Libo

一、十干十二支を論ず

清 · 沈孝瞻 · 第1巻 / 4

作盤ガイド: 八字作盤

五、十干の合して合せざるを論ず

八字命理典籍

初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。

天地之間,一氣而己。惟有動靜,遂分陰陽。有老少,遂分四象。老者極動靜之時,是為太陽太陰;少者初動初靜之際,是為少陰少陽。有是四象,而五行具於其中矣。水者,太陰也;火者,太陽也;木者,少陽也;金者,少陰也;土者,陰陽老少、木火金水沖氣所結也。

天地の間は、本原はただ一団の氣のみ――底本は「一氣而己」、「己」は「已」の訛。この団氣には動があり靜があり、動靜が一たび分かれれば、すなわち陰と陽があります。動靜にもまた老と少の程度の差別があり、ここにおいて陰陽よりさらに「四象」を分かちます。動くこと極り、靜くこと極るを老と謂い、即ち太陽と太陰。動き始めたばかり、靜まり始めたばかりを少と謂い、即ち少陽と少陰。この四象があれば、五行もまたその中に包含されます。水は太陰で、靜の極に屬す。火は太陽で、動の極に屬す。木は少陽で、動の開端。金は少陰で、靜の開端。土は則ち四象中の何れの一象にも專屬せず、それは陰陽の老少・木火金水の四者が相互に沖和し交會して凝結して出でた中氣です。沈孝瞻は開篇に干支の吉凶を談ぜず、まず一ず一氣が陰陽を分かち、陰陽が四象を分かち、四象が五行を含むより講じ起こすのは、一つの根本の立場を立定せんとするにあり。命理の根基は氣化の流行に在り、後のすべての十干十二支・生剋刑衝の道理は、みなここより推して出るもので、空より規定した符號の遊戱ではありません。

有是五行,何以又有十干十二支乎?蓋有陰陽,因生五行,而五行之中,各有陰陽。即以木論,甲乙者,木之陰陽也。甲者,乙之氣;乙者,甲之質。在天為生氣,而流行於萬物者,甲也;在地為萬物,而承茲生氣者,乙也。又細分之,生氣之散佈者,甲之甲,而生氣之凝成者,甲之乙;萬木之所以有枝葉者,乙之甲,而萬木之枝枝葉葉者,乙之乙也。方其為甲,而乙之氣已備;及其為乙,而甲之質乃堅。有是甲乙,而木之陰陽具矣。

すでに五行があれば、なぜさらに十天干・十二地支を立てるのでしょうか。これはまず陰陽があってはじめて五行を化生し、五行の中の每一行がまた各自にさらに陰陽を分かつからです。木をもって言えば、甲と乙は即ち木の陽の面と陰の面です。甲は乙の「氣」、乙は甲の「質」。天上にあって生發の氣と為し、萬物の間に流行するは甲。地上にあって萬物の形體を凝成し、この生氣を承受するは乙。さらに細かく分かてば、生氣が外に向かって散布する狀態は甲の中の甲、生氣が凝聚して形を成す狀態は甲の中の乙。草木が枝葉を長ずる能くするは、この力量は乙の中の甲、實際に長成した一枝一葉は、則ち乙の中の乙。それがなお甲であるだけのとき、乙の成形の機はすでに内に蕴含され、それが乙と成るを待っては、甲の生氣もすでに固結して堅實の形質と為しています。甲乙のこの一對があれば、木の陰陽の両面は齊備します。この一段の用意は、天干が空より設立した記號ではなく、同一行の氣が「流行」と「凝成」の二種の狀態上に於ける分身であることを説明するにあります。

何以復有寅卯者,又與甲乙分陰陽天地而言之者也。以甲乙而分陰陽,則甲為陽,乙為陰,木之行於天而為陰陽者也。以寅卯而陰陽,則寅為陽,卯為陰,木之存乎地而為陰陽者也。以甲乙寅卯而統分陰陽,則甲乙為陽,寅卯為陰,木之在天成象而在地成形者也。甲乙行乎天,而寅卯受之;寅卯存乎也,而甲乙施焉。是故甲乙如官長,寅卯如該管地方。甲祿於寅,乙祿於卯,如府官之在郡,縣官之在邑,而各司一月之令也。

すでに甲乙が木に陰陽を分けた以上、なぜさらに寅卯があるのでしょうか。これは甲乙と寅卯の間に、さらに天と地に按じて一層の陰陽を分かつを要するからです。單に甲乙の两者を相比すれば、甲は陽・乙は陰で、これは木が天時に運行して顯す陰陽です。單に寅卯の两者を相比すれば、寅は陽・卯は陰で、これは木が地に存在して顯す陰陽です。もし甲乙寅卯を合わせて通盤に劃分すれば、則ち甲乙は整體として陽に屬し寅卯は整體として陰に屬します。甲乙は木が天上にあって象を成し、寅卯は木が地上にあって形を成すがゆえです。甲乙の氣は天に運行し、寅卯は地上にあってそれを承受します。寅卯は地に靜守し、甲乙の生氣は則ちその上に施加します――底本は「寅卯存乎也」、「也」は「地」の訛で、「寅卯存乎地」に作るべき。だから甲乙は朝廷の派し下した官長に譬え、寅卯はこの官長の管轄する地方に譬えます。甲の「祿」は寅にあり、乙の祿は卯にあり、知府が本郡に坐鎮し知縣が本邑に坐鎮するがごとく、各々その主として一月の時令を管します。ここに天干と地支の分工を點出します。干は氣の流行、支は氣の著落で、二者は官長と轄地の關係で、斷じて同一の事を二度言うのではありません。

甲乙在天,故動而不居。建寅之月,豈必當甲?建卯之月,豈必當乙?寅卯在地,故止而不遷。甲雖遞易,月必建寅;乙雖遞易,月必建卯。以氣而論,甲旺於乙;以質而論,乙堅於甲。而俗書謬論,以甲為大林,盛而宜斬,乙為微苗,脆而莫傷,可為不知陰陽之理者矣。以木類推,餘者可知,惟土為木火金水沖氣,故寄旺於四時,而陰陽氣質之理,亦同此論。欲學命者,必須先知干支之說,然後可以入門。

甲乙は天に屬し、流動して居らざるもので、所以に正月が寅を建つるとき必ずしも恰好甲に輪當せず、二月が卯を建つるとき必ずしも恰好乙に輪當しません――年々干支の相配は同じからず、天干は輪轉するものです。寅卯は地に屬し、固定して遷らざるもので、所以にどの年であれ天干が如何に更替しようとも、正月は必ず寅を建ち、二月は必ず卯を建ちます。氣を以て論ずれば、甲の生氣は乙より旺盛です。質を以て論ずれば、乙の形體は甲より堅實です。しかし俗本の命書は胡乱に比附して、甲は參天の大林で長じて旺なれば即ち砍伐すべし、乙は纖細の幼苗で脆弱にして傷損すべからずと言う――この說法はただ字面に象を取るを顧み、全く陰陽・氣質の分別を懂りません。木の一行を以て類推すれば、殘りの火土金水もまたみなこの道理です。ただ土のみ木火金水の四者の沖和の氣で、所以に一季を專主せず、四季の末に旺を寄せますが、その陰陽と氣質の分別は、依然として上に講じたと同じです。命理を學ばんとする者は、必ずまず干支のこの套の道理を弄明白して、然る後にはじめて入門を談じえます。

二、陰陽生克を論ず

四時之運,相生而成,故木生火,火生土,土生金,金生水,水復生木,即相生之序,循環迭運,而時行不匱。然而有生又必有克,生而不克,則四時亦不成矣。克者,所以節而止之,使之收斂,以為發洩之機,故曰“天地節而四時成”。即以木論,木盛於夏,殺於秋,殺者,使發洩於外者藏收內,是殺正所以為生,大易以收劍為性情之實,以兌為萬物所說,至哉言乎!譬如人之養生,固以飲食為生,然使時時飲食,而不使稍飢以待將來,人壽其能久乎?是以四時之運,生與克同用,克與生同功。

四季の運行は相生に頼って完成します。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水はまた頭を回して來て木を生ずる、これがすなわち相生の次序で、循環往復して輪轉を絕たず、所以に時令は流轉して永に匱乏しません。しかし生あれば必ず克ありを要し、生のみして克なければ、四季は反って成りません。克の作用は節制・遏止で、外に散じた氣を收斂して回し、次の一輪の發泄のために本錢を儲備します。だから《周易・節卦・彖傳》に「天地節して四時成る」と言います。木を例とすれば、木は夏に最も繁盛し、秋に至って金に殺伐されます。この殺はすでに外に向かって發散した生氣を收藏して内裏に回すで、だから殺こそ恰も正に次の生のためです。《周易》は收斂を以て性情の實と看て、また秋に屬し金に屬する兌卦を以て萬物の喜ぶ所と為す、これは真に根子に說き至った言です――底本は「大易以收劍為性情之實」、「劍」は「斂」の訛で、「大易以收斂為性情之實」に作るべき。譬えを打てば、人は飲食に頼って命を活かしますが、もし一刻も停まずに食べて、曾て腹を些か餓えさせ、次の進食の余地を留めさせなければ、人はなお長壽しえましょうか。だから四季の運行の中で、生と克は併用されるのであって、克の功勞は生と同じく大です。

