Libo

曾國藩相術口訣

清 · 曾国藩(旧题)

人の心術の正邪を断ずるには、まず眼と鼻を見る——眼差しが定まって彷徨わないか、鼻梁がまっすぐで歪んでいないか。言葉が真心か虚偽かを断ずるには…

相術典籍

部位別に読むほうが通読より効率的である。相書中の社会的背景の記述にはその時代の刻印が強く残っている点に注意。

邪正看眼鼻,真假看嘴唇;功名看氣概,富貴看精神;主意看指爪,風波看腳筋;若要看條理,全在語言中。

人の心術の正邪を断ずるには、まず眼と鼻を見る——眼差しが定まって彷徨わないか、鼻梁がまっすぐで歪んでいないか。言葉が真心か虚偽かを断ずるには、唇の厚さと開閉を見る。功名を成し得るかは、その人全体の気度・気勢を見る。富貴になれるかは、精神が充実して散漫でないかを見る。主見・決断の有無は、指と爪の堅実さか薄弱さを見る。一生に波瀾が多いかは、足の筋と歩様が落ち着いて根があるかを見る。仕事に条理・段取りがあるかは、口を開いたときの言葉の次第にすべて現れる。

氷鑑

第一 神骨

語云:“脫谷為糠,其髓斯存”,神之渭也。“山騫不崩,唯百為鎮”,骨之謂也。一身精神,具乎兩目;一身骨相,具乎面部。他家兼論形骸,文人先觀神骨。開門見山,此為第一。文人論神,有清濁之辨。清濁易辨,邪正難辨。欲辨邪正,先觀動靜;靜若含珠,動若木發;靜若無人,動若赴的,此為澄清到底。靜若螢光,動若流水,尖巧而喜淫;靜若半睡,動若鹿駭,別人而深思。一為敗器,一為隱流,均之託跡於清,不可不辨。

古語に「穀が殻を脱いで糠となっても、その髄はなお残る」とある。これは「神」のことを言う——形骸は糠殻にすぎず、神こそが殻の中の形骸とともに消磨しないものである(底本は「神之渭也」で、「渭」は「謂」の誤字)。また「山は損なわれ崩落してもついに倒れないのは、岩が内にあって鎮めているからだ」とある。これは「骨」のことを言う(底本は「唯百為鎮」で、「百」は「石」の誤字)。人の精神はすべて両目に集まり、骨相はすべて顔面に現れる。だから人を相するには、まず眼差しと顔の骨格を見る。他家の相法は身形・躯殻まで併せて論じるが、読書人が人を相するにはまず神と骨を見る。開門見山、これが全書の第一の要義である。読書人が「神」を論ずるには、まず「清」と「濁」を分ける。清濁は気質の精粗で、一目で判別できる。判別しにくいのは清の中の「邪」と「正」である。邪正を辨じようとすれば、まず静のときと動のときの二つの姿を見る。静にして口に珠を含むがごとく凝定して内に斂まり、動にして春木の芽吹くがごとく生機が自然である。静にして傍に人なきがごとく安らかで、動にして箭が的に向かうがごとく専一である——これが裏から表まで澄みきった正しい人で、器局を托すに足る。これに反して、静にして目光が蛍火のように明滅定まらず、動にして流水のように滑らかで根がない者は、機巧で尖刻かつ好色である。静にして半睡半覚のごとく応接を怠り、動にして驚いた鹿のように慌てふためく者は、城府が深く人を陥れようとする。前者はついに廃材であり、後者は暗がりに潜む陰険の輩である。この二種の人はともに「清」の外見に身を隠しているので、細かく辨じなければならない。

凡精神,抖擻處易見,斷續處難見。斷者出處斷,續者閉處續。道家所謂“收拾入門”之說,不了處看其脫略,做了處看其針線。小心者,從其不了處看之,疏節闊目,若不經意,所謂脫略也。大膽者,從其做了處看之,慎重周密,無有苟且,所謂針線也。二者實看向內處,稍移外便落情態矣,情態易見。

