十四、《既済・大象》「患を思いて豫めこれを防ぐ」
童子問曰:“《既濟》之《象》曰‘君子思患而豫防之’者,何謂也?”曰:“人情處危則慮深,居安則意怠,而患常生於怠忽也,是以君子既濟,則思患而豫防之也。”
童子が問う:「《既済》の《大象伝》に「君子は患を思いて豫めこれを防ぐ」という、これは何の意味ですか。」欧陽修が答える:「人の常情はこのようである:身が危境に処する時は思慮が格外に深細で、いったん安穩に下り来れば、心思は懈怠する。しかるに禍患は偏に最も懈怠疏忽の時において冒出することを愛す。《既済》は事がすでに弁じ成され局面がすでに安定した卦で、まさに最も松勁し易い関口である。ゆえに君子はこの時に却って出現し得べき禍患を思い、豫め以て防備を加う――功の成る日は、まさに防を設くる時である。」
十五、《未済・大象》「慎んで物を辨じて方に居らしむ」
童子問曰:“‘火在水上,未濟。君子以慎辨物居方’,何謂也?”曰:“《未濟》之《象》,火宜居下而反居上,水宜居上而反居下,二物各失其所居,而不相濟也,故君子慎辨其物宜,而各置其物於所宜居之方,以相為用,所以濟乎未濟也。”
童子が問う:「《大象伝》に「火は水上にあり、未済。君子は以て慎んで物を辨じて方に居らしむ」という、これは何の意味ですか。」欧陽修が答える:「《未済》は下坎上離で、水は下にありて火は上にある。一鍋の飯を煮え成さんとするに、火は下において燃やすべく、水は上において熱を受くべくして、両者は初めて相互に用を為し得る。いま火は却って上に走り至り、水は却って下に落ちて、各々それが待つべき位置を離れ、彼此は勁を使い合わざるに至る。ゆえに「未済」と呼ぶ――事情は弁じ成らざるのである。君子はこの象を看て、便ち謹慎に各樣の事物の宜しき所を分辨し、每一樣を皆その合适の位置上に安放して、それらをして能く互いに配合し互いに成就せしむることを懂得す。これがすなわち「未済」を転じて「既済」と為す弁法である。」
易童子問 巻三
一、総提:《繋辞》以下は聖人の作に非ず、また一人の言にも非ず
童子問曰:“《繋辭》非聖人之作乎?”曰:“何獨《繋辭》焉,《文言》、《說卦》而下,非聖人之作,而眾說淆亂,亦非一人之言也。昔之學《易》者,雜取以資其講說,而說非一家,是以或同或異,或是或非,其擇而不精,至使害經而惑世也。然有附托聖經,其傳已久,莫得究其所從來而核其真偽。故雖有明智之士,或貪其雜博之辯,溺其富麗之辭,或以為辯疑是正,君子所慎,是以未始措意於其間。若餘者可謂不量力矣,邈然遠出諸儒之後,而學無師授之傳,其勇於敢為而決於不疑者,以聖人之經尚在,可以質也。”
童子が問う:「《繋辞》は聖人の作った所ではありませんか。」欧陽修が答える:「《繋辞》一篇のみに止まらぬ。《文言》《説卦》以下のこの一批の伝文は、いずれも聖人の作った所ではない。しかもその裏には衆説が淆乱して彼此打架し、一人の手に出たとも談じ難い。従前《易》を学ぶ人は、東より一説を採り西より一説を採りて、取りて自己の講課の材料を充実せしめ、採る所がすでに一家に出ずれば、ここにおいて同ずるも有り異なるも有り、正しきも有り錯れるも有った。彼らが抉択すること精ならざれば、日子久しくして、竟に経文そのものを傷害し天下の学者を迷惑するに至った。しかしこれらの説法はすでに聖人の経書の名下に挂靠し、流伝もまた久しく、誰もそれらの来歴を追究しそれらの真偽を核对する由なし。ゆえにたとい明達の士も、あるいはその文辞の駁雑広博・議論の縦横を貪愛し、あるいはその辞采の富麗に沈醉し、あるいは則ち「可疑を辨析し是非を訂正する」は君子の当に慎重に従事すべき所と以て、ここにおいて直にこの上において留心せざるに至る。私のごときが出でて話すは、真に自ら量らずと言うべきかもしれぬ:時代は遥かに漢唐の諸儒の後に落ち、学問はまた師門伝授の凭拠なし。私の敢えて放胆して為し断然疑わざる所以は、ただ聖人の経文がなお在るがゆえのみ――《彖》《象》ありて取りて対質し得る。是非は自然に見出さるべし。」
二、挙証その一:《文言》が「潜龍勿用」を釈するに四番重出す
