は金属を鎔化する能くすれど、火はこれに因りていよいよ熾烈ならず。厳寒は氷を凝結する能くすれど、火もまたこれに因りて其の熱度を減損せず。だから「行有恒」。初九の爻辞にいう。一開始して便ちこの家を防範約束して好くすれば、悔恨消失す。《小象伝》にいう。閑有家は、心志いまだ改変せざればこそ。荀爽の説明では、初九は潜隠の位に処り、なお国政に参与せず、ただ家務を操習するのみなり。官府を治理するの機会を獲得せざればこそ「悔」あり。但し家の中に於て事情を料理して井井有條たらしむれば、この份の本事は以て官府の上に移用する可く、再び正を以てこれを守る。だから「悔亡」。而して彼はいまだ国事に転向せず。だから「志未変也」。
六二:無攸遂,在中饋,貞吉。 荀爽曰:六二處和得正。得正有應,有應有實,陰道之至美者也。坤道順從,故無所得遂。供餚中饋,灑食是議,故曰“中饋”。居中守正,永貞其志,則“吉”,故曰“貞吉”也。 《象》曰:六二之吉,順以巽也。 《九家易》曰:謂二居貞,巽順於五,則“吉”矣。
六二の爻辞にいう。自ら主張して成就する可きはなし。ただ家中に於て飲食の事を主持するのみ。正を守れば則ち吉。荀爽の説明では、六二は和順の地に処りてまた位に当る。正を得れば便ち相応の爻あり、応あれば便ち内裡充実す。これは陰柔の道の中の最も美好なるなり。坤道は順從を以て本と為す。故に彼女は自ら決断して做成する可き事なし。其の為す所は酒菜を備辦し、家中の飲食を主持し、酒食の宜しきを料理するなり。だから「中饋」。中に居りて正を守り、長久にかかる心志を堅持すれば吉なり。だから「貞吉」。《小象伝》にいう。六二の吉は、柔順にして謙遜するに在ればこそ。《九家易》の説明では、これは六二の正に安処し、柔順に九五に服從すれば、便ち吉を得るを言う。
九三:家人嗃嗃,悔厲吉。婦子嘻嘻,終吝。 王弼曰:以陽居陽,剛嚴者也。處下體之極,為一家之長,行與其慢也,寧過乎恭;家與其瀆也,寧過乎嚴。是以家雖嗃嗃,悔厲猶得吉也。婦子嘻嘻,失家節也。 侯果曰:嗃嗃,嚴也。嘻嘻,笑也。 《象》曰:家人嗃々,未失也。婦子嘻嘻,失家節也。 《九家易》曰:別體異家,陰陽相據,喜樂過節也。別體異家,謂三五也。陰陽相據,三五各相據陰,故言婦子也。
九三の爻辞にいう。治家過に厳厲すれば、悔恨危懼ありと雖もなお吉を得。婦人孩子は嬉笑無度なれば、終竟憾惜あらん。王弼の説明では、九三は陽爻を以て陽位に居る。これ剛硬厳厲なり。それは下体の頂端に処り、一家の長なり。事を行うは怠慢を失するよりも、寧ろ恭敬に過ぐるを取れ。治家は褻狎を失するよりも、寧ろ厳厲に過ぐるを取れ。だから家中は厳厲にして人をして不適ならしむと雖も、悔恨危懼を帯びてなお吉を得る能くす。反って婦人孩子は一味嬉笑すれば、便ち家中の節度を丟掉す。侯果は字を訓していう。「嗃嗃」は厳厲で、「嘻嘻」は嬉笑である。《小象伝》にいう。家人嗃嗃は、いまだ法度を失掉せず。婦子嘻嘻は、便ち家中の節度を失掉せり。《九家易》の説明では、各々体を成し各々家を成し、陰陽は互相據有すれば、歓楽は便ち節度を超過す。いわゆる「別体異家」は、九三と九五を指す。いわゆる「陰陽相據」は、三・五の両爻の各々一個の陰爻を據有するを指す。だから「婦子」と称す。
六四:富家大吉。《象》曰:富家大吉,順在位也。 虞翻曰:三變體艮,艮為篤實。坤為大業。得位應初,順五乘三,比據三陽,故曰“富家大吉,順在位也。”謂順於五矣。 九五:王假有家,勿恤,吉。 陸績曰:假,大也。五得尊位,據四應二,以天下為家,故曰“王大有家”。天下正之,故無所憂則吉。 《象》曰:王假有家,交相愛也。 虞翻曰:乾為愛也,二稱家。三動成震。五得交二,初得交四,故“交相愛”。震為交也。
六四の爻辞にいう。家道をして富足ならしむれば、大いに吉祥。《小象伝》にいう。富家大吉は、柔順にしてまた本位に居ればこそ。虞翻の説明では、九三は一変して其の体は艮を成し、艮は篤実、坤は大業なり。六四は位に当りて初九と相応じ、上に九五に順い下に九三に乘じ、親比して下面の三個の陽爻を據有す。だから「富家大吉,順在位也」といい、ここの「順」は指す所は九五に順從するなり。九五の爻辞にいう。君王は其の家を光大す。憂慮するを須わず、吉祥。陸績の説明では、「假」は大である。九五は尊位に居り、下に六四に據して上に六二に応じ、天下を以て自らの家と為す。だから「王大有家」。天下は皆彼に因りて端正なればこそ憂慮する所なくして吉なり。《小象伝》にいう。王假有家は、彼此相愛すればこそ。虞翻の説明では、乾は愛、六二は家と称す。九三は変動して震を成し、ここに九五は六二に交わるを得、初九は六四に交わるを得。だから「交相愛」といい、震まさに交合の義あり。
上九:有孚威加,終吉。 虞翻曰:謂三已變,與上易位,成坎。坎為孚,故“有孚”。乾為威如,自上之坤,故“威如”。易則得位,故“終吉”也。 《象》曰:威如之吉,反身之謂也。 虞翻曰:謂三動,坤為身。上之三,成既濟定,故“反身之謂”。此家道正,正家而天下定矣。
上九の爻辞にいう。誠信を懐きて威厳は自生ず。最終に吉祥。虞翻の説明では、九三すでに変動し、上九と位置を交換して坎を成し、坎は孚なり。だから「有孚」。乾に威厳の象あり、上位より坤中に下る。だから「威如」。両爻交換の後各々位を得。だから「終吉」。《小象伝》にいう。威厳の吉を得る所以は、言う所は己に反求するなり。虞翻の説明では、九三は一動すれば、坤は身なり。上九は三位に下れば、全卦は便ち《既済》を成して安定す。だから「反身之謂」。かくして家道は便ち端正なり。家正なれば而して天下もまた安定す。
睽卦
《序卦》曰:家道窮必乖,故受之以睽。睽者,乖也。 崔覲曰:婦子嘻嘻,過在失節。失節則窮,窮則乖,故曰“家道窮必乘”。 (兌下離上)。睽:小事吉。 虞翻曰:大壯上之三在繫,蓋取無妄二之五也。小謂五。陰稱小,得中應剛,故“吉”。 鄭玄曰:睽,乖也。火欲上,澤欲下,猶人同居而志異也,故謂之“睽”。二五相應,君陰臣陽,君而應臣,故“小事吉。”。
《序卦伝》にいう。家道は窮尽に走到すれば必定乖違背離す。だから《家人》の後に《睽》を接ぐ。「睽」はすなわち乖違である。崔覗の説明では、婦人孩子は嬉笑無度にして、過失は便ち節度を失掉するに在り。節度を失掉すれば便ち困窮し、困窮すれば便ち乖離す。だから「家道窮必乖」。《睽》卦は下は兌上は離。卦辞にいう。小事は吉祥。虞翻は卦変に依って解く。旧説は以てこの卦は《大壯》の上爻が三位に降りて来ると為す。其の実大概まさに《无妄》の二爻が五位に升るを取るべし。「小」は六五を指す。陰は小と称さる。それは中に居りて上に陽剛に応ず。だから「吉」。鄭玄は物性と君臣より講ず。「睽」は乖違である。火性は上に往かんと要し、沢性は下に往かんと要す。人の同住して而して心志各異なるに譬ゆ。だから「睽」と称す。二・五の両爻は相応じ、君位は陰・臣位は陽にして、君を以て臣に応ず。だからただ「小事吉」。
《彖》曰:睽,火動而上,澤動而下。 虞翻曰:離火炎上,澤水潤下也。 二女同居,其志不同行。 虞翻曰:二女,離兌也。坎為志。離上兌下。無妄震為行,巽為同,艮為居。二五易位,震巽象壞。故“二女同居,其志不同行也”。 說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛, 虞翻曰:說,兌。麗,離也。明謂乾。當言大明以麗於晉。柔謂五,無妄巽為進。從二之五,故“上行。”剛謂應乾,五伏陽,非應二也。與鼎五同義也。 是以小事吉。 荀爽曰:小事者,臣事也。百官異體,四民殊業,故睽而不同。剛者,君也。柔得其中,而應於君,故言“小事吉也”。
《彖伝》にいう。睽は、火は一動すれば便ち上に往き、沢は一動すれば便ち下に往く。虞翻の説明では、離火は上に向かい燃焼し、沢水は下に向かい浸潤す。《彖伝》にいう。両個の女子は一屋に同住すれど、心志は却って同一路を走らず。虞翻は取象していう。「二女」は離と兌を指す。坎は志である。離は上・兌は下に在る。《无妄》の震は行、巽は同、艮は居である。二・五の両爻は位置を交換の後、震と巽の象は便ち壞る。だから「二女同居,其志不同行」。《彖伝》にいう。喜悅して光明に附麗し、柔順の者は前進上行し、中に居りて陽剛に応ず。虞翻の説明では、「説」は兌を指し、「麗」は離を指し、「明」は乾を指す。《晋》卦の説法に照らせばもと「大明」と称してそれに附麗すべし。「柔」は六五を指し、《无妄》の巽は進で、二位より五位に升る。だから「上行」。「剛」は其の応ずる所の乾を指し、すなわち五位の下に潜伏する陽爻で、并びに下に九二に応ずるを指すに非ず。これは《鼎》卦の六五と同一の意旨なり。《彖伝》にいう。これに因りて小事は吉祥。荀爽は人事より講ず。いわゆる小事は、臣下の事である。百官は各々体統あり、士農工商の四民は各々行業あり。だから彼此睽異にして相同じからず。「剛」は君主を指し、柔爻は中位に居るを得て上に君主に応ず。だから「小事吉」。
天地睽而其事同也。 王肅曰:高卑雖異,同育萬物。 虞翻曰:五動乾為天,四動坤為地,故“天地睽”。坤為事也。五動體同人,故“事同矣”。 男女睽而其志通也。 侯果曰:出處雖殊,情通志合。 虞翻曰:四動艮為男,兌為女,故“男女睽”。坎為志,為通,故“其志通也”。 萬物睽而其事類也。 崔覲曰:萬物雖睽於形色,而生性事類言亦同也。 虞翻曰:四動,萬物出乎震,區以別矣。故“萬物睽”。坤為事,為類,故“其事類也”。
《彖伝》にいう。天と地は相乖違すれど、其の為す所の事は却って相同ず。王肅の説明では、一高一低は同じからざると雖も、却って共同に万物を養育す。虞翻は爻変より講ず。六五は変動して乾を成して天と為り、九四は変動して坤を成して地と為る。だから「天地睽」。坤は事で、六五は一動して其の体は《同人》を成す。だから「事同」。《彖伝》にいう。男と女は相乖違すれど、心志は却って相通ず。侯果の説明では、出仕と隠処は同じからざると雖も、情意は相通じ心志は相合す。虞翻の説明では、九四は変動して艮を成して男と為り、兌は女なり。だから「男女睽」。坎は志にしてまた通なり。だから「其志通也」。《彖伝》にいう。万物は彼此乖違すれど、其の事は却って同類なり。崔覗の説明では、万物は形貌顔色各々同じからざると雖も、生性と事類に就きて言えばなお一致なり。虞翻の説明では、九四は変動し、万物は震より出で、各々区類に按じて分别開く。だから「万物睽」。坤は事・類なり。だから「其事類也」。
睽之時用大矣哉。 《九家易》曰:乖離之卦,於義不大。而天地事同,共生萬物,故曰“用大”。 盧氏曰:不言義而言用者,明用睽之義至大矣。 《象》曰:上火下澤,睽。 荀爽曰:火性炎上,澤性潤下,故曰“睽”也。 君子以同而異。 荀爽曰:大歸雖同,小事當異。百家殊職,四民異業。文武並用,威德相反,共歸於治,故曰“君子以同而異”也。
《彖伝》は讚嘆していう。《睽》卦の処する時勢中の功用は、実に重大なり。《九家易》の説明では、乖離の卦は、義理本身に就きて言えば并びに大と算せず。但し天と地は睽すと雖も而して為す所の事は相同じ、共同に万物を生養す。だから其の「用」が大という。盧氏は補充していう。ここに「義大」と言わずして「用大」と言うは、まさに乖睽の道を善用する其の意義極大なるを表明せんとするなり。《大象伝》にいう。上面は火、下面は沢。これが《睽》である。荀爽の説明では、火性は上に向かい燃焼し、沢性は下に向かい浸潤す。両者は道に背いて行く。だから「睽」と称す。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて大同の中に於て差異を保持す。荀爽の説明では、大なる帰趨は同じからざると雖も、具体的小事上に於てはまさに分别あるべし。百家は職守一ならず、四民は行業各異なり。文治と武功は并びに用い、威厳と恩徳は看似相反すれど、最終には却って一同に天下の大治に帰す。だから「君子以同而異」。
初九:悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人,無咎。《象》曰:見惡人,以避咎也。 虞翻曰:無應,四動得位,故“悔亡”。應在於坎,坎為馬。四而失位,之正入坤,坤為喪。坎象不見,故“喪馬”。震為逐,艮為止,故“勿逐”。坤為自,二至五,體復象,故“自復”。四動震馬來,故“勿逐自復”也。離為見。惡人謂四,動入坤初,四復正。故“見惡人,以避咎矣”。
初九の爻辞にいう。悔恨消失す。馬を丟しても追うを須わず、それは自ら回來せん。あの可憎の人に見えば、咎なし。《小象伝》にいう。可憎の人に見に往くは、災咎を躲開せんが為なり。虞翻の説明では、初九はもと相応の爻なく、九四の変動して位を得るを待ちてこそ「悔亡」。其の応ずる所の方位は坎に在り、坎は馬なり。九四はもともと位を失い、正に帰したる後坤に入り、坤に喪失の義あり、坎象は之に随いて見えず。だから「喪馬」。震は追逐、艮は止なり。だから「勿逐」。坤は自で、二爻より五爻の体にまた《復》卦の象あり。だから「自復」。九四は一動すれば、震馬は便ち回來す。しかるがゆえに「勿逐自復」。離は見で、「悪人」は九四を指す。九四は変動して坤の初位に入れば、便ち重新に正に帰す。だから「見悪人,以避咎矣」。
九二:遇主于巷,無咎。 虞翻曰:二動體震。震為主,為大塗,艮為徑路。大道而有徑路,故稱“巷”。變而得正,故“無咎”而“未失道也”。 《象》曰:遇主于巷,未失道也。 虞翻曰:動得正,故“未失道”。 崔覲曰:處睽之時,與五有應。男女雖隔,其志終通。而三比焉,近不相得。遇者,不期而會。主者,三為下卦之主。巷者,出門近遇之象。言二遇三,明非背五,未為失道也。
九二の爻辞にいう。小巷の裡に於て主人に遇う。咎なし。虞翻の説明では、九二は変動して其の体は震を成し、震は主・大道で、艮は小路なり。大道の旁にまた小路あり。だから「巷」と称す。それは変動の後正位に帰す。だから「无咎」にして「未失道」。《小象伝》にいう。巷中に於て主人に遇うは、并びに正道を失掉せざるなり。虞翻の説明では、九二は一動すれば便ち正位を得。だから「未失道」。崔覗は人事より別に一一層を講ず。身に乖睽の時に処り、九二は六五ともと相応あり。男女は隔てられはすれど、心志は終竟相通ず。而して九三はそれに緊挨し、近く身辺に在れど却って合不来なり。いわゆる「遇」は、約定なしに碰上するなり。いわゆる「主」は、九三は下卦の主と為るなり。いわゆる「巷」は、門を出でて遠からずして便ち相遇するの象なり。これは九二の九三に遇上するはただ偶然相値して、并びに六五に背棄するに非ずを言う。だから正道を失掉せず。
六三:見輿曳,其牛觢。 虞翻曰:離為見。坎為車,為曳。故“見輿曳”。四動坤為牛,為類。牛角一低一仰,故稱“觢”。離上而坎下,“其牛觢也”。 其人天且劓,無初有終。 虞翻曰:其人謂四,惡人也。黥額為天,割鼻為劓。無妄乾為天。震二之乾五,以陰墨其天。乾五之震二,毀艮,割其劓也。兌為刑人。故“其人天且劓”。失位,動得正成乾,故“無初有終”。《象》曰:“遇剛”,是其義也。 《象》曰:見輿曳,位不當也。無初有終,遇剛也。 虞翻曰:動正成乾,故“遇剛”。
六三の爻辞にいう。大車の拖拽せられ住せるを見、車を拉くの牛角は一低一昂なり。虞翻の説明では、離は見、坎は車・拖曳なり。だから「見輿曳」。九四は変動して坤を成し、坤は牛・類なり。牛の両角は一個は低く一個は仰ぎ。だから「觢」と称す。離は上に在りて坎は下に在る。まさに「其牛觢」の象なり。爻辞続いていう。あの人は額の上に黥刑を受けまた鼻を割去せらる。初めは順ならずして終に成るあり。虞翻の説明では、「其人」は九四を指し、すなわち前面のいう所の可憎の人なり。額の上に墨を刺すを「天」と称し、鼻を割掉するを「劓」と称す。《无妄》の乾は天で、震の二爻は乾の五位に升り、陰爻を以て其の額頭に墨を刺上す。乾の五爻は震の二位に降りて艮体を毀し、すなわち鼻を割去す。兌は刑戮の人を主る。だから「其人天且劓」。六三はもと位に当らず、一動すれば便ち正を得て乾を成す。だから「无初有終」。《小象伝》のいう所の「遇剛」はまさにこの意なり。《小象伝》にいう。大車の拖拽せらるるを見るは、位置恰當ならざればこそ。初めは順ならずして終に成るあるは、陽剛に遇上すればこそ。虞翻の説明では、六三は変動して正に帰して乾を成す。だから「遇剛」。
九四:睽孤遇元夫,交孚,厲,無咎。 虞翻曰:孤,顧也。在兩陰間,睽五顧三,故曰“睽孤”。震為元夫。謂二已變,動而應震。故“遇元夫”也。震為交,坎為孚,動而得正,故“交孚,勵精圖治,無咎”矣。
九四の爻辞にいう。乖離孤立の中に於てあの善士に遇上し、彼此誠信を以て相交われば、危厲ありと雖も咎なし。虞翻の説明では、ここの「孤」は顧と訓すべし。九四は六三・六五の両個の陰爻の間に夾在し、一面は六五に睽違し、一面は六三を回顧す。だから「睽孤」。震は「元夫」で、すなわち首と為るの善士なり。九二すでに変動し、九四は一動すれば便ち震と相応ず。だから「遇元夫」。震に交合の義あり、坎は誠信で、九四は変動して正位に帰す。だから彼此交相誠信にして、危厲に処ると雖も終竟咎なし。
《象》曰:交孚無咎,志行也。虞翻曰:坎動成震,故“志行也”。六五:悔亡,厥宗噬膚,往何咎。虞翻曰:往得位,“悔亡”也。動而之乾,乾為宗。二動體噬嗑,故曰“噬”。四變時,艮為膚。故曰“厥宗噬膚”也。變得正成乾,乾為慶,故往無咎而有慶矣。
《象伝》は睽卦九四を解釈していう。彼此交往して能く誠信を以て相待すれば咎なきは、九四の心志が推行を得ればこそ。虞翻は爻変取象を以て講ず。九四の居る所の坎体は一動すれば便ち震に変じ、震は動を主りて能く行く。だから「志行」。經文六五の爻辞にいう。悔恨消失し、あの同宗の人は柔嫩の肌肉を咬開くがごとき容易に親附し、前往すればまた何の過咎かあらん。虞翻の解釈では、六五は前往すれば便ち正位を取得する能くす。だから「悔亡」。六五は変動して乾体に進入し、乾は宗族を象徴す。だから「厥宗」は便ちこの点を指す。九二は一動すれば、全卦は噬嗑の体を成し、噬嗑に咬嚙の義あり。だから「噬」。九四変動の時下体は艮を成し、艮は皮膚なり。両者は合して便ち「厥宗噬肤」。諸爻は変じて各々其の正を得れば便ち乾を成し、乾は福慶を主る。だから前往すれば不但過咎あらざるのみならず、また喜慶あらん。
《象》曰:厥宗噬膚,往有慶也。王弼曰:非位悔也。有應,故“悔亡”。厥宗謂二也。噬膚者,齧柔也。三雖比二,二之所噬,非妨已應者也。以斯而往,何咎之有。往必見合,故“有慶也”。案:二兌為口,五爻陰柔,噬膚之象也。上九:睽孤,見豕負塗,載鬼一車。虞翻曰:睽三顧五,故曰“睽孤”也。離為見,坎為豕,為雨。四變時坤為土,土得雨,為泥塗。四動艮為背,豕背有泥,故“見豕負塗”矣。坤為鬼,坎為車,變在坎上,故“載鬼一車”也。
《象伝》にいう。同宗の人は柔嫩の肌肉を咬開くがごとき親附し、前往すれば喜慶あらん。王弼は爻位の当否より立論す。六五は陰柔の質を以て陽位に居り、もと悔あるなり。但しそれは下に九二と相応ず。だから悔恨消失す。「厥宗」は指す所は九二なり。いわゆる「噬肤」は、すなわち柔軟の物を咬嚙するなり。六三は九二に緊挨すると雖も、却ってただ九二の順口に咬む所の対象に過ぎず、并びに九二と六五の正応を妨害せず。かかる形勢を以て前往すれば、いずくんぞ過咎あるを得んや。前去すれば必定九二と會合せん。だから「有慶」。李鼎祚の案語は補充していう。九二は下卦兌の中に在り、兌は口なり。六五の爻は陰柔の質で、まさに口の柔肤を咬むの取象に合す。上九の爻辞にいう。乖離して孤立し、一頭の猪の背に汚泥を馱満するを見、また一輛の車に鬼を載せるを見る。虞翻は取象に按じて解説す。六三はもとまさに上に上九に応ずべきに、却って頭を回して六五を顧念す。上九はしかるがゆえに孤立援なし。だから「睽孤」。上体の離は目・看見なり。坎は猪にしてまた雨水なり。九四変動の時下面は坤を成し、坤は土で、土は雨水に一浇せられて便ち泥塗と為る。九四は一動してまた艮を成し、艮は背脊で、猪の背は泥漿を沾満す。だから「見豕負塗」。坤はまた鬼で、坎は車で、爻変の後上九はまさに坎の上方に処る。だから「載鬼一車」。
先張之弧,後說之壺,虞翻曰:謂五已變,乾為先。應在三。坎為弧,離為矢,張弓之象也,故“先張之弧”。四動震為後。說,猶置也。兌為口,離為大腹,坤為器。大腹有口。坎,酒在中壺之象也。之應歷險以與兌。故“後說之壺”矣。
爻辞続いていう。起先は弓を張開して射らんと要し、後来は又た酒壺を放下して相待す。虞翻の説明では、六五すでに変爻して乾を成し、乾は時序の上に於て先に属す。上九の応ずる所は六三なり。坎は弓、離は箭で、まさに弓を張き箭を搭るの象なり。だから「先張之弧」。九四は一動して震を成し、震は其の後に居る。だから「后」。「説」はここに於ては「放置」と講ず。兌は口、離は大肚、坤は器皿で、大肚にして口あり、坎水は酒を其の中に盛る。合して一個の酒壺の形象を成す。上九は前去して六三と相応ずるに坎険を経歴するを要し、最終に兌と相接す。だから「后説之壺」といい、すなわち弓箭を放下し酒壺を擺上するなり。
匪寇婚媾。往遇雨則吉。虞翻曰:匪,非;坎為寇,之三歷坎,故“匪寇”。陰陽相應,故“婚媾”。三在坎下,故“遇雨”。與上易位,坎象不見,各得其正,故“則吉”也。《象》曰:遇雨之吉,群疑亡也。虞翻曰:物三稱群,坎為疑,三變坎敗,故“群疑亡”矣。
爻辞またいう。來るは并びに強盗に非ずして、求婚の人なり。前往して雨に遇えば便ち吉利。虞翻の説明では、「匪」はすなわち「非」である。坎は盗寇を象徴し、上九は往きて六三に応ずるに坎を経過するを要す。だから特に強盗に非ずを點明す。上九は陽・六三は陰で、陰陽相応ず。だから「婚媾」。六三は坎の下方に処り、坎は水・雨なり。だから「遇雨」。六三は上九と位置を交換したる後、坎の卦象は消失し、各爻皆正位に帰す。だから「則吉」。《象伝》にいう。雨に遇いながら吉なるは、種種の猜疑皆消失せばこそ。虞翻は申説していう。事物は三に到れば便ち「群」と称し、坎は疑惑を象徴す。六三は一変すれば坎体は便ち敗壞す。だから「群疑亡」。
蹇卦
《序卦》曰:乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。崔覲曰:二女同居,其志乖而難生,故曰“乖必有難”也。(艮下坎上)。蹇:利西南,不利東北。虞翻曰:觀上反三也。坤,西南卦。五在坤中,坎為月,月生西南,故“利西南”。往得中,謂“西南得朋”也。
《序卦伝》にいう。乖違背離は必然に危難を招来す。だから睽卦の後に接するは蹇卦なり。「蹇」はすなわち危難である。崔覗の解釈では、睽卦は中女・少女の一室に同処するも、心志は相違し、危難は便ち此に由りて生ず。だから「乖必有難」。蹇卦は下は艮上は坎。卦辞にいう。西南に利あり、東北に利ならず。虞翻は卦変と月体納甲を以て講ず。蹇卦は觀卦の上九が第三爻に返回して成れるなり。坤は西南方の卦で、九五は坤体の中に処り、坎は月で、月は西南に初生す。だから「利西南」。前往して中位を得るは、すなわち《坤卦》卦辞のいう所の「西南得朋」なり。
不利東北。虞翻曰:謂三也。艮東北之卦。月消於艮,喪乙滅癸。故“不利東北,其道窮也”。則東北喪朋矣。利見大人。虞翻曰:離為見,大人謂五。二得位應五。故“利見大人,往有功也”。貞吉。虞翻曰:謂五當位正邦,故“貞吉”也。
卦辞に東北に利ならずという。虞翻の説明では、これは九三の在る艮体に就きて言う。艮は東北方の卦で、月体納甲の説に按ずれば、月は艮位に行きて便ち虧尽し、納甲の中の坤に配する乙・癸の両干の象もまた之に随いて喪滅す。だから「不利東北,其道窮也」といい、すなわち《坤卦》のいう所の「東北喪朋」なり。卦辞に大人を見るに利ありという。虞翻の説明では、離は目・見で、「大人」は九五を指す。六二は位に居りて正を得て上に九五に応ず。だから「利見大人,往有功也」。卦辞に正を守れば吉という。虞翻の説明では、九五は位に居りて当りて能く邦国を匡正す。だから「貞吉」。
《彖》曰:蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。虞翻曰:離見坎險。艮為止,觀乾為知,故“知矣哉”。蹇利西南,往得中也。荀爽曰:西南謂坤。乾動往居坤五,故“得中也”。不利東北,其道窮也。荀爽曰:東北,艮也。艮在坎下。見險而止,故“其道窮也”。
《彖伝》にいう。蹇はすなわち危難、険陥は前面に横たわる。危険を見て能く停止するは、これにこそ明智なり。虞翻の説明では、卦中に離あり、離は看見で、前面の坎はすなわち険なり。下体の艮は停止で、蹇卦の自ら来る所の觀卦に乾あり、乾は智慧なり。だから「知矣哉」を讚嘆す。《彖伝》に蹇卦は西南に利あるは、前往して中位を得ればこそという。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。西南は坤を指し、乾の陽爻は上行して進み坤卦の第五位に居り、まさに中位に当る。だから「得中」。《彖伝》に東北に利ならざるは、あの路すでに尽頭に走到せればこそ。荀爽の説明では、東北はすなわち艮で、艮はまた坎の下面に処り、険難を見ればただ停止するのみ。だから「其道窮也」。
利見大人,往有功也。虞翻曰:大人謂五。二往應五,五多功,故“往有功也”。當位貞吉,以正邦也。荀爽曰:謂五當尊位。正居是,群陰順從,故能“正邦國”。蹇之時用大矣哉。虞翻曰:謂坎月生西南而終東北。震象出庚,兌象見丁,乾象盈甲,巽象退辛,艮象消丙,坤象窮乙,喪滅於癸,終則復始,以生萬物,故“用大矣”。
《彖伝》に大人を見るに利あるは、前往すれば功業あらん。虞翻の説明では、「大人」は九五を指し、六二は前往して九五に應合す。《繋辞伝》に第五爻は多く功あるという。だから「往有功也」。《彖伝》に各爻は位に居りて当りて正を守りて吉は、以て邦国を端正するに用いればこそ。荀爽の説明では、これは九五のまさに尊位に処り、端正に此の位に居れば、衆陰爻皆彼に順從す。だから能く邦国を匡正す。《彖伝》は蹇卦の時に因りて用いるの意義は太だ大なるを讚嘆す。虞翻は月体納甲の法を以て申説す。坎月は西南より生じ、東北に到りて終る。初三は月は庚方に出見して震象と為り、上弦は丁方に見えて兌象と為り、十五は月は甲方に円盈して乾象と為り、十六は月は辛方に退して巽象と為り、下弦は丙方に消して艮象と為り、晦日は乙方に窮して坤象と為り、最終に癸に喪滅し、終りて復た始め、循環不息にして以て万物を生養す。だから其の功用極大なりという。
《象》曰:山上有水,蹇。崔覲曰:山上至險,加之以水,蹇之象也。君子以反身修德。虞翻曰:君子謂觀。乾坤為身,觀上反三,故“反身”。陽在三,進德修業,故“以反身修德”。孔子曰:德之不修,是吾憂也。初六:往蹇,來譽。虞翻曰:譽謂二,二多譽也。失位應陰,往歷坎險,故“往蹇”。變而得位,以陽承二,故來而譽矣。《象》曰:往蹇來譽,宜待時也。虞翻曰:艮為時,謂變之正以待四也。六二:王臣蹇蹇,匪躬之故。虞翻曰:觀乾為王;坤為臣,為躬;坎為蹇也。之應涉坤,二五俱坎,故“王臣蹇蹇”。觀上之三,折坤之體,臣道得正,故“匪躬之故”。《象》曰:“終無尤也”。
《象伝》にいう。山上に水あり。これが蹇卦である。崔覗の説明では、高山はもとすでに極めて険峻、上面にさらに流水を加う。まさに行走艱難の形象である。《象伝》続いていう。君子はこれに由りて反躬自省・徳行を修養す。虞翻の説明では、ここの「君子」は蹇卦の自ら来る所の觀卦を指す。乾坤両卦は身体を象徴し、觀卦の上九は第三位に返回す。だから「反身」と称す。陽爻は第三位に居り、まさに《乾卦・文言》のいう所の進徳修業に合す。だから「以反身修徳」。孔子は《論語・述而》の裡に於て言うたことあり。徳行を修養せざれば、これ我の憂慮する所の事なり。初六の爻辞にいう。前往すれば難あり、回来すれば譽あり。虞翻の説明では、「誉」は六二を指し、《繋辞伝》に第二爻は多く譽あるという。初六は陰を以て陽に居りて位を失い、上面の応ずる所はまた陰爻で、前往すればなお坎険を経歴するを要す。だから「往蹇」。それは変爻の後正位を得、陽爻を以て六二を承奉す。だから回来すれば便ち称譽を得るを言う。《象伝》にいう。前往すれば難あり回来すれば譽あるは、まさに時機を等待すべきなり。虞翻の説明では、艮は時を象徴し、初六の変じて正を得、以て六四を等待するを言う。六二の爻辞にいう。王の臣子は国事の為に奔走して艱難重重なり。并びに自ら一身の為の故に非ず。虞翻の説明では、蹇卦は觀卦より来り、觀に乾あり、乾は王なり。坤は臣にしてまた身躬なり。坎は艱難なり。六二は前往して五に応ずるに坤体を渉過するを要し、二・五の両爻はまた皆坎中に処る。だから「王臣蹇蹇」。觀卦の上九は第三位に下りて、坤体を折斷し、臣と為るの道は此に由りて正を得。だから「匪躬之故」。《象伝》はしかるがゆえに「終无尤也」という。
《象》曰:王臣蹇蹇,終無尤也。侯果曰:處艮之二,上應於五。五在坎中,險而又險。志在匡弼,匪惜其躬。故曰“王臣蹇蹇,匪躬之故”。輔臣以此,終無尤也。九三:往蹇,來反。虞翻曰:應正歷險,故“往蹇”。反身據二,故“來反”也。《象》曰:往蹇來反,內喜之也。虞翻曰:內,謂二陰也。
《象伝》にいう。王臣は奔走して艱難すれど、終竟怨咎あらざるなり。侯果は爻位処境に就きて立論す。六二は下体艮の中位に居り、上面に九五と相応ず。九五は身に坎中に在りて、これ険の上に険を加うるなり。六二は一心に君上を匡救輔弼せんと要し、自らの身家を顧惜せず。だから「王臣蹇蹇,匪躬之故」。輔政の臣は能くかくのごとく為れば、終竟責怪する可きなし。九三の爻辞にいう。前往すれば難あり、回来して返守す。虞翻の説明では、九三は上に上六に応じ、前に往けば坎険を経歴するを要す。だから「往蹇」。身を返して回来して六二を據有す。だから「来反」。《象伝》にいう。前往すれば難あり回来して返守するは、内卦の陰爻が彼を喜歡すればこそ。虞翻の説明では、「内」は下卦の両個の陰爻を指し、すなわち初六と六二なり。
六四:往蹇,來連。虞翻曰:連,輦。蹇,難也。在兩坎間,進則無應,故“往蹇”。退初介三,故“來連”也。《象》曰:往蹇來連,當位實也。荀爽曰:蹇難之世,不安其所。欲往之三,不得承陽。故曰“往蹇”也。來還承五,則與至尊相連,故曰“來連”也。處正承陽,故曰“當位實也”。
六四の爻辞にいう。前往すれば難あり、回来すれば則ち人と相連なる。虞翻の説明では、「連」は「辇」と読み、「蹇」は艱難である。六四は両個の坎体の間に夾在し、前進また正応なし。だから「往蹇」。退下して初六と相接し、また九三の上に介于す。だから「来連」。《象伝》にいう。前往すれば難あり回来して相連なるは、六四の位に居りて当りて充実せればこそ。荀爽は陰陽升降に依りて立論す。艱難の時世に処れば、人皆其の処る所に安んずる能わず。六四は下に往きて九三に就かんと欲するも、陽爻を承奉する能わず。だから「往蹇」。回転して九五を承奉すれば、便ち至尊の君と相連接す。だから「来連」。それは陰を以て陰に居り、位置端正にして上に陽爻を承く。だから「当位実也」。
九五:大蹇,朋來。虞翻曰:當位正邦,故“大蹇”。睽兌為朋,故“朋來”也。《象》曰:大蹇朋來,以中節也。干寶曰:在險之中,而當王位,故曰:“大蹇”。此蓋以托文王為紂所囚也。承上據四應二,眾陰並至。此蓋以托四臣能以權智相救也。故曰“以中節也”。
九五の爻辞にいう。大難は頭に当り、朋友は前来して相助す。虞翻の説明では、九五は位に居りて当りて能く邦国を匡正し、担う所は天下の大難なり。だから「大蹇」。蹇卦は睽卦と相通じ、睽に兌あり、兌は朋類なり。だから「朋来」。《象伝》にいう。大難にして朋友は来りて助くるは、九五の能く中を守りて節度に合せればこそ。干宝は一向に商周の史事を以て《易》を解す。彼は言う。九五は身に坎に坎険の中に陥在し、却ってまた王位に居る。だから「大蹇」と称す。これは爻象を借りて周文王の商紂に羑里に囚わるるの史事を寄托するなり。九五は上に上六を承け、下に六四に據し、また六二と相応じ、衆陰爻は一斉に帰附す。これは当年の四位の賢臣の能く権謀智計を用いて文王を営救するを寄托するなり。だから「以中節也」。
上六:往蹇,來碩吉,利見大人。虞翻曰:陰在險上,變失位,故“往蹇”。碩謂三,艮為碩,退來之三,故“來碩”。得位有應,故“吉”也。離為見,大人謂五,故“利見大人”矣。《象》曰:往蹇來碩,志在內也。利見大人,以從貴也。侯果曰:處蹇之極,體猶在坎,水無所之,故曰“往蹇”。來而復位,下應於三,三德碩大,故曰“來碩”。三為內主,五為大人。若志在內,心附於五。則“利見大人”也。案:三互體離,離為明目,五為大人,利見大人之象也。
上六の爻辞にいう。前往すれば難あり、回来すれば則ち寛大吉利、大人を見るに利あり。虞翻の説明では、上六は陰爻を以て坎険の上に居り、一変動すれば便ち位を失う。だから「往蹇」。「碩」は九三を指し、艮は碩大で、上六は退いて帰りて九三と相就す。だから「来碩」。かくして各々其の位を得てまた正応あり。だから吉利。離は目・見で、「大人」は九五を指す。だから「利見大人」。《象伝》にいう。前往すれば難あり回来して寛大なるは、心志の内卦に在ればこそ。大人を見るに利あるは、尊貴の者に順從すればこそ。侯果の説明では、上六は蹇難の極点に処り、本身はなお坎体の中に在り、水流は往く可き処なし。だから「往蹇」。それは回来して本位に復帰し、下に九三と相応じ、九三は陽徳碩大なり。だから「来碩」。九三は内卦の主で、九五にこそいわゆる大人なり。もし心志は内に向かいてまた九五に帰附せば、すれば「利見大人」なり。李鼎祚の案語にいう。九三の在る処の互体は離を成し、離は明目で、九五は大人なり。まさに「利見大人」の取象なり。
解卦
《序卦》曰:物不可以終難,故受之以解。解者,緩也。崔覲曰:蹇終則來,碩吉,利見大人,故言物不可以終難。故受之以解。(坎下震上)。解:利西南,虞翻曰:臨初之四。坤,西南卦。初之四,得坤眾。故“利西南,往得眾也”。無所往,其來復吉。虞翻曰:謂四本從初之四,失位於外,而無所應,故“無所往”。宜來反初,復得正位,故“其來復吉”也。二往之五,四來之初,成屯,體復象,故稱“來復吉”矣。有攸往,夙吉。虞翻曰:謂二也。夙,早也。離為日,為甲。日出甲上,故早也。九二失正,早往之五,則吉。故“有攸往,夙吉,往有功也”。
《序卦伝》にいう。事物は永遠に艱難の中に困る能わず。だから蹇卦の後に接するは解卦なり。「解」はすなわち舒緩である。崔覗の説明では、蹇卦は終位に到れば便ち回来して寛大吉利・大人を見るに利ありという。見る可く艱難すでに尽頭に到れり。だから事物は始終艱難せざるを言う。しかるがゆえに解卦を以て承接す。解卦は下は坎上は震。卦辞にいう。西南に利あり。虞翻は卦変を以て講ず。解卦は臨卦の初九が上行して第四位に至りて変じ来れるなり。坤は西南の卦で、初九は一たび第四位に到れば、便ち坤の象徴する所の衆庶の助を獲得す。だから「利西南,往得衆也」。卦辞にいう。往く可き所なければ、回来して本位に復帰すれば便ち吉利。虞翻の説明では、九四はもと臨卦の初九の上行して来れるなれど、今外卦に於て位を失いてまた相応の爻なし。だから「无所往」。それはまさに初位に回り、重新に正位を取得すべし。だから「其来復吉」。九二は上行して五に至り、九四は下りて初に至れば、全卦は便ち屯卦を成し、其の中に復卦の象を含有す。だから「来復吉」と称す。卦辞またいう。もし往く所有れば、及早行動すれば則ち吉。虞翻の説明では、これは九二に就きて言う。「夙」は早である。離は日で、納甲はまた甲を以て日に配し、太陽は甲位より升起す。まさに清早なればこそ早と訓す。九二は陽を以て陰に居りて正を得ず、及早に上行して五位に至れば便ち吉利。だから「有攸往,夙吉,往有功也」。
《彖》曰:解,險以動,動而免乎險,解。虞翻曰:險,坎。動,震。解,二月。雷以動之,雨以潤之,物咸孚甲,萬物生震。震出險上,故“免乎險”也。解利西南,往得眾也。荀爽曰:乾動之坤而得眾,西南眾之象也。無所往,荀爽曰:陰處尊位,陽無所往也。其來復吉,乃得中也。荀爽曰:來復居二,處中成險,故曰“復吉”也。有攸往,夙吉,往有功也。荀爽曰:五位無君,二陽又卑,往居之者則吉。據五解難,故“有功也”。
《彖伝》にいう。解卦は険に遇いて能く行動し、一動すれば便ち険境を脱出す。これがすなわち解なり。虞翻の説明では、「険」は下体坎を指し、「動」は上体震を指す。解卦は夏暦二月の候に当り、雷声はそれを鼓動し、雨水はそれを滋潤し、万物皆甲を破りて出づ。全く震方より生長して出づ。震は坎険の上に在る。だから「免乎険」。《彖伝》に解卦は西南に利あるは、前往して衆を得ればこそという。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。乾の陽爻は動きて坤中に進入すれば便ち衆庶を得。西南はもと坤位で、まさに衆多の象徴なり。《彖伝》は「无所往」の一句を挙出し、荀爽は升降の説に依って解く。六五この陰爻は尊位を占據すれば、陽爻は便ち往く可き処なし。「其来復吉,乃得中也」に対しては、荀爽の説明では、陽爻は回来して第二位に居り、下卦の中に処りて坎体を成す。だから「復吉」。「有攸往,夙吉,往有功也」に対しては、荀爽の説明では、五位の上に真正の君主なく、九二はまた卑位に屈居す。陽爻は前往して五位に占據すれば便ち吉利。五位を據有すれば便ち危難を解除する能くす。だから「有功」。
天地解而雷雨作,荀爽曰:謂乾坤交通,動而成解卦,坎下震上,故“雷雨作”也。雷雨作而百果草木皆甲宅。荀爽曰:解者,震世也。仲春之月,草木萌牙。雷以動之,雨以潤之,曰以烜之,故“甲宅”也。解之時大矣哉。王弼曰:無所而不釋也。難解之時,非治難時也。故不言用也。體盡於解之名,無有幽隱,故不曰義也。
《彖伝》に天地陰陽は舒解して雷雨興作すという。荀爽の説明では、これは乾坤二気の交通往來して、一動して解卦を成し、下は坎上は震で、坎は雨・震は雷なるを言う。だから「雷雨作」。《彖伝》に雷雨興作して百果草木は皆甲を破り発芽すという。荀爽の説明では、解卦は震の主る所の世に属し、まさに仲春二月に当り、草木は萌芽を開始す。雷声はそれを鼓動し、雨水はそれを滋潤し、日光はそれを烘晒す。だから「甲宅」といい、すなわち種子の外殼を裂開して生ずるなり。《彖伝》は解卦の時太だ重大なるを讚嘆す。王弼の説明では、解の作用は及ばざる処なし。この時は危難すでに解除せられたるの時で、而してまさに危難を治理するの時に非ず。だからただ其の「時」を讚して「時用」を言わず。解卦の義理は全て皆「解」この卦名の裡に尽き、幽深隠微の処あることなし。だからまた「時義」を言わず。
《象》曰:雷雨作,解。君子以赦過宥罪。虞翻曰:君子謂三。伏陽出,成大過。坎為罪人則大過象壞,故“以赦過”。二四失位,皆在坎獄中。三出體乾,兩坎不見。震喜兌說,罪人皆出,故以“宥罪”。謂三入則赦過,出則宥罪。公用射隼以解悖,是其義也。
《象伝》にいう。雷雨興作す。これが解卦である。君子はこれに由りて過失を赦免し罪人を寛宥す。虞翻の説明では、ここの「君子」は六三を指す。六三の下に潜伏する陽爻は顕出し、全卦は大過の体を成し、坎は罪人を象徴す。一たび大過を成せば則ち坎象は破壞し、罪人の象は存せず。だから「赦過」。九二・九四は皆位を失い、また皆坎の象徴する所の牢獄の中に陥在す。六三は変出して乾体を成し、両個の坎象は皆見えず。震は歓喜を主り兌は喜悅を主り、罪人は全て皆出獄を得。だから「宥罪」。すなわち六三は入れば則ち過失を赦免し、出れば則ち罪人を寛宥す。上六の爻辞は王公の鷲隼を射下して以て悖乱を解除するを講ず。言う所まさにこの道理なり。
初六:無咎。虞翻曰:與四易位,體震得正,故“無咎”也。《象》曰:剛柔之際,義無咎也。虞翻曰:體屯初震,剛柔始交,故“無咎”也。九二:田獲三狐,得黃矢,貞吉。虞翻曰:二稱田。田,獵也。變之正,艮為狐。坎為弓。離為黃矢,矢貫狐體。二之五,歷三爻。故“田獲三狐,得黃矢。”之正得中,故“貞吉”。
初六の爻辞はただ一句あり。咎を受けず。虞翻の説明では、初六は九四と位置を交換すれば、便ち震体を成して各々其の正を得。だから咎を受けず。《象伝》にいう。剛柔両爻は此に於て交接す。義理に按じて咎あらず。虞翻の説明では、全卦は屯卦の体を成し、屯の下体はまさに震で、剛柔は此に於て交合を開始す。だから咎あらずという。九二の爻辞にいう。田猟して三隻の狐狸を捕獲し、黄銅の箭鏃を獲得す。正を守れば則ち吉。虞翻の説明では、第二爻は「田」と称し、田はすなわち打猟である。九二は変じて正を得、艮は狐狸、坎は弓、離は黄色の箭で、箭は狐狸の身を貫穿す。九二は上行して五位に至るに三個の爻を経過するを要す。だから「田獲三狐,得黄矢」。変じて正を得てまた中位に居る。だから「貞吉」。
《象》曰:九二貞吉,得中道也。虞翻曰:動得正,故得中道。六三:負且乘,虞翻曰:負,倍也。二變時艮為背,謂三以四艮倍五也。五來寇三時,坤為車,三在坤上,故“負且乘”。小人而乘君子之器《象》曰:“亦可醜也”。致寇至,貞吝。虞翻曰:五之二成坎,坎為寇盜。上位慢五,下暴於二,慢藏悔盜,故“致寇至,貞吝”。《象》曰:“自我致戎,又誰咎也。”
《象伝》にいう。九二の正を守りて吉なるは、中道を得ればこそ。虞翻の説明では、九二は一動すれば便ち正位を得。だから中道を得るという。六三の爻辞にいう。物を背負いて却ってまた車に坐乘す。虞翻の説明では、「負」は「倍」に通じ、すなわち背向背棄である。九二変動の時艮を成し、艮は背で、六三の九四の艮背に憑藉して九五を背棄するを言う。九五は下りて六三を侵犯するの時、坤は車で、六三は便ち坤の上面に在る。だから「負且乘」。《繋辞伝》は小人にして君子の車乘に乘るを講ず。《象伝》はしかるがゆえに「亦可丑也」という。爻辞続いていう。強盗を招来し、これを守れば則ち吝惜あり。虞翻の説明では、九五は二位に下れば便ち坎を成し、坎は寇盗なり。六三は上に於て九五を軽慢し、下に於て九二を欺凌す。まさに《繋辞伝》のいう所の収蔵謹まざれば便ち盗賊を招引するに如し。だから「致寇至,貞吝」。《象伝》もまた「自我致戎,又誰咎也」という。
《象》曰:負且乘,亦可醜也。自我致戎,又誰咎也。虞翻曰:臨坤為丑也。坤為自我。以離兵伐三,故轉寇為戎。艮手招盜,故“誰咎也”。九四:解而母,朋至斯孚。虞翻曰:二動時艮為指。四變之坤為母,故“解而母”。臨兌為朋,坎為孚。四陽從初,故“朋至斯孚”矣。
《象伝》にいう。物を背負いてまた車に坐るは、実に可丑なり。兵戎は自ら招来するなり。また誰をか咎めんや。虞翻の説明では、解卦は臨卦より来り、臨の坤は丑悪で、坤はまた「我」と訓す。離の象徴する所の兵器を以て六三を討伐すればこそ、「寇」より転じて「戎」と説く。艮は手で、自ら手を招きて盗賊を引來するに等し。だからまた誰をか咎めんやという。九四の爻辞は此の本は「解而母」を作す。附する所の物を解去して、朋友到來してこそ相互取信する能くすを言う。虞翻の説明では、九二変動の時艮を成し、艮は手指なり。九四は変じて坤に入り、坤は母なり。だから經文は「解而母」という。臨卦に兌あり、兌は朋、坎は誠信で、九四この陽爻は初位に回帰す。だから「朋至斯孚」。
《象》曰:解而母,未當位也。王弼曰:失位不正,而比於三。故三得附之,為其拇也。三為之拇,則失初之應,故“解其拇”,然後“朋至斯孚”而信矣。案:九四體震,震為足。三在足下,拇之象。六五:君子惟有解,吉。有孚于小人。虞翻曰:君子謂二。之五得正成坎,坎為心。故“君子惟有解,吉”。小人謂五。陰為小人,君子升位,則小人退在二,故“有孚于小人”。坎為孚也。《象》曰:君有解,小人退也。虞翻曰:二陽上之五,五陰小人退之二也。
《象伝》にいう。附する所の物を解去するは、九四の居位不当なればこそ。王弼は爻位より立論す。九四は陽を以て陰に居り、位を失いて正ならず、また六三に緊挨す。だから六三は以てそれに依附するを得、其の足拇と成る。六三すでに其の足拇を為せば、それは便ち初六との正応を失去す。しかるがゆえに必ずこの足拇を解開し、然る後に朋友到來してこそ彼此取信する能くす。李鼎祚の案語にいう。九四は震体の中に在り、震は足で、六三は脚の下方に処る。まさに脚拇指の取象なり。六五の爻辞にいう。君子はただ能く解すれば、便ち吉利、而してまた小人の身上に於て検証を得。虞翻の説明では、ここの「君子」は九二を指し、それは上行して五位に至れば便ち正を得て坎を成し、坎は心なり。だから「君子惟有解,吉」。「小人」はもと五に居るの陰爻を指し、陰柔は小人と為る。君子は尊位に升れば、小人は便ち二位に退く。だから「有孚于小人」といい、坎はまさに誠信の象なり。《象伝》にいう。君子能く解すれば、小人は自然退去す。虞翻の説明では、九二この陽爻は上昇して五位に至れば、もと五位に居るの陰爻小人は便ち二位に退去す。
上六:公用射隼于高庸之上,獲之,無不利。虞翻曰:上應在三。公,謂三伏陽也。離為隼。三失位,動出成乾,貫隼入大過,死象故“公用射隼于高庸之上,獲之,無不利”也。案:二變時體艮。艮為山,為宮闕,三在山半,高塘之象也。《象》曰:公用射隼,以解悖也。虞翻曰:坎為悖,三出成乾,而坎象壞,故“解悖也”。《九家易》曰:隼,鷙鳥也。今捕食雀者,其性疾害,喻暴君也。陰盜陽位,萬事悖亂,今射去之,故曰“以解悖也。”
上六の爻辞にいう。王公は高墻の上に於て鷲隼を射、一箭射中して擒獲す。利なからざる所なし。虞翻の説明では、上六の応ずる所は六三で、「公」は六三の下に潜伏する陽爻を指す。離は隼鳥なり。六三は位を失い、一動して陽爻を顕出して乾を成し、箭矢は隼身を貫穿し、全卦は大過に入り、大過に死亡の象あり。だから「公用射隼于高庸之上,獲之,无不利」。李鼎祚の案語にいう。九二変動の時艮体を成し、艮は山・宮闕で、六三は山の半腰に処る。まさに高墻高台の取象なり。《象伝》にいう。王公の隼を射るは、以て悖乱を解除するに用いればこそ。虞翻の説明では、坎は悖乱を象徴し、六三は変出して乾を成せば、坎象は之に随いて破壞す。だから「解悖」。《九家易》は則ち物象より取喩す。隼は凶猛の鷲鳥で、すなわち今天の麻雀を捕食する那一類で、性情は狠戾にして害を好む。以て暴虐の君に比喩す。陰爻は陽位を盗據し、万事はしかるがゆえに悖乱す。今一箭を以てそれを射掉す。だから「以解悖也」。
損卦
《序卦》曰:緩必有所失,故受之以損。崔覲曰:宥罪緩死,失之於僥倖,有損於政刑,故言緩必有所失,故受之以損者也。(兌下艮上)。損:有孚,元吉,無咎可貞,利有攸往。曷之用,二簋可用享。鄭玄曰:艮為山,兌為澤。互體坤,坤為地。山在地上,澤在地下,澤以自損增山之高也。猶諸侯損其國之富以貢獻於天子,故謂之損矣。
《序卦伝》にいう。寛緩は必然に損失する所有り。だから解卦の後に接するは損卦なり。崔覗の説明では、罪人を寛宥し其の死刑を緩むるは、失は縦容僥幸に在り、政令刑法に対しては一種の損害なり。だから寛緩は必ず失する所有るを言う。しかるがゆえに損卦を以て承接す。損卦は下は兌上は艮。卦辞にいう。誠信を心存し、大いに吉利、咎を受けず、正を守る可く、前往する所有るに利あり。以て祭獻するに何をか用いん、両簋の薄食を以てすれば便ち奉享する可し。鄭玄は互体の法を以て卦を解く。艮は山、兌は沢で、中間の互体は坤を成し、坤は地なり。山は地の上、沢は地の下に在る。これ沢の自らを減損して以て山の高度を增添するなり。諸侯の本国の財富を減損して天子に進貢するに譬ゆ。だから「損」と称す。
有孚。無吉,無咎。可貞,利有攸往。虞翻曰:泰初之上,損下益上,以據二陰,故“有孚,元吉,無咎”。艮男居上,兌女在下,男女位正,故“可貞利有攸往”矣。曷之用?二簋可用享。崔覲曰:曷,何也。言其道上行,將何所用,可用二簋而享也。以喻損下益上,惟有乎心,何必竭於不足而補有餘者也。
卦辞は誠信を心存し大いに吉利・咎を受けず・正を守る可くして前往するに利あるの几層を分説す。虞翻は卦変を以て解く。損卦は泰卦の初九が上行して上位に至りて成れり、下体を減損し上体を增益し、上九はしかるがゆえに六五・六四の両個の陰爻を據有す。だから誠信あり・大吉利・咎を受けずという。艮は少男にして上に居り、兌は少女にして下に在り、男女は各々其の正位を得。だから「可貞,利有攸往」。卦辞は以て祭獻するに何をか用いんと問い、両簋の薄食を以てすれば便ち奉享する可しと答う。崔覗の説明では、「曷」はすなわち「何」で、損道は上に向かい行くを言う。まさに何を以てせんとや、両簋の祭品を以て奉獻すれば便ち足る。これは下に在る者を減損して以て上に在る者を增益するに比喩し、関鍵はただ心意の誠敬なるか否かに在り。いずくんぞ必ずもと不足の一方を榨干して以てあの有余の一方を補わんや。
《彖》曰:損,損下益上,其道上行。蜀才曰:此本泰卦。案:坤之上六,下處乾三。乾之九三,上升坤六。損下益上者也。陽德上行,故曰“其道上行”矣。損而有孚,荀爽曰:謂損乾之三居上。孚,二陰也。元吉,無咎。荀爽曰:居上據陰,故“元吉,無咎”,以未得位,嫌於咎也。
《彖伝》にいう。損はすなわち下体を減損し上体を增益し、其の道は上に向かい運行す。蜀才は卦変の来源を指明す。損卦はもと泰卦より変じ来る。李鼎祚の案語続いていう。泰卦坤体の上六は下りて乾の第三位に居り、乾の九三は上昇して坤の第六位に至る。これがすなわち下体を減損して上体を增益するなり。陽徳は上に向かい運行す。だから「其道上行」。《彖伝》に減損して誠信あるは、荀爽は升降の説に依って解く。これは乾体の第三爻を減損してそれを上位に居らしむるを言う。いわゆる「孚」は、指す所は其の據する両個の陰爻なり。《彖伝》に大吉・咎を受けずは、荀爽の説明では、上九は最上に居りて陰爻を據有す。だから大いに吉利にして咎を受けず。ただそれは并びに正位を得ざるに因りて、もと過咎あるに嫌えり。
可貞。荀爽曰:少男在上,少女雖年尚幼,必當相承,故曰“可貞”。利有攸往。荀爽曰:謂陽利往居上。損者,損下益上,故利往居上。曷之用?二簋可用享。荀爽曰:二簋,謂上體二陰也。上為宗廟。簋者,宗廟之器,故可享獻也。
《彖伝》に正を守る可しは、荀爽の説明では、艮は少男にして上に居り、兌は少女にして下に在る。少女は年紀尚幼なれど、将来必定少男と配合相承せん。だから「可貞」。《彖伝》に前往する所有るに利あるは、荀爽の説明では、これは陽爻は上位に前往し居るに利あるを言う。損の意はすなわち下体を減損し上体を增益するなり。だから陽爻は上行して上に居るに利あり。《彖伝》は卦辞の以て何をか用いんと問うを引き、両簋を以て奉享する可しと答う。荀爽の説明では、「二簋」は上体の両個の陰爻を指す。上位は宗廟を象徴し、簋は宗廟の裡に黍稷を盛るの礼器なり。だから以て祭享を奉獻するに用いる可し。
二簋應有時。虞翻曰:時謂春秋也。損二之五,震二月,益正月,春也。損七月,兌八月,秋也。謂春秋祭祀,以時思之。艮為時,震為應,故“應有時”也。損剛益柔有時。虞翻曰:謂冬夏也。二五已易成益。坤為柔。謂損。益上之三成既濟,坎冬離夏。故“損剛益柔有時”。
《彖伝》に両簋の薄祭は時節に順応するを要すという。虞翻の説明では、ここの「時」は春・秋の両季を指す。損卦の九二は上行して五位に至り、震は夏暦二月に値り益卦は正月に値り、皆春に属す。損卦は本身は七月に値り、兌は八月に値り、皆秋に属す。いわゆる春秋両祭は、すなわち時序に按じて先人を追思するなり。艮は時を象徴し、震は応を象徴す。だから「応有時」。《彖伝》に剛爻を減損し柔爻を增益するもまた各々其の時あるは、虞翻の説明では、この一句の指す所は冬・夏の両季なり。二・五の両爻は交換の後益卦を成し、坤は柔で、この一歩はすなわち「損」なり。益卦の上爻は第三位に下れば便ち既済を成し、既済の中に坎は冬・離は夏なり。だから「損剛益柔有時」。
損益盈虛,與時偕行。虞翻曰:乾為盈,坤為虛,損剛益柔,故“損益盈虛”。謂泰初之上,損二之五,益上之三,變通趨時,故“與時偕行”。《象》曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒慾。虞翻曰:君子,泰乾。乾陽剛武,為忿。坤陰吝嗇,為欲。損乾之初成兌說,故“懲忿”。初上據坤,艮為止,故“窒慾也”。
《彖伝》に減損・增益・盈満・虧虚は、皆時勢と一同に推移すという。虞翻の説明では、乾は盈満、坤は空虚で、剛爻を減損して柔爻を增益するは、すなわち「損益盈虚」なり。具体に言えば、泰卦の初爻は上行して上位に至り、損卦の二爻は上行して五位に至り、益卦の上爻は三位に下る。皆卦変に随いて通達し時宜に趨合す。だから「与时偕行」。《象伝》にいう。山下に沢あり。これが損卦である。君子はこれに由りて忿怒を懲戒し私欲を堵塞す。虞翻の説明では、「君子」は泰卦の乾体を指し、乾は陽剛にして武を好み、忿怒を象徴す。坤陰は吝嗇貪求にして、私欲を象徴す。乾の初爻を減損して兌を成し、兌は和悦を主る。だから忿怒を懲戒す。初爻は上行して坤体を據有し、艮は止なり。だから私欲を堵塞す。
初九:祀事遄往,無咎,酌損之。虞翻曰:祀,祭祀。坤為事,謂二也。遄,速。酌,取也。二失正,初利二速往,合志於五,得正無咎,已得之應,故“遄往無咎酌損之”。《象》曰“上合志也”。祀,舊作巳也。《象》曰:祀事遄往,上合志也。虞翻曰:終成既濟,謂二上合志於五也。
初九の爻辞にいう。祭祀の事は迅速に前往し、咎を受けず、自らを酌量減損して以て他人を增益す。虞翻の説明では、「祀」はすなわち祭祀である。坤は事で、九二この一爻を指す。「遄」は快速で、「酌」は取用である。九二は位を失いて正ならず、初九は九二をして迅速に上行して六五と心志相合するに利あり、正を得て咎を受けず、自らもまた正応を獲得す。だから「遄往无咎,酌損之」。《象伝》はしかるがゆえに「上合志也」という。「祀」字は旧本は「巳」と作る。《象伝》にいう。祭祀の事の迅速に前往するは、上位と心志相合せばこそ。虞翻の説明では、最終に既済に変ずるは、すなわち九二の上に六五と心志相合するを言う。
九二:利貞,征凶,弗損益之。虞翻曰:失位當之正,故“利貞”。徵,行也。震為征,失正毀折,故“不徵”。之五則凶,二之五成益,小損大益,故“弗損益之”矣。《象》曰:九二利貞,中以為志也。虞翻曰:動體離中,故“為志也”。六三:三人行,則損一人。虞翻曰:泰乾三爻,為三人;震為行,故“三人行”。損初之上,故“則損一人”。一人行,則得其友。虞翻曰:一人謂泰初之上,損剛益柔,故“一人行”。兌為友,初之上,據坤應兌,故“則得其友”。言致一也。《象》曰:一人行,三則疑也。虞翻曰:坎為疑,上益三成坎,故“三則疑”。荀爽曰:一陽在上,則教令行。三陽在下,則民眾疑也。
九二の爻辞にいう。正を守るに利あり、貿然に前行すれば凶険、自らを減損せずして能く対方を增益す。虞翻の説明では、九二は陽を以て陰に居りて位を失い、まさに変じて正を得べし。だから「利貞」。「征」は行走で、震は征行なれど、九二は正を失いて毀折の象あり。だから前征に宜からず。径直に上行して五位に至れば便ち凶険あり。九二は一たび五位に到れば便ち益卦を成し、減損するは少なく增益するは多し。だから「弗損益之」。《象伝》にいう。九二の正を守るに利あるは、中を持するを以て心志と為せばこそ。虞翻の説明では、九二は一動すれば便ち離体を成して中に居る。だから「為志」。六三の爻辞にいう。三人は同行すれば、便ち一人を減ずるを要す。虞翻の説明では、泰卦乾体の三個の陽爻はすなわち「三人」で、震は行走なり。だから「三人行」。損卦は泰卦の初爻を上位に損するなり。だから「則損一人」。爻辞またいう。一人は独行すれば、反って其の伙伴を得。虞翻の説明では、「一人」は泰卦の初九の上行して上位に至るを指し、これは剛爻を減損し柔爻を增益するなり。だから「一人行」。兌は朋友で、初爻は上位に到り、坤体を據有して下に兌体に応ず。だから「則得其友」といい、講ずる所は専一に相与するの義なり。《象伝》にいう。一人は独行してこそ好し、三人は便ち疑を生ず。虞翻の説明では、坎は疑惑を象徴し、上爻は下りて第三爻を益すれば便ち坎を成す。だから「三則疑」。荀爽は政事より立論す。一個の陽爻は上に在れば、教令はこそ通行する能くす。三個の陽爻は下に並列すれば、民衆は便ち適從する所なくして疑を生ず。
六四:損其疾,使遄有喜,無咎。虞翻曰:四,謂二也。四得位,遠應初。二疾上五,已得承之。謂二之五,三上覆。坎為疾也。陽在五稱喜。故“損其疾,使遄有喜”。二上體觀,得正承五,故“無咎”矣。《象》曰:損其疾,亦可喜也。蜀才曰:四當承上,而有初應,必上之所疑矣。初,四之疾也。宜損去其初,使上遄喜。虞翻曰:二上之五,體大觀象,故“可喜也”。
六四の爻辞にいう。其の疾患を減損し、それをして尽快に喜あらしむれば、咎を受けず。虞翻の説明では、ここのいう所の「四」は其の実九二を指す。六四すでに位を得、初九と遥遠に相応ず。九二は急いで五位に上行せば、六四は便ちそれを承奉する可し。すなわち九二は五位に上り、六三と上九は各々其の位に復し、坎は疾患を象徴し、陽爻は五に居りて喜と称す。だから「損其疾,使遄有喜」。九二上行の後全卦は觀の体を成し、六四は正を得て九五を承奉す。だから咎を受けず。《象伝》にいう。其の疾患を減損するは、また可喜なり。蜀才の説明では、六四はもとまさに上に尊位を承くべきに、却ってまた初九と応あり。必然に上面の猜疑を招来す。初九はすなわち六四の疾患で、まさに初九との牽連を損去し、上面をして早些に歓喜せしむべし。虞翻は補充していう。九二は五位に上れば、全卦は大觀の象を成す。だから「可喜」。
六五:或益之十朋之龜,弗克違,元吉。虞翻曰:謂二五已變成益,故“或益之”。坤數十,兌為朋,三上失位,三動離為龜。十謂神靈攝寶文、筮山澤水火之龜也。故“十朋之龜”。三上易位,成既濟,故“弗克違,元吉”矣。《象》曰:六五元吉,自上佑也。侯果曰:內柔外剛,龜之象也。又體兌艮,互有坤震。兌為澤龜,艮為山龜,坤為地龜,震為木龜,坤數又十,故曰“十朋”。朋,類也。六五處尊,損已奉上。人謀允葉,龜墨不違。故能延上九之佑,而來十朋之益。所以大吉也。崔覲曰:或之者,疑之也。故用元龜。價值二十大貝,龜之最神貴者。以決之,不能違其益之義。故獲元吉。雙貝曰朋也。
六五の爻辞にいう。ある人は價値十朋の大亀を贈送し、推辞する能わず。大いに吉利。虞翻の説明では、二・五の両爻は変動の後益卦を成す。だから「或益之」。坤の成数は十、兌は朋で、三と上の両爻は位を失い、六三は一動して離を成し、離は亀なり。いわゆる「十」は、指す所は神亀・霊亀・攝亀・宝亀・文亀及び筮亀・山亀・沢亀・水亀・火亀この十類なり。だから「十朋之亀」。三・上の両爻は位置を交換すれば便ち既済を成す。だから「弗克違,元吉」。《象伝》にいう。六五の大いに吉利は、上位よりの保佑より来ればこそ。侯果の説明では、亀は内は柔にして外は堅、まさに六五の象に合す。損卦はまた兌・艮の両体に由りて構成し、中間の互体は坤と震を含有す。兌は沢亀、艮は山亀、坤は地亀、震は木亀で、坤の成数はまた十なり。だから「十朋」といい、「朋」はここに於ては種類の意なり。六五は身に尊位に居りて自らを減損して上位を奉養し、人の謀劃と卜筮は相合し、亀兆墨蹟もまた相違背せず。だから能く上九の庇佑を招来し、十朋の亀の增益を獲得す。しかるがゆえに大吉。崔覗は則ち辞例上より講ず。「或」と言えばすなわち疑ある所にして未だ定まらず。だから大亀を動用して疑を決するを要す。この種の亀は價値二十枚の大貝で、亀の中の最も神異貴重なり。それを以て決断すれば、結果は增益の義に違背せず。だから大吉を獲得す。両枚の貝を以て一朋と称す。
上九:弗損益之,無咎,貞吉。虞翻曰:損上益三也。上失正,之三得位,故“弗損益之,無咎,貞吉”。動成既濟,故“大得志”。利有攸往,得臣無家。虞翻曰:謂三往之上,故“利有攸往”。二五已動成益,坤為臣。三變據坤,成家人,故曰“得臣”。動而應三,成既濟,則家人壞,故曰“無家”。
上九の爻辞にいう。他人を減損せずして能く彼を增益し、咎を受けず、正を守れば則ち吉。虞翻の説明では、これは上位を減損して以て第三爻を增益するなり。上九はもと正を失い、三位に下れば便ち位を得。だから「弗損益之,无咎,貞吉」。一動すれば便ち既済を成す。だから《象伝》に「大得志」という。爻辞またいう。前往する所有るに利あり、臣僕を得て而して家界を分たず。虞翻の説明では、六三は上位に前往す。だから「利有攸往」。二・五の両爻すでに動きて益卦を成し、坤は臣僕で、六三は変じて坤体を據有し、家人卦を成す。だから「得臣」。再び動きて六三と相応して既済を成せば、家人の象は便ち破壞す。だから「无家」。
王肅曰:處損之極,損極則益,故曰“弗損益之”。非無咎也。為下所益,故“無咎”。據五應三,三陰上附,外內相應,上下交接,正之吉也。故“利有攸往”矣。剛陽居上,群下共臣,故曰“得臣”矣。得臣則萬方一軌,故“無家”也。《象》曰:弗損益之,大得志也。虞翻曰:謂二五已變,上下益三,成既濟定。離坎體正,故“大得志”。
王肅は義理より立論す。上九は損道の尽頭に処り、減損して極点に到れば便ち転じて增益と為る。だから「弗損益之」。それは本身は并びに天然に咎なきに非ざるも、ただ下面の增益を受くるに因りて、こそ咎を受けざるを得。それは下に九五に據し上に六三に応じ、三個の陰爻は皆上に向かい依附し、内外相応して上下交接す。これは正を守ってこそ有るの吉利なり。だから「利有攸往」。陽剛は最上に居り、群下は皆来りて臣と称す。だから「得臣」。天下の臣を得れば、四方は便ち同じく一軌に帰し、再び彼此の家界を分たず。だから「无家」。《象伝》にいう。減損せずして能く增益するは、大いに心志を実現せばこそ。虞翻の説明では、二・五の両爻すでに変じ、上下皆来りて第三爻を增益し、最後に既済を成して各爻は定位し、離坎両体は皆端正なり。だから「大得志」。
益卦
《序卦》曰:損而不已必益,故受之以益。崔覲曰:損終則弗損益之,故言損而不已必益也。(震下巽上)。益:利有攸往。虞翻曰:否上之初也。損上益下,其道大光。二利往坎應五,故“利有攸往,中正有慶”也。利涉大川。虞翻曰:謂三失正。動成坎,體渙;坎為大川,故“利涉大川”。渙,舟楫象。木道乃行也。鄭玄曰:陰陽之義,陽稱為君,陰稱為臣。今震一陽二陰,臣多於君矣。而四體巽,之不應初,是天子損其所有以下諸侯也。人君之道,以益下為德,故謂之益也。震為雷,巽為風。雷動風行,二者相成,猶人君出教令,臣奉行之,故“利有攸往”。坎為大川,故“利涉大川”矣。
《序卦伝》にいう。減損し続ければ必ず増益に転じる。だから損卦の次に益卦が置かれた。崔覗の説明では、損卦は終位に至ると「弗損益之(損せずして益す)」といい、減損が極まれば増益に転じるから、「損而不已必益」としたのである。益卦は下が震・上が巽で、卦辞に「往くところあるに利し」とある。虞翻は卦変で説明する。益卦は否卦の上九が初位に下って成り、上体を損し下体を益すので、その道は大いに明るい。九二は往くに利あり、動いて坎を成して九五に応ずるので「利有攸往、中正有慶」という。卦辞はまた大川を渡るに利ありという。虞翻の説明では、六三は位を失い、一たび動けば坎を成し、全卦は渙の体となる。坎は大川だから「利渉大川」という。渙卦は舟楫の象があり、《彖伝》のいう「木道乃行」にあたる。鄭玄は君臣の名分から論じる。陰陽の義では、陽を君、陰を臣と称する。いま下体の震は一陽二陰で臣が君より多く、上体の第四爻は巽の中にあって初爻に応じない。これは天子が自らの所有を損して諸侯に下すことである。人君の道は下民を益すを徳とするから「益」という。震は雷、巽は風、雷動き風行われ、二者は相成る。たとえば人君が教令を出し、臣下がこれを奉行するようなものだから「利有攸往」。坎は大川だから「利渉大川」である。
《彖》曰:益,損上益下,蜀才曰:此本否卦。案:乾之上九下處坤初。坤之初六,上升乾四。損上益下者。民說無疆。虞翻曰:上之初。坤為無疆,震為喜笑;以貴下賤,大得民,故“說無疆”矣。自上下下,其道大光。虞翻曰:乾為大明,以乾照坤,故“其道大光”。或以上之三,離為大光矣。
《彖伝》にいう。益とは上体を損し下体を益すことである。蜀才は卦変の由来を指摘する。益卦はもともと否卦から変じた。李鼎祚の案語が続ける。否卦の乾体の上九が下って坤の初位に居り、坤の初六が乾の第四位に昇る。これが上を損し下を益すことである。《彖伝》に民の歓悦は果てなしとある。虞翻の説明では、上爻が初位に下る。坤は无疆、震は喜笑である。尊貴の身をもって卑賤に下るので民を大いに得、「説无疆」という。《彖伝》に上から下民に下す、その道大いに光ありとある。虞翻の説明では、乾は大明であり、乾をもって坤を照らすから「其道大光」という。あるいは上爻が三位に下って離を成すとも解し、離は大光である。
利有攸往,中正有慶。虞翻曰:中正謂五,而二應之,乾為慶也。利涉大川,木道乃行。虞翻曰:謂三動成渙。渙,舟楫象。巽木得水,故“木道乃行”也。益動而巽,日進無疆。虞翻曰:震三動為離,離為日。巽為進,坤為疆。日與巽俱進,故曰“進無疆”也。天施地生,其益無方。虞翻曰:乾下之坤,震為出生,萬物出震,故“天施地生”。陽在坤初為無方,日進無疆,故“其益無方”也。
《彖伝》に往くところあるに利し、中正にして慶びありとある。虞翻の説明では、「中正」は九五を指し、六二がこれに応じ、乾は福慶を主るから「有慶」という。《彖伝》に大川を渡るに利しとは、木の道が行われることである。虞翻の説明では、六三が一たび動けば渙卦を成し、渙は舟楫の象があり、巽の木が坎水の上に浮かぶから「木道乃行」という。《彖伝》に益は震動して巽順し、日々進み増えて止まないとある。虞翻の説明では、震の第三爻が動けば離を成し、離は太陽である。巽は進み、坤は疆界である。太陽と巽風がともに進むから「進无疆」という。《彖伝》に天は施し地は生み、その益すところ方所なく定まらないとある。虞翻の説明では、乾の陽爻が坤の中に下り、震は出生を主り、万物はすべて震の方から生まれるから「天施地生」という。陽爻が坤の初位に処り、拘わるところなく日々進み止まないから「其益无方」という。
凡益之道,與時偕行。虞翻曰:上來益三,四時象正。艮為時,震為行,與損同義,故“與時偕行”也。《象》曰:風雷,益。君子以見善則遷,有過則改。虞翻曰:君子,謂乾也。上之三,離為見。乾為善,坤為過。坤三進之乾四,故“見善則遷”。乾上之坤初,改坤之過。體復象,復以自知,故“有過則改”也。
《彖伝》にいう。おおむね増益の道は時勢とともに行われる。虞翻の説明では、上爻が下って第三爻を益すと、四時の象はみな正に帰する。艮は時、震は行である。損卦の《彖伝》と同じ義例だから「与時偕行」という。《象伝》にいう。風と雷が相迫る、これが益卦である。君子はこれによって善を見れば遷り従い、過ちがあればすぐ改める。虞翻の説明では、「君子」は乾を指す。上爻が三位に下って離を成し、離は見ることである。乾は善、坤は過失である。坤の第三爻が進んで乾の第四位に至るから「見善則遷」という。乾の上爻が坤の初位に下れば坤の過失を改めることになり、全卦に復卦の象を含む。復卦は身に反って自ら知ることを説くから「有過則改」という。
初九:利用為大作,元吉,無咎。虞翻曰:大作謂耕播耒耨之利,蓋取諸此也。坤為用,乾為大,震為作,故“利用為大作”。體復初得正,朋來無咎,故“元吉,無咎”。震,二月卦,日中星鳥,敬授民時,故以耕播也。《象》曰:元吉,無咎,下不厚事也。侯果曰:大作,謂耕植也。處益之始,居震之初。震為稼穡,又為大作。益之大者,莫大耕植。故初九之利,“利為大作”。若能不厚勞於下民,不奪時於農畯,則“大吉,無咎”矣。
初九の爻辞にいう。大事を興すに利あり、大いに吉で咎なし。虞翻の説明では、「大作」とは耒耜による耕作の利を指し、《繋辞伝》に神農氏が木を削って耜とし木を揉んで耒としたというのは、ほぼこの卦から象を取ったものである。坤は用、乾は大、震は興作であるから「利用為大作」という。全卦に復卦の象を含み初爻が正を得るので、復卦「朋来无咎」の義に合い、「元吉无咎」という。震は夏暦二月にあたり、《尚書・堯典》のいう「日中星鳥」、恭しく農時を民に授ける時節なので、耕作・播種の象を取る。《象伝》にいう。大いに吉で咎なしとは、下民に過重な労役を負わせるべきでないからである。侯果の説明では、「大作」は耕作である。初九は益卦の始まりに処り、また震体の初に居る。震は稼穡を主り、また興作を主る。増益の事のうち耕作より大きいものはなく、だから初九の利は農事の興行にある。下民の労役を過重にせず、田官や農人の農時を侵奪しなければ、大いに吉で咎がない。
六二:或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉。虞翻曰:謂上從外來益初也,故“或益之”。二得正遠應,利三之正,已得承之。坤數十,損兌為朋;謂三變離為龜,故“十朋之龜”。坤為永,上之三得正,故“永貞吉”。王用享于帝,吉。虞翻曰:震稱帝。王謂五。否乾為王。體觀象。艮為宗廟。三變,折坤牛。體噬嗑食。故“王用享于帝”。得位,故“吉”。干寶曰:聖王先成其民而後致力於神,故“王用享于帝”。在巽之宮,處震之象,是則蒼精之帝同始祖矣。《象》曰:或益之,自外來也。虞翻曰:乾上稱外,來益初也。
六二の爻辞にいう。人が十朋の大亀を贈ってきて辞することができず、長く正を守れば吉。虞翻の説明では、これは上爻が外卦から下って初爻を益すことをいうから「或益之」という。六二は正を得て九五と遠く応じ、六三の変じて正を得るに利あり、自らこれに承奉することができる。坤の成数は十、益卦と相対する損卦には兌があり、兌は朋である。六三が一たび変じて離を成し、離は亀であるから「十朋之亀」という。坤は長久であり、上爻が三位に下って正を得るから「永貞吉」という。爻辞は続けていう。王がこれをもって上帝に享く、吉である。虞翻の説明では、震を帝と称し、「王」は九五を指す。益卦は否卦より来たり、否には乾があり乾は王である。全卦に観卦の祭祀の象を含み、艮は宗廟である。六三が一たび変じれば坤の象するところの牛を殺し、卦体は噬嗑を成して食享の義を有するから「王用享于帝」という。九五は位を得ているから吉である。干宝は史事と祭礼から立論する。聖王はまず百姓を安んじ、しかる後に神への奉事に力を致すから「王用享于帝」という。この爻は巽宮の内にあり、また震の象位に処るから、祭るところは東方の蒼帝で、周人の始祖とともに配享される。《象伝》にいう。人の彼を益するは、外より来るものである。虞翻の説明では、乾の上爻を「外」と称し、それが下って初爻を益すのである。
六三:益之用凶事,無咎。虞翻曰:坤為事,三多凶。上來益三得正。故“益用凶事,無咎”。有孚中行,告公用圭。虞翻曰:公謂三,伏陽也。三動體坎,故“有孚”。震為中行,為告,位在中,故曰“中行”。三,公位。乾為圭,乾之三,故“告公用圭”。圭。桓圭也。
六三の爻辞にいう。益すものをもって凶事に当たれば、咎なし。虞翻の説明では、坤は事であり、《繋辞伝》に第三爻は多く凶とある。上爻が下って第三爻を益し、六三はこれによって正を得るから「益用凶事、无咎」という。爻辞はまたいう。誠信を心に抱き、行いを中に持し、王公に告げて圭を執り信とする。虞翻の説明では、「公」は六三を指し、すなわちその下に伏する陽爻である。六三が一たび動けば坎体を成し、坎は誠信だから「有孚」という。震は行・告であり、六三はまた互体の中に居るから「中行」という。三は公侯の位、乾は玉圭であり、乾の陽爻が三位に来るから「告公用圭」という。ここでいう圭は桓圭である。
《九家易》曰:天子以尺二寸玄圭事天,以九寸事地也。上公執桓圭。九寸;諸侯執信圭。七寸;諸伯執躬圭,七寸;諸子執穀璧。五寸;諸男執蒲璧,五寸。五等諸侯,各執之以朝見天子也。《象》曰:益用凶事,固有之矣。虞翻曰:三上失正當變,是“固有之”。
《九家易》は礼制によって玉圭の等級を敷衍する。天子は一尺二寸の黒い玉圭をもって天に事え、九寸の玉圭をもって地に事える。上公は桓圭を執り長さ九寸、諸侯は信圭を執り長さ七寸、諸伯は躬圭を執り、これも七寸、諸子は穀璧を執り長さ五寸、諸男は蒲璧を執り、これも五寸。公・侯・伯・子・男の五等諸侯はそれぞれ自分の瑞玉を持って天子に朝見する。《象伝》にいう。益すものをもって凶事に当たるは、もとより彼がこれを承うべきものである。虞翻の説明では、六三と上九はともに正を失い変動すべきもので、これが「固有之」の義である。
干寶曰:固有如桓文之徒,罪近篡弒,功實濟世。六三失位,而體奸邪。處震之動,懷巽之權,是矯命之士。爭奪之臣,桓文之爻也。故曰“益之用凶事”。在益之家,而居坤中,能保社稷,愛撫人民,故曰“無咎”。既乃中行,近仁,故曰“有孚中行”。然後俯列盟會,仰致錫命,故曰“告公用圭”。
干宝は一貫して春秋の史事をもって《易》を解く。彼はいう。いわゆるもとより彼が承うべきとは、斉の桓公・晋の文公のたぐいの人物のごときで、罪をもって論ずれば簒逆弑君に近いが、功をもって論ずれば実に乱世を匡済した。六三は居位正しからず、自ら奸邪の質を帯びる。それは震の動位に処り、また巽の権変を懐いている。まさに王命を仮托して事を行う士、権勢を争う臣で、斉桓・晋文の一流の爻だから「益之用凶事」という。しかしその身は益卦の中にあって坤体に居り、社稷を保全し百姓を愛撫することができるから咎がない。次いで行いを中に持して仁に近いから「有孚中行」という。その後身を低めて諸侯の盟会を主催し、仰いで天子の賜命を承るから「告公用圭」という。
六四:中行,告公從,虞翻曰:中行謂震位在中。震為行,為從,故曰“中行”。公謂三。三上失位。四利三之正,已得以為實,故曰“告公從”矣。利用為依遷邦。虞翻曰:坤為邦。遷,從也。三動坤從,故利用為依遷邦也。《象》曰:告公從,以益志也。虞翻曰:坎為志,三之上,有兩坎象,故“以益志也”。
六四の爻辞にいう。行いを中に持し、王公に告げて聴従される。虞翻の説明では、「中行」とは震の爻位が中にあることをいい、震は行・また順であるから「中行」という。「公」は六三を指し、三と上はともに位を失い、六四は六三の変じて正を得るに利あり、自ら充実を得るから「告公従」という。爻辞はまたいう。大国に依拠して都邑を遷すに利あり。虞翻の説明では、坤は邦国であり、「遷」はここでは随従の義である。六三が一たび動けば坤が随従するから、依拠して邦を遷すに利ありという。《象伝》にいう。王公に告げて聴従されるは、その志を益するためである。虞翻の説明では、坎は心志であり、六三が上行すると卦中に二つの坎象ができるから「以益志也」という。
崔覲曰:益其勤王之志也。居益之時,履當其位,與五近比,而四上公,得藩屏之寄,為依從之國,若周平王之東遷晉鄭,是從也。五為天子,益其忠志以敕之。故言“中行告公從,利用為依遷國”矣。九五:有孚惠心,勿問,元吉。虞翻曰:謂三上也。震為問。三上易位,三五體坎,已成既濟。坎為心。故“有孚惠心,勿問,元吉”。故《象》:“勿問之矣。”有孚惠我德。虞翻曰:坤為我,乾為德,三之上體坎,為孚,故“惠我德”。《象》曰“大得志”。
崔覗は史事によって説く。これは六四の勤王の志を益することである。六四は増益の時に処り、居位が当を得て、また九五に近く隣接する。第四爻は上公の位で、王室を藩屏する重任を担い、まさに倚り頼み随従すべき方国である。周の平王が東に洛邑へ遷るにあたり晋・鄭の二国に倚ったようなもので、これがいわゆる「従」である。九五は天子であり、六四の忠貞の志を益して策命を加えるから「中行告公従、利用為依遷国」という。九五の爻辞にいう。誠信を心に抱いて人に恵を施せば、占うまでもなく大いに吉。虞翻の説明では、これは六三と上九についてのものである。震は発問である。三と上の両爻が位置を交換すれば三から五の間に坎体を成し、全卦はすでに既済となる。坎は心であるから「有孚恵心、勿問、元吉」といい、《象伝》がゆえに「勿問之矣」という。爻辞はまたいう。誠信を抱けば天下はみな我が恩徳を感じる。虞翻の説明では、坤は我、乾は徳であり、六三が上行して坎体を成し、坎は誠信だから「恵我徳」といい、《象伝》がゆえに「大得志」という。
《象》曰:有孚惠心,勿問之矣。惠我德,大得志也。崔覲曰:居中履尊,當位有應。而損上之時,自一以損已為念。雖有孚於國,惠心及下,終不言以彰已功。故曰“有孚惠心,勿問”。問,猶言也。如是,則獲元吉,且為下所信而懷已德,故曰“有孚惠我德”。君雖不言,人惠其德,則我“大得志也”。
《象伝》にいう。誠信を抱いて人に恵を施せば、占うまでもない。天下が我が恩徳を感じるのは、大いに志を得たということである。崔覗の説明では、九五は中に居り尊位に処り、位に当たりまた正の応がある。まさに上位を損して下民を益すべき時にあって、ひたすら己を損することのみを思う。邦国に信を取り恵心を下民に及ぼしながら、終始口に出して自らの功を誇らないから「有孚恵心、勿問」という——「問」はここでは「言う」ことに等しい。こうできれば大吉を得、しかも下民に信服されその徳を感じられるから「有孚恵我徳」という。君上は自ら功を言わなくても、人々がその恩徳を感じるならば、彼自身にとっては「大得志」なのである。
上九:莫益之,虞翻曰:莫,無也。自非上無益初者,唯上當無應故“莫益之”矣。或擊之,虞翻曰:謂上不益初,則以剝滅乾。艮為手,故“或擊之”。立心勿恆,凶。虞翻曰:上體巽,為進退,故“勿恆”。動成坎心,以陰乘陽,故“立心勿恆,凶”矣。《象》曰:莫益之,遍辭也。虞翻曰:遍,周匝也。三體剛凶,故至上應乃益之矣。或擊之,自外來也。虞翻曰:外謂上。上來之三,故曰“自外來也”。
上九の爻辞にいう。彼を益す者がいない。虞翻の説明では、「莫」は無である。上爻のほかにはもともと初爻を益す者はいないのに、上爻自身に応がないから「莫益之」という。爻辞はまたいう。あるいは彼を撃つ者があろう。虞翻の説明では、上爻が下って初爻を益すことを肯んじなければ、剥落の勢をもって乾体を滅することになる。艮は手であるから「或撃之」という。爻辞はまたいう。心を立てても恒久でなく、凶である。虞翻の説明では、上爻は巽体の中にあり、巽は進退不定を主るから「勿恒」という。一たび動けば坎を成し、坎は心であり、また陰爻をもって陽爻の上に凌ぐから「立心勿恒、凶」という。《象伝》にいう。彼を益す者がいないとは、全卦に遍く下された断辞である。虞翻の説明では、「遍」は周匝・遍及の義である。六三の下に剛爻が伏して多く凶であるから、上爻がこれに応ずるのを待って初めて益が言える。《象伝》にいう。あるいは彼を撃つ者ありとは、外より来るものである。虞翻の説明では、「外」は上爻を指し、上爻が三位に下るから「自外来也」という。
巻九
夬卦
《序卦》曰:益而不已必決,故受之以夬。夬者,決也。韓康伯曰:益而不已則盈,故必決矣。(乾下兌上)。夬:夬,揚于王庭。虞翻曰:陽決陰,息卦也。剛決柔,與剝旁通。乾為揚,為王,剝艮為庭,故“揚于王庭”矣。鄭玄曰:夬,決也。陽氣浸長,至於五,五,尊位也。而陰先之,是猶聖人積德悅天下,以漸消去小人,至於受命為天子,故謂之“決”。揚,越也。五互體乾。乾為君又居尊位,王庭之象也。陰爻越其上,小人乘君子,罪惡上聞於聖人之朝,故曰“夬,揚于王庭”也。
《序卦伝》にいう。増益し続ければ必ず潰決に至る。だから益卦の次に夬卦が置かれた。「夬」とは決断・決去である。韓康伯の説明では、益して止まなければ盈満し、盈満すれば必ず潰決する。夬卦は下が乾・上が兌で、卦辞にいう。夬は小人を決去することで、王廷にその罪状を公く宣べる。虞翻は十二消息と旁通の説によって説明する。夬は五陽が一陰を決去する陽息の卦で、剛をもって柔を決し、剥卦と旁通する。乾は宣揚・王であり、それと旁通する剥卦には艮があり、艮は門庭であるから「揚于王庭」という。鄭玄の説明では、「夬」は決である。陽気は次第に生長し五爻にまで至る。五は尊位でありながら上六という陰爻がなおその前に居る。これは聖人が徳行を積み天下を悦服させ、小人を徐々に除き去り、天命を受けて天子となるまでのことに譬えられるから「決」という。「揚」は越える義である。第五爻のあるところは互体が乾を成し、乾は君主でまた尊位に居る。まさに王廷の象であり、陰爻がその上に越居するのは小人が君子に凌駕し、罪悪が聖人の朝廷にまで達したことだから「夬、揚于王庭」という。
孚號有厲,虞翻曰:陽在二五稱孚。孚,謂五也。二失位,動體巽,巽為號,離為光。不變則危。故“孚號有厲,其危乃光也”。告自邑。不利即戎,虞翻曰:陽息動復。剛長成夬。震為告。坤為自邑。夬從復升,坤逆在上,民眾消滅。二變時,離為戎。故“不利即戎,所尚乃窮也。”利有攸往。虞翻曰:陽息陰消,君子道長,故“利有攸往,剛長乃終”。
卦辞にいう。誠信をもって衆に号するも、なお危うさがある。虞翻の説明では、陽爻が二・五の位に居るのを「孚」と称し、ここでは九五を指す。九二は位を失い、一たび動けば巽体を成し、巽は号令、離は光明である。変じなければ危険があるから「孚号有厉、其危乃光也」という。卦辞はまたいう。まず自分の城邑から告げ戒め、すぐに兵を用いるは利ならず。虞翻は十二消息によって説明する。陽気の生息は復卦に始まり、剛爻が次第に長じて夬を成す。震は告、坤は自家の城邑である。夬卦は復卦から一路昇ってきたもので、坤が反って上に居り、民衆の象が消滅する。九二が変動すると離を成し、離は兵戎であるから「不利即戎、所尚乃窮也」という。卦辞はまた往くところあるに利ありという。虞翻の説明では、陽気が生息し陰気が消退し、君子の道が日々に長ずるから「利有攸往、剛長乃終」という。
《彖》曰:夬,決也,剛決柔也。虞翻曰:乾決坤也。健而說,決而和。虞翻曰:健,乾。說。兌也。以乾陽獲陰之和,故“決而和”也。揚于王庭,柔乘五剛也。王弼曰:剛德齊長,一柔為逆,眾所同誅,而無忌者也。故可“揚于王庭”。孚號有厲,其危乃光也。荀爽曰:信其號令天下,眾陽危。去上六,陽乃光明也。干寶曰:夬九五則“飛龍在天”之爻也。應天順民,以發號令,故曰“孚號”。以剛決柔,以臣伐君,君子危之,故曰“有厲”。德大即心小,功高而意下,故曰“其危乃光也”。
《彖伝》にいう。夬は決であり、剛爻が柔爻を決去することである。虞翻の説明では、これは乾が坤を決去することである。《彖伝》に剛健にして悦び、決断して和順とある。虞翻の説明では、「健」は下体の乾、「説」は上体の兌を指す。乾の陽剛をもって陰の和順を得るから「決而和」という。《彖伝》に王廷にその罪を宣べるは、一つの柔爻が五つの剛爻の上に乗るからとある。王弼の説明では、五つの剛爻は徳性が斉しくともに進み、ただ一つの柔爻が上に悖逆して衆のともに討つところとなり、誰も憚るところがない。だから公に王廷にその罪状を宣べることができる。《彖伝》にいう。誠信をもって号してなお危うさあるは、まさに危惧の心を存するがゆえに、その道は光大する。荀爽の説明では、誠信をもって天下に号する時、衆多の陽爻はなお危疑の中に居る。上六を除き去ってはじめて陽の道は真に光明となる。干宝は一貫して史事をもって《易》を解く。彼はいう。夬卦の九五は《乾卦》「飛龍在天」のあの爻である。天意と民心に順応して号令を発するから「孚号」という。陽剛をもって陰柔を決去するは、臣子をもって君主を討つことで、君子はこれに心に危惧を抱くから「有厉」という。徳行が大きいほど小心に、功業が高いほど謙下するから「其危乃光也」という。
告自邑,翟元曰:坤稱邑也。干寶曰:殷民告周以紂無道。不利即戎,所尚乃窮也。荀爽曰:不利即尚兵戎,而與陽爭,必困窮。利有攸往,剛長乃終也。虞翻曰:乾體大成,以決小人。終乾之剛,故乃以終也。《象》曰:澤上於天,夬。陸績曰:水氣上天,決降成雨。故曰“夬”。君子以施祿及下,居德則忌。虞翻曰:君子謂乾,乾為施祿。下為剝坤,坤為眾臣。以乾應坤,故“施祿及下”。乾為德,艮為居,故“居德則忌”。陽極陰生,謂陽忌陰。
《彖伝》は「告自邑」を挙げる。翟元の説明では、坤を邑と称する。干宝は史事によって説明する。これは殷の百姓が周人に紂王の無道を告げ訴えたことである。《彖伝》にすぐに兵を用いるは利ならずとは、尚ぶところの道がすでに尽きたからである。荀爽の説明では、上六は兵戎を尚んで衆陽と争うに利なく、必ず困窮する。《彖伝》に往くところあるに利ありとは、剛爻が生長して最後に至り初めて成ることをいう。虞翻の説明では、乾体はここに至って大いに成就し、小人を決去するのに用いられる。乾の剛徳を終始貫き通すから「乃終」という。《象伝》にいう。沢水が天上に昇る、これが夬卦である。陸績の説明では、水気が天空に昇り、潰決して下れば雨となるから「夬」という。《象伝》は続けていう。君子はこれによって俸禄を施し下位に及ぼし、徳に安居して戒忌を知る。虞翻の説明では、「君子」は乾を指し、乾は俸禄の施与を主る。下は夬と旁通する剥卦の坤で、坤は衆臣である。乾をもって坤に応ずるから「施禄及下」という。乾は徳、艮は居止であるから「居徳則忌」という。陽が極まれば陰が生じるのであって、陽は陰を戒忌すべきということである。
初九:壯于前趾,往不勝為咎。虞翻曰:夬變大壯,大壯震為趾,位在前,故“壯於前”。剛以應剛,不能克之,往如失位,故“往不勝為咎”。《象》曰:不勝而往,咎也。虞翻曰:往失位應陽,故咎矣。九二:惕號,莫夜有戎,勿恤。虞翻曰:惕,懼也。二失位,故“惕”。變成巽,故“號”。剝坤為“莫夜”。二動成離,離為戎,變而得正,故“有戎”。四變成坎,坎為憂,坎又得正,故“勿恤”。謂成既濟定也。《象》曰:有戎勿恤,得中道也。虞翻曰:動得正應五,故“得中道”。
初九の爻辞にいう。足指の先端が強く、往いて勝てなければ咎となる。虞翻の説明では、夬卦は一歩退けば大壮で、大壮の下体の震は足趾であり、位置が最も前にあるから「壮于前」という。初九は剛爻をもって九四の剛に応ずるが、もともと相手に克勝できず、往けばなお位を失うから「往不勝為咎」という。《象伝》にいう。勝てないのに強いて往く、これが咎である。虞翻の説明では、往けば位を失い、応ずるところもまた陽爻であるから咎がある。九二の爻辞にいう。警惕して呼号し、暮夜に兵戎の事があっても憂うるに足りない。虞翻の説明では、「惕」は恐れである。九二は陽をもって陰に居り位を失うから「惕」といい、一たび変じて巽を成せば巽は号令だから「号」という。「莫夜」は暮夜・傍晚で、夬と旁通する剥卦の坤から象を取る。九二が一たび動けば離を成し、離は兵戎であり、変じて正を得るから「有戎」という。九四が一たび変じて坎を成し、坎は憂患であるが、坎も各々その正位を得るから「勿恤」という。これは終に既済を成して諸爻が定位するという意味である。《象伝》にいう。兵戎ありて憂えずは、中道を得たからである。虞翻の説明では、九二は一たび動けば正を得て上に九五に応ずるから「得中道」という。
九三:壯于頄,有凶。翟玄曰:頄,面也。謂上處乾首之前,稱頄。頄,頰間骨。三往壯上,故“有凶”也。君子夬夬,獨行遇雨。荀爽曰:九三體乾,乾為君子。三五同功,二爻俱欲決上,故曰“君子夬夬”也。“獨行”謂一爻獨上,與陰相應,為陰所施,兌為雨澤,故遇雨也。若濡有慍,無咎。荀爽曰:雖為陰所濡,能慍不悅,得無咎也。
九三の爻辞にいう。頬骨が強く露出するは凶。翟玄の説明では、「頄」は面部である。上六が乾首の前に処るから「頄」と称し、頄は頬の間の骨である。九三が往って上六に強を逞しゅうするから凶がある。爻辞はまたいう。君子は決してまた決し、独り行って雨に遇う。荀爽は乾体によって立論する。九三は乾体の中にあり、乾は君子である。三と五は同功で位を異にし、両爻とも上六を決去せんとするから「君子夬夬」という。いわゆる「独行」とは、九三が独り上行して上六という陰爻に応じ、陰気に沾染されることをいう。兌は雨沢であるから雨に遇うという。爻辞はまたいう。濡らされるごとくして心に慍怒を懐くも咎なし。荀爽の説明では、九三は陰に沾濡せられるけれども、慍怒して悦ばずとすることができるから咎なしとすることができる。
《象》曰:君子夬夬,終無咎也。王弼曰:頄,面顴也。謂上六矣。最處體上,故曰“頄”也。剝之六三,以應陽為善。夫剛長則君子道興,陰盛則小人道長。然則處陰長而助陽則善,處剛長而助柔剛凶矣。而三獨應上,助小人,是以凶也。君子處之,必能棄夫情累,決之不疑,故曰“夬夬”也。若不與陽為群,而獨行殊志,應於小人,則受其困焉。遇雨若濡有慍,而終無所咎也。
《象伝》にいう。君子が決してまた決するは、終に咎なきを得る。王弼の説明では、「頄」は頬の顴骨で、上六を指す。全卦の最上に処るから「頄」という。夬と旁通する剥卦の六三は、陽爻に応ずることができるゆえに善とされる。およそ剛爻が生長すれば君子の道が興り、陰気が盛んなれば小人の道が滋長する。だから陰長の世に身を処して陽を助けるは善であり、剛長の世に身を処して柔を助けるは凶がある。九三は偏に独り上六に応合して小人を助けるから凶がある。君子がこの位に処れば、必ず私情の牵累を抛ち、決断して迟疑しないから「夬夬」という。もし衆陽と心を同じくせず、独り別に心志を立てて小人に応合すれば、その困扰を受ける。雨に遇い濡らされ心に慍怒を懐く象があるけれども、終になお咎はない。
九四:臀無膚,其行次且。虞翻曰:二四已變,坎為臀。剝艮為膚,毀滅不見。故“臀無膚”。大壯震為行。坎為破,為曳。故“其行趑趄”也。牽羊悔亡,聞言不信。虞翻曰:兌為羊,二變巽為繩,剝艮手持繩,故“牽羊”。謂四之正,得位承五,故“悔亡”。震為言,坎為耳,震坎象不正,故“聞言不信”也。
九四の爻辞にいう。臀部に皮膚がなく、行くに趔趄として進みがたい。虞翻の説明では、二・四の両爻はすでに変じており、坎は臀である。夬と旁通する剥卦に艮があり、艮は皮膚である。この時毁灭して見えないから「臀无膚」という。大壮の震は行、坎は破損・拖曳であるから、歩けば趔趄として行きにくいという。爻辞はまたいう。羊を牵いて行けば悔いは亡び、忠言を聞いても信じようとしない。虞翻の説明では、兌は羊であり、九二が一たび変じて巽を成せば巽は繩索であり、剥卦の艮は手である。手に繩索を持つから「牽羊」という。九四は変じて正を得、居位が当を得て上に九五に承るから「悔亡」という。震は言語、坎は耳であり、震・坎の象はともに端正でないから「聞言不信」という。
《象》曰:其行次且,位不當也。聞言不信,聰不明也。虞翻曰:坎耳離目,折入於兌故“聰不明”矣。案:兌為羊,四五體兌故也。凡卦,初為足;二為腓;三為股;四為臀,當陰柔,今反剛陽,故曰“臀無膚”。九四震爻,震為足,足既不正,故“行趑趄”矣。
《象伝》にいう。行くに趔趄とするは居位が当たらないからであり、忠言を聞いて信ぜずは聴聞が明らかでないからである。虞翻の説明では、坎は耳・離は目で、両象とも折損して兌に入るから「聡不明」という。李鼎祚の案語にいう。兌を羊とするのは、四・五の両爻がまさに兌体を構成するからである。およそ一卦が人身に象を取るとき、初爻は足、二爻は小腿、三爻は大腿、四爻は臀部である。臀部はもともと陰柔の質であるべきところ、いま九四は反って陽剛であるから「臀无膚」という。九四はまた震爻で、震は足であり、足がすでに正しからないから行くに趔趄とするのである。
九五:莧陸夬夬,荀爽曰:莧謂五,陸謂三。兩爻決上,故曰“夬夬”也。莧者,葉柔而根堅且赤,以言陰在上六也。陸亦取葉柔根堅也。去陰遠,故言“陸”。言差堅於莧。莧根小,陸根大。五體兌,柔居上,莧也。三體乾,剛在下,根深,故謂之“陸”也。
九五の爻辞にいう。莧菜と商陸のごとく、決してまた決せよ。荀爽はこの二種の草を二爻に分かち属させる。「莧」は九五を指し、「陸」は九三を指す。両爻とも上六を決去せんとするから「夬夬」という。莧菜は葉が柔らかで根が堅く紅い。これをもって陰爻が上六に居ることを説明する。商陸もまたその葉柔らかく根堅き義を取る。上六から比較的遠いから「陸」と称し、莧よりやや堅実の義である。莧の根は小さく陸の根は大きい。九五は兌体にあり柔爻がその上に居るので、まさに莧の形象に合う。九三は乾体にあり剛爻が下にあって根深いから、これを「陸」と称する。