然以五行而統論之,則水木相生,金木相剋。以五行之陰陽而分配之,則生克之中,又有異同。此所以水同生木,而印有偏正;金同克木,而局有官煞也。印綬之中,偏正相似,生克之殊,可置勿論;而相剋之內,一官一煞,淑慝判然,其理不可不細詳也。即以甲乙庚辛言之。甲者,陽木也,木之生氣也;乙者,陰木也,木之形質也。庚者,陽金也,秋天肅殺之氣也;辛者,陰金也,人間五金之質也。木之生氣,寄於木而行於天,故逢秋天為官,而乙則反是,庚官而辛殺也。

ただし、もしただ五行に照らして籠統に言えば、それは水が木を生じ金が木を剋すの二句です。しかし一たび五行の各自の陰陽をさらに分けて配對すれば、生と克の中にまた同異の別があります。これが正に同じく水の木を生ずるも、我を生ずる者に「正印」と「偏印」を分かつ所以です(陰陽相異なるを正、相同なるを偏と為す)。同じく金の木を剋するも、局を成すに「正官」と「七煞」を分かつ所以です。印綬のこの類の中では、偏印・正印は性質が相近く、あの點の陰陽の差別は姑く論ずるを置けます。しかし相克のこの類の中では、一は正官、一は七煞で、一善一惡の界限は分明で、その中の道理は細かく分辨せざるべからず。甲乙庚辛の四字を用いて説明します。甲は陽木で、木の生發の氣を代表します。乙は陰木で、木の形體質地を代表します。庚は陽金で、秋の肅殺の殺伐の氣です。辛は陰金で、人間の金銀銅鐵の類の金屬實體です。木の生氣は木に寄托して天に運行し、秋の肅殺の氣に遇えば便ちその節制を受けます(底本のこの句は「逢秋天為官」に作る、十神の通例に按じて甲が庚に逢うは同じく陽で、七煞に作るべし、ここは訛字あらんと疑う、今照錄して改めず)。乙の情形は正に相反し、乙に對しては庚は正官で辛は七煞です。

又以丙丁庚辛言之。丙者,陽火也,融和之氣也;丁者,陰火也,薪傳之火也。秋天肅殺之氣,逢陽和而克去,而人間之金,不畏陽和,此庚以丙為殺,而辛以丙為官也。人間金鐵之質,逢薪傳之火而立化,而肅殺之氣,不畏薪傳之火。此所以辛以丁為殺,而庚以丁為官也。即此以推,而餘者以相剋可知矣。

さらに丙丁庚辛の四字を用いて説明します。丙は陽火で、溫暖融和・彌漫無形の陽和の氣です。丁は陰火で、柴薪を傳え物に附着する燈燭の爐火です。秋のあの肅殺の氣即ち庚は、一たび彌漫の陽和の氣に遇えば化解せられ剋し去られます。しかし人間の金屬實體即ち辛は、却ってこの溫和の暖氣を怕れません。だから庚に對しては丙は七煞で、同じく陽、剋すること凶猛です。辛に對しては丙は正官で、陰陽相異なり、剋の中に情あり。反対に、人間の金鐵の形質は柴薪の爐火に遇えば立刻に鎔化するのに、無形の肅殺の氣は却ってこの有形の薪火を怕れません。だから辛に對しては丁は七煞、庚に對しては丁は正官。この思路に照らして推して下れば、殘りの各行の相克の時の官煞の分別も、またみな一を挙げて三を返して明らかにしえます。この一節の要害は、官と煞の區別は陰陽配對の形式の規定だけでなく、背後に「氣は氣を剋し質は質を剋すれば則ち酷烈、氣質相異なれば則ち有情」という實理の支撐があることに在ります。

三、陰陽生死を論ず

五行干支之說,已詳論於干支篇。干動而不息,支靜而有常。以每干流行於十二支之月,而生旺墓絕繫焉。陽主聚,以進為進,故主順;陰主散,以退為退,故主逆。此生沐浴等項,所以有陽順陰逆之殊也。四時之運,功成者去,等用者進,故每流行於十二支之月,而生旺墓絕,又有一定。陽之所生,即陰之所死,彼此互換,自然之運也。

五行と干支の基本の道理は、前の《論十干十二支》の一篇ですでに甚だ詳しく講じました。要點は、天干は動に屬して運行停まらず、地支は靜に屬して位置恒常なり。毎一の天干を十二支の代表する十二箇月の中に放って一遍走らせれば、長生・帝旺・墓・絕というこの套の「十二長生」の位次が便ちその上に係ります。陽干は聚合を主り、前に向かって推進するを進と為し、所以に十二支上に順行します。陰干は發散を主り、後に向かって回縮するを進と為し、所以に十二支上に逆行します。長生・沐浴というこの一系列の名目に「陽順陰逆」の分別ある所以は、原因は即ちここにあります――底本は「此生沐浴等項」、「此」の下に一「長」の字を脱し、「此長生沐浴等項」に作るべき。四季の運行は功を成す者は退き、待用する者は上前に出るで、所以に毎一の天干が十二箇月中を走り過ぎて、生旺墓絕は各々一定の位置あり――底本は「等用者進」、「等」は「待」の訛で、「待用者進」に作るべき。陽干の長生の處は正に陰干の死絕の處で、彼此互相に交換し、これは自然にして然る氣運で、併して人為の安排ではありません。

即以甲乙論,甲為木之陽,木之枝枝葉葉,受天生氣,己收藏飽足,可以為來克發洩之機,此其所以生於亥也。木當午月,正枝葉繁盛之候,而甲何以死?卻不是外雖繁盛,而內之生氣發洩已盡,此其所以死於午也。乙木反是,午月枝葉繁盛,即為之生,亥月枝葉剝落,即為之死。以質而論,自與氣殊也。以甲乙為例,餘可知矣。

甲乙をもって言えば。甲は木の陽の面で、生氣を代表します。亥月に至れば、草木の枝枝葉葉はすでに天より降る生氣を收藏して飽滿充足し、ちょうど來年の春に重ねて發泄する本錢と為す、所以に甲の長生は亥に定まります――底本は「己收藏飽足」、「己」は「已」の訛。又「可以為來克發泄之機」、「克」は「春」の訛で、「來春發泄之機」に作るべき。しかし木が午月に至るは、正に枝繁葉茂の時で、甲はなぜ反って死と算しますか。須知、外表は繁盛なれども、内裏の生氣はすでに發泄殆盡――正にこのがゆえに、甲の死がはじめて午に定まるのです。乙木の情形は恰好相反します。午月は枝葉が最も盛んで、形質を代表する乙に對しては生です。亥月は枝葉が凋落して、乙に對しては死です。形質に按じて論ずるは、もともと氣に按じて論ずると同じからざるを見えます。甲乙を例子と拿れば、殘りの各干の陽順陰逆の道理もまた推知しえます。

支有十二月,故每干長生至胎養,亦分十二位。氣之由盛而衰,衰而復盛,逐節細分,遂成十二。而長生沐浴等名,則假借形容之詞也。長生者,猶人之初生也。沐浴者,猶人既生之後,而沐浴以去垢;如果核既為苗,則前之青殼,洗而去之矣。冠帶者,形氣漸長,猶人之年長而冠帶也。臨官者,由長而壯,猶人之可以出仕也。帝旺者,壯盛之極,猶人之可以輔帝而大有為也。衰者,盛極而衰,物之初變也。病者,衰之甚也。死者,氣之盡而無餘也。墓者,造化收藏,猶人之埋於土者也。絕者,前之氣已絕,後之氣將續也。胎者,後之氣續而結聚成胎也。養者,如人養母腹也。自是而後,長生循環無端矣。

地支は合計十二位あり、十二箇月に對應し、所以に毎一の天干が長生より一路に胎・養に排するまで、また恰好十二箇の位次に分かれます。氣は盛より轉じて衰へ、衰より再び轉じて盛へ、この過程を逐節細分すれば、すなわち十二段を成します。長生・沐浴というこれらの名稱に至っては、みな人の一生の經歷を借りて打つ比方で、形容の詞で、字面に拘泥すべからず。長生は、人が剛く生まれたに譬えます。沐浴は、人が生まれ下りて後に污垢を洗去に譬えます。果核がすでに發して幼苗と成れば、先にそれを包裹した青殻が便ち洗刷し去られんとするがごとし。冠帶は、形體氣力が漸漸長成するで、人が成年して冠禮を行い衣帶を束ねるに譬えます。臨官は、長成よりして壯實に至るで、人が出でて官を為し事を任じえに譬えます。帝旺は、壯盛が極點に至るで、人が帝王を輔佐して大いに作為ありえに譬えます。衰は、盛が極まりて轉じて衰へ、事物が變化を起こし始めます。病は、衰がいよいよ厉害なり。死は、氣が耗盡して一も余す所なし。墓は、造化がそれを收藏するで、人が死して後に土中に埋め入るに譬えます。絕は、前一輪の氣がすでに斷絕して、後一輪の氣が未だ接し上げざるなり。胎は、後一輪の氣が接續し上げて、凝結して胎を成すなり。養は、胎兒が母腹の中に養を受くるに譬えます。養より再び下に行けば、便ちまた長生に回り、このように循環して息まず、起點なく終點もなし。

