正易心法
正易心法注 宋・麻衣道者撰 陳摶注
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
正易心法注 宋・麻衣道者撰 陳摶注
巻首 陳希夷小伝
陳希夷傳:陳摶,字圖南,號“扶搖子”,毫州真源人。初生之時不能言,至四五歲戲渦水,水濱有一青衣老嫗引置懷中而乳之,其後即能言,敏悟過人。及長,經史一覽無遺。先生曰:“所學只足記姓名而已,吾將之遊泰山,與安期、黃石輩論出世之法,安豈能與世脂韋汩沒,出入生死、輪迴人間哉。”乃盡散其家業,惟攜一石鐺而去。
以下は陳希夷の伝記である。陳摶は字を図南、自ら「扶揺子」と号し、亳州真源県の人である(源文は「毫州」と作るが、「亳州」の写し誤りであろう)。生まれたばかりの頃は物が言えず、四五歳の年に渦水のほとりで遊んでいると、水辺に青衣の老婦人がやって来て彼を懐に抱き乳を与え、それ以来口が利けるようになり、しかも聡敏さは人を超えていた。成長してからは、経書も史書も一遍読めばもう漏らすことがなかった。彼自身が言うには、「私の読んだこれらの書は、せいぜい人の名前をいくつか覚えるに足るだけだ。私は泰山に遊び、安期生や黄石公といった俗外の人物と出世の法門を論じたい――安期生は秦漢の間の伝説の海上の仙人、黄石公は圯橋の上で張良に兵書を授けた隠者である――どうして世俗と一緒に円滑に苟且し、埋没して、生死輪廻の中を出たり入ったりしていられようか」と。そこで家財をすべて散じ、ただ石の鍋一つだけを携えて去って行った。
梁唐士大夫挹其清風,得識其面,如睹景星慶雲,然先生皆莫與交。明宗親為手詔召之。先生至,長揖而不拜。明宗待之愈謹,以宮女三人賜先生。先生賦詩,賦曰:“云為肌體玉為腮,多謝唐王送得來。處士不興巫峽夢,空煩雲雨下陽臺。”遂遁去。隱武當山石巖,服氣辟穀,凡二十餘年。復移居華山,時年已七十歲矣。常閉門臥數月不起。
後梁・後唐の士大夫は皆彼の清高な風致を慕い、ひと目会えただけでも景星や慶雲のような祥瑞を見たに等しかったが、陳摶は誰とも深く交わろうとはしなかった。後唐明宗は自ら詔書を書いて彼を朝に召した。彼は殿上に至って拱手し長揖するだけで、拝しなかった。明宗はかえってますます恭敬し、宮女三名を彼に賜った。彼は詩を作って謝意を表した。「云為肌體玉為腮、多謝唐王送得來。處士不興巫峽夢、空煩雲雨下陽臺。」――これは、自分は山野の処士であって楚王が巫山の神女に夢で遇ったような思いはなく、ただこの佳人たちに徒労させただけだという意味である。書き終えるとそっと立ち去った。彼は武当山の石巖に隠れ、服気の法を行い五穀を断ち、前後二十余年、後にまた華山に移り住み、その時すでに七十歳だった。しばしば門を閉ざして数か月も臥したまま起きなかった。
周世宗顯德中,有樵于山麓見遺骸生塵,迫而視之,乃先生也。良久起曰:“睡酣奚為擾我。”後世宗召見,賜號“白雲先生”。一曰乘驢遊華陰,聞宋太祖登極,拍掌大笑,曰:“天下自此定矣!”太祖召不至,再詔,辭曰:“九重仙詔,休教丹鳳銜來;一片野心,已被白雲留住。”太宗初年,始赴召,惟求一靜室,乃賜居於建隆觀為戶,熟睡月餘方起。辭出,賜號“希夷先生”。
後周世宗の顕徳年間、樵をする者が山の麓で灰塵の積もった遺骸を見かけ、近づいてよく見ると、なんと陳摶だった。しばらくして彼は自ら起き上がり、「熟睡していたのに、なぜ私をかき乱すのか」と言った。後に世宗が彼を召見し、「白雲先生」の号を賜った。ある日、彼は驢に乗って華陰の道を行き、宋太祖趙匡胤が即位したと聞くと、手を拍って大笑し、「天下はこれより定まる!」と言った。太祖が召しても行かず、再び詔が下ると、「九重仙詔、休教丹鳳銜來、一片野心、已被白雲留住」と辞退した――朝廷の詔命は使者に届けさせるには及ばない、私の山林の心はすでに白雲に留められている、という意味である。宋太宗の初年になってようやく召しに応じて入京し、静かな屋敷一間だけを請うたので、建隆観に住まわせることになり、門を閉ざして一月余り熟睡してから起きた。辞して京を出る際、太宗は「希夷先生」の号を賜った。
一曰,遣門人鑿石,處於張超谷。既成,先生往造而曰:“吾其死於此乎?”遂以左手支頤而終。數曰容色不變,肢體尚溫,有五色雲封谷口,彌月不散。年一百一十八歲。初兵紛亂太祖之時,挑太祖太宗於籃以避亂。先生遇之即吟曰:“莫道當今無天子,卻將天子上擔挑。”又遇太祖太宗與趙普,遊長安市,入酒肆晉坐,太祖太宗左右。先生曰:“汝紫微垣一小星爾,軋處上次,可乎?”
ある日、彼は門人を張超谷に遣わして石室を鑿たせた。鑿ち終わると自ら見に行き、「私はおそらくここで死ぬのであろうか」と言い、やがて左手で頬を支えて坐化した。その後数日間、顔色は変わらず四肢もなお温かく、谷の口には五色の雲が封じて、満一月散じなかった。享年百十八歳。当初五代の兵乱のさなか、太祖がまだ発迹していなかった頃、ある者が担い籠で太祖・太宗兄弟を挑んで難を避けていた。陳摶はこれに遇うとすぐ吟じた。「莫道當今無天子、卻將天子上擔挑。」またある時、太祖・太宗と趙普の三人が共に長安の街市を遊び、酒店に入ると趙普はなんと太祖・太宗と並んで坐り、太祖・太宗は左右に分かれた。陳摶は趙普に言った。「汝は紫微垣の一小星にすぎないのに、強いて上位に座るとは、筋が通るか?」――紫微垣は帝座のある星区であり、この言葉は趙普がただの輔臣であって真命の天子と肩を並べるべきではないという意味である。
种放初從先生,先生曰:“汝當逢明主,馳名海內,但惜天地間無完名。子名將起,必有物敗之,可戒也。”放晚年競喪清節,皆如其言。有郭沆者,少居華陰,嘗宿觀下,中夜先生呼令速歸,且與之俱往,一二里許,有人號呼報其母卒。先生遺以藥,使急去可救。既至,灌其藥,遂蘇。華陰令王睦謂先生曰:“先生居溪巖,寢於何室?”先生且笑吟曰:“華山高處是吾宮,出即凌空跨曉風。臺榭不將金鎖閉,來時自有白雲封。”
种放が初め陳摶に従って道を学んだ時、陳摶は彼に言った。「お前は将来賢明な君主に遇い、名声は天下に遍くなるが、惜しいことに天地の間に十全十美の名声はない。お前の名声が一旦起これば、必ず何かが来てそれを敗壊する。警惕せよ。」种放は晩年に果たして隠者の清節を失い、すべてこの言葉に応じた。郭沆という者がいて、若い頃華陰に住み、道観に宿ったことがあったが、夜半に陳摶が彼を呼んで急いで家に帰れと言い、しかも共に路に就いた。一二里行くと、人が哭して報せに来て、彼の母が死んだと言う。陳摶は彼に一服の薬を与え、急いで帰ればまだ生き返らせられると言った。家に帰って薬を灌ませると、母は果たして蘇生した。華陰県令の王睦が陳摶に尋ねた。「先生は谿谷巖壑の間に住んでいますが、いったいどんな屋に寝ているのですか?」陳摶は笑って吟じた。「華山高處是吾宮、出即凌空跨曉風。臺榭不將金鎖閉、來時自有白雲封。」――彼は華山の頂が自分の宮室で、門戸に金鎖は要らず、白雲が自ら門を閉じてくれると言ったのである。
一曰,有一客過訪先生,適值其睡,見旁有一異人,聽其息聲,以黑毫記之莫辨。客怪而問之,其人曰:“此先生華胥調混沌也。”先生嘗遇山女,山女贈之詩,詩曰:“藥而不滿笥,又更上危巔,回指歸去路,將相入翠煙。”太宗聞先生善相人,遣詣南山,見真宗及還。問其故。曰:“廝役皆將相也,何必見王乎?”於是建儲之議遂定。先生以易數授穆伯長,穆授李挺之,李授邵康節。以象數學授种放,放授盧江、許堅,堅授范諤。
ある日、一人の客人が陳摶を訪ね、ちょうど彼が眠っているところに遇い、傍らに異様な人がいて彼の呼吸の音を聴き、黒い筆で記録しているが、記しているのは識別できない符号だった。客は奇怪に思って尋ねると、その人は言った。「これは先生が華胥の夢境で混沌の元気を調理しているのです。」陳摶はかつて山中の女子に遇い、女子は彼に詩一首を贈った。「藥而不滿笥、又更上危巔、回指歸去路、將相入翠煙。」――採った薬はまだ薬箱に満たないのに、またより高い山の巔に向かう。帰路を指し回れば、たちまち翠青の雲煙に没してしまう。太宗は陳摶が人相見に巧みだと聞き、彼を南山に遣わして真宗に会わせた。彼は会ってすぐ帰って来た。太宗がその故を尋ねると、彼は言った。「随従の僕役が皆すでに将相の相を備えているのに、どうして改めて王本人に会う必要がありましょうか。」立储の議はこれによって定まった。陳摶は易数を穆伯長(穆修)に伝え、穆は李挺之(李之才)に伝え、李は邵康節(邵雍)に伝えた。また象数の学を种放に伝授し、种放は廬江の許堅に伝え、許堅は范諤(范諤昌)に伝えた。
第一章 易道は象を包み、落ちる処を知るべし
羲皇《易》道,包括萬象。須知落處,方可實用。一章
伏羲が創った《易》の道は、天地間の一切の現象をその内に収摂している。《易》を学ぶ者はまずこの一組の卦画がいったいどんな実事に落ち、天地間のどの具体的な事物に対応するのかを弄清楚せねばならず、それから初めて真にそれを用いることが言える。本章が反対するのは、まさに伝注に照らして文句を暗誦するだけで、卦画の指すものが何かを言えない読み方である。そのような《易》は、紙面上の学問にすぎない。(第一章)
落處,謂知卦畫實義所在,不盲誦古人語也。如震得乾初爻,故雷自天下而發;坎得中爻,故月自天之中而運;艮得上爻,故山自天上而墜也,巽、離、兌得坤三爻亦然,又六爻相應,如一陽生於子月,應在卯月;二陽丑,應在三月;三陽寅,應在四月是也。人事亦然。《易》道見於天地萬物曰用之間,能以此消息,皆得實用,方知羲皇畫卦,不作紙上功夫也。
いわゆる「落ちる処」とは、一つ一つの卦画の指す実事がいったいどこにあるかを知ることであって、古人の言葉を盲目に暗誦することではない。例を挙げよう。震卦は一陽が最下に画かれ二陰が上にある。この一陽は乾卦の初爻から分け得たものだから、雷は天の最下層から発する。坎卦の陽画は中間にあり、乾の第二爻を分け得たものだから、月は天の正中を運行する。艮卦の陽画は最上にあり、乾の上爻を分け得たものだから、山は天から墜落して来たものである。巽・離・兌の三卦はそれぞれ下位・中位・上位で坤卦の一陰を分け得ており、道理は同じである。さらに六爻相互の相応の関係を見る。一陽が子月(十一月、卦は復)に初めて生じると、卯月(二月)に至って初めて感応がある。二陽が丑月(十二月、卦は臨)に生じれば、三月に応ずる。三陽が寅月(正月、卦は泰)に生じれば、四月に応ずる。人事の消長もこのリズムに依る。《易》の道は天地万物の日常の運用の間に顕現しており(源文「曰用」は即ち「日用」、全書この字に訛りが多い、以下同じ)、この一組の消長盈虚に照らして体察すれば、至る処実に落ちる。こうして初めて伏羲の卦を画いたのが紙上の功夫ではなかったことが分かる。
第二章 六画は曲意より出ず
六畫之設,非是曲意。陰陽運動,血氣流行。二章
一卦の六道の爻画の配置は、聖人が主観的な曲意で作り出した趣向ではない。それは上は天地間の陰陽二気の往来消長に応じ、下は人身の血気の循環流注に応じて、実有の理に照らして描き出されたものである。本章は卦画を人為的に約定された符号と見なすことを退け、卦画そのものが気機運行の写しであると主張する。(第二章)
陰陽運動,若一陽為復,至六陽為乾,一陰為姤,至六陰為坤是也,血氣流行,若一六為腎,二為肺,三為脾,四為肝,五為心,始生屯。屯而為蒙,養蒙為需之類是也。卦畫凡以此順此理而已。
いわゆる「陰陽運動」とは、下から上へ一陽が初めて生じれば復卦となり、累積して六画全陽となれば乾卦となる。一陰が初めて生じれば姤卦となり、累積して六画全陰となれば坤卦となる。これが十二消息の気の卦画上の運行である。いわゆる「血気流行」とは、《河図》の生成数を人身の臓腑に配するもので、一と六は水に属し腎と為し、二は火、三は木、四は金、五は土に属し、それぞれ肺・脾・肝・心に配する(源文の列する臓腑は、いわゆる二七は火で心、三八は木で肝、四九は金で肺、五十は土で脾という説とやや錯位しており、伝写の誤りであろう)。この一気は初生して屯卦と為る――屯は万物の始生である。始生すれば蒙昧だから、蒙卦を続ける。蒙昧は哺養を待たねばならないから、需卦を続ける。このように一路推演して行く。卦画の為すことは、この実有の理に順って描画するに過ぎない。
第三章 卦象は人に示す、不言の教え
卦象視人,本無文字,使人消息,吉凶嘿會。三章
伏羲が卦象を以て人に示した時、本来一字の説明もなかった。彼は人に自ら卦画中の陰陽の消長進退を揣摩させ、吉凶は自ずと黙然のうちに体得させようとした。本章が立てるのは「不言の教え」である。卦画そのものがすでに完全な表現であって、文字はかえって後から加えられた已むを得ざる補助にすぎない。(第三章)
羲皇始畫八卦,重為64,不立文字,使天下之人嘿觀其象而已。能如象焉,則吉凶應;違其象,則吉凶反。此羲皇氏作不言之教也。鄭康成略知此說。
伏羲は最初に八卦を画き、さらに二つ二つを重ねて六十四卦としたが、終始文字を配したことはなく、ただ天下の人に黙々とこれらの卦象を観させただけである。人の行事が卦象の示す時勢と合えば、吉凶は象に照らして応験し、卦象の示すものに背けば吉凶は反転する。これが伏羲氏の立てた「不言の教え」である。東漢の鄭玄(字は康成)はこの説に多少領会があった。
第四章 周孔孤行し、易道再び晦む
《易》道不傳,乃有周、孔。周、孔孤行,《易》道復晦。四章
卦画の学が失伝して後、始めて周文王・周公の卦爻辞と孔子の《十翼》が出て補救した。しかし後人は周・孔の文辞を単独に抬げ出して流行させ、辞だけを読んで画を見なかったため、《易》の道はかえって再び遮蔽された。本章の矛先は周・孔そのものに向くのではなく、「辞を以て画に代える」読み方に向く――文辞はもと弊を救う手段であって、《易》の全部と見なされた時、新たな障蔽となったのである。(第四章)
上古卦畫明,《易》道行。後世卦畫不明,《易》道不傳。聖人於是不得已而有辭。學者淺識,一著其辭,便謂《易》止於是,而周、孔遂自孤行。更不知有卦畫微旨,只作八字說。此謂之買櫝還珠,由漢以來皆然,《易》道胡為而不晦也?