中行無咎。虞翻曰:莧,說也。莧,讀夫子莧爾而笑之莧。睦,和睦也。震為笑。言五得正位,兌為說,故“莧陸夬夬”。大壯震為行,五在上中,動而得正,故“中行無咎”。舊讀言莧陸,字之誤也。馬君、荀氏皆從俗,言莧陸非也。《象》曰:中行無咎,中未光也。虞翻曰:在坎陰中,故“未光”也。王弼曰:莧,草之柔脆者也。決之至易,故曰“夬夬”也。夬之為義,以剛決柔,以君子除小人也。而五處尊位,最比小人,躬自決者也。夫以至尊而敵於至賤,雖其克勝,未足多也。處中而行,足以免咎而已,未為光益也。上六:無號,終有凶。虞翻曰:應在於三,三動時體巽,巽為號令;四已變坎,之應歷險,巽象不見,故“無號”。位極乘陽,故“終有凶矣”。《象》曰:無號之凶,終不可長也。虞翻曰:陰道消滅,故“不可長也”。
爻辞は続けていう。中を持して行えば咎なし。虞翻は草名の説を取らず、別に訓釈を作る。「莧」は悦びと訓すべきで、《論語》の孔子「莞尓而笑」の莞に読む。「睦」は和睦であり、震は笑である。彼は九五が正位を得、兌が喜悦を主るから「莧陸夬夬」というと考える。大壮の震は行であり、九五は上体の中に処り、一たび動いて正を得るから「中行无咎」という。旧来は莧菜・商陸と読んだが、これは文字の訛誤である。馬融・荀爽はともに俗説に沿って莧陸と講じたが、正しくない。《象伝》にいう。中を持して行えば咎なきも、中を守る道はなお光大に足らない。虞翻の説明では、九五は坎の陰爻の中に処るから「未光」という。王弼は義理から立論する。莧は草の中で最も柔脆なもので、これを決去するは極めて易しいから「夬夬」という。夬の意義は剛をもって柔を決し、君子をもって小人を除くにある。しかるに九五は尊位に身を処し、また小人たる上六に最も親しく近い。みずから手を下して決せざるを得ない。至尊の身をもって至賤の人と敵となるは、たとえ勝利を得ても称すべきに足らない。中を持して行うことは、かろうじて咎を免れるにすぎず、なお光大有益とは言えない。上六の爻辞にいう。呼号しても用なし、終に凶あり。虞翻の説明では、上六の応ずるところは九三であり、九三が変動する時に巽体を成し、巽は号令である。九四はすでに変じて坎を成し、上六が九三に応じようとすれば坎険を経る。この時巽の象はすでに見えないから「无号」という。その居位は極に至り、また陽爻の上に凌駕するから「終有凶」という。《象伝》にいう。呼号の用なきの凶は、終に長久ならざるからである。虞翻の説明では、陰の道はここに消退滅尽するから「不可長也」という。
姤卦
《序卦》曰:決必有遇,故受之以姤。姤者,遇也。崔覲曰:“君子夬夬,獨行遇雨”,故言“決必有遇”也。(巽下乾上)。姤:姤,女壯,虞翻曰:消卦也,與復旁通。巽,長女;女壯,傷也。陰傷陽,柔消剛,故“女壯”也。勿用取女。虞翻曰:陰息剝陽,以柔變剛,故“勿用娶女,不可與長”也。
《序卦伝》にいう。決去した後には必ず相遇がある。だから夬卦の次に姤卦が置かれた。「姤」とは相遇である。崔覗の説明では、夬卦の九三に「君子夬夬、独行遇雨」とあるから、決去の後に必ず遇うところがあるという。姤卦は下が巽・上が乾で、卦辞にいう。姤とは女が壮んに過ぎることである。虞翻は消息と旁通の説によって説明する。姤は一陰が生じ始める消卦で、復卦と旁通する。巽は長女であり、「壮」はここでは傷と訓する。陰が陽を傷り始め、柔が剛を消蝕し始めるから「女壮」という。卦辞にこのような女を娶るなかれとある。虞翻の説明では、陰気が滋長してまさに陽爻を剥落せんとし、柔をもって剛を変ずるから「勿用娶女、不可与長」という。
《彖》曰:姤,遇也。柔遇剛也。勿用娶女,鄭玄曰:姤,遇也。一陰承五陽,一女當五男,苟相遇耳,非禮之正,故謂之“姤”。女壯如是,壯健以淫,故不可娶。婦人以婉娩為其德也。不可與長也。王肅曰:女不可娶,以其不正,不可與長久也。
《彖伝》にいう。姤は遇うことであり、柔爻が剛爻に遇うことである。「勿用娶女」の句について、鄭玄の説明では、姤は相遇の義である。一つの陰爻が五つの陽爻に承奉するのは、一人の女子が五人の男子に対するに等しく、ただ苟且に相遇うのみで礼制の正に合わないから「姤」という。女子がこのほどに壮んなのは、強健を恃んで淫佚するものであるから娶るべからず。婦人はもともと柔順婉約を徳とすべきである。《彖伝》に彼女と長く処るべからずとある。王粛の説明では、この女子は娶るべからず、その行いが正しくなく、彼女と長くともに処ることができないからである。
天地相遇,品物咸章也。荀爽曰:謂乾成於巽,而舍於離。坤出於離,與乾相遇,南方夏位,萬物章明也。《九家易》曰:謂陽起子,運行至四月,六爻成乾,巽位在巳,故言乾成於巽。既成,轉舍於離,萬物皆盛大。從離出,與乾相遇,故言天地遇也。
《彖伝》にいう。天地相遇えば、万物はこれによって彰明する。荀爽は卦気の方位によって説明する。乾の道は巽の位において完成し、しかる後に離に止舍する。坤の気は離の位から出て乾に相遇う。そこは南方の夏の位で、万物はみな昭彰にして明盛となる。《九家易》はさらに月建をもって推算する。陽気は子月に起こり、夏暦四月に運行すれば六爻が純陽となりて乾を成す。巽の位は巳に配されるから乾は巽に成るという。乾がすでに成れば、転じて離に止舍し、万物はみな盛大となる。坤の気は離の位から出て乾に遇うから天地相遇という。
剛遇中正,天下大行也。翟元曰:剛謂九五。遇中處正,教化大行於天下也。姤之時義大矣哉。陸績曰:天地相遇,萬物亦然,故其義大也。《象》曰:天下有風,姤。翟元曰:天下有風,風無不周布,故君以施令告化四方之民矣。
《彖伝》にいう。剛爻が中正の位に遇えば、教化は天下に通行する。翟元の説明では、「剛」は九五を指し、すでに中を得てまた正に居るから、教化が天下に大行できる。《彖伝》は姤卦の時に応じて生ずる意義の大きいことを歎賞する。陸績の説明では、天地でさえ相遇をもって大とする。万物もまた同じであるから、その意義は重大である。《象伝》にいう。天下に風あり、これが姤卦である。翟元の説明では、天下に風ありとは、風は吹き遍まないところがない。だから人君はこれに法り、政令を発布して四方の百姓を教化する。
后以施命誥四方。虞翻曰:後繼體之君。姤陰在下,故稱“後”。與泰稱後同義也。乾為施,巽為命,為誥。復震二月,東方;姤五月,南方;巽八月,西方;復十一月,北方;皆總在初,故以誥四方也。孔子行夏之時,經用周家之月,夫子傳《彖》、《象》以下,皆用夏家月。是故夏為十一月,姤為五月矣。
《象伝》にいう。后はこれによって命令を発し、四方に昭告する。虞翻の説明では、「后」は先君の位を継ぐ君主を指す。姤卦は一陰が下にあるから「后」と称し、泰卦の《象伝》が「后」と称するのと同じ用法である。乾は施与、巽は命令・また告誥である。卦気の方位によると、復卦は震に当たり二月に値し東方に属し、姤卦は五月に値し南方に属し、巽は八月に値し西方に属し、復卦はまた十一月に値し北方に属する。これらはすべて初爻に総攬されるから四方に昭告するという。孔子は夏暦の推行を主張したが、経文は周家の月次を用い、夫子の伝えた《彖伝》《象伝》以下はすべて夏暦の月次を用いる。それゆえ復卦は十一月、姤卦は五月となる。
初六:繫于金柅,貞吉。虞翻曰:柅,謂二也。巽為繩。故“繫柅”。乾為金,巽木入金,柅之象也。初四失正,易位乃吉,故“貞吉”矣。有攸往,見凶。《九家易》曰:絲繫於柅,猶女繫男,故以喻初宜繫二也。若能專心順二,則吉,故曰“貞吉”。今既為二所據,不可往應四,往則有凶故曰“有攸往,見凶”也。
初六の爻辞にいう。銅製の車止め木に繋ぎ、正を守れば吉。虞翻の説明では、「柅」は九二を指す。巽は繩索であるから「繋柅」という。乾は金であり、巽木が金に遇うのはまさに銅で包んだ車柅の形象である。初六と九四はともに正を失い、位置を交換して初めて吉となるから「貞吉」という。爻辞はまたいう。往くところあれば凶を見るであろう。《九家易》の説明では、糸が柅に繋がれるは、女子が男子に繋属するに譬えられるから、初六は九二に繋属すべきことを喩えるのに用いた。それがもし一心に九二に順従すれば吉だから「貞吉」という。いまやすでに九二に占められている以上、さらに往って九四に応合すべきではない。往けば凶があるから「有攸往、見凶」という。
羸豕孚蹄遯。虞翻曰:以陰消陽。往謂成坤。遯,子弒父;否,臣弒君。夬時三動,離為見。故“有攸往,見凶”矣。三夬之四。在夬,動而體坎,坎為豕,為孚,巽繩操之,故稱“羸”也。巽為舞,為進退,操而舞,故“羸豕孚蹄遯。”以喻姤女望於五陽,如豕蹢躅也。
爻辞にいう。繩索に縛られた豚は、果たして躁んで安まることなく蹄き踴る。虞翻の説明では、これは陰が陽を消することである。いわゆる「往」とは、消し続けていけば坤を成すということ。遯卦に至れば子の父を弑する象があり、否卦に至れば臣の君を弑する象がある。夬卦の時、第三爻が一たび動けば離を成し、離は見ることであるから「有攸往、見凶」という。この爻は夬卦の第三位から第四位に至ったものである。夬卦においてそれが一たび動けば坎体を成し、坎は豚・また誠信であり、巽の繩索がそれを繋ぐから「羸」と称する。すなわち繩索に纏縛されることである。巽はまた舞動・進退不定であり、繋がれながら跳ねるから「羸豕孚蹢躅」という。これをもって姤卦のこの女子が五つの陽爻を覬覦し、繋がれた豚がなお徘徊して蹄くようなものであることを喩える。
宋衷曰:羸,大索,所以繫豕者也。巽為股,又為進退。股而進退,則蹄遯也。初應於四,為二所據,不得從應,故不安矣。體巽為風,動搖之貌也。《象》曰:繫于金柅,柔道牽也。虞翻曰:陰道柔,巽為繩,牽於二也。九二:包有魚,無咎,不利賓。虞翻曰:巽為白茅,在中稱包。《詩》云:白茅包之。魚謂初陰,巽為魚;二雖失位,陰陽相承。故“包有魚,無咎”。賓謂四。乾尊稱賓。二據四應,故“不利賓”。或以包為庖廚也。《象》曰:包有魚,義不及賓也。王弼曰:初陰而窮下,故稱魚也。不正之陰,處遇之始,不能逆近者也。初自樂來,應已之廚,非為犯應,故“無咎”也。擅人之物,以為已惠,義所不為,故“不及賓”。
宋衷は別に訓釈を作る。「羸」は大きな繩索で、豚を繋ぐのに用いる。巽は大腿、また進退を主る。大腿が一進一退すれば、それは蹄が乱れ踏みする様子である。初六はもともと九四に応ずべきなのに九二に占められ、その正応に従うことができないから躁んで安まらない。それは巽体の中にあり、巽は風であるから、まさに揺動して定まらない形容である。《象伝》にいう。銅柅に繋がれるは、柔の道が牽かれたことである。虞翻の説明では、陰の性質は柔順であり、巽は繩索であり、初六は九二に牽繋されたのである。九二の爻辞にいう。包の中に魚あり、咎なし、ただし賓に利あらず。虞翻の説明では、巽は白茅であり、中位に居るのを「包」と称す。《詩経・召南》に「白茅包之」の句がある。「魚」は初六という陰爻を指し、巽は魚である。九二は位を失うけれども、初六と陰陽相い承ぐから「包有魚、无咎」という。「賓」は九四を指し、乾は尊貴で賓と称される。九二が九四の正応を占めたから「不利賓」という。あるいは「包」を庖厨と講ずる者もいる。《象伝》にいう。包の中に魚ありは、義理上賓に及ばない。王弼の説明では、初六は陰爻で最下に処るから魚と称す。この不正の陰は相遇の初めに処り、最も近い一爻に逆らうことができない。初六は自ら喜んで来て九二の庖厨に帰したのであって、九二がその正応を犯したのではないから咎はない。しかし他人の物を己のものとし、さらに人情を為すに用いるのは義理上あるべきでないから、賓には及ばないという。
九三:臀無膚,其行次且,厲,無大咎。虞翻曰:夬時動之坎,為臀。艮為膚。二折艮體,故“臀無膚”。復震為行,其象不正,故“其行趑趄”。三得正位,雖則危厲,故“無大咎”矣。案:巽為股,三居上,臀也。爻非柔,無膚,行趑趄也。《象》曰:其行次且,行未牽也。虞翻曰:在夬失位,故牽羊。在姤得正,故“未牽也”。
九三の爻辞にいう。臀部に皮膚がなく、行くに趔趄として進みがたい。危うさはあるが、大きな咎はない。虞翻の説明では、夬卦の時においてこの爻が一たび動けば坎を成し、坎は臀である。艮は皮膚であり、九二が艮体を折損したから「臀无膚」という。姤と旁通する復卦に震があり、震は行であるがその象は正しからず、だから歩けば趔趄するという。九三自体は正位を得るから、危険ではあるが、大きな咎はないと説かれる。李鼎祚の案語にいう。巽は大腿であり、九三は大腿の上に居る。それはまさに臀部である。この爻は柔爻でないから、膚なく行き趔趄する。《象伝》にいう。行くに趔趄とするは、いまだ牽かれざるがゆえである。虞翻の説明では、この爻は夬卦において位を失ったから牽羊の象があり、姤卦においては正を得たから「未牽」という。
九四:包無魚,起凶。王弼曰:二有其魚,四故失之也。無民而動,失應而作,是以凶矣。《象》曰:無魚之凶,遠民也。崔覲曰:雖與初應,而失其位。二有其魚,而賓不及。若起於競,涉遠行難,終不遂心。故曰“無魚之凶,遠民也”。謂初六矣。
九四の爻辞にいう。包の中に魚なく、挙動を起こせば凶。王弼の説明では、魚はすでに九二に帰し、九四はこれによってそれを失う。依拠すべき民衆なくして動こうとし、正応を失いて興作しようとするから凶がある。《象伝》にいう。魚なきの凶は、民衆に疏遠であるがゆえである。崔覗の説明では、九四は初六と応ずるけれども、自ら位を失う。魚は九二に帰し、賓たる九四には及ばない。もしこれによって争い起こさんと意を起こせば、道は遥かで動き難く、終に心に称うこと能わないから「无魚之凶、遠民也」という。ここでいう「民」は初六を指す。
九五:以杞苞瓜,含章,虞翻曰:杞,杞柳,木名也。巽為杞、為苞。乾圓稱瓜。故“以杞包瓜”矣。含章,謂五也。五欲使初四易位,以陰含陽,已得乘之,故曰“含章”。初之四,體兌口,故稱“含”也。干寶曰:初二體巽,為草木。二又為田,田中之果,柔而蔓者,瓜之象也。有隕自天。虞翻曰:隕,落也。乾為天,謂四隕之初,初上承五,故“有隕自天”矣。
九五の爻辞にいう。杞柳の枝葉をもって瓜を包み、文采を含蓄する。虞翻の説明では、「杞」は杞柳で一種の木の名である。巽は杞・また包裹である。乾体は円くして瓜と称すから「以杞包瓜」という。「含章」は九五についてのものである。九五は初六と九四に位置を交換させ、陰に陽を含ませ、自らその上に凌駕せんとするから「含章」という。初爻が第四位に至れば兌を成し、兌は口であるから「含」と称す。干宝は物象から立論する。初・二の両爻は巽体にあり、巽は草木である。第二爻はまた田であり、田中に生れて柔軟に蔓延する果実はまさに瓜の形象である。爻辞はまたいう。天より陨ち落ちるものあり。虞翻の説明では、「陨」は墜落である。乾は天であり、九四が初位に墜落し、初爻が再び上に九五に承るということであるから「有陨自天」という。
《象》曰:九五含章,中正也。有隕自天,志不舍命也。虞翻曰:巽為命也。欲初之四承已,故“不舍命”矣。上九:姤其角,吝,無咎。虞翻曰:乾為首,位在首上,故稱“角”。動而得正,故“無咎”。《象》曰:姤其角,上窮吝也。王弼曰:進之於極,無所復遇,遇角而已,故曰“姤其角”也。進而無遇,獨恨而已,不與物牽,故曰“上窮吝也。”
《象伝》にいう。九五が文采を含蓄するは、中に居り正を得るがゆえである。天より陨落するものありは、その心志が天命に背き捨てざるがゆえである。虞翻の説明では、巽は命令である。九五は初爻に第四位に至って自らに承奉せしめんとするから「不舍命」という。上九の爻辞にいう。角に遇う、吝はあるが咎はない。虞翻の説明では、乾は頭であり、上九の位置は頭頂の上にあるから「角」と称す。それが一たび動いて正を得るから咎はない。《象伝》にいう。角に遇うは、上に処り窮極して吝あるがゆえである。王弼の説明では、前進が極に至り、もはや遇うべき対象がなく、遇うところはただ一只の角のみであるから「姤其角」という。前進して遇うところなく、ただ独り怅恨するのみであるが、外物に牵累されることもないから「上窮吝也」という。
萃卦
《序卦》曰:物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。崔覲曰:天地相遇,品物咸章,故言物相遇而後聚。(坤下兌上)。萃:亨,王假有廟。虞翻曰:觀上之四也。觀乾為王。假至也。艮為廟,體觀享祀,故通。上之四,故“假有廟,致孝享”矣。
《序卦伝》にいう。万物は相遇うて後に聚集する。だから姤卦の次に萃卦が置かれた。「萃」とは聚集である。崔覗の説明では、天地が相遇うて万物がみな彰明するから、物は遇うて後に聚まるという。萃卦は下が坤・上が兌で、卦辞にいう。亨る、王が宗廟に至る。虞翻は卦変で説明する。萃卦は観卦の上九が第四位に下って成る。観卦には乾があり乾は王である。「假」は至る義である。艮は宗廟であり、卦体に観卦の祭享の象を含むから亨る。上爻が第四位に至るから「假有廟」といい、孝道を尽くして祭享を奉げることができる。
利見大人,亨,利貞。虞翻曰:大人謂五。三四失位,利之正。變成離,離為見。故“利見大人,亨,利貞”。聚以正也。用大牲吉。利有攸往。虞翻曰:坤為牛,故曰“大牲”,四之三,折坤得正,故“用大牲吉”。三往之四,故“利有攸往,順天命也”。
卦辞にいう。大人を見るに利あり、亨る、正を守るに利あり。虞翻の説明では、「大人」は九五を指す。六三・九四はともに位を失い、変じて正を得るに宜しい。一たび変じれば離を成し、離は目・見であるから「利見大人、亨、利貞」といい、《彖伝》のいう聚まるに正をもってせよにあたる。卦辞はまたいう。大牲を用いて祭祀すれば吉、往くところあるに利あり。虞翻の説明では、坤は牛であるから「大牲」と称す。九四が三位に下り、坤牛を宰折して各々その正を得るから「用大牲吉」という。六三が上行して四位に至るから「利有攸往、順天命也」という。
鄭玄曰:萃,聚也。坤為順。兌為悅。臣下以順道承事其君,悅德居上待之。上下相應,有事而和通,故曰“萃,亨”也。假,至也。互有艮巽,巽為木,艮為闕。木在闕上,宮室之象也。四本震爻,震為長子。五本坎爻,坎為隱伏。居尊而隱伏,鬼神之象。長子入闕升堂,祭祖禰之禮也。故曰“王假有廟”。二本離爻也。離為目,居正應五,故“利見大人”矣。大牲,牛也。言大人有嘉會時可幹事,必殺牛而盟,既盟則可以往,故曰“利往”。案:坤為牛,巽木下克坤土,殺牛之象也。
鄭玄は互体と爻辰の説を兼用する。萃とは聚集である。坤は順、兌は悦である。臣下は順従の道をもって君上に承事し、君上は和悦の徳をもって上位においてこれに対する。上下相応じ、事あって和洽通達するから「萃、亨」という。「假」は至るである。卦中の互体に艮と巽を含み、巽は木、艮は門闕である。木が門闕の上にあるはまさに宮室の形象である。爻辰の説によると、第四爻はもともと震爻に属し、震は長子である。第五爻はもともと坎爻に属し、坎は隠伏である。尊位に居り幽隱して顕れないはまさに鬼神の象である。長子が門闕に入り堂上に登るは、祖父と父を祭祀する礼であるから「王假有廟」という。第二爻はもともと離爻に属し、離は目である。それが正に居り上に九五に応ずるから「利見大人」という。「大牲」は牛である。大人が嘉美の聚会を有し、まさに大事を行うべき時に、必ず牛を殺し歃血して盟を為す。盟誓がすでに成れば往くことができるから「利往」という。李鼎祚の案語にいう。坤は牛であり、巽木が下にあって坤土を剋制するは、まさに牛を殺す取象である。
《彖》曰:萃,聚也,順以說,剛中而應,故聚也。荀爽曰:謂五以剛居中,群陰順悅而從之,故能聚眾也。王假有廟,陸績曰:王,五。廟,上也。王者聚百物以祭其先,諸侯助祭於廟中。假,大也。言五親奉上矣。致孝享也。虞翻曰:享,享祀也。五至初,有觀象,謂享坤牛,故“致孝享”矣。
《彖伝》にいう。萃とは聚集である。下が順い上が悦び、剛爻が中に居り正の応あるがゆえに聚まることができる。荀爽の説明では、これは九五が陽剛をもって中位に居り、衆陰爻がみな順従悦服してこれに随うから、衆を聚集できるということである。《彖伝》は「王假有廟」を挙げる。陸績の説明では、「王」は九五を指し、「廟」は上六を指す。王者は百物を聚集して祖先を祭祀し、諸侯は宗廟の中で助祭する。彼は「假」を大と訓し、九五が自ら上位に奉事するということである。《彖伝》にこれは孝道を尽くして献祭することであるとある。虞翻の説明では、「享」は祭祀である。九五から初六に数えるに観卦の象を含み、坤牛をもって献祭することをいうから「致孝享」という。
利見大人亨,聚以正也。虞翻曰:坤為聚,坤三之四,故“聚以正”也。利貞。《九家易》曰:五以正聚陽,故曰“利貞”。用大牲吉。利有攸往,順天命也。虞翻曰:坤為順,巽為命,三往之四,故“順天命也”。觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。虞翻曰:三四易位成離坎。坎月離日,日以見天,月以見地,故“天地之情可見矣”。與大壯、咸、恆同義也。
《彖伝》に大人を見るに利ありて亨るとは、聚まるに正道に合するがゆえである。虞翻の説明では、坤は聚であり、坤の第三爻が上行して第四位に至り正を得るから「聚以正」という。《彖伝》に正を守るに利ありとある。《九家易》の説明では、九五は正道をもって衆陽を聚合するから「利貞」という。《彖伝》に大牲を用いるは吉にして往くところあるに利ありとは、天命に順うがゆえである。虞翻の説明では、坤は順、巽は命令であり、六三が第四位に往くから「順天命也」という。《彖伝》にその聚むるところを観れば、天地万物の情状を見ることができるとある。虞翻の説明では、三・四の両爻が位置を交換すれば離と坎を成す。坎は月・離は日であり、日によって天を見、月によって地を見るから「天地之情可見矣」という。これは《大壮》《咸》《恒》の三卦の《彖伝》と同じ義例である。
《象》曰:澤上於地,萃。荀爽曰:澤者卑下,流潦歸之,萬物生焉,故謂之萃也。君子以除戎器,戒不虞。虞翻曰:君子謂五。除,修,戎,兵也,《詩》曰:修爾車馬,弓矢戎兵。陽在三四為修。坤為器。三四之正,離為戎兵、甲冑、飛矢。坎為弓弧,巽為繩。艮為石,謂穀甲冑,鍛厲矛矢。故“除戎器”也。坎為寇,坤為亂,故“戒不虞”也。
《象伝》にいう。沢水が地上に積もる、これが萃卦である。荀爽の説明では、水沢の地勢は低下しており、四方の雨水がみなそこに匯帰し、万物はこれによって生長するから「萃」という。《象伝》は続けていう。君子はこれによって兵器を修治し、意外の変に戒備する。虞翻の説明では、「君子」は九五を指す。「除」は修治、「戎」は兵器である。《詩経・大雅》に「修尓車馬、弓矢戎兵」の句がある。陽爻が三・四の位にあるのが「修」である。坤は器物である。三・四の両爻が各々その正を得、離は兵器・甲冑・飛矢、坎は弓弩、巽は繩索、艮は石である。甲冑を縫治し矛矢を磨砺することをいうから「除戎器」という。坎は寇盗、坤は禍乱であるから「戒不虞」という。
初六:有孚不終,乃亂乃萃。虞翻曰:孚,謂五也。初四易位,五坎中,故“有孚”失正當變,坤為終,故“不終”。萃。聚也。坤為亂為聚,故“乃亂乃萃”。失位不變,則相聚為亂。故《象》曰:“其志亂”也。若號,一握為笑,勿恤,往無咎。虞翻曰:巽為號,艮為手,初稱一,故“一握”。初動成震,震為“笑”。四動成坎,坎為“恤”。故“若號一握為笑,勿恤”。初之四得正,故“往無咎”矣。《象》曰:乃亂乃萃,其志亂也。虞翻曰:坎為志,初之四,其“志亂也”。
初六の爻辞にいう。誠信あるも終始し通すことができず、ここに乱れまた聚まる。虞翻の説明では、「孚」は九五を指す。初六と九四が位置を交換すれば、九五は坎の中位に処り、坎は誠信であるから「有孚」という。しかし初六は正を失い変動すべきであり、坤は終であるから「不終」という。「萃」は聚である。坤は乱でありまた聚であるから「乃乱乃萃」という。位を失い変じようとしないで聚まれば乱を生ずるから、《象伝》に「其志乱」という。爻辞は続けていう。もし呼号して助けを求めれば、一握の間に笑いに転じ、憂うるには及ばず、往いて咎なし。虞翻の説明では、巽は号呼、艮は手であり、初爻を「一」と称すから「一握」という。初六が一たび動けば震を成し、震は笑である。九四が一たび動けば坎を成し、坎は憂慮である。だから合わせて「若号一握為笑、勿恤」という。初六が第四位に至れば正を得るから「往无咎」という。《象伝》にいう。乱れまた聚まるは、その心志がすでに乱れたるがゆえである。虞翻の説明では、坎は心志であり、初六が第四位に至るから「志乱」という。
六二:引吉,無咎。虞翻曰:應巽為繩,艮為手,故“引吉”。得正應五,故“無咎”。利引四之初,使避已,已得之五也。孚乃利用禴。虞翻曰:孚謂五。禴,夏祭也。體觀象,故“利用禴”。四之三,故“用大牲”。離為夏,故“禴祭”,《詩》曰:禴祠烝嘗,是其義。《象》曰:引吉無咎,中未變也。虞翻曰:二得正,故不變也。
六二の爻辞にいう。牽かれて上れば吉、咎なし。虞翻の説明では、それの応ずるところに巽があり、巽は繩索、艮は手であり、手が繩索を持って牽引するから「引吉」という。六二は正を得て上に九五に応ずるから咎はない。それは九四を牽いて初位に帰らしめ、九四に自己を避けさせ、自らは五位に上行せんとするのに利あり。爻辞はまたいう。誠信を心に存せば、禴祭を行うに利あり。虞翻の説明では、「孚」は九五を指す。「禴」は夏の祭祀である。卦体に観卦の祭享の象を含むから「利用禴」という。九四が三位に下るから「用大牲」という。離は夏であるから禴祭と称し、《詩経・小雅・天保》に「禴祠烝嘗」というのはまさにこの義である。《象伝》にいう。牽かれて吉で咎なきは、中に居り未だ変わらざるがゆえである。虞翻の説明では、六二はもともと正を得ているから、変ずるに及ばない。
王弼曰:居萃之時,體柔當位。處坤之中,已獨履正。與眾相殊,異操而聚。民之多僻,獨正者危。未能變體,以遠於害,故必待五引,然後“乃吉”而“無咎”。禴,殷春祭名,四時之祭省者也。居聚之時,處於中正,而行以忠信,可以省薄於鬼神矣。
王弼は人事の処遇から立論する。六二は会聚の時に身を処し、柔順にして居位が当を得、坤体の中位に処り、独り正道を践履して衆と異なり、操守は異なりながらまた人とともに聚まらなければならない。世風は多く邪僻で、独り正道を守る者はかえって危険である。六二はまた自身を変えて禍害を遠ざけることができないから、必ず九五の牽引を待ち、しかる後に初めて吉にして咎なしとなる。「禴」は殷代の春祭の名称で、四時の祭のうち最も倹省なものである。聚合の時に処り、中に居り正を守り忠信をもって行うならば、鬼神に対しては倹薄の礼を用いてもよいのである。
六三:萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。虞翻曰:坤為萃,故“萃如”。巽為號,故“嗟如”。失正,故“無攸利”。動得位故“往無咎,小吝”。謂往之四。《象》曰:往無咎,上巽也。虞翻曰:動之四,故“上巽”。九四:大吉無咎。《象》曰:大吉無咎,位不當也。虞翻曰:以陽居陰,故“位不當”。動而得正,承五應初,故“大吉”而“無咎”矣。
六三の爻辞にいう。聚まらんとするも嗟嘆するのみ、利するところなし。往けば咎なし、ただ小さな吝があるのみ。虞翻の説明では、坤は聚であるから「萃如」といい、巽は号呼であるから「嗟如」という。六三は正を失うから「无攸利」といい、一たび動けば位を得るから「往无咎、小吝」という。「往」は上行して第四位に至ることをいう。《象伝》にいう。往いて咎なきは、上に巽の順従あるがゆえである。虞翻の説明では、六三が動いて第四位に至るから「上巽」という。九四の爻辞にいう。大いに吉、咎なし。《象伝》にいう。大吉にして咎なきは、その居位が当たらざるがゆえである。虞翻の説明では、九四は陽爻をもって陰位に居るから位当たらずという。しかしそれが一たび動けば正を得、上に九五に承り下に初六に応ずるから、大いに吉にして咎なしとなる。
九五:萃有位,無咎,匪孚。元永貞,悔亡。虞翻曰:得位居中,故“有位無咎”。匪孚,謂四也。四變之正,則五體皆正,故“元永貞”與比彖同義。四動之初,故“悔亡”。《象》曰:萃有位,志未光也。虞翻曰:陽在坎中,故“志未光“。與屯五同義。
九五の爻辞にいう。会聚してその位に居る、咎なし。ただしなお信服せざる者あり。大善にして長く正を守れば、悔いは亡ぶ。虞翻の説明では、九五は位を得また中に居るから「有位」にして咎なしという。「匪孚」は九四を指す。九四が変じて正を得れば、各爻の体はみな端正となるから「元永貞」という。これは《比卦》の《彖伝》と同じ義例である。九四が一たび動いて初位に至るから「悔亡」という。《象伝》にいう。会聚してその位あるは、心志がいまだ光大ならざるがゆえである。虞翻の説明では、陽爻が坎の中間に処るから「志未光」という。これは《屯卦》の九五と同じ義例である。
上六:齎資涕洟,無咎。虞翻曰:齎,持。資,賻也。貨財喪稱賻。自目曰“涕”,自鼻稱“洟”。坤為財,巽為進,故“齎資”也。三之四,體離坎。艮為鼻,涕淚流鼻目,故“涕洟”。得位應三,故“無咎”。上體大過,死象,故有“齎資滋洟”之哀。《象》曰:齎資涕洟,未安上也。虞翻曰:乘剛遠應,故“未安上也”。荀爽曰:此本否卦。上九陽爻,見滅遷移,以喻夏桀殷紂。以上六陰爻代之,若夏之後封東婁公於杞,殷之後封微子於宋,去其骨肉,臣服異姓,受人封土,未安居位,故曰“齎資涕洟,未安上也”。
上六の爻辞にいう。財物を携えて喪を助け、涕涙交流す、咎なし。虞翻の説明では、「齎」は持帯、「資」はすなわち赙贈で、喪を助けるに送る財貨を赙という。眼より出づるを「涕」、鼻より出づるを「洟」という。坤は財物、巽は進献であるから「齎資」という。六三が第四位に至れば卦体に離と坎を成し、艮は鼻であり、涕涙が鼻目より流れ下るから「涕洟」という。上六は位を得て下に六三に応ずるから咎はない。上体は大過を成し、大過は死亡の象があるから、財を携え喪を助け涕涙滂沱たる哀戚がある。《象伝》にいう。財を携え喪を助け涕涙交流するは、上位にあって安く処ることができざるがゆえである。虞翻の説明では、上六は剛爻の上に凌駕し応ずるところがまた遠いから「未安上也」という。荀爽は卦変と史事の両面から解説する。萃卦はもともと否卦から変じたもので、否卦の上九は陽爻である。いまやそれは消滅遷走せられ、夏桀・商紂の覆亡を喩える。改めて上六という陰爻をもってそれに代えたのは、夏朝の後裔が杞国に東婁公と封ぜられ、殷朝の後裔微子が宋国に封ぜられたようなものである。彼らは自己の宗族骨肉を離れ、異姓に向かって臣を称し、他人の分与した封土を受け、居位は安穏ならざるを得ないから「齎資涕洟、未安上也」という。
升卦
《序卦》曰:聚而上者謂之升,故受之以升也。崔覲曰:用大牲而致孝享,故順天子而程式為王矣,故言“聚而上者謂之升”也。(巽下坤上)。升:鄭玄曰:升,上也。坤地巽木,木生地中,日長而上,猶聖人在諸侯之中,明德日益高大也,故謂之“升”。升,進益之象矣。元亨。虞翻曰:臨初之三,又有臨象;剛中而應,故“元亨”也。
《序卦伝》にいう。聚集して後に上進するを升という。だから萃卦の次に升卦が置かれた。崔覗の説明では、萃卦は大牲を用いて献祭し孝享の礼を尽くし、天子に順承して王者たるの則に取法し得るから、聚集して上進するを升という。升卦は下が巽・上が坤である。鄭玄は卦名を説明する。「升」は上である。坤は地、巽は木であり、樹木は地中に生れ、日に日に高くなる。たとえば聖人が諸侯の列に身を処し、光明の徳が日々に高大となるようなものであるから「升」という。升はすなわち進益の象である。卦辞に大いに亨るとある。虞翻は卦変で説明する。升卦は臨卦の初九が上行して第三位に至って成り、卦中にまた臨卦の象を含む。陽剛が中に居り上に応あるから「元亨」という。
用見大人,勿恤。虞翻曰:謂二當之五,為大人,離為見,坎為恤,二之五得正,故“用見大人勿恤,有慶也”。南征吉。虞翻曰:離,南方卦,二之五成離,故“南征吉,志行也”。《彖》曰:柔以時升,虞翻曰:柔謂五,坤也。升謂二。坤邑無君二當升五虛,震兌為春秋;二升,坎離為冬夏。四時象正,故“柔以時升”也。
卦辞にいう。大人を見るに宜しく、憂うるに及ばない。虞翻の説明では、これは九二が五位に上行して大人となるべきことをいう。離は見、坎は憂であり、九二が五位に至れば正を得るから「用見大人勿恤、有慶也」という。卦辞に南へ征行するは吉とある。虞翻の説明では、離は南方の卦であり、九二が五位に上れば離を成すから「南征吉、志行也」という。《彖伝》に柔顺なる者が時にしたがって上升するとある。虞翻の説明では、「柔」は六五を指し、すなわち坤である。「升」は九二を指す。坤の象するところの城邑には君主がなく、九二は虚しく懸かった五位に昇るべきである。震・兌は分かちて春秋を主り、九二が一たび昇れば坎・離はまた分かちて冬夏を主り、四時の象はみな正に帰するから「柔以時升」という。
巽而順,剛中而應,是以大亨。荀爽曰:謂二以剛居中,而來應五,故能“大亨”。上居尊位也。用見大人勿恤,有慶也。荀爽曰:大人,天子,謂升居五。見為大人,群陰有主,無所復憂,而有慶也。南征吉,志行也。虞翻曰:二之五,坎為志。震為行。
《彖伝》にいう。謙遜にして柔順、陽剛が中に居り上に応あるがゆえに大いに亨る。荀爽は升降の説によって説明する。これは九二が剛爻をもって中位に居り上に六五に応ずることをいう。だから大亨し得、上升して尊位に居る。《彖伝》に大人を見るに宜しく憂うるに及ばずとは、喜慶あることである。荀爽の説明では、いわゆる「大人」は天子であり、九二が第五位に昇居することを指す。それが一たび昇ればすなわち大人となり、衆陰爻は君主を得て、もはや憂うべきものがなく、よって喜慶がある。《彖伝》に南へ征行するは吉とは、心志の行い得られることである。虞翻の説明では、九二が五位に上って坎を成し、坎は心志であり、震は行である。
《象》曰:地中生木,升。荀爽曰:地謂坤。木謂巽。地中生木,以微至著,升之象也。君子以慎德,積小以成高大。虞翻曰:君子謂三。小謂陽息復時。復小,為德之本。至二成臨。臨者,大也。臨初之三,巽為高。二之五,艮為慎。坤為積,故“慎德積小成高大”。
《象伝》にいう。地中に樹木が生ずる、これが升卦である。荀爽の説明では、「地」は坤を指し、「木」は巽を指す。地の中に樹木が長じ、細微より顯著に至るは、まさに上升の形象である。《象伝》は続けていう。君子はこれによって謹んで徳を修め、細小を積みて高大を成す。虞翻の説明では、「君子」は九三を指す。「小」は陽気が初めて生ずる復卦の時を指し、復卦の一陽は微なれど徳行の根本である。両陽に長じれば臨卦を成し、臨はすなわち大である。臨卦の初爻が上行して第三位に至り、巽は高である。九二が五位に至って艮を成し、艮は謹慎である。坤は積累であるから、謹んで徳を修め細小を積みて高大を成すという。
初六:允升,大吉。荀爽曰:謂一體相隨,允然俱升。初欲與巽一體,升居坤上,位尊得正,故“大吉”也。《象》曰:允升大吉,上合志也。《九家易》曰:謂初失正,乃與二陽允然合志,俱升五位,上合志也。九二:孚乃利用禴,無咎。虞翻曰:禴,夏祭也。孚謂二,之五成坎,為孚;離為夏,故“乃利用禴無咎”矣。
初六の爻辞にいう。誠信をもって上昇すれば、大いに吉。荀爽の説明では、これは同体の諸爻が互いに追随し、信実にともに上昇することをいう。初六は巽体と一体となって坤の上に昇らんとし、位置は尊貴にしてまた正を得るから大吉である。《象伝》にいう。誠信をもって上昇し大吉なるは、上位と心志が合うがゆえである。《九家易》の説明では、初六はもともと正を失うが、二つの陽爻と信実に心を同じくし、ともに第五位に昇るから「上合志也」という。九二の爻辞にいう。誠信を心に存せば禴祭を行うに利あり、咎なし。虞翻の説明では、「禴」は夏の祭祀である。「孚」は九二を指し、それが五位に上って坎を成し、坎は誠信である。離は夏であるから「乃利用禴无咎」という。
《象》曰:九二之孚,有喜也。虞翻曰:升五得位,故“有喜”。干寶曰:剛中而應,故“孚”也。又言“乃利用禴”於春時也。非時而祭曰“禴”。然則文王從儉以恤民,四時之祭,皆以禴禮。神享德與,信不求備也。故既濟九五曰:東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭。實受其福。九五坎,坎為豕。然則禴祭以豕而已,不奢盈於禮,故曰“有喜”矣。
《象伝》にいう。九二の誠信は、喜慶あることである。虞翻の説明では、九二が五位に昇って位を得るから「有喜」という。干宝は文王の事をもって解説する。陽剛が中に居り上に応あるから「孚」という。さらに春に禴祭を行うという——常時によらず祭るのを「禴」という。これは周文王が倹朴を尚んで百姓を体恤し、四時の祭を一様に禴礼をもってしたことによる。神明の享くところは徳行であり、一片の誠信は祭品の完備を苛求しない。だから《既済》九五の爻辞にいう。東隣が牛を殺して盛祭するは、西隣の禴祭が真に福祐を受けるに如かないと。九五は坎の中にあり、坎は豚である。されば禴祭は豚一头を用いるのみで、礼数は奢侈盈満でないから「有喜」という。
九三:升虛邑。荀爽曰:坤稱邑也。五虛無君,利二上居之,故曰“升虛邑,無所疑也”。《象》曰:升虛邑,無所疑也。虞翻曰:坎為疑,上得中,故“無所疑也”。六四:王用享于岐山,吉,無咎。荀爽曰:此本升卦也。巽升坤上,據三成艮。巽為歧,艮為山。王,謂五也。通有兩體,位正眾服,故“吉”也。四能與眾陰退避當升者,故“無咎”也。
九三の爻辞にいう。空虚の城邑に昇る。荀爽の説明では、坤を邑と称す。第五位は虚しく懸かり君なしで、九二が昇ってこれを占めるに利ありだから「升虚邑、无所疑也」という。《象伝》にいう。空虚の城邑に昇るは、疑うべきところなきがゆえである。虞翻の説明では、坎は疑惑であり、陽爻が上行して中位を得るから「无所疑也」という。六四の爻辞にいう。王が岐山において祭享を行う、吉、咎なし。荀爽の説明では、これはもともと升卦である。巽体が上升して坤の上に至り、第三爻を據して艮を成す。巽は岐、艮は山であり、合わせてまさに岐山である。「王」は六五を指す。卦は通じて両体があり、各爻は位正しく衆人は順服するから吉である。六四は他の陰爻とともに退譲して、昇るべき陽爻を避けることができるから咎はない。
《象》曰:王用享于岐山,順事也。崔覲曰:為順之初,在升當位。近比於五,乘剛於三。宜以進德,可修守。此象太王為狄所逼,徒居岐山之下,一年成邑,二年成都,三年五倍其初,通而王矣,故曰“王用享于歧山”。以其用通,避於狄難,順於時事,故“吉無咎”。
《象伝》にいう。王が岐山に祭享するは、時勢に順う事である。崔覗は史事から立論する。六四は坤という順体の開端に処り、升卦において居位が当を得、上に九五と隣り、下に九三の剛に凌駕する。徳を進め修め位を退守するに宜しい。この爻は古公亶父が狄人に逼められ、岐山の下に遷居し、一年にして村邑を成し、二年にして都会を成し、三年にして人口物力は当初の五倍となり、事事通達して王業を奠めたことを象徴するから「王用享于岐山」という。まさにその行事が通変し、狄人の難を避け、当時の形勢に順応したがゆえに吉にして咎なしである。
六五:貞吉,升階。虞翻曰:二之五,故“貞吉”。巽為高,坤為土,震升高,故“升階”也。《象》曰:貞吉升階,大得志也。荀爽曰:陰正居中,為陽作階,使升居五,已下降二,與陽相應,故“吉而得志”。上六:冥升,利于不息之貞。荀爽曰:坤性闇昧,今升在上,故曰“冥升”也。陰用事,為消。陽用事,為息,陰正在上,陽道不息,陰之所利,故曰“利于不息之貞”。《象》曰:冥升在上,消不富也。荀爽曰:陰升失實,故“消不富也”。
六五の爻辞にいう。正を守れば吉、階梯に沿って昇る。虞翻の説明では、九二が五位に上るから「貞吉」という。巽は高、坤は土、震は上昇の義を有し、土を積んで階となし登高するから「升階」という。《象伝》にいう。正を守り吉にして階に沿い昇るは、大いに心志を得たることである。荀爽は升降の説によって説明する。陰爻が端正に中位に居り、陽爻のために階梯を築き、それを第五位に昇居せしめ、自らは第二位に下降して陽爻と相応ずるから、吉にして志を得るという。上六の爻辞にいう。昏昧に上昇する、息まず守る正に利あり。荀爽の説明では、坤の性質は幽暗昏昧である。いまやそれは最上に昇ったから「冥升」という。陰が権を当て事を用いるを「消」といい、陽が権を当て事を用いるを「息」という。いま陰がちょうど上にあり、しかも陽の道は止息しない。これはまさに陰の倚り頼むところであるから「利于不息之貞」という。《象伝》にいう。昏昧に上昇して最上に居るは、消退して富実ならざるがゆえである。荀爽の説明では、陰爻がひたすら上昇すれば充実を喪うから「消不富也」という。
困卦
《序卦》曰:升而不已必困,故受之以困。崔覲曰:冥升在上,以消不富,則窮,故言“升而不已必困”也。(坎下兌上)。困:亨,鄭玄曰:坎為月。互體離,離為日。兌為闇昧,日所入也。今上掩日月之明,猶君子處亂代,為小人所不容故謂之“困”也。君子雖困,居險能悅,是以通而無咎也。虞翻曰:否二之上,乾坤交,故通也。
《序卦伝》にいう。上昇して止まなければ必ず困窮に陥る。だから升卦の次に困卦が置かれた。崔覗の説明では、升卦の上六は昏昧に上昇して最上に居り、消退して富実ならず、窮尽に至るから「升而不已必困」という。困卦は下が坎・上が兌である。卦辞にいう。亨る。鄭玄は互体で説明する。坎は月であり、中間の互体は離を成し、離は日である。兌は幽暗で、太陽の落ちるところである。いま上の兌が日月の光明を遮掩するは、たとえば君子が乱世に身を処し小人に容れられないようなものであるから「困」という。君子は困窮するけれども、険境に身を居らせてなお和悦であり得るから、通達して咎なしとすることができる。虞翻は卦変で説明する。困卦は否卦の九二が上行して上位に至って成る。乾・坤の二気が交合するから亨通する。
貞大人吉,無咎。虞翻曰,貞大人吉,謂五也。在困無應,宜靜則“無咎”。故“貞大人吉,無咎”。有言不信。虞翻曰:震為言,折入兌,故“有言不信,尚口乃窮”。《彖》曰:困,剛弇也。荀爽曰:謂二五為陰所弇也。險以說,荀爽曰:此本否卦。陽降為“險”,陰升為“說”也。困而不失其所亨,其唯君子乎?荀爽曰:謂二雖弇陰陷險,猶不失中,與正陰合,故通也。喻君子雖陷險中,不失中和之行也。
卦辞にいう。正を守る大人は吉、咎なし。虞翻の説明では、いわゆる正を守る大人は吉とは、九五についてのものである。それは困境に身を処して正応なく、安静に自守するに宜しい。静守すれば咎はないから「貞大人吉、无咎」という。卦辞はまたいう。言っても人に信ぜられない。虞翻の説明では、震は言語であり、この時折損して兌に入るから「有言不信」という。《彖伝》もまた口舌を尚ぶはただ窮途に至るのみとある。《彖伝》にいう。困卦は剛爻が掩蔽せられることである。荀爽の説明では、これは九二と九五がともに陰爻に遮掩されていることをいう。《彖伝》にいう。険境に身を処してなお和悦であり得る。荀爽は乾升坤降の説によって説明する。困卦はもともと否卦から変じたもので、陽爻が下降すれば下体の坎険を成し、陰爻が上升すれば上体の兌悦を成す。《彖伝》に困窮してもその亨通の道を失わないのは、ほぼ君子のみが能くするのであろうとある。荀爽の説明では、これは九二が陰爻に掩蔽され険中に陥りながら、なお中位を失わず、正に居る陰爻と相合するから通達し得るということである。これは君子がたとえ険難の中に陥っても、中正平和の操行を失わないことを喩える。
貞大人吉,以剛中也。荀爽曰:謂五雖弇於陰,近無所據,遠無所應,體剛得中,正居五位,則“吉無咎”也。有言不信,尚口乃窮也。虞翻曰:兌為口,上變口滅,故“尚口乃窮”。荀爽曰:陰從二升上六,成兌。為有言。失中,為不信。動而乘陽,故曰“尚口乃窮也”。
《彖伝》に「貞大人吉、以剛中也」とある。荀爽の説明では、九五は上六の陰に掩蔽され、下には倚り頼むべき陽爻なく、上にはまた相応ずる爻がない。しかしそれ自体は陽剛で中位を得、端正に第五爻に居るから、経文は「吉、咎なし」という。《彖伝》はまた「有言不信、尚口乃窮也」という。虞翻は卦象によって説明する。上卦の兌は口であり、上爻が一たび変じれば兌口の象は消えるから、「口舌弁説を尚べばかえって走投無路となる」という。荀爽は「乾升坤降」の法によって説明する。陰爻が九二の位から上六に昇り、四・五の両爻と合して兌卦を成す。兌は口であり、すなわち「有言」である。上六はすでに中位を失ったから「人に信ぜられず」、それが変動した後また陽爻の上に凌乘するから「尚口乃窮也」という。
《象》曰:澤無水,困。王弼曰:澤無水,則水在澤下也。水在澤下,困之象也。處困而屈其志者,小人也。君子固窮,道可忘乎?君子以致命遂志。虞翻曰:君子謂三,伏陽也。否坤為致,巽為命,坎為志,三入陰中,故“致命遂志”也。
《大象伝》に「沢无水、困」とある。王弼の説明では、沢の中に水がないのは、水が沢の下に漏れてしまったからである。水が沢の下にあるは、まさに困窮の象徴である。困境に身を処して自己の心志を屈折するのは小人である。君子はたとえ窮困しても守り抜く。どうして自己の道を忘れようか。《大象伝》は続けて「君子以致致命遂志」という。虞翻は卦変によって説明する。ここでいう「君子」は九三を指し、潜伏する陽爻である。困卦は否卦より変じ、否卦の坤は「致」、巽は「命」、坎は「志」である。九三は群陰の中に深く入るから「性命を捨てても志向を成し遂げる」という。
初六:臀困于株木。《九家易》曰:臀謂四。株木,三也。三體為木。澤中無水,兌金傷木,故枯為株也。初者四應,欲進之四,四困於三,故曰“臀困于株木”。干寶曰:兌為孔坎,坎為隱伏。隱伏在下,而漏孔穴,臀之象也。入于幽谷,三歲不覿。《九家易》曰:幽谷,二也。此本否卦。謂陽來入坎,與初同體,故曰“入幽谷”。三者陽數。謂陽陷險中,為陰所弇,終不得見。故曰“三歲不覿”也。《象》曰:入于幽谷,幽不明也。荀爽曰:為陰所弇,故“不明”。
初六の爻辞に「臀困于株木」とある。《九家易》の説明では、「臀」は九四を指し、「株木」は九三を指し、九三の体は木である。沢の中に水なく、兌金が巽木を剋傷し、木は枯死して樹桩となる。初六は九四の応爻で、四位に上進せんとするが、九四はまた九三に困されているから「臀部が枯木桩に困される」という。干宝は取象から立説する。兌は孔竅、坎は隠伏である。隠伏が下体にありまた孔穴より漏出するは、まさに臀部の形象である。爻辞は続けて「入于幽谷、三歳不覿」という。《九家易》の説明では、「幽谷」は九二を指す。この卦はもともと否卦より変じたもので、陽爻が下って坎険に入り、初六とともに下体に処るから「幽深の山谷に入る」という。「三」は陽数で、陽爻が険陷の中に陥り陰爻に掩蔽され、終始面を顕すことができないということであるから「三年見ることなし」という。《小象伝》に「入于幽谷、幽不明也」とある。荀爽の説明では、陰爻に掩蔽されるがゆえに幽暗にして明らかならない。
九二:困于酒食,朱紱方來,案:二本陰位,中饋之職。坎為酒食,上為宗廟,今二陰升上,則酒食入廟。故“困于酒食”也。上九降二,故朱紱方來。朱紱,宗廟之服。乾為大赤,朱紱之象也。利用享祀,征凶。無咎。荀爽曰:二升在廟,五親奉之,故“利用享祀”。陰動而上,失中乘陽;陽下而陷,為陰所弇,故曰“征凶”。陽降來二,雖位不正,得中有實;陰雖去中,上得居正,而皆免咎,故曰“無咎”也。《象》曰:困于酒食,中有慶也。翟元曰:陽從上來,居中得位,富有二陰,故“中有慶也”。
九二の爻辞に「困于酒食、朱紱方来」とある。李鼎祚の按語にいう。二はもともと陰位で、家中の飲食の事を主る。坎は酒食、上位は宗廟である。いま二位の陰が上位に昇るは、酒食が宗廟に送られたことであるから「酒食に困される」という。上九が二位に下降するから「朱紅の蔽膝がまさに送られて来る」という。「朱紱」は宗廟を祭祀する時に着る礼服であり、乾は大赤色で、まさに朱紱の象である。爻辞は続けて「利用享祀、征凶、无咎」という。荀爽は「乾升坤降」をもって説明する。二爻が宗廟の位に昇り、九五が自ら奉祀するから「祭享を行うに利あり」。陰爻が上行すれば、中位を失いまた陽爻に凌乘し、陽爻が下降すればまた険中に陥り陰に掩されるから「往けば凶あり」という。ただし陽爻が二位に降るは、位置は正しからざるも中に居り充実し、陰爻は中位を離れるも上位に昇ってその正を得る。両者ともに咎害を免れ得るから「咎なし」という。《小象伝》に「困于酒食、中有慶也」とある。翟元の説明では、陽爻が上位より下り、中に居り位を得、上下の二つの陰爻がともにそれに帰附するから「中に居りて福慶あり」という。
六三:困于石,據于蒺藜,虞翻曰:二變正時,三在艮山下,故“困于石”。蒺藜,木名。坎為蒺藜。二變艮手,據坎。故“據蒺藜者”也。入于其宮,不見其妻,凶。虞翻曰:巽為入。二動艮為宮,兌為妻,謂上無應也。三在陰下,離象毀壞,隱在坤中,死其將至,故“不見其妻,凶”也。
六三の爻辞に「困于石、據于蒺藜」とある。虞翻は爻変に依り象を取る。九二が変じて正を得る時、六三は艮山の下に処るから「石に困される」という。「蒺藜」は刺のある木で、坎は蒺藜である。二爻が一たび変じて艮を成し、艮は手であり、手が坎の上に按ずるから「蒺藜に倚る」という。爻辞はまた「入于其宮、不見其妻、凶」という。虞翻の説明では、巽は進入である。二爻が変動して艮を成し、艮は宮室、兌は妻である。六三と上六がともに陰爻で応なく、六三は陰爻の下に処り、離明の象は毀壊し、坤土の中に隠没し、死期がまさに至らんとするから「家に入って妻を見ず、凶」という。
《象》曰:據于蒺藜,乘剛也。案:三居坎上,坎為藂棘而木多心,蒺藜之象。入于其宮,不見其妻,不祥也。《九家易》曰:此本否卦,二四同功為艮。艮為門闕,宮之象也。六三居困,而位不正,上困於民,內無仁恩,親戚叛逆,誅將加身。入宮無妻,非常之困,故曰“不祥也”。
《小象伝》に「據于蒺藜、乘剛也」とある。李鼎祚の按語にいう。六三は坎体の上に処り、坎は叢生の荆棘でその木は多く心を刺す。まさに蒺藜の形象である。《小象伝》はまた「入于其宮、不見其妻、不祥也」という。《九家易》の説明では、この卦はもともと否卦より変じ、二爻と四爻が同功で合して艮を成す。艮は門闕で、すなわち宮室の象である。六三は困境に身を処して位置正しからず、上において百姓を困らせ、内において仁愛恩徳なく、親族は背叛し誅罰がまさに身に加わらんとするに至る。家に入って妻子すらもいないは、極めて尋常ならぬ困厄であるから「不吉」という。
九四:來荼荼,困于金車,吝,有終。虞翻曰:來欲之初。荼荼,舒遲也。見險,故“來荼荼”。否乾為金,乾為輿。之應歷險,故困於金,車易位得正,故“吝,有終”矣。《象》曰:來荼荼,志在下也。王弼曰:下謂初。雖不當位,有與也。崔覲曰:位雖不當,故“吝”也。有與於援,故“有終”也。
九四の爻辞に「来荼荼、困于金車、吝、有終」とある。虞翻の説明では、「来」は初六に下らんと欲することで、「荼荼」は舒緩迟疑の様子である。九四は坎険が前にあるを見るから、来るに遅緩である。困卦は否卦より変じ、否卦の乾は金・車輿である。九四が往って初六と相応せんとすれば険陷を経なければならないから、金車に困される。初六と易位して各々その正を得るを待てば、「小さな悔惜あるも終に成ること能く」となる。《小象伝》に「来荼荼、志在下也」とある。王弼は指摘する。「下」とは初六である。《小象伝》はまた「雖不当位、有与也」という。崔覗の説明では、九四は陽をもって陰に居り、位置は当たらざるから「吝」である。しかし初六がそれと相応援助するから「終に成ること能く」ある。
九五:劓刖,困于赤紱,虞翻曰:割鼻曰劓。斷足曰刖。四動時震為足,艮為鼻。離為兵,兌為刑。故“劓刖”也。赤紱謂二。否乾為朱,故“赤”。坤為紱,二未變應五,故“困于赤紱”也。乃徐有說,虞翻曰:兌為說,坤為徐,二動應已,故“乃徐有說”也。
九五の爻辞に「劓刖、困于赤紱」とある。虞翻の説明では、鼻を割くを「劓」といい、足を断つを「刖」という。九四が変動する時、震は足・艮は鼻であり、離は兵刃・兌は刑罰である。合わせて「劓刖」の象となる。「赤紱」は九二を指す。困卦は否卦より変じ、否卦の乾は朱色であるから「赤」と称し、坤は紱帯である。九二はなお変正して九五に応じていないから「赤色の蔽膝に困される」という。爻辞はまた「乃徐有説」という。虞翻の説明では、兌は喜悦、坤は徐緩であり、九二が変動して後九五と相応ずるから「徐々にして喜悦あり」という。
利用祭祀。崔覲曰:劓刖,刑之小者也。於困之時,不崇柔德,以剛遇剛,雖行其小刑,而失其大柄,故言“劓刖”也。赤紱,天子祭服之飾。所以稱困者,被奪其政,唯得祭祀。若《春秋傳》曰:政由甯氏,祭則寡人。故曰“困于赤紱”。居中以直,在困思通。初雖踅窮,終則必喜,故曰“乃徐有說”。所以險而能說,窮而能通者,在困于赤紱乎!故曰“利用祭祀”也。案:五應在二,二互體離。離為文明,赤紱之象也。
爻辞に「利用祭祀」とある。崔覗の説明では、劓刑・刖刑はともに比較的軽い刑罰である。困窮の時にあって柔順の徳を崇まず、かえって剛強をもって剛強に対すれば、小さな刑罰を施行したとはいえ大きな権柄を失う。だから経文は「劓刖」という。「赤紱」は天子の祭服上の飾物である。「困」と称する所以は、国政が人に奪われ、祭祀を主る一事のみが残されるからである。《左伝》に載せる衛献公の言のごとく、政事は甯氏が主り、祭祀のみが我が国君たるに及ぶ——だから「困于赤紱」という。九五は中に居り正直で、困境に処して通達を思い謀る。初めは窘迫するも、終に必ず歓喜を得るから「乃徐有説」という。危険の中に喜悦を保ち、窮困の中に終に亨通を得る要は、まさに「困于赤紱」の一点にあるのであろう。だから「祭祀を行うに利あり」という。李鼎祚の按語にいう。九五の応爻は九二にあり、二爻は互体が離を成し、離は文明であり、まさに赤色蔽膝の象である。
《象》曰:劓刖,志未得也。陸績曰:無據無應,故“志未得”也。二言朱紱,此言赤紱。二言享祀,此言祭祀。傳互言耳,無他義也。謂二困五,三困四,五初困上,斯乃迭困之義。乃徐有說,以中直也。崔覲曰:以其居中,當位,故“有悅”。利用祭祀,受福也。荀爽曰:謂五爻合同,據國當位,而主祭祀,故“受福也”。
《小象伝》に「劓刖、志未得也」とある。陸績の説明では、九五は下に據すべきなく、上に応ずるところなく、だから心志はいまだ実現せず。九二には「朱紱」といい、ここには「赤紱」という。九二には「享祀」といい、ここには「祭祀」という——経伝の語を交錯換えたのみで、別の義理はない。いわゆる困とは、九二が九五を困し、六三が九四を困し、九五と初六が上六を困することで、これが彼此递相困厄の義である。《小象伝》はまた「乃徐有説、以中直也」という。崔覗の説明では、九五が中に居り位置が当を得るから、喜悦を有し得る。《小象伝》はさらに「利用祭祀、受福也」という。荀爽の説明では、諸爻が九五と会合し、九五は邦国を據有し位置正当にして祭祀を主るから、福佑を承受し得る。
上六:困于葛藟,于臲兀,虞翻曰:巽為草莽,稱葛藟,謂三也。兌為刑人。故“困于葛藟,于臲兀”也。曰動悔有悔,征吉。虞翻曰:乘陽,故“動悔”。變而失正,故“有悔”。三已變正,已得應之,故“征吉”也。《象》曰:困于葛藟,未當也。虞翻曰:謂三未變,當位應上故也。動悔有悔,吉行也。虞翻曰:行謂三,變乃得當位之應,故“吉行”者也。
上六の爻辞に「困于葛藟、于臲卼」とある。虞翻の説明では、巽は草叢であり、すなわち葛藤と称し、九三を指す。兌は刑を受ける人であるから「葛藤に纏い困され、動揺不安の中に居る」という。爻辞はまた「曰動悔有悔、征吉」という。虞翻の説明では、上六は陽爻に凌乘するから一たび動けば悔あり、変動した後またその正を失うから「有悔」である。九三が変じて正を得るを待てば、上六は相応ずる爻を有するから「往けば吉」となる。《小象伝》に「困于葛藟、未当也」とある。虞翻の説明では、これは九三がいまだ変正せず、なお位に当たり上六と相応ずると言うに足らないことをいう。《小象伝》はまた「動悔有悔、吉行也」という。虞翻の説明では、「行」は九三を指し、九三が変動してはじめて位当たる応爻となり得るから「往けば吉」という。
巻十
井卦
《序卦》曰:困乎上必反下,故受之以井。崔覲曰:困極於劓刖,則反下以求安,故言“困乎上必反下”也。(巽下坎上)。井:鄭玄曰:坎,水也。巽,木,桔槔也。互體離兌,離外堅中,虛瓶也,兌為暗澤,泉口也。言桔槔引瓶,下入泉口,汲水而出,井之象也。井以汲人,水無空竭,猶人君以政教養天下,惠澤無窮也。
《序卦伝》にいう。「困乎上必反下、故受之以井」。崔覗の説明では、困が劓刖の刑を施す極点に至れば、下に反って安身を求めるから「上に困まれれば必ず下に反る」という。井卦は巽が下にあり、坎が上にある。鄭玄の説明では、坎は水、巽は木で、すなわち水を汲む桔槔である。二から四・三から五の互体は離と兌を成し、離は外壁が堅実で中が空虚な甁の象、兌は幽暗の水沢で泉眼の口である。これは桔槔をもって水瓶を牽き、泉口に下し、水を汲みて上ることをいい、まさに井の形象である。井は人の汲取に供し、水源は枯渇しない。たとえば人君が政令教化をもって天下を養育するがごとく、その恩恵は尽きることがない。
改邑不改井,虞翻曰:泰初之五也。坤為邑,乾初之五折坤。故“改邑”。初為舊井,四應甃之,故“不改井”。無喪無得,往來井井。虞翻曰:無喪,泰初之五。坤象毀壞,故“無喪”。五來之初,失位無應,故“無得”。坎為通,故“往來井井”。往謂之五,來謂之初也。汔至,亦未繘井,虞翻曰:巽繩,為繘,汔,幾也。謂二也。幾至初改,未繘井,未有功也。羸其瓶,凶。虞翻曰:羸鉤羅也。艮為手,巽為繘,離為瓶,手繘折其中,故“贏其瓶”。體兌毀缺,瓶缺漏,故“凶”矣。
卦辞に「改邑不改井」とある。虞翻は卦変によって説明する。井卦は泰卦の初九が五位に上って成る。坤は城邑であり、乾の初爻が五位に上行して坤象を折るから「城邑を改換した」という。初爻は旧井であり、六四がこれに応じて砌治を加えるから「井は改まらず」という。卦辞はまた「无喪无得、往来井井」という。虞翻の説明では、いわゆる「无喪」は泰卦の初爻が五位に上って坤象が毀壊するから、失うところなし。五爻が初位に来れば、位を失い応なしだから、得るところなし。坎は通達であるから「往来して汲取すれど、井はなおその井」という——「往」は五位に往くことを指し、「来」は初位に来ることを指す。卦辞に「汔至、亦未繘井」とある。虞翻の説明では、巽は繩、すなわち水を汲む井繩である。「汔」はほぼ・将にで、九二を指す。ほぼ至るも初爻がいまだ変改せず、井繩がまだ下されないから、まだ成效がない。卦辞はまた「羸其瓶、凶」という。虞翻の説明では、「羸」は絆掛け鉤挂の義である。艮は手、巽は井繩、離は瓶であり、手と繩が半途に断折するから「瓶が絆がかる」という。卦体の兌は毀折缺口があり、瓶は破缺して水を漏らすから凶である。
干寶曰:水,殷德也。木,周德也,夫井,德之地也。所以養民性命而清潔之主者也。自震化行,至於五世,改殷紂比屋之亂俗,而不易成湯昭假之法度也。故曰“改邑不改井”。二代之制,各因時宜,損益雖異,括囊則同,故曰“無喪無得,往來井井”也。當殷之末,井道之窮,故曰“汔至”。周德雖興,未及革正,故曰“亦未繘井”。井泥為穢,百姓無聊,比者之間,交受塗炭,故曰“羸其瓶,凶”矣。
干宝は史事をもって卦を解く。水は殷の徳、木は周の徳である。井は徳行のあるところで、百姓の性命を養育し清潔を司るものである。震象の代表する周人の教化が推行されてより、第五代に伝わり、殷紂の時の家ごとの乱俗を改めたが、成湯が天に昭示した法度を更改しなかったから「城邑を改換して水井を改めず」という。殷・周両代の制度は各々時勢の宜しきに随い、増減は異なるところあるも、収斂含容の根本は一致するから「无喪无得、往来井井」という。殷の末年に至り、井養の道はすでに窮まったから「汔至」という。周の徳はすでに興ったが、なお積弊を革除し天下を匡正するに及ばないから「亦未繘井」という。井の中は淤泥汚穢で、百姓は倚るところなく、隣里は交々塗炭に陥るから「羸其瓶、凶」という。
《彖》曰:巽乎水而上水,井。荀爽曰:巽乎水,謂陰下為巽也。而上水,謂陽上為坎也。木入水出,井之象也。井養而不窮也。虞翻曰:兌口飲水,坎為通,往來井井,故“養不窮也”。改邑不改井,乃以剛中也。荀爽曰:剛得中,故為“改邑”。柔不得中,故為“不改井”也。
《彖伝》に「巽乎水而上水、井」とある。荀爽は「乾升坤降」をもって説明する。「巽乎水」は陰爻が下にあって巽を成すことをいい、「而上水」は陽爻が上にあって坎を成すことをいう。木器が水に入り水が随って上に出るは、まさに井の形象である。《彖伝》はまた「井養而不窮也」という。虞翻の説明では、兌は口で水を飲むことができ、坎は通達で、往来して汲取しても井水は常に在るから「人を養いて窮竭せず」という。《彖伝》はさらに「改邑不改井、乃以剛中也」という。荀爽の説明では、陽剛が中位を得るから「改邑」の義があり、柔爻は中位を得ないから「其井を改めず」という。
無喪無得。荀爽曰:陰來居初,有實,為“無喪”。失中,為“無得”也。往來井井,荀爽曰:此本泰卦。陽往居五,得坎為井;陰來在下,亦為井,故“往來井井”也。汔至亦未繘,荀爽曰:汔至者,陰來居初下。至汔,竟也。繘者,所以出水通井道也。今乃在初,未得應五,故“未繘”也。繘得,綆汲之具也。
《彖伝》に「无喪无得」とある。荀爽の説明では、陰爻が下って初位に居り、充実して據するところあるから「喪うところなし」。しかしそれは中位を失ったからまた「得るところなし」。《彖伝》に「往来井井」とある。荀爽の説明では、井卦はもともと泰卦より変じ、陽爻が上って五位に居り坎を得て井を成し、陰爻が下って下体にありてもまた井象を成すから「往来すればみな井」という。《彖伝》に「汔至亦未繘」とある。荀爽の説明では、「汔至」は陰爻が下って初位の下に居ることで、「至汔」は窮尽の義である。「繘」は水を提出し井道を通暢せしめるに用いるものである。いま陰爻はただ初位にあり、なお上に九五に応ずること能わないから「未繘」という——繘はすなわち水を汲む井繩である。
未有功也。虞翻曰:謂二未變應五,故“未有功也”。羸其瓶,是以凶也。荀爽曰:井,謂二。瓶,謂初。初欲應五,今為二所拘羸,故“凶”也。孔穎達曰:計覆一瓶之水,何足言凶?但此喻人德行不恆,不能善始令終,故就人言之凶也。
《彖伝》に「未有功也」とある。虞翻の説明では、これは九二がいまだ変正して九五に応ぜないから、まだ成效がないということである。《彖伝》に「羸其瓶、是以凶也」とある。荀爽の説明では、「井」は九二を指し、「瓶」は初六を指す。初六は上に九五に応じんとするも、いま九二に牽絆されているから凶である。孔頼達は人事から立論する。算ずればただ一瓶の水を打翻すのみで、どうして凶と言うに足らん。ただここでは人の徳行が恒久なく、善き始めと善き終わりとを有すること能わざるを喩えるのに用いるから、人事について言えば凶という。
《象》曰:木上有水,井。王弼曰:木上有水,上水之象也。水以養而不窮也。君子以勞民勸相。虞翻曰:君子謂泰乾也。坤為民;初上成坎,為勸,故“勞民勸相”。相,相助也。謂以陽助坤矣。初六:井泥不食,舊井無禽。干寶曰:在井之下體,本土爻,故曰“泥”也。井而為泥,則不可食,故曰“不食”。此托紂之穢政不可以養民也。舊井,謂殷之未喪師也。亦皆清潔,無水禽之穢,又是況泥土乎!故“舊井無禽”矣。
《大象伝》に「木上有水、井」とある。王弼の説明では、木の上に水あるは、水を提上げる形象である。水は人を養うに用いて窮まらない。《大象伝》は続けて「君子以労民勧相」という。虞翻の説明では、「君子」は泰卦の乾を指す。坤は民衆であり、初爻が上行して坎を成し、坎は勧勉の義を有するから「百姓を慰労し、互いに助け合うを勉励する」という。「相」は相助で、陽剛をもって坤陰を扶助することをいう。初六の爻辞に「井泥不食、舊井无禽」とある。干宝は納甲に爻を配し史事に托して説明する。初六は井卦の下体に処り、もともと土爻であるから「泥」という。井の中が泥となれば飲用にできないから「不食」という。これは商紂の汚穢の政治が百姓を養育し得ないことを喩える。「舊井」は殷がまだ民衆を失わざりし時を指し、その時井水はみな清潔で、水禽の致す汚穢すらもなかった。いわんや泥土においておや。だから「舊井无禽」という。
《象》曰:井泥不食,下也。舊井無禽,時舍也。虞翻曰:食,用也。初下稱泥。巽為木果,無噬嗑食象。下而多泥,故“不食”也。乾為舊,位在陰下,故“舊井無禽,時舍也”。謂時舍於初,非其位也。與乾二同義。崔覲曰:處井之下,無應於上。則是所用之井不汲,以其其多塗久廢之井,不獲以其時舍。故曰“井泥不食,舊井無禽”。禽,古擒字,禽,猶獲也。
《小象伝》に「井泥不食、下也。舊井无禽、時舎也」とある。虞翻の説明では、「食」は取用である。初爻は下にありて泥と称す。巽は木果であるが、噬嗑のごとき進食の卦象はない。下に居り淤泥多きがゆえに取用し得ない。乾は旧であり、初爻は陰爻の下に位するから「舊井无禽、時舎也」という——これは時運がそれを初位に舎置したのであり、それの当に得るべき位置にあらず、《乾卦》九二の爻意と同じである。崔覗の説明では、初六は井の最下に処り、上にまた応爻なし。たとえば汲取するに用いざる井のごとく、淤塞して泥多く久しく荒廃するがゆえに、取用を得ずして時勢に舎てられる。だから「井泥不食、舊井无禽」という。「禽」は古の「擒」字で、禽はすなわち獲取である。
九二:井谷射鮒,甕敝漏。虞翻曰:巽為谷,為鮒。小鮮也。離為甕。甕瓶毀缺,羸其瓶凶,故“甕敝漏”也。《象》曰:井谷射鮒,無與也。崔覲曰:唯得於鮒,無與於人也。井之為道,上汲者也。今與五非應,與初比,則是若谷水不注,唯及於魚,故曰“井谷射鮒”也。甕敝漏者,取其水下注,不汲之義也。案:魚,陰蟲也。初處井下體,又陰爻,魚之象也。
九二の爻辞に「井谷射鮒、瓮敝漏」とある。虞翻の説明では、巽は山谷であり、また鮒魚で、すなわち小魚である。離は瓦瓮であり、瓮瓶は毀缺し、まさに卦辞「羸其瓶、凶」に応ずるから「瓮破れて水漏る」という。《小象伝》に「井谷射鮒、无与也」とある。崔覗の説明では、ただ小魚に及んだのみで、人には助けなし。井の道は上に汲取するにある。いま九二は九五と相応せず、ただ初六と親比するのみで、たとえば谷中の水が上に注がず、ただ魚児に恵み及ぼすに如し。だから「井谷射鮒」という。「瓮敝漏」は水を取るに下に漏れて汲み上がらない義である。李鼎祚の按語にいう。魚は陰に属する水族であり、初六は井の下体に処りまた陰爻であるから、まさに魚の形象である。
九三:井渫不食,為我心惻。荀爽曰:渫去穢濁,清潔之意也,三者得正,故曰“井渫”。不得據陰,喻不得用,故曰“不食”。道既不行,故“我心惻”。可用汲,王明,並受其福。荀爽曰:謂五可用汲三,則王道明而天下並受其福。《象》曰:井渫不食,行惻也。求王明,受福也。干寶曰:此托殷之公侯。時有賢者,獨守成湯之法度,而不見任,謂微箕之倫也。故曰“井渫不食,為我心惻”。惻,傷掉也。民乃外附,故曰“可用汲”。周德來被,故曰“王明”。王得其民,民得其王,故曰“求王明,受福也”。
九三の爻辞に「井渫不食、為我心惻」とある。荀爽の説明では、「渫」は汚濁を淘去して清潔ならしめる義である。九三は陽をもって陽に居り正を得るから「井すでに淘浄せり」という。しかしその下に陰爻の據るべきなく、賢者の任用されざるを喩えるから「不食」という。正道すでに推行し能わざれば、だから「我が心のために傷痛む」という。爻辞はまた「可用汲、王明、並受其福」という。荀爽の説明では、これは九五が九三の賢を汲用し得るならば、王道は昌明となり天下人がともに福沢を受けることをいう。《小象伝》に「井渫不食、行惻也。求王明、受福也」とある。干宝は殷周の史事をもって解する。これは殷の公侯に托する。当時賢徳ある者が独り成湯の法度を守りながら任用されず、微子・箕子のたぐいをいうから「井すでに淘浄なるも飲む人なく、我が心をして傷痛ましむ」という。「惻」は傷痛である。百姓はここにおいて転じて外に帰附するから「可用汲」という。周朝の徳沢は天下に施及するから「王明」という。君王はその百姓を得、百姓はまたその君王を得たから「求王明、受福也」という。
六四:井甃,無咎。荀爽曰:坎性下降,嫌於從三。能自修正,以甃輔五。故“無咎”也。《象》曰:井甃無咎,修井也。虞翻曰:修,治也。以瓦甓壘井稱甃。坤為上。初之五成籬,離火燒土,為瓦治象。故曰“井甃無咎,修井也”。九五:井冽,寒泉食。虞翻曰:泉自下出稱井。周七月,夏之五月,陰氣在下。二已變坎,十一月為寒泉。初二已變,體噬嗑食。故“冽寒泉食”矣。《象》曰:寒泉之食,中正也。崔覲曰:冽,清潔也。居中得正,而比於上。則是井渫水清,既寒且潔,汲上可食於人者也。
六四の爻辞に「井甃、无咎」とある。荀爽の説明では、坎の性質は下に流れることであり、六四は九三に随い下行する嫌いがある。しかしそれは自ら修正し得、井を砌るの功をもって九五を輔助するから「咎なし」。《小象伝》に「井甃无咎、修井也」とある。虞翻の説明では、「修」は治理で、瓦磚をもって井壁を壘砌するを「甃」という。坤は土であり、初爻が上行して五位に至り離を成し、離火が土を焼くはまさに瓦器を焼製し井壁を修治する象であるから「井甃无咎、修井也」という。九五の爻辞に「井冽、寒泉食」とある。虞翻の説明では、泉水が下より湧出するを井という。周暦七月はすなわち夏暦五月で、陰気はすでに下に生じている。九二はすでに変じて坎を成し、坎は夏暦十一月に当たり、まさに寒泉の時である。初・二の両爻がともに変じ、卦体は噬嗑を成して進食の象を有するから「井水清冽にして寒泉飲む可し」という。《小象伝》に「寒泉之食、中正也」とある。崔覗の説明では、「冽」は清潔の義である。九五は中に居り正を得て上六と親比する。すなわち井すでに淘浄にして水質清澈、寒涼にしてまた潔淨で、汲み上げて人の飲用に供し得る。
上六:井收勿幕,有孚元吉。虞翻曰:幕,蓋也。收,謂以轆轤收繘也。坎為車,應巽繩,為繘。故“井收勿幕”。有孚謂五坎。坎為孚,故“元吉”也。《象》曰:元吉在上,大成也。虞翻曰:謂初二已變,成既濟定,故“大成也”。干寶曰:處井上位,在瓶之水也,故曰“井收幕覆”也。井以養生。政以養德。無覆水泉而不惠民。無蘊典禮而不興教。故曰“井收網幕”。網幕,則教信於民。民服教,則大化成也。
上六の爻辞に「井收勿幕、有孚元吉」とある。虞翻の説明では、「幕」は覆蓋、「收」は轆轤をもって井繩を收めることである。坎は車で、轆轤の象を取り、下に巽繩に応ずるはすなわち井繩であるから「井繩を收めて蓋を加えず」という。「有孚」は九五の坎を指し、坎は信実であるから「大いに吉」。《小象伝》に「元吉在上、大成也」とある。虞翻の説明では、これは初・二の両爻がともに変じ、全卦は既済を成して六爻各々その定に安んずることをいうから「大成」という。干宝の説明では、上六は井の最上位に処り、すでに瓶中にある水であるから「井繩を收め井口に蓋す」という。井は生を養うに用い、政令は徳を養うに用いる。水泉を蓋して民に恵を施さざるべからず、典章礼法を埋没して教化を興さざるべからず。だから「井收網幕」という——網を張り井口を覆うは、教化が百姓に取信することである。百姓が教化に服従すれば、偉大なる風化は成就する。
革卦
《序卦》曰:井道不可不革也,故受之以革。韓康伯曰:井久則濁穢,宜革易其故也。(離下兌上)。革:鄭玄曰:革,改也。水火相息而更用事,猶王者受命,改正朔,易服色,故謂之革也。已日乃孚,元亨利貞,悔亡。虞翻曰:遁上之初,與蒙旁通。悔亡,謂四也。四失正,動得位,故“悔亡”。離為日,孚謂坎。四動體離,五在坎中,故“已日乃孚”。以成既濟,乾道變化,各正性命,保合太和,乃利貞,故“元亨利貞,悔亡”矣。與《乾·彖》同義也。
《序卦伝》にいう。「井道不可不革也、故受之以革」。韓康伯の説明では、井は用い久しければ汚濁し、その旧弊を革除すべきである。革卦は離が下にあり、兌が上にある。鄭玄の説明では、「革」は改変である。水火は互いに消長して交代して令を当てる。たとえば帝王が天命を承け、暦法正朔を更改し車服の色を変換するがごとくであるから「革」という。卦辞に「已日乃孚、元亨利貞、悔亡」とある。虞翻は卦変と旁通によって説明する。革卦は遁卦の上爻が初位に下って成り、蒙卦と旁通する。「悔亡」は九四を指し、九四は正を失い、変動の後位を得るから「悔恨は消える」。離は日であり、「孚」は坎を指す。九四が変動して離を成し、九五は坎の中に処るから「その日に至ってはじめて人に信ぜられる」という。これによって既済を成就し、乾の道は運行変化し、万物は各々その性命を正しくし、太和の気を保合して、はじめて「利貞」を言い得るから「元亨利貞、悔亡」といい、《乾卦・彖伝》の意と同じである。
《彖》曰:革,水火相息,虞翻曰:息,長也。離為火,兌為水。《繫》曰:潤之以風雨。風,巽。雨。兌也。四革之正,坎見,故獨於此稱水也。二女同居,其志不相得,曰革。虞翻曰:二女,離兌。體同人象。蒙艮為居,故“二女同居”。四變體兩坎象,二女有志。離火志上,兌水志下。故“其志不相得”。坎為志也。
《彖伝》に「革、水火相息」とある。虞翻の説明では、「息」は生長である。離は火、兌は水である。《繋辞伝》に「潤之以風雨」とあり、風はすなわち巽、雨はすなわち兌である。九四が変革してその正を得、坎象が顕現するから、ただここにおいて兌を水と称す。《彖伝》はまた「二女同居、其志不相得、曰革」という。虞翻の説明では、「二女」は離と兌を指し、卦体に同人の象がある。旁通する蒙卦の艮は居であるから「二女が同じく一処に住する」という。九四が変動した後、卦中に二つの坎象があり、二女が各々心志を有することを表す。離火の志は上に向かい、兌水の志は下に向かうから「彼女たちの心志は互いに投じない」——坎はすなわち志である。
已曰乃孚,革而信之。干寶曰:天命已至之日也。乃孚,大信著也。武王陳兵孟津之上,諸侯不期而會者八百國,皆曰紂可伐矣。武王曰:爾未知天命,未可也。還歸。二年,紂殺比干,囚箕子,爾乃伐之。所謂“已日乃孚,革而信”也。
《彖伝》に「已曰乃孚、革而信之」とある。干宝は史事をもって解する。「已日」は天命がすでに至ったその日で、「乃孚」は大信が昭著なることである。周武王は孟津に兵を陳れ、約束せずして来り会盟した諸侯は八百国あり、みな商紂を討つべしと言った。武王はいう。汝らはまだ天命を知らず、いまはまだ不可なりと。ここにおいて師を班じて帰った。二年を過ぎ、紂王は比干を殺し箕子を囚え、武王はこれにおいて初めて兵を起こして紂を伐った。これがいわゆる「その日に至ってはじめて人に信ぜられ、変革して天下を信服せしむ」である。
文明以說,大亨以正,革而當,其悔乃亡。虞翻曰:文明謂離。說,兌也。大亨謂乾。四動成既濟定,故“大亨以正,革而當位,故悔乃亡”也。天地革而四時成。虞翻曰:謂五位成。乾為天。蒙坤為地,震春。兌秋。四之正,坎冬離夏,則四時具坤,革而成乾,故“天地革而四時成”也。
《彖伝》に「文明以説、大亨以正、革而当、其悔乃亡」とある。虞翻の説明では、「文明」は離を指し、「説」は兌を指し、「大亨」は乾を指す。九四が変動して既済の定を成すから「大いに亨通して正道に合し、変革が当を得て、悔恨はここに亡ぶ」という。《彖伝》はまた「天地革而四時成」という。虞翻の説明では、これは五位が成就し得ることをいう。乾は天、旁通する蒙卦の坤は地、震は春・兌は秋である。九四が正を得た後、坎は冬・離は夏となり、四時はすべて倂備する。坤は変革を経て乾を成すから「天地が変革して四季が形成する」という。
湯武革命,順乎天而應乎人。虞翻曰:湯武謂乾,乾為聖人。天謂五,人謂三。四動,順五應三,故“順天應人”。巽為命也。革之時大矣哉。干寶曰:革天地,成四時;誅二叔,除民害;天下定,武功成,故“大矣哉”也。《象》曰:澤中有火,革。崔覲曰:火就燥,澤資溼,二物不相得,終宜易之,故曰“澤中有火,革”也。
《彖伝》に「湯武革命、順乎天而応乎人」とある。虞翻の説明では、商湯・周武は乾を指し、乾は聖人である。「天」は九五を指し、「人」は九三を指す。九四が変動し、上に九五に順い下に九三に応ずるから「天道に順応して人心に合う」——巽は命である。《彖伝》はまた「革之時大矣哉」という。干宝は史事をもって解する。天地を変革して四時を成就し、管叔・蔡叔を誅除して百姓の害を鏟り去り、天下は安定し武功は告成したから「偉大なるかな」という。《大象伝》に「沢中有火、革」とある。崔覗の説明では、火は乾燥に趨り、沢は湿潤を供す。両物の性情は合わず、終に変易すべきであるから「沢中有火、革」という。
君子以治曆明時。虞翻曰:君子,遁乾也。曆象謂日月星辰也。離為明,坎為月。離為日,蒙艮為星。四動成坎離,日月得正,天地革而四時成。故“君子以治曆明時”也。初九:鞏用黃牛之革。干寶曰:鞏,固也。離為牝牛。離爻本坤,黃牛之象也。在革之初,而無應據,未可以動,故曰“鞏用黃牛之革”。此喻文王雖有聖德,天下歸周,三分有二,而服事殷,其義也。
《大象伝》に「君子以治暦明時」とある。虞翻の説明では、「君子」は遁卦の乾を指す。「暦象」は日月星辰をいう。離は明、坎は月、離は日、旁通する蒙卦の艮は星である。九四が変動して坎離を成し、日月は各々その正を得、天地は変革して四時は形成されるから「君子はこれによって暦法を修治し時序を辨明する」という。初九の爻辞に「鞏用黄牛之革」とある。干宝の説明では、「鞏」は牢固である。離は母牛であり、離爻はもともと坤より来る。まさに黄牛の象である。初九は変革の初めに処り、応爻なくまた據するところなく、軽挙妄動すべからざるから「黄牛の皮をもって牢固にこれを綑縛せよ」という。これは周文王が聖徳あるも、天下三分のうちすでに二分が周に帰し、なお臣服して殷に事えたことを喩える。この義である。
《象》曰:鞏用黃牛,不可以有為也。虞翻曰:得位無應,動而必凶,故“不可以有為也”。六二:已日乃革之,征吉,無咎。荀爽曰:日以喻君也。謂五已居位為君。二乃革意去三應五。故曰“已日乃革之”。上行應五,去卑事尊,故曰“征吉,無咎也”。
《小象伝》に「鞏用黄牛、不可以有為也」とある。虞翻の説明では、初九は位を得るも応爻なく、一たび動けば必ず凶を招くから「為すところあるべからず」。六二の爻辞に「已日乃革之、征吉、无咎」とある。荀爽は「乾升坤降」をもって説明する。「日」は君主を喩えるのに用いられ、九五がすでに位に居り君となっていることを指す。六二はここにおいて心意を改め、九三を捨てて上に九五に応ずるから「その日に至ってはじめて変革を起こす」という。それが上行して九五に応ずるは、卑下を離れて尊者に事えることであるから「往けば吉、咎なし」という。
《象》曰:已日革之,行有嘉也。崔覲曰:得位以正,居中有應。則是湯武行善,桀紂行惡,各終其日,然後革之,故曰“已日乃革之,行此有嘉”。虞翻曰:嘉謂五,乾為嘉。四動承五,故“行有嘉”矣。九三,征凶,貞厲。荀爽曰:三應於上,欲往應之,為陰所乘故曰“征凶”。若正居三,而據二陰,則五來危之,故曰“貞厲”也。
《小象伝》に「已日革之、行有嘉也」とある。崔覗の説明では、六二は位を得て正しく、中に居りまた応爻がある。たとえば商湯・周武が善を行い、夏桀・商紂が悪を行い、各々その気数の終尽する日に至りて、しかる後に変革を発動するがごとし。だから「その日に至って変革すれば、かく行うに美善あらん」という。虞翻は則ち説明する。「嘉」は九五を指し、乾は嘉美である。九四が変動して上に九五に承るから「行有嘉」。九三の爻辞に「征凶、貞厉」とある。荀爽の説明では、九三は上六と相応じ、往ってこれに応じんとするも、陰爻に凌乘されるから「往けば凶あり」という。もし端正に三位に居守して六二の陰を據すれば、九五は来てこれを危うくするであろうから「正を守るも危厉あり」という。
革言三就,有孚。翟元曰:言三就上,二陽乾得共有信,據於二陰,故曰“革言三就,有孚”。於二矣。《象》曰:革言三就,又何之矣。崔覲曰:雖得位以正,而未可頓革,故以言就之。夫安者有其危也。故受命之君,雖誅元惡,未改其命者。以即行改命,習俗不安,故曰“征凶”。猶以正自危,故曰“貞厲”。是以武王克紂,不即行周命,乃反商政,一就也。釋箕子囚,封比干墓,式商容閭,二就也。散鹿臺之財,發巨橋之粟,大賚於四海,三就也。故曰“革言三就”。虞翻曰:四動成既濟定,故“又何之矣”。
爻辞に「革言三就、有孚」とある。翟元の説明では、これは三たび上爻に上就くことをいう。二・三の両処の陽爻はともに乾体に属して共に誠信を有し、また下の陰爻を據するから「革言三就、有孚」という。六二について言うのを指す。《小象伝》に「革言三就、又何之矣」とある。崔覗の説明では、九三は位を得て正しいけれども、一挙に驟然と変革すべからず。だからまず言語をもって反復申告する。安定の中にもともと危険が潜蔵する。それゆえ受命の君は首悪を誅除したといえども、すぐさま旧命を更改しない。一旦即座に命を改めれば、習俗と人心が安まらないから「征凶」という。なお正を守るをもって自ら戒惧するから「貞厉」という。それゆえ周武王は商紂を克した後、すぐさま周朝の政令を推行せず、まず商朝の政事を反正した。これが第一の「就」である。囚われた箕子を釈放し、比干の墳墓を修封し、商容の里門の前で軾に伏して敬を致した。これが第二の「就」である。鹿台の財貨を散発し、巨橋の糧粟を発放し、四海に大いに賞賜を行った。これが第三の「就」である。だから「革言三就」という。虞翻は則ち説明する。九四が変動して既済の定を成すから「又何之矣」という。
九四:悔亡,有孚,改命吉。虞翻曰:革而當,其悔乃亡。孕謂五也。巽為命。四動五坎改巽,故“改命吉”。四乾為君,進退無恆,在離焚棄,體大過死,傳以比桀紂。湯武革命,順天應人,故“改命吉”也。《象》曰:改命之吉,信志也。虞翻曰:四動成坎,故“信志也”。
九四の爻辞に「悔亡、有孚、改命吉」とある。虞翻の説明では、変革が当を得て初めて悔恨が消える。「孚」は九五を指し、巽は命である。九四が変動した後、九五は坎を成して巽の命を更改したから「天命を改換すれば吉」という。九四は乾に属して君であるが、進退に常准なく、離火の中に処り焚棄され、卦体に大過の死象がある。《伝》はこれをもって夏桀・商紂に比す。しかして商湯・周武は天命を変革し、天意と人心に順応したから「改命吉」という。《小象伝》に「改命之吉、信志也」とある。虞翻の説明では、九四が変動して坎を成し、坎は信であるから「心志は信実を得る」という。
干寶曰:爻入上象,喻紂之郊也。以逆取而四海順之。動凶器而前歌後舞。故曰“悔亡”也。中流而白魚入舟,天命信矣,故曰“有孚”。甲子夜陳,雨甚,至水德賓服之祥也。故曰“改命之吉,信志也”。九五:大人虎變,未占有孚。虞翻曰:乾為大人,謂五也。蒙坤為虎變。傳論湯武以坤臣為君占,視也。離為占。四未之正,五未在坎,故“未占有孚”也。
干宝は史事をもって解する。この爻はすでに上体の象に入り、武王の兵が商紂の郊野に臨むを喩える。武力をもって天下を取りて四海は帰順し、兵器を動用して将士は前歌後舞したから「悔亡」という。黄河を渡って中流に至る時、白魚が舟中に躍り入り、天命の徴験は信ずべきものとなったから「有孚」という。甲子の日夜に陣を布き、大雨滂沱たり。これは水徳の賓服の祥瑞であるから「改命之吉、信志也」という。九五の爻辞に「大人虎変、未占有孚」とある。虞翻の説明では、乾は大人で九五を指す。旁通する蒙卦の坤は虎変である。《伝》の商湯・周武を論ずるは、坤の臣位をもって君位に登ることである。「占」はすなわち察看であり、離は占である。九四はいまだ変正せず、九五はなお坎の中にいないから「占問を待たずしてすでに誠信あり」という。
馬融曰:大人虎變,虎變威德折衝萬里,望風而信。以喻舜乾羽,而有苗自服;周公修文德,越裳獻雉,故曰“未占有孚”矣。《象》曰:大人虎變,其文柄也。宋衷曰:陽稱大,五以陽居中,故曰“大人”。兌為白虎,九者變爻,故曰“大人虎變,其文炳也”。虞翻曰:乾為大明,四動成離,故“其文炳也”。
馬融の説明では、「大人虎変」はその威厳徳望が万里の外の敵軍を折伏し得、人々はその風采を望んで信服することをいう。これをもって虞舜が干戚羽旄を執って舞えば有苗の族が自ら帰服し、周公が文徳を修明すれば越裳氏が来て白雉を進献したことを喩える——だから「占問を待たずしてすでに誠信あり」という。《小象伝》に「大人虎変、其文炳也」とある。宋衷の説明では、陽を大と称し、九五は陽爻をもって中位に居るから「大人」という。兌は白虎であり、「九」は変爻であるから「大人虎変、其文炳也」という。虞翻は則ち説明する。乾は大明であり、九四が変動して離を成すから「その文采は炳発して人を照らす」という。
上六:君子豹變,虞翻曰:蒙艮為君子,為豹。從乾而更。故“君子豹變”也。小人革面,征凶。居貞吉。虞翻曰:陰稱小人也。面謂四。革為離,以順承五。故“小人革面”。乘陽失正,故“征凶”。得位,故“居貞吉”。蒙艮為居也。《象》曰:君子豹變,其文蔚也。陸績曰:兌之陽爻稱虎,陰爻稱豹。豹,虎類而小者也。君子小於大人。故曰“豹變其文蔚也”。虞翻曰:蔚,蔇也。兌小。故“其文蔚也”。
上六の爻辞に「君子豹変」とある。虞翻の説明では、旁通する蒙卦の艮は君子であり、また豹である。乾に随従して更新変化するから「君子は豹の変ずるがごとし」という。爻辞はまた「小人革面、征凶、居貞吉」という。虞翻の説明では、陰爻を小人と称し、「面」は九四を指す。九四が変革して離を成し、順従して九五に承奉するから「小人もまた面目を改換した」という。上六は陽爻に凌乘して正を失うから「往けば凶あり」。しかしそれ自体は位を得るから「安居して正を守れば吉」——旁通する蒙卦の艮は居である。《小象伝》に「君子豹変、其文蔚也」とある。陸績の説明では、兌卦の陽爻は虎と称し、陰爻は豹と称す。豹は虎の同類で形体はやや小さく、君子は大人に比べてやや一等小さいから「豹変してその文彩は茂密」という。虞翻の説明では、「蔚」は茂盛である。兌は小であるから「其文蔚也」という。
小人革面,順以從君也。虞翻曰:乾,君,謂五也。四變順五,故“順以從君也”。干寶曰:君子、大賢,次聖之人。謂若太公周召之徒也。豹,虎之屬。蔚,炳之次也。君聖臣賢,殷之頑民,皆改志從化,故曰“小人革面”。天下既定,必倒載干戈,包之以虎皮。將卒之士,使為諸侯,故曰“征凶,居貞吉”。得正有應,君子之象也。案:兌為口,乾為首,今口在首上,面之象也。乾為大人,虎變也。兌為小人,革面也。
《小象伝》に「小人革面、順以従君也」とある。虞翻の説明では、乾は君で九五を指す。九四が変動して九五に順従するから「順服して君主に従う」という。干宝は史事をもって解する。「君子」は大賢の人で、聖人に次ぐものであり、姜太公・周公・召公のたぐいをいう。豹は虎類に属し、「蔚」の文采は「炳」に次ぐ。君聖くして臣賢ければ、殷の頑固なる遺民に至るまで心志を改変し教化に順従するから「小人革面」という。天下すでに安定なれば、必ず干戈を倒さかに收藏し虎皮をもって包裹し、もとの将士を転じて諸侯に封ずるから「征凶、居貞吉」という——上六は正を得て応あるは、まさに君子の形象である。李鼎祚の按語にいう。兌は口、乾は首である。いま口が首の上にあるはまさに面の形象である。乾は大人で虎変であり、兌は小人で革面である。
鼎卦
《序卦》曰:革物者莫若鼎,故受之以鼎。韓康伯曰:革,去故。鼎,取新以去故,則宜制器立法以治新也。鼎,所和齊物生成新之器也。故取象焉。(巽下離上)。鼎:鄭玄曰:鼎,象也。卦有木火之用。互體乾兌。乾為金,兌為澤,澤鍾金而含水,爨以木火,鼎烹熟物之象。鼎烹熟以養人,猶聖君興仁義之道以教天下也,故謂之鼎矣。元吉,亨。虞翻曰:大壯上之初,一屯旁通。天地交,柔進上行,得中應乾五剛,故“元吉,亨”也。
《序卦伝》にいう。「革物者莫若鼎、故受之以鼎」。韓康伯の説明では、革は旧を除き去ることで、鼎は新を取り用うることである。すでに旧を除いたれば、器物を制作し法度を建立して新局を治めるべきである。鼎は衆物を調和し新味を生成する器具であるから、これを取って象とする。鼎卦は巽が下にあり、離が上にある。鄭玄の説明では、鼎はすなわち象である。この卦は木と火の功用を有し、二から四・三から五の互体は乾と兌を成す。乾は金、兌は沢、沢は金を聚め水を含み、さらに木柴の烈火をもって煮炊するは、まさに鼎が食物を烹熟する形象である。鼎は熟食を烹じて人を養う。たとえば聖明の君主が仁義の道を興して天下を教化するがごとし。だから鼎という。卦辞に「元吉、亨」とある。虞翻は卦変と旁通によって説明する。鼎卦は大壮の上爻が初位に下って成り、屯卦と旁通する。天地は交通し、柔爻は上行し、中位を得て上に乾の九五の剛爻に応ずるから「大吉、亨通」という。
《彖》曰:鼎,象也。以木巽火,亨飪也。荀爽曰:震人離下,中有乾象。木火在外,金在其內,鼎鑊亨飪之象也。虞翻曰:六十四卦,皆觀象繫辭,而獨於鼎言“象”,何也?象事知器,故獨言象也。《九家易》曰:鼎言象者,卦也,木火互有乾兌。乾金兌澤。澤者,水也。爨以木火,是鼎鑊享飪之象。亦明三公之位,上則調和陰陽,下而撫毓百姓,鼎能熟物養人,故云“象也”。牛鼎受一斛,天子飾以黃金,諸侯白金。三足,以象三臺,足上皆作鼻目為飾也。羊鼎五斗,天子飾以黃金,諸侯白金,大夫以銅。豕鼎三斗,天子飾以黃金,諸侯白金,大夫銅,士鐵。三鼎形同,亨飪煮肉,上離陰爻為肉也。
《彖伝》に「鼎、象也。以木巽火、亨飪也」とある。荀爽の説明では、震が離の下に入り、中間に乾象を含む。木と火は外にあり、金はその中にありて、まさに鼎鑊烹煮の形象である。虞翻の説明では、六十四卦はすべて卦象を観て卦辞を繫げたものであるが、なにゆえにただ鼎卦において「象」の字を点出するのか。象を観れば器物を知ることができるがゆえに、ただここに「象」という。《九家易》の説明では、鼎に「象」を言う所以は、卦体についてである。木と火の間に互体が乾・兌を含み、乾は金、兌は沢、沢はすなわち水である。木柴の烈火をもって煮炊するは、まさに鼎鑊烹飪の象である。これはまた三公の職位を表明する。上においては陰陽を調和し、下においては百姓を撫養する。鼎は食物を熟して人を養い得るから「象也」という。牛鼎の容量は一斛で、天子は黄金をもって飾り、諸侯は白銀を用いる。鼎は三足あり、三台の星を象るのに用い、足の上にはすべて鼻目の形状を作って紋飾とする。羊鼎は五斗を容れ、天子は黄金をもって飾り、諸侯は白銀をもって飾り、大夫は銅を用いる。豕鼎は三斗を容れ、天子は黄金をもって飾り、諸侯は白銀をもって飾り、大夫は銅を、士は鉄を用いる。三種の鼎の形制は同じく、すべて肉食を烹煮するに用いる。上卦離の陰爻はすなわち肉である。
聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。虞翻曰:聖人謂乾。初四易位,體大畜。震為帝,在乾天上,故曰“上帝”體頤象,三動噬嗑食,故“以享上帝”也。大享謂天地養萬物,聖人養賢以及萬民。賢之能者,稱聖人矣。巽而耳目聰明,虞翻曰:謂三也。三在巽上,動成坎離,有兩坎兩離象,乃稱“聰明”。日月相推而明生焉,故“巽而耳目聰明”。眇而視,不足以有明。聞言不信,聰不明。皆有一離一坎象故也。柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。虞翻曰:柔謂五得上中,應乾五剛。巽為進。震為行。非謂應二剛,與睽五同義也。
