易纬稽览图
降陽は風と爲り・降陰は雨と爲る
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
卷上
天元甲子を推すの術
推天元甲子之術:置天元已來年數,以六十去之,不滿六十者,以甲子始數,算盡之上所得之日,即生歲之卦。諸變皆如卦十所年。歲、月、朔日辰直子日者,即主今月之卦;今日辰直五子之日,即是今日之卦也。諸改變異,並與歲同占。至歲之卦,當隨太歲而移之,行一子終則反始,無有窮也。【年至今隨己亥三十六年矣。】
天元甲子を推算する法は此の如し:先ず「天元」より起算し來りて積もりたる年數を列べ、六十を以て之を除き、六十に滿たぬ餘數を殘せば、甲子より始めて六十甲子に順つて下に數へ、餘數を數盡す處に得たる日辰、即ち求むる所の年の「歲を直るの卦」なり。其の餘の諸變は、皆此の一卦の算法に照らして類推す(「諸變皆卦十所年の如し」一句に字の訛脫あり、文義已に完整ならず)。凡そ年・月・朔日の日辰が「子」の日に正當するは、之れに由りて當月の卦を主管す。今日の日辰が甲子・丙子・戊子・庚子・壬子の「五子」の日に正當するは、是れ今日の卦なり。諸種の變異の象の占斷は、皆歲を直る卦と同一の占法を用ゐる。歲を直る卦に至っては、太歲に隨りて挪移し、行滿して一個の「子」の周期に至れば又起點に回り、循環往復して窮盡せず。〔鄭玄注〕彼の時より數へて今に至り、已に己亥に隨りて三十六年を經歷せり。
推易天地人之元術:先置天元太初癸巳元年一百九十萬八千八百五十三歲,乃始太初元年已來載數,至所求年歲上,以六十除之,不滿六十者,以從甲子所數算盡者之上,即今歲用事。【已上冩出一紙,本經《易緯》無之,此於《三備》上錄出以廣本耳。其所冩《三備》並從前立卦者皆不冩,以縁此本有,更不能再出,故此本兩存耳。從後即是《易緯》本經,非《三備》所有也。】
《易》の天・地・人三元を推算する法:先ず天元太初癸巳元年以來、共に一百九十萬八千八百五十三年此の基數を列べ、再び太初元年より下に年數を累計し、一直に求むる所の彼の一年に加へ、然る後六十を以て之を除き、六十に滿たぬ餘數を殘せば、甲子より起りて順數し、餘數を數盡す處の彼の一位、便ち當年當令行事の卦なり。〔鄭玄注〕以上此の一紙は別抄補入せるにして、《易緯》本經の裏に并此の段の文字無し、此れは《三備》一書より録出して、以て本書の內容を擴充するのみなり。所抄の《三備》及び前面立卦の彼れらの內容は皆再び抄さざるは、本書の裏に原より已有りて、重複出現を須とせざるが故に、故に此の本乃ち兩その説を存せり。下文より起りて乃ち《易緯》本經にして、《三備》の所有せるに非ざるなり。
《易》天地人道元至宋元嘉元年一百九十萬六千三百八十,算外從元年至今大唐上元二年乙亥,又積三百三十八年。【按:以上推衍天元歲數,乃後世術士所加,非《易緯》本經。據馮椅引《中興館閣書目》,有李淳風續注《易緯》,其一「推天元甲子之術」,其二「推易天地人之元術」,與此相合,疑即出淳風續注本也。原本此文與「甲子卦起中孚」句相連屬,乃傳冩淆混。黃震《日抄》謂此書言「至今大唐上元二年乙亥卦起中孚」,亦誤連正文讀,蓋南宋冩本已然,今退二字書之,以別於正文。】
《易》の天・地・人三道の元を、劉宋元嘉元年に推算して、共に一百九十萬六千三百八十年を得り;此の數の外、再び元嘉元年より算へて當今大唐上元二年乙亥に至り、又三百三十八年を累積せり。〔四庫館臣按〕以上天元積年を推衍せる此れらの內容は、後世の術士の添加せるにして、《易緯》本經に非ず。馮椅が《中興館閣書目》を引きて著錄するに據れば、李淳風曾て《易緯》に續注を作し、其の中一條は「天元甲子を推すの術」と叫び、別一條は「易天地人之元術を推す」と叫び、此處の文字と相合せり、疑心すれば便ち李淳風の續注本より出づ。原刻本は此の段の文字と「甲子卦は中孚より起る」一句とを連作一片と爲すは、傳抄の混淆の致す所なり。黃震《黃氏日抄》は此の書が「今大唐上元二年乙亥卦は中孚より起るに至る」を講ずと説くも、亦た誤りて其れを正文に連作して讀めり、可見南宋抄本は已に此の如くせり。今將此の段を二格低く書寫して、以て正文と相區別す。
甲子卦氣は中孚より起る
甲子卦氣起中孚。【卦氣,陽氣也;中孚,卦名也。中者,和也;孚者,信也。經言「中孚豚魚」,言庶人養也,舉庶人言之,其所養微也。言微陽生於坎而為雷聲,尚未聞於人而知於律曆,俞助作也。若言天子出耕,諸侯當而耕也,故以言之。】
甲子此の一元の卦氣は、中孚卦より開始す。〔鄭玄注〕所謂「卦氣」は、即ち陽氣なり;「中孚」は卦名なり。「中」は和にして、「孚」は信なり。《周易》中孚卦辭は「中孚、豚魚吉」と説き、講ずる所は庶人の養にして、特地庶人を擧げて例と爲すは、表明する其の養う所の物の細微なるを。此れは説く微弱の陽氣は坎方に生じて雷聲と化し、人耳は尚未聞こる能わざるも、却て已に律呂曆數の中に於て察知する能く、暗暗として相助けて興起す。此れ好比天子の親しく郊に出でて籍田を耕し、諸侯も亦た相應じて之に隨りて耕すが如し、故に乃ち此の様に説けり。
【按:《後漢書·郎顗傅》注引此文作「卦氣起中孚」,原本脫「氣」字,今補入。又註文自「雷聲尚未聞於人」以下,文義與上不合,似非本注。據《郎顗傅》注所引,「甲子卦氣起中孚」「六日八十分之七」二語本連屬成文,而此本後文「陰還雨陰威色」注內「陽生於坎,氣尚微」云云,皆言卦起起中孚之義,與此注「所養微」云云詞義符合,當為此注原文無疑,其下即與「六日八十分之七」句相接。「太陽一二」云云,恐亦非本經次第,蓋舊時傅冩錯互,遂並正文而亂之。今既無別本可證,未敢釐定,姑仍舊文而附識所疑於此。】
〔四庫館臣按〕《後漢書·郎顗傳》李賢注の引く此の句は「卦氣は中孚より起る」と作り、原刻本は「氣」の字を脫落せり、今補上す。又、鄭注中「雷聲は尚未人に聞えず」以下の幾句は、文義は上文と接續せず、似て本條の原注に非ざるが如し。《郎顗傳》注の引く所に依れば、「甲子卦氣は中孚より起る」と「六日八十分の七」の兩句は本來一氣に連り、而して本書後文の「陰は還りて雨、陰の威色」の一條の注の裏に、「陽は坎に生じ、氣は尚お微なり」等の語は皆卦氣の中孚より起るの道理を講じ、此の注の「其の養う微」の等の語と詞意正に相符合せり、彼れ乃ち應に本條の注文の原貌たるべし、其の下正に「六日八十分の七」一句を接上すべし。「太陽一二」以下の諸語に至っては、恐らく亦た本經の原有の次序に非ず、大概は舊日傳抄の時の錯簡互竄にして、正文を連れても攪亂せられり。如今既に別本の校證する能くする無きに、敢えて擅自に釐定せず、姑且舊文を保留して、疑う所を此處に附記す。
雷電の占
太陽一二以上,自雷雷聲。【太陽謂一月大壯。「一二」者,陽爻在上,雷聲盛聞於人,得自雷。其卦中是消息,臣強君弱,雷從解起。按:此文「自雷雷聲」義不可通,而《郎顗傅》引孔子曰「雷之始發大壯始,君弱臣強從解起」,與此注相合,疑正文亦有脫誤。】
太陽の爻は一二位以上に升到れば、自然而然に雷有り・雷聲有り。〔鄭玄注〕「太陽」は正月の大壯卦を指す。所謂「一二」は、説く陽爻は已に上位に居り、雷聲大作して人の共に聞く所と爲り、自然に雷を生ず。此の卦は消息卦の列に在り、象徴する臣強く君弱なり、雷は解卦より發端す。〔四庫館臣按〕此處の「自雷雷聲」四字の文義は通ぜず、而して《後漢書·郎顗傳》の引く孔子の話は「雷の初次の發動は大壯卦を以て始と爲し、君弱臣強は則ち解卦より興起す」と、鄭注と正に相吻合せり、疑心すれば正文も亦た脫漏訛誤有りと。
當雷不雷,太陽弱。【春分之後當雷不雷,君弱於道徳也。按:此文亦《郎顗傅》所引。】不當雷而雷,太陽弱。【秋分之後不當雷而雷,此君弱乾度,誅罰不行,邪臣跋扈於下,陽氣放洩,則雷冬行,亂冬傷陽也。】
該雷を打つべき時節に却て雷を打たざるは、説明する太陽(人君)の衰弱せるを。〔鄭玄注〕春分以後は本應雷有るに而も雷無きは、人君の道德の上に衰弱せるなり。〔四庫館臣按〕此の一句も亦た《後漢書·郎顗傳》の引く所に見えり。該雷を打つべからざる時節に反つて雷を打つは、同じく説明する太陽の衰弱せるを。〔鄭玄注〕秋分以後は該雷無かるべきに却て雷を打つは、此れ人君の法度の上に衰弱せるにして、刑罰誅討の推行する能わず、姦邪の臣は下に跋扈し、陽氣は放散泄漏して、於是乎雷は冬に妄行す——冬令を擾亂し、亦た陽氣を損傷せり。
不少陽為雷上侵之比也。【離卦九三用事而雷,臣欲侵其君之否也。按:正文「不」字疑衍文。】先白乃當雷。【至秋分日色先白,則知秋分後必當雷。不雷者,刺其君春分之後雷、秋分之後不當雷,若反雷必逆也。】
少陽の位に雷を起すは、此れ在下者の向上して人君を侵犯する徵象なり。〔鄭玄注〕離卦九三の當令して雷有るは、臣下の其の君を侵犯せんと欲する否塞の象なり。〔四庫館臣按〕正文開頭の「不」の字は疑わしき衍文なり。日色は先に白に轉じ、然る後乃ち該雷を打つべし。〔鄭玄注〕秋分に到れば日色は先に白を泛べ、知るべし秋分の後は必定雷有るべしと。若し雷を打たざれば、是れ人君を譏刺す:本應春分の後に雷有り・秋分の後に雷無かるべきに、如今反つて雷を打つは、必定悖逆の象なり。
降陰下、迎陰起,合和而陽氣用上薄之,則為雷。【陽氣,風也。】雷有聲名曰雷,有光名曰電。【按:此句舊本混入註文,今訂正。】迎陰獨起,陽上薄之,其電炎炎也、漫漫也,其電淳淳也。【此君臣不和之象也。】陰陽和合,其電耀耀也,其光長而雷殷殷也。【此君臣道和,謂三氣合也。三氣者:降氣下、迎陰氣起、風氣上薄之,和合電為之雷。空虛有賢人之當其實者也,故曰殷殷也。按:孫古微書引此文作「為電輝輝也」,未詳所據。】
上より降下する陰氣と下より迎上する陰氣と相遇り、兩相和合し、陽氣再び上より之を迫壓すれば、則ち雷を産生す。〔鄭玄注〕此處に説く陽氣は、指す所は風なり。雷の聲響有るは「雷」と叫び、光亮有るは「電」と叫ぶ。〔四庫館臣按〕此の一句は舊本誤りて注文に混入せり、今訂正して正文と爲す。若し迎上の陰の單獨に興起するのみあらば……〔以下の文は闕脫す〕。
寒温清濁の效
太平而雜卦以其度效一辰則可矣。【雜卦九三、上六決溫,九三、上九微溫,六三、上九決寒,六三、上六微寒,曰七分中一辰效則可也。按:「九三上六」舊本作「九三上九」,「九三上九」舊本作「六三上九」,今據後註文改。】唯消息及四時卦當盡其日。【寒溫之氣,消息盡六日七分,四時七十三分也。】
天下太平の時、雜卦は只だ其の度數に按じて一辰に應驗すれば、則ち合格と算す。〔鄭玄注〕雜卦の中、九三と上六と相配して「決温」(明顯の温)を主り、九三と上九と相配して「微温」を主り、六三と上九と相配して「決寒」を主り、六三と上六と相配して「微寒」を主る;故に説く六日七分の内に一辰に應驗すれば便ち可なり。〔四庫館臣按〕「九三上六」は舊本誤りて「九三上九」と作り、「九三上九」は舊本誤りて「六三上九」と作り、今下文の鄭注に據りて改正す。唯獨十二消息卦と坎離震兌四時の卦は、應に所直の日數を占滿すべし。〔鄭玄注〕寒温の氣に就きて言へば、消息卦は六日七分を占滿し、四時の卦は七十三分を占滿すべし。
太平之時太陰用事,【謂從否至臨也。】而少陽卦當效,時至則於效分上一時。【雜卦用事至於三爻,三初九三、上六決溫,九三、上九微溫,臨分上辰也。按:注「三爻」下「三初」二字疑衍文。】非太平以其卦分效則可。【以其六日七分,一分效則可矣。】未可責時至立效也。太陽用事,【謂從泰至遁。】少陰卦爻亦如之。【雜卦用事效六三、上九決寒,六三、上六微寒,亦如效少陽也。】
天下太平の時は太陰當令し、〔鄭玄注〕指す所は否卦より臨卦に至る此の一段なり。而して少陽の卦は應に應驗すべく、時一到れば、則ち應驗する彼の一分の上に於て一時を占む。〔鄭玄注〕雜卦の當令行事して第三爻に至り、九三は上六に配して決温を主り、九三は上九に配して微温を主り、所分の彼の一辰に臨近す。〔四庫館臣按〕注文「三爻」の下の「三初」二字は疑わしき衍文なり。若し太平の世に非ざれば、只だ其の占する卦分に按じて應驗すれば則ち可なり。〔鄭玄注〕其の六日七分の中に於て、一分の應驗有れば便ち數と算す。苛求する能わず時一到れば則ち立刻應驗せよと。太陽當令し、〔鄭玄注〕指す所は泰卦より遁卦に至る此の一段なり。少陰の卦の爻も亦た此に照らして辦理す。〔鄭玄注〕雜卦の當令して、六三は上九に配して「決寒」に應じ、六三は上六に配して「微寒」に應ずるも、亦た少陽の應驗の方式と一樣なり。
凡形體不相應,【形謂白濁清淨,可得而見,故言形體者以身體寒濁也。不相應者,溫不清淨、寒白濁也。】皆有其事而不成也,其在位者有徳而不行也。【徳者,帝王之道。其在位者廢而不行,故不相應之道也。】有貌無實,【白濁清淨效、寒溫不效,此佞人之類也。】有實無貌,【寒溫效、白濁清淨不效,此賢者之類,屈道仕也。】故言從其類也。
凡そ「形體」と氣候と相應應ぜざるは、〔鄭玄注〕所謂「形」は、白濁・清淨此の類の肉眼可見の天色を指し、故に説く「形體」は身體を拿てて寒氣と濁氣とに比方す。所謂「不相應」は、即ち本應温なるに天色は清淨ならず・本應寒なるに天色は反つて白濁す。皆屬して事情は其の端有るも辦成せず、在位の人は德有るも推行し開かず。〔鄭玄注〕「德」は即ち帝王の道なり。在位者は其れを廢棄して施行せざれば、故に乃ち不相應の道なり。「貌」有りて「實」無きは、〔鄭玄注〕指す所は白濁清淨は應驗して寒温は應驗せざる、此れ佞人の一類なり。「實」有りて「貌」無きは、〔鄭玄注〕指す所は寒温は應驗して白濁清淨は應驗せざる、此れ賢者の一類にして、其の道を屈抑して出仕す。故に説く各々其の類に隨えり。
上為貌也,寒溫為實。【白濁清淨其上貌,寒溫者是為實。】溫為尊,寒為卑。【溫喻君,寒喻臣。君當施生,臣當奉命,尊卑等也。】故尊見卑益自尊、卑見尊益自卑,則寒溫決絕矣。【九三應上六、六三應上九,則寒溫決絕可知。】兩尊兩卑無所別,【君臣道卑,不能相使。】則寒溫微不絕決。六三應上六,寒不絕決。【難別知也。按:注「六三」原本作「九三」,今據後註文改。】
天色の上に顯れるは「貌」と叫び、寒温の氣に見えるは「實」と叫ぶ。〔鄭玄注〕白濁・清淨は其の上の貌にして、寒與温は乃ち實なり。温は尊に屬し、寒は卑に屬す。〔鄭玄注〕温は君に比喻し、寒は臣に比喻す。君は該生養を施行すべく、臣は該奉命して行ふべく、尊卑各々等次有り。故に尊者は卑者に見えて更に其の尊を顯し、卑者は尊者に見えて更に其の卑を顯し、寒温は則ち分れて清清楚楚なり。〔鄭玄注〕九三と上六と相應じ・六三と上九と相應じ、寒温截然として辨へらる、此れに由りて知るべし。若し兩邊皆尊・或いは兩邊皆卑ならば、彼此區別するに從う無く、〔鄭玄注〕君臣の道は皆低下して、能く互相に驅使せざるなり。然らば寒温は則ち微弱にして分かち辨へ難し。六三と上六と相應ずれば、寒氣は則ち明顯ならず。〔鄭玄注〕難し分辨識別せんと。〔四庫館臣按〕注中「六三」は原本「九三」と作る、今下文の鄭注に據りて改正す。
陰陽升。所謂「應」者:地上有陰而天上有陽曰應,【六三應上九,寒相應,寒溫白濁。】俱陰曰罔;【六三應上六,兩陰無相見之意,故無應者,天鬱然而罔也。】地上有陽而天上有陰曰應,【九三應上六,陰陽相應,清淨寒溫。按:「地上有陽」十一字原本混入註文,今訂正。】俱陽曰罔。【九三應上九,兩陽無相見之意曰罔,罔故為亡也。】
陰與陽とは昇降の別有り。所謂「應」は、此の様に界定せらる:地上は陰にして天上は陽なるを、「應」と叫び、〔鄭玄注〕六三と上九と相應じ、寒氣彼此相呼應し、寒温と白濁と皆見えり。兩邊皆陰ならば、則ち「罔」と叫ぶ、即ち應無し;〔鄭玄注〕六三と上六と相と相應じ、兩個の陰爻は相見の意無く、故に感應する所無く、天色は鬱結昏暗し、即ち「罔」なり。地上は陽にして天上は陰なるも、亦た「應」と叫び、〔鄭玄注〕九三と上六と相六と相應じ、陰陽彼此相感應し、清淨と寒温と皆見えり。〔四庫館臣按〕「地上に陽有り」以下十一字は原本誤りて注文に混入せり、今訂正して正文と爲す。兩邊皆陽ならば、亦た「罔」と叫ぶ。〔鄭玄注〕九三と上九と相と相應じ、兩個の陽爻は相見の意無く、故に「罔」と叫ぶ;「罔」は即ち亡失し得無しの意思なり。
小畜乾位比。【比九三陽爻,故言比。】然息之卦當勝雜卦也。【九三俱當溫,乾之溫當有不效者,至沖事發矣,盛氣行也。何以夷狄來朝?消息效、四時效,乃來朝也。一曰:少陽卦不效為水,太溫甚者為旱、為秋榮冬雪;少陰不效為旱、為賊、為兵。雖消息及四時卦效各盡其日,息卦主祿,消卦主刑,四時四方主刑兵,故曰左右前後。
小畜卦は乾の方位の上に處り、故に「比」と稱す。〔鄭玄注〕比擬する所は九三此の陽爻にして、故に「比」と説く。然れども生息の卦(陽長の卦)は應に雜卦に勝るべし。〔鄭玄注〕九三は皆該温を主るべし、乾位の温は若し應驗せざる有らば、衝位の時に到りて事變は則ち發作す、此れ盛氣の流行の緣故なり。憑りて何を以て四夷の來朝せんと説くや?消息卦は應驗し・四時卦も應驗して、四夷乃ち來朝す。別一説:少陽の卦は應驗せざれば則ち水災有り、太温にして過甚なれば則ち旱災と成り、或いは秋に草木反つて榮き・冬に雪を下す;少陰の卦は應の卦は應驗せざれば則ち旱災有り・盜賊有り・兵事有り。雖も消息卦と四時卦とは各々所直の日を占滿するも、但し息卦は爵祿を主り、消卦は刑罰を主り、四時の卦は分主して四方の刑と兵とを主る、故に説く左右前後の分有りと。
按:後文「上有陰百二十日為雨」注內「勝小畜溫也」五字,似當為此處本注而錯入彼注者。其自「消息效四時效」以下,乃論卦效之驗,與正文不相應,似又當在後文「左為右前為後」之下,而簡錯在此也。】
〔四庫館臣按〕後文「上に陰有りて百二十日に雨と爲る」一條の注の裏に、「小畜温に勝つ也」の五個の字は、看れば本應此處の原注なるべしに、却て錯竄して彼の一條の注の中に入りぬ。而して「消息效・四時效」以下の彼の一段は、卦氣應驗の驗證を討論するに在り、本條の正文と對せず、似て又應に後文「左は右に爲り・前は後に爲る」の下に排すべきが如し、只だ竹簡の錯亂なる乃ち此處に落ちぬ。
降陽は風と爲り・降陰は雨と爲る
降陽為風。【上九用事,卦效後一百二十日降為卒風;其不效也,後九十一日降為災風。天惡氣不得上天,中九十一日為災風,其陰不時,卦四方生形也,故曰降陽必為其風。按:註文「其陰不時」句疑有脫誤,「生形」疑當作「主刑」。】降陰為雨。【上九用事,卦效後一百二十日降陰為雨。按:注「上九用事」,「九」疑作「六」。】
陽氣の下降すれば則ち風と化す。〔鄭玄注〕上九の當令行事して、卦氣の應驗するは、一百二十日の後に降下して暴風と爲り;卦氣の應驗せざるは、九十一日の後に降下して灾風と爲る。上天の惡氣は上天に昇る能わず、隔りて九十一日すれば則ち灾風と成る;其の中陰氣は時節に按ぜず、四方の卦は各々其の形を生ず、故に説く陽氣の下降は必定風と化す。〔四庫館臣按〕注文「其の陰は時ならず」一句は疑わしき脫誤有り、「形を生ず」は疑わしき「刑を主る」と作るべし。陰氣の下降すれば則ち雨と化す。〔鄭玄注〕上九の當令行事して、卦氣の應驗するは、一百二十日の後に陰を降して雨と成る。〔四庫館臣按〕注中「上九用事」の「九」は、疑わしき應に「六」と作るべし。
升氣上,降氣微。【君弱臣強,不得以時升降。升氣喻君,降氣喻臣也。】是故陽還其風必暴。【君弱臣強,君令不得行,降氣積後一百三十日內,陰得同類並下,故薄,故必暴也。】
