大方広円覚修多羅了義経
於是辯音菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右遶三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!如是法門甚為希有!世尊!此諸方便一切菩薩於圓覺門有幾修習?願為大眾及末世眾生,方便開示令悟實相。」作是語已五體投地,如是三請終而復始。
すると弁音菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!かくのごとき法門は甚だ希有です!世尊よ!これらの諸方便において、一切菩薩は円覚門において几つか修習があるのですか。願わくは大衆及び末世の衆生のために、方便をもって開示して実相を悟らせてください。」この言葉を終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。
爾時,世尊告辯音菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸大眾及末世眾生,問於如來,如是修習。汝今諦聽!當為汝說。」時,辯音菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。
その時、世尊は弁音菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸々の大衆及び末世の衆生のために、如来にかくのごとき修習を問う。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、弁音菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。
「善男子!一切如來圓覺清淨本無修習及修習者,一切菩薩及末世眾生依於未覺幻力修習,爾時便有二十五種清淨定輪:
「善男子よ!一切如来の円覚清浄は、もとより修習及び修習する者無し。一切菩薩及び末世の衆生は未覚の幻力に依って修習すれば、その時便ち二十五种の清浄定輪あり。
「若諸菩薩唯取極靜,由靜力故永斷煩惱究竟成就,不起於座便入涅槃;此菩薩者,名單修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が唯だ極静を取って、静力によって永く煩悩を断じ究竟成就して、座を起たずして涅槃に入らば、この菩薩を名づけて単修奢摩他という。
「若諸菩薩唯觀如幻,以佛力故變化世界種種作用,備行菩薩清淨妙行,於陀羅尼不失寂念及諸靜慧,此菩薩者,名單修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が唯だ幻の如きを観て、仏力によって世界の種々の作用を変化し、菩薩の清浄妙行を備えて行じ、陀羅尼において寂念及び諸静慧を失わざれば、この菩薩を名づけて単修三摩鉢提という。
「若諸菩薩唯滅諸幻,不取作用獨斷煩惱,煩惱斷盡便證實相;此菩薩者,名單修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が唯だ諸幻を滅して、作用を取らず独り煩悩を断じ、煩悩断尽すれば便ち実相を証すれば、この菩薩を名づけて単修禅那という。
「若諸菩薩先取至靜,以靜慧心照諸幻者,便於是中起菩薩行;此菩薩者,名先修奢摩他,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が先ず至静を取って、静慧の心をもって諸幻を照らす者は、便ちこの中において菩薩行を起こす。この菩薩を名づけて先ず奢摩他を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以靜慧故證至靜性,便斷煩惱永出生死;此菩薩者,名先修奢摩他,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が静慧によって至静の性を証して、便ち煩悩を断じ永く生死を出れば、この菩薩を名づけて先ず奢摩他を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以寂靜慧,復現幻力種種變化度諸眾生,後斷煩惱而入寂滅;此菩薩者,名先修奢摩他,中修三摩缽提,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂静の慧をもって、また幻力の種々の変化を現じて諸衆生を度し、後に煩悩を断じて寂滅に入れば、この菩薩を名づけて先ず奢摩他を修し、中に三摩鉢提を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以至靜力斷煩惱已,後起菩薩清淨妙行度諸眾生;此菩薩者,名先修奢摩他,中修禪那,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が至静の力をもって煩悩を断じて已り、後に菩薩の清浄妙行を起こして諸衆生を度すれば、この菩薩を名づけて先ず奢摩他を修し、中に禅那を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以至靜力心斷煩惱,復度眾生建立世界;此菩薩者,名先修奢摩他,齊修三摩缽提禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が至静の力をもって心に煩悩を断じ、また衆生を度して世界を建立すれば、この菩薩を名づけて先ず奢摩他を修し、斉しく三摩鉢提・禅那を修すという。