童子曰:“敢問其略?”曰:“《乾》之初九曰‘潛龍勿用’,聖人於其《象》曰‘陽在下也’,豈不曰其文已顯而其義已足乎?而為《文言》者又曰‘龍德而隱者也’,又曰‘陽在下也’,又曰‘陽氣潛藏’,又曰‘潛之為言,隱而未見’。
童子が言う:「あなたの理由を大略にお講じください。」欧陽修が答える:「まず《乾》卦の初九の爻辞「潜龍勿用」を見よ。聖人は《小象伝》の裏においてただ四字を用いてそれを解す:「陽は下に在るなり」――陽爻が全卦の最下位に居るがゆえに「潜」という。文字はすでに明白、意思もすでに説き尽くせり。なお用いて再び何かを添えんや。しかし《文言》を作る人は偏に一説再説せんことを要す:先ず「龍の徳にして隠れる者なり」といい、また「陽は下に在るなり」といい、また「陽気は潜蔵す」といい、また「潜の言うや、隠れて未だ見えず」という。同じ一個の「潜」の字を、覆き来り覆き去りて四遍講じ、講ずる所はなお《小象》のあの一句話である。聖人の筆は断じてこのごときに至らざるべし。これはまさに衆手が雑凑して各々一説を存して後人に併せ抄して一処にせられた痕跡である。」
三、挙証その二:《繋辞》が「易簡」を論ずるに反復申説す
《繋辭》曰:‘乾以易知,坤以簡能。易則易知,簡則易從。易知則有親,易從則有功。有親則可久,有功則可大。可久則賢人之德,可大則賢人之業。’其言天地之道、乾坤之用、聖人所以成其德業者,可謂詳而備矣,故曰‘易簡而天下之理得矣’者,是其義盡於此矣。俄而又曰:‘廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至德。’又曰:‘夫乾,確然示人易矣。夫坤,隤然示人簡矣。’又曰:‘夫乾,天下之至健也,其德行常易以知險。夫坤,天下之至順也,其德行常簡以知阻。’
再び《繋辞》が「易簡」を講ずる一段を見よ:「乾は平易を以て知を主り、坤は簡約を以て物を成す能くす。平易なれば容易に了解せられ、簡約なれば容易に遵従せられる。容易に了解せられれば人の親附有り、容易に遵従せられれば便ち事功を成就し得。人の親附有れば以て長久すべく、事功を成し得れば以て広大すべし。以て長久すべきは賢人の德行、以て広大すべきは賢人事業である。」この一路に説き下るは、天地運行の道理、乾坤両卦の功用、聖人が何に凭りて德行事業を成就するか、詳尽周備に講じ尽くしたと言うべく、ゆえに末に「易簡にして天下の理得たり」と一句を収む――「易簡」の道理はここに至ってすでに言い尽くせり。誰知れど隔たること多からずしてまた一段を冒出す:「広大は天地に配し、変通は四時に配し、陰陽の義は日月に配し、易簡の善は至徳に配す。」再び後に往きてまた言う:「あの乾は、確然として人に易を示す。あの坤は、隤然として人に簡を示す。」再び後に往きてなお言う:「あの乾は、天下の至健なり。その德行は常に易にして以て険を知る。あの坤は、天下の至順なり。その德行は常に簡にして以て阻を知る。」一個の「易簡」を、前後四処に鋪陳して、義理は併せ一層を推進せず、ただ字面を換えて重説するのみ。これがまさに私がそれを「繁衍叢脞」というの実拠である。
四、挙証その三:「三材の道」を三処に畳説す
《繋辭》曰‘六爻之動,三極之道也’者,謂六爻而兼三材之道也。其言雖約,其義無不包矣。又曰:‘《易》之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉。兼三材而兩之,故六。六者非他也,三材之道也。’而《說卦》又曰:‘立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三材而兩之,故《易》六畫而成卦。分陰分陽,疊用柔剛,故《易》六位而成章。’