人之日主,不必生逢祿旺,即月令休囚,而年日時中,得長祿旺,便不為弱,就使逢庫,亦為有根。時產謂投庫而必沖者,俗書之謬也。但陽長生有力,而陰長生不甚有力,然亦不弱。若是逢庫,則陽為有根,而陰為無用。蓋陽大陰小,陽得兼陰,陰不能兼陽,自然之理也。

一人の「日主」、即ち日柱の天干で命主本人を代表するものは、必ずしも臨官・帝旺の月に生まれてはじめて強と算するに非ず。たとい月令が日主に對して休囚失氣でも、ただ年柱・日支・時柱の中に長生または祿旺に碰上する能くあれば、弱と算しません。たといただ墓庫に碰上するのみでも、また「通根」として依託ありと算します――底本は「得長祿旺」、「長」の下に一「生」の字を脱し、「得長生祿旺」に作るべき。俗書は日主が庫に入れば必ず衝開に頼ってはじめて用いえと說く、それは荒謬の談です――底本は「時產謂投庫而必衝者」、「時產」の二字は「俗」の訛で、「俗謂投庫而必衝者」に作るべき。ただしその中に輕重を分かつを要します。陽干の長生は力量が足り、陰干の長生は力量は就き差すれども、しかしまた弱と算しえません。墓庫に遇うに至っては、陽干は根ありと算し、陰干は則ち用場に派しえません。これは陽大にして陰小、陽は陰を兼容しえ、陰は却って陽を兼容しえざる、乃ち自然の理だからです。

四、十干配合の性情を論ず

合化之義,以十干陰陽相配而成。河圖之數,以一二三四五配六七八十,先天之道也。故始於太陰之水,而終於沖氣之土,以氣而語其生之序也。蓋未有五行之先,必先有陰陽老少,而後沖氣,故生以土。終之既有五行,則萬物又生於土,而水火木金,亦寄質焉,故以土先之。是以甲己相合之始,則化為土;土則生金,故乙庚化金次之;金生水,故丙辛化水又次之;水生木,故丁壬化木又次之;木生火,故戊癸化火又次之,而五行遍焉。先之以土,相生之序,自然如此。此十干合化之義也。

天干「合化」の道理は、十干が陰陽に按じて相配して成るに由ります。《河圖》の數は、一二三四五を以て六七八九十に配し、一六は宗を共にし、二七は道を同じくし、三八は朋を為し、四九は友を為し、五十は途を同じくする、これは先天生成の數です――底本は「配六七八十」、「八」の下に一「九」の字を脱し、「配六七八九十」に作るべき。もし氣に按じて五行相生の次序を講ぜば、則ち太陰の水より始まり、沖和の氣の土に終わります。五行未だ分かれざる前に、まず陰陽老少があり、然る後に沖和の氣あるがゆえに、土は生序の最後に排す。しかし五行すでに齊備するを待っては、萬物は却ってみな土の中より生じ出て、水火木金もまたみな土に形質を寄托するを要し、所以に萬物の化生を論ずるときまた土を最前に排するを要します。正にこのがゆえに、天干の合化は甲と己の相合より始まり、化し出るは土。土は金を生じえ、所以に乙と庚が合して金を化するは第二に排す。金は水を生じ、所以に丙と辛が合して水を化するは第三に排す。水は木を生じ、所以に丁と壬が合して木を化するは第四に排す。木は火を生じ、所以に戊と癸が合して火を化するは第五に排す――一輪下れば、五行は便ち走り遍します。合化が土を以て頭打ちと為すは、正に相生の序に順って自然に排し下ったものです。以上が即ち十干合化の義理の所在です。

其性情何也?蓋既有配合,必有向背。如甲用辛官,透丙作合,而官非其官;甲用癸印,透戊作合,而印非其印;甲用己財,己與別位之甲作合,而財非其財。如年己月甲,年上之財,被月合去,而日主之甲乙無分;年甲月己,月上之財,被年合去,而日主之甲乙不與是也。甲用丙食與辛作合,而非其食,此四喜神因合而無用者也。

然らば合化は性情上に何の講究がありますか。すでに两干の相配あれば、必ず親向と背離の分別を生じます。例を挙げて言えば。甲日主はもともと辛を用いて正官と為さんとするに、偏偏と命に丙を透して、丙と辛が相合し、辛の心思は丙に牽かれ去り、この正官は便ち更に我の為に用いられません。甲は癸を用いて正印と為さんとするに、却って戊を透して、戊癸が相合し、この印もまた我の印ではありません。甲は己を用いて正財と為さんとするに、己はすでに別の位置上の甲と合し住め、この財もまた我の財ではありません。たとえば年干が己・月干が甲なら、年上のあの財はすでに月干に合し去られ、日主たる甲乙は分かつを得ず。反対に年干が甲・月干が己なら、月上のあの財は年干に合し去られ、日主は同じく沾るに及ばず。また甲が丙を用いて食神と為すに、丙は却って辛と相合し、この食神もまた便ち其の食神たるを成さず。以上は正官・正印・正財・食神のこの四つの喜神が合されるに因って作用を失う情形です。

又如甲逢庚為煞,與乙作合,而煞不攻身;甲逢乙為劫財,甲逢丁為傷,與壬作合,而丁不為傷官;甲逢壬為梟,與丁作合,而壬不奪食。此四忌神因合化吉者也。蓋有所合則有所忌,逢吉不為吉,逢凶不為凶。即以六親言之,如男以財為妻,而被別干合去,財妻豈能親其夫乎?女以官為夫,而被他干合去,官夫豈能愛其妻乎?此謂配合之性情,因向背而殊也。

反対に見れば凶神もまた同じです。甲が庚に遇えば七煞で、もし乙が來て庚と相合せば、庚は牽し住められ、七煞は來て身を攻めません――甲が乙に遇うはもともと劫財ですが、ここにちょうど用場に派します。甲が丁に遇えば傷官で、もし丁が壬と相合せば、丁は便ち更にその傷官の性を逞しくしません。甲が壬に遇えば梟神で、本來食を奪うべきに、もし壬が丁と相合せば、壬もまた便ち食神を奪いえません。これは七煞・劫財・傷官・梟神のこの四つの忌神が合されるに因って凶を轉じて吉と為す情形です。總じて、相合が發生したさえあれば、牽制する所があります。吉神に碰上しても必ずしも真に吉せず、凶神に碰上してもまた必ずしも真に凶せず。六親に就いて言うもまたこの道理です。男命は正財を以て妻と為し、財がもし別の天干に合し去られれば、この財妻はなお自らの丈夫に親近しえましょうか。女命は正官を以て夫と為し、官がもし別の天干に合し去られれば、この官夫はなお自らの妻を疼愛しえましょうか。これが即ち所謂配合の性情で、親向あるいは背離に因って大いに相異なります。

五、十干の合して合せざるを論ず

十干化合之義,前篇既明之矣,然而亦有合而不合者,何也?蓋隔於有所間也,譬如人彼此相好,而有人從中間之,則交必不能成。譬如甲與己合,而甲己中間,以庚間隔之,則甲豈能越克我之庚而合己?此制於勢然也,合而不敢合也,有若無也。又有隔位太遠,如甲在年干,己在時上,心雖相契,地則相遠,如人天南地北,不能相合一般。然於有所制而不敢合者,亦稍有差,合而不能合也,半合也,其為禍福得十之二三而已。

十干合化の義理は、上の一篇ですでに講じ明らかにしました。しかしまた一種、見るに合なれど實際合せざる情形があるのは、これはなぜでしょうか。原因は两干の間が別の字に隔斷されるに在ります。两人がもともと相好するに、中間に偏に第三者が插し入りて横に阻攔を加えるに譬え、この交情は便ち成りません。たとえば甲と己はもともと相合すべきに、甲己の間に一つの庚を夾み、庚は甲を剋する七煞で、甲は自身さえ提防せねばならず、どこで敢えて我を剋する庚を越えて去って己と相合しえましょうか。これは形勢に制せられたるで、合せんと欲して敢えて合せざるに屬し、合なきに等しいです。また一種は位置が隔たること太過遠く、たとえば甲が年干にあり己が時干にあり、中間に两位を隔て、心は相契すれども地は却って相遠し、两人の一は天南・一は地北に在るがごとく、根本に合い攏りません。ただしこの情形は前の制せられて敢えて合せざるとまた略しく差別あり。それは合せんと欲して合せ得ざるで、ただ半合と算するのみで、吉凶の應驗は大略十分の二三の力量のみです。