《彖伝》に「聖人亨以享上帝、而大亨以養聖賢」とある。虞翻の説明では、「聖人」は乾を指す。初爻と四爻が互いにその位を易えば卦体は大畜を成し、震は帝にして乾天の上に処るから「上帝」と称す。卦体にはまた頤養の象があり、三爻が変動すれば噬嗑を成して進食の象を有するから「もって上帝に祭享する」という。「大亨」は天地が万物を養育し、聖人が賢才を養育して万民に推及することをいう。賢才のうち最も才能ある者を聖人と称す。《彖伝》に「巽而耳目聡明」とある。虞翻の説明では、これは九三を指す。九三は巽体の上にあり、変動の後坎と離を成し、卦中に両坎両離の象があってはじめて耳聡く目明らかと言い得る。日月は互いに推移して光明が生ずるから「順巽にして耳目聡明」という。反対に言えば、眇目にして視るは明と称するに足らず、話を聞いて信ぜざれば、すなわち耳聡からず心明らかならず——それは卦中にただ一離一坎あるがゆえである。《彖伝》はまた「柔進而上行、得中而応乎剛、是以元亨」という。虞翻の説明では、「柔」は六五を指し、上体の中位に居り、上に乾の剛爻に応ずる。巽は進、震は行である。これはそれが九二の剛に応ずるといっているのではなく、睽卦の六五の意と同じである。
《象》曰:木上有火,鼎。荀爽曰:木火相因,金在其間。調和五味,所以養人。鼎之象也。君子以正位凝命。虞翻曰:君子謂三也。鼎五爻失正,獨三得位,故以正位凝成也。體姤,謂陰始凝,初巽為命,故“君子以正位凝命”也。
《大象伝》に「木上有火、鼎」とある。荀爽の説明では、木と火は互いに因依し、金は両者の間に処り、もって五味を調和して人を養育する。まさに鼎の形象である。《大象伝》は続けて「君子以正位凝命」という。虞翻の説明では、「君子」は九三を指す。鼎卦は五つの爻が正を失い、ただ九三のみ位を得るから、名位を端正にして凝聚成就すべきという。卦体に姤を含むは、陰気が始めて凝結することをいう。初爻の巽は命であるから「君子は名位を端正にし使命を凝定する」という。
初六:鼎顛趾,虞翻曰:趾,足也。應在四。大壯震為足,折入大過。大過,顛也。故“鼎顛趾”也。利出否。得妾以其子,無咎。虞翻曰:初陰在下,故“否”。利出之四,故曰“利出”。兌為妾,四變得正成震。震為長子,繼世守宗廟,而為祭主。故“得妾以其子,無咎”矣。《象》曰:鼎顛趾,未悖也。荀爽曰:以陰承陽,故“未悖也”。利出否,以從貴也。虞翻曰:出初之四,承乾五,故“以從貴也”。
初六の爻辞に「鼎顛趾」とある。虞翻の説明では、「趾」はすなわち足である。初六の応爻は九四にあり、大壮の震は足で、折れて大過に入る。大過は顛覆の義を有するから「鼎の足が倒れ翻る」という。爻辞はまた「利出否、得妾以其子、无咎」という。虞翻の説明では、初六は陰をもって下に居るから「否」であり、すなわち鼎中の穢物である。出でて四位に上行するに利ありだから「利出」という。兌は妾であり、九四が変動して正を得て震を成し、震は長子で、世系を継承し宗廟を守り祭祀を主ることができるから「妾を娶りてその子を得たれば、咎なし」という。《小象伝》に「鼎顛趾、未悖也」とある。荀爽の説明では、初六は陰をもって陽爻に承奉するから、悖逆ではない。《小象伝》はまた「利出否、以従貴也」という。虞翻の説明では、初爻が出でて上行して四位に至り、上に乾の九五に承るから「これによって尊貴者に従う」という。
九二:鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。虞翻曰:二為實,故鼎有實也。坤為我,謂四也。二據四婦,故相與為仇。謂三變時四體坎,坎為疾,故“我仇有疾”。四之二歷險,二動得正,故“不我能即,吉”。《象》曰:鼎有實,慎所之也。虞翻曰:二變之正,艮為慎。我仇有疾,終無尤也。虞翻曰:不我能即吉,故“終無無尤也”。
九二の爻辞に「鼎有実、我仇有疾、不我能即、吉」とある。虞翻の説明では、二爻は充実であるから鼎中に食物ありという。坤は我で、九四を指す。九二は四位の婦を據有するから、彼此匹敵となる。九三が変動する時、九四の体は坎を成し、坎は疾病であるから「我が匹敵は病あり」という。九四が二位に下らんとすれば険陷を経なければならず、しかして九二が一たび変動すればその正を得るから「それは我に近づくこと能わず、吉」という。《小象伝》に「鼎有実、慎所之也」とある。虞翻の説明では、九二は変じて正を得、艮は謹慎である。《小象伝》はまた「我仇有疾、終无尤也」という。虞翻の説明では、すでに「それは我に近づくこと能わずして吉を得た」から、終に過失なし。
九三:鼎耳革,其行塞,雉膏不食。虞翻曰:動成兩坎,坎為耳,而革在乾,故“鼎耳革”。初四變時,震為行。鼎以耳行,伏坎震,折而入乾,故“其行塞”。離為雉,坎為膏。初四已變,三動體頤。頤中無物,離象不見,故“雉膏不食”。方雨,虧悔,終吉。虞翻曰:謂四已變,三動成坤。坤為方,坎為雨,故曰“方雨”。三動虧乾,而失位悔也。終復之正,故“方雨,虧悔,終吉”也。《象》曰:鼎耳革,失其義也。虞翻曰:鼎以耳行。耳革行塞,故失其義也。
九三の爻辞に「鼎耳革、其行塞、雉膏不食」とある。虞翻の説明では、九三が変動して二つの坎象を成し、坎は耳であり、しかして変革は乾体に起こるから「鼎耳が変わった」という。初・四の両爻が変動する時、震は行である。鼎は耳によって抬行されるが、いま伏蔵の坎・震は折れて乾に入るから「その移動は阻塞せられた」という。離は雉、坎は膏脂である。初・四がすでに変じ、九三が再び動けば卦体は頤を成し、頤口の中は空然として物なく、離象もまた見えないから「肥美の雉羹に食らうこと能わず」という。爻辞はまた「方雨、亏悔、終吉」という。虞翻の説明では、九四はすでに変じ、九三がまた動いて坤を成し、坤は方、坎は雨であるから「方雨」という。九三は一たび動けば乾体を虧損し位を失いて悔を生ずるが、最終的に正位に回復するから「降雨に遭い、悔恨は消減し、終に吉」という。《小象伝》に「鼎耳革、失其義也」とある。虞翻の説明では、鼎は耳によって抬行され、鼎耳が変じて行動が阻塞せられたから、それの有すべき功用を失った。
九四:鼎折足,覆公餗,其刑渥,凶。虞翻曰:謂四變時震為足,足折入兌故“鼎折足”。兌為刑。渥,大刑也。鼎足折,則公餗覆。言不勝任。象入大過死,凶。故“鼎足折,覆公餗,其刑渥,凶”。《九家易》曰:鼎者,三足一體,猶三公承天子也。三公謂調陰陽,鼎謂調五味。足折餗覆猶三公不勝其任,傾敗天子之美。故曰“覆餗”也。案:餗者,雉膏之屬。公者,四為諸侯,上公之位,故曰“公餗”。《象》曰:覆公餗,信如何也。《九家易》曰:渥者,厚大,言罪重也。既覆公餗,信有大罪。刑罰當加,無可如何也。
九四の爻辞に「鼎折足、覆公餗、其刑渥、凶」とある。虞翻の説明では、九四が変動する時、震は足であり、足が折れて兌中に落入るから「鼎足折れた」という。兌は刑罰であり、「渥」は重刑である。鼎足が一たび折れれば、公家の美食は傾覆する。これは職任に担当し得ないことをいう。卦象は大過の死に入るから凶である。ゆえに「鼎足折れ、公家の美食を傾覆し、重刑を受く、凶」という。《九家易》の説明では、鼎は三足が一体を支撐し、たとえば三公がともに天子に承奉するがごとし。三公の職は陰陽を調和するにあり、鼎は五味を調和するに用いられる。鼎足が折れ食物が傾覆するは、三公がその職に胜任せず、天子の美政を敗壊したに譬えられるから「覆餗」という。李鼎祚の按語にいう。「餗」は雉羹の類の食物である。「公」は四爻が諸侯・上公の位に居るがゆえに「公餗」という。《小象伝》に「覆公餗、信如何也」とある。《九家易》の説明では、「渥」は厚重で、罪責が深重なことを指す。すでに公家の美食を傾覆したれば、確かに大罪を犯したのであり、刑罰は理の当然として身に加わる。どうすることもできない。
六五:鼎黃耳,金鉉,利貞。虞翻曰:離為黃,三變坎為耳,故“鼎黃耳”。鉉謂三,貫鼎兩耳。乾為金。故“金鉉”。動而得睚,故“利貞”。干寶曰:凡舉鼎者,鉉也;尚三公者,王也;金喻可貴,中之美也,故曰“金鉉”。鉉鼎得其物,施令得其道,故曰“利貞”也。《象》曰:鼎黃耳,中以為實也。陸績曰:得中承陽,故曰“中以為實”。宋衷曰:五當耳中,色黃,故曰“鼎黃耳”。兌為金,又正秋,故曰“金鉉”。公侯,謂五也,上尊故玉,下卑故金。金和良,可柔屈,喻諸侯順天子。
六五の爻辞に「鼎黄耳、金鉉、利貞」とある。虞翻の説明では、離は黄色であり、九三が変じて坎を成し、坎は耳であるから「鼎に黄色の耳あり」という。「鉉」は九三を指し、鼎の両耳を横貫する鼎を擧げる杠である。乾は金であるから「金鉉」という。六五が変動してその正を得るから「正を守るに利あり」。干宝の説明では、およそ鼎を擧ぐるは鉉によるのであり、三公を尊崇するは君王である。金は可貴を喩え、中に居るの美であるから「金鉉」という。鉉をもって鼎を擧げてその物を得、政令を発布してその道を得るから「利貞」という。《小象伝》に「鼎黄耳、中以為実也」とある。陸績の説明では、六五は中位を得て上に陽爻に承るから「中に居りて充実」という。宋衷の説明では、五爻はまさに鼎耳の位置に当たり、色は黄であるから「鼎黄耳」という。兌は金であり、また正秋の時に当たるから「金鉉」という。「公侯」は六五を指す。上位は尊貴であるから玉を用い、下位は一等卑しいから金を用いる。金の性は和柔精良で、曲げることができる。諸侯が天子に順従するを喩える。
上九:鼎玉鉉,大吉,無不利。虞翻曰:鉉謂三,乾為玉鉉。體大有上九:“自天右之。”位貴據五,三動承上,故“大吉,無不利”。謂三虧悔,應上成未濟。雖不當位,六位相應,故“剛柔節”。《彖》曰:“巽,耳目聰明”,為此九三發也。干寶曰:玉又貴於金者。凡烹飪之事,自鑊升於鼎。載於俎,自俎入口。馨香上達,動而彌貴,故鼎之義,上爻愈吉也。鼎主烹飪,不失其和。金玉鉉之,不失其所。公卿仁賢,天王聖明之象也。君臣相臨,剛柔得節。故曰“吉無不利”也。《象》曰:玉鉉在上,剛柔節也。宋衷曰:以金承玉,君臣之節。上體乾為玉,故曰“玉鉉”。雖非其位,陰陽相承,剛柔之節也。
上九の爻辞に「鼎玉鉉、大吉、无不利」とある。虞翻の説明では、「鉉」は九三を指し、乾は玉製の鉉である。卦体に大有を含み、大有の上九の爻辞に「自天右之」とある。上九は位尊くして下に六五を據し、九三が変動して来り上九に承奉するから「大吉、无不利」という。これは九三が虧損して悔を生じ、上九と相応じて未済を成すことをいう。位は当を得ざるも、六爻は両々相応ずるから「剛柔有節」という。《彖伝》のいう「巽而耳目聡明」は、まさにこの九三のために発せられたものである。干宝の説明では、玉はまた金よりも貴重である。およそ烹飪の事は、食物が鑊より鼎に昇り、さらに俎に盛られ、俎より口中に送られる。馨香の気は上に向かって昇達し、上るほど貴重を顕す。だから鼎卦の義理は上爻に至るほど吉となる。鼎は烹飪を主りてその調和を失わず、金玉の鉉をもってこれを擧げて各々その所を得るは、まさに公卿の仁徳賢明・天子の聖明の象徴である。君臣相親しみ剛柔各々節度あるから「吉无不利」という。《小象伝》に「玉鉉在上、剛柔節也」とある。宋衷の説明では、金をもって玉を承接するは、まさに君臣の節度である。上体は乾に属して玉であるから「玉鉉」という。上九は正位にいないけれども、陰陽は互いに承接する。これがすなわち剛柔の節度である。
震卦
《序卦》曰:主器者莫若長子,故受之以震。震者,動也。崔覲曰:鼎所以烹飪,享於上帝。主此器者,莫若冢嫡,以為其祭主也,故“言主器者莫若長子”也。(震下震上)。震:亨。鄭玄曰:震為雷。雷,動物之氣也。雷之發聲,猶人君出政教以動中國之人也。故謂之震。人君有善聲教,則嘉會之禮通矣。
《序卦伝》にいう。「主器者莫若長子、故受之以震。震者、動也」。崔覲の説明では、鼎は食物を烹煮して上帝に祭享するのに用いられ、この礼器を主管する者は嫡長子より適した者はいない。彼が祭主となるゆえに「主器者は長子に如くものなし」という。震卦は震が下にあり、震が上にある。卦辞に「亨」とある。鄭玄の説明では、震は雷である。雷は万物を鼓動する気であり、雷声が発作すれば、たとえば人君が政教を頒布して天下の人を鼓動するがごとし。だから「震」という。人君に美しい声教あれば、嘉美会合の礼は通行し滞らない。
震來虩虩,虞翻曰:臨二之四,天地交,故“通”。虩虩謂四也。來應初命,四變而來應已。四失位多懼,故“虩虩”。之內曰來也。笑言啞啞,虞翻曰:啞啞笑且言,謂初也。得正有則,故“笑言啞啞,後有則也”。震驚百里,不喪匕鬯。虞翻曰:謂陽從臨二。陰為百二十,舉其大數,故當震百里也。坎為棘、匕。上震為鬯。坤為喪。二上之坤,成震體坎,得其匕鬯,故“不喪匕鬯”也。
卦辞に「震来虩虩」とある。虞翻は卦変によって説明する。震卦は臨卦の二爻が上に四位に至って成り、天地交通するから「亨通」する。「虩虩」は九四を指す。それが来りて初爻の命に応合し、九四が変動して来り初九に相応ずる。九四は位を失いて多く畏懼あるから「恐れ惧って安からず」。外卦より内卦に進むを「来」という。卦辞はまた「笑言啞啞」という。虞翻の説明では、「啞啞」はまた笑いまた言うことで、初九を指す。初九は正を得て法度あるから「談笑して自如たり、この後法則あり」という。卦辞はまた「震驚百里、不喪匕鬯」という。虞翻の説明では、陽爻は臨卦の二位より来る。陰の数は一百二十、整数を挙げれば雷震百里に相当する。坎は荆棘・匕であり、上体の震は鬯酒であり、坤は喪失である。臨卦の二爻が上行して坤中に至り、震を成して卦体に坎を含み、匕と鬯を保ったから「匕と鬯を失わず」という。
鄭玄曰:雷發聲聞於百里,古者諸侯之象。諸侯出教令,能警戒其國。內則守其宗廟社稷,為之祭主,不亡匕與鬯也。人君於祭之禮,匕牲體薦鬯而已,其餘不親也。升牢於俎,君匕之,臣載之。鬯,秬酒,芬芳條鬯,因名焉。
鄭玄の説明では、雷声が発作すれば百里の外まで及ぶことができる。これは古の諸侯の封域の象徴である。諸侯は教令を頒布して自らの邦国を警戒し得る。内においては宗廟社稷を守り、祭祀の主となって匕と鬯を失うことがない。人君は祭祀の礼において、ただ自ら匕をもって牲体を取り鬯酒を進献するのみで、残りの事は親しく手を下さない。牲体を俎に升置する時、国君は匕をもって取り、臣下は陳放を担当する。「鬯」は黒黍をもって醸した香酒で、芬芳が条達するがゆえに名を得た。
《彖》曰:震,亨,震來虩虩,恐致福也。虞翻曰:懼變承五應初,故“恐致福也”。笑言啞啞,後有則也。虞翻曰:則,法也。坎為則也。震驚百里,驚遠而懼邇也。虞翻曰:遠謂四,近謂初。震為百,謂四出驚遠。初應懼近也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。虞翻曰:謂五出之正。震為守,艮為宗廟社稷,長子主祭器,故“以為祭主也”。
《彖伝》に「震、亨。震来虩虩、恐致福也」とある。虞翻の説明では、九四は畏懼によって変動し、上に九五に承り下に初九に応ずるから「恐懼がかえって福を招く」という。《彖伝》に「笑言啞啞、後有則也」とある。虞翻の説明では、「則」は法度で、坎は法則である。《彖伝》に「震驚百里、驚遠而惧邇也」とある。虞翻の説明では、「遠」は九四を指し、「近」は初九を指す。震は百である。九四が外出して遠方を驚かし、初九がこれに応じて近処を戒惧せしめることをいう。《彖伝》に「出可以守宗廟社稷、以為祭主也」とある。虞翻の説明では、これは九五が出でて正を得ることをいう。震は守り、艮は宗廟社稷であり、長子は祭器を主管するから「祭祀の主となるべし」という。
干寶曰:周木德,震之正象也。為殷諸侯。殷諸侯之制,其地百里。是以文王小心翼翼,昭事上帝,聿懷多福,厥德不回,以受方國,故以百里而臣諸侯也。為諸侯,故主社稷。為長子,而為祭主也。祭禮薦陳甚多,而經獨言不喪匕鬯者,匕牲體,薦鬯酒,人君所自親也。
干宝は五行と史事によって解する。周は木徳に属し、まさに震の本象である。周はもと殷商の諸侯であり、殷制は諸侯の封地が方冓百里である。だから周文王は小心謹慎にして昭明に上帝に事え、それによって衆多の福祐を懐獲し、徳は邪なく、諸方の国の封を受け得た。だから百里の地をもって諸侯を臣服せしめ得たのである。諸侯たるがゆえに社稷を主り、長子たるがゆえに祭主を充つ。祭礼の陳設進献の事項は多いが、経文はただ「不喪匕鬯」という。匕をもって牲体を取り鬯酒を進献するは、人君が親しく手を下す部分だからである。
《象》曰:洊雷震,君子以恐懼修省。虞翻曰:君子謂臨二。二出之坤四,體以修身,坤為身。二之四,以陽照坤,故“以恐懼修省”。老子曰:修之身,德乃真也。初九:震來虩虩,後笑言啞啞,吉。虞翻曰:虩虩謂四也。初位在下,故“後笑言啞啞”。得位,故“吉”也。干寶曰:得震之正,首震之象者。震來虩虩,羑里之厄也。笑言啞啞,後受方國也。
《大象伝》に「洊雷震、君子以恐懼修省」とある。虞翻の説明では、「君子」は臨卦の九二を指す。九二が出でて上行して坤の四位に至り、自身を修養する義を取る。坤は身である。二爻が四位に至るは、陽光をもって坤陰を照臨するをもってするから「戒惧の心を懐いて修養し省察する」という。《老子》にいう。道をその身に修めれば、徳はまことならん。初九の爻辞に「震来虩虩、後笑言啞啞、吉」とある。虞翻の説明では、「虩虩」は九四を指す。初九の位は下にあるから「後にして談笑自如たる」という。それは位を得るから吉である。干宝は史事によって解する。初九は震卦の正を得て震象の開端である。「震来虩虩」は文王が羑里に囚われた困厄を指し、「笑言啞啞」は彼が後に封を受けて諸方の国を有したことを指す。
《象》曰:震來虩虩,恐致福也。虞翻曰:陽稱福。笑言啞啞,後有則也。虞翻曰:得正,故“有則也”。六二:震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。虞翻曰:厲,危也。乘剛,故“厲”。億,惜辭也。坤為喪。三動離為蠃蚌,故稱“貝”。在艮山下,故稱“陵”。震為足,足乘初九故“躋于九陵”。震為逐,謂四已體復象,故“喪貝勿逐”。三動時離為日,震數七,故“七日得者”也。
《小象伝》に「震来虩虩、恐致福也」とある。虞翻の説明では、陽爻を福と称す。《小象伝》に「笑言啞啞、後有則也」とある。虞翻の説明では、初九は正を得るから「法則あり」。六二の爻辞に「震来厲、億喪貝、躋于九陵、勿逐、七日得」とある。虞翻の説明では、「厲」は危険で、六二は陽剛に凌乗するから危あり。「億」は惋惜の辞である。坤は喪失であり、九三が変動して離を成し、離は螺蚌であるから「貝」と称す。六二は艮山の下に処るから「陵」と称す。震は足で、足が初九の上に踏み居るから「高陵に登る」という。震は追逐であり、九四はすでに復卦の象を具えるから「貝を喪うも追い求めるなかれ」という。九三が変動する時、離は日であり、震の数は七であるから「七日の後、おのずから失いまた得る」という。
《象》曰:震來厲,乘剛也。干寶曰:六二木爻,震之身也。得位無應,而以乘剛為危。此托文王積德累功,以被囚為禍也。故曰“震來厲”。億,嘆辭也。貝,寶貨也。產乎東方,行乎大塗也。此以喻紂拘文王,閎夭之徒。乃於江淮之浦,求盈箱之貝,而以賂紂也。故曰“億喪貝”。貝,水物,而方升於九陵。今雖喪之,猶外府也。故曰“勿逐,七日得”。七日得者,七年之日也。故《書》曰:誕保文武受命,惟七年,是也。
《小象伝》に「震来厲、乗剛也」とある。干宝は納甲を爻に配し史事に託して説明する。六二は木爻で、まさに震卦の本身である。それは位を得るも応爻なく、陽剛に凌乗するがゆえに危険あり。これは借りて喩える、文王が徳を積み功を累ねたも、囚禁の禍に遭う、と。だから「震来厲」という。「億」は嘆息の辞である。「貝」は宝貨で東方に産し、大道に通行する。これは喩える、商の紂が文王を拘囚せし時、閎夭の一班が江淮の水辺に至り、満箱の貝宝を捜求して紂王を賄賂した、と。だから「億喪貝」という。貝は水中の物であるが、いま九陵の上に上升した。一時喪失するも、外府に蔵置せるがごときのみ。だから「勿逐、七日得」という。いわゆる七日にして得るは、七年の時間を指す。だから《尚書・洛誥》に「誕保文武受命、惟七年」というは、まさにこの意である。
六三:震蘇蘇,震行無眚。《象》曰:震蘇蘇,位不當也。虞翻曰:死而復生,稱蘇。三死坤中,動出得正,震為生,故“蘇蘇”。坎為眚,三出得正,坎象不見,故“無眚”。《春秋傳》曰:晉獲秦諜,六日而蘇也。九四:震遂泥。虞翻曰:坤土得雨為泥。位在坎中,故“遂泥”也。《象》曰:震遂泥,未光也。虞翻曰:在坎陰中,與屯五同義,故“未光也”。
六三の爻辞に「震蘇蘇、震行无眚」とある。《小象伝》に「震蘇蘇、位不当也」とある。虞翻の説明では、死んでまた活するを「蘇」という。六三は坤土の中に死すれど、変動して出でればその正を得る。震は生であるから「蘇としてまた蘇す」という。坎は災眚であり、六三が出でて正を得れば坎象は見えなくなるから「災禍なし」。《左伝》に晋が秦の間諜を捉え、これを殺して六日の後また蘇醒したるを記すは、まさに「蘇」の例証である。九四の爻辞に「震遂泥」とある。虞翻の説明では、坤土は雨に遇えば泥を成す。九四は坎中に位するから「震動して泥中に陥る」という。《小象伝》に「震遂泥、未光也」とある。虞翻の説明では、九四は坎の陰暗の中に処り、屯卦九五の意と同じく「未だ光大ならず」という。
六五:震往來厲,虞翻曰:往謂乘陽,來謂應陰;失位乘剛,故“往來厲”也。億無喪有事。虞翻曰:坤為喪也。事謂祭祀之事。出而體隨,王享於西山,則可以守宗廟社稷為祭主,故“無喪有事”也。《象》曰:震往來厲,危行也。虞翻曰:乘剛山頂,故“危行也”。其事在中,大無喪也。虞翻曰:動出得正,故“無喪”。
六五の爻辞に「震往来厲」とある。虞翻の説明では、「往」はそれが陽爻に凌乗することを指し、「来」はそれが陰爻に応合することを指す。六五は位を失して剛に乗ずるから「往き来たりすることみな危険あり」という。爻辞はまた「億无喪有事」という。虞翻の説明では、坤は喪失である。「事」は祭祀の事を指す。六五が出でて正に変ずれば卦体は随を成し、随卦に「王用亨于西山」の辞あれば、宗廟社稷を守り祭主を充つべし。だから「喪失なくして祭事は常のごとし」という。《小象伝》に「震往来厲、危行也」とある。虞翻の説明では、六五は陽剛に凌乗しまた山頂に居るから「行動に危険あり」という。《小象伝》はまた「其事在中、大无喪也」という。虞翻の説明では、六五は変動して出でればその正を得るから「喪失なし」。
上六:震索索,視矍矍,翻虞曰:上謂四也。欲之三,隔坎,故“震索索”。三已動,應在離,故“矍矍”者也。征凶。震不于其躬于其鄰,無咎。婚媾有言。虞翻曰:上得位,震為征,故“征凶”。四變時,坤為躬。鄰謂五也。四上之五,震東兌西,故稱“鄰”。之五得正,故“不于其躬于其鄰,無咎”。謂三已變,上應三,震為言,故“婚媾有言”。《象》曰:震索索,中未得也。虞翻曰:四未之五,故“中未得也”。雖凶無咎,畏鄰戒也。虞翻曰:謂五正位,已乘之逆,“畏鄰戒也”。
上六の爻辞に「震索索、視矍矍」とある。虞翻の説明では、ここにいう「上」は九四を指す。九四は三位に至らんと思うも、中間に坎険が隔たるから「震動の中に畏縮して前進せず」。九三はすでに変動し、応じる所は離にあり、離は目であるから「驚惶して四顧する」。爻辞はまた「征凶。震不于其躬于其鄰、无咎。婚媾有言」という。虞翻の説明では、上六は位を得る。震は征行であるから「往けば凶險あり」。九四が変動する時、坤は身であり、「鄰」は九五を指す。九四が上行して五位に至り、震は東にあり兌は西にあるから「鄰」と称す。五位に至りて正を得るから「震動は己の身に及ばずして鄰人に及ぶ、咎なし」という。九三はすでに変じ、上六は九三と相応じ、震は言語であるから「婚姻の家に閑話あらん」という。《小象伝》に「震索索、中未得也」とある。虞翻の説明では、九四はまだ五位に至らざるから「中位は未だ得られず」。《小象伝》はまた「雖凶无咎、畏鄰戒也」という。虞翻の説明では、これは九五が正位に居り、上六がこれに凌乗するは逆行なるがゆえに「鄰爻の警戒を畏るべし」という。
艮卦
《序卦》曰:物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者,止也。崔覲曰:震極則征凶。婚媾有言,當須止之。故言“物不可以終動,止之”矣。(艮下艮上)。艮:艮其背,鄭玄曰:艮為山。山立峙各於其所,無相順之時。猶君在上,臣在下,恩敬不相與通,故謂之艮也。
《序卦伝》にいう。「物不可以終動、止之、故受之以艮。艮者、止也」。崔覲の説明では、震は極に動けば「征凶」の辞があり、また「婚媾有言」の戒があって、理として制止すべきであるから「物は終わりまで動くべからず、これを止めよ」という。艮卦は艮が下にあり、艮が上にある。卦辞に「艮其背」とある。鄭玄の説明では、艮は山で、群山は各々自らの位置に聳立し、互いに順随する時なし。たとえば君が上にあり臣が下にあり、恩情と敬意が互いに通達し得ざるがごとし。だから「艮」という。
不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。虞翻曰:觀五之三也。艮為多節,故稱“背”。觀坤為身,觀五之三,折坤為背,故“艮其背”。坤象不見,故“不獲其身”。震為行人,艮為庭,坎為隱伏,故“行其庭,不見其人”。三得正,故“無咎”。案:艮為門闕,今純艮,重其門闕。兩門之間,庭中之象也。
卦辞は続けて「不獲其身、行其庭、不見其人、无咎」という。虞翻は卦変によって説明する。艮卦は観卦の五爻が三位に下って成る。艮は多節で、脊背は多節なるがゆえに「背」と称す。観卦の坤は身で、観卦の五爻が三位に下り、坤を折って背を成すから「その背を止む」という。坤象はすでに見えざるから「その身を獲ず」。震は行人、艮は庭院、坎は隠伏であるから「その庭を行きてその人を見ず」という。九三は正を得るから「咎なし」。李鼎祚の按語にいう。艮は門闕で、いま上下ともに艮なれば、重畳の門闕である。両門の間は、まさに庭院の中の形象である。
《彖》曰:艮,止也。虞翻曰:位窮於上,故“止也”。時止則止,時行則行,虞翻曰:時止謂上陽窮止,故“止”。時行謂三體處震,為行也。動靜不失其時,其道光明。虞翻曰:動謂三,靜謂上。艮止則止,震行則行,故不失時。五動成離,故“其道光明”。
《彖伝》に「艮、止也」とある。虞翻の説明では、艮の爻位は上爻に至って窮まるから「止」である。《彖伝》に「時止則止、時行則行」とある。虞翻の説明では、「時止」は上九の陽がすでに窮まりて止むことをいうから「止」という。「時行」は九三の体が震に処ることをいい、震は行である。《彖伝》に「動静不失其時、其道光明」とある。虞翻の説明では、「動」は九三を指し、「静」は上九を指す。艮は止むべき時に止み、震は行くべき時に行くから時機を失わず。六五が変動して離を成し、離は明であるから「その道は光明」という。
艮其止,止其所也。虞翻曰:謂兩象各止其所。上下敵應,不相與也。虞翻曰:艮其背,背也。兩象相背,故“不相與也”。是以不獲其身,行其庭,不見其人,無咎也。案:其義已見繇辭也。《象》曰:兼山艮。君子以思不出其位。虞翻曰:君子謂三也。三君子位。震為出。坎為隱伏,為思,故“以思不出其位”也。
《彖伝》に「艮其止、止其所也」とある。虞翻の説明では、これは上下二つの艮象が各々自らの位置に止まることをいう。《彖伝》に「上下敵応、不相与也」とある。虞翻の説明では、「艮其背」はすなわち相背くことである。上下両象は彼此相背くから「互いに親与せず」。《彖伝》に「是以不獲其身、行其庭、不見其人、无咎也」とある。李鼎祚の按語にいう。この層の意はすでに卦辞の解説のうちに言い尽くした。《大象伝》に「兼山艮。君子以思不出其位」とある。虞翻の説明では、「君子」は九三を指し、三は君子の位である。震は出、坎は隠伏・思慮であるから「思う所はその職位を出でず」という。
初六:艮其趾,無咎,利永貞。虞翻曰:震為趾,故“艮其趾”矣。失位變得正故“無咎,永貞”也。《象》曰:艮其趾,未失正也。虞翻曰:動而得正故“未失正也”。六二:艮其腓,不拯其隨,其心不快。虞翻曰:巽長,為股。艮小,為腓。拯,取也。隨謂下二陰,艮為止,震為動,故“不拯其隨”。坎為心,故“其心不快”。《象》曰:不拯其隨,未違聽也。虞翻曰:坎為耳,故“未違聽也”。
初六の爻辞に「艮其趾、无咎、利永貞」とある。虞翻の説明では、震は足趾であるから「その足趾を止む」という。初六は位を失い、変動の後正を得るから「咎なく、永く正を守るに利あり」。《小象伝》に「艮其趾、未失正也」とある。虞翻の説明では、変動してその正を得るから「正道を失わざる」。六二の爻辞に「艮其腓、不拯其随、其心不快」とある。虞翻の説明では、巽は長にして象は大腿を取り、艮は小にして象は小腿肚を取る。「拯」は挙取し、「随」は下の二つの陰爻を指す。艮は止、震は動であるから「その随う所の部分を挙動し能わず」という。坎は心であるから「その心は快からず」。《小象伝》に「不拯其随、未違聴也」とある。虞翻の説明では、坎は耳であるから「聴従に違逆せざる」という。
九三:艮其限,裂其夤,厲閽心。虞翻曰:限,要帶處也。坎為要。五來之三,故“艮其限”。夤,脊肉。艮為背,坎為脊;艮為手。震起艮止,故“裂其夤”。坎為心。厲,危也。艮為閽。閽,守門人。坎盜動門,故“厲閽心”。古閽作熏字。馬因言熏灼其心,未聞易道以坎水熏灼人也。荀氏以熏為勳,讀作動。皆非也。《象》曰:艮其限,危閽心也。虞翻曰:坎為心,坎盜動門,故“危閽心也”。
九三の爻辞に「艮其限、裂其夤、厲閽心」とある。虞翻の説明では、「限」は帯を繫ぐ所で、坎は腰である。観卦の五爻が三位に下るから「その腰際を止む」という。「夤」は脊背上の肉である。艮は背、坎は脊、艮はまた手である。震は起き艮は止まるから「その脊肉を撕裂す」という。坎は心、「厲」は危険である。艮は閽で、閽はすなわち門を守る人。坎は盗賊にして門上に活動するから「門守の心に危惧を生ぜしむ」という。古は「閽」を「熏」の字に作り、馬融はこれによってその心を熏灼するというも、易理が坎水をもって人を熏灼するとはいまだかつて聞かざる所。荀爽は「熏」を「勋」に作り、「動」と読む——これらの説はみな正しからず。《小象伝》に「艮其限、危閽心也」とある。虞翻の説明では、坎は心で、坎の盗は門上に活動するから「門守の心を危惧せしむ」という。
六四:艮其身,無咎。虞翻曰:身,腹也。觀坤為身,故“艮其身”。得位承五,故“無咎”。或謂妊身也。五動則四體離婦。離為大腹,孕之象也,故“艮其身”。得正承五,而受陽施,故“無咎”。《詩》曰:大任有身,生此文王也。《象》曰:艮其身,止諸躬也。虞翻曰:艮為止,五動乘四則妊身,故“止諸躬也”。
六四の爻辞に「艮其身、无咎」とある。虞翻の説明では、「身」はすなわち腹部である。観卦の坤は身であるから「その身を止む」という。六四は位を得て上に九五に承るから「咎なし」。ある者は「身」は懐孕を指すとし、六五が変動すれば四爻の体は離を成して婦となり、離は大腹でまさに懐孕の象であるから「その身を止む」という。六四は正を得て九五に承奉し、陽気の施与を受けるから「咎なし」。《詩経・大雅・大明》に「大任有身、生此文王」とあるが、「有身」はまさに懐孕の義である。《小象伝》に「艮其身、止諸躬也」とある。虞翻の説明では、艮は止で、六五が変動して四爻に乗ずれば懐孕となるから「己の身上に止む」という。
六五:艮其輔,言有孚,悔亡。虞翻曰:輔面頰骨,上頰車者也。三至上,體頤象,艮為止,在坎車上。故“艮其輔”。謂輔車相依。震為言。五失位悔也。動得正,故“言有孚,悔亡”也。《象》曰:艮其輔,以中正也。虞翻曰:五動之中,故“以正中也”。上九:敦艮,吉。虞翻曰:無應靜止,下據二陰,故“敦艮,吉”也。《象》曰:敦艮之吉,以厚終也。虞翻曰:坤為厚,陽上據坤,故“以厚終也”。
六五の爻辞に「艮其輔、言有序、悔亡」とある。虞翻の説明では、「輔」は面頬骨で、上にあるを頬車という。三爻より上爻に至るまで、卦体に頤の象あり、艮は止にして坎車の上に処るから「その口頬を止む」という——すなわち輔と車が相依る義である。震は言語である。六五は位を失して悔あり、変動の後正を得るから「言うことに信実あり、悔恨は亡ぶ」という。《小象伝》に「艮其輔、以中正也」とある。虞翻の説明では、六五は変動して中に居るから「正を守り中に居るをもって」という。上九の爻辞に「敦艮、吉」とある。虞翻の説明では、上九は応爻なくして安静に自ら止み、下に二つの陰爻を據するから「敦厚に止まりて吉」という。《小象伝》に「敦艮之吉、以厚終也」とある。虞翻の説明では、坤は厚で、陽爻は上にありて坤陰を據するから「敦厚をもって終わる」という。
巻十一
漸卦
《序卦》曰:物不可以終止,故受之以漸。漸者,進也。崔覲曰:終止雖獲敦艮,時行須漸進行,故曰“物不可終止,故受之以漸。漸者,進也”。(艮下巽上)。漸:女歸吉,利貞。虞翻曰:否三之四。女,謂四。歸,嫁也。坤三之四承五,進得位,往有功。反成歸妹,兌女歸吉。初上失位。故“利貞”,可以正邦也。
《序卦伝》にいう。「物不可以終止、故受之以漸。漸者、進也」。崔覲の説明では、終わりまで止むは「敦艮」の吉を得るといえども、時機が動くべき時には須く漸次前進すべし。だから「物は終わりまで止まるべからず、故にこれに漸卦を受く。漸はすなわち進」という。漸卦は艮が下にあり、巽が上にある。卦辞に「女帰吉、利貞」とある。虞翻は卦変によって説明する。漸卦は否卦の三爻が四位に上って成る。「女」は六四を指し、「帰」は出嫁である。坤の三爻が四位に上りて九五に承奉し、前進して位を得、往けば功ある。反対に帰妹卦を成す。兌女は出嫁して吉。初爻と上爻は位を失うから「正を守るに利あり」といい、これによって邦国を匡正すべきである。
《彖》曰:漸之進也。女歸吉也。虞翻曰:三進四,得位。陰陽體正,故“吉”也。進得位,往有功也。虞翻曰:功謂五,四進承五,故“往有功”。巽為進也。進以正,可以正邦也。其位剛得中也。虞翻曰:謂初已變,為家人。四進已正,而上不正。三動成坤,為邦。上來反三。故“進以正,可以正邦”。其位剛得中,與家人道正同義。三在外體之中,故稱“得中”。《乾·文言》曰:中不在人,謂三也。此可謂上變既濟定者也。
《彖伝》に「漸之進也、女帰吉也」とある。虞翻の説明では、三爻が前進して四位に至り位を得、陰陽各々その正を得るから吉。《彖伝》に「進得位、往有功也」とある。虞翻の説明では、「功」は九五を指し、六四が前進して九五に承奉するから「往けば功あり」。巽は進である。《彖伝》に「進以正、可以正邦也。其位剛得中也」とある。虞翻の説明では、初爻はすでに変じて卦は家人を成す。六四は前進してすでに正を得るも、上爻はなお正ならず。九三が変動して坤を成し、坤は邦国である。上爻が下って三位に回帰するから「正道をもって前進すれば、もって邦国を匡正すべし」という。いわゆる「其位剛得中」は、家人卦の「道正」を言うと意同じ。九三は外体の中に処るから「得中」と称す。《乾卦・文言》に「中不在人」というは、まさに三爻を指す。これを上爻変じて既済の定を成すと言うべし。
止而巽,動不窮也。虞翻曰:止,艮也。三變震為動。上之三據坤。動震成坎,坎為通。故“動不窮”。往來不窮謂之通。《象》曰:山上有木,漸。君子居賢德善俗。虞翻曰:君子謂否乾。乾為賢德。坤陰小人柔弱,為俗。乾四之坤為艮,為居。以陽善陰。故“以居賢德善俗也”。
《彖伝》に「止而巽、動不窮也」とある。虞翻の説明では、「止」はすなわち艮。九三が変じて震を成して動となり、上爻は三位に下りて坤を據す。一動して震を成しまた坎を成し、坎は通達であるから「行動は窮まらず」という——往来して窮まらざるを通という。《大象伝》に「山上有木、漸。君子居賢徳善俗」とある。虞翻の説明では、「君子」は否卦の乾を指し、乾は賢徳である。坤陰は小人に属し、柔弱にして風俗を成す。乾の四爻が坤に下りて艮を成し、艮は居処である。陽剛をもって陰柔を善化するから「賢徳を守りて風俗を改善す」という。
初六:鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。虞翻曰:鴻,大雁也。離五,鴻。漸,進也。小水從山流下稱乾。艮為山,為小徑。坎水流下山。故“鴻漸于干”也。艮為小子。初失位,故“厲”。變得正。三動受上成震,震為言。故“小子厲,有言,無咎”也。《象》曰:小子之厲,義無咎也。虞翻曰:動而得正,故“義無咎也”。
初六の爻辞に「鴻漸于干、小子厲、有言、无咎」とある。虞翻の説明では、「鴻」は大雁である。離は五位にあり、すなわち鴻である。「漸」は漸進である。小溪水が山上より流れ下る岸を「干」という。艮は山・小路、坎水は山上より流れ下るから「鴻雁は漸進して水涯に至る」という。艮は小子である。初六は位を失うがゆえに危厲あり、変動の後その正を得る。九三が変動して上爻を受け震を成し、震は言語であるから「小子に危険あり、責備の言を招くも、咎なし」という。《小象伝》に「小子之厲、義无咎也」とある。虞翻の説明では、変動して正を得るから義理に照らして咎なし。
六二:鴻漸于磐,飲食衎衎,不素飽也。虞翻曰:艮為山石。坎為聚,聚石稱磐。初已之正,體噬嗑食,坎水陽物,並在頤中,故“飲食衎衎”。得正應五,故“吉”。《象》曰:飲食衎衎,不素飽也。虞翻曰:素,空也。承三應五,故“不素飽”。九三:鴻漸于陸,虞翻曰:高平稱陸。謂初已變,坎水為平。三動之坤,故“鴻漸于陸”。
六二の爻辞に「鴻漸于磐、飲食衎衎、不素飽也」とある。虞翻の説明では、艮は山石、坎は聚集であり、石が聚まるを「磐」という。初爻はすでに変じて正を得、卦体は噬嗑を成して飲食の象あり。坎水と陽剛の物がみな頤口の中にあるから「飲食して和楽す」という。六二は正を得て上に九五に応ずるから吉。《小象伝》に「飲食衎衎、不素飽也」とある。虞翻の説明では、「素」は空である。六二は上に九三に承りまた九五に応ずるから「徒らに飽くるにあらず」。九三の爻辞に「鴻漸于陸」とある。虞翻の説明では、高くして平坦なるを「陸」という。初爻はすでに変じ、坎水は平地を成し、九三が変動して坤に之くから「鴻雁は漸進して高平の地に至る」という。
夫征不復,虞翻曰:謂初已不正。三動成震。震為征、為夫而體復,象坎陽死坤中,坎象不見。故“夫征不復”也。婦孕不育,凶。虞翻曰:孕,妊娠也。育,生也。巽為婦,離為孕,三動成坤,離毀失位,故“婦孕不育,凶”。利用禦寇。虞翻曰:御,當也。坤為用,巽為高,艮為山,離為戈兵甲冑,坎為震寇。自上御下,三動坤順,坎象不見。故“利用禦寇,順相保”。保,大也。《象》曰:夫征不復,離群醜也。虞翻曰:坤三爻為丑,物三稱群也。婦孕不育,失其道也。虞翻曰:三動離毀,陽隕坤中,故“失其道也”。利用禦寇,順相保也。虞翻曰:三動坤順,坎象不見,故以“順相保也”。
爻辞に「夫征不復」とある。虞翻の説明では、初爻はもとより正ならざるも、九三が変動して震を成し、震は征行・丈夫であり、しかして卦体に復を含む。坎陽は坤中に死して坎象は見えざるから「丈夫は出征して一たび去りて回らず」という。爻辞に「婦孕不育、凶」とある。虞翻の説明では、「孕」は懐胎、「育」は生養である。巽は婦、離は孕、九三が変動して坤を成し、離象は毀壊して位を失うから「婦人は孕みて生み得ず、凶」という。爻辞に「利用御寇」とある。虞翻の説明では、「御」は抵当である。坤は用、巽は高、艮は山、離は戈矛甲冑、坎は侵擾の強寇である。上より下に抵禦し、九三が変動すれば坤順なり、坎象は見えざるから「寇盗を抵御するに利あり、順従して相い保つ」——「保」は大の意である。《小象伝》に「夫征不復、離群醜也」とある。虞翻の説明では、坤の三爻を「醜」と称し、すなわち同類で、三つをもって一群とするから自らの同類を離れたるという。《小象伝》に「婦孕不育、失其道也」とある。虞翻の説明では、九三が変動すれば離象は毀壊し、陽気は坤中に隕落するから「その正道を失う」という。《小象伝》に「利用御寇、順相保也」とある。虞翻の説明では、九三が変動すれば坤順で坎象は見えざるから「順従をもって相い保つ」という。
六四:鴻漸于木,或得其桷,無咎。虞翻曰:巽為木。桷,椽也。方者謂之桷。巽為交,為長木,艮為小木,坎為脊,離為麗。小木麗長木,巽繩束之,象脊之形,椽桷象也,故“或得其桷”。得位順五,故“無咎”。四已承五,又顧得三,故“或得其桷”也矣。《象》曰:或得其桷,順以巽也。虞翻曰:坤為順,以巽順五。案:四居巽,木爻,陰位正直,桷之象也。自二至五,體有離坎。離為飛鳥而居坎水,鴻之象也。鴻隨陽鳥,喻女從夫。卦明漸義,爻皆稱焉。
六四の爻辞に「鴻漸于木、或得其桷、无咎」とある。虞翻の説明では、巽は木である。「桷」はすなわち椽子で、方形の椽を桷という。巽は交錯・長木、艮は小木、坎は脊、離は附麗である。小木が長木に附り、巽の縄をもって捆束すれば、形状は屋脊に似る。まさに椽桷の象であるから「あるいは平直の椽枝を得たり」という。六四は位を得て九五に順承するから「咎なし」。それがすでに九五に承奉し、また回顧して九三の助を得るから「或得其桷」という。《小象伝》に「或得其桷、順以巽也」とある。虞翻の説明では、坤は順で、六四は巽順の徳をもって九五に順従す。李鼎祚の按語にいう。六四は巽体に処り、木爻で、陰位に居りて端正平直はまさに椽桷の象である。二爻より五爻に至るまで、卦体に離と坎を含み、離は飛鳥にして坎水の中に処るはまさに鴻雁の象である。鴻雁は陽に随いて遷る鳥で、もって女子が夫に随従するを喩える。この卦は漸進の義を闡明し、各爻みな鴻をもって称す。
九五:鴻漸于陵,婦三歲不孕,虞翻曰:陵,丘。婦,謂四也,三動受上時,而四體半艮山,故稱“陵”。巽為婦,離為孕,坎為歲,三動離壞,故“婦三歲不孕”。終莫之勝,吉。虞翻曰:莫,無。勝,陵也。得正居中,故“莫之勝,吉”。上終變之三,成既濟定。坎為心,故《象》曰“得所願也”。《象》曰:終莫之勝吉,得所願也。虞翻曰:上之三,既濟定,故“得所願也”。
九五の爻辞に「鴻漸于陵、婦三歳不孕」とある。虞翻の説明では、「陵」は丘陵で、「婦」は六四を指す。九三が変動して上爻を受くる時、六四の体は半ば艮山を成すから「陵」と称す。巽は婦、離は孕、坎は歳である。九三が変動して離象は毀壊するから「婦人は三年孕まず」という。爻辞はまた「終莫之勝、吉」という。虞翻の説明では、「莫」はなく、「勝」は欺凌である。九五は正を得て中に居るから「終にこれを陵する者なく、吉」という。上爻は終に変じて三位に下り、既済の定を成す。坎は心であるから《小象伝》に「得所願也」という。《小象伝》に「終莫之勝吉、得所願也」とある。虞翻の説明では、上爻が三位に下りて既済の定を成すから「心願を実現し得たり」。
上九:鴻漸于陸,虞翻曰:陸,謂三也。三坎為平,變而成坤,故稱“陸”也。其羽可用為儀,吉。虞翻曰:謂三變受成既濟,與《家人·彖》同義。上之三得正,離為鳥。故“其羽可用為儀,吉”。三動失位,坤為亂,乾四止坤,《象》曰“不可亂”,《彖》曰“進以正邦”,為此爻發也。三已得位,又變受上權也。孔子曰:可與適道,未可與權,宜可怪焉。
上九の爻辞に「鴻漸于陸」とある。虞翻の説明では、「陸」は九三を指す。九三の坎は平地で、変動して坤を成すから「陸」と称す。爻辞はまた「其羽可用為儀、吉」という。虞翻の説明では、これは九三が変動して既済を成すことをいい、《家人卦・彖伝》の意と同じ。上爻が三位に下りて正を得、離は鳥であるから「その羽毛は用いて儀飾とすべし、吉」という。九三が変動すれば位を失い、坤は乱、乾の四爻は坤を制止す。《小象伝》のいう「不可乱」、《彖伝》のいう「進以正邦」は、みなこの一爻のために発せられた。九三はすでに位を得、また変動して上爻を受くるはこれ権変である。孔子にいう「可与適道、未可与権」。ここでの権変は確かに称奇に値する。
《象》曰:其羽可用為儀吉,不可亂也。虞翻曰:坤為亂,上來正坤。六爻得位,成既濟定,故“不可亂也”。干寶曰:處漸高位,斷漸之進。順艮之言,謹巽之全,履坎之通,據離之耀。婦德既終,母教又明。有德而可受,有儀而可象。故曰“其羽可以為儀,不可亂也。”
《小象伝》に「其羽可用為儀吉、不可乱也」とある。虞翻の説明では、坤は乱で、上爻が下りて坤を匡正す。六爻各々その位を得て既済の定を成すから「錯乱せず」という。干宝の説明では、上九は漸卦の最高位に処り、漸進のために界限を画した。艮止の告戒に順従し、巽順の完備を謹守し、坎険の中の通達を履行し、離明の光耀に凭据す。婦たるの徳すでに成し、母たるの教また能く昭明なり。徳行あって人の受くる所と為り、威儀あって人の倣う所と為るから「其羽可以為儀、不可乱也」という。
帰妹卦
《序卦》曰:進必有所歸,故受之以歸妹。崔覲曰:鴻漸于磐,飲食衎衎。言六比三,女漸歸夫之象也。故云“進必有所歸”也。(兌下震上)。歸妹:虞翻曰:歸,嫁也。兌為妹。泰三之四,坎月離日,俱歸妹象。陰陽之義配日月,則天地交而萬物通。故以嫁娶也。征凶,虞翻曰:謂四也。震為征。三之四,不當位,故“征凶”也。無攸利。虞翻曰:謂三也。四之三,失正無應,以柔乘剛,故“無攸利”也。
《序卦伝》にいう。「進必有所帰、故受之以帰妹」。崔覲の説明では、漸卦の六二に「鴻漸于磐、飲食衎衎」とあるは、六二が九三に親比し、女子が漸く夫に嫁ぐ象をいうから「前進すれば必ず帰する所有る」という。帰妹卦は兌が下にあり、震が上にある。虞翻の説明では、「帰」は出嫁で、兌は少女すなわち妹である。帰妹卦は泰卦の三爻が四位に上って成り、坎は月・離は日にして、みな帰妹の象を具備す。陰陽の義は日月に相配し、ここに天地は交感して万物は通達するから、もって嫁娶の事を言うに用いる。卦辞に「征凶」とある。虞翻の説明では、これは九四を指す。震は征行で、三爻が四位に上って位置当たらざるがゆえに「往けば凶險あり」。卦辞に「无攸利」とある。虞翻の説明では、これは六三を指す。四爻が三位に下り、正を失して応なく、また柔をもって剛に乗ずるから「利する所なし」。
《彖》曰:歸妹,天地之大義也。虞翻曰:乾天坤地。三之四,天地交。以離日坎月戰陰陽,陰陽之義配日月,則萬物興,故“天地之大義”。乾主壬,坤主癸。日月會北。震為玄黃,天地之雜。震東兌西,離南坎北。六十四卦,此象最備四進正卦,故“天地之大義也”。
《彖伝》に「帰妹、天地之大義也」とある。虞翻は納甲によって説明する。乾は天、坤は地である。三爻が四位に上れば天地は交通する。離日・坎月をもって陰陽を交合し、陰陽の義が日月に相配すれば万物は興盛するから「これ天地の大義なり」という。納甲の法に按ずれば、乾は壬を納め、坤は癸を納め、日月は北方に会合す。震は玄黄の色で、天地の二色が相雑なる。震は東にあり、兌は西にあり、離は南にあり、坎は北にあり、六十四卦中この卦をもって四方正卦の象は最も完備す。だから「天地之大義也」という。
天地不交而萬物不興。虞翻曰:乾三之坤四。震為興。天地以離坎交陰陽,故“天地不交則萬物不興”矣。王肅曰:男女交而後人民蕃,天地交然後萬物興,故歸妹以及天地交之義也。歸妹,人之終始也。虞翻曰:人始生乾,而終於坤,故“人之終始”,《雜卦》曰:歸妹,女之終,謂陰終坤癸,則乾始震庚也。干寶曰:歸妹者,衰落之女也。父既沒矣,兄主其禮,子續父業,人道所以相終始也。
《彖伝》に「天地不交而万物不興」とある。虞翻の説明では、乾の三爻が坤の四位に上り、震は興起である。天地は離・坎をもって陰陽を交合するから「天地交合せざれば、万物は興盛し能わず」という。王粛の説明では、男女が交合して後に人口は繁衍し、天地が交合して後に万物は興盛す。だから帰妹の義は天地交感の理に推及し得る。《彖伝》に「帰妹、人之終始也」とある。虞翻は納甲によって説明する。人の生命は乾に始まり坤に終わるから「人之終始」という。《雑卦伝》に「帰妹、女之終」というは、陰が坤の納する癸に終結するをいい、然れば乾は震の納する庚に起始す。干宝の説明では、帰妹とは家道衰落の女を指す。父はすでに去世し、兄長が彼女の出嫁の礼儀を主り、子は父の事業を継承する。人倫の道はこのように首尾相続くのである。
說以動,所歸妹也。虞翻曰:說,兌。動,震也。謂震嫁兌所歸必妹也。征凶,位不當也。崔覲曰:中國皆爻失位,以象歸妹非正嫡,故“征凶”也。無攸利,柔乘剛也。王肅曰:以征則有不正之凶,以處則有乘剛之逆也,故“無所利”矣。
《彖伝》に「説以動、所帰妹也」とある。虞翻の説明では、「説」は兌で、「動」は震である。これは震男が兌女を娶り、嫁がせる所は必ず少女なるをいう。《彖伝》に「征凶、位不当也」とある。崔覲の説明では、卦中の諸爻はみなその位を失い、もって帰妹が嫁するは正室の嫡妻にあらざるを象るから「往けば凶險あり」。《彖伝》に「无攸利、柔乗剛也」とある。王粛の説明では、出て行けば不正の凶あり、安く処ればまた柔をもって剛に乗ずるの悖逆あるから「利する所なし」。
《象》曰:澤上有雷,歸妹。干寶曰:雷薄於澤,八月九月將藏之時也。君子象之,故不敢恃當今之虞,而慮將來禍也。君子以永終知敝。虞翻曰:君子,謂乾也。坤為永終,為敝。乾為知。三之四,為永終;四之三,兌為毀折,故“以永終知敝”。崔覲曰:歸妹,從之始終也。始則征凶,終則無攸利,故“君子以永終知敝”為戒者也。
《大象伝》に「沢上有雷、帰妹」とある。干宝の説明では、雷声は沢面に逼り、まさに八月九月陽気まさに潜蔵せんとする時節である。君子はこれに取法するがゆえに、敢えて眼前の安楽を仗恃せず、将来の禍患を慮る。《大象伝》は続けて「君子以永終知敝」という。虞翻の説明では、「君子」は乾を指す。坤は長久終結・弊敗で、乾は知るである。三爻が四位に上るはすなわち「永終」である。四爻が三位に下れば兌は毀折であるから「婚姻を長久終らしめてその弊を预知す」という。崔覲の説明では、帰妹は始めより終りまでこのごとし。始めは「征凶」、終りは「无攸利」。だから《大象伝》は「君子以永終知敝」をもって告戒とする。
初九:歸妹以娣,跛而履,征吉。虞翻曰:震為兄,故“嫁妹”。謂三也。初在三下,動而應四,故稱“娣”。履,禮也。初九應變成坎,坎為曳,故“跛而履”。應在震,為徵。初為娣。變為陰,故“征吉”也。《象》曰:歸妹以娣,以恆也。跛而履,吉相承也。虞翻曰:陽得正,故“以恆”。恆動初承二,故“吉相承也”。
初九の爻辞に「帰妹以娣、跛而履、征吉」とある。虞翻の説明では、震は兄長であるから「妹を嫁がす」といい、「妹」は六三を指す。初九は六三の下にあり、変動して九四に相応ずるから「娣」と称し、すなわち陪嫁の妹である。「履」はすなわち礼である。初九の応爻が変動して坎を成し、坎は拖曳であるから「跛きても礼を行い得る」という。応ずる所は震にあり、震は征行である。初九は娣にして変じて陰となるから「往けば吉利」。《小象伝》に「帰妹以娣、以恒也。跛而履、吉相承也」とある。虞翻の説明では、陽爻は正を得るから「常有り」という。恒卦の初爻は九二に上承するから「吉は上下相承にあり」という。
九二:眇而視,利幽人之貞。虞翻曰:視,應五也。震上兌下,離正,故“眇而視”。幽人,謂二。初動,二在坎中,故稱“幽人”。變得正,震喜兌說,故“利幽人之貞”。與履二同義也。《象》曰:利幽人之貞,未變常也。虞翻曰:常,恆也。乘初未之五,故“未變常也”。
九二の爻辞に「眇而視、利幽人之貞」とある。虞翻の説明では、「視」はそれが上に六五に応ずるを指す。震は上にあり兌は下にあり、離目はその正を得ざるから「一目なれども能く視る」という。「幽人」は九二を指す。初爻が変動すれば九二は坎中に処り、坎は幽隠であるから「幽人」と称す。変動して正を得、震は喜・兌は悦であるから「幽居の人が正を守るに利あり」という——履卦九二の意と同じ。《小象伝》に「利幽人之貞、未変常也」とある。虞翻の説明では、「常」はすなわち恒久である。九二は初爻の上に乗じて未だ五位に上行せざるから「未だ常道を変ぜざる」という。
六三:歸妹以須,反歸以娣。虞翻曰:須,需也。初至五,體需象,故“歸妹以須”。娣,謂初也。震為反,反馬歸也。三失位,四反得正。兌進在四,見初進之,初在兌後,故“反歸以娣”。《象》曰:歸妹以須,位未當也。虞翻曰:三未變之陽,故“位未當”。
六三の爻辞に「帰妹以須、反帰以娣」とある。虞翻の説明では、「須」はすなわち等待である。初爻より五爻に至るまで卦体に需卦の象あるから「妹を嫁がすに等待を須つ」という。「娣」は初九を指す。震は返回で、すなわち古礼の「反馬」——女子は出嫁して三月の後に乗りし馬を送還す。六三は位を失い、九四が返れば正を得る。兌女は四位に前進し、初爻もまたこれに随いて進むを見るも、初爻は兌の後にあり、だから「回頭して娣の身をもって嫁ぐ」という。《小象伝》に「帰妹以須、位未当也」とある。虞翻の説明では、六三はまだ陽爻に変ぜざるから「位置当たらざる」。
九四:歸妹愆期,遲歸有時。虞翻曰:愆,過也。謂二變,三動之正,體大過象。坎月離日,為期三變。日月不見。故“愆期”。坎為曳,震為行,行曳,故“遲”也。歸謂反三。震春兌秋,坎冬離夏,四時體正,故“歸有時”也。《象》曰:愆期之志,有待而行也。虞翻曰:待男行矣。
九四の爻辞に「帰妹愆期、遅帰有時」とある。虞翻の説明では、「愆」は錯過である。九二が変じ九三が動いて各々その正を得れば、卦体は大過の象を成す。坎は月・離は日にして、もって婚期を定む。三爻が一たび変ずれば日月の象はみな見えざるから「婚期を錯過せり」という。坎は拖曳、震は行走であり、行走してまた拖曳するから「遅」という。「帰」は三位に返るを指す。震は春・兌は秋・坎は冬・離は夏にして、四時の体は各々その正を得るから「遅く嫁ぐも自らその時あり」という。《小象伝》に「愆期之志、有待而行也」とある。虞翻の説明では、男方の来り迎え娶るを待ちてのち動身する。
六五:帝乙歸妹,其君之袂,不如其娣之袂良。虞翻曰:三四已正。震為帝,坤為乙,故曰“帝乙”。泰乾為良,為君。乾在下,為小君,則妹也。袂,口袂之飾也。兌為口,乾為衣,故稱“袂”。謂三失位無應。娣袂,謂二得中應五,三動成乾,為良,故“其君之袂,不如其娣之袂良”。故《象》曰:“以貴行也”矣。
六五の爻辞に「帝乙帰妹、其君之袂、不如其娣之袂良」とある。虞翻は納甲によって説明する。三・四の両爻はすでに正を得た。震は帝、坤は乙を納めるから「帝乙」と称す。泰卦の乾は良・君である。乾は下体にあり、すなわち小君で、嫁ぐ所の妹である。「袂」は衣袖口の装飾である。兌は口、乾は衣であるから「袂」と称す。これは六三が位を失して応なきをいう。「娣袂」に至っては九二が中を得て上に六五に応じ、九三が変動して乾を成して良となるを指す。だから「正室の衣袖は、かえって陪嫁の娣の衣袖の美好に如かず」という。ゆえに《小象伝》に「以貴行也」という。
月幾望,吉。虞翻曰:幾,其也。坎月離日,兌西震東,日月象對,對曰“幾望”。二之五,四復三,得正,故“吉”也。與小畜、中孚月幾望同義也。《象》曰:帝乙歸妹,不如其娣之袂良也。虞翻曰:三四復正,乾為良。其位在中,以貴行也。虞翻曰:三四復,二之五,成既濟。五貴,故“以貴行也”。
爻辞はまた「月幾望、吉」という。虞翻の説明では、「幾」は将近である。坎は月・離は日、兌は西・震は東にして、日月の象は両々相対す。相対するを「幾望」といい、すなわち月まさに満ちんとす。九二が五位に上り、九四が三位に回り、各々その正を得るから吉——小畜卦・中孚卦のいう「月幾望」と意同じ。《小象伝》に「帝乙帰妹、不如其娣之袂良也」とある。虞翻の説明では、三・四の両爻は正位に回復し、乾は良である。《小象伝》はまた「其位在中、以貴行也」という。虞翻の説明では、三・四は正位に回復し、九二は五位に上って既済を成す。五は尊貴の位であるから「尊貴の身份をもって嫁ぐ」という。
上六:女承筐無實,虞翻曰:女謂應三,兌三。逢下受上稱承。震為筐。以陰應陰,三四復位,坤為虛,故“無實”。《象》曰:“承虛筐也”。士刲羊無血,無攸利。虞翻曰:刲,刺也。震為士,兌為羊,離為刀,故“士刲羊”。三四復位成泰,坎象不見,故“無血”。三柔乘剛,故“無攸利”也。《象》曰:上六無實,承虛筐也。虞翻曰:泰坤為虛,故“承虛筐也”。
上六の爻辞に「女承筐无実」とある。虞翻の説明では、「女」はそれに応ずる六三を指し、すなわち兌の三爻である。下において上の物を迎えるを「承」という。震は竹筐である。上六は陰をもって陰に応じ、三・四の両爻は本位に回復し、坤は空虚であるから「筐中に物なし」という。《小象伝》はこれによって「承虚筐也」という。爻辞はまた「士刲羊无血、无攸利」という。虞翻の説明では、「刲」は刺殺である。震は士、兌は羊、離は刀であるから「男子は羊を宰す」という。三・四は本位に回復して泰卦を成し、坎象は見えざるから「血なし」。六三は柔をもって剛に乗ずるから「利する所なし」。《小象伝》に「上六无実、承虚筐也」とある。虞翻の説明では、泰卦の坤は空虚であるから「虚筐を捧ぐ」という。
豊卦
《序卦》曰:得其所歸者必大,故受之以豐。豐者,大也。崔覲曰:歸妹者,侄娣媵。國三人,凡九女,為大援。故“言得其所歸者必大”也。(離下震上)。豐:亨,虞翻曰:此卦三陰三陽之例,當從泰二之四。而豐三從噬嗑上來之三,折四於坎獄中而在豐,故“君子以折獄致刑”。陰陽交,故“通”。噬嗑所謂利用獄者,此卦之謂也。王假之,虞翻曰:乾為王。假,至也。謂四宜上至五,動之正成乾,故“王假之,尚大也”。
《序卦伝》にいう。「得其所帰者必大、故受之以豊。豊者、大也」。崔覲の説明では、帰妹の礼には姪・娣が随嫁し、一国は三人を出し三国はあわせて九女とする。これは甚だ大きな援助であるから「帰する所を得る者は必ず大」という。豊卦は離が下にあり、震が上にある。卦辞に「亨」とある。虞翻は卦変によって説明する。この卦は三陰三陽の例に属し、理として泰卦の二爻が四位に上って成るべし。しかるに豊卦の三爻は噬嗑卦の上爻より下って三位に至り、四爻を折って坎獄の中に入れて豊に処る。だから《大象伝》に「君子以折獄致刑」という。陰陽は交合するから「亨通」する。噬嗑卦のいう「利用獄」は、まさにこの卦を言う。卦辞に「王假之」とある。虞翻の説明では、乾は王、「假」は到達である。これは九四が上行して五位に至るべく、変動して正を得て乾を成すことをいう。だから「君王はここに臨み、盛大を崇ぶ」という。
勿憂,宜日中。虞翻曰:五動之正,則四變成離。離,日。中,當。五地坎中,坎為憂。故“勿憂,宜日中”。體兩離象,照天下也。日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息。干寶曰:豐坎宮陰,世在五。以其宜中,而憂其側也。坎為夜,離為晝,以離變坎,至於天位,日中之象也。聖人德大而心小,既居天位,而戒懼不怠。勿憂者,勸勉之言也。猶《詩》曰:上帝臨爾,無貳爾心。言周德當天人之心,宜居王位,故“宜日中”。《彖》曰:豐,大也。明以動,故豐。崔覲曰:離下震上,明以動之。象明則見微,動則成務,故能大矣。王假之,尚大也。姚信曰:四體震。王假,大也。四上之五,得其盛位,謂之大。
卦辞に「勿憂、宜日中」とある。虞翻の説明では、六五が変動して正を得れば、九四は変じて離を成し、離は日、「中」は正当である。六五は坎中に処り、坎は憂患であるから「憂えるなかれ、まさに日中の時なり」という。卦体に二つの離象あり、天下を照臨すべし。ただし日は中天に至れば偏斜し、月は満ちれば虧蝕す。天地の盈満と虚欠は、みな時序に随いて消長す。干宝は京房八宮の説によって史事に託して解する。豊は坎宮の陰卦で、世爻は第五爻にあり。それが中に居るに宜しいがゆえに、こそその偏斜を憂う。坎は夜、離は昼である。離をもって坎に代えて上に天子の位に達するは、まさに日が中天にある象。聖人は徳行盛大にして用心は謹細で、すでに天位に居るもなお戒惧して懈怠せず。「勿憂」は勉励の辞で、たとえば《詩経・大雅・大明》のいう「上帝臨爾、无貳爾心」のごとし。これは周朝の徳が天心人意に合い、王位に居るべきことをいう。だから「宜日中」。《彖伝》に「豊、大也。明以動、故豊」とある。崔覲の説明では、離が下にあり震が上にあるは、光明にして後に行動する象。明察すれば微を見て著を知り、行動すれば事功を成就し得る。だから盛大たり得る。《彖伝》に「王假之、尚大也」とある。姚信の説明では、九四は震体に属し、「王假」はすなわち大。九四が上行して五位に至り、その盛大の位を得るから大という。
勿憂,宜日中。《九家易》曰:震動而上,故“勿憂”也。日者君。中者五。君宜居五也。謂陰處五,日中之位,當傾昃矣。宜照天下也。虞翻曰:五動成乾,乾為天。四動成兩離,重明麗正,故“宜照天下”,謂化成天下也。
《豊卦・彖伝》に「憂えるなかれ、まさに太陽の中天に正しきがごときべし」という。《九家易》の説明では、豊卦は下体が離・上体が震で、震は動を主りて上に行くから「勿憂」という。「日」は君主を喩え、「中」は第五爻の君位を指す。君主は理として九五に居るべし。いまは陰爻が五位に処り、正午の位置を占む。太陽は正中を過ぎれば偏斜し、その勢いは必ず傾昃す。経文は続けて「宜照天下」という。虞翻は卦変によって立説する。第五爻が変動した後、全卦は乾を成し、乾は天である。第四爻がさらに変ずれば上下両体ともに離を成し、「重明」相畳なりて中正の位に附麗するから「宜照天下」という。その意は君主が文明の徳をもって天下を化育するをいう。
日中則昃,荀爽曰:豐者至盛,故“日中”。下居四,日昃之象也。月盈則食,虞翻曰:月之行,生震見兌,盈於乾甲,五動成乾,故“月盈”。四變體噬嗑食,故“則食”。此豐其屋,蔀其家也。
《彖伝》に「日中則昃、月盈則食」とある。荀爽は豊を極盛の義とし、太陽の中天に正しきに取象する。しかして上六が第四爻の位に下居するは、まさに太陽偏西の景象である。虞翻は「納甲」の法をもって「月盈則食」を解す。月の運行は、初三に震に生明して西方に見え、上弦は兌に見え、十五月満つれば乾に配して甲を納む。この卦の第五爻が一動すれば乾体を成すから「月盈」という。第四爻が一たび変ずれば全卦は噬嗑を成し、噬嗑は吞噬進食の象あるから「則食」——月満の後、すなわち食わる。これすなわち上六の爻辞のいう「豊其屋、蔀其家」で、盛極まりてかえって遮蔽せらるる下場である。
天地盈虛,與時消息,而況於人乎,況於鬼神乎。虞翻曰:五息成乾,為盈;四消入坤,為虛,故“天地盈虛”也。豐之既濟,四時象具。乾為神人,坤為鬼,鬼神與人,亦隨進消息。謂人謀鬼謀,百姓與能,與時消息。
《彖伝》にいう。「天地の盈満と空虚は、なおかつ時序に随いて彼に消え此に長ず。いわんや人においてをや、いわんや鬼神においてをや」。虞翻は「消息」の法をもって解する。第五爻の陽気が生長して乾体を成すはすなわち「盈」。第四爻の陰気が侵消して坤に入るはすなわち「虚」。これすなわち「天地盈虚」。豊卦は既済に変じ、六爻各々その位を正にし、春夏秋冬四時の象すべて具わる。乾は神・人で、坤は鬼である。鬼神と人もまた陰陽の進退に随いて消長す。これまさに《繫辞》のいう「人謀鬼謀、百姓与能」で、人事と鬼神の事はみな時勢の消長に順って行うを得る。
《象》曰:雷電皆至,豐。荀爽曰:豐者,陰據不正,奪陽之位而行以豐。故“折獄致刑”,以討除之也。君子以折獄致刑。虞翻曰:君子謂三。噬嗑四失正,繫在坎獄中,故上之三。折四入大過,死象。故“以折獄致刑”。兌折為刑,賁三得正,胡無敢折獄也。
《大象伝》にいう。「雷と電がいっしょに至る、これすなわち豊」。荀爽の説明では、豊卦は陰爻が占むべからざる位置を占め、陽爻の尊位を奪いて自らその盛を行う。だから君子は「折獄致刑」し、刑獄をもってこの僭越を討伐清除する。経文に「君子以折獄致刑」という。虞翻はここの「君子」を九三とし、豊は噬嗑より変じて来り、噬嗑の九四は位を失い、坎体の牢獄の中に拘繫せられるから、上六が第三爻に下居する。この一変は第四爻を大過に折入れしめ、大過は死亡の象あるから「案を断じ刑を施す」という。兌は毀折であるがゆえに刑となる。しかして賁卦の九三は本よりすでに正を得て、断ずべき罪なし。だからこれに対し獄を折り罪を問うを敢えてする者なしという。
初九,遇其配主,虞翻曰:妃嬪,謂四也。四失位在震,為主;五動體姤遇,故“遇其配主”也。雖旬無咎,往有尚。虞翻曰:謂四失位,變成坤,應初。坤數十,四上之五,成離。離為日。《象》曰:雖旬無咎,過旬災也。虞翻曰:體大過,故“過旬災”。四上之五,坎為災也。
初九の爻辞に「遇其配主、雖旬无咎、往有尚」とある。虞翻は「配主」を妃嬪と解し、九四を指す。九四は位を失いて震体に処り、震は長子・主であるから「主」と称す。第五爻が一動すれば全卦は姤を成し、姤はすなわち相遇の卦であるから「己に相配する主人に遇う」という。「雖旬无咎」に至っては、九四は位を失い、変じて坤を成せば初九に相応じ得る。坤の数は十、「旬」はまさに十日。九四が上行して五に居れば離を成し、離は日で、十日はちょうど一旬となる。《小象伝》に「雖旬无咎、過旬災也」とある。虞翻は一たび大過の体を成せば「過旬」にして災ありとし、九四が上行して五に至れば坎象現れ、坎は災患であるから、十日を超過すれば災禍ありという。
六二:豐其蔀,日中見斗,往得疑疾。虞翻曰:日蔽雲中,稱蔀。蔀,小,謂四也。二利四之五,故“豐其蔀”。噬嗑離為見,象在上,為日中。艮為斗,斗七星也。噬嗑艮為星,為止,坎為北中,巽為高舞。星止於中而舞者,北斗多象也。離上之三,隱坎雲下,故“日中見斗”。四往之五,得正成坎,坎為疑疾,故“往得疑疾”也。
六二の爻辞に「豊其蔀、日中見斗、往得疑疾」とある。虞翻にいう。太陽が雲に遮蔽せらるるを「蔀」という。蔀は小・遮蓋の義あり、九四を指す。六二は九四の上行して五に居るに利あるから「豊其蔀」——遮蔽はかえって愈盛なり。豊は噬嗑より変じて来り、噬嗑の離は目・見にして、離象は上にあり、まさに中天に当たる。艮象は斗で、北斗はあわせて七星。噬嗑の艮はまた星・止、坎は北方の中に居り、巽は高・舞である。星辰は天中に止まりて回旋運転するは、まさに北斗諸象の写し。離は上位より下って第三爻に入り、太陽は便ち坎雲の下に隠没す。だから白昼かえって北斗を見る。九四が第五爻に往くは、正位を得るもまた坎体を成し、坎は疑惑・疾病であるから「往けば猜疑の疾を招く」という。
有孚發若,吉。虞翻曰:坎為孚,四發之五成坎孚,動而復合閏,故“有孚發若,吉”也。《象》曰:有孚發若,信以發志也。虞翻曰:四發之五,坎為志也。《九家易》曰:信著於五,然後乃可發其順志。
爻辞は続けて「有孚発若、吉」という。虞翻は坎を信実とし、故に「孚」と称す。九四が発動して上行して五に至り坎体を成すはすなわち有孚であり、その変動はまた暦法置閏の節度と相合す。だから「心中に誠信ありて能く外に啓発す、吉祥」。《小象伝》に「有孚発若、信以発志也」とある。虞翻の説明では、九四が発動して五に至り、坎は心志であるから、誠信をもって心志を啓発する。《九家易》はいう。誠信はまず九五の君に彰明されて後に、はじめて臣下の順従の志を啓発し得る。
九三:豐其沛,日中見沫,虞翻曰:日在雲下稱沛。沛,不明也。沫,小星也。噬嗑離為日,艮為沫。故“日中見沫”。上之三,日入坎雲下,故“見沫”也。《九家易》曰:大暗謂之沛。沫,斗杓後小星也。
九三の爻辞に「豊其沛、日中見沫」とある。虞翻にいう。太陽が雲層の下に落つるを「沛」といい、沛はすなわち晦暗不明。「沫」は小星である。豊は噬嗑より来り、噬嗑の離は日、艮は小星であるから白昼小星を見るの象あり。上六が第三爻に下居すれば太陽は便ち坎雲の下に沈む。これによって中午にも微茫の小星を見ることを得る。《九家易》が補う。極度に昏暗なるを「沛」という。「沫」は北斗斗柄の後のあの小星である。
折其右肱,無咎。虞翻曰:日在雲下稱沛。沛,不明也。沫,小星也。噬嗑離為日,艮為沫。故“日中見沫”。上之三,日入坎雲下,故“見沫”也。《九家易》曰:大暗謂之漬。沫,斗杓後小星也。
ここに「折其右肱、无咎」の一句を標出するも、その下に載せる虞翻と《九家易》の両条の注文は上の一条と全く同じで、伝本の重出に因る所致である。注文は実は「豊其沛、日中見沫」を解するために発せられた。虞翻はなおいう。日は雲下にありて「沛」と称し、沛はすなわち晦暗不明。「沫」は小星で、噬嗑の離は日・艮は小星。上六が三位に下居し、太陽は坎雲の下に沈むから白昼小星を見る。《九家易》はここに「大暗謂之漬」と作し、「漬」は当に「沛」の字の訛るべし。なお極暗を沛というを言う。「沫」は斗柄の後の小星である。
折其右肱,無咎。虞翻曰:兌為折,為右。噬嗑艮為肱。上來之三,折艮入兌,故“折其右肱”。之三得正,故“無咎”也。《象》曰:豐其沛,不可大事也。虞翻曰:利四之陰,故“不可大事”。折其右肱,終不可用也。虞翻曰:四死大過,故“終不可用”。
九三の爻辞はまた「折其右肱、无咎」という。虞翻の説明では、兌は毀折で、その位は西にあるがゆえにまた右となる。噬嗑の艮は手臂、すなわち「肱」である。上六が下りて第三爻に居り、艮体を折って兌体に納入するから「右臂を折れたり」という。しかして九三はこれによって各々その正位を得るから「過失なし」。《小象伝》に「豊其沛、不可大事也」とある。虞翻はこの時ただ九四の陰爻に変ずるに利あるのみとし、陰は小事を主るから、大きな挙動を為すべからずとす。《小象伝》はまた「折其右肱、終不可用也」という。虞翻は九四が大過に陥入りて死亡の象ありと指摘し、右臂すでに折るれば終に再用いるべからず。
九四,豐其蔀,虞翻曰:蔀,蔽也。噬嗑離日之坎雲中,故“豐其蔀”。《象》曰“位不當也”。日中見斗,虞翻曰:噬嗑日在上,為中。上之三為巽,巽為入。日入坎雲下,幽伏不明,故“日中見斗”。《象》曰“幽不明”,是其義也。
九四の爻辞に「豊其蔀、日中見斗」とある。虞翻にいう。「蔀」はすなわち遮蔽である。豊は噬嗑より変じて来り、噬嗑の離日は坎雲の中に陥没するから遮蔽は愈甚しいという。《小象伝》は「位不当也」と断ず——九四は陽をもって陰に居り、もとより位に当たらず。「日中見斗」に至っては、噬嗑の離日は上体にありてまさに中天に当たる。上六が第三爻に下居して巽を成し、巽は入で、太陽はここに坎雲の下に沈入し、幽暗にして隠伏し明らかならざるから白昼北斗を見る。《小象伝》に「幽不明也」というは、まさにこの意である。
遇其夷主,吉。虞翻曰:震為主。四行之正成明夷,則三體震,為夷主,故“遇其夷主,吉”也。按:四處上卦之下,以陽居陰,履非其位,而比於五故曰“遇”也。夷者,傷也。主者,五也。謂四不期相遇,而能上行傷五,則吉。故曰“遇其夷主,吉行也”。
爻辞はまた「遇其夷主、吉」という。虞翻は震を主とし、九四が変じて正を得れば明夷卦を成し、この時第三爻の処する所はまさに震体で、すなわちいわゆる「夷主」である。だから「明夷の主に遇う、吉祥」という。李鼎祚の按語は別に一解を出す。九四は上卦の最下爻に処り、陽爻をもって陰位に居り、踏む所は本位にあらざるも、九五に緊隣するから「遇」と名づく。「夷」は傷の意で、「主」は九五を指す。これは九四が預期せずして九五に遇い、しかして上行して九五を挫傷し得るをいい、これによって吉を得る。だから《小象伝》に「遇其夷主、吉行也」という。
《象》曰:豐其蔀,位不當也。日中見斗,幽不明也。虞翻曰:離上變入坎雲下,故“幽不明”。坎,幽也。遇其夷主,吉行也。虞翻曰:動體明夷。震為行,故曰“吉行”。六五:來章,有慶譽,吉。虞翻曰:在內稱來。章,顯也。慶謂五。陽出稱慶也。譽謂二,二多譽。五發得正,則來應二。故“來章,有慶譽,吉”也。《象》曰:六五之吉,有慶也。虞翻曰:動而成乾,乾為慶。
《小象伝》にいう。「豊其蔀、位不当也。日中見斗、幽不明也」。虞翻の説明では、離体は上行して坎雲の下に変入するから幽暗にして明らかならず。坎はもとより幽隠の象である。《小象伝》はまた「遇其夷主、吉行也」という。虞翻は九四が一動すれば明夷の体を成し、その中の震は行であるから「吉行」というとす。六五の爻辞に「来章、有慶誉、吉」とある。虞翻にいう。外卦より内卦に返帰するを「来」という。「章」は彰明顕著である。「慶」は九五を指し、陽爻が顕出すれば慶と称す。「誉」は六二を指し、《繫辞》に「二多誉」の説あり。六五が発動して正位を得れば、下って六二と相応じ得る。だから「文明の徳を招来し、福慶と美誉あり、吉祥」。《小象伝》に「六五之吉、有慶也」とある。虞翻は六五が一動すれば全卦は乾を成し、乾はすなわち福慶であると指摘す。
上六:豐其屋,蔀其家。虞翻曰:豐,大。蔀,小也。三至上,體大壯,屋象,故“豐其屋”。謂四五已變,上動成家人。大屋見則家人壞,故“蔀其家”。與泰二同義。故《象》曰:天際祥明,以大壯為屋象故也。
上六の爻辞に「豊其屋、蔀其家」とある。虞翻にいう。「豊」は大で、「蔀」は小である。第三爻より上爻に至るまで象を取って大壮とし、大壮は棟宇の象あるから「屋宇高大」という。四・五の両爻はすでに変じ、上六が再び動けば家人卦を成す。大屋一たび現わるれば家人の象はこれに随いて毀壊するから「家室はかえって遮蔽せらる」という。これは泰卦九二の取義と同じ。ゆえに《小象伝》に「天際祥也」というは、まさに大壮をもって屋宇の象として立説したるなり。
窺其戶,闃其無人。三歲不覿,凶。虞翻曰:謂從外窺三應。闃,空也。四動時坤為闔。戶,闔。故“窺其戶”。坤為空虛,三隱伏坎中,故“闃其無人”。《象》曰“自藏也”。四五易位,噬嗑離目,為窺。窺人者,言皆不見。坎為三歲,坎冥在上,離象不見。故“三歲不覿,凶”。
上六の爻辞は続けていう。「窺其戸、闃其无人。三歳不覿、凶」。虞翻の説明では、これは卦外より上六に相応ずる九三を窺看するをいう。「闃」は空寂である。第四爻が一動すれば坤象あり、坤は闔閉で、門戸はまさに闔じ得べき物であるから「その門戸を窺看す」という。坤はまた空虚で、九三は坎体の中に隠伏するから「寂静にして人影なし」。《小象伝》は「自蔵也」と断ず——己で蔵れたるなり。四・五の両爻は互いにその位を換え、噬嗑の離は目で、まさに窺看の象。しかるに窺看する者は何をも見ること能わず。坎の数は三であるがゆえに「三歳」。坎の幽暗は上に圧し、離明の象は隠没して見えざるから「三年とも人を見ること能わず、凶險」という。
干寶曰:在豐之家,居乾之位,乾為屋宇,故曰“豐其屋”。此蓋記紂之侈,造為璿室玉臺也。蔀其家者,以記紂多傾國之女也。社稷既亡,宮室虛曠,故曰“窺其戶,闃其無人”。闃,無人貌也。三者,天地人之數也。凡國於天地有興亡焉。故王者之亡其家也。必天示其祥,地出其妖,人反其常,非斯三者,亦弗之亡也。故曰“三歲不覿,凶”。然則璿室之成,三年而後亡國矣。
干宝は一貫して殷周の際の史事をもって《易》を解す。彼にいわく、上六は豊卦の中にあり、居る所はまた乾の位置で、乾は屋宇であるから「豊其屋」という。これはおそらく商の紂の奢侈、璿室玉台を営造したる事を記する。「蔀其家」というは、紂王の後宮に傾国の色多く、家道これによって蔽塞したるを記す。社稷亡びるに及んで宮室は空盪にして人なし。だから「窺其戸、闃其无人」という。「闃」はすなわち空にして一人もなきの貌である。「三」は天・地・人の数目である。およそ天地の間に立国する者は、興あり亡あり。だから帝王のその家国を亡ぼすは、必ず上天が凶兆を降示し、大地に妖異が現われ、人心が常道に背離する。もしこの三者同時に現わるるにあらざれば、亡国に至らざるなり。ゆえに「三歳不覿、凶」という。これを以て観れば、璿室が建成したる後、三年にして商朝はすなわち滅亡したり。
案:上應於三,三互離,巽為戶,離為目,目而近戶,窺之象也。既屋豐家蔀,若窺地戶,闃寂無人。震木,數三,故三歲致凶於災。《象》曰:豐其屋,天際祥也。孟喜曰:天降下惡祥也。窺其戶,闃其無人,自藏也。虞翻曰:謂三隱伏坎中,故“自藏”者也。
李鼎祚の按語にいう。上六は九三と相応じ、九三の在る所の互体は離で、巽は門戸、離は眼目である。眼目が門戸に貼近するはまさに窺看の象。屋宇すでに高大にして家室はかえって遮蔽せられれば、たとえば地戸を窺看するに、ただ空寂にして人なきを見るのみ。震は五行において木に属し、その数は三であるから、三年の後凶災を招く。《小象伝》に「豊其屋、天際祥也」とある。孟喜は「祥」を凶兆と解し、これは上天の降したる悪兆をいうとす。《小象伝》はまた「窺其戸、闃其无人、自蔵也」という。虞翻は九三が坎体の中に隠伏するから、己で蔵匿したるというとす。
旅卦
《序卦》曰:窮大者必失其居,故受之以旅。崔覲曰:諺云:作者不居,況窮大甚,而能久處乎?故必獲罪去邦,羈旅於外矣。(艮下離上)。旅:小亨,旅貞吉。虞翻曰:賁初之四,否三之五,非乾坤往來也。與噬嗑之豐同義。小,謂柔得貴位而順剛。麗乎大明。故“旅小亨,旅貞吉”。再言旅者,謂四凶惡,進退無恆,無所容處。故再言旅,惡而愍之。
《序卦伝》にいう。「盛大を極処に推す者は必ずその居所を失う、故に豊卦の後に接ぐるは旅卦」。崔覲は俗諺を引いて説明する。諺にいう「宮室を営造する者は自ら久しく住まざる」、いわんや盛大を極処に推すをや、いずくんぞ久しくその位に安んぜんや。だから必ず罪を獲て国を去り、羇旅して外にあり。旅卦は下艮上離である。卦辞にいう「小亨、旅貞吉」。虞翻は卦変をもって立説する。旅は賁卦の初爻が上行して第四爻に至り、否卦の第三爻が上行して第五爻に至りて来る。乾坤の両卦が直接往来して相変ずるにあらず、これは噬嗑が豊卦に変ずると路数同じ。「小」は柔爻が尊貴の位を得て剛爻に順従し、また離の大明に附麗するを指す。だから「小さく亨通し、行旅は正を守れば吉」。卦辞は両度「旅」を言う。九四が凶險乖戻にして進退常なく、身を容るる所なきがゆえに、重ねて「旅」の字を言う。これを悪み、またこれを哀憫するなり。
《彖》曰:旅小亨。姚信曰:此本否卦。三五交易,去其本體,故曰客旅。荀爽曰:謂陰升居五,與陽通者也。柔得中乎外,而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨旅貞吉也。蜀才曰:否三升五,柔得中於外,上順於剛。九五降三,降不失正,止而麗乎明。所以“小亨旅貞吉”也。
《彖伝》に「旅小亨」とある。姚信は旅卦がもと否卦より来るとす。否の第三爻と第五爻が交換し、各々本来の位置を離れたるがゆえに「客旅」と名づく。荀爽はその「乾升坤降」の説によって説明する。これは陰爻が上升して第五爻の位に居り、陽爻と相通ずるを得るがゆえに亨し得る。《彖伝》は続けていう。「柔得中乎外、而順乎剛、止而麗乎明、是以小亨旅貞吉也」。蜀才が申す。否卦の第三爻が五位に上升すれば、柔爻は便ち外卦において中を得、上に剛爻に順承す。もとの九五は三位に下降し、下降すれどもその正を失わず。下体の艮は止、上体の離は明にして、安止して光明に附麗す。だから「小亨、旅貞吉」という。
旅之時義大矣哉。虞翻曰:以離日麗天,縣象著明,莫大日月,故義大也。王弼曰:旅者,物失其所居之時也。物失所居,則咸願有附,豈非智者有為之時?故曰“旅之時義大矣哉”。
《彖伝》は讃嘆していう。「旅卦の含む所の時勢と意義は太きなり」。虞翻は卦象より言う。離日は天に附麗し、高くその象を懸けて光明を昭著にす。《繫辞》に「懸象著明、莫大乎日月」というあるから、その義を大とす。王弼は義理より言う。いわゆる「旅」は、まさに万物が安居の所を失うの時である。万物が居所を失えば、みな依附する所有るを願う。これあに智慧ある人の作為すべき時機にあらざらんや。だから「旅之時義大矣哉」という。
《象》曰:山上有火,旅。侯果曰:火在山上,勢非長久,旅之象也。君子以明慎用刑,而不留獄。虞翻曰:君子謂三。離為明,艮為慎,兌為刑,坎為獄。賁初之四,獄象不見。故“以明慎用刑,而不留獄”。與豐折獄同義者也。
《大象伝》にいう。「山上に火あり、これすなわち旅」。侯果の説明では、火は山上に焼き、その勢いは長久し能わず、まさに行旅無常の景象である。経文は続けて「君子以明慎用刑、而不留獄」という。虞翻はここの「君子」を九三とす。離は光明、艮は謹慎、兌は刑罰、坎は牢獄である。旅は賁卦の初爻が上行して第四爻に至りて成り、一変の後、坎獄の象は便ち見えざる。だから「明察謹慎にして刑を用い、案獄を滞留積圧せしめず」という。これは豊卦《大象》のいう「折獄致刑」と取義同じ。
初六:旅瑣瑣,斯其所取災。陸績曰:瑣瑣,小也。艮為小石。故曰“旅瑣瑣也”。履非其正,應離之始。離為火,艮為山,以應火,災焚自取也。故曰:“斯其所取災”也。《象》曰:旅瑣瑣,志窮災也。虞翻曰:瑣瑣,最蔽之貌也。失位遠應,之正介坎。坎為災眚,艮手為取,謂三動應坎。坎為志,坤稱窮,故曰“志窮災也”。
初六の爻辞に「旅瑣瑣、斯其所取災」とある。陸績の説明では、「瑣瑣」は瑣碎卑小の貌で、艮は小石であるから「行旅にして猥瑣卑小」という。初六は陰をもって陽に居り、踏む所は正位にあらず、また上に離体の始に応ず。離は火、艮は山で、山をもって火に応ずれば焚焼の災は自ら招来する。だから「これそれの自ら取る災禍なり」という。《小象伝》に「旅瑣瑣、志窮災也」とある。虞翻は「瑣瑣」を極めて猥蔽の貌と解す。初六は位を失して応ずる所甚だ遠く、変じて正を得るもまた坎中に夾処す。坎は災眚、艮は手にして取執の義あり、九三が一動すれば坎と相応ずるをいう。坎はまた心志で、坤は窮困と称すから「心志は困窮して災を招く」という。
六二:旅即次,懷其資,得僮僕貞。《九家易》曰:即,就。次,舍。資,財也。以陰居二,即就其舍,故“旅即次”。承陽有實,故“懷其資”。故曰“旅即次,懷其資”也。初者卑賤,二得履之,故“得僮僕”。處和得位,故正居是,故曰“得僮僕貞”矣。
六二の爻辞に「旅即次、懐其資、得僮僕貞」とある。《九家易》の訓釈では、「即」は就・走近し、「次」は旅舎、「資」は銭財である。六二は陰爻をもって第二位に居り、その居るべき舘舎に走近るから「行旅は旅舎に住み込めり」という。それは上に陽爻に承りて中実に物あるから「盤纏を懐く」という。あわせて「旅即次、懐其資」となる。初六は位卑くして賎しく、六二はその上に居りて踏乗し得るから「童僕を得たり」という。六二は中和の地に処りまた正位を得、安くここに居してその正を失わざるから「得たる童僕は忠貞にして頼もし」という。
《象》曰:得僮僕貞,終無尤也。虞翻曰:艮為僮僕,得正承三,故“得僮僕貞,而終無尤也”。案:六二履正體艮,艮為閽寺,僮僕貞之象也。九三:旅焚其次,喪其僮僕,貞厲。虞翻曰:離為火,艮為僮僕。三動艮壞,故“焚其次”。坤為喪,三動艮滅入坤,故“喪其僮僕”。動而失正,故“貞厲”矣。
《小象伝》に「得僮僕貞、終无尤也」とある。虞翻の説明では、艮は少男であるがゆえに象を取って童僕とす。六二は正を得て上に九三に承るから、忠貞の童僕を得たりといい、終に過失なし。李鼎祚の按語が補う。六二の踏む所は正位で、本身は艮体の中に処り、艮はまた門を守る閽寺の人である。まさに童僕忠貞の取象である。九三の爻辞に「旅焚其次、喪其僮僕、貞厲」とある。虞翻にいう。離は火、艮は童僕である。九三が一動すれば艮体は便ち毀壊するから「旅舎焚かれり」。坤は喪亡で、九三が一動すれば艮象は滅没して坤に入るから「童僕を失いぬ」。この一動はまた九三にその正位を失わしむるから「固守すれば危険あり」という。
《象》曰:旅焚其次,亦以傷矣。虞翻曰:三動體剝,故傷也。以旅與下,其義喪也。虞翻曰:三變成坤。坤為下,為喪,故“其義喪也”。九四:旅于處,得其資斧,我心不快。虞翻曰:巽為處。四焚棄,惡人失位遠應。故“旅于處”,言無所從也。離為資斧,故“得其資斧”。三動,四坎為心,其位未至,故“我心不快”也。
《小象伝》に「旅焚其次、亦以傷矣」とある。虞翻の説明では、九三が一動すれば全卦は剥を成し、剥は剥落損傷の義あるから「亦た以て傷つきぬ」という。《小象伝》はまた「以旅与下、其義喪也」という。虞翻にいう。九三が一変すれば坤を成し、坤は下・喪亡であるから、義理に照らして必ず童僕を失う。九四の爻辞に「旅于処、得其資斧、我心不快」とある。虞翻にいう。巽は処所である。九四は焚棄せられたる悪人にして、位を失して応ずる所また遠し。だから「行旅はただ暫く一処に寓るを得るのみ」といい、その意は帰従する所なし。離は資財・斧斤であるから「盤纏と利斧を得たり」という。九三が一動すれば第四爻は坎中に処り、坎は心で、しかして九四の居する位は未だ尊位に至らざるから「我が心は快からず」という。
《象》曰:旅于處,未得位也。得其資斧,心未快也。王弼曰:斧,所以斫除荊棘,以安其舍者也。雖處上體之下,不先於物;然而不得其位,不獲平坦之地者也。客子所處不得其次,而得其資斧之地,故其“心不快”。案:九四失位,而居艮上。艮為山。山非平坦之地也。四體兌巽。巽為木,兌為金,木貫於金,即資斧斫除荊棘之象者也。
《小象伝》にいう。「旅于処、未得位也。得其資斧、心未快也」。王弼の説明では、斧頭は荆棘を砍除してもって住処を安頓するに用いる。九四は上体の最下爻に処るも、他人の前頭を搶わざれども、終に応有の位置を得ず、また一塊の平坦の地をも見出さず。旅客の処する所は正式の舘舎にあらず、ただ一塊の斧斤をもって開闢せざるべき荒地を得るのみ。だから「心は快からず」。李鼎祚の按語は卦象より補証す。九四は位を失して艮体の上に居り、艮は山で、山は平坦の地にあらず。九四はまた兌・巽の両体の間に処り、巽は木、兌は金で、木柄は金刃に貫入す。まさに利斧を持して荆棘を砍除するの取象である。
六五:射雉,一矢亡,虞翻曰:三變坎為弓,離為矢,故“射雉”。五變乾體,矢動雉飛,故“一矢亡”矣。終以譽命。虞翻曰:譽謂二。巽為命。五終變成乾,則二來應已,故“終以譽命”。《象》曰:終以譽命,上逮也。虞翻曰:逮,及也。謂二上及也。
六五の爻辞に「射雉、一矢亡」とある。虞翻にいう。九三が一変して坎を成し、坎は弓、離は箭、離はまた雉であるから「雉を射る」の象あり。六五が一変すれば乾体を成し、箭はすでに弦を離れて雉は飛去るから「一矢を射失しぬ」という。爻辞は続けて「終以誉命」という。虞翻にいう。「誉」は六二を指し、巽は号令・爵命である。六五は終に変じて乾を成し、六二は便ち上ってこれと相応ずるから「終に美誉と爵命を獲得す」という。《小象伝》に「終以誉命、上逮也」とある。虞翻は「逮」を及と訓し、六二が下より上に追い及んで六五に至るをいう。
干寶曰:離為雉,為矢;巽為木,為進退;艮為手,兌為決。有木在手,進退其體,矢決於外,射之象也。一陰升乾,故曰“一矢”。履非基位,下又無應。雖復射雉,終亦失之。故曰“一矢亡也”。一矢亡者,喻有損而小也。此記祿父為王者後,雖小叛擾,終逮安周室,故曰“終以譽命”矣。
干宝はまず卦象を言い、後に史事を繫ぐ。離は雉・箭矢、巽は木・進退、艮は手、兌は決断である。手中に木杆を握り、身体は一進一退し、箭矢は外に向かい決然として射出さる。これすなわち射猟の象である。一つの陰爻が上升して乾体に入るから「一矢」という。六五の踏む所は本位にあらず、下にまた正応なし。雉を射中うるも、終に失うべし。だから「一矢亡」という。「一矢亡」は喩えて、損失あるも損失大ならざるをいう。干宝はこの爻が武庚禄父の殷王に封ぜられし後を記し、不大の叛乱騒擾を発動せしも、終になお安定して周室に帰したるをいうとす。だから「終以誉命」。
上九:鳥焚其巢,旅人先笑後號咷,虞翻曰:離為鳥,為火;巽為木,為高。四失位變震,為筐,巢之象也。今巢象不見,故“鳥焚其巢”。震為笑,震在前,故“先笑”。應在巽,巽為號咷,巽象在後。故“後號咷”。
上九の爻辞に「鳥焚其巢、旅人先笑後号咷」とある。虞翻にいう。離は鳥・火、巽は木・高である。九四が位を失して変ずれば震を成し、震は竹筐で、まさに鳥巢の象である。いま巢象はすでに見えざるから「鳥児の巢は焼かれてしまいぬ」という。震はまた笑で、震象は前にあるから「先笑」。上九の応ずる所は巽にあり、巽は号啕で、巽象は後にあるから「後号咷」——まず歓笑し、続いて声を放ちて大哭す。
喪牛于易,凶。虞翻曰:謂三動時坤為牛。五動成乾,乾為易。上失三,五動應二。故“喪牛于易”。失位無應故“凶也”。五動成遁,六二:“執之用黃牛之革,”則旅家所喪牛也。
爻辞は続けて「喪牛于易、凶」という。虞翻の説明では、九三が一動すれば坤象あり、坤は牛である。六五が一動して乾を成し、乾は平易である(「易」は一説にすなわち田畔疆埸)。上九は九三との相応を失い、六五は動いて下に六二に応ずるから「平易の処にて牛を喪えり」という。上九は位を失しまた応なきがゆえに凶險。六五が一動すれば全卦は遯を成し、遯卦の六二に「執之用黄牛之革」とある。あの頭の牛はまさに旅卦ここに喪失したる所の牛である。
《象》曰:以旅在上,其義焚也。虞翻曰:離火焚巢,故“其義焚也”。喪牛于易,終莫之聞也。虞翻曰:坎耳入兌,故“終莫之聞”。侯果曰:離為鳥,為火。巽為木,為風。鳥居木上,巢之象也。旅而贍資,物之所惡也。喪牛甚易,求之也難。雖有智者,莫不吉也。
《小象伝》に「以旅在上、其義焚也」とある。虞翻の説明では、離火は鳥巢を焚焼するから、義理に照らして必ず焚毀せらる。《小象伝》はまた「喪牛于易、終莫之聞也」という。虞翻にいう。坎は耳で、坎は兌に入りて毀折せらるるがゆえに「終始牛の下落を聞くこと能わず」。侯果は通じてこの爻を論ず。離は鳥・火、巽は木・風で、鳥は樹木の上に栖むはまさに巢の形象。羇旅して外にありて豊厚の資財を携帯するは、もとより人の忌恨を招く事なり。牛は丟失するは極めて易く、找回来すは極めて難し。この境地に処るれば、智慧ある者といえども、吉を得るは難し。
巽卦
《序卦》曰:旅無所容,故受之以巽。巽者,入也。崔覲曰:旅寄於外,而無所容,則必入矣。故曰:“旅無所容,受之以巽。”(巽下巽上)。巽:小亨,利有攸往,利見大人。虞翻曰:遁二之四,柔得位而順五剛,故“小亨”也。大人謂五。離目為見。二失位,利正往應五。故“利有攸往,利見大人”矣。
《序卦伝》にいう。「行旅して外にありて身を容るる所なし、故に旅卦の後に接ぐるは巽卦。巽は進入の意」。崔覲の説明では、客居して外にありて身を容るる所なければ、必ず法を設けて投入依附せざるべからず。だから「旅无所容、受之以巽」という。巽卦は上下ともに巽である。卦辞にいう「小亨、利有攸往、利見大人」。虞翻は卦変をもって立説する。巽は遯卦の第二爻が上行して第四爻に至りて来る。柔爻すでにその位を得て九五の剛に順承するから「小さく亨通す」。「大人」は九五を指す。離は目であるがゆえに見となる。九二は位を失い、変じて正を得て往きて五に応ずるに利あるから「往く所有るに利あり、大人を見るに利あり」という。
《彖》曰:重巽以申命,陸績曰:巽為命令。重命令者,欲丁寧也。剛巽乎中正而志行,陸績曰:二得中,五得正,體兩巽,故曰“剛巽乎中正”也。皆據陰,故“志行”也。虞翻曰:剛中正,謂五也。二失位,動成坎,坎為志。終變成震,震為行也。柔皆順乎剛,是以小亨。陸績曰:陰為卦主,故“小亨”。利有攸往,利見大人。案:其義已見繇辭。
《彖伝》に「重巽以申命」とある。陸績の説明では、巽は命令で、両巽相重なりて命令を反復申説す。これは叮咛周到せんと欲するなり。《彖伝》に「剛巽乎中正而志行」とある。陸績は九二が中を得、九五が正を得、全卦また二つの巽体相畳なるがゆえに剛爻は中正に巽順し得るとす。二つの剛爻はまたみな陰爻に乗据するから心志は行わる。虞翻はいう。「剛中正」はもっぱら九五を指す。九二は位を失い、一動して坎を成し、坎は心志で、終に変じて震を成し、震は行であるから「志行」という。《彖伝》はまた「柔皆順乎剛、是以小亨」という。陸績は陰爻は一卦の主にして、陰は小を主るからただ小さく亨通するのみと指摘す。卦辞の「利有攸往、利見大人」に至っては、李鼎祚の按語にいう。その義はすでに前に卦辞を解する時言い尽くした。
