Libo

御纂周易折中

清 · 李光地

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

綱領一・《易》書の作述・伝授と源流を論ず

易経易学典籍

術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。

巻首・御製序

易學之廣大悉備,秦漢而後無復得其精微矣!至有宋以來,周邵程張闡發其奧,唯朱子兼象數天理,違眾而定之,五百餘年無復同異。宋元明至於我朝,因先儒已開之微旨,或有議論已見,漸至啟後人之疑。

《易》という学問は広博宏大で、備わらないものはないが、秦・漢以降、その精微なところを真に把握できた者はいなかった。宋代に至り、周敦頤・邵雍・程颢・程頤兄弟・張載の諸先生がはじめてその奥義を闡明した。なかでも朱熹のみが「象数」と「天理」の両面を兼ね備え、流俗の見に従わず自ら是非を裁定したので、五百余年の間、学者はこれを定論と仰ぎ、もはや異同の争いはなかった。しかし宋・元・明から本朝に至るまで、後の人々は先輩儒者がすでに開いた精微な宗旨に依拠しながら、それぞれ別に議論を発して己の説を張り、しだいにかえって後人に多くの疑惑を生じさせるに至った。

聯自弱齡留心經義,五十餘年未嘗少輟,但知諸書大全之駁雜,奈非專經之純熟。深知大學士李光地素學有本,易理精祥,特命修《周易折中》,上律河洛之本末,下及眾儒之考定,與通經之不可易者,折中而取之,越二寒暑,甲夜披覽,片字一畫,斟酌無怠,康熙五十四年春告成而傳之天下後世,能以正學為事者,自有所見歟!

朕(底本の「聨」は「朕」の誤り)は少年の頃から経書の義理に心を留め、五十余年、少しも中断したことがない。明代の官修《周易大全》の類が駁雑で純一でないことを深く知っていたが、自ら一経を専治し純熟し尽くした者ではないのが残念であった。朕は大学士李光地が平素より学問に根柢があり、《易》理に精詳透徹していることを深く知っていたので、特に彼に命じて《周易折中》を編修させた。上は「河図」「洛書」の本末源流を考定し、下は歴代諸儒の考訂の説に及び、経に通じて移易しえない定論はすべて折中裁断し、善を択んでこれに従った。前後して二寒暑を経て、朕は深夜三更の時分にもなお巻を逐って披覧し、一字一画も反復斟酌して怠らなかった。康熙五十四年の春に書が成り、天下後世に伝える。おおよそ正学を己の任とする者があれば、読んでおのずから会得するところがあろう。

康熙五十四年春三月十八日書

康熙五十四年(紀元一七一五年)春三月十八日、皇帝が自ら筆をとってこの序文を書いた。

巻首・凡例

一、《易經》二篇、《傳》十篇,在古元不相混。費直、王弼乃以傳附經,而程子從之。至呂大防、晁說之、呂祖謙諸儒,以為應復其舊。朱子《本義》所據者,祖謙本也。

第一条:《易》の経文はもと上・下の二篇に分かれ、孔子の作った《伝》は全部で十篇あり、古は経と伝がそれぞれ別々に行われ、もともと混ざり合っていなかった。漢代の費直と魏代の王弼に至り、はじめて《伝》文を拆き開いて経文の下に附けた。程頤が《伊川易伝》を作ったのもこの編法を踏襲したものである。その後、呂大防・晁説之・呂祖謙の諸学者は経伝分離の旧態に復すべきだと考えた。朱熹が《周易本義》を作るとき依拠した底本は、呂祖謙があらためて厘定したこの古本である。

明初,《程傳》、《朱義》並用,而以世次先程後朱,故修《大全》書,破析《本義》而從《程傳》之序。今案易學當以朱子為主,故列《本義》於先,而經傳次第,則亦悉依《本義》原本,庶學者由是以復見古經,不至習近而忘本也。

明の初め、官方は《伊川易伝》と《周易本義》を併列して用い、また時代の先後によって程頤を朱熹の前に置いたので、《周易大全》を纂修する際、《本義》本来の次第を拆散して《程伝》の編排に迁就させた。いま本書は《易》を治めるには朱熹を主とすべきだと認めるので、《本義》を前に列し、経文と伝文の先後の次第も、すべて《本義》の原本に依る。学者がこれによって古《易》の本来の面目をあらためて見ることができ、近世通行の本だけに熟して根本を忘れることのないようにするためである。

二、諸易所論易書作述傳授,以及易理之奧,易義之綱,學者讀易之方,說者同異之概,皆後學所宜先知也。《大全》有綱領一篇,止存程朱之說。今案周子、張子、邵子,皆於易理精邃,雖無說經全書,而大義微言,往往獨得。又歷代諸儒敘述源流,講論指趣,其說皆不可廢,並以世次義類,敘為三篇,不獨與程朱之言,互相發明,亦以見程朱之書,有源有委。合古今以為公,非夫師心立異者比也。

第二条:従来《易》を講ずる者が論及したのは、《易》という書が誰によって創作され、誰によって伝述され、どのように授受・流伝したか、《易》理の深奥なところ、《易》義の大綱、学者が《易》を読む門径、および各家の解説の異同の概略であり、これらはみな後学がまず明らかにすべきものである。明代《周易大全》には《綱領》一篇があるが、程頤・朱熹の二家の説のみを収めた。今按ずるに、周敦頤・張載・邵雍の三先生の《易》理に対する体会はいずれも極めて精深で、逐句に経を解く完整的な著作は残さなかったものの、その中の宏旨微言にはしばしば独得のところがある。これに加えて歴代学者の《易》学源流の叙述・宗趣の討論も、いずれも廃棄すべきではない。そこで本書はこれらを時代の先後と義理の門類によって、《綱領》三篇に編んだ。こうすれば程・朱の説と互いに印証し発明し合えるばかりでなく、程・朱の著作に由来・承継があることも見える。古今の衆説を匯合して公論を求めることは、自ら聡明を弄して故意に標新立異するやり方とはまったく異なる。

三、易辭有義例,據夫子《彖傳》《象傳》求之,皆可推見。自王氏《略例》以後,諸儒皆有發明而未詳備,今稍為之臚列分析,示學者觀象玩辭之要,蓋全經之大凡,故與綱領並敘卷首。

第三条:《易》の卦爻辞にはおのずから一套の体例があり、孔子の作った《彖伝》《象伝》に依って尋ねれば、みな推尋できる。王弼が《周易略例》を作って以降、歴代学者はこれにそれぞれ発明があったが、なお詳尽完備には足らない。いま少し条列・剖析を加え、学者に「観象」「玩辞」の要領を指示する。これらは全経に通貫する大綱であるから、《綱領》と併せて巻首に編む。

四、《大全》書所採諸家之說,惟宋元為多。今所收,上自漢晉,下迄元明,使二千年易道淵源,皆可覽見。列《朱義》於前者,易之本義,朱子獨得也。《程傳》次之者,易之義理。程子為詳也。二子實繼四聖而有作,故以其書繫經後。

第四条:《周易大全》の採録した各家の学説は宋・元両代が最も多い。本書の収めるところは、上は漢・晋に起り、下は元・明に至り、二千年間の《易》学の源流を一覧の下に尽くす。朱熹《周易本義》を最前に列するのは、《易》の本来の意旨は朱熹のみが独りその真を得たからである。程頤《伊川易伝》をその次に列するのは、《易》中の義理は程頤の講明が最も詳備だからである。程・朱二先生は実に伏羲・文王・周公・孔子の四聖を承け継いで述作したものであるから、この二家の書を経文の後に接続する。

其餘漢晉唐宋元明諸儒,所得有淺深,所言有粹駁,並採其有益於經者,又係朱程之後;其或所言與朱程判然不合,而亦可以備一說廣多聞者,別標為附錄以終之,稽異闕疑,用俟後之君子,是亦朱子之志也。

その余の漢・晋・唐・宋・元・明の各代の学者は、所得に深浅があり、所説に精純と駁雑があるが、おおよそ読経に益あるものは併せて採録し、程・朱二家の後に附す。程・朱と明らかに合わない説であっても、なお一説を備え見聞を広めるに足るものは、別に「附録」と標して最後に置く。異説を考察し、疑わしいところはしばらく空して、後の君子に俟って解決する——これもまた朱熹当年の心愿である。

五、漢晉間說易者,大抵皆淫於象數之束流,而離其宗。故隋唐後惟王弼孤行,為其能破互卦、納甲、飛伏之陋,而專於理以談經也。然弼所得者,乃老莊之理,不盡合於聖人之道,故自《程傳》出而弼說又廢。今案溺於象數,而支離無根者,固可棄矣。

第五条:漢・晋の間に《易》を講じた者は、多く象数の支流末派に沉溺し、《易》の根本宗旨から離れていた。だから隋・唐以降、王弼一家のみが世に独行した。彼が「互卦」「納甲」「飛伏」といった瑣碎鄙陋な術法を打破し、もっぱら義理によって経を講じたからである。しかし王弼の領会したものは、実は老子・荘子の一路の道理であって、完全に聖人の道に合致するわけではない。だから程頤《伊川易伝》が世に出て以後、王弼の説はまた廃置された。今按ずるに、象数に沉溺して支離破碎・根拠のない説は、固より棄置して用いなくてよい。

然易之為書,實根於象數而作,非它書專言義理者比也。但自焦贛、京房以來,穿鑿太甚,故守理之儒者,遂鄙象數為不足言。至康節邵子,其學有傳,所發明圖卦蓍策,皆易學之本根,豈可例以象數目之哉?故朱子表章推重,與程子井稱。《本義》之作,實參程邵兩家以成書也。

しかし《易》という書は、もともと象と数に拠って作られたもので、他の専ら義理を講ずる典籍とは異なる。ただ西漢の焦贛・京房という一派が卦気・災異を講じて以来、穿鑿附会が甚だしすぎたので、義理を恪守する儒者はいっそ象数を鄙薄し、言うに足らないものとした。邵雍(諡は康節)に至って、その学問には師承の来歴があり、闡発した河洛図書・卦位排布と蓍策揲算の法は、いずれも《易》学の根本の所在である。どうして一概に尋常の象数と見なせようか。だから朱熹はわざわざ彼を表彰推重し、程頤と併称した(底本の「井称」は即ち「併称」)。朱熹が《周易本義》を作ったのは、実は程頤・邵雍二家の説を兼取して成書したものである。

後之學者,言理義、言象數,但折中於朱子可矣。近代解經者,猶多拾術數之緒餘,以矜其奇僻,而不知其非數之真也。陳事理之糟粕,而入於迂淺,而不知其失理之妙也。凡若此者,皆刪不剝,以還潔靜精微之舊焉。

後の学者は、義理を講ずるにしろ象数を講ずるにしろ、朱熹を折中の準則とすればよい。近代の経を解く者には、なお術数の残余を拾い集めて自己の奇僻を誇耀する者が少なくないが、それが真の数理でないことを知らない。また事理の糟粕を陳説して迂腐浅陋に流れる者も、それがすでに義理の精妙を失っていることを知らない。この二類に属するものは、本書はすべて刪削剥落させ、《易》の「潔静精微」の本来面目を回復する。

六、朱子之學,出自程子,然文義異同者甚多,諸經皆然,不獨《易》也。況《易》則程以為聖人說理之書,而朱以為聖人卜筮之教,其指趣已自不同矣。然程子所說,皆修齊治平之道,平易精實,有補學者。朱子亦謂所作《本義》簡略,以義理《程傳》既

第六条:朱熹の学は程頤に出る。しかし二家の文句訓解における異同は多く、諸経すべてそうであって、単に《易》だけに限らない。いわんや《易》においては、程頤はこれを聖人が義理を講ずる書と見なし、朱熹はこれを聖人が人に卜筮を教える書と見なして、両人の宗趣はもともと異なる。ただし程頤の講ずるところは、みな修身・斉家・治国・平天下の道理であって、平実精当で学者の補益するところ大きい。朱熹自身も作った《周易本義》が簡略に失すると言っていた。義理を講ずることはすでに《伊川易伝》が先にあるからである——ここで底本に脱文があり、下文は直接第七条に接続する。

七、《啟蒙》為朱子成書,與《本義》相表裡。今《大全》中所載圖說數條,乃作《本義》時,略撮大要,以冠篇端。卦變一圖,則又因《本義》卦下有以卦變為說者,故作此以明之,與占筮卦變異法,總不若《啟蒙》之詳備也。

第七条:《易学啓蒙》は朱熹が別に書き成した一書で、《周易本義》と互いに表裏をなす。いま《周易大全》に載るあの数条の図説は、朱熹が《本義》を作る際に要点を略々摘取して全書の篇首に冠したものにすぎない。その中の「卦変図」は、《本義》がある卦の下で卦変をもって卦辞を解釈したため、別にこの図を作って説明を加えたものである。それは占筮に用いる卦変とはまた二套の異なる方法であり、要するにいずれも《易学啓蒙》の講ずるほど詳尽完備ではない。

《大全》以圖說為主,而採《啟蒙》以附其下,且又但採其“本圖書”、“原卦畫”二篇,至“明蓍策”、“考變占”二篇,則文既不錄,圖亦不載,但以筮時儀節,及不同法之卦變當之,使學者不見朱子極論象數之全,未免疏略。今以《啟蒙》全編,具載書後,庶幾古人右書左圖之意。

《周易大全》はあの数条の図説を主体とし、《易学啓蒙》を採って下に附しただけで、しかも《本図書》《原卦画》の二篇のみを採録した。《明蓍策》《考変占》の二篇に至っては、正文にも収録せず図も刊載せず、ただ筮占のときの儀節と、もう一套の算法の卦変とをもって数を充てた。これでは学者が朱熹の象数を論じた完整な規模を見ることができず、あまりに疏略である。いま《易学啓蒙》全書を完整に本書の後に附載する。ほぼ古人の「右書左図」の用意に合わせるため、すなわち読書の際に文字を右に居させ図象を左に居させ、両者相い参看するのである。

朕講學之外,於曆象、《九章》之奧,遊心有年,渙然知其不出易道。故自河洛本原,先後天位置,以至大衍推迎之法,皆稍為摹畫分析,敷暢厥旨,附於《啟蒙》之後,目曰《〈啟蒙〉附論》。

朕は経学を講論する余暇に、天文暦法の学と《九章算術》の類の算学の深奥にも長年心を留め、これらがみな《易》道の範囲を出ないことを豁然と明らめた。そこで「河図」「洛書」の本原から、先天・後天の二種の卦位の排布、《系辞伝》のいう「大衍之数」の推演の法に至るまで、みな少しずつ摹画分析を加え、その中の意旨を铺陳発揮して、《易学啓蒙》の後に附し、《〈啓蒙〉附論》と題した。

八、夫子十翼以《序卦》、《雜卦》終編,其次第微密,錯雜成章,諸儒置而不講已久。朕因陳希夷反覆九卦之指,而思《序卦》之義,因邵康節四象相交成十六事之言,而悟《雜卦》之根,始知聖意微妙,聖言精深,引而不發,如眾曜之羅列,七緯之交錯,參差凌亂。有待於仰觀推步者之能求其故也。故為《序卦》、《雜卦》明義,次於《〈啟蒙〉附論》之後而終編焉。

第八条:孔子の作った「十翼」は《序卦伝》《雑卦伝》をもって收尾とするが、この二篇の次序は細密で、錯雑に見えて自ら章法を成す。歴代学者がこれを置いて講じないこと久しい。朕は陳摶(五代・宋初の道家易学の宗師、世に希夷先生と称す)が《系辞伝》の挙げた九卦の用意を反復推究したことによって、《序卦》の義理を思索し、また邵雍のいう四象が両々相交りて十六事を成すという言によって《雑卦》の根柢を悟り、これによってはじめて聖人の用意の微妙・措辞の精深で、線索を摆出するだけで点破しないことを知った。満天の星宿の羅列し、日月五星の交錯運行するがごとく、見るに参差凌雑だが、実はよく天象を仰観し暦数を推算する者を俟ってはじめてその中の故を求めうるのである。だから朕は《序卦》《雑卦》のために義理を闡明し、《〈啓蒙〉附論》の後に編次して、全書の收尾とした。

綱領一・《易》書の作述・伝授と源流を論ず

《周禮》:大卜掌三易之法,一曰《連山》,二曰《歸藏》,三曰《周易》,其經卦皆八,其別皆六十有四。

《周礼・春官》に記す:「大卜」という官職は三種の《易》の占法を掌り、第一を《連山》といい、第二を《帰蔵》といい、第三を《周易》という。この三種の《易》の用いる基本卦(「経卦」)はいずれも八つで、八卦を相重ねて分衍した「別卦」はいずれも六十四ある。

陸氏德明曰:宓犧氏之王天下,仰則觀於天文,俯則察於地理,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,始畫八卦。因而重之,為六十四。文王拘於羑里,作卦辭,周公作爻辭。孔子作《彖辭》、《象辭》、《文言》、《繫辭》、《說卦》、《序卦》、《雜卦》十翼。班固曰:孔子晚而好易,讀之韋編三絕,而為之傳,“傳”即“十翼”也。

唐代の陸徳明(《経典釈文》の作者)はいう:伏羲氏が天下を治めたとき、仰いでは日月星辰の天象を観察し、俯しては山川原隰の地理を考察し、鳥獣の身上の紋理と各地物産の相宜を観て、近くは人の身体に取法し、遠くは万物に取法して、はじめて八卦を画いた。さらに八卦を両々相重ねて六十四卦とした。周文王が羑里に囚われたとき卦辞を作り、周公が爻辞を作った。孔子は《彖辞》《象辞》《文言》《系辞》《説卦》《序卦》《雑卦》を作り、合わせて「十翼」と称す。班固は《漢書》にいう:孔子は晚年《易》を好み、反復研読して竹簡を綴じる革紐が三度も切れた。そこで《易》のために「伝」を作ったが、いわゆる「伝」即ち「十翼」である。

自魯商瞿子木受易於孔子,以授魯橋庇子庸,子庸授江東馬乾臂子弓,子弓授燕周丑子家,子家授東武孫虞子乘,子乘授齊田何子莊,及秦燔書,易為卜筮之書獨不禁,故傳授者不絕。

《易》の師承は、魯の商瞿(字は子木)が孔子より《易》を受けたことに始まる。商瞿は魯の橋庇(字は子庸)に伝え、橋庇は江東の馮干臂(字は子弓)に伝え、馮干臂は燕の周醜(字は子家)に伝え、周醜は東武の孫虞(字は子乘)に伝え、孫虞は斉の田何(字は子荘)に伝えた。秦始皇の焚書に及んでも、《易》は卜筮の書に属するゆえに独り禁毀の列に入らず、だから師弟の授受は終始中断しなかった。

《隋書》云,秦焚書,《周易》獨以卜筮得存。惟失《說卦》三篇,後河內女子得之。漢興,田何以齊田徙杜陵,號杜田生,授東武王同子中,及洛陽周王孫,梁人丁寬,齊服生,皆著《易傳》。

《隋書・経籍志》はいう:秦の焚書の際、《周易》は独り卜筮の書であることをもって保全され、ただ《説卦》など三篇が散失し、後に河内郡の一人の女子が発見してはじめて世に復出した。漢が興って後、田何は斉の田氏の身分をもって杜陵に徙され、人は彼を「杜田生」と呼んだ。彼は東武の王同(字は子中)、洛陽の周王孫、梁の丁寛、斉の服生に伝授し、これらの者はみなそれぞれ《易伝》を撰した。

漢初言《易》者本之田生。同授緇川楊何,寬授同郡碭田王孫,王孫授施讎及孟喜、梁邱賀,由是有施孟梁邱之學焉。施讎傳《易》,授張禹及琅琊魯伯,禹授淮陽彭宣及沛戴崇,伯授太山屯莫如及琅邪邴丹。後漢劉昆受施氏《易》於沛人戴賓,其子軼。孟喜父孟卿善為《禮》、《春秋》。孟卿以《禮》經多,《春秋》繁雜,乃使喜從田王孫受《易》。

漢初に《易》を講じた者はみな田何に本源する。王同は緇川の楊何に伝え、丁寛は同郡碭の田王孫に伝え、田王孫は施讐・孟喜・梁丘賀に伝え、ここにおいて《易》学に施氏・孟氏・梁丘氏の三家ができた。施讐は《易》を伝えて張禹と琅邪の魯伯に授けた。張禹はまた淮陽の彭宣・沛の戴崇に伝え、魯伯は太山の屯莫如・琅邪の邴丹に伝えた。東漢の劉昆は沛人戴賓から施氏《易》を学び、その子劉軼がまた家学を継いだ。孟喜の父孟卿は《礼》と《春秋》に長じていたが、孟卿は《礼》経の篇巻があまりに多く《春秋》の頭緒が煩雑であることから、孟喜をしてあらためて田王孫に従って《易》を学ばせた。

喜為易章句,授同郡白光及沛翟牧,後漢窪丹、鮭陽鴻、任安皆傳孟氏《易》。粱邱賀本從太中大夫京房受《易》,後更事田王孫,傳子臨,臨傳五鹿充宗及琅邪王駿,充宗授平陵土孫張及沛鄧彭祖、齊衡咸。後漢范升傳梁邱《易》,以授京兆楊政,又潁川張興傳梁邱易,弟子著錄且萬人。子魴傳其業。

孟喜は《易》の章句の学を撰し、同郡の白光と沛の翟牧に伝授した。東漢の洼丹・鮭陽鴻・任安はみな孟氏《易》を伝習した。梁丘賀は初め太中大夫京房に従って《易》を学び、後にあらためて田王孫に従い、学成って後に子の梁丘臨に伝えた。梁丘臨は五鹿充宗と琅邪の王駿に伝え、五鹿充宗はまた平陵の士孫張・沛の鄧彭祖・斉の衡咸に伝えた。東漢の范升は梁丘《易》を伝習して京兆の楊政に授けた。潁川の張興も梁丘《易》を伝え、籍に登録された弟子はほぼ万人に及び、その子張魴が彼の学業を継承した。

京房受《易》梁人焦延壽,延壽雲嘗從孟喜問《易》,房以延壽《易》即孟氏學,翟牧、白生不肯,曰非也。房為《易》章句,說長於災異,以授東海段嘉及河東姚平、河南乘弘,皆為郎、博士,由是前漢多京氏學。

もう一人の京房は梁人の焦延寿(即ち焦贛)から《易》を学んだ。焦延寿は自称してかつて孟喜に《易》を問うたといい、京房は焦氏の学は即ち孟氏の一派と認めた。しかし孟喜の弟子翟牧・白光は肯んじて認めず、そうではないと言った。京房もまた《易》の章句を撰し、その学は卦爻をもって災異を推説するのに長じ、東海の段嘉・河東の姚平・河南の乗弘に伝授した。これらの者はみな郎官または博士となったので、西漢後期に京氏《易》を講ずる者は甚だ多かった。

後漢戴馮、孫期、魏滿並傳之。費直傳《易》,授琅邪王璜,為費氏學,本以古字,號古文《易》,無章句,徒以《彖》、《象》、《繫辭》、《文言》解說上下經。

東漢の戴馮・孫期・魏満はみな京氏《易》を伝習した。別に費直が《易》を伝え、琅邪の王璜に授けて費氏の一派を成した。この一派の拠る本は先秦の古文字で書かれ、「古文《易》」と称し、煩瑣な章句訓詁を作らず、ただ《彖伝》《象伝》《系辞》《文言》をもって上下経の経文を解説した。

漢成帝時,劉向典校書,考《易》說,以為諸《易》家說皆祖田何、楊叔元、丁將軍,大義略同,唯京氏為異。向又以中古文《易經》校施、盂、梁邱三家之《易經》,或脫去“無咎”、“悔亡”,唯費氏經與古文同。范氏《後漢書》云:京兆陳元,扶風馬融,河南鄭眾,北海鄭康成,潁川荀爽,並傳費氏《易》。

漢成帝のとき、劉向は宮中蔵書の校勘を主掌し、各家の《易》説を考覈し、諸家はみな田何・楊何(字は叔元)・丁寛(かつて将軍を任じた)に淵源し、大体義旨が相近く、ただ京房一家のみが世と異なるとした。劉向はまた宮中所蔵の古文本《易経》をもって施讐・孟喜・梁丘賀三家の《易経》を校対し、三家の本に「无咎」「悔亡」といった断語を脱漏した箇所があることを発見したが、ただ費氏本のみが古文本と相同じであった。范曄《後漢書》はいう:京兆の陳元・扶風の馬融・河南の鄭衆・北海の鄭玄(字は康成)・潁川の荀爽は、みな費氏《易》を伝習した。

沛人高相治《易》,與費直同時,其《易》亦無章句,專說陰陽災異,自言出丁將軍。傳至相,相授子康及蘭陵母將永,為高氏學,漢初立《易》楊氏博士,宣帝復立施、孟,梁邱之《易》,元帝又立京氏《易》,費、高二家不得立,民間傳之。後漢費氏興而高氏遂微。永嘉之亂,施氏、梁邱之《易》亡,孟、京、費之易,人無傳者,唯鄭康成、王輔嗣所注行於世,而王氏為世所重。其《繫辭》

沛人の高相は《易》を治め、費直と同時であって、この一派も章句を作らず、専ら陰陽災異を講じ、自称して学問は丁寛に出るとした。高相の手に伝わり、高相は子の高康と蘭陵の毋将永に授けて高氏の一派を成した。漢朝初年には楊何の《易》学博士のみが立てられ、漢宣帝のとき施・孟・梁丘の三家《易》を増立し、漢元帝のとき再び京氏《易》を立てた。費・高両家は終始学官に立つことができず、ただ民間に流伝した。東漢以降、費氏は興盛し高氏は衰微した。西晋の永嘉の乱の中で、施氏・梁丘氏の《易》は亡佚し、孟氏・京氏・費氏の《易》も伝習する者がなく、ただ鄭玄・王弼(字は輔嗣)両家の注本のみが世に流行し、しかも王弼注はさらに世人に推重された。その《系辞》に至っては——ここで底本に脱文がある。

孔氏穎達曰:《繫辭》云“河出圖,洛出書,聖人則之”,故孔安國、馬融、王肅、姚信等並云,伏犧得河圖而作《易》,是則伏犧雖得河圖,復須仰觀俯察,以相參正,然後畫卦。伏犧初畫八卦,萬物之象,皆在其中。故《繫辭》曰“八卦成列,象在其中矣”是也。雖有萬物之象,其萬物變通之理,猶自未備。故因其八卦而更重之,卦有六爻,遂重為六十四卦也。《繫辭》曰“因而重之,爻在其中矣”是也。

唐代の孔穎達(《周易正義》の作者)はいう:《系辞伝》に「黄河に図が出て、洛水に書が出て、聖人はこれを取って法則とした」とあるので、孔安国・馬融・王粛・姚信らはみな伏羲が「河図」を得て《易》を作ったと言った。これはすなわち、伏羲は「河図」を得たものの、なお頭を挙げて天を観、頭を低うして地を察し、互いに参験校正してのちにはじめて卦を画いたということである。伏羲が最初に八卦を画いたとき、万物の象徴はすでにその中に含まれていた。だから《系辞伝》は「八卦が行列を成せば、物象はその中にある」という。ただし万物の象はあっても、万物変化会通の理はまだ完備していなかった。そこで八卦に就いてさらに重畳を加え、卦ごとに六爻とし、ここに重ねて六十四卦と成した。《系辞伝》のいう「八卦に因りてこれを重ねれば、爻はその中にある」は正にこの事を指す。

然重卦之人,諸儒不同,凡有四說:王輔嗣等以為伏犧重卦,鄭康成之徒以為神農重卦,孫盛以為夏禹重卦,史遷等以為文王重卦。其言夏禹及文王重卦者,案《繫辭》,神農之時,已有蓋取《益》與《噬嗑》。以此淪之,不攻自破。其言神農重卦,亦未為得。今依輔嗣以伏犧既畫八卦,即自重為六十四卦,為得其實。其重卦之意,備在《說卦》,此不具敘。

八卦を重ねて六十四卦とした者が誰かについては、諸家の説が同じでなく、全部で四説ある。王弼らは伏羲が重卦したと認め、鄭玄一派は神農が重卦したと認め、孫盛は夏禹が重卦したと認め、司馬遷らは周文王が重卦したと認めた。夏禹または文王が重卦したと主張する説は、《系辞伝》の記すところに拠れば、神農の時代に耒耜を造り集市を開いた際、すでに「大概《益》卦と《噬嗑》卦の象を取った」と言っている。この一点をもって衡量すれば(底本の「淪」は「論」の誤り)、両説は攻めずして自ら破れる。神農重卦説もまた妥当とはいえない。いま王弼の説に依り、伏羲が八卦を画いた後、自ら重ねて六十四卦としたと認めるのが最も事実に合う。重卦の用意は《説卦伝》に詳しく述べられているので、ここでは詳述しない。

伏犧之時,道尚質素,畫卦重爻,足以垂法。後代澆訛,德不如古,爻象不足以為教,故作《繫辭》以明之。

伏羲の時代は風気が質朴を尚び、ただ卦を画き爻を重ねるだけで、後世に法則を立てるに足りた。後に世風が澆薄詐偽となり、人の徳性は古人に及ばず、爻と象のみに拠っては教化を施行するに足らなくなったので、孔子は《系辞伝》を作ってその中の道理を闡明したのである。

按《周禮大卜》三易,一曰《連山》,二曰《歸藏》,三曰《周易》。杜子春云:《連山》伏犧,《歸藏》黃帝。鄭康成《易贊》及《易論》云:夏曰《連山》,殷曰《歸藏》,周曰《周易》。鄭康成又釋云:《連山》者,象山之出云,連連不絕;《歸藏》者,萬物莫不歸藏於其中;《周易》者,言易道周普,無所不備。康成雖有此釋,更無所據之文,先儒因此遂為文質之義,皆繁而無用,今所不取。

《周礼》に拠れば大卜の掌る三種の《易》は:一は《連山》、二は《帰蔵》、三は《周易》である。漢代に《周礼》の学を伝えた杜子春はいう:《連山》は伏羲に属し、《帰蔵》は黄帝に属す。しかし鄭玄は《易賛》と《易論》の中で、夏代のを《連山》といい、殷代のを《帰蔵》といい、周代のを《周易》というとした。鄭玄はまた解釈していう:いわゆる《連山》は、山間の雲気が連綿として断えない象を取ったもの。いわゆる《帰蔵》は、万物でその中に帰蔵せざるはないということ。いわゆる《周易》は、《易》道が周遍して普及し備わらざるなきをいう。鄭玄はこの解釈をしたものの文献の根拠を出せなかった。前代の学者はまた彼の思路に順い、三代が迭かに忠を尚び質を尚び文を尚ぶという一套の文質互変の義理を引申して三《易》の名目に附会させたが、すべて繁瑣にして用なし。いま一概に取らない。

按《世譜》等群書,神農一曰連山氏,亦曰列山氏,黃帝一曰歸藏氏。既《連山》、《歸藏》並是代號,則《周易》稱周,取岐陽地名,《毛詩》云“周原朊朊”是也。又文王作易之時,正在羑里,周德未興,猶是殷世也,故題周別於殷。以此文王所演,故謂之《周易》,猶《周書》、《周禮》題周以別餘代也。

さらに《世譜》などの書に拠れば、神農は一名を連山氏といい、また列山氏ともいう。黄帝は一名を帰蔵氏という。《連山》《帰蔵》がともに帝号から取った名目である以上、《周易》の「周」と称するのは、岐山の南の地名を取ったもので、《毛詩》のいう「周原膴膴」(底本は「朊朊」と作る)が指すのは正にこの土地である。しかも文王が《易》を演じたときは正に羑里に囚われており、周の功業はまだ興らず、なお殷商の世に属していた。だから「周」の字を標出して殷と区別する。文王の推演したものであるから《周易》と称する。ちょうど《周書》《周礼》が一「周」の字を標して他の朝代と区別するのと同じである。

其《周易》繫辭,凡有二說,一說卦辭爻辭,並是文王所作。知者按《繫辭》云 “《易》之興也,其於中古乎,作《易》者,其有憂患乎?”又曰“《易》之興也,其當殷之末世,周之盛德邪?當文王與紂之事邪?”故史遷雲文王囚而演《易》,即是“作《易》者其有憂患乎”。鄭學之徒,並依此說。

《周易》の卦爻辞が誰によって繫がれたかについては、全部で二説ある。第一説は卦辞と爻辞がともに文王の手に出るというもので、その根拠は《系辞伝》のいう「《易》の興ったのは、おそらく中古の時代であろうか。《易》を作った者は、あるいは憂患を心に懐いていたのであろうか」、また「《易》の興ったのは、おそらく殷商の末世・周徳がまさに盛んになろうとするころであろうか。文王と紂王の間のあの出来事に当たるのであろうか」である。だから司馬遷は文王が囚われて《周易》を推演したと言い、正に「作《易》者其有憂患」の句に応える。鄭玄一派の学者はみなこの説に依る。

二以為驗爻辭多是文王后事,按《升》卦六四“王用亨于岐山”。武王克殷之後,始追號文王為王,若爻辭是文王所制,不應云“王用亨于岐山”。又《明夷》六五“箕子之明夷”。武王觀兵之後,箕子始被囚奴,文王不宜豫言“箕子之明夷”。

第二説は、爻辞の記すところを考察すると多くは文王の身後の事だとする。たとえば《升》卦六四爻辞に「王用亨于岐山」(王、岐山に亨す)とあるが、武王が殷を滅ぼして後にはじめて文王を追尊して「王」としたのだから、もし爻辞が文王自身の作なら、「王用亨于岐山」という言い方が出るはずがない。また《明夷》卦六五爻辞に「箕子之明夷」とあるが、箕子は武王が孟津で兵を観た後に囚われて奴とされたのだから、文王があらかじめ「箕子之明夷」と言い出すはずがない。

又《左傳》韓宣子適魯,見《易象》云:吾乃知周公之德。周公被流言之謗,亦得為忱患也。驗此諸說,以為卦辭文王,爻辭周公。馬融、陸績等並同此說,今依而用之。所以只言三聖,不數周公者,以父統子業故也。然則《易》之爻辭、蓋亦是文王本意,故但言文王也。

さらに《左伝》は晋の韓宣子が魯に至り、《易象》の書を見て「私はこれで周公の徳をはじめて知った」と言ったと記す。周公はかつて流言の毀謗に遭い、これも憂患の中に身を処したといえる。これら数条を検証すれば、卦辞は文王に出て、爻辞は周公に出ると断定できる。馬融・陸績らはみなこの説を持ち、いまこれに依り採用する。《易》を作った者を論じて伏羲・文王・孔子の「三聖」のみを挙げて周公を算入しないのは、父が子の事業を統摂するからである。そうである以上、《易》の爻辞も大体は文王の本意であるから、文王のみを挙げるのである。

其《彖》、《象》等十翼之辭,以為孔子所作,先儒更無異論。但數十翼亦有多家。

《彖伝》《象伝》など「十翼」の文字は、孔子の作と認められて前代学者に異議はなかった。ただ「十翼」が究竟どのように計数分篇されるかについては、各家の算法が一種にとどまらない。

既文王《易經》本分為上下二篇,則區域各別,《彖》、《象》釋卦,亦當隨經而分。故一家數十翼云:上《彖》一,下《彖》二,上《象》三,下《象》四,上《繫》五,下《繫》六,《文言》七,《說卦》八,《序卦》九,《雜卦》十。鄭學之徒,並同此說,今亦依之。

文王の《易経》はもともと上・下二篇に分かれて界限がそれぞれ分明である以上、《彖伝》《象伝》は卦を解釈するものであるから、経文に随って上下に分かれるべきである。だから一家は「十翼」をこう計算する:上《彖》を一とし、下《彖》を二とし、上《象》を三とし、下《象》を四とし、上《系辞》を五とし、下《系辞》を六とし、《文言》を七とし、《説卦》を八とし、《序卦》を九とし、《雑卦》を十とする。鄭玄一派はみなこの分法に同意し、いまもこれに依る。

朱子門人問:伏犧始畫八卦,其六十四者,是文王后來重之邪?抑伏犧已自畫邪?看先天圖,則有八卦便有六十四,疑伏犧已有畫矣。曰:《周禮》言三《易》經卦皆八,其別皆六十有四,便見不是文王漸畫。

朱熹の門人が請うていう:伏羲が最初に八卦を画いたが、六十四卦は文王が後に重畳して成したのか、それとも伏羲自身がすでに画いたのか。「先天図」を見るに、八卦があれば自ら六十四卦があるので、伏羲の時にすでに画き出されていたのではないかと疑う。朱熹は答えていう:《周礼》のいう三種の《易》は経卦がみな八で別卦がみな六十四である。これで見れば文王が一歩々々添え画いたものではないことが分かる。

又問:然則六十四卦名,是伏犧元有,抑文王所立?曰:此不可考。子善問,據十三卦所言,恐伏犧時已有。曰:十三卦所謂蓋取諸《離》、蓋取諸《益》者,言結繩而為網罟,有《離》之象,非觀《離》而始有此也。

門人がまた問う:では六十四卦の卦名は伏羲が本来有していたのか、それとも文王の定めたものか。朱熹はいう:これはすでに考証しえない。弟子の子善が問う:《系辞伝》の挙げた十三卦の「制器尚象」の言に依れば、おそらく伏羲の時にすでにあったのでしょう。朱熹はいう:十三卦のいう「大概《離》の象を取った」「大概《益》の象を取った」とは、縄を結んで網罟を作ったとき、その形状がちょうど《離》卦の象を有していたということであって、先に《離》卦を見てから網罟を造り出したのではない。

古文《周易》經傳十二篇,東萊呂祖謙伯恭父之所定,而《音訓》一篇,則其門人金華王莘叟所筆受也。某嘗以為易經本為卜筮而作,皆因吉凶以示訓戒,故其言雖約,而所包甚廣。夫子作傳,亦略舉其一端以見凡例而已。

朱熹はいう:古文《周易》の経・伝は全部で十二篇あり、東莱の呂祖謙(字は伯恭)の厘定したものである。別に《音訓》一篇は、彼の門人である金華の王莘叟の筆録に出る。私は従来、《易経》はもともと卜筮のために作られたもので、みな吉凶を借りて人に訓示・告戒を与えるものだと考えてきた。だから文辞は簡約だが、涵蓋する範囲は極めて広い。孔子が伝を作ったのも、ただその中の一端を略挙して通例を掲示したにすぎない。

然自諸儒分經合傳之後,學者便文取義,往往未及玩心全經,而遽執傳之一端以力定說。於是一卦一爻,僅為一事,而《易》之為用,反有所局,而無以通乎天下之故。若是者,某蓋病之,是以三復伯恭父之書而有發焉,非特為其章句之近古而已也。

しかし諸家が経を拆き開き伝を併入して以来、学者は文句に貪って義を近くに取り、往々にしてまだ経全体を玩味し尽くさないうちに、急いで伝文の某一端を捉えて強いて定論を立てた。こうして一卦一爻がただ一つの事として見なされ、《易》の功用はかえって局限を受け、天下万事の理に通達できなくなった。私はこの状況を従来病とし、だから呂伯恭のこの書を再三誦読して深く感発するところがあった。ただその分章断句が古本に近いからだけではない。

呂氏祖謙曰:漢興,言《易》者六家,獨費氏傳古文《易》,而不立於學官,劉向以中古文《易經》校施盂梁邱經,或脫去無咎、悔亡,惟費氏經與古文同,然則真孔氏遺書也。東京馬融、鄭康成皆力費氏學,其書始盛行。今學官所列王弼《易》,雖宗莊老,其書固鄭氏書也。

呂祖謙はいう:漢が興って後、《易》を講じた者は全部で六家あったが、費直一家のみが古文《易》を伝え、しかも学官に立たなかった。劉向は宮中の古文本《易経》をもって施讐・孟喜・梁丘賀三家の本を校対し、三家に「无咎」「悔亡」といった文字を脱漏した箇所があることを見たが、ただ費氏本のみが古文本と相合した。これで見れば費氏本こそ真に孔門から流伝した書である。東漢の馬融・鄭玄はみな費氏の学に力を致し、この書ははじめて盛行した。いま学官に列する王弼《易》は、老子・荘子の説を宗尚するものの、拠る底本は実はなお鄭玄一系の本である。

費氏《易》在漢諸家中最近古,最見排擯,千載之後,巋然獨存,豈非天哉!自康成、輔嗣合《彖》、《象》、《文言》於經,學者遂不見古本。近世嵩山晁氏編古《周易》,將以復於其舊。而其刊補離合之際,覽者或以為未安。祖謙謹因晁氏書參考傳記,復定為十二篇。篇目卷帙,一以古為斷。

費氏《易》は漢代各家の中で最も古本に近く、当時最も排斥擯棄されたが、千年の後に巋然として独り存した。これは天意ではないか。鄭玄・王弼が《彖伝》《象伝》《文言》を経文に併入して以来、学者は再び古本の面目を見ることができなくなった。近世、嵩山の晁説之が古本《周易》を編定して旧貌を復しようとしたが、その刪補分合のところは、読者の中に妥当でないと感じる者があった。私、呂祖謙は謹んで晁氏の書に依拠し、さらに諸種の伝注史籍を参考にして、あらためて十二篇に厘定した。篇目と巻帙の区分は、すべて古本を準拠とする。

文王卦下之辭謂之《彖》,孔子序述其《彖》之意而已,故名其篇曰《彖》。使文王卦下之辭不謂之《彖》,孔子何為言“知者觀其《彖》辭則思過半矣。 ”爻下辭謂之《象》,爻辭多文王后事,故諸說皆以為爻辭出於周公。

文王が卦の下に繫いだ辞を「彖」と呼ぶ。孔子はただこれらの卦辞に順ってその中の意味を叙述したので、自分の一篇にも《彖》と題した。もし文王が卦の下に繫いだ辞が「彖」と呼ばれなかったなら、孔子はどうして「聡明な人は《彖》辞を見るだけで、すでに半ば余りを思い得る」と言ったであろうか。爻の下に繫いだ辞を「象」と呼ぶ。爻辞の記すところは多く文王身後の事であるから、各家はみな爻辞が周公の手に出ると認めた。

大象,卦畫是也。天地水火雷風山澤,觀卦畫則見其象也。《大象》之辭,如“天行健,君子以自強不息”之類;《小象》,釋周公之辭,如“潛龍勿用,陽在下也”之類,皆象之傳也。經,文王周公所作也。傳,孔子所作也。司馬談《論六經要指》引“天下同歸而殊塗,一致而百慮”,謂之“易大

いわゆる「大象」とは、卦画そのものを指す:天・地・水・火・雷・風・山・沢という八種の物象で、卦画を見れば一目で見える。《大象伝》の文辞は「天行健、君子以自強不息」(天の行いは健やかなり、君子これをもって自ら強めて息まず)の類である。《小象伝》は周公の作った爻辞を解釈するもので、「潜龍勿用、陽在下也」(潜龍用いるなかれ、陽下に在ればなり)の類である。両者とも「象」を解釈する伝文に属する。だからいう:経は文王と周公の作ったもの、伝は孔子の作ったもの。司馬談《論六家要指》はかつて「天下同帰而殊涂、一致而百慮」(天下は同じく帰して途を殊にし、一致して慮り百なり)の二句を引き、これを「易大」と称した——ここで底本に脱文があり、「易大伝」とすべきである。

稅氏與權曰:按呂汲公元豐王戌昉刻《周易》古經十二篇於成都學官,景迂晁生建中靖國辛巳併為八篇,號《古周易》,繕寫而藏於家。巽巖李文簡公紹興辛未謂北學各有師授,經名從呂,篇第從晁,而重刻之。逮淳熙壬寅,新安朱文公表出東萊呂成公《古文周易經傳音訓》,乃謂編古《易》自晁生始。豈二公或不見汲公蜀本與?然成公則議晁生並上下經為非,而文公《易本義》,則篇第與汲公吻合。

税与権はいう:考えるに、呂大防(汲郡公に封ぜられた)は宋神宗元豊壬戌年に、最も早く《周易》古経十二篇を成都の学官に刊刻した。晁説之(自号は景迂)は宋徽宗建中靖国辛巳年にこれを併合して八篇とし、《古周易》と題して、写し取って家に蔵した。李燾(号は巽岩、諡は文簡)は宋高宗紹興辛未年に、北方の学者はそれぞれ師承があると考え、ここに経名は呂大防本を沿い、篇次は晁説之本を沿ってあらためて刊刻した。孝宗淳熙壬寅年に至り、新安の朱熹(諡は文公)は東莱呂祖謙(諡は成公)の《古文周易経伝音訓》を表彰し、ついに古本《易》を編定したのは晁説之に始まると言った。もしかして呂・朱両氏とも呂大防の蜀刻本を見たことがなかったのだろうか。ただし呂祖謙はかつて晁説之が上下経を併合して一にしたのは誤りだと批評したが、朱熹《周易本義》の篇次はかえって呂大防本と完全に吻合する。

王氏應麟曰:《說卦釋文》引《荀爽九家集解》,得八卦逸象三十有一。隋、唐《志》十卷,唯《釋文序錄》列九家名氏,雲不知何人所集,稱荀爽者,以為主故也。其序有荀爽、京房、馬融、鄭康成、宋衷、虞翻、陸績、姚信、翟子玄為《易義》,注內又有張氏,朱氏,並不詳何人。

王応麟はいう:陸徳明《経典釈文》が《説卦》を解く際に《荀爽九家集解》を引用し、その中から八卦の失伝した取象三十一条を得た。《隋書・経籍志》と《唐書・藝文志》はともにこの書十巻を著録するが、ただ《経典釈文・序録》のみが「九家」の姓名を列挙し、しかも何人の輯めたか知らないと言う。「荀爽」と題したのは、荀爽一家を主とするからである。その序に列するのは荀爽・京房・馬融・鄭玄・宋衷・虞翻・陸績・姚信・翟子玄の九人の作った《易義》である。注文中にまた張氏・朱氏があるが、いずれも何人か明らかでない。

荀悅《漢紀》云,馬融著《易解》,頗生異說。爽著《易傳》,據爻象承應陰陽變化之義,以十篇之文解說經意。由是兗豫言易者,咸傳荀氏學,今其說見於李鼎祚《集解》。

荀悦《漢紀》はいう:馬融は《易解》を著し、標新立異の説が頗る多い。荀爽は《易伝》を著し、爻位の承・乗・応と陰陽変化の義に依拠し、「十翼」十篇の文字をもって経文の意旨を解説した。これより兗州・豫州一帯で《易》を講ずる者はみな荀氏の学を伝習した。いま荀氏の説は唐代李鼎祚の《周易集解》の中に保存されている。

綱領二・《易》道の精蘊と経伝の義例を論ず

司馬氏遷曰:《易》本隱以之顯,《春秋》推見至隱。

司馬遷はいう:《易》は幽隠な天道から出発し、推衍して顕明な人事に及ぶ。《春秋》は顕明な史事から入手し、推究して幽隠な義理に入る。

班氏固曰:六藝之文,《樂》以和神,《詩》以正言,《禮》以明體,《書》以廣聽,《春秋》以斷事。五者蓋五常之道,相須而備,而《易》為之原,故曰“《易》不可見,則乾坤或幾乎息矣”。言與天地為終始也。

班固はいう:六経の文字は、《楽》は人の精神を調和させ、《詩》は人の言辞を端正させ、《礼》は人の身份体統を明確にし、《書》は見聞を広く開き、《春秋》は是非を裁断する。この五者は正に仁・義・礼・智・信の五常の道に対応し、互いに相須いてはじめて完備となるが、《易》はそれらの共同の本原である。だから《系辞伝》は「《易》が人に見られなければ、乾坤はおそらくまさに止息しようとしている」という。《易》が天地と相終始するという意味である。

王氏弼曰:夫《彖》者何也?統論一卦之體,明其所由之主者也。故六爻相錯,可舉一以明也。剛柔相乘,可立主以定也。自統而尋之,物雖眾,則知可以執一御也。由本以觀之,義雖博,則知可以一名舉也。故舉卦之名,義有主矣。“觀其彖辭,則思過半矣”。

王弼はいう:「彖」とは何か。一卦の整体を総論し、この卦が成立する所以の主爻を指明するものである。だから六爻は交錯していても、その中の一爻を挙げて全卦を説明できる。剛爻柔爻は互いに乗じ合っていても、一つの主爻を立定して卦義を判定できる。統摂するところから求めれば、事物は多くとも、一を執って衆多を御できることを知る。根本から観察すれば、義理は広くとも、一つの名目をもって概括できることを知る。だから卦名を挙げさえすれば卦義は帰主を得る。これ正に《系辞伝》のいう「その彖辞を見れば、すでに半ば余りを思い得る」である。

一卦五陽而一陰,則一陰為之主。五陰而一陽,則一陽為之主。夫陰之所求者陽也,陽之所求者陰也。陽苟一焉,五陰何得不同而歸之?陰苟只焉,五陽何得不同而從之?故陰爻雖賤,而為一卦之主者,處其至少之地也。或有遺爻而舉二體者,卦體不由乎爻也。繁而不優亂,變而不憂感,約以存博,簡以濟眾,其唯《彖》乎!

一卦の中に五陽一陰であれば、その一つの陰爻が全卦の主である。五陰一陽であれば、その一つの陽爻が全卦の主である。陰の求めるところは陽、陽の求めるところは陰。陽はただ一つしかないのに、五つの陰爻がどうして一斉にそれに帰向せずにいられよう。陰はただ一つしかないのに、五つの陽爻がどうして一斉にそれに追随せずにいられよう。だから陰爻は地位こそ低賤だが、一卦の主となることができる。まさに数量最も少ない位置に居るからである。爻を撇き開いて上下両体のみを挙げて立論するものもあるが、それはその卦の卦体が某一爻に取决まらないからである。頭緒は繁多でも紛乱を虞れず、変化は不定でも迷惑を虞れない。簡約をもって広博を保存し、簡易をもって衆理を済助する。これができるのは、おそらく《彖》だけであろう。

夫爻者何也?言乎變者也。變者何也?情偽之所為也。是故“情偽相感”,遠近相追,“愛惡相攻”,屈伸相推。“非天下之至變,其孰能與於此哉!”是故卦以存時,爻以示變。

「爻」とは何か。変化を講ずるものである。変化はまた何に縁って起きるか。人事の真情と虚偽が造成するのである。だから《系辞伝》は「真情と虚偽が互いに感応し」、遠と近が互いに追逐し、「相愛と相憎が互いに攻撃し」、屈と伸が互いに推移すると言う。「天下で最も変動に善いものでなければ、誰がこの境に参与できよう」。だから卦は一つの時局を保存するために用いられ、爻はその中の変化を顯示するために用いられる。

夫卦者時也,爻者適時之變者也。時有否泰,故用有行藏。卦有小大,故辭有險易。

卦の代表するものは一つの時局、爻の代表するものはこの時局に適応する種々の変化である。時局には閉塞と通泰の分別があるので、人の作為には出でて道を行うことと退いて身を蔵することの不同がある。卦には陰柔を主とする「小」と陽剛を主とする「大」があるので、卦爻辞には険難と平易の差異がある。

一時之制,可反而用也。一時之吉,可反而凶也。故卦以反對,而爻亦皆變。尋名以觀

ある一つの時局に適用する法則は、時局を換えればかえって逆用されうる。ある時局中の吉は、時局を換えればかえって凶となりうる。だから六十四卦は両々「反対」(一卦を倒転すれば即ち別の一卦となる)し、相応する爻もこれに随ってすべて変換する。卦名に循って考察すれば——ここで底本に脱文がある。

夫象者,出意者也;言者,明象者也。盡意莫若象,盡象莫若言。言生於象,故可尋言以現象。象生於意,故可尋象以觀意。意以象盡,象以言著。故言者所以明象,得象而忘言。象者所以存意,得意而忘象。存言者,非得象者也;存象者,非得意者也。

「象」は心中の意を表出するためのもの、「言」は象を闡明するためのものである。意を窮尽して表すには、象より善いものはない。象を窮尽して表すには、言より善いものはない。言は象から生ずるので、言に循って象を見ることができる。象は意から生ずるので、象に循って意を観察できる。意は象に靠って無遺に表され、象は言に靠って分明に彰される。だから言の作用は象を闡明することにあり、象を得れば言を忘れるべきである。象の作用は意を保存することにあり、意を得れば象を忘れるべきである。言に死守して放さない者は、実は象を得ていない。象に死守して放さない者は、実は意を得ていない。

象生於意而存象焉,則所存者乃非其象也。言生於象而存言焉,則所存者乃非其言也。

象はもともと意から生じた。もし象のみに死守すれば、守っているものはすでに真の象ではない。言はもともと象から生じた。もし言のみに死守すれば、守っているものもすでに真の言ではない。

然則忘象者,乃得意者也;忘言者,乃得象者也。爻苟合順,何必坤乃為牛?義苟應健,何必乾乃為馬?而或者定馬於乾,案文責卦,有馬無乾,則偽說滋漫,難可紀矣。互體不足,遂及卦變。變又不足,推致五行。一失其原,巧喻彌甚。縱復或值,義無所取。

このように見れば、象を忘れられる者こそ真に意を得た者であり、言を忘れられる者こそ真に象を得た者である。爻義がただ柔順に合すれば、何も必ず《坤》でなければ牛の象を取れないわけではない。卦義がただ剛健に応ずれば、何も必ず《乾》でなければ馬の象を取れないわけではない。ところが或る人は「馬」を《乾》に死に物狂いで繫ぎ、経文に照らして卦象を追究し、辞中に馬があり卦中に《乾》がないと、虚妄の解説が層出して記し難いほど多くなる。「互体」で講じ通じなければ「卦変」を持ち出し、卦変でもなお講じ通じなければ一路「五行」にまで推し進める。いったん根本を失えば、巧妙な比附はいよいよ离谱する。たとえ偶々一処に当たっても、義理の上では取るべきところが少しもない。

蓋存象忘意之由也。忘象以求其意,義斯見矣。

これらはみな卦象を死守して本意を遺忘したことの招く弊害である。反対に、象を忘れてその表そうとする意を求めれば、卦爻の義理は自ずから顕現する。

按象無初上得位失位之文,又《繫辭》但論三五、二四同功異位,亦不及初上,何乎?唯《乾》上九《文言》云“貴而五位”,《需》上六云“雖不當位”。若以上為陰位邪?則《需》上六不得云“不當位”也。若以上為陽位邪?則乾上九不得云“貴而無位”也。陰陽處之,皆云非位,而初亦不說當位失位也。

王弼また按ずる:《象伝》の中に初爻・上爻の「得位」「失位」を講じた文字はいまだかつてなく、《系辞伝》も三と五・二と四の「同功而异位」のみを討論して、同様に初・上両爻に渉らない。これは何の故か。ただ《乾》卦上九の《文言》に「地位は尊貴だが職位がない」(底本の「五位」は「无位」の誤り)とあり、《需》卦上六に「位に当たらないが」とあるのみである。もし上位を陰位と算するなら、《需》卦上六は陰をもって陰に居るのだから「不当位」と言うべきでない。もし上位を陽位と算するなら、《乾》卦上九は陽をもって上に居るのだから「貴而无位」と言うべきでない。これで見れば陰爻・陽爻とも上位に居ればいずれも「位」でないと言われ、初爻も同様に当位・失位を講じない。

然則初上者,是事之終始,無陰陽定位也。故乾初謂之“潛”,過五謂之“無位”,未有處其位而云“潛”,有位而云“無”者也。歷觀眾卦,盡亦如之。初上無陰陽定位,亦以明矣。位者,列貴賤之地,待才用之宅也。爻者,守位分之任,應貴賤之序者也。

このように見れば、初爻と上爻は一事の開端と終結を代表し、もともと固定の陰陽の位がない。だから《乾》卦の初爻は「潜」と称し、五爻を超えた後は「无位」と称す。身にその位に居ないのに「潜伏」といい、すでに職位があるのに「ない」ということはない。各卦を遍く見れば、情形はすべてこのとおりで、初・上両爻に固定の陰陽の位がないこともまた明らかである。いわゆる「位」とは貴賤を排列する場所であり、人が才能をもって充任するのを待つ処所である。いわゆる「爻」とはこの職分を守る担当者であり、貴賤の次序に相応するものである。

位有尊卑,爻有陰陽。尊者陽之所處,卑者陰之所履也。故以尊為陽位,卑為陰位。去初上而論位分,則三五各在一卦之上,亦何得不謂之陽位?二四各在一卦之下,亦何得不謂之陰位?初上者,體之終始,事之先後也。故位無常分,事無常所,非可以陰陽定也。

位には尊卑の別があり、爻には陰陽の分がある。尊いところは陽の居処するところ、卑しいところは陰の履行するところ。だから尊位を陽位と算し、卑位を陰位と算する。初・上両爻を撇いて位分を討論すれば、三爻・五爻は各々下卦・上卦の上端に処する。どうして陽位と称さずにいられよう。二爻・四爻は各々下卦・上卦の下端に処する。どうして陰位と称さずにいられよう。初爻と上爻に至っては、全卦卦体の起点と終点、一事の開頭と結尾である。だからその位分に常規がなく、主る事に定所がなく、陰陽をもって規定できない。

尊卑有常序,終始無常主,故《繫辭》但論四爻功位之通例,而不及初上之定位也。然事不可無終始,卦不可無六爻,初上雖無陰陽本位,是終始之地也。統而論之,爻之所處則謂之位。卦以六爻為成,則不得不謂之六位時成也。

尊卑の間には固定の次序があるが、終と始には固定の主宰がない。だから《系辞伝》は二・三・四・五の四爻の功用と位次の通例のみを討論し、初・上両爻の定位に渉らない。しかし事は開頭結尾なくしてありえず、卦も六爻を足さずにはありえない。初・上は陰陽の本位がないとはいえ、畢竟終始の所在の地である。総べて言えば、爻の処する所を「位」と呼ぶ。卦は六爻から構成される以上、「位」と称さざるをえず、《乾・彖伝》のいう「六位時成」(六位時に応じて成る)である。

凡《彖》者,統論一卦之體者也。《象》者,各辯一爻之義者也。故《履》卦六三為兌之主,以應於乾;成卦之體,在斯一爻。故《彖》敘其應,雖危而亨也。《象》則各言六爻之義,明其吉凶之行。去六三成卦之體,而指說一爻之德,故危不獲亨而見咥也。《訟》之九二,亦同斯義。

大凡《彖伝》は一卦の整体を総論するもの、《象伝》(これは《小象》を指す)は一爻ごとの含義を分別辨析するものである。だから《履》卦六三は下体《兌》の主爻で、上は《乾》に応じ、全卦が卦を成す所以の鍵はこの一爻にある。ゆえに《彖伝》はそれが上体と相応することを叙述し、危険に処しても終に亨通しうると言う。《象伝》は六爻各々の義理を分別して講じ、それらの吉凶の走向を指明する。六三の成卦の整体的作用を撇いて、単にこの一爻自身の徳性を説く。ゆえに険に処して亨通を得ず、かえって老虎に咬まれると言う。《訟》卦九二の情形もまた同じ理である。

一卦之體,必由一爻為主,則指明一爻之美,以統一卦之義,《大有》之類是也。卦體不由乎一爻,則全以二體之義明之,《豐》卦之類是也。

一卦の卦体がもし確かに某一爻に主られていれば、この一爻の美善を指明し、それをもって全卦の意義を統摂する。《大有》卦六五が一陰をもって五陽を統するのはこの類に属する。卦体が某一爻に取决まらなければ、全く上下両体の意義をもって説明する。《豊》卦の離明が下にあり震動が上にあるのはこの類に属する。

薛收問一卦六爻之義,王氏通曰:卦也者,著天下之時也。爻也者,效天下之動也。

薛収が師に一卦六爻の意義を請うと、王通(隋代の大儒、門人が私諡して文中子という)は答えていう:いわゆる卦は天下の時勢を顯示するもの、いわゆる爻は天下の動向を摹擬するものである。

趨時有六動焉,吉凶悔吝所以不同也。收曰:敢問六爻之義。曰:六者非它也,三才之道?誰能過乎?

時勢に順って行動する方式に六種あり、これが各爻の吉・凶・悔・吝の各々相同じでない所以である。薛収がまた問う:六爻の具体的な含義を請う。王通はいう:六爻は他のものではなく、天・地・人の「三才」の道が各々二爻を占めるだけである。誰がこの範囲を超出できようか。

孔氏穎達曰:《易》者,變化之總名,改換之殊稱。自天地開闢,陰陽運行,寒暑

孔穎達はいう:いわゆる「易」とは、変化の総名称であり、更改替換の別名である。天地が開闢して以来、陰陽は運行して息まず、寒来暑往——ここで底本に脱文がある。

乾坤者,陰陽之本始,萬物之祖宗,故為上篇之始而尊之也。離為日,坎為月,日月之道,陰陽之經,所以始終萬物,故以坎離為上篇之終也,《咸》、《恆》者,男女之始,夫婦之道,人道之興,必由夫婦,所以奉承祖宗,為天地之主,故為下篇之始而貴之也,《既濟》《未濟》為最終者,所以明戒慎而全王道也。以此言之,則上下二篇,文王所定。

《乾》《坤》両卦は陰陽の本原開端、万物の祖宗であるから、上経の首に置いて尊崇を示す。《離》は日であり《坎》は月である。日月運行の道は即ち陰陽の常軌で、万物はこれによって終わりまた始まる。だから《坎》《離》をもって上経の收尾とする。《咸》《恒》両卦は男女交感の始と夫妻長久の道を講ずる。人倫の興起は必ず夫妻から始まり、これによって上は祖宗を承け、下は天地間の主人となる。だから下経の首に置いて看重を示す。《既済》《未済》をもって最末の両卦とするのは、戒惧謹慎・王道を保全する意を申明するためである。これより言えば、《易》が上下二篇に分かれるのは文王の定めたところである。

周子曰:聖人之精,畫卦以示;聖人之蘊,因卦以發。卦不畫,聖人之精不可得而見;微卦,聖人之蘊殆不可悉得而聞。《易》何止五經之原,其天地鬼神之奧乎!

