Libo

鬼谷子 · 第2巻

战国 · 鬼谷子(旧题) · 第2巻 / 2

《鬼谷子》權篇第九

《鬼谷子》権篇第九

說者,說之也;說之者,資之也。飾言者,假之也;假之者,益損也。應對者,利辭也;利辭者,輕論也。成義者,明之也;明之者*橐病#ㄑ曰蚍錘玻噯匆病#┠蜒哉擼綽垡玻蝗綽壅擼黽敢病*

説とは、彼を説きに往くこと。彼を説くとは、彼に資取すること。言辞を修飾するは、假借なり。假借とは、増減なり。応対とは、利辞なり。利辞とは、軽論なり。義を成すとは、闡明なり。闡明する者は(底本はこの後に生僻字があり、転写後に失われた)。

佞言者,諂而幹忠;諛言者,博而幹智;平言者,決而幹勇;戚言者,權而幹信;靜言者,反而幹勝。先意承欲者,諂也;繁稱文辭者,博也;縱舍不疑者,決也;策選進謀者,權也;他分不足以窒非者,反也。

佞言の者は、諂媚して忠の名声を求む。諛言の者は、広博にして智の名声を求む。平言の者は、決断して勇の名声を求む。戚言の者は、権変して信の名声を求む。静言の者は、反って勝を求む。意に先んじ欲を承ぐるは諂なり。文辞を繁く称するは博なり。縦舎して疑わざるは決なり。策選して謀を進むるは権なり。他人の分量を把りて以て非を堵ぐるに足らざるは反なり。

故口者,機關也;所以關閉情意也。耳目者,心之佐助也;所以窺間見奸邪。故曰:參調而應,利道而動。故繁言而不亂,翱翔而不迷,變易而不危者,(者見)要得理。故無目者不可示以五色,無耳者不可告也五音。故不可以往者,無所開之也。不可以來者,無所受之也。物有不通者,聖人故不事也。古人有言曰:「口可以食,不可以言」者,有諱忌也。眾口爍金,言有曲故也。

だから口は機関にして、情意を関閉するを以てす。耳目は心の佐助にして、間隙を窺伺し奸邪を見るを以てす。故に曰く、三者は協調して応じ、利ある道に順って動くと。だから繁言して乱れず、翱翔して迷わず、変易して危うからざるは、理を得べし(底本「者见」は衍と疑わる)。故に目なき者には五色を示すべからず、耳なき者には五音を告ぐべからず(底本「告也」は「告以」の誤り)。故に往く可からざるは、開く可きなきなり。来たる可からざるは、受く可きなきなり。物に通ぜざる有り、聖人は此に因りて従事せず。古人の言に曰く「口は食す可く、言う可からず」とは、諱忌有るを以てなり。衆口は金を爍くは、言に弯曲有るの故なり。

人之情,出言則欲聽,舉事則欲成。是故智者不用其所短而用愚人之所長;不用其所拙而用愚人之所工;故不困也。言其有利者,從其所長也;言其有害者,避其所短也。故介蟲之捍也,必以堅厚;螫蟲之動也,必以毒螫。故禽獸知用其長,而談者亦知其用而用也。故曰:辭言有五:曰病、曰恐、曰憂、曰怒、曰喜。病者,感衰氣而不神也。恐者,腸絕而無主也。憂者,閉塞而不洩也。怒者,妄動而不治也。喜者,宣散而無要也。此五者精則用之,利則行之。

人の情は、言を出せば聴かれんと欲し、事を挙げば成功せんと欲す。此に因りて智者は己の短を用いずして愚人の長を用い、己の拙を用いずして愚人の工を用い、故に困らず。これを説くに利有りとは、その長ずる所に従うなり。これを説くに害有りとは、その短ずる所を避くるなり。故に介虫の自衛は、必ず堅厚を用い、螫虫の動作は、必ず毒螫を用いる。禽獣もその長ずる所を用いるを知り、談者もその用うる所を知りてこれを用う。故に曰く、辞言に五種有り、病・恐・憂・怒・喜なり。病とは、衰気に感じて神ならざるなり。恐とは、腸断して主なきなり。憂とは、閉塞して泄れざるなり。怒とは、妄動して治まらざるなり。喜とは、宣散して要なきなり。此の五者は精して乃ち用い、利有りて乃ち実行す。

