太白陰經
頭・目・鼻・口・舌・歯を鑑るの法
綜合類典籍
通読するより工具書として引くほうが実用的である。他の門類で分からない暦法術語に出会ったら、たいていここで出所をたどれる。
天に陰陽なし篇 第一
經曰:天圓地方,本乎陰陽。陰陽旣形,逆之則敗,順之則成。葢敬授農時,非用兵也。夫天地不為萬物所有,萬物因天地而有之;陰陽不為萬物所生,萬物因陰陽而生之。天地不仁,以萬物為芻狗。陰陽之於萬物,有何情哉!
経に曰く――天体は渾円にして大地は方正、ともに陰陽二気に本原す。陰陽が一旦形を成せば、これに逆らえば敗れ、これに順えば成る――ただしこの言葉は《尚書・堯典》の「人時を敬授す」という事を説いたもの、すなわち節令に従って農耕を指導するのであって、用兵を説いたのではない。天地は万物に占有されるのではなく、かえって万物が天地に憑って初めて存在し、陰陽は意を用いて万物を生育するのではなく、かえって万物が陰陽に憑って初めて化生する。《老子》に「天地は不仁、万物を以て芻狗と為す」とあり、天地は万物に対してもとより偏愛なく、祭祀に用いる草で編んだ狗のごとく、用い終われば棄てられる。こう見れば、陰陽の万物に対して、どこに好悪の情などあろうか。
夫火之性,自炎,不為焦灼萬物而生其炎;水之性,自濡,不為漂蕩萬物而生其濡。水火者,一其性,而萬物遇之,自有差殊;陰陽者,一其性,而萬物遇之,自有榮枯。若水火有情,能浮石、沉木、堅金、流土,則知陰陽不能勝敗存亡吉凶善惡明矣。
火の本性は自ら燃えることであって、万物を焦がすために火焰を生じたのではない。水の本性は自ら潤すことであって、万物を漂蕩させるために湿性を生じたのではない。水と火は、その本性が終始一貫しており、万物がそれらに遇う際の遭遇は各々に異なる。陰陽も、その本性が終始一貫しており、万物がそれに遇って、或は栄え或は枯れるも各々に異なる。もし水火が真に偏私の情を懐いているならば、石を浮かべ、木を沈ませ、金属を焼いても化せず、泥土をかえって熔流せしめることができるはずだ――事実上それはできない。これより知るべし、陰陽は人事の勝敗・存亡・吉凶・善悪を左右すること能わず。この道理は明白の至りである。
夫春風東來,草木甲坼,而積廩之粟不萌;秋天肅霜,百卉具腓,而蒙蔽之草不傷。陰陽寒暑,為人謀所變;人謀成敗,豈陰陽所變之哉!
春風は東より吹き来たり、草木は紛々として殻を破り芽吹くが、倉廩に囤えた穀は芽吹かない。秋の日に粛殺の厳霜が降れば、百草は一斉に枯萎するが、遮蔽された草は傷を受けない。これより見れば、陰陽寒暑の作用は、かえって人の経営謀画に改変せられ、人が謀画して成した成敗は、いずこにか陰陽の改変し得るところであろうか。
昔王莽徵天下善韜鈐者六十三家,悉備補軍吏,及昆陽之敗,會大雷風至,屋瓦皆飛,雨下如注。當此之時,豈三門不發、〈張刻本作「嚴」。〉五將不具耶!《亭亭白奸》錯太歲月建,誤殆至如此。
かつて王莽は天下の兵法韜鈐に精なる名家六十三家を徴集し、一概に軍中の将吏に補任した。昆陽の一戦に大敗するや、折しも狂風と驚雷がともに発し、屋瓦は漫天に乱れ飛び、暴雨は注ぐがごとしであった。この局面に当たって、はたして奇門遁甲のいう「三門」が開かず、五方の神将が配されなかったのであろうか。これより見れば、《亭亭白奸》の類の陰陽兵書は、太歳・月建などの神煞を推排する上で根本から誤っており、人を誤ること竟にこの地歩に至った。(校記:「發」の字、張刻本は「嚴」と作る。)
古有張伯松者,值亂出居,營內為賊所逼,營中豪傑皆遁。伯松曰:「今日反吟,不可出奔。」俄而賊至,伯松被殺,妻子被虜,財物被掠。桓譚《新論》曰:「至愚之人,解避惡時,不解避惡事。」則陰陽之於人有何情哉!
古に張伯松という人あり、乱世に遇い城外に移り住むと、営塁が賊寇に逼られ、営中の豪傑はみな遁散した。张伯松は却って曰く「今日の日辰は『反吟』を犯す、出奔すべからず」と。「反吟」は術数家の謂う凶格である。言葉が終わるや否や、賊兵が殺到し、张伯松は殺され、妻子児女は擄われ、財物は掠め尽くされた。桓譚《新論》に曰く「至愚の人は、悪時を避けるを解するも、悪事を避けるを解せず」と。こう見れば、陰陽は人に対して何の偏私の情があろうか。
太公曰:「任賢使能,不時日而事利;明法審令,不卜筮而事吉;貴功賞勞,不禳祀而得福。」無厚德而占日月之數,不識敵之強弱而幸於天時,無智無慮而候於風雲,小勇小力而望於天福,怯不能擊而恃龜筮,士卒不勇而恃鬼神,設伏不巧而任向背。凡天道鬼神,視之不見,聽之不聞,索之不得,指虛無之狀,不可以決勝負,不可以制生死,故明將弗法,而眾將不能已也。
姜太公曰く「賢良を任じ能人を使わば、時日を挑揀せずとも事は自ら利し。法度明かにして号令審かなれば、卜筮せずとも事は自ら吉なり。功を貴び労を賞せば、禳祀せずとも福を得ん」と。厚き徳なくして日月星辰の度数を占い、敵の強弱を識らずして天時に僥倖を図り、智慮なくして風雲に候い、小勇小力にして天福を望み、怯えて撃つこと能わずして亀筮に恃み、士卒勇ならざるに鬼神に恃み、設伏巧ならざるに向背に任す。凡そ天道鬼神なるもの、視ても見えず、聴いても聞こえず、索めても得られず、虚無の名目を指すに過ぎず、以て勝負を決すべからず、以て生死を制すべからず。故に明将はこれを法とせず、衆将は已むこと能わざるなり。
孫武曰:「明王聖主、賢臣良將,所以動而勝人,成功出於眾者,先知也。先知,不可取於鬼神,不可求象於事,不可驗之於度,必求於人人。」吳子曰〈舊抄本脫此三字,依張刻本補。〉「料敵有不卜而戰者」,先知也。
孫武は《孫子兵法・用間篇》に曰く「明智の君王・聖明の主上・賢能の臣子・優良の将領が、動けば人に勝り功業が衆を出ずる所以のものは、先知なり。先知なるもの、鬼神より取るべからず、事に象りて求むべからず、度に於て験すべからず、必ず人より求めん」と。呉起もまた「敵を料るに卜せずして戦う者あり」と曰う。同じく事先に実情を掌握することを講ずるなり。(校記:「呉子曰」の三字、旧抄本は脱漏、張刻本に依りて補う。)
范蠡曰:「天時不作,弗為;人事不作,弗始。」天時為敵國有水旱災害、蟲蝗霜雹荒亂之天時,非孤虛向背之天時也。太公曰:「聖人之所生也,欲正後世。」故為譎書而寄勝於天道,無益於兵也。夫如是,則天道於兵,有何陰陽哉!
范蠡曰く「天時の条件未だ現れざれば手を動かすなかれ、人事の条件未だ具わらざれば始を開くなかれ」と。ここにいう天時とは、敵国に水旱の災害・蝗虫の成災・霜雹の稼を傷める・飢饉動乱の類の実在の時機を指し、術数家の謂う「孤虚」「向背」の類の天時ではない。太公曰く「聖人の世に降生する所以は、後代を匡正せんと欲すればなり」と。後人は詭譎の兵書を編造して勝負を天道に託したが、これは用兵に何の益もない。この言に照らせば、天道は用兵に対して、いずこにか陰陽の講ずべきがあろうか。
地に険阻なし篇 第二
經曰:「地利者,兵之助。」猶天時不可恃也。昔三苗氏,左洞庭,右彭蠡,德義不修,禹滅之;夏桀之居,左河濟,右太華,伊闕在其南,羊腸在其北,修政不仁,湯放之;殷紂之國,左孟門,右太行,常山在其北,太河經其南,荒淫怠政,武王殺之;秦之地,左崤函,右汧隴,終南、太華居其前,九原、上郡居其後,刑政苛酷,子嬰迎降於軹道,姚泓面縛於灞上;吳之居,五嶺在其南,三江在其北,左滄浪,右衡山,刑政不修,吳王終於歸命,陳主卒於長城;蜀之分,左巫峽,右卭僰,南有瀘溪之障,北有劍閣之險,時無英雄,劉禪不能守,李勢不能固。
経に曰く「地利は用兵の補助条件に過ぎない」と。それは天時と同じく、恃むべからざるものである。かつて三苗氏は東に洞庭・西に彭蠡を有すれど、徳義を修めず、大禹に剿滅せられた。夏桀の都邑は、東に黄河・済水、西に太華山、南は伊闕、北は羊腸坂があったが、政を不仁に施し、商湯に放逐せられた。殷紂の国都は、東に孟門、西に太行、常山が北面に横たわり、黄河が南面を流れたが、荒淫怠政で、周武王に誅殺せられた。秦国の地盤は、東に崤山・函谷関、西に汧水・隴山、終南山・太華山が前に挡り、九原・上郡が後に守ったが、刑政苛酷で、子嬰はやはり軹道亭にて劉邦を迎え降し、後に後秦の姚泓も灞上で両手を反縛して投降した。呉地の居は、五嶺が南に、三江が北に、東に滄浪の水、西に衡山を有したが、刑政を修めず、呉主孫皓は終に晋に降り「帰命侯」を受け、陳後主も遂に陳氏が呉興長城に起こした基業を断送した。蜀地の分野は、東に巫峡、西に邛僰、南に瀘渓を屏障と為し、北に剣閣の険を有したが、当世に英雄なきに因り、蜀漢の劉禅は守ることができず、成漢の李勢も保つことができなかった。(古人は北に坐し南に向かう故に、文中の「左」は東を指し「右」は西を指す。)
由此言之,天時不能祐無道之主,地利不能濟亂亡之國。地之險易,因人而險,因人而易;無險、無不險,無易、無不易,存亡在於德,戰守在於地,惟聖主智將能守之,地奚有險易哉!
これに由りて言えば、天時は無道の君主を保佑し得ず、地利も乱亡の国家を救い得ない。土地の険要か平易かは、人に因りて険となり、人に因りて易ともなる。絶対の険なく、絶対の不険もなく、絶対の易なく、絶対の不易もない。国家の存亡は徳行に取决り、攻守の憑拠は初めて地形に落ちる。ただ聖明の君主と智謀ある将領のみが守り得るのであり、地形それ自体にいずこか険易の言うべきがあろうか。
人に勇怯なし篇 第三
經曰:勇怯有性,強弱有地。秦人勁,晉人剛,吳人怯,蜀人懦,楚人輕,齊人多詐,越人澆薄,海岱之人壯,崆峒之人武,燕趙之人銳,涼隴之人勇,韓魏之人厚。地勢所生,人氣所受,勇怯然也。且勇怯在謀,強弱在勢。謀能勢成,則怯者勇;謀奪勢失,則勇者怯。
経に曰く――勇敢と怯懦は稟性より出で、強悍と柔弱は地域に係る、と。世人は常に講う――秦地の人は勁健、晋地の人は剛硬、呉地の人は胆小、蜀地の人は軟弱、楚地の人は軽率、斉地の人は多詐、越地の人は浮薄、海岱の間の人は壮実、崆峒一帯の人は尚武、燕趙の人は鋭利、凉州隴右の人は勇猛、韓魏の人は敦厚、と。あたかもこれは地勢の生成・地気の賦与するもので、勇怯は天生のごとくなり。其の実、勇怯は謀略に取决り、強弱は形勢に取决る。謀略得当にして形勢造成されば、胆怯の人もまた勇に変じ、謀略奪われ形勢尽き失せば、勇敢の人もまた怯に変ず。
旣言秦人勁,申屠之子敗於嶢關,杜洪之將北於𤃪水,則秦人何得而稱勁?吳人怯,吳王夫差兵無敵於天下,敗齊於艾陵,長晉於黃池,則吳人何得而稱怯?蜀人懦,諸葛孔明撮巴蜀之眾,窺兵中原,身為殭尸,而威加魏將,則蜀人何得而稱懦?楚人輕,項羽破秦,虜王離,殺蘇角,威加海內,諸侯俯伏,莫敢窺視,則楚人何得而稱輕?
秦地の人は勁健と曰うなれど、申屠氏の子は嶢関の一戦に潰敗し、杜洪の部将は𤃪水に敗北した。秦地の人は何を以て勁健と称するに足らん。呉地の人は胆小と曰うなれど、呉王夫差の軍隊はかつて天下に敵なく、艾陵にて斉軍を大破し、黄池の会に於て晋国を圧倒して盟主の位を争い得た。呉地の人は何を以て胆小と称するに足らん。蜀地の人は軟弱と曰うなれど、諸葛孔明は巴蜀一隅の兵衆を集結するのみで、兵を出して中原を窺伺し、彼が軍中に病死して屍骨未だ寒からざるに至るまで、魏軍の主将司马懿を嚇退せしめた。蜀地の人は何を以て軟弱と称するに足らん。楚地の人は軽率と曰うなれど、項羽は秦軍を撃破し、王離を俘獲し、蘇角を斬殺し、威勢は海内を圧倒し、諸侯は跪伏して地に就き、敢えて眼を抬げて直視する者なし。楚地の人は何を以て軽率と称するに足らん。
齊人多詐:田橫感五百死士,東奔海島,及橫死,同日而伏劒,則齊人何得而稱詐?越人澆薄,越王勾踐以殘亡之國,恤孤老之眾,九年滅吳,以弱攻強,以小取大,則越人何得而稱澆薄?燕趙之人銳,蚩尤敗於涿鹿,燕丹死於易水,王濬縛於薊門,公孫戮於上谷,則燕趙之人何得而稱銳?
斉地の人は多詐と曰うなれど、田横は五百の壮士を感召して東は海島に奔り、田横が自殺するや五百人は同日に皆剣に伏して殉死した。斉地の人は何を以て狡詐と称するに足らん。越地の人は浮薄と曰うなれど、越王勾践は残破将亡の一国を凭って、孤児老人を抚恤し、九年を休養して呉国を滅ぼし、弱を以て強を撃ち小を以て大に勝った。越地の人は何を以て浮薄と称するに足らん。燕趙の人は鋭利と曰うなれど、蚩尤は涿鹿に敗れ、燕太子丹は易水に死し、西晋の幽州都督王浚は薊門にて石勒に擒縛され、幽燕に割拠した公孫瓚もまた上谷一帯に誅戮せられた。燕趙の人は何を以て鋭利と称するに足らん。
涼隴之人勇。〈文瀾閣本無此五字。張刻本連上句,云「則燕趙汧隴亦未必勇且銳也」。按:舊抄本此下空三十餘格,葢原書殘缺,傳寫者遂以意刪改之。〉所以勇怯在乎法,成敗在乎智;怯人使之以刑,則勇;勇人使之以賞,則死。能移人之性、變人之心者,在刑賞之間。勇之與怯,於人何有哉!
凉州隴右の人は勇猛と曰うに至っても、同じくこうした追問に堪えない。故に曰う、勇敢と怯懦は法令に取决り、成功と失敗は智謀に取决る、と。怯懦の人を刑罰を以て駆使せば、彼は勇敢に変じ、勇敢の人を重賞を以て駆使せば、彼は肯んじて死を效す。人の稟性を移易し人の心志を改換し得るものは、刑と賞の間に在り。勇敢と怯懦は、人に対してもとより何を算え得ようか。(校記:「凉隴之人勇」の五字、文瀾閣本になし。張刻本はこれを上句に連ね、「則燕趙汧隴亦未必勇且鋭也」と作る。按するに旧抄本は此処以下三十余格を空け、原書は当に残欠あるべく、伝抄の人は己意を以て删改せしなり。)
主に道徳あり篇 第四
經曰:古者,三皇得道之統,立於中央,神與化遊,〈「化」,原作「天」,依張刻本改。此用《淮南‧原道訓》語。〉以撫四方,天下無所歸其功;五帝則天法地,有言有令,而天下太平,君臣相讓其功。道德廢,王者出,而尚仁義;仁義廢,伯者出,而尚智力;智力廢,戰國出,而尚譎詐。聖人知道不足以理,則用法;法不足以理,則用術;術不足以理,則用權;權不足以理,則用勢;勢用,則大兼小、強吞弱。
経に曰く――上古の時、三皇は「道」の綱統を掌握し、天下の中に端居して、精神は造化と同游し、以て四方を安撫すれば、天下人は竟に帰功すべき対象を見出すことができなかった。五帝は天に取法し地に効法して、教誨あり政令あり、天下は因りて太平となり、君臣の間は互いに功労を推譲した。道徳が廃棄せられるや、王者出でて仁義を崇尚し、仁義が廃棄せられるや、霸主出でて智力を崇尚し、智力が廃棄せられるや、戦国の世出でて詭詐を崇尚した。聖人は明白に知る、「道」のみに頼っては治るに足らざれば「法」を動用し、法は治るに足らざれば「術」を動用し、術は治るに足らざれば「権」を動用し、権は治るに足らざれば「勢」を動用す。「勢」一旦用いられんか、則ち大国が小国を兼并し強国が弱国を吞滅するの局面なり。(校記:「化」の字、原は「天」と作る、張刻本に依りて改む。此処は《淮南子・原道訓》の語を用う。)
周建一千八百諸侯,其後並為六國,六國連兵結難,戰爭方起。六國之君非疏道德而親權勢;權勢用,不得不親;道德廢,不得不疏;其理然也。唯聖人能反始復本,以正理國,以奇用兵,以無事理天下。正者,名法也。奇者,權術也。以名法理國,則萬物不能亂;以權術用兵,則天下不能敵;以無事理天下,則萬物不能〈此上二十三字原缺,依文瀾閣木補。〉撓。
周朝は千八百の諸侯を分封したが、後に兼并して六国と為り、六国は連年兵を用いて仇怨を結び、戦争これに由りて大いに起った。六国の君主は故に道徳を疎遠にして権勢に親近するを意図したに非ず。権勢が既に管用せば、親近せざるを得ず。道徳が既に廃棄せられれば、疎遠せざるを得ず。事理はもとよりかくのごとし。ただ聖人のみ能く本原に返回し根本を恢復し、「正」を以て国を治め、「奇」を以て兵を用い、「无事」を以て天下を治む。謂うところの「正」とは、名を循して実を責むる法度なり。謂うところの「奇」とは、機に随い変に応ずる権術なり。名法を以て国を治めれば、万物は之を擾乱し得ず。権術を以て兵を用いれば、天下に对手なし。无事の道を以て天下を治めれば、万物は之を擾動し得ず。(校記:「撓」の字以上二十三字原缺す、文瀾閣本に依りて補う。)
不撓,則神清。神清者,智之原。智者,心之府。〈文瀾閣本「智」下有「平」字。〉神清、智平,乃能形物之情。人主知萬物之情,裁而用之,則君子小人不失其位。夫德厚而位卑者,謂之過;德薄而位尊者,謂之失。寕過於君子,無失於小人。過於君子,則人闕其理;失於小人,則物罹其殃。故曰:「人不鑑於流水,而鑑於止水。」以其清且平也。
擾動せられざれば、精神は清明なり。精神清明は、智慧の源頭なり。智慧は、心の府庫なり。精神清明・智慧平正にして、初めて事物の実情を照見し得る。君主は万物の実情を了解し、これに拠りて裁断任用すれば、君子と小人と各々其の位を得る。徳行深厚にして官位低下なるを「過」と謂い、徳行浅薄にして官位尊貴なるを「失」と謂う。寧ろ君子の身上に「過」あるべく、小人の身上に「失」あるべからず。君子の身上に過あるは、人材をして些か委屈を受けしむるに過ぎず。小人の身上に失あるは、万物をして殃に遭わしむるなり。故に《荘子・徳充符》に曰く「人は流れる水を以て鏡と為さず、ただ止まれる水を以て鏡と為す」と。静水は清にして平なるが故なり。(校記:文瀾閣本「智」の字の下に「平」の字あり。)
人主之道清平,則任人不失其才,六官各守其職。四封之內,百姓之事,任之於相;四封之外,敵國之事,任之於將。語曰:「將、相明,國無兵。」舜以干鏚而服有苗,魯以頖宮而來淮夷。以道勝者,帝;以德勝者,王;以謀勝者,伯;以力勝者,強。強兵滅,伯兵絶,帝王之兵前無敵。人主之道,信其然矣。
君主の道は清明平正なれば、人を用いて才を用い錯らず、六官各々其の職を守る。四境の内の百姓の事は宰相に交し、四境の外の敵国の事は将領に交す。古語に曰く「将と相と皆賢明なれば、国家は兵を動かすを用いず」と。虞舜は干戚を執りて舞いて有苗を帰服せしめ、魯僖公は泮宮を修成して淮夷の朝献を招きたり。この二事は各々《尚書・大禹謨》と《詩経・魯頌・泮水》に見ゆ。「道」を凭って勝を取るは帝業を成就し、「徳」を凭って勝を取るは王業を成就し、謀略を凭って勝を取るは霸業を成就し、武力を凭って勝を取るはただ強を称すのみ。強を逞しゅうする軍隊は終に覆滅し、霸を称する軍隊は終に断絶す。ただ帝王の師のみ向かう所敵なし。君主の道は、確かに即ちかくのごとし。
国に富强あり篇 第五
經曰:國之所以富強者,審權以操柄,審數以御人。課農者,術之事,而富在粟;謀戰者,權之事,而強在兵。故曰:「興兵而伐叛,則武爵任;武爵任,則兵強。按兵而勸農桑,農桑勸,則國富。」國不法地,不足以成其富;兵不法謀,不足以成其強。古者,聖人法天而皇,賢君法地而帝,智主法人而伯。乘天之時,因地之利,用人之力,乃可富強。
経に曰く――国家の富強たり得る所以は、権柄を審明にして牢くこれを握り、治術を審明にしてこれに拠りて衆人を駕御するに在り、と。農事を督課するは「術」の範疇に属し、富足は糧食に体現す。作戦を謀划するは「権」の範疇に属し、強盛は兵力に体現す。故に曰う「兵を興して叛逆を討伐せば、軍功爵位に人の肯んじて挣り行く者あり。軍功爵位に人の挣り行く者あれば、兵力強し。兵を按えて動かさず農桑を奨勧すれば、農桑奨勧を得て、国家富む」と。国を治めて大地に効法せざれば、其の富を成就し得ず。兵を用いて謀略を講求せざれば、其の強を成就し得ず。古に、聖人は上天に効法して皇と称し、賢君は大地に効法して帝と称し、智主は人事に効法して霸を称した。天時に順応し、地利を憑藉し、人力を使用して、然る後に富強を談ずるに足る。
乘天之時者,春植穀、秋植麥、夏長成、冬備藏。因地之利者,國有沃野之饒,而人不足於食者,器用不備也;國有山海之利,而人不足於財者,商旅不備也。通四方之珍異,以有易無,謂之商旅。飭力以長地之財,用資軍實,謂之農。夫理絲麻,以成衣服,謂之女功。
謂うところの天時に順応するとは、春に穀を種き、秋に麦を種き、夏に庄稼を成長せしめ、冬に儲蔵を好くするなり。謂うところの地利を憑藉するとは――国家に明かに沃野の豊饒ありて百姓が飽食せざるは、農具器械の斉備せざるなり。国家に明かに山林川海の利ありて百姓が富裕せざるは、商貿往来の通暢せざるなり。四方の珍奇特産を流通せしめ、有余を以て不足を換う、これを「商旅」と謂う。力を尽くして耕作し以て土地上の財貨を増殖し、用いて軍需を供給す、これを「農」と謂う。糸麻を整治して縫い衣服と成す、これを「女功」と謂う。
雲夢之毛羽,黔溪之丹砂,荊揚之皮革角骨,江衡之柟梓,會稽之竹箭,燕齊之魚鹽旃裘,兗豫之漆枲絺薴,鄭之刀,宋之斤,魯之削,吳之劒,燕之角,荊之簳,汾胡之笴,吳越之金錫,此地之財也。燕之涿鹿,趙之邯鄲,魏之溫、軹,韓之滎陽,齊之臨淄,陳之宛邱,鄭之陽翟,洛川之二周,越之具區,楚之雲夢,齊之鉅鹿,宋之孟瀦,此地之良也。
雲夢沢の鳥羽、黔渓の丹砂、荊州・揚州の皮革と角骨、長江と衡山一帯の楠木梓木、会稽の箭竹、燕地斉地の魚鹽毡裘、兖州豫州の漆・麻・細葛と苧布、鄭国の刀、宋国の斧、魯国の書刀、呉国の剣、燕地の角、荊地の箭杆、汾水と胡地の箭笴、呉越の銅と錫――これらはみな土地の出産する財貨である。燕国の涿鹿、趙国の邯鄲、魏国の温邑と軹邑、韓国の滎陽、斉国の臨淄、陳国の宛丘、鄭国の陽翟、洛水流域の東周と西周、越国の具区(太湖)、楚国の雲夢、斉国の巨鹿、宋国の孟渚――これらはみな土地中の膏腴の良壤である。(校記:文瀾閣本は此の下に「共居其地」の四字あり。)
非有災害疾病而貧者,非惰則奢;世無奇業而獨富貴者,非儉則力。同列而相臣妾者,貧富使然也;同貫〈文瀾閣本作「貴」。〉而相兼併者,強弱使然也;同地而或強或弱者,理亂使然也。茍有道理,地足容身,事可致也;茍有市井,交易所通,貨財可積也。
災害疾病に遇わざるに貧困に陥る者は、懶惰ならずんば奢侈なり。世に特別の営生なくして独り富貴なる者は、節倹ならずんば力を出すを肯んずるなり。同一の等級の人が互いに臣妾に淪するは、貧富の為すところなり。同一の門第の人が相互に兼并するは、強弱の為すところなり。同じ一塊の土地上に或は強く或は弱きは、治と乱の為すところなり。ただ治理法に得れば、土地は身を容るるに足るのみなりとも、事業は作り起し得べし。ただ市集ありて交易流通し得れば、貨財もまた積み攒え得べし。(校記:「同貫」の「貫」、文瀾閣本は「貴」と作る。)
夫有容身之地,智者不言弱;有市井之利;智者不言貧。地誠任,不患無財;人誠用;不畏強禦。故神農教耕而王天下,湯武戰伐而服諸侯。國愚,則智可以強國;國智,則力可以強人。用智者,可以強於內而富於外;用力者,可以富於內而強於外。〈原脫「用力者可以」五字,張刻本有。以下文攷之正合。〉
一塊の容身すべき土地あれば、明智の人は自ら弱しと言わざるなり。市集の利あれば、明智の人は自ら窮すと言わざるなり。土地真に使用を得れば、財貨なきを愁えず。人力真に発揮を得れば、強敵を怕れず。故に神農は民に耕種を教えて天下に王と称し、商湯・周武は征伐を以て諸侯を帰服せしめたり。国人未だ愚鈍ならば、智謀を以て国家を強盛ならしめん。国人すでに智巧ならば、実力を以て人衆を強盛ならしめん。智謀を用うる者は、能く内に強盛にして外に富足たらん。人力を用うる者は、能く内に富足にして外に強盛たらん。(校記:「用力者可以」の五字原脱す、張刻本にあり、下文を参照して正しく相吻合す。)
是以漢武帝南平百粵,以為園囿;𨚫羌胡,以為苑圃;珍怪異物,充於後宮;騊駼駃騠;實於外廐;匹庶乘堅良,人間厭柚橘。此謂智強於內而富於外。
故に漢武帝は南に向かいて百越を平定し、其の土地を以て自らの園囿と為し、北に向かいて羌人胡人を撃退し、其の草原を以て自らの苑圃と為した。珍奇怪異の宝物は後宮に堆み満ち、騊駼・駃騠の類の良馬は外厩に塞がり満ち、平民すら堅固なる好車に乗じ、市井の間は柚子橘子すらも飽き厭うに至る。これを内に智謀を以て強盛にして外に富足を獲得すと謂う。
秦孝公行墾草之令,使商不得糴,農不得糶;廢逆旅,禁山澤;貴酒肉之價,重關市之賦,使農佚而商勞。行之數年而倉庾實,人知禮義。至於始皇,以為之資,東向而併吞諸侯。此為力富於內而強於外也。故知伯王之業,非智不戰,非農不贍,過此以往而致富強者,未之有也。
秦孝公は荒草を開墾するの法令を推行し、商人に糧食の籴入れを許さず、農民に糧食の粜出しを許さず。旅店を廃除し、山林川沢を封禁し、酒肉の価銭を抬高し、関卡と市場の賦税を加重して、務農を安逸にして経商を辛苦ならしめた。数年を推行して、倉廩充実し、百姓は礼義を識るに至る。秦始皇の時に至りて、この積累を以て本銭と為し、東に向かいて六国の諸侯を兼并した。これを内に人力を以て富足にして外に因りて強盛を致すと謂う。これに由りて知るべし、霸王の功業は、智謀なくんば戦を打ち成せず、農事なくんば供養し起す能わず。この二条を除いてなお富強を求めんとする者、未だ嘗て有らざるなり。
賢に遇時あり篇 第六
經曰:賢人之生於世,無籍地,無貴宗,無奇狀,無智勇;或賢或愚,乍醉乍醒,不可以事蹟求,不可以人物得。其得之者,在明君之心,道合而志同,信符而言順,如覆水於地,先流其濕;如燎火於原,先就其燥。
経に曰く――賢人は世に生まれて、顕赫の籍貫なく、高貴の宗族なく、奇特の相貌なく、また必ずしも智勇を外露せず。彼らは時に賢に似、時に愚に似、忽ち如醉し、忽ち如醒め、既往の事迹に凭って搜寻する能わず、外表の人品に凭って獲得する能わず。真に賢人を得るは、全く明君の一片の心に在り。道理相合し志向相同じく、信義相符し言語相投ずるは、水を地上に潑ぐに如く、先ず潮湿の処に向かいて流れ、原野に火を放つに如く、先ず乾燥の処に向かいて焼く。
故伊尹,有莘之耕夫,夏癸之酒保,湯得之於鼎飪之間,升陑而放桀。太公,朝歌之鼓刀,棘津之賣漿,周得之於垂綸之下,殺紂而立武庚。伍員被髮徒跣,挾弓矢乞食於吳,闔閭向風而高其義,下階迎之,三日與語,無復疑者。
故に伊尹はもと有莘国の農夫にして夏桀(名は履癸)の手下の厨役なりしが、商湯は彼が鼎鑊を操持し烹調するの際に彼を発見し、ここに陑山より兵を進めて夏桀を放逐した。太公はもと朝歌の屠戸・棘津の浆を売る人なりしが、周室は彼が渭水に垂钓するの処に彼を得、終に商紂を誅滅して武庚を立てて殷祀を続かしめた。伍員(伍子胥)は髪を披き脚を赤くして行き、弓箭を帯びて呉国に乞食したが、呉王闔閭は風を聞いて彼の節義を看重し、階を下りて自ら迎接し、三日を交談して再び一糸の疑慮なかりき。
范蠡生於五戶之墟,為童時,內視若盲,反聽若聾,時人謂之至狂;大夫種來觀而知其賢,扣門請謁,相與歸於地戶。管夷吾束縛於魯,齊桓任之以相。百里奚自鬻於虞,秦穆任之以政。韓信,南鄭之亡卒,淮陰之怯夫,漢高歸之以謀。
范蠡は五戸人家のみの荒村に出生し、孩童の時より内視すれば盲の如く反聴すれば聾の如く、当時の人は皆彼を十足の狂人と曰うた。大夫文種は来りて察看し、一眼に彼の賢能を認出し、登門して見を求め、两人はここに伴を結びて東南の「地戸」の方位に位居する越国に投奔した。管夷吾(管仲)はかつて绑縛せられて鲁国より押解せられたるが、斉桓公は却って彼を以て相と任じた。百里奚はかつて虞国に其身を自売せしが、秦穆公は却って国政を彼に交した。韓信は南鄭より逃亡した士卒にして淮陰の市上に跨下の辱めを受けた怯懦の人なりしが、漢高祖は却って全軍の謀划を彼に托付した。
故曰:「明君之心,如明鑑,如澄泉。」圓明於中,形物於外,則使賢任能,不失其時。若非心之見,非智之知,因人之視,借人之聽,其猶眩耄叟以黼黻,聒聾夫以《韶》《濩》,玄黃宮徵無貫於心,欲求得人,而幸其伯,未之有也。故五帝得其道而興,三王失其道而廢。廢興之道,在人主之心、得賢之用,非在兵強、地廣、人殷、國富也。
故に曰う「明君の心は、明亮の鏡の如く、澄清の泉水の如し」と。内裏円融明澈なれば、外物は照らして分明となり、賢能を任用して自ら時機を錯らざらん。倘若自ら心里に見、自ら智慧に判定するに非ざれば、ただ他人の眼睛を借りて看、他人の耳朵を借りて聴くのみ、それは華美の黼黻紋様を以て老眼昏花の老人を晃がすに如く、《韶》《濩》のごとき雅楽を以て聾子を吵がすに如く、色彩と音律とは根本より彼の心に貫き入らず。こうしてなお人材を求め僥倖に霸業を成就せんとするは、未だ嘗て有らざるなり。故に五帝はこの路を得着して興盛し、三王はこの路を失掉して衰廃せり。興廢の関鍵は、君主のこの一顆の心に在り、賢才を得て之を任用するに在り、兵力強く土地広く人口多く国家富むに在らず。
将有智謀篇 第七
經曰:太古之初,有栢皇氏,至於容成氏,不令而人自化,不罰而人自齊,不賞而人自勸,不知怒,不知喜,俞然若赤子。庖犧氏、神農氏,教而不誅;軒轅氏、陶唐氏、有虞氏,誅而不怨。葢三皇之政以道,五帝之政以德。夏商衰,湯武廢道德,任智謀。〈此處似有脫誤。張刻本云:「夏商周室弱,春秋戰國廢道德,任智謀。」亦以意改。〉
経に曰く――太古の初め、柏皇氏より容成氏に至るまで、命令を下さずして百姓は自然に帰化し、懲罰を施さずして百姓は自然に斉整し、奨賞を与えずして百姓は自然に勤勉し、怒るを識らずまた欣喜を識らず、安然和順にして初生の嬰児のごとし。庖犠氏(伏羲)・神農氏は、ただ教化を施して刑誅を加えず。軒轅氏(黄帝)・陶唐氏(堯)・有虞氏(舜)は、刑誅を用うるも百姓は怨まず。大抵三皇の天下を治むるは「道」に凭り、五帝の天下を治むるは「徳」に凭る。夏・商の衰敗に至りて、商湯・周武は便ち道徳を廃棄し、改用して智謀と為したり。(校記:此処は脱误あるに似たり。張刻本は「夏商周室弱、春秋戦国廃道徳、任智謀」と作るも、亦た己意を以て改動せしなり。)
秦任商鞅、李斯之智,而並諸侯;漢任張良、陳平之智,而滅項籍;光武任寇恂、馮異之智,而降樊崇;曹公任許攸、曹仁之智,而破袁紹;孫權任周瑜、魯肅之智,而敗魏武;劉備任諸葛亮之智,而王西蜀;晉任杜預、王濬之智,而平吳;苻堅任王猛之智,而定八表之眾;石勒任張賓之智,而生擒王淩;拓拔任崔浩之智,而保河朔之師;宇文任李穆之智,而挫高歡之銳;梁任王僧辯之智,而戮侯景;隋任高熲之智,而面縛陳主;太宗任李靖之智,而敗頡利可汗。有國家者,未有不任智謀而成王業也。故曰:將軍之事,以靜正理,以神察微,以智役物。見福於重關之內,慮患於杳冥之外者,將之智謀也。
秦国は商鞅・李斯の智謀を任用して諸侯を兼并し、漢朝は張良・陳平の智謀を任用して項籍を消滅し、光武帝は寇恂・馮異の智謀を任用して赤眉軍の樊崇を招降し、曹操は許攸・曹仁の智謀を任用して袁紹を攻破し、孫権は周瑜・魯粛の智謀を任用して赤壁に魏武帝を撃破し、劉備は諸葛亮の智謀を任用して西蜀に王を称し、西晋は杜預・王濬の智謀を任用して東呉を平定し、苻堅は王猛の智謀を任用して八方の衆を安定し、石勒は張賓の智謀を任用して王浚を生擒せり(原文は「王淩」と作るは当に「王浚」の误なるべし)。拓跋氏は崔浩の智謀を任用して河朔の軍隊を保全し、宇文氏は李穆の智謀を任用して高歓の鋭気を挫敗せしめ、梁朝は王僧弁の智謀を任用して侯景を誅戮し、隋朝は高颎の智謀を任用して陳後主を反縛俘獲し、唐太宗は李靖の智謀を任用して頡利可汗を撃敗せり。凡そ国家を擁する者、智謀に依らずして王業を成就せるあらず。故に曰う、将軍を為すの事は、沈静を以て条理を端正し、神明を以て細微を察知し、智謀を以て万物を役使するなり。能く重々なる関塞の内に於て予め福祥を看、杳冥として測り難きの外に於て予め禍患を憂う、これ将領の智謀なり。
術に陰謀あり篇 第八
經曰:古之善用兵者,必重天下之權,而研諸侯之慮。重權不審,不知輕重強弱之稱;揣情不審,不知隱匿變化之動靜。〈張刻本無「靜」字。〉重莫難於周知,揣莫難於悉舉,事莫難於必成,此三者,聖人能任之,故兵有百戰百勝之術,非善之善者也;不如不戰而屈人之兵,善之善者也。
経に曰く――古の善く兵を用うる者は、必ず先ず天下の権勢の軽重を掂量し、再び各国諸侯の心思打算を細研す。権勢を掂量するに周密ならざれば、軽重強弱の分量を弄清楚し得ず。実情を揣度するに周密ならざれば、对方の隠蔵変化の動静を摸透し得ず。掂量の最も難きは全面に知曉するに在り、揣度の最も難きは毫も遺漏なきに在り、事を為すの最も難きは必ず成功するに在り。この三事は、ただ聖人のみ担当するに堪える。故に兵を用うるに縦い百戦百勝の法術あるも、好中の好と算うに足らず。干戈を動かさずして敵人を屈服せしむるに如かず。これなんぞ好中の好なり。(校記:張刻本に「静」の字なし。)
夫太上用計謀,其次用人事,其下用戰伐。用計謀者,熒惑敵國之主,陰移諂臣,以事佐之;惑以巫覡,使其尊鬼事神;重其彩色文繡,使賤其菽粟,令空其倉庾;遺之美好,使熒其志;〈文瀾閣本此下有「蕩其心」三字。〉遺之巧匠,使起宮室高臺,以竭其財、役其力;易其性,使化改淫俗。〈文瀾閣本作「酗」。〉
上策は計謀を用うるに在り、其次は人事を用うるに在り、最下は初めて征戦を用うるに在り。計謀を用うるの做法は――敵国の君主を迷惑せしめ、暗中に彼の左右の諂佞の臣を收買し、これらの人をして旁より帮衬せしめ、巫覡を派して彼を蛊惑せしめ、彼をして鬼を敬い神に事えしめ、彩帛刺繍の身価を抬高して、彼をして糧食を軽賤せしめ、倉廩を掏空せしめ、美色珍玩を送りて彼の心志を眩惑せしめ、能工巧匠を送りて彼を誘いて宮室高台を大いに興建せしめ、彼の財力を耗尽せしめ彼の民力を役使せしめ、彼の秉性を改易して、彼をして荒淫の風気を沾染せしむ、なり。(校記:「使熒其志」の下、文瀾閣本に「蕩其心」の三字多し。「淫俗」の「淫」、文瀾閣本は「酗」と作る。)
奢暴驕恣,賢臣結舌,莫肯匡助;濫賞淫刑,任其喜怒,政令不行;信卜祠鬼,逆忠進諂,〈文瀾閣本「逆」作「退」。〉請謁公行。而無聖人之政,愛而與官,無功而爵,未勞而賞;喜則赦罪,怒則肆殺;法居而自順,令出而不行,信蓍龜、卜筮、鬼神、禱祠、讒佞、奇技,〈此四字,文瀾閣本作「讒諂諛佞,奇技貨財」。〉亂行於門戶。
ここに於て彼は奢侈暴虐・驕横放縦となり、賢臣は口を鉗めて言わず、匡正輔佐を肯んずる者なし。賞賜は濫れ刑罰は泛れ、一切は喜怒に聴憑し、政令は行き下らず。占卜を篤信し鬼神を祭祷し、忠良を排斥して諂媚を進用し、私相請託は公然と通行す。かくして国中に再び聖人の政なし。一時の喜愛を凭って官を授け、毫も功労なくして爵を封じ、曾て力を出さずして賞を行い、喜べば則ち罪犯を赦免し、怒れば則ち肆意に人を殺す。法令は彼処に擺れてただ自らの意に順うに用い、命令は発せらるるも執行する人なし。一味に蓍草・亀甲・卜筮・鬼神・祷祠を相信じ、讒佞の小人と奇技淫巧の徒とに門庭の間に横行胡為するを任す。(校記:「逆忠」の「逆」、文瀾閣本は「退」と作る。「讒佞・奇技」の四字、文瀾閣本は「讒諂諛佞、奇技貨財」と作る。)
其所謂是者皆非,非者皆是。離君臣之際,塞忠讜之路。然後淫之以色,攻之以利,娛之以樂,養之以味。以信為欺,以欺為信,以忠為叛,以叛為忠。忠諫者死,諂佞者賞。令君子在野,小人在位,急令暴刑,人不堪命。所謂未戰以陰謀傾之,其國已破矣。
彼が対と認定するは全て錯りであり、錯と認定するは全て対である。ここに於て彼の君臣の間の情分を離間し、忠直に進言するの路径を堵死す。続いて美色を以て彼を浸淫し、財利を以て彼を勾引し、声楽を以て彼を娱悦せしめ、美味を以て彼を豢養す。守信を以て欺騙と為し、欺騙を以て守信と為し、忠誠を以て叛逆と為し、叛逆を以て忠誠と為す。忠言を進諫する者は処死せられ、諂媚阿諛する者は奨賞を受く。君子をして草野に流落せしめ小人をして高位を窃据せしめ、法令は急迫にして刑罰は残虐、百姓は活命するの法なし。これを未だ開戦せざるに、先ず陰謀を以て彼を傾覆せしめ、彼の国家は其の実すでに破亡せりと謂う。
以兵從之,其君可虜,其國可隳,其城可拔,其眾可潰。故湯用此而桀放,周用此而紂殺,越用此而吳國墟,楚用此而陳蔡舉,三家用此而魯國弱,韓魏用此而東周分。
この時に再び兵を発して跟進せば、彼の君主は生擒し得べく、彼の国家は毁壊し得べく、彼の城池は攻取し得べく、彼の軍隊は撃潰し得べし。故に商湯はこの一手を用いて夏桀は放逐せられ、周はこの一手を用いて商紂は誅殺せられ、越国はこの一手を用いて呉国は廃墟と化し、楚国はこの一手を用いて陳・蔡は呑併せられ、魯国の三桓はこの一手を用いて魯国は日益衰弱し、韓・魏はこの一手を用いて東周は分割せられたり。
儒生之言皆曰:「兵強大者必勝,小弱者必亡。」是則小國之君無伯王之業,萬乘之主無破亡之兆。昔夏廣而湯狹,殷大而周小,越弱而吳強,所謂不戰而勝者,陰傾之術,夜行之道,文武之教。聖人昭然獨見,忻然獨樂,其在茲乎!
儒生たちは総じて曰う「兵力強大なるは必ず勝を取り、弱小なるは必ず滅亡す」と。この説に照らせば、小国の君は永遠に霸王の業を為すことを得ず、万乗の大国の主は永遠に破亡の征兆あるべからざるなり。しかれども当年、夏の疆土は広くして商湯の地盤は窄く、殷国は大にして周国は小、越国は弱にして呉国は強なりしが、結果は全て倒せり。謂うところの戦わずして勝つは、正に暗中に傾覆するの手段・夜裏に潜行するの門道に凭り、正に文治と武功と併用するの教法なり。聖人は独り透亮に看、独り欣然として自ら楽しむは、大抵この上に在るのであろう。
数に探心あり篇 第九
經曰:古者,鄰國烽煙相望,雞犬相聞,而足跡不接於諸侯之境,車軌不結於千里之外,以道存生,以德安形,人樂其居。後世澆風起而淳樸散,權智用而譎詐生,鄰國往來用間諜。縱橫之事,用檃括之人矣。
経に曰く――古の時、相隣る国家は炊烟烽火を彼此望見し、鶏鳴狗吠を彼此聴得着し、しかれども人の足跡は別国の境内に越えず、車轍も千里の外に通ぜず。彼らは「道」を凭って生命を保全し、「徳」を凭って形体を安頓し、百姓は自らの居処に安んじたり。後世に至りて、澆薄の風興りて淳樸の俗涣散し、権謀智巧一たび動用せられんか、詭詐はこれに随いて生じ、隣国の間の往来は間諜を動用するに至った。合縦連横の類の勾当は、則ち「檃括」の木を矯めるがごとき、人の心を揉捏して形を成し得るの説客を起用すべきなり。
徐守仁義,社稷邱墟。魯尊儒墨,宗廟泯滅。非達奧知微,不能禦敵;不勞心苦思,不能原事;不悉見情偽,不能成名;材智不明,不能用兵;忠實不眞,〈張刻本「眞」作「明」。文瀾閣本作「忠直不伸」。〉不能知人。是以鬼谷先生述《捭闔》、《揣摩》、《飛箝》、《抵巇》之篇,以教蘇秦、張儀遊說於六國而探諸侯之心,於是術行焉。
徐国は仁義を死守するも社稷は終に廃墟と為り、鲁国は儒墨を尊崇するも宗廟は照様断絶せり。幽奥を通達し細微を洞察せざれば、敵人を抵御し得ず。心を労し思を苦しまざれば、事情の本原を推究し得ず。真情と偽飾とを看て透徹せざれば、名を成し得ず。才干智慧明ならざれば、兵を用いる能わず。忠誠篤実は真心より出でざれば、人を識るに従来なし。これに因りて鬼谷先生は《捭闔》《揣摩》《飛箝》《抵巇》の諸篇を撰述し、蘇秦・張儀に六国に游説せしめて諸侯の心思を探測せしめ、探心の術はこれより流行し開いたり。(校記:「忠実不真」の「真」、張刻本は「明」と作る。文瀾閣本は此の句を「忠直不伸」と作る。)
夫用探心之術者,先以道德、仁義、禮樂、忠信、詩書、經傳、子史、謀略、成敗渾而雜說,包而羅之,澄其心,靜其志,伺人之情,有所愛惡去就,從欲而攻之,陰慮陽發。此虛言而往,彼實心而來,因其心,察其容,聽其聲,考其辭。言不合者,反而求之,其應必出。
探心の術を運用する者は、先ず道徳・仁義・礼楽・忠信・詩書・経伝・諸子史籍・謀略および成敗得失を一処に混えて雑説を一通りし、話題を包羅して殆ど尽くさしめ、同時に自らの心を澄清し、自らの志を安定せしめ、暗中に対方の実情を窺伺す――彼は何を愛し何を憎み、走らんと欲するか留まらんと欲するか。彼の欲望に順いて彼の心を攻め、心里に暗暗に筹算して表面に従容として道出す。我が方の送るは虚話にして、対方は却って实心を交出す。ここに於て彼の心意に順い、彼の神色を察看し、彼の声気を聴辨し、彼の措辞を考較す。凡そ話頭の対せざる者は、則ち反って追問すれば、彼の反応は必ず破綻を露出せん。
旣得其心,反射其意,符應不失,契合無二。膠而漆之,無使反覆,如養由之操弓,逢蒙之挾矢,百發無不中正。猶設罝□,以罹魚兔,張其會,磔其腰,脇其虛,必衝綱而掛目,亦奚有孑遺哉!
すでに彼の心を摸清たれば、則ち反って彼の心意に迎合し、験するに符契のごとく一糸も差なし。再び膠漆のごとき手段を以て彼を黏牢にし、彼をして反悔翻覆せしめず。養由基の弓を持ち逢蒙の箭を搭るがごとく、百発百中なり。これまた罝網の類の器具を張設して魚を捕え兎を捉るに好比す。網口を張開し、網腰を撑開し、空処を繃緊せば、獲物は必ず網縄に撞き掛り網眼に挂り、いずこにか一隻の漏網を残し得ようか。(原書此処に一字を缺く、「□」を以て疑を存す。)
夫探仁人之心,必以信,勿以財;探勇士之心,必以義,勿以懼;探智士之心,必以忠,勿以欺;探愚人之心,必以蔽,勿以明;探不肖之心,必以懼,勿以常;探好財之心,必以賄,勿以廉。
仁厚の人の心を探測するには、必ず誠信を用いよ、財貨を用うるなかれ。勇士の心を探測するには、必ず道義を用いよ、恐嚇を用うるなかれ。智士の心を探測するには、必ず忠誠を用いよ、欺瞞を用うるなかれ。愚人の心を探測するには、必ず遮遮掩掩、話を挑明するなかれ。不肖の徒の心を探測するには、必ず威嚇を用いよ、常規に照らすなかれ。貪財の人の心を探測するには、必ず賄賂を用いよ、彼に廉潔を講ずるなかれ。
夫與智者言,依於博,智有涯而博無涯,則智不可以測博;與博者言,依於辨,博師古而辨應今,則博不可以應辨。與貴者言,依於勢,貴位高而勢制高,則位不可以禁勢。與富者言,依於物,富積財而物可寶,則財不足以易寶。
智慧の人と言うには、見聞の広博を凭とすべし。智慧は辺際ありて広博は辺際なし、智慧は広博を測り透る能わず。博学の人と言うには、機弁を凭とすべし。博学は古人に取法して機弁は当今に応付す、博学は機弁を応付し得ず。顕貴の人と言うには、権勢を凭とすべし。顕貴は位高きに過ぎず、権勢は正に位高きを制服し得、官位は権勢を圧し住え得ず。富有の人と言うには、奇珍を凭とすべし。富人は財を積むに過ぎず、奇珍は其の身すなわち宝なり、銭財は真の宝を換い得ず。
與貧者言,依於利,貧匱乏而利豐贍,則乏不可以賙豐。與賤者言,依於謙,賤人下而謙降下,則賤不可以語謙。與勇者言,依於敢,勇不懼而敢剛毅,則勇不可以懾剛。與愚者言,〈已上二十一字原缺,依文瀾閣本補。〉依於銳,愚質樸而銳聰明,則樸不可以察聰。
貧寒の人と言うには、実利を凭とすべし。貧寒は匱乏にして、実利は豊足なり、匱乏は豊足を賑済し得ず。卑賤の人と言うには、謙下を凭とすべし。卑賤は人の下に処るにして、謙下は自ら下に居るを甘んず、卑賤は謙下を以て人を圧するの法なし。勇武の人と言うには、果敢を凭とすべし。勇は畏るる所なくして、敢は剛毅決断なり、勇のみを以ては剛毅を震懾し得ず。愚鈍の人と言うには、機敏を凭とすべし。愚は質朴より出でて、機敏は聡明より出ず、質朴は聡明の手段を察覚し得ず。(校記:「與愚者言」以上二十一字原缺す、文瀾閣本に依りて補う。)
此八者,皆本同其道,而末異其表。同其道,人所欲聽;異其表,聽而不曉。如此,則不測淺、不測深,吾得出無間、入無朕,獨往而獨來,或縱而或橫;如偃枯草,使東而東,使西而西;如引停水決之則流,壅之則止。謀何患乎不從哉!
この八種の応対は、根の上では対方と同じ路数を走り、末の上では対方の表面と異なる。路数が同じであれば、人家は初めて聴くことを肯んじ、表面が異なれば、人家は聴いても参り透ることができない。かくして、対方は既に我が浅きを測ることができず、また我が深きを測ることもできない。我は便ち出でて縫を求めるなく、入りて跡を見るなく、独り来り独り往き、時に縦し時に横し。一片の枯草を放倒するがごとく、それに東ならんと欲すれば東に、西ならんと欲すれば西にせしめ、また一潭の死水を牽引するがごとく、掘り開けば流れ、堵し止めば停まる。こうあれば、なお計謀の採納せられざるを愁えんや。
夫道貴制人,不貴制於人。制人者握權,制於人者遵命也。制人之術,避人之長,攻人之短;見己之所長,蔽己之所短。故獸之動,必先爪牙;禽之動,必先觜距;螫蟲之動,必以毒;介蟲之動,必以甲。夫鳥獸蟲豸尚用所長以制物,兄其智者乎!
用兵の道は、人を制服するを貴び、人に制服せらるるを貴ばず。人を制服する者は主動権を握り、人に制服せらるる者はただ命に聴くのみ。人を制服するの手段は、対方の長所を避けて彼の短所を攻め、自らの長所を顕露して自らの短所を遮るなり。故に野獣の出動するや、先ず爪牙を用い、飛禽の出動するや、先ず喙と距とを用い、毒虫の出動するや、必ず毒を用い、甲虫の出動するや、必ず甲を用う。飛禽走獣虫豸ですらなお各々其の長を用いて他物を制服するに、いわんや智慧ある人をや。(按:「兄」は当に「况」の字の误なるべし。)
夫人好說道德者,必以仁義折之;好言儒墨者,必以縱橫禦之;好談法律者,必以權術挫之。必乘其始、合其終、摧其牙、落其角,無使出吾之右。徐以慶弔之言,憂喜其心,使其神不得為心之主。長生、安樂、富貴、尊榮、聲色、喜說,慶言也;死亡、憂患、貧賤、苦辱、刑戮、誅罰,弔言也。
対方が道徳を談ずるを愛する者には、仁義を以て彼を折服せよ。儒墨を講ずるを愛する者には、縦横の術を以て彼を抵挡せよ。法律を談ずるを愛する者には、権術を以て彼を挫敗せよ。必ず彼の口を開くの頭緒に順いて切り入り、彼の尾を収むるの結論を扣住し、彼の牙を摧き彼の角を打ち落として、彼をして我が一頭を圧過せしめざれ。然る後に徐々に道賀と吊唁の類の話を以て、彼を攪じて忽ち憂い忽ち喜ばしめ、彼の精神をして心の主を為さしめざれ。長生・安楽・富貴・尊栄・声色・歓愉は、「慶」の一路の話に属し、死亡・憂患・貧賤・苦辱・刑戮・誅罰は、「吊」の一路の話に属す。
與貴者談,言弔則悲;與賤者談,言慶則悅。將其心,迎其意,或慶或弔,以惑其志,〈文瀾閣本「惑」作「感」。〉情變於內者,形變於外,常以所見而觀其所隱,所謂測隱探心之術也。雖有先王之道,聖智之術,而無此者,不足以成伯王之業也。
顕貴の人と交談するに、吊唁の一路の話を説けば、彼は悲傷し、卑賤の人と交談するに、道賀の一路の話を説けば、彼は歓喜す。彼の心に順い、彼の意に迎えて、或は慶し或は吊して、以て彼の心志を攪乱す。内裏の情緒一たび動けば、外表は便ち形迹を現出し、ここに於て常に見える表象を凭って彼の隠蔵するものを窺探す――これ即ち謂うところの測隠探心の術なり。縦い先王の道・聖智の術を掌握すとも、この一手を缺けば、霸王の功業を成就するに足らず。(校記:「以惑其志」の「惑」、文瀾閣本は「感」と作る。)
政に誅強あり篇 第十
經曰:夫國有亂軍者,士卒怯弱、器械柔鈍、政令不一、賞罰不明,不預焉。所謂亂軍者,豪家權臣、閽寺嬖暱,為之軍吏,權軍之勢,擅將之威,公政私行,私門公謁。上發謀,下沮議;上申令,下不行。猛如虎、很如狼,強不可制者,皆謂之亂軍,各宜誅之。
経に曰く――国家の謂うところの「乱軍」とは、士卒の怯弱・器械の鈍劣・政令の不一・賞罰の不明の類の毛病を指すに非ず、それらは皆算内に入らず。真の乱軍とは、あれらの豪門大族・擅権の重臣、および宦官と君主の嬖幸なり。彼らは軍中の官吏と為りて、全軍の権勢を窃据し、主将の威柄を擅用し、公家の政令を取りて私事を弁じ、私門の請託を変じて公開の門路と為す。上が謀划を提出すれば、下は便ち議論を阻撓し、上が号令を申明すれば、下は便ち執行を拒絶す。凶猛して虎の如く、狠戾して狼の如く、強横にして節制するの法なき者は、皆これを乱軍と謂い、一つ一つ皆誅除すべきなり。
文宣誅少正卯於兩觀,而魯國清;田穰苴斬莊賈於表下,而軍容肅;魏絳刃楊干而諸侯服;項籍斬宋義,而天下怖。夫誅豪者,益其威;戮強者,增其權。威權生於豪強之身,而不在於士卒之庸。
孔子(唐代に「文宣王」を追諡す)は宮門の両観の下に少正卯を誅殺して、鲁国の風気は便ち清明と為り、田穰苴は軍門の立表の下に期を误した監軍荘賈を斬って、軍容は便ち整粛し、晋国の魏絳は軍法に依りて国君の弟楊干の車僕を処治して、諸侯は便ち帰服し、項籍は上将軍宋義を斬って、天下は便ち震恐せり。豪横の人を誅殺するは、能く主将の威厳を増益し、強梁の人を殺するは、能く主将の権柄を加重す。威と権とは豪強の身上より立起するものにして、平庸の士卒の身上より立起するに非ざるなり。
豪強有兼才者,則駕而御之,教而導之,如畜鷙鳥,如養猛虎,必節其飢渴,翦其爪牙,絆其足,猰其舌,呼之而隨,嗾之而走,牢籠其心使馴吾之左右。豪強無兼才者,則長其惡,積其㐫,縱其心,橫其志,禍盈於三軍,怨結於萬人。然後誅之,以壯吾氣。故曰:「不善人者,善人之資。」為將帥者,國之師,不誅豪強,何以成三軍之威哉!
豪強の中にもし才干を兼備する者あらば、則ち彼を駕馭し彼を教導して、猛禽を蓄養し猛虎を飼養するがごとくせよ。彼の飢飽を調節し、彼の爪牙を剪り去り、彼の脚を绊住し、彼の舌を制住して、一たび喚ばば則ち跟来り、一たび唆かせば則ち出撃し、彼の心を牢く籠住して、彼をして我が左右に馴服せしめよ。豪強の中にもし用うべきの才なからば、則ち彼の悪性の滋長に任せ、彼の凶戾の累積に任せ、彼の心思を縦容し、彼の意志を放任せよ。禍患が三軍に充満し、怨恨が万人に聚結するを待ちて、然る後に再び彼を誅殺して、以て我が軍の士気を壮んにせよ。故に《老子》に曰く「不善の人は、正に善人の憑藉なり」と。将帥を為す者は一国の表率なり、豪強を誅除せざれば、何を凭って三軍の威厳を樹立せんや。
《神機制敵太白陰經》巻一 終
善師篇 第十一
經曰:兵非道德仁義者,雖伯有天下,君子不取。周德旣衰,諸侯自作禮樂,專征伐,始於魯隱公,齊以技擊強,魏以武卒奮,秦以銳士勝。說者以孫、吳為宗,唯荀卿明於王道而非之,謂齊之技擊是亡國之兵,魏之武卒是危國之兵,〈此二句原缺,依文瀾本補。〉秦之銳士是干賞蹈利之兵。
経に曰く――兵を用いて道徳仁義に本づかざる者は、縦いこれに凭って天下に称霸するも、君子は取らず。周室の徳政衰敗の後、諸侯は各々自ら礼楽を制作し擅りに兵を興して征伐す。この局面は魯隠公の世より始まる。斉国は「技撃」に凭って強を称し、魏国は「武卒」に凭って奮起し、秦国は「鋭士」に凭って勝を取る。兵を論ずる者は皆孫武・呉起を宗師と奉ずるが、ただ荀卿のみ王道に明るくして彼らを否定し、斉国の技撃は亡国の兵、魏国の武卒は危国の兵、秦国の鋭士は賞を求め利を逐うの兵と曰う。(校記:「魏之武卒是危国之兵」等の二句原缺す、文瀾本に依りて補う。)
至於齊桓、晉文之師,可謂入其域而有節制矣。故齊之技擊,不可遇魏之武卒;魏之武卒,不可敵秦之銳士;秦之銳士,不可當桓文之節制;桓文之節制,不可當湯武之仁義。故曰:「善師者不陣,善陣者不戰,善戰者不敗,善敗者不亡。」
斉桓公・晋文公の軍隊に至っては、言うべくして已に軌道に上り節制有りと謂うべし。故に斉国の技撃は魏国の武卒に碰うべからず、魏国の武卒は秦国の鋭士に敵せず、秦国の鋭士は斉桓・晋文の節制の師に挡る能わず、して斉桓・晋文の節制の師はまた商湯・周武の仁義の師に挡る能わず。故に曰う「善く軍を統る者は陣を列ぬるを必せず、善く陣を列ぬる者は交戦を必せず、善く交戦する者は失敗せず、善く失敗を承受する者は滅亡せず」と。
黃帝獨立於中央而勝四帝,所謂善師者不陣也。湯武征伐,陳師誓眾,放桀擒紂,所謂善陣者不戰也。齊桓南服強楚,〈原脫「桓南」二字,依文瀾閣本補。「南服強楚」與下「北伐山戎」為對文。〉使貢周室;北伐山戎,為燕開路,所謂善戰者不敗也。楚昭王遭闔閭之禍,國滅出亡,父兄相與奔秦請救,秦人出兵,楚王反國,所謂善敗者不亡也。
黄帝は中央に端居して四方の帝に勝つ。これ即ち謂うところの善く軍を統る者は陣を列ぬるを必せずなり。商湯・周武は兵を出して征伐し、軍陣を陳列し師を誓い衆に告げて、便ち夏桀を放逐し商紂を擒殺す。これ即ち謂うところの善く陣を列ぬる者は交戦を必せずなり。斉桓公は南面して強楚を鎮服し、彼を逼して周室に進貢せしめ、北面して山戎を討伐し、燕国の為に道路を打通す。これ即ち謂うところの善く交戦する者は失敗せずなり。楚昭王は呉王闔閭の兵禍に遭遇し、国都は失陥し出逃して外に在り、父老兄弟は一同奔って秦国に往き救いを求め、秦国は兵を出し、楚昭王は復国することを得たり。これ即ち謂うところの善く失敗を承受する者は滅亡せずなり。(校記:「斉桓南服強楚」原「桓南」の二字を脱す、文瀾閣本に依りて補う。「南服強楚」は下文の「北伐山戎」と正しく相対仗す。)
凡兵,所以存亡繼絶,救亂除害。故伊、呂之將,子孫有國,與殷周並。下至末代,茍任詐力貪殘,孫、吳、韓、白之徒,皆身被誅戮,子孫不傳於嗣。葢兵者,凶器;戰者,危事。陰謀逆德,好用凶器,非道德忠信,不能以兵定天下之災,除兆民之害也。
大凡兵を用うるは、本より将亡の国を保存し断絶の祀を接続し、禍乱を拯救し禍害を清除する為なり。故に伊尹・呂望のごとき将相は、子孫みな封国を擁して、殷・周の国祚と相始終せり。衰世末代に至りて、一味に詭詐暴力・貪婪残忍を凭って事を行う、孫臏・呉起・韓信・白起の類の人は、皆身を以て誅戮に遭い、子孫もまた承襲し得ず。須く知るべし、兵器は凶器にして、戦争は危事なり。陰謀は天徳に違逆し、一味に凶器を使うを愛し、もし道徳忠信に本に本づかざれば、武力に凭って天下の禍難を平定し万民の災害を除くこと能わざるなり。
貴和篇 第十二
經曰:先王之道,以和為貴。貴和重人,不尚戰也。《春秋左氏傳》曰:「君若以德綏諸侯,誰敢不服君?若以力,楚國方城以為城,漢水以為池,雖軍之眾,無所用也。」
経に曰く――先王の道は、和睦を以て貴と為す。和睦を看重し人命を珍視すれば、打仗を崇尚せざらん。《春秋左氏伝・僖公四年》に記す、楚国の使者屈完は斉桓公に回答して曰く「您もし徳行を以て諸侯を安撫せば、誰か敢えて服従せざらん。您もし武力を凭れば、楚国は方城山を以て城牆と為し、漢水を以て護城河と為さん。您の軍隊は再び多しと雖も、施展するの地方なし」と。
是故晉悼公使魏絳和戎,以正諸華,八年之間,九合諸侯,如樂之和,無所不諧,羌戎亦歸;晉惠公內不侵不叛之臣,於是有崤之師。譬如捕鹿,晉人角之,戎人掎之。
故に晋悼公は魏絳を派して戎人と和を講じ、以て中原の諸国を匡正し、八年の間に九度諸侯を会合し、音楽のごとく和諧して一処も不協調なく、羌戎すら来りて帰附せり。早くも晋恵公はこれらの侵擾せず叛離せざる臣属(姜戎を指す)を接納して、初めて後の崤山の役に於ける戎人の助戦を有てり。これ即ち力を合わせて鹿を捕るに好比し、晋人は鹿角を扭り住み、戎人は鹿腿を拽り住む――語は《左伝・襄公十四年》の姜戎子駒支の言に出づ。
夫有道之主,能以德服人;有仁之主,能以義和人;有智之主,能以謀勝人;有權之主,能以勢制人。見勝易,知勝難。〈文瀾閣本作「戰勝易,和勝難」。〉語曰:「先王耀德不觀兵,兵戢而時動,動則威,觀則玩,玩則無震。」故有衣冠之會,未嘗有歃血之盟;有革車之會,未嘗有戰陣之事。
道ある君主は能く徳行に凭って人を帰服せしめ、仁ある君主は能く道義に凭って人を和睦せしめ、智ある君主は能く謀略に凭って对手に勝ち、権ある君主は能く形勢に凭って对手を制服す。勝機を看るは易く、真に勝を取るを識るは難し。古語に曰う(《国語・周語上》の祭公謀父の言に本づく)「先王はただ徳行を顕耀して兵力を炫耀せず、兵器は平時収蔵して、時に到りて初めて動用し、一動すれば則ち威懾あり。老いて取出来て人に看せば、人に玩忽せられ、玩忽せられれば則ち再び震懾力なし」と。故に衣冠揖譲の盟会あるも、未だ必ずしも歃血して誓とせず、兵車列陣の集会あるも、未だ必ずしも真に交戦せず。(校記:「見勝易、知勝難」、文瀾閣本は「戦勝易、和勝難」と作る。)
兵者,不祥之器,不得已而用之。古先帝王所以舉而勝人,成功出於眾者,先文德以懷之;懷之不服,飾玉帛以啗之;啗之不來,然後命上將練軍馬、銳甲兵,攻其無備,出其不意。所謂叛而必討,服而必柔。旣懷旣柔,可以示德。《書》曰:「戒之用休,董之用威。」夫如是,則四夷不足吞,八戎不足庭也。
兵器は不吉祥のものにして、已むを得ざるに至りて初めて動用す。古代の帝王が一挙して人に勝り功業が衆を出ずる所以のものは、先ず文治徳教を以て対方を安撫せしなり。安撫してなお帰服せざれば、則ち玉帛を備弁して誘引し、誘引してなお肯んじて来らざれば、然る後に上将に命じて軍馬を操練し甲兵を修利せしめ、彼の防備なきの処を攻め、彼の意料の外に出づ。これ即ち謂うところの叛離する者は必ず討伐し、帰服する者は必ず懐柔すなり。既に安撫し既に懐柔せば、則ち天下に向かって徳行を昭示し得べし。《尚書・大禹謨》に曰く「美善を以て彼らを勧勉し、威厳を以て彼らを督責せよ」と。かく為さば、四方の夷族は呑併すること難からず、八方の戎狄もまた来朝せしむること難からず。
廟勝篇 第十三
經曰:天貴持盈不失,陰陽四時之綱紀;地貴定傾不失,生長均平之土宜。人貴節事,調和陰陽,佈告時令,事來應之,物來知之,天下盡其忠信,從其政令。故曰:「天道無災,不可先來;地道無殃,不可先倡;人事無失,不可先伐。」
経に曰く――上天の貴ぶべきの処は、盈満を守りて失わず、陰陽四時の綱紀と為るに在り。大地の貴ぶべきの処は、傾危を安定して失わず、万物の生長・均衡平正の土宜と為るに在り。人の貴ぶべきの処は、事務を節制し陰陽を調和し、時令を頒布して、事来たれば応付し物来たれば識別して、ここに於て天下人は皆忠信を拿出して彼の政令に服従す。故に曰う「天道の方面に灾異を降下せざれば、搶先して手を動かすべからず。地道の方面に禍殃を出現せざれば、搶先して難を発すべからず。人事の方面に過失なからば、搶先して討伐すべからず」と。
四時相乘,水旱愆和,冬雷夏霜,飛蟲食苗,天災也。山崩川涸,土不稼穡,水不澗下,五果不樹,八穀不成,地殃也。重賦苛政,高臺深池,興役過差,縱酒荒色,遠忠暱佞,窮兵黷武,人失也。上見天災,下覩地殃,傍觀人失。
四季節令錯乱して相侵し、水旱は調和を失い、冬に雷を打ち夏に霜を降し、飛虫は禾苗を食い尽くす。これを「天灾」と謂う。山体は崩塌し河川は涸れ、土地は庄稼を生長せず、水流は澗に順い下る能わず、各種の果樹は実を結ばず、各類の穀物は成熟せず。これを「地殃」と謂う。賦税は沈重にして政令は苛刻、高台深池を大いに造り、徭役を徴発するに度を過ごし、酒を縱い荒淫し、忠良を疎遠にして佞人に親近し、兵を窮め武を黷す。これを「人失」と謂う。兵を出すの前に、上に向かって天灾を察看し、下に向かって地殃を察看し、旁より人失を察看すべし。
兵不法天,不可動;師不則地,不可行;征伐不和於人,不可成。天贊其時,地資其財,人定其謀。靜見其陽,動察其陰,先觀其跡,後知其心。所謂勝兵者,先勝而後求戰;敗兵者,先戰而後求勝。故曰:「未戰而廟算勝者,得算多矣。未戰而廟算不勝者,得算少矣。多算勝,少算不勝,而況於無算乎!以此觀之,勝負見矣。」
兵を用いて上天に効法せざれば、発動する能わず。師を出して大地に取則せざれば、開抜する能わず。征伐は人心の和洽を得ざれば、成功する能わず。上天は其の時機を賛助し、大地は其の財貨を供給し、人は其の謀划を決定す。静止の時は対方の顕露の一面を看清し、行動の時は対方の隠蔽の一面を察知す。先ず其の形迹を観察し、再び其の心思を判明す。謂うところの勝を取るの兵は、先ず必勝の勢を造成して而る後に戦を求め、失敗の兵は、先ず打ち開いて而る後に勝を求む。故に《孫子兵法・計篇》に曰く「戦を開くの前に廟堂の上に於て筹算して能く勝つと判定するは、算の周全なるが以てなり。戦を開くの前に筹算して能く勝たざると判定するは、算の不足なるが以てなり。算が周全なれば則ち勝ち、算が不足なれば則ち勝たず。いわんや根本より筹算せざるをや。これに照らして看去れば、勝負はまた一目瞭然なり」と。
沉謀篇 第十四
經曰:善用兵者,非信義不立,非陰陽不勝,非奇正不列,非詭譎不戰。謀藏於心,事見於跡。心與跡同者敗,心與跡異者勝。兵者,詭逆也。能而示之不能,用而示之不用。心謀大,跡示小;心謀取,跡示與。惑其眞,疑其詐;眞詐不決,則強弱不分。
経に曰く――善く兵を用うる者は、信義なくんば脚を立てる所なく、隠顕向背の理を識らずんば勝を取る能わず、奇正の配合なくんば陣を擺る能わず、詭譎の手段を用いずんば仗を打つ能わず。謀略は心裏に蔵し、行事は迹象に顕す。心裏の想う所と外露の迹象と一致すれば、則ち失敗し、心裏の想う所と外露の迹象と相反すれば、初めて勝を取り得べし。兵を用うるの事は、本より反常にして詭詐なり。打つ能くして打つ能わずと装い、兵を用いんと欲して用いずと装う。心裏に大を図謀する者は、迹象に小の様子を作り、心裏に奪取せんと思う者は、迹象に給与の様子を作る。敵人をして何れが真なるかを弄清せしめず、また何れが詐なるかを疑心せしめん。真と詐と判断し得ざれば、強と弱とも分辨し清かざらん。
湛然若玄元之無象,淵然若滄海之不測。如此,則陰陽不能算,鬼神不能知,術數不能窮,卜筮不能占,而況於將乎!夫善戰者,勝敗生於兩陣之間;其謀也,策不足驗;其勝也,形不足觀。能言而不能行者,國之害;能行而不能言者,國之用。
深湛として玄元の大道のごとく形象なく、幽深として滄海のごとく測量する能わず。この地歩に到れば、陰陽は推し出す能わず、鬼神もまた知らず、術数は窮究し尽くさず、卜筮は占算着かず。いわんや敵方の将領をや。善く戦う者は、勝負は両軍の対陣の間に生じ、其の謀划は事先の筹策に於て験を看るなく、其の勝を取るは外在の形迹に於て名堂を看るなし。会うて説きて做り到らざる者は、国家の禍害なり。做り得て説く能わざる者は、初めて国家の用いるべきの才なり。
故曰:「至謀不說,大兵不言,微乎!神乎!故能通天地之理,備萬物之情。」是故貪者利之,使其難厭;強者卑之,使其驕矜;親者離之,使其攜貳。難厭則公正闕,驕矜則虞守虧,攜貳則謀臣去。
故に曰う「最高明の謀划は宣講を必とせず、最強大の軍隊は声張を必とせず。微妙なるかな、神奇なるかな。そのかくのごときに因りて、初めて天地の道理を貫通し、万物の情状を尽く知るを得ん」と。これに因りて、貪婪の人に対しては財利を拿て彼に喂り、彼の胃口をして永遠に塡満し得ざらしめ、強横の人に対しては自ら卑下に居りて、彼をして愈々驕矜せしめ、親密無間の君臣に対しては法を設けて離間し、彼らをして二心を生ぜしめよ。胃口塡満し得ざれば、公正は残缺す。愈々驕矜せば、戒備防守は鬆懈す。二心を生ぜば、謀臣は離散せん。
周文利殷,〈原作「離商」,依張刻本改。〉而商紂殺;勾踐卑吳,而夫差戮;漢高離楚,而項羽亡。是故屈諸侯者以言,役諸侯者以策。夫善兵者,攻其愛,敵必從;擣其虛,敵必隨;多其方,敵必分;疑其事,敵必備。從隨不得城守,分備不得併兵,則我佚而敵勞,敵寡而我眾。
周文王は厚利を拿て殷商を奉承し、結果商紂は誅殺せられ、勾践は卑辞屈己して呉国を奉承し、結果夫差は戮せられ、漢高祖は楚国の君臣を離間し、結果項羽は敗亡せり。故に諸侯を屈服せしむるは言辞に凭り、諸侯を駆使するは計策に凭る。善く兵を用うる者は、敵人の珍愛するの地方を攻めれば、敵人は必ず来りて相救い、彼の空虚の地方を擣れば、敵人は必ず跟いて調動し、進攻の方向を弄して又多く又雜ならしめば、敵人は必ず兵を分け、事情を弄して可疑ならしめば、敵人は必ず処々に防備を設く。牽かれて走らば、則ち城を守る能わず。兵を分けて防備を設くれば、則ち兵力を集中し起す能わず。ここに於て我が方は安逸にして敵方は疲労し、敵方は兵少なくして我が方は兵多し。(校記:「周文利殷」原は「周文離商」と作る、張刻本に依りて改む。)
夫以佚擊勞者,武之順;以勞擊佚者,武之逆;以眾擊寡者,武之勝;以寡擊眾者,武之敗。能以眾擊寡,以佚擊勞,吾所以得全勝矣。夫竭三軍氣,奪一將心,疲萬人力,斷千里糧,不在武夫行陣之勢,而在智士權算之中。弱兮柔兮,卷之不盈懷袖;沉兮密兮,舒之可經寰海。五寸之鍵,能制闔闢;方寸之心,能易成敗。智周萬物而不殆,曲成萬物而不遺。順天信人,察始知終,則謀何慮乎不從哉!
安逸の師を拿て疲労の師を打つは、用兵の順勢なり。疲労の師を拿て安逸の師を打つは、用兵の逆勢なり。多を以て少を打つは、用兵の勝を取るの道なり。少を以て多を打つは、用兵の敗を取るの道なり。能く多を以て少を打ち逸を以て労を撃たば、我が方は初めて全勝を取得し得べし。三軍の士気を耗尽し、敵方主将の決心を奪取し、万人の体力を拖垮し、千里の糧道を切断せんとするは、これら皆武夫列陣の声勢の裏に在らずして、智謀の士の権衡筹算の中に在り。それは柔弱なること甚だしく、巻き起せば懐袖に満たず、それは沈深沉密にして、展開すれば卻って四海を覆蓋し得べし。五寸長の門闩は、整扇の門の開合を管住し得、方寸大の心思は、全局の成敗を扭転し得。正に《周易・繋辞上》の謂うがごとく、智慧は万物に遍く及びて危殆に至らず、万物の情を曲尽して毫も遺漏なし。天時に順応し人に取信し、開端を察知すれば則ち結局を預知し得、那れかなお計謀の採納せられざるを愁えんや。
子卒篇 第十五
經曰:古者,用人之力,歲不過三日,籍歛不過什一。公劉好貨,居者有積倉,行者有裹糧。太王好色,內無怨女,外無曠夫。文王作刑,國無冤獄。武王行師,士樂其死。古之善率人者,未有不得其心而得其力者也,未有不得其力而得其死者也。
経に曰く――古の時、民力を徴用するは一年に三日を過ごさず、賦税を徴収するは収成の十分の一を過ごさず。公劉は財貨を愛するも、留居する人の家々に積糧の倉あらしめ、出門する人の個々に随身の乾糧あらしめたり。周太王は美色を好むも、国内に嫁がせ得ざるの女子なく、外に妻を討り得ざるの男人なからしめたり。文王は刑法を制定し、国中に冤案なし。武王は兵を出すに、将士は彼の為に死を効することを楽しむ。古来善く人を統率する者、先ず人心を得ずして人力を得ること能わずとする一つもなく、また先ず人力を得ずして人をして彼の為に死なしむること能わずとするもなし。
故國必有禮信親愛之義,然後人以飢易飽;國必有孝慈廉恥之俗,然後人以死易生。人所以守戰至死不衰者,上之所施者厚也。上施厚,則人報之亦厚。且士卒之於將,非有骨肉之親,使冒鋒鏑、突干刃、死不旋踵者,以恩信養之,禮恕導之,小惠漸之,如慈父育愛子也。
故に国家は必ず先ず礼譲・誠信・親愛の道義あって、初めて百姓は肯んじて自らの飢餓を拿て国家の飽足を換う。国家は必ず先ず孝慈・廉恥の風俗あって、初めて百姓は肯んじて自らの死を拿て国家の生存を換う。人々の城を守り戦い死するに至るも懈らざるは、上に在る者の施予する恩惠の深厚なるが以てなり。上に在る者の施予深厚なれば、下の回報もまた深厚なり。いわんや士卒と将領と本より骨肉の親なく、肯んじて刀鋒箭矢を冒し盾牌白刃を闖過し、死しても转身後退を肯んぜざる所以のものは、将領が恩信を以て彼らを養育し、礼節を以て彼らを寛恕引導し、点滴の小恩を以て彼らを浸潤するが故にして、慈父の心愛の子を撫育するがごとし。
故能救其阽危,拯其塗炭,卑身下士,齊勉甘苦,親臨疾病,寒不衣裘,暑不操扇,登不乘馬,〈張刻本「登」作「出」。〉雨不張葢。軍幕未辦,將不言坐;軍井未通,將不言渴。妻子補綻於行間,身自分功於役作。簞醪之饋,必投於河;挾纊之言,必廵於軍。是以人喜金鐸之聲、勇皷鼙之氣者,非惡生而樂死,思欲致命而報之於將也。
故に好き将領は能く士卒を危難の中より救出し、水深火熱の中より拯抜す。身段を放低して部下を礼待し、士卒と甘苦を同じうし、自ら病員を親視す。天冷に自ら皮裘を披らず、天热に自ら扇子を揺らず、上坂に自ら馬に騎らず、下雨に自ら傘蓋を撑らず。軍帐未だ搭し好らざれば、将領は坐せんと要せず。軍井未だ打通せざれば、将領は渇を説かず。妻子をして行伍の間に在りて士卒の為に衣裳を縫補せしめ、自らもまた身を以て労役を分担す。人の一壺の酒を送り来るあらば、必ず河の中に倒れて全軍と同飲し、勉励の言あらば、必ず自ら全軍を巡遍して、士卒をして綿袍を披けるがごとき温暖を感到せしむ。これに因りて士卒は金鐸の声を聞けば則ち歓喜し、鼓鼙の声を聞けば則ち振奮す。生きるを厭悪して死を送るを喜好するに非ずして、性を拼して命を賭して将領に報答せんと欲するなり。(「簞醪投河」「挟纊」の両典は、各々越王勾践の醪を投げて軍を労うと《左伝・宣公十二年》の楚荘王の軍を巡るの事に出づ。)
故曰:「視卒如嬰兒,故可與之赴深溪;視卒如愛子,故可與之俱死。厚而不能使,愛而不能令,亂而不能理,譬如驕子,不可用也。是故令之以文,齊之以武,是謂必取。」語曰:夫妻諧,可以攻齊;小夫怒,可以攻魯。王翦、李牧、吳起、田穰苴竟如此而兵強於諸侯也。
故に《孫子兵法・地形篇》に曰く「士卒を看待するに嬰児を看待するがごとくせば、則ち彼らを帯びて深谷に奔赴し得べし。士卒を看待するに愛子を看待するがごとくせば、則ち彼らと同生共死し得べし。しかれども一味に厚待して使喚し動かす能わず、一味に疼愛して指揮する能わず、乱子を出してなお整治する能わざれば、則ち嬌慣に壞れた子のごとく、用うるの法なし。故に政令教化を以て彼らを引導し、軍法紀律を以て彼らを斉整せば、これを必勝の軍と謂う」と。古語に曰く、夫妻同心和睦なれば、則ち斉国を攻打するに足らん。小人に至るまで怒气を激起せられば、則ち魯国を攻打するに足らん。王翦・李牧・呉起・田穰苴は、正にこの路子に照らして做りて、初めて自らの軍隊をして各国の諸侯に強まらしめたり。
選士篇 第十六
經曰:統六軍之眾,將百萬之師,而無選鋒,渾而雜用,則智者無所施其謀,辨者無所施其說,勇者無所奮其敢,力者無所著其壯,無異獨行中原,亦何所取於勝負哉!故孫子曰:「兵無選鋒,曰北。」
経に曰く――六軍の兵衆を統率し百万の大軍を指揮するに、もし精鋭の先鋒を挑選し出ださずして、人を一股脳に混えて一緒に使用せば、則ち智謀ある者は謀划を施展するの処なく、能言善弁の者は口才を施展するの処なく、勇敢の者は胆気を奮発するの処なく、膂力ある者は強壮を顕露するの処なく、これは一人の孤身にして中原を闖蕩するの両様ならずして、なお何の勝負を争うを談ぜんや。故に《孫子兵法》に曰く「軍中に挑選し出だされた精鋭の先鋒なからば、則ち敗を註定せらる」と。
夫選士以賞,賞得其進;用士以刑,刑愼其退。古之善選士者,懸賞於中軍之門,有深沉謀慮出人之表者,以上賞而取之,名曰「智能之士」。有辭縱理橫、飛箝捭闔,能移人之性、奪人之心者,以上賞而禮之,名曰「辯說之士」。
士人を挑選するは奨賞に凭り、賞あって初めて人をして肯んじて上前せしめ、士人を使用するは刑罰に凭り、罰あって初めて人をして敢えて退缩せしめず。古の善く士を選ぶ者は、賞格を中軍の轅門の上に懸挂す。凡そ心思沈深にして謀慮が常人に超出する者は、最高一等の賞格を以て彼を延攬し、これを「智能之士」と称し、凡そ言辞縦横自如にして「飛箝」「捭闔」の術に精通し、能く人の秉性を移易し人の心志を奪取する者は、最高一等の賞格を以て彼を礼聘し、これを「弁説之士」と称す。
有得敵國君臣問間請謁之情性者,以上賞而禮之,名曰「間諜之士」。有知山川水草次舍、道路迂直者,以上賞而禮之,名曰「鄕導之士」。〈文瀾閣本云:「有因隙制宜,簡要便密,使敵眩惑而相疑嫉,以入我機穽者,以上賞而禮之,名曰『間諜之士』。有得敵國君臣門閭請謁之情性者,以上賞而禮之,名曰『鄕導之士』。」文與此大異。〉
凡そ能く敵国の君臣の相互に刺探し私に請託するの底細を摸清する者は、最高一等の賞格を以て彼を礼聘し、これを「間諜之士」と称し、凡そ山川形勢・水草宿営の地と道路の迂回曲直とに熟悉する者は、最高一等の賞格を以て彼を礼聘し、これを「郷導之士」と称す。(校記:文瀾閣本此処に作る曰く「有能乗隙制宜、弁事簡要便捷而周密、使敵人眩惑、彼此猜疑嫉恨、従而落入我方機阱者、用上賞礼聘之、称『間諜之士』。有能摸清敵国君臣門第請託之情性者、用上賞礼聘之、称『郷導之士』」。文字は此の本と大いに相違す。)
有製造五兵、攻守利器奇變詭譎者,以上賞得而厚之,名曰「技巧之士」。有引五石之弓矢貫重札,戈矛劍戟便於利用,陸搏犀兕,水攫黿鼉,佻身捕虜,搴旗摭皷者,上賞得而撫之,名曰「猛毅之士」。有立乘奔馬,左右超忽,踰越城堡,出入廬舍,〈張刻本作「營壘」。〉而亡形跡者,上賞得而聚之,名曰「蹻捷之士」。
凡そ能く五種の兵器および各類の攻守利器を制造し、奇変詭譎を構思する者は、最高一等の賞格を以て招来して彼を厚待し、これを「技巧之士」と称し、凡そ能く五石の強弓を拉開し箭は几層の甲片を射穿し、戈矛剣戟を使用して心と手を得、陸上に於て徒手にて犀兕を搏殺し水中に於て黿鼉を擒捉し、能く身を縦じて躍り出て敵人を生擒し敵旗を抜取し戦鼓を奪取する者は、上賞を以て招来して彼を撫慰し、これを「猛毅之士」と称し、凡そ能く奔馬の背上に站り、左右に騰躍翻飛し、城堡を翻越し、敵人の房舎に出入して形迹を留めざる者は、上賞を以て招来して彼を聚集し、これを「蹺捷之士」と称す。(校記:「廬舎」、張刻本は「営壘」と作る。)
有往返三百里不及夕者,上賞得而聚之,名曰「疾足之士」。有力負六百三十斤行五十步者,上賞得而聚之;或二百四十斤者,次賞得而聚之,名曰「巨力之士」。有步五行、運三式,多言天道、陰陽、詭譎者,下賞得而存之,名曰「技術之士」。
凡そ能く三百里を往返し、黒天に至らざるに趕り帰る者は、上賞を以て招来して彼を聚集し、これを「疾足之士」と称し、凡そ力气能く六百三十斤を扛ぎて五十歩を走る者は、上賞を以て招来して彼を聚集し、能く二百四十斤を扛ぐ者は、次一等の賞格を以て招来して彼を聚集し、総じてこれを「巨力之士」と称し、凡そ会して五行を推歩し「三式」(雷公式・太乙式・六壬式)を演運し、天道・陰陽・詭譎の説を慣講する者は、最低一等の賞格を以て招来して彼を留養し、これを「技術之士」と称す。
夫十士之用,必盡其才、任其道。計謀使智能之士,談說使辯說之士,離親間疏使間諜之士,深入諸侯之境使鄕導之士,建造五兵使技巧之士,摧鋒捕虜、守危攻強使猛毅之士,掩襲侵掠使蹻捷之士,探報計期使疾足之士,破堅陷剛使巨力之士,誑愚惑痴使技術之士,此謂任才之道、選士之術也。三王之後,五伯之闢,得其道而興,失其道而亡。興亡之道,不在人主聰明文思,在乎選能之當其才也。
この十類の人材の使用は、必ず各々其の才を尽くし各々其の長を任ぜよ。策を出し謀を划するは智能之士を用い、説を游し交渉するは弁説之士を用い、対方の親信を離間し其の君臣を疏隔するは間諜之士を用い、諸侯の境内に深入するは郷導之士を用い、各種の兵器を制造するは技巧之士を用い、敵鋒を摧折し俘虜を生擒し危城を守り強敵を攻むるは猛毅之士を用い、襲撃抄掠するは蹺捷之士を用い、偵察し回報し日程を推算するは疾足之士を用い、堅陣を攻破し剛強を摧折するは巨力之士を用い、愚人を誆騙し痴頑を惑乱するは技術之士を用いよ。これを任才の道・選士の術と謂う。夏商周三王の後嗣・春秋五霸の君主は、この路を得着して興盛し、この路を失掉して滅亡せり。興亡の関鍵は、君主本人の聡明にして文思あるか否かに在らずして、選用する人の其の才具と相称するか否かに在り。
勵士篇 第十七
經曰:激人之心,勵士之氣。發號施令,使人樂聞;興師動眾,使人樂戰;交兵接刃,使人樂死;其在以戰勸戰,以賞勸賞,以士勵士。木石無心,猶可危而動、安而靜,況於勵士乎!