《象》曰:隨風,巽。君子以申命行事。虞翻曰:君子,謂遁乾也。巽為命,重象,故“申命”。變至三,坤為事,震為行,故“行事”也。荀爽曰:巽為號令,兩巽相隨,故“申命”也。法教百端,令行為上,貴其必從,故曰“行事”也。
《大象伝》にいう。「風と風が相随う、これすなわち巽。君子はこれによって領悟して政令を反復申明し政事を推行すべし」。虞翻にいう。「君子」は遯卦中の乾を指す。巽は命令で、両巽は重畳して象を成すから「申命」である。爻が変じて第三爻に至れば坤あり、坤は事、震は行であるから「行事」という。荀爽の説明では、巽は号令で、二つの巽体は前後相随うから「申命」という。法度教令は頭緒繁多なるも、その中において命令の貫徹執行し得るをもって最も緊要と為す。貴ぶ所は必ず遵従を得るにあり、だから「行事」という。
初六:進退,利武人之貞。虞翻曰:巽為進退。乾為武人。初失位,利之正為乾,故“利武人之貞”矣。《象》曰:進退,志疑也。荀爽曰:風性動,進退欲承五,為二所據,故志以疑也。利武人之貞,志治也。虞翻曰:動而成乾,乾為大明,故“志治”。乾元用九,天下治,是其義也。
初六の爻辞に「進退、利武人之貞」とある。虞翻にいう。巽は本身すなわち進退不定の象あり、乾は威武の人である。初六は位を失い、変じて正を得て乾体を成すに利あるから「武人のごとく正を守るに利あり」という。《小象伝》に「進退、志疑也」とある。荀爽の説明では、風の性情は動を好み、初六は進退して定まらず、もと上に九五に承らんと欲すれども、九二に占拠せらるるがゆえに心志猶疑す。《小象伝》はまた「利武人之貞、志治也」という。虞翻は指摘す。初六が一動して乾を成し、乾は大明であるから心志は整治を得る。《乾卦》「用九」に「天下治也」と称するは、まさにこの意である。
九二:巽在床下,宋衷曰:巽為木。二陽在上,初陰在下,慶之象也。二無應於上,退而據初,心在於下,故曰“巽在床下也”。荀爽曰:床下,以喻近也。二者,軍帥。三者,號令。故言“床下”。以明將之所專,不過軍中事也。
九二の爻辞に「巽在床下」とある。宋衷の説明では、巽は木で、九二・九三の両陽爻は上にありて床板のごとく、初六の一陰は下にありて床下の虚のごとし。まさに床榻の象である(文中の「慶」の字は当に「床」の字の訛るべし)。九二は上に正応なく、已むを得ず退きて初六を占拠し、心思は下方に落つ。だから「謙伏して床下にあり」という。荀爽は軍事より立説す。「床下」はもって親近の地を喩えるに用いる。九二は兵を統べる将帥で、九三は号令を発布する位であるから「床下」という。もって将帥の専断し得る所は、軍中の事のみなるを表明す。
用史巫紛若,吉,無咎。荀爽曰:史以書勳,巫以告廟。紛,變。若,順也。謂二以陽應陽,君所不臣,軍師之象。征伐既畢,書勳告廟。當變而且順五則吉。故曰“用史巫紛若,吉無咎”矣。《象》曰:紛若之吉,得中也。荀爽曰:謂二以處中和,故能變。
爻辞は続けて「用史巫紛若、吉、无咎」という。荀爽の説明では、史官は功勲を記録するを負い、巫祝は宗廟に祭告するを負う。「紛」は変で、「若」は順である。九二は陽爻をもって上に九五の陽に応ずるは、君主が常臣をもって相待たざる重臣で、まさに軍を統べる将帥の形象である。征伐が結束したる後、史官に功勲を書写せしめ、巫祝に宗廟に祭告せしむ。九二は当に変じて九五に柔順すべく、すなわち吉を得る。だから「史官と巫祝を任用し、変じて順従す、吉祥、過失なし」という。《小象伝》に「紛若之吉、得中也」とある。荀爽は九二が中に居りて事に処して中和なるがゆえに変通し得ると指摘す。
九三:頻巽,吝。虞翻曰:頻,頞也。謂二已變。三體坎艮,坎為憂,艮為鼻,故“頻巽”。無應在險,故“吝”也。《象》曰:頻巽之吝,志窮也。荀爽曰:乘陽無據,為陰所乘,號令不行,故“志窮也”。
九三の爻辞に「頻巽、吝」とある。虞翻は「頻」を「頞」と訓し、すなわち眉を蹙め鼻を皺す。これは九二がすでに変じ、九三が便ち坎・艮の体の中に処るをいう。坎は憂愁、艮は鼻で、憂が色に形なりて鼻を蹙むから「頻巽」と名づく——愁眉苦臉して勉めて卑順す。九三は正応なくしてまた身は険中に陥るがゆえに憾惜あり。《小象伝》に「頻巽之吝、志窮也」とある。荀爽は別に一解を作す。九三は陽爻に凌乗して自身倚据する所なく、上はまた陰爻に乗ぜられ、号令は行き出でざる。だから心志困窮すという。
六四:悔亡,田獲三品。虞翻曰:田,謂二也。地中稱田,失位無應,悔也。欲二之初,已得應之,故“悔亡”。二動得正,處中應五。五多功,故《象》曰“有功也”。二動艮為手,故稱“獲”。謂艮為狼,坎為豕。艮二之初,離為雉。故“獲三品”矣。翟元曰:田獲三品,下三爻也:謂初巽為雞;二兌為羊,三離為雉也。
六四の爻辞に「悔亡、田獲三品」とある。虞翻にいう。「田」は九二を指し、地中の処を田と称す。六四は位を失しまた正応なきがゆえに、本応悔あるべし。それは九二の初位に下行せんことを望み、己れすなわちこれと相応じ得るから「悔恨は亡ぶ」。九二が一動すれば正を得、中に居りて上に九五に応ず。《繫辞》に「五多功」の説あるから《小象伝》は「有功也」と断ず。九二が一動して艮を成し、艮は手であるから「獲」と称す。艮は狼、坎は豕、艮の第二爻が初位に下行すれば離を成し、離は雉であるから「三類の獲物を猟獲す」という。翟元は別に一説あり。「田獲三品」は下の三爻について象を取る——初爻の巽は鶏、第二爻の兌は羊、第三爻の離は雉である。
案:《穀梁傳》曰春獵曰田,夏曰苗,秋曰蓃,冬曰狩。田獲三品:一為乾豆;二為賓客;三為充君之庖。注云:上殺中心,乾之為豆實;次殺中髀骼,以供賓客;下殺中腹;充君之庖廚。尊神敬客之義也。《象》曰:田獲三品,有功也。王弼曰:得位承五而依尊履正。以斯行命,必能獲強暴,遠不仁者也。獲而有益,莫若三品,故曰“有功也”。
李鼎祚の按語は礼制を引いて説とす。《穀梁伝》にいう。春に猟するを「田」といい、夏を「苗」といい、秋を「蓃」といい、冬を「狩」という。いわゆる「田獲三品」は、第一等は乾肉を製してもって祭祀の豆実に充て、第二等は賓客に供給し、第三等は君主の厨房を充実す。旧注にいう。心臓に射中するを上等と算し、風乾して籩豆に盛て祭祀に用いる。大腿骨節に射中するを次等と算し、もって賓客を款待す。腹部に射中するを下等と算し、君主の庖厨を充実す。これは神明を尊崇し賓客を敬重する意である。《小象伝》に「田獲三品、有功也」とある。王弼の説明では、六四は位を得て上に九五に承り、尊者に依託して履む所は正を得、かかる身分をもって政令を推行すれば、必ず能く強暴を擒獲し不仁の人を疎遠す。猟獲ありて人に益あるは、三品より良きはなし。だから「有功」という。
九五:貞吉,悔亡,無不利,無初有終。虞翻曰:得位處中,故“貞吉,悔亡,無不利”也。震巽相薄,雷風無形,當變之震矣。巽究為躁卦,故“無初有終”也。
九五の爻辞に「貞吉、悔亡、无不利、无初有終」とある。虞翻の説明では、九五はすでに陽位を得また上卦の中に居るから「正を守りて吉を得、悔恨亡び、利あらざる所なし」という。震と巽の両気は相迫り、雷と風はともに無形の物である。巽は終に震に変ずべし。《説卦》に巽は推究して極処に至れば躁動の卦を成すといい、すなわち震である。だから「初めは成す所なくして結局成あり」という。
先庚三日,後庚三日,吉。虞翻曰:震,庚也。謂變初至二成離,至三成震,震主庚。離為日,震三爻在前,故“先庚三日”。謂益時也。動四至五成離,終上成震,震三爻在後,故“後庚三日”也。巽初失正,終變成震,得位,故“無初有終”,“吉”。震究為蕃鮮白,謂巽也。巽究為躁卦。躁卦,謂震也。與蠱“先甲三日,後甲三日”同義。五動成蠱,乾成於甲,震成於庚,陰陽天地之始終,故經舉甲庚於《蠱·彖》、《巽五》也。
爻辞は続けて「先庚三日、後庚三日、吉」という。虞翻は納甲の法をもって解説す。震は天干において庚に配す。初爻より第二爻に変じて離を成し、第三爻に変じて震を成し、震は庚を主る。離は日、震は三爻ありて前にあるから「庚日の前の三日」という。この時卦体は益なり。さらに第四爻より第五爻に動きて離を成し、終に上爻に至って震を成し、震の三爻は後にあるから「庚日の後の三日」という。巽卦の初爻はもとその正を失うも、終に変じて震を成せば各々その位を得る。だから「初めは順ならずして終に成就を得、吉祥」。《説卦》に震は推究して極処に至れば「蕃鮮」となるというも、実は巽を指す。巽は推究して極処に至れば「躁卦」となるも、実は震を指す。二者は互いに終始を為す。これは蛊卦の卦辞「先甲三日、後甲三日」と取義同じ。九五が一動すれば蛊卦を成し、乾は納甲において甲に成り、震は庚に成る。甲と庚はまさに陰陽天地の起点と終点であるから、経文はことさらに《蛊卦・彖辞》と《巽卦》九五の両処において甲・庚を挙出す。
《象》曰:九五之吉,位正中也。虞翻曰:居中得正,故“吉”矣。上九:巽在床下,虞翻曰:床下,謂初也。窮上反下成震,故“巽在床下”。《象》曰:“上窮也”。明當變窮上而復初也。《九家易》曰:上為宗廟。禮封賞出軍,皆先告廟,然後受行。三軍之命,將之所專。故曰“巽在床下”也。
《小象伝》に「九五之吉、位正中也」とある。虞翻の説明では、九五は上卦の中に居りまたその正位を得るから吉祥。上九の爻辞に「巽在床下」とある。虞翻にいう。「床下」は初六を指す。上九は上に窮極すれば返帰して下に至り震を成すから「謙伏して床下にあり」という。《小象伝》に「上窮也」とあるは、まさにそれが上に窮極したる後、初位に回復すべきを表明す。《九家易》は礼制より立説す。上爻は宗廟の位である。礼に按ずれば、爵を封じ賞を行い、兵を出して征伐するは、みな先ず宗廟に祭告して後に、はじめて命を領して行う。しかして三軍の号令は将帥の専断し得る所であるから「巽在床下」という。
喪其齊斧,貞凶。虞翻曰:變至三時,離毀入坤。坤為喪,巽為齊,離為斧,故“喪其齊斧”。三變失位故“貞凶”。荀爽曰:軍罷師旋,亦告於廟,還斧於君,故“喪齊斧”。正如其故,不執臣節,則凶。故曰“喪其齊斧,貞凶”。《象》曰:巽在床下,上窮也。虞翻曰:陽窮上反下,故曰“上窮也”。喪其齊斧,正乎凶也。虞翻曰:上應於三,三動失正,故曰“正乎凶也”。
爻辞は続けて「喪其斉斧、貞凶」という。虞翻は卦象より言う。爻が変じて第三爻に至る時、離体は毀壊して坤に入り、坤は喪失、巽は斉整、離は斧であるから「あの斉整の利斧を丟えり」という。第三爻が一変すればその正位を失うから固守すれば凶。荀爽は軍礼より言う。軍隊は戦を罷めて班師するも、また宗廟に祭告し、征伐の権を象徴する斧鉞を君主に交還す。だから「斉斧を喪う」という。もし依旧として原様を保持して交還せず、臣子の節度を守らざれば凶禍あり。だから「喪其斉斧、貞凶」という。《小象伝》に「巽在床下、上窮也」とある。虞翻の説明では、陽爻は上に窮極すれば返帰して下に至るから「上窮」という。《小象伝》はまた「喪其斉斧、正乎凶也」という。虞翻は上九が下に九三に応じ、九三が一動すれば正位を失うと指摘す。だからたとい己は正を得たと自ら以為するも、結果はなお凶なり。
兌卦
《序卦》曰:入而後說之,故受之以兌。兌者,說也。崔覲曰:巽以申命行事,入於刑者也。入刑而後說之,所謂人忘其勞死也。(兌下兌上)。兌:亨,利貞。虞翻曰:大壯五之三也。剛中而柔外,二失正,動應五承三,故“亨利貞”也。《彖》曰:兌,說也。虞翻曰:兌口,故說也。
《序卦伝》にいう。「進入する所有りて後に人を欣悦せしむ、故に巽卦の後に接ぐるは兌卦。兌はすなわち欣悦」。崔覲の説明では、巽卦は政令を申明し政事を推行することを言う。あれは人を法度刑罰の中に納入するなり。刑法に納入したる後にまたこれを心から悦服せしむるは、すなわち下文《彖伝》のいう百姓がその労苦を忘れその死亡を忘るるなり。兌卦は上下ともに兌である。卦辞にいう「亨、利貞」。虞翻は卦変をもって立説する。兌は大壮の第五爻が下行して第三爻に至りて来る。剛爻は中に居りて柔爻は外にあり。九二は位を失い、変動の後すでに上に九五に応じまた六三に承接するから「亨通し、正を守るに利あり」という。《彖伝》に「兌、説也」とある。虞翻は兌を口とし、言語をもって相い悦ばしむるがゆえに欣悦であると指摘す。
剛中而柔外,說以利貞,虞翻曰:剛中謂二五,柔外謂三上也。二、三、四利之正,故“說以利貞”也。是以順乎天而應乎人。虞翻曰:大壯乾為天,謂五也。人謂三矣。二變順五承三,故“順乎天應乎人”。坤為順也。
《彖伝》に「剛中而柔外、説以利貞」とある。虞翻の説明では、「剛中」は九二と九五を指し、「柔外」は六三と上六を指す。第二・三・四の爻はみな変じて正を得るに利あるから「欣悦して正を守るに利あり」という。《彖伝》は続けて「是以順乎天而応乎人」という。虞翻にいう。大壮卦中の乾は天で、ここでは九五を指す。「人」は六三を指す。九二が一変すれば九五に順従し六三に承接するから「上は天道に順い下は人心に応ず」という。変後坤あり、坤の徳性はまさに柔順である。
說以先民,民忘其勞;虞翻曰:謂二、四已變成屯。坎為勞,震喜,兌說,坤為民,坎為心,民心喜說,有順比象,故“忘其勞”也。說以犯難,民忘其死,虞翻曰:體屯,故“難”也。三至上,體大過死。變成屯,民說無疆。故“民忘其死”。坎心為忘,或以坤為死也。
《彖伝》に「説以先民、民忘其労」とある。虞翻の説明では、これは第二・第四の両爻がすでに変じて屯卦を成すをいう。坎は労苦、震は喜、兌は悦、坤は民衆、坎はまた心である。民心は歓喜悦服し、卦中に順従親比の象あるから「その労苦を忘る」。《彖伝》はまた「説以犯難、民忘其死」という。虞翻にいう。卦体は屯を成し、屯はすなわち艱難であるから「難」と称す。第三爻より上爻に至るまで象を取って大過とし、大過は死亡の義あり。変じて屯を成したる後、民衆の欣悦は止境なきがゆえに「その死を忘る」。坎は心であるがゆえに忘懐の義あり。もう一説は坤をもって死とす。
說之大民勸矣哉。虞翻曰:體比順象,故勞而不怨。震為喜笑,故人勸也。《象》曰:麗澤,兌,君子以朋友講習。虞翻曰:君子,大壯乾也。陽息見兌,學以聚之,問以辯之。兌二陽同類為朋,伏艮為友,坎為習,震為講,兌兩口對,故“朋友講習”也。
《彖伝》は末に讃嘆していう。「欣悦の道はかくのごとく大きく、百姓はこれによって互いに勧勉するかな」。虞翻の説明では、卦中に比卦順従の象あるから民衆は労苦するも怨まず。震は喜笑であるから人人みな激励を受く。《大象伝》にいう。「二沢相連ねて並び潤う、これすなわち兌。君子はこれによって朋友とともに講論研習すべきを領悟す」。虞翻にいう。「君子」は大壮卦中の乾を指す。陽気は生長して兌を顕出す。まさに《乾・文言》のいう「学以聚之、問以辯之」に合す。兌は二つの陽爻が同類相聚まるがゆえに「朋」。その伏卦は艮であるがゆえに「友」。坎は熟習、震は講説、兌はまた两口相対するから「朋友講習」という。
初九:和兌,吉。虞翻曰:得位,四變應已,故“和兌,吉”矣。《象》曰:和兌之吉,行未疑也。虞翻曰:四變應初,震為行,坎為疑,故“行未疑”。九三:孚兌,吉,悔亡。虞翻曰:孚謂五也。四已變,五在坎中,稱孚。二動得位,應之,故“孚兌,吉,悔亡”矣。《象》曰:孚兌之吉,信志也。虞翻曰:二變應五,謂四已變,坎為志,故“信志也”。
初九の爻辞に「和兌、吉」とある。虞翻にいう。初九は陽位を得、九四が変じてこれと相応ずるから「和順の心をもって相い悦ばす、吉祥」という。《小象伝》に「和兌之吉、行未疑也」とある。虞翻の説明では、九四が変じて初に応じ、震は行、坎は疑であるから、その行いはなお疑うべき所なし。次の一条の経文は此本に「九三:孚兌、吉、悔亡」と作すも、引く所の注文はみな九二について立説す(いま伝本は正しく九二の爻辞と作す)。虞翻にいう。「孚」は九五を指す。九四はすでに変じ、九五は坎中に処り、坎は信であるから孚と称す。九二が一動すれば正位を得て九五と相応ずるから「誠信をもって相い悦ばす、吉祥、悔恨亡ぶ」という。《小象伝》に「孚兌之吉、信志也」とある。虞翻は指摘す。九二が変じて五に応ずる時、九四はすでに変じ、坎は心志であるから「誠信をもってその志を堅定す」という。
六三:來兌,凶。虞翻曰:從大壯來,失位,故“來兌,凶”矣。《象》曰:來兌之凶,位不當也。案:以陰居陽,故位不當。諂邪求悅,所以必凶。九四:商兌未寧,介疾有喜。虞翻曰:巽為近利市三倍,故稱“商兌”。變之坎,水性流。震為行。謂二已變,體比象,故“未寧”與比“不寧方來”同義也。坎為疾,故“介疾”。得位承五,故“有喜”。
六三の爻辞に「来兌、凶」とある。虞翻にいう。六三は大壮卦より下りて来り、居位正ならざるから「来りて悦を求む、凶險」という。《小象伝》に「来兌之凶、位不当也」とある。李鼎祚の按語が補う。六三は陰爻をもって陽位に居るがゆえに位当たらず。諂媚邪佞の手段をもって歓心を求取するがゆえに必ず凶を招く。九四の爻辞に「商兌未寧、介疾有喜」とある。虞翻にいう。《説卦》に巽は「近利市三倍」といい、商賈の象あるから「商兌」と称し、すなわち反復して商量計較す。九四が変じて坎を成し、水性は流動して居らず、震はまた行で、加うるに九二がすでに変じて卦は比象を成すから「未寧」という。これは比卦の「不寧方来」と取義同じ。坎は疾病であるから「介疾」といい、すなわち疾患に隔てらる。九四は位を得て上に九五に承るから「喜あり」。
《象》曰:九四之喜,有慶也。虞翻曰:陽為慶,謂五也。九五:孚于剝,有厲。虞翻曰:孚,謂五也。二四變,體剝象故“孚于剝”。在坎未光,“有厲”也。《象》曰:孚于剝,位正當也。案:以陽居尊位,應二比四,孚剝有成,“位不正當也”。
《小象伝》に「九四之喜、有慶也」とある。虞翻の説明では、陽爻は福慶で、ここでは九五を指す。九五の爻辞に「孚于剥、有厲」とある。虞翻にいう。「孚」は九五自身を指す。第二・第四の両爻が一変すれば卦体に剥の形象が現わるから「誠信をもって剥落の陰に対す」という。九五は身を坎中におき、その道未だ光大ならざるがゆえに危険あり。《小象伝》に「孚于剥、位正当也」とある。李鼎祚の按語にいう。九五は陽爻をもって尊位に居り、下に九二に応じ上に上六に比し、信を剥陰に施して成す所有り。ただしその陰柔に信を取るを以て言えば、かえって位正当ならずと言うべし。
上六:引兌。虞翻曰:無應乘陽。動而之巽,為繩。艮為手。應在三,三未之正。故“引兌”也。《象》曰:上六引兌,未光也。虞翻曰:二四已變而體屯,上三未為離,故“未光也”。
上六の爻辞に「引兌」とある。虞翻にいう。上六は正応なくしてまた陽爻に凌乗す。それが一動すれば巽を成し、巽は繩、艮は手で、手は繩索を執るはまさに牽引の象。上六の応ずる所は六三にあり、しかして六三は未だ変じて正を得ざるから「他人を牽引して悦を求め来たらしむ」という。《小象伝》に「上六引兌、未光也」とある。虞翻の説明では、第二・第四の両爻はすでに変じて卦体は屯を成し、上爻と第三爻は未だ離体を形成せず。離は光明で、離象は未成であるから「未だ光大ならず」という。
巻十二
渙卦
《序卦》曰:說而後散之,故受之以渙。渙者,離也。崔覲曰:人說,忘其勞死,而後可散之以徵役,離之以家邦,故曰“說而後散之,故受之渙。渙者,離也”。(坎下巽上)。渙:亨。虞翻曰:否四之二成坎巽,天地交,故“亨”也。
《序卦伝》にいう。「人を欣悦せしめて後にこれを疏散す、故に兌卦の後に接ぐるは渙卦。渙はすなわち離散」。崔覲の説明では、民衆は心から悦び、労苦と死亡を忘れたる後に、はじめて征戍徭役をもって彼らを分派し、家邦を離れしむべし。だから「説而后散之、故受之以渙。渙者、離也」という。渙卦は下坎上巽である。卦辞に「亨」とある。虞翻は卦変をもって立説する。渙は否卦の第四爻が下行して第二爻に至りて坎・巽の体を成す。天地の二気は交通するを得るから亨通する。
王假有廟,虞翻曰:乾為王。假,至也。否體觀。艮為宗廟;乾四之坤二。故“王假有廟,王乃在中也”。利涉大川,利貞。虞翻曰:坎為大川。渙,舟楫象。故“涉大川”。乘木有功,二失正,變應五,故利居貞也。
卦辞に「王假有廟」とある。虞翻の説明では、乾は王で、「假」は至と訓す。否卦中に観の卦体を含み、その上の艮は宗廟である。乾の第四爻が坤の第二爻に下るから「君王は宗廟に親臨す」といい、《彖伝》はこれを申して「王乃在中也」という。卦辞はまた「利渉大川、利貞」という。虞翻にいう。坎は大河である。渙卦は上巽は木、下坎は水で、まさに舟楫の象であるから大河を渡り得る。《彖伝》に「乗木有功」という。九二はその正位を失い、変じて上に九五に応ずるから、安く居して正を守るに利あり。
《彖》曰:渙亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。盧氏曰:此本否卦。乾之九四,來居坤中,剛來成坎,水流而不窮也。坤之六二,上升乾四,柔得位乎外,上承貴王,與上同也。王假有廟,王乃在中也。荀爽曰:謂陽來居二,在坤之中,為立廟。假,大也。言受命之王,居五大位,上體之中,上享天帝,下立宗廟也。
《彖伝》にいう。「渙亨、剛来而不窮、柔得位乎外而上同」。盧氏(盧景裕)の説明では、渙はもと否卦より変じて来り、乾の九四が下りて坤体の中に居る。剛爻が来りて坎を成し、坎は水で、水流は息まずして窮竭せざる。坤の六二は乾の第四爻に上升し、柔爻は外卦においてその正位を得、上に尊貴の君王に承り、上の者と心を同じくす。《彖伝》はまた「王假有廟、王乃在中也」という。荀爽は乾升坤降の説によって説明する。陽爻が下りて第二爻に居り、坤体の中に処るはすなわち宗廟を建立するなり。彼は「假」を大と訓し、天命を受けたる君王が九五の大位に居り上体の中に処り、上は天帝に祭享し下は宗廟を建立するをいう。
利涉大川,乘木有功也。虞翻曰:巽為木,坎為水,故“乘木有功也”。《象》曰:風行水上,渙。先王以享于帝,立廟。荀爽曰:謂受命之王,收集散民,上享天帝,下立宗廟也。陰上至四承五,為享帝。陽下至二,為立廟也。離日上為宗廟,而謂天帝宗廟之神所配食者。王者所奉,故繼於上。至於宗廟,其實在地。地者陰中之陽,有似廟中之神。
《彖伝》に「利渉大川、乗木有功也」とある。虞翻の説明では、巽は木、坎は水で、木は水上に行うから木に乗りて功あり。《大象伝》にいう。「風は水面上を行う、これすなわち渙。先代の君王はこれによって領悟して上帝に祭享し宗廟を建立すべし」。荀爽の説明では、これは天命を受けたる君王が離散の民衆を收聚し、上は天帝に祭享し下は宗廟を建立するをいう。陰爻が上行して第四爻に至りて九五に承るはすなわち上帝に祭享するなり。陽爻が下行して第二爻に至るはすなわち宗廟を建立するなり。離日は上にありて宗廟と為すは、天帝に配享する宗廟の神を指す。これは君王の尊奉する所であるから上位を承接す。宗廟本身に至っては、実は地上に建つ。地は陰中の陽で、正しく廟中の受祭の神霊に似たり。
虞翻曰:否乾為先王。享,祭也。震為帝、為祭。艮為廟。四之二,殺坤大牲。故以享帝立廟。謂成既濟,有噬嗑食象故也。初六:用拯馬壯,吉。虞翻曰:坎為馬。初失正,動體大壯。得位。故“拯馬壯吉”,悔亡之矣。《象》曰:初六之吉,順也。虞翻曰:承二,故順也。
虞翻はいう。否卦中の乾は先王である。「享」は祭祀で、震は帝・祭、艮は宗廟である。第四爻が第二爻に下るは、坤の象する大牲を宰殺してもって祭祀に供するに等しいから、上帝に祭享し宗廟を建立するなり。これは卦が変じて既済を成し、その中に噬嗑進食の象を含むがゆえである。初六の爻辞に「用拯馬壮、吉」とある。虞翻にいう。坎は馬である。初六はもとその正を失うも、一動すれば大壮の体を成して正位を得るから「強壮の馬を借助して拯濟す、吉祥」といい、悔恨もまたこれに随いて消失す。《小象伝》に「初六之吉、順也」とある。虞翻は初六が上に九二に承るがゆえに柔順であると指摘す。
九二:渙奔其機,悔亡。虞翻曰:震為奔,坎為棘,為矯輮。震為足。輮棘有足,艮肱據之,憑機之象也。渙宗廟中,故設機。二失位,變得正,故“渙奔其機,悔亡”也。《象》曰:渙奔其機,得願也。虞翻曰:動而得位,故“得願也”。
九二の爻辞に「渙奔其机、悔亡」とある。虞翻の説明では、震は奔走、坎は棘木・矯揉弯曲で、震はまた足である。棘木を揉曲して足を安じ、さらに艮の象する手臂をもってその上に凭靠す。まさに凭几の形象である。渙卦の述ぶる事は宗廟の中にあるから几案を陳設す。九二は位を失い、変じて正を得るから「離散の時に奔ってその几案に就く、悔恨亡ぶ」という。《小象伝》に「渙奔其机、得願也」とある。虞翻は九二が一動すれば正位を得るがゆえに心に称い願いに得ると指摘す。
六三:渙其躬,無悔。荀爽曰:體中曰躬。謂渙三使承上,為志在外,故“無悔”。《象》曰:渙其躬,志在外也。王弼曰:渙之為義,內險而外安者也。散躬志外,不固所守,與剛合志。故得無咎。
六三の爻辞に「渙其躬、无悔」とある。荀爽の説明では、一身が卦体の中に居るを「躬」という。これは六三の自身を渙散し、これを上に陽爻に承らしめ、心志は外に向かうから悔恨なし。《小象伝》に「渙其躬、志在外也」とある。王弼は義理より言う。渙卦の意義は内卦が険にして外卦が安順にあるに在り。六三は一己の私を散去して志は外に在り、自らの処する所に固守せず、剛爻と志を同じくし道を合わす。だって過ちなきを得る。
六四:渙其群,元吉。虞翻曰:謂二已變成坤,坤三爻稱群,得位順五,故“元吉”也。渙有丘,匪夷所思。虞翻曰:位半艮山,故稱丘。匪,非也。夷謂震,四應在初,三變坎為思,故“匪夷所思”也。盧氏曰:自二居四,離其群侶,渙其群民得位承尊,故“元吉”也。互體有艮,艮為山丘。渙群雖則光大,有丘則非平易,故有匪夷之思也。
六四の爻辞に「渙其群、元吉」とある。虞翻にいう。九二はすでに変じて坤を成し、坤は三爻あるがゆえに「群」と称す。六四は位を得て九五に順承するから大吉。爻辞は続けて「渙有丘、匪夷所思」という。虞翻の説明では、六四の位は艮山の一半に相当するから「丘」と称す。「匪」は非で、「夷」は震の象する平易を指す。六四の応ずる所は初六にあり、第三爻が一変して坎を成し、坎は思であるから「尋常の人の思い及ぶ能くする所にあらず」という。盧氏は別に一解を作す。陽爻は第二爻より上に第四爻に居り、その同類を離れ、聚集の群衆を渙散して自身位を得て尊者に承奉するから大吉。卦中の互体に艮あり、艮は山丘である。渙群の功は光大なるも、丘の阻隔あれば便ち平坦ならず。だから常情を超乎える思慮あり。
《象》曰:渙其群元吉,光大也。虞翻曰:謂三已變成離,故四“光大也”。九五:渙汗其大號。《九家易》曰:謂五建二,為諸侯使下君國,故宣佈號令。百姓被澤,若汗之出身,不還反也。此本否卦。體乾為首,來下處二,成坎水,汗之象也;陽稱大,故曰“渙汗其大號”也。
《小象伝》に「渙其群元吉、光大也」とある。虞翻の説明では、第三爻はすでに変じて離を成し、離は光明であるから六四の徳は光大なりという。九五の爻辞に「渙汗其大号」とある。《九家易》の説明では、これは九五が九二を封建し、彼を諸侯として下って封国を治理せしめ、ここにおいて号令を宣布するをいう。百姓は恩沢を蒙ること、たとえば汗の身上より発出するがごとく、一たび去りて再び収回せず。渙はもと否卦より変じて来り、否の上体の乾は首で、下って第二爻に居りて坎水を成すはまさに汗の形象。陽爻は大と称すから「汗を発するがごとく重大の号令を頒布す」という。
渙王居,無咎。荀爽曰:布其德教,王居其所,故“無咎”矣。《象》曰:王居無咎,正位也。虞翻曰:五為王。艮為居,正位居五,四陰順命。故“王居無咎,正位也”。上九:渙其血,去逖,出,無咎。虞翻曰:應在三。坎為血,為逖。逖,憂也。二變為觀,坎象不見。故“其血去逖,出,無咎。”《象》曰:渙其血,遠害也。虞翻曰:乾為遠,坤為害,體遁上,故“遠害”也。
爻辞は続けて「渙王居、无咎」という。荀爽の説明では、君王は徳教を頒布してその所に安居するから過失なし。《小象伝》に「王居无咎、正位也」とある。虞翻にいう。第五爻は王、艮は居である。君王は正位をもって九五に居り、六四等の陰爻はその命令に順従するから「王居无咎、正位也」という。上九の爻辞に「渙其血、去逖、出、无咎」とある。虞翻の説明では、上九の応ずる所は六三にあり、坎は血・逖で、「逖」は憂懼である。九二が一変すれば全卦は観を成し、坎象は便ち見えざるから「血傷を散去し、憂懼を遠離し、身を脱して出づ、過失なし」という。《小象伝》に「渙其血、遠害也」とある。虞翻は指摘す。乾は遠、坤は害で、上九は遯体の上に処るから能く禍害を遠離す。
節卦
《序卦》曰:物不可以終離,故受之以節。崔覲曰:離散之道,不可終行,當以節止之。故言物不可以終離,受之以節。(兌下坎上)。節:亨,虞翻曰:泰三之五,天地交也。五當位以節,中正以通,故“節亨”也。苦節不可貞。虞翻曰:謂上也,應在三。三變成離,火炎上作,苦位在火上,故“苦節”。雖得位乘陽,故“不可貞”也。
《序卦伝》にいう。「事物は終始離散しつづくべからず、故に渙卦の後に接ぐるは節卦」。崔覲の説明では、離散の道は一貫して行いつづけ得ざる。節制をもってこれを止むべし。だから「物不可以終離、受之以節」という。節卦は下兌上坎である。卦辞に「亨」とある。虞翻は卦変をもって立説する。節は泰卦の第三爻が上行して第五爻に至りて来る。天地の二気は交通す。九五は位に当たりて節制を行い、中に居りて正を得、ここにおいて通達す。だから「節亨」。卦辞はまた「苦節不可貞」という。虞翻の説明では、これは上六について言う。それの応ずる所は六三にあり、六三が一変して離を成し、火性は炎上して苦味を生ず。上六の位置はまさに火の上にあり、だから「苦節」で、節制は苦澁の地歩に至る。上六はその陰位を得るといえども、陽爻に凌乗するから固守すべからず。
《彖》曰:節亨,剛柔分而剛得中,盧氏曰:此本泰卦。分乾九三升坤五,分坤六五下處乾三,是“剛柔分而剛得中”也苦節不可貞,其道窮也。虞翻曰:位極於上,乘陽,故“窮”也。說以行險,虞翻曰:兌說,坎險,震為行,故“說以行險”也。當位以節,中正以通,虞翻曰:中正謂五。坎為通也。
《彖伝》にいう。「節亨、剛柔分而剛得中」。盧氏の説明では、節はもと泰卦より変じて来り、乾の九三を分出して坤の第五爻に上升せしめ、坤の六五を分出して下って乾の第三爻に処らしむ。これすなわち「剛柔各々その位を分かちて剛爻は中を得る」。《彖伝》はまた「苦節不可貞、其道窮也」という。虞翻は指摘す。上六は位にして一卦の極に処り、また陽爻に凌乗するからその道は窮尽す。《彖伝》に「説以行険」とある。虞翻の説明では、下体の兌は悦、上体の坎は険で、卦中の震は行であるから「和悦して険難の中を行く」。《彖伝》に「当位以節、中正以通」とある。虞翻にいう。「中正」は九五を指し、坎は通達である。
天地節而四時成。虞翻曰:泰乾天,坤地;震春,兌秋。坎冬。三動,離為夏。故“天地節而四時成”也。節以制度,不傷財,不害民。虞翻曰:艮手稱制。坤數十,數度。坤又為害,為民,為財。二動體剝,剝為傷。三出復位,成既濟定,坤剝不見。故“節以制度,不傷財,不害民”。
《彖伝》に「天地節而四時成」とある。虞翻の説明では、泰卦中の乾は天、坤は地である。震は春、兌は秋、坎は冬で、第三爻が一動すれば離あり、離は夏で、四時の象はこれによって完備す。だから「天地に節度ありて四季は形成を得る」という。《彖伝》はまた「節以制度、不傷財、不害民」という。虞翻にいう。艮は手であるがゆえに「制」と称し、坤の数は十であるがゆえに「数度」と為す。坤はまた害・民・財である。九二が一動すれば卦体は剥を成し、剥は傷損の義あり。第三爻が出でて本位に回復するに及び、卦は既済を成して六爻みな定まり、坤と剥の象はみな見えざるから「制度をもって節制を加え、財貨を損傷せず、百姓を禍害せず」という。
《象》曰:澤上有水,節。侯果曰:澤上有水,以隄防為節。君子以制數度,議德行。虞翻曰:君子,泰乾也。艮止為制,坤為度,震為議,為行,乾為德,故“以制數度,議德行。”乾三之五,為“制數度”。坤五之乾,為“議德行”也。
《大象伝》にいう。「沢上に水あり、これすなわち節」。侯果の説明では、沢上に水を蓄えるは、堤防をもって節制するを要す。経文は続けて「君子以制数度、議徳行」という。虞翻にいう。「君子」は泰卦中の乾を指す。艮は止であるがゆえに制定と為し、坤は度数、震は議論・行、乾は徳であるから「礼数法度を制定し、道德行為を評議す」という。乾の第三爻が上行して第五爻に至るはすなわち「制数度」。坤の第五爻が下って乾体に入るはすなわち「議徳行」。
初九:不出戶庭,無咎。虞翻曰:泰坤為戶,艮為庭,震為出;初得位應四,故“不出戶庭,無咎”矣。《象》曰:不出戶庭,知通塞也。虞翻曰:坎為通,二變坤土壅初為塞。崔覲曰:為節之始,有應所四。四為坎險,不通之象。以節崇塞,雖不通,可謂知通塞矣。戶庭,室庭也。慎密守節,故“不出”焉,而無咎也。案:初九應四。四互坎艮。艮為門闕。四居艮中,是為內戶,戶庭之象也。
初九の爻辞に「不出戸庭、无咎」とある。虞翻の説明では、泰卦中の坤は門戸、艮は庭院、震は出である。初九は正位を得て上に六四に応ずるから「門内の庭院を出でず、過失なし」という。《小象伝》に「不出戸庭、知通塞也」とある。虞翻は指摘す。坎は通で、九二が一変すれば坤土は初爻を壅塞す。これを塞と為す。崔覲は義理より言う。初九は節制の始に処り、上に六四と相応ず。しかして六四は坎険に属して不通の象である。節制をもって閉塞に甘んずれば、通達せざるも、通と塞の分際を知ると言うべし。「戸庭」はすなわち内室の庭で、謹慎周密にしてその節度を守るがゆえに出門せずして過失なし。李鼎祚の按語にいう。初九は六四と相応じ、六四の在る所の互体は坎・艮で、艮は門闕、六四は艮体の中に居る。まさに内戸、すなわち戸庭の象である。
九二:不出門庭,凶。虞翻曰:變而之坤,艮為門庭。二失位不變,出門應五,則凶。故“言不出門庭,凶”矣。《象》曰:不出門庭凶,失時極也。虞翻曰:極,中也。未變之正,失時極矣。
九二の爻辞に「不出門庭、凶」とある。虞翻の説明では、九二が変じて坤を成し、その中の艮は門庭である。九二は位を失して肯んじて変ぜず、かえって門を出でて九五に応ぜんと欲すれば凶あるべし。だから爻辞に「不出門庭、凶」という。《小象伝》に「不出門庭凶、失時極也」とある。虞翻は「極」を中と訓し、九二が時に及んで変じて正を得ず、ここにおいて時機の中道を錯失したるをいう。
六三:不節若,則嗟若,無咎。虞翻曰:三,節家君子也。失位,故節若。嗟,哀號聲。震為音聲,為出。三動得正,而體離坎,涕流出目,故“則嗟若”。得位乘二,故“無咎”也。《象》曰:不節之嗟,又誰咎也。王弼曰:若,辭也。以陰處陽,以柔乘剛,違節之道,以至哀嗟。自己所至,無所怨咎,故曰“又誰咎”矣。
六三の爻辞に「不節若、則嗟若、无咎」とある。虞翻にいう。第三爻は節卦中の君子である。それはその正位を失うがゆえに節制し能わざるの象あり。「嗟」は悲嘆の声で、震は声音・出である。六三が一動すれば正を得、しかして卦体に離あり坎あり、眼涙は目中より流出するから「ここに嘆息して已まず」という。変後位を得て九二に乗ずるから過失なし。《小象伝》に「不節之嗟、又誰咎也」とある。王弼の説明では、「若」は語助詞である。六三は陰爻をもって陽位に処り、柔爻をもって剛爻に凌乗し、節制の道に違背して悲嘆に致る。これは自ら招来したるで、他人を怨むに足らず。だから「また誰を咎めんや」という。
六四:安節,亨。虞翻曰:二已變,艮止坤安。得正承五,有應於初,故“安節亨”。《象》曰:安節之亨,承上道也。《九家易》曰:言四得正奉五,上通於君,故曰“承上道也”。九五:甘節,吉。往有尚。虞翻曰:得正居中,坎為美,故“甘節吉”。往謂二。二失正,變往應五,故“往有尚”也。《象》曰:甘節之吉,居位中也。虞翻曰:艮為居,五為中,故“居位中也”。
六四の爻辞に「安節、亨」とある。虞翻の説明では、九二はすでに変じ、卦中の艮は止・坤は安である。六四は正を得て上に九五に承り、下に初九と相応ずるから「節制に安んじて亨通す」という。《小象伝》に「安節之亨、承上道也」とある。《九家易》が申す。これは六四が正を得て九五に奉事し、上に君主に通達するを言うがゆえに「承上道」という。九五の爻辞に「甘節、吉。往有尚」とある。虞翻にいう。九五は正を得て中に居り、坎は美であるから「節制を甘美に得て吉祥」。「往」は九二を指し、九二は正を失い、変じて往きて五に応ずるから「往けば嘉尚を受くべし」という。《小象伝》に「甘節之吉、居位中也」とある。虞翻は艮を居とし、五は中位であるから「居る所の位は中を得る」というと指摘す。
上六:苦節,貞凶,悔亡。虞翻曰:二三變,有兩離,火炎上作苦,故“苦節”。乘陽,故“貞凶”。得位,故“悔亡”。干寶曰:《彖》稱苦節不可貞,在此爻也。稟險伏之教,懷貪狠之志,以苦節之性,而遇甘節之主,必受其誅,華士、少正卯之爻也。故曰“貞凶”。苦節既凶,甘節志得,故曰“悔亡”。《象》曰:苦節貞凶,其道窮也。荀爽曰:乘陽於上,無應於下,故“其道窮也”。
上六の爻辞に「苦節、貞凶、悔亡」とある。虞翻の説明では、第二・第三の両爻が一変すれば、卦中に二つの離現われ、火性は炎上して苦味を生ずるから「節制は苦澁の地歩に至る」という。上六は陽爻に凌乗するから固守すれば凶。しかしてそれは陰をもって陰に居りて正位を得るから悔恨は亡ぶ。干宝は史事をもって立説す。《彖伝》の言う「苦節不可貞」は、まさにこの爻を指す。この種の人は陰険潜伏の習染を秉受し、貪婪狠戻の心志を懐き、苛苦自守の性情をもって、甘節の道を行う明主に遇えば、必ず誅せらる。まさに姜太公の誅したる華士、孔子の誅したる少正卯のこの類の爻である。だから「貞凶」という。苦節すでに凶を招き、甘節の道は施行を得るから「悔亡」という。《小象伝》に「苦節貞凶、其道窮也」とある。荀爽は指摘す。上六は上において陽爻に凌乗し、下においてまた正応なきがゆえにその道は窮尽す。
中孚卦
《序卦》曰:節而信之,故受之以中孚。崔覲曰:節以制度,不傷財,不害民,則人信之,故言節而信之,故受之以中孚也。(兌下巽上)。中孚:虞翻曰:訟四之初也。坎孚象在中,謂二也,故稱“中孚”。此當從四陽二陰之例。遁陰未及三,而大壯陽已至四,故從訟來。二在訟時,體離為鶴。在坎陰中,有“鳴鶴在陰”之義也。
《序卦伝》にいう。「節度ありて後に人を信服せしむ、故に節卦の後に接ぐるは中孚卦」。崔覲の説明では、制度をもって節制を加え、財貨を損傷せず百姓を禍害せざれば、人は彼を信服す。だから「節而信之、故受之以中孚」という。中孚卦は下兌上巽である。虞翻は卦変をもって立説する。中孚は訟卦の第四爻が下行して初爻に至りて来る。坎は信で、孚象は卦中に居り、九二を指すから「中孚」と名づく。この卦は当に四陽二陰の卦の通例に依って推求すべし。遯卦の陰爻は未だ第三爻に至らず、しかして大壮の陽爻はすでに第四爻に至る。だからそれが訟卦より変じて来ると断ず。九二は訟卦の時離体に処り、離は鶴で、また坎の陰暗の中にあり、まさに九二の爻辞「鳴鶴在陰」の意を含む。
豚魚吉。案:坎為豕。訟四降初折坎,稱“豚”。初陰升四,體巽為魚。中,二。孚,信也。謂二變應五,化坤成邦,故“信及豚魚”,吉矣。虞氏以三至上體遯,便以豚魚為遁魚,雖生曲象之異見,乃失化邦之中信也。
卦辞に「豚魚吉」とある。李鼎祚の按語の説明では、坎は豕で、訟卦の第四爻が初位に下降して坎体を折損するから「豚」と称し、すなわち小猪である。初爻の陰は第四爻に上升して巽体に処り、巽は魚である。「中」は九二を指し、「孚」は誠信である。これは九二が変じて上に九五に応じ、化して坤を成して邦国の象あるをいうから、誠信は豚魚のごとき微賤の生物にまで施及し得、ここにおいて吉祥。虞翻は第三爻より上爻に至るまで象を取って遯とし、便ち「豚魚」を遁走の魚と解す。これは別に曲折取象の異説を生ずといえども、「化邦」が本とする所の中正誠信の義を失う。
利涉大川。虞翻曰:坎為大川。謂二已化邦,三利出涉坎。得正,體渙。渙,舟楫象。故“利涉大川,乘木舟虛也”。利貞。虞翻曰:謂二利之正,而應五也。中孚以利貞,乃應於天也。《彖》曰:中孚,柔在內而剛得中,說而巽孚,王肅曰:三、四在內,二、五得中,兌說而巽順,故“孚”也。乃化邦也。虞翻曰:二化應五成坤,坤為邦,故“化邦”也。
卦辞に「利渉大川」とある。虞翻の説明では、坎は大河である。九二はすでに化して邦国を成し、六三は便ち出でて坎水を渉るに利あり。変じて正を得たる後、卦体は渙を成し、渙は舟楫の象あるから「大河を渡るに利あり、中空の木舟に乗るがゆえに」という。卦辞はまた「利貞」という。虞翻にいう。これは九二が変じて正を得、これによって上に九五に応ずるに利あるを言う。中孚は正を守るを利と為し、はじめて上に天道に応じ得る。《彖伝》にいう。「中孚、柔在内而剛得中、説而巽孚」。王粛の説明では、六三・六四の両柔爻は卦内にあり、九二・九五の両剛爻は各々中位を得、下兌は悦・上巽は順であるから孚信を有し得る。《彖伝》に「乃化邦也」とある。虞翻の説明では、九二が変じて五に応ずれば坤を成し、坤は邦国であるから「邦国を化育す」という。
豚魚吉:信及豚魚也。荀爽曰:豚魚,謂四、三也。艮為山陸,豚所處。三為兌澤,魚所在。豚者卑賤,魚者幽隱,中信之道,皆及之矣。利涉大川,乘木舟虛也。王肅曰:中孚之象,外實內虛,有似可乘,虛木之舟也。中孚以利貞,乃應乎天也。虞翻曰:訟乾為天,二動應乾,故“乃應乎天也”。
《彖伝》に「豚魚吉、信及豚魚也」とある。荀爽の説明では、「豚魚」は六四と六三を指す。六四の処する所に艮あり、艮は山陸で、小猪の棲息の地である。六三は兌沢に処り、魚の在る所である。小猪は卑賤、魚類は幽隠なるも、中正誠信の道は彼らにまでも施及し得る。《彖伝》に「利渉大川、乗木舟虚也」とある。王粛の説明では、中孚の卦象は外の両画は実・中間の両画は虚で、甚だ乗ずべき中空の木舟に似たり。《彖伝》に「中孚以利貞、乃応乎天也」とある。虞翻は指摘す。訟卦中の乾は天で、九二が一動して乾と相応ずるから、上に天道に応ずるという。
《象》曰:澤上有風,中孚。崔覲曰:流風令於上,布澤惠於下,中孚之象也。君子以議獄緩死。虞翻曰:君子,謂乾也。訟坎為獄;震為議,為緩;坤為死。乾四之初,則二出坎獄。兌說震喜,坎獄不見,故“議獄緩死”也。
《大象伝》にいう。「沢上に風あり、これすなわち中孚」。崔覲の説明では、上の者は風のごとく号令を流布し、下の者は沢のごとく恩惠を承受す。まさに中孚の象である。経文は続けて「君子以議獄緩死」という。虞翻にいう。「君子」は乾を指す。訟卦中の坎は牢獄、震は議論・寛緩、坤は死である。乾の第四爻が初位に下れば九二は便ち坎獄を脱出す。兌は悦・震は喜で、坎獄の象は見えざるから「案獄を審議し死刑を寛緩す」という。
初九:虞吉,有它不燕。荀爽曰:虞,安也。初應於四,宜自安虞;無意於四,則吉。故曰“虞吉”也。四者承五,有它意於四,則不安,故曰“有它不燕”也。《象》曰:初九虞吉,志未變也。荀爽曰:初位潛藏,未得變而應四也。
初九の爻辞に「虞吉、有它不燕」とある。荀爽は「虞」を安と訓す。初九は六四と相応じ、本応自らその安を守るべし。もし六四に対して別念を生ぜざれば吉を得る。だから「虞吉」という。六四は九五に承奉する。初九がもしこれに対し別に企図あれば、心は便ち安寧を得ず。だから「別の念あれば安適ならず」という。《小象伝》に「初九虞吉、志未変也」とある。荀爽の説明では、初爻の位置はもと潜伏隠蔵すべく、まだ変動して六四に応ずる能わず。
九二:鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。虞翻曰:靡,共也。震為鳴;訟離為鶴,坎為陰夜,鶴知夜半。故“鳴鶴在陰”。二動成坤,體益。五艮為子,震巽同聲者相應,故“其子和之”。坤為身故稱“我”。吾,謂五也。離為爵,爵,位也。坤為邦國,五在艮,閽寺庭闕之象。故稱“好爵”。五利二變,之正應坎,故“吾與爾靡之”矣。《象》曰:其子和之,中心願也。虞翻曰:坎為心,動得正應五,故“中心願也”。
九二の爻辞に「鳴鶴在陰、其子和之、我有好爵、吾与爾靡之」とある。虞翻は「靡」を共と訓す。震は鳴叫である。訟卦中の離は鶴、坎は幽陰の夜晩で、鶴は能く夜半を感知して鳴くから「鶴は幽暗の処に在りて鳴く」という。九二が一動すれば坤を成し、卦体は益なり。第五爻は艮に処り、艮は少男であるがゆえに「子」、震と巽は同じ声にして相応ずるから「その幼雛はそれに應和す」という。坤は身であるがゆえに自ら「我」と称す。「吾」は九五を指す。離は爵で、爵はすなわち爵位。坤は邦国、九五は艮に処り、門を守る官と庭前の門闕の形象あるから「好爵」と称す。九五は九二の変じて正を得て上に坎に応ずるに利あるから「我は爾とともにこれを分かち享く」という。《小象伝》に「其子和之、中心願也」とある。虞翻は指摘す。坎は心で、九二は動いて正を得て九五に応ずるから、内心より発する願望である。
六三:得敵,或鼓或罷,或泣或歌。荀爽曰:三四俱陰,故稱“得”也。四得位,有位。故鼓而歌。三失位,無實。故罷而泣之也。《象》曰:或鼓或罷,位不當也。王弼曰:三四俱陰,金木異性,敵之謂也。以陰居陽,自強而進,進而礙敵。故“或鼓”也。四履正位,非三敵所克,故“或罷”也。不勝而退,懼見侵陵,故“或泣”也。四履謙巽,不報仇敵,故“或歌”也。歌泣無恆,位不當也。
六三の爻辞に「得敵、或鼓或罷、或泣或歌」とある。荀爽の説明では、六三と六四はみな陰爻で、同類相遇えばすなわち「得敵」。六四はその正位を得て実位あるから鼓を撃ちて歌い、六三は位を失して中に実なきがゆえに兵を罷めて哭泣す。《小象伝》に「或鼓或罷、位不当也」とある。王弼は別に一解を作す。三・四はともに陰爻で、兌金と巽木は性質相異なるから「敵」と名づく。六三は陰をもって陽に居り、勉めて能を逞しくして進み、進んで敵に阻まるるがゆえに「或鼓」、鼓を擂いて戦を求む。六四の履む所は正位で、六三のこの敵手の攻克し得る所にあらざるから「或罷」、ただ兵を罷むるを得るのみ。戦い勝たずして退き、また侵凌せらるるを怕るるがゆえに「或泣」。しかして六四の処する所は謙遜巽順にして、仇敵を報復せざるから、六三はまた「或歌」。たちまち歌いたちまち泣きて常態なきは、まさに居位の当たらざるがゆえなり。
六四:月幾望,馬匹亡,無咎。虞翻曰:訟坎為月,離為日。兌西震東。月在兌二,離為震三,日月象對。故“月幾望”。乾坎兩馬匹,初四易位,震為奔走,體遁山中,乾坎不見,故“馬匹亡”。初四易位,故“無咎”矣。《象》曰:馬匹亡,絕類上也。虞翻曰:訟初之四,體與上絕,故“絕類上”也。
六四の爻辞に「月幾望、馬匹亡、无咎」とある。虞翻の説明では、訟卦中の坎は月、離は日である。兌は西にあり、震は東にある。月は兌の第二爻の位にあり、離は震の第三爻の位にあり、日と月は東西相対するから「月は満盈に将近づく」という。乾と坎はともに馬で、両馬はちょうど匹を成す。初爻と第四爻は互いにその位を換え、震は奔走で、卦体はまた山中に遁入するがごとく、乾坎の両馬の象はみな見えざるから「馬匹は走失しぬ」という。初・四が位を易えて各々その正を得るがゆえに過失なし。《小象伝》に「馬匹亡、絶類上也」とある。虞翻は指摘す。訟卦の初爻は上行して第四爻に至り、その体は上卦と断絶するから「同類と絶ちて上行す」という。
九五:有孚攣如,無咎。虞翻曰:孚,信也。謂二在坎為孚,巽繩艮手,故“攣”。二使化為邦,得正應已,故“無咎”也。《象》曰:有孚攣如,位正當也。案:以是成五,有信。攣二使變已,是“位正當也”。
九五の爻辞に「有孚攣如、无咎」とある。虞翻の説明では、「孚」は誠信である。九二は坎の中に処り、坎は信であるがゆえに孚と為す。巽は繩索、艮は手で、手は繩索を執りて牽繫するから「攣」といい、すなわち牢く繫連す。九五は九二を変化せしめて邦国を成し、九二は正を得て己と相応ずるから過失なし。《小象伝》に「有孚攣如、位正当也」とある。李鼎祚の按語にいう。まさにこれによって九五の徳を成就するを孚信ありと為し、九二を牽繫してこれを変じて己に応ぜしむるは、これを「位正当」と名づく。
上九:翰音登于天,貞凶。虞翻曰:巽為雞,應在震,震為音。翰,高也。巽為高,乾為天。故“翰音登于天”。失位,故“貞凶”。《禮》薦牲,雞稱翰音也。《象》曰:翰音登于天,何可長也。侯果曰:窮上失位,信不由中;以此申命,有聲無實;中實內喪,虛華外揚。是“翰音登天”也。巽為雞,雞曰翰音。虛音登天,何可久也。
上九の爻辞に「翰音登于天、貞凶」とある。虞翻の説明では、巽は鶏で、上九の応ずる所は震にあり、震は声音である。「翰」は高で、巽は高、乾は天であるから「鶏の鳴声は高く天に飛ぶ」という。上九はその正位を失うから固守すれば凶。《礼記》は犠牲を荐献するを記し、鶏を「翰音」と称す。《小象伝》に「翰音登于天、何可長也」とある。侯果の説明では、上九は上に窮極してまた位を失い、誠信は内心より発するにあらず。かかる誠信をもって命令を申布すれば、声响あるのみにして実質なく、内裏の誠実はすでに喪失し、浮華虚声はかえって外に向かいて張揚す。これすなわち「翰音登天」。巽は鶏で、鶏の祭名は翰音という。空虚の声音は天空に升るも、あに長久ならんや。
小過卦
《序卦》曰:有其信者必行之,故受之以小過。韓康伯曰:守其信者,則失貞而不諒之道,而以信為過也。故曰“小過”。(艮上震上)。小過:亨,利貞。虞翻曰:晉上之三。當從四陰二陽,臨觀之例。臨陽未至三,而觀四已消也;又有飛鳥之象,故知從晉來。杵臼之利,蓋取諸此。柔得中而應乾剛,故“亨”。五失正,故利貞。“過以利貞,與時行也。”
《序卦伝》にいう。「誠信を守る者は必ず行実しに行く、故に中孚の後に接ぐるは小過卦」。韓康伯の説明では、ひとえに小信に死守する者は、「貞而不諒」の正道を失い、信を守るを做り過ぎたるがゆえに「小過」と名づく。小過卦は下震上艮(原文は「艮上震上」と作すも、後の一の「上」の字は当に「下」と作すべし)。卦辞にいう「亨、利貞」。虞翻は卦変をもって立説する。小過は晋卦の上爻が下行して第三爻に至りて来る。四陰二陽の卦の通例に依り、臨と観を参照して推求すべし。臨卦の陽爻は未だ第三爻に至らず、しかして観卦の第四爻の陽はすでに消去せり。この卦はまた飛鳥の象あるから、それが晋卦より変じて来ると断ず。《繫辞》に舂米杵臼の利は小過に取象すというは、ほぼこの象に依る。柔爻は中を得て上に乾の剛に応ずるから亨通す。六五はその正位を失うから「利貞」といい、《彖伝》はこれを申して「過以利貞、与時行也」という。
可小事,虞翻曰:小謂五。晉坤為事。柔得中。故“可小事”也。不可大事。虞翻曰:大事,四。剛失位而不中。故“不可大事”也。飛鳥遺之音,不宜上,宜下,大吉。虞翻曰:離為飛鳥,震為音,艮為止。晉上之三,離去震在,鳥飛而音止。故“飛鳥遺之音”。上陰乘陽,故“不宜上”。下陰順陽,故“宜下,大吉”。俗說或以卦象二陽在內,四陰在外,有似飛鳥之象,妄矣。
卦辞に「可小事」とある。虞翻の説明では、「小」は六五を指し、晋卦中の坤は事で、柔爻は中を得るから小事を為し得る。卦辞に「不可大事」とある。虞翻は指摘す。「大事」は九四を指し、剛爻は位を失してまた中に居らざるから大事を為すべからず。卦辞はまた「飛鳥遺之音、不宜上、宜下、大吉」という。虞翻にいう。離は飛鳥、震は声音、艮は止である。晋卦の上爻が第三爻に下れば、離象は離去して震象はなお在り、鳥はすでに飛去りて声音は留止す。だから「飛鳥はその叫声を遺しけり」という。上の陰爻は陽爻に凌乗するから「上は宜ならず」。下の陰爻は陽爻に順承するから「下は宜し、大吉」。世俗の説に卦象は両陽は内にあり四陰は外にありて、形は飛鳥の翼を展ぶるに似たりと為すあるも、虞翻はこれを妄説と斥す。
《彖》曰:小過,小者過而亨也。過以利貞,與時行也。荀爽曰:陰稱小。謂四應初,過二而去。三應上,過五而去。五處中,見過不見應。故曰“小者過而亨也”。柔得中,是以小事吉也。虞翻曰:謂五也。陰稱小,故“小事吉也”。剛失位而不中,是以不可大事也。虞翻曰:謂四也。陽稱大,故“不可大事也”。
《彖伝》にいう。「小過、小者過而亨也。過以利貞、与時行也」。荀爽の説明では、陰爻を「小」と称す。九四は下に初六に応じ、六二を越えて往かんと欲す。九三は上に上六に応じ、六五を越えて往かんと欲す。六五は中に居り、ただ他人の己を越ゆるを見て、己に相応ずるを見ざるから「小者は越えて亨通を得る」という。《彖伝》に「柔得中、是以小事吉也」とある。虞翻はこれを六五について言うと指摘し、陰は小と称すから小事は吉を得る。《彖伝》に「剛失位而不中、是以不可大事也」とある。虞翻はこれを九四について言うと指摘し、陽は大と称すから大事を為すべからず。
有飛鳥之象焉,飛鳥遺之音。宋衷曰:二陽在內,上下各陰,有似飛鳥舒翮之象,故曰“飛鳥”。震為聲音,飛而且鳴,鳥去而音止,故曰“遺之音”也。不宜上,宜下,大吉。上逆而下順也。王肅曰:四、五失位,故曰“上逆”。二、三得正,故曰“下順”也。《象》曰:山上有雷,小過。侯果曰:山大而雷小,山上有雷,小過於大,故曰“小過”。
《彖伝》に「有飛鳥之象焉、飛鳥遺之音」とある。宋衷の説明では、二つの陽爻は卦中にあり、上下各々陰爻あり、形は飛鳥の翅を舒展するに似たるがゆえに「飛鳥」という。震は声音で、鳥は一辺飛び一辺鳴き、鳥はすでに遠去りて声音は留まるから「遺之音」という。《彖伝》に「不宜上、宜下、大吉。上逆而下順也」とある。王粛の説明では、第四・第五の両爻は位を失うから「上逆」といい、第二・第三の両爻は正を得るから「下順」という。《大象伝》に「山上有雷、小過」とある。侯果の説明では、山体は大にして雷声は小で、雷は山上に響くは、小者が大者の上に略かに過ぎるがゆえに「小過」と名づく。
君子以行過乎恭,虞翻曰:君子,謂三也。上貴三賤,晉上之三,震為行,故“行過乎恭”。謂三致恭以存其位,與謙三同義。喪過乎哀,虞翻曰:晉坤為喪,離為目,艮為鼻,坎為涕洟。震為出,涕洟出鼻目:體大過,遭死喪,過乎哀也。用過乎儉。虞翻曰:坤為財用,為吝嗇。艮為止,兌為小。小用密止,雲不雨。故“用過乎儉”也。
《大象伝》に「君子以行過乎恭」とある。虞翻の説明では、「君子」は九三を指す。上爻は尊貴にして三爻は卑賤で、晋卦の上爻が第三爻に下居し、震は行であるから「行いは恭敬に過ぎたり」という。これは九三が恭敬を竭してその位を保たんことをいい、謙卦九三と取義同じ。経文に「喪過乎哀」とある。虞翻にいう。晋卦中の坤は喪、離は目、艮は鼻、坎は涕涙、震は出で、涕涙は鼻目より流出す。卦体にまた大過あり、死喪の事に遭遇するがゆえに哀傷過度なり。経文に「用過乎倹」とある。虞翻にいう。坤は財用・吝嗇、艮は止、兌は小である。用度は微小にして密に止まり施さざるは、密雲にして雨降らざるがごとし。だから「用度は倹省に過ぎたり」という。
初六:飛鳥以凶。虞翻曰:應四。離為飛鳥。上之三,則四折入,大過死,故“飛鳥以凶”。《象》曰:飛鳥以凶,不可如何也。虞翻曰:四死大過,故“不可如何也”。六二:過其祖,遇其妣虞翻曰:祖謂祖母,初也。母死稱妣。謂三坤為喪,為母,折入大過死,故稱“祖”也。妣二過初,故“過其祖”五變,三體姤遇,故遇妣也。
初六の爻辞に「飛鳥以凶」とある。虞翻の説明では、初六は上に九四に応じ、離は飛鳥である。晋卦の上爻が第三爻に下れば、九四は便ち大過に折入れられて死の象あるから「飛鳥はこれによって凶を招く」という。《小象伝》に「飛鳥以凶、不可如何也」とある。虞翻は九四が大過に陥りて死するがゆえに、如何ともすべきなしと指摘す。六二の爻辞に「過其祖、遇其妣」とある。虞翻の説明では、ここの「祖」は祖母を指し、すなわち初六である。母は死して後「妣」と称す。第三爻の在る所の坤は喪・母で、大過に折入れられて死するがゆえに「祖」と称す。六二は初六を越ゆるから「その祖母を越えたり」という。六五が一変すれば第三爻は姤体を成し、姤は相遇であるから「その先妣に遇えり」という。
不及其君,遇其臣,無咎。虞翻曰:五動為君,晉坎為臣;二之五隔三;艮為止,故“不及其君”止。如承三得正,體姤遇象,故“遇其臣,無咎”也。《象》曰:不及其君,臣不可過也。虞翻曰:體大過,下止,舍巽下,故“不可過”。與隨三同義。
爻辞は続けて「不及其君、遇其臣、无咎」という。虞翻の説明では、六五が一動すれば君と為り、晋卦中の坎は臣である。六二が五位に上らんと欲するも、中間に第三爻に阻隔せられ、艮はまた止であるから「その君主に及ばず」して止步す。もしそれが九三に承奉して正を得れば、卦体に姤の相遇の象あるから「その臣属に遇い、過失なし」という。《小象伝》に「不及其君、臣不可過也」とある。虞翻は指摘す。卦体は大過にして、下体は止息し、巽体の下に舎処するから、臣たる者は分を越ゆべからず。これは随卦六三と取義同じ。
九三:弗過防之,從或戕之,凶。虞翻曰:防,防四也。失位從或,而欲折之初。戕,殺也。離為戈兵,三從離上入坤,折四死大過中,故“從或戕之,凶”也。《象》曰:從或戕之,凶如何也。虞翻曰:三來戕四,故“凶如何也”。
九三の爻辞に「弗過防之、従或戕之、凶」とある。虞翻の説明では、「防」は九四を提防す。九四は位を失して人に随いて俯仰し、九三を折服して初位に至らしめんと欲す。「戕」は殺害である。離は戈兵で、九三は離体の上より坤中に進入し、九四を折損して大過の中に死せしむるから「ひとえに相従すれば、あるいはかえって戕害せられん、凶險」という。《小象伝》に「従或戕之、凶如何也」とある。虞翻は指摘す。これは九三が来りて九四を戕害するなり。だからその凶の何の地歩に至ったるかを嘆ず。
九四:無咎,弗過遇之,《九家易》曰:以陽居陰,行過乎恭。今雖失位,遇則進五,故“無咎”也。四體震動,位既不正,當動上居五,不復過五,故曰“弗過遇之”矣。往厲必戒,勿用永貞。荀爽曰:四往危五,戒備於三,故曰“往厲必戒”也。勿長居四,當動上五,故“用永貞”。《象》曰:弗過遇之,位不當也。往厲必戒,終不可長也。虞翻曰:體否上傾,故“終不可長”矣。
九四の爻辞に「无咎、弗過遇之」とある。《九家易》の説明では、九四は陽爻をもって陰位に居り、行事は恭敬に過ぎたり。いま位を失うといえども、能く相遇すれば進んで五位に居り得るから過失なし。九四は震体に処りて動を主り、居位すでに正ならざれば、当に上に動きて五位に居り、五位を再び越えざるべし。だから「越えずして正しく遇合す」という。爻辞は続けて「往厲必戒、勿用永貞」という。荀爽の説明では、九四が往けば六五を危あやしめ、また九三を戒備せざるべからず。だから「往けば危険あり、必ず戒懼すべし」。長く第四爻に停留する勿かれ、当に上に動きて第五爻に至るべし。だから長くこの位を守るべからず。《小象伝》に「弗過遇之、位不当也。往厲必戒、終不可長也」とある。虞翻は指摘す。卦体は否のごとくして上体は傾覆するがゆえに、終に長久すべからず。
六五:密雲不雨,自我西郊。虞翻曰:密,小也。晉坎,在天為雲,墜地成雨。上來之三,折坎入兌,小為密。坤為自我。兌為西。五動乾為郊。故“密雲不雨,自我西郊”也。公弋取彼在穴。虞翻曰:公謂三也。弋,矰繳射也。坎為弓彈。離為鳥矢。弋無矢也,巽繩連鳥,弋人鳥之象。艮為手,二為穴,手入穴中,故“公弋取彼在穴”也。《象》曰:密雲不雨,已上也。虞翻曰:謂三坎水,已之上六,故“已上也”。
六五の爻辞に「密雲不雨、自我西郊」とある。虞翻の説明では、「密」は小である。晋卦中の坎は天上に在りて雲と為り、地面に墜落すれば便ち雨を成す。上爻が下りて第三爻に居れば、坎体は折られて兌に入る。小便ち密なり。坤は「自我」、兌は西方にあり、六五が一動して乾を成し、乾は郊野であるから「濃雲密に布くれども雨降らず、雲気は我が方の西郊より来る」という。爻辞は続けて「公弋取彼在穴」という。虞翻にいう。「公」は九三を指す。「弋」は糸繩を繫げたる短箭をもって射猟するをいう。坎は弓弾、離は鳥・矢である。繳射はもとより専ら箭矢を用いずして、巽繩をもって射中したる鳥を繫住す。まさに弋射の人と鳥の形象である。艮は手、第二爻は穴で、手は穴中に伸入するから「王公は繳射をもってあの穴中に蔵るる獲物を取得す」という。《小象伝》に「密雲不雨、已上也」とある。虞翻は第三爻の坎水がすでに上行して上六に至るを指摘し、すでに上り去りぬという。
上六:弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚。虞翻曰:謂四已變之坤,上得之三,故“弗遇過之”。離為飛鳥,公弋得之,鳥下入艮手而死,故“飛鳥離之凶”。晉坎為災眚,故“是謂災眚”矣。《象》曰:弗遇過之,已亢之。虞翻曰:飛下稱亢。晉上之三,故“已亢也”。
上六の爻辞に「弗遇過之、飛鳥離之、凶、是謂災眚」とある。虞翻の説明では、九四はすでに変じて坤を成し、上六は第三爻に下るを得るから「遇合せずして径自に越過す」という。離は飛鳥で、王公は繳射をもってこれを射中し、鳥は落下して艮手の中に入りて死す。だから「飛鳥は羅網に遭い、凶險」。晋卦中の坎は災眚であるから「これを災禍と謂う」。《小象伝》に「弗遇過之、已亢之」とある。虞翻は飛びて下るを「亢」と称すを指摘し、晋卦の上爻は第三爻に下るから、すでに亢極せりという。
既済卦
《序卦》曰:有過物者必濟,故受之以既濟。韓康伯曰:行過乎儉,可以矯世厲俗,有所濟也。(離下坎上)。既濟:亨小。利貞。虞翻曰:泰五之二。小,謂二也。柔得中。故“亨小”。六爻得位,各正性命,保合大和故“利貞”矣。初吉,虞翻曰:初,始也。謂泰乾。乾知大始,故稱“初”。坤五之乾二,得正處中,故“初吉,柔得中也。”
《序卦伝》にいう。「行事に常人を超過する所ある者は、必ず成済する所有る能し、故に小過の後に接ぐるは既済卦」。韓康伯の説明では、用度を倹省するに過ぎたるは、世風を矯正し習俗を砥礪すべく、ここにおいて成済する所有り。既済卦は下離上坎である。卦辞にいう「亨小、利貞」。虞翻は卦変をもって立説する。既済は泰卦の第五爻が下行して第二爻に至りて来る。「小」は六二を指し、柔爻は中を得るから「亨小」という。既済は六爻各々その正位を得、正しく《乾・彖》のいう「各正性命、保合大和」に合すから、正を守るに利あり。卦辞に「初吉」とある。虞翻の説明では、「初」は開始で、泰卦中の乾を指す。《繫辞》に「乾知大始」というあるから「初」と称す。坤の第五爻が乾の第二爻に下り、正を得て中に居るから「初め吉祥」といい、《彖伝》はこれを申して「柔得中也」という。
終亂。虞翻曰:泰坤稱亂。二上之五,終止於泰,則反成否。子弒其父,臣弒其君天下無邦,終窮成坤,故“亂,其道窮”。《彖》曰:既濟亨,小者亨也。荀爽曰:天地既交,陽升陰降,故“小者亨也”。利貞,剛柔正而位當也。侯果曰:此本泰卦。六五降二,九二升五,是剛柔正當位也。初吉,柔得中也。虞翻曰:中,謂二。
卦辞に「終乱」とある。虞翻の説明では、泰卦中の坤を乱と称す。第二爻が第五爻に上行し、終に泰に止息するも、かえって否に変ず。その時に至ればすなわち子は父を弑殺し臣下は君主を弑殺し、天下に邦国なく、窮極して全く坤体を成す。だから「終に禍乱に帰し、その道は窮尽す」という。《彖伝》に「既済亨、小者亨也」とある。荀爽の説明では、天地の二気はすでに交通し、陽気は上升し陰気は下降するから、小者に至るまでも亨通し得る。《彖伝》に「利貞、剛柔正而位当也」とある。侯果は指摘す。既済はもと泰卦より変じて来り、泰の六五は第二爻に下降し九二は第五爻に上升し、ここにおいて剛柔各々正にして位みな当たりを得る。《彖伝》に「初吉、柔得中也」とある。虞翻は「中」はすなわち六二と指摘す。
終止則亂,其道窮也。虞翻曰:反否終坤,故“其道窮也”。侯果曰:剛得正,柔得中,故“初吉”也。正有終極,濟有息止,止則窮亂,故曰“終止則亂,其道窮也”。一曰:殷亡周興之卦也。成湯應天,初吉也。商辛毒痛,終止也。由止,故物亂而窮也。物不可窮,窮則復始,周受其未濟而興焉。《乾鑿度》曰:既濟未濟者,所以明戒慎,全王道也。
《彖伝》に「終止則乱、其道窮也」とある。虞翻の説明では、既済は反変して否と為りて終に坤を成すからその道は窮尽す。侯果はいう。剛爻は正を得、柔爻は中を得るから「初吉」。ただしおよそ正にして必ず終極あり、成済にも停息の時あり。一旦止まれば便ち窮困して乱を生ず。だから「終止則乱、其道窮也」。彼はまた一説を挙ぐ。これは殷亡びて周興るの卦——成湯は上に天命に応じ、すなわち「初吉」。商の紂は天下を毒害す、すなわち「終止」。停滞して進まざるによって物事は乱れ道は窮す。事物は永遠に窮尽する能わざるもの、窮極すれば便ち開端に重返す。周朝はまさにあの未済の局を承接して興起したるなり。《易緯・乾鑿度》にいう。既済・未済のこの両卦は、もって戒惧謹慎を闡明し王道を成全するに用いる。
《象》曰:水在火上,既濟。君子以思患而豫防之。荀爽曰:六爻既正,必當復亂,故君子象之。思患而豫防之,治不忘亂也。初九:曳其輪,濡其尾,無咎。《象》曰:曳其輪,義無咎也。宋衷曰:離者兩陽一陰。陰方陽圓,輿輪之象也。其一在坎中,以火入水,必敗,故曰“曳其輪”也。初在後,稱“尾”。尾濡曳,咎也。得正有應,於義要以危而無咎矣。
《大象伝》にいう。「水は火の上にあり、これすなわち既済。君子はこれによって領悟して禍患を予想して事に先だち防備すべし」。荀爽の説明では、六爻すでに各々その位を正にしたれば、必ずまた禍乱に転向す。だから君子はこの象に取法し、禍患を予想して事に先だち防備す。これすなわち天下治平の時に禍乱を忘れざるなり。初九の爻辞と《小象伝》にいう。「曳其輪、濡其尾、无咎。」「曳其輪、義无咎也。」宋衷の説明では、離卦は両陽が一陰を夾み、陰爻は方にして陽爻は円にして、まさに車厢と車輪の象。その一部分は坎水の中に陥り、火をもって水に入れば必ず敗壊に致るから「その車輪を拖住す」という。初九は最後に処るから「尾」と称す。尾巴は水に沾湿して拖曳するはもとより過失なるも、それは正を得て正応あるがゆえに、義理に就いて言えば、危境に処るも終に過失なきを得る。
六二:婦喪其佛,勿逐,七日得。虞翻曰:離為婦。泰坤為喪。佛發,謂鬒髮也。一名婦人之首飾。坎為玄云,故稱發。《詩》曰:鬒髮如雲。乾為首,坎為美;五取乾二之坤為坎,坎為盜,故“婦喪其佛”。泰震為七,故“勿逐,七日得”。與睽喪馬勿逐同義。佛,或作茀。俗說以佛為婦人蔽膝之茀,非也。
六二の爻辞に「婦喪其髴、勿逐、七日得」とある。虞翻の説明では、離は婦人、泰卦中の坤は喪失である。「髴」は頭髪を指し、すなわち濃密の鬒髪にして、また婦人首飾の名である。坎は黒雲であるがゆえに、もって髪を称し、《詩経・鄘風・君子偕老》は正しく「鬒髪如雲」という。乾は首、坎は美である。第五爻は乾の第二爻を取りて坤に入れて坎を成し、坎はまた盗であるから「婦人はその首飾を丟失せり」という。泰卦中の震の数は七であるから「追尋する勿かれ、七天の内におのずから尋回せん」という。これは睽卦の「喪馬勿逐」と取義同じ。「髴」はある本は「茀」と作す。世俗の説はこれを婦人が膝蓋を遮蔽する蔽膝と為すも、虞翻は誤りと為す。
《象》曰:七日得,以中道也。王肅曰:體柔應五,履順承剛,婦人之義也。佛,首飾。坎為盜。離為婦。喪其茀,鄰於盜也。勿逐自得,履中道也。二五相應,故“七日得”也。
《小象伝》に「七日得、以中道也」とある。王粛の説明では、六二は柔爻をもって上に九五に応じ、履む所は柔順にして上に剛爻に承る。これ正しく婦人の道に合す。「髴」は首飾である。坎は盗、離は婦。首飾を丟失したる所以は、盗賊と相隣するがゆえ。追尋せざれども自然に復得するは、その行う所が中道に合するがゆえ。六二と九五は彼此相応じ、二と五は相隔たること正しく七の数を得るから七天にして尋回し得るという。
九三:高宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。虞翻曰:高宗,殷王武丁。鬼方,國名。乾為高宗,坤為鬼方;乾二之坤五。故“高宗伐鬼方”。坤為年,位在三,故“三年”。坤為小人,二上克五,故“三年克之,小人勿用”。《象》曰:“憊也”。干寶曰:高宗,殷中興之君。鬼方,北方國也。高宗嘗伐鬼方,三年而後克之。離為戈兵,故稱“伐”。坎當北方,故稱“鬼”。在既濟之家,而述先代之功,以明周因於殷,有所弗革也。
九三の爻辞に「高宗伐鬼方、三年克之、小人勿用」とある。虞翻の説明では、高宗は殷王の武丁で、鬼方は国名である。乾は高宗、坤は鬼方で、乾の第二爻が坤の第五爻に上行するから「高宗は鬼方を征伐す」という。坤は年で、その位は第三爻にあるから「三年」という。坤はまた小人で、第二爻が上行して第五爻を克するから「三年にしてはじめてこれを攻克す、小人は任用すべからず」といい、《小象伝》は「憊也」と断ず。干宝は史実をもって立説す。高宗は殷代中興の君主で、鬼方は北方の国家。高宗はかつて鬼方を征伐し、三年の後にしてはじめて攻克したり。離は戈兵であるから「伐」と称し、坎は北方の位に当たるから「鬼」と称す。既済卦中に前代の功業を追述するは、周朝が殷制を因襲してある制度は未だ変革せざるを表明せんがためなり。
《象》曰:三年克之,憊也。侯果曰:伐鬼方者,興衰除暗之征也。上六暗極,九三征之,三舉方及,故曰“三年克之”。興役動眾,聖猶疲憊,則非小人能為,故曰“小人勿用”。虞翻曰:坎為勞,故“憊也”。
《小象伝》に「三年克之、憊也」とある。侯果の説明では、鬼方を征伐するは、衰微を振興し昏暗を掃除する征戦である。上六は昏暗極まり、九三は前進してこれを征討し、三度兵を興してはじめてこれに及ぶを得る。だから「三年にしてはじめて攻克す」という。師を興し衆を動かすは、聖明の君主をもってしてもなお疲憊不堪なり。これは小人の勝任し得る所にあらざるから「小人勿用」という。虞翻は卦象より言う。坎は労苦であるがゆえに疲憊なり。
六四:繻有衣袽,終日戒。虞翻曰:乾為衣,故稱“繻”。袽,敗衣也。乾二之五,衣象裂壞,故“繻有衣袽”。離為日,坎為盜,在兩坎間,故“終日戒”。謂伐鬼方三年乃克。旅人勤勞,衣服皆敗,鬼方之民,猶或寇竊,故“終日戒”也。《象》曰:終日戒,有所疑也。盧氏曰:繻者,布帛端末之識也。袽者,殘幣帛,可拂拭器物也。繻有為衣袽之道也。四處明暗之際,貴賤無恆,猶或為衣或為袽也。履多懼之地,上承帝主,故終日戒慎,有所疑懼也。
六四の爻辞に「繻有衣袽、終日戒」とある。虞翻の説明では、乾は衣であるから「繻」と称し、すなわち細密の繒帛。「袽」は破敗の旧衣である。乾の第二爻が第五爻に上行すれば、衣の形象はここにおいて破裂す。だから「好端端の衣料は破絮と変じたり」という。離は日、坎は盗で、六四は二つの坎体の間に夾まるから「終日戒備す」。これは鬼方を征伐して三年にしてはじめて克ち、出征の人は辛労日久しく、衣服はみな破敗し、しかして鬼方の百姓はなお時々劫掠偷竊するがゆえに、終日戒備せざるべからざるをいう。《小象伝》に「終日戒、有所疑也」とある。盧氏は別に訓釈を作す。「繻」は布帛の両端に作る標識で、「袽」は残破の帛片にして、もって器物を拂拭すべし。一匹の好帛にも破絮に淪るの可能有り。六四は明と暗の交界の処に処り、貴賤は常態なし。正しくあるいは衣料と為りあるいは破絮と為るがごとし。それの踏む所は多憂懼の地にして、上はまた君主に承奉す。だから終日戒惧謹慎にして心に疑虑を存す。
九五:東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。虞翻曰:泰震為東,兌為西,坤為牛,震動五殺坤,故“東鄰殺牛”。在坎多眚,為陰所乘,故“不如西鄰之禴祭”。禴,夏祭也。離為夏。兌動二,體離,明。得正承五,順三。故“實受其福,吉大來也”。
九五の爻辞に「東鄰殺牛、不如西鄰之禴祭、実受其福」とある。虞翻の説明では、泰卦中の震は東にあり、兌は西にあり、坤は牛である。震は動きて第五爻は坤牛を宰殺するから「東辺の隣居は牛を殺して盛祭す」という。九五は坎中に処りて災眥多く、また陰爻に乗ぜられるから「西隣のあの微薄の禴祭に比するに如かず」。「禴」は夏天の祭祀で、離は夏である。兌は第二爻に動きて離体を成し、離は明である。六二は正を得て上に九五に承り、下に九三に順うから「実実在在に神明の福佑を承受せり」といい、《小象伝》はこれを申して「吉大来也」という。
《象》曰:東鄰殺牛,不如西鄰之時也。崔覲曰:居中當位。於既濟之時,則當是周受命日也。五坎為月。月出西方,西鄰之謂也。二應在離,離為日。日出東方,東鄰之謂也。離又為牛,坎水克離火,東鄰殺牛之象。禴,殷春祭之名。案《尚書》:克殷之歲,厥四月哉生明。王來自商,至於豐。丁未,祀於周廟。四月殷之三月,春也。則明西鄰之禴祭,得其時而受祉福也。實受其福,吉大來也。盧氏曰:明鬼享德不享味也。故德厚者,吉大來也。
《小象伝》に「東鄰殺牛、不如西鄰之時也」とある。崔覲の説明では、九五は中に居りて位に当たり、既済の時に処り、当に周朝が天命を承受する日なり。第五爻は坎に属し、坎は月で、月は西方より出づ。すなわちいわゆる「西鄰」。六二の応ずる所は離にあり、離は日で、日は東方より出づ。すなわちいわゆる「東鄰」。離はまた牛で、坎水は離火に克すはまさに東隣が牛を殺すの象。「禴」は殷代の春祭の名称である。彼は《尚書・武成》の記する所を引く。殷を滅したるあの年の四月初生明の時、武王は商地より帰りて豊邑に至り、丁未の日に周の宗廟において祭祀を挙行せり。殷暦の四月はすなわち夏暦の三月で、まさに春季に当たる。見るべし、西隣の禍祭は時令に合して福佑を得たるを。だから「実受其福、吉大来也」という。盧氏はその義を申明す。これは鬼神の享くる所は徳行にして祭品の滋味にあらざるを説明す。だから徳行の深厚なる者は、吉慶はじめて大いに来たる。
上六:濡其首,厲。虞翻曰:乾為首,五從二上在坎中,故“濡其首,厲”。位極乘陽,故“何可久”。《象》曰:濡其首厲,何可久也。荀爽曰:居上濡五,處高居盛,必當復危,故“何可久也”。
上六の爻辞に「濡其首、厲」とある。虞翻の説明では、乾は首である。第五爻は第二爻より上りて坎水の中に処るから「頭を浸し濡らし、危険あり」という。上六は位を極処に居して陽爻に凌乗するから《小象伝》に「あに長久ならんや」という。《小象伝》に「濡其首厲、何可久也」とある。荀爽の説明では、上六は最上に居りて九五を浸濡し、処る所また高くまた盛んにして、必ず重ねて危殆に転向す。だからあに長久ならんやという。
未済卦
《序卦》曰:物不可窮也,故受之以未濟終焉。崔覲曰:夫易之為道,窮則變,變則通。而以未濟終者,亦物不可窮也。(坎下離上)。未濟:亨。虞翻曰:否二之五也。柔得中,天地交。故“亨”。濟,成也。六爻皆劃錯,故稱未濟也。小狐汔濟,虞翻曰:否艮為小狐。汔,幾也。濟,濟渡。狐濟幾度,而濡其尾,未出中也。
《序卦伝》にいう。「事物は窮尽する時あるべからず、故に最後に未済卦をもって結びとす」。崔覲の説明では、《易》の講する所の道理は窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず。全書は未済をもって收尾とするも、またまさに事物は尽頭に走り至らざるを表明するなり。未済卦は下坎上離である。卦辞に「亨」とある。虞翻は卦変をもって立説する。未済は否卦の第二爻が上行して第五爻に至りて来る。柔爻は中を得、天地は交通するから亨通す。「済」は成の意である。未済は六爻の陰陽すべて錯位して当たらざるがゆえに「未済」と名づく。卦辞に「小狐汔済」とある。虞翻の説明では、否卦中の艮は小狐である。「汔」はほとんど・将近で、「済」は水を渡る。小狐は河を渡り、眼を見ればまさに渡らんとするも、尾巴を沾湿す。それが未だ坎水の中を脱せざるがゆえなり。
濡其尾,無攸利。虞翻曰:艮為尾。狐,獸之長尾者也。尾謂二,在坎水中。故“濡其尾”。失位,故“無攸利,不續終也”。干寶曰:坎為狐。《說文》曰:汔,涸也。案:剛柔失正,故未濟也。五居中應剛,故“亨”也。小狐力弱,汔乃可濟。水既未涸,而乃濟之。故尾濡而無所利也。
卦辞は続けて「濡其尾、无攸利」という。虞翻の説明では、艮は尾で、狐は尾巴の長き野獣である。「尾」は九二を指し、それは坎水の中に処るから「尾巴を沾湿せり」。九二は位を失うがゆえに「利ある所なし」。《彖伝》はこれを申して「不続終也」という。干宝は坎を狐とす。《説文解字》は「汔」を水の干涸ると訓す。李鼎祚の按語にいう。全卦は剛柔ともにその正位を失うから未済という。六五は中に居りて下に剛爻に応ずるから亨を得る能し。小狐は気力弱小にして、水の干涸るるを待ちてのち渡るべし。いま水は未だ涸れざるに貿然として渡らんとすれば、尾巴は沾湿して利を得る一無し。
《彖》曰:未濟亨,柔得中也。荀爽曰:柔上居五,與陽合同,故“亨”也。小狐汔濟,未出中也。虞翻曰:謂二未變,在坎中也。干寶曰:狐,野獸之妖者,以喻祿父。中,謂二也。困而猶處中故也。此以記紂雖亡國,祿父猶得封矣。
《彖伝》に「未済亨、柔得中也」とある。荀爽の説明では、柔爻は上行して第五爻に居り、陽爻と協同一致するから亨通す。《彖伝》に「小狐汔済、未出中也」とある。虞翻は指摘す。これは九二が未だ変動せず、なお坎険の中に在るをいう。干宝は史事をもってこれを解す。狐は野獣中の妖異の物で、もって武庚禄父を喩える。「中」は第二爻を指し、彼が困難の境に処るもなお中位に居るをいう。これは商の紂すでに亡国せるも、禄父はなお封地を得たるを記するなり。
濡其尾,無攸利,不續終也。虞翻曰:否陰消陽,至剝終坤,終止則亂,其道窮也。乾五之二,坤殺不行,故“不續終也”。干寶曰:言祿父不能敬奉天命,以續既終之禮,謂叛而被誅也。雖不當位,剛柔應也。荀爽曰:雖剛柔相應,而不以正,由未能濟也。干寶曰:六爻皆相應,故微子更得為客也。
《彖伝》に「濡其尾、无攸利、不続終也」とある。虞翻の説明では、否卦は陰が陽を消する卦で、消して剥卦に至りて終に坤を成す。正しく既済《彖伝》のいう「終止則乱、其道窮也」のごとし。乾の第五爻が第二爻に下り、坤の粛殺の気は施行を得ざるから「接続して終る能わず」という。干宝はいう。これは武庚禄父が天命を恭敬に奉行して、殷商のすでに終わりし礼を接続する能わざるを言い、彼が叛乱して誅せられたるを指す。《彖伝》はまた「雖不当位、剛柔応也」という。荀爽の説明では、剛柔は彼此相応ずるといえども、みな正位に居らざるがゆえに、なお成済し能わず。干宝はいう。六爻は両々みな相応ずるがゆえに、微子は改めて立てられて周朝の賓客と為るを得たり。
《象》曰:火在水上,未濟。侯果曰:火性炎上,水性潤下,雖復同體,功不相成,所以未濟也。故君子慎辨物宜,居之以道,令其功用相得,則物咸濟矣。君子以慎辨物居方。虞翻曰:君子,否乾也。艮為慎。辨,別也。物謂乾陽物也,坤陰物也;艮為居,坤為方;乾別五以居坤二。故“以慎辨物居方”也。
《大象伝》にいう。「火は水の上にあり、これすなわち未済」。侯果の説明では、火の性質は上に向かいて燃焼し、水の性質は下に向かいて浸潤す。同じく一卦の体に処るも、功用は相成す能わざるがゆえに「未済」と称す。これによって君子は謹んで事物の各々の宜しき所を分辨し、正道をもってそれらを安置し、その功用を彼此配合せしむれば、万物はみな成済を得る。経文に「君子以慎辨物居方」とある。虞翻の説明では、「君子」は否卦中の乾を指す。艮は謹慎、「辨」は分别である。「物」はすなわち《繫辞》のいう乾は陽物・坤は陰物なり。艮は居、坤は方位で、乾は第五爻を分出して坤の第二爻に居るから「謹んで事物を分辨し、各々その方位に安んぜしむ」という。
初六:濡其尾,吝。虞翻曰:應在四,故“濡其尾”。失位,故“吝”。《象》曰:濡其尾,亦不知極也。案:四在五後,故稱“尾”。極,中也。謂四居坎中,以濡其尾,是不知極也。
初六の爻辞に「濡其尾、吝」とある。虞翻の説明では、初六の応ずる所は九四にあり、水中に牽連せられて「尾巴を沾湿せり」。それは陰をもって陽に居りて位を失うがゆえに憾惜あり。《小象伝》に「濡其尾、亦不知極也」とある。李鼎祚の按語にいう。第四爻は第五爻の後にあるがゆえに「尾」と称す。「極」は中の意である。これは九四が坎水の中に処りて尾巴を沾湿し、これまさに適中の道を知らざるをいう。
九二:曳其輪,貞吉。姚信曰:坎為曳,為輪,兩陰夾陽,輪之象也。二應於五,而隔於四,止則據初,故“曳其輪”。處中而行,故曰“貞吉”。干寶曰:坎為輪。離為牛,牛曳輪。上以承五命,猶東蕃之諸侯,共攻三監,以康周道,故曰“貞吉”也。《象》曰:九二貞吉,中以行正也。虞翻曰:謂初已正,二動成震,故“行正”。
九二の爻辞に「曳其輪、貞吉」とある。姚信の説明では、坎は拖曳・車輪で、二つの陰爻が一つの陽爻を夾むはまさに車輪の象。九二は上に六五に応ずるも、九四に阻隔せられ、止まれば便ち初六に乗据するから「その車輪を拖住す」という。それは中位に処りて行うから「正を守りて吉を得る」という。干宝は史事をもって立説す。坎は輪、離は牛で、牛は車輪を拉する。九二は上に六五の命令を承奉し、たとえば東方藩国の諸侯が共同して三監の乱を討伐し、もって周朝の王道を安定せしめたるがごとし。だから「貞吉」。《小象伝》に「九二貞吉、中以行正也」とある。虞翻は指摘す。初六はすでに変じて正を得、九二が一動すれば震を成し、震は行であるから「行いはその正を得る」という。
六三:未濟,征凶,利涉大川。荀爽曰:未濟者,未成也。女在外,男在內,婚姻未成。徵上從四則凶。利下從坎,故“利涉大川”矣。《象》曰:未濟征凶,位不當也。干寶曰:吉凶者,言乎其得失也。祿父反叛,管蔡與亂,兵連三年,誅及骨肉,故曰“未濟征凶”。平克四國,以濟大難,故曰“利涉大川”。坎也。以六居三,不當其位,猶周公以臣而君,故流言作矣。
六三の爻辞に「未済、征凶、利渉大川」とある。荀爽の説明では、「未済」はすなわち未成。この卦は陰女は外卦にあり陽男は内卦にあり、婚姻の事は未だ成就せず。六三は上に向かいて九四に跟従して行けば凶險あり、下に向かいて坎水に跟従するに利あるから「大河を渡るに利あり」という。《小象伝》に「未済征凶、位不当也」とある。干宝は周初の史事をもってこれを解す。《繫辞》に吉凶は得失について言うという。武庚禄父は反叛し、管叔・蔡叔は乱を作すに参与し、戦事は連綿三年、誅戮は骨肉至親に及ぶ。だから「未済征凶」という。後に四国の乱を平定し大難を度過したれば「利渉大川」といい、坎はまさに大川である。陰爻をもって第三爻の陽位に居るはその位に合せざるがごとく、周公が臣子の身分をもって君権を代行したるに似たり。だからこそ流言を招来したり。
九四:貞吉,悔亡。虞翻曰:動正得位,故吉而悔亡矣。震用伐鬼方,三年有賞于大邦。虞翻曰:變之震,體師:坤為鬼方。故“震用伐鬼方”。坤為年,為大邦,陽稱賞,四在坤中,體既濟離三,故“三年有賞于大邦”。
九四の爻辞に「貞吉、悔亡」とある。虞翻の説明では、九四は変動してその正位を得るから吉祥にして悔恨は亡ぶ。爻辞は続けて「震用伐鬼方、三年有賞于大邦」という。虞翻にいう。九四が変じて震を成し、卦体は師卦のごとく、坤は鬼方であるから「威武の力を奮起して鬼方を征伐す」という。坤は年・大国で、陽爻は賞賜と称す。九四は坤体の中に処り、その体はまた既済の第三爻の離象に合するから「三年の後、大国より封賞を得たり」という。
《象》曰:貞吉悔亡,志行也。案:坎為志,震為行,四坎變震,故“志行也”。六五:貞吉,無悔。虞翻曰:之正則吉,故“貞吉,無悔”。君子之光,有孚,吉。虞翻曰:動之乾,離為光,故“君子之光”也。孚謂二。二變應已,得有之,故“有孚吉”。坎稱孚也。干寶曰:以六居五,周公攝政之象也,故曰“貞吉無悔”。制禮作樂,復子明辟。天下乃明其道,乃信其誠。故“君子之光,有孚,吉”矣。
《象伝》が《未済》の九四を解していう。爻辞の言う「正を守りて吉を得、悔恨は消失す」は、九四の心志が推行を得たるがゆえなり。李鼎祚の按語にいう。坎卦は象を取って心志とし、震卦は象を取って行動とす。九四の処する坎体は変じて震と為るがゆえに《象伝》は「志行也」という。《未済》の六五の爻辞にいう。正固を守持すれば吉祥を獲て悔恨を遺さず。虞翻は卦変によって立説す。六五は陰をもって陽位に居りもと位に当たらざるも、一旦変動して正位に帰すれば吉を得る。だから爻辞に「貞吉、无悔」という。爻辞は続けていう。君子の徳行は光輝して外に顕れ、心に誠信を懐き、吉祥。虞翻の説明では、六五は変動して乾体に通じ、互体は離を成し、離は光明であるから「君子之光」と称す。「孚」は九二を指し、九二が一変すれば上に六五に応じ、六五はここにおいてこの誠信を擁有するを得るから「有孚吉」という。坎卦は本身また「孚」と称す。干宝は改めて史事をもって経を解す。陰爻の六をもって五のこの君位に居るは、まさに周公が臣子の身分をもって王政を代行したるの形象であるから「貞吉无悔」という。周公は礼楽を制作し、功成したる後また政権を年幼の成王に帰還せしめ、天下人はここにおいて彼の道義を明白にし彼の誠心を相信したり。だから「君子之光、有孚、吉」という。
《象》曰:君子之光,其暉吉也。虞翻曰:動之正,乾為大明,故“其暉吉也”。上九:有孚于飲酒,無咎。濡其首,有孚失是。虞翻曰:坎為孚,謂四也。上之四介四,故“有孚”。飲酒流頤中,故“有孚于飲酒”。終變之正,故“無咎”。乾為首,五動首在酒中,失位,故“濡其首”矣。孚,信。是,正也。六位失正,故“有孚失是”。謂若殷紂沉湎於酒,以失天下也。《象》曰:飲酒濡首,亦不知節也。虞翻曰:節,止也。艮為節,飲酒濡首,故“不知節矣”。
《象伝》にいう。君子の光輝が吉祥なる所以は、その光芒が四方を照耀し得るがゆえなり。虞翻の説明では、六五が変動して各爻は正位に帰し、すなわち乾体を成し、乾は盛大の光明であるから《象伝》に「其暉吉也」という。《未済》の上九の爻辞にいう。誠信を懐いて飲酒して楽しむは、過失ならず。ただし沉溺して頭を沾湿するに至らば、たとい誠信あるも正道を失いぬ。虞翻の説明では、坎卦は象を取って誠信とし、ここでは九四を指す。上九は下に九四に交わり、九四の側に介居するから「有孚」という。飲酒の液体は頤口の中を流動するから「有孚于飲酒」という。上九は終に変動して正位を得るから「无咎」。乾卦は象を取って頭とし、六五が一動すれば頭は酒の中に浸り、また正位を失うから「濡其首」という。「孚」は誠信、「是」は正道である。六爻はみな正位を失うから「有孚失是」という。たとえば殷の紂王が酒色に沉湎して終に天下を喪失したるがごとし。《象伝》にいう。飲酒して頭頂を沾湿するに竟至るは、また節制を知らざるなり。虞翻の説明では、「節」はすなわち止息で、艮卦は象を取って止・節制とす。飲酒して頭頂を沾湿するに至るは、まさに節制を知らざるなり。だから「不知節矣」という。
巻十三・繫辞上伝
天尊地卑,乾坤定矣。虞翻曰:天貴故“尊”,地賤故“卑”。“定”謂成列。荀爽曰:謂否卦也。否七月,萬物已成,乾坤各得其位定矣。卑高以陳,貴賤位矣。虞翻曰:乾高貴五,坤卑賤二,列貴賤者,存乎位也。荀爽曰:謂泰卦也。侯果曰:天地卑高,義既陳矣;萬物貴賤,位宜差矣。
《繫辞上伝》にいう。天は上にありて尊貴、地は下にありて卑下なり、乾坤両卦の位置はこれによって確定す。虞翻の説明では、天は貴ぶべきがゆえに「尊」と称し、地は卑微なるがゆえに「卑」と称す。「定」は乾坤が各々行列を排すをいう。荀爽は十二消息卦をもって言う。これは《否》卦を講し、《否》は七月に配し、この時万物はすでに長成し、乾は上にあり坤は下にありて各々本位に安処す。だから「定」という。経文はまたいう。卑と高すでに陳列せられれば、貴と賎の地位はすなわち分明なり。虞翻の説明では、乾は上に居りて九五をもって尊貴と為し、坤は下に居りて六二をもって卑賎と為す。貴賎を排列する依据は、爻位の高低に在り。荀爽はいう。これは《泰》卦を講す。侯果にいう。天地の高下の義すでに陳列せられたるより、万物の貴賎の等次は自然に当に差別あるべし。
動靜有常,剛柔斷矣。虞翻曰:斷,分也。乾剛常動,坤柔常靜,分陰分陽,迭用柔剛。方以類聚,《九家易》曰:謂姤卦,陽爻聚於午也。方,道也。謂陽道施生,萬物各聚其所也。物以群分,《九家易》曰:謂復卦,陰爻群於主子也。陰,成故曰物“物”也。至於萬物一成,分散天下也。以周人用,故曰“物以群分”也。
経文にいう。動と静は各々常規あり、剛と柔はこれによって判分す。虞翻の説明では、「断」はすなわち分别である。乾性は剛健にして恒常に動き、坤性は柔順にして恒常に静に処り、一は陰に分かち一は陽に分かち、剛柔は交替して作用を発する。経文にいう。万類はその方位に依って聚合す。《九家易》の説明では、これは《姤》卦を講し、一陰は始めて生じて衆陽は午位に聚集す。「方」はすなわち道で、陽気の道が化生を施行し、万物は各々その在るべき所に聚集するをいう。経文にいう。万物はその種群に依って分散す。《九家易》の説明では、これは《復》卦を講し、衆陰は子位に聚集す。陰は收成を主り、形を成して後にはじめて「物」と称すべし。万物が各々形を成するに及べば、分散して天下に布满し、人は時に依って周遍して取用す。だから「物以群分」という。
吉凶生矣。虞翻曰:物三稱群,坤方道靜,故“以類聚”。乾物運行,故“以群分”。乾生,故“吉”;坤殺,故“凶”,則“吉凶生矣”。在天成象,在地成形,變化見矣。虞翻曰:謂日月在天成八卦;震象出庚,兌象見丁,乾象盈甲,巽象伏辛,艮象消丙,坤象喪乙,坎象流戊,離象就已,故“在天成象”也。在地成形,謂震竹巽木,坎水離火,艮山兌澤,乾金坤土。在天為變,在地為化,剛柔相推,而生變化矣。
経文にいう。吉と凶はこのようにして生ず。虞翻の説明では、三個以上の物をはじめて「群」と称す。坤の方位の道は静を主るから「以類聚」という。乾の物は周流運行するから「以群分」という。乾は生育を主るから「吉」と為し、坤は粛殺を主るから「凶」と為す。吉凶はここにおいて産生す。経文にいう。天上においては種種の星象を結成し、地上においては種種の形体を凝成す。変と化は顕現す。虞翻は月体納甲の説をもって解する。これは日月が天上を運行して八卦の象を結成するを講す——初三の傍晚に新月は庚方に出でて震象、初八に上弦月は丁方に見えて兌象、十五に満月は甲方に盈ちて乾象、十六以後月魄は辛方に伏して巽象、二十三に下弦月は丙方に消えて艮象、三十に月光は乙方に喪えて坤象、晦朔の間は坎象が戊位に流行し、日中の時は離象が己位に就く。だから「在天成象」という。「在地成形」に至っては、震は竹・巽は木、坎は水・離は火、艮は山・兌は沢、乾は金・坤は土をいう。天に在るを「変」と名づけ、地に在るを「化」と名づく。剛柔は互いに推移して、変化はこれによって生ず。
是故剛柔相摩,八卦相蕩。虞翻曰:旋轉稱摩薄也。乾以二五摩坤,成震、坎、艮。坤以二五摩乾,成巽、離、兌。故“剛柔相摩,則八卦相蕩”也。鼓之以雷霆,潤之以風雨。虞翻曰:鼓,動。潤,澤也。雷震庭艮,風巽雨兌也。日月運行,一寒一暑。虞翻曰:日離月坎,寒乾暑坤也。運行往來,日月相推,而明生焉。寒暑相推,而歲成焉,故“一寒一暑”也。
経文にいう。これによって剛柔は互いに摩蕩し、八卦は互いに激揚す。虞翻の説明では、旋回交接するを「摩」といい、すなわち逼近して相切る。乾は二・五の両爻をもって坤を摩蕩して震・坎・艮の三男を生じ、坤は二・五の両爻をもって乾を摩蕩して巽・離・兌の三女を生ず。だから「剛柔相摩、則八卦相蕩」という。経文にいう。雷霆をもってそれらを鼓動し、風雨をもってそれらを滋潤す。虞翻の説明では、「鼓」は鼓動、「潤」は潤沢である。雷は震に取象し、霆は艮に取象し、風は巽に取象し、雨は兌に取象す。経文にいう。日月は循環運行し、寒来暑往して交替す。虞翻の説明では、太陽は離に属し、月亮は坎に属し、寒は乾に属し、暑は坤に属す。日月は往来運行して互いに推移して光明を生じ、寒暑は互いに推移して一年を完成す。だから「一寒一暑」という。