およそ人の精神は、奮い立って外に露われているときは見やすいが、時に断ち時に続き、かすかに現れては隠れるところは最も見にくい。「断」とは、精神が外に発露しているときにふと中断すること。「続」とは、精神が収斂して閉蔵されているときに、密かに連綿と絶えないことである。道家のいう「收拾入門」とは、まさにこの斂めて散らさない火候を言う。辨じ方は逆にする。彼がまだ收拾せず、なりゆきに任せて振る舞うところに「脱略」があるかを見、彼が心を込めて成し遂げたところに「針線」があるかを見る。心が細密な人は、その随意なところから見る——大らかに墨を落とし、細部にこだわらず、まったく心にかけていないかのようであれば、これが「脱略」である。大胆に事を為す人は、その心を尽くしたところから見る——慎重で周到、一カ所もいい加減なところがなければ、これが「針線」である。小心な人が疏放でき、大胆な人が細密であってこそ、内に真のものがあるとわかり、成器の相となる。この二つの功夫はいずれも人の心の内を見るもので、少しでも外へずらせば、見えるのは「情態」だけになる。情態は外に浮かんでいるので、もともと見やすいのである。

神骨・論骨

骨有九起:天庭骨隆起,枕骨強起,頂骨平起,佐串骨角起,太陽骨線起,眉骨伏犀起,鼻骨芽起,顴骨若不得而起,項骨平伏起。在頭,以天庭骨、枕骨、太陽骨為主;在面,以眉骨、顴骨為主。五者備,柱石之器也;一則不窮;二則不賤;三則動履稍勝;四則貴矣。

骨相には隆起すべき九カ所がある。額の中央の「天庭骨」は豊かに隆起し、後頭の「枕骨」は強く突き出し、頭頂の「頂骨」は平正に起ち、耳の後ろから後頭へ連なる「佐串骨」は角張り、両側のこめかみの「太陽骨」はかすかな骨線を現し、眉棱の「眉骨」は犀の角のように皮下に伏し、鼻梁の「鼻骨」は新芽のようにまっすぐに挺ち出し、両「顴骨」は控えめに起って力んだようには見えず、後頸の「項骨」は平らに伏して陥没しない。頭部では天庭骨・枕骨・太陽骨の三カ所を主とし、面部では眉骨・顴骨の二カ所を主とする。この五カ所がすべてよく備わっていれば、国家の柱石となり得る器局である。一カ所だけでも一生窮することはなく、二カ所あれば卑賤には至らず、三カ所あれば仕官して常人より一頭地を出、四カ所あれば貴顕になれる。

骨有色,面以青為貴,“少年公卿半青面”是也。紫次之,白斯下矣。骨有質,頭以聯者為貴,碎次之。總之,頭上無惡骨,面佳不如頭佳。然大而缺天庭,終是賤品;圓而無串骨,半是孤僧;鼻骨犯眉,堂上不壽;顴骨與眼爭,子嗣不立。此中貴賤,有毫釐千里之辨。

骨から透けて出る色は、顔ではかすかに青みを帯びるのを貴びとし、諺の「少年で公卿まで昇る者は、半ば青い顔をしている」はこのことを言う。紫はその次、白は下乗に落ちる。骨の質は、頭骨が各所で連なり貫かれて渾然と一片となるのを貴びとし、細切れで継ぎ目がないのが次である。要するに、頭に悪骨がなければ、面相がよいよりも頭骨がよいほうが勝る。ただし例外もある。頭は大きいのに額の天庭が陥没・欠損している者は、結局は下賤の品である。頭は円いのに耳の後ろに佐串骨がない者は、多くは孤独な僧道の命である。鼻骨が上に衝き出して両眉の間を侵す者は、父母・長輩が高寿を得られないことを主る。顴骨が高く聳えて目と勢いを争い、眼神を圧する者は、子嗣が立たないことを主る。同じ骨相でも、貴と賤の間には毫厘の差で千里の違いがあるので、細かく辨じなければならない。

第二 剛柔

既識神骨,當辨剛柔。剛柔,則五行生剋之數,名曰“先天種子”,不足用補,有餘用洩。消息與命相通,此其較然易見者。五行有合法,木合火,水合木,此順而合。順者多富,即貴亦在浮沉之間。金與火仇,有時合火,推之水土者皆然,此逆而合者,其貴非常。然所謂逆合者,金形帶火則然,火形帶金,則三十死矣;水形帶土則然,土形帶水,則孤寡終老矣;木形帶金則然,金形帶木,則刀劍隨身矣。此外牽合,俱是雜格,不入文人正論。