上古の時は誰もが卦画を読み解け、《易》の道は自ずと通行した。後世になって卦画が分からなくなり、《易》の道は失伝した。聖人は已むを得ず、ここに卦爻に文辞を繋いだ。しかし学者は見識が浅く、これらの文辞にひとたび触れると、《易》の全部の内容がこれに尽きると思い込み、ここに周・孔の伝辞が単独で流行し、卦画の中に精微な旨意があることを二度と知らず、ただ八卦を「健・順・動・入・陷・麗・止・説」の八字で解説するだけとなった。これがいわゆる買櫝還珠――珠を入れた匣を買い取って、珠の方は返してしまうということである。漢代以来ずっとこの通りで、《易》の道がどうして晦まずにいられようか。
第五章 妙義は尽く画中に在り
64卦,無窮妙義,盡在畫中,合為自然。五章
六十四卦の無窮無尽の精微な義理は、すべて卦画そのものの中にあり、しかも卦と卦の承接の次序は自然の理に合っていて、誰かが私意で並べたものではない。本章が明らかにしようとするのは、卦画の外に別に義理を求める必要はなく、卦画自体が完全な義理系統だということである。(第五章)
無窮妙義,若蒙必取次於艮,師必取次於坤,是大有旨意也。不止於貞丈人吉,童蒙求我之義。合為自然,謂次艮、次坤,非是私意,乃陰陽運動,血氣流行,其所施為,皆自然之理也。
いわゆる無窮の妙義とは、たとえば蒙卦は必ず艮を上体として承接し、師卦は必ず坤を上体として承接するが、この中には大いに講究がある。蒙卦の下体は坎(水・険)、上体は艮(山・止)で、険陷の上に止があるから童蒙が啓を待つ象となる。師卦の下体は同じく坎(険)だが、上体は坤(地・衆)で、険陷の上に衆があるから師を興し衆を聚める象となる。この一層の意味は、決して師卦辞の「貞、丈人吉」や蒙卦辞の「匪我求童蒙、童蒙求我」という数句で言い尽くせるものではない。いわゆる「合して自然」というのは、蒙が艮を次とし師が坤を次とするのは、卦序を安排した者の私意から出たのではなく、陰陽の往来運動・血気の循環流注、その生成する一切が、本来自然の理だということである。
第六章 辞外に意を見る
消息卦畫,無止於辭。辭外見意,方審《易》道。六章
卦画中の陰陽の消長を体察するのに、卦爻辞に止まってはならない。文辞の外に卦画自身の透かし出す意味を見出してこそ、初めて真に《易》の道を見清めたと言える。本章が反対するのは「辞は卦義を尽くす」という成見である。文辞は吉凶の大概を標出するだけで、卦画の含む内容はそれよりはるかに多い。(第六章)
繫辭,特繫以吉凶大略之辭而已,非謂六畫之義盡於是也。如大有繫以元亨,大壯繫以利貞。此數字,果足以盡二卦之義乎?要須辭外見意可也。辭外之意。如乾九二“見龍在田”上九“亢龍有悔”闢師之上不動如地,內趨變如水,無窮好意,如此類不可概舉,皆是辭之所不能該也。
卦爻に文辞を繋いだのは、吉凶の大概を標注したに過ぎず、六道の爻画の含意がすべてこの数字の中にあるというのではない。たとえば大有卦には「元亨」の二字しか繋がれず、大壮卦には「利貞」の二字しか繋がれていない。この寥寥たる数字で、はたして本当にこの二卦の意味を窮尽できるだろうか。だから必ず文辞の外に意味を見出さねばならない。辞外の意とは何か。たとえば乾卦九二爻辞の「見龍在田」、上九爻辞の「亢龍有悔」は、いずれも同じ一龍が異なる爻位での处境を講じている。又如師卦で言えば、その上体は坤、坤は地で安定不動、下体は坎、坎は水で趨赴変動する――上は動かず下は趨変して、まさに主帥が坐鎮し兵衆が流転する象である。この種の無窮の好い意味は、挙げても挙げ尽くせず、すべて文辞の包羅し得ないものである。
第七章 卦脈を観て物理を明らかにす
天地萬物,理有未明。觀於卦脈,理則昭然。七章
天地万物の中には、いつも人のまだ弄清楚せぬ道理がある。卦画の中のあの一条の気機運行の脈絡を見れば、道理は清清楚楚に顕れ出る。本章は卦画を天地を観測し得る一具の儀器と見なし、卦画を以て自然を解釈すべきであって、旧注を以て卦画を解釈すべきではないと主張する。(第七章)
卦脈,為運動流行自然之理也。卦脈審,則天地萬物之理得矣。如觀坎畫,則知月為地之氣;觀離畫,則知雨從地出。觀疊交,則知曰為天之氣;觀艮畫,則知山自天來;觀兌畫,則知雨從地出。關疊交,則知閏餘之數;觀交體,則知造化之原。凡此卦畫,皆所以寫天地萬物之理於目前,亦若渾儀之器也。
いわゆる「卦脈」とは、気機運動流行の自然の理である。卦脈を見准えば、天地万物の道理も手に入る。たとえば、坎卦の画を見れば、二陰が一陽を挟み、坤体の中間に乾の中爻が嵌まり込んでいるから、月がもと地気の上昇して成ったものだと分かる。離卦の画を見れば、二陽が一陰を挟み、乾体の中間に坤の中爻が嵌まり込んでいるから、太陽がもと天気の下降して成ったものだと分かる。艮卦の画を見れば、一陽が二陰の上に圧しているから、山が天から墜落して来たものだと分かる。兌卦の画を見れば、一陰が二陽の上に浮いているから、雨が地気の中から出たものだと分かる。重卦中の爻画の叠合を見れば、閏余の数の来歴が分かる。両体交錯の体を見れば、造化生成の本原が分かる。(この段は源本の伝写が錯乱し、「観離画」の下に「則知雨從地出」を誤って重出させ、また「叠交」は「叠爻」に、「關」は「觀」に作るべきところを、今上下文に依って校正した。)およそこの種の卦画は、みな天地万物の理を人の眼前に書き示したもので、渾天儀のような天象を照見し得る器具のようである。
第八章 縦横に施設し、理は在らぬ所なし
經卦重卦,或離或合。縱橫施設,理無不在。八章
三画の経卦と六画の重卦は、拆き開いて見ることも合わせて見ることもできる。どのように縦横に排布し変換布置しても、その中には道理がある。本章は卦画が固定的な読み方一つの死んだ符号ではなく、あらゆる角度の推排に耐えうることを明らかにする。これこそ《易》の道が広大たる所以である。(第八章。源本はこの句の上に網頁版式の乱碼の一段を残しているが、古籍の正文ではないので今删去する。)
縱橫,謂若為諸圖,或有二氣老少之漸,或者三代祖孫之別,或有對待之理,或者有真假之義,或有胎甲之象,或者錯綜之占。唯其施設,皆具妙理,無所往而不可。此所謂包括萬象,而《易》道所以大也。
いわゆる「縦横」とは、卦画を種々の図式に排することである。ある図は陰陽二気が少陽少陰から漸進して老陽老陰となる次第を顕し、ある図は乾坤を祖とし六子を子孫とするような三代の輩分を顕し、ある図は両卦の相対相待の関係を顕し、ある図は真体と假合の分別を顕し、ある図は万物が胎胚初萌の時の形象を顕し、ある図は人に錯卦・綜卦の占断を供する。こうして布置推排しさえすれば、どの排し方も自ずと妙理を具え、通じない処は一つもない。これが前に言った「万象を包括」であって、まさに《易》の道が広大たる所以の縁である。
第九章 六子は乾坤の破体
乾坤錯雜,乃生六子。六子則是,乾坤破體。九章
乾と坤の二つの純卦が互いに掺杂して、始めて震・巽・坎・離・艮・兌の六つの子卦が生じる。いわゆる六子とは、実は乾坤の純体が打破された後の姿である。本章は人に卦画上から直接六子の来歴を見出させる。彼らは別に本源があるのではなく、純陽・純陰がそれぞれ相手に一画を掺入された結果なのである。(第九章)
乾三畫奇,純陽也,一陰雜於下,是為巽,雜於中,是為離。雜於上,是為兌。巽、離兌皆破乾之純陽也,坤畫偶,純陰也。一陽雜於下,是為震。雜於中,是為坎。雜於上,是為艮。震、坎、艮、皆破坤之純體也。若更以人身求之,理自昭然。
乾卦の三画は皆奇画で、純陽である。もし一陰が最下の一画に掺り込めば巽となり、中間の一画に掺り込めば離となり、最上の一画に掺り込めば兌となる。巽・離・兌の三卦は、いずれも乾の純陽を打破したものである。坤卦の三画は皆偶画で、純陰である。もし一陽が最下の一画に掺り込めば震となり、中間の一画に掺り込めば坎となり、最上の一画に掺り込めば艮となる。震・坎・艮の三卦は、いずれも坤の純体を打破したものである。さらに人の身体に対照させれば――首を乾、腹を坤とし、耳目口鼻手足は各々六子に配する――この道理は自ずと一目了然である。
第十章 乾坤は純和の気
粵乾輿坤,即是陰陽。圓融合粹,平和之中。十章
乾と坤について言えば、彼らは陰と陽そのものである(源文「粤」は句首の発語詞、「舆」は「与」に作るべき)。この二卦の代表する気は圓満通融・精純で雑なく、最も平和な状態に処している。本章は乾坤を陰陽の純態と定位し、次章に六子の偏態を講ずるための布石とする。(第十章)
凡陰陽之氣,純而不駁,是為乾坤。《老子》曰:“天得一以清,地得一以寧。”正謂此也。因知能盡乾之道,是為聖人;能盡坤之道,是為賢人。
およそ陰陽の気が純粋で夾雑しないものが、乾と坤である。《老子》第三十九章に言う。「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧らかなり。」――天があの純一の気を守るがゆえに清明であり、地があの純一の気を守るがゆえに安寧である、まさにこの意味を講じている。これより知るべし。乾の剛健の道を尽くし行える者が聖人であり、坤の柔順の道を尽くし行える者が賢人である。
第十一章 六子は不平の気
至於六子,即是陰陽。偏陂反側,不平之名。十一章
震・巽・坎・離・艮・兌の六つの子卦については、同じく陰陽の気ではあるが、ただ気が偏斜傾側して平衡を失った時の名目である。本章は上章に続いて講ずる。乾坤は陰陽の平和態、六子は陰陽の失衡態であり、この点は卦画の上から一見して分かる。(第十一章)