「三材」の一節もまたこのようである。《繋辞》に「六爻の動きは、三極の道なり」といい、その意は六爻の変動が天・地・人の三材の道を兼含することを言う。この句は下ること極めて簡にして、意思は包まざる所なし、もとよりすでに足れり。誰知れどそれがまた言う:「《易》というこの書は広大にして備わらざる所なし。その中に天道あり、人道あり、地道あり。三材を各々両画に配するがゆえに六画となる。いわゆる六とは、ほかならず、すなわち三材の道である。」《説卦》に至っては、なお再び一遍を言う:「天道を確立するを陰と陽と呼び、地道を確立するを柔と剛と呼び、人道を確立するを仁と義と呼ぶ。三材を各々両画に配するがゆえに、《易》は六画を以て一卦を成す。陰位陽位を分け出し、柔爻剛爻を交替使用するがゆえに、《易》は六位を以て一篇文章を成す。」同じ一個の意思を、《繋辞》は両遍講じ、《説卦》はまた第三遍を講ず。もし衆家が各々経を解して後人が雑抄して併存したというならば、なお講じ通ず。もし一人の手に出たというならば、天下にこのように啰嗦なる作者なし。
五、挙証その四:「辞を繋ぎて以て吉凶を明らかにす」を五処に重申す
《繋辭》曰:‘聖人設卦觀象,繋辭焉而明吉凶。’又曰:‘辨吉凶者存乎辭。’又曰:‘聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮,繋辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。’又曰:‘《易》有四象,所以示也。繋辭焉,所以告也。定之以吉凶,所以斷也。’又曰:‘設卦以盡情偽,繋辭焉以盡其言。’其說雖多,要其旨歸,止於繋辭明吉凶爾,可一言而足也。
「辞を繋ぐは吉凶を明らかにするため」というこの一層は、重複するにさらに甚だしい。《繋辞》にいう:「聖人は卦体を設立し物象を観察し、文辞を繋いで以て吉凶を阐明す。」またいう:「吉凶を分辨するは、文辞を見るを要す。」またいう:「聖人は天下万事の変動を見て、それらの会合貫通の処を観察し、拠りて典章礼制を推行し、再び文辞を繋いで以て吉凶を断定す。ここにおいて「爻」と呼ぶ。」またいう:「《易》に四象あり、是れ示す所以なり。文辞を繋ぐるは、是れ告ぐる所以なり。吉凶を定むるは、是れ断ずる所以なり。」またいう:「卦体を設立して以て真情と虚偽を窮尽し、文辞を繋いで以て言わんとする所を説き尽くす。」一連に五処、説法は多しといえども、帰結する所はただ「辞を繋いで以て吉凶を明らかにす」の六字、一句話で足れり。反復することこの地步に至れば、ただ衆説の併存の堆積たるを得るのみで、断じて一位の作者の手筆に非ず。
六、断語:孔子の文は愈簡にして愈深く、当に繁衍叢脞にしてこのごとくなるべからず
凡此數說者,其略也。其餘辭雖小異而大旨則同者,不可以勝舉也。謂其說出於諸家,而昔之人雜取以釋經,故擇之不精,則不足怪也。謂其說出於一人,則是繁衍叢脞之言也。其遂以為聖人之作,則又大繆矣。孔子之文章,《易》、《春秋》是已,其言愈簡,其義愈深。吾不知聖人之作,繁衍叢脞之如此也。
上面に挙げたこの数条は、なお随時に拈出した大略にすぎぬ。其余のあの字面は稍々出入有りて主旨は完全相同の重複は、多く数え尽くし得ざるほどなり。この種の現象に対しては、三種の解釈を有し得べく、ただ一種のみが講じ通ず:これらの言がもとより各家各派に出て、従前の人が雑采して以て経文を解釈し、抉択の精ならざるがゆえに併存して一部の書の裏に在るという――これは怪しむに足らず、事はもとより当にこのようであるべし。それらが同一個人の手筆に出たという――則ちこの人はただ言語繁冗・条理瑣碎の作者と算えるのみ。さらに進んでそれらが聖人の作った所というに至っては、則ち大錯特錯である。孔子が親手に写定した文章は、すなわち《易》と《春秋》である。この两部の書の特点は、話は愈々少なく言えば愈々意思は深く蔵するにある。私は実に信じ得ざる、聖人の著作が繁冗瑣碎にしてこのごとき地步に至らんとは。文体が合わざるは、私がそれを孔子の作に非ずと判定する第一条の根拠である。
七、自ら相乖戾するその一:《文言》が「四德」を言うに前後一せず
雖然,辨其非聖之言而已,其於《易》義,尚未有害也。而又有害經而惑世者矣。《文言》曰‘元者善之長也,亨者嘉之會也,利者義之和也,貞者事之乾也’,是謂《乾》之四德。又曰‘乾元者,始而亨者也。利貞者,性情也’,則又非四德矣。謂此二說出於一人乎?則殆非人情也。