故與智者言,依於博;與博者言,依於辨;與辨者言,依於要;與貴者言,依於勢;與富者言,依於高;與貧者言,依於利;與賤者言,依于謙;與勇者言,依於敢;與愚者言,依於銳;此其術也,而人常反之。是故與智者言,將以此明之;與不智者言,將以此教之;而甚難為也。故言多類,事多變。故終日言不失其類,而事不亂;終日不變,而不失其主。故智貴不忘。聽貴聰,辭貴奇。

だから智者と言うは、博に依り、博者と言うは、辨に依り、辨者と言うは、要に依り、貴者と言うは、勢に依り、富者と言うは、高に依り、貧者と言うは、利に依り、賤者と言うは、謙に依り、勇者と言うは、敢に依り、愚者と言うは、鋭に依る。これがその術にして、人は常にこれに反る。此に因りて智者と言うは、将にこれを以て彼を明白にせんとし、不智者と言うは、将にこれを以て彼を教導せんとす。而もこれ為し難し。故に言は類多く、事は変多し。故に終日言いてその類を失わずして、事乱れず。終日変えて、その主を失わず。故に智は忘れざるを貴びとす。聴は聡を貴び、辞は奇を貴ぶ。

《鬼谷子》謀篇第十

《鬼谷子》謀篇第十

凡謀有道,必得其所因,以求其情;審得其情,乃立三儀。三儀者,曰上、曰中、曰下,參以立焉,以生奇;奇不知其所壅;始於古之所從。

およそ謀に道有り、必ずその因る所を得て、以てその情を求む。情を審かに得て、乃ち三儀を立つ。三儀とは上・中・下を謂い、参互に立ちて、以て奇を生ず。奇はそれが壅住する所を知らず。古の従う所に始まる。

故鄭人之取玉也,載司南之車,為其不惑也。夫度材、量能、揣情者,亦事之司南也。

故に鄭人の玉を取るは、司南の車を載せて、惑わざるを為とするなり。材を度り、能を量り、情を揣るは、亦た事を為すの司南なり。

故同情而相親者,其俱成者也;同欲而相疏者,其偏害者也;同惡而相親者,其俱害者也;同惡而相疏者,偏害者也。故相益則親,相損則疏,其數行也;此所以察異同之分也。故牆壞於其隙,木毀於其節,斯蓋其分也。

故に情を同じくして相親しむは、ともに成功するなり。欲を同じくして相疏なるは、偏に害するなり。悪を同じくして相親しむは、ともに害を受くるなり。悪を同じくして相疏なるは、偏に害するなり。故に互いに益有れば親しみ、互いに損有れば疏かなり、その数は運行す。これを以て異同の分を察するなり。故に牆はその縫隙に壊れ、木はその節に毀る、これ大概はその分なり。

故變生事,事生謀,謀生計,計生儀,儀生說,說生進,進生退,退生制;因以制於事,故百事一道,而百度一數也。

故に変は事を生じ、事は謀を生じ、謀は計を生じ、計は儀を生じ、儀は説を生じ、説は進を生じ、進は退を生じ、退は制を生ず。因りて事を制するを以てす。故に百事は一つの道、百度は一つの数なり。

夫仁人輕貨,不可誘以利,可使出費;勇士輕難,不可懼以患,可使據危;智者達於數,明於理,不可欺以不誠,可示以道理,可使立功;是三才也。故愚者易蔽也,不肖者易懼也,貪者易誘也,是因事而裁之。

仁人は貨を軽く看ず、利を以て誘引す可からず、然れども費用を出さしむ可し。勇士は難を軽く看ず、患を以て嚇かす可からず、然れども危険を据守せしむ可し。智者は数に通達し理に明白なり、不誠を以て欺騙す可からず、道理を以て示す可く、功を立てしむ可し。これを三才と謂う。故に愚者は蒙蔽し易く、不肖者は懼れ易く、貪者は誘引し易し、これは事に因りて裁度するなり。