乾健坤順,陰陽之純氣也。一失健順,則不平之氣作。而六子生,觀畫象可知。《莊子》曰:“陰陽錯行,天地大駭,有雷有庭,水中有火,乃焚乃塊。”正謂此耳。由是六子非聖賢比,特眾人興萬物而已。然由破體煉之,純體乃成。
乾は剛健、坤は柔順、これは陰陽の純粋の気である。ひとたびこの健と順を失えば、不平の気が発作し、六子がこれに随って生じる。これは卦画の上から見れば分かる――どの子卦も三画の中に一画が他の二画と異なっている。《荘子・外物》に言う。「陰陽錯行し、天地大いに駭き、是に於いて雷有り霆有り、水中に火有りて、乃ち大槐を焚く。」(源文「有雷有庭」は「有雷有霆」に、「乃焚乃塊」は「乃焚大槐」に作るべき。)陰陽が錯乱して運行すれば、天地はこれがために震駭し、ここに雷霆があり、水の中から火が冒出して、大槐の木まで焼いてしまう――まさにこの道理を言っている。これより知るべし。六子は聖賢と比べることはできず、彼らの対応するものは芸芸たる衆人と万物に過ぎない。ただし破体にも出路がないわけではない。破体の上に修煉の工夫を下せば、純体は依然として重新に煉成できるのである。
第十二章 八德は当に画象に求むべし
健順動入,陷麗止說。非特乾坤,六子訓釋。十二章
「健・順・動・入・陷・麗・止・説」の八字は、ただ乾坤と六つの子卦のための字面的な訓詁に過ぎない。彼らは各々一種の確定した爻画格局に対応しており、画象の上に認めねばならず、ただ八つの抽象名詞として暗記してはならない。(第十二章)
非特訓釋,蓋謂不可專於八字上取也,當求之於畫象。健謂三畫奇也,順謂三畫純偶是也,動謂一陽在二陰下是,入謂一陰在二陽下是,陷謂一陽在二陰中是,麗為一陰在二陽中是,止則一陽在二陰之上是,說則一陰在二陽上是。凡是所順,多見於畫象。如闔戶謂之坤,則姤之初爻是。關戶謂之乾,則復之初爻是。
「ただの訓釈ではない」と言う意味は、専らこの八字の上に義を取ってはならず、卦画の象の上に求めるべきだということである。「健」とは、三画すべて奇画、即ち乾を指す。「順」とは、三画すべて偶画、即ち坤を指す。「動」とは、一陽画が両陰画の下にある、即ち震を指す。「入」とは、一陰画が両陽画の下にある、即ち巽を指す。「陷」とは、一陽画が両陰画の中間に挟まる、即ち坎を指す。「麗」とは、一陰画が両陽画の中間に挟まる、即ち離を指す。「止」とは、一陽画が両陰画の上に圧する、即ち艮を指す。「説」とは、一陰画が両陽画の上に浮く、即ち兌を指す。およそこの種の卦徳に順って言う話は、多くは画象の上に根拠を見出せる。たとえば《繫辭》に「闔戸謂之坤」と言う。門を閉じれば即ち陰気の収斂で、まさに姤卦初六のあの一陰が剛生した爻である。「辟戸謂之乾」と言う。門を開けば即ち陽気の舒展で、まさに復卦初九のあの一陽が剛生した爻である(源文「關戸」は「辟戸」に作るべき)。
第十三章 坎兌二水の別
坎兌二水,明須識破。坎潤兌說,理自不同。十三章
坎と兌はともに水だが、必ず両者の分別を看破しなければならない。坎の作用は「潤」、兌の作用は「説(悦)」で、両者の道理は根本から異なる。坎は天上の乾金の生ずる気水で、物体内部に潜行する。兌は地上の坤土の成す形水で、万物の表面に鋪洒する。本章はおよそ水なら何でも籠統に一類に帰する読み方を退ける。(第十三章)
坎乾水也,氣也,若井是也。兌,坤水也,形也,今雨是也。一陽中陷為二陰為坎,坎以氣潛行於萬物之中,為受命之根本,故曰:潤萬物者莫潤乎水。蓋潤,液也,氣之液也。一陰上徹於二陽為兌,兌以形普施於萬物之上,為發生之利澤,故曰:說萬物者莫說乎澤。蓋說,散也,形之散也。坎、兌二水,其理昭昭如此。學者依文解義,不知落處,其能得實用乎?自漢諸儒不得其說,故真人發其端。
坎は乾の家の水で、気に属し、井泉がこの種の水である。兌は坤の家の水で、形に属し、いま降る雨がこの種の水である。一陽が両陰の当中に陷すれば坎となり、坎は気の形態で万物の体内に潜行し、万物が命を受ける根本だから、《説卦傳》に「万物を潤す者は水より潤すは莫し」と講じる。ここの「潤」とは即ち液で、気の凝じて成った液である。一陰が両陽の上に透けば兌となり、兌は形の姿態で万物の表面に普遍に施布し、生長発育の得る利澤だから、《説卦傳》にまた「万物を説ばしめる者は澤より説ばしむるは莫し」と講じる。ここの「説」とは即ち散で、形が鋪散するのである。坎・兌二種の水の道理が清清楚楚にここにある。学者はただ文字に照らして義理を講じ、それがどこに落実するかを知らないのでは、どうして真に用いることができようか。漢代以来の諸儒は皆この層の意味を講じ出せなかったから、麻衣真人がここで彼らに代わって端緒を開いたのである。
又論,且以井卦觀之,本來泰卦初爻易五,是為井,則知一陽升而為坎水也。故《月令》云:“仲冬,誰泉動,仲冬一陽生。”至仲秋,乃云:“煞氣侵盛,陽氣曰衰,水始涸。”信乎坎之為乾水也!道家有煉丹井。海外女國無男。窺井即生。《醫經》:“無子婦,男服口循井即生。”其為乾陽,皆可明驗。若曰:天降時雨。山川出云,又曰:地氣上為雲,天氣下為雨,此兌之所以為坤水也。
さらに一層補充する。井卦を取って見れば、井卦はもと泰卦の初爻と第五爻を互換して成ったものである――泰卦は下乾上坤で、初九のこの一陽を五位に換え、六五のこの一陰を初位に換えれば、下体の乾は巽に変わり、上体の坤は坎に変わり、合わせてまさに井卦(巽下坎上)となる。あの一陽が上昇して初めて坎水となったことが見える。だから《禮記・月令》に仲冬は「水泉動」と言い、仲冬はまさに一陽初生の時節である(源文「誰泉動」は「水泉動」に作るべき)。仲秋に至っては「殺気浸盛にして陽気日に衰え、水始めて涸る」と言う。これを以て坎が乾家の水であることを確信するに足る。道家には煉丹に用いる井があり、海外の女国は男子なく井戸水を望んで即ち受孕でき、《醫經》にも生育せぬ婦人が法に依って井に臨めば即ち子を得られると載せる――これらは皆井水が乾陽に属することを検証できる。「天降の時雨」「山川の出雲」と言うことについては、《素問》にまた「地気上りて雲と為り、天気下りて雨と為る」と言う。これが兌の所以に坤家の水である縁である。
第十四章 天地の坎離は即ち日月
鑽木鑿井,人之坎離。天地坎離,識取自然。十四章
木に鑽りて火を取り、地を鑿ちて水を取るのは、ただ人力の造り出した坎離であって、小さく後起のものである。天地間の真正の坎離は月亮と太陽であって、自然そのものから認取せねばならない。本章は《説卦》の「水火」をただ生活器用の上に落実するだけの読み方を退け、まず天上の日月を看清めてこそ坎離の体だと主張する。(第十四章)
乾,天也。一陰升於乾之中為離。離為目,則曰本天之氣也,坤,地也。一陽下降於坤之中為坎。坎為月,則曰本地之氣也。曰為天氣,自西而下以交於地。月為地氣,自東而上以交於天。曰月交錯,一晝一夜,循環三百六十度,而擾擾萬緒起矣,是為三百六十爻,而諸卦生焉。坎離曰月,天地之中氣也。仲尼特言水火,而不言曰月者,曰月其體也,水火其用也。言其用而不言其體,蓋欲其設施之廣而礙也。學者不悟,但求之於鑽木鑿井之間,所失益甚矣。
乾は天である。一陰が乾の中位に昇れば離卦となり、離は即ち太陽で、太陽がもと天の気であることが見える(源文「離為目」は「離為日」に作るべき、「曰」は皆「日」に作るべき)。坤は地である。一陽が坤の中位に降れば坎卦となり、坎は即ち月亮で、月亮がもと地の気であることが見える。太陽は天気で、西の辺から落ちて地と相交する。月亮は地気で、東の辺から昇って天と相交する。日月が往来交錯し、一昼一夜に三百六十度を循行し、紛紛たる万事がこれより興起する。これが三百六十爻に対応し、六十四卦もこれより生ずる。坎離は即ち日月で、天地の間の中和の気である。孔子が《説卦》に水火のみを言って日月を言わないのは、日月が彼らの本体で水火が彼らの功用だからであり、功用だけを講じて本体を講じないのは、この取象を施用するのをより寛泛にして拘礙を受けさせないためである(源文「廣而礙」は「廣而無礙」に作るべき)。学者はこの層の用意を明白せず、ただ木に鑽りて火を取り井を鑿ちて水を取るといった人事の上に坎離を求めるから、誤りがますます遠くなるのである。
又論,月上於天,曰入於地,男女構精之象。一來一往,卦畫有中通之象。此所謂觀於卦脈,理則昭然也。有謂理莢謊然,若山者自天之墜也。《傳》曰:“自有宇宙,便有此山。”又曰:“星隕為石”。推此意,則山自天墜無疑。而世曰:“山者,地之物。”以所見者言之耳。
さらに一層補充する。月亮が天空に昇り、太陽が地下に沈むのは、男女が交合して精を構える象である。一來一往の間に、卦画上には中爻が貫通する形象がある――坎の一陽は上に通じ、離の一陰は下に通ずる。これがまさに第七章に言う「卦脈に観て、理則ち昭然」である。さらに道理が離奇に見えて実は明白なものがある。たとえば山が天から墜落して来たということである(源文「理荚謊然」は文字に訛りがあり、「理昭然」などに作るべき)。《傳》に「宇宙有るより、便ち此の山有り」と言い、また「星隕りて石と為る」と言う――星が墜落すれば石頭となる。この意に照らして推せば、山が天から墜落したことに疑いはない。しかし世人はひいきに「山は地上のものだ」と言うが、それは肉眼の見る所に就いて講じているに過ぎない。
至月風雷雨,皆自地出也。而世曰:“月風雷雨,天之物。”亦以所見者言之耳。世以所見如此!苟徇其所見,則是天地萬物,皆所不曉。審知《易》者,所以窮理盡性也。學者不可不留意邪!