経に曰く――人の心志を激発し、士卒の気概を鼓舞すべし。号令一たび発出せば、則ち人をして聴くを楽意せしめ、師を興し衆を動かせば、則ち人をして仗を打つを楽意せしめ、短兵相接すれば、則ち人をして死を拼するを楽意せしめよ。弁法は打ち過ごした勝仗を拿て再戦を鼓励し、兌現し過ごした賞格を拿て再賞を鼓励し、奨励を受け過ごした士卒を拿て其他の士卒を激励するに在り。木頭石頭は本より心なきも、なお険処に放たば則ち滾動し、平処に放たば則ち安静す。いわんや活人を激励するをや。
古先帝王伯有天下,戰勝於外,班師校功,集眾於中軍之門。上功賜以金璋紫綬,錫以錦綵,衣以繒帛,〈原脫「衣以」二字,據文瀾閣本補。張本同。〉坐以重裀,享以太牢,飲以醇酒;父母妻子皆賜紋綾,坐以重席,〈上二十字原脫,據文瀾閣本補。張本同。〉享以少牢,〈文瀾閣本作「太牢」。張本同。〉飲以酎酒。
古代の帝王は天下に称霸し、外にて勝仗を打ち、班師して帰りて戦功を考核し、全軍を中軍の轅門の下に集合す。頭等功には金璋と紫色の印綬を賜給し、錦緞彩帛を賞賜し、彼に繒帛の衣裳を穿かせ、彼に双層の坐褥を坐らせ、太牢(牛・羊・豕の三牲)を以て宴を設け、醇酒を以て款待す。彼の父母妻子は皆紋綾を賜給し、双層の席に坐り、少牢(羊・豕の二牲)を以て宴を設け、酎酒を以て款待す。(校記:「衣以」の二字原脱す、文瀾閣本に拠りて補う、張本同じ。「父母妻子皆賜紋綾、坐以重席」以上二十字原脱す、文瀾閣本に拠りて補う、張本同じ。「享以少牢」、文瀾閣本は「太牢」と作る、張本同じ。)
大將軍捧賜,偏將軍捧觴,大將軍令於眾曰:「戰士某乙等奮不顧身,功超百萬,斬元戎之首,搴大將之旗,功高於眾,故賞上賞,子孫後嗣長稱卿大夫之家。父母妻子皆受重賞,牢席有差。眾士咸知。」
大将軍は手ずから賞賜を捧げ上げ、偏将軍は酒杯を捧げ、大将軍は当衆に宣令して曰く「戦士某某等は身を奮い顧みず、功労は百万の衆に超過し、敵軍主帥の首級を斬下し、敵方大将の旗幟を抜取り、功勲は衆人に高る。故に頭等の賞賜を以てし、彼の子孫後代は長く卿大夫の家に躋身せん。彼の父母妻子は皆重賞を受け、牲牢と席位とは各々等級に按ず。全軍将士は皆知晓すべし」と。
次功賞以銀璋朱綬,紋綾之衣,坐以重席,享以少牢,飲以酎酒;父母妻子贈以繒帛,坐以單席,享以雞豚,飲以釃酒。偏將軍捧賜,子將軍捧觴,大將軍令於眾曰:「戰士某乙等勇冠三軍,功經百戰,斬驍雄之首,搴虎豹之旗,功出於人,賜以次賞,子孫後嗣長為勲給之家。父母妻子皆受榮賞,牢席有差。眾士咸知。」
二等功には銀璋と朱色の印綬・紋綾衣裳を賞給し、双層の席に坐り、少牢を以て宴を設け、酎酒を以て款待す。彼の父母妻子は繒帛を贈給し、単層の席に坐り、鶏肉豚肉を以て宴を設け、濾過した酒を以て款待す。偏将軍は賞賜を捧げ上げ、子将軍は酒杯を捧げ、大将軍は当衆に宣令して曰く「戦士某某等は勇は三軍に冠り、功労は百戦を暦経し、驍将の首級を斬下し、虎豹を繪有する旗幟を抜取り、功勲は衆人の上に出乎。二等賞を賜給し、彼の子孫後代は長く勲賞供給を享受する人家と為る。父母妻子は皆栄賞を受け、牲牢と席位とは各々等級に按ず。全軍将士は皆知晓すべし」と。
下功賞以布帛之衣,坐以單席,享以雞豚,飲以釃酒;父母妻子立而無賞,坐而無席。子將軍捧賜,卒捧觴,大將軍令於眾曰:「戰士某乙等戮力行間,劬勞歲月,雖無搴旗斬將,實以跋涉疆埸,賜以下賞,子孫後嗣無所庇諸。父母妻子不及坐享。眾士咸知。」
三等功には布帛衣裳を賞給し、単層の席に坐り、鶏肉豚肉を以て宴を設け、濾過した酒を以て款待す。彼の父母妻子はただ站るのみにて、賞賜なく、また座席なし。子将軍は賞賜を捧げ上げ、普通の士卒は酒杯を捧げ、大将軍は当衆に宣令して曰く「戦士某某等は行伍の間に力を尽くして効労し、整年累月を辛苦し、抜旗斬将の戦績なしと雖も、畢竟また辺疆に跋涉奔走せり。三等賞を賜給し、彼の子孫後代は何の蔭庇を得ることなからん。父母妻子は入座して受享する能わず。全軍将士は皆知晓すべし」と。
令畢,命上功起再拜大將軍,讓曰:「某乙等忝列王臣,敢不盡節,有愧無功,叨受上賞。」大將軍避席曰:「某乙等不德,謬居師長,賴爾之功,梟懸兇逆,盛績美事,某乙等無專善。」退而復坐。
宣令完畢し、頭等功の将士に命じて身を起こさしめ、大将軍に向かって再拜して辞謝して曰く「我某某等は王臣に忝列し、怎か敢えて節を尽くし効力せざらんや。慚愧として功労なく、却って濫りに頭等賞を受けたり」と。大将軍は席を離れ身を起こして回答して曰く「我某某等は徳行足らず、误りて主帥の位に居る。全く你らの功労に仗りて、初めて凶逆の徒を梟首し衆に示すことを得たり。かくのごとき盛大の功績美事に、我某某等は敢えて其の善を独占せず」と。説き畢りて各々原座に退回す。
命次功再拜上功,上功曰:「某乙等無謀無勇,遵師長之命,有進死之榮,無退生之辱,身受殊賞,上光父母,下及妻子,子其勉旃。」退而復坐。命下功再拜次功,次功坐受,曰︰「某乙等少猛寡毅,遵師長之命,決勝負於一時,身受次賞,上光父母,下及妻子,子其勉旃。」下功退而復坐。
続いて二等功の将士に命じて頭等功の将士に向かって再拜せしむれば、頭等功のは答道して曰く「我某某等は本より謀略なくまた勇力なし。ただ主帥の命令に遵从而て、向前して死に赴くの栄耀を得、退缩して生を偸むの恥辱を免れ、因りて特殊の賞賜を身受け、上は父母に光を増し、下は恵が妻子に及ぶ。諸位もまた勉力あれ」と。説き畢りて原座に退回す。再び三等功の将士に命じて二等功の将士に向かって再拜せしむれば、二等功のは坐して拜を受け、答道して曰く「我某某等は勇猛剛毅と算うに足らず。ただ主帥の命令に遵从而て、一時の間に勝負を決出し、因りて二等の賞賜を身受け、上は父母に光を増し、下は恵が妻子に及ぶ。諸位もまた勉力あれ」と。三等功の将士は随い即ち原座に退回す。
夫如是勵之,一會,則鄕勉黨,裡勉鄰,父勉子,妻勉夫;二會,則縣勉州,師勉友;三會,則行路相勉。聞金革之聲,相踐而出,鄰無敵國,邑無堅城,何患乎不勉哉!
かくのごとく激励を加えんか――一たび弁じ過ごせば、同郷は同党を勉励し、隣里は四隣を勉励し、父は子を勉励し、妻は夫を勉励し。二たび弁じ過ごせば、一県は一州を勉励し、老師は朋友を勉励し。三たび弁じ過ごせば、路上の素より相識らざる人に至るまで彼此勉励す。鉦鼓甲兵の声を一聞せば、人人は先を争い後を恐れて出征せん。かくして、隣境に敢えて之と敵と為るの国家なく、敵方に守り得住るの堅城なく、なお士気の激励し起らざるを愁えんや。
刑賞篇 第十八
經曰:有虞氏畫衣冠,異章服,以州輔牧,〈文瀾閣本作「以刑輔繆」。以下文攷之,當是。〉而奸不犯,其人醇。湯武鑿五刑,傷四肢,以繆輔刑,而奸不止,其人淫。有虞非仁也,湯武非異也;其道異者,時也。
経に曰く――有虞氏(虞舜)はただ犯人の衣冠の上に記号を画出し、彼らの服飾をして常人と異ならしめ、これを謂うところの「象刑」なり。再び真刑を拿て之を輔助すれば、奸邪は敢えて犯す人なく、彼の時民風は淳厚なりき。商湯・周武は五刑を凿定し、動もすれば人の肢体を損傷し、反って象刑を拿て真刑を輔助すれば、奸邪は禁止し住めず、彼の時民風は澆薄なりき。有虞氏が格外仁厚なりしに非ず、湯武が格外苛刻なりしに非ず、弁法の相同ならざる所以は、時勢の相同ならざるなり。(校記:「以州輔牧」、文瀾閣本は「以刑輔繆」と作る、下文の「以繆輔刑」を参照して当に文瀾閣本を以て是とすべし。)
古之善治者,不賞仁,賞仁則爭為施而國亂;不賞智,賞智則爭為謀而政亂;不賞忠,賞忠則爭為直而君亂;不賞能,賞能則爭為功而事亂;不賞勇,賞勇則爭為先而陣亂。
古の善く国を治むる者は、仁愛を奨賞せず。一たび仁愛を奨賞せば、人人は争いて恩惠を施舍し、国家は反って乱る。智謀を奨賞せず。一たび智謀を奨賞せば、人人は争いて主意を出だし、政事は反って乱る。忠直を奨賞せず。一たび忠直を奨賞せば、人人は争いて顔を犯して進諫し、君上は反って乱る。才能を奨賞せず。一たび才能を奨賞せば、人人は争いて功を搶い、事務は反って乱る。勇敢を奨賞せず。一たび勇敢を奨賞せば、人人は争いて先を搶い、陣形は反って乱る。
夫蒞眾以仁,權謀以智,事君以忠,制物以能,臨敵以勇。此五者,士之常。賞其常,則致爭;致爭,則政亂;政亂,則非刑不治。故賞者,忠信之薄,而亂之所由生;刑者,忠信之戒,而禁之所由成。刑多而賞少,則無刑;賞多而刑少,則無賞。刑過,則無善;賞過,則多奸。王者以刑禁,以賞勸,求過而不求善,而人自為善。賞,文也;刑,武也。文武者,軍之法,國之柄。
衆人を治理するは仁に凭り、権衡謀划するは智に凭り、君主に侍奉するは忠に凭り、事物を処置するは能に凭り、敵人に面対するは勇に凭る。この五様は本より士人の分内の常態なり。分内の常態を奨賞すれば、則ち争奪を招来し、一たび争奪あれば、政事は則ち乱り、政事一たび乱れば、刑を用いざれば治むる能わず。故に曰う、奨賞は忠信淡薄の産物にして、また禍乱の產生するの由頭なり。刑罰は忠信に対するの警戒にして、また禁令の成立し得るの憑借なり。刑重くして賞軽ければ、最后反って刑を動かすを用いず。賞重くして刑軽ければ、最后反って賞を施すなく。刑の用い過頭なれば、則ち善行を肯んずる人なく、賞の用い過頭なれば、則ち許多の奸邪を滋生す。王を称する者は刑を以て禁止し、賞を以て勧勉し、ただ過失を追究して刻意して善行を搜求せず、百姓は自然に善行に往かん。賞は「文」に属し、刑は「武」に属す。文と武とは、軍を治め国を治むるの法度・治国の権柄なり。
明主首出,庶物順時,以撫四方,執法而操柄,據罪而制刑,按功而設賞。賞一功而千萬人悅,刑一罪而千萬人愼;賞無私功,刑無私罪,是謂軍國之法、生殺之柄。故曰:「能生而能殺,國必強;能生而不能殺,國必亡。」能生死而能赦殺者,上也。
英明の君主は万物の首に居りて出で、万物は時序に順応し、彼はこれに拠りて四方を安撫し、法度を執掌し権柄を握住し、罪状に依拠して刑を定め、功労に按照して賞を設く。一人の功を賞して千万人は歓悦し、一人の罪を罰して千万人は戒惧す。奨賞は何れか一件の功に偏私せず、刑罰は何れか一樁の罪に偏私せず。これを軍を治め国を治むるの法度・生殺与奪の権柄と謂う。故に曰う「能く人に生路を給え能く人を殺する者は、国家必ず強し。ただ人に生路を給えて人を殺する能わざる者は、国家必ず亡ぶ」と。能く生死を掌握し、また赦すべき時に赦し殺すべき時に殺する者、これなんぞ上等なり。
刑賞之術無私,常公於世以為道。其道也,非自立於堯舜之時,非自逃於桀紂之朝;用得之而天下治,用失之而天下亂。治亂之道,在於刑賞,不在於人君。過此以往,雖彌綸宇宙、纏絡萬品,生殺之外,聖人錯而不言。
刑と賞の運用は私心を摻えず、長久に天下に公之して、一種の法則と為す。この法則は堯舜の世に到りて初めて自ら立起したに非ず、桀紂の朝に到りて自ら躲開したに非ず。用い対れば、天下は便ち太平し、用い対らざれば、天下は便ち動乱す。治乱の関鍵は刑賞に在りて、君主個人に在らず。これを除いては、縦いなお宇宙を包羅し万類を纏繞するの種種の道理あるも、ただ生殺の範囲を出でれば、聖人は便ち一概に擱置して、多く説かざるなり。
地勢篇 第十九
經曰:善戰者,以地強,以勢勝;如轉圓石於千仞之谿者,地勢然也。千仞者,險之地;圓石者,轉之勢也。地無千仞而有圓石,置之窳塘之中,則不能復轉;地有千仞而無圓石,投之方稜偏匾,則不能復移。地不因險,不能轉圓石;石不因圓,不能赴深谿。故曰:「兵因地而強,地因兵而固。」
経に曰く――善く作戦する者は、地形を借りて強となり、態勢を凭って勝を取る。円石を千仞の高処より深谷に滾り入るるがごときは、それは地形と態勢の造成する所なり。千仞の高崖は、険要の地形なり。円滾の石头は、能く滾動するの態勢なり。地形に千仞の高なくんば、縦い円石あるも、低窪の池塘の裏に放たば、また滾動する能わず。地形に千仞の高ありと雖も、円石なくんば、扔り下るるは方棱扁平の石块なれば、同じく挪る能わず。地形は険峻を凭らざれば、則ち円石を滾動する能わず。石头は円滾を凭らざれば、則ち深谷を冲下する能わず。故に曰う「軍隊は地形に因りて強盛となり、地形は軍隊に因りて穩固となる」と。
夫善用兵者,高邱勿向,背邱勿迎,負陰抱陽,養生處實,則兵無百病。是故諸侯自戰於地,名曰「散地」。入人之境不深,名曰「輕地」。彼此皆利,名曰「爭地」。彼我可往,名曰「交地」。三屬諸侯之國,名曰「衢地」。深入,背人城邑,名曰「重地」。山林、沮澤、險阻,名曰「圮地」。出入迂隘,彼寡可以擊吾眾,名曰「圍地」。〈「圍」,原作「貪」,下同,依張刻本改,與《孫武子‧九地篇》合。〉疾戰則存,不戰則亡,名曰「死地」。
善く兵を用うる者は、高き丘に向かって仰攻せず、丘を背にして下る敵に迎えて硬く碰たず、営を扎るに陰を背にして陽に向かい、水草豊足・地勢堅実の処を占據すれば、軍中に種種の病患を生ぜざらん。故に曰う、諸侯が自らの封地の上に於て作戦するを「散地」と謂い、敵境に入ること深からざるを「軽地」と謂い、双方が占めて皆利あるを「争地」と謂い、彼此ともに往来通行し得るを「交地」と謂い、三つの諸侯国と接壤する要衝を「衢地」と謂い、敵境に深入して背後に敵の城邑を压るを「重地」と謂い、山林・沼沢・険阻の地を「圮地」と謂い、進出の道路迂曲狭窄にして敵人が少数の兵力を以て我が大軍を打ち得るを「囲地」と謂い、力を奮い速戦して初めて生存し戦わざれば則ち覆滅するを「死地」と謂う。(校記:「囲地」の「囲」原は「貪」と作る、下文同じ、張刻本に依りて改む、《孫武子・九地篇》と相合す。)
故散地無戰,輕地無留,爭地無攻,交地無絶,衢地無合,重地則掠,圮地則行,圍地則謀,死地則戰。是故城有所不攻,計不合也;地有所不爭,未見利也;君命有所不聽,不便事也。凡地之勢,三軍之權,良將行之,智將遵之,而旅將非之,欲幸全勝,飛龜舞蛇,未之有也。
故に散地に於ては交戦するなかれ、軽地に於ては停留するなかれ、争地に於ては強攻するなかれ、交地に於ては隊伍を脱節せしむるなかれ、衢地に於ては孤立無援なるなかれ、重地に於ては地に就いて糧草を掠取せよ、圮地に於ては迅速に通過せよ、囲地に於ては奇謀を出して身を脱せよ、死地に於ては則ち死戦せよ。これに因りて或る城は攻めざるべし、攻むるは算に合わざるが以てなり。或る地は争わざるべし、好処を看出さざるが以てなり。君主の命令に聴かざるべき或るものは、事に不便なるが以てなり。凡そ地形の態勢・三軍の権変は、優秀の将領は之を実行に付し、智謀の将領は之を遵照施行し、平庸の将領は偏に反って來るを為して、卻って僥倖に全勝を取るを指望し、ただあの一套の飛亀舞蛇の占卜の把戯を摆弄することに顧みて、未だ嘗て成功せるあらず。
兵形篇 第二十
經曰:夫兵之興也,有形有神。旗幟金革,依於形;智謀計事,依於神。戰勝攻取,形之事,而用在神;虛實變化,神之功,而用在形。形粗而神細,形無物而不監,神無物而不察。形誑而惑事其外,神密而圓事其內。觀其形不見其神,見其神不見其事。
経に曰く――軍隊一旦興動すれば、「形」ありまた「神」あり。旗幟・鉦鼓・甲兵は「形」の上に落ち、智謀・筹画は「神」の上に落つ。作戦して勝を取り城を攻め地を奪うは、形の一面の事なれど、真に管用するは神なり。虚実変化は、神の一面の功夫なれど、実処に落とすを要すればなお形に依る。形は粗にして神は細、形は一様として照らし出さざるなく、神は一様として察到らざるなし。形は欺誑に凭りて、外に於て事情を弄して迷离ならしめ、神は隠密に凭りて、内に於て事情を弁じて周全ならしむ。其の形を見れば、則ち其の神を見ず。其の神を見れば、また其の具体の做す所を見ず。
以是參之,曳柴揚塵,形其眾也;減灶滅火,形其寡也。勇而無剛,當敵而速去之,形其退也;斥山澤之險,無所不至,形其進也。油幕冠樹,形其強也;偃旗臥鼓,寂若無人,形其弱也。故曰:兵形象陶人之埏土,鳧氏之冶金;為方為圓,或鐘或鼎。金土無常性,因工以立名;戰陣無常勢,因敵以為形。
この道理を拿て印证せん――樹枝を拖いて塵土を揚げるは、隊伍を装い人多となすなり。竈頭を減らし火光を熄するは、隊伍を装い人少となすなり。勇にして剛ならざるの様子を做出して、一たび敵人に碰上れば則ち迅速に退開するは、敗退を偽装すなり。偵騎を派して山沢険要に遍布せしめ、到らざる処なからしむるは、進攻を偽装すなり。油布の軍帐を樹梢にまで張掛するは、強盛を偽装すなり。旗幟を放倒し戦鼓を停め、寂静として人なきがごときは、虚弱を偽装すなり。故に曰う、用兵の「形」は、陶工の泥坯を揉捏し鳧氏(《考工記》中の鐘を鋳るを掌る工官)の銅料を熔鋳するがごとし。方に作るべく、また円に作るべし。鐘に鋳るべく、また鼎に鋳るべし。金属と陶土とは本より固定の形性なく、工匠の手芸に随いて名を得、戦陣もまた固定の態勢なく、敵情に随いて形態を変換す。
故兵之極,至於無形;無形,則間諜不能窺,智略不能謀。因形而措勝於眾,眾不能知;人皆知我所以勝之形,莫知吾所以制勝之形。形不因神不能為變化,神不因敵不能為智謀。故水因地而制形,兵因敵而制勝也。
故に兵を用うること極致に至れば、則ち「無形」に帰す。一たび無形に至れば、間諜も窺探する能わず、智者もまた謀算し出だす能わず。形勢に順いて勝利を衆人の面前に擺すれど、衆人は卻って看て明白ならず。人人は皆我が勝を取る時に擺出したあの形を知るも、我が以て勝を制するあの形を知る者なし。形は神に依託せざれば、変化する能わず。神は敵情に針対せざれば、智謀と為る能わず。故に水は地形に随いて流向を定め、兵を用うるは敵情に随いて勝を取るの法を定む。
作戦篇 第二十一
經曰:昔之善戰者,如轉木石。木石之性,圓則行,方則止。行者,非能行而勢不得不行;止者,非能止而勢不得不止。夫戰人者,自鬬於其地,則散;投之於死地,則戰。散者,非能散,勢不得不散;戰者,非能戰,勢不得不戰。行止不在於木石,而制在於人;散戰不在於人,而制在於勢。此因勢而戰人也。
経に曰く――昔、善く作戦する者は、木と石を滾動するがごとし。木石の性質は、円なるは則ち滾り、方なるは則ち停まる。滾るは其の自ら滾らんと欲するに非ず、形勢が之を滾らざるを得ざらしむるなり。停まるは其の自ら停まらんと欲するに非ず、形勢が之を停まらざるを得ざらしむるなり。人を駆りて作戦せしむるもまた同じ。士卒をして自らの門口に於て仗を打たしめば、彼らは容易に潰散せん。彼らを死地に投ぜば、彼らは死を拼せざるを得ず。潰散するは、彼らが散らんと欲するに非ず、形勢が彼らを散らざるを得ざらしむるなり。死戦するは、彼らが戦わんと欲するに非ず、形勢が彼らを戦わざるを得ざらしむるなり。木石の滾るか否かは木石に取决らずして人に取决り、士卒の散るか戦うかは士卒に取决らずして形勢に取决る。これ即ち形勢を凭って人を駆りて作戦せしむるなり。
夫未見利而戰,雖眾必敗;見利而戰,雖寡必勝。利者,彼之所短,我之所長也。見利而起,無利則止;見利乘時,帝王之資。故曰:「時之至,間不容息。」先之則太過,後之則不及。見利不失,遭時不疑,失利後時,反受其害。疾雷不及掩耳,卒電不及暝目。赴之若驚,用之若狂,此因利之戰人也。
乗ずべき利あるを看ずして開戦すれば、兵再び多しとも必ず敗れ、利の処を看准して而る後に開戦すれば、兵少なしと雖も必ず勝たん。謂うところの「利」とは、則ち対方の短所・我が方の長所なり。利あるを見れば則ち動き、利なければ則ち停まる。利を抓住し時機に乗ずるは、正に帝王の業を成就するの本銭なり。故に曰う「時機来臨するとき、中間に一口の気を喘ぐの空隙すらなし」と。前頭に搶えば則ち火に過ぎ、後頭に落れば則ち趕き及ばず。利あるを見て放過せず、時機に遇上て遅疑せず。一旦利を錯失し時機を耽误せば、反って其の害を受けん。疾雷の響き起るに耳を捂ぐに及ばず、閃電の閃き起るに眼を合わするに及ばざるがごとし。奔赴するや驚を受けたるがごとき快さにして、用兵するや狂を発したるがごとき猛さなり――これ即ち有利の勢を凭って人を駆りて作戦せしむるなり。
夫戰者,左川澤,右邱陵,背高向下,處生擊死,此平地之戰人也。逼敵無近於水,彼知不免,致死拒我,困獸猶鬬,蜂蠆有毒,況於人乎!令其半濟而擊之,前者知免,後者慕之,蔑有鬬心。敵逆水而來,迎之於水內,此水上之戰人也。
作戦する時、左は川沢に依り、右は丘陵に靠り、高処を背にして低処に面し、自ら生地を占住して敵の死地を攻むるは、これ平地上に於て人を駆りて作戦せしむるの弁法なり。敵人を逼して水辺に向かわしむるに、逼むること近過ぎるなかれ。彼は自ら退くべき路なきを知れば、則ち死を拼して抵抗せん。困獣なおなお斗わんと欲し、蜂蠆なおなお毒あり、いわんや人をや。彼の半ば渡るを待ちて而る後に打て――前の者は以て身を脱し得べしと為し、後の者はただ前の者を追趕するに顧みて、斗志なからん。敵人もし水に逆らい我に向かい来らば、則ち水中に於て彼を迎撃せよ――これ水上に於て人を駆りて作戦せしむるの弁法なり。
左右山陵、谿谷險狹與敵相遇,我則金鼓蔽山,旗幟依林,登高遠斥,出沒人馬,此山谷之戰人也。勢利者,兵之便;山水平陸者,戰之地。夫善用兵者,以便勝,以地強,以謀取,此勢之戰人也。如建瓴水於高宇之上,砉然而無滯霤;又如破竹,數節之後,迎刃自解,無復著手。
左右皆山陵・渓谷険窄の地方に於て敵人と遭遇せば、我が方は則ち鉦鼓の声をして満山に響徹せしめ、旗幟を樹林に依りて布置し、高きに登り遠く偵察し、人馬をして時に隠れ時に現れしめん――これ山谷の中に於て人を駆りて作戦せしむるの弁法なり。利ある態勢は、用兵の便利なり。山地・水上・平原は、作戦の場地なり。善く兵を用うる者は、便利に靠って勝を取り、地形に靠って強を変じ、謀略に靠って奪取す――これ即ち態勢を凭って人を駆りて作戦せしむるなり。一瓶の水を高き屋頂の上より傾瀉し下ろすがごとく、譁然として直落して滞畄する処なし。また竹を劈くがごとく、頭の几節を劈き過ぎれば、後面は便ち刃に迎え解けて、再び手腳を費やすを用いず。
攻守篇 第二十二
經曰:地所以養人,城所以守地,戰所以守城。內得愛焉,所以攻。〈張刻本「愛」作「人」,葢以意攺也。《司馬法》云:「內得愛焉,所以守也。外得威焉,所以戰也。」此下亦攻守並舉,疑「內得愛焉」之下有脫文。〉守不足,攻有餘;力不足者守,力有餘者攻。
経に曰く――土地は以て人を養活するに用い、城池は以て土地を守住するに用い、作戦は以て城池を保住するに用う。内部に於て百姓の愛戴を得て、初めて力量出撃するあり。防守するは、力量の足らざるが以てなり。進攻するは、力量の余るが以てなり。力量足らざるの一方は防守し、力量余るの一方は進攻す。(校記:「內得愛焉」の「愛」、張刻本は「人」と作る、大概は己意を以て改動せしなり。《司馬法》原文は「內得愛焉、所以守也、外得威焉、所以戦也」と作る。此処の下文もまた攻守並擧す、「內得愛焉」の下に脱文あるを疑う。)
攻人之法,先絶其援,使無外救,料城中之粟,計人日之費。糧多人少,攻而勿圍;糧少人多,圍而勿攻。力未屈、粟未盡、城尚固,而拔者,攻之至也;力屈、粟殫、城壞,而不拔者,守之至也。
敵人を攻打するの弁法は、先ず彼の外援を切断し、彼をして救兵を得る能わざらしめ、再び城中の存糧の数量を估算し、每人毎日の消耗を計算す。糧多くして人少なければ、則ち強攻して久圍を必とせず。糧少なくして人多ければ、則ち圍困して強攻を必とせず。守方の兵力未だ竭きざる・存糧未だ尽きざる・城池なお固きに、攻方能く之を拿下するは、これ進攻の極致なり。守方の兵力已に竭き・存糧已に尽き・城牆已に壞れたるに、攻方なおなお拿下する能わざるは、これ防守の極致なり。
夫守城之法,以城中壯男為一軍,壯女為一軍,男女老弱為一軍。三軍無使相遇,壯男遇壯女,則費力而奸生;壯女遇老弱,則老使壯悲,弱使強憐。悲憐在心,則使勇人更慮,壯夫不戰。故曰:善攻者,敵不知所守;善守者,敵不知所攻。微乎!微乎!至於無形。神乎!神乎!至於無聲,故能為敵之司命。
城を守るの弁法は、城中の壮年男子を編じて一軍と為し、壮年女子を編じて一軍と為し、男女老弱を編じて一軍と為す。この三軍は彼らをして彼此碰面せしむるなかれ。壮男は壮女に遇上れば、則ち心を分かち力を費やして淫乱を滋生せん。壮女は老弱に遇上れば、老人は壮者をして悲傷せしめ、弱者は強者をして怜惜せしむ。悲傷怜惜一たび心頭に上れば、勇敢の人は別に顧慮を生じ、壮士もまた拼命を肯んぜざらん。故に曰う、善く進攻する者は、敵人は何れの処を守るべきかを知らず。善く防守する者は、敵人は何れの処を攻むべきかを知らず。微妙なるかな微妙なるかな、微妙にして形迹なきに至れり。神奇なるかな神奇なるかな、神奇にして声息なきに至れり。故に能く敵人の命運を主宰す。
行人篇 第二十三
經曰:君擇日登拜大將軍,繕甲兵,具卒乘。出則破人之國、敗人之軍、殺人之將、虜人之俘。贏糧萬里,行於敵人之境,而不知敵人之情,將之過也。敵情不可求之於星辰,不可求之於神鬼,不可求之於卜筮,而可求之於天。〈「天」字似誤。文瀾閣本無此句。〉
経に曰く――国君は吉日を選定し、壇に登りて大将軍の職を拜授し、甲冑兵器を修繕し、歩卒車乗を配斉す。軍隊一たび出動せば、則ち人の国家を攻破し人の軍隊を撃敗し人の将領を斬殺し人の士卒を俘獲せんとす。しかれども口糧を背負いて万里を行軍し、敵国の境内を走りて、敵人の実情を了解せざれば、これ将領の過失なり。敵情は星辰に向かって求むべからず、神鬼に向かって求むべからず、また卜筮に向かって求むべからず。下文の説く所に照らせば、ただ人に之を求むるのみ。(校記:原書此の句は「而可求之于天」と作る、「天」の字は讹误あるに似たり。文瀾閣本に此の一句なし。)
昔商之興也,伊尹為夏之庖人;周之興也,呂望為殷之漁父;秦之帝也,李斯為山東之獵夫;漢之王也,韓信為楚之亡卒;魏之伯也,荀彧為袁紹之棄臣;晉之禪也,賈充任魏;魏之起也,崔浩家晉。故七君用之而帝天下。
当年、商朝の興起するに、伊尹は本より夏朝の厨子なりき。周朝の興起するに、呂望は本より殷商の治下の漁翁なりき。秦国の帝を称するに、李斯は本より崤山以東の一介の猟戸なりき。漢家の王を称するに、韓信は本より楚営より逃出した士卒なりき。曹魏の霸を称するに、荀彧は本より袁紹に棄置不用せられた臣属なりき。晋の魏禅を受くるに、賈充は本より魏国に任職せりき。北魏の崛起するに、崔浩は本より晋朝旧族の家に出自せり。この七位の君主は彼らを任用して、初めて天下に帝を称することを得たり。
夫賢人出奔,必有佞臣持君之衡。是以失度佐有扈,孤功專驩兜,成均權三苗,推移佞桀,崇侯諂紂,優旃惑晉。故曰:三仁去而殷墟,二老歸而周熾,子胥死而吳亡,范蠡存而越伯,五羖入而秦喜,樂毅出而燕懼。將能收敵國之人而任之,以索其情,戰何患乎不克?故曰:「羅其英,敵國傾;羅其雄,敵國空。」它山之石,可以攻玉。
賢人の他国に出走する所以のものは、必ず佞臣の君主の権衡を把持するあるに因るなり。故に失度は有扈氏に輔佐し、孤功は驩兜に專擅し、成均是三苗に権を弄し、推移は夏桀に諂事し、崇侯虎は商紂に諂事し、優旃は晋君を惑乱せしめたり――これらは皆佞臣の道に当たり賢人を逼走せしめたるの例子なり。故に曰う、微子・箕子・比干の三位の仁人一たび去れば、殷商は便ち廃墟と為り、伯夷・太公の两位の老人一たび帰附すれば、周室は便ち興旺し、伍子胥一たび死すれば、呉国は便ち滅亡し、范蠡なお在れば、越国は便ち称霸し、百里奚は五張の羊皮を以て贖われて秦に入れば、秦国は便ち振作し、楽毅一たび出走すれば、燕国は便ち恐懼す。将領もし能く敵国の人材を收納して任用を加え、彼らを用いて敵方の実情を搜求せば、仗を打つになお勝を打たざるを愁えんや。故に曰う「対方の英才を羅致せば、敵国は則ち傾覆し、対方の雄傑を羅致せば、敵国は則ち空虚ならん」と。正に《詩経・小雅・鶴鳴》の謂うがごとく、別の山上の石头は、以て自らの玉を琢磨すべきなり。
夫行人之用事有二。一曰:因敵國之人來觀釁於我,我高其爵、重其祿、察其辭、覆其事;實則任之,虛則誅之;任之以鄕導。二曰:吾使行人觀敵國之君臣,左右執事,孰賢孰愚?中外近人,孰貪孰廉?舍人謁者,孰君子孰小人?吾得其情,因而隨之,可就吾事。
「行人」とは、即ち敵国に出使するの間使にして、事を弁ずるに两条の路子あり。第一条――敵国に人の来りて我が方の破綻を窺探するあらば、我は則ち彼の爵位を抬高し彼の俸禄を加厚し、彼の言辞を細察し、彼の説く所の事を反復に核験す。査実して真なれば則ち彼を任用し、假なれば則ち彼を殺し、任用する時は彼をして郷導を充当せしめん。第二条――我は行人を派して敵国の君臣を観察せしむ。左右に事を弁ずるの人は、誰か賢にして誰か愚なるか。宮内宮外の近臣は、誰か貪にして誰か廉なるか。舍人・謁者のこれら近侍は、誰か君子にして誰か小人なるか。我はこれらの実情を摸清し、勢に順いて利用を加えれば、則ち我が方の事を成就し得べし。
夫三軍之重者,莫重於行人;三軍之密者,莫密於行人。行人之謀未發,有漏者與告者皆死。謀發之日,削其藳、焚其草、金其口、木其舌,無使內謀之洩。若鷹隼之入重林,無其蹤;若游魚之赴深潭,無其跡。離婁俛首,不見其形;師曠傾耳,不聆其聲。微乎!微乎!與纖塵俱飛,豈飽食醉酒爭力輕合之將,而得見行人之事哉!
三軍の中の最も要緊なるは、行人より要緊なるなし。三軍の中の最も保密を須とするは、行人より保密を須とするなし。行人の謀划未だ発動せざるに、凡そ消息を走漏せる人と聴聞して転告せる人とは、一律に処死せよ。謀划発動の日、底稿を削り去り草紙を焼き掉り、嘴を封ずること銅鋳のごとく、舌を压えること木頭のごとくして、内部の謀划をして外泄せしめざれ。鷹隼の密林に鉆り入りて蹤影を尋ぬる能わざるがごとく、游魚の深潭に潜入して痕迹を覓むる能わざるがごとくせよ。離婁のごとき目力人に過ぐる者をして頭を低くして細看せしむるも、その形を見る能わず。師曠のごとき耳力人に過ぐる者をして耳を側して傾聴せしむるも、その声を聴く能わず。微妙なるかな微妙なるかな、細にして微塵とともに飛揚し得るに至れり。あれらの飽食醉酒・闘力を知るのみにして軽率に接戦するの将領は、いずこにか行人のこの一層の門道を看見せんや。
鑑才篇 第二十四
經曰:人稟元氣所生,陰陽所成。淳和平淡,元氣也;聰明俊傑,陰陽也。淳和不知權變,聰明不知至道。夫人柔順安恕,失於斷決,可與循節,難與權宜。強悍剛猛,失於猜忌,可與涉難,難與持守。貞良畏愼,失於狐疑,可與樂成,難與謀始。清介廉潔,失於局執,可與立節,難與通變。韜晦沉靜,失於遲回,可與深慮,難與應㨗。
経に曰く――人は元気を禀受して生じ、陰陽に由りて凝成せらる。淳厚平和・恬淡にして露ならざるは、元気より出づ。聡明衆に出で・才具俊抜は、陰陽より出づ。淳和の人は権変を識らず、聡明の人は至道を識らず。柔順寛恕の人は、短所は決断を缺少するに在り。彼と同じく班に就き部に按って規矩を守るべく、彼と同じく機に随いて変に応ずること難し。強悍剛猛の人は、短所は多疑猜忌するに在り。彼とともに危難に共赴すべく、彼とともに成業を持守する難し。忠貞善良・敬畏謹慎の人は、短所は猶豫不決するに在り。彼とともに成功を共享すべく、彼とともに開創を謀划する難し。清高耿介・廉潔自守の人は、短所は拘泥固執するに在り。彼とともに節操を樹立すべく、彼とともに権に通じ変に達する難し。深藏不露・沈黙安静の人は、短所は遅疑回旋するに在り。彼とともに深謀遠慮すべく、彼とともに急変を応付する難し。
夫聰明秀出之謂英,膽力過人之謂雄。英者,智也;雄者,力也。英不能果敢,雄不能智謀,故英得雄而行,雄得英而成。
聡明才智抜類出萃するを「英」と謂い、胆量気力常人に超過するを「雄」と謂う。「英」は智に偏し、「雄」は力に偏す。「英」は果敢を缺少し、「雄」は智謀を缺少す。故に「英」は「雄」の配合を得て初めて行き通り得、「雄」は「英」の輔助を得て初めて弁じ成り得。
夫人有八性不同,仁義、忠信、智勇、貪愚。仁者好施,義者好親,忠者好直,信者好守,智者好謀,勇者好決,貪者好取,愚者好矜。人君合於仁義,則天下親;合於忠信,則四海賓;合於智勇,則諸侯臣;合於貪愚,則制於人。仁義可以謀縱,智勇可以謀橫;縱成者王,橫成者伯。王伯之道,不在兵強士勇之際,而在仁義智勇之間,此亦偏才未足以言大將軍。
人の秉性に八種あり、彼此相同ならず、両々相配して四組と為す――「仁」と「義」、「忠」と「信」、「智」と「勇」、「貪」と「愚」なり。仁厚の人は施与を喜好し、重義の人は人と相親するを喜好し、忠直の人は話を把りて直く説くを喜好し、守信の人は承諾を守住するを喜好し、多智の人は謀划を喜好し、勇決の人は機に当たりて立断するを喜好し、貪心の人は占取を喜好し、愚昧の人は自ら誇耀するを喜好す。君主を為す者もし仁義の士と相合せば、天下人は来りて親附し、忠信の士と相合せば、四海は来りて賓服し、智勇の士と相合せば、諸侯は来りて臣を称し、ただ貪愚の輩と相合せば、反って別人に控制せられん。仁義の士は彼の為に合縦を謀划し得べく、智勇の士は彼の為に連横を謀划し得べし。合縦成功するは王業を成就し、連横成功するは霸業を成就す。これより見れば王業霸業を成就するの関鍵は、兵器の精良・士卒の勇猛に在らずして、仁・義・智・勇のこれら几種の品性の配合に在り。ただし以上の八種はただ一端に偏するの才性にして、なお全軍を統領するの大将軍と称するに足らず。
若夫能柔能剛,能翕能張,能英而有勇,能雄而有謀,圓而能轉,環而無端,智周乎萬物,而道濟於天下,此曰通才,可以為大將軍矣。故曰:「將者,國之輔。輔周則國強,輔隙則國弱,是謂人之司命、國家安危之主,不可不察也。」
あの種の能く柔和にしてまた能く剛強、能く収斂にしてまた能く舒展するの人に至っては、英才の聡明あって而も人に過ぐるの胆勇を兼具し、雄傑の膂力あって而も周密の謀算を兼具し、円器のごとく以て勢に随いて転動し、円環のごとく起訖首尾を尋ぬる能わず、智慧は万物に遍く及び、行う所の道は以て天下を救済するに足る。これを「通才」と謂い、以て大将軍を担任すべし。故に《孫子兵法》に曰く「主将は国家の輔木なり。輔木と車身と貼合して隙なくんば、国家は則ち強盛し、輔木と車身と縫隙を出現せば、国家は則ち衰弱す。かくのごとき人は万民の性命の主宰・国家の安危の主管なり、仔細に考察せざるべからず」と。この几句は各々《孫子兵法》の〈謀攻〉と〈作戦〉の两篇より出づ。
明主所以擇人者,閱其才通而周鑑,其貌厚而貴;察其心貞而明,居高而遠望,徐視而審聽,神其形,聚其精,若山之高不可極,若泉之深不可測。然後審其賢愚以言辭,擇其智勇以任事,乃可任之也。
英明の君主が将才を挑選するには、彼の才具の通達にして能く周遍に照察するかを検視し、形貌の敦厚にして貴相あるかを検視すべし。彼の内心の貞正清明なるかを考察し、彼の能く高く站ち遠く望み、従容に看、審慎に聴き、神情凝定・精気内聚して、高山のごとく高くして頂を望見ず、深泉のごとく深くして底を測らざるに到るかを看るべし。然る後に再び言談応対を凭って彼の賢か愚かを辨別し、事を弁ずるの実績を凭って彼の智謀と胆勇を挑出し、かくして初めて彼を任用すべし。
夫擇聖以道,擇賢以德,擇智以謀,擇勇以力,擇貪以利,擇奸以隙,擇愚以危。事或同而觀其道,或異而觀其德,或權變而觀其謀,或攻取而觀其勇,或貨財而觀其利,或捭闔而觀其間,或恐懼而觀其安危。故曰:欲求其來,先察其往;欲求其古,先察其今。先察而任者昌,先任而察者亡。
聖者を挑選するは「道」を以て衡量し、賢者を挑選するは「徳」を以て衡量し、智者を挑選するは謀略を以て衡量し、勇者を挑選するは気力を以て衡量し、貪者を挑選するは財利を以て試探し、奸者を挑選するは乗ずべきの縫隙を以て試探し、愚者を挑選するは危難を以て試探す。事情を以て考察す――彼をして人と同じく一事を做らしめ、彼の正道を守るか否かを看、彼をして人と做法異ならしめ、彼の徳行あるか否かを看、彼をして機に随いて変に応ぜしめ、彼の謀略有るか否かを看、彼をして城を攻め地を奪わしめ、彼の胆勇あるか否かを看、彼をして貨物銭財を経手せしめ、彼の利を見て義を忘るるか否かを看、彼をして往来游説・時に開き時に合せしめ、彼の中より離間するか否かを看、彼をして恐懼の中に身を処せしめ、彼の安危の関頭に於て鎮定なるか否かを看よ。故に曰う、一人の将来如何なるかを知らんと欲せば、先ず彼の過去如何なりしかを考察せよ。彼の早年の為人を知らんと欲せば、先ず彼の今日の作為を考察せよ。先ず考察して清かにして而る後に任用するは、事業昌盛す。先ず任用して而る後に回頭考察するは、事業敗亡す。
昔市偷自鬻於晉,晉察而用之,勝楚。伊尹自鬻於湯,湯察而用之,放桀。智能之士,不在遠近。仁人不因困阨,無以廣其德;智士不因時棄,無以舉其功。王者不因絶亡,無以立其義;霸者不因強敵,無以遺其患。
昔、市井の裏の一個の偸児ありて自らを晋国に推薦し、晋人は考察の後に彼を任用し、彼の本事に靠って楚国に戦勝せり。伊尹は自らを商湯に推薦し、商湯は考察の後に彼を任用し、終に夏桀を放逐せり。これより見れば智慧才能ある者は、遠近親疎を分かたず。仁徳の人は困頓険阻を経暦せざれば、其の徳行を拡充するに従来なし。智謀の士は一時の棄置不用を経暦せざれば、其の功業を建立するに従来なし。王道を行うの君主は滅絶に瀕するの危局に遇上せざれば、其の道義を確立するに従来なし。霸道を行うの君主は強勁の对手に遇上せざれば、其の日後の禍患を除去するに従来なし。
明主任人,不失其能;直士舉賢,不離於口。無萬人之智者,不可據於萬人之上。故曰:〈○「曰」字原脫,依文瀾閣本補。此下八句乃《孫武子‧謀攻篇》文。〉「不知軍中之事,而同軍中之政者,則軍士惑矣。不知三軍之權,而同三軍之任者,則軍士疑矣。三軍旣惑且疑,則諸侯之難至矣。」夫如是,則君不虛王,臣不虛貴。所謂君道知使臣,臣術知事君者。
英明の君主が人材を任用するは、彼の才能を埋没せしめず。正直の臣子が賢人を擧薦するは、総じてこの事を嘴边に挂けて罷まざるなり。万人に勝るの智慧なくんば、万人の上の位置に占據すべからず。故に《孫子兵法・謀攻》に曰く「軍中の実情を了解せずして、卻って手を插して軍中の政令を干預せんとすれば、将士は則ち迷惑す。三軍の権変を識得せずして、卻って手を插して三軍の任使指揮を干預せんとすれば、将士は則ち疑慮す。三軍既に迷惑し又疑慮せば、各国諸侯の隙に乗じて来り犯すの禍難もまた到らん」と。(校記:「曰」の字原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う。以下の八句は《孫子・謀攻》の原文なり。)能くかくのごとく為さば、君主の王位は虚に其の名有るに非ず、臣子の顕貴もまた徒に其の位を占るに非ず。これ即ち謂うところの君主の道は臣下を駆使するを識るに在り、臣子の術は君主に侍奉するを識るに在るなり。
《神機制敵太白陰經》巻二 終
授鉞篇 第二十五
經曰:國有疆埸之役,則天子居正殿,命將軍,詔之曰:「朕以不德,謬承大運,致寇敵侵擾,攻掠邊陲,日旰忘食,憂在寤寐,勞將軍之神武,帥師以應之。」
本経に曰く――国家に辺境上の戦事あれば、天子は則ち正殿に臨御し、将軍を任命し、詔を下りて彼に対して曰く「朕は徳行浅薄にして、误りて天命大運を承け、以致して敵寇の来り侵擾し辺地を攻掠するを致せり。朕はこれが為に天色已に晩きに至るもなお飯を喰うに顧みず、睡裏夢裏に於ても憂心せり。如今将軍の神威武略に労して、大軍を統率して前に往きて彼らを応付せん」と。
將軍再拜受詔,乃令太史卜,齋三日,於太廟拂龜。太史擇日以授鉞,君入太廟,西面立,親操鉞,以授將軍,曰:「從此以往,上至於天,將軍制之。」復操斧柄,授將軍曰:「從此以往,下至於泉,將軍制之。」
将軍は二たび拜して詔命を接受し、随い即ち太史に命じて占卜せしめ、三日を齋戒して、太廟の裏に於て亀甲を拂拭す。太史は吉日を選定して授鉞の礼を挙行す。君主は太廟に進入り、西に面向して站立し、手ずから鉞を握住して、鉞を将軍に交して曰く「これより上、天頂に至るまで、皆将軍の裁断に由れ」と。また斧柄を握住して、斧を将軍に交して曰く「これより下、黄泉に至るまで、皆将軍の裁断に由れ」と。
將軍旣受命,跪而荅曰:「臣聞國不可從外治,軍不可從內御。二心不可以事君,疑志不可以應敵。臣旣受命,專斧鉞之威,臣不願生還,請君亦埀一言之命於臣。〈○以《六韜‧立將篇》校之,此下脫「君不許臣」句。〉臣不敢將;君許臣,乃辭而行。」
将軍は任命を接受した後、跪きて回答して曰く「臣聞く、国政は朝廷の外に由りて治理する能わず、軍事は宮廷の内に由りて遥制する能わず。二心を懐く者は君主に侍奉する能わず、疑慮を存する者は強敵に応対する能わず。臣既に命を受けて、斧鉞の威権を独掌する以上、生きて帰るを指望せず、ただ君主もまた臣に一句の明白の話を給え。(校記:《六韜・立将》を用いて対校すれば、此処の下面に「君不許臣」の一句を脱漏す。)君主もし許さずんば、臣は敢えて兵を領せず。君主臣に許せば、臣は初めて辞別して出征せん」と。
三軍之事,不聞君命,皆由於將出,臨敵決戰無有二心。若此無天於上,無地於下,中無君命,傍無敵人。是故智者為之慮,勇者為之鬬,氣厲青雲,疾若馳騖,兵不接刃而敵降伏,戰勝於外,功立於內。於是將軍乃縞素避舍,請於君,君命舍之。
これより三軍の中の一切の事務は、再び君命を聴候せず、全く主将より発出す。陣に臨みて敵と決戦するに、絶えて三心二意なし。この一歩を做り到れば、将軍の眼中は上に天を見ず下に地を見ず、中に居りて君命の牽制を受けず、身旁もまた敵人を眼裏に放れず。これに因りて智謀ある者は肯んじて彼の為に謀划し、胆勇ある者は肯んじて彼の為に拼殺し、士気は高漲して青雲に直沖し、行動は迅疾にして奔馬のごとし。刀刃未だ交鋒せざるに敵人は已に投降し、外に於て勝仗を打ち、内に於て功勲を建立す。班師の後、将軍は便ち素服を穿上し正室を離れて別に偏舎に居り、君主に向かって処分を請求し、君主は令を下りて彼の自責を免去す。
部署篇 第二十六
經曰:兵有四正四奇,總有八陣,或合為一,或離為八。以正合,以奇勝,餘奇為握奇,聚散之勢,節制之度也。
本経に曰く――用兵に四支の正兵・四支の奇兵あり、合わせて共に八陣と成す。八陣は合并して一個の整体と為すべく、また分散して八個の独立の陣と為すべし。作戦する時は正兵を以て敵人と正面交合し、奇兵を以て其の不意を出して勝を取り、剩余の奇兵は主将が自ら掌握す。これを「握奇」と謂う。これ即ち聚合と分散の態勢にして、また部伍を節制するの法度なり。
一萬二千五百人為一軍。一萬二千象十有二月,五百象閏餘,窮陰極陽,備物成功,徵無義,伐無道。聖人得以興,亂人得以廢。興廢存亡昏明之術,皆由兵也。
一万二千五百人を編じて一軍と為す。其の中の一万二千の数目は一年の十二月に取象し、五百の数目は暦法上の閏余に取象す。軍隊の数は陰陽を窮尽し、物力斉備して事功成るべく、以て不義の人を征討し無道の国を討伐す。聖明の人は之に靠って興起し、昏乱の人は之に因りて敗亡す。興起と廃亡・生存と滅絶・昏暗と清明の種種の手段は、皆軍事を経由して実現せんとす。
司馬穰苴曰:「五人為伍,十伍為部。」〈○原本誤作「五」。五為伍,伍伍為部,以人數計之,不合。張刻本作「二伍為部」,亦以意改也。以《通典》百四十八引《穰苴兵法》文校正。〉
司馬穰苴曰く「五人を編じて一伍と為し、十伍を編じて一部と為す」と。(校記:原本此処に误りて「五」と作る、もし「五人為伍、五伍為部」に照らして人数を推算すれば並びに吻合せず。張刻本は改めて「二伍為部」と作るも、また意思を凭って臆改せしなり。今《通典》巻一百四十八の引く所の《穰苴兵法》原文に拠りて校正す。)
部,隊也。一軍凡二百五十隊,每十隊以三為奇。風后曰:「餘奇握奇。」故一軍以三千七百五十人為奇兵,隊七十有五,外餘八千七百五十人,部隊一百七十五分為八陣,陣有一千九十三人七分五銖,隊有二十二火人為一陣之部署。今舉一軍,則千軍可知矣。
「部」とは則ち「隊」なり。一軍は共に二百五十隊あり、毎十隊の裏より三隊を抽出して奇兵を充当せしむ。風后曰く「剩余の奇兵は主将の親握する所なり」と。故に一軍は三千七百五十人を以て奇兵と為し、合わせて七十五隊なり。このほか剩余の八千七百五十人は、共に一百七十五隊、分編して八陣と為し、毎陣一千零九十三人零七分五銖(即ち一人に足らざるの四分の三の零頭)、毎陣は下轄して二十二隊の人馬あり。これ便ち一陣の部署なり。此処はただ一軍を挙げて例と為すのみ、これに照らして推算せば、千軍の編制もまた皆清楚ならん。
將軍篇 第二十七
經曰:三軍之眾,萬人之師,張設輕重,在於一人,不可不察也。一人大將軍,智、信、仁、勇、嚴、謹、賢、明者任。二人副將軍,智、信、仁、勇、嚴、毅、平、直者任,一人主軍糧,一人主徵馬。四人總管,嚴識軍容者任,二人主左右虞候,二人主左右押衙。八人子將,明行陣、辨金革、曉部署者任。
本経に曰く――三軍の衆・上万の人の部隊は、布置の当否・分量の軽重如何は、全く主将一人の身上に係り、考察を慎重せざるべからず。大将軍一人は、智謀・誠信・仁愛・勇決・厳明・謹慎・賢良・明察を兼備する人に由りて担任せしむ。副将軍二人は、智謀・誠信・仁愛・勇決・厳明・剛毅・公平・正直を兼備する人に由りて担任せしめ、其の中の一人は軍糧を主管し、一人は戦馬を主管す。総管四人は、軍を治むること厳整にして軍容儀法に熟悉する人に由りて担任せしめ、其の中の二人は分かちて左右虞候を掌り、二人は分かちて左右押衙を掌る。子将八人は、行軍布陣に熟悉し鳴金と撃鼓の号令を分辨し得、部署の法に通暁する人に由りて担任せしむ。
八人大將軍別奏,十六人大將軍傔,〈侍從官吏。○文瀾閣本此下有「八人副大將別奏」句。〉一十六人總管傔,八人子將別奏,一十六人子將傔,忠勇、驍果、孝義、有藝能者任。一人判官,沉深謹密、計事精敏者任,濡鈍勿用。一人軍正,主軍令斬決罪隸及行軍禮儀、祭祀、賓客進止。四人軍典,謹厚、明書算者任。
大将軍の別奏八人、大将軍の傔従十六人(原注:傔は則ち侍従官吏なり。校記:文瀾閣本は此の句の下面にまた「八人副大将別奏」の一句あり)、総管の傔従十六人、子将の別奏八人、子将の傔従十六人。これらの人は皆忠誠勇敢・驍健果決・孝順重義・身に技芸を懐くの人に由りて担任せしむ。判官一人は、沈穏細密にして事情を筹算するに精明敏捷の人に由りて担任せしめ、遅鈍拖沓の人は任用すべからず。軍正一人は、軍令に依りて罪ある隷卒を斬決するを主管し、および行軍中の礼儀・祭祀と賓客往来の進退の安排とを主管す。軍典四人は、謹慎篤厚にして文書算術に精通する人に由りて担任せしむ。
陣將篇 第二十八
經曰:古者,君立於陽,大夫立於陰,是以臣不得窺君,下不得窺上,則君臣上下之道隔矣。夫智均不能相使,力均不能相勝,權均不能相懸。〈○張刻本作「援」。〉道同則不能相君,勢同則不能相王,情同則不能相順。情異則理,情同則亂。故大將以智,裨將以勇。以智使勇,則何得而不從哉!