又有合而無傷於合者,何也?如甲生寅卯,月時兩透辛官,以年丙合月辛,是為合一留一,官星反輕。甲逢月刃,庚辛並透,丙與辛合,是為合官留煞,而煞刃依然成格,皆無傷於合也。又有合而不以合論者,何也?本身之合也。

また一種の情形、相合が發生しても併してこれに因って事を壞さないがあるのは、これはなぜでしょうか。たとえば甲日主が寅月または卯月に生まれ、月干と時干がともに辛を透して正官と為し、官星の重疊はもともと毛病ですが、このとき年干に丙があって來て月干の辛を合し住め、一つを合掉して一つを留めれば、官星の分量は反って恰倒好處です。またたとえば甲日主が卯月に生まれ羊刃に坐し、庚のこの七煞と辛のこの正官が同時に透し出て官煞混雜と成るとき、ここに丙が來て辛と相合して、正官を合し去り七煞を留めれば、「煞刃相濟」の格局は照樣に成立します。この二例の中の合は、害ないのみならず、反って功あり。またもう一種、合すと雖も合に按じて論ぜざる情形があります。それは即ち日主自身が人と相合するです。

蓋五陽逢財,五陰遇官,俱是作合,惟是本身十干合之,不為合去。假如乙用庚官,日干之乙,與庚作合,是我之官,是我合之。何為合去?若庚在年上,乙在月上,則月上之乙,先去合庚,而日干反不能合,是為合去也。又如女以官為夫,丁日逢壬,是我之夫,是我合之,正如夫妻相親,其情愈密。惟壬在月上,而年丁合之,日干之丁,反不能合,是以己之夫星,被姊妹合去,夫星透而不透矣。

五つの陽干が己と相合するあの字に遇えば、あの字は恰好その正財です。五つの陰干が己と相合するあの字に遇えば、あの字は恰好その正官です。これらはみな相合を構成します。ただし日主本人が去ってそれと相合するである限り、「合去」と算しません。たとえば乙日主が庚を用いて正官と為し、日干の乙が庚と相合すれば、これはもともと我の官でありまた我が自ら去ってそれを合するで、牢く手中に握るに等しく、どうして合去と算しえましょうか。しかしもし庚が年干にあり別の一つの乙が月干にあれば、則ち月干の乙が先に一步して庚を合し住め、日干は反って合するを得ず、これぞ合去と呼ぶ。またたとえば女命が正官を以て丈夫と為し、丁日主が壬に遇えば、壬は我の丈夫でありまた我に由って自ら去って合するは、正に夫妻の相親んで情分がいよいよ親密なるがごとし。しかし壬が月干にありて年干に別に一つの丁があって去ってそれを合せば、日干の丁は便ち合し上がらず。自らの夫星が姉妹に合し去られて、夫星は透すと雖も、透せざるに等しいです。

然又有爭合妒合之說,何也?如兩辛合丙,兩丁合壬之類,一夫不娶二妻,一女不配二夫,所以有爭合妒合之說。然到底終有合意,但情不專耳。若以兩合一而隔位,則全無爭妒。如庚午、乙酉、甲子、乙亥,兩乙合庚,甲日隔之,此高太尉命,仍作合煞留官,無減福也。化氣有真有假。上兩造為化氣之真者,亦有化氣有餘,而日帶根苗劫印者;有日主無根,而化神不足者;更有合化雖真,而閒神來傷化氣者,皆為假化。

また別に「爭合」「妒合」の說法がありますが、それは何の意ですか。たとえば二つの辛が同時に去って一つの丙を合し、二つの丁が同時に去って一つの壬を合するの類です。一つの丈夫は二つの妻を娶る能くなく、一つの女子は二つの夫に配する能くなし、所以に爭合・妒合と呼びます。ただし到頭にやはり相合の意はあり、ただ感情が專一でないだけです。倘若この二つの來て一つを合する字が彼此に位置を隔てれば、則ち爭妒を談ずるに及ばず。例として庚午・乙酉・甲子・乙亥のこの八字は、月干と時干の二つの乙がみな去って年干の庚を合せんとし、中間に甲日主を隔つ。これは高太尉の命で、依然として「合煞留官」に按じて論じ、乙が庚煞を合し去り酉中の辛金の正官を留めて、福分は併して爭合に因って減損しません。合化に至っては、真化もあり假化もあります。上の挙げた命造は化氣の真に屬し、底本のここはただ高太尉の一造を存すのみ。このほかになお幾種の情形あり。化神が余りありて日主自身に別に根苗・劫財または印綬の牽扯あるもの、日主に根なくして化し出るあの一行の氣がまた足りざるもの、および合化は真なれど閑神があって來て化神を損傷するもの――これらはみな「假化」と算します。

六、十干が時を得て旺たず時を失して弱からざるを論ず

書云,得時俱為旺論,失時便作衰看,雖是至理,亦死法也。然亦可活看。夫五行之氣,流行四時,雖日干各有專令,而其實專令之中,亦有並存者在。假若春木司令,甲乙雖旺,而此時休囚之戊己,亦嘗豔於天地也。特時當退避,不能爭先,而其實春土何嘗不生萬物,冬日何嘗不照萬國乎?況八字雖以月令為重,而旺相休囚,年月日時,亦有損益之權,故生月即不值令,而年時如值祿旺,豈便為衰?不可執一而論。

命書上に「時を得れば一律に旺に按じて看、時を失せば一律に衰に按じて看」と言う。この話は至理なれども、また死法であって、なお活看しえます。五行の氣は四季の中に流轉し、毎一の天干が各々自ら當令の季節を有すと雖も、某一行が專ら時令を主ると同時に、別の行もまた併して消失しません。譬えば春に木が當令すれば、甲乙は固より旺なり、しかしこの刻に休囚に處する戊己土は、豈に天地の間に存在せざりや――底本は「亦嘗艷於天地也」、「艷」は「存」の訛で、「亦嘗存於天地也」に作るべき。ただ時令がそれに輪當せず、それは退一步退避して先を爭う能くなきのみ。實際春の土も何嘗萬物を生養せざりや。冬の太陽も何嘗四方を照耀せざりや。何况八字は月令を以て最も重きと為すと雖も、旺相休囚の判斷は、年柱・月柱・日支・時柱が各々加減の權重あり。だからたとい生月が當令せずとも、ただ年柱・時柱上に臨官・帝旺に碰上すれば、どうして便ち衰弱と斷じえましょうか。この種の事は一端に執著して論ずべからず。

猶如春木雖強,金太重而木亦危。干庚辛而支酉丑,無火制而晃富,逢土生而必夭,是以得時而不旺也。秋木雖弱,木根深而木亦強。干甲乙而支寅卯,遇官透而能受,逢水生而太過,是失時不弱也。是故十干不論月令休囚,只要四柱有根,便能受財官食神而當傷官七煞。

春の木は當令強旺なれども、もし金が重すぎれば、木は照樣に危險に譬えるべし。天干に庚辛を透し地支に酉丑に坐して金局を成し、もし火が來て金を制するなければ、たとい僥倖に富裕しても永くなり難く、さらに土に遇って來て金を生ずれば必ず短壽なり――これが即ち「時を得て旺たざる」。反対に、秋の木は失令して弱なれども、ただ木の根が深く扎れば、木もまた同じく強し。天干に甲乙を透し地支に寅卯に坐し、官星の透し出るに遇っても承受し堪え、さらに水に遇って來て木を生ずれば反って太過を嫌う――これが即ち「時を失して弱からざる」。だから言う、十天干は必ずしもただ月令が休囚か否かを看るに及ばず、ただ四柱の中に根あれば、便ち財・官・食神という順用の吉神を擔ぐに足り、また傷官・七煞という逆用の凶神に頂き堪えます。

長生祿旺,根之重者也;墓庫餘氣,根之輕者也。得一比肩,不如得支中一墓庫,如甲逢未、丙逢戌之類。乙逢戌、丁逢丑,不作此論,以戌中無藏木,丑中無藏火也。得二比肩,不如得一餘氣,如乙逢辰、丁逢未之類。得三比肩,不如得一長生祿刃,如甲逢亥子寅卯之類。陰長生不作此論,如乙逢午、丁逢酉之類,然亦為明根,比得一餘氣。

所謂「通根」は、分量に輕重あり。地支に坐して長生・臨官・帝旺に至るは、重根です。墓庫・餘氣に坐するは、輕根です。一つの比肩を得て身を助くるは、地支裏に一つの墓庫を得るに如かざる實在なり――たとえば甲が未を見るは、未中に乙木を藏す。丙が戌を見るは、戌中に丁火を藏す(底本は「得一比肩」、《子平真詮評註》本は「天干得一比肩」に作る、指す所は相同、みな天干上の幫身に就いて言う)。しかし乙が戌を見、丁が丑を見るは則ちこのように算しえず。戌中に併して木を藏せず、丑中に併して火を藏せざるがゆえです。二つの比肩を得るは、一つの餘氣を得るに如かず。たとえば乙が辰を見るは、辰は木の餘氣。丁が未を見るは、未は火の餘氣。三つの比肩を得るは、一つの長生・臨官または羊刃を得るに如かず。たとえば甲が亥を見るは長生と為し、子を見るは沐浴と為し、寅を見るは臨官と為し、卯を見るは羊刃と為す。陰干の長生はこの例に照らして算せず。たとえば乙が午を見、丁が酉を見るは、力量は折扣を打つを要す。ただし畢竟にまた明擺の根で、大略一つの餘氣を得るに相當します。