神と骨を見極めたら、次に「剛柔」を辨じる。剛柔は五行生克の理に属し、相家はこれを「先天種子」と呼ぶ。人が生まれて持つ元手であり、ある行が不足していれば別の行で補い、ある行が余っていれば別の行で泄らす。この一進一退の消長は八字命理と相通じるもので、剛柔のうち最も明らかで見やすい層である。五行の配合にはおのずと法度がある。木は火を生ずるので、木形の人が少し火色を帯びるのを「合」とし、水は木を生ずるので、水形の人が少し木気を帯びるのを「合」とする。これを「順合」と言う。順合の人は多く富足を得られるが、貴顕になっても浮き沈みの間にあって、あまり安定しない。金と火はもともと相克の仇敵だが、金形の人があえて少し火色を帯びるとかえって合となる。水と土など相克する二行に推し広げても同じで、これを「逆合」と言い、逆合の人の貴は尋常ではない。ただし「逆合」には厳格な方向性があり、逆にしてはならない。金形に火を帯びる場合のみ成り立ち、逆に火形に金を帯びれば、三十歳で夭亡の危険がある。水形に土を帯びる場合のみ成り立ち、逆に土形に水を帯びれば、孤独・無偶で一生を終える。木形に金を帯びる場合のみ成り立ち、逆に金形に木を帯びれば、一生刀剣が身に付き、危険な事が多い。このほか無理に組み合わせた配合はすべて「雑格」で、読書人の相法の正論には入らない。

五行為外剛柔,內剛柔,則喜怒、跳伏、深淺者是也。喜高怒重,過目輒忘,近“粗”。伏亦不伉,跳亦不揚,近“蠢”。初念甚淺,轉念甚深,近“奸”。內奸者,功名可期。粗蠢各半者,勝人以壽。純奸能豁達,其人終成。純粗無周密,半途必棄。觀人所忽,十有九八矣。

上で述べた五行は「外剛柔」で、形と色を見る。「内剛柔」は性情から見るもので、喜怒の分量、跳伏の動静、心の深浅の三つである。喜ぶと我を忘れ、怒ると格別に重いのに、事が目の前を過ぎるとさっぱり忘れてしまう者は「粗」に近い。沈静すべきときに挺拔した力がなく、振作すべきときにも揚がらず、ひたすら平庸な者は「蠢」に近い。初めの念は極めて浅く見えて、転念したあとは極めて深い者は「奸」に近い。この三者のうち、内に機心を蔵して外に現さない「奸」は、功名が期できる。粗と蠢が半々の者は、ほかでは人に勝てないが、寿数だけは人に勝る。奸が純粋でありながら豁達で大らか、些事を计较しない者は、ついに事を成す。粗が純粋で周密なところがまったくない者は、何をしても中途で棄てる。人を相するときは、他人が最も見落としやすいこうした点に専ら留意すれば、十回のうち八九回は見当が付く。

第三 容貌

容以七尺為期,貌合兩儀而論。胸腹手足,實接五行;耳目口鼻,全通四氣。相顧相稱,則福生;如背如湊,則林林總總,不足論也。容貴“整”,“整”非整齊之謂。短不豕蹲,長不茅立,肥不熊餐,瘦不鵲寒,所謂“整”也。背宜圓厚,腹宜突坦,手宜溫軟,曲若彎弓,足宜豐滿,下宜藏蛋,所謂“整”也。五短多貴,兩大不揚,負重高官,鼠行好利,此為定格。他如手長於身,身過於體,配以佳骨,定主封侯;羅紋滿身,胸有秀骨,配以妙神,不拜相即鼎甲矣。