本経に曰く――古の時、君主は朝堂の陽に向かうの位置に站ち、大夫は陰を背にするの位置に站つ。これに因りて臣下は君上を窺測するに従来なく、下級は上級を窺測するに従来なく、君臣上下の間の分際は便ち隔開せらる。两人の智力相當なれば、則ち誰も誰を支使し動かす能わず。気力相當なれば、則ち誰も誰を圧倒する能わず。権位相當なれば、則ち誰も誰を懸制する能わず(校記:「懸」の字、張刻本は「援」と作る)。守る所の道相同なれば、則ち互相に以て君と相尊する能わず。権勢相同なれば、則ち互相に以て王と相奉する能わず。性情相同なれば、則ち互相に順服する能わず。性情に差別あって、秩序初めて理り順ず。性情完全に一様なれば、反って乱を生ず。故に大将は智謀に靠り、副将は勇力に靠る。智謀を以て勇力を駆使せば、なお指揮し動かさざるの何れかあらんや。
一人偏將軍,勇猛果敢、輕命好戰者任。二人副偏將軍,無謀於敵、有死於力、守成規而不失者任。四人子將,目明旌旗、耳察金鼓、心存號令、宣佈威德者任。二人虞候,擒奸摘伏、深覘非常、伺察動靜、飛符走檄、安忍好殺、事任惟時者任。二人承局,差點均平、更漏無失、糾舉必中者任。
偏将軍一人は、勇猛果敢にして生死を軽んじ戦を好むの人に由りて担任せしむ。副偏将軍二人は、必ずしも別に敵人に対して謀を設けず、肯んじて死を拼して力を出だし、成規を恪守して差錯を出ださざるの人に由りて担任せしむ。子将四人は、眼能く旌旗を辨認し耳能く金鼓を聴清し、心裏に号令を牢記し、能く主将の威信恩徳を宣佈し下らせるの人に由りて担任せしむ。虞候二人は、能く奸細を擒獲し潛伏の徒を擧発し、異常の情况に深く偵察し、敵我の動静を探聴し、符信を飛伝して檄文を奔走し、心腸の狠得下にして敢えて誅殺し、事を弁ずるに能く時に因りて宜を制するの人に由りて担任せしむ。承局二人は、派差点卯の公平均匀・値守更漏に差錯を出ださず・糾察擧発は必ず実情に切中するの人に由りて担任せしむ。
六人偏將軍別奏,一十二人偏將軍傔,六人副偏將軍別奏,十二人副偏將軍傔,八人虞候兼充子虞候,並忠勇、驍果、孝義、藝能者任。一人判官,主倉糧財帛出納,軍器刑書公平者任。二人軍典,明書記、謹厚者任。
偏将軍の別奏六人、偏将軍の傔従十二人、副偏将軍の別奏六人、副偏将軍の傔従十二人、虞候八人は子虞候を兼充す。皆忠誠勇敢・驍健果決・孝順重義・身に技芸を懐くの人に由りて担任せしむ。判官一人は、倉儲糧秣と財物布帛の出入収支を主管し、軍械・刑獄の文書を掌管して能く持平公正なるの人に由りて担任せしむ。軍典二人は、文書記録に通暁し謹慎篤厚の人に由りて担任せしむ。
隊將篇 第二十九
經曰:智者之使愚也,聾其耳,瞽其目,迷其心,任其力,然後用其命。如驅群羊,驅而往,驅而來,莫知所之。與之登高去其梯,入諸侯之境廢其梁。役之以事,勿告之以謀;語之以利,勿告之以害。則士可以得其心而主其身。如此,則死生聚散,聽之於我,是謂良將。
本経に曰く――智謀ある者は愚朴の士卒を駆使するに、彼らの耳を塞住し彼らの眼を遮住して、彼らをして心裏に雑念を生ぜしめず、ただ彼らの気力を用い、然る後に初めて彼らの性命を支配し得べし。これは一群の羊を駆赶するに似たり。赶り過ごし、また赶り帰り、羊は終始自ら何れの処に往くかを知らず。彼らを帯びて高処に登れば則ち梯子を撤掉し、別国の境内に入れば則ち橋梁を毀壊す。ただ彼らを派して具体の事を做らしめ、謀划を彼らに告げず。ただかく為すの好処を講じて、其の中の危険を講ぜず。かくして則ち士卒の心を収服し士卒の身を主宰し得べし。この一歩を做り到れば、全軍の生死聚散は皆我が一人の調度に聴憑す。これを良将と謂う。
一人隊將,經軍陣、習戰鬬、識進止者任。一人隊管、一人隊頭、二人副隊頭,主文書、酬功賞、知勞苦、明部分行列疎密,並責成於副隊頭,公直明曉者任。一人秉旗、二人副旗,並勇壯者任。一人枹鼓,主昏明發警、進退節制,氣勇志銳者任。一人吹角,主收軍退陣,謹守節制、懦怯忠謹者任。
隊将一人は、軍陣を経暦し戦闘に熟習し、何れの時進み何れの時止まるかを識得するの人に由りて担任せしむ。隊管一人・隊頭一人・副隊頭二人は、文書を主管し功労賞賜を酬報し、士卒の労苦を体恤し、本隊の編排行列の疏密を明了するを主管す。これらの事は一併に副隊頭に責成して弁理せしめ、公正正直・事理を明白するの人に由りて担任せしむ。掌旗一人・副旗二人は、皆勇健強壮の人に由りて担任せしむ。鼓槌を掌り鼓を撃つ一人は、早晚に警号を発出し進退の節奏を掌握するを主管し、気盛んにして胆勇・意志鋭利の人に由りて担任せしむ。角を吹く一人は、兵を収め陣を退くを主管し、能く節度を謹守し性情柔弱にして忠誠謹慎の人に由りて担任せしむ。
一人司兵,主五兵銳利、支分器仗,明解者任。一人司倉,主支分財帛、給付軍糧,清廉者任。一人承局,主雜供差料,無人情、惡口舌者任。五人火長,主廚膳飯食、養病、守火、內衣、資樵採、戰陣不預,仁義者任。
司兵一人は、「五兵」(戈・殳・戟・酋矛・夷矛、泛して全隊の兵器を指す)の鋒利を保持し、および各類の器械儀仗を分発するを主管し、兵器に通暁するの人に由りて担任せしむ。司倉一人は、財物布帛を分発し軍糧を供給するを主管し、清正廉潔の人に由りて担任せしむ。承局一人は、各種の雑項供応と差派物料を主管し、私情を徇らず口舌を搬弄するを厭悪するの人に由りて担任せしむ。火長五人は、厨房膳食・病員の照料・炊火の看守・内衣の料理・柴を打ち薪を取るの供応を主管し、列陣作戦に参加せず、仁厚重義の人に由りて担任せしむ。
馬將篇 第三十
經曰:夫戎馬,必安其處所,適其水草,節其飢飽;冬則溫廐,夏則涼庌;刻剔鬃毛,謹落蹄甲。狎其耳目,無令驚悚;習其驅馳,閑其進止。人馬相親,然後可使鞍勒。轡銜必先堅完,斷絶必補。凡馬不傷於末,必傷於始;不傷於飢,必傷於飽。日暮道遠,必數上下,寕勞於人,愼無勞馬。常令有餘,備敵覆我。能明此者,可以橫行八表。
本経に曰く――戦馬を飼養するには、必ず彼をして其の居る所の処所に安んぜしめ、合适の水と草料を配給し、其の飢飽を調節せよ。冬は彼に温暖の馬厩を給し、夏は彼に陰涼の敞棚を給し、時に按じて鬃毛を修剪し、仔細に蹄甲を削治せよ。其の耳目をして各種の声響景象に習慣せしめ、驚を受けざらしめよ。彼を訓練して奔馳せしめ、また彼を訓練して止步せしめよ。人と馬と彼此相亲して、然る後に初めて彼に鞍を備え勒を上ぐべし。繮繩と馬嚼子とは必ず事先に做りて堅固完好ならしめ、断れたれば則ち刻して補上せよ。凡そ馬の傷を受くるは、後程に傷つくに非ざれば、則ち必ず起初に傷つき、飢餓の上に傷つくに非ざれば、則ち必ず喰い過飽の上に傷つく。天色已に晩くして路途なお遠きの時は、必ず多次馬を下りて歩行し再び馬に上りて路を赶げ、寧ろ人をして労累せしめても、千万に馬をして労累せしむるなかれ。馬力をして常に余地を留めしめ、以て敵軍の突然我を襲撃するに防げ。能くこの道理を明白する者は、以て八方の外に縦横すべし。
凡馬軍,人支兩匹。一軍徵馬二萬五千匹,其無馬者,亦如五支,令以兩匹為率。一人徵馬副大將,軍中擇善牧養者任。二人徵馬總管副偏將,軍中擇善牧養者任。八人徵馬子將軍,軍中擇明閑牧養者任。五十人徵馬押官定見,軍中擇善牧養者任。五百人群頭,善乘騎者任。一雲百人群頭毉,亦群頭中擇取一千人馬子軍外差,又云五百人馬子毉馬在內。
凡そ騎兵は、每人に戦馬两匹を配給す。一軍の戦馬は共に二万五千匹なり。あれらの馬に配到せざる者も、また五分支給の弁法に照らして処理し、一律に每人两匹を以て標準と為す。戦馬副大将一人は、軍中より放牧飼養に善なる人を挑選して担任せしむ。戦馬総管副偏将二人は、軍中より放牧飼養に善なる人を挑選して担任せしむ。戦馬子将軍八人は、軍中より放牧飼養に熟悉する人を挑選して担任せしむ。戦馬押官定見五十人は、軍中より放牧飼養に善なる人を挑選して担任せしむ。群頭五百人は、騎乗に善なる人に由りて担任せしむ。別の一説は群頭が獣医を兼ねる一百人にして、また群頭の裏より挑選す。馬を養うの馬子一千人は本軍の外より差派し、また一説は馬子五百人にして、馬を医るの獣医は其の中に包含せらる。
鑑人篇 第三十一
經曰:凡人,觀其外,足知其內。七竅者,五臟之門戶。九候三停,定一尺之面;智愚勇怯,形一寸之眼。天倉金匱,以別其貴賤貧富。夫欲任將,先觀其貌,後知其心。
本経に曰く――凡そ人は、ただ彼の外表を看れば、則ち以て彼の内裏を知るに足る。眼・耳・鼻・口のこの七竅は、五蔵の外に対して開くの門戸なり。相術上の「九候」「三停」は、以て一尺見方の面部を判定し、一人の智か愚か勇か怯かは、則ち一寸大小の眼睛の上に顕現す。「天倉」「金匱」のこの両処の部位は、以て彼の貴賤貧富を分辨す。故に将領を任用せんとせば、先ず彼の相貌を看て、再び進みて彼の内心を了解すべし。
神有餘法:容貌堂堂,精爽清徹,聲色不變,其志榮枯,不易其操,是謂神有餘。
「神有余」を判別するの標準――容貌端正堂皇にして、精神清爽透徹し、事に遇うに声音臉色変えず、境遇の栄か枯るるかを論ぜずとも、志向は動揺せず操守は更改せず。これを「神有余」と謂う。
形有餘法:頭頂豐停,腹肚濃厚,鼻圓而直,口方而稜,頤額相臨,顴耳高聳,肉多而有餘,〈○文瀾閣本作「不餘」。〉骨粗而不露,眉目明朗,手足紅鮮,望下而就高,比大而獨小,是謂形有餘。
「形有余」を判別するの標準――頭頂豊満にして匀停し、腹部厚実にして、鼻梁円潤端直にして、嘴形方正にして棱角あり、下巴と額頭と上下相称し、顴骨と耳朶と高聳し、肌肉豊厚有余(校記:「有余」文瀾閣本は「不余」と作る)、骨骼粗壯にして外露せず、眼眉明朗にして、手脚紅潤鮮活し、下より上を望みて軒昂挺拔と顕れ、高大の人と相比して独り短小を顕すと雖も、形体なお充盈す。これを「形有余」と謂う。
心有餘法:遏惡揚善,後己先人,無疾人以自賢,無危人以自安,好施陰德,常守忠信,〈○文瀾閣本此下有「不疾人之善,不揚己之長」二句。〉豁達大度,不拘小節,是謂心有餘。
「心有余」を判別するの標準――悪行を压制し善擧を表彰し、自らを後に放ち人を前に放ち、別人を詆毀して自らの賢能を顕示せず、別人を危害して自らの安穩を求めず、暗中に徳を積み善を行うを喜好し、終始忠誠信義を守住す(校記:文瀾閣本は此の句の下面にまた「不疾人之善、不揚己之長」の两句あり)、胸襟豁達・気量宏大にして小節に拘われず。これを「心有余」と謂う。
頭・目・鼻・口・舌・歯を鑑るの法
虎頭高視,富貴無比;犀頭崒嵂,富貴鬱鬱;象頭高廣,福祿居長;鹿頭側長,志氣雄強;龜頭郤縮,喉豐酒肉;獺頭橫闊,志氣豁達;駝頭蒙鴻,福祿千鍾;蛇頭平薄,財物寥落;駱頭尖銳,貧厄無計;兔頭蔑頡,志氣下劣;狗頭尖圓,泣淚漣漣。
頭が老虎に似て目光上視する人は、富貴人の比するなし。頭が犀牛に似て高峻突兀する人は、富貴盛大なり。頭が大象に似て高広なる人は、福禄は衆人の先に居る。頭が鹿に似て側看して修長なる人は、志気雄壮剛強なり。頭が亀に似て肩の裏に縮する人は、咽喉豊厚にして酒肉を缺かず。頭が水獺に似て横向開闊なる人は、志気豁達なり。頭が駱駝に似て渾厚蒙茸なる人は、福禄は千钟に達すべし。頭が蛇に似て扁平単薄なる人は、銭財寥落す。頭が駱馬に似て上尖下鋭なる人は、貧困危厄にして計るべき施しなし。頭が兎子に似て窄小歪斜なる人は、志気卑下低劣なり。頭が狗に似てまた尖くまた円き人は、一生涕涙漣々たらん。
眉直頭昻,富貴吉昌;眉薄而晞,少信多欺;髮欲細宻,鬚欲麄疏。
眉毛平直にして眉頭昂揚する人は、富貴吉祥昌盛す。眉毛稀薄にして乾枯なる人は、信義を缺少して欺詐多し。頭髪は細密を以て好と為し、鬍鬚は粗疏を以て好と為す。
眼目光彩明凈者,貴;眼鼻成就者,魂魄強美;眉目指瓜者,好施;眼鼻口小者,多虛少實;眼鼻口大者,有實無虛;眼中赤脈貫瞳子者,兵死。雞眼捲頭,不淫卽偷;羊目直視,能殺妻子;豬目應瞪,刑禍相仍,亦主小貴;蜂目豺聲,常行安忍;螻蛄目,心難得;魚目,多厄;猴目,窮寒;鷹視狼顧,常懷嫉妬;牛頭虎視,富貴無比。
眼の光彩明浄なる人は、顕貴す。眼と鼻と長じて端正到位なる人は、魂魄強健俊美なり。眼眉分明として指節瓜瓣のごとき人は、施舍を喜好す。眼・鼻・口皆偏小なる人は、虚浮多くして実在少なし。眼・鼻・口皆偏大なる人は、実在にして虚浮ならず。眼中に紅糸ありて瞳仁を貫穿する人は、兵刃に死せん。眼が鶏眼のごとく眼角卷曲する人は、好色ならずんば則ち偸窃なり。眼が羊眼のごとく直勾々として人を盯る人は、心を狠し得て妻子児女を殺害す。眼が猪眼のごとく常に人を瞪る人は、刑罰災禍接続断えざるも、ただしまた小有の貴気を主す。眼が蜂眼のごとくして声音が豺の叫ぶがごとき人は、常に残忍の事を做す。眼が螻蛄のごとき人は、心思捉摸し難し。眼が魚眼のごとき人は、災厄多し。眼が猴眼のごとき人は、窮困寒微なり。目光が鷹隼の直盯のごとく、また狼のごとく頻々として回頭する人は、常に嫉妬を懐く。頭が牛に似て目光が虎のごとき人は、富貴人の比するなし。
鼻圓隆實,富貴終吉;鼻孔小縮,慳貪不足;蜣蜋鼻,少意智。野狐鬚,無信期;羖羊鬚,多狐疑。
鼻子円潤隆起して飽満なる人は、富貴にして終身吉利なり。鼻孔窄小収縮する人は、吝嗇貪心にして総じて知足を識らず。鼻子が蜣螂のごとき人は、心思智謀足らず。鬍鬚が野狐のごとき人は、話して約期を守らず。鬍鬚が黒公羊のごとき人は、多疑不決なり。
口如馬喙,心難信制;口如鳥嘴,窮寒客死;口如河海,富貴自在;唇如點朱,才學代無。
嘴が馬嘴のごとく前突する人は、心思信を取る難く約束する難し。嘴が鳥喙のごとく尖削する人は、窮困寒微にして他郷に客死せん。嘴が河海のごとく寛闊なる人は、富貴自在なり。嘴唇が朱砂を点了したがごとき紅潤なる人は、才学当代に冠絶す。
舌紅且厚,神識自守;吐舌及鼻,有壽復貴。
舌頭また紅くまた厚き人は、神志清明にして能く自ら持守す。舌頭を伸出して鼻尖に到り得る人は、長寿にしてまた顕貴なり。
鋸齒食肉;平齒食菜;疏齒猛毅;密齒淳和;細齒長貧,名曰鬼齒。
牙歯が鋸歯のごとく参差する人は、これ肉を喰うの命なり。牙歯平整の人は、素を喰うの命なり。牙縫稀疏の人は、性情勇猛剛毅なり。牙歯細密の人は、性情淳厚温和なり。牙歯細小の人は、長年貧困にして、此の牙を「鬼歯」と謂う。
頷・耳・胸・背・手・肚・黒子・面形を鑑るの法
燕頷封侯,腮尖乏肉,意志不足。
下頷が燕子の頷のごとく方円豊満なる人は、以て侯を封ずべし。腮部尖削にして肌肉を缺少する人は、意志薄弱足らず。
耳輪厚大鮮明者,貴而且壽;小薄者,賤而且夭。
耳輪厚大にして輪廓鮮明なる人は、顕貴にしてまた長寿なり。耳輪細小単薄の人は、卑賤にしてまた短命なり。
虎項圓粗,富貴有餘;鶴頂了了,財物乏少。頸麄短者,富貴;長細者,貧賤。
脖頸が虎頸のごとくまた円くまた粗き人は、富貴余りあり。頭頸が鶴のごとく細長分明の人は、財物短少なり。脖頸粗短の人は、富貴なり。脖頸細長の人は、貧賤なり。
胸背如龜,富貴巍巍;胸長而方,智勇無雙。
胸と背と亀のごとく厚実隆起する人は、富貴崇高なり。胸膛長くして方正なる人は、智謀と胆勇と世に双ぶなし。
手足尖濃,指密而厚者,富貴;手如雞足,智意褊促;手如豬蹄,智意昏迷;手如狙掌,勤勞伎倆。
手脚の指端尖にして肉厚く、手指併攏緊密にして豊厚の人は、富貴なり。手が鶏爪のごとき人は、心智狭隘急促なり。手が猪蹄のごとき人は、心智昏昧不明なり。手が猿猴の手掌のごとき人は、一生勤苦にして、技芸手段に靠って活を過ごす。
肚如埀壺,富貴有餘。牛腹貪婪;狗腹窮寒;蝦蟆腹懶;蜥蜴腹緩。
肚子が懸垂の壺のごとく円満下墜する人は、富貴余りあり。肚子が牛腹のごとき人は貪婪なり。狗腹のごとき人は窮困寒微なり。蛤蟆腹のごとき人は懶惰なり。蜥蜴腹のごとき人は遅緩なり。
凡人聲欲深且實,不欲淺而虛,遠而不散,近而不亡,淺而非壯,深而不藏,大而不濁,小而不彰,細而不亂,幽而能明,餘響澂徹,有若笙簧,宛轉流韻,能圓而長。虎聲將軍,馬聲驍勇。雄聲雌視者,虛偽人也;氣急而聲重者,眞實人也。
凡人の声音は、沈深結実を以て好と為し、浅浮虚飄を宜しとせず――遠く伝わりて散乱せず、近く聴きても消失せず、音調は浅しと雖も衰弱せず、深しと雖も沈埋せず、声大にして渾濁せず、声小にして含混せず、細にして乱れず、幽微の中になお清朗なるべく、余音澄澈にして笙簧のごとく、回環流転して自ら韵致あり、円潤にして綿長なり。声が虎嘯のごとき人は、将軍を為すべし。声が馬嘶のごとき人は、驍勇善戦す。声音雄壮にして眼神卻って柔弱にして雌のごとき人は、虚偽の人なり。気息急促にして声音沈重の人は、誠実の人なり。
凡黑子欲得大而明,生隱處吉,露處凶。
凡そ黒痣は、長じて大にして色沢明潤を以て好と為す。隠蔽の処に長ずるは吉利にして、顕露の処に長ずるは凶険なり。
凡人面欲圓,胸欲方,上欲長,下欲短。
凡人の面部は円潤を以て好と為し、胸膛は方正を以て好と為し、上半身は長を以て好と為し、下半身は短を以て好と為す。
凡人胸欲厚,背欲負五嶽、成四瀆好,頭高足厚,頸短臂長,似虎似龍,所謂行、住、坐、臥,飲食音聲,似非一處也。
凡人の胸膛は厚実を以て好と為し、背部は五嶽を背負い四瀆を結成したるがごとき起伏勢ありを以て好と為す。頭部高聳し、脚章厚実にして、脖頸短くして手臂長く、形貌は虎に似てまた龍に似たり。謂うところの行走・站立・坐着・躺臥、連なりて飲食と説話の声音とは、処々皆常人と相同ならず。
頭骨・玉枕・額文を鑑るの法
腦頭高聳起,將軍。「□」三關玉枕,萬戶侯近下將軍;「◎」車輪枕,封侯;「□」三星枕,封王;「□」偃月枕,封三公;「□」四方枕,封侯;「□」十字枕,封二千石;「□」酒樽枕,二千石;三公「□」上字枕,封侯;「○」圓枕,封侯。
後脳高く聳起する人は、将軍を為すべし。以下の各条の前の符号は、原書の附する腦後玉枕骨の形状図にして、図形已に缺く、姑く方框を以て之に代う――三関形の玉枕は、主として万戸侯以下・将軍の一級なり。車輪形の枕骨は、侯を封ず。三星形の枕骨は、王を封ず。偃月形の枕骨は、位三公に至る。四方形の枕骨は、侯を封ず。十字形の枕骨は、官二千石に至る。酒樽形の枕骨は、官二千石に至る。上字形の枕骨は、位三公に至り侯を封ず。円形の枕骨は、侯を封ず。
「□」額上有北字文,將軍;「□」額上有兩立文,二千石;「□」眉間有四立文,封侯;「八」眉間有八字龍文,將軍;「□」眉間有三偃月文,封侯;「□」額上有覆月文,將軍;「八」眉上有文通髮,將軍;「土」眉間有土字文,封侯;「文」眉間有文字文者,兵死。
以下の各条の前の符号は、また原書の附する紋形図なり――額上に「北」の字紋あるは、将軍を為すべし。額上に両個の「立」の字紋あるは、官二千石に至る。眉間に四個の「立」の字紋あるは、侯を封ず。眉間に「八」の字形の龍紋あるは、将軍を為すべし。眉間に三道の偃月紋あるは、侯を封ず。額上に倒覆の月牙紋あるは、将軍を為すべし。眉上に紋路ありて髪際に直通するは、将軍を為すべし。眉間に「土」の字紋あるは、侯を封ず。眉間に「文」の字紋あるは、兵刃に死せん。
凡人色,欲正不欲邪。白如凝脂,黑如傅漆,紫如爛椹,黃如蒸粟,赤如炎火,青如浴藍,皆三公、將、相也。
凡人の気色は、純正を以て好と為し、偏邪を宜しとせず。白きこと凝固の油脂のごとく、黒きこと新たに塗るの漆のごとく、紫きこと熟透の桑椹のごとく、黄きこと蒸熟の小米のごとく、紅きこと燃焼の火焰のごとく、青きこと剛に染出した藍草のごとき、此の類の気色を具備する人は、皆三公・将軍・宰相の相なり。
相馬篇 第三十二
經曰:相馬之法,先相頭耳:耳如撇竹,眼如鳥目,麞脊、麟腹、虎胸,尾如垂帚。次相頭骨:稜角成就,前看、後看、側看,但見骨側狹,見皮薄露,鼻衡柱側,高低額欲伏,臺骨分明,分段俱起,視盼欲遠,精神體氣高爽。〈○張刻本無此四句。按:下文云「高舉而遠望,淫視而遠聴」,又云「胸前三臺骨欲起,分段分明」,與此文意複,疑張本得其眞也。今姑存之。〉
本経に曰く――馬を相るの法は、先ず頭と耳とを看よ。耳朶は削尖の竹片のごとくあるべく、眼睛は鳥の眼睛のごとくあるべく、脊背は獐に似、腹部は麒麟に似、胸膛は虎に似、尾巴は倒垂の掃帚に似たるべし。其次に頭骨を看よ――棱角は長じて端正到位なるべく、前面・後面・側面より看るに、皆ただ骨相の側薄緊凑なるを見、皮薄にして筋骨微露し、鼻梁の骨柱端正にして、額頭高低起伏して略ば前に俯く、台骨分明にして、各段の骨節は皆隆起し、眼神能く深遠を看、精神体気高朗爽利なり。(校記:張刻本に此の四句なし。按:下文に「高擧而遠望、淫視而遠聴」と曰い、また「胸前三台骨欲起、分段分明」と曰うは、此処と文意重複す。張刻本こそ原貌なるを疑心う。今姑く保留す。)
立蹄攢聚,行止循良,走驟輕躁,毛鬣輕潤,喘息均細;擎頭如鷹,龍頭高舉而遠望,淫視而遠聽,前看如雞鳴,後看如蹲虎;立如獅子,闢兵萬里;頷鼻中欲得受人拳;名曰「太倉」。
站立する時は四蹄収攏聚斉し、行走停止は皆規矩に合い、奔跑し起るや軽捷霊動にして、毛と鬃と軽軟潤沢し、喘息均勻細微なり。頭を抬げるや鷹のごとく、龍形の頭は高く揚りて遠くを望み、目光流転して能く遠くを望み耳能く遠くを聴き、前面より看れば雄鶏の頸を引きて暁を報ずるに似、後面より看れば老虎の蹲踞するに似る。站立する時は獅子の一般にして、能く万里の内の兵禍を辟除す。下頷と鼻との間の凹処は、能く一人の拳頭を容下すべし。この部位を「太倉」と謂う。
太倉寬易飼。胸臆欲闊。胸前三臺骨欲起,分段分明。鬣欲高,頭欲方,目欲大,而光脊欲強壯有力,腹脇欲張,四下欲長。耳欲緊小,小卽耐勞。目大膽,大膽則不驚。鼻欲大,鼻大則肺大,肺大則能走。膁欲小,小則易飼。肋欲得密。
「太倉」寛闊の馬は養い易し。胸膛は開闊なるべし。胸前の三台骨は隆起すべく、段落分明なり。鬃毛は高く、頭は方に、眼睛は大にして光有るべし。脊背は強壮有力に、腹部两脇は開張に、四条の腿は長あるべし。耳朶は緊凑短小なるべし、耳小なれば則ち労に耐えん。眼大なれば則ち胆大なり、胆大なれば則ち驚を受け易からず。鼻孔は大なるべし、鼻大なれば則ち肺大なり、肺大なれば則ち跑る能し。腰間の軟肋は小なるべし、小なれば則ち養い好し。肋骨は長じて緊密なるべし。
口欲上尖下方,舌欲薄長赤色如朱,齒欲顎瓣分明,牙欲去齒二寸,腹下欲廣且平方。牙欲白,則長壽。望之大,就之小,筋馬也。前視見目,傍視見腹,後視見肉,駿馬也。
嘴は上尖下方に、舌頭は薄くして長く、顔色は朱砂のごとく紅なるべく、牙歯と歯齦の瓣界とは分明なるべく、臼歯は門歯より二寸を距て、腹下は寛広にして平正なるべし。牙色は白なるべし、白なれば則ち長寿す。遠く望みて高大と顕れ、近づきて卻って瘦小と顕るは、これ筋骨結実の馬なり。前面より看れば眼睛を見得、旁より看れば腹部を見得、後面より看れば臀肉を見得るは、これ駿馬なり。
齒欲齊密,上下相當,上唇欲急而方,下唇欲緩而厚,口欲紅而有光,如穴中看火,千里馬也。臆間欲廣一尺以上,能久走,頭欲高,如剝兔龍顱,穴目平脊,大腹䏶肉多者,行千里;眼中紫縷貫瞳子者,五百里;上下徹者,千里。〈○此二句原脫,依文瀾閣本補。〉
牙歯は斉整緊密なるべく、上下咬合同じく相當し、上唇は収緊にして方正に、下唇は松緩にして厚実に、口内は紅潤にして光あり、洞穴の裏より火を看るがごときは、これ千里馬なり。胸膛の間は一尺以上を寛ぐべく、初めて久しく跑る能し。頭は高昂なるべく、形状は皮を剥きたる兎頭のごとく、また龍の頭顱のごとく、眼窩深陷・脊背平直にして、腹大にして後腿の肌肉豊厚なるは、日行千里なり。眼中に紫色の細紋ありて瞳仁を貫穿するは、日行五百里なり。紫紋上下通透するは、日行千里なり。(校記:此の两句原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う。)
凡馬不問大小肥瘦,數肋有十二、十三,四百里;十四、十五,五百里。旋毛起腕膝上者,六百里;腹脊上者,五百里;項轅大者,三百里;目中有童人如並立並坐者,千里。羊鬚中生距如雞者,五百里。耳本下角長一二寸者,千里。頭如渴鳥者,千里。馬初生無毛,七日方得行者,千里。
凡そ馬は、大小肥瘦を論ぜず、先ず其の肋骨を数えよ。十二・十三根あるは、日行四百里なり。十四・十五根のは、日行五百里なり。旋毛は腕・膝以上に長ずるは、日行六百里なり。腹背の上に長ずるは、日行五百里なり。頸項と轅骨と粗大のは、日行三百里なり。瞳仁の中に映出するの人影が並肩して站立し或は并排して坐するがごときは、日行千里なり。羊鬚のごとき鬚毛の中に鶏距のごとき硬刺を長出するは、日行五百里なり。耳根下方の角状骨の長さ一二寸のは、日行千里なり。頭形が水を汲むの曲筒「渇烏」のごときは、日行千里なり。馬は剛に出生した時毛なく、七天を過ごして初めて行走し得るは、日行千里なり。
尿過前蹄一寸已上者,五百里;尿舉如一足大者,千里。腹下有逆毛者,千里。蘭孔中有筋皮及毛者,五百里,眼上孔是也。蹄青黑赤紅白,硬如蚌,有隴道成者,軟口叉吻頭厚者,硬口叉淺者,不能食眼下無伏蟲及骨者,咬人。目小多白,驚。後足欲曲,腕耳中欲促。凡馬後兩足白者,老馬駒;前兩足白者,小馬駒。
尿を撒いて前蹄一寸以上を射過するは、日行五百里なり。尿を撒く時腿を抬ぐること一足に及ぶは、日行千里なり。腹下に逆生毛を長ずるは、日行千里なり。「蘭孔」の中に筋皮と毛とを長ずるは、日行五百里なり。蘭孔は則ち眼睛上方の凹孔なり。馬蹄は青・黒・赤・紅・白色を呈し、硬きこと蚌殻のごとく、並びに隆起溝脊ありて道を成すは、好蹄なり。口軟にして吻角唇頭厚きは、軟口馬なり。吻角浅きは、硬口馬なり。眼下に伏虫肉と骨突と無く、好好に進食する能わざるは、人を咬まん。眼睛小にして眼白多きは、驚を受け易し。後腿は略ば弯曲を帯び、腕部と耳内とは皆緊凑なるべし。凡そ馬の後面两蹄白色のは、老馬の生むの駒なり。前面两蹄白色のは、小馬の生むの駒なり。
馬有五勞:卸鞍不𩥇者,骨勞;𩥇而不起者,筋勞;起而不振者,皮勞;振而不噴者,氣勞;噴而不尿者,血勞。骨勞,絆之𨚫行三十步,差。皮勞,以手摩兩鞍下,汗出,差。氣勞,長韁牽之行得尿者,差。血勞,高繫,勿令頭低而食,差。馬口,春青色、夏赤色、秋白色、冬黑色,皆死,此名入口病也。
馬に五種の労損あり――鞍子を卸下するも滾を打たざるは、骨労なり。滾を打つも起き來らざるは、筋労なり。起き來るも身子を抖擻せざるは、皮労なり。抖擻し過ごすも響鼻を打たざるは、気労なり。響鼻を打つも尿を撒かざるは、血労なり。骨労を治するは、絆索を用いて彼を绊住し、彼をして倒退して三十歩を走らしめれば、則ち痊愈す。皮労を治するは、手を用いて両側の鞍墊の底下を摩擦し、汗を出るまで摩れば、則ち痊愈す。気労を治するは、長き繮繩を用いて彼を牽きて走らしめ、尿を撒き出すまで走れば、則ち痊愈す。血労を治するは、彼を高く拴き起して、彼をして頭を低うして食を喰わしめざれば、則ち痊愈す。馬嘴裏の顔色は、春に青を発し夏に赤を発し秋に白を発し冬に黒を発するは、皆死せん。此の病を「入口病」と謂う。
誓衆軍令篇 第三十三
經曰:陶唐氏以人戒於國中,欲人強其命也。有虞氏以農教戰,漁獵簡習,故人體之。夏后氏誓眾於軍中,欲人先其慮也。殷人誓眾於軍門之外,欲人先意以待事也。周人將交白刃而誓之,以致人意也。夏賞於朝,賞善也;殷戮於市,戮不善也。周賞於朝,戮於市,兼質文心也。夫人,以心定言,以言出令,故須振雄略,出勁辭,銳鐵石之心,凜風霜之氣,發揮號令,申明軍法。
本経に曰く――陶唐氏の唐堯は国都の中に於て民衆を告誡す、要して人々に其の受くる所の命令を堅守せしめんと欲すなり。有虞氏の虞舜は農を務むるの時節を借りて作戦を教習し、魚を打ち獣を猟りて以て隊伍を演練す。故に民衆は軍旅の事を身体に体会せり。夏后氏は軍営の中に於て師を誓い、要して人々に事先に思慮あるを欲すなり。殷人は軍門の外に於て師を誓い、要して人々に預め心志を存して戦事を待たしめんと欲すなり。周人は双方の刀刃将に相接せんとするに及んで師を誓い、要して士気を極点に激発せしめんと欲すなり。夏代は朝廷の上に於て賞を行うは、善行を褒奨する為なり。殷代は鬧市の中に於て刑を行うは、悪行を懲処する為なり。周代は既に朝廷に於て賞を行い、また鬧市に於て刑を行うは、質朴と文飾の両種の用心を兼取するなり。人は総じて先ず心裏に説かんとするの話を定め、再び話より号令を発出す。故に師を誓う時は必ず雄壮の謀略を振起し、剛勁の言辞を説出し、鉄石の一般の心腸を磨礪し、風霜の一般の凛冽の気概を透出して、号令を発揮し出だし、軍法を申明して清かにすべし。
誓眾文:某將軍某乙告爾六軍將吏士伍等。聖人弦木為弧,剡木為矢,弧矢之利,以威不庭。兼弱攻昧,取亂侮亡。今戎夷不庭,式干王命,皇帝授我斧鉞,肅將天威,有進死之榮,無退生之辱,用命賞於祖,不用命戮於社。軍無二令,將無二言,勉爾乃誠,以從王事,無干典刑。
誓師の文告――某将軍某某は、你ら六軍の将佐・吏員と士卒各伍に告諭す。上古の聖人は木頭を弯えて弓を作り、木頭を削りて箭を作り、弓箭の鋒利を以て朝覲に来らざるの邦国を威懾せり。弱小を兼并し、昏暗を攻取し、動乱の国を奪取し、将亡の邦を軽侮せり。如今戎狄は朝覲に来らず、天子の命令を触犯せり。皇帝は斧鉞を我に授けて、我に命じて恭敬に上天の威罰を執行せしむ。前進して戦に死するは光栄なり、後退して生を偸むは恥辱なり。命令に聴従する者は、祖廟の前に於て賞を受けん。命令に聴従せざる者は、社壇の前に於て処死せん。軍中は両様の号令を出さず、主将は両様の話を説かず。你らに望む、力を勉めて自らの忠誠を尽くし、以て王事を奉行し、国家の常刑を触犯するなかれ。
軍令:經曰:師眾以順為武,有死無犯為恭,故穰苴斬莊賈,魏絳戮楊干,而名聞諸侯,威震鄰國。令之不行,不可以稱兵。三令而不如法者,吏士之罪也;申明而不如法者,將之過也。先甲三日,懸令於軍門,付之軍正,使執本宣於六軍之眾。有犯命者,命軍正準令按理而後行刑,使六軍知禁而不敢違也。
軍令。本経に曰く――軍隊は服従を以て勇武と為し、寧ろ死に赴くとも軍令を触犯せずして初めて恭謹と謂う。故に司馬穰苴は遲到した監軍荘賈を斬り、魏絳は晋侯の弟楊干の車夫を処死し、因りて名声は諸侯に伝遍り、威勢は隣国を震動せり。号令行き通らざれば、則ち兵を帯びて仗を打つ能わず。号令下達して三次するもなお法度に照らして執行せざるは、吏士の罪過なり。号令曾て申明して清からず以致して法度に合わざるは、主将の過失なり。頒行するの前に期を先んじて三日、軍令を軍門の上に懸挂し、軍正に交付して、彼に正本を拿らせて六軍将士に向かって宣読せしむ。軍令を触犯する者あらば、軍正に命じて令文に依照して其の事を核実せしめ、然る後に刑を行い、六軍をして皆禁令を知って敢えて違犯せざらしめん。
一、漏軍事者,斬;漏洩軍中陰謀及告事者,皆死。一、背軍走者,斬;在道及營臨陣同。一、不戰而降敵者,斬;背順歸逆同。一、不當日時後期者,斬;詐事會戰同。阻雨雪水火不坐。一、與敵人私交通者,斬,籍沒其家;言語書疏同。
一、軍事機密を泄漏するは、斬。軍中の密謀を泄露しおよび外に向かって軍情を通報するは、一律に処死す。一、部隊を背棄して逃跑するは、斬。行軍の途中・営の中と陣に臨みて逃跑するは、同じく処置す。一、戦わずして敵人に投降するは、斬。順従を背棄して叛逆に帰附するは、同じく処置す。一、規定の日期時辰に到達せず期限を误るは、斬。有事を假托して会戦を躲避するは、同じく処置す。大雨大雪・水災火災に因りて受阻し期を误るは、罪を問わざるなり。一、私に敵人と交通往来するは、斬し、並びに彼の家産を抄没す。口頭に話を伝え書信往来するは、同じく処置す。
一、失主將者,斬;隨從則不坐。一、失旌旗節鉞者,連隊斬;與敵人所取同。一、臨難不相救者,斬;為敵所急不相救者同。一、誑惑訛言,妄說陰陽卜筮者,斬;妄說鬼神災祥以動眾者同。一、無故驚軍者,斬;呼呌奔走,妄言煙塵者同。
一、主将を丢失するは、斬。終始主将の身辺に跟隨するは罪を問わざるなり。一、旌旗・符節・斧鉞を丢失するは、全隊連坐して斬を処す。敵人に奪去せらるるは、同じく処置す。一、危難に臨みて相互に救援せざるは、斬。同袍が敵人に逼迫せられて坐視して救わざるは、同じく処置す。一、謊言を用いて人心を蛊惑し胡乱に陰陽卜筮を講説するは、斬。胡乱に鬼神災異祥瑞を講説して衆人を煽動するは、同じく処置す。一、無縁無故に全軍を驚動するは、斬。大呼小叫・奔走乱竄・敵騎の煙塵将に至らんと謊報するは、同じく処置す。
一、遺棄五兵軍裝者,斬;不謹固檢察者同。一、自相竊盜者,斬,不計多少。一、將吏守職不平,藏情相容者,斬;理事曲法者同。一、以強凌弱,樗蒲忿爭,酗酒喧競,惡罵無禮,於理不順者,斬;因公宴集醉者,不坐。一、軍中奔走軍馬者,斬;將軍已下,並步入營乘騎者同。
一、戈・殳・戟・酋矛・夷矛のこの五種の兵器と随身の軍装とを丟棄するは、斬。軍装器械を看管検査するに厳謹牢靠ならざるは、同じく処置す。一、軍中に相互に偸盗するは、斬、盗む所の多少を論ぜず。一、将領吏員が官に居るに不公、実情を隠匿し彼此包庇するは、斬。事を弁ずるに法を枉げるは、同じく処置す。一、強を以て弱を欺き、賭博争吵し、酒を酗りて喧鬧して相争い、悪語辱罵・失礼悖理するは、斬。公務宴会聚飲に因りて醉するは、罪を問わざるなり。一、軍営の裏に於て馬を縱りて奔馳するは、斬。規定に按じて将軍以下は一律に歩行して営に入るべきに、馬に騎りて営に進むは、同じく処置す。
一、破敵先擄掠者,斬;入敵境亦同。一、更鋪失候,犯夜失號,擅宿他火者,斬;恐奸得計。一、守圍不固者,斬;罪一火主吏。一、不伏差遣,及主吏役使不平者,斬;有私及強梁者同。一、侵欺百姓,姦居人子女,及將婦人入營者,斬;恐傷人軍中,愼子女氣。一、違將軍一時一命,皆斬。
一、敵軍を撃破した後に先を搶いて擄掠するは、斬。敵境に入りて擅自に擄掠するは、同じく処置す。一、値更守舗にて更次を误り、夜間行走して口令を答え出さず、擅自に別の「火」の裏に到りて住宿するは、斬。これは奸細が機に乗じて逞を得るを防ぐなり。一、囲栅を守衛するに厳密牢固ならざるは、斬。ただ該当する火の主管吏員一人の罪を治す。一、差遣に服従せず、および主管吏員が士卒を役使するに不公平なるは、斬。其の中に私心を夾帯しおよび横暴にして強を逞しゅうするは、同じく処置す。一、百姓を侵奪欺圧し、民家の子女を奸淫し、および婦人を帯びて軍営に進入するは、斬。これは軍中の和気を傷つくるを怕るなり、また男女の事に対して慎重せよ。一、将軍の命令を違背するは、一時一事たりとも一律に斬を処す。
關塞四夷篇 第三十四
經曰:關塞者,地之要害也。設險守固,所以乖蠻隔夷,內諸夏而外夷狄,尊衣冠禮樂之國,卑氊裘毳服之長,是以荒要侯甸從此別矣。
本経に曰く――關隘要塞は、地形上の要害の処なり。険阻を設置し堅固を堅守して、以て蠻夷を外に阻隔し、中原の諸夏を以て内と為し夷狄を以て外と為し、衣冠礼楽の邦を尊崇し、毡裘毛毳を穿つるの部落酋長を看輕す。これに因りて《尚書・禹貢》の謂う所の荒服・要服・侯服・甸服等の区画も、またここより分別せらる。
關內道:自京西出塞門鎭,經朔方節度,去西京一千三百五十里,去東京二千里,關五原塞表。匈奴之故地,以渾邪部落為臯蘭都督府,斛律部落為高關州,渾卜焦部落為浚稽州,魯麗塞下置六胡州,黨項十四拓拔、舍利、僕固、野剎、桑乾、節子等部落牧其原野。
關内道――西京長安より西に向かいて塞門鎮を出で、朔方節度使の辖区を経過し、西京を距ること一千三百五十里、東京洛陽を距ること二千里、關口は五原の塞外に設く。ここは匈奴の旧地にして、朝廷は渾邪部落を以て皋蘭都督府を設置し、斛律部落を以て高關州を設置し、渾卜焦部落を以て濬稽州を設置し、魯麗塞の下に六胡州を設置す。党項十四部および拓拔・舍利・僕固・野剎・桑干・節子等の部落はこの一帯の原野の上に於て放牧す。
黃河北道:安北舊去西京五千二百里,西京六千六百里;今移在永清,去西京二千七百里,東京三千四百里,關大漠以北。回紇部落為瀚海都督府,多覽部落為燕然都督府,思結部落為盧山都督府,同羅、拔拽古部落為幽陵都督府,同羅部落為龜林都督府,匐利羽為稽田州,奚結部落為雞鹿州,道歷陰山、羊那山、龍門山、牛頭山、鐵勒山、北庭山、眞檀山、木刺山、諾眞山,涉黑沙道,入十姓部故居地。
黄河北道――安北都護府の旧治は西京を距ること五千二百里、東京を距ること六千六百里(原文の後の一処はなお「西京」と作るは、当に「東京」の误なるべし)。如今永清に移治し、西京を距ること二千七百里、東京を距ること三千四百里、關口は大沙漠の北に在り。朝廷は回紇部落を以て瀚海都督府を設置し、多覧部落を以て燕然都督府を設置し、思結部落を以て盧山都督府を設置し、同羅・拔拽古部落を以て幽陵都督府を設置し、同羅部落を以て亀林都督府を設置し、匐利羽を以て稽田州を設置し、奚結部落を以て鶏鹿州を設置す。この路は陰山・羊那山・龍門山・牛頭山・鉄勒山・北庭山・真檀山・木刺山・諾真山を経過するを要し、黒沙磧道を穿ちて、突厥十姓部落の旧居の地に進入す。
河東道:自京西東出蒲律關,經太原,抵河東節度,去西京二千七十五里,去東京一千六百四十五里,關榆林塞北。以頡利左渠故地置定襄都督府,管等六州。以右渠地置雲中都督府,管阿史那等五州。道歷三川口,入三山母谷,道通室韋大落泊,東入奚,西入默啜故地。
河東道――西京より東に向かいて蒲律關を出で、太原を経過し、河東節度使の辖区に抵達し、西京を距ること二千零七十五里、東京を距ること一千六百四十五里、關口は楡林塞の北に在り。朝廷は突厥頡利可汗の左廂の旧地を以て定襄都督府を設置し、六州を管轄し、右廂の地を以て雲中都督府を設置し、阿史那等の五州を管轄す。この路は三川口を経過するを要し、三山母谷に進入り、路は室韋の大落泊に通じ、東に往きて奚族の地界に進入り、西に往きて黙啜可汗の故地に進入す。
隴右道:自西京出大鎭關,經隴西節度,去西京一千四百里,去東京一千二百七十五里,南出,關黨項雜羌,置據叢鱗可等四十州,分隸緣邊等諸州,西距吐番,去西京一萬二千里,北去鳳林關,度黃河西南,入鬱標、柳谷、彰豪、清海、大非海、鳥海、小非海、星海、泊悅海、萬海、白海、魚海,入吐番。
隴右道――西京より大鎮關を出で、隴西節度使の辖区を経過し、西京を距ること一千四百里、東京を距ること一千二百七十五里、南に向かいて關を出でれば、關外は党項と雑居の諸羌なり。朝廷はここに於て據・叢・鱗・可等の四十州を設置し、各々辺に沿うの諸州に隷属す。西に往きて吐蕃に直抵し、西京を距ること一万二千里。北に向かいて鳳林關を出で、黄河を渡りて西南に行き、鬱標・柳谷・彰豪・清海・大非海・鳥海・小非海・星海・泊悦海・万海・白海・魚海を経過して、吐蕃に進入す。
河西道:自京西西北出蕭關、金城關,自河西節度,去西京二千一十里,去東京二千八百十一里,〈○此句原脫,依文瀾閣本補。〉北海、抵日亭海、彌娥山、獨洛河道,入九姓十箭三屈故居地。
河西道――西京より西北に向かいて蕭關・金城關を出で、河西節度使の辖区に由りて北上し、西京を距ること二千零一十里、東京を距ること二千八百一十一里(校記:「去東京」のこの一句原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う)、北面に北海を経て、日亭海・弥娥山・独洛河の一線に抵達し、突厥九姓・十箭・三屈部落の旧居の地に進入す。
北庭道:自北京西出,經河西節度,出玉門關,涉河關、菖蒲海東出,高昌故地置西州,以突厥處密部落為瑤池都督府,以雜種故胡地部落為庭州、為北庭都護,去西京一千七百五十六里,去東京六千八百七十六里,北抵播塞厥海、長海、關海、曲地。以突結骨部落置堅昆都督府,管拘勃都督府,為燭龍州,北抵瀚海,去西京二萬餘里。
北庭道――北京太原府より西に向かいて出発し、河西節度使の辖区を経過し、玉門關を出で、河關を渡り、菖蒲海の東側に由りて穿ち出づ。高昌の旧地に於て西州を設置し、突厥処密部落を以て瑶池都督府を設置し、雑胡旧地の各部落を以て庭州を設置し・北庭都護府を置き、西京を距ること一千七百五十六里、東京を距ること六千八百七十六里、北面に播塞厥海・長海・關海と曲地とに抵達す。また突厥結骨部落を以て堅昆都督府を設置し、拘勃都督府を管轄して、燭龍州と為し、北面に瀚海に直抵し、西京を距ること両万余里なり。
安西道:自西京出涉交河,出鐵門關,至安西節度,去西京八千五十里,去東京八千八百五十里,路入疏勒、鄢耆、碎葉、於闐、黑海、雪海、大宛、月支、康居、大夏、奄蔡、黎軒、條支、烏孫等國。
安西道――西京より出発し、交河を渡り、鉄門關を出で、安西節度使の辖区に到達し、西京を距ること八千零五十里、東京を距ること八千八百五十里、路に沿うて疏勒・焉耆・碎葉・于闐・黒海・雪海・大宛・月支・康居・大夏・奄蔡・黎軒・條支・烏孫等の国に進入すべし。
劒南道:自東京西南出大散關,經甘亭關、百牢關,越劒門關、松嶺關,至劒南節度,去西京二千三百七十里,去東京三千二四十六里。出蠶涯關,過筰道雜羌六十四州,分列山谷路,入吐蕃。南出邛僰,〈○「分列」下九字原脫,依文瀾閣本補。〉開通越巂,度瀘河、雲南關,西南徼外雜蠻置冉蒙、弄覽六十州,路入甘河、夜郎、滇池、身毒、五天竺國,去西京三萬五千里。
剣南道――東京より西南に向かいて大散關を出で、甘亭關・百牢關を経過し、剣門關・松嶺關を越過して、剣南節度使の辖区に到達し、西京を距ること二千三百七十里、東京を距ること三千二百四十六里。蚕涯關を出でて、筰道一帯の雑羌六十四州を経過し、これらの州は山谷道路の間に分布排列し、これに由りて吐蕃に進入すべし。南に向かいて邛・僰の地を出でて(校記:「分列」以下の九字原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う)、越巂を開通し、瀘水を渡り云南關を経過す。西南辺塞の外の雑蠻の地に冉蒙・弄覧等の六十州を設置し、路に沿うて甘河・夜郎・滇池・身毒と五天竺の各国に進入すべく、西京を距ること三万五千里なり。
范陽道:自西京出潼關,至范陽節度,去西京二千五百二十里,去東京一千六百八十六里,北去居庸關、盧龍關塞外東胡故地。以契丹蕃長置饒察都督府,回紇五部落分為五州,以白霫部落為居延州,黑霫部落為寘顏州,北至烏羅渾,去西京一萬五千里。
范陽道――西京より潼關を出で、范陽節度使の辖区に到達し、西京を距ること二千五百二十里、東京を距ること一千六百八十六里、北に向かいて居庸關・盧龍關を出でれば、便ち塞外東胡の旧地なり。朝廷は契丹の部落首領を以て饒察都督府を設置し、回紇の五つの部落を分かちて五州を設置し、白霫部落を以て居延州を設置し、黒霫部落を以て寘顔州を設置し、北面に烏羅渾に到達し、西京を距ること一万五千里なり。
平盧道:自西京經范陽節度東,至榆林關,至平盧〈○此下舊抄本並脫,以文瀾閣本、參張刻本補。〉節度,去西京二千七百里,去東京三千里,抵安東,渡遼水路,接奚、契丹、室韋、勃海、靺鞨、高麗、黑水。
平盧道――西京より范陽節度使の辖区を経て東に往き、楡林關に到り、再び平盧節度使の辖区に到る(校記:ここより下、旧抄本は皆脱漏せり、今文瀾閣本に拠り并せて張刻本を参照して補う)、西京を距ること二千七百里、東京を距ること三千里、安東都護府に抵達す。遼水を渡るのこの路は、奚・契丹・室韋・渤海・靺鞨・高麗・黒水の諸部を連接す。
嶺南道:自西京南出藍田關,涉漢江,越大庾嶺,經南海節度,去西京五千六百里,去東京四千二百七十里,路入銅柱、林邑、九眞、日南、高眞臘、銅勒、交趾等國。
嶺南道――西京より南に向かいて藍田關を出で、漢江を渡り、大庾嶺を翻越し、南海節度使の辖区を経過し、西京を距ること五千六百里、東京を距ること四千二百七十里、路に沿うて銅柱・林邑・九真・日南・高真臘・銅勒・交趾等の国に進入すべし。
河南道:自西京出潼關,經東萊節度,去西京二千七百六十里,去東京一千八百五十三里。東涉滄海,距熊律都督府北濟國,又東抵雞林都督府新羅國,又東南經利磨國屬羅,涉海達倭國,一名日本。其海行不計裡數。
河南道――西京より潼關を出で、東莱節度使の辖区を経過し、西京を距ること二千七百六十里、東京を距ること一千八百五十三里。東に向かいて滄海を渡りて、熊律都督府の所在する北済国に到り得、再び東に往きて鶏林都督府の所在する新羅国に抵達し、再び東南に経て利磨国と属羅とを過ごし、海を渡りて倭国に到達す。また日本とも謂う。この一段の海路の里数は計算するの法なし。
《神機制敵太白陰經》巻三 終
攻城具篇 第三十五
經曰:善守者,藏於九地之下;善攻者,動於九天之上。人所不見謂之九地,見所不及謂之九天。是故墨翟縈帶為垣,公輸造飛雲之梯,無所施其巧。所謂善守者,敵不知其所攻;善攻者,敵不知其所守。守而必固者,守其所不攻;攻而必取者,攻其所不守。孫武子曰:「具器械,三月而後成;拒城闉,三月而後已。」其攻守之具,古今不同。今約便事而用之。
本経に曰く――善く防守する者は、兵力を九地の下に蔵す。善く進攻する者は、兵力を九天の上に発動す。別人の看見し得ざるを「九地」と謂い、看見し得ても及ぶ能わざるを「九天」と謂う。故に当年墨翟はただ衣帯を用いて一道の城牆を囲成し、公輸般は飛雲梯を造出するも、また其の巧技を施展する能わざりき。謂うところの善守は、敵人をして何れの処を攻むべきかを知らざらしむるなり。謂うところの善攻は、敵人をして何れの処を守るべきかを知らざらしむるなり。防守必ず牢固たるは、敵人の攻め往かざるの処を守住したるが以てなり。進攻必ず手を得るは、敵人の防守せざるの処を攻打したるが以てなり。《孫子兵法》に曰く「城を攻むるの器械を準備するに、三箇月にして初めて完成す。土を堆りて山を成し城郭に抵近するに、また三箇月にして初めて停当す」と。攻守の用いる所の器具は、古今各々相同ならず、今日はただ実用に便なるを択取して採用す。
轒轀車,四輪,車上以繩為脊,犀皮蒙之,下藏十人,塡隍推之,直抵城下,可以攻掘,金木火石所不能及。
轒輼車――四個の輪子あり、車上に繩索を用いて脊架を編成し、外に犀牛皮を蒙せ、車下に十個人を蔵るべし。一辺城壕を塡平して一辺推進し、直に城牆の脚下に抵るに至りて、以て城牆を凿挖すべし。敵人の金刃・木石と火攻と皆車下の人を傷つくる能わず。
飛雲梯,以大木為床,下置六輪,上立雙牙。有栝梯,長一丈二尺;有四梲,相去三尺。勢微曲遞,互相栝飛於雲間,以窺城中。其上城首冠雙轆轤,〈○原本誤重「雙」字,依《通典》百六十引此文刪。〉枕城而上。
飛雲梯――大木を用いて底座を做り、下に六個の輪子を装し、上に两根の牙柱を立起す。梯身に栝榫を設けて以て節を逐いて接続すべく、毎節の長さ一丈二尺なり。また四道の短柱横木あり、彼此相距ること三尺なり。梯勢は稍ば弯曲を帯び節を逐いて逓接し、互相に栝合して雲間に高擧し、以て城中を窺視す。梯子が城頭に搭上するの一端に両個の轆轤を装す(校記:原本「雙」の字误りて重出す、《通典》巻一百六十の引く此文に拠りて删去す)、城牆の上に架ければ則ち攀登し上るべし。
砲車,以大木為床,下安四輪,上建雙陛,陛間橫栝,中立獨竿,首如桔橰狀,其竿高下長短大小,〈○原本「竿」上誤衍「高」字,依《通典》刪。〉以城為準。竿首以窠盛石小大多少,隨竿力所制,人挽其端而投之。其車推轉逐便而用之,亦可埋腳著地而用。其旋風四腳,亦隨事用之。
砲車――大木を用いて底座を做り、下に四個の輪子を安じ、上に两根の柱架を竪起し、柱架の間に栝木を横穿し、正中に一根の独竿を立て、竿頭の形状は水を汲むの桔槔に似たり。竿の高低長短大小は(校記:原本「竿」の字の上面に误りて一個の「高」の字を衍す、《通典》に拠りて删去す)、攻むる所の城牆の高度を以て準と為す。竿頭は窠斗を用いて石彈を盛放し、石彈の大小多少は、竿の拋射力に取决り、人に另一端を拉動せしめて以て石彈を拋げ出さしむ。この車は推して転移し宜に随いて使用し得、また車脚を地の裏に埋め進めて固定して使用し得。別に旋風砲の四脚砲架あり、また情况を看て採用すべし。
車弩,為軸轉車,車上定十二石弩弓,以鐵鈎連軸,車行軸轉,引弩持滿,弦掛牙上。弩為七衢:中衢大箭一簇,長七寸,圍五寸;箭笴長三尺,圍五寸;以鐵葉為羽。左右各三箭,次差小於中箭,其牙一發,諸箭皆起,及七百步所中,城壘無不崩潰,樓櫓亦顚墜。〈○張刻本無此句,今依文瀾閣本。〉
車弩――転軸を帯びたる車を做成し、車上に一張の十二石の強度の弩弓を固定し、鉄鈎を用いて弩弦を軸に連ね、車一行けば則ち軸は転動し、弩弦を拉満して、弦は弩牙に挂る。弩身は七道の箭槽に分作す――中間の一道は大箭を放ち、箭鏃の長さ七寸・囲り五寸、箭杆の長さ三尺・囲り五寸、鉄片を用いて箭羽と為す。左右は各々三支の箭を放ち、依次に中間のあの支に比べて略ば小なり。弩牙一たび発すれば、各箭は斉しく射出して、射程は七百歩に及ぶべく、凡そ射中する所の城牆壁壘は崩塌せざるなく、敵楼望櫓もまた之に随いて墜落す。(校記:此の一句、張刻本になし、今文瀾閣本に依りて保留す。)
尖頭轤,以木為脊,長一丈,徑一尺五寸,下安六腳,下闊而上尖,高七尺,可容六人。以濕牛皮蒙之,人蔽其下,〈○「人蔽」二字原倒,依《通典》乙轉。〉共昇直抵城下,木石金火不能及,用攻其城。〈○張刻本無此句,今依文瀾閣本。〉
尖頭轤――木料を用いて脊梁を做り、長さ一丈、直径一尺五寸、下に六隻の脚を安じ、下部は寛闊にして上部は尖削、高さ七尺にして、以て六個人を容納すべし。外に湿牛皮を蒙せ、人は其の下に蔵れ(校記:「人蔽」の二字原本顛倒す、《通典》に拠りて乙正す)、一齐に彼を抬きて直に城下に推して、木石・金刃・火攻は皆人を傷つくる能わず、以て城を攻む。(校記:此の一句、張刻本になし、今文瀾閣本に依りて保留す。)
土山,於城外堆土為山,乘城而上。
土山――城外に於て土を堆りて山を成し、土山の高度を憑借して城牆に登上す。
地道,鑿地為道,行於城下,因攻其城。每一丈建柱,以防崩陷,復積薪於柱間而燒之,柱折城崩。
地道――地を挖りて隧道を成し、城牆の下に通じ、これを借りて城を攻む。毎に一丈を挖るに一根の支柱を立てて、塌陷を防ぎ、城基に挖り到りて後に、再び柱子の間に柴薪を堆積して火を点了して焚焼し、柱子焼き断たれれば、城牆は便ち之に跟いて塌り下る。
板屋,以八輪車,車上樹高竿,上安轆轤,以繩挽板屋上竿首,以窺城中。板屋〈○此九字文瀾閣本脫去,今依張刻。〉高五尺,方四尺,有十二孔,四面列布,車可進退圍城而行於營中,遠望謂之巢車,狀若鳥巢。
板屋――八輪車を用い、車上に高竿を竪起し、竿頂に轆轤を安じ、繩子を用いて板屋を竿頂に拉り到らしめ、上より城中を窺視す。板屋は(校記:此の九箇の字、文瀾閣本脱去せり、今張刻本に依りて補う)高さ五尺、四面各々寛さ四尺、十二個の孔を開きて四面に排布す。車は前進後退し得、城を繞りて営の中を行走す。遠く望むに、人は之を「巢車」と呼ぶ。形状は鳥の巢のごとく好し。
木幔,以板為幔,立結橰於四輪車,上懸逼城堞,使趫卒蔽之,蟻附而上,大石所不能及。
木幔――木板を用いて幔障を做成し、四輪車の上に桔槔形の吊架を立起し、幔障を高懸して城垛に逼近せしめ、身手矯捷の士卒をして幔の後に躲れて、螞蟻のごとく攀附して城に登らしめ、大石は彼らを砸く能わず。
火箭,以小瓢盛油貫矢端,射城樓櫓板上。瓢敗油散後,以火箭射油散處,火立焚。復以油瓢續之,則樓櫓盡焚。
火箭――小瓢を用いて油を盛り、箭頭の上に穿きて、城上の敵楼望櫓の木板に射到る。瓢破れて油洒き開いた後に、再び火を帯びたる箭を用いて油迹の処に射向けば、立刻に大火を燃起す。続いて続けて油瓢を射て助燃せば、敵楼望櫓は則ち全部焼毀せん。
雀杏,磨杏核中空,以艾內火實之,繫雀足,薄暮群放之,飛入城中,棲宿積聚廬舍,須臾火發。
雀杏――杏核を磨き空くして、裏に火を蔵るの艾絨を塞満し、麻雀の脚上に繋け、傍晚に群を成して放ち出す。麻雀は城裏に飛び進み、囤積の物資と房舎の上に棲息し、多からずして則ち火を起こさん。
蜀钁、鐵鏨,蜀钁,短柄钁也。〈○此「钁」字依《御覽》三百七十七補。〉鐵鏨,鑿井鏨城也。〈此句原脫「鑿」字、「城」字,並依《御覽》補正。〉
蜀钁・鉄錾――蜀钁は、則ち短柄の镢頭なり(校記:此の「钁」の字は《太平御覧》巻三百七十七に拠りて補う)。鉄錾は、以て井を凿り城牆を錾凿するなり(校記:此の一句原本「凿」の字と「城」の字を脱漏す、皆《太平御覧》に拠りて補正す)。
守城具篇 第三十六
經曰:善守者,藏於九地之下;善攻者,動於九天之上。人所不見謂之九地,見所不及謂之九天。禽滑釐問墨翟守城之具,墨翟荅以六十六事,〈○文瀾閣本作「五十六」事。〉皆繁冗不便於用。其後韋孝寬守晉州、王偘守臺城,皆約封鬍子技巧之術。古法非不妙,然非今之用也。〈○張刻本作「然不宜於今也」。〉今述便於用者如左方。
本経に曰く――善く防守する者は、兵力を九地の下に蔵す。善く進攻する者は、兵力を九天の上に発動す。別人の看見し得ざるを「九地」と謂い、看見し得ても及ぶ能わざるを「九天」と謂う。禽滑厘は墨翟に向かって城を守るの器具を請教し、墨翟は六十六件を回答す(校記:「六十六」文瀾閣本は「五十六」と作る)、皆繁瑣累贅・実用に不便なるを嫌う。後に韋孝寛は晋州を守り、王偘は台城を守るに、皆封胡子のあの一套の技巧の術を精簡を加えたり。古人の弁法は精妙ならざるに非ざるも、ただ今日の用途に合わざるなり(校記:此の一句、張刻本は「然不宜于今也」と作る)。現在実用に便なるを分列して後に出だす。
浚隍。深開濠塹也。增城,增修樓櫓也。懸門,懸木板以為重門。
濬隍――則ち城を護るの壕堑を挖り深くすなり。増城――則ち城の上に敵楼望櫓を加修すなり。懸門――木板を懸挂して、第二重の城門を為すなり。
突門,於城中,對敵營,自鑿城內為暗門,多少臨時,令厚五六寸勿穿,或於中夜,或於敵初來、營列未定,精騎從突門躍出,擊其無備,襲其不意。
突門――城中に於て敵営に正対するの方位に、城牆の内側より暗門を凿出し、開くこと几道は臨時に決定す。凿りてただ五六寸の厚さを残すに至れば則ち手を停め、凿り穿つるなかれ。或は半夜に、或は敵人の剛に到りて営壘未だ排定せざる時に趁りて、精鋭騎兵は突門を撞き開きて冲り出で、彼らの防備なきの処を攻撃し、彼らの意料せざるの地方を襲撃す。
塗門,以泥塗門扇,厚五寸,備火。又云塗棧,以泥門上木棧棚也。積石、積砲石,大小隨事。
塗門――泥を用いて城門の門扇を塗抹し、塗ること五寸の厚さ、以て火を防ぐ。また「塗桟」と謂うは、則ち泥を用いて城門上方の木桟棚を塗抹すなり。積石・積砲石――預め石块を囤積し、石头の大小は需要に按じて定む。
轉關橋,一梁為橋,梁端著橫栝,拔去栝,橋轉關,人馬不得渡,皆傾水中。秦用此橋,以殺燕丹。
転関橋――一根の梁を用いて橋を做り、梁端に横栝を装し、横栄を一たび拔けば、橋は則ち軸を繞りて翻転し、人馬は通過する能わず、全て翻りて水中に落つ。当年秦国は即ち此の種の橋を用いて燕太子丹を謀害せんとせしなり。
鑿門,為敵所逼,先自鑿門為數十孔,出強弩射之,長矛刺之。積木,備壘木長五尺、徑一尺,小或六七寸,拋下打賊。
凿門――敵人に城門に逼近せられたる時、先ず門の上に数十個の孔洞を凿出し、孔の中より強弩を発して敵人を射撃し、長矛を用いて敵人を刺殺す。積木――滾木を預備し、長さ五尺・直径一尺、小なるはまた六七寸あり、城上より抛げ下ろして敵兵を砸撃す。
積石,備壘於城上,不計大小,以多為妙,充拋石。樓櫓,城上建堠樓,以板為之,跳出為樓櫓。
積石――城上に於て堆積儲備し、大小を論ぜず、多ければ多いほど好く、以て抛擲の石彈に充当す。楼櫓――城上に瞭望の堠楼を建造し、木板を以て搭成し、外に向かって挑出するのあの部分が即ち「楼櫓」なり。
笓籬戰格,於女墻上挑出,去墻三尺,內著橫括,前端安轄,以荊柳編之,長一丈、闊五尺,懸於椽端,用遮矢石。
笓籬戦格――女牆の上に於て外に向かって挑出し、牆を離るること三尺、内側に横栝を装し、前端に銷轄を安好くし、荊条柳条を用いて編成し、長さ一丈・寛さ五尺、椽子の端頭に懸挂して、以て箭矢と飛石とを遮擋す。
布幔,以複布為幔,以弱竿橫掛於女墻外,去墻七八尺,折拋石之勢,則矢不復及墻。
布幔――双層の布を用いて幔子を做成し、柔靭の細竿を拿て横に挑いて女牆の外に挂け、牆を離るること七八尺、以て抛石の来勢を卸げ、箭矢もまた牆上に射到る能わざらん。
木弩,以楊柘桑為弩,可長一丈二尺,中徑七寸,兩稍三寸,以絞車張之,發如雷吼,〈○張刻本作「巨矢一發,聲如雷吼。〉以敗隊卒。
木弩――楊木・柘木・桑木を用いて弩臂を做り、長さは一丈二尺に達し得、中段の直径七寸、両梢の直径三寸、絞車を用いて弩弦を絞り開く。発射する時、声は雷鳴のごとし(校記:此の一句、張刻本は「巨矢一發、聲如雷吼」と作る)、以て隊を成した敵卒を撃潰すべし。
燕尾炬,縛葦草為炬,尾分為兩岐,如燕尾狀,以油蠟灌之,加火從城上墮下,使騎木驢而燒之。
燕尾炬――蘆葦乾草を捆りて火炬を成し、尾部を分かちて两叉と為し、形状は燕子の尾巴に似、油と蠟を灌ぎ、火を点了して城上より抛墜し下ろし、専らあれらの木驢車の下に蔵れて城根に逼近するの敵人を焚焼す。
松明炬,以松木燒之,鐵索墜下,巡城點照,恐敵人乘城而上。脂油燭炬,然燈秉燭於城中四衝、要路、門戶,晨夜不得絶明,以備非常。
松明炬――松木を点了し、鉄索を用いて吊りて墜ちて城を下り、城に沿うて巡回して照明し、敵人の夜に乗じて城に攀り上るを防備す。脂油燭炬――城中の四通要衝・要道と各処の門口に於て灯を点了し燭を執り、清晨より夜裏に至るまで灯火を断絶せしむるを許さず、以て意外を防備す。
行爐,常鎔鐵汁鑪,昇於城上,以灑敵人,土瓶盛汁,拋之,敵攻城不覺。遊火,鐵筐盛火,加脂蠟,鐵索懸墜城下,燒孔穴掘城之人。
行爐――常に一座の鉄汁を熔化するの爐子を備え、城頭に抬き上げ、鉄汁を敵人の身上に潑洒す。また陶瓶を用いて鉄汁を盛りて抛げ下ろすことも得、敵人の城を攻むる時は毫も察覚なからん。游火――鉄筐を用いて火を盛り、油脂と蠟とを加え進め、鉄索を用いて吊りて城下に墜とし、あれらの洞穴の裏に鉆りて城牆を挖掘するの人を焚焼す。
灰雜糠粃,因風於城上擲之,以眯敵人之目,因以鐵汁灑之。又云:眯目,〈○張刻本作「名曰眯目」,無下文十二字。〉因風以粃糠灰擲之,使不得視。
石灰に糠秕を摻する――順風に趁りて城上より撒き下ろし、敵人の眼睛を迷住せしめ、随い即ち再び鉄汁を潑き下ろす。別の一説は「眯目」と謂う(校記:張刻本は「名曰眯目」と作る、下文のあの十二個の字なし)、則ち風に趁りて秕糠と石灰を撒き出して、敵人をして眼を睜き開く能わざらしむるなり。
連挺,如打禾枷狀,打女墻上城敵人。叉竿,如鎗刃,布兩歧,用叉飛雲梯上人。鈎竿有槍,兩邊有曲鈎,〈○《通典》百六十引作「曲刃」。〉可以鈎物。
連挺――形状は穀を打つに用うるの連枷に似、以て女牆に攀り上るの敵人を撃打す。叉竿――竿頭は槍刃のごとく、分かれて两叉と為り、以て飛雲梯の上に於て城を爬るの人を叉住す。鈎竿――竿頭に槍尖を装し、両側に弯鈎を帯び(校記:「曲鈎」《通典》巻一百六十引は「曲刃」と作る)、以て器物を鈎取すべし。
天井,敵攻城為地道來,反自於地道上直下穿井邀之,積薪井中,加火熏之,自然焦灼。油囊,盛水於城上,擲出火車中,囊敗火滅。
天井――敵人が地道を挖りて来り城を攻むれば、我が方は則ち地道の上方に於て垂直に下に向かって井を打ちて攔截し、井の中に柴薪を堆積し、火を点了して熏灼すれば、地道の裏の人は自然に焼灼せられて死せん。油囊――城上に於て皮囊を用いて水を盛り、敵人の火車の裏に抛げ進めば、囊破れて水出で、火は則ち滅せん。
地聽,於城中八方,穿井各深二丈,令人頭覆戴新甕於井中坐聽,則城外五百步之內有掘城道者,並聞於甕中,辯方所遠近。
地聴――城中の八個の方位に各々一口の深さ二丈の井を打ち、人をして頭上に新瓮を倒扣して井の裏に坐りて静聴せしむ。かくして城外五百歩以内に若し人の攻城地道を挖掘するあらば、声響は皆瓮の中に伝わり進み、また方位と遠近とを辨出し得べし。
鐵菱,狀如蒺藜,要路水中著之,以刺人馬之足。
鉄菱――形状は蒺藜に似、要道の上と水中とに撒きて、以て人と馬の脚を刺傷す。
陷馬坑,坑長五尺、闊一尺、深三尺,坑中埋鹿角、竹籤。其坑十字相連,狀如鈎鎖。復以蒭草葦木加土種草實,令生苗蒙覆其上,軍城營壘要路設之。
陷馬坑――坑の長さ五尺・寛さ一尺・深さ三尺、坑の裏に鹿角桩と削尖の竹簽とを埋む。坑と坑とは十字相連し、形状は環環相扣の鈎鎖のごとし。上に再び乾草・蘆葦・木料を以て鋪蓋し、土を加え并せて草籽を撒き下ろし、草苗をして長出して坑口を遮住せしむ。軍城と営壘の要道の上は皆之を布設すべし。
拒馬鎗,以木徑二尺,長短隨事,十字鑿孔,縱橫安括,長一丈,銳其端,可以塞城門要道,人馬不得奔前。
拒馬槍――直径二尺の円木を取り、長短は需要に按じて定め、木の上に十字形の孔を凿出し、縦横に栝木を插し進め、栝木の長さ一丈、両端削尖して、以て城門と要道を堵塞し、人馬をして冲り過ぐる能わざらしむべし。
木柵,為敵所逼,不及築城壘,或山河險隘多石少土,不任版築,且建木為柵,方圓高下,隨事深淺,埋木根〈○《通典》無「淺」字。〉重複,彌縫其闕,內量長短,為閣道立外柱,外重長出四尺為女墻,皆泥塗之內七寸,〈○《通典》作「七尺」。〉又立閣道內柱,上布板為棧立闌干竹於柵上,懸門擁墻,濠塹拒馬,一如城壘法。
木栅――敵人に逼近せられ、城壘を修筑するに及ばず、或は山河険隘の処にして石多く土少なく、版筑夯土を用いる能わざれば、則ち姑く木を立てて栅栏を做す。栅栏の方円高低・埋むるの深淺は、皆地勢に随いて定む(校記:「深淺」の「淺」の字《通典》になし)。木根を埋むる時は一層層重畳して、縫隙を補嚴すべし。裏側は長短を量好して、閣道の為に外柱を立起し、外柱の高さ四尺を出だすの部分は女牆を作り、皆泥を以て塗抹し、内側は七寸の厚さに塗る(校記:「七寸」《通典》は「七尺」と作る)。再び閣道の内柱を立起し、上に板を鋪きて桟道を做成し、并せて栅栏の上に竹欄杆を立起す。懸門・護牆・壕堑・拒馬は、一概に城壘の弁法に照らして設置す。
水攻具篇 第三十七
經曰:以水佐攻者,強。水因地而成勢,為源高於城,本大於末,可以遏而止,可以決而流。故晉水可以灌安邑,汾水可以浸平陽。先設水平,測其高下,可以漂城、灌軍、浸營、敗將也。〈○《御覽》三百二十二引作「沉營殺將」。〉
本経に曰く――水を以て進攻を輔助するは、力量強大なり。水は地形に依りて態勢を形成し、ただ水源が城池より高く、上游の水量が下游より大ならば、則ち堵し起して蓄住すべく、また決開して放ち出すべし。故に晋水は能く安邑を灌淹し、汾水は能く平陽を浸没せり。事先に「水平」の儀を架設し、地勢の高低を測出せば、則ち城牆を漂没し敵軍を灌淹し営壘を浸垮し敵将を撃敗すべし(校記:「浸營敗將」《太平御覧》巻三百二十二引は「沉營殺將」と作る)。
水平,槽長二尺四寸,兩頭中間鑿為三池。池橫闊一寸八分,縱闊一寸,深一寸三分。池間相去一尺四寸,〈○文瀾閣本「五寸」,《通典》百六十引作「五分」。〉中間有通水渠,闊三分,〈○《通典》、《御覽》並引作「二分」。〉深一寸三分。池各置浮木,木闊狹微小。於池空三分,〈○張刻本「匡厚三分」。〉上建立齒,高八分,闊一寸七分,厚一分。槽下為轉關腳,高下與眼等,以水注之,三池浮木齊起,眇目視之,三齒齊平,以為天下準。或十步,或一里,乃至十數裡,目力所及,隨置照板度竿,亦以白繩計其尺寸,則高下丈尺分寸可知也。
水平儀――木槽の長さ二尺四寸、両端と中間とに三個の水池を凿出す。毎池の横寛一寸八分、縱寛一寸、深さ一寸三分。池と池と相距ること一尺四寸(校記:「四寸」文瀾閣本は「五寸」と作る、《通典》巻一百六十引は「五分」と作る)、池間に水を通ずるの渠道あり、渠の寛さ三分(校記:「三分」《通典》《太平御覧》皆引は「二分」と作る)、深さ一寸三分。毎池の裏に一塊の浮木を放ち、浮木は池より略ば小にして、池壁との間に三分の空隙を留出す(校記:此の一句、張刻本は「匡厚三分」と作る)。浮木の上に一片の齒標を立て、高さ八分、寛さ一寸七分、厚さ一分。槽下は転動し得るの支脚を做成し、眼と斉平に調る。槽の裏に水を注ぎ進めれば、三池の浮木は一斉に浮起し、一隻の眼を眯起して瞄看すれば、三片の齒標斉平なれば、則ちこれを以て高下を測量するの基準と為す。十歩・一里を論ぜず、乃至十数里、ただ目力の及ぶ所あれば、則ちあそこに照板と度竿を安放し、再び白繩を用いて尺寸を量出せば、地勢の高低丈尺分寸は便ち皆推知し得べし。
照板,形如方扇,長四尺,下二尺,黑上二尺,白闊三尺,柄長一尺,大可握。度竿長二丈,刻作二百寸二千分,每寸內刻小分,其分隨向遠近高下立竿,以照版映之,眇目視之,三浮木齒及照板黑映齊平,則召主板人,以度竿上分寸為高下,遞相往來,尺寸相乘,則水源高下〈○《御覽》「則」字下有「山岡溝澗」四字。〉可以分寸度也。
照板――形状は一把の方扇のごとく、長さ四尺、下面二尺は黒を塗り、上面二尺は白を塗り、寛さ三尺、柄の長さ一尺、粗細正に一握なり。度竿の長さ二丈、刻みて二百寸・二千分と為し、毎一寸の内に再び小分を刻出す。測量する時は目標の遠近高低に按じて度竿を竪起し、照板を用いて之に対して映照し、一隻の眼を眯起して看、三塊の浮木の上の齒標と照板の黒白交界の処と映照して斉平なるを待ちて、則ち板を掌るの人に招呼して、度竿の上の分寸に按じて高低を読出さしむ。かくのごとく往返して逓測し、尺寸を依次に相乗累計せば、水源の高下(校記:《太平御覧》は「則」の字の下面に「山岡溝澗」の四字を多し)は則ち分寸に按じて量出し得べし。
火攻具篇 第三十八
經曰:以火佐攻者,明。因天時燥旱,營舍茅竹積芻穗軍糧於枯草宿莽之中,月在箕、壁、翼、軫之夕,設五火之具,因南風而焚之。
本経に曰く――火を以て進攻を輔助するは、効果顕明なり。天時乾燥少雨に趁り、敵人の営房は茅竹を以て搭成し、また草料谷穂と軍糧とを枯草亂蓬の中に堆放し、再び月亮が箕宿・壁宿・翼宿・軫宿に運行するの夜晚に逢えば、則ち五種の火攻器具を布置し、南風に順いて火を放ちて焚焼せよ。
推月宿法:周天三百六十五度四分度之一,二十八宿四方分之,月二十八日夜,一周天行二十八宿,一日一夜行一十三度少強,皆以月中氣,日月合為宿首。
月亮の所在する星宿を推算するの方法――周天は共に三百六十五度また四分の一度、二十八宿は分かちて東南西北の四方に属す。月亮は二十八箇の昼夜に周天を繞行して一圈し、二十八宿を歴遍し、一昼夜に十三度余りを行く。推算する時は皆当月の中気の日・日月相會するのあの一宿を以て起算の首宿と為す。
角十二度,亢九度,氐十五度,房五度,心五度,尾十八度,箕十一度:東方七宿,共七十五度。斗二十六度,牛八度,女十二度,虛十度,危十七度,營室十六度,東壁九度:北方七宿,共九十八度。奎十六度,婁十二度,胃十四度,昴十一度,畢十六度,觜二度,參九度:西方七宿,共八十度。東井三十三度,輿鬼四度,柳十五度,星七度,張十八度,翼十八度,軫十七度:南方七宿,共一百一十二度。
角宿十二度、亢宿九度、氐宿十五度、房宿五度、心宿五度、尾宿十八度、箕宿十一度――これ東方の七宿にして、共に七十五度。斗宿二十六度、牛宿八度、女宿十二度、虛宿十度、危宿十七度、営室十六度、東壁九度――これ北方の七宿にして、共に九十八度。奎宿十六度、婁宿十二度、胃宿十四度、昴宿十一度、畢宿十六度、觜宿二度、参宿九度――これ西方の七宿にして、共に八十度。東井三十三度、輿鬼四度、柳宿十五度、星宿七度、張宿十八度、翼宿十八度、軫宿十七度――これ南方の七宿にして、共に一百一十二度。
雨水,正月中,日月合宿營室八度,於辰在亥,為娵訾,於野衛,分幷州,於將登明。春分,二月中,日月合宿奎十四度,於辰在戌,為降婁,於野魯,分徐州,於將河魁。穀雨,三月中,日月合宿昴三度,於辰在酉,為大梁,於野趙,分冀州,於將為從魁。小滿,四月中,日月合宿參四度,於辰在申,為實沈,於野魏,分益州,於將為傳送。
雨水は、正月の中気にして、この時日月は営室宿の八度に會合し、十二辰の中に於て亥位に当たり、星次は名を「娵訾」と謂い、分野は衛国に属し、并州に對応し、六壬の十二月将の中に於て「登明」と謂う。春分は、二月の中気にして、日月は奎宿の十四度に會合し、十二辰の中に於て戌位に当たり、星次は名を「降婁」と謂い、分野は魯国に属し、徐州に對応し、月将は「河魁」と謂う。穀雨は、三月の中気にして、日月は昴宿の三度に會合し、十二辰の中に於て酉位に当たり、星次は名を「大梁」と謂い、分野は趙国に属し、冀州に對応し、月将は「従魁」と謂う。小満は、四月の中気にして、日月は参宿の四度に會合し、十二辰の中に於て申位に当たり、星次は名を「實沈」と謂い、分野は魏国に属し、益州に對応し、月将は「傳送」と謂う。
夏至,五月中,日月合宿東井二十五度,於辰在未,為鶉首,於野秦,分雍州,於將為小吉。大暑,六月中,日月合宿星四度,於辰在午,為鶉火,於野周,分三河,於將為勝光。處暑,七月中,日月合宿翼九度,於辰在巳,為鶉尾,於野楚,分荊州,於將為太乙。秋分,八月中,日月合宿角四度,〈○原作「亢八度」,依張刻本改。〉於辰在辰,為壽星,於野鄭,分兗州,於將為天罡。
夏至は、五月の中気にして、日月は東井宿の二十五度に會合し、十二辰の中に於て未位に当たり、星次は名を「鶉首」と謂い、分野は秦国に属し、雍州に對応し、月将は「小吉」と謂う。大暑は、六月の中気にして、日月は星宿の四度に會合し、十二辰の中に於て午位に当たり、星次は名を「鶉火」と謂い、分野は周室に属し、三河一帯に對応し、月将は「勝光」と謂う。處暑は、七月の中気にして、日月は翼宿の九度に會合し、十二辰の中に於て巳位に当たり、星次は名を「鶉尾」と謂い、分野は楚国に属し、荊州に對応し、月将は「太乙」と謂う。秋分は、八月の中気にして、日月は角宿の四度に會合し(校記:原本は「亢宿八度」と作る、張刻本に拠りて改む)、十二辰の中に於て辰位に当たり、星次は名を「壽星」と謂い、分野は鄭国に属し、兖州に對応し、月将は「天罡」と謂う。
霜降,九月中,日月合宿氐十四度,於辰在卯,為大火,於野宋,分豫州,於將為太沖。小雪,十月中,日月合宿箕二度,〈○原作「十二度」,今以算改正。〉於辰在寅,為析木,於野燕,分幽州,於將為功曹。冬至,十一月中,日月合宿斗二十一度,於辰在丑,為星紀,於野吳越,分揚州,於將為大吉。大寒,十二月中,日月合宿虛五度,於辰在子,為玄枵,於野齊,分青州,於將為神后。
霜降は、九月の中気にして、日月は氐宿の十四度に會合し、十二辰の中に於て卯位に当たり、星次は名を「大火」と謂い、分野は宋国に属し、豫州に對応し、月将は「太冲」と謂う。小雪は、十月の中気にして、日月は箕宿の二度に會合し(校記:原本は「十二度」と作る、今推算に拠りて改正す)、十二辰の中に於て寅位に当たり、星次は名を「析木」と謂い、分野は燕国に属し、幽州に對応し、月将は「功曹」と謂う。冬至は、十一月の中気にして、日月は斗宿の二十一度に會合し、十二辰の中に於て丑位に当たり、星次は名を「星紀」と謂い、分野は呉越に属し、揚州に對応し、月将は「大吉」と謂う。大寒は、十二月の中気にして、日月は虛宿の五度に會合し、十二辰の中に於て子位に当たり、星次は名を「玄枵」と謂い、分野は斉国に属し、青州に對応し、月将は「神后」と謂う。
假如正月雨水一日夜半,月在營室八度,至後二日夜半行十三度少強,卽至東壁五度,至後三日夜半行十三度少強,卽至奎九度。順行二十八宿,每日夜行十三度少強,二十八日一周天,其晦朔二日月不見,他皆倣此。〈○張刻本此下別為一篇,題《元女式》,誤也。今依文瀾閣本改正。〉
例を擧げて言わん――正月雨水のあの日の半夜、月亮は営室宿の八度に在り。第二天の半夜に到れば、また十三度余りを行き、則ち東壁宿の五度に到り。第三天の半夜に到れば、再び十三度余りを行き、則ち奎宿の九度に到る。かくのごとく二十八宿に順いて依次に運行し、毎昼夜に十三度余りを行き、二十八天に周天を繞行して一圈し、其の中の晦日・朔日のこの两天は月亮を看見し得ず。其余の各月は皆此の弁法に照らして推算す。(校記:張刻本はここより以下別に一篇を分かち出だして、《元女式》と題作す、是れ錯りなり、今文瀾閣本に拠りて改正す。)
《玉門經》曰:倍月加日,從營室順數,卽知月宿所在。假令正月五日,倍月成二加五成七,從營室順數七宿至畢,他皆倣此。〈○自「《玉門經》」至此,舊抄本並脫去。以文瀾閣本參張本補。〉然東井三十三度,觜二度,恐將不定,故為通算以決之,而用五火之具。
《玉門經》に曰く――月份の数を加倍して、再び日数を加上し、営室宿より起りて順いて数え下れば、則ち月亮の所在する星宿を知る能し。譬如正月初五は、月份加倍して二と為り、五を加上すれば則ち七なり。営室宿より順数して七宿、正好く畢宿に数え到る。其余の日子は皆これに照らして推算す。(校記:「《玉門經》」より起りてここに至るまで、旧抄本は皆脱漏せり、今文瀾閣本に拠り并せて張刻本を参照して補う。)ただし東井宿は寛さ三十三度に達し、觜宿はただ二度のみ、寛窄の相差懸殊なれば、此の種の簡便算法を用いるは定まり准ならざるを恐れ、故にまた通盤に推算して判定するを要し、然る後に五種の火攻器具を動用す。
火兵,以驍騎夜銜枚,縛馬口,人負束薪藁草藏火,直抵賊營,一時舉火,營中驚亂,急而乘之,彼靜不亂,棄而勿攻。
火兵――驍勇の騎兵をして夜裏に於て口の中に枚を銜え馬嘴を扎住せしめ、每人に一捆の柴薪乾草を背負わせ、火種を暗蔵して、直に敵営に摸り到らしめ、同時に火を擧げて焚焼せしむ。敵営驚慌大亂すれば、則ち立刻に亂に乗じて進撃せよ。若し敵営鎮静にして亂れざれば、則ち撤走し、強攻するなかれ。
火獸,以艾蘊火,置瓢中,開四孔,繫野豬、麞鹿項下,爇其尾端,望敵營而縱之,使奔彼草中,器敗火發。
火獣――艾絨を用いて火種を裹住し、瓢の裏に放ち進め、瓢の上に四個の通気孔を開き、野猪・獐・鹿の頸下に繋け、彼らの尾梢を点了して、敵営の方向に向かって放ち走らしめ、彼らをして敵営の草料堆の中に奔り進ましめば、瓢一たび破碎すれば、火は則ち焼き起らん。
火禽,以胡桃剖令空,開兩孔實艾,以火繫野雞足,針其尾而縱之,飛入草中,器敗火發。
火禽――胡桃を剖き開きて挖き空くし、两個の孔を開き、裏に艾絨を塡満し、火種を帯びて野鶏の脚上に繋け、針を用いて其の尾巴を刺して彼をして驚飛せしめ、敵営の草堆の裏に飛び進ましめば、桃殻一たび破れれば、火は則ち焼き起らん。
火盜,選一人勇捷,語言服飾與敵同者,竊號逐便,懷火偷入營中,焚其積聚,火發,乘亂而出。
火盗――勇敢敏捷にして言語服飾が敵人と相同なる一人を挑選し、敵軍の口令を竊得し、機を見て事を行い、火種を懐揣して敵営に潜入し、彼らの囤積の物資を焚焼せしむ。火一たび起これば、則ち亂に趁りて身を脱して出來る。
火矢,以臂張射及三百步者,以瓢盛火冠矢端,以數百端候中夜,齊射入敵營中,焚其積聚,火發,揮亂乘便急攻。
火矢――臂力を以て張開し射程は三百歩に達し得るの弓弩を用い、火を盛るの瓢を箭頭の上に装し、几百支を備好し、半夜に至るを待ちて一斉に敵営に射入れて、彼らの囤積の物資を焚焼せしむ。火一たび焼き起これば、敵人は擾乱慌亂し、則ち機に乗じて急攻せよ。
濟水具篇 第三十九
經曰:軍行遇大水、河渠、溝澗,無津樑、舟楫,難以濟渡。太公以天艎大船,皆質樸而不便於用。〈○原脫「質」字,「用」作「事」,並依《御覽》三百六改。〉今隨事應變,以濟百川。〈○《御覽》作「隨事逐物,變化而用之,以濟巨州」。〉
本経に曰く――軍隊行進する時、大水・河渠・溝澗に遇上して、また渡口橋梁と船只槳櫓と無ければ、難く渡り得べからず。姜太公の用いし所の天艎大船は、皆笨重質朴にして使用に不便なりき(校記:原本「質」の字を脱漏し、「用」の字は「事」と作る、皆《太平御覧》巻三百六に拠りて改正す)。如今は事に随いて変に応じ、軽便の器具を用いて各種の河流を渡るべし。(校記:此の一句《太平御覧》引は「隨事逐物、變化而用之、以濟巨州」と作る。)
浮甖,以木縛甕為栰,甕受二石,力勝一人,甕闊五尺,以繩鈎聯,編槍於其上,令長而方,前置板頭,後置稍,左右置棹。
浮甖――木料を用いて陶瓮を捆扎して筏を成す。毎隻の瓮の容量二石、浮力は以て一人を托起すべし。瓮の寛さ五尺、繩索を用いて鈎連して排を成し、上に長槍を編排して架を作り、又长く又方なる形状を做成し、前面に板頭を装し、後面に舵梢を装し、左右に槳を安ず。
槍栰,槍十根為一束,力勝一人,四千一百六十六根四分槍為一栰,皆去鋒刃,束為魚麟,以橫栝而縛之,〈○原脫「栝」字,依《御覽》補。〉可渡四百一十六人。半為三栰,計用槍一萬二千五百根,率渡一千二百五十人,十渡則一軍畢濟。
槍筏――十根の長槍を捆りて一束を成し、浮力は以て一人を托起すべし。四千一百六十六根また四分の一槍を用いて一張の筏を扎り、槍は皆鋒刃を去り、魚鱗のごとく層層交畳して捆束し、再び横栝を用いて綁牢す(校記:原本「栝」の字を脱漏す、《太平御覧》に拠りて補う)。一張の筏は以て四百一十六人を渡すべし。別に一半の槍数を取りて三張の筏を扎り、共計して槍一万二千五百根を用い、一次に大約一千二百五十人を渡すべく、往返十次すれば、一軍は全部渡り完す。
蒲栰,以蒲九尺圍,顚倒為束,以十道縛之,似束槍為栰,量長短多少,隨蒲之豐儉載人。無蒲用蘆草,法亦如蒲栰。
蒲筏――蒲草を扎りて周長九尺の捆と為し、一頭一尾を顛倒して束を成し、十道の繩索を用いて縛緊し、做法は槍を捆りて筏を成すと相似たり。筏の長短多少は、蒲草の多寡に按じて定め、人を載せるの数量もまた之に随いて増減す。蒲草なからば則ち蘆葦乾草を用い、做法は蒲筏と相同なり。
挾絙,〈○《御覽》此下有「善水者」三字。〉以木繫小繩,先挾浮渡水,次引大絙於兩岸,立一大橛,急張定絙,使人挾絙浮渡大軍。可為數十道,豫多備。〈○此三字,張刻本作「渡之」二字。〉
挟繩渡――(校記:《太平御覧》は「挾絙」の下面に「善水者」の三字を多し。)人をして小繩を木頭の上に繋けしめ、先ず木頭を挟みて浮水して河を過らしめ、然る後に再び大繩を両岸に牽き到らしめ、各々一根の大木桩を立て、大繩を拉緊して固定し、士卒をして繩子を挟みて浮水して渡らしめば、大軍は則ち河を過ぐる能し。かくのごとき繩道は以て几十条を架設すべく、預め多く備置するを要す。(校記:「豫多備」の三字、張刻本は「渡之」の二字と作る。)
浮囊,以渾脫羊皮,吹氣令滿,𦃂縛其孔,縛於脇下,可以渡也。
浮囊――整張に剥ぎ下ろした羊皮を用いて皮囊を做成し、気を吹きて彼を鼓満せしめ、口子を扎緊し綁死して、腋下肋旁に繋ければ、則ち泅渡すべし。
水戰具篇 第四十
經曰:水戰之具,始自伍員,以舟為車,以楫為馬。漢武帝平百粵,鑿昆明之池,置樓船將軍。其後馬援、王濬各造戰船,以習江海之利。其船闊狹長短隨用大小,皆以米為率,一人重米二石,〈○張刻本作「一石」。〉則人數率可知。其楫棹、篙櫓、樓席、〈○《通典》百六十「樓」作「帆」。〉絙索、沉石調度,與常船不殊。
本経に曰く――水戦の器具は、伍子胥より始まる。彼は船を把りて戦車と為し、槳を把りて戦馬と為せり。漢武帝は百越を平定し、昆明池を開凿して水軍を演練し、楼船将軍を設置せり。後に馬援・王濬は各々戦船を建造し、以て江海の作戦の利を演習せり。戦船の寛窄長短は用途に随いて大小を分かち出だし、一律に米を載せるの重量を以て標準と為して折算す――一人は米二石を折す(校記:「二石」張刻本は「一石」と作る)。これに拠れば則ち船の載せ得べきの人数を推知し得べし。船上の槳棹・篙櫓・楼艙と席篷(校記:「楼」の字《通典》巻一百六十は「帆」と作る)、纜繩・碇石等の配備は、尋常の船只と分別なし。
樓船,船上建樓三重,〈○「船」字原本不重,依《通典》補。〉列女墻戰格,樹旗幟,開弩牕矛穴,置拋車壘石鐵汁,狀如城壘。晉龍驤將軍王濬伐吳,造大船,長二百步,上置飛簷閣道,可奔車馳馬,忽遇暴風,人力不能制,不便於事。然為水軍,不可不設,以張形勢。
楼船――船上に三層楼を建起し(校記:「船」の字原本に重出せず、《通典》に拠りて補う)、女牆と戦格を排列し、旗幟を樹起し、弩を発するの窗口と矛を刺すの孔洞とを開出し、拋石車を安放し石彈と鉄汁を堆放せば、形状は一座の城壘のごとし。晋朝の龍驤将軍王濬は東呉を討伐するに、大船を造り過ごし、長さ二百歩、船上に飛簷閣道を設けて、以て車を駆り馬を跑らすべし。一旦暴風に遇上せば、人力は控制する能わず、其の実実用ならざるなり。ただし水軍を組建するに楼船を設けざるべからず、以て声勢を張大するなり。
蒙衝,以犀革蒙覆其背,兩相開掣棹孔,前後左右開弩牕矛穴,敵不得近,矢石不能敗。此不用大船,務於速進,〈○張刻本此下有「速退」二字。〉以乘人之不備,非戰船也。
蒙冲――犀牛皮を用いて船背を蒙蓋し、两舷に槳を伸ばすの孔を開出し、前後左右に弩を発するの窗口と矛を刺すの孔洞とを開きて、敵人は靠近するの法なく、箭矢飛石もまた之を毀する能わず。此の種の船は大船を用いず、快速にして突進するを講求し(校記:張刻本はここの下面にまた「速退」の两字あり)、以て敵人の防備なきに乗ず、並びに正面接戦の戦船に非ざるなり。
戰艦,船舷上設中墻,半身墻下開掣棹孔,舷五尺,又建棚與女墻齊,棚上又建女墻,〈○已上七字原缺,依文瀾閣本補。〉重列戰格,人無覆背,前後左右樹牙旗、幡幟、金鼓,戰船也。
戦艦――船舷の上に半身に斉しきの一道の中牆を設け、牆下に槳を伸ばすの孔を開出し、舷の高さ五尺。また女牆と斉平の棚を搭起し、棚の上に再び一道の女牆を建て(校記:以上の七個の字原本缺失す、文瀾閣本に拠りて補う)、两重に戦格を排列す。船上に頂蓋を設けず、士卒の背後は遮蔽せず、前後左右に牙旗・幡幟と金鼓を樹起す。これなんぞ正式に接戦するの戦船なり。
走舸,亦如戰船,舷上安重墻。棹夫多,戰卒少,皆選勇士、精銳者充,往返如飛,乘人之不及,兼備非常救急之用。
走舸――形制もまた戦船と同じく、船舷の上に两重の牆を装す。船上に槳を划くの人多く、作戦の士卒少なく、皆勇士と精鋭を挑選して充任し、往返疾行して飛ぶがごとく、能く敵人の応付するに及ばざる時に趁りて行動し、同時にまた意外の時に備えて救急の用と為す。
遊艇,小艇,以備探候,無女墻,舷上槳床左右隨艇大小長短,四尺一床,計會進止,囘軍轉陣,其疾如飛,虞候居之,非戰舶也。
游䑿――小型の快艇にして、以て偵察哨探す、女牆を設けず。舷上の槳座は左右に分列し、䑿の大小長短に随いて安排し、毎四尺に一座を設く。それは進退の指令を伝達し隊伍を調回し陣形を変換するを負責し、行動は飛ぶがごとき快さにして、虞候に由りて乘坐せらる。接戦の戦船に非ざるなり。
海鶻,頭低尾高,前大後小,如鶻之狀。舷下左右置浮板,形如鶻翅。其船雖風浪漲天,無有傾側。背上左右張生牛皮為城,牙旗、金鼓如戰船之制。
海鶻――船頭低く船尾高く、前部大にして後部小、形状は一隻の鶻鳥のごとし。船舷の下面の左右に浮板を装し、形状は鶻の翅膀のごとし。此の種の船は風浪滔天たりとも、傾側せざらん。船背の上の左右に生牛皮を張挂して城牆を当作り、牙旗と金鼓の配置は戦船と相同なり。
器械篇 第四十一
經曰:工欲善其事,必先利其器。器之於事,如影之隨形,響之應聲。其相須如左右手,故曰:「器械不精,不可言兵;五兵不利,不可舉事。」
本経に曰く――工匠が自らの活計を好く為さんと欲せば、必ず先ず彼の工具を磨快せよ。器械は戦事に対して、影子が形体に跟随し回聲が声音に應和するがごとく、両者相互に依靠して、人の左右手のごとし。故に曰う「器械精良ならざれば、用兵を談ずるなからず。戈・殳・戟・酋矛・夷矛の此の五種の兵器鋒利ならざれば、師を興し事を擧ぐる能わず」と。
上古庖犧氏之時,剡木為兵;〈○《御覽》三百三十九引此句作「弦木為弓,剡木為矢」。〉神農氏之時,以石為兵;《尚書》砮石中矢鏃;〈○此偽孔氏《禹貢傳》文也。《御覽》引作「兵書」,蓋誤。〉黃帝之時,以玉為兵;蚩尤之時,鑠金為兵,割革為甲,始制五兵,建旗幟,樹夔鼓,以佐軍威。
上古伏羲氏の時、木頭を削尖して以て兵器と為せり(校記:此の一句《太平御覧》巻三百三十九引は「弦木為弓、剡木為矢」と作る)。神農氏の時、石头を用いて兵器を做せり。《尚書・禹貢》に記す、梁州は砮石を進貢す、正に以て箭鏃を做るに合す(校記:これ其の実偽孔安国《禹貢傳》の文字なり、《太平御覧》引は「兵書」と作るは、大概錯りなり)。黄帝の時、玉を用いて兵器を做せり。蚩尤の時、金属を熔煉して兵器を做り、皮革を割裁して铠甲を做り、初めて五種の兵器を制作し、旗幟を樹立し、夔鼓を架起して、以て軍威を助長せしめたり。
纛六面,大將軍中營建,出引六軍。古者天子六軍,諸侯三軍。今天子一十二衛,諸侯六軍,故有六纛以主之。
大纛六面は、大将軍の中軍営内に立て、出征する時は以て六軍を引導す。古の時、天子は六軍を統べ、諸侯は三軍を統べたり。如今天子は十二衛を有し、諸侯は六軍を有す。故に六面の大纛を設けて以て彼らを統領す。
門旗二面,色紅,八幅,大將軍牙門之旗,出引將軍前列。門槍二根,以豹尾為刃榼,出居紅旗之後,止居帳前左右建。
門旗両面は、紅色にして八幅寛く、大将軍の牙門の旗幟なり。出征する時は将軍隊列の最前に引き导かる。門槍两根は、豹尾を用いて槍刃の套飾を做り、出征する時は紅色門旗の後に排し、駐扎する時は帐前の左右両側に分立す。
五方旗五面,各具方色,大將軍中營建,〈○「中」字依《御覽》補。〉出隨六纛後,在營亦於六纛後建。嚴警鼓〈○舊抄本「警」作「誓」,張刻本又誤作「禁」。今依《御覽》改。〉一十二面,大將軍營前左右行列各六面,在六纛後。
五方旗五面は、各々東・南・西・北・中の五方の正色に按じて制作し、大将軍の中軍営内に立つ(校記:「中」の字は《太平御覧》に拠りて補う)。出征する時は六面の大纛の後に跟み、駐営する時もまた六纛の後面に立つ。嚴警鼓(校記:「警」の字旧抄本は「誓」と作る、張刻本はまた误りて「禁」と作る、今《太平御覧》に拠りて改正す)十二面は、大将軍営前の左右に各々六面を排列し、位置は六纛の後に在り。
角一十二枚,於鼓左右列各六枚,以代金。隊旗二百五十面,尚色圖禽,與本陣同,五幅。
号角十二枚は、鼓の左右に各々六枚を排し、以て金を鳴らして兵を収むるに代替す。隊旗二百五十面は、用いる所の顔色と画く所の禽鳥図様と本陣と一致し、毎面は五幅寛し。
認旗二百五十面,尚色圖禽,與諸隊不同,各自為識認,出居隊後,恐士卒交雜。
認旗二百五十面は、用いる所の顔色と画く所の禽鳥図様とは各隊互いに相同ならず、各々自ら本隊の標識と為し、出征する時は本隊の後に立て、士卒の混雑錯隊するを防ぐ。
陣將門旗,各任所色,不得以紅,恐紛亂大將軍。〈○「以」字依《御覽》補。張刻本作「不得與大將同用紅色」。〉陣將鼓一百二十面,臨時驚敵所用。
陣将の門旗は、顔色は各々其の便に随うも、ただし紅色を用いるを得ず、以て大将軍の旗号と相混するを免れん(校記:「以」の字は《太平御覧》に拠りて補う。此の一句張刻本は「不得與大將同用紅色」と作る)。陣将の戦鼓一百二十面は、陣に臨みて以て敵人を震懾驚擾す。
甲,六分七千五百領。戰袍,四分五千領。槍,十分一萬二千五百條,恐揚兵縛栰。
铠甲は、十分の六に按じて配備し、共に七千五百領。戦袍は、十分の四に按じて配備し、共に五千領。長槍は、十足に按じて配備し、共に一万二千五百条。これは既に兵を擧げて作戦し、また水を渡る時に槍を以て木筏を捆扎するを兼顧するなり。
牛皮牌二分〈○二字原在「二千五百面」之下,依《御覽》移置此。〉二千五百面,馬軍以團牌代四分支。
牛皮盾牌は十分の二に按じて配備す(校記:「二分」の两字原本は「二千五百面」の下に在り、今《太平御覧》に拠りてここに移す)、共に二千五百面。騎兵は円形の團牌に改用し、十分の四に按じて発給す。
弩二分,弦三分,〈○按下文,當作「六分」,然《御覽》已如此。〉副箭一百分。二千五百張弩,〈○舊抄本作「弓」,文瀾閣本作「弦」。今依《御覽》改正,與上文合。〉七千五百條弦,二十五萬隻箭。
弩は十分の二に按じて配備し、弩弦は十分の三に按じて配備す(校記:下文の数目に依りて推算すれば、「三分」は当に「六分」と作るべし、ただし《太平御覧》の引く所已にかくのごとし)。配套の箭は一百分に按じて計す。合計して弩二千五百張(校記:「弩」の字旧抄本は「弓」と作る、文瀾閣本は「弦」と作る、今《太平御覧》に拠りて改正す、上文と相合す)、弦七千五百条、箭二十五万支。
弓十分,弦三,〈○按下文,當作「三十分」,然《御覽》已如此。〉副箭一百五十分。〈○原本誤作「三十六隻」,依《御覽》改。〉弓〈○《御覽》此字在句末,下二句同,與上條一例。〉一萬二千五百張,弦三萬七千五百條,箭三十七萬五千隻。
弓は十足に按じて配備し、弦は三分に按じて計し(校記:下文の数目に依りて推算すれば、当に「三十分」と作るべし、ただし《太平御覧》の引く所已にかくのごとし)、配套の箭は一百五十分に按じて計す(校記:原本误りて「三十六只」と作る、《太平御覧》に拠りて改む)。合計して弓(校記:「弓」の字《太平御覧》は句末に放つ、下面の两句も同じく、上の一条と体例相同なり)一万二千五百張、弦三万七千五百条、箭三十七万五千支。
射甲箭,五萬隻。生𨤽箭,〈○原本「𨤽」誤作「缺」,依《御覽》改。〉二萬五千隻。
射甲箭は、五万支。生鈚箭は(校記:「」の字原本误りて「缺」と作る、《太平御覧》に拠りて改む)、二万五千支。
長垜箭,弓袋,胡鹿長弓袋,〈○原本誤作「張弓袋」,依《御覽》改。〉並十分一萬二千五百副。
長垜箭・弓袋、および胡鹿箭囊と長弓袋(校記:「長弓袋」原本误りて「張弓袋」と作る、《太平御覧》に拠りて改む)は、一併に十足に按じて配備し、共に一万二千五百副。
佩刀,八分一萬口。陌刀,二分二千五百口。棓,二分二千五百張。
佩刀は十分の八に按じて配備し、共に一万口。陌刀は十分の二に按じて配備し、共に二千五百口。大棒は十分の二に按じて配備し、共に二千五百張。
馬軍及陌刀,並以啄鎚、斧鉞代,各四分支。搭索,二分二千五百條,馬軍用。
騎兵と陌刀を使うの兵とは、皆啄錘・斧鉞に改用して替代すべく、各々十分の四に按じて発給す。搭索は十分の二に按じて配備し、共に二千五百条、騎兵の使用に供す。
軍裝篇 第四十二
經曰:軍無輜重,則舉動皆闕。士卒以軍中為家,至於錐刀,不可有缺。
本経に曰く――軍隊に輜重なくんば、一挙一動に皆欠缺を出現せんとす。士卒は軍営を把りて自らの家と為し、小さくして一枚の錐子・一把の小刀に至るまで、皆短少すべからず。
驢,六分七千五百頭,鞍絡自副。幕,一萬二千五百口,竿、梁、釘、橛、鎚自副。
馱驢は「六分」の標準に按じて配給し、全軍共に七千五百頭。馱鞍と籠頭とは皆驢の附件と算作して、驢に随いて一併に配斉し、必ずしも別行に請領せず。(唐代は一軍を以て一万二千五百人を満編と為し、「十分」は則ち人手一份の満額にして、「一分」は満額の十分の一にして、即ち一千二百五十份なり。故に「六分」は正に七千五百頭に合す。)行軍帐幕は共に一万二千五百口、帐を撑るの竿子・横梁・鉄釘・地を釘るの木橛および橛を打つに用うるの錘子は、皆帐幕に随いて一起に発給す。
鍋,一分一千二百五十口。乾糧,十分一人一斗二升,一軍一千五百石。
行軍鍋は「一分」に按じて配給し、即ち満額の十分の一にして、全軍共に一千二百五十口、合わせ下ろせば毎十人は一口を合用す。乾糧は「十分」の満額に按じて配給し、每人一斗二升、全軍一万二千五百人合計して一千五百石なり。
麩袋,十分一萬二千五百口,韋皮縫,可繞腰,受一斗五升。馬盂,十分一萬二千五百口,皆堅木為之,或熟銅,受三升;〈文瀾閣本「二斗」。〉冬月可以暖食。
麦麸を盛るの料袋は満額に按じて配給し、人手一口、全軍一万二千五百口。袋子は熟牛皮を用いて縫成し、以て腰間に纏りて随身携帯すべく、容量一斗五升。馬に飲ませ兼ねて食を盛るに用いるの馬盂もまた満額に按じて配給し、人手一口、全軍一万二千五百口。一律に堅硬の木料を用いて旋成し、また煉り過ごした熟銅を用いて打造するも得、容量三升(文瀾閣本は「二斗」と作る)、冬天はなお火の上に架けて食物を熱り熱りせしめ得べし。
刀子、銼子、鉗子、鑽子、藥袋、火石袋、鹽袋、解結錐、礪石,各十分一十一萬二千五百事。
小刀・銼刀・鉗子・鉆子・藥袋・火石を装するの袋・鹽袋・繩結を解くに用うるの錐子・刀を磨くの礪石、此の九様は各々「十分」の満額に按じて配給し、人手一件、九様合計して十一万二千五百件なり。「事」は唐代の器物の量詞にして、今日の謂う「件」に相當す。
麻鞋,三十分三萬七千五百緉,攤子、�𩍬𤁧子,各十分三萬七千五百事。桍帑、抹額、六帶帽子、氊帽子,各十分六萬二千五百事。
麻鞋は「三十分」に按じて配給し、等しく人手三双、全軍共に三万七千五百緉、一緉は則ち一双なり。鋪墊に用うるの摊子・𤁧子等の物(当中に一字原文残缺す、総数に按じて推算すれば応に三様なるべし)、各々満額に人手一件を配給し、合計して三万七千五百件。褲具・抹額(額頭の上に束ぬるの頭巾)、六条の繋帯を帯びたる帽子・毡帽は、各々満額に人手一件を配給し、合計して六万二千五百件。
諬床,十分一萬二千五百領。皮裘、皮褲,各三分七千五百領,或詐為蕃兵,用柳鑵栲栳各三分〈○依下數,當作「二分」。〉五千口。
軍に随いて坐臥するに用うるの諸床は満額に按じて配給し、人手一領、全軍一万二千五百領。皮襖と皮褲とは各々「三分」に按じて配給し、毎様三千七百五十領、両様合計して七千五百領。士卒をして胡人兵馬に假扮して敵境に混入せしむるを須とする時、穿くる所もまた此の両様なり。柳条編の水罐と栲栳(柳条編の円筐)もまた各々「三分」に按じて配給す(下文の総数に依りて推算すれば、此処は応に「二分」と作るべし)、合計して五千口。
皮囊袋,亦得鍬鎚斧鋸鑿,各二分〈○已上張刻本但有「皮囊十分」四字。按︰「皮囊袋亦得」句,當屬上條。〉一萬二千五百事。鎌,四分五千張。切草刀,二分二千五百張。
皮囊袋、另外に鉄鍬・鉄錘・斧頭・鋸子・凿子あり、此の几様は各々「二分」に按じて配給し、毎様二千五百件、合計して一万二千五百件(張刻本此処にはただ「皮囊十分」の四字のみあり。また按:「皮囊袋亦得」の一句は当に上の一条に帰すべし)。鎌刀は「四分」に按じて配給し、共に五千張。鍘草刀は「二分」に按じて配給し、共に二千五百張。
布行槽,一分一千二百五十具。大小胡瓢,二分二千五百枚。
行軍に用うるの布馬槽は「一分」に按じて配給し、共に一千二百五十具、合わせ下ろせば毎十人一具にして、馬に飼う時鋪き開けば則ち料を盛る能し。大小葫蘆瓢は「二分」に按じて配給し、共に二千五百枚、水を舀い飯を盛るの用に供す。
馬軍鞍轡革帶,十分〈○張刻本「三十分」。按︰當云「各十分」。〉三萬七千五百具。人藥,一分三黃丸、水解散、瘧痢藥、金刀箭藥等五十貼。〈○此條張刻本但云「人藥一分,金瘡藥一分」;又另提行,云「馬藥二分」。〉
騎兵の用いる所の馬鞍・轡頭・革帯は、各々満額に人手一份を配給す(張刻本は「三十分」と作る。按:当に「各十分」と写作すべし)、三様合計して三万七千五百具。軍中に人に用うるの藥は「一分」に按じて配給し、三黄丸・水解散・瘧疾痢疾を治するの藥・刀傷箭傷を治するの金創藥等を包括し、共に五十貼(張刻本此の一条はただ「人藥一分、金瘡藥一分」と写し、また別に行を起して「馬藥二分」と写す)。
披氊、披馬氊、引馬索,各十分計三萬七千五百事。馬軍無幕,故以披氊代。插鍵,十分一萬二千五百具。
士卒の身に披くの毡・馬を蓋うるに用うるの披馬毡・馬を牽くに用うるの引馬索は、各々満額に人手一份を配給し、三様合計して三万七千五百件。騎兵は行軍に帐幕を帯びず、故に披毡を用いて帐幕に代えて風雨を遮る。馬を拴ぐに用うるの插鍵、即ち地の裏に打ち進むるの繋馬桩は、満額に按じて配給し、人手一具、全軍一万二千五百具。
絆索,二十分二萬五千條。皮毛及連枝中半中皮條,〈○張刻本但有「皮毛皮條」四字。〉三十分三萬七千五百條,備收賊雜使用。
絆馬索は「二十分」に按じて配給し、等しく人手两条、全軍二万五千条。毛を帯びたる整張の皮子と枝を連ねたる中等の皮条とは、両者各々一半を占め(張刻本此処にはただ「皮毛皮条」の四字のみあり)、「三十分」に按じて配給し、等しく人手三条、全軍三万七千五百条、俘虜を捆縛し各種の雑用に充当するを預備す。
右各隊備辦公廨,軍裝並須賫行,貯備使用,勿令臨時有缺。
以上の此らの物件は、各隊より所属の官署に向かって置弁領取す。凡そ軍装に属するの部分は一律に随身に携帯するを要し、平時に貯存して用を待ち、陣に臨みて用いんとする時に到りて初めて短缺を発見するを許さず。
《神機制敵太白陰經》巻四 終
預備總序
經曰:不備不虞,不可以帥師。愚者有備,與智者同功。故天子有道,守在四境;諸侯有道,守在四鄰。國所以立疆埸、關塞、亭障者,將欲別內外、乖夷狄;置烽燧刁斗者,所以警邊徼、厲士卒也。
兵経の上に曰く――意外の変に対して預め防備せざる者は、軍隊を統率するの資格なし。愚笨の人はただ事先に準備あれば、收到する効果もまた聡明の人と一様ならん。故に天子の治国に道あれば、防線は便ち四方の国境の上に擺れ、諸侯の治国に道あれば、防線は便ち四隣の交界の処に擺らる。国家の疆界を划定し關隘要塞と亭障哨所を設立する所以は、内外を分清し夷狄を外に隔絶せんと欲するなり。烽燧を設置し「刁斗」(白天に飯を做り夜裏に敲撃して更を報ずるの銅器)を配備する所以は、辺地を警戒し士卒を督励して敢えて懈怠せざらしめんが為なり。
築城篇 第四十三
經曰:先王之制,大都不過三國之一,中五之一,小九之一,故曰:「都城過百雉,國之害也。」今諸侯之城,方兩京之城,闊狹合五之一,其高為邊隅之守,不可為節制。古今度城之法者,下闊與高倍,上闊與下倍,城高五丈,下闊二丈五尺,上闊一丈二尺五寸,高下闊狹,以此為準。
兵経の上に曰く――先王の定下せし制度は、最大の属城は国都の三分の一を過ごさず、中等は五分の一を過ごさず、小は九分の一を過ごさず。故に《左傳・隱公元年》に記す祭仲の話に曰く「都邑の城牆が一百雉を過ごせば、則ち国家の禍害と成る」と(一雉は長さ三丈・高さ一丈の一段の城牆を指す)。如今各地州府の城は、長安・洛陽の両京の規格に比照し、寛窄大約ただ両京の五分の一に合するのみ、彼らの高度はただ辺地の一隅の防守を応付するに足るに過ぎず、以て通行の定制と当作る能わず。古今に城牆の尺寸を測算するの通法は――城基の寛と城の高とは倍数の関係を成し、城頂の寛と城基の寛ともまた倍数の関係を成す。城高五丈なれば、城基は寛さ二丈五尺、城頂は寛さ一丈二尺五寸。高低寛窄は、皆此の一の比例を以て準と為す。
料功,以下闊加上闊,得三丈七尺五寸,半之,得一丈八尺七寸五分,〈○原本「半」下誤衍「乘」字,依《通典》百六十刪。〉以高五丈乘之,一丈之城積數得九十三丈七尺五寸。每一工日築二丈,計工四十六人,日築城一丈,餘七尺五寸。一步,計役二百七十八人,土餘五丈。一百步,計工二萬七千八百二十人,餘一丈土。一里,計工一十萬一百九十人,餘一丈土。率一里,則十里可知。其出土負簣,並計二丈土。其羊馬城於濠內,築高八尺,上至女墻,計工準上。
城を築くの用工を計算するに、先ず城基の寛二丈五尺に城頂の寛一丈二尺五寸を加上して、三丈七尺五寸を得。其の一半を取りて、一丈八尺七寸五分を得(原本「半」の字の下面に误りて一個の「乘」の字を多出す、《通典》巻一百六十に依りて删去す)。再び城高五丈を用いて乘じれば、毎一丈長の城牆は、土方の総数は則ち九十三丈七尺五寸なり。每人毎個の工作日に二丈の土方を築く。故に一丈長の城牆を築くに四十六個の工を用い、なお七尺五寸の土方を残す。一歩長を築くに、役夫二百七十八人を用い、余土五丈。一百歩長を築くに、工二万七千八百二十人を用い、余土一丈。一里長を築くに、工十万零一百九十人を用い、余土一丈。一里を基準と為して推算すれば、十里・百里の工数もまた明らかなり。挖り出したる土は畚箕を用いて背運すべく、土を運ぶの工は一併に二丈土方に按じて折算す。城壕の裏側はまた別に一道の羊馬矮牆を築き、高さ八尺、上端は城頭の女牆に接し、用工の数は上の弁法に照らして折算す。
鑿濠篇 第四十四
經曰:濠面闊二丈、深一丈、底闊一丈,以面闊積數三丈半之,得數一丈五尺;以深一丈乘之,鑿濠一尺,得數一十五丈。每一工日出土三丈一尺,計工五人。一步,計工三十人;一里,計工一萬八千人。一里為率,則百里可知。
兵経の上に曰く――城壕の口面は寛二丈・深一丈・底面は寛一丈。口面の寛二丈と底面の寛一丈とを相加して三丈を得、其の一半を取りて一丈五尺を得。再び深一丈を用いて乘ずれば、即ち毎に一尺長の壕溝を挖るに、土方数は則ち十五丈なり。每人毎個の工作日に三丈一尺の土を出す。故に五個の工を計するを要す。一歩長を挖るに、工三十人を用い、一里長を挖るに、工一万八千人を用い。一里を基準と為して推算すれば、一百里の用工もまた明らかなり。
弩臺篇 第四十五
經曰:臺高下與城等,敵去我城百步,臺相去亦如之。下闊四丈、高五丈,上闊二丈,上建女墻。臺內通暗道,安屈膝軟梯,人上便卷收之。中設氊幙,置弩手五人,備乾糧水火等,候敵近城壘,則攢弩射其首將。
兵経の上に曰く――弩台の高矮は城牆と斉平す。敵人の逼近して城を離るること一百歩の地方に到れば、弩台と弩台との間の間距もまた一百歩と定む。台基は寛四丈・通高五丈・台頂は寛二丈、頂上に女牆を砌る。台内は暗かに一条の地道を通じ、一副の屈折收放し得るの軟梯を架け、人一たび上れば則ち梯子を巻收し起す。台頂の中間に一頂の毡帐を張り、弩手五人を配し、乾糧・飲水と火を取るの物とを備足し、敵軍の城牆営壘に逼近するを待ちて、則ち弩箭を集中して斉射し、専ら対方の主将を打つ。
烽燧臺篇 第四十六
經曰:明烽燧,於高山四望險絶處置;無山,亦於平地高逈處置。下築羊馬城,高下任便,常以三五為準。臺高五丈,下闊三丈,上闊一丈,形圓,上葢圓屋覆之。屋徑闊一丈六尺,一面跳出三尺,以板為之,上覆下棧。
兵経の上に曰く――烽燧を醒目管用に設けんと欲せば、則ち高山の上の四面に遠望し得て地勢険絶の地方を選んで修建す。山なきの地方も、また平地上の高くして空曠の位置を選んで修建すべし。台下は先ず一道の羊馬矮牆を築き、高低は地形に随いて定め、通常は三尺より五尺に至るを以て準と為す。烽台の通高は五丈、台基の寛さ三丈、台頂の寛さ一丈、形状は円なるにして、頂上に一座の円屋を蓋いて罩す。円屋の直径一丈六尺、四周各々三尺の屋簷を挑出し、木板を用いて拼成し、上に覆いを加えて雨を擋ぎ、下に桟板を鋪きて承托す。
屋上置突灶三所,臺下亦置三所,並以石灰飾其表裡。復置柴籠三所,流火繩三條在臺側,上下用軟梯,上收下垂,四壁開孔望賊,及安置火筒,置旗一面、鼓一面、弩兩張,砲石、壘木、停水甕,乾糧、生糧,麻縕火鑽、火箭、蒿艾、狼糞、牛糞。每夜,平安舉一火,聞警舉二火,見煙塵舉三火,見賊燒柴籠。如早夜平安,火不舉,卽烽子為賊提。一烽六人︰五人烽子,遞知更刻,觀望動靜;一人烽卒,知文書、符牒傳遞。
円屋の頂上に三座の煙を出だすの突灶を砌り、台下もまた三座を砌り、裏外皆石灰を以て粉刷す。台側は別に三隻の柴を装するの柴籠・三条の火を引くに用うるの流火繩を放つ。台に上下するは軟梯に靠り、人上れば則ち梯子を收起し、下りんと要すれば再び放ち下ろす。四面の牆上に孔を開きて以て敵情を窺望し、并せて火を噴くの火筒を安放す。台上に旗一面・鼓一面・弩两張を配し、また砲石・壘木・水を貯むるの瓮、熟乾糧と生糧食、麻絮・火を取るの火鉆・火箭・蒿草艾草・狼糞・牛糞を備えあり。毎日夜裏、平安无事なれば則ち一炬の火を擧げ、警報を聴取すれば两炬を擧げ、煙塵を看見すれば三炬を擧げ、敵人を看見すれば則ち直接柴籠を点燃す。若し一早一夜に本当に平安を報ずべきに而も火を擧げるを見ざれば、則ち是れ烽を守るの人已に敵人に掳走せられたるなり。一座の烽台に六個人を配す――五人は「烽子」と称して、輪流に更次の時刻を掌握し、敵情の動静を观望し、一人は「烽卒」と称して、専ら文書と符牒の収發伝逓とを管す。
馬鋪土河篇 第四十七
經曰:每鋪相去四十里,如驛近遠於要路山谷間,牧馬兩匹與游奕計會,有事警急,煙塵入境,則奔馳相報。
兵経の上に曰く――馬鋪と馬鋪との間は四十里を相距り、駅のごとく遠近に按じて要道と山谷との間に分布す。毎一鋪に馬两匹を養い、巡邏の游奕隊と互相に通報聯絡し、一旦有して緊急の軍情あらば、煙塵已に境内に進入するを望見して、則ち馬に騎りて飛奔して伝報し往く。
置土河於山口,賊路橫截,道鑿之,橫闊二丈、深二丈,〈○ 文瀾閣本「二尺」。〉以細沙散土塡平,早夜行檢,掃令平凈,有狐兔入境,亦知足跡多少,況於人馬乎!