蓋比劫如朋友之相扶,通根如室家之可住;干多不如根重,理固然也。今人不知命理,見夏水冬火,不問有無通根,便為之弱。更有陽干逢庫,如壬逢辰、丙坐戌之類,不以為水火通根身庫,甚至求刑沖開之。此種謬論,必宜一切掃除也。

これは比肩・劫財が朋友の來て手を搭すに譬え、通根は却って自ら房家ありて安身すべきに譬えるがゆえです。天干上に幫手が多くとも、地支裏に根の深く扎るに如かず――道理はもともとこうです。今のある人々は命理を懂らずして、一たび夏に生まれた水の日主・冬に生まれた火の日主を見れば、地支裏に根あるか無きかをも顧みず、口を開けば便ち身弱と斷ず。さらに甚しきは、陽干が自らの墓庫に坐する、例として壬が辰を見るは辰は水庫、丙が戌に坐するは戌は火庫で、もともと水火が身庫に通根するを、彼らは承認せず、甚だしくはさらに刑衝を求めて庫を開かんとす。この類の謬論は、必ず一概に掃除して乾淨にせねばなりません。

七、刑衝會合の解法を論ず

刑者,三刑也,子卯巳申之類是也。沖者,六沖也,子午卯酉之類是也。會者,三會也,申子辰之類是也。合者,六合也,子與丑合之類是也。此皆以地支宮分而言,繫對射之意也。三方為會,朋友之意也。並對為合,比鄰之意也。至於三刑取廡,姑且闕疑,雖不知其所以然,於命理亦無害也。八字支中,刑沖俱非美事,而三合六合,可以解之。

まず名目を分かち清らかにします。「刑」は三刑を指し、子が卯を刑し、巳が申を刑するの類。「衝」は六衝を指し、子午相衝・卯酉相衝の類。「會」は三合會局を指し、申子辰が會して水局を成すの類。「合」は六合を指し、子と丑の相合の類。これらはみな地支の占する方位・宮分に就いて言うものです。衝は两支が正對して相射る。會は三つの地支が三方に分處して遙相呼應し、朋友の相聚う意を取る。合は两支が併列相鄰して彼此親附し、鄰里の相好なる意を取る。三刑が究竟何の義理を取るかに至っては、姑く疑を存して論ぜず――底本は「至于三刑取廡」、「廡」は「義」の訛で、「三刑取義」に作るべき――所以然を說き清める能くなしと雖も、命を推するに妨げありません。總じて八字の地支裏に刑と衝の出現するはみな善い事ではありませんが、三合と六合はそれらを化解しえます。

假如甲生酉月,逢卯則沖,而或支中有戌,則卯與戌合而不沖;有辰,則酉與辰合而不沖;有亥與未,則卯與亥未會而不沖;有巳與丑,則酉與巳丑會而不沖。是會合可以解沖也。又如丙生子月,逢卯則刑,而或支中有戌,則與戌合而不刑;有丑,則子與丑合而不刑;有亥與未,則卯與亥未會而不刑;有申與辰,則子與申辰會而不刑。是會合可以解刑也。

例を挙げて説明します。甲日主が酉月に生まれ、月令は正官で、地支にもしさらに卯を見れば、卯酉相衝して、便ち月令を衝壞せんとします。しかし地支中にもし別に戌があれば、卯と戌は六合して、卯は絆されて去って衝しません。もし別に辰があれば、辰と酉は六合して、酉は護られてまた衝を受けません。もし別に亥と未があれば、卯は亥未と三合して木局を成し、心思は會局上に用いられて、また衝しません。もし別に巳と丑があれば、酉は巳丑と三合して金局を成し、同じく衝しません。これがすなわち會と合が衝を解しうるです。またたとえば丙日主が子月に生まれ、地支に卯を見れば、子卯は相刑します。しかしもし別に戌があれば、卯は戌と合して刑せず――底本のこの句は「則與戌合而不刑」、「則」の下に一「卯」の字を脱し、「則卯與戌合而不刑」に作るべき。もし別に丑があれば、子は丑と合して刑せず。もし別に亥と未があれば、卯は去って會して木局を成して刑せず。もし別に申と辰があれば、子は去って會して水局を成してまた刑せず。これがすなわち會と合が刑を解しうるです。

又有因解而反得刑沖者,何也?假如甲生子月,支逢二卯相併,二卯不刑一子,而支又逢戌,戌與卯合,本為解刑,而合去其一,則一合而一刑,是因解而反得刑沖也。又有刑沖而會合不能解者,何也?假如子年午月,日坐丑位,丑與子合,可以解沖,而時逢巳酉,則丑與巳酉會,而子復沖午;子年卯月,日坐戌位,戌與卯合,可以解刑,而或時逢寅午,則戌與寅午會,而卯復刑子。是會合而不能解刑沖也。

また一種、本來解救せんとしたのに反って刑衝を招き來す情形があるのは、どういうことでしょうか。譬えば甲日主が子月に生まれ、地支に併び排して二つの卯が出現して、二つの卯が爭って一つの子を刑して、力量が分散し、反って刑を成しません。このとき地支にさらに一つの戌が來て、戌はその中の一つの卯と相合して、本意は刑を解するですが、それはただ一つを合し去るのみで、殘るあの卯は便ち單獨で去って子を刑します――一合一刑して、反って解救に因って刑衝を招き致します。また一種、すでに會合あるのに刑衝を解しえざる情形があります。たとえば年支が子・月支が午で、子午はもともと衝し、日支に丑に坐して、丑は子と合して本來衝を解しえますが、偏偏と時支に巳または酉に逢い、丑は拉されて去って巳酉と會して金局を成し、子を撇き下し、子はまた頭を回して來て午を衝します。またたとえば年支が子・月支が卯で、日支に戌に坐して、戌は卯と合して本來刑を解しえますが、偏偏と時支に寅または午に逢い、戌は拉されて去って寅午と會して火局を成し、卯はまた頭を回して來て子を刑します。これがすなわち會合ありて刑衝を解する能くざるです。

更有刑沖而可以解刑者,何也?蓋四柱之中,刑沖俱不為美,而刑沖用神,尤為破格,不如以另位之刑沖,解月令之刑沖矣。假如丙生子月,卯以刑子,而支又逢酉,則又與酉沖不刑月令之官。甲生酉月,卯日沖之,而時逢子立,則卯與子刑,而月令官星,沖之無力,雖於別宮刑沖,六親不無刑剋,而月官猶在,其格不破。是所謂以刑沖而解刑沖也。

さらに一種、刑衝を用いて刑衝を解する辦法があるのは、それは何の道理でしょうか。四柱の中で刑と衝はみな善い事ではありませんが、その中で最も要命なのは刑衝が「用神」を傷ることで、それは直接に格を破ります。すでにこうなれば、別の位置上の刑衝を用いて、月令上の刑衝を引き開くに如かず。譬えば丙日主が子月に生まれ、子中の癸水は正官で、地支に卯があって來て子を刑すとき、ここにもしさらに一つの酉を見れば、卯酉相衝して、卯は先に酉と相鬪するを顧みて、便ち月令の官星を刑するに及ばなくなります。またたとえば甲日主が酉月に生まれ、正官は月令にあり、日支の卯が來て酉を衝するとき、ここに時支がもし子に坐せば、卯は子と相刑して、卯は牽制され、月令の官星を衝する力量は便ち弱まります。別の宮位に刑衝が起こったと雖も、六親上に難免ならざる些かの刑剋はありますが、月令の官星は保住して、格局は破に至りません――これが即ち所謂刑衝を以て刑衝を解するです。

八、用神を論ず

八字用神,專求月令,以日干配月令地支,而生克不同,格局分焉。財官印食,此用神之善而順用之者也;煞傷劫刃,用神之不善而逆用之者也。當順而順,當逆而逆,配合得宜,皆為貴格。是以善而順用之,則財喜食神以相生,生官以護財;官喜透財以相生,生印以護官;印喜官煞以相生,劫才以護印;食喜身旺以相生,生財以護食。不善而逆用之,則七煞喜食神以制伏,忌財印以資扶;傷官喜佩印以制伏,生財以化傷;陽刃喜官煞以制伏,忌官煞之俱無;月劫喜透官以制伏,利用財而透食以化劫。此順逆之大路也。