乾道成男,坤道成女。荀爽曰:男謂乾,初適坤為震;二適坤為坎;三適坤為艮,以成三男也。女謂坤,初適乾為巽;二適乾為離;三適乾為兌,以成三女也。乾知大始,《九家易》曰:始,謂乾稟元氣,萬物資始也。坤作成物。荀爽曰:物謂坤任育體,萬物資生。
経文にいう。乾の法則は男性を化成し、坤の法則は女性を化成す。荀爽は乾升坤降の法によって説明する。いわゆる「男」は乾より出づ。乾の初爻は坤に交入して震を成し、二爻は坤に交入して坎を成し、三爻は坤に交入して艮を成し、ここにおいて震・坎・艮の三つの男卦あり。いわゆる「女」は坤より出づ。坤の初爻は乾に交入して巽を成し、二爻は乾に交入して離を成し、三爻は乾に交入して兌を成し、ここにおいて巽・離・兌の三つの女卦あり。経文にいう。乾は万物の偉大なる開端を主管す。《九家易》の説明では、「始」は乾が元気を秉受し、万物はみなそれに凭ってはじめて開端あるをいう。経文にいう。坤は万物を生成するを負責す。荀爽の説明では、「物」は坤が形体を孕育する職責を担当し、万物はみなそれに凭ってはじめて生長し得るをいう。
乾以易知,坤以簡能。虞翻曰:陽見稱易,陰藏為簡,簡,閱也。乾息昭物,天下文明,故“以易知”。坤閱藏物,故“以簡能”矣。易則易知,簡則易從。虞翻曰:乾懸象著明,故“易知”。坤陰陽動闢,故“易從”不習無不利,地道光也。
経文にいう。乾は平易の方式をもって主宰し、坤は簡約の方式をもって成能す。虞翻の説明では、陽気が顕現するを「易」と名づけ、陰気が收藏するを「簡」と名づく。「簡」は検閲収納の意あり。乾気は生長して万物を照明し、天下をして文采光明あらしむるから「以易知」という。坤は能く万物を収納庋蔵するから「以簡能」という。経文にいう。平易なれば容易に理解せられ、簡約なれば容易に遵従せらる。虞翻の説明では、乾は天象を高懸して顕著昭明なるがゆえに「易知」。坤は陰陽の消息に随いて開合動作するがゆえに「易従」。正しく《坤》卦の六二の爻辞のいう、刻意に演習せざるも利あらざる所なし——あれは地道の光大なるがゆえなり。
易知則有親,易從則有功。虞翻曰:陽道成乾,為父,震、坎、艮,為子,本乎天者親上,故“易知則有親”。以陽從陰,至五多功,故“易從則有功矣”。蜀才曰:以其易知,故物親而附之。以其易從故物法而有功也。有親則可久,有功則可大。荀爽曰:陰陽相關,雜而不厭,故“可久”也。萬物生息,種類繁滋,故“可大”也。
経文にいう。容易に理解せられれば人の親附あり、容易に遵従せられれば功業を建立し得る。虞翻の説明では、陽道は積聚して乾を成し、乾は父で、震・坎・艮は子である。天に本源するは自然に上に親近するから「易知則有親」という。陽爻をもって上行して陰位に順承し、五位に至れば功績最も多し。だから「易従則有功」という。蜀才が補う。まさにそれが容易に了解せらるるがゆえに、万物はそれに親近依附す。まさにそれが容易に遵循せらるるがゆえに、万物はそれを效法して功業を成就す。経文にいう。人の親附あれば便ち長久し得、功業あれば便ち広大し得る。荀爽の説明では、陰陽は互相關聯し、錯杂交感して相厭棄せざるから「可久」。万物は生々して息まず、種類は繁衍滋長するから「可大」。
可久則賢人之德,可大則賢人之業。姚信曰:賢人,乾坤也。言乾以日新為德,坤以富有為業也。易簡而天下之理得矣。虞翻曰:易為乾息,簡為坤消,乾坤變通,窮理以盡性,故“天下之理得矣”。天下之理得,而易成位乎其中矣。荀爽曰:陰位成於五,陰位成於二,五為上中,二為下中,故“易成位乎其中”也。
経文にいう。長久し得るは賢人の徳行、広大し得るは賢人の功業。姚信の説明では、ここの「賢人」はすなわち乾坤両卦を指す。乾は日日更新をもって徳行と為し、坤は富厚広有をもって功業と為すをいう。経文にいう。平易簡約を懂れば、天下の道理はみな掌握せらる。虞翻の説明では、「易」は乾気の生長に対応し、「簡」は坤気の消退に対応す。乾坤は往来変通し、物理を窮究して人物の性を尽すから「天下之理得矣」という。経文にいう。天下の理すでに得たれば、《易》道は便ち天地の中においてその位置を確立す。荀爽の説明では、陽位は第五爻に成就し、陰位は第二爻に成就す。五は上卦の中、二は下卦の中で、みな中に居りて偏らざるから「易成位乎其中」という。
聖人設卦,案:聖人謂伏羲也。始作八卦,重為六十四卦矣。觀象,繫辭焉,案:文王觀六十四卦,三百八十四爻之象,繫屬其辭。而明吉凶。荀爽曰:因得明吉,因失明凶也。剛柔相推而生變化。虞翻曰:剛推柔生變,柔推剛生化也。
経文にいう。聖人は卦象を設立す。李鼎祚の按語にいう。ここの「聖人」は伏羲を指し、彼は最初に八卦を画出し、また重畳して六十四卦を成せり。経文にいう。卦象を観察し、文辞を繫上す。李鼎祚の按語にいう。これは周文王が六十四卦・三百八十四爻の象を観察し、逐一相応の辞句を繫上したるを指す。経文にいう。これによって吉凶を闡明す。荀爽の説明では、爻位の得る所に依拠して吉を闡明し、爻位の失う所に依拠して凶を闡明す。経文にいう。剛柔は互いに推移して変化を産生す。虞翻の説明では、剛が柔を推動するを「変」と名づけ、柔が剛を推動するを「化」と名づく。
是故吉凶者,失得之象也。虞翻曰:吉則象得,凶則象失也。悔吝者,憂虞之象也。荀爽曰:憂虞小疵,故“悔吝”也。虞翻曰:悔則象憂,吝則象虞也。干寶曰:悔亡則虞,有小吝則憂。憂虞未至於失得,悔吝不入于吉凶。事有小大,故辭有急緩,各象其意也。
経文にいう。いわゆる吉凶は、得失の象徴である。虞翻の説明では、吉は得る所有るを象徴し、凶は失う所有るを象徴す。経文にいう。いわゆる悔吝は、憂愁と疑虑の象徴である。荀爽の説明では、憂愁疑虑は小小の毛病に過ぎざるがゆえに「悔吝」と称す。虞翻は分かちて配属していう。「悔」は憂愁を象徴し、「吝」は疑虑を象徴す。干宝はさらに区分す。悔恨は消亡してなお疑虑存り、小小の憾惜が現わるれば便ち憂愁を生ず。憂慮はなお真の得失に及ばず、悔吝もまた未だ吉凶の範囲に落入せず。事情に大小の別あるがゆえに、卦爻辞の語気は急あり緩あり、各々その表達せんと欲する意を象徴す。
變化者,進退之象也。荀爽曰:春夏為變,秋冬為化。息卦為進,消卦為退也。剛柔者,晝夜之象也。荀爽曰:剛謂乾,柔謂坤。乾為晝,坤為夜。晝以喻君。夜以喻臣也。六爻之動,陸績曰:天有陰陽二氣,地有剛柔二性,人有仁義二行。六爻之動,法乎此也。
経文にいう。いわゆる変化は、前進と後退の象徴である。荀爽は十二消息の法によって説明する。春夏は陽気が舒発するを「変」と名づけ、秋冬は陰気が収斂するを「化」と名づく。陽気の生長する息卦は「進」、陽気の消退する消卦は「退」。経文にいう。いわゆる剛柔は、白昼と黑夜の象徴である。荀爽の説明では、剛は乾を指し、柔は坤を指す。乾は白昼、坤は黑夜で、白昼はもって君主を喩え、黑夜はもって臣下を喩える。経文にいう。六爻の変動。陸績の説明では、天に陰・陽の二気あり、地に剛・柔の二性あり、人に仁・義の二徳あり。六爻の変動は、まさにこの天地人三才の両両相対するに效法して来る。
三極之道也。陸績曰:此三才極至之道也。初、四,下極;二、五,中極;三、上,上極也。是故君子所居而安者,易之象也。虞翻曰:君子謂文王。象謂乾二之坤,成坎月離日。日月為象。君子黃中通理,正位居位。故“居而安者,易之象也。”舊讀象誤作厚,或作序,非也。
経文にいう。これすなわち三極の道。陸績の説明では、これは天・地・人の三才が登峰造極したる法則である。初爻と四爻は下極、二爻と五爻は中極、三爻と上爻は上極である。経文にいう。だから君子の平居して安処し得るは、《易》の卦象なり。虞翻の説明では、「君子」は周文王を指す。「象」は乾の二爻が坤に交入し、坎を成して月と為し離を成して日と為すを指す。日月はすなわち最大の象。君子は内に黄中の徳を含みて文理に通達し、名分を端正してその位に安居す。だから「居而安者、易之象也」。旧本は「象」を誤って「厚」と作し、あるいは「序」と作す。みな錯誤なり。
所變而玩者,爻之辭也。虞翻曰:爻者,言乎變者也。謂乾五之坤,坤五動,則觀其變。舊作樂,字之誤。是故君子居則觀其象而玩其辭,虞翻曰:玩,弄也。謂乾五動成大有,以離之目,觀天之象。兌口玩習所繫之辭,故“玩其辭”。動則觀其變而玩其占,虞翻曰:謂觀爻動也。以動者尚其變,占事知來,故“玩其占”。
経文にいう。君子の反復して変通し玩味する所は、爻辞なり。虞翻の説明では、いわゆる「爻」は、すなわち変動を講するなり。たとえば乾の五爻が坤に交入り、坤の五爻が一動すれば、その変化を観察すべきがごとし。旧本は「玩」を「楽」と作すは字形の誤りなり。経文にいう。だから君子は平居の時には便ち卦象を観察して卦爻の辞を玩味す。虞翻の説明では、「玩」はすなわち反復して摩挲し体会するなり。乾の五爻は変動して《大有》を成し、離卦の象する眼をもって天の形象を観看し、兌卦の象する口をもって繫げたる文辞を誦習す。だから「玩其辞」という。経文にいう。行動の時には便ち爻変を観察して占断を玩味す。虞翻の説明では、これは爻の変動を観察するをいう。行動せんとする者は卦爻の変化を看重し、事情を占問してもって未来を預知す。だから「玩其占」という。
是以自天右之,吉無不利。虞翻曰:謂乾五變之坤成大有,有天地日月之象。文王則庖犧,亦與天地合德,日月合明。天道助順,人道助信,履信思順,故“自天右之,吉無不利”也。彖者,言乎象者也。虞翻曰:在天成象,八卦以象告。彖說三才,故“言乎象也”。
経文にいう。これによって上天は彼を保佑し、吉祥にして利あらざる所なし。虞翻の説明では、これは乾の五爻が変じて坤に交入して《大有》卦と為り、天地日月の象を具備するをいう。周文王は伏羲に取法し、また天地とその徳を合し日月とその明を合するに至れり。天道は天理に順応する者を助け、人道は誠信を講求する者を助け、誠信を踐行してまた顺理を念々忘れざるから「自天右之、吉无不利」という。経文にいう。いわゆる「彖」は、卦象を講するなり。虞翻の説明では、天上において種種の星象を結成し、八卦はすなわち象をもって人に告示す。彖辞は天地人三才の義を総論するから、それを「言乎象」という。
爻者,言乎變者也。虞翻曰:爻有六畫,所變而玩者,爻之辭也。謂九六變化,故言乎變者也。吉凶者,言乎其失得也。虞翻曰:得正言吉,失位言凶也。悔吝者,言乎其小疵也。崔覲曰:繫辭著悔吝之言,則異凶咎。有其小病,比於凶咎,若疾病之與小疵。
経文にいう。いわゆる「爻」は、変動を講するなり。虞翻の説明では、一卦に六爻の画あり、君子の変通玩味する所はすなわち爻辞なり。ここで言うは老陽九・老陰六の変化なるがゆえに、それを「言乎変」という。経文にいう。いわゆる吉凶は、得と失を講するなり。虞翻の説明では、爻が正位を得るを吉と名づけ、爻がその位を失うを凶と名づく。経文にいう。いわゆる悔吝は、小毛病を講するなり。崔覲の説明では、卦爻辞のうちおよそ「悔」「吝」の字样を標出するは、「凶」「咎」と性質同じからず。あれはただ小毛病あるのみ、「凶咎」と比するに重病と小瘡の差別のごとし。
無咎者,善補過也。虞翻曰:失位為咎,悔變而之正,故“善補過”。孔子曰:退思補過者也。是故列貴賤者存乎位,侯果曰:二、五為功,譽位;三、四為凶,懼位。凡爻得位則貴,失位則賤,故曰“列貴賤者存乎位”矣。
経文にいう。いわゆる「无咎」は、過失を補うに善しとするなり。虞翻の説明では、爻がその位を失うはすなわち「咎」、悔を知りて変動して正位に帰するはすなわち「善補過」。孔子はかつていいし、臣子は朝を退きて後、君主の過失を補うを思うべし——まさにこの意なり。経文にいう。だから貴賎の等次を排列する関鍵は爻位に在り。侯果の説明では、二・五の両爻は功を建て誉を得るの位、三・四の両爻は凶多く懼れ多きの位である。およそ爻がその位に居り得れば便ち貴、その位を失えば便ち賎。だから「列貴賎者存乎位」という。
齊大小者存乎卦,王肅曰:齊猶正也。陽卦大,陰卦小,卦列則小大分。故曰“齊小大者存乎卦”也。辯吉凶者存乎辭,韓康伯曰:辭,爻辭也。即爻者言乎變也。言象,所以明小大。言變,所以明吉凶。故大小之義存乎卦,吉凶之狀存乎爻。至於悔吝、無咎,其例一也。吉凶、悔吝、小疵、無咎,皆生乎變。事有小大,故下歷言五者之差也。
経文にいう。大小を判定する関鍵は卦に在り。王粛の説明では、「斉」はすなわち厘正の意。陽卦は大、陰卦は小で、卦一たび排列せらるれば大小は自然に分明なり。だから「斉小大者存乎卦」という。経文にいう。吉凶を辨别する関鍵は辞に在り。韓康伯の説明では、ここの「辞」は爻辞を指し、すなわち前文のいう「爻者言乎変」のあの爻辞なり。卦象を講するは大小を辨明せんがため、爻変を講するは吉凶を辨明せんがため。だから大小の義は卦に存し、吉凶の状は爻に存す。「悔吝」「无咎」に至っても道理は同じ。吉凶・悔吝・小疵・无咎のこの数類は、みな変動より生ず。事情に大小あるがゆえに、下文ははじめて一々この五者の差別を分説す。
憂悔吝者存乎介,虞翻曰:介,纖也。介如石焉,斷可識也。故“存乎介”。謂識小疵。震無咎者存乎悔。虞翻曰:震,動也。有不善,未嘗不知之。知之,未嘗復行。無咎者善補過。故“存乎悔”也。是故卦有小大,辭有險易。辭也者,各指其所之。虞翻曰:陽易,指天。陰險,指地。聖人之情見乎辭,故指所之。
経文にいう。悔吝を憂慮する関鍵は幾微に在り。虞翻の説明では、「介」は纎細微小である。《豫》卦の六二に「介如石焉」というあるは、端倪を一見すれば便ち果断に辨識し得るがゆえに「存乎介」という。すなわち能くあの小毛病を察識すべきなり。経文にいう。震動して過を免れ得るは、知悔に在り。虞翻の説明では、「震」は震動警覚である。不善の苗头あるは自ら知らざるなく、一旦自ら知れば便ち重犯せず。いわゆる「无咎」はまさに過を補うに善しとするがゆえに「存乎悔」という。経文にいう。だから卦に大小あり辞に険易あり、卦爻辞は各々その趨向する所の方向を指明す。虞翻の説明では、陽性は平易にして天に指向し、陰性は険阻にして地に指向す。聖人の心意はみな卦爻辞の裏に顕現するがゆえに、辞は能く往く所の方向を指明す。
易與天地準,故能彌綸天下之道。虞翻曰:準,同也。彌,大。綸,絡。謂易在天下,包絡萬物,以言乎天地之間,則備矣。故“與天地信”也。仰以觀於天文,俯以察於地理,荀爽曰:謂陰升之陽,則成天之文也。陽降之陰,則成地之理也。
経文にいう。《易》は天地と斉准するがゆえに、能く普遍に天下の道を統摂す。虞翻の説明では、「准」は等同、「弥」は広大、「綸」は包絡である。これは《易》道が天下に行われ、万物を包羅貫串し、天地之間の一切に就いて言えば、完備せざるなきがゆえに、それが天地と相符合すという。経文にいう。頭を擡げて天上の文彩を観察し、身を俯せて地上の紋理を考察す。荀爽は乾升坤降の法によって説明する。陰爻が陽位に上升すれば、すなわち天の文彩を成就す。陽爻が陰位に下降すれば、すなわち地の条理を成就す。
是故知幽明之故。荀爽曰:謂天上地下不可得睹者也。謂否卦變成既未濟也。明,謂天地之間,萬物陳列,著於耳目者,謂泰卦變成既濟也。原始及終,故知死生之說。《九家易》曰:陰陽交合,物之始也。陰陽分離,物之終也。合則生,離則死。故“原始及終,故知死生之說”矣。交合泰時,春也。分離否時,秋也。
経文にいう。これによって幽隠と顕明の縁由を通暁す。荀爽の説明では、いわゆる「幽」は、天は上に地は下にありて人眼の見る能わざるあの一層を指し、《否》卦が升降して《既済》《未済》の象に変ずるなり。いわゆる「明」は、天地之間に万物陳列して耳目の感知し得るこの一層を指し、《泰》卦が《既済》の象に変ずるなり。経文にいう。事物の開始を推原し、その終結を追究するがゆえに、生死の道理を懂得す。《九家易》の説明では、陰陽の交合は物の開始、陰陽の分離は物の終結である。相合すれば便ち生じ、相離すれば便ち死す。だから「原始及終、故知死生之説」。陰陽の交合は《泰》卦の当令する時にして春に属し、陰陽の分離は《否》卦の当令する時にして秋に属す。
精氣為物,游魂為變。虞翻曰:魂陽物,謂乾坤也。變謂坤鬼。乾純粹精,故主為物。乾流坤體,變成萬物故“游魂為變”也。是故知鬼神之情狀。與天地相似,故不違。虞翻曰:乾神似天,坤鬼似地。聖人與天地合德,鬼神合吉凶,故“不違”。鄭玄曰:精氣,謂七八也。游魂,謂九六也。七八,木火之數也。九六,金水之數。木水用事而物生,故曰“精氣為物”。金水用事而物變,故曰“游魂為變”。精氣謂之神,游魂謂之鬼。木火生物,金水終物。二物變化其情,與天地相似,故無所差違之也。
経文にいう。精気は凝聚して物を成し、遊魂は離散して変を生ず。虞翻の説明では、魂は陽類に属し、ここで言うは実は乾坤なり。「変」は坤の主する鬼を指す。乾は純粹の精気なるがゆえに物を成するを主管す。乾気は坤体に流入し、変化して万物を生成す。だから「遊魂為変」という。経文にいう。これによって鬼神の情状を知る。《易》は天地と相似るがゆえに、天地に違背せず。虞翻の説明では、乾の主する神は天のごとく、坤の主する鬼は地のごとし。聖人は天地とその徳を合し鬼神とその吉凶を合するから「不違」という。鄭玄は改めて筮数より立説す。「精気」は少陽七・少陰八を指し、「遊魂」は老陽九・老陰六を指す。七・八は木と火の数、九・六は金と水の数である。木火が当令すれば則ち物生ずるがゆえに「精気為物」。金水が当令すれば則ち物変ずるがゆえに「遊魂為変」。精気を「神」と名づけ、遊魂を「鬼」と名づく。木火は万物を生育し、金水は万物を終結す。この両者の変化の情状は天地と一般無二なるがゆえに、毫も差失背離なし。
知周乎萬物,荀爽曰:二篇之冊,萬有一千五百二十,當萬物之數,故曰“知周乎萬物”也。而道濟天下,故不過。《九家易》曰:言乾坤道濟成天下而不過也。王凱沖曰:知周道濟,洪纖不遺,亦不過差也。
経文にいう。《易》の智慧は万物に周遍す。荀爽は策数によって説明する。《周易》上下両篇の蓍策は共に一万一千五百二十根、恰好万物の数に相当す。だから「知周乎万物」という。経文にいう。しかしてその道は能く天下を救済す、これによって偏失なし。《九家易》の説明では、これは乾坤の道が天下万物を救済成全して過差あらざるをいう。王凱沖が補う。智慧は周遍し道術は物を済うは、巨細を論わず遺漏なく、すなわち差錯ある所なし。
旁行而不流,《九家易》曰:旁行周合,六十四卦,月主五卦,爻主一日,歲既周而復始也。侯果曰:應變旁行,周被萬物,而不流淫也。樂天知命,故不憂。荀爽曰:坤建於亥,乾坤相據,乾立於已。陰陽孤絕,其法宜憂。坤下有伏乾,為樂天。乾下有伏巽,為知命。陰陽合居,故“不憂”。
経文にいう。《易》道は旁通四出して泛濫に至らず。《九家易》は卦気の説によって説明する。旁行して周遍して相合し、六十四卦は一年に分配し、毎月は五卦を主管し毎爻は一日を主管す。一年走尽してまた重新开始す。侯果の説明では、《易》は能く機に随い変に応じて旁通四達し、普遍に万物を覆蓋するも放縦泛濫せず。経文にいう。天道に楽従し命理を通暁するがゆえに憂愁せず。荀爽の説明では、坤は亥に位を建て、乾坤は各々一方を拠り、乾は巳に位を建つ。単に陰陽を看れば各自孤立隔絶して、理に照らせば当に憂愁すべし。ただし坤の下に乾潜伏す——これすなわち「楽天」。乾の下に巽潜伏す——これすなわち「知命」。陰陽は実は一処に合居するがゆえに「不憂」という。
安土敦乎仁,故能愛。荀爽曰:安土謂否卦,乾坤相據,故“安土”。敦仁謂泰卦。天氣下降,以生萬物故“敦仁”。生息萬物,故謂之“愛”也。範圍天地之化而不過,《九家易》曰:範者,法也。圍者,周也。言乾坤消息,法周天地,而不過於十二辰也。辰,日月所會之宿,謂諏訾、降婁、大梁、實沈、鶉首、鶉火、鶉尾、壽星、大火、析木、星紀、玄枵之屬是也。
経文にいう。居る所の土に安んじて仁徳に篤厚なるがゆえに、能く人を愛し物を愛す。荀爽の説明では、「安土」は《否》卦を講し、乾は上に坤は下にありて各々その位に安んずるがゆえに「安土」と名づく。「敦仁」は《泰》卦を講し、天気は下降して地に交わり、ここにおいて万物を化生するがゆえに「敦仁」と名づく。能く万物を生養蕃息するがゆえに、これを「愛」と称す。経文にいう。《易》道は天地の造化を籠括して差失なし。《九家易》の説明では、「範」は取法、「囲」は周遍である。これは乾坤両卦の消長生息が、天地を效法しこれに周遍して、十二辰の範囲を超出せざるをいう。いわゆる「辰」はすなわち日月交会の星次で、すなわち諏訾・降婁・大梁・実沈・鶉首・鶉火・鶉尾・寿星辰・大火・析木・星紀・玄枵のこの類なり。
曲成萬物而不遺,荀爽曰:謂二篇之冊,曲萬萬物,無遺失也。侯果曰:言陰陽二氣,委曲成物,不遺微細也。通乎晝夜之道而知,荀爽曰:晝者,謂乾。夜者,坤也。通於乾坤之道,無所不知矣。是故神無方而易無體。干寶曰:否泰盈虛者,神也。變而周流者,易也。言神之鼓萬物無常方,易之應變化無定體也。
経文にいう。曲尽その妙を成就して万物に遺漏なし。荀爽の説明では、これは上下両篇の蓍策が委曲周備に万物を涵蓋して遺漏なきをいう。侯果の説明では、これは陰陽二気が宛転委曲に万物を成就して、極細微の者をも放過せざるをいう。経文にいう。昼夜運行の道を貫通して知らざる所なし。荀爽の説明では、「昼」は乾を指し「夜」は坤を指す。乾坤の道を通暁せば、すなわち知らざる所なし。経文にいう。だから神妙は固定の方所なく、《易》道は固定の形体なし。干宝の説明では、《否》《泰》の間は盈虚往復す——これすなわち「神」。変動して周流して居らず——これすなわち「易」。これは神が万物を鼓動して一定の方位なく、《易》が変化に順応して一定の形体なきをいう。
一陰一陽之謂道。韓康伯曰:道者何,無之稱也。無不通也。無不由也。況之曰:道,寂然無體,不可為象。必有之用極,而無之功顯,故至乎。神無方而易無體,而道可見矣。故窮以盡神,因神以明道。陰陽雖殊,無一以待之。在陰為無陰,陰以之生;在陽為無陽,陽以之成。故曰“一陰一陽”也。
経文にいう。一陰一陽は交替運行す、これを「道」と名づく。韓康伯の説明では、道とは何ぞ。「無」の代称なり。それは通ぜざる所なく、万物それによりて出ざるなし。これに就いて比況して言えば、道は寂然として形なく実体なく、具体形象をもって表示する能わず。必ず有形の用が極処に発揮せらるるを待ち、無形の功はじめて顕露す。ここにおいてはじめてあの境地に到達す——神は方所なく《易》は形体なく、しかして道もまた体認すべし。だから窮究して底まで尽して神の妙を尽し、さらに神を借りて道を闡明す。陰と陽は性質同じからざるも、みなあの「無」をもって共同の凭依と為す。陰の中に在りてそれは陰にあらざるも、陰はそれに頼ってはじめて化生を得る。陽の中に在りてそれは陽にあらざるも、陽はそれに頼ってはじめて成就を得る。だから「一陰一陽」という。
繼之者,善也。成之者,性也。虞翻曰:繼,統也。謂乾能統天生物,坤合乾性,養化成之,故“繼之者善,成之者性”也。仁者見之謂之仁,知者見之謂之知。侯果曰:仁者見道,謂道有仁。知者見道,謂道有知也。
経文にいう。この道を承継するは善、この道を成就するは性なり。虞翻の説明では、「継」は統領の意である。乾は能く天道を統摂して万物を生育し、坤はすなわち乾の性能に合し、涵養化育して万物を成形せしむる。だから「継之者善、成之者性」という。経文にいう。仁者はそれを見てこれを「仁」と名づけ、智者はそれを見てこれを「智」と名づく。侯果の説明では、仁者の見る所は道の仁愛の一面で、便ち道は仁あるを謂う。智者の見る所は道の明智の一面で、便ち道は智あるを謂う。
百姓日用而不知,侯查曰:用道以濟,然不知其力。故君子之道鮮矣。韓康伯曰:君子體道以為用,仁知則滯於所見,百姓日用而不知。體斯道者,不亦鮮矣乎。故常無慾以觀妙,可以語至而言極矣。顯諸仁,藏諸用,王凱沖曰:萬物皆成,仁功著也。不見所為,藏諸用也。
経文にいう。百姓は毎日それを用いて自ら知らず。侯查の説明では、人は道に靠って成全を得るも、それが道の力量なるを知らず。経文にいう。だから君子の道を体認し得る者はすなわち甚だ少なし。韓康伯の説明では、君子は大道を体察してこれに運用を加えるも、仁者・智者は各々己の見る所の一偏に滞留し、百姓はさらに日用して自覚せず。真にこの道を体認し得る者は、あに少なからざらんや。だから常に無欲の状態に処りて道の微妙を観照すべし——あれこそ至極の処に談及したると称すべし。経文にいう。道は仁徳を顕現し、功用を潜蔵す。王凱沖の説明では、万物はみな成就を得——これは仁の功效が顕著なり。ただしそれが究竟何を為したるかを見ず——これすなわち「蔵諸用」。
鼓萬物而不與聖人同憂,侯果曰:聖人成務,不能無心,故有憂。神道鼓物,寂然無情,故無憂也。盛德大業至矣哉。荀爽曰:盛德乾天。大業者地也。富有之謂大業,日新之謂盛德。王凱沖曰:物無不備,故曰“富有”。變化不息,故曰“日新”。生生之謂易。荀爽曰:陰陽相易,轉相生也。
経文にいう。道は万物を鼓動するも、聖人のごとく憂慮を懐かず。侯果の説明では、聖人は事業を成就するに用心なき能わざるがゆえに憂あり。神妙の道は万物を鼓動して寂然として情識なきがゆえに憂なし。経文にいう。盛美の徳行・広大の功業は、真に極点に到達せり。荀爽の説明では、盛徳は乾天に属し、大業は坤地に属す。経文にいう。有せざる所なきを「大業」と名づけ、日日更新するを「盛徳」と名づく。王凱沖の説明では、万物は備わらざるなく、だから「富有」と称す。変化は停息せざるがゆえに「日新」と称す。経文にいう。生々息まざるを「易」と名づく。荀爽の説明では、陰陽は互相交替し、輾転相生して已まず。
成象之謂乾,案:道生一,一生二,二生三,三才既備,以成乾象也。效法之謂坤,案:爻猶效也。效乾三天之法,而兩地成,坤之象卦也。極數知來之謂占,孔穎達曰:謂窮極蓍策之數,逆知將來之事,占其吉凶也。通變之謂事,虞翻曰:事謂變通趨時。以盡利天下之民,謂之事業也。
経文にいう。形象を成就するを「乾」と名づく。李鼎祚の按語にいう。《老子》は道が一を生じ、一が二を生じ、二が三を生ずるを講し、天地人三才すでに具備せられれば、すなわち乾の形象を成就す。経文にいう。乾道を效法するを「坤」と名づく。李鼎祚の按語にいう。「爻」はすなわち效法の意。乾の三画をもって天を象る法則を效法し、しかして両地の数をもってこれと相配すれば、すなわち坤の卦象を成す。経文にいう。蓍数を窮極して未来を預知するを「占」と名づく。孔穎達の説明では、これは蓍策の数を窮究して極処に到り、将来の事を預かって知り、その吉凶を占断するをいう。経文にいう。変化を会通して事に応ずるを「事」と名づく。虞翻の説明では、「事」は変通して時宜に趨合し、もって天下の民に造福を尽すをいう。これを事業と名づく。
陰陽不測之謂神。韓康伯曰:神也者,變化之極,妙萬物而為言,不可以形詰者也,故“陰陽不測”。嘗試論之曰:原夫兩儀之運,萬物之動,豈有使之然哉!莫不獨化於太虛,欻爾而自造矣。造之非我,理自玄應;化之無主,數自冥運。故不知所以然,而況之神矣。是以明兩儀以太極為始,言變化而稱乎神也。夫唯天之所為者,窮理體化,坐忘遺照。至虛而善應,則以道為稱。不思玄覽,則以神為名。蓋資道而同乎道,由神而冥於神者也。
経文にいう。陰陽変化は測度すべからず、これを「神」と名づく。韓康伯の説明では、いわゆる神は、変化の極致・微妙に万物を成就するこの一層に就いて言うなり。形体をもって追問する能わざるがゆえに「陰陽不測」と称す。妨げず試みに申論せば——天地両儀の運行・万物の動作を推究するに、あに背後に駆使する者あらんや。すべて太虚の中において自然に独化し、忽然の間に自ら生成するのみ。造化はある「我」より出づるにあらずして、その理は自ら玄妙に相応す。変化は主宰なくして、その数は自ら冥然として運行す。まさにその然る所以を言う能わざるがゆえに、姑く「神」と比況す。だから両儀を講明するには太極をもって開端と為し、変化を講すればすなわち神に帰之すべし。ただ天に順いて行う者のみ、よく物理を窮究し造化に体合し、端坐して忘我・外照を屏去す。虚静にして感応に善ければ、「道」をもってこれを称呼す。思慮を假らずして玄妙に洞覧せば、「神」をもってこれを命名す。これみな道を凭借して道と同体し、神を経由して神と冥合するの境界なり。
夫易廣矣,大矣。虞翻曰:乾象動直,故“大”。坤形動闢,故“廣”也。以言乎遠則不御,虞翻曰:御,止也。遠謂乾。天高不御也。以言乎邇則靜而正,虞翻曰:地謂坤。坤至靜而德方,故正也。以言乎天地之間則備矣。虞翻曰:謂易廣大悉備,有天地人道焉,故稱備也。
経文にいう。《易》道は真に広くまた大なるかな。虞翻の説明では、乾の運行は剛健にして直遂なるがゆえに「大」と称す。坤の形体は開辟して承載するがゆえに「広」と称す。経文にいう。それの遠きに就いて言えば、止境なし。虞翻の説明では、「御」は止住である。「遠」は乾を指し、天は高遠無極にして限止すべからず。経文にいう。それの近きに就いて言えば、安静にして端正なり。虞翻の説明では、「近」は坤を指す。坤は極めて安静にして徳行方正なるがゆえに「正」という。経文にいう。天地之間の一切に就いて言えば、備わらざるなし。虞翻の説明では、これは《易》が広大にして備わらざる所なく、その中に天道・地道・人道を兼有するをいうがゆえに「備」と称す。
夫乾,其靜也專,其動也直,是以大生焉。宋衷曰:乾靜不用事,則清靜專一,含養萬物矣。動而用事,則直道而行,導出萬物矣。一專一直,動靜有時,而物無夭瘁,是以大生也。夫坤,其靜也翕,其動也闢,是以廣生焉。宋衷曰:翕,猶閉也。坤靜不用事,閉藏微伏,應育萬物矣。動而用事,則開闢群蟄,敬導沉滯矣。一翕一闢,動靜不失時,而物無災害,是以廣生也。
経文にいう。乾のこの一卦は、静の時は専一にして、動の時は直遂なるがゆえに、能く広大に生育す。宋衷の説明では、乾の静にして当令せざる時は、清静専一にして万物を涵養す。動きて当令するに及べば、すなわち直道に依って行い、万物を引導して生出せしむ。一専一直、動静は各々その時あり、万物は夭折枯槁に致らざるがゆえに「大生」という。経文にいう。坤のこの一卦は、静の時は収斂閉合し、動の時は開張舒展するがゆえに、能く広博に生育す。宋衷の説明では、「翕」はすなわち閉合である。坤の静にして当令せざる時は、閉蔵隠伏して万物を孕育す。動きて当令するに及べば、群蟄を開啓し、あの沈滞未通の生機を疏導す。一翕一辟、動静はみなその時を失わざるがゆえに、万物に災害なし。だから「広生」という。
廣大配天地,荀爽曰:陰廣陽大,配天地。變通配四時,虞翻曰:變通趨時,謂十二月消息也。泰、大壯、夬,配春;乾、姤、遁,配夏;否、觀、剝,配秋;坤、復、臨,配冬,謂十二月消息相變通,而周於四時也。陰陽之義配日月,荀爽曰:謂乾舍於離,配日而居;坤舍於坎,配月而居之義是也。
経文にいう。広大は天地と相配す。荀爽の説明では、陰は広博を主り、陽は盛大を主り、ちょうど地・天と相配す。経文にいう。変通は四時と相配す。虞翻は十二消息卦によって説明する。変通して時宜に趨合すといいしは、十二月消息卦を言うなり——《泰》《大壮》《夬》は春季に配し、《乾》《姤》《遁》は夏季に配し、《否》《観》《剥》は秋季に配し、《坤》《復》《臨》は冬季に配す。これは十二月の消長生息が互相変通して、一年四時に周流するをいう。経文にいう。陰陽の意義は日月と相配す。荀爽の説明では、これは乾が離に寄居して太陽と相配し、坤が坎に寄居して月亮と相配するをいう。まさにこの意なり。
易簡之善配至德。荀爽曰:乾德至健,坤德至順,乾坤易簡相配於天地,故“易簡之善配至德”。子曰:易,其至矣乎。崔覲曰:夫言子曰:皆是語之別端,此更美易之至極也。夫易,聖人之所以崇德而廣業也。虞翻曰:崇德效乾,廣業法坤也。知崇禮卑,崇效天,卑法也。虞翻曰:知謂乾,效天崇;禮謂坤,法地卑也。
経文にいう。平易簡約の善は最高の徳行と相配す。荀爽の説明では、乾徳は極めて剛健、坤徳は極めて柔順で、乾の平易・坤の簡約はちょうど天地と相配するがゆえに「易簡之善配至徳」という。経文にいう。孔子いう、《易》はほぼ最も完備せるか。崔覲の説明では、およそ「子曰」を標出する所は、みな別に一段の話頭を起こし、ここは再び《易》道の至極を賛美す。経文にいう。《易》は聖人がもって徳行を推崇し功業を拡大する所以なり。虞翻の説明では、徳行を推崇するは乾を效法し、功業を拡大するは坤を取法す。経文にいう。智慧は崇高、礼節は謙卑。崇高は天を效法し、謙卑は地を取法す。虞翻の説明では、「知」は乾を指し、天の崇高を效法す。「礼」は坤を指し、地の卑下を取法す。
天地設位,而易行乎其中矣。虞翻曰:位謂六畫之位,乾坤各三爻,故“天地設位”。易出乾入坤,上下無常,周流六虛,故“易行乎其中”也。成性存存,道義之門。虞翻曰:知終終之,可與存義也。乾為道門,坤為義門。成性,謂成之者性也。陽在道門,陰在義門,其易之門邪。
経文にいう。天地は各々の位置を設立し、しかして《易》道はすなわちその中に於いて運行す。虞翻の説明では、「位」は一卦六画の爻位を指し、乾坤は各々三爻を占むるがゆえに「天地設位」という。《易》は乾より出でて坤に入り、上下往来して定則なく、六個の虚位の間に周流するがゆえに「易行乎其中」という。経文にいう。本性を成就して存養やまざるは、これまさに道義に通向する門戸なり。虞翻の説明では、《乾》卦の《文言》の講する「知終終之、可与存義」は、すなわちこの道理なり。乾は「道」の門、坤は「義」の門である。「成性」はすなわち前文のいう「成之者性」。陽は道門に居り、陰は義門に居る。これほぼ《易》の門戸なるか。
聖人有以見天下之嘖,而擬諸其形容,虞翻曰:乾稱聖人,謂庖犧也。嘖,謂初。自上議下稱擬,形容,謂陰,在地成形者也。象其物宜,是故謂之象。虞翻曰:物宜謂陽;遠取諸物,在天成象故“象其物宜”。象,謂三才八卦在天也,庖犧重為六畫也。
経文にいう。聖人は能く天下の深賾幽微の道理を見る力あり、ここにおいてその形貌容状を比擬し出だす。虞翻の説明では、乾を聖人と称し、ここは伏羲を指す。「賾」は初爻の幽隠を指す。上位より下位を揣度するを「擬」という。「形容」は陰を指し、すなわち地上において形体を凝成する物。経文にいう。それらの各々相宜の物類を象徴するがゆえに「象」と名づく。虞翻の説明では、「物宜」は陽を指す。遠く万物に取象し、天上において星象を結成するがゆえに「象其物宜」という。ここの「象」は、三才八卦が天上に懸る形象を指し、伏羲はまたそれを重畳して六画の卦を成せり。
聖人有以見天下之動,虞翻曰:重言聖人,謂文王也。動,謂六爻矣。而觀其會通,荀爽曰:謂三百八十四爻,陰陽動移,各有所會,各有所通。張璠曰:會者,陰陽合會,若蒙九二也。通者,乾坤交通,既濟是也。
経文にいう。聖人は能く天下万物の変動を見る力あり。虞翻の説明では、ここに再び「聖人」を提到するは、周文王を指す。「動」は六爻の変動を指す。経文にいう。これによってそれらの会合と貫通の処を観察す。荀爽の説明では、これは三百八十四爻の陰陽動移が、各々会合の所有り、各々貫通の途あるをいう。張璠の説明では、いわゆる「会」は陰陽の交合聚会にして、《蒙》卦の九二のごとし。いわゆる「通」は乾坤の上下交通にして、《既済》卦のごとし。
以行其典禮,繫辭焉以斷其吉凶,孔穎達曰:既觀其會通,而行其典禮,以定一爻之通變,而有三百八十四。於此爻下,繫屬文辭,以斷其吉凶。若會通典禮,得,則為吉也。若會通典禮失,則為凶矣。是故謂之爻。孔穎達曰:謂此會通之事而為爻也。爻者,效也。效諸物之變通,故上章云,爻者言乎變也。
経文にいう。これに拠ってあの常法礼制を推行し、並びに文辞を繫えて吉凶を判斷す。孔穎達の説明では、すでに陰陽の会合貫通を観察したれば、すなわちこれに拠って常法礼制を推行し、もって毎一爻の通変を確定す。全書は共に三百八十四爻あり。毎一爻の下に文辞を繫え、もってその吉凶を判斷す。もし会通と典礼の両方面とも合宜なれば、すなわち吉。もし会通と典礼に失あれば、すなわち凶。経文にいう。これによってそれを「爻」と名づく。孔穎達の説明では、これは会通の事に依拠して爻と立てるをいう。「爻」はすなわち仿効で、万物の変化貫通を仿効するがゆえに、上の一章に「爻者言乎変也」といいしなり。
言天下之至嘖而不可惡也,虞翻曰:至嘖無情,陰陽會通,品物流宕,以乾易坤,簡之至也。元善之長,故“不可惡也”。言天下之至動而不可亂也。虞翻曰:以陽動陰,萬物以生,故“不可亂”。六二之動直以方。動,舊誤作嘖也。
経文にいう。天下の最も幽深繁賾の道理を講して人を厭悪せしめず。虞翻の説明では、至賾の理はもとより情識を言うべからず、陰陽は交会貫通し、品類万物は流布無窮なり。乾の平易をもって坤の簡約に配し、簡約は極点に到り、これまた衆善の首長なるがゆえに「不可悪也」という。経文にいう。天下の最も紛繁の変動を講して人を迷乱せしめず。虞翻の説明では、陽をもって陰を鼓動すれば、万物はこれによって化生するがゆえに「不可乱」。正しく《坤》卦の六二の変動はまた直くまた方にして条理井然たるがごとし。旧本はここの「動」を誤って「賾」と作す。
擬之而後言,議之而後動,虞翻曰:以陽擬坤而成震,震為言議,為後動,故“擬之而後言”。議之而後動,安其身而後動,謂當時也矣。擬議以成其變化。虞翻曰:議天成變,擬地成化,天施地生,其益無方也。
経文にいう。先に比擬して然る後に発言し、先に商議して然る後に行動す。虞翻の説明では、陽爻をもって坤に比擬して震を成し、震は言語議論に取象し、また後起の動を主るがゆえに「擬之而後言、議之而後動」という。これ正しく《繫辞》のいう、先に自身を安頓して然る後に行動し、すなわち時宜に合すべきなり。経文にいう。比擬商議を通じてあの変化を成就す。虞翻の説明では、これを天に議して「変」を成し、これを地に擬して「化」を成す。天は気を施し、地は物を生じ、その增益の功は一定の方所なし。
鳴鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。孔穎達曰:上略明擬議而動,故引鶴鳴在陰,取同類相應以證之。此中孚九二爻辭也。子曰:君子居其室,出其言善,虞翻曰:君子,謂初也。二變五來應之,艮為居。初在艮內。故“居其室”。震為出言,訟乾為善,故“出言善”。此亦成益卦也。
経文は爻辞を引いていう。白鶴は山北に鳴き、その幼雛は声に応じて相和す。我に一杯の美酒あり、なんじとともに分かち享けんと欲す。孔穎達の説明では、上文は大略、比擬商議を経てはじめて行動すべきを講したれば、だから「鶴鳴在陰」のこの一句を引き、同類が相互に感応する意を取りて印証す。これは《中孚》卦の九二の爻辞なり。経文にいう。孔子いう、君子は己の屋中に安居し、言い出だす所の言はもし美善ならば。虞翻の説明では、「君子」は初爻を指す。九二が一変すれば九五は下りてそれに応じ、互体の艮は止居を為し、初爻はまさに艮体の内に在るがゆえに「居其室」という。震は出言に取象し、《訟》卦の乾は善に取象するがゆえに「出言善」——この一変はすなわち《益》卦を成せり。
則千里之外應之,況其邇者乎。虞翻曰:謂二變則五來應之,體益卦。坤數十,震為百里。十之,千里也。外謂震巽同聲,同聲者相應,故“千里之外應之”。邇謂坤。坤為順,二變順初,故“況其邇者乎”。此信及遁魚者也。居其室,出其言不善,虞翻曰:謂初陽動,八陰成坤,坤為不善也。
経文にいう。千里之外の人はみな彼に響応せん、いわんや近処の者をや。虞翻の説明では、これは九二が一変すれば九五が下りて相応じ、《益》卦の体を成すをいう。坤の数は十、震は百里に取象し、十個の百里はすなわち千里なり。「外」は震と巽が同じ声にして相応ずるをいい、同じ声の物は自然に感通するがゆえに「千里之外応之」という。「邇」は坤を指し、坤性は柔順にして、九二が変じて初爻に順従するがゆえに「況其邇者乎」——これすなわち誠信が水底に潜蔵する魚に感及し得るの道理なり。経文にいう。屋中に安居して、言い出だす所の言はもし善ならざれば。虞翻の説明では、これは初爻の陽が変動して陰に入りて坤を成すをいい、坤はここに於いて不善に取象す。
則千里之外違之,況其邇者乎。虞翻曰:謂初變體剝。弒父弒君,二陽肥遁,則坤違之,而承於五,故“千里之外違之,況其邇者乎”。言出乎身加乎民,虞翻曰:震為出,為言。坤為身,為民也。行發乎邇見乎遠。虞翻曰:震為行,坤為邇,乾為遠,兌為見,謂二發應五,則千里之外,故行發邇見遠也。
経文にいう。されば千里之外の人はみな彼に背棄せん、いわんや近処の者をや。虞翻の説明では、これは初爻が一変すれば便ち《剥》卦の体を成し、臣が君を弑し子が父を弑する凶象あるをいう。九二の陽はすなわち高蹈遠引して《遁》卦の「肥遁」のごとく、ここにおいて坤衆は背離して去り、転じて九五に承奉す。だから「千里之外違之、況其邇者乎」。経文にいう。話は自身より出で、影響は百姓に加わる。虞翻の説明では、震は出・言語に取象し、坤は自身・民衆に取象す。経文にいう。行為は近処に発生し、遠方に顕現す。虞翻の説明では、震は行動、坤は近、乾は遠、兌は顕現である。これは九二が発動して上に九五に応じ、影響は直ちに千里之外に達するをいうがゆえに、行は近に発して遠に見ゆるという。
言行,君子之樞機。樞機之發,榮辱之主也。荀爽曰:艮為門,故曰“樞”。震為動,故曰“機”也。翟元曰:樞主開閉,機主發動,開閉有明暗,發動有中否,主於榮辱也。言行,君子之所以動天地也。可不慎乎。虞翻曰:二已變成益,巽四以風動天,震初以雷動地。中孚十一月,雷動地中,艮為慎,故“可不慎乎”。
経文にいう。言語と行為は、君子の門枢と弩機なり。門枢弩機は一たび発動せられれば、栄辱はすなわちこれによって決定す。荀爽の説明では、艮は門に取象するがゆえに「枢」といい、震は動に取象するがゆえに「機」という。翟元が補う。門枢は開合を主管し、弩機は発射を主管す。開合に明暗あり、発射に中たると中たらざるとあるがゆえに、それは栄と辱を主宰す。経文にいう。言語と行為は、君子がもって天地を感動する所以なり、あに謹慎せざるべけんや。虞翻の説明では、九二はすでに変じて《益》卦を成し、上体の巽は四位に居りて風をもって上天を鼓動し、下体の震は初位に居りて雷をもって大地を震動す。《中孚》は十一月に配し、まさに雷が地中に潜動する時なり。艮は謹慎に取象するがゆえに「可不謹乎」という。
同人:先號咷而後笑。侯果曰:同人九五爻辭也。言九五與六二初未好合,故“先號咷”。而後得同心,故“笑”也。引者喻擬議於事,未有不應也。子曰:君子之道,或出或處,或默或語。虞翻曰:乾為道,故稱君子也。同人反師,震為出。為語,坤為默巽為處,故“或出或處,或默或語”也。
経文は爻辞を引いていう。《同人》卦は先に痛哭号叫して後に歓笑すを講ず。侯果の説明では、これは《同人》の九五の爻辞にして、九五と六二が起初は未だ順利に結合せざるをいうがゆえに「先号咷」。後に終に同心にして相得たるがゆえに「后笑」。この一句を引くは、凡事は比擬商議を経てさらに之を為せば、感応を得ざるなきを比喻するなり。経文にいう。孔子いう、君子の道は、あるいは出仕し、あるいは退処し、あるいは沈黙し、あるいは言談す。虞翻の説明では、乾は道に取象するがゆえに「君子」と称す。《同人》を倒転せばすなわち《師》卦で、その中に震は出・言語、坤は沈黙、巽は退処であるから「或出或処、或黙或語」という。
二人同心,其利斷金。虞翻曰:二人謂夫婦。師震為夫,巽為婦。坎為心,巽為同。六二震巽俱體師坎,故“二人同心”。巽為利,乾為金,以離斷金,故“其利斷金”。謂夫出婦處,婦默夫語,故“同心”也。同心之言,其臭如蘭。虞翻曰:臭,氣也。蘭,香草。震為言,巽為蘭,離日燥之,故“其臭如蘭”也。案:六三互巽,巽為臭也。斷金之言,良藥苦口,故香若蘭矣。
経文にいう。両人は同心協力すれば、その鋒利は金属を斬断するに足る。虞翻の説明では、「二人」は夫と婦を指す。《同人》を反覆せば《師》と為り、その中に震は丈夫、巽は妻子、坎は心、巽は斉同である。六二の在る所の震・巽の両体はみな《師》卦の坎体の中に涵まるがゆえに「二人同心」という。巽は鋭利に取象し、乾は金に取象し、離火の鋒刃をもって金を断ずるがゆえに「其利断金」という。これまさに夫は出でて妻は処り、妻は黙して夫は語りて、各々その宜しきを得るを説明して、はじめて「同心」と名づく。経文にいう。同心の人の言う所の話は、気味芬芳として蘭のごとし。虞翻の説明では、「臭」は気味、「蘭」は香草である。震は言語、巽は蘭草で、離日は晒してこれを乾燥せしめ香を生ぜしむるがゆえに「其臭如蘭」という。李鼎祚の按語にいう。六三は互体して巽を成し、巽はまさに気味に取象す。能く金を断ずる言語は、苦口の良薬に譬ゆるがごとし。だからその香は蘭のごとし。
初六:藉用白茅,無咎。孔穎達曰:欲求外物來應,必須擬議謹慎,則物來應之。故引大過初六,藉用白茅無咎之事,以證謹慎之理也。虞翻曰:其初難知,陰又失正,故獨舉初六。子曰:苟錯諸地而可矣。藉之用茅,何咎之有,慎之至也。虞翻曰:苟,或。錯,置也。頤坤為地,故“苟錯諸地”。今藉以茅,故“無咎”也。
経文は爻辞を引いていう。初六、潔白の茅草をもって襯垫と為すは、過失あらず。孔穎達の説明では、外物の前來感応を求めんと欲せば、必ず先に比擬商議を経て心に謹慎を存し、外物はじめて来り応ず。だから《大過》の初六の「藉用白茅无咎」のこの事を引き、もって謹慎の道理を印証す。虞翻が補う。一卦の初爻はその義最も知り難く、いわんやこの一爻はまた陰爻が陽位に居りて正を失うをや。だから単独に初六を提出して言う。経文にいう。孔子いう、たとい随便に地上に放置するもすでに可なり、いわんやまた茅草をもって襯垫と為すをや。あに過失あらん。これは謹慎の極点に至れるなり。虞翻の説明では、「苟」は姑且・随便、「錯」は放置である。《大過》は《頤》卦より変じて来り、頤中の坤は地に取象するがゆえに「苟錯諸地」という。いままた茅草をもって襯垫と為すがゆえに「无咎」。
夫茅之為物薄,虞翻曰:陰道柔賤,故“薄”也。而用可重也。虞翻曰:香潔可貴,故“可重也”。慎斯術也以往,其無所失矣。侯果曰:言初六柔而在下,苟能恭慎誠潔,雖置羞於地,神亦享矣。此章明但能重慎卑退,則悔吝無從而生。術,道者也。
経文にいう。茅草のこの物はもとより軽微にして銭に値せず。虞翻の説明では、陰道は柔弱卑賎なるがゆえに「薄」という。経文にいう。ただしその用处は甚だ貴重なり。虞翻の説明では、茅草は芳香潔浄にして貴ぶべく珍しむべきがゆえに「可重」という。経文にいう。この方法を謹守して行事せば、閃失ある所なし。侯果の説明では、これは初六が柔弱にして下位に居るをいい、能く恭敬謹慎・誠心潔浄ならば、たとい祭品を直接地上に放置するも、神明は照様これを歆享す。これの一章は、能く持重謹慎・謙卑退譲ならば、悔恨と憾惜の生ずる由なきを説明せんと欲するなり。「術」はすなわち道路・方法である。
勞謙,君子有終吉。孔穎達曰:欲求外物之應,非唯謹慎,又須謙以下人,故引謙卦九三爻辭以證之矣。子曰:勞而不伐,有功而不德,厚之至也。虞翻曰:坎為勞。五多功。乾為德,德言至。以上之貴,下居三賤。故“勞而不伐,有功而不德。”艮為厚,坤為至,故“厚之至也”。語以其功下人者也。虞翻曰:震為語,五多功,下居三,故“以其功下人者也”。
経文は爻辞を引いていう。勤労にして謙遜なるは、君子は能く到底保持し、吉祥なり。孔穎達の説明では、外物の感応を求めんと欲するは、謹慎のみならず、また謙虚をもって人に待つを須いる。だから《謙》卦の九三の爻辞を引きて印証す。経文にいう。孔子いう、労績ありて自ら誇らず、功勲ありて自らその徳に居らず、これは敦厚の極点に至れるなり。虞翻の説明では、坎は労苦に取象し、五位は功績最も多く、乾は徳に取象し、徳性は至と称すべし。九三はもとより上位の貴をもって自処すべきも、かえって三位の賎に屈居す。だから「労而不伐、有功而不徳」。艮は厚に取象し、坤は至に取象するがゆえに「厚之至也」という。経文にいう。これは彼が己の功労をもって甘んじて人の下に居るをいうなり。虞翻の説明では、震は言語に取象し、五位は功多きも、かえって三位に下居するがゆえに「以其功下人者也」という。
德言盛,禮言恭。虞翻曰:謙旁通履。乾為盛德,坤為禮。天道虧盈而益謙。三從上來,同之盛德,故“恭”;震為言,故“德言盛,禮言恭”。謙也者,致恭以存其位者也。虞翻曰:坎為勞,故能“恭”。三得位,故“以存其位者也”。亢龍有悔。孔穎達曰:上既以謙德保安,此明無謙則有悔,故引乾之上九“亢龍有悔”,證驕亢不謙之義也。
経文にいう。徳行を論ずれば盛大に至るべく言い、礼節を論ずれば恭敬に至るべく言う。虞翻は旁通の法によって説明する。《謙》卦は《履》卦に旁通し、その中に乾は盛徳、坤は礼である。天道は盈満を損して謙虚を增益し、九三は上位より下りて三に居り、あの盛徳と相合するがゆえに「恭」と称す。震は言語に取象するがゆえに「徳言盛、礼言恭」という。経文にいう。いわゆる謙は、恭敬を極尽して己の位置を保住するなり。虞翻の説明では、坎は労苦に取象し、能く労に任ずるがゆえに能く恭敬す。九三は陽をもって陽に居りて正位を得るがゆえに「以存其位者也」という。経文は爻辞を引いていう。竜は過高く飛べば、悔恨あるべし。孔穎達の説明では、上文すでに謙徳をもって安寧を保全するを講したれば、ここに便ち謙ならざれば悔あるべきを説明す。だから《乾》卦の上九の「亢竜有悔」を引き、もって驕矜亢極・謙退を知らざるの害処を印証す。
子曰:貴而無位,虞翻曰:天尊,故“貴”。以陽居陰,故“無位”。高而無民,虞翻曰:在上,故“高”。無陰,故“無民”也。賢人在下位,虞翻曰:乾稱賢人。下位,謂初也。遁世無悶,故“賢人在下位”而不憂也。而無輔,是以動而有悔也。虞翻曰:謂睦我民,故“無輔”。乾盈動傾,故“有悔”。文王居三,紂亢極上,故以為誡也。
経文にいう。孔子いう、身分は尊貴にして実位なし。虞翻の説明では、上九は天位の上に居りて尊なるがゆえに「貴」という。それは陽爻をもって上爻の陰位に処るがゆえに「无位」という。経文にいう。地位は崇高にして百姓なし。虞翻の説明では、最上に処るがゆえに「高」という。純乾の中に陰爻なきがゆえに「无民」という。経文にいう。賢人は下位に処る。虞翻の説明では、乾を賢人と称す。「下位」は初九を指し、《乾》卦の初九は隠遁避世して煩悶せざるを講ずるがゆえに「賢人在下位」にして並びに憂愁せず。経文にいう。かつ輔助を得ず、これによって一たび挙動あれば便ち悔恨を産生す。虞翻の説明では、上九は下面と並びに親睦せず、民衆を得ざるがゆえに「无輔」。乾道は盈満にして一たび動けばすなわち傾覆せんと欲するがゆえに「有悔」。周文王は当時三公の位に居り、紂王は上位に高踞して驕亢極まれるがゆえに、この一爻を借りて鑑戒と立てたり。
不出戶庭,無咎。孔穎達曰:又明擬議之道,非但謙而不驕,又當謹慎周密,故引節初周密之事以明之也。子曰:亂之所生也,則言語以為階。虞翻曰:節本泰卦。坤為亂;震為生,為言語;坤稱階故“亂之所生,則言語為之階”也。
経文は爻辞を引いていう。自家の門庭を走出らざれば、過錯なし。孔穎達の説明では、ここにまた比擬商議の道を闡明し、謙遜して驕らざるのみならず、また当に謹慎周密なるべし。だから《節》卦の初九の周密にして出でざるこの事を引きて説明す。経文にいう。孔子いう、禍乱の産生する所以は、往々言語をもって階梯と為す。虞翻の説明では、《節》卦はもと《泰》卦より変じて来り、その中に坤は乱に取象し、震は生・言語に取象し、坤はまた台阶と称さるるがゆえに「乱之所生、則言語為之階」という。
君不密則失臣,臣不密則失身,虞翻曰:泰乾為君;坤為臣,為閉,故稱“密”。乾三之坤五,君臣毀賊,故“君不密則失臣”。坤五之乾三,坤體毀壞,故“臣不密則失身。”坤為身也。幾事不密則害成,虞翻曰:幾,初也。謂二已變成坤,坤為事,故“幾事不密”。初利居貞,不密。初動則體剝,子弒其父,臣弒其君,故“害成”。
経文にいう。君主は言語周密ならざればすなわち臣子を失い、臣子は言語周密ならざればすなわち自身を喪う。虞翻の説明では、《泰》卦の乾は君、坤は臣・閉合であるがゆえに「密」と称す。乾の三爻が坤の五位に上入すれば、君臣の分は毀傷せらるるがゆえに「君不密則失臣」。坤の五爻が乾の三位に下入すれば、坤体はここにおいて毀壊するがゆえに「臣不密則失身」、坤はまさに身に取象す。経文にいう。機密の事は周密ならざればすなわち禍害を醸成す。虞翻の説明では、「幾」は初爻を指す。九二はすでに変じて坤を成し、坤は事に取象するがゆえに「幾事不密」という。初爻は安居守正に宜しきも、いまかえって周密ならず。初爻が一動すれば《剥》卦の体を成し、子が父を弑し臣が君を弑する象あるがゆえに「害成」という。
是以君子慎密而不出也。虞翻曰:君子謂初。二動,坤為密。故“君子慎密”。體屯盤桓,利居貞,故“不出也”。子曰:作易者其知盜乎?虞翻曰:為易者,謂文王。否上之二成困,三暴慢。以陰乘陽,二變入宮,為萃。五之二奪之,成解。坎為盜。故“為易者其知盜乎”?
経文にいう。だから君子は謹慎して密を守りて軽易に出言せず。虞翻の説明では、「君子」は初九を指す。九二が変動すれば、坤は周密に取象するがゆえに「君子慎密」という。この時《屯》卦の体を成し、《屯》の初九は徘徊不進・安居守正に利あるを講ずるがゆえに「不出」という。経文にいう。孔子いう、《易》を作りし人はほぼ盗賊の道理を懂得せるか。虞翻の説明では、《易》を作りし人は周文王を指す。《否》卦の上爻が二位に下りて《困》卦を成し、三爻はすでに凶暴にしてまた軽慢なり。陰爻をもって陽爻に凌乗し、二爻はさらに変じて本宮に入りて《萃》卦を成し、五爻は二位に下りてそれを奪取すれば、《解》卦を成す。その中に坎は盗に取象するがゆえに「為易者其知盗乎」という。
《易》曰:負且乘,致寇至。孔穎達曰:此又明擬議之道,當量身而行,不可以小處大,以賤貪貴,故引解六三爻辭以明之矣。負也者,小人之事也。虞翻曰:陰稱小人。坤為事。以賤倍貴,違禮悖義,故“小人之事也”。乘也者,君子之器也。虞翻曰:君子謂五。器,坤也;坤為大車,故“乘君子之器也”。
経文は爻辞を引いていう。《易》にいう、物を背負いてまた車に乗れば、強盗を招来す。孔穎達の説明では、ここにまた比擬商議の道を闡明し、当に力を量りて行い、小才をもって大位に処り卑賎をもって尊貴を貪求すべからず。だから《解》卦の六三の爻辞を引きて説明す。経文にいう。物を背負負するは、あれは小人の干る事なり。虞翻の説明では、陰爻を小人と称し、坤は事に取象す。六三は卑賎の身をもって尊貴に背棄し、礼制に違背し道義に悖乱するがゆえに「小人之事也」という。経文にいう。車に乗るは、あれは君子の使用する器物なり。虞翻の説明では、「君子」は九五を指す。「器」は坤を指し、坤は大車に取象するがゆえに「乗君子之器」という。
小人而乘君子之器,盜思奪之矣。虞翻曰:小人謂三。既違禮倍五,復乘其車。五來之二成坎,坎為盜,思奪之矣。為易者知盜乎?此之謂也。上慢下暴,盜思伐之矣。虞翻曰:三倍五,上慢乾君,而乘其器。下暴於二,二藏於坤,五來寇三,以離戈兵,故稱“伐之”。坎為暴也。
経文にいう。小人はかえって君子の車器に乗坐せば、盗賊はそれを奪わんと思う。虞翻の説明では、「小人」は六三を指す。それはすでに礼制に違背して九五に背棄し、また擅自に九五の車に乗坐す。九五は下りて二位に至りて坎を成し、坎は盗に取象するがゆえに、ここにおいて来りて奪取せんと思う。いわゆる「《易》を作る人は盗賊を懂得せり」といいしは、まさにこのことを言うなり。経文にいう。上に対して傲慢、下に対して暴虐なれば、盗賊は彼を討伐せんと思う。虞翻の説明では、六三は九五に背棄し、上に対して乾体の君主を軽慢してその車器に僭乗し、下に対してまた九二に暴虐す。九二は坤中に藏身し、九五は便ち下りて六三を侵犯し、離の象する戈兵をもって征討するがゆえに「伐之」と称す。坎はまさに暴に取象す。
慢藏悔盜,冶容悔淫。虞翻曰:坎心為悔,坤為藏,兌為見。藏而見,故“慢藏”。三動成乾為野,坎水為淫;二變藏坤,則五來奪之,故“慢藏悔盜,野容悔淫”。《易》曰:負且乘,致寇至,盜之招也。虞翻曰:五來奪三,以離兵伐之,故變寇言戎,以成三惡。二藏坤時,艮手招盜,故“盜之招”。
経文にいう。軽慢に收藏すれば盗竊を招来し、容飾妖冶なれば奸淫を招来す。虞翻の説明では、坎は心でここに於いて悔に取象し、坤は收藏に取象し、兌は顕露に取象す。本当に蔵すべきをかえって外に顕露するがゆえに「慢蔵」と名づく。六三が一動して乾を成し、乾は郊野に取象し、坎水は淫に取象す。九二が一変して坤中に蔵すれば、九五は便ち下りて奪取す。だから「慢蔵悔盗、野容悔淫」という。経文にいう。《易》に「物を背負いてまた車に乗れば、強盗を招来す」といえりは、これまさに自ら盗賊を招引したるなり。虞翻の説明では、九五は下りて六三を奪取し、離の象する兵器をもってそれを討伐するがゆえに、「寇」を改めて「戎」と説すは、もって六三の三重の罪悪を成就せんがため。九二が坤中に蔵する時、艮の象する手はまさに招引の動作を做出すがゆえに、これを「盗之招」という。
巻十四・繫辞上伝(続)
大衍之數五十,其用四十有九。干寶曰:衍,合也。崔覲曰:案《說卦》云:昔者聖人之作《易》也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地而倚數。既言蓍數,則是說大衍之數也。明倚數之法當參天兩地。參天者,謂從三始,順數而至五、七、九,不取於一也。兩地者,謂從二起,逆數而至十、八、六,不取於四也。此因天地致上,以配八卦,而取其數也。艮為少陽,其數三。坎為中陽,其數五。震為長陽,其數七。乾為老陽,其數九。兌為少陰,其數二。離為中陰,其數十。巽為長陰,其數八。坤為老陰,其數六。八卦之數,總有五十。故云:大衍之數五十也。不取天數一、地數四者,此數八卦之外,大衍所不管也。其用四十有九者,法長陽七七之數也。六十四卦既法長陰八八之數,故四十九蓍則法長陽七七之數焉。蓍圓而神象天,卦方而智象地,陰陽之別也。舍一不用者,以象太極,虛而不用也。且天地各得其數,以守其位,故太一亦為一數,而守其位也。
経文にいう。大衍の推演の数は五十にして、実際に動用するは四十九。干宝の説明では、「衍」はすなわち会合である。崔覲は詳細に推算す。《説卦伝》にいう、従前聖人が《易》を創作し、暗中に神明の賛助を得て蓍草を産生し、参をもって天数に配し両をもって地数に配して筮数を確立せり。すでに蓍数を講ずるより、すなわちこれは大衍の数を言うなり。見るべし、筮数を確立する方法は当に「参天両地」なるべきを。いわゆる「参天」は、三より始めて順に数えて五・七・九に至り、天数の一を取らず。いわゆる「両地」は、二より起頭して逆に数えて十・八・六に至り、地数の四を取らず。これは天地の数に依って上推し、もって八卦に配属してその数目を取る。艮は少陽にして数は三、坎は中陽にして数は五、震は長陽にして数は七、乾は老陽にして数は九、兌は少陰にして数は二、離は中陰にして数は十、巽は長陰にして数は八、坤は老陰にして数は六。八卦の数を相加すれば、総じて五十。だから「大衍之数五十」。天数の一と地数の四を取らざるは、この二つの数は八卦の外に在りて大衍の管に帰せざるがゆえなり。「其用四十有九」に至っては、長陽七乗七の数に取法す。六十四卦はすでに長陰八乗八の数に取法したれば、されば四十九根の蓍草は長陽七乗七の数に取法す。蓍草は円にしてその徳は神妙にして天を象り、卦は方にしてその徳は明智にして地を象る。これは陰と陽の分別なり。一根を舎去して用いざるは、もって太極を象徴し、虚設して実際の運算に参与せず。しかも天地は各々己の数を守りてその位を固守するがゆえに、太一もまた一個の数と算してその位を固守す。
王輔嗣云:演天地之數,所賴者五十,其用四十有九,其一不用也。不用而用以之通,非數而數以之成,即易之太極也。四十有九,數之極者。但言所賴五十,不釋其所從來,則是億度而言,非有實據。其一不用,將為法象太極,理縱可通。以為非數而成,義則未允,何則?不可以有對無,五稱五十也。孔疏釋賴五十,以為萬物之策,凡有萬一千五百二十,其用此策大推演天地之數,唯用五十策也。又釋其用四十九,則有其一不用,以為策中,其所揲蓍者,唯四十有九。其一不用,以其虛無,非所用也,故不數矣。
王弼にいう。天地の数を推演するに、凭借する所は五十にして、実際に使用するは四十九、その中の一根は用いず。まさにこの一根は運用に参与せざるがゆえに、その余の運用は貫通を得、まさにそれを数と算せざるがゆえに、その余の数は成立を得る。それはすなわち《易》の太極なり。四十九は、数の極限なり。李鼎祚は指摘す。王弼はただ頼る所は五十と言うのみにして、この五十が何処より来たるかを解釈せず。すなわちこれは臆測に凭って立論して実拠なし。その中の一根を用いずといい、もって太極を象徴するに取法するは、道理はなお講じ通ず。ただしそれを「非数而成」といえば、義理は妥当ならず。何を以てんや。能く「有」をもって「無」に対待するあたわず、またこの五を径に五十と称する能わざるがゆえなり。孔穎達の疏はすなわちこのように「所頼五十」を解釈す。万物の策は共に一万一千五百二十根あり、しかしてこれらの策を用いて天地の数を大いに挙げて推演する時、ただ五十根を用いるのみ。彼はまた「其用四十九」を解釈して、其中に一根の用いざるありと言う。これらの筮策の当中において、真に分揲に参与する蓍草はただ四十九根のみあるがゆえなり。あの一根の用いざるは、その虚無を取るがゆえに、もとより使用の列に在らず。だから計算の内に入れず。
又引顧歡同王弼所說,而顧歡云:立此二十數以數神,神雖非數而著,故虛其一數,以明不可言之義也。案:崔氏探玄:病諸先達,及乎自料,未免小疵。既將八卦陰陽以配五十之數,餘其天一地四無所稟承,而云八卦之外在衍之所不管者,斯乃談何容易哉。且聖人之言,連環可解,約文申義,須窮指歸。即此間雲天數五,地數五,五位相得而各有合,天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五。此所以成變化而行鬼神,是結大衍之前義也。既云五位相得而各有合,即將五合之數配屬五行也。故云大衍之數五十也,其用四十有九者,更減一以並五,備設六爻之位,著卦兩兼,終極天地五十五之數也。自然窮理盡性,神妙無方,藏往知來,以前民用,斯之謂矣。
孔穎達はまた顧歓の説法を引く。王弼と相同じ。顧歓にいう。これらの数目を立下するは、もって神を計量せんがため。神は数にあらざるも数を借りて顕著たるがゆえに、その中の一数を虚設して、もってあの言うべからざる意を表明す。李鼎祚の按語にいう。崔覲は玄理を探究し、前輩諸家の毛病を指摘するも、彼自身が立説するに輪番せば、また小疵を免れず。彼はすでに八卦の陰陽をもって五十の数に配成せしも、余剩の天数の一と地数の四は帰属する所なし。かえってこの二つの数は八卦の外に在りて大衍の管に帰せずと言えば、この話はあにこのように軽易に言い得べけんや。いわんや聖人の話は前後して連環のごとく貫通し得、文字は簡約にして義理は相申す。必ずその帰趣を窮究すべし。まさにこの一段において「天数五、地数五、五位相得而各有合、天数二十有五、地数三十、凡天地之数五十有五。此所以成変化而行鬼神」といえるは、まさに前面の大衍の義に対する総結なり。すでに「五位相得而各有合」といえば、すなわちこれは五組の相合の数を五行に配属するなり。だから「大衍之数五十」といい、しかして「其用四十有九」は、さらに一を減去してあの五に併入し、もって六爻の位を完備に設立し、蓍と卦とを両相兼顧せしめ、最終に天地五十五の数を窮尽す。このようにして自然に能く理を窮め性を尽し、神妙にして定方なく、既往を含蔵し将来を預知し、百姓に先んじてその用と為す。言う所はまさにこの道理なり。
分而為二以象兩,崔覲曰:四十九數合而未分,是象太極也。今分而為二以象兩儀矣。掛一以象三,孔穎達曰:就兩儀之中,分掛其一於最小指間,而配兩儀,以象三才。揲之以四,以象四時,崔覲曰:分揲其蓍,皆以四為數,一策一時,故四策,以象四時也。
経文にいう。蓍草を二份に分つは、もって天地両儀を象徴す。崔覲の説明では、四十九根の蓍草は合して未だ分かれざる時、象徴する所は太極なり。いま二份に分かれれば、すなわち天地両儀を象徴す。経文にいう。其中より一根を取出して指間に夾むは、もって三才を象徴す。孔穎達の説明では、分かち了れる二份の中において、一根を取出して小指の間に夾み、両儀と相配して、もって天・地・人の三才を象徴す。経文にいう。四根づつそれらを数うるは、もって四時を象徴す。崔覲の説明では、蓍草を分数する時はみな四を単位と為し、一根の策は一個の時令に対応す。だから毎四根の策はすなわち春夏秋冬の四時を象徴す。
歸奇於扐以象閏,虞翻曰:奇所掛一策,扐所揲之餘,不一則二,不三則四也。取奇以歸扐,扐併合掛左手之小指,為一扐,則以閏月定四時成歲。故“歸奇於扐,以象閏”者也。五歲再閏,故再扐而後掛。虞翻曰:謂已一扐,復分掛如初揲之。歸奇於初扐,並掛左手次小指間,為再扐,則再閏也。又分扐揲之如初,再掛左手第三指間,成一變,則布掛之一爻。謂已二扐,又加一,為三,並重合前二扐,為五歲,故“五歲再閏”。再扐而後掛,此參伍以變,據此,為三扐。不言三閏者,閏歲餘十日,五歲閏六十日盡矣。後扐閏餘分,不得言三扐二閏。故從言“再扐而後掛”者也。
経文にいう。余数を指間に夾むは、もって閏月を象徴す。虞翻の説明では、「奇」は最初に挂出したるあの一根の策を指し、「扐」は分揲の後に剰余する余数を指し、一ならずんば二、三ならずんば四なり。あの奇策を取りて余数の中に帰入し、一併に左手の小指間に夾みて一「扐」と算す。これはたとえば閏月を用いて四時を校定して一歳を成すに似たり。だから「帰奇于扐、以象閏」という。経文にいう。五年の中に両度の閏月あり、だから両度余を夾みて然る後に挂す。虞翻の説明では、すでに一度の夾余を完成せば、すなわちさらに最初のごとく分かち・挂一・分揲す。余数を第一次の扐に帰入し、一併に左手の次小指の間に夾みて第二次の夾余と算し、すなわち第二個の閏月なり。続けてさらに初次の弁法を照して分揲夾余し、第三次に左手の第三指の間に夾みて、一変を完成し、すなわち一爻を布定せり。すでに両度の夾余あり、さらに一度を加えて三と為し、前の両次と合せてちょうど五年を象徴す。だから「五歳再閏」という。「再扐而後挂」は、すなわち《繫辞》のいう「参伍以変」なり。この算法に照らせば実際は三次の夾余なり。三閏と言わざる所以は、一個の閏年は十天を多出し、五年は六十天を積満すれば閏を用尽するがゆえに、後面のあの次の夾余は不過閏の余分なり。三扐両閏と言い成す能わざるがゆえに、ただ「再扐而後挂」と言うのみ。
天數五,地數五,虞翻曰:天數五,謂一、三、五、七、九。地數五,謂二、四、六、八、十也。五位相得,而各有合。虞翻曰:五位謂五行之位。甲乾、乙坤相得,合木,謂天地定位也。丙艮、丁兌相得,合火,山澤通氣也。戊坎、已離相得,合土,水火相逮也。庚震、辛巽相得,合金,雷風相薄也。天壬、地癸相得,合水,言陰陽相薄,而戰於乾。故“五位相得,而各有合。”或以一六合水,二七合火,三八合木,四九合金,五十合土也。
経文にいう。天数は五個あり、地数は五個あり。虞翻の説明では、天数の五個は、一・三・五・七・九を指す。地数の五個は、二・四・六・八・十を指す。経文にいう。五個の方位は各々相配して、しかして各々会合あり。虞翻は納甲の法によって説明する。「五位」は五行の位を指す。甲は乾に配し乙は坤に配し、両者は相配して木に合す。すなわち《説卦》のいう天地定位なり。丙は艮に配し丁は兌に配し、両者は相配して火に合す。すなわち山沢通気なり。戊は坎に配し己は離に配し、両者は相配して土に合す。すなわち水火相及なり。庚は震に配し辛は巽に配し、両者は相配して金に合す。すなわち雷風相薄なり。天干の壬は天に配し地支の癸は地に配し、両者は相配して水に合す。これは陰陽が相迫して乾位に於いて交戦するをいう。だから「五位相得、而各有合」。もう一種の説法は、すなわち一と六とを合して水と為し、二と七とを合して火と為し、三と八とを合して木と為し、四と九とを合して金と為し、五と十とを合して土と為す。
天數二十有五,虞翻曰:一、三、五、七、九,故二十五也。地數三十,虞翻曰:二、四、六、八、十,故三十也。凡天地之數五十有五。虞翻曰:天二十五,地三十,故五十有五。天地數見地此,故大衍之數略其奇五,而言五十也。
経文にいう。天数は合計二十五。虞翻の説明では、一・三・五・七・九を相加するがゆえに二十五なり。経文にいう。地数は合計三十。虞翻の説明では、二・四・六・八・十を相加するがゆえに三十なり。経文にいう。天地の数は総じて五十五。虞翻の説明では、天数は二十五、地数は三十、合すればすなわち五十五なり。天地の数はここに至ってすでに全部呈現せられたれば、だから大衍の数を講ずる時は零頭の五を略去して、ただ五十と言うのみ。
此所以成變化而行鬼神也。荀爽曰:在天為變,在地為化,在地為鬼,在天為神。姚信曰:此天地之數五十有五,分為爻者,故能成就乾坤之變化,能知鬼神之所為也。侯果曰:夫通變化,行鬼神,莫近於數,故老聃謂子曰:汝何求道?對曰:吾求諸數。明數之妙通於鬼神矣。乾之冊二百一十有六,荀爽曰:陽爻之冊,三十有六。乾六爻皆陽,三六一百八十,六六三十六,合二百一十有六也。陽爻九,合四時,四九三十六,是其義也。
経文にいう。これすなわちもって変化を促成し鬼神の事を推行するの根拠なり。荀爽の説明では、天に在るを「変」と名づけ、地に在るを「化」と名づく。地に在るを「鬼」と名づけ、天に在るを「神」と名づく。姚信の説明では、この天地の数五十五は、各爻に分布するがゆえに、能く乾坤の変化を成就し、能く鬼神の作為を知る。侯果の説明では、変化を通暁し鬼神の事を推行せんと欲せば、数より切近なるはなし。だから老聃はかつて孔子に問うて「なんじの求むる所は何の道ぞ」といい、孔子は答えて「我はこれを数に求む」といえり。見るべし、数の微妙は鬼神に通ずるに足るを。経文にいう。乾卦の蓍策数は二百一十六。荀爽の説明では、一個の陽爻の策数は三十六で、乾卦は六爻みな陽爻なり。三乗六は一百八十を得、六乗六は三十六を得、合すればまさに二百一十六なり。陽爻は九を用い、四時に配合し、四乗九は三十六を得。すなわちこの道理なり。
坤之冊百四十有四,荀爽曰:陰爻之冊,二十有四。坤六爻皆陰,二六一百二十,四六二十四,合一百四十有四也。陰爻六,合二十四氣,四六二百四十也。凡三百有六十,當期之日。陸績曰:日月十二交會,積三百五十四日有寄為一會。今雲三百六十當期,則入十三月六日也。十二月為一期,故云“當期之日”也。
経文にいう。坤卦の蓍策数は一百四十四。荀爽の説明では、一個の陰爻の策数は二十四で、坤卦は六爻みな陰爻なり。二乗六は一百二十を得、四乗六は二十四を得、合すればまさに一百四十四なり。陰爻は六を用い、二十四節気に配合し、四乗六はさらに之を推して二百四十を得。経文にいう。乾坤両卦の策数は合して三百六十、一年の日数に相当す。陸績の説明では、日月は一年に十二次交会し、累積して三百五十四天余をもって一個の周期と為す。いま三百六十天が一年に相当すと言えば、すなわちすでに第十三個月の第六天に進入せり。十二個月をもって一年と為すがゆえに「当期之日」という。
二篇之冊,萬有一千五百二十,當萬物之數也。侯果曰:二篇謂上下經也。共六十四卦,合三百八十四爻,陰陽各半。則陽爻一百九十二,每爻三十六冊,合六千九百一二冊。陰爻亦一百九十二,每爻二十四冊,合四千六百八冊。則二篇之冊合萬一千五百二十,當萬物之數也。
経文にいう。《周易》上下両篇の蓍策は共に一万一千五百二十、万物の数目に相当す。侯果の説明では、「二篇」は上経と下経を指し、共に六十四卦、合計三百八十四爻、陰爻陽爻は各々一半を占む。陽爻は一百九十二個、毎爻三十六策、合計六千九百一十二策。陰爻もまた一百九十二個、毎爻二十四策、合計四千六百八策。両項を相加すれば、上下両篇の策数は共に一万一千五百二十、ちょうど万物の数に相当す。
是故四營而成易,荀爽曰:營者,謂七、八、九、六也。陸績曰:分而為二以象兩,一營也;掛一以象三,二營也;揲之以四以象四時,三營也;歸奇於扐以象閏,四營也。謂四度營為,方成易之一爻者也。十有八變而成卦。荀爽曰:二揲策掛左手一指間,三指間滿,而成一爻。又六爻,三六十八,故“十有八變而成卦”也。
経文にいう。だから四道の程序を経てはじめて一変を成就す。荀爽の説明では、「営」は七・八・九・六のこの四個の筮数を指す。陸績は操作歩驟に按じて説明する。分かちて二と為して両儀を象るは、第一営。一根を挂出して三才を象るは、第二営。四根づつ数えて四時を象るは、第三営。余数を指間に夾みて閏月を象るは、第四営。必ずこの四道の経営を経て、はじめて《易》の一爻を成就す。経文にいう。十八次の変化を経てはじめて一卦を完成す。荀爽の説明では、両次分揲して策を左手の指間に夾挂し、三個の指間ともに夾満して、はじめて一爻を成就す。一卦は六爻で、三乗六は十八を得るがゆえに「十有八変而成卦」という。
八卦而小成,侯果曰:謂三畫成天地、雷風、日月、山澤之象。此八卦未盡萬物情理,故曰“小成”也。引而伸之,觸類而長之,虞翻曰:引謂庖犧引信三才,兼而兩之以六畫。觸,動也。謂六畫以成六十四卦,故“引而信之,觸類而長之”。其取類也大,則發揮剛柔而生爻也。
経文にいう。八卦はただ小有成就と算すのみ。侯果の説明では、これは三画の卦がすでに天地・雷風・日月・山沢の形象を成就したるをいうも、この八個の卦はなお万物の情態事理を窮尽するに足らざるがゆえに「小成」という。経文にいう。それを牽引伸展し、類に随いて推衍して増長す。虞翻の説明では、「引」は伏羲が天地人の三才を牽引伸展し、三画を兼ねて之を重ねて六画と為すをいう。「触」は感動・触発で、六画をもって六十四卦に推成するをいうがゆえに「引而信之、触類而長之」という。それの取る所の類はすでに広大なれば、能く剛柔の変化を発揮して各爻を生出す。
天下之能事畢矣。虞翻曰:謂乾以簡能,能說諸心,能研諸侯之慮,故“能事畢”。顯道神德行,虞翻曰:顯道神德行,乾二五之坤,成離日坎月,日月在天,運行照物,故“顯道神德行”。默而成,不言而信,存於德行者也。
経文にいう。天下の為し得る所の事はみなその中に尽くる。虞翻の説明では、これは乾が簡約をもって能を成し、能く人をして心悦怡せしめ、能く衆人の思慮を研核するをいうがゆえに「能事畢」という。経文にいう。《易》は大道を顕明して徳行を神妙ならしむ。虞翻の説明では、いわゆる「顕道神徳行」は、乾の二・五の両爻が坤に交入し、離を成して日と為し坎を成して月と為す。日月は天上に懸り、運行息まずして万物を照臨するがゆえに「顕道神徳行」という。正しく《繫辞》のいう、黙然として成し言語を待たずして信を見るは、みな人の徳行に係るがごとし。
是故可與酬酢,可與右神矣。《九家易》曰:陽往為酬,陰來為酢,陰陽相配,謂之右神也。孔子言大衍以下,至於能事畢矣。此足以顯明易道,又神易德行,可與經義相斟酌也。故喻以賓主酬酢之禮,所以助前聖發見其神秘矣。禮飲酒,主人酌賓,為獻;賓酌主人,為酢;主人飲之,又酌賓,為酬也。先舉為酢,答報為酬,酬取其報,以象陽唱陰和,變化相配,是助天地明其鬼神者也。
経文にいう。これによって人と応答酬対し得、神明を佑助し得る。《九家易》の説明では、陽気の往くて施すを「酬」と名づけ、陰気の来りて復するを「酢」と名づく。陰陽は彼此相配するを「佑神」と名づく。孔子は「大衍之数」より講じ起こし、直に「天下之能事畢矣」に至るまで講じ、これらの話は《易》道を顕明するに足り、また《易》の徳行を神妙ならしめ、経文の義理と互相参酌し得るがゆえに、賓主の間の酬酢の礼節を借りて比方を打ち、もって前代聖人の《易》の神秘を揭示するを佐助す。飲酒の礼に按ずれば、主人が賓客に酒を斟むを「献」と名づけ、賓客が主人に回敬するを「酢」と名づけ、主人は自ら飲みて後に賓客に酒を斟むを「酬」と名づく。先に杯を挙ぐるは酢にして、回報するは酬なり。「酬」の取る所はまさに報答の義にして、もって陽唱して陰和し変化彼此相配するを象徴す。これすなわち天地を佑助しその鬼神の功を彰明するなり。
子曰:知變化之道者,其知神之所為乎?虞翻曰:在陽稱變,乾五之坤;在陰稱化,坤二之乾。陰陽不測之謂神,知變化之道者,故知神之所為。諸儒皆上子曰為章首,而荀馬又從之,甚非者矣。易有聖人之道四焉:崔覲曰:聖人德合天地,智周萬物,故能用此易道。大略有四:謂尚辭、尚變、尚象、尚占也。
経文にいう。孔子いう、変化の道を懂得する者は、ほぼまた神の作為を懂得せるか。虞翻の説明では、陽の一辺に在るを「変」と名づけ、乾の五爻が坤に交入するを指す。陰の一辺に在るを「化」と名づけ、坤の二爻が乾に交入するを指す。陰陽は測度すべからざるをすなわち神と名づく。変化の道を懂得せば、自然にまた神の作為を懂得す。諸位の儒者はみなこの「子曰」の句を章首に提げ、荀爽・馬融はまたこれに跟随してこのように為すは、実に甚だ妥当ならず。経文にいう。《易》の裏に聖人の道を包含する四条あり。崔覲の説明では、聖人の徳行は天地に合し、智慧は万物に周遍するがゆえに、能くこの《易》道を運用す。大略四端あり、すなわち卦爻辞を崇尚し、変化を崇尚し、卦象を崇尚し、占筮を崇尚す。
以言者尚其辭;虞翻曰:聖人之情,見於辭,繫辭焉,以盡言也。以動者尚其變;陸績曰:變謂爻之變化,當議之而後動矣。以制器者尚其象;荀爽曰:結繩為網罟,蓋取諸離,此類是也。以卜筮者尚其占。虞翻曰:乾蓍稱筮,動離為龜。龜稱卜,動則玩其占,故“尚其占者”也。
経文にいう。《易》を用いて言を立つる者はその卦爻辞を崇尚す。虞翻の説明では、聖人の心意はみな辞の裏に顕現し、文辞を繫上するはまさに話を言い尽さんがためなり。経文にいう。《易》を用いて行動する者はその変化を崇尚す。陸績の説明では、「変」は爻の変化を指し、当に先に商議して清楚にして然る後に行動すべし。経文にいう。《易》を用いて器物を制作する者はその卦象を崇尚す。荀爽の説明では、《繫辞下》の講ずる、繩索を編結して羅網を做成するは、ほぼ《離》卦に取象したるがごとき、この類に属す。経文にいう。《易》を用いて卜筮する者はその占断を崇尚す。虞翻の説明では、乾の生ずる所の蓍草を「筮」と名づけ、変動して離を成せばすなわち亀に取象し、亀を「卜」と名づく。一たび行動あれば便ちその占辞を玩味するがゆえに「尚其占」という。
是故君子將有為也,將有行也,問焉而以言。虞翻曰:有為謂建侯,有行謂行師也。乾二五之坤成震,有師象。震為行,為言問。故“有為有行”。凡應九筮之法,則筮之,謂問於蓍龜,以言其吉凶。爻象動內,吉凶見外。蓍德圓神,卦德方智。故史擬神智以斷吉凶也。其受命也如響。虞翻曰:言神不疾而速,不行而至,不言善應。乾二五之坤成震巽,巽為命,故“受命”。同聲相應,故如響也。
経文にいう。だから君子はまさに作為あらんとし、まさに行動あらんとする時、すなわち《易》に発問して蓍草をもって作答せしむ。虞翻の説明では、「有為」は諸侯を建立するを指し、「有行」は兵を出して征戦するを指す。乾の二・五の両爻は坤に交入して震を成し、《師》卦の象を具備す。震は行動・発問に取象するがゆえに「有為有行」という。およそ《周礼》の載する所の九種の筮問の法の情形に遇えば、すなわち筮占を動用し、すなわち蓍草と亀甲に発問し、それらに吉凶を言い出ださしむ。爻象は卦内に変動し、吉凶は卦外に顕現す。蓍の徳性は円通にして神妙、卦の徳性は方正にして明智なるがゆえに、太史はすなわちこの神妙と明智に凭って吉凶を判断す。経文にいう。それは詢問を接受して作答するに回声のごとし。虞翻の説明では、これは神は急趕せざるも迅速、行走せざるも抵達し、言語せざるも回応に善しをいう。乾の二・五の両爻は坤に交入して震を成し巽を成し、巽は命令に取象するがゆえに「受命」という。同類の声は自然に相応ずるがゆえに、回声のごとし。
無有遠近幽深,遂知來物。虞翻曰:遠,謂天。近,謂地。深,謂陽。陰,謂幽。來物,謂乾坤。神以知來,感而遂通,謂幽贊神明而生蓍也。非天下之至精,其孰能與於此。虞翻曰:至精,謂乾純粹精也。參伍以變,錯綜其數。虞翻曰:逆上稱錯。綜,理也。謂五歲再閏,再扐而後掛,以成一爻之變,而倚六畫之數,卦從下升。故“錯綜其數”,則三天兩地而倚數者也。
経文にいう。遠近幽深を論わず、みなこれによって将来の事を知るを得る。虞翻の説明では、「遠」は天を指し、「近」は地を指し、「深」は陽を指し、「幽」は陰を指し、「来物」は乾坤を指す。神は能く未来を預知し、一たび感応あれば便ち通ぜざる所なし。言う所は《説卦伝》の講ずる、暗中に神明の賛助を受けて蓍草を産生したるあの事なり。経文にいう。天下の最も精微の道理ならざれば、誰かその中に参与することを得んや。虞翻の説明では、「至精」は乾の純粹精気を指す。経文にいう。三番五次に推変し、その筮数を交錯綜合す。虞翻の説明では、逆らいて上に往くを「錯」と名づけ、「綜」は条理である。これは五年両閏・両次夾余して然る後に挂し、これによって一爻の変を成就し、さらにこれに依って六画の数を確立するをいう。卦は下より上に向かいて生成するがゆえに「錯綜其数」という。すなわち参をもって天数に配し両をもって地数に配して筮数を確立するなり。
通其變,遂成天下之文;虞翻曰:變而通之,觀變陰陽始立卦。乾坤相親,故“成天地之文”。物相雜,故曰文。極其數,遂定天下之象。虞翻曰:數六畫之數。六爻之動,三極之道,故定天下吉凶之象也。非天下之至變,其孰能與於此。虞翻曰:謂參伍以變,故能成六爻之義。六爻之義,易以貢也。
経文にいう。その変化を貫通せば、ここにおいて天下の文采を成就す。虞翻の説明では、変じてこれを通達せしめ、陰陽の変動を観察してはじめて卦を立つ。乾坤は彼此親合するがゆえに天地の文采を成就す——事物は交錯相雑して、はじめて「文」と名づく。経文にいう。その筮数を窮尽せば、ここにおいて天下の物象を判定す。虞翻の説明では、この「数」は六画の数を指す。六爻の変動は三極の道を体現するがゆえに、能く天下の吉凶の形象を判定す。経文にいう。天下の最も変通に善き道理ならざれば、誰かその中に参与することを得んや。虞翻の説明では、これは三番五次に推変して、はじめて六爻の義理を成就し得るをいう。六爻の義理は、すなわち《易》がもって人に告示する所なり。
易無思也,無為也,虞翻曰:天下何思何慮,同歸而殊塗,一致而百慮,故無所為。謂其靜也專。寂然不動,虞翻曰:謂隱藏坤初,幾息矣。專,故不動者也。感而遂通天下之故。虞翻曰:感,動也。以陽變陰,通天下之故,謂發揮剛柔而生爻者也。
経文にいう。《易》は思慮なく、造作なし。虞翻の説明では、正しく《繫辞下》のいう、天下に思うべき慮るべき何ぞあるや、殊途にして帰を同じくし、百慮にして一致す。だからそれを無所作為とす、これすなわち前文の講ずる「其静也專」なり。経文にいう。それは寂然として動かず。虞翻の説明では、これは陽気が坤の初位に隠蔵し、幾微の動はすでに止息せり。専一なるによって動かず。経文にいう。一旦感応すればすなわち天下の一切の事故を貫通す。虞翻の説明では、「感」は感動である。陽をもって陰に変ずれば、すなわち天下万事を貫通す。すなわち剛柔の変化を発揮して各爻を生出すなり。
非天下之至神,其孰能與於此。虞翻曰:至神,謂易隱初入微,知幾其神乎!韓康伯曰:非忘象者,則無以制象。非遺數者,則無以極數。至精者無籌策而不可亂,至變者體一而無不周,至神者寂然而無不應。斯蓋功用之母,象數所由立。故曰:非至精、至變、至神,則不能與於此也。夫易,聖人之所以極深而研幾也。荀爽曰:謂伏羲畫卦,窮極易幽深;文王繫辭,研盡易幾微者也。
経文にいう。天下の最も神妙の道理ならざれば、誰かその中に参与することを得んや。虞翻の説明では、「至神」は《易》が初爻に隠蔵して微妙の境に深入するをいう。正しく能く幾微を察知すればすなわち神なりという所謂なり。韓康伯の説明では、形象を忘れる能わざる者は、真に形象を制立する能わず。筮数を舎棄する能わざる者は、真に筮数を窮尽する能わず。至精なるは、筹策を用いずして条理乱れず。至変なるは、一に体守して周せざる所なし。至神なるは、寂然として動かずして応ぜざる所なし。これほぼ一切の功用の根源・象数の確立し得るの依据なるがゆえに、至精・至変・至神にあらざれば、その中に参与する能わずという。経文にいう。《易》は聖人がもって幽深を窮究し幾微を研核する所以なり。荀爽の説明では、これは伏羲が卦を画して《易》の幽深を窮尽し、文王が辞を繫えて《易》の幾微を研核し尽したるをいう。
唯深也,故能通天下之志;虞翻曰:深謂幽贊神明。無有遠近幽深,遂知來物,故“通天下之志”,謂蓍也。唯幾也,故能成天下之務;虞翻曰:務,事也。謂易研幾開物,故“成天下之務”。謂卦者也。唯神也,故不疾而速,不行而至。虞翻曰:神,謂易也。謂日月斗在天,日行一度,月行十三度,從天西轉,故“不疾而速”。星寂然不動,隨天右周,感而遂通,故“不行而至”者也。
経文にいう。まさに幽深なるによって、能く天下人の心志を貫通す。虞翻の説明では、「深」は暗中に神明の賛助を受くるを指す。遠近幽深を論わずみな未来の事を知るを得るがゆえに「通天下之志」といい、これは蓍草に就いて言うなり。経文にいう。まさに幾を察するによって、能く天下の事務を成就す。虞翻の説明では、「務」はすなわち事。これは《易》が幾微を研核して物理を開通するをいうがゆえに能く「成天下之務」。これは卦に就いて言うなり。経文にいう。まさに神妙なるによって、急趕せざるも迅速にして、行走せざるも抵達す。虞翻の説明では、「神」は《易》を指す。日月と北斗は天上にあり、太陽は每日一度を行き、月亮は每日十三度を行き、みな天体に随いて西に転動するがゆえに「不疾而速」という。星宿は本身寂然として動かず、ただ天に随いて右旋周行し、一たび感応すれば便ち貫通す。だから「不行而至」という。
子曰:易有聖人之道四焉者,此之謂也。侯果曰:言易唯深唯神,蘊此四道。因聖人以章,故曰“聖人之道”矣。天一,水甲。地二。火乙。天三,木丙。地四。金丁。天五,土戊。地六。水已。天七,火庚。地八。木辛。天九,金壬。地十。土癸。此則大衍之數五十有五。蓍龜所從生,聖人以通神明之德,以類萬物之情。此上,虞翻義也。
経文にいう。孔子いう、《易》の裏に聖人の道を包含する四条ありとは、まさにこのを指す。侯果の説明では、これは《易》がすでに幽深にしてまた神妙にして、上述の四条の道理を藴含するをいい、しかしてこれらの道理は聖人に頼ってはじめて彰顕を得るがゆえに「聖人之道」と称す。以下、天地の数を五行と天干に配属す。天数一は水と甲に配し、地数二は火と乙に配し、天数三は木と丙に配し、地数四は金と丁に配し、天数五は土と戊に配し、地数六は水と己に配し、天数七は火と庚に配し、地数八は木と辛に配し、天数九は金と壬に配し、地数十は土と癸に配す。これらを加え合すればすなわち大衍の数五十五にして、また蓍草と亀甲の産生する由縁の根拠なり。聖人はそれに凭って神明の徳性を会通し万物の情状を比類す。以上のこの一套の配法は、虞翻の説解なり。
子曰:夫易何為而作也?虞翻曰:問易何為取天地之數也。夫易開物成務,陸績曰:開物謂庖犧引伸八卦,重以為六十四。觸長爻策,至於萬一千五百二十,以當萬物之數。故曰“開物”。聖人觀象而制網耒耜之屬,以成天下之務,故曰“成務”也。
経文にいう。孔子いう、《易》は何のために作りしぞ。虞翻の説明では、これは《易》が何のために天地の数を取用するかを問うなり。経文にいう。《易》は能く万物の理を開通し天下の事を成就す。陸績の説明では、いわゆる「開物」は、伏羲が八卦を牽引伸展し、重畳して六十四卦を成し、類に触れて爻数策数を推衍して、一万一千五百二十に至りてちょうど万物の数に相当するをいうがゆえに「開物」と名づく。聖人は卦象を観察して羅網・耒耜の類の器具を制作し、もって天下の事務を成就するがゆえに「成務」と名づく。
冒天下之道,如斯而已者也。虞翻曰:以陽闢坤,謂之“開物”。以陰翕乾,謂之“成務”。冒,觸也。觸類而長之如此也。是故聖人以通天下之志,《九家易》曰:凡言是故者,承上之辭也。謂以動者尚其變,變而通之,以通天下之志也。以定天下之業,《九家易》曰:謂以制器者尚其象也。凡事業之未立,以易道決之,故言以定天下之業。
経文にいう。それは天下の道を涵蓋す、しかのごとくのみ。虞翻の説明では、陽をもって坤を開辟するを「開物」と名づけ、陰をもって乾を収合するを「成務」と名づく。「冒」は触れ及ぶで、類に触れて推衍して増長するは、まさにこの様子なり。経文にいう。だから聖人はそれを用いて天下人の心志を貫通す。《九家易》の説明では、およそ「是故」と言う所は、みな上文を承接する用語である。ここは前面の「以動者尚其変」に対応し、変じてこれを通達せしめて、もって天下人の心志を貫通す。経文にいう。それを用いて天下の事業を奠定す。《九家易》の説明では、これは前面の「以制器者尚其象」に対応す。およそ事業の未だ確立せざるは、すなわち《易》道を用いてそれを決断するがゆえに「以定天下之業」という。
以斷天下之疑。《九家易》曰:謂卜筮者尚其占也。占事知來,故定天下之疑。是故蓍之德圓而神,卦之德方以知,崔覲曰:蓍之數七七四十九,象陽。圓,其為用也。變通不定,四之以知來物,是蓍之德圓而神也。卦之數八八六十四,象陰。方,其為用也。爻位有分,因之以藏往知事,是卦之德方以知也。
経文にいう。それを用いて天下の疑难を決断す。《九家易》の説明では、これは前面の「以卜筮者尚其占」に対応す。事情を占問して未来を預知するがゆえに、能く天下の疑惑を決断す。経文にいう。だから蓍の徳性は円通にして神妙、卦の徳性は方正にして明智なり。崔覲の説明では、蓍草の数は七七四十九にして陽を象徴し、その形は円で、その作用に就いて言えば変通不定にして、四根づつそれを分数すればすなわち未来の物を預知し得る。これすなわち蓍の徳性の「円而神」。卦の数は八八六十四にして陰を象徴し、その形は方で、その作用に就いて言えば爻位は各々分際あり、それに凭って既往を含蔵し事理を知る。これすなわち卦の徳性の「方以知」。
六爻之義易以貢。韓康伯曰:貢,告也。六爻之變易以告吉凶也。聖人以此先心,韓康伯曰:洗濯萬物之心者也。退藏於密,陸績曰:受蓍龜之報應,決而藏之於心也。吉凶與民同患。虞翻曰:聖人謂庖犧。以蓍神知來,故以“先心”。陽動入巽,巽為退伏,坤為閉戶,故藏密。謂齊於巽以神明其德。陽吉陰凶,坤為民,故“吉凶與民同患”。謂作易者有憂患也。
経文にいう。六爻の義理は変易に靠って人に告示す。韓康伯の説明では、「貢」はすなわち告知で、六爻の変易はまさにもって吉凶を告知するに用いるなり。経文にいう。聖人はそれを用いて心思を洗滌す。韓康伯の説明では、これは万物の心を洗濯するの意なり。経文にいう。しかる後に退隠して隠密の処に潜蔵す。陸績の説明では、蓍亀の報応を接受したる後、胸中に決断して心に深藏す。経文にいう。百姓と共同に吉凶を憂患す。虞翻の説明では、「聖人」は伏羲を指す。蓍草の神妙に凭って未来を預知するがゆえに能く「洗心」。陽爻は変動して巽に入り、巽は退伏に取象し、坤は閉戸に取象するがゆえに「蔵密」という。すなわち《説卦伝》の講ずる「斉乎巽」にしてその徳を神妙昭明ならしむるなり。陽は吉を主り陰は凶を主り、坤は民に取象するがゆえに「吉凶与民同患」といい、これは《易》を作る人は心に憂患を懐くをいうなり。
神以知來,知以藏往,虞翻曰:乾神知來,坤知藏往。來謂出見,往謂藏密也。其孰能與於此哉!虞翻曰:誰乎能為此哉?謂古之聰明睿知之君也。古之聰明睿知神武而不殺者夫!虞翻曰:謂大人也。庖犧在乾五。動而之坤,與天地合聰明。在坎則聰。在離則明。神武謂乾。睿知謂坤。乾坤坎離,反覆不衰,故“而不殺者夫”!