上升の氣は上に浮き、下降の氣は反つて微弱なり。〔鄭玄注〕此れは君弱く臣強し、昇降の時に按ずる能わざるなり。上升の氣は君に比喻し、下降の氣は臣に比喻す。故に陽氣の回還するは、其の風は必定狂暴なり。〔鄭玄注〕君弱くして臣強し、君の號令は通行せず、下降の氣は蓄積して一百三十日の内に至り、陰氣は同類を聚集して一齊に下壓し、因りて相迫り相薄く、故に必定狂暴なり。
陰還其雨亦暴。【臣強君弱,君澤不得行,降氣道積後一百三十日內,得同類並下,故薄也。一曰:升降氣為陰陽卦,升於九三、六三,寒溫過暴,疾起時降氣而上也。降氣盛至十日、七日,近三日、四日,其降也有鳴風之發屋折木之風,是一百三十日,故曰還也。按:正文「還」字之上,原本脫「陰」字,今據後文補入。】
陰氣の回還するは、其の雨も亦た必定狂暴なり。〔鄭玄注〕臣強くして君弱し、君の恩澤は施行し下らず、下降の氣の路徑は蓄積して一百三十日の内に至り、同類を聚集して一齊に下壓し、故に相迫る。別一説:昇降の氣は分屬して陰陽兩類の卦に屬し、升は九三・六三の位に在り、寒温は暴烈に過ぎ、急劇に興起する時に降氣は反つて上行す。降氣の盛なるは十日・七日に至り、近きも亦た三日・四日有りて、其の降り來る時に便ち屋を掀き木を折る鳴風有り、合計一百三十日、故に「還」と叫ぶ。〔四庫館臣按〕正文「還」の字の上に、原本一の「陰」の字を脫せり、今後文に據りて補入す。
降陽之風,動不鳴條。【動搖萬物,和適不迅疾,鳴條也。】降陰之雨,潤不破塊。【潤澤和適,不疾沛破塊。按:孫古微書引此文與「降陰為雨」句相屬,疑以上四語本俱在「降陽為風」「降陰為雨」二語之下,或有倒簡耳。】還風者,善令還也。【還,暴也。君出善令蓋者若百姓,君弱臣強,還而不行;陽氣道積,不以時降,後得同類並下,故暴也,故曰令還也。】
陽氣の下降して成る風は、只だ萬物を搖動して、樹枝を吹きて響かせるに至らず。〔鄭玄注〕萬物を搖動して和順適中し、迅猛急疾ならず、此れを「鳴條」の界と叫ぶ。陰氣の下降して成る雨は、只だ土地を潤澤して、土塊を打散るに至らず。〔鄭玄注〕潤澤して和順適中し、急驟傾注して土塊を打碎せざるなり。〔四庫館臣按〕孫古微書の引く此の段の文字は、「降陰は雨と爲る」の句の下に接す、疑心すれば以上四句は本來皆「降陽は風と爲る」「降陰は雨と爲る」の兩句の後に排すべし、或いは簡册の顛倒せるならん。所謂「還風」は、即ち善政の號令の退還せられ來るなり。〔鄭玄注〕「還」は即ち暴なり。君主の發出する好き號令は本來百姓を覆蓋せんと欲するに、但し君弱臣強にして、號令は退回せられて通行せず;陽氣の道は積みて散らず、時に按じて下降する能わず、後に同類を聚集して一齊に下壓し、故に狂暴なり、因りて「令還」と叫ぶ。
陰還雨,陰威色。【還,暴。陰陽生於坎,氣尚微,寒溫未知,萬物變形,律氣先得中孚,卦氣乃信,愛而飬之,故言卦氣起中孚也。按:正文「陰威色」疑當作「陰威也」。又注與正文不相應,俱應為簡首「卦氣起中孚」句註文,蓋因「陽生於坎」四字相近,錯誤在此,而反佚其本注耳。】六日八十分之七。【六以候也,八十分為一日之七者,一卦六日七分也。按:自此文以下至「左為右前為後」,皆論卦氣之法,應依《漢書》注所引,與「卦氣起中孚」句相從。】
陰氣の回還して雨と成るは、是れ陰氣の威を逞ぶする色なり。〔鄭玄注〕「還」は即ち暴なり。陰陽の氣は坎位に生じ、氣は還りて微弱にして、寒温は尚お知るべからず、萬物は正に形を變えつつあり、律呂の氣は先に中孚に感應し、卦氣は於是乎信驗有り、天は覆愛して萬物を養育す、故に説く卦氣は中孚より起ると。〔四庫館臣按〕正文「陰威色」は疑わしき應に「陰威也」と作るべし。又此の注は正文と對せず、皆應に簡册開頭の「卦氣は中孚より起る」一句の注文たるべし、大概「陽は坎に生ず」の四字の前後相近しに由りて、錯落して此處に到り、本條の原注は反つて亡佚せり。一卦は六日又八十分日の七に當たる。〔鄭玄注〕「六」は候數に就きて言へば、「八十分に日の七と爲す」は、説く一卦は六日七分に合す。〔四庫館臣按〕此の句以下直至「左は右に爲り・前は後に爲る」に到るまで、講ずる所は皆卦氣の法にして、應に《漢書》注の引く所に依りて、「卦氣は中孚より起る」一句と相連屬すべし。
卷中
四時卦與消息・雜卦
【錯簡頗多,今但隨文致疑,未敢擅改。】而從。【從,得一卦。】四時卦十一辰餘而從。【四時卦者,謂四正卦坎、離、震、兊,四時方伯之卦也。十一辰餘者,七十三分;而從者,得一之卦也。】坎常以冬至日始效。【坎,北方卦名,微陽所生。卦效為夷不侵,以溫效為四夷來侵也。】
〔四庫館臣按〕本卷は錯簡甚だ多く、如今只だ文に隨りて可疑の處を指出す、敢えて擅自に改動せず。承け接ぐ。〔鄭玄注〕所謂「從」は、即ち承け接いで次の一卦を得るなり。四時の卦は毎に十一辰有餘を隔てて相承接す。〔鄭玄注〕「四時卦」は坎・離・震・兌四個の正卦を指し、是れ分主して四時を主る方伯の卦なり。「十一辰餘」は折算して七十三分と爲る;「而從」は即ち承け接いで得たる彼の一卦なり。坎卦は總じて冬至此の一天より應驗を開始す。〔鄭玄注〕坎は北方の卦の卦名にして、微弱の陽氣は此れに由りて生ず。卦氣の應驗するは、主る四夷の侵犯に來らざる;若し「温」を以て應驗すれば、則ち主る四夷の侵犯に來るを。
復生坎七日。【復卦各生坎七日。復時一陽生於陰之下,陽氣交,故經言「七日來復」,一正之者也。】消息及雜卦傅相去各如中孚。【消息六日七分,四時卦七十三分。】
復卦は坎卦より生出し、相隔てること七日。〔鄭玄注〕復卦は各々坎卦より生出し、相隔てること七日なり。復卦の時一個の陽爻は衆陰の下に生じ、陽氣は交接を開始す、故に《周易》復卦辭は「七日にして來復す」と説く、此れは一個の正例なり。消息卦と雜卦とは遞相傳遞し、彼此相距る度數は皆中孚の彼の樣と如し。〔鄭玄注〕消息の卦は各々六日七分を占め、四時の卦は各々七十三分を占む。
太陰用事,如少陽卦之效也一辰,其陰效也盡日。【大陰謂消也。從否卦至臨為太陰,雜卦九三為少陽之效。雜卦九三行於太陰之中,效微溫一辰,其餘皆當隨太陰為寒。「其陰效也盡日」,為雜卦六十三行於太陰中,盡六日七分也。按:正文「少陽」原本作「少陰」,「一辰」原本「一陰」,今俱據文改正。】
太陰の當令行事するに、少陽の卦は只だ一辰を應驗し、而して其の陰氣は則ち應驗して所直の日を滿たす。〔鄭玄注〕太陰は消卦(陰長の卦)を指す。否卦より臨卦に至る此の一段は太陰に屬し、雜卦の九三は則ち少陽の應驗の處なり。雜卦九三は太陰の中に行走し、應に微温一辰を出すべく、其の餘の時間は皆應に太陰に隨りて寒と爲すべし。所謂「其の陰は效して日を盡す」は、説く雜卦の六三は太陰の中に行走して、六日七分を占滿す。〔四庫館臣按〕正文「少陽」は原本「少陰」と作り、「一辰」は原本「一陰」と作る、今皆文義に據りて改正す。
太陽用事,而少陰卦之效也一辰,其陽也盡日。【太陽謂消息也。從泰卦至遁為太陽,雜卦六三行於太陽之日中,效微寒一辰,其餘皆當隨太陽為溫,效盡六日七分也。按:註文「謂消息也」,「消」字衍;又「微寒」原本作「微陽」,今據文改正。】消息及四時卦各盡其日。【消息盡六日七分,四時盡七十三分。】
太陽の當令行事するに、少陰の卦は只だ一辰を應驗し、而して其の陽氣は應驗して所直の日を滿たす。〔鄭玄注〕太陽は息卦(陽長の卦)を指す。泰卦より遁卦に至る此の一段は太陽に屬し、雜卦の六三は太陽の所直の日の中に行走し、應に微寒一辰を出すべく、其の餘の時間は皆應に太陽に隨りて温と爲り、一直に六日七分を應滿す。〔四庫館臣按〕注文「消息也を謂う」の中の「消」の字は衍文なり;又「微寒」は原本「微陽」と作る、今文義に據りて改正す。消息の卦と四時の卦とは、各々應に所直の日數を占滿すべし。〔鄭玄注〕消息卦は六日七分を占滿し、四時卦は七十三分を占滿す。
卦身效弱也。【五弱於道徳。】四時卦身效為兵。【以寒侵為兵氣所起,兵所致也;以溫為夷狄相攻之道也。】
卦身の應驗の微弱なるは、主る人君の衰弱せるを。〔鄭玄注〕指す所は九五の君の道德の上に衰弱せるを。四時の卦の卦身の應驗するは、主る刀兵を。〔鄭玄注〕寒氣を以て侵犯するは、是れ兵氣の興起し・兵禍の招致せられたる徵象なり;温氣を以て應氣を以て應驗するは、則ち四夷の互相に攻伐する道なり。
左為右,前為後。【東方為左,西方為右,南方為前,北方為後。一百二十日降為卒雨;其有陽一百二十日而風,謂上九用事後一百二十日降為卒風。按:注中「一百二十日」以下云云,俱應在後文「上有陰百二十日為雨」句下;彼注中「上六用事後」五字,當在此注「二百二十日降為卒雨」九字之上;自「其有陽」至「而風」十字,復當為正文;「謂上九」至「卒風」十五字,復當為註文。疑傅冩者以「後」字文相同而錯誤在此,又混正文入注,遂不可辨耳。】
左方は則ち右方、前方は則ち後方なり。〔鄭玄注〕東方は左に爲り、西方は右に爲り、南方は前に爲り、北方は後に爲る。一百二十日の後に降りて暴雨と成る;若し陽に屬せば、則ち一百二十日の後に風と成る、是れ説く上九の當令行事の後一百二十日に降りて暴風と成る。〔四庫館臣按〕注中「一百二十日」以下此れらの話は、皆應に後文「上に陰有りて百二十日に雨と爲る」一句の下に排すべし;彼の一條の注の裏の「上六用事の後」五個の字は、應に此の注の「二百二十日降りて卒雨と爲る」の九個の字の上に放すべし;「其の陽有る」より「而風」に至る此の十個の字は、又應に正文たるべし;「謂上九」より「卒風」に至る此の十五個の字は、又應に注文たるべし。疑う此處は錯簡の混亂せるなり。
陰侵陽與蒙・震・日蝕
諸卦氣溫寒清濁各如其所。【諸卦謂六十四卦也。氣謂用事所當效氣。溫寒清濁各如其所者,九三上九清濁微,九三上六當溫其微白濁,故名各如之其所也。說寒則當白濁,則淨消,此四時氣候也,各當得其正也。】侵消息者。【溫卦以溫侵,寒卦以寒侵。】
各卦の卦氣は、其の温・寒・清・濁は皆各々其の當たる所と如し。〔鄭玄注〕「諸卦」は六十四卦を指す;「氣」は當令行事の時に應に顯現すべき氣を指す。所謂温寒清濁各々其の所と如しは、説く九三が上九に配すれば則ち清濁微弱にして、九三が上六に配すれば本應温なるに其の天色は微微白濁す、故に各々其の所當と如しと叫ぶ。「寒」を説到れば、則ち該天色白濁すべく、隨即轉じて清淨と爲る、此れは四時の氣候にして、各々皆應に其の正を得べし。前來して消息卦を侵犯する。〔鄭玄注〕温卦は温を以て侵し、寒卦は寒を以て侵す。
或陰専政,或陰侵陽。【陽者君,陰者臣。臣専君政事,亦陰侵陽;臣謀殺其君,亦陰侵陽也。按:《後漢書·郎顗傳》注引此文作「陰専政」,舊本訛「陰」為「陽」,今據改。】侵之比先蒙。【蒙之比非一也。先蒙者,臣將欲侵其君,亂氣而起,霧冒之,故先蒙。按:陸徳明《釋文》引《稽覽圖》云「無以教天下曰蒙」,今本內無此語,或即此處佚文也。】
或いは陰の國政を專擅し、或いは陰の陽を侵犯す。〔鄭玄注〕陽は人君を指し、陰は臣下を指す。臣下の人君の政事を專擅するも、亦た陰侵陽なり;臣下の其の君を弑殺せんと圖謀するも、同じく陰侵陽なり。〔四庫館臣按〕《後漢書·郎顗傳》注の引く此の文は「陰専政」と作り、舊本は「陰」を訛りて「陽」と作る、今據りて改正す。侵犯の將に起らんとするに、其の徵象は先に「蒙」(天色の昏蒙)と爲りて現る。〔鄭玄注〕「蒙」此の類の徵象は一種に止まらず。所謂先蒙は、臣下の將に其の君を侵犯せんとし、亂氣は興起し、霧氣は籠罩し、故に先に昏蒙を見る。〔四庫館臣按〕陸德明《經典釋文》の引く《稽覽圖》は「以て天下を教化する無きを蒙と謂う」と説く、今本の裏に此の句話無し、或許即ち此處の佚文ならん。
三則震。【消息比三卦蒙盡六日七分,則震者地動,陰正蒙也。陰不靜,臣氣盛,故地動,故曰三則震。】専政者,言陰為之雖正,不得専也,猶當歸之於陽。【臣當為而後為之,復行之也。】
三次に到れば則ち地震す。〔鄭玄注〕消息卦は相鄰る三卦を連ねて昏蒙は六日七分を占滿し、則ち「震」を發生す、即ち地動す;陰氣は正に昏蒙の時に當たる。陰氣は安靜せず、臣下の氣焰は盛り、故に地動す、因りて「三則ち震」と説く。所謂「專政」は、説く陰は雖も正道に合すを爲すも、亦た應に獨斷專行すべからず、仍お應に政柄を陽に歸還すべし。〔鄭玄注〕臣下の該爲すべきは先に請示して後に爲し、爲了して再び復命して施行す。
専之一則震。【臣専君政甚,則非其必待三也,一則震矣。甚者一卦六日,以寒陰加以還風而溫蒙,侵消息後九十日則震還矣,以風雨止時為期。】侵甚則蝕矣,其加寒溫。【食非必待三時也,一侵則食矣。其加溫寒,謂春夏寒大過、秋冬溫、疾風發屋折木、太陽無光有影無形。按:「侵甚則蝕矣其加寒溫」九字當為正文,原本混入注中,今訂正。】原其劇易。【一則震、一則蝕,易乃三震、三日乃蝕,故曰原其劇易之道也。】
專擅は極點に到り、一次にして則ち地震す。〔鄭玄注〕臣下の專擅する君政は太も嚴重なれば、則ち三次を待つを須とせず、一次にして則ち地震せり。嚴重なるは、一卦六日の内に、寒陰を以て再び回還の風を加えて温蒙を生じ、消息卦を侵犯したる後九十日に則ち地震して回應し、風雨の停歇する時を以て期限と爲す。侵犯の極點に到れば則ち日食せんとし、還會伴随して反常の寒温有り。〔鄭玄注〕日食も亦た必ず三次を待たず、侵犯一次にして則ち食せり。所謂温寒に伴随するは、指す所は春夏は反つて寒の厲しき・秋冬は反つて温み、疾風は屋を掀き木を折り、太陽は光無く・影有りて形を見ず。〔四庫館臣按〕「侵甚しければ則ち食せん・其の寒温を加ふ」の九個の字は應に正文たるべし、原本は注中に混入せり、今訂正す。其の中の輕重の別を推究す。〔鄭玄注〕一次にして則ち地震し・一次にして則ち日食するは、是れ重なり;輕きは則ち要して三次にして乃ち地震し・三日にして乃ち日食す、故に説く其の中の輕重の道を推究せよと。
逆霜旱澇の應
賊陰逆霣者霜。【賊陰者,言人忍壊賊治人也;逆者,非其時;霣者,從上也;霜者,霜以非時殺物,無霜而殺物亦賊之陰。】故陽虐之應,旱霣霜以殺萬物,萬物終歲不復生。【君行暴虐,誅殺暴罪,天應其行,旱霜殺萬物,則終歲不復生也。按:「虐」原本訛作「唐」,注中又訛作「虎」,今並據文改。】
所謂「賊陰逆霣」は、指す所は霜なり。〔鄭玄注〕「賊陰」は説く人は殘忍敗壞し、苛虐の法を以て人を治め;「逆」は其の時に合せず;「霣」は自上より降下し;「霜」は説く霜は非時に生物を殺傷し、即使霜無くして生物を殺すも、同じく賊害の陰に屬す。故に人君の暴虐の報應は、旱灾に降霜を加えて、萬物を殺死し、萬物は一整年皆再生する能わず。〔鄭玄注〕人君の暴虐を施行し、濫りに誅殺を所謂凶暴の罪に加えば、上天は則ち相應の天象を以て其の行爲に回應す:旱與霜とは萬物を殺死し、彼れは則ち整年に復生する能わず。〔四庫館臣按〕「虐」の字は原本訛りて「唐」と作り、注文の中に又訛りて「虎」と作る、今一倂に文義に據りて改正す。
陰假威之應,亦旱霣霜而殺物。【假威者,言君使臣按問,則臣反假君威而殺之心也。天應其行,亦旱霜殺萬物;不言終歲不復生何?庶幾君能覺悟誅之也。君所殺下無復望,故言終歲不復生也。按:「心也」,「心」字疑衍文。】至霣霜時,根生榮不死。【至九月剝用事時,當霣霜殺萬物,今不霣霜,萬物皆復榮不死也。】
臣下の君威を假借するの報應も、亦た旱灾に降霜を加えて萬物を殺死す。〔鄭玄注〕所謂「假威」は、説く人君は臣下を派して案件を査辦せしめ、臣下は反つて君威を借りて人を殺すの心を動かす。上天の此の種の行爲に回應するも、亦た旱與霜を以て萬物を殺す;然らば何の爲に「整年に復生する能わず」と説かざるや?因りて還りて人君の醒悟し來りて此の種の臣子を誅除する能くするを指望すればなり。若し人君の親しく殺す所ならば、臣民は便ち再び指望無し、故に乃ち整年に復生する能わずと説く。〔四庫館臣按〕「而殺の心也」の「心」の字は疑わしき衍文なり。該霜を降すべき時節に到りて、草根は仍お生發繁榮して枯死せず。〔鄭玄注〕九月剝卦當令の時に到りて、本應霜を降して萬物を殺死すべしに、如今却て霜を降さず、萬物は皆重新に繁榮して枯死せず。
斯陽假與陰威之烈,責陰假威誅,【按:「責」字疑「賊」字之訛。】而陰不能誅。好行大虐則旱霣霜,好行小虐則水害物,離各如之。【按:「離」字疑當作「雜卦」字。】當霜霣者法廢。【九月剝用事,當霣霜殺物化成,今不霣者也。】陽無得則旱害物。【陰僣陽亦旱害物。按:《後漢書·郎顗傳》引此文「得」作「徳」,蓋「徳」「得」古字通。又「陰」字原本訛作「陽」,今據傳文改正。】
此れ即ち陽は權柄を臣下に假借し、而して陰は其の威勢の烈を逞ぶす:陰に責成して君威を假借し誅を行はしむるも、〔四庫館臣按〕「責」の字は疑わしき「賊」の字の訛なり。可陰は自己又誅する能わず。大き暴虐を施行するを好めば、則ち旱灾降霜を以て報い;小さき暴虐を施行するを好めば、則ち水患害物を以て報い、雜卦は各々此の例に按じて類推す。〔四庫館臣按〕「離」の字は疑わしき應に「雜卦」二字と作るべし。該霜を降すべきに而も降さざるは、是れ法度の廢弛せるなり。〔鄭玄注〕九月剝卦當令し、本應霜を降して生物を殺傷し・一年の功を告成すべしに、如今却て降さず。陽は德無きに、則ち旱灾害物を以て報い。〔鄭玄注〕陰は陽位を僭越するも、亦た旱灾害物を以て報い。〔四庫館臣按〕《後漢書·郎顗傳》の引く此の文は「得」を「德」と作る、大概「德」「得」二字は古時通用せり。又「陰」の字は原本訛りて「陽」と作る、今本傳の引文に據りて改正す。
觀其政以別之:陽之以木為災也,於春夏水而殺萬物;陰作之以水為害也,於秋冬降陰不行,【君施不行。】而迎陰獨起為雨,雨少必殺。旱異者,旱之而不害物也,斯祿去公室、福由下施,故陽雖不施,而陰通行之徳以成物也。水異者而不害物也,【按:「水異者」下據文疑脫「水」字。】斯陽欲誅而不能,故降陽不時,雨併合也。
當時の政事を觀察して此れらの徵兆を分辨せんとす:陽の造成する灾は、木を以て象と爲し、春夏の際に反つて水有りて萬物を殺傷す;陰の造成する害は、水を以て象と爲し、秋冬の際に下降の陰は通行せず、〔鄭玄注〕指す所は人君の恩施の推行し下らざるなり。於是乎迎上の陰は單獨に興起して雨と成り、雨は雖も少なるも必定物を傷つ。所謂「旱異」は、雖も旱なるも而も生物を傷害せず、此れ象徴する爵祿は公室を離れ・福澤は下より施與す、故に陽は雖も恩を施さざるも、陰は却て其の德を通行して萬物を成就す。所謂「水異」は、亦た水有りて而も生物を傷害せず、〔四庫館臣按〕「水異者」の下は文義に按じて疑わしき一の「水」の字を脫す。此れ象徴する陽は誅罰せんと欲するも辦成せず、故に陽氣は下降して時令に合せず、雨水は並集して下る。
降陽見南,迎陰見北,北不能雨,白直黒而後雨;或先迎而後降,陰不下時;迎陰不起承陽,迎陰氣乆陰不雨,亂氣雲之起也。觀本所起,卦人為之。【按:此氣本從何卦起,所從起卦人所為也。降雲之陰,君謀臣之陰;迎雲之陰,臣謀君之陰也。】
下降の陽は南方に出現し、迎上の陰は北方に出現し、北方の陰は雨を致す能わず、天色は白より黑に轉じて然る後乃ち雨を下す;或いは迎陰は先に在り・降陽は後に在りて、陰氣は便ち時に按じて下降する能わず;若し迎上の陰は興起せずして陽氣を承接せざれば、迎陰の氣は便ち久陰にして雨せず、彼れは亂氣の化する雲の興起せるなり。其れが本來何處より起るかを看るべし、彼れは主卦の人の造成する所なり。〔鄭玄注〕即ち説く此の股の氣は本來何れの一卦より起るか、即ち所從起の彼の一卦の主事者の爲す所なり。降下の雲の含する陰は、是れ君の臣を圖謀する陰なり;迎上の雲の含する陰は、是れ臣の君を圖謀する陰なり。