周敦頤はいう:聖人の心中最も精微な所得は、卦を画くことを通じて顯示された。聖人の胸中に蘊蓄する道理は、卦象に憑藉して発揮された。もし卦が画かれなかったなら、聖人の精微なところは見る由もない。卦がなければ(底本の「微卦」は「无卦」の意)、聖人の蘊蓄する道理もおそらく完整に聞くことができない。《易》は五経の本原であるばかりか、まさに天地鬼神の幽深奥秘の所在である。

邵子曰:天變而人效之,故“元亨利貞”。《易》之變也,人行而天應之,故“吉凶悔吝”。《易》之應也,以“元亨”為變,則“利貞”為應。以“吉凶”為應,則“悔吝”為變。元則吉,吉則利應之。亨則凶,凶則應之以貞。悔則古,吝則凶,是以變中有應,應中有變也。

邵雍はいう:天道が変化して人がこれを効法するので、「元・亨・利・貞」の四徳がある。これは《易》の講ずる「変」である。人が行動を為せば天がこれに回応するので、「吉・凶・悔・吝」の四者がある。これは《易》の講ずる「応」である。「元亨」を変とすれば「利貞」は応、「吉凶」を応とすれば「悔吝」は変である。元始において吉を得、吉を得れば利をもって応じる。亨通が極処に至ればかえって凶を致し、凶に遇えば正を守るをもって応じる。悔は吉に転じうる(底本の「古」は「吉」の誤り)、吝は終に凶に趨る。これで見れば変の中に応が含まれ、応の中に変が含まれる。

變中之應,天道也,故元為變,則亨應之;利為變,則應之以貞。應中之變,人事也,故變則凶,應則吉,變則吝,應則悔也。悔者吉之先,而吝者凶之本,是以君子從天不從人。

変の中の応は天道に属する。だから元は変であり、亨が来て相応じる。利は変であり、貞が来て相応じる。応の中の変は人事に属する。だから一変動すれば凶に趨り、一回応すれば吉を得る。一変動すれば吝を生じ、一回応すれば悔を生ずる。悔は吉の先兆、吝は凶の根苗である。だから君子は事に処して、寧ろ天道の自然に順従し、人の私意に迁就しない。

易有意象,立意皆所以明象。統下三者,有言象,不擬物而直言以明事;有像象,擬一物以明意;有數象,“七日”“八月”“三年”“十年”之類是也。

邵雍またいう:《易》の中にいわゆる「意象」がある。凡そ一意を立てるのはみな卦象を闡明するためで、それは以下の三類を総摂する。一は「言象」:ある具体的事物に比拟せず、直接言語をもって一事を説明する。二は「像象」:ある実物に比拟して用意を表明する。三は「数象」:爻辞中の「七日」「八月」「三年」「十年」といった類の、数目をもって象を取る言い方である。

張子曰:大《易》不言有無,言有無,諸子之陋也。

張載はいう:偉大なる《易》道はただ陰陽の屈伸往来を講ずるのみで、従来「有」と「無」を分説しない。口を開けば有無を争弁するのは、諸子百家(特に老荘の一路)の見識浅陋なところである。

《易》為君子謀,不為小人謀。故撰德於卦,雖爻有小大,及繫辭其爻,必告以君子之義。

《易》は君子のために筹划するのであって、小人のために筹划しない。だから卦中に徳行を撰述する際、各爻に陰柔の「小」・陽剛の「大」の分別があるとはいえ、これらの爻に文辞を繫ぐとき、必ず君子の循るべき道理をもって人を告戒する。

程子曰:有理而後有象,有象而後有數。得其義,則象數在其中矣。必欲窮象之隱微,盡數之毫忽,乃尋流逐末,術家之所尚,非儒者之所務也,管輅、郭璞之學是也。

程頤はいう:まず理があり、然る後に象がある。まず象があり、然る後に数がある。義理を把握しさえすれば、象と数は自然にその中に含まれる。もし必ず物象中の最も隠微な角落を窮究し、数目裡の最も細小な分毫を算尽しようとすれば、それは支流に順って末節を追逐するもので、術数家の崇尚するものであり、儒者の心を用いるべきところではない——三国の管輅・晋代の郭璞の一路の占験の学が正にこの類に属する。

理無形也,故因象以明理。理見乎辭矣,則可由辭以觀象。故曰:得其義,則象數在其中矣。

理それ自体には形体がない。だから卦象を借助してそれを闡明する。理はすでに卦爻辞の中に顕現しているから、反って文辞によって卦象を観察できる。だからいう:義理を把握しさえすれば、象と数は自然にその中にある。

看《易》且要知時,凡六爻人人有用,聖人自有聖人用,賢人自有賢人用,眾人自有眾人用,學者自有學者用,君有君用,臣有臣用,無所不通。

《易》を読むにはまず「時」を知らなければならない。六爻は何人にも用处がある:聖人には聖人の用法があり、賢人には賢人の用法があり、普通百姓には普通百姓の用法があり、読書人には読書人の用法があり、君主たる者には君主たる者の用法があり、臣子たる者には臣子たる者の用法があり、往かざるにして通ぜざるはない。

作《易》者,自天地幽明,至於昆蟲草木之微,無一而不合。

《易》を作った聖人は、上は天地の間の幽暗と光明の大化から、下は昆虫草木の類の細微な物に至るまで、卦爻の理と相契合しないものは一つもない。

陰之道,非必小人也,其害陽則小人,其助陽成物則君子也。利非不善也,其害義則不善也,其和義則非不善也。

陰の一路は必ずしも小人ではない:陰が陽を妨害すれば、それでやっと小人と算する。陰が陽を輔助して万物を成就すれば、それは君子である。「利」もまたそれ自体不善ではない:利が義を妨害すれば、それが不善である。利が義と相調和すれば、不善ではない。

《傳序》云:《易》,變易也,隨時變易以從道也。其為書也,廣大悉備,將以順性命之理,通幽明之故,盡事物之情,而示開物成務之道也。聖人之憂患後世,可謂至矣。

程頤《伊川易伝》の自序はいう:《易》とは変易であり、時勢に随って変易して道に順従するものである。この書は広博宏大で備わらざるなく、その用意は性命の理に順応し、幽冥と顕明の両界を貫通する故を知り、事物の実情を窮尽し、もって人に万物を開通し事業を成就する門路を指示することにある。聖人の後世を憂慮する深さは、極に至ったといえる。

去古雖遠,遺經尚存。然而前儒失意以傳言,後學誦言而忘昧。自秦而下,蓋無傳矣。

古代からの距離は遠久いが、先聖の遺留した経書はなお在る。しかし前代の儒者は本意を把握せずに自分の説を伝え、後の学者は文句のみを誦読して茫然としてその義を解しない。秦代以下、《易》の真伝はおそらくすでに断絶した。

予生千載之後,悼斯文之湮晦,將俾後人沿流而求源,此《傳》所以作也。 “《易》有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。”吉凶消長之理,進退存亡之道備於辭,推辭考卦,可以知變,象與占在其中矣。

私は千載の後に生まれ、この学問の湮没して明らかでないことを痛惜し、後人が流脈に順って本源を求められるようにしたい。これが私の《伊川易伝》を作った縁由である。《系辞伝》はいう:「《易》には聖人の道が四条ある。言を立てるに用いる者はその文辞を重んじ、行動するに用いる者はその変化を重んじ、器物を制作するに用いる者はその物象を重んじ、卜筮するに用いる者はその占断を重んじる」。吉凶消長の道理・進退存亡の門径はみな文辞の中に具備する。文辞を推尋し卦体を考察すれば、変化を知ることができ、象と占もその中に含まれる。

“君子居則觀其象而玩其辭,動則觀其變而玩其占。”得其辭,不達其意者有矣。未有不得於辭,而能通其意者也。至微者理也,至著者象也,體用一源,顯微無間。觀會通以行其典禮,則辭無所不備。故善學者求言必自近,易於近者,非知言者也。予所傳者辭也。由辭以得其意,則在乎人焉。

《系辞伝》はいう:「君子は平居のときは卦象を観察し卦爻辞を玩味し、行動のときは爻変を観察し占断を玩味する」。文辞を読み解してもその中の意旨に通達できない者はいるが、文辞さえ読み通せずにかえってその意に通暁できる者は断じていない。最も幽微なのは理、最も顕著なのは象。しかし体と用は同一の源に出て、顕と微の間に間隔はない。事理の会合貫通するところを観察し、これに拠って典章礼法を推行すれば、卦爻辞の中に備わる道理は有らざるなし。だからよく学を為す者は文辞を解き求めるに必ず切近のところから入手し、切近のところをあまりに容易く見る者は文辞を知るに足らない。私の伝えて来たものは文辞だけである。文辞によってその本意を把握できるかどうかは、読者自身に存する。

《易》之為書,卦爻彖象之義備,而天地萬物之情見,聖人之憂天下來世其至矣。

《易》という書は、卦・爻・彖・象の各層の意義がみな斉備し、天地万物の真実の情態もこれに随って呈現する。聖人の天下と後世を憂慮する深さは、真に極に至っている。

先天下而開其物,後天下而成其務。是故極其數,以定天下之象;著其象,以定天下之吉凶。六十四卦,三百八十四爻,皆所以順性命之理,盡變化之道也。散之在理,則有萬殊;統之在道,則無二致。所以“易有太極,是生兩儀”。“太極”者道也,“兩儀”者陰陽也。陰陽一道也,“太極”無極也。

聖人は天下人に先んじて万物の理を開通し、天下人に後れて衆人の事を成就する。だから蓍策の数を推極して天下の物象を確定し、これらの物象を顕明にして天下の吉凶を判定する。六十四卦・三百八十四爻は、みな性命の理に順応し変化の道を窮尽するために用いられる。散らかして理に就いて言えば千差万別があり、統べて道に就いて言えば両样はない。だから《系辞伝》は「易に極があり、太極が両儀を生ず」という。いわゆる「太極」は即ち道、いわゆる「両儀」は即ち陰陽である。陰陽を合わせれば依然として一つの道であり、太極自体はまた無形無方の「無極」である。

萬物之生,“負陰而抱陽”,莫不有太極,莫不有兩儀,絪縕交感,變化不窮,形一受其生,神一發其智,情偽出焉,萬緒起焉,《易》所以定吉凶而生大業。故《易》者,陰陽之道也;卦者,陰陽之物也;爻者,陰陽之動也。卦雖不同,所同者奇偶。爻雖不同,所同者九六。

万物の生成は、みな《老子》のいう「陰を負いて陽を抱く」がごとく、各々一つの太極を具備し、各々陰陽両儀を具備しないものはない。二気が絪縕交感し、変化に窮尽がない。形体がいったん禀受して生じ、精神がいったん発動して智を生じれば、真情と虚偽はこれによって生じ、万般の頭緒はこれによって興る。《易》は正に吉凶を判定し大業を開くために用いられる。だからいう:《易》は陰陽の道理、卦は陰陽の形体、爻は陰陽の運動である。卦は各々相同じでないが、相同じなのは奇画と偶画である。爻は各々相同じでないが、相同じなのは九と六である(陽爻を九と称し、陰爻を六と称す)。

是以六十四卦為其體,三百八十四爻互為其用。遠在六合之外,近在一身之中。暫於瞬息,微於動靜。莫不有卦之象焉,莫不有爻之義焉。至哉《易》乎!其道至大而無不包,其用至神而無不存。時固未始有一,而卦亦未始有定象。事固未始有窮,而爻亦未始有定位。

したがって六十四卦をもって体とし、三百八十四爻の交互をもって用とする。遠くは天地四方の外に至り、近くは自己一身の中に在る。短暫は一瞬一息のごとく、細微は一動一静のごときも、各々相応する卦象が有らざるなく、各々相応する爻義が有らざるなし。偉大なりや、《易》!その道は極めて広大にして包まざるなく、その用は極めて神妙にして在らざる所なし。時局はもともと一種に固定したことがなく、卦もまた一成不変の象を有したことがない。事情はもともと窮尽がなく、爻もまた一成不変の位を有したことがない。

以一時而索卦,則拘於無變,非易也。以一事而明爻,則窒而不通,非易也。知所謂卦爻彖象之義,而不知有卦爻彖象之用,亦非易也。故得之於精神之運,心術之動,與天地合其德,與日月合其明,與四時合其序,與鬼神合其吉凶,然後可以謂之知《易》也。

ある一つの時局をもって卦に死に物狂いで套せば、拘泥して変通を知らず、それは《易》ではない。ある一件の具体の事をもって某一爻を講定すれば、滞塞して講じ通じず、それも《易》ではない。卦・爻・彖・象の意義を知るだけで、卦・爻・彖・象にまだ活きた用法があることを知らなければ、同様に《易》ではない。だから精神の運行・心思の萌動の間において体会し、天地と合してその徳を同じくし、日月と合してその明を同じくし、四時と合してその序を同じくし、鬼神と合してその吉凶を同じくするに至ってはじめて、《易》を知ると称するに足る。

雖然,《易》之有卦,易之已形者也。卦之有爻,卦之已見者也。已形已見者,可以言知。未形未見者,不可以名求。則所謂《易》者果何如哉?此學者所當知也。

とはいえ、《易》には卦がある。それは《易》がすでに成形した部分である。卦には爻がある。それは卦がすでに顕現した部分である。すでに成形しすでに顕現したものは、なお言語をもって認知できる。まだ成形せずまだ顕現しないものは、名相に靠って追求できない。ではいわゆる「易」とは究竟何ものか。これ正に《易》を学ぶ者が自ら体認すべきところである。

朱子曰:《漢書》“易本隱以之顯,《春秋》推見至隱”。易與《春秋》,天人之道也。

朱熹はいう:《漢書》は司馬遷の言を引き、「《易》は幽隠から顕明へ推し、《春秋》は顕明から幽隠へ推す」という。《易》と《春秋》のこの二書が講ずるのは、正に天道と人道である。

《易》以形而上者,說出在那形而下者上。《春秋》以形而下者,說上那形而上者去。

《易》は形而上の道理を、形而下の具体的事物に落実して講ずる。《春秋》は形而下の具体的史事に就いて、推し説き上げて形而上の義理を講ずる。

問:《易》有“交易”,“變易”之義如何?曰:“交易”是陽交於陰,陰交於陽,是卦圖上底,如“天地定位,山澤通氣”云云者是也。“變易”是陽變陰,陰變陽,老陽變為少陰,老陰變為少陽,此是占筮之法,如晝夜寒暑屈伸往來者是也。

或る人が問う:《易》に「交易」「変易」の二義があるが、どう理解すべきか。朱熹はいう:「交易」とは陽と陰が相交り、陰と陽が相交ることで、卦位図上の事に属する。《説卦伝》の講ずる「天地定位、山沢通気」(天地は位を定め、山沢は気を通ず)といった言がそうである。「変易」とは陽が陰に変じ、陰が陽に変じ、老陽が少陰に変わり、老陰が少陽に変わることで、占筮の揲蓍の方法に属する。昼夜の交替・寒暑の推移・一屈一伸・一往一来のようなものである。

聖人作《易》之初,蓋是仰觀俯察,見得盈乎天地之間,無非一陰一陽之理。有是理,則有是象。有是象,則其數便自在這裡。非特河圖、洛書為然,而圖書為特巧而著耳。於是聖人因之而畫卦。卦畫既立,便有吉凶在裡。

聖人が最初に《易》を作ったのは、おそらく頭を挙げて天を観、頭を低うして地を察し、天地の間に充満するものは一陰一陽の道理に外ならないことを見出したのである。この理があれば、相応する象がある。この象があれば、その中の数は自然にその中にある。「河図」「洛書」のみがこうなのではなく、ただ図書のこの両者が格別巧妙顕著なだけである。ここにおいて聖人はそれに依拠して卦を画き出した。卦画がいったん立てば、吉凶はすでにその中に含まれていた。

蓋是陰陽往來交錯於其間,其時則有消長之不同。長者便為主,消者便為客。事則有當否之或異,當者便為善,否者便為惡。即其主客、善惡之辨,而吉凶見矣。故曰“八卦定吉凶”。吉凶既決定而不差,則以之立事,而大業自此生矣。此聖人作《易》,教民占筮,而以開天下之愚,以定天下之志,以成天下之事者如此。

これは陰陽が卦の中で往来交錯し、時勢に就いて言えば消と長の差別があるからである:まさに生長する方が主となり、まさに消退する方が客となる。事情に就いて言えば得当と不得当の差異がある:得当なのが善、不得当なのが悪である。まさにこの主と客・善と悪の分辨の中において、吉凶が顕現する。だから《系辞伝》は「八卦が吉凶を判定する」という。吉凶はすでに決断されて差錯なく、これに拠って事を行えば、偉大な功業はこれによって生ずる。聖人が《易》を作り、百姓に卜筮を教えたのは、天下人の蒙昧を開発し、天下人の心志を安定し、天下人の事業を成就するためであり、その道理はこのようである。

自伏犧而下,但有此六畫,而未有文字可傳。到得文王、周公,乃繫之以辭。故曰“聖人設卦觀象繫辭焉而明吉凶”、大率天下之道,只是善惡而已,但所居之位不同,所處之時既異,而其幾甚微,只為天下之人不能曉會,所以聖人因占筮之法以曉人,使人居則觀象玩辭,動則觀變玩占,不迷於是非得失之途。

伏羲以下、この六画の卦があるのみで、まだ文字が流伝しなかった。文王・周公に至り、はじめて卦爻に文辞を繫いだ。だから《系辞伝》は「聖人は卦体を設立し、物象を観察し、文辞を繫いで、もって吉凶を闡明した」という。大体言えば、天下の道理はただ一つの善と悪だけである。ただ人の処する地位が同じでなく、遇う時勢が各々異なり、しかも善悪転關の苗头が極めて細微で、天下人が領会できないので、聖人は占筮の方法を借りて衆人を点醒した。人が平居のときに象を観て辞を玩し、行動のときに変を観て占を玩し、是非得失の歧路において方向を迷失しないようにするためである。

所以是書夏商周皆用之,其所言雖不同,其辭雖不可盡見,然皆太卜之官掌之,以為占筮之用。自伏犧而文王周公,雖自略而詳,所謂占筮之用則一。蓋即占筮之中,而所以處置是事之理,便在裡了。故其法若粗淺,而隨人賢愚皆得其用。

だからこの書は夏・商・周三代ともこれを用いた。三代の講ずるところは同じでなく、文辞もいま全く見ることはできないが、いずれも太卜の官に掌管され、占筮の用を為した。伏羲から文王・周公に至るまで、内容は簡略から詳密に変わったが、いわゆる占筮に供するという点は一致していた。まさに占筮の中において、この事を処置する拠り所とする道理がすでにその中に含まれていたからである。だからこの一套の办法は粗浅に見えても、人が賢明であろうと愚鈍であろうと各々その用を得ることができた。

雖是有定象,有定辭,皆是虛說此個地頭,合是如此處置,初不黏著物上。故一卦一爻,足以包無窮之事,此所以見《易》之為用,無所不該,無所不遍,但看人如何用之耳。易如鏡相似,看甚物來。

卦に定象があり爻に定辞があるとはいえ、それらはみな虚に一つの地步を設け、こういう境地に処すればこう処置すべきだと説明するだけで、もともと某一件の具体の事物に粘着しない。だから一卦一爻は、窮尽なき事情を涵蓋するに足りる。これで見れば《易》の功用は賅らざるなく遍らざるなく、ただ人がどのようにそれを用いるかを見るだけである。《易》はちょうど一面の鏡のようなもので、どんな物が照らし来ても——

都能照得。如所謂“潛龍”,只是有個“潛龍”之象,自天子至於庶人,看甚人來都使得。孔子說作龍德而隱,便是就事上指殺說來。然會看底,雖孔子說也活,也無不通。

どんな物でも照らし出せる。たとえばいわゆる「潜龍」は、ただ一つの「潜龍」の象を立てたにすぎず、上は天子から下は平民まで、どんな人が用いても用いられる。孔子が《文言》でそれを「龍の徳性を有して隠居して出ない」と講じたのは、具体的人事に落として固定したものである。ただし読み解ける人は、孔子のような言い方を読んでもなお生きており、処々に講じ通る。

不會看底,雖文王周公說底也死了。須知得他是假託說,是包含說。假託,謂不惹著那事。包含,是說個影像在這裡,無所不包。

読み解けない人は、文王・周公の繫いだ辞であっても、彼の手にかかれば死句となる。卦爻辞は「仮托」して言い、「包含」して言うものだと知らなければならない。いわゆる仮托とは、それが某一件の具体の事を指定しないこと。いわゆる包含とは、ただ一つの大致の影像をここに摆出するので、したがって包まざるがないことである。

易之有象,其取之有所從,其推之有所用,非苟為寓言也。然兩漢諸儒,必欲究其所從,則既滯泥而不通。王弼以來,直欲推其所用,則又疏略而無據。二者皆失之一偏,而不能闕其所疑之過也。

《易》の中に象がある。その取象には各々来歴があり、その推衍には各々用处があり、でたらめに寓言を設けて済ますものではない。しかし両漢の儒者はひたすら各象の来歴を追究しようとして、結果拘泥して講じ通じなかった。王弼以来の人はまたひたすら象の用处を推求しようとして、結果疏略で根拠がなかった。この二種の做法はともに偏頗に失し、ともに疑わしいところをしばらく空しようとしない病を犯した。

且以一端論之,乾之為馬,坤之為牛,《說卦》有明文矣。馬之為健,牛之為順,在物有常理矣。至於案文責卦,若《屯》之有馬而無乾,《離》之有牛而無坤,《乾》之六龍,則或疑於震,坤之“牝馬”,則當反為乾,是皆有不可曉者。

しばらく一端を挙げて言おう。《乾》は馬を象と取り、《坤》は牛を象と取る。《説卦伝》に明文がある。馬の性は剛健、牛の性は柔順で、物性の上でも常理である。しかしいったん経文に照らして卦象を追究すれば、《屯》卦辞に馬があるのに卦体中に《乾》がなく、《離》卦辞に牛があるのに卦体中に《坤》がないことに気づく。《乾》卦は「六龍」を講じ、龍はまた《震》の象のようであり、《坤》卦は「牝馬」を講じ、馬は乾に属する按ずればまた反って《乾》と算すべきである。これらはみな講じ明らめられないところがある。

是以漢儒求之《說卦》而不得,則遂相與創為互體、變卦、五行、納甲、飛伏之法。參互以求,而幸其偶合。其說雖詳,然其不可通者,終不可通。其可通者,又皆傅會穿鑿,而非有自然之勢。唯其一二之適然而無待於巧說者,為若可信,然上無所關於義理之本原,下無所資於人事之訓戒,則又何必苦心極力以求於此,而欲必得之哉!

ゆえに漢代の儒者は《説卦伝》の中に根拠を見出せず、共同で「互体」「変卦」「五行」「納甲」「飛伏」といった方法を創出し、交錯参配して推求し、偶然の凑合を指望した。これらの説は細密だが、講じ通じないものは結局講じ通じない。たとえ講じ通じるものも、みな牽強附会・生硬穿鑿であって、自然にして然るべき勢理がない。ただその中の一二箇所がたまたま吻合し、巧弁に頼らずとも説き通せるものは、見れば信ずべきようだが、上は義理の本原と毫も関連せず、下は人事への訓誡に少しも助けがない。それならば何のために苦心気力を費やして追求し、求め得ずにはいられない必要があろうか。

故王弼曰:義苟應健,何必乾乃為馬;爻苟合順,何必坤乃為牛?而程子亦曰:理無形也,故假象以顯義。此其所以破先儒膠固支離之失,而開後學玩辭玩占之方,則至矣。然觀其意,又似直以《易》之取象,無復有所自來,但如《詩》之比興,孟子之譬喻而已。如此則是《說卦》之作,為無所與於易。而“近取諸身遠取諸物”者,亦剩語矣。

だから王弼はいう:卦義がただ剛健に応ずれば、何も必ず《乾》でなければ馬を象に取れないわけではない。爻義がただ柔順に合すれば、何も必ず《坤》でなければ牛を象に取れないわけではない。程頤もまたいう:理には形体がないので、卦象を借りて義理を顕明にする。この両氏が前代学者の膠柱支離の病を打破し、後学に辞を玩し占を玩する門径を開いたことは、極めて功があったといえる。ただし彼らの意を体会すれば、また《易》の取象にはもともと来歴がなく、《詩経》の比・興や《孟子》の譬喩のようなものにすぎないと干脆と認めているようでもある。このように講ずれば、《説卦伝》の写作は《易》と毫も相干らず、《系辞伝》のいう「近くは人身に象を取り、遠くは万物に象を取る」も余分な言葉となる。

故疑其說亦若有未盡者,因竊論之,以為《易》之取象,固必有所自來,而其為說,必已具於太卜之官,顧今不可復考,則姑闕之。而直據辭中之象,以求象中之意,使足以為訓戒,而

だから私は彼らの説法にもまだ尽きないところがあると疑い、ここに私に議論する:《易》の取象には必ずその来歴があり、これらの取象を講解する条例も当初必ず太卜の官の手に完備して握られていたのであろう。ただ今はもう査考する由がない。ならばしばらく空しておく。目下はただ卦爻辞中の現成の象に依拠して、象の中に含まれる意旨を尋ね求め、それをもって訓誡に充当するに足るようにする——ここで底本に脱文がある。

《易》之象似有三樣:有本畫自有之象,如奇畫象陽、偶畫象陰是也;有實取諾物之象,如乾坤六子,以天地雷風之類象之是也;有只是聖人自取象來明是義者,如“白馬翰如”、“載鬼一車”之類是也。

《易》の象は三類あるようだ。一は卦画それ自体が帯びる象。奇画は陽を象徴し、偶画は陰を象徴する類。二は確かに具体的事物から取った象。《乾》《坤》と震・巽・坎・離・艮・兌の「六子」が、それぞれ天・地・雷・風の類をもって取象する類。三は聖人が臨時に自ら一つの物象を取りてある意を闡明するもの。《賁》卦の「白馬翰如」、《睽》卦の「載鬼一車」の類である。

易有象辭,有占辭,有象占相渾之辭。

《易》の文辞は三種に分けられる:物象を専ら講ずる「象辞」、吉凶を専ら断ずる「占辞」、そして象と占が混合した辞がある。

問:王弼說初上無陰陽定位,如何?曰:伊川說陰陽奇偶,豈容無也?《乾》上九“貴而五位”。《需》上六不當位,乃爵位之位,非陰陽之位,此說最好。

或る人が問う:王弼は初爻・上爻に固定の陰陽の位がないと言うが、この言はどうか。朱熹はいう:程頤は爻位に奇偶があると講じた。どうして陰陽がなかろう。《乾》卦上九の「貴而无位」(底本の「五位」は「无位」の誤り)、《需》卦上六の「不当位」——あそこで言う「位」は爵禄職位を指し、陰陽の位ではない。程頤のこの説が最もよい。

《易》只是為卜筮而作,故《周禮》分明言太卜掌三《易》:《連山》、《歸藏》、《周易》。古人於卜筮之官,立之凡數人。秦去古未遠,故《周易》亦以卜筮得不焚。今人說《易》是卜筮之書,便以為辱累了易。見夫子說許多義理,便以為《易》只是說道理,殊不知其言吉凶悔吝皆有理,而其教人之意無不在也。

《易》はもともとただ卜筮のために作られた。だから《周礼》は明白に太卜の官職が三種の《易》——《連山》《帰蔵》《周易》——を掌ると言う。古人は卜筮の職事に全部で数員の官を設けた。秦代は古に距ること遠からず、なお《易》の本来の用处を知っていたので、《周易》もまた卜筮の書であることをもって焚毀を免れた。今の人は《易》が卜筮の書と聞けば、これは《易》を玷辱するものだと感じ、孔子が多くの義理を講じたのを見れば、《易》はただ道理を講ずる書だと思い込む。しかし知らない、それの言う吉・凶・悔・吝は件件に理があり、人を教誨する用心も一処としてその中に寓らないところがないことを。

今人卻道聖人言理,而其中固有卜筮之說,他說理後,說從那卜筮上來作麼?上古之時,民心昧然,不知吉凶之所在。故聖人作《易》,教之卜筮,使吉則行之,凶則避之。此是開物成務之道。故《繫辭》云:“以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑”,正謂此也。

今の人はかえって聖人は義理を講ずるもので、その中に固より卜筮の説が夾雑していると言う——このように講ずれば、聖人はすでに理を説いているのに、何の必要があって卜筮にまで扯げるのか。上古の時、民衆の心智は蒙昧で、吉凶の在処を知らなかった。だから聖人は《易》を作り、彼らに卜筮を教え、吉に遇えばこれを為し、凶に遇えばこれを避けさせた。これ正に「万物を開通し事業を成就する」方法である。だから《系辞伝》は「天下人の心志を通達するため、天下人の功業を奠定するため、天下人の疑惑を裁断するため」という。講ずるのはこの事である。

初但有占而無文,往往如今之環環相似耳。今人因《火珠林》起課者,但用其爻而不用其辭,則知古者之占,往往不待辭而後見吉凶。又云,如左氏所載得《屯》之比,既不用《屯》之辭,亦不用《比》之辭,卻自別推一法。

最初には占法のみあって文字がなかった。情形は往々にして今日の民間の珓を擲つ類の簡便な法に似る。いま《火珠林》一系の納甲法によって課を起こす者は、爻位のみを用いて卦爻辞を用いない。これで見れば古人の占いはしばしば辞あるを俟たずして吉凶を判定した。朱熹またいう:《左伝》の記す《屯》卦を占して《比》卦に変じたあの例のように、《屯》卦の辞を用いず《比》卦の辞も用いず、別に一套の方法によって推断したのである。

至文王周公,方作彖爻之辭,使人得此爻者,便觀此辭之吉凶。至孔子,又恐人不知其所以然,故又復逐爻解之。謂此爻所以吉者,謂以中正也。此爻所以凶者,謂不當位也。明明言之,使人易曉耳。至如《文言》之類,卻是就上面發明道理,非是聖人作《易》,專為說道理以教人也。須見聖人本意,方可學易。

文王・周公に至り、はじめて卦辞と爻辞を作り出し、人がある一爻を占得すれば、この条の辞に憑って吉凶を見ることができるようにした。孔子に至り、また人がその中の所以然を明らめぬことを恐れ、ここに爻を逐って解釈を加えた:この一爻が吉である所以は、それが中に居りまた正を得たから。この一爻が凶である所以は、その処する位が相當でないから。件件明白に講じて、人に会得し易くさせた。《文言》の類に至っては、経文に就着きさらに上に義理を発揮したもので、聖人が《易》を作ったのが専ら道理を講じて人に教えるためだというのではない。必ずまず聖人の本意を見清めて、然る後に《易》を学ぶことを談じうる。

聖人作易,本是使人卜筮,以決所行之可否,而因之以教人為善。如嚴君平所謂與人子言依於孝,與人臣言依於忠者。故卦爻之辭,只是因依象類,虛設於此,以待叩而決者,使以所值之辭,決所疑之事。似若假之神明,而亦必有是理而後有是辭。理無不正,故其丁寧告戒之辭,皆依於正。天下之動,所以正夫一,而不謬於所之也。

聖人が《易》を作った本意は、人に卜筮をもって行う事の可と否を判定させ、この機会を借りて人に善に向かうを教えることにある。ちょうど漢代の厳君平が成都で卜を売り、子たる者には孝道に依って講じ、臣たる者には忠道に依って講じたがごとし。だから卦爻辞はただ物象の門類に依傍して、虚にここに設け、人の来て問うを俟って彼のために決断し、彼が占い得たあの条の辞に憑って疑う事を解决させる。見れば神明に借重するようだが、実は必ずまずこの理があり、然る後にこういう辞がある。理に正しからざるなし。だからあれらの叮咛告戒の言はみな「正」に帰結する。天下の一切の行動が純一の正に帰しうる所以であり、方向を誤らない所以である。

卦爻之辭,本為卜筮者斷吉凶,而因以訓戒。至《彖》、像》、《文言》之作,始因其吉凶訓戒之意,而推說其義理以明之。後人但見於孔子所說義理,而不復推本文王周公之本意。因鄙卜筮為不足言,而其所以言《易》者,遂遠於日用之實,類皆牽合委曲,偏主一事而言,無復包含該貫曲暢旁通之妙。

卦爻辞はもともと卜筮する人のために吉凶を判断し、この機会を借りて訓誡を施加するものである。《彖伝》《象伝》《文言》が写成して後、はじめてこれらの吉凶訓誡の用意に順って義理を推衍して闡明した。後人はただ孔子の講じた義理のみを見て、顧みて文王・周公が当初辞を繫いだ本意を推究せず、ここに卜筮を鄙薄し、談ずるに足らないとした。こうして彼らの《易》を講ずることは日用の実事からいよいよ遠ざかり、大抵は牽強附会して曲げて説を為し、某一件の事に偏執して講じ、あの包羅貫通して曲尽しまた旁達する妙処はもはやない。

若但如此,則聖人當時,自可別作一書,明言義理,以詔後世。何用假託卦象,為此艱深隱晦之辭乎?大抵《易》之書,本為卜筮而作,故其辭必根於象數,而非聖人己意之所為。其所勸戒,亦以施諸筮得此卦此爻之人,而非反以戒夫卦爻者。

もし《易》が真にただこのようなものであるなら、聖人は当年尽く別に一部の書を書き、明白に義理を講じて後世に暁諭すれば足りたはずだ。何のために卦象に仮托して、これらの艱深隠晦な文辞を書き記したのか。大体言えば、《易》という書はもと卜筮のために作られた。だからその辞は必ず象と数に植根するのであって、聖人が自己の心意に憑って随口に造り出したものではない。それの勧勉告戒する対象もまたこの一卦・この一爻を筮得した人であって、反って卦爻そのものを告戒するのではない。

近世言《易》者,殊不如此,所以其說雖有義理,而無情意。雖大儒先生,有所不免。比因玩索,偶幸及此,私竊自慶,以為天啟其衷,而以語人,人亦未見有深曉者。

近世《易》を講ずる者はすべてこのようでない。だから彼らの解説は一見の義理はあるが、人事に切なる情味がない。大儒先生であってもこの病を免れない。私は近ごろ玩味探索して、僥幸にもこの一層を想到し、私かに自ら慶び、天が私の心思を啓発したのだと思った。しかし取って他人に告げても、深切に体会する者がいるのを見ない。

《易》中都是貞吉,不曾有不貞吉;都是利貞,不曾說利不貞。如占得《乾》卦,

《易》の中で言うのはみな「正を守ってはじめて吉」であって、正を守らずして吉となりうると言ったことはない。みな「正を守るに利あり」であって、正を守らないに利ありと言ったことはない。たとえば《乾》卦を占得すれば——ここで底本に脱文がある。

蔡氏元定曰:天下之萬聲,出於一闔一闢。天下之萬理,出於一動一靜。天下之萬數,出於一奇一偶。天下之萬象,出於一方一圓。盡起於乾坤二畫。

蔡元定(朱熹の摯友にして助手、朱熹とともに《易学啓蒙》を撰した)はいう:天下の千万種の声音は、口の一合一開に出る。天下の千万条の道理は、一動一静に出る。天下の千万種の数目は、一奇一偶に出る。天下の千万種の形象は、一方一円に出る。根に帰し底に至れば、すべて《乾》《坤》のあの一陽一陰の両画に発端する。

許氏衡曰:初,位之下,事之始也,以陽居之,才可以有為矣。或恐其不安於分也,以陰居之,不患其過越矣。或恐其軟弱昏滯,未足以趨時也。大抵柔弱則難濟,剛健則易行。或諸卦柔弱而致凶者,其數居多。

許衡(元初の大儒)はいう:初爻は最も下の位置に処し、一件の事の開端である。陽爻をもって初に居れば、才具は為すあるに足るが、あるいは彼が本分に安んじないを憂うべきかもしれない。陰爻をもって初に居れば、彼が分を越えて躁進することを憂慮する必要はないが、あるいは彼が軟弱昏沈で、時に乗じて動くに足らないを憂うべきかもしれない。大体、柔弱は事を済し難く、剛健は行われ易い。各卦の中で柔弱によって兇険を招くものは、数として多く居る。

若總言之,居初者,易貞。居上者,難貞。易貞者,由其所適之道多。難貞者,以其所處之位極。故六十四卦初爻多得免咎,而上每有不可救者。始終之際,其難易之不同蓋如此。

もし総べて言えば、初位に居る者は正を守り易く、上位に居る者は正を守り難い。守り易いのは、彼の前に行くべき路がなお多いからである。守り難いのは、彼の処する位置がすでに尽頭に至ったからである。だから六十四卦の初爻は多く過ちを免れ、上爻はことごとに救いようのないものがある。一始一終の間、難易の分別は大致このとおりである。

二與四,皆陰位也:四雖得正,而猶有不中之累,況不得其正乎?二雖不正,而猶有得中之美,況正而得中者乎?四,近君之位也。二,遠君之位也。其勢又不同。此二之所以“多譽”,四之所以“多懼”也。二中位,陰陽處之,皆為得中。中者,不偏不倚、無過不及之謂。具才若此,故於時義為易合。時義既合,則吉可斷矣。

二と四はともに陰位に属す。四爻はたとえ陰をもって陰に居り正を得ても、なお中に居らない拖累がある。いわんやもともと正を得ないものをや。二爻はたとえ陽をもって陰に居り正でなくとも、なお中に居る好処がある。いわんや正を得てまた中に居るものをや。さらに言えば、四は君位に接近する場所、二は君位に遠離する場所で、処境はまた各々相同じでない。これが《系辞伝》のいう二爻「多誉」・四爻「多惧」の故である。二は下卦の中位で、陰爻・陽爻がそれに居ればみな中を得たと算する。いわゆる「中」とは、偏らず倚らず、過ぎず及ばざることである。才質がこのようであれば、一時の卦義と相契合し易い。時義と相合すれば、吉は断定できる。

卦爻六位,惟三為難處。蓋上下之交,內外之際,非平易安和之所也。

一卦の六つの爻位のうち、ただ第三位のみが最も安処し難い。それは正に上卦と下卦の交接し、内体と外体の交界する場所に当たり、平易安穏の処所ではない。

四之位近君,“多懼”之地也。以柔居之,則有順從之美。以剛居之,則有僭逼之嫌。然又須問,居五者,陰邪陽邪?以陰承陽,則得於君而勢順。以陽承陰,則得於君而勢逆。勢順則無不可也,勢逆則尤忌上行,而凶咎必至。

四位は君位に靠近し、いわゆる「多惧」の地である。柔爻をもってこれに居れば順従の美德があり、剛爻をもってこれに居れば僭越逼上の嫌疑がある。ただしなお一句追問すべし:五位に居るのは陰爻か陽爻か。陰爻をもって上に陽爻を承ければ、君心を得て形勢もまた順である。陽爻をもって上に陰爻を承ければ、君心を得ても形勢は却って逆である。形勢順なれば不可なきことなく、形勢逆なれば特にさらに上に向かい進逼することを忌諱する。さもなくば兇険と災咎は必ず招来される。

以陽承陽,以陰承陰,皆不得於君也。然陽以不正而有才,陰以得正而無才,故其勢不同。有才而不正,則貴於寡慾,故乾之諸四,多得免咎。無才而得正,則貴乎有應,故艮之諸四,皆以有應為優,無應為劣。獨坤之諸四,能以柔順處之,雖無應援,亦皆免咎。此又隨時之義也。

陽爻をもって上に陽爻を承け、陰爻をもって上に陰爻を承くるは、同性は相求めず、ともに君主の信任を得られない。ただし陽が四位に居れば正を得ないが才干があり、陰が四位に居れば正を得るが才干が少ない。だから両者の情勢は同じでない。才干あって正を得ない者の貴ぶべきところは寡欲自斂にある。だから凡そ《乾》を体とする各卦は、四爻が多く過ちを免れる。才干なくて正を得る者の貴ぶべきところは上下に応援あるにある。だから凡そ《艮》を体とする各卦は、四爻が応あるを優とし応なきを劣とする。ただ《坤》を体とする各卦のみ、四爻は柔順をもって自ら処し、応援する人なくともみな災咎を免れる。これまた時に随い宜に制する道理である。

五,上卦之中,乃人君之位也。諸爻之德,莫精於此。能首出乎庶物,不問何時,克濟大事。《傳》謂五“多功”者此也。

五爻は上卦の中に居り、正に君主の位置である。各爻の徳性でこの一爻より精粹なものはない。それは《乾・彖伝》のいうがごとく「庶物の首と出で」、超然として群倫を領袖し、どんな時勢に碰上しても大事を成就できる。《系辞伝》の五爻「多功」というのは、この故である。

上,事之終,時之極也。其才之剛柔,內之應否,雖或取義,然終莫及上與終之重也。是故難之將出者,則指其可由之方。事之既成者,則亦以可保之道。義之善或不必勸,則直云其吉也。勢之惡或不可解,則但言其凶也。質雖不美,而冀其或改焉,則猶告之。位雖處極,而見其可行焉,則亦諭之。大抵積微而盛,過盛而衰,有不可變者,有不能不變者。《大傳》謂“其上易知”,豈非事之已成乎?

上爻は一件の事の終点、一つの時局の尽頭である。それ自身の才質の剛柔・内卦と相応するか否かは、時に取義するのに用いられるが、終に「上に居る」「終に処る」この二点の分量には及ばない。ゆえに、災難をまさに脱出せんとする目の前の者には、行くべき一条の路を指し点し、事がすでに完成した者には成果を保つ方法を告げる。もし義理がもと善でさらに勧勉を加える必要なければ、直ちにそれが吉と言う。もし形勢が険悪で化解する由なければ、ただそれが凶と言う。禀質は美ならざれども、なお彼が或いは改めうるを指望すれば、依然として彼を告戒する。位置はすでに極処に至れども、彼になお行くべき路あるを見出せば、これをまた開導する。大体言えば、事は細微より積累して昌盛し、昌盛すぎれば転じて衰敗に向かう。その中に改変しえざるものあり、変ぜざるをえざるものあり。《系辞伝》の「上爻の吉凶は看清し易い」というは、事がすでに定局したからではないか。

胡氏一桂曰:上下體雖相應,其實陽爻與陰爻應,陰爻與陽爻應,若皆陽皆陰,雖屬相應之位,則亦不應矣。然事固多變,動在因時,故有以有應而得者,有以有應而失者,亦有以無應而吉者,有以無應而凶者,斯皆時事之使然,不可執一而定淪也。

胡一桂(元代の学者、《周易本義附録纂疏》を著わす)はいう:上下両体は位位相対するが、実は陽爻と陰爻が相応じ、陰爻と陽爻が相応じてはじめて数に入る。もし両爻がともに陽またはともに陰なら、たとえ相応する位次に処しても、相応とは算されない。しかし事はもと変化多く、行動は時に随い宜に制しなければならない。だから応あるによって利を得る者もあり、応あるによってかえって利を失う者もある。応なきによって吉を得る者もあり、応なきによって凶を致す者もある。これらはみな時勢事態の造成する所で、一端を執定して断語を下すことはできない(底本の「定淪」は即ち「定論」)。

至若《比》五以剛中,上下五陰應之;《大有》五以柔中,上下五陽應之;《小畜》四以柔得應,上下五剛亦應之,又不以六爻之應例淪也。

《比》卦九五が陽剛をもって中に居り、上下五つの陰爻がみな帰附してそれに応从するがごとき。《大有》卦六五が陰柔をもって中に居り、上下五つの陽爻がみな帰附してそれに応从するがごとき。《小畜》卦六四が柔をもって位を得て応があり、上下五つの剛爻もみなそれに応从するがごとき——これらの数種の情形は、六爻が両々相応する常例をもって評断できない。

六十四卦皆以五為君位者,此《易》之大略也。此間或有居此位而非君義者,有居他位而有君義者,斯易之變,不可滯於常例。

六十四卦はみな第五爻をもって君位とする。これは《易》の大致の通例である。その中にも偶々五位に身居しても君主の義を取らないものがあり、別の爻位に居してかえって君主の義を含むものもある。これは《易》の変例に属し、常規に拘泥できない。

胡氏炳文曰:《易》卦之占,亨多,元亨少。爻之占,吉多,元吉少。元亨,大善而亨。元吉,大善而吉也。人之行事,善百一,大善千一,故以元為貴。然茲事也,請

胡炳文(元代の学者、《周易本義通釈》を著わす)はいう:《易》中の卦辞の占断は、「亨」というものが多く「元亨」というものが少ない。爻辞の占断は、「吉」というものが多く「元吉」というものが少ない。いわゆる「元亨」は極善にして亨通すること、いわゆる「元吉」は極善にして吉利することである。人が事を為すに、善に足る者は百中に一あり、大善に足る者は千中に一あるのみ。だから「元」をもって貴しとする。しかしこの事は、請う——ここで底本に脱文がある。

吳氏澄曰:時之為時,莫備於《易》。程子謂之隨時變易以從道。夫子《傳》六十四《彖》,獨於十二卦發其凡,而贊其時與時義、時用之大,一卦一時,則六十四時不同也。一爻一時,則三百八十四時不同也。始於《乾》之《乾》,終於《未濟》之《未濟》,則四千九十六時,各有所值。引而伸,觸類而長,時之百千萬變無窮,而吾之所以時其時者,則一而已。

呉澄(元代の大儒、《易纂言》を著わす)はいう:「時」の道理を講ずるに、《易》より完備なものはない。程頤のいわゆる「時勢に随って変易して道に順従する」は正にこの意である。孔子は六十四卦のために《彖伝》を作ったが、ただ十二の卦の下でのみ通例を掲出し、それらの「時」「時義」「時用」の重大を讃嘆した。一卦は一つの時を代表し、六十四卦は六十四種の不同の時である。一爻は一つの時を代表し、三百八十四爻は三百八十四種の不同の時である。もし卦卦が相変ずれば、《乾》の《乾》に起こり《未済》の《未済》に止まり、全部で四千九十六種の時、各々値る所がある。さらにこれを推引伸展し触類増益すれば、時の変化は千百万端にして窮尽なく、しかも我がもって各種の時に因応するあの根本は、終始ただ一つである。

薛氏瑄:六十四卦,只是一奇一偶。但因所遇之時,所居之位不同,故有無窮之事變。如人只是一動一靜,但因時位不同,故有無窮之道理。此所以為《易》也。

薛瑄(明代の理学者、学者は敬軒先生と称す)はいう:六十四卦は、結局言えばただ一奇一偶両画の排布である。ただ遇う時勢・居る位次が各々相同じでないために、はじめて窮尽なき事変を生ずる。ちょうど人の挙止が一動一静に過ぎないのに、ただ時と位が同じでないために窮尽なき道理を生ずるがごとし。これ正に《易》の《易》たる所以である。

蔡氏清曰:《乾》卦卦辭,只是要人如《乾》。《坤》卦卦辭,只是要人如《坤》,至如《蒙》、《蠱》等卦,則又須反其義。此有隨時而順之者,有隨時而制之者。易道只是時。時則有此二義,在學者細察之。

蔡清(明代の学者、《易経蒙引》を著わす)はいう:《乾》卦の卦辞は、人に《乾》の剛健を效法せよというに外ならない。《坤》卦の卦辞は、人に《坤》の柔順を效法せよというに外ならない。《蒙》《蠱》の類の卦に至っては、また反ってその意を用いなければならない——蒙昧なれば啓発に行き、敗壊なれば整治に行く。これで見れば、時勢に順随して因任するものもあり、時勢に対して裁制するものもある。《易》道は結局ただ一つの「時」の字であり、「時」の裡に順と制の二層の意を含む。学者は仔細に体察すべきである。

周公之繫爻辭,或取爻德,或取爻位,又或取本卦之時與本爻之時,又或兼取應爻,或取所承、所乘之爻。有承、乘、應與時位兼取者,有僅取其一二節者,又有取一爻為眾爻之主者。大概不出此數端。

周公が各爻に爻辞を繫ぐに、あるものはこの一爻自身の徳性即ち剛柔中正を取り、あるものはその処する位次を取り、あるものは全卦の時勢とその爻の当下の時機を取り、あるものは兼ねてそれと相応するあの一爻を取り、あるものはその承ける上爻あるいは乗ずる下爻を取る。承・乗・応と時・位の数項を合併して取用するものあり、その中の一二項のみを取るものあり、また某一爻を衆爻の主として取義するものもある。大致この数種の情形を出ない。

綱領三・《易》を読む法および諸家の醇疵を論ず

王氏通曰:《易》之憂患,業業焉,孜孜焉。其畏天憫人,思及時而動乎!繁師玄曰:遠矣!吾視《易》易之道何其難乎!曰:有是夫!“終日乾乾”可也。

王通はいう:《易》の含む憂患意識は、かように兢兢として孜々と倦まない。それは天命を敬畏し世人を悲愍する。おそらく人に時に及んで動けというのであろう。弟子の繁師玄はいう:甚だ深遠です。私が《易》を見るに、《易》道のなんと懂り難いことかと思うのみです。王通はいう:正にそのとおりだ。《乾》卦九三の講ずる「終日勤勉して懈らない」ができれば、それでよいのだ。

劉炫問《易》,曰:聖人於《易》,沒身而已,況吾儕乎?炫曰:吾談之於朝,無我敵者。不答。退謂門人曰:“默而成之,不言而信,存乎德行”。

劉炫が王通に《易》を請教すると、王通はいう:聖人も《易》に対しては終身鑽研するのみである。いわんや我らこれらの人をや。劉炫はいう:私が朝廷で《易》を談ずれば、私を駁倒できる者はいません。王通は回答しなかった。劉炫が退くを俟って、王通は門人に言った:《系辞伝》に「黙々としてこれを成就し、言わずとも人は自ら信服する。全く徳行に在り」と講じている。

北山黃公善醫,先寢食而後針藥。汾陰侯生善筮,先人事而後說卦。

北山の黄公は医術に長じ、つねに先ず病人の睡眠飲食を調理し、然る後に鍼砭湯薬を用いた。汾陰の侯生は筮占に長じ、つねに先ず人事の是非曲直を考察し、然る後に卦象を講解した。

邵子曰:知《易》者不必引用講解,是為知《易》。孟子之言,未嘗及《易》,其間《易》道存焉,但人見之者鮮耳。人能用《易》,是為知《易》。如孟子,可謂善用《易》者也。

邵雍はいう:真に《易》を懂る人は、口を開くに必ずしも経に引き典に拠って講解する必要がない。これを《易》を懂るという。孟子の言葉はかつて《易》に提及しなかったが、彼の言葉の裡には処処に《易》道がある。ただそれを見出せる人が少ないだけである。人が《易》を自身の行事に用いうることを、《易》を懂るという。孟子のごときは、善く《易》を用いる人と言える。

程子曰:觀《易》須看時,然後觀逐爻之才。一爻之中,當包函數意,聖人常取其重者而為之辭。亦有《易》中言之已多,取其未嘗言者,又有且言其時,不及其爻之才者。皆臨時參考,須先看卦,乃看得辭。

程頤はいう:《易》を読むには必ずまず全卦の時勢を看清め、然る後に爻を逐って各爻の才質を考察しなければならない。一爻の中には往々にして数層の意思を含む。聖人は通常その中の最も要緊な一層のみを取って辞を繫ぐ。ある意思は《易》中ですでに多く講じられていれば、転じてまだ講じていない一面を取る。あるものはただこの一爻の処する時勢のみを講じて、その才質に渉らない。これらはみな文に臨んで参酌し、要するに必ずまず卦を見て、はじめて辞を懂り得る。

古之學者,皆有傳授。如聖人作經,本欲明道。今人若不先明義理,不可治經。蓋不得傳授之意云爾。如《繫辭》本欲明《易》,若不先求卦義,則看《繫辭》不得。

古の学問を為す者は、みな師徒の伝授があった。聖人が経を作った本意は大道を闡明せんとするにあった。今の人はもし先ず義理を弄明白にせずんば、経を治める法なく、師承伝授の用意を得ていないからである。たとえば《系辞伝》はもともと《易》を闡明するために作られた。もし先ず卦自身の意義を求め得ざれば、《系辞伝》もまた読み懂せない。

《易》須是默識心通,只窮文意,徒費力。

《易》を読むには必ず黙々として体会し、心中自ら貫通せしめなければならない。もし字面文句の上で死に物狂いで抠るのみならば、気力を費やすばかりである。

朱子曰:看《易》須是看他卦爻未畫以前,是怎模樣,卻就這上見得他許多卦爻象數,是自然如此,不是杜撰。且《詩》則因風俗世變而作,《書》則因帝王政事而作。《易》初未有物,只是懸空說出。當其未有卦畫,則渾然一太極。在人則是喜怒哀樂未發之中,一旦發出,則陰陽吉凶,事事都有在裡面。人須是就至虛靜中,見得這道理周遮通瓏方

朱熹はいう:《易》を読むには必ず卦爻がまだ画かれない以前がどのようなものだったかを見に行かねばならない。まさにこの上において、あの多くの卦爻象数はもとより自然にこのようであって、人が憑空に杜撰したものではないことを見るのである。《詩》は風俗世道の変遷によって作られ、《書》は帝王の政事によって作られたが、《易》は起初に一つの現成の事物がなく、ただ憑空に説き出したものである。卦画がまだなかったとき、渾然としてただ一つの太極である。人の身上に就いて言えば、《中庸》のいう喜怒哀楽がまだ発動しないときの「中」である。いったん発動して出れば、陰陽吉凶が样样その裡にある。人は必ず極虚極静の心境の中において、はじめてこの道理の周遍円通を見ることができる——ここで底本に脱文がある。

經書難讀,而此經為尤難。蓋末開卷時,已有一重象數大概功夫。開卷之後,經文本意,又多被先儒硬說殺了,令人看得意思侷促,不見本來“開物成務”活法。

経書はみな読み難いが、この《易》は特に難しい。まだ書本を翻開しないうちに、まず一重の象数方面の基本功夫があるからである。翻開して後は、経文の本意は多く前代儒者に生硬に講じ死なれて、人に見れば意思は局促し、《易》本来の「万物を開通し事業を成就する」あの灵活な用法を見ることができなくなっている。

《易》不比《詩》《書》,他是說盡天下後世無窮無盡底事理,只一兩個字,便是一個道理。人須是經歷天下許多事變,讀易方知各有一理,精審端正。今既未盡經歷,非是此心大段虛明寧靜,如何見得?

《易》は《詩》《書》に比べず、それは天下後世の窮尽なき事理を説き尽くし、往々にして一二字が一層の道理を含む。人は必ず身自ら天下の多くの事変を経歴して、はじめて《易》を読めば每一条が各々その理あるを知り、精細審慎・端正不偏に体会し得る。いま閲歴がなお足りない以上、この心が格別虚明宁静でなければ、どうして見えようか。

看《易》若是靠定象去看,便滋味長。若只憑地懸空看,也沒甚意思。又曰:說《易》“得其理,則象數在其中”,固是如此。然泝流以觀,卻須先見象數的當下落,方說得理不走作。不然,事無實證,則虛理易差也。

《易》を読むに、もし卦象に緊扣して見れば、滋味は格別に悠長である。もしただこのように憑空に懸想して見れば、大した意味もない。朱熹またいう:《易》を講ずる者が「義理を把握すれば、象数は自然にその中にある」と言うのは固よりそうだが、流れを溯って考察するには、なお先ず象数の確切な着落処を看清めて、はじめて理を講じるに走样せず。さもなくば事に実証なく、憑空に説く理は偏差を出し易い。

今人讀《易》,當分為三等。看伏犧之《易》,如未有許多《彖》、《象》、《文言》說話,方見得《易》之本意,只是要作卜筮用。及文王周公分為六十四卦,添入《乾》“元亨利貞”,《坤》“元亨利牝馬之貞”,已是文王周公自說出一般道理了。

今日の人が《易》を読むには、三層に分けて見るべきである。伏羲の《易》を見れば、あの多くの《彖伝》《象伝》《文言》の言葉がまだなかったものとし、ただ六画の卦のみが残る。これで《易》の本意はただ卜筮の用に供するのみであることを見る。文王・周公に至り、それを六十四卦に分けて文辞を繫いだ。《乾》卦の「元亨利貞」、《坤》卦の「元亨、利牝馬之貞」を添え入れれば、あれはすでに文王・周公が自ら説き出した一套の道理である。

然猶是就人占處說。如占得《乾》卦,則大亭而利於正耳。及孔子繫《易》,作《彖》、《象》、《文言》,則以“元亨利貞”為乾之四德。以上論讀《易》。

ただしこれはなお人の卦を占する角度に就いて講じたものである:《乾》卦を占得すれば、大いに亨通して正を守るに利あるというに外ならない(底本の「亭」は「亨」の誤り)。孔子に至り《易》のために辞を繫ぎ、《彖伝》《象伝》《文言》を作り、はじめて「元・亨・利・貞」を《乾》の四種の徳性として講じた。以上は《易》を読む方法を討論したものである。

孔氏穎達曰;龍出於河,則八卦宣其象。麟傷於澤,則“十翼”彰其用。業資幾聖,時歷三古。及秦亡金鏡,未墜斯文。漢理珠囊,重興儒雅。其傳《易》者,西都則有丁、孟、京、田,東都則有荀、劉、馬、鄭。大體更相祖述,非有絕倫。唯魏世王輔嗣之注,獨冠古今。所以江左諸儒,並傳其學,河北學者,罕能及之。

孔穎達はいう:龍馬が図を負いて黄河に出で、八卦はすなわちその物象を宣示した。麒麟が大野の沢に獲られ傷つけられ(孔子はこれによって《春秋》に絶筆した)、「十翼」はすなわち《易》の功用を彰明した。この番の事業は数人の聖人が接続して完成したものに憑り、時間は上古・中古・下古の三時代を跨越する。秦朝が治国の明鏡を失うに及んでも、この一脉の斯文は地に墜ちなかった。漢朝が秘府蔵書を整理すれば、儒雅の学はあらためて興起した。《易》を伝えた者は、西漢の長安に丁寛・孟喜・京房・田王孫、東漢の洛陽に荀爽・劉表・馬融・鄭玄がいて、大体互いに因襲祖述して、特に出衆した者はいなかった。ただ魏代王弼の注のみが古今に冠たる。だから江東一帯の学者はみな彼の学問を伝習し、黄河以北の学者は及ぶ者が少なかった。

其江南義疏,十有餘家,皆辭尚虛玄,義多浮誕。原夫《易》理難窮,雖復玄之又玄,至於垂範作則,便是有而教有。若論住內住外之空,就能就所之說,斯乃義涉於釋氏,非為教於孔門也。

江南一帯の《易》義疏は十数家あり、文辞はみな虚玄を尚び、義理は多く浮夸荒誕であった。推究すれば、《易》理は固より窮尽し難い。たとえ玄妙に「玄之又玄」の地に至るとも、垂範示典して法則を樹立する層面に至れば、即ち実有に就着けて人に実有を応付するを教えるのである。心識が内に住するか外に住するかのあの「空」を討論し、能観の心と所観の境のあの一套を講ずるものは、義理はすでに仏家に滑入して、孔門の教法ではない。

程子曰:邵堯夫先生之學,得之於李挺之。挺之得之穆伯長,伯長得之華山希夷陳圖南先生。朔其源流,遠有端緒。今穆李之言,及其行事,概可見矣。而先生淳一不雜,汪洋浩大,乃其所自得者多矣。

程颢はいう:邵雍(字は堯夫)の学問は李之才(字は挺之)から得たものである。李之才是穆修(字は伯長)から得、穆修是華山の陳摶(字は図南、号は希夷先生)から得た。その源流を追溯すれば、遥かに自ら頭緒の尋ねうるものがある。いま穆修・李之才の言論と行事は、およそなお見ることができる。しかし邵先生の学問の純一にして雑らず、汪洋浩大なるは、彼自身が体悟して得たものが多い。

尹氏火享曰;伊川先生踐履盡易,其作《傳》只是因而寫成。熟讀玩味,既可見矣。

尹焞(程頤の門人、底本の「火享」の二字は「焞」の拆訛)はいう:伊川先生程頤の一生の躬行実践は、《易》理を体現して余すところがなかった。彼が《伊川易伝》を作ったのは、ただ自己の行うところに順って書き出したにすぎない。この書を反復熟読玩味すれば、自然にこの点を見出せる。

朱子門人間“當期”,曰:《易》卦之位,震東、離南、兌西、坎北者為一說,十二闢卦分屬十二辰者為一說。及焦延壽為卦氣直日之法,乃合二說而一之。既以八卦之震離兌坎二十四爻直四時,又以十二闢卦直十二月。且為分四十八卦為之公侯卿大夫,而六日七分之說生焉。

朱熹の門人が「当期之日」の算法を問うと、朱熹はいう:《易》卦の方位について、一説は《震》は東に居り、《離》は南に居り、《兌》は西に居り、《坎》は北に居るというもの。これは後天卦位である。もう一説は十二消息卦(辟卦)がそれぞれ十二地支に配属するというもの。焦延寿に至り「卦気直日」の法を創出し、はじめて両説を合して一とした:すなわち《震》《離》《兌》《坎》の四卦の二十四爻をもって四時二十四節気に分値し、また十二辟卦をもって十二か月に分値する。さらにその余の四十八卦を公・侯・卿・大夫の四等に分け、ここにおいて每卦が「六日七分」を値るという説が生じた。

若以八卦為主,則十二卦之乾不當為巳之闢。坤不當為亥之闢,艮不當侯於申酉,巽不當侯於戌亥。若以十二卦為主,則八卦之乾不當在西北,坤不當在西南,艮不當在東北,巽不當在東南。彼此二說,互為矛盾。且其分四十八卦為公侯卿大夫,以附於十二闢卦,初無法象,而直以意言,本已無所據矣。不待論其減去四卦二十四爻,而後可以見其失也。

もし八卦方位を準とすれば、十二辟卦中の《乾》は巳月の辟とすべきでなく、《坤》は亥月の辟とすべきでなく、《艮》は申・酉に値すべきでなく、《巽》は戌・亥に値すべきでない。もし十二辟卦を準とすれば、八卦方位中の《乾》は西北に居るべきでなく、《坤》は西南に居るべきでなく、《艮》は東北に居るべきでなく、《巽》は東南に居るべきでない。両説は彼此矛盾する。いわんや四十八卦を公・侯・卿・大夫の四等に分けて十二辟卦に附属するのは、もともと取象の法則に依るべきがなく、ただ主観の意見に憑って排定したもので、元より毫も根拠がない。それが坎離震兌の四卦・二十四爻を減じたという一層を指出するを俟たずとも、その失誤を見出しうるのである。

揚雄《太玄》次第,乃是全用焦法。其八十一苜,蓋亦去其震離兌坎者,而但擬其六十卦耳。諸家於八十一首,多有作擬震離兌坎者。近世許翰始正其誤。至立踦蠃二贊,則正以七百二十九贊,又不足乎六十卦六日七分之數而益之。

揚雄《太玄経》の次第は、全く焦延寿のあの套の办法を採用した。その八十一「首」(底本の「苜」は「首」の誤り)も、大抵は《震》《離》《兌》《坎》の四卦を撇き開いて、ただその余の六十卦に比拟したのみである。各家の《太玄》を解する者は、多く或る「首」を震・離・兌・坎に比拟したと説いたが、近世の許翰に至りはじめてこの錯誤を糾正した。《太玄》が別に「踦」「嬴」の两条の賛辞を立てたのは、正に原有の七百二十九賛がなお六十卦の「六日七分」の数に足らなかったため、添えて補足したのである。

恐不可反據其說,以正焦氏之說也。

だからおそらく反って《太玄》の做法を根拠として、焦延寿のあの一套の卦気の説を校正することはできない。

先天圖非某之說,乃康節之說。非康節之說,乃希夷之說。非希夷之說,乃孔子之

「先天図」は我朱熹の説ではない。邵雍(諡は康節)の説である。邵雍の説でもない。陳摶(希夷先生)の説である。陳摶の説でもなく、孔子の——ここで底本に脱文がある。

問伊川《易》說理太多,曰:伊川言聖人有聖人用,賢人有賢人用。若一爻只作一事,則三百八十四爻,止作得三百八十四事也。說得極好,然他解,依舊是三百八十四爻,止作得三百八十四事用也。

或る人が問う:伊川の《易伝》は義理を講じすぎている。朱熹はいう:伊川はかつて聖人には聖人の用法があり、賢人には賢人の用法があると講じ、またもし一爻をただ一件事とすれば、三百八十四爻は三百八十四件の事に用いるに足るのみだと言った——この言は極めて善く講じている。しかし彼の実際の解説を見れば、依然として三百八十四爻をただ三百八十四件の事として用いている。

《詩》《書》略看訓詁,解釋文義令通而已。卻只玩味本文,其道理只在本文。下面小字盡說,如何會過得他?若《易傳》卻可脫去本文。程子此書平淡地漫漫委曲,說得更無餘蘊,不是那敲磕逼匝出底義理,平鋪地放在面前,只如此等行文,亦自難學,如其他峭拔雄健之文卻可作,若《易傳》淡底文字,如何可及?

《詩》《書》を読むには、ただ訓詁を略見して文義を解釈し通順にすれば足りる。主たるはやはり経文それ自体を玩味することで、道理はみな本文の裡にある。底下の小字注解がどんなに多く説いても、どうして本文に比べられよう。《伊川易伝》に至っては、経文を脱開して単独で見ることができる。程頤のこの書は平平淡淡に、緩やかに曲折して説き来り、道理を講じて剰義なく、硬く敲き硬く逼りて挤り出した義理ではなく、平铺直叙して人の面前に摆く。単にこの行文だけでも、それ自体が学び難い。別の峭拔雄健な文章はなお書き出せるが、《易伝》のごとき平淡の文字は、どうして追いつけよう。

問《易傳》大概將三百八十四爻作人說,恐通未盡否?曰:也是。即是不可裝定作人說,看占得如何。有就事言者,有以位言者。以吉凶言之則為事,以終始言之則為時,以高下言之則為位,隨所作而看皆通。《繫辭》云:“不可為典要,唯變所適。”豈可裝定作人說?

或る人が問う:《伊川易伝》は大体三百八十四爻をみな人として講じているが、処々に講じ通らないのではないか。朱熹はいう:正にそのとおり。即ち死板的に一律に人として講じてはならず、なお占うところが何であるかを見なければならない。爻辞には事に就いて説くものあり、爻位に就いて説くものあり:吉凶の上から言えば即ち事であり、始終の上から言えば即ち時であり、高下の上から言えば即ち位である。占う対象に随って見れば、みな講じ通る。《系辞伝》は「一成不変の規条としてはならず、ただ変化に随って適応する」という。どうして死板的に一律に人として講じることができよう。

此書近細讀之,恐程《傳》得之已多,但不合全說作義理,不就卜筮上看,故其說有無頓著處耳。今但作卜筮看,而以其說推之,道理自不可易。

この書を私は近ごろ仔細に読んだ。程頤《易伝》の所得はすでに多いと感じる。ただ全てを義理として講ずべきではなく、卜筮の角度から見ることを肯んじないので、彼の解説にはある箇所で安放不下・実処に落ちないところがある。いまただ《易》を卜筮の書として見て、再び彼の説法をもって推衍すれば、あの道理は自然に顚撲不破である。

自秦漢以來,考象辭者,泥於術數,而不得其弘通簡易之法。談義理者,淪於空寂,而不適乎仁義中正之歸。求其因時立教以承三聖,不同於法而同於道者,則唯伊川先生程氏之書而已。

秦漢以来、卦象と文辞を考究した者は術数に拘泥して、あの弘大通達・簡易平実の法門を得なかった。義理を談論した者はまた空虚寂滅に淪入して、仁・義・中・正の帰宿に落ちなかった。時代に因応して教法を設立し、上は伏羲・文王・孔子の三位の聖人を承け、做法は前聖と同じでなくても守る道は相同じという者を求めれば、それは伊川先生程頤のこの書のみである。

老蘇說《易》,專得於“愛惡相攻而吉凶生”以下三句。他把這六爻,似那累世相仇相殺底人相似看。這一爻攻那一爻,這一畫克那一畫,全不近人情。東坡見他恁地太粗疎,卻添得些佛老在裡面,其書自作兩樣。

蘇洵(人は老蘇と称す)の《易》を講ずるは、全く《系辞伝》の「愛悪相攻而吉凶生」以下の三句から得たものである。彼は一卦六爻を、世代仇を結び相殺する人のごとく見た:この一爻があの一爻を攻め、この一画があの一画を克する。全然人情に近くない。彼の息子蘇軾(東坡)は父の講ずるのがあまりに粗疏なのを見て、そこに些かの仏家老荘のものを掺れ入れた。ここにおいて《東坡易伝》一書は自ら別の一副の面貌を成した。

王氏應麟曰:以義理解易,自王弼始,何晏非弼比也。清談亡晉,衍也,非弼也:范寧以王弼何晏並言,過矣。

王応麟はいう:義理をもって《易》を解するは、王弼から始まった。何晏の学問は遠く王弼に比すべきでない。清談が国を誤り西晋を断送したのは王衍であって、王弼ではない。范寧が王弼・何晏を併提して同じく責難したのは、実に過分であった。

程子言《易》,謂得其義則象數在其中。朱子以為先見象數,方說得理,不然,事無實證,則虛理易差。愚嘗觀顏延之《庭誥》云:馬、陸得其象數,取之於物;荀、王舉其正宗,得之於心。其說以荀、於為長。

程頤は《易》を講じて、ただ義理を把握すれば象数は自ずからその中にあると言った。朱熹はかえって先ず象数を看清めてはじめて道理を講じ得るとし、さもなくば事に実証が欠け、空談の理は偏を出し易いとした。私、王応麟はかつて南朝顔延之の《庭誥》を読んだ。その中にいう:馬融・陸績の得たものは象数で、外物に取法した。荀爽・王弼の挙出したものは正宗で、内心より得た——顔氏の意思は荀・王両家を優とするにある(底本の「荀、于」は「荀、王」とすべし)。

李泰發亦謂一行明數而不知其義,管輅明象而不通其理。蓋自輔嗣之學行,而象數之說隱。然義理象數,一以貫之,乃為盡善。以上論諸家說《易》。

李光(字は泰発、宋代の名臣)もまたいう:唐代の僧一行は暦数に精しいがその中の義理を懂らず、三国の管輅は卦象に精しいがその中の道理に通じない。大抵王弼の学が盛行して以来、象数の一路の学説は隠没した。しかし義理と象数は一をもって貫き打通して、はじめて尽く善と算すべきである。以上は各家の《易》を解する得失を討論したものである。

義例・《易》辞の体例を論ず

時消息盈虛之謂“時”,《泰》、《否》、《剝》、《復》之類是也。又有指事言者,《訟》、《師》、《噬嗑》、《頤》之類是也。又有以理言者,《履》、《謙》、《咸》、《恆》之類是也。又有以象占者,《井》、《鼎》之類是也。四者皆謂之時。

「時」という条例:陰陽の消退生長・盈満虚亏を「時」と呼ぶ。《泰》《否》《剥》《復》の諸卦がこの類に属する。また具体の事情を指して名を立てるものがある。《訟》は争訟を主とし、《師》は興兵を主とし、《噬嗑》は用刑を主とし、《頤》は頤養を主とする類。また義理に就いて名を立てるものがある。《履》は礼を践むを講じ、《謙》は謙退を講じ、《咸》は感応を講じ、《恒》は常を守るを講ずる類。また実物の象を取って占断するものがある。《井》《鼎》の類。この四種の情形をみな「時」と呼ぶ。

位貴賤上下之謂“位”。王弼謂中四爻有位,而初上兩爻無位,非謂無陰陽之位也,乃謂爵位之位

「位」という条例:爻の貴賤高下を「位」と呼ぶ。王弼は中間の四爻には位があり、初・上両爻には位がないと言ったが、これはそれらに陰陽の位がないと言うのではなく、それらに爵禄職位のごとき「位」がないと言うのである——ここで底本に脱文がある。

德剛柔中正不中正之謂“德”。剛柔各有善不善,時當用剛,則以剛為善也;時當用柔,則以柔為善也。唯中與正,則無有不善者。然正尤不如中之善,故程子曰,正未必中,中則無不正也。六爻當位者未必皆吉,而二五之中,則占者獨多,以此故爾。

「徳」という条例:爻の剛柔・中正と不中不を「徳」と呼ぶ。剛と柔は各々善の一面と不善の一面がある:時勢が剛を用いべきなら剛をもって善とし、時勢が柔を用いべきなら柔をもって善とする。ただ「中」と「正」に不善はない。しかし「正」はなお「中」に及ばない。だから程頤はいう:正を得る者は必ずしも中を得ず、中を得る者に正ならざるはない。六爻の中で当位するものが必ずしも皆吉とは限らず、二・五の二つの中位が吉を得る占断が特に多いのは、正にこの故である。

應、比“應”者,上下體相對應之爻也。“比”者,逐位相比連之爻也。《易》中比應之義,唯四與五比,二與五應為最重。蓋以五為尊位,四近而承之,二遠而應之也。然近而承者,則貴乎恭順小心,故剛不如柔之善。遠而應者,則貴乎強毅有為,故柔又不如剛之善。

「応」と「比」のこの二条例:いわゆる「応」は、上下両体の位次が相対する両爻、即ち初と四・二と五・三と上である。いわゆる「比」は、位次が緊く挨ぐ隣接の両爻である。《易》中に比と応を講ずるは、四と五の相比・二と五の相応の二種が最も要緊である。五は尊貴の君位であり、四はそれに緊挨して上に承け、二は遠隔して下に応ずるからである。凡そ身近に承事する者は、恭敬順從・小心謹慎を貴ぶ。だから剛爻は柔爻に如かない。凡そ遠処に相応する者は、剛強果毅・事を任ずるに勇むを貴ぶ。だから柔爻はまた剛爻に如かない。

夫子曰:“二與四,同功而異位,二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利遠者,其要無咎,其用柔中也。”夫言柔之道不利遠,可見剛之道不利近矣。又可見柔之道利近,剛之道利遠矣。

孔子は《系辞伝》の裡でいう:「二と四は同じく陰位だが位次が同じでない:二は誉れを多く得、四は惧れを多く有する。四が君位に靠近するからである。柔の性質は遠処に処るに利せず。その要領は差錯を出さないことにあり、柔順にして中に居ることに靠る」。柔道は遠に利せずと言う以上、反って剛道は近に利せざるを見るべし。また柔道は近に利し、剛道は遠に利するを見るべし。

夫子此條,實全《易》之括例。

孔子のこの一条の言は、実に全部の《易》例を統括し、爻辞を読むに処処に用いられる。

凡比與應,必一陰一陽,其情乃相求而相得。若以剛應剛,以柔應柔,則謂之“無應”。以剛比剛,以柔比柔,則亦無相求相得之情矣。

凡そ「比」と「応」は、必ず一陰一陽が配搭して、両爻の情意がはじめて互いに尋ね求め彼此契合する。もし剛爻をもって剛爻に応じ、柔爻をもって柔爻に応ずれば、「无応」と呼ぶ。同様に、剛爻をもって剛爻に比し、柔爻をもって柔爻に比すれば、あの互いに尋ね求め彼此契合する情意はない。

以此例推之,《易》中以六四承九五者,凡十六卦,皆吉。《比》曰“外比於賢”,《小畜》曰“有孚惕出”,《觀》曰“利用賓于王”,《坎》曰“納約自牖”,《家人》曰“富家”,《益》曰“中行告公從”,《井》曰“井甃無咎”,《浙》曰“或得其桷”,《巽》曰“田獲三品”,《渙》曰“渙其群元吉”,《節》曰“安節亭”,《中孚》曰“月幾望”,皆吉辭也。

この条例に照らして下に推せば、《周易》の裡で凡そ六四のこの柔爻が九五のこの剛爻の下に緊挨して「承」のこの層の関係を構成するものは、全部で十六卦あり、爻辞は全部吉利である。《比》卦六四は「賢に外比す」といい、外に向かい賢明の君主に親附する。《小畜》卦六四は「孚あり惕して出る」といい、誠信を心存して戒惧の中より脱出する。《観》卦六四は「王に賓たるを利しく用いらる」といい、賓客の礼をもって君王の礼遇を受けるに宜しい。《坎》卦六四は「牖より約を納る」といい、窓口より簡約の誠意を進献する。《家人》卦六四は「家を富ます」といい、家道を富足させうる。《益》卦六四は「中行にして公に告げば従わる」といい、中道を守って事を辦し、王公に禀告すれば聴従を得る。《井》卦六四は「井甃して咎なし」といい、井壁を修砌して過ちなし。《浙》卦(「浙」は「漸」とすべし)六四は「或いはその桷を得ん」といい、鴻雁は或いは平穏の枝干に止まり得る。《巽》卦六四は「田に三品を獲る」といい、田猟に三等の猟物を獲得する。《渙》卦六四は「その群を渙し元吉」といい、私党を渙散して大吉。《節》卦六四は「節に安んじて亨」(「亭」は「亨」とすべし)といい、節制に安んじて通達する。《中孚》卦六四は「月幾く望なり」といい、月はまさに円ならんとして未だ円ならず。これらは全部吉利の断語である。

唯《屯》、《需》與《蹇》、則相從於險難之中,故曰“往吉”,曰“出自穴”,曰“來連”。《既濟》則交儆於未亂之際,故曰“終日戒”,亦皆吉辭。

ただ《屯》《需》《蹇》の三卦のみ少し同じからず。この三卦の六四と九五は艱険患難の中において互いに追随する。だから《屯》卦六四は「往けば吉」といい、前往すれば吉祥を得られる。《需》卦六四は「穴より出ず」といい、陥坑より脱身して出られうる。《蹇》卦六四は「来りて連なる」といい、退きて帰り九五と一気に連なる。《既済》卦に至っては、六四と九五は天下がまだ乱を生ぜぬときに彼此警戒する。だから「終日戒む」といい、終日戒備を保つ。この数条も同様にみな吉利の断語である。

以九四承六五,亦十六卦,則不能皆吉,而凶者多。如《離》之“焚如死如棄如”,《恆》之“田無禽”,《晉》之“鼫鼠”,《鼎》之“覆餗”,《震》之“遂泥”,皆凶爻也。《大有》之“匪彭”,《睽》之“睽孤”,《解》之“解拇”,《歸妹》之“愆期”,《旅》之“心未快”,《小過》之“往厲必戒”,雖非凶爻,而亦不純吉。

反対に、九四のこの剛爻をもって六五のこの柔爻を承接するものも十六卦あり、全部が吉利とはいえず、兇険のものがかえって多く居る。《離》卦九四の「焚如・死如・棄如」のごとき、焚かれ・処され・棄てられる。《恒》卦九四の「田に禽なし」のごとき、猟に出でて禽獣を獲られず。《晋》卦九四の「鼫鼠」のごとき、貪婪畏縮の碩鼠のごとし。《鼎》卦九四の「餗を覆す」のごとき、鼎足が折れて鼎裡の食物を傾倒出す。《震》卦九四の「遂に泥る」のごとき、終に泥淖に陥る。これらはみな凶爻である。《大有》卦九四の「彭に匪ず」、《睽》卦九四の「睽孤」、《解》卦九四の「拇を解く」、《帰妹》卦九四の「愆期」、《旅》卦九四の「心未だ快ならず」、《小過》卦九四の「往けば厲必ず戒めよ」に至っては、凶爻と算するには足らないが、純粋の吉利でもない。

唯《豫》之四,一陽而上下應,《噬嗑》之四,一陽為用獄主,《豐》之四,為動主以應乎明,《大壯》之壯,至四而極,《未濟》之未濟,至四而濟,皆卦主也,故得吉利之辭,而免凶咎。

ただ五処の例外がある:《豫》卦の九四は全卦唯一の陽爻で、上下の諸陰が来りてそれに応ずる。《噬嗑》卦の九四は全卦の獄を断じ刑を用いる主爻。《豊》卦の九四は震体の行動の主爻で、上は離体の光明に呼応する。《大壮》卦の講ずる壮盛は九四のこの一爻に至り登峰造極する。《未済》卦の講ずる未だ渡らざるは、九四のこの一爻に至りはじめて渡るに転ず。この五爻はみな各々その卦の裡の「卦主」である。だから吉利の断語を得て、兇険と災禍を避けられる。

以九二應六五者,凡十六卦,皆吉。《蒙》之“子克家”,《師》之“在師中”,《泰》之“得尚于中行”,《大有》之“大車以載”,《蠱》之“幹母蠱”而“得中道”,《臨》之“咸臨吉而無不利”,《恆》之“悔亡”,《大壯》之“貞吉”,《睽》之“遇主于巷”,《解》之“得黃矢”,《損》之“弗損益之”,《升》之“利用禴”,《鼎》之“有實”,皆吉辭也。

さらに遠隔して相「応」する関係を見よう。九二のこの剛爻をもって上に六五のこの柔爻に応ずるものは、全部で十六卦あり、爻辞は全部吉利である。《蒙》卦九二は「子家に克く」といい、息子が家業を撑え得る。《師》卦九二は「師中に在り」といい、身軍中に在りて中道を秉持する。《泰》卦九二は「中行に尚ぶを得る」といい、中正の道に配合し得る。《大有》卦九二は「大車をもって載す」といい、大車のごとく重任を載せ得る。《蠱》卦九二は「母の蠱を干し」て「中道を得る」といい、母輩の遺留した弊事を匡正して中道を失わない。《臨》卦九二は「咸臨みて吉にして利せざるなし」といい、感通の方式をもって下に臨み、吉祥にして不利なし。《恒》卦九二は「悔亡ぶ」といい、悔恨が消失する。《大壮》卦九二は「貞吉」といい、正を守りて吉を獲る。《睽》卦九二は「巷に主に遇う」といい、小巷の裡に自己の君主に遇う。《解》卦九二は「黄矢を得る」といい、田猟に黄銅の箭矢を得る。《損》卦九二は「損せずしてこれを益す」といい、減損せずしてかえって増益ある。《升》卦九二は「禴を用いるを利しくす」といい、薄祭をもって誠敬を表するに宜しい。《鼎》卦九二は「実有り」といい、鼎中に実物が盛満する。これらは全部吉利の断語である。

唯《大畜》之“輿說輹”,則時當止也;《歸妹》“利幽貞”,則時當守也;《未濟》“曳輪貞吉”,則時當待也,亦非凶辭也。

ただ三卦は別論を作る:《大畜》卦九二は「輿輹を説く」といい、車廂と車軸が脱開する。あれは時勢が停止すべきだからである。《帰妹》卦九二は「幽貞に利し」といい、幽静に自守するに宜しい。あれは時勢が持守すべきだからである。《未済》卦九二は「輪を曳きて貞吉」といい、車輪を拖住し正を守りて吉を獲る。あれは時勢が等待すべきだからである。この三条は前面のように顕豁ではないが、兇険の断語でもない。