言とはいえ、上面に言う所はなおただそれが聖人の言語に非ざるを辨明するのみで、《易》の義理そのものに対しては、損害は却ってなお大ならず。しかし接ぎ下るこの一類は、則ち真に経文を傷害し世人を迷惑する――すなわちそれが自己と自己と打架するである。《文言》にいう:「元は衆善の首、亨は嘉美の会聚、利は義理の調和、貞は事を弁ずる骨干である。」これは「元・亨・利・貞」を《乾》卦の四種の徳行に講ずるである。しかし同じ一篇の《文言》はまたいう:「乾元とは、開創して亨通する者。利貞とは、本性と情実である。」この一句は「元亨」を連読し「利貞」を連読して、分明にまた四德に非ず。請問:この前後両種の説法は、同一個人の手筆に出ることがあろうか。おそらく人の常情に合わざるべし。
八、自ら相乖戾するその二:八卦の出づる所に竟に三説あり
《繋辭》曰:‘河出圖,洛出書,聖人則之。’所謂圖者,八卦之文也,神馬負之自河而出,以授於伏羲者也。蓋八卦者,非人之所為,是天之所降也。又曰:‘包羲氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦。’然則八卦者,是人之所為也,河圖不與焉。斯二說者已不能相容矣,而《說卦》又曰‘昔者聖人之作《易》也,幽贊於神明而生蓍,參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦’,則卦又出於蓍矣。八卦之說如是,是果何從而出也?謂此三說出於一人乎?則殆非人情也。
八卦はどこより来たるか、この部の書の裏に居然として三種の互いに相容れざる説法あり。《繋辞》にいう:「黄河は図を出し、洛水は書を出し、聖人はそれらを取法す。」旧説に照れば、いわゆる「図」とはすなわち八卦の文様で、神馬に馱せられて黄河の中より出て、伏羲に交付した。このようになれば、八卦は人の做り出した所ではなく、上天の降し来たりし所である。しかし《繋辞》はまたいう:「包羲氏が天下を統治せし時、頭を抬げて天上の星象を観察し、頭を俯して地上の法則を観察し、鳥獣の紋理と土地の宜忌を観察し、近くは自身に取象し、遠くは万物に取象し、ここにおいて初めて八卦を創作せり。」この一説に照れば、八卦は分明に人の做り出した所で、河図は根本に插手せず。この両説はすでに併存し得ざり。偏に《説卦》はなお第三説有り:「従前聖人が《易》を創作せし時、幽深に神明の賛助を得て蓍草を生じ、天三地二に参照して数を確立し、陰陽の変化を観察して卦を設立せり。」この一説に照れば、卦はまた蓍草の数より推し出したものである。八卦の来歴に関して竟にこのような三個の岔口有れば、それはいったいどこより出で来たか。この三種の説法が同一個人の手筆に出たというか。おそらく人の常情に合わざるべし。
九、言を立つる士は自ら相抵牾するを肯んぜず:五説乖戾、一人の作に非ず
人情常患自是其偏見,而立言之士莫不自信,其欲以垂乎後世,惟恐異說之攻之也,其肯自為二三之說以相牴牾而疑世,使人不信其書乎?故曰非人情也。凡此五說者自相乖戾,尚不可以為一人之說,其可以為聖人之作乎?”
私が一再に「人の常情に合わず」というは、道理有るがゆえに。人の通病は各々己見を執りて自ら是と為すに在り。およそ書を著し説を立つる人は、自ら信ぜざるはなし。彼はすでにこの書を後世に伝えんと欲する以上、最も怕れるは人が異説を取りて自己を攻駁するを得ることであって、どこが肯んじて自己が先に両三種の互いに打架する説法を摆出して、世人をして疑を生じ誰も彼の書を信ずるに肯んぜざらしめんや。ゆえにこれを人の常情に合わずという。以上に挙げ出した五条――《文言》が「潜龍」を釈するの四番の重出、《繋辞》が「易簡」を説くの反復、「三材」の畳説、「辞を繋ぎて吉凶を明らかにす」の五申、および「四德」と「八卦の出づる所」の前後の矛盾――彼此乖違抵觸して、一人の著述と算うるにも及ばず、またどうして聖人の著作と算え得べきか。
十、五説の中に取るべき有るや無きや
童子曰:“於此五說,亦有所取乎?”曰:“《乾》無四德,而洛不出圖書,吾昔已言之矣。若元亨利貞,則聖人於《彖》言之矣。吾知自堯、舜已來,用卜筮爾,而孔子不道其初也,吾敢妄意之乎?”