「容」とは全身を指し、七尺の躯を一つの全体として見る。「貌」とは顔面を指し、陰陽両儀に合わせて論じる。胸・腹・手・足といった胴体と四肢は実際に金木水火土の五行に対応し、耳・目・口・鼻という諸竅は四時の気と通じている。全身の各部が互いに照応し、比例がつり合っていれば、福はそこから生まれる。それぞれがばらばらに育ち、互いに背き合って無理に一カ所に寄せ集められたならば、それは群衆の中のありふれた皮袋にすぎず、論じるに足りない。「容」は「整」を貴ぶ。この「整」とは服装が整っていることではなく、身形が均整で各部が釣り合っていることである。背が低くても豚のように蹲まらず、背が高くても茅草のように干痩れて立たず、太っていても熊が食べるときのように膨腫で鈍重でなく、痩せていても寒鵲のように縮こまって寒がらない——これが「整」である。背は円く厚く、腹は突き出して平坦、手は温かく柔らかく、屈めれば開いた弯弓のよう、足は豊満で、足の裏は凹んで卵一個を蔵せるほど——これも「整」である。頭・面・身・手・足の五カ所がいずれも短くて均整の取れている者は多く貴を主るが、そのうち二カ所が特に粗大だとかえって顕達しない。歩くときに重物を負うように落ち着いている者は高官になれ、鼠のようにせわしなく細かい歩幅で歩く者は小利を貪る。これらは定格である。このほか、両手を垂らすと身幹より長く、上半身が下半身に勝り、さらに良い骨を備えていれば、必ず封侯を主る。全身の皮膚に細かい羅紋があり、胸前の骨格が清秀で、さらに良い神気を備えていれば、宰相に拝せられなくても殿試の前三名に入る。

容貌・科名星と陰騭紋

貌有清、古、奇、秀之別,總之須看科名星與陰騭紋為主。科名星,十三歲至三十九歲隨時而見;陰騭紋,十九歲至四十六歲隨時而見。二者全,大物也;得一亦貴。科名星見於印堂眉彩,時隱時見,或為鋼針,或為小丸,嘗有光氣,酒後及發怒時易見。陰騭紋見於眼角,陰雨便見,如三叉樣,假寐時最易見。得科名星者早榮,得陰騭紋者遲發。二者全無,前程莫問。陰騭紋見於喉間,又主生貴子;雜路不在此路。

面貌には「清」「古」「奇」「秀」の格調の別があるが、帰結するところは「科名星」と「陰騭紋」の二つを主として判断しなければならない。科名星は十三歳から三十九歳の間に随時現れ得、陰騭紋は十九歳から四十六歳の間に随時現れ得る。二つを兼ね備えた者は大器であり、一つだけ得ても貴顕を主る。科名星は両眉の間の印堂と眉毛の光彩に現れ、時に隠れ時に現れ、形はあるときは鋼の針のように、あるときは小さな丸玉のようで、常に一層の光気を帯び、酒後や怒ったときに最も見やすい。陰騭紋は目尻に現れ、陰雨天に顕れ、形は三叉のようで、うたた寝の半睡のときに最も見やすい。科名星を得た者は早年に栄顕し、陰騭紋を得た者は発達が遅い。二つともない者は、前程は問うまでもない。陰騭紋が喉のあたりに現れたなら、また貴い子を生むことを主る。科挙の正途から出ない者は、この見方の範囲に入らない。

容貌・五官貴賤の徴

目者面之淵,不深則不清。鼻者面之山,不高則不靈。口闊而方祿千種,齒多而圓不家食。眼角入鬢,必掌刑名。頂見於面,終司錢穀:出貴征也。舌脫無官,橘皮不顯。文人有傷左目,鷹鼻動便食人:此賤征也。

目は顔の深淵であり、深くなければ清く神が宿らない。鼻は顔の高山であり、高くなければ霊秀が見えない。口が広くて端正な者は、千種の禄を食む。歯の数が多くて円く整っている者は、自宅の田産に寄らずに、外に出て自ずと食を得る。目尻が斜めに長く入って鬢角に達する者は、必ず刑獄の権を掌る。頭頂の骨勢がかすかに正面から見える者は、ついに銭穀・財賦を執る——これらはみな顕貴の徴象である。これに反して、舌が短く縮んで働かず、言葉が抜け落ちて不明瞭な者は、官にはなれない。面の皮が橘皮のように粗い者は、一生顕達できない。読書人で左目に傷がある者、鼻が鷹のように鉤曲していて動くたびに人を啄み食おうとするかのような者——これらはみな下賤の徴象である。