以六二應九五,亦十六卦,則不能皆吉,而凶吝者有之。如《否》之“包承”也,《同人》之“於宗吝”也,《隨》之“係小子失丈夫”也,《觀》之“窺觀可丑”也,《咸》之“咸其腓凶”也,皆非吉辭也。

六二のこの柔爻をもって上に九五のこの剛爻に応ずるものも十六卦あり、全部が吉利とはいえず、その中に兇険あり、また悔吝あり。《否》卦六二の「承を包む」のごとき、ひたすら包容承順する。《同人》卦六二の「宗に吝」のごとき、ただ本宗族の人と相和同して憾惜ある。《随》卦六二の「小子に繫りて丈夫を失う」のごとき、年幼の小子に牽繫してかえって成徳の丈夫を失う。《観》卦六二の「窺観醜しきべき」のごとき、門縫より偷看して見識狭隘にして羞ずべし。《咸》卦六二の「その腓に咸えて凶」のごとき、感応が小腿に発動して妄動して凶を招く。これらはみな吉利の断語ではない。

《屯》之“屯如遭如”,《遯》之“鞏用黃牛”,《蹇》之“蹇蹇匪躬”,《既 自二五之外,亦有應焉。自四五之外,亦有比焉。然其義不如應五承五者之重也。

《屯》卦六二は「屯如遭如」(通行本は「屯如邅如」と作る)といい、艱難徘徊する。《遯》卦六二は「黄牛をもって鞏める」といい、黄牛の皮をもって牢牢と捆住する。《蹇》卦六二は「蹇蹇として躬に匪ず」といい、国難を解除するため奔走して自身を顧みない。下に《既済》の言葉を挙げて頭が起きたばかりで、ここで底本に脱文がある。接続の文字はいう:二爻が五爻に応ずるのほか、別の爻位の間にも「応」の関係がある。四爻が五爻を承けるのほか、別の爻位の間にも「比」の関係がある。ただしあれらの関係の義理上の分量は、いずれも応五・承五に及ぶほど重くない。

以應言之,四與初,猶或取相應之義,三與上則取應義者絕少矣。其故何也?四,大臣之位也,居大臣之位,則有以人事君之義,故必取在下之賢德以自助,此其所以相應也。上居事外,而下應於當事之人,則失清高之節矣。三居臣位,而越五以應上,則失勿二之心矣。此其所以不相應也。

まず「応」に就いて言おう。四爻と初爻の間には、時に相応する意を取る。三爻と上爻の間に相応の義を取るものは極めて少ない。これは何の故か。四は大臣の位置で、身に大臣の位に居れば、君主のために人才を延攬する職責を負う。ゆえに必ず下位にある賢徳の士を取って自己を輔助させる。これが四と初の相応しうる道理である。上爻はすでに事外に身処している。もしなお下に向かい正当の権を任ずる者に呼応すれば、清高の節操を失う。三爻は臣子の位置に処しながら、九五の君を越えて上爻に呼応すれば、臣は二主に事えない忠心を失う。これが三と上の相応すべからざる道理である。

然四之應初而吉者,亦唯以六四應初九耳。蓋初九為剛德之賢,而六四有善下之美,故如《屯》、《賁》之“求婚媾”也,《頤》之“虎視耽耽”也,《損》之“使遄有喜”也,皆吉也。若九四應初六,則反以下交小人為累,《大過》之“不橈乎下”,《解》之“解而拇”,《鼎》之“折足”是也。

ただし四爻が初爻に応じて吉を得るのも、六四が初九に応ずるこの一種の配搭に限る。初九は剛健有徳の賢人で、六四は己を屈して下に交わる美德があるからである。だから《屯》卦六四・《賁》卦六四はともに「婚媾を求む」といい、自ら求めて親を結ぶ。《頤》卦六四は「虎視耽耽」といい、老虎のごとく専注して下に初九を注視する。《損》卦六四は「遄かにせしめて喜有り」といい、人に急ぎ来りて相助けさせれば喜庆がある。これらはみな吉である。反対に、もし九四が初六に応ずれば、転じて下に小人と交結して牽累を受ける。《大過》卦九四は「下に橈まず」といい、下に向かい弯曲するを肯んじない。《解》卦九四は「而が拇を解け」といい、お前の脚下の大拇指を解脱せよ。《鼎》卦九四は「足を折る」といい、鼎足が折れる。説くのはみなこの一類の情形である。

以比言之,唯五與上,或取相比之義,餘爻則取比義者亦絕少。其故何也?五,君位也,尊莫尚焉,而能下於上者,則尚其賢也,此其所以有取也。然亦唯六五遇上九,乃取斯義。蓋上九為高世之賢,而六五為虛中之主。

さらに「比」に就いて言おう。ただ五爻と上爻の間のみ、時に隣接親比の意を取る。其余の各爻が比義を取るものも極めて少ない。これは何の故か。五は君主の位で、尊貴なること復た加うべきなく、しかも上爻に対して自ら下に居しうる。あれは賢人を尊崇する表現である。だからこの層の関係は取義するに値する。ただし六五が上九に遇上するときのみ、この意を取る。上九は超然として流俗に高出する賢者で、六五は虚懐にして中に居る君主だからである。

故如《大有》、《大畜》之六五、上九,孔子則贊之以“尚賢”;《頤》、《鼎》之六五、上九,孔子則贊之以“養賢”,其辭皆最吉。若以九五比上六,則亦反以尊寵小人為累,如《大過》之“老婦得其士夫”,《咸》之“志末”,《夬》之“莧陸”,《兌》之“孚于剝”,皆是也。獨《隨》之九五下上六,而義有取者,卦義剛來下柔故爾,若初與二,二與三,三與四,則非正應而相比者,或恐陷於朋黨比周之失,故其義不重。

だから《大有》《大畜》両卦の六五と上九のごときは、孔子は伝文の裡で「尚賢」をもって称許した。《頤》《鼎》両卦の六五と上九は、孔子は「養賢」をもって称許した。それらの爻辞はみな最吉である。もし九五に換えて上六に親比せば、転じて小人を尊崇寵信して牽累を受ける。たとえば《大過》卦九五は「老婦その士夫を得る」といい、年老の婦人に年少の男子が配る。《咸》卦九五は「志末なり」といい、心志はただ末梢に落つ。《夬》卦九五は「莧陸」といい、柔脆の莧陸草のごとく決断し難い。《兌》卦九五は「剥に孚む」といい、誤って誠信を陽を剥ぐ小人に交わす。みなこの一類に属する。ただ《随》卦の九五のみ、下に上六に親比して義理上説き通る。あれは《随》卦それ自体の卦義が剛爻が来りて柔爻の下に居る故である。初と二・二と三・三と四のごとき正応に非ずして彼此緊隣の関係に至っては、徒党を結び私を営み互いに勾連する過失に流れるを恐れるのみ。だから義理上では看重しない。

此皆例之常也。若其爻為卦主,則群爻皆以比之、匝之為吉凶焉,故五位之為卦主者,不待言矣。如《豫》四為卦主,則初“鳴”而三“盱”。《剝》上為卦主,則三“無咎”而五“無不利”。《復》初為卦王,則二下仁而四“獨復”。《夬》上為卦主,則三“壯頄”而五“莧陸”。《姤》初為卦主,則二“包有魚”而四“包無魚”。此又《易》之大義,不可以尋常比應之例論也。

以上講じたのはみな通常の条例である。もし某一爻が全卦の「卦主」ならば、其余の各爻はみなそれと相「比」し相「匝」(「匝」は「応」とすべし)する関係をもって吉凶を定める。五位それ自体が卦主に充当する情形に至っては、さらに言うまでもない。たとえば《豫》卦は九四を卦主とし、初六はすなわち「鳴豫」といい、それに随って歓鳴し、六三はすなわち「盱豫」といい、首を仰いで張望する。《剥》卦は上九を卦主とし、六三はすなわち「咎なし」を得て災に至らず、六五はすなわち「不利なし」を得る。《復》卦は初九を卦主とし(「卦王」は「卦主」とすべし)、六二はすなわち下の仁人に親近し、六四はすなわち「独り復る」といい、独り正道に返帰する。《夬》卦は上六を卦主とし、九三はすなわち「頄に壮ん」といい、剛壮が顴骨に顕露し、九五はすなわち「莧陸」という。《姤》卦は初六を卦主とし、九二はすなわち「包に魚有り」といい、厨中にまだ魚を包み、九四はすなわち「包に魚無し」といい、厨中にすでに魚なし。これはまた《周易》の一条の大義で、平常のあの套の「比」「応」の条例をもって衡量できない。

卦主

卦主凡所謂卦主者,有成卦之主焉,有主卦之主焉。成卦之主,則卦之所由以成者。無論位之高下,德之善惡,若卦義因之而起,則皆得為卦主也。主卦之主,必皆德之善,而得時、得位者為之。故取於五位者為多,而它爻亦間取焉。其成卦之主,即為主卦之主者,必其德之善,而兼得時位者也。其成卦之主,不得為主卦之主者,必其德與時位,參錯而不相當者也。

卦主。凡そいわゆる「卦主」は二類に分かれる:一類は「成卦之主」、一類は「主卦之主」である。いわゆる成卦之主とは、この一卦が成立しうる所以・名を得うる所以のあの一爻を指す。それの爻位の高低・徳性の善悪を問わず、ただ整卦の意義がそれによって生ずれば、みな卦主と算しうる。いわゆる主卦之主は、必ず徳性が純善で、しかもその時を得またその位を得る爻でなければ充当できない。ゆえに五位を取って主卦之主とするものが最も多く、別の爻位も偶々取用する。凡そ成卦之主が同時にまた主卦之主であるものは、必ず徳性が純善にして時位を兼得する爻である。凡そ成卦之主であっても主卦之主に当たれないものは、必ずその徳性と時位が彼此錯開して相称しない故である。

大抵其說皆具於夫於之《彖傳》,當逐卦分別觀之。若其卦成卦之主,即主卦之主,則是一主也,若其卦有成卦之主,又有主卦之主,則兩爻皆為卦主矣。或其成卦者兼取兩爻,則兩爻又皆為卦主矣。或其成卦者兼取兩象,則兩象之兩爻,又皆為卦主矣。亦當逐卦分別觀之。

大体これらの説法はみな孔子の作った《彖伝》の裡に具備している(「夫于」は「夫子」とすべし)。卦を逐って分別して体会すべきである。もし一卦の成卦之主が即ち主卦之主ならば、この一卦にはただ一つの卦主がある。もし一卦が別に成卦之主を有し、また別に主卦之主を有すれば、この両爻はともに卦主と算する。時に卦義を構成する憑藉が兼ねて両爻を取れば、その両爻もともに卦主である。時に卦義を構成する憑藉が兼ねて上下両個の卦象を取れば、両象各々の主爻もみな卦主と算する。これは同様に卦を逐って分別して見なければならない。

《乾》以九五為卦主,蓋乾者天道,而五則天之象也。乾者君道,而五則君之位也,又剛健中正。四者具備,得天德之純,故為卦主也。觀《彖傳》所謂“時乘六龍以御天”,“首出庶物”者,皆主君道而言。

《乾》卦は九五をもって卦主とする。乾は天道を代表し、五爻は正に天位の象徴である。乾はまた君道を代表し、五爻は正に君主の位置である。これに加えて九五それ自体は剛にしてしかも健、また中に居り、また位に当たる。剛・健・中・正の四項が斉備し、最も純粋に上天の徳性を体現する。だからそれを立てて卦主とする。《彖伝》のいう「時に六龍に乗じて以て天を御す」——時に随い六条の龍に駕して天道を統御すること、および「庶物の首と出で」——万物の首に居ることは、講ずるところみな君道である。

《坤》以六二為卦主,蓋坤者地道,而二則地之象也。坤者臣道,而二則臣之位也,又柔順中正。四者具備,得坤德之純,故為卦主也。觀彖辭所謂“先迷後得主”“得朋”“喪朋”者,皆主臣道而言。

《坤》卦は六二をもって卦主とする。坤は地道を代表し、二爻は正に地位の象徴である。坤はまた臣道を代表し、二爻は正に臣子の位置である。これに加えて六二それ自体は柔にしてしかも順、また中に居り、また位に当たる。柔・順・中・正の四項が斉備し、最も純粋に大地の徳性を体現する。だからそれを立てて卦主とする。卦辞のいう「先には迷い後に主を得る」——前に搶えば迷失し、後に随えばはじめて主人を見出すこと、および「朋を得」「朋を喪う」——同類を得ることと同類を捨てることは、講ずるところみな臣道である。

《屯》以初九、九五為卦主,蓋卦唯兩陽,初九在下,侯也,能安民者也。九五在上,能建侯 亦指五而言之也。《師》以九二、六五為主,蓋九二在下,“丈人”也;六五在上,能用“丈人”者也。《比》以九五為主,蓋卦唯一陽居尊位,為上下所比附者也。

《屯》卦は初九・九五をもって卦主とする。全卦にただ二つの陽爻があるのみだからである:初九は下にあり、封を受けた諸侯で、百姓を安定し得る。九五は上にあり、諸侯を分封し得る。ここで底本に脱文があり、「亦指五而言之也」(また五を指してこれを言うなり)の一句のみが残り、言うのもまた九五である。《師》卦は九二・六五をもって卦主とする。九二は下にあり、即ち卦辞のいう「丈人」、即ち老成持重の統帥である。六五は上にあり、この「丈人」を任用し得る君主である。《比》卦は九五をもって卦主とする。全卦にただ一つの陽爻が尊位に居り、上下の衆陰が来りて親附する対象だからである。

《小畜》以六四為成卦之主,而九五則主卦之主。蓋六四以一陰畜陽,故《彖傳》曰“柔得位而上下應之”,九五與之合志,以成其畜,故《彖傳》曰“剛中而志行”。《履》以六三為成卦之主,而九五則主卦之主也。蓋六三以一柔履眾剛之間,多危多懼,卦之所以名《履》也。居尊位尤當常以危懼存心,故九五之辭曰“貞厲”,而《彖傳》曰“剛中正,履帝位而不疚”。

《小畜》卦は六四をもって成卦之主とし、九五をもって主卦之主とする。六四が一つの陰爻をもって衆陽を畜止するからである。だから《彖伝》は「柔位を得て上下これに応ず」といい、柔爻が当位に居りて上下の諸陽が来りてこれに応ず。九五はそれと心志相合し、それが畜止の功を成すを助ける。だから《彖伝》はまた「剛中にして志行わる」といい、剛爻が中に居りて心志が推行を得る。《履》卦は六三をもって成卦之主とし、九五をもって主卦之主とする。六三が一つの柔爻をもって衆多の剛爻の中間を行き、処境は多く危険で心裡は多く畏惧する。これ正に卦名が《履》と称する由来である。身に尊位に居る者は特に常に危惧の心を存すべきである。だから九五の爻辞は「貞厲」といい、正を守りて危を知る。《彖伝》は「剛中正、帝位を履みて疚しからず」といい、剛健中正にして帝位を践登して問われて愧じない。

《泰》以九二、六五為主,蓋泰者上下交而志同,九二能盡臣道以上交者也,六五能盡君道以下交者也,二爻皆成卦之主,亦皆主卦之主也。《否》以六二、九五為主,蓋否者上下不變,六二“否亨”,斂德闢難者也。九五“休否”,變《否》為《泰》者也。然則六二成卦之主,而九五則主卦之主也。

《泰》卦は九二・六五をもって卦主とする。泰の意は上下交通して心志相同じくするにあるからである:九二は臣子の本分を尽くして上に君主に交結し得る。六五は君主の本分を尽くして下に臣子に交結し得る。この両爻は成卦之主であると同時に、いずれも主卦之主である。《否》卦は六二・九五をもって卦主とする。否の意は上下隔絶して通ぜず(「上下不変」は「上下不交」とすべし):六二爻辞は「否亨」といい、閉塞の世に才徳を収斂して禍難を躱く。九五爻辞は「否を休む」といい、閉塞の局面を止住し、《否》を《泰》に転変する。このように見れば、六二は成卦之主、九五ははじめて主卦之主である。

《同人》以六二、九五為主,蓋六二以一陰能同眾陽,而九五與之應。故《彖傳》曰“柔得位得中,而應乎乾”。《大有》以六五為主,蓋六五以虛中居尊,能有眾陽。故《彖傳》曰“柔得尊位,大中,而上下應之”。《謙》以九三為主,蓋卦唯一陽,得位而居下體,謙之象也。故其爻辭與卦同,《傳》曰“三多凶”,而唯此爻最吉。

《同人》卦は六二・九五をもって卦主とする。六二が一つの陰爻をもって衆陽と和同し得て、九五がそれと正に相呼応するからである。だから《彖伝》は「柔位を得中を得て、乾に応ず」といい、柔爻がすでに当位でまた中に居り、上に乾体に呼応する。《大有》卦は六五をもって卦主とする。六五が虚懐居中の姿態をもって尊位に占住し、衆多の陽爻を統有し得るからである。だから《彖伝》は「柔尊位を得、大中にして、上下これに応ず」といい、柔爻が尊位を取得し大中に居り、上下の諸爻が来りてこれに応ず。《謙》卦は九三をもって卦主とする。全卦にただ一つの陽爻があり、すでに当位を得、また下体に処る。正に謙退の象徴である。だからその爻辞の「労謙」は卦名と同義である。《系辞伝》は「三は凶多し」といい、三爻の位置は多く兇険があるが、ただ《謙》卦のこの一爻のみが最も吉利である。

《豫》以九四為主,卦唯一陽,而居上位,卦之所由以為豫者。故《彖傳》曰“剛應而志行”。《隨》以初九、九五為主,蓋卦之所以為隨者,剛能下柔也。初五兩爻,皆剛居柔下,故為卦主。《蠱》以六五為主,蓋諸爻皆有事於幹蠱者,至五而功始成,故諸爻皆有戒辭,而五獨曰“用譽”也。

《豫》卦は九四をもって卦主とする。全卦にただ一つの陽爻があり、それが上体の位に居る。正に全卦が「豫」即ち和楽と称しうる根由である。だから《彖伝》は「剛応じて志行わる」といい、剛爻が衆陰の呼応を得て心志が通行する。《随》卦は初九・九五をもって卦主とする。この卦が「随」と呼ばれる所以は、剛爻が柔爻の下に屈居しうるにある。初九と九五のこの両爻は、いずれも剛爻でありながら柔爻の下に処する。だから立てて卦主とする。《蠱》卦は六五をもって卦主とする。各爻がみな積弊を匡正する事に従事し、五爻に至ってはじめて大功が告成するからである。だから其余の各爻はみな警戒の辞を帯びるが、ただ六五のみ「誉れを用う」といい、美誉を得る。

《臨》以初九、九二為主,《彖傳》所謂“剛浸而長”是也。《觀》以九五、上九為主,《彖傳》所謂“大觀在上”是也。《噬嗑》以六五為主,《彖傳》所謂“柔得中而上行”是也。《賁》以六二、上九為主,《彖傳》所謂“柔來而文剛”,“剛上而文柔”是也。《剝》以上九為主,陰雖剝陽,而陽終不可剝也,故為卦主。《復》以初九為主,《彖傳》所謂“剛反”者是也。

《臨》卦は初九・九二をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「剛浸して長ず」、剛爻が一歩々々浸潤生長する。《観》卦は九五・上九をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「大観上に在り」、宏大なる観仰の対象が高く上位に居る。《噬嗑》卦は六五をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「柔中を得て上行す」、柔爻が中位を取得して上に向かい行進する。《賁》卦は六二・上九をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「柔来りて剛を文る」「剛上りて柔を文る」、柔爻が下りて来て剛爻を文飾し、剛爻が上りて行きて柔爻を文飾する。《剥》卦は上九をもって卦主とする。陰気は一路陽気を剥蝕するが、陽気は終に剥蝕し尽くされない。だからそれを立てて卦主とする。《復》卦は初九をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「剛反る」、陽剛の気が去ってまた返る。

《無妄》以初九、九五為主,蓋初九陽動之始,如人誠心之初動也:九五乾德之純,如人至誠之無息也。故《彖傳》曰“剛自外來而為主於內”,指初也;又曰“剛中而應”,指五也。《大畜》以六五、上九為主,《彖傳》所謂“剛上而尚賢”者是也。《頤》亦以六五、上九為主,《彖傳》所謂“養賢以及萬民”者是也。

《无妄》卦は初九・九五をもって卦主とする。初九は陽気が活動を始める所で、たとえば人の一片の誠心がまさに発動したばかりのごとし。九五は乾徳の最も純粋なる所で、たとえば人の至誠の心が永く断えないがごとし。だから《彖伝》は「剛自ら外来りて内に主たる」といい、剛爻が外卦より来りて内卦に主となる。指すのは初九である。また「剛中にして応ず」といい、剛爻が中に居りて呼応あり。指すのは九五である。《大畜》卦は六五・上九をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「剛上りて賢を尚ぶ」、剛爻が高く上位に居りて尊崇を受ける。《頤》卦も同様に六五・上九をもって卦主とする。即ち《彖伝》のいう「賢を養いて万民に及ぼす」、賢人を供養して恩沢を万民に推し及ぼす。

《大過》以九二、九四為主,蓋九二剛中而不過者也,九四棟而不橈者也。《坎》以二五二陽為主,而五尤為主,水之積滿者行也。謂動而能靜,則五尤卦主也。《恆》者常也,中則常矣,卦唯二五居中,而六五之柔中,尤不如九二之剛中,則二卦主也。

《大過》卦は九二・九四をもって卦主とする。九二は剛健にして中に居りて太過に失せず、九四は屋梁のごとく重を承けて弯曲しないからである。《坎》卦は九二・九五の両陽爻をもって卦主とし、その中で九五は特に主である。水は蓄積が満ちてはじめて流行しうるからである。続く「動けて能く静ならば、則ち五尤も卦主なり」(謂動而能静、則五尤卦主也)の一句は、動くことができてまた静であることができるから、五爻が特に卦主と算せられるという。ここで底本に脱文があり、この句の属する卦名はすでに缺失している。《恒》卦の「恒」とは長久である。中を守りえれば長久しうる。この卦は二爻・五爻のみが中に居るが、六五の柔中は終に九二の剛中に及ばない。だから九二が卦主である。

《遯》之為遯以二陰,則初二成卦之主也。然處之盡善者唯九五,則九五又主卦之主也。故《彖傳》曰“剛當位而應,與時行”也。《大壯》之為壯以四陽,而九四當四陽之上,則四卦主也。《晉》以明出地上成卦,六五為離之主,當中天之位,則五卦主也。故《彖傳》曰“柔進而上行”。

《遯》卦が「遯」即ち退避と称する所以は、底下の二つの陰爻が逼りて生じ上って来るからである。だから初六・六二は成卦之主である。ただし退避のこの事を最も完善に処置したのは九五のみである。だから九五はまた主卦之主である。ゆえに《彖伝》は「剛位に当たりて応あり、時とともに行く」といい、剛爻が当位して呼応あり、時勢に順って行動する。《大壮》卦が「壮」と称する所以は、底下の四つの陽爻が壮盛で、九四がちょうど四つの陽爻の最も上に在るからである。だから九四が卦主である。《晋》卦は太陽が地面の上に出るを象に取って卦を成す。六五は離体の主爻で、正に日が中天に在る位置に当たる。だから六五が卦主である。ゆえに《彖伝》は「柔進みて上行す」といい、柔爻が前進して上に向かい行走する。

《明夷》以日入地中成卦,而上六積土之厚,夷人之明者也,成卦之主也。六二、六五皆秉中順之德,明而見夷者也,主卦之主也。故《彖傳》曰“文王以之”、“箕子以之”。《家人》以九五、六二為主,故《彖傳》曰“女正位乎內,男正位乎外”。《睽》以六五、九二為主,故《彖傳》曰“柔進而上行,得中而應乎剛”。

《明夷》卦は太陽が地中に落ち入るを象に取って卦を成す。上六は積土の最も厚い所で、正に他人の光明を傷害する一方である。だから成卦之主である。六二と六五はともに居中柔順の徳性を秉持し、自身は光明でありながら損傷に遭う。だから主卦之主である。ゆえに《彖伝》は「文王これをもってす」「箕子これをもってす」といい、文王と箕子はこの態度をもって困に処したのである。《家人》卦は九五・六二をもって卦主とする。だから《彖伝》は「女は内に位を正しくし、男は外に位を正しくす」といい、女子は内に在ってその正位を守り、男子は外に在ってその正位を守る。《睽》卦は六五・九二をもって卦主とする。だから《彖伝》は「柔進みて上行し、中を得て剛に応ず」といい、柔爻が前進上行し、中に居りて剛爻と相応ずる。

《蹇》以九五為主,故《彖傳》曰“往得中也”。蓋《彖》辭所謂“大人”者,即指五也。《解》以九二、六五為主,故《彖傳》曰“往得眾也”,指五也。又曰“乃得中也”,指二也。《損》以損下卦上畫,益上卦上畫為義,則六三、上九,成卦之主也:然損下益上,所益者君也,故六五為主卦之主。

《蹇》卦は九五をもって卦主とする。だから《彖伝》は「往きて中を得るなり」といい、前往すれば中位を取得できる。卦辞のいう「大人」は、正に九五を指す。《解》卦は九二・六五をもって卦主とする。だから《彖伝》は「往きて衆を得るなり」といい、前往すれば民衆を得られる。指すのは六五である。また「乃ち中を得るなり」といい、これが中道に合する。指すのは九二である。《損》卦は下卦の最上一画を減損し上卦の最上一画を増益するを取義とする。だから六三・上九は成卦之主である。ただし下を損し上を益すとき、増益される対象は君主である。だから六五が主卦之主である。

《益》以損上卦下畫,益下卦下畫為義,則六四、初九,成卦之主也。然損上益下者,君施之而臣受之,故九五、六二為主卦之主。《夬》以一陰極於上為義,則上六成卦之主也。然五陽決陰,而五居其上,又尊位也,故九五為主卦之主。

《益》卦は上卦の最下一画を減損し下卦の最下一画を増益するを取義とする。だから六四・初九は成卦之主である。ただし上を損し下を益すこの事は、君主が施与して臣下が承受するものである。だから九五・六二が主卦之主である。《夬》卦は一つの陰爻が最上に高踞するを取義とする。だから上六は成卦之主である。ただし五つの陽爻が共同してこの一陰爻を決除し、九五はまた衆陽の最も上に処し、自身また尊位である。だから九五が主卦之主である。

《姤》以一陰生於下為義,則初六成卦之主也。然五陽皆有制陰之責,而唯二五以剛中之德,一則與之相切近以制之,一則居尊臨其上以制之,故九五、九二為主卦之主。《萃》以九五為主,而九四次之,卦唯二陽而居高位,為眾陰所萃也。

《姤》卦は一つの陰爻が底下より生じ出るを取義とする。だから初六は成卦之主である。ただし五つの陽爻はみな陰爻を節制する責任を負い、その中で九二・九五のみが剛健居中の徳性を具備する:一つは初六に緊挨して就近くこれを節制し、一つは高く尊位に居りて上より統臨してこれを節制する。だから九五・九二が主卦之主である。《萃》卦は九五をもって卦主とし、九四がこれに次ぐ。全卦にただ二つの陽爻が高位に占居し、衆多の陰爻が聚集依拠する対象だからである。

《升》以六五為主,《彖傳》曰“柔以時升”,六五升之最尊者也。然升者必自下起,其卦以地中生木為象,則初六者巽體之主,乃木之根也,故初六亦為成卦之主。《困》以九二、九五為主,蓋卦以剛掩為義,謂二五以剛中之德,而皆掩於陰也,故兩爻皆成卦之主,又皆主卦之主。

《升》卦は六五をもって卦主とする。《彖伝》は「柔時をもって升る」といい、柔爻が時機に順応して上昇する。六五は正に最も尊貴の位置に上昇したあの一爻である。ただし上昇は総じて底下より起步する。この卦は地中に樹木が生ずるを象に取り、初六は巽体の主爻、即ち樹木の根である。だから初六も同様に成卦之主である。《困》卦は九二・九五をもって卦主とする。この卦は剛爻が掩蔽されるを取義とし、二爻・五爻は剛健居中の徳性を有しながら、ともに陰爻に遮掩されているというのである。だからこの両爻は成卦之主であると同時に、いずれも主卦之主である。

《井》以九五為主,蓋井以水為功,而九五坎體之主也;井以養民為義,而九五養民之君也。《革》以九五為主,蓋居尊位,則有改革之權;剛中正,則能盡改革之善,故其辭曰“大人虎變”。《鼎》以六五、上九為主,蓋鼎以養賢為義,而六五尊尚上九之賢,其象如鼎之鉉耳之相得也。

《井》卦は九五をもって卦主とする。水井は水を出すを功用とし、九五は坎体の主爻だからである。水井はまた百姓を養うを意義とし、九五は正に百姓を養育する君主だからである。《革》卦は九五をもって卦主とする。尊位に身居すれば変革の権柄を握り、剛健中正であれば変革を尽善に致し得るからである。だからその爻辞は「大人虎変す」といい、大人の更新は虎皮の毛が換わるがごとく斑然として観るべきものがある。《鼎》卦は六五・上九をもって卦主とする。鼎は賢人を供養するを意義とし、六五は上九のこの賢者を尊崇する。その形象は鼎耳と鼎を挙げる铉とが互いに配合するがごとし。

《震》以二陽為主,然震陽動於下者也,故四不為主,而初為主。《艮》亦為二陽為主,然艮陽止於上者也,故三不為主,而上為主。《漸》以女歸為義,而諸爻唯六二應五,合乎女歸之象,則六二卦主也。然漸又以進為義,而九五進居高位,有剛中之德,則九五亦卦之主也。

《震》卦は二つの陽爻をもって卦主とするが、震の性質は陽気が下において発動する。だから九四は主と算せず、初九こそ主である。《艮》卦も同様に二つの陽爻をもって卦主とするが、艮の性質は陽気が上において止住する。だから九三は主と算せず、上九こそ主である。《漸》卦は女子の嫁ぐを取義とする。各爻の中で六二のみが上に九五に応じ、女子嫁ぐの形象に合する。だから六二が卦主である。ただし漸はまた循序前進を取義とし、九五は高位に漸進して剛健居中の徳性を具備する。だから九五もまたこの卦の主である。

《歸妹》以女之自歸為義,其德不尊,故《彖傳》曰“‘無攸利’,柔乘剛也”。是六三,上六成卦之主也。然六五居尊,下交,則反變不尊而為尊,化凶而為吉。是六五又主卦之主也。《豐》以六五為主,蓋其彖辭曰“王假之,勿憂,宜日中”,六五之位則王之位也,柔而居中,則日中之德也。

《帰妹》卦は女子が自ら嫁ぐを取義とする。この做法は徳性が端重に足らない。だから《彖伝》は「『攸往利なし』とは、柔が剛に乗ずるなり」といい、何の益もない所以は、柔爻が剛爻の上に凌駕するからである。このように見れば、六三・上六は成卦之主である。ただし六五は尊位に身居しながら下に交結するを肯んじ、かえって尊重せざるを尊重に転じ、兇険を化解して吉利と成す。だから六五はまた主卦之主である。《豊》卦は六五をもって卦主とする。その卦辞が「王これに仮り、憂うる勿れ、日中に宜し」(王が自ら来り臨み、憂慮する必要なく、日の中正のごときが宜しい)と言うからである。六五の位置は即ち君王の位置で、柔順にしてまた中に居り、正に日が中天に在るあの徳性である。

《旅》亦以六五為主,故《彖傳》曰“柔得中乎外”。又曰“止而麗乎明”。五居外體,旅於外 《巽》雖主於二陰,然陰卦以陰為主者,唯離為然,以其居中故也。巽之二陰,則為成卦之主,而不得為主卦之主。主卦之主者,九五也。申命行事,非居尊位者不可。故《彖傳》曰“剛巽乎中正而志行”,指五也。

《旅》卦も同様に六五をもって卦主とする。だから《彖伝》は「柔外に中を得」といい、柔爻が外卦において中位を取得した。また「止まりて明に麗る」といい、静止してまた光明に附麗する。六五は外体に処り、正に羈旅して外に在る形象である。以下、底本に脱文がある。続いて言う:《巽》卦は二つの陰爻をもって主導とするが、陰卦で真に陰爻をもって主とするのは離卦のみである。あれは離の陰爻が中に居る故である。巽卦の二つの陰爻はただ成卦之主と算するのみで、主卦之主には当たれない。主卦之主は九五である。布政令を申し政務を推行するは、尊位に居る者でなければ辦せられない。だから《彖伝》は「剛中正に巽りて志行わる」といい、剛爻が中正の道をもって謙遜に行事して心志が行い得る。指すのは正に九五である。

《兌》之二陰亦為成卦之主,而不得為主卦之主。主卦之主,則二五也。故《彖傳》曰“剛中而柔外,說以‘利貞’”。《渙》以九五為主,蓋收拾天下之散,非居尊不能也。然九二居內以固其本,六四承五以成其功,亦卦義之所重,故《彖傳》曰“剛來而不窮,柔得位乎外而上同”。

《兌》卦の二つの陰爻も同様にただ成卦之主で、主卦之主には当たれない。その主卦之主は九二と九五である。だから《彖伝》は「剛中にして柔外、説びて『貞に利し』」といい、剛爻が中に居りて柔爻が外に在り、喜悦してまた正を守るに利あり。《渙》卦は九五をもって卦主とする。天下の渙散の局面を収拾するに、尊位に居らなければ辦し成せないからである。ただし九二は内卦に守りて根本を穏固にし、六四は上に九五を承けて功業を成就する。これもまたこの卦の看重する意義である。だから《彖伝》は「剛来りて窮まらず、柔外に位を得て上に同ず」といい、剛爻が来りて内卦に居りて困窮に至らず、柔爻が外卦に正位を得て上位と心を同じくする。

《節》亦以九五為主,蓋立制度以節天下,亦唯居尊有德者能之。故《彖傳》曰“當位以節,中正以通”。《中孚》之成卦以中虛,則六三、六四,成卦之主也。然孚之取義以中實,則九二、九五,主卦之主也。至於孚乃化邦,乃居尊者之事,故卦之主在五。《小過》以二五為主,以其柔而得中,當過之時而不過也。

《節》卦も同様に九五をもって卦主とする。制度を訂立して天下を節制するは、尊位に居りてまた徳ある者のみが辦し得るからである。だから《彖伝》は「位に当たりて以て節し、中正にして以て通ず」といい、正位を占拠して節制を施行し、中正にして通達する。《中孚》卦が卦を成すのは中間の空虚に靠る。だから六三・六四は成卦之主である。しかし「孚」のこの字は内心の充実に取義する。だから九二・九五が主卦之主である。誠信を憑って邦国を感化するに至っては、あれは尊位に居る者の事である。ゆえに全卦の主はなお九五に在る。《小過》卦は六二・六五をもって卦主とする。それらは柔順にしてまた中に居り、「過」の時に処しても過分に至らないからである。

《既濟》以六二為主,蓋既濟則初吉而終亂,六二居內體,正初言之時也。故《彖傳》曰“初吉柔得中也”。《未濟》以六五為主,蓋未濟則始亂而終治,六五層外體,正開治之時也。故《彖傳》曰“未濟‘亨’,柔得中也”。

《既済》卦は六二をもって卦主とする。事がすでに渡り済せば、初め吉利にして末に乱を生ずるからである。六二は内体に処り、正に初め吉利なるあの段階に当たる(「初言」は「初吉」とすべし)。だから《彖伝》は「初吉とは柔中を得るなり」といい、初め吉利なるは柔爻が中に居るがゆえである。《未済》卦は六五をもって卦主とする。事がまだ渡り済さざれば、開頭は混乱して末に治定するからである。六五は外体に処り(「層外体」は「居外体」とすべし)、正に治世を開創するあの段階に当たる。だから《彖伝》は「未済『亨』とは、柔中を得るなり」といい、未済にして亨通しうるは、柔爻が中に居るがゆえである。

以上之義,皆可以據《彖傳》、爻辭而推得之。大抵《易》者,成大業之書。而成大業者,必歸之有德有位之人。故五之為卦主者獨多。中間亦有因時義不取五為王位者,不過數卦而已。

以上のこれらの義理は、みな《彖伝》と各爻の爻辞に拠って推求し出せる。大体言えば、《周易》は大事業を成就することを講ずる一部の書である。大事業を成就しうる者は、必ず徳行を有しまた地位を有する人に帰す。だから五爻をもって卦主に充当する情形が特に多い。その間にも一卦の時義が特殊であるがゆえに五爻を君王の位としないものもあるが、あれは少数の数卦にすぎない。

自五而外,諸爻之辭,有曰王者,皆非以其爻當王也,乃對五位而為言耳。如《隨》之上曰“王用亨于西山”,則因其繫於五也。《益》之二日“王用亨於帝”,則因其應於五也。《升》之四曰“王用亨于岐山”,則因其承於五也。皆其德與時稱,故王者簡而用之,以答乎神明之心也。

五爻を除いて、其余の各爻の爻辞の裡にも「王」の字が出現するものがあるが、あれはみなその一爻を君王とするのではなく、五位に相対して言うのである。たとえば《随》卦上六は「王西山に亨す」といい、君王が西山において祭享を挙行する。あれは上六が九五に繫属するがゆえである。《益》卦六二は「王これをもって帝に亨す」といい、君王がそれをもって上帝に祭享する。あれは六二が上に九五に応ずるがゆえである(「二日」は「二曰」とすべし)。《升》卦六四は「王岐山に亨す」といい、君王が岐山において祭享を挙行する。あれは六四が上に九五を承けるがゆえである。この数爻はみな徳行と時勢が相称する。だから君王は選抜して任用を加え、これを借りて神明の心意に回応する。

又上爻有蒙五爻而終其義者,如《師》之上曰“大君有命”,則因五之出師定亂,而至此則奏成功也。《離》之上曰“王用出征”,則因五之憂勤圖治,而至此則除亂本也。皆蒙五爻之義,而語其成效如此。《易》中五上兩爻,此類最多,亦非以其爻當王也。

また別に上爻が五爻の意を承接して、それを講じ尽くす例がある。たとえば《師》卦上六は「大君命有り」といい、天子が冊命を頒下する。あれは九五が兵を出して禍乱を平定し、上六のこの一歩に至りはじめて成功を奏報するがゆえである。《離》卦上九は「王これをもって出征す」といい、君王がこれによって兵を出して征討する。あれは九五が憂労勤勉して治を謀り、上九のこの一歩に至りはじめて禍乱の根本を剷除するがゆえである。これらはみな五爻の意を承接し、進んでその成效を説き出したものである。《周易》の裡で五爻と上爻のこの二つの位置は、この一類の情形が最も多い。同様にあの一爻を君王とするのではない。

周易上経

周易上經本義周,代名也。易,書名也。其卦本伏羲所畫,有交易、變易之義,故謂之易,其辭則文王閣公所繫,故繫之周。以其簡帙重大,故分為上下兩篇。

周易上経。朱熹《周易本義》はいう:「周」は朝代の名称、「易」は書の名称である。この書の卦画はもと伏羲の画いたもので、その中に陰陽が交相変換し変動して居らざるの意を含む。だから「易」と呼ぶ。卦爻辞は文王と周公の手に出る(「閣公」は「周公」とすべし)。だから「周」の字を冠する。竹簡巻帙の分量があまりに大きいので、ここに上下二篇に分けた。

經,則伏羲之畫,文王周公之辭也,並孔子所作之傳十篇,凡十二篇。中間頗為諸儒所亂,近世晁氏始正其失,而未能盡合古文。呂氏又更定著為經二卷,傳十卷,乃復孔氏之舊雲。

いわゆる「経」とは、伏羲の画いた卦象に文王・周公の繫いだ卦爻辞を加えたものを指す。さらに孔子の作った十篇の伝文を連ねて、全部で十二篇である。この十二篇は流伝の中で歴代学者に次序を攪乱され、近世の晁説之に至りはじめてこの失誤を訂正したが、なお完全に古本の様子に符合するに至らなかった。後に呂祖謙があらためて厘定し、経二巻・伝十巻に編んで、これで孔子の伝えた旧貌を回復した。

乾卦

乾.乾上.乾下乾,元,亨,利,貞。

卦画の標注:乾卦は、上体は乾、下体も乾である。卦辞:乾は、元・亨・利・貞。ここで「元」は大、「亨」は通、「利」は宜、「貞」は正しくしかも固い。合わせて言えば、乾道が広大にして通達し、正固を守持するに利あるということである。

本義 六畫者,伏羲所畫之卦也。一者,奇也,陽之數也。乾者,健也,陽之性也。本注乾字,三畫卦之名也。下者,內卦也。上者,外卦也。經文“乾”字,六畫卦之名也。

朱熹《周易本義》はいう:あの六道の横画は伏羲の画いた卦である。その中の一画の断えないものを「奇」と呼び、陽の数である。「乾」の意は剛健で、あれは陽の本性である。本義の自注:標題裡のあの「乾」の字は三画卦の名称、「下」は内卦を指し、「上」は外卦を指し、経文裡の「乾」の字は六画卦の名称である。

伏羲仰觀俯察,見陰陽有奇偶之數,故畫一奇以象陽,畫一偶以象陰。見一陰一陽,有各生一陰一陽之象,故自下而上,再倍而三,以成八卦。見陽之性健,而其成形之大者為天,故三奇之卦,名之曰乾,而擬之於天也。

伏羲は頭を挙げて天象を観察し、頭を低うして地理を察看し、陰陽に奇数と偶数の分別あるを発見した。ここに一画の断えぬ横線を画いて陽を象徴し、一画の中断する横線を画いて陰を象徴した。彼はまた一陰一陽が各々さらに一陰一陽を再生しうるを見出した。ここに下より上に向かい、一倍を加えて四象と成し、また一倍を加えて三画と成し、これによって八卦を形成した。彼は陽の性質が剛健であることを見出し、陽の凝成した形体中の最大なるものが即ち天であるから、三道の奇画より組成される卦を「乾」と命名し、しかも天をもってそれに比拟した。

三畫已具,八卦已成,則又三倍其畫,以成六畫,而為八卦之上,各加八卦,以成六十四卦也。此卦六畫皆奇,上下皆乾,則陽之純而健之至也,故乾之名,天之象,皆不易焉。

三画の卦体がすでに具備し、八卦がすでに形成せられれば、さらに画数を三倍に加えて六画に湊える。即ち八卦の上にそれぞれさらに一層の八卦を加えて、従って六十四卦を組成する。眼前のこの一卦は六道の画がすべて奇画で、上体下体ともに乾である。それは陽気の最も純粋・剛健の極点に至る状態である。だからそれは依然として「乾」と呼ばれ、依然として天を象に取り、名称も取象も改変しない。

“元、亨、利、貞”,文王所繫之辭,以斷一卦之吉凶,所謂彖辭者也。元,大也。亨,通也。利,宜也。貞,正而固也。文王以為乾道大通而至正,故於筮得此卦,而六爻皆不變者,言其占當得大通,而必利在正固,然後可以保其終也。此聖人所以作《易》教人卜筮,而可以開物成務之精意。餘卦放此。

「元・亨・利・貞」は文王の繫いだ辞句で、一整卦の吉凶を判断するに用いる。即ちいわゆる「彖辞」である。「元」は大、「亨」は通、「利」は宜、「貞」は端正にしてしかも堅固である。文王は乾道が広大通達にして極めて純正と認めた。だから凡そ占筮してこの卦を得て六爻がまたいずれも変動しない者は、即ち占う事が大いに亨通すべきだが、必ず正を守り固を持するに利あって、然る後に結局を保ちうることを言う。これ正に聖人が《周易》を制作して人に卜筮を教え、従って民智を開通し事業を成就する精微の用意である。其余の各卦の体例はみなこのように類推する。

程傳上古聖人始畫八卦,三才之道備矣,因而重之,以盡天下之變,故六畫而成卦。重乾為乾。乾,天也。天者天之形體,乾者天之性情。乾,健也,健而無息之謂乾。

程頤《伊川易伝》はいう:上古の聖人がはじめて八卦を画き出したとき、天・地・人三才の道理はすでに斉備していた。続いて八卦を両々相重ねて、天下万事の変化を窮尽するに用いた。だから六画あってはじめて一卦を構成する。乾卦を重畳すれば依然として乾である。乾は即ち天である。「天」は天の形体を指し、「乾」は天の性情を指す。乾の含義は剛健である。剛健にして永く停息しない、これを乾と呼ぶ。

夫天,專言之則道也,天且弗違是也。分而言之,則以形體謂之天,以主宰謂之帝,以功用謂之鬼神,以妙用謂之神,以性情謂之乾。乾者,萬物之始,故為天為陽,為父為君。

「天」というを説くに、もし笼统に講ずれば、それは即ち「道」である。《文言伝》のいう「天且つ違わず」——天をも違わない——は、この層の意を用いたものである。もし分けて講ずれば、形体に就いて言えば之を天と称し、主宰に就いて言えば之を帝と称し、功能作用に就いて言えば之を鬼神と称し、変化測り難き妙用に就いて言えば之を神と称し、性情に就いて言えば之を乾と称す。乾は万物の開端である。だからそれは天を象徴し、陽を象徴し、また父を象徴し、君主を象徴する。

“元、亨、利、貞”,謂之四德。“元”者,萬物之始。“亨”者,萬物之長。“利”者,萬物之遂。“貞”者,萬物之成。唯乾坤有此四德,在它卦則隨事而變焉。故元專為善大,利主於正固。亨貞之體,各稱其事。四德之義,廣矣,大矣。

「元・亨・利・貞」は四種の徳性と称される。「元」は万物の発端、「亨」は万物の生長、「利」は万物の遂茂、「貞」は万物の成熟である。ただ乾・坤両卦のみがこの四徳を具備し、其余の各卦においては占う事に随って含義を変換しなければならない。だから「元」は専ら美善盛大を指し、「利」は正を守り固を持することに側重する。「亨」と「貞」の実質に至っては、各々遇う事に拠って定まる。この四徳の包含する意義は、真に広博にして宏大である。

集說孔氏穎達曰:乾者,此卦之名。卦者掛也,言懸掛物象以示於人,故謂之卦。邵子曰:不知乾,無以知性命之理。《朱子語類》云,乾只是健,坤只是順。純陽所以健,純陰所以順。至健者唯天,至順者唯地。

集説に孔穎達を引く:「乾」はこの一卦の名称である。いわゆる「卦」とは懸挂する意で、物象を懸挂して人に展示することを指す。ゆえに卦と呼ぶ。集説に邵雍を引く:乾を懂らなければ、性と命の道理を懂る由がない。《朱子語類》に記す:乾はただ一つの「健」の字、坤はただ一つの「順」の字である。純粋の陽ゆえに剛健し、純粋の陰ゆえに柔順する。剛健の極処にあるのは天のみ、柔順の極処にあるのは地のみである。

問:乾者天之性情。曰,乾,健也。健之體為性,健之用是情。又曰,性情二者常相參在此,情便是性之發,非性何以有情?健而無息,非性何以能如此?

《朱子語類》にまた載す:或る人が問う、程頤は「乾は天の性情」と言うが、どう理解すべきか。朱熹は答える:乾は即ち健である。健の本体のあの一面を「性」と呼び、健の発用のあの一面を「情」と呼ぶ。彼はまたいう:性と情のこの両样は常に一処に掺杂する。情は即ち性の発動である。もし先ず性有らざれば、どこに情あらんや。剛健にして永に停歇せざるは、もし本性がこのようでなければ、またどうしてこの地步を致し得よう。

問:《本義》云:見陽之性健,而成形之大者為天,故三奇之卦,名之曰乾,而擬之於天也。竊謂卦辭未見取象之意,恐當於大象言之。曰,才設此卦時,便有此象了,故於此預言之。

また或る人が問う:《周易本義》は「陽の性質が剛健で、陽の凝成した形体中の最大なるものが天であるから、三画皆奇の卦を乾と命名し、天をもってそれに比拟した」と講ずるが、私は私かに卦辞の裡に取象の意を見出せないと思う。この層の言は恐らく《大象伝》のところを俟って講ずべきだろう。朱熹は答える:当初この一卦を立てたとき、この象はすでにその裡にあった。だからここで予め説明するのである。

問“元、亨、利、貞”。曰,當初只是說大亨利於正,不以分配四時,孔子見此四字好,始分作四件說。又云,“元亨利貞”四字,文王本意在乾坤者只與諸卦一般,至孔子作《彖傳》、《文言》,始以乾坤為四德,而諸卦自如其舊。二聖人之意,非有不同,蓋各是發明一理耳。今學者且當虛心玩味,各隨本文之意而體會之。其不同處,自不相妨。不可遽以己意橫作主張也。

或る人が問う:「元・亨・利・貞」はどう理解すべきか。朱熹は答える:当初文王の説法は「大いに亨通して正を守るに利あり」に過ぎず、この四字を春夏秋冬の四時に分派してはいなかった。孔子はこの四字が善いのを見て、はじめて拆いて四件の事として講じた。彼はまたいう:「元亨利貞」のこの四字を、文王がもともと乾坤両卦に用いた意は、其余の各卦に用いたのと同じである。孔子に至り《彖伝》《文言伝》を作り、はじめて乾坤のこの四字を立てて四種の徳性とし、其余の各卦は依然として老样子に照らして解する。両聖人の用意に分歧はなく、各々一層の道理を発明したにすぎない。今日の学を求める者はしばらく虚心に涵泳し、各々本文の語脈に按じて体会すれば、両説の不同なるところは自然に妨げない。切に己の臆見をもって横に裁断を加えてはならない。

胡氏炳文曰:“元、亨、利、貞”,諸家便作四德解,唯《本義》以為占辭。大通而至正,此天道之本然;大通而必利在正固,人事之當然也。乾為《易》第一卦,占得之者,其事雖大通,而非正固,尚不能保其終,況它卦乎!

集説に胡炳文を引く:「元・亨・利・貞」に対し、各家は一上手すれば四種の徳性として解するが、ただ《周易本義》のみがそれを占筮の断語と見る。広大通達にして極めて純正——これは天道本来の様子である。広大通達でありながら必ず正を守り固を持するに利あらねばならぬ——これは人事上において然るべき分寸である。乾は《周易》の頭一卦である。この卦を占得する人の辦する事は、たとえ大いに亨通しても、もし正を守り固を持することができなければ、なお結局を保てない。いわんや其余の各卦をや。

蔡氏清曰:成形之大者為天,坤卦亦曰,陰之成形莫大於地,可見不可就以乾坤當天地。凡至健者皆為乾,凡至順者皆為坤。此乾坤所以足應萬用,而《彖傳》之言,所以為專以天道明乾義,以地道明坤義也。

集説に蔡清を引く:《周易本義》はここで「陽の凝成した形体中の最大なるものは天」と講じ、坤卦に至ってまた「陰の凝成した形体は地より大なるなし」と講ずる。これで見れば、乾坤を干脆に直ちに天地と等同することはできない。凡そ剛健の極処にある者はみな乾に属し、凡そ柔順の極処にある者はみな坤に属す。正にこの故をもって、乾坤は千变万化の用途に応付するに足る。しかるに《彖伝》の説法は、専ら天道を借りて乾の含義を闡明し、地道を借りて坤の含義を闡明するのである。

林氏希元曰:乾德剛健,剛以體言,健兼用言。剛則有立,健則有為。人而有立有為,則志至氣至。本立道生,事無不立,功無不成。不見艱難,無能阻止,如乾旋坤轉,如雷厲風行,“何天之衢”,殆不足以擬之,是不唯亨而且大亨也。

集説に林希元を引く:乾の徳性は剛健である。「剛」は本体に就いて言い、「健」は発用をも連ねて言う。剛であれば立つに足り、健であれば成すに足る。人は立つに足りまた成すに足れば、心志の至る所、気力もまたこれに随って至る。根本がいったん立てば道路自ら生じ、辦せられぬ事なく、建てられぬ功なく、見える艱難なく、彼を阻挡しうるものもない。その気象は乾坤の旋転するがごとく、雷霆の迅疾・大風の盛行するがごとく、《大畜》上九のいう「何れの天の衢か」——天上の通衢大道を肩負う——も、恐らくなお比拟するに足らない。これはただ亨通のみならず、大いに亨通するである。

中者不偏不倚,正者無過不及,體用之分也,正大而天地之情可見矣,可見乾之中正也。乾道大通而至正,在人容有不正者,故聖人因以為戒。

「中」はいずれの一辺にも偏向せざること、「正」はすでに過頭せずまた及ばざることで、両者に体と用の分別がある。《大壮・彖伝》は「正大にして天地の情見えたり」といい、端正にして宏大なれば、天地の実情は顕露出る。この句より正に乾の具える「中正」を見るべし。乾道それ自体は広大通達にして極めて純正だが、人の身に落ちれば端正ならざるを免れない。だから聖人はこの数字を借りて告戒を立てたのである。

案乾坤之“元亨利貞”,諸儒俱作四德說,唯朱子以為占辭,而與它卦一例,其言當矣。然四字之中,雖只兩意,實有四層。何則?元,大也。亨,通也。利,宜也。貞,正而固也。人能至健,則事當大通。然必宜於正固,是占辭只兩意也。但《易》之中,有言“小亨”者矣,有言“不可貞”者矣。一時之通,其亨則小,唯有大者存焉,

李光地按する:乾坤両卦の「元亨利貞」は、歴代学者がみな四種の徳性として解するが、ただ朱熹のみがそれを占筮の断語と見て其余の各卦と一例に看待した。この言は妥当を得ている。ただしこの四字の裡面は、含意はただ二層しかないが、実際は四級に分かれる。何となればこのように講ずるか。「元」は大、「亨」は通、「利」は宜、「貞」は端正にして堅固である。人が剛健の極処に至れば、事を辦するに大いに通達すべきである。しかしまた必ず正を守り固を持するに宜しからねばならぬ——このように見れば、占辞は確かにただ二層の意しかない。しかるに《周易》の裡にはすでに「小亨」と言うものあり、また「貞むべからず」と言うものもある。一時の通達は、あの亨はただ小亨と算するに足り、ただ「大」を含むもののみが元亨に足る。ここで底本に脱文があり、按語は未完である。

初九,潛龍勿用。

初九爻辞:龍はなお水下に潜伏し、このとき作用を施展すべからず。

本義初九者,卦下陽爻之名。凡畫卦者,自下而上,故以下爻為初。陽數九為老,七為少,老變而少不變,故謂陽爻為九。“潛龍勿用”,周公所繫之辭,以斷一爻之吉凶,所謂爻辭者也。“潛”,藏也。“龍”,陽物也。初陽在下,未可施用,故其象為“潛龍”,其占曰“勿用”。凡遇乾而此爻變者,當觀此象而玩其占也。餘爻放此。

朱熹《周易本義》はいう:「初九」はこの一卦の最も下のあの陽爻の名称である。凡そ卦を画くは、みな底下より上に向かい画く。だから最も下の一爻を「初」と呼ぶ。陽の数目の裡、九は老陽、七は少陽である。老陽は変動し少陽は変動しない。占筮は変動する一方を取る。ゆえに陽爻を「九」と呼ぶ。「潜龍勿用」は周公の繫いだ辞句で、一爻の吉凶を判断するに用いる。即ちいわゆる「爻辞」である。「潜」は隠蔵、「龍」は陽に属する神物である。初爻の陽気はなお最も下にあり、作用を施展すべからず。だからその「象辞」は「潜龍」を取り、その「占辞」は「勿用」という。凡そ乾卦を占してこの一爻が変動する者は、この象を観察しこの占を玩味すべきである。其余の各爻はみなこれに照らして類推する。

程傳下爻為“初”。“九”,陽數之盛,故以名陽爻。理無形也,故假象以顯義。乾以龍為象,龍之為物,靈變不測,故以象乾道變化,陽氣消息,聖人進退。初九在一卦之下,為始物之端,陽氣方萌,聖人側微,若“龍”之“潛”隱,未可自用,當晦養以俟時。

程頤《伊川易伝》はいう:最も下の一爻を「初」と呼ぶ。「九」は陽数の最も盛んなもので、だから陽爻を称呼するに用いる。義理それ自体に形状がないので、形象を借りてその含義を顕明にするほかない。乾卦は龍を象徴とする。龍のこの物は神霊にして善く変じ測度し難く、正に乾道の変化・陽気の消退と生長・および聖人の進取と退隠を象徴するに用いうる。初九は一卦の最も下に処し、万物初生の開端であり、陽気がまさに萌動したばかりで、聖人はなお微賤に身処している。ちょうど龍が潜伏隠蔵するがごとく、自ら施展すべからず。韬光養晦して時機を俟つべきである。

集說沈氏驎士曰:稱“龍”者,假象也。天地之氣有升降,君子之道有行藏。“龍”之為物,能“飛”能“潛”,故借“龍”比君子之德也。初九既尚潛伏,故言“勿用”。

集説に沈驎士を引く:「龍」と称するは、借用した形象である。天地の間の気には上昇もあれば下降もあり、君子の処世の道には出仕もあれば隠退もある。龍のこの物は飛騰しうると同時に潜蔵しうる。だからそれを借りて君子の徳行に比拟する。初九はすでになお潜伏の段階にある。ゆえに「勿用」という。

孔氏穎達曰:陽爻稱九,陰爻稱六,其說有二:一者乾體有三畫,坤體有六畫,陽得兼陰,故其數九;陰不得兼陽,故其數六。二者老陽數九,老陰數六,老陰老陽皆變,《周易》以變者為占,故稱九稱六。所以老陽數九、老陰數六者,以揲蓍之數,九過操則得老陽,六過揲則得老陰,其少陽稱七,少陰稱八,義亦準此。

集説に孔穎達を引く:陽爻を「九」と呼び、陰爻を「六」と呼ぶのに、解釈は二種ある。第一種は:乾の卦体は三道の整画のみ、坤の卦体は断開して六道の短画と成る。陽は陰を兼摂しうる。だから数目は三に六を加えて九と成るを取る。陰は陽を兼摂しえない。だから数目はただ六を取る。第二種は:老陽の数は九、老陰の数は六で、老陰老陽はともに変動し、《周易》は変動する爻をもって占断する。だから九・六を用いて称呼とする。老陽が何ゆえ九で老陰が何ゆえ六かに至っては、あれは揲蓍して得た策数に就いて言うのであって:九回数えれば老陽を得(「操」は「揲」とすべし)、六回数えれば老陰を得る。少陽を七と称し少陰を八と称するのも、道理はこれに照らして類推する。

崔氏憬曰:九者老陽之數,動之所占,故陽稱焉。“潛”,隱也。“龍”下隱地,潛德不彰,是以君子韜光待時,未成其行,故曰“勿用”。

集説に崔憬を引く:九は老陽の数で、変動の爻が占断に用いるものである。だから陽爻はそれを取って名とする。「潜」は隠蔵である。龍は地下に沈んで蔵れ、深潜の徳行はまだ顕揚していない。ゆえに君子もまた鋒芒を収斂して時機を俟ち、志向はまだ施行に付されていない。だから「勿用」という。

《朱子語類》問:程《易》以初、二、三、四四爻作舜說,何以見得如此?曰,此是推說爻象之意,非本指也。《易》本因卜筮而有象,因象而有占,占辭中便有道理。如筮得“乾”之初九,初陽在下,未可施用,其象為“潛龍”,其占曰“勿用”。凡遇乾而得此爻者,當觀此象而玩其占,隱晦而“勿用”可也。此《易》之本指也。

《朱子語類》に載す:或る人が問う、程頤の《伊川易伝》は乾卦の初・二・三・四のこの四爻をみな舜の事跡をもって講じているが、何に憑ってこう解すべきと見たのか。朱熹は答える:あれは爻象の引申義を推衍したもので、《周易》の本旨ではない。《周易》はもともと卜筮によって卦爻の象があり、象によって占断があり、占断の辞句の裡に自然に道理を含む。たとえば占筮して乾卦の初九を得れば、初爻の陽気はなお下位にあり、作用を施展すべからず。その象は「潜龍」、その占は「勿用」である。凡そ乾卦に遇いてこの一爻を得る人は、この象を観察しこの占を玩味し、隠蔵収斂して軽挙妄動しなければそれでよい。これが《周易》の本旨である。

聖人為《彖傳》、《象傳》、《文言》,節節推去無限道理,此程《易》所以推說得無窮。先通得《易》本指後,推說不妨。若便以所推說者去解《易》,則失《易》之本指矣。

聖人が《彖伝》《象伝》《文言伝》を写作したのは、一層々々下に向かい推衍して窮尽なき道理を引出したものである。これが《伊川易伝》の推説し尽くせない由来である。まず《周易》の本旨を通じ弄りて、然る後に推衍に行くは妨げない。もし一上手すれば推衍し出た説法をもって《周易》を解すれば、《周易》の本旨を丟掉するのである。

李氏舜臣曰:六爻之象,皆取於“龍”者,陽體之健,其“潛”“見”“惕”“躍”“飛”“亢”者,初終之序,而變化之跡也。

集説に李舜臣を引く:乾卦六爻の取象は全部「龍」を用いる。龍が陽の剛健を体現するからである。「潜」「見」「惕」「躍」「飛」「亢」のこの六字に至っては、開頭から結尾への次第であり、また龍のこの形象が一路変化する踪跡である。

梁氏寅曰,夫《易》者,潔淨精微之教也。故其取象皆假託其物,而未涉於事;包含其意,而各隨所用。然乾純陽之卦,而取象於龍,則其意多為聖人而發者。故夫子於

集説に梁寅を引く:《周易》は一種の潔浄精微の教法である。だからその取象はみな或る物類に借托し、直接に具体の事情に落ちない。意思を裡面に包藴して、人に各々自己の用处に按じて領取せしめる。ただし乾は純陽の卦で、龍に象を取る。その用意は大抵聖人のために発したものである。だから孔子は……ここで底本に脱文があり、下面の言葉はすでに缺失している。

林氏希元曰:龍不止陽物,乃陽物之神靈不測者,故象乾之六爻。蓋乾卦六爻,皆得乾道,不比它卦,故《文言》以聖人明之。比之於物,則是“龍”也。

集説に林希元を引く:龍は単に陽に属する物のみならず、陽に属する物の中で最も神霊莫测の一種である。だからそれをもって乾卦六爻を象徴する。乾卦のこの六爻は全部乾道を体現し、別の卦と同じでないから、《文言伝》は聖人をもってそれらを闡明した。もし物類をもって比方すれば、それは即ち龍である。

九二,見龍在田,利見大人。

九二爻辞:龍はすでに地面の田野に顕現した。徳ある大人に進見するに宜しい。

本義二,謂自下而上第二爻也。後放此。九二剛健中正,出潛離隱,澤及於物,物所“利見”,故其象為“見龍在田”,其占為“利見大人”。九二雖未得位,而大人之德已著,常人不足以當之,故值此爻之變者,但為利見此人而已。蓋亦謂在下之大人也。此以爻與占者相為主賓,自為一例。若有“見龍”之德,則為“利見”九五在上之“大人”矣。

朱熹《周易本義》はいう:「二」は下より上に数える第二爻を指す。以後みなこのように称呼する。九二は剛強勁健にして、また下卦の中に居りて徳性が純正である。すでに潜伏を走出し隠居の状態を離れ、恩沢は万物に施及する。よって万物の楽しみ見る対象と成る。だからその象辞は「見龍在田」、占辞は「利見大人」である。九二はまだ応有の地位を得ていないが、大人の徳行はすでに顕著である。尋常の人はこの称呼を担当しえない。だからこの一爻の変動に碰上する人は、ただこういう人物を見るに宜しいのみである。ここで言うのもまた下位に居る大人である。これは爻と占筮する人とを互いに主客として立説するもので、自ら一種の体例を成す。もし占筮者本人が「見龍」のごとき徳行を具備するならば、彼の宜しく見るべき者は、高く上位に居る九五の「大人」である。

程傳田,地上也。出現於地上,其德已著。以聖人言之,舜之田漁時也,利見大德之君,以行其道;君亦利見大德之臣,以共成其功;天下利見大德之人,以被其澤。大德之君,九五也。乾坤純體,不分剛柔,而以同德相應。

程頤《伊川易伝》はいう:「田」は即ち地面の上である。龍が地面上に顕現すれば、その徳性はすでに彰著である。聖人をもって比方すれば、あれは正に舜が暦山で田を耕し雷沢で魚を捕えたときである。彼は大徳の君主を見るに宜しく、自己の主張を推行せんとする。君主もまた大徳の臣子を見るに宜しく、ともに功業を成就せんとする。天下人はこの大徳の人を見るに宜しく、その恩沢を承受せんとする。言う所の大徳の君主は九五を指す。乾坤両卦は純粋一体の卦で、別の卦のごとく剛爻柔爻を分けて「応与」に配するを要せず、同類の徳性に憑って彼此呼応する。

集說鄭氏康成曰,二於三才為地道,地上即田,故稱“田”也。干氏寶曰:二為地上,在地之表,陽氣將施,聖人將顯,故曰“利見大人”。

集説に鄭玄を引く:天地人「三才」に按じて爻位を分配すれば、二爻は地道に属す。地の上は即ち田である。だから「田」と称する。集説に干宝を引く:二爻は地面の上を代表し、大地の表層に処る。陽気はまさに施布せんとし、聖人はまさに顕達せんとする。だから「利見大人」という。

孔氏穎達曰:陽處二位,故曰九二。陽氣發見,故曰“見龍”。田是地上可營為有益之處,陽氣發在地上,故曰“在田”。初之與二,俱為地道。二在初上,所以稱田。

集説に孔穎達を引く:陽爻が第二の位置に処る。だから「九二」と呼ぶ。陽気が顕発して出る。だから「見龍」と呼ぶ。「田」は地面上で耕作経営して收益を生じうる場所である。陽気が地面上に顕発する。だから「在田」と呼ぶ。初爻と二爻は同じく地道に属し、二爻はまた初爻の上頭にある。ゆえに専ら「田」をもってそれを称呼する。

“見龍在田”,是自然之象。“利見大人”,以人事托之。言龍見在田之時,猶似聖人久潛稍出,雖非君位,而有君德,故天下眾庶,“利見”九二之“大人”。先儒云,若夫子教於洙泗,利益天下,有人君之德,故稱“大人”。

「見龍在田」の講ずるは自然界の形象で、「利見大人」は人事を借りて寄托する。意は言う:龍が田野の上に顕現するとき、聖人が久しく潜隠を経て略微に露面するに比す。まだ君位に坐してはいないが、すでに君主の徳性を具備する。だから天下の百姓はみな九二のこの「大人」を見るに宜しい。前代学者は言う:たとえば孔子が洙水・泗水の間において講学授徒し、天下に惠及して人君の徳性を具備したがごとし。ゆえに彼をもまた「大人」と称した。

蔡氏清曰:凡“大人”皆是德位兼全之稱。九二雖未得位,而“大人”之德已著,所謂居仁由義,“大人”之事備矣,故亦謂之“大人”。

集説に蔡清を引く:凡そ「大人」と称するは、もともと徳行と地位の両样が具った称呼である。九二はまだ相応の地位を得ていないが、「大人」の応有の徳行はすでに顕著である。正に《孟子》のいう「居仁由義」——仁に安処し義を遵行する——のごとく、「大人」を為す分内の事はすでに斉備する。だから彼をもまた「大人」と呼ぶ。

九三,君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。

九三爻辞:君子は終日勤勉して懈らず、晩に至ってもなお警惕小心する。処境は危険だが、災禍を招来しない。

本義九,陽爻。三,陽位。重剛不中,居下之上,乃危地也。然性體剛健,有能乾乾惕厲之象,故其占如此。君子,指占者而言。言能憂懼如是,則雖處危地而“無咎”也。

朱熹《周易本義》はいう:「九」は陽爻を表示し、「三」は陽位である。陽爻が陽位に居り、剛の上に剛を加えてしかも中に居らず、位置は下卦の最も上頭にあり、正に一処の険地である。ただしその性質と体質はともに剛健で、終日勤勉・朝夕戒惧の形象を具備する。だから占辞はこのように断ずる。ここの「君子」は、占筮する人に就いて言う。意は言う:能くこのように心に憂惧を懐けば、たとえ険地に身処しても災禍はない。

程傳三雖人位,已在下體之上,未離於下而尊顯者也,舜之玄德升聞時也。日夕不懈而兢惕,則雖處危地而無咎。在下之人,而君德已著,天下將歸之,其危懼可知。雖言聖人事,苟不設戒,則何以為教?作《易》之義也。

程頤《伊川易伝》はいう:三爻は人位に属するが、すでに下体の最上層に処する。まだ下位を離れないが声名はすでに尊顕である。正に舜の潜蔵する徳行が朝廷に上聞したあの時候のごとし。早より晩まで松懈を肯んじず、終始戦戦兢兢たれば、たとえ険地に身処しても禍を招かない。身份はなお下位にありながら、君主のごとき徳行はすでに昭著である。天下人はまさに彼に帰附せんとす。彼の心裡の危惧は想い知るべし。この一爻の講ずるは聖人の事だが、もし告戒を立てなければ、何をもって人に教えよう。これ正に《周易》を作る用意の所在である。

集說鄭氏康成曰,三於三才為人道,有乾德而在人道,君子之象。孔氏穎達曰,以陽居三位,故稱九三。以居不得中,故不稱“大人”。陽而得位,故稱“君子”。在憂危之地,故“終日乾乾”。言終競此日,健健自強,不有止息。“夕 龔氏原曰:三居下體之上,當危懼之時,唯自強不息,戒謹恐懼,可以免咎。

集説に鄭玄を引く:天地人「三才」に按じて爻位を分配すれば、三爻は人道に属す。乾の徳性を具備してまた人道に立身するは、正に君子の形象である。集説に孔穎達を引く:陽爻をもって第三位に居る。だから「九三」と称す。処する位置が中に居らないから、「大人」と称さない。陽爻にしてまた当位する。だから「君子」と称す。憂危の地に処する。だから「終日乾乾」という。意は早より晩まで整整一日、剛健自強して停歇しない。以下「夕」の字の後、底本に脱文がある。集説に龔原を引く:三爻は下体の最上層に処し、正に危惧のときに当たる。ただ自強して息まず戒慎恐懼するのみが、災禍を避けうる。

楊氏時曰:乾之九三,獨言“君子”,蓋九三,人之位也。履正居中,在此一爻。故《文言》於九四,則曰“上不在天,下不在田,中不在人”,於九三止言“上不在天,下不在田”而已。其曰君子行此四德者,蓋乾之所謂君子也。

集説に楊時を引く:乾卦六爻の裡で九三のみが「君子」に提及する。あれは九三が正に人の居る位置だからである。すでに正位を踏み、また人道の中に居る。まさにこの一爻の上である。だから《文言伝》は九四を講じて「上は天に在らず、下は田に在らず、中は人に在らず」という。上は天位に及ばず、下は田位を離れ、中間も人位に在らず。九三を講じてはただ「上は天に在らず、下は田に在らず」とのみ言い、「中は人に在らず」とは言わない。《文言伝》のいわゆる「君子此の四徳を行う」、元亨利貞のこの四徳を践行するは、正に乾卦の言うあの君子である。

《朱子語類》問:伊川云,雖言聖人事,苟不設戒,何以為教?竊意因時而“惕”,雖聖人亦有此心。曰:“《易》之為書,廣大悉備,常人皆可得而用,初無聖凡之別,但當著此爻,便用競競戒惕。”

《朱子語類》に載す:或る人が問う、程頤は「この一爻の講ずるは聖人の事だが、もし告戒を立てなければ何をもって人に教えよう」と言うが、私は私かに思うに、時勢に随って警惕の心を生ずるは、聖人も同様に有するのではないか。朱熹は答える:《周易》のこの書は広大にして完備し、尋常の人もみな用い得る。もともと聖人と凡人を分けない。ただこの一爻を占得すれば、戦戦兢兢として戒惧すべきである(「競競」は「兢兢」とすべし)。

故氏炳文曰:凡卦爻有占無象,象在占中;有象無占,占在象中。如乾初、二、四、五、上,分象與占;九三“終日乾乾夕惕若”,皆占辭也,而象在其中。

集説に胡炳文を引く(「故氏」は「胡氏」とすべし):凡そ卦爻辞は、あるものは「占辞」のみあって「象辞」を見ず、あれは象が占の裡に包まれているのである。あるものは象辞のみあって占辞を見ず、あれは占が象の中に含まれているのである。たとえば乾卦の初九・九二・九四・九五・上九は、象と占が分かれて書かれている。九三は「終日乾乾夕惕若」というが、通篇みな占辞であって、象はすでにその裡に含まれている。

九四,或躍在淵,無咎。

九四爻辞:龍は或いは一躍して起き、或いは依然として深淵の裡に留まる。進退いずれにしても災禍を招来しない。

本義“或”者,疑而未定之辭。“躍”者,無所緣而絕於地,特未飛爾。“淵”者,上空下洞,深昧不測之所。龍之在是,若下於田,“或躍”而起,則向乎天矣。九陽四陰,居上之下,改革之際,進退未定之時也。故其象如此,其占能隨時進退,則“無咎”也。

朱熹《周易本義》はいう:「或」は遅疑未定の語気詞である。「躍」は憑藉する所なく騰がりて地面を離れるが、ただまだ飛び起きていないだけである。「淵」は上は空濶にして下は幽深で、晦暗にして測度し難き場所である。龍が深淵の裡に待つのは、先前に田野の上に待ったがごとし。いったん身を躍らせて起きれば、天上に向かう。九は陽爻、四は陰位で、それは上体の最下層に処し、正に上下変革交接の時刻に当たり、進むも定まらず退くも定まらぬ関口である。だからその象辞はこのように書き、占辞の意は言う:能く時勢に随って進退を決定すれば、災禍を招来しない。

程傳“淵”,龍之所安也。“或”,疑辭,謂非必也。“躍”,不“躍”,唯及時以就安耳。聖人之動,無不時也,舜之歷試時也。

程頤《伊川易伝》はいう:「淵」は龍の安身する場所である。「或」は遅疑の語気で、必ずしもこのようでないを表示する。躍起するもよし、躍起しないもよし、ただ能く時に及んで安頓の所を見出すか否かを見るのみである。聖人の毎回の挙動に時宜に合わざるはない。この一爻は正に舜が堯の多方の考験を受けたあの時期のごとし。

集說干氏寶曰,“躍”者,暫起之言。孔氏穎達曰:“或”,疑也、“躍”,跳躍也。言九四陽氣漸進,似若龍體欲飛,猶疑或也。躍於在淵,未即飛也。

集説に干宝を引く:「躍」はしばらく騰起する意である。集説に孔穎達を引く:「或」は疑って未だ決せず、「躍」は上に向かい跳起する。これは九四の陽気が一歩々々上進して、見れば龍身が飛起せんとするようだが、なお猶豫未決しているという。それはただ深淵の裡で躍動するのであって、直ちに飛び去るのではない。

程氏迥曰:初與二既皆稱龍,此爻雖不稱龍,即上文知其為龍也。亦猶“大壯”九三“羝羊觸藩贏其角”,而九四不言羊,知“藩決不羸”即羊也。李氏過曰,“躍”者,未飛而習飛者也。

集説に程迥を引く:初九と九二はすでにともに龍に提及した。この一爻は「龍」の字が出現しないが、上文より言う所が依然として龍であることを知る。これはちょうど《大壮》卦九三の「羝羊藩に触れてその角を羸れる」——雄羊が籬笆に衝撞して角が纏まれる——を言い、九四に至り羊を再提しないが、「藩決まりて羸れず」——籬笆が衝き開かれて角はもはや纏まれず——のこの句より、言う所がなおあの羊であることを知るがごとし。集説に李過を引く:いわゆる「躍」とは、まだ真に飛ばず、まさに飛翔を練習しているものである。

林氏希元曰:《本義》進退未定之時,通承上文九陽四陰居上之下改革之際三句說。蓋以爻與位言,九陽爻,四陰位,陽主進,陰主退,是進退未定也。以上體言,四居上之下,居上欲進,居上之下,則又未必於進,亦進退未定也。以上下二體言,四初離下體,入上體,是為改革之際,亦進退未定也。故總承之曰,進退未定之時。

集説に林希元を引く:《周易本義》の講ずる「進退未定の時」は、上文の「九陽四陰」「上の下に居る」「改革の際」の三句を総承して言うのである。爻と位に就いて言えば、九は陽爻、四は陰位で、陽の趨向は進、陰の趨向は退。これが進退未定である。上体に就いて言えば、四爻は上体の最下層に処し、すでに上体に入れば前進しようと思うが、それはまた上体の最下層にのみ在れば、未だ必ずしも真に前進しえない。これも進退未定である。上下両体に就いて言えば、四爻は剛に下体を離れて上体に入り、正に上下が交替変革する関口で、同様に進退未定である。だから《本義》は総じて一句「進退未定の時」と言ったのである。

又曰:“或躍在淵”,將進而未必於進也。未必於進,非不進也。審進退之時,必時可進,然後進也。是謂隨時進退。

林希元またいう:「或躍在淵」は、まさに前進せんとして未だ必ずしも真に前進しない。いわゆる未必前進は、前進しないと等同ではない。進退の宜しき時機を審察し、必ず時勢が前進しうるを俟って、然る後に進む。これを時勢に随って進退を決定すると呼ぶ。

陳氏琛曰:九四以陽居陰,本非躁進之資。又居上之下,適當改革之時。是其欲進以有為,而商度之未決。蓋將待時而出,見可而動也。有如龍之“或躍在淵”焉。其象如此,占者誠能隨時進退,則其進也非貪位,退也非沽名。可以投事幾之會,可以免失身之辱,何“咎”之有哉?