故為強者,積於弱也;為直者,積於曲也;有餘者,積於不足也;此其道術也。

故に強と為るは、弱より積み起こり、直と為るは、曲より積み起こり、有餘は、不足より積み起こる。これが道術なり。

故外親而內疏者,說內;內親而外疏者,說外;故因其疑以變之,因其見以然之,因其說以要之,因其勢以成之,因其惡以權之,因其患以斥之;摩而恐之,高而動之,微而證之,符而應之,擁而塞之,亂而惑之,是謂計謀。

故に外親にして内疏なるは、その内を説き、内親にして外疏なるは、その外を説く。因りてその疑に順ってこれを変え、その見に順ってこれを然とし、その説に順ってこれを要結し、その勢に順ってこれを成就し、その悪に順ってこれを権り、その患に順ってこれを斥く。摩して恐嚇し、高くして打動し、微にして証明し、符して応じ、擁して塞ぎ、乱して惑わす、これを計謀と謂う。

計謀之用,公不如私,私不如結;結比而無隙者也。正不如奇;奇流而不止者也。故說人主者,必與之言奇;說人臣者,必與之言私。其身內,其言外者,疏;其身外,其言身者,危。無以人之所不欲而強之於人,無以人之所不知而教之於人。人之有好也,學而順之;人之有惡也,避而諱之;故陰道而陽取之。故去之者,從之;從之者,乘之。貌者不美又不惡,故至情托焉。

計謀の用は、公は私に如かず、私は結に如かず。結は相い比して縫隙なし。正は奇に如かず。奇は流れて止まらず。故に人主を説くには、必ず彼と奇を言い、人臣を説くには、必ず彼と私を言う。身は内に在りて言は外に在るは疏なり。身は外に在りて言は身に在るは危なり。人の欲せざる所を以て人に強加する勿れ、人の知らざる所を以て人に教ゆる勿れ。人に喜好有れば、学びて順い、人に悪悪有れば、避けて諱む。故に陰道を走りて陽にこれを取る。故に去らんと欲するは、先ず順従し、順従して後、これに乗ず。容貌の美ならず悪ならざるは、至情は便ちそこに托付す。

可知者,可用也;不可知者,謀者所不用也。故曰:是貴制人,而不貴制於人。制人者,握權也。見制於人者,制命也。故聖人之道陰,愚人之道陽;智者事易,而不智者事難。以此觀之,亡不可以為存,而危不可以為安;然而無為而貴智矣。智用於眾人之所不能知,而能用於眾人之所不能見。既用,見可否,擇事而為之,所以自為也。見不可,擇事而為之,所以為人也。故先王之道陰。言有之曰:「天地之化,在高在深;聖人之制道,在隱於匿。」非獨忠信仁義也,中正而已矣。道理達於此之義,則可於語。由能得此,則可以殺遠近之誘。

知る可きのみ、以て用う可し。知る可からざるは、謀者の用いざる所なり。故に曰く、貴ぶは人を制するに在りて、人に制せらるるを貴ばず。人を制するは、権を握るなり。人に制せらるるは、命が制せられん。故に聖人の道は陰なり、愚人の道は陽なり。智者の事を為すは易く、不智者の事を為すは難し。此より観れば、亡は存と為す可からず、危は安と為す可からず。然れども無為にして智を貴ぶ。智は衆人の知る能わざる所に用い、又た衆人の見る能わざる所に用いう。既に用いて、可否を見て、事を択びて為すは、以て己が為にす。不可を見て、事を択びて為すは、以て人が為にす。故に先王の道は陰なり。言に曰く「天地の化は、高きに在り深きに在り、聖人の道を制するは、隠に在り匿に在り」と。独り忠信仁義・中正のみならず。道理が此の義に通達せば、便ち言語す可し。此に由りてこれを得れば、便ち遠近の誘惑を殺す可し。