八字が「用神」を取るは專ら月令より尋ねます。日干と月令の地支を拿って相配し、两者の間の生克關係が同じからずして、「格局」もまたこれに随って分立します。用神は本書の中で月令の提供する、全局が據って格を立つるあの一字を指し、格局はこれに由って定まる一套の結構名目を指します。財・官・印・食のこの四種は性質の善良なる用神で、その性に順ってそれを用いるを要し、「順用」と呼びます。煞・傷・劫・刃のこの四種は性質の善ならざる用神で、その性に逆らってそれを制するを要し、「逆用」と呼びます。順すべきを順にし逆すべきを逆にし、配搭が宜しければ、みな貴格と成りえます。だから善神を順用する時は。財は食神が來てそれを生ずるを喜び、また官星を生じ出して來て財を保護するを要す。官は財を透して來てそれを生ずるを喜び、また印を生じ出して來て官を保護するを要す。印は官煞が來てそれを生ずるを喜び、また劫財に頼って財を分掉して以て印を保護するを要す(底本は「劫才以護印」、「才」は「財」の訛)。食神は身旺が來てその發泄を供するを喜び、また財を生じ出して來て食を保護するを要す。凶神を逆用する時は。七煞は食神が來て制伏するを喜び、財と印が去ってそれを資助するを忌む。傷官は印を佩んで來て制伏するを喜び、あるいは財を生じて來て傷氣を泄化せしむ。陽刃は官煞が來て制伏するを喜び、最も怕れるのは官煞が一つもないこと。月劫は官星を透して來て制伏するを喜び、また財を用いうるも、たださらに食神を透して來て劫財を化け開くを要す。これがすなわち順用・逆用の大方向です。

今人不知專主提綱,然後將四柱干支,字字統歸月令,以觀喜忌,甚至見正官佩印,則以為官印雙全,與印綬用官者同論;見財透食神,不以為財逢食生,而以為食神生財,與食神生財同論;見偏印透食,不以為洩身之秀,而以為梟神奪食,宜用財制,與食神逢梟同論;見煞逢食制而露印者,不為去食護煞,而以為煞印相生,與印綬逢煞者同論;更有煞格逢刃,不以為刃可幫身制煞,而以為七煞制刃,與陽刃露煞者同論。此皆由不知月令而妄論之故也。然亦有月令無用神者,將若之何?如木生寅卯,日與月同,本身不可為用,必看四柱有無財官煞食透干會支,另取用神;然終以月令為主,然後尋用,是建祿月劫之格,非用而即用神也。

今の人は當に「提綱」即ち月令を以て主と為すべきを懂らず、四柱の干支を一個ずつ月令上に歸して喜忌を權衡せずして、ここにおいて許多の顛倒を弄し出します。正官格が印を佩むを見れば、便ち官印雙全と說い、それを印綬格が官星を用いると混して一談と為す。財格が食神を透すを見れば、財が食神の生ずるを得たと說わずして、反って食神生財と說い成し、それを食神格が財を生ずると混して一談と為す。偏印格が食神を透すを見れば、身を泄して秀氣を成すと說わずして、反って梟神奪食と說い、當に財を用いて制すべしと言い、それを食神格が梟に遇うと混して一談と為す。七煞格に食神の煞を制するありて天干にまた印を露すを見れば、これが食神を去って以て煞を護ると說わずして、反って煞印相生と說い成し、それを印綬格が煞に逢うと混して一談と為す。さらに七煞格が羊刃に遇うを見れば、羊刃が身を助けて煞に抗しえと說わずして、反って七煞制刃と說い成し、それを陽刃格が煞を露するに混して一談と為す。これらの錯誤は、みな一切が月令を以て準と為すを知らずして胡乱に議論するに因ります。ただし月令自身が用神を取り出せざる情形もあり、それはどうすればよいか。たとえば木日主が寅月または卯月に生まれ、日干と月令が同氣で、自己は自己を拿って用神と為す能くなく、必ず四柱中に財・官・煞・食が天干に透するか地支局を會成するかを看て、別に一つの用神を取らねばなりません。ただし終究はやはりまず月令を以て主と為し、然る後に他處に行って用を尋ねる――これが即ち「建祿」「月劫」の两格で、それらは月令自身が作用する由なくして、已まず別に用神を找らざるを得ざる格です。

九、用神の成敗救應を論ず

用神專尋月令,以四柱配之,必有成敗。何謂成?如官逢財印,又無刑沖破害,官格成也。財生官旺,或財逢食生而身強帶比,或財格透印而位置妥貼,兩不相剋,財格成也。印輕逢煞,或官印雙全,或身印兩旺而用食傷洩氣,或印多逢財而財透根輕,印格成也。食神生財,或食帶煞而無財,棄食就煞而透印,食格成也。身強七煞逢制,煞格成也。

用神は專ら月令上より尋ね、さらに四柱を拿ってそれに配すれば、配した結果は必ず成あり敗あり。何を「成格」と謂うか。例を挙げて言えば。正官格が財の來て官を生じ、印の來て官を護るに遇い、また刑衝破害が去ってそれを傷るなくば、官格は成しました。財格がもし旺官を生じ出しえれば、あるいは財が食神の生ずるを得て日主が身強し、また比肩を帶びて身を助くれば、あるいは財格が印を透して印と財の位置の安排が妥當で彼此相剋せざれば、財格は成しました。印格がもし印輕して七煞の來て印を生ずるに遇えば、あるいは官印雙全、あるいは身と印がともに旺んで食傷を用いて秀を泄すれば、あるいは印が多すぎて財の來て抑制するに遇い、財がまた干を透すも根が深からざれば、印格は成しました。食神格がもし財を生じえれば、あるいは七煞を帶びて財が煞を黨するなく、あるいは索性食を舍てて煞に就きて印を透し出せば、食格は成しました。七煞格がもし日主が身強で煞に制伏あれば、煞格は成しました。

傷官生財,或傷官佩印而傷官旺,印有根,或傷官旺、身主弱而透煞印,或傷官帶煞而無財,傷官格成也。陽刃透官煞而露財印,不見傷官,陽刃格成也。建祿月劫,透官而逢財印,透財而逢食傷,透煞而遇制伏,建祿月劫之格成也。何謂敗?官逢傷克刑沖,官格敗也;財輕比重,財透七煞,財格敗也;印輕逢財,或身強印重而透煞,印格敗也;食神逢梟,或生財露煞,食神格敗也;七煞逢財無制,七煞格敗也;傷官非金水而見官,或生財生帶煞,或佩印而傷輕身旺,傷官格敗也;陽刃無官煞,刃格敗也;建祿月劫,無財官,透煞印,建祿月劫之格敗也。

傷官格がもし財を生じえれば、あるいは印を佩んで傷官が旺んで印がまた根あれば、あるいは傷官が旺んで日主が弱くて煞と印を透して來て身を生ずれば、あるいは七煞を帶びて財が去って煞を黨するなくば、傷官格は成しました。陽刃格がもし官または煞を透して、また財と印を露し、且つ傷官が來て官星を傷るを見ざれば、陽刃格は成しました。建祿月劫格がもし官星を透して財印の相隨るあれば、あるいは財を透して食傷の劫を化して財を生ずるあれば、あるいは七煞を透して制伏あれば、建祿月劫格は成しました。然らば何を「敗格」と謂うか。正官格が傷官の來て剋するに遇い、あるいは刑衝に遭えば、官格は敗れます。財格がもし財輕して比劫が重く、あるいは財が透し出て七煞を帶びれば、財格は敗れます。印格がもし印輕して財の來て印を壞すに遇い、あるいは身強し印がまた重いのにさらに七煞を透せば、印格は敗れます。食神格がもし梟神の食を奪うに遇い、あるいはすでに財を生じまた煞を露せば、食神格は敗れます。七煞格がもし財が煞を黨して制伏なければ、煞格は敗れます。傷官格がもし金水傷官でなくて官星を見れば、あるいは財を生ずる時にまた煞を帶び、あるいは印を佩んで傷官が輕く日主がまた旺んなれば、傷官格は敗れます(底本は「或生財生帶煞」、下の一「生」の字は「而」の訛で、「或生財而帶煞」に作るべき)。陽刃格がもし官煞が一つもなければ、刃格は敗れます。建祿月劫格がもし財なく官なく、反って煞と印を透せば、建祿月劫格は敗れます。

成中有敗,必是帶忌;敗中有成,全憑救應。何謂帶忌?如正官逢財而又逢傷;透官而又逢合;財旺生官而又逢傷逢合;印透食以洩氣,而又遇財露;透煞以生印,而又透財,以去印存煞;食神帶煞印而又逢財;七煞逢食制而又逢印;傷官生財而財又逢合;佩印而印又遭傷,透財而逢煞,是皆謂之帶忌也。