集説に陳琛を引く:九四は陽爻をもって陰位に居る。もともと急躁冒進の材質ではない。また上体の最下層に処し、ちょうど変革交接のときに赶上した。だからそれは前進して作為あらんと欲するが、心裡はなお斟酌して決断せず、時機を等候して出て、可行を看准して行動せんと打算する。ちょうど龍の「或躍在淵」するがごとし。その象はすでにこのようであれば、占筮する人が果たして能く時勢に随って進退を決定すれば、彼の前進は爵位を貪るに非ず、退避は沽名釣誉に非ず。事機の関口に赶上しうると同時に、操守を喪失する恥辱を免れうる。なんの災禍かあらん。

上九,亢龍有悔。

上九爻辞:龍は飛びて高きに過ぎ、すでに窮極の地に至り、よって悔恨あるべし。

本義“上”者,最上一爻之名。“亢”者,過於上而不能下之意也。陽極於上,動必“有悔”,故其象占如此。

朱熹《周易本義》はいう:「上」は最も上のあの一爻の名称である。「亢」は升りて高きに過ぎ、再び下り来る能わざるの意である。陽気は最も上頭に至りてすでに窮極し、一動すれば必ず悔恨を生ず。だからその象辞と占辞はこのように書く。

程傳九五者,位之極。中正者,得時之極,過時則“亢”矣。上九至於亢極,故“有悔”也。有過則有悔,唯聖人知進退存亡而無過,則不至於悔也。

程頤《伊川易伝》はいう:九五は爻位の頂点、中正は即ち得時の頂点である。いったんこの時機を越過すれば、即ち「亢」である。上九はすでに亢極の地步に至った。だから「悔あり」。過失あれば悔恨あり。ただ聖人のみが進むべし退くべし・存すべし亡すべしの分寸を懂りて過失を犯さず、悔恨を生ずるに至らない。

集說王氏肅曰:窮高曰“亢”,知進忘退,故悔也。郭氏雍曰,九三過而“惕”,故“無咎”。上九過而“亢”,故“有悔”。然則龍德莫善於惕,而莫不善於亢也。

集説に王粛を引く:高くして再び高くすべきなきを「亢」と呼ぶ。ただ前進を知りて後退を忘る。だから悔を生ず。集説に郭雍を引く:九三は剛に過ぐるも警惕を保ちうる。だから禍を招かない。上九は同様に剛に過ぐるも一味に升高するのみ。だから悔恨あらん。このように見れば、龍の徳性の裡で最も善いのは警惕で、最も善からぬは亢進である。

《朱子語類》云:若占得此爻,必須以亢滿為戒。當極盛之時。便須慮其亢,如這般處,最是《易》之大義,大抵於盛滿時致戒。

《朱子語類》はいう:もしこの一爻を占得すれば、必ず高亢盈満をもって警戒としなければならない。極盛のときに当たりては、すなわち予め亢極の禍患を考慮せねばならぬ。この類のところは、最も《周易》の大義の所在を見出しうる。それは大体つねに人の盛満得意のときに告戒を下すのである。

總論范氏仲淹曰:九二君之德,九五君之位,成德於其內,得位於其外,餘爻則從其進退安危之會言之。饒氏魯曰:一爻有一爻之中,如初則以“潛”為中,二則以“見”為中,三則以“乾”、“惕”為中,四則以“或躍”為中。卦有才、有時、有位不同,聖人使之無不合乎中。

総論部分:范仲淹はいう——九二は君主の徳性を具備し、九五は君主の位置を占拠する。一つは内において徳行を成就し、一つは外において地位を得到した。其余の各爻はそれらの進退安危の時機に就いて立論する。総論にまた饒魯を引く:毎一爻にみなこの一爻に属する「中」がある。たとえば初九は潜蔵をもって中とし、九二は顕現をもって中とし、九三は勤勉戒惕をもって中とし、九四はまさに躍らんとして未だ躍らざるをもって中とする。各卦の材質・時勢・位置は各々相同じでないが、聖人は毎一爻をして中道に合せざるなきを得しめる。

本義用九,言凡筮得陽爻者,皆用九而不用七,蓋諸卦百九十二陽爻之通例也。以此卦純陽而居首,故於此發之。而聖人因繫之辭,使遇此卦而六爻皆變者,即此占之。

「九を用いるに、群龍に首なきを見る、吉」のこの条の経文は底本に脱漏し、以下直ちに注文に接続する。朱熹《周易本義》はいう:いわゆる「用九」とは、凡そ占筮して陽爻を得る者は、一律に九を取りて七を取らず、これは六十四卦の百九十二の陽爻が共通する条例である。乾卦は純粋に陽爻にしてまた全書の首に排す。だからここにおいてこの条の通例を点出する。聖人はここにそれに一句の辞を繫いで、この卦を占得して六爻が全部変動する人に、この言をもって吉凶を断ぜしめる。

蓋六陽皆變,剛而能柔,吉之道也。故為“群龍無首”之象,而其占為如是則吉也。《春秋傳》曰,乾之坤曰“見群龍無首言”,蓋即純坤卦辭,“牝馬之貞”,“先迷後得”,“東北喪朋”之意。

六つの陽爻が全部変動するは、剛強にして能く柔順に転ずるに等しい。あれは正に吉に趨る路数である。だから「群龍無首」を象に取る。一群の龍がみな頭を争い出さない。占辞の意は能くこのようであれば吉を得るという。《左伝》に記す:乾卦が坤卦に変ずるとき「群龍に首なきを見る」という(「无首言」の「言」は「吉」とすべし)。これもまた純坤卦辞の「牝馬之貞」——母馬のごとく柔順にして正を守る——、「先迷後得」——先に搶えば迷失し随後して所得ある——、および「東北喪朋」——東北に往けば同類を捨棄する——のあの層の意に正に合する。

程傳用九音,處乾剛之道,以陽居乾體,純乎剛者也,剛柔相濟為中,而乃以純剛,是過乎剛也。“見群龍無首”,謂觀諸陽之義,為無首則吉也。以剛為天下先,凶之道也。

程頤《伊川易伝》はいう(「用九音」の「音」は「者」とすべし):いわゆる用九は、乾道の剛強を処理する方法を講ずる。陽爻をもって乾体に居るは、あれは純粋の剛である。剛と柔が互相調剤してはじめて中道と呼ぶ。今は一味に純剛のみ。即ち剛の過頭である。「群龍に首なきを見る」とは、衆陽爻の意義を体察して、争い先んじて頭を出さざるを得れば吉を得るという。剛強に憑って天下人の前頭に搶るは、あれは凶を招く路数である。

集說朱子答虞士朋曰:用九用六,當從歐公說,為揲蓍變卦之凡例。蓋陽爻百九十二,皆用九而不用七;陰爻百九十二,皆用六而不用八也。特以乾坤二卦純陽純陰,而居篇首,故就此發之,此歐陽公舊說也。

集説に朱熹が虞士朋に答えた信を引く:用九・用六は欧陽脩の講法に依照し、それを揲蓍して卦を求め卦爻変動する通行の条例と見るべきである。全書の陽爻は共に百九十二で、一律に九を取りて七を取らず、陰爻も共に百九十二で、一律に六を取りて八を取らない。ただ乾坤両卦は一つは純陽・一つは純陰で、また全書の開頭に排す。だからここにおいて条例を点破する。これは欧陽脩の旧説である。

而愚又嘗因其說而推之,竊以為,凡得乾而六爻純九,得坤而六爻純六者,皆當直就此例,占其所繫之辭,不必更看所變之卦。《左傳》蔡墨所謂“乾之坤曰見群龍無首”者,可以見其一隅也。

私はまたかつて彼の説法に順って下に推し、私かに思うに:凡そ乾卦を占得して六爻が全部老陽なるか、あるいは坤卦を占得して六爻が全部老陰なる者は、みな直ちにこの条の通例に按じ、「用九」「用六」の繫いだ辞に就いて断ずべきで、変じて成ったあの一卦を再び見るを要しない。《左伝》の裡の蔡墨の言う「乾卦変じて坤卦と作る、その辞は『群龍に首なきを見る』」は、この一処より一斑を窺い見うる。

又《語類》云:荊公言用九只在上九一爻,非也。六爻皆用九,故曰“見群龍無首,吉”。用九便是行健處。林氏希元曰:用九本是陽爻之通例,然於乾卦六爻之後發之,便是指乾卦六爻用九。

《朱子語類》またいう:王安石は用九を講じてただ上九一爻に落とす。これは誤りである。六爻はみな九を用いる。だから「群龍に首なきを見る、吉」と言う。一群の龍の誰も頭を争い出さぬを見るは、即ち吉である。用九は正に剛健運行の所在である。集説に林希元を引く:用九はもともと所有の陽爻の共通の条例だが、それを乾卦六爻の後に安排して点出したのは、即ち乾卦のこの六爻に就着いて用九を講ずるのである。

又曰,或疑“無首”之“吉”,剛而能柔則言也。牝馬之利,順而能健則利也。剛而能柔,與順而健者,性體自是不同。而《春秋傳》曰,乾之坤曰“見群龍無首吉”,何也?

林希元またいう:或る人が疑う——「无首」の吉なる所以は、剛強にして能く柔に転ずるがゆえであり、坤卦「牝馬」の利なる所以は、柔順にして能く剛健するがゆえである。剛にして能く柔なると順にして能く健なると、この二種の性質は本体上もともと同じでない。しかるに《左伝》は乾卦変じて坤卦と作るときその辞は「群龍に首なきを見る、吉」と言う。これはまたどう解釈するか。

曰,乾變之坤,雖為坤之所為,然本自剛來,與本是坤者不同。故乾“無首”之“吉”,終不可同於坤“牝馬之貞”。坤“永貞”之“利”,終不可同於乾之“元亨”。聖人不教人即所變之卦以考其占,而別著自此至彼之象占者,正以其有不可同耳。

彼自身が回答する:乾が変じて坤と成るは、坤の為す所の事を為すが、それはもともと剛のあの辺より来たもので、もともと坤であるものとは同じでない。だから乾卦「无首」の吉は、終に坤卦「牝馬之貞」の守正と等同できない。坤卦「永貞」の利も、終に乾卦の「元亨」と等同できない。聖人は人に教えて直ちに変じて成ったあの一卦を取って考求占断せしめず、別にこの一卦よりあの一卦への象と占を書き出した。正に両者の間に混同しえざるところあるがゆえである。

案爻辭雖所以發明乎卦之理,而實以為占筮之用,故以九六名爻者取用也。爻辭動則用,不動則不用。卦辭則不論動不動而皆用也。但不動者,以本卦之彖辭占;其動者,則合本卦變卦之彖辭占。如乾之六爻全變則坤,坤之六爻全變則乾也。

李光地按する:爻辞は固より一卦の義理を闡発するに用いられるが、実はさらに占筮に取用に供するものである。だから「九」「六」をもって爻に名づけるに、取るのは正に「用」の意である。爻辞は爻が変動するとき取用し、変動せざれば取用しない。卦辞は動とも不動ともを論ぜずみな取用する。ただ変動しないものは本卦の彖辞をもって占し、変動するものは本卦と変卦の彖辞を合わせて占する。たとえば乾卦六爻が全変すれば坤卦と成り、坤卦六爻が全変すれば乾卦と成る。

先儒之說,以為全變則棄奉卦而觀變卦,而乾坤者天地之大義,乾雖變坤,未可純用坤辭也;坤雖變乾,未可純用乾辭也。故別立用九用六,以為皆變之占辭。此其說亦善矣。以理揆之,則凡卦雖全變,亦無盡棄奉卦而不觀之理,不獨乾坤也。故須合本卦變卦而占之者近是。

前代学者の講法は:六爻が全変すれば本卦を丟き開いてただ変卦のみを見る(「奉卦」は「本卦」とすべし)。しかし乾坤両卦は天地の大義に関わる。乾はたとえ坤に変じても、純に坤の卦辞を用いるべからず。坤はたとえ乾に変じても、純に乾の卦辞を用いるべからず。だから別に「用九」「用六」を立てて、全変の時の占辞とする。この説法もまた不錯と算すべし。ただし道理に按じて推求すれば、凡そ一卦はたとえ全変しても、本卦を完全に丟き開いて見ない道理はなく、単に乾坤のみがこのようではない。だからやはり本卦と変卦を合わせて占するのが、比較的実情に近い。

如此則乾變坤者,合觀乾辭與坤辭而已。坤變乾者,合觀坤辭與乾辭而已。但自乾而坤,則陽而根陰之義也。自坤而乾,則順而體健之義也。合觀卦辭者,宜知此意,故立用九用六之辭以發之,蓋群龍雖現而不現其首,陽而根陰故也。永守其貞而以大終,順而體健故也。

このように辦すれば、乾が変じて坤と成るは、乾辞と坤辞を合わせて見ればそれでよい。坤が変じて乾と成るは、坤辞と乾辞を合わせて見ればそれでよい。ただ乾より坤に走向するは、陽を含んで陰を根とする意を含み、坤より乾に走向するは、柔順を含んで剛健を体とする意を含む。両卦の卦辞を合見する者は、この層の用意を明白にすべきである。だから聖人は別に「用九」「用六」の辞句を立ててそれを点出した:一群の龍は顕現するが、その頭を顕露しない。あれは正に陽にして陰を根とする。長久に正固を守りて広大をもって收尾する。あれは正に柔順にして剛健を体とする。

此亦因乾坤以為六十四卦之通例。如自復而垢,則長而防其消可也。自姤而復,則亂而圖其治可也。固非乾坤獨有此義,而諸卦無之也。聖人於乾坤發之,以示例爾。

これもまた乾坤両卦を借りて六十四卦通行の条例を立てたものである。たとえば《復》卦より《姤》卦に変ずれば(「垢」は「姤」とすべし)、あれは即ち生長の時においてその消退を預防する。乾《姤》卦より《復》卦に変ずれば、あれは即ち禍乱の中においてその治理を謀求する。これで見ればこの層の意は乾坤の独り有するところに非ずして其余の各卦に皆なきにあらず。聖人はただ乾坤両卦においてそれを点破し、もって人に模範を為さしめたのみである。

然乾雖不變,而用九之理自在,故“乾元”無端,即“無首”之妙也。坤雖不變,而用六之理自在,故坤“貞”能“安”,即“永貞”之道也。陰陽本自合德者,交易之機,其因動而益顯者,則變易之用,學《易》者尤不可以不知。

さらに言えば、乾はたとえ変動せずとも、用九の道理は依然として存在する。だから「乾元」は渾然として始なく端なく、正に「群龍無首」の妙処である。坤はたとえ変動せずとも、用六の道理は依然として存在する。だから坤の「貞」は能く「安」なりうる。正に「永貞」の路数である。陰と陽はもともと彼此德を合す。これは「交易」の機括である。しかるに爻の変動によって更加に顕豁し出るは、則ち「変易」の功用である。《周易》を学ぶ者は、この一層に対し特に明白ならざるべからず。

坤卦

坤.坤上.坤下坤,元亨,利牝馬之貞,君子有攸往,先迷後得主利,西南得朋,東北喪朋,安貞吉。

卦画の標注:坤卦は、上体は坤、下体も坤である。卦辞:坤は、大いに亨通し、母馬のごとく柔順にして正を守るに宜しい。君子もし往く所あれば、前に搶えば方向を迷失し、後に随えばはじめて主人を見出してその宜しきに得る。西南方に往けば同類の朋友を得、東北方に往けば同類を捨棄する。正道に安処すれば吉祥を得る。

本義.者,偶也,陰之數也。坤者,順也,陰之性也。注中者,三畫卦之名也,經中者,六畫卦之名也。陰之成形,莫大於地,此卦三畫皆偶,故名坤而象地。重之又得坤焉,則是陰之純,順之至,故其名與象皆不易也。

朱熹《周易本義》はいう:中間に断開するあの一画の横画を「偶」と呼び、陰の数である。「坤」の意は柔順で、あれは陰の本性である。注文裡のあの坤の卦画符号は三画卦の名称、経文裡のあの坤の卦画符号は六画卦の名称である。陰の凝成した形体は大地より大なるなし。この一卦は三道の画がすべて偶画である。だから名を取って坤とし地をもって象とする。それを重畳すれば依然として坤である。即ち陰気の最も純粋・柔順の極点である。だからその名称と取象はいずれも改変しない。

“牝馬”,順而健行者。陽先陰後,陽主義,陰主利。“西南”,陰方。“東北”,陽方。安,順之為也,“貞”,健之守也,遇此卦者,其占為大亨,而利以順健為正。如有所住,則“先迷後得而主”於利。往西南則“得朋”,往東北則“喪朋”。大抵能安於正則吉也。

「牝馬」は即ち母馬で、柔順にしてまた遠行に倦まない。陽は前にあり陰は後にあり、陽は義理を主持し、陰は利益を主持する。「西南」は陰に属する方位、「東北」は陽に属する方位である。「安」は柔順の作為、「貞」は剛健の持守である。この卦を占得する人の占断は大いに亨通して、柔順をもって剛健を加えるを正道とするに利あり。もし往く所あれば(「所住」は「所往」とすべし)、先に方向を迷失し、随後してはじめて主人を見出してその宜しきに帰する。西南に往けば即ち「朋を得」、東北に往けば即ち「朋を喪う」。大体言えば、能く正道に安んずれば吉を得る。

程傳坤,乾之對也,四德同而貞體則異。乾以剛固為貞,坤則柔順而貞。牝馬柔順而健行,故取其象曰“牝馬之貞”。君子所行,柔順而利且貞,合坤德也。陰,從陽者也,待唱而和。陰而無陽,則為迷錯,居後乃得其常也。

程頤《伊川易伝》はいう:坤は乾の対面で、両卦の四徳は相同じい。ただ「貞」の実質のみが同じでない。乾は剛強堅固をもって貞とし、坤は柔順をもって貞とする。母馬は柔順にしてまた善く遠行する。だからそれを取って象とし、「牝馬之貞」という。君子の作為する所は、柔順にしてまた利ありまた正あり。正に坤の徳性に合する。陰は陽に跟従するもので、陽が先に声を発するを俟ってはじめて応和する。陰にもし陽を依傍とせざれば、迷乱錯謬する。後に退居してはじめてその常理に合する。

主利,利萬物則主於坤,生成皆地之功也。臣道亦然。君令臣行,勞於事者,臣之職也。“西南”,陰方。“東北”,陽方。陰必從陽,離喪其朋類,乃能成化育之功,而有“安貞”之“吉”。得其常則安,安於常則貞,是以吉也。

「主利」というに至っては、万物に利益を帯び来すこの事は坤が主持する。生養成就はみな大地の功労だからである。臣子の道もまたこのようである:君主は令を発し、臣子は執行し、具体の事務において操労する。正に臣子の本分である。「西南」は陰に属する方位、「東北」は陽に属する方位である。陰は必ず陽に跟従し、自己のあの一伙の同類を捨開して、はじめて万物を化育する功業を成就し、はじめて「安貞」の吉祥あるを得る。常理に合すれば安穏を得、常理に安んずれば即ち正を守る。ゆえに吉を得る。

集說王氏弼曰:至順而後乃亨,故唯利於“牝馬之貞”,“西南”,致養之地,與坤同道者也,故曰“得朋”。“東北”,反“西南”者也,故曰“喪朋”。陰之為物,必離其黨,之於反類,而後獲“安貞吉”。

集説に王弼を引く:柔順の極処に至りて然る後に亨通しうる。だからただ「牝馬之貞」のごとき守正に利あるのみ。「西南」は万物を養育する地帯で、坤と同じく一路に属す。だから「朋を得」という。「東北」は正に西南と相反する。だから「朋を喪う」という。陰のこの物は、必ず自己の党羽を離れ、自己と相反する一類のあの辺に走り至りて、然る後に「安貞吉」を獲得しうる。

干氏寶曰:行天者莫若龍,行地者莫若馬,故乾以龍繇,坤以馬象。孔氏穎達曰:乾坤合體之物,故乾後次坤。地之為體,亦能始生萬物,各得亨通,故云“元亨”,與乾同也。牝對牡為柔,故云“利牝馬之貞”。不云牛而云馬者,牛雖柔順,不能“行地無疆”,無以見坤之德。馬雖比龍為鈍,而亦能遠,象地之廣育也。

集説に干宝を引く:天上を行くは龍に比するなく、地上を行くは馬に比するなし。だから乾は龍をもって辞を繫ぎ、坤は馬をもって象を取る。集説に孔穎達を引く:乾と坤は合成一体の一対である。だから乾卦の後に緊接して坤卦がある。大地のこの形体もまた万物の開端を生じて、それらを各々亨通せしめうる。だから卦辞は「元亨」といい、乾卦と相同じい。母馬は公馬に相対して言えば柔に属す。だから「牝馬之貞に利し」という。牛を言わず馬を言うのは、牛は柔順なれども《彖伝》のいう「地を行りて疆なし」のごとく大地を遍く走って窮尽なく、坤の徳性を顕出しえないからである。馬は龍より遅鈍なれども、また遠く行きうる。正に大地の広博なる化育を象徴しうる。

“先迷後得主利”者,以其至陰,當待唱而後和。凡有所為,若在物之先,即迷惑。若在物之後,即得主利。以陰不可先唱,猶臣不可先君,卑不可先尊故也。

いわゆる「先には迷い、後に主を得て利あり」(先迷後得主利)とは、坤が最も純粋な陰に属し、理の上で他人の先に口を開くを俟ってはじめて応和すべきだからである。凡そ挙動あるとき、もし別の事物の前頭に搶れば迷惑に陥り、もし別の事物の後頭に落ちれば主人を見出してその宜しきを得る。これは陰が先んじて唱導すべからざるがゆえで、ちょうど臣子が君主の前に搶るべからず、卑下が尊貴の前に搶るべからざるがごとし。

崔氏憬曰:西方坤兌,南方巽離,二方皆陰,與坤同類,故曰“西南得朋”。東方艮震,北方乾坎,二方皆陽,與坤非類,故曰“東北喪朋”。安於承天之正,故言“安貞言”也。

集説に崔憬を引く:後天八卦の方位に按れば、西方は坤と兌、南方は巽と離で、この両方位はともに陰に属し、坤と同類である。だから「西南は朋を得」という。東方は艮と震、北方は乾と坎で、この両方位はともに陽に属し、坤と同類でない。だから「東北は朋を喪う」という。安らかに上天に承奉する正道を守る。だから「安貞吉」という(「安貞言」の「言」は「吉」とすべし)。

張氏浚曰:君造始,臣代終,人臣立事建業,以有為於下。失朋儕之助,有不能獨勝其任者矣,故“西南”以“得朋”為利,若夫立於本朝,左右天子,苟非絕類忘私, 《朱子語類》問:牝馬取其柔順健行,坤順而言健,何也?曰,守得這柔順堅確,故有健象。柔順而不堅確,則亦不足以配乾矣。

集説に張浚を引く:君主は端緒を開創し、臣子はそれに代わって收尾する。臣子たる者が事功を建立し基業を開創するは、下において作為あるものである。もし同僚の助けを失えば、ある事は一人で担当し得るものではない。だから「西南」において「朋を得」るをもって有利とする。身が朝廷に居り天子を輔佐するに至っては、もし私党を断絶し私心を忘掉できなければ……ここで底本に脱文あり。《朱子語類》に載す:或る人が問う——母馬の取るは柔順にして能く遠行することだが、坤は明らかに柔順を講じながらまた剛健を兼ねて講ずるのは何故か。朱熹は答える——この柔順を堅定確実に守りえればこそ剛健の意象があるのであって、柔順にして堅定確実でなければ、それはまた乾と相匹するに足らない。

項氏安世曰:牝取其順,馬取其行。順者坤之“元”,行者坤之“亨”。“利”者宜此而已,“貞”者終此而已。柔順者多不能終,唯牝馬為能終之。“君子有攸往”,此一句總起下文也。“先迷後得主利”,言利在得主,不利為主也。

集説に項安世を引く:「牝」を用いるのは柔順を取り、「馬」を用いるのは能く行くを取る。柔順は即ち坤の「元」であり、能く行くは即ち坤の「亨」である。いわゆる「利」は、不過この両様に適宜なるのみ。いわゆる「貞」は、不過この両様を持して底を堅くするのみ。柔順なるものは多く底を堅くしえないが、ただ母馬のみが底を堅くしうる。「君子攸往あらば」(君子有攸往)のこの一句は、下文を総起する領句である。「先には迷い、後に主を得て利あり」とは、利は主人を見出すに在りて、自ら主人を為すに在らずと言うのである。

楊氏簡曰:君先臣後,夫先妻後。當後而先為迷,迷為失道。君為臣之主,夫為妻之主,後而得主,利莫大焉。王氏申子曰:乾健行,故為馬。坤亦為馬者,坤乾之配,乾行而坤止,則無以承天之施,而成其化育之功,此所謂柔順之貞,坤之德也。

集説に楊簡を引く:君は前にありて臣は後にあり、丈夫は前にありて妻子は後にあり。本当に後に在るべきなのに前に搶るを「迷」と呼び、迷は即ち正道を失うことである。君主は臣子の主、丈夫は妻子の主である。肯んじて後に居りてよって主を見出す——好処はこれより大なるはない。集説に王申子を引く:乾は剛健にして能く行く。だから馬を取って象とする。坤もまた馬を取って象とするのは、坤が乾の配偶だからで、もし乾が走りて坤が停まりて動かなければ、上天の施与を承接し化育の功業を成就する由がない。これが即ちいわゆる柔順の守正であり、正に坤の徳性である。

胡氏一桂曰:“元亨,利牝馬之貞”,已盡坤之全體,“君子”以下,則申占辭也。又曰:彖辭文工所作,“西南得朋”、“東北喪朋”,後天卦位。俞氏琰曰:坤順乾之健,故其占亦為“元亨”。北地馬群,每十牝隨一牡而行,不入它群,是為“牝馬之貞”。坤道以陰從陽,其貞如牝馬之從牡則利,故曰“利牝馬之貞”。

集説に胡一桂を引く:「元亨、牝馬の貞に利し」のこの一句はすでに坤の整体を講じ尽くした。「君子」以下はさらに進んで占断の辞を申説する。彼はまたいう:卦辞は文王の作(「文工」は「文王」とすべし)で、その中の「西南は朋を得」「東北は朋を喪う」は後天八卦の方位を用いたものである。集説に兪琰を引く:坤は乾の剛健に順承する。だからその占断も同様に「元亨」である。北方の馬群は、十匹の母馬ごとに一匹の公馬に跟従して行き、別の群に混入しない。これが即ち「牝馬之貞」である。坤道は陰をもって陽に跟従するを以てし、その守正がもし母馬の公馬に跟従するがごとく能くなれば利あり。だから「牝馬の貞に利し」という。

《易》中凡稱“君子”,皆指占者而言。“有攸往”,謂有所行也。坤從乾而行先乎乾,則迷而失道;後乎乾,則得乾為主而利,故曰“君子有攸往,先迷,後得主利”。

《周易》の裡で凡そ「君子」に提到するは、みな占筮する人を指して言う。「有攸往」とは即ち行動あることである。坤は乾に跟従して行く。もし乾の前を走れば迷失して正道を失い、乾の後を走れば乾を得て自己の主となして宜しき所有る。だから「君子攸往あれば、先には迷い、後に主を得て利あり」という。

朋,坤類也。西南坤之本方,兌離巽皆坤類,是為“得朋”。出而從乾,則東北震艮坎非坤類,是為“喪朋”。君子之出處,隨寓能安,壹是皆以貞自持,蓋無往而不吉,故曰“西南得朋,東北喪朋,安貞吉”。

「朋」は坤と同類の卦を指す。西南は坤本来の方位で、兌・離・巽はみな坤と同類である。これが即ち「朋を得」である。出でて乾に跟従すれば、東北の震・艮・坎は坤と同類でない。これが即ち「朋を喪う」である。君子は出仕するも隠処するも、遇う所に随って安んじ、一概に守正をもって自持する。ゆえにどこに走り至っても吉祥である。だから「西南は朋を得、東北は朋を喪う、安貞吉」という。

蔡氏清曰:若牡馬則全是健,若牝牛則又全是順。牝馬,順而健者也,要非順外有健也。其健亦是順之健也,故曰“安貞”。坤卦,地道也,妻道、臣道也。不順則專而無成,不健則不能配乾。順而健者,坤之正也。

集説に蔡清を引く:もし公馬を言えば、あれは全く剛健である。もし母牛を言えば、あれはまた全く柔順である。母馬は柔順にして剛健を兼ねる。しかるに要緊なのは、それは柔順の外に別に一份の剛健があるのではなく、その剛健もまた正に柔順の裡頭の剛健である。だから卦辞は「安貞」という。坤卦の講ずるは地道、即ち妻たるの道・臣たるの道である。柔順ならざれば専断して一事も成せず、剛健ならざれば乾と相配しえない。柔順にしてまた剛健、これがはじめて坤の正道である。

鄭氏維嶽曰:坤配乾者也,坤之德即乾之德,乃柔順以承之而有終耳。有終為健,故曰“利牝馬之貞”。坤道從乾,乾為坤之主,故先則迷,而後則得其所主。“西南得朋”者,率類以從陽,以人事君之道也,“東北喪朋”者,絕類以從陽,渙群朋,亡之道也。此皆陰道之正而能安之,所以得吉也。

集説に鄭維岳を引く:坤は乾と相配するもので、坤の徳性は即ち乾の徳性である。ただそれは柔順をもって承受し、しかも事情を底まで做し遂げるのみである。能く底まで致すは即ち剛健である。だから「牝馬の貞に利し」という。坤道は乾道に跟従し、乾は坤の主である。だから先に搶れば迷失し、後に退けばはじめて自己の主を見出す。いわゆる「西南は朋を得」とは、同類を帯領してともに陽に帰向する——これは人才を挙薦して君主に事奉する路数である。いわゆる「東北は朋を喪う」とは、同類を断絶して単独に陽に帰向する——即ち《渙》卦の「その群を渙す」あの党羽を散去し私交を忘掉する路数である。これらはみな陰道の正軌にしてまた能くその中に安処する。だから吉祥を獲得する。

喬氏中和曰:坤唯合乾故“得主”,“得主”,故“西南”“東北”,皆利方,“得朋”“喪朋”皆吉事。妻道也,臣道也。妻從夫,臣從君而已矣。

集説に喬中和を引く:坤はただ乾と会合しうるがゆえに「主を得」、すでに「主を得」れば、「西南」もよし「東北」もよし、みな有利の方位と成り、「朋を得」るもよし「朋を喪う」もよし、みな吉利の事と成る。これが講ずるは妻たるの道であり、また臣たるの道である:妻子は丈夫に跟従し、臣子は君主に跟従する。かくのごとくのみ。

案“後得主”,當以孔子《文言》為據。蓋坤者,地道、臣道,而乾,其主也。居“先”則無主,故“迷”;居“後”則得其所主矣。“利”字應屬下兩句讀,言在西南則利於得朋,在東北則利於喪朋也,“得朋”“喪朋”正與上文“得主”相對。

李光地按する:「後に主を得」のこの言は、孔子の《文言伝》の説法をもって依据とすべきである。坤は地道・臣道を代表し、乾は即ちその主である。「先」の位置に占せば主なし。だから「迷」。「後」の位置に占せば自己の依帰する主を見出す。「利」の字は下の两句に連ねて読むべきで、意は西南方において朋類を得るに利あり、東北方において朋類を捨棄するに利ありという。「朋を得」「朋を喪う」は正に上文の「主を得」と両相対照する。

蓋事主者,惟知有主而已,朋類非所私也。然亦有時而宜於得朋者,西南是坤代乾致役之地,非合眾力不足以濟,於是而得朋,正所以終主之事,是得朋即得主也。

何となれば、主上に事奉する人は、心裡にはただ一つの主あるを知るのみで、同類の朋党は彼の私自結納しうるものでないからである。ただし時として「朋を得」るに宜しきもある:西南は坤が乾に代わって力を出し事を辦する地帯で、衆人の力量を集合せざれば辦し成せない。この種の場合に朋類を結交するは、正に主上に替わって事情を做し完るためであれば、「朋を得」もまた「主を得」に等しい。

唯東方者受命之先,北方者告成之候,稟令歸功,己無私焉,而又何朋類之足云?故必“喪朋”而後“得主”也。為人臣者而知此義,則引類相先,不為阿黨睽孤特立,不為崖異。故易卦之爻有曰

ただ東方のみは命令を承受する開頭であり、北方は成功を禀報する時節である。指令を領受し功労を君上に帰還して、自己に毫も私心なし——それでなおなんの朋類かあらん。だから必ず「朋を喪」い、然る後に「主を得」と算す。臣子たる者はもしこの層の道理を懂れば、彼が同類を挙薦し賢を人に譲るは、結党営私と見做されず、彼が孤身特立して己見を独持するも、故意に立異すると見做されない。以下、底本に脱文あり。

初六,履霜,堅冰至。

初六爻辞:脚下に初結の薄霜を踏めば、堅厚の氷層がまもなく到来せんことを知るべし。

本義六,陰爻之名。陰數六老而八少,故謂陰爻為六也。“霜”,陰氣所結,盛則水凍而為冰。此爻陰始生於下,其端甚微,而其勢必盛,故其象如“履霜”則知“堅冰”之將“至”也。

朱熹《周易本義》はいう:「六」は陰爻の名称である。陰の数目の裡、六は老陰、八は少陰である。占筮は変動する老陰を取る。だから陰爻を「六」と呼ぶ。「霜」は陰気が凝結して成ったもので、陰気がいったん盛んになれば水は凍って氷と成る。この一爻は陰気が剛に底下より生じ出たもので、苗头は極めて細微である。しかしその趨勢は必ずますます盛んとなる。だからその象は:薄霜を一踏みすれば、堅氷のまもなく来るを知るべしという。

天陰陽者,造化之本,不能相無;而消長有常,亦非人所能損益也。然陽主生,陰主殺,則其類有淑慝之分焉。故聖人作《易》,於其不能相無者,既以健順仁義之屬明之,而無所偏主,至其消長之際,淑慝之分,則未嘗不致其扶陽抑陰之意焉。蓋所以贊化育而參天地者,其旨深矣。不言其占者,謹微之意,已可見於象中矣。

陰と陽は造化の根本で、誰も誰を離れられない(「天陰陽者」の「天」は「夫」とすべし)。しかしてそれらの消退と生長には自ら常規あり、また人力の増減しうる所に非ず。ただし陽は生養を主管し、陰は肅殺を主管する。両者は品類の上で善と悪の分別ある。だから聖人が《周易》を作るに、凡そ陰陽が彼此欠くべからざるところに属すれば、剛健と柔順・仁と義の類の範疇をもって闡明し、いずれの一辺にも偏向しない。いったん消長の交界・善悪の分野を講ずるに至れば、つねに陽を扶助し陰を抑制する用意を表達することを忘れない。これは天地の化育を賛助し、人をして天地と並び立って三とならしめんがためで、用意は十分に深遠である。この一爻に占辞を写さないのは、細微の処に謹愼する意が、すでに象辞の裡に顕示出ているからである。

程傳陰爻稱六,陰之盛也。八則陽生矣,非純盛也。陰始生於下,至微也。聖人於陰之始生,以其將長則為之戒。陰之始凝而為霜,“履霜”則當知陰漸盛而至“堅冰”矣。猶小人始雖甚散,不可使長,長則至於盛也。集說王氏應轔曰:乾初九,《復》也。“潛龍勿用”,即閉關之義。坤初六,《姤》也。“履霜堅冰至”,即女壯之戒。

程頤《伊川易伝》はいう:陰爻を「六」と称するのは、六が陰気の最も盛んな数だからである。八に至れば陽気が滋生を始め、もはや純粋の盛陰ではない。陰気が剛に底下より生じ出るは極めて細微である。聖人は陰気の初生の時に、それがまさに滋長せんとするを見出したがゆえに、人に替わって告戒を立てた。陰気は最初に凝結して霜と成る。いったん霜を踏めば、陰気が漸々加盛して堅氷と変作するを知るべし。これは小人が起初はなお微弱なれども、その滋長に任せられず、いったん滋長すれば坐大するに比す。集説に王応麟を引く:乾卦の初九は《復》卦に相当し、「潜龍勿用」は正に《復》卦《大象伝》の「関を閉じ」て休養する意に合する。坤卦の初六は《姤》卦に相当し、「霜を履みて堅氷至る」は正に《姤》卦の「女壮」娶るべからずのあの層の告戒に合する。

案陰陽之義,以在人身者言之,則心之神明,陽也;五官百體,陰也。以人之倫類言之,則君也父也夫也,陽也;臣也子也妻也,陰也。心之神明,以身而運;君父之事,以臣子而行;夫之家,以婦而成。是皆天地之大義,豈可以相無也哉?

李光地按する:陰陽の含義は、人身に就いて言えば、心の霊明知覚は陽に属し、五官と全身肢体は陰に属す。人倫に就いて言えば、君主・父親・丈夫は陽に属し、臣子・児女・妻子は陰に属す。心の霊明は身体に靠って施行し、君父の事情は臣子に靠って執行し、丈夫の家は妻子に靠って操持する。これらはみな天地間の大道理で、いずれの一方が他方を缺少しえようか。

然心曰大體,五官百骸,則曰小體。君父與夫,謂之三綱而尊;臣子與妻,主於順從而卑。自其大小尊卑之辨,而順逆於此分,善惡於此生,吉凶於此判矣。誠使在人身者,心官為主,而百體從令。在人倫者,君父與夫之道行,而臣子妻妾聽命焉。則陰乃與陽合德者,而何惡於陰哉?

ただし《孟子》は心を「大体」と呼び、五官百骸を「小体」と呼ぶ。君・父・夫は合わせて「三綱」と称して尊に居り、臣・子・妻は順従を主として卑に居る。この大小尊卑の分辨の裡より、順と逆はここに分かれ、善と悪はここに產生し、吉と凶はここに判定する。果たして能く致さば:人身においては心のこの器官が主を為し全身肢体が号令に聴従し、人倫においては君父と丈夫の道理が推行を得て臣子妻妾が各々命を聴く——ならば陰は正に陽と德を合する一方であって、またなんの理由あって陰を厭悪せんや。

唯其耳目四肢,各逞其欲,而不奉夫天官;臣子妾婦,各行其私,而不稟於君父,則陰或至於乾陽,而邪始足以害正。在一身則為理欲之交戰,而善惡所自起也。

恐るるは耳目四肢が各々自己の欲望を放縦し、心のこの天賦の主宰の差遣に聴従せざること。臣子妻妾が各々自己の私利を謀求し、君主と父親に請命せざること。かくのごとくなれば陰は上に行きて陽を侵犯し、邪悪はここに至ってはじめて正道を妨害するに足る。一人の身に落ちれば、天理と人欲の交戦と成り、善と悪は正にここより発端する。

在國家則為公私之迭乘,而治亂所由階也。故孔子《文言》,以善惡之積,君父臣子之漸言之,意深切矣。然則所謂陽淑陰慝者,豈陰誠慝哉?順於陽則無慝矣。所謂扶陽抑陰者,豈陰必抑哉?有以化之,斯不必抑之矣。此爻所謂“履霜堅冰至”,其大旨如此。

一国に落ちれば、公と私の此起彼伏と成り、治と乱は正にここより逐級に演成する。だから孔子は《文言伝》の裡において、善悪の積累・臣が君を弑し子が父を弑するの漸進の過程をもってこの一爻を講じ、用意は十分に深切である。このように見れば、いわゆる陽善陰悪——陰は当に真に悪なのか。ただ陽に順従すれば、また悪もない。いわゆる陽を扶助し陰を抑制する——陰は抑止せざるべからざるなのか。ただそれを感化する弁法あれば、また抑止を要しない。この一爻の言う「霜を履みて堅氷至る」の大意は、かくのごとし。

推其源流,則堯舜禹危微之儆,《大學》、《中庸》謹獨之戒,與夫《春秋》名分之防,莫不相為表裡。六十四卦言陰陽之際,皆當以是觀之也。

上に遡ってその源流を追えば、堯・舜・禹が心法を伝授した「人心はただ危く、道心はただ微し」(人心惟危道心惟微)の警語、《大学》《中庸》の講ずる愼獨の告戒、および《春秋》一書の名分に対する防範は、みなこの一爻と互いに表裏を為す。六十四卦で凡そ陰陽交接の処を講ずるは、みなこの道理に按じて見るべきである。

六二,直方大,不習無不利。

六二爻辞:正直・端方・宏大にして、刻意に演練学習せずとも、不利なることなし。

本義柔順正固,坤之“直”也。賦形有定,坤之“方”也。德合無疆,坤之“大”也。六二柔順而中正,又得坤道之純者,故其德內“直”外“方”,而又盛“大”,不待學習而無不利。占者有其德,則其占如是也。

朱熹《周易本義》はいう:柔順にして端正堅固、これは坤の「直」である。万物に形体を賦与して各々定則あらしむ、これは坤の「方」である。徳性が無辺無際の天道と相合す、これは坤の「大」である。六二は柔順にしてまた中に居り当位し、坤道の純粋の処を取得した一爻である。だからその徳性は内裏は正直・外表は端方にしてしかも盛大で、学習演練を経ずとも往きて利ならざるなし。占筮する人がもしこういう徳性を具備すれば、占断もまたこのようである。

程傳二陰位,在下,故為坤之主。統言坤道,中正在下,地之道也。以“直、方、大”三者形容其德用,盡地之道矣。由“直、方,大”,故不習而無所不利。“不習”謂

程頤《伊川易伝》はいう:二は陰位で、また下体に処る。だから坤卦の主爻である。総じて言えば坤道は中に居り正を守りて下位に処すことで、これ正に大地の道理である。「直・方・大」のこの三字をもってその徳性と功用を形容すれば、大地の道理は言い尽くされる。直・方・大を具備するがゆえに、演練せずとも利ならざる所なし。「不習」の含義に至っては……ここで底本に脱文あり。

集說王氏通曰:圓者動,方者靜,其見天地之心乎!孔氏穎達曰:以此爻居中得位,極於地體,故盡極地之義。此因自然之性,以明人事。居在此位,亦當如地之所為。

集説に王通を引く:円なるものは動を主とし、方なるものは静を主とする。この一動一静の裡より、大概天地の本心を窺見しうる。集説に孔穎達を引く:この一爻は中に居りてまた当位し、大地の体性を極致に発揮する。だから地道の含義を講じ尽くしうる。これは自然の本性を借りて人事を闡明する:人がこういう位置に処れば、また大地のごとく行事すべきである。

沈氏該曰:“坤至柔而動也剛”,直也;“至靜而德方”,方也:“含萬物而化光”,大也。坤之道,至簡也,至靜也,承天而行,順物而成,初無假於修習也,是以“不習無不利”也。

集説に沈該を引く:《文言伝》は「坤は至柔にして動きて剛なり」と講じ、坤は極めて柔弱にして一たび動き起これば剛強——これが「直」である。「至静にして徳方なり」と講じ、極めて安静にして徳性端方——これが「方」である。《彖伝》は「万物を含みて化光なり」と講じ、万物を包容して化育広大——これが「大」である。坤の道理は、簡易の極点・安静の極点で、上天を承奉して運行し、万物に順応して成就する。もともと後天の修習に借助を要しない。だから「習わずとも利ならざるなし」という。

《朱子語類》云:坤卦中惟這一爻最純粹。蓋五雖尊位,卻是陽爻,破了陣了。四重陰而不中,三又不正,唯此爻得中正,所以就這說個“直方大”。此是說坤卦之本體。然而本意卻是教人知道這爻有這個德,不待學習而“無不利”。人占得這個時,若能“直”能“方”能“大”,則亦“不習無不利”,卻不是要發明坤道。

《朱子語類》はいう:坤卦六爻の裡でただこの一爻が最も純粋である。五は尊位なれども、それの占するは陽位で、陣脚はすでに破られた。四は重陰にしてまた中に居らず。三は中に居らず当位せず。ただこの一爻のみがすでに中に居りてまた当位する。だからそれに就着いて「直方大」の三字を説き出す。これは固より坤卦の本体を講ずるなれども、しかし本意は人をしてこの一爻がこういう徳性を具備し、学習演練せずとも「利ならざるなし」なるを知らしめんと欲するに在る。人がこの一爻を占得するとき、もし自己が直を做し得・方を做し得・大を做し得れば、同様に「習わずとも利ならざるなし」なりえて、単に坤道を闡発するがための説に非ず。

蔡氏清曰:《乾》九五一爻,當得乾一卦。蓋乾,孔子以為得天位、行天道、而致太平之占,正是聖人作而萬物睹者,故“時乘六龍以御天”。而致萬國之咸寧者,唯九五一爻足以當之。

集説に蔡清を引く:《乾》卦の九五この一爻は、整個の乾卦に抵う。乾卦は孔子により天子の位を占得し天道を推行して太平を招来する占断と看倣されたがゆえで、正に《文言伝》のいう「聖人作りて万物睹る」——聖人が興起して万物がみな瞻仰に来る局面である。だから《彖伝》は「時に六龍に乗りて以て天を御す」という。天下万国をして安宁を得せしめうるは、ただ九五この一爻のみが担当しうる。

若《坤》之六二,柔順中正,得坤道之純,是又當得一全坤也。若初則陰之微,上則陰之極,三則不中且不正,四則不中,五則不正,唯六二之柔順中止,為獨得坤道之純。

《坤》卦の六二に至っては、柔順にして中に居り当位し、坤道の最も純粋なる一面を取得する。あれもまた一整个の坤卦に抵う。初六は陰気がなお微弱、上六は陰気がすでに尽頭に至り、六三は中に居らず当位せず、六四は中に居らず、六五は当位せず。ただ六二のみが柔順にして中に居り当位し(「中止」は「中正」とすべし)、独り坤道の純粋を得たと算すべし。

又曰:直不專主靜,只是存主處,故曰六二之動。直方可分內外,不可專分動靜。唐氏鶴徵曰:“直”而“大”者,乾之德也。坤無德,以乾之德為德。故乾性直,坤亦未嘗不直;乾體圓,坤則效之以方。德合無疆,則與乾並其大矣。唯以乾之德為德,故“不習”而”無不利”,所謂“坤以簡能”者如此。

蔡清またいう:「直」は単に静の一面を指すのではなく、それの言うは心裡に主宰ある所である。だから《文言伝》は「六二の動き、直にして方なり」と講じ、発動の処に就いて言う。直と方は内と外に分けうるが、硬く動と静に分つべからず。集説に唐鶴徴を引く:「直」と「大」はもと乾の徳性である。坤自身には別の一套の徳性なく、乾の徳性を取って自己の徳性とする。だから乾の性質は直なれば、坤もまた直ならざらず。乾の形体は円なれば、坤はそれを倣効して方を取る。徳性が無辺無際の天道と相合すれば、また乾と同じく広大である。正にそれが乾の徳性をもって徳性とするがゆえに、「習わず」にして「利ならざるなし」。《繫辞伝》のいう「坤は簡をもって能くす」——坤は簡約に憑って能事を成就する——は、この道理である。

案乾為圓則坤為方,方者坤之德,與圓為對者也,故曰至靜而德方。若直則乾德也,故曰“夫乾其動也直”。大亦乾德也,故曰“大哉乾元”。今六二得坤德之純,方固其質也,而始曰“直”終曰“大”者,蓋凡方之物,其始必以“直”為根,其終乃以“大”為極。

李光地按する:乾は象を円に取り、坤は象を方に取る。方は坤の徳性で、正に円と相対する。だから《文言伝》は「至静にして徳方なり」という。「直」に至っては、もと乾の徳性である。だから《繫辞伝》は「それ乾はその動きや直なり」という。「大」も同様に乾の徳性である。だから《彖伝》は「大なるかな乾元」と讃嘆する。今、六二は坤徳の純粋を取得した。方は固よりその本質だが、爻辞はしかし先に「直」を言い、末に「大」を言う。あれは凡そ方なるものは、起頭において必ず「直」をもって根柢とし、末了に至ってはじめて「大」をもって極致とするがゆえである。

故數學有所謂線而體者,非線之直,不能成面之方。因面之方而積之,則能成體之大矣。坤唯以乾之德為德,故因“直”以成“方”,圍“方”以成“大”,順天理之自然,而無所增加造設於其間,故曰“不習無不利”。

だから算学に線より面に至り、面より体に至るという説法がある:線の笔直なければ面の方正を構成せず、方正の面を累積してはじめて形体の宏大を構成しうる。坤は正に乾の徳性をもって徳性とするがゆえに、「直」に憑って「方」を成就し、「方」を囲攏して「大」を成就し、一路天理の自然に順い、中間にいかなる人為の造作をも添加しない。だから「習わずとも利ならざるなし」という。

習者重習也,乃增加造沒之意。“不習無不利”。即所謂“坤以簡能”者是也。若以不習為無藉於學,則所謂“敬以直內,義以方外”者,豈無所用其心哉?

「習」は反復演練の意で、造作を添加する味道を含む(「造没」は「造設」とすべし)。「習わずとも利ならざるなし」は、正に《繫辞伝》のいう「坤は簡をもって能くす」のあの一層の意である。もし「不習」を理解して学問を要せざるとなさば、《文言伝》の講ずる「敬をもって内を直くし、義をもって外を方くす」——恭敬をもって内心を正直ならしめ、道義をもって行為を端方ならしむ——は、人の工夫し用心するを要せざるならんや。

六三,含章可貞,或從王事,無成有終。

六三爻辞:内に含む文采を収斂すれば、正固を守持すべし。時に出でて君王の交付する政事を辦理し、功労を自己の成就に算せずとも、好い結局あるべし。

本義六陰三陽,內含章美,可貞以守。然居下之上,不終含藏,故或時出而從上之事,則始雖“無成”,面後必“有終”。爻有此象,故戒占者有此德,則如此占也。

朱熹《周易本義》はいう:六は陰爻、三は陽位で、陰爻が陽位に居り、内裏に文采の美を含み、正固を守持してそれを蔵住しうる。ただしこの一爻は下体の最上層に処り、一直に隠蔵し下がるはずはない。だから時にも出でて上頭の交下する政事を承辦する。ならば起初は「成なく」(無成)、功労を自己の名下に記さないが、往後は必ず「終あり」(有終)、好い結局を得べし(「面后」は「而后」とすべし)。この一爻はこういう象を具備する。だから占筮する人に告戒する:ただこういう徳性を具備してこそ、こういう占断に配得上る。

程傳三居下之上,得位者也。為臣之道,當含晦其章美,有善則歸之於君,乃可 集說王氏弼曰:三處下卦之極,而不疑於陽,應斯義者也。不為事始,須唱乃應,待命乃發,含美而可正者也,故曰“含章可貞”也。有事則從,不敢為首,故曰“或從王事”也。不為事主,順命而終,故曰“無成有終”也。

程頤《伊川易伝》はいう:六三は下体の最上層に処り、位を得た一爻である。臣子たるの道理は、自己の文采の美を含蓄収斂すべく、好処あれば君主に帰す——これでこそ……ここで底本に脱文あり。集説に王弼を引く:六三は下卦の頂端に処するが、陽爻と嫌疑を争わない。正にこの一爻の義理に合する。それは率先して事情を発起せず、他人が口を開くを俟ってはじめて応和し、命令が下るを俟ってはじめて行動する。美質を含んで能く正を守る。だから「章を含みて貞なるべし」という。事情あれば随いて辦し、帯頭の人を為すを敢えてしない。だから「或いは王事に從う」という。事情の主人に充当せず、命令に順って事を做し完る。だから「成なく終あり」という。

楊氏簡曰:無成無終,亦不可也。無成有終,臣之道也。胡氏炳文曰:陽主進,陰主退。乾九三陽居陽,故曰“乾乾”,主乎進也。坤六四陰居陰,故曰“括囊”,主乎退也。

集説に楊簡を引く:功業を成就せずまた好い結局なきは、あれは不可である。その成に居らずして能く好い結局あるが、はじめて臣子たるの正道である。集説に胡炳文を引く:陽の趨向は進、陰の趨向は退である。乾卦九三は陽爻が陽位に居る。だから「乾乾」といい、勤勉して已まず、進に趨向する。坤卦六四は陰爻が陰位に居る。だから「嚢を括る」といい、口袋を緊く扎し、退に趨向する。

乾九四陽居陰,坤六三陰居陽,故皆曰“或”,進退未定之際也。特其退也,曰“在淵”,曰“含章”,唯進則皆曰“或”,聖人不欲人之急於進也如此。三多凶,故聖人首於乾坤之三爻,其辭獨詳焉。

乾卦九四は陽爻が陰位に居り、坤卦六三は陰爻が陽位に居る。だから両爻とも一つの「或」の字を用い、進退未定の関口に正在することを表示する。ただ退を講ずるときは、乾は「淵に在り」といい、坤は「章を含む」といい、みな肯定に言い得ている。ただ進を講ずるに至ってのみ、一律に「或」の字を加える。聖人が人の急いで前に向かい搶るを願わないは、ここに体現する。三爻この位置は凶険多し。だから聖人はまず乾坤両卦の三爻の上に着力し、あそこの辞句は格外に詳尽である。

俞氏琰曰:坤道固宜靜而有守,或有王事,則動而從之弗違也。“無成”,謂持美以歸於君,不居其成功也。“有終”,謂職分居此,則當終其勞也。

集説に兪琰を引く:坤道はもともと安静にして持守あるべきで、いったん君王の政事に遇えば、また動きて随いて辦しに行き、違抗を加えない。いわゆる「无成」とは、美好の功績を捧げて君主に帰還し、自己はこの份の成功を占居しないを指す。いわゆる「有終」とは、職分がすでにここに擺在すれば、この份の辛労を底まで做し遂げるべきを指す。

蔡氏清曰:六陰三陽,亦有順而健之意,故“無成有終”。亦“先迷後得”,“東北喪朋”,“乃終有慶”之意。陸氏振奇曰:其不敢專成者,正其代君以終事而不為始也。是即安於“後得主”之貞者與?

集説に蔡清を引く:六は陰爻、三は陽位で、ここもまた柔順にして剛健を兼ねる意を含む。だから能く「成なく終あり」なり。これもまた正に卦辞の「先には迷い後に得」「東北は朋を喪う」および《文言伝》の「乃ち終に慶あり」のあの一路の意である。集説に陸振奇を引く:それが成功を独占するを敢えてしない所以は、正にそれが君主に代わって事情を收尾し、発起の人を為しに行かないがゆえである。これは「後に主を得」のあの守正の道に安処する表現ではないか。

六四,括囊,無咎,無譽。

六四爻辞:口袋を緊く扎するがごとく言行を収束すれば、災禍を招来せず、また称誉も得ない。

本義“括囊”,言結囊口而不出也。“譽”者過實之名,謹密如是,則無咎而亦無譽矣。六四重陰不中,故其象占如此。蓋或事當謹密,或時當隱遯也。

朱熹《周易本義》はいう:「括嚢」は口袋の口を扎し住めて物を露出せしめない。「誉」は実際に超出する名声である。謹慎周密がこの地步に至れば、過錯なくまた美名もない。六四は陰爻が陰位に居り、重陰にしてまた中に居らず。だからその象辞と占辞はこのように書く。これは大概に言う、時として事情はもともと謹慎周密であるべきであり、時として時勢はもともと隠退蔵身であるべきである。

程傳四居近五之位,而無相得之義,乃上下閉隔之時,其自處以正,危疑之地也。若晦藏其知,如括結囊口而不露,則可得“無咎”。不然則有害也。既晦藏則“無譽”矣。

程頤《伊川易伝》はいう:六四は九五のあの位置に緊挨するが、彼此は投合を談じ得ず、正に上下が閉塞隔絶する時である。それの自処は端正なれども、所在は危険にして疑を招く所である。このときもし自己の聡明才智を収蔵して、袋口を扎するがごとく外に露さざれば、「咎なし」なりえて禍を招かず。このようにせざれば害あらん。すでに才智を蔵せば、自然に「誉なし」、称誉を得ない。

集說劉氏牧曰:坤;“其動也闢”,應二之德;“其靜也翕”,應四之位。翕,閉也,是天地否閉之時,賢人乃隱,不可炫其才知也。俞氏琰曰:咎致罪,譽致疑,唯能謹密如囊口之結括,則“五咎無譽”。

集説に劉牧を引く:《繫辞伝》は坤を講じて「その動きや辟かなり」といい、動き起これば開張——あれは六二の徳性に対応する。「その静かなるや翕なり」と講じ、静まれば収合——あれは六四の位置に対応する。「翕」は即ち閉合で、正に天地閉塞して通通ぜざる時、賢人はここに隠退して自己の才智を炫耀すべからず。集説に兪琰を引く:過錯は罪責を招来し、名声は猜疑を招来する。ただ謹慎周密が紧い袋口のごときのみが、過錯なくまた称誉なしを做し得る(「五咎」は「无咎」とすべし)。

六五,黃裳,元吉。

六五爻辞:黄色の下裳を穿けば、最も吉祥。

本義黃,中色。裳,下飾。六五以陰居尊,中順之德,充諸內而見於外,故其象如此,而其占為大善之吉也。占者德必如是,則其占亦如是矣。

朱熹《周易本義》はいう:黄は五色の中で中に居る色、裳は下半身に穿く服飾である。六五は陰爻をもって尊位に居り、中に居りて柔順の徳性が内に充実して外に顕露する。だからその象辞はこのように書き、占辞は大いに美善の吉祥である。占筮する人は徳性が必ずこのようであってこそ、彼の得る占断が当に真にこのようである。

《春秋傳》南蒯將叛,筮得此爻,以為大吉,子服惠伯曰:“忠信之事則可,不然必敗。外強內溫,忠也;和以率貞,信也,故曰‘黃裳元吉’。黃,中之色也;裳,下之飾也;元,善之長也。中不忠,不得其色;下不共,不得其飾;事不善,不得其極。且夫《易》不可以占險,三者有闕,筮雖當,未也。”後蒯果敗,此可以見占法矣。

《左伝》に記す:南蒯がまさに叛変せんとして、占筮してこの一爻を得、自ら以て大吉と為した。子服恵伯はいう:「忠信の事情のみ可なり。忠信の事に非ざれば必ず失敗す。外表は強毅にして内心は温和——あれは忠である。和順にして正道をもって自律す——あれは信である。だから爻辞は『黄裳元吉』という。黄は中に居る色、裳は下に在る服飾、元は衆善の首である。内心忠ならざれば、この色に配得上らず。下に居りて恭ならざれば、この服飾に配得上らず。事情善ならざれば、この『元』に及ばず。いわんや《周易》はもって険悪の事を占うべからず。この三様は一つを缺けば、筮得の爻辞はたとえ吉利でも、なお算数しえない。」後に南蒯は果たして敗亡した。この事より占筮の法則を見出しうる。

程傳坤雖臣道,五實君位,故為之戒云“黃裳,元吉”。黃,中色;裳,下服。守中而居下則“元吉”,謂守其分也。元,大而善也。爻象唯言守中居下則元吉,不盡

程頤《伊川易伝》はいう:坤の講ずるは臣子の道なれども、五は実々在々に君主の位置である。だから特にそれに告戒を立てて「黄裳、元吉」という。黄は中に居る色、裳は下身に穿く衣服である。中道を守りて下位に甘居すれば「元吉」、即ち自己の本分を守る。「元」は大にしてまた善である。この一爻の象辞はただ中を守り下に居れば元吉を得ると言うのみで、言葉を尽くしてはいない……ここで底本に脱文あり。

集說孔氏穎達曰:“黃”是中之色,“裳”是下之飾。坤為臣道,五居尊位,是臣之極貴者也。能以中和居於臣職,故云“黃裳元吉”。元,大也,以其德能如此,故得大吉也。

集説に孔穎達を引く:「黄」は中に居る色、「裳」は下に在る服飾である。坤は臣子の道を代表し、五はまた尊貴の位置で、あれは臣子の裡で最も尊貴の一等である。中正平和の態度をもって臣子の職分を守りえれば、「黄裳元吉」という。「元」は大の意である。その徳性が能くこのようになるがゆえに、大吉を獲得する。

《朱子語類》云:“黃裳元吉”,不過是說在上之人能盡柔順之道。黃,中色,裳是下體之服。能似這個,則無不吉。這是那居中處下之道。乾之九五,自是剛健的道理。坤之六五,自是柔順的道理。各隨它陰陽,自有一個道理。

《朱子語類》はいう:「黄裳元吉」は不過上位に居る人が柔順の道を極め尽くしうるを言うのみである。黄は中に居る色、裳は下身に穿く衣服である。能くこのようであれば、吉ならざるはない。これが講ずるは正に中に処り下に居る道理である。乾卦の九五は、自然に一套の剛健の道理。坤卦の六五は、自然に一套の柔順の道理。各々その陰に属し陽に属するに随い、各々一套の道理有り。

項氏安世曰:陰以在下為正,陽以在上為正。故二五皆中,而乾之天德獨以屬五,坤之地道獨以屬二。下非陽之位,故《乾》之九二,為在下而有陽德者。上非陰之位,故《坤》之六五,為在上而秉陰德者。黃者地之色,裳者下之服,文者坤之象,皆屬陰也。

集説に項安世を引く:陰は下位に処るをもって正とし、陽は上位に処るをもって正とする。だから二爻と五爻は同様に中に居るが、乾の天徳は偏偏九五に帰し、坤の地道は偏偏六二に帰す。下位はもと陽の待つべき位置でない。だから《乾》卦の九二は、ただ身が下位に在りて陽徳を具える人と算する。上位はもと陰の待つべき位置でない。だから《坤》卦の六五は、ただ身が上位に在りて陰徳を秉持する人と算する。黄は大地の色、裳は下身に在る衣服、文采は則ち坤の象徴で、この数様はみな陰に属す。

案《易》中五固尊位,但聖人取象,未嘗卦卦皆以君道言之,雖九五猶然,況六五乎!故《小過》之六五則言“公”,《離》之六五則言“王公”。大概居尊貴之位者,與卦義相當,則發其所當之義。程子之說,朱子蓋議其非也。

李光地按する:《周易》の裡で五は固より尊位だが、聖人の象を取るときは毎一卦みな君主の道をもって講ずるのではない。九五をもってしてもなおこのようである。いわんや六五をや。だから《小過》卦の六五はただ「公」と言い、《離》卦の六五はただ「王公」と言う。大体に言えば、凡そ尊貴の位置に居る爻は、その卦の卦義と相称すれば、それの対応するあの層の意を発揮する。程頤は六五を一概に君位に按じて立説するが、朱熹はそれの不妥を批評したことがある。

上六,龍戰于野,其血玄黃。

上六爻辞:龍が郊野の上で交戦し、流出する血は一片の青黑と土黄と相雑る。

本義陰盛之圾,至與陽爭,兩敗懼傷,其象如此,占者如是,其凶可知。

朱熹《周易本義》はいう:陰気は盛んなりて尽頭に至り(「之圾」は「之極」とすべし)、竟に陽と勝を争わんとす。結果は両方とも落敗し、ともに受傷す。その象は即ちこのようである。占筮する人がもしこういう情形に碰上すれば、兇険もまた想い知るべし。

程傳 陰從陽者也,然盛極則抗而爭。六既極矣,復進不已則必戰,故云“戰于野”。“野”,謂進至於外也。既敵矣,必皆傷,故“其血玄黃”。集說 孔氏穎達曰:即《說卦》云“戰乎乾”是也,戰於卦外,故曰“于野”,陰陽相傷,故“其血玄黃”。

程頤《伊川易伝》はいう:陰はもともと陽に順従するものだが、陰気が盛んなりて極点に至れば、起きて対抗し陽と相争う。坤卦上六はすでに陰の尽頭に至り、なお停まらず前に推進せんとすれば、必ず交戦する。だから爻辞は「野に戦う」という。いわゆる「野」とは、陰がすでに卦体の外の所に推進到ったを言う。両方はすでに敵手を結成し、交戦すれば必ず彼此ともに損傷を受く。だから「その血玄黄」という。集説に孔穎達を引く:これ即ち《説卦伝》の講ずる「乾に戦う」。交戦は本卦の外において発生する。だから「于野」と称す。陰陽両方が互相損傷す。だから「その血玄黄」という。血色は青黄相雑り、正に天地の血が並び流れる様子である。

侯氏行果曰:坤,十月卦也。乾位西北,又當十月。陰窮於亥,窮陰薄陽,所以戰也,故《說卦》云“戰乎乾”是也。李氏開曰:曰“龍戰”,則是乾來戰,不以坤敵乾也。馮氏椅曰:主龍而言,則知陰不可亢,亢則陽必伐之,戒陰也。以戰而言,則知陰不可長,長則與陽敵矣,戒陽也。胡氏炳文曰:六爻皆陰,而上卦之上曰龍,有陽也。不言陰與陽戰,而曰“龍戰于野”,與《春秋》王師敗績於茅戎,天王狩於河陽,同一書法也。

集説に侯行果を引く:坤は十月に配当する卦である。乾の方位は西北に在り、卦気の説に按じても正に十月に当たる。陰気は地支の亥位に至れば尽頭に走り至り、窮極の陰気が陽気を逼迫する。だから交戦する。これ即ち《説卦伝》の講ずる「乾に戦う」。集説に李開を引く:爻辞は「龍戦」と講ずる。これで見れば乾陽の一方が前来して交戦するので、坤を以て乾と対敵するに足る一方と看るのではない。集説に馮椅を引く:「龍」のこの字に着眼すれば、陰気は亢盛すべからず、亢盛すれば陽は必ず来りて討伐することが知れる——これは陰への告戒である。「戦」のこの字に着眼すれば、陰勢は滋長すべからず、滋長すれば陽の敵手と成る——これは陽への告戒である。集説に胡炳文を引く:坤卦六爻は全く陰爻で、上六は上卦の最上位に居るのに「龍」と称す。これはその中にすでに陽有るを説明する。経文は直に陰と陽の交戦を言わず、却って「龍野に戦う」という。これは《春秋》の記す周王の軍隊が茅戎に敗れ、周天子が河陽に出狩するを記すと、同一種の諱飾の書法である。

用六,利永貞。本義 “用六”,言凡筮得陰爻者,皆用六而不用八,亦通例也。以此卦純陰而居首,故發之。遇此卦而六爻俱變者,其占如此辭。蓋陰柔不能固守,變而為陽,則能“永 貞”,“永”,長也;“貞”,正也。言長能貞正也。

「六を用うるに、永貞に利し。」朱熹《周易本義》はいう:いわゆる「用六」とは、凡そ占占筮して陰爻を得る者は、一律に老陰の数の六を取りて少陰の数の八を取らず、これもまた《周易》通行の体例である。坤卦は純粋に陰爻にしてまた前に列す。だからここにおいてこの条の通例を点明する。占筮して坤卦に遇いて六爻が全部変動する者は、「占辞」は「永貞に利し」のこの一句に照らして断ずる。陰柔の本性は自己を守持しえず、いったん変じて陽と為れば、能く「永貞」なりうる。「永」は長久、「貞」は正固で、合わせて言えば長久に正道を守住しうるという。