月亮・風・雷・雨については、実は皆地気の中から出たものである。しかし世人はひいきに「月・風・雷・雨は天上のものだ」と言うが、これも肉眼の見る所に就いて講じているに過ぎない。世人は眼見に凭ってこのような判斷を下す!もし一昧に眼見に順って行けば、天地万物に真に懂るものは一つもない。知るべし、《易》という学問はまさに物理を窮究し人性を尽知するために用いられるものである。学者はどうして留心せずにいられようか。
第十五章 八卦は統べぬ所なし
八卦不止,天地雷風。一身一物,便據八卦。十五章
八卦の指す所は、天・地・雷・風・水・火・山・澤の八つのものに止まらない。随意に一つの人身、一件の事物を取って見れば、その中に八卦の理が斉備している。本章は八卦を八種の自然物に鎖死させることを退け、それらが八類の性質であって如何なる事物にも落ちうると主張する。(第十五章)
八卦,文王繇辭,周公爻辭,皆未當指名其物象,以見八卦不止天、地、雷、風、水、火、山、澤,無所不統也。是故凡天下之所謂健者,皆乾也。順者,皆坤也。動者,皆震也。入者,皆巽也。陷者,皆坎也。麗者,皆離也。止者,皆艮也。說者,皆兌也。一身一物,便具此八卦之理。然宣父止以八物雲者,特舉其大者為宗本。姑以入《易》,以便學者耳。
八卦について、文王の繋いだ卦辞、周公の繋いだ爻辞は、いずれも指名してそれが必ずどの具体的な物かを言ったことがない。これより見て、八卦は天・地・雷・風・水・火・山・澤の八物に止まらず、統べぬ所のないものである。だから天下のおよそ剛健なるものは皆乾に属し、柔順なるものは皆坤に属し、奮動するものは皆震に属し、潜入するものは皆巽に属し、陷落するものは皆坎に属し、附麗するものは皆離に属し、静止するものは皆艮に属し、喜悦して発散するものは皆兌に属する。人の身一つ、事物一件を任取すれば、その中にこの八卦の理が具備している。孔子(宣父)が《説卦》にあの八つのものだけを挙げたのは、ただ最大最顯著なものを拈出して綱領とし、姑らくそれを以て人を《易》に入らしめ、初学に便せんとしたに過ぎない。
第十六章 反體と對體
卦有反對,最為關鍵。反體既深,對體尤妙。十六章
六十四卦の間には「反」と「對」の二種の関係があり、これは全書最も緊要の關鍵である。「反」とは一卦を整个に倒して見ること(今は綜卦と称し)、「對」とは六爻の陰陽を全部互換すること(今は錯卦と称する)。反體の意味はすでに深く、對體の意味はさらに奇妙である。(第十六章)
世雖知有反對之說,不能知聖人密意在是也。蓋二卦反而為二,對而為四。既列序之,又以雜卦推明義者,以為天下之吉凶禍福,貧富貴賤,其實一體也。別而言之,其代謝循環,特倒正之間耳,未始有常也。然反對則諸卦皆是,對體則乾、坤、坎、離、頤、大過、中孚、小過而已。此八卦與諸卦不同,在《易》道,乃死生壽夭造化之樞機也。其體不變,故曰:對體尤妙。
世人は反・對の説があることは知っているが、聖人の密意がここに蔵されていることを領会できない。一對の卦を倒転すれば二つの卦となり、さらに陰陽を互換すれば四つの卦となる。《序卦》はすでに次序に照らして彼らを排定し、孔子はまた《雜卦》を作ってその義を推明した。その用意は、天下の吉凶禍福・貧富貴賤が実は同一の本体だと明らかにするにある。分かれて言えば、彼らの新陳代謝・循環往復は、ただ同一卦を倒して正した間のことに過ぎず、固定不変のものは嘗てない。ただし「反」という層の関係は諸卦皆にあるが、「對體」を構成し得るのは、乾・坤・坎・離・頤・大過・中孚・小過の八卦のみである――彼らは倒しても依然自分自身で、陰陽互換に依るほか配对できない。この八卦はその余の各卦と異なり、《易》道の中でまさに生死壽夭・造化樞紐のある所である。彼らの卦體は倒しても正しても変わらないから、「對體尤も妙」と言うのである。
第十七章 六十四卦皆取象有り
64卦,皆有取象。其為名義,無不反對。十七章
六十四卦は一卦ごとにその取る具体物象があり、少数の卦だけにあるのではない。そして各卦の名稱と意義も、成對相反・彼此對照せぬものはない。本章は人に「象」と「名義の對反」という二条の線索から全經を読ませようとする。(第十七章)
《易》之取象,世所知者數卦而已,如頤、如鼎、如噬嗑之類是。殊不知《易》者,象也,依物象以為訓,古64卦皆有取象。如屯象草木,蒙象童稚,需象燕賓,訟象飲食,師象軍陣,比象翼戴,家人象家正,睽象覆家,餘卦盡然。一人諸卦,名義無不反對。如噬嗑以貪饕,賁以節飾,履以蹈艱危,小畜以享尊富,臨以出而治人,觀以入而處己,豐以富盛,旅以困窮。自余推之,其名義反對,無不然者,此學《易》之大病也。
《易》の取象は、世人の知る所は数卦に過ぎない。たとえば頤卦は口頰の象を取り、鼎卦は鼎器の象を取り、噬嗑は口中に物を含む象を取るという類である。彼らは《易》そのものが象であり、物象に依って訓を立てていることを曉らない。だから六十四卦は全て取る所の象がある(源文「古」は「故」に作るべき)。たとえば屯は草木初生の象を取り、蒙は幼童蒙昧の象を取り、需は宴を設け賓を待つ象を取り、訟は飲食によりて争う象を取り、師は軍陣の象を取り、比は衆陰が一陽を輔戴する象を取り、家人は一家之正の象を取り、睽は家道の傾覆乖離の象を取る。その余の各卦は一概にこのようである。ひとたび諸卦の中に入って見れば、卦名と卦義に成對相反せぬものはない(源文「一人」は「一入」に作るべき)。たとえば噬嗑は貪食して禍を致すを講じ、賁は節制して文飾するを講じる。履は艱危の地に踏むを講じ、小畜は尊榮富足を享有するを講じる。臨は出でて人を治めるを講じ、觀は入りて己を修めるを講じる。豐は富盛を講じ、旅は困窮を講じる。その余はこれに照らして類推すれば、卦の名と義は両両相反し、例外はない。この一層を見出せないことは、まさに《易》を学ぶ大きな毛病である。
第十八章 諸卦の名義を正す
諸卦名義,須究端的。名義不正,《易》道懸絕。十八章
各卦の名稱とそれに含まれる意義は、必ず一一考究して確鑿としなければならない。名と義がひとたび定まって正しからざれば、整个《易》道は人と隔絶して、もはや接続できない。本章は卦名が随手に安ずる標籤ではなく、卦画の反對関係によって決まると主張する。(第十八章)
《易》卦名義,古今失其正者,二十餘卦,師、比、小畜、履、同人、大有、謙、豫、臨、觀、噬嗑、賁、無妄、大畜、頤、大過、漸、歸妹、豐、旅、中孚、小過是也。蓋師以正眾,比以興王,二卦以武功創業,湯武之卦也。同人窮而在下,大有達而在上,二卦以文德嗣位,舜禹之卦也。
《易》卦の名と義で、古から今まで正解を講じ失ったものが二十余卦ある。即ち師・比・小畜・履・同人・大有・謙・豫・臨・觀・噬嗑・賁・无妄・大畜・頤・大過・漸・歸妹・豐・旅・中孚・小過である。分かれて言えば、師は兵衆を以て天下を匡正し、比は衆心が歸附して王業が興起すること。この一對の卦が講ずるのは武功に凭って基業を開創することで、商湯・周武あの類の君主の卦に属する。同人は下位に身を處して人と和同し、大有は上位に居して天下に富有すること。この一對の卦が講ずるのは文德に凭って大位を承繼することで、虞舜・夏禹あの類の君主の卦に属する。
履以陰德而蹈艱危,以致小畜之安富,人臣之事也,無妄以陰德而踐災眚,以致大畜之喜慶,人君之事也,臨以陽來,宜出而有為;觀以陰生,宜入而無為。廉則止在象後而存義,豫則動在象前而知幾。中孕則始生,小過則夭折。頤則成人而養生,大過則壽終而喪死。漸以正而進,歸妹以說而合。噬嗑以貪而致罪,賁以義而致飾。豐則得所歸而富盛,旅則失所基而困窮。凡此二十餘卦,其名義顯然,見於卦畫反對,有不可掩著如此,當諦觀之也。《大傳》曰:“天而當名。”苟名義不當,則一卦無所歸宿也,故曰:《易》道懸絕也。
履卦は柔順潛藏の德を以て艱危の地に踏み、これによりて小畜卦の安穩富足を換得する。これは臣子を為す事である。无妄卦は柔順潛藏の德を以て災殃を承受し、これによりて大畜卦の喜慶を換得する。これは君主を為す事である。臨卦は陽気の到來で、出でて作為あるに宜しい。觀卦は陰気の初生で、退入して清靜無為に宜しい。謙卦の止は象の成る後にあり、だから義を守ることができる。豫卦の動は象の成る前にあり、だから幾微を預知できる(源文「廉」は「謙」に作るべき)。中孚は生命の開始、小過は中途の夭折である(源文「中孕」は「中孚」に作るべき)。頤は長成の後の保養、大過は壽終の後の喪葬である。漸卦は正を守りて漸進し、歸妹は喜悦して相合する。噬嗑は貪食によりて罪を招き、賁は合宜によりて文飾を加える。豐は歸宿を得て富盛、旅は根基を失いて困窮である。以上の二十余卦は、それらの名と義が清清楚楚で、皆卦画の反對関係の上から見出せ、顯著に掩蓋できない。仔細に審視すべきである。《繫辭下傳》に「開而當名」と言う――義理を敞開すれば、それに恰當な名を與えよということである(源文「天而當名」は「開而當名」に作るべき)。名義が定まって當を得なければ、一卦の意味に着落がなく、だから《易》道は懸空隔斷されると言うのである。
第十九章 正伏互參、一卦八卦を具す
一卦之中,凡具八卦。有正有伏,有互有參。十九章
如何なる重卦の中にも、実は皆八つの卦が含まれている。本身の上下両体の「正」があり、両体が各々変じ出す「伏」があり、中間四爻の搭成する二つの「互」があり、さらに二つの互體が參合して成る「參」がある。本章は人に一卦が六画の死格局ではなく、八卦を生出し得る活結構であることを知らせる。(第十九章)
正謂上下二體也,伏謂二體從變也,互謂一卦有二互體也,參謂二互體參合也。與本卦凡八,是謂一卦具八卦也,然一卦何以具八卦?蓋一卦自有八變,如乾一變姤,二便遁,三變否,四變觀,五變剝,六變晉,七變大有,八變復乾是也。因其所然,以見天地萬物理無不通也。《莊子》論久竹生青寧,青寧生程,程生馬,馬生人,人死反入於機,萬物皆出於機人於機,其一節論變化之理,無所不通如此。
「正」とは本卦の上體と下體の二つの經卦を指す。「伏」とはこの両體が各々陰陽全變して得る卦を指す。「互」とは一重卦中の二三四爻・三四五爻が搭成する二つの互體を指す。「參」とはこの二つの互體がさらに參合して成る卦を指す。これらに本卦を加えれば全部で八つで、だから一卦は八卦を具備すると言う。では一卦がなぜ八卦を具備できるか。一卦にはもとより八重の變化があるからである。乾を例に取れば、一變すれば姤(初爻變)、二變すれば遁(再び二爻を變)、三變すれば否、四變すれば觀、五變すれば剥、六變すれば晉(遊魂)、七變すれば大有(歸魂)、八變してまた乾に還る(源文「二便遁」は「二變遁」に作るべき)。この現成の道理に就いて、天地万物の理に相通せぬ所のないことが見える。《荘子・至樂》に久竹は青寧を生じ、青寧は程を生じ、程は馬を生じ、馬は人を生じ、人は死してまた造化の機樞に返回し、万物は皆この機樞から出てまたこの機樞に歸ると講ずる。あの一段の變化の理の論も、まさにこのように通ぜぬ所がない。
第二十章 乾坤は真體
64卦,唯乾與坤。本之自然,是名真體。二十章
六十四卦の當中、ただ乾と坤の二卦のみが自然に根源し、他物を假借して合成しないもので、これを「真體」と呼ぶ。その余の各卦は皆この両者の掺合より來る。(第二十章)
太始者,氣之始,是為乾。太始者,形之始,是為坤,皆本之自然,無所假合也。故其卦畫純一不駁,倒正不變,是名真體。