太陽霓出地上,少陽時並而聲微。【太陽,正月泰卦。霓出地上者,陽散始出,霓與地平。少陽得時並而當雷,少陽謂泰卦也,用事於正月,泰氣得用並。臣強作威者使臨作反,皆盜賊誅殺暴罪,威行於下,君得不降,氣道積,以時降後得同類並下,故暴。】
太陽の時に虹霓は地面の上に出で、少陽は時に應じて並起して雷聲微弱なり。〔鄭玄注〕「太陽」は正月の泰卦を指す。虹霓は地上に出づるは、是れ陽氣の發散初出して、霓氣は地面と相平す。少陽は時を得て其れと並起し、本應雷有るべし、「少陽」は泰卦を指し、其れは正月に當令し、泰氣は並行發用するを得たり。臣下は強橫に威を作し、會して臨卦の時に反叛を發生せしめ、皆盜賊の横行・濫りに誅殺を所謂凶暴の罪に加え、威勢は下に行はれ、君恩は下降する能わず、氣機の道は積滯し、時に按じて下降したる後又同類を聚集して一齊に下壓し、故に狂暴と顯れり。
圍・蝕與還風雨
其入消息日圍。【雜卦用事,以風雨若寒溫入消息卦一二分、一二日,盡後見此前後,名曰求。雜卦用事,以寒溫若暴風雨徑出入消息卦一二分,若一二侵徑出消息下□雜卦,名曰陵。此皆臣侵之象漸也。先犯之,君不覺悟則圍;君復不覺悟則侵,此臣威令行也。氣所發,陵所止,共謀者也。氣消息卦中出,歷雜卦名曰乘,及諸侯卦以寒溫風雨而尊卑侵相乘皆如此,故曰消息日圍也。】
此の類の氣は消息卦に侵入して、則ち「日圍」と叫ぶ。〔鄭玄注〕雜卦の當令して、風雨或いは寒温を以て消息卦の一二分・一二日に侵入し、盡頭の後又前後に顯現す、此れを「求」と叫ぶ。雜卦の當令して、寒温或いは暴風雨を以て徑直に消息卦の一二分に出入し、或いは一兩次に侵犯して徑直に消息卦の下を穿出して雜卦に入る、此れを「陵」と叫ぶ。此れらは皆臣下の侵犯する象の漸次の顯露なり。先に來りて冒犯し、人君は覺悟せざれば、則ち「圍」と成り;人君は再び覺悟せざれば、則ち「侵」と成り、此の時臣下の威令は已に通行せり。氣は何處より發出し・陵犯して何處に到りて止まるか、皆同謀者の致す所なり。氣は消息卦の中より出で、雜卦を經歷す、是れを「乘」と叫ぶ;諸侯の卦に至っては寒温風雨を以て尊卑相侵相乘するも、亦た皆此れに照らして論斷す、故に「消息日圍」と叫ぶ。
觀本所起,卦人為之。【觀寒溫若風雨本從何卦所起,卦人為之也。】一則圍三年。【一圍後消息常不效,三年則日蝕之兆也。】以風雨濟止時為期。【晝止則晝蝕,夜止則夜蝕。按:「濟」即「霽」字,《周禮·太卜》注引《洪範》曰「濟曰圛」。】
其れが本來何處より起るかを看るべし、彼れは主卦の人の造成する所なり。〔鄭玄注〕即ち寒温或いは風雨の本來何れの一卦より發起するかを觀察すれば、便ち彼の一卦の主事者の爲す所なり。圍は一次なれば、三年に應ず。〔鄭玄注〕圍は一次を過ぎたる後、消息卦は常常に再び應驗せず、三年を滿たせば則ち日食の先兆なり。風雨の初霽停歇の時刻を以て應期と爲す。〔鄭玄注〕白天に停まれば白天に日食し、夜裏に停まれば夜裏に發生す。〔四庫館臣按〕「濟」は即ち「霽」の字なり、《周禮·太卜》鄭注の引く《洪範》は「濟曰圛」と作る。
晝則為蝕既,暮則為星亡之蝕。【晝不蝕既、暮不星亡,不能成災,為異而已矣。】三則圍。【三蝕、三既若三星亡,則圍者亡已滅之象也。河出圖、洛出書,更有所命也。】還風雨起消息,則陽誅罰妄。【還風雨起於消息卦中者,君妄誅罰無罪。】
白天は則ち日全食と成り、傍晚は則ち星辰隱没の食と成る。〔鄭玄注〕白天は全食に至らず・傍晚は星辰隱没に至らざれば、則ち灾を構成せず、只だ異象と算するのみなり。三次にすれば則ち「圍」と成る。〔鄭玄注〕三次に日食し・三次に全食し或いは三次に星辰隱没せば、然らば圍せられたる一方は滅亡已成の象なり。此の時黄河は圖を出だし・洛水は書を出だし、天命は將に別に歸する所有らんとす。狂暴の風雨は消息卦の中より興起せば、則ち説明する陽(人君)の誅罰の妄濫せるを。〔鄭玄注〕暴風雨の消息卦の中より興起するは、是れ人君の胡亂に罪無き人を誅罰するなり。
消息居卦中卦而已不分,則他卦為之。【還風雨自居卦分中,則君自所為也;出即分他卦人教君為主。消息所為,無害物也;卦人教君為之,則風雨害物,以此別之。一日:還風從公入消息者,臣率君為非也;從消息入侯卦者,君率臣為非,上侵下侵等卦。按:正文「息」字上據注當有「消」字,原本脫,今補入。】
若し消息卦は只だ本卦の卦分の中に居りて越出せざれば、彼れは別の卦の造成する所なり。〔鄭玄注〕暴風雨の若し只だ本卦の卦分の内に在らば、彼れは人君自ら爲す所なり;若し本分を越出して他卦に進入せば、則ち別卦の主事者の教唆して人君をして爲さしめたるなり。人君自ら爲す所は、萬物を傷害せず;別卦の主事者の教唆して人君をして爲さしめたるは、風雨は萬物を傷害す、此の一點を憑りて分辨す。別一説:暴風の公卦より消息卦に進入するは、是れ臣下の君を帶びて惡事を爲すなり;消息卦より侯卦に進入するは、是れ君の臣を帶びて惡事を爲すなり、上侵下侵の各卦は皆此の類に照らして推す。〔四庫館臣按〕正文「息」の字の上は注文に依りて應に一の「消」の字有るべし、原本脫漏せり、今補入す。
上有陰,百二十日為雨。【上六用事後。勝小畜溫也。按:此與上下文不相類,注中「勝小畜溫」之語義亦不倫。今核其文,與上「左為右前為後」注內「二百二十日降為卒雨」云云詞義相連,蓋本為一節,錯誤在此,以致首尾舛互。當為正文云「上有陰百二十日為雨」,注云「上六用事後一百二十日降為卒雨」;又正文云「其有陽二百二十日而風」,注云「謂上九用事後一百二十日降為卒風」,文意明白,自無可疑。又注內「勝小畜溫也」五字,當屬前「小畜乾位比,息之卦當勝雜卦」注內之文,錯出於此。】
上位に陰有りて、一百二十日の後に雨と化す。〔鄭玄注〕此れは上六の當令行事の後の事なり。小畜の温に勝つ。〔四庫館臣按〕此の一條は上下文と相類せず、注中「小畜温に勝つ」一語の意思も亦た不倫不類なり。今文字を核對するに、其れは前面「左は右に爲り・前は後に爲る」の注内の「二百二十日降りて卒雨と爲る」等の語と文義相連れ、本來應に同一節たるべしに、誤りて此處に落ち、以致首尾錯亂せり。正文本應「上に陰有りて、百二十日に雨と爲る」と作るべく、注は應に「上六用事の後一百二十日降りて卒雨と爲る」と作るべし;又正文本應「其の陽有れば、二百二十日にして風」と作るべく、注は應に「上九用事の後を謂う・一百二十日降りて卒風と爲る」と作るべし、此の樣にすれば文意は則ち明白にして、自然に可疑の處無し。又注内の「小畜温に勝つ也」五個の字は、本應前面「小畜は乾位に比し・息の卦は應に雜卦に勝るべし」の彼の一條の注中の文字に屬すべしに、錯落して此處に來れり。
別相侵,則一實氣不以貎。【寒溫為實,白濁清淨為貌。別相侵,以白濁清淨也。】有實無貎,屈道人也。【有寒溫無白濁清淨,此賢者屈道仕於不肖之君也。按:「屈道仕」三字原本作「屬壯」,今據《後漢書·郎顗傳》注所引文改正。】
彼此相侵の象を分別考察すれば、則ち只だ「實」氣を憑りて「貌」を看ず。〔鄭玄注〕寒温は實に屬し、白濁清淨は貌に屬す。彼此相侵を分別するは、白濁清淨に就きて看るなり。「實」有りて「貌」無きは、是れ其の道を屈抑する人なり。〔鄭玄注〕寒温の應有りて白濁清淨の象無きは、此れ賢者の其の道を屈抑して不賢の君に仕へるなり。〔四庫館臣按〕「道を屈して仕ふ」三字は原本「屬壯」と作る、今《後漢書·郎顗傳》注の引く文字に據りて改正す。
有貎無實,佞人也。【有白濁清淨無寒溫,比佞人以便巧仕於世也。賢者有美道,上屈不肖君,但無實氣效耳;佞人無美道,可以便巧仕,故但貎氣效之。按:原本註文「便巧仕」下脫「於世」二字,今據《郎顗傳》注増入。】消息無為屈,故無效也。【消息至尊無上,但效寒溫,不效貎氣也。說消息上無所屈,但貎皆相應也,故無貎矣。】
「貌」有りて「實」無きは、是れ佞人なり。〔鄭玄注〕白濁清淨の象有りて寒温の應無きは、比擬する所は佞人の巧便機靈を憑りて世に出仕するなり。賢者は身に美道を懷き、向上して不賢の君に屈從し、只だ實氣無くして應驗するのみなり;佞人は美道無く、只だ巧便を憑りて出仕する能く、故に只だ貌氣有りて應驗するのみなり。〔四庫館臣按〕原本注文「便巧仕」の下は「于世」二字を脫せり、今《郎顗傳》注に據りて補入す。消息の卦は屈抑する所無く、故に「貌」の應驗無し。〔鄭玄注〕消息卦は至尊にして其の上に物無く、只だ寒温に應驗して、貌氣に應驗せず。此れは説く消息卦は向上して屈從する所無く、凡そ貌は皆彼此相應す、故に則ち別に貌を須とせずと。
剝,陰氣上達,霣霜以降。【剝,九月之卦。陰氣上達於五,霜始降,副殺萬物。】寒氣以殺萬物成刑。【寒氣當殺落萬物,歲成熟其長大而刑之,萬物成也。】
剝卦の時、陰氣は上に達し、霜は便ち降下す。〔鄭玄注〕剝は九月の卦なり。陰氣は上達して第五爻に至り、霜は降落を開始し、之に隨りて萬物を殺傷す。寒氣は以て萬物を肅殺し、刑罰の功を完成す。〔鄭玄注〕寒氣は本應萬物を摧落すべく、一年の中萬物は成熟長大して然る後其れに刑を加へ、於是乎一歲の功は告成す。
不至則太陰不強,霜不以時降,萬物必有不成刑者,則有傷年之災。【此君弱、刑罰法度廢不行之象也。傷年者,傷霜當傷生物也。一曰:太陰不強,則其日蝕微,則其旱為霜發於沖日,其無赤但霜。按:「霜不以時降」以下十九字,與上文「霣霜以降」云云相對,當為正文,原本混入注中,今訂正。】
寒氣の到らざれば、則ち説明する太陰の強からざるを、霜は時に按じて下降する能わず、萬物は必定刑殺の功を成就する能わざる有りて、於是乎則ち年成を傷つける灾害有り。〔鄭玄注〕此れは人君の衰弱し・刑罰法度の廢弛して行はれざる象なり。所謂年を傷つは、説く本應霜を降して物を傷つべきに而も反つて生物を傷つけるなり。別一説:太陰の強からざれば、然らば其の日食は則ち輕微にして、其の旱情は則ち表現して霜は相衝の日に發し、天色は赤色を見ずして只だ霜あるのみ。〔四庫館臣按〕「霜は時を以て降らず」以下十九個の字は、上文の「霣霜以降」等の語と正に相對應し、應に正文たるべし、原本は注中に混入せり、今訂正す。
十二月寒温の候
十一月微溫比十月,【十月離卦九三、上六效溫,如十月之氣也。按:「上六」當作「上九」。】其決溫比九月。【九三、六二效溫,如九月氣。按:「六二」當作「上六」。】三月微寒比二月,以決寒比正月。【三月雜卦六三、上六微寒,如二月之氣;六三、上九決寒,如正月之氣。按:原本正文「微」下脫「寒」字,今據文増入。】
十一月に微温を現ずるは、十月の氣候に比同す、〔鄭玄注〕十月離卦の九三が上六に配して温氣を出すべし、十月の氣候の如し。〔四庫館臣按〕「上六」は應に「上九」と作るべし。其れが明顯の温を現ずれば、則ち九月に比同す。〔鄭玄注〕九三が六二に配して温氣を出すべし、九月の氣候の如し。〔四庫館臣按〕「六二」は應に「上六」と作るべし。三月に微寒を現ずるは、二月の氣候に比同し;明顯の寒を現ずれば、則ち正月に比同す。〔鄭玄注〕三月雜卦の六三が上六に配して微寒を出すべし、二月の氣候の如し;六三が上九に配して明顯の寒を出すべし、正月の氣候の如し。〔四庫館臣按〕原本正文「微」の字の下は一の「寒」の字を脫せり、今文義に據りて補入す。
冬至之後三十日極寒,【三十日後大寒過正為實。】夏至日之後三十日極溫。【三十日後大溫過正為實。】仲春之後微溫卻三十日,【仲春者,春分也。】決溫卻六十日。【至夏至也。微者則知於身,決絕者可知。按:據注,「決溫」上當有脫文。】
冬至以後三十日に寒は極點に到り、〔鄭玄注〕三十日以後は大寒は常度を超過す、此れを「實」と叫ぶ。夏至以後三十日に温は極點に到る。〔鄭玄注〕三十日以後は大温は常度を超過す、此れも亦た「實」と叫ぶ。仲春以後に微温を現ずるは、應に後へ三十日を推延すべく、〔鄭玄注〕「仲春」は即ち春分なり。明顯の温を現ずるは、應に後へ六十日を推延すべし。〔鄭玄注〕即ち夏至に推到す。微弱なるは還りて切身に體察して乃ち知るを須とし、明顯決絕なるは自然に一望して知る能く。〔四庫館臣按〕鄭注に據りて推せば、「決温」二字の上に應に脫文有るべし。
冬寒過甚有所害,亦賊陰也。賊陰亦為圍,蝕於正陽。【蝕者月蝕,陰侵陽、臣殺君之應。按:原本「賊陰」俱作「則陰」,今辨訛改正。】正陽者,二月至四月陽氣用事時也。三月之末、四月之本,【於是蝕日者,世子所殺也。】或二月之末、三月之末、四月之本。【於是蝕日,人君所殺也。蝕必以怒,上者傷君,蝕於下者傷民下也。】
冬に寒冷の分を過ぎて傷害あるも、亦た賊害の陰に屬す。賊陰も亦た「圍」を構成し、應に正陽の月に虧蝕を發生すべし。〔鄭玄注〕「蝕」は月食を指し、是れ陰侵陽・臣弑君の應驗なり。〔四庫館臣按〕原本「賊陰」は皆「則陰」と作る、今辨明して訛字を改正す。所謂「正陽」は、二月より四月に至る陽氣當令行事の時なり。三月の末・四月の初、〔鄭玄注〕此の時に日食を發生するは、是れ太子の殺害する所有り。或いは二月の末・三月の末・四月の初。〔鄭玄注〕此の時に日食を發生するは、是れ人君の殺害する所有り。日食は必定怒氣に由りて招致し、食は上方のは君に傷を及ぼし、下方のは民に傷を及ぼす。
蝕日月相薄之日,在前後各鄉陰之地侵之,或不從陰所來者,有行事師不載。
日食は日月の相迫る彼の一日に發生し、其の前後に各々陰に屬する方位に朝向して其れを侵犯す;亦た并不陰氣の來る所の方位より來る有りて、彼れは施行の事に屬して師説の未曾記載せる情形なり。
太平の風與蟲食の異
太平時,陰陽和合,風雨咸同,海內不偏。地有阻險,故風有遲疾,雖太平之政,猶有不能均同也,唯平均乃不鳴條,故欲風於亳,亳者陳留也。【按:自「太平時」以下,《隋書·王劭傅》引其文。原本以「太平」二字入正文,而「時陰陽」以下俱混入小注,今據《劭傅》改正。又「亳者陳留」,原本作「亳有陳離」,今亦據《王劭傅》改正。】
天下太平の時、陰陽は和合し、風雨は到る處一樣にして、四海の内は偏枯無し。但し大地は險阻高下有り、故に風は快有り慢有り、縱れ太平の政なるも、仍お完全に均同する能わざる處を免れず;只だ眞に均平なるを、風乃ち樹枝を吹きて響かせるに至らず、故に人々は亳地より風を取らんと希望す、亳は即ち陳留なり。〔四庫館臣按〕「太平時」以下、《隋書·王劭傳》の引く此の文有り。原本は只だ「太平」二字を正文と算して、「時陰陽」以下は皆小注に混入せり、今《王劭傳》に據りて改正す。又「亳は陳留なり」は、原本「亳有陳離」と作る、今も亦た《王劭傳》に據りて改正す。
蟲食木實曰髙,【謂食木顛。】斯割下啖上之異。食心曰內,下比掩惡,適足以害民。食外曰莘,食下曰根,斯教令煩擾不任職也。以政別之。【各以蟲所居別知其吏。按:此九字當為注,原本混入正文,今訂正。】非真而直。【按:此四字疑有誤。】
蟲子の樹上の果實を食うは「髙」と叫び、〔鄭玄注〕指す所は樹の頂端を食うなり。此れは下面を剝割して上面を供養する異象なり。樹心を食うは「内」と叫び、象徴する下面は結黨營私し・罪惡を掩蓋して、恰好百姓を殘害するに足れり。樹の外層を食うは「莘」と叫び、樹の下部を食うは「根」と叫び、此れは敎令の煩苛して民を擾り・官吏の其の職に勝えざる象徴なり。當時の政事に按じて其れらを分辨せんとす。〔鄭玄注〕各々蟲子の所在する部位に按じて、分辨する何れの一級の官吏なるかを。〔四庫館臣按〕此の九個の字は應に注文たるべし、原本正文に混入せり、今訂正す。并非眞實にして正直なり。〔四庫館臣按〕此の四個の字は疑わしき訛誤有り。
蟲子生人,畜生人也,其非人也,必害良臣。【愛命者小人也,故必害良臣也。蟲子生人者,言陰以更生陽;其非人也者,物蟲子生人支體有不具者,若人生六畜物也。然必害良臣,猶紫奪朱。按:「蟲子生人者」以下當為注,原本混入正文,今改正。】
蟲子は人形を生出し、六畜は人形を生出すも、彼の生出するは其實并人に非ず、必定忠良の臣を傷害せん。〔鄭玄注〕生を貪り命を惜むは小人にして、故に必定良臣を傷害す。所謂「蟲子人を生ず」は、説く陰の反つて陽を生出するなり;所謂「其れは人に非ず」は、説く蟲豸の生ずる人形の肢體は完備せざる有りて、人の六畜の類を生出するが如し。此の樣に必定良臣を傷害す、正に紫色の朱色の正位を奪ふが如し。〔四庫館臣按〕「蟲子人を生ずる者」以下は應に注文たるべし、原本正文に混入せり、今改正す。
噬嗑反,則有口實之變。治道得,則陰物變為陽物;【蔥變為韭亦是。按:《隋書·王劭傳》引此文,又引鄭康成注有此六字,原本脫,今補入。】其反也,則陽物變為陰物,祐斷復生,若以死象生。【按:《漢書·五行志》引京房《易傅》有「斷枯復生」之語,則「祐斷」當作「枯斷」。】
噬嗑の象の反常なれば、則ち口食の物に關する變異有り。治道の得當なれば、陰類の物は則ち陽類の物と變成し;〔鄭玄注〕葱は韭菜と變成するも此の一類に屬す。〔四庫館臣按〕《隋書·王劭傳》の引く此の文、又引く鄭康成注は此の六個の字有り、原本脫漏せり、今補入す。反つて、陽類の物は則ち陰類の物と變成し、枯斷の樹木は重新に生發して、死物を以て生象を顯現するが如し。〔四庫館臣按〕《漢書·五行志》の引く京房《易傳》に「斷枯復生」の説法有り、然らば「祐斷」は應に「枯斷」と作るべし。
葦生不過一歲,竹生不過四歲,他物比之竹葦。九禁為人闢也,木知比也。【按:此四句當有脫誤。】
蘆葦は枯れて復た生ずるは、其の應は一年を出でず;竹子は枯れて復た生ずるは、其の應は四年を出でず;別の植物は皆竹與葦とに比照して推す。九種の禁忌は君主の爲に設くるにして、草木に知有るは此の類の徵象に屬す。〔四庫館臣按〕此の四句は應に脫漏訛誤有るべし。
日食與衆色の比
日食之比,陰得陽。蒙之比也,陰冒陽也。【蒙,氣也,比非一也。邪臣謀覆冒其君,先霧從夜昏起,或從夜半,或平日,君不覺悟,日中不解,遂成蒙;君復不覺悟,下為霧也。按:此註文見於《後漢書·郎顗傅》注內,原本全脫,今補入。又原本正文脫「日」字、「陽」字,又「也」字訛「耶」,「冒」字訛「謂」,今並據《郎顗傅》注改正。】
日食此の類の徵象は、是れ陰の陽を壓倒せるなり。昏蒙此の類の徵象は、是れ陰の陽を覆蓋せるなり。〔鄭玄注〕「蒙」は一種の氣にして、此の類の徵象は一種に止まらず。姦邪の臣は其の君を覆蓋蒙蔽せんと圖謀し、先に霧は黃昏の時より起り・或いは半夜より起り・或いは平旦より起り、人君は覺悟せず、中午に到りても尚お消散せざれば、則ち「蒙」と成る;人君は再び覺悟せざれば、下に行きて則ち霧と成る。〔四庫館臣按〕此の段の注文は《後漢書·郎顗傳》李賢注の中に見え、原本全部脫落せり、今補入す。又原本正文は「日」の字・「陽」の字を脫し、「也」の字は訛りて「耶」と作り、「冒」の字は訛りて「謂」と作る、今一倂に《郎顗傳》注に據りて改正す。
黃之比,知善不舉;青白之比,疑也;黒之比,不掩惡也;白之比,弱也;赤之比,色元也。【按:「元」字疑誤。】霓之比,無徳以色親也。【霓,邪氣也。陰無徳,以好色得親倖於陽也。按:《後漢書·楊賜傅》引此文稱《中孚經》,又引鄭注云云,原本全脫,今補入。】
天色の發黃する此の類の徵象は、主る明知して善人を擧用せず;青白色の此の類の徵象は、主る猜疑;黑色の此の類の徵象は、主る肯して罪惡を掩飾せず;白色の此の類の徵象は、主る衰弱;赤色の此の類の徵象は、主る色氣の危。〔四庫館臣按〕「元」の字は疑わしき訛誤有り。虹霓の此の類の徵象は、主る德無き人の美色を憑りて親幸を得る。〔鄭玄注〕霓は邪氣なり。陰は德行無く、美色を憑りて陽の親近寵幸を獲得す。〔四庫館臣按〕《後漢書·楊賜傳》の引く此の文の時は《中孚經》と稱し、又引く鄭玄注若干語、原本全部脫落せり、今補入す。