《朱子語類》云:乾吉在“無首”,坤利在“永貞”,這只是說二用變卦。胡氏炳文曰:坤“安貞”,變而為乾,則為“永貞”。“安”者頤而不動,“永”者健而不息。乾變坤。剛而能柔。坤變乾,雖柔必強。陽先於陰,而陽之極不為首。陰小於陽,而陰之極以大終。

《朱子語類》はいう:乾卦の吉処は「无首」に在り、坤卦の利処は「永貞」に在る。この两句はただ「用九」「用六」両条の通例の講ずる変卦に就いて言うのみである。集説に胡炳文を引く:坤卦はもともと「安貞」を講じ、乾卦に変じれば「永貞」と成る。「安」は安静不動、「永」は剛健不息である。乾が坤に変ずるは、剛強にして能く柔順なり。坤が乾に変ずるは、本来柔順にして必ず強健に転ず。陽は陰に先んずるが、陽は極処に至りて却って首に居るを肯んじない。陰は陽より小なるが、陰は極処に至りて能く広大をもって終局を収束する。

顧氏憲成曰:“用九”無首,是以乾入坤。蓋坤者乾之藏也。“用六”“永貞”,是以坤承乾。蓋乾者坤之君也。何氏楷曰:乾道主元,故曰“乾元用九”。坤道主貞,故言“用六永貞”。

集説に顧憲成を引く:「用九」が「群龍无首」を講ずるは、乾を坤の中に納入するので、坤は正に乾の潜蔵収斂する処所だからである。「用六」が「永貞」を講ずるは、坤をして乾を承奉せしめるので、乾は正に坤の尊奉する君主だからである。集説に何楷を引く:乾道は「元」を主とする。だから《文言伝》は「乾元用九」という。坤道は「貞」を主とする。だから「用六永貞」という。

屯卦・坎上震下

程傳 《屯序卦》曰:“有天地然後萬物生焉,盈天地之間者惟萬物,故受之以屯、屯者盈也,屯者物之始生也。”萬物始生,鬱結未通,故為盈塞於天地之間。至通暢茂盛,則塞意亡矣。天地生萬物,《屯》,物之始生,故繼《乾》、《坤》之後。以二象言之,雲雷之興,陰陽始交也。以二體言之,震始交於下,坎始交於中,陰陽相交,乃成雲雷。陰陽始交,雲雷相應而未成澤,故為屯。若已成澤,則為《解》也。又動於險中,亦《屯》之義,陰陽不交則為《否》,始交而未暢則為《屯》。在時,則天下屯難未亨泰之時也。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は屯卦を講じていう:「天地あって然る後に万物はじめて生ず。天地の間に充満するは万物のみ。だから乾坤の後に接ぐは屯卦である。屯は充盈、屯は万物の剛に萌生す。」万物の初生の時は、鬱結してまだ通暢しえない。だから天地の間に塞満するという。通暢茂盛するを俟てば、あの堵塞の意味はまた消失する。天地は万物を生養し、屯は万物の初生の段階である。だから《乾》《坤》両卦の後に排す。上下両卦の取る物象より言えば、雲と雷が同時に興起し、正に陰陽の交感を始む。上下両卦の卦体より言えば、震は下において交合を始め、坎は中において交合を始め、陰陽が互相交感してはじめて雲と雷を形成する。陰陽は剛に交感し、雲雷は彼此呼応するがまだ雨沢と化成しない。だから屯と呼ぶ。もしすでに雨沢と化成すれば、あれは即ち《解》卦である。さらに言えば、険難の中に在りて能く動くもまた屯の含義である。陰陽が全く交感せざれば《否》卦と成り、剛に交感を始めてまだ通暢せざれば即ち《屯》卦である。時勢に落ちて言えば、即ち天下が艱難困頓して、まだ亨通安泰に達しない時である。

屯,元亨,利貞,勿用有攸往,利建侯。本義 震,坎,皆三畫卦之名。震一陽動於二陰之下,故其德為動,其象為雷。坎一陽陷於二陰之間,故其德為陷、為險,其象為雲、為雨、為水。《屯》,六畫卦之名也,難也,物始生而未通之意,故其為字,象穿地始出而未申也。其卦以震遇坎,乾坤始交而遇險陷,故其名為屯。震動在下,坎險在上,是能動乎險中。能動雖可以亨,而在險則宜守正而未可遽進。故筮得之者,其占為大亨而利於正,但未可遽有所往耳。又初九陽居陰下,而為成卦之主,是能以賢下人,得民而可君之象,故筮立君者遇之則吉也。

「屯、元亨、貞に利し、往く所有るを用いる勿れ、侯を建つるに利し。」朱熹《周易本義》はいう:震と坎はみな三画の経卦の名称である。震は一つの陽爻が二つの陰爻の下に動く。だから卦徳は動、象を雷に取る。坎は一つの陽爻が二つの陰爻の間に陥る。だから卦徳は陥・険、象を雲・雨・水に取る。《屯》は六画の別卦の名称で、意は艱難、万物が初生してまだ通達せざるを指す。だから「屯」のこの字の形体は、草木が地面を穿破して剛に頭を冒すがまだ伸展し開けないに象る。この卦は震をもって坎に遇う。乾坤が剛に交感すれば険陥に碰上する。だから名を取って屯とする。震の動は下に在り、坎の険は上に在り、正に険難の中において行動しうる。能く動くは固より亨通すべきだが、身が険中に在れば正道を守持すべく、倉促に前進すべからず。だから占筮してこの卦を得る人は、「占辞」は大いに亨通して正を守るに利あり、ただ急いで往く所有るべからず。さらに初九は陽爻をもって陰爻の下に居り、全卦の「成卦之主」で、賢者の身分をもって人の下に甘居し、よって民心を得て君たるべきの象あり。だから立君の事を占問する人はそれに遇えば吉利である。

程傳 《屯》有大亨之道,而處之利在貞固,非貞固何以濟屯?方屯之時,未可有所往也。天下之屯,豈獨力所能濟?必廣資輔助,故“利建侯”也。集說 《朱子語類》云:《屯》是陰陽未通之時,《蹇》是流行之中有蹇滯,《困》 問:《彖》曰“利建侯”,而《本義》取初九陽居陰下為成卦之主,何也?曰:成卦之主,皆說於彖辭下,如《屯》之初九“利建侯”,《大有》之五,《同人》之二皆如此。

程頤《伊川易伝》はいう:屯卦はもと大いに亨通の道理あるが、屯の時に身处するの要は正固を守るに在る。正固を守らざれば何をもって屯難を渡過せん。屯難の時に正に当たるは、冒然として前往すべからず。天下の屯難は、いずれか一人の力量の挽救しうる所ならんや。必ず広く他人の輔助に依拠せねばならぬ。だから「侯を建つるに利し」という。集説に《朱子語類》を引く:屯は陰陽がまだ交通せざる時、蹇は流行運転の中において滞碍出現し、困は——ここで底本に脱文あり、下面は直ちに別の一条の問答に接続する。問:《彖辞》は「侯を建つるに利し」というが、《本義》は却って初九が陽爻をもって陰爻の下に居るを取って「成卦之主」とする。これは何故か。答:凡そ成卦之主は、みな卦辞の底下において解説する。たとえば屯卦の初九は「侯を建つるに利し」を講じ、《大有》の六五、《同人》の六二は、みなこのようである。

又問:《屯》“利建侯”,此占恐與《乾》卦“利見大人”同例。曰:然。若是自卜為君者得之,則所謂“建侯”者乃己也;若是卜立君者得之,則所謂“建侯”者乃君也。趙氏汝楳曰:卦辭總一卦之大義,爻辭則探卦辭之所指。因六爻之象之義,析而明之。如“吉無不利”,則亨利之義;“磐桓”“班如”“幾不如舍”“小正”,皆“勿用有攸往”之義。初之“建侯”,即顯卦象“利建侯”之辭為初而發。餘卦放此。

また問う:屯卦の「侯を建つるに利し」、この条の占辞は恐らく乾卦の「大人を見るに利し」と同一体例であろう。答:正に然り。もし自己が君たるべきや否やを占問する人がそれを得れば、いわゆる「建侯」の指すは即ち自己である。もし国家に替わって君を立つるを占問する人がそれを得れば、いわゆる「建侯」の指すは即ち立てらるる君主である。集説に趙汝楳を引く:卦辞は一卦の大義を総括し、爻辞は則ち卦辞の指す所を探究して分別落実し、六爻各々の象と義に依って、剖き開きて明白に講ずる。たとえば六四の「吉、利ならざるなし」は、即ち卦辞の「元亨」「利貞」の義。初九の「磐桓」、六二六四上六の「班如」、六三の「幾に舎しかざれ」、九五の「小貞吉」は、みな卦辞の「往く所有るを用いる勿れ」の義。初九の「建侯を建つ」を講ずるは、正に卦辞の「侯を建つるに利し」の一句を点明して初九のために発したものである。其余の各卦はみなこれに依って類推すべし。

胡氏炳文曰:《屯》、《蒙》繼《乾》、《坤》之後,上下體有震、坎、艮,《乾》、《坤》交而成也。震則乾坤之始交,故先焉。初以一陽居陰下而為成卦之主。“元亨”,震之動;“利貞”,為震遇坎而言也。非“不利有攸往”,不可輕用以往也。《易》言“利建侯”者二:《豫》“建侯”,上震也;《屯》“建侯”,下震也。震長子,“震驚百里”,皆有侯象。

集説に胡炳文を引く:屯卦・蒙卦は乾坤の後に接ぐ。それらの上下卦体は分別に震・坎・艮で、みな乾坤の交感により生成した。震は乾坤の最初の一回の交感である。だから最も前に排す。屯卦初九は一つの陽爻をもって衆陰の下に居り、「成卦之主」と成る。卦辞の「元亨」の言うは震の動、「利貞」は則ち震の坎に遇うに就いて言う。卦辞は「往く所有るに利あらず」とは言わず、ただ軽率に前往すべからずと言うのみである。《周易》の裡で「侯を建つるに利し」を講ずるは両処あり:《豫》卦の建侯を講ずるは、上卦が震。《屯》卦の建侯を講ずるは、下卦が震。震は《説卦伝》の裡で長子、《震》卦はまた「百里を震驚す」の説あり。みな諸侯の象を含む。

蔡氏清曰:《屯》、《蹇》雖俱訓難,而義差異。《困》亦不同。《屯》是起腳時之難,《蹇》是中間之難,《困》則終窮,而難斯甚矣。又曰:“利貞,勿用有攸往”,二句一意,故《彖傳》只解“利貞”。又曰:《本義》所謂以陽下陰,及初九之《象傳》所謂“以貴下賤”,皆是主德言,非以位言也。故曰是能以賢下人,得民而可君之象。

集説に蔡清を引く:屯と蹇はみな艱難と訓すが、含義に分別あり。困卦もまたそれらと同じでない。屯は剛に起步した時の艱難、蹇は行進の途中の艱難、困は則ち終点に走り至りて路なく、艱難の極処に至ったもの。蔡清またいう:「貞に利し、往く所有るを用いる勿れ」の両句は実は一つの意である。だから《彖伝》はただ「利貞」の一句を解釈したのみ。蔡清またいう:《本義》の言う陽爻をもって陰爻の下に屈居する、および初九《小象伝》のいう「貴をもって賤に下る」は、みな徳行に就いて講ずるので、爵位に就いて講ずるに非ず。だから《本義》はこれを能く賢者の身分をもって人の下に甘居し民心を得て君たるべきの象と言う。

初九,磐桓,利居貞,利建侯。本義 “磐桓”,難進之貌。《屯》難之初,以陽在下,又居動體,而上應陰柔險陷之爻,故有“磐桓”之象。然居得其正,故其占利於“居貞”。又本成卦之主,以陽下陰,為民所歸,侯之象也,故其象又如此,而占者如是,則利建以為侯也。

「初九、磐桓、居貞に利し、侯を建つるに利し。」朱熹《周易本義》はいう:「磐桓」は徘徊して進み難き様子である。屯難の開頭に処り、初九は陽爻をもって最も下に居り、また身は震のこの動を主とする卦体の中に在り、しかして上に「応」ずる所の六四は陰柔険陥の爻である。だから「磐桓」の象あり。ただしそれは陽爻をもって陽位に居り、「当位」して正を得る。だから占断は「居貞」に利あり、安く居りて正を守るという。さらにそれはもと「成卦之主」で、陽爻をもって陰爻の下に屈居し、民衆の帰附する所と為り、正に諸侯の象である。だからその象はまたこのようである:占筮する人がもしこういう徳行の処境を具備すれば、彼を立てて諸侯とするに利あり。

程傳 初以陽爻在下,乃剛明之才,當《屯》難之世,居下位者也。未能便往濟《屯》,故“磐桓”也。方《屯》之初,不磐桓而遽進,則犯難矣,故宜居正而固其志。凡人處屯難,則鮮能守正。苟無貞固之守,則將失義,安能濟時之屯乎?居屯之世,方屯於下,所宜有助,乃居屯濟屯之道也。故取建侯之義,謂求輔助也。

程頤《伊川易伝》はいう:初九は陽爻をもって最も下に居り、剛健明達の才具で、屯難の時世に処して身は下位に居る。それはまだ直ちに出でて屯難を挽救しえない。だから徘徊して進まない。屯難の初めに正に当たり、徘徊観望せずして冒然として前進すれば、即ち自ら危難に蹈む。だから安く正位に居りて自己の志向を堅定すべし。一般人は屯難の中に処りて、正道を守住しうるは少ない。もし堅貞固守の操守なければ、道義を喪失し、また何をもって一時の屯難を挽救せんや。屯難の世に身处し、自己はまた正に下位に困頓すれば、人の相助あるべし。これがはじめて屯に居りて屯を済す弁法である。だから爻辞は「建侯」の義を取り、言う所は辅助を求取するである。

集說 《朱子語類》:問:“利建侯”。曰:彖辭一句,蓋取初九一爻之義。初九蓋成卦之主也。一陽居二陰之下,有以賢下人之象,有為民歸往之象,故《象》曰:“以貴下賤,大利民也。”項氏安世曰:凡卦皆有主爻,皆具本卦之德,如《乾》九五具乾之德,故為天德之爻。《坤》六二具坤之德,故為地道之爻。《屯》以初九為主,故爻辭全類卦辭。其曰“磐桓,利居貞”,則“勿用有攸往”也。又曰“利建侯”,無可疑矣。

集説に《朱子語類》を引く:「侯を建つるに利し」を問う——何解とすべきか。答:卦辞の裡のこの一句は、初九一爻の含義を取る。初九は正に「成卦之主」である。一つの陽爻が二つの陰爻の下に居り、賢者の身分をもって人の下に甘居する象あり、民衆をして前来帰附せしむる象あり。だから初九の《小象伝》は「貴をもって賤に下る、大いに民に利なり」といい、尊貴の質をもって卑賤の位に屈居するは、正に大いに百姓に利ある。

胡氏炳文曰:文王卦辭,有專主成卦之主而言者,周公首於此爻之辭發之。卦主震,震主初。“磐桓”,即“勿用有攸往”。“利居貞”,即“利貞”。卦言“利建侯”者,其事也,利於建初以為侯也;爻言“利建侯”者,其人也,如初之才,利建以為侯也。爻言“磐桓”,主為侯者而言,宜緩;卦言“利建侯而不寧”,主建侯者而言,不宜緩。

集説に胡炳文を引く:文王の繫いだ卦辞は、専ら「成卦之主」に就いて立言するものあり。周公が爻辞を作る時、まず屯卦初九のこの一爻においてそれを点明した。屯卦は震をもって主とし、震はまた初爻をもって主とする。爻辞の「磐桓」は、即ち卦辞の「往く所有るを用いる勿れ」。「居貞に利し」は、即ち卦辞の「貞に利し」。卦辞の「侯を建つるに利し」の講ずるは事情で、初九を立てて諸侯とするに利ありと言う。爻辞の「侯を建つるに利し」の講ずるは人で、初九のごとき才具は立てられて諸侯と成るに宜しと言う。爻辞の「磐桓」は、まさに諸侯を為さんとする人の一辺に立って言い、態度は従容たるべし。《彖伝》の「侯を建つるに利して寧ならず」は、諸侯を建立する君主の一辺に立って言い、行動は遅緩に宜しくない。

六二,屯如邅如,乘馬班如,匪寇婚媾,女子貞不字,十年乃字。本義 “班”,分佈不進之貌。“字”,許嫁也。《禮》曰:女於許嫁,笄而字。六二陰柔中正,有應於上,而乘初剛,故為所難,而邅回不進。然初非為寇也,乃求與已為婚媾耳,但己守正,故不之許,至於十年,數窮理極,則妄求者去,正應者合,而可許矣。爻有此象,故因以戒占者。

「六二、屯如邅如、馬に乗りて班如、寇に非ず婚媾なり、女子貞にして字せず、十年にして乃ち字す。」朱熹《周易本義》はいう:「班」は散開して前進せざる様子、「字」は嫁を許す。《礼記》はいう:女子は嫁を許す年紀に至りて、笄礼を行い表字を取る。六二は陰爻をもって陰位に居り、すでに「中」にしてまた「正」、上において九五と正「応」あるが、しかしそれの下はまた初九の剛爻に「乗」り、よって逼迫を受け、ただ盤旋回転して前行しえない。しかるに初九は強盗を為しに来るのではなく、ただ自己と婚姻を結ばんと欲するのみ。ただ自己が正道を守るがゆえに、肯んじて答応しない。十年に至り、気数は窮尽し事理は尽頭に走り至れば、あの非分に求婚する人は自ずから去り、正応の一方は終に会合し、これではじめて嫁を許しうる。爻中にこういう象あり。だからそれをもって占筮する人に告戒する。

程傳 二以陰柔居《屯》之世,雖正應在上,而逼於初剛,故《屯》難遭回。“如”,辭也;“乘馬”,欲行也。欲從正應而復“班如”,不能進也。“班”,分佈之義。下馬為“班”,與馬異處也。二當屯世,雖不能自濟,而居中得正,有應在上,不失義者也。

程頤《伊川易伝》はいう:六二は陰柔の質をもって屯難の時世に処し、上に九五のこの正「応」ありながら、下の初九剛爻に逼られる。だから屯難にして盤桓回転す。「如」は語助詞、「乗馬」は出行せんと欲する。正応に追随せんと欲するが、また「班如」、終に前進しえない。「班」は分散の意で、馬を下りれば即ち「班」、人と馬は各々一処に在る。六二は正に屯難の世に当たり、自己解脱しえないが、それは中位に居りて正を得、上にまた正応ある。道義を喪失せざる一爻である。

然逼近於初,陰乃陽所求,柔者剛所陵。柔當屯時,固難自濟,又為剛陽所逼,故為難也。設匪逼於寇難,則往求子婚媾矣。“婚媾”,正應也。“寇”,非理而至者。二守中正,不苟合於初,所以“不字”。苟貞固不易,至於“十年”,屯極必通,乃獲正應而字育矣。

程頤続いていう:しかるに六二は初九に緊挨す。陰はもと陽の追求する対象、柔弱はもと剛強の欺凌する対象である。柔爻は屯難の時に処り、もともと自救し難いのに、また剛陽に逼られる。だからさらに艱難を顕す。たとえこの種の寇難に逼られざれば、それは早くに前往して自己の婚配を尋求したであろう。「婚媾」の指すは正応の九五、「寇」は正理を循わずして強行到来する人を指す。六二は中正の道を守り、初九に苟且迎合するを肯んじない。だから「字せず」、嫁を許すを肯んじない。ただ堅貞固守して改変せざれば、十年の久しきに至り、屯難は極点に至りて必ず通達し、正応と会合して子女を生育せん。

以女子陰柔,苟能守其志節,久必獲通,況君子守道不回乎!初為賢明剛正之人,而為寇以侵逼於人,何也?曰:此自據二以柔近剛而為義,更不計初之德如何也。《易》之取義如此。

程頤続いていう:女子のごとき陰柔の身分をもってしても、ただ能く自己の志節を守住すれば、日子久しくして必ず通達を得る。いわんや君子の道を守りて回头改辙せざるをや。或る人が問う:初九はもと賢明剛正の人、何ぞ却って人を侵逼する強盗と成ったか。回答はいう:ここはただ六二が柔弱の質をもって剛爻に緊挨するこの一処の境に就いて義を取るのみで、初九本身の徳行の如何を計較しない。《周易》の義を取る方式は即ちこのようである。

集說張氏浚曰:“女子貞,不字,十年乃字”,蓋以二抱節守志於艱難之世,而不失其貞也,若太公在海濱,伊尹在莘野,孔明在南陽,義不苟合,是為女貞。《朱子語類》云:耿氏解“女子貞,不字”作許嫁笄而字;“貞不字”者,未許嫁也,卻與婚媾之義相通。伊川說作字育之字。

集説に張浚を引く:「女子貞にして字せず、十年にして乃ち字す」とは、六二が艱難の時世の裡において節操を懐抱し志向を堅守してその貞正を失わないがゆえで、ちょうど姜太公が東海の濱に隠居し、伊尹が有莘の野に耕し、諸葛亮が南陽に躬耕したがごとく、道義を講じて苟且迎合するを肯んじない。これを女子の貞と呼ぶ。集説に《朱子語類》を引く:耿氏は「女子貞にして字せず」の「字」を解して女子の嫁を許して笄礼を行い表字を取るとし、「貞不字」は即ちまだ嫁を許さず。このように講ずれば却って下文の「婚媾」の意と相貫通する。程頤は則ち「字」を講じて生育撫字の字とする。

案 《易》言“匪寇婚媾”者凡三:《屯》二、《賁》四、《睽》上也,《本義》與程傳說不同,學者擇而從之可也。然《賁》之為卦,非有《屯》難《睽》隔之象,則爻義有所難通者。詳玩辭意,“屯如邅如,乘馬斑如”,與“賁如皤如,山馬翰如”,文體正相似。其下文皆接之曰“匪寇婚媾”。

李光地按する:《周易》の「寇に非ず婚媾なり」を講ずるは一共三処あり、即ち屯卦六二・賁卦六四・睽卦上九である。《本義》と《程伝》の解釈は同じでない。学者は善を択んで従えばよい。ただし賁卦のこの一卦は、屯のごとき艱難・睽のごとき乖隔の象なし。旧説に照らして講じれば、爻義に講じ通じざる処あり。仔細に辞意を玩味すれば、屯卦の「屯如邅如、馬に乗りて斑如」と、賁卦の「賁如皤如、白馬翰如」(底本は「白」を「山」と訛す)は、句式体例が正に相似し、両処の下文もみな続いて「寇に非ず婚媾なり」と接する。

然則“屯如邅如”,及“賁如皤如”,皆當讀斷,蓋兩爻之自處者如是也。“乘馬班如”,及“白馬翰如”,皆當連下“匪寇婚媾”讀,言彼“乘馬”者非寇,乃吾之“婚媾”也。此之“乘馬班如”謂五,《賁》之“白馬翰如”謂初,言“匪寇婚媾”,不過指明其為正應而可以耳。此卦下雷上云,雷聲盤迴,故言“磐桓”“邅如”者,下卦也;雲物班布,故言“班如”者,上卦也。四與上皆言“乘馬班如”,五之為“乘馬班如”,則於六二言之。此亦可備一說也。

李光地続いて按する:このように見れば、「屯如邅如」と「賁如皤如」はみなここにおいて断句すべきで、言う所はこの両爻自身の処する状態である。しかして「馬に乗りて班如」と「白馬翰如」はみな下の「寇に非ず婚媾なり」に連ねて読むべきで、意はあの馬に乗りて来る人は強盗に非ず、正に我が婚配なりという。屯卦六二の「馬に乗りて班如」の指すは九五、賁卦六四の「白馬翰如」の指すは初九である。「寇に非ず婚媾なり」というは、不過相手方が乃ち自己の正「応」にして結合すべきを指明するのみである。この卦は下体は雷・上体は雲、雷の声は盤旋回蕩す。だから「磐桓」「邅如」を講ずるはみな下卦に属す。雲気は四方に散布す。だから「班如」を講ずるはみな上卦に属す。六四と上六はみな「馬に乗りて班如」という。九五の「馬に乗りて班如」たるに至っては、則ち六二の一爻を借りて説き出した。これもまた一種の説法として備えうる。

六三,即鹿無虞,惟入于林中,君子幾不如舍,往吝。本義 陰柔居下,不中不正,上無正應,妄行取困,為逐鹿無虞,陷入林中之象。君子見幾不如舍去,若往逐而不舍,必致羞吝。戒占者宜如是也。

「六三、鹿に即いて虞なし、ただ林中に入る。君子は幾に舎しかざれ。往かば吝なり。」朱熹《周易本義》はいう:六三は陰柔の質をもって下卦に居り、すでに「中」ならずまた「正」ならず、上にもまた正「応」なし。妄然として行動すればただ自ら困頓を取るのみ。だから鹿群を追逐して虞人の引導なく、結果として林の深処に陥入する象あり。君子はこの種の苗头を見て、これに就いて舎棄するに如かず。もし一味に追逐して罷手を肯んぜざれば、必ず羞辱悔恨を招来す。これは占筮する人に告戒してこのようにすべきという。

程傳 六三以柔居剛,柔既不能安屯,居剛而不中正則妄動,雖貪於所求,既不足 集說 《朱子語類》:問:“即鹿無虞”。曰:“虞”只是虞人,六三陰柔在下而居陽位,陰不安於陰,則貪求妄行,不中不正,又上無正應,妄行取圍,所以為“即鹿無虞”,陷入林中之象。沙隨盛稱唐人郭京《易》好,近寄得來,說鹿當作“麓”,《象辭》當作即麓無虞,何以從禽也?問郭據何書,曰:渠雲曾得王輔嗣親手與韓康伯注底《易》本,然難考據。

程頤《伊川易伝》はいう:六三は柔爻をもって剛位に居り、柔弱はもともと屯難に安処しえず、剛位に居りてまた中ならず正ならざれば妄動する。貪求して欲する所を得るも、すでに足らず——ここで底本に脱文あり、《程伝》のこの一段の後半は缺失。集説に《朱子語類》を引く:「鹿に即いて虞なし」を問う——どう講ずるか。答:「虞」は即ち山沢を掌管する虞人である。六三は陰柔の質をもって下体に居りて陽位に処り、陰爻は陰に安んぜざれば貪求妄行する。それはすでに中ならず正ならず、上にもまた正「応」なし。妄行すればただ自ら困囲を取るのみ。だから鹿を追って虞人の引導なく、林中に陥入する象あり。沙随の程迥は唐人郭京の《周易挙正》を極力称賛し、近頃寄せて来た。書中は「鹿」は「麓」とすべきと言い、《小象伝》は「麓に即いて虞なし、何ぞ禽に從わんや」とすべきと言う。郭京は何の本に依据するかを問う。答はいう:彼は自らかつて王弼が親手で韓康伯に交して注を作らせた《易》本を得たと称すが、しかし査考確証し難い。

六四,乘馬班如,求婚媾,往吉,無不利。本義 陰柔居屯,不能上進,故為“乘馬班如”之象。然初九守正居下,以應於己,故其占為下求婚媾則吉也。程傳 六四以柔順居近君之位,得於上者也。而其才不足以濟屯,故欲進而復止,“乘馬班如”也。己既不足以濟時之屯,若能求賢以自輔,則可濟矣。初陽剛之賢,乃是正應,己之婚媾也。若求此陽剛之婚媾,往與共輔陽剛中正之君,濟時之屯,則吉而無所不利也。居公卿之位,己之才雖不足以濟時之屯,若能求在下之賢,親而用之,何所不濟哉?集說 胡氏炳文曰:凡爻例,上為往,下為來。六四下而從初,亦謂之往者,據我適人,於文當言往,不可言來。如《需》上六“三人來”,據人適我,可謂之來,不可謂往也。

「六四、馬に乗りて班如、婚媾を求む、往かば吉、利ならざるなし。」朱熹《周易本義》はいう:六四は陰柔の質をもって屯難の中に処り、上に向かい前進しえない。だから「馬に乗りて班如」の象あり。しかし初九は正を守りて下位に居り、自己と相「応」す。だから占断は下に向かい婚配を求取すれば吉利である。程頤《伊川易伝》はいう:六四は柔順の徳をもって君位に接近する所に居り、能く上の信任を得るものである。しかるにその才具は屯難を挽救するに足らず。だから前進せんと欲してまた停住し、「馬に乗りて班如」と成る。自己はすでに時世の屯難を挽救するに足らざれば、賢才を求取して自己を辅助せしめうれば、挽救しうる。初九は剛陽の賢者で、正に自己の正「応」、即ち自己の婚配である。もしこの剛陽の婚配を求めに行き、一同に前往して陽剛中正の君主を輔佐し、共同して時世の屯難を挽救すれば、吉利にして利ならざる所なし。公卿の位に身居する人は、自己の才具はたとえ時艱を挽救するに足らずとも、ただ能く下位の賢者を求取して親近し任用せば、また何事か挽救せざらんや。集説に胡炳文を引く:凡そ爻の通例は、上に向かうを「往」と呼び、下に向かうを「来」と呼ぶ。六四は下に向かい初九に追随するのに「往」と称するのは、我をもって人に就くは文例に按じて「往」と言うべきで、「来」と言うべからざるがゆえである。たとえば需卦上六の「三人来」というは、あれは別人が来りて我に就くで、「来」と言うべく、「往」と言うべからず。

九五,屯其膏,小貞吉,大貞凶。本義 九五雖以陽剛中正居尊位,然當《屯》之時,陷於險中,雖有六二正應,而陰柔才弱,不足以濟。初九得民於下,眾皆歸之,九五坎體,有膏潤而不得施,為“屯其膏”之象。占者以處小事,則守正猶可獲吉;以處大事,則雖正而不免於凶。

「九五、その膏を屯す。小貞は吉、大貞は凶。」朱熹《周易本義》はいう:九五は陽剛中正の徳をもって尊位に居るが、正に屯難の時に当たり、自身は坎険の中に陥る。六二を以て正「応」と為すも、六二は陰柔にして才弱く、それを幇げて難関を渡過するに足らず。初九は下において民心を得、衆人はみな彼に帰附す。九五は坎体に身处し、膏沢の滋潤あるも施行し下す能わず。だから「その膏を屯す」の象あり。占筮する人がそれをもって小事を処理すれば、正を守ってなお吉利を獲得しうる。それをもって大事を処理すれば、正を守るも兇険を免れない。

程傳 五居尊得正,而當《屯》時,若有剛明之賢為之輔,則能濟屯矣。以其無臣也,故“屯其膏”。人君之尊,雖屯難之世,於其名位非有損也,唯其施為有所不行,德澤有所不下,是“屯其膏”。人君之《屯》也,既膏澤有所不下,是威權不在己也。威權去己而欲驟正之,求凶之道,魯昭公高貴鄉公之事是也,故“小貞”則“吉”也。“小貞”,則漸正之也,若盤庚周宣,修德用賢,復先王之政,諸侯復朝。謂以道馴致,為之不暴也。又非恬然不為,若唐之僖昭也。不為則常屯以至於亡矣。

程頤《伊川易伝》はいう:九五は尊位に居りてその正を得、正に屯難の時に当たる。もし剛健明達の賢臣を輔佐と為さば、屯難を挽救しうる。正にそれが得力の臣子を得ないがゆえに「その膏を屯す」。君主たるの尊貴は、たとえ屯難の世でも、名位に就いて言えば損傷はなく、ただ施行する所の政令に推行し開けざるあり、恩沢に民間に下り届かざるあるのみ。これを「その膏を屯す」と呼び、君主自身の屯難である。膏沢はすでに下りて行かざれば、威権はすでに自己の手裡に在らざるを説明する。威権は自己を離れたるに一挙に奪回せんと欲するは、あれは自ら兇険を招く路子で、魯昭公の季氏を討伐し、魏高貴郷公の司馬昭を討伐したはみなこういう例である。だから「小貞」のみが吉利。いわゆる「小貞」とは、即ち逐步にそれを扶正するので、商代の盤庚・周代の宣王のごとく、徳行を修明し賢才を任用し、先王の政教を恢復し、諸侯をして重新に来朝せしむる。これは正道に依循して慢慢に引導し、暴烈の手段を用いないと言う。ただしまた安然と作為なしとするに非ず——唐代の僖宗・昭宗のごとき。一味に不作為なれば、長久に困頓して亡国に至らん。

集說 項氏安世曰:《屯》不以九五為主者,建侯以為主。五本在高位,非“建侯”也。初九動乎險中,故為濟屯之主。天造草昧,皆自下起,五能主事,則不屯矣。魏氏了翁曰:《周禮》有大貞,謂大卜。如遷國立君之事。五處險中,不利有所作為,但可小事,不可大事。曰“小貞吉,大貞凶”,猶《書》所謂作內吉、作外凶,用靜吉,用作凶者。

集説に項安世を引く:屯卦は九五を以て主爻としない。この一卦は「建侯」を主とするがゆえである。九五はもともと高位に在り、諸侯に建立されるを談ずるに及ばず。初九は険難の中に在りて能く動く。だから屯難を挽救する主爻である。天地の初開・草創蒙昧の際は、事情はみな下より興起する。九五はもし自己が局面を主持しえれば、また屯せざらん。集説に魏了翁を引く:《周礼》に「大貞」の一語あり、重大の占卜を指し、たとえば都を遷し君を立つるの類の事である。九五は険中に処り、大なる作為あるに利あらず。ただ小事を辦すべく、大事を辦すべからず。いわゆる「小貞吉、大貞凶」とは、好も《尚書》の言う内に行えば吉・外に行えば凶、安静して成を守れば吉・興動して作為すれば凶のごとき。

趙氏汝楳曰:我方在險,德澤未加於民,下焉群陰,蒙昧末孚,唯當寬其政教,簡 梁氏寅曰:小正者,以漸而正之也。小正則“吉”者,以在於其位而為所可為也。大正則“凶”者,以時勢既失而不可以強為也。為可為於可為之時則從,為不可為於不可為之時則凶,可無慎哉?

集説に趙汝楳を引く:我は方に険中に身处し、恩沢はまだ百姓の身に施到せず、下は一片の陰爻で、昏昧にしてまだ信服せず。この時はただ政教を放寛し簡省すべし——ここで底本に脱文あり、趙氏の説の下半は缺失。集説に梁寅を引く:いわゆる「小正」とは、逐步に局面を扶正することである。小正の吉なる所以は、自己の位分に居りて力の及ぶ事を為すがゆえ。大正の凶なる所以は、時勢はすでに失われて、勉強に為すべからざるがゆえ。有為すべき時において為すべき事を為せば順遂、有為すべからざる時において為し得ざる事を為せば兇険。何ぞ謹慎せざらんや。

上六,乘馬班如,泣血漣如。本義 陰柔無應,處屯之終,進無所之,憂懼而已,故其象如此。程傳 六以陰柔居屯之終,在險之極,而無應援,居則不安,動無所之,“乘馬”欲往,復“班如”不進,窮厄之甚,至於“泣血漣如”,《屯》之極也。若陽剛而有助,則屯既板可濟矣。集說 梁氏寅曰:《屯》之極,乃亨之時也。而上六陰柔無應。不離於險,是安有亨之時哉?坎為血卦,又為加憂,“泣血漣如”之象也。

「上六、馬に乗りて班如、血を泣きて漣如。」朱熹《周易本義》はいう:上六は陰柔にして相「応」する爻なく、屯難の終点に処り、前進するも往くべき処なく、ただ憂愁恐懼の残るのみ。だからその象はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:上六は陰柔の質をもって屯難の最後に居り、また坎険の極処に在り、いかなる応援もなし。安く居れば安寧を得ず、行動すれば往くべき処なく、馬に騎って走らんと欲するもまた「班如」にして前進しえず、困厄の極点に至りて「血を泣きて漣如」に至る——眼中に血を泣き涕泪交り下る。これは屯難の頂点である。たとえそれが陽剛の質にしてまた人の相助あれば、屯難はすでに極に至るもなお挽救しうる。集説に梁寅を引く:屯難は極点に至れば、もと亨通に転向すべき時なれども、上六は陰柔にして正応なく、終始険中を脱離せず。いずれか亨通の時あらんや。《説卦伝》は坎を以て「血卦」と為し、また「加憂」と為す。これ正に「血を泣きて漣如」の象である。

案 卦者時也,爻者位也,此聖經之明文,而歷代諸儒所據以為說者,不可易也。然沿襲之久,每局於見之拘,遂流為說之誤。何則?其所曰為時者,一時也;其所指為位者,一時之位也。如《屯》則定為多難之世,而凡卦之六位,皆處於斯世,而有事於屯者也。夫是以二為初所阻,五為初所逼,遂使一卦六爻,止為一時之用,而其說亦多駁雜而不概於理,此談經之敝也。

李光地按する:卦の講ずるは時、爻の講ずるは位である。これは《易》経伝の裡の明明白白の文字であり、また歴代儒者の拠りて立説する根本であって、更改すべからず。しかるに因襲すること久しく、往々拘執の成見に局限され、ここに解説上の謬誤に流れる。何となればこのように言うか。彼らの言う所の「時」は、ただ或る具体の時であり、指す所の「位」も、ただあの一つの具体時段の裡の位次である。たとえば屯卦を多難の世と定めれば、ここに一卦の六つの爻位はみなこの乱世の裡に擺られ、みなその中において屯難の事を辦理する人と成る。よって六二は初九に阻隔せられ、九五は初九に逼迫せられたと言い、結果として一卦六爻はただ一時一事の用处と成った。この種の説法はすでに駁雑にしてまた道理に講じ通じず、これ正に経を解するの弊病である。

蓋易卦之所謂時者,人人有之,如《屯》則士有士之《屯》,窮居未達者是也。君臣有君臣之《屯》,志未就、功未成者是也。甚而庶民商賈之賤,其不逢年而鈍於市者,皆《屯》也。聖人繫辭,可以包天下萬世之無窮,豈為一時一事設哉?苟達此義,則初自為初之《屯》,德可以有為而時未至也。二自為二之《屯》,道可以有合而時宜待也。五自為五之《屯》,澤未可以遠施,則為之宜以漸也。其餘三爻,義皆仿是。蓋同在《屯》卦,則皆有《屯》象。異其所處之位,則各有處屯之理。

李光地続いて按する:《易》卦の言う所の「時」は、人人がみな遇う所のものである。屯卦に就いて言えば、士人には士人の屯あり——下位に困居してまだ顕達せざるを指す。君臣には君臣の屯あり——志向がまだ遂げず、功業がまだ成らざるを指す。甚だしきは平民商販のごとき低微の人も、好い年成に碰上せず、貨物が市に滞銷して売れ動かざれば、あれもまたみな屯である。聖人が卦爻辞を繫げたは、天下万世の窮尽なき情形を包挙せんと欲したので、いずれか或る時或る事のために設けたらんや。もしこの道理を明白にすれば、ならば初九は自ずから初九の屯あり——徳行は有為するに足るが時機はまだ到らざる。六二は自ずから六二の屯あり——道義の上で会合すべきだが時機はまさに等待すべき。九五は自ずから九五の屯あり——恩沢はまだ遠く施しえず、ただ循序漸進に做して行くのみ。其余の六三・六四・上六の三爻は、義理はみなこれに依って類推すべし。同じく屯卦の中に在りて、六爻はみな屯の象を帯び、しかして処する爻位の同じからざるに、各々便ち各々屯に処する道理あり。

中間以承乘比應取義者,亦虛象爾。故二之乘剛但取多難之象,初不指初之為侯也。五之屯膏,但取未通之象,亦不因初之為侯也。今日二為初阻,五為初逼,則初乃卦之大梗,而《易》為衰世之書,豈聖人意哉?六十四卦之理,皆當以此例觀之,庶乎辭無窒礙而義可得矣。

李光地続いて按する:その間「承」「乘」「比」「応」のこれらの爻際関係を用いて義を取るも、またただ虚設の象のみである。だから六二の「剛に乘る」は、ただ処境の多難の象を取るのみで、もともと初九が諸侯を為したを指すのではない。九五の「その膏を屯す」は、ただ膏沢まだ通ぜざるの象を取るのみで、また初九が諸侯を為したがゆえでもない。今は却って六二は初九に阻隔せられ九五は初九に逼迫せられたと言う。ならば初九は全卦の大禍根と成り、《周易》もまた専ら衰乱の世を写す書と成る。これいずれか聖人の本意ならんや。六十四卦の義理は、みなこの体例に照らして見るべく、ここに文辞の上に窒碍なくして義理を求め得んことを望まん。

蒙卦・艮上坎下

程傳 《蒙序卦》:“屯者盈也,屯者物之始生也,物生必蒙,故受之以蒙,蒙者蒙也,物之稚也。”屯者物之始生,物始生稚小,蒙昧未發,蒙所以次屯也。為卦艮,上坎下,艮為山為止,坎為水為險,山下有險,遇險而止,英知所之,蒙之象也。水必

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は蒙卦を講じていう:「屯は充盈、屯は万物の剛に萌生す。万物の生じ出るは必ず蒙昧。だから屯卦の後に接ぐは蒙卦である。蒙は即ち蒙昧、万物の幼稚の段階を指す。」屯は万物の初生。初生の物は幼小稚弱にして、蒙昧にしてまだ開発せられず。だから蒙卦は屯卦の後に排す。卦体に就いて言えば、艮は上に在り坎は下に在る:艮は山・止、坎は水・険である。山下に険阻あり、険阻に遇えば停まりて、茫然として何れの所に往くべきかを知らず。これ正に蒙昧の象である。水は必ず——ここで底本に脱文あり、《程伝》のこの一段の後半は缺失。

蒙,亨,匪我求童蒙,童蒙求我,初筮告,再三瀆,瀆則不告,利貞。本義 艮,亦三畫卦之名。一陽止於二陰之上,故其德為止,其象為山。“蒙”,昧也。物生之初,蒙昧未明也。其卦以坎遇艮,山下有險,蒙之地也。內險外止,蒙之意也。故其名為《蒙》。“亨”以下,占辭也。九二內卦之主,以剛居中,能發人之蒙者,而與六五陰陽相應,故遇此卦者有亨道也。“我”,二也;“童蒙”,幼稚而蒙昧,謂五也。

「蒙、亨。我童蒙を求むるに匪ず、童蒙我を求む。初筮は告ぐ、再三は瀆る、瀆るれば則ち告げず。貞に利し。」我があの蒙昧の童子を求むるに非ずして、童子が来りて我を求む。初次に占問すれば彼に告げ、一再三番に問えば即ち褻瀆で、褻瀆すれば再び彼に告げない。正を守るに利あり。朱熹《周易本義》はいう:艮もまた三画の経卦の名称で、一つの陽爻が二つの陰爻の上に止まる。だから卦徳は止、象を山に取る。「蒙」は昏昧で、万物が初生の時は蒙昧不明である。この卦は坎をもって艮に遇う。山下に険あり、正に蒙昧の処する地である。内裏は険にして外面は止、正に蒙昧の意態である。だから名を取って《蒙》とする。「亨」の字以下はみな「占辞」である。九二は内卦の主で、剛爻をもって中位に居り、能く他人の蒙昧を開発し、また六五と陰陽相「応」す。だからこの卦に遇う人は亨通の道あり。「我」の指すは九二、「童蒙」は幼稚にして蒙昧の人を指し、言う所は六五である。

筮者明,則人當求我而其亨在人;筮者暗,則我當求人而亨在我。人求我者,當視其可否而應之;我求人者,當致其精一而扣之。而明者之養蒙,與蒙者之自養,又皆利於以正也。程傳 “蒙”有開發之理,亨之義也。卦才時中,乃致亨之道。六五為《蒙》之主,而九二“發蒙”者也。“我”謂二也,二非《蒙》主,五既順巽於二,二乃“發蒙”者也,故主二而言。“匪我求童蒙,童蒙求我”,五居尊位,有柔順之德,而聲在童蒙,與二為正應、而中德又同,能用二之道以發其蒙也。二以剛中之德在下,為君所信向,當以道自守,待君至誠求己而後應之,則能用其道。匪我求於童蒙,乃童蒙來求於我也。

朱熹続いていう:占筮する人が自己は明白の一方なれば、他人をして来りて我を求めしむべく、亨通は他人の身に落つ。占筮する人が自己は昏昧の一方なれば、我をして往きて人を求めしむべく、亨通は自己の身に落つ。他人が来りて我を求むれば、我は彼の教うべきか否かを看て回应を決定する。我が往きて人を求むれば、専一誠懇の心を拿出して叩問する。しかして明白の一方が蒙昧者を教養するも、蒙昧者が自己を涵養するも、またみな正を守るを以て利とす。程頤《伊川易伝》はいう:蒙昧の中に開発しうる道理を含む。これ即ち「亨」の含義である。この卦の卦才は時に合しその中を得、正に亨を致すの道である。六五は蒙卦の主、しかして九二こそ「蒙を発する」人である。「我」は九二を指す。九二は蒙卦の主に非ず、ただ六五が柔順に九二に依従するがゆえに、九二は蒙昧を開発する人と成った。だから卦辞は九二に主して立言する。「我童蒙を求むるに匪ず、童蒙我を求む」とは、六五が尊位に居りて柔順の徳を具え、その名分は童蒙の地位に処し、九二と正「応」を為し、居中の徳もまた相同じく、能く九二の方法を采用して自己の蒙昧を開発するを言う。九二は剛中の徳をもって下位に居り、君主の信任向慕する所と為り、自己の道を守着して君主の極めて誠懇に来りて己を求むるを俟ちて然る後に回应すべし。こうしてはじめて彼の主張を施行しうる。我が童蒙を求むるに非ずして、童蒙が前来して我を求む。

“筮”,占決也。“初筮告”,謂至誠一意以求己則告之,再三則瀆慢矣,故不告也。發蒙之道,利以貞正,又二雖剛中,然居陰,胡宜有戒。集說 《朱子語類》云:人來求我,我則當視其可否而告之,蓋視其來求我之發蒙者,有初筮之誠則告之,再三煩瀆則不告之也。我求人,則當致其精一以叩之,蓋我而求人以發蒙,則當盡初筮之誠,而不可有再三之瀆也。

程頤続いていう:「筮」は即ち占問して疑を決す。「初筮は告ぐ」とは、相手方が極めて誠懇・一心一意に来りて我に求教すれば、我は彼に告ぐ。一再三番に来りて問えば、軽慢褻瀆である。だから再び告げない。蒙昧を開発する路子は、貞正を守持するを以て利とす。さらに言えば九二は剛中の徳あるも、陰位に居る。ゆえにまた警戒あるべし。集説に《朱子語類》を引く:他人が来りて我を求むれば、我は彼の教うべきか否かを看て然る後に彼に告ぐ——あの来りて我に求めて蒙を発せんとする人を看て、初次占筮のごとき誠意あれば彼に告げ、一再に煩擾褻瀆すれば彼に告げない。我が往きて人を求むれば、専一の心を拿出して叩問する——我はすでに人を求めて自己の蒙昧を開発せしむれば、初筮のごとき誠意を尽くすべく、再三褻瀆の挙動あるべからず。

項氏安世曰:待其求而後教之,由其心相應而不違,致一以導之,則其受命也如響。胡氏炳文曰:有天地即有君師,乾坤之後繼以《屯》,主震之一陽而曰“利建侯”,君道也;又繼以《蒙》,主坎之一陽而曰“童蒙求我”,師道也。君師之道皆利於貞。

集説に項安世を引く:彼自身の来りて求むるを俟ち、然る後に彼を教えれば、かくして彼の心は教誨と相応じて抵触せず。専一の態度をもって彼を引導すれば、彼が教命を接受するは回声の応和するがごとき迅捷。集説に胡炳文を引く:天地あれば即ち君と師あり。乾坤の後に接ぐは屯卦で、震の一つの陽爻を主として「侯を建つるに利し」と言う。講ずるは君たるの道。さらに接ぐは蒙卦で、坎の一つの陽爻を主として「童蒙我を求む」と言う。講ずるは師たるの道。君道と師道は、みな正を守るを以て利とす。

俞氏琰曰:“瀆”,與《少儀》“毋瀆神”之“瀆”同。不告,與《詩小昱》“我龜既厭,不我告猶”之義同。初筮則其志專一,故告。再三則煩瀆,故不告,蓋童蒙之求師,與人之求神,其道一也。林氏希元曰:童蒙不我求,則無好問願學之心,安能得其來而使之信?我求而誠或未至,則無專心致志之勤,安能警其惰而使之聽?待其我求而發之,則相信之深,一投而即入矣,待其誠至而發之,則求道之切,一啟而即通矣。此蒙者所以得亨也。

集説に兪琰を引く:「瀆」の字は《礼記・少儀》の「神を瀆ること毋れ」の「瀆」と同じ。「告げず」は《詩経・小雅》の言う「我が亀はすでに厭き、我に告げず」(我亀既厭不我告猶)——亀霊はすでに厭煩し、再び謀略を我に告げない——と同一の意である。初次に占筮する時は心志が専一。だから神明は告知す。一再に占問すれば煩瀆と成る。だから再び告知しない。童蒙の師を求むると、人の神明を求むるとは、道理はもと一様である。集説に林希元を引く:童蒙が来りて我を求めざれば、彼に好問楽学の心なきを説明し、何をもって彼を招き前来せしめまた彼をして信服せしめんや。我が往きて彼を求めて誠意が或いはまだ足らざれば、我に専心致志の勤懇なきを説明し、何をもって彼の怠惰を警醒せしめまた彼をして聴従せしめんや。彼の来りて我を求むるを俟ちて再び彼を開発すれば、彼此の信任は深く、一投合すれば進み入るを得。誠意の到るを俟ちて再び彼を開発すれば、彼の道を求むる心は切にして、一点撥すれば通ず。これ即ち蒙昧者が亨通を得る所以の故である。

初六,發蒙,利用刑人,用說桎梏,以往,吝。本義 以陰居下,蒙之甚也。占者遇此,當發其蒙。然發之之道,當痛懲而暫舍之,以觀其後。若遂往而不舍,則致羞吝矣。戒占者當如是也。程傳 初以陰暗居下,下民之蒙也。爻言發之之道,發下民之蒙,當明刑禁以示之,使之知畏,然後從而教導之。自古聖王為治,設刑罰以齊其眾,明教化以善其俗,刑罰

「初六、蒙を発す。刑人を用いるに利し、桎梏を説くを用う。以往すれば吝なり。」朱熹《周易本義》はいう:初六は陰爻をもって最も下に居り、蒙昧の最も甚だしき者である。占筮する人はこの一爻に遇えば、彼の蒙昧を開発すべし。ただし開発の弁法は、まず痛く懲戒を加え、再びしばらく彼を放ち開きて、彼の此後の表現を看る。もし一直に厳辦し下りて放手を肯んぜざれば、羞辱悔恨を招来す。これは占者に告戒してこのようにすべきという。程頤《伊川易伝》はいう:初六は陰暗の質をもって最も下に居り、下層百姓の蒙昧である。爻辞の講ずるはそれを開発する弁法である:下民の蒙昧を開発せんと欲せば、刑罰禁令を明示して彼らをして見せしめ、彼らをして畏れを知らしめ、然る後に教導を加うべし。自聖王の天下を治理するや、刑罰を設立して民衆を整斉し、教化を昌明して風俗を敦厚にし、刑罰は——ここで底本に脱文あり、《程伝》の下文は缺失。

集說 王氏安石曰:不辨之於蚤,不懲之於小,則蒙之難極矣。當《蒙》之初,不能正法以懲其小,而“用說桎梏”,縱之以往,則吝道也。王氏宗傳曰:所謂刑人者,正其法以示之,立其防束,曉其罪戾,而豫以禁之,使蒙蔽者知所戒懼,欲有所縱而不敢為,然後漸知善道,可得而化之也。當是時也,夫苟說其桎梏,而不豫以禁之,由過此以往,不可復制矣。故於發蒙之初,“用刑人”則以為利,“用說桎梏”則以為吝也。

集説に王安石を引く:早き処において辨明せず、小き処において懲戒せざれば、蒙昧の醸成する禍患は極点に大ならん。蒙卦の開頭に正に当たり、法度を端正して彼の小過を懲戒しえず、却って「桎梏を説くを用い」、手銬脚鐐を一概に解き去り、一味に放縦し下れば、あれは羞吝を招致する路子である。集説に王宗伝を引く:いわゆる「刑人」とは、法令を端正して彼に見せ、防範約束を立下し、触犯すればいかなる罪責あるかを講明し、預め禁止を加えて、蒙昧受蔽の人をして戒惧を知らしめ、心裡に放縦せんと欲するも敢えて為さざらしめ、然る後に漸々善道を懂りて感化し来らしむべし。この時候において、もし彼の桎梏を解きて預め禁止せざれば、これより以往して再び管束しえない。だから蒙昧を開発する起初において、「刑人を用いる」は有利と看做され、「桎梏を説くを用いる」は羞吝と看做される。

胡氏炳文曰:“利用刑人”,痛懲之也。“用說桎梏”,暫舍之以觀其後也。痛懲而不暫舍,一於嚴以往,是不知有敬敷五教在寬之道也,故吝。案 二王氏之說,則“利用刑人,用說桎梏以往吝”,只是一正一反口氣,正如“師出以律”、失律凶之比爾。

集説に胡炳文を引く:「刑人を用いるに利し」は痛く懲戒を加うること、「桎梏を説くを用う」はしばらく彼を放ち開きて彼の此後如何を看ること。ただ痛懲を知りて暫時放手を肯んぜず、一味に厳厲に做し下れば、即ち《尚書》の言う「敬に五教を敷くは寛に在り」——恭謹に五種の倫理教化を推行して寛厚を本とす——の道理を懂らざるで、だから羞吝を招致す。李光地按する:王安石・王宗伝両氏の解釈に照らせば、「刑人を用いるに利し、桎梏を説くを用い、以往すれば吝なり」はただ一正一反の両種の口気で、正に師卦初六の言う「師出ずるに律を以てす」にして律を失えば凶なると、同一の句法である。

九二,包蒙吉,納婦吉,子克家。本義九二以陽剛為內卦之主,統治群陰,當發蒙之任者。然所治既廣,物性不齊,不可一概取必。而爻之德剛而不過,為能有所包容之象。又以陽受陰,為“納婦”之象。又居下位而能任上事,為“子克家”之象。故占者有其德而當其事,則如是而“吉”也。

「九二、蒙を包むれば吉、婦を納れれば吉、子家を克く。」朱熹《周易本義》はいう:九二は陽剛の質をもって内卦の主を為し、衆多の陰爻を統率治理して、蒙昧を開発する任を担当する人である。しかるに治する所の範囲はすでに広く、各人の性情もまた参差不斉で、一概に強いて斉一を求めえない。しかしてこの一爻の徳性は剛健にして過分ならず、正に能く包容するの象あり。それはまた陽爻をもって陰爻を接納して「婦を納る」の象と成り、また下位に身居して能く上位の事を担当して「子家を克く」の象と成る。だから占筮する人がこういう徳行を具備し、また正にこういう事情に当たれば、これらの爻辞の言う所に照らして吉を得る。

程傳 “包”,含容也。二居蒙之世,有剛明之才,而與六五之君相應,中德又同,當時之任者也。必廣其含容,哀矜昏愚,則能發天下之蒙,成治蒙之功。其道廣,其施博,如是則“吉”也。卦唯二陽爻,上九剛而過,唯九二有剛中之德而應於五,用於時而獨明者也。苟恃其明,專於自任,則其德不宏。故雖婦人之柔暗,尚當納其所善,則其明廣矣。又以諸爻皆陰,故云“婦”。

程頤《伊川易伝》はいう:「包」は含容である。九二は蒙昧の時世に処し、剛健明達の才具を具え、また六五の君と相「応」じ、居中の徳も相同じい。当世の重任を担当する人である。それは必ず自己の含容を拡大し、昏愚の人を哀怜体恤して、こうしてはじめて天下の蒙昧を開発し、蒙を治する功業を成就しうる。行う所の道は広く、施す所の恵は博く、かくのごときなれば吉利である。全卦にただ二つの陽爻あり、上九は剛強にして過頭に失す。ただ九二のみが剛中の徳を具備して六五と相応じ、当世に任を受けて独り明識を具える人である。もし自己の明識を仗恃して、一味に自負独断せば、その徳量は弘大ならざらん。だからたとえ婦人のごとき柔弱昏暗の一方でも、彼女たちの好い意見を采纳すべし。こうして明識ははじめて広し。又、其余の各爻がみな陰爻なるがゆえに、「婦」と称する。

堯舜之聖,天下所莫及也,尚曰清問下民,取人為善也。二能包納,則克濟其君之事,猶子能治其家也。五既陰柔,故發蒙之功,皆在於二。以家言之,五,父也,二,子也,二能主《蒙》之功,乃人子克治其家也。

程頤続いていう:堯・舜のごとき聖人は、天下に比ぶ者なし。《尚書》の裡に尚お彼らの「下民を清く問う」(虚心にして下面の百姓を訪問する)を記載す。これ正に他人の長処を取って以て善と為すである。九二は能く包容接納すれば、能く君主の托付する事を辦成しうる。ちょうど兒子が能く家業を操持するがごとし。六五はすでに陰柔なれば、蒙昧を開発する功效は全く九二の身に落つ。一家をもって比方すれば、六五は父親、九二は兒子で、九二が能く蒙を治する功業を主持するは、正に兒子たる者が能く家務を操持するである。

集說 楊氏萬里曰:五求二,二匪求五,乃曰“子克家”,何也?臣事君,如子事父,正使致君如伊、周,亦臣子分內事,如子之克家耳,非功也。王氏申子曰:“包蒙”者,包眾蒙而為之主也。“納婦”者,受眾陰而為之歸也。此通一卦而言也。五,尊也,父也。二,卑也,子也。處卑而任尊者之事,“子克家”之象也。此以應五而言也。

集説に楊万里を引く:六五が来りて九二を求むるのであって、九二が往きて六五を求むるに非ず。しかるに爻辞は却って「子家を克く」という。これは何故か。臣子が君主に事奉するは、兒子が父親に事奉するがごとし。たとえ君主を輔佐して伊尹・周公のごとき成就に達するも、不過臣子の分内の事で、正に兒子が家業を操持するのみ、何の功労か算せざる。集説に王申子を引く:いわゆる「包蒙」とは、衆多の蒙昧者を包容して彼らの主を為す。いわゆる「納婦」とは、衆多の陰爻を接納して彼女たちの帰宿を為す。これは全卦に就いて通盤に言うのである。六五は尊者・父、九二は卑者・子である。卑位に処して尊者の事を担当するは、正に「子家を克く」の象で、これはそれが六五と相応ずるに就いて言う。

胡氏炳文曰:初爻統說治蒙之理,餘三四五皆是蒙者,治蒙只在陽爻,而九二為治蒙之主。梁氏寅曰:陽剛明,陰柔暗,故陰為蒙者,而陽為發蒙者。卦唯二陽,而九二以剛居中,為內卦之主,與五相應。當發蒙之任,盡發蒙之道,非九二其誰哉?二中而不過,

集説に胡炳文を引く:初六の一爻は総じて蒙を治する道理を言い、其余の六三・六四・六五はみな治めらるる蒙昧者である。蒙を治する責任はただ陽爻の身に落ち、しかして九二は蒙を治する主爻である。集説に梁寅を引く:陽は剛健にして明、陰は柔弱にして暗。だから陰爻は蒙昧者、陽爻は蒙昧を開発する人である。全卦にただ二つの陽爻あるが、九二は剛爻をもって中位に居り、内卦の主で、また六五と相「応」す。蒙昧を開発する任を担当し蒙昧を開発する道を尽くすは、九二を除きて誰かあらん。九二は中に居りて過分ならず——ここで底本に脱文あり、梁氏の説の下半は缺失。

六三,勿用取女,見金夫,不有躬,無攸利。本義 六三陰柔,不中不正,女之“見金夫”而不能有其身之象也。占者遇之,則其取女必得如是之人,無所利矣。“金夫”,蓋以金賂己而挑之,若魯秋胡之為者。

「六三、女を取るを用いる勿れ。金夫を見て躬を有せず。往く利なし。」朱熹《周易本義》はいう:六三は陰柔で、すでに「中」ならずまた「正」ならず。正に女子が銭ある男子を見れば自身を守住しえざるの象である。占筮する人がこの一爻に遇えば、彼の娶る女子は必ずこういう人で、なんの好処もない。いわゆる「金夫」とは、大概銭財をもって自己を賄賂し挑逗する男子で、ちょうど魯国の秋胡が黄金をもって路傍で桑を採る婦人を調戯したがごとき行従である。

程傳 三以陰柔處蒙暗,不中不正,女之妄動者也。正應在上,不能遠從,近見九二為群蒙所歸,得時之盛,故舍其正應而從之,是女之“見金夫”也。女之從人,當由正禮,乃見人之多金,說而從之,不能保有其身者也,無所往而利矣。

程頤《伊川易伝》はいう:六三は陰柔の質をもって蒙昧の中に処り、すでに中ならずまた正ならず。女子の中の妄動する一類である。その正「応」は上九に在るが、路遠くして追随しえない。近処に九二が衆多の蒙昧者の帰附する所と為るを見、正に時を得た盛勢に当たり、ここに自己の正応を捨棄して九二に追随しに行く。これ即ち女子の「金夫を見」るである。女子が人に身を許すは、正当の礼数を経由すべし。今は人家の銭多きを見て歓喜して随いて去る。これは自身を保ちえざる人で、何れの所に往くも利ならざらん。

集說 王氏弼曰:童蒙之時,陰求於陽,晦求於明。六三在下卦之上,上九在上卦之上,男女之義也。上不求三,而三求上,女先求男者也。女之為體,正行以待命者也。見剛夫而求之,行在不順,故“勿用取女”而“無攸利”。

集説に王弼を引く:童蒙の時に処れば、陰は往きて陽を求め、昏昧は往きて明白を求める。六三は下卦の最上に居り、上九は上卦の最上に居る。両者は男女相配の義あり。しかるに上九は来りて六三を求めず、却って六三が往きて上九を求む。これは女子が先に搶りて男子を求むるである。女子の本分は、自己の行為を端正して相手方の聘り来るを俟つ。今は剛強の男子を見れば自己より往きて求む。行為は不順の一辺に落つ。だから「女を取るを用いる勿れ」にして「往く利なし」という。

趙氏汝楳曰:人致蒙者多端,故亨蒙非一術。有不被教育而蒙者,初是也。有不能問學而蒙者,四是也,有性質未開而蒙者,五是也。如三則自我致蒙,聖人戒之曰:“勿用取女”。或發之,或擊之,教亦多術,勿取非絕之,不屑之教也。林氏希元曰:六三又別取一義,意因二爻取納婦一事,故發此象。

集説に趙汝楳を引く:人が蒙昧に陥る縁由は多種多様。だから蒙昧者を通達せしむる弁法もまた一種のみならず。教育を受けざるがゆえに蒙昧なるあり、初六即ち是。問学を肯んぜざるがゆえに蒙昧なるあり、六四即ち是。資質がまだ開啓せざるがゆえに蒙昧なるあり、六五即ち是。六三に至っては、則ち自己より招来した蒙昧で、聖人は告戒して「女を取るを用いる勿れ」という。或いは彼を開発し、或いは彼を敲撃する。教法はもともとまた許多の種あり。「取る勿れ」というは彼を断絶するに非ず、これ正に《孟子》の言う「屑として之を教誨せず」——理睬を加えざるをもって彼を警醒する。集説に林希元を引く:六三はまた別に一層の含義を取る。大概九二一爻が「納婦」の一事を取ったがゆえに、ここにおいてこの象を発した。

案 “金夫”本意不黏爻象,《程傳》以為九二。然九二發蒙之主,若三能從之,正合彖辭“童蒙求我”之義,不應謂之不順。蓋《易》例陰爻居下體,而有求於上位者皆凶,王氏之說近是。

李光地按する:「金夫」の本意はもと或る爻象に粘着せず、《程伝》は却ってそれを坐実して九二とした。しかるに九二は蒙昧を開発する主爻で、もし六三が能くそれに追随せば、正に卦辞の「童蒙我を求む」の意に合し、不順と説くべからず。大凡《周易》の通例は、陰爻が下体に居りて上位に向かい求むる所有るはみな凶を主とす。王弼の説法は比較的本意に近い。

六四,困蒙,吝。本義既遠於陽,又無正應,為因於蒙之象。占者如是,可羞吝也。能求剛明之德而親近之,則可免矣。程傳 四以陰柔而蒙暗,無剛明之親授,無由自發其蒙,困於昏蒙者也,其可吝甚矣。“吝”,不足也,謂可少也。

「六四、蒙に困む、吝。」朱熹《周易本義》はいう:六四はすでに両個の陽爻を遠離し、また正「応」なし。だから蒙昧に困むの象あり。占筮する人がこういう境地に処するは、羞じ惜しむべし。もし剛健明達の人を尋求して彼に親近せば、この患を免れうる。程頤《伊川易伝》はいう:六四は陰柔の質をもって昏昧無知で、剛明の人の親く伝授することなく、自ら蒙昧を開発する由なし。昏蒙に困せらるる一爻で、羞惜の極点に至る。「吝」は足らざるの意で、即ちいわゆる欠缺あり惜しむべし。

集說王氏弼曰:獨遠於陽,處兩陰之中,闇莫之發,故曰“困蒙”也。困於蒙昧,不能比賢以發其志,亦以鄙矣,故曰“吝”也。胡氏炳文曰:初與三比二之陽,五比上之陽,初三五皆陽位,而三五又皆與陽應,唯六四所比所應所居皆陰,困於蒙者也。蒙豈有不可教者?不能親師取友,其困而吝也,自取之也。

集説に王弼を引く:六四は単々陽爻を遠離し、また両個の陰爻の中に夾まり、昏暗にしてそれを開発する人なし。だから「困蒙」と呼ぶ。蒙昧の中に困せられて、賢者に親近して自己の志向を開啓しえず、また鄙陋である。だから「吝」という。集説に胡炳文を引く:初六・六三はみな九二この陽爻に緊「比」し、六五は上九この陽爻に緊比す。初・三・五はまたみな陽位で、三と五はまたみな陽爻と相「応」す。ただ六四のみが比する所・応ずる所・居る所は全く陰である。だから蒙昧に困せらる。蒙昧の人にいずれか教え難きあらんや。ただ師長に親近し益友を結交しえざるがゆえに、この份の困頓と羞吝は自己より招来したものである。

六五,童蒙,吉。本義 柔中居尊,下應九二,純一未發,以聽於人,故其象為“童蒙”,而其占為如是則吉也。程傳 五以柔順居君位,下應於二,以柔中之德,任剛明之才,足以治天下之蒙,故“吉”也。童,取未發而資於人也。為人君者,苟能至誠任賢以成其功,何異乎出於己也?