《鬼谷子》決篇第十一

《鬼谷子》決篇第十一

凡決物,必托於疑者。善其用福,惡其用患;善至於誘也,終無惑偏。有利焉,去其利,則不受也;奇之所託。若有利於善者,隱托於惡,則不受矣,致疏遠。故其有使失利者,有使離害者,此事之失。

およそ事物を決断するは、必ず疑有る人に托せねばならず。これを用いて福を得るを喜び、これを用いて患を得るを悪む。誘導を用いるに善ければ、終に惑偏なし。利が彼に在りて、その利を去れば、便ち受けず。奇の托する所は此に在り。もし善に利する有りて、悪の裡に隠托せば、便ち受けず、疏远に致る。故に人をして利を失わしむる有り、人をして害を離れしむる有り、これが事の過失なり。

聖人所以能成其事者有五:有以陽德之者,有以陰賊之者,有以信誠之者,有以蔽匿之者,有以平素之者。陽勵於一言,陰勵於二言,平素、樞機以用;四者微而施之。於事度之往事,驗之來事,參之平素,可則決之。

聖人のその事を成す能くする所以は五種有り。陽徳を以て彼にする有り、陰賊を以て彼にする有り、信誠を以て彼にする有り、蔽匿を以て彼にする有り、平素を以て彼にする有り。陽は一言に勉力し、陰は二言に勉力し、平素・枢機を把りて用う。四者は微微として施行す。事に対して、往事を度量し、来事を検証し、平素を参看して、可なれば便ち決断す。

王公大人之事也,危而美名者,可則決之;不用費力而易成者,可則決之;用力犯勤苦,然不得已而為之者,可貴則決之;去患者,可貴則決之;從福者,可則決之。故夫決情定疑,萬事之基,以正治亂,決成敗,難為者。故先王乃用蓍龜者,以自決也。

王公大人の事は、危険にして美名有るは、可なれば便ち決断す。力を費やさずして成り易きは、可なれば便ち決断す。力を用い勤苦を犯すも、然れども已むを得ずして為すは、貴ぶ可ければ決断す。患を去るは、貴ぶ可ければ決断す。福に従うは、可なれば便ち決断す。故に情を決し疑を定むるは、万事の根基にして、以て治乱を正し、成敗を決するは、為し難きなり。故に先王は乃ち蓍亀を用いて、自ら決断す。

《鬼谷子》符言第十二

《鬼谷子》符言第十二

安徐正靜,其被節先肉。善與而不靜,虛心平意以待傾損。

安詳徐緩・端正沈静にして、節度に被り、肉に先んず。与えるに善くして静ならざる能わず、虚心平意にして傾損を待つ。

右主位。

以上は主位を論ず。

目貴明,耳貴聰,心貴智。以天下之目視者,則無不見;以天下之耳聽者,則無不聞;以天下之心思慮者,則無不知;輻輳並進,則明不可塞。

目は明を貴び、耳は聡を貴び、心は智を貴ぶ。天下の眼を以て看れば、見えざるなく、天下の耳を以て聴けば、聴かざるなく、天下の心を以て思慮すれば、知らざるなし。輻輳並進すれば、則ち明は堵塞すべからず。

右主明。

以上は主明を論ず。

德之術曰勿堅而拒之,許之則防守,拒之則閉塞。高山仰之可極,深淵度之可測,神明之德術正靜,其莫之極。

徳の術に曰く、堅執して拒絶する勿れ。彼を許せば便ち防守し、拒絶せば便ち閉塞す。高山は仰いで極に至る可く、深淵は度量して測る可く、神明の徳術は端正沈静にして、誰もその極を窮める能わず。

右主德。

以上は主徳を論ず。

用賞貴信,用刑貴正。賞賜貴信,必驗而目之所聞見,其所不聞見者,莫不諳化矣。誠暢於天下神明,而況奸者幹君。

賞を用うるは信を貴び、刑を用うるは正を貴ぶ。賞賜が信を貴ぶは、必ず耳目の聞見する所に応験せねばならず、その聞見せざる所、暗に感化せざるなし。誠は天下神明に暢達す、況んや奸人の君主を冒犯するをや。