「若諸菩薩以至靜力資發變化,後斷煩惱;此菩薩者,名齊修奢摩他、三摩缽提,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が至静の力をもって変化を資発し、後に煩悩を断ぜば、この菩薩を名づけて斉しく奢摩他・三摩鉢提を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以至靜力用資寂滅,後起作用變化境界;此菩薩者,名齊修奢摩他、禪那,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が至静の力をもって寂滅を資し、後に作用を起こして境界を変化せば、この菩薩を名づけて斉しく奢摩他・禅那を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以變化力種種隨順,而取至靜;此菩薩者,名先修三摩缽提,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力をもって種々に随順して、至静を取れば、この菩薩を名づけて先ず三摩鉢提を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以變化力種種境界,而取寂滅;此菩薩者,名先修三摩缽提,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力をもって種々の境界にして、寂滅を取れば、この菩薩を名づけて先ず三摩鉢提を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以變化力而作佛事,安住寂靜,而斷煩惱;此菩薩者,名先修三摩缽提,中修奢摩他,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力をもって仏事を作して、寂静に安住して煩悩を断ぜば、この菩薩を名づけて先ず三摩鉢提を修し、中に奢摩他を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以變化力無礙作用,斷煩惱故,安住至靜;此菩薩者,名先修三摩缽提,中修禪那,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力の无碍なる作用をもって、煩悩を断ずるがゆえに至静に安住すれば、この菩薩を名づけて先ず三摩鉢提を修し、中に禅那を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以變化力方便作用,至靜、寂滅二俱隨順;此菩薩者,名先修三摩缽提,齊修奢摩他、禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力の方便なる作用をもって、至静・寂滅に二倶に随順すれば、この菩薩を名づけて先ず三摩鉢提を修し、斉しく奢摩他・禅那を修すという。
「若諸菩薩以變化力種種起用,資於至靜,後斷煩惱;此菩薩者,名齊修三摩缽提、奢摩他,後修禪那。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力の種々に起用するをもって至静に資して、後に煩悩を断ぜば、この菩薩を名づけて斉しく三摩鉢提・奢摩他を修し、後に禅那を修すという。
「若諸菩薩以變化力資於寂滅,後住清淨,無作靜慮;此菩薩者,名齊修三摩缽提、禪那,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が変化の力をもって寂滅に資し、後に清浄に住して作無き静慮すれば、この菩薩を名づけて斉しく三摩鉢提・禅那を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力而起至靜,住於清淨;此菩薩者,名先修禪那,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力をもって至静を起こして、清浄に住すれば、この菩薩を名づけて先ず禅那を