童子が問う:「この五種の説法の裏に、一点も取るべきがないのですか。」欧陽修が答える:「《乾》卦にいわゆる四德はなく、洛水もまた何の図書をも出さず。この两点は私が従前すでに言い過ぎた。「元・亨・利・貞」がいったいどう講ずべきかに至っては、聖人が《彖伝》の裏に早已に講じ明らかにしており、《彖伝》に照らして読めばよい。八卦・蓍草がいったいどこより来たるかに至っては、私の知り得る所は、ただ堯・舜より来にすでに卜筮というこの事を使用していたにすぎない。孔子は併せそれの最初の由来を講じず。私はまたどうして空に凭りて猜想せんを敢えてせん。私がこの三説を一概に取らざるは、別に高見有るがゆえに非ず、拠るに依る無きがゆえである。」
十一、《繋辞》は当に《易大伝》と称すべし:廃するを必とせず、また聖作と尊ぶべからず
童子曰:“是五說皆無取矣,然則繁衍叢脞之言與夫自相乖戾之說,其書皆可廢乎?”曰:“不必廢也。古之學經者皆有《大傳》,今《書》、《禮》之傳尚存。此所謂《繋辭》者,漢初謂之《易大傳》也,至後漢已為《繋辭》矣。語曰:‘為趙、魏老則優,不可以為滕、薛大夫也。’《繋辭》者謂之《易大傳》,則優於《書》、《禮》之傳遠矣。謂之聖人之作,則僭偽之書也。蓋夫使學者知《大傳》為諸儒之作,而敢取其是而舍其非,則三代之末,去聖未遠,老師名家之世學,長者先生之餘論,雜於其間者在焉,未必無益於學也。使以為聖人之作,不敢有所擇而盡信之,則害經惑世者多矣。此不可以不辨也,吾豈好辨者哉!”
童子が問う:「あなたの言うに照らせば、この五種の説法は皆取るべからず。然ればこれらの繁冗瑣碎の言と自ら相矛盾する説法、それらの在るあの幾部の書は、索性皆廃すべきですか。」欧陽修が答える:「廃するを必とせず。古人が経を学ぶに、每一経には皆《大伝》を配し、いま《尚書》《礼》の大伝はなお在る。目下この部のいわゆる《繋辞》は、漢朝初年にはもとより《易大伝》と呼び、東漢に至って初めて《繋辞》と改称した。《論語》の中に孔子の言った一句有り:「晋国の趙氏・魏氏の家臣と為れば、才干は綽綽として余裕有り。しかし滕・薛のごとき小国の大夫と為るには宜しからず。」――同じ一人にして、摆くる位置が同じからざれば、評価は完全に両樣となる。この部の書もまたこのようである:それを《易大伝》と作して看れば、それは遥かに《書》《礼》両家の伝より高明である。いったんそれを聖人の著作に抬げれば、それはすなわち僭越假托の書と成る。学者をして《大伝》が漢代以前の諸儒の手に出たを明白せしめれば、彼らは初めて敢えてその是を擇しその非を棄つるを得。しかも三代の末年は聖人に距ること遠からず、当時の名師大家が世代相伝えし学問・先輩先生が講論した余緒は、確かに一部分がこの裏面に保存され、学問を為すに未必にして好処なきに非ず。反対に、もし一口に聖人の作った所と咬定すれば、学者は抉択する所有るを敢えてせずして全盤に照信し、然れば経文を傷害し世人を迷惑する所は多きに至らん。まさにこのため、这件事は辨明せざるを得ぬ――私はまさか弁論を喜ぶ人であろうか。」
十二、「四德」は穆姜に出で、孔子より十五年早し
童子曰:“敢問四德?”曰:“此魯穆姜之所道也。初,穆姜之筮也,遇艮之隨,而為‘《隨》,元亨利貞’說也,在襄公之九年。後十有五年,而孔子始生,又數十年而始贊《易》。然則四德非《乾》之德,《文言》不為孔子之言矣。”
童子が言う:「再び「四德」の説の来歴を問わせてください。」欧陽修が答える:「この套の言はもともと魯国の穆姜が講じ出した所である。当年穆姜が罪に因りて東宮に遷され、一卦を占して《艮》卦が《随》卦に変ずるを得、史官は彼女が出で行く可きと言うも、彼女は却って自らその罪を陳し、《随》卦辞の「元亨利貞」の四字に就いて、「元は体の長、亨は嘉の会、利は義の和、貞は事の幹」というあの一整段の議論を講じ出した。この事は《左伝》は魯襄公九年に繋ぐ。此後また十五年を過ごして、孔子は初めて出生し、さらに後に往きて数十年して、孔子は初めて《易》を整理闡発するに着手した。時間はあそこに摆かれている:穆姜がこの番の言を説きし時、孔子はいまだ出世せず。見るべし、第一に、この四德はもともと《随》卦を解するものであって、併せ《乾》卦の徳に非ず。第二に、この段の言を原様に《乾・文言》の裏に搬入したあの人は、無論如何にも孔子ではあり得ず――《文言》もまた孔子の言ではなくなるのである。」
十三、左氏は未だ曾て《文言》を窃取せず:《文言》が孔子に属すは近世に出づ
童子曰:“或謂左氏之傳《春秋》也,竊取孔子《文言》以上附穆姜之說,是左氏之過也,然乎?”曰:“不然。彼左氏者胡為而傳《春秋》,豈不欲其書之信於世也?乃以孔子晚而所著之書,為孔子未生之前之說,此雖甚愚者之不為也。蓋方左氏傳《春秋》時,世猶未以《文言》為孔子作也,所以用之不疑。然則謂《文言》為孔子作者,出於近世乎?”