右主賞。

以上は主賞を論ず。

一曰天之,二曰地之,三曰人之;四方上下,左右前後,熒惑之處安在。

一は天、二は地、三は人なり。四方上下・左右前後、熒惑の処は何れに在るか。

右主問。

以上は主問を論ず。

心為九窮之治,君為五官之長。為善者,君與之賞;為非者,君與之罰。君因其所以求,因與之,則不勞。聖人用之,故能賞之。因之循理,故能長久。

心は九竅の主宰(底本「穷」は「窍」の誤り)にして、君は五官の首長なり。善を為す者は、君がこれに賞を与え、非を為す者は、君がこれに罰を与う。君はその求むる所に因りて、因りてこれに与えれば、便ち労せず。聖人はこれを用いる、故に能く彼を賞す。これに因り理に循る、故に能く長久なり。

右主因。

以上は主因を論ず。

人主不可不周;人主不周,則群臣生亂,家於其無常也,內外不通,安知所聞,開閉不善,不見原也。

人主は周遍せざる可からず。人主が周遍せざれば、則ち群臣は乱を生じ、家はその无常に於て、内外通ぜず、聞く所を知らず、開閉善からず、源頭を見ず。

右主周。

以上は主周を論ず。

一曰長目,二曰飛耳,三曰樹明。明知千里之外,隱微之中,是謂洞天下奸,莫不諳變更。

一を長目と曰い、二を飛耳と曰い、三を樹明と曰う。千里之外を明かに知り、隠微の中、これを天下の奸を洞見すると謂い、暗に変更せざるなし。

右主恭。

以上は主恭を論ず。

循名而為貴,安而完,名實相生,反相為情,故曰名當則生於實,實生於理,理生於名實之德,德生於和,和生於當。

名に循って作為するは、安くして完なるを貴びとす。名実は相生じ、反って互いに情と為る。故に曰く、名が当なれば実より生じ、実は理より生じ、理は名実の徳より生じ、徳は和より生じ、和は当より生ずと。

右主名。

以上は主名を論ず。

《鬼谷子本經陰符七術》盛神法五龍盛神法五龍

《鬼谷子本経陰符七術》盛神は五龍に法る。

盛神中有五氣,神為之長,心為之舍,得為之大;養神之所,歸諸道。道者,天地之始,一其紀也。物之所造,天之所生,包宏無形,化氣先天地而成,莫見其形,莫知其名,謂之神靈。故道者,神明之源,一其化端,是以德養五氣,心能得一,乃有其術。術者,心氣之道所由舍者,神乃為之使。九窮十二舍者,氣之門戶,心之總攝也。

盛神の中に五気有り、神はその長を為し、心はその舎を為し、得はその大を為す。神を養う処所は、道に帰す。道は天地の始めにして、一はその紀なり。物の造る所、天の成す所、宏を包んで無形、化気は天地に先んじて成り、人その形を見るなく、その名を知るなく、これを神霊と謂う。故に道は神明の源にして、一はその化端なり、此に因りて徳を以て五気を養い、心は一を得る能くすれば、乃ちその術有り。術とは、心気の道の由りて居処する所にして、神は乃ちその使者を為す。九竅十二舎は、気の門戸にして、心の総摂なり。

生受於天,謂之真人;真人者,與天為一。內修練而知之,謂之聖人;聖人者,以類知之。故人與生一齣於物化。知類在窮,有所疑惑,通於心術,心無其術,必有不通。其通也,五氣得養,務在舍神,此謂之化。化有五氣者,志也、思也、神也、德也;神其一長也。靜和者,養氣。氣得其和,四者不衰。四邊威勢無不為,存而舍之,是謂神化。歸於身,謂之真人。真人者,同逃邙合道,執一而養萬類,懷天心,施德養,無為以包志慮思意而行威勢者也。士者通達之神盛,乃能養志。