経文にいう。神妙をもって未来を預知し、明智をもって既往を含蔵す。虞翻の説明では、乾は神を主り、能く未来を預知す。坤は智を主り、能く既往を含蔵す。「来」は外に顕現するを指し、「往」は密に潜蔵するを指す。経文にいう。誰かこの一歩を為し到ることを得んや。虞翻の説明では、誰かこのような作為あらんや——言う所は古代のあの聡明叡智の君主なり。経文にいう。あれはほぼ古代の聡明叡智・神武にして妄殺せざる人か。虞翻の説明では、これは大人を指す。伏羲は乾の五位に居り、変動して坤に交入り、天地と相合して聡明を具備す——坎に在ればすなわち「聡」、離に在ればすなわち「明」なり。「神武」は乾を指し、「睿知」は坤を指す。乾坤坎離は往復循環して衰竭せざるがゆえに「而不殺者夫」という。
是以明於天之道,而察於民之故,虞翻曰:乾五之坤,以離日照天,故“明天之道”。以坎月照坤,故“察民之故”。坤為民。是興神物以前民用。陸績曰:神物,蓍也。聖人興蓍以別吉凶,先民而用之,民皆從焉,故曰“以前民用”也。
経文にいう。これによって天の法則を通暁し、民間の事故を洞察す。虞翻の説明では、乾の五爻は坤に交入り、離の象する太陽をもって上天を照耀するがゆえに「明天之道」といい、坎の象する月亮をもって坤地を照臨するがゆえに「察民之故」といい、坤はまさに民に取象す。経文にいう。ここにおいて神物を興起し、百姓に先んじてその取用に供す。陸績の説明では、「神物」はすなわち蓍草である。聖人は蓍占を興起して吉凶を分辨し、百姓に先んじてまずそれを用い、百姓はみな跟随して效法するがゆえに「以前民用」という。
聖人以此齋戒,韓康伯曰:洗心曰“齋”。防患曰“戒”。以神明其德夫。陸績曰:聖人以蓍能逆知吉凶,除害就利,清絜其身,故曰“以此齋戒”也。吉而後行,舉不違失其德,富盛見稱神明,故曰“神明其德”也。是故闔戶謂之坤,虞翻曰:闔,閉翕也。謂從巽之坤,坤柔象夜,故以閉戶者也。
経文にいう。聖人はそれに凭って斎戒す。韓康伯の説明では、内心を洗滌するを「斎」と名づけ、禍患を防範するを「戒」と名づく。経文にいう。これをもって己の徳性を神妙昭明ならしむ。陸績の説明では、聖人は蓍占に凭って能く予かって吉凶を知り、これによって害を除き利に就き、その身を潔浄にするがゆえに「以此斎戒」という。先に卜して吉を得て然る後に行動すれば、挙措は便ち違失あらず、その徳は日益に富盛にして人に神明と称さるるがゆえに「神明其徳」という。経文にいう。これによって門戸を関閉するを「坤」と名づく。虞翻の説明では、「闔」は関閉収合である。これは巽より坤に転入するをいい、坤性は柔順にして黑夜を象徴するがゆえに、門を関するをもって比喻と為す。
闢戶謂之乾,虞翻曰:闢,開也。謂從震之乾,乾剛象晝,故以開戶也。一闔一闢謂之變,虞翻曰:陽變闔陰,陰變闢陽,剛柔相推,而生變化也。往來不窮謂之通。荀爽曰:謂一冬一夏,陰陽相變易也。十二消息,陰陽往來無窮已,故“通”也。
経文にいう。門戸を開啓するを「乾」と名づく。虞翻の説明では、「辟」は開啓である。これは震より乾に転入するをいい、乾性は剛健にして白昼を象徴するがゆえに、門を開くをもって比喻と為す。経文にいう。一関一開するを「変」と名づく。虞翻の説明では、陽が変ずれば則ち陰を閉合し、陰が変ずれば則ち陽を開啓す。剛柔は互いに推移して、ここにおいて変化を産生す。経文にいう。往来して窮尽せざるを「通」と名づく。荀爽は消息の法によって説明する。これは一冬一夏、陰陽は互相変易すをいう。十二消息卦の中に陰陽の往来は窮尽なきがゆえに「通」と名づく。
見乃謂之象,形乃謂之器,荀爽曰:謂日月星辰,光見在天而成象也。萬物生長,在地成形,可以為器用者也。制而用之謂之法,荀爽曰:謂觀象於天,觀形於地,制而用之,可以為法。利用出入,民咸用之謂之神。陸績曰:聖人制器以周民用,用之不遺,故曰“利用出入”也。民皆用之,而不知所由來,故謂之“神”也。
経文にいう。顕現し出るを「象」と名づけ、形を成すを「器」と名づく。荀爽の説明では、日月星辰の光芒は天上に顕現して「象」と為る。万物は生長し、地上において形体を凝成して、取りて器物の用を為すべきは、すなわち「器」。経文にいう。これに制作を加えてそれを使用するを「法」と名づく。荀爽の説明では、これは天上において形象を観察し、地上において形体を観察し、これに拠って制作使用せば、すなわち法度と為るを得るをいう。経文にいう。出入取用ともに便利にして、百姓人人これを使用するを「神」と名づく。陸績の説明では、聖人は器物を制作して周遍に百姓の使用に供し、用うるに遺漏なきがゆえに「利用出入」という。百姓はみなそれを用いるも、それが何処より来たるかを知らざるがゆえに、これを「神」と称す。
是故易有太極,是生兩儀,干寶曰:發初言“是故”,總眾篇之義也。虞翻曰:太極,太一也。分為天地,故“生兩儀”也。兩儀生四象,虞翻曰:四象,四時也。兩儀,謂乾坤也。乾二五之坤,成坎、離、震、兌。震春兌秋,坎冬離夏。故“兩儀生四象”。歸妹卦備,故《彖》獨稱天地之大義也。
経文にいう。だから《易》に太極あり、太極は天地両儀を生出す。干宝の説明では、開頭にすなわち「是故」と言うは、衆篇の義理を総括するなり。虞翻の説明では、太極はすなわち太一で、それは分化して天と地と為るがゆえに「生両儀」という。経文にいう。両儀は四象を生出す。虞翻の説明では、「四象」はすなわち四時である。「両儀」は乾坤を指す。乾の二・五の両爻は坤に交入り、坎・離・震・兌の四卦を成す。震は春を主り、兌は秋を主り、坎は冬を主り、離は夏を主るがゆえに「両儀生四象」という。《帰妹》の一卦はこの数層の意を兼備するがゆえに、その《彖伝》は特に天地の大義を称説す。
四象生八卦,虞翻曰:乾二五之坤,則生震坎艮。坤二五之乾,則生巽離兌。故“四象生八卦”。乾坤生春,艮兌生夏,震巽生秋,坎離生冬者也。八卦定吉凶,虞翻曰:陽生則吉,陰生則凶。謂方以類聚,物以群分,吉凶生矣。已言於上,故不言生,而獨言定吉凶也。吉凶生大業。荀爽曰:一消一息,萬物豐殖,富有之謂大業。
経文にいう。四象は八卦を生出す。虞翻の説明では、乾の二・五の両爻は坤に交入れば、すなわち震・坎・艮を生出し、坤の二・五の両爻は乾に交入れば、すなわち巽・離・兌を生出すがゆえに「四象生八卦」という。もしもう一種の配法に按ずれば、乾坤は春を生じ、艮兌は夏を生じ、震巽は秋を生じ、坎離は冬を生ず。経文にいう。八卦は吉凶を判定す。虞翻の説明では、陽気が生ずれば則ち吉、陰気が生ずれば則ち凶なり。すなわち前文のいう「方以類聚、物以群分、吉凶生矣」。「生」の字は上文すでに言い了したれば、だからここにさらに「生」を言わず、ただ「定吉凶」と言うのみ。経文にいう。吉凶は偉大の功業を産生す。荀爽の説明では、一消一長の間に万物は豊茂繁殖す。有せざる所なきをすなわち「大業」と名づく。
是故法象莫大乎天地,翟元曰:見象立法,莫過天地也。變通莫大乎四時,荀爽曰:四時相變,終而復始也。縣象著有莫大乎日月,虞翻曰:謂日月縣天,成八卦象。三日莫,震象出庚;八日,兌象見丁;十五日,乾象盈甲;十七日旦,巽象退辛;二十三日,艮象消丙;三十日,坤象滅乙。晦夕朔旦,坎象流戊。日中則離,離象就已,戊已土位,象見於中,日月相推,而明生焉。故“縣角著明,莫大乎日月”者也。
経文にいう。だから取法に供すべき形象は、天地より大なるはなし。翟元の説明では、形象を観見して法度を確立するに、天地を超過するはなし。経文にいう。変化貫通は、四時より大なるはなし。荀爽の説明では、春夏秋冬は互相変換し、終わりて復た始まる。経文にいう。形象を懸掛して昭著顕明なるは、日月より大なるはなし。虞翻は月体納甲の説によって説明する。これは日月が天上に懸りて八卦の象を構成するをいう——初三の傍晚、震象は庚方に出づ。初八、兌象は丁方に見ゆ。十五、乾象は甲方に盈満す。十七日の清晨、巽象は辛方に退く。二十三、艮象は丙方に消ゆ。三十、坤象は乙方に滅す。晦日の夕・朔日の旦、坎象は戊位に流行す。日が中天に至ればすなわち離と為り、離象は己位に就く。戊・己は中央の土位に居り、その象は中間に顕現す。日月は互相推移して光明はこれによって生ずるがゆえに「懸象著明、莫大乎日月」という。
崇高莫大乎富貴;虞翻曰:謂乾正位於五,五貴坤富,以乾通坤,故高大富貴也。備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人;虞翻曰:神農黃帝堯舜也。民多否閉,取乾之坤,謂之“備物”。以坤之乾,謂之“致用”。乾為物,坤為器用。否四之初,耕稼之利;否五之初,市井之利;否四之二,舟楫之利;否上之初,牛馬之利。謂十三蓋取以利天下。通其變,使民不倦,神而化之,使民宜之,聖人作而萬物睹,故“莫大乎聖人”者也。
経文にいう。崇高は、富貴より大なるはなし。虞翻の説明では、これは乾がその位を第五爻に端正するをいい、五位は貴にして坤は富を主り、乾をもって坤に貫通するがゆえにまた高大にしてまた富貴なり。経文にいう。器物を完備してその功用を尽し、創制成器して天下の利を謀るは、聖人より大なるはなし。虞翻の説明では、「聖人」は神農・黄帝・尭・舜を指す。当時百姓は多く閉塞の苦しみを受け、乾の陽を取りて坤に交入するを「備物」と名づけ、坤の陰をもって乾に交入するを「致用」と名づく。乾は物に取象し、坤は器用に取象す。《否》卦の四爻が初位に下るは耕作の利、五爻が初位に下るは市集の利、四爻が二位に下るは舟船の利、上爻が初位に下るは牛馬の利——これすなわち《繫辞下》の講ずる十三卦が象を取りて器を制しもって天下に利するなり。その変化を会通して百姓をして倦怠せざらしめ、神妙に化育して百姓をして各々その宜しきを得しむ。聖人が一たび興起すれば万物はみな来りて瞻仰す。だから「莫大乎聖人」という。
探嘖索隱,鉤深致遠,以定天下之吉凶,成天下之娓娓者,莫善乎蓍龜。虞翻曰:探,取。嘖,初也。初隱未見,故“探嘖索隱”。則幽贊神明而生蓍,初深,故曰“鉤深”。致遠謂乾。乾為蓍,乾五之坤。大有離為龜。乾生,知吉。坤殺,知凶。故“定天下之吉凶”,“莫善於蓍龜”也。侯果曰:亹,勉也。夫幽隱深遠之情,吉凶未兆之事,物皆勉勉然願知之,然不能也。及蓍成卦,龜成兆也。雖神道之幽密,未然之吉凶,坐可觀也。是蓍龜成天下勉勉之聖也。
経文にいう。幽賾を探取し隠微を捜求し、深奥を鈎致し遠事を招来し、もって天下の吉凶を判定し天下の勤勉不倦の事業を成就するに、蓍草と亀甲より善きはなし。虞翻の説明では、「探」は取で、「賾」は初爻を指す。初爻は幽隠にして未だ顕現せざるがゆえに「探賾索隠」という——あれまさに《説卦伝》の講ずる、暗中に神明の賛助を受けて蓍草を産生したるなり。初爻の位置は深きがゆえに「鈎深」という。「致遠」は乾を指し、乾は蓍草に取象し、乾の五爻は坤に交入して《大有》を成し、その中に離は亀に取象す。乾は生育を主り吉を知るべく、坤は粛殺を主り凶を知るべきがゆえに、能く「定天下之吉凶」といい「莫善于蓍亀」という。侯果の説明では、「亹」は勉力の意である。あの幽隠深遠の情状・吉凶の未だ兆を顕さざる事は、人人みな勉力して知らんと欲するも知る由なし。蓍草が卦を排成し亀甲が兆紋を灼出するに及べば、たとい神道の幽深隠密・未だ発生せざる吉凶も、安坐して観るべし。これすなわち蓍亀が天下の勤勉に知を求むる者を成就するの神聖の処なり。
巻十四・繫辞上(続)
是故天生神物,聖人則之;孔潁達曰:謂成蓍龜,聖人法則之,以為卜筮者也。天地變化,聖人效之;陸績曰:天有晝夜四時變化之道,聖人設三百八十四爻以效之矣。天垂象,見吉凶,聖人象之;荀爽曰:謂在璇璣、玉衡,以齊七政也。宋衷曰:天垂陰陽之象,以見吉凶。謂日月薄蝕,五星亂行,聖人象之。亦著九六爻位得失示人,所以有吉凶之占也。
経文にいう。だから上天は神奇の物を生出し、聖人は便ちそれを取法す。孔穎達の説明では、いわゆる「神物」は蓍草と亀甲を指し、聖人はこの二つの物を取法し、もって卜筮の法を制成す。経文はまたいう。天地は運行変化し、聖人は便ちそれを仿効す。陸績の説明では、上天に昼夜交替・四時推移の変化の道あり、聖人はここにおいて三百八十四爻を設立してこの種の変化を仿効す。経文はまたいう。上天は種種の天象を垂示して吉凶を顕現せしめ、聖人は便ちそれに取象す。荀爽は《尚書・舜典》の「在璇璣玉衡、以斉七政」をもって解し、これをもって天体を観測する儀器が日月五星の運行を校正するを以すと為す。宋衷の着眼点はすなわち同じからず。上天は陰陽の象を垂示して吉凶を顕現せしめ、たとえば日食月食・五星の運行錯乱はみなこれなり。聖人はこれらの征兆に取象し、同時にまた九・六の各爻の処する爻位の得失を標明して世人に昭示す。だから卦爻の中にこそ吉凶の占断あり。
河出圖,洛出書,聖人則之。鄭玄曰:《春秋緯》云:河以通乾,出天苞。洛以流坤,吐地符。河龍圖發,洛龜書成,“河圖”有九篇,“洛書”有六篇也。孔安國曰:“河圖”則八卦也,“洛書”則九疇也。侯果曰:聖人法“河圖”、“洛書”,制曆象以示天下也。
経文にいう。黄河に龍図出で、洛水に亀書出で、聖人は便ちそれらを取法す。鄭玄は緯書《春秋緯》を引いていう。黄河は上に「乾」に通じ、上天の符命を湧出し、洛水は下に「坤」に流れ、大地の凭信を吐出す。龍は図を負いて河中より出で、亀は書を載せて洛水に成る。その中に「河図」は共に九篇あり、「洛書」は共に六篇あり。孔安国の講法は同じからず、彼は「河図」の指す所はすなわち八卦、「洛書」の指す所はすなわち《尚書・洪範》の記する所の九疇と為す。侯果はまた功用の上より言う。聖人は「河図」「洛書」を取法し、これに拠って暦法を制定し天象を推演し、もって天下に昭示す。三家の分歧はまさに図書が究竟是何なるかに在り。一は成篇の緯書文字と以為し、一はすなわち八卦と九疇と以為し、一はただその暦象の用に落実するを論ずるのみ。
易有四象,所以示也;侯果曰:四象,謂上文神物也、變化也、垂象也、圖書也,四者治人之洪範。易有此象,所以示人也。繫辭焉,所以告也;虞翻曰:謂繫《彖》、《象》之辭,八卦以象告也。定之以吉凶,所以斷也。虞翻曰:繫辭焉以斷其吉凶,八卦定吉凶,以斷天下之疑也。
経文にいう。《易》に四象あり、もって人に昭示する所以なり。侯果の説明では、ここの「四象」は通常のいう所の老陽老陰少陽少陰にあらず、しかして上文の提到したる神物・天地変化・天垂之象・河図洛書のこの四件の事を指し、それらは人事を治理する大法なり。《易》はこの四種の象を具備するがゆえに能く人に昭示す。経文はまたいう。卦爻に文辞を繫上するは、もって人に告知する所以なり。虞翻の説明では、これは卦爻の下に繫わる《彖辞》と《象辞》を指す。八卦は本身卦象をもって相告げ、文辞はすなわち象中の意を言い出だすなり。経文はまたいう。吉凶をもってそれを断定するは、もって決断する所以なり。虞翻の説明では、文辞を繫上して吉凶を判定し、八卦すでに吉凶を定出したれば、すなわちこれに拠って天下人の疑难を裁断すべし。
《易》曰:自天右之,吉無不利。侯果曰:此引大有上九辭以證之義也。大有上九履信思順,自天右之,言人能依四象所示,繫辭所告,又能思順,則天及人皆共右之,吉無不利者也。子曰:右者,助也。虞翻曰:大有兌為口,口助稱右。
経文は《易》を引いていう。上天より来りて彼を佑助す、吉祥にして不利なし。侯果は指摘す。これは《大有》の上九の爻辞を征引して上文の義を印証するなり。《大有》の上九は誠信を踐行して心に柔順を存し、ここにおいて上天の佑助を得る。その意は人もし四象の昭示する所・繫辞の告知する所に依照して為し、また心を存して天道に順従し得れば、されば上天と人はみな共同して彼を佑助し、自然に吉祥にして利あらざる所なし。孔子いう。「右」はすなわち佑助の意なり。虞翻は卦象を改用して講す。《大有》の上卦は兌にして、兌は口で、言語をもって人を称許し人のために幇腔助勢するを、すなわち「右」と名づく。
天之所助者順也,虞翻曰:大有五以陰順上,故為“天國者順也”。人所助者信也。虞翻曰:信,謂二也。乾為人,為信,庸言之信也。履信思乎順,有以尚賢也。虞翻曰:大有五應二而順上,故“履信思順”。比坤為順,坎為思。乾為賢人,坤伏乾下,故“有以尚賢者”也。是以自天右之,吉無不利也。崔覲曰:言上九履五厥孚,履人事以信也。比五而不應三,思天道之順也。崇四匪彭,明辯於五,又以尚賢也。以自天右之,吉無不利,重引易文,以證成其義。
経文にいう。上天の佑助する所は、天道に順応する者なり。虞翻は《大有》卦を用いて説明する。六五は陰爻をもって尊位に居りて上九の陽に順承し、正しく一個の「順」の字に合するがゆえに「天之所助者順也」という(伝本はここを誤って「天国者順也」と作す、「国」は「之所助」の三字の訛なり)。経文はまたいう。人の佑助する所は、信用を講する者なり。虞翻の説明では、「信」は九二のこの一爻を指し、下卦は乾にして、乾は人にしてまた信なり。すなわち《乾・文言》のいう「庸言之信」のあの日常言語中の誠実なり。経文にいう。誠信を踐行して心は柔順を念じ、またこれによって賢人を崇尚し得る。虞翻の説明では、《大有》の六五は下に九二に応じ上に上九に順うがゆえに「履信思順」と名づく。取象に就いて言えば、坤は順、坎は思、乾は賢人で、坤は乾の下に潜伏するがゆえに「有以尚賢」という。経文は帰結していう。これによって上天は彼を佑助し、吉祥にして利あらざる所なし。崔覲は全く人事の上に落著して講す。上九は六五の上に踏みてこれと相孚するは、これは誠信をもって人に待つなり。六五に親比して九三に応和せざるは、これは天道の順を思慮するなり。九四を推崇してそれを過盛ならしめず、また六五に於いて明辨するは、これすなわち賢人を崇尚するなり。ここに《易》の爻辞を重複して征引するは、まさに上文の義を坐実せんがためなり。
子曰:書不盡言,言不盡意。虞翻曰:謂書易之動,九六之變,不足以盡易之所言。言之則不足以盡庖犧之意也。然則聖人之意,其不可見乎?侯果曰:設疑而問也。欲明立象可以盡聖人言意也。子曰:聖人立象以盡意,崔覲曰:言伏羲仰觀俯察,而立八卦之象,以盡其意。設卦以盡情偽,崔覲曰:設卦謂因而重之為六十四。卦之情偽,盡在其中矣。繫辭焉以盡其言,崔覲曰:文王作卦爻之辭,以繫伏羲立卦之象。象即盡意,故辭亦盡言也。
孔子いう。文字は言うべき話を写し尽す能わず、話は心中の意を説き尽す能わず。虞翻の説明では、《易》の変動・九六両爻の変化を書写するも、なお《易》の表達せんと欲する内容を窮尽するに足らず。たとい言語をもって講出するも、《易》を作りし伏羲の本意を窮尽するに足らず。経文は続けて問う。されば聖人の心意は、あに看見する能わざるにあらざらんや。侯果は指摘す。これは故意に一個の疑問を設けて発問し、もって下文を引出せんがため——卦象を樹立すればすなわち聖人の言と意を窮尽し得。孔子は答えていう。聖人は卦象を樹立してもって心意を窮尽す。崔覲の説明では、これは伏羲が仰いで天文を観、俯して地理を察し、これによって八卦の象を立起し、心中の意を全部象の裏に寄托したるをいう。経文にいう。卦体を布設して事情の真偽を窮尽す。崔覲の説明では、「設卦」は八卦の基礎の上に於いて重畳して六十四卦を成すを指す。天下の情実と虚偽は、すでにこの六十四卦の中に包含せらる。経文にいう。文辞を繫上して講ずべき話を窮尽す。崔覲の説明では、文王は卦辞爻辞を作り、それらを伏羲の立てたる卦象の下に繫挂せり。象はすでに意を尽くしたれば、辞もまた能く言を尽くすを得る。
變而通之以盡利,陸績曰:變三百八十四爻,使相交通,以盡天下之利。鼓之舞之以盡神。虞翻曰:神,易也。陽息震為鼓,陰消巽為舞,故“鼓之舞之以盡神”。荀爽曰:鼓者,動也,舞者,行也。謂三百八十四爻,動行相反其卦,所以盡易之神也。
経文にいう。これを変化して貫通せしめ、もって天下の利を窮尽す。陸績の説明では、三百八十四爻に変化を生ぜしめ、それらを彼此交感貫通せしめれば、すなわち天下の利益を窮尽し得る。経文にいう。それを鼓動し舞動して、もって神妙を窮尽す。虞翻はまず「神」に一個の界説を下す。ここの「神」はすなわち《易》の本身なり。さらに取象して言えば、陽気は生長して震と為り震は鼓、陰気は消退して巽と為り巽は舞であるがゆえに「鼓之舞之以尽神」という。荀爽は全く訓詁の一路を走る。「鼓」は動、「舞」は行で、三百八十四爻の一動一行を指し、卦体を反転して他卦と成らしむ。《易》の神妙はすなわちこの動と行の間において窮尽せらる。
乾坤其易之縕邪?虞翻曰:縕藏也。易麗乾藏坤,故為“易之縕”也。乾坤成列,而易立乎其中矣。侯果曰:縕,淵隩也。六子因之而生,故云“立乎其中矣”。乾坤毀,則無以見易。荀爽曰:毀乾坤之體,則無以見陰陽之交易也。易不可見,則乾坤或幾乎息矣。侯果曰:乾坤者,動用之物也。物既動用,則不能毀息矣。夫動極復靜,靜極復動,雖天地至此,不違變化也。
経文にいう。乾坤はほぼ《易》の蔵藴する府庫なるか。虞翻は「縕」を蔵と訓し、《易》は乾に依附して坤に潜蔵するを言うがゆえに、乾坤はすなわち「易之縕」。経文にいう。乾坤は行列を排成し、《易》はすなわちその中に立つ。侯果の「縕」に対する訓釈は虞翻と同じからず、彼はそれを深淵内室に解し、その幽深を取る。震坎艮巽離兌の六個の子卦はみな乾坤より生出するがゆえに、《易》が「立乎其中」すという。経文にいう。乾坤もし毀壊せば、すなわち《易》を見る由なし。荀爽の説明では、乾坤両卦の体を毀掉せば、陰陽の交互変易もまた顕現する由なし。経文にいう。《易》見るべからざれば、されば乾坤もほぼ止息せんと欲す。侯果の説明では、乾坤はもとより恒に運動作用する物で、すでに常に動き常に用いらるれば、毀壊止息せざるべし。動きて極処に至れば転じて静と為り、静にして極処に至ればまた転じて動と為る。たとい天地がこの地歩に到るも、変化の理に背離せざるべし。
是故形而上者謂之道,形而下者謂之器;崔覲曰:此結上文,兼明易之形器變通之事業也。凡天地萬物,皆有形質。就形質之中,有體有用體者,即形質也。用者,即形質上之妙用也。言有妙理之用以扶其體,則是道也。其體比用,若器之於物,則是體為形之下,謂之為器也。假令天地圓蓋方軫為體為器,以萬物資始資生為用為道;動物以形軀為體為器,以靈識為用為道;植物以枝幹為器為體,以生性為道為用。
経文にいう。形質の上に超乎るを「道」と名づけ、形質の下に落著するを「器」と名づく。崔覲の説明では、この一句はすでに上文を総結し、また兼ねて《易》の形・器・変・通の上における事業を説明す。およそ天地万物はみな形質体料あり。形質体料に就いて言えば、「体」ありまた「用」あり。体はすなわち形質体料の本身、用はすなわち形質体料の上に附着する微妙の功能なり。もし精妙の理の作用あってその形体を扶持せば、すなわちあれは道なり。体と用とを相並すれば、体の用に対するはたとえば器皿の盛る所の物に対するがごとし。だから体は形の下に落著して、すなわち器と名づく。崔覲は随いて三層の例を挙ぐ。天は円蓋のごとく地は方形車厢のごとし。この形体は体・器にして、しかして万物の天より始められ地より生ぜらるるあの功能はすなわち用・道なり。動物は形躯をもって体・器と為し、靈明知覚をもって用・道と為す。植物は枝幹をもって器・体と為し、生長の性をもって道・用と為す。
化而裁之謂之變,翟元曰:化變則柔而則之,故“謂之變”也。推而行之謂之通;翟元曰:推行陰陽,故謂之通也。舉而措之天下之民,謂之事業。陸績曰:變通盡利,觀象制器,舉而措之於天下,民咸用之以為事業。《九家易》曰:謂聖人畫卦,為萬民事業之象,故天下之民尊之,得為事業矣。
経文にいう。これに化育裁成を加えるを「変」と名づく。翟元の説明では、化生変動の際に能く柔順に取法節制を加うるがゆえに、これを変と名づく。経文にいう。それを推衍して施行するを「通」と名づく。翟元の説明では、陰陽二気を推行してそれを流転して滞らざらしむるがゆえに、これを通と名づく。経文にいう。取り起こして天下百姓の身に施加するを「事業」と名づく。陸績の説明では、変通してその利を窮尽し、卦象を観察して器物を制作し、それを天下に推行して百姓人人これを使用せば、これすなわち事業と成る。《九家易》はさらに一層を進む。聖人が卦を画出したるは、まさに万民の事業のために象徴を樹立せんがためなり。だから天下の百姓はそれを尊奉し、卦象もまた事業に落实せられたり。
是故夫象,聖人有以見天下之嘖,崔覲曰:此重明易之縕,更引易象及辭以釋之。言伏羲見天下深漬,即易之縕者也。而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。陸績曰:此明說立象盡意,設卦盡情偽之意也。聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮,侯果曰:典禮有時而用,有時而去,故曰“觀其會通”也。繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。崔覲曰:言文王見天下之動,所以繫象而為其辭,謂之為爻。
経文にいう。だから「象」を講ずるに至っては、聖人は能く天下の幽深にして見難き事理を見る。崔覲の説明では、これは再び「易之縕」を申明し、別に卦象と卦爻辞を引きてもって説明を加えるなり。伏羲は天下の幽深の理を見たり、あの幽深の理はすなわち《易》の蔵藴する所の物なり。経文にいう。ここにおいてその形態容貌を比擬し、あの事物の相宜の処を象徴するがゆえに「象」と名づく。陸績の説明では、これまさに前面の「立象以尽意、設卦以尽情偽」の意を申説するなり。経文にいう。聖人は能く天下の変動を見、其中の会合貫通の処を観察し、これに拠って典章礼制を推行す。侯果の説明では、典章礼制は時に用いるべく時に廃すべし。だから「観其会通」し、それが何処に於いて相通じ何時に於いて合宜なるかを看るを須う。経文にいう。文辞を繫上して吉凶を判斷するがゆえに「爻」と名づく。崔覲の説明では、文王は天下の動を見て、ここにおいて卦象に依りて文辞を繫上せり。これを爻と称す。
極天下之嘖者存乎卦,陸績曰:言卦象極盡天下之深情也。鼓天下之動者存乎辭;宋衷曰:欲知天下之動者,在於六爻之辭也。化而裁之存乎變,推而行之存乎通;崔覲曰:言易道陳陰陽變化之事耐用裁成之,存乎其變。推理達本而行之,在乎其通。
経文にいう。天下の幽深の理を窮尽するは、卦に在り。陸績の説明では、これは卦象が能く天下の深隠の実情を窮尽するをいうなり。経文にいう。天下の変動を鼓動するは、辞に在り。宋衷の説明では、天下の変動を知らんと欲せば、すなわち六爻の爻辞の上に落著す。経文にいう。化育裁成は「変」に在り、推衍施行は「通」に在り。崔覲は両句を分かちて言う。《易》道は陰陽変化の事を鋪陳して裁断成就を加えるは、この一層は「変」の上に落著す。その理を推究しその本を通達して施行に付すは、この一層は「通」の上に落著す。
神而明之,存乎其人;荀爽曰:苟非其人,道不虛行也。崔覲曰:言易神無不通,明無不照,能達此理者,存乎其人。謂文王述《易》之聖人。默而成之,不言而信,存乎德行。《九家易》曰:默而成謂陰陽相處也;不言而信謂陰陽相應也。德者有實,行者相應也。崔覲曰:言伏羲成六十四卦,不有言述,而以卦象明之。而人信之,在乎合天地之德,聖人之行也。
経文にいう。神妙に領会してこれを彰明するは、人に在り。荀爽はただ一句を用いて点破す。あのような人にあらざれば、道は空に自ら行わず。崔覲の講ずるは較れ詳し。《易》の神は通ぜざる所なく、その明は照らさざる所なし。能くこの道理を通達するは、全くあのような人の有るか無きかを看るに在り——彼の指すは《易》道を承述したる聖人文王なり。経文にいう。黙然としてこれを成就し、言語せざるも人をして信ぜしむるは、徳行に在り。《九家易》は陰陽の上より解す。「黙而成」は陰陽が各々その位に安んじて相処するを言い、「不言而信」は陰陽が自然に相応ずるを言う。徳あればすなわち実あり、能く行えばすなわち彼此相応ず。崔覲は《易》を作る者の身上より言う。伏羲は六十四卦を成就し、並びに言語論述なく、ただ卦象を用いて昭明するのみにして、しかして人はなおそれを相信す。その関鍵はそれが天地の徳に合し聖人の行に合するに在り。
巻十五・繫辞下
八卦成列,象在其中矣。虞翻曰:象謂三才成八卦之象。乾坤列東,艮兌列南,震巽列西,坎離在中,故“八卦成列”,則“象在其中”。天垂象,見吉凶,聖人象之是也。因而重之,爻在其中矣。虞翻曰:謂參重三才為六爻,發揮剛柔,則“爻在其中”。六畫稱爻。六爻之動,三極之道也。剛柔相推,變在其中矣。虞翻曰:謂十二消息。九六相變,剛柔相推,而生變化,故“變在其中矣”。繫辭焉而命之,動在其中矣。虞翻曰:謂繫彖象九六之辭,故“動在其中”。鼓天下之動者,存乎辭者也。
《繫辞下》は開篇にいう。八卦は行列を排成し、象はすなわちその中に在り。虞翻の説明では、「象」は天地人三才の配合して成る八卦の象を指す。方位の排布に就いて言えば、乾坤は東に列し、艮兌は南に列し、震巽は西に列し、坎離は中に居す。だから「八卦成列」といい、象もまたその中に在り——上文の「天垂象、見吉凶、聖人象之」が講ずる所はまさにこの事なり。経文にいう。ここにおいてそれを重畳せば、爻はすなわちその中に在り。虞翻の説明では、三才を重畳して二と為し、六爻を成し、剛柔はここにおいて発揮を得、爻はすなわちその中に在り。六画をはじめて爻と称し、すなわち「六爻之動、三極之道」なり。経文にいう。剛柔は互いに推移し、変化はすなわちその中に在り。虞翻の説明では、これは十二消息卦を指し、九と六は互相転換し、剛柔は互いに推移して変化を生出すがゆえに「変在其中」という。経文にいう。文辞を繫上して命断を加えれば、動はすなわちその中に在り。虞翻の説明では、《彖》《象》と九六爻の文辞を繫上するを指すがゆえに「動在其中」といい、すなわち上文のいわゆる「鼓天下之動者存乎辞」なり。
吉凶悔吝者,生乎動者也。虞翻曰:動,謂爻也。爻者,效天下之動者也。爻象動內,吉凶見外。吉凶生而悔吝著,故“生乎動”也。剛柔者,立本者也。虞翻曰:乾剛坤柔,為六子父母。乾天稱父,坤地稱母;本天親上,本地親下,故“立本者也”。變通者,趣時者也。虞翻曰:變通配四時,故趣時者也。
経文にいう。吉・凶・悔・吝は、みな「動」の裏より産生す。虞翻の説明では、「動」はすなわち爻で、爻は天下の変動を仿効する物なり。爻象は卦内に変動し、吉凶はすなわち外に顕現し、吉凶は一たび生ぜば悔吝は之に随いて顕著なり。だからそれらは動より生ずという。経文にいう。剛と柔は、根本を確立するなり。虞翻の説明では、乾剛坤柔は震・坎・艮・巽・離・兌の六子卦の父母なり。乾は天にして父と称し、坤は地にして母と称す。天に本ずるは上に親附し、地に本ずるは下に親附するがゆえに「立本」という。経文にいう。変と通は、時宜に趨合するなり。虞翻の説明では、変通は春夏秋冬の四時と相配するがゆえに、それは時宜に趨合すという。
吉凶者,貞勝者也。虞翻曰:變通配四時,故趣時者也。吉凶者,貞勝者也。虞翻曰:貞,正也。勝,滅也。陽生則吉,陰消則凶者也。天地之道,貞觀者也。陸績曰:言天地正,可以觀瞻為道也。日月之道,貞明者也。荀爽曰:離為日。日中之時,正當離位,然後明也。月者,坎也。坎正位沖離,沖為十五日,月當日沖,正值坎位。亦大圓明。故曰“日月之道,貞明者也。”言日月正當其位,乃大明也。陸績曰:言日月正,以明照為道矣。天下之動,貞夫一者也。虞翻曰:一謂乾元。萬物之動,各資天一陽氣以生,故“天下之動,貞夫一者也。”
経文にいう。吉凶は、正を守るをもって相勝す。この句は伝本中に重出し、前の一次の下に繫わる「変通配四時、故趣時者也」は実は上の一条の注が誤ってここに衍したるなり。虞翻の正式の解釈は、「貞」は正、「勝」は滅である。陽気は生長すればすなわち吉、陰気は消剥すればすなわち凶なり。経文にいう。天地の道は、正を守るをもって人の観瞻に供す。陸績の説明では、天地はその正を守るがゆえに、能く人に瞻仰せしめるをその道と為す。経文にいう。日月の道は、正を守るをもって光明す。荀爽は卦位より甚だ細かく講す。離は日で、正午の時に太陽はちょうど離位に当たり、然る後にはじめて最も明なり。月は坎に属し、坎位は正しく離位と相衝す。相衝の日は毎月十五で、月亮が太陽と相衝する時はまさに坎位に当たり、また大にして円明なり——だから「日月之道、貞明者也」といい、すなわち日月は各々その位を正にする時にこそ大放光明す。陸績の講ずるは簡括なり。日月は正を守れば、すなわち照明をもってその道と為す。経文にいう。天下の一切の変動は、みな「一」をもって正と為す。虞翻の説明では、この「一」は乾元を指し、万物の運動はみな上天のこの一股の陽気に凭借して生ずるがゆえに「天下之動、貞夫一者也」という。
夫乾,確然示人易矣。虞翻曰:陽在初弗用,確然無為,潛龍時也。不易世,不成名,故“示人易”者也。夫坤,隤然示人簡矣。虞翻曰:隤,安。簡,閱也。坤以簡能閱內萬物,故“示人簡”者也。爻也者,效此者也。虞翻曰:效法之謂坤,謂效三才以為六畫。象也者,象此者也。虞翻曰:成象之謂乾,謂聖人則天之象,分為三才也。
経文にいう。乾は剛健确然として、人に昭示するは「易」、すなわち平易簡易なり。虞翻の説明では、陽爻は初位に在る時は未だ施用せず、确然として作為する所なし。まさに《乾》の初九の「潜竜勿用」の時なり。世俗によって操守を改易せず、また成名を求めざるがゆえに、それの人に昭示するは平易という。経文にいう。坤は柔順安隤として、人に昭示するは「簡」。虞翻は「隤」を安と訓し、「簡」を閲と訓し、すなわち容納統摂の意なり。坤は簡約の能をもって万物を容納統摂するがゆえに、人に昭示するは簡と言う。経文にいう。爻は、すなわちこのを仿効するなり。虞翻は《繫辞》の「效法之謂坤」を引いて証と為し、爻は三才を仿効して六画を成すを言う。経文にいう。象は、すなわちこのを象徴するなり。虞翻は「成象之謂乾」を引いて証と為し、象は聖人が上天の象を取法し、分かちて天地人の三才と為すを言う。
爻象動乎內,吉凶見乎外,虞翻曰:內初。外,上也。陽象動內,則吉內外,陰爻動內,則凶見外也。功業見乎變,荀爽曰:陰陽相變,功業乃成者也。聖人之情見乎辭。崔覲曰:言文王作卦爻之辭,所以明聖人之情陳於易象。天地之大德曰生,孔穎達曰:自此以下,欲明聖人同天地之德,廣生萬物之意也。言天地之盛德,常生萬物,而不有生,是其大德也。聖人之大寶曰位。崔覲曰:言聖人行易之道,當須法天地之大德,寶萬乘之天位。謂以道濟天下為寶,而不有位,是其大寶也。
経文にいう。爻象は内卦に変動し、吉凶はすなわち外卦に顕現す。虞翻の説明では、「内」は初爻の一端を指し、「外」は上爻の一端を指す。陽象は内に変動すれば吉はすなわち外に見え、陰爻は内に変動すれば凶はすなわち外に見ゆ。経文にいう。功業は「変」の上に顕現す。荀爽の説明では、陰陽は互相変易して、功業ははじめて成就を得る。経文にいう。聖人の心意は「辞」の上に顕現す。崔覲の説明では、文王は卦辞爻辞を作り、まさに聖人の卦象の裏に寄托したる心意を表明せんと欲するなり。経文にいう。天地の最大の徳は「生」と名づく。孔穎達は指摘す。ここより往下は、聖人が天地と徳を同じくして広く万物を生ずるの意を説明せんと欲するなり。天地の盛徳は常に万物を生じて己の有と據せざるに在り、これこそそれの大徳なり。経文にいう。聖人の最大の宝は「位」と名づく。崔覲の説明では、聖人は《易》道を施行するに、必ず天地の大徳を效法し、万乗の尊位を珍視すべし。いわゆる道をもって天下を済うを宝と為し、位に居るを私有と為さざるは、これこそ彼の大宝なり。
何以守位曰仁,宋衷曰:守位當得士大夫公侯,有其仁賢,兼濟天下。何以聚人曰財。陸績曰:人非財不聚,故聖人觀象制器,備物盡利,以業萬民而聚之也。蓋取聚人之本矣。理財正辭,禁人為非曰義。荀爽曰:尊卑貴賤,衣食有差,謂之“理財”。名實相應,萬事得正,謂之“正辭”。咸得其宜,故謂之“義”也。崔覲曰:夫財貨人所貪愛,不以義理之,則必有敗也。言辭人之樞要,不以義正之,則必有辱也。百姓有非,不以義禁之,則必不改也。此三者皆資於義,以此行之,得其宜也。故知仁義與財,聖人寶位之所要也。
経文にいう。何に靠ってその位を守住せん。「仁」に靠る。宋衷の説明では、位を守るは必ず士大夫と公侯の輔佐を得、彼らは仁徳賢能を具備してはじめて能く天下を兼済す。経文にいう。何に靠って人衆を聚集せん。「財」に靠る。陸績の説明では、人は財用なければ聚まり来る能わざるがゆえに、聖人は卦象を観察して器物を制作し、器用を備足しその利を窮尽して、万民をして作るべき業あらしむれば、人は自然に聚拢して来る——これは人を聚める根本なり。経文にいう。財貨を治理し言辞を端正し、人々の為非作歹を禁止するを「義」と名づく。荀爽は逐字に解す。尊卑貴賎は各々等級あり、衣食の供給に差等あるは、これを「理財」と名づく。名と実は相応じて万事みな正に帰するは、これを「正辞」と名づく。三者みな各々その宜しきを得るがゆえに「義」と名づく。崔覲は反面より申説す。財貨は人の貪愛する所で、義を用いて之を治せざれば、必ず敗壊す。言辞は人事の枢紐で、義を用いて之を正さざれば、必ず辱を招来す。百姓に過錯あれば、義を用いて之を禁止せざれば、必ず改めず。この三件の事はみな義に凭借し、義に依って行ってはじめて各々その宜しきを得る。これによって知るべし、仁・義と財は、まさに聖人がその位を保有するの関鍵なり。
古者庖犧氏之王天下也,虞翻曰:庖犧,太昊氏,以木德王天下。位乎乾五,五動見離,離生木,故知火化。炮啖犧牲,號庖犧氏也。仰則觀象於天,荀爽曰:震巽為雷風,離坎為日月也。俯則觀象於地,《九家易》曰:艮兌為山澤也。地有水火五行八卦之形者也。觀鳥獸之文,荀爽曰:乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞之屬是也。陸績曰:謂朱鳥、白虎、蒼龍、玄武四方二十八宿經緯之文。與地之宜,《九家易》曰:謂四方四維八卦之位,山澤高卑五土之宜也。近取諸身,荀爽曰:乾為首,坤為腹,震為足,巽為股也。遠取諸物,荀爽曰:乾為金玉,坤為布釜之類是也。
経文にいう。従前庖犠氏が天下を統治したる時。虞翻の説明では、庖犠はすなわち太昊氏で、木徳をもって天下に王たり。その位置は《乾》卦の九五に対応し、五爻が一動すれば便ち離を見、離は木と相因するがゆえに、火の化を用いるを懂得し、能く犠牲を焼烤して食し得る。これによって庖犠氏と号す。経文にいう。彼は頭を擡げてすなわち天上の象を観察す。荀爽は八卦をもって相配す。震巽は雷と風、離坎は日と月なり。経文にいう。頭を低うしてすなわち地上の法を観察す。《九家易》にいう。艮兌は山と沢で、大地上に水火五行・八卦の形態を具備す。経文にいう。鳥獣の紋理を観察す。荀爽はなお八卦より動物の象を取る。乾は馬、坤は牛、震は龍、巽は鶏の類なり。陸績の解法は全く同じからず、彼は「鳥獣之文」は南方朱鳥・西方白虎・東方蒼龍・北方玄武のこの四方二十八宿の縦横交錯する星象を指すと為す。経文にいう。および土地の宜しき所。《九家易》にいう。四正四隅の八卦の方位、および山沢の高下・五種の土壤が各々宜しき所の物産を指す。経文にいう。近くは自身に取象す。荀爽の説明では、乾は頭、坤は腹、震は足、巽は大腿なり。経文にいう。遠くは外物に取象す。荀爽の説明では、乾は金玉、坤は布匹釜甑の類なり。
於是始作八卦,虞翻曰:謂庖犧觀鳥獸之文,則天八卦效之。易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。八卦乃四象所生,非庖犧之所造也。故曰:象者,像此者也。則大人造爻象以象天卦可知也。而讀易者,咸以為庖犧之時,天未有八卦,恐失之矣。天垂象,示吉凶,聖人象之,則天已有八卦之象。以通神明之德,荀爽曰:乾坤為天地,離坎為日月,震巽為雷風,艮兌為山澤,此皆神明之德也。以類萬物之情。《九家易》曰:六十四卦,凡有萬一千五百二十策,策類一物,故曰“類萬物之情”。以此知庖犧重為六十四卦明矣。
経文にいう。ここにおいてはじめて八卦を創作す。虞翻はここにおいて一個の緊要の主張を提出す。庖犠が鳥獣の文を観察したるは、上天の本有する八卦を取法してそれを仿効したるなり。《易》に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず——八卦はすでに四象の生ずる所なるがゆえに、庖犠の凭空に造出したるにあらず。だから経文に「象者、象此者也」といい、見るべし大人が爻象を制作するは、もって天上の本有する卦を象徴するなりを。しかして《易》を読む人はみな庖犠の時に天上に未だ八卦なかりしと以為す。これおそらく説錯せり。「天垂象、見吉凶、聖人象之」の一句は、正しく上天の早已に八卦の象あるを説明す。経文にいう。もって神明の徳性を会通す。荀爽の説明では、乾坤は天地、離坎は日月、震巽は雷風、艮兌は山沢で、これらはみな神明の徳の具体の呈現なり。経文にいう。もって万物の情状を比類す。《九家易》は改めて策数の上より講す。六十四卦は総計一万一千五百二十策、一策は一物を比擬するがゆえに「類万物之情」という。これによって知るべし、重卦の六十四と為すもまた庖犠の為す所なり——これは甚だ明白なり。
作結繩而為罟,以田以魚,蓋取諸離。虞翻曰:離為目,巽為繩。目之重者唯罟,故結繩為罟。坤二五之乾成離。巽為魚。坤二稱田,以罟取獸曰田。故“取諸離”也。庖犧氏沒,神農氏作。虞翻曰:沒,終。作,起也。神農以火德繼庖犧王。火生土,故知土則利民播種,號神農氏也。
経文にいう。繩を結んで網罟を做成し、もって打猟しもって捕魚す、ほぼ《離》卦に取象せるか。虞翻の説明では、離は目、巽は繩で、網眼は層層相畳してまさに重重の目のごとし。だから繩を結んで罟を成す。爻変に就いて言えば、坤の二・五の爻は乾に交入して離を成す。巽は魚、坤の二は田と称し、網罟を用いて野獣を捕取するもまた「田」と名づくがゆえに《離》に取象すという。経文にいう。庖犠氏は去世し、神農氏が興起す。虞翻の説明では、「没」は終結、「作」は興起である。神農は火徳をもって庖犠に継承して天下に王たり。火は土を生ずるがゆえに、彼は土性が百姓に利ありて五穀を播種し得るを懂得したり。これによって神農氏と号す。
斫木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸益。虞翻曰:否四之初也。巽為木,為入;艮為手;乾為金。手持金以入木,故“斫木為耜”。耜止所逾,因名曰耜。艮為小木,手以橈之,故“揉木為耒”。耒耜,耔器也。巽為號令,乾為天,故“以教天下”。坤為田,巽為股,進退。震足動耜,艮手持耒,進退田中,耕之象也。益萬物者莫若雷風,故法風雷而作耒耜。
経文にいう。木頭を砍削して耜を做成し、木を弯揉して耒を做成し、耒耜耕耨の利をもって天下に教導す、ほぼ《益》卦に取象せるか。虞翻は卦変を用いて逐字に落实す。《益》は《否》卦の四爻が初爻に下りて成る。巽は木・入、艮は手、乾は金である。手は金属工具を持ちて木中に入るは、すなわち「斫木為耜」。耜は土里に挿入して過ぐる所に止まり、ここにおいて名を得る。艮は小木で、手をもってそれを弯揉するは、すなわち「揉木為耒」。耒耜はみな土を培って耕作する農具なり。巽は号令、乾は天であるがゆえに「以教天下」という。坤は田、巽は股また進退、震は足にして耜を推動し、艮は手にして耒を握持す。田中に於いて一進一退するは、まさに耕作の象なり。能く万物を增益するは雷と風より過ぐるなきがゆえに、風雷相益する《益》卦を取法して耒耜を作れり。
日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸噬嗑。翟元曰:否五之初也。離象正上,故稱“日中”也。艮為徑路。震為足,又為大塗。否乾為天。故致天下之民象也。坎水艮山,群珍所出,聚天下貨之象也。震升坎降,交易而退,各得其所,噬嗑食也。市井交易,飲食之道,故取諸此也。
経文にいう。正午に集市を設立し、天下の百姓を招致し、天下の貨物を聚集し、交換し已って散去し、人人各々その需む所を得、ほぼ《噬嗑》卦に取象せるか。翟元の説明では、《噬嗑》は《否》卦の五爻が初爻に下りて成る。離象は正しく上位に当たるがゆえに「日中」と称す。艮は小路、震は足また大道で、《否》の上卦の乾は天なり。合せれば便ち天下の民を招致するの象なり。坎は水、艮は山で、各種の珍物の出産する所なり。まさに天下の貨物を聚集するの象。震気は上升し坎気は下降し、一升一降はすなわち交易して退き各々その所を得るなり。しかして《噬嗑》の本義は咀嚼進食にして、市井の交易はもとより飲食の需のためなり。だからこの卦に取象す。
神農氏沒,黃帝、堯、舜氏作,通其變,使民不倦;虞翻曰。變而通之以盡利,謂作舟楫服牛乘馬之類,故“使民不倦”也。神而化之,使民宜之。虞翻曰:神謂乾。乾動之坤,化成萬物,以利天下。坤為民也。象其物宜。故“使民宜之”也。易窮則變,變則通,通則久,是以“自天右之,吉無不利”也。陸績曰:陰窮則變為陽,陽窮則變為陰,天之道也。庖犧作網罟,教民取禽獸,以充民食。民眾獸少,其道窮,則神農教播殖以變之。此窮變之大要也。窮則變,變則通,與天終始,故可久。民得其用,故無所不利也。
経文にいう。神農氏は去世し、黄帝・尭・舜は相継いで興起し、其中の変化を貫通して、百姓をして倦怠せざらしむ。虞翻の説明では、これすなわち上文のいう「変而通之以尽利」で、舟楫を制作し牛を馴らし馬に乗るの類を指す。人力を省下するがゆえに百姓は疲倦を覚えず。経文にいう。神妙にそれを化育して、百姓をして各々その宜しきを得しむ。虞翻の説明では、「神」は乾を指し、乾は動きて坤に入り、万物を化生成就して天下に利す。坤は民で、聖人は物性の宜しき所に依って器を制するがゆえに「使民宜之」という。経文にいう。《易》道は窮尽すればすなわち変じ、変ずればすなわち通じ、通ずればすなわち長久し得るがゆえに「自天右之、吉无不利」という。陸績の説明では、陰は尽頭に至ればすなわち陽に変じ、陽は尽頭に至ればすなわち陰に変ず。これは天道なり。庖犠は網罟を作り、百姓に禽獣を捕取して食用に充つるを教えたり。後に人多く獣少なく、この路は尽頭に走り至り、神農は便ち人に播種耕殖を教えてもってそれを変改せり——これまさに窮すれば則ち変を思うの大要なり。窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通じ、天道と相終始するがゆえに能く長久す。百姓は実用を得るがゆえに利あらざる所なし。
黃帝、堯、舜垂衣裳而天下治,蓋取諸乾坤。《九家易》曰:黃帝以上,羽皮革木,以禦寒暑。至乎黃帝,始制衣裳,垂示天下。衣取象乾,居上覆物。裳取象坤,在下含物也。虞翻曰:乾為治,在上為衣。坤下為裳。乾坤萬物之縕,故以象衣裳。乾為明君,坤為順臣,百官以治,萬民以察,故“天下治”。蓋取諸此也。
経文にいう。黄帝・尭・舜は衣裳を垂れて天下大いに治まる、ほぼ《乾》《坤》両卦に取象せるか。《九家易》は服制沿革より講す。黄帝以前、人は羽毛・獣皮・樹皮木葉を用いて寒暑を抵御せり。黄帝に至りて、はじめて上衣下裳を創制し、天下に垂示せり。上衣は乾に取象し、上に居りて万物を覆蓋す。下裳は坤に取象し、下に在りて万物を含容す。虞翻は転じて治道より講す。乾は治にして上に居りて衣と為し、坤は下に在りて裳と為す。乾坤は万物の蔵藴する府庫なるがゆえに、もって衣裳を象徴す。乾は明君、坤は順臣で、百官は各々その職を司りて政事は治を得、万民の情は明察を得るがゆえに「天下治」といい、ほぼここに取象せるか。
挎木為舟,掞木為楫,舟楫之利,以濟不通,致遠以利天下,蓋取諸渙。《九家易》曰:木在水上,流行若風,舟楫之象也。此本否卦九四之二。挎,除也。巽為長,為木,艮為手;乾為金;艮手持金,故“挎木為舟,掞木為楫”也。乾為遠天,故“濟不通,致遠以利天下”矣。法渙而作舟楫,蓋取斯義也。
経文にいう。木頭を挖空して船を做成し、木を削制して桨を做成し、舟楫の利は通ぜざる処を渡り、遠方に通達して天下に利するを得、ほぼ《渙》卦に取象せるか。《九家易》の説明では、木は水上に浮き、行走は風のごときは、まさに舟楫の象なり。この卦はもと《否》卦の九四が二位に下居して来る。「挎」は挖除の意である。巽は長・木、艮は手、乾は金で、艮の手は金属工具を持ちて木材を加工するがゆえに「挎木為舟、掞木為楫」という。乾は遠・天であるがゆえに能く「済不通、致遠以利天下」。《渙》卦の木が水上を行く象を取法して舟楫を制作するは、ほぼこの意なり。
服牛乘馬,引重致遠,以利天下,蓋取諸隨。虞翻曰:否上之初也。否乾為馬,為遠;坤為牛,為重。坤初之上,為引重。乾上之初,為“致遠”。艮為背,巽為股,在馬上,故“乘馬”。巽為繩,繩束縛物,在牛背上,故“服牛”。出否之隨,引重致遠,以利天下,故“取諸隨”。
経文にいう。牛に駕し馬に乗り、重物を牽引して遠方に通達して天下に利す、ほぼ《随》卦に取象せるか。虞翻の説明では、《随》は《否》卦の上爻が初爻に下りて成る。《否》の上卦の乾は馬・遠、下卦の坤は牛・重である。坤の初爻が上行すれば、すなわち重物を牽引す。乾の上爻が下りて初に居れば、すなわち遠方に通達す。艮は背、巽は股で、両股は馬背に跨るがゆえに「乗馬」という。巽は繩で、繩索を用いて器物を捆縛して牛背に加えるがゆえに「服牛」という。《否》より《随》を変出するは、まさに重を引き遠に致して天下に利するがゆえに、《随》に取象すという。
重門擊柝,以待暴客,干寶曰:卒虣之客,為奸寇也。蓋取諸豫。《九家易》曰:下有艮象。從外示之,震復為艮。兩艮對合,重門之象也。柝者,兩木相擊以行夜也。艮為手,為小木,為止持;震為足,又是木,為行;坤為夜。即手持柝木夜行,擊門之象也。坎為盜,虣水虣長無常,故“以待虣客”。既有不虞之備,故“取諸豫”矣。斷木為杵,闕地為臼。臼杵之利,萬民以濟,蓋取諸小過。虞翻曰:晉上之三也。艮為小木。上來之三,斷艮,故“斷木為杵”。坤為地,艮手持木,以闕坤三,故“闕地為臼”。艮止於下,臼之象也。震動而上,杵之象也。震出巽入,艮手持杵,出入臼中,舂之象也,故“取諸小過”。本無乾象,故不言以利天下也。
経文にいう。重重の門戸を設置し木柝を敲撃して巡夜し、もって凶暴の来客を防備す。干宝の説明では、いわゆる「暴客」は、倉卒に来襲する強暴の徒を指し、すなわち乱を作す盗寇なり。経文にいう。ほぼ《豫》卦に取象せるか。《九家易》の説明では、《豫》の下卦に艮の形象あり、外面より反看せば、震は反転して艮と為る。両個の艮は相対して合攏するは、まさに重門の象なり。「柝」は両塊の木を相撃して巡夜して更を報ずる器具である。艮は手・小木・握持、震は足・また木に属し・行走、坤は夜で、合せれば便ち手に柝木を持ち夜行して門を撃つの象なり。坎は盗で、暴水は暴漲して常なきがゆえに「以待暴客」という。すでに不測を防備する準備あるがゆえに、《豫》に取象す——《豫》はもとより預備の義を含む。経文は続けていう。木頭を截断して杵を做成し、地を掘って臼を做成し、臼杵の利は万民をして食に済わしむるを得、ほぼ《小過》卦に取象せるか。虞翻の説明では、《小過》は《晋》卦の上爻が三爻に下りて成る。艮は小木で、上爻が三位に来りて艮を截断するは、すなわち「断木為杵」。坤は地で、艮手は木を持ちて坤の三爻を掘鑿するは、すなわち「掘地為臼」。艮は下に止まるは臼の象、震は動きて上るは杵の象、震は出で巽は入り、艮手は杵を握りて臼中に於いて一出一入するは、まさに舂米の象なり。だから《小過》に取象す。この卦はもとより乾象なきがゆえに、経文は「以利天下」を言わず。
弦木為弧,剡木為矢;弧矢之利,以威天下,蓋取諸睽。虞翻曰:無妄五之二也。巽為繩,為木;坎為弧;離為矢,故“弦木為弧”。乾為金,艮為小木。五之二,以金剡艮,故“剡木為矢”。乾為威,五之二,故“以威天下”。弓發矢應,而坎雨集,故“取諸睽”也。
経文にいう。木に弦を装して弓を做成し、木を削尖して箭を做成し、弓箭の利はもって天下を威服す、ほぼ《睽》卦に取象せるか。虞翻の説明では、《睽》は《无妄》卦の五爻と二爻とが互易して成る。巽は繩・木、坎は弓、離は箭であるがゆえに「弦木為弧」という。乾は金、艮は小木で、五爻が二位に来りて金属をもって艮木を削治するがゆえに「剡木為矢」という。乾は威で、五が二に之きて《睽》を成すがゆえに「以威天下」という。弓は一たび発すれば箭はこれに応じ、たとえば坎雨が聚集して下るがごとし。だから《睽》に取象すという。
上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室,上棟下宇,以待風雨,蓋取諸大壯。虞翻曰:無妄,兩象易也。無妄乾在上,故稱“上古”。艮為穴居,乾為野,巽為處,無妄乾人在路,故“穴居野處”。震為後世,乾為聖人,後世聖人,謂黃帝也。艮為宮室,變成大壯,乾人入宮,故“易以宮室”。艮為待,巽為風,兌為雨,乾為高,巽為長木,反在上,為棟。震陽動起,故“上棟”。下宇,謂屋邊也。兌澤動下,為下宇。無妄之大壯,巽風不見。兌雨隔震,與乾絕體。故“上棟下宇,以待風雨”,蓋“取諸大壯”者也。
経文にいう。上古の時、人は洞穴に住み野外に居せり。後世の聖人は改めて宮室を用い、上に棟梁あり下に屋檐あり、もって風雨を防備す、ほぼ《大壮》卦に取象せるか。虞翻の説明では、《大壮》は《无妄》の上下両卦が互換して成る。《无妄》の乾は上位に在るがゆえに「上古」と称す。艮は洞穴の居、乾は原野、巽は居処で、《无妄》の乾の人はなお道路の上に在るがゆえに「穴居野処」という。震は後世、乾は聖人で、「後世聖人」の指すは黄帝なり。艮は宮室で、《大壮》に変じて後、乾の人は宮室に進入するがゆえに「易之以宮室」という。艮は待、巽は風、兌は雨、乾は高で、巽は長木にして反じて上に居れば、すなわち棟梁なり。震陽は鼓動して起こるがゆえに「上棟」という。「下宇」は屋檐の辺沿を指し、兌沢は下に向かいて流動するは、すなわち下宇なり。《无妄》より《大壮》に変じて、巽風はすでに見えず、兌雨は震に隔てられて乾と絶断して相接せざるがゆえに「上棟下宇、以待風雨」といい、ほぼ《大壮》に取象せるか。
古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野,不封不樹,喪期無數,後世聖人易之以棺槨,蓋取諸大過。虞翻曰:中孚,上下易象也。本無乾象,故不言上古。大過乾在中,故但言古者。巽為薪,艮為厚,乾為衣,為野,乾象在中,故“厚衣之以薪”。葬之中野,穿土稱封。封,古窆字也。聚土為樹,中孚無坤坎象,故“不封不樹”。坤為喪期,謂從斬衰至緦麻。日月之期數,無坎離日月坤象,故“喪期無數”。巽為木,為入處;兌為口;乾為人;木而有口,乾人入處,棺斂之象。中孚艮為山丘,巽木在裡,棺藏山陵,槨之象也,故“取諸大過”。
経文にいう。古の時、死者を安葬するに柴薪を用いて厚厚に覆蓋し、荒野の中に葬り、土を堆して墳と為さず樹を植えて記と為さず、服喪にも固定の期限なし。後世の聖人は改めて棺槨を用いたり、ほぼ《大過》卦に取象せるか。虞翻の説明では、《大過》は《中孚》の上下両象が互換して成る。この卦はもとより乾象を上に有せざるがゆえに経文は「上古」を言わず。《大過》の乾は卦中に在るがゆえにただ「古者」と言うのみ。巽は薪柴、艮は厚、乾は衣・野で、乾象は中に居るがゆえに「厚衣之以薪、葬之中野」という。土を掘りて棺を下すを「封」と名づけ、「封」は古の「窆」の字なり。土を聚めて堆を成し樹を植えて記と為すを「樹」と名づく。《中孚》に坤・坎の象なきがゆえに「不封不樹」という。坤は喪期を主り、斬衰より緦麻に至る五等の服制を指し、しかして日月の期数は坎離と坤の象を須いるも、この卦はみな無きがゆえに「喪期无数」という。巽は木・入処、兌は口、乾は人である。木にして口あり、乾の人は入りて其中に居るは、まさに棺に入りて収殮するの象なり。《中孚》の艮は山丘、巽木はその裏面に蔵す。棺木が山陵に葬らるるは、すなわち外槨の象なり。だから《大過》に取象すという。
上古結繩而治,後世聖人易之以書契。百官以治,萬民以察,蓋取諸夬。《九家易》曰:古者無文字,其有約誓之事,事大大其繩,事小小其繩,結之多少,隨物眾寡,各執以相考,亦足以相治也。夬本坤世,下有伏坤,書之象也。上又見乾,契之象也。以乾照坤,察之象也。夬者,決也。取百官以書治職萬民,以契明其事。契,刻也。大壯進而成夬,金決竹木,為書契象,故法夬而作書契矣。
経文にいう。上古は結繩を用いて治理し、後世の聖人は改めて文書契券を用い、百官はこれによって治を得、万民はこれによって察を得たり、ほぼ《夬》卦に取象せるか。《九家易》はまず結繩の制を講ず。古の時は文字なく、およそ約定盟誓の事あれば、事大なればすなわち繩結を打大にし、事小なればすなわち繩結を打小にし、結の多少は記する所の物の多寡に随いて定まり、双方は各々一份を執りてもって対照查考に便とし、また治理を維持するに足れり。さらに卦象を講ず。《夬》はもと坤宮の世に属し、下面に坤潜伏す。坤は文にして「書」の象なり。上面にまた乾を見る。乾剛は能く刻するは「契」の象なり。乾の明をもって坤の暗を照臨するは、すなわち「察」の象なり。「夬」は決断の義で、百官が文書に凭って職事を治理し契券に凭ってその事を核明するの意を取る。「契」はすなわち刻である。《大壮》よりさらに一陽を進めて《夬》を成し、金は能く竹木を決断するは、まさに書契を刻写するの象なり。だから《夬》卦を取法して書契を制作せり。
虞翻曰:履上下象易也。乾象在上,故復言上古。巽為繩,離為罔罟,乾為治,故“結繩以治”。後世聖人,謂黃帝、堯、舜也。夬旁通剝,剝坤為書,兌為契,故“易之以書契”。乾為百。剝艮為官,坤為眾臣,為萬民,為迷暗。乾為治。夬反剝,以乾照坤。故“百官以治,萬民以察”。故“取諸夬”。大壯、大過、夬,此三蓋取直兩象,上下相易,故俱言易之。大壯本無妄。夬本履卦。乾角俱在上,故言上古。中孚本無乾象,大過乾不在上,故但言古者。大過亦言後世聖人易之,明上古時也。
虞翻は同じ一句に対してもう一套の講法を与う。《夬》は《履》卦の上下両象が互換して成る。《履》の乾象は上に在るがゆえに経文はまた「上古」を言う。巽は繩、離は網罟、乾は治であるがゆえに「結繩而治」という。「後世聖人」は黄帝・尭・舜を指す。《夬》は《剥》と旁通し、《剥》の坤は書、兌は契であるがゆえに「易之以書契」という。乾は百、《剥》の艮は官、坤は衆臣・万民・また昏昧不明で、乾は治である。《夬》を反転せばすなわち《剥》で、乾の明をもって坤の暗を照するがゆえに「百官以治、万民以察」といい、ここにおいて《夬》に取象す。彼は併せて一条の通例を総括す。《大壮》《大過》《夬》のこの三卦はみな径に両象の上下互換を取りて成るがゆえに、経文はみな「易之」の二字を用いる。《大壮》はもと《无妄》より自り、《夬》はもと《履》より自り、それらの乾はみな上に在るがゆえに「上古」という。《中孚》はもとより乾象なく、《大過》の乾はまた上に在らざるがゆえに、ただ「古者」と言うのみ。《大過》の一条もまた「後世聖人易之」と言う。見るべし、それの対する所はなお上古の時なるを。
是故易者,象也。干寶曰:言是故,又總結上義也。虞翻曰:易謂日月,在天成八卦象,縣象著明,莫大日月是也。象也者,象也。崔覲曰:上明取象以制器之義,故以此重釋於象。言易者象於萬物。象者,形象之象也。彖者,材也。虞翻曰:彖說三才,則三分天象。以為三才,謂天地人之道也。爻也者,效天下之動者也。虞翻曰:動,發也。謂兩三才為六畫,則發揮剛柔而生爻也。是故吉凶生,而悔吝著也。虞翻曰:爻象動內,則吉凶見外;吉凶悔吝者,生乎動者也,故曰“著”。
経文にいう。だから《易》は、すなわち象なり。干宝は指摘す。「是故」の二字を用いて起頭するは、また上面の制器尚象の一段を総括するなり。虞翻はすなわち「易」に一個の具体の所指を与う。「易」はすなわち日月で、日月は天に在りて八卦の象を成し、正しく経文のいう「懸象著明、莫大乎日月」のごとし。経文にいう。いわゆる象は、すなわち象徴なり。崔覲の説明では、上文すでに取象制器の義を説明したれば、だからここにおいて再び「象」に対して一度の申釈を作す——《易》は万物を象徴し、しかして「象」のこの字は本身は形状容貌の象を指す。経文にいう。彖は、材質を裁断するなり。虞翻の説明では、彖辞は三才を総説し、すなわち天象を三分に分かち、もって天・地・人の三才の道に配す。経文にいう。爻は、天下の変動を仿効するなり。虞翻の説明では、「動」はすなわち発動で、三才を重畳して二と為し六画を成せば、剛柔はここにおいて発揮して爻を生出す。経文にいう。だから吉凶は産生し、悔吝は顕著なり。虞翻の説明では、爻象は内に変動し、吉凶はすなわち外に見ゆ。吉凶悔吝はすでにみな動より生ずるがゆえに「著」という。
陽卦多陰,陰卦多是,其故何也?崔心曰:此明卦象陰陽與德行也。陰卦多陰,謂震、坎、艮,一陽而二陰。陰卦多陽,謂巽、離、兌,一陰而二陽也。陽卦奇,陰卦耦,其德行何也?虞翻曰:陽卦一陽,故“奇”。陰卦二陽,故“耦”。謂德行何可者也。
経文は発問す。陽卦は陰爻多く、陰卦は陽爻多しとは、これ何の縁故ぞや(伝本の「陰卦多陽」は誤って「陰卦多是」と作す)。崔覲の説明では、これは卦象の陰陽と徳行を説明するに在り。いわゆる陽卦の陰多きは、震・坎・艮の三卦を指し、みな一個の陽爻が二個の陰爻を配す。いわゆる陰卦の陽多きは、巽・離・兌の三卦を指し、みな一個の陰爻が二個の陽爻を配す。経文はまた問う。陽卦の爻数は奇にして、陰卦の爻数は偶なりは、それらの徳行はまた如何せん。虞翻の説明では、陽卦はただ一個の陽爻あるがゆえに奇と為し、陰卦は二個の陽爻あるがゆえに偶と為す——この一句は、それらの徳行が究竟如何なるかを問うなり。
陽一君而二民,君子之道也。陰二君而一民,小人之道也。韓康伯曰:陽,君道也。陰,臣道也。君以無為統眾無為,則一也。臣以有事代終有事,則二也。故陽爻畫一,以明君道必一。陰爻畫兩,以明臣體必二。斯陰陽之數,君臣之辯也。以一為君,君之德也。二居君位,非其道也。故陽卦曰:君子之道也;陰卦曰:小人之道也。
経文にいう。陽卦は一個の君主が二個の百姓を統率し、これは君子の道なり。陰卦は二個の君主が分かちて一個の百姓を領し、これは小人の道なり。韓康伯の説明では、陽は君道を代表し、陰は臣道を代表す。君は無為をもって衆人を統御し、無為はすなわち一に帰す。臣は具体事務をもって終成を承当し、事あればすなわち分かれて二と為す。だから陽爻は一個の整画に画作し、もって君道は必ず専一なるべきを表明す。陰爻は断開したる両画に画作し、もって臣の形体は必ず二と為るを表明す。これすなわち陰陽の数の顕示する所の君臣の別なり。一をもって君と為すは、君主の応有の徳なり。二個とも君位に居れば、すなわち道に合せず。だから陽卦は君子の道と称し、陰卦は小人の道と称す。
《易》曰:憧憧往來,朋從爾思。翟元曰:此咸之九四辭也。咸之為卦,三君三民,四獨遠陰,思慮之爻也。韓康伯曰:天下之動,必歸於一,思以求朋未能,寂寂以感物,不思而至也。子曰:天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮。韓康伯曰:夫少則得,多則惑。塗雖殊,其歸則同。慮雖百,其致不二。苟識其要,不在博求。一以貫之,不慮而盡矣。
経文は《易》を引いていう。心思は往来して定まらず、朋友はただなんじの想う所のあの一点に順従す。翟元は指摘す。これは《咸》卦の九四の爻辞なり。《咸》卦は三陽三陰にして、三君三民のごとく、ただ九四のみ陰に離るること最も遠く、思慮を主る一爻なり。韓康伯の説明では、天下の運動は終に一に帰す。思慮に靠って朋類を求取せば、かえって求め得られず、ただ寂然虚静にして外物に感応し、思索を待たずして朋類は自ら至る。孔子は続けていう。天下に思うべき何ぞあり、慮るべき何ぞあらんや。天下の事は殊途にして帰を同じくし、百慮にして一致す。韓康伯の説明では、守る所は少なければ便ち得る所有り、求むる所は多ければかえって迷惑す。道路は同じからざるも帰宿は同一個なり。思慮は百端あるも致す所は並びに二理なし。もし其中の関鍵を識得せば、必ずしも広求博取するを須いず、一をもって之を貫き、思慮を労せずして理はすでにその中に尽くれり。
天下何思何慮?虞翻曰:易無思也。既濟定,六位得正,故“何思何慮”。日往則月來,虞翻曰:謂咸初往之四,與五成離,故“日往”。與二成坎,故“月來”。之外“日往”,在內“月來”,此就爻之正者也。月往則日來,虞翻曰:初變之四,與上成坎,故“月往”。四變之初,與三成離。故“日來”者也。日月相推而明生焉。虞翻曰:既濟體兩離坎象,故明生焉。
経文は重申していう。天下に思うべき何ぞあり、慮るべき何ぞあらんや。虞翻の説明では、《易》はもとより思慮する所なし。《咸》は変じて《既済》と為りて安定するは、六個の爻位はみな各々その正を得るがゆえに「何思何慮」という。経文にいう。太陽は去れば月亮はすなわち来る。虞翻の説明では、《咸》の初爻は往きて四位に居り、五爻と合して離を成し、離は日であるがゆえに「日往」という。また二爻と合して坎を成し、坎は月であるがゆえに「月来」という。外卦に往くを日往と為し、内卦に留まるを月来と為す。これは爻が各々その正を得るに就いて言うなり。経文にいう。月亮は去れば太陽はすなわち来る。虞翻の説明では、初爻は変じて四に居り、上爻と合して坎を成すがゆえに「月往」という。四爻は変じて初に居り、三爻と合して離を成すがゆえに「日来」という。経文にいう。日月は互相推移して光明は生ず。虞翻の説明では、《既済》の卦体は兼ねて離と坎の象を有し、日月は交替して、光明は便ちこれによって生ず。
寒往則暑來,虞翻曰:乾為寒,坤為暑,謂陰息陽消,從姤至否,故寒往暑生為也。暑往則寒來,虞翻曰:陰詘陽信,從復至泰,故暑往寒來也。寒暑相推而歲成焉。崔覲曰:言日月寒暑。往來雖多,而明生歲成,相推則一,何思何慮於其間哉!