震之比,陰不靜;風逆之比,陰假作也;旱之比,陰潛陽起也;寒燠之比,亂;水比,陰賞誅逆;霣霜之比,陰假威;霧之比,陰亂陽。【臣亂其君政事。】黒一日、黃滿五日、赤三日,【皆太陽色,蒙亦然也。】過乃為異。象八十二日變下為青白霧。【白者象物氣白也,青者象?雜任事象。於消息者一日,後六日霧極,六日為三十六日霧,雜卦各以日。】
地震の此の類の徵象は、主る陰氣の安靜せざる;逆風の此の類の徵象は、主る陰の名義を假借して妄作する;旱の此の類の徵象は、主る陰の潛伏して陽の興起する;寒暑失常の此の類の徵象は、主る政亂;水の此の類の徵象は、主る陰の賞罰を妄行し・悖逆度無し;降霜の此の類の徵象は、主る陰の君威を假借する;霧の此の類の徵象は、主る陰の陽を擾亂する。〔鄭玄注〕即ち臣下の其の君の政事を擾亂するなり。黑色の出現一日・黃色は五日に滿ち・赤色は三日、〔鄭玄注〕此れらは皆太陽の色にして、昏蒙も亦た一樣なり。此の期限を超過すれば便ち灾異と成る。此の象は八十二日を經て、下に變じて青白色の霧と成る。〔鄭玄注〕白色は物氣の發白を象徴し、青色は象徴す……(此處原字漫漶)雜事の象。消息卦に在りては一日にして、此の後六日に霧氣は極點に到り、六日累計して三十六日の霧と爲り、雜卦は則ち各々其の日數に按じて推算す。
君不覺,後七十二日變為赤黃;君復不政,三年蝕於正陽。【二三四也。按:「君不覺」三字原本混入註文,今訂正。】蝕一辰。【蝕者日蝕,辰者辰開。】寒燠水旱一時,風雨逆霣發旬中,象者氣也。象氣起而太陽強而眀者,陽覺寤,其危悖辱異乃行。
人君は還りて覺悟せざれば、此の後七十二日に則ち變じて赤黃の色と爲る;人君は再び政事を修明せざれば、三年の内に則ち正陽の月に日食を發生す。〔鄭玄注〕即ち二月・三月・四月なり。〔四庫館臣按〕「君覺悟せず」三字は原本注文に混入せり、今訂正して正文と爲す。日食は一辰を持續す。〔鄭玄注〕「蝕」は日食を指し、「辰」は一個の時辰の久しきを指す。寒暑水旱は同時に並見し、風雨……〔以下の文は闕脫す〕。
黃之色悖如麴塵,白青之色如縹。【太陽色白青,狀如縹青也。按:原本「如縹」上脫「色」字,今據文増。】黒之異在日中,分分也。【黒色分分在日中,惡見;臣有戒殺君,不過三日。按:「分分」疑當作「雰雰」,《漢書·五行志》「雰氣寒」是也。】
發黃の色の悖亂する時は酒曲の上の浮塵の如く、白青の色は則ち淡青の縹色の絲帛の如し。〔鄭玄注〕太陽は白青の色を呈し、形狀は則ち縹青の如し。〔四庫館臣按〕原本「縹の如し」の上は一の「色」の字を脫せり、今文義に據りて補入す。黑色の異象は日輪の中に出現して、紛紛密布す。〔鄭玄注〕黑色は紛紛密布して日輪の中に在るは、是れ凶惡の象なり;臣下に弑君の謀有らば、三日を出でずして發作せん。〔四庫館臣按〕「分分」は疑わしき應に「雰雰」と作るべし、《漢書·五行志》の説く「雰氣寒」は即ち此の字なり。
白之色白而不照,其色悖。【太陽白無明,但陽體存,悖悖狀如廢。】赤之色輝輝也。【太陽色無明,赤然但體在赤中。】赤不過為疾病,其色眀者無能也。霓者氣也,霓氣起在日側,其色赤青白黃在日旁。震者地動也。【陽不靜之象。】
白色の象は發白して照耀せず、彼の種の色は悖亂の色なり。〔鄭玄注〕太陽は發白して光明無く、只だ陽の形體の還りて在るに剩り、悖亂の狀は廢棄の如同なり。赤色の象は通體輝輝として發紅す。〔鄭玄注〕太陽の色は光明無く、只だ赤紅一片にして、形體は赤色の中に存す。赤色の應は不過疾病にして、若し其の色明きなれば、則ち何の危害も有らず。所謂「霓」も、亦た一種の氣にして、霓氣は日輪の旁側に興起し、赤・青・白・黃の諸色は皆太陽の邊上に出現す。所謂「震」は、即ち地動なり。〔鄭玄注〕此れは陽氣の安靜せざる象なり。
風之為異,東西南北嘿無度,【按:「嘿」字疑有誤。】其逆者觸也。水者雨也,雨或不生。寒者非其寒也,燠溫也,其時節溫也。逆霣者旱霜,一曰賊陰也。雺者霧也,一曰乆陰不雨,霧之比也。
風の異象を構成するは、東西南北に亂吹して常度無し、〔四庫館臣按〕「嘿」の字は疑わしき訛誤有り。其の中悖逆するは還りて相撞衝突す。所謂「水」は即ち雨にして、或いは雨を下して萬物生ぜず。所謂「寒」は、該寒ならざるに而も寒なり;所謂「燠」は即ち温にして、該温なるべからざる時節に反つて温なり。所謂「逆霣」は即ち旱天の霜にして、別一説は即ち賊害の陰なり。所謂「雺」は即ち霧にして、別一説は久陰にして雨せず、皆霧の此の類の徵象に屬す。
陽の天を感ぜしむる與政を變えて灾を除く
陽感天不旋日,諸侯不旋時,大夫不過期。【陽者,天子。為善一日,天立應以善;為惡一日,天立應以惡。諸侯為善一時,天立應以善;為惡一時,天立應以惡。大夫為善一歲,天立應以善;為惡一歲,天亦立應以惡。一說云:不旋日,立應之;不過時,三辰間;不過期,從今日至明日也。陽即指天子也。按:《後漢書·郎顗傅》引此文稱《中孚傅》,又引鄭注云云,原本全脫,今增入。】
陽は上天を感動して、一日を出でずして回應有り;諸侯は上天を感動して、一時を出でず;大夫は上天を感動して、一年を超過せず。〔鄭玄注〕「陽」は天子を指す。善を行ふこと一日なれば、上天は立刻に善を以て回應し;惡を作ること一日なれば、上天は立刻に惡を以て回應す。諸侯の善を行ふこと一時なれば、上天は立刻に善を以て回應し;惡を作ること一時なれば、立刻に惡を以て回應す。大夫の善を行ふこと一年なれば、上天は立刻に善を以て回應し;惡を作ること一年なれば、上天も亦た立刻に惡を以て回應す。別一説:「日を旋かさず」は立刻に回應す;「時を過ぎず」は三個の時辰の間なり;「期を過ぎず」は今日より明日に至るなり。「陽」は即ち天子を指す。〔四庫館臣按〕《後漢書·郎顗傳》の引く此の段の文字の時は《中孚傳》と稱し、又引く鄭玄注若干語、原本全部脫落せり、今補入す。
凡異所生、災所起,各以其政變之則除,其不可變,則施之亦除。【改其政者,謂失火令則行水令,失土令則行木令,失金令則行火令,則災除去也。不可變謂殺賢者也;施之者,死者不可復生,封祿其子孫使得血食,則災除也。按:《郎顗傅》注引鄭注有此文,原本全脫,今補入。又按:原本「政」訛「卦」,「除」訛「陰」,今並據《郎顗傅》注改正。】
凡そ異象の由りて生ずる所・災禍の由りて起る所は、各々其れを引發する彼の一項の政事に按じて加以變改すれば、灾は則ち消除す;彼れらの已に挽回する能わざるは、施惠の辦法を以て補救し去れば、灾も亦た消除する能く。〔鄭玄注〕所謂政事を變改するは、説く火令を失せば則ち水令を改行し、土令を失せば則ち木令を改行し、金令を失せば則ち火令を改行す、此の樣にすれば灾は則ち除去せらる。所謂挽回する能わざるは、指す所は已に誤りて賢人を殺したるなり;所謂「之を施す」は、説く死者は復生する能わざれば、則ち其の子孫に封賞祿位して、其れをして世代に祭祀を得享せしむれば、此の樣に灾も亦た除かる。〔四庫館臣按〕《郎顗傳》注の引く鄭玄注に此の段の文字有り、原本全部脫落せり、今補入す。又原本「政」は訛りて「卦」と作り、「除」は訛りて「陰」と作る、今一倂に《郎顗傳》注に據りて改正す。
祿之除也無以成,三必敗;或不改不祿,而災曰除者。【按:以上文有脫誤。】觀本所起,以知存亡。【有此災異不改,祿;三不祿,天更光明,陰陽和,列星不失度,乃賢者時政也。明天之意去,此卿來者常,故得政;卦人存常,不無失者,卦人亡。按:此註文有脫誤。】
若し封祿の補救の辦成せざれば、三次改せざれば則ち必定敗亡す;亦た既に政を改めず又封祿せずして、而も灾は却て已に消除したりと説く有り。〔四庫館臣按〕以上の文字は脫漏訛誤有り。灾異の本來何處より起るかを考察して、據りて存亡を判斷せんとす。〔鄭玄注〕此の類の灾異有りて而も改せざれば、則ち封祿を以て補救す;三次皆肯して封祿せざるに、反つて天色は更に光明にして・陰陽調和し・列星は其の度を失わざれば、彼れ乃ち賢者の政を當る時なり。上天の意を明白にして弊政を去除すれば、此の樣の公卿の到來すれば便ち常度有り、故に政を得る能く;主卦の人は常を守れば、則ち失誤に至らず、失誤すれば則ち主卦の人は敗亡す。〔四庫館臣按〕此の段の注文は脫漏訛誤有り。
於中錄於七經。【按:黃震《日抄》稱《通卦驗》有「於七經」「於河洛」之目,於理無所考。今《通卦驗》並無此目,其文反見《稽覽圖》,又不言「於河洛」而言「於中錄」,似是題篇之名,而義不可曉,今姑仍舊文。】
于中録、于七經。〔四庫館臣按〕黃震《黃氏日抄》は《通卦驗》に「于七經」「于河洛」此の樣の篇目有りと説く、理の上に考索するに從う無し。如今《通卦驗》の裏に并此れらの篇目無く、彼れらの文字は反つて《稽覽圖》に見えり;而且此處は「于河洛」と説かずして却て「于中録」と説く、看れば篇題の名稱に似たるも、但其の含義は已に考究する能わず。
六十四卦候應讖辭
乾,十一月:小君賢,臣佐上,天下有作謀九錄之文,天下風雨揠禾,威政復聖人,自西北立。
乾卦、十一月を主る:君夫人は賢明にして、臣下は其の上を輔佐し、天下は「九録」の一類の圖書を謀作する事を出現し、天下は風雨を灾と爲して禾苗を拔起し、威嚴の政は聖人に重歸し、西北方より建立起來せり。
坤,六月:有女子任政一年,傅為復;五月有貧之從東北來立,大起土邑,西北地動,星墜陽衛。【按:《隋書·王劭傅》引此文而為之釋曰:坤六月者,坤徳在未,六月建未;「一年傅為復」者,復是坤之一世卦,陽氣初生五月;「貧之」者,「貧之」當為「真人」,字之誤也。原本「任」訛作「淫」,「邑」訛作「色」,又脫「立」字,今並據《劭傅》改正。】
坤卦、六月を主る:女子の國政を執掌する一年有りて、其の後は復卦の象に轉成す;五月に眞人は東北方より前來して自立し、大規模に城邑を興建し、西北方に地震を發生し、星の陽衛の地に墜落する有り。〔四庫館臣按〕《隋書·王劭傳》の引く此の文は竝びに解釋を加えて説く:坤は六月を主るは、坤德は未に在り・六月は未を建ずるが爲に;「一年傳して復と爲る」は、復卦は坤の一世卦にして・陽氣は五月に初生するが爲に;所謂「之を貧す」は、「貧之」は應に「眞人」にして・字形の誤なり。原本「任」は訛りて「淫」と作り、「邑」は訛りて「色」と作り、又一の「立」の字を脫す、今一倂に《王劭傳》に據りて改正す。
屯,十一月:神人從中山出,趙地動,北方三十日千里馬數至。【按:《隋書·王劭傅》引此文而釋之曰:「屯十一月神人從中山出」者,此卦動而大亨;作「趙地動」者,中山為趙地,以神人將去故變動;「千里馬」者,屯卦震下坎上,震於馬作足,坎於馬為羙脊也。原本「月」上脫「一」字,又脫「地動」二字,今並據《劭傅》改正。】
屯卦、十一月を主る:神人は中山より出現し、趙地は地震を發生し、北方は三十日の内に屢々千里馬の到來有り。〔四庫館臣按〕《隋書·王劭傳》の引く此の文は竝びに解釋して説く:「屯は十一月・神人は中山より出づ」は、此の卦は動して大いに亨通するに由りて;「趙地動く」と説くは、中山は趙地に屬し・神人の將に去らんとするに由りて故に變動有り;「千里馬」と説くは、屯卦は震下坎上にして・震は馬象を足と爲し・坎は馬象を美脊と爲るが爲に。原本「月」の字の上は一の「一」の字を脫し、又「地動」二字を脫す、今一倂に《王劭傳》に據りて改正す。
蒙,正月:天下東北經顏色,陽國水大溢陽泉。需,四月:常從西北方進陽來名來公,東海移北三里,夏雨寜陽陰,二十三日易君三年。
蒙卦、正月を主る:天下の東北方は氣色の變を經歷し、陽に屬する國は大水して陽泉に泛溢す。需卦、四月を主る:常に陽氣は西北方より進來して、其の名は「來公」と曰い、東海は北に向かい三里を移し、夏天は雨を下して陽中の陰を寧息し、二十三日の内に國君を更換し、應期三年なり。
訟,三月:下與上訟爭,設行三月河水不流,三有徳者祀之,水乃西行,兵甲事河十年,有大水,古訟牛出領北山東北。
訟卦、三月を主る:在下者は在上者と爭訟し、若し此の様に施行し下れば、三個月内に黄河の水は流れず;三位の有德の人に由りて其れを祭祀して、水乃ち西に向かい行く;甲兵の事は河上に於て十年を糾纏し、將に大水有らんとし、古時の訟牛は北山東北一帶より出現す。
師,四月:師動兵臨晉及謀於呉,兵還太山東南西北二十,民死驚,死生之憂,三官地動,大星下,民驚於水,元師坤下,故受流坤師,號曰躋,戒秋分。比,四月:骨肉之親爭,周文王武,當有女子立六年,三死。
師卦、四月を主る:軍隊は出動して、兵は晉國に臨み、又吳地に於て圖謀し、兵馬は泰山東南西北二十里の内に回還し、百姓は死傷驚恐して・生死の憂有り;三官の地は地震を發生し、大星は隕落し、百姓は水に因りて驚き;元帥の象は坤の下に出づ、故に坤師流轉の運を承受し、號は「躋」と稱し、秋分に戒備を須とす。比卦、四月を主る:骨肉至親は相爭い、周文王・周武王の事の如く、應に女子の立國六年有りて、三次に死喪有り。
小畜,四月:多風雨少,民苦;有三牛青三角出東南河海之濵,杜衛侍兵之矣。履,六月:人民清繫扁逆,賞八尺二寸,戒並易樂,少雨,西北神絕,祝日在貴人。
小畜卦、四月を主る:風多くして雨少く、百姓は困苦す;三頭の青色にして三隻の角を生ずる牛は東南方河海の濱に出現し、杜・衛二地は應に兵衛を以て守備すべし。履卦、六月を主る:人民は拘繫せられて廣く悖逆の禍に遭い、賞賜の物は八尺二寸を長じ、應に戒慎兼行し・樂章を變易し、雨水は稀少にして、西北方の神靈の祀は斷絕し、祝禱の日は貴人の身上に應ず。
泰,十月:天生死女子用政八九年,中子要有未疵代之,兵起西北東南三年,解,天乆陰,賢趙陵為佐,典日再中食,戒。否,六月:天下分為國,足無賢人,政亂,大風揚名,三陽晉書山,趙秦承之兩月,民盡見之。
泰卦、十月を主る:上天は主死の象を生出し、女子は政を執る八九年、中子は將に未愈の疵有りて其の位を取代せんとし、兵事は西北與東南に起り、三年を歷して解す;天は久しく陰にして開かず、賢者趙陵は輔佐を擔任し、日の中天に在りて又再中の時の日食を主管し、戒備を須とす。否卦、六月を主る:天下は分裂して若干の國と爲り、全く賢人の用ゐる無く、政事は昏亂し、大風は其の名を揚起す;三陽の象は晉地書山に見え、趙・秦兩地は此の運を承受すること兩個月、百姓は皆親眼に見たり。
同人,七月:炎帝與天同光,其趙起及困未開,上守下為民賊,天下馬數下山東三年,天下大樂,戒充煩,戒之六年,雨未黃龍下東北。大有,四月:天下甘露,神雀出咸陽,名上百獸,官撫其上,安。
同人卦、七月を主る:炎帝の德は天と同じ其の光輝にして、趙地は興起して困局は尚未開かず、在上者は自守して・在下者は民を害する賊と成り、天下の馬匹は屢々山東一帶に下到し、歷時三年なり;天下は大いに歡樂し、過盈煩擾に戒備を須とし、六年を戒慎し、雨未だ降らざるに黃龍は東北に下降す。大有卦、四月を主る:天上は甘露を降し、神雀は咸陽に出現し、名聲は百獸の上に高出し、官府は其の上を安撫し、天下は平安なり。
謙,十二月:地大喊,列名肥,西南有壤壊山,侵道大通,天均光三日去,有兵一年,死女子家。豫,二月:天氣神龜出室,三牧侯一年,東海濟南垣上戊巳莫見,九曹政不均,三出。
謙卦、十二月を主る:大地は巨響を發出し、所列の名は豐盛にして、西南方に土崩山壞の變有り、所侵の路は反つて大いに暢通し、天光は均布して三日にして然る後退去し、兵事は一年を持續し、女子の家は喪亡有り。豫卦、二月を主る:天氣は感應して神龜は室中に出で、三處の牧地の侯は一年を歷時し、東海・濟南の城垣の上は戊己の日に昏暮の時に見る能く、九曹の政令は均平ならず、三次に兵を出だす。
隨,二月:四年天下地中有雷在王庭,國家大驚,易君如有出,蟲在市中,白虹貫日,蝕三。蠱,四月:六年二月有外國來見神於國,王以殺名臣,見其年並禹折木疾水兵西方。
隨卦、二月を主る:四年の内に天下の地中に雷響は王庭に在り、國家は大いに震驚し、國君を更換するは出行の如く頻繁にして、蟲豸は市井の中に出現し、白虹は日輪を橫貫し、日食は三次なり。蠱卦、四月を主る:六年後の二月に外國は來朝して國中に神を見、國王は此れに因りて名臣を殺し、當年は禹蹟の應を出現し、加以折木・暴水與西方の兵事有り。
臨,三月:三年兵謀,陰言從事,南陰池是頭,後有沖骨西方,名牧卉夏屬。觀,八月:外國從西方來,龍物王呂,女後大亂,受法乘馬,天下皆傷,大風,女子貴。
臨卦、三月を主る:三年の内に兵を用ゐるの謀有り、暗中に定議して然る後行事し、南方陰池一帶は其の發端と爲り、其の後西方に衝要の骨相を顯現し、名は牧卉と爲し、夏時に屬す。觀卦、八月を主る:外國は西方より前來して、龍物王呂を以て號と爲し、女后は大肆に作亂し、法に受制して馬に乘りて行く、天下は皆損傷を受け、大風は灾を爲して、女子は貴を得り。
噬嗑,五月:小人任政,獄訟象眾,兵大行,備矣,至二有名尸尸。賁,八月:師國家本呂上二月死,有神往來,王合神獸戰下東海。剝,九月:小人復君子,三年大道通,丁正吉,東北西南。
噬嗑卦、五月を主る:小人は政を執り、獄訟の象は繁多にして、兵事は大行し、嚴加戒備を須とし、第二年に到りて名を「尸尸」と爲る應有り。賁卦、八月を主る:師を興す國は其の本は呂に在り、上は二月に距りて死喪有り、神は其の間に往來し、王は神獸を會合して東海の下に戰ふ。剝卦、九月を主る:小人は君子に報復し、三年後は大道通達し、丁位は正を得れば則ち吉なり、東北與西南に應ず。
復,十一月:初氣元有年,死君二年,小邦王為正月,六年大得削王,復及國其祠武夷,天下臨不雨九月,解。旡妄,九月:天下無雲而雷,三十日之外雷行夜,從西南正東北位,濟邑有中國,周用上宮武在第。
復卦、十一月を主る:初生の氣は元位に居りて年成有り、國君は第二年に死し、小國の王は此れを以て正月と爲し、六年の後は大いに王權を削奪する事有り、回復して國中に及び、其の祭祀は武夷に在り;天下は九個月雨せざるに面臨し、其の後は解を得り。無妄卦、九月を主る:天下は雲無くして雷を打ち、三十日以外に雷は夜間に行響し、西南方より正東北方に轉到し、濟邑は中國に歸屬し、周室は上宮の武を起用して其次に列す。
大畜,八月:天徳明王侯人去城十二年,天下大昌,女子立政三年,去此地大神獸來見至堂,三年大獸出東北臺邑河邑。頥,十二月:有君王自敵三年,葵邱興臨養民年,西南有懐山,立三國,去禹髙官,故遺人馬生角六年,三日並出。
大畜卦、八月を主る:天德を秉る明王與侯人は都城を離れて十二年、天下は大いに昌盛し、女子は政を執る三年、此の地を離れたる後は大神獸の前來して殿堂に現身する有り、三年後は大獸は東北の台邑與河邑に出現す。頤卦、十二月を主る:君王の自ら敵手を樹立する有りて三年を歷時し、葵丘の地は興起して臨卦養民の年に値し、西南方に懷山の變有り、三個の邦國を建立し、禹時の高官を罷去し、此れに因りて所遺の人の馬は角を生出し、六年を歷して、三個の太陽は同時に出現す。
大過,十二月:子旡下父去死東野澤,海濵若壊在咸市,眾民西臺上,地中及年,天下憂,眾死者。習坎,十一月:不凍,二破燕壊齊,小國外不節,賢人於西來佐王,年之大昌。
大過卦、十二月を主る:兒子は依托する所無く・父親は去りて東野の水澤に死し、海濱は崩壞の如くして、事は咸市に在り、衆民は西台の上に聚集し、地中の變は彼の一年に到り、天下は憂懼して、死者は衆多なり。習坎卦、十一月を主る:冬天は氷を結ばず、兩次に燕國を攻破し・齊國を毀壞し、小國は外に在りて節度を守らず、賢人は西方より前來して君王を輔佐し、當年は大いに昌盛せり。