山口の処に「土河」を設置し、敵人の来路を横截して断ち、道路に順いて开凿す――横寛二丈・深さ二丈(文瀾閣本は「二尺」と作る)、溝の裏に細沙と松散の浮土を塡きて抹平す。早晚皆人を派して巡行查看せしめ、沙面を掃きて平整乾浄せしむ。かくして即ち狐狸野兎のみ境内に進入するも、なお留めたる脚印より往来の多少を看出し得べし。況んや人馬の経過するをや。
遊奕地聽篇 第四十八
經曰:於奇兵中,選驍果、諳山川井泉者,與烽子馬鋪土河,計會交牌,日夕邏候於庭障之外,捉生事,問敵營虛實。我之密謀,勿令游奕人知。其副使子將並久諳軍旅、好身手者任。
兵経の上に曰く――機動待用の奇兵の裏より驍勇果決にして山川道路と水井泉源に熟悉するの人を挑選して游奕を充当せしめ、彼らをして烽子・馬鋪・土河の各処と互相に聯絡し憑牌を交驗せしめ、早晚に亭障の外に於て巡邏偵候し、専ら「捉生」を管し、即ち活口を抓り、再び俘虜の口中より敵営の虚実を問出す。我が方の機密謀画に至りては、切に游奕の人に知らしむべからず。游奕の副使と子将とは、皆長期に軍旅に熟悉して身手硬過するの人を挑んで担任せしむべし。
地聽,選少睡者,令枕空胡䍡臥,有人馬行三十里外,東西南北皆有響見於胡䍡中,名曰「地聽」,可預防奸。野豬皮為胡䍡尤妙。
「地聴」の做法は――覚少なく睡浅きの人を挑選し、彼をして一隻の空の胡䍡(皮製の空口袋)を枕りて地上に躺れしむ。ただ三十里以外に人馬の行動あれば、東南西北の各個方向の声響は皆胡䍡の裏に於て回響を伝出し、此の弁法を則ち「地聴」と謂い、以て敵人の偸襲を預め察覚すべし。野猪皮を用いて做れる胡䍡は効果尤其に好し。
報平安篇 第四十九
經曰:報平安者,諸營鋪百司主掌皆入五更,有動靜報虞候知,左右虞候早出,大將軍牙前帶刀磬折,大聲通曰:「左右廂兵馬及倉庫營並平安。」諾,復退本班。如有盜賊動靜緊急,卽具言其事。若在野行軍,卽言行營兵馬及更鋪並平安。
兵経の上に曰く――謂うところの平安を報ずるは、各営・各鋪および各官署の主管人員、五更に到れば皆直に入り、動静あらば先ず虞候に禀報して知らしむ。天の亮するや左右虞候は班を出で、大将軍の牙帐の前に走り到りて刀を佩びて腰を弯げて礼を行い、高く声に通报して曰く「左右两厢の兵馬および倉庫・営壘一概に平安なり」と。大将軍は一声「諾」と應じ、虞候は則ち本班に退回す。若し盗賊出没の類の緊急の動静あらば、則ち事情を原原本本報じ上ぐ。若し野外の行軍に在らば、則ち口を改めて行営の兵馬と各処の更鋪と一概に平安なりと通报す。
嚴警鼓角篇 第五十
經曰:夫城軍野營,行軍在外,五更初、日沒時,搥鼓一通,三百三十搥為一通。鼓音止,則角音動。吹一十二聲,角為一疊。角音止,鼓音動。如此三鼓、三角而昏明畢。〈○張刻本無「明」字。〉行軍,第一角聲動,兵士起;第二角聲動,戎裝了;第三角聲動,內外辦;角音絶,兵馬齊動而發。
兵経の上に曰く――凡そ城に駐するの軍隊・野外の営盤と外に在りて行軍の部隊は、五更剛に起きと日落の時分とに皆鼓を撃ちて一通と為し、三百三十槌を以て一通と算す。鼓声一たび停まれば、号角声は則ち响起き、十二声を吹足して以て一畳と算す。角声一たび停まれば、鼓声再び起る。かくのごとく三通の鼓・三畳の角にして、一天の早晚の警号は完成す(張刻本に「明」の字なし)。行軍の時、第一遍の角声响れば、士兵起身し、第二遍の角声响れば、甲胄装束穿戴して停当し、第三遍の角声响れば、営内営外一切斉備し、角声一たび断えれば、全軍の人馬一斉に啓程出発す。
定鋪篇 第五十一
經曰:每日戌時,嚴警,鼓角初動,虞候領甲士十二隊,建旗幟、立號頭,廵軍營及城上,如在野廵營,外定更鋪疏密。坐者喝曰:「是甚麼人?」廵者荅曰:「虞候總管某乙廵。」坐喝曰:「作甚行?」荅曰:「定鋪。」坐喝曰:「是不是行?」荅曰:「是。」如此者三喝三荅,坐曰:「虞候總管過。」號頭及坐喝用聲雄者充。
兵経の上に曰く――毎日戌の時に「嚴警」を開始し、鼓声角声剛に響動すれば、虞候は則ち甲を披きたる十二個の隊を率領し、旗幟を打起し「号頭」(専ら問答の話を喝するを管るの人)を設好して、軍営と城頭を巡查し、若し野外に在らば、則ち営盤の四周を巡查し、一路に更鋪の設置の疏密を核定す。坐守の哨兵は喝問して曰く「是れ何人ぞ」と。巡查の人は回答して曰く「虞候総管某某巡查中なり」と。坐哨再び喝問して曰く「来りて何を做す」と。回答して曰く「更鋪を核定す」と。坐哨再び喝問して曰く「是れ当真なるや否や」と。回答して曰く「是なり」と。かくのごとく三問三答完畢して、坐哨初めて説いて曰く「虞候総管通過す」と。号頭と坐哨の喝問を担任するは、皆嗓门洪亮の人を挑んで充任せしむべし。
夜號更刻篇 第五十二
經曰:夜取號於大將軍處,粘藤紙二十四張,十五行界印縫安標軸,題首云「某軍某年某月某日號簿」。每日戌時,虞候、判官持簿於大將軍幕前取號,大將軍取意於一行中書兩字,上一字是坐喝,下一字是行荅。於將軍前封鎖,函付諸號,各到彼廵檢所,主首以本鑰匙開函,告報不得令有漏洩。一夜書一行,二十四張三百六十行,盡一載,別更其簿。
兵経の上に曰く――夜間の口令は大将軍のあそこに到りて領するを要す。做法は二十四張の藤紙を粘接して冊を成し、毎張に十五行の界欄を画き、騎縫の処に印を蓋い、標簽と巻軸を装し、巻首に「某軍某年某月某日号簿」と題写す。毎日戌の時、虞候と判官とは号簿を捧げて大将軍の帐前に到りて号を請い、大将軍は随意に一行の裏に两個の字を写下す――上の一個の字は坐哨の喝問の暗号にして、下の一個の字は巡行の者の應答の暗号なり。写し完れば将軍の面に当たって匣に封锁して進め、各処の口令を分送し下ろす。各巡検所に送到して後に、主管人に由りて自ら保管するの鑰匙を用いて匣を開き、逐一に告知し、走漏泄露するを許さず。一夜に一行を写し、二十四張の紙は共に三百六十行、正好く一年を用満し、一年過ごし完れば再び別に一本の新簿を換る。
更漏牌,一日一夜,凡一百刻,以竹馬為一百。牌長三寸、闊一寸,逐月題云「某月更牌」。一日一夜計行二百里,探更人每刻徐疾行二里,常取月中氣為正。
更漏牌の制度は――一昼夜共に一百刻、則ち竹片を用いて一百面の牌子を做出して相配す。毎面の牌は長さ三寸・寛さ一寸、月に按じて「某月更牌」と題写す。牌を伝うるの人は一昼夜に総じて二百里を走るを要し、即ち更を探るの人は毎一刻に不快不慢に二里を走る。推算する時は一律に当月の「中気」のあの一天を以て準と為す。
雨水,正月中,夜傳牌四十九分,一更傳牌九,餘一里一百七十三步三尺二寸。春分,二月中,夜傳牌五十一分,一更傳牌十。穀雨,三月中,夜傳牌三十七分,一更傳牌七,餘一里十四步二尺。
雨水は正月の中気にして、整夜共に牌四十九分を伝え、毎一更に牌九面を伝え、別に一里一百七十三歩三尺二寸の路程を余す。春分は二月の中気にして、整夜共に牌五十一分を伝え、毎一更に牌十面を伝う。穀雨は三月の中気にして、整夜共に牌三十七分を伝え、毎一更に牌七面を伝え、別に一里十四歩二尺の路程を余す。
小滿,四月中,夜傳牌三十六三分,一更傳牌七,餘一百七十步四尺八寸。夏至,五月中,夜傳牌三十五分,一更傳牌七。大暑,六月中,夜傳牌三十六三分,一更傳牌七,餘一百七十五步一尺二寸。
小満は四月の中気にして、整夜共に牌三十六また三分を伝え、毎一更に牌七面を伝え、別に一百七十歩四尺八寸の路程を余す。夏至は五月の中気にして、一年の中夜最も短く、整夜共に牌三十五分を伝え、毎一更に牌七面を伝う。大暑は六月の中気にして、整夜共に牌三十六また三分を伝え、毎一更に牌七面を伝え、別に一百七十五歩一尺二寸の路程を余す。
處暑,七月中,夜傳牌三十六三分,一更傳牌七,餘一百七十五步一尺二寸。秋分,八月中,夜傳牌四十四五分,一更傳牌八,餘一里二百八十六步一尺二寸。霜降,九月中,夜傳牌四十九五分,一更傳牌九,餘一百一十八步五尺六寸。
處暑は七月の中気にして、整夜共に牌三十六また三分を伝え、毎一更に牌七面を伝え、別に一百七十五歩一尺二寸の路程を余す。秋分は八月の中気にして、整夜共に牌四十四また五分を伝え、毎一更に牌八面を伝え、別に一里二百八十六歩一尺二寸の路程を余す。霜降は九月の中気にして、整夜共に牌四十九また五分を伝え、毎一更に牌九面を伝え、別に一百一十八歩五尺六寸の路程を余す。
小雪,十月中,夜傳牌五十三三分,一更傳牌十,餘一里一百一十五步一尺二寸。冬至,十一月中,夜傳牌五十五,一更傳牌十一。大寒,十二月中,夜傳牌五十三二分,一更傳牌十,餘一里一百二十五步一尺二寸。
小雪は十月の中気にして、整夜共に牌五十三また三分を伝え、毎一更に牌十面を伝え、別に一里一百一十五歩一尺二寸の路程を余す。冬至は十一月の中気にして、一年の中夜最も長く、整夜共に牌五十五を伝え、毎一更に牌十一面を伝う。大寒は十二月の中気にして、整夜共に牌五十三また二分を伝え、毎一更に牌十面を伝え、別に一里一百二十五歩一尺二寸の路程を余す。
右件古法多不合今。〈○本篇諸數,以算術求之,多不合。各本盡同,無從是正,姑仍之。〉
以上の此らは皆古人の伝下せし弁法にして、大多は当今の実際の推算と對り合わず(本篇の各項の数字は算術を用いて核験するに、多半合わず。各種の本子はまた皆一様にして、校正するに由なく、姑く原様に照らして保留す)。
鄕導篇 第五十三
經曰:卽鹿無虞,從入于林中。不用鄕導,難得地利。夫用鄕導者,不必土人,但諳彼山川之險易、敵之虛實,卽可任也。賞之使厚,收其心也;備之使嚴,防其詐也。是故錫之以官爵,富之以財帛,使有所戀;匹之以妻子,使有所懷。然後察其辭,鑑其色,覆其言,始終如一,可以用之也。
兵経の上に曰く――《周易・屯卦》の六三の爻辞に講じて曰く「野鹿を追逐するも虞人の路を引くなくんば、ただ一頭に林子の裏に扎り進みて方向を迷失せんのみ」と。行軍に向導を用いざれば、難く地形の利を占むる能わず。謂うところの向導を用うるは、必ずしも当地の土著たるを須とせず、ただ彼があの一帯の山川の険易と敵情の虚実とに熟悉せば、則ち以て任用すべし。彼に給するの賞賜は豊厚なるべく、為す所は彼の心を收攏せんとなり。彼に對するの防範は厳密なるべく、為す所は彼の詐を使うを提防せんとなり。故に彼に官爵を賜賜し、財帛を用いて彼を富足せしめ、彼をして留恋する所あらしめ、彼の為に妻室児女を婚配して、彼をして牽挂する所あらしむ。然る後に再び彼の言辞を細察し、彼の神色を審看し、彼の説き過ごしたるの話を反復核對して、前後終始如一ならば、此の人こそ初めて放心して使用すべし。
井泉篇 第五十四
經曰:沙磧鹵莽之中有水。野馬黃牛之蹤,〈○ 文瀾閣本「牛」作「羊」。張刻本作「野羊之聚」。〉尋之有水。烏鳥所集處有水。地生葭葦菰蒲之處有伏泉。地有蟻壤之處,下有伏泉。
兵経の上に曰く――沙磧と鹽碱荒野の当中にもまた水を找見し得べし。野馬・黄牛の留めたる足迹を看見すれば(文瀾閣本は「牛」を「羊」と作る、張刻本は「野羊之聚」と作る)、順いて追尋すれば則ち水あり。烏鴉飛鳥の聚集するの地方に水あり。地上に蘆葦・茭白・蒲草の長ずるの地方は、底下に潜伏の泉脉あり。地上に螞蟻の堆起せる松土あるの地方は、底下にもまた潜伏の泉脉あり。
迷途篇 第五十五
經曰:遠征迷途,南北不分,當以北辰為正。
兵経の上に曰く――遠征して外に在りて道路を迷失し、南北方向を分清し得ざるの時、当に北極星の位置を以て方位を校正すべし。
正月,昏參中、朝尾中。二月,昏弧中、朝建星中。三月,昏七星中、朝牽牛中。四月,昏翼中、朝婺女中。
正月は、黄昏の時参宿が南天の正中に運行し、清晨の時尾宿が正中に到る。二月は、黄昏の時弧矢星が正中に到り、清晨の時建星が正中に到る。三月は、黄昏の時星宿(七星)が正中に到り、清晨の時牽牛星が正中に到る。四月は、黄昏の時翼宿が正中に到り、清晨の時婺女星が正中に到る。
五月,昏亢中、朝危中。六月,昏心中、朝奎中。七月,昏建中、朝畢中。八月,昏牽牛中、朝觜中。
五月は、黄昏の時亢宿が南天の正中に運行し、清晨の時危宿が正中に到る。六月は、黄昏の時心宿が正中に到り、清晨の時奎宿が正中に到る。七月は、黄昏の時建星が正中に到り、清晨の時畢宿が正中に到る。八月は、黄昏の時牽牛星が正中に到り、清晨の時觜宿が正中に到る。
九月,昏虛中、朝柳中。十月,昏危中、朝七星中。十一月,昏東壁中、朝軫中。十二月,昏婁中、朝氐中。
九月は、黄昏の時虛宿が南天の正中に運行し、清晨の時柳宿が正中に到る。十月は、黄昏の時危宿が正中に到り、清晨の時星宿が正中に到る。十一月は、黄昏の時東壁宿が正中に到り、清晨の時軫宿が正中に到る。十二月は、黄昏の時婁宿が正中に到り、清晨の時氐宿が正中に到る。此の十二個月の中天の星象を記住すれば、夜裏行軍するに則ち以て南北を判定すべし。
其陰雪,則用老馬引前。昔齊桓公伐孤竹,值雪迷道,驅老馬尋途,不迷。
陰天下雪に遇上して星辰辨認するに由なきの時は、則ち老馬を放ちて隊伍の最前を走らしめて路を帯びせよ。当年斉桓公は北伐して孤竹国に至るに、正に大雪に碰上して道路を迷失し、管仲は人をして老馬を赶りて前面に於て路を尋ねしめ、隊伍は便ち再び方向を迷失せざりき。
搜山燒草篇 第五十六
經曰:軍至險阻、溝澗、林薄、翳薈、葭蘆、草莽之處,鸛翔鳥舞不下,伏獸驚起,草木無風而動,必謹察之,恐伏奸也。
兵経の上に曰く――軍隊が険阻の隘口・溝澗・叢林矮樹・草木遮蔽・蘆葦叢生と荒草連片の地方に走到りて、若し鸛鳥の盤旋し群鳥の亂飛して遲遲として落下を肯ぜざるを見、潜伏の野獣の驚を受けて竄出し、草木は風なきに卻って晃動するを見れば、一定に仔細に察看し、ただあそこに敵人を埋伏するあらんことを怕るべし。
邊城十月一日燒草及惡山、深谷、大川、連水左近草樹,虜騎若來,無所伏藏。
辺地の城鎮は毎年十月初一に於て火を放ちて荒を焼き、険悪の山地・深谷・大河および連片の水澤の附近の野草樹木を一併に焼浄す。かくして敵人の騎兵は即ち来り犯すも、身を蔵れ伏を設くるの地方を找得ざらん。
前茅後殿篇 第五十七
經曰:《周禮》:挈壺,以令軍井;挈轡,以令軍舍;挈畚,以令軍糧。前茅慮無建旗幟以表之,皆古法也。今以先鋒令先探井泉、水草、宿止、賊路,與鄕導計會,乃進軍。戰則有喝,後皆拔白刃以臨之,使進;如退𨚫,便斬。敵來追我,則後殿與戰,無驚擾大軍也。
兵経の上に曰く――《周礼・夏官》に記す挈壺氏の職守――壺形の標志を高懸して、全軍に向かって水井の所在を指示し、馬轡形の標志を高懸して、全軍に向かって宿営の処を指示し、畚箕形の標志を高懸して、全軍に向かって糧秣の所在を指示す。《左傳・宣公十二年》の謂う所の「前茅慮無」は、前軍が旗幟を竪起して記号を作り、遇うべきの情况を預め後隊に通報するにして、此らは皆古人の成法なり。如今の做法は、先鋒に命じて前面に於て水井泉源・水草・宿営地と敵軍の来路とを探明せしめ、向導と商定した後に、大軍初めて推進す。交戦する時、後面に人の呼喝して戦を督するあれば、一律に白刃を拔出して前面の人に對して、彼らを逼りて前に向かわしめ、後退する者あらば、当即に首を斬る。敵人の我が軍を追撃する時は、則ち殿後の部隊に由りて接戦し、大軍に驚擾するに到らしめず。
釁鼓篇 第五十八
經曰:軍臨敵境,使游奕捉敵一人,立於六纛之前而祝曰:「胡虜不道,敢干天常,皇帝授我旗鼓,翦滅凶渠。見吾旗纛者,目眩;聞吾鼓鼙者,魄散。」令散人跪纛前,乃腰斬之,首橫路之左,足橫路之右,取血以釁鼓鼙。大纛從首足間過,兵馬六軍從之,而往出勝敵。亦名祭敵。
兵経の上に曰く――軍隊が敵境に進抵するに、先ず游奕隊を派して一名の敵人を捉え來らしめ、六面の大纛旗の前に押し到りて站定せしめ、主将は祝告して曰く「胡虜道無く、胆敢に上天の常理を触犯す。皇帝は旗鼓を我に交付して、我に命じて彼らの元凶を剪除せしむ。凡そ我が軍の大纛を看見する者は、両眼は花を發し、凡そ我が軍の戦鼓を聴聞する者は、魂魄は飛散せん」と。祝告畢れば、左右に命じて此の人を纛旗の前に按跪せしめて腰斬し、頭は道路の左辺に横放し、脚は道路の右辺に横放し、彼の血を取りて軍鼓の上に塗る。これを則ち「釁鼓」と謂う。随いて大纛は頭脚の間より穿過し、全軍六軍の人馬は跟いて通過し、然る後に師を出だして勝を取る。此の套の儀式はまた「祭敵」とも謂う。
屯田篇 第五十九
經曰:《洪範》八政,以食為先。是以商鞅入秦,行墾草之令;夷吾霸齊,富農功之術。夫地所以養人,城所以守地,戰所以守城。務耕者,其人不衰;務守者,其地不危;務戰者,其城不圍。
兵経の上に曰く――《尚書・洪範》に講ずる治国の八項の政務は、「食」を第一位に擺る。故に商鞅は秦に入りて執政し、荒地を開墾するの法令を頒布し、管夷吾(管仲)は斉国を輔佐して覇を称し、農事を富足せしむるの方法を推行せり。土地は以て人を養活するに用い、城池は以て土地を守住するに用い、作戦は以て城池を保住するに用う。耕作に致力すれば、人口は則ち衰減せず。守備に致力すれば、土地は則ち危険に陷入せず。戦備に致力すれば、城池は則ち囲困せられず。
四海之內、六合之中有奚貴?曰:貴於土。奚貴於土?曰:人之本。奚貴於人?曰:國之本。是以興兵伐叛,而武爵任;武爵任,則兵勝。按民務農,則粟富;粟富,則國強。人主恃農戰而尊,三時務農,一時講武,使士卒出無餘力,入有餘糧,所謂興兵而勝敵,按兵而國富也。
四海の内・天地六合の中に、何ぞ最も可貴なる。回答して曰く、土地最も可貴なり。何を以て土地は可貴なる。土地は人の頼りて活命するの根本たるを以てなり。何を以て人は可貴なる。人は国家の根本たるを以てなり。故に兵を出だして叛逆を討伐する時は軍功に凭りて爵を得るの人を重用すべし。軍功に凭りて爵を得るの人重用を受ければ、軍隊初めて勝仗を打つ能し。百姓をして安心して農を務めしめれば、糧食は則ち充裕し、糧食充裕なれば、国家は則ち強盛なり。君主は正に農耕と征戦の此の两件の事に靠りて尊貴し起れるなり――一年の中に三季は農を務め、一季は武事を講習して、士卒をして出征する時多余の気力の耗すべくなく、家に帰る時多余の存糧の喰べべくあらしむ。これ即ち謂う所の、兵を興せば能く敵人を戦勝し、兵を収めば能く国家を富足せしむるなり。
合屯田六十頃:四十頃種子,五頃大荳種子,五頃麥種子,五頃麻種子,五頃蕎種子。屯外五十畝菜不入,至秋,納宴設廚,四十畝蔓菁種子,十畝蘿蔔種子。已上種子,各依鄕原種。
一個の屯は合計して屯田六十頃――其の中四十頃は正糧の種子を下し、五頃は大豆種子を下し、五頃は麦種子を下し、五頃は麻種子を下し、五頃は蕎麦種子を下す。屯田の外は別に五十亩を留めて菜を種え、此の六十頃の内に計入せず、秋天に到りて収め下ろして宴会の厨房に交給して備用す。此の五十亩の裏は、四十亩は蔓菁種子を下し、十亩は蘿蔔種子を下す。以上の各類の種子は、皆本郷の原有の品種に按じて下種す。
一屯六十丁,一丁日給米二升,一日一石二斗,一月三十六石,一年四百三十二石。
一個の屯に六十名の壮丁を配し、每名の壮丁は毎天に米二升を供給し、六十人一天は一石二斗に合し、一个月は三十六石、一年は四百三十二石なり。
牛料一屯六十頭牛,日給荳五升,十月一日起料,四月一日停,一日三石,一月九十石,六月五百四十石。
耕牛の飼料の方面は、一個の屯に牛六十頭を養い、毎頭毎天に豆五升を給し、十月初一より料を供し始め、四月初一に到りて供を停む。六十頭の牛は一天に三石に合し、一个月は九十石、六個月は共に五百四十石なり。
一屯丁糧牛料種子耒屯,堅耒束以長三百七十八尺五寸三分三毫繩之四分之一,長九十三尺六寸三分四毫。四月磔橛繩內有田一畝,對屯田官分三等,田內上中下耒之,以三尺五寸圈成束,則耒數三等可知。
一個の屯の丁糧・牛料・種子と抽様估産とは、弁法是のごとし――先ず一条の長さ三百七十八尺五寸三分三毫の繩子を取り、其の四分の一を截り、即ち九十三尺六寸三分四毫なり。四月の裏に到りて木橛を用いて此の段の繩子を四面に張開して釘住し、圏き起したるの地は正好く一亩なり。屯田官の面に当たって田を上・中・下の三等に分かち、圏内に於て三等に按じて分別に禾苗を抽割し、割り下ろしたる苗は三尺五寸の囲長を以て一束に捆成す。かくして上中下三等の田各々束多少を出だし得るは、則ち皆算清し得べし。
耒屯苗子,橫耒取三等,束。對屯田官打下苗子,斗升合數,為兩絹袋,各乘苗子一椀與屯田官者耒,使對一椀與耒,使掌者屯官封其後,恐有耗損者,耒米取子一斗,平量對屯田官擣,耒得幾米為率,則一屯斛斗可知。
抽割し上來たる禾苗は、横にして上中下三等に按じて各々一束を取る。屯田官の面に当たって苗を打ち下ろして脱粒し、斗・升・合の数目を量出し、再び两隻の絹袋を備えて各々苗子一碗を装る――一碗は屯田官に交りて収執せしめ、一碗は経弁抽様の人に交りて収執せしめ、屯官に由りて袋口に於て封を加え、防ぐ所は日後に耗損あって説清し得ざるなり。続いて谷子一斗を取り、平量した後に屯田官に当たって舂擣し、一斗の谷に能く米多少を舂出するを看て、以て折算の比率と為せば、則ち整個の屯に能く斛斗米多少を収るるも、また推算し出だし得べし。
等級,殊等九千石,第一等七千石,第二等六千石,第三等五千石。歲無水旱、災蝗,滿四千石者,屯官有殿。
屯田の收成は等級を分かつ――特等九千石、第一等七千石、第二等六千石、第三等五千石。若し此の一年既に水旱の災なく、また蝗災なからんも、收成ただ四千石のみならば、主管の屯官は下考と評されて罰を受くべし(「殿」は則ち考績の末等に排するなり)。
一軍載粟一十二萬八千石六分,支米九萬石,以殊等屯一十四餘萬二千石,方支一歲糧。《神農書》曰:「雖金城十仞,湯池百步,帶甲十萬,而無粟者,不能守也。」故充國伐西戎,杜茂守北鄙,創置屯田,以為耕植也。
一軍は一年に粟十二万八千石六分を装運するを要し、米に折支せば是れ九万石なり。特等屯田の收成十四万二千余石有るを須として、初めて一年の軍糧を支撑するに足る。《神農書》に曰く「即ち城牆高さ十仞にして堅きこと金鋳のごとく、護城河寛さ百歩にして燙きこと沸湯のごとく、甲を披くの兵十万ありとも、ただ糧食なくんば、なお守る能わず」と。故に漢代の趙充国は西辺の羌人を征討し、杜茂は北方辺地を鎮守するに、皆開創的に屯田を設置し、就地に耕種を以て軍糧を解決せしめたり。
人糧馬料篇 第六十
經曰:一軍一萬二千五百人,人日支米二升,一月六斗,一年七石二斗。一軍一日支米二百五十石,一月七千五百石,一年九萬石。
兵経の上に曰く――一軍の編制一万二千五百人、每人毎天に米二升を支給し、一个月六斗、一年七石二斗。全軍は一天に米二百五十石を支し、一个月七千五百石、一年九万石。
以六分支粟,一人日支粟三升三合三勺三抄三圭三粒,一月一石,一年一十二石。一軍一年二十萬八千石,每小月人支粟九斗六升六合六勺六抄六圭六粒。其大麥八分、小麥六分、蕎麥四分、大荳八分、小荳七分、宛荳七分、麻七分、黍七分,並依分折米。
若し改めて粟を用いて六成に按じて折支せば、每人毎天に粟三升三合三勺三抄三圭三粒を支し、一个月正好く一石、一年十二石。全軍一年共に二十万八千石。ただ二十九天のみの小月に遇上せば、每人に粟九斗六升六合六勺六抄六圭六粒を支す。各種の雑糧の米に折るの比率に至りては――大麦八分・小麦六分・蕎麦四分・大豆八分・小豆七分・豌豆七分・麻七分・黍七分、一律に各々自らの比率に按じて米数に折成して支給す。
鹽,一人日支半合,一月一升五合,一年一斗八升。一軍一日六石二斗五升,一月一百八十七石五斗,一年二千二百五十石。
食鹽の方面は、每人毎天に半合を支給し、一个月一升五合、一年一斗八升。全軍は一天に鹽六石二斗五升を支し、一个月一百八十七石五斗、一年二千二百五十石。
馬料,一人二匹,一軍二萬五千匹。朔方、河西,一人二匹。范陽、河東、隴右、安西、北庭,則二人三匹。平盧、劍南,則一人一匹。計馬二萬五千匹為一軍,計二百五十匹為一隊,分為十坊,一坊秣馬五十隊。十月一日起料,四月一日停料。
馬料の方面は、每人に馬二匹を配するに按じて計算すれば、一軍は則ち二万五千匹あり。朔方・河西の两鎮は每人二匹、范陽・河東・隴右・安西・北庭の五鎮は毎两人三匹、平盧・剣南の两鎮は每人一匹なり。馬二万五千匹を以て一軍と算作し、二百五十匹を編成して一隊と為し、全軍は分かれて十坊と為り、毎坊は五十隊の馬の餵養を管す。十月初一より料を支し始め、四月初一に到りて料を支することを停止す。
一馬日支粟一斗,一月三石,六箇月一十八石。計一軍馬一日支粟一千二百五十石,一月三萬七千五百石,六箇月二十二萬五千石。
毎匹の馬は毎天に粟一斗を支し、一个月三石、六個月十八石。全軍の馬は一天に共に粟一千二百五十石を支し、一个月三万七千五百石、六個月二十二万五千石。
馬鹽,一馬日支鹽三合,一月九升,六箇月五斗四升。一軍馬支鹽三十七石五斗,一月一千一百二十五石,六箇月六千七百五十石。
馬もまた鹽を餵うを要す――毎匹の馬は毎天に鹽三合を支し、一个月九升、六個月五斗四升。全軍の馬は一天に鹽三十七石五斗を支し、一个月一千一百二十五石、六個月六千七百五十石。
茭草,一馬一日支茭草二圍,一月六十圍,六箇月三百六十圍。計一軍馬六箇月九十圍。
乾草の方面は、毎匹の馬は毎天に茭草二囲を支給し(一囲は両手の合抱する一捆)、一个月六十囲、六個月三百六十囲。全軍の馬は六個月合計して九十囲なり。
油藥,其油藥取逃亡兵士殘糧衣賜獸醫,人於馬押官都頭中差取。
油と藥の此の一項は、開支は逃亡士兵の留下せる余糧と衣賜の裏より划出し、獣医に撥給して使用せしむ。経弁の人は則ち馬押官と都頭の当中に於て差を派して充任せしむ。
軍資篇 第六十一
經曰:軍無財,士不來;軍無賞,士不往。香餌之下,必有懸魚;重賞之下,必有死夫。夫興師不有財帛,何以結人之心哉!
兵経の上に曰く――軍中に財物なくんば、人才は則ち肯じて前來投效せず。軍中に奨賞なくんば、士卒は則ち肯じて奮勇前向せず。香餌を挂け下ろせば、必定に魚を釣り得て上來る。重賞を擺き出だせば、必定に敢死の勇士を招き得て來る。兵を發して仗を打つに若し財帛を以て後盾と為さずんば、何を靠りて衆人の心を籠絡し住せんや。
軍士一年一人支絹布一十二疋、絹七萬五千疋、布七萬五千疋。 賞賜馬鞍轡、金銀銜轡二十具、 錦一百疋、 緋紫襖子衫具帶魚袋五十副、 色羅三百疋、 婦人錦繡夾襭衣帔袍二十副、 緋紫紬綾二百疋、 彩色綾一百疋、 銀器二百事、 銀壺瓶五十事、 帳設錦褥一十領、 紫綾褥二十領、 食卓四十張、 食器一千事、 酒樽杓一十副、 長幕二十條、 錦帳十所、 白氊一百事、 床�二十條、 鴟袋綉塾一百口。
軍士每人一年に絹と布と共に十二疋を支給し、全軍合計して絹七万五千疋・布七万五千疋。別に賞賜に用うるを作りて備うる有り――鞍轡を配斉したる馬および金銀装飾の銜轡二十具、錦一百疋、緋色紫色の襖子・衫子連なりて腰帯と魚袋と五十副、各色の羅三百疋、婦人の穿くるの錦綉夾纈衣・披帛と長袍と二十副、緋色紫色の綢と綾と二百疋、彩色綾一百疋、銀器二百件、銀壺銀瓶五十件、帐中鋪設の錦褥十領、紫綾褥二十領、食桌四十張、食器一千件、酒樽と酒杓と十副、長帐幕二十条、錦帐十所、白毡一百件、床二十条、鴟袋と綉墊と一百口。
宴設音樂篇 第六十二
經曰:雲上於天,需君子以飲食宴樂,用宣主君之惠、暢吏士之心。古人出師,必犒以牛酒,頒賞有序,殽席有差,以激勵於眾。酒酣,拔劒起舞,鳴笳角抵伐鼓呌呼,以增其氣。弦竹哀怨悽愴,征夫感而泣下,銳氣沮䘮,復安得而用哉!
兵経の上に曰く――《周易・需卦》の象辞に講じて曰く「雲気天上に升る、即ち需卦なり、君子は之に取法して、安心して飲食宴楽して時機を待つ」と。軍中に宴を設け楽を奏ずるは、以て主君の恩惠を宣示し将吏士卒の心気を舒暢す。古人の兵を出だすや、必ず牛肉美酒を用いて犒勞し、賞を頒するに先後の次序あり、酒席に等級の差別あり、此を借りて衆人を激勵す。酒飲みて酣暢の処に到れば、剣を拔きて起舞し、胡笳を吹響し角抵を比試し鼓を擂りて呼喊して、以て士気を助長す。可なりや若し絲竹の声に哀怨凄凉を弾じれば、出征の人聴きて感傷落涙し、鋭気此に就りて消沉喪尽せん、なお何を以て彼らに指望して仗を打たせんや。
酒,一人二升,二百五十石。羊一口,分為二十節,六百二十五口。
酒は每人二升に按じて配給し、全軍一万二千五百人合計して二百五十石。羊は毎隻を分かちて二十份と為し、毎二十人は一隻を合喰し、全軍合計して羊六百二十五隻を用う。
牛肉代羊肉,一人二斤,二萬五千斤。白米,一人五合,六十二石五斗。
牛肉を用いて羊肉に代える時は、每人二斤、全軍合計して二万五千斤。白米は每人五合、全軍合計して六十二石五斗。
薄餅,一人兩箇,二萬五千箇。每一斗麫作二十箇,計麫一百二十五石。〈○原作「一百五十石」,今校改。〉饅頭,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作三十枚,〈○此句舊抄本脫去,依 文瀾閣本補。〉用麫四十一石六斗七升。
薄餅は每人两個、全軍合計して二万五千個。毎一斗の麺は能く二十個を做り、共に麺一百二十五石を須す(原作は「一百五十石」、今推算に拠りて校改す)。饅頭は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は三十枚を做り(此の一句旧抄本脱漏す、文瀾閣本に依りて補入す)、共に麺四十一石六斗七升を用う。
蒸餅,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作一百枚。散子,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作三十枚,麫二十五石。每麫一斗,使油二十二斤。〈○原本「每麫一斗,使油一斤,二十斤碩二斤」,今依 文瀾閣本。〉
蒸餅は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は能く一百枚を做る。饊子は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は三十枚を做り、共に麺二十五石を須し、而且に毎一斗の麺はなお油二十二斤を用うるを要す(原本は「每麫一斗、使油一斤、二十斤碩二斤」と作る、今文瀾閣本に依りて改正す)。
饆饠,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作八十箇,麫一十五石六斗二升五合。餻�,一人三合,糯米三十七石五斗。
饆饠(一種の西域より伝来せる餡を帯びたる面食)は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は能く八十個を做り、共に麺十五石六斗二升五合を須す。糕は每人三合、共に糯米三十七石五斗を須す。
菜,一人五兩,二千九百五十斤零四兩。〈○此數不符,當云「三千九百斤零一兩」。〉羊頭蹄六百二十五具,充羹。醬羊䐗肝六百二十五具,並四等充羹。
菜は每人五両に按じて配給し、合計して二千九百五十斤零四両(此の数は人数と對り合わず、応に「三千九百斤零一両」と作るべし)。羊頭連なりて羊蹄六百二十五具は、以て羹を做るに用い。醤製の羊肝・猪肝六百二十五具は、前の几様と湊りて四色を成し、一併に羹を做る。
鹽,三人一合,四石一斗六升。醬,一人半合,六石二斗五升。醋,一人一合,一十二石五斗。
食鹽は毎三人一合、合計して四石一斗六升。醤は每人半合、合計して六石二斗五升。醋は每人一合、合計して十二石五斗。
椒,五人一合,二石五斗。薑,一人一兩,七十八斤零二兩。蔥,三人一兩,二百九十六斤零六兩。〈○此數不符,當云「二百六十斤」。〉
花椒は毎五人一合、合計して二石五斗。生姜は每人一両、合計して七十八斤零二両。葱は毎三人一両、合計して二百九十六斤零六両(此の数は人数と對り合わず、応に「二百六十斤」と作るべし)。
隨莚樂例:大鼓、杖鼓、腰鼓、舞劍、渾脫、角抵、笛、拍板、破陣樂、投石、拔拒、蹙鞠。
宴に随いて興を助くるの楽舞百戯は、慣例に按じて此らの項目あり――大鼓・杖鼓・腰鼓・舞劍・渾脱(一種の西域より伝来せる歌舞)・角抵(摔交して力を較ぶる)・笛・拍板・《破陣樂》・投石(重石を擲りて気力を比ぶ)・拔拒(綱を拔く)・蹴鞠(毬を踢る)。
《神機制敵太白陰經》巻五 終
陣圖總序
經曰:黃帝設八陣之形:車廂洞當,金也;車工中黃,土也;烏雲鳥翔,火也;折衝,木也;龍騰𨚫月,水也;雁行鵝鸛,天也;車輪,地也;飛翼浮沮,巽也。
兵経の上に曰く――黄帝は八種の陣形を設立せり――「車廂洞當」は金に属し、「車工中黄」は土に属し、「烏雲鳥翔」は火に属し、「折冲」は木に属し、「龍騰卻月」は水に属し、「雁行鵝鸛」是天に属し、「車輪」は地に属し、「飛翼浮沮」是巽に属す。
風后亦演《握奇圖》云:「以正合,以奇勝。或合而為一,或離而為八。聚散之勢,節制之度,復置虛實二壘。」
黄帝の臣子風后はまた《握奇図》を推演し出だせり。其の中に曰く「正兵を用いて敵と交鋒し、奇兵を用いて勝を制す。或は八陣合攏して一陣を成し、或は一陣分散して八陣を成す。聚攏と分散の態勢・指揮調度の法度は、皆此の裏面に在り。此外なお別に虚・実の两座の営壘を設く」と。
力牧以剙營圖,其後秦由余、蜀將諸葛亮並有陣圖,以教人戰。
黄帝の另一位の臣子力牧は此に拠りて営図を創制せり。後來秦国の由余・蜀漢の将領諸葛亮も、また各々自らの陣図を有して、以て士卒を教練して作戦せしめたり。
夫營壘教戰有圖,使士卒知進止、識金鼓。其應敵戰陣不可預形,故其「戰勝不復,而應形無窮。兵形象水,水因地而制形,兵因敵而制勝,能與敵變化而取勝者,謂之神。」則其戰陣無圖,明矣。而庸將以教習之陣為戰敵之陣,不亦謬乎!
営を安じ壘を立て戦を教習するに確かに図を有するを要し、士卒をして進退の規矩を明白し金鼓の号令を辨清せしめんが好し。しかるに敵に臨み交戦するの陣勢は預め画定するの法なし。故に《孫子・虚実篇》に曰く「勝を取るの弁法は重複して使用せず、敵情の変化に應対するに窮尽なし。用兵の形態は水に象り、水は地勢に依りて流向を決定し、用兵は敵情に依りて勝を取るの道を決定す。能く敵情に随いて変化して勝を取るは、則ち之を用兵神のごとしと謂う」と。此のごとく看れば、実戦の戦陣は図を画出せざるは、道理甚だ清楚なり。可なりや平庸の将領は偏偏として平時の教練に用うるの陣を、直接に敵に臨み交戦するの陣と当成せん。豈に荒謬甚だしきに非ずや。
風后握奇壘篇 第六十三
經曰:自風后至於太公,俱用此法。古之握奇,文不滿尺,理隱難明。其范蠡、樂毅、張良、項籍、韓信、黥布,皆用此法,得其糟粕。而霍光、公孫宏、崔浩,亦採其華,未盡其實。今以八陣握奇,人數為壘,班布守地,闊狹頃畝,列之如後。〈○此四句,張刻本雲︰「惟諸葛孔明則深明其法,以入陣握奇壘畫為圖本,守地闊狹分寸丈尺毫髮不爽,具圖以列於後焉。」〉
兵経の上に曰く――風后より一直に姜太公に至るまで、用いし所は皆此の一套の陣法なり。古本の《握奇》の文字は一尺の長さに満たず、義理隠晦にして、看明白し難し。范蠡・楽毅・張良・項籍・韓信・黥布の此らの人は皆之を用いしことあれども、得たる所はただ糟粕のみ。霍光・公孫弘・崔浩もまた、ただ其の華美の外表を采得したるのみ、其の実質を窮尽せざりき。現在則ち八陣握奇の法に按じ、人数を用いて営壘の大小を定め、各部の守る所の地段を排布し、連なりて寛窄多少の頃亩を、一一に後面に開列す(此の四句、張刻本は「惟有諸葛孔明深通此法、把入陣握奇的營壘畫成圖本、所守地段的寛窄、分寸丈尺毫髮不差、全都繪圖開列在後面」と作る)。
風后握奇外壘篇 第六十四
一軍一萬二千五百人,以十人為一火,一千二百五十火,幕亦如之。幕長一丈六尺,舍十人,人守地一尺六寸。十以三為奇,以三千七百五十人為奇兵,餘八千七百五十人分為八陣;陣有一千九十三人,七分五銖,守地一千七百五十尺。八陣積率,為地一萬四千尺,率成二千三百三十三步〈○原作「三百三十步」,今以算校正。〉餘二尺,積率成六里,餘一百七十三步二尺,以壘四面乘之,一面得地一里餘二百二十三步二尺,壘內得地一十四頃,一十七畝餘一百九十七步四尺六寸六分,以為外壘。
一軍一万二千五百人、毎十人を編成して一火と為し、共に一千二百五十火、帐幕もまた一千二百五十頂なり。毎頂の帐幕は長さ一丈六尺、十個人を住め、平均每人は地一尺六寸を占む。全軍は十分抽三の比例に按じて奇兵を留出し、即ち三千七百五十人を以て機動の奇兵を充当し、其余の八千七百五十人は分かれて八陣を成す――毎陣一千零九十三人零七分五銖、地面一千七百五十尺を占守す。八陣累加すれば、共に地一万四千尺を占め、折合して二千三百三十三歩(原作は「三百三十步」、今算術を用いて校正す)零二尺、再び折合して六里零一百七十三歩二尺。之を営壘の四面に按じて均攤すれば、一面は地一里零二百二十三歩二尺を得。壘内は共に地十四頃十七亩零一百九十七歩四尺六寸六分を得――これ即ち外壘の規模なり。
天陣居乾為天門。地陣居坤為地門。風陣居巽為風門。雲陣居坎為雲門。〈○「坎」疑「艮」,圖亦誤。〉飛龍居震為飛龍門。虎翼居兌為虎翼門。鳥翔居離為鳥翔門。蛇蟠居艮為蛇蟠門。〈○「艮」疑「坎」。〉
天陣は乾位に駐し、此の一面の門を天門と謂う。地陣は坤位に駐し、此の一面の門を地門と謂う。風陣は巽位に駐し、門を風門と謂う。雲陣は坎位に駐し、門を雲門と謂う(「坎」は疑う当に「艮」と作るべし、原図もまた錯りを標せり)。飛龍陣は震位に駐し、門を飛龍門と謂う。虎翼陣は兌位に駐し、門を虎翼門と謂う。鳥翔陣は離位に駐し、門を鳥翔門と謂う。蛇蟠陣は艮位に駐し、門を蛇蟠門と謂う(「艮」は疑う当に「坎」と作るべし)。
天地風雲為四正。龍虎鳥蛇為四奇。乾坤巽坎為闔門。〈○「巽坎」疑當從 文瀾閣本作「艮巽」。〉震兌離艮為開門。〈○「艮」疑當從 文瀾閣本作「坎」。〉
天・地・風・雲の四陣は「四正」と算作し、龍・虎・鳥・蛇の四陣は「四奇」と算作す。乾・坤・巽・坎の四個の方位は「闔門」と定む、即ち関閉して通行せざるの門なり(「巽坎」は疑う当に文瀾閣本に依りて「艮巽」と作るべし)。震・兌・離・艮の四個の方位は「開門」と定む、即ち出入を准許するの門なり(「艮」は疑う当に文瀾閣本に依りて「坎」と作るべし)。
有牙旗遊隊列其左右,偏將軍居門內,禁出入,察姦詐。壘外有遊軍,定兩端,前有衝,後有軸,四隅有鋪,以備非常。中壘,以三千七百五十人為中壘,守地六千尺,積尺得二里,餘二百八十步;以中壘四面乘之,一面得地二百五十步。壘內有地兩頃,餘一百步。 正門為握奇,大將軍居之,六纛、五麾、金鼓、庫藏、輜重,皆居中壘。
各門の左右に牙旗と游動の巡隊とを排列し、偏将軍は門内に駐し、人員を管束して随意に出入せしめず、奸細と冒名の人とを稽查す。営壘の外面は別に游動の部隊あり、固定して両頭を守住し、前面に「冲」を設くるは、前鋒突撃の位置にして、後面に「軸」を設くるは、居中転運の位置にして、四角に「鋪」を設くるは、即ち哨所にして、以て意外に防備す。中壘の規制は――三千七百五十人を以て中壘を組成し、地面六千尺を占守し、折算して二里零二百八十歩と為す。中壘の四面に按じて均攤すれば、一面は地二百五十歩を得。壘内に共に地二頃零一百歩あり。正門は則ち「握奇」の所在にして、大将軍はここに駐し、六面の大纛・五面の指揮の麾旗・金鼓・府庫と輜重も、また皆中壘の内に設く。
太白營圖篇 第六十五
經曰:參七星,伐三星,連體十星,為十將軍,西方白虎宿也,主殺伐。此星出而天下秋,草木搖落,有若軍威,故兵出而法焉。
兵経の上に曰く――参宿に七顆の星あり、伐星に三顆あり、両者は連なりて一体を成し共に十顆、十位の将軍を象徴し、西方白虎七宿に属し、肅殺征伐の事を掌管す。此の一組の星一たび出現すれば、天下は便ち秋令に進入り、草木凋零飄落し、あの気象は甚だ軍威の到る所に似たり。故に軍隊の出征布営は之に取法するを要す。
一將一千人,十將一萬人。幕千人,守地一萬六千尺,積尺得二千六百六十六步,餘四尺;積步得七里,餘一百四十六步四尺;以營四面乘之,一面得地一里,餘三百六步四尺,營內有地一十八頃七十畝,餘一百四十三步五尺三寸三分。
一名の将領は一千人を統領し、十名の将領は共に一万人を統領す。帐幕は毎一千人に一区に按じて安排し、地面一万六千尺を占守し、折合して二千六百六十六歩零四尺、再び折合して七里零一百四十六歩四尺。之を営の四面に按じて均攤すれば、一面は地一里零三百六歩四尺を得。営内に共に地十八頃七十亩零一百四十三歩五尺三寸三分あり。
地主居坎為地主門。和德居艮為和德門。高叢居震為高叢門。大炅居巽為大炅門。天威居離為天威門。大武居坤為大武門。太簇居兌為太簇門。陰德居乾為陰德門。
地主陣は坎位に駐し、此の一面の門を則ち地主門と謂う。和徳陣は艮位に駐し、門を和徳門と謂う。高叢陣は震位に駐し、門を高叢門と謂う。大炅陣は巽位に駐し、門を大炅門と謂う。天威陣は離位に駐し、門を天威門と謂う。大武陣は坤位に駐し、門を大武門と謂う。太簇陣は兌位に駐し、門を太簇門と謂う。陰徳陣は乾位に駐し、門を陰徳門と謂う。
四仲為開門。四維為闔門。外置牙旗遊隊,四維門置鋪,偏將軍居壘內,以禁出入、察奸邪。十將幡旗圖禽,以五色五行列之。
子・午・卯・酉の四個の正位(四仲)は開門と設けて出入を准許し、乾・坤・艮・巽の四個の角位(四維)は闔門と設けて関閉して通ぜず。営外に牙旗と游動の巡隊を布置し、四個の角門に哨鋪を設け、偏将軍は壘内に駐して出入を禁約し奸邪を稽查するを負責す。十位の将領の幡旗の上に皆禽獣の図形を画き、五色を以て五行に配するの次序に按じて排列す。
右一將,行得水,黑幡幟旗,圖熊額白腳青。右二將,行得火,赤幡幟旗,圖鶚額白腳黃。右三將,行得木,青幡幟旗,圖熊額白腳赤。〈○原作「青」,依左三將例改。〉右四將,行得金,白幡幟旗,圖狼額白腳黑。右五將,行得土,黃幡幟旗,圖虎額白腳白。
右廂第一将は水行に配し、黒色の幡旗を用い、旗上に熊を画き、熊の額部は白色・足部は青色。右廂第二将は火行に配し、赤色の幡旗を用い、旗上に鶚(魚鷹)を画き、額部は白色・足部は黄色。右廂第三将は木行に配し、青色の幡旗を用い、旗上に熊を画き、額部は白色・足部は赤色(此処原作は「青」、左三将の体例に依りて改む)。右廂第四将は金行に配し、白色の幡旗を用い、旗上に狼を画き、額部は白色・足部は黒色。右廂第五将は土行に配し、黄色の幡旗を用い、旗上に虎を画き、額部は白色・足部は白色。
左一將,行得水,黑幡幟旗,圖熊額白腳青。左二將,行得火,赤幡幟旗,圖鶚額白腳黃。左三將,行得木,青幡幟旗,圖熊額白腳赤。左四將,行得金,白幡幟旗,圖狼額白腳黑。左五將,行得土,黃幡幟旗,圖虎額白腳白。
左廂第一将は水行に配し、黒色の幡旗を用い、旗上に熊を画き、額部は白色・足部は青色。左廂第二将は火行に配し、赤色の幡旗を用い、旗上に鶚を画き、額部は白色・足部は黄色。左廂第三将は木行に配し、青色の幡旗を用い、旗上に熊を画き、額部は白色・足部は赤色。左廂第四将は金行に配し、白色の幡旗を用い、旗上に狼を画き、額部は白色・足部は黒色。左廂第五将は土行に配し、黄色の幡旗を用い、旗上に虎を画き、額部は白色・足部は白色。左右両廂の十面の将旗は两两相應対し、一望すれば則ち何れの一将の部伍なるかを知る。
中營二千人為左右決勝軍,大將衛五百為幕,二百五十人守地四千尺,積尺得六百六十六步,餘四尺;積步得一里,餘三百六步四尺;以營四面乘之,一面得地一百六十六步,餘四尺。其中營小,每面加四十三步一尺三寸三分,通成二百二十二步一尺三寸三分。每幕相去四尺五寸四分,營內有地二頃四畝,餘一百五十七步一尺五寸九分。
中営は二千人を用いて左右決勝軍を編成し、大将の衛士五百人は別に帐幕を立つ。二百五十人に一区に按じて計算し、地面四千尺を占守し、折合して六百六十六歩零四尺、再び折合して一里零三百六歩四尺。営の四面に按じて均攤すれば、一面は地一百六十六歩零四尺を得。中営偏小たるを以て、毎一面はなお再び四十三歩一尺三寸三分を加えるを要し、合わせ起せば則ち二百二十二歩一尺三寸三分なり。毎两頂の帐幕の間は四尺五寸四分を相隔る。営内に共に地二頃四亩零一百五十七歩一尺五寸九分あり。
休門主一居子。生門主八居艮。傷門主三居卯。杜門主四居巽。景門主九居午。死門主二居坤。驚門主七居酉。開門主六居乾。
休門は一数に配し、位は子に在り。生門は八数に配し、位は艮に在り。傷門は三数に配し、位は卯に在り。杜門は四数に配し、位は巽に在り。景門は九数に配し、位は午に在り。死門は二数に配し、位は坤に在り。驚門は七数に配し、位は酉に在り。開門は六数に配し、位は乾に在り。ここの「主」は掌管・配属の意にして、説く所は毎一門各々一個の数字を領し一個の方位を占むるなり。
右八門,四維,四仲。唯開景門,闔致大將,將軍旗纛、金鼓如握奇法。
以上の八門は、分別に四維と四仲の此の八個の方位の上に落つ。其の中ただ開門と景門とを開通し、其余の各門は一律に関閉し、人馬は皆大将の所在の処に歸攏す。将軍の旗纛と金鼓と如何に設置するやは、握奇陣の弁法に比照して弁理す。
偃月營圖篇 第六十六
經曰:偃月營,形象偃月,背山岡,面陂澤,輪逐山勢,弦隨面直。〈○「弦」字依《御覽》三百三十五補。〉地窄山狹之所下營也。〈○原本「直下有「形」字,「山」作「小」,並依《御覽》刪。〉
兵経の上に曰く――偃月営の形状は一弯の仰臥するの月牙に似、背は山岡に靠り、面は坡地水澤に朝し。弧背は山勢の走向に随いて弯曲し、弦辺は則ち正面に順いて直線に拉成す(「弦」の字は《太平御覧》巻三百三十五に依りて補う)。これは地面狭窄・山勢逼仄の地方に於て営を安ずるの弁法なり(原本「直」の字の下に一個の「形」の字あり、「山」は「小」と作る、皆《太平御覧》に依りて删改す)。
褗月外營,常以四六分幕一萬人,以六千人守地,九千六百尺,積尺得一千六百步;積步得四里,餘一百六十步為營輪。四千人守地六千四百尺,積尺得一千六十六步餘四尺;積步得二里,餘三百四十六步四尺為弦,弦置三門,每門相去三百五十五步一尺五寸五分。營內有地一十八頃八十畝,餘五十八步四尺,右置上弦門,中置偃月門,左置下弦門。
偃月外営は通常一万人を四六両部分に按じて帐幕を安排す――其の中六千人は地面九千六百尺を占守し、折合して一千六百歩、再び折合して四里零一百六十歩、此の一段は月牙形の弧背を構成して「営輪」と謂う。別の四千人は地面六千四百尺を占守し、折合して一千零六十六歩零四尺、再び折合して二里零三百四十六歩四尺、此の一段は月牙の弦辺を構成す。弦辺の上に三座の門を開き、毎門は三百五十五歩一尺五寸五分を相距る。営内に共に地十八頃八十亩零五十八歩四尺あり。右辺に上弦門を開き、中間に偃月門を開き、左辺に下弦門を開く。
偃月中營,以二千五百人守地四千尺,積尺得六百六十六步,餘四尺;積步得一里三百六步,餘四尺。每幕加地四尺五寸四分,每幕中兩廂置土馬一十二疋,大小如常馬,備直鞍,令士卒擐甲冑、櫜弓矢、佩刀劒、持矛盾,左右上下,以習騎射。
偃月中営は二千五百人を用い、地面四千尺を占守し、折合して六百六十六歩零四尺、再び折合して一里三百零六歩零四尺。毎頂の帐幕は別に地四尺五寸四分を加う。毎頂の帐幕の左右両廂に木製の「土馬」十二匹を擺放し、大小は真馬と一様にして、鞍具を配好し、士卒をして甲胄を披き弓箭袋を背負い刀剣を佩び矛と盾を手持せしめ、馬上に於て左右に翻轉し上下に起落して、以て騎射の本領を操練す。
陰陽隊圖篇 第六十七
經曰:陽隊起一至九,陰隊起九至一。隊有五十人,五人為火長,一隊九人,〈○《御覽》二百九十九引此下有「五九」二字。〉不失四十五人之數。卒間容卒,相去二步;隊間容隊,相去一十八步。前後一十步,其隊相去,前後亦如之。黃帝曰:「陣門容陣,隊間容隊,曲間容曲。」是也。
兵経の上に曰く――陽隊の編号は一より順に排して九に至り、陰隊の編号は九より倒に排して一に至る。毎隊五十人、其の中五人は火長を充当し、毎一火の士卒は九人(《太平御覧》巻二百九十九引此の句の下にまた「五九」の二字あり)、五乘じて九に相當し、正好く四十五人の数に少なからず。士卒と士卒との間は一個人の空当を留め得べく、彼此二歩を相距る。隊と隊との間は一個の隊の空当を留め得べく、彼此十八歩を相距る。前後は十歩を相距り、各隊の前後の間距もまた此の数に照らす。黄帝に曰く「陣と陣との間は一個の陣を容れ得、隊と隊との間は一個の隊を容れ得、曲と曲との間は一個の曲を容れ得」と。講ずる所は正に此の道理なり。
一隊布地三十六步,一陣二十二隊,布地七百九十二步。方、圓、斜、曲、長、短皆如之。火長不預教習,其支器仗亦在分數之內。甲三十領六分,戰袍二十領四分,槍五十根十分,牌十面二分,弩十張二分,陌刀十張二分,箭四十副八分,佩刀四十口八分,棓十具六分。
一個の隊は鋪き開きて地三十六歩を占め、一個の陣は二十二個の隊を編み、鋪き開きて地七百九十二歩を占む。方陣・円陣・斜陣・曲陣に擺成するを論ぜず、また長く拉するも短く縮めるも、皆此の数に照らして計算す。火長は教練操演に参加せざれども、彼らの領用するの兵器は照樣に全隊の定額の内に算入す。一隊五十人を以て準と為せば、各項の装備の配比は――铠甲三十領は六分を占め、戦袍二十領は四分を占め、槍五十根は十分を占めて即ち人手一根なり、牌十面は二分を占め、弩十張は二分を占め、陌刀十張は二分を占め、箭四十副は八分を占め、佩刀四十口は八分を占め、棓十具は六分を占む。ここの「分」は、指す所は全隊の人数の十分の几を占むるなり。
右守用陰隊,左攻用陽隊。矛、盾、弓,佈置各有行列,前後陰陽不同。
右辺は主として守り、陰隊を用いて担任し、左辺は主として攻め、陽隊を用いて担任す。矛・盾・弓の擺放は各々固定の行列あり、前後両面は陰陽の属性同ならざるに因りて、配置もまた之に随いて別あり。
敎旗篇 第六十八
經曰:春秋末,並為戰國,增講武之禮,以為戲樂,用相誇競,而秦更名為角抵。故國雖大,好戰必亡;天下雖安,忘戰必危。天下旣平,〈○此句原本脫去,又衍一「故」字,依《御覽》二百九十七改。此用《司馬法‧仁本篇》文。〉春蒐、夏苗、秋獼、冬狩,振旅理兵,所以不忘戰也。宣尼曰:「以不教民戰,是謂棄之。」今邊軍更名曰教旗。使士卒識金鼓、別旗幟、知行列、諳部分,乃一軍之節制也。
兵経の上に曰く――春秋の末年列国は併り入りて戦国の世と為り、各国は武事を講習するの礼儀を拡充を加え、游戯娯楽を弁成して、彼此に誇耀較量し、秦代に到りて改めて「角抵」と名づく。故に曰う――国家再び大なりとも、戦を好めば必定に滅亡せん。天下再び安定なりとも、戦備を忘掉すれば必定に危険なり。即ち天下已に太平たりとも(此の一句原本脱漏し、また一個の「故」の字を多出す、《太平御覧》巻二百九十七に依りて改正す。ここに用うるは《司馬法・仁本篇》の話なり)、もまた仍お春に蒐礼を行い夏に苗礼を行い秋に狝礼を行い冬に狩礼を行い、四時の田猟を借りて隊伍を整頓し兵馬を操練して、為す所は戦備を忘れざるなり。孔子に曰く「訓練を受けざるの百姓を以て戦いに往かしむるは、則ち彼らを抛弃するに等し」と。如今辺軍は此の類の操演を改めて「教旗」と名づく。其の用意は、士卒をして金鼓の号令を認得し旗幟の種類を分清し行列の排法を懂得し各々自らの編属に熟悉せしむるに在り。これ即ち一支の軍隊の節制の道なり。
凡教旗於平原高山,大將軍居其上,南向;左右各置鼓一十二面、角一十二具,各樹五色旗,六纛居前,旌節次之,監軍、御史、裨副、左右、衙官、騎隊如偃月形為候騎,下臨平野,使士卒目見旌旗、耳聞鼓角、心存號令。乃命十將左右決勝,將總一十二將一萬二千人,兵刃精新,甲馬旗幟分為左右廂,各以兵馬,使為長班布其次。
凡そ教旗を擧行するは、皆平原の上の高処に選ぶ――大将軍は高処に坐し、面は南に朝す。左右各々戦鼓十二面・号角十二具を設け、各々五色旗を樹る。六面の大纛は最前に列し、旌節は其の後に排す。監軍・御史・裨将副将・左右僚属・衙官と騎隊とは、偃月形に排成して候騎を充当し、高に居り下に臨みて平野を俯瞰し、士卒をして眼に旌旗を看見し耳に鼓角を聴聞し心に号令を記住せしむるを好しとす。然る後に十位の将領に命じて分かちて左右決勝軍を掌らしめ、主将を連ねて総計して十二将・一万二千人。兵器は精良嶄新なるべく、甲仗・馬匹と旗幟とは分かちて左右両廂を作り、各々領する所の兵馬に按じ、兵馬使に由りて班首を担任し、依次に排列して行を成す。
陣間容陣,隊間容隊,曲間容曲。以長參短,以短參長。回軍轉陣,以前為後,以後為前。進無速奔,退無趨走。紛紛紜紜,鬬亂而不可亂;渾渾沌沌,形員而不可敗者,奇正是也。〈○《通典》百四十九以此五句為註文,首有「孫子所謂」四字。〉進止有度,徐疾有節,以正合,以奇勝,聽音、望麾,乍合乍離,於是三令五申。
陣と陣との間は一個の陣を容れ得、隊と隊との間は一個の隊を容れ得、曲と曲との間は一個の曲を容れ得。長兵器と短兵器とは交錯配搭し、短兵器と長兵器とは互相に照應す。師を回し陣を転ずるの時、原來の前隊を把りて後隊を変作し、原來の後隊を把りて前隊を変作す。前進は一味に猛冲するを許さず、後退は腿を撒きて乱走するを許さず。人馬紛紛紜紜として、看るに乱斗の中のごとく似たれども、隊伍は卻って乱れず。混混沌沌として、陣形円転周遍し、卻って打ち垮がさず――靠る所は則ち奇兵と正兵との相互配合なり(《通典》巻一百四十九は此の五句を把りて注文と当作り、句首にまた「孫子所謂」の四字あり)。進退に法度あり、快慢に節奏あり、正兵を用いて交鋒し、奇兵を用いて勝を制す。士卒は鼓角の音を聴き指揮の麾旗を望みて、忽ち合攏し忽而散開す。此らは皆三令五申して、反復交代して明白せよ。
白旗點、鼓音動,則左右廂齊合;朱旗點、角音動,則左右廂齊離。離之與合,皆不離子午之地。〈○《通典》「子午」作「中央」。〉左廂陽向而旋,〈○《通典》有「右」字。〉右廂陰向而旋,〈○《通典》有「左」字。〉左右各復本位。白旗掉、鼓音動,左右雲蒸鳥散,彌川絡野,然而不失隊伍之疏密;朱旗掉、角音動,左右各復本位。前後左右無差尺寸。
白旗一たび点じ鼓声一たび響けば、左右両廂は則ち一斉に合攏す。朱旗一たび点じ角声一たび響けば、左右両廂は則ち一斉に散開す。散開するも合攏するも、皆子午の此の南北の中軸線を離れず(《通典》は「子午」を「中央」と作る)。左廂は朝陽の一側に向かいて旋轉し(《通典》此処に一個の「右」の字を多し)、右廂は朝陰の一側に向かいて旋轉し(《通典》此処に一個の「左」の字を多し)、転じ完れば各々自ら原位に回帰す。白旗一たび揮い鼓声一たび響けば、左右の人馬は雲気の蒸騰し飛鳥の四散するがごとく鋪展し開き去り、川を漫じ野を遍うも、可なり隊伍の疏密は終始乱れず。朱旗一たび揮い角声一たび響けば、左右各々自ら退回して原位に至り、前後左右の方位は分毫差えず。
經曰:〈○張刻本無此二字,《通典》引同。〉散則法天,聚則法地。如此三合而三離,三聚而三散。不如法者,吏士之罪,可從軍令。〈○張刻本云「可以軍法從事」。〉於是大將軍出五彩旗一十二面,各樹於左右陣前,每旗選壯勇士五十人守旗,選壯勇士五十人奪旗;右廂奪左廂旗,左廂奪右廂旗。鼓音動而奪,角音動而止。得旗者勝,失旗者負,勝賞、負罰。離合之勢,聚散之形,勝負之理,賞罸之信,因是以教之。
兵経の上に曰く(張刻本に「經曰」の二字なし、《通典》引文相同なり)――散開する時は天の広布に取法し、聚攏する時は地の凝定に取法す。就中かくのごとく三合三離・三聚三散して反復演練す。法度に照らして做さざる有れば、則ち将吏士卒の罪過にして、軍令に按じて処置すべし(張刻本は「可以軍法從事」と作る)。続いて大将軍は五彩旗十二面を拿出して、分別に左右の陣前に樹て、毎面の旗に健壯勇敢の士卒五十人を挑んで旗を守らしめ、別に五十人を挑んで旗を奪いに往かしむ――右廂は左廂の旗を奪い、左廂は右廂の旗を奪う。鼓声一たび響けば則ち奪い開き、角声一たび響けば則ち手を住む。旗を奪い到るは勝と算し、旗を丢すは負と算し、勝のは賞あり、負のは罰を受く。分と合の態勢・聚と散の陣形・勝と負の道理・賞と罰の信実は、皆此の場の演練を借りて一併に士卒に教うるなり。
草教圖篇 第六十九
經曰:古之諸侯畋獵者,為田除害,上以供祭祀,下以習武事。〈○《御覽》二百九十七引此二句,云「上所以共承宗廟,下所以閑習武事」。〉太古之時,人食鳥獸之肉,衣鳥獸之皮;後代人民眾多,鳥獸寡少,衣食不足。於是神農教其種植,導其紡績,以代鳥獸之命。
兵経の上に曰く――古代の諸侯は田猟を擧行するは、農田の為に禽獣の害を除去し、往ぐに上りて以て祭祀の所需を供給し、往ぐに下りて以て武事を操習すべし(《太平御覧》巻二百九十七引此の两句は「上所以共承宗廟、下所以閑習武事」と作る)。遠古の時、人は鳥獣の肉を喫し鳥獣の皮を穿き、後世に到りて人口漸く多く鳥獣漸く少なくなれば、衣食は則ち用に足らざらん。是に於て神農氏は人に教えて五穀を種植し人を引導して紡紗織布せしめ、農桑を以て鳥獣を宰殺して衣食を取るに替代せしめたり。
自是以後,禽獸復盈山林,下平土〈○此句依《御覽》補。〉害禾稼,人民苦之。於是王公秋冬無事,教習畋獵,簡練兵革,奮揚威武,以戒非常。季冬之月,臘日太陰用事,萬物畢成,蟄蟲以伏,乃具卒乘,從禽於山澤以教之,令知部分進退之儀也。
此より以後、禽獣はまた山林の裏に於て繁衍満盈し、下りて平地に至りて庄稼を糟蹋す(此の一句は《太平御覧》に依りて補う)、百姓は深く其の苦しみを受く。是に於て王公たちは秋冬の農事已に畢るの空閑に趁り、田猟を教習し、兵器甲仗を検点操練し、威武を振揚して、以て意外の変に防備す。冬季の最後の一个月の腊日に到りて、陰気は正に令に当たり、万物は皆已に成熟収蔵し、蟄虫は皆已に潜伏せれば、則ち歩卒と車騎とを集合して、山林水澤の間に到りて禽獣を追逐し、此の機会を借りて部隊を教練し、彼らをして編隊分属と進退の規矩とに熟悉せしむ。
一人守圍地三尺,一十二將守地三萬六千尺,積尺得六千步,〈○原作「得步六千」,依《御覽》乙轉。〉積步得一十五里,餘六十步。圍中徑闊得地五里,餘二十步,以左右決勝將為校頭,其次左右將各主士伍為行列,皆以金鼓、旌旗為節制。其初,起圍張翼,隨山林地勢,無遠近部分。其合圍地,虞候先擇,定訖,以善弧矢者為圍中騎。其步卒槍幡守圍,有漏禽獸者,坐守圍吏。大獸公之,小獸私之,以觀進止。
囲を合する時は每人に囲線三尺を占守せしめ、十二将の人馬は共に囲線三万六千尺を守り、折合して六千歩(原作は「得步六千」、《太平御覧》に依りて詞序を乙正す)、再び折合して十五里零六十歩。囲圈の当中の直径は五里零二十歩を得べし。左右決勝軍の将領を以て校頭を充当し、其の下は左右の各将に由りて分別に本部の士卒を統率して行列を排成し、一律に金鼓と旌旗を以て節制指揮す。開頭は両翼を張開して包囲圈を合攏し、山林の地勢に順いて推進し、遠近を拘らず部位を划分す。合囲の地点は虞候に由りて預め勘察選定し、定まり下來して後に、射を善くするの人を挑んで囲内の騎手を充当せしむ。歩卒は手に長槍と幡旗を執りて囲線を把守し、禽獣をして漏れ出でしむる有れば、則ち囲を守る官吏の罪責を追究す。猟得せる大獣は公に歸し、小獣は猟獲者本人に歸す。主将は則ち此の場の囲猟を借りて全軍の進退の合度せるや否やを観察す。
教弩圖篇 第七十
經曰:弩者,怒也。言其聲勢威響如怒,故以名其弓也。〈○《御覽》三百四十八,「弓」作「弩」。〉穿剛洞堅,自近及遠。古有黃連、百竹、八擔、雙弩之名。〈○《通典》百四十九引作「雙弓之號」。〉今有絞車弩,射七百步,攻城拔壘用之;臂張弩,射三百步,步戰用之;馬弩,射二百步,馬戰用之。
兵経の上に曰く――「弩」は「怒」の意を取る、是れ其の発射する時の声勢威猛として怒るがごときを説き、故に此の字を用いて此の種の弓に命名す(《太平御覧》巻三百四十八は「弓」を「弩」と作る)。それは能く堅甲硬盾を穿透し、近より遠に及ぶまで皆射到る能し。古の時は黄連弩・百竹弩・八担弩・雙弩の此らの名目あり(《通典》巻一百四十九引は「雙弓之號」と作る)。如今は絞車弩あり、射程七百歩にして、城を攻め壘を拔くの時に之を用い。臂張弩あり、射程三百歩にして、歩戦の時に之を用い。馬弩あり、射程二百歩にして、騎戦の時に之を用う。
弩張遲,臨敵不過三發,所以戰陣不便於弩,非弩不利於戰,而將不明於用弩也。夫弩不離於短兵,〈○《通典》「離」作「雜」。〉當別為隊,攢箭注射,則前無立兵,對無橫陣;復以陣中張陣外射,番次輪回,張而復出,射而復入,則弩無絶聲,敵無薄我。置弩必處於高,爭山奪水,守隘塞口,破驍陷陣,果非弩不利也。〈○此四句,張刻本云「爭山奪川隘塞之日,摧堅破銳,果非弩不克也」。〉
弩の上弦は慢く、陣に臨みて最多ただ三次発し得るのみ。故に人々は列陣して作戦するに弩を用いるは不便なりと覚う。其の実弩が作戦に利あらざるに非ず、将領が如何に弩を用いるかを懂得せざるなり。弩は短兵器の掩護を離るる能わず(《通典》は「離」を「雜」と作る)、当に弩手を別に編成して隊と為し、箭矢を集中して一斉に攅射すべし。かくすれば正面に站りて脚を得べきの敵兵なく、対面にも横列の陣勢を擺成し得ず。再び弩手をして陣内に於て上弦し陣外に到りて発射せしめ、一批一批輪換して、弦を上好すれば則ち陣を出で、射し完れば則ち退回せば、是に於て弩声連綿として断えず、敵人もまた我が軍に逼近するに由なし。弩位を安放するは必ず高処を選ぶを要す。山頭水源を争奪し険隘要口を扼守し敵軍の驍鋭を撃破し敵人の陣列を冲垮するは、果然として弩に非ずんば奏效する能わず(此の四句、張刻本は「爭山奪川隘塞之日、摧堅破銳、果非弩不克也」と作る)。
張弩後,左廂丁字立,當弩八字立,高揎手垂衫襟,左手承撞,右手迎上,當心開張。張有闊狹,左䏶右轉,〈○《通典》「轉」作「膊」。〉還復當心,安箭高舉。射賊若遠,高擡弩頭;賊若近,平身放;左右有賊,回身放;賊在高處,挈腳放。放箭訖,喝殺,𨚫掣拗蠍尾,覆弩還著地。
上弦の姿勢は――弩身の左側に站る時は両脚は丁字形を呈して站定し、正に弩に對する時は両脚は八字形を呈して站定す。袖子を高く挽起し、衫襟をして自然に垂下せしむ。左手は弩身を托住し、右手は上に向かいて弓弦を迎住し、胸口の正中に對して弦を張開す。弦を張るの幅度は寛あり窄あり、左胯は配合して右に向かいて旋轉し(《通典》は「轉」を「膊」と作る)、轉じ回りて仍旧に胸口の正中に對准し、箭を安上し、弩を擧げ高うす。遠処の敵人を射れば、則ち弩頭を抬げ高うし、敵人近処に在れば、則ち身を平うして発射し、左右両側に敵人有れば、則ち身を轉じて発射し、敵人高処に在れば、則ち脚を提起して発射す。箭放ち完れば、高く声に「殺」と喊び、随い即ち手を回して弩後の蝎尾扳機を扳動し、弩を翻轉して回りて地上に放回す。
合して一陣を為すの圖篇 第七十一
經曰:從一陣之中,離為八陣,從八陣復合而為一;〈○此句張刻本補。〉聽音望麾,以出四奇,飛龍、虎翼、鳥翔、蛇蟠為四奇陣,天、地、風、雲為四正陣。夫善戰者,以正合,以奇勝,奇正相生,〈○「奇正」二字,依張刻本補。此用《孫子‧兵勢篇》文。〉如循環之無端,孰能窮之?奇為陽,正為陰,陰陽相薄,而四時行焉;奇為剛,正為柔,剛柔相得,而萬物成焉。奇正之用,萬物無所不勝焉。所謂合者,即合奇正八陣而為一也。〈○此二句,依張刻本補。〉
兵経の上に曰く――一個の大陣の中より分離して八個の陣を出だし、八個の陣はまた能く重新に合攏して一個の大陣を成す(此の一句は張刻本に依りて補う)。士卒は鼓角の音を聴き指揮の麾旗を望みて、四支の奇兵を放ち出す――飛龍・虎翼・鳥翔・蛇蟠は四個の奇陣にして、天・地・風・雲は四個の正陣なり。善く仗を打つ者は、正兵を用いて敵と交鋒し、奇兵を用いて勝を制し、奇と正とは互相に化生す(「奇正」の二字は張刻本に依りて補う。ここに用うるは《孫子・兵勢篇》の話なり)。円環の旋轉するがごとくして其の頭尾を找得るなく、誰か能く其の変化を窮尽せんや。奇は陽に属し、正は陰に属し、陰陽相互に激蕩して、四季は則ち運行して息まず。奇は剛と為り、正は柔と為り、剛柔彼此に配合して、万物は則ち生成して已まず。奇正は配合して運用すれば、如何なる對手に対しても往きて勝たざるなし。謂うところの「合」は、則ち奇正の八陣を重新に併りて一個の大陣を成すなり(此の两句は張刻本に依りて補う)。
離れて八陣を為すの圖篇 第七十二
經曰:風后演《握奇圖》,自一陣之中,分為八陣。
兵経の上に曰く――風后の《握奇図》を推演するは、則ち一個の大陣の当中より、八個の陣を分かち出だすなり。
天有衝,或圓布。黃帝曰:天陣圓,〈○《御覽》三百一引作「少則為圓」,張刻本無「為」字。〉利為主,色尚元,為乾。
天陣は「冲」の此の突撃部位を設け、或は円形に布成す。黄帝に曰く――天陣は円形を取り(《太平御覧》巻三百一引は「少則為圓」と作る、張刻本に「為」の字なし)、迎战の主方を作るに利あり、旗色は玄黒を崇尚し、八卦の乾位に配す。ここの「主」は地に拠りて敵を待つ一方を指し、「客」は遠く來りて進攻する一方を指す。
地陣方,〈○《御覽》「壯則為方」上有「黃帝雲」三字。〉利為客,色尚黃,為坤。風附於天,〈○《御覽》此下有「峰」字。〉風象,其形銳首,利為客,色尚赤,為㢲。
地陣は方形を取り(《太平御覧》は「壯則為方」の上面に「黄帝云」の三字あり)、進攻の客方を作るに利あり、旗色は黄を崇尚し、坤位に配す。風陣は天陣に附属す(《太平御覧》は此の下に一個の「峰」の字あり)、風の形象を取り、陣頭尖鋭にして、進攻の客方を作るに利あり、旗色は赤を崇尚し、巽位に配す。
雲附於地。太公曰:左右相向是也,其形銳首,利為客,色尚白,為坎。飛龍,其形屈曲,似龍,〈○張刻本云「龍形屈曲,變化莫測,其陣象之,敵亦莫得而測」也。〉利為主,色上元下赤,為震。
雲陣は地陣に附属す。姜太公に曰く――左右両部の相向して排列するは則ち雲陣なり、其の陣頭もまた尖なり、進攻の客方を作るに利あり、旗色は白を崇尚し、坎位に配す。飛龍陣の形態は屈曲して一條の龍のごとく(張刻本は「龍形屈曲、變化莫測、此陣取象於龍、所以敵人也無從測度」と作る)、迎战の主方を作るに利あり、旗色は上玄下赤にして、震位に配す。
虎翼,居中,法翼而進,其形空,〈○《御覽》「法」作「張」,「空」作「踞」。〉利為主,色上黃下青,為兌。鳥翔。太公曰:鳥翔者,突擊之義也,其形迅急,利為客,色上元下白,為離。〈○此下二圖,舊抄本傳寫錯亂,姑從張刻本。〉
虎翼陣は中央に居り、老虎の両翼を張開するの樣子を仿照して前に向かって推進し、陣形の中間は是れ空なり(《太平御覧》は「法」を「張」と作り、「空」を「踞」と作る)、迎战の主方を作るに利あり、旗色は上黄下青にして、兌位に配す。鳥翔陣は、姜太公に曰く――謂うところの鳥翔は、突然襲撃の意を取る、陣形迅疾急驟にして、進攻の客方を作るに利あり、旗色は上玄下白にして、離位に配す(以下の两幅の図は、旧抄本伝写錯乱し、姑く張刻本に依照す)。
蛇蟠。太公曰:蛇蟠者,圍繞之義也,〈○「繞」字依《御覽》補。〉其形宛轉,利為主,色上黃下赤,為艮。
蛇蟠陣は、姜太公に曰く――謂うところの蛇蟠は、盤繞囲裹の意を取る(「繞」の字は《太平御覧》に依りて補う)、陣形回環宛転にして、迎战の主方を作るに利あり、旗色は上黄下赤にして、艮位に配す。
《神機制敵太白陰經》巻六 終
祭文總序
經曰:古者,天子望于山川,徧於群神;諸侯祭其封內興雲出雨之山川神祗。出師皆祭,〈○「出師」二字,依張刻本補。〉並所過名山大川,福及生人神祗。《爾雅》云:「是類是禡,〈○兩「是」字, 閣本並作「旣」,依張刻本改,與《爾雅》合。〉師祭也;旣伯旣禱,馬祭也。」師初出,則禡軍之牙門,禱馬群廐。蚩尤氏造五兵,制旗鼓,師出亦祭之。其名山大川風伯雨師並所過則祭,不過則否。
兵経の上に曰く――古の時、天子は遥かに天下の山川を祭り、各路の神靈を遍く祭り、諸侯はただ自らの封地の内の能く雲を興し雨を降らすの山川神祇を祭るのみ。兵を出だすの時は皆祭祀を擧行す(「出師」の二字は張刻本に依りて補う)、凡そ沿途経過するの名山大川、および福澤の百姓に施及するの神祇は、一併に祭告す。《爾雅・釋天》に曰く「『是類是禡』は、出師の祭を講ずるなり。『既伯既禱』は、馬の祭を講ずるなり」と。軍隊剛に出發すれば、則ち軍中牙門に於て禡祭を擧行し、馬廐に到りて馬群の為に祈禱す。蚩尤は五種の兵器を造出し旗鼓の法を創制せり、師を出だす時もまた彼を祭る要す。名山大川と風伯・雨師とに至りては、凡そ行軍経過するは則ち祭り、経過せざるは則ち祭らず。
毘沙門神,本西胡法,佛說四天王,則北方天王也,於闐城有廟。身被金甲,右手持㦸,左手擎塔,祗從群神,殊形異狀,胡人事之。
毗沙門神は本來西域胡人の信仰より出で、佛経の裏の謂う所の四大天王にして、彼は則ち其の中の北方天王なり。于闐城中に彼の廟を建有り。神像は身に金甲を披り、右手は戟を握り、左手は塔を托し、随侍の衆神は形貌各々異り姿態奇特にして、胡人は世代彼を供奉す。
往年吐蕃圍於闐,〈○此下原有「吐蕃人」三字,今依張本。〉夜見金人被髮持㦸行於城上,吐蕃眾數十萬悉患瘡疾,莫能勝,兵又化黑鼠,咬弓弦,無不斷絶,吐蕃扶病而遁。國家知其神,乃詔於邊方立廟,元帥亦圖其形於旗上,號曰神旗。出居旗節之前。故軍出而祭之,至今府州縣多立天王廟焉。
早年吐蕃は于闐を囲攻せり(此の句の下に原有「吐蕃人」の三字、今張刻本に依る)、夜裏人有りて一位の頭髪を披散し長戟を手持するの金甲神人が城頭の上に走動するを看見せり。吐蕃の几十万人馬は随い即ち全て瘡病を生じ、再也支撑する能わず。神兵はまた黒鼠と化作り、専ら弓弦を咬み、凡そ咬到せらるるは断えざるなし。吐蕃は只好く病号を扶りて逃走せり。朝廷は此の神の靈驗を知道して、則ち詔を下して辺地に廟を立たしめ、兵を統べる元帥もまた彼の形象を旗の上に画きて、「神旗」と称作して、師を出だす時旗節の最前に排す。故に軍隊の出征するは皆彼を祭る要し、今天に至るまで各府州县は大多天王廟を建有り。
一本云:昔吐蕃圍安西,北庭表奏求救,唐元宗曰:「安西去京師一萬二千里,須八月方到,到則無及矣。」左右請召不空三藏,令請毘沙門天王。師至,請帝執香爐,師誦眞言,帝忽見甲士立前。帝問不空,不空曰:「天王遣二子獨揵將兵〈○張刻本作「獨領徤兵」。〉救安西,來辭陛下。」後安西奏云:「城東北三十里雲霧中,見兵人各長一丈,約五六里,至酉時鳴鼓角,震三百里,停二日。康居等五國抽兵彼營中,有金鼠咬弓弩絃器械並損。須臾,北樓天王現身。」
別の一種の本子に記載す――従前吐蕃は安西を囲攻し、北庭は表を上げて救援を奏請せり。唐玄宗は曰く「安西は京城を離るること一万二千里、援兵は八個月を走りて初めて到り得べく、到るも及ばざるなり」と。左右は建議して不空三蔵を召來し、彼に請うて毗沙門天王を祈請せしめん。不空法師到りて後、皇帝に請うて親手に香爐を捧げ、法師は真言を念誦し、皇帝は忽然として一隊の甲士が面前に站るを看見せり。皇帝は不空に問うて是れ怎様の回事ぞ、不空は曰く「天王は第二個の兒子獨揵を派して兵を領して(張刻本は「獨領健兵」と作る)安西を救いに往かしめ、特地に來りて陛下に辞行するなり」と。後來安西の奏報して曰く「城東北三十里の雲霧の中に、許多の兵士出現し、每人の身高一丈、綿延約五六里。酉の時に到りて鼓角を擂響せば、声は三百里を震い、一連に两天を持続せり。康居等の五国は城を囲むの営中より兵馬を撤走し、営裏に金鼠ありて弓弩の弦を咬斷し、器械もまた一併に損壊せり。片刻の後、天王は城北楼の上に現身せり」と。
禡牙文篇 第七十三
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,敢以牲牢之奠,告於牙軍之神。〈○此「軍」字,張刻本作「旗」。〉曰:在昔三皇無師,五帝有師,所以伐姦凶、禦桀驁。封豕逞兇,〈○張刻本作「薦食」。〉長蛇流毒,寇掠我生聚,殘害我邊陲。我君恥不祥之器,以伐謀為兵,愛不戰而屈人,借前箸為籌策,〈○「籌」字依張刻本補。〉遂得東夷貢矢,西旅獻獒,川明海澄,〈○張刻本作「宴」。〉歷有年矣。
某年、歳次某某、某月初一、某日、某将軍某人、謹んで牛羊牲牢を用いて祭品を作り、牙軍の神に祭告す(此の「軍」の字、張刻本は「旗」と作る)。祝辞に曰く――従前三皇の世は軍隊を設けず、五帝の世に到りて初めて軍隊有り、以て奸凶を討伐し強横を抵御す。如今大野猪の一般の凶徒は其の殘暴を逞しゅうし(張刻本は「薦食」と作る、意思は歩歩に吞噬するなり)、長蛇の一般の惡敵は四處に毒を流し、我らの聚居するの百姓を搶掠し、我らの辺地を殘害す。我らの君主は兵器の此の不祥の物を動用するを以て恥と為し、謀略を用いて勝を取るを当作りて真の用兵と為し、交戦を経ずして敵人を屈服せしむるを看重して、張良の筷子を借りて漢高祖の為に籌画したるがごとく方略を定下し、是に於て東夷は良箭を進貢し西方部族は猛犬を献上し、江河清明にして海波澄静なり(張刻本は「澄」を「宴」と作る)、此の般の太平已に好些年なり。
今戎狄遺噍,虺蠍遠出,〈○原作「起蜥遠山」,今依張刻本。〉紂犬吠堯,獍集狼顧。〈○「集」字依張刻本補。〉天子授我斧鉞,錫我彤弓,鑿門分閫,使專征伐。惟爾乃神,翼茲威武,左霹靂,右雷公,天乙在前,太乙在後,風雹雨霰,克勝群醜,枹鼓未揮,元兇授首。惟爾英靈,來歆旨酒。
如今戎狄はなお残存の活口を留め、毒虺惡蝎はまた遠方より竄出し(原作は「起蜥遠山」、今張刻本に依る)、桀紂の豢養する惡犬が唐堯に向かって狂吠するに似、父を食うの惡獣獍の聚りて一伙を成すがごとく、頭を回して張望して狼の窺伺するがごとし(「集」の字は張刻本に依りて補う)。天子は斧鉞を我が手裏に交り、朱紅の弓を我に賜い、城門を凿開して我の為に送行し我の兵を統べるの界限を划定して、我に全權を以て征伐の事を処置せしむ。願わくは神明の此の一たびの出師の威武を護佑せよ――左に霹靂あり、右に雷公あり、天乙星は前に在りて道を開き、太乙星は後に在りて陣を壓し、狂風冰雹雨雪は一斉に傾き下り、一擧に此の群の醜類を戰勝して、鼓槌未だ揮動せざるに、元凶已に首を授けん。願わくは神明の英靈の前來して此の杯の美酒を享用せんことを。
禡馬文篇 第七十四
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,謹以清酌少牢之奠,祭爾群牧馬之神。曰:古者,庖犧氏作服牛乘馬,引重致遠,以代人勞。爾能節齊和鸞,舉應鼙鼓,〈○「應」字依張刻本補。〉陷矢石殪,奔禽聲嘶而涼風立至,影滅而浮雲猶見。
某年、歳次某某、某月初一、某日、某将軍某人、謹んで清酒と少牢を用いて祭品を作り、你ら群牧の馬匹の神に祭告す。祝辞に曰く――古の時伏羲氏は牛に駕し馬に騎るの弁法を創出し、牲口を用いて重物を拉し遠路を走らしめ、人力の辛勞に代替せしめたり。你らは能く車鈴の節拍に應じて行止斉整にして、一たび戦鼓を聽けば則ち声を聞きて動き(「應」の字は張刻本に依りて補う)、箭矢滾石の中に冲り進みて倒斃を甘んず。奔馳し起れば飛禽に追得上し、一声長嘶して涼風随即に至り、馬影已に見えずして、揚起せる浮雲なおあそこに留在せり。
穆滿八駿,足跡接於瑤池;王良駟馬,人事標於天漢,國家恩覃八埏,光宅九土,〈○原本「八」作「無」,「九」作「有」,並依張刻本改。〉王化潛謐,〈○張刻本「皇仁四隘」。〉白旗來庭,浮鐵沈毛,貢金納帛。〈○張刻本作「罽」。〉而豺狼難厭,反首逆鱗,學三苗之不恭,慕九黎之亂德。叛而不討,何以示威?