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力而起作用,於一切境寂用隨順;此菩薩者,名先修禪那,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力をもって作用を起こして、一切の境において寂用随順すれば、この菩薩を名づけて先ず禅那を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力種種自性,安於靜慮,而起變化;此菩薩者,名先修禪那,中修奢摩他,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力の種々の自性をもって、静慮に安んじて変化を起こせば、この菩薩を名づけて先ず禅那を修し、中に奢摩他を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力無作自性起於作用,清淨境界歸於靜慮;此菩薩者,名先修禪那,中修三摩缽提,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力の作無き自性をもって作用を起こして、清浄の境界を静慮に帰せば、この菩薩を名づけて先ず禅那を修し、中に三摩鉢提を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力種種清淨,而住靜慮起於變化;此菩薩者,名先修禪那,齊修奢摩他、三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力の種々の清浄をもって、静慮に住して変化を起こせば、この菩薩を名づけて先ず禅那を修し、斉しく奢摩他・三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力資於至靜,而起變化;此菩薩者,名齊修禪那、奢摩他,後修三摩缽提。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力をもって至静に資して、変化を起こせば、この菩薩を名づけて斉しく禅那・奢摩他を修し、後に三摩鉢提を修すという。
「若諸菩薩以寂滅力資於變化,而起至靜清明境慧;此菩薩者,名齊修禪那、三摩缽提,後修奢摩他。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が寂滅の力をもって変化に資して、至静清明の境慧を起こせば、この菩薩を名づけて斉しく禅那・三摩鉢提を修し、後に奢摩他を修すという。
「若諸菩薩以圓覺慧圓合一切,於諸性相無離覺性;此菩薩者,名為圓修三種自性清淨隨順。
(仏は続けて言った。)「もし諸菩薩が円覚の慧をもって一切を円合して、諸々の性相において覚性を離れざれば、この菩薩を名づけて円修三種自性清浄随順という。
「善男子!是名菩薩二十五輪,一切菩薩修行如是。若諸菩薩及末世眾生依此輪者,當持梵行,寂靜思惟,求哀懺悔,經三七日。於二十五輪各安標記,至心求哀,隨手結取;依結開示便知頓漸,一念疑悔即不成就。」
(仏は続けて言った。)「善男子よ!是れを名づけて菩薩の二十五輪という。一切菩薩の修行はかくの如し。もし諸菩薩及び末世の衆生がこの輪に依るには、まさに梵行を持し、寂静に思惟し、哀を求めて懴悔して、三七日を経るべし。二十五輪において各々標記を安じ、至心に哀を求めて、手に随って結取せよ。結んだ所に依って開示すれば、すなわち頓渐を知る。一念の疑悔あればすなわち成就せず。」
爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:
その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。
「辯音汝當知,一切諸菩薩,
「弁音よ、まさに知るべし、一切の諸菩薩の、
無礙清淨慧,皆依禪定生。
无碍清浄の慧は、皆禅定に依って生ず。
所謂奢摩他,三摩提禪那,
いわゆる奢摩他、三摩提・禅那の、
三法頓漸修,有二十五種。
三法の頓渐の修に、二十五种有り。
十方諸如來,三世修行者,
十方の諸如来、三世の修行の者、
無不因此法,而得成菩提;
この法に因らずして菩提を成ずること得たること無し。
唯除頓覺人,並法不隨順。
唯だ頓覚の人を除き、併せて法に随順せざるを除く。
一切諸菩薩,及末世眾生,
一切の諸菩薩、及び末世の衆生は、
常當持此輪,隨順勤修習,
常にまさにこの輪を持して、随順して勤めて修習し、
依佛大悲力,不久證涅槃。」
仏の大悲力に依って、久しからずして涅槃を証せん。」
於是淨諸業障菩薩在大眾中即從座起,頂禮佛足右繞三匝,長跪叉手而白佛言:「大悲世尊!為我等輩廣說如是不思議事一切如來因地行相,令諸大眾得未曾有,覩見調御歷恆沙劫勤苦境界,一切功用猶如一念,我等菩薩深自慶慰。世尊!若此覺心本性清淨,因何染汙,使諸眾生迷悶不入?唯願如來廣為我等開悟法性,令此大眾及末世眾生作將來眼。」說是語已五體投地,如是三請終而復始。