離,五月:天下大旱,女子淫,男子淫,各持其兵外鄉,三年盡小兒出,十二年合鄉邑在南,西端倉邑。咸,五月者:天子去,小人老,是得天下之元,易官,西南華為重重代六年,昌大維來見。
離卦、五月を主る:天下は大旱し、女子は淫亂し・男子は淫亂し、各自兵器を手持して背を外方に向け、三年の間に小兒は出盡し、十二年後は鄕邑を南方に合併し、西邊一端は倉邑なり。咸卦、五月を主る:天子は去り、小人は老に當り、此の樣に便ち天下の元を得、官職を更易し;西南方の華は重重に更代して六年を歷し、昌大の運は隨に之れに來りて現身す。
恆,六月:小人勝君子,奪其愛六年,天下魁若代成,曰烏卬郡鳴邑上是年,百川及行盡不通。遁卦。大壯,三月:小人用事,君子奪之,女子為政九年,後後來立,五帝出,五帝出白帝,見黒山北。
恒卦、六月を主る:小人は君子に勝ち、其の所愛を奪去して六年に達し、天下の魁首の位は似て將に更代して成らんとし、説く烏卬郡鳴邑の上は此の一年に應ずと、百川及び道路は全都阻塞して通せず。遁卦(其の辭は已に佚す)。大壯卦、三月を主る:小人は權を當り事を行い、君子は權柄を奪回し、女子は政を執る九年、此の後后妃の前來して自立する有り、五帝は出現し、五帝の中出づるは白帝にして、黑山の北に現身す。
晉,四月:有明蒐之王喜進,出用者眾,天下東行西南北,侯至列先四年。明夷,十二月:赤大生屬陽,若陽若在邑東百三十里,五帝弟中國生大拔,七月大水出其下見。
晉卦、四月を主る:蒐狩の禮に明習する君王有りて欣然に賢才を進用し、起用せらるる者は甚だ多く、天下の人は東行して西・南・北の各方に至り、諸侯は到來して前に列位し、四年を歷時す。明夷卦、十二月を主る:赤色は大いに生じて陽に屬し、彼の陽象は好似都邑の東一百三十里に在り;五帝の弟は中國に大拔の變を生出し、七月に大水は涌出して其の下に現る。
家人,五月:小家子出之井山之陽,宗室亂,孤人刑冠政堂,當生蓬蒿四年,復。睽,十二月:始王易服邑國,子南大淫,四月大行殊,髙陽元武王之起南方。
家人卦、五月を主る:小戸人家の子弟は井山の南面に出で、宗室は内亂し、孤弱の人は刑を受けて冠帶は政堂に加へられ、應に蓬蒿の叢生四年有りて、其の後は回復す。睽卦、十二月を主る:開國の王は都邑與邦國の服色を更改し、子南一族は大いに淫亂し、四月大行の禮は異有り、高陽氏の元與武王の業は南方に興起す。
蹇,十二月:大鳥在蛟龍戲深淵北,王天下,命生元武,樂三大山變易。解,二月:大旱下民,東北邱臺,二年元受易刑名,嗣絕三年,王嗣民司無名,民思。
蹇卦、十二月を主る:大鳥の棲止する處、蛟龍は深淵の北に嬉戲し、因りて王は天下を有し、天命は玄武の位に生じ、樂章與三座大山の祀は隨に之れを變易す。解卦、二月を主る:大旱は下民に波及し、事は東北の丘台に在り、二年の後は元氣は刑名の變を承受し、繼嗣は三年を斷絕し、王の繼承人與民の司牧は皆其の名無く、百姓は舊主を思念す。
損,十二月:兵賊重三年,自與天下小逆流,大鳥下其邑,天蒙北背白出西北方。益,十月:上下相益,民年天下疾,龍起邑東南維北,軍山東於上,大風壊屋。
損卦、十二月を主る:兵禍與盜賊は深重して三年に達し、自身は天下の小股の逆流に參與し、大鳥は其の都邑に降落し、天色は昏蒙にして、北方の背後に白氣は西北方に出づ。益卦、十月を主る:上下彼此相增益し、民年の中に天下は疾疫有り、龍は都邑の東南與西北の一角に興起し、山東の上に駐軍し、大風は房屋を吹壞す。
夬,五月:天下四月人生在邑北,替邑城南水上,江河逆三月,小人用事。姤,五月:天下女盡堂正,一女五夫,王家淫,天下不治三年。
夬卦、五月を主る:天下は四月の裏に人は都邑の北に生まれ、廢替の邑は城南の水上に在り、江河は倒流して三個月、小人は權を當り事を行ふ。姤卦、五月を主る:天下の女子は皆堂中の正位に居り、一個の女子は五個の丈夫に配し、王室は淫亂し、天下は三年に治理を得ず。
萃,九月:天下聚眾相謀,兵起車馳,人驟來人西方白色,天下昌,其見陽生堂下。升,十二月:女子守十年,下邑東北來立,易變政治,天地有心,士眾賢爭養不死二侯三人,女子殺之,正北左行第一。
萃卦、九月を主る:天下は衆を聚めて互相に圖謀し、兵事は興起し・車馬は馳驅し、人々は急驟に來り、人は西方白色の象を現じ、天下は昌盛し、陽氣の堂下に生ずるを見る能く。升卦、十二月を主る:女子は國を守る十年、下邑の人は東北より前來して自立し、政治を變易し、天地は各々其の心有り、士衆與群賢は爭つて彼の不死の兩位の侯と三個の人とを奉養し、女子は其れらを殺し、正北方の左行の第一位に應ず。
困,九月:小人來,君子去,小國破,賢人亡,兵行諸免之生六年,不義血兵刄小起東北,取立死。井,四月:水眾通出地涼,東兵河梁大名,耜在北方白懐絕爰,漢家禍。
困卦、九月を主る:小人は到來し・君子は去り、小國は攻破せられ、賢人は逃亡し、兵禍は流行して衆人の免れ得る者は六年を生存し、不義の流血兵刃の事は小規模に東北に起り、奪取して立てば便ち死亡有り。井卦、四月を主る:水は多くして暢通涌出し、地氣は轉涼し、東方は河梁に兵を用ゐて大名を得、耒耜の事は北方に在り、白懷の地は祭祀斷絕して、是れ漢家の禍患なり。
革,六月:五榖傷及草木,旱熱赤地千里,大官炊火。鼎,五月:吳人君天與延年齒,東北中庶人王髙徳之。震,二月:大海濯地至水之洫於上,度得起天年,女立政八年。
革卦、六月を主る:五穀は受損して草木も亦た受損し、旱熱は赤地千里を造成し、大官の家は火を失ふ。鼎卦、五月を主る:吳人の君は上天の賜ふ長年の壽を得、東北方に中等出身の庶人は王と爲り、德行は高尚なり。震卦、二月を主る:大海の水は大地を沖洗して、溝渠の水の上に漫溢するに至り、測度の得たるは以て天年を起算する能く、女子は政を執る八年。
艮,十二月:君臣仁,兵行三月,地動其年旱,有人從東北來,長眉僂周鄭。漸,二月:有侯少仁強,有外兵四方,不死地變,有大鳥東南歸。
艮卦、十二月を主る:君臣は皆仁道を行い、兵を用ゐること三個月、地震の彼の一年は乾旱し、人は東北方より前來して、眉毛は長くして背は駝け、周・鄭の間に往來す。漸卦、二月を主る:諸侯の仁德に寡くして強橫なる有り、四方に外來の兵禍有り、死亡に至らずして土地に變有り、大鳥は東南に向かい飛歸す。
歸妹,十一月:成威立王二十七,婦及小國與神水芒成湯兵。豐:空無人,大憂死,小人無兵革。旅:傷旱憂,秋冬旱兵憂死泰。巽,四月:春生火風折木傷五榖,風死,秋風死。
歸妹卦、十一月を主る:威勢を成就して二十七位の王を立て、婦人與小國は其の事に參預し、神水は茫茫として成湯の時の兵象の如し。豐卦:空虛にして人無く、大憂與死喪有り、小人は道を當りて甲兵の事無し。旅卦:旱傷の憂有り、秋冬は旱與兵の憂有り、死して然る後通泰す。巽卦、四月を主る:春天は火與風を生出し、樹木を折斷し・五穀を損傷し、風は止んで息み、秋天の風も亦た止息す。
兊,八月:立秋女子榮其家,蔑大將,養任易君二世,夷四圖來歸,偏水大出東,同齊南不分。渙,五月:有諸侯離邑為民,欲得將兵,水復旱,金鐵貴,髙者興晉千邑武侯。
兌卦、八月を主る:立秋の時に女子は其の家を昌榮せしめ、大將を輕蔑し、所養所任の人は國君を更換して兩世を歷し、四方の夷人は圖籍を携えて歸附し、偏側の水は大量に東方に流出し、齊國の南と同一體に屬して分かたず。渙卦、五月を主る:諸侯の都邑を離れて平民に淪する有り、將兵の權を得んと欲し、水患の後は又旱灾にして、金鐵は價貴く、高位に居る者は晉地の千邑武侯に興起す。
節,六月:安國有惡君,天下鳥多白兔緯拘見,天下日泉神路,天下大山出蒙之處有移河不死。中孚,十二月:人君之世安寜中孚,女子亂世於外,天不信,地數動,中國祖絕嗣,上君驚於兵,北夷衛隗。
節卦、六月を主る:安定の國は惡君を出し、天下の鳥は甚だ多く、白兔與緯象は拘執せられて現じ、天下は日泉神路の異有り、天下の大山は昏蒙の處に移河の變有りて而も死亡に至らず。中孚卦、十二月を主る:人君の世は安寧にして、正に中孚の義に合し、女子は外に在りて世道を擾亂し、天は其の信を守らず、地は屢々震動し、中國の祖廟は後嗣を斷ち、在上の君は兵事に因りて驚懼し、北方の夷人は隗地に守衛す。
小過,正月:小過洫於中,兵起於夷南故邑,牛牂歸鄉,侯不勝,是年有大水,死王三人,東北大動,晝昏,日再中,北方有貴人子走於紂。既濟,九月:年大水,地臨三年不絕,六世多血。未濟:有故都破,水國來兵,四年九月有分國陽殊邑。
小過卦、正月を主る:小過の象は中に充溢し、兵事は夷南の舊邑に起り、牛羊は鄕里に回歸し、諸侯は取勝する能わず、此の一年は大水有りて、三位の王を死し、東北方は大いに震動し、白晝は昏暗して、太陽は再度中天に到達し、北方に貴人の子は紂に投奔する有り。既濟卦、九月を主る:當年は大水にして、土地は水に淹臨せられて三年に絕えず、六代の内に流血を多し。未濟卦:舊都の攻破せられたる有り、水國は前來して兵を用ゐ、四年後の九月に分裂の國は陽殊邑に出現す。
【按:以上依六十四卦次序各為之辭,蓋即毖緯之文,語多艱深不可曉,而訛脫尤甚。據王劭稱「貧之」二字為「真人」之誤,則知自隋以前其書已有差錯,今既無別本可證,姑仍舊文錄之。】
〔四庫館臣按〕以上是六十四卦の次序に依りて各々一條の占辭を繫せるにして、大概即ち祕緯の一類の文字なり、語句は多半艱深難懂にして、而して訛誤脫漏は尤も嚴重なり。王劭の指出する「貧之」二字は「眞人」の誤なりに依れば、知るべし隋代以前此の書は已經差錯有りを;如今既に別本の校證する能くする無きに、姑且舊文に照りて此處に録存す。
卷下
十二辰卦序與四正卦
小過、蒙、益、漸、泰(寅);需、隨、晉、解、大壯【卯】;豫、訟、蠱、革、夬【辰】;旅、師、比、小畜、乾【已】;大有、家人、井、咸、姤【午】;鼎、豐、渙、履、遁【未】;恆、節、同人、損、否(申);巽、萃、大畜、賁、觀【酉】;歸妹、無妄、明夷、困、剝【戌】;艮、既濟、噬嗑、大過、坤【亥】;未濟、蹇、頥、中孚、復(子);屯、謙、暌、升、臨【丑】。
十二辰は各々五卦に配す:寅辰は小過・蒙・益・漸・泰に配し;卯辰は需・隨・晉・解・大壯に配し;辰辰は豫・訟・蠱・革・夬に配し;巳辰は旅・師・比・小畜・乾に配し;午辰は大有・家人・井・咸・姤に配し;未辰は鼎・豐・渙・履・遁に配し;申辰は恒・節・同人・損・否に配し;酉辰は巽・萃・大畜・賁・觀に配し;戌辰は歸妹・無妄・明夷・困・剝に配し;亥辰は艮・既濟・噬嗑・大過・坤に配し;子辰は未濟・蹇・頤・中孚・復に配し;丑辰は屯・謙・睽・升・臨に配す。
坎【六】、震【七】、離【八】、兊【九】。已上四卦者,四正卦,為四象。毎歳十二月,每月五月,【按:「月」字當作「卦」。】卦六日七分,每期三百六十六日,每四分。【按:「六日」當作「五日」,「四分」當作「四分日之一」。】
坎は第六に居り、震は第七に居り、離は第八に居り、兌は第九に居る。以上此の四卦は四正の卦にして、以て四時四方を象徴し、「四象」と稱す。毎年十二個月、毎月は五卦を分配し、〔四庫館臣按〕「毎月五月」の「月」の字は應に「卦」と作るべし。毎卦は六日七分を占め、每一周期は共に三百六十六日にして、毎年は再び四分を加ふ。〔四庫館臣按〕「六日」は應に「五日」と作るべし、「四分」は應に「四分日の一」と作るべし。
歷代積年
甲寅:伏羲氏至無懐氏五萬七千八百八十二年,神農五百四十年,黃帝一千五百二十年,少昊四百年,顓頊五百年,帝嚳三百五十年,堯一百年,舜五十年,禹四百三十一年,殷四百九十六年,周八百六十七年,秦五十年。已上六萬三千六百一十二年,庚戌年四百九十一年算上,右總六萬四千一百三年,相基加二年。【按:「基」當作「期」。】
甲寅より起算す:伏羲氏より無懷氏に至るまで共に五萬七千八百八十二年、神農氏は五百四十年、黃帝は一千五百二十年、少昊は四百年、顓頊は五百年、帝嚳は三百五十年、唐堯は一百年、虞舜は五十年、夏禹は四百三十一年、殷商は四百九十六年、周朝は八百六十七年、秦朝は五十年。以上合計六萬三千六百一十二年、再把りて庚戌の年以下の四百九十一年を一倂に算入して、右列總計六萬四千一百三年、相承の期と再加して二年なり。〔四庫館臣按〕「基」の字は應に「期」と作るべし。
推軌當日術曰:置軌,以其歳之日除之,得軌,不盡日,每分即日之分也。推折當日術曰:以二十四除折數,所得是日軌。折皆當歳之折,有餘如上。
「軌」數の所當の日を推算する法は:先ず軌數を列べ、當年の日數を以て之を除けば、則ち軌を得;除盡し能わざる餘日は、每一分は則ち一日の内の分數なり。「折」數の所當の日を推算する法は:二十四を以て折數を除けば、所得は則ち當日の軌なり。凡そ折數は皆當年の折數にして、餘數有る時は上法に照らして處理す。
復一、十三、二十五;臨二、十四、二十六;泰三、十五、二十七;大壯四、十六、二十八;夬五、十七、二十九;乾六、十八、三十;姤七、十九、三十一;遁八、二十、三十二;否九、二十一、三十三;觀十、二十二、三十四;剝十一、二十三、三十五;坤十二、二十四、三十六。【按:以上三十六數周而復始,原本於觀、剝、坤下全脫,今補入。】震三十七,巽三十八,坎三十九,離四十,艮四十一,兊四十二。
十二消息卦は各々三個の序數を領す:復卦は第一・第十三・第二十五;臨卦は第二・第十四・第二十六;泰卦は第三・第十五・第二十七;大壯卦は第四・第十六・第二十八;夬卦は第五・第十七・第二十九;乾卦は第六・第十八・第三十;姤卦は第七・第十九・第三十一;遁卦は第八・第二十・第三十二;否卦は第九・第二十一・第三十三;觀卦は第十・第二十二・第三十四;剝卦は第十一・第二十三・第三十五;坤卦は第十二・第二十四・第三十六。〔四庫館臣按〕以上三十六個の數は周而復始に排列せるにして、原本は觀・剝・坤三卦の下に全部脫落せり、今補入す。接ぎ下りて、震は第三十七、巽は第三十八、坎は第三十九、離は第四十、艮は第四十一、兌は第四十二。
【已上勾者,是勘銘軌加之,本經並無,只有單數不勾耳。○按:此條乃後人標識之辭,原本混入正文,今姑存其舊,而用細字夾註以別之。】右易姓四十二,消息三十六,六子在其數,合八十四戒,各有所繫而出之。純徳有七,其三法天,其四法地。【天三者,三六十八;地四者,四六二十四。】
〔舊注〕以上鈎識を加えたるは、銘軌を校勘する時に添上げたるにして、本經の裏に并無く、只だ單數は鈎を加へざり。〔四庫館臣按〕此の一條は後人の作る標識の語にして、原本は正文に混入せり、今姑且其の舊貌を保存して、小字夾注の形式に改めて以て區別を加ふ。右列の載する所:改朝換姓の數は四十二、消息の數は三十六、震坎艮巽離兌六子も亦た此の數の内に在り、合成して八十四條の戒示、各々繫屬する所有りて分別に推出す。純德は七項有りて、其の中三項は天に取法し・四項は地に取法す。〔鄭玄注〕天に法る三項は、三六十八;地に法る四項は、四六二十四。
六十四卦策術曰:陽爻九,【以四時乘之,得三十六。】陰爻六。【以四時乘之,得二十四。】軌術曰:陽爻九七,【各以四時乘之而並倍之,得一百二十八。】陰爻八六。【各以四時乘之而並倍之,得一百一十二。】
六十四卦の策數を求める法は:陽爻は九を用ゐ、〔鄭玄注〕四時の數四を用ゐて乘じ、三十六を得。陰爻は六を用ゐ。〔鄭玄注〕四時の數四を用ゐて乘じ、二十四を得。軌數を求める法は:陽爻は九と七を用ゐ、〔鄭玄注〕各々四時の數四を用ゐて乘じ、再び相加して加倍し、一百二十八を得。陰爻は八と六を用ゐ。〔鄭玄注〕各々四時の數四を用ゐて乘じ、再び相加して加倍し、一百一十二を得。
假令乾六位,老陽爻,【九,四時乘之,四九三十六。】以三十六乘六爻,得二百一十六。少陽爻七,【以四時乘之,四七二十八。○按:二語應作夾註,原本混入正文,今改正。】以二十八乘之六爻,得一百六十八。已上二數合得三百八十四,因而倍之,有七百六十八。
譬如乾卦は六個の爻位有りて、若し皆老陽の爻ならば、〔鄭玄注〕老陽の數は九にして、四時の數を用ゐて乘じ、四九は三十六を得。則ち三十六を用ゐて六爻を乘じ、二百一十六を得。若し少陽の爻七ならば、〔鄭玄注〕四時の數を用ゐて乘じ、四七は二十八を得。〔四庫館臣按〕此の兩句は應に夾注と作るべし、原本は正文に混入せり、今改正す。則ち二十八を用ゐて六爻を乘じ、一百六十八を得。以上兩個の數を相加して三百八十四を得、再加倍すれば、便ち七百六十八有り。
假令坤六位,老陰爻六,【四時乘之,四六二十四。】以二十四乘六爻,得一百四十四。少陰爻八,【四時乘之,四八三十二。】以三十二乘之六爻,得一百九十二。已上二數合得三百三十六,因而倍之,有六百七十二。乾坤二軌數合有一千四百四十。【他卦隨陰陽爻倍之。】凡陽爻用六十四為法乘,得倍之;凡陰爻用五十六為法乘,得數倍之。
譬如坤卦は六個の爻位有りて、若し皆老陰の爻六ならば、〔鄭玄注〕四時の數を用ゐて乘じ、四六は二十四を得。則ち二十四を用ゐて六爻を乘じ、一百四十四を得。若し少陰の爻八ならば、〔鄭玄注〕四時の數を用ゐて乘じ、四八は三十二を得。則ち三十二を用ゐて六爻を乘じ、一百九十二を得。以上兩個の數を相加して三百三十六を得、再加倍すれば、便ち六百七十二有り。乾・坤兩卦の軌數を合すれば共に一千四百四十。〔鄭玄注〕別の卦は皆其の陰陽爻の多少に隨りて此れに照らして加倍推算す。凡そ陽爻は皆以て六十四を乘法の數と爲し、乘得したる後再加倍し;凡そ陰爻は皆以て五十六を乘法の數と爲し、乘得したる後亦た所得の數を加倍す。
推一百九十二爻術曰:置六十四卦折半,有三十二,以六乘之,得陽爻一百九十二,陰爻亦一百九十二,合二數得三百八十四。又法:六爻以八乘之,得四十八;又八乘四十八,得三百八十四爻也。從伏羲天元甲寅已來,至大唐貞元年乙亥,積二百七十六萬一千二百二十算;至元和年三月,二百七十六萬一千二百三十一算。【按:此文至唐元和年,當亦後人所加,今退二字附書之。】
一百九十二爻を推算する法は:六十四卦を半分に對折して三十二を得、六を用ゐて其れを乘じ、陽爻一百九十二を得;陰爻も亦た一百九十二にして、兩數を相加して三百八十四を得。別一種の算法:一卦六爻は八を用ゐて乘じ、四十八を得;再用ゐて八に四十八を乘じ、三百八十四爻を得。伏羲天元甲寅以來より、大唐貞元某年乙亥に到るまで、累積二百七十六萬一千二百二十算;元和某年三月に到れば、是れ二百七十六萬一千二百三十一算なり。〔四庫館臣按〕此の段の文字は唐元和年間に推算し、應に亦た後人の添加せる、今二格低く附寫す。
六十四卦折數軌數
一:乾【世戍,初子】、坤【世酉,初未】。二合折【三百六十】,分各:乾【二百一十六】、坤【一百四十四】。二軌合【一千四百四十】,分各:乾【七百六十八】、坤【六百六十二】。
第一組:乾卦世爻は戌に在り・初爻は子に在り;坤卦世爻は酉に在り・初爻は未に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:乾は二百一十六を得、坤は一百四十四を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:乾は七百六十八を得、坤は六百六十二を得(乾數に依りて推せば、坤は應に六百七十二たるべし、原本は六百六十二と作る)。
二:屯【世寅,初寅】、蒙【世戍,初巳】。二合折【三百三十六】,分各:屯【一百六十八】、蒙【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:屯【七百四】、蒙【七百四】。