「太始」は気の開端で、乾卦に對應する。「太素」は形の開端で、坤卦に對應する(源文は兩處とも「太始」と作るが、後の一處は當に《列子・天瑞》に依って「太素」と作るべき)。この兩者は皆自然に根源し、別のものに凑合を靠まない。だから彼らの卦画は純粹劃一で毫も夾雜なく、しかも六爻を倒しても正しても依然それ自身である。故に「真體」と呼ばれる。
第二十一章 六子重卦は皆假合
六子重卦,乾坤雜氣。悉是假合,無有定實。二十一章
六つの子卦と六十四の重卦は、皆乾坤二気の掺杂して成ったもので、全て臨時の凑合に属し、固定實在の本體は一つもない。本章は卦画の構成より、直に万事皆假合という看法を推出する。(第二十一章)
六子假乾坤以為體,重卦合八卦以為體。若分而散之,則六子重卦皆無有定體也。若今天地清明,陰陽不雜,則六子何在?六子不交,則品物何在?以是知人間萬事,悉是假合。陰陽一氣,但有虛幻,無有定實也。
六子は乾坤の画を借りて自己の體に充て、重卦は二つの經卦を合わせて自己の體に充てる。もしこれらの借り來・合わせ來の部分を拆散して歸還すれば、六子と重卦には皆固定の本體がなくなる。いま天地が一片清明で陰陽が截然と雜らないと設想すれば、六子はまだどこにある?六子がもし交合しなければ、萬類の品物はまたどこにある?これより知るべし。人間の万事は全て臨時に凑合して成るものである。陰陽はもとただ一気で、顯現する所は皆虚幻の相であり、固定實在のものはないのである。
第二十二章 變復に之を求む
卦義未審,須求變復。不唯辭合,義實通明。二十二章
一卦の意味が見明白せぬ時は、「變」と「復」の二法を以て求めねばならない。變は一爻を動かし、復は一體の陰陽を整个翻すことである。こうして求め出した卦は、爻辞が本卦と相合するのみならず、義理も通透明白となる。(第二十二章)
變為一爻之變,復為一體之復。即復變之辭而觀之,自然之義,無不與本卦吻合,以見陰陽之氣。如蒙上九曰:“擊蒙。”變為師,上六則云“小人勿用。”屯初九曰:“以貴下賤,大得民也。”變為比,初六則云“有孚比之,無咎。”此一爻之辭合也。如大有上體復需,有飲食之燕;下體復晉,有昭明之德。升上體復姤,姤一陰升;下體複復,復一陽升。此一體之義合也。苟卦義未審,能以此求之,自然明矣。
「變」とは一爻を變動し、「復」とは上體か下體を整个陰陽翻轉することである。變卦・復卦の爻辞に就いて見れば、その自然の義理に本卦と吻合せぬものはなく、これによりて陰陽の気の實際の走向を見ることができる。例を挙げれば、蒙卦上九爻辞は「擊蒙」で、この一陽爻を陰に變えれば師卦となり、師卦上六に「小人勿用」と言う――蒙昧を擊去することと小人を用いないことは、意味がちょうど接續する。屯卦初九の《象傳》に「貴を以て賤に下り、大いに民を得るなり」と言い、この一陽爻を陰に變えれば比卦となり、比卦初六に「孚有りて之に比す」と言い、過ちがあるまい――尊を屈して民を得ることと誠信を以て相親しむことも、意味が接續する。これが一爻之辞の相合する例である。又如大有卦(下乾上離)は、上體の離を坎に翻せば需卦となり、需卦《大象》に「君子以て飲食宴樂す」の宴飲の義がある。下體の乾を坤に翻せば晉卦となり、晉卦に「明地の上に出づ」の昭明の德がある。升卦(下巽上坤)は、上體の坤を乾に翻せば姤卦と成り、姤は初位の一陰上昇である。下體の巽を震に翻せば復卦と成り、復は初位の一陽上昇である。これが一體之義の相合する例である。もし卦義が看透せなければ、この辦法を以て求めれば、自ずと明白となる。
第二十三章 履畜の倒置と八體の誤
古今傳易,舛訛為多。履畜八體,最為害義。二十三章
古から今に傳わる《易》には、訛誤が甚だ多い。その中で履卦と小畜卦の先後が倒されて排されたこと、及び《説卦》の八卦を人身八體に配する錯配は、義理を害すること最も深い。本章は全書唯一の正面から旧本を校勘する文字である。(第二十三章)
按卦序,當先履而後小畜。今小畜在先,則二卦畫象反對,文義繆亂,而不可考。又以八卦本對八體,獨闋其鼻。乃以巽言股,股即係是也。若股可言,則又遺其肱,且與羲皇八卦不相應也。茲蓋傳者舛誤耳,能不害義乎?試辨之,一柔自姤變同人,同人變履,履變小畜,小畜變大有,猶之一剛自復變師,又變謙,又變豫,又變比,皆自然之序不易也。今謙既在豫上,則知履不當在小畜下。當密探宣尼述九卦,以履為用九,謙用十五,復用二十四,皆《龍圖大衍》定數。則履在小畜上,為第九卦也明矣。又履與無妄對義,既以大畜反無妄而居下,則知小畜反履而居下無疑矣。今序卦非宣尼旨,失其本真也。
卦の次序に照らせば、本來先ず履ありて後に小畜とすべきである。いま《序卦》は小畜を前に排し、兩卦の画象の反對関係が亂れ、文義が糾纏して清まらず、考究する由がない。さらに八卦は本來人身八體に配するのに、偏に鼻を漏らして、巽を以て大腿に配した――股とは即ち大腿である。腿に配し得るなら、なぜまた胳膊を漏らしたのか。しかもこのような配法は伏羲八卦の方位とも對上しない。これらは皆傳写の人の弄錯で、どうして義理を妨害せぬことがあろうか。試しに辨明しよう。一つの陰爻が五陽中を上行する例を取れば、初位にあれば姤、二位に昇れば同人、三位に昇れば履、四位に昇れば小畜、五位に昇れば大有である。ちょうど一つの陽爻が五陰中を上行するが如く、初位にあれば復、二位は師、三位は謙、四位は豫、五位は比である――これは皆自然の次第で、更動すべからず。いま《序卦》がすでに謙を豫の上に排している(三位を四位の前に)のを見れば、履も小畜の下に排すべきでないことが見える。さらに仔細に推究すれば、孔子が《繫辭下》に三たび陳した九卦は、履を以て「用九」、謙を「用十五」、復を「用二十四」とし、これらは皆《龍圖》大衍の定數である。然らば履が小畜の上に排し第九卦に位することは、甚だ明白である。又、履と无妄兩卦は陰陽相互に對し、すでに大畜を以て无妄を承接しその下に居る以上、また小畜を以て履を承接しその下に居るべきことも分かり、疑問はない。現行の《序卦》は孔子の本旨ではなく、すでにその本來面目を失っている。
八體,乃艮為鼻,巽為手耳。《傳》曰:“鼻者,面之山也。”又曰:“風能鼓舞萬物,而手之所以舞也,”蓋乾為首,坤為腹,天地定位也。坎為耳,離為目,水火相逮也。艮為鼻,兌為口,山澤通氣也。巽為手,震為足,雷風相薄也。此羲皇八卦之應矣,其理昭昭。但學者承誤效尤,見不高遠,其失至此。真人閔之,故開其眼目。
八體の正確な配法については、當に艮は鼻に配し、巽は手に配すべきである。古《傳》に「鼻子は臉上の山」と言うから、艮山は鼻に配する。又「風は萬物を鼓動し得るは、正に手の能く舞う所以」と言うから、巽風は手に配する。このようにすれば、乾は頭、坤は腹で、「天地定位」に對應する。坎は耳、離は目で、「水火相逮」に對應する。艮は鼻、兌は口で、「山澤通氣」に對應する。巽は手、震は足で、「雷風相薄」に對應する。これで《説卦》の述べる伏羲八卦の四對方位と一一相應し、道理は清清楚楚である。ただ学者が旧誤に沿襲し、相互に效仿し、眼界が高遠に足らなかったために、誤りがこの地步に至った。麻衣真人は彼らを憐憫し、故に特に點破して、彼らの眼を開かせたのである。
第二十四章 日用の間、易ならざる莫し
畫卦取象,本為特物。見於曰用,無所不合。二十四章
画卦の取る象は、本來具體の事物に針對して設けられたものである。それは人の日常起居應用の中に顯現し、對上せぬ處は一つもない。本章は《易》を竹帛の上に書いて人に誦讀させる一部の書と見なすことを退け、それがもと一組の隨時隨物に驗證し得る活道理だと主張する。(第二十四章。源文「曰用」は即ち「日用」。)
羲皇畫卦,非謂出私意。撰寫一《易》道於方冊上,以誨人也。特以順時應物,則以見於曰用之間耳。以粗跡言之,如以錢博,六純字,乾也。六純背,坤也。差互,六子也。若反則未勝,至純則乾坤成矣。又如優人呈伎,壯者任其難,六子也。老者斂其利,乾坤也。此皆理之自然。即此理以察其餘,則是行止坐臥纖悉舉天下皆《易》,無可揀擇者。但百姓昏昏,曰用之而罔覺矣。
伏羲の画卦は、自己の主意に凭って《易》道の一組を書き出し、簡册の上に置いて人を教訓したのではない。彼はただ時令に順い事物に應じて、道理を日常應用の間に呈したに過ぎない。淺近な跡象に就いて言えば、たとえば錢を擲つ賭博で、六枚が全て字面ならば純陽の乾、六枚が全て背面ならば純陰の坤、字と背が參差齊らずならば六子である。字背が反覆錯雜する時は勝負未定で、純一の數に擲ち至れば、乾坤は局を成す。また譬えば藝人が場に上がって演技する時、年輕力壯の者が高難の活兒を擔當するのが六子、年老の者が坐してその利を收めるのが乾坤である。これは皆自然の理である。この理に就いて其餘を觀察すれば、行走・停立・坐臥、一切細微の舉動は、天下を擧げて易ならざる一つもなく、挑出して算えぬものはない。ただ百姓が渾渾噩噩として、日々それを用いながら毫も自覺しないだけである。
第二十五章 中爻互體、納音切脚の如し
中爻之義,足為造化。納音為切腳,其理則一。二十五章
一卦中間四爻(二・三・四・五)の搭出す互體は、その含義が造化生成の機を代表するに足る。これは六十甲子の納音、及び反切注音の取字法と道理が同一である。皆兩樣のものが相交して第三樣を生出する。(第二十五章)
納音,甲為木,子為水,甲子交合則生金。切腳,如德為父,紅為母,德紅反切即東字。卦體亦然。上體為乾,下體為坤,交錯乃生六子,即中爻二三四五也。二三四五,造化之氣,參互成卦。如屯中有剝,蒙中有復,主此一卦每具於四卦中,皆得禍福倚伏之象。如屯、比、觀、益中皆有剝、蒙、師、損中皆有復是也。
先ず納音を言う。天干の甲は木に属し、地支の子は水に属し、甲と子が交合して納音は卻って金を生ずる(甲子乙丑海中金)。次に反切を言う。「德」を以て上字(父)と為し、「紅」を以て下字(母)と為し、德・紅が相切れば「東」字と讀み成る。卦體もこのようである。上體が乾、下體が坤で、兩體が交錯すれば六子を生出し、卦画上に落ちれば、二・三・四・五の四つの中爻である。二三四五の四爻に含まれるのは正に造化の気で、彼此參錯互搭してまた一卦と成る。たとえば屯卦の中に剥卦が含まれる――屯の二三四爻は坤、三四五爻は艮で、合わせて山地剥と成る。蒙卦の中に復卦が含まれる――蒙の二三四爻は震、三四五爻は坤で、合わせて地雷復と成る。同一の互卦は每たび四つの卦に分布し、皆禍福が相依相伏する象を顯し得る。たとえば屯・比・觀・益の四卦の中に剥が含まれ、蒙・師・損(臨卦を連ねて)の中に復が含まれる(源文はただ三卦を擧げ、當に「臨」字を脱するべし)。
第二十六章 卦序に本余氣有り
反對正如,甲子乙丑。有本有餘,氣序自然。二十六章
卦と卦の反對関係は、甲が乙に配し子が丑に配するが如く、前の一つが本氣、後の一つが本氣の餘す所である。卦序の所以にこのように一前一後に排して下るは、気の自然の次第であって、聖人が有意に安排したのではない。(第二十六章)
大凡一物,其氣象必有本有餘。餘氣者,所以為陰也。本,其陽也。如十干甲乙,乙者甲之餘氣也。丙丁,丁者丙之餘氣也。如十二支子丑,丑者子之餘氣也。寅卯,卯者寅之餘氣也。卦亦由是。坤者,乾之餘氣也。蒙者,屯之餘氣也。訟者,需之餘氣也。痺賄,師之餘氣也,且乾而後坤,屯而後蒙,需而後訟,師而後比,雖故有其義,然其所以相次者,皆其餘氣也,自然之理耳。學者不悟,謂聖人固以次之,是未知反對關鍵之鍵也,失之遠矣。