第四 情態

容貌者,骨之餘,常佐骨之不足。情態者,神之餘,常佐神之不足。久注觀人精神,乍見觀人情態。大家舉止,羞澀亦佳;小兒行藏,跳叫愈失。大旨亦辨清濁,細處兼論取舍。有弱態,有狂態,有疏懶態,有周旋態。飛鳥依人,情致婉轉,此弱態也。不衫不履,旁若無人,此狂態也。坐止自如,問答隨意,此疏懶態也。飾其中機,不苟言笑,察言觀色,趨吉避凶,則周旋態也。皆根其情,不由矯枉。弱而不媚,狂而不譁,疏懶而真誠,周旋而健舉,皆能成器;反之,敗類也。大概亦得二三矣。

容貌は骨相の外に余分に出た層で、常に骨相の不足を補う。情態は神采の外に余分に出た層で、常に神の不足を補う。だから人の精神を見るには長く注視してゆっくり体得し、情態を見るにはぱっと顔を合わせた一瞬に捉える。大家の子弟の挙止は、多少の羞澁・拘謹があってもなおよい。小家の子供の行藏は、跳ね叫ぶほどに軽薄で失格に見える。情態を見るには、大筋はやはり清濁を辨じ、細かいところではその人が取るべきか捨てるべきかを論じる。情態はおおよそ四種に分かれる。「弱態」「狂態」「疏懶態」「周旋態」である。飛鳥が人に寄り添うように柔順で、情致が宛転と余裕があるのが弱態である。衣装も履物も構わず、傍に人がいないかのようなのが狂態である。坐も立ちも自在で、問うに任せて答え、さらりと受け応えるのが疏懶態である。心中の機心を飾り隠し、軽々しく言笑せず、至る所で言色を察し、吉に趨き凶を避けるのが周旋態である。この四種はいずれも各人の本性から生まれたもので、無理な造作ではない。柔弱でありながら諂わず、狂放でありながら喧騒せず、疏懶でありながら人に真誠をもって接し、周旋でありながら事を成す力がある——この四種��人はみな成器である。これに反して、弱くて諂い、狂くて騒がしく、疏懶で虚浮、周旋で円滑だけに終わる者は、敗類である。この一条で人を相すれば、おおよそ十人のうち二三人は見当が付く。

前者恆態,又有時態。方有對談,神忽他往;眾方稱言,此獨冷笑;深險難近,不足與論情。言不必當,極口稱是,未交此人,故意底毀;卑庸可恥,不足與論事。漫無可否,臨事遲迴;不甚關情,亦為墮淚;婦人之仁,不足與談心。三者不必定人終身。反此以求,可以交天下士。

先に述べた四種は骨に根ざした「恒態」で、このほかに一時的に現れる「時態」がある。ちょうど人と対談しているのに、神思がふとどこかへ行ってしまう。衆人がちょうどある事を称賛しているのに、この者だけが傍らで冷笑する——こういう人は城府が深く険悪で近づきがたく、情を語るに足りない。他人の言うことが必ずしも妥当でなくても、口を極めて是と称え、まだ交わりもしない人をわざと陰で謗る——こういう人は卑下で庸俗、恥ずべきで、事を共にするに足りない。何事にも可否を言わず、事に臨んで躊躇・回避し、もともと関わりのない事にも涙を流して付き添う——こういう人は婦人式の姑息な仁しかなく、心を交わすに足りない。この三種はいずれも一時の態で、必ずしもこれで一生を断定できない。逆に、この三種と反対の姿で人を求めれば、天下の賢士と交わることができる。

第五 須眉

“鬚眉男子”。未有鬚眉不具可稱男子者。“少年兩道眉,臨老一付鬚。”此言眉主早成,鬚主晚運也。然而紫面無鬚自貴,暴腮缺鬚亦榮:郭令公半部不全,霍膘驍一副寡臉。此等間逢,畢竟有鬚眉者,十之九也。

古人は男子を「須眉男子」と呼んだ。須眉の具わらない者で大丈夫と称せられる者はいないとわかる。相諺に「少年は二道の眉を見、老いては一部の須を見る」とある。これは眉がその人の早年の成就を主り、鬚がその人の晚年の運程を主ることを言う。ただし例外もある。顔色が紫を帯びる者は鬚がなくても自ずから貴顕になり、頬骨が横に張り出した者は鬚が欠けていても同じく栄達する。唐代の郭子儀は汾陽王に封じられ世に郭令公と称されたが、鬚は半部しかなく齊整ではなかった。漢代の霍去病は驃騎将軍に至ったが、同じく鬚のない寡顔だった(底本は「霍膘驍」で、「霍驃騎」の誤字)。こうした例外に時折出会うが、帰結するところ、成器の人のうち須眉の齊っている者は依然として十中八九を占める。