経文にいう。寒気は去れば暑気はすなわち来る。虞翻の説明では、乾は寒、坤は暑で、陰気が生長し陽気が消退するを指し、《姤》の一陰が始めて生ずるより一路《否》に推して至るがゆえに、寒往きて暑生ずという。経文にいう。暑気は去れば寒気はすなわち来る。虞翻の説明では、陰気は屈縮して陽気は伸展し、《復》の一陽の来復より一路《泰》に推して至るがゆえに、暑往きて寒来るという。経文にいう。寒暑は互相推移して一年は成就す。崔覲は総括の一筆を収む。日月寒暑の往来は紛繁なるも、光明はこれによって生じ歳功はこれによって成る。その相推の理はただ一個のみ。この中間に於いてまた何を思い何を慮るを須いんや。
往者詘也,荀爽曰:陰氣往,則萬物詘者也。來者信也,荀爽曰:陽氣來,則萬物信者也。詘信相感則利生焉。虞翻曰:感,咸象,故“相感”。天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平,故“利生”。利生謂陽出震,陰伏藏。尺蠖之詘,以求信也。荀爽曰:以喻陰陽氣屈以求信也。
経文にいう。往は、すなわち屈なり。荀爽の説明では、陰気は来往収斂すれば、万物はすなわち屈縮して伸びず。経文にいう。来は、すなわち伸なり。荀爽の説明では、陽気は来復すれば、万物はすなわち舒展伸張す。経文にいう。屈と伸は互相感応して、利益はすなわち産生す。虞翻の説明では、「感」はまさに《咸》卦の象なるがゆえに「相感」という。《咸・彖》の講ずる「天地感而万物化生、聖人感人心而天下和平」は、利益はすなわちこれによって生ず。いわゆる利生は、陽気は震より出でて万物は萌動し、陰気はすなわち潜伏収蔵す。経文は例を挙げていう。尺蠖の身体を彎曲する所以は、伸展を求めんがためなり。荀爽の説明では、これはもって陰陽二気の屈縮を比喻するに用い、まさに次の一歩の伸展を求めんがためなり。
龍蛇之蟄,以存身也。虞翻曰:蟄,潛藏也,龍潛而蛇藏。陰息初,巽為蛇。陽息初,震為龍。十月坤成,十一月復生。姤巽在下,龍蛇俱蟄。初坤為身。故“龍蛇之蟄,以存身”也。侯果曰:不詘則不信,不蟄則無存,則屈蟄相感而後利生矣。以況無思得一,則萬物歸思矣。莊子曰:古之畜天下者,其治一也。《記》曰:通於一,萬事畢。無心得,鬼神服。此之謂矣。蠖,詘行蟲。郭璞云:蝍就也。
経文にいう。竜蛇の蟄伏する所以は、自身を保存せんがためなり。虞翻は消息卦を用いて説明す。「蟄」はすなわち潜蔵で、竜は淵に潜み蛇は穴に蔵す。陰気が初爻に始生する時は、巽は蛇なり。陽気が初爻に始生する時は、震は竜なり。十月に坤卦は純陰を成し、十一月に《復》卦は一陽生じ来る。《姤》の巽は下に居り、この時竜と蛇はみな蟄伏の中に在り。初爻の坤は身なるがゆえに「竜蛇之蟄、以存身」という。侯果は義理の上より申説す。屈せざれば伸ぶ能わず、蟄せざれば保存する由なし。屈と蟄は彼此感応して、然る後に利益ははじめて産生す。もって人はもし思慮なくしてあの「一」を守れば、万物の思いは自然に彼に帰向するを比況す。彼は併せて《荘子》を引いていう。古の天下を養育する者は、その治道は一に帰せり。又《礼記》を引いていう。一に通達すれば万事は俱に畢り、心なくして得あり、鬼神に至るまでも来りて帰服す——講ずる所はまさにこの道理なり。「蠖」に至っては、一種の屈身して行く虫で、郭璞はそれをすなわち蝍就という。
精義入神,以致用也。姚信曰:陽稱精,陰為義。入在初也。陰陽在初,深不可測,故謂之“神”。變為姤復,故曰“致用也”。韓康全曰:精義,物理之微者也。神,寂然不動、感而遂通者也。理入寂一,則精義斯得,乃用無極也。干寶曰:能精義理之微,以得未然之事,是以涉於神道,而逆禍福也。
経文にいう。義理を精研して神妙に入るは、その用を推致せんがためなり。姚信は爻位の上より解す。陽は精と称し、陰は義と称し、「入」は初爻に入るを指す。陰陽は初位に処る時は深く測るべからざるがゆえに、これを「神」と名づく。これによって《姤》と《復》の両卦を変出するがゆえに「以致用」という。韓康伯(伝本は「韓康全」と作す)は義理の上より解す。いわゆる精義は、事物の理の中の最も幽微の部分なり。いわゆる神は、寂然として動かずして一たび感応あれば便ち通ぜざる所なきあの境地なり。理が寂然純一の中に契入すれば、精義はすなわち手に到り、その用もまた窮尽なきなり。干宝はまた占験の上に落著して言う。能く義理の幽微を精研して、これによって未だ生ぜざる事を預知せば、これすなわち神妙の道に渉入し、禍福を逆料すべし。
利用安身,以崇德也。《九家易》曰:利用,陰道用也。謂姤時也。陰升上究,則乾伏坤中,詘以求信,陽當復升。安身,嘿處也。時既潛藏。故利用安身,以崇其德。崇德,體卑而德高也。韓康伯曰:利用之道,皆安其身而後動也。精義由於入神以致其用,利用由於安以崇基德。理必由乎其宗,歸根則寧,天下之理得之。若役其思慮,以求動用,忘其安身,以殉功美,則偽彌多理愈失,名彌美而累愈彰矣。
経文にいう。その道を善用して己身を安頓するは、その徳を尊崇せんがためなり。《九家易》は消息卦の上より解す。「利用」は陰道の当に用いるべき時を指し、すなわち《姤》の一陰が始生する際なり。陰気は上升して極処に至れば、乾は便ち坤の中に潜伏し、屈縮して伸展を求め、陽気は終に当に再度上升すべし。「安身」はすなわち黙然として自処するなり。この時まさに潜蔵に当たるがゆえに、その道を善用して己身を安頓しもってその徳を尊崇すべし。いわゆる崇徳は、形体は卑下に処りて徳性は高きに居るなり。韓康伯は修養の上より解す。およそその道を善用する者は、みな先に己身を安頓して然る後に行動す。精義は必ず入神に由って然る後に能くその用を致し、利用は必ず安身に由って然る後に能くその徳を崇めん。道理は必ずその宗本に帰着すべく、根本に返帰すればすなわち安寧を得、天下の理は便ちみな手に到れり。倘若己の思慮を駆使して功用を追逐し、安身を忘れて功名の美に殉ぜば、すなわち虚偽は益々多くして道理は益々失し、名声は益々美にして牽累は益々顕著ならん。
過此以往,未之或知也。荀爽曰:出乾之外,無有知之。窮神知化,德之盛也。虞翻曰:以坤變乾,謂之“窮神”。以乾通坤,謂之“知化”。乾為盛德,故“德之盛”。侯果曰:夫精義入神,利用崇德,亦一致之道極矣。過斯以往,則未之能知也。若窮於神理,通於變化,則德之盛者能矣。
経文にいう。この一層を超過してさらに前に往かば、すなわち知る能う所にあらず。荀爽の説明では、乾の範囲の外に出でれば、知る能くする者なし。経文にいう。神妙を窮究し造化を通暁するは、これは徳の極盛なり。虞翻は卦変を用いて解す。坤をもって乾に変ずるを「窮神」と名づけ、乾をもって坤を貫通するを「知化」と名づく。乾はもとより盛徳なるがゆえに「徳之盛」という。侯果はすなわち上文に接続して講す。精義入神・利用崇徳は、すでに「一致之道」の極処にして、この一歩を越えればすなわち知曉する由なし。もし真に神妙の理を窮究し変化の情を通達し得れば、あれはただ徳性の極盛なる人のみが弁じ得るなり。
《易》曰:困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。孔穎達曰:上章先言利用安身,可以崇德。若身危辱,何崇之有?此章引困之六三。履非基位,欲上於四,四自應初,不納於已,是困於九四之石也。三又乘二,二是剛物,非已所乘,是據於九二之蒺藜也。又有人於其宮,不見其妻,凶之象也。
経文は《易》を引いていう。石頭に困められ、蒺藜の上に倚靠し、己の居室に帰りて、妻子を見ず、凶。孔穎達の説明では、上の一章はまずその道を善用し己身を安頓して、はじめてその徳を尊崇すべきを講じたり。もし身が危険屈辱の中に処れば、また何の崇むべき徳あらん。だからこの一章は《困》卦の六三を征引して説明す。六三の踏む所は並びにそれの応に処るべき本位にあらず。上りて九四に就かんと欲するも、しかして九四はもとより初六と相応じて、肯んじてそれを接納せず。これすなわち九四のこの塊の「石頭」に困められたるなり。六三はまた九二の上に凌乗し、九二は剛硬の物にして、それの凌乗し得る所にあらず。これすなわち九二のこの叢の「蒺藜」の上に倚靠したるなり。さらに一歩を進めて、己の居室に帰りて妻子を見ざるは、まさに凶の象なり。
子曰:非所困而困焉,名必辱。虞翻曰:困本咸。咸三入宮,以陽之陰,則二制坤,故以次咸。為四所困,四失位惡人,故“非所困而困焉”。陽稱名,陰為辱,以陽之陰下,故“名必辱”也。非所據而據焉,身必危。虞翻曰:謂據二,二失位,故“非所據面據焉”。二變時,坤為身,二折坤體,故“身必危”。既辱且危,死其將至,妻其可得見邪。陸績曰:六三從困辱之家,變之大過,為棺槨死喪之象,故曰“死其將至”,妻不可得見。
孔子いう。困を受くべからざる所にして困を受くれば、名声は必ず辱を受く。虞翻の説明では、《困》はもとより《咸》卦より自り来る。《咸》の三爻は宮室に入り、陽爻をもって陰位に居れば、二爻は便ち坤を制約す。だから《困》は《咸》に緊接して言う。六三は九四に困められ、しかして九四は位を失うは、まさにいわゆる悪人なるがゆえに「非所困而困焉」という。陽は名と称し、陰は辱と為す。陽爻をもって陰位に下就するがゆえに「名必辱」。経文にいう。倚靠すべからざる所にして倚靠に往かば、身体は必ず危険なり。虞翻の説明では、これは九二に倚靠するを指し、九二は同じく位を失うがゆえに「非所据而据焉」という。二爻が変動する時、坤は身で、二爻は坤体を折断するがゆえに「身必危」という。経文にいう。すでに辱を受けまた危に処れば、死期はまさに到らんとす、妻子はまた見るを得べけんや。陸績の説明では、六三は困辱の家より出でて、変じて《大過》を成し、《大過》に棺槨死喪の象あるがゆえに「死其将至」といい、妻子もすなわち見るを得ず。
《易》曰:公用射隼于高庸之上,獲之無不利。孔穎達曰:前章先須安身,可以崇德。胡此明藏器於身,待時而動,是有利也。故引解之上六以證之矣。子曰:隼者,禽也。虞翻曰:離為隼,故稱“禽”。言其行野容如禽獸焉。弓矢者,器也。虞翻曰:離為矢,坎為弓,坤為器。射之者,人也。虞翻曰:人,賢人也。謂乾三。伏陽出而成乾,故曰“射之者人”。人則人,三應上,故上令三出而射隼也。
経文は《易》を引いていう。王公は高墻の上に於いて隼を射て、それを射中し、利あらざる所なし(「高庸」はすなわち「高墉」、高墻なり)。孔穎達の説明では、前の一章は必ず先に己身を安頓してはじめてその徳を尊崇すべきを講じ、この一章はすなわち器具を身の上に蔵し、時機を等待して然る後に行動せば、はじめて利あるべきを説明す。だから《解》卦の上六を征引して印証す。孔子いう。隼は、一種の猛禽なり。虞翻の説明では、離は隼であるがゆえに禽と称し、それの野外に行走する姿態は禽獣のごとしをいう。経文にいう。弓箭は、器具なり。虞翻の説明では、離は矢、坎は弓、坤は器なり。経文にいう。それを射るは、人なり。虞翻の説明では、ここの人は賢人を指し、すなわち九三の位なり。潜伏する陽爻は出でて乾を成すがゆえに「射之者人」という。人は自然に人なり。九三は上六と相応ずるがゆえに、上六は九三に手を出だして隼を射よと指令す。
君子藏器於身,待時而動,何不利之有?虞翻曰:三伏陽,為君子。二變時,坤為身,為藏器,為藏弓矢,以待射隼。艮為待,為時。三待五來之二,弓張矢發,動出成乾,貫隼入大過死,兩坎象壞,故“何不利之有”。《象》曰:以解悖,三陰小人,乘君子器,故上觀三出,射出隼也。動而不括,是以出而有獲,語成器而後動者也。虞翻曰:括,作也。震為語,乾五之坤二成坎弓,離矢動以貫隼,故“語成器而後動者也”。
経文にいう。君子は器具を身の上に蔵し、時機を等待して行動す、あに不利ある所あらんや。虞翻の説明では、九三の伏する所の陽爻はすなわち君子なり。二爻が変動する時、坤は身・蔵器・蔵弓矢と為し、もって隼を射るを等待す。艮は等待・時機である。九三は五爻が来りて二位に居るを待ち、弓はすでに張り箭はすでに発せられ、一たび動きて出でれば乾を成し、箭は隼を貫穿し、隼は《大過》に落入して死し、両個の坎象は之に随いて壊毀す。だから「何不利之有」。《解》卦の《象伝》は隼を射るは悖乱を解除せんがためという。六三は陰柔小人の質をもって、かえって君子の器具に凌乗するがゆえに、上六は九三が手を出だすを看て、隼を射落さしむ。経文にいう。一たび動きて牽滞を受けざるがゆえに、一たび手を出だせばすなわち獲る所有り。これは器具すでに成って然る後に行動するをいうなり。虞翻の説明では、「括」はここに於いて「作」と訓す。震は語、乾の五爻は坤の二位に入りて坎弓を成し、離は矢で、箭は動きて隼を貫穿するがゆえに「語成器而後動者也」という。
子曰:小人不恥不仁,不畏不義,虞翻曰:謂否也。以坤滅乾,為不仁不義。坤為恥,為義。乾為仁,為畏者也。不見利不動,不威不徵。虞翻曰:否乾為威,為利。巽為近利。謂否五之初,成噬嗑市。離日見乾,為見利;震為動,故“不見利不動”。五之初,以乾威坤,故“不威不徵”。震為徵也。
孔子いう。小人は不仁をもって羞恥と為さず、不義をもって畏懼と為さず。虞翻は《否》卦を用いて解す。《否》は坤をもって乾を掩滅するは、すなわち不仁不義なり。坤は耻・義、乾は仁・畏で、坤はすでに乾を滅すれば、耻と畏もまた生ずる由なし。経文にいう。利益を見ざれば行動せず、威慴を加えざれば懲戒を受けず。虞翻の説明では、《否》の乾は威・利、巽は近利である。《否》の五爻は初爻に下りて、《噬嗑》を成して市集の象あり。離は日で、日光は乾を照見するは、すなわち「見利」なり。震は動であるがゆえに「不見利不動」という。五爻は初位に下居して、乾の威をもって坤に加えるがゆえに「不威不懲」という。震はここにおいてまさに懲戒の義を取る。
小懲而大誡,此小人之福也。虞翻曰:艮為小。乾為大。五下威初,坤殺不行,震懼虩虩,故“小懲大誡”。坤為小人,乾為福。以陽下陰,民說無疆,故“小人福也”。《易》曰:“屨校滅趾,無咎”。此之謂也。《九家易》曰:噬嗑六五,本先在初,處非其位,小人者也。故歷說小人所以為罪,終以致害,雖欲為惡,能止不行,則“無咎”。侯果曰:噬嗑初九爻辭也。校者,以木夾足止行也。此明小人因小刑而大誡。乃福也。
経文にいう。一点の小懲戒を受けて大警誡を得るは、これまさに小人の福気なり。虞翻の説明では、艮は小、乾は大である。五爻は下りて初爻を威慴し、坤の殺伐の気は施行を得ず、震に「虩虩」の戒惧の象あるがゆえに「小懲大誡」という。坤は小人、乾は福で、陽爻をもって陰爻に下就すれば、百姓は歓悦して辺涯なきがゆえに、これを小人の福という。経文は《易》を引いていう。脚上に木枷を戴き、脚趾を遮住す、災禍あらざるべし——講ずる所はまさにこの道理なり。《九家易》の説明では、《噬嗑》の六五はもとより先に初位に居り、処る所は並びにそれの応得の位にあらず。まさに小人なり。だからこの一段は小人の獲罪する所以・終に禍を招来するの縁由を歴数し、しかして彼は悪を為さんと欲するも制止せられて施行する能わざるがゆえに、過錯なし。侯果は出処を指明す。これは《噬嗑》の初九の爻辞なり。「校」は木枷を用いて脚を夾住して行走を阻止するなり。ここに説明する所は、小人は小刑を受くるによって大警誡を得、かえって福と為るなり。
善不積,不足以成名。虞翻曰:乾為積善,陽稱名。惡不積,不足以滅身。虞翻曰:坤為積惡,為身。以乾滅坤,故“滅身”者也。小人以小善為無益而弗為也,虞翻曰:小善謂復初。以小惡為無傷而弗去也,虞翻曰:小惡謂姤初。故惡積而不弇,虞翻曰:謂陰息姤至遁,子弒其父,故“惡積而不可弇”。罪大而不可解。虞翻曰:陰息遁成否,以臣弒君,故“罪大而不可解”也。《易》曰:何校滅耳,凶。《九家易》曰:噬嗑上九爻辭也。陰息初升五,所在失正,積惡而罪大,故為上所滅。善不積,斥五陰爻也。聰不明者,聞善不聽,聞戒不改,故“凶”也。
経文にいう。善行は積累せざれば、名声を成就するに足らず。虞翻の説明では、乾は積善で、陽は名と称す。経文にいう。悪行は積累せざれば、自身を毀滅するに足らず。虞翻の説明では、坤は積悪にしてまた身で、乾をもって坤を滅するがゆえに「滅身」という。経文にいう。小人は小の善事を益なきと看做して之を為さず。虞翻の説明では、小善は《復》卦の初爻のあの一点の萌生の陽を指す。経文にいう。小の悪事を大体を傷つけざると看做して除き去るを肯んぜず。虞翻の説明では、小悪は《姤》卦の初爻のあの一点の初生の陰を指す。経文にいう。だから悪は積累して掩い能わざるに至る。虞翻の説明では、陰気は生長し、《姤》より《遁》に推して、すでに児子が父を弑するの象あるがゆえに「悪積而不可掩」という。経文にいう。罪は大にして解脱する能わざるに至る。虞翻の説明では、陰気はさらに長じ、《遁》より《否》を成すは、便ち臣子が君を弑するなり。だから「罪大而不可解」。経文は《易》を引いていう。肩上に枷鎖を負い、耳朵を遮没す、凶。《九家易》は指明す。これは《噬嗑》の上九の爻辞なり。陰気は初爻より五位に上升し、居る所はその正を失い、悪を積んで罪大なるがゆえに、上爻に滅せらる。いわゆる「善不積」は、六五のこの陰爻を指斥するなり。耳は能く聴くも心は明ならざる者は、善言を聞きて採納を肯んぜず、告誡を聞きて改正を肯んぜざるがゆえに凶なり。
子曰:危者,安其位者也。崔覲曰:言有危之慮,則能安其位不失也。亡者,保其存者也。崔覲曰:言有亡之慮,則能保其存者也。亂者,有其治者也。崔覲曰:言有防亂之慮,則能有其治者也。是故君子安而不忘危,虞翻曰:君子,大人。謂否五也。否坤為安。危,謂上也。翟元曰:在安慮危。存而不忘亡,荀爽曰:謂除戎器,戒不虞也。翟元曰:在存而不忘亡。治而不忘亂,荀爽曰:謂思患而逆防之。翟元曰:在治而慮亂。
孔子いう。常に危惧を懐く者は、はじめて安穏にしてその位を保住し得る。崔覲の説明では、心に傾危するやも知れぬの憂慮を存せば、すなわちその位を安守して失わざるを得る。経文にいう。常に傾亡を慮る者は、はじめてその存続を保住し得る。崔覲の説明では、心に滅亡するやも知れぬの憂慮を存せば、すなわち現有の存在を保住し得る。経文にいう。常に禍乱を慮る者は、はじめてその治世を保有し得る。崔覲の説明では、心に禍乱を防範するの憂慮を存せば、すなわち既有の治平を守住し得る。経文にいう。だから君子は安定の時に危難を忘れず。虞翻は《否》卦を用いて解す。君子はすなわち大人で、《否》卦の九五を指す。《否》の坤は安、「危」はすなわち上九を指す。翟元の言は極めて簡なり。安の中に処りて危を思慮す。経文にいう。生存の時に覆亡を忘れず。荀爽は《萃・象》の「除戎器、戒不虞」をもって解と為し、すなわち兵器を修治して意外を防ぐ。翟元にいう。存の中に処りて亡を忘れず。経文にいう。治平の時に禍乱を忘れず。荀爽は《既済・象》の「思患而豫防之」をもって解と為す。翟元にいう。治の中に処りて乱を思慮す。
是以身安而國家可保也。虞翻曰:坤為身。謂否反成泰,君位定於內,而臣忠於外,故“身安而國家可保也”。《易》曰:其亡!其亡!荀爽曰:存不忘亡也。繫於包桑。荀爽曰:桑者,上玄下黃。乾坤相包以正,故“不可忘也”。陸績曰:自此以上,皆謂否陰滅陽之卦。五在否家,雖得中正,常自懼以危亡之事者也。
経文にいう。これによって自身は安穏にして国家は保全すべし。虞翻の説明では、坤は身である。《否》を反転せば《泰》を成し、君位は内卦に安定し、臣子は外卦に於いて効忠するがゆえに「身安而国家可保」という。経文は《易》を引いていう。まさに亡びんとす、まさに亡びんとす。荀爽の説明では、これまさに生存の時に覆亡を忘れざるなり。経文にいう。叢生する桑樹に繫ぐがごとく牢固なり。荀爽の説明では、桑樹は上青く下黄にして、正しく天玄地黄の色に合し、乾坤は彼此包裹して各々その正を得るがゆえに、この份の戒惧は忘るべからず。陸績は一句を総括す。ここより往上は、いう所はみな《否》卦の陰気が陽気を掩滅するの情形なり。九五は《否》の中に処るも中を得て正を得るも、なお常に危亡の事をもって自ら懼るるを須う。
子曰:德薄而位尊,虞翻曰:鼎四也。則離九四,兇惡小人,故“德薄”。四在乾位,故“位尊”。知少而謀大,虞翻曰:兌為小知,乾為大謀,四在乾體,故“謀大”矣。力少而任重,虞翻曰:五至初,體大過,本末弱,故“力少”也。乾為仁,故“任重”。以為已任,不亦重乎。尟不及矣。虞翻曰:尟,少也。及,及於刑矣。《易》曰:鼎折足,覆公餗,其刑渥,凶。言不勝其任也。孔穎達曰:言不能安身,智小謀大,而遇禍也。故引鼎九四以證之矣。
孔子いう。徳行は浅薄にして地位は尊貴なり。虞翻の説明では、これは《鼎》卦の九四をいう。この爻は離体の九四に相当し、凶悪の小人なるがゆえに「徳薄」。しかしてそれはまた乾の位置に処るがゆえに「位尊」。経文にいう。智謀は短浅にして図る所は甚だ大なり。虞翻の説明では、兌は小知、乾は大謀で、九四は乾体の中に在るがゆえに「謀大」という。経文にいう。力量は薄弱にして担子は沈重なり。虞翻の説明では、五爻より初爻に数えて取象して《大過》を成し、《大過》は本末の両端ともに柔弱なるがゆえに「力少」。乾は仁にして、仁はもって己の任と為す。その任あに沈重ならざらん、だから「任重」。経文にいう。殃に遭わざるは少なし。虞翻の説明では、「尟」は少、「及」は刑罰に遭及するなり。経文は《易》を引いていう。鼎足は折断し、王公の美食を傾覆し、鼎身は沾污せり、凶——これは彼がその職任を担い堪へざるをいうなり。孔穎達は指摘す。これは人が己身を安頓する能わず、才智小にして謀る所大なり、ここにおいて禍に遭うをいうがゆえに、《鼎》卦の九四を征引して印証す。
子曰:知幾其神乎。虞翻曰:幾,謂陽也。陽在復初稱幾,此謂豫四也。惡鼎四折足,故以此次言豫四知幾,而反覆初也。君子上交不諂,下交不瀆,虞翻曰:豫上,謂四也。四失位諂瀆。上謂交五,五貴;震為笑言,笑言且諂也,故“上交不諂”。下謂交三,坎為瀆,故“下交不瀆”。欲其復初得正元吉,故“其知幾乎”。其知幾乎?侯果曰:上謂五侯,下謂凡庶。君子上交不至諂媚,下交不至瀆慢,悔吝無從而生,豈非知微者乎。
孔子いう。能く幾微を識るは、ほぼ神に近きか。虞翻の説明では、「幾」は陽を指す。陽は《復》卦の初爻に在る時は幾と称し、ここでは《豫》卦の九四を指す。《鼎》卦の九四の折足の凶を悪むがゆえに、緊接して《豫》卦の九四の能く幾微を知りて《復》の初に返帰するを講ず。経文にいう。君子は上に交わりて諂媚せず、下に交わりて軽慢せず。虞翻の説明では、《豫》のいう所の「上」は九四を指し、九四は位を失い、もとより諂媚と軽慢の弊あり。いわゆる上は、六五と交接するをいう。五位は尊貴にして、震に笑語の象あり、一味の笑語はすなわち諂に近きがゆえに「上交不諂」を須う。いわゆる下は、六三と交接するをいう。坎は涜なるがゆえに「下交不涜」を須う。総じてそれを初位に返帰して正を得せしめてはじめて大吉なり。だから「其知幾乎」。侯果の解法は平実なること甚だし。上は諸侯の類の上位者を指し、下は普通の百姓を指す。君子は上と交わるに諂媚に至らず、下と交わるに軽慢に至らず、悔恨と吝惜は生ずる由なし。これあに正しく幾微を察知する能くする者にあらざらんや。
幾者,動之微,吉之先見者也。虞翻曰:陽見初成震,故“動之微”。復初元吉,吉之先見者也。韓康伯曰:幾者,去無入有。理而未形者,不可以名尋,不可以形睹也。唯神也。不疾而速,感而遂通,故能玄照鑑於未形也,合抱之木,起於毫末,吉凶之彰,始乎微兆,故言“吉之先見”。
経文にいう。幾は、変動の極めて細微の処にして、吉の最も先に顕露する苗头なり。虞翻の説明では、陽爻は初位に顕現して震を成すは、すなわち「動之微」。《復》卦の初九は「元吉」にして、まさに吉の最も先の顕現なり。韓康伯は義理の上より講ず。幾は、無より有に過渡するあの一刹那なり。理はすでに存在して形跡は未だ具わらず、名称を用いて之を尋求する能わず、また形体を用いて之を看見する能わず。ただ「神」のみが能くそれを把握す——急促せずして自然に迅速、一たび感応すればすなわち通ぜざる所なし。だから能く幽微に未だ成形せざる物を照見す。合抱の大樹は細芽より起こり、吉凶の彰顕は微小の征兆より始まるがゆえに、それを「吉之先見」という。
君子見幾而作,不俟終日。《易》曰:介于石,不終日,貞吉。介如石焉,寧用終日,斷可識矣。孔穎達曰:前章言精義入神,此明知幾入神之事,故引豫之六二以證之。崔覲曰:此爻得位居中,於豫之時,能順以動而防於豫。如石之耿介,守志不移,雖暫豫樂,以其見微,而不終日,則能“貞吉”,斷可知矣。
経文にいう。君子は幾微を見ればすなわち身を動かし、一日の過ぐるを待たず。《易》にいう。耿介にして石のごとく、終日を待たず、正を守れば則ち吉。すでに耿介にして石のごとく、あにまた一整天を待つを用いんや。その果決は看るべきなり。孔穎達は指摘す。前の一章は精義入神を講じ、この一章は幾を知りて神に入るの事を説明す。だから《豫》卦の六二を征引して印証す。崔覲の説明では、六二のこの一爻は位を得て中に居り、《豫》の楽の時に処りて、能く柔順にして動き、また能く逸楽に耽るを防備す。石頭のごとく耿介にして、志を守りて改めず。たとい暫く歓娯あるも、細微の征兆を見るによって終日を待たずして身を抽くがゆえに、能く「貞吉」す。この份の果決は知るべきなり。
君子知微知章,知柔知剛,姚信曰:此謂豫卦也。二下交初,故曰“知微”。上交於三,故曰“知章”。體坤處和,故曰“知柔”。與四同功,故曰“知剛”。萬夫之望。荀爽曰:聖人作萬物睹。干寶曰:言君子苟達於此,則萬夫之望矣。周公聞齊魯之政,知後世強弱之勢;辛有見被髮而祭,則知為戎狄之居。凡若此類,可謂知幾也。皆稱君子。君子則以得幾,不必聖者也。
経文にいう。君子はすでに細微を知りまた顕著を知り、すでに柔を知りまた剛を知る。姚信はなお《豫》卦の六二に就いて説を立つ。六二は下に向かいて初六と交接するがゆえに「知微」といい、上に向かいて六三と交接するがゆえに「知章」といい、本体は坤に属して中和に処るがゆえに「知柔」といい、九四と同功一体なるがゆえに「知剛」という。経文にいう。彼は万人の仰望する所なり。荀爽はただ《乾・文言》の一句を用いて解と為す。聖人が興起すれば、万物はみな来りて瞻仰す。干宝は史事を挙げて証と為す。君子もしこれに於いて通達し得れば、すなわち万人の仰望する人と成る。周公は斉・魯両国の施政方式を聞きて、すなわち後世の両国の強弱の走向を預知せり。辛有は人の披髪して祭るを見て、すなわちこの地は日後に戎狄の居所と為らんと断定せり。この類はみな、幾を知ると称すべし。経文のこの数処はみな「君子」と称す。見るべし、君子はただ能く幾微を把握すれば足れり、必ずしも聖人にあらざるべからず。
子曰:顏氏之子,其殆庶幾乎。虞翻曰:幾者,神妙也。顏子知微,故“殆庶幾”。孔子曰:回也其庶幾乎。有不善未嘗不知,虞翻曰:復以自知。老子曰:自知者明。知之未嘗復行也。虞翻曰:謂顏回不遷怒,不貳過。克已復理,天下歸仁。
孔子いう。顔氏のこの子は、ほぼ幾を知るに近きか。虞翻の説明では、「幾」は神妙の義である。顔回は能く細微を察知するがゆえに、彼を「殆庶幾」といい、《論語》の中に孔子はまさに「回也其庶乎」と言いしなり。経文にいう。不善の処あれば未だ嘗て自ら知らざるなし。虞翻は《復・象》の「復以自知」を引いて解と為し、また《老子》の「自知者明」を引きて相印証す。経文にいう。知りての後は未だ嘗て再び犯さず。虞翻の説明では、これすなわち《論語》の記する所の顔回の「不遷怒、不貳過」なり。己を克制して理に回復せば、天下は便ちみな仁に帰す。
巻十六
《易》曰:不遠復,無祗悔,元吉。侯果曰:復初九爻辭。殆,近也。庶,冀也。此明知微之難。則知微者唯聖人耳。顏子亞聖,但冀近於知微而未得也。在微則昧,理章而悟,失在未形,故“有不善”。知則速改,故無大過。
経文は《易》を引いていう。遠く行かずして回頭するは、大の悔恨なく、大吉。侯果は指明す。これは《復》卦の初九の爻辞なり。「殆」は接近、「庶」は希冀である。ここに幾微を察知するの難きを説明す。真に能く微を知るはただ聖人のみ。顔回は亜聖にして、またただ微を知るに接近せんことを希望するのみにして未だ真に做到せず。事は細微の時に彼はなお分明に看ずる能わず、理すでに彰顕したるを待ってはじめて覚悟す。失誤は形跡の未だ具わらざる際に発生するがゆえに、彼を「有不善」という。ただ彼は一たび知ればすなわち即ち改正するがゆえに、大の過錯なし。
天地絪縕,萬物化醇。虞翻曰:謂泰上也。先說否,否反成泰,故不說泰。天地交,萬物通,故“化醇”。孔穎達曰:以前章利用安身以崇德也。安身之道,在於得一。若已能得一,則可以安身。故此章明得一之事也。絪縕,氣附著之義。言天地無心,自然得一。唯二氣絪縕,共相和會,感應變化,而有精醇之生,萬物自化。若天地有心為一,則不能使萬物化醇者也。
経文にいう。天地の二気は交密纏綿して、万物はこれによって化育醇厚す。虞翻の説明では、これは《泰》卦の上爻をいう。上文はまず《否》を講じ、《否》を倒転せばすなわち《泰》を成すがゆえに、ここの処は再び別に《泰》を言わず。天地は相交わり、万物は貫通するがゆえに「化醇」。孔穎達は章旨の上より串講す。前の一章はその道を善用し己身を安頓してその徳を尊崇するを言い、しかして安身の道は「一」を得るに在り。能く一を得れば便ち能く身を安んずるがゆえに、この一章は専ら「得一」のこの事を説明す。「絪縕」は二気の互相附着交融の義なり。天地はもとより心なく、自然而然地にその一を得る。ただ陰陽二気の交密纏綿・彼此和合会聚して感応変化するによって、ここにおいて精純醇厚の物あって生出し、万物は自然に化育す。倘若天地が心を存してこの「一」を求むれば、かえって万物をして化醇せしむる能わざらん。
男女構精,萬物化生。虞翻曰:謂泰初之上成損,艮為男,兌為女,故“男女構精”。乾為精。損反成益,萬物出震,故“萬物化生”也。干寶曰:男女猶陰陽也。故“萬物化生”。不言陰陽,而言男女者,以指釋損卦六三之辭,主於人事也。《易》曰:三人行,則損一人。一人行,則得其友。言致一也。侯果曰:損六三爻辭也。《象》云:一人行,三則疑,是眾不如寡,三不及一。此明物情相感,當上法絪縕、化醇、致一之道,則無患累者也。
経文にいう。男女は精気を交合して、万物はこれによって化生す。虞翻の説明では、これは《泰》卦の初爻が上行して《損》を成すをいう。《損》は上に艮・下に兌にして、艮は少男、兌は少女なるがゆえに「男女構精」といい、乾は精なり。《損》を反転せば《益》を成し、万物は震に萌出するがゆえに「万物化生」という。干宝の着眼点は同じからず。男女は実はすなわち陰陽にして、だから能く万物を化生す。ここに陰陽を言わずして男女を言うは、《損》卦の六三の爻辞を指実して解釈せんと欲するがため、重点は人事の上に落著す。経文は《易》を引いていう。三人同行せば、すなわち一人を減損す。一人独行せば、かえってその伴侣を得——これは専一に帰するを須うをいうなり。侯果は指明す。これは《損》卦の六三の爻辞なり。《象伝》は一人独行してはじめて相得るを言い、三人同行すれば便ち猜疑を生ず。見るべし、衆は寡に如かず、三は一に及ばず。これは物情の彼此感応を説明し、上に天地の絪縕・化育醇厚・専一に帰するの道を法すべく、斯くのごとくしてはじめて禍患の牽累なきなり。
子曰:君子安其身而後動,虞翻曰:謂反損成益。君子,益初也。坤為安身。震為後動。崔覲曰:君子將動有所為,必自揣安危之理,在於已身,然後動也。易其心而後語,虞翻曰:乾為易,益初體復心。震為後語。崔覲曰:君子恕已及物,若於事心難,不可出語,必和易其心而後言。定其交而後求。虞翻曰:震,專,為定,為後。交謂剛柔始交。艮為求也。崔覲曰:先定其交,知其才行,若好施與吝,然後可以事求之。君子修此三者,故全也。虞翻曰:謂否上之初,損上益下,其道大光。自上下下,民說無疆,故“全也”。
孔子いう。君子は先に自身を安頓して然る後に行動す。虞翻の説明では、これは《損》を反転して《益》を成すをいう。「君子」は《益》卦の初爻を指し、坤は安身、震はその後にして動く。崔覲は人事の上より講ず。君子はまさに行動して作為あらんとするとき、必ず先に己の身の上に於いて安危の理を揣度し、然る後にはじめて動く。経文にいう。先にその心を平易にして然る後に說話す。虞翻の説明では、乾は易で、《益》卦の初爻は《復》卦の見る所のあの一点の天地の心を含み、震はその後にして言う。崔覲の講ずるは、君子は己を推して物に及ぼし、もし某事に対して心中なお難処あれば、開口すべからず。必ず心気を和平に調えて然る後に言うを須う。経文にいう。先に交情を定めて然る後に人に求む。虞翻の説明では、震は専・定・後で、「交」は剛柔の始めて相交わるを指し、艮は求なり。崔覲の講ずるは、先に彼此の交情を確定し、対方の才具と操行を了解し、彼が施与を楽しむか吝嗇なるかを看て、然る後にこそ事を拿って彼に求むべし。経文にいう。君子はこの三条を修好するがゆえに、能く周全す。虞翻の説明では、これは《否》卦の上爻が初位に下るをいう。上面を減損して下面を增益し、その道は大いに光明なり。上位より下位に屈就すれば、百姓は歓悦して辺涯なきがゆえに「全」という。
危以動,則民不與也。虞翻曰:謂否上九,高而無們,故“危”。坤民否閉,故“弗與也”。懼以語,則民不應也。虞翻曰:否上窮災,故“懼”。來下之初成益,故“民不應”。坤為民,震為應也。無交而求,則民不與也。虞翻曰:上來之初,故“交”。坤民否閉,故“不與”。震為交。莫之與,則傷之者至矣。虞翻曰:上不之初,否消滅乾,則體剝傷;臣弒君,子弒父,故“傷之者至矣”。《易》曰:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。侯果曰:益上九爻辭也。此明先安身易心,則群善自應。若危動懼語,則物所不與,故“凶”也。
経文にいう。身が危境に処りて行動すれば、百姓はすなわち追随せず。虞翻の説明では、これは《否》卦の上九を指す。高きに居りて輔く所なきがゆえに「危」。坤は民にして閉塞して通ぜざるがゆえに「不与」。経文にいう。恐懼を懐きて說話すれば、百姓はすなわち響応せず。虞翻の説明では、《否》の上九は窮極して災を生ずるがゆえに「懼」。それは下りて初位に居りてはじめて《益》を成し、未だ下らざる時に百姓は自然に響応せず。坤は民、震は応なり。経文にいう。交情なくして人に求むれば、百姓はすなわち給与せず。虞翻の説明では、上爻が初位に来るをはじめて「交」と名づく。坤民は閉塞すれば則ち「不与」。震は交なり。経文にいう。人の給与する者なければ、それを傷害する者は到らん。虞翻の説明では、上爻が初位に下らざれば、《否》は引き続き消剥して乾を滅掉し、卦体はすなわち《剥》を成して傷害を受く。ここにおいて臣はその君を弑し子はその父を弑するがゆえに「傷之者至矣」という。経文は《易》を引いていう。人の彼を增益する者なく、かえって彼を攻撃する者あり、心を立つる能く持久せず、凶。侯果は指明す。これは《益》卦の上九の爻辞なり。ここの処は先にその身を安んじ先にその心を平らげば、衆善は自然に響応することを説明す。もし危にして妄に動き懼にして妄に言えば、すなわち外物の与せざる所と為るがゆえに凶なり。
子曰:乾坤其易之門邪。荀爽曰:陰陽相易,出於乾坤,故曰“門”。乾,陽物也。坤,陰物也。荀爽曰:陽物,天。陰物,地也。陰陽合德,而剛柔有體。虞翻曰:合德謂天地雜,保大和,日月戰。乾剛以體天,坤柔以體地也。以體天地之撰,《九家易》曰:撰,數也。萬物形體,皆受天地之數也。謂九,天數;六,地數也。剛柔得以為體矣。以通神明之德。《九家易》曰:隱藏謂之神,著見謂之明。陰陽交通,乃謂之德。其稱名也,雜而不越。《九家易》曰:陰陽,雜也。名謂卦名。陰陽雖錯,而卦象各有次序,不相逾越。
孔子いう。乾坤はほぼ《易》の門戸なるか。荀爽の説明では、陰陽は互相変易して、みな乾坤より出入するがゆえに「門」と称す。経文にいう。乾は陽物、坤は陰物なり。荀爽の説明では、陽物はすなわち天、陰物はすなわち地なり。経文にいう。陰陽はその徳を合し、しかして剛柔は各々その体あり。虞翻の説明では、いわゆる合徳は、天地の気が交雑し、太和を保合し、日月が交接して両相薄戦のごときを指す。乾は剛をもって天を体現し、坤は柔をもって地を体現す。経文にいう。もって天地の造化を体察す。《九家易》は「撰」を数と訓す。万物の形体はみな天地の数を秉受す。九は天数、六は地数で、剛柔はこれによって各々その体を得る。経文にいう。もって神明の徳性を会通す。《九家易》の説明では、隠伏して見えざるを神と名づけ、顕著にして見ゆるを明と名づけ、陰陽の交互貫通するをはじめて徳と名づく。経文にいう。《易》の称する所の名目は、駁雑なれども逾越せず。《九家易》の説明では、陰と陽は相間するがゆえに「雑」という。「名」は卦名を指す。陰陽は交錯するも、各卦の象は各々次序ありて、彼此相僭越せず。
於稽其類,其衰世之意邪?虞翻曰:稽,考也。三稱盛德。上稱末世,乾終上九:動則入坤,坤弒其君父,故為亂臣。陽出復震,入坤出坤,故“衰世之意邪。”侯果曰:於,嗟也。稽,考也。易象考其事類,但以吉凶得失為主,則非淳古之時也。故云“衰世之意”耳。言邪,示疑,不欲切指也。夫易章往而察來,而微顯闡幽,開而當名,虞翻曰:神以知來,知以藏往。微者顯之,謂從復成乾,是察來也。闡者幽之,謂從姤之坤,是章往也。陽息出初,故“開而當名”。辯物,正言,斷辭,則備矣。干寶曰:辯物,類也。正言,言正義也。斷辭,斷吉凶也。如此,則備於經矣。
経文にいう。噫、それの帰する所の事類を考察すれば、ほぼ衰乱の世の意味を含めるか。虞翻は爻位より講ず。「稽」は考察である。三爻は盛徳と称し、上爻は末世と称す。乾は上九に終わり、一たび動けばすなわち坤に入り、坤はその君父を弑して、ここにおいて乱臣と為る。陽気はまた《復》の震より出で、坤に入りて然る後に坤より出ず——一往一復の間に、正しく「衰世之意」を見る。侯果の講法はさらに平実なり。「於」は嗟嘆の詞、「稽」は考察である。《易》象はそれの属する所の事類を考察するに、全く吉凶得失を以て主と為す。見るべし、すでに淳朴の上古の世にあらざるを。だから衰世の意味を含むという。一個の「邪」の字を用いるは、存疑を表示して、話を説死するを願わざるなり。経文にいう。《易》は既往を彰明して未来を審察し、幽微なる者を顕豁せしめ隠晦なる者を敞開せしめ、開示して各々その名に当たらしむ。虞翻の説明では、神をもって未来を知り、智をもって既往を蔵す。幽微なるを顕発せしむるは、《復》より一路《乾》を生成するを指し、これは察来なり。彰顕なるを収めて幽隠に帰するは、《姤》より一路《坤》に走向するを指し、これは章往なり。陽気は生長して初爻より出ずるがゆえに「開而当名」という。経文にいう。事物を弁別し言辞を端正し吉凶の辞を判定せば、《易》はすなわち完備す。干宝の説明では、弁物はすなわちその種類を分かち、正言はすなわち正当の義理を講明し、断辞はすなわち吉凶を判定す。これらを做到せば、経の体制はすなわち完備す。
其稱名也小,虞翻曰:謂乾坤與六子俱名八卦,而小成,故小復。小而辯於物者矣。其取類也大。虞翻曰:謂乾陽也,為天,為父,觸類而長之,故“大”也。其旨遠,其辭文,虞翻曰:遠,謂乾。文,謂坤也。其言曲而中,其事肆而隱,虞翻曰:曲,詘。肆,直也。陽曲初,震為言,故“其言曲而中”。坤為事,隱未見,故“肆而隱”也。因貳以濟民行,以明失得之報。虞翻曰:二,謂乾與坤也。坤為民,乾為行。行得,則乾報以吉。行失,則坤報以凶也。
経文にいう。《易》の称する所の名目は細小なり。虞翻の説明では、乾坤と六個の子卦と同じく八卦と称するは、ただ「小成」の数なるがゆえに小と称す。《復》卦の一陽の初動もまた小と称す。小なれども万物を弁別するに足れり。経文にいう。しかしてそれの取る所の類は宏大なり。虞翻の説明では、乾は陽に属し、天と為し、父と為し、この一類に順い推衍拡展するがゆえに「大」という。経文にいう。その意旨は深遠にして、その文辞は文采に富む。虞翻の説明では、「遠」は乾を指し、「文」は坤を指す。経文にいう。その言は曲折して理に中り、その記する所の事は鋪陳して隠を含む。虞翻の説明では、「曲」は屈折、「肆」は直陳である。陽は初爻の処に屈曲し、震は言であるがゆえに「其言曲而中」という。坤は事にして、隠伏して未だ顕現せざるがゆえに「肆而隠」という。経文にいう。乾坤のこの両端に憑藉して百姓に行事を助け、もって失と得の報応を昭明す。虞翻の説明では、「貳」はすなわち乾と坤の両者なり。坤は民、乾は行で、行事は当を得れば、乾はすなわち吉をもって之に報い、行事は当を失えば、坤はすなわち凶をもって之に報ゆ。
易之興也,其於中古乎?虞翻曰:興易者,謂庖犧也。文王書經,繫庖犧於乾五。乾為古,五在乾中,故興於中古。繫以黃帝、堯、舜為後世聖人。庖犧為中古,則庖犧以前為上古。作易者,其有憂患乎?虞翻曰:謂成患百姓未知興利遠害,不行禮義,茹毛飲血,衣食不足。庖犧則天八卦,通為六十四,以德化之,吉凶與民同患,故有憂患。
経文にいう。《易》の興起は、ほぼ中古の時なるか。虞翻の看法は通常の「中古は文王の時を指す」の説と同じからず。彼は《易》を興起したるは庖犠と為す。文王は経文を写定する時に、庖犠を《乾》卦の九五に繫属せり。乾は古にして、五は乾の中に居るがゆえに、《易》は中古に興るという。《繫辞》はまた黄帝・尭・舜を後世聖人と称す。すでに庖犠は中古に属せば、されば庖犠以前は便ち上古なり。経文にいう。《易》を作りし者は、ほぼ憂患を心懐けるか。虞翻の説明では、憂患する所は、百姓が未だ興利避害を懂得せず、礼義を行わず、毛を茹で血を飲み、衣食は不足す。庖犠は上天の八卦を取法し、推通して六十四卦を成し、徳教を用いて彼らを化導し、吉凶は百姓と共同して承担す。だから彼に憂患ありという。
是故履,德之基也。虞翻曰:乾為德。履與謙旁通。坤柔履剛,故“德之基”。坤為基。侯果曰:履,禮。蹈禮不倦,德之基也。自下九卦,是復道之最,故特言矣。謙,德之柄也。虞翻曰:坤為柄。柄,本也。凡言德,皆陽爻也。干寶曰:柄,所以持物。謙,所以持禮者也。復,德之本也。虞翻曰:復初乾之元,故“德之本也”。恆,德之固也。虞翻曰:立不易方,守德之堅固。
経文にいう。だから《履》卦は徳の根基なり。虞翻の説明では、乾は徳で、《履》は《謙》と旁通し、坤の柔は乾の剛の上に踏むがゆえに「徳之基」なり。坤はすなわち基なり。侯果は字義より講ず。「履」はすなわち礼で、礼を踐行して懈怠せざるは、まさに徳の根基なり。ここより以下の挙ぐる所の九個の卦は、道に復帰するの最も緊要なる数卦なるがゆえに、特別に提出して言う。経文にいう。《謙》は徳の把柄なり。虞翻の説明では、坤は柄で、柄はすなわち根本なり。およそ徳に講及するは、みな陽爻を指す。干宝の講ずるはさらに直白なり。柄は物を握持するに用いる所で、《謙》はすなわち礼を握持するに用いる所なり。経文にいう。《復》は徳の本源なり。虞翻の説明では、《復》卦の初爻は乾の元なるがゆえに「徳之本」なり。経文にいう。《恒》は徳の穏固なり。虞翻は《恒・象》の「立不易方」を引いて解と為す。徳を守ること堅固にして移らず。
損,德之修也。荀爽曰:懲忿窒慾,所以修德。益,德之裕也。荀爽曰:見善則遷,有過則改,德之優裕也。困,德之辯也。鄭玄曰:辯,別也。遭困之時,君子固窮,小人窮則濫,德於是別也。井,德之地也。姚信曰:井差而不窮,德居地也。巽,德之制也。虞翻曰:巽風為號令,所以制下,故曰“德之制也”。孔穎達曰:此上九卦,各以德為用也。
経文にいう。《損》は徳の修治なり。荀爽は《損・象》の「懲忿窒欲」を引いて解と為す。憤怒を克制し私欲を堵塞するは、まさに徳を修める功夫なり。経文にいう。《益》は徳の寛裕なり。荀爽は《益・象》の「見善則遷、有過則改」を引いて解と為す。斯くのごとくして徳ははじめて寛綽充裕す。経文にいう。《困》は徳の分弁なり。鄭玄の説明では、「辯」はすなわち区別である。困窮に遭遇する時に、君子はその窮を安守し、小人は一たび窮すればすなわち胡作非為す。徳の高下はここにおいて分別せらる。経文にいう。《井》は徳の地基なり。姚信の説明では、井水は盈虚参差あるも窮竭に致らず、徳は井のごとくその地に安居す。経文にいう。《巽》は徳の裁制なり。虞翻の説明では、巽は風・号令で、もって在下の者を裁制するがゆえに「徳之制」という。孔穎達は一句を総括す。以上のこの九個の卦は、みな徳の功用に就いて説を立つるなり。
履和而至,虞翻曰:謙與履通,謙坤柔和,故“履和而至”。禮之用,和為貴者也。謙尊而光,荀爽曰:自上下下,其道大光也。復小而辨於物。虞翻曰:陽始見,故“小”。乾,陽物。坤,陰物。以乾居坤,故稱別物。恆雜而不厭,荀爽曰:夫婦雖錯居,不厭之道也。損先難而後易,虞翻曰:損初之上,失正,故“先難”。終反成益,得位於初故“後易”。易其心而後語。益長裕而不設,虞翻曰:謂天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行,故“不設”也。
経文にいう。《履》は和順にして能く礼に至る。虞翻の説明では、《謙》は《履》と旁通し、《謙》の坤性は柔和なるがゆえに「履和而至」といい、正しく《論語》の「礼之用、和為貴」の義に合す。経文にいう。《謙》は人をして尊貴ならしめ徳行を光大せしむ。荀爽の説明では、上位より下位に屈就すれば、その道はすなわち大いに光明なり。経文にいう。《復》は小なれども能く事物を弁別す。虞翻の説明では、陽気は剛々顕現するがゆえに「小」と名づく。乾は陽物、坤は陰物で、乾をもって坤の中に居るがゆえに、能く物類を分別すという。経文にいう。《恒》は陰陽錯雑して相処するも厭倦を生ぜず。荀爽の説明では、夫と婦は錯雑して同居するも、自ら相守りて厭わざるの道あり。経文にいう。《損》は先難にして後易なり。虞翻の説明では、《損》は初爻の上行して、その正位を失うがゆえに「先難」。終に反転して《益》を成し、初位は正を得るがゆえに「後易」。すなわち上文のいう所の先にその心を平易にして然る後に開口す。経文にいう。《益》は徳をして長養寛裕にして造作を仮らざらしむ。虞翻の説明では、天は施し地は生じ、その増益は定方なし。およそ増益の道はみな時と偕に行うがゆえに「不設」といい、必ずしも刻意に安排するを須いず。
困窮而通,虞翻曰:陽窮否上,變之坤二,成坎。坎為通,故“困窮而通”也。井居其所而遷,韓康伯曰:改邑不改井,井所居不移,而能遷其施也。巽稱而隱。崔覲曰:言巽申命行事,是稱揚也。陰助德化,是微隱也。自此以下,明九卦德之體者也。
経文にいう。《困》は窮境に処りて能く通達す。虞翻の説明では、陽気は《否》卦の上位に窮尽し、変じて坤の二位に居れば便ち坎を成し、坎は通なるがゆえに「困窮而通」という。経文にいう。《井》は本処に居守して能く遠方に施及す。韓康伯は《井》の卦辞の「改邑不改井」を引いて解と為す。井の在する所の地は移動せず、しかしてそれの潤沢は人に遷施する能くすなり。経文にいう。《巽》は称揚の意ありてまた幽隠なり。崔覲の説明では、巽は命令を申布し政事を推行するは、これは称揚顕発の一面なり。しかしてそれは陰柔をもって徳化を輔助するは、また幽微隠伏の一面なり。ここより往下は、この九卦の徳の体性を説明するなり。
履以和行,虞翻曰:禮之用,和為貴,謙震為行,故“以和行”也。謙以制禮,虞翻曰:陰稱禮,謙三以一陽制五陰,萬民服,故“以制禮”也。復以自知,虞翻曰:有不善未嘗不知,故“自知”也。恆以一德,虞翻曰:恆德之固,立不易方,從一而終,故“一德”者也。損以遠害,虞翻曰:坤為害,泰以初止坤上,故“遠害”。乾為遠。益以興利,荀爽曰:天施地生,其益無方,故“興利”也。困以寡怨,虞翻曰:坤為怨,否弒父與君,乾來下,折坤二,故“寡怨”。坎水性通,故不怨也。井以辨義,虞翻曰:坤為義,以乾別坤,故辯義也。
経文にいう。《履》はもって行為を和順ならしむるに用う。虞翻の説明では、礼の運用は和を以て貴しと為し、《謙》中の震は行なるがゆえに「以和行」という。経文にいう。《謙》はもって礼を裁制するに用う。虞翻の説明では、陰は礼と称し、《謙》卦の九三は一個の陽爻をもって五個の陰爻を統制し、万民は帰服するがゆえに「以制礼」という。経文にいう。《復》はもって自我省察するに用う。虞翻は上文の「有不善未嘗不知」を引いて解と為し、だから「自知」という。経文にいう。《恒》はもって徳を専一ならしむるに用う。虞翻の説明では、《恒》は徳の穏固にして、身を立つること方向を改変せず、一より終わるがゆえに「一徳」という。経文にいう。《損》はもって禍害を遠離するに用う。虞翻の説明では、坤は害で、《泰》は初爻をもって坤の上に上りて止まるがゆえに、能く「遠害」す。乾は遠なり。経文にいう。《益》はもって利益を興起するに用う。荀爽の説明では、天は施し地は生じ、その増益は定方なきがゆえに、能く利を興す。経文にいう。《困》はもって怨尤を減少するに用う。虞翻の説明では、坤は怨で、《否》に父を弑し君を弑するの象あり、乾は下に来りて坤の二爻を折断するがゆえに「寡怨」。坎水の性は通達なるがゆえに、怨恨を生ぜず。経文にいう。《井》はもって義理を弁明するに用う。虞翻の説明では、坤は義で、乾を用いて坤を分別するがゆえに「辨義」という。
巽以行權。《九家易》曰:巽象號令,又為近利。人君政教、進退、釋利而為權也。《春秋傳》曰:權者,反於經然後有善者也。此所以說九卦者,聖人履憂濟民之所急行也。故先陳其德,中言其性,後敘其用,以詳之也。西伯勞謙,殷紂驕暴,臣子之禮有常,故創易道以輔濟君父者也。然其意義廣遠幽微,孔子指撮解此九卦之德,合三復之道,明西伯之於紂不失上下。
経文にいう。《巽》はもって権変を施行するに用う。《九家易》の説明では、巽は号令を象徴し、また眼前の利を主る。人君が政教を施行し進退を決定するに、能く近利を舎去して通盤に権衡するは、これすなわち権なり。《春秋公羊伝》にいう。いわゆる権は、常道に違反して然る後に善果を得る能くする做法なり。ここに九卦を特挙する所以は、それらがまさに聖人の憂患に身処して百姓を拯済する時に最も急須して踐行せざるべからざるなればなり。だから先に每卦の徳を陳述し、中間にそれの体性を言い、最後にそれの功用を叙述し、層層に詳しく言う。当時、西伯(周文王)は勤労謙下し、殷紂は驕横暴虐にして、しかして臣子の礼は自ら常度あるがゆえに、文王は《易》道を創明し、もって君父を輔助救済せり。其中の意義は広大深遠にして幽微にして、孔子はここにおいて要点を撮挙し、この九卦の徳を解説し、再三反復申説する義に配合して、西伯が紂王に対して終始君臣上下の分を失わざるを表明す。
易之為書也不可遠,侯果曰:居則觀象,動則玩占,故“不可遠”也。為道也屢遷,虞翻曰:遷,徒也。日月周流,上下無常,故“屢遷”也。變動不居,周流六虛,虞翻曰:變,易。動,行。六虛,六位也。日月周流,終則復始,故“周流六虛”。謂甲子之旬,辰已虛坎,戊為月,離已為日,入在中宮,其處空虛,故稱“六虛”。五甲如次者也。
経文にいう。《易》のこの書は遠離すべからざるなり。侯果の説明では、静居する時は卦象を観察し、行動する時は占辞を玩味するがゆえに、片刻も離るべからず。経文にいう。それの講ずる所の道は屡々遷移す。虞翻の説明では、「遷」はすなわち移動である。日月は周りてまた始めに復りて運行し、あるいは上りあるいは下りて常処なきがゆえに「屢遷」という。経文にいう。変動して居定せず、六個の虚位を周流す。虞翻の説明では、「変」はすなわち変易、「動」はすなわち運行、「六虚」はすなわち六個の爻位である。日月は周流し終わりてまた始めに復るがゆえに「周流六虚」という。彼はまた納甲の法を用いて申説す。甲子のこの旬の中に、辰・巳の二位は空缺して坎に属し、戊は月、離と己は日と為し、みな中宮に入り、その処は空虚なるがゆえに「六虚」と称す。六十甲子は五個の甲日を以て依次に推排するは、みなこの道理なり。
上下無常,剛柔相易,虞翻曰:剛柔者,晝夜之象也。在天稱上,入地為下,故“上下無常”也。不可為典要,唯變所適。虞翻曰:典,常。要,道也。上下無常,故“不可為典要”適乾為晝,適坤為夜。侯果曰:謂六爻剛柔相易,遠近恆,唯變所適,非有典要。
経文にいう。あるいは上りあるいは下りて常処なく、剛と柔は互相変易す。虞翻の説明では、剛柔はすなわち昼夜の象である。天上に在れば上と称し、地下に入れば便ち下と為るがゆえに「上下無常」という。経文にいう。固定の法則と為すべからず、ただ変化に随いて往くのみ。虞翻の説明では、「典」は常、「要」は道である。すでに上下常なければ、一成不変の常法と奉ずる能わず。乾に往けば便ち昼、坤に往けば便ち夜なり。侯果の説明では、これは六爻の剛柔が互相変易し、遠近往来に並びに恒定なく、ただ変化の之く所に随い、並びに固定不移の法則なしをいう。
其出入以度,外內使知懼。虞翻曰:出乾為外,入坤為內,日行一度,故“出入以度”。出陽知生,入陽懼死,使知懼也。韓康伯曰:明出入之度,使物知外內之戒也。出入猶行藏,外內猶隱顯。遁以遠時為吉,豐以幽隱致凶,漸以高顯為美,明夷以處昧利貞,此外內之戒也。
経文にいう。それの出入はみな法度ありて、外に在り内に在りと問わず人をして戒惧する所を知らしむ。虞翻の説明では、乾より出づるを外と為し、坤に入るを内と為し、太陽は毎日一度を行ずるがゆえに「出入以度」という。陽は出ずればすなわち生あるを知り、陽は入ればすなわち死に懼れ、ここにおいて人をして戒惧する所を知らしむ。韓康伯は処世の上より講ず。出と入の分寸を明白にして、人をして外と内に各々その戒あるを知らしむ。出入はたとえば世に行うと隠蔵とのごとく、外内はたとえば顕揚と幽隠とのごとし。《遁》卦は時勢を遠離するを吉と為し、《豊》卦は幽暗隠蔽をもって凶を招き、《漸》卦は高きに居りて顕達するを美と為し、《明夷》卦は昏暗に処りて正を守るを利と為す——これすなわち外と内の各々の戒惧の在する所なり。
又明於憂患與故。虞翻曰:神以知來,故明憂患。知以藏往,故知事故。作易者其有憂患乎?無有師保,如臨父母。虞翻曰:臨,見也。言陰陽施行,以生萬物,無有師保生成之者。萬物出生,皆如父母。孔子曰:父母之道天地,乾為父,坤為母。干寶曰:言易道以戒懼為本,所謂懼以終始,歸無咎也。外為丈夫之從王事,則夕惕若厲。內謂婦人之居室,則無攸遂也。雖無師保切磋之訓,其心敬戒,常如父母之臨已者也。
経文にいう。また憂患と事故の由来を明白にす。虞翻の説明では、神明をもって未来を預知するがゆえに、能く憂患を明察す。智慧をもって既往を収蔵するがゆえに、能く事故を知曉す——これまさに上文の「作易者其有憂患乎」の一句に応ず。経文にいう。師傅保傅の旁に在ることなきも、父母の面前に在るがごとし。虞翻は「臨」を見と訓す。陰陽は運行施化して万物を生成するも、並びに師保あってそれらを生養せず、万物は出生し、処処に父母のごときあれり。孔子は父母の道はすなわち天地の道と言い、乾は父、坤は母なり。干宝は戒惧の上より講ず。《易》道は戒惧を以て根本と為し、すなわちいわゆる「懼以終始」にして過なきに帰す。外に在りては男子は王事に従事せば、便ち「夕惕若厲」すべし。内に在りては婦人は家室に居守せば、便ち「无攸遂」にして、擅りに作主せざるべし。師保の切磋規勧の教誨なきも、心中は常に敬畏戒惧を存し、父母の時時に己の身辺に臨在するがごとし。
初帥其辭,而揆其方,虞翻曰:初,始下也。帥,正也。謂修辭立誠。方,謂坤也。以乾通坤。故“初帥其辭,而揆其方”。侯查曰:率,修。方,道也。言修易初首之辭,而度其終末之道,盡有典常,非虛設也。既有典常。苟非其人,道不虛行。虞翻曰:其出入以度,故“有典常”。苟,誠也。其人謂乾為賢人。神而明之,存乎其人,不言而信,謂之德行,故“不虛行”也。崔覲曰:言易道深遠,若非其聖人,則不能明其道。故知易道不虛而自行,必文王然後能弘也。
経文にいう。初めにそれの文辞に循い、進みてそれの義方を揣度す。虞翻の説明では、「初」は開始・在下の意、「帥」は正と訓し、すなわち《乾・文言》のいう「修辞立其誠」なり。「方」は坤を指し、乾をもって坤を貫通するがゆえに「初帥其辞、而揆其方」という。侯果(伝本は「侯查」と作す)の訓釈は略々異なり。「率」は修治、「方」は道である。その意は《易》の開頭の文辞を修治し、進みてそれの終末の義理を度量し、其中自ら恒常の法度ありて、並びに凭空に設立するにあらず。経文にいう。すでに恒常の法あれば、あのような人にあらざれば、道もまた空しく自ら行わず。虞翻の説明では、出入にみな法度あるによって「有典常」という。「苟」は誠・真の意、「其人」は乾の象する所の賢人を指す。上文すでに「神而明之、存乎其人」を言い、また「不言而信、謂之徳行」を言うがゆえに、道は空しく自ら行わざるという。崔覲の説明では、《易》道は深遠にして、あのような聖人にあらざれば、能くその道理を闡明する能わず。これによって知るべし、《易》道は自ら流行せず、必ず文王のごとき人を得て然る後に能くそれを弘大せんとす。
易之為書也,干寶曰:重發易者,別殊旨也。原始要終,以為質也。虞翻曰:質,本也。以乾原始,以坤要終,謂原始及終,以知死生之說。崔覲曰:質,體也。言易之書,原窮其事之初,若初九潛龍勿用,是原始也。又要會其事之末,若上九亢龍有悔,是要終也。易原始潛龍之勿用,要終亢龍之有悔,復相明以為體也。諸卦亦然,若大畜而後通之類是也。
経文はまた提起す。《易》のこの書。干宝は指摘す。重ねて「易之為書」の四字を拈出するは、別に一個の不同の題旨を立てんと欲するなり。経文にいう。開始を推原し終末を帰結し、これをもってその本質と為す。虞翻は「質」を本と訓す。乾をもって開始を推原し、坤をもって終末を帰結す。起始より一直に終結に推して至れば、すなわち死生の説を知曉し得る。崔覲は「質」を体と訓し、講法は略々同じからず。《易》のこの書は、一事の開端を推究し、たとえば《乾》の初九の「潜竜勿用」は、すなわち原始なり。また一事の末尾を総会し、たとえば上九の「亢竜有悔」は、すなわち要終なり。潜竜の勿用よりその始を推原し、亢竜の有悔よりその終を帰結し、首尾は互相発明してもって一卦の体を構成す。其の他の各卦もまたみなこのごとし。たとえば《大畜》の先に畜止を受けて然る後に通を得るの類はすなわちこれなり。
六爻相雜,唯其時物也。虞翻曰:陰陽錯居稱雜。時陽則陽,時陰則陰,故“唯其時物”。乾,陽物。坤,陰物。干寶曰:一卦六爻,則皆雜有八卦之氣;若初九為震爻,九二為坎爻也。或若見戌言艮,已亥言兌也。或若以甲壬名乾,以乙癸名坤也。或若以午位名離,以子位名坎。或若德來為好物,刑來為惡物。王相為興,休廢為衰。
経文にいう。一卦の六爻は陰陽交錯混雑し、顕示する所はただ各爻のその時位に当たる所の代表する事物のみ。虞翻の説明では、陰爻陽爻は錯雑して居るを、すなわち「雑」と名づく。陽たるべき時はすなわち陽を現じ、陰たるべき時はすなわち陰を現ずるがゆえに「唯其時物」という。「乾為陽物、坤為陰物」に至っては、干宝は卦気と納甲の上より講ず。一卦の六爻の中は、みな八卦の気を混雑す。たとえば初九は「震爻」と看做し得、九二は「坎爻」と看做し得。又たとえば爻辰に「戌」を見ればすなわち艮と言い、「巳」「亥」を見ればすなわち兌と言う。又たとえば天干の「甲」「壬」をもって乾と称し、「乙」「癸」をもって坤と称す。又たとえば午位をもって離と称し、子位をもって坎と称す。又たとえば生克の上より言えば、生扶の徳を帯びて来るは好物にして、刑克を帯びて来るは悪物、居る「王」「相」の気のは興旺と為し、居る「休」「廃」の気のは衰敗と為す。
其初難知,其上易知,本末也。侯果曰:本末,初上也。初則事微,故“難知”。上則事彰,故“易知”。初辭擬之,卒成之終。干寶曰:初擬議之,故“難知”。卒終成之,故“易知”。本末勢然也。侯果曰:失在初微,猶可擬議而之福。過在卒成,事之終極,非擬議所及。故曰“卒成之終”。假如乾之九三,噬嗑初九,猶可擬議而之善。至上九,則凶災不移,是事之卒成之終,極凶不變也。
経文にいう。「初爻の含義は知り難く、上爻の含義は知り易し、これは本と末の分別なり」。侯果の説明では、いわゆる「本末」は、すなわち初爻と上爻なり。初爻は事情の萌芽段階に処り、事態はなお甚だ細微なるがゆえに「難知」。上爻は事情の彰顕段階に処るがゆえに「易知」。経文は続けて「初爻の爻辞はただその端を擬議し、上爻に到りてはじめて最終に一卦の終を完成す」といい、干宝の説明では、初爻はただ揣度擬議するがゆえに難知。最後の一爻はすでに定局を完成したれば易知。本と末の形勢はもとよりこのごとし。侯果はさらに進みて申説す。過失は初爻の細微段階に出現すれば、なお擬議斟酌を経て福善に転向し得べし。過失は最後の一爻に至れば、事情はすでに終極に到り、すなわち擬議の挽回し得る所にあらず。だから「卒成之終」という。たとえば《乾》卦の九三・《噬嗑》卦の初九は、みななお擬議して善処に趨向し得べし。上九に到れば、凶災はすでに定まりて移易すべからず。これすなわち事情が最後の一歩に走り至り、極凶にして再び変じ得ざるの情形なり。
若夫雜物撰德,辨是與非,則非其中爻不備。虞翻曰:撰德,謂乾辯別也。是,謂陽。非,謂陰也。中,正。乾六爻,二、四、上,非正。坤六爻,初、三、五,非正。故“雜物”。因而重之,爻在其中,故“非其中”。則爻辭不備。道有變動,故曰爻也。崔覲曰:眼戲具論初上二爻,次又以明其四爻也。言中四爻雜合所主之事,撰集所陳之德,能辯其是非,備在卦中四爻也。
経文にいう。「事物を雑陳し徳性を撰述し、是と非を弁別せば、すなわち中間の数爻にあらざれば完備する能わず」に至っては。虞翻の説明では、「撰徳」は乾の分辨作用に就いて言う。「是」は陽爻を指し、「非」は陰爻を指す。「中」は位に当たり正を得るなり。乾卦の六爻の中に、二・四・上の三爻は陰位に処り、正を得たと算せず。坤卦の六爻の中に、初・三・五の三爻は陽位に処り、また正を得たと算せず。だから「雑物」と称す。八卦はこれによって重畳して六十四卦を成し、爻はすなわちその中に在るがゆえに「非其中」という。さもなくば爻辞はすなわち不完備なり。易道に変あり動あり、これによってはじめて「爻」と名づく。崔覲はすなわちいう。上文はすでに初爻・上爻の両爻を討論し畢れり。ここに続けて中間の四爻を闡明す。これは中間の四爻が一卦の主る所の種種の事情を雑合し、卦中の陳する所の種種の徳性を撰集し、能く其中の是と非を弁明し、これらはみな一卦の中四爻の裏に完備に体現せらるるをいう。
噫,亦要存亡吉凶,則居可知矣。虞翻曰:謂知存、知亡、要終者也。居乾吉,則存,居坤凶,則亡。故曰“居可知矣”。崔覲曰:噫,嘆聲也。言中四爻,亦能要定卦中存亡吉凶之事,居然可知矣。
経文にいう。「噫、存亡吉凶を考求せんと要せば、安坐してすなわち知曉し得べし」。虞翻の説明では、これは何時に存し得るか・何時に亡ぶかを知り、能く終局を把握する者を指す。乾道に居ればすなわち吉にして能く保存し、坤道に居ればすなわち凶にして敗亡せん。だから「居可知矣」。崔覲はすなわち解釈す。「噫」は感嘆の声なり。これは中間の四爻もまた能く一卦の中の存亡吉凶の事を考定し、安然として居れば便ち推知すべきをいう。
孔疏扶王弼義,以此中爻為二、五之爻,居中無偏,能統一卦之義,事必不然矣。何則?上文云:六爻相雜,唯其時物,言雖錯雜,而各獨會於時,獨主於物,豈可以二五之爻,而兼其雜物撰德,是非存亡吉凶之事乎?且二、五之撰德與是,要存與吉,則可矣。若主物與非,要亡與凶,則非其所象,故知其不可也。且上論初上二爻,則此中總言四爻矣。下論二、四、三、五,則是重述其功位者也。
崔覲は続けて旧説を駁斥す。孔穎達の《周易正義》は王弼の解釈を扶持し、ここの「中爻」を二爻と五爻と言説して、それらが中に居りて偏らず、能く一卦の義を統摂すると為す。事情は決してこのごとくにあらず。何を以てせん。上文は「六爻相雑、唯其時物」といい、これは六爻は錯雑するも、各々単独に己の当たる所の時に会合し、単独に己の当たる所の物を主管するをいう。あに二・五の両爻を用いて雑物撰徳・是非存亡吉凶のこの許多の事を兼摂せんことを得んや。況んや二・五の両爻はもって「撰徳」と「是」を講じ「存」と「吉」を考求するは、なお講じ通るを得るも、もしそれらに「物」と「非」を兼主し「亡」と「凶」を考求せしめんと要せば、すなわちそれらの象徴する所にあらず。見るべし、この説は行通る能わざるを。さらに言えば、上文はすでに初・上の両爻を論じたれば、さればここは総じて中間の四爻を言い、下文はまた分かちて二と四・三と五を論ず。あれはまさに重ねてこの四爻の功用と位次を申述するなり。
智者觀其《彖》辭,則思過半矣。韓康伯曰夫:《彖》舉立象之統,論中爻之義,約以存博,簡以兼眾,雜物撰德,而一以貫這者也。形之所宗者道,眾之所歸者一。其事彌繁,則愈滯乎形。其理彌約,則轉近乎道。《彖》之為義,存乎一也。一之為用,同乎道矣。形而上者,可以觀道。過乎半之益,不亦宜乎!
経文にいう。「明智の者は《彖》辞を観看せば、思慮はすでに半ばを過ぎたり」。韓康伯の説明では、《彖》辞は一卦の立象の綱領を挙出し、中爻の義理を論述し、簡約を用いて広博を統摂し、簡易を用いて衆多を兼含し、雑陳する事物・撰述する徳性を、一個の根本を以て貫通す。形形色色の宗帰する所は「道」にして、芸芸衆多の帰趨する所は「一」なり。事情は愈々繁多なれば、愈々形跡に滞留し、道理は愈々簡約なれば、愈々道に接近す。《彖》辞の意義は、すなわちこの「一」に在り。しかして「一」の功用は、正しく道と相同なり。能く形而上の処に着眼せば、すなわち大道を観見し得べし。《彖》を読みて半ばを過ぎて獲益するも、また理の当然なるにあらざらんや。
二與四同功,韓康伯曰:同陰功也。崔覲曰:此重釋中四爻功位所宜也。二主士、大夫位,佐於一國。四主三孤、三公、牧伯之位,佐於天子。皆同有助理之功也。而異位,韓康伯曰:有外內也。崔覲曰:二,士、大夫位,卑;四,孤、公、牧伯位,尊,故有異也。其善不同,二多譽,四多懼,近也。韓康伯曰:二處中和,故“多譽”也。四近於君,故“多懼”也。
経文に「二爻と四爻は功用相同なり」といい、韓康伯の説明では、それらは同じく陰位の功なり。崔覲はすなわち解釈す。これは再び中間四爻の功用と位次の各々の宜しき所を説明す。二爻は士・大夫の位を主り、一国の君を輔佐す。四爻は三孤・三公・方伯の位を主り、天子を輔佐す。二者は同じく輔助治理の功あり。経文は続けて「しかして位次は同じからず」といい、韓康伯の説明では、これは内卦・外卦の別あるなり。崔覲の説明では、二爻は士・大夫の位にして較れ卑下し、四爻は孤・公・方伯の位にして較れ尊貴なるがゆえに、差異あるなり。経文はまた「それらの善処は同じからず。二爻は称誉多く、四爻は戒惧多し。四爻は君位に逼近するによってなり」といい、韓康伯の説明では、二爻は下卦の中位に処り、中正和順なるがゆえに称誉多し。四爻は君位に緊隣し、君に伴うは深淵に臨むがごときがゆえに戒惧多し。
柔之為道,不利遠者。崔覲曰:此言二四皆陰位。陰之為道,近比承陽,故“不利遠”矣。其要無咎,其用柔中也。崔覲曰:言二是陰遠陽,雖則不利,其要或有無咎者。以二柔居中,異於四也。
経文にいう。「柔順は一種の道と為すも、陽剛を遠離するに利あらず」。崔覲の説明では、これは二・四の両爻がともに陰位なるを講ず。陰の道理は、就近親比して陽剛を承奉するに在るがゆえに「不利遠」という。経文は続けていう。「それの要領は過を犯さざるに在り、それの用いる所は柔にして中を得るの道なるによってなり」。崔覲の説明では、これは二爻が陰をもって陽を遠離するは、不利なるも、要領の上ではなお過なきを做到し得るをいう。二爻は柔をもって下卦の中に居るがゆえに、この一点は四爻と同じからず。
三與五同功而異位,韓康伯曰:有貴賤也。崔覲曰:三,諸侯之位。五,天子之位。同有理人之功,而君臣之位異者也。三多凶,五多功,貴賤之等也。崔覲覲曰:三處下卦之極,居上卦之下,為一國之君,有威權之重,而上承天子,若無含章之美,則必致凶。五既居中不偏,貴乘天位,以道濟物,廣被寰中,故“多功”也。其柔危,其剛勝邪?侯果曰:三五陽位,陰柔處之,則多凶危。剛正居之,則勝其任。言邪者,不定之辭也。或有柔居而吉者,得其時也。剛居而凶者,失其應也。
経文に「三爻と五爻は功用相同にして位次は同じからず」といい、韓康伯の説明では、これは貴と賤の分別あるなり。崔覲はすなわち解釈す。三爻は諸侯の位、五爻は天子の位で、同じく民衆を治理するの功ありて、しかして君と臣の位分は同じからず。経文は続けて「三爻は凶険多く、五爻は功業多し。これは貴賤の等差なり」といい、崔覲の説明では、三爻は下卦の頂端・上卦の下面に処り、たとえば一国の君のごとく威権の重を握有し、上面にまた天子を承事す。もし含蓄して露わさざる美徳なければ、必ず凶険を招致す。五爻はすでに上卦の中に居りて偏らず、また尊く天子の位に居り、正道をもって万物を済助し、恩沢は広く天下に被するがゆえに「多功」。経文の末句の「陰柔は之に居れば則ち危く、陽剛は之に居れば則ち能く勝任せんか」は、侯果の説明に、三・五はみな陽位にして、陰柔をもって之に処れば、すなわち凶険多し。剛正をもって之に処れば、すなわち能くその職に勝任す。「邪」のこの疑問語気詞を用いるは、話の説くこと絶対ならざるを表示す。陰柔をもって之に居りて吉を得る者もあり、あれはその時を得るによってなり。陽剛をもって之に居りて凶を致す者もあり、あれはその応を失うによってなり。
易之為書也,廣大悉備。荀爽曰:以陰易陽,謂之廣。以陽易陰,謂之大。易與天地準,固悉備也。有天道焉,有人道焉。有地道焉。崔覲曰:言易之為書明三才,廣無不被,大無不包。悉備有萬物之象者也。兼三才而兩之,故六。六者,非它也。三才之道也。崔覲曰:言重卦六爻,亦兼天地人道,兩爻為一才,六爻為三才,則是兼三才而兩之,故六。六者,即三才之道也。
経文にいう。「《易》のこの書は、広大にして備わらざる所なし」。荀爽の説明では、陰をもって陽に交易するを「広」と名づけ、陽をもって陰に交易するを「大」と名づく。《易》は天地と相等斉にして、もとより備わらざる所なし。経文は続けて「其中有天道、有人道、有地道」といい、崔覲の説明では、これは《易》のこの書が天・地・人の三才を闡明し、広大して覆被せざる所なく、宏大して包容せざる所なく、完備に万物の象を含有するをいう。経文はまた「三才を兼取して各々両爻を以て之を表すがゆえに六なり。この六は別ならず、すなわち三才の道なり」といい、崔覲の説明では、これは重卦の六爻もまた天・地・人の三道を兼含し、両爻毎に一才を配し、六爻は正しく三才を配するをいう。これすなわち三才を兼取して各々両爻を以て表示するがゆえに六なり。この「六」は、すなわち三才の道なり。
道有變動,故曰爻。陸績曰:天道有晝夜、日月之變。地道有剛柔、燥溼之變,人道有行止、動靜、吉凶、善惡之變。聖人設爻以效三者之變動,故謂之“爻”者也。爻有等,故曰物。干寶曰:等,群也。爻中之義,群物交集,五星四氣,六親九族,福德刑殺,眾形萬類,皆來發於爻,故總謂之物也。象頤中有物曰噬嗑,是其義也。物相雜,故曰文。虞翻曰:乾陽物,坤陰物。純乾純坤之時,未有文章。陽物入坤,陰物入乾,更相雜成六十四爻,乃有文章,故曰“文”。
経文に「道に変動あるがゆえに、これを爻と名づく」といい、陸績の説明では、天道に昼夜・日月の変化あり、地道に剛柔・燥湿の変化あり、人道に行止・動静・吉凶・善悪の変化あり。聖人は爻位を設立してこの三方面の変動を仿効するがゆえに、これを「爻」と称す。経文に「爻に等類あるがゆえに、これを物と名づく」といい、干宝の説明では、「等」は群類の意である。爻中の含む所の意義は、群物の交会聚集なり。五星・四時の気・六親九族・福徳刑殺、種種の形態・万般の門類は、みな爻の上に於いて発動顕現するがゆえに、総じてこれを「物」と称す。《噬嗑》卦の口中に物あるに取象するは、まさにこの意なり。経文に「物は相錯雑するがゆえに、これを文と名づく」といい、虞翻の説明では、乾は陽物、坤は陰物である。純乾純坤の時は、なお文采条理なし。陽物は坤に入り、陰物は乾に入り、交相錯雑して六十四卦の爻を成し、これにはじめて文采あるがゆえに「文」と名づく。
文不當,故吉凶生焉。干寶曰:其辭為文也。動作云為,必考其事,令與爻以相稱也。事不稱義,雖有吉凶,則非今日之吉凶也。故元亨利貞,而穆姜以死,黃裳元吉,南蒯以敗,是所謂文不當也。故於經,則有君子吉,小人否。於占,則王相之氣,君子以遷官,小人以遇罪也。
経文にいう。「文と事とは相当せざれば、吉凶はすなわちこれによって産生す」。干宝の説明では、ここの「文」は卦爻の辞を指す。人の挙動作為は、必ず占する所の事を考核して、それを爻義と相称せしむべし。事情と爻義と相称せざれば、されば爻辞に吉凶あるも、眼下のこの事の吉凶にあらず。だから《随》卦の爻辞は明らかに「元亨利貞」なるも、魯国の穆姜は占い得てなお東宮に死せり。《坤》卦の六五は明らかに「黄裳元吉」なるも、南蒯は占い得て終に敗亡せり。これすなわちいわゆる「文不当」なり。これによって経文の上には「君子吉、小人否」の分別あり、占断の上には同じく王相旺気なれども、君子は官職の升遷に応じ、小人は刑罰の触犯に応ずると表現す。
易之興也,其當殷之末世,周之盛德邪?當文王與紂之事邪?虞翻曰:謂文王書《易》六爻之闢也。末世,乾上。盛德,乾三也。文王三分天下而有其二,以服事殷,周德其可謂至德矣,故“周之盛德”。紂窮否上,知存而不知亡,知得而不知喪,終以焚死,故“殷之末世”也。而馬、荀、鄭君從俗,以文王為中古,失之遠矣。
経文にいう。「《易》の興起は、ほぼ殷商の末世・周室の徳業隆盛の時に正しく当たるか。ほぼ文王と紂王の事の時に当たるか」。虞翻の説明では、これは文王が《易》の六爻の辞を写定して君長のために法を立つを指す。「末世」は乾卦の上爻に取象し、「盛徳」は乾卦の三爻に取象す。文王は天下を三分してその二を据有するも、なお臣礼を以て殷商に服事す。周の徳行は至徳と言うべきがゆえに「周之盛徳」と称す。紂王は《否》卦の上位に困窮し、ただ存あるを知りて亡あるを知らず、ただ得あるを知りて喪あるを知らず、最終に自焚して死せり。だから「殷之末世」と称す。馬融・荀爽・鄭玄の諸位が流俗に随順して、文王の時代を「中古」と言説するに至っては、すなわち差れ遠き甚だし。
是故其辭危,虞翻曰:危,謂乾三。夕惕若厲,故“辭危”也。危者使平,陸績曰:文王在紂世,有危亡之患,故於易辭多趨危亡。本自免濟,建成王業,故易爻辭危者使平,以象其事。否卦九五:其亡其亡,繫於包桑之屬是也。易者使傾。陸績曰:易,平易也。紂安其位,自謂平易,而反傾覆,故易爻辭“易者使傾”,以象其事。明夷上六:初登于天,後入于地之屬是也。
経文に「これによって《易》の言辞は憂危の意に充満す」といい、虞翻の説明では、「危」は乾卦の九三に取象し、爻辞に「夕惕若厲」といえば言辞に危を含む。経文に「危惧する者をして平安を得せしむ」といい、陸績の説明では、文王は紂王の世に身処し、傾危滅亡の患あるがゆえに、《易》辞は多く危亡に趨向して言を立つ。しかして彼本人は終に能く難より自ら免れ、王業を建成せり。だから《易》の爻辞は危惧を知る者をして平安を得せしめ、もって彼の遭遇を象徴す。《否》卦の九五の「其亡其亡、繫于苞桑」の類の爻辞はすなわちこれに属す。経文に「安逸の者をして傾覆に帰せしむ」といい、陸績の説明では、「易」は平易安逸の意である。紂王は君位に安坐して、自ら以て平安無事と為すも、結果はかえって傾覆せり。だから《易》の爻辞は安逸して危を忘れる者に傾覆を遭致せしめ、もって彼の下場を象徴す。《明夷》の上六の「初登于天、後入于地」の類の爻辞はすなわちこれに属す。
其道甚大,百物不廢。虞翻曰:大,謂乾道。乾三爻,三十六物,故“百物不廢”。略其奇八,與大衍之五十同義。懼以終始,其要無咎,此之謂易之道也。虞翻曰:乾稱易道,終日乾乾,故“無咎”。危者使平,易者使傾,惡盈福謙,故“易之道”者也。
経文に「その道理は甚だ広大にして、百物は廃する所なし」といい、虞翻の説明では、「大」は乾道を指す。乾卦の三爻は、毎爻十二物にして、合せて三十六物と為るがゆえに「百物不廃」という。ここに零頭の八を略去するは、大衍の数のただ五十を取りて用うると同一の道理なり。経文に「始終を以て戒惧と為し、その要領は過を犯さざるに在り。これを《易》の道と名づく」といい、虞翻はまた説明す。乾は易道と称すべし。君子は終日乾乾として息まざるがゆえに、過錯あらず。危惧する者に平安を得せしめ、安逸の者に傾覆を致せしめ、盈満を悪みて謙退に福佑するは、これすなわちいわゆる「易之道」なり。
夫乾,天下之至健也,德行恆易以知險。虞翻曰:險,謂坎也。謂乾二、五之坤,成坎離,日月麗天,天險不可升,故“知險者”也。夫坤,天下之至順也,德行恆簡以知阻。虞翻曰:阻,險阻也。謂坤二、五之乾,艮為山陵,坎為水,巽高兌下,地險山川丘陵,故“以知阻”也。
経文にいう。「乾は天下の最も剛健なるにして、その徳行は恒に平易にして、これによって能く険を知る」。虞翻の説明では、「険」は坎卦を指す。乾卦の二爻・五爻は往きて坤に交わり、坎・離の両卦を成し、日月は天に附麗し、天の険は高くして攀升すべからざるがゆえに「知険」という。経文は続けていう。「坤は天下の最も柔順なるにして、その徳行は恒に簡約にして、これによって能く阻を知る」。虞翻の説明では、「阻」はすなわち険阻である。坤卦の二爻・五爻は往きて乾に交わり、艮は山陵、坎は水で、巽は高く兌は下る。地上の険阻はまさに山川丘陵なるがゆえに「以知阻」という。
能說諸心,虞翻曰:乾五之坤,坎為心,兌為說,故“能說諸心”。能研諸侯之慮,虞翻曰:坎心為慮,乾初之坤為震,震為諸侯,故能研諸侯之慮。定天下之吉凶,成天下之娓娓者。虞翻曰:謂乾二、五之坤,成離日坎月,則八卦象具。八卦定吉凶,故能“定天下之吉凶”。娓娓,進也。離為龜,乾為蓍,月生震初。故“成天下之娓娓者”。謂莫善蓍龜也。荀爽曰:娓娓者,陰陽之微,可成可敗也。順時者成,逆時者敗也。
経文に「能く人心を悦懌せしむ」といい、虞翻の説明では、乾の五は往きて坤に交わり、坎は心、兌は悦なるがゆえに「能説諸心」。経文に「能く諸侯の思慮を精研す」といい、虞翻の説明では、坎は心にして、心は思慮を主る。乾の初は往きて坤に交わりて震を成し、震は諸侯なるがゆえに、能く諸侯の思慮を研求す。経文に「天下の吉凶を決定し、天下の勤勉不倦の事を成就す」といい、虞翻の説明では、乾の二・五は往きて坤に交わり、離を成して日と為し坎を成して月と為せば、八卦の象はすなわちみな具備せらる。八卦は能く吉凶を定めるがゆえに「定天下之吉凶」という。「娓娓」は勉力前進の意である。離は亀、乾は蓍で、月は震の初に於いて明を生ずるがゆえに「成天下之娓娓者」といい、すなわち《繫辞》のいわゆる蓍亀より善きはなしなり。荀爽はすなわち解釈す。「娓娓」は陰陽の間の微妙の幾を指し、成すべくもあり敗るべくもあり。時勢に順応するはすなわち成し、時勢に違逆するはすなわち敗る。
是故變化云為,吉事有祥。虞翻曰:祥,幾祥也,吉之先見者也。陽出,變化云為。吉事為祥。謂復初乾元者也。象事知器,占事知來。虞翻曰:象事謂坤。坤為器,乾五之坤成象,故“象事知器”也。占事謂乾以知來。乾五動成離,則玩其占,故“知來”。侯果曰:易之云為,唯變所適。為善則吉事必應,觀象則用器可為,求吉則未形可睹者也。
経文にいう。「だから変化と言行挙動の際に、吉事は先に征兆あり」。虞翻の説明では、「祥」は幾微の先兆にして、吉の先行の顕現なり。陽気は発出し、ここにおいて変化云為あり。吉事はまさに至らんとして先に祥兆を見るは、《復》卦の初爻の含む所の乾元の気を指す。経文は続けて「象を観れば器用を知るべく、占問すれば未来を知るべし」といい、虞翻の説明では、「象事」は坤を指し、坤は器にして、乾の五は往きて坤に交わりて象を成すがゆえに「象事知器」。「占事」は乾を指し、乾は能く未来を知り、乾の五爻は動きて離を成せば、すなわちその占を玩味すべきがゆえに「知来」という。侯果はすなわち解釈す。《易》の講ずる所の言行挙動は、ただ時変に随いて調適するのみ。善を行えば則ち吉事は必ず感応あり、象を観れば則ち器用は制作すべく、吉を求めれば則ち未だ成形せざる事もまた預見し得べし。
天地設位,聖人成能。虞翻曰:天尊,五;地卑,二,故“設位”。乾為聖人。成能,謂能說諸心,能研諸侯之慮。故“成能”也。崔覲曰:言易擬天地,設乾坤二位,以明重卦之義,所以成聖人伏羲文王之能事者也。人謀鬼謀,百姓與能。虞翻曰:乾為人,坤為鬼;乾二五之坤,坎為謀;乾為百,坤為姓,故“人謀鬼謀,百姓與能”。朱仰之曰:人謀,謀及卿士。鬼謀,謀及卜筮也。又謀及庶民,故曰“百姓與能”與。
経文にいう。「天地は尊卑の位を設定し、聖人は裁成輔相の能を成就す」。虞翻の説明では、天は五位に尊く、地は二位に卑しきがゆえに「設位」と名づく。乾は聖人である。いわゆる「成能」は、すなわち上文のいう「能説諸心、能研諸侯之慮」なり。崔覲はすなわち解釈す。これは《易》が天地を比擬し、乾・坤の両個の位次を設立し、もって重卦の義を闡明し、これによって伏羲・文王のごとき聖人の能事を成就するをいう。経文は続けて「人は来りて謀議し、鬼神もまた来りて謀議し、百姓もまたその能に参与す」といい、虞翻の説明では、乾は人、坤は鬼である。乾の二・五は往きて坤に交わり、坎は謀なり。乾は百、坤は姓であるがゆえに「人謀鬼謀、百姓与能」という。朱仰之はすなわち解釈す。「人謀」は卿士に謀るなり、「鬼謀」は卜筮に謀るなり。此の外にまた庶民に謀るを須うがゆえに「百姓与能」という。
八卦以象告。虞翻曰:在天成象。乾二、五之坤,則八卦象成,兌口震言,故“以象告”也。《爻》、《彖》以情言,崔覲曰:伏羲始畫八卦,因而重之,以備萬物,而告於人也。《爻》謂爻下辭,《彖》謂卦下辭,皆是聖人之情見乎繫辭,而假《爻》、《彖》以言,故曰“《爻》、《彖》以情言”。剛柔雜居,而吉凶可見矣。虞翻曰:乾二之坤成坎,坤五之乾成離,故“剛柔雜居”。艮為居,離有巽兌,坎有震艮,八卦體備,故“吉凶可見”也。崔覲曰:言文王以六爻剛柔相推,而物雜居,得理則吉,失理則凶,故“吉凶可見”也。
経文に「八卦は象を用いて告示す」といい、虞翻の説明では、天に在りて象を成し、乾の二・五は往きて坤に交われば、八卦の象は便ち告成す。兌は口、震は言であるがゆえに、能く「以象告」す。経文に「《爻》辞・《彖》辞は情実を用いて表達す」といい、崔覲の説明では、伏羲は始めて八卦を画出し、進みて重ねて六十四卦と為し、もって万物を備載して人に告示せり。「《爻》」は爻下の辞を指し、「《彖》」は卦下の辞を指し、みな聖人の情意が繫わる所の文辞に顕現し、《爻》《彖》を借りて表達するがゆえに「《爻》《彖》以情言」という。経文に「剛柔は雑処して、吉凶はすなわち看見すべし」といい、虞翻の説明では、乾の二は往きて坤に交わりて坎を成し、坤の五は往きて乾に交わりて離を成すがゆえに「剛柔雑居」と名づく。艮は居で、離中に巽・兌を含み、坎中に震・艮を含み、八卦の体は斉備するがゆえに「吉凶可見」。崔覲はすなわち解釈す。これは文王が六爻の剛柔を以て相推し、事物は錯雑して処り、義理に合すれば則ち吉、義理に違背すれば則ち凶なるがゆえに「吉凶可見」というをいう。
變動以利言,虞翻曰:乾變之坤成震,震為言,故“變動以利言”也。吉凶以情遷。虞翻曰:乾吉坤凶。六爻發揮,旁通情也,故“以情遷”。是以愛惡相攻,而吉凶生。虞翻曰:攻,摩也。乾為愛,坤為惡。謂剛柔相摩,以愛攻惡。生吉以惡,攻愛生凶,故“吉凶生”也。
経文に「変動すれば則ち利害に就いて言を立つ」といい、虞翻の説明では、乾は変じて坤に交わりて震を成し、震は言なるがゆえに「変動以利言」という。経文に「吉凶は情実に随いて遷移す」といい、虞翻の説明では、乾は吉、坤は凶である。六爻の発揮は、まさに陰陽両卦をして旁通して互いにその情を見せしむるがゆえに「以情遷」という。経文に「これによって愛と悪は互相攻取して、吉凶は便ち産生す」といい、虞翻の説明では、「攻」はすなわち相摩蕩である。乾は愛、坤は悪である。いわゆる剛柔相摩は、愛を以て悪を攻めて吉を生じ、悪を以て愛を攻めて凶を生ずるがゆえに「吉凶生」という。
遠近相取,而悔吝生。虞翻曰:遠陽,謂乾。近陰,謂坤。陽取陰生悔,陰取陽生吝。悔吝,言小疵。崔覲曰:遠,謂應與不應。近,謂比與不比。或取遠應而舍近比,或取近比而舍遠應,由此遠近相取,所以生悔吝於繫辭矣。情偽相感,而利害生。虞翻曰:情,陽。偽,陰也。情感偽生利,偽感情生害。乾為利,坤為害。
経文に「遠と近は互相取用して、悔と吝は便ち産生す」といい、虞翻の説明では、遠は陽を指し、すなわち乾。近は陰を指し、すなわち坤。陽は陰を取れば則ち悔を生じ、陰は陽を取れば則ち吝を生ず。悔と吝は、小の瑕疵を言うなり。崔覲はすなわち解釈す。「遠」は爻と爻との応ずるか応ぜざるかに就いて言い、「近」は爻と爻との比するか比せざるかに就いて言う。ある時は遠処の相応を取りて近旁の相比を舎て、ある時は近旁の相比を取りて遠処の相応を舎つ。この種の遠近相取によって、便ち卦爻辞の中に悔と吝を生出す。経文はまた「実情と虚偽は互相感応して、利と害は便ち産生す」といい、虞翻の説明では、「情」は陽に属し、「偽」は陰に属す。実情を以て虚偽に感ずれば則ち利を生じ、虚偽を以て実情に感ずれば則ち害を生ず。乾は利、坤は害なり。
凡易之情,近而不相得,則凶。韓康伯曰:近,況比爻也。易之情,剛柔相摩,變動相逼者也。近而不相等是,必有乖違之患也。或有相違而無患者,得其應也。相須而偕凶,乖於時也。隨事以考之,義可見矣。或害之,悔且吝。虞翻曰:坤為害。以陰居陽,以陽居陰,為悔且吝也。
経文にいう。「およそ《易》の顕示する所の情状は、両爻は相近にして彼此相得ざれば、すなわち凶険あり」。韓康伯の説明では、「近」は相隣る両爻を比擬す。《易》の顕示する所の情状は、剛柔の互相摩蕩・変動の互相逼迫なり。相隣りて彼此相得ざれば、必ず乖違の患あり。相違するも禍患なき者もあり、あれは正応を得るによってなり。本より相須相助すべきにして一同に凶に陥る者もあり、あれは時宜に違背するによってなり。事を逐いて考察せば、義理は便ち看清し得べし。経文は続けて「あるいは来りてそれを傷害する者あれば、すなわち悔と吝を招致す」といい、虞翻の説明では、坤は害である。陰爻を以て陽位に居り、陽爻を以て陰位に居るは、みな悔と吝を造成す。
將叛者,其辭慚。荀爽曰:謂屯六三往吝之屬也。虞翻曰:坎人之辭也。近而不相得,故“叛”。坎為隱伏,將叛。坎為心,故“慚”也。侯果曰:凡心不相得,將懷叛逆者,辭必慚恧。中心疑者,其辭枝。荀爽曰:或從王事,無成之屬也。虞翻曰:離人之辭也。火性枝分,故枝疑也。侯果曰:中心疑貳,則失得無從,故枝分不一也。
経文にいう。「まさに背叛せんとする者は、その言辞は羞慚す」。荀爽の説明では、これは《屯》卦の六三の「往吝」の類の爻を指す。虞翻の説明では、これは坎卦の象する所の人の言辞なり。相近にして彼此相得ざるがゆえに、叛離の心を生ず。坎は隠伏にして、まさに叛せんとして未だ叛せざるの象なり。坎はまた心なるがゆえに、言辞は羞慚す。侯果の説明では、およそ心裏に彼此相投合せずして叛逆の意を懐かんとする者は、說話は必ず羞愧局促す。経文は続けて「心中疑慮する者は、その言辞は枝蔓す」といい、荀爽の説明では、これは《坤》卦の六三の「或従王事、无成」の類の爻を指す。虞翻の説明では、これは離卦の象する所の人の言辞なり。火性は分枝して上るがゆえに、言辞は枝蔓して疑を生ず。侯果の説明では、心中に疑貳して定まらざれば、得失はすなわち依凭する所なし。だから話は分歧して専一ならず。
吉人之辭寡,躁人之辭多。荀爽曰:謂睽上九之屬也。虞翻曰:震人之辭也。震為決躁,恐懼虩虩,笑言啞啞,故多辭。侯果曰:躁人煩急,故“辭多”。誣善之人,其辭游。荀爽曰:遊,豫之屬也。虞翻曰:兌人之辭也。兌為口舌,誣乾。乾為善人也。崔覲曰:妄稱有善,故自敘其美,而辭必浮游不實。
経文にいう。「吉善の人は言辞簡少にして、浮躁の人は言辞繁多なり」。荀爽の説明では、これは《睽》卦の上九の類の爻を指す。虞翻の説明では、これは震卦の象する所の人の言辞なり。震は決断躁動にして、《震》の卦辞に「震來虩虩、笑言啞啞」あるがゆえに、言辞は多し。侯果の説明では、浮躁の人は心煩気急なるがゆえに「辞多」。経文は続けて「善人を誣罔する者は、その言辞は浮游して実ならず」といい、荀爽の説明では、「游」は《豫》卦の類の爻を指す。虞翻の説明では、これは兌卦の象する所の人の言辞なり。兌は口舌にして、口舌を用いて乾を誣罔し、しかして乾はまさに善人なり。崔覲の説明では、虚妄に己に善行ありと宣稱して、ここにおいて自らその美を称述すれば、言辞は必ず浮泛して実に落著せず。
失其守者,其辭詘。荀爽曰:謂泰上六城復于隍之屬也。侯果曰:失守則沮,辱而不申,故“其辭詘”也。爻有此象,故占辭亦從矣。虞翻曰:巽人之辭也。巽詰詘,陽在初守巽,初陽入伏陰下,故“其辭詘”。此六子也。離上坎下,震起艮止,兌見巽伏。上經終坎離,則下經終既濟未濟。上繫終乾坤,則下繫終六子。此易之大義者也。
経文にいう。「操守を喪失したる者は、その言辞は屈曲す」。荀爽の説明では、これは《泰》卦の上六の「城復于隍」の類の爻を指す。侯果の説明では、操守を喪失すればすなわち沮喪し、辱を受けて伸張する能わざるがゆえに「其辞詘」。爻中すでにこの種の象あれば、占辞もまた之に随いて定まる。虞翻の説明では、これは巽卦の象する所の人の言辞なり。巽に詰曲屈撓の象あり、陽は初位に在りて巽を守り、初爻の陽は陰の下に入伏するがゆえに「其辞詘」。以上の講ずる所はまさに乾坤の生ずる六子卦なり。離は上に在り坎は下に在り、震は奮起を主り艮は静止を主り、兌は顕現を主り巽は潜伏を主る。上経は坎・離を以て篇を終わり、下経はすなわち《既済》《未済》を以て篇を終わる。《繫辞上》は乾・坤を以て篇を終わり、《繫辞下》はすなわち六子を以て篇を終わる。これは《易》の一大の義例なり。
巻十七・説卦
昔者聖人之作易也,孔穎達曰:據今而稱上代,謂之昔昔。聰明睿智,謂之聖人,卿伏羲也。案《下繫》云:古者庖犧氏之王天下,始作八卦。今言作易,明是伏羲,非謂文王也。幽贊於神明而生蓍,荀爽曰:幽,隱也。贊,見也。神者在天,明者在地。神以夜光,明以晝照。蓍者,冊也。謂陽爻之冊三十有六,陰爻之冊二十有四,二篇之冊萬有一千五百二十。上配列宿,下副物數。生蓍者,謂蓍從爻中生也。干寶曰:幽昧,人所未見也。贊,求也。言伏羲用明於昧冥之中,以求萬物之性,爾乃得自然之神物,能通天下之精,而管御百靈者。始為天下生用蓍之法者也。
《説卦》は開篇にいう。「従前聖人は《易》を創作せり」。孔穎達の説明では、今日に立ちて上代を称説するを、すなわち「昔」と名づく。聡明叡智の人は「聖人」と称し、ここの処の聖人はすなわち伏羲なり。李鼎祚の按。《繫辞下》に「古者庖犠氏之王天下、始作八卦」といい、如今ここに「作易」といえば、見るべし伏羲を指して文王にあらざるを。経文は続けて「幽深に神明を贊助して蓍草を生出す」といい、荀爽の説明では、「幽」は隠微、「贊」は顕現である。「神」は天上に在り、「明」は地下に在り、神は夜間の光を以て顕現し、明は白昼の照を以て顕現す。「蓍」はすなわち策数である。陽爻の策は三十六、陰爻の策は二十四にして、《易》の上下両篇の策は合計一万一千五百二十にして、上は二十八宿と相配し、下は万物の数と相副す。いわゆる「生蓍」は、蓍策の数は爻中より生出するをいうなり。干宝はすなわち解釈す。「幽昧」は人の未だ見る能わざる所、「贊」は求索である。これは伏羲が幽昧の中に於いて明智を運用して、万物の性理を求め、ここにおいて自然界の神物なる蓍草を得たるをいう。それは能く天下の精微を貫通し百霊を統御し、伏羲はこれによって始めて天下のために蓍を用いて占筮するの法を創立せり。
參天兩地而倚數,虞翻曰:倚,立。參,三也。謂分天象為三才,以地兩之,立六畫之數,故“倚數”也。崔覲曰:參,三也。謂於天數五、地數五中,以八卦配天地之數。起天三配艮,而立三數。天五配坎,而立五數。天七配震,而立七數。天九配乾,而立九數。此從三順配陽四卦也。地從二起,以地兩配兌,而立二數。以地十配離,而立十數。以地八配巽,而立八數。以地六配坤,而立六數。此從兩逆配陰四卦也。其天一地四之數,無卦可配,故虛而不用。此聖人取八卦配天地之數,總五十而為大衍。案:此說不盡,已釋在大衍章中,詳之明矣。
経文にいう。「天数を参取し地数を両取して数を確立す」。虞翻の説明では、「倚」は確立、「参」はすなわち三である。これは天象を三才に分かち、さらに地数二を以て相乗し、六画の数を確立するをいうがゆえに「倚数」と名づく。崔覲はすなわち別に一説あり。「参」は三である。これは天数五・地数五の中に於いて、八卦を用いて天地の数に配するをいう。天三より起こりて艮に配して、三数を立つ。天五は坎に配して、五数を立つ。天七は震に配して、七数を立つ。天九は乾に配して、九数を立つ——これは三より始めて順に四個の陽卦に配す。地数は二より起こる。地二を以て兌に配して、二数を立つ。地十を以て離に配して、十数を立つ。地八を以て巽に配して、八数を立つ。地六を以て坤に配して、六数を立つ——これは二より始めて逆に四個の陰卦に配す。其中の天一と地四の数は配すべき卦なきがゆえに、空置して用いず。これすなわち聖人が八卦を取りて天地の数に配し、合計して五十と為して大衍の数と為すなり。李鼎祚の按。崔氏のこの一説の講ずるは周尽するに足らず、すでに前面の「大衍」の一章の裏に解釈を作過せり。細看すれば便ち明白ならん。
觀變於陰陽而立卦,虞翻曰:謂立天之道曰陰與陽。乾坤剛柔,立本者卦。謂六爻陽變成震、坎、艮,陰變成巽、離、兌,故“立卦”。六爻三變,三六十八,則有十八變而成卦。八卦而小成,是也。《繫》曰:陽一君二民,陰二君一民,不道乾坤者也。發揮於剛柔而生爻,虞翻曰:謂立地之道曰柔與剛。發,動。揮,變。變剛生柔爻,變柔生剛爻,以三為六也。因而重之,爻在其中,故“生爻”。
経文にいう。「陰陽の変化を観察して卦を確立す」。虞翻の説明では、これすなわち《説卦》の下文のいわゆる「立天之道曰陰与陽」なり。乾坤剛柔は根本を確立するにして、立つる所はすなわち卦なり。六爻の中に、陽は変ずれば則ち震・坎・艮を成し、陰は変ずれば則ち巽・離・兌を成すがゆえに「立卦」という。一爻を求めるに三変を経るを須い、六爻は共に十八変なるがゆえに、十八変ありて一卦を成すあり。《繫辞》のいわゆる「八卦而小成」はすなわちこの意なり。《繫辞》はまた「陽卦一君二民、陰卦二君一民」といい、講ずる所は六子卦にして、並びに乾坤に渉及せず。経文は続けて「剛柔の間に於いて変化を発動して爻を生出す」といい、虞翻の説明では、これすなわちいわゆる「立地之道曰柔与剛」なり。「発」は発動、「揮」は変化である。剛は変ずれば則ち柔爻を生じ、柔は変ずれば則ち剛爻を生じ、三画より六画に推す。八卦は重畳したるの後に、爻はすなわちその中に在るがゆえに「生爻」という。
和順於道德而理於義,虞翻曰:謂立人之道曰仁與義。和順謂坤,道德謂乾。以乾通坤,謂之理義也。窮理盡性以至於命。虞翻曰:以乾推坤,謂之窮理,以坤變乾,謂之盡性。性盡理窮,故“至於命”。巽為命也。
経文にいう。「道徳に和順して義に条理す」。虞翻の説明では、これすなわちいわゆる「立人之道曰仁与義」なり。「和順」は坤を指し、「道徳」は乾を指す。乾を以て坤を貫通するを、すなわち「理義」と名づく。経文は続けて「物理を窮究し人性を尽極して、天命に以至る」といい、虞翻の説明では、乾を以て坤に推及するを「窮理」と名づけ、坤を以て乾に変通するを「尽性」と名づく。性はすでに尽き理はすでに窮まるがゆえに、能く「至于命」す。巽は取象の上に於いて便ち命と為す。
昔者聖人之作易也,虞翻曰:重言昔者,明謂庖犧也。將以順性命之理,虞翻曰:謂乾道變化,各正性命,以陽順性,以陰順命。是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。崔覲曰:此明一卦立爻,有三才二體之義。故先明天道既立陰陽,地道又立剛柔,人道亦立仁義以明之也。何則?在天雖剛,亦有柔德,在地雖柔,亦有剛德,故《書》曰:沈潛剛克,高明柔克。人稟天地,豈可不兼仁義乎?所以易道兼之矣。兼三才兩之,故易六畫而成卦。虞翻曰:謂參天兩地,乾坤各三爻,而成六畫之數也。
経文は再び「従前聖人は《易》を創作せり」といい、虞翻の説明では、「昔者」を重複して言うは、なお庖犠氏を指すを表明するなり。経文は続けて「まさにそれを用いて性命の道理に順応せんとす」といい、虞翻の説明では、これは《乾・彖》のいわゆる「乾道変化、各正性命」を指し、陽を以てその性に順い、陰を以てその命に順う。経文はまたいう。「これによって天の道を確立して陰と陽と名づけ、地の道を確立して柔と剛と名づけ、人の道を確立して仁と義と名づく」。崔覲の説明では、これは一卦の立爻に三才・両体を含むの意義を闡明するがゆえに、まず天道すでに陰陽を立て、地道また剛柔を立て、人道もまた仁義を立てて之と相配するを言う。何を以てせん。天に在りては剛に属するも、また自ら柔の徳性あり。地に在りては柔に属するも、また自ら剛の徳性あり。だから《尚書・洪範》に「沈潜剛克、高明柔克」といえり。人は天地の気を禀受して生ず。あに仁と義を兼備せざるべけんや。だから易道はそれらをみな兼含して内に在らしむ。経文はまた「三才を兼取して各々両爻を以て之を表するがゆえに、《易》は六画して一卦を成す」といい、虞翻の説明では、これすなわち前面の「参天両地」の意なり。乾坤は各々三爻にして、合して六画の数を成す。