格局がすでに成して却って轉じて敗るるは、必ず「帶忌」に因る、即ち事を壞す字を夾帶したを謂う。格局がすでに敗れて却って轉じて成るは、全く「救應」に賴る、即ち別の字が出て來て解救するを謂う。何を帶忌と謂うか。たとえば正官格が財の來て生ずるを得たのに、偏偏とまた傷官が來て官を剋するを見る。官星が透し出たのに、偏偏とまた別の天干に合し去られる。財が旺んで官を生ずるに、偏偏とまた傷官に逢うかあるいは合に逢う。印格が食神を透して來て秀を泄すに、偏偏とまた財を露して來て印を壞す。七煞を透して來て印を生ずるに、偏偏とまた財を透して印を去掉して、ただ煞を残して來て身を攻す。食神格が煞と印を帶ぶに、偏偏とまた財に逢って來て煞を黨す。七煞格が食神の煞を制するを得たのに、偏偏とまた印に逢って來て食を奪い煞を護る。傷官が財を生ずるに、偏偏と財がまた合し去られる。印を佩んで印がまた傷られ、財を透してまた煞に逢う。これらはみな帶忌と呼びます。

何謂救應?如官逢傷而透印以解之,雜煞而合煞以清之,刑沖而會合以解之;財逢劫而透食以化之,生官以制之,逢煞而食神制煞以生財,或存財而合煞;印逢財而劫財以解之,或合財而存印;食逢梟而就煞以成格,或生財以護食;煞逢食制,印來護煞,而逢財以去印存食;傷官生財透煞而煞逢合;陽刃用官煞帶傷食,而重印以護之;建祿月劫用官,遇傷而傷被合,用財帶煞而煞被合,是謂之救應也。八字妙用,全在成敗救應,其中權輕權重,甚是活潑。學者從此留心,能於萬變中融以一理,則於命之一道,其庶幾乎!

何を救應と謂うか。たとえば正官が傷官の來て剋するに遇えば、印を透し出して來て傷を制すれば、官は便ち保住します。官格が七煞を夾雜すれば、別の干を用いて煞を合し去れば、格は便ち清くなります。地支に刑衝あれば、會局または六合を用いて化解します。財格が劫財の來て奪うに遇えば、食神を透して劫氣を化して財と為すか、あるいは官星を生じ出して來て劫財を制住せしめます。財格が七煞に遇えば、食神を用いて煞を制し手を腾がして來て財を生ずるか、あるいは財を保住して煞を合掉します。印格が財の來て印を壞すに遇えば、劫財を用いて去ってあの財を分掉するか、あるいは財を合し住めて印を保全します。食神格が梟神の食を奪うに遇えば、索性轉じて去って七煞に就きて別に格を成すか、あるいは財を生ずるを用いて食神を護住します。七煞格にもともと食神の煞を制するあれば、却って印が來て煞を護れば、便ち財を用いて印を去掉し食神を保住します。傷官が財を生じてまた煞を透せば、煞を合掉します。陽刃格が官煞を用いて刃を制するに傷食を帶びて來て官煞を傷れば、便ち厚重の印を用いて官煞を護住します。建祿月劫格が官星を用いるに、傷官に遇って傷官が合し去られればよし。財を用いて煞を帶びるに、煞がまた合し去られればよし。これらはみな救應と呼びます。八字の推斷の精妙なる處は、全く成敗救應の四箇字上に在り、その中の孰れが輕く孰れが重いかは局に隨って定めるを要し、極めて靈活です。命を學ぶ者はもしここより心を留めれば、千變萬化の中に融會して一條の貫通する道理を出しえ、然らば命學の一道に對しても、また差不多入門したと算しえます。

十、用神の變化を論ず

用神既主月令矣,然月令所藏不一,而用神遂有變化。如十二支中,除子午卯酉外,餘皆有藏,不必四庫也。即以寅論,甲為本主,如郡之有府,丙其長生,如郡之有同知,戊亦長生,如郡之有通判;假使寅月為提,不透甲而透丙,則如知府不臨郡,而同知得以作主。此變化之由也。故若丁生亥月,本為正官,支全卯未,則化為印。己生申月,本屬傷官。藏庚透壬,則化為財。凡此之類皆用神之變化也。

用神はすでに月令を以て主と為す、しかし月令の地支裏には往々にして一つならざる天干を藏し、ここにおいて用神に便ち變化があります。十二地支の中、子・午・卯・酉の四つの專氣の支を除くほか、殘りの八支はみな藏する所あり、辰戌丑未の四つの庫に限りません。寅をもって言えば。寅中の甲木は本氣の主で、一郡に知府あるに譬えます。丙火は寅に長生して、郡に同知あるに譬えます。戊土もまた寅に長生して、郡に通判あるに譬えます。假使月令の提綱が寅で、天干が甲を透さずして丙を透せば、それは知府が任に到らず、同知が代わって主を為すに譬え――用神の變化はこのようにして來るのです。だから丁日主が亥月に生まれ、亥中の壬水はもともと正官ですが、地支にもしさらに卯と未を湊り齊えれば、亥卯未が三合して木局を成し、官は便ち化して印となります。己日主が申月に生まれ、申中の庚金はもともと傷官に屬すも、申中に同時に壬を藏し、天干が壬を透し出せば、傷は便ち化して財となります。およそこの類に屬するは、みな用神の變化と呼びます。

變之而善,其格愈美;變之不善,其格遂壞,何謂變之而善?如辛生寅月,逢丙而化財為官;壬生戌月逢辛而化煞為印。癸生寅月,不專以煞論。此二者以透出而變化者也。癸生寅月,月令傷官秉令,藏甲透丙,會午會戌,則寅午戌三合,傷化為財;加以丙火透出,完全作為財論,即使不透丙而透戊土,亦作財旺生官論。蓋寅午戌三合變化在前,不作傷官見官論也。乙生寅月,月劫秉令,會午會戌,則劫化為食傷,透戊則為食傷生財,不作比劫爭財論。

變化が良ければ、格局はいよいよ美しく、變化が良くなければ、格局は即ちここに敗壞します。何を變じて良しと謂うか。たとえば辛日主が寅月に生まれ、寅中の甲木はもともと辛の正財で、寅中の丙火が透し出れば、便ち財を化して官と為します。壬日主が戌月に生まれ、戌中の戊土はもともと七煞で、戌中の辛金が透し出れば、便ち煞を化して印と為します。癸日主が寅月に生まれ、寅中の戊土は煞なれども、寅中にまた甲丙を藏するがゆえに、一味にただ七煞に按じて論ずる能くなし。以上の二例は天干の透し出るに頼って發生した變化です。さらに癸日主が寅月に生まれ、月令の傷官が權を當て、寅中に甲を藏してまた丙を透し、地支にさらに午と會し戌と會して、寅午戌が三合して火局を成せば、傷官は便ち化して財となります。丙火が干を透すを加えれば、完全に財格に按じて論じます。たとい丙を透さずして戊土を透しても、また財旺生官に按じて論じます。これは寅午戌の三合の變化が先にあるがゆえに、更に傷官見官のあの套の凶斷に按じません。またたとえば乙日主が寅月に生まれ、月令は劫財が權を當て、地支に午を會し戌を會して火局を成せば、劫財は便ち化して食傷となります。さらに戊土を透せば、即ち食傷生財で、更に比劫の財を爭うに按じて論じません。以上の二例は地支の會合に頼って發生した變化です。

此二者因會合而變化者。因變化而忌化為喜,為變之善者。又有變之而不失本格者。如辛生寅月,透丙化官,而又透甲,格成正財,正官乃其兼格也。乙生申月,透壬化印,而又透戊,則財能生官,印逢財而退位,雖通月令,格成傷官,百戊官忌見。丙生寅月,午戌會劫,而又或透甲,或透壬,則仍為印而格不破。丙生申月,逢壬化煞,而又透戊,則食神能制煞生財,仍為財格,不失富貴。如此之類甚多,是皆變而不失本格者也。是故八字非用神不立,用神非變化不靈,善觀命者,必於此細詳之。

變化に因って忌神を轉じて喜神と為すは、これが即ち變じて良し。別にまた一種、變じても元來の本格を失わざる情形があります。たとえば辛日主が寅月に生まれ、丙を透して財を化して官と為すに、同時にまた甲木を透して、甲は辛の正財で、ここにおいて格局は依然として正財を成し、正官はただ兼帶の格です。乙日主が申月に生まれ、壬を透して官を化して印と為すに、同時にまた戊土を透して、戊財は申中の庚官を生じえ、印は財に遇って退居して其の次と為り、壬印は月令に通根するも、格局は依然として傷官を成し、このとき戊土の官星は便ち忌見の物と成ります――底本のこの句は「格成傷官,百戊官忌見」、「百」の字は衍文で、《子平真詮評註》本は「格成傷官,戊官忌見」に作る。丙日主が寅月に生まれ、地支の午戌が會して火局を成してもともと寅木を化して劫と為すに、もしまた甲を透しかあるいは壬を透せば、寅中の甲木は依然として丙の偏印で、格局は照舊印に作して論じて破れず。丙日主が申月に生まれ、壬に逢って申金の財を化して七煞と為すに、もしまた戊土を透せば、食神はすなわち煞を制しえまた財を生じえて、格局は依然として財に作して論じ、富貴を失わず。この類の例子は甚だ多く、みな變じて本格を失わざるものです。だから言う、八字に用神なければ立ち上がる能くなく、用神に變化を懂らざれば活きる能くなし。命を看るに善き者は、必ずここに細かく分辨せねばなりません。