童子が問う:「人ありて《文言》のために弁護して、左氏が《春秋伝》を作る時に、孔子の《文言》の裏の言を偷みて、強いて穆姜の頭上に安じ、錯は左氏に在るという。これは然りですか。」欧陽修が答える:「然らず。どうか一思せよ:左氏が力を費やして《春秋伝》を作るは何を図るか。無非はこの部の書をして世に取り信ぜられんと欲するにあるのみ。彼がもし孔子の晚年に初めて写成した文字を、孔子の出生以前の某位の夫人が言った言と説くならば、あれは一戳して穿つべき破綻で、最も蠢き人すらも為さざる所なり。況んや左氏においてをや。合理の解釈はただ一個有るのみ:左氏が伝を作る時、世上にはいまだ《文言》を以て孔子の著作と為す人なく、ゆえに彼は穆姜のこの段の言を照録して、心裏は坦然として、用いて毫も遅疑せず。倒して推せば、《文言》を説いて孔子の作と為すこの観念は、おそらく相当に晩近に至って初めて起きたのではないか。」
十四、河図と観象作卦との二説は併存し得ず
童子曰:“敢問八卦之說?或謂伏羲已授河圖,又俯仰於天地,觀取於人物,然後畫為八卦爾。二說雖異,會其義則一也,然乎?”曰:“不然。此曲學之士牽合傅會,以苟通其說,而遂其一家之學爾。其失由於妄以《繋辭》為聖人之言而不敢非,故不得不曲為之說也。
童子が問う:「八卦の来歴を請問します。人ありて調停して言います:伏羲はすでに河図を接受し、また仰いで観て俯して天地を察し、人物に取象して、然る後に初めて八卦を画成した。両種の説法は同じからずといえども、合わせて看れば意思は一致する。このように講じて然りですか。」欧陽修が答える:「然らず。これはあの偏曲の学の人が硬拉硬扯して牽強附会し、ただ講じ通らざる所を勉强敷衍して過し、自家の一套の学問を成全せんことを好むにすぎぬ。彼らが錯を出す根源は:先入為主に《繋辞》を聖人の言と認定し、ここにおいてその破綻を指出するを敢えてせず。すでにそれを錯と言うを敢えてせざれば、ただ委曲百般にそれのために圓場を為すほかない。」
河圖之出也,八卦之文已具乎,則伏羲授之而已,復何所為也?八卦之文不具,必須人力為之,則不足為河圖也。其曰觀天地、觀鳥獸、取於身、取於物,然後始作八卦,蓋始作者前未有之言也。考其文義,其創意造始其勞如此,而後八卦得以成文,則所謂河圖者何與於其間哉?若曰已授河圖,又須有為而立卦,則觀於天地鳥獸、取於人物者皆備言之矣,而獨遺其本始所授於天者,不曰取法於河圖,此豈近於人情乎?考今《繋辭》,二說離絕,各自為言,義不相通,而曲學之士牽合以通其說,而悞惑學者,其為患豈小哉!古之言偽而辨、順非而澤者,殺無赦。嗚呼!為斯說者,王制之所宜誅也。”
この両説は実に硬碰硬である。いざ問わん:河図が出現した時、八卦の文様はすでに現成なりしや否や。もしすでに現成なれば、伏羲は単に照らして接受すれば完了し、なお何の為すべき有らん。もし併せ現成ならずして、必ず人力に頼りて画い出さざるを得ぬというならば、則ちあの張の図もまた「河図」の名に配するに足らず。再び《繋辞》の另一説を見るに、それは天地を観、鳥獣を観、自身に取象し、万物に取象して、「然る後に初めて八卦を創作す」と講ず――「始作」の二字は、明々としてこの前に根本にこの東西なかりしを言う。この句話の文義を細審せよ:構思開創すること竟にこのように辛苦して、八卦は初めて終に成形せり。然ればいわゆる河図はこの中間においてまた何の手を插し得たか。退いて一歩、假如に真に調停者の言うがごとく、すでに河図を受けて、なお別に一番の作為有りて初めて卦を立ち起し得るというならば、然れば《繋辞》が天地鳥獣を観、人物に取象するこれらの次要の工夫を皆一々交代し到りて、どうして偏に最も根本・最初のあの份の天授の物を漏掉して、一字も「河図に取法す」と提せぬか。これは人情に近きか。いま本の《繋辞》を考るに、この両説は各々各々を言い、中間は断裂して、義理は根本に接ぎ上がらず。しかるに偏曲の学の人は強いてそれらを拼接して一事と説き成し、去りて学者を誤導迷惑せしむ。この禍害はまさかまた小なりと言えようか。古時は「虚言を説いて能く弁ずる・錯処に順いてなおそれに脂粉を塗る」の人に対しては、殺して赦さざるを為した。ああ! この套の調停の説を造り出した人は、《礼記・王制》の律条に按ずれば、まさに誅すべき一類である。