第二組:屯卦世爻は寅に在り・初爻は寅に在り;蒙卦世爻は戌に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:屯は一百六十八を得、蒙は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:屯は七百四を得、蒙は七百四を得。
三:需【世申,初辰】、訟【世午,初卯】。二合折【三百八十四】,分各:需【一百九十二】、訟【一百九十二】。二軌合【一千四百七十四】,分各:需【七百三十七】、訟【七百三十七】。
第三組:需卦世爻は申に在り・初爻は辰に在り;訟卦世爻は午に在り・初爻は卯に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:需は一百九十二を得、訟は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百七十四、分開して算れば:需は七百三十七を得、訟は七百三十七を得。
四:師【世午,初午】、比【世卯,初丑】。二合折【三百十二】,分各:師【一百五十六】、比【一百五十六】。二軌合【一千三百七十六】,分各:師【六百八十八】、比【六百八十八】。
第四組:師卦世爻は午に在り・初爻は午に在り;比卦世爻は卯に在り・初爻は丑に在り。兩卦の折數を合計して三百一十二、分開して算れば:師は一百五十六を得、比は一百五十六を得。兩卦の軌數を合計して一千三百七十六、分開して算れば:師は六百八十八を得、比は六百八十八を得。
五:小畜【世子,初申】、履【世申,初亥】。二合折【四百八】,分各:小畜【二百四】、履【二百四】。二軌合【一千五百四】,分各:小畜【七百五十二】、履【七百五十二】。
第五組:小畜卦世爻は子に在り・初爻は申に在り;履卦世爻は申に在り・初爻は亥に在り。兩卦の折數を合計して四百八、分開して算れば:小畜は二百四を得、履は二百四を得。兩卦の軌數を合計して一千五百四、分開して算れば:小畜は七百五十二を得、履は七百五十二を得。
六:泰【世辰,初戍】、否【世卯,初酉】。二合折【五百六十】,分各:泰【二百八十】、否【二百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:泰【七百二十】、否【七百二十】。
第六組:泰卦世爻は戌に在り・初爻は辰に在り(原文は「世辰初戍」と作る);否卦世爻は卯に在り・初爻は酉に在り。兩卦の折數を合計して五百六十、分開して算れば:泰は二百八十を得、否は二百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:泰は七百二十を得、否は七百二十を得。
七:同人【世亥,初子】、大有【世辰,初未】。二合折【四百八】,分各:同人【二百四】、大有【二百四】。二軌合【二千五百四】,分各:同人【七百五十二】、大有【七百五十二】。
第七組:同人卦世爻は亥に在り・初爻は子に在り;大有卦世爻は辰に在り・初爻は未に在り。兩卦の折數を合計して四百八、分開して算れば:同人は二百四を得、大有は二百四を得。兩卦の軌數を合計して二千五百四(分數に依りて推せば應に一千五百四たるべし)、分開して算れば:同人は七百五十二を得、大有は七百五十二を得。
八:謙【世亥,初寅】、豫【世未,初巳】。二合折【三百一十二】,分各:謙【一百五十六】、豫【一百五十六】。二軌合【一千三百七十六】,分各:謙【六百八十八】、豫【六百八十八】。
第八組:謙卦世爻は亥に在り・初爻は寅に在り;豫卦世爻は未に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百一十二、分開して算れば:謙は一百五十六を得、豫は一百五十六を得。兩卦の軌數を合計して一千三百七十六、分開して算れば:謙は六百八十八を得、豫は六百八十八を得。
九:隨【世辰,初辰】、蠱【世酉,初卯】。二合折【三百六十】,分各:隨【一百八十】、蠱【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:隨【七百二十】、蠱【七百二十】。
第九組:隨卦世爻は辰に在り・初爻は辰に在り;蠱卦世爻は酉に在り・初爻は卯に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:隨は一百八十を得、蠱は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:隨は七百二十を得、蠱は七百二十を得。
十:臨【世卯,初午】、觀【世未,初丑】。二合折【三百三十六】,分各:臨【一百六十八】、觀【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:臨【七百四】、觀【七百四】。
第十組:臨卦世爻は卯に在り・初爻は午に在り;觀卦世爻は未に在り・初爻は丑に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:臨は一百六十八を得、觀は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:臨は七百四を得、觀は七百四を得。
十一:噬嗑【世未,初申】、賁【世卯,初亥】。二合折【三百六十】,分各:噬嗑【一百八十】、賁【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:噬嗑【七百二十】、賁【七百二十】。
第十一組:噬嗑卦世爻は未に在り・初爻は申に在り;賁卦世爻は卯に在り・初爻は亥に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:噬嗑は一百八十を得、賁は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:噬嗑は七百二十を得、賁は七百二十を得。
十二:剝【世子,初戍】、復【世子,初酉】。二合折【三百一十二】,分各:剝【一百五十六】、復【一百五十六】。二軌合【一千三百七十六】,分各:剝【六百八十八】、復【六百八十八】。
第十二組:剝卦世爻は子に在り・初爻は戌に在り;復卦世爻は子に在り・初爻は酉に在り。兩卦の折數を合計して三百一十二、分開して算れば:剝は一百五十六を得、復は一百五十六を得。兩卦の軌數を合計して一千三百七十六、分開して算れば:剝は六百八十八を得、復は六百八十八を得。
十三:無妄【世午,初子】、大畜【世寅,初未】。二合折【三百八十四】,分各:無妄【一百九十二】、大畜【一百九十二】。二軌合【一千四百九十二】,分各:無妄【七百四十六】、大畜【七百四十六】。
第十三組:無妄卦世爻は午に在り・初爻は子に在り;大畜卦世爻は寅に在り・初爻は未に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:無妄は一百九十二を得、大畜は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百九十二、分開して算れば:無妄は七百四十六を得、大畜は七百四十六を得。
十四:頥【世戍,初寅】、大過【世亥,初巳】。二合折【三百六十】,分各:頥【一百六十八】、大過【一百九十二】。二軌合【一千四百四十】,分各:頥【七百四】、大過【七百三十六】。
第十四組:頤卦世爻は戌に在り・初爻は寅に在り;大過卦世爻は亥に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:頤は一百六十八を得、大過は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:頤は七百四を得、大過は七百三十六を得。
十五:坎【世子,初辰】、離【世子,初卯】。二合折【三百六十】,分各:坎【一百六十八】、離【一百九十二】。二軌合【一千四百四十】,分各:坎【七百四】、離【七百三十六】。
第十五組:坎卦世爻は子に在り・初爻は辰に在り;離卦世爻は子に在り・初爻は卯に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:坎は一百六十八を得、離は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:坎は七百四を得、離は七百三十六を得。
十六:咸【世申,初午】、恆【世酉,初丑】。二合折【三百六十】,分各:咸【一百八十】、恆【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:咸【七百二十】、恆【七百二十】。
第十六組:咸卦世爻は申に在り・初爻は午に在り;恒卦世爻は酉に在り・初爻は丑に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:咸は一百八十を得、恒は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:咸は七百二十を得、恒は七百二十を得。
十七:遁【世午,初申】、大壯【世午,初亥】。二合折【三百八十四】,分各:遁【一百九十二】、大壯【一百九十二】。二軌合【一千四百七十二】,分各:遁【七百三十六】、大壯【七百三十六】。
第十七組:遁卦世爻は午に在り・初爻は申に在り;大壯卦世爻は午に在り・初爻は亥に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:遁は一百九十二を得、大壯は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百七十二、分開して算れば:遁は七百三十六を得、大壯は七百三十六を得。
十八:晉【世酉,初戍】、明夷【世丑,初酉】。二合折【三百三十六】,分各:晉【一百六十八】、明夷【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:晉【七百四】、明夷【七百四】。
第十八組:晉卦世爻は酉に在り・初爻は戌に在り;明夷卦世爻は丑に在り・初爻は酉に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:晉は一百六十八を得、明夷は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:晉は七百四を得、明夷は七百四を得。
十九:家人【世丑,初子】、睽【世丑,初未】。二合折【三百八十四】,分各:家人【一百九十二】、睽【一百九十二】。二軌合【一千四百七十二】,分各:家人【七百三十六】、睽【七百三十六】。
第十九組:家人卦世爻は丑に在り・初爻は子に在り;睽卦世爻は丑に在り・初爻は未に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:家人は一百九十二を得、睽は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百七十二、分開して算れば:家人は七百三十六を得、睽は七百三十六を得。
二十:蹇【世申,初寅】、解【世辰,初巳】。二合折【三百三十六】,分各:蹇【一百六十八】、解【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:蹇【七百四】、解【七百四】。
第二十組:蹇卦世爻は申に在り・初爻は寅に在り;解卦世爻は辰に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:蹇は一百六十八を得、解は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:蹇は七百四を得、解は七百四を得。
二十一:損【世丑,初辰】、益【世辰,初卯】。二合折【三百六十】,分各:損【一百八十】、益【一百八十】。二軌合【一千四百二十】,分各:損【七百二十】、益【七百二十】。
第二十一組:損卦世爻は丑に在り・初爻は辰に在り;益卦世爻は辰に在り・初爻は卯に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:損は一百八十を得、益は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百二十(分數に依りて推せば應に一千四百四十たるべし)、分開して算れば:損は七百二十を得、益は七百二十を得。
二十二:夬【世酉,初午】、姤【世酉,初丑】。二合折【四百八】,分各:夬【二百四】、姤【二百四】。二軌合【一千五百四】,分各:夬【七百五十二】、姤【七百五十二】。
第二十二組:夬卦世爻は酉に在り・初爻は午に在り;姤卦世爻は酉に在り・初爻は丑に在り。兩卦の折數を合計して四百八、分開して算れば:夬は二百四を得、姤は二百四を得。兩卦の軌數を合計して一千五百四、分開して算れば:夬は七百五十二を得、姤は七百五十二を得。
二十三:萃【世巳,初申】、升【世丑,初亥】。二合折【三百三十六】,分各:萃【一百六十八】、升【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:萃【七百四】、升【七百四】。
第二十三組:萃卦世爻は巳に在り・初爻は申に在り;升卦世爻は丑に在り・初爻は亥に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:萃は一百六十八を得、升は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:萃は七百四を得、升は七百四を得。
二十四:困【世寅,初戍】、井【世戍,初酉】。二合折【三百六十】,分各:困【一百八十】、井【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:困【七百二十】、井【七百二十】。
第二十四組:困卦世爻は寅に在り・初爻は戌に在り;井卦世爻は戌に在り・初爻は酉に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:困は一百八十を得、井は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:困は七百二十を得、井は七百二十を得。
二十五:革【世亥,初未】、鼎【世亥,初寅】。二合折【三百八十四】,分各:革【一百九十二】、鼎【一百九十二】。二軌合【一千四百七十二】,分各:革【七百三十六】、鼎【七百三十六】。
第二十五組:革卦世爻は亥に在り・初爻は未に在り;鼎卦世爻は亥に在り・初爻は寅に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:革は一百九十二を得、鼎は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百七十二、分開して算れば:革は七百三十六を得、鼎は七百三十六を得。
二十六:震【世戍,初寅】、艮【世寅,初巳】。二合折【三百三十六】,分各:震【一百六十八】、艮【一百六十八】。二軌合【一千四百八】,分各:震【七百四】、艮【七百四】。
第二十六組:震卦世爻は戌に在り・初爻は寅に在り;艮卦世爻は寅に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百三十六、分開して算れば:震は一百六十八を得、艮は一百六十八を得。兩卦の軌數を合計して一千四百八、分開して算れば:震は七百四を得、艮は七百四を得。
二十七:漸【世申,初午】、歸妹【世丑,初卯】。二合折【三百六十】,分各:漸【一百八十】、歸妹【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:漸【七百二十】、歸妹【七百二十】。
第二十七組:漸卦世爻は申に在り・初爻は午に在り;歸妹卦世爻は丑に在り・初爻は卯に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:漸は一百八十を得、歸妹は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:漸は七百二十を得、歸妹は七百二十を得。
二十八:豐【世申,初午】、旅【世辰,初丑】。二合折【三百六十】,分各:豐【一百八十】、旅【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:豐【七百二十】、旅【七百二十】。
第二十八組:豐卦世爻は申に在り・初爻は午に在り;旅卦世爻は辰に在り・初爻は丑に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:豐は一百八十を得、旅は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:豐は七百二十を得、旅は七百二十を得。
二十九:巽【世卯,初申】、兊【世未,初亥】。二合折【三百八十四】,分各:巽【一百九十二】、兊【一百九十二】。二軌合【一千四百七十二】,分各:巽【七百三十六】、兊【七百三十六】。
第二十九組:巽卦世爻は卯に在り・初爻は申に在り;兌卦世爻は未に在り・初爻は亥に在り。兩卦の折數を合計して三百八十四、分開して算れば:巽は一百九十二を得、兌は一百九十二を得。兩卦の軌數を合計して一千四百七十二、分開して算れば:巽は七百三十六を得、兌は七百三十六を得。
三十:渙【世巳,初戍】、節【世巳,初酉】。二軌合【一千四百四十】,分各:渙【七百二十】、節【七百二十】。
第三十組:渙卦世爻は巳に在り・初爻は戌に在り;節卦世爻は巳に在り・初爻は酉に在り。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:渙は七百二十を得、節は七百二十を得(此の組の折數は原本脱去して、未だ載せず)。
三十一:中孚【世未,初子】、小過【世午,初未】。二合折【三百六十】,分各:中孚【一百八十】、小過【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:中孚【七百三十六】、小過【七百四】。
第三十一組:中孚卦世爻は未に在り・初爻は子に在り;小過卦世爻は午に在り・初爻は未に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:中孚は一百八十を得、小過は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:中孚は七百三十六を得、小過は七百四を得。
三十二:既濟【世亥,初寅】、未濟【世未,初巳】。二合折【三百六十】,分各:既濟【一百八十】、未濟【一百八十】。二軌合【一千四百四十】,分各:既濟【七百二十】、未濟【七百二十】。
第三十二組:既濟卦世爻は亥に在り・初爻は寅に在り;未濟卦世爻は未に在り・初爻は巳に在り。兩卦の折數を合計して三百六十、分開して算れば:既濟は一百八十を得、未濟は一百八十を得。兩卦の軌數を合計して一千四百四十、分開して算れば:既濟は七百二十を得、未濟は七百二十を得。
六十四卦流轉推術與推厄法