須眉・論眉

眉尚彩,彩者,杪處反光也。貴人有三層彩,有一二層者。所謂“文明氣象”,宜疏爽不宜凝滯。一望有乘風翔舞之勢,上也;如潑墨者,最下。倒豎者,上也;下垂者,最下。長有起伏,短有神氣;濃忌浮光,淡忌枯索。如劍者掌兵權,如帚者赴法場。箇中亦有徵範,不可不辨。但如壓眼不利,散亂多憂,細而帶媚,粗而無文,是最下乘。

眉毛は「彩」があるのを貴ぶ。彩とは、眉梢の末端の毛先に返ってくるあの光沢である。貴人の眉には三層の彩があり、一二層だけ見える者もいる。これが相書のいう「文明氣象」で、眉は疎朗で爽利であるべきで、濃密で板滯するのを忌む。一目見て風に乗って舞う勢いがあるのが上品で、墨をぶちまけたようで一本一本の眉毛が見分けられないのが最下品である。眉毛が逆立っているのが上品で、下に垂れているのが最下品である。長い眉には起伏・波瀾が要り、短い眉には精神・気勢が要る。濃い眉は表面に浮かぶ賊光を忌み、淡い眉は枯れて疎らで生気のないのを忌む。眉形が利剣のような者は兵権を掌り、散乱して帚のような者は法場に赴く。ここには自ずと徴験の範があり、辨じなければならない。眉が低く目を圧する者は処事が不利、眉が散乱して集まらない者は憂愁が多いことを主り、眉が細くて嫵媚な気を帯びる者、眉が粗くて紋理・条理がまったくない者は、いずれも最下乘の眉相である。

須眉・論須

須有多寡,取其與眉相稱。多者,宜清、宜疏、宜縮、宜參差不齊;少者,宜光、宜健、宜圓、宜有情照顧。卷如螺紋,聰明豁達;長如解索,風流榮顯;勁如張戟,位高權重;亮若銀條,早登廊廟,皆宦途大器。紫鬚劍眉,聲音洪壯;蓬然虯亂,嘗見耳後,配以神骨清奇,不千里封侯,亦十年拜相。他如“輔鬚先長終不利”、“人中不見一世窮”、“鼻毛接鬚多滯晦”、“短斃遮口餓終身”,此其顯而可見者耳。

鬚には多い少ないがあり、善し悪しは眉と釣り合うかで見る。鬚の多い人は、清朗・疎落・收束して散らない・長短が參差して呆板に齊わないのがよい。鬚の少ない人は、光潤・剛健・円轉・顧盼に情のあるのがよい。鬚が螺紋のように捲れる者は、聡明で豁達。鬚が長くて解いた繩索のように柔順で分かれている者は、風流倜儻で榮顯。鬚が張った長戟のように勁い者は、位が高く権が重い。鬚が一条一条の銀絲のように輝く者は、早年から朝廷に列する——この数種はみな官場の大器である。紫の鬚に劍眉を備え、声が洪亮で雄壯な者、鬚が蓬然と虯曲して乱れ、耳の後ろまで見えるほどで、さらに清奇な神骨を備えていれば、千里の封侯でなくても十年以内に宰相に拝す。このほか相諺に「両頬の輔鬚が先に伸びた者は、ついに不利」「人中が鬚で隠れて見えない者は、一世窮困」「鼻毛と鬚が一片に連なった者は、運が滯塞して晦暗」「短い鬚が口を遮る者は、一生飢える」(底本は「短斃」で、「短髭」の誤字)とある——これらはみな明らかに見て取れる鬚相である。

第六 聲音

人之聲音,猶天地之氣,輕清上浮,重濁下墜。始於丹田,發於喉,轉於舌,辨於齒,出於唇,實與五音相配。取其自成一家,不必一一合調,聞聲相思,其人斯在,寧必一見決英雄哉!聲與音不同。聲主“張”,尋發處見;音主“斂”,尋歇處見。辨聲之法,必辨喜怒哀樂;喜如折竹,怒如陰雷起地,哀如擊薄冰,樂如雪舞風前,大概以輕為上。聲雄者,如鍾則貴,如鑼則賤;聲雌者,如雉鳴則貴,如蛙鳴則賤。遠聽聲雄,近聽悠揚,起若乘風,止如拍琴,上上。“大言不張唇,細言不露齒”,上也。出而不返,荒郊牛鳴;急而不達,深夜鼠嚼;或字句相聯,喋喋利口;或齒喉隔斷,喈喈混談:市井之夫,何足比較?