生命は天に受け、これを真人と謂う。真人は天と一を為す。内に修錬して知る、これを聖人と謂う。聖人は類に按じて知る。故に人は生命と同じく物化より出づ。類を知るは窮究に在り、疑惑有る所は、心術に通ぜん、心にその術なければ、必ず通ぜざる有り。通ずれば、五気は養を得、務めは神を安頓するに在り、これを化と謂う。化は五気有り、志・思・神・徳なり。神はその中の一長なり。静和は、気を養うなり。気は和を得て、四者は衰えず。四辺の威勢は為さざるなく、存してこれを安頓するを、神化と謂う。身に帰するを、真人と謂う。真人は天に同じくして道に合し(底本「逃邙」は「天而」の誤りと疑わる)、一を執りて万類を養い、天心を懐き、徳養を施し、無為を以て志慮思意を包んで威勢を行う。士は通達して神盛んなれば、乃ち志を養う能くす。

《鬼谷子本經陰符七術》養志法靈龜養志法靈龜

《鬼谷子本経陰符七術》養志は霊亀に法る。

養志者,心氣之思不達也。有所欲,志存而思之。志者,欲之使也。欲多則心散,心散則志衰,志衰則思不達。故心氣一則故不徨,欲不徨則志意不衰,志意不衰則思理達矣。理達則和通,和通則亂氣不煩於胸中,故內以養志,外以知人。養志則心通矣,知人則識分明矣。將欲用之於人,必先知其養氣志。知人氣盛衰,而養其志氣,察其所安,以知其所能。

志を養うは、心気の思が通達せざるを以てなり。欲する所有れば、志は存在してこれを想う。志とは、欲の使者なり。欲多ければ心散じ、心散ずれば志衰え、志衰えれば思は通達せず。故に心気が専一なれば欲は徨徨たらず(底本「故不徨」は「欲不徨」の誤り)、欲が徨徨たらざれば志意は衰えず、志意衰えざれば思理は通達す。理達すれば和通し、和通すれば乱気は胸中に煩擾せず。故に内は以て志を養い、外は以て人を知る。志を養えば心通じ、人を知れば識は分明なり。将に人の身に用いんとすれば、必ずまず彼の気志を養うを知らねばならず。人の気の盛衰を知りて、その志気を養い、その安んずる所を察して、その能くする所を知る。

志不養,則心氣不固;心氣不固,則思慮不達;思慮不達,則志意不實。志意不實,則應對不猛;應對不猛,則志失而心氣虛;志失而心氣虛,則喪其神矣;神喪,則彷彿;彷彿,則參會不一。養志之始,務在安己;己安,則志意實堅;志意實堅,則威勢不分,神明常固守,乃能分之。

志を養わざれば、則ち心気は固からず。心気固からざれば、則ち思慮は通達せず。思慮通達せざれば、則ち志意は実ならず。志意実ならざれば、則ち応対は猛からず。応対猛からざれば、則ち志失いて心気虚し。志失い心気虚しければ、則ちその神を喪失す。神喪えば、則ち仿彿として定まらず。仿彿として定まらざれば、則ち参会は専一ならず。志を養うの始めは、務めは己を安んずるに在り。己安ければ、則ち志意は堅実なり。志意堅実なれば、則ち威勢分かれず、神明は常に固守して、乃ちこれを分つ能くす。

《鬼谷子本經陰符七術》實意法騰蛇實意法騰蛇

《鬼谷子本経陰符七術》実意は騰蛇に法る。

實意者,氣之慮也。心欲安靜,慮欲深遠;心安靜則神策生,慮深遠則計謀成;神策生則志不可亂,計謀成則功不可間。意慮定則心遂安,心遂安則所行不錯,神自得矣。得則凝。識氣寄,奸邪得而倚之,詐謀得而惑之;言無由心矣。固信心術守真一而不化,待人意率之交會,聽之候也。寄謀者,存亡之樞機。慮不會,則聽不審矣。候之不得,寄謀失矣。則意無所信,虛而無實。故寄謀之慮,務在實意;實意必從心術始。