「六五、童蒙、吉。」朱熹《周易本義》はいう:六五は柔爻をもって中に居りて尊位に処し、下において九二と相「応」じ、心地は純一にしてまだ啓発せられず、肯んじて他人に聴従す。だから象を「童蒙」に取り、占断はこのようであれば吉利という。程頤《伊川易伝》はいう:六五は柔順の徳をもって君位に居り、下において九二と相応じ、柔中の徳に憑って剛明の才を任用して、天下の蒙昧を治理するに足る。だから吉利。「童」と称するは、まだ開発せられずして人に有待する意を取る。君主たる者は、もし能く極めて誠懇に賢才を任用して功業を成就せば、それは自己の手に出るとなんの分別かあらん。

胡氏炳文曰:屯所主在初,卦曰“利建侯”,而爻於初言之;《蒙》所主在二,卦曰“童蒙求我”,而爻於五言之,五應二者也。童蒙純一未發以聽於人,居尊位而能以童蒙自處,其吉可知。蔡氏清曰:柔中居尊,純一未發,此“童蒙”字,與卦辭“童蒙”字小不同。蓋卦辭只是說蒙昧而已,此之童蒙,言其有柔中之善,純一之心。純則不雜,一則不二。蓋有安己之心,而無自用之失,有“初筮”之誠,而無“再三”之瀆”,信乎其吉矣。《程傳》童取未發而資於人者也,此語最初。

集説に胡炳文を引く:屯卦の主とする所は初九で、卦辞は「侯を建つるに利し」といい、しかして爻辞は初九一爻において説き出す。蒙卦の主とする所は九二で、卦辞は「童蒙我を求む」といい、しかして爻辞は却って六五一爻において説き出す。六五は正に九二と相応ずる一方だからである。童蒙は心地純一・まだ啓発せられずして肯んじて他人に聴従し、尊位に身居して能く童蒙を以て自処す。その吉利は想い知るべし。集説に蔡清を引く:六五は柔中にして尊位に居り、純一にして未発で、ここの「童蒙」の二字は卦辞の裡の「童蒙」と略々同じでない。卦辞は不過蒙昧を言うのみだが、ここの童蒙は、それに柔中の善・純一の心あるを言う。純なれば駁雑せず、一なれば二三その志せず。それに安んじて自身に居る心ありて、師心自用の過失なく、「初筮」のごとき誠意ありて、「再三」のごとき褻瀆なし。その吉利なるも怪しむに足らず。《程伝》の「童」の取るはまだ開発せられずして人に有待するというは、この句は最も精切に言い得た(底本は「最精」を「最初」と訛す)。

又曰:宋敷文閣直學士李椿有曰,《易》以九居五,六居二為當位,而辭多艱;以六居五,九居二為不當位,而辭多吉。蓋君以剛健為體,而虛中為用;臣以柔順為體,而剛中為用。君誠以虛中行其剛健,臣誠以剛中守其柔順,則上下交而其志同矣,實易爻之通例。

蔡清またいう:宋代の敷文閣直学士李椿が言いえり——《周易》の裡で九を以て五に居り、六を以て二に居るを「当位」と算すが、しかし爻辞は多く艱難を講ず。六を以て五に居り、九を以て二に居るを不当位と算すが、しかし爻辞は多く吉利を講ず。これは君主が剛健を以て体とし、虚心居中を以て用とし、臣子が柔順を以て体とし、剛中を以て用とするがゆえである。君主が真に能く虚心を以てその剛健を施行し、臣子が真に能く剛中を以てその柔順を守持せば、ならば上下交感して心志相同じからん。これ実に《周易》爻辞の一条の通例である。

上九,擊蒙,不利為寇,利禦寇。本義 以剛居上,治蒙過剛,故為“擊蒙”之象。然取必太過,攻治太深,則必反為之害。唯捍其外誘,以全其真純,則雖過於嚴密,乃為得宜。故戒占者如此。凡事皆然,不止為誨人也。

「上九、蒙を撃つ。寇を為すに利あらず、寇を御ぐに利し。」朱熹《周易本義》はいう:上九は剛爻をもって全卦の最上に居り、蒙昧を治理するに過剛に失す。だから「蒙を撃つ」の象あり。しかし強求すること太く過ぎ、攻治すること深く甚だしければ、必ず却って禍害と成る。ただ彼に替わって外来の誘惑を抵擋して、彼の天真純朴を保全すれば、ならばたとえ厳密が頭を過ぐるも、処置得当と算すべし。だからこのように占筮する人に告戒する。凡そ事はみなこのようで、ただ人を教誨するこの一端のみに非ず。

程傳 九居蒙之終,是當蒙極之時,人之愚蒙既極,如苗民之不率,為寇為亂者,當擊伐之。然九居上,剛極而不中,故戒“不利為寇”,治人之蒙,乃“禦寇”也。肆為剛暴,乃為寇也,若舜之征有苗,周公之誅三監,“禦寇”也。秦皇漢武窮兵誅伐,“為寇”也。

程頤《伊川易伝》はいう:上九は蒙卦の終点に処り、正に蒙昧の極に至る時に当たる。人が愚昧の極処に至れば、三苗の民の服従を肯んぜざるがごとく、寇盗禍乱と成り、討伐を加うべし。しかし上九は最上に居り、剛は極処に至りて中に居らず。だからそれに告戒して「寇を為すに利あらず」という。他人の蒙昧を治理するを「寇を御ぐ」と呼ぶ。肆意にその剛暴を逞しくすれば、あれは即ち自己が寇を為したである。虞舜の有苗を征討し、周公の管叔・蔡叔・霍叔の三監の乱を誅除したがごときは、「寇を御ぐ」に属す。秦始皇・漢武帝の窮兵黷武・四出誅伐は、則ち「寇を為す」に属す。

集說 楊氏簡曰:擊其蒙,治之雖甚,不過御其為寇者而已,去其悖道之心而已。擊之至於太甚,而我反夫乎道,是擊之者又為寇也,故戒之曰:“不利為寇,利禦寇。”吳氏澄曰:二剛皆治蒙者,九二剛而得中,其於蒙也能包之,治之以寬者也。上九剛極不中,其於蒙也,乃擊之,治之以猛者也。

集説に楊簡を引く:彼の蒙昧を敲撃するは、処置は厳厲なれども、不過彼の乱を作し寇を為すあの一面を抵御するのみ、彼の正道に違背する心思を除去するのみである。敲撃が太く過分の地步に至れば、自己は却って正道を喪失し、ならば敲撃を施加する人はまた寇と成る。だから告戒して「寇を為すに利あらず、寇を御ぐに利し」という。集説に呉澄を引く:両個の陽爻はみな蒙を治する人である。九二は剛健にして中を得、蒙昧に対待して能く包容す。これは寛厚をもって治理する。上九は剛が極処に至りて中に居らず、蒙昧に対待すれば動手して敲撃す。これは猛烈をもって治理する。

總論項氏安世曰:六爻之義,初常對上,二常對五,三常對四觀之,則其義易明。初用刑以發之,上必至於用兵以擊之;二為包而接五,則五為童而巽二;三為見二而失身,則四為遠二而失實。大約諸卦多然,終始見於初上,而曲折備於中爻也。

総論に項安世を引く:六爻の含義は、初爻を上爻と相対し、二爻を五爻と相対し、三爻を四爻と相対して看れば、義理は明白を得易し。初六は刑罰をもって蒙昧を開発し、上九は発展して兵を用いて敲撃するに至る。九二は能く包容して上に六五を承け、六五は便ち童蒙の心を以て謙遜に九二に依従す。六三は九二を見たがゆえに身を失い、六四は九二を遠離したがゆえにその実を失う。大抵各卦は多くこのようである:一卦の始終は初爻と上爻に見え、しかしてその中の曲折変化は中間の数爻に備わる。

蔡氏清曰:詳觀蒙卦六爻,在蒙者便當求明者,在明者便當發蒙者,而各有其道。然要之不出卦辭數句矣,故曰“智者觀其彖辭則思過半矣”。若三四則自暴自棄,雖聖人與居,不能化而入者也。吳氏曰慎曰:治蒙之道,當發之養之,又當包之,至其圾乃擊之,刑與兵所以弼教,治蒙之道備矣。

総論に蔡清を引く:細かく蒙卦六爻を看れば、蒙昧の地位に処するは明白の人を求めに行くべく、明白の地位に処するは蒙昧の人を開発しに行くべく、各々各々の弁法あり。しかるに帰総すればみな卦辞のあの数句を出ず。だから《繫辞伝》は「智者はその彖辞を観れば、則ち思う所半ばを過ぎたり」という。六三・六四に至っては、あれは自暴自棄の人で、聖人が彼らと同処するも、感化し入れない。総論に呉曰慎を引く:蒙を治する弁法は、彼を開発し彼を涵養すべく、また彼を包容すべく、彼が危殆にして制し難き地步に至ってはじめて彼を敲撃す。刑罰と兵威は以て教化を輔助するに用いる。かくのごとくなれば、蒙を治する道は完備す。

需卦・坎上乾下

程傳 《需序卦》:“蒙者蒙也,物之稚也。物稚不可不養也,故受之以需。需者飲食之道也。”夫物之幼稚,必待養而成,養物之所需者飲食也,故曰“需者飲食之道也”,雲上於天,有蒸潤之象,飲食所以潤益於物,故需為飲食之道,所以次蒙也。卦之大意,須待之義,《序封、》取所須之大者耳。乾健之性,必進者也,乃處坎險之下,險為之阻,故須待而後進也。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は需卦を講じていう:「蒙は即ち蒙昧、万物の幼稚の段階を指す。幼稚の物は養育を加えざるべからず。だから蒙卦の後に接ぐは需卦である。需は即ち飲食の道。」凡そ幼稚の物は、必ず養育を等待してはじめて長成しうる。しかして万物を養育するの需る所は飲食に過ぐるはなし。だから「需とは飲食の道なり」という。需卦《大象》は雲が天上に升るを講じ、蒸騰潤沢の象あり。飲食は正に万物を滋潤補益するに用いる。だから需は飲食の道と為り、よって蒙卦の後に排す。この卦の大意は等待である。《序卦伝》(底本は「序卦」を「序封、」と訛す)はただ等待する所の事中の最大の一項を挙出して言うのみである。乾の性情は剛健で、もとは必ず前進せんと欲する。今は却って坎険の下に処り、険がそれを阻挡する。だから必ず等待して然る後に前進せねばならぬ。

需有孚,光亨,貞吉,利涉大川。本義 “需”,待也。以乾遇坎,乾健坎險,以剛遇險,而不遽進以陷於險,待之義也。“孚”,信之在中者也。其卦九五以坎體中實,陽剛中正,而居尊位,為有孚得正之象。坎水在前,乾健臨之,將涉水而不輕進之象。故占者為有所待而能有信,則“光亨”矣。若又得正則吉,而“利涉大川”,正固無所不利,而涉川尤貴於能待,則不欲速而犯難也。

「需孚あり、光亨、貞吉、大川を渉るに利し。」朱熹《周易本義》はいう:「需」は等待である。この卦は乾が坎に遇う。乾は剛健にして坎は険陥。剛健の質をもって険難に遇上するも、急躁に前進して険中に陷入すること致さず。正に等待の含義である。「孚」は心中に存する誠信である。この卦の九五は坎体の中に在り、中間の実爻で、また陽剛中正にして尊位に居る。正に心に誠信を懐きてその正を得る象。坎水は前面に横たわり、乾健はそれに逼臨す。まさに渉水せんとして軽率に前進せざるの象。だから占筮する人が能く等待あるにしてまた心に誠信を存せば、「光亨」——光明にして亨通す。もしさらに能く正を守れば吉利にして、しかも「大川を渉るに利し」。正を守るは固より往きて利ならざるなし。しかして大川を渉越するは特に能く等待するを貴び、即ち速さを図って冒険しに行かざるである。

程傳 “需”者,須待也。以二體言之,乾之剛健上進而遇險,未能進也,故為需待之義。以卦才言之,五居君位,為需之主,有剛健中正之德,而誠信充實於中。中實,有孚也。有孚則光明而能亨通,得貞正而吉也。以此而需,何所不濟?雖險無難矣,故“利涉大川”也。凡貞吉,有既正且吉者,有得正則吉者,當辨也。

程頤《伊川易伝》はいう:「需」は即ち等待である。上下両卦の卦体に就いて言えば、乾は剛健にして上に向かい前進せんと欲するが、険陥に遇上して一時に前進しえない。だから等待の義を取る。一卦の卦才に就いて言えば、九五は君位に居り、需卦の主で、剛健中正の徳を具えて誠信が心中に充実す。中爻は実、即ち「孚あり」である。孚あれば光明にして能く亨通し、その貞正を得れば吉利である。このごとき徳行をもって等待すれば、またなんの辦成せざるかあらん。たとえ険ありとも難事と算さず。だから「大川を渉るに利し」という。凡そ経文の「貞吉」というは、あるものは本来すでに正しくまた吉なるを指し、あるものは能く正を守ってはじめて吉なるを指す。両者は分辨し明白にすべし。

集說 《朱子語類》云:“需”者寧耐之意,以剛遇險,時節如此,只得寧耐以待之。且如涉川者,多以不能寧耐致覆溺之禍,故《需》卦首言“利涉大川”。項氏安世曰:需非終不進也,抱實而遇險,有待而後進也。凡待者,皆以其中有可待之實也,我實有之,但能少待,必有“光亨”之理。若其無之,何待之有?故曰“需有孚光亨”。“光亨”者不可以盈,必敬慎以終之,故曰“貞吉”。信能行此,則其待不虛,其進不溺,故曰“利涉大川”。“有孚光亨貞吉”者,《需》之道也;“利涉大川”者,《需》之效也。

集説に《朱子語類》を引く:「需」は安心忍耐の意である。剛健の質をもって険難に遇上するは、時勢がすでにこのようであれば、ただ性根を据えて等待するのみ。たとえば河を渡る人は、多く忍耐しえざるがゆえに翻船溺水の禍を招来す。だから需卦は特地に「大川を渉るに利し」を提出す。集説に項安世を引く:等待とは始終前進せざるに非ずして、真実の憑藉を懐抱しながら険難に遇上し、等待する所ありて然る後に進む。凡そ能く等待する人は、みな心中に等待するに値する実在の物あるがゆえである。我は確かにそれを有し、ただ能く稍々等待せば、必ず光明亨通の道理あり。もしもと無ければ、また何をか等待せん。だから「需孚あり光亨」という。すでに光明亨通する人は自満すべからず。必ず恭敬謹慎を以てそれを貫徹し底まで致すべし。だから「貞吉」という。真に能くこのように為せば、ならばその等待は落空せず、その前進は沉溺しない。だから「大川を渉るに利し」という。「孚あり光亨貞吉」の講ずるは需卦の道理、「大川を渉るに利し」の講ずるは需卦の功效である。

胡氏炳文曰:需而無實,無光且亨之時;需而非正,無吉且利之理;世有心雖誠實,而處事或有未正者,故曰“孚”,又曰“貞”。林氏希元曰:凡人作事,皆責成於目前,其間多有阻礙而目前不可成者,其勢不容於不待。然不容不待者,其心多非所樂,其待也,未必出於中誠,不免於急迫覬望之意,如此則懷抱不開,胸中許多闇昧抑塞,而不光明豁達,故聖人特發“有孚”之義。

集説に胡炳文を引く:等待して胸中に真実の憑藉なければ、光明亨通の時あるべからず。等待して守る所正しからざれば、吉利の道理なし。世の中に人ありて心は誠実なれども、事に処すること未だ必ずしも端正ならず。だから卦辞はすでに「孚」と言い、また「貞」と言う。集説に林希元を引く:一般人は事を為すにみな眼前において成效を見るを指望するが、その中に多く阻碍を受けて眼前に辦成しえざるあり。形勢が彼を逼って等待せざるべからざらしむ。しかし等待せざるべからざる人は、心裡多くは並び情願せず、その等待は未だ必ずしも内心の誠意に出ず、急迫の覬望を帯びるを免れない。かくのごとくなれば懐抱は打開せず、心裡に許多の昏昧抑塞を堵えて、光明豁達に能わず。だから聖人は特地に卦辞の裡において「孚あり」の道理を点出した。

蓋遇事勢之末可為,即安於義命,從容以待機會,而不切切焉以厚覬望,則其待也,出於真實而非虛假矣。如此則心逸日休,胸襟灑落而無滯礙,不亦光明豁達乎?然使心安於需,而事或未出於正,則將來亦未必可成,必也所需之事,皆出於正,而無行險僥倖之為,則功深而效得,時動而事起,曏者之所需,而今皆就緒矣,故吉。

林希元続いていう:事勢がまだ為すべからざる時に遇上せば、道義と命分に安んじ、従容として機会を等待して、急切に過多の覬望を懐かざれば、ならばその等待は真実に出て虚仮に非ず。かくすれば心は安逸にして日子は愈々美しく、胸襟は洒脱にして窒碍なく、光明豁達に非ざらんや。ただし、たとえ心は等待に安んずとも、辦する事は未だ必ずしも正道に出ず、将来もまた未だ必ずしも成らざらん。必ず等待する所の事情がみな正道に出で、鋌而走険・侥幸取利の挙動なからしめてこそ、功夫深ければ効験は自然に到来し、時機が一動すれば事情は興起し、従前の等待した所は、今はみな頭緒あり。だから吉利。

初九,需于郊,利用恆,無咎。程傳 需者以遇險,故需而後進。初最遠於險,故為“需于郊”。“郊”,曠遠之地也。處於曠遠,利在安守其常,則“無咎”也;不能安常,則躁動犯難,豈能需於遠而無過也?集說 孔氏穎達曰:難在於坎,初九去難既遠,故待於郊。“郊”者,境上之地,去水遠也。“恆”,常也。遠難待時,以避其害,故宜保守其常,所以“無咎”。

「初九、郊に需つ。恒を用いるに利し、咎なし。」この爻の底本は《本義》一節を缺く。程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる需とは、険難に遇上したがゆえに、等待して然る後に前進する。初九は険難を離るること最も遠し。だから「郊に需つ」である。「郊」は空濶遼遠の地である。空濶遼遠の地方に身处するの好処は、安心して自己の常道を守住するに在り。かくすれば過錯なからん。もし常道に安んじえざれば、躁動して自ら危難に蹈まん。あれでなお遠くにおいて等待して過失なしを談じえんや。集説に孔穎達を引く:険難は坎体のあの辺に在り、初九は険難を離るることすでに遠し。だから郊外において等待す。「郊」は国境の辺上の地方で、水を離るること甚だ遠し。「恒」は常である。険難を遠離して時機を等待し、以てその危害を躲开するに用いる。だから常道を保守すべく、こうしてはじめて過錯なし。

梁氏寅曰:《需》下三爻,以去險遠近為吉凶。初以陽處下,最遠於險,故為“需于郊”之象。“郊”,荒遠之地也,而君子安處焉,故云“利用恆”。九二,需于沙,小有言,終吉。本義 “沙”,則近於險矣。言語之傷,亦災害之小者,漸進近坎,故有此象。剛中能需,故得終吉,戒占者當如是也。

集説に梁寅を引く:需卦の下面三爻は、険難を離るるの遠近に按じて吉凶を定める。初九は陽爻をもって最も下に居り、険を離るる最も遠し。だから「郊に需つ」の象あり。「郊」は荒僻遼遠の地で、しかして君子は能く安然としてあそこに処る。だから「恒を用いるに利し」という。「九二、沙に需つ。小に言あり、終に吉。」朱熹《周易本義》はいう:「沙」に至れば、すでに険難に靠近す。言語上の傷害も、また灾害の中の比較的小なる一種と算す。九二は漸々前進して坎体に接近す。だからこういう象あり。それは剛健にして中に居り、能く等待す。だから終に吉を得る。これは占筮する人に告戒してこのようにすべきという。

程傳 坎為水,水近則有沙。二去險浙近,故為“需于沙”。漸近於險難,雖未至於患害,已“小有言”矣。凡患難之辭,大小有殊。小者至於有言,言語之傷,至小者也。二以剛陽之才,而居柔守中,寬裕自處,需之善也。雖去險漸近,而未至於險,故小有言語之傷而無大害,終得其吉也。

程頤《伊川易伝》はいう:坎は水で、水に靠近する所に即ち沙あり。九二は険難を離るること漸々近し。だから「沙に需つ」である。逐漸に険難に接近するは、まだ禍患を醸成せざれども、すでに「小に言あり」、多少の口舌を招来す。凡そ患難を講ずる辞は、軽重に分別あり:軽きは不過言語を招来するのみ、しかして言語上の傷害はまた最も軽き一種である。九二は剛陽の才をもって柔位に居りて中道を守り、寛舒従容として自処す。これは善く等待する者である。険を離るること愈々近しと雖も、まだ険中に進入せず。だからただ小小の口舌の傷ありて大害なく、終に吉利を得る。

集說孔氏穎達曰:“沙”是水旁之地,去水漸近,故難稍近而“小有言”。但履健居中以待要會,終得其吉也。胡氏炳文曰:初最遠坎,“利熙恆”乃“無咎”;九二慚近坎,“小有言”矣。而曰“終吉”者,初九以剛居剛,恐其躁急,故雖遠險,猶有戒辭。九二以剛居柔,寬而得中,故雖近險而不害其為吉。

集説に孔穎達を引く:「沙」は水辺の地面で、水を離るる漸々近し。だから険難は稍々逼近して「小に言あり」。ただ九二は脚に剛健の体を踏み中位に居りて、時機の会合を等待するを以てし、終に吉利を得る。集説に胡炳文を引く:初九は坎を離るる最も遠し。だから「恒を用いるに利し」を要してはじめて過錯なし(底本は「用」を「熙」と訛す)。九二は漸々坎に接近してすでに「小に言あり」なれども、なお「終に吉」という。これは初九が剛爻をもって剛位に居りてその躁急を恐れ、だから険を離るることなお遠しと雖も依然としてそれに一句の告戒の言を与え、九二は剛爻をもって柔位に居りて寛舒にして中を得るがゆえに、険難に逼近すとも、それが吉を得るを妨げない。

九三,需于泥,致寇王。本義 泥將陷於險矣。“寇”,則害之大者。九三去險愈近而過剛不中,故其象如此。程傳 “泥”,逼於水也,既進逼於險,當致寇難之至也。三剛而不中,又居健體之上,有進動之象,故“致寇”也。苟非敬慎,則致喪敗矣。集說 王氏申子曰:“泥”則切近水矣,險已近,而又以剛用剛而進逼之,是招致寇難之至也。龔氏煥曰:郊、沙、泥之象,視坎水遠近而為言者也,《易》之取象如此。

「九三、泥に需つ。寇を致す。」爻辞の末字は底本は「王」と作り、通行本は「至」と作る。朱熹《周易本義》はいう:泥地に至れば、まさに険中に陷入せんとす。「寇」は禍害の中の大なるもの。九三は険を離るること愈々近くして、また過剛強にして中位に居らず。だからその象はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:「泥」は水に緊逼する所である。すでに前進して険難に逼近せば、自然に寇難の到来を招来す。九三は剛強にして中に居らず、また乾のこの剛健の体の最上に処り、前進躁動の象あり。だから「寇を致す」。たとえ恭敬謹慎しえざれば、喪敗を招致せん。集説に王申子を引く:「泥」に至れば水に緊挨し、険難はすでに逼近す。しかるになお剛強の質を以てその剛強を用いて前に進逼すれば、これ即ち寇難を門に招引する。集説に龔煥を引く:郊・沙・泥のこれらの象は、みな坎水を離るるの遠近を看て立言する。《周易》の象を取る方式は即ちこのようである。

六四,需于血,出自穴。本義 “血”者,殺傷之地。“穴”者,險陷之所。四交坎體,入乎險矣,故為“需于血”之象。然柔得其正,需而不進,故又為“出自穴”之象。占者如是,則雖在傷地而終得出也。程傳 四以陰柔之質處於險,而下當三陽之進,傷於險難者也,故云“需于血”。

「六四、血に需つ。穴より出づ。」朱熹《周易本義》はいう:「血」は殺傷の所、「穴」は険陥の所在である。六四はすでに坎体に進入し、険中に落到し去った。だから「血に需つ」の象あり。しかしそれは柔爻をもって陰位に居りてその正を得、ただ等待して冒進せず。だからまた「穴より出づ」の象あり。占筮する人がこのようであれば、身は受傷の地に在るも、終に脱身して出で来るを得る。程頤《伊川易伝》はいう:六四は陰柔の質をもって険中に処り、下はまた正に乾体の三つの陽爻が上に向かい推進するに当たる。険難に傷せらるる一爻である。だから「血に需つ」という。

既傷於險難,則不能安處,必失其居,故云“出自穴”。穴,物之所安也。順以從時, 集說 《朱子語類》:問:《程傳》釋穴物之所安。曰:穴是陷處,喚作所安不得,柔得正了,需而不進,故能出於坎陷。楊氏啟新曰:剛者能需,柔亦能需,何也?剛柔皆有善惡。剛之需,猶乾之健而知險也;柔之需,猶坤之簡而知阻也。

程頤続いていう:すでに険難に傷せられれば、安く居る能わず、必ず自己の住処を失う。だから「穴より出づ」という。「穴」は物類の身を安んずるを得る場所である。時勢に順応して行く——ここで底本に脱文あり、《程伝》の下文は缺失。集説に《朱子語類》を引く:《程伝》が「穴」を解して物類の安身の処とするが妥当か否かを問う。答:穴はもと陥落の処で、安身の地方と呼ぶは講じ通じない。六四は柔爻をもってその正を得、ただ等待して前進せず。だから坎の陥落より脱出しうる。集説に楊啓新を引く:剛健の人は能く等待し、柔順の人もまた能く等待す。これは何故か。剛と柔は各々ともに善の一面と不善の一面あるがゆえである。剛健者の等待は、乾の剛健にして能く険を知るがごとし。柔順者の等待は、坤の簡易にして能く阻を知るがごとし。

九五,需于酒食,貞吉。本義 “酒食”,宴樂之具,言安以待之。九五陽剛中正,需於善位,故有此象。占者如是而貞固,則得吉也。程傳 五以陽剛居中得正,位乎天位,克盡其道矣。以此而需,何需不獲?故宴安酒食以俟之,所需必得也。既得貞正而所需必遂,可謂“吉”矣。

「九五、酒食に需つ。貞吉。」朱熹《周易本義》はいう:「酒食」は宴飲歓楽の用具で、ここでは安然として等待するを言う。九五は陽剛中正で、最も好い位置上において等待す。だからこういう象あり。占筮する人がこのようであってまた堅貞守正せば、吉利を得る。程頤《伊川易伝》はいう:九五は陽剛の質をもって中に居りて正を得、天子の位に処り、すでに君たるの道を尽くし至った。このごとき条件をもって等待すれば、またなんの等待して到らざるかあらん。だから安然として宴飲して以て俟てば、等待する所は必ず得るを得る。すでに貞正を守住して、等待する所はまた必ず願のごとくならば、吉と言うべし。

集說鄭氏維嶽曰:《繫辭》曰“需者飲食之道也”,《象》曰“君子以飲食宴樂”,爻曰“需于酒食”。以治道言,使斯民樂其樂而利其利,期治於必俟百年之後,而不為近功者,須待之義也。喬氏中和曰:九五之“貞古”也,豈徒以“酒食”雲哉?險而不陷,中自持也。

集説に鄭維岳を引く:《序卦伝》は「需とは飲食の道なり」といい、《大象伝》は「君子は飲食宴楽を以てす」といい、爻辞は「酒食に需つ」という。もし治国の道に就いて講ずれば、百姓をして彼らの歓楽を安享し彼らの利益を得せしめ、治世を期望するに必ず百年の後を俟って眼前の近功を図らざるは、正に等待の含義である。集説に喬中和を引く:九五の「貞吉」なる所以は(底本は「吉」を「古」と訛す)、いずれかただ酒食あるがゆえのみならんや。それは険境に身处して陥落せざるは、内心に中道を守住して自我把持するに靠る。

案 需之為義最廣,其大者莫如王道之以久而成化,而不急於淺近之功;聖學之以寬而居德,而不入於正助之弊。卦唯九五剛健中正以居尊位,是能盡《需》之道者,故《彖傳》特舉此爻,以當彖辭之義;而《大象傳》又特取此爻爻辭,以蔽《需》義之全。蓋繼《屯》、《蒙》之後,既治且教,而所謂休養生息,使之樂樂而利利,慚仁摩義,使之世變而風移者,其在於需乎?觀《需》之卦而不知此爻之義,但以諸爻處險之偏乎一義者概之,則《需》與《蹇》、《困》何異哉?

李光地按する:「需」の含義は最も広寛で、その中の最大なるは、王道の長久の積累を以て教化を成就して浅近の功效に急がざると、聖学の寛舒の涵養を以て徳性を蓄積して《孟子》の戒むる所の着意正心・苗を抜きて長を助くるの弊に落ちざるとに過ぎない。全卦にただ九五のみが剛健中正の徳をもって尊位に居り、能く需の道理を底まで尽くす一爻である。だから《彖伝》は特地にこの一爻を挙出して、それをもって卦辞の含義を担当せしめ、《大象伝》はまた特地にこの一爻の爻辞を取って、それをもって需卦の全部の義理を概括する。屯卦・蒙卦の後に承接して、すでに治理しすでに教化して、ここにいわゆる休養生息——百姓をしてその楽を安享しその利を得享せしめ、仁義を用いて漸々に熏陶浸潤して世風をして之に転移せしむるは、大概需卦においてか。需卦を看てこの一爻の含義を懂らず、ただ其余の各爻の険に処する時の一端に偏する意を取って全卦を概括せば、ならば需卦と蹇卦・困卦とはまたなんの分別かあらん。

上六,入地穴,有不速之客三人來,敬之終吉。本義 陰居險極,無復有需,有陷而入穴之象。下應九三,九三與下二陽需極並進,為“不速客三人”之象。柔不能御而能順之,有“敬之”之象。占者當陷險中,然於非意之來,敬以待之,則得“終吉”也。

「上六、地穴に入る。速ならざるの客三人来る。之を敬すれば終に吉。」爻辞の「地穴に入る」は、通行本は「穴に入る」と作る。朱熹《周易本義》はいう:上六は陰爻をもって険の極処に居り、再び等待すべきものなし。陥落して洞穴に進入する象あり。それの下は九三と相「応」じ、九三は下面の二つの陽爻を連れて、等待の極点に至りて一斉に前進し、「速ならざるの客三人」の象と成る。上六は柔弱にして彼らを抵御しえないが、能く彼らに順従す。「之を敬す」の象あり。占筮する人は正に険中に陥るも、しかし意料の外の来客に対し、能く恭敬を以て対待せば、「終に吉」を得る。

程傳 《需》以險在前,需時而後進。上六居險之終,終則變矣。在需之極,久而得矣。陰止於六,乃安其處,故為“入于穴”。“穴”,所安也。安而既止,後者必至。“不速之客三人”,謂下之三陽。乾之三陽,非在下之物,需時而進者也。需既極矣,故皆上進,不速不促之而自來也。

程頤《伊川易伝》はいう:需卦は険難が前に在るがゆえに、時機を等待して然る後に前進するを要す。上六は険難の終点に居り、終点に至れば変化を生ず。等待の極処に処れば、俟つこと久しくして自然に得る所有る。陰爻は六位に至れば停住し、ここに自己の処する所に安んず。だから「穴に入る」である。「穴」は安身の処。すでに安居して停まれば、後面の人は必ず随いて到来す。「速ならざるの客三人」の指すは、下面の三つの陽爻である。乾体の三つの陽爻は、もと下位に甘居する物に非ず、ただ時機を等待して然る後に前進する。等待はすでに極点に至れば、だから一斉に上に向かい進発す。いわゆる「不速」とは、人の催促する者なくして自ら来るを言う。

上六既需得其安處,群剛之來,苟不起忌疾忿競之心,至誠盡敬以待之,雖甚剛暴,豈有侵陵之理?故“終吉”也。或疑以陰居三陽之上,得為安乎?曰:三陽乾體,志在上進,六陰位,非所止之正,故無爭奪之意,“敬之”則“吉”也。

程頤続いていう:上六はすでに自己の安身の処を等待し得たれば、衆多の剛爻の到来する時、ただ猜忌・怨恨・忿争の心を生ぜず、極めて誠懇の態度を以て礼を尽くし敬して彼らを接待すれば、ならば相手方はたとえ十分に剛強暴烈でも、またいずれの侵凌の道理かあらん。だから「終に吉」。或る人が疑う:一つの陰爻を以て三つの陽爻の上に居るは、安穩と算しえんや。回答はいう:三つの陽爻は乾体で、心志は上に向かい前進するに在る。上六の居る所は陰位で、もとそれらの停留すべき正位に非ず。だからそれらに争奪の意なく、上六はただ恭敬を以て相待せば吉利である。

集說 胡氏炳文曰:“入于穴”,險極而陷之象。“速”者,主召客之辭。“三人”,乾三陽之象。下三陽非皆與上應也,有“不速”之象。上柔順,有“敬之”之象。上獨 薛氏煊曰:“有不速之客三人來,敬之終吉”,處橫逆之道也。谷氏家傑曰:三居下封之終,而示之以敬;上居上卦之終,而又示之以敬,則知處需者貴敬也。

集説に胡炳文を引く:「穴に入る」は険が極処に至りて陥落する象である。「速」は主人が客人を召請する用語、「三人」は乾体の三つの陽爻の象である。下面の三つの陽爻は並び皆な上六と相応せず。だから「不速」の象あり。上六は柔順。だから「之を敬す」の象あり。上六は独り——ここで底本に脱文あり、胡氏の説の下半は缺失。集説に薛煊を引く:「速ならざるの客三人来る、之を敬すれば終に吉」の講ずるは、横蠻無理の事に応付する弁法である。集説に谷家傑を引く:九三は下卦の終点に居り、《小象伝》は「敬慎」を以て相示す。上六は上卦の終点に居り、また「之を敬す」を以て相示す。これで見れば需の時に処するは、最も要緊なるは一つの「敬」の字である。

總論蔣氏悌生曰:《需》,待也,以剛健之才,於險陷在前,當容忍待時,用柔而主靜。若不度時勢,恃剛忿躁而驟進,取敗亡必矣。初九去險尚遠,以用恆免咎;九二漸近險,亦以用柔守中而終吉;九三已迫於險,象言敬慎不敗;六四已傷於險,以柔而不競,能出自穴;上六險陷之極,亦以能敬終吉。然則需待之時,能含忍守敬,皆可以免禍,《需》之時義大矣!

総論に蒋悌生を引く:需は等待である。剛健の才具を以てしても険陥が前面に横たわれば、容忍して時機を等待し、柔順の道を用いて安静を主とすべし。もし時勢を衡量せず、剛強を仗り忿躁を帯びて冒然として前進せば、敗亡を招来するは必定である。初九は険を離るることなお遠く、常を守るに靠って過錯を免る。九二は漸々険難に接近するも、また柔を用い中を守るに靠って終に吉利を得る。九三はすでに険難に逼近すれども、《小象伝》はただ敬慎すれば敗亡に至らざると言う。六四はすでに険難に傷せられたるも、柔順にして人と争わざるに靠って、はじめて洞穴の中より脱出しうる。上六は険陥の極点に処するも、また能く恭敬するに靠って終に吉利を得る。このように見れば、需待の時において、ただ能く含忍守敬すれば、みな禍患を免除しうる。需卦の時義は真に大なるかな。

訟卦・乾上坎下

程傳 《訟序卦》:“飲食必有訟,故受之以訟。”人之所需者飲食,既有所需,爭訟所由起也,《訟》所以次《需》也。為卦乾上坎下,以二象言之,天陽上行,水性就下,其行相違,所以成《訟》也;以二體言之,上剛下險,剛險相接,能無訟乎?又人內險阻而外剛強,所以訟也。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は訟卦を講じていう:「飲食あれば必ず争訟あるべし。だから需卦の後に接ぐは訟卦である。」人の需る所は飲食で、すでに需求ある所あれば、争訟はここより起こる。だから訟卦は需卦の後に排す。この卦は乾は上に在り坎は下に在る:上下両卦の取る物象に就いて言えば、天の陽気は上に向かい升り、水の性質は下に向かい流れ、両者の走向は彼此背離す。だから争訟を形成す。上下両卦の卦体に就いて言えば、上は剛強にして下は険陥、剛強と険陥が相接すれば、争訟なきを得んや。さらに人の身に就いて言えば、内心は険阻にして外表は剛強なれば、また争訟せんとす。

訟,有孚窒,惕中吉,終凶,。利見大人,不利涉大川。本義“訟”,爭辨也。上乾下坎,乾剛坎險,上剛以制其下,下險以伺其上,又為內險而外健,又為己險而彼健,皆《訟》之道也。九二中實,上無應與,又為加憂,且於卦變自遯而來,為剛來居二而當下卦之中,“有孚”而見“窒”,能懼而得中之象。上九過剛居訟之極,有終極其《訟》之象。九五剛健中正以居尊位,有“大人”之象。以剛乘險以實履陷,有“不利涉大川”之象。故戒占者必有爭辨之事,而隨其所處為吉凶也。

「訟、孚ありて窒ゆ、惕れて中にして吉、終は凶。大人を見るに利し、大川を渉るに利あらず。」朱熹《周易本義》はいう:「訟」は争辯である。上卦は乾・下卦は坎で、乾は剛健にして坎は険陥:上に在る者は剛強を以て下面を圧制し、下に在る者は険詐を以て上面を窺伺す。また内裏は険陥にして外表は剛健であり、また自己は険詐にして相手方は剛強である。これらはみな争訟を構成する縁由である。九二は中に居りて実爻で、上に相「応」する爻なく、《説卦伝》はまた坎を以て「加憂」と為す。しかも「卦変」の上より看れば、この卦は遯卦より変じ来りて、剛爻が来りて第二位に居りて正に下卦の中に当たる。だから心に誠信を存して窒塞せられ、能く戒惧してまた中を得る象あり。上九は剛強に過ぎて争訟の極処に居り、官司を底まで打ち尽くす象あり。九五は剛健中正にして尊位に居り、「大人」の象あり。剛強を以て険陥に凌駕し、実体を以て陥坑を践踏すれば、「大川を渉るに利あらず」の象あり。だから占筮する人に告戒する:必ず争辯の事に遇上せんとし、しかして吉凶は各人の処する地位に随って定まる。

程傳 訟之道,必有其孚實。中無其實,乃是誣妄,凶之道也。卦之中實,;掃“有孚”之象:“訟”者,與入爭辨而待決於。,乙,雖“有孚”,亦須窒塞末通。不窒則已明無訟矣。事既末辨,吉凶末可必也,故有畏惕。“中古”,得中則吉也。“終凶”,終極其事則凶也。“訟’者,求辨其曲直也,故利見於六人。大人則能以其剛明中正決所訟也。訟非和平之事,當擇安地而處,不可陷於危險,故“不利涉大川”也。

程頤《伊川易伝》はいう:争訟の道は、必ず自己の心中に誠信の実据あるを要す。心中に実据なければ、あれは即ち誣妄で、凶を招く路子である。この卦は中爻は実。正に「孚あり」の象(底本はここに訛字脱文あり)。いわゆる「訟」とは、人と争辯して第三方の来りて裁決するを等待する。たとえ「孚あり」とも、また必ず窒塞せられて講じ通ぜざるに至りてはじめて訟を興す。もし窒塞せられざれば、事情はとうに明白にして、また訟と謂う所なし。事情はすでにまだ辨明せられざれば、吉凶は預め断定しえない。だから心に畏懼警惕を存す。「中吉」(底本は「吉」を「古」と訛す)は、能く中を守れば吉と言う。「終凶」は、官司を底まで打ち尽くせば凶と言う。「訟」は是非曲直を辨明せんと欲する。だから「大人」を見るに利あり(底本は「大」を「六」と訛す)。大人はこそ彼の剛健明達・中正無私を憑って争う所の事を裁決しうる。争訟は和平の事に非ず、安穩の地方を選択して身を安んずべく、危険に陷入すべからず。だから「大川を渉るに利あらず」という。

集說 孔氏穎達曰:“窒”,塞也。“惕”,懼也。凡《訟》之體,不可妄興,必有信 胡氏璦曰:“孚”者由中之信。人所以興訟,必有由中之信,而為它人之所窒塞,不得已而興訟。然雖已有信實,而為人之窒塞,亦須恐懼兢慎而不敢自安,則庶幾免於凶禍,又中道而止,則可以獲吉也。“大川”,謂大險大難也。凡歷險涉難,必須物情相協,志氣和同,則可得而濟也。今《訟》之時,物情違忤而不相得,欲濟涉險難,必不可得。

集説に孔穎達を引く:「窒」は堵塞、「惕」は恐懼である。凡そ訟卦の講ずる体例は、みな官司は妄自に興起すべからず、必ず誠信あるべしを言う——ここで底本に脱文あり、孔氏の説の下半は缺失。集説に胡瑗を引く:「孚」は内心より発する誠信である。人の訟を興す所以は、必ず心中にもと誠信ありて他人に堵塞せられ、已むを得ずしてはじめて官司を打つ。しかるに自己はたとえ信実ありて人に堵塞せられるも、またなお恐懼謹慎して敢えて自ら安んじと為さざるを要す。かくしてはじめて凶禍を免るるの希望あり。さらに能く中途において适可にして止まれば、吉利を獲得しうる。「大川」の指すは大険大難である。凡そ険阻を経歴し危難を渉越するは、必ず衆人の情意協同・志気一致してはじめて渡過し得る。今は正に争訟の時に当たり、人情は彼此違逆して合い来らず。険難を渡過せんと欲するは、断然として致しえざる所である。

《朱子語類》云:大凡卦辭取義不一,如《訟》“有孚窒惕中吉”,蓋取九二中實,坎為加憂之象;“終凶”,蓋取上九終極於訟之象;“利見大人”,蓋取九五剛健中正居尊之象;“不利涉大川”,又取以剛乘險、以實履陷之象。此取義不一也。然亦有不必如此取者,此特其一例也。卦辭如此辭極齊整,蓋所取諸爻義,皆與爻中本辭協。亦有雖取爻義,而與爻本辭不同者。

集説に《朱子語類》を引く:大凡卦辞の取義は並び一つの来源のみならず、往々一句は一爻より取る。たとえば訟卦の「孚ありて窒ゆ、惕れて中にして吉」は、九二が中に居りて実にして坎が「加憂」なるの象を取る。「終は凶」は、上九が官司を底まで打ち尽くす象を取る。「大人を見るに利し」は、九五が剛健中正にして尊位に居る象を取る。「大川を渉るに利あらず」は、また剛を以て険に凌ぎ実を以て陥を履むの象を取る。これを取義は一処に止まらずと呼ぶ。ただしまた必ずしもこのように一句一句に分別して象を取るを要せざるもあり。訟卦はただその中の一個の例のみである。訟卦の卦辞は措辞が極めて斉整で、取る所の各爻の含義はみなあの一爻本身の爻辞と相吻合す。これ以外にもまた或る爻の義を取ったが、あの一爻本身の爻辞と相同じからざるの情形あり。

項氏安世曰:“利見大人”,或不與之校如直不疑,或為之和解如卓茂,或使其心化如王烈,或為之辨明如仲由,皆訟者之利也。“不利涉大川”,涉險之道利在同心,此豈相爭之時哉?

集説に項安世を引く:いわゆる「大人を見るに利し」は、あるものは漢代の直不疑のごとく人と計較せず、あるものは卓茂のごとく人に替わって和解し、あるものは王烈のごとく争う者をして内心に感化を受けしめ、あるものは仲由のごとく人に替わって是非を辨明す。これらはみな官司を打つ人の得うる好処である。「大川を渉るに利あらず」に至っては、険難を渉越する道は同心協力を貴び、しかして争訟の時にいずれか同心を談じえんや。

初六,不永所事。小有言,終吉。本義 陰柔居下,不能終訟,或其象占如此。程傳 六以柔弱居下,不能終極其訟者也,故於訟之初,因六之才,為之戒曰:若不長永其事,則雖“小有言”,“終”得“吉”也。蓋訟非可長之事,以陰柔之才而訟於下,難以吉矣。以上有應援,而能不永其事,故雖“小有言”,“終”得“吉”也。“有言”,災之小者也。不永其事而不至於凶,乃《訟》之“古”也。

「初六、その事を永くせず。小に言あり、終に吉。」朱熹《周易本義》はいう:初六は陰柔にして最も下に居り、官司を底まで打ち尽くしえない。だからその象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:初六は柔弱の質をもって下位に居り、争訟を進行し底まで致す能わざる者である。だから争訟の開頭において、その才質に就着いてそれに替わって告戒を立下す:もしこの件の事を拖長せざれば、ならばたとえ「小に言あり」て多少の口舌を招来するも、終に吉を得ん。争訟はもと長久すべき事に非ず。陰柔の才を以て下位に在りて人と争訟するは、吉を得難し。ただ上に九四を以て応援と為し、しかしてそれは能く事情を拖長せざるがゆえに、たとえ「小に言あり」とも終に吉を得る。「言あり」は灾患の中の小なるもの。事情を拖長せざるがゆえに凶に至らず。これ即ち訟卦の中の吉である(底本は「吉」を「古」と訛す)。

集說 王氏弼曰;處《訟》之始,訟不可終,故“不永所事”,然後乃“吉”。凡陽唱而陰和,陰非先唱者也。處訟之始,不為訟先,雖不能不訟而必辨明也。楊氏簡曰:《訟》之初,不深也,有“不永所事”之象。訟之初未深,卜有言而已,既不永其事,故“終吉”。胡氏炳文曰:初不曰不永訟,而曰“不永所事”,事之初,猶冀其不成訟也。“小有言”與《需》不同。《需》“小有言”,人不能不小有言也。此之“小有言”。我不能已而小有言也。

集説に王弼を引く:争訟の開端に処れば、官司は底まで打つべからず。だから「その事を永くせず」、此後にしてはじめて吉利。大凡陽は唱導して陰は応和す。陰は率先唱導する一方に非ず。争訟の開端に処りてまず訟端を挑起せざれば、ならばたとえ人と争辯せざるを得ずとも、必ずただ是非を辨明するのみである。集説に楊簡を引く:争訟の初期は事情はまだ深からず。だから「その事を永くせず」の象あり。訟端は初起して未だ深からざれば、不過多少の口舌を招来するのみ。すでに事情を拖長せざれば、だから「終に吉」。集説に胡炳文を引く:初六は「訟を永くせず」と言わず、却って「その事を永くせず」という。事情が剛に起頭して、なおそれの官司と鬧成するに至らざるを指望するがゆえである。ここの「小に言あり」は需卦のと同じでない。需卦の「小に言あり」は、他人が我に対して幾句か言わざるを得ざるがゆえ。ここの「小に言あり」は、我自己が已むを得ずして幾句か言うがゆえである。

九二,不克訟,歸而逋,其邑人三百戶,無成。本義 九二陽剛為險之主,本欲訟者也。然以剛居柔,得下之中,而上應九五,陽剛居尊,勢不可敵,故其象占如此。“邑人三百戶”,邑之小者。言自處卑約以免災患。占者如是,則“無眚”矣。

「九二、訟に克たず。帰りて逋る。その邑人三百戸、眚なし。」爻辞の末二字は、通行本は「无眚」と作る。朱熹《周易本義》はいう:九二は陽剛にして坎険の主で、もともと官司を打たんと欲する者である。しかしそれは剛爻をもって柔位に居り、下卦の中を得るも、しかして上に対する所の九五は陽剛にして尊位に居り、勢力は抗衡しえない。だからその象と占断はこのようである。「邑人三百戸」は甚だ小さき采邑で、言う所は自己が卑下儉約の地位に安処して灾患を免除する。占筮する人がこのようであれば、「眚なし」、災禍あらざらん。

程傳 二五相應之地,而兩剛不相與,相訟者也。九二自外來,以剛處險,為《訟》 集說 荀氏爽曰:二者下體之君,君不爭,則百姓無害也。王氏弼曰:以剛處《訟》,不能下物,自下訟上,宜其不克。若能以懼,歸竄其邑,乃可以免災。邑過三百,竄而據強,災未免也。

程頤《伊川易伝》はいう:九二と九五はもと相応の位置上に処するが、しかし両個の剛爻は相親附せず、却って互相争訟する双方と成った。九二は外面より来り、剛爻を以て坎険の中に処り、訟と成る——ここで底本に脱文あり、《程伝》の下文は缺失。集説に荀爽を引く:九二は下卦の主で、一方の君長に比す。君長が人と争わざれば、百姓は害を受けざらん。集説に王弼を引く:剛強の質を以て争訟の中に処り、人に対して謙下するを肯んぜず、下位より上位と争訟するは、理当に打勝ちえず。もし畏懼に因って逃げ帰りて自己の封邑に躲蔵しえれば、災禍を免れうる。封邑がもし三百戸を超过せば、険に拠って自強する所と成り、災禍は依然として免れない。

項氏安世曰:一家好訟則百家受害。言三百戶“無眚”,見安者之眾也。俞氏琰曰:九二以剛居柔,或不克訟。“逋”,逃也。既逋則近己者皆五連坐之患,故曰“其邑人二百戶無眚”。案 “三百戶無眚”,《傳》義皆用王氏說,荀氏項氏俞氏則以為所居之邑,托以安居,義亦可從。

集説に項安世を引く:一家が官司を好めば、即ち上百家の連累を受くるあり。三百戸人家の「眚なし」と言うは、これによって安を得る人の多きを見るべし。集説に兪琰を引く:九二は剛爻をもって柔位に居る。だから未だ必ずしも官司に打勝ちえず。「逋」は逃亡である。すでに逃亡せば、ならば自己と相近の人はみな牽連して罪に坐するの患を免去す。だから「その邑人三百戸眚なし」という(底本は「三」を「二」と訛す)。李光地按する:「三百戸眚なし」の一句は、《程伝》と《本義》はみな王弼の解釈を采用す。荀爽・項安世・兪琰は則ちあれを九二の居する采邑と認め、それに靠って身を安んず。この講法もまた采従すべし。

六三,食舊德貞,厲終吉,或從王亨,無成。本義 “食”,猶食邑之食,言所享也。六三陰柔,非能訟者,故守舊居正,則雖危而終吉。然或出而從上之事,則亦必無成功,占者守常而不出,則善也。

「六三、旧徳を食む。貞、厲にして終に吉。或いは王事に從うも、成なし。」爻辞の「或いは王亨に從う」は、通行本は「或いは王事に從う」と作る。朱熹《周易本義》はいう:「食」は食邑の食のごとく、享用する所を言う。六三は陰柔で、官司を打ちうる人に非ず。だから旧有のものを守住して正道に居れば、処境は危険なれども終に吉を得る。しかるにもし出でて上面の事務に追随せば、また必ず成功あらざらん。占筮する人は常分を守着して出頭せざれば、便ち好し。

程傳 三雖居剛而應上,然質本陰柔,處險而介二剛之間,危懼非為訟者也。“祿”者,稱德而受,食舊德謂處其素分。“貞”,謂堅固自守。“厲終吉”,謂雖處危地,能知危懼,則終必獲吉也。守素分而無求,則不訟矣。處危,謂在險而承乘皆剛,與居訟之時也,柔從剛者也,下從上者也。三不為訟而從上九所為,故曰“或從王事”。“無成”,謂從上而成不在己也。訟者剛健之事,故初則不永,三則從上,皆非能訟者也。二爻皆以陰柔不終而得吉,四亦以不克而渝得吉,訟以能止為善也。

程頤《伊川易伝》はいう:六三は剛位に居りて上九と相応ずるも、しかしその本質はもと陰柔で、身は険中に処してまた両個の剛爻の間に夾まり、心に危惧を存す。官司を打つ人に非ず。俸禄は徳行の大小に按じて領受する。「旧徳を食む」は、自己の素来の分位に安処するを言う。「貞」は堅定に自己を固守する。「厲にして終に吉」は、危険の地位に処するも、ただ能く戒惧を知れば、終に必ず吉を獲せんと言う。素来の分位を守着して求むる所なければ、また争訟しに行かざらん。いわゆる危に処するとは、身が険中に在りて上に承け下に乘るがみな剛爻で、加うるにまた正に争訟の時に当たるを言う。柔の剛に順従し、下の上に順従する:六三は自己争訟せずして上九の作為に追随す。だから「或いは王事に從う」という。「无成」は、上面に追随して事を辦して功成は自己に在らずと言う。争訟は剛健者の事である。だから初六は事情を拖長せず、六三は上面に追随す。みな官司を打ちうる人に非ず。この両爻はみな陰柔なるがゆえに訟事を進行し底まで致さずしてはじめて吉を得、九四もまた打勝ちえざるがゆえに態度を改変して吉を得る。これで見れば争訟は能く停まるを以て善とす。

集說虞氏翻曰:道無成而代有終,故曰“無成”。坤三同義也。胡氏瑗曰:“無成”者,不敢居其成,但從王事,守其本位本祿而已,故獲其“吉”也。徐氏幾曰:聖人於初三兩柔爻,皆繫之以“終吉”之辭,所以勉人之無《訟》也。苟知柔而不喜訟者終吉,則知剛而好訟者終凶矣。

集説に虞翻を引く:臣たるの道はその成に居らずして君主に代わって事功を完成する。だから「无成」という。これは坤卦六三の講ずる所と同一の意である。集説に胡瑗を引く:いわゆる「无成」とは、敢えてその功に自居せず、ただ君王に追随して事を辦して、自己本来の位分と俸禄を守住するのみ。だから吉利を獲得しうる。集説に徐幾を引く:聖人は初六・六三のこの両個の柔爻の上に、みな「終に吉」の辞を繫ぐ。以て人々が争訟せざるを勉励するに用いる。すでに柔順にして争訟を好まざる人は終に吉を得るを知れば、また剛強にして争訟を好む人は終に凶を得るを知る。

李氏簡曰:“或從王事無成”者,謂從王事而不以成功自居也。夫訟生於其行之相違,而天下之訟,又起於矜功而伐善。以柔而從剛,以下而從上,有功而不自居,故能不失舊德,而終又獲吉也。胡氏炳文曰:“食舊德”,與位乎天德語同。位必稱德而居,故寧德過其位,毋位過其德。食必稱德而食,故寧德浮於食。毋食浮於德,“食”,猶食邑之食。九二“邑人三百戶”,食之最約者也。二剛險,本欲訟者,能退處於分之小,僅可“無眚”。三陰柔,本不能訟者,能守其分之常,雖厲猶吉。

集説に李簡を引く:いわゆる「或いは王事に從うも成なし」とは、君王に追随して事を辦して功の成るを以て自ら居らずと言う。争訟は彼此の行事の違逆より起こり、しかして天下の争訟はまた多く功労を誇耀し自己の好処を争い説くより起こる。六三は柔順を以て剛強に追随し、下位を以て上位に追随し、功ありて自ら居らず。だから能く旧有の徳分を失わず、最終にまた吉利を獲得す。集説に胡炳文を引く:「旧徳を食む」は乾卦《文言伝》の言う「天徳に位する」と語意相通ず。位は必ず徳と相称してはじめて居るべし。だから寧ろ徳が位に超过することを取り、位が徳を超过することを取らず。食禄もまた必ず徳と相称してはじめて受くべし。だから寧ろ徳が食禄に浮くを取り、食禄が徳に浮くを取らず。「食」は食邑の食のごとし。九二の「邑人三百戸」というは、食禄の中の最も儉約なるもの。九二は剛強にして険、もともと官司を打たんと欲する者で、能く退いて小小の分位に処して、やっと「眚なし」を致した。六三は陰柔で、もと官司を打ちえず。能く自己の素常の分位を守住せば、危厲あるも依然として吉を得る。

楊氏啟新曰:“食舊德”,安其分之所當得,是不與人競利也。“或從王事”者,分之所不得越,是不與人競功也。蓋不必告訐之風。乃謂之訟,一有爭競之心亦訟也。案 《本義》是戒人以不可從王事也,但此爻與《坤》三之文,大同小異,不應其義差殊。故諸家之說,可以與《本義》相參,而楊氏尤為明暢也。徐氏即以“訟不可成”為解,亦可備一說。

集説に楊啓新を引く:「旧徳を食む」は自己の分内の得るべきに安んずることで、これは人と利を争わざること。「或いは王事に從う」は自己の分位を越出せざることで、これは人と功を争わざること。これで見れば必ずしも攻訐告発の風気あってはじめて争訟と呼ぶに非ず、心裡に一たび争競の念あれば即ちまた訟である。李光地按する:《本義》の意は人に告戒して出でて王事に追随すべからずとするが、しかしこの一爻は坤卦六三の文字と大同小异で、両処の義理は相遠く離るべからず。だから諸家の説法はみな《本義》と互相参照すべく、しかして楊啓新の一家は講じて尤も明白暢達す。徐幾は則ちそれを解して「争訟は成を求むべからず」と為す。もまた備えて一説と為すべし。

九四,不克訟,復即命,渝,安貞,吉。本義“即”,就也。“命”,正理也。“渝”,變也。九四剛而不中,故有《訟》象,以其居柔,故又為不克而復就正理。渝變其心,安處於正之象。占者如是則“吉”也。

「九四、訟に克たず。命に即き復り、渝れ、安貞、吉。」官司を打ちて勝ちえず、回頭して正理に帰就し、改変し来りて正道に安んず。よって吉を得る。朱熹《周易本義》はいう:「即」は就く、「命」は正理、「渝」は改変である。九四は剛強にして中位に居らず。だから争訟の象あり。それが剛爻をもって柔位に居るがゆえに、また打勝ちえずして回頭して正理に帰就する象あり、即ち自己の原先の心念を改変し転じて正道に安処する。占筮する人がこのようであれば吉利である。

程傳 四以陽剛而居健體,不得中正,本為訟者也,承五履三而應初。五,君也。義不克訟,三居下而柔,不與之訟,初正應而順從,非與訟者也。四雖則健欲訟,無與對敵,其訟無由而興,故“不克訟”也。又居柔以應柔,亦為能止之義。既義不克訟,若能克其剛忿欲訟之心,復即就於命,革其心,平其氣。變而為安貞,則“吉”矣。“命”,謂正理,失正理為方命,故以即命為復也。方,不順也。《書》云:方命圮族。孟子曰:方命虐民。夫剛健而不中正則躁動,故不安。處非中正,故不貞。不安貞,所以好訟也。

程頤《伊川易伝》はいう:九四は陽剛の質をもって乾のこの剛健の体に居り、また中正を得ず。もと官司を打たんと欲する一爻である。それは上に九五を承け、下に六三を踏みて初六と相応す:九五は君主で、道義に按じて君主と争訟しえない。六三は下に居りて柔順で、それと相争わず。初六はその正応にしてそれに順従し、またそれと争訟する人に非ず。九四は剛健にして争訟せんと欲するも、対手を見出しえず、訟端の興起する由なし。だから「訟に克たず」。さらにそれは剛爻をもって柔位に居りて応ずる所もまた柔爻で、また能く止息する意を含む。すでに道義に按じて争訟しえざれば、もし能く自己のあの份の剛忿好訟の心を克制して、回頭して正理に帰就し、私念を革除して心を平らげ気を静め、改変して以て正に安処と成れば、吉利である。「命」は正理を指す。正理に違背するを「方命」と呼ぶ。だから正理に帰就するを「復」と称する。「方」は順従せざること。《尚書》は「命に方りて族を圮る」——命に違い族類を敗壊す——といい、《孟子》は「命に方りて民を虐げる」——命に違い百姓を残賊す——という。剛健にして中正ならざれば躁動す。だから安んじえない。処する所はまた中正に非ず。だから貞に能わず。安んぜず貞ならざるは、正に好訟の根由である。

若義不克訟而不訟,反就正理,變其不安貞為“安貞”,則“吉”矣。集說 龔氏原曰:二與五訟,四與初訟,其與為敵者強弱不同,而皆曰“不克”者,蓋二以下訟上,其不克者勢也。四以上訟下,其不克者理也,二見勢之不可,故歸而逋竄。四知理之不可,故復而即命。二四皆剛居柔,故能如此。楊氏簡曰:九剛四柔,有始訟終退之象。人唯不安於命,故以人力爭訟。今不訟而即於命,變而安於貞,吉之道也。

程頤続いていう:もし道義に按じて争訟しえざれば便ち争訟せず、反って正理に帰就して、原先の不安不貞を改変して「安貞」と為せば、吉利である。集説に龔原を引く:九二は九五と相訟し、九四は初六と相訟す。各々の面する敵手の強弱は同じからざれども、ともに「克たず」という。これは九二は下位を以て上位に訟するがゆえに、その打勝ちえざるは形勢の使然し、九四は上位を以て下位に訟するがゆえに、その打勝ちえざるは道理の容れざるに因る。九二は形勢の許可せざるを看出して、だから封邑に逃げ帰りて躲蔵す。九四は道理の許可せざるを知道して、だから回頭して正理に帰就す。九二・九四はみな剛爻の柔位に居るがゆえに、能くこのようたるを得た。集説に楊簡を引く:九は剛、四は柔位で、起初争訟して終に退譲する象あり。人はただ命分に安んじえざるがゆえに、はじめて人力を用いて争訟する。今は争訟せずして命分に帰就し、改変して正道に安んずるは、これは吉を致すの道である。

九五,訟,元吉。本義 陽剛中正,以居尊位,聽訟而得其乎者也。占者遇之,訟而有理,必獲伸矣。程傳 以中正居尊位,治訟者也。治訟得其中正,所以“元吉”也。“元吉”,大吉而盡善也。吉大而不盡善者有矣。

「九五、訟、元吉。」朱熹《周易本義》はいう:九五は陽剛中正にして尊位に居り、訟案を聴断して能くその公平を得る人である(底本は「平」を「乎」と訛す)。占筮する人がこの一爻に遇えば、ただ打つ所の官司に理あれば、必ず伸張を得るを得る。程頤《伊川易伝》はいう:九五は中正の徳をもって尊位に居り、訟案を治理する人である。訟案を治理して能く中正を持守すれば、だから「元吉」。「元吉」は大吉にして善を尽くす。吉は大なれども必ずしも善を尽くさざるの情形は、これ有り。

集說王氏肅曰:以中正之德齊乖爭之俗,“元吉”也。王氏弼曰:處得尊位,為《訟》之主,用其中正,以斷枉直,中則不過,正則不邪,故“訟,元吉”。趙氏汝楳曰:大人在上,平諸侯萬民之訟,至於見遜畔遜路而息爭,吉孰大焉?俞氏琰曰:九五以剛明之德居尊,而又中正,象辭所謂“大人”是也。訟之有理者,見之必獲伸矣。“元吉”,乃吉之盡善者也。

集説に王粛を引く:中正の徳を用いて乖戾争競の風俗を整斉すれば、だから「元吉」。集説に王弼を引く:九五の処する所は尊位で、訟卦の主である。その中正を運用して曲直を判断す:中に居れば過分せず、正を守れば偏邪せず。だから「訟、元吉」という。集説に趙汝楳を引く:大人が上位に在りて、諸侯と万民の争訟を平息し、以て当年の虞・芮両国が田を争った人が周境に入り、人人の田界を相譲り道路を相譲るを見て、よって自動的に訟を罷めたに至らしむる——あれより大なる吉あらんや。集説に兪琰を引く:九五は剛健明達の徳をもって尊位に居り、また能く中正す。正に卦辞の言う所の「大人」である。官司を打ちて理ある人は、彼を見れば必ず伸張を得るを得る。「元吉」は即ち吉の善を尽くす地步に至ったである。

上九,或錫之鞶帶,終朝三褫之。本義 “鞶帶”,命服之飾。“褫”,奪也。以剛居訟極,終訟而能勝之,故有錫命受服之象。然以訟得之,豈能安久?故又有“終朝三褫”之象。其占為終訟無理,而或取勝,然其所得終必失之,聖人為戒之意深矣。

「上九、或いは之に鞶帯を錫すも、終朝に三たび之を褫ぐ。」朱熹《周易本義》はいう:「鞶帯」は朝廷の賜う命服上の大帯で、「褫」は奪い去ること。上九は剛爻をもって争訟の極処に居り、官司を底まで打ち尽くして居然として打勝った。だから命服を受賜する象あり。しかるに官司を打って得た物は、いずれか安穩長久を得んや。だからまた「終朝に三たび褫ぐ」——一個の早晨の内に三度剥奪せらるる象あり。その占断は:官司を底まで打ち尽くすはもと道理なく、しかして或いは侥幸に取勝するも、しかし得る所は終に必ず失わん。聖人がこれを立てて戒と為す用意は甚だ深い。

程傳 九以陽居上,剛健之極,又處訟之終,極其訟者也。人之肆其剛強,窮極於 集說 王氏弼曰:處《訟》之極,以剛居上,訟而勝得者也。以訟受錫,榮何可保?故終朝之間,褫帶者三也。胡氏炳文曰:上九以剛極處訟終,卦所謂終凶者也,故設此以戒之。

程頤《伊川易伝》はいう:上九は陽爻をもって最上に居り、剛健は極処に至り、また争訟の終点に処す。官司を底まで打ち尽くす人である。人が自己の剛強を放縦し、窮極に——ここで底本に脱文あり、《程伝》の下文は缺失。集説に王弼を引く:争訟の極処に処り、剛爻をもって最上に居るは、官司を打ちて獲勝得賞の人である。官司を打って得た賞賜は、この份の栄耀はいずれか保住しえんや。だから一個の早上の間に、賜う所の帯は即ち三度奪い去らる。集説に胡炳文を引く:上九は剛の極処を以て争訟の終点に居り、正に卦辞の言う所の「終凶」である。だからこのごとき辞を設けて以てそれに告戒する。

總論邱氏富國曰:九五居尊,為聽訟之主,故“訟,元吉”。餘五爻則皆訟者也。然天下唯剛者訟,柔者不訟。初與三柔也,故初“不永所事”而“終吉”,三“食舊德”而“終吉”。二四上剛也,二與五對,揆勢不敵而不訟;四與初對,顧理不可而不訟,亦以其居柔,故二“無眚”而四“安貞”也。獨上九處卦之窮,下與三對,柔不能抗,故有錫鞶帶之辭焉。然一日“三褫”,辱亦甚矣,訟之勝者,何足敬乎?

総論に邱富国を引く:九五は尊位に居りて、訟案を聴断する主人である。だから「訟、元吉」という。其余の五爻はみな官司を打つ人である。しかるに天下にただ剛強の人のみが争訟し、柔弱の人は争訟しない。初六と六三は柔爻である。だから初六は「その事を永くせず」にして「終に吉」、六三は「旧徳を食む」にして「終に吉」。九二・九四・上九は剛爻である:九二は九五と相対し、形勢を掂量して敵しえざるを知りて訟せず。九四は初六と相対し、道理の許さざるを顧みて訟せず。また彼らがみな剛爻を以て柔位に居るがゆえに、九二は「眚なし」を得て九四は「安貞」を得た。ただ上九のみが一卦の窮極の処に処り、下面は六三と相対し、柔弱の六三は抵擋しえない。だからはじめて鞶帯を受賜する爻辞あり。しかるに一天の内に三度奪い去らるるは、屈辱もまた甚だしきに足る。官司に打勝った人に、またなんの敬重するに値するかあらん。

師卦・坤上坎下

程傳 《師序卦》:“訟必有眾起,故受之以師。 ”《師》之興由有爭也,所以次《訟》也。為卦坤上坎下,以二體言之,地中有水,為眾聚之象。以二卦之義言之,內險外順,險道而以順行,師之義也。以爻言之,一陽而為眾陰之王,統眾之象也。比以一陽為眾陰之主而在上,君之象也。《師》以一陽為眾陰之主而在下,將帥之象也。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は師卦を講じていう:「争訟は必ず衆人の起きて相闘うを引き起こす。だから訟卦の後に接ぐは師卦である。」軍旅の興起は争闘あるに由る。だから師卦は訟卦の後に排す。この卦は坤は上に在り坎は下に在る:上下両卦の卦体に就いて言えば、地中に水を蓄うは衆庶の聚集の象。上下両卦の卦義に就いて言えば、内裏は険陥にして外面は柔順、険道を走るが柔順の方式を以て推行す。これ正に兵を用うるの道理。爻に就いて言えば、一つの陽爻が衆多の陰爻の君長と為るは、大衆を統率する象。比卦は一つの陽爻を以て衆陰の主を為して上位に居るは君主の象、師卦は一つの陽爻を以て衆陰の主を為して下位に居るは将帥の象である。

師貞,丈人,吉無咎。本義 “師”,兵眾也。下坎上坤,坎險坤順,坎水坤地,古者寓兵於農,伏至險於大順,藏不測於至靜之中,又卦唯九二一陽居下卦之中,為將之象。上下五陰順而從之,為眾之象。九二以剛居下而用事,六五以柔居上而任之,為人君命,將出師之象,故其卦之名曰《師》。“丈人”,長老之稱。用師之道,利於得正,而任老成之人,乃得“吉”而“無咎”。戒占者亦必如是也:

「師貞、丈人、吉咎なし。」朱熹《周易本義》はいう:「師」は軍隊衆庶である。下卦は坎・上卦は坤:坎は険にして坤は順、坎は水にして坤は地。古時は兵を農に寓し、正に極険の物を極順の物の中に潜伏させ、測度しがたき力量を極静の形態の内に蔵した。さらにこの卦はただ九二一個の陽爻が下卦の中に居るは将帥の象。上下五個の陰爻がそれに順従するは士衆の象。九二は剛爻をもって下位に居りて実際に事を主り、六五は柔爻をもって上位に居りて彼に委任す。君主が将帥を任命し兵を出して征伐する象。だからこの卦は名を取って《師》とする。「丈人」は年高徳劭の者に対する称呼である。兵を用うるの道理は、行事の正を得るを以て利とし、また老成持重の人を任用して、はじめて吉を得て過錯なからしむ。これもまた占筮する人に告戒して必ずこのようたるべし。

程傳 《師》之道,以正為本。興師動眾以毒天下,而不以正,民弗從也。強驅之耳。故師以貞為主。其動雖正也,帥之者必丈人,則“吉”而“無咎”也,蓋有吉而有咎者,有無咎而不吉者,吉且無咎,乃盡善也。“丈人”者,尊嚴之稱。帥師總眾,非眾所尊信畏服,則安能得人心之從?故司馬穰苴擢自微賤,授之以眾,乃以眾心未服,請莊賈為將也。所謂“丈人”,不必素居祟貴,但其才謀德業,眾所畏服,則是也。

程頤《伊川易伝》はいう:兵を用うるの道は「正」を以て根本とす。師を興し衆を動かして天下をしてその毒害を受けしむるに、もし正道に出でざれば、百姓は服従せず、不過強行に駆使せらるるのみ。だから師卦は「貞」を以て主とす。行動はたとえ正当でも、軍隊を統率する人は必ず「丈人」たるべし。こうしてはじめて吉を得て過錯なからん。ある情形は吉なれどもなお過咎あり、ある情形は過咎なしといえども並び吉ならず。すでに吉にしてまた咎なきが、はじめて善を尽くすと算す。「丈人」は尊貴威厳の称呼である。軍隊を統帥し大衆を総領する人は、衆人の尊崇信服・敬畏順従する所に非ざれば、また何をもって人心の追随を得んや。だから春秋時の司馬穰苴は微賤の中より提拔せられ、彼に兵衆を授けたが、彼は衆心がまだ信服せざるがゆえに、斉景公の寵臣荘賈を以て監軍と為して威を立てんことを請えり。いわゆる「丈人」は、必ずしも素来崇高顕貴の地位に身居せざるも、ただ彼の才略謀断・徳行事業が衆人の敬畏信服する所と為れば、即ち是である。

如穰苴既誅莊賈,則眾心畏服,乃“丈人”矣。又如淮陰侯起於微賤,遂為大將,蓋其謀為有以使人尊畏也。集說王氏弼曰:興役動眾無功,罪也,故“吉”乃“無咎”。《朱子語類》云:“吉無咎”,謂如一件事,自家作出來好方得無罪咎;若作得不好,

上文に接ぎて卦辞の裡の「丈人」を講ず:春秋時の斉国の司馬穰苴のごときは、まず令に違えた監軍荘賈を斬り、全軍の人心は便ち敬畏して服従し、彼は即ち「丈人」のこの称呼に当たるに足った。また漢初の淮陰侯韓信のごときは、出身は微賤なれども、一朝に大将と拜せられたは、彼の謀略作為が人をして尊敬畏懼せしむるに足るがゆえである。「集説」に王弼を引く:労役を興動し民衆を調発して戦功を打出せざれば、本身就是罪過である。だから卦辞はまず「吉」を言って、はじめて「咎なし」に接ぎ得る。《朱子語類》はいう:いわゆる「吉咎なし」は、ちょうど一件の事を做して自己が做り好くしてはじめて過錯なしを談じ得るがごとし。もし做り好くせざれば——(底本はここに下文を脱す)

初六,師出以律,否臧凶。本義 “律”,法也:“否臧”,謂不善也。晁氏曰:否字先儒多作不,是也。在卦之初,為《師》之始,出師之道,當謹其始,以律則吉,不臧則凶,戒占者當謹始而守法也。

初六の爻辞:兵を出して作戦するは法度節制を以てすべく、做り好くせざれば凶険あり。朱熹《本義》はいう:「律」は即ち法度、「否臧」は即ち不善である。晁説之はいう:「否」の字は先前の儒者は多く「不」と写す。これは正しい。初六は全卦の最も下面に処り、《師》卦の開端である。兵を用うるの道は、起頭の処において謹慎すべく、能く法度節制を以てすれば吉、做って善からざれば凶。これは占卦する人に告戒するに、務めて開端を謹慎し法度を恪とすべし。

程傳 初,《師》之始也。故言出師之義,及行師之道。在邦國興師而言,合義理則是以律法也。謂以禁亂誅暴而動。苟動不以義,則雖善亦凶道也。善,謂克勝。“凶”,謂殃民害義也。在行師而言,“律”,謂號令節制。行師之道,以號令節制為本,所以統制於眾,不以律則雖善亦凶,雖使勝捷,猶凶道也。制師無法,幸而不敗且勝者,時有之矣,聖人之所戒也。

程頤《伊川易伝》はいう:初六は《師》卦の開端。だからこの一爻の講ずるは出兵の名義と軍を治する方法である。一国の兵を興すあの一面に就いて言えば、出兵が義理に合してはじめて「律を以てす」と算し得る。即ち禍乱を禁絶し暴虐を討伐するために動兵するである。もし動兵が道義に合せざれば、ならばたとえ打勝つとも、走る所は依然として凶険の路である。ここで言う「善」の指すは、取勝である。言う「凶」の指すは、百姓を禍害し道義を傷害するである。兵を帯びて作戦するあの一面に就いて言えば、「律」の指すは号令と節制である。兵を帯びるの道は号令節制を以て根本とし、それに靠って衆人を統轄約束す。法度に依らざれば、たとえ勝を得るもまた凶で、たとえ勝仗を打つとも、依然として凶険の道である。軍隊を統率して法度なく、侥幸に敗れず甚だしきは取勝する事は、歴来もまた有ったり。しかしてこれは正に聖人の告戒せんと欲する所である。

集說 王氏弼曰:為《師》之始,齊師者也,齊眾以律,失律敗散。程子曰:“律”有二義,有出師不以義者,有行師而五號令節制者,皆失律也。胡氏炳文曰:初六才柔,故有否臧之戒。然以律不言吉,否臧則言凶者,律令謹嚴,出師之常,其勝負猶未可知也,故不言吉。出而失律,凶立見矣。

「集説」に王弼を引く:初六は《師》卦の開頭で、任務は軍伍を整斉し法度を用いて部衆を約束するに在る。一旦法度を失えば、軍隊は即ち潰散敗亡す。程頤を引く:「律」には両層の意思あり:一つは出兵本身が道義に合せざる、二つは行軍作戦に号令節制なし(底本の「而五」の二字は訛誤あり)。この両種はみな失律と呼ぶ。胡炳文を引く:初六は陰柔にして才なし。だから「否臧」のこの一句の告戒あり。ただし爻辞は「律を以てす」に対しては吉を言わず、「否臧」に対しては却って直に凶を言う。これは号令が厳明なるは出兵の常规に過ぎず、勝負はまだ知るべからざるがゆえに吉を言わず。一たび出兵して法度を失えば、凶険は立刻に顕現する。

九二,在師中吉,無咎,王三錫命。本義 九二在下,為眾陰所歸,而有剛中之德,上應於五,而為所寵任,故其象占如此。

九二の爻辞:身が軍中に在りて能く中道を守れば、吉利にして、過錯あらず。君王は三度冊命を頒下して褒奨す。朱熹《本義》はいう:九二は下卦に処り、衆多の陰爻の帰附する対象で、本身に陽剛にして中に居る徳性を具備し、上に向かって六五の君位と「応与」を構成し、よって君主の信任寵遇を受く。だからこの一爻の取象と占断はこのようである。

程傳 《師》卦唯九二一陽為眾陰所歸,五居君位,是其正應,二乃師之主,專制其事者也。居下而專制其事,唯在師則可。自古命將,閫外之事,得專制之。在師專制而得中道,故“吉”而“無咎”。蓋恃專則失為下之道,不專則無成功之理,故得中為吉。凡《師》之道,威和並至則吉也。既處之盡其善,則能成功而安天下,故王錫寵命至於三也。凡事至於三者,極也。六五在上,既專倚任,復厚其寵數。蓋禮不稱,則威不重而下不信也。它卦九二為六五所任者有矣,唯《師》專主其事而為眾陰所歸,故其義最大。