十一、用神の純雜を論ず

用神既有變化,則變化之中,遂分純、雜。純者吉,雜者凶。何謂純?互用而兩相得者是也。如辛生寅月,甲丙並透,財與官相生,兩相得也。戊生申月,庚壬並透,財與食相生,兩相得也。癸生未月,乙己並透,煞與食相剋,相剋而得其當,亦兩相得也。如此之類,皆用神之純者。何謂雜?互用而兩不相謀者是也。如壬生未月,乙己並透,官與傷相剋,兩不相謀也。甲也辰月,戊壬並透,印與財相剋,亦兩不相謀也。如此之類,皆用之雜者也。

用神はすでに變化あれば、則ち變化の中にまた「純」と「雜」の二種を分かち出します。純は吉利、雜は凶險です。何を純と謂うか。二字が互相に用を為して彼此に力を得れば、即ち純です。たとえば辛日主が寅月に生まれ、寅中の甲木・丙火が一齊に干を透し、甲は財・丙は官で、財は官を生じえ、二者は互相に力を得ます。戊日主が申月に生まれ、申中の庚金・壬水が一齊に干を透し、壬は財・庚は食神で、食は財を生じえ、これもまた互相に力を得ます。癸日主が未月に生まれ、未中の乙木・己土が一齊に干を透し、己は七煞・乙は食神で、食神は煞を剋し、剋なれども剋すること恰當で、同じく互相に力を得たと算します。この類はみな用神の純に屬します。何を雜と謂うか。二字が互相に用を為すも各々各を干して彼此相顧みざれば、即ち雜です。たとえば壬日主が未月に生まれ、乙・己が一齊に干を透し、己は正官・乙は傷官で、傷官が來て官星を剋して、二者は互いに相謀らず。甲日主が辰月に生まれ、戊・壬が一齊に干を透し、壬は印・戊は財で、財が來て印を剋して、これもまた互いに相謀らず――底本は「甲也辰月」、「也」は「生」の訛で、「甲生辰月」に作るべき。この類はみな用神の雜に屬します。

十二、用神格局の高低を論ず

八字既有用神,必有格局,有格局必有高低,財官印食煞傷劫刃,何格無貴?何格無賤?由極貴而至極賤,萬有不齊,其變千狀,豈可言傳?然其理之大綱,亦在有情、有力無力之間而已。如正官佩印,不如透財,而四柱帶傷,反推佩印。故甲透酉官,透丁合壬,是謂合傷存官,遂成貴格,以其有情也。

八字すでに用神あれば、必ず格局あり。すでに格局あれば、格局は必ず高低を分かちます。財・官・印・食・煞・傷・劫・刃のこの八種は、どの一種も貴命を出したことがあらずや。どの一種も賤命を出したことがあらずや。極貴より極賤に至るまで、千差萬別・變化萬端で、どこで幾句の話を以て盡しえましょうか。ただしその中の道理の大綱は、また「有情無情」「有力無力」のこの二層を外にせざるのみ――底本は「亦在有情、有力無力之間而已」、「有情」の下に「無情」の二字を脱し、《子平真詮評註》本は「亦在有情無情、有力無力之間而已」に作る。例を挙げて言えば。正官格が印を佩むは、一般には財を透して來て官を生ずるに如かず。しかしもし四柱に傷官を帶びれば、便ち反って印を佩むを取るべく、印は傷を制して官を護りうるがゆえです。だから甲日主の月令が酉金の正官で、天干にまた丁火の傷官を透して、もしさらに壬が來て丁と相合せば、これを「合傷存官」と謂い、ここにおいて貴格と成ります――貴ある所以は、これ一合の安排が恰倒好處なりと為るがゆえに、術語は「有情」と呼びます。

財忌比劫,而與煞作合,劫反為用。故甲生辰月,透戊成格,遇乙為劫,逢庚為煞,二者相合,皆得其用,遂成貴格,亦以其有情也。身強煞露而食神又旺,如乙生酉月,辛金透,丁火剛,秋木盛,三者皆備,極等之貴,以其有力也。官強財透,身逢祿刃,如丙生子月,癸水透,庚金露,而坐寅午,三者皆均,遂成大貴,亦以其有力也。

財格は最も比劫の來て奪うを怕れるも、もしこの劫財が恰好去って七煞と相合せば、劫財は反って有用の物と成ります。だから甲日主が辰月に生まれ、戊土を透して偏財格を成し、命中にまた乙木ありて劫財、庚金ありて七煞で、乙と庚が相合して、一つは煞を絆じ、一つもまた來て財を奪わず、両者みな各々その用を得て、ここにおいて貴格と成ります――これもまた有情あるがゆえです。さらに有力の例を看れば。日主が身強で七煞が透し出て食神がまた旺なる、例として乙日主が酉月に生まれ、辛金の七煞が干を透し、丁火の食神は剛銳で、秋の乙木は自身なお旺んなり――身・煞・食の三者みな分量足るは、即ち極品の貴で、「有力」あるがゆえです。またたとえば官星が強し、財がまた透し出て、日主自身が祿または刃上に坐する、例として丙日主が子月に生まれ、癸水の正官が透し出て、庚金の財星が露して、日支時支は寅に坐し午に坐す――官・財・身の三者の力量が均衡して、ここにおいて大貴。これもまた有力あるがゆえです。

又有有情而兼有力,有力而兼有情者。如甲用酉官,壬合丁以清官,而壬水根深,是有情而兼有力者也。乙用酉煞,辛逢丁制,而辛之祿即丁之長生,同根月令,是有力而兼有情者也。是皆格之最高者也。如甲用酉官,透丁逢癸,癸克不如壬合,是有情而非情之至。乙逢酉逢煞,透丁以制,而或煞強而丁稍弱,丁旺而煞不昂,又或辛丁並旺而乙根不甚深,是有力而非力之全,格之高而次者也。

さらにすでに有情あり且つ有力あり、すでに有力あり且つ有情あるものがあります。たとえば甲日主が酉中の辛金を用いて正官と為し、丁火の傷官を透して、壬を用いて去って丁を合して以て官星を澄清せしめ、この壬水の根基がまた深い――これが即ち有情にして兼ねて有力あり。またたとえば乙日主が酉中の辛金を用いて七煞と為し、丁火の食神を透して來て煞を制せしめ、辛の臨官の地は正に酉、丁の長生の地もまた酉で、両者は月令に同根して、制すること貼切なり――これが即ち有力にして兼ねて有情あり。この二種はみな格局中最も高きものです。これと相比すれば。甲が酉官を用い、丁傷官を透してただ癸水の來て丁を剋するのみあるは、癸の丁を剋するは壬の丁を合するの來る乾淨利落に如かず、これが即ち有情にして未だ極致に達せざる。乙が酉煞を用い、丁を透して煞を制するに、もし煞強くて丁が稍しく弱く、あるいは丁旺して煞が挺たる足らず、あるいはまた辛丁ともに旺んなれども乙木自身の根が深さ足らざれば、これが即ち有力にして未だ力全うする能くざる。これらは高き一等の中の稍く遜る格です。

至如印用七煞,本為貴格,而身強印旺,透煞孤貧,蓋身旺不勞印生,印旺何勞煞助?偏之又偏,以其無情也。傷官佩印,本秀而貴,而身主甚旺,傷官甚淺,印又太重,不貴不秀,蓋欲助身則身強,制傷則傷淺,要此重印何用?是亦無情也。又如煞強食旺而身無根,身強比重而財無氣,或夭或貧,以其無力也。是皆格之低而無用者也。然其中高低之故,變化甚微,或一字而有千鈞之力,或半字而敗全局之美,隨時觀理,難以擬議,此特大略而已。

印格が七煞を用いて來て印を生ずるはもともと貴格ですが、若し日主がすでに身強して印がまたすでに旺んなのに、さらに七煞を透せば、反って孤苦貧寒なり――身すでに旺んなれば印の來て生ずるを用いるに及ばず、印すでに旺んなれば又何ぞさらに煞の來て助くるを要せんや。偏の上に偏を加うれば、これが即ち「無情」。傷官佩印はもともと清秀にして貴なれども、若し日主が極旺で傷官が極淺く印がまた重すぎれば、便ち貴ならず秀ならず――印に頼って身を助けんと欲するに、身はもともと強し。印に頼って傷を制せんと欲するに、傷はもともと淺し。これほど重き印を要して何を為さんや。これもまた無情。さらに七煞が強く食神が旺んなのに日主に毫も根氣なく、あるいは日主が身強で比劫がまた重いのに財に毫も氣勢なければ、結果は夭折か貧窮か、これが「無力」。これらはみな格局が低下にして用なし。ただしその中の高低の縁故は變化極めて細微なり。時には一個の字に千鈞の力あり、時には半個の字が全局の美を敗掉す。ただ局に隨って理を觀るのみで、豫め擬定し難し。上の說く所は不過大概而已。

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