すると浄諸業障菩薩は大衆の中で座から立ち上がり、仏の足を頂礼し、右に三匝して長跪し合掌して仏に言った。「大悲の世尊よ!我等の輩のために広くかくのごとき不可思議の事・一切如来の因地行相を説き、諸々の大衆をして未曾有を得せしめ、調御が恒沙の劫を歴る勤苦の境界を睹見して、一切の功用は一念の如く、我等の菩薩は深く自ら慶慰します。世尊よ!もしこの覚心の本性が清浄ならば、何に因って染汚せられ、諸衆生をして迷悶して入らざらしめるのですか。ただ願わくは如来、広く我等のために法性を開悟して、この大衆及び末世の衆生をして将来の眼と為らしめてください。」この語を説き終えて五体投地し、このように三度請い、終わりから始まりへと繰り返した。
爾時,世尊告淨諸業障菩薩言:「善哉!善哉!善男子!汝等乃能為諸大眾及末世眾生,諮問如來如是方便。汝今諦聽!當為汝說。」時,淨諸業障菩薩奉教歡喜,及諸大眾默然而聽。
その時、世尊は浄諸業障菩薩に告げて言った。「善哉!善哉!善男子よ!あなたたちは諸々の大衆及び末世の衆生のために、如来にかくのごとき方便を諮問す。今よく諦聴せよ!あなたのために説こう。」その時、浄諸業障菩薩は教えを奉じて歓喜し、諸々の大衆も黙然として聴いた。
「善男子!一切眾生從無始來,妄想執有我、人、眾生及與壽命,認四顛倒為實我體,由此便生憎愛二境。於虛妄體重執虛妄,二妄相依生妄業道,有妄業故妄見流轉,厭流轉者妄見涅槃。由此不能入清淨覺,非覺違拒諸能入者,有諸能入,非覺入故。是故動念及與息念皆歸迷悶,何以故?由有無始本起無明為己主宰,一切眾生生無慧目,身心等性皆是無明,譬如有人不自斷命。是故當知!有愛我者我與隨順,非隨順者便生憎怨,為憎愛心養無明故,相續求道皆不成就。
「善男子よ!一切衆生は無始以来、妄想して我・人・衆生及び寿命有りと執し、四顛倒を取って実我の体と認め、これに由って便ち憎愛の二境を生ず。虚妄の体の上に重ねて虚妄を執して、二妄相依りて妄業の道を生じ、妄業あるがゆえに妄りに流転を見、流転を厭う者は妄りに涅槃を見る。これに由って清浄覚に入ること能わず。覚が諸々の能く入る者を違拒するに非ず。諸々の能く入る者有るも、覚に入るがゆえに非ず。ゆえに念を動かすも念を息めるも皆迷悶に帰す。何故か。無始本起の無明有りて自ら主宰と為るがゆえに、一切衆生は生れながらにして慧目無く、身心等の性は皆是れ無明なり。譬えば人有りて自らその命を断たざるが如し。ゆえにまさに知るべし!我を愛する者有れば我はこれに随順し、随順せざる者は便ち憎怨を生ず。憎愛の心が無明を養うがゆえに、相続いて道を求むるも皆成就せず。
「善男子!云何我相?謂諸眾生心所證者。善男子!譬如有人百骸調適忽忘我身;四支絃緩,攝養乖方,微加針艾,則知有我。是故證取方現我體。善男子!其心乃至證於如來,畢竟了知清淨涅槃皆是我相。
(仏は続けて言った。)「善男子よ!何をか我相と為す。諸衆生の心の証する所を謂うなり。善男子よ!譬えば人有りて百骸調適して忽然として我が身を忘るるも、四肢弦緩して摂養方に乖り、微かに鍼艾を加えれば、則ち我有るを知るが如し。ゆえに証取して方に我体を現ず。善男子よ!その心乃至如来に証し、畢竟に清浄涅槃を了知するも、皆是れ我相なり。
「善男子!云何人相?謂諸眾生心悟證者。善男子!悟有我者,不復認我,所悟非我,悟亦如是。悟已超過一切證者,悉為人相。善男子!其心乃至圓悟涅槃俱是我者,心存少悟備殫證理,皆名人相。
(仏は続けて言った。)「善男子よ!何をか人相と為す。諸衆生の心の悟証する所を謂うなり。善男子よ!我有りと悟る者は、復た我を認めず。悟る所は我に非ず、悟るもまたかくの如し。悟はすでに一切の証する者を超過して、悉く人相と為す。善男子よ!その心乃至円悟の涅槃も俱に我なるは、心に少き悟を存して証理を備殚すも、皆名づけて人相という。
「善男子!云何眾生相?謂諸眾生心自證悟所不及者。善男子!譬如有人作如是言:『我是眾生。』則知彼人說眾生者非我非彼。云何非我?我是眾生,則非是我。云何非彼?我是眾生,非彼我故。善男子!但諸眾生了證了悟皆為我、人,而我、人相所不及者,存有所了,名眾生相。
(仏は続けて言った。)「善男子よ!何をか衆生相と為す。諸衆生の心が自ら証悟して及ばざる所を謂うなり。善男子よ!譬えば人有りてかくのごとき言を作す。『我は衆生なり。』則ち彼の人の衆生と説くは我に非ず彼に非ざるを知る。何故に我に非ずや。我は衆生なれば、則ち我に非ざればなり。何故に彼に非ずや。我は衆生なれば、彼の我に非ざるが故なり。善男子よ!但だ諸衆生の証を了し悟を了するは皆我・人なり。しかして我・人の相の及ばざる所に、了する所有りて存すれば、名づけて衆生相という。
「善男子!云何壽命相?謂諸眾生心照清淨覺所了者,一切業智所不自見猶如命根。善男子!若心照見一切覺者皆為塵垢,覺、所覺者不離塵故;如湯銷氷無別有氷,知氷銷者,存我、覺我亦復如是。