周穆王滿は八匹の駿馬を駕して、足迹一直に西王母の瑶池に踏み到る。善く車を駕するの王良の御する所の駟馬は、事迹は天上銀河の星宿の間に標記せらる。国家の恩澤は八方の辺遠の地に遍及し、光輝は九州の疆土を籠罩し(原本「八」は「无」と作り「九」は「有」と作る、皆張刻本に依りて改む)、王者の教化は悄然として四方を安定せしめ(張刻本は「皇仁四隘」と作る)、遠方の部族は白旗を打ちて來り朝見し、あれらの鉄能く水に浮き毛會い水に沉むの殊方異域すらも來り歸附し、金銀を進獻し布帛を繳納す(張刻本は「帛」を「罽」と作る、即ち毛毯なり)。可なりや豺狼の一般の敵人は貪心滿ち難く、頭を掉轉して背叛し、天子の逆鱗を触犯し、三苗の如き不恭順を學び、九黎の如き徳義を敗壞することを慕う。彼ら反叛するも我ら往きて討伐せずんば、なお何を拿りて国家の威嚴を顯示せんや。
天子齋壇場,拜飛將。將軍身衛琱戈,〈○原作「彫城」,依張刻本改。〉手提金鼓,揮陣雲〈○張刻本作「清風」。〉以出塞,乘明月而渡河,誓將揮種埋落,擒魑摘魅,火烈具舉,我武維揚。〈○張刻本「疾如飄風」。〉惟爾馬神,使我馬肥,風馳電轉,龍驤虎奔,〈○原作「龍驟魚奔」,今依張刻本。〉晶甲霜明,草木皆偃,飛矢星落,江河斡旋,一舉成功,投戈脫甲,示不復用,休爾於華山之陽而已矣。〈○張刻本無此三字。〉
天子は斎戒の壇場に於て將を拜し、兵權を飛將軍に交付す。將軍の身辺は雕飾の長戈を護衛して(原作は「彫城」、張刻本に依りて改む)、手中に金鼓を掌り、陣前の雲気を撥開して塞を出で(張刻本は「陣雲」を「清風」と作る)、明月に趁りて大河を渡り、誓いて敵人の族種を鏟除し彼らの部落を掩埋し、一切の魑魅魍魎を捉盡せんとす。烈火一斉に燃起し、我が軍の武威此に由りて張揚す(張刻本は「疾如飄風」と作る)。願わくは你ら馬神の我が軍の馬匹を肥壯にして、跑るや風馳電掣し、蛟龍の騰躍するがごとく猛虎の奔突するがごとくせよ(原作は「龍驟魚奔」、今張刻本に依る)。铠甲は晶亮として霜のごとく、過ぐる所の草木は伏倒し、射出すの箭は流星の墜落するがごとく、江河之が為に回旋せん。一擧に成功した後は、則ち兵戈を丟下し铠甲を脱去して、再び武を動かさざるを表示し、你らをして華山の南に於て安然に歇息せしめん(張刻本に「而已矣」の三字なし)。
祭蚩尤文篇 第七十五
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,謹以牲牢之奠,祭爾炎帝之後蚩尤之神。曰:〈○此字依前兩篇例補,後並同。〉太古之初,風尚敦素,拓石為弩,〈○張刻本「摭石為刃」。〉弦木為弧。今乃爍金為兵,割革為甲,樹旗幟,建鼓鼙,為戈矛,為㦸盾。聖人御宇,奄有寰海,〈○此二句,張刻本作「至人奄有寰宇」。〉四徵不庭,服強畏威,伐叛誅暴,制五兵之利,為萬國之資。
某年、歳次某某、某月初一、某日、某将軍某人、謹んで牛羊牲牢を用いて祭品を作り、炎帝の後裔蚩尤の神に祭告す。祝辞に曰く(「曰」の字は前の两篇の体例に依りて補上す、後面の各篇相同なり)――遠古の初め、風気は敦厚朴素を崇尚し、人々は石頭を打製して弩上の部件と為し(張刻本は「摭石為刃」と作る、即ち石を拾い刃を做る)、木頭を弯曲して弦を上げて弓を做成せり。如今に到りては、則ち金属を熔煉して兵器を造り、皮革を裁割して铠甲を做り、旗幟を樹起し、戦鼓を架設し、戈と矛を製造し、戟と盾を製造す。聖人は天下を統御して、四海の内を尽く有す(此の两句、張刻本は「至人奄有寰宇」と作る)、四方に向かってあの來り朝見せざるの諸侯を征討し、強横の者を歸服せしめ人をして威勢を畏懼せしめ、叛逆を討伐し凶暴を誅除するは、靠る所は正に「五兵」の此の五種の兵器の鋒利にして、彼らは天下万国の世を治むるの憑借と成れり。
皇帝子育群生,義徵不德。〈○張刻本作「惠」。〉戎狄兇狡,蟻聚要荒。今六師戒嚴,恭行天罰。神之不昧,〈○原作「人之不誅」,今依張刻本。〉景福來臻,使鼉鼓增氣,熊旌佐威,邑無堅城,野無橫陣,如飛霜而捲木,如拔山而壓卵,火烈風掃,戎夏大同。允我一人之德,由爾五兵之功。〈○原衍「而已」二字,依張刻本刪。〉
皇帝は児女を撫養するがごとく天下の衆生を養育し、道義を本着してあの徳行を修めざるの人を征討す(張刻本は「徳」を「惠」と作る)。戎狄は凶悍狡詐にして、螞蟻の一様に辺遠荒服の地に聚集す。如今六軍は戒厳し、恭敬して天に代わりて罰を行う。若し神靈昏昧ならずんば(原作は「人之不誅」、今張刻本に依る)、大福は則ち降臨せん――鼉皮の戦鼓をして士気を助長せしめ、熊を画きたる旌旗をして軍威を增添せしめ、敵人の城邑をして堅壁の守るべき一処なからしめ、曠野の裏に横列の陣勢を擺出し得ざらしめよ。我が軍は飛霜の落葉を巻落とすがごとく、大山を搬起して鶏蛋を壓しに往くがごとく、烈火の焚焼し狂風の掃蕩するがごとくして、最終に戎狄と華夏とを一家に合成せしめん。これ固然として君主一人の徳行に應驗するも、其の実また你の創制せる所の五種の兵器の功に出づ(原に「而已」の二字を多出す、張刻本に依りて删す)。
祭名山大川文篇 第七十六
祭名山文
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,謹以清酌少牢之奠,敬祭於某山之神。曰:惟神聰明正直,禍盈福謙,亭育黎庶,作鎭一方。〈○原本「黎庶」作「黎氓」,「一方」作「方土」,今並依張刻本。〉國家天覆地載,罔不宅心,航海梯山,來賓咸服。〈○張刻本「囘首內向」。〉獨彼凶醜,千百成群,滔天虐人,窺邊猾夏。
某年、歳次某某、某月初一、某日、某将軍某人、謹んで清酒と少牢を用いて祭品を作り、恭敬に某山の神に祭告す。祝辞に曰く――神靈は聡明正直にして、驕盈の人に禍を降し謙遜の人に福を賜い、一方の百姓を撫育し、此の一帯の地方を鎮守す(原本「黎庶」は「黎氓」と作り「一方」は「方土」と作る、今皆張刻本に依る)。国家は上天の万物を覆い大地の万物を承載するがごとく、誰に對しても安頓の心を存し、遠方の人は海を渡り山を翻えて來りて、賓服せざるなし(張刻本は「回首內向」と作る)。偏偏としてあの凶惡の醜類は、成百上千に結りて群伙を成し、罪惡滔天にして生民を殘害し、邊境を窺伺し華夏を擾乱す。
天階其禍,養成其凶。皇帝取亂侮亡,兼弱攻昧,赫斯怒,奮雷霆,濁濩轟宏,風捲電掣。今則萬騎雲會,八陣戎裝,頓軍峰巒,樵蘇林麓。天道助順,人情好謙,天人共憤,神鑑孔明,何不雲蒸霧鬱,〈○張刻本「蒸雲鬱霧」。〉轉石飛沙,助我軍威?金師克獲,牲牢匪馨,明德惟馨。
上天は此の場の禍患の為に階梯を留下して、初めて彼らの今日の凶焰を養成せり。皇帝は《尚書・仲虺之誥》の講ずる所の道理に依り、昏乱の国を攻取し将亡の邦を軽侮し、弱小を兼并し昏昧を討伐して、勃然として震怒し、雷霆の威を奮起し、声勢渾厚轟鳴して、狂風の席卷し閃電の疾馳するがごとし。如今万騎雲集し、八陣甲を披いて發を待ち、大軍は峰巒の間に駐扎し、山脚林下に於て樵采割草す。天道は道理に合うの一方を幇助し、人情は謙遜の一方を喜愛す。天怒人怨は皆敵人に冲り向かい、神明の鑑察は極めて清楚なり。何ぞ雲霧を興起し翻巻彌漫し(張刻本は「蒸雲郁霧」と作る)、石頭を滾動し飛沙を揚起して、來りて我が軍の声威を助けざる。ただ此の一たびの進兵能く敵を克ち勝を獲らば、則ち真の馨香は牲牢祭品に在らずして、光明の徳行に在らん。
祭大川文
維某年,歲次某甲,某月朔某日,某將軍某,謹以少牢,敬祭於某川之神。曰:惟神植德靈長,善利萬物。其柔也,沈鴻毛,沒纖芥;其剛也,轉巨石,截橫山。塹南限北,決東奔西,〈○張刻本「漂吳蕩越,限華隔夷」。〉避高就下,兵法形焉。
某年、歳次某某、某月初一某日、某将軍某人、謹んで少牢を用いて祭品を作り、恭敬に某川の神に祭告す。祝辞に曰く――神靈は徳澤深厚綿長にして、善く万物を滋潤す。水柔和の時は、一根の鴻毛すら沉下し一根の細草すら没し入る。水剛猛の時は、能く巨石を滾動し横亘の山巒を截斷す。それは南面に於て堑壕と為るべく、北面に於て屏障と為るべし。東に向かい決口すれば、則ち西に向かい奔流す(張刻本は「漂呉蕩越、限華隔夷」と作る)。それは高処を避け低処に流れ、用兵の法則は正に此に取象す。
我君奄有萬國,德洽四方,伐叛懷遠,同文齊武。是以扶餘、肅愼,左衽來庭;夜郎、滇池,辮髮從事。惟彼凶虜,敢干天常,負固憑山,搖蜂萬之毒;乘危走險,奮螳螂之臂。〈○張刻本作「威」。〉天子授我廟算,不戰而屈人之兵,士卒與我一心,聞敵有死難之志。神居五行之長,為百瀆之源,藏蛟躍龍,興雲致雨。今大軍利涉,全師旣行,〈○張刻本作「濟川」。〉何不竭海若,吐天吳,驅風伯,逐鯨魚,使波無漣漪,厲有淺深,成將軍之功,〈○張刻本作「事」。〉贊天子之威。
我らの君主は万国を統有し、徳澤四方に遍及し、叛逆を討伐し遠人を安撫し、文教一統にして武備劃斉なり。これに因りて扶余・肅慎のあの衣襟左掩の部族は來り朝見し、夜郎・滇池のあの編髮の部族は來り聴命す。偏偏としてあの伙の凶惡の敵虜は、胆敢に上天の常理を触犯し、山険を倚仗して隅に負りて頑抗し、蜂蠆の一般の毒螫を逞しゅうす。地勢険惡に趁りて四處に流竄し、螳螂の一般の細臂を擧げて以て車を擋らんとす(張刻本は「臂」を「威」と作る)。天子は廟堂の上に定好せる謀略を我に交り、交戦を経ずして敵人を屈服せしめんと欲す。士卒は我と同心にして、一たび敵を迎えんと聞けば則ち死を拼して難に赴くの志気あり。神靈は五行の首に位居し、百川衆水の源頭にして、能く蛟を蔵し能く龍を躍らし、能く雲を興し雨を降らす。如今大軍は順利に水を渡るを要し、全軍は則ち開拔せんとす(張刻本は「濟川」と作る)。何ぞ海神海若をして水勢を収斂せしめ水神天呉をして屏息吐納せしめ風伯を駆開し鯨鯢を赶走して、水面に一糸の漣漪すら無からしめ、渉渡の処の深淺を一目瞭然と為して、将軍の戦功を成就し(張刻本は「功」を「事」と作る)、天子の威嚴を彰顯せざるや。
祭風伯雨師文篇 第七十七
祭風伯文
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,謹以磔牢清酌,祭於風伯之神。曰:惟神道出地戶,跡遍天涯。東溫而層冰澌散,西烈則百卉摧殘。鼓怒而走石飛沙,翻江倒海;安靜則雲屯浪息,綻柳開花。暢百物以敷蘇,使八方而寗謐。達庶人之理,暢大王之雄。
某年、歳次某某、某月初一、某日、某将軍某人、謹んで牲体を分解するの祭品と清酒とを用いて、風伯の神に祭告す。祝辞に曰く――神靈は地戸の門より出發して、足迹天涯に遍及す。東風温煦なれば、層層の堅氷便ち消融流散し、西風凛冽なれば、百様の花草便ち摧折凋残す。それ一たび怒れば、則ち石を走らせ沙を飛ばし江を翻し海を倒し、それ一たび平静なれば、則ち雲気凝聚し波浪止息し、柳枝芽を綻び花朵開放す。それは万物をして舒展蘇醒せしめ、八方をして安宁静謐せしめ、既に平民百姓の生養の常理に通達し、また大王の雄風を張揚す。
國家至德深仁,豚魚服信,杜絶奸慝,〈○張刻本「左衽被髮」。〉混一車書,海晏河清,遠安邇肅。惟彼凶孽,尚肆憑陵,恃烏合之眾,〈○以下文例之,此下當脫一句。〉將蜂屯之徒,險憑螘壤,蜉蝣朝菌,菅我天誅,〈○張刻本「菅」作「速」。〉曉露晨霜,延彼性命。〈○原作「廷爾特命」,今依張刻本。〉皇帝子育群生,〈○原作「道惡殺人」,今依張刻本。〉鞠養萬品,乃威以斧鉞,懷以惠和,先茅屆途,後殿臨境,兩軍相見,八陣將施。惟爾神明,號吼��,拔木偃草,使旌旗指敵,飛沙走石,〈○此下當脫一句。〉飛泰山之形,晝不見於虜目;震雷霆之響,近不聞於虜耳。蒙袂僵仆,款我轅門,兵不血刃,而華戎寗謐矣。〈○原作「而中外同風而已」,今依張刻本。〉
国家は徳行至高にして仁愛深厚なり、小猪小魚の此の類の微物すら誠信に感じ、奸邪の徒は身を蔵るるの処無し(張刻本は「左衽被髮」と作る)。車は軌を同じくし書は文を同じくして一統に歸し、海波平静にして黄河澄清し、遠方安定にして近処肅然たり。偏偏としてあの伙の凶頑余孽は仍旧に肆意に侵凌し、一群の烏合の衆に仗って(上下文の体例に依れば、此の句の下面は当に一句を脱漏すべし)、蜂群のごとく聚るの党徒を率領し、蟻穴のごとき小険を凭りて固守す。彼らは不過朝に生じ暮に死するの蜉蝣朝菌にして、徒らに上天の誅罰を招來す(張刻本は「菅」を「速」と作る)。不過拂曉の露水・清晨の寒霜にして、勉强にあの点の性命を苟延す(原作は「廷爾特命」、今張刻本に依る)。皇帝は児女を養育するがごとく衆生を養育し(原作は「道惡殺人」、今張刻本に依る)、万類を撫育して、是に於て斧鉞を用いて威を立て恩惠和穆を以て相安撫す。前鋒已に路に上り、殿後の部隊もまた已に敵境に抵近し、両軍相對して、八陣将に展開せんとす。願わくは你此の神明の大きく声を呼嘯し(此処の二字原書残缺す)、樹木を拔起し野草を吹伏して、我が軍の旌旗をして敵人に直指せしめよ。再び沙を飛ばし石を走らせ(此の下当に一句を脱漏すべし)、泰山のごとき高大の沙塵を揚起して、敵人をして白天に何ものをも看見し得ざらしめ、雷霆のごとき巨響を震出して、敵人をして咫尺の近くに在りても聴聞し得ざらしめよ。彼らをして面を掩い地に倒れて、恭順に我が軍の轅門に來りて投降せしめ、刀刃は血を沾さざるを須とせずして、華夏と戎狄と便ち皆安寧ならん(原作は「而中外同風而已」、今張刻本に依る)。
祭雨師文
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,〈○此二字依前後文例補。〉某將軍某,謹以牲牢之奠,致祭於雨師之神。曰:惟神薄陰陽而成氣,馭風雲而施德。威合風雷,則禾木盡偃;恩覃霧露,則卉物敷榮。昆陽惡盈,蕩新室之眾;龜茲助順,濟全涼之師。其賞善也如此,其罰惡也如彼。
某年、歳次某某、某月初一、某日(「某日」の二字は前後の各篇の体例に依りて補う)、某将軍某人、謹んで牛羊牲牢を用いて祭品を作り、雨師の神に致祭す。祝辞に曰く――神靈は陰陽二気を調和して雲気を生成し、風雲を駕馭して恩徳を布施す。威力は風雷と相合すれば、禾苗樹木は一概に伏倒し、恩澤は霧露と化作れば、草木花卉は繁茂開放す。当年昆陽の一戦、上天は王莽の驕盈を憎惡し、一場の暴雨は新莽の大軍を冲垮せり。亀茲一帯は天が理に順うの一方を助け、時に雨を降らして涼州の全軍を救活せり。それは善行を奨賞するは是のごとくにして、惡行を懲罰するは彼のごとし。
國家大業,醇被休德,洽如懷生之倫,盡荷明德。而戎胡倔強,草竊遐荒,使謀臣不得高枕,武士不遑脫甲。天子瞋目按劒,發驍勇,誅不道。天下士眾焱集星馳,氣騰青雲,精貫白日,熏兔穴,覆梟巢。惟神何不傾湫倒海,以助天威;蕩寇清讎,以張軍勢。按劒則日中見斗,揮戈而曜靈再晡。〈○張刻本作「不晡」。〉壯戎軍之氣,乃爾神之功。
国家の大業は、普遍に美好の徳澤を蒙受し、凡そ生命有るの類は、此の光明の恩徳を承受せざるなし。しかるに戎胡は倔強不服にして、遥かの荒僻の地に於て劫掠して盗と為し、謀臣をして高枕安眠する能わざらしめ、武士をして铠甲を卸下するに及ばざらしむ。天子は目を怒らして剣を按し、驍勇の士を征發し、此らの道無きの徒を誅討す。天下の士卒は火星の飛濺し流星の疾馳するがごとく匯聚し來り、気概は直に青雲に冲り、精誠は白日を貫徹して、狡兎の洞穴を熏盡し惡梟の巢窠を掀翻せんと欲す。願わくは神明何ぞ深潭を傾瀉し滄海を倒灌して、來りて上天の威嚴を助長せざる。賊寇を蕩平し仇敵を掃清して、來りて我が軍の声勢を張大せよ。主将の剣を按するの時、白日の当中にも北斗を看見せしめ、戈を揮うの時、魯陽公の戈を揮いて日を退けたるがごとく、太陽をして重新に申時に回帰せしめよ(張刻本は「不晡」と作る)。我が軍の士気を壯大すは、正に你此の神靈の功勞なり。
祭毘沙門天王文篇 第七十八
維某年,歲次某甲,某月朔,某日,某將軍某,謹稽首,以明香凈水,楊枝油燈,乳粥酥蜜粽�,供養北方大聖毘沙天王之神。曰:伏惟作鎭北方,護念萬物,眾生悖逆,肆以誅夷,如來涅槃,委之佛法。
某年、太歳某某に在り、某月初一、某日、某将軍某人は恭敬に首を叩き、清香・浄水・楊枝・油灯、および乳粥・酥酪・蜜饞・粽子等の供品を用いて、北方を鎮守するの大聖「毘沙門天王」の神に供養す。祝辞に曰く――天王は北方を鎮守して、天下万物を護念す。衆生若し敢えて悖逆して乱を作さば、便ち天王に由りて誅討剿滅を加えらる。当年釈迦如来の涅槃に入るの時、正に佛法を護持するの重任を天王に托付せしなり。
是以寶塔在手,金甲被身,威凜商秋,德融湛露。五部神鬼,八方妖精,殊形異狀,襟帶羽毛;或三面而六手,或一面而四目,瞋顔如藍,磔髮似火,牙崒嵂而出口,爪鈎兜而露骨,視雷電,喘雲雨,吸風飇,噴霜雹。其叱吒也,豁大海,拔須彌,〈○原本誤作「鬚眉」,依張刻本改。〉摧風輪,粉鐵圍,並隨指呼,咸賴驅策。
故に天王は手に宝塔を托し身に金甲を披り、威嚴冷峻として肅殺の秋令のごとく、恩徳温潤は滋潤の甘露に比ぶ。彼の麾下の五部神鬼・八方妖精は、形貌各々相同ならず、衣襟腰帯の上に皆羽毛を綴る――或は三面六臂、或は一面四目、怒目は青を発して靛のごとく、散髮は竪起して火のごとく、牙歯は高聳して口外に露れ、指爪は弯曲して鈎のごとく皮肉外翻して骨を見ゆ。一たび眼を瞪れば則ち雷電にして、一たび喘息すれば則ち雲雨にして、一たび気を吸えば則ち狂風を巻起し、一たび気を呵けば則ち霜雹を噴出す。彼らは一声呵斥すれば、能く大海を豁開し須弥山を拔起し(原本此の二字は误りて「須眉」と作る、今張刻本に依りて改正す)、風輪を摧毀し鉄囲山を碾碎す。此らの神鬼は全て天王の指點呼喚に聴憑し、彼の駆使調遣に任ず。
國家欽若釋教,護法降魔,萬國歸心,十方向化。惟彼胡虜,尚敢昏迷,肉食邊氓,漁獵亭障。天子出師,問罪要荒。天王宜發大悲之心,軫護念之力,殲彼凶惡,助我甲兵,〈○原作「助我甲兵,戮彼兇頑」,今依張刻本。〉使刁斗不驚,太白無芒。雖事集於邊將,而功歸於天王。〈○原衍「哉」字,依張刻本刪。〉
我が朝は佛教を敬奉し、正法を護持し群魔を降伏して、万国歸心し十方の人來り歸化す。ただあれらの胡虜は还敢に迷い執りて悟らず、辺地の百姓を把りて口中の食と為し、辺塞の亭障を當成して漁猟の場と為す。天子は因りて兵を發して、荒遠の地に到りて罪を問う。懇請す天王の大慈悲の心を發し衆生を護念するの力を運ばんことを、あれらの凶惡の徒を殲滅し、我が軍将士の一臂の力を助けよ(此の句原作は「助我甲兵、戮彼凶頑」、今張刻本に依る)。軍中夜を巡るの刁斗をして再び警を報せざらしめ、天上の太白星をして再び鋒芒を顕露せざらしめよ。此の場の戦事は辺将に由りて去完成すと雖も、功勞は卻って天王に歸すを要す。(原文此処に一「哉」の字を衍す、張刻本に依りて删去す。)
㨗書類
露布篇 第七十九
某道節度使某,牒上中書省門下,破逆賊某乙,下兵馬使告㨗事,得都知兵馬,使某牒稱:今月某日某時,於某山川,探見賊兵,與戰,俘斬略盡。今乘勝逐北,末暇點拔殺獲生級、器械牛馬,續卽申上者。〈○張刻本「大逆斬戮」。〉天威遠播,狂寇敗亡,將靖煙塵,同增歡忭。謹差某乙,馳驛告㨗,具狀牒上中書門下,謹牒。某年某月某日,某官牒。
「露布」は封緘を加えず沿途に張挂して宣示するの捷報にして、其の行文の程式は下のごとし――某道節度使某人、行文して中書省・門下省に呈報す、叛賊某乙を撃破し屬下の兵馬使に由りて捷訊を呈報せしの一事を為す。都知兵馬使某人の牒文に拠りて称す――本月某日某時、某処の山川に於て賊軍を探見し、随即に交戦し、俘獲斬獲斬殺ほぼ浄尽なり。如今正に勝に乗じて敗逃の敵を追撃中にして、獲得の首級・器械と牛馬とを清点するに及ばず、随いて後に補行して申報す(此の句張刻本は「大逆斬戮」と作る)。天子の威靈遠播し、狂悖の寇は敗亡し、辺地の烽煙将に廓清せんとす、朝野同じく歓欣を増す。謹んで某乙を派して駅馬に乘りて飛馳して捷を報ぜしめ、文を備えて中書・門下の两省に呈上し、謹んで此に上牒す。某年某月某日、某官上牒。
判官某官、某行軍司馬、某使、某官、某道節度使,奏破某賊露布事,拔賊某城若干,所生擒首領某人若干,斬大將若干級,斬首若干級,獲賊馬若干匹,甲若干領,旗若干面,弓弩若干張,箭若干隻,鎗牌若干面,衣裝若干事件。應得者,具言之。〈 此條原連上文,今依張刻本析之。下條同。〉
判官某官・某行軍司馬・某使某官に由りて某道節度使と会同して連名に、某賊を撃破せるの露布の事宜を奏報すに、逐項に開列するを須とす――賊方の城池若干座を攻拔し、首領某人若干名を生擒し、大将若干級を斬殺し、首級若干顆を斬獲し、賊馬若干匹・铠甲若干領・旗幟若干面・弓弩若干張・箭若干支・槍牌若干面・衣装若干件を繳獲せり。凡そ実際に繳獲所得せるは、皆一一に写明するを要す。(此の条原本は上文と相連す、今張刻本に依りて分開す。下の一条もまた此の如し。)
中書門下尚書兵部,某道節度使某官臣某言︰臣聞黃帝興涿鹿之師,堯舜有阪泉〈○原有「丹水」二字,依張刻本刪。〉之役,雖道高於千古,猶不免於四徵。〈○兩「於」字,依張刻本補。〉我國家德過唐虞,功格區夏。〈○張刻本作「宇宙」。〉蠢茲狂狄,昏迷不恭,犬羊成群,犯我亭障。臣今令都知兵馬使某官某都統,馬步若干人,為前鋒左右;再任虞候某官某,領弩若干人,為奇兵,於某處設伏。虞候總管某,領陌刀若干人,為後勁。節度副使某官某,領蕃漢子弟若干人,為中軍遊騎。
中書省・門下省および尚書省兵部に呈す――某道節度使某官臣某啓奏す。臣聞く、黄帝は曾て涿鹿に於て兵を興し、堯舜もまた阪泉の役有りき(原文此処に「丹水」の二字有り、張刻本に依りて删去す)。彼らの徳行は千古を高絶すと雖も、仍お四方に向かって征討するを免れず(両個の「于」の字は張刻本に依りて補入す)。我が朝の徳行は唐堯虞舜を超過し、功業は諸夏を籠蓋す(張刻本は「宇宙」と作る)。而もあれらの蠢動の狂悖の胡狄は、昏昧不恭にして、犬羊のごとく成群結隊し、我が方の亭障辺塞を侵犯す。臣如今都知兵馬使某官某人に命じて馬軍・歩軍若干人を統率して、前鋒の左右両翼を充当せしめ、また虞候某官某人を委任して、弩手若干人を率ゐて奇兵を充当せしめ、某処に於て埋伏を設下せしめ、虞候総管某人に命じて陌刀手若干人を率ゐて、後隊の勁旅を充当せしめ、節度副使某官某人に命じて蕃漢子弟若干人を率ゐて、中軍の游動騎兵を充当せしむ。
以某月日時,於某山川,與賊大軍相遇,塵埃漲空,旌旗蔽野。臣令都知兵馬使某官某大將軍當其衝,左右虞候張兩翼,勢欲酣戰,伏兵竊發,賊眾驚駭,虞候某強弩、陌刀相繼而至。鋒刃所加,流血漂杵;弩矢所及,轍亂旗靡。〈○此四句,張刻本作「白刃霜飛,紅血星灑」。〉賊人棄甲曳兵而走,我軍逐北者五十里。自寅至酉,經若干陣,所有殺獲,具件如前。人功何能,天功是賴。臣謹差先鋒將某官某奉露布以聞,特望宣佈中外,用光史冊。臣某頓首謹言。某年某月某日,掌書記某官臣某上。
某月某日某時、某処の山川に於て賊軍の主力と相遇い、塵土天に漫じ、旌旗原野を遮蔽す。臣は都知兵馬使某官某大将軍に命じて正面に其の鋒を迎撃し、左右虞候は両翼を張開して包抄す。正に双方将に酣戦せんとするの際に当たって、伏兵突然発動し、賊衆驚駭潰乱し、虞候某人の強弩手と陌刀手と相継いで殺し到る。刀鋒の到る所、血は舂米の木杵を漂起せしむるに流れ、弩箭の及ぶ所、敵軍は車轍散乱し旗幟倒伏す(此の四句張刻本は「白刃霜飛、紅血星灑」と作る)。賊人は铠甲を丟き兵器を拖りて逃走し、我が軍は敗兵を追撃すること五十里。寅の時より酉の時に打ち至り、若干陣を経歴し、所有の斬殺繳獲は、皆已に逐条に開列して前のごとし。これ豈に人力の成就し得べきのならんや、全て上天の佑助に靠るなり。臣謹んで先鋒将某官某人を派して露布を捧げて來り奏報せしめ、特に朝廷の中外に宣示して以て史册を光耀せんを請う。臣某頓首謹言す。某年某月某日、掌書記某官臣某呈上。
藥方類
治人藥方篇 第八十
經曰:藥者,和草木之性,治人寒熱燥濕之病;道達經脈,通理三關九候五藏六府,扶衰補虛。夫稠人多厲疫,屯久人氣鬱蒸,〈○「人」字依張刻本補。〉或病瘟㾮瘧痢,金瘡墮馬。隨軍備用藥與方,所必須也,茲錄於左。
兵経に曰く――謂うところの藥は、草木の藥性を調和して、以て人の身上の寒・熱・燥・湿の一類の疾病を医治す。それは能く経脉を疏導し、「三関九候」と五臓六腑を調理し、衰弱を扶助し虚損を補益す。軍中は人員稠密にして、疫癘を流行し易く、屯駐日長ければ、人気は鬱積蒸騰し(「人」の字は張刻本に依りて補入す)、則ち人の瘟疫・瘴瘧・痢疾を患上する有り、また刀箭金創と墜馬損傷とあらん。故に軍に随いて藥物藥方を備弁するは、必不可少なり。現に彼らを下面に記録す。
療時行熱病方:梔子、〈二十枚。〉乾薑、〈五兩。〉茵蔯、〈三兩。〉升麻、〈三兩。〉大黃、〈五兩。〉芒硝。〈五兩。〉右六味為末,米汁調服,空心三錢匕,須臾利。不利,則暖粥投之。利多,服漿水止之。陰陽毒不可服。
時行熱病(流行性の発熱病)を治療するの方子――梔子二十枚・乾姜五両・茵陳三両・升麻三両・大黄五両・芒硝五両。以上の六味藥を研ぎて細末と為し、米湯を用いて調服し、空腹の時に三銭匕を服すれば、片刻に則ち瀉下通利す。若し通利せざれば、則ち温熱の稀粥を些か喝して之を催し、若し瀉し得ること多過ぎれば、則ち漿水を服して止住す。「陰陽毒」(傷寒の重症・周身に斑を發す)を患うの人は服用すべからず。
療赤班子瘡:梔子、〈二十枚。〉茈胡、〈三兩。〉黃芩、〈三兩。〉芒硝。〈五兩。○張刻本多「茵蔯」。〉右為細末,飯飲調下,三錢七,以利為度。
赤斑瘡(皮膚に紅斑を發して瘡を成す)を治療するの方子――梔子二十枚・柴胡三両・黄芩三両・芒硝五両(張刻本此の方は茵陳の一味を多し)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、米飯湯を用いて送服し、毎次三銭匕、瀉下通利を以て限度と為す。
療天行病方:瓜蔞、〈四十九粒。○張刻本作「瓜蒂」。〉丁香、〈四十九粒。〉赤小豆。〈四十九粒。〉右為末,井花水調服,空心方寸七次,兩鼻中各搐此散,一大豆許,須臾鼻出黃水,吐利良久,乃愈。〈○據此文,則作「瓜蒂」者為是。〉
天行時疫を治療するの方子――瓜蔞四十九粒(張刻本は「瓜蒂」と作る)・丁香四十九粒・赤小豆四十九粒。以上の藥物を研ぎて細末と為し、清晨に初めて汲むの井花水を用いて調服し、空腹の時に一方寸匕を服す。随いて両個の鼻孔各々此の藥散を吸入し、毎辺約一粒の大豆の分量なり。一會を過ごして鼻中より黄水流出し、再び嘔吐瀉下すること好一陣ば、病は則ち痊愈す。(此の段の用法に依りて推断すれば、此の藥は当に「瓜蒂」を以て是とすべし。)
療虐疾方:鼈甲、〈三兩。〉常山、〈二兩。〉甘草、〈二兩。〉松羅。〈二兩。○張刻本無甘草。〉右為末,用烏梅煎湯調服,方寸七日二服,少加之,以吐為度。如不差,服後方。
瘧疾を治療するの方子――鼈甲三両・常山二両・甘草二両・松蘿二両(張刻本に甘草の一味なし)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、烏梅の煎じたる湯を用いて調服し、毎次一方寸匕、一天に両次服し、以て略微加量すべく、服して後に能く嘔吐するを以て限度と為す。若し病好轉を見ざれば、則ち改めて下面の一方を服せよ。
當歸六味散:當歸、 白朮、 細辛、〈以上各五兩。〉桂心、〈三兩。〉大黃、〈五兩。〉朴硝。〈八兩。熬。〉右為末,平旦,空心,服方寸匕,加之,以利為度。
當歸六味散――當歸・白术・細辛、以上各々五両。桂心三両。大黄五両。朴硝八両、須と先ず熬制せよ。以上の藥物を研ぎて細末と為し、清晨天亮に空腹に一方寸匕を服し、逐漸に加量すべく、瀉下通利を以て限度と為す。
療溫虐者,可服鬼箭十味九方:甘草、 丁香、 細辛、 蜀椒、 烏梅肉、〈各三兩。〉地骨皮、、橘皮、〈各四兩。〉白朮、 當歸、〈各五兩。〉鬼箭。〈二兩。〉右為細末,煉蜜為丸,如梧桐子大。每服十五丸,烏梅湯送下,再服加至三十九,三、五日後覺腹中熱,以粥飲壓之。
温瘧を患うの人は、「鬼箭十味丸」の方を服すべし――甘草・丁香・細辛・蜀椒・烏梅肉、各々三両。地骨皮・橘皮、各々四両。白术・當歸、各々五両。鬼箭羽二両。以上の藥物を研ぎて細末と為し、煉り過ごした蜂蜜を用いて藥丸を和成し、大小は梧桐子のごとし。毎次に十五丸を服し、烏梅湯を用いて送り下し、再び服する時は三十丸に加え得べし。服した後三五天、腹中熱を発するを覚えれば、則ち稀粥を些か喝して之を圧えよ。
療痢病方:黃連、 黃芩、〈各五兩。〉黃耆、 黃柏、〈各四兩。〉龍骨。〈八兩。〉右五味為散,空心,米飲下方寸匕,日再加至三寸匕止。
痢疾を治療するの方子――黄連・黄芩各々五両、黄芪・黄柏各々四両、龍骨八両。以上の五味藥を研ぎて散剤と為し、空腹の時に米湯を用いて一方寸匕を送服し、一天両次、逐漸に三寸匕に加えて止むを以て度と為す。
療穀痢方:白朮、〈六兩。〉附子、〈四枚,炮去皮。〉乾薑、〈四兩,炮。〉細辛、〈五兩。〉油麵末。〈一升。熬變色。○張刻本作「神麯」。〉右為末,以粥飲,如前法。
穀痢(瀉下して完穀化せず)を治療するの方子――白术六両。附子四枚、炮制した後に皮を去る。乾姜四両、炮し過ぐ。細辛五両。油麺末一升、炒りて色を変ず(張刻本は「神曲」と作る)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、稀粥を用いて送服し、服法は前の一方と相同なり。
療血痢方:阿膠、〈炒。〉黃柏、〈灸各四兩。〉乾薑、 艾葉、〈各三兩。〉犀角末。〈五兩。〉右為末,如前法服。
血痢(瀉下して血を帯ぶ)を治療するの方子――阿膠は、炒り過ごす。黄柏は、炙り過ごす、以上の两味各々四両。乾姜・艾葉各々三両。犀角末五両。以上の藥物を研ぎて細末と為し、服法は前の一方と相同なり。
療濃血痢方:黃耆、〈六兩。〉赤石脂、〈八兩。〉艾葉、〈三兩。〉厚朴、〈灸三兩。〉乾薑。〈煨三兩〉右為末,服法如前。
膿血痢を治療するの方子――黄芪六両・赤石脂八両・艾葉三両・厚朴三両(炙り過ごす)・乾姜三両(煨り過ごす)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、服法は前の一方と相同なり。
治霍亂方:巴豆、〈一兩,去殼。〉乾薑、〈三兩,炮。〉大黃。〈五兩。〉右為末,煉蜜為丸,如梧桐子大。米飲服三丸,以利為度。不利,以粥湯投之。
霍乱(上吐下瀉の急症)を治療するの方子――巴豆一両、殻を去る。乾姜三両、炮し過ぐ。大黄五両。以上の藥物を研ぎて細末と為し、煉蜜を用いて藥丸を和成し、大小は梧桐子のごとし。米湯を用いて三丸を送服し、瀉下通利を以て限度と為す。若し通利せざれば、則ち再び稀粥湯を些か灌して之を催せよ。
治腳轉筋方:生薑一兩,〈○此四字依張刻本補。〉拍碎,水煎五合,服之卽愈。本方云:生薑一斤,煎二升,半服之。
脚部抽筋を治療するの方子――生姜一両(此の四個の字は張刻本に依りて補入す)、拍き碎いて、水を加えて煎じて五合と為し、服し下れば則ち好し。原方は別に一説あり――生姜一斤、煎じて二升と為し、一半を分かちて服下す。
入戰闢五兵不傷人方:雄黃、〈一兩。〉白礬、〈二兩。〉鬼箭、〈一柄。〉羚羊角、〈燒二分半。〉灶中土。〈三分。○張刻本無此味。〉右為末,以雞子黃並雞冠血為丸,如杏子大。置一丸於小囊中,繫腰間及膊上,勿令離身。亦闢一切毒。
陣に上る時に「五兵」(矛・戟・鉞・楯・弓矢の五類の兵器)を辟除し、人をして兵刃に傷せられざらしむるの方子――雄黄一両・白礬二両・鬼箭羽一柄・羚羊角燒存性二分半・灶心土三分(張刻本に灶心土の此の一味なし)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、鶏蛋黄と鶏冠血とを用いて丸を調和し、大小は杏子のごとし。一丸を取りて小布囊に装進め、腰間或は臂膀の上に繋けて、之を身を離れしむるなかれ。此の藥は能く各種の毒を辟除す。
療馬齒毒方:灰汁數斗,暖者洗瘡處,愈。又以馬糞汁亦可。
馬牙に咬傷せられて中毒したるを治療するの方子――草木灰の浸出したる碱水数斗を取り、温熱に趁りて傷処を洗浄せば、則ち痊愈する能し。また馬糞の濾出したる汁水に改用して洗うも可なり。
療馬膿垢著人作瘡方:馬鞭稍二寸,燒灰;飛鼠七枚,各燒灰。敷之。
馬身上の膿汁汚垢が人身に沾りて、人をして瘡を生ぜしむるを治療するの方子――馬鞭梢二寸を取りて灰に焼き、再び飛鼠(蝙蝠)七隻を取りても各々自ら灰に焼き、灰を把りて瘡口の上に敷く。
療金瘡方因發者,及傷裂突出腸方:〈○「方因發者」四字,似有誤。張刻本云「治金瘡傷困乏及腸出者方」。〉黃耆、 當歸、 芎藭、 白芷、 續斷、 黃芩、 細辛、 乾薑、 附子、 芍藥。〈各三兩。○張刻本無細辛,有鹿茸。〉右為末,先飲酒醉,次服五錢匕,日三服。又云:服半錢匕,日三服,加至方寸匕效。
金創(刀箭の創傷)の反復発作、および傷口の裂開し腸の脱出するを治療するの方子(「方因發者」の四字は訛误あるに似たり、張刻本は「治金瘡傷困乏及腸出者方」と作る)――黄芪・當歸・川芎・白芷・續断・黄芩・細辛・乾姜・附子・芍藥、各々三両(張刻本に細辛なく、別に鹿茸あり)。以上の藥物を研ぎて細末と為し、先ず酒を飲みて醉に至り、再び五銭匕を服し、一天三次。別の一説――毎次に半銭匕を服し、一天三次、逐漸に一方寸匕に加えて初めて効を見る。
療金刀中骨脈中不出方:白歛、 半夏。〈各等分。〉右為末,酒服方寸匕,日三服,至二十日,自出立愈。
刀刃の断片が骨縫脉络の中に留まりて、取出す能わざるを治療するの方子――白蘞・半夏、两味各々等份を取る。研ぎて細末と為し、酒を用いて一方寸匕を送服し、一天三次。第二十天に到りて、残刃は自ら排出し、随い即ち痊愈す。
療金瘡傷中破驚方:〈○「驚」字誤。張刻本云「治金瘡破腹方」。〉火燒蔥,取汁塗之,立愈。亦用女人中衣舊者,以襠炙熨之,為愈。
金創が体内に傷及し腹壁破裂するを治療するの方子(「驚」の字は误り有り、張刻本は「治金瘡破腹方」と作る)――葱を把りて火を以て焼き過ごし、其の汁液を取りて傷処に塗れば、立刻に効を見る。また婦人の穿き舊きたる内衣を取り、其の襠部を以て熱を烤りて後に傷口を熨敷して、同じく治し好る能し。
療馬墜損,有瘀血在腹內方:生地黃五升,研爛,以酒捎汁一盞,日三服,愈。又方︰地黃二升,搗令爛,以無灰酒半升煑二三沸,重戶地暖飲之,常令醺醺。
馬に墜ちて受傷し腹内に瘀血有るを治療するの方子――生地黄五升を取りて研爛し、酒を用いて汁一盏を絞取り、一天三次服せば、即可痊愈すべし。別の一方――地黄二升、搗爛して、石灰を摻えざるの清酒半升を用いて煮開して二三沸せしめ、重門深室の暖処に於て熱に趁りて飲下して、人をして常に微醺を保たしめよ。
療馬墜折,傷手腳骨痛方:搗大麻子根〈○張刻本作「天麻根」,下同。〉並葉,取汁服之,氣下乃蘇。若無大麻根、葉,研子,溫酒服,亦可。
馬に墜ちて摔折し手脚の骨疼痛するを治療するの方子――大麻の根を把りて(張刻本は「天麻根」と作る、下文同じ)葉を連ねて一起に搗爛し、汁を取りて服下し、気の下行するを待ちて、人は則ち蘇醒し過來る。若し大麻の根と葉と無からば、則ち麻子を把りて研碎し、温酒を用いて送服して、また可なり。
治馬藥方篇 第八十一
經曰:馬有四百八病,〈○張刻本作「百四十入病」。〉葢在調冷熱之宜,適牧放之性,〈○此句依張刻本補。〉常加休息,不可忽視之也。馬之繫於軍也,至矣!重矣!〈○「自不可忽視」以下,並依張刻本補。〉
兵経に曰く――馬に四百零八種の病あり(張刻本は「百四十入病」と作る)、關鍵は冷熱調節の適宜なるを要し、牧放は馬の天性に順応するを要し(此の句は張刻本に依りて補入す)、経常に彼を休息せしめ、以て掉心を軽くすべからず。戦馬の軍隊に對するの関係は、実在太く緊密にして太く重要なり。(「自不可忽視」以下の諸句は、皆張刻本に依りて補入す。)
春夏常灌馬方:鬱金、 芎藭、 當歸、 大黃、 升麻、 黃連、 細辛。今方不用當歸、芎藭、細辛,𨚫入黃柏、吳藍、青黛、梔子。秋冬加官桂、乾薑,共為末。〈○已上張刻本但云「各等分為末」。〉
春夏両季に経常に馬に灌服せしむるの方子――郁金・川芎・當歸・大黄・升麻・黄連・細辛。现今の用法は當歸・川芎・細辛を用いず、卻って黄柏・呉藍・青黛・梔子を加入し、秋冬両季に到りて再び官桂・乾姜を加え、一同に研ぎて細末と為す(以上の此ら、張刻本はただ「各等分為末」と説くのみ)。
每灌七錢,蜜油各一,合湯半升,攪勻灌之。其冷氣,則加乾薑、官桂各一兩。今多以〈○張刻本無此三字。〉糯米煑粥半升,油五合,豬脂四兩,蜜三兩,〈○張刻本無此味。〉早飲了啖之,俟日色溫,來日復啖之。
毎次に藥七銭を灌し、蜂蜜・油各々一合を配し、温湯半升を兌して攪勻した後に馬に灌み下す。若し馬が寒気を受ければ、則ち再び乾姜・官桂各々一両を加う。現在多くは(「今多以」の三字張刻本になし)糯米の煮成せる粥半升・油五合・猪油四両・蜂蜜三両を用い(張刻本に蜂蜜の此の一味なし)、早晨に水を飲み過ごした後に馬に喂え喰わしめ、日頭暖くなるを待ちて、第二天再び照樣に一次を喂う。
馬熱不食水草方:芒硝、 鬱金。〈○張刻本注︰「等分。」〉右每灌七錢,入酥半兩,水一升,攪勻灌之。又云:刺帶脈出血,良。
馬が内熱にして肯じて水草を飲喰せざるの方子――芒硝・郁金(張刻本は「等分」と注明す)。毎次に藥七銭を取りて、酥油半両・水一升を加え、攪勻して灌み下す。別の一説――馬の帯脉を針刺して血を放てば、効果もまた好し。
治馬漏蹄方:先以刀削,令穩。便之以髮灰、羊脂塡了,以黃蠟封固之。
馬蹄漏(蹄底穿孔潰爛)を治療するの方子――先ず刀を用いて蹄底を削り平げ削り穩め、随いて頭髮の焼成せる灰を用いて羊油を拌いて孔洞を塡実し、再び黄蜡を用いて封牢す。
療馬內黃、不食水草、顫喘臥數起、口張喘急、頸微垂利方:青黛、〈三兩。〉大黃、〈二兩。〉白鹽。〈五合。〉右為末,每灌三匕,〈○張刻本作「三錢」。〉油蜜各一合,溫水一升,灌之,立愈。
馬が内黄を患い水草を喫さず、発抖気喘して臥し下りてまた屢屢起身し、口を張りて急喘し、脖頸微かに垂れて下瀉するを治療するの方子――青黛三両・大黄二両・白鹽五合。以上の藥物を研ぎて細末と為し、毎次に三匕を灌し(張刻本は「三銭」と作る)、油・蜜各々一合を加え、温水一升、一同に灌み下せば、立刻に効を見る。
馬有黑汗出,臥不起,汗流如珠,顫喘氣急。嘗汗,淡卽死,醎卽不死。取人汙襪,燒湯,挼濃汁,灌三升,差。又方︰刀子割馬尾小頭,作十字,使出血,以人糞塗之,良。或燒人糞以亂髮附之,差。
馬若し黒汗を出だして、地に臥して起きず、汗珠串を成して流下し、発抖気喘急促すれば、以て汗味を嘗めてみるべし――味淡きは救い活かさず、味鹹きはなお救いあり。人の穿き脏えたる襪子を取りて水を焼き、濃汁を揉搓し出だして、馬に三升を灌み下せば、則ち痊愈する能し。別の一方――刀を用いて馬の尾梢部に於て十字口を割成して血を放ち、再び人糞を以て塗上せば、効果好し。或は人糞を把りて焼き過ごし、乱髮を配して傷口の上に敷けば、また痊愈する能し。
療馬轉胞不大小便方:以人糞並大蒜橘湯成膏,納尿孔內,則立尿。又纏馬腹於後蹄間,挽之,令跳自止。〈○張刻本「跳」下有「胞」字,「止」作「轉」。〉
馬の膀胱扭轉して大小便通ぜざるを治療するの方子――人糞を把りて大蒜・橘湯と同じく膏に調成して、馬の尿道口に塞進めば、馬は立刻に排尿する能し。別の一法――繩索を用いて馬腹を繞り後蹄の間に繋け、繩索を牽拉して馬を跳動せしめば、扭轉の膀胱は自ら復位せん(張刻本は「跳」の字の下に「胞」の字あり、「止」の字は「轉」と作る)。
療馬結草方:以熱手捻,令結消;不消,以火炙之,掃帚柄築之。
馬の腹中に草を結び(草料結塊して下らず)を治療するの方子――温熱の手を用いて結塊の処に於て揉捏して、之を消散せしめよ。若し消せざれば、則ち火を用いて患処を烘烤し、再び掃帚柄を用いて軽く搗圧せよ。
療馬蟲顙方:桑根皮、 大棗肉、 葶藶子。〈各一兩,熬,令黃,另研作膏。〉右和勻水三升,灌之,一時辰,令低頭滴鼻中惡物,愈。次以大黃、油雞子清,灌之。
馬が虫顙(鼻額に虫を生じ穢物を流出す)を患うを治療するの方子――桑根皮・大棗肉・葶藶子、各々一両、炒りて黄を發するに至り、別行に研ぎて膏状と為す。以上の藥物を水三升を用いて調勻し、馬に灌み下し、一個の時辰を過ごして、馬をして頭を低らしめて、鼻中の穢物を滴出せしめば、病は則ち好し。随いて後に再び大黄・油と鶏蛋清とを用いて馬に灌服せしむ。
又曰:桑白皮一握舊乾煑,棗五十枚煑取穰,葶藶子六兩熬令黃,以水六升、桑根、大棗並煑,取一大升汁,去渣,內葶藶子膏攪勻,相得更煎,取強半,停令冷暖,得所分為兩度,灌所患之鼻,如人行八九里一灌,乾地著草繫頭底,卽出鼻中惡物,令甚走,又以大黃、油雞子清,灌之,愈。〈○「又曰」以下,似後人從他書錄入。張刻本無此文。〉
別の一種の説法――陳舊乾燥の桑白皮一把を取りて煮過ごし、大棗五十枚を煮熟して肉を取り、葶藶子六両を炒りて黄を發するに至る。水六升を用いて桑根皮と大棗とを一同に煮て、藥汁一大升を取り、藥渣を濾去し、再び葶藶子膏を放入れて攪勻し、之を融合せしめて後に続けて煎り、煎りて大半を残すに至る。放置して冷熱適中に至りて、分かちて両次と為し、馬の病を生ぜるあの鼻孔に灌進む。毎に人の歩行して八九里の工夫を隔てて一次を灌し、灌した後に馬を乾燥地面に牽き到りて、草料を鋪きて、繮繩を繋け低くして馬をして頭を低らしめば、鼻中の穢物は則ち排出せん。再び馬をして快跑の一陣せしめ、然る後に大黄・油と鶏蛋清とを用いて灌服せば、即可痊愈すべし。(「又曰」以下は、後人の別の書より抄入れたるに似たり、張刻本に此の段の文字なし。)
雜占總序
經曰:天文者,懸六合之休咎;兵書者,著六軍之成敗。今約一戰之事,編為篇目,其餘災變,略而不書。
兵経に曰く――天文の学は、天地四方の吉凶禍福を人の頭頂に懸示す。兵書の学は、則ち六軍の成敗得失を記載す。ここにただ一場の戦事と関連するの内容を択取し、篇目を編成す。其余の災異変故は、一概に従略して記載せず。
夫天道遠而人道邇,人道謀而陰,〈○「而」字依下句例,當作「於」。〉故曰神成於陽,故曰明。人有神明,謂之聖人。夫聖人者,與天地合其德,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶,故曰:「先天而天弗違,後天而奉天時。」天且弗違,而況於人乎?況於鬼神乎?