人の聲音は天地の氣のごとく、軽く清いものは自然に上に浮かび、重く濁ったものは自然に下に墜ちる。聲は丹田に始まり、喉に發し、舌に轉じ、齒に辨じられ、最後に唇から出る。実際に宮商角徴羽の五音に配されている。聲音を相するには、それが自ずから一家を成し、自らの氣象を持つことだけを取り、字字が樂律に合う必要はない。人の聲を聞いてその人を思い見れば、その人の器局もその中にある。必ずしも面を合わせてからでなければ英雄かどうかを断定できないと、誰が言おうか。「聲」と「音」とは同じではない。聲は「張」を主り、口を開いて發する一瞬に聞く。音は「斂」を主り、言葉が靜まる餘韻の中に聞く。聲を辨じる方法は、喜怒哀樂の四つの場合の違いを辨じなければならない。喜のときの聲は竹を折るごとく清脆で潔く、怒のときの聲は悶雷が地下から轟き起こるごとく、哀のときの聲は薄氷を打つごとく清く冷えて碎けやすく、樂のときの聲は雪花が風の前に舞うごとく軽揚で自在である。大體は輕清を上とする。聲が雄渾な人は、洪鐘のごとき聲は貴を主り、破鑼のごとき聲は賤を主る。聲が陰柔に偏る人は、雉雞が鳴くごとき聲は貴を主り、蛙が噪ぐごとき聲は賤を主る。遠くから聞けば雄壯で、近くから聞けば悠揚、起頭は風に乗って來るがごとく、收尾は琴を拍って突如止むがごとき、これが上上の聲である。相諺に「大言は唇を張らず、細言は齒を露わさず」とあるのも、これは上品である。これに反して、聲が出て返らない者は、荒郊の野外の牛鳴のごとく、急ぎて明瞭に言えない者は、深夜に鼠が物を齧るごとく、あるいは字句が黏連して喋々と口舌の利を逞しくし、あるいは齒間喉間が隔斷して含混として咕嚕と呟く——これらはみな市井の小人の聲で、比較に値しない。

音者,聲之餘也,與聲相去不遠,此則從細曲中見耳。貧賤者有聲無音,尖巧者有音無聲,所□“禽無聲,獸元音”是也。凡人說話,是聲散在前後左右者是也。開談多含情,話終有餘響,不唯雅人,兼稱國士;口闊無溢出,舌尖無窕音,不唯實厚,兼獲名高。

「音」は聲の餘韻で、聲とは遠くないが、あの細かく宛轉たる尾音から體察しなければならない。貧賤の人は聲はあっても音がなく、言い終わるとすぐ斷れて餘韻がない。尖刻で機巧な人は音はあっても聲がなく、綿軟で含混し、堂堂正正の聲を發せない。相書に「禽には聲があって音がなく、獸には音があって聲がない」とあるのは、この理を言う(底本では「所」の下に「謂」の一字が脫落しており、ウェブ頁の文字殘損による。「獸元音」の「元」は「無」の誤り)。凡そ人が話すとき、前後左右に散り、四面に縈繞して去らない餘韻が「音」である。話し始めに情を多く含み、話が終わっても餘響が絶えない者は、風雅の士であるばかりか「國士」の稱にも足る。口は闊いが聲氣が外に溢れて散亂せず、舌は尖利だが軽佻浮蕩な音を帶びない者は、篤實で厚重であるばかりか、高名を得ることができる。

第七 氣色

面部如命,氣色如運。大命固宜整齊,小運亦當亨泰。是故光焰不發,珠玉與瓦礫同觀;藻繪未揚,明光與布葛齊價。大者主一生禍福,小者亦三月吉凶。人以氣為主,於內為精神,於外為氣色。有終身之氣色,“少淡、長明、壯豔、老素”是也。有一年之氣色,“春青、夏紅、秋黃、冬白”是也。有一月之氣色,“朔後森發,望後隱躍”是也。有一日之氣色,“早青、晝滿、晚停、暮靜”是也。