大凡一つの物は、その氣象は必ず本氣と餘氣の兩截に分かれる。餘氣とは即ちその中の陰に属する部分、本氣とは即ちその中の陽に属する部分である。十天干の中の甲と乙の如く、乙は即ち甲の餘氣、丙と丁で、丁は即ち丙の餘氣である。十二地支の中の子と丑の如く、丑は即ち子の餘氣、寅と卯で、卯は即ち寅の餘氣である。卦もこの道理で、坤は乾の餘氣、蒙は屯の餘氣、訟は需の餘氣、比は師の餘氣である(源文「痹賄」は「比者」の写訛)。だから乾の後に坤を接し、屯の後に蒙を接し、需の後に訟を接し、師の後に比を接する。これらの卦序に固然として各々《序卦》の講じる義理があるが、彼らの所以に一つ一つ緊接するのは、根子は皆餘氣の相續に在り、自然の理に過ぎない。学者が悟らず、聖人が特意にこのように排定したと為すは、これ即ち反對の說を懂らざる關鍵の所在で、題を離れること甚だ遠い。
第二十七章 六画は即ち天地四方
每卦之體,六畫便具。天地四方,是為六虛。二十七章
每一卦の卦體は、六道の爻画を一擺出せば、天・地と東西南北四方の六つの方位が斉備する。これを「六虚」と呼ぶ。本章は「六虚」を六道の爻画そのものと講ずることを退け、六画はただこの六つの方位の写照だと主張する。(第二十七章)
初爻為地,上爻為天,二爻為北,五爻為南,四爻為西,三爻為東。天地四方,每卦之體,皆具此義,是為六虛。《大傳》:“變動不拘,周流六虛”正謂此耳。學者不悟,謂六虛天地四方,乃六畫也,殊不知六畫乃天地四方之象。此之謂紙上工夫,不知落處也。
初爻は地を代表し、上爻は天を代表し、第二爻は北を代表し、第五爻は南を代表し、第四爻は西を代表し、第三爻は東を代表する。天・地に東西南北を加えれば、每一卦の卦體は皆この層の含義を具備する。これを「六虚」と呼ぶ。《繫辭下傳》に「變動不居、周流六虚」と言い(源文「不拘」は「不居」に作るべき)、講ずる所は正にこれである。学者が悟らず、所謂六虚天地四方が即ちあの六道の爻画に等しいと為す。殊不知六道の爻画はただ天地四方の象徴に過ぎない。これをば只紙面の上に功夫するが、それが何處に落實するかを知らざると呼ぶ。
第二十八章 乾坤は六子の象と数を包む
乾坤六子,其象與數。乾坤之位,皆包六子。二十八章
乾坤と六子の間は、象の上から見ても数の上から見ても、乾坤は總じて両頭に立ち、六子を整个中に包んでいる。本章は人に六子が乾坤の外に自ずと出ることができず、彼らは終始乾坤の範圍の内に在ることを明白させる。(第二十八章)
象謂坤卦上中下加三乾畫,便生三男。以乾卦上中下加三坤畫,便生三女。乾坤之體,皆在外,六子皆包於其中也。數謂若畫乾數三,巽離兌四,震坎艮五,坤六。坤數六,震坎艮七,巽離兌八,乾九。乾坤之策皆在外,六子皆包於其中也。此象之自然,有不可得而容心者。
先ず象を言う。坤卦の下・中・上三画をそれぞれ一道の乾の陽画に換えれば、順次に震・坎・艮の三つの男卦を生出す。乾卦の下・中・上三画をそれぞれ一道の坤の陰画に換えれば、順次に巽・離・兌の三つの女卦を生出す。乾坤の兩個の純體は終始最も外辺に在り、六子は皆中間に包まれる。次に数を言う。画数を以て論ずれば、陽画は一を算え、陰画は二を算えれば、乾は三、巽・離・兌は各々四、震・坎・艮は各々五、坤は六――三と六は両端に在り、四と五は當中に在る。策数を以て論ずれば、陽画は三を算え、陰画は二を算えれば、坤は六、震・坎・艮は各々七、巽・離・兌は各々八、乾は九――六と九は両端に在り、七と八は當中に在る。見べし、乾坤の策数は總じて外圍に在り、六子は全て中に包まれる。これは卦象本身の自然この如くで、誰も私意を凭って增減安排できない。
第二十九章 爻数三百八十四、閏に合す
爻數三百八十又四,以閏求之,其數吻合。二十九章
六十四卦は共に三百八十四爻で、この数目は閏法を以て核对してこそ、剛好吻合する。本章は漢儒の「六日七分」などの辦法を以て爻数に凑合することを退け、爻数が本来対應するのは閏を含む年だと主張する。(第二十九章)
爻數三百八十又四,真天文也。諸儒求合其數而不可得。或謂一卦六曰七分,或謂除震離坎兌之數,皆附會也。倘以閏求之,則三百八十四數,自然吻合,無餘欠矣。蓋天度或嬴或縮,至三年,乾坤之氣數始足於此也。由漢以來不悟,惟真人得其說。
三百八十四という爻数は、確かに天文より取ったものである。歷來諸儒はそれを歷数と對上させようとして對上せず、ある者は孟喜の卦氣説を用いて一卦當たり六日七分と講じ、ある者は先ず震・離・坎・兌の四正卦の爻数を扣除して後算えると主張する――これらは皆牽強附會である。もし閏法を以て求めれば、三百八十四という数は自然吻合し、多くもなく少なくもない。天行の度数は時に餘り時に不足し、積んで三年一閏を置き、乾坤の氣数がここに凑滿するからである。漢代以来この層に悟り至った人なく、ただ麻衣真人のみがこの道理を講出した。
第三十章 二十四爻は閏数
二十四爻,求之八卦。畫純為疊,是為閏數。三十章
三百八十四が三百六十より多出する二十四爻は、八卦の上に根源を求めねばならない。八純卦の爻画は諸卦の中ですでに重複して算えられており、この重複して出て來る部分が即ち「叠数」で、即ち閏数である。(第三十章)
一歲三百六十,而爻數三百八十四,則是二十四爻為餘也。以卦畫求之,是為疊數。何以言之?夫既有八卦矣。及八卦互相合體,以立諸卦。則諸卦者,八卦在其中矣。而別又有八純卦,則其合體八卦為重複,而二十四數為疊也。是以三百六十為正爻,與每歲之數合。而三百八十四,與閏歲之數合矣,則是閏數也。豈惟見於數,亦見於象。人知之該鮮矣。
一年三百六十日、而して爻数は三百八十四。多出する二十四爻が便ち餘数である。卦画の上に求めれば、これが即ち「叠数」である。どう講ずるか。すでに先ず八つの經卦があり、八卦がさらに兩兩相合して六十四个の重卦を立てれば、六十四卦の裏頭に本來すでにこの八卦が包含されている。しかるに另外また八個の純卦(乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌が各々相重なる)を單列出しており、この八個の純卦の用いる經卦は重複計算を一遍したに等しい。八卦は二十四画、だから二十四という数は「叠」して出て來たものである。因此三百六十は正爻で、平年の日数と相合し、三百八十四は閏年の日数と相合し、正に閏数である。この層の意味は数目に見えるのみならず、卦象にも見える。それを懂る者は實にあまりに少ない。
第三十一章 八卦八變して氣盡く
一歲之數,三百六十。八卦八變,氣數已盡。三十一章
一年の日数は三百六十。八個の純卦を以て宮首と為し、每宮各々八次の變化を經れば、六十四卦は排し盡くされ、天地雷風水火山澤の八種の氣も窮盡して餘りなし。(第三十一章)
乾、姤、遁、觀、剝、晉、大有,八變而復乾,則天之氣盡。坤、復、臨、泰、大壯、夬、需、比,八變而復坤,則地之氣盡。震、豫、解、恆、升、井、大過、隨,八變而復震。則雷之氣盡。艮、賁、大畜、損、睽、履、中孚、漸,八變而復艮,則山之氣盡。
乾宮は順次に乾・姤・遁・否・觀・剥・晉・大有で、第八次に變じてまた乾に歸り、天の氣は窮盡する(源文は「否」卦を脱す、第十九章の注に據りて補う可し)。坤宮は順次に坤・復・臨・泰・大壮・夬・需・比で、八變して坤に歸り、地の氣は窮盡する。震宮は順次に震・豫・解・恒・升・井・大過・隨で、八變して震に歸り、雷の氣は窮盡する。艮宮は順次に艮・賁・大畜・損・睽・履・中孚・漸で、八變して艮に歸り、山の氣は窮盡する。ここの「變」は初爻より起こり逐爻上變し、第五爻に變じ至るまでを止め、さらに回頭して第四爻を變じて遊魂と成し、末に下體が全復して歸魂と成り、最後に本宮に歸する。
離、旅、鼎、未擠、蒙、渙、訟、同人、八變而復離,則火之氣盡。巽、小畜、家人、益、無妄、噬嗑、頤、蠱。八變而復巽,則風之氣盡。兌、困、萃、咸、蹇、謙、小過、歸妹,八變而復兌,則澤之氣盡。凡此八卦,各八變,八八64數,則天、地、雷、風、水、火、山、澤之氣無餘蘊矣。是為一義。
離宮は順次に離・旅・鼎・未濟・蒙・渙・訟・同人で、八變して離に歸り、火の氣は窮盡する(源文「未擠」は「未濟」に作るべき)。巽宮は順次に巽・小畜・家人・益・无妄・噬嗑・頤・蠱で、八變して巽に歸り、風の氣は窮盡する。兌宮は順次に兌・困・萃・咸・蹇・謙・小過・歸妹で、八變して兌に歸り、澤の氣は窮盡する。(源文は獨り坎宮の一行を缺く。その序は當に坎・節・屯・既濟・革・豐・明夷・師と為し、八變して坎に歸り、水の氣が窮盡すべき。さもなければ下文「八八六十四」の数が足らぬ。)この八個の宮は各々八次變じ、八八六十四、天・地・雷・風・水・火・山・澤の八種の氣は再び剩餘の蘊藏なし。これは一種の解法である。
第三十二章 進數退數皆六
數成於三,重之則六。其退亦六,是為乾坤。三十二章
氣の数目は三に成り立ち、三を重疊すれば即ち六となる。往って退く一路も同じく六である。この一進一退の兩個の六が、即ち乾と坤である。三画の經卦・六画の重卦の來歷は皆ここに在る。(第三十二章)
夫氣之數,起於一,偶於二,成於三,無以加矣。重之則為六也。然三,少陽也。六,太陽也。三,春也。六,夏也。此乾之數也,是為進數。其退亦六。三,少陰也。六,太陰也。三,秋也。六,冬也。此乾坤之數也,是為退數,三畫為經卦,六畫為重卦者,凡以此而已。
氣の数目は、起頭は一、配對して二と成り、三に至れば完成して、再び加え上げ得ない。三を重疊すれば六と成る。進の一路に就いて言えば、三は少陽、六は太陽、三は春に配し、六は夏に配す――これは乾の数で、進數と呼ぶ。退の一路に就いて言えば、同じく六である。三は少陰、六は太陰、三は秋に配し、六は冬に配す――これは坤の数で、退數と呼ぶ。三画が立って經卦と為り、六画が立って重卦と為る根據は、全てここに在る。
第三十三章 物數進退相半ばす
凡物之數,有進有退。進以此數,退以此數。三十三章
およそ事物の数には、往って進む一半と往って退く一半がある。進の時にこの数を用い、退の時にも依然この数を用いる。盛と衰の用いる度量は完全相同である。(第三十三章)
大抵物理,其盛衰之數相半。方其盛也,既以此數。及其衰也,亦以此數。若一歲十二月,春夏為進數,秋冬為退數。晝夜十二時,自子為進數,自午為退數。人壽百歲,前五十為進數,後五十為退數。以至甲為進數,乙為退數。子為進數,丑為退數。細推物理,無為然。世儒論教,但衍為一律,殊不明陰陽進退之理,惟真人獨得其說。
大體に言えば、事物の理は盛の数と衰の数が各々半を占める。正に興盛の時にこの数を用い、衰落の時に至っても依然この数を用いる。たとえば一年十二箇月、春夏は進數、秋冬は退數。一晝夜十二箇の時辰は、子時より起こるを進數、午時より起こるを退數とす。人壽百年、前五十年は進數、後五十年は退數。以至天干の甲は進數、乙は退數、地支の子は進數、丑は退數である。細細に物理を推求すれば、一樣として此の如くならざるなし(源文「無為然」は「無不然」に作るべき)。世上の儒者が數を論ずるは、只それを推衍して一條の籠統の通例と成すのみで、全然陰陽に進有り退有るの道理を明白せず。獨り麻衣真人のみがこの層の意思を講出した。
第三十四章 およそ形に具わるは便ち十數を具す
凡具於形,便具五數。五數既具,十數乃成。三十四章