天道は幽遠にして人道は切近なり。人道は幽隠に於て謀画して(「而」の字は下句の体例に按じ、当に「于」と作るべし)、故に之を「神」と称し、顕明に於て成就すれば、故に之を「明」と称す。人若し神と明とを兼有すれば、則ち之を「聖人」と謂う。謂うところの聖人は、徳行は天地と相合し、光明は日月と相合し、節序は四時と相合し、吉凶は鬼神と相合す。故に《周易・乾卦・文言》に曰く「先天而天弗違、後天而奉天時」と。上天なお彼に違背せず、況んや是れ人をや。況んや是れ鬼神をや。
人若謀成策員,〈○張刻本作「完」。〉則天地、日月、四時、鬼神皆合之;人若謀缺策敗,則雖使大撓步歷、黃帝拔元、〈○「拔」字疑。〉甘德占星、巫咸望氣、務成災變、風后孤虛,欲幸其勝,未之有也。葢天道助順,所以存而不亡。若將賢士銳,誅暴救弱,以義徵不義,以有道伐無道,以直取曲,以智攻愚,何患乎天文哉!可博而解,不可執而拘也。
人若し謀略周全・策划円満ならば(「員」の字張刻本は「完」と作る)、則ち天地・日月・四時・鬼神は皆彼と相合せん。人若し謀略残缺・策划失當ならば、則ち即ち大撓を請出して暦法を推步せしめ、黄帝をして元数を推演せしめ(「拔」の字は疑う訛误あり)、甘徳をして星象を占候せしめ、巫咸をして気を望望せしめ、務成子をして災変を推断せしめ、風后をして孤虚を推算せしめて、僥倖に勝を取らんと欲するも、また從來未曾有の事なり。天道は総じて理に順うの一方を佑助し、理に順う者は因りて長存して滅亡せず。若し主将賢明にして士卒精鋭にして、殘暴を誅討し弱小を救助し、正義を以て不義を征討し、有道を以て道無きを討伐し、正直を以て邪曲を制服し、智謀を以て愚昧を攻取せんには、又何を以て天象の如何を憂慮せんや。天文占候の説に對しては、以て広泛に了解し其の理を通達すべく、卻って拘泥固執すべからず。
占日篇 第八十二
經曰︰日者,實也。光明盛實,布照四方,神靈御之,葵藿向之。太陽之精,積而成象,光明外發,體魄內含。故人君法之,吉凶禍變,則必照臨下土。
兵経に曰く――謂うところの「日」は、「実」の意を取る。其の光明充盛にして、四方を遍く照らし、神靈ありて之を駕馭して運行し、葵花・豆葉は皆之に随いて傾側す。太陽の精気は積聚して日象と為り、光明は外に向かって発散し、形体魂魄は内に向かって涵蔵す。故に人間の君主は太陽に取法す。一旦有して吉凶禍変将に発生せんとすれば、日体は必定に征兆を把りて下界に照示す。
日珥者,拜大將軍。一曰:〈○二字依張刻本補。〉有軍在野,珥南則南勝,珥北則北勝,東西準此。日兩珥相對,〈○原本「珥」作「軍」,又脫「日」字,依張刻本補正。〉將欲解和。日暈而珥外,軍凶。日抱暈隨抱,軍勝。
日の旁に「珥」(日辺に貼して形は耳朵のごとき光気)出現するは、主として朝廷将に大将軍を拜授せんとす。別の一説(「一曰」の二字は張刻本に依りて補入す)――若し軍隊の野外に於て對壘する有らば、日珥南に在れば則ち南面の一軍は勝利を獲得し、日珥北に在れば則ち北面の一軍は勝利を獲得す。東・西両側に出現するも、また此に照らして推断す。日の両側に同時に日珥出現して彼此相對するは(原本は「珥」误りて「軍」と作り、また一「日」の字を脱す、今張刻本に依りて補正す)、主として双方将に講和して兵を罷めんとす。日暈の外に別に日珥有るは、軍隊に對して不利なり。日体の外に抱気環繞し、日暈はまた抱気に随いて生ずるは、主として軍隊勝利を得せん。
日有白足,破軍殺將。日有背氣,色青赤,曲向外,為背叛之象,其下有叛臣,將軍守邊有二心。日有玦氣,似背有枝直向外,如山字,兩軍相當,所臨者敗。
日下に垂れて白色の光脚有るは、主として軍隊撃破せられ将領殺せらる。日の旁に「背気」出現し、顔色は青の中に赤を帯び、弯曲して日体に背向するは、これ背叛の象徴なり――其の對応するの地方に叛臣有らん、辺を守るの将領は二心を懐有せん。日の旁に「玦気」出現し、形状は背気のごとくして直伸して外に向かうの枝杈を帯びて形は「山」の字のごとき。此の時両軍對壘すれば、玦気の指向する所の一方は失敗せん。
日有暈氣,傍日周員,中赤外青,〈○「外」原作「內」,依張刻本改。〉軍營之象,對敵之士,色濃厚者,隨方軍勝。日月皆暈,兵陣不合,七日暈不解,不可起兵,暈而珥外,兵凶。日暈而珥者,易上將。
日の旁に「暈気」出現し、日を繞りて一周して環を成し、内圈は紅を發し外圈は青を發すは(「外」の字原作は「内」、張刻本に依りて改む)、これ軍営の象徴なり。両軍相敵する時、暈色濃厚の一方は、其の所在の方位に按じて判断して、該当の方は勝利を獲得す。日・月同時に暈有るは、主として両軍陣を列して交鋒せず。日暈連続七天して散ぜざれば、則ち兵を發すべからず。暈外にまた日珥生ずるは、戦事に於て不利なり。日暈の上にまた日珥出現するは、主として主将を更換せんとす。
日暈而玦者,〈○張刻本「玦」作「缺」,下同。〉兩軍相當,隨玦兵敗。日暈而直氣在旁,所臨軍勝。日暈而背虹,珥反直而貫之者,順虹擊之,大勝。兩軍相當,日有冠纓者,和解,抱戴大喜。日暈而有兩珥在內外者,並有雲聚,不出三日,下有圍城。
日暈の上に缺口出現するは(張刻本は「玦」を「缺」と作る、下文同じ)、両軍對壘する時、缺口の對する所のあの一方は兵敗す。日暈の旁边に直伸の気柱有れば、気柱の指向する所の一方の軍隊は勝利を獲得す。日暈の外に背向の虹気出現し、日珥反りて笔直に之を貫穿すれば、此の時虹気の指向するの方向に順いて出撃して、大勝を獲得すべし。両軍對壘する時、日の上に冠帯纓繩のごとき光気出現するは、主として双方和解す。抱気・戴気出現するは、主として大喜の事有らん。日暈の内外に皆两道の日珥出現し、同時にまた雲気聚集するは、三天を出でざるに、其の下方に則ち城池の被囲せらるる有らん。
占月篇 第八十三
經曰:〈○二字依前後篇例補。〉月者,闕也,盈極必缺。太陰之精,積而成象,光以照夜。女主之義,比德刑罰,吉凶休咎,以警戒於下土。
兵経に曰く(「經曰」の二字は前後の各篇の体例に依りて補入す)――謂うところの「月」は、「闕」の意を取り、円満極点に到れば則ち必定に虧缺す。それは太陰の精気の積聚して成れるの天象にして、光亮を靠りて黒夜を照明す。月は后妃の一類の女主を象徴し、其の品性は刑罰の事に比配す。それは吉凶禍福の種種の征兆を借りて、下界の人間を警戒す。
月有暈,先起兵者勝。月暈抱戴,有赤色在外,外人勝;在內,內人勝。月暈,歲星〈○二字原作「抱戴」,今依張刻本。〉赤色明,客勝。火入月守,色惡客敗,色明客勝。
月に暈有れば、先ず兵を發するの一方は勝利を獲得す。月暈に抱気・戴気出現し、赤色は暈外に在るは、外囲の一方は勝利を獲得し、赤色は暈内に在るは、裏面の一方は勝利を獲得す。月に暈有りて歳星(此の两字原作は「抱戴」、今張刻本に依る)は赤色を呈し且つ明亮なれば、客軍(進攻するの一方)は勝利を獲得す。熒惑(火星)は月中に進入して停まりて去らざれば、星色晦暗ならば則ち客軍敗れ、星色明亮ならば則ち客軍勝つ。
月暈,鎭星不明,主人勝;色明,客勝。月暈,太白色不明,主人勝;色明,客勝。月暈,辰星不明,主人勝;明,客勝。
月に暈有りて鎮星(土星)暗淡不明なれば、主人(拠守するの一方)は勝利を獲得す。星色明亮なれば、客軍勝利を獲得す。月に暈有りて太白(金星)星色不明なれば、主人勝利を獲得す。星色明亮なれば、客軍勝利を獲得す。月に暈有りて辰星(水星)不明なれば、主人勝利を獲得す。明亮なれば、客軍勝利を獲得す。
月暈亢,先起兵,有喜且勝。軍出月蝕,凶。月暈房糠,大風起。月暈參伐,兵起,有軍不勝。
月暈は亢宿を籠罩するは、先ず兵を起すの一方に喜慶有りて而且に勝利を獲得す。軍隊出征する時月食に遇上するは、主として凶なり。月暈は房宿と「糠」(星名)とを籠罩するは、主として大風刮起せん。月暈は参宿と伐星とを籠罩するは、主として戦事興起し、已に出動せる軍隊は勝利を取る能わず。
占五星篇 第八十四
經曰:五星者,昊天上帝之使也。稟受帝命,各司其職,雖幽潛深遠,罔不悉及之。故福德佑助,禍淫威刑,或順軌而守常,或錯亂而表異,光芒角變,色動衰盛,居留干犯,勾沖掩滅,所以告示下土。
兵経に曰く――五星は昊天上帝の使者なり。彼らは天帝の命を承受し、各々其の職を司る。世間に即ち幽隠深遠の事有るも、無くして彼らの照察の内に在らざるなし。故に福有り徳有るに對しては佑助を加以し、禍を為し淫乱するに對しては威刑を施す。五星は或は軌道に循いて運行して常のごとく、或は錯乱失序して異象を顕示す。光芒は角を生じて変化し、顔色は衰盛に随いて変動し、或は停留し或は別の星宿を干犯し、或は勾繞し或は冲击し或は掩蔽し或は隠没す。皆是れ以て下界に征兆を昭示するに用うなり。
凡五星各有常色,本體吉。歲星青,熒惑赤,〈如參左角狀。〉鎭星黃,太白白,〈如五車大星。〉辰星黑。〈○原本此下有「凡五星,青為飢憂,赤圜為旱交爭,黃熟女主吉,白兵䘮,黑水疾」二十四字,與末條大同小異,似後人從他書錄入。張刻本無此文。〉
五星は各々固定の正色有りて、本色を保持すれば便ち吉象なり――歳星(木星)は青色、熒惑(火星)は赤色(参宿の左角のごとき紅)、鎮星(土星)は黄色、太白(金星)は白色(五車座の大星のごとき白)、辰星(水星)は黒色。(原本此処以下に「凡五星、青為飢憂、赤圜為旱交爭、黃熟女主吉、白兵喪、黑水疾」の二十四字有り、本篇末条と大同小異にして、後人の別の書より抄入れたるに似たり、張刻本に此の段の文字なし。)
凡五星黃角,兵交爭;赤角,犯我城;白角,有邊兵;青角,憂愁生;黑角,死䘮行。凡五星色變常者,青憂,白兵,赤旱,黑䘮,黃則天下大熟。〈○此句原本惟有「黃熟」二字,今依張刻本。〉
五星の黄色の芒角を射出するは、主として兵戎交争せん。赤色の芒角を射出するは、主として敵人來りて我が方の城池を犯せん。白色の芒角を射出するは、主として辺境に戦事有らん。青色の芒角を射出するは、主として憂愁の事を生出せん。黒色の芒角を射出するは、主として死喪流行せん。五星の星色変離して常態なるの――青色は主として憂患を、白色は主として戦事を、赤色は主として旱災を、黒色は主として喪事を、黄色は則ち主として天下の五穀大熟を主す(末句原本はただ「黃熟」の二字のみ、今張刻本に依りて補足す)。
歳星占
木乘金,偏將軍死。木金合,鬬將死。木守七星,天下起兵。木乘昴,國有憂,番主死。木入畢中邊,起兵。木犯畢附耳,起兵。木守參伐,有兵。
歳星(木星)は太白(金星)の上に凌駕するは、主として偏将軍死せん。木星と金星と相合するは、主として陣に臨みて挑戦するの斗将死せん。木星は七星に停留するは、主として天下兵を興さん。木星は昴宿の上に凌駕するは、主として国の中に憂患有り、外族の君主死亡せん。木星は畢宿の中或は其の辺縁に進入するは、主として兵を興さん。木星は畢宿の旁の附耳星を侵犯するは、主として兵を興さん。木星は参宿と伐星とに停留するは、主として戦事有らん。
木犯井,起兵。木經柳,有兵。木守軫,罷兵。木入軫,大將軍興兵,吉。木入五車,兵起。木守羽林,兵起。木犯參旗,大將軍出征,凶。
木星は井宿を侵犯するは、主として兵を興さん。木星は柳宿を経過するは、主として戦事有らん。木星は軫宿に停留するは、主として兵を罷め戦を休せん。木星は軫宿に進入するは、主として大将軍兵を興して、吉と為す。木星は五車星に進入するは、主として戦事興起せん。木星は羽林星に停留するは、主として戦事興起せん。木星は参旗星を侵犯するは、主として大将軍出征不利にして、凶と為す。
熒惑占
火用宜背,火在鶉火之次,宜背午地,他皆倣此。火犯木土,為大戰,傳云:亡偏將軍。熒惑環太白,偏將軍死。火與太白相連而鬬,破軍殺將,客勝。火入太白中上出,破軍殺將,客勝。火所不利,先火起,〈○此七字費解,張刻本無之。〉犯左右角,有兵。
兵を用うるの時熒惑(火星)に対しては宜しく背向を取るべし――火星運行して「鶉火」の此の星次に到るの時は、則ち当に午地に背對して陣を列すべく、其余の情形は皆此に照らして類推す。火星は木星・土星を侵犯するは、主として大戦有らん。旧伝は説き、これは偏将軍を折損せんとす。熒惑は太白(金星)を環繞して運行するは、主として偏将軍死せん。火星は太白と相接続して争闘するは、主として軍隊撃破せられ将領殺せられ、客軍勝利を獲得せん。火星は太白の中に進入して上方より穿出するも、また主として軍隊撃破せられ将領殺せられ、客軍勝利を獲得せん。凡そ火星の主する所の不利の地方は、先ず火事の発生有り(此の七個の字は文義通じ難し、張刻本に此の一句なし)。火星は左角星・右角星を侵犯するは、主として戦事有らん。
火守亢,有兵。火入亢,有兵,水災。水入房,馬貴;火出房,馬賤。火入糠,兵起。火犯南斗,破軍殺將,一年吳主死,中國飢。火入牛,破軍殺將,越主死。
火星は亢宿に停留するは、主として戦事有らん。火星は亢宿に進入するは、主として戦事有りて併せて水災有らん。辰星(水星)は房宿に進入するは、馬価上漲せん。火星は房宿を離開するは、馬価下跌せん。火星は糠星に進入するは、主として戦事興起せん。火星は南斗を侵犯するは、主として軍隊撃破せられ将領殺せられ、一年の内に呉地の君主死亡し、中原は饑饉を鬧さん。火星は牽牛宿に進入するは、主として軍隊撃破せられ将領殺せられ、越地の君主死亡せん。
火入須,女入危,兵起。火犯東壁,伏兵起。火守昴,胡人不安;入昴,匈奴破,期三年。火犯畢,左角大戰,右角小戰;五星犯畢,邊兵起。火犯附耳,兵起。火犯觜,趙凶,兵起;犯參,兵起。
火星は須宿に進入し、また女宿・危宿に入るは、主として戦事興起せん。火星は東壁宿を侵犯するは、主として伏兵の事を起さん有らん。火星は昴宿に停留するは、胡人安寧を得ざらん。昴宿に進入するは、匈奴撃破せられ、應期は三年の内に在らん。火星は畢宿を侵犯すれば――其の左角を犯せば主として大戦有り、其の右角を犯せば主として小戦有り。五星は畢宿を侵犯するは、主として辺境に戦事興起せん。火星は附耳星を侵犯するは、主として戦事興起せん。火星は觜宿を侵犯するは、趙地に凶事有りて戦事興起し、参宿を侵犯するも、また主として戦事興起せん。
火入東井一星,將軍野戰死。火犯輿鬼,兵起。火守七星,外有兵起。火乘張,有兵;火與張合,兵起;火守張,大將軍驚。火犯翼,邊兵起。火入軫,有兵。
火星は東井宿の某一顆の星の中に進入するは、主として将軍野に於て戦死せん。火星は輿鬼宿を侵犯するは、主として戦事興起せん。火星は七星に停留するは、主として外方に戦事興起せん。火星は張宿の上に凌駕するは、主として戦事有らん。火星は張宿と相合するは、主として戦事興起せん。火星は張宿に停留するは、主として大将軍驚を受けん。火星は翼宿を侵犯するは、主として辺境に戦事興起せん。火星は軫宿に進入するは、主として戦事有らん。
火行南河界,有邊兵。火犯太微上將,上將亡;次相,次相亡。〈○張刻本雲︰「火犯太微宮門左,左大將亡;犯右,右大將亡。」〉火犯角,大臣亂而有憂。火入亢,有白衣,會主將死,人多疾疫。火入氐,主兵起,失國,天子惡,赦吉。
火星は運行して南河星の界域に到るは、主として辺境に戦事有らん。火星は太微垣の中の上将星を侵犯すれば、上将死亡し、次相星を侵犯すれば、次相死亡せん(張刻本は作る――「火犯太微宮門左、左大将亡。犯右、右大将亡」)。火星は角宿を侵犯するは、主として大臣乱を作して憂患有らん。火星は亢宿に進入するは、主として喪服の事有り、恰も主将の死亡に逢い、民間に疫病を生ずること多し。火星は氐宿に進入するは、戦事興起・国土淪喪・天子凶に遭うを預示し、此の時赦令を頒行するは吉と為す。
火犯心,戰不勝,大將亡,絶嗣,大臣亂,主出營,有哭泣。火入尾,臣下妖淫,年多妖祥,大亂。火入箕,穀大貴,妃后惡之,燕主死。火入虛,齊王死,相出走,兵罷。火犯畢,人疫,臣反,主崩,大水,兵起。火入壁,魏主死,天下兵起;留壁二十日,有土功,米貴,女主惡之。
火星は心宿を侵犯するは、主として作戦して勝を取る能わず、大将死亡し、君主嗣を絶ち、大臣乱を作し、君主は宮を離れて外に出で、国の中に哭泣の事有らん。火星は尾宿に進入するは、主として臣下妖邪淫乱し、此の一年は妖异の征兆を多くして、天下大乱せん。火星は箕宿に進入するは、主として穀価大漲し、妃后は不利に遭遇し、燕地の君主死亡せん。火星は虛宿に進入するは、主として斉王死亡し、国相出逃して、戦事停息せん。火星は畢宿を侵犯するは、主として民間に疫病流行し、臣下反叛し、君主駕崩し、大水を發して、戦事興起せん。火星は壁宿に進入するは、主として魏地の君主死亡し、天下に戦事興起せん。若し壁宿に於て二十天を停留せば、主として土木の工程有り、米価上漲し、女主は不利に遭遇せん。
火犯奎,魯王凶,大水,大疫,大臣謀主。火犯婁,有暴兵,死主,大飢,盜賊起。火犯胃,趙有大兵,主大勝。火犯鬼,執法有誅,天下大疫,有女䘮,大赦吉。火犯柳,有土功。火犯星,大臣亂,易服色。
火星は奎宿を侵犯するは、主として魯地の王に凶事有り、大水を發し、大疫流行し、大臣は君主を圖謀せん。火星は婁宿を侵犯するは、主として突然兵禍を爆發し、君主死亡し、大いに饑饉を鬧し、盗賊群起せん。火星は胃宿を侵犯するは、主として趙地に大戦有り、拠守するの一方は大勝せん。火星は鬼宿を侵犯するは、主として法令を執掌するの官員は誅に遭い、天下大疫して、女子の喪事有り、此の時大赦は吉と為す。火星は柳宿を侵犯するは、主として土木の工程有らん。火星は星宿を侵犯するは、主として大臣乱を作し、服色制度を改易せん。
鎮星占
土犯左角,大將戰死,水災;土守右角,兵路不通。土守亢,有兵,臣下反。土守糠,大兵起。土入天廟,有兵起。土守虛出入,有客兵至,不過五日,自去。土入奎,兵起。
鎮星(土星)は左角星を侵犯するは、主として大将戦死し、併せて水災有らん。土星は右角星に停留するは、主として行軍の道路通ぜざらん。土星は亢宿に停留するは、主として戦事有り、臣下反叛せん。土星は糠星に停留するは、主として大規模の戦事興起せん。土星は天廟星に進入するは、主として戦事興起せん。土星は虛宿一帯に於て出入停留するは、主として客軍の來到有れども、五天を超過せざれば則ち自ら退去せん。土星は奎宿に進入するは、主として戦事興起せん。
土入婁,邊兵起,天下凶。土入胃,客軍敗,主軍勝。土入昴,番人為亂,番主死。土入觜,兵起。土逆行守參,有胡兵。土守井,〈○原作「牛」,今依張刻本。〉越兵起。
土星は婁宿に進入するは、主として辺境に戦事興起し、天下に凶事有らん。土星は胃宿に進入するは、主として客軍戦敗し主軍勝利を獲得せん。土星は昴宿に進入するは、主として外族乱を作し、外族の君主死亡せん。土星は觜宿に進入するは、主として戦事興起せん。土星は逆行して参宿に停留するは、主として胡人の兵禍有らん。土星は井宿に停留するは(「井」原作は「牛」、今張刻本に依る)、主として越地に戦事興起せん。
土出入胃舍七星,兵起,負海大濱。土守張,多盜賊,兵起,興土功。土入軫,兵發而自敗。土入天庫,有兵。土守南河,蠻夷兵起,邊界有憂。土出東掖門,為將軍事,東出德門;出西掖門,為將守事,西出刑事。〈○按︰此有脫誤。《開元占經》引石氏曰︰「塡星出東掖門,為受將命東南出,德事也。出西掖門,為將受命西南出,刑事也。」〉
土星は胃宿に出入して七星に止舍するは、主として戦事興起し、沿海一帯は大いに其の害を受けん。土星は張宿に停留するは、主として盗賊众多にして、戦事興起し、土木を大興せん。土星は軫宿に進入するは、主として兵を發して自ら敗亡を取らん。土星は天庫星に進入するは、主として戦事有らん。土星は南河星に停留するは、主として蛮夷は戦事を興起し、辺界に憂患有らん。土星は太微垣の東掖門より出ずるは、主する所は将軍の事と為り、東出は「徳事」に属す。西掖門より出ずるは、主する所は将帥鎮守の事と為り、西出は「刑事」に属す。(按――ここの文字に脱误あり。《開元占經》は石氏を引きて曰く「填星出東掖門、為受将命東南出、徳事也。出西掖門、為将受命西南出、刑事也」と。)
土犯氐星,皇后憂,宮人死,天下大疫。土犯房,天下相伐,皇妃亡,胡兵起。土犯心,天子絶嗣,將相死放,大赦、修德,吉。土犯尾,天下不安,后妃惡之。土犯箕,大亂,女主憂,民流亡,大兵起。土犯斗,其國失地,先水後旱,〈○「水」字依張刻本補。〉大臣逆亂。
土星は氐宿を侵犯するは、主として皇后に憂有り、宮人死亡し、天下大疫せん。土星は房宿を侵犯するは、主として天下互相に攻伐し、皇妃死亡し、胡人兵を興さん。土星は心宿を侵犯するは、主として天子嗣を絶ち、将相或は死し或は放逐せられん。此の時大赦を頒き徳政を修むるは、吉と為す。土星は尾宿を侵犯するは、主として天下安んぜず、后妃は不利に遭遇せん。土星は箕宿を侵犯するは、主として天下大乱し、女主に憂有り、百姓流離逃亡し、大規模の戦事興起せん。土星は斗宿を侵犯するは、主として該当の分野の国は土地を喪失し、先ず水災有りて後に旱災有り(「水」の字は張刻本に依りて補入す)、大臣叛逆して乱を作さん。
土犯牛,有奸賊,牛馬棄於道,天下急,宜赦。土犯女,更法令,天子喜,有女䘮。土犯虛,有刑令,大憂,〈○此二字,張刻本作「一曰」。〉有客兵,鈇鉞用。土入危,天下亂,國亡,將死,人哭泣。土入室,關梁不通,貴人死,女子恣橫。土犯壁,遠方入貢,〈○張刻本有「一曰」二字。〉國大水,天下立主。
土星は牽牛宿を侵犯するは、主として奸邪の賊有り、牛馬は道路の上に棄てられ、天下の形勢危急にして、宜しく赦令を行うべし。土星は須女宿を侵犯するは、主として法令を變更し、天子に喜有り、同時に女子の喪事有らん。土星は虛宿を侵犯するは、主として刑罰の令を頒行し、大いに憂患有り(「大憂」の二字張刻本は「一曰」と作る)、客軍の來犯有り、斧鉞刑戮の事之に随いて起らん。土星は危宿に進入するは、主として天下大乱し、国家滅亡し、将領死亡し、人民哭泣せん。土星は室宿に進入するは、主として關隘橋梁通ぜず、貴人死亡し、女子放縦專横せん。土星は壁宿を侵犯するは、主として遠方來りて進貢し(張刻本此処に「一曰」の二字あり)、国の中に大水を發し、天下別に君主を立てん。
土犯畢,令不行,將相亡。土入觜,相死,兵大起,侵死,有反者。土犯參,多水旱,邊兵起。土入井,水旱,大臣死。土犯鬼,多戮死,秦地有反。
土星は畢宿を侵犯するは、主として政令推行する能わず、将相死亡せん。土星は觜宿に進入するは、主として国相死亡し、大規模の戦事興起し、人の侵擾に因りて死する有り、併せて人の反叛する有らん。土星は参宿を侵犯するは、主として水旱災害頻繁にして、辺境に戦事興起せん。土星は井宿に進入するは、主として水旱の災有り、大臣死亡せん。土星は鬼宿を侵犯するは、主として殺戮に遭いて死するの人多く、秦地に人の反叛する有らん。
太白占
太白,一名長庚,西方金德,白虎之精,招搖之使,其性剛,其義斷,〈○原脫「剛」字,依張刻本補。〉其事收,其時秋,其日庚辛,其辰申酉,其帝少昊,其神蓐收。太白主兵馬,為大將軍,為威勢,為割斷,為殺伐,故用占之。是以重述其德,異於常星也。
太白(金星)はまた長庚と謂い、西方金徳に属し、是れ白虎の精気・招揺星の使者なり。其の秉性は剛勁にして、其の義理は主として決断し(「剛」の字原本脱落す、張刻本に依りて補入す)、其の主する所の事は収斂にして、属する所の季節は秋にして、属する所の天干は庚辛にして、属する所の地支は申酉にして、配する所の古帝は少昊にして、配する所の神祇は蓐収なり。太白は兵馬の事を主掌し、大将軍を象徴し、威勢を象徴し、割断を象徴し、殺伐を象徴す。故に兵を用うるは之に靠りて占験するを要す。これに因りてここに特に其の徳性を詳しく叙述し、写法は一般の星宿と同ならず。
金體大而色白,光明而潤澤,所在之地,兵強國昌。兵出則出,兵入則入;順之吉,逆之凶。出高深入吉,淺入凶,先起勝;出下淺入吉,深入凶,後起勝。金晝見,有軍,軍罷;無軍,軍起。
太白の星体大にして色白く、光明潤澤して、其の臨照する所の地方は、兵力強盛にして国家昌隆なり。太白顕現すれば則ち兵を出だし、太白隠没すれば則ち兵を収む。之に順いて事を行うは吉と為し、之に違逆して事を行うは凶と為す。太白出づること高く入ること深きは吉と為し、入ること浅きは凶と為し、此の時先ず手を動かすの一方は勝利を獲得す。太白出づること低く入ること浅きは吉と為し、入ること深きは凶と為し、此の時後に手を動かすの一方は勝利を獲得す。太白は白昼に於て見ゆ――已に軍隊の外に在る有れば、軍隊将に撤回せんとし、軍隊の外に在る無ければ、将に兵を起さんとす。
金出東方,始出為德,月未盡三日,在月南,得行;在月北,失行,是謂反生,不有破軍,必有屠城,北國當之。金出東方,月未盡三日,〈○張刻本「盡」作「望」。〉在月北,負海之國不勝;在月南,中國勝。〈○原作「中邦不勝」,下又有「在月北,敗,為失行。金入火,必敗兵」二句。按︰金在月北之占,已見上文,故依張刻本刪正。〉
太白は東方に出現するは、剛に出現するの時は「徳」の象と為す。当月の相将に尽きんとしてただ三天を残すの時、太白は月亮の南に在るを、「得行」と謂う。月亮の北に在るを、「失行」と謂い、また「反生」とも称す。此の時は軍隊の撃破せらるる有るに非ざれば、則ち城池の屠戮に遭う有りて、北方の国に應驗す。太白は東方に出現し、月の相将に尽きんとしてただ三天を残すの時(「盡」の字張刻本は「望」と作る)、太白は月の北に在れば、海に靠るの国は勝利を取る能わず。月の南に在れば、中原の国は勝利を獲得す。(原本は「中邦不勝」と作り、其の下にまた「在月北、敗、為失行。金入火、必敗兵」の两句あり。按――太白月の北に在るの占辞は已に上文に見ゆ、故に張刻本に依りて删正す。)
金出西方,為德,月三日,金在月北,負海之國大勝;在月南,中國不勝。〈○原作「負海之國敗」,今依張刻本,與上條一例。〉金與月相夾,有兵,拔城,偏將大戰;金與月共出,守者屠城。金與列宿相犯,小戰;與五星相犯,大戰。金在南,南軍勝;在北,北軍勝。金出東方,舉事用兵,順之吉,逆之凶,西、南、北皆倣此。
太白は西方に出現するは「徳」の象と為す。新月初生三天の時、太白は月の北に在れば、海に靠るの国は大勝す。月の南に在れば、中原の国は勝利を取る能わず。(原本は「負海之國敗」と作る、今張刻本に依りて改め、上の一条の体例と一致せしむ。)太白は月亮と相夾するは、主として戦事有り、能く城池を攻拔し、偏将に大戦有らん。太白は月亮と一同に出現するは、城池を拠守するの一方は屠城に遭わん。太白は二十八宿と相犯するは、主として小戦有らん。其余の四星と相犯するは、主として大戦有らん。太白は南方に在れば、南面の一軍は勝利を獲得し、北方に在れば、北面の一軍は勝利を獲得す。太白は東方に出現するは、事を起し兵を用うるは之に順うを吉と為し之に違うを凶と為し、西・南・北方に出現するの時は、皆此に照らして類推す。
金守南斗,三十日,夷狄來侵。金入羽林,兵起。金蝕昴畢,胡王死。金光暗,戰不勝,將軍死。金變色,戰勝,〈○張刻本作「戰不勝」。〉隨方色而占之,色青主東方,他皆倣此。金入月,客軍大敗,野有死將。
太白は南斗に停留すること三十天に達するは、主として夷狄來りて侵擾せん。太白は羽林星に進入するは、主として戦事興起せん。太白は昴宿・畢宿を掩食するは、主として胡人の君主死亡せん。太白の光色晦暗なるは、主として作戦して勝を取る能わず、将軍死亡せん。太白の顔色を改變するは、主として作戦して勝利を獲得し(張刻本は「戰不勝」と作る)、要に顔色の配する所の方位に按じて以て占断し、色青は東方に對應し、其余の顔色は皆此に照らして類推す。太白は月の中に進入するは、主として客軍大敗し、野外に将領の戦死する有らん。
金白而角文,可戰;赤而角武,不可與戰。金與木合,無怒必戰。金應出而不出,應入而不入,此為失舍,不有破軍,必有死將;所受之邦,不可與戰。未當出而出,未當入而入,必有敗軍於野。金受十日後,將軍死。
太白の色白くして芒角柔和なるは、以て出戦すべし。色赤くして芒角剛猛なるは、敵と交戦すべからず。太白は歳星と相合するは、縱ち双方本來怒意無くとも、また必定に交戦せん。太白出現すべきに卻って出現せず隠没すべきに卻って隠没せざるは、これを「失舍」と謂い、軍隊の撃破せらるる有るに非ざれば、則ち将領の陣亡する有らん。其の臨む所のあの邦国は、人と交戦すべからず。出現すべからざるに卻って出現し隠没すべからざるに卻って隠没するは、必定に軍隊の野外に敗るる有らん。太白此の類の異象に遭遇した後十天して、将軍死亡せん。
金初大後小,兵弱;初小後大,兵強。金有角,兵敢戰,吉;不戰,凶。順角指處,擊之吉,逆凶。金行遲,兵遲;金行速,兵速。金大行,用兵疾,吉;遲,凶。金入則兵入,出則兵出,兵行法此。金、木一東一西,害侯王;一南一北,兵乃伏。金犯畢左角,左將死。〈○此下原有「金入月,客將死」二句。按︰金入月之占已見前,故依張刻本刪正。〉
太白先ず大にして後に小なるは、主として軍力弱し。先ず小にして後に大なるは、主として軍力強し。太白は芒角を生出するは、士卒勇んで作戦し、吉と為す。此の時若し兵を按じて戦わざれば、反りて凶と為す。芒角の所指するの方向に順いて出撃するは吉と為し、之に逆らうは凶と為す。太白の運行遅緩なれば、兵を用うるもまた遅緩に要す。太白の運行迅速なれば、兵を用うるもまた迅速に要す。太白疾行するの時、兵を用いて快を求むるを吉と為し遅緩を凶と為す。太白隠没すれば則ち兵を収め、太白出現すれば則ち兵を出だし、行軍は当に此を以て法と為すべし。太白は歳星と一東一西相對するは、諸侯王に為害し、一南一北相對するは、主として戦事潜伏して發せざらん。太白は畢宿の左角を侵犯するは、主として左軍の将領死亡せん。(此の条の下に原有「金入月、客将死」の两句。按――太白月に入るの占辞は已に前文に見ゆ、故に張刻本に依りて删正す。)
金出而水沒,金、水俱出東方,東軍勝;俱出西方,西軍勝。若水居金前,前軍罷;水居金南,大戰;在金北,小戰。金進則兵進,退則兵退。金出未高而敵深者,勿與戰,去而勿追。
太白出現して辰星(水星)隠没するの時――太白・辰星皆東方に出現すれば、東面の一軍は勝利を獲得し、皆西方に出現すれば、西面の一軍は勝利を獲得す。若し辰星太白の前に位すれば、前軍将に撤退せんとし、辰星太白の南に在れば、主として大戦有り、太白の北に在れば、主として小戦有らん。太白前進すれば則ち兵を進め、太白後退すれば則ち兵を退く。太白出現して位置なお高からざるに敵軍已に深入りたるは、之と交戦する勿れ。敵軍退去するも追撃する勿れ。
金赤角,兵戰;白角,軍起;黑角,軍罷;青角,軍憂;白角又主國䘮軍亡,隨角所指處應。金晝見,是謂經天。犯五星,有大兵起;犯火,大戰;在南,南勝,他皆倣此。金犯角,大戰不勝,將軍死。金干亢,大戰不勝,將軍死。〈○原在下條後,今移正。〉金臨房,赤色,有兵戰。
太白の赤色の芒角を射出するは、主として兵を交え作戦せん。白色の芒角は、主として兵を發せん。黒色の芒角は、主として兵を罷めん。青色の芒角は、主として軍の中に憂患有らん。白色の芒角はまた主として国に喪事有り軍隊敗亡し、應驗の処は芒角の所指するの方向に随いて定まる。太白は白昼に於て見ゆ、これを「經天」と謂う作る。其の余の諸星を侵犯するは、主として大戦興起せん。火星を侵犯するは、主として大戦有らん。南方に在れば、南面勝利を獲得し、其余の方位は皆此に照らして類推す。太白は角宿を侵犯するは、主として大戦して勝を取る能わず、将軍死亡せん。太白は亢宿を干犯するも、また主として大戦して勝を取る能わず、将軍死亡せん。(此の一条原は下の一条の後に在り、今移し正す。)太白は房宿を臨照して赤色を呈するは、主として兵を交えるの戦有らん。
金入留守尾,兵起於野,將士滿道。金入南斗,將軍死;金犯南斗,必破軍。〈○此下原衍「將」字,今刪正。〉金犯牽牛,將軍失其眾;守牽牛,兵起。金入危犯守,有兵起。金入營室,暴兵滿野,將軍死。金犯東壁,大兵起。
太白は尾宿に進入して停まりて去らざるは、主として野外に戦事興起し、将士道路に充塞せん。太白は南斗に進入するは、主として将軍死せん。太白は南斗を侵犯するは、必定に軍隊の撃破せらるる有らん。(此の句の下に原に一「将」の字を衍す、今删正す。)太白は牽牛宿を侵犯するは、主として将軍は部衆を失い、牽牛宿に停留するは、主として戦事興起せん。太白は危宿に進入して併せて侵犯・停留を加以するは、主として戦事の興起有らん。太白は営室宿に進入するは、主として暴發の兵禍郊野に遍布し、将軍死亡せん。太白は東壁宿を侵犯するは、主として大規模の戦事興起せん。
金入奎,兵起。一曰:外國兵入。〈○此字原作「國兵來入外」,不可解。今依張刻本。〉金犯婁,將軍功。金犯胃,兵起。金守昴,胡王死,四夷憂。金犯畢,邊兵起;金犯畢左角,番兵大戰;金入畢,馬貴,兵有傷。金犯觜,兵起,鈇鉞用。
太白は奎宿に進入するは、主として戦事興起せん。別の一説――外国の軍隊入侵す(此の几個の字原作は「國兵來入外」、文義解すべからず、今張刻本に依りて改む)。太白は婁宿を侵犯するは、主として将軍功を立てん。太白は胃宿を侵犯するは、主として戦事興起せん。太白は昴宿に停留するは、主として胡人の君主死亡し、四方の夷族に憂有らん。太白は畢宿を侵犯するは、主として辺境に戦事興起し、畢宿の左角を侵犯するは、主として外族の軍隊に大戦有り、畢宿に進入するは、主として馬価上漲し、士卒に傷亡有らん。太白は觜宿を侵犯するは、主として戦事興起し、斧鉞刑戮の事之に随いて用いられん。
金守參,邊兵起;左右肩,大將憂;金犯參伐,兵起。金守東井,將軍惡之;金入東井,大兵起。金犯輿鬼,大兵起。〈○原在下條後,今移正。〉金入柳,大兵起,益地。金犯七星,將軍出塞。〈○原在下條後,今移正。〉金入翼,大將死,天下兵起。金犯軫,其國出軍得地。
太白は参宿に停留するは、主として辺境に戦事興起し、参宿の左肩・右肩の两星に侵及するは、主として大将に憂有らん。太白は参宿と伐星とを侵犯するは、主として戦事興起せん。太白は東井宿に停留するは、将軍に對して不利なり。太白は東井宿に進入するは、主として大規模の戦事興起せん。太白は輿鬼宿を侵犯するは、主として大規模の戦事興起せん。(此の一条原は下の一条の後に在り、今移し正す。)太白は柳宿に進入するは、主として大規模の戦事興起し、併せて能く疆土を開拓せん。太白は七星を侵犯するは、主として将軍塞を出でて遠征せん。(此の一条原は下の一条の後に在り、今移し正す。)太白は翼宿に進入するは、主として大将死亡し、天下に戦事興起せん。太白は軫宿を侵犯するは、主として該当の分野の国は兵を出だして土地を獲得せん。
辰星占
水土合,為覆軍。水出東方,大而白,有兵在外解。金、水俱在東方,負海國勝。水入月,主人敗兵亡地。水、金合,旗出,〈○張刻本無此二字。〉破軍殺將,客勝。視其所指,以命破軍。
辰星(水星)は鎮星(土星)と相合するは、主として全軍覆没せん。辰星は東方に出現し、星体大にして色白きは、主として外に在るの軍隊は将に囲を解き兵を罷めんとす。太白は辰星と同じく東方に在れば、海に靠るの国は勝利を獲得す。辰星は月の中に進入するは、主として守方の軍隊敗北して土地を喪失せん。辰星は太白と相合して旗状の気出現すれば(「旗出」の二字張刻本になし)、主として軍隊撃破せられ将領殺せられ、客軍勝利を獲得す。要に其の指す所の方向を看て、拠りて以て何れの一方の軍隊の撃破せらるるかを断定すべし。
水環繞太白,興兵大戰,客勝,主人敗。水遇金,其間可容劍,小戰,則客勝。水出太白左,小戰;磨太白,又去三尺,大戰;水在金北,利主人;在金南,利客。水守房,番兵敗;水守婁,番兵起。水乾昴,夷狄兵起。
辰星は太白を環繞して運行するは、主として兵を興し大戦有り、客軍勝利を獲得し守方失敗せん。辰星は太白と相遇うは、两星の間の距離は一柄の剣を容れ得べく、主として小戦有り、客軍勝利を獲得せん。辰星は太白の左側に出現するは、主として小戦有らん。太白に緊貼して摩擦して過ぎ、再び三尺を相距るは、主として大戦有らん。辰星は太白の北に在るは、守方に有利にして、太白の南に在るは、客軍に有利なり。辰星は房宿に停留するは、主として外族の軍隊敗北し、婁宿に停留するは、主として外族は戦事を興起せん。辰星は昴宿を干犯するは、主として夷狄は戦事を興起せん。
水守心,大臣相殺,大水,異姓立王。水犯尾,大水。水犯箕,有赦;若守左角,動色,貴臣戮死。水犯斗,大臣誅。一曰:兵守赤色,天下敗兵;犯斗,〈○張刻本無此十二字。〉五穀不成。水守女,有婚娶事,萬物不成;犯虛,天下亂,多水。
辰星は心宿に停留するは、主として大臣互相に残殺し、大水を發し、異姓の人は立てられて王と為らん。辰星は尾宿を侵犯するは、主として大水を發せん。辰星は箕宿を侵犯するは、主として赦令を頒行せん。若し左角星に停留して星色變動せば、主として顕貴の大臣殺せられん。辰星は斗宿を侵犯するは、主として大臣誅せられん。別の一説――兵象位を守りて色赤ければ、天下に軍隊の潰敗有り。斗宿を侵犯するは(「一曰」以下の十二字張刻本になし)、主として五穀熟せざらん。辰星は須女宿に停留するは、主として婚嫁の事有り、万物成熟する能わざらん。虛宿を侵犯するは、主として天下大乱し、水患頻仍ならん。
水犯危,大水,有後䘮,〈○張刻本作「女主䘮」。〉臣謀君主。水犯室,有兵,大水。水犯壁,刑法苛,朝廷有憂;犯奎,有火,為害。水乘昴,出其北,胡王死,中國大水。水入畢,有兵;出北,胡王憂;出南,中國憂。
辰星は危宿を侵犯するは、主として大水を發し、皇后に喪事有りて(張刻本は「女主喪」と作る)、臣下は君主を圖謀せん。辰星は室宿を侵犯するは、主として戦事有り、大水を發せん。辰星は壁宿を侵犯するは、主として刑法苛酷にして、朝廷に憂患有らん。奎宿を侵犯するは、主として火災の為害する有らん。辰星は昴宿の上に凌駕して其の北面より穿出するは、主として胡人の君主死亡し、中原に大水を發せん。辰星は畢宿に進入するは、主として戦事有らん。畢宿の北面より出ずれば、胡人の君主に憂有らん。南面より出ずれば、中原に憂有らん。
水犯觜,發兵。水守參伐,星移南,南蠻下;移北,北胡侵。水入東井,星進兵進,星退兵退。水犯輿鬼,兵起;水入庫,〈○張刻本有「樓」字。〉兵起。水入柳,牛貴。水犯星,臣下亂。
辰星は觜宿を侵犯するは、主として兵を發せん。辰星は参宿と伐星とに停留し、若し星位南に移れば、南蛮歸降し、若し北に移れば、北方の胡人入侵せん。辰星は東井宿に進入し、星前進すれば則ち兵を進め、星後退すれば則ち兵を退く。辰星は輿鬼宿を侵犯するは、主として戦事興起せん。辰星は天庫星に進入するは(張刻本は「庫樓」と作る)、また主として戦事興起せん。辰星は柳宿に進入するは、主として牛価上漲せん。辰星は星宿を侵犯するは、主として臣下乱を作さん。
水守張,兵起,大火。水入翼中,刑及賢相,大凶。〈○張刻本云「兵大作,大臣殺僇」。〉水犯軫,大兵起,〈○張刻本云「有大臣䘮」。〉萬物不成。水犯角,大水,舟航相望。水犯亢,大水。〈○張刻本作「大疫」。〉水乾犯五車星,兵起;水留心南河,兵起西方。
辰星は張宿に停留するは、主として戦事興起し、併せて大火災有らん。辰星は翼宿の中に進入するは、主として刑罰は賢良の宰相の身上に加えられ、大凶なり(張刻本は「兵大作、大臣殺僇」と作る)。辰星は軫宿を侵犯するは、主として大規模の戦事興起し(張刻本は「有大臣喪」と作る)、万物成熟する能わざらん。辰星は角宿を侵犯するは、主として大水を發し、江河の上に船只往來相望せん。辰星は亢宿を侵犯するは、主として大水を發せん(張刻本は「大疫」と作る)。辰星は五車星を干犯するは、主として戦事興起し、辰星は南河星一帯に滞留するは、主として西方に戦事興起せん。
占流星篇 第八十五
經曰:夫流星者,天之使也。自上而降下曰流,自下而升上曰飛。大者曰奔星,小者曰流星。星大,則使大;〈○此句「星」字原在下句末,依張刻本移置此。〉星小,則使小。此謂紫微宮、太微宮,出入而徐行,漸經於列宿之次也。或於列星之坐,〈○此下原有「為使也,聲大,怒之象。行疾則兵疾,行遲則兵遲」十七字,與上下文不相屬。今依張刻本。〉非二宮所出者,並為妖星。
兵経に曰く――流星は上天の使者なり。上より下に向かいて墜落するを「流」と謂い、下より上に向かいて升起するを「飛」と謂う。星体大なるを「奔星」と謂い、星体小なるを「流星」と謂う。星体大なれば、傳える所の使命は則ち大なり(此の一句の「星」の字は原は下句の末尾に在り、張刻本に依りて此に移置す)。星体小なれば、傳える所の使命は則ち小なり。ここの説く所は、指すは紫微宮・太微宮より出入して緩緩に運行し依次に二十八宿の星次を経過するのあの一類なり。其の他の列星の座位の間に出現するに至りては(此処以下に原に「為使也、聲大、怒之象。行疾則兵疾、行遲則兵遲」の十七字あり、上下文と相銜接せず、今張刻本に依りて删去す)、並びに紫微・太微の两宮より出づるに非ざるは、一概に「妖星」と算す。
流星赤色有角者,四夷有兵;前赤後黑,兵敗將亡。流星入參,不出,先起者勝,後起者敗。流星干七星者,兵起。流星入建星者,色青,兵起。流星入河鼓者,大將軍亡;出河鼓,兵出;入河鼓,兵入。〈○張刻本無此十字。〉
流星は赤色を呈して芒角を帯ぶるは、主として四方の夷族に戦事有らん。前段赤く後段黒きは、主として軍隊敗亡し将領死亡せん。流星は参宿に進入して再び出でざるは、主として先ず手を動かすの一方は勝利を獲得し後に手を動かすの一方は失敗せん。流星は七星を干犯するは、主として戦事興起せん。流星は建星に進入して星色青を發するは、主として戦事興起せん。流星は河鼓星に進入するは、主として大将軍死亡せん。流星は河鼓より出でれば則ち兵を出だし、河鼓に進入すれば則ち兵を収む(後面の此の十個の字張刻本になし)。
流星入王良,馬盡驚。流星入天將,軍中驚;流星入,將入;星出,將出。流星入紫微宮,匈奴兵起。流星入三臺,大將出。流星入騎官,騎官死。
流星は王良星に進入するは、主として馬匹全て驚を受けん。流星は天将星に進入するは、主として軍の中驚を受けん。流星進入すれば、将領は則ち営に入り、流星出去すれば、将領は則ち師を出ださん。流星は紫微宮に進入するは、主として匈奴は戦事を興起せん。流星は三台星に進入するは、主として大将出征せん。流星は騎官星に進入するは、主として騎官死亡せん。
流星入羽林,兵大起。流星抵北落,兵大起。流星出天宮,匈奴兵起。流星抵天市垣,大將出。流星抵天狗,犯弧矢,將有千里之行。流星出天廐,兵馬出。
流星は羽林星に進入するは、主として大規模の戦事興起せん。流星は北落師門星に抵達するは、主として大規模の戦事興起せん。流星は天宮星より出ずるは、主として匈奴は戦事を興起せん。流星は天市垣に抵達するは、主として大将出征せん。流星は天狗星に抵達しまた弧矢星を侵犯するは、主として将領に千里遠行の事有らん。流星は天廐星より出ずるは、主として兵馬出動せん。
占客星篇 第八十六
經曰:客星者,非本位之星,故曰「客星」也。色白如氣,勃勃然,似粉絮。故所過之宿分野,必有災害。
兵経に曰く――客星は並びに本位の上に固定せざるの星にして、故に之を「客星」と称す。其の色白きは一団の気のごとく、蓬蓬勃勃として、散開の粉絮に好似たり。故に其の経過するは何れの一宿ならんとも、あの一宿の對応する所の分野の地は、必定に災害の発生有らん。
客星出營室,無兵則兵起,有兵則兵敗。客星入奎,破軍殺將。客星犯婁,〈○張刻本作「奎」。〉胡人亂。客星入昴,胡人犯塞。客星入畢,邊有急兵。
客星は営室宿に出現するは、原本戦事無かりしは将に戦事を興起し、原本戦事有りしの軍隊は将に敗れんとす。客星は奎宿に進入するは、主として軍隊撃破せられ将領殺せられん。客星は婁宿を侵犯するは(張刻本は「奎」と作る)、主として胡人乱を作さん。客星は昴宿に進入するは、主として胡人は辺塞を侵犯せん。客星は畢宿に進入するは、主として辺境に緊急の軍情有らん。
客星干觜,城堡虛,軍儲少,軍民餓死。客星守張,〈○張刻本有「主大風」三字。〉將軍有陰謀,兵起。客星入招搖,番兵大起。客星入天槍中,兵起。客星入天棓,兵起。
客星は觜宿を干犯するは、主として城堡空虚にして、軍の中の儲備匱乏し、軍民餓死せん。客星は張宿に停留するは(張刻本此処に「主大風」の三字を多し)、主として将軍は陰謀を心懐り、戦事興起せん。客星は招揺星に進入するは、主として外族大いに兵を興さん。客星は天槍星の中に進入するは、主として戦事興起せん。客星は天棓星に進入するは、主として戦事興起せん。
客星犯文昌,將星色蒼,將有憂;色赤,將驚;色黃,將有喜;色黑,將死。客星守傳舍,胡人入中國。客星守天雞,天下兵馬盡驚。客星守天街,胡王死。客星入庫樓,與守南門,〈○張刻本作「南河」。〉守軍市,守老人,皆主兵起。
客星は文昌星を侵犯すれば――将星は青蒼色を呈するは、主として将に憂有らん。赤色を呈するは、主として将は驚を受けん。黄色を呈するは、主として将に喜有らん。黒色を呈するは、主として将死亡せん。客星は傳舍星に停留するは、主として胡人は中原に進入せん。客星は天鶏星に停留するは、主として天下の兵馬全て驚を受けん。客星は天街星に停留するは、主として胡人の君主死亡せん。客星は庫樓星に進入し、および南門星に停留し(張刻本は「南河」と作る)、軍市星に停留し、老人星に停留するは、皆主として戦事興起せん。
客星守騎官,將憂,士卒散。客星入北落師門,虜人入塞,兵起。客星入天倉,粟大貴。客星入天廐,兵起,馬死。客星入天弓,天下弓弩皆張。
客星は騎官星に停留するは、主として将領に憂有り、士卒潰散せん。客星は北落師門星に進入するは、主として虜人は辺塞に侵入し、戦事興起せん。客星は天倉星に進入するは、主として糧価大漲せん。客星は天廐星に進入するは、主として戦事興起し、馬匹死亡せん。客星は天弓星に進入するは、主として天下の弓弩全て張開して發を待たん。
客星出天弓,〈○張刻本作「天宮」。〉匈奴兵起。客星守狼,夷狄來降。客星守弧,南夷降。客星守車騎,西羌來降。客星守九州,殊▢,負海國不安。客星入天節,番王死。
客星は天弓星より出ずるは(張刻本は「天宮」と作る)、主として匈奴は戦事を興起せん。客星は天狼星に停留するは、主として夷狄來りて歸降せん。客星は弧矢星に停留するは、主として南方の夷族歸降せん。客星は車騎星に停留するは、主として西羌來りて歸降せん。客星は「九州殊口」星に停留するは(原文此処に一字を缺く)、主として海に靠るの国は安寧を得ざらん。客星は天節星に進入するは、主として外族の王死亡せん。
占妖星篇 第八十七
經曰:妖星者,五星之餘氣也,結而為妖,殊形異狀,凶多吉少,所見之分,必有災害。
兵経に曰く――妖星は五星の余気の凝結して成れるの怪异の星にして、形状千奇百怪にして、凶を主するは多く吉を主するは少なし。其の出現するは何れの一分野ならんとも、あそこは必定に災害の発生有らん。
奔星所墜之下,有大兵來。流星前赤後黑,客兵敗散。流星從敵營上來我軍,上銳者,有間諜來說吾兵。流星尾長三四尺者,輝輝然,軍使也;色赤者,將軍使也。
奔星の墜落するの処の下方は、主として大軍の開來有らん。流星前段赤く後段黒きは、主として客軍敗散せん。流星は敵営の上空より我が軍に向かいて飛ぶは、星頭尖鋭なるは、主として間諜の來りて我が方の将士を游説する有らん。流星の尾長さ三四尺・光輝閃耀たるは、是れ軍令を傳送するの使者の象なり。顔色赤を發するは、是れ将軍の使者を派出するの象なり。
流星色青赤,有光,尾長三四尺者,名曰「天雁」,將軍之精華也。兵從星所指者,勝。流星蒼白,為使;色赤,有兵;色黑,將死。飛星如大甕,後大,曉然白,〈○張刻本無此五字。〉前卑後高,所謂頓頑,大將死邑削。
流星の顔色青の中に赤を帯び光芒閃耀して尾長さ三四尺なるは、名づけて「天雁」と曰い、是れ将軍の精華の気の化する所なり。軍隊此の顆の星の所指するの方向に順いて進兵すれば、以て勝利を獲得すべし。流星は蒼白色を呈するは、是れ使者の象なり。赤色を呈するは、主として戦事有らん。黒色を呈するは、主として将領死亡せん。飛星の形状大瓮に似て後段肥大にして、明亮にして白を發し(「曉然白」等の五字張刻本になし)、前低く後高きは、此れ即ち謂う所の「頓頑」にして、主として大将死亡し封邑削奪せられん。
飛星後化雲者,名曰「大滑」,流血積骨之象。枉矢類流星,色青,蛇形,如矢而枉,道所指,將軍死。天狗如奔星,有聲,墜如火光,炎炎燭天,其下有積尺流血,狗來食之。
飛星の飛び過ぐるの後に云気と化成するは、名づけて「大滑」と曰い、是れ流血遍地・白骨堆積の征象なり。「枉矢」の一類の流星は、顔色青を發し、形は長蛇のごとく、箭矢のごとくして弯曲す。其の軌迹の指す所の方向は、主として将軍死亡せん。「天狗」の形状は奔星に似て、墜落する時は声響を帯び、火光の一様に落下し、火焰炎炎として天空を照亮す。其の墜落するの処の下方は血流積りて一尺の深さに至り、會い狗の來りて舔食する有らん。
占雲氣篇 第八十八
經曰:天地相感,陰陽相薄,謂之氣。久積而成雲,皆物形於下而氣應於上。是以荊軻入秦,白虹貫日;高祖在沛,肜雲上覆。積蜃之氣而成宮闕,精之積必形於雲之氣,故曰:「占氣而知其事,望雲而知其人也。」
兵経に曰く――天地互相に感應し陰陽互相に迫近すれば、則ち之を「気」と謂う作る。気久しく積聚すれば便ち云に凝成す。此らは皆事物下に於て形を成し気象上に於て應を呈するの結果なり。故に荊軻秦に入りて刺を行うの時、天上に白虹日を貫くの異象出現せり。漢高祖なお沛県に在るの時、頭頂に常に云気の覆蓋有りき。海市蜃楼は蜃気の積聚して幻成せるの宮闕にして、見るべく精気一旦積聚すれば、必定に云気と為りて形を顕す。故に曰う――「気を観察すれば則ち将に発生せんとするの事を知る能く、云を望めば則ちあそこは是れ何人なるかを知る能し」と。
猛將氣
猛將之氣,如龍如虎,在殺氣中。猛將欲行,先發此氣;如無,將行,當有暴兵起。吉凶以日神占之。〈○張刻本「神」作「辰」。〉
猛将の気の形状は龍のごとく虎のごとくして、肅殺の気の当中に処る。猛将将に出動せんとするの時、此の種の気は先ず行い出現せん。若し此の種の気無くして将領仍お出動せんと要せば、則ち突發の兵禍の興起有らん。吉凶に至りては、当日の日神を用いて占断す(「神」の字張刻本は「辰」と作る)。
猛將之氣,如煙如霧,沸如火光照夜。猛將之處,有赤白氣相遶。猛將之氣,如山林,如竹木,色如紫葢;如門樓,上黑下赤;如旌旗、如張弩、如塵埃,頭尖本大而高。〈○張刻本「多」下有「伏兵」句。〉兩軍相當,敵軍器上,氣如囷倉正白,見日愈明。此皆猛將之氣,不可擊也。
猛将の気は、煙に似て霧に似て、翻騰して火光の夜空を照亮するがごとし。猛将の所在するの地方は、赤白の两色の気有りて互相に環繞す。猛将の気は、或は山林のごとく、或は竹木のごとく、顔色は紫色の傘蓋のごとく、或は門楼のごとくして上黒く下赤く、或は旌旗のごとく張開の弩のごとく揚起の塵埃のごとくして、頂端尖鋭にして根部粗大高聳す(張刻本は「多」の字の下に別に「伏兵」の一句あり)。両軍對壘するの時、敵軍の兵器の上方の気は円形の谷倉に似て純白一色にして、日光の照射下に於て更に加えて明亮なり。以上の此らは皆猛将の気にして、以て冒然に攻撃すべからず。
敵人營上,氣黃白潤澤,將有威德,不可擊也。氣青白而高,將勇,大戰;前白如卑,後青如高,將怯士勇;前大後尖小,將怯不明。
敵人の営壘の上方、気色黄白にして潤澤なるは、敵将は威望有り徳行有りを説明し、攻撃すべからず。気色青白にして高聳なるは、敵将勇猛にして、将に大戦有らんを説明す。前段白を發して低く後段青を發して高きは、将領怯懦にして士卒勇敢なるを説明す。前段粗大にして後段尖細なるは、将領怯懦にして而且に昏昧不明なるを説明す。
敵上氣黑中赤,在前者,將精悍不可當。敵上氣青而疏散者,將怯然;軍上氣發,漸漸如雲裡山形,將有陰謀,不可擊。若在吾軍之上,速戰大勝。敵上氣如蛟蛇向人,此猛將之氣,不可當。若在吾軍之上,速戰大勝。
敵軍の上方の気黒の中に赤を帯び、赤色前に居るは、敵将精明強悍にして鋭く当たるべからざるを説明す。敵軍の上方の気青を發して稀疏松散なるは、敵将怯懦なるを説明す。軍隊の上方に気の升起する有り、漸漸に雲の中の山巒の形状を現出するは、将領は陰謀を心懐るを説明し、攻撃すべからず。此の種の気若し我が軍の上方に出現せば、則ち当に速戦して、大勝を獲得すべし。敵軍の上方の気蛟龍長蛇の一様に人に朝向するは、これ猛将の気にして、鋭く当たるべからず。若し我が軍の上方に出現せば、もまた当に速戦して、大勝を獲得すべし。
勝軍氣
氣如火光、如山隄、如塵埃粉沸、如黃白,旗旌無風而飄,揮揮指敵,此勝軍之氣,所在不可擊。雲氣如三匹帛,前橫後大,如樓椽、如赤色者,所在兵銳,不可擊。
気は火光に似て山堤に似て塵埃粉屑の翻騰するに似て、黄白の色を呈し、旗幟風無くして自ら動き猎猎として敵方を指向するは、これ必勝の軍の気にして、其の所在するの一方は攻撃すべからず。雲気は三匹の布帛に似て、前段横に展び後段粗大にして、或は楼房の椽子に似、或は赤色を呈するは、これ所在の一方の兵鋒鋭利を表示し、攻撃すべからず。
軍上有氣,如人持斧,如蛇舉首而向敵者,皆勝軍。氣如匹帛者,此助勝之氣,所在不可擊。軍上氣如覆舟、如牽牛、如鬬雞,所在不可擊。軍上有五色氣連天,不可擊。〈○此條依張刻本補。〉
軍隊の上方に気有りて、形状は人の手に斧頭を持つに似、蛇の首を昂げて敵方に朝向するに似るは、皆必勝の軍の象徴なり。気は一匹の布帛に似るは、これ助勝の気にして、其の所在するの一方は攻撃すべからず。軍隊の上方の気は翻扣の船に似て牽牛に似て鬥鶏に似るは、其の所在の一方もまた攻撃すべからず。軍隊の上方に五色の気の天際に連接する有るも、同様に攻撃すべからず。(此の一条は張刻本に依りて補入す。)
軍上有雲氣,如華葢、如飛鳥、如伏虎,所在不可擊。軍上氣如五馬,頸低尾高,如杵、如赤馬;在黑氣中,如黑人;在赤氣中,如杵;在黑雲中,如人十十五五;旌旗在黑氣中,赤色在前者︰皆精悍,不可擊。
軍隊の上方に雲気有りて、華蓋に似て飛鳥に似て伏虎に似るは、其の所在するの一方は攻撃すべからず。軍隊の上方の気は五匹の馬に似て、頸低くして尾高く、或は木杵に似て赤馬に似、黒気の中に於て黒衣の人の形状を現出し、赤気の中に於て木杵の形状を現出し、黒雲の中に於て三五成群の人影を現出し、旌旗の気は黒気の中に処りて赤色前に居る――此らは皆軍隊精悍を表示し、攻撃すべからず。
敗軍氣
敗軍之氣,如馬肝、如死灰、如偃葢、如臥魚,乍見乍隱,如霧之朦朧,此衰氣也。若居敵上,宜急擊之。雲氣如壞山,從軍營而墜,軍必敗。
敗軍の気は、顔色は馬肝に似て死灰に似て、形状は倒扣の傘蓋に似て臥する魚に似て、忽ち隱れ忽ち現れ、霧気の朦朧として清らかならざるがごとく、これ衰敗の気なり。此の種の気若し敵軍の上方に出現せば、則ち当に迅速に出撃すべし。雲気は崩塌の山に似て、軍営の上方より墜落し下來るは、此の支の軍隊必定に失敗せん。
雲氣自黃昏發,〈○原本但有「氣昏發」三字,依張刻本補正。〉連夜照人,則軍士散亂。軍上有氣一斷一續者,軍必敗。軍上黑雲,如牛狀、如豬脂、如群羊,〈○張刻本云「軍上有黑雲氣,狀若半豬群羊」。〉名曰「瓦解之氣」,軍必敗。
雲気は黄昏の時分より興起し(原本ただ「氣昏發」の三字のみ、張刻本に依りて補正す)、整夜人を照らして散ぜざるは、主として軍の中の士卒散乱せん。軍隊の上方の気時断時續たるは、此の支の軍隊必定に失敗せん。軍隊の上方の黒雲、形状は牛に似て猪の脂膏に似て成群の羊に似るは(張刻本は「軍上有黑雲氣、狀若半猪群羊」と作る)、名づけて「瓦解の気」と曰い、此の支の軍隊必定に失敗せん。
軍上有雲氣如雙蛇,急擊勿失。軍上氣,如塵灰、如粉、如煙雲霧,勃勃撩亂者,軍必敗。
軍隊の上方に雲気の两条の蛇に似る有れば、当に迅速に出撃して時機を錯失する勿かるべし。軍隊の上方の気は塵灰に似て粉末に似て煙雲霧靄に似て、蓬勃翻騰して繚乱して定まらざるは、此の支の軍隊必定に失敗せん。
軍上有五色雜氣,東西南北不定者,或如群鳥亂飛,或紛紛如轉蓬,或如敗船,或如臥人無手足,或如覆車,散亂不起者,皆敗軍之氣,擊之必克。〈○此下悉依 文瀾閣本。其張刻本與 閣本文全異,今不具列。〉
軍隊の上方に五色駁雜の気有りて、東西南北に向かって飄忽して定まらず、或は群鳥の乱飛するに似、或は紛紛揚々として風に随いて打转するの蓬草に似、或は破船に似、或は手脚無きの臥人に似、或は翻倒の車に似て、散乱して昇騰し起る能わざる――此らは皆敗軍の気にして、之を攻撃すれば必定に勝を取らん。(以下の各条は全て文瀾閣本に依る。張刻本と閣本とは文字完全に同ならず、ここに一一に列出せず。)
軍上氣上大下小者,士卒日減。軍上十日無氣者,其軍必敗。軍上十日無氣,忽有赤白氣,乍出卽滅者,外聲欲戰,實欲退散,宜擊之。
軍隊の上方の気上寛く下窄きは、主として士卒一天天に減少せん。軍隊の上方に連続十天気無ければ、此の支の軍隊必定に失敗せん。軍隊の上方に連続十天気無くして、忽然として赤白の気出現して剛に出現するや即ち熄滅するは、對方は表面上は作戦せんと声言するも実際上は撤退潰散せんと欲するを説明し、当に出撃すべし。
軍上氣出而半絶者,欲散;漸盡去走,一絶一敗,再絶再敗,三絶三敗;在東發白氣,災深;赤氣如火光,從天而降,入軍中,兵亂將死。
軍隊の上方の気升り起るも中途に於て一半を断絶するは、主として軍隊将に潰散せんとす。気漸漸に消盡し、人もまた逐步に逃走す――気断えること一次なれば則ち敗るること一次、断えること両次なれば敗るること両次、断えること三次なれば敗るること三次なり。若し東方に於て白気升起せば、災禍更に加えて深重なり。若し赤気の火光の一様に天上より降りて軍の中に落ち入る有れば、主として軍の中大乱し将領死亡せん。
軍上氣蒼,須臾散盡,或前高後卑,或黑氣如牛馬形,從雲氣中漸入軍中,名曰「天狗食血」,其軍散敗。兩軍相當,十里之內,三里之外,望彼軍上氣高而前白後青者,敗氣也。
軍隊の上方の気青蒼色を呈して、片刻の間に則ち消散浄盡し、或は前高く後低く、或は黒気有りて牛馬の形状を呈して、雲気の中より漸漸に軍の中に進入するは――これを「天狗食血」と謂う作り、此の支の軍隊将に潰散敗亡せんとす。両軍對壘するの時、十里以内・三里以外の距離の上に於て對方の軍隊の上方の気を観望し、若し気高聳して前段白を發し後段青を發せば、則ち是れ敗気なり。
雲氣如人頭,雞兔臨軍上雲葢,蔽濛晝晦者,宜急走,不然必敗。軍上氣,先青而後黑者,其將必死。散軍之氣,如燃生草之煙,前雖銳而後必退。
雲気は人頭に似、或は鶏に似て兎に似て、軍隊の上方に臨壓して云蓋を形成し、天を遮り日を蔽い白昼は昏夜のごときは、当に趕く撤走して、然らざれば必定に失敗せん。軍隊の上方の気先ず青く後に黒きは、此の支の軍隊の将領必ず死せん。潰散の軍の気は、青草を焚焼して冒出するの煙に似て、其の軍前期は鋒鋭なりと雖も、後來必定に退却せん。
軍上氣如丹蛇者,如尾在雲霧中,臨軍上者,中人與外人通。軍行有白氣,如豬來臨者,大驚,宜備。日暈有氣,如死蛇,屬暈者,不利先鋒。
軍隊の上方の気は紅色の蛇に似て、蛇の尾は雲霧の中に隱れ、軍隊の上方に臨壓するは、主として軍の中に人の外と私通する有らん。行軍の途中に白気の猪の一様に逼近する有るは、主として軍の中大いに驚擾を受け、当に予め戒備すべし。日暈の上に気の形は死蛇のごとく日暈に連属するは、先鋒部隊に對して不利なり。
日暈旁有赤雲,如懸鐘,其下有死將。日月暈有背,所臨者敗。白虹及蜺,入營者敗。
日暈の旁边に赤赤雲の懸掛するの鐘に似る有るは、其の下方は主として将領の陣亡有らん。日暈・月暈の上に背向の気出現し、気の指向する所の一方は失敗せん。白虹および副虹の軍営に進入するは、該当の軍は失敗せん。
日暈有四玦在外,軍悉敗散;日暈薄及後至,先去其下,敗軍來降。氣如人十十五五,皆低頭叉手相向;或氣如黑山,以為緣者;白氣如鳥,趣入屯營,連絡不絶,須臾下者︰當有來降。
日暈の外に四処の缺口有るは、軍隊全て敗散せん。日暈稀薄にして、また是れ後來して初めて形成し、併せて先ず下方より散去するは、主として敗軍の來りて投降する有らん。気は三五成群の人に似て、皆頭を低え手を拱して彼此相對し、或は気は一座の黒山に似て某物を以て辺縁と為し、或は白気は鳥に似て急速に屯営に飛入り、連綿断えず、片刻の間に則ち落ち來る――此らは皆主として人の來りて歸降する有らん。
城壘氣
正白如旌旗;或白氣如旗,而赤界其邊;或氣出於外,如火煙;或有雲分為兩截狀,如城壘︰皆堅而不可攻。白氣如城中南北出者,城中黑氣如星,名曰「軍精」,急宜解去。
気は純白にして旌旗のごとく、或は白気は旗幟に似て辺縁は赤色を鑲め、或は気は城外に冒出して火煙に似、或は雲有りて上下の两截に分かれて形状は城墙壁壘に似る――此らは皆城池堅固を表示し、強攻すべからず。白気は城中より南北の两面に向かって伸出し、城中にまた黒気の形は星点のごとき有るは、これを「軍精」と謂う作り、城を攻めるの一方は当に趕く囲を解き撤走すべし。
赤雲或黃雲臨城,城中喜;青雲從軍,城南北出者,不可攻。城中有雲,青色如牛頭,觸人外向者,城中有氣出東,其光黃大,堅城也。
赤雲或は黄雲の城上に臨壓するは、主として城の中に喜事有らん。青雲の軍に随いて來りて、城の南北の两面より伸出するは、城を攻むべからず。城中に雲の青色を呈して形は牛頭のごとく、外に向かって人を頂撞するの姿態を作出し、同時に城中にまた気の東面より透出して光色黄にして盛大なる有るは――これ堅城にして、攻取すべからず。
白氣中出,青氣入北,反覆囘還,不可攻。凡攻城圍邑,過旬,不雷不雨者,為城輔,勿攻。
白気は城中より透出し、青気は北面より進入し、反復回旋往還するは、城を攻むべからず。凡そ城を攻め邑を囲むに、十天を超過して雷を打たず雨を下らざるは、これを「城輔」と謂う作り、是れ上天の城を守るの一方を輔助するにして、進攻する勿れ。
城壘氣出於外,如煙火者,或如雙蛇,舉首向敵,或赤氣如杵,自城中出向外,內兵突出,客敗。凡攻城,有諸氣自城出,兵不得入。
城壘の気は城外に冒出して煙火の一様にして、或は两条の蛇の首を昂げて敵方に朝向するに似、或は赤気の木杵に似て城中より城外に伸向する有る――此らは皆主として城を守るの一方の軍隊は會い突然出撃し、城を攻めるの客軍は失敗せん。凡そ城を攻むるは、ただ種種の気の城中より透出する有らば、攻方の軍隊は則ち攻め入る能わず。
濛氣繞城而不入城,外兵不得入。日暈有青氣,從中出四起者,圍中勝。
蒙蒙の霧気は城池を環繞して城内に進入せざるは、城外の軍隊は攻め入る能わず。日暈の上に青気の暈中より透出して四面に向かって升起する有るは、城の中に被囲困せらるるの一方は勝利を獲得す。
凡攻城,有黑氣臨城上者,積土固險之狀。黑者,水之氣,城池之象也。我據城,敵不可攻;敵據城,我不可攻。凡圍城,平旦視圍上,氣鬱鬱如火光芒,其勢翕翕然者,其方救至;無者,救不至。受圍者,望外救,亦以此占。
凡そ城を攻むるに、若し黒気の城上に臨壓する有るは、あれは土を積みて固く守り険に凭りて拠守するの形状なり。黒は水の気色にして、また城池の象徴なり。此の時我が方は城に拠れば、敵人は攻め下る能わず。敵方は城に拠れば、我もまた攻め下る能わず。凡そ城を囲むに、清晨に包囲圈の上方を観察し、若し気の郁郁勃勃として火光のごとくして其の勢い翕然として聚合するは、あの一方の援兵は将に即に到來せんとす。此の種の気無ければ、援兵は則ち來らざらん。被囲困せらるるの一方の外面の來救を盼望するも、また此の方法を用いて占断す。
伏兵氣
氣如赤杵幢節在烏雲中,或如烏人在赤氣中,或黑氣渾渾圓而赤氣在其中,或白氣紛沸起如樓狀,其下皆有伏兵。若軍行近山谷之間林坑,甚防之。
気は赤色の木杵・幢幡・旌節に似て烏雲の中に処り、或は黒衣の人の赤気の中に処るに似、或は黒気は渾然として円形を団成して赤気は当中に夾まり、或は白気は紛紛として涌起して形は楼閣のごとき――此らの気の下方は皆敵兵を埋伏す。若し行軍して山谷の間の林木と坑洼の地帯とを経過せば、尤も要に厳しく防備を加うべし。
雲紛紛綿綿相絞,及似蒿草長數尺者,以車騎為伏兵;如布席,似蒿草長尺許者,以步卒為伏兵。黑雲出營南,賊逃,我後有伏兵,謹候察之。
雲気紛紛綿綿として互相に絞結し、および蒿草のごとくして長さ数尺に至るは、敵方は是れ車騎を用いて伏を設け、鋪開の席子に似て蒿草に似てただ一尺ばかりの長さなるは、敵方は是れ歩卒を用いて伏を設く。黒雲は営壘の南面より升起するは、主として賊衆逃走するも、我が軍の後方に敵人の伏兵有り、謹慎に偵察するを要す。
兩軍相當,赤氣,伏兵氣。若前有赤氣,則前有伏兵;後有赤氣,則後有伏兵;左右亦如之。黑雲變赤及白形如山者,有伏兵;雲如山林,或前黑氣,後有白氣者,有伏兵。
両軍對壘するの時、赤色の気は則ち伏兵の気なり。前方に赤気有れば、前方に則ち伏兵有り、後方に赤気有れば、後方に則ち伏兵有り、左右両側もまた此に照らして判断す。黒雲は変じて赤色或は白色と為りて形状は山に似るは、主として伏兵有らん。雲は山林に似、或は前面は黒気にして後面は白気なるも、また主として伏兵有らん。
暴兵氣
白氣如瓜蔓連結,部隊相逐,須臾罷而復出,或如八九而來不絶者,有急賊至。白氣如仙人衣,千萬連結,部隊相逐,罷而復興,當有千里兵至。
白気は瓜蔓の一様に連綴して結聚し、一隊接いで一隊相継いで來り、片刻停歇してまた再び出現し、或は八九股の接連として断えずに涌來するに似るは――主として緊急の賊寇の到來有らん。白気は仙人の衣裳に似て、千絲万縷連綴して一起と為り、一隊接いで一隊相継いで來り、停み下りてまた再び興起す――主として千里の外の軍隊の開到する有らん。
黑氣從彼來我軍者,欲襲我也,急宜備,不宜戰;敵還,從而擊之,必得小勝。
黒気は敵方より我が軍に向かって飄來するは、敵人は我が方を襲撃せんと欲するを説明し、当に趕く戒備して、出戦するに宜あらず。敵人の退回するを待ちて再び尾隨して攻撃せば、必定に小勝を取得する能し。
天色蒼茫而有此氣,依支干數,內無風雨,所發之方,必有暴兵。日克時則凶,時剋日則自消散。此氣所發之方,當有事告急。一人來則氣一條,依數計之;若散漫一方,必有眾至。依日支干數,內有風雨,則不應。
天色蒼茫にして此の種の気出現し、干支の主する所の日数に按じて推算し、此の段の日数の内に若し風雨無ければ、則ち気の升起するのあの方向は必定に突發の兵禍有らん。若し日辰は時辰を克制せば、主として凶なり。若し時辰は日辰を克制せば、兵禍は自ら消散せん。此の種の気の升起するの方向は、必定に緊急の軍情來り報ぜん。一個人來れば則ち一条の気有りて、条数に依りて人数を推算すべく、若し気は一方に彌漫せば、必定に大批の人馬の到來有らん。干支に按じて推算するの日数の内に若し風雨を下せば、此の一占は應驗せざらん。
伏兵氣,如人持刀盾,或有雲如坐人,赤色,所臨城邑,有猝兵至。赤氣如人持節,雲如方虹,或如赤虹,其下暴兵至。或如旌旗、如虎躍、如人行,或白氣如道帶竟天,或白虹所出,或赤雲如火,或雲如匹布,著天經丑未者,天下多兵,赤者尤甚。
伏兵の気は人の手に刀盾を持つに似、或は雲の端坐の人に似て赤色を呈するは――此の類の気の臨照する所の城邑は、會い突然到來の兵禍有らん。赤気は人の手に符節を持つに似、雲は方形の虹に似、或は赤色の虹に似て、其の下方は主として暴發の兵禍の到來有らん。或は気は旌旗に似て老虎の跳躍に似て人の行走に似、或は白気は道路に似て帯子に似て長天を横貫し、或は是れ白虹の出現するの処、或は赤雲は火に似、或は雲は一匹の布に似て、天空に貼りて丑未の方向に沿いて横亘す――此らは皆主として天下に戦事多く、其の中の赤色は尤も嚴重なり。
有雲如番人列陣;或白氣廣五六丈,東西竟天;有雲如豹五六枚相聚;或如狗四五枚相聚;四方清明,獨有赤雲赫然者︰所見之地,兵起。四望無雲,獨有黑雲極天,名曰「天溝」,主兵起。
雲有りて外族の人の列陣するに似、或は白気の寛さ五六丈にして東より西に向かって長天を横貫し、雲有りて五六隻の豹の聚まるに似、或は四五条の狗の聚まるに似、或は四方の天色清朗にして唯独一片の赤雲赫然として顕現す――此らの異象の出現するの地方は、皆戦事を興起せん。四面望去して皆雲無く、唯独黒雲の直に天際を貫く有るは、これを「天溝」と謂う作り、主として戦事興起せん。
壬子日候,四方無雲,獨有雲如旌旗,其下兵起;徧四方,天下兵起。雲氣一道,上白下黃,白色如布匹,長數丈;或上黃下白,如旗狀,長二三丈;或長氣純如赤而委曲,一道如布匹︰皆謂之「蚩尤旗」,見,兵大起。
壬子日に於て観察し、四方皆雲無くして、唯独一片の雲の旌旗に似る有れば、其の下方の地区は戦事を興起せん。若し此の種の雲は四方に遍布せば、天下は皆戦事を興起せん。一道の雲気有りて、上白く下黄く、白の部分は一匹の布に似て長さ数丈に達し、或は上黄く下白くして形は旗幟のごとく長さ二三丈、或は一道の長気は純赤にして弯曲盤繞して形は一匹の布のごとき――此らは皆「蚩尤旗」と謂う作り、一旦出現すれば、主として大規模の戦事興起せん。
戰陣氣
氣如人無頭、如死人、如丹蛇,赤氣隨之,必有大戰,殺將。四望無雲,獨有赤雲如狗,入營,其下必有流血;或獨見赤雲如立蛇,或赤雲如覆舟,其下大戰。
気は頭無きの人に似て死人に似て紅色の蛇に似て、また赤気の其の後に跟随する有れば、必定に大戦の発生有りて、併せて将領の殺せらるる有らん。四面望去して皆雲無く、唯独一片の赤雲の狗の一様に軍営に飄入するは、其の下方は必定に流血の事有らん。或はただ赤雲の直立の蛇に似るを見、或は赤雲の翻扣の船に似て、其の下方は主として大戦有らん。
白虹或赤屈虹見城營上,其下大戰流血。白氣如車,入北斗中轉移者,大戰。雲如耕隴,大戰。
白虹或は弯曲の赤虹の城池・営壘の上方に出現するは、其の下方は主として大戦流血せん。白気は車子に似て、北斗の中に進入して輾転移動するは、主として大戦有らん。雲の形状は耕り過ごしたる田壟に似るも、また主として大戦有らん。
日旁黑氣如虹,或白氣如虹,交見,兩軍相當,必交戰;無軍,兵起。四、五、六虹見,大戰。
太陽の旁边の黒気は虹に似、或は白気は虹に似て、交錯して出現す――此の時両軍若し正に對壘せば、必定に交戦し、若し軍隊の外に在る無くとも、また戦事を興起せん。同時に四道・五道・六道の虹出現するは、主として大戦有らん。
日月有赤雲,截之如大杵,軍在外,萬人戰死;兩軍相當,不利先舉。月初滿而蝕,有軍必戰。
日・月の旁に赤雲の其の上を横截して形は大木杵のごとき有る――若し軍隊の外に在る有れば、主として上万人戦死し、若し両軍正に對壘せば、先ず手を動かすの一方は不利なり。月亮剛に満ちて則ち月食を発生するは、軍隊の外に在る有るは必定に交戦せん。
蒼白雲氣經天,其下有拔城大戰。赤氣漫漫如血色,有大戰流血。
蒼白色の雲気は長天を横貫し、其の下方は主として城池を攻拔するの大戦有らん。赤気は彌漫して血色のごとくして、主として大戦流血せん。
陰謀氣
氣白而群行徘徊,結陣而來者,他國人來相圖謀也,不可忽;應視其所往,隨而伐之,得利。黑氣如幢,出於營中,上黑下黃,敵欲來求戰,而無誠實,言信相反,七日內必覺,備之,吉。
気色は白を發して成群にして移動し、徘徊して去らず、陣勢を結成して來るは、是れ別国の人の來りて我が方を圖謀するにして、疏忽すべからず。当に其の何れの処に往くかを看清して、随い即ち兵を出だして討伐して、以て利益を得べし。黒気は幢幡に似て、営中より升起して、上黒く下黄く、敵人は雖も來りて戦を求めんと欲するも、卻って誠意を併せ持たず、言語は実情と相反なるを説明す。七天の内に必定に察覚し、予め防備するは吉と為す。
黑氣臨我軍上,如車輪行,敵人謀亂,國有小臣勾引,宜察之。黑氣如引,牽來如陣前銳者,有陰謀。
黒気は我が軍の上方に臨壓して、車輪のあの様に滾動して前行するは、敵人は正に乱を作さんと圖謀し、而も我が国の内に小臣の暗中に勾結引導する有るを説明し、当に詳しく察訪を加うべし。黒気は牽引せらるるの一般に拖曳して來り、陣前に到りて尖鋭と變成するは、主として敵方に陰謀有らん。
天沉陰不雨,晝不見日,夜不見星、月,三日以上者,陰謀也,將軍宜愼防左右。連陰十日,亂風四起,欲雨不雨,其名曰「濛」,為臣謀君。
天色陰沉にして雨を下らず、白天には太陽を看見せず、夜裏には星月を看見せずして、連続三天以上するは、主として陰謀有りて、将軍は当に左右の近侍を謹慎防備すべし。連陰十天して、乱風は四面より刮起し、雨を下らんと要してまた下り來らざるは、此の種の天象を「蒙」と謂う作り、主として臣下は君主を圖謀せん。
天陰沉,日月無光,有雲障之,不雨,此君臣俱有陰謀。兩敵相當,則陰謀也。若晝晴夜陰,臣謀君;晝陰夜晴,君謀臣。
天色陰沉にして、日月光無く、雲有りて遮蔽して雨を下らざるは、これ君と臣との双方は皆陰謀を懐有するを説明す。若し両軍正に對壘せば、則ち是れ敵我の間に各々圖謀有らん。若し白天は晴れて夜裏は陰れば、主として臣下は君主を圖謀し、白天は陰れて夜裏は晴れば、主として君主は臣下を圖謀せん。
四夷氣
東夷之氣如𣗳。西夷之氣如屋。南夷之氣如樓臺,或如舟航。北狄之氣如牛羊,或如穹廬。
東方の夷人の気は、形状は樹木に似、西方の夷人の気は、房屋に似、南方の夷人の気は、楼台亭閣に似て、或はまた船只に似る有り、北方の狄人の気は、成群の牛羊に似て、或はまた游牧の居する所の毡帐穹廬に似る有り。
遠近氣
氣初出桑榆一千五百里,平觀一千里,仰視中天一百里,平望桑榆二千里,登高下屬三千里。〈○此條依張刻本補。〉凡候氣之法:氣初出時,若雲非雲,似霧非霧,彷彿若可見,初出森森然,若高五六尺者,是千五百里以外氣也。
気剛に桑榆(日の落つるの地平線の処)より升起するの時は、以て一千五百里の外の情形を望見すべし。平視にて観察すれば、一千里に及ぶべし。仰視して天頂を見れば、ただ一百里に及ぶ。桑榆の方向に朝きて平望すれば、二千里に及ぶべし。高に登りて下に向かって俯望すれば、三千里に及ぶべし。(此の一条は張刻本に依りて補入す。)凡そ気を観察するの方法――気剛に出現するの時は、云と説くもまた云に似ず、霧と説くもまた霧に似ず、隱隱約約として見ゆるに似たり、初めて起る時は森然として立つ。若し高さ約五六尺なれば、あれは便ち一千五百里以外の気なり。
凡候敵上氣,敵在東,日出候之;敵在西,日入候之;敵在南,日中候之;敵在北,夜半候之。欲知我軍氣,常以甲己日及庚子戊午日、未日、亥日及八月十八日,去軍十里,登高望之,但百人以上,則皆有氣。