実意とは、気の慮なり。心は安静を要し、慮は深遠を要す。心安静なれば神策生じ、慮深遠なれば計謀成る。神策生ずれば志は乱る可からず、計謀成れば功は離間す可からず。意慮定まれば心は便ち安く、心安ければ行う所錯れず、神は自らこれを得たり。得れば便ち凝聚す。識気は寄托し、奸邪は倚靠するを得、詐謀は迷惑するを得、言は便ち心に由らず。故に心術を信じ、真一を守りて化せず、人意の相率交會を待つは、聴の時なり。謀を寄すは、存亡の枢機なり。慮交會せざれば、則ち聴は審かならず。等候得ざれば、寄謀は便ち失われん。則ち意に信ずる所なく、虚にして実なし。故に寄謀の慮は、務めは実意に在り。実意は必ず心術より始まらねばならず。

無為而求,安靜五臟,和通六腑;精神魂魄固守不動,乃能內視反聽,定志慮之太虛,待神往來。以觀天地開闢,知萬物所造化,見陰陽之終始,原人事之政理。不出戶而知天下,不窺牖而見天道;不見而命,不行而至;是謂道知。以通神明,應於無方,而神宿矣。

無為にして求め、五蔵を安静にし、六府を和通す。精神魂魄は固守して動かず、乃ち内視反聴して、志慮を太虚に定め、神の往来を待つ能くす。以て天地の開辟を観察し、万物の造化する所を知り、陰陽の終始を見、人事の政理を推原す。戸を出でずして天下を知り、牖を窺わずして天道を見る。見ずして能く命じ、行かずして能く至る。これを道知と謂う。以て神明に通じ、方なきに応じて、神は便ち止宿す。

《鬼谷子本經陰符七術》分威法伏熊分威法伏熊

《鬼谷子本経陰符七術》分威は伏熊に法る。

分威者,神之覆也。故靜意固志,神歸其舍,則威覆盛矣。威覆盛,則內實堅;內實堅,則莫當;莫當,則能以分人之威而動其勢,如其天。以實取虛,以有取無,若以鎰稱銖。故動者必隨,唱者必和。撓其一指,觀其餘次,動變見形,無能間者。審於唱和,以間見間,動變明而威可分也。將欲動變,必先養志以視間。知其固實者,自養也。讓己者,養人也。故神存兵亡,乃為知形勢。

分威とは、神の覆蓋なり。故に意を静かに志を固くすれば、神はその舎に帰し、則ち威の覆蓋は盛んなり。威の覆蓋盛んなれば、則ち内は実にして堅し。内実堅ければ、則ち当たる能くするなし。当たる能くするなければ、便ち人の威を分つを以てその勢を動かす能く、天の如し。実を以て虚を取り、有を以て無を取るは、鎰を以て銖を称るが如し。故に動くは必ず跟随し、唱うは必ず応和す。彼を一指を撓れば、其余の次序を観察し、動変は形を現出して、離間する能くするなし。唱和に審かにして、間隙を以て間隙を見、動変明白にして威は分つ可し。将に動変せんとすれば、必ずまず志を養いて間隙を看るべし。その固実を知るは、自養なり。己を譲るは、人を養うなり。故に神存し兵亡せば、乃ち形勢を知るなり。

《鬼谷子本經陰符七術》散勢法鷙鳥散勢法鷙鳥

《鬼谷子本経陰符七術》散勢は鷙鳥に法る。

散勢者,神之使也。用之,必循間而動。威肅內盛,推間而行之,則勢散。夫散勢者,心虛志溢;意衰威失,精神不專,其言外而多變。故觀其志意,為度數,乃以揣說圖事,盡圓方,齊短長。無間則不散勢者,待間而動,動而勢分矣。故善思間者,必內精五氣,外視虛實,動而不失分散之實。動則隨其志意,知其計謀。勢者,利害之決,權變之威。勢敗者,不可神肅察也。