其下初合六十四卦流轉推之術:置天元甲寅巳來至受命,以三十二除之,餘不足除者,從乾坤始數,算外主卦,而取世陰陽斷之。世陽從陽,【陽爻三十六。】世陰從陰。【陰爻二十四。】陽從九除,陰從六除,啇得數,陽以三乘之,陰以二乘之,因而半之,即是忌耳。毎取卦月乘之。
下面開頭に載する六十四卦流轉の推算方法は:天元甲寅以來より受命の年に到る積年を列べ、三十二を以て之を除き、殘して再除する足らざる餘數は、乾・坤兩卦より起りて順數し、數盡の外の彼の一卦は便ち主卦と爲り、再び其の世爻の陰屬陽屬を取りて斷定す。世爻の陽に屬するは則ち陽數に依り、〔鄭玄注〕陽爻は三十六を取る。世爻の陰に屬するは則ち陰數に依る。〔鄭玄注〕陰爻は二十四を取る。陽に屬するは九を以て除き、陰に屬するは六を以て除き、商數を得出したる後、陽のは三を以て乘じ、陰のは二を以て乘じ、然る後其の一半を取れば、彼れは則ち所忌の年なり。每次に皆卦の主る所の月を以て乘ずるを須とす。
假令賁卦世在初,十一月卦,世屬陽,陽爻三十六,以九除之,商得四,以三乘之得十二,因而半之,是忌耳。假令遁卦世在三,六月卦,世屬陰,陰之爻二十四,以六除之,商得四,以二乘之得六,因而半之,是忌耳。【按:以上二節闡明世卦推算之法,當是後人所附益,今退二字書之。】
譬如賁卦の世爻は初爻に在りて、是れ十一月の卦にして、世爻は陽に屬し、陽爻は三十六を取り、九を以て除けば、商は四を得、再用ゐて三を以て乘じて十二を得、然る後其の一半を取れば、六を得、此れ即ち所忌の年なり。又如遁卦の世爻は第三爻に在りて、是れ六月の卦にして、世爻は陰に屬し、陰爻は二十四を取り、六を以て除けば、商は四を得、再用ゐて二を以て乘じて八を得(原文は六と作る)、然る後其の一半を取れば、此れ即ち所忌の年なり。〔四庫館臣按〕以上兩節は世卦の推算の法を闡明するにして、應に後人の增益せる所、今二格低く書寫す。
推厄法:以入位年數除之軌合數,算盡厄也。甲乙飢,丙丁為旱,戊己為中興,庚辛為兵,壬癸為水。【按:此節別見後文,疑有重出。】
灾厄を推算する方法:即位以來の年數を用ゐて軌の合數を除き、盡頭に數へて得たる干支は、則ち灾厄の所在なり。甲・乙を得れば主る饑饉、丙・丁を得れば主る旱灾、戊・己を得れば主る中興、庚・辛を得れば主る兵禍、壬・癸を得れば主る水灾。〔四庫館臣按〕此の一節は別に後文に見えり、疑わしき重複出現なり。
父相:甲寅景雲元年庚戍,積六萬四千三年算上,至開元九年辛酉,加上十一年算上,以三十二除之,不盡三,名入位年,合入需軌卦。陰爻二十四,以六除之,商得四,二乘之得八,因而半之四,是忌。需卦軌合數一千四百七十二,以入位年三,至甲寅加四算七,除需合數除二,從父相庚申命之,得辛,兵。推子厄用父軌,凡子受位但不得別立軌,乃可救災耳。
父輩の運を以て相推す:甲寅より景雲元年庚戌に至り、積みて六萬四千三算、開元九年辛酉に到りて、再加上十一年を算入し、三十二を以て之を除けば、餘數は三にして、此れを「入位年」と叫び、應に需卦の軌に歸入すべし。需は陰にして、陰爻は二十四を取り、六を以て除けば、商は四を得、再用ゐて二を以て乘じて八を得、然る後其の一半を取りて四を得、此れ即ち所忌なり。需卦の軌合數は一千四百七十二にして、入位年三を用ゐ、加上して甲寅より推り來る四算を共に七と爲し、以て需卦の合數を除けば、二を除得し、父輩の相庚申より起數して之を命ずれば、「辛」を得、主る兵禍なり。子輩の灾厄を推算するには父輩の軌を用ゐるを須とし、凡そ子輩の其の位を承受するは、皆別に新軌を立つるを得ず、此の樣にして乃ち灾禍を救解する能くするなり。
甲寅先天元年壬子,積六萬四千五年算上,至開元九年辛酉,加九算上,三十二除之,餘五十盡五,合入小畜軌卦。陽爻三十六,以九除之,啇得四,以三乘之十二,因而半之得六,忌十一月。【按:上推算至唐開元九年,亦唐時術士所加也。】
甲寅より先天元年壬子に至り、積みて六萬四千五算、開元九年辛酉に到りて、再加して九算、三十二を以て之を除けば、餘數は除盡して五を得、應に小畜卦の軌に歸入すべし。小畜は陽にして、陽爻は三十六を取り、九を以て除けば、商は四を得、再用ゐて三を以て乘じて十二を得、然る後其の一半を取りて六を得、所忌は十一月に在り。〔四庫館臣按〕上面は唐開元九年に推算し、亦た唐代の術士の添加せる所なり。
右六十四卦流轉註十二之辰。【按:此句為總題折軌三十六卦位之文,不應在此處,蓋後人以他文闌入,遂將原文移向後耳。】乾初子,坤初未。陽爻折數一爻三十六,計六千九百一十二;陽爻軌數一爻一百二十八,計二萬四千五百七十六;陰爻折數一爻二十之四,計四千六百八;陰爻軌數一爻一百一十二,計二萬一千五百四。陰爻又合折一萬一千五百二十,合二軌四萬一千八十。
右列は六十四卦流轉が十二辰に配注せるなり。〔四庫館臣按〕此の一句は本來總標たる「折軌三十六卦位」の題目にして、應に此處に放すべからず、大概は後人が別の文字を闌入し來りて、於是乎原文を後面に擠去せり。乾卦の初爻は子に在り、坤卦の初爻は未に在り。陽爻の折數は每爻三十六にして、合計六千九百一十二;陽爻の軌數は每爻一百二十八にして、合計二萬四千五百七十六;陰爻の折數は每爻二十四にして、合計四千六百八;陰爻の軌數は每爻一百一十二にして、合計二萬一千五百四。陰爻の折數は又合して一萬一千五百二十と爲り、兩項の軌數は合して四萬一千八十と爲る。
易に即位年數の術
於易即位年數術曰:已上各三十二乘之,即得其數,乘軌折之數。世屬陽卦者,以九除之,以三乘之,所得因而半之,則是即位期也;能過此者,三乘所半之數,即終矣。世屬陰卦者,以六除之,以二乘之,所得因而半之,則得即位期也;能過此者,加所得即中期也;復能過此者,以二乘所半之數,即終矣。
《易》を用ゐて即位年數を推算する方法は:以上の各數は皆三十二を用ゐて乘じ、則ち所須の數を得出す、即ち軌數と折數とを乘出す。世爻の陽に屬する卦は、九を用ゐて除き、再用ゐて三を以て乘じ、所得の數の一半を取れば、彼れは則ち在位の初期なり;若し此の年限を超過する能くせば、則ち所取の一半を再び三を以て乘じ、彼れは便ち終期なり。世爻の陰に屬する卦は、六を用ゐて除き、再用ゐて二を以て乘じ、所得の數の一半を取れば、則ち在位の初期を得;若し此の年限を超過する能くせば、再加上して所得の數は便ち中期なり;若し又能く超過せば、則ち所取の一半に二を乘じて、彼れは便ち終期なり。
以九除之皆盡無餘者,陽以三乘所,則其年當數也。以九、六除之有餘者,以所得乘之,陽得正位増九於所乘,陰得正位増六於所乘,則是位之數也。用陽日者屬陽卦,用陰日者屬陰卦。乾初以六乘者,謂姤也,陰失位在初;坤初以九乘者,謂復也,陽得正位在初。震、兊、離之象,陰所乘之數也;巽、艮之象,四所乘之數,是即位之時年數也。
九を用ゐて除きて正好除盡して餘數無きは、陽に屬するは則ち三を用ゐて乘じ、所得は便ち當年應有の數なり。九或いは六を用ゐて除きて餘數有るは、則ち所得の數を以て相乘じ;陽爻の正位を得るは、所乘の數の上に再び九を加へ;陰爻の正位を得るは、所乘の數の上に再び六を加へれば、彼れは則ち在位年數なり。陽日を用ゐるは陽に屬する卦にして、陰日を用ゐるは陰に屬する卦なり。乾卦の初爻は應に六を用ゐて乘ずるは、其れが姤卦と變作し・陰爻は位を失して初に居るが爲に;坤卦の初爻は應に九を用ゐて乘ずるは、其れが復卦と變作し・陽爻は正位を得て初に居るが爲に。震・兌・離三卦の象は、用ゐる所は陰の乘ぜる數にして;巽・艮二卦の象は、用ゐる所は四の乘ぜる數なり、此れらは則ち即位の時の年數なり。
卦軌:軌陽爻六七,以四時乘之,各倍之,爻百二十八;陰爻八六,以四時乘之,各倍之,爻百十二。必用即位年,以即位時太歳呼之,盡算之上,則位之終歳也;算外是未入之年。孔子曰:終始之義在外內焉,進退在二年,觀其政以別知其泰延與否也。
卦軌の算法:軌の陽爻は六と七を用ゐ、各々四時の數を用ゐて乘じ、再び各自に加倍して、每爻は一百二十八を得;陰爻は八と六を用ゐ、各々四時の數を用ゐて乘じ、再び各自に加倍して、每爻は一百一十二を得。必須即位の年を用ゐて推し、即位當時の太歲を用ゐて其れを稱呼し、數盡の處は、便ち在位の末年なり;數盡の外のは、則ち尚未進入の年份なり。孔子説かく:終與始の道理は内外の別に在り、進與退は此の兩年に取決す、當時の政事を觀察すれば、則ち其れが安泰綿延たるか不然たるかを分辨出る能くすると。
推之術曰:置天元甲寅以來數至受命位之年數,以三十二數除之,不足除者,以乾坤始數算未,即得主歳之卦,知直事之爻在何辰。謂乾直事於十一月子,左行陽辰六;坤直事於六月未,右行陰辰六。陰陽交錯,行於十二辰,一歳十二月而周也。當以即主立時月為政,故曰知直事之爻在何辰也。所屬陰陽爻者也,陽爻三十六、陰爻二十四者,皆世所屬陰陽者也。
推算する方法は:天元甲寅以來より受命即位の彼の一年に到る年數を列べ、三十二を用ゐて除き、再除する足らざる餘數は、乾・坤より起りて順數して盡處に到り、隨即主歲の卦を得て、亦た當直行事の爻の何れの一辰に在るかを知る。此れは説く乾卦の當直行事は十一月の子位に在りて、左に順行して六個の陽辰を行き;坤卦の當直行事は六月の未位に在りて、右に逆行して六個の陰辰を行く。陰陽は彼此交錯して、十二辰を行遍し、一年十二個月にして一周を繞行す。應に即位當時に立つ所の月份を以て其の政を定むべし、故に説く當直行事の爻の何れの一辰に在るかを知るを要すと。所謂屬する陰陽爻は、陽爻は三十六を取り・陰爻は二十四を取る、皆世爻の屬する陰陽に就きて言へばなり。
推之法:推世之所屬陰卦者,假令即位之年得遁卦,七月申也,遁六月二陰爻。陰爻二十四,以六除之得四,以二乘之得八,因而半之得四,則即位之期也;能過此者,所乘八歳之中期也;復能過此者,三乘所半十二歳終矣;陰得正位,増六於所乘,為三十六年終矣。
推算の法:先ず世爻の陰に屬する卦の推法を説かん。譬如即位の年に得たるは遁卦にして、遁は七月申位に配し、遁は六月に兩個の陰爻有り。陰爻は二十四を取り、六を用ゐて除きて四を得、再用ゐて二を以て乘じて八を得、然る後其の一半を取りて四を得、此れ即ち在位の初期なり;若し此の年限を超過する能くせば、則ち所乘の八年にして、中期と爲る;若し又能く超過せば、則ち所取の一半に三を乘じて十二年を得、彼れは終期なり;陰爻の正位を得るは、所乘の數の上に六を加へ、便ち三十六年を以て終と爲す。
推之法【陽卦】:推世之所屬陽卦陰卦者,假令即位之年得賁卦,十月亥也,賁初陽爻三十六,以九除之得四,以三乘之得十二,因而半之則得六,則是即位之期也;能過此者,如所乘得一十,則中期也;復能過此者,三乘所半六得十八年終矣;陽得正位,増九以所乘為五十四;巽、艮之家四所乘得三十六,遠期算。
推算の法(陽に屬する卦):再び世爻の陽に屬する卦與陰に屬する卦の推法を説かん。譬如即位の年に得たるは賁卦にして、賁は十月亥位に配し、賁の初爻は陽爻にして、三十六を取り、九を用ゐて除きて四を得、再用ゐて三を以て乘じて十二を得、然る後其の一半を取りて六を得、此れ即ち在位の初期なり;若し此の年限を超過する能くせば、所乘の數の如く十を得、彼れは中期なり;若し又能く超過せば、則ち所取の一半六に三を乘じて十八年を得、彼れは終期なり;陽爻の正位を得るは、所乘の數の上に九を加へ、便ち五十四を得;巽・艮兩家は四を用ゐて乘じて所得は三十六にして、此れは最遠の期數なり。
天元甲寅歳以來,至宋髙祖劉裕禪晉,歳在庚辰,號為永初元年,凡得積年二百七十六萬八百四十七年算上,以三十二【半六十四卦得三十二,以為法。】除之,不盡十五,入坎離軌。以宋辛酉至周宣帝宣政元年戊戌歳,有一百五十八年。元嘉元年即當魏氏世祖太武皇帝始光元年,以三十二除之,不盡七,命之入大有軌;一本雲不盡十三,為入無妄、大畜軌。
天元甲寅の年以來より、劉宋高祖劉裕の晉の禪讓を受くるに到りて、歲は庚辰に在り、元を改めて永初元年と爲し、共に積年二百七十六萬八百四十七年を算入し、三十二を用ゐて〔鄭玄注〕六十四卦は一半を取りて三十二を得、除法の數と作りて用ゐる。除けば、餘數は十五にして、坎・離の軌に歸入す。劉宋辛酉年より北周宣帝宣政元年戊戌年に至るまで、共に一百五十八年。元嘉元年は正に北魏世祖太武皇帝始光元年に當たり、三十二を用ゐて除けば、餘數は七にして、之を命じて大有の軌に歸入す;別一本は餘數十三と説けば、則ち無妄・大畜の軌に歸入す。
六月未也,六月位陰爻八,以四乘之八得三十二,以六除之得五餘不盡二,以二乘之得十,因而半之得五初忌;能過此者,如所乘得十;復能過此者,三乘所半五得十五終矣。不忌失位,陰増八,終二十三除之得四十七丙午歳,天下憂重侵逼也,有餘福也。
六月は未位に屬し、六月の位は陰爻八にして、四を用ゐて八を乘じて三十二を得、六を用ゐて除きて五を得て餘二有り、再用ゐて二を以て乘じて十を得、然る後其の一半を取りて五を得、此れは初忌なり;若し此の年限を超過する能くせば、則ち所乘の數の如く十を得;若し又能く超過せば、則ち所取の一半五に三を乘じて十五年を得、彼れは終限なり。若し忌の位を失せざれば、陰數は再び八を加へ、終限は二十三、除算し下れば四十七年を得、丙午の歲に當たり、天下は憂患深重にして・侵逼に迫近す;若し尚お餘數有れば、則ち轉じて福と爲る。
假令失位陽者,四七二十八,以九除之得三餘不盡一,以三乘所得九,因而半之得四有餘,則是即位初期;能過此者得九,中期也;増復能過此者,得十三年終矣;下期失位陽七於所乘得四十二,厄所遭;有餘算福之也。
譬如陽に屬して位を失せるは、四乘じて七は二十八を得、九を用ゐて除きて三を得て餘一有り、三を用ゐて乘じて所得は九、然る後其の一半を取りて四有餘を得、此れ即ち在位の初期なり;若し此の年限を超過する能くして九を得れば、是れ中期なり;再加して又能く超過するは、十三年を得、彼れは終限なり;下一層の位を失せる陽は所乘の數の上に七を加へて四十二を得、彼れは灾厄に遭遇する年なり;若し還りて餘數有れば、則ち福に折算す。
假令得位陰在六,四六二十四,以六除之得四無餘,以二乘之得八,因而半之得四初忌;能過此者得八,中忌;復能過此者得十二終矣;下忌得位陰増六於乘得三十六,厄所遭也。
譬如陰に屬して位を得て・其の數は六に在るは、四乘じて六は二十四を得、六を用ゐて除きて四を得て餘數無し、再用ゐて二を以て乘じて八を得、然る後其の一半を取りて四を得、此れは初忌なり;若し此の年限を超過する能くして八を得れば、是れ中忌なり;若し又能く超過して十二年を得れば、彼れは終限なり;下一層の忌は、位を得たる陰は所乘の數の上に六を加へて三十六を得、彼れは灾厄に遭遇する年なり。
假令得位陽在九,四九三十六,九除之得四無餘,以三乘之得十二,因而半之得六,六初忌;能過此者,中忌也;復能過此者得十八,忌終也;得位陽増九於所乘得九五十四,忌所遭也。【按:以上自「推之術」以下,皆後人因卦軌之義而闡衍其法,故推至南北朝年數,非《易緯》本文也。】
譬如陽に屬して位を得て・其の數は九に在るは、四乘じて九は三十六を得、九を用ゐて除きて四を得て餘數無し、再用ゐて三を以て乘じて十二を得、然る後其の一半を取りて六を得、六は即ち初忌なり;若し此の年限を超過する能くせば、彼れは中忌なり;若し又能く超過して十八を得れば、彼れは忌の終限なり;位を得たる陽は所乘の數の上に九を加へて、五十四を得、彼れは忌厄に遭遇する年なり。〔四庫館臣按〕以上「推之術」以下は、皆後人の卦軌の義理に就きて推衍して出したる算法にして、故に一直に南北朝の年數に推算せり、并《易緯》の本文に非ず。
推厄所遭法與宋軌推驗
推厄所遭法:以入位年數餘軌數,算盡厄所遭。甲乙為飢,丙丁為旱,戊己為中興,庚辛為兵,壬癸為水,元算為月。【按:此文已見前,此處疑復見,或亦後人所引耳。
遭遇する所の灾厄を推算する方法:即位以來の年數を用ゐて軌數を除き、餘下多少を看て、……〔以下の文は闕脫す〕。
宋軌七百三十六,庚申歳至今甲子歳,宋元嘉元年甲子,宋髙祖第二息文帝義隆年號,為入位五年,以五除軌數上所得積周一百四十七,餘所一,厄所遭也。丙寅歳入位七年,以七除軌數上得積周一百五,軌命得庚寅主兵,其年起兵荊州謝晦也。
劉宋の軌數は七百三十六にして、庚申の歲より如今甲子の歲に至る;宋元嘉元年は歲は甲子に在りて、是れ宋高祖第二子文帝劉義隆の年號にして、即位第五年と算し、五を用ゐて軌數を除けば、所得の積周は一百四十七にして、餘數は一なり、彼れは則ち所遭の灾厄なり。丙寅の歲は即位第七年にして、七を用ゐて軌數を除けば、積周一百五を得、軌に按じて之を命じて庚寅を得、主る兵禍なり、彼の一年に荆州の謝晦は果然に起兵して作亂せり。
癸未歳入位二十四年,以除軌數上得積周三十,餘十六不盡,以庚申命之得乙亥,乙主飢,其年河南大飢,豫州人相食。甲申歳入位二十五年,除軌數上積得二十九,餘不盡十一,以庚申命之得庚午,庚主兵馬,其年九州發兵征蠻。
癸未の歲は即位第二十四年にして、其れを用ゐて軌數を除けば、積周三十を得、餘數十六は未盡にして、庚申より起數して之を命じて乙亥を得、乙は饑饉を主り、彼の一年に河南は大饑饉して・豫州の百姓は人相食せり。甲申の歲は即位第二十五年にして、軌數を除して積二十九を得、餘數十一は未盡にして、庚申より起數して之を命じて庚午を得、庚は兵馬を主り、彼の一年に九州は兵を發して蠻族を征討せり。
乙酉歳入位二十六年,除軌數上得積周二十八,不盡八,以庚申命之得丁卯,丁主旱,其年大旱不收豆麥,豫州禾粟皆旱死。丙戌歳入位二十七年,除軌數上得積周二十七,餘不盡七,以庚申命之得丙,丙主旱,其年淮北二州春旱不能種稻。
乙酉の歲は即位第二十六年にして、軌數を除して積周二十八を得、餘數八は未盡にして、庚申より起數して之を命じて丁卯を得、丁は旱灾を主り、彼の一年は大旱して・豆麥は收穫無く・豫州の禾粟は皆旱死せり。丙戌の歲は即位第二十七年にして、軌數を除して積周二十七を得、餘數七は未盡にして、庚申より起數して之を命じて丙を得、丙は旱灾を主り、彼の一年に淮北二州は春天大旱して、稻を種ふる能わず。
丁亥歳入位二十八年,除軌數上積周三十六,餘不盡八,以庚申命之得丁卯,丁主旱,其年大旱。戊子歳入位二十九年,除軌數上得積周二十五,不盡十一,以庚申命之得庚午,庚主兵,其年大兵。己丑歳入位三十年,除軌數上得積周二十四,餘不盡十六,以庚申命之得乙亥,乙主飢,其年荒,糴貴。
丁亥の歲は即位第二十八年にして、軌數を除して積周三十六を得、餘數八は未盡にして、庚申より起數して之を命じて丁卯を得、丁は旱灾を主り、彼の一年は大旱せり。戊子の歲は即位第二十九年にして、軌數を除して積周二十五を得、餘數十一は未盡にして、庚申より起數して之を命じて庚午を得、庚は兵禍を主り、彼の一年は大き兵事有り。己丑の歲は即位第三十年にして、軌數を除して積周二十四を得、餘數十六は未盡にして、庚申より起數して之を命じて乙亥を得、乙は饑饉を主り、彼の一年は年成荒歉にして・米價は昂貴せり。
庚寅歳入位三十一年,除軌數上得積周二十三,不盡二十三,以庚申命之得壬,壬主水,其年徐、兗州大水,官軍因勢汎舟至滑臺,虜走,後果失利也。辛卯歳入位三十二年,除軌即算死所遭也,以不盡法二十三於上方除餘三十二,以庚申命之得辛卯,辛主兵,其年魏兵至江淮。