程頤《伊川易伝》はいう:《師》卦にただ九二この一個の陽爻あるのみ、衆陰爻の帰附する中心である。六五は君位に居り、九二と「正応」を構成す。九二は即ち全軍の主帥で、独り軍中の事務を決断する人である。臣下の身份を以てその事を専断するは、ただ兵を帯びるこの一件において行き通るのみ。自古将帥を任命するに、凡そ国門以外の軍務は、みな彼に専断を許す。軍中に在りて能く専断してまた中道を失わざれば、だから「吉」にしてしかも「咎なし」という。一味に専権を恃仗すれば、人の臣下たるの本分を丢す。全く専断を敢えてせざれば、また成功の道理なし。だから能く中道を守住してはじめて吉である。大凡兵を用うるの道は、威厳と和順の両者を兼備すれば吉。すでに処置が善を尽くし美を尽くせば、能く戦功を成就し天下を安定せしむるを得る。だから君王の賞賜寵命は三度に多し。凡そ事が「三」に至れば、即ち極点である。六五は上位に居りて、すでに専一に倚重任用せば、則ち再加してその恩寵礼数を厚くす。礼数がもし功労と相称せざれば、主将の威望は重からず、部下も信服せざらん。別の卦にも九二が六五に任用せらるるの例あるも、ただ《師》卦の九二のみが専ら軍事を主として衆陰の帰する所と為る。だからその意義は最も重大である。

人臣之道,於事無所敢專,唯閫外之事,則專制之。雖制之在己,然因師之力而能致者,皆君所與而職當為也。世儒有論魯祀周公以天子禮樂,以為周公能為人臣不能為之功,則可用人臣不得用之禮樂,是不知人臣之道也。夫居周公之位,則為周公之事,由其位而能為者,皆所當為也,周公乃盡其職耳。子道亦然。唯孟子為知此義,故曰事親若曾子者可也,未嘗以曾子之孝為有餘也。蓋子之身所能為者,皆所當為也。

程頤続いていう:臣子たるの本分は、何事に対しても敢えて自主張せず、ただ国門以外の軍務のみが専断すべし。決断権は自己の手裡に握るも、しかし全軍の力に憑藉してはじめて成就した功業は、みな君主の授予したもので、また職分内の為すべき所である。世の中に或る儒者が鲁国の天子の礼楽を以て周公を祭祀するを議論して、周公が人臣の致しえざる功業を建立したれば、即ち人臣の用うべからざる礼楽を享用しうると認む——これは臣たるの道を懂らざるである。周公のあの位置に処れば、即ち周公のあの份の事を做す。あの位置より能く致し得る所は、みな分内の為すべき所で、周公は不過自己の職守を尽くしたのみである。兒子たるの道理もまた一様である。ただ孟子のみがこの層の意思を懂りて、だから父母に事奉して能く曽子のごとくなれば足れりと言うも、曽子の孝行になんの多余あるかを言わず。兒子たる者は凡そ自身の能く致し得るは、もとみな為すべき所だからである。

集說 孔氏穎達曰:承上之寵,為《師》之主,任大役重,無功則凶,故“言”乃“無咎”。“王三錫命”者,以其有功,敢王三加錫命。《朱子語類》云:“在師中吉”,言以剛中之德在師中,所以為吉。胡氏炳文曰:卦辭“師貞丈人吉,無咎”,爻“在師中吉,無咎”,即卦辭意也。中則無過不及,所以為貞。以師而中,所以為“丈人”。故《師》六爻,唯九二“吉無咎”。

「集説」に孔穎達を引く:九二は君上の寵任を承受し、全軍の主帥と為る。責任は重大・労役は繁重で、戦功を打出せざれば凶。だから必ずまず「吉」あって、はじめて「咎なし」を談じ得(底本の「言」の字は当に「吉」の字の訛なるべし)。いわゆる「王三たび命を錫る」は、彼が戦功を立てたがゆえに、君王が三度冊命賞賜を加えた(底本の「敢」の字は当に「故」の字の訛なるべし)。《朱子語類》はいう:「師中に在りて吉」とは、剛健守中の徳性に憑って軍隊を統率し、よって吉を得るを言う。胡炳文を引く:卦辞は「師貞、丈人吉、咎なし」を講じ、爻辞は「師中に在りて吉、咎なし」を講ず。正に卦辞の意思である。中を守れば過と不及なし。だから「貞」と呼ぶ。兵を帯びて能く中を守れば、だから「丈人」に足る。よって《師》卦六爻の中に、ただ九二のみが「吉咎なし」と称し得る。

六三,師或輿尸,凶。程傳 三居下卦之上,居位當任者也。不唯其才陰柔不中正,師旅之事,任當專一,二既以剛中之才,為上信倚,必專其事,乃有成功,若或更使眾人主之,凶之道也。“輿尸”,眾主也,蓋指三也。以三居下之上,故發此義,軍旅之事,任不專一,覆敗必矣。集說 王氏申子曰:三不中不正,以柔居剛,是小人之才弱志剛者,而居二之上,是二為主將,三躐而尸之也。凡任將不專,偏裨擅命,權不出一者,皆“輿尸”也。軍旅何所聽命乎?其取敗必矣。

六三の爻辞:軍中に或いは衆人が一同に事を主る局面を現出せん。凶。程頤《伊川易伝》はいう:六三は下卦の最も上面に処り、身がその位に居りて責任を担当すべき者である。単にその才質が陰柔にしてすでに「中を得」ずまた「位に当た」らざるのみならず、更要緊なるは軍旅の事は必ず一人を専任すべし。九二はすでに剛健守中の才具を以て君上の信頼倚重を受けたれば、一定に彼をしてその事を専断せしめて、はじめて戦功を成就しうる。もし再び別人をして一同に事を主らしめば、あれは即ち凶を取るの道である。「輿尸」は即ち衆人が事を主るで、大概指す所は正に六三である。六三は下卦の上に居るがゆえに、それを借りてこの層の義理を発揮す:軍旅の事に任用が専一ならざれば、覆敗は必然である。「集説」に王申子を引く:六三はすでに中に居らずまた位に当たらず、陰柔の質を以て陽剛の位に居るは、あの種の才干は柔弱にして心志は剛愎の小人で、しかして九二の頭上に圧す。九二はもと主将だが、六三は却って越級して軍務を主持しに行く。凡そ将を任ずるに専ならず、副将偏裨が擅自に号令を発し、権柄が一人に出ざるは、みな「輿尸」に属す。かくのごとくなれば軍隊は一体誰の号令を聴かんや。失敗を招致するは必然である。

六四,師左次,無咎。本義 “左次”,謂退舍也。陰柔不中,而居陰得正,故其象如此,全師以退,賢於六三遠矣,故其占如此。程傳 師之進,以強勇也。四以柔居陰,非能進而克捷者也。知不能進而退,故“左次”。“左次”,退舍也。量宜進退,乃所當也,故“無咎”。見可而進,知難而退,師之常也。唯取其退之得宜,不論其才之能否也。度不能勝,而完師以退,愈於覆敗遠矣。可進而退,乃為咎也。《易》之發此義以示後世,其仁深矣。集說 吳氏澄曰:按兵家尚右,右為前,左為後,故八陣圖天前沖、地前沖在右,天後沖、地後沖在左。

六四の爻辞:軍隊は左に退きて駐す。過錯あらず。朱熹《本義》はいう:「左次」は即ち兵を退けて駐扎す。六四は陰柔にして中に居らざれども、陰爻を以て陰位に居りて「当位」し正を得る。だから取象はこのよう。能く軍隊を保全して退くは、六三より高明なること甚だし。だから占断はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:軍隊が進撃するは強健勇武に靠る。六四は柔質を以て陰位に居り、能く兵を進めて取勝する人に非ず。明らかに進みえざるを知りて主動的に退く。だから「左次」——「左次」は即ち兵を退けて駐扎す——という。情勢を衡量して進退を決定するは、正に為すべき所である。だから「咎なし」。行うべきを見れば進み、艱難を察知すれば退くは、もと兵を用うるの常規である。ここではただそれが退くことの合宜を取り、並びその才具の足る足らざるを評論しない。打勝ちえざるを估量して、部隊を保全して退き下るは、全軍覆没するより好いこと太く多し。もし進むべきなのに退いたなら、あれははじめて過錯と算す。《周易》がこの層の道理を掲出して後世に昭示するの用心は、真に仁厚である。「集説」に呉澄を引く:兵家に按ずれば右を以て尊と為し、右は前を代表し左は後を代表す。だから八陣図の中天前衝・地前衝は右辺に布り、天后衝・地後衝は左辺に布る。

六五,田有禽,利執言,無咎,長子帥師,弟子輿尸,貞凶。本義 六五用《師》之主,柔順而中,不為兵端者也。敵加於己,不得已而應,故為“田有禽”之象,而其占利以摶執而無咎也。“言”,語辭也。“長子”,九二也。“弟子”,三四也。又戒占者專於委任,若使君子任事,而又使小人參之,則是使之“輿尸”而歸,故雖貞而亦不免於“凶”也。

六五の爻辞:田に禽獣ありて害を為す、捕捉するに宜しく、過錯あらず。長子を以て軍隊を統率せしめ、もし弟子たちをして一同に事を主らしめば、たとえ正を守るも凶。朱熹《本義》はいう:六五は軍隊を動用する主人で、柔順にして中に居り、戦端を挑起するを肯んぜず。敵人が自己の頭上に加害し来れば、已むを得ずしてはじめて兵を起して応付す。だから「田に禽あり」の象を取り、占断の上では搏撃擒獲するに宜しくして過錯を致さず。「言」は語助詞である。「長子」は九二を指し、「弟子」は六三・六四を指す。この一爻はまた占卦する人に告戒して専一に委任すべし:もし君子をして事に当たらしめて、また小人を派して手を挿し込ましめば、あれは即ち軍隊をして尸首を載せて帰らしむるに等し。だからたとえ正を守るも、「凶」を免れない。

程傳 五君位,興《師》之主也,故言興師任將之道。師之興,必以蠻夷猾夏寇賊奸宄,為生民之害,不可懷來,然後奉辭以誅之。若禽獸入于田中,侵害稼穡,於義宜獵取,則獵取之。如此而動,乃得“無咎”。若輕動以毒天下,其咎大矣。“執言”,奉辭也,明其罪而討之也。若秦皇漢武,皆窮山林以索禽獸者也,非“田有禽”也。任將授師之道,當以長子帥師。二在下而為師之主?“長子”也,若以弟子眾主之,則所為雖正亦凶也。“弟子”,凡非長者也。自古任將不專而致覆敗者,如晉荀林父邲之戰,唐郭子儀相州之敗是也。

程頤《伊川易伝》はいう:六五は君位に処り、兵を興す主人である。だからこの一爻の講ずるは兵を興し将を任ずるの道理。兵を興すは一定に四方の蛮夷が華夏を侵擾し、盗賊奸宄が百姓を残賊し、懐柔招撫がすでに効なくして、然る後に討伐の名義を奉じて彼らを誅除しに行くがゆえである。これはちょうど禽獣が田裡に闖入して庄稼を糟蹋するがごとく、道理に按じて猟取すべきは則ち猟取す。このように照らして動兵して、はじめて「咎なし」を得る。もし軽率に動兵して天下を毒害せば、罪過は大ならん。「執言」は即ち辞を奉ずるで、公開に相手方の罪状を宣明してこれを討伐す。秦始皇・漢武帝のごときは、みな山林を捜遍みて禽獣を尋找する人で、並び「田に禽あり」に非ず。将を任じ兵を授くる弁法は、当に「長子」に軍隊を統率せしむべし。九二は下位に在りて全軍の主と為る。即ちいわゆる「長子」である(底本はここに問号を誤作す)。もし「弟子」たちをして一同に事を主らしめば、為す所の事はたとえ正当でも凶。「弟子」は汎く長子に非ざる人を指す。自古以来、将を任ずるに専ならずして覆敗を招致したは、春秋時の晋国の荀林父が邲の戦に潰敗したと、唐代の郭子儀が相州に失利したとが、即ち例である。

集說孔氏穎達曰:陰不先唱,柔不犯物,犯而後應,故往即有功。猶如田中有禽而來犯苗,若往獵之則無咎過。《朱子語類》:問;《易》爻取義,如《師》之五“長子帥師”,乃是本爻有此象,又卻說“弟子輿尸”,何也?曰:此假設之辭也,言若“弟子輿尸”則“凶”矣。問:此例恐與“家人嗃嗃”而繼以“婦子嘻嘻”同。曰:然。

「集説」に孔穎達を引く:陰は先に搶りて唱導せず、柔は主動に他人を侵犯せず。相手方の来犯するを俟ちてはじめて起きて応戦す。だから兵を出せば即ち功を立つるを得。これはちょうど田裡に禽獣の跑り来りて禾苗を糟蹋するがごとく、往きてそれを猟取すれば便ち過錯なし。《朱子語類》に記載す:或る人問う、《周易》の爻辞の取義は、《師》卦六五の「長子師を帥る」といえるがごときは、本爻に確かにこの象あり。しかし下面はまた「弟子輿尸」といえるは、これは何故か。朱熹答える:これは仮設の説法で、意思是もし「弟子輿尸」に換えれば凶ならんと。又問う:この種の体例は恐らく《家人》卦のまず「家人嗃嗃」と言い、続いて「婦子嘻嘻」と言うと同一類か。朱熹答える:正に是。

蔣氏悌生曰:“輿尸”,《程傳》訓眾主,朱《義》訓撓敗。但訓作眾主,則與“長子帥師”為反對,其義尤切。禽在山林,固無事子獵取,今入于田,則害我禾稼,畋而執之宜也。“長子帥師”可也。又使弟子眾生之,是自取凶咎也。蔡氏清曰:“田有禽利執言”,是“師貞”意。“長子帥師”,是“丈人”意。

蒋悌生を引く:「輿尸」の二字は、程頤《伊川易伝》は衆人が一同に事を主ると解し、朱熹《本義》は敗績して尸を載せて帰ると解す。ただし衆人が事を主ると解するは、正好「長子師を帥る」と正反対照を形成して、意思は更に貼切である。禽獣は山林の裡に待つは、もと猟取しに行くを用いず。今は田中に闖入して我が禾稼を糟蹋すれば、ならば打猟して擒獲するは即ち当然である。「長子」をして軍隊を統率せしむるは可なり。もしまた弟子たちをして一同に事を主らしめば(底本の「衆生之」は当に「衆主之」と作るべし)、あれは即ち凶咎を自ら取る。蔡清を引く:「田に禽あり、言を執るに利し」の講ずるは、卦辞の「師貞」の意思である。「長子師を帥る」の講ずるは、卦辞の「丈人」の意思である。

上六,大君有命,開國承家,小人勿用。本義 《師》之終,順之極,論功行賞之時也。坤為土,故有“開國承家”之象。然小人則雖有功,亦不可使之得有爵土,但優以金帛可也。戒行賞之人,於小人則不可用此占,而小人遇之,亦不得用此爻也。

上六の爻辞:天子が冊命を頒下し、諸侯を分封し卿大夫を任命す。ただし小人は任用すべからず。朱熹《本義》はいう:上六は《師》卦の終結で、また坤順の極点に至り、正に功を論じ賞を行う時候に当たる。坤は卦象の中において土地と為る。だから「国を開き家を承く」の象あり。ただし小人はたとえ功を立つるも、彼をして爵位封地を獲得せしむべからず。ただ金帛を用いて優厚に彼に酬謝すれば便ち行く。これは賞を行う人に告戒する:小人に対してはこの一条の占辞を套用すべからず。しかして小人が自己この一爻を占得するも、またそれを持って自ら居るべからず。

程傳 上,《師》之終也,功之成也,大君以爵命賞有功也。“開國”,封之為諸侯也。“承家”。以為卿大夫也。“承”,受也。小人者雖有功,不可用也,故戒使勿用。師旅之興,成功非一道,不必皆君子也,故戒以小人有功不可用也,賞之以金帛祿位可也,不可使有國家而為政也。小人平時,易致驕盈,況挾其功乎?漢之英彭所以亡也,聖人之深慮遠戒也。此專言師終之義,不取爻義,蓋以其大者。若以爻言,則六以柔居順之極,師既終而在無位之地,善處而無咎者也。

程頤《伊川易伝》はいう:上六は《師》卦の終結で、また戦功の告成の時で、天子が爵位冊命を用いて功ある人に酬賞す。「国を開く」は彼を封じて諸侯と為す、「家を承く」は彼をして卿大夫と為さしむ。「承」は即ち承受である。小人はたとえ功あるも任用すべからず。だから告戒して「用うる勿れ」という。兵を興して仗を打つに、功を立つる路数は一種に止まらず、力を出すは必ずしも君子ならず。だから告戒して小人は功ありとも任用すべからずと。彼に金帛俸禄官位を賞するは可なれども、彼をして封国采邑を擁して政事を執掌せしむるは能わず。小人は平常の時候に尚且つ驕縦自满し易し。何を況んやまた戦功を挟むや。漢初の英布・彭越の敗亡した所以は、正にこの縁故で、これは聖人の深遠の憂慮と告戒である。この一段は専ら兵を用うる終結の時の義理を講じ、並び爻位に就いて義を取らず。それが取る所は更大なる一層だからである。もし単に爻位に就いて言えば、上六は陰柔を以て坤順の極点に処り、戦事はすでに終結して自己はまた無位の地に身在り。善く自処して過錯あらざる者である。

集說 《朱子語類》云:“開國承家,小人勿用”,舊時說只作論功行賞之時,不可及小人。今思它既一例有功,如何不及它得?看來“開國承家”一句,是公共得底,未分別君子小人在。“小人勿用”,則是勿更用它與之謀議經畫耳。漢光武能用此義,自定天下之後,一例論功行封,其所以用之在左右者,則鄧禹耿弇賈複數人,它不與焉。此義方思量得如此,未曾改入《本義》,且記取。

「集説」に《朱子語類》を引く:「国を開き家を承く、小人用うる勿れ」に関しては、我は従前ただ功を論じ賞を行う時候に賞賜が小人に及ばざると解した。今は再想すれば、彼らはすでに同様に功あれば、何をもって賞は彼に到らざらん。看れば「国を開き家を承く」のこの一句は大家が共同に得べきもので、まだ君子小人を分別せず。「小人用うる勿れ」とは、再び彼を用いて一同に国政を謀画経営せしむる勿れと言うのみ。漢光武帝は即ちこの層の意思を用いえた:天下が平定した後、一律に功を論じ封を行い、しかして身辺に留めて機要に参与せしめたは、ただ鄧禹・耿弇・賈復の数人のみ、其余はみなその列に在らず。この層の意思は我の近來にはじめて思量し出でたるもので、まだ《本義》の裡に改め書き入れず、姑らく記して置く。

趙氏汝楳曰:“大君”,六五也。周官軍將皆命卿,“開國”者,出卦為諸侯,師帥皆中大夫,旅帥皆下大夫。“承家”者,大夫之采邑。又曰:知勇之人,不能皆全材,用於戎行,有將師節制於上,未見其害。今為國為家,有民人,有社稷,則不可屬之小人。

趙汝楳を引く:「大君」の指すは六五である。《周礼》の官制に按ずれば、軍将はみな命卿を以て担任し、「国を開く」は即ち外出して封を受けて諸侯と為る(底本の「出卦」は当に「出封」と作るべし)。師帥はみな中大夫、旅帥はみな下大夫で、「家を承く」の指すは即ち大夫の采邑である。彼またいう:智謀勇力ある人は、必ずしも様様が全才ならず。彼らを行伍の中に用いて、上頭に将帥の節制あれば、なんの害処あるかを見出さず。今は国家の替わりに・采邑の替わりに家を当たるであれば、下に百姓あり上に社稷あり、あれは小人に交托すべからず。

胡氏炳文曰:初,《師》之始,故紀其出師而有律,上,《師》之終,故紀其還師而賞功,六爻中,將兵將將,伐罪賞功,靡所不載。末曰“小人勿用”,則又戒辭也。雖然,亦在於謹其始焉耳。曰“丈人”,曰“長子”,用以行師者得其人。及其“開國承家”,自不至於用小人矣。

胡炳文を引く:初六は《師》卦の開頭。だから記する所は出兵に法度あるべし。上六は《師》卦の終結。だから記する所は班師の後に功を論じ賞を行う。六爻の中に、士卒を統率する・将帥を駕駁する・罪人を討伐する・功労に酬賞する、備わらざるなし。末了に一句「小人用うる勿れ」を言うは、あれはまた告戒の辞である。話はこのようといえども、関鍵は依然として開頭において謹慎するに在る。卦辞は「丈人」を言い、爻辞は「長子」を言う。ただ以て兵を帯びる人選が得当なれば、「国を開き家を承く」の時候に至って、自然に小人を用いるに至らざらん。

林氏希元曰:小人立功,不得不一例賞以爵邑。若一例賞以爵邑,又恐播惡於眾,不若於行《師》之初,不用之為愈也。故《象傳》謂其“必亂邦”,彖辭於師貞之下,即言宜用丈人,五爻之辭又戒用“弟子”,即此意也。師之始既言之,師之終而復言,正戒人當謹於其始也。

林希元を引く:小人は一旦功を立てれば、照例に彼に爵位封邑を賞せざるを得ず。しかし照例に爵位封邑を賞せば、また彼が悪行を民衆の中に散布するを恐る。むしろ兵を起こすの初めにおいて彼を用いざるが更に好し。だから《小象伝》はこの種の人は「必ず邦を乱す」と言い、「彖辞」は「師貞」の下に緊接して宜しく「丈人」を用いるべしを講じ、六五の爻辞はまた告戒して「弟子」を用いる勿れという。みなこの意である。兵を起こすの初めにすでに一遍講じ、兵を用うる終わりにまた一遍講ずるは、正に人に告戒して開頭において謹慎すべし。

案 “小人勿用”,非既用而不封,亦非既封而不用,乃是從初不用,所謂丈人吉弟子凶者,自其出師之始而已然也。胡氏林氏之說,皆合卦意。但此處小人勿用,小人

李光地按する:いわゆる「小人用うる勿れ」は、すでに彼を用いて封賞を与えざるを言うに非ず、またすでに彼を封賞して再び任用せざるを言うにも非ずして、一開頭より彼を用いざるである。卦辞のいわゆる「丈人吉」・爻辞のいわゆる「弟子凶」は、出兵の最初よりすでにこのように定下した。胡炳文・林希元両家の説法は、みな全卦の意旨に合す。ここで言う所の小人用うる勿れに至っては、小人……(底本はこの按語以下脱文)

比卦・坎上坤下

程傳 《比序卦》:“眾必有所比,故受之以比。”比,親輔也。人之類必相親輔,然後能安,故既有眾則必有所比,《比》所以次《師》也。為卦上坎下坤,以二體言之,水在地上,物之相切比無間,莫如水之在地上,故為《比》也。又眾爻皆陰,獨五以陽剛居君位,眾所親附,而上亦親下,故為《比》也。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は《比》卦の次第を講じていう:「人衆あれば必ず親附する所有り。だから《師》卦の後に接ぐは《比》卦。」「比」は即ち親近輔助である。人のこの類は、必ず彼此親附輔助して、然る後に能く安定するを得。だからすでに衆人あれば、必ず親附する所有るべく、《比》卦はここに因って《師》卦の後面に排す。卦体に就いて言えば、上卦は坎・下卦は坤:水は地上に覆いて、天下万物の貼合すること一絲の縫隙なきは、水の地に在るより緊密なるはなし。だから《比》と呼ぶ。さらに全卦の各爻はみな陰爻で、ただ九五のみが陽剛を以て君位に居り、衆人の親附する所と為り、しかして上に在る九五もまた下面の衆陰を親近す。だから《比》と呼ぶ。

比,吉,原筮元永貞,無咎。不寧方來,後夫凶。本義 “比”,親輔也。九五以陽剛居上之中,而得其正,上下五陰,比而從之,以一人而撫萬邦,以四海而仰一人之象。故筮者得之,則當為人所親輔。然必再筮以自審,有元善長永正固之德,然後可以當眾之歸而“無咎”。其未比而有所不安者,亦將皆來歸之。若又遲而後至,則此交已固,彼來已晚,而得“凶”矣。若欲比人,則亦以是而反觀之耳。

卦辞:《比》、吉。本始を推原して再び占せば、元善・長久・正固の徳性を具備して、はじめて過錯あらざるを得。原先安寧ならざる方国はみな前来して帰附し、後頭に落ちてはじめて到る人は凶あり。朱熹《本義》はいう:「比」は即ち親近輔助である。九五は陽剛を以て上卦の中に居り、すでに「中を得」また「位に当た」り、上下五個の陰爻はみな来りて親附順従す。これは一人が万邦を安撫し四海が一人を仰望する象である。だから占筮する人がこの一卦を得れば、他人の親附を受くべし。ただし必ず再び占して以て自我を審察し、確実に「元」の至善・「永」の長久・「貞」の正固のこの三様の徳性を具備して、然る後にはじめて衆人の帰附に担当しえて「咎なし」。あのまだ帰附せざる・心裡に安からざる者も、また将に一斉に前来して帰附せんとす。もし再び拖延して後面に落ちてはじめて到れば、あの時は彼此の交結はすでに穏固で、彼の来ること太晚くして、「凶」を得ん。もし自己が往きて他人に親附せんと欲するは、あれもまたこの道理に照らして返って自己を審視すべし。

程傳 “比”,吉道也。人相親比,自為古道,故《雜卦》云“比樂師憂”。人相親比,必有其道,苟非其道,則有悔咎,故必推原占決其可比者而比之。“筮”,謂占決卜度,非謂以蓍龜也。所《比》得“元永貞”則“無咎”。“元”,謂有君長之道,“永”,謂可以常久。“貞”,謂得正道。上之比下,必有此三者,下之從上,必求此三者,則“無咎”也。

程頤《伊川易伝》はいう:「比」は吉利の道理である。人と人が互相親附するは、もと自古以来の常道である。だから《雑卦伝》は「比は楽しみ師は憂う」——親附は楽事、用兵は憂事——という。人の相親附するは必ず正当の途徑あるを要す。もし正道に循わざれば、悔恨過錯を招来せん。だから一定に本原を推究し審断し清楚にして、どの人が親附すべきかを明らかにして、然る後に親附しに行くべし。ここで言う「筮」の指すは、判断揣度で、並び真に蓍草亀甲を用いて占卜するに非ず。親附する所の対象が「元永貞」を具備して、はじめて「咎なし」を得。「元」は君長の徳量を具えるを指し、「永」は長久すべきを指し、「貞」は行う所が正道なるを指す。上位に在る人が下面の人に親附するは、必ずこの三様を具備すべし。下位に在る人が上面の人に追随するも、また必ず相手方の身上においてこの三様を求めて、こうしてはじめて「咎なし」。

人之不能自保其安寧,方且來求親比,得所比則能保其安。當其不寧之時,固宜汲汲以求比,若獨立自恃,求比之志,不速而後,則雖夫亦“凶”矣。夫猶凶,況柔弱者乎。“夫”,剛正之稱。《傳》曰:子南夫也。又曰:是謂我非夫。凡生天地之間者,未有不相親比而能自存者也,雖剛強之至,未有能獨立者也。《比》之道,由兩志相求。兩志不相求則睽矣。君懷撫其下,下親輔於上,親戚朋友鄉黨皆然,故當上下合志以相從。苟無相求之意,則離而凶矣。大抵人情相求則合,相持則睽,相持相待莫先也。人之相親固有道,然而欲比之志不可緩也。

程頤続いていう:人は自身の安寧を保住しえざれば、はじめて前来して親附を尋求す。親附すべき対象を找到せば、即ち安定を保住しうる。正に安寧ならざる時に当たり、もと急切に親附を求めに行くべし。もし孤立自恃して、親附を求むる心が迅速ならずして人後に落つれば、ならばたとえ剛強の男子でも「凶」ならん。剛強の男子ですら尚且つ凶なり。何を況んや柔弱の人をや。「夫」は剛強端正の人の称呼で、《左伝》の裡に「子南は夫なり」といい、また「これを我は夫に非ずと謂う」という。用いる所はみなこの意である。凡そ天地の間に生まるるは、互相親附せずして独自に存活しうるなし。たとえ剛強の極処に至るとも、孤立して自存しうるなし。《比》の道理は、双方の心意が彼此尋求するに在る。両辺の心意が相尋求せざれば、即ち乖離と成る。君上が懐柔安撫して下面に施し、下面が親附輔助して君上に仕え、親戚・朋友・郷鄰の間もまたみなこのよう。だから上下同心にして互相追随すべし。もし彼此ともに求合の意なければ、离散して凶を致さん。大抵人情は彼此尋求すれば即ち相合し、彼此僵持すれば即ち乖離す。しかして僵持観望は最も要らざるものである。人と人の相親むは固より正道を講ずべきも、しかし親附せんと欲する心意は片刻も拖延すべからず。

集說 郭氏雍曰:一陽之卦得位者,《師》、《比》而已,得君位者為《比》,得臣位者為《師》。馮氏椅曰:《萃》與《比》。下體坤順同,上體水澤不相遠,唯九四一爻,有分權之象,故“元永貞”言子五;比下無分權者,故“元永貞”言於卦。義各有在也。胡氏一桂曰:六十四卦,唯《蒙》、《比》以筮言。《蒙》貴初而《比》貴原者,蓋發蒙之道,當視其“初筮”之專誠;顯比之道,當致其“原筮”而謹審,所以不同也。

「集説」に郭雍を引く:ただ一個の陽爻ありてこの一陽がまた正位に居る卦は、ただ《師》と《比》の両個のみ。陽爻が君位を占住するは《比》、臣位を占住するは《師》である。馮椅を引く:《萃》卦と《比》卦は、下卦は同じく坤の柔順で、上卦は一は沢一は水にしてまた相去ること遠からず。ただ《萃》は九四のこの一爻を多くして、権柄を分割する象あり。だから《萃》は「元永貞」を九五爻の上に繫ぐ(底本の「言子五」は当に「言于五」と作るべし)。《比》卦の下には分権の爻なし。だから「元永貞」を卦辞の上に繫ぐ。両処は各々各々の道理あり。胡一桂を引く:六十四卦の裡に、ただ《蒙》と《比》のみが占筮を用いて辞を立つ。《蒙》は「初筮」を看重し《比》は「原筮」を看重するは、蒙昧を啓発する道は、教を求むる者の初次に問卜する時の専一誠懇を看るに因り、しかして光明正大に親附する道は、則ち本始を推原する再占の中において謹慎審察を致さんことを要するに因る。だから両者は同じからず。

初六,有孚比之,無咎。有孚盈缶,終來有它吉。本義 《比》之初貴乎有信,則可以“無咎”矣。若其充實,則又有它吉也。程傳 初六,《比》之始也。相比之道,以誠信為本,中心不信而親人,人誰與之?故《比》之始,必有孚誠,乃“無咎”也。“孚”,信之在中也。誠信充實於內,若物之盈滿於缶中也。“缶”,質素之器,言若缶之盈實其中,外不加文飾,則終能來有它占也。“它”,非此也,外也。若誠實充於內,物無不信,豈用飾外以求比乎?誠信中實,雖它外皆當感而來從。孚信,《比》之本也。

初六の爻辞:心に誠信を懐きて親附すれば、過錯あらず。誠信が充実して瓦缶の装満するがごときは、終に意外の吉慶を招来す。朱熹《本義》はいう:《比》卦の開頭は誠信あるを貴ぶ。誠信あれば即ち「咎なし」を得。もし誠信が充実飽満せば、あれはまた更に分外の吉慶あらん。程頤《伊川易伝》はいう:初六は《比》卦の開端である。互相親附する道は誠信を以て根本とす。心裡に並び誠信なくして他人に親近しに行けば、誰か彼と相処するを肯んぜんや。だから親附の開頭は必ず誠信あって、はじめて「咎なし」を得。「孚」は即ち心中に存在する誠信である。誠信は内心に充実して、ちょうど東西が瓦缶に装満するがごとし。「缶」は質朴無華の器皿で、言う所は瓦缶のごとく内裏充実・外表に文飾を加えず、最終に即ち分外の吉慶を招来しうる(底本の「它占」は当に「它吉」と作るべし)。「它」は即ち此に非ず外に在るの意である。もし誠実が内に充満せば、他人に信服せざるなし。いずれかなお外表を修飾して人の親附を求むるを用いんや。誠信が中に在りて篤実なれば、たとえもと「応与」なき外人でも、みな感動を受けて前来して追随す。誠信は、正に《比》卦の根本である。

集說 鄭氏汝諧曰:五為《比》之主,初最遠而非其應,何以有吉義?蓋幾生於應物之先,而誠出於志之未變,故以信求比,何咎之有?“盈”,充也。“缶”,素器也。居下而位卑,擴吾之信以充之,雖遠而非其應,終必應而“有它吉”矣。“有它吉”者,非期於必得而得之也。胡氏炳文曰:與人交止於信。親比之初,能有誠信,所以比之“無咎”。及其誠信充實,則非特無咎,又“有它吉”。初六不與五應,故曰“有它”。《大過》九四、《中孚》初九皆曰“有它”,彼則戒其有它向之心,此則許其有它至之吉也。

「集説」に鄭汝諧を引く:九五は《比》卦の主爻で、初六はそれを離るること最も遠く、またそれと「応与」を構成せず。何を憑って吉の意思あらんや。事情の苗头が外物を応接する前に生じ、誠意が心志のまだ変動せざる時に出るがゆえに、だから誠信を用いて親附を求めば、なんの過錯かあらん。「盈」は充満、「缶」は質朴の器皿である。初六は下位に身居し爵位は卑微で、ただ自己の誠信を拡充してそれを填満するを管するのみ。たとえ九五を離るる遠く、またその正応に非ずとも、最終に必ず呼応を得て「它吉あり」。いわゆる「它吉あり」は、並び一心に期求して必ず得せんとしてはじめて得たるに非ず。胡炳文を引く:人と交際するは、帰結するにただ一個の信の字に在るのみ。親附の開頭に能く誠信あれば、だから親附して「咎なし」。誠信が充実飽満するに及べば、ただ過錯なきのみならず、また「它吉あらん」。初六と九五とは並び相応せず。だから「它あり」という。《大過》九四・《中孚》初九もまたみな「它あり」という。あの両処は彼に告戒して別に他人に向かう心を生ぜしむる勿れとするが、ここは却って彼に許して意外に到来する吉慶を与う。

六二,比之自內,貞吉。本義 柔順中正,上應九五,自內比外,而得其正,吉之道也。占者如是,則正而吉矣。程傳 二與五為正應,皆得中正,以中正之道相比者也。二處於內,“自內”,謂由己也。擇才而用,雖在乎上,而以身許國,必由於己,己以得君道合而進,乃得正而古也。以中正之道,應上之求,乃自內也,不自失也。汲汲以求比者,非君子自重之道,乃自失也。集說 梁氏寅曰;二與五為比,由內而比外者也。凡“貞吉”,有爻之本善者,有爻非貞而為之戒者。此曰“貞吉”,爻之本善也。言自內比外而得其正,是以吉也。谷氏家傑曰:自內之所有者以比之,達不變塞也。即此是正,故“吉”。

六二の爻辞:内部より親附すれば、正を守りて吉を得る。朱熹《本義》はいう:六二は柔順にしてまた「中正」で、上に向かって九五と相応じ、内卦より外卦に親附し、よって正道に合す。吉利の路子である。占卦する人がこのようであれば、則ち正を守りて吉を得る。程頤《伊川易伝》はいう:六二と九五は「正応」で、両爻ともに中に居りて正を得。中正の道を用いて互相親附するものである。六二は内卦に処り、「内より」は即ち自己より主を為す。人才を選拔して任用を加うるは、権柄は上位者の手裡に在るも、しかし身を以て国に許すは必ず自己に出づるを要す。自己は明君に遇上し道義相合するに因って進用せられ、こうしてはじめてすでに正を得また吉を得る(底本の「而古」は当に「而吉」と作るべし)。中正の道を用いて君上の征求に回应するを、これを「内より」と呼ぶ。即ち自己を失わざるである。急切に到る処人の親附を求むるは、君子の自重の做法に非ず。あれははじめて自失と呼ぶ。「集説」に梁寅を引く:六二と九五の相親附するは、内卦より外卦に親附するである。凡そ爻辞の「貞吉」というは、あるものはこの一爻本身が即ち好く、あるものはこの一爻が並び正ならずしてこれを借りて告戒を加う。ここで「貞吉」というは、爻本身が即ち好き一類に属し、内より外に親附して正道に合するを言う。よって吉を得る。谷家傑を引く:自己の内裏にもと有る物を拿って他人に親附するは、即ち《中庸》の講ずる所の顕達の時に困窮の時の操守を改変せずである。これ本身就是正。だから吉。

六三,比之匪人。本義 陰柔不中正,承、乘、應皆陰,所比皆非其人之象,其占大凶,不言可知。程傳 三不中正,而所比皆不中正,四陰柔而不中,二存應而比初,皆不中正,“匪 集說 王氏弼曰:四自外比,二為五應,近不相得,遠則無應,所與比者,皆非己親,故曰“比之匪人”。《朱子語類》云:初應四,為比得其人。二應五,亦為比得其人。唯三乃應上,上為比之無首者,故為“比之匪人”也。趙氏彥肅曰:初比於五,先也。二應也,四承也,六三無是三者之義,將不能比五矣。

六三の爻辞:親附する所は親附すべき人に非ず。朱熹《本義》はいう:六三は陰柔にしてすでに中に居らずまた位に当たらず。それが承ける所・乘る所・応ずる所はみな陰爻である。これは親附する所がみな合適の人に非ざる象。占断は大凶で、言わずとも明白である。程頤《伊川易伝》はいう:六三はすでに中ならずまた正ならず、しかしてそれが親附する所もみな中ならず正ならず——六四は陰柔にして中に居らず、六二は別に正応ありて初六と相比す。みな中ならず正ならず、「匪……」(底本はここに脱文)。「集説」に王弼を引く:六四は外卦より九五に親附し、六二は九五の正応で、近処のこの両爻はみな六三と合い来らず。遠処にはまた相応する爻なく、六三の親附しうる所はみな自己の親党に非ず。だから「之に比するに人に匪ざる」という。《朱子語類》はいう:初六と六四は相応ず。これは親附して人を得る。六二と九五は相応ず。これもまた親附して人を得る。ただ六三のみが上六と相応ず。しかして上六は正にあの「之に比するに首なし」の人で、だから「之に比するに人に匪ざる」と成った。趙彦粛を引く:初六が九五に親附するは、前頭に搶るに靠る。六二は九五の正応。六四は九五に緊承す。六三はこの三様の条件は一様も具えず。看れば九五に親附し上らざらん。

六四,外比之,貞吉。本義 以柔居柔,外比九五,為得其正,吉之道也。占者如是,則正而吉矣。程傳 四與初不相應而五比之,外比於五,乃得貞正而吉也。君臣相比,正也。相比相與,宜也。五剛陽中正,賢也。居尊位,在上也。親賢從上,比之正也,故為“貞吉”。以六居四,亦為得正之義。又陰柔不中之人,能比於剛明中正之賢,乃得正而吉也。又比賢從上,必以正道則吉也。數說相須,其義始備。

六四の爻辞:外に向かって親附すれば、正を守りて吉を得る。朱熹《本義》はいう:六四は陰柔の爻を以て陰柔の位に居り、外に向かって九五に親附し、よって「位に当た」りて正を得。吉利の路子である。占卦する人がこのようであれば、則ち正を守りて吉を得る。程頤《伊川易伝》はいう:六四と初六とは並び相応せず、しかして九五は即ちそれの上面に在りてそれと相親す。それは外に向かって九五に親附し、ここに貞正を得て吉。君臣の互相親附するは正、彼此の親附相与するは宜。九五は陽剛にして中正。これは賢者。また尊位に居る。これは上に在る者。賢人に親近し君上に追随するは、正に親附の正道。だから「貞吉」という。六この陰爻を以て四この陰位に居るは、また「位に当た」りて正を得る意を含む。さらに陰柔にして中ならざる人が、能く剛健明叡・中正の賢者に親附するは、こうしてはじめて正を得て吉。また、賢人に親附し君上に追随するは、必ず正道に依循してはじめて吉。この幾層の意思は互相補足して、「貞吉」の義理ははじめて完備と算す。

集說 易氏祓曰:《易》以上卦為外,下卦為內,而二體亦各有內外。四與五同體,而言外比者,亦所以比五也。李氏過曰:二與四皆比於五,二應五,在卦之內,故言比之自內;四承五,在卦之外,故言外比之。外內雖異,而得其所比,其義一也,故皆言“貞吉”。

「集説」に易祓を引く:《周易》は上卦を以て外と為し下卦を以て内と為す。しかして上下両体本身もまた各々内外の分あり。六四と九五は同じく上体に在るが、しかし「外に比す」と言う。も依然として九五に親附するを指す。李過を引く:六二と六四はみな九五に親附す。六二は九五と相応じ、位置は卦の内体に在る。だから「内より之に比す」という。六四は九五に緊承し、位置は卦の外体に在る。だから「外より之に比す」という。内外は同じからざれども、みな親附の対象を正しく找えり。道理は一致す。だから両爻ともに「貞吉」という。

九五,顯比,王用三驅失前禽,邑人不誡,吉。本義 一陽居尊,剛健中正,卦之群陰,皆來比己,顯其比而無私,如天子不合圍,開一面之網,來者不拒,去者不追,故為“用三驅失前禽”,而“邑人不誡”之象。蓋雖私屬亦喻上意,不相警備以求必得也。凡此皆言之道,占者如是則吉也。

九五の爻辞:光明正大に親附す。君王は三面驅趕の猟法を用い、迎面に跑出する禽獣を放走し、自己の封邑の裡の人にも戒備を加えず。吉。朱熹《本義》はいう:九五は一個の陽爻を以て尊位に居り、剛健にして「中正」。全卦の衆陰爻はみな来りて自己に親附す。彼は親附の道を明処に擺いて私心なし。ちょうど天子の田猟が四面合囲せず、網に一面を開き、来るは拒絶せず去るは追趕せざるがごとし。だから「三駆を用いて前禽を失う」と「邑人誡まらず」の象を取る。連その私属もまた君上の心意を領会して、猟物の必得を求めて互相戒備せざるがゆえに。凡そこれらの種種の講ずるはみな「顕比」の道である(底本はこの句に脱字あり)。占卦する人がこのよう為れば吉。

程傳 五居君位,處中得正,盡《比》道之善者也。人君比天下之道,當顯明其比道而已。如誠意以待物,恕己以及人,發政施仁,使天下蒙其惠澤,是人君親比天下之道也。如是天下孰不親比於上?若乃暴其小仁,違道干譽,欲以求下之比,其道亦狹矣,其能得天下之比乎?故聖人以九五盡比道之正,取三驅為喻,曰“王用三驅失前禽,邑人不誡吉”。先王以四時之畋不可廢也,故推其仁心,為三驅之禮,乃禮所謂天子不合圍也。成湯祝網,是其義也。天子之畋圍,合其三面,前開一路,使之可去,不忍盡物,好生之仁也。只取其不用命者,不出而反入者也。禽獸前去者皆免矣,故曰失前禽也。

程頤《伊川易伝》はいう:九五は君位に処り、中に居りて正を得、親附の道を善を尽くすに致した。君主たる者が天下に親附するは、弁法はただこの親附の道を明処に擺くるに在るのみ。たとえば誠意を以て万物に対待し、己に推して人に及ぼし、善政を頒布し仁愛を施行して、天下をしてみな彼の恩沢を蒙受せしむれば、これ即ち君主が天下に親附する門径である。かくのごとくなれば、天下に誰か君上に親附せざるあらん。もし小恩小恵を顕摆して、正道に違背して名誉を博取し、これを借りて下面の親附を換取せんと欲せば、あの路子は太く窄くして、いずれか天下人の親附を得んや。だから聖人は九五が親附の道を最も正しく致したと認めて、即ち「三駆」を取って以て比方と為し、「王三駆を用いて前禽を失い、邑人誡まらずして吉」という。先王は四季の田猟は廃止すべからずと認めて、だから自己の仁心を推広し、三面驅趕の礼制を定下せり。即ち礼書の言う所の天子の田猟は四面合囲せず。商湯が網を解いて祝禱したは、正にこの意である。天子の猟囲はただ三面を囲み、前面に一路を開出して禽獣をして逃走しうらしむ。猟物を赶尽殺絶するを忍心せざるは、これは生命を愛惜する仁心である。ただあの駆使に服せざるを捕取するのみ。即ち外に向かい逃げずして却って裡に向かい闖むるを。前に向かい跑掉した禽獣はみな一死を免れた。だから「前禽を失う」という。

王者顯明其比道,天下自然來比。來者撫之,固不煦煦然求比於物。若田之三驅,禽之去者,從而不迫,來者則取之也。此王道之大,所以其民暤暤而莫知為之者也。邑人不誡吉,言其至公不私,無遠邇親疏之別也。邑者,居邑,《易》中所言邑皆同。王者所都,諸侯國中也。誡,期約也。待物之一,不期誡於居邑,如是則吉也。聖人以大公無私治天下,於顯比見之矣。非唯人君比天下之道如此,大率人之相比莫不然。以臣於君

程頤続いていう:王者は親附の道を明処に擺けば、天下は自然に前来して帰附す。来るは即ち安撫を加うるのみ。もと満面に和気を堆して到る処人に自己に親附するを求むるを用いず。ちょうど田猟の三面驅趕のごとく、禽獣の走らんと欲するは、それに任せて去らしめて逼迫せず。来らんと欲するは、則ちそれを取下す。これ正に王道の宏大の処で、だから百姓は生活して広大自得にして、しかし誰か彼らをしてこのようたらしめたかを知らず。「邑人誡まらずして吉」とは、彼の極めて公正にして偏私なく、遠近親疏の分別なきを言う。「邑」は即ち居する所の城邑で、《周易》の裡の言及する「邑」はみなこの意で、王者の都城・諸侯の国都を指す。「誡」は即ち事先に約定す。衆人に対待して同仁を一にし、預め都邑の裡において人と招呼を打ち約定を作らざれば、かくのごときは即ち吉。聖人は大公無私を用いて天下を治理すれば、「顕比」のこの一爻の上において即ち看出しうる。ただ君主の天下に親附するにこのようたるを要するのみならず、大凡人と人の相親附するもまたこのようたらざるなし。臣子の君主に対するに就いて言えば……(底本はここに脱文)

集說 《朱子語類》:問:伊川解“顯比王用三驅失前禽”所謂來者撫之,去者不追,與失前禽而殺不去者,所譬頗不相類,如何?曰:田獵之禮,置旃以為門,刈草以為長圍。田獵者,自門驅而入,禽獸向我而出者皆免,唯被驅而入者皆獲,故以前禽比去者不追。獲者譬來則取之,大意如此,無緣得一一相似。伊川解此句不須疑,但邑人不誡吉一句似可疑,恐《易》之文義不如此耳。又云:“邑人不誡”,如有間無聲,言其自不消相告誡,又如歸市者不止、耕者不變相似。

「集説」に《朱子語類》を引く:或る人問う、程頤が「顕比、王三駆を用いて前禽を失う」を解して、来るは安撫し去るは追わずという。しかし「前禽を失う」にしてあの離去を肯んぜざるを殺すは、この両個の比方は相当相称せず。いかに講ずべきか。朱熹答える:田猟の礼制は、旗子を插して以て門と為し、雑草を割去して長長の猟囲を囲む。田猟に参加する人は門裡より内に向かい驅趕し、禽獣は人に迎えて外に向かい衝出するはみな免を得、ただ趕かれて裡に向かい跑るのみが捕獲せらる。だから「前禽」を拿って去るは追わざるを比喻し、捕獲せらるるを拿って来るは即ち取るを比喻す。大意はこのようのみで、処処一一相似するを得ざるなし。程頤のこの一句を解するは疑うべからず。却って「邑人誡まらずして吉」の一句は似て疑うべし。恐らく《周易》の文義は並びこのように非ざらん。彼またいう:「邑人誡まらず」とは、ちょうど動静あるも声响を聴聞せざるがごとく、彼らが自然に彼此告誡するを用いざるを言う。またちょうど市集に赶く人の照常に来往し耕田する人の照常に耕作するがごとし。

胡氏炳文曰:諸陰爻皆言比之,陰比陽也。五言顯比,陽為陰所比也。《師》、《比》之五,皆取田象。師之“田有禽”,害物之禽也。《比》之“失前禽”,背己之禽也。在《師》則執之,王者之義也。在《比》能失之,王者之仁也。梁氏寅曰:九五陽剛中正,為《比》之主。陽剛則明而不暗,中正則公而不私,此其所以為“顯比”也。以象言之,如田狩而“用三驅失前禽”,來者不拒,去者不追,此上之比下也,固“顯比”也。比下既得其道,則雖私屬亦唯上意,而不待告誡,此下之比上也,亦“顯比”也。上下之相比,同一顯明之道,又安有不吉乎?

胡炳文を引く:《比》卦の各個の陰爻はみな「之に比す」という。あれは陰が往きて陽に親附するである。ただ九五のみが「顕比」という。あれは陽が衆陰に親附せらるるである。《師》卦と《比》卦の第五爻はみな田猟の象を取る:《師》卦の「田に禽あり」は、人の庄稼を害する禽獣。《比》卦の「前禽を失う」は、我を背いて逃走する禽獣。《師》卦の裡においてそれを捉住するは、王者の義。《比》卦の裡において能くそれを放ち去らしむるは、王者の仁。梁寅を引く:九五は陽剛にして中正、《比》卦の主爻である。陽剛なれば即ち明亮にして昏暗ならず、中正なれば即ち公平にして偏私なし。これ正にそれが「顕比」と称せらるるの縁由である。象上に就いて言えば、ちょうど田猟の時に「三駆を用いて前禽を失う」がごとく、来るは拒絶せず去るは追趕せず。これは上面の人が下面の人に親附するで、固より「顕比」。親附して下面はすでに正道に合せば、ならば連自己の私属もまたただ君上の心意を体察して、事先に告誡するを用いず。これは下面の人が上面の人に親附するで、同じく「顕比」。上下の互相親附するは、同一条の光明の路子を走る。またなんの吉ならざるかあらん。

林氏希元曰:顯與隱對。光明正大,而無隱伏回曲闇昧褊窄者,顯也。隱伏回曲闇昧褊窄,而不光明正大者,隱也。王者以父母天下為職,生養教誨,但知吾分所當為,盡其道而為之,至於民之感恩與否,則聽其在彼,初不屑屑焉暴其私恩小惠,違道干譽,以求百姓之我親。此其施為舉措,何等光明正大?而豈有隱伏回曲闇昧褊窄之病?故謂之顯比。譬如王者解一面之網,用三驅之田,禽獸向我而入者取之,背我而前去者則失之,初不求於必得。至於私屆亦喻上意,不相警備以求必得焉。夫王用三驅失前禽者,王道之得,邑人不誡者,王化之行,凡此皆吉之道也。王者能如九五之“顯比”,則亦王道得而王化行矣。陸氏振奇曰:三驅失禽,置失得於勿恤者,狀蕩平之王心。“邑人不誡”,泯知識於大順者,狀熙暤之王化。

林希元を引く:「顕」は「隠」と相対するである。光明正大にして隠匿曲折・暗昧狹隘の毛病なきは、即ち顕。隠匿曲折・暗昧狹隘にして光明正大ならざるは、即ち隠。王者は天下人の父母を為るを以て職分と為し、百姓を養育教化して、ただこれは自己の分内の為すべき所を知るのみで、道理に照らして尽力して做す。百姓の感恩するや否やに至っては、則ち彼らに随いて去らしめて、従来斤々計較して私恩小恵を顕摆し正道に違背して名誉を博取して、以て百姓が自己に親近するを求むることなし。こういう施政挙措は、何等光明正大なるか。いずれか隠匿曲折・暗昧狹隘の毛病あらんや。だから「顕比」と呼ぶ。たとえば王者が一面の羅網を解き三面驅趕の猟法を采用するがごとく、禽獣の我に迎えて裡に向かい闖むるは即ち取下し、我を背いて前に向かい跑るは即ち放掉す。もと必ず得ざるべからざるを求めず。自己の私属に至ってもまた君上の心意を体察して、必得を求めて互相戒備せず(底本の「私届」は当に「私属」と作るべし)。いわゆる「王三駆を用いて前禽を失う」は、王道の行き通るである。「邑人誡まらず」は、王化の推行し開けたるである。凡そこれらはみな吉の路子である。王者が能く九五のごとく「顕比」せば、あれは即ち王道は行を得王化は流布す。陸振奇を引く:三面驅趕して前面の禽獣を放走するは、得失を一辺に擱いて掛心せず、写す所は坦蕩平和の王者の胸懐である。「邑人誡まらず」は、大順の世道の裡において机巧の心思すら泯滅し、写す所は雍熙和楽の王者の教化である。

案 《本義》解“邑人不誡”,謂不相警備以求必得,似以為求所失之前禽也。然《語類》只作有聞無聲之意,尤為精切。蓋言王者田獵,而近郊之處,略不驚擾耳。《本義》繫朱子未修改之書,故其後來講論,每有不同者,皆此類也。大抵爻意是以田獵喻王者暤暤之氣象。前禽失而不追,邑人居而不誡,遠去者若不知有王者之親,乃所以為親之至也。近附者若不知有王者之尊,乃所以為尊之至也。“顯比”之世,凡有血氣,莫不尊親,而所謂大順大化,不見其跡者又如此。

李光地按する:朱熹《本義》の「邑人誡まらず」を解して、互相戒備して必得を求めずというは、似てそれを看て往きてあの跑掉した前禽を追尋するとなす。しかるに《朱子語類》はただ「聞ありて声なし」の意思と解するのみで、却って更に精切である。あれは言う所は王者が出猟するに、近郊一帯は一点も驚擾を受けざるのみ。《本義》は朱子のまだ改定せざる書である。だから彼の後来の講論には時に書中と同じからざる処あり。みなこの一類に属す。大抵この一爻の意思は、田猟を拿って王者のあの広大自得の気象を比喻す:前面の禽獣は跑り去るも追わず、邑の中の人は照旧に居処して戒備せず。遠く離去する人は王者の親愛あるを知らざるがごとくして、こうしてはじめて正に親愛の極点に至った。就近に帰附する人は王者の尊厳あるを知らざるがごとくして、こうしてはじめて正に尊厳の極点に至った。「顕比」の時代は、凡そ血気あるは尊君親上せざるなし。しかしていわゆる大順大化・痕跡を看出しえざるは、即ちこのごとき模様である。

上六,比之無首,凶。本義 陰柔居上,無以比下,凶之道也。故為“無首”之象,而其占則凶也。集說 王氏弼曰:“無首”,後也。處卦之終,是後夫也。為時所棄,宜其凶也。王氏申子曰:王以一陽居尊,四陰比之於下,故《彖傳》曰“下順從也”。而上六孤立於外而不從,豈非後夫之象?

上六の爻辞:親附して領頭の人なし。凶。朱熹《本義》はいう:上六は陰柔を以て全卦の最上に居り、下に向かって衆爻に親附する弁法なし。これは凶を取るの道である。だから「首なし」の象を取り、占断は即ち凶。「集説」に王弼を引く:「首なし」は即ち後面に落つること。上六は全卦の終了に処り、正に卦辞の言う所の「後夫」のあの種の人で、時勢に拋棄せられ、凶は応当である。王申子を引く:九五は一個の陽爻を以て尊位に居り、下面の四個の陰爻はみな来りてそれに親附す。だから《彖伝》は「下順從なり」という(底本の「王以」は当に「五以」と作るべし)。しかして上六は孤零零と外面に立ちて順従を肯んぜず。いずれか正に「後夫」の象に非ざらんや。

小畜卦・巽上乾下

程傳 《小畜序卦》:“比必有所畜,故受之以小畜。”物相比附則為聚。聚,畜也。又相親比則志相畜。《小畜》所以次比也。畜,止也,止則聚矣。為卦巽上乾下,乾在上之物,乃居巽下。夫畜止剛健,莫如巽順,為巽所畜,故為畜也。然巽,陰也,其體柔順,唯能以巽順柔其剛健,非能力止之也,畜道之小者也。又四以一陰得位,為五陽所說,得位,得柔巽之道也。能畜群陽之志,是以為畜也。小畜,謂以小畜大,所畜聚者小,所畜之事小,以陰敵也。《彖傳》以六四畜諸陽為成卦之義,不言二體,蓋舉其重者。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は《小畜》の次第を講じていう:「親附せば必ず積聚する所有り。だから《比》卦の後に《小畜》を接ぐ。」万物が互相親附靠攏すれば即ち聚と成り、聚は即ち「畜」。さらに互相親附すれば、心志もまた彼此牽繫約束す。《小畜》はここに因って《比》卦の後に排す。「畜」は即ち止。止住せば即ち聚まり起こる。卦体に就いて言えば、巽は上に在り乾は下に在る:乾はもと上位に居る物で、今は却って巽の下面に処す。剛健を止住せんと欲するは、巽の柔順より管用なるはなし。乾は巽に畜止せられ。だから「畜」と呼ぶ。ただし巽は陰に属し、体性は柔順で、ただ謙順を以てその剛健を軟化しうるのみで、力量に憑って強行に止住しえない。だから畜道の当中の小なる一種である。さらに六四は一個の陰爻を以て「当位」の位に居り、五個の陽爻に悦服せらる。いわゆる位を得るとは、即ち柔順謙遜の道を得着して、能く衆陽の心志を牽繫住しうる。だから「畜」と呼ぶ。「小畜」は小を以て大を畜止するを言い、畜聚する所の分量は小さく、畜止する所の事情もまた小さい。これは主爻が陰に属するがゆえである(底本の「以陰敵也」は疑らく「以陰故也」と作るべし)。《彖伝》は六四が諸陽を畜止するを以て全卦の成卦の意義と為し、上下二体を提起せず。あれはその中の最も要緊の一点を挙出したのである。

小畜,亨,密雲不雨,自我西郊。本義 巽,亦三畫卦之名。一陰伏於二陽之下,故其德為巽為人,其象為風為木。小,陰也。畜,止之之義也。上巽下乾,以陰畜陽,又卦唯六四一陰,上下五陽皆為所畜,故為《小畜》。又以陰畜陽,能繫而不能固,亦為所畜者小之象。內健外巽,二五皆陽,各居一卦之中而用事,有剛而能中其志得行之象,故其占當得亨通。然畜未極而施未行,故有“密雲不雨自我西郊”之象。蓋密雲陰物,西郊陰方,我者,文王自我也,文王演易於羑里,視岐周為西方,正《小畜》之時也。筮者得之,則占亦如其象云。

卦辞:《小畜》、亨通。濃雲は密布するも雨を下さず、雲は我が西辺の郊野より飄来す。朱熹《本義》はいう:巽もまた三画卦の名称で、一個の陰爻が二個の陽爻の下に潜伏す。だからその徳性は遜順・潜入と為る(底本の「為人」は当に「為入」と作るべし)。その象は風・木と為る。「小」は陰を指し、「畜」は止住の意である。上卦は巽・下卦は乾で、陰を用いて陽を畜止す。況んや全卦にただ六四一個の陰爻ありて、上下五個の陽爻はみなそれに畜止せらる。だから《小畜》と呼ぶ。さらに陰を以て陽を畜するは、ただ牽繫住しうるのみにして牢牢と固定しえない。これもまた畜止する所の力量の小なる象である。内卦は剛健・外卦は遜順で、九二と九五はみな陽爻で、各々上下卦の中位に居りて事に当たる。剛強にして能く中を守り心志の推行を得る象あり。だから占断は当に亨通を得べし。しかるに畜積はまだ極点に到らず施予はまだ推行せられず。だから「密雲雨ならず、我が西郊より」の象あり。濃雲は陰に属し、西郊もまた陰に属する方位である。「我」は文王の自称で、文王は羑里において《周易》を推演し、あそこより看れば岐周は正に西方に在り、あの時は正に《小畜》の時勢であった。占筮する人がこの一卦を得れば、占断もまたこの象と一様である。

程傳 云:陰陽之氣,二氣交而和,則相畜固而成雨。陽倡而陰和,順也,故和。若陰先陽倡,不順也,故不和。不和則不能成雨。雲之畜聚雖密,而不成雨者,自西郊故也。東北陽方,西南陰方,自陰倡,故不和而不能成雨。以人觀之,雲氣之興,皆自四遠,故云“郊”。據西而言,故云“自我”。畜陽者四,畜之主也。

程頤《伊川易伝》はいう:雲は陰陽二気の凝成する所で、両種の気が交感して調和すれば、即ち互相畜聚固結して雨と成る。陽が先に唱導し陰が来りて附和するは順で、だから能和す。もし陰が陽の前面に搶りて唱導せば、則ち順ならず、だから和せず。和せざれば即ち雨を下し成らず。雲はたとえ聚まること甚だ密なれども雨を成さざるは、原因は即ちそれが西郊より来るに在る。東北は陽の方位、西南は陰の方位で、雲は陰方より発起す。だから和せずして雨を下しえない。人のこちらより看れば、雲気の興起するはみな四面の遼遠の処に在る。だから「郊」という。西辺のこの一面に就いて言えば、だから「我より」という。陽気を畜止するは六四で、それは全卦の畜の主爻である。

集說 胡氏瑗曰:陰陽交則雨澤乃施,若陽氣上升,而陰氣不能固蔽,則不雨。若陰氣雖能固蔽,而陽氣不交,亦當不雨。猶若釜甑之氣,以物覆之,則蒸而為水也。“自我西郊”,是雲氣起於西郊之陰位,必不能為雨也。

「集説」に胡瑗を引く:陰陽が交感して、雨水の潤沢ははじめて施降する。もし陽気が上昇して陰気がそれを牢牢と遮蔽しえざれば、雨を下さず。もし陰気はたとえ遮蔽しえるも、陽気が並びそれと交感せざれば、も照様に雨を下さず。これはちょうど鍋甑の裡の蒸騰する熱気のごとく、上頭に物を拿って一蓋すれば、即ち凝聚して水と成る。「我が西郊より」は、雲気が西郊のあの陰に属する方位より起こるを言う。必ず雨を下しえない。

《程子語錄》:或以《小畜》為臣畜君,以《大畜》為君畜臣,曰:不必如此,《大 張氏浚曰:臣之誠意雖通於上,而君德未孚,若天氣未應,曰“密雲不雨”。西郊陰位,“自我西郊”,言陽氣未應也。

《程子語録》に記載す:或る人が《小畜》を看て臣子が君主を畜止し、《大畜》を看て君主が臣子を畜止するとなしたに、程子はいう:必ずしもこのように分かつを要せず、《大……(底本はここに脱文)。張浚を引く:臣子の誠意はたとえ上達して君主のあそこに至るも、君主の徳意はなおそれと相孚せず。ちょうど天上の陽気がまだ回応せざるがごとし。だから「密雲雨ならず」という。西郊は陰に属する方位で、「我が西郊より」というは、正に陽気がまだ回応せざるを講ずる。

《朱子語類》:問:“密雲不雨自我西郊”。曰:凡雨者皆是陰氣盛,凝結得密,方溼潤,下降為雨。今乾上進,一陰止他不得,所以《彖》中云“尚往也”,是指乾欲上進之象。列上九則以卦之始終言,畜極則散,遂為既雨既處,陰德盛滿如此,所以有君子征凶之戒。

《朱子語類》に記載す:或る人が「密雲雨ならず、我が西郊より」を問う。朱熹答える:凡そ雨を下すは、みな陰気が盛んで、凝結すること稠密にして、はじめて濕潤して下降して雨と成る。今は下卦の乾が一味に上に向かい進み、一個の陰爻はそれを攔住しえない。だから《彖伝》の裡に「なお往くなり」という。指す所は正に乾が上行せんと欲する象である。上九に至っては、則ち一卦の首尾に就いて言う:畜積は極点に至れば発散せんとし、ここに「すでに雨しすでに処る」なり。陰の一方の勢力が盛満してこの地步に至れば、だからはじめて「君子征けば凶」の告戒あり(底本の「列上九」は当に「至上九」と作るべし)。

邱氏富國曰:乾本在上之物,今在巽下,則為柔所畜,故曰《小畜》。但六四以一陰而畜止五陽,能繫其志,而不能固其志,此又畜道之小者也。大物畜則止,止極則行,故《小畜》亦有“亨”義。“密雲”,陰氣也。自二至四互兌,屬西方,故曰“西郊”。四以柔居柔,故有此象。凡云自東而西則雨,自西而東則不雨,陰先倡也。《小畜》以柔為主,不能固陽而止之,故云雖密而不雨。

邱富国を引く:乾はもと上に居る物で、今は巽の下面に在りて柔に畜止せらる。だから《小畜》と呼ぶ。ただ六四は一個の陰爻を以て五個の陽爻を畜止し、能くそれらの心志を牽繫住するも、心志を固定住しえない。これまた畜道の当中の小なる一種である。大なる物は畜せられれば即ち停まり、停まる極処に至ればまた行動せんとす。だから《小畜》もまた「亨」の意を含む。「密雲」は即ち陰気である。九二より六四の三爻が交疊して互体の兌卦を成せば、兌は西方に属す。だから「西郊」という。六四は陰爻を以て陰位に居る。だからこの象あり。大凡雲は東より西に向かい走れば即ち雨を下し、西より東に向かい走れば即ち雨を下さず。あれは陰が先に搶りて唱導するがゆえである。《小畜》は柔爻を以て主と為し、陽を固定住してそれを止住しえない。だから雲はたとえ稠密でも雨を成さず。

林氏希元曰:小畜有二義,一是以小畜大,一是所畜者小。亦唯以小畜大,故所畜者小,其歸一而已矣。問:天氣屬陽,地氣屬陰,今以陰畜陽,反以天氣為陰,地氣為陽,何也?曰:以兩儀之分言,則位乎下而氣上騰者為陰,位乎上而氣下降者為陽。自四象之交言,則陰之騰上者又為陽,陽之下降者又為陰。此《蒙引》之說也,可以發朱子之所未發。

林希元を引く:「小畜」には両層の意思あり:一つは小を以て大を畜止する、二つは畜止する所の分量が小さい。また正に小を以て大を畜するがゆえに、畜止する所の分量がはじめて小さく、帰根到底に言えばやはり一回事である。或る人問う:天気は陽に属し、地気は陰に属す。今は陰を以て陽を畜すると講ずるに、却って天気を以て陰と當作し地気を以て陽と當作するは、これは何故か。答える:両儀の劃分より言えば、位は下に在りて気は上に向かい騰るは陰、位は上に在りて気は下に向かい降るは陽。四象の交錯より言えば、陰気が騰り上ったはまた陽と算し、陽気が降り下ったはまた陰と算す。これは蔡清《易経蒙引》の裡の説法で、朱子の講じ明らかにせざる処を発揮すべし。

案 此卦須明取象之意,則卦義自明。彖言“密雲不雨”者,地氣上騰,而天氣未應,以其云之來自我西郊,陰倡而陽未和故也。蓋以上下之陰陽言之,則地氣陰也,天氣陽也。以四方之陰陽言之,則西方陰也,東方陽也。陰感而陽未應,乃卦所以為《小畜》之義,《彖傳》“尚往”。謂陰氣上升;“施末行”,謂陰氣未能成雨而降也。以人事擬之,則是臣子志存國家,未能得君父和合之象。諸家或以地氣上升者為陽,天氣下應者為陰,故於《彖傳》“尚往”亦屬陽說,唯張氏以為天氣未應者,於卦義極相合也。

李光地按する:この一卦は必ず象を取る用意を弄明白にせねばならず、卦義は自然に清楚となる。「彖辞」は「密雲雨ならず」というは、地気が上に向かい騰るも天気はまだ回応せざるがゆえ。あの雲は我が西郊より飄来するがゆえに、陰が先に唱導して陽はまだ相和せざるの故である。上下に就いて陰陽を分かてば、地気は陰、天気は陽。四方に就いて陰陽を分かてば、西方は陰、東方は陽。陰気は感発して陽気はまだ回応せず。これ正に本卦の《小畜》と呼ぶ所以の道理である。《彖伝》の「尚往」は、陰気がなお上昇するを指す。「施未行」は、陰気がまだ雨を成して降落しえざるを指す(底本の「施末行」は当に「施未行」と作るべし)。人事を拿って比擬すれば、即ち臣子が一心に国家を念うも、まだ君父の和合响応を得ざる象である。諸家のあるものは地気の上升するを看て陽と為し、天気の下応するを看て陰と為し、よって《彖伝》の「尚往」もまた陽の一辺に帰して講ず。ただ張浚のみが天気のまだ回応せざると認む。卦義と最も吻合す。

初九,復自道,何其咎,吉。本義 下卦乾體,本皆在上之物,志欲上進,而為陰所畜。然初九體乾,居下得正,前遠於陰,雖與四為正應,而能自守以正,不為所畜,故有進復自道之象。占者如是,則無咎而“吉”也。

初九の爻辞:自己の正道に循って回复して上行すれば、いずれか過錯あらんや。吉。朱熹《本義》はいう:下卦は乾体で、もとみな上位に居るべき物で、心志は上進せんと欲するも、陰爻に畜止せらる。ただし初九は身が乾体に属し、最も下に居りて「位に当た」りて正を得、前面は六四あの陰爻を離るることなお遠し。たとえ六四とは「正応」なれども、能く自己の正道を守住してそれに畜止せられず。だから前進回复して自己の道路に循うの象あり。占卦する人がこのようであれば、過錯なくして「吉」を得る。

程傳 初九陽爻而乾體,陽在上之物,又剛健之才足以上進,而復與在上同志,其進復於上,乃其道也,故云“復自道”。復既自道,何過咎之有?無咎而又有“吉”也。諸爻言無咎者,如是則無咎矣,故云“無咎者,善補過也”。雖使爻義本善,亦不害於不如是則有咎之義。初九乃由其道而行,無有過咎,故云“何其咎”,無咎之甚明也。

程頤《伊川易伝》はいう:初九は陽爻にしてまた乾体に属す。陽はもと上位に在るべき物に、加うるに剛健の才具が上行するに足り、しかも上面の同体の諸陽と心志相同じい。それが上進して上位に回复するは、正にそれの走るべき路である。だから「自らの道に復る」という。すでに回复して走る所は自己の正道なれば、いずれかなお過錯あらんや。ただ過錯なきのみならず、しかも「吉」あり。各爻に凡そ「咎なし」というは、みなこのように照らして做してはじめて過錯なしを言う。だから《繫辞伝》は「咎なしとは、善く過を補うなり」と講ず。たとえ或る一爻の義理本身が好きとも、それが「このようにせざれば過錯あらん」の意を含むを妨げず。初九は自己の正道に循って行くで、もと過錯なし。だから「それが咎やあらん」——過錯なきのこの一点は再明白ならざるなし。

集說 王氏申子曰:復,反也。初以陽剛居健體,志欲上行,而為四得時得位者所畜,故復。然初剛而得正,雖為所畜而復,如自守以正,不為所畜者,故曰“復自道”。言雖為彼所畜,而吾實自復於道也。俞氏琰曰:復,謂返於本位也。以初九之剛,往應六四之柔而受其制,豈不失其道而有咎?今也返而以正道自守,故能轉咎而為吉。何氏楷曰:天地間氣化人事,皆有陰畜陽之時。陽既為陰所畜,便不宜過剛躁動。初以陽才居陽位,潛伏於下,何咎之有?先言何其咎而後言吉者,以無咎為吉也。案 《傳》義皆以復為上進,沿王弼舊說也。以《大畜》初二爻比例觀之,則王氏、龔氏諸說為長。

「集説」に王申子を引く:「復」は即ち返回である。初九は陽剛の質を以て剛健の乾体の裡に処り、心志はもと上行せんと欲するも、時を得位を得た六四に畜止せられた。だから只好返回す。ただし初九は剛健にして「位に当た」りて正を得、たとえ畜止せられて返回するも、看去は却って自ら正道を守り根本として畜止を受けざるの様子あり。だから「自らの道に復る」という:意思はたとえ相手方に畜止せらるるも、我は却って実実在在自己正道の上に回ったである。兪琰を引く:「復」は本位に返回す。初九の剛強を憑って、前去して六四の柔に応和して却ってそれに挟制を受けば、いずれか自己の正道を失って過錯ならざらんや。今は返り来て正道を用いて自守すれば、だから能く過錯を転じて吉と為し得。何楷を引く:天地の間の気化流行と人間世事は、みな陰が陽を畜止する時あり。陽はすでに陰に畜止せらるれば、過分に剛強躁動すべからず。初九は陽剛の才を以て陽位に居り、最も下面に潜伏す。なんの過錯か能くあらん。まず「それが咎やあらん」を言いて後に「吉」を言うは、過錯なき本身を以て吉と當作するである。李光地按する:《伊川易伝》と《本義》はみな「復」を解して上進と為す。あれは王弼の旧説を沿袭した。《大畜》の初九・九二の両爻を拿って対照して看れば、やはり王申子・龔氏の幾家の説法が更に一籌を勝る。