散勢とは、神の使者なり。これを用いるには、必ず間隙に順って動かねばならず。威粛内に盛んにして、間隙を推して行えば、則ち勢は便ち散ず。勢を散ずる者は、心虚しく志溢れ、意衰え威失い、精神専ならず、その言は外露して変多し。故にその志意を観察して、度数と為し、乃ち揣説を以て事を図り、円方を尽くし、短長を斉しくす。間隙なくんば散勢せざるは、間隙を待ちて動き、動けば勢は便ち分かる。故に間隙を思うに善い者は、必ず内に五気に精しく、外に虚実を看て、動いて分散の実を失わず。動けばその志意に随い、その計謀を知る。勢とは、利害の決断にして、権変の威なり。勢敗るる者は、神を以て粛察す可からず。

《鬼谷子本經陰符七術》轉圖法猛獸轉圖法猛獸

《鬼谷子本経陰符七術》転円は猛獣に法る。

轉圓者,無窮之計也。無窮者,必有聖人之心,以原不測之智;以不測之智而通心術,而神道混沌為一。以變論萬類,說意無窮。智略計謀,各有形容,或圓或方,或陰或陽,或吉或兇,事類不同。故聖人懷此,用轉圓而求其合。故與造化者為始,動作無不包大道,以觀神明之域。

転円とは、無窮の計なり。無窮とは、必ず聖人の心有りて、以て不测の智を推原す。不测の智を以て心術に通じて、神道は混沌として一を為す。変を以て万類を論じ、意を説くこと無窮なり。智略計謀は、各々形容有り、あるいは円あるいは方、あるいは陰あるいは陽、あるいは吉あるいは凶、事類同じからず。故に聖人はこれを懐きて、転円を以てその合を求む。故に造化者と始めを為し、動作は大道を包まざるなく、以て神明の域を観察す。

天地無極,人事無窮,各以成其類;見其計謀,必知其吉凶成敗之所終。轉圓者,或轉而吉,或轉而兇,聖人以道,先知存亡,乃知轉圓而從方。圓者,所以合語;方者,所以錯事。轉化者,所以觀計謀;接物者,所以觀進退之意。皆見其會,乃為要結以接其說也。

天地に極なく、人事に窮なし、各々以てその類を成す。その計謀を見れば、必ず吉凶成敗の終了を知る。転円は、あるいは転じて吉、あるいは転じて凶、聖人は道を以て、預め存亡を知り、乃ち転円して方に従うを知る。円は、以て語を合す。方は、以て事を措く(底本「错」は「措」に通ず)。転化は、以て計謀を観察す。物を接するは、以て進退の意を観察す。皆その會合を見て、乃ち要結を為してその説を接ぐ。

《鬼谷子本經陰符七術》損悅法靈蓍損悅法靈蓍

《鬼谷子本経陰符七術》損悦は霊蓍に法る。

損悅者,機危之決也。事有適然,物有成敗,機危之動,不可不察。故聖人以無為待有德,言察辭,合於事。悅者,知之也。損者,行之也。損之說之,物有不可者,聖人不為之辭。故智者不以言失人之言,故辭不煩而心不虛,志不亂而意不邪。當其難易,而後為之謀;因自然之道以為實。圓者不行,方者不止,是謂大功。益之損之,皆為之辭。用分威散勢之權,以見其悅威,其機危乃為之決。故善損悅者,誓若決水於千仞之堤,轉圓石於萬仞之谷。而能行此者,形勢不得不然也。

損悦とは、機危の決断なり。事に適然有り、物に成敗有り、機危の動は、察せざる可からず。故に聖人は無為を以て徳有るを待ち、言は辞を察し、事に合す。悦とは、知るなり。損とは、実行するなり。損して説けば、物に可ならざる有り、聖人はそれが為に措辭せず。故に智者は己の言を以て人の言を失わず、故に辞は煩わずして心は虚さず、志は乱れずして意は邪ならず。その難易に当たりて、然る後にそれが為に謀り、自然の道に因りて実と為す。円の行われず、方の止まらず、これを大功と謂う。これを益しこれを損ずるは、皆それが為に措辭す。分威散勢の権を用いて、その悦威を見て、その機危は乃ちそれが為に決す。故に損悦に善い者は、千仞の堤に於て水を決し、万仞の谷に於て円石を転ずるが如し。而も能くこれを実行するは、形勢は然らざるを得ざればなり。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.