分陰分陽,迭用柔剛,虞翻曰:迭,遞也。分陰為柔,以明夜;分陽為剛,以象晝。剛柔者,晝夜之象。晝夜更用,故“迭用柔剛”矣。故易六畫而成章。章謂文理。乾三畫,成天文。坤三畫,成地理。
経文にいう。「陰を分け出し陽を分け出し、交替して柔と剛を用う」。虞翻の説明では、「迭」は更替である。陰を分け出すはすなわち柔にして、もって黑夜を表明し、陽を分け出すはすなわち剛にして、もって白昼を象徴す。剛と柔は、まさに昼と夜の象なり。昼夜は更番にして用と為るがゆえに「迭用柔剛」という。経文は続けて「だから《易》は六画して文章を成す」といい、虞翻の説明では、「章」はすなわち文理で、乾の三画は天上の文象を成就し、坤の三画は地上の条理を成就す。
天地定位,謂乾坤。五貴二賤,故“定位”也。山澤通氣,謂艮兌。同氣相求,故“通氣”。雷風相薄,謂震巽。同聲相應,故“相薄”。水火不相射,謂坎離。射,厭也。水火相通。坎戊離已,月三十日,一會於壬,故“不用射”也。八卦相錯。錯,摩。剛剛柔相摩,八卦相蕩也。數往者順,謂坤消從午至亥,上下,故“順”也。知來者逆,謂乾息從子至巳,下上,故“逆”也。是故易逆數也。易謂乾易,故逆數。此上虞義。
経文に「天と地は上下の位を確定す」といい、虞翻の説明では、乾と坤を指し、五爻は尊貴・二爻は卑下なるがゆえに「定位」と名づく。経文に「山と沢は気息相通ず」といい、虞翻にいう。艮と兌を指し、同類の気は互相招求するがゆえに「通気」。経文に「雷と風は互相迫近す」といい、虞翻にいう。震と巽を指し、同類の声は互相感応するがゆえに「相薄」。経文に「水と火は相厭棄せず」といい、虞翻にいう。坎と離を指し、「射」は厭棄の意にして、水火は実は相通ず。坎は戊を納し離は己を納し、一月三十日に日月は壬位に同会するがゆえに「不用射」という。経文に「八卦は交相錯雑す」といい、虞翻にいう。「錯」はすなわち相摩にして、剛と柔は互相摩蕩し、八卦は互相激蕩す。経文に「已往の事を数うるは順なり」といい、虞翻にいう。坤気の消退を指し、午位より亥位に数え、上より下に至るがゆえに「順」と名づく。経文に「未来の事を知るは逆なり」といい、虞翻にいう。乾気の生息を指し、子位より巳位に数え、下より上に至るがゆえに「逆」と名づく。経文に「これによって《易》は逆推の数なり」といい、虞翻にいう。「易」は乾易を指すがゆえに逆数を用う。以上はみな虞翻の説明なり。
雷以動之,荀爽曰:謂建卿之月,震卦用事,天地和合,萬物萌動也。風以散之,謂建巳之月,萬物上達,佈散田野。雨以潤之,謂建子之月,含育萌牙也。日以烜之,謂建午之月,太陽欲長者也。艮以止之,謂建丑之月,消息畢止也。兌以說之,謂建酉之月,萬物成熟也。乾以君之,謂建亥之月,乾坤合居,君臣位得也。此上荀義。
経文に「雷はもって万物を鼓動す」といい、荀爽の説明では、建卯の月を指し、震卦は当令して事を用い、天地の気は和合して、万物は萌発して動く。経文に「風はもって万物を吹散す」といい、荀爽にいう。建巳の月を指し、万物は向上に生長し、田野に布散す。経文に「雨はもって万物を滋潤す」といい、荀爽にいう。建子の月を指し、萌芽を含育す。経文に「日はもって万物を烘晒す」といい、荀爽にいう。建午の月を指し、太陽の気はまさに壮長せんとす。経文に「艮はもって万物を止息す」といい、荀爽にいう。建丑の月を指し、一年の消息の気はここに至りて終止す。経文に「兌はもって万物を喜悦せしむ」といい、荀爽にいう。建酉の月を指し、万物は成熟す。経文に「乾はもって万物に君臨す」といい、荀爽にいう。建亥の月を指し、乾坤は合居して、君臣は各々その位を得る。以上はみな荀爽の説明なり。
坤以藏之。《九家易》曰:謂建申之月,坤在乾下,包藏萬物也。乾坤交索,既生六子,各任其才,往生物也。又雷與風雨,變化不常。而日月相推,迭有來往。是以四卦以義言之,天地山澤,恆在者也。故直說名矣。孔穎達曰:此又重明八物八卦之功用也。上四舉象,下四舉卦者,王肅以為互相備也。則明雷風與震巽同用,乾坤與天地同功也。
経文に「坤はもって万物を収蔵す」といい、《九家易》の説明では、建申の月を指し、坤は乾の下に在りて、万物を包蔵す。乾坤は交相求索して、すでに六子卦を生出し、六子は各々その才を尽くして、往きて万物を生養す。また、雷と風雨は変化して常なく、日月は互相推移して交替往来するがゆえに、この四者はただ物象を挙げて言う。しかして天・地・山・沢は恒常に存在するがゆえに、直に卦名を称説す。孔穎達はすなわち解釈す。ここに再び八種の物象と八卦の功用を申明す。上面の四句は物象を挙げ、下面の四句は卦名を挙ぐ。王粛はこれを互文見義・彼此相備と為し、すなわち雷と震は同用、風と巽は同用、乾坤と天地は同功なるを表明す。
帝出乎震,崔覲曰:帝者,天之王氣也,至春分則震王,而萬物出生。齊乎巽,立夏則巽王,而萬物絜吉。相見乎離,夏至則離王,而萬物皆相見也。致役乎坤,立秋則坤王,而萬物致養也。說言乎兌,秋分則兌王,而萬物所說。戰乎乾,立冬則乾王,而陰陽相薄。勞乎坎,冬至則坎王,而萬物之所歸也。成言乎艮。立春則艮王,而萬物之所成終成始也。以其周王天下,故謂之帝。此崔新義也。
経文に「帝は震位より出ず」といい、崔覲の説明では、「帝」は天の当令旺気を指し、春分に至りて震卦は当王にして、万物はこれによって出生す。経文に「巽位に於いて斉整す」といい、崔覲にいう。立夏の時に巽卦は当王にして、万物は潔斎斉整す。経文に「離位に於いて相見ゆ」といい、崔覲にいう。夏至の時に離卦は当王にして、万物はみな互相顕見す。経文に「坤位に於いてその役養を致す」といい、崔覲にいう。立秋の時に坤卦は当王にして、万物は養育を得る。経文に「兌位に於いて欣悦して言う」といい、崔覲にいう。秋分の時に兌卦は当王にして、万物は各々その悦を得る。経文に「乾位に於いて交戦す」といい、崔覲にいう。立冬の時に乾卦は当王にして、陰陽二気は互相迫近す。経文に「坎位に於いて労倦す」といい、崔覲にいう。冬至の時に坎卦は当王にして、万物はここに帰蔵す。経文に「艮位に於いて成就して言う」といい、崔覲にいう。立春の時に艮卦は当王にして、万物はここに於いてすでにその終を成しまたその始を成す。この股の旺気は天下に周流して王たるによって、それを「帝」と称す。これは崔覲の新解なり。
萬物出乎震。震,東方也。虞翻曰:出,生也。震初不見東,故不稱東方卦也。齊乎巽。巽,東南也。齊也者,言萬物之絜齊也。巽陽隱初,又不見東南,亦不稱東南卦,與震同義。巽陽藏室,故“絜齊”。離也者,明也。萬物皆相見,南方之卦也。離為日,為火,故“明”。日出照物,以日相見。離象三爻,皆正日中,正南方之卦也。聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此也。離,南方,故“南面”。乾為治。乾五之坤,坎為耳,離為明,故“以聽天下,嚮明而治”也
経文に「万物は震位より出生し、震は東方なり」といい、虞翻の説明では、「出」はすなわち生である。震の初爻の陽は未だ東方に顕見せざるがゆえに、それを「東方之卦」と称さず。経文に「巽位に於いて斉整し、巽は東南なり。いわゆる斉は、万物の潔斎斉整を言うなり」といい、虞翻にいう。巽の陽爻は初位に隠伏し、また未だ東南に顕見せざるがゆえに、同じく「東南之卦」と称さず、震と同一の道理なり。巽の陽は内室に蔵するがゆえに「絜斉」という。経文に「離は、すなわち明なり。万物はみな互相顕見す、南方の卦なり」といい、虞翻にいう。離は日・火なるがゆえに「明」と為す。日は出でて物を照らし、人物は日光を借りて相見ゆ。離の三爻の象はみな正しく日中の時に当たるがゆえに、正南方の卦なり。経文に「聖人は南方に面向して天下を聴治し、光明に朝向して治を施す、ほぼここに取象せるか」といい、虞翻にいう。離は南方に在るがゆえに「南面」。乾は治にして、乾の五は往きて坤に交わり、坎は耳・離は明なるがゆえに「以聴天下、向明而治」という。
坤也者,地也。萬物皆致養焉,故曰“致役乎坤”。坤陰無陽,故道廣佈,不主一方,含弘光大,養成萬物。兌,正秋也。萬物之所說也,故曰“說言乎兌”。兌三失位不正,故“言正秋”。兌象不見西,故不言西方之卦,與坤同義。兌為雨澤,故說“萬物”。震為言,震二動成兌,言從口出,故“說言”也。戰乎乾。乾,西北之卦也,言陰陽相薄也。乾剛,正五,月十五日晨象西北,故“西北之卦”。薄,入也。坤十月卦,乾消剝入坤,故“陰陽相薄”也。
経文に「坤は、すなわち地なり。万物はみなここに於いて養育を得るがゆえに『致役乎坤』という」といい、虞翻の説明では、坤は純陰にして陽なきがゆえに、その道は広布して、専ら一方を主らず、含容宏大にして光輝盛大にして、万物を養成す。経文に「兌は、正しく秋季に当たる。万物の欣悦の時なり、だから『説言乎兌』という」といい、虞翻にいう。兌の三爻は位を失いて正ならざるがゆえに、ただ「正秋」と言うのみ。兌の象は未だ西方に顕見せざるがゆえに、「西方之卦」と称さず、坤と同一の道理なり。兌は雨沢なるがゆえに、能く万物を悦ばしむ。震は言にして、震の二爻は動きて兌を成し、言語は口より出ずるがゆえに「説言」という。経文に「乾位に於いて交戦す。乾は西北の卦にして、陰陽二気の互相迫近するを言うなり」といい、虞翻にいう。乾は剛にして、正位は五に在り、月暦の十五日の晨にその象は西北に在るがゆえに「西北之卦」と称す。「薄」は侵入の意にして、坤は十月の卦にして、乾気は消剥して坤に入るがゆえに「陰陽相薄」という。
坎者,水也。正北方之卦也。勞卦也,萬物之所歸也,故曰“勞乎坎”。歸,藏也。坎二失位不正,故言正北方之卦,與兌正秋同義。坎月夜中,故“正北方”。此上虞義,崔覲曰:以坎是正北方之卦,立冬已後,萬物歸藏於坎。又陽氣伏於子,潛藏在中,未能浸長,勞局眾陰之中也。艮,東北之卦也。萬物之所成終而所成始也,故曰“成言乎艮”。虞翻曰:艮三得正,故復稱卦。萬物成始乾甲,成終坤癸。艮東北,是甲癸之間,故“萬物之所成終而成始”者也。
経文に「坎は、すなわち水にして、正北方の卦にして、労倦の卦にして、万物の帰蔵する処なり、だから『労乎坎』という」といい、虞翻の説明では、「帰」はすなわち蔵である。坎の二爻は位を失いて正ならざるがゆえに、ただ「正北方之卦」と言うのみ。前面の兌の「正秋」と称するは同一の道理なり。坎は月にして、月は夜半に行ずるがゆえに、正北方なり。以上はみな虞翻の説明なり。崔覲はすなわち解釈す。坎は正北方の卦なるによって、立冬以後、万物は坎に帰蔵す。また、陽気は子位に潜伏して、内に隠蔵し、なお能く漸漸に生長すること能わず、まさに衆陰の中に労困局促す。経文に「艮は東北の卦にして、万物はここに於いてすでにその終を成しまたその始を成すがゆえに『成言乎艮』という」といい、虞翻の説明では、艮の三爻は正を得るがゆえに、重ねてまた「卦」と称す。万物は乾の甲に於いて始を成し、坤の癸に於いて終を成し、艮は東北に居り、まさに甲と癸の間に在るがゆえに「万物之所成終而成始」という。
神也者,妙萬物而為言者也。韓康伯曰:於此言神者,明八卦運動變化推移,莫有使之然者。神則無物,神則無物,妙無物而為言也。明則雷疾風行,火炎水潤,莫不自然相與,而為變化,故能萬能既成。動萬物者,莫疾乎雷。崔覲曰:謂春分之時,雷動則草木滋生,蟄蟲發起,所動萬物,莫急於此也。
経文にいう。「いわゆる神は、それが万物に於いて微妙に作用するに就いて言を立つるなり」。韓康伯の説明では、ここに「神」を言うは、八卦の運動・変化・推移に、並びに誰かが背後に在りてそれを然らしむるなきを表明せんと欲するなり。神は本身物にあらず。正しく物にあらざるがゆえに、はじめてその万物に於いて微妙なるに就いて言を立つるを得。斯くすれば便ち明白なり。雷は迅疾に、風は流行し、火は炎上し、水は潤下し、自然而然地に互相作用して変化を形成せざるなく、だから万物はみな生成し得べし。経文は続けて「万物を鼓動するに、雷より迅疾なるはなし」といい、崔覲の説明では、春分の時を指し、雷は一たび震動すれば、草木は便ち滋生し、蟄虫もまた驚起す。鼓動する所の万物は、これより急迫なるはなし。
橈萬物者,莫疾乎風。言風能鼓橈萬物,春則發散草木枝葉,秋則摧殘草木枝條,莫急於風者也。燥萬物者,莫乎火。言火能乾燥萬物,不至潤溼,於陽物之中,莫過乎火。熯亦燥也。說萬物者,莫說乎澤。言光說萬物莫過以澤,而成說之也。潤萬物者,莫潤乎水。言滋潤萬物莫過以水而潤之。
経文に「万物を揺撼するに、風より迅疾なるはなし」といい、崔覲の説明では、これは風が能く万物を鼓動揺撼し、春は草木の枝葉を吹発し、秋は草木の枝條を摧折するをいう。風より急速なるはなし。経文に「万物を乾燥せしむるに、火より甚だしきはなし」といい、崔覲にいう。これは火が能く万物を烘干して、それを潮湿ならざらしむるをいう。陽に属する物の中に火に過ぐるはなし。「熯」もまた乾燥の意なり。経文に「万物を欣悦せしむるに、沢より能く悦ばしむるはなし」といい、崔覲にいう。これは光潤して万物を欣悦せしむるに、沢水を用いてその喜悦を成就するに過ぐるはなしをいう。経文に「万物を滋潤するに、水より能く潤すはなし」といい、崔覲にいう。これは万物を滋潤するに、水を用いてそれを潤沢するに過ぐるはなしをいう。
終萬物始萬物者,莫盛乎艮。言大寒立春之際,艮之方位,萬物以之始,而為今歲首。以之終,而為去歲末。此則葉夏正之義,莫盛於艮也。此言六卦之神用。而不言乾坤者,以乾坤而發天地,無為而無不為,能成雷風等有為之神妙也。艮不言山,獨舉卦名者,以動橈燥潤功,是雷風水火。至於終始萬物,于山義則不然,故言卦,而餘皆稱物,各取便而論也。此崔新義也。
経文に「万物を終結しまた万物を開始するに、艮より盛なるはなし」といい、崔覲の説明では、これは大寒より立春の際に至りて正しく艮の方位に当たり、万物はこれによって開始して、今年の歳首と為り、これによって終結して、去年の歳末と為るをいう。これは正しく夏暦の建寅を以て歳首と為すの義に合するがゆえに、艮より盛なるはなし。この一章はただ雷・風・火・沢・水・艮の六卦の神妙の作用を講じて乾坤を講ぜざるは、乾坤は天地を発動して、作為する所なくしてまた為さざる所なし。まさにそれらが雷風等の有為の卦の神妙を成就したるなり。艮は「山」を言わずして単に卦名を挙ぐるは、鼓動・揺撼・乾燥・潤沢のこれらの功用は雷風水火の物を言うにして、万物を終始するに至っては、もし山に就いて論ぜば便ち説き通る能わざるがゆえに、卦名を挙げ、其の余の各条はすなわち物名を称し、各々称説の方便を取りて論を立つるなり。これは崔覲の新解なり。
故水火相逮,孔穎達曰:上章言水火不相入。此言水火相逮者,既不相入,又不相及,則無成物之功。明性雖不相入,而氣相逮及。雷風不相悖,孔穎達曰:上言雷風相薄。此言不相悖者,二象俱動。若相薄而相悖逆,則相傷害,亦無成物之功,明雖相薄而不相逆者也。山澤通氣,崔覲曰:言山澤雖相縣遠,而氣交通。然後能變化,既成萬物也。虞翻曰:謂乾變而坤化。乾道變化,各正性命,成既濟定,故“既成萬物”矣。
経文に「だから水火は互相追及す」といい、孔穎達の説明では、上の一章は「水火不相入」を講じ、ここは「水火相逮」を講ず。これはもし相入せずまた相及せざれば、すなわち万物を生成するの功なきによってなり。見るべし、水火の性質は相入せざるも、気は能く互相追及するを。経文に「雷風は相違逆せず」といい、孔穎達の説明では、上文は「雷風相薄」を講じ、ここは「不相悖」を講ず。これは雷風の二象は同時に発動し、もし相迫近しまた相違逆せば、すなわち彼此相傷害して、同じく万物を生成するの功なきによってなり。見るべし、相迫近するも並びに相逆せざるを。経文に「山沢は気息相通ず」といい、崔覲の説明では、これは山と沢は相距ること懸遠なるも、気は交相流通するをいう。経文に「然る後に能く変化して、万物を成就す」といい、虞翻の説明では、乾は変を主り坤は化を主るを指す。《乾・彖》に「乾道変化、各正性命」といい、六爻は各々その正に帰して《既済》の定局を成すがゆえに「既成万物」という。
乾,健也。虞翻曰:精剛自勝,動行不休,故“健”也。坤,順也。純柔承天時行,故“順”。震,動也。陽出動行。巽,入也。乾初入陰。坎,陷也。陽陷陰中。離,麗也。日麗乾剛。艮,止也。陽位在上,故“止”。兌,說也。震為大笑。陽息震成兌,震言出口,故“說”。此上虞義也。
経文に「乾は剛健なり」といい、虞翻の説明では、精純にして剛強、自らその力に勝ち、運行して息まざるがゆえに「健」と為す。経文に「坤は柔順なり」といい、虞翻にいう。純に柔道にして、天時を承奉して行うがゆえに「順」と為す。経文に「震は動なり」といい、虞翻にいう。陽気は外出して動行す。経文に「巽は入なり」といい、虞翻にいう。乾の初爻は陰に入る。経文に「坎は陥なり」といい、虞翻にいう。陽は両陰の中に陥る。経文に「離は附麗なり」といい、虞翻にいう。日は乾剛の天に附麗す。経文に「艮は止なり」といい、虞翻にいう。陽爻は位に最上に在るがゆえに「止」と為す。経文に「兌は悦なり」といい、虞翻にいう。震は大笑にして、陽気は生息し、震より兌を成し、震は言語の口より出づるを主るがゆえに「説」と為す。以上はみな虞翻の説明なり。
乾為馬,孔穎達曰:乾象天行健,故“為馬”。坤為牛,坤象地任重而順,故“為牛”。震為龍,震象龍動,故“為龍”。此上孔正義。巽為雞,《九家易》曰:應八風也。風應節而變,變不失時。雞時至而鳴,與風相應也。二九十八,主風精,為雞。故雞十八日剖而成雛。二九順陽曆,故雞知時而鳴也。坎為豕,《九家易》曰:汙辱卑下也。六九五十四,主時精,為豕。坎豕懷胎,四月而生,宜時理節,是其義也。離為雉,孔穎達曰:離為文明,雉有文章,故“離為雉”。
経文に「乾は馬と為す」といい、孔穎達の説明では、乾は天を象り、運行剛健にして息まざるがゆえに、馬に取象す。経文に「坤は牛と為す」といい、孔穎達にいう。坤は地を象り、重任を負載して性は柔順なるがゆえに、牛に取象す。経文に「震は竜と為す」といい、孔穎達にいう。震は竜の興動を象るがゆえに、竜に取象す。以上は孔穎達《周易正義》の説明なり。経文に「巽は鶏と為す」といい、《九家易》の説明では、これは八方の風と相応ずるなり。風は節候に応じて変じ、変じてその時を失わず。鶏は時に到りて鳴き、正しく風と相応ず。二九は十八を得て、風の精を主るがゆえに鶏と為す。これによって鶏は十八日を孵して殻を破りて雛と成る。二九は陽暦の数に順うがゆえに、鶏は時を知りて鳴く。経文に「坎は豕と為す」といい、《九家易》にいう。その汚穢卑下の義を取る。六九は五十四を得て、時の精を主るがゆえに豕と為す。坎豕は胎を懐きて四月にして生むは、時令節度に合するは、すなわちこの意なり。経文に「離は雉と為す」といい、孔穎達の説明では、離は文明にして、野雉は羽毛に文采あるがゆえに「離為雉」。
艮為狗,《九家易》曰:艮止,主守禦也。艮數三,七九六十三。三主斗,斗為犬。故犬懷胎三月而生。斗運行十三時日出,故犬十三日而開目。斗屈,故犬臣屈也,斗運行四幣,犬亦夜繞室也。火之精畏水,不敢飲,但舌舐水耳。犬鬥,以水灌之,則解也。犬近奎星,故犬淫當路,不避人者也。兌為羊。孔穎達曰:兌為說。羊者,順從之畜,故“為羊”。
経文に「艮は狗と為す」といい、《九家易》の説明では、艮は静止を主り、狗は門戸を守御するを主る。艮の数は三にして、七九は六十三を得る。三は北斗を主り、斗は犬なるがゆえに、犬は胎を懐きて三月にして生む。北斗は運行して十三時に至れば日は出ずるがゆえに、犬は生れて十三日にしてはじめて眼を開く。斗柄は屈曲するがゆえに、犬もまた身を屈して臥す。北斗は天を一周に繞るがゆえに、犬は夜にも室を繞りて巡行す。犬は火の精に属して水を畏れ、大口に飲むを敢えてせず、ただ舌を用いて水を舐む。両犬の相鬪は、水を以て一たび浇せばすなわち解く。犬はまた奎星に靠近するがゆえに、犬は当路に交合して人を避けず。経文に「兌は羊と為す」といい、孔穎達の説明では、兌は喜悦にして、羊は順従の牲畜なるがゆえに、羊に取象す。
乾為首,乾尊而在上,故“為首”。坤為腹,坤能包藏含容,故“為腹”也。震為足,震動用,故“為足”。巽為股,巽為順,股順隨於足,故“巽為股”。坎為耳,坎北方,主聽,故“為耳”。離為目,離南方,主視,故“為目”。艮為手,艮為止,手亦止持於物使不動,故“艮為手”。兌為口。兌為說,口所以說言,故“兌為口”。此止孔正義。
経文に「乾は頭と為す」といい、孔穎達の説明では、乾は尊貴にして上に居るがゆえに頭と為す。経文に「坤は腹と為す」といい、孔穎達にいう。坤は能く包蔵含容するがゆえに腹と為す。経文に「震は足と為す」といい、孔穎達にいう。震は動を主りて為あるがゆえに足と為す。経文に「巽は大腿と為す」といい、孔穎達にいう。巽は順にして、大腿は足に順随するがゆえに「巽為股」。経文に「坎は耳と為す」といい、孔穎達にいう。坎は北方に在りて聴覚を主るがゆえに耳と為す。経文に「離は目と為す」といい、孔穎達にいう。離は南方に在りて視覚を主るがゆえに目と為す。経文に「艮は手と為す」といい、孔穎達にいう。艮は止にして、手もまた能く外物を執持してそれを動かざらしむるがゆえに「艮為手」。経文に「兌は口と為す」といい、孔穎達にいう。兌は悦にして、口は言説するに用いる所なるがゆえに「兌為口」。以上はみな孔穎達《正義》の説明なり。
乾,天也。故稱乎父。坤,地也。故稱乎母。崔覲曰:欲明六子,故先說乾稱天父,坤稱地母。震一索而得男,故謂之長男。巽一索而得女,故謂之長女。坎再索而得男,故謂之中男。離再索而得女,故謂之中女。艮三索而得男,故謂之少男。兌三索而得女,故謂之少女。孔穎達曰:索,求也。以求乾坤為父母,而求其子也。得父氣者為男,得母氣者為女。坤初求得乾氣,為震,故曰“長男”。坤二得乾氣,為坎,故曰“中男”。坤三得乾氣,為艮,故曰“少男”。乾初得坤氣,為巽,故曰“長女”。乾二得坤氣,為離,故曰“中女”。乾三得坤氣,為兌,故曰“少女”。此言所以生六子者也。
経文にいう。「乾は天なり、だから父と称す。坤は地なり、だから母と称す」。崔覲の説明では、六子卦の由来を説明せんと要するがゆえに、まず乾は天父と称し坤は地母と称すを言う。経文は続けていう。「震は一索して男を得、だから長男と称す。巽は一索して女を得、だから長女と称す。坎は再索して男を得、だから中男と称す。離は再索して女を得、だから中女と称す。艮は三索して男を得、だから少男と称す。兌は三索して女を得、だから少女と称す」。孔穎達の説明では、「索」は求取の義にして、これは乾坤を以て父母と為して対方に向かいて一爻を求取してもってその子女を生ずるをいう。およそ父卦の気を得たるは男卦を成し、母卦の気を得たるは女卦を成し、一索・再索・三索はすなわち求めし爻位の初・二・三に依りて長・中・少を分け出す。坤は初爻に於いて乾の気を求め得て、震を成すがゆえに「長男」と名づく。坤は二爻に於いて乾の気を得て、坎を成すがゆえに「中男」と名づく。坤は三爻に於いて乾の気を得て、艮を成すがゆえに「少男」と名づく。乾は初爻に於いて坤の気を得て、巽を成すがゆえに「長女」と名づく。乾は二爻に於いて坤の気を得て、離を成すがゆえに「中女」と名づく。乾は三爻に於いて坤の気を得て、兌を成すがゆえに「少女」と名づく。これすなわち六子卦の産生する所以の道理なり。
乾為天,宋衷曰:乾動作不解,天亦轉運。為圜,宋衷曰:動作轉遠,非圜不能,故“為圜”。為君,虞翻曰:貴而嚴也。為父,虞翻曰:成三男,其取類也,故“為父”也。為玉,為金,崔覲曰:天體清明而剛,故“為玉,為金”。為寒,為冰,孔穎達曰:取其西北冰寒之地。崔覲曰:乾主立冬已後,冬至已前,故“為寒,為冰”也。為大赤,虞翻曰:太陽為赤,月望出入時也。崔覲曰:乾四月純陽之卦,故取盛陽色為大赤。
経文に「乾は天と為す」といい、宋衷の説明では、乾の動作は未だ嘗て懈止せず、天もまた運転して息まず。経文に「円と為す」といい、宋衷にいう。動作は旋転周流し、円形にあらざれば能く致すこと能わざるがゆえに円と為す。経文に「君と為す」といい、虞翻にいう。その尊貴にして威厳なるを取る。経文に「父と為す」といい、虞翻にいう。乾は三個の男卦を生成し、その類を取るに就いて言うがゆえに父と為す。経文に「玉と為し金と為す」といい、崔覲にいう。天体は清明にして剛堅なるがゆえに玉・金と為す。経文に「寒と為し冰と為す」といい、孔穎達にいう。西北方の冰寒の地を取りて象と為す。崔覲はすなわちいう。乾は立冬以後・冬至以前のこの一段の時令を主るがゆえに、寒・冰と為す。経文に「大赤と為す」といい、虞翻にいう。太陽の色は赤にして、月望の時に日月が相望して出入する際を指す。崔覲はすなわちいう。乾は四月の純陽の卦に当たるがゆえに、盛陽の色を取りて大赤と為す。
為良馬,虞翻曰:乾善,故良也。為老馬,《九家易》曰:言氣衰也,息至已必當復消,故“為老馬”也。為瘠馬,崔覲曰:骨為陽,肉為陰。乾純陽爻,骨多,故“為瘠馬”也。為駁馬,宋衷曰:天有五行之色,故“為駁馬”也。為木果。宋衷曰:群星著天,似果實著木,故“為木果”。
経文に「乾は良馬と為す」といい、虞翻の説明では、乾性は純善なるがゆえに良馬と為す。経文に「老馬と為す」といい、《九家易》の説明では、これは陽気すでに衰え、生息は巳位に到ればすなわち必ず消退に転入するをいうがゆえに老馬と為す。経文に「瘦馬と為す」といい、崔覲の説明では、骨は陽に属し、肉は陰に属す。乾は純陽の爻にして、骨多くして肉少なきがゆえに瘦馬と為す。経文に「雑色馬と為す」といい、宋衷の説明では、天に五行の顔色あるがゆえに雑色馬と為す。経文に「樹上の果実と為す」といい、宋衷の説明では、群星は天に附着するは、たとえば果実の樹木に附着するがごとし。だから木果と為す。
坤為地,虞翻曰:柔道靜。為母,虞翻曰:成三女,能致養,故“為母”。為布,崔覲曰:遍佈萬物於致養,故“坤為布”。為釜,孔穎達曰:取其化生成熟,故“為釜”也。為吝嗇,孔穎達曰:取地生物而不轉移,故“為吝嗇”也。為均,崔覲曰:取地生萬物,不擇善惡,故“為均”也。
経文に「坤は地と為す」といい、虞翻の説明では、柔順の道は静を主とす。経文に「母と為す」といい、虞翻にいう。坤は三個の女卦を生成し、能く万物を致養するがゆえに母と為す。経文に「布と為す」といい、崔覲の説明では、万物に遍布して養育を加えるがゆえに「坤為布」。経文に「釜と為す」といい、孔穎達の説明では、それの化生成熟の義を取るがゆえに釜と為す。経文に「吝嗇と為す」といい、孔穎達にいう。地が万物を生養するも移動せざるの義を取るがゆえに吝嗇と為す。経文に「均平と為す」といい、崔覲の説明では、地が万物を生養し、善悪を分かたず一概に承載するの義を取るがゆえに均と為す。
為子母牛,《九家易》曰:土能生育,牛亦含養,故“為子母牛”也。為大輿,孔穎達曰:取其能載,故“為大輿”也。為文,《九家易》曰:萬物相雜,故“為文”也。為眾,虞翻曰:物三稱群,陰為民,三陰相隨,故“為眾”也。為柄,崔覲曰:萬物依之為本,故“為柄”。其於地也為黑。崔覲曰:坤十月卦,極陰之色,故“其於色也為黑”矣。
経文に「子母牛と為す」といい、《九家易》の説明では、土は能く生育し、母牛もまた能くその犢を含養するがゆえに子母牛と為す。経文に「大車と為す」といい、孔穎達の説明では、それの能く負載するの義を取るがゆえに大輿と為す。経文に「文采と為す」といい、《九家易》の説明では、万物は錯雑して文を成すがゆえに文と為す。経文に「衆と為す」といい、虞翻の説明では、物は三個あればすなわち群と称し、陰は庶民を象徴し、坤は三陰相随うがゆえに衆と為す。経文に「柄と為す」といい、崔覲の説明では、万物はそれに依託して根本と為すがゆえに柄と為す。経文に「地に就いて言えば黒色と為す」といい、崔覲の説明では、坤は十月の卦にして、陰極の色を取るがゆえに、顔色に就いて言えば黒と為す。
震為雷,虞翻曰:太陽火,得水有聲,故“為雷”也。為駹,駹,蒼色。震,東方。故“為駹”。舊讀作龍。上巳為龍,非也。為玄黃,天玄地黃。震,天地之雜物,故“為玄黃”。為專,陽在初,隱靜,未出觸坤,故“專”。則乾,靜也。專,延。叔堅說以專為旉,大布。非也。此上虞義也。為大塗,崔覲曰:萬物所出在春,故“為大塗”。取其通生性也。
経文に「震は雷と為す」といい、虞翻の説明では、太陽は火に属し、水に遇い激蕩して声あるがゆえに雷と為す。経文に「駹と為す」といい、虞翻にいう。「駹」は蒼青の色にして、震は東方に在るがゆえに駹と為す。旧本は「龍」と読むも、上文すでに「震為龍」ありしがゆえに、ここに再び竜と読むは是ならず。経文に「玄黄と為す」といい、虞翻にいう。天色は玄・地色は黄にして、震は天地の相雑する物なるがゆえに玄黄と為す。経文に「専と為す」といい、虞翻にいう。陽は初位に在り、隠伏安靜にして、未だ出でて坤陰を触動せざるがゆえに「専」と為す。すなわち乾の静専なり。「専」に蓄斂して未だ舒べざるの義あり。宋衷は字を叔堅といい、彼は「専」を「旉」と説いて大布と訓するは、是ならず。以上はみな虞翻の説明なり。経文に「大路と為す」といい、崔覲の説明では、万物は春季に萌出するがゆえに大塗と為し、それの生養の性に通達するを取る。
為長子,虞翻曰:乾一索,故“為長子”。為決躁,崔覲曰:取其剛在下動,故“為決躁”也。為蒼筤竹,《九家易》曰:蒼筤,青也。震陽在下,根長堅剛,陰爻在中,使外蒼筤也。為萑葦。《九家易》曰:萑葦,蒹葭也。根莖叢生,蔓衍相連,有似雷行也。
経文に「長子と為す」といい、虞翻の説明では、乾は一索して坤に於いて震を得るがゆえに長子と為す。経文に「決断躁動と為す」といい、崔覲の説明では、それの剛爻が下に在りて奮動するの義を取るがゆえに決躁と為す。経文に「蒼筤竹と為す」といい、《九家易》の説明では、「蒼筤」はすなわち青色である。震の陽爻は下に在りて、たとえば竹根の深長堅硬のごとく、陰爻は中に在りて、外表に青蒼の色を呈現せしむ。経文に「萑葦と為す」といい、《九家易》の説明では、「萑葦」はすなわち蒹葭の類の水草にして、根茎は叢生し、蔓延して相連なり、甚だ雷の行く時の連綿不断の様子に似たり。
其於馬也,為善鳴,虞翻曰:為雷,故“善鳴”也。為馵足,為作足,馬白後左足為馵;震為左,為足,為作;初陽白,故“為作足”。為的顙。的,白。顙,額也。震體頭,在口上白,故“的顙”。《詩》云:有馬白顛,是也。此上虞義也。其於稼也,為反生。宋衷曰:陰在上,陽在下,故“為反生”。謂枲豆之類,戴甲而生。其究為健,為蕃鮮。虞翻曰:震巽相薄,變而至三,則下象究。與四成乾,故“其究為健,為蕃鮮”。巽究為躁卦,躁卦則震,震雷巽風無形,故卦特變耳。
経文に「馬に就いて言えば、善く鳴叫する馬と為す」といい、虞翻の説明では、震は雷なるがゆえに善く鳴く。経文に「後の左足の白き馬と為し、足を挙げて行く馬と為す」といい、虞翻にいう。馬の後の左足の白きを「馵」と名づく。震は左・足・動作にして、初爻の陽は色白なるがゆえに「作足」と為す。経文に「額上に白斑ある馬と為す」といい、虞翻にいう。「的」は白、「顙」は額である。震体は頭にして、白は口の上に在るがゆえに「的顙」と為す。《詩経》に「有馬白顛」といえるは、まさにこの象なり。以上はみな虞翻の説明なり。経文に「庄稼に就いて言えば、反生の物と為す」といい、宋衷の説明では、陰は上に在り陽は下に在るがゆえに「反生」と為す。枲麻豆類の種殻を頂いて土を出る作物を指す。経文に「それを推極すれば則ち剛健と為り、繁盛鮮美と為る」といい、虞翻の説明では、震と巽は互相迫近し、震は第三爻に変じれば、下卦の象はすなわち窮究し、第四爻と合して乾を成すがゆえに「其究為健、為蕃鮮」という。巽を推極すれば則ち躁卦と為り、躁卦はすなわち震なり。雷と風はみな形体なきがゆえに、ただ卦体の変化発生するのみなり。
巽為木,宋衷曰:陽動陰靜,二陽動於上,一陰安靜於下,有似於木也。為風,陸績曰:風,土氣也;巽,坤之所生,故“為風”。亦取靜於本,而動於末也。為長女,荀爽曰:柔在初。為繩直,翟元曰:上二陽共正一陰,使不得邪僻,如繩之直。孔穎達曰:取其號令齊物,如繩直也。為工,荀爽曰:為繩木,故“為工”。虞翻曰:為近利市三倍,故“為工”。子夏曰:“工居肆”。
経文に「巽は木と為す」といい、宋衷の説明では、陽は動を主り陰は静を主り、二個の陽爻は上に於いて動き、一個の陰爻は下に於いて安靜す。甚だ樹木の上動して下静する様子に似たり。経文に「風と為す」といい、陸績の説明では、風は土の気にして、巽は坤より生ずる所なるがゆえに風と為す。またその根本は安靜にして末梢は揺動するの義を取る。経文に「長女と為す」といい、荀爽の説明では、柔爻は初位に在るなり。経文に「繩直と為す」といい、翟元の説明では、上面の二個の陽爻は共同して一個の陰爻を匡正して、それをして邪僻を得ざらしむるは、たとえば繩墨の直のごとし。孔穎達はすなわち解釈す。それが号令して万物を斉一するは、繩墨の直のごときを取る。経文に「工と為す」といい、荀爽の説明では、巽は能く繩墨を以て木を正すがゆえに工と為す。虞翻の説明では、巽に「近利市三倍」の象あるがゆえに工と為す。子夏は「百工居肆」と言いしなり。
為白,虞翻曰:乾陽在上,故“白”。孔穎達曰:取其風吹去塵,故絜白也。為長,崔覲曰:取風行之遠,故“為長”。為高,虞翻曰:乾陽在上,長,故“高”。孔穎達曰:取木生而高上。為進退,虞翻曰:陽初退,故“進退”。荀爽曰:風行無常,故“進退”。為木果,荀爽曰:風行或東或西,故“不果”。為臭。虞翻曰:臭,氣也。風至知氣,巽二入艮鼻,故“為臭”。《繫》曰:其臭如蘭。
経文に「白と為す」といい、虞翻の説明では、乾陽は上に在るがゆえに白と為す。孔穎達の説明では、風が塵埃を吹去して、ここにおいて潔白たるを取る。経文に「長と為す」といい、崔覲の説明では、風の行くこと遠きを取るがゆえに長と為す。経文に「高と為す」といい、虞翻の説明では、乾陽は上に在りて長なるがゆえに高と為す。孔穎達の説明では、樹木の生長して向上高聳するを取る。経文に「進退と為す」といい、虞翻の説明では、陽は初位に在りて退くがゆえに進退と為す。荀爽の説明では、風行は常なきがゆえに進退と為す。経文はここに「木果と為す」と作るは、当に「不果と為す」の訛たるべし。荀爽の説明では、風行はあるいは東に向かいあるいは西に向かうがゆえに「不果」と為す。経文に「気味と為す」といい、虞翻の説明では、「臭」はすなわち気にして、風来れば便ち気息を知るべし。巽の二爻は艮に入りて鼻と為るがゆえに臭と為す。《繫辞》に「其臭如蘭」といえり。
其於人也,為宣髮,虞翻曰:為白,故“宣髮”。馬君以宣為寡髮,非也。為廣顙,變至三,坤為廣,四動成乾,為顙,在頭口上,故“為廣顙”。與震的顙同義。震一陽,故“的顙”。巽變乾二陽,故“廣顙”。為多白眼,為白,離目上向,則白眼見,故“多白眼”。為近利市三倍。變至三成坤,坤為近。四動乾,乾為得。至五成噬嗑,故稱市。乾三爻,為三倍。故“為近利市三倍”。動上成震,故其究為躁卦。八卦諸爻,唯震巽為耳。其究為躁卦。變到五成噬嗑,為市。動上成震,故“其究為躁卦”。明震內體為專,外體為躁。此上虞義。
経文に「人に就いて言えば、頭髪花白と為す」といい、虞翻の説明では、巽は白なるがゆえに「宣髪」と為す。馬融は「宣」を「寡髪」に解するは、是ならず。経文に「寛額と為す」といい、虞翻にいう。巽は第三爻に変ずれば、坤は広なり。第四爻は動きて乾を成し、乾は額にして、位は頭の口の上に在るがゆえに「広顙」と為す。震の「的顙」と同一の取法なり。震はただ一個の陽爻あるがゆえに、額上一点白の「的顙」なり。巽は変じて乾の二個の陽爻あるがゆえに「広顙」なり。経文に「多白眼と為す」といい、虞翻にいう。巽は白にして、離目は上に向かいて翻れば、白眼はすなわち顕露出ずるがゆえに多白眼と為す。経文に「利益に接近して市利三倍を獲ると為す」といい、虞翻にいう。巽は第三爻に変じて坤を成し、坤は近なり。第四爻は動きて乾を成し、乾は得なり。第五爻に変じて《噬嗑》を成すがゆえに市と称す。乾に三爻あるは三倍と為るがゆえに「近利市三倍」と為す。上爻はさらに動けば則ち震を成すがゆえに、それを推極すれば躁卦と為る。八卦の諸爻の中に、ただ震・巽のみこの種の「究」の説法あり。経文に「それを推極すれば躁卦と為る」といい、虞翻にいう。五爻に変じて《噬嗑》を成して市と為し、上爻は動きて震を成すがゆえに「其究為躁卦」。見るべし、震の内体は「専」にして外体は「躁」なるを。以上はみな虞翻の説明なり。
坎為水,宋衷曰:坎陽在中,內光明,有似於水。有溝瀆,虞翻曰:以陽闢坤,水性流通,故“為溝瀆”也。為隱伏,虞翻曰:陽藏坤中,故“為隱伏”也。為矯輮,宋衷曰:曲者更直為矯,直者更曲為輮,水流有曲直,故“為矯輮”。為弓輪。虞翻曰:可矯輮,故“為弓輪”。坎為月,月在於庚,為弓在甲,象輪,故“弓輪”也。
経文に「坎は水と為す」といい、宋衷の説明では、坎の陽爻は中に居りて、内に光明を含むは、甚だ水の様子に似たり。経文に「溝瀆と為す」といい、虞翻の説明では、陽を以て坤土を開辟し、水性は流通するがゆえに溝瀆と為す。経文に「隠伏と為す」といい、虞翻にいう。陽は坤陰の中に蔵するがゆえに隠伏と為す。経文に「矯輮と為す」といい、宋衷の説明では、彎曲したるを直にするを「矯」と名づけ、筆直したるを彎にするを「輮」と名づく。水流に曲あり直あるがゆえに矯輮と為す。経文に「弓輪と為す」といい、虞翻の説明では、すでに矯め得べく輮め得べきがゆえに弓輪と為す。坎は月にして、月は庚方に於いて象を生ずること弓のごとく、甲方に於いてその象は輪のごとし。だから「弓輪」という。
其於人也,為加憂,兩陰失心為多眚,故“加憂”。為心病,為勞而加憂,故“心病”。亦以坎為心,坎二折坤為心病。此上虞義也。為耳痛,孔穎達曰:坎,勞卦也。又主聽,聽勞則耳痛。為血卦,為赤。孔穎達曰:人之有血,猶地之水,赤,血色也。案:十一月,一陽爻生在坎,陽氣初生於黃泉,其色赤也。
経文に「人に就いて言えば、憂愁の身に加わると為す」といい、虞翻の説明では、坎の両個の陰爻はその中心を失いて災眚多きがゆえに「加憂」。経文に「心病と為す」といい、虞翻にいう。労苦によって憂を増すがゆえに「心病」。また坎は心なるによってもし、坎の二爻は坤体を折断して心病を成す。以上はみな虞翻の説明なり。経文に「耳痛と為す」といい、孔穎達の説明では、坎は労卦にして、また聴覚を主り、聴きて労倦すればすなわち耳痛す。経文に「血卦と為し、赤と為す」といい、孔穎達の説明では、人に血あるは、たとえば地に水あるがごとし。赤は血の色なり。李鼎祚の按。十一月に一陽の爻は坎に生じ、陽気は地下黄泉に初生し、その色は赤と為す。
其於馬也,為美脊。宋衷曰:陽在中央,馬脊之象也。為亟心,崔覲曰:取其內陽剛動,故心亟心也。為下首,荀爽曰:水之流,首卑下也。為薄蹄,《九家易》曰:薄蹄者在下,水趨下,趨下則流散,流散則薄弱,故“為薄蹄”也。為曳。宋衷曰:水摩地而行,故“曳”。其於輿也,為多眚。虞翻曰:眚,敗也。坤為大車,坎折坤體,故為車“多眚”也。
経文に「馬に就いて言えば、脊背健美の馬と為す」といい、宋衷の説明では、陽爻は中央に居るは、まさに馬脊の象なり。経文に「性急の馬と為す」といい、崔覲の説明では、それが内裏に陽剛にして動くを取るがゆえに、その心は急躁なり。経文に「頭を低うする馬と為す」といい、荀爽の説明では、水の流勢は、頭は必ず卑下す。経文に「蹄薄の馬と為す」といい、《九家易》の説明では、薄蹄は下に在り、水性は下に趨り、下に趨ればすなわち流散し、流散すればすなわち薄弱なるがゆえに薄蹄と為す。経文に「拖曳して行く馬と為す」といい、宋衷の説明では、水は地面を摩擦して行くがゆえに「曳」と為す。経文に「車に就いて言えば、多災損と為す」といい、虞翻の説明では、「眚」は敗損である。坤は大車にして、坎は坤体を折断するがゆえに車は「多眚」。
為通,水流瀆,故“通”也。為月,坤為夜,以坎陽光坤,故“為月”也。為盜。水行潛竊,故“為盜”也。其於木也,為堅多心。陽剛在中,故“堅多心”。刺,棗屬也。此上虞義也。孔穎達曰:乾、震、坎,皆以馬喻。乾至健,震至動,坎至行,故皆可以馬為喻。坤則順,艮則止,巽亦順,離文明而柔順,兌柔說,皆無健,故不以馬為喻也。唯坤卦利牝馬,取其行不取其健,故曰牝也。坎亦取其行不取其健。皆外柔,故為下首。薄蹄,曳也。
経文に「通と為す」といい、虞翻の説明では、水は溝瀆に流るるがゆえに通と為す。経文に「月と為す」といい、虞翻にいう。坤は夜にして、坎中の陽光を以て坤陰を照らすがゆえに月と為す。経文に「盗と為す」といい、虞翻にいう。水は潜行して暗中に窃取するがゆえに盗と為す。経文に「樹木に就いて言えば、堅硬にして多心の木と為す」といい、虞翻にいう。陽剛は中に在るがゆえに堅にして多心なり。「刺」は棗樹の類なり。以上はみな虞翻の説明なり。孔穎達はすなわち総論す。乾・震・坎はみな馬を用いて比喻と為す。乾は極剛健、震は極動、坎は極善行なるによって、だからみな馬を用いて喩と為すべし。坤は柔順、艮は静止、巽もまた順、離は文明にして柔順、兌は柔和喜悦にして、みな剛健の性なきがゆえに、馬を用いて喩と為さず。ただ《坤》卦に「利牝馬之貞」といえるは、あれはそれの能く行くを取りてそれの剛健を取らざるなり。だから「牝」という。坎もまたそれの能く行くを取りてそれの剛健を取らず。この数卦は外体みな柔なるがゆえに、坎馬は低頭・薄蹄・拖曳の状なり。
離為火,崔覲曰:取卦陽在外,象火之外照也。為日,荀爽曰:陽外光也。為電,鄭玄曰:取火明也,久明似日,暫明似電也。為中女,荀爽曰:柔在中也。為甲冑,虞翻曰:外剛,故“為甲”。乾為首,巽繩貫甲,而在首上,故“為胄”。胄,兜鍪也。為戈兵。乾為金,離火斷乾,燥而煉之,故“為戈兵”也。
経文に「離は火と為す」といい、崔覲の説明では、この卦の陽爻の外に在るを取り、火の外に向かいて照耀するを象徴す。経文に「日と為す」といい、荀爽の説明では、陽光は外に発す。経文に「電と為す」といい、鄭玄の説明では、火の光明を取り、久明するは日に似て、暫明するは電に似たり。経文に「中女と為す」といい、荀爽の説明では、柔爻は中に居る。経文に「甲胄と為す」といい、虞翻の説明では、離は外剛にして内柔なるがゆえに鎧甲と為す。乾は頭にして、巽繩は甲片を穿貫して頭上に戴くがゆえに頭盔と為す。「胄」はすなわち兜鍪なり。経文に「戈兵と為す」といい、虞翻の説明では、乾は金にして、離火は乾金を熔断し、焼灼して鍛錬するがゆえに戈兵と為す。
其於人也,為大腹。象日常滿,如妊身婦,故“為大腹”。乾為大也。為乾卦,火日熯燥物,故“為乾卦”也。為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為龜。此五者,皆取外剛內柔也。其於木也,為折上稾。巽木在離中,體大過死。巽蟲食心,則折也。蠹蟲食口木,故“上稾”。或以離火燒巽,故折上稾。此上虞義。宋衷曰:陰在內,則空中。木中空,則上科稾也。
経文に「人に就いて言えば、大腹と為す」といい、虞翻の説明では、離は日輪の常満を象り、懐孕の婦人に似るがゆえに大腹と為す。乾に大の意あり。経文に「乾燥の卦と為す」といい、虞翻にいう。火と日は能く物体を烘干するがゆえに「乾卦」と為す。経文に「鱉と為し・蟹と為し・螺と為し・蚌と為し・亀と為す」といい、虞翻にいう。この五種はみな外殻剛硬にして内質柔軟の象を取る。経文に「樹木に就いて言えば、中折上枯の木と為す」といい、虞翻にいう。巽木は離中に在りて、卦体は《大過》の死象のごとし。巽虫は木心を蛀食し、木はすなわち折断し、蠹虫は樹身を蛀空するがゆえに上端は枯槁す。また離火が巽木を焚焼するがゆえに折断して上枯すとも言うべし。以上はみな虞翻の説明なり。宋衷はすなわち解釈す。陰爻は内に在れば、木心はすなわち空なり。木中は空なれば、上端はすなわち枯槁す。
艮為山,宋衷曰:二陰在下,一陽在上。陰為土,陽為木,土積於下,木生其上,山之象也。為徑路,虞翻曰:艮為山中徑路。震陽在初,則為大塗。艮陽小,故“為徑路”也。為小石,陸績曰:艮剛卦之小,故“為小石”者也。為門闕,虞翻曰:乾為門,艮陽在門外,故“為門闕”。兩小山,闕之象也。為果蓏,宋衷曰:木實謂之果,草實謂之蓏。桃李瓜瓞之屬,皆出山谷也。為閽寺,宋衷曰:閽人主門,寺人主巷,艮為止,此職皆掌禁止者也。
経文に「艮は山と為す」といい、宋衷の説明では、二個の陰爻は下に在り、一個の陽爻は上に在る。陰は土、陽は木にして、土は下に積み木はその上に生ずるは、まさに山の形象なり。経文に「小路と為す」といい、虞翻の説明では、艮は山中の小径なり。震の陽爻は初位に在れば、則ち大路と為し、艮の陽爻は上に在りて力小なるがゆえに径路と為す。経文に「小石と為す」といい、陸績の説明では、艮は剛卦の中の較れ小なるがゆえに小石と為す。経文に「門闕と為す」といい、虞翻の説明では、乾は門にして、艮の陽爻は門の外に在るがゆえに門闕と為す。両座の小山は相対峙するは、まさに門闕の象なり。経文に「果蓏と為す」といい、宋衷の説明では、樹上の結ぶ実を「果」と名づけ、草上の結ぶ実を「蓏」と名づく。桃・李・瓜・瓞の類はみな山谷より出ず。経文に「閽寺と為す」といい、宋衷の説明では、閽人は宮門を掌管し、寺人は宮巷を掌管す。艮は止にして、この両種の職務はみな出入を禁止するを掌管す。
為指,虞翻曰:艮手多節,故“多指”。為拘,虞翻曰:指屈伸制物,故“為拘”。拘舊作狗,上已為狗字之誤。為鼠,虞翻曰:似狗而小,在坎穴中,故“為鼠”,晉九四是也。為黔喙之屬。馬融曰:黔喙,肉食之獸,謂豺狼之屬。黔,黑也。陽元在前也。其於木也,為多節。虞翻曰:陽剛在外,故“多節”。松柏之屬。
経文に「指と為す」といい、虞翻の説明では、艮は手にして、手は骨節多きがゆえに多指と為す。経文に「拘と為す」といい、虞翻にいう。手指は能く屈し能く伸びて外物を制取するがゆえに「拘」と為す。「拘」の字は旧本は「狗」と作すも、上文すでに「艮為狗」ありしがゆえに、ここに狗と作るは字の誤なり。経文に「鼠と為す」といい、虞翻にいう。鼠は狗に似て小にして、坎穴の中に居るがゆえに鼠と為す。《晋》卦の九四の「晋如鼫鼠」はすなわちこの象なり。経文に「黒嘴の類の走獣と為す」といい、馬融の説明では、「黔喙」は食肉の野獣にして、豺狼の類を指す。「黔」は黒色にして、陽爻は前に在るがゆえに、嘴は黒にして前に在り。経文に「樹木に就いて言えば、多節の木と為す」といい、虞翻の説明では、陽剛は外に在るがゆえに多節にして、松柏の類を指す。
兌為澤,虞翻曰:坎水半見,故“為澤”。宋衷曰:陰在上,令下溼,故“為澤”也。為少女,虞翻曰:坤三索,位在末,故“少”也。為巫,乾為神,兌為通,與神通氣女,故“為巫”。為口舌,兌為震聲,故“為口舌”。為毀折,二折震足,故“為毀折”。為附決,乾體未圜,故“附決”也。其於地也,為剛滷。乾二陽在下,故剛。澤水潤下,故“咸”。此上虞義。朱仰之曰:取金之剛不生也。剛滷之地不生物,故“為剛滷”者也。
経文に「兌は沢と為す」といい、虞翻の説明では、坎水はただ半分顕現するがゆえに沢と為す。宋衷はすなわち解釈す。陰爻は上に在りて、下面を湿潤せしむるがゆえに沢と為す。経文に「少女と為す」といい、虞翻の説明では、兌は三索して乾に於いて得る所の少女にして、位は最後に在るがゆえに「少」と為す。経文に「巫と為す」といい、虞翻にいう。乾は神、兌は通にして、能く神と相通ずる女子なるがゆえに巫と為す。経文に「口舌と為す」といい、虞翻にいう。兌は震の声を含むがゆえに口舌と為す。経文に「毁折と為す」といい、虞翻にいう。兌の二爻は震足を折断するがゆえに毁折と為す。経文に「附決と為す」といい、虞翻にいう。乾体は未だ円満せざるがゆえに、附着しまた決裂するの象あり。経文に「地に就いて言えば、剛硬の鹽鹼地と為す」といい、虞翻にいう。乾の両個の陽爻は下に在るがゆえに剛なり。沢水は潤下して、その味は鹹と為す。以上はみな虞翻の説明なり。朱仰之はすなわち解釈す。金の剛硬にして物を生ぜざるの義を取る。鹽鹼剛硬の地は作物を長ぜざるがゆえに剛鹵と為す。
為妾,虞翻曰:三少女,位賤,故“為妾”。為羔。羔,女使,皆取位賤,故“為羔”。舊讀以震駹為龍,艮拘為狗,兌羔為羊,皆已見上。此為再出,非孔子意也。震已為長男,又言長子,謂以當繼世、守宗廟、主祭祀,故詳舉之。三女皆言長中少,明女子各當外成,故別見之。此其大例者也。此上虞義。
経文に「妾と為す」といい、虞翻の説明では、兌は三索の得る所の少女にして、位分は低賎なるがゆえに妾と為す。経文に「羔と為す」といい、虞翻にいう。「羔」は役使に供する女子を指し、同じくその位の賎なるの義を取るがゆえに羔と為す。旧本は震の「駹」を「龍」と読み、艮の「拘」を「狗」と読み、兌の「羔」を「羊」と読めり。これらは上文に於いてすでにみな出現せり。もしここにおいて重出せば、すなわち孔子の本意にあらず。震はすでに長男と称せられしに、ここにまた「長子と為す」と言うは、長子は当に世系を継承し宗廟を守護し祭祀を主持すべきによって、特意に詳挙す。三個の女卦はみな長・中・少を言うは、女子が各々当に外に出嫁して家を成すべきを表明するがゆえに、分かちて標出す。これすなわち《説卦》の取象の大体の条例なり。以上はみな虞翻の説明なり。
周易序卦
有天地,然後萬物生焉。干寶曰:物有先天地而生者矣。今正取始於天地,天地之先,聖人弗之論也。故其所法象,秘自天地而還。老子曰:有物混成,先天地生,吾不知其名,強字之曰“道”。《上繫》曰:法象莫大乎天地。莊子曰:六合之外,聖人存而不論。《春秋殼梁傳》曰:不求知所不可知者,智也。而今後世浮華之學,強支離道義之門,求入虛誕之域,以傷政害民,豈非讒說殄行,大舜之所疾者乎!
《序卦》は開篇にいう。「天地あるより、然る後に万物生出す」。干宝の説明では、もとより天地に先んじて生ぜし物もあるも、如今《序卦》はただ天地より始めて論を立つるを取る。天地の先の事は、聖人は之を談論せざるによって、だから彼の取法する所の象は、みな天地以下より説き起こす。老子にいう。「有物混成、先天地生、吾不知其名、強字之曰道」。《繫辞上》にいう。「法象莫大乎天地」。荘子にいう。「六合之外、聖人存而不論」。《春秋穀梁伝》にいう。「求知す可からざるを知らざるは、すなわち智なり」。しかして後世の浮華の学は、強いて道義の門径を支解し、一味に虚妄荒誕の境地に進入するを追求して、ここにおいて政事を傷害し百姓を危害す。これあにまさに《尚書》のいう所の「讒説殄行」・大舜の深悪痛絶する所にあらざらんや。
盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者,盈也。荀爽曰:謂陽動在下,造生萬物於冥昧之中也。屯者,萬物之始生也。韓康伯曰:屯,剛柔始交,故為“萬物之始生也”。崔覲曰:此仲尼序文王次卦之意。不序乾坤之次者,以一生二,二生三,三生萬物,則天地次第可知,而萬物之先後宜序也。萬物之始生者,言剛柔始交,故萬物資始於乾,而資生於坤也。物生必蒙,故受之以蒙。蒙者,物之稚也。崔覲曰:萬物始生之後,漸以長稚,故言“物生必蒙”。鄭玄曰:蒙,幼小之貌,齊人謂萌為蒙也。
《序卦》にいう。「天地の間に充盈するはただ万物のみ、だから《屯》卦を以て承接す。屯は、充盈なり」。荀爽の説明では、これは陽気が下に於いて動き、幽昧の中に於いて万物を創造化生するを指す。《序卦》は続けて「屯は、万物の初生の時なり」といい、韓康伯の説明では、《屯》卦は剛柔が始めて交合するがゆえに「万物之始生」なり。崔覲はすなわち解釈す。これは孔子が文王の卦序を排定したる用意を申述するなり。先に乾・坤の次序を解説せざる所以は、一は二を生じ二は三を生じ三は万物を生じ、天地の先後次第は自ら知るべきがゆえに、排序を須うるは万物の先後なり。いわゆる「万物之始生」は、剛柔が始めて交合し、万物は乾に資取して以て始めと為し、坤に資取して以て生と為すをいう。《序卦》はまた「万物は初生せば必ず蒙昧なり、だから《蒙》卦を以て承接す。蒙は、万物の幼稚なり」といい、崔覲の説明では、万物は始めて生出したるの後に、漸漸に幼稚より長大するがゆえに「物生必蒙」という。鄭玄の説明では、「蒙」は幼小の様子にして、斉地の人は草木の初萌を「蒙」と名づく。
物稚不可不養也,故受之以需。需者,飲食之道也。荀爽曰:坎在乾上,中有離象,水火交和,故為“飲食之道”。鄭玄曰:言孩稚不養,則不長也。飲食必有訟,故受之以訟。韓康伯曰:夫有生則有資,有資則爭興也。鄭玄曰:訟,猶爭也。言飲食之會恆多爭也。訟必有眾起,故受之以師。師者,眾也。《九家易》曰:坤為眾物,坎為眾水,上下皆眾,故曰“師”也。凡制軍,萬有二千五百人為軍,天子六軍,大國三軍,次國二軍,小國一軍。軍有將,皆命卿也。二千五百人為師。師帥皆中大夫。五百人為旅,旅帥皆下大夫也。崔覲曰:因爭,必起相攻,故“受之以師”也。
《序卦》にいう。「幼稚の物は養育を加えざるべからず、だから《需》卦を以て承接す。需は、飲食の道なり」。荀爽の説明では、《需》卦は坎が乾の上に在り、中間に離象を互出し、水火は交相調和するがゆえに「飲食之道」なり。鄭玄の説明では、これは幼稚の物は養育を加えざれば長大せずをいう。《序卦》は続けて「飲食あれば必ず争訟あり、だから《訟》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、生命あればすなわち資養を須い、資養あればすなわち争奪の興起あり。鄭玄の説明では、「訟」はすなわち争にして、飲食の聚会の時に常に争執多しをいう。《序卦》はまた「争訟は必ず衆人の興起あり、だから《師》卦を以て承接す。師は、衆なり」といい、《九家易》の説明では、坤は衆物、坎は衆水にして、上下ともに衆なるがゆえに「師」と名づく。およそ軍隊を編制するに、一万二千五百人を一軍と為し、天子は六軍、大国は三軍、次国は二軍、小国は一軍にして、毎軍に将ありてみな卿を以て任じ、二千五百人を一師と為して師帥はみな中大夫、五百人を一旅と為して旅帥はみな下大夫なり。崔覲の説明では、争訟あるによって、必ず互相攻伐を引起すがゆえに「受之以師」。
眾必有所比,故受之以比。韓康伯曰:眾起而不比,則爭無息。必相親比,而後得寧也。比者,比也。比必有所畜,故受之以小畜。韓康伯曰:比非大通之道,則各有所畜,以相濟也;由比而畜,故曰“小畜”,而不能大也。物畜然後有禮,故受之以履。履者,禮也。韓康伯曰:履,禮也。禮所以適時用也。故既畜則須用,有用須禮也。履然後安,故受之以泰。泰者,通也。荀爽曰:謂乾來下降,以陽通陰也。姚信曰:安上治民,莫過於禮。有禮然後泰,泰然後安也。
《序卦》にいう。「衆人は聚集せば必ず親比する所有り、だから《比》卦を以て承接す」。韓康伯の説明では、衆人は興起するも相親比せざれば、争鬪は止息せず。必ず互相親附して然る後に能く安寧せん。《序卦》は続けて「比は、親比なり。親比せば必ず畜聚する所有り、だから《小畜》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、親比はなお大通の道にあらざるがゆえに、各々畜聚する所有りて、もって互相救済す。親比より畜聚するがゆえに「小畜」と名づけ、なお大と称する能わず。《序卦》はまた「万物は畜聚する所有りて然る後に礼あり、だから《履》卦を以て承接す。履は、すなわち礼なり」といい、韓康伯の説明では、「履」はすなわち礼にして、礼はもって時用に適応するに用いる所なり。すでに畜聚あればすなわち使用を須い、一たび使用あればすなわち礼を須う。《序卦》はまた「礼ありて然る後に安定す、だから《泰》卦を以て承接す。泰は、通なり」といい、荀爽の説明では、これは乾の来りて下降し、陽を以て陰に通ずるを指す。姚信はすなわち解釈す。君上を安定し百姓を治理するに、礼より緊要なるはなし。礼ありて然る後に通泰し、通泰して然る後に安寧す。
物不可以終通,故受之以否。崔覲曰:物極則反,故不終通而否矣。所謂城復于隍。物不可以終否,故受之以同人。韓康伯曰:否則思通,人人同志,故可出門同人,不謀而合。與人同者,物必歸焉,故受之以大有。崔覲曰:以欲從人,人必歸已,所以成大有。有大者,不可以盈,故受之以謙。崔覲曰:富貴而自遺其咎,故“有大”者“不可盈”。當須謙退,天之道也。有大而能謙必豫,故受之以豫。鄭玄曰:言國既大而有謙德,則於政事恬豫。雷出地奮豫,豫行出而喜樂之意。
《序卦》にいう。「事物は終始通泰する能わざるべし、だから《否》卦を以て承接す」。崔覲の説明では、物は極まれば必ず反すがゆえに、終始通泰する能わずして否閉に転ず。すなわち《泰》卦の上六のいわゆる「城復于隍」なり。《序卦》は続けて「事物は終始否閉する能わざるべし、だから《同人》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、否閉すればすなわち通達を思求し、人人は同心同志なるがゆえに、能く門を出でて人と和同し、謀議を須せずして自然に相合す。《序卦》はまた「人と和同すれば、万物は必ず帰附す、だから《大有》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、能く己意を以て他人に随従せば、他人もまた必ず自己に帰附し、これによって大有を成就す。《序卦》はまた「大を擁有する者は自満すべからず、だから《謙》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、富貴にして驕れば、すなわち禍患を自留す。だから「有大」の者は「不可盈」にして、当に謙退すべし。これこそ天道なり。《序卦》はまた「有大にして能く謙れば必ず安楽す、だから《豫》卦を以て承接す」といい、鄭玄の説明では、これは国家すでに強大にしてまた謙徳あれば、政事を処理するに安適逸楽するをいう。《豫》卦の《大象》に「雷出地奮、豫」といい、「豫」に奮発して出で歡喜快楽するの意を含有す。
豫必有隨,故受之以隨。韓康伯曰:順以動者,眾之所隨也。以喜隨人者必有事,故受之以蠱。蠱者,事也。《九家易》曰:子利父事,備物致用,而天下治也。備物致用,立成器以為天下利,莫大於聖人。子修聖道,行父之事,以臨天下,無為而治。有事然後可大,故受之以臨。臨者,大也。荀爽曰:陽稱大,謂二陽動升,故曰“大”也。宋衷曰:事立功成,可推而大也。物大然後可觀,故受之以觀。虞翻曰:臨反成觀,二陽在上,故“可觀”也。崔覲曰:言德業大者,可以觀政於人也。
《序卦》にいう。「安楽せば必ず追随する人あり、だから《随》卦を以て承接す」。韓康伯の説明では、能く理に順いて動く者は、まさに衆人の追随する所なり。《序卦》は続けて「歓喜の心を以て他人に追随せば必ず事あり、だから《蠱》卦を以て承接す。蠱は、事なり」といい、《九家易》の説明では、児子は父親の事業を承担するに利あり、器物を備弁してその功用を尽くし、天下はこれによって治を得る。物を備え用を致し器具を制成して天下に利するに、聖人より大なるはなし。児子は聖人の道を修習し父親の事を行い、もって天下に君臨せば、すなわち無為にして治まる能くすなり。《序卦》はまた「事ありて然る後に壮大すべし、だから《臨》卦を以て承接す。臨は、大なり」といい、荀爽の説明では、陽は大と称し、《臨》卦の二陽が動きて上升するを指すがゆえに「大」と名づく。宋衷の説明では、事業は建立し功業は告成せば、すなわち推広して大に致すべし。《序卦》はまた「事物は壮大して然る後に観るべし、だから《観》卦を以て承接す」といい、虞翻の説明では、《臨》卦は反覆して《観》卦を成し、二陽は上に在るがゆえに「可観」。崔覲の説明では、これは徳業の盛大なる者は、民衆に向かいて政教を顕示すべきをいう。
可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。虞翻曰:頤中有物食,故曰“合也”。韓康伯曰:可觀,則異方合會也。物不可以苟合而已,故受之以賁。賁者,飾也。虞翻曰:分剛上文柔,故“飾”。韓康伯曰:物相合,則須飾以修外也。致飾而後亨則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。荀爽曰:極飾反素,文章敗,故為“剝”也。物不可以終盡,剝窮上反下,虞翻曰:陽四月,窮上,消姤至坤者也。故受之以復。崔覲曰:夫易窮則有變,物極則反於初。故剝之為道,不可終盡,而使之於復也。
《序卦》にいう。「観るべくして然る後に合する所有り、だから《噬嗑》卦を以て承接す。嗑は、合なり」。虞翻の説明では、口中に食すべき物あるがゆえに「合」という。韓康伯の説明では、観瞻すべきあれば、四方異地の人は会合して来らん。《序卦》は続けて「事物はただ苟且に相合するのみにして可ならず、だから《賁》卦を以て承接す。賁は、文飾なり」といい、虞翻の説明では、《賁》卦は剛爻を分けて上行して柔爻を文飾するがゆえに「飾」と為す。韓康伯の説明では、事物はすでに相合せば、すなわち文飾を加えてその外表を修めるを須う。《序卦》はまた「文飾は極致に到りて然る後に亨通するも、すなわち窮尽す、だから《剥》卦を以て承接す。剥は、剥落なり」といい、荀爽の説明では、文飾は極点に到ればすなわち質素に返帰し、文采は敗壊するがゆえに「剥」と為す。《序卦》はまた「事物は終始窮尽する能わざるべし、剥落して上位に至ればすなわち下位に返帰す」といい、虞翻の説明では、陽は四月に上位に窮尽し、《姤》卦より消退して直に《坤》卦に至る。《序卦》は続けて「だから《復》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、易道は窮極すればすなわち変化あり、事物は極点に到ればすなわち初始に返帰す。だから剥落の道は一直に窮尽し去る能わざるにして、それを《復》に回到せしむるを須う。
復則不妄矣,故受之以無妄。崔覲曰:物復其本,則為誠實,故言“復則無妄”矣。有無妄物,然後可畜,故受之大畜。荀爽曰:物不妄者,畜之大也。畜積不敗,故“大畜”也。物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。虞翻曰:天地養萬物,聖人養賢,以及萬民。崔覲曰:大畜剛健,輝光日新,則可觀其所養,故言“物畜然後可養”也。
《序卦》にいう。「その本に返復せば則ち虚妄ならず、だから《无妄》卦を以て承接す」。崔覲の説明では、事物はその本に返帰すれば、すなわち誠実と成るがゆえに「復則无妄」という。《序卦》は続けて「虚妄ならざる事物あれば、然る後に畜聚すべし、だから《大畜》卦を以て承接す」といい、荀爽の説明では、事物は虚妄ならざれば、畜聚はすなわち大なり。積蓄して敗壊せざるがゆえに「大畜」と名づく。《序卦》はまた「事物は畜聚して然る後に養育すべし、だから《頤》卦を以て承接す。頤は、養なり」といい、虞翻の説明では、天地は万物を養育し、聖人は賢才および万民を養育す。崔覲の説明では、《大畜》は剛健篤実にして光輝日新なれば、すなわちそれの養育する所を観察すべきがゆえに「物畜然后可養」という。
不養則不可動,故受之以大過。虞翻曰:人頤不動則死,故“受之以大過”。大過否卦,棺槨之象也。物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。韓康伯曰:過而不已,則陷沒也。陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。韓康伯曰:物極則變,極陷則反所麗。
《序卦》にいう。「養育せざれば行動する能わず、だから《大過》卦を以て承接す」。虞翻の説明では、人の口頤は動かざればすなわち餓死せんとすがゆえに「受之以大過」。《大過》は《否》卦より変じて来りて、棺槨の象あり。《序卦》は続けて「事物は終始過越する能わざるべし、だから《坎》卦を以て承接す。坎は、陥落なり」といい、韓康伯の説明では、過越して停止せざれば、すなわち陥没せん。《序卦》はまた「陥落せば必ず附麗する所有り、だから《離》卦を以て承接す。離は、附麗なり」といい、韓康伯の説明では、物は極まれば則ち変じ、陥落は極処に至ればすなわち転じて附麗する所有り。
有天地,虞翻曰:謂天地否也。然後有萬物。謂否反成泰,天地壹壺,萬物化醇,故“有萬物”也。有萬物,然後有男女。謂泰已有否,否三之上,反正成咸。艮為男,兌為女,故有男女。有男女,然後有夫婦。咸反成恆,震為夫,巽為婦,故“有夫婦”也。有夫婦,然後有父子。謂咸上覆乾成遁,乾為父,艮為子,故“有父子”。有父子,然後有君臣。謂遁三復坤成否,乾為君,坤為臣,故“有君臣”也。有君臣,然後有上下。否乾君尊上,坤臣卑下。天尊地卑,故“有上下”也。有上下,然後禮義有所錯。錯,置也。謂天、君、父、夫象尊,錯上。地、婦、臣、子禮卑,錯下。坤地道、妻道、臣道,故“禮義有所錯”者也。此上虞義。
《序卦》の下篇に「天地あり」といい、虞翻の説明では、ここの天地は《否》卦を指す。「然る後に万物あり」といい、虞翻にいう。《否》卦が反覆して《泰》卦を成し、天地の気は絪縕交感して、万物は化育醇厚するがゆえに「有万物」。「万物ありて然る後に男女あり」といい、虞翻にいう。《泰》の中にすでに《否》象を含み、《否》卦の三爻は上行して上位に至り、各々その正に帰して《咸》卦を成し、艮は男・兌は女なるがゆえに男女あり。「男女ありて然る後に夫婦あり」といい、虞翻にいう。《咸》卦は反覆して《恒》卦を成し、震は夫・巽は婦なるがゆえに「有夫婦」。「夫婦ありて然る後に父子あり」といい、虞翻にいう。《咸》卦の上爻は復帰して乾に於いて《遯》卦を成し、乾は父・艮は子なるがゆえに「有父子」。「父子ありて然る後に君臣あり」といい、虞翻にいう。《遯》卦の三爻は復帰して坤に於いて《否》卦を成し、乾は君・坤は臣なるがゆえに「有君臣」。「君臣ありて然る後に上下あり」といい、虞翻にいう。《否》卦は乾君は尊くして上に在り、坤臣は卑にして下に在り、天は尊く地は卑なるがゆえに「有上下」。「上下ありて然る後に礼義の安置する所有り」といい、虞翻にいう。「錯」は安置である。天・君・父・夫はその象は尊く、上に安置す。地・婦・臣・子はその礼は卑く、下に安置す。坤は地道・妻道・臣道なるがゆえに「礼義有所錯」という。以上はみな虞翻の説明なり。
干寶曰:錯,施也。此詳言人道、三綱、六紀有自來也。人有男女陰陽之性,則自然有夫婦配合之道。有夫婦配合之道,則自然有剛柔尊卑之義。陰陽化生,血體相傳,則自然有父子之親。以父立君,以子資臣,則必有君臣之位。有君臣之位,故有上下之序。有上下之序,則必禮以定其體,義以制其宜,明先王制作,蓋取之於情者也。上經始於乾坤,有生之本也。下經始於咸恆,人道之首也。易之興也。當殷之末世,有妲已之禍;當周之盛德,有三母之功,以言天不地不生,夫不婦不成,相須之至,王教之端。故《詩》以《關雎》為國風之始,而《易》於咸恆備論,禮義所由生也。
干宝は「礼義有所錯」に対して別に一解を作す。「錯」は施行である。この一段は人道の中の三綱六紀の由来を詳細に説明す。人に男女陰陽の本性あれば、自然に夫婦配合の道あり。夫婦配合の道あれば、自然に剛柔尊卑の義理あり。陰陽は化育して生じ、血脉形体は代代相伝するがゆえに、自然に父子の親あり。父の地位より推立して君を出だし、子の地位より取資して臣と為せば、すなわち必ず君臣の名位あり。君臣の名位あれば、すなわち上下の次序あり。上下の次序あれば、すなわち必ず礼を用いてその体統を確定し義を用いてその宜しき所を裁制せざるべからず。見るべし、先王の礼を制し楽を作すは、みな人情より之を取るを。上経は乾・坤より始まるは、あれは万物の生ある本なり。下経は《咸》《恒》より始まるは、あれは人倫の道の開端なり。《易》の興起は、正しく殷商の末世に当たりて妲己の禍あり、正しく周室の盛徳の時に当たりて太姜・太任・太姒の三位の母儀の功あり。これは天に地なくば生ずる能わず、夫に婦なくば成す能わず、相須り相成ること極点に至るを説明し、まさに王教の開端なり。だから《詩経》は《関雎》を以て《国風》の首と為し、しかして《易》は《咸》《恒》の両卦に於いて詳しく論述を加うるは、礼義はまさにこれによって産生する所なり。
夫婦之道,不可以不久也,故受之以恆。恆者,久也。鄭玄曰:言夫婦當有終身之義,夫婦之道,謂咸恆也。物不可以終久於其所,故受之以遁。遁者,退也。韓康伯曰:夫婦之道,以恆為貴。而物之所居,不可以不恆,宜與時升降,有時而遁者也。物不可以終遁,故受之以大壯。韓康伯曰:遁,君子以遠小人。遁而後通,何可終邪?陽盛陰消,君子道勝也。物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。崔覲曰:不可終壯於陽盛,自取觸藩,宜柔進而上行,受茲錫馬。進必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。《九家易》曰:日在坤下,其明傷也,言晉極當降復入於地,故曰“明夷”也。
《序卦》にいう。「夫婦の道は長久ならざるべからず、だから《恒》卦を以て承接す。恒は、長久なり」。鄭玄の説明では、これは夫婦は当に終身相守の義あるべきをいう。いわゆる夫婦の道は、すなわち《咸》《恒》の両卦なり。《序卦》は続けて「事物は長久に一処に停留する能わざるべし、だから《遯》卦を以て承接す。遯は、退避なり」といい、韓康伯の説明では、夫婦の道は恒久を以て貴しと為すも、万物の処する所の位置は一成不変する能わざるべからず、当に時勢に随いて升降すべし。だから時に退避するを須う。《序卦》はまた「事物は終始退避する能わざるべし、だから《大壮》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、《遯》は君子の小人を遠離するにして、退避したるの後に通達を得。あに能く一直に退避し去らんや。陽は盛んにして陰は消ゆるは、まさに君子の道の得勝するなり。《序卦》はまた「事物は終始壮盛する能わざるべし、だから《晋》卦を以て承接す。晋は、前進なり」といい、崔覲の説明では、終始陽剛に壮盛するべからず、さもなくば自ら「羝羊触藩」の困を取らん。当に柔順にして前進し上行して、《晋》卦の「康侯用錫馬蕃庶」の賞賜を取得すべし。《序卦》はまた「前進せば必ず損傷する所有り、だから《明夷》卦を以て承接す。夷は、傷なり」といい、《九家易》の説明では、日は坤地の下に在りて、その光明は傷を受く。これは《晋》が極処に至りて当に降りて復た地中に入るべきをいうがゆえに「明夷」と名づく。
傷於外者必反於家,故受之以家人。虞翻曰:晉時在外,家人在內,故反家人。韓康伯曰:傷於外者,必反諸內矣。家道窮必乖,故受之以睽。睽者,乖也。韓康伯曰:室家至親,過在失節。故家人之義,唯嚴與敬,樂勝則流,禮勝則離。家人尚嚴,其弊必乖者也。乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。崔覲曰:二女同居,其志乖而難生,故曰“乖必有難”也。物不可以終難,故受之以解。解者,緩也。崔覲曰:蹇終則來碩吉,利見大人,故言“不可終難,故受之以解”者也。緩必有所失,故受之以損。崔覲曰:宥罪緩死,失之則僥倖,有損於政刑,故言“緩必有所失,受之以損”。
《序卦》にいう。「外に在りて傷を受くる者は必ず家中に返帰す、だから《家人》卦を以て承接す」。虞翻の説明では、《晋》の時は身は外に在り、《家人》の時は身は内に在るがゆえに、《晋》より《家人》に返帰す。韓康伯の説明では、外に在りて傷を受くるは、必ず家内に回到家る。《序卦》は続けて「家道は窮困すれば必ず乖離す、だから《睽》卦を以て承接す。睽は、乖離なり」といい、韓康伯の説明では、家室の内は至極親密にして、過失は往々に節度を失するに出ず。だから家を治むるの義はただ厳と敬に在り。和楽は度を過ぐればすなわち放縦に流れ、礼節は度を過ぐればすなわち疏離に流る。家を治むるは厳正を崇尚すも、それの流弊は必ず乖離なり。《序卦》はまた「乖離せば必ず患難あり、だから《蹇》卦を以て承接す。蹇は、難なり」といい、崔覲の説明では、《睽》卦は二女は同居して心志は乖違し、患難はこれによって生ずるがゆえに「乖必有難」という。《序卦》はまた「事物は終始艱難する能わざるべし、だから《解》卦を以て承接す。解は、舒緩なり」といい、崔覲の説明では、《蹇》卦は上六に終わりて「往蹇来碩、吉、利見大人」あるがゆえに「不可終難、故受之以解」という。《序卦》はまた「舒緩せば必ず失する所有り、だから《損》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、罪人を寛宥し死刑に緩やかなれば、失当すればすなわち人をして僥幸を心存せしめ、政令刑法に損あり。だから「緩必有所失、受之以損」。
損而不已必益,故受之以益。崔覲曰:損終則弗損,益之,故言“損而不已必益”。益而不已必決,故受之以夬。夬者決也。韓康伯曰:益而不已則盈,故必“決也”。決必有遇,故受之以姤。姤者,遇也。韓康伯曰:以正決邪,必有喜遇。物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。崔覲曰:天地相遇,品物咸章,故言“物相遇而後聚”也。聚而上者謂之升,故受之以升。崔覲曰:用大牲而致孝享,故順天命而升為王矣,故言“聚而上者謂之升”。
《序卦》にいう。「減損して停止せざれば必ず増益す、だから《益》卦を以て承接す」。崔覲の説明では、《損》卦は上九に終わりて「弗損益之」なるがゆえに「損而不已必益」という。《序卦》は続けて「増益して停止せざれば必ず決溢す、だから《夬》卦を以て承接す。夬は、すなわち決なり」といい、韓康伯の説明では、増益は止まざればすなわち盈満せんとすがゆえに、必ず決溢す。《序卦》はまた「決除せば必ず遭遇する所有り、だから《姤》卦を以て承接す。姤は、遇なり」といい、韓康伯の説明では、正を以て邪を決除せば、必ず可喜の遭遇あり。《序卦》はまた「事物は相遇して然る後に聚集す、だから《萃》卦を以て承接す。萃は、聚なり」といい、崔覲の説明では、《姤・彖》に「天地相遇、品物咸章」といえるがゆえに「物相遇而后聚」という。《序卦》はまた「聚集して上行するを升と名づく、だから《升》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、大牲の礼を用いてその孝享を致し、ここにおいて天命に順承して上升して王と為るがゆえに「聚而上者謂之升」という。
升而不已必困,故受之以困。崔覲曰:冥升在上,以消不富,則窮,故言“升而不已必困”也。困乎上者必反下,故受之以井。崔覲曰:困及于臲卼,則反下以求安,故言“困乎上必反下”。井道不可不革,故受之以革。韓康伯曰:井久則濁穢,宜革易其故。革物者莫若鼎,故受之以鼎。韓康伯曰:革,去故。鼎,取新。既以去故,則宜制器立法以治新也。鼎,所以和齊生物成新之器也,故取象焉。主器者莫若長子,故受之以震。震者,動也。崔覲曰:鼎所烹飪,享於上帝。主此器者,莫若冢嫡,以為其祭主也,故言“主器者莫若長子”。
《序卦》にいう。「上升して止まざれば必ず困窘す、だから《困》卦を以て承接す」。崔覲の説明では、《升》卦の上六の「冥升」は最上に居り、ここにおいてその富を消損し、すなわち窮尽せんとすがゆえに「升而不已必困」という。《序卦》は続けて「上に於いて困窘するは必ず下に返帰す、だから《井》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、困窘は《困》卦の上六の「臲卼」不安の地歩に到れば、すなわち下に返帰してもって身を安んずるを求むがゆえに「困乎上必反下」という。《序卦》はまた「井道は変革すべからざるべからず、だから《革》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、井水は久しければすなわち汚濁し、当に旧弊を革除すべし。《序卦》はまた「事物を変革するに鼎より合宜なるはなし、だから《鼎》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、《革》は旧きを去除し、《鼎》は新しきを採取す。すでに旧きを去除せば、当に器を制し法を立てて新局を治理すべし。鼎は五味を調和し新物を生成する器具なるがゆえに、それに取象す。《序卦》はまた「宗廟の器を主持するは長子より合宜なるはなし、だから《震》卦を以て承接す。震は、動なり」といい、崔覲の説明では、鼎中の烹煮する所は、もって上帝を祭享す。この一器物を主持するは嫡長子より合宜なるなく、彼をして祭主に充当せしむるがゆえに「主器者莫若長子」という。
物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者,止也。崔覲曰:震極則征凶,婚媾有言,正須止之,故言“物不可以終動”,故“止之”也。物不可以終止,故受之以漸。漸者,進也。虞翻曰:否三進之四,巽為進也。進必有所歸,故受之以歸妹。虞翻曰:震嫁兌,兌為妹。嫁,歸也。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者,大也。崔覲曰:歸妹者,侄、娣、媵國三人,九女為大援,故言“得其所歸者必大”也。窮大者必失其居,故受之以旅。崔覲曰:諺云:作者不居,況窮不甚,而能處乎?故乎獲罪去邦,羈旅於外也。
《序卦》にいう。「事物は終始動蕩する能わざるべし、それを止住せよ、だから《艮》卦を以て承接す。艮は、止なり」。崔覲の説明では、《震》は極処に至ればすなわち「征凶」「婚媾有言」の戒あり、まさにそれを止住するを須うがゆえに「物不可以終動」にして「止之」す。《序卦》は続けて「事物は終始静止する能わざるべし、だから《漸》卦を以て承接す。漸は、進なり」といい、虞翻の説明では、《否》卦の三爻は四位に進みて《漸》を成し、巽は進なり。《序卦》はまた「前進せば必ず帰宿する所有り、だから《帰妹》卦を以て承接す」といい、虞翻の説明では、震は兌に嫁し、兌は妹なり。「嫁」はすなわち帰なり。《序卦》はまた「帰宿を得るは必ず壮大す、だから《豊》卦を以て承接す。豊は、大なり」といい、崔覲の説明では、《帰妹》に姪・娣と媵嫁の三国の共に九女の衆の大なる援助あるがゆえに「得其所帰者必大」という。《序卦》はまた「壮大は極処に至れば必ず居所を失う、だから《旅》卦を以て承接す」といい、崔覲の説明では、諺語に「房屋を営造する人は往々に住むを得ず」といえり。況んや窮極して節制を知らざる者をや、また能く安処せんや。だから罪を獲て国を離れ、羈旅して外に在り。
旅而無所容,故受之以巽。巽者,入也。韓康伯曰:旅而無所容,以巽則得所入也。入而後說之,故受之以兌。兌者,說也。虞翻曰:兌為講習,故學而進習之,不亦說乎。說而後散之,故受之以渙。渙者,離也。虞翻曰:風以散物,故“離”也。物不可以終離,故受之以節。韓康伯曰:夫事有其節,則物之所同守,而不散越也。節而信之,故受之以中孚。韓康伯曰:孚,信也。既已有節,宜信以守之矣。
《序卦》にいう。「羈旅して外に在りて容身する処なければ、だから《巽》卦を以て承接す。巽は、入なり」。韓康伯の説明では、羈旅して容身する所なければ、巽順の道を用いればすなわち容身する処を求め得べし。《序卦》は続けて「進入して然る後に欣悦す、だから《兌》卦を以て承接す。兌は、悦なり」といい、虞翻の説明では、兌は講習なるがゆえに、《論語》に「学而時習之、不亦説乎」といえり。《序卦》はまた「欣悦して然る後に散开す、だから《渙》卦を以て承接す。渙は、離散なり」といい、虞翻の説明では、風は能く万物を吹散するがゆえに「離」と為す。《序卦》はまた「事物は終始離散する能わざるべし、だから《節》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、事情に節度あれば、すなわち万物の共同に遵守して散越に至らざるの準則と成る。《序卦》はまた「節制あればすなわち誠信を以てそれを守住すべし、だから《中孚》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、「孚」はすなわち信である。すでに節度あれば、当に誠信を以てそれを守住すべし。
有其信者必行之。故受之以小過。韓康伯曰:守其信者,則失貞而不諒之道,而以信為過也。故曰“小過”。有過物者必濟,故受之以既濟。韓康伯曰:行過乎恭,禮過乎儉,可以矯世勵俗,有所濟也。物不可窮也,故受之以未濟終焉。韓康伯曰:有為而能濟者,以已窮物。物窮則乖,功極則亂,其可濟乎?故“受之以未濟”。
《序卦》にいう。「誠信ある者は必ず往きて実行之、だから《小過》卦を以て承接す」。韓康伯の説明では、一味に誠信を固守する者は、「貞而不諒」の分寸を失い、信を守る本身を為すこと頭を過ぐるがゆえに「小過」と名づく。《序卦》は続けて「常人の行に超過するは必ず能く成済する所有り、だから《既済》卦を以て承接す」といい、韓康伯の説明では、行為は恭敬に過ぎ、用度は倹朴に過ぐるは、世風を矯正し習俗を激励して、ここにおいて成済する所有るべし。《序卦》は最後に「事物は窮尽すべからず、だから《未済》卦を以て承接して篇を終わる」といい、韓康伯の説明では、作為あって能く成済するは、己を以て外物を窮尽するなり。物は窮尽せられればすなわち乖違し、功業は極点に到ればすなわち乱を生ず。あれはなお能く成済せんや。だから「受之以未済」。
周易雑卦
韓康伯曰:雜卦者,雜糅眾卦,錯綜其義,或以同相類,或以異相明矣。乾剛坤柔,虞翻曰:乾剛金堅,故“剛”。坤陰和順,故“柔”也。比樂師憂。虞翻曰:比五得位,建萬國,故“樂”。師三失位,輿尸,故“憂”。臨觀之意,或與或求。荀爽曰:臨者,教思無窮,故為“與”。觀者,觀民設教,故為“求”也。屯見而不失其居,蒙雜而著。虞翻曰:陰出初震,故“見”。盤桓利居貞,故“不失其居”。蒙二陽在陰位,故“雜”。初雜為交,故“著”。
韓康伯は《雑卦》に総括の解説を加えます。いわゆる「雑卦」とは、衆卦を雑然と取り合わせ、その意味を錯綜させたもので、あるいは同じものどうしをもって類比し、あるいは異なるものどうしをもって互いを明らかにするのです。《雑卦》に「乾剛坤柔」とあります。虞翻の説明では、乾は金の堅さのようだから「剛」、坤は陰で和順だから「柔」とします。《雑卦》に「比楽師憂」とあります。虞翻の説明では、《比》卦は五爻が位を得て万国を建てられるので「楽」、《師》卦は三爻が位を失い「輿尸(車に尸を載せる)」の凶があるので「憂」とします。《雑卦》に「臨観之意、或與或求」とあります。荀爽の説明では、《臨》卦の《大象》に「教思无窮(教え思うこと窮まりなし)」とあるので「与」すなわち施し与えること、《観》卦は民情を観て教えを設けるので「求」とします。《雑卦》に「屯見而不失其居、蒙雑而著」とあります。虞翻の説明では、《屯》卦は陰の中から初爻の震が出るので「見」(あらわれる)、初九に「盤桓、利居貞」とあるので「不失其居」とします。《蒙》卦は二陽が陰位に居るので「雑」、初爻が雑じて交わるので「著」とします。
震,起也。艮,止也。震陽動行,故“起”。艮陽終止,故“止”。損益,衰盛之始也。損,泰初益上,衰之始。益,否上益初,盛之始。大畜,時也。無妄,災也。大畜五之復二成臨,時舍坤二,故“時”也。無妄上之遁初,子弒父故“災”者也。萃聚,而升不來也。坤眾在內,故“聚”。升五不來之二,故不來之內曰來也。謙輕,而豫怡也。謙位三,賤,故“輕”。豫薦樂祖考,故“怡”。怡或言怠也。噬嗑,食也。賁,無色也。頤中有物,故“食”。賁,離日在下,五動,巽白,故“無色”也。
《雑卦》に「震、起也。艮、止也」とあります。虞翻の説明では、震は陽が動いて行くので「起」、艮は陽が終わりに止まって進まないので「止」とします。《雑卦》に「損益、衰盛之始也」とあります。虞翻は、《損》は《泰》卦の初爻が上って上爻を益したもので衰えの始まり、《益》は《否》卦の上爻が下りて初爻を益したもので盛んさの始まりとします。《雑卦》に「大畜、時也。无妄、災也」とあります。虞翻は、《大畜》は五爻が《復》卦の二爻と交わって《臨》を成し、時機が坤二に止まるので「時」、《无妄》は《遯》卦の上爻が初位に来居したもので、子が父を弑する象があるので「災」とします。《雑卦》に「萃聚、而升不来也」とあります。虞翻は、坤の衆が内にあるので「聚」、《升》卦の五爻が下りて二位に来ないので「不来」――外から内に入ることを「来」と言うのです。《雑卦》に「謙軽、而豫怡也」とあります。虞翻は、《謙》の主爻は三位にあり位が賤しいので「軽」、《豫》卦の《大象》に楽を祖考に薦めるとあるので「怡」(「怡」はあるいは「怠」とも言います)とします。《雑卦》に「噬嗑、食也。賁、无色也」とあります。虞翻は、口の中に物があるので「食」、《賁》卦は離日が下にあり、五爻が動けば巽白となるので「无色」とします。
兌見,而巽伏也。兌陽息二,故“見”。則見龍在田,巽乾初入陰,故“伏”也。隨,無故也。蠱,則飾也。否上之初,君子弗用,故“無故也”。蠱,泰初上飾坤,故“則飾也”。剝,爛也。復,反也。剝生於姤,陽得陰熟,故爛。復剛反初。晉,晝也。明夷,誅也。誅,傷也。離日在上,故“晝也”。明入地中故“誅也”也。此上並虞義。干寶曰:日上中,君道明也。明君在上,罪惡必刑也。
《雑卦》に「兌見、而巽伏也」とあります。虞翻の説明では、兌は陽気が二爻にまで息長したものなので「見」――ちょうど《乾》九二の「見龍在田」のようであり、巽は乾の初爻が陰に入ったものなので「伏」とします。《雑卦》に「随、无故也。蠱、則飾也」とあります。虞翻は、《随》は《否》卦の上爻が初位に来居したもので、君子が世に用いられないので「无故」、《蠱》は《泰》卦の初爻が上って坤体を文飾したものなので「則飾」とします。《雑卦》に「剥、爛也。復、反也」とあります。虞翻は、《剥》は《姤》卦から生じ、陽が陰に消されて熟れ爛れるに至るので「爛」、《復》は剛爻が初位に反り帰るものとします。《雑卦》に「晋、昼也。明夷、誅也」とあります。虞翻は、「誅」は傷のことであり、離日が上にあるので「昼」、光明が地中に入るので「誅」とします。以上はすべて虞翻の説です。干宝はさらに説明します。日が中天に昇るのは君道の昌明であり、明君が上にあれば罪悪は必ず刑罰を受けるのです。
井通,而困相遇也。虞翻曰:泰初之五為井,故“通”也。困三遇四,故“相遇也”。咸,速也。恆,久也。相感者,不和而至,故“速也”。日月久照,四時久成,故“久也”。渙,離也。節,止也。渙散故“離”。節制度數故“止”。解,緩也。蹇,難也。雷動出物,故“緩”。蹇險在前,故“難”。睽,外也。家人,內也。離女在上,故“外也”。家人女正位乎內,故“內”者也。否泰,反其類也。否反成泰,泰反成否,故“反其類”。終日乾乾,反覆之道。
《雑卦》に「井通、而困相遇也」とあります。虞翻の説明では、《泰》卦の初爻が五位に上って《井》を成すので「通」、《困》卦の三爻が四爻に遇うので「相遇」とします。《雑卦》に「咸、速也。恒、久也」とあります。虞翻は、相い感応する者は和を待たずして至るので「速」、日月が久しく照り臨み四時が久しく成るので「久」とします。《雑卦》に「涣、離也。節、止也」とあります。虞翻は、涣散するので「離」、節は制度度数を有するので「止」とします。《雑卦》に「解、緩也。蹇、難也」とあります。虞翻は、雷が動いて物を出すので「緩」、蹇は険が前にあるので「難」とします。《雑卦》に「睽、外也。家人、内也」とあります。虞翻は、《睽》卦は離女が上にあるので「外」、《家人》卦は女が内に正位するので「内」とします。《雑卦》に「否泰、反其類也」とあります。虞翻は、《否》は反して《泰》を成し、《泰》は反して《否》を成すので「反其類」、《乾》九三の「終日乾乾」はまさに反覆の道とします。
大壯,則止。遁,則退也。大壯止陽,陽故“止”。遁陰消陽,陽故“退”。巽為退者也。大有,眾也。同人,親也。五陽並應,故“眾也”。夫婦同心,故“親也”。革,去故也。鼎,取新也。革更,故“去”。鼎亨飪,故“取新也”。小過,過也。中孚,信也。五以陰過陽,故“過”。信及遁魚,故“信也”。豐,多故。親寡,旅也。豐大,故“多”。旅無容,故“親寡”。六十四象,皆先言卦及道其指。至旅體離四,焚棄之行,又在旅家,故獨先言親寡,而後言旅。此上虞義。
《雑卦》に「大壮、則止。遯、則退也」とあります。虞翻の説明では、《大壮》は陽が盛んなのを知って止まるので陽は「止」、《遯》は陰が陽を消すので陽は「退」――巽は退の象です。《雑卦》に「大有、衆也。同人、親也」とあります。虞翻は、《大有》は衆陽が並んで応ずるので「衆」、《同人》は夫婦同心のようなので「親」とします。《雑卦》に「革、去故也。鼎、取新也」とあります。虞翻は、《革》は変更なので「去故」、《鼎》は烹飪なので「取新」とします。《雑卦》に「小過、過也。中孚、信也」とあります。虞翻は、《小過》は五爻で陰が陽を過ぐるので「過」、《中孚》は信が遯魚にまで及ぶので「信」とします。《雑卦》に「豊、多故。親寡、旅也」とあります。虞翻は、《豊》は大なので「多」、《旅》は容れるところがないので「親寡」とします。六十四卦の象は、みな先に卦名を言ってからその旨を述べます。ただ《旅》卦に至っては体に離を含み、九四に「其次を焚く」の焚棄の行があり、また旅家に在るので、特に先に「親寡」を言い、後に「旅」を言うのです。以上は虞翻の説です。
離上,而坎下也。韓康伯曰:火炎上,水潤下也。小畜,寡也。履,不處也。虞翻曰:乾四之坤初成震,一陽在下,故“寡也”。乾三之坤上成剝,剝窮上失位,故“不處”。需,不進也。訟,不親也。險在前也,故“不進”。天水違行,故“不親也”。大過,顛也。顛,殞也。頂載澤中,故“顛也”。姤,遇也,柔遇剛也。坤遇乾也。漸,女歸待男行也。兌為女,艮為男,反成歸妹,巽成兌,故“女歸待”。艮成震,乃行,故“待男行也”。頤,養正也。謂養三五,五之正為功,三出坎為聖,故曰“頤養正”。與蒙以養正聖功同義也。
《雑卦》に「離上、而坎下也」とあります。韓康伯の説明では、火は炎上し、水は潤下します。《雑卦》に「小畜、寡也。履、不処也」とあります。虞翻の説明では、《小畜》は乾の四爻と坤の初爻が互いに易わって震を成し、一陽が下にあるので「寡」、《履》は乾の三爻と坤の上爻が互いに易わって《剥》を成し、《剥》は上に窮して位を失うので「不処」とします。《雑卦》に「需、不進也。訟、不親也」とあります。虞翻は、《需》は険が前にあるので「不進」、《訟》は天と水が違い行くので「不親」とします。《雑卦》に「大過、顛也」とあります。虞翻は、「顛」は殞坠ることで、棟の頂が沢水の中に載るので「顛」とします。《雑卦》に「姤、遇也、柔遇剛也」とあります。虞翻は、これは坤陰が乾陽に遇うこととします。《雑卦》に「漸、女帰待男行也」とあります。虞翻は、兌は女、艮は男であり、《漸》は反覆すれば《帰妹》を成し、巽が変じて兌を成すので「女帰待」と言い、艮が変じて震を成してから行くので「待男行」と言うのです。《雑卦》に「頤、養正也」とあります。虞翻は、三爻と五爻を養うことを指し、五爻が正を為すを功とし、三爻が出て坎を為すを聖とするので「頤養正」と言います。これは《蒙・彖》の「蒙以養正、聖功也」と同じ意味です。
既濟,定也。濟成六爻,得位定也。歸妹,女之終也。歸妹,人之終始。女終於嫁,從一而終,故“女之終也”。未濟,男之窮也。否艮為男位。否五之二,六爻失正,而來下陰。未濟主月晦,乾道消滅,故“男之窮也”。夬,決也,剛決柔也。君子道長,小人道消也。以乾決坤,故剛決柔也。乾為君子,坤為小人。乾息,故君子道長;坤體消滅,故小人道憂。諭武王伐紂。自大過至此八卦,不復兩卦對說。大過死象,兩體姤決,故次以姤而終於夬,言君子之決小人,故君子道長,小人道憂。此上虞義。
《雑卦》に「既済、定也」とあります。虞翻の説明では、《既済》は六爻がすべて成って各々その位を得て定まります。《雑卦》に「帰妹、女之終也」とあります。虞翻は、《帰妹》は人倫の終わりと始めに関わるもので、女子は嫁ぐことを帰宿とし、一人に従って終えるので「女之終」と言います。《雑卦》に「未済、男之窮也」とあります。虞翻は、《否》卦では艮が男の位であり、《否》卦の五爻が二爻に下りて交われば六爻すべて正を失って陰に下り、《未済》は月晦の時を主りて乾道が消滅するので「男之窮」と言います。《雑卦》に「夬、決也、剛決柔也。君子道長、小人道消也」とあります。虞翻は、乾をもって坤を決除するので「剛決柔」であり、乾は君子、坤は小人であり、乾気が生息するので君子の道が長び、坤体が消滅するので小人の道が憂れる――これは武王が紂を伐ったことを諭しているのです。《大過》からここまでの八卦は、再び両卦を反覆させて相対させて説きません。《大過》には死の象があり、その両体に《姤》《夬》の義があるので、次いで《姤》を言って《夬》に終わるのです。君子が小人を決除することを言い、ゆえに君子の道は長び、小人の道は憂えます。以上は虞翻の説です。
干寶曰:凡《易》既分為六十四卦,以為上下經,天人之事,各有始終。夫子又為序卦,以明其相承受之義。然則文王、周公所遭遇之運,武王、成王所先後之政,蒼精受命短長之期,備於此矣。而夫子又重為雜卦,以易其次第。雜卦之末,又改其例,不以兩卦反覆相酬者,以示來聖后王,明道非常道,事非常事也。化而裁之存乎變,是以終之以決。言能決斷其中,唯陽德之主也。故曰:易窮則變,通則久。總而觀之,伏羲、黃帝,皆係世象賢,欲使天下世有常君也。而堯、舜禪代,非黃農之化,朱均頑也。湯武逆取,非唐虞之跡,桀、紂之不君也。伊尹廢立,非從順之節,使太甲思愆也。周公攝政,非湯武之典,成王幼年也。凡此皆聖賢所遭遇異時者也。夏政尚忠,忠之弊野,故殷自野以教敬。敬之弊鬼,故周自鬼以教文。文弊薄,故春秋閱諸三代,而損益之,顏回問為邦,子曰:行夏之時,乘殷之輅,服周之冕。弟子問政者數矣,而夫子不與言古代損益,以非其任也。回則備言王者之佐,伊尹之人也。故夫子及之焉。是以聖人之於天下也。同不是,異不非。百世以俟聖人而不惑,一以貫之矣。
干宝は全書の末で総括して論じます。凡そ《易》は既に六十四卦に分かれ、上下二経を成し、天人の事には各々始終があります。孔子はさらに《序卦》を作り、卦と卦とが相承け相受ける意義を明らかにしました。これにより、文王・周公が遭遇した時運、武王・成王が先後して施した政事、周室が蒼精の命を受けて国祚に短長ある期数まで、すべてこの中に備わって現れたのです。そして孔子は重ねて《雑卦》を作ってその次第を易え、《雑卦》の末に至ってまたその体例を改め、両卦を反覆させて相酬いることをもって説くことをやめました――後世の聖人と君王に示すためです。道は一定不変の道ではなく、事も一定不変の事ではないのです。《系辞》に「化而裁之存乎変(化して之を裁するは変に存り)」とあるので、《夬》卦をもって終わりとする――その中で決断し取捨し得るのは陽徳の主のみであり、ゆえに「易窮則変、通則久(易窮すれば則ち変じ、通ずれば則ち久し)」と言うのです。総じて観れば、伏羲・黄帝はみな世代を継ぎ相承け、賢を象って、天下に世々常の君をあらしめようとしました。しかし堯・舜の禅譲による相代は黄帝・神農の教化と同じではありません――丹朱・商均が頑劣であったからです。商湯・武王が征伐をもって天下を取ったのは唐堯・虞舜の跡と同じではありません――夏桀・商紂が君たらなかったからです。伊尹が太甲を廃立したのは従順の節に合いませんでした――太甲に過ちを思わせるためです。周公の摂政は湯武の常典と同じではありません――成王が年幼であったからです。凡そこれらはみな聖賢の遭遇した時勢が異なっていたのです。夏の政教は忠を尚び、忠の流弊は野なので、殷は野に対して敬をもって教えました。敬の流弊は鬼を尚ぶことなので、周は尚鬼に対して文をもって教えました。文の流弊は澆薄なので、《春秋》は三代の制を歴考して損益を加えました。顔回が国を治める道を問うと、孔子は「夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服せよ」と答えました。孔子に為政を問うた弟子は多かったのですが、孔子が彼らと歴代の損益を語らなかったのは、それが彼らの担い得るところではなかったからです。顔回は王者の輔佐の道を完全に体得し得る、伊尹の類の人物だったので、孔子は彼にこれを講じたのです。ゆえに聖人が天下に対しては、同じものは必ずしも正しいとは限らず、異なるものは必ずしも誤りとは限りません。百世の後に聖人を待ってこれを験しても惑うことはありません――始終一つの理をもって貫いているからです。