およそ形を成した物は、「五」という数を具備する。五がすでに具備すれば、「十」という数もこれに随って成る。有形の物は必ず方正で、方正なれば四方があり、四方に中央を加えて五と為し、五が再び展開すれば十と成るからである。(第三十四章)
凡麗於氣者,必圓,圓者,徑一而圍三。天所以有三時者,以其氣也。凡麗於形者,必方。方者,徑一而圍四。地所以有四方者,以其形也。天數三,重之則六。地數五,重之則十。何謂十?蓋有四方,則有中央,為五。有中央四方,則為四維,復之中央,是為十也。菲特地為然,凡麗於形,便具十數,解若此也。
およそ氣に附著する物は必ず圓い。圓形は古率に按ずれば直徑一にして周長三である。天の所以に三辰(日・月・星)の數あるは、それが氣に属するが故である(源文は「三時」と作る)。およそ形に附著する物は必ず方い。方形は邊長一にして周長四である。地の所以に四方あるは、それが形に属するが故である。天數は三、重疊すれば即ち六。地數は五、重疊すれば即ち十。なぜ十か。四方あれば、一箇の中央があり、合わせて五と為す。中央と四方あれば、さらに東南・西南・東北・西北の四維を補い、中央を重ねて計えば、便ち十と成る。獨り地のみ此の如くに非ず、およそ形に附著する物は皆十數を具備し、道理は皆この象の如し(源文「菲特」は「非特」に作るべき)。
第三十五章 一を得る者は動かず
大衍七七,其一不用。凡得一數,理自不動。三十五章
大衍之數は七七四十九を用い、その中にさらに一根の用いざるがある。およそ「一」という位置を占むる者は、皆宗本・主宰で、理に按り本來當に動かざるべきである。(第三十五章)
大衍之數五十。其用四十九,卦一而不用。不用之學,學者徒知一為太極不動之數,而不知義實落處也。何則?一者,數之宗本也。凡物之理,無所宗本則亂,有宗本焉,則不當用,用則復亂矣。且如輪之運,而中則止。如鉻之行,而大者後。如網之有綱,而綱則提之。如器之有柄,而柄則執之。如元首在上。手足為之舉。如大將居中,而士卒為之役。如君無為,而臣有為。如賢者尊,而能者使。是知凡得一者,宗也,本也,主也,皆有不動之理。一苟動焉,則其餘錯亂,而不能有所施設者矣。
大衍之數は五十、實際に用ゆるは四十九、別に一根を挂け出して用いず(源文「卦一」は即ち「挂一」)。この「不用之一」の學問について、学者は只一が太極・不動之數と言うことを知るのみで、此の話が究竟何處に落實するかを知らない。なぜか。「一」は數の宗本だからである。大凡事物の理に、宗本なければ散亂し、すでに宗本あれば、それを以て運作に參與せしむべからず。一參與して運作すれば反って又亂る。譬えば車輪は轉動して、而も軸心は靜止す。譬えば大車は前行して、而も最尊の車輅は反って後に在り。譬えば網に綱繩有り、綱繩は網を提げるに用い。譬えば器物に柄有り、柄は執握するに用い。譬えば頭顱は上に在りて動かず、手脚がそれに替わりて行動す。譬えば主將は中軍に坐鎮し、士卒がそれに替わりて奔走す。譬えば君主は無為、臣下は有為。譬えば賢者は尊崇を受け、能者は差遣せらる。此れより知るべし。およそ「一」という位置を占むる者は、即ち宗・本・主であって、皆不動の道理有り。この一が一旦自ら動き出せば、其餘は全て亂れて、施展し得るものなし。
第三十六章 揲蓍の本數、當に四十八と為すべし
策數六八,八卦定數。卦數占卦,理之自然。三十六章
揲蓍の策数は六八四十八。これは八卦自身の定めた数目である。八卦自身の数を以て八卦の成す卦を占うこそ、理の當然である。本章は通行の揲法が四十九根を全數投入して操作することを退け、真正に運算に參與する本數は四十八のみだと主張する。(第三十六章)
八卦經畫二十四,重之則四十八,又每卦八變,684十八。則四十八者,八卦數也。大衍之數五十者,半百一進數也。其用四十九者,體用全數也。五十除一者,無一也,易無形埒是也。四十九有卦一也者,有一也,《易》變為一是也。一不用者,數之宗本也,可動也。用四十八者,取八數變以占諸卦也。一變為七,七變為九。此之謂也。
八個の經卦は共に二十四画、重疊して六画卦と成れば即ち四十八。また每宮八變、八に六を乘ずれば亦た四十八(源文「684十八」は「亦四十八」の類の文句の写訛)。見べし、四十八は正に八卦之數である。大衍之數の所以に五十と為るは、「半百」に再び一位を進めた數。所以にただ四十九を用ゆるは、體と用を合わせて算えた全數である。五十の裏に一を除くは、「無一」を表す、即ち《列子》の言う《易》は形埒なし(無形無兆)。四十九の裏に一を挂け出すは、「有一」を表す、即ち「《易》變じて一と為る」。この一の所以に用いざるは、それが數の宗本で、動かすべからずだからである(源文「可動也」は「不可動也」に作るべき)。真正に取り來て用ゆる四十八は、八卦之數の變化を取り、それを以て各卦を占う。所謂「一變して七と為り、七變して九と為る」とは、このことを言う。
今筮者於五十數,先置一於前,乃揲之以四十九。或先去其一,欲於四十九數中除一,而終合之。是二者皆全用四十九數,曾不知本卦之本數也。以致誤置一於本卦數中,遂有五與九之失也。且以揲之寄數,但論其多少,而五與九,則無損益於多少之數。而於陰陽正數,亦自無礙。揲法不取其正數,而取其餘數,蓋從其簡便也,簡便,謂一見多少。若待視正數,則煩難矣。又多少之說,無所經見,知古人但以記數也。
いま占筮する人は、五十根の蓍草に面して、ある者は先ず一根を前に置いて擱き、再び四十九根を取って揲し、ある者は先ず一根を去り、四十九の中にさらに一根を除こうと想い、末にまたそれを合わせ戻す。この兩種の做法は、實は皆四十九根を全數運算に投入し、成卦の依據とする本數が幾何かを壓根知らず、以致錯把那不用之一根をも本卦之數に算え入れて、是に揲餘に「五」と「九」という兩個の數の差失が出現す。況んや揲蓍の時に寄放する餘數は、只それが多か少なかを論ずるのみで、「五」と「九」は多少の判別に對して增減の作用なく、陰陽の正策數にも毫も妨礙なし。揲法の正數を取らず餘數を取るは、本來ただ簡便を圖るのみ――所謂簡便とは、一眼見て多か少なかを知ること。もし每回正數を數えようとすれば、煩難である。さらに言えば「多」「少」という此の套の說法は、經文の中に出處を求め得ず、見べし古人は不過それを以て數を記するに過ぎない。
《大傳》曰:“大衍之數五十,其用四十九。”謂大衍數本五十,而止用四十九,則其一己先除矣,更無五十全數。分而為二以象四,謂止於四十九數中分而為二也。掛一象三,掛為懸,謂之四十九數中懸掛其一而不用也。筮法,一揲得五與四,四謂之三少。得九與八,八謂之三多。二揲,則五與九已矣。但得三個四,亦謂之三少。得三個八,亦謂之三多,方初得五與久也。而老陽之策三十六,老陰之策二十四,及次正得四與八也,而陰陽之策數如前。則是五九固無損益於多少數,而於陰陽之策正數亦自無傷也。因知四十八數而誤用其九,斷然而明矣。或者又謂揲法得奇偶數。殊不知二揲則五豫九已盡。所以觀其餘數,而不觀其正數,特以從其簡便也。
《繫辭上傳》に言う。「大衍之數は五十、其の用は四十九。」意味は大衍之數は本為五十にして、而もただ四十九を用い、あの一根は已經先に除かれて、再び五十の全數の用い可しなし。「分けて二と為し以て兩に象く」とは、ただこの四十九根の裏に分けて兩堆と為すを言う(源文「象四」は「象兩」に作るべき)。「挂一以て三に象く」、挂とは即ち懸、四十九根の中に一根を懸け出して擱き用いざるを言う。筮法に就いて論ずれば、第一變の挂扐の餘は五を得るか九を得るかで、五は後兩變の四・四と合わせ「三少」と称し、九は後兩變の八・八と合わせ「三多」と称する。第二・三變に至れば、五と九は再び出現せず、只三個の四を得れば亦た三少と叫び、只三個の八を得れば亦た三多と叫ぶ。当初第一變に五を得るか九を得るかの時(源文「五與久」は「五與九」に作るべき)、老陽の策は三十六、老陰の策は二十四。後兩變に正に四と八を得る時、陰陽の策數は依然照舊である。見べし「五」「九」は既に多少の判定に影響せず、陰陽正策之數にも毫も損傷なし。此れより知るべし、本數は原是四十八で、世人が誤ってあの第四十九根をも用い入れたことは、断然明白である。或る人また揲法の得る所は奇數偶數と言うが、殊不知第二變以後は五と九は皆用い盡くす。所以に餘數を見て正數を見ざるは、不過簡便を圖るに過ぎない。
第三十七章 五行生成之數と倍數
五行之數,須究落處。應數倍數,亦明特時。三十七章
五行の生數・成數は、必ずそれが究竟どの節氣・どの一卦に落實するかを追究しなければならない。卦画中の相應之數・成倍遞增之數についても、それぞれの對應する特定の時節を弄清しなければならない。本章は只「天一生水・地二生火」を背誦するだけで指す所を言えぬ讀法を退ける。(第三十七章)
天一生水,坎之氣孕於乾金,立冬節也。地二生火,離之氣孕於巽木,立夏節也。天三生木,震之氣孕於艮水,山高地厚,水泉出焉,立春節也。地生四金,兌之氣孕於坤土,立秋節也。天五盛土,離寄戊而土氣孕於離火,長夏節也。凡此皆言其成象矣。天一與地6合而成水,乾坎合而成水於金,冬至節也。地二與天七合二成火,巽離合而火成於木,夏至節也。天三與地八合而成木,艮震合木成於水,春分節也。地四與天九合而成金,坤兌合而金成於土,秋分節也。天五與地十合而成土,離寄於己而土成於火也。凡此,皆言其成形矣。
先ず生數の對應する節氣を講ず。天一生水とは、坎の水氣が乾の金の裏に孕育する、立冬に當たる。地二生火とは、離の火氣が巽の木の裏に孕育する、立夏に當たる。天三生木とは、震の木氣が艮の水の裏に孕育する――山高く地厚し、泉水は即ちあそこより流出す、立春に當たる。地四生金とは、兌の金氣が坤の土の裏に孕育する、立秋に當たる(源文「地生四金」は「地四生金」に作るべき)。天五生土とは、離が戊土に寄りて土氣が離の火の裏に孕育する、長夏に當たる(源文「天五盛土」は「天五生土」に作るべき)。以上講ずる所は皆五行の「成象」の階段。次に成數の對應する節氣を講ず。天一と地六が相合して水と成り、乾と坎が相合し、水は金に成る、冬至に當たる。地二と天七が相合して火と成り、巽と離が相合し、火は木に成る、夏至に當たる。天三と地八が相合して木と成り、艮と震が相合し、木は水に成る、春分に當たる。地四と天九が相合して金と成り、坤と兌が相合し、金は土に成る、秋分に當たる。天五と地十が相合して土と成り、離が己土に寄りて土は火に成る。以上講ずる所は皆五行の「成形」の階段。
夫以五言相成數,雖兒童亦能誦。要其義實。縱老壯亦不知落處也。是之謂盲隨古人,何以見《易》乎?以至先天諸卦,初以一陰一陽相間,次以二陰二陽相間,倍數至三十二陰三十二陽相間。《太玄》諸首,初以一陰一陽相間,此以三陽三陰相間,倍數至二十七陰二十七陽相間。此其理何在哉?以時物推之,自祖父子孫,有眾寡之漸。自正二三四五六月,有微盛之滋,皆數之所以明理也。應數見前說。
この套の五行相生相成之數は、小兒ですら背誦し出せる。しかしその實義が究竟何處に落ちるかを追問すれば、老成之士ですら言い上げられない。これをば盲從古人と呼ぶ。こうしてどうして《易》を見ることができようか。さらに先天六十四卦の次序を見れば、最下の一爻は一陰一陽交替、第二爻は兩陰兩陽交替、上へ行くに依りて加倍し、最上の一爻に至れば便ち三十二陰・三十二陽交替となる。揚雄《太玄》の八十一首も同じ理で、最下の位は一位一變、上へ行くに依りて三倍遞增し、最上の位に至れば便ち二十七・二十七地交替となる(源文「此以」は「次以」に作るべき)。この道理の根據は何處にあるか。時令と物類を以て推せば、祖より父より子より孫へ、輩分が下るほど人數が多く、一個の寡より衆への遞增がある。正月・二月より一路六月に至り、陽氣に一個の微より盛への滋長がある。これらは皆數を以て理を闡明す。至於所謂「應數」は、前文に已經講じた。