凡そ敵軍の上方の気を観察するに――敵は東方に在れば、則ち日出の時に於て観察し、敵は西方に在れば、則ち日落の時に於て観察し、敵は南方に在れば、則ち正午の時に於て観察し、敵は北方に在れば、則ち半夜の時に於て観察す。我が軍自らの気を察看せんと欲せば、通常は甲日・己日および庚子日・戊午日・未日・亥日と八月十八日とに於て、軍営を離るること十里、高に登りて遠望す。ただ人数一百以上に在らば、軍隊の上方には則ち皆気有らん。
凡氣欲似甑出炊氣,勃勃而上升,外積結成形,而後可占。氣不結積,散漫不定,不能為災祥,亦必和雜殺氣森森然,乃可論也。
凡そ占験に供するべきの気は、蒸鍋の裏より冒出するの炊気のあの様に、蓬蓬勃勃として上に向かって昇騰し、外面に於て積聚凝結して形を成して、然る後に始めて以て拠りて占断すべし。気若し凝結積聚する能わず、散漫飄忽して定まらざれば、則ち灾祥を預示する能わず。此の外なお須と森然の肅殺の気を夾雑して、始めて論断に値すべし。
凡軍城上,氣安,則人安;氣不安,則人不安;氣盛,則兵盛;氣衰,則中衰;氣散,則眾散。凡氣得旺相色,吉;休囚色,凶。軍上氣,高勝下,厚勝薄,實勝虛,長勝短,澤勝枯。
凡そ軍営城壘の上方は、気安定なれば則ち人心安定し、気安定ならざれば則ち人心安んぜず。気盛んなれば則ち兵勢強盛にして、気衰えれば則ち軍の中衰弱し、気散ずれば則ち部衆離散す。凡そ気は当令の「旺」「相」の色を呈現するは、吉と為し、「休」「囚」の色を呈現するは、凶と為す。両軍の上方の気を比較すれば――高きは低きに勝り、厚きは薄きに勝り、実は虚に勝り、長きは短きに勝り、潤澤は枯槁に勝つ。
凡占災祥,先推九宮分野,六壬日月,不應陰霧風雨,其占乃準。凡候氣,多假日月之光,照耀而形,故暈珥抱背,皆出日月之旁;虹蜺相象,莫不因日而見。是故晝候日旁,夜候月旁,輝光所燭,無得而隱矣。
凡そ灾祥を占断するは、先ず九宮分野と六壬の主する所の日月とを推算して、併せて陰霾・霧気・風雨に遇上せざるを要して、占断して始めて准確なり。凡そ気を観察するは、多半は日月の光を借りて照耀して初めて形を顕すを要し、故に暈・珥・抱・背の此らの気象は、皆日月の两旁に出現し、虹と副虹の一類の形象は、日光に因りて始めて顕現せざるなし。これに因りて白天は太陽の周囲を観察し、夜裏は月亮の周囲を観察するを要す。ただ光輝の照到するの地方は、気は則ち蔵るるに従なし。
凡氣見,近三日,遠七日,內有大風雨,則不應災祥。故曰:「風以散之,雨以解之。」凡軍行,先觀其氣。兵有勝負氣,有盛衰氣。銳兵強氣,伏兵弱氣。兵行氣行,兵止氣止,兵急氣急,兵散氣沒。故曰:「氣是兵主,風是兵苗。」為將者,不可不知也。
凡そ気出現した後、近ければ則ち三天、遠ければ則ち七天、此の期間に若し大風大雨有れば、則ち灾祥の占断は應驗せざらん。故に曰う――「風は之を吹散し、雨は之を化解す」と。凡そ行軍は、先ず軍隊の気を観察するを要す。軍隊に勝負を主するの気有り、盛衰を主するの気有り。鋭利の精兵は、其の気強盛にして、埋伏の兵は、其の気微弱なり。軍隊行進すれば気もまた行進し、軍隊停止すれば気もまた停止し、軍隊急促すれば気もまた急促し、軍隊潰散すれば気もまた之に随いて隠没す。故に曰う――「気は軍隊の主宰にして、風は戦事の苗头なり」と。将領を為すの人は、以て此の道理を懂得せざるべからず。
分野占
經曰:天有二十八宿,為十二次;在地為十二辰,配十二月。至於九州分野,各有攸繫,上下相應,故可得而占識之。
兵経に曰く――天上に二十八宿有りて、十二星次を划分す。地上に對應すれば則ち十二辰にして、また十二個月を配す。九州各地の分野に至りては、皆各々帰属する所の星宿有りて、天上地下彼此に呼應す。故に以て此に拠りて占験し吉凶を識別すべし。
角、亢:鄭之分,於辰在辰,為壽星;於野,在潁川、父城、定陵、襄城、潁陽、陽翟、汝南、宏農、城父、新安、宜陽、河南、新鄭,屬兗州。氐、房、心:宋之分,於辰在卯,為大火;於野,在楚州、山陽、清平、濟陽、東郡、須昌、壽陽、睢陽、定陶等郡,屬豫州。
角宿・亢宿――鄭国の分野に對應し、十二辰の中は辰に属し、星次を「寿星」と謂う。地上の分野に於ては、颍川・父城・定陵・襄城・颍陽・陽翟・汝南・宏農・城父・新安・宜陽・河南・新鄭等の地を包括し、兗州に隷属す。氐宿・房宿・心宿――宋国の分野に對應し、十二辰の中は卯に属し、星次を「大火」と謂う。地上の分野に於ては、楚州・山陽・清平・濟陽・東郡・須昌・寿陽・睢陽・定陶等の郡を包括し、豫州に隷属す。
尾、箕:燕之分,於辰在寅,為析木;於野,在漁陽、北平、遼東、遼西、上谷、代郡、雁門、涿郡、范陽、新城、固安、良鄕、涿州、昌黎、渤海、安定、朝那、樂浪、元菟、易、定,屬幽州。南斗牽牛:吳之分,木辰在丑,為星紀;於野,在會稽、九江、丹陽、豫章、廣陵、廬江、安陸、臨淮、蒼梧、鬱林、桂陽、合浦、交趾、九眞、日南、南海,屬揚州。
尾宿・箕宿――燕国の分野に對應し、十二辰の中は寅に属し、星次を「析木」と謂う。地上の分野に於ては、漁陽・北平・遼東・遼西・上谷・代郡・雁門・涿郡・范陽・新城・固安・良郷・涿州・昌黎・渤海・安定・朝那・楽浪・玄菟・易州・定州を包括し、幽州に隷属す。南斗・牽牛――呉国の分野に對應し、十二辰の中は丑に属し(「木辰」は当に「于辰」と作るべし)、星次を「星紀」と謂う。地上の分野に於ては、會稽・九江・丹陽・豫章・広陵・廬江・安陸・臨淮・蒼梧・郁林・桂陽・合浦・交趾・九真・日南・南海を包括し、揚州に隷属す。
須、女、虛:齊之分,於辰在子,為元枵;於野,在高密、城陽、泰山、濟南、平原,屬青州。危、室、壁:衛之分,於辰在亥,為娵訾;於野,在魏郡、黎陽、河內、朝歌、濮陽,屬幷州。
須宿・女宿・虛宿――斉国の分野に對應し、十二辰の中は子に属し、星次を「玄枵」と謂う(唐人は避諱して「元枵」と写作す)。地上の分野に於ては、高密・城陽・泰山・済南・平原を包括し、青州に隷属す。危宿・室宿・壁宿――衛国の分野に對應し、十二辰の中は亥に属し、星次を「娵訾」と謂う。地上の分野に於ては、魏郡・黎陽・河内・朝歌・濮陽を包括し、并州に隷属す。
奎、婁:魯之分,於辰在戌,為降婁;於野,在東海、泗州、陰陵、曲阜,屬徐州。胃、昴:趙之分,於辰在酉,為大梁;於野,在信都、眞定、常山、中山、鉅鹿、高陽、廣平、河間、武昌、文安、清河、內黃、斥邱、太原、定襄、雲中、五原、朔方、上黨、邯鄲,屬冀州。
奎宿・婁宿――魯国の分野に對應し、十二辰の中は戌に属し、星次を「降婁」と謂う。地上の分野に於ては、東海・泗州・陰陵・曲阜を包括し、徐州に隷属す。胃宿・昴宿――趙国の分野に對應し、十二辰の中は酉に属し、星次を「大梁」と謂う。地上の分野に於ては、信都・真定・常山・中山・鉅鹿・高陽・広平・河間・武昌・文安・清河・内黄・斥丘・太原・定襄・雲中・五原・朔方・上黨・邯鄲を包括し、冀州に隷属す。
畢、觜、參:魏之分,於辰在申,為實沈;於野,在高陵、河東、河內、陳留、汝南、新野、舞陽、河南、開封、陽武,屬益州。井、鬼:秦之分,於辰在未,為鶉首;於野,在弘農、京兆、扶風、馮翊、北地、上郡、西河、安定、天水、隴西、蜀郡、廣漢、武威、張掖、酒泉、燉煌,屬雍州。
畢宿・觜宿・参宿――魏国の分野に對應し、十二辰の中は申に属し、星次を「実沈」と謂う。地上の分野に於ては、高陵・河東・河内・陳留・汝南・新野・舞陽・河南・開封・陽武を包括し、益州に隷属す。井宿・鬼宿――秦国の分野に對應し、十二辰の中は未に属し、星次を「鶉首」と謂う。地上の分野に於ては、弘農・京兆・扶風・馮翊・北地・上郡・西河・安定・天水・隴西・蜀郡・広漢・武威・張掖・酒泉・敦煌を包括し、雍州に隷属す。
柳、星、張:周之分,於辰在午,為鶉火;於野,在河南、洛陽、平陰、偃師、鞏縣、三河,屬豫州。翼、軫:楚之分,於辰在巳,為鶉尾;於野,在南郡、江陵、零陵、桂陽、武陵、長沙、漢中、汝南、南中,屬荊州。
柳宿・星宿・張宿――周室の分野に對應し、十二辰の中は午に属し、星次を「鶉火」と謂う。地上の分野に於ては、河南・洛陽・平陰・偃師・鞏県・三河を包括し、豫州に隷属す。翼宿・軫宿――楚国の分野に對應し、十二辰の中は巳に属し、星次を「鶉尾」と謂う。地上の分野に於ては、南郡・江陵・零陵・桂陽・武陵・長沙・漢中・汝南・南中を包括し、荊州に隷属す。
風角
㢲為風,申明號令,陰陽之使也,發示休咎,動彰神教。《春官》,保章氏以十二風察天地之妖祥。故金縢未啟,表拔木之徵;玉帛方交,起偃禾之異。宋襄失德,六鷁退飛;仰武將焚,異鳥先唱。此皆一時之事。
巽卦は風を象徴す。風は能く号令を申明し、是れ陰陽の使者なり。其の吉凶の示警を發出して、一たび動けば便ち神明の教令を彰顯す。《周礼・春官》に記載す、保章氏は十二方位の風を用いて天地の間の妖异と祥瑞とを察験せり。故に周公の金縢の書未だ啓封せざるに、上天は先ず大風の木を拔くの征兆を顕出せり。諸侯の玉帛交聘するの際、また禾苗尽く偃るの異象出現せり。宋襄公徳を失えば、則ち六隻の鷁鳥の倒退して宋都を飛び過ぐる有り。「仰武」は将に焚毀に遭わんとするの前、怪鳥は先ず已に鳴叫して警を報せり。此らは皆一時の應驗の事なり。
且興師十萬,相持數年,日費千金,而爭一旦之勝負。鄕導之說、間諜之詞,取之於人,尚猶不信,豈一風動葉、獨鳥鳴空,而舉六軍投不測之國,欲幸全勝,未或可知。謀既在人,風鳥參驗,亦存而不棄。
再び説くに兵十万を發して、数年相持ちて、每天千金を耗費して、ただ一朝一夕の勝負を争奪せんが為なり。向導の説法・間諜の報告は、皆活き生きたる人より取る、尚且つ尽く信ずる能わず。豈に能く一陣の風の樹葉を吹動し一隻の孤鳥の空中に於て鳴叫するに凭りて、則ち六軍を把りて預測し難きの敵国に投入し、僥倖に全勝を取得せんと指望せんや。あれは預料する能わざるなり。謀画の根本は既然として人に在れば、則ち風角・鳥情の類はただ参考験証と作りて、姑く保留して完全に廃棄せざるのみ。
夫占風角,取雞羽八兩,懸於五丈竿上,置營中,以候八風之雲。凡風起,初遲後疾,則遠來;風初疾後遲,則近來。風動葉十里,搖枝百里,鳴枝二百里,墜葉三百里,折小枝四百里,折大枝五百里,飛石千里,拔木五千里。三日三夜,遍天下;二日二夜,半天下;一日一夜,及千里;半日半夜,五百里。
風角を占候するの弁法――鶏毛八両を取り、五丈高きの竿子の上に懸掛し、営中に立てて、以て八方の來風と相應の雲気とを測候す。凡そ風起る、先ず慢くして後に快きは、風の遠処より來るを説明し、先ず快くして後に慢きは、風の近処より來るを説明す。風ただ樹葉を吹動すは、十里以内より來り、樹枝を揺動すは、百里より來り、枝條をして鳴響を發出せしむは、二百里より來り、樹葉を吹落すは、三百里より來り、小枝を折断すは、四百里より來り、大枝を折断すは、五百里より來り、石頭を吹りて飛起せしむは、千里より來り、能く大樹を拔起すは、五千里より來る。風は三天三夜連刮すれば、應驗の範囲は天下に遍及し、两天两夜なれば、天下の半に及び、一天一夜なれば、千里に及び、半天半夜なれば、五百里に及ぶ。
五音占風
宮風聲如牛吼空中。 徵風聲如奔馬。商風聲如離群之鳥。 羽風聲如擊濕鼓之音。角風聲如千人之語。
「宮」音に属するの風は、声音は牛の空中に於て吼叫するに似、「徵」音に属するの風は、声音は奔馳の馬に似。「商」音に属するの風は、声音は群を離れたる孤鳥に似、「羽」音に属するの風は、声音は湿気を受けたる鼓を敲打するに似。「角」音に属するの風は、声音は上千人の同時に説話するに似たり。
子、午為宮。 丑、未、寅、申為徵。 卯、酉為羽。
十二地支は五音に配属す――子・午の两支は「宮」に属し、丑・未・寅・申の四支は「徵」に属し、卯・酉の两支は「羽」に属す。
辰、戌為商。巳、亥為角。宮風發屋折木,未年兵作。徵風發屋折木,四方告急。商風發屋折木,有急兵。羽風發屋折木,米價貴。角風發屋折木,有急盜賊、戰鬬。
地支の辰と戌とは「商」音を配し、巳と亥とは「角」音を配し、上文の列する所を連ねて、子・午は「宮」を配し、丑・未と寅・申とは「徵」を配し、卯・酉は「羽」を配せば、十二地支は便ち五音に分属す。風を占するの時、若し「宮」音の風刮起して、風勢大にして屋頂を掀翻し樹木を折断せば、未年に則ち戦事の興起有らん。「徵」音の風刮起して屋を掀し木を折れば、四方の辺境は皆急を告げん。「商」音の風刮起して屋を掀し木を折れば、會い緊急の軍情有らん。「羽」音の風刮起して屋を掀し木を折れば、米価必定に上漲せん。「角」音の風刮起して屋を掀し木を折れば、會い突發の盗賊の乱を作し厮殺争闘する有らん。
歲月日時,陰德陽德自處,陰德在十二干,陽德在天。歲月日時,子刑卯、卯刑子、丑刑戌、戌刑未、未刑丑、寅刑巳、巳刑申、申刑寅、辰午酉亥各自相刑。子、丑、寅、巳、申為刑上,卯、戌、未為刑下。風從刑下來,禍淺;刑上來,禍深。三刑:為刑上、刑下、自刑。
年・月・日・時の四柱を排出した後、「陰徳」と「陽徳」とは各々自ら固定の位次の上に安処す――陰徳は十二天干に依附して推求し、陽徳は則ち天に於て應驗す。年・月・日・時の地支の間にまた「相刑」の関係有り――子は卯を刑し卯は子を刑し、丑は戌を刑し戌は未を刑し未は丑を刑し、寅は巳を刑し巳は申を刑し申は寅を刑し、辰・午・酉・亥の此の四支は則ち各々自ら自身と相刑して、「自刑」と謂う作る。其の中の子・丑・寅・巳・申は「刑上」と謂う作り、卯・戌・未は「刑下」と謂う作る。風は「刑下」の方位より吹來すれば、招來するの禍患は軽浅にして、「刑上」の方位より吹來すれば、招來するの禍患は深重なり。謂うところの「三刑」は、指すは則ち刑上・刑下・自刑の此の三類なり。
凡災風之來,多挾殺氣,尅日,濁塵飛埃。凡祥風之來,多興德氣,並日色晴朗,天氣溫涼,風氣索索不動,塵平行而過。
凡そ灾祸を主するの風の吹來るは、多半は肅殺の気を夾帯して、其の五行の属性はまた正に当日の日干を克制し、天光昏濁にして、塵土飛揚す。凡そ吉祥を主するの風の吹來るは、多半は中和徳有るの気を帯起して、同時に日色晴朗にして、天气温和清凉にして、風声窸窸窣窣として草木は併びに揺動せず、塵土は地面に貼りて平平として掠過す。
凡申、子為貪狼,主欺紿、不信、亡財、遇盜賊,主攻劫人。巳、酉為寛大,主福祿,主貴人、君子。亥、卯為陰賊,主戰鬬殺傷、謀反大逆。寅、午為廉貞,主賔客、禮儀、嫁娶。丑、戌為公正,主報仇怨,主兵。辰、未為奸邪,主驚恐。
凡そ申・子の两支の占する所の位次は「貪狼」と謂う作り、主として欺詐哄騙・言して信無し・財を破し物を失し盗賊に遭遇し、また主として人の來りて攻打劫掠する有らん。巳・酉の两支は「寛大」と謂う作り、主として福気と禄位と、主として貴人と君子とに遇上せん。亥・卯の两支は「陰賊」と謂う作り、主として厮殺傷亡・謀反叛逆せん。寅・午の两支は「廉貞」と謂う作り、主として賓客往來・礼儀の事と男婚女嫁とせん。丑・戌の两支は「公正」と謂う作り、主として仇を報じ恨を雪し、また主として兵を興し武を動かさん。辰・未の两支は「奸邪」と謂う作り、主として驚慌恐懼せん。
貪狼之日,風從寛大上來,〈○此下原衍「及寛大上來」五字,參《虎鈐經》刪。〉所主之言,〈○「言」疑「占」。〉仍以貪狼參說吉凶,他倣此。
「貪狼」に属するの日子に於て、若し風は「寛大」に属するの方位より吹來れば、下さんとする所の断語は、仍旧に「貪狼」の性質を一併に参合して、両者を合して以て吉凶を推説するを要し、其余の各種の組合は皆此の弁法に照らして類推す。(原書校記――「風從寛大上來」の句の下に原本は「及寛大上來」の五字を多出す、《虎鈐經》を参照して删去す。「所主之言」の「言」の字は、疑う当に「占」と作るべし。)
有旋風入幕,折干戈,壞帳幙,必有盜賊入營,將軍必死。旋風從三刑上來,其兵不可當。有風從王氣上來,官軍勝,大寒大勝,小寒小勝。凡風蓬勃四方起,或有觸地,皆為逆風,則有暴兵作。寅時作,主人逆;辰時作,主兵逆;午時發,左右逆;戌時發,外賊逆。
若し旋風の営帐に巻進み、兵器を折断し、帐幕を吹壞せば、必定に會い盗盗賊の営中に混入する有りて、主将もまた難を免れずして命を喪わん。旋風は「三刑」の所在の方位より巻來すれば、來犯の敵軍の兵勢は鋭く当たるべからず。若し風は当令の旺気の方位より吹來れば、則ち官軍勝を得し、風勢極めて寒冷なれば則ち大勝にして、ただ一点の寒意を帯ぶれば則ち小勝なり。凡そ大風蓬蓬勃勃として四面より同時に刮起し、或は地面に貼りて翻巻するは、皆「逆風」と算して、會い突然爆發の兵乱有るを預示す――寅の時に刮起するは、是れ主方自ら内部に於て変を生ぜんとす。辰の時に刮起するは、是れ本軍の士卒は嘩變せんとす。午の時に刮起するは、是れ身辺の親近の人は乱を作さんとす。戌の時に刮起するは、是れ外來の賊寇は境を犯さんとす。
宮日大風從角上來,有急兵來圍,至日中折木者,城陷。羽日大風,暝日無光,有圍城,客軍勝。陰賊日風,從陰賊上來,大寒有自相殺者。商日大風,從四季上來,有賊攻城,關梁不通。
「宮」音に属するの日子に大風刮起して、而且に「角」音の配する所の方位より吹來せば、會い敵兵の急速に來りて城を囲む有らん。風一直に正午に刮り至るもなお樹木を折断せば、城池は則ち陷落せんとす。「羽」音に属するの日子に大風刮起して、天色昏暗にして光無ければ、将に城を囲むの戦有りて、客軍(進攻するの一方)は勝を得せん。「陰賊」に属するの日子に風刮りて、また正に「陰賊」の配する所の方位より吹來し、風勢酷寒なれば、営中に會い自ら相残殺するの事出現せん。「商」音に属するの日子に大風刮起して、辰・戌・丑・未の此の四季の方位より吹來せば、會い賊兵の來りて城を攻むる有りて、關隘橋梁の交通断絶せん。
鳥情占
經曰:巳、酉為寛大之日,時加巳、酉,鳥鳴其上,有酒食;時加寅、午,有酒食辭讓;時加丑、戌,有酒食口舌;時加亥、卯,有酒食相害;寺加辰、未,有酒食婦人口舌;時加申、子,有酒食爭財。
経書の上に曰く――巳・酉は「寛大」の日なり。占問の時辰若し巳・酉に落ちて、また鳥の営帐の上頭に於て鳴叫する有れば、會い酒食の事有らん。時辰寅・午に落つれば、是れ酒食有りて彼此推譲せん。時辰丑・戌に落つれば、是れ酒食有りて口角を生ぜん。時辰亥・卯に落つれば、是れ酒食有りて互相に加害せん。時辰辰・未に落つれば、是れ酒食有りて婦人に因りて口舌を惹起せん(原文「寺加辰・未」の「寺」は「時」の字の误り)。時辰申・子に落つれば、是れ酒食有りて銭財を争奪せん。
寅、午為廉貞之日,時加寅、午,鳥鳴其上,有諫諍責讓;時加巳、酉,有賔客;時加申、子、辰、未,有口舌事;時加丑、戌、亥、卯,有酒食,又主相殺。丑、戌為公正之日,時加丑、戌,鳥鳴其上,有長吏來慰問;時加巳、酉,有公正酒食相遺;時加寅、午,有吏言陰私賊事;時加申、子,有吏來言公正之事;時加亥、卯,有吏來說陰賊相殺。
寅・午は「廉貞」の日なり。時辰寅・午に落ちて、鳥の上頭に於て鳴叫する有れば、會い人の当面に規諫責備する有らん。時辰巳・酉に落つれば、會い賓客の登門する有らん。時辰申・子或は辰・未に落つれば、會い口舌争執する有らん。時辰丑・戌或は亥・卯に落つれば、會い酒食有れども、同時にまた主として彼此残殺せん。丑・戌は「公正」の日なり。時辰丑・戌に落ちて、鳥の上頭に於て鳴叫する有れば、會い上級官長の來りて慰問する有らん。時辰巳・酉に落つれば、會い公事の上の酒食の饋贈有らん。時辰寅・午に落つれば、會い官吏の來りて隠私と盗賊の事とを談論する有らん。時辰申・子に落つれば、會い官吏の來りて公務を商議する有らん。時辰亥・卯に落つれば、會い官吏の來りて陰謀残殺の事を説く有らん。
辰、未為奸邪之日,時加辰、未,鳥鳴其上,有長吏來捕奸邪事;時加巳、酉,有酒食陰事;時加丑、戌,有吏捕陰私奸謀事;時加亥、卯,有陰謀劫害之事。申、子為貪狼之日,時加申、子,鳥鳴其上,有賊攻劫盜賊事;時加寅、午,有善人言攻劫事;時加巳、酉,有酒食;時加辰、未,有婦人爭訟事;時加丑、戌、亥、卯,有群賊攻奪事。
辰・未は「奸邪」の日なり。時辰辰・未に落ちて、鳥の上頭に於て鳴叫する有れば、會い官長の來りて奸邪の案件を査弁する有らん。時辰巳・酉に落つれば、會い酒食有りて併せて私情を夾帯せん。時辰丑・戌に落つれば、會い官吏の來りて隠私と奸謀とを追査する有らん。時辰亥・卯に落つれば、會い陰謀搶劫傷害の事有らん。申・子は「貪狼」の日なり。時辰申・子に落ちて、鳥の上頭に於て鳴叫する有れば、會い賊人の攻打劫掠・偸盗の事有らん。時辰寅・午に落つれば、會い好人の來りて攻劫の消息を報告する有らん。時辰巳・酉に落つれば、會い酒食有らん。時辰辰・未に落つれば、會い婦人の官司争訟を打つ有らん。時辰丑・戌或は亥・卯に落つれば、會い成群の賊寇の來りて攻奪する有らん。
亥、卯為陰賊之日,時加亥、卯,鳥鳴其上,有群賊大議休廢、囚死、鬬傷;時加巳、酉,有婦人奸私相傷;時加丑、戌,有吏逐賊;時加寅、午,有婦人姦淫相傷;時加辰、未、申、子,有賊攻討。右諸陰日,有鳥群飛,飄飄從鬼門四季上來,更時加四季,主有搜索,皆為鬬傷事。
亥・卯は「陰賊」の日なり。時辰亥・卯に落ちて、鳥の上頭に於て鳴叫する有れば、會い群賊の衆を聚めて密謀して、罷廃・囚禁致死・毆鬥受傷の事を帯來せん。時辰巳・酉に落つれば、會い婦人の私通に因りて彼此傷害する有らん。時辰丑・戌に落つれば、會い官吏の賊人を追捕する有らん。時辰寅・午に落つれば、會い婦人の奸淫に因りて彼此傷害する有らん。時辰辰・未或は申・子に落つれば、會い賊人の來りて攻打征討する有らん。以上の此の几個の陰に属するの日子に於て、若し群鳥の乱飛して、飄飄揺揺として鬼門(艮方)および辰・戌・丑・未の四季の方位より飛來し、而も占時はまた恰好に四季の地に落つるを見れば、主として搜捕査緝の事有りて、且つ皆毆鬥傷亡の一類に属せん。
《神機制敵太白陰經》巻八 終
遁甲總序
經曰:黃帝征蚩尤,七十二戰而不克,晝夢金人引領,長頭,衣元狐之裘,而言曰:「某天帝之使授符於帝。」帝驚悟,求其符不得,乃問風后、力牧,力牧曰:「此天帝也。」乃於盛水之陽築壇祭之,俄有元龜、巨鼇從水中出,含符致於壇而去。似皮非皮,似綈非綈,以血為文,曰:「天乙在前,太乙在後。」黃帝受符再拜。於是設九宮,置八門,布三奇、六儀,為陰陽二遁。凡一千八百局,名曰《天乙遁甲式》。
経書の上に曰く――黄帝は蚩尤を征討して、七十二仗を打ちて皆勝を取る能わざりき。一天白日に夢を做して、一個の金人の脖颈を伸長し頭顱頎長にして、黒狐の皮裘を穿着せるを夢見て、彼に對して曰く「我は是れ天帝の使者にして、命を奉じて符を把りて您に授けん」と。黄帝驚き醒めて、四處にあの道の符を尋找するも找着かず、便ち風后と力牧とに詢問しに往き、力牧は曰く「これ天帝の顕靈なり」と。是に於て黄帝は水を盛んなるの北岸に於て壇を築きて祭祀し、不多時にして、則ち黒色の大亀と巨鰲と有りて水中より浮出し、口に符書を銜えて壇上に放ちて便ち離去せり。あの符は皮に似て皮に非ず、厚繒に似て厚繒に非ず、血を用いて文字を写成して、上に写して曰く「天乙は前に在り、太乙は後に在り」と。黄帝は再び拜して符を受けたり。此より以後彼は九宮を設立し、八門を安置し、三奇と六儀とを布排し、分かちて陽遁・陰遁の两套と為し、共計して一千八百局にして、名を取りて《天乙遁甲式》と謂う。
三門發,五將具,而征蚩尤,以斬之蚩尤者。炎帝之後與少昊治西方,主金,兄弟十八人,日尋干戈,恃甲兵之利,殘暴不仁,聞黃帝獨王於中央,將欲勝四帝,恃甲兵於涿鹿。
黄帝は此の法に依りて三門を打開き五将を配斉して、兵を出だして蚩尤を征討して、終に彼を斬殺せり。蚩尤は是れ炎帝の後代にして、少昊と一同に西方を治理して、金徳を主管し、兄弟は共に十八人にして、天天刀を動かし槍を動かし、兵甲の精利を倚仗して、殘暴不仁なりき。彼は黄帝の独自に中央に於て王と称するを聞きて、四方の帝を壓倒せんと欲して、便ち自らの兵甲の優勢を凭恃して、涿鹿に於て戦場を擺開せり。
黃帝至道之精,其神無所倚,其心無所適,淡然與萬物合其一。天道虧盈而益謙,乃授黃帝神符而勝之。使黃帝行蚩尤之暴,蚩尤行黃帝之道,則蚩尤得符而勝黃帝矣。黃帝因蚩尤之暴,則黃帝得符而勝蚩尤矣。天道助順,所以授黃帝符者,欲啟聖人之心,贊聖人之事也。吉凶成敗在乎道,不在乎符。今取其一家之書,以備參攷耳。〈○篇前原題「課式」二字。案︰誤。課式在後,此乃《總序》也,今刪正。〉
黄帝は深く大道の精髓を得て、精神は依傍する所無く、心思は偏執する所無く、恬淡自然にして、万物と一体に融為たり。天道の法則は盈満を虧損して謙下を增益すれば、これに因りて神符を把りて黄帝に授与し、彼をして勝を取らしめたり。假使黄帝の行えるは蚩尤のあの様の暴虐にして、蚩尤の行えるは黄帝のあの様の正道ならば、則ち神符を得て對方に戦勝するは則ち蚩尤と為るべし。正に蚩尤暴虐にして黄帝道に合するを以て、故に符を得て勝を取るは則ち黄帝なり。天道は理に順うの一方を幇助す。之を符して黄帝に授する所以は、是れ聖人の心志を開啓し、聖人の事業を成全せんと欲すればなり。見るべく吉凶成敗は道に合するや否やに取决して、併びに符の有るや無きやに取决せず。如今はただ此の一家の書を取りて、留め置きて参考に備うるのみ。(原書校記――本篇の篇前に原に「課式」の二字を題す、実に错误に属す――「課式」の一篇は後面に在り、ここは則ち《總序》なり。今已に删正せり。)
日辰
甲乙仲。甲乙季。甲乙孟。〈○三「乙」字,疑當作「巳」。〉
甲乙の日は仲に配し、甲乙の日は季に配し、甲乙の日は孟に配す。(原書校記――此の三処の「乙」の字は皆疑う当に「巳」と作るべく、即ち「己」の字なり――遁甲は甲己・乙庚・丙辛・丁壬・戊癸の五組の日干を以て元を起し、此処の説くは甲己の日は仲・季・孟の三類の節気の中に於て各々取用するの局数有るなり。)
六甲
甲子、乙丑至癸亥,中間甲戌、甲申、甲午、甲辰、甲寅,並甲子,為六甲也。
甲子・乙丑より一路に癸亥に排し至るは、是れ六十甲子の一整輪なり。此の当中に「甲」の字を帯ぶるの旬首は共に五個有りて、即ち甲戌・甲申・甲午・甲辰・甲寅にして、再び開頭の甲子を加えて、合して「六甲」と称す。遁甲の法は則ち此の六個の旬首を以て綱領と作す。
五子遁元
甲巳之日,夜半生甲子。乙庚之日,夜半生丙子。丙辛之日,夜半生戊子。丁壬之日,夜半生庚子。戊癸之日,夜半生壬子。
凡そ甲日或は己日に遇えば(原書は「己」を「巳」と写作す)、夜半の子時は便ち甲子より起算し、乙日或は庚日に遇えば、夜半の子時は丙子より起算し、丙日或は辛日に遇えば、夜半の子時は戊子より起算し、丁日或は壬日に遇えば、夜半の子時は庚子より起算し、戊日或は癸日に遇えば、夜半の子時は壬子より起算す。これ即ち日干に由りて子時の干支を推出するの「五子遁元」の口訣にして、其余の各個の時辰は六十甲子の順序に按じて依次に下に向かって排す。
陽遁 遁元 仲 孟 季 陰遁 遁元 仲 孟 季 坎 冬至一七四 小寒二八五 大寒三九六 艮 立春八五二 雨水九六三 驚螫一七四 震 春分三九六 清明四一七 穀雨五二八 巽 立夏四一七 小滿五二八 芒種六三九 離 夏至九三六 小暑八二五 大暑七一四 坤 立秋二五八 處暑一四七 白露九三六 兌 秋分七一四 寒露六九三 霜隆五八二 乾 立冬六九三 小雪五八二 大雪四七一
これ是れ陽遁・陰遁の起局の総表なり。横欄の標目は「遁元」と為し、下に仲・孟・季の三格を分つ。毎一卦は三個の節気を統轄し、毎個の節気の後面の三個の数字は、依次に則ち上元・中元・下元の用うる所の局数なり。陽遁四卦――坎卦は冬至を管して一・七・四局を用い、小寒は二・八・五局を用い、大寒は三・九・六局を用う。艮卦は立春を管して八・五・二局を用い、雨水は九・六・三局を用い、驚蟄(原文は「驚螫」と写作す)は一・七・四局を用う。震卦は春分を管して三・九・六局を用い、清明は四・一・七局を用い、穀雨は五・二・八局を用う。巽卦は立夏を管して四・一・七局を用い、小満は五・二・八局を用い、芒種は六・三・九局を用う。陰遁四卦――離卦は夏至を管して九・三・六局を用い、小暑は八・二・五局を用い、大暑は七・一・四局を用う。坤卦は立秋を管して二・五・八局を用い、処暑は一・四・七局を用い、白露は九・三・六局を用う。兌卦は秋分を管して七・一・四局を用い、寒露は六・九・三局を用い、霜降(原文は「霜隆」と写作す)は五・八・二局を用う。乾卦は立冬を管して六・九・三局を用い、小雪は五・八・二局を用い、大雪は四・七・一局を用う。
陽遁,冬至後,第一甲子為上元,第二甲子為中元,第三甲子為下元。逆布三奇,順布六儀。陰遁,夏至後,第一甲子為上元,第二甲子為中元,第三甲子為下元。順布三奇,逆布六儀。陽遁元用《坎》、《艮》、《震》、《巽》四卦,四卦各四十五日,十二氣,合一百八十日。陰遁元用《離》、《坤》、《兌》、《乾》四卦,四卦各四十五日,十二氣,合一百八十日。
陽遁――冬至以後、遇う所の第一個の甲子日は上元と算し、第二個の甲子日は中元と算し、第三個の甲子日は下元と算す。布局するの時は三奇は逆に排して六儀は順に排す。陰遁――夏至以後、第一個の甲子日は上元と算し、第二個の甲子日は中元と算し、第三個の甲子日は下元と算す。布局するの時は三奇は順に排して六儀は逆に排す。陽遁起元は《坎》《艮》《震》《巽》の四卦を用い、毎卦各々四十五天を管し、四卦は共に十二個の節気を轄して、合計して一百八十天なり。陰遁起元は《離》《坤》《兌》《乾》の四卦を用い、毎卦もまた各々四十五天を管し、共に十二個の節気を轄して、合計して一百八十天なり。
五日六十時為一元,五日竟一氣,一氣用一元。上、中、下,陰、陽二遁,三百六十日,當一歲之用。其五日,四分之一,各用中元,以通餘閏,始終用之。然則冬至閏餘二五八。經曰:以通閏餘,始終用之。各用二五八,是已五日之內與日合者。凡用遁之法,當知九星,明九官,定八門,審直符、直事。
五天共六十個の時辰を以て一元と算し、五天は一節を走完し、一個の節気は一元を配用す。上・中・下の三元は再び陰遁・陽遁の两套を配して、合わせ起して三百六十天、正に一年の用に足る。残りのあの五天また四分の一日は、一律に中元に帰入して使用し、以て暦法の上に多出するの余分と閏数とを消化して、自始至終皆此の弁法に照らして弁す。故に冬至の閏余は二・五・八の三局を取る。経書の上に曰く――閏余を通融せんが為に、頭より尾に至るまで皆此のごとく用いて、各々二・五・八を取るは、則ち此の五天の内の日辰と相合するの部分を安頓妥当す。凡そ遁甲の法を運用するは、皆当に先ず九星を認清し、九宮を弄明白し(原文「九官」は即ち「九宮」)、八門を定准し、直符と直事とを審明すべし。
九星
天蓬水常主一,天芮土常主二,天沖木常主三,天輔木常主四,天禽土常主五,天心金常主六,天柱土常主七,天任土常主八,天英火常主九。
九星は各々五行の属性有りて、また各々自ら一個の宮位を固定して管轄す――天蓬は水に属して常に一宮を管し、天芮は土に属して常に二宮を管し、天冲は木に属して常に三宮を管し、天輔は木に属して常に四宮を管し、天禽は土に属して常に五宮を管し、天心は金に属して常に六宮を管し、天柱は土に属して常に七宮を管し、天任は土に属して常に八宮を管し、天英は火に属して常に九宮を管す。
九宮
坎為一宮,坤為二宮,震為三宮,巽為四宮,中五宮,乾為六宮,兌為七宮,艮為八宮,離為九宮。
九宮は八卦と中央とに按じて定位す――坎卦は是一宮(正北)、坤卦は是二宮(西南)、震卦は是三宮(正東)、巽卦は是四宮(東南)、中央は是五宮、乾卦は是六宮(西北)、兌卦は是七宮(正西)、艮卦は是八宮(東北)、離卦は是九宮(正南)なり。
八門
休門常主一,死門常主二,傷門常主三,杜門常主四,開門常主六,驚門常主七,生門常主八,景門常主九。
八門もまた各々自ら一個の宮位の上に固定して坐落す――休門は常に一宮に在り、死門は常に二宮に在り、傷門は常に三宮に在り、杜門は常に四宮に在り、開門は常に六宮に在り、驚門は常に七宮に在り、生門は常に八宮に在り、景門は常に九宮に在り。中央五宮は寄宮と為して、門を列せず、故にただ八門有るのみ。
直符
直符者,六甲、六儀是也。甲子常為六戊,甲戌常為六己,甲申常為六庚,甲午常為六辛,甲辰常為六壬,甲寅常為六癸。
謂うところの「直符」は、指すは則ち六甲の旬首と六儀との配合なり。甲子の此の一旬は常に戊を以て代表と為して、六戊と称し、甲戌旬は常に己を以て代表と為して、六己と称し、甲申旬は常に庚を以て代表と為して、六庚と称し、甲午旬は常に辛を以て代表と為して、六辛と称し、甲辰旬は常に壬を以て代表と為して、六壬と称し、甲寅旬は常に癸を以て代表と為して、六癸と称す。盤を排するの時は甲は自ら現れず、則ち此の六儀を以て甲に代わりて面を出さしむ。
三奇
乙為日奇。丙為月奇。丁為星奇。
三奇は三個の吉利の天干にして、乙は「日奇」と謂う作り、丙は「月奇」と謂う作り、丁は「星奇」と謂う作る。
直事
直事者,直八門事也。常以直符加直事,上門加直事授出入之語,〈○句似有誤。〉故以其門名之。直事五日一易局,十時一易符,十時一易事。
謂うところの「直事」は、則ち当値して事を主るあの一道の門にして、八門の此の一層の事を管す。盤を推するの時は常に直符を把りて直事の上に加え、上面のあの道の門を用いて直事の上に加えて、以て出行進退の話頭を断ず。故に則ちあの道の門の名称を用いて以て之を称呼す。(原書校記――此の句は訛误あるに似たり。)直事は五天に一局を換え、十個の時辰に一次直符を換え、十個の時辰に一次直事を換う。
課式
凡課式之法,常以直符加時干。直符者,六甲也。時干者,時下所用之干也。假令陽用天元、上元一局,甲巳之日,夜半生甲子,卽子在甲時也。授以直符,天蓬加北方六戊,所以加六戊者,以甲子常為六戊故也。雞鳴乙丑,授以天蓬,直符加南方六乙,盡癸酉,十時皆以天蓬加干,至寅戊、〈○此二字有誤。〉甲戌,則轉直符用天芮,他皆倣此,此其陽遁可知。〈○此下當有脫誤。〉
凡そ課を起し局を布くの方法は、総じて直符を把りて時干の上頭に加う。謂うところの直符は、則ち六甲の旬首にして、謂うところの時干は、則ち当下の此の時辰の用うる所の天干なり。例を擧げて説くに、陽遁天元上元一局を用い、甲日或は己日に逢えば、夜半の子時は甲子に起し、即ち子時は正に甲の上に落つ。之に直符を配与すれば、則ち天蓬星を把りて北方の六戊の位に加う。之を六戊に加うる所以は、是れ甲子旬は常に戊を以て代表と為すが故なり。鶏鳴の時分に到りては乙丑にして、仍お天蓬を以て直符と為し、南方の六乙の位に加う。一直に癸酉に排し至るまで、此の十個の時辰は皆是れ天蓬を用いて各時の天干の上に加う。下の一旬の甲戌に到れば、則ち直符を換えて天芮星と為し、其余の各旬は皆此に照らして類推す。陽遁の推法は此に由りて則ち明白すべし。(原書校記――「寅戊」の二字に误り有り。此の句の下は当に脱漏訛误有るべし。)
陰遁逆行。以直符、直事加宮。直事者,直事上之門也;時干者,時下所得之宮也。然則直符十時一易,其門十時一易也。〈○此條標目似誤。「然則」上當有脫文。「其門」下疑脫「亦」字。〉假令陽遁用天元、中元七局,甲巳之日,夜半生甲子,卽以驚門加第七宮。雞鳴為乙丑,卽以驚門加八宮,盡癸酉,十時皆以驚門加宮,至寅戊、〈○二字亦誤。〉甲戌,則移生門加宮,而⬛奇門所在及為吉凶成敗,按而詳之,他倣此。陰遁,則逆數。
陰遁の排法は是れ逆行なり。要に直符と直事とを把りて宮位の上に加うべし――直事は則ち当値のあの一宮の上頭の門にして、時干は指すは則ち当下の此の時辰の落ち到る所の宮なり。此の様なれば、直符は十個の時辰に一次更換し、あの道の門もまた十個の時辰に一次更換す。(原書校記――本条の標題は误りあるに似たり。「然則」の前は当に脱文有るべし。「其門」の下は疑う一個の「亦」の字を脱せん。)例を擧げて説くに、陽遁天元中元七局を用い、甲日或は己日に逢えば、夜半の子時は甲子に起して、則ち驚門を把りて第七宮に加う。鶏鳴の時分は乙丑にして、則ち驚門を把りて八宮に加う。一直に癸酉に排し至るまで、此の十個の時辰は皆是れ驚門を把りて下に向かって宮を加う。甲戌の一旬に到れば、則ち改用して生門を以て宮を加う。奇と門とが何れの一宮に落つるか此に由りて定出するの吉凶成敗に至りては、皆盤に按じて細看すれば則ち可なり。其余の各局は此に照らして類推し、陰遁は則ち逆に数うるなり。
凡子加子,直符、直事各伏其位,名曰「伏吟」。子加午,直符、直事各易其位,名曰「反吟」。雖致奇門,吉宿皆凶,惟可以納財。凡三奇之日,宜以出行奇者,乙、丙、丁皆為吉,干與善神並,故無凶耳。若開休生三吉門,有天上三奇合之,臨一方,卽其方之門為吉,道路清虛,可以出行修舉,百事皆吉。
凡そ子は子の上に加わるは、直符と直事とは皆元の位に伏して動かず、これを「伏吟」と謂う作る。子は午の上に加わるは、直符と直事とは皆対面の位置に換到りて、これを「反吟」と謂う作る。此の両種の格局は即ち奇と門とを凑斉するも、縦ち吉星有るも一律に凶と断作し、ただ銭財を収納するの此の一件の事は做し得べし。凡そ三奇の日に逢うは、出行に適宜し、乙・丙・丁の三奇は皆吉に属し、天干はまた善神と並び臨すれば、故に凶咎無し。倘若し開・休・生の此の三個の吉門に、また天盤の三奇有りて之と相合し、一同に某の一方に臨まば、則ち此の一方の門は則ち吉門にして、道路清浄通暢にして、以て門を出でて事を弁し工役を興擧して、百事皆吉利ならん。
假令用陽遁天元一局,甲巳之日,日出為丁卯。天乙直符在四宮,開門臨震三宮,下有六乙與日奇合,東方出行,吉。生門臨離。九宮有六丁與星奇,南方可以出行,其陰遁可知。凡三奇直使者為三奇,得六甲所使奇也。卽乙為甲戌、甲子,使丙為甲寅、甲申,使丁為甲辰、甲寅,使三奇為吉門,合得此時者,為尤良。
例を擧げて説くに、陽遁天元一局を用い、甲日或は己日に逢い、日出の時辰は丁卯なり。此の時天乙直符は四宮に落ち、開門は震宮(三宮)に臨み、門の下に六乙有りて日奇と相合すれば、則ち東方に往きて出行すれば吉利なり。生門は離宮に臨み、九宮の中に六丁有りて星奇と同在れば、則ち南方に往きて出行するもまた可なり。陰遁の推法は此に照らして知るべし。凡そ謂うところの「三奇直使」は、則ち三奇は六甲の旬首の役使を得るの意にして――乙は甲戌・甲子の役使する所に由り、丙は甲寅・甲申の役使する所に由り、丁は甲辰・甲寅の役使する所に由る。若し三奇正に吉門の下に落ち、また恰好に此の様の時辰に趕上せば、則ち格外に美好なり。
假令陽遁用天元、上元一局,用甲巳之日,日入癸酉,天乙直使在一宮,以直符天蓬加六癸,休門直事加一宮,北方休門下有六丙,日奇而臨甲子,⬛六丙所使者是也。他皆倣此。凡三奇與生門合,太陰合,得人;遁奇與休門合,為天遁奇,與開門合,得地;遁奇與太陰所合皆吉,常以六丁所合為太陰,天乙後二宮亦名太陰。
例を擧げて説くに、陽遁天元上元一局を用い、甲日或は己日に逢い、日落の時は癸酉にして、天乙直使は一宮に落ち、則ち直符天蓬を把りて六癸の上に加え、休門を作りて直事と為して一宮に加う。北方の休門の下に六丙有るは、是れ奇星にして甲子旬に臨めば、これ即ち説く所の六丙の役使する所に由るの情形なり。其余は皆此に照らして類推す。凡そ三奇は生門と相合しまた太陰と相合するを、「人遁」と謂う作り、奇は休門と相合するを、「天遁」と謂う作り、開門と相合するを、「地遁」と謂う作る。凡そ奇は太陰と相合するは皆吉利なり。通常は六丁の合する所を以て太陰と為し、天乙直符の後に数えて第二宮もまた太陰と謂う。
假令陽遁用天元、上元一局,甲戌在坤宮為直事,前二宮乾六甲在二宮,天乙在後二宮,皆合於六宮,故曰:「巽遁用陽。」他倣此。〈○此條有脫誤。〉又生門與六乙合,得人;遁奇、休門與六丁合,得地;遁奇、開門與六丙合,得天。遁奇所合之宮,所向皆吉。
例を擧げて説くに、陽遁天元上元一局を用い、甲戌は坤宮に落ちて直事を作り、前に往きて两宮を数うるは乾宮にして、六甲は二宮に在り、天乙は其の後の两宮に在りて、皆六宮に會合す。故に「巽遁用陽」と説く。其余は此に照らして類推す。(原書校記――本条に脱漏訛误有り。)此の外、生門は六乙と相合するは、「人遁」なり。奇は休門・六丁と相合するは、「地遁」なり。奇は開門・六丙と相合するは、「天遁」なり。奇の會合する所のあの一宮は、之に朝きて事を行うは皆吉利なり。
又生門與六乙合,得天;遁奇、開門與六丙合,得地;遁奇、休門與六丁合,而在直符前三宮,為得人。遁奇:天遁奇者,為日精華所蔽;地遁奇者,為月精華所蔽;人遁奇者,為太陰之氣所蔽。此時可以隱匿逃亡蔽葢,此宮有事,出行吉。凡三奇合太陰而無吉門,名曰「有陰無門」。有門合太陰而無奇,名曰「有門無奇」。有吉門而無奇陰,名曰「有奇無陰」。皆可從之,吉。但避五刑,舉事但從三吉,而去若不得三奇並吉門者,但三奇所加,百事從之,吉。
別の一種の説法は――生門は六乙と相合するは「天遁」と為し、奇は開門・六丙と相合するは「地遁」と為し、奇は休門・六丁と相合して、而且に直符の前に往きて第三宮を数うるに落つるは、「人遁」と為す。此の三種の遁の道理は――天遁は日の精華の遮蔽を得、地遁は月の精華の遮蔽を得、人遁は太陰の気の遮蔽を得るなり。此の種の時辰に逢到れば、以て身を蔵め逃亡し行蹤を隱蔽すべく、此の一宮に若有事あれば、ここより出行すれば則ち吉利なり。凡そ三奇は太陰と相合して吉門無きは、「有陰無門」と謂う作り、吉門有りて太陰と相合して奇無きは、「有門無奇」と謂う作り、吉門有りて既に奇無くまた太陰無きは、「有奇無陰」と謂う作る。此の几種の情形は皆なお以て依従すべく、仍お吉利と算し、ただ五刑を避開すれば則ち可なり。事を擧げるはただ開・休・生の三吉門に跟着して走れば管し、假如三奇と吉門と凑斉せざれば、則ち単に三奇の加わる所の方位を看て、百事之に依従して、また吉利なり。
又三奇在陽,宜為客;在陰,宜為主。若欲見貴人,求財舉事,出自奇門,合生門吉。若力勝,舉百事,出自奇門,合開門吉。若欲求陰私,舉百事,出自奇門,合休門吉。凡三奇游於六儀,利為公私和會之事。謂乙丙丁遊於六甲之上,若甲寅有乙卯,甲子有庚午,此為玉女,守門戶之時也。天乙合會利,為其事,要在三奇。⬛在六儀者,三奇吉門合太陰,⬛⬛以勝光,小吉,從魁加地四戶,是謂福倉。遠行出入,移徙皆吉。
再び言うに、三奇は陽遁の一辺に落つるは、進攻の客方を做るに適宜し、陰遁の一辺に落つるは、拠守の主方を做るに適宜す。若し貴人に拝見し銭財を求取し事情を興弁せんと欲せば、奇の所在の門より出発して、再び生門を配上すれば、則ち吉利なり。若し実力を凭りて勝を取り百事を興擧せんと要せば、奇の所在の門より出発して、開門を配上すれば、則ち吉利なり。若し隱秘私事を謀求し百事を興擧せんと欲せば、奇の所在の門より出発して、休門を配上すれば、則ち吉利なり。凡そ三奇は游行して六儀の上に到るは、公私の聚會の一類の事を弁理するに利あり。謂うところの三奇は六儀に游ぶは、説くは乙・丙・丁は六甲の旬首の上に行き到るを謂い、比如甲寅旬は乙卯に遇い、甲子旬は庚午に遇えば、これを則ち「玉女」と謂い、是れ玉女の門戸を守るの時辰なり。天乙は之と會合するは利有りて、事を弁するの關鍵は全て三奇に在り。若し奇は六儀の上に落ち、また三奇・吉門と太陰と相合し、再び勝光・小吉・從魁の諸神を以て地四戸の上に加えれば、則ち之を「福倉」と謂い、此の時遠行出入・遷居搬徙するは皆吉利なり。
凡欲遠行出入,舉百事,逃亡,當令天三門加地四戶,出其下,吉。天三門者,太沖從魁,小吉是也;地四戶者,除定危開是也。假令正月建寅,卽卯為除,午為定,酉為危,子為開,他倣此。太沖從魁,小吉。天之私門,六合;太陰、太常,地之私戶。此⬛臨、開、休、生三奇,吉門從之,出入遠行,舉百事,皆大吉。又以月將加時上,視之,勿忘太沖。太沖者,天門也。卒有急難,天門出吉,凡三奇入墓凶,不用。
凡そ要に遠行出入し各事を興擧し、或は逃亡して禍を避くるは、皆当に「天三門」をして「地四戸」に加臨せしめ、此の両者の相疊するの方位より出行すれば、則ち吉利なり。謂うところの天三門は、太冲・從魁・小吉の三神を指し、謂うところの地四戸は、建除十二神の中の除・定・危・開の四位を指す。例を擧げて説くに、正月の月建は寅に在れば、則ち卯は則ち除にして、午は則ち定にして、酉は則ち危にして、子は則ち開なり。其余の月份は此に照らして類推す。太冲・從魁・小吉は是れ天上の私門にして、六合・太陰・太常は是れ地上の私戸なり。此らの神の臨む所の方位に若し再び開・休・生の三吉門と三奇とを配上せば、之に依りて出入遠行し百事を興擧して、皆大吉なり。別にまた当に当月の月将を把りて占時の上に加えて審視して、切に太冲を忘るべからず――太冲は則ち天門なり。倉促の間に急難に遇上せば、天門より出でれば則ち吉利なり。凡そ三奇は墓庫に落入るは則ち凶にして、取用すべからず。
假令六乙日奇,雖得日奇,未時不可出。謂乙屬木,木墓在未也。丙丁火,火墓在戌,戌時不可出。一雲六乙臨二宮,六丙、六丁臨六宮,入墓出三奇,吉門。勿令五刑魁星,螣蛇、白虎在其⬛。凡九天之上,可以力勝;九地之下,可以伏藏。太陰之中,可以潛形;六合之中,可以逃亡。卽直符,後一所臨之宮為九天,後二所臨之宮為九地,前二所臨之宮為太陰,前三所臨之宮為六合。
例を擧げて説くに、六乙は是れ日奇にして、雖も日奇を得たるも、然而も未の時は出行する能わず――乙は木に属し、木の墓庫は未に在ればなり。丙・丁は火に属し、火の墓庫は戌に在れば、故に戌の時は出行する能わず。別の一種の説法は――六乙は二宮に臨み、六丙と六丁とは六宮に臨むも、また墓に入ると算し、出行せんと要せば則ち得に別に三奇と吉門とを找して、併せて五刑・魁星および螣蛇・白虎をしてあの一位の上に壓せしめざるを要す。凡そ「九天」の上に在るは、以て実力を凭りて勝を取るべく、「九地」の下に在るは、以て埋伏隱蔵すべく、「太陰」の中に在るは、以て形蹟を隱匿すべく、「六合」の中に在るは、以て逃亡して身を脱すべし。此の四者の定位は――直符より後に往きて第一宮を数うる所の臨む処は九天と為し、後に往きて第二宮は九地と為し、前に往きて第二宮は太陰と為し、前に往きて第三宮は六合と為す。
假令陽遁直符臨九宮,則九天在四宮、九地在三宮、太陰在七宮、六合在六宮,他皆放此。陰陽皆用,天遁為奇,其九天臨甲,九地臨癸,太陰臨丁,六合臨巳,為大吉。凡六儀擊刑,皆不可用。假令陽遁甲子,天蓬為直符,加卯時為擊刑,謂子卯刑,故也。雖得奇門吉宿,不可用三刑者,子刑卯,卯刑子,丑刑戌,戌刑未,未刑丑,寅刑巳,巳刑申,申刑寅,辰午酉亥四位自刑。
例を擧げて説くに、陽遁の中に直符は九宮に臨めば、則ち九天は則ち四宮に在り、九地は三宮に在り、太陰は七宮に在り、六合は六宮に在り、其余の情形は皆此に照らして類推す。陰遁陽遁は皆此のごとく用う。天遁を以て奇と為し、若し九天は甲に臨み九地は癸に臨み太陰は丁に臨み六合は己に臨まば、則ち大吉の局なり。凡そ「六儀撃刑」に遇上するは、一概に取用すべからず。例を擧げて説くに、陽遁甲子旬は天蓬を以て直符と為し、卯の時に加われば則ち撃刑を構成す、子と卯と相刑するが故なり。此の種の時は縦ち奇門吉星を凑斉するも、また用うる能わず。謂うところの三刑は、則ち子は卯を刑し卯は子を刑し、丑は戌を刑し戌は未を刑し未は丑を刑し、寅は巳を刑し巳は申を刑し申は寅を刑し、辰・午・酉・亥の此の四位は則ち各々自ら自身と相刑す。
凡六庚加直符,名「天乙伏宮格」,亦名「天乙留符格」。直符加六庚,名「天乙飛宮格」,亦名「天乙行符與太白格」。六庚加天乙,名「太白與天乙格」,戰于野。若天乙與六庚同宮,名「天乙與太白格」,戰於國。六庚加天乙宮者,謂臨太乙所在地宮也。天乙與六庚同宮者,謂此同地宮也,凶時也。
凡そ六庚は直符の上に加わるを、「天乙伏宮格」と謂う作り、また「天乙留符格」とも謂う。直符は六庚の上に加わるを、「天乙飛宮格」と謂う作り、また「天乙行符与太白格」とも謂う。六庚は天乙の上に加わるを、「太白与天乙格」と謂う作り、主として郊野に於て交戦せん。假如天乙と六庚と同じく一宮に処るを、「天乙与太白格」と謂う作り、主として国境の内に於て交戦せん。謂うところの六庚は天乙宮に加わるは、指すは六庚は太乙の所在のあの地盤の宮位に臨到るを謂い、謂うところの天乙と六庚と同宮は、指すは両者は共に同一個の地盤の宮位に処るを謂う。此らは皆凶時なり。
凡六庚加金日,亦名「伏干格」,亦名「本宮干格之日」,干格加六庚,名「飛干格」,此凶時,不可為百事。干格之時凶,外取之,占賊見之。占人在占格,則不在;占人來占格,則不來。凡六庚加歲干,為歲格;月干,為月格;日干,為日格。一曰:六庚加三奇,為時格;不加三奇,非時格。六庚加六巳,名刑格。易地千里,車破馬驚,不利舉百事,凶。
凡そ六庚は金に属するの日干の上に加わるを、「伏干格」と謂う作り、また「本宮干格之日」とも謂う。反して日干は六庚の上に加わるを、「飛干格」と謂う作る。此らは皆凶時にして、何の事も做すに宜あらず。凡そ干格の時に遇うは皆主として凶にして、若し外に向かって事を取り敵情を占測すれば、倒れて能く消息を見る――或る人の在るや否やを占問せば、干格に遇えば則ち在らず、或る人の來るや否やを占問せば、干格に遇えば則ち來らず。凡そ六庚は年干の上に加わるを、「歳格」と謂い、月干の上に加わるを、「月格」と謂い、日干の上に加わるを、「日格」と謂う。別の一説――六庚は三奇の上に加わるを「時格」と謂い、三奇に加わらざれば則ち時格と算せず。六庚は六己の上に加わるを、「刑格」と謂う作る。此らの格局に逢えば、往往人事変動して千里に遠隔し、車は毀れ馬は驚き、百事皆不利にして、主として凶なり。
凡六庚加六丙,名曰太白入熒惑。六丙加六庚,名熒惑入太白。二逢相入,皆凶時,得奇門,吉宿亦不可舉百事,凶。凡六丙加直符,為勃,謂天上六丙加庚直符也。及天乙宮加六丙,亦名為勃,同六庚所加之義。凡時下及天乙直使所在,得吉宿者吉,得凶宿者凶;時下得吉宿,謂直符所勝。〈○疑「加」。〉時下所得三星,此謂吉宿也。
凡そ六庚は六丙の上に加わるを、「太白入熒惑」と謂う作り、六丙は六庚の上に加わるを、「熒惑入太白」と謂う作る。此の両種の彼此相入の格局は皆凶時にして、即ち奇と門とを凑斉しまた吉星に逢うも、一様に各事を興擧する能わず、仍お凶と断ず。凡そ六丙は直符の上に加わるを、「勃」と謂う作り、指すは天盤の六丙は庚の値する所の直符の上に加わるを謂い、天乙の所在の宮は六丙に加臨するも、また「勃」と謂う作り、道理は六庚の加臨と相同なり。凡そ当下の時辰および天乙直使の落つる所の位置は、吉星に遇上すれば則ち吉にして、凶星に遇上すれば則ち凶なり。謂うところの時下に吉星を得るは、説くは直符の加臨する所の(原書校記――「勝」の字は疑う当に「加」と作るべし)当下の時辰はあの三顆の吉星を得て、これ始めて吉星と謂う。
假令陽遁天元、上元一局,甲巳之日,平旦為丙寅,卽以直符加六丙,六丙在八宮,八宮為天任,是謂時下得天任星也。他倣此。天乙所在吉宿者,假令陽遁天元、上元一局,甲巳之日,夜半生甲子,甲子為天蓬,卽以天乙直使在天蓬宿;雞鳴為乙丑,乙丑為天芮,卽以天乙直使為天芮宿。
例を擧げて説くに、陽遁天元上元一局を用い、甲日或は己日に逢い、天剛に亮くるの時は丙寅にして、則ち直符を把りて六丙の上に加う。六丙は八宮に落ち、八宮は是天任星にして、これを則ち「当下の時辰は天任星を得る」と謂う。其余は此に照らして類推す。天乙の落つる所の吉星は怎様に定めるやに至りては、もまた例を擧げて説く――陽遁天元上元一局を用い、甲日或は己日に逢い、夜半の子時は甲子に起し、甲子は天蓬を配せば、則ち天乙直使は則ち天蓬の此の顆の星の上に在り。鶏鳴の時分は乙丑にして、乙丑は天芮を配せば、則ち天乙直使は則ち換えて天芮の此の顆の星と為す。
凡吉者,天輔、天禽、天心為大吉,天沖、天任為小吉。凶宿者,天蓬、天芮為大凶,天英、天柱為小凶。大凶者,有旺相氣,變為小凶;小凶者,有旺相氣,變為平。其吉宿,有旺相氣,大吉。凡六甲加六丙為青龍返首,六丙加六甲為朱雀跌穴,此二時可以造舉百事。又會三奇八門者,為大吉。《太乙經》曰:「六丙加六庚為孛,六辛加六乙為白虎猖狂,六乙加六庚名青龍逃走,六癸加六丁名螣蛇夭矯,六丁加六癸名朱雀入江,不可舉百事,皆凶時也。」
九星の中の吉に属するは――天輔・天禽・天心は大吉と為し、天冲・天任は小吉と為す。凶に属するは――天蓬・天芮は大凶と為し、天英・天柱は小凶と為す。大凶の星は若し旺相の気を帯ぶれば、則ち減じて小凶と為し、小凶の星は若し旺相の気を帯ぶれば、則ち変じて平常と為り、吉星は若し再び旺相の気を帯ぶれば、あれは則ち大吉なり。凡そ六甲は六丙の上に加わるを、「青龍返首」と謂う作り、六丙は六甲の上に加わるを、「朱雀跌穴」と謂う作る。此の两個の時辰は皆以て興造し各種の事情を擧弁すべく、若し再び三奇と八門とに會上せば、則ち大吉なり。《太乙經》の上に曰く「六丙は六庚に加わるを『孛』と謂い、六辛は六乙に加わるを『白虎猖狂』と謂い、六乙は六庚に加わるを『青龍逃走』と謂い、六癸は六丁に加わるを『螣蛇夭矯』と謂い、六丁は六癸に加わるを『朱雀入江』と謂う。此らの時は何の事も弁する能わず、全て凶時なり」と。
凡時下得乙未丙戌辛丑甲辰戊辰,名入墓,時不得出入、舉百事。凡天道不遠,三五復反,假令陽遁用天元、上元一局,甲巳之日,平旦為丙寅三,卽三在寅也;戊辰五,卽五在辰也。他倣此。
凡そ当下の時辰は乙未・丙戌・辛丑・甲辰・戊辰の此の几個の干支の上に落つるを、「入墓」と謂う作り、此の種の時辰は出入する能わず、また各事を興擧する能わず。天道の運行は並びに遙遠ならず、総じて「三」と「五」との間に於て往复回還す。例を擧げて説くに、陽遁天元上元一局を用い、甲日或は己日に逢い、天亮の時は丙寅にして、配数は三にして、即ち三は寅の上に落ち、再び下に往きて戊辰は配数は五にして、即ち五は辰の上に落つ。其余は此に照らして類推す。
其陽遁可出入、舉百事,當趨三避五,可以名天道。凡出行者,亦可參用「元女式」。三宮法所出之門有螣蛇、白虎,皆須避之,不可犯,大凶。〈○此下原衍「亭亭咎,謂六乙之時,時下得乙吉也」十四字,下十一字「見時加六乙」條與上不屬,今刪。〉時逢六庚,抱木而行,強有出者,必有鬬爭,謂六庚之時,時下得庚凶也。〈○此下四條,當在「時加六己」條後,疑錯簡。〉
陽遁の中に於て出入して事を行い各務を興擧するは、当に「三」に趨就して「五」を躱開して、これを則ち天道に順に順應と謂う。凡そ出行するの人は、また以て「元女式」を参照して一併に推算すべし。三宮の法を用いて定出せるあの道の門は、若し螣蛇・白虎を壓著せば、皆必ず回避して、冒犯すべからず、冒犯すれば大凶なり。(原書校記――此の下に原に「亭亭咎、謂六乙之時、時下得乙吉也」の十四字を多出す、其の中の後の十一字は「時加六乙」条に見え、上文と相属せず、今删去す。)時辰は六庚に逢上するは、木頭を抱きて路を趕くがごとく、勉强に門を出ずるの人は、必定に争闘を招來す。これ是れ説く六庚当値の時辰は、時下に庚を得るは凶と為すなり。(原書校記――以下の四条は本は「時加六己」条の後に排すべく、疑う是れ錯簡なり。)
時逢六辛,行逢死人,強有出者,罪罰纏身,謂六辛之時,時下得辛凶也。時逢六壬,為吏所擒,強有出者,非禍所勝,謂六壬之時,時下得壬凶也。時逢六癸,眾人所視,不知六癸,出門則死,謂六癸之時,時下得癸凶也。
時辰は六辛に逢上するは、路上に死人に碰見し、勉强に門を出ずるの人は、罪責刑罰身に纏わる。これ是れ説く六辛当値の時辰は、時下に辛を得るは凶と為すなり。時辰は六壬に逢上するは、官吏に拘捕せられ、勉强に門を出ずるの人は、災禍大にして承受し起る能わず。これ是れ説く六壬当値の時辰は、時下に壬を得るは凶と為すなり。時辰は六癸に逢上するは、衆人に盯上せられ、若し六癸の忌諱を懂得せざれば、門を出でれば則ち性命の危有り。これ是れ説く六癸当値の時辰は、時下に癸を得るは凶と為すなり。
凡時下得天蓬,宜安居保國、修築營壘,主不利客,凶神也。時下得天芮,宜崇道修德,統接朋儕,凶神也。時下得天沖,不利舉事,凶神也。時下得天輔,宜守道調理,凶神也。時下得天禽,宜祭祀求福,以滅群惡,吉神也。時下得天心,宜避疾求仙,君子吉,小人凶,凶神也。時下得天柱,宜居守自固,藏形隱跡,凶神也。時下得天任,宜請謁賞賀,通達財利,吉神也。時下得天英,宜道行出入,進酒作樂,嫁娶筵宴,吉神也。
凡そ当下の時辰は天蓬星を得るは、安居して土を守り営壘を修築するに宜しく、拠守の主方に利ありて進攻の客方に利ならず、其の本身是れ凶神なり。天芮星を得るは、正道を尊崇し徳行を修養し同儕を聯絡するに宜しく、是れ凶神なり。天冲星を得るは、事情を興擧するに利あらず、是れ凶神なり。天輔星を得るは、正道を守持し内務を調理するに宜しく、是れ凶神なり。天禽星を得るは、祭祀して福を祈り衆惡を消除するに宜しく、是れ吉神なり。天心星を得るは、病を避け仙を求むるに宜しく、君子之を得れば吉にして小人之を得れば凶にして、总体は仍お凶神と算す。天柱星を得るは、拠守して自ら固くし形を蔵め蹟を隱すに宜しく、是れ凶神なり。天任星を得るは、拝謁請託し賞賜慶賀し財利を通達するに宜しく、是れ吉神なり。天英星を得るは、路を趕き出入し酒を進めて楽を作し婚嫁して宴を設くるに宜しく、是れ吉神なり。
太乙貴神,可向、不可背。白姦者,天大姦神,不可向、可背也。又曰:六丁為六甲陰,能知此道,日月可陸沉,可呼六丁神名,凡六合之中六巳,謂六巳之位皆在六合之中也。行陰密隱秘潛伏之術,〈○疑上。〉皆從天公六巳所臨用之。凡天輔之時,有罪勿殺,斧鉞在前,天乙救之,謂甲巳之日,時加巳;乙庚之日,時加申;丙辛之日,時加午;丁壬之日,時加辰;戊癸之日,時加寅。此時有罪,自然光輝,亦宜此時,拔人之繫縛。一曰:甲巳之日,時下謂巳;丁壬之日,時下謂辰;戊癸之日,時下謂申。為天輔之時也。
太乙貴神の所在の方位は以て面向すべく、以て背對すべからず。白奸は是れ天上の大奸の神にして、以て面向すべからず、倒れて以て背對すべし。又説く――六丁は是れ六甲の陰神にして、此の道理を懂得するの人は、日月を連ねて隠没して見えざらしむる能く、また以て六丁の諸神の名号を呼喚すべし。凡そ六合の中の六己は、説くは六己の位次は皆六合の内に落つるを謂う。凡そ陰密隱秘・身を潜め形を伏するの一類の術法を施行するは、皆天公六己の臨む所の方位に依りて往きて用うるを要す。凡そ天輔当値の時辰に逢うは、罪有るの人は殺す勿れ、即ち斧鉞已に面前に擺らるるも、天乙は會い來りて彼を救わん。謂うところの天輔の時は、則ち甲己の日は時辰は巳に落ち、乙庚の日は時辰は申に落ち、丙辛の日は時辰は午に落ち、丁壬の日は時辰は辰に落ち、戊癸の日は時辰は寅に落つるなり。此の時は即ち身に罪愆を負うも、また自ら光明の転機有らん。もまた正に宜しく此の時に於て捆縛囚繫せらるるの人を解救すべし。別の一説――甲己の日は時辰は巳を取り、丁壬の日は時辰は辰を取り、戊癸の日は時辰は申を取るは、これ始めて天輔の時なり。
凡天網四張,萬物盡傷,謂時得六癸也。此時不可造作百事。又神有高下,必須避也。假令天網在一宮,神高一尺;在二宮,神高二尺。踰越避之。凡天罡加四孟,天乙在內,宜處百事;天罡加四仲,天乙在門,出處百事皆敗;天罡加四季,天乙在外,宜出行,百事皆吉。他倣此。凡要事在三宮,在天乙大吉,加四仲,名玉堂。時天乙理事於玉堂之中,欲出行,當此之時,百事可利,逃亡者得。
凡そ「天網」四面張開し、万物皆傷を受けんと要す、指すは則ち時辰は六癸に逢上するなり。此の種の時は何のものも興造する能わず。天網はまた高低の分有りて、必ず法を設けて躲避するを須とす――假如天網は一宮に落つれば、網は則ち高一尺、二宮に落つれば、網は則ち高二尺にして、要に跨越して過ぎて初めて避くる能し。凡そ天罡(辰)は寅・申・巳・亥の四孟に加臨するは、天乙内に在りて、家に在りて各事を処理するに宜しく、天罡は子・午・卯・酉の四仲に加臨するは、天乙門に当たりて、門を出でて事を弁するは皆失敗せん。天罡は辰・戌・丑・未の四季に加臨するは、天乙外に在りて、出行するに宜しく、百事皆吉なり。其余は此に照らして類推す。凡そ緊要の事は皆天乙の理する所の三宮を看て、天乙は「大吉」(丑)に落ちて四仲に加臨するを、「玉堂」と謂う作る。此の時天乙は玉堂の中に於て事を理し、出行せんと欲せば、正に此の時に当たりて百事順利にして、逃亡の人もまた能く尋獲せん。
神后加四仲,名明堂。時天乙出遊門垣之外,遊行四野。當此之時,舉造百事皆吉,逃亡者得。微明加四季,名曰絳宮。天乙伏藏於深宮之中,行於私宴。當此之時,不可出行,逃亡者皆得用。凡天乙之理於三宮,四時疊用,要在於天乙大神,背之必敗,當從向克。
神后(子)は四仲に加臨するを、「明堂」と謂う作る。此の時天乙は出游して門牆の外に到り、四野を巡行す。正に此の時に当たりて、各事を興造するは皆吉利にして、逃亡の人もまた能く尋獲せん。徵明(亥)は四季に加臨するを、「絳宮」と謂う作る。此の時天乙は深く内宮の中に蔵りて、ただ私宴の上に於て走動す。正に此の時に当たりて出行すべからず、但し逃亡を追捕するは仍お取用すべし。凡そ天乙は玉堂・明堂・絳宮の此の三宮に於て事を理し、四季輪流交替して使用し、關鍵は全て天乙の此の位の大神に在り――之に背對すれば必定に失敗して、当に面を之に朝して、併せて之に順いて以て對方を克制すべし。
春三月,天乙大神,理於玉堂宮,大吉是也。大吉為生氣,其沖小吉,為百鬼死。夏三月,天乙大神,理於明堂宮,神后是也。神后為王坐,其沖勝光,為負。秋、冬三月,天乙大神,理於絳宮,徵明是也。徵明為常生,其沖太乙,為積刑。凡出入往來,青龍上明堂,出天門,入地戶,四入太華中,卽華葢,若天藏、天獄、天牢,愼不可犯。
春季の三個月、天乙大神は玉堂宮に於て事を理し、即ち「大吉」(丑)に落つ。大吉は主として生気し、之と相冲するの「小吉」(未)は則ち百鬼消亡の地なり。夏季の三個月、天乙大神は明堂宮に於て事を理し、即ち「神后」(子)に落つ。神后は是れ天乙の座を升るの位にして、之と相冲するの「勝光」(午)は主として失敗せん。秋冬の六個月、天乙大神は絳宮に於て事を理し、即ち「徵明」(亥)に落つ。徵明は主として長生し、之と相冲するの「太乙」(巳)は則ち積刑の地なり。凡そ出入往來は、青龍をして明堂に升上せしめ、天門より出でて、地戸に由りて進み、再び太華の中に進入して、即ち「華蓋」の所在なり。天蔵・天獄・天牢の此の几処に至りては、務と謹慎して、触犯すべからず。
凡六甲為青龍,可以建福;六乙為蓬星,可以建德;六丙為明堂,可以出入;六戊為天門,可以往來;六巳為地戶,可以伏藏。天乙至三凶神之宮,六庚為天獄,六辛為天庭,六壬為天牢,天藏之中為六癸,可以隱藏也。凡九天之神在六甲,朱雀之神在六丙,太陰之神在六丁,勾陳之神在六乙,六合之神在六巳,白虎之神在六庚,元武之神在六辛,入地之神在六癸。凡欲逃亡隱匿,必須從天門入地戶,又參之以太沖從魁,小吉。六合太陰加地戶,將出入往來,無能見者。欲去者,出天門而去;欲藏者,入地戶而藏太陰之中。凡欲逃避百鬼,當出天門,入地戶,中吉。
凡そ六甲は是れ青龍にして、以て福業を建立すべく、六乙は是れ蓬星にして、以て徳望を樹立すべく、六丙は是れ明堂にして、以て出入すべく、六戊は是れ天門にして、以て往來すべく、六己は是れ地戸にして、以て身を蔵むべし。天乙は三凶神の宮に行き到るの時――六庚は是れ天獄、六辛は是れ天庭、六壬は是れ天牢、而も天蔵の中は則ち六癸にして、倒れて以て之を借りて自らを隱蔽すべし。凡そ九天の神は六甲に寄り、朱雀の神は六丙に寄り、太陰の神は六丁に寄り、勾陳の神は六乙に寄り、六合の神は六己に寄り、白虎の神は六庚に寄り、玄武の神は六辛に寄り、地に入るの神は六癸に寄る。凡そ逃亡蔵匿せんと欲するは、必ず天門より出で地戸より入るを須とし、再び太冲・從魁・小吉の三神を参合して以て方位を定む。六合・太陰をして地戸に加臨せしめ、兵を帯びて出入往來すれば、則ち人の察覚する能く有らず。離開せんと欲するは、天門より出で、躱蔵せんと欲するは、地戸に進みて身を太陰の中に蔵れ。凡そ要に各種の鬼祟を躱開するは、則ち当に天門より出で地戸に由りて入りて、中等の吉利を得べし。
凡欲行山中宿,令虎狼鬼賊不敢近者,出天門,入地戶,中吉。夫開門遁伏,休門生聚,生門利息,景門上書,杜門閉絶,死門射獵,驚門恐迫,傷門傷害。避惡伏匿,背杜門,向開門,吉。出行移徙,遷官受職,入官視事,背景門,向休門,吉。有所掩襲,欲塞奸邪,背開門,向杜門,吉。三奇吉門,合天輔、天心、天禽出入,大吉。出入開門,宜見大將軍;出休門,宜見長吏;出生門,宜見帝王公卿;出傷門,宜捕獵征伐;出杜門,宜邀遮隱匿、誅伐亡逆;出景門,宜上壽;出死門,宜喪葬弔唁;出驚門,宜掩捕鬬訟。
凡そ要に山中に於て路を趕き露宿して、虎狼鬼怪盗賊をして皆敢えて靠近せざらしめんと欲せば、則ち天門より出で地戸に由りて入りて、以て中等の吉利を得べし。八門は各々主する所有り――開門は主として隱遁潜伏し、休門は主として生養聚集し、生門は主として生息獲利し、景門は主として上書陳情し、杜門は主として閉塞断絶し、死門は主として射猟し、驚門は主として恐嚇逼迫し、傷門は主として傷害す。凶惡を躲避し身を蔵め匿れるは、杜門に背對し開門に面向すれば則ち吉なり。門を出でて遷居し官を升り職を受け任に到りて事を理するは、景門に背對し休門に面向すれば則ち吉なり。襲撃して掩撃し姦邪を堵截するは、開門に背對し杜門に面向すれば則ち吉なり。三奇と吉門とは再び天輔・天心・天禽の三星を配して出入すれば、大吉なり。開門より出でるは、大将軍に進見するに宜しく、休門より出でるは、地方の長官に進見するに宜しく、生門より出でるは、帝王公卿に進見するに宜しく、傷門より出でるは、田猟征伐するに宜しく、杜門より出でるは、攔截埋伏して叛逃を誅討するに宜しく、景門より出でるは、表を上げて寿を祝するに宜しく、死門より出でるは、喪事を弁じ唁を吊るに宜しく、驚門より出でるは、突撃緝捕し官司を打つに宜し。
凡時加六甲,一開一闔,上下交接,謂六甲之時,時下得伏吟時也。時加六乙,一往一來,恍惚俱出,謂六乙之時,時下得乙吉也。時加六丙,道逢清甯,求之大勝,謂六丙之時,時下得丙吉也。時加六丁,出幽入冥,永無禍侵,謂六丁之時,時下得丁吉也。時加六戊,乘龍萬里,當從天上六戊出,挾天武而行,吉也。時加六己,如神所使,不知六己,欲行且止,謂六己之時,時下得己,凶也。
時辰は六甲に加臨するは、一開一合にして上下相接す――これ是れ説く六甲当値の時辰は、時下に正に伏吟の局に碰上するなり。時辰は六乙に加臨するは、一來一往にして恍恍惚惚として皆身を脱す能し――これ是れ説く六乙当値の時辰は、時下に乙を得るは吉と為すなり。時辰は六丙に加臨するは、路上に清平安寧の景象に遇見し、求する所の事は大いに成功を獲たり――これ是れ説く六丙当値の時辰は、時下に丙を得るは吉と為すなり。時辰は六丁に加臨するは、幽暗冥昧の処に出入して、永遠に禍患の侵擾を受けず――これ是れ説く六丁当値の時辰は、時下に丁を得るは吉と為すなり。時辰は六戊に加臨するは、龍に乘りて万里を行くがごとく、当に天盤六戊の所在の方位より出行して、天武の勢を挾して前進して、吉利なり。時辰は六己に加臨するは、処処に鬼神に駆使せらるるに似て、若し六己の忌諱を懂得せざれば、走らんと想うもまた走り成る能わず――これ是れ説く六己当値の時辰は、時下に己を得るは凶と為すなり。
向背擇日
經曰:征伐皆有向背,知之者勝,不知者敗。其太歲、太陰,將軍月建日時,大時小時,亭亭白姦,游都太乙,黃旛豹尾,五帝六符,生神死神,大雄死地,睢日德孤虛,歲月日時,刑殺大小,審而用之,可以知其勝負,易其成敗。其臨〈○疑有脫誤。〉神者,惟死神地睢,虛星可向,白姦亦可向。
経書の上に曰く――兵を出だして征伐するは皆何れの一方に面向し何れの一方に背對するかを講究し、此の道理を懂得するのは則ち勝を取り、懂得せざるのは則ち失敗す。諸かの太歳・太陰、大将軍・月建の日時、大時与細時、亭亭与白奸、游都与太乙、黄幡与豹尾、五帝与六符、生神与死神、大雄与死地、睢日・徳・孤・虚、および年月日時の大小の刑殺等等は、仔細に審察した後に加以て運用すれば、則ち能く勝負を預知し、成敗を扭轉せん。(原書校記――「其臨」の処は疑う脱漏訛误有らん。)此らの神煞の中は、ただ死神・地睢・虚星は是れ以て面向すべきにして、白奸もまた以て面向すべし。
推五星所在法
常以天罡加太歲,視亥上神為歲星,午上神為鎭星,酉上神為太白,子上神為辰星,五星所在之次國,不可伐,大畧如此。為星有遲速跳伏,以七曜算之,方定太歲,月日時下之辰,不可向。〈○「午上神」疑當為「熒惑」,「鎭星上」似有脫文。〉
推法は――天罡(辰)を把りて当年の太歳の上に加え、然る後に亥位の上の得る所の神を看れば則ち歳星(木星)にして、午位の上の得る所の神は則ち鎮星(土星)にして、酉位の上の得る所の神は則ち太白(金星)にして、子位の上の得る所の神は則ち辰星(水星)なり。五星の臨む所のあの分野の国は、以て往きて討伐すべからず――大致是れ此の弁法なり。諸星の運行は快有り慢有りて、また留・伏の変有るに由りて、故に要に日月五星の七曜の実際の行度を用いて往きて推算して、始めて太歳を定准すべく、而も年・月・日・時の各柱の地支の所在の方位は、皆以て面向すべからず。(原書校記――「午上神」は疑う当に「熒惑」と作るべし、「鎮星上」の一句は脱文有るに似たり。)
凡小時月,逢大時月,正月卯,二月子,三月酉,四月午,左行四仲,周而復始。凡游都,正月丙,二月丁,三月⬛,四月庚。
凡そ小時・大時の値する所の月份を推するに――正月は卯に在り、二月は子に在り、三月は酉に在り、四月は午に在りて、子・午・卯・酉の四仲に沿いて順次に左行して、周して始めに復る。凡そ「游都」を推するに――正月は丙に在り、二月は丁に在り、三月の天干は原書一字を闕し、四月は庚に在りて、もまた依次に推排す。
推行八千四角天乙依元女式
新⬛月遊者,一名刑法。己酉月理艮宮六日,乙卯月理震宮五日,庚申月理巽宮六日,丙寅月理離宮五日,辛未月理坤宮六日,丁丑月理兌宮五日,壬午月理乾宮六日,戊子月理坎宮五日。陽歲,以大吉;陰歲,以小吉。〈○依《龍首經‧天乙日遊法》,「月」營作「日」。〉
此の法の謂うところの「月游」(原書此処に闕字有り)は、また「刑法」と謂う作る。己酉の此の一段は艮宮に於て六天を理し、乙卯は震宮に於て五天を理し、庚申は巽宮に於て六天を理し、丙寅は離宮に於て五天を理し、辛未は坤宮に於て六天を理し、丁丑は兌宮に於て五天を理し、壬午は乾宮に於て六天を理し、戊子は坎宮に於て五天を理す。陽年に逢えば則ち「大吉」(丑)を取りて起算し、陰年に逢えば則ち「小吉」(未)を取りて起算す。(原書校記――《龍首經・天乙日游法》に依れば、文中の「月」の字は皆当に「日」と作るべし。)
推恩建黃道法
常以正七月加子二,八月加寅三,九月加辰四,十月加午五月,十一月加申六月,十二月加戌。凡天罡下為建,建為青龍,黃道次神。太乙卽為除,除為明堂,黃道次神。勝光卽為滿,滿為天刑,黑道次神。小吉卽為平,平為朱雀,黑道次神。傳送為定,定為金匱,黃道次神。從魁為執,執為天德,黃道次神。河魁為破,破為白虎,黑道次神。徵明為危,危為玉堂,黃道次神。神后為成,成為天牢,黑道次神。大吉為收,收為元武,黑道次神。公正為開,開為司命,黃道次神。太沖為閉,閉為勾陳,黑道次神。
推法は――正月と七月とは子の上に加え、二月と八月とは寅の上に加え、三月と九月とは辰の上に加え、四月と十月とは午の上に加え、五月と十一月とは申の上に加え、六月と十二月とは戌の上に加う。排定した後、凡そ天罡(辰)の下は則ち「建」にして、建は青龍を配して黄道の神に属し、太乙(巳)の下は則ち「除」にして、除は明堂を配して黄道の神に属し、勝光(午)の下は則ち「満」にして、満は天刑を配して黒道の神に属し、小吉(未)の下は則ち「平」にして、平は朱雀を配して黒道の神に属し、傳送(申)の下は是れ「定」にして、定は金匱を配して黄道の神に属し、從魁(酉)の下は是れ「執」にして、執は天徳を配して黄道の神に属し、河魁(戌)の下は是れ「破」にして、破は白虎を配して黒道の神に属し、徵明(亥)の下は是れ「危」にして、危は玉堂を配して黄道の神に属し、神后(子)の下は是れ「成」にして、成は天牢を配して黒道の神に属し、大吉(丑)の下は是れ「収」にして、収は玄武を配して黒道の神に属し、公正(寅)の下は是れ「開」にして、開は司命を配して黄道の神に属し、太冲(卯)の下は是れ「閉」にして、閉は勾陳を配して黒道の神に属す。
凡避死難從開星,不吉。春三月房為開,夏三月張為開,秋三月婁為開,冬三月壁為開。
凡そ要に死亡危難を躲避するは、則ち得に「開」の星に跟着して走り、之に跟着せざれば則ち吉利ならず。二十八宿の中は、春季の三個月は房宿を以て「開」と為し、夏季の三個月は張宿を以て「開」と為し、秋季の三個月は婁宿を以て「開」と為し、冬季の三個月は壁宿を以て「開」と為す。
推亭亭白姦法
常以月將加時辰,神后下為亭亭所在,次析十二月時,其寅申巳亥,神后白姦所在,神后時,白姦在寅,常行四孟,亭亭常以白姦囚於己亥,格於寅申。〈○此條有脫誤。〉
推法は――当月の月将を把りて占問の時辰の上に加え、天盤を転出した後、神后(子)の壓する所の処は則ち「亭亭」の位置なり。再び依次に十二個月の時辰を分析して、凡そ寅・申・巳・亥の四位は、則ち神后と白奸との所在なり。神后当値の時辰は、白奸は則ち寅位に在りて、白奸は総じて寅・申・巳・亥の四孟の間に於て移行す。亭亭は則ち総じて白奸に随いて、巳・亥に囚われ、寅・申に格る。(原書校記――本条に脱漏訛误有り。)
出師安營
經曰:諸有正宿安營,四直頓兵,深入敵境,恐有掩襲,乃作眞人閉六戊法。逃難隱死,作玉女反閉局法。千凶萬惡,莫之敢干,故人精微;去道不遠,故能洞幽闡神。非眞人逢時,必不能行也。
本篇はまた「真人玉女反閉局」と謂う。経書の上に曰く――凡そ正宿に按じて地を択び営を安んじ四面に兵馬を駐扎し、或は敵境に深入りて軍を駐して、惟れ人の襲撃に遭うを恐るれば、則ち「真人閉六戊」の法を施行し、危難を逃避し身を隱して険を脱せんと要せば、則ち「玉女反閉局」の法を施行す。此の両種の法を用いれば、千般の凶険万种の邪惡は皆敢えて來り犯さず、是れ古人の精微の心得にして、大道を距ること並びに遙遠ならず、故に能く幽隠を洞察し神妙を闡發す。不過真正に此の道を明白するの人に非ざればまた合適の時機に趕上せざれば、否則は一定に行き通る能わず。
閉六戊法