十五、「幽く賛して蓍を生ず」と「すでに卦を画いて蓍を用う」との辨
童子曰:“敢問生蓍立卦之說?或謂聖人已畫卦,必用蓍以筮也,然乎?”曰:“不然。考其文義可知矣。其曰‘昔者聖人之作《易》也’者,謂始作《易》時也。又曰‘幽贊於神明而生蓍,參天兩地而倚數,觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻’者,謂前此未有蓍,聖人之將作《易》也,感於神明而蓍為之生,聖人得之,遂以倚數而立卦。是言昔之作《易》立卦之始如此爾。
童子が問う:「《説卦》の「蓍を生じ卦を立つ」のあの一段を請問します。人ありて言います、あれは聖人が卦を画き好んだ後に、必ず蓍草を用いて占筮するを講ずると。これは然りですか。」欧陽修が答える:「然らず。ただ老実に文義に照らして読めば、便ち明白する。それが開頭に「昔者聖人の《易》を作るや」というは、当初《易》を創作した時を指し、後に《易》を使用した時ではない。続けて「幽く神明に賛して蓍を生じ、天を参し地を両として数を倚り、陰陽に変を観て卦を立て、剛柔に発揮して爻を生ず」といい、講ずる所は:この前に世上に併せ蓍草なく、聖人が将に《易》を作らんとて、神明に感通して、蓍草はここにおいて生じ出で来た。聖人は蓍草を得て、ここにおいてそれに凭りて数を起して卦を設立した。整段の言の説く所は当年《易》を作り卦を立てし起頭がこのような一回事であったを言い、卦を画いた後に蓍草を取りて占筮するのと、完全に两回事である。」
故漢儒謂伏羲畫八卦由數起者,用此說也。其後學者知幽贊生蓍之恠,其義不安,則曲為之說。曰用生蓍之意者,將以救其失也。又以卦由數起之義害於二說,則謂已畫卦而用蓍以筮,欲牽合二說而通之也。然而考其文義,豈然哉?若曰已作卦而用蓍以筮,則大衍之說是已。大抵學《易》者莫不欲尊其書,故務為奇說以神之。至其自相乖戾,則曲為牽合而不能通也。
まさに《説卦》がもとよりこの意なるがゆえに、漢代の儒者は初めて伏羲が八卦を画いたは「数に由りて起る」といい得た――彼らの用いしはまさにこの一説である。後来に到りて、学者は「神明に感通して蓍草を生出す」というこの種の講法があまりに怪誕にして心裏に安んぜざるを覚え、それのために別に曲解を作りて、あの句話はただ「生蓍を取用する用意」にすぎぬと言い、このを借りてそれのために過失を遮掩せんとした。また「卦は数に由りて起る」のこの一層の意が、前面の河図・観象の両説と皆撞車するがゆえに、ここにおいて索性に改口して「すでに卦を画き好んで後に蓍を用いて占筮す」と説き成し、三説を牽合して講じ通さんを指望した。しかし文義に按じて細考せば、どこがこのようであろう。たとい真要に卦を画いた後に蓍を用いて占筮するを講ずるとも、則ち《繋辞》の裏の「大衍之数五十」のあの一段こそこの事を講ずる所で、《説卦》の此処とは相干らざるべし。説き到れば、いう所は:《易》を学ぶ人はこの部の書の身価を抬高せんと欲せざるなく、ゆえに争いで奇特の説法を造りてそれを神化す。自家の説法が前後打架するに及んで、ただ曲意牽合するほかなく、しかも終竟講じ通らざるのである。」
十六、その余の知るべき者:語気・文体と策数の誤
童子曰:“敢請益。”曰:“夫諭未達者,未能及於至理也,必指事據跡以為言。餘之所以知《繋辭》而下非聖人之作者,以其言繁衍叢脞而乖戾也。蓋略舉其易知者爾,其餘不可以悉數也。