面部の骨肉の格局は人の「命」に譬えられ、面に浮かぶ氣色は人の「運」に譬えられる。大命はもとより端正齊整でなければならないが、小運も亨通して順泰でなければならない。だから、光焰が發しなければ、珠玉も瓦礫も見分けがつかない。文彩が煥發しなければ、上質の明光錦も粗い麻葛布も同じ値段で賣られる。氣色は大きく言えば一生の禍福を主り、小さく言えば三ヶ月以内の吉凶を主る。人は「氣」を根本とし、この氣が內に蔵されれば精神となり、外に透ければ氣色となる。一生を主る氣色があり、「少年は淡く、成長すれば明るく、壯年は艷やかに、老いては素に」がそれである。一年を主る氣色があり、「春は青く、夏は紅く、秋は黃く、冬は白く」がそれである。一月を主る氣色があり、「初一以後は氣色が森然と發露し、十五以後は隱躍して漸く收まる」がそれである。一日を主る氣色があり、「清晨は青く初生、白晝は滿ちて充盈、傍晚は停まって進まず、入夜は靜かに歸藏する」がそれである。

氣色・黃を正色とし吉色とす

科名中人,以黃為主,此正色也。黃雲蓋頂,必掇大魁;黃翅入鬢,進身不遠;印堂黃色,富貴逼人;明堂素淨,明年及第。他如眼角霞鮮,決利小考;印堂垂紫,動獲小利;紅暈中分,定產佳兒;兩顴紅潤,骨肉發跡。由此推之,足見一斑矣。

科挙功名の道を行く人は、氣色を黃を主とする。黃はこの道の正色である。黃氣が雲のごとく頭頂を籠罩する者は、必ず魁首を掇る。黃色が兩片の翅のごとく鬢角に入る者は、進身の期は遠くない。兩眉の間の印堂に黃色が現れる者は、富貴が逼って來る。鼻準一帶の明堂部位が素淨で瑕ない者は、來年には及第できる。このほか、目尻に鮮明な霞色が泛ぶ者は小考が順利を主り、印堂に一縷の紫氣が垂れる者は一動あれば小利を獲ることを主り、面上の紅暈が中間から分かれる者は必ず良い子を生むことを主り、兩顴が紅潤で光ある者は骨肉至親が發迹に從うことを主る。この路数で推し進めれば、氣色が吉を主る理は一斑を窺うに足る。

氣色・青を忌み白を忌み凶色

色忌青,忌白。青常見於眼底,白常見於眉端。然亦不同:心事憂勞,青如凝墨;禍生不測,青如浮煙;酒色憊倦,白如臥羊;災晦催人,白如傅粉。又有青而帶紫,金形遇之而飛揚;白而有光,土庚相當亦富貴,又不在此論也。最不佳者:“太白夾日月,烏鳥集天庭,桃花散面頰,預尾守地閣。”有一於此,前程退落,禍患再三矣。

氣色は青を忌み、白をも忌む。青色は常に目の下に現れ、白色は常に眉梢の端に現れる。しかし同じ青でも、同じ白でも、主るところが違う。心に憂愁・勞苦のある者は、その青は凝り固まった墨のごとく沈暗。不測の禍が將に至らんとする者は、その青は一縷の浮動する煙のごとし。酒色に過ぎて困倦・虧損した者は、その白は臥した羊のごとく死板で光なし。災禍・晦氣が逼って來る者は、その白は面上に粉を傅いたごとし。また、青で紫を帶びる者は、金形の人がこれに遇えばかえって飛黃騰達する。白で光ある者は、土形の人が庚金に配されれば同じく富貴を主る——この二種は忌諱の列に入らない。最も良くない氣色は四つある。「太白のごとき白氣が左右の兩眼を夾む(相家は兩眼を日月と呼ぶ)、烏黑の氣が額の天庭に集まる、桃花のごとき紅色が兩頰に散る、晦濁の氣が顎の地閣に蟠踞する」。この四つのうち一つでもあれば、前程は退落し、禍患が相次いで來る(底本は「預尾」で、「穢尾」の誤り、晦濁不潔の氣を指す)。

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