(仏は続けて言った。)「善男子よ!何をか寿命相と為す。諸衆生の心が照らして清浄なるを覚し了する所、一切の業智の自ら見ざる所にして、命根の如きを謂うなり。善男子よ!もし心に照見して一切の覚る者は皆塵垢なるが、覚と覚する所の者は塵を離れざるが故なり。湯の氷を銷すに並びて別に氷有りて氷の銷ゆるを知る者無きが如く、我を存し我を覚するもまたかくの如し。
「善男子!末世眾生不了四相,雖經多劫勤苦修道,但名有為,終不能成一切聖果,是故名為正法末世。何以故?認一切我為涅槃故,有證有悟名成就故。譬如有人以賊為子,其家財寶終不成就。何以故?有我愛者亦愛涅槃,伏我愛根為涅槃相;有憎我者亦憎生死,不知愛者真生死故,別憎生死,名不解脫。
(仏は続けて言った。)「善男子よ!末世の衆生は四相を了せず、多劫を経て勤苦して道を修すと雖も、但だ名づけて有為と為し、終に一切の聖果を成ずること能わず。ゆえに名づけて正法の末世という。何故か。一切の我を認めて涅槃と為すが故に、証有り悟有りて名づけて成就と為すが故なり。譬えば人有りて賊を以って子と為せば、その家の財宝は終に成就せざるが如し。何故か。我を愛する者有ればまた涅槃を愛して、我愛の根を伏せて涅槃の相と為す。我を憎む者有ればまた生死を憎むも、愛する者こそ真の生死なるを知らず、別に去って生死を憎めば、名づけて解脱せずという。
「云何當知法不解脫?善男子!彼末世眾生習菩提者,以己微證為自清淨,猶未能盡我相根本。若復有人讚歎彼法,即生歡喜便欲濟度;若復誹謗彼所得者便生瞋恨。則知我相堅固執持,潛伏藏識,遊戲諸根曾不間斷。善男子!彼修道者不除我相,是故不能入清淨覺。善男子!若知我空,無毀我者,有我說法,我未斷故,眾生、壽命亦復如是。
(仏は続けて言った。)「如何にしてかまさに法の解脱せざるを知るべき。善男子よ!彼の末世の衆生で菩提を習う者は、己が微証を以って自ら清浄と為し、猶お未だ我相の根本を尽くすこと能わず。もし復た人有りて彼の法を讃嘆すれば、すなわち歓喜を生じて便ち済度せんと欲す。もしまた彼の得る所を誹謗すれば便ち瞋恨を生ず。則ち我相の堅固に執持して、蔵識に潜伏して諸根に遊戯して曾て間断せざるを知る。善男子よ!彼の道を修する者は我相を除かざれば、清浄覚に入ること能わざるを以ってなり。善男子よ!もし我の空なるを知れば、我を毀る者無し。我有りて法を説けば、我未だ断ぜざるが故なり。衆生・寿命もまたかくの如し。
「善男子!末世眾生說病為法,是故名為可憐愍者;雖勤精進增益諸病,是故不能入清淨覺。善男子!末世眾生不了四相,以如來解及所行處為自修行終不成就。或有眾生未得謂得、未證謂證,見勝進者心生嫉妬;由彼眾生未斷我愛,是故不能入清淨覺。善男子!末世眾生希望成道無令求悟,唯益多聞增長我見;但當精勤降伏煩惱起大勇猛,未得令得、未斷令斷,貪、瞋、愛、慢、諂曲、嫉妬對境不生,彼我恩愛一切寂滅,佛說是人漸次成就。求善知識不墮邪見,若於所求別生憎愛,則不能入清淨覺海。」
(仏は続けて言った。)「善男子よ!末世の衆生は病を説いて法と為す。ゆえに名づけて可憐愍の者という。勤めて精進すると雖も諸病を增益す。ゆえに清浄覚に入ること能わず。善男子よ!末世の衆生は四相を了せず、如来の解及び行く所を以って自らの修行と為せば、終に成就せず。或いは衆生有りて未だ得ずして得たりと謂い、未だ証せずして証せりと謂い、勝進の者を見て心に嫉妬を生ず。彼の衆生は未だ我愛を断ぜざるに由って、清浄覚に入ること能わざればなり。善男子よ!末世の衆生が成道を希望するに、彼をしてただ悟解を求めしむること莫れ。それはただ多聞を增益し我見を増長するのみ。但だまさに精勤して煩悩を降伏し、大勇猛を起こし、未だ得ざるを得せしめ、未だ断ぜざるを断ぜしめ、貪・瞋・愛・慢・諂曲・嫉妬が境に対して生ぜず、彼我の恩愛一切寂滅せば、仏はこの人を説いて漸次に成就すと為す。善知識を求めて邪見に堕ちず。もし求むる所において別に憎愛を生ぜば、則ち清浄覚海に入ること能わず。」
爾時,世尊欲重宣此義而說偈言:
その時、世尊はこの義を重ねて宣べんと欲して偈を説いた。
「淨業汝當知,一切諸眾生,
「浄業よ、まさに知るべし、一切の諸衆生は、
皆由執我愛,無始妄流轉,
皆我愛を執るに由り、無始より妄りに流転し、
未除四種相,不得成菩提。
四種の相を除かざれば、菩提を成ずることを得ず。
愛憎生於心,諂曲存諸念,
愛憎は心に生じ、諂曲は諸念に存し、
是故多迷悶,不能入覺城。
ゆえに多く迷悶して、覚城に入ること能わず。
若能歸悟剎,先去貪瞋痴,
若し悟の刹に帰すること能わば、先ず貪瞋癡を去り、
法愛不存心,漸次可成就。
法愛を心に存せざれば、漸次に成就すべし。
我身本不有,憎愛何由生?
我が身は本より有らず、憎愛何に由ってか生ぜん。
此人求善友,終不墮邪見。
この人が善友を求めれば、終に邪見に堕ちず。