童子が言う:「さらに多くの指教をお願いします。」欧陽修が答える:「いまだ通達せぬ人に道理を講ずるに、一上より就来て最高の義理を談ずべからず。必ず具体的の事を指出し、実在の痕跡を挙げ出して言うを要す。私が《繋辞》以下は聖人の作に非ずと断定する所以は、凭る所はすなわちそれが言辞は繁冗瑣碎にしてまた前後乖違するというこの两点である。前面に挙げたは、ただその中の容易に看明白し得る数条にすぎぬ。其余の例は多く数え尽くし得ざるなり。下面に再び数条の痕跡を挙げて、あなたにどの処所より看るべきかを知らしめん。」
其曰‘原始反終,故知死生之說’,又曰‘精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀’雲者,質於夫子平生之語,可以知之矣。其曰‘知者觀乎彖辭,則思過半矣’,又曰‘八卦以象告,爻彖以情言’雲者,以常人之情而推聖人可以知之矣。其以《乾》、《坤》之策‘三百有六十,當期之日’,而不知七八九六之數同,而《乾》、《坤》無定策,此雖筮人皆可以知之矣。
第一類は、それの談ずる内容を看る。それに「事物の起始を推原し、返りてその終結を求む。ゆえに死生の道理を懂得す」といい、また「精気が聚合して物を成し、遊魂が离散して変を成す。ここにおいて鬼神の情状を懂得す」という。これらの言を取りて孔子の平生の言論と対して対せば清楚である:孔子は「いまだ生を知らざれば、どうして死を知らん」といい、また「怪異・勇力・悖乱・鬼神を談ぜず」といえり。いつかこのように侃侃として死生鬼神を談じたことがあろう。第二類は、それの話す口気を看る。それに「聡明の人はただ《彖辞》を見れば、一大半を想い通す」といい、また「八卦は物象を用いて告示し、爻辞彖辞は情実を用いて表述す」という――これは講師が学生に門径を指点する語気で、常人の口吻を取りて聖人を比量すれば、一聴して聖人の自ら道う言に非ざるを知る。第三類は、それの数術の錯誤を看る。それは《乾》《坤》の両卦の策数を取りて「三百六十、正に一年の日数に当たる」に合成するも、七・八・九・六のこの四個の筮数の出現の機会はもとより一樣にして、《乾》《坤》の各爻の得る所の策数は併せ固定せざるを知らず。どうして一個の死数を凑え出し得ん。この一条は、尋常の占筮の人すらも見出して錯のどこに在るかを看るを得。
至於‘何謂’、‘子曰’者,講師之言也。《說卦》、《雜卦》者,筮人之占書也。此又不待辨而可以知者。然猶皆跡也,若夫語以聖人之中道而過,推之天下之至理而不通,則思之至者可以自得之。”
篇中の动不动すれば「何の謂ぞや」「子曰」というこの種の一問一答の体例に至っては、あれは分明に講師の講課の記録である――もし真に孔子が自ら写した書ならば、何ぞ必ずしも自ら「子曰」と称せん。《説卦》が八卦の象する所の種種の事物を羅列し、《雑卦》が两両に卦名を対挙するは、あれは分明に占筮の人の備査の占書である。この两点はさらに辯論せずとも看出し得る。ただ以上に挙げたは、なお皆外在の痕跡にすぎぬ。真に要紧の一層は:聖人の不偏不倚の中道を取りてそれを衡量せば、それが常常に頭を過ぎて言うを発見し、天下の最根本の道理を取りてそれを推求せば、それが常常に講じ通らざるを発見する。この一層は一条一条を指して人に看せしめる法なく、ただ肯んじて深思する人のみ自ら体会し出すを得るのみである。」
十七、童子教を受けて結を作す
童子曰:“既聞命矣,敢不勉!”
童子が言う:「先生の教誨は私はすでに領受しました。どうして敢えて努力して用功せざるを得ましょうか。」全書はこの一句を以て結を作す:欧陽修の辨偽の用意は、もとより《繋辞》以下の諸篇を一笔に抹倒せんとするに在らず、後学をして「聖人の作」の四字に因りて自己の判断を放弃する勿らしめんとするに在り――経を読むは敢えて擇取すべし。まさに彼が童子に勉力して為さんことを要した事である。