第三十八章 生成之數相感ず
卦位生數,運以成數。生成之數,感應之道。三十八章
卦位の上に排ぶは一至五の生數、其の上に運行するは六至十の成數。生數と成數が相加相配するは、正に天地の彼此感應する途徑である。(第三十八章)
生數,謂一二三四五,陰陽之位也,天道也。成數,謂六七八九十,剛柔之德也,地道也。以剛柔成數,而運於陰陽生數之上,然後天地交感,吉凶葉應。而天下之事,無能逃於其間矣。陰陽之位,有所無形,在天也。剛柔則形,而以其在地也。
所謂生數とは、即ち一・二・三・四・五で、彼らは陰陽の處する位次を標示し、天道に属す。所謂成數とは、即ち六・七・八・九・十で、彼らは剛柔の性質を體現し、地道に属す。剛柔に属する成數を取り、陰陽に属する生數の上に運行せしめ、然る後に天地は初めて交相感應し、吉凶は初めて彼此和合し相應す(「葉應」は即ち「協應」)。天下の事情に、一件とて此の套の感應の外に逃れ得るなし。陰陽の位次は位のみ有りて形無し、それが天に在るが故(源文「有所無形」は「有位無形」に作るべき)。剛柔は已經成形せり、それが地に在るが故。
第三十九章 一七九之變
一變為七,七變為九。即是卦妄,宜究其實。三十九章
一より變じて七、七より變じて九、この套の數目が卦に落つれば即ち八宮の變次で、見れば虚玄のようで實は句句に着落有り。當にその實指を追究すべし。(第三十九章)
《沖虛經》曰:《易》無形埒。易變而為一,一變而為七,七變而為九。九者,究也,復變而為一。蓋卦爻自一變、二變、三變、四變、五變、六變、至七變,謂之歸魂,而本宮之氣革矣。更二變而極於九,遂復變為一而返本也。學者不悟經意溺空泛說,失之甚矣。
《沖虚真經》(即ち《列子・天瑞》)に言う。《易》に形迹界限なし。易變じて一と為り、一變じて七と為り、七變じて九と為る。九は窮究して頭に至るの義で、九に至ればまた變じて一に歸す。此の話が卦に落つれば即ち、卦爻は第一變・第二變・第三變・第四變・第五變・第六變より、一直に變じて第七變に至るまで、「歸魂」と叫び、本宮の氣はここに至りて已經更革す。さらに兩次變じ、第九變に窮極し、是にまた回復して一と為り、本宮に返歸す。学者が經文の本意を領会せず、一味に空泛の玄談に沉溺すれば、錯りの遠きこと太だしきなり。
第四十章 易は變易と訓ずるに非ず
名易之義,非訓變易。陰陽根本,有在於是。四十章
「易」という此の名字の含義は、並びに「變易」と訓ずるのではない。それが指すは陰陽未分・無形無兆のあの本源狀態で、陰陽の根本は即ちここに在る。本章は字義訓詁を以て《易》の名を定めることを退け、宇宙生成の次第より之を定めよと主張す。(第四十章)
《易》者,大易也。大易,未見氣也。視之不見,所之不聞,循之不得,故曰《易》。《易》者,希微玄虛凝寂之稱也。及易變而為一,一遍而為七,七變而為九,九復變而為一也。一者,形變之始也。清輕者上為天,重濁者下為地,沖和氣者中為人。謂之《易》者,知陰陽之根本有在於是也。此說本於《沖虛真經》,是為定論。學著盲然不悟,乃作變《易》之《易》,即是字言之,非宗旨之學也。唯揚雄為書,擬之曰:《太玄》,頗得之。道家亦以曰月為古之易字,蓋其本陰陽而言也。
所謂《易》とは、即ち「大易」(《列子》《乾鑿度》は「太易」と作る)。大易は氣すらまだ顯現せざる階段で、之を見れど見えず、之を聽けど聞こえず、之を摸れど得られず。故に「易」と呼ぶ(源文「所之不聞」は「聽之不聞」に作るべき)。「易」という此の字は、正に希・微・玄・虚・凝・寂という類の境界の名稱である。易變じて一と為り、一變じて七と為り、七變じて九と為り、九また變じて一に歸するに至り(源文「一遍」は「一變」に作るべき)、この「一」こそ形質變化の開端である。清輕は上昇して天と為り、重濁は下沉して地と為り、沖和之氣は中に居りて人と為る。この門の學問を《易》と呼ぶは、正に人に陰陽の根本が即ちこの未分之境に在ることを知らしめんがため。この說法は《沖虚真經》に本とし、不移之論と定め可し。学者が茫然として悟らず、反ってそれを「變易」之易と講ずるは、那只是字面に就いて立說するに過ぎず、探本溯源の學問に非ず(源文「學着」は「學者」に作るべき)。ただ揚雄のみ《易》を仿って書を作り、《太玄》と取名し、頗る其意を得たりと算えよう。道家もまた日が上に月が下に合成する字を以て古の「易」字と為す。あれも陰陽に本として講じたものである。
第四十一章 活法は自悟に在り
《易》道瀰漫,九流可入。當知活法,要須自悟。四十一章
《易》道は彌漫周遍し、諸子百家の各條の路子は皆此より入る可し。學ぶ人は「活法」を懂得すべきだが、活法は歸根到底ただ自己に靠って悟るほかなく、誰も替わること能わざる。(第四十一章)
《易》之為書,本於陰陽。萬物負陰而抱陽,何適而非陰陽也?是以在人惟其所入耳。文王、周公以庶類入,宣父以八物入,斯其上也。其後或以律度人,或以曆數人,或以仙道人。以此知《易》道無往而不可也。苟惟束於辭訓,則是犯法也,良田未得悟耳。果得悟焉,則辭外見意,而縱橫妙用,唯吾所欲,是為活法也。
《易》此の書は、根子は陰陽に在り。《老子》に萬物は陰を負いて陽を抱くと言えば、然らば天下の何處か陰陽ならざる有らん。だから入門の路子は全て各人が何處より入るを看る。文王・周公は萬事萬物の類別より入り、孔子は天地雷風水火山澤の八物より入る。これは最上乘の走法。後來また或る人は音律度量より入り、或る人は曆法數術より入り、或る人は神仙修煉之道より入る(三處の「人」字は皆「入」に作るべき)。此れより知るべし、《易》道は何處に走りても行き通じ得り。もし只自己を文辭訓詁に捆死せば、即ち死法に落ち入る(源文「犯法」は當に下文「活法」と相對して「死法」に作るべき)、根子は還是悟あらざるが因(源文「良田」は「良由」に作るべき)。真能悟れば、文辭之外に意思を看出し、縱橫施用して不如意なし。これをば活法と叫ぶ。
故曰:“學《易》者當於羲皇心地者弛聘,無於周、孔言語下拘攣。”
だから言う。「《易》を學ぶ人は、當に伏羲当初のあの一片心地の上に縱橫馳騁し、周公・孔子の言語の底下に拘束蜷縮せしめらるる勿れ。」(源文「心地者弛聘」は「心地上馳騁」に作るべき。)この兩句は全書の宗旨の所在である。
第四十二章 易道の所以に淺狹たる
世俗學解,浸漬舊聞。失其本始,《易》道淺狹。四十二章
世俗のあの一套の解經の辦法は、始至終舊有の成說に泡し込まれ、《易》原本の出發點を丟掉してしまい、《易》道は是に於いて又淺又窄となった。これは全書の收束で、第四章「周孔孤行・易道復晦」の說に回應する。(第四十二章)
羲皇氏正《易》,《春秋》比也。周、孔明《易》,作傳比也。左氏本為《春秋》作傳,而世乃玩其文辭,致左氏孤行,而《春秋》之微旨泯矣。《易》之有辭,本為羲皇發揚。學者不知借辭以明其畫象,遂溺其辭,加以古今訓注而襲謬承誤,使羲皇初意不行於世,而《易》道於此淺狹矣。嗚乎!
伏羲氏の立てた正《易》は、孔子の修めた《春秋》經に譬ゆ。周公・孔子の《易》理を闡明するは、左氏の《春秋》に為す傳に譬ゆ。左氏は本來《春秋》に傳を為すのに、後世は只顧《左傳》の文辭を玩味し、《左傳》を獨自流行せしめ、《春秋》の精微本旨を反って湮沒せしめた。《易》の所以有辭は、本來伏羲の卦画を替て發揚するため。学者は文辭を借りて卦画之象を照明することを懂得せず、反って文辭の裏に沉溺し、再加古今の訓解注疏が輾轉因襲し、訛を以て訛を傳え、遂に伏羲当初の本意を世に通行せしめ得ず、《易》道は此の如く淺薄狹隘となった。可嘆なりや!
麻衣道者《正易心法》後序
麻衣道者《羲皇氏正易心法》,頃得之廬山一異人。或云許堅。或有疑而問者,餘應之云:“何疑之有?顧其議論可也。”昔皇帝《素問》,孔子《易大傳》,世尚有疑之,嘗曰:世固有能作《素問》者乎?固有能作《易大傳》者乎?雖非本真,亦皇帝、孔子之徒也。
麻衣道者此の《羲皇氏正易心法》は、我が近來廬山の一位異人より得たりし所で、ある人はあの人は即ち許堅と言う。或る人は此書の來歷を疑いて來て相問う。我が答えて曰く、「何の疑う可き有らん。只其の議論の立つ站らざるを看れば即ち足る。」昔日黄帝の《素問》、孔子の《易大傳》は、世上に尚且疑う人有り。嘗て或る人言う、世間に豈に真能《素問》を寫出し得る人有らんや、真能《易大傳》を寫出し得る人有らんや。たとえ本人の手筆に非ずとも、總じて黄帝・孔子あの一門の傳人の所作ならん(源文「皇帝」は即ち「黄帝」)。
餘於《正易心法》,亦曰:世固能有作之者乎?雖非麻衣,是乃麻衣之街徒也。胡不觀其文辭議論乎?一滴千金,源流天造,前無古人,後無來者。翩然於羲皇心地弛聘,實物外真仙之書也。讀書十年方悟,浸漬觸類,以知《易》道之大如是也。得其人,當與共之。
我もまた《正易心法》に對して此の如く言う。世間に豈に真能此の如き一部の書を寫出す人有らんや。たとえ麻衣本人に非ずとも、必ず麻衣一門の徒衆ならん(源文「街徒」は當に「徒」の類の稱に作るべき)。何ぞ其の文辭議論を看に行かざる。一滴にて便ち千金に抵り、源流は天造に出で、前に古人無く後に來者無し。它は翩然として伏羲あの一片心地の上に馳騁し、實に超然物外の真仙之書。我これを讀みて十年にして領悟し、浸潤日久しく觸類旁通し、此乃ち《易》道の廣大なること竟に此の如き地步に至るを知る。將來合適の人に遇わば、當に之を以て之と共享すべし。
崇寧三年三月九曰,廬峰隱者李潛幾道書。
崇寧三年(公元一一〇四年)三月初九日、廬峰隱者李潛・字は幾道、題記。
跋
五代李守正叛河中,周太祖親征。麻衣語趙韓王曰:“李侍中安得久?其城中有三天子氣。”末歲,城陷。時周世宗與宋朝太祖侍行。錢文僖公若水,陳希夷每見,以其神觀清粹,謂可學仙,有升舉之分。見之未精,使麻衣決之。麻衣云:“無仙骨,但可作貴公卿耳。”夫以神仙與帝王之相,豈可識哉?麻衣一見決之,則其識為何如也?即其識神仙、識帝王眼目以論《易》,則其出於尋常萬一也,固不容於其言矣。
五代の時李守正が河中に叛亂し、後周太祖郭威は親自出征す。麻衣道者は趙韓王(趙普、後に韓王に封ぜらる)に對して曰く、「李侍中が何處にか守り長久得ん。彼のあの城裏に三位の天子之氣象有り。」年終に至り、城は果然攻破せらる。當時後周世宗柴榮と宋太祖趙匡胤は皆軍に隨りて側に在り――郭威を連ねて、正に三位の天子。又有り錢文僖公錢若水、陳希夷は每回彼を見れば、皆其の神采の清朗純粹を覺え、彼は學仙可し・飛升之份有りと言う。只是自己が看得還だ精準ならずと以て、便ち麻衣を請いて判斷せしむ。麻衣曰く、「仙骨無く、只顯貴の公卿を為すに過ぎず。」神仙之相と帝王之相は、何處にか輕易に辨認し得んや。麻衣は一眼にて便ち斷定す。見べし其の眼力の何等了得なるかを。此の副の神仙を識り帝王を識る眼睛を憑って《易》を論ずれば、それは自然尋常人を遠く超出すこと千萬倍。彼の話は斷斷として輕議を容れざる。
乾道元年冬十有一月初七曰,玉溪戴師愈孔文撰。
乾道元年(公元一一六五年)冬十一月初七日、玉溪戴師愈・字は孔文、此の跋を撰す。