庚寅の歲は即位第三十一年にして、軌數を除して積周二十三を得、餘數二十三は未盡にして、庚申より起數して之を命じて壬を得、壬は水灾を主り、彼の一年に徐州・兗州は大水して、官軍は水勢に乘じて汎舟して直に滑台に到り、胡虜は退走し、後來果然に失利せり。辛卯の歲は即位第三十二年にして、軌數を除すれば則ち死厄の遭う所の年と算し、餘數二十三の法を用ゐて上位に相除して、三十三を餘り、庚申より起數して之を命じて辛卯を得、辛は兵禍を主り、彼の一年に北魏の軍隊は打ちて江淮一帶に到れり。
壬辰歳入位三十三年,除軌數上得積周二十,餘不盡,以庚申命之得己巳,己主中興。癸巳歳入位三十四年,除軌數上得積周二十一,餘不盡二十二,以庚申命之得辛巳,辛主兵,其年二月二十日甲子東宮大逆。○按:以上宋軌取宋文帝在位年數依法推算,穿鑿無謂,文義亦不倫,蓋為後人淺陋者所加,今改用細字附註。】
壬辰の歲は即位第三十三年にして、軌數を除して積周二十を得、尚お餘數未盡有り、庚申より起數して之を命じて己巳を得、己は中興を主る。癸巳の歲は即位第三十四年にして、軌數を除して積周二十一を得、餘數二十二は未盡にして、庚申より起數して之を命じて辛巳を得、辛は兵禍を主り、彼の一年二月二十日甲子に、東宮は弑逆の大變を發生せり。〔四庫館臣按〕以上「宋軌」の一段は、宋文帝の在位の年數を取りて法に依りて推算して、穿鑿附會して意義無く、文辭義理も亦た不倫不類にして、大概は後來の淺陋の人の加へたる、今改めて小字を用ゐて附注と作る。
推軌の術
推軌之術:以天元甲寅已來至今受命位之年,以三十二除之,餘不盡從乾坤始數算,則得主歳之卦,知直事之辰在何辰。以甲寅年至大唐先天元年壬子,積二百七十六萬一千一百三十九,以三十六【或云以十二。】除之,積八萬六千二百八十五周,不盡十九,入家人、睽軌。
軌數を推算する方法:天元甲寅以來より當今受命即位の年に到る積年を用ゐ、三十二を以て之を除き、餘下盡さざる數は乾・坤より起りて順數して、則ち主歲の卦を得出し、亦た當直行事の辰の何れの一辰に在るかを知る。甲寅の年を用ゐて大唐先天元年壬子に推到すれば、積みて二百七十六萬一千一百三十九、三十六を用ゐて〔別一説は十二を用ゐると。〕除けば、積八萬六千二百八十五周を得、餘數十九は未盡にして、家人・睽の軌に歸入す。
至元和十四年,合二百七十六萬一千二百三十六;元和十五年庚午,或云庚子,積二百七十六萬一千二百四十七。法:陽爻以老陽數乘之,陰爻以老陰數乘之,隨六爻陰陽多少乘訖,並之為分,各數倍分,各為折合數也。【按:上「推軌之術」與前文略同,而重複錯見者,蓋前為南北朝術士所發明,而此推至元和十五年,則又唐人所附益也。】
元和十四年に推到すれば、共計二百七十六萬一千二百三十六;元和十五年庚午、一説は庚子にして、積みて二百七十六萬一千二百四十七。其の法は:陽爻は老陽の數を用ゐて乘じ、陰爻は老陰の數を用ゐて乘じ、六爻中の陰陽の多少に隨りて分別に乘盡し、再び相加して「分」と爲し、各數を加倍して所得の分は、則ち各自「折」與「合」の數と成る。〔四庫館臣按〕上面此の段の「推軌の術」は前文と大略相同にして、重複錯出する所以は、大概は前の一段は南北朝の術士の發明せるにして、而して此の一段は元和十五年に推算し、又唐人の增益せる所なり。
四正卦爻配二十四氣
中孚(純坎)公丨,初六冬至,十一月中,廣漠風。解(純震出),初九春分,二月中,明庶風。咸(純離),初九夏至,五月中,凱風。【按:《乾元序制記》作「景風」。】賁(純兊),初九秋分,八月中,閶闔風。
中孚卦は純坎に對應し、爵位は「公」に屬し、坎の初六は冬至を主り、是れ十一月の中氣にして、北方の廣漠風に配す。解卦は純震の出に對應し、震の初九は春分を主り、是れ二月の中氣にして、東方の明庶風に配す。咸卦は純離に對應し、離の初九は夏至を主り、是れ五月の中氣にして、南方の凱風に配す。〔四庫館臣按〕《乾元序制記》は「景風」と作る。賁卦は純兌に對應し、兌の初九は秋分を主り、是れ八月の中氣にして、西方の閶闔風に配す。
屯丨,九二小寒,十二月節。豫,六二清明,三月節。鼎,二小暑,六月節。歸妹,九二寒露,九月節。升(公),六三大寒,十二月中,日在坎。革,六三穀雨,三月中,日在震。履,九三大暑,六月中,日在離。困,六三霜降,九月中,日在兊。
屯卦九二は小寒を主り、是れ十二月の節氣なり。豫卦六二は清明を主り、是れ三月の節氣なり。鼎卦第二爻は小暑を主り、是れ六月の節の節氣なり。歸妹卦九二は寒露を主り、是れ九月の節氣なり。升卦は爵位は「公」に屬し、六三は大寒を主り、是れ十二月の中氣にして、其の時太陽は坎位に行く。革卦六三は穀雨を主り、是れ三月の中氣にして、太陽は震位に行く。履卦九三は大暑を主り、是れ六月の中氣にして、太陽は離位に行く。困卦六三は霜降を主り、是れ九月の中氣にして、太陽は兌位に行く。
小過(侯),六四立春,正月節,條風。旅,九四立夏,四月節。【按:此下當脫「溫風」二字。】恆,九四立秋,七月節,涼風。艮,九四立冬,十月節。【按:此下當脫「不周風」三字。】漸(公),九五雨水,正月節。小畜,六五小滿,四月中。損,六五處暑,七月中。大過,九五小雪,十月中。
小過卦は爵位は「侯」に屬し、六四は立春を主り、是れ正月の節氣にして、東北の條風に配す。旅卦九四は立夏を主り、是れ四月の節氣なり。〔四庫館臣按〕此の下は應に「温風」二字を脫す。恒卦九四は立秋を主り、是れ七月の節氣にして、西南の涼風に配す。艮卦九四は立冬を主り、是れ十月の節氣なり。〔四庫館臣按〕此の下は應に「不周風」三字を脫す。漸卦は爵位は「公」に屬し、九五は雨水を主り、是れ正月の中氣なり。小畜卦六五は小滿を主り、是れ四月の中氣なり。損卦六五は處暑を主り、是れ七月の中氣なり。大過卦九五は小雪を主り、是れ十月の中氣なり。
需(侯),上六驚蟄,三月節。大有,上六芒種,五月節。巽,上九白露,八月節。未濟,上六大雪,十月節。【按:以上以四正卦爻配二十四氣,其說亦見於《乾元序制記》,當是《易緯》本文。】冬至日在坎,春分日在震,夏至日在離,秋分日在兊。
需卦は爵位は「侯」に屬し、上六は驚蟄を主り、是れ三月の節氣なり。大有卦上六は芒種を主り、是れ五月の節氣なり。巽卦上九は白露を主り、是れ八月の節氣なり。未濟卦上六は大雪を主り、是れ十月の節氣なり。〔四庫館臣按〕以上は四正卦の爻位を以て二十四氣に配す、此の種の説法も亦た《乾元序制記》に見え、應に《易緯》の本文たるべし。冬至の日は太陽は坎位に行き、春分の日は震位に行き、夏至の日は離位に行き、秋分の日は兌位に行く。
《易緯·是類謀》以此四正之卦,卦有六爻,爻主一氣;餘六十卦,卦主六日七分——八十分日之七。正歳三歳六十五日四分日之一,六十而一周。《乾象》以中孚當十一月,六十中氣後十五日,準兩卦強,可得十二月,餘少三日,當取十二月卦日也。
《易緯·是類謀》は此の四個の正卦を拿てて説く:每卦は六爻にして、一爻は一個の節氣を主り、合して二十四氣と爲る;其の餘の六十卦は、每卦は六日又七分を主り、即ち八十分の七日なり。正歲三年、一年は三百六十五又四分の一日にして、六十卦にして一周を繞行す。《乾象曆》は中孚卦を以て十一月に當て、六十個の中氣の後十五日にして、折合して兩卦有餘、以て十二個月を湊成する能く、只だ三日を差して、應に十二月の卦の日數を取りて補足すべし。
右各以六日於決次,乃不可簡取其孤,如此非是驗也。以《易緯》推之,無勞更算二十四氣,以成五日七分,正五日準四分之一未消息即為善矣。【按:以上亦當為後人所加。】
右邊に列する各卦は皆六日を以て依次相接し、随隨意に其の中の孤立の一卦を抽取する能わず、彼の樣にすれば推算は則ち應驗する能わず。《易緯》に依りて推算するは、別行して二十四氣を計算するを用ゐず、只だ五日七分を湊成して、正五日を以て四分の一日に折合し・尚未消息卦に計入せざる者を以て準と爲せば、則ち妥當と算す。〔四庫館臣按〕以上此の一段も亦た應に後人の加へたる所なり。
六陽月三十卦直事日
八百諸侯:正月侯、三月侯、五月侯、七月侯、九月侯、十一月。小過立春,豫清明,大有芒種,恆立秋,歸妹寒露,未濟大雪。初六一日,六二六日,九三十一日,九四十六日,六五二十一日,上六二十六日。
八百諸侯此の一等は、正月の侯・三月の侯・五月の侯・七月の侯・九月の侯與十一月の侯に配す。小過卦は立春に當たり、豫卦は清明に當たり、大有卦は芒種に當たり、恒卦は立秋に當たり、歸妹卦は寒露に當たり、未濟卦は大雪に當たる。各爻は分主して其の日を主る:初六は第一日を主り、六二は第六日を主り、九三は第十一日を主り、九四は第十六日を主り、六五は第二十一日を主り、上六は第二十六日を主る。
二十七大夫:蒙正月大夫,訟三月大夫,家人五月大夫,節七月大夫,無妄九月大夫,蹇十一月。初六二日,九二七日,六三十二日,六四十七日,六五二十二日,上九二十七日。
二十七大夫此の一等:蒙卦は正月の大夫の卦、訟卦は三月の大夫の卦、家人卦は五月の大夫の卦、節卦は七月の大夫の卦、無妄卦は九月の大夫の卦、蹇卦は十一月の大夫の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初六は第二日を主り、九二は第七日を主り、六三は第十二日を主り、六四は第十七日を主り、六五は第二十二日を主り、上九は第二十七日を主る。
九卿:益正月九卿,蠱三月九卿,井五月九卿,同人七月九卿,明夷九月九卿,頥十一月。初九三日,六二八日,六三十三日,六四十八日,九五二十三日,上九二十八日。
九卿此の一等:益卦は正月の九卿の卦、蠱卦は三月の九卿の卦、井卦は五月の九卿の卦、同人卦は七月の九卿の卦、明夷卦は九月の九卿の卦、頤卦は十一月の九卿の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初九は第三日を主り、六二は第八日を主り、六三は第十三日を主り、六四は第十八日を主り、九五は第二十三日を主り、上九は第二十八日を主る。
三公:漸正月三公,革三月三公,咸五月三公,損七月三公,困九月三公,中孚十一月。初六四日,六二九日,九三十四日,六四十九日,九五二十四日,上九二十九日。
三公此の一等:漸卦は正月の三公の卦、革卦は三月の三公の卦、咸卦は五月の三公の卦、損卦は七月の三公の卦、困卦は九月の三公の卦、中孚卦は十一月の三公の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初六は第四日を主り、六二は第九日を主り、九三は第十四日を主り、六四は第十九日を主り、九五は第二十四日を主り、上九は第二十九日を主る。
天子:泰正月天子,夬三月天子,姤五月天子,否七月天子,剝九月天子,復十一月。初九五日,九二十日,九三十五日,六四二十日,六五二十五日,上六三十日。右是六陽月三十卦直事日,依氣定日主一爻。
天子此の一等:泰卦は正月の天子の卦、夬卦は三月の天子の卦、姤卦は五月の天子の卦、否卦は七月の天子の卦、剝卦は九月の天子の卦、復卦は十一月の天子の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初九は第五日を主り、九二は第十日を主り、九三は第十五日を主り、六四は第二十日を主り、六五は第二十五日を主り、上六は第三十日を主る。以上は即ち六個の陽月三十卦の當直行事の日にして、節氣に依りて日を定め、每爻は各々一日を主る。
六陰月三十卦直事日
八百諸侯:二月侯、四月侯、六月侯、八月侯、十月侯、十二月。需驚蟄,旅立夏,鼎小暑,巽白露,艮立冬,屯小寒。初九一日,九二六日,九三十一日,六四十六日,九五二十一日,上六二十六日。
八百諸侯此の一等は、二月の侯・四月の侯・六月の侯・八月の侯・十月の侯與十二月の侯に配す。需卦は驚蟄に當たり、旅卦は立夏に當たり、鼎卦は小暑に當たり、巽卦は白露に當たり、艮卦は立冬に當たり、屯卦は小寒に當たる。各爻は分主して其の日を主る:初九は第一日を主り、九二は第六日を主り、九三は第十一日を主り、六四は第十六日を主り、九五は第二十一日を主り、上六は第二十六日を主る。
二十七大夫:隨二月大夫,師四月大夫,豐六月大夫,萃八月大夫,既濟十月大夫,謙十二月。初九二日,九二七日,九三十二日,六四十七日,九五二十二日,上六二十七日。
二十七大夫此の一等:隨卦は二月の大夫の卦、師卦は四月の大夫の卦、豐卦は六月の大夫の卦、萃卦は八月の大夫の卦、既濟卦は十月の大夫の卦、謙卦は十二月の大夫の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初九は第二日を主り、九二は第七日を主り、九三は第十二日を主り、六四は第十七日を主り、九五は第二十二日を主り、上六は第二十七日を主る。
九卿:晉二月九卿,比四月九卿,渙六月九卿,大畜八月九卿,噬嗑十月九卿,暌十二月。初六三日,六二八日,六三十三日,九四十八日,六五二十三日,上九二十八日。
九卿此の一等:晉卦は二月の九卿の卦、比卦は四月の九卿の卦、渙卦は六月の九卿の卦、大畜卦は八月の九卿の卦、噬嗑卦は十月の九卿の卦、睽卦は十二月の九卿の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初六は第三日を主り、六二は第八日を主り、六三は第十三日を主り、九四は第十八日を主り、六五は第二十三日を主り、上九は第二十八日を主る。
三公:解二月三公,小畜四月三公,履六月三公,賁八月三公,大過十月三公,升十二月。初六四日,九二九日,六三十四日,九四十九日,六五二十四日,上九二十九日。
三公此の一等:解卦は二月の三公の卦、小畜卦は四月の三公の卦、履卦は六月の三公の卦、賁卦は八月の三公の卦、大過卦は十月の三公の卦、升卦は十二月の三公の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初六は第四日を主り、九二は第九日を主り、六三は第十四日を主り、九四は第十九日を主り、六五は第二十四日を主り、上九は第二十九日を主る。
天子:大壯二月天子,乾四月天子,遁六月天子,觀八月天子,坤十月天子,臨十二月。初九五日,九二十日,九三十五日,九四二十日,六五二十五日,上六三十日。【按:上文各卦圖俱取五徳首一卦六爻依日配之,以例其餘,原本多有脫落錯誤,今各依本卦補入;至策數亦有脫者,未敢妄補,姑仍其舊。】
天子此の一等:大壯卦は二月の天子の卦、乾卦は四月の天子の卦、遁卦は六月の天子の卦、觀卦は八月の天子の卦、坤卦は十月の天子の卦、臨卦は十二月の天子の卦なり。各爻は分主して其の日を主る:初九は第五日を主り、九二は第十日を主り、九三は第十五日を主り、九四は第二十日を主り、六五は第二十五日を主り、上六は第三十日を主る。〔四庫館臣按〕上文各卦の圖は皆五等爵位の中の每等第一卦の六爻を取りて日に依りて相配して、以て其の餘を類推す、原本は多く脫落訛誤有りて、今各々本卦に依りて補入す;策數に至っても亦た脫漏有るは、敢えて妄りに增補せず、姑且原樣を保留す。
應已上盡卦爻日,並上一同。右是六陰月三十卦直事日,依氣定日主一爻。候六甲子日中寒暑風雨,記其日,占發時方來,萬不失一:幽、冀起坎初六候之,兗、鄭坎六四候之,青、齊震初九候之,徐、魯震九四候之,揚、呉、越離初九候之,涼、益、衛兊初九候之,並、雍、秦兊九四候之。
其の餘の各卦の應する所の爻日は皆此れに照らして推盡して、上文と相同なり。以上是即ち六個の陰月三十卦の當直行事の日にして、節氣に依りて日を定め、每爻は各々一日を主る。六個の甲子日の中の寒・暑・風・雨を占候して、其れを當日に記し、據りて發作の時刻與所來の方位を推占して、萬の一失無し:幽州・冀州は坎卦の初六より起占し、兗州・鄭地は坎卦の六四を用ゐて占し、青州・齊地は震卦の初九を用ゐて占し、徐州・魯地は震卦の九四を用ゐて占し、揚州與吳・越は離卦の初九を用ゐて占し、涼州・益州與衛地は兌卦の初九を用ゐて占し、并州・雍州與秦地は兌卦の九四を用ゐて占す。
推四正:寒不侵公者夷兵,若和氣者解;入方伯,寒氣凶、和吉;風盛雨者坐刑殺;霧將死;若有和氣王相三十日,當沴妖氣為賊盜。右是六陰卦月三十卦直事日,依氣定日主一爻。【按:此句已見前,此處重出。】
四正の卦を推算す:寒氣の「公」の位を侵犯せざるは、主る四夷の兵を用ゐる、若し和氣なれば便ち解除する能く;寒氣の「方伯」の位に侵入するは、凶に屬し、和氣なれば則ち吉なり;風大にして雨多きは、主る刑殺に因りて罪を獲る;霧を起すは、主る將に死喪有らんとす;若し和氣は王相の位に當りて三十日に達せば、則ち沴戾の妖氣は盜賊と化さん。以上是即ち六個の陰月三十卦の當直行事の日にして、節氣に依りて日を定め、每爻は各々一日を主る。〔四庫館臣按〕此の一句は前文に已に見えり、此處は重出なり。
中孚・鄭氏易説
艮游魂中孚云:「豚魚吉,利渉大川,利貞。」孚,信也。兩陰在內,亦以五以中和之氣候之。兩陰猶民,於君在上矣,臣在下候行中正之道,政教信於民,故謂之中孚。
艮卦の遊魂卦は中孚にして、其の卦辭は説く:「豚魚吉、大河を渡るに利あり、正を守るに利あり。」「孚」は即ち信なり。兩個の陰爻は卦體の内に居りて、亦た「五」此の中和の氣を以て其れを占候す。兩個の陰爻は好比百姓にして、君は上位に在り・臣は下位に在り、其れらの中正の道を推行する能くするや否やを占候す;政令敎化は百姓に取信す、故に「中孚」と叫ぶ。
兩陰者:三辰在亥為豕,爻失正,故變而為小,名言豚;四辰在丑為鱉,鱉魚之微者,爻為正,變以其大,節言魚。三體兊為澤,四值天淵,二五皆坎爻如水,水以水度浸澤所養,故吉。互體是震,震為木,二爻巽為風,木在水上而風行之,濟大川象,君能濟於難也。
所謂兩個の陰爻:第三爻の辰位は亥に在り、亥は生肖を猪と爲し、此の爻は其の正位を失す、故に變じて小より稱して、之を名づけて「豚」と曰ふ;第四爻の辰位は丑に在り、丑は物象を鱉と爲し、鱉は魚類の中細小なるにして、此の爻は其の正位を得、則ち變じて大より稱して、節文に因りて之を稱して「魚」と曰ふ。第三爻の卦體は兌にして、兌は澤と爲る;第四爻は正に天淵の位に當たる;第二爻與第五爻とは皆坎爻にして、坎は象を水の如くし、水は其の分度に按じて沼澤を浸潤して萬物を養育す、故に吉なり。互體は震と成り、震は木と爲る;第二爻は巽位に處り、巽は風と爲る;木は水上に浮きて風は其の上に吹行す、正に大河を渡越する象にして、比喻する人君の能く危難を濟渡するを。
【按:以上乃鄭氏《易》義之文,《毛詩·無羊》篇正義亦引此文,惟缺首尾數語。而正義自「浸澤」以下尚有「五亦以水灌淵則魚利,豚魚以喻小民也,而為明君賢臣恩意所供養,故吉」云云,此亦缺而未載,疑脫落也。《稽覽圖》內有此文者,蓋後人以此書專論「卦氣起中孚」之義,故引鄭氏《易》說附入以相闡發,並非《易緯》本文,今退二字附書之。其字之脫誤,則依《詩疏》互為校定雲。】
〔四庫館臣按〕以上は鄭玄の《易》義の文字にして、《毛詩·無羊》篇の孔穎達正義も亦た此の段の話を引けり、只だ首尾の幾句を缺く。而して正義は「浸澤」以下に還りて「五は水を以て深淵に灌注すれば、然らば魚は則ち利を得;豚魚は以て小民に比喻し、明君賢臣の恩意の供養を受くるに因りて、故に吉」等の語有り、此處も亦た缺きて載せざる、疑わしき脫落せるなり。《稽覽圖》の裏の此の段の文字有る所以は、大概は後人が此の書の專門に「卦氣は中孚より起る」の義理を討論するに因りて、故に鄭玄の《易》説を引いて書中に附入して、以て互相に闡發せんと、并《易緯》の本文に非ず、今二格低く附寫す。其の中の文字の脫漏訛誤に至っては、則ち《毛詩正義》に依據して互相に參校訂定す。