先置營訖,於某旬,上以刀從鬼門行起,左旋畫地一周,次取其中央之土一斗,置六戊上。六戊者,天罡神也。刀卽置取土之處埋之,咒曰:「太山之陽,恆山之陰,盜賊不起,虎狼不傷,城郭不完,閉以金關,千凶萬惡,莫之敢犯。」便於營中宿。若令出入,〈○句有誤。〉驗之法,取犢母在營,子安營外,犢子終不敢入營中,甲子旬戊在辰,餘倣此。
先ず営盤を安置停当して、然る後に当日の属する所の旬に按じて、刀を用いて鬼門(艮方)より手を起し、左に向かって旋転して地の上に一整圏を划き、再び圏子の正中の泥土一斗を取りて、六戊の所在の位置の上に放つ――六戊は則ち天罡神なり。あの把の刀は随即に土を取りたるの地方に埋藏して、同時に呪を念じて曰く「太山之陽、恒山之陰、盗賊不起、虎狼不傷、城郭雖然不夠完固、就用金関把它閉住、千凶万惡、没有誰敢來侵犯」と。念じ完れば便ち安んじて営中に於て住宿すべし。(原書校記――「若令出入」の一句に误り有り。)此の法の靈なるや否やを験証するに一個の弁法有り――母牛を営内に留め置き、小牛を営外に繋ぎて、小牛終始に敢えて営中に走り入らざれば、則ち法已に効を生ぜるを説明す。六戊の位置に至りては、甲子の此の一旬の戊は辰に落ち、其余の各旬は此に照らして類推す。
玉女閉局法
以刀畫地,常以六為數,室中六尺,庭中六步,野外六十步,手持六算,算長一尺二寸。假令甲日從甲上入,乙日從乙上入,戊日從東西南北入,入局竟從今日日辰起。
刀を用いて地の上に界を划くるに、一律に「六」を以て定数と為す――屋裏に於ては六尺見方を划き、庭院の裏に於ては六歩見方を划き、野外に於ては六十歩見方を划く。手の裏に六根の算籌を拿し、毎根の算籌は長さ一尺二寸なり。例を擧げて説くに、甲日は則ち甲位より局中に進入し、乙日は則ち乙位より進入し、戊日は則ち東・西・南・北の四正の方向より進入す。局内に進入した以後は、一切は皆当日の日辰より起算す。
假令子日,卽以第一算置子上,第二算加丑上,第三算加寅上,第四算加卯上,第五算加辰上,第六算加巳上。下六時亦依次去,便呼云:「鼠行失窟,入市〈○此有脫誤。《景祐遁甲符應經》作「鼠行出穴入狗市」。〉便逐。」〈○疑「移」。〉子上算置戌上,度算訖,大呼云:「青龍。」下次移。
例を擧げて説くに、子日に逢えば、則ち第一根の算籌を把りて子位の上に放ち、第二根は丑位の上に加え、第三根は寅位の上に加え、第四根は卯位の上に加え、第五根は辰位の上に加え、第六根は巳位の上に加う。余下の六個の時辰もまた此の次序に照らして下に向かって擺す。擺し好れば則ち高声に念じて曰く「鼠行失窟、入市便逐」と。(原書校記――此の句に脱误有り、《景祐遁甲符應經》は「鼠行出穴入狗市」と作る。「便逐」の「逐」は疑う当に「移」と作るべし。)接きて子位の上の算籌を把りて戌位の上に移放し、移し畢りて、大声に一句を喊して「青龍!」と。然る後に再び下の一根を移す。
丑上算置卯上,云:「牛入兔塗食時草。」〈○《符應經》作「牛入菟園食甘草」。〉度訖,就便呼云:「朱雀。」下次移寅上算置巳上,云:「猛虎跳鳶來到。」〈○《符應經》云:「猛虎昫昫來入巳。」〉度算,〈○此脫「訖」字。〉呼云:「勾陳。」下次移卯上算置丑上,云:「兔入牛欄伏不起。」便大呼云:「白虎。」下次移辰上算置午上,云:「龍入馬廐因留止。」度訖,便呼云:「元武。」下次移巳上算置申上,呼云:「螣蛇宛轉來。」〈○似脫二字。《符應經》云:「螣蛇宛轉來申裡。」〉度訖,便呼云:「六合。」
丑位の上の算籌を把りて卯位の上に移放し、念じて曰く「牛入兔涂食時草」と。(《符應經》は「牛入菟園食甘草」と作る。)移し畢りて、随即に一句を喊して「朱雀!」と。再把りて寅位の上の算籌を巳位の上に移放し、念じて曰く「猛虎跳鳶來到」と。(《符應經》は「猛虎昫昫來入巳」と作る。)移し畢りて(原書此処に一個の「訖」の字を脱す)、一句を喊して「勾陳!」と。再把りて卯位の上の算籌を丑位の上に移放し、念じて曰く「兔入牛欄伏不起」と。随即に大喊して「白虎!」と。再把りて辰位の上の算籌を午位の上に移放し、念じて曰く「龍入馬廐因留止」と。移し畢りて、一句を喊して「玄武!」と。再把りて巳位の上の算籌を申位の上に移放し、念じて曰く「螣蛇宛転來」と。(原書は似に二字を脱す、《符應經》は「螣蛇宛転來申里」と作る。)移し畢りて、一句を喊して「六合!」と。
下兩算夾一算,先成為天門,後成為地戶,避難,出天門,入地戶,乘玉女上去,吉。仍呼玉女所在之庚上,「玉女來護我,〈○「之」疑「雲」。《符應經》作「若庚上,便庚上,玉女來護我」。〉無令百鬼中傷我,敵人不見我」,以為束薪,〈○《符應經》句上有「見我者」三字。「束」原譌「米」,據《符應經》改。〉獨開天門〈○原本獨譌「狗」,據《符應經》改。〉而閉地戶,呪會交乎,〈○句有誤。「會」疑「單」。〉以算閉門,而去勿反顧,以刀畫地,卽地脈不復得見。〈○句不可解,似有譌脫。〉
最後に残るの两根の算籌は一根の算籌を夾む――先ず擺成したるあの一処は「天門」と算し、後に擺成したるあの一処は「地戸」と算す。難を避けんと要するの時は、則ち天門より出でて地戸に由りて進み、玉女の勢に趁りて身を脱して上りて、吉利なり。同時になお玉女の所在の庚位に朝きて呼喊して曰く「玉女來護我、不要讓百鬼傷害我、讓敵人看不見我」と。(原書校記――「所在之庚上」の「之」は疑う当に「云」と作るべし。《符應經》は「若庚上、便庚上、玉女來護我」と作る。)就算に人の我を見る有るも、また我を把りて一捆の柴草と看成さん。(原書校記――《符應經》は此の句の上に「見我者」の三字有り。「束」の字は原に「米」と訛作せり、《符應經》に據りて改正す。)ただ天門を打開き(「獨」の字は原本は「狗」と訛作せり、《符應經》に據りて改正す)而も地戸を關閉し、咒語念じ畢りて(原書校記――此の句に误り有り、「會」は疑う当に「單」と作るべし)、算籌を用いて門を把りて閉じ、随即に離去して、頭を回りて張望する勿れ。再び刀を用いて地の上に一道を划けば、地脈の蹤跡は則ち再也に看て出る能わず。(原書校記――此の句は通解すべからず、似に訛脱有らん。)
《神機制敵太白陰經》巻九 終
元女式
元女式者,一名六壬式,元女所造。主北方萬物之始,因六甲之壬,故曰六壬。六甲之上運斗柄,設十二月之合神,為十二將間置十干,次列二十八宿、三十六禽,以月將加正時,課日辰用為天乙,所理十二神,將以斷吉凶成敗。
謂うところの「元女式」は、また「六壬式」と謂う、相傳は是れ玄女の創らるる所なり。其は北方を主管して、是れ万物初始の地なり。六甲の中の壬を取りて綱と為すを以て、故に之を六壬と謂う。其の構造は――六甲の上に於て斗柄を運転し、十二個月の合神を配置して、以て十二天将と為し、其の間にまた十天干を安排し、再び依次に二十八宿と三十六禽とを排列す。占算するの時は当月の月将を把りて占問の時辰の上に加え、日辰に據りて課を起し、天乙貴人を用いて首と為し、其の統する所の十二神将の何れの処に落つるかを看て、以て吉凶成敗を判断す。
推月將法
〈以十二月合神為月將。〉登明正月將加在亥水神,河魁二月將加在戌土神,從魁三月將加在酉金神,傳送四月將加在申金神,小吉五月將加在未土神,勝光六月將加在午火神,天乙七月將加在巳火神,天罡八月將加在辰土神,太沖九月將加在卯木神,功曹十月將加在寅木神,大吉十一將加在丑土神,神后十將加在子水神。
原注に曰く――十二個月の合神を以て月将と為す。具体は――正月の月将は登明と謂い、亥位に加えて水神に属し、二月の月将は河魁と謂い、戌位に加えて土神に属し、三月の月将は從魁と謂い、酉位に加えて金神に属し、四月の月将は傳送と謂い、申位に加えて金神に属し、五月の月将は小吉と謂い、未位に加えて土神に属し、六月の月将は勝光と謂い、午位に加えて火神に属し、七月の月将は天乙(即ち太乙)と謂い、巳位に加えて火神に属し、八月の月将は天罡と謂い、辰位に加えて土神に属し、九月の月将は太冲と謂い、卯位に加えて木神に属し、十月の月将は功曹と謂い、寅位に加えて木神に属し、十一月の月将は大吉と謂い、丑位に加えて土神に属し、十二月の月将は神后と謂い、子位に加えて水神に属す。
推四維法
乾天門,坤人門,巽地戶,艮鬼路。
四隅の位は各々名目有り――西北の乾位は「天門」にして、西南の坤位は「人門」にして、東南の巽位は「地戸」にして、東北の艮位は「鬼路」(即ち通常の説く所の鬼門)なり。
推三十六禽法
〈○諸禽頗有譌訣,《五行大義》所述諸說紛紛,無從是正,又無別本可考,姑仍原本。〉東方:貍、虎、豹、兔、貉、蛟、龍、魚、蝦。南方:蚓、蛇、狙、鹿、獐、雁、羊、鶩、⬛。西方:猿、犺、猴、烏、雞、犬、豕、豺、狼。北方:熊、豬、羆、燕、鼠、蝠、蟹、牛、鼈。
(原書校記――此らの禽名は頗る訛误多く、《五行大義》の載する所の各家の説法は紛紜として、以て校正するに従無く、また別の本子の参照すべき無ければ、姑く原本に照らして保留す。)三十六禽は四方に按じて分列す――東方の九禽は狸・虎・豹・兔・貉・蛟・龍・魚・蝦にして、南方の九禽は蚓・蛇・狙・鹿・獐・雁・羊・鶩にして、なお一禽有りて原書字を闕き、西方の九禽は猿・犺・猴・烏・鶏・犬・豕・豺・狼にして、北方の九禽は熊・猪・罴・燕・鼠・蝠・蟹・牛・鼈なり。毎一の地支は各々三禽を配して、合して三十六禽を成し、占算するの時は日辰の値する所に随いて取用す。
推四課法
常以月將加正時,視干日、支辰、陰陽,以為四課。干日上神為日之陽支,日上神本位所得之神為日之陰支;支辰上神為辰之陽支,辰上神本位所得之神為辰之陰支:謂之四課。四課之中,察其五行,取相剋者,為用四課。陰陽先以下賊上為用,若無下賊上,以上克下為用;若三上克下一下,賊上還;以下賊上為用,若四上克下四下,賊上與。
課を起すの通法は――当月の月将を把りて占問の時辰の上に加え、天盤を転出して、然る後に日干・日支の两処の陰陽の得る所の神を看て、凑りて四課を成す。日干の上の得る所の神は是れ日の陽課にして、此の神は天盤の本位の上に於てまた得る所の神は、是れ日の陰課にして、日支の上の得る所の神は是れ辰の陽課にして、此の神は本位の上に於てまた得る所の神は、是れ辰の陰課なり――合して「四課」と称す。四課の中に於て、各々の五行を考察して、相克の関係有るのあの一課を取りて以て「用爻」(發用)と為す。取用の次序は――先ず下克上(下賊上)の一課を取り、若し下賊上無ければ、則ち上克下の一課を取り、若し三課の上克下・一課の下賊上出現せば、仍お回りてあの一課の下賊上を取りて以て用と為し、若し四課皆上克下、或は四課皆下賊上なれば、則ち別に後面の規矩に按じて定奪す。
今日比者為用;俱比、俱不比;涉害深者為用,涉害俱深,以先干後支為用。四課陰陽皆不相剋,以遙相剋為用。若有干克神、神克干,先以克干為用;若干克兩神、兩神克干,以比者為用。俱比、俱不比,剛用干比、柔用支比為用。四課陰陽無上下相剋,又無遙相剋,以昴星為用。剛干,視酉上所得神為用;柔干,伏視從魁所臨神為用。剛日,先傳支後傳干;柔日,先傳干後傳支。若天地返吟,伏吟,先以相剋為用,若無相剋伏吟,剛干,以乾上神為用;柔干,以支上神為用。
先ず当日の日干と陰陽相同(相比)のあの一課を取りて以て用と為し、若し几課皆相比、或は皆相比せざれば、則ち渉害深きの一課を取りて以て用と為し、若し渉害同じく深ければ、則ち先ず日干・後に日支の次序に依りて用を定む。四課の陰陽全く皆相克せざるの時は、改めて「遥克」を取りて以て用と為す――若し既に日干の神を克する有り、また神の日干を克する有れば、先ず日干を克するあの一個を取りて以て用と為し、若し日干は两個の神を克し、或は两個の神は日干を克すれば、則ち日干と相比のあの一個を取りて以て用と為し、若し皆相比或は皆相比せざれば、陽日(剛干)は日干と相比する者を取りて以て用と為し、陰日(柔干)は日支と相比する者を取りて以て用と為す。四課既に上下の相克無く、また遥克無ければ、則ち「昴星」の法を用う――陽日は酉位の上の得る所の神を看て以て用と為し、陰日は則ち伏して從魁(酉)の臨む所の神を看て以て用と為す。陽日は先ず日支を傳え後に日干を傳え、陰日は先ず日干を傳え後に日支を傳う。若し天地の返吟或は伏吟の局に碰上せば、仍お先ず相克する者を取りて以て用と為し、若し伏吟の中に取るべきの相克無ければ、陽日は則ち日干の上の神を以て用と為し、陰日は則ち日支の上の神を以て用と為す。
反吟,剛干,以干沖;柔日,以辰沖為用。以刑及沖用為傳,終八,專日,四課不相見。剛干,從乾上陽神順數;柔干,從支上陰神逆數。皆及,三神為用,足以定吉凶。當知所受用三傳,以考終始善惡所致,何先何後?變化何從?將安所極?三傳之要訣在天宮,各以神將言其禍福,將以併合所加日辰,又以五行論其憂喜,欲取諸將,以天乙為首。〈○原本錯亂,參《景祐六壬神定經》改。〉
反吟の局に碰上せば、陽日は日干と相冲する者を取りて以て用と為し、陰日は日支と相冲する者を取りて以て用と為し、再び相刑と相冲との関係を用いて中傳・末傳を推出す。若し「八専」の日に遇えば、四課重疊して彼此見えず、陽日は則ち日干の上の陽神より順に数え、陰日は則ち日支の上の陰神より逆に数え、数え到るのあの一神を取りて以て用と為す。此のごとく三神を凑斉して三傳を作れば、則ち以て吉凶を判定するに足る。占者は当に明白すべし、取る所の三傳は是れ用いて事情の頭より尾に至るの善惡の走向を考察するを以てなり――何れの一歩か先に在り、何れの一歩か後に在るか。変化は何れの処より來るか。最終には何の地步に到るか。三傳の要訣は天盤の各宮に在りて、要に各宮の臨む所の神将を用いて以て禍福を説明し、天将与加わる所の日辰とを合併して來りて看て、再び五行の生克を用いて憂喜を論定すべし。衆天将を取用するは、一律に天乙貴人を以て首と為す。(原書校記――本条の原文は次序錯乱せり、《景祐六壬神定經》を参照して改正す。)
推天乙所理法
天乙者,貴人也。家在丑,甲戊之日,旦理大吉,暮理小吉。乙己之日,旦理神后,暮理傳送。丙丁之日,旦理登明,暮理從魁。庚辛之日,旦理勝光,暮理功曹。壬癸之日,旦理太乙,暮理太沖。天乙在東方、西方,則南方為前,北方為後;在南方、北方,則東方為前,西方為後;常以星沒為旦,星出為暮。
天乙は則ち貴人にして、本家は丑位に安んず。甲日・戊日は、白天は貴人は大吉(丑)に於て事を理し、夜間は小吉(未)に於て事を理す。乙日・己日は、白天は神后(子)に於て事を理し、夜間は傳送(申)に於て事を理す。丙日・丁日は、白天は登明(亥)に於て事を理し、夜間は從魁(酉)に於て事を理す。庚日・辛日は、白天は勝光(午)に於て事を理し、夜間は功曹(寅)に於て事を理す。壬日・癸日は、白天は太乙(巳)に於て事を理し、夜間は太冲(卯)に於て事を理す。天乙若し東方或は西方に落つれば、則ち南方を以て前と為し北方を以て後と為し、南方或は北方に落つれば、則ち東方を以て前と為し西方を以て後と為す。昼夜の分界は、一律に星辰の隠没するを以て「旦」(白天)と為し、星辰の顕現するを以て「暮」(夜間)と為す。
推十二神將法
用起天乙,以將兵,大勝,闢地千里;用起螣蛇,以將兵,兵數驚駭,上下相剋。天乙前一神也。用起朱雀,以將兵,士卒驚恐,妄作口舌。天乙前二神也。用起六合,以將兵,戰勝,得子女玉帛。天乙前三神也。用起勾陳,以將兵,士卒戰亡。天乙前四神也。用起青龍,以將兵,大勝。天乙前五神也。
發用の神は天乙より起るは、兵を帯びて出戦すれば會い大勝を全く獲得し、疆土千里を開拓せん。發用は螣蛇より起るは、兵を帯びて出戦すれば、隊伍は屢屢驚を受け、上下相互に抵觸す。螣蛇は是れ天乙より前に往きて数うる第一位の神なり。發用は朱雀より起るは、兵を帯びて出戦すれば、士卒は驚慌恐懼して、胡乱に口舌是非を生出す。朱雀は是れ天乙より前に往きて数うる第二位の神なり。發用は六合より起るは、兵を帯びて出戦すれば能く勝を取り、また以て人口と財帛とを俘獲すべし。六合は是れ天乙より前に往きて数うる第三位の神なり。發用は勾陳より起るは、兵を帯びて出戦すれば、士卒は會い陣亡せん。勾陳は是れ天乙より前に往きて数うる第四位の神なり。發用は青龍より起るは、兵を帯びて出戦すれば大勝せん。青龍は是れ天乙より前に往きて数うる第五位の神なり。
用起天后,以將兵,不勝自敗。天乙後一神也。用起太陰,以將兵,士卒怯弱。天乙後二神也。用起太常,以將兵,平平。天乙後四神也。用起白虎,以將兵,師亡。天乙後五神也。用起天空,以將兵,士卒死亡,為敵欺詐。天乙後六神也。天乙理十一將,前盡於五,後盡於六。
發用は天后より起るは、兵を帯びて出戦すれば、未だ交鋒せざるに則ち自ら潰敗せん。天后は是れ天乙より後に往きて数うる第一位の神なり。發用は太陰より起るは、兵を帯びて出戦すれば、士卒は怯懦軟弱ならん。太陰は是れ天乙より後に往きて数うる第二位の神なり。發用は太常より起るは、兵を帯びて出戦すれば、勝負平平ならん。太常は是れ天乙より後に往きて数うる第四位の神なり。發用は白虎より起るは、兵を帯びて出戦すれば、全軍覆没せん。白虎は是れ天乙より後に往きて数うる第五位の神なり。發用は天空より起るは、兵を帯びて出戦すれば、士卒は死傷し、なお會い敵人に欺騙詐取せられん。天空は是れ天乙より後に往きて数うる第六位の神なり。天乙は十一位の天将を統領して、前に往きて第五位に排し至るを止めと為し、後に往きて第六位に排し至るを止めと為す。
推伏吟返吟法
凡興師動眾,勿取伏吟之時,必見固守。行者不坐,坐者不起。返吟時,前勝後負,諸神自臨其沖,曰反吟;諸神自臨,曰伏吟。
凡そ要に兵を出だし衆を動かすは、伏吟の時候を択ぶ勿れ、あれは必定に會い對方の壁を堅くし固く守るに遇えばなり――本来動くに在るは動き下る能わず、本来動かざるもまた發動し起る能わず。返吟の時候は、則ち先ず勝ち而も後に敗るなり。謂うところの反吟は、是れ衆神は各々自ら己と相冲するの位置に臨到るを謂い、謂うところの伏吟は、是れ衆神は各々本位の上に伏して動かざるを謂う。
推陰陽相覆法
天罡加太歲,是陽覆陰也。天罡加月建,是陰覆陽也。陰陽相覆之時,兵必有奸,計重陽時,執於火為驚;重陰時,執於水為恐。陽覆陰,君欲害臣;陰覆陽,內姦生,不利舉百事,凶。
天罡(辰)を把りて当年の太歳の上に加うるは、これを「陽覆陰」と謂い、天罡を把りて当月の月建の上に加うるは、これを「陰覆陽」と謂う。凡そ陰陽互覆するの時は、軍の中に必定に姦細有らん。若し重陽の時に逢えば、事情は火に牽連して、主として驚を受け、重陰の時に逢えば、事情は水に牽連して、主として恐懼せん。陽覆陰は、是れ君主は臣下を加害せんと欲し、陰覆陽は、是れ内部は姦慝を生出す。此の種の時は各事を興擧するに利あらずして、主として凶なり。
推神在內外法
斗加孟,神在內,道路壅塞,出軍凶;斗加季,神在外,出師吉;斗加仲,神在門,或戰勝密謀。
斗柄(天罡)は寅・申・巳・亥の四孟に加臨するは、神は内に在りて、道路は壅塞して通ぜず、此の時兵を出だすは凶と為す。斗柄は辰・戌・丑・未の四季に加臨するは、神は外に在りて、此の時兵を出だすは吉利なり。斗柄は子・午・卯・酉の四仲に加臨するは、神は正に門口に当たりて、或は能く勝仗を打ち、或は密謀を策画するに宜し。
推九醜法
乙戊己辛壬之日為子午卯酉之神,〈○疑「辰」。〉合五得四,交合為九醜。主敗軍殺將,醜惡之日,故曰九醜。己卯、辛卯、戊午、戊子、壬子、壬午、乙酉、辛酉、己酉是也。
乙・戊・己・辛・壬の此の五個の天干の日は、子・午・卯・酉の四個の地支を配して(原書校記――「神」の字は疑う当に「辰」と作るべし)、五干は四支を配して交互に組合して、則ち「九醜」を成りたり。此らの日子は主として軍隊潰敗し将領殺せらるるは、是れ醜惡の日にして、故に之を九醜と謂う。具体は――己卯・辛卯・戊午・戊子・壬子・壬午・乙酉・辛酉・己酉の此の九個の日子なり。
推兵讐法
仰見其兵,暮見其辰,俯見其讐,下賊上比時,軍兵僇,將死亡。
頭を擡げて能く對方の兵馬を望見し、夜に入りて能く値する所の時辰を看清し、頭を低えて能く仇を結ぶの對頭を察見す。若し此の時課体はまた下賊上にして占時と相比すれば、則ち軍の中の士卒は則ち殺戮に遭い、主将もまた會い死亡せん。
推行軍本命法
軍出日時,天罡不欲臨將軍本命,及行年大凶,螣蛇、白虎,小凶;天乙、青龍、六合、太常臨,小吉;歲月殺所臨之方,不可往。
兵を出だすの日子と時辰とは、最も天罡(辰)の主将の本命の年支の上に壓するを忌み、また其の当年の行年の上に壓するを忌む、此の両種は皆大凶なり。若し壓上するは螣蛇・白虎なれば、小凶に属し、若し臨むは天乙・青龍・六合・太常の此の几位の吉将なれば、則ち小吉に属す。此の外、歳殺・月殺の臨む所の方位は、以て前往すべからず。
推天門地戶法
以天二門太沖、從魁,覆地四戶,除定危開,從下而出,萬夫莫當。〈○「二」疑當作「三」,「從魁」下疑脫「小吉」二字。〉
天門(太冲・從魁の两神)を把りて地四戸(建除十二神の中の除・定・危・開の四位)の上に覆蓋して、両者の相疊するの方位より兵を出だせば、則ち万夫も敵する莫し。(原書校記――「二門」の「二」は疑う当に「三」と作るべし、「從魁」の下は疑う「小吉」の二字を脱せん、天三門は本は応に太冲・從魁・小吉の三神なり。)
推五帝法
春三月,五帝任東,出軍,先鋒出城,西門立營,牙門向東,常以青旗居前,赤旗次之,次引白旗,次引黑旗,四時倣此,不向旺方也。
春季の三個月、五帝の中の当令するは是れ東方の帝なり。兵を出だすの時、先鋒は城中より開出して、西門の外に営を扎して、牙門は東に朝きて、行軍するの時は常に青旗を以て前と為し、赤旗は其の後に跟し、再び白旗を引き、再び黒旗を引く。其余の三季は此に照らして類推す。総の原則は正に当令の旺方に對著する勿れ。
推國君自將法
置營訖,國君居北斗四星之下,徵明是也。前將軍居太微下,勝光是也。後將軍居華葢下,神后是也。左將軍居天府下,太沖是也。右將軍居文昌下,從魁是也。旗鼓居蓬星下,六乙是也。偃眾居明堂下,六丙是也。軍門居天門下,六戊是也。小將居地戶下,六己是也。斬殺居天獄下,六庚是也。判事居天庭下,六辛是也。囚禁居天牢下,六壬是也。軍器居天藏下,六癸是也。順旬依法,不可妄舉,起甲盡癸,則復旋攺。
国君は自ら兵を領するの時、営盤は安置停当した後、各処の位次は此のごとく安排す――国君は北斗四星の下に居りて、即ち徵明(亥)の位にして、前将軍は太微の下に居りて、即ち勝光(午)の位にして、后将軍は華蓋の下に居りて、即ち神后(子)の位にして、左将軍は天府の下に居りて、即ち太冲(卯)の位にして、右将軍は文昌の下に居りて、即ち從魁(酉)の位にして、旗鼓は蓬星の下に設けて、即ち六乙の位にして、駐扎休整の部衆は明堂の下に安置して、即ち六丙の位にして、営門は天門の下に開きて、即ち六戊の位にして、偏裨の小将は地戸の下に駐して、即ち六己の位にして、刑を行い斬を斬するの処は天獄の下に設けて、即ち六庚の位にして、案件を判決するの処は天庭の下に設けて、即ち六辛の位にして、犯人を囚禁するの処は天牢の下に設けて、即ち六壬の位にして、軍械庫は天蔵の下に設けて、即ち六癸の位なり。要に旬次に順いて依法に安排して、随きに乱定すべからず。甲より癸に排して一輪を走完して、再び重新に輪転変換す。
推神位諸煞例
假令甲子旬,子為青龍,丑為蓬星,寅為明堂,卯為太陽,辰為天門,巳為地戶,午為天獄,未為天庭,申為天牢,酉為天藏,終十辰,至甲戌為青龍,餘倣此。
例を擧げて説くに、甲子の此の一旬に逢うに――子位は是れ青龍、丑位は是れ蓬星、寅位は是れ明堂、卯位は是れ太陽、辰位は是れ天門、巳位は是れ地戸、午位は是れ天獄、未位は是れ天庭、申位は是れ天牢、酉位は是れ天蔵にして、十個の地支は満つるを止めと為す。下の一旬の甲戌に到れば、則ち改めて戌位より青龍を起し、其余の各旬は此に照らして類推す。
推玉帳法
出軍行陣,深入敵國,止宿營壘,休舍憩息,大將軍居太乙玉帳下,吉。攻之不得,以功曹加月建,前五辰是也。
兵を出だし陣を布きて、敵国に深入りて、営を安んじて宿し休み整えて歇息するの時、大将軍をして太乙玉帳の下に住せしめれば、則ち吉利にして、敵人の來り攻むるもまた攻め下る能わず。玉帳の位置は此のごとく求む――功曹(寅)を把りて当月の月建の上に加え、前に往きて第五個の地支の所在を数うるは、則ち玉帳なり。
察情勝敗篇
武侯曰:田螺占兵之法,其來甚遠,龜易卦占雖有正爻,學者不精,吉凶難準。〈○二字據《陽經》補。〉昔越范蠡曾用田螺占之中間試之,頗有靈驗,見兵書。此乃古法也。取田螺時,須自凈身,勿令女人見之,卽有靈驗。
諸葛武侯は曰く――田螺を用いて兵事を占測するの方法は、由來已に久し。亀卜と《易》卦とは雖も正爻の拠るべき有るも、然而も学ぶの人は功夫到家せざれば、断出するの吉凶は則ち准確なり難し。(原書校記――「難准」の二字は《陽陽經》に據りて補す。)従前越国の范蠡は曾て田螺を用いて占卜して、其の間に多次を試験して、頗る靈験なりき、これ兵書の上に記載有りて、古法に属す。田螺を取るの時は、必ず自ら先ず沐浴して身を潔めて、婦人をして看見せしむる勿れ、此のごとくして始めて會い靈験せん。
其法,以甲乙日用溫湯向東灌之,向夜取一大盤,盤中畫一直墨界,一邊為己,一邊為敵。注水一二升於盤內,取二螺,咒曰:「田螺索索,風雨不作;敵若不來,各守城郭。」又咒曰:「田螺舞舞,知風知雨;敵若來迫,入我城土。」咒訖,明旦視之,若己入敵,則己勝;敵入己,則敵勝。
具体的な做法は――甲日或は乙日に於て、温水を用いて東に朝きて田螺を澆灌し、傍晚の時に到りて一只の大盤を取りて、盤の中に墨を用いて一条の直線を画きて界を分け、一辺は自らと算し、一辺は敵方と算す。盤の裏に一二升の水を注入して、二隻の田螺を放進みて、咒を念じて曰く「田螺索索、風雨不作、敵若不來、各守城郭」と。再び一遍咒を念じて曰く「田螺舞舞、知風知雨、敵若來迫、入我城土」と。念じ完れば則ち搁き置きて、第二天の清早に來りて看る――若し自らの此の辺の螺は敵方のあの一辺に爬進めば、則ち自らの勝を得るにして、敵方のあの辺の螺は自らの此の一辺に爬進めば、則ち敵人の勝を得るなり。
右凖前法,置田螺於盤內,明旦視其頭之所向,定其緩急。凡甲乙日,頭向南,三日至;向西,七日至;向北,不來;向東,不戰。丙丁日,頭向南,九日至;向西,七日至;向北,卽至交戰,主勝;向東,不來。戊己日,頭向南、西、北,皆不來;向東,三日至。庚辛日,頭向西,與敵和;向北,無事;向東,敵來自敗;向南,九日至。壬癸日,頭向北,吉;向東,三日至;向南,敵來自敗;向西,不來。
以上は前面の弁法に依照して、田螺を把りて盤の裏に放ち、第二天早上に其の頭の何れの一方に朝くるかを看て、以て敵情の緩急を判断す。凡そ甲日・乙日――螺頭は南に朝くは、敵人は三天の内に到り、西に朝くは、七天の内に到り、北に朝くは、敵人は會い來らず、東に朝くは、來るもまた交戦せず。丙日・丁日――螺頭は南に朝くは、九天の内に到り、西に朝くは、七天の内に到り、北に朝くは、立刻に到りて併せて交戦して、我が方は勝を得し、東に朝くは、敵人は來らず。戊日・己日――螺頭は南に朝き西に朝き北に朝くは、敵人は皆會い來らず、東に朝くは、三天の内に到る。庚日・辛日――螺頭は西に朝くは、會い敵人と和を講じ、北に朝くは、平安無事にして、東に朝くは、敵人は來る會い自ら潰敗し、南に朝くは、九天の内に到る。壬日・癸日――螺頭は北に朝くは、吉利にして、東に朝くは、三天の内に到り、南に朝くは、敵人は來る會い自ら潰敗し、西に朝くは、敵人は來らず。
若春,向東大勝,向南小勝,向西大敗,向北平安。夏,向南大勝,向西小勝,向北大敗,向東小勝。秋,向西大勝,向北小勝,向東大勝,向南大敗。冬,向北大勝,向東自敗,向東大勝,向西自敗。
再び四季に按じて断ず――若し春天に在れば、螺頭は東に朝くは主として大勝し、南に朝くは主として小勝し、西に朝くは主として大敗し、北に朝くは主として平安す。夏天は、南に朝くは主として大勝し、西に朝くは主として小勝し、北に朝くは主として大敗し、東に朝くは主として小勝す。秋天は、西に朝くは主として大勝し、北に朝くは主として小勝し、東に朝くは主として大勝し、南に朝くは主として大敗す。冬天は、北に朝くは主として大勝し、東に朝くは主として自ら潰敗し、東に朝くは主として大勝し、西に朝くは主として自ら潰敗す。(秋・冬の两条の原文は各々重出抵牾の処有りて、姑く原書に照らして保留す。)
推賊虛實法
常以月將加聞賊時,天罡加四孟,言虛加四仲,來在道,天罡加四季,卽至。欲知賊來否,以月將加聞賊時,游都加日辰,賊卽至,臨前一辰一日至,二辰二日至,四辰以上,過去不來,游都旺相剋日辰,凶。
推法は――当月の月将を把りて賊情を聴到したあの時辰の上に加う。若し天罡(辰)は寅・申・巳・亥の四孟に加臨せば、消息は是れ虚なるを説明し、子・午・卯・酉の四仲に加臨せば、敵人は已に路上に在るを説明し、辰・戌・丑・未の四季に加臨せば、馬上に到らんとするを説明す。賊人は究竟に來るや否やを知道せんと欲せば、仍お月将を把りて賊情を聴到したの時辰の上に加え、「游都」を看て日辰の上に加わるは、則ち賊人は立刻に要到るにして、游都は前の一位の地支に臨むは、一天の内に到り、前の二位に臨むは、两天の内に到り、四位以上に隔到るは、あれは則ち已に過去して、會い再び來らず。若し游都は旺気・相気を得てまた日辰を克制せば、主として凶なり。
推天地耳法
欲知賊消息,往天耳聽之,大吉、小吉是也;欲聽人之密謀隱事,往地耳聽之,太沖、從魁是也。
賊人の消息を打探せんと欲せば、則ち「天耳」の所在の方位に到りて往きて聴く、天耳は指すは大吉(丑)与小吉(未)の两位なり。別人の密謀隠私を探聴せんと欲せば、則ち「地耳」の所在の方位に到りて往きて聴く、地耳は指すは太冲(卯)与從魁(酉)の两位なり。
推賊兵數法
以月將加正時,日上辰見天罡、河魁,五百、五千、五萬人見徵明、太乙,四百、四千、四萬人見神后、勝光,六百、六千、六萬人見大吉、小吉,八百、八千、八萬人見功曹、傳送,九百、九千、九萬人見太沖、從魁,十百、十千、十萬人見其神,旺氣十倍,相氣五倍,死氣減半。
推法は――当月の月将を把りて占問の時辰の上に加え、再び日干の上の得る所の神を看る。若し天罡(辰)・河魁(戌)を見れば、敵兵は是れ五百・五千或は五万人にして、徵明(亥)・太乙(巳)を見れば、是れ四百・四千或は四万人にして、神后(子)・勝光(午)を見れば、是れ六百・六千或は六万人にして、大吉(丑)・小吉(未)を見れば、是れ八百・八千或は八万人にして、功曹(寅)・傳送(申)を見れば、是れ九百・九千或は九万人にして、太冲(卯)・從魁(酉)を見れば、是れ十百・十千或は十万人なり。見る所の神は若し旺気を帯ぶれば、人数は十倍を加え、相気を帯ぶれば、五倍を加え、死気に処れば、則ち一半を減去す。
推迷路法
道路三叉,不知何路可通,以月將加時,天罡加孟,左道通;天罡加仲,中道通;天罡加季,右道通。
三岔の路口に走り到りて、何れの条の路が走り通ずるかを知道せざれば、則ち当月の月将を把りて当下の時辰の上に加えて盤を排す――天罡(辰)は四孟に加臨せば、左辺のあの条の路を走れば通じ、天罡は四仲に加臨せば、中間のあの条の路を走れば通じ、天罡は四季に加臨せば、右辺のあの条の路を走れば通ず。
推伏匿法
逃亡隱匿,以月將加正時。望奸,下可藏萬人,神后是也。河龍,下可隱千人,太沖是也。陰精,下可藏百人,從魁是也。
要に逃亡蔵匿するは、則ち当月の月将を把りて占問の時辰の上に加えて盤を排す。「望姦」の下は以て一万人を蔵るべく、望姦は指すは神后(子)にして、「河龍」の下は以て一千人を蔵るべく、河龍は指すは太冲(卯)にして、「陰精」の下は以て一百人を蔵るべく、陰精は指すは從魁(酉)なり。
推三河九江法
三河九江,天道獨通。太沖為三河,從魁為九江。欲行間諜,為不可知事,視江河,除定危開之道,又前三、後三並者可獨通,出入其下,人無知者。
「三河」と「九江」との两処は、是れ天道の独自に暢通するの路径なり。太冲(卯)は則ち三河にして、從魁(酉)は則ち九江なり。要に間諜を派遣し人の知道する能わざるの事を做すは、則ち此の江・河の两位を看て、再び除・定・危・開の此の四戸の道を配合す。別にまた、前の三位と後の三位と相并するの処もまた能く独自に通行す。此らの方位の下より出入すれば、別人は會い察覚せざらん。
推三陣法
甲子旬,陣形象畢幟曰:孔琳臨前,左將青衣,赤頭;右將白衣,赤頭,從酉入,以臨子。甲戎旬,軍形象井幟曰:陵城降前,左將黑衣,赤頭;右將黃衣,赤頭,從未入,以臨戌。甲申旬,兵形象翼幟曰:梁邱叔前,左將黃衣,赤頭;右將朱衣,赤頭,從巳入,以臨申。
甲子の此の一旬は、陣形は畢宿に於て象を取りて、旗号の上に「孔琳」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は青衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は白衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は酉方より進入し、最後に子位に停る。甲戌の此の一旬は(原書は「戌」を「戎」と写作す)、軍形は井宿に於て象を取りて、旗号の上に「陵城降」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は黒衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は黄衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は未方より進入し、最後に戌位に停る。甲申の此の一旬は、兵形は翼宿に於て象を取りて、旗号の上に「梁邱叔」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は黄衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は朱衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は巳方より進入し、最後に申位に停る。
甲午旬,兵形象尾幟曰:費陽多前,左將白衣,赤頭;右將青衣,赤頭,從卯入,以臨午。甲辰旬,兵形象斗幟曰:許咸池前,左將青衣,赤頭;右將黃衣,赤頭,從丑上入,以臨辰。甲寅旬,兵形象虛幟曰:王屈奇前,左將赤衣,赤頭;右將黑衣,赤頭;從亥入,以臨辰。
甲午の此の一旬は、兵形は尾宿に於て象を取りて、旗号の上に「費陽多」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は白衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は青衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は卯方より進入し、最後に午位に停る。甲辰の此の一旬は、兵形は斗宿に於て象を取りて、旗号の上に「許咸池」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は青衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は黄衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は丑位より進入し、最後に辰位に停る。甲寅の此の一旬は、兵形は虛宿に於て象を取りて、旗号の上に「王屈奇」と写し、主将は前に居りて、左翼の将領は赤衣を穿ち赤色の頭巾を戴き、右翼の将領は黒衣を穿ち赤色の頭巾を戴きて、隊伍は亥方より進入し、前例に按じて当に寅位に停るべし(原書は「以臨辰」と作る)。
推陰陽兵法
陽兵者,以陽時出天門,入地戶,過太陰,短行出九地,六癸順;入九地,上升九天、六甲,百戰百勝。陰兵者,以陰時從九天,踐明堂,出天門,入地戶,左行右囘,歴太陰,分兵為奇,逆入太陰中,楊⬛以採戰。〈○疑作「揚兵以出戰」。〉
謂うところの「陽兵」は、是れ陽時に於て行動す――天門より出でて、地戸に由りて進み、太陰を経過して、短路を走りて九地より出でて、六癸に順いて行き、再び九地に進入して、九天・六甲の位に上升して、此のごとく以て百戦百勝すべし。謂うところの「陰兵」は、是れ陰時に於て行動す――九天より歩を起し、明堂を踏過して、天門より出でて、地戸に由りて進み、左に向かって行き右に往かって回りて、太陰の地を經歴して、一支の兵を分出して以て奇兵を作し、方向に逆いて太陰の中に挿入して、然る後に兵を揚げて出戦す。(原書校記――「楊⬛以採戰」は疑う当に「揚兵以出戰」と作るべし。)
推雌雄法
用起戰雄,吉。春寅、夏巳、秋申、冬亥。用起戰雌,凶。春申、夏亥、秋寅、冬巳。今日之辰起,其後二攻其前四,子日後二戌,前四辰是也。復以大吉、徵明、神后、天罡,四神為雄。小吉、天罡、勝光,三神為雌。
發用の神は「戦雄」より起るは、主として吉にして、戦雄の位置は是れ春は寅に在り夏は巳に在り秋は申に在り冬は亥に在るなり。發用の神は「戦雌」より起るは、主として凶にして、戦雌の位置は是れ春は申に在り夏は亥に在り秋は寅に在り冬は巳に在るなり。推算するの時は当日の日支より起算して、其の後面の第二位を用いて去りて其の前面の第四位を攻む――例えば子日は、後面の第二位は是れ戌にして、前面の第四位は是れ辰にして、則ち戌を用いて去りて辰を攻む。此の外なお大吉(丑)・徵明(亥)・神后(子)・天罡(辰)の此の四位の神を以て雄と為し、小吉(未)・天罡・勝光(午)の此の三位の神を以て雌と為す。
戰陣,背雌向雄,百戰百勝。不得令青抵白,黑抵黃,金迎火,陰就陽,子攻母,迷天道,戰必敗,不欲向勝,日辰也。攻其類,眾還受其屈;攻其所,勝,大吉。勿使衰對相死當旺,故曰通三天,勝可全:順斗行,一也;攻其勝,二也;後二攻前四,三也。
陣に臨みて作戦するは、雌位に背對して雄位に面朝すれば、則ち能く百戦百勝す。切に青をして白に抵らしむる勿れ(木は金に碰る)、黒をして黄に抵らしむる勿れ(水は土に碰る)、金をして火に迎えしむる勿れ、陰をして陽に就かしむる勿れ、子をして母を攻めしむる勿れ、此らは皆逆乱して天道にして、一戦すれば必敗せん。もまた正に己を克制する能くの日辰に對著する勿れ。己と同類の一方を攻打するは、人馬多きは反りて吃虧して挫を受け、己の能く克制する所の一方を攻打すれば、則ち大吉なり。衰気に処るの一辺をして相気に對上せしむる勿れ、或は死気の一辺をして旺気に對上せしむる勿れ。故に説くに、三条の天道を通達すれば、勝利は則ち把握有り――斗柄の方向に順いて行動するは、これ是れ第一条にして、己の能く克制する所の一方を攻打するは、これ是れ第二条にして、後面の第二位を用いて前面の第四位を攻むるは、これ是れ第三条なり。
推北斗戰法
左八八月攻左,右二二月攻右,是戰法也。
左辺は配数は八にして、八月に逢えば則ち左辺より進攻し、右辺は配数は二にして、二月に逢えば則ち右辺より進攻す――これ則ち北斗の方位に依りて攻撃の方向を定めるの戦法なり。
推伏兵法
太沖、神后、傳送、太乙,臨日辰,必有伏兵。此神旺與殺併,伏兵發,大凶;不與煞併,伏兵不敢發。又曰:以聞事時斗加季,有伏兵;干傷支,有伏兵在前;支傷干,無伏兵;干支俱傷,為用神,有伏兵,戰凶。
太冲(卯)・神后(子)・傳送(申)・太乙(巳)の此の四神は若し日辰の上に臨まば、前方は必定に伏兵を設く有らん。此らの神は若し正に旺気に当たりてまた凶殺と同并せば、伏兵は則ち發動して、大凶なり。若し凶殺と同并せざれば、伏兵は則ち敢えて發動せず。又一説――斗柄を把りて軍情を聴到したあの時辰の上に加え、若し四季の位に加臨せば、則ち是れ伏兵有らん。日干は日支を傷するは、伏兵は前方に在り、日支は日干を傷するは、則ち伏兵無し、日干日支は皆傷を受けて、而も此はまた正に發用の神なれば、あれは則ち是れ伏兵有りて、交戦すれば主として凶なり。
推突圍法
傷不傷,視陰陽,日辰上賊為傷,又惡得將為重傷,則凶,不傷無咎,又用起陰,傳出陽者,可出必免難。又曰:被圍時,神在內,可守;神在門,相傷;神在外,可出。又曰:或在家,或在野,被圍四匝者,當從青龍下去加旺時,天罡是也。所謂八極俱張刺,如鋒鋩,乘龍而出,兵不敢當。
要に會い傷を受けるや否やを判断するは、得に陰陽課体を看る――日辰の上に克賊の象有れば則ち是れ傷を受け、若し再び凶惡の天将に碰上せば、あれは則ち是れ重傷にして、主として凶なり。傷を受くるの象無ければ、則ち會い災禍有らざらん。此の外、發用は陰神より起りて陽神に傳到るは、以て圍を突出して去りて、必定に危難を免れん。又一説――囲困せらるるの時は、神は内に在れば、ただ拠守する能くのみ、神は門に当たれば、双方は皆傷を受け、神は外に在れば、則ち以て圍を突出して去るべし。又一説――身は城中に在ると野外に在るとを論せず、四面に囲まれて水泄通ぜざるの時は、当に青龍の下より走りて、併せて其の旺気に加臨するの時辰を択びて、即ち天罡(辰)の当値するの時なり。これ則ち謂うところの八方の棱角は一斉に張開して鋒芒畢露して、龍に乘りて出でて、敵兵は敢えて阻擋せざるなり。
推水軍法
兵眾,行船,將涉江海,必有傾覆之患。丙子、癸未、癸丑,法為江河龍,〈○疑當有脫誤。〉此日濟,必溺。又曰:天河臨地井,舟必覆。壬癸,小吉下得路,為天河,〈○疑當云「壬、癸、子為天河」。〉卯、酉、辰為地井。
大隊の人馬は船に乘りて、将に江を渡り海を過ぐらんとすれば、総じて船の翻るの危険を免れず。丙子・癸未・癸丑の此の几個の日子は、法に按じて皆「江河龍」の当値に属し(原書校記――此処は疑う脱漏訛误有らん)、此らの日子に於て水を渡れば、必定に溺れて事を出さん。又説く――「天河」は「地井」の上に臨到るは、船は必定に傾覆せん。壬・癸の日は、小吉(未)の下の得る所の路径は、就算に天河と為し(原書校記――疑う当に「壬・癸・子爲天河」と作るべし)、卯・酉・辰の三位は則ち地井なり。
推迷惑法
月將加正時,若天罡,若小吉,下得路,山林野澤,煙霧昏蒙,忽迷四方,以式投地,出傳送下,自然開悟;出天罡下,百步得道,若三百步,得及路;出小吉下,八十步得道,以天罡加地戶,頭戴式行則不迷,加正時,出小吉下,三百步得天井,太沖下得水;出大吉下,得糧。凡支吉,利涉陸路,在前不知通者,正時加孟,左道通;加仲,中道通;加季,右道通。
当月の月将を把りて占問の時辰の上に加えて盤を排し、天罡(辰)或は小吉(未)の下の得る所の路径を看る。倘若し身は山林荒沢に在りて、煙霧迷蒙として、一時に東南西北を辨清する能わざれば、則ち式盤を把りて地の上に一往に放す――傳送(申)の下より走り出れば、自ら豁然として方向を明白し、天罡(辰)の下より走り出れば、一百歩に則ち能く路を找着し、最多三百歩に必定に大路に接上し、小吉(未)の下より走り出れば、八十歩に則ち能く路を找着せん。天罡を把りて地戸の上に加え、頭の頂に式盤を著けて路を趕けば、則ち會い迷失せざらん。若し月将を把りて正時の上に加えれば、小吉の下より走り出れば、三百歩に能く水井に遇い、太冲(卯)の下より走り出れば、能く水を找着し、大吉(丑)の下より走り出れば、能く糧食を找着せん。凡そ日支は吉を得れば、陸路を走るに利ありて、前面に若し岔道有りて何れの条が通ずるかを知らざれば、則ち正時を把りて四孟に加えれば、左辺の路を走れば通じ、四仲に加えれば、中間の路を走れば通じ、四季に加えれば、右辺の路を走れば通ず。
主客向背篇
經曰:眾兵大同,則先舉者為主,後舉者為客。陳兵原野,則先舉者為客,後舉者為主。
経書の上に曰く――両軍の人数・形勢は大体相当するの時、先ず發動するの一方は「主」と算し、後に發動するの一方は「客」と算す。若し是れ双方已に原野の上に陣勢を擺開せば、則ち反して、先ず發動するは「客」と算し、後に發動するは「主」と算す。
又曰:天五音為客,地五音為主。五音:宮、商、角、徵、羽也。又曰:辰為客,時下為主;辰行為客,位止為主;先動先聲為客,後動後聲為主;高旗為客,卑旗為主;兩人相見,外來為客,內坐為主;兩人相見,立為客,坐為主;兩人等,先舉事為客,後舉事為主。人有氣者勝,無氣者敗。客利四季月日時,欲得制日,干克支,主人利;四孟月日時,欲得伐日,支克干,客利。
又説く――天盤の五音は客に属し、地盤の五音は主に属し、謂うところの五音は、則ち宮・商・角・徵・羽なり。又説く――日辰は客に属し、当下の時辰は主に属し、行進移動するは客に属し、安坐して動かざるは主に属し、先ず行動し先ず聲を發するは客に属し、後に行動し後に聲を發するは主に属し、旗は高く擧ぐるは客に属し、旗は低く壓するは主に属し、両人相見るに、外面より來るは是れ客にして、裏面に坐するは是れ主にして、両人相見るに、立てるは是れ客にして、坐てるは是れ主にして、両人の身分は相当するは、先ず事を挑起するは是れ客にして、後に事に應ずるは是れ主なり。凡そ人は気勢有るは勝を取り、気勢無きは敗北す。客方は辰・戌・丑・未の四季の月日時の中に於て利有りて、此の時最も好く「制日」に趕上するは、即ち日干は日支を克するにして、あの様なれば主方は反りて利有り。寅・申・巳・亥の四孟の月日時の中に於ては、最も好く「伐日」に趕上するは、即ち日支は日干を克するにして、あの様なれば客方は利有り。
推向背法
旌旗五色者,軍之五德也。輝映眾心,宣威兵目。青旗舉一鼓,則行;二鼓,則趍;三鼓,則集受制也。舉黃旗一擊令,則止;二擊令,則列;三擊,則聽受命也。陽時舉赤旗,揚威儀而始之,甲乙丙丁戊也。陰時舉黑旗,伏威儀而終之,己庚辛壬癸也。
旌旗は五種の顔色を分けて、軍の中の五徳を代表して、光彩は衆人の心を映照して、軍威を把りて士卒の眼目に宣示す。青旗を擧げて、一通の鼓を擂れば、隊伍は則ち開拔し、両通の鼓を擂れば、則ち快步に疾行し、三通の鼓を擂れば、則ち集合して節制を聴候す。黄旗を擧げて、一下の号令を敲けば、則ち停止し、两下を敲けば、則ち列隊し、三下を敲けば、則ち静聴して命を受く。陽時に逢えば赤旗を擧げて、以て威儀を張揚し行動を開啓す、陽時は指すは甲・乙・丙・丁・戊の此の几個の天干なり。陰時に逢えば黒旗を擧げて、以て威儀を収斂し行動を結束す、陰時は指すは己・庚・辛・壬・癸の此の几個の天干なり。
旛旗各隨方色而行:甲子、甲申、甲辰三旬,弧矢在前;甲寅、甲午、甲戌三旬,刀盾在前。春以長矛在前,夏以戈戟在前,秋以弓弩在前,冬以刀盾在前。
各色の幡旗は皆所在の方位の正色に按じて以て使用す。兵器の前後の配置は――甲子・甲申・甲辰の此の三旬は、弓箭は前面に排し、甲寅・甲午・甲戌の此の三旬は、刀盾は前面に排す。季節に按じては則ち――春天は長矛は前に在り、夏天は戈戟は前に在り、秋天は弓弩は前に在り、冬天は刀盾は前に在るなり。
推二十八宿騎戰法
以二十八人象二十八宿,為先鋒軍,壓敵。角人,赤旗,青衣,青馬,東方七人。羽人,青旗,黑衣,黑馬,北方七人。宮人,白旗,黃衣,黃馬,中央七人。徵人,黃旗,赤衣,南馬,南方七人。商人,黑旗,白衣,白馬,西方七人。
二十八名の騎士を用いて二十八宿を象徴して、先鋒隊を編成して、以て敵軍を壓制す。「角」音に属するの騎士は、赤旗を打ち、青衣を穿ち、青馬に騎りて、東方を代表して、共に七人なり。「羽」音に属するの騎士は、青旗を打ち、黒衣を穿ち、黒馬に騎りて、北方を代表して、共に七人なり。「宮」音に属するの騎士は、白旗を打ち、黄衣を穿ち、黄馬に騎りて、中央を代表して、共に七人なり。「徵」音に属するの騎士は、黄旗を打ち、赤衣を穿ち、赤馬に騎りて(原文「南馬」は当に「赤馬」と作るべし)、南方を代表して、共に七人なり。「商」音に属するの騎士は、黒旗を打ち、白衣を穿ち、白馬に騎りて、西方を代表して、共に七人なり。
右以二十八人早近敵陣大呼。若聞桴鼓擊柝之音,我以商人為前,將兵象白虎也。陣見火光,以羽人為前,將兵象元武也。陣聞金石兵刃之聲,以徵人為前,將兵象朱雀也。陣聞士人呼號者,以宮人為前,將兵象勾陳也。陣內寂無聲者,以角人為前,將兵象青龍也。是為五行厭勝之法。
以上の此の二十八名の騎士は、要に早く趁りて敵陣に逼近して大声に呼喊し、同時に對方の陣中の動静を聴辨して以て誰が頭陣を打つかを決定す――若し鼓を敲き梆子を打つの声音を聴見せば、則ち「商」音の騎士をして前に在らしめ、兵を帯びて白虎に於て象を取り、若し敵陣に火光有るを望見せば、則ち「羽」音の騎士をして前に在らしめ、兵を帯びて玄武に於て象を取り、若し金石兵刃の相撃するの声音を聴見せば、則ち「徵」音の騎士をして前に在らしめ、兵を帯びて朱雀に於て象を取り、若し人馬の呼号叫喊を聴見せば、則ち「宮」音の騎士をして前に在らしめ、兵を帯びて勾陳に於て象を取り、若し敵陣の内は寂静にして声音無ければ、則ち「角」音の騎士をして前に在らしめ、兵を帯びて青龍に於て象を取る。これ則ち五行の相克を用いて以て敵方を壓制するの弁法なり。
推五行陣法
木直陣,以金方陣應之;金方陣,以火銳陣應之;火銳陣,以水曲陣應之;水曲陣,以土圓陣應之;土圓陣,以木直陣應之。
敵人は木に属するの「直陣」を擺せば、則ち金に属するの「方陣」を用いて去りて對付し、金に属するの方陣を擺せば、則ち火に属するの「鋭陣」を用いて去りて對付し、火に属するの鋭陣を擺せば、則ち水に属するの「曲陣」を用いて去りて對付し、水に属するの曲陣を擺せば、則ち土に属するの「円陣」を用いて去りて對付し、土に属するの円陣を擺せば、則ち木に属するの直陣を用いて去りて對付す。総じて皆是れ五行の相克の義を取るなり。
推當敵人法
背太歲,當萬人;大將軍,當五千人。太陰、月建、天魁三元五符,各當五千人;天乙、游都,五百人;歲德、月德、日德,壬方,旬之內生氣;歲星、豹尾、歲建,並可背,不可向也。
太歳に背對して陣を列ぬるは、一万人の兵力に抵得上し、大将軍の位に背對するは、五千人に抵得上す。太陰・月建・天魁および三元・五符の諸神は、各々五千人に抵得上し、天乙・游都は、五百人に抵得上す。歳徳・月徳・日徳の所在、および壬方・本旬の内の生気の位、なお歳星・豹尾・歳建の此の几処に至りては、皆ただ以て背對すべく、以て面向すべからず。
推神煞門戶篇
凡戰陣之法,須避神煞,兼明天門地戶,克勝制敵,實在於此也。
凡そ陣を布きて作戦するの方法は、皆必ず各種の凶神惡煞を避開して、同時にまた天門・地戸の所在を弄清するを須とす。能く敵に戦勝して制服するや否やは、關鍵は則ちここに在り。
推大將軍法
孟歲,以〈○原衍「螣蛇」二字,今刪。〉勝光;仲歲,以小吉;〈未。〉季歲,以傳送;〈申。〉加歲支,天罡〈辰。〉下是也。
大将軍の所在の方位を推するに――寅・申・巳・亥の四孟の年に逢えば、勝光(午)を取り(原書校記――此処に原に「螣蛇」の二字を多出す、今删す)、子・午・卯・酉の四仲の年に逢えば、小吉(未)を取り、辰・戌・丑・未の四季の年に逢えば、傳送(申)を取る。択定したる此の神を把りて当年の年支の上に加えて盤を転じて、然る後に天罡(辰)の何れの一位に壓するかを看れば、あの一位は則ち大将軍の所在なり。
推豹尾法
天罡加太歲支,功曹、〈寅。〉勝光、〈午。〉河魁,〈戌。〉有臨季者,其下卽是豹尾,其沖是為黃旛。
豹尾を推するの歩驟は――先ず天罡(辰)を把りて当年の太歳の地支の上に加え、天盤を転出して、再び功曹(寅)・勝光(午)・河魁(戌)の此の三神を看て、何れの一個か正に辰・戌・丑・未の四季の位の上に落つるか――其の下面の壓する所のあの地盤の位置は、則ち「豹尾」の所在にして、而も豹尾と相冲するのあの位置は、則ち「黄幡」の所在なり。行軍して陣を布くの時は、此の两処はただ以て背對すべく、以て面向すべからず。
推太陰法
常以功曹〈寅。〉加歲支,神后〈子。〉下是已。
太陰を推するの弁法は――功曹(寅)を把りて当年の年支の上に加えて天盤を転出して、然る後に神后(子)の何れの一個の地盤の位置に壓するかを看れば、あれは則ち太陰の所在なり。
推歲建破法
陽歲,以大吉;陰歲,以小吉;加太歲,支魁下為建,天罡下為破,陰陽殺用。
陽年に逢えば則ち大吉(丑)を取り、陰年に逢えば則ち小吉(未)を取りて、之を把りて当年の太歳の上に加えて天盤を転出す――河魁の壓する所の処は則ち「歳建」にして、天罡(辰)の壓する所の処は則ち「歳破」なり。陰年陽年は各々此の弁法に按じて刑殺の位を取用す。
推歲星法
天罡加歲支,亥上所見本位辰是也。
歳星(木星)の所在を推するの弁法は――天罡(辰)を把りて当年の年支の上に加えて天盤を転出して、再び亥位の上に出現するは何れの一個の神なるかを看て、其の地盤の上の本位は、則ち歳星の所在なり。
推歲支干德法
從魁加歲辰,功曹是已。支德甲戌、戊寅、壬德自處,乙丁、己辛、癸任魁鄕也。〈○此文有誤,當云:「甲、丙、戊、庚、壬德自處,乙、丁、己、辛、癸在所合也。」〉
年支の徳を推するの弁法は――從魁(酉)を把りて当年の年支の上に加えて天盤を転出して、功曹(寅)の壓する所の処は則ち是れなり。天干の徳に至りては――甲・丙・戊・庚・壬の此の五個の陽干は、徳は則ち自らの本位の上に落ち、乙・丁・己・辛・癸の此の五個の陰干は、徳は其の相合する所のあの一位の上に落つ。(原書校記――本条の文字に误り有り、応に当に「甲・丙・戊・庚・壬德自處、乙・丁・己・辛・癸在所合也」と作るべし。)
推歲殺法
天罡加歲支,太乙、〈巳。〉從魁、〈卯。〉大吉,〈丑。〉有臨季者,其下卽是歲殺。申子辰,刼煞在巳,災殺在午,天殺在未,他倣此。
歳殺を推するの歩驟は――先ず天罡(辰)を把りて当年の年支の上に加えて天盤を転出して、再び太乙(巳)・從魁(原注は卯と作る)・大吉(丑)の此の三神を看て、何れの一個か辰・戌・丑・未の四季の位の上に落つるか――其の下面の壓する所の地盤の位置は則ち「歳殺」なり。三合局に按じて説くに、申子辰の年は、劫煞は巳に在り、灾殺は午に在り、天殺は未に在りて、其余の各局は此に照らして類推す。
推孤虛大煞天狗法
登明加歲支,天魁下,為孤;太沖、天罡下,為虛;旬下日,同大煞。春午、夏未、秋酉、冬子,一名天地轉,殺天狗。孟歲巳,仲歲酉,季歲丑。天時、天罡加月建也。〈○此文有脫誤。〉
推法は――登明(亥)を把りて当年の年支の上に加えて天盤を転出して、天魁(戌)の壓する所の処は則ち「孤」にして、太冲(卯)と天罡(辰)との壓する所の処は則ち「虚」にして、本旬の缺する所のあの两個の地支の日は、同じく「大煞」に按じて看待す。大煞の位置は――春は午に在り、夏は未に在り、秋は酉に在り、冬は子に在りて、これもまた「天地転」と謂い、主として殺伐して、即ち天狗の所在なり。別に年份に按じて分つに――寅申巳亥の四孟の年は巳に在り、子午卯酉の四仲の年は酉に在り、辰戌丑未の四季の年は丑に在る。「天時」に至りては、是れ天罡を把りて当月の月建の上に加えて求むるなり。(原書校記――本条の文字に脱漏訛误有り。)
推天道黃道法
天道:寅午戌月,寅戌,南方行;午,西北方行。亥卯未月,亥未,東方行;卯,西南方行;申子辰月,申辰,北方行;子,東南方行。巳酉丑月,巳丑,西方行;酉,東北方行。
天道の指す所の行軍の方向は――寅・午・戌の三個月の中は、寅日・戌日に逢えば南方に往きて行き、午日に逢えば西北方に往きて行き、亥・卯・未の三個月の中は、亥日・未日に逢えば東方に往きて行き、卯日に逢えば西南方に往きて行き、申・子・辰の三個月の中は、申日・辰日に逢えば北方に往きて行き、子日に逢えば東南方に往きて行き、巳・酉・丑の三個月の中は、巳日・丑日に逢えば西方に往きて行き、酉日に逢えば東北方に往きて行く。
推天耳天目法
春氐星,乙下;夏柳星,丁下;秋胃星,辛下;冬女星,癸下。是為天目也。春箕星,寅;夏軫星,巳;秋參星,申;冬壁星,亥。是為天耳也。
春天は氐宿を取りて、乙位の下に落ち、夏天は柳宿を取りて、丁位の下に落ち、秋天は胃宿を取りて、辛位の下に落ち、冬天は女宿を取りて、癸位の下に落つ――此の几処は則ち「天目」にして、是れ以て敵情を窺望するべきの方位なり。春天は箕宿を取りて、寅位に落ち、夏天は軫宿を取りて、巳位に落ち、秋天は参宿を取りて、申位に落ち、冬天は壁宿を取りて、亥位に落つ――此の几処は則ち「天耳」にして、是れ以て消息を窃聴するべきの方位なり。
推遊都虜都月合法
游都為都將,甲己日大吉,乙庚日神后,丙辛日功曹,丁壬日太乙,戊癸日傳送。虜都為天賊,甲己日天罡,乙庚日勝光,丙辛日登明,丁壬日傳送,戊癸日功曹。月合常以月合,神上為月朔之始、順數之盡,末日也。
「游都」は是れ敵方の主将を代表す――甲日・己日は大吉(丑)を取り、乙日・庚日は神后(子)を取り、丙日・辛日は功曹(寅)を取り、丁日・壬日は太乙(巳)を取り、戊日・癸日は傳送(申)を取る。「虜都」は是れ天賊を代表す――甲日・己日は天罡(辰)を取り、乙日・庚日は勝光(午)を取り、丙日・辛日は登明(亥)を取り、丁日・壬日は傳送(申)を取り、戊日・癸日は功曹(寅)を取る。「月合」に至りては、総じて当月の合神を取りて、合神の所在の処より此の月の初一の起点と算して、順に下に数えて尽頭に到るは、則ち此の月の最後の一天なり。
推三元法
上元甲子日,起五宮;中元甲子日,起二宮;下元甲子日,起八宮。各以順日求之,周而復始,時同日法,夏至後行,反此。
上元の甲子日は、五宮より起算し、中元の甲子日は、二宮より起算し、下元の甲子日は、八宮より起算す。此の後は各々日子に按じて順に下に推して、周して始めに復る。時辰を推するの弁法は日子を推するのと相同なり。夏至以後に運行するの規則は、此と正好に相反して、要に逆に数うるを須とす。
推亭亭白姦法
常以月將加正時,神后下為亭亭。寅午戌上見孟春,五本位上是白姦。〈○「春五」二字有誤。〉
推法は――当月の月将を把りて占問の時辰の上に加えて天盤を転出して、神后(子)の壓する所の処は則ち「亭亭」の所在なり。再び寅・午・戌の三位を看て、凡そ四孟の神を見到るのは、其の本位の上の對應する所の処は則ち「白奸」の所在なり。(原書校記――「孟春」の「春」の字と「五」の字とは皆訛误有り。)
推生死神法
常以功曹加月建,神后下為生神,勝光下為死神。
推法は――功曹(寅)を把りて当月の月建の上に加えて天盤を転出して、神后(子)の壓する所のあの位置は則ち「生神」にして、勝光(午)の壓する所のあの位置は則ち「死神」なり。
推六害法
辰卯相害,寅巳相害,丑午相害,子未相害,申亥相害,酉戌相害。
十二地支の両両相害するは共に六組有りて――辰と卯と相害し、寅と巳と相害し、丑と午と相害し、子と未と相害し、申と亥と相害し、酉と戌と相害す。凡そ日辰の間に此らの組合に碰上するは、皆要に妨害を留意すべし。
推天門地戶法
子丑日,天門在丙,地戶在丁。寅卯日,天門在庚,地戶在丁。辰巳日,天門在庚,地戶在壬。午未日,天門在壬,地戶在辛。申酉戌亥日,天門在甲,地戶在癸。
日支に按じて天門・地戸の方位を定む――子日・丑日は、天門は丙方に在り、地戸は丁方に在り、寅日・卯日は、天門は庚方に在り、地戸は丁方に在り、辰日・巳日は、天門は庚方に在り、地戸は壬方に在り、午日・未日は、天門は壬方に在り、地戸は辛方に在り、申・酉・戌・亥の四日は、天門は甲方に在り、地戸は癸方に在る。出入して行軍するの時は、皆要に天門より出で地戸に由りて入るを須とす。
龜卜篇
河出圖,洛出書。聖人則之,則靈龜負圖,自河而出也。是龜龍麟鳳四靈,龜居其一。託夢於元王,何其賢也!不避豫且之網,何其愚也!生旣不能全身避害,死亦安能灼骨而知吉凶?古人所以設此法者,謂「兵為凶器,戰為危事」,聖人得之以興,凡夫得之以廢,不可輕舉矣。愚人不自謂其愚,皆自謂其智,故立卜法,假於陰陽,亦惑愚人之心,非為智也。
黄河は図を出だし、洛水は書を出だして、聖人は之に取法す。謂うところの河図は、則ち靈亀は図を背負して黄河の裏より浮出せるなり。亀・龍・麟・鳳は号して四靈と称して、亀は其の中の一を占む。あの只の神亀は能く宋元王に夢を托するや、何等なるか聡明なる。卻って漁人の豫且の網羅を躱開する能わずや、又何等なるか愚笨なる。生きて尚且つ自らを保全して禍害を躱開する能わざるに、死した後に又ぞ怎様に能く骨甲を燒灼して以て吉凶を預知せんや。古人の之を此の套の卜法を設下する所以は、是れ「兵は是れ凶器にして、戦は是れ危事なり」――同じく一件の事にして、聖人は手の裏に拿到すれば則ち能く国を興し、庸人は手の裏に拿到すれば則ち事を敗せんと要すれば、故に軽率に發動すべからず。愚人は従來自ら愚なるを覚えず、個個は自ら以て聡明と為す。此に因りて始めて卜法を立下して、陰陽の説を借りて去りて愚人の心思を迷惑す、此は併びに真正の智慧に非ず。
太公曰:「蓍,朽草也;龜,枯骨也。安知聖人之智慮哉!」是知神亦不能自智,聖亦不能自智。贊聖人之事者,其猶砥礪乎!凡龜有五色,隨其旺相而用之,一龜之內有六廚左右翼,君王用上尺有二寸,大夫用中,庶人用下;後左足為春,前左足為夏,前右足為秋,後右足為冬,四季用中廚。
太公は曰く「蓍は不過枯朽の草にして、亀は不過干枯の骨頭なり、彼らは豈に聖人の智謀考慮を懂得せんや」と。此に由りて知るべし、神物の本身是れ自ら智慧を生ずる能わず。聖人もまた是れ卜筮に靠りて始めて智慧有るに非ず。卜筮は聖人の事業に對しては、ただ磨刀石の刀に於けるがごとくのみ。凡そ亀甲に青・赤・黄・白・黒の五色有りて、要に当令旺相の顔色に按じて択用す。一只の亀甲の内は分かちて六「厨」を作し、なお左右の两翼有り――君王は上部を用いて、長さ一尺二寸、大夫は中部を用い、平民は下部を用う。四足は四季を配して、後の左足は春に属し、前の左足は夏に属し、前の右足は秋に属し、後の右足は冬に属し、辰・戌・丑・未の四季の月は則ち中厨を用う。
經曰:何知我神,骨白如銀;何知我聖,千里路正。又曰:其骨須白,其色須鮮,其皮如蠟,其界如法。
経書の上に曰く――怎様に我が此の只の亀の神靈有るを知るや。其の骨色の白きこと銀に似たるを看てなり。怎様に我が此の只の亀の能く聖に通ずるを知るや。其の千里の遥もまた正路を指し得るを看てなり。又説く――占卜に用うるの亀は、骨は要に白く、色は要に鮮亮にして、甲皮は要に蠟の一様に瑩潤にして、甲面の上の界紋は要に法度に合乎すべし。
龜有五兆,以定吉凶。一兆之中為五段,可以彰往察來:內高為金,外高為火,五曲為木,正直為土,頭垂為水。水無正形,因金為名。常以晴霧為水。一兆之中,從頭分為五鄕,頭為甲乙,次為丙丁,次為戊己,次為庚辛,次為壬癸。常以頭微高為上兆,正橫為中兆。春夏以內為頭,秋冬以外為頭。
亀甲の上に五種の兆紋有りて、以て吉凶を判定す。一条の兆紋は分かちて五段を作して、此に據りて以て過去を昭明し将来を察知すべし。兆紋の内側の隆起するは金に属し、外側の隆起するは火に属し、多処の弯曲するは木に属し、端正にして笔直なるは土に属し、兆頭の下垂するは水に属す。水は本来固定の形状無くして、是れ金に依附して名を得たるにして、通常は晴日の裏の霧気の象を把りて水と看做す。一条の兆紋の内は、兆頭より起りて分かちて五個の「郷」を為す――兆頭は是れ甲乙、第二段は是れ丙丁、第三段は是れ戊己、第四段は是れ庚辛、第五段は是れ壬癸なり。通常は兆頭の略微に高起するは「上兆」と算し、端正にして横平なるは「中兆」と算す。春夏の两季は内側を以て兆頭と為し、秋冬の两季は外側を以て兆頭と為す。
假令木兆,甲乙鄕為本宮,丙丁鄕為子孫,戊己鄕為妻財,庚辛鄕為官鬼,壬癸鄕為父母,但以此鄕斷吉凶,及支入兆。假令木兆,金支是官鬼,木支是兄弟,土支是妻財,火支是子孫,水支是父母,看支入鄕,以斷吉凶成敗。
例を擧げて説くに、木に属するの兆紋に遇上せば――甲乙郷は是れ本宮、丙丁郷は是れ子孫、戊己郷は是れ妻財、庚辛郷は是れ官鬼、壬癸郷は是れ父母にして、則ち兆紋の何れの一郷に落つるかに按じて來りて吉凶を断じ、再び日支の兆中に落進むは如何に配属するかを看る。仍お木兆を以て例と為せば――金に属するの日支は是れ官鬼、木に属するの日支は是れ兄弟、土に属するの日支は是れ妻財、火に属するの日支は是れ子孫、水に属するの日支は是れ父母なり。日支の何れの一郷に進入するかを看て、以て吉凶成敗を判断す。
我徃攻彼,則彼為主。兆欲頭伏足落,及格橫,身內摧折、暗霧、昏驚、震動、猖狂、文不食墨、火天穿者,破軍殺將。彼來攻我,兆欲頭仰足舉。彼支援助,身內有力、食墨鮮明、肥濃安穩,兆吉言吉,兆凶言凶。萬端吉凶,一看兆身,往往有驗,無假日辰。
我が方は前に往きて對方を攻打するは、對方は則ち「主」と算す。此の時は兆紋の頭伏して足落ち横格して阻斷し、兆身の内は摧折して断裂し昏暗として霧のごとく驚慌震動し狂乱して定まらず、紋路は墨を含まず、なお火の頂を燒透するの様子有るを希望す――此らは皆主として對方は軍を破り将を殺さん。若し是れ對方の來りて我が方を攻打するは、則ち兆紋の頭仰ぎ足擧がるを希望す。對方のあの一支は反りて援助を得て兆身力有りて墨を含みて鮮明にして肥厚温潤にして安穏なれば、則ち我に利あらず。総じて兆象吉なれば則ち吉と断じ、兆象凶なれば則ち凶と断ず。千頭万緒の吉凶は、ただ兆身の一処を看れば、往往に則ち靈験甚だしく、日辰を借助して去りて凑るを須とせず。
夫有動不如無動,有支不如無支。有支則被支吉、格支凶,故兆連新,起動由人;新兆連故,起動無路。捉頭足,所作不成;頭足銜芒,所求無累。君子動頭,天下同憂;小人動足,天下馳逐。兆身過度,日向衰微;兆不出臼,勢將微滅。
大体説くに、兆紋は動有るは動無きに如かず、日支の牽渉有るは牽渉無きに如かず。一旦支に牽渉せば、支の生ずる所と為れば則ち吉にして、支の阻格する所と為れば則ち凶なり。故に旧兆は新兆に連上するは、發動するや否やはなお人に在りて、新兆は旧兆に連上するは、發動せんと想うもまた出路無し。兆紋の頭と足とは互相に牵扯して住せば、弁ずる所の事は則ち成らず、頭足は鋒芒を帯びて外に張れば、求する所の事は則ち拖累無し。君子の位の兆頭は一動すれば、天下は皆要に之に跟いて憂慮し、小人の位の兆足は一動すれば、天下は則ち要に奔走追逐せん。兆身は伸展するも頭を過ぐれば、運数は一天天として衰微し、兆紋は臼窩を出る能わざれば、気勢は則ち要に消亡せん。
凡占賊:被支有外救,格支有外敵。若吾擊敵,兆旺相、洪潤、軒昻、有力、重偃仰吉;枯槁、伏落、霧悴、驚摧、分伏、足落、兆細而暗,凶。凡卜:以支及動鄕,賊數日月,遠近裡數,生數三,成數八,旺相依數,休廢減半。
凡そ賊情を占測するに――兆は日支の生ずる所と為るは、對方に外來の救援有るを説明し、兆は日支の阻格する所と為るは、外面になお敵人有るを説明す。若し是れ我が方の去りて敵人を攻打するは、兆紋は旺相にして洪大にして潤沢にして軒昂として力有りて層層に仰起するは、則ち吉にして、枯槁にして干瘪にして伏落して神無く霧気憔悴にして驚惶にして摧折し分散して潜伏し兆足下に落ち、或は兆紋細弱にして昏暗なるは、則ち凶なり。凡そ賊衆の数目・來到の日月・路程の遠近の里数を卜問するは、皆要に日支と發動するのあの一郷とを看る――生数は三を取り、成数は八を取り、若し旺気・相気を得れば、則ち此の数に按じて計算し、若し休気・廃気に処れば、則ち一半を減去す。
凡卜兆:為我為客,支旺克兆,客勝;支囚為兆所克,客敗。支洪潤,賊強;支枯槁,賊弱。
凡そ兆象を卜看するに――兆は是れ我が方を代表し、日支は是れ客方を代表す。日支は旺に当たりて兆紋を克制せば、客方は勝を得し、日支は囚死の気に処して反りて兆紋の克する所と為れば、客方は失敗す。日支の象は洪大にして潤沢なるは、賊勢強きを説明し、日支の象は枯槁にして瘦弱なるは、賊勢弱きを説明す。
「ㄟ」,飛鳥出林兆。出軍行師,吉;安營入師,凶。 「ㄏ」,飛鳥入林兆。安營築城,吉;行師,凶。 「工」,驚獐兆。有賊奄至,防閑城堡,吉。 「爪」,走鹿兆。有賊至,主奔走之事。 「一」,土兆大橫。安城堡社,吉。 「八」,棲鳳兆。自守,吉。 「�」,需兆。安城壘,吉。 「川」,天兆。城壘襲人,吉。
以下は是れ八種の兆形と其の断法なり。「ㄟ」の形を呈するは、「飛鳥出林」の兆と謂い、兵を出だし行軍するは吉利にして、営を安んじて駐守するは則ち凶なり。「ㄏ」の形を呈するは、「飛鳥入林」の兆と謂い、営を安んじて城を築くは吉利にして、行軍するは則ち凶なり。「工」の形を呈するは、「驚獐」の兆と謂い、會い賊寇の突然來到する有りて、加緊して城堡を防守すれば則ち吉利なり。「爪」の形を呈するは、「走鹿」の兆と謂い、會い賊寇の到來有りて、主として奔走逃避の事なり。「一」の形を呈するは、「土兆大横」と謂い、城堡と社稷とを安置するは吉利なり。「八」の形を呈するは、「栖鳳」の兆と謂い、拠守して自ら保つのは吉利なり。原書の形を闕くのあの一条は、「需」の兆と謂い、城壘を安置するは吉利なり。「川」の形を呈するは、「天」の兆と謂い、城壘に凭りて敵人を襲撃するは吉利なり。
山岡營壘篇
山有岡巒,地有形勢。斷其形,則氣勢滅。故秦築長城,鑿其山岡之氣,而咸陽邱墟;隋䟽汴河,斷乎土地之脈,而江都荊棘。成周卜遷伊洛,得瀍澗之利,而王年八百;吳、晉奄宅建業,得江山之勢,而延期數葉。
山に岡巒の起伏有りて、地に形勢の走向有り。一旦山形を斬断せば、気勢もまた之に随いて消散す。故に秦朝は長城を修築して、山岡の地気を鑿断して、結果咸陽は廃墟に淪落し、隋朝は汴河を開通して、土地の脈絡を切断して、結果江都は荊棘を長満たしき。反して、周朝は卜居して伊水・洛水の一帯に遷都して、瀍水と澗水との形勝の利を占めて、是に於て国祚は綿延して八百年にして、孫呉と東晋とは建業を據有して都と為して、江山の勢を得て、もまた此に因りて好几代を延續せり。
夫建都邑、築城壘,必擇形勢。雖成敗在人,不在於城地,然地形山勢,足以為人之助也。故曰:趙之地坦然平,吳楚之地東南傾,秦韓之地龍虎形,幽魏之地無邱陵。夫趙無陂險、山岡、溝澗,故曰坦然平。吳楚之有江海、波潮,故曰東南傾。秦韓被山帶河、岡巒重複,故曰龍虎形。秦得龍虎之形,而東吞趙魏,南併荊楚。
凡そ都城を営建し城壘を修築するは、必ず好き形勢を択擇するを須とす。雖も成敗は人に取决して、城池土地に取决せずと説くも、但是地形山勢は以て人に助力を与うるに足る。故に此の様の説法有り――趙国の地勢は坦蕩平曠にして、呉楚の地勢は東南に向かって傾斜し、秦韓の地勢は龍虎の形を呈して、幽州と魏地との一帯は丘陵無し。趙国は陂陀険阻・山岡溝澗無ければ、故に其を坦蕩平曠と説き、呉楚は江海の波濤潮汐有れば、故に其を東南に向かって傾斜と説き、秦韓は高山に背負い大河に環繞して、岡巒重重疊疊たれば、故に其を是れ龍虎の形と説く。秦国は正に是れ龍虎の形を占めて、始めて能く東に向かって趙・魏を吞併し、南に向かって荊楚を兼併せり。
夫建都邑、列營壘,非地勢不王,非山岡不固。營壘之法:欲北據連山,南憑高岡,左右襟帶,地水東流,乾上伏下,過子艮、寅卯,重岡入巽。
都城を営建し営壘を布列するは、好き地勢無ければ則ち王業を成す能わず、山岡の依托無ければ則ち守りて固牢ならず。営を安んじ壘を立つの法則は――北面は要に連綿の山脈に背靠して、南面は要に高聳の土岡に凭借して、左右は衣襟帯子の一様に環抱して護衛して、地上の水流は東に向かい、地脈は西北の乾方より起伏して下りて、正北の子位・東北の艮位および寅・卯の地を経過して、重重の山岡は一路に東南の巽方に伸入す。
又曰:戌連申酉,坤未高;前有迎山,抱且朝;或驚或躍,或蟠龍;藏車隱馬,若飛鴻;支條散脈,如蛇走;氣車森聳,似雞籠;四維皆起,四仲平;㢲水迤邐,出自庚;天門倚伏,歴壬癸;直出地戶,東南傾;南有汙池,為朱雀;北有堆阜,為元武;東有叢林,為青龍;西有大道,為白虎。
又説く――西北の戌位は申・酉を連ねて、西南の坤位と未位とは地勢高聳して、前方に迎面而來の山有りて、環抱して而且に朝拱し、山形は或は受驚のごとく、或は騰躍のごとく、或は盤曲の龍のごとくして、車を蔵るを得て馬を掩るを得て、遠く望むは飛行の鴻雁に似て、支脈は条条に散開して、長蛇の游走に似て、気脈は森然として聳立して、鶏籠の一般に層疊して、四隅の位は皆隆起して、四正の位は則ち平坦にして、東南の巽方の水は蜿蜒曲折して、西方の庚位より流出し、西北の天門の一帯の地勢は起伏隱伏して、壬・癸の两位を経過して、直に東南の地戸に通じて、整体は東南に向かって傾斜す。南面に低洼の水池有りて、朱雀を作し、北面に堆起の土阜有りて、玄武を作し、東面に叢林有りて、青龍を作し、西面に大道有りて、白虎を作す。
四獸旣具,八卦乃列,乃立表測影,以定子午之位。興土工,先本戊上;起版築,從中步至門。夫草木不生,不可居;鳥獸不集,不可居;燋石沙礫,不可居;河水逆流,不可居。朱雀無頭,元武折足,白虎銜尸,青龍悲哭,強居之者,兵敗將死。
四獣の形勢は皆斉備すれば、八卦の方位は始めて排定し好く、是に於て標杆を立起して日影を測量して、以て正南正北の子午の方位を確定す。土を動かし施工するは、要に先ず戊土の位より手を起し、版築を開始して牆垣を築くは、要に中央より営門に到るまで丈量す。几種の地方は住む能わざるの有り――草木の生ぜざるの地方は、住むべからず、鳥獣の來りて聚集せざるの地方は、住むべからず、遍地の焦石沙礫の地方は、住むべからず、河水の倒流するの地方は、住むべからず。此の外、南面の朱雀の位に山頭無く、北面の玄武の位に山脚断折し、西面の白虎の位は屍を銜むに似て、東面の青龍の位は形は悲泣のごとき――凡そ硬に此の種の地方に駐扎せんとするは、必定に兵敗れ将亡せん。
山形岡隴
山若蟠龍,玉案數重,宛轉邪曲,首尾相從;山若鳳皇,翅翼開張,群隊千萬,帶隴扶岡,前有印綬,後有囘翔;山若飛龍,首尾遠同,或驚或躍,乍橫乍縱,臺傾池潤,舞鶴翔鴻;山若臥狗,頭拳尾就,腹內乳見,項連山首;山若麒麟,乍立乍蹲,群從千萬,朝者數人;山若長蛇,或曲或邪,後岡前谷,隱馬藏車:凡此,皆營壘之形勢也。
山形は盤踞の龍に似て、前面は玉案に似たる平台重重疊疊にして、山勢宛転斜曲して、首尾相互に跟随し、山形は鳳凰に似て、双翅は張開して、随行の小山は成千上万にして、一路に土隴を帯び山岡を扶けて、前方に印綬のごとき方正の小丘有りて、後方に回旋飛翔の勢有り、山形は飛龍に似て、首尾遙々として相應して、忽ち驚起し忽ち騰躍し、一會兒は横列し一會兒は縦伸して、台地は傾斜して池水は潤沢にして、舞鶴翔鴻のごとく、山形は臥せる狗に似て、頭は蜷曲し尾は収攏して、腹部は乳状の小丘を現出して、頸項は山頭を連ね、山形は麒麟に似て、忽ち立ち忽ち蹲して、随従の群山は成千上万にして、正面に朝拱するは卻って寥寥の数座のみ、山形は長蛇に似て、或は弯く或は斜にして、後面は是れ岡にして前面は是れ谷にして、馬を蔵め下るを得て車を掩い住むを得たり。以上の此らは、皆是れ営を安んじ壘を立つの時に辨认する要きの形勢なり。