九二,牽復吉。本義 三陽志同,而九二漸近於陰,以其剛中,故能與初九牽連而復,亦吉道也。占者如是則吉矣。程傳 二以陽居下體之中,五以陽居上體之中,皆以陽剛居中,為陰所畜,俱欲上覆。五雖在四上,而為其所畜,則同是同志者也。夫同患相憂,二五同志,故相牽連而復。二陽並進,則陰不能勝,得遂其復矣,故“吉”也。曰:遂其復則離畜矣乎?曰:凡爻之辭,皆謂如是則可以如是,若已然則時已變矣,尚何教誡乎?五為巽體,巽畜於乾,而反與二相牽何也?曰:舉二體而言,則巽畜乎乾;全卦而言,則一陰畜五陽也。在《易》隨時取義,皆如此也。

九二の爻辞:牽連して一同に回复す。吉。朱熹《本義》はいう:下卦の三個の陽爻は心志相同じく、しかして九二はすでに漸々六四あの陰爻に挨近す。それが陽剛にして中に居るがゆえに、能く初九を拉して一同に回复す。これもまた吉利の路子で、占卦する人がこのようであれば吉。程頤《伊川易伝》はいう:九二は陽爻を以て下体の中位に居り、九五は陽爻を以て上体の中位に居る。みな陽剛を以て中を守って陰に畜止せらる。両爻ともに上行回复せんと欲す。九五はたとえ六四の上に在るも、同じく六四に畜止せらる。だから九二と同志と算す。同じく憂患に処する人は彼此関切し、九二と九五は心志相同じい。よって牽連して一起に回复す。両個の陽爻が一斉に上進すれば、陰は壓え住しえない。回复の願望は便ち実現を得る。だから「吉」。或る人問う:すでに回复の願を遂げれば、いずれか畜止せらるる処境を脱離したに非ざらんや。答える:凡そ爻辞は、みなこのように照らして做してはじめてこのごとき結果を得べしを言う。もし事情がすでに定局と成れば、時勢はすでに変じた。なおなんの教誨告戒を談ぜんや。又問う:九五は巽体に属し、巽はもと乾を畜止する物で、いかにして却って九二と互相牽連せんや。答える:上下二体に就いて言えば、巽が乾を畜止す。整卦に就いて言えば、則ち一個の陰爻が五個の陽爻を畜止す。《周易》は時位に随って義を取れば、みなこのようである。

集說 王氏申子曰:二所乘之初,為陰所畜,亦既復矣。所承之三,又為陰所畜,說輻而不進矣。二以陽處陰,居下得中,上又無應,故不待畜,即與同類牽連而復,是不自失其中者也。自能審進退而不失其中,故吉。何氏楷曰;與初相牽連而復居於下,故吉。

「集説」に王申子を引く:九二の乘る所の初九は、陰に畜止せられてすでに回复した。それが承ける所の九三も、また陰に畜止せられて車は輻条を脱して走り動かず。九二は陽爻を以て陰位に処り、下卦に居りて「中を得」、上面にはまた相応する爻なし。だから誰かの来りて畜止するを俟つを用いず、自己より同類と牽連して一同に回复す。これは自己の中道を失わざる做法である。能く自行に進退を審度して中道を失わざれば、だから吉。何楷を引く:九二と初九は牽連して一同に回复して下位に安居す。だから吉。

九三,輿說輻。夫妻反目。本義 九三亦欲上進,然剛而不中,迫近於陰,而又非正應,但以陰陽相說,而為所繫畜,不能自進,故有“輿說輻”之象。然以志剛,放又不能平而與之爭,故又為夫妻反目之象。戒占者如是則不得進而有所爭也。

九三の爻辞:車は輻条を脱落し、夫妻は怒目して相視す。朱熹《本義》はいう:九三もまた上進せんと欲するが、しかし剛強にして中に居らず、また六四この陰爻に緊挨着し、しかも両者は並び「正応」に非ず。ただ陰陽の彼此悦慕するに因りて、それに牽繫畜止せられ、自己は走り動かず。だから「輿の輻を説く」の象あり。また心志が剛強にして心裡に不平を抱きてそれと相争うがゆえに、また夫妻の反目の象と成る(底本の「放又」は当に「故又」と作るべし)。これは占卦する人に告戒する:この種の情形の下に処れば、すでに前進し得ず、また争執を鬧出せん。

程傳 三以陽爻居不得中,而密比於四,陰陽之情相求也。又暱比而不中,為陰畜制者也,故不能前進。猶車輿說去輪輻,言不能行也。“夫妻反目”,陰制於陽者也。今反制陽,如夫妻之反目也。“反目”,謂怒目相視,不順其夫而反制之也。婦人為夫寵惑,既而遂反制其夫。未有夫不失道而妻能制之者也。故說輻反目,三自為也。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は陽爻を以て位に居りて中を得ず、また六四に緊貼し、陰陽の情性は彼此相求す。それはすでに親昵に相比してまた中を守らず、ここに陰に畜止管制せられ、よって前進しえず。ちょうど車が輪輻を脱掉するがごとく、言う所は走り動かざるである。「夫妻反目」とは、もと陰は陽に受制すべきところ、今は返って陽を制住する。ちょうど夫妻が顔を翻して怒視するがごとし。「反目」とは眼を瞪らして互相看るを言い、丈夫に順従せずして却って丈夫を管制する。婦人は丈夫の寵愛を受けて迷惑し、久しくして便ち返って丈夫を管制す。従来丈夫が自己道を失わずして妻子の能く彼を管住するはなし。だから脱輻もまた反目も、みな九三が自己より招来したものである。

集說 項氏安世曰:輻,陸氏《釋文》云:本亦作輹。按輻,車轅也。輹,車軸轉也。輻以利輪之轉,輹以利軸之轉,然輻無說理,必輪破轂裂而後可說,若輹則有說時,車不行則說之矣。《大畜》、《大壯》,皆作輹字。又曰:九三“反目”稱妻,言相敵也。上九“既雨”稱婦,言相順也。案 九三比近六四,故有夫妻之象。過剛不能自制其動,雖有六四比近畜之,不能止也。進不利於行,故曰“輿說輻”。退不安其室,故曰“夫妻反目”。

「集説」に項安世を引く:「輻」の字は、陸徳明《経典釈文》は本子にも「輹」と写すありと言う。按ずるに:輻は車輪上の条木(底本は「車轅」と作り訛誤あり)、輹は車軸上の伏兎である。輻は車輪をして転じて順ならしめ、輹は車軸をして転じて順ならしむ。ただし輻には脱落の道理なく、必ず車輪が破裂し車轂が開裂してはじめて脱す。輹は却って脱り下るの時あり、車が走らざれば則ちそれを卸下す。《大畜》《大壮》の両卦はみな「輹」の字を写す。彼またいう:九三の「反目」を講じて「妻」と称するは、両下が相敵するを言う。上九の「既雨」を講じて「婦」と称するは、彼此が相順するを言う。李光地按する:九三は六四に緊挨着す。だから夫妻の象あり。それは過剛強にして、自己の躁動を管住しえず。たとえ六四の貼近してそれを畜止するも、また止め住しえない。前進は行に利せず。だから「輿の輻を説く」という。後退はまた家中に在りて安寧を得ず。だから「夫妻反目」という。

六四,有孚,血去惕出,無咎。本義 以一陰畜眾陽,本有傷害憂懼,以其柔順得正,虛中巽體,二陽助之,是有孚而“血去惕出”之象也,“無咎”宜矣。故戒占者亦有其德則無咎也。

六四の爻辞:心に誠信を懐きて、流血の危険は消え去り恐懼もまた解除す。過錯あらず。朱熹《本義》はいう:一個の陰爻を以て衆多の陽爻を畜止するは、もと傷害を受け憂懼を生ずるの処境あるべし。ただそれが柔順にして「位に当た」りて正を得、中に居りて己を虚くして身は巽体に属し、加うるに初九・九二の両個の陽爻が旁より相助す。これ即ち心に誠信を存して「血去り惕出ず」の象で、「咎なし」は理の当然の所である。だから占卦する人に告戒する:またこういう徳性を具備して、はじめて過錯なからしむべし。

程傳 四於畜時,處近君之位,畜君者也,若內有孚誠,則五志信之,從其畜之。卦獨一陰,畜眾陽者也,諸陽之志繫於四,四苟欲以力畜之,則一柔敵眾剛,必見傷害,唯盡其孚誠以應之,則可以感之矣。故其傷害遠,其危懼免也。如此則可以無咎,不然則不免乎害。此以柔畜剛之道也。以人君之威嚴,而微細之臣,有能畜心其欲者,蓋有孚信以感之也。

程頤《伊川易伝》はいう:六四は畜止の時勢の裡に処り、君主に接近する位置を占めて、君主を畜止する人である。もしそれが内心に誠信を存せば、九五はその心志を信任し、それに聴憑して来りて畜止せしむ。全卦にただこの一個の陰爻あるのみで、衆陽を畜止する者である。衆陽の心志はみな六四の身上に牽繫す。六四はもし力量に憑って硬に畜止しに行かば、あれは一柔を以て衆剛に対抗して必ず傷害を受けん。ただ十足の誠信を拿出して以て応対して、はじめてそれらを感動しうる。だから流血の傷害は離れること遠く、危懼もまた免除す。かくすれば即ち過錯なからしめうる。然らざれば害を受くるを免れない。これ正に柔を以て剛を畜する門道である。君主のあのごとき威厳を憑って、一個の微末の臣子が居然として彼の欲望を畜止住しえたは、靠る所は正に誠信を以て彼を感動するに在る(底本の「畜心其欲」は当に「畜止其欲」と作るべし)。

集說 項氏安世曰:以陰畜陽,以小包大,能無憂乎?獨恃與五有孚,故能離其血惕,去而出之,以免於咎。臣之畜君,必信而後濟,非與上合志,不可為也。案 此爻《程傳》之說獨明,蓋唯此爻與《傳》義合者,以其為卦之事故也。

「集説」に項安世を引く:陰を拿って陽を畜止し、小を拿って大を包容するは、能く擔憂せざらんや。全くそれと九五の間に誠信あるに靠って、だから能く流血と恐懼を摆脱して、この両様をことごとく赶出去して、以て過錯を免る。臣子が君主を畜止せんと欲するは、必ずまず信任あってはじめて事を成しうる。君上と心志相合するに非ざれば、この事は做り成らざらん。李光地按する:この一爻はただ《伊川易伝》の説法のみが最も明白である。大概もまたこの一爻のみが程頤の解説と全卦の義理と相合するは、それが講ずる所は正に成卦のあの一件事だからである。

九五,有孚攣如,富以其鄰。本義 巽體三爻,同力畜乾,“鄰”之象也。而九五居中處尊,勢能有為,以兼乎上下,故為有孚攣固,用富厚之力而以其鄰之象。“以”猶《春秋》以某師之以,言能左右之也。占者“有孚”則能如是也。

九五の爻辞:心に誠信を懐きて牽繫相連し、自己の富厚に憑って隣近の人を帯動す。朱熹《本義》はいう:巽体の三個の爻は合力して乾を畜止す。これ即ち「隣」の象である。九五は中に居りて尊位に処り、勢力は以て作為するに足り、能く上下を兼顧す。だから心に誠信を存し牽繫穏固にして、富厚の力量を動用して隣居を帯領する象あり。この「以」の字は《春秋》の裡の「某の師を以てす」の「以」のごとく、能く相手方を指揮調度するを言う。占卦する人がもし「孚あり」なれば、即ちこのよう致しうる。

程傳 《小畜》,眾陽為陰所畜之時也。五以中正居尊位而有孚信,則其類皆應之矣,故曰“攣如”。謂牽連相從也。五必援挽,與之相濟,是富以其鄰也。五以居尊位之勢,如富者推其財力,與鄰比共之也。君子為小人所團,正人為群邪所厄,則在下者必攀挽於上,期於同進;在上者必援引於下,與之戮力,非獨推已力以及人也,固資在下之助以成其力耳。

程頤《伊川易伝》はいう:《小畜》は衆》は衆陽が陰に畜止せらるるの時勢である。九五は中正の徳を以て尊位に居りて心に誠信を懐けば、同類の陽爻は即ちみな来りて彼に響応す。だから「挛如」という。意思は牽連して相随う。九五は必ず彼らを拉し一把して、彼らと互相接済す。これ即ち「富を以てその隣に及ぼす」である。九五は尊位に居るの勢力に憑って、ちょうど富人が自己の財力を拿出して隣里と共享するがごとし。君子が小人に囲困せられ、正人が群邪に壓制せらるる(底本の「所团」は当に「所困」と作るべし)ときは、ならば下に在るは必ず上に在るを攀援して、一同に進用せんことを指望し、上に在るもまた必ず下に在るを提携して、彼らと力を合わす。これは単に自己の力量を他人に推及するのみならず、もとまた下面の助力を借助してはじめて自己の力量を成就しうる。

集說 《朱子語類》云:孚有在陽爻,有在陰爻,伊川謂,中虛信,之本;中實,信之質。案 此爻之義,從來未明。今以卦意推之,則六四者近君之位也,所謂《小畜》者也。九五者君位也,能畜其德以受臣下之畜者也。四曰“有孚”,是積誠以格其君。五亦曰“有孚”,是推誠以待其下,上下相孚而後畜道成矣。故四曰“上合志”者,指五也。五曰“以其鄰”者,指四也。四與五相近,故曰“鄰”。又鄰即臣也,《書》曰臣哉、鄰哉是也。富者積誠之滿也,積誠之滿,至於能用其鄰,則其鄰亦以誠應之矣。故《象傳》曰:“不獨富也”,以誠感誠之謂也。大抵上下之間,不實心則不能相交,故曰“富

「集説」に《朱子語類》を引く:「孚」を講ずるは、あるものは陽爻の上に落ち、あるものは陰爻の上に落つ。程頤は中間が虚なるは誠信の根本、中間が実なるは誠信の質地という。李光地按する:この一爻の義理は歴来講じ明白にせず。今は全卦の意旨に按じて推す:六四は君主に接近する位置で、即ちいわゆる「小畜」のあの一方。九五は君位で、能く自己の徳性を畜養して、以て臣下の畜止を接受する人である。六四は「孚あり」というは、誠意を積累して彼の君主を感格する。九五もまた「孚あり」というは、誠意を推出して彼の臣下に対待する。上下の彼此相孚して、畜止の道ははじめて成就と算す。だから六四《小象》は「上に志を合わす」という。指す所は即ち九五。九五は「その隣を以てす」という。指す所は即ち六四。四と五は位置が相隣す。だから「隣」と呼ぶ。さらに「隣」は即ち臣で、《尚書》の「臣なるかな隣なるかな」は正にこの意である。「富」は誠意の積累して満盈に至る。誠意が満盈に積りて、以て彼の隣居を調動しうるに至れば、ならば隣居もまた誠意を用いて彼に回応す。だから《象伝》は「独り富ならざるなり」という。講ずる所は正に誠を以て誠を感ずである。大抵上下の間は、実心を拿出せざれば相交しえない。だから「富……(底本はこの按語以下脱文)

上九,既雨既處,尚德載,婦貞厲,月幾望,君子征凶。本義 畜極而成,陰陽和矣,故為“既雨既處”之象。蓋尊尚陰德,至於積滿而然也。陰加於陽,故雖正亦厲。然陰既盛而抗陽,則君子亦不可以有行矣。其占如此,為戒深矣。

上九の爻辞:雨はすでに下り、事もまたすでに停歇した。陰徳を崇尚して積載すること満盈に至り、婦人がこの道を固守すれば則ち危し。月はまさに満盈せんとし、君子はこの時に出行すれば凶あり。朱熹《本義》はいう:畜積は極点に至りて告成し、陰陽は調和した。だから「すでに雨しすでに処る」の象あり。これは陰の徳性を尊崇して、積むこと満盈に至ってはじめてある局面である。陰は陽の上に凌駕す。だからたとえ正を守るも危し。しかして陰はすでに強盛して陽と抗衡するに至れば、君子もまた行動あるべからざる所となす。占断はこのようで、その中の告戒は甚だ深い。

程傳 九以巽順之極,居卦之上,處畜之終,從畜而止者也,為四所止也。“既雨”,和也。“既處”,止也。陰之畜陽,不和則不能止,既和而止,畜之道成矣。《大畜》,畜之大,故極而散;《小畜》,畜之小,故極而成。“尚德載”,四用柔巽之德,積滿而至於成也。陰柔之畜剛,非一朝一夕能成,由積累而至,可不戒乎?“載”,積滿也。《詩》云:厥聲載路。

程頤《伊川易伝》はいう:上九は巽順の極点に至った姿態を以て全卦の最上に居り、畜止の終了に処り、畜止に順従して停まり下ったもので、六四に止住せられた。「既雨」は和、「既処」は止である。陰が陽を畜止するは、調和せざれば止め住しえない。すでに調和して止め住せば、畜止の道は成就す。《大畜》は畜の大なる者で、だから極点に至れば発散す。《小畜》は畜の小なる者で、だから極点に至って却って成就す。「尚徳載」は、六四が柔順謙遜の徳性を運用して、積累満盈して終に成功したを言う。陰柔が剛強を畜止せんと欲するは、一朝一夕に致し得るに非ず。一点一点積累してはじめて到るを得。これいずれか警惕すべからざらんや。「載」は即ち積満で、《詩経》のいわゆる「その声路に載る」は、用うる所は正にこの「載」の字である。

“婦貞厲”,“婦”,謂陰以陰而畜陽,以柔而制剛,婦若貞固守此,危厲之道也。安有婦制其夫,臣制其君,而能安者乎?月望則與日敵矣。“幾望”,言其盛將敵也,陰已能畜陽而云幾望,何也?此以柔巽畜其志也,非力能制也,然不已則將盛於陽而凶矣。於幾望而為之戒曰,婦將敵矣,君子動則凶也。“君子”謂陽。“徵”,動也。“幾望”,將盈之時。若已望則陽已消矣,尚何戒乎?

程頤続いていう:「婦貞厲」の「婦」の指すは陰である。陰を以て陽を畜止し、柔を以て剛を制服するは、婦人がもし固執してこの一套を守れば、即ち危険の路数である。いずれか妻子が丈夫を管制し、臣子が君主を管制して、能く長久安穩のことあらんや。月は望日に至れば即ち太陽と分庭抗礼す。「幾望」は陰気が盛んにしてまさに陽と抗衡せんとするを言う。或る人問う:陰はすでに能く陽を畜止するに至ったれば、何故に還ってただ「幾望」を言うのみか。答える:これは柔順謙遜を用いて陽の心志を牽繫住するで、並び力量に憑ってそれを制服するに非ず。しかしこのように下りて停まらざれば、終に陽を盛り過ぎて凶を致さん。だから「幾望」の時において先に告戒を立下す:婦人はまさに丈夫と相敵せんとし、君子はこの時に一動すれば凶。「君子」は陽を指し、「征」は即ち行動である。「幾望」は将に満盈せんとする時。もしすでに望日に至れば、あれは陽はすでに消損し去った。なおなんの告戒を談ぜんや。

集說 楊氏時曰:三陽下進,一陰畜之不能固,故“密雲不雨,尚往也”。至上九則往極矣,故既處。夫陰陽和則雨,而婦以順為正。雖畜而至於雨,以是為正則厲矣。月遡日以為明者也,望則與日敵。故幾望則不可過。君子至此而猶征焉,則凶之道也。《小畜》以陰畜陽為主,其極必疑陽,故戒之如此。

「集説」に楊時を引く:下面の三個の陽爻は上に向かい進み、一個の陰爻はそれらを畜止するも固定住しえず。だから「密雲雨ならず、なお往くなり」という。上九に至れば、上行はすでに尽頭に至る。だから「すでに処る」。陰陽は調和してはじめて雨を下し、しかして婦人は柔順を以て正と為す。たとえ畜止して成あるも以て雨を下すに至るも、もしこの個を以て常理と當作して堅持し下れば、則ち危険である。月は太陽に迎えて光明を取得す。望日に至れば即ち太陽と相敵す。だから満望に將近すれば便ち再び過ぐべからず。君子がこの地步に至ってなお出行せんと欲すれば、あれは即ち凶を取るの道である。《小畜》は陰を以て陽を畜するを主旨と為す。陰は極点に至れば必ず陽と相疑い抗衡す。だからこのように告戒する。

項氏安世曰:上九居畜之極,畜道已成,昔之不雨者,今“既雨”矣;昔之尚往者,今既處矣。彖之所謂“亨”,於是見之。載者,積也。畜至於上,其德積而成載,則所畜大矣。然以《小畜》大,非可常之事也。婦道貞此而不變,則為危,君子過此而復行,則為凶。蓋月望則昃,陰極則消,自然之理也。

項安世を引く:上九は畜止の極点に処り、畜止の道はすでに完成した。従前は雨を下さざったが、今は「すでに雨」した。従前は一味に上行したが、今は停住した。「彖辞」の言う所の「亨」は、ここに至ってはじめて分暁を見る。「載」は即ち積。最上の一爻に畜して、その徳性は積累して満載と成れば、ならば畜止する所の分量は大なり。しかるに小を以て大を畜止するは、終に長久すべき事に非ず。婦人の道がもしこれに固執して改変せざれば、則ち危険。君子がこの界限を過ぎてなお再び行動せんと欲すれば、則ち凶。月は満つれば則ち虧け、陰は極まれば則ち消ゆるは、もと自然の道理だからである。

王氏應麟曰:《小畜》上九“月幾望”則“凶”,陰疑陽也。《歸妹》六五“月幾望”則“吉”,陰應陽也。《中孚》六四“月幾望”則“無咎”,陰從陽也。案 此爻亦以畜道既成言之耳,楊氏說最完善。

王応麟を引く:《小畜》の上九は「月幾望」を講じて即ち「凶」という。あれは陰と陽と相抗するである。《帰妹》六五は「月幾望」を講じて却って「吉」という。あれは陰と陽と相応ずるである。《中孚》六四は「月幾望」を講じて「咎なし」という。あれは陰が陽に順従するである。李光地按する:この一爻もまた不過畜止の道がすでに完成したに就いて立説するのみ。楊時の解釈は最も完備妥当である。

履卦・乾上兌下

程傳 《履序卦》:“物畜然後有禮,故受之以履。”夫物之聚,則有大小之別,高下之等,美惡之分,是物畜然後有禮,《履》所以繼畜也。履,禮也。禮,人之所履也。為卦天上澤下,天而在上,澤而處下,上下之分,尊卑之義,理之當也,禮之本也,

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は《履》卦の次第を講じていう:「万物に積聚あって然る後に礼あり。だから《小畜》の後に《履》を接ぐ。」万物が一旦聚集し起これば、即ち大小の区別・高下の等級・美悪の分野あり。これ即ち積聚あって然る後に礼あるで、《履》卦はここに因って畜聚の後に接ぐ。「履」は即ち礼、礼は人の践行する所の物である。卦体に就いて言えば、天は上に在り沢は下に在る:天はもと上に在り沢はもと下に在りて、上下の分際・尊卑の名義は、道理上の応当にこのようたるべきで、また正に礼の根本である。……(底本はここに以下脱文)

履虎尾,不咥人,亨。本義 兌亦三畫卦之名,一陰見於二陽之上,故其德為說,其象為澤,“履”,有所躡而進之義也。以兌遇乾,和說以躡剛強之後,有履虎尾而不見傷之象,故其卦為《履》,而占如是也。人能如是,則處危而不傷矣。

卦辞:老虎の尾巴を踏むも、老虎は人を咬まず。亨通。朱熹《本義》はいう:兌もまた三画卦の名称で、一個の陰爻が二個の陽爻の上に顕露す。だからその徳性は和悦と為り、その象は沢と為る。「履」はなんらかを踏んで前に往くの意あり。兌を以て乾に碰上するは、和悦の態度を用いて剛強者の身後に跟いて行走するで、虎尾を踏んで咬傷せられざるの象あり。だからこの一卦を《履》と呼び、占断もまたこのようである。人が能くこのようであれば、険境に身处して傷害を受けず。

程傳 履,人所履之道也。天在上而澤處下,以柔履藉於剮,上下各得其義,事之至順,理之至當也。人之履行如此,雖履至危之地,亦無所害,故履虎尾而不見其咥齧,所以能“亨”也。

程頤《伊川易伝》はいう:「履」は即ち人の践行する道路である。天は上に在りて沢は下に在り、柔順を以て剛強の下に垫る(底本の「于剛」の誤作を正す)。上下は各々その宜を得る。最も順当の事・最も恰当の理である。人の行事が能くこのようであれば、たとえ最も危険の地方に踏むも害を受けざらん。だから虎尾を踏んで咬嚙せられず、よって能く「亨」たるを得。

集說《朱子語類》云:《履》上乾下兌,以陰躡陽,是隨後躡它,如踏它腳跡相似,所以云“履虎尾”。卦之三四爻,發虎尾義,便是陰去躡它陽後處。李氏簡曰:履,禮也。行之以和,故能進退履眾剛而不見傷,“禮之用和為貴”,其足之謂乎?

「集説」に《朱子語類》を引く:《履》卦は上は乾下は兌で、陰を以て陽を踏むは、人家の後頭に跟いて踏むに等しく、ちょうどその脚印を踏着して走るがごとし。だから「虎尾を履む」という。全卦の六三・九四の両爻が虎尾の意思を発揮するは、正に陰が往きて陽の後頭あの地方を踏む処である。李簡を引く:「履」は即ち礼で、和悦を用いてそれを践行す。だから進退の間に衆多の剛爻を踏むも傷を受けず。《論語》の講ずる「礼の用は和を貴びと為す」は、言う所は大概即ちこの一層か。

胡氏炳文曰:《程傳》訓履為踐為藉,以上下論也。《本義》云:有所躡而進,以前後論也。於尾字為切。諸家多以兌為虎,《本義》從《程傳》以乾為虎,本夫子《彖傳》意也。“不咥人亨”,大抵人之涉世,多是危機,不為所傷,乃見所履。《大傳》曰: “《易》之興也”,“其當文王與紂之事邪,是故其辭危”。危莫危於履虎尾之辭矣,故九卦處憂患,以《履》為首。

胡炳文を引く:《伊川易伝》は「履」を訓して践踏・垫藉と為す。あれは上下の関係に就いて言う。《本義》は「躡む所有りて進む」という。あれは前後の関係に就いて言う。これは「尾」の字に対して更に貼切である。諸家は多く兌を看て虎と為すが、《本義》は却って《伊川易伝》に依従して乾を以て虎と為す。あれは孔子の《彖伝》の意思に本着いた。「人を咥わずして亨」に至っては、大抵人は世の上に行走すれば、処処みな危機である。能く傷害を受けざらんこと、はじめて彼の践行する所はなんなるかを見出し得。《繫辞伝》は《周易》の興起するは、「大概文王と商紂の時に正に当たるか。だからその辞句は憂危に充満す」という。憂危は「虎尾を履む」のこの一句より甚だしきはなし。だから《繫辞伝》の列する所の憂患に処する九個の卦は、《履》を以て首に居らしむ。

粱氏寅曰;履者踐履也。人之於禮,亦踐行其天理者,故履為禮也。夫虎,剛猛之獸。乾三陽,虎之象也。上為虎之首,則四為虎之尾。兌履乾之後,履虎尾之象也。虎咥人者也,然以和說履之,則不見咥而反至亨。以是觀之,人之踐履卑遜,何往而不亨乎?然和非阿容也,說非佞媚也,亦恭順而不失其正耳。兌之《傳》曰:“剛中而柔外”,此其道也。蔡氏清曰:八卦唯兌為至弱,唯乾為至健。今以至弱者而躡於至健者之後,自是危機,故獨以“履”名卦,而《彖傳》復取其德,而謂之“履虎尾,不咥人亨”也。

梁寅を引く:「履」は即ち践行である。人の礼に対するは、またあの本有の天理を践行する。だから「履」は即ち礼である。虎は剛猛の野獣で、乾の三個の陽爻は正に虎の象。上九は虎頭で、ならば九四は即ち虎尾。兌は乾の後面に跟くは、即ち虎尾を踏む象である。老虎はもと人を咬む物なれども、しかし和悦の態度を用いてそれを踏めば、却って咬まれずして亨通を得る。これより観れば、人はただ践行すること卑下謙遜なれば、いずれの処に到って亨通せざらんや。ただしいわゆる和は原則なく遷就するに非ず、いわゆる悦は諂媚討好するに非ずして、ただ恭敬順従して自己の正道を失わざるのみ。《彖伝》の兌を解して「剛中にして柔外」というは、正にこの路子である。蔡清を引く:八卦の中にただ兌のみが最も柔弱、ただ乾のみが最も剛健。今は最も柔弱のを拿って最も剛健の後頭に跟いて踏めば、本身就是危機である。だから特地に「履」を用いてこの一卦に命名し、しかして《彖伝》はまたその和悦の徳性を取って、「虎尾を履み、人を咥わず、亨」と説き成す。

初九,素履往,無咎。本義 以陽在下,居履之初,未為物遷,率其“素履”者也。占者如是,則“往”而“無咎”也。程傳 履不處者,行之義,初處至下,素在下者也。而陽剛之才,可以上進,若安其卑下之素而往,則“無咎”矣。夫人不能自安於貧賤之素,則其進也,乃貪躁而動,求去乎貧踐耳,非欲有為也。既得其進,驕溢必矣,故往則有咎。賢者則安履其素,其處也樂,其進也將有為也,故得其進,則有為而無不善,乃守其素履者也。

初九の爻辞:素常の操守に本着いて前に往けば、過錯あらざらん。朱熹《本義》はいう:初九は陽爻を以て最も下に居り、《履》卦の開頭に処り、まだ外物に改変せられず。自己の平素の行止に順って路を走る人である。占卦する人がこのようであれば、則ち「往」にして「咎なし」。程頤《伊川易伝》はいう:「履」は停留せずして前に向かい走るの意である。初九は最も下に処り、もと素く下位に居る。しかしそれは陽剛の才具ありて上進すべし。もし能く自己の卑下の本分に安んじて然る後に前行せば、則ち「咎なし」。人がもし貧賤の本分に安んじえざれば、ならば彼の進を求むるはただ貪躁妄動・一心に貧賤を摆脱せんと欲するのみで、並び作為あらんと欲するに非ず。一旦志を得れば、必ず驕縦放肆す。だからこういう「往」は即ち過錯あり。賢者は却って自己の素常を践行するに安んず:閑居の時は自らその楽を得、進用の時は作為あらんことを準備す。だから彼は一旦進用を得れば、必ず作為あって不善なし。これははじめて「素履」を守住する人である。

集說 胡氏炳文曰:初未交於物,有素象。案《本義》與蔡氏皆曰:居《履》之初,

「集説」に胡炳文を引く:初九はまだ外物と交接せず。だから「素」の象あり。李光地按する:《本義》と蔡清はみな言う、《履》卦の開頭に処れば、……(底本はここに以下脱文)

九二,履道坦坦,幽人貞吉。本義 剛中在下,無應於上,故為履道平坦,幽獨守貞之象。幽人履道而遇其占,則貞而吉矣。程傳 九二居柔,寬裕得中,其所履坦坦然平易之道也。雖所履得坦,《易》之道亦必幽靜安恬之,人處之則能貞固而吉也。九二陽志上進,故有幽人之戒。集說 梁氏寅曰:行於道路者,由中則平坦,從旁則崎險。九二以剛居中,是履道而得其平坦者也。持身如是,不輕自售,故為“幽人貞吉”。

九二の爻辞:走る所の路は平平坦坦、幽居して静を守る人は正を守りて吉を得る。朱熹《本義》はいう:九二は陽剛にして中に居りて下卦に処り、上面に相応する爻なし。だから行う所の路の平坦・幽居独处して正を守る象あり。幽居の人が正道を践行してこの一爻を占得すれば、則ち正を守りて吉。程頤《伊川易伝》はいう:九二は陽爻を以て陰柔の位に居り、寛裕にして「中を得」。それが走る所は平平坦坦の平易の道である。走る路は平坦なれども、また必ず幽静安恬の人がこの位置上に処して、はじめて正固を守住して吉を得るを得(底本はここに標点を誤って「坦易之道」を割裂せしむ)。九二は畢竟陽爻で、心志は上進を想う。だからそれに一句「幽人」の告戒を与う。「集説」に梁寅を引く:道路の上に行走すれば、当中を走れば即ち平坦、辺に靠って走れば即ち崎嶇危険。九二は陽剛を以て中位に居り、正に路の上に走ってその平坦を得た人である。自身を持守して能くこのようたるを得、軽々しく自己を兜售し出さず。だから「幽人貞吉」という。

六三,眇能視,跛能履,履虎尾,咥人凶,武人為于大君。本義 六三不中不正,柔而志剛,以此履乾,必見傷害,故其象如此,而占者凶。又為剛武之人,得志而肆暴之象,如秦政、項藉,豈能久也?

六三の爻辞:一只眼は瞎れてなお看せんとし、一条の腿は跛けてなお走らんとす。老虎の尾巴を踏めば、老虎は人を咬む。凶。勇武の人は大君のために事を行う。朱熹《本義》はいう:六三はすでに中に居らずまた位に当たらず。本質は陰柔にして心志は剛愎で、この副の様子を拿って乾を踏めば、必ず傷害を受けん。だから取象はこのようで、占卦する人は凶を得る。それはまた勇武の人が一旦志を得れば便ち暴虐を肆行する象あり。秦始皇嬴政・西楚覇王項籍のごときは、いずれか長久を得んや。

程傳 三以陰居陽,志欲剛而體本陰柔,安能堅其所履?故如盲眇之視,其見不明。跛躄之履,其行不遠。才既不足,而又處不得中,履非其正,以柔而務剛,其履如此,是履於危地,故曰“履虎尾”。以不善履履危地,必及禍患,故曰“咥人凶”。“武人為于大君”,如武暴之人,而居人上,肆其躁率而已,非能順履而遠到也。不中正而志剛,乃為群陽所與,是以剛躁蹈危而得凶也。

程頤《伊川易伝》はいう:六三は陰爻を以て陽位に居り、心志は剛強せんと欲するも体質はもと陰柔で、いかにして自己の走る所の路を守住しえんや。だからちょうど一眼を瞎えた人が物を看るがごとく、看て明白ならず。ちょうど瘸腿の人が路を走るがごとく、走って長遠ならず。才具はすでに足らず、また中を得ざる位置に処り、走る所はまた正路に非ず。柔弱に憑って硬に剛を逞しくせんと欲す。行事はこの地步に至れば、即ち危険の地方に踏む。だから「虎尾を履む」という。不善の走法を用いて危地に踏進すれば、必ず禍患を招来す。だから「人を咥う凶」という。「武人が大君に為す」に至っては、ちょうど凶暴の武夫が人の上に居るがごとく、ただその躁急軽率を放縦するを知るのみで、並び正道に循順して長遠を走りえない。それはすでに中正ならずして心志は剛愎で、しかしてまた衆陽爻に親附せらる。よって剛躁して冒険して凶を得る。

集說 耿氏南仲曰:視欲正,視而不正,則眇者也。行欲中,行而不中,則跛者也。故《歸妹》初九不中則為“跛”,九二不正則為“眇”。履,六三不中又不正,故跛眇兼焉。《歸妹》、《履》,皆兌下也。

「集説」に耿南仲を引く:物を看るは端正に看るを要し、看て正ならざれば、即ち独眼と成る。路を走るは適中に走るを要し、走って中ならざれば、即ち瘸腿と成る。だから《帰妹》の初九は中を得ざれば即ち「跛」といい、九二は位に当たらざれば即ち「眇」という。《履》卦の六三はすでに中を得ずまた位に当たらず。だから「跛」「眇」の両様を兼備す。《帰妹》と《履》の両卦は、下体はみな兌である。

王氏申子曰:三以陰居陽,以柔履剛,謂其明耶?則眾陽而獨陰。謂其不明耶?則又居於陽。眇能視之象也。謂其能行耶,則眾剛而獨柔。謂其不能行耶?則又履乎剛,跛能履之象也。是體暗而用明,才弱而志剛者也,而又不中不正,故不自度量而一於進,敢於蹈危而取禍,如“履虎尾”而受咥人之凶也。若不顧強弱,勇猛直前,唯武人用之以有為于大君之事則可。然彖亦主三而言,曰“不咥人亨”,此曰“咥人凶”,何也?蓋彖總言一卦之體,爻則據其時與位而言,所以不同。

王申子を引く:六三は陰爻を以て陽位に居り、柔を用いて剛を踏む。それは眼明かと言えば、満卦はみな陽爻にしてそれは独り陰。それは眼明ならざるかと言えば、それはまた陽位の上に居る。これ即ち「眇にして能く視る」の象。それは能く走るかと言えば、満卦はみな剛爻にしてそれは独り柔。それは能く走らざるかと言えば、それはまた剛爻の上に踏む。これ即ち「跛にして能く履む」の象。これで見ればそれは体質は暗弱にして作用は顕明、才干は柔弱にして心志は剛強。加うるにすでに中を得ずまた位に当たらず。だから自ら量力せずして一味に進を求め、敢えて冒険して禍を招く。ちょうど虎尾を踏んで咬人の凶を遭受するがごとし。もし強弱を顧みず勇猛直前するを言えば、あれはただ武人がこの股の勁を拿って大君に替わって事を辦するに用いて足るのみ。しかるに「彖辞」もまた主として六三に就いて立説するのに、却って「人を咥わずして亨」を講じ、ここでは却って「人を咥う凶」を講ずるは、何故か。「彖辞」は総じて一卦の整体を言い、爻辞は則ち各爻の時と位に依拠して言うがゆえに、だから両処は同じからず。

吳氏澄曰:彖通指一卦而言,則上九虎之首也。虎口實而合,有“不咥”之象。此專據一爻而言,則三為兌之上畫也,兌口虛而開,故有“咥人”之象。胡氏炳文曰:凡卦辭以爻為主,則爻辭與卦同。如《屯》卦“利建侯”,而初爻亦“利建侯”。以卦上下體論,則爻辭與卦不同。如此卦云“履虎尾不咥人”,而六三則曰“咥人”是也。卦書“不咥人”,兌三爻說體,自與乾三爻健體相應也。爻書“咥人”,六三一爻,與上九一爻獨相應,“履虎尾”而首應也。

呉澄を引く:「彖辞」は通じて一整卦に対して言えば、ならば上九は即ち虎頭。虎口は合攏して充実し、「咥わず」の象あり。ここは専ら一爻に就いて言う。六三は兌卦の最上の一画で、兌の口は虚にして張開す。だから「人を咥う」の象あり。胡炳文を引く:凡そ卦辞が或る一爻を以て主と為すは、爻辞は即ち卦辞と相同じ。例えば《屯》卦の卦辞は「侯を建つるに利し」といい、初九の爻辞もまた「侯を建つるに利し」という。もし一卦の上下二体に就いて立論するは、爻辞は即ち卦辞と同じからず。例えばこの一卦の卦辞は「虎尾を履み人を咥わず」といい、しかして六三は却って「人を咥う」という。卦辞は「人を咥わず」と写すは、兌の三爻は同じく和悦の体に属し、自然に乾の三爻の剛健の体と相応ずるがゆえ。爻辞は「人を咥う」と写すは、六三のこの一爻が単独に上九一爻と相応じて、虎尾を踏んで正好虎頭に碰上するがゆえである。

案 “武人為于大君”,王氏之說得之。蓋三非大君之位,且為於兩字語氣亦不順也。子曰:“暴虎馮河,死而無悔者,吾不與也。”即此句之意。

李光地按する:「武人が大君に為す」に関しては、王申子の説法が最も恰当である。六三は並び大君の位に在らざるがゆえに、しかも「為于」の両個字は連読して語気もまた順ならず。孔子はいう:「空手にて虎を打ち徒歩にて河を渉り、死して悔いざる者は、我れ之と与にせず。」正にこの一句の意思である。

本義 九四亦以不中不正,履九五之剛,然以剛居柔,故能戒懼而得“終吉”。程傳 九四陽剛而乾體,雖居四,剛勝者也。在近君多懼之地,無相得之義,五復剛決之過,故為“履虎尾”。“愬愬”,畏懼之貌,若能畏懼,則當“終吉”。蓋九雖剛而志柔,四雖近而不處,故能兢慎畏懼,則終免於危而獲吉也。

(ここで底本は九四の爻辞を脱す。)朱熹《本義》はいう:九四は同じくすでに中ならずまた正ならざれども、九五の剛強の後を踏む。ただしそれは陽爻を以て陰位に居る。だから能く戒惧謹慎して「終に吉」を得る。程頤《伊川易伝》はいう:九四は陽剛にして身は乾体に属し、ただ第四位に居るのみといえども、依然として剛強の上風を占む。それは君主に接近し疑惧の最も多き地方に処り、九五と並び相得る情分なく、しかして九五はまた剛断に過ぐるの毛病あり。だから「虎尾を履む」という。「愬愬」は畏懼の様子である。もし能く心に畏懼を存せば、当に「終に吉」なるべし。九は剛強なれども心志は柔順、四は君位に接近するもそれを以て自ら居らず。だから能く小心謹慎・戒惧敬畏して、終に危険を免れて吉を獲す。

集說 王氏弼曰:逼近至尊,以陽承陽,處多懼之地,故口“履虎尾,愬愬”也。然以陽居陰,以謙為本,雖處危懼,終獲其志,故“終吉”也。王氏宗傳曰:《經》曰“四多懼”,處多懼之地,而復以恐懼自處,所謂愬愬也。四處三陽之後,故亦曰“履虎尾”。無忘其愬愬之戒,故曰“終吉”,在卦德曰“履虎尾,不咥人,亨”,其九四之謂乎?

「集説」に王弼を引く:九四は至尊の位に逼近し、陽爻を以て陽爻を承接し、疑惧の最も多き地方に処す。だから「虎尾を履む、愬愬」という(底本の「故口」は当に「故曰」と作るべし)。ただしそれは陽爻を以て陰位に居り、謙遜を以て根本と為す。身は危惧に処するも、終に自己の心志を実現した。だから「終に吉」。王宗伝を引く:《繫辞伝》は「四は惧れ多し」を講ず。惧れ多き位置に処り、また能く恐懼の態度を以て自処すれば、これ即ちいわゆる「愬愬」である。九四は三個の陽爻の後面に処す。だからまた「虎尾を履む」という。「愬愬」のこの告戒を忘れず。だから「終に吉」という。卦徳に就いて言う「虎尾を履み人を咥わずして亨」の講ずる所は、大概即ち九四のごとき人か。

《朱子語類》云:履三爻正是躡它虎尾處,四上躡五,亦為虎尾之象。胡氏炳文曰:《本義》於三之“履虎尾”,曰不中不正以履乾,是以乾為虎而三在其後也。於四之“履虎尾”,則曰亦以不中不正履九五之剛,是以九五為虎,而四在其後也。三四皆不中正,而佔有不同者,“三多凶”,以柔居剛,其凶也宜。“四多懼”,以剛居柔,所以“終吉”。

《朱子語類》はいう:《履》卦の六三は正に人家の虎尾を踏む地方で、九四は上に向かって九五を踏むは、も虎尾の象と算す。胡炳文を引く:《本義》は六三の「虎尾を履む」を解して、それが中ならず正ならずして往きて乾を踏むという。あれは乾を以て虎と為して六三は虎後に在る。九四の「虎尾を履む」を解するは、則ちそれが同じく中ならず正ならずして九五の剛強を踏むという。あれは九五を以て虎と為して九四は虎後に在る。三・四の両爻はともに中正ならざれども、占断は相同じからず:《繫辞伝》は「三は凶多し」を講ず。六三は陰柔を以て陽剛の位に居る。それが凶を得るは応当である。「四は惧れ多し」を講ず。九四は陽剛を以て陰柔の位に居る。だから能く「終に吉」。

九五,夬履,貞厲。本義 九五以剛中正履帝位,而下以兌說應之,凡事必行,無所疑礙,故其象為夬決其履,雖使得正,亦危道也,故其占為雖正而危,為戒深矣。

九五の爻辞:剛断に行走すれば、正を守るもまた危険あり。朱熹《本義》はいう:九五は剛健中正の資質を以て帝位の上に踏み、下面にはまた兌の和悦が来りて彼に響応す。凡事は辦すると言えば即ち辦して、なんの疑虑阻碍もなし。だから象を断然決行に取る。たとえ行う所正を得るも、依然として危険の路子である。よって占断は正なれども危しと為り、その中の告戒は甚だ深い。

程傳 夬,剛決也。五以陽剛乾體,居至尊之位,任其剛決而行者也。如此則雖得正,猶危厲也。古之聖人,居天下之尊,明足以照,剛足以決,勢足以專。然而未嘗不盡天下之議,雖芻蕘之微必取,乃其所以為聖也,履帝位而光明者也。若自任剛明,決行不顧,雖使得正,亦危道也,可固守乎?有剛明之才,苟專自任,猶為危道,況剛明不足者乎?《易》中云“貞厲”,義各不同,隨卦可見。

程頤《伊川易伝》はいう:「夬」は即ち剛断である。九五は陽剛の質・乾健の体を以て至尊の位に居り、自己の剛断に任せて行う人である。かくのごとくなれば、たとえ行う所正を得るも、依然として危険。古代の聖人は天下の最尊の位置に身处し、明智は以て一切を照察するに足り、剛断は以て一切を決断するに足り、権勢は以て独断専行するに足る。しかるに彼らは未だ嘗て広く天下の議論を聴取せざることなく、たとえ草を割き柴を打つがごとき卑微の人の意見でも必ず采纳した。これ正に彼らの聖人と為る所以の地方で、即ち帝位を踏んで光明磊落たるである。もし剛強明察を自恃して、一意に決行して旁人を顧みざれば、たとえ行う所正を得るも、また危険の路子で、いかにして固守して改めざるべけんや。剛強明察の才具あれば、一旦専擅自任せば、尚且つ危険の道である。何を況んや剛明のなお足らざる人をや。《周易》の中に「貞厲」を言う所は、各処の意思は同じからず。卦に随って看れば即ち明白となる。

集說 項氏安世曰:六三於彖辭為“亨”者,以下卦言之,有和說之德也,於本爻為凶者,資本陰柔,履位不正,宜其凶也。九五於彖辭為不疚者,以上卦言之,有剛健中正之德也。於本爻為厲者,以剛行剛,志在夬決,其理雖正,其事則危也。凡彖多言卦德,凡爻多論爻位。王氏申子曰:《履》之卦義,履剛也。履剛之道,尚柔不尚剛也。五雖中正以履帝位,然以剛居剛,是一於尚剛者也。夬履,謂決於行也。一於任剛,決行而不顧,則於中正之道,豈能無咎乎?若貞固守此,危道也,故曰“貞厲”。

「集説」に項安世を引く:六三は「彖辞」の裡において「亨」と断せらる。あれは下卦に就いて言えば、それは和悦の徳性あり。しかして本爻において凶と断ずるは、あれはその資質がもと陰柔にして、居る所の位置もまた正ならざるがゆえに、凶を得るは応当である。九五は「彖辞」の裡において「疚なし」と称せらる。あれは上卦に就いて言えば、それは剛健中正の徳性あり。しかして本爻において「厲」と断ずるは、あれはそれが剛を以て剛に行い、一心に決断せんと欲するがゆえに、道理はたとえ正当でも事情は甚だ危険である。大凡「彖辞」は多く一卦の徳性を講じ、爻辞は多く各爻の位次を論ず。王申子を引く:《履》卦の卦義は剛強を踏むに在る。しかして剛を踏むの道は、柔順を崇尚して剛強を崇尚せず。九五はたとえ中正にして帝位に踏上するも、陽爻を以て陽位に居るは、一味に剛強を崇尚する者である。「夬履」は即ち決然として行う。一味に剛強に任せて決行して回顧せざれば、中正の道に対して、いかにして過失なからしめんや。もし固執してこの做法を守れば、あれは危険の道である。だから「貞厲」という。

案 凡《彖傳》中所讚美,則其置辭無凶厲者,何獨此爻不然?蓋履道貴柔。九五以剛居剛,是決於履也。然以其有中正之德,故能常存危厲之心,則雖決於履,而動可無過舉矣。《書》云:心之憂危,若蹈虎尾,此其所以“履帝位”而“不疚”也與。凡《易》中貞厲、有厲,有以常存危懼之心為義者,如《噬嗑》之”貞厲無咎”,《夬》之“其危乃光”是也。然則此之“貞厲”,兌五之“有厲”,當從此例也。

李光地按する:凡そ《彖伝》の裡において赞美を加うる所は、措辞は便ち凶を帯び厲を帯びざるなり。何故に単独にこの一爻のみがこのように非ざるか。践履の道は柔を用うるを貴ぶがゆえに。九五は剛を以て剛に居るは、決然として行う者である。ただしそれが中正の徳性を具備するがゆえに、能く常に危惧の心を存す。ならばたとえ決然として行うも、挙動もまた過失なからしめうる。《尚書》は心裡の憂惧危惕は、ちょうど虎尾の上に踏むがごとしという。これ正にそれが能く「帝位を履み」て「疚なし」たるの縁故か。《周易》の中に凡そ「貞厲」「有厲」を講ずるは、一類は常に危惧の心を存する意を取る。例えば《噬嗑》の「貞厲咎なし」・《夬》卦の「その危は乃ち光なり」は即ち是。ならばここの「貞厲」、および《兌》卦九五の「有厲」は、みな当にこの一類に照らして看るべし。

本義 視履之終,以考其樣,周旋無虧,則得“元言”,占者禍福視其所履而未定也。程傳 上處《履》之終,於其終視其所履行,以考其善惡禍福,若其旋則善且吉也。旋,謂周旋完備,無不至也。人之所履,考視其終,若終始周完無疚,善之至也,是以“元吉”。人之吉凶,繫其所履,善惡之多寡,占凶之小大也。

(ここで底本は上九の爻辞を脱す。)朱熹《本義》はいう:一生の行履の終局を回看して、以てその吉凶の征兆を考察す。もし周旋完備して亏欠なければ、則ち「元吉」を得(底本の「考其様」は当に「考其祥」、「元言」は当に「元吉」と作るべし)。占卦する人の禍福はいかなるかは、彼の行う所いかなるかを看るを要す。眼下はまだ未定。程頤《伊川易伝》はいう:上九は《履》卦の終了に処り、即ちこの終了の処において彼の一路の行履を回看し、それに拠って善悪禍福を考察す。もし周旋完備せば、則ちすでに善にして且つ吉。「旋」は周旋完備して至らざる所なしを言う。人の行履は、終了の処において考察検視するを要す。もし自始至終に周全完満にして病痛なければ、即ち善の極処に至った。よって「元吉」。人の吉凶は彼の行う所の路に繫る。善悪の多少は、即ち吉凶の大小を決定す(底本の「占凶」は当に「吉凶」と作るべし)。

集說 王氏弼曰:禍福之祥,生乎所履。處履之極,履道成矣,故可“視履”而“考樣”也。居極應說,高而下危,是其旋也,履道大成,故“元吉”。梁氏寅曰:上,《履》之終也。人之所履,觀之於始,則誠偽未可見,惟觀之於終,然後見也。故視其所履以考其善,若周旋無虧,則其吉大矣。是爻也,豈非動容周旋中禮之至與?

「集説」に王弼を引く:禍福の征兆は、自己の行う所の路より生ず。上九は《履》卦の極処に処り、践履の道はすでに完成した。だから「履を視」て「祥を考」るべし。それは極位に居りて和悦の体と相応じ、位置は高いといえども能く下面に俯就して戒惧する所を知る。これ即ちその「旋」である。践履の道は大功告成した。だから「元吉」。梁寅を引く:上九は《履》卦の終了である。人の行履は、開頭の処において看れば、誠実と虚偽とは還って看り出しえず。ただ終了の処に至って看て、はじめて分明を看るを得。だから彼の行う所を回看して彼の善を考察すれば、もし周旋完備して亏欠なければ、あの吉は大なり。この一爻は、いずれか正に《孟子》の言う所の挙止周旋に礼に合せざるなしの極致に非ざらんや。

總論項氏安世曰:一陰一陽之卦,在下者為《復》、《姤》,在上《夬》、《剝》,具義主於消長也。在二五者,陽在二為《師》之將,在五為《比》之主,陰在二為《同人》之君子,在五為《大有》之君子,其義主於得位也。在三四者,陽在三,則以剛行柔為“勞謙”,在四則以剛制柔為“由豫”,陰在三,則以柔行剛為《履》,在四,則以柔制剛為《小畜》,其義主於用事也。大抵用事之爻,在下者為行己之事,在上者為制人之事。

「総論」に項安世を引く:ただ一陰あるいはただ一陽の卦は、あの一爻が最も下に在るは《復》と《姤》、最も上に在るは《夬》と《剥》で、取義は主として陰陽の消長に在る。あの一爻が二・五位に在るは:陽が二位に在れば即ち《師》卦の主将、五位に在れば即ち《比》卦の君主。陰が二位に在れば即ち《同人》の君子、五位に在れば即ち《大有》の君子。取義は主として位を得るに在る。あの一爻が三・四位に在るは:陽が三位に在れば、即ち剛を以て柔に行いて《謙》卦の「労謙」と成る。四位に在れば、即ち剛を以て柔を制して《豫》卦の「由豫」と成る。陰が三位に在れば、即ち柔を以て剛に行いて《履》と成る。四位に在れば、即ち柔を以て剛を制して《小畜》と成る。取義は主として権を当たり事を任ずるに在る。大抵事を任ずるあの一爻は、下卦に処するは自身を修治する事、上卦に処するは他人を管束する事である。

又曰:《履》之六爻,皆以履柔為吉,故九二為“坦坦”,九四為“愬愬終吉”,上九為“其旋元吉”,皆履柔也。六三卦辭本善,終以履剛為凶。初九九五所履皆正,然初僅能“無咎”,五不免於“厲”,皆履剛也。是故初則懼其失初心之正,而教之以保其素。五則懼其恃勢位之正,而教之以謹其決。蓋剛者,喜動而好決,任剛而行者,後多可悔之事也。

彼またいう:《履》卦の六爻はみな踏むこと柔順なるを以て吉と為す。だから九二は「坦坦」、九四は「愬愬終に吉」、上九は「その旋元吉」で、みな履柔に属す。六三は卦辞の裡においてもと好きなれども、最終に却って履剛に因って凶を致す。初九・九五の行う所はみな正なれども、しかし初九は僅かに能く「咎なし」を得、九五は還って一個の「厲」の字を免れざるは、みな履剛に因る。だから初九に対しては、それが最初のあの点の純正の心を失うを怕れて、即ちそれに本色を守住せしめ、九五に対しては、それが地位権勢の正当を倚仗するを怕れて、即ちそれに自己の決断を謹慎せしむ。剛強の人は行動を喜好し決断を作すを愛するがゆえに、一味に剛強に任せて行えば、事後に多く悔うべき事あるがゆえである。

泰卦・坤上乾下

程傳《泰序卦》;“履而泰然後安,故受之以泰。 ”履得其所則舒泰,泰則安矣,《泰》所以次《履》也。為卦坤陰在上,乾陽居下,天地陰陽之氣,相交而和,則萬物生成,故為通泰。

程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は《泰》卦の次第を講じていう:「践履して然る後に通泰し、通泰して然る後に安定す。だから《履》卦の後に《泰》を接ぐ。」践履が得当なれば即ち舒展通泰し、通泰すれば即ち安定す。《泰》卦はここに因って《履》卦の後に排す。卦体に就いて言えば、坤陰は上に在り乾陽は下に在り、天地陰陽の二気が交感調和すれば、万物は即ち生長成就す。だから通泰と呼ぶ。

泰,小往大來,吉亨。本義 ”泰”,通也,為卦天地交而二氣通,故為《泰》,正月之卦也。“小”,謂陰。“大”,謂陽。言坤往居外,乾來居內。又自《歸妹》來,則六往居四,九來居三也。占者有剛陽之德,則“吉”而“亨”矣。

卦辞:《泰》、小は往き大は来る。吉、亨通。朱熹《本義》はいう:「泰」は即ち通である。卦体に就いて言えば、天地は相交りて二気は貫通す。だから《泰》と呼び、それが配する所は夏歴の正月である。「小」は陰を指し、「大」は陽を指す。言う所は坤が上に向かい往きて外卦に居り、乾が下に向かい走りて内卦に居る。さらに「卦変」の上より言えば、《泰》は《帰妹》より変じ来りて、即ち六三が上に向かい第四位に居り九四が下り来て第三位に居る。占卦する人が剛陽の徳性を具備せば、則ち「吉」にしてしかも「亨」。

程傳 “小”,謂陰。“大”,謂陽。“往”,往之於外也。“來”,來居於內也。陽氣 集說 劉氏牧曰:往來者,以內外卦言之,由內而之外為往,由外而復內為來。蔡氏清曰:卦名曰《泰》,以天地交而二氣通,就造化之本不可相無上取也。卦辭曰“小往大來”,以內君子外小人而言,就淑慝之分上取也。然則《泰》有二乎?曰:一也。但是天地交而二氣通,則決然內陽而外陰矣。

程頤《伊川易伝》はいう:「小」は陰を指し、「大」は陽を指す。「往」は外卦に向かい往く、「来」は内卦に来り居る。陽気……(底本はここに脱文)。「集説」に劉牧を引く:いわゆる往来とは、内外卦に就いて言う。内より外に至るを往と呼び、外より内に回るを来と呼ぶ。蔡清を引く:卦名を《泰》と呼ぶは、天地が相交りて二気が貫通し、造化本源の上より彼此缺くべからざるのこの一層に立説するを取る。卦辞の「小往大来」というは、裡面は君子・外面は小人に就いて立説し、善悪の分のこの一層より義を取る。ならば《泰》に両個の意思あるか。答える:ただ一個あり。ただ天地が相交りて二気が貫通せば、即ち必ず陽が内に在り陰が外に在る。

初九,拔茅茹以其匯,征吉。本義 三陰在下,相連而進,拔茅連茹之象,征行之占也。占者陽剛,則其征吉矣。郭璞《洞林》讀至匯字絕句,下卦放此。

初九の爻辞:茅草を拔き起こせば、根鬚は連帯して一同に起こる。同類は相随い、前行すれば吉を得る。朱熹《本義》はいう:下面の三個の陽爻は相連れて一同に上進す(底本の「三陰在下」は当に「三陽在下」と作るべし)。これは茅草を拔き起こして根鬚の相連なる象で、出行の占辞である。占卦する人が剛陽の徳を具備せば、ならば彼の前行は即ち吉。晋人郭璞《洞林》は「彙」の字に読み至れば即ち断句す。下面の《否》卦初六の同一句もまたこのように照らして読む。

程傳 初以陽爻居下,是有剛明之才而在下者也。時之否,則君子退而窮處。時既泰,則志在上進也。君子之進,必與其朋類相牽援,如茅之根然,拔其一則牽連而起矣。“茹”,根之相牽連者,故以為象。“匯”,類也。賢者以其類進,同志以行其道,是以“吉”也。君子之進,必以其類,不唯志在相先,樂於與善,實乃相賴以濟。故君子小人,未有能獨立不賴朋類之助者也。自古君子得位,則天下之賢,萃於朝廷,同志協力,以成天下之泰。小人在位,則不肖者並進,然後其黨勝而天下否矣。蓋各從其類也。

程頤《伊川易伝》はいう:初九は陽爻を以て最も下に居り、剛強明叡の才具あって身は下位に在る人である。時勢が閉塞の時は、君子は即ち退避して窮居す。時勢はすでに通泰なれば、心志は即ち上進に在る。君子の進用は、必ず自己の同類と互相牽引援挙す。ちょうど茅草の根のごとく、一根を拔き起こせば、別のは即ち牽連して一同に起こる。「茹」は彼此牽連する根鬚で、だからそれを拿って象を取る。「彙」は即ち同類。賢者は彼の同類を帯びて一同に進用し、志同道合して彼らの主張を推行す。よって「吉」。君子の進用は必ず同類を帯び、ただ心裡に他人をして先に搶らしむるを願い人と善を為すを楽しむのみならず、実在是要に互相依靠してはじめて事を成しうるがゆえである。だから君子小人を論わず、孤立して同類の助に倚頼せずして能くするなし。自古君子が位を得れば、天下の賢人は即ち朝廷に薈萃して同心協力し、天下の通泰を成就す。小人が位に在れば、不肖の徒は即ち一起に挤り入りて、ここに彼らのあの一党が上風を占めて天下は閉塞す。これらはみな各自に自己の同類に跟従するのみである。

集說 劉氏向曰;賢人在上位,則引其類,而聚之於朝,在下位則思與其類俱進。在上則引其類,在下則推其類。故湯用伊尹,不仁者遠,而眾賢至類相致也。《朱子語類》云:以其匯屬上文,嘗見郭璞《洞林》,亦如此作句,便是那時人已自恁地讀了。蓋拔茅連茹者,物象也,以其匯者,人也。林氏希元曰:《程傳》曰:茹,根之相牽者。以《本義》三陽在下,相連而進推之,乃別茅之根,非本茅之根也。蓋一陽進而二陽與之相連,猶一茅拔而別茅之根與之相連也。

「集説」に劉向を引く:賢人が上位に在れば、即ち自己の同類を引薦して、彼らを朝廷に聚め来る。下位に在れば、即ち自己の同類と一同に進用せんことを想う。上に在れば即ち同類を引薦し、下に在れば即ち同類を推举す。だから商湯が伊尹を任用せば、不仁の人は即ち遠く避け去り、衆多の賢者は踵を接ぎて至る。これ即ち同類が互相招引するである。《朱子語類》はいう:「その彙を以てす」を上文に連属して読むは、我は嘗て郭璞《洞林》もまたこのように断句するを見たり。これで見ればあの時候の人はすでにこのように読んだ。「茅を拔き茹に連る」の講ずるは物象で、「その彙を以てす」の講ずるは人である。林希元を引く:《伊川易伝》は「茹は彼此牽連する根」を講ず。《本義》の「三陽在下にして相連れて進む」に按じて推せば、あれの指すは別一株の茅の根で、並びこの一株の茅自身の根に非ず。一個の陽爻が上進すれば、另外の両個の陽爻は相連れて跟く。ちょうど一株の茅を拔き起こせば、別の茅根もまた牽連して起こるがごとし。

九二,包荒,用馮河,不遐遺,朋亡,得尚于中行。本義 九二以剛居柔,在下之中,上有六五之應,主乎《泰》而得中道者也。占者能包容荒穢,而果斷剛決,不遺遐遠,而不暱朋比,則合乎此爻中行之道矣。

九二の爻辞:能く荒穢を包容し、敢えて徒歩にて河を渉り、疎遠の人を遺漏せず、自己の朋党を偏私せず。かくすれば便ち中道に配して行うを得。朱熹《本義》はいう:九二は陽爻を以て陰位に居り、下卦の中位に処り、上面に六五がそれと相応ずる有り。《泰》の時勢を主持してまた能く中道を守住する人である。占卦する人が能く汚穢を包容し、しかして事を辦すること果断剛決し、疎遠の人を遺漏せずして親昵に結党せざれば、あれは即ちこの一爻の中道にして行うの道理に合す。

程傳 二以陽剛得中,上應於五,五以柔順得中,下應於二。君臣同德,是以剛中之才,為上所專任,故二雖居臣位,主治泰者也,所謂上下交而其志同也。

程頤《伊川易伝》はいう:九二は陽剛の質を以て「中を得」、上に向かって六五と相応ず。六五は柔順の質を以て「中を得」、下に向かって九二と相応ず。君臣は徳性相同じい。よって九二は剛健守中の才具に憑って、君上の専一信任を得た。だから九二はたとえ身は臣位に居るも、却って通泰の世を主持治理する人である。即ち《彖伝》の言う所の上下交感して心志相同じからん。

故治泰之道,主二而言。“包荒,用馮河,不遐遺,朋亡”,四者處泰之道也。人情安肆,則政舒緩而法度廢弛,庶事無節,治之之道,必有包含荒穢之量,則其施為寬裕詳密,敝革事理,而人安之。若無含弘之度,有貧疾之心,則無深遠之慮,有暴擾之患,深敝未去,而近患已生矣,故在“包荒”也。“用馮河”,泰寧之世,人情習於久安,安於守常,惰於固

程頤《伊川易伝》は続けて講ず:泰通の世を治理する道理は、主として九二のこの一爻に就着いて言う。爻辞の「荒を包み、河に馮るを用い、遐く遺らず、朋亡し」の四句は、正に泰世に身处して応有の四種の做法である。人情は一旦安逸放縦すれば、政令は便ち松緩と変じ、法度は之に随いて廃弛し、各種の事務はみな節制を失う。この種の局面を整治せんと欲せば、必ずまず汚穢荒廃を容納する度量あって、施政ははじめて寛舒周詳にして、積弊は革除を得事理は理順を得、百姓もまた安定す。もし含容宏大の気度なくして、却って悪悪疾恨の心思を懐けば、即ち深遠の謀慮あらざらん。ただ暴急に民を擾るの禍患を招来して、深層の弊病はまだ除去せざるに、眼前の禍患はすでに生出す。だから四句は「荒を包む」を以て先と為すを要す。「河に馮るを用い」に至っては、太平安寧の時代は、人心は長久の安逸に習慣して、旧規を墨守するに安んじて……底本はここに至りて脱文あり、程頤のこの段話は未完。

集說 胡氏炳文曰:若有包容而無斷制,非剛柔相濟之中也。必包容荒穢,而又果斷剛決,則合乎中矣。雖不遺遐遠,而或自私於吾之黨類,則易至偏重,非輕重不偏之中也。唯不遺遐遠,而又不暱朋比,是不忘遠又不洩邇,合乎中矣。《本義》兩而字當細玩。

集説に胡炳文を引く:もしただ包容ありて裁断なければ、即ち剛と柔の互相調剤する「中」に非ず。必ず能く荒穢を包容し、また能く果断剛決して、はじめて中に合すと算す。疎遠の人を遺棄せざるも、却って自己の党羽を偏私せば、便ち之に偏き重するを失し易し。また軽重偏らざるの中に非ず。ただ疎遠の人を遺棄せずして、また親昵に結党せざるのみが、これははじめて遠方を忘れずして近旁を軽慢せざる、中に合すである。朱熹《本義》のこの一爻を解する時に接連して両個の「而」の字を用いたは、正に細々と体昧すべし。

龔氏煥曰:初九“以其匯”,九二則欲其“朋亡”,何也?初九在下之賢,則欲其引類而進,九二大臣,所以進退天下之人才者,故欲亡其朋類。唯亡其朋類則能用天下之賢,若獨私其朋,則天下之賢,有不得進用者矣。此其所以不同也。

集説に龔煥を引く:泰卦の初九は「その彙を以てす」を講じて、同類を連れて一起に前進せんことを要する。九二に至っては却って「朋亡し」を要して、朋党を丢開せよというは、これは何故か。初九は下位に在る賢者で、だから彼に同類を引進して一同に上進せんことを希望す。九二は大臣の位に身居して、朝廷に替わって天下の人才を進退する人で、だから彼に自己の一夥の人を丢開せしむるを要す。ただ朋党を丢開して、はじめて天下の賢才を任用しうる。もし単々自己の同党を偏私せば、天下の賢者には進用を得ざるあらん。これ即ち同一卦の裡において両爻の取義の同じからざる縁故である。

案 此爻以夫子《象傳》觀之。須以“包荒”兩字為主。蓋聖賢之心無棄物,堯舜之道欲並生,非包荒則不足以體天地之心,而盡君師之道矣。然“包荒”,非混而無別之謂,故必斷以行之,明以周之,公以處之,然後用舍舉措無不合於中道。《魯論》所謂寬信敏公者,意蓋相似也。四者以寬為本,故曰居上不寬,吾何以觀之哉!

李光地按する:この一爻は孔子の《象伝》より看れば、必ず「荒を包む」の両個字を以て主と為すべし。聖賢の心裡には拋棄せらるる人と物なし。堯舜の道は万物をして一同に生長せしむるを要す。荒穢を包容しえざれば、天地の生生の心を体察するに足らず、また君たり師たるの責任に尽くしえない。しかるに「荒を包む」は並び混同一片・毫も分別なしに非ず。だから還って果断を用いて推行し、明察を用いて周遍し、公心を用いて処置して、こうして任用と捨棄・挙動と措置ははじめて中道に合せざるなし。《論語》の言う所の寛・信・敏・公の四徳は、用意は大概これと相似す。この四者は「寛」を以て根本と為す。だから孔子はいう:上位に居りて寛厚ならざれば、我れなにをもって彼を観んや。

九三,無平不陂,無往不復,艱貞無咎,勿恤其孚,于食有福。本義 將過乎中,《泰》將極而《否》欲來之時也。“恤”,憂也。“孚”,所期之信也。戒占者艱難守貞,則“無咎”而“有福”。

泰卦の九三の爻辞はいう:一直に平坦にして傾斜に転ぜざるなし、一直に往きて回返せざるなし。艱難の中に正固を守持すれば過錯あらざらん。自己の期待する信実を憂慮するを要せず、禄食を享用する上において自ら福分あり。朱熹《本義》はいう:九三はまさに下卦の中位を越過せんとし、正に《泰》が極点に快到して《否》がまさに到来せんとする時である。「恤」は憂慮、「孚」は期待する所の信実である。これは占問する人に告戒して艱難の中に貞正を守住して、こうしてはじめて「過錯なし」にしてしかも「福あり」。

程傳 三居泰之中,在諸陽之上,泰之盛也。物理如循環,在下者必升,居上者必降。《泰》久而必《否》,故於《泰》之盛,與陽之將進,而為之戒曰:無常安平而不險陂者,謂無常《泰》也。無常往而不返者,謂陰當復也。平者陂,往者復,則為《否》矣。當知天理之必然,方《泰》之時,不敢安逸,常艱危其思慮,正固其施為,如是則可以“無咎”。處《泰》之道,既能“艱貞”,則可常保其泰,不勞憂恤,得其所求也。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は泰卦の中段に処り、また三個の陽爻の最も上面に在るは、泰盛の極処に至った位置である。事物の理は循環のごとく、下に在るは必ず上升し、上に在るは必ず下降し、泰通は久しければ必ず否塞に転ず。だから《泰》の最盛・陽気がなお続けて上進せんと欲する時に、聖人はこういう告戒を給う:永遠に平坦にして傾斜せざるなしとは、永久の泰なきを言う。永遠に往きて回返せざるなしとは、陰気は終に回り来らんことを言う。平のは斜と変じ、去のはまた回る。ならば則ち《否》と成る。人は当にこれは天理の必然なるを明白にして、正に泰通の時に当たりても敢えて安逸せず、常に思慮を艱難危険の上に放り、行事を守ること端正堅固にして、こうしてはじめて「過錯なし」を得べし。泰に処するの道理が能くすでに「艱貞」を致せば、即ち長く泰通を保ちうる。費心して憂慮するを要せずして、また自己の求むる所を得るを得。

不失所期為孚。如是,則於其祿食有福益也。祿食,謂福祉。善處《泰》者,其福可長也。蓋德善日積,則福祿日臻,德逾子祿,則雖盛而非滿。自古隆盛,未有不失道而喪敗者也。

程頤続いていう:期待する所を辜負せざるを、「孚」と呼ぶ。能くこのようたるを得れば、自己の俸禄食用の上において便ち福沢増益あり。禄食は即ち福祉である。善く泰世に身处する人は、福分は長久すべし。徳行善事は一天天に積累すれば、福禄もまた一天天に到来す。徳行は禄位に超过せば、たとえ地位が盛大でも盈満と算さず。自古以来、あの興隆盛大のは、正を失うに因らずして敗亡したはなし。

集說 項氏安世曰:“無平不陂”,為三陽言之;“無往不復”,為三陰言之。兩言“無”“不”者,明此皆天道之必至,而“有孚”者也。人能知此,則當《泰》之極,不可不

集説に項安世を引く:「平にして陂らざるなし」は下卦の三個の陽爻に就いて言う。「往きて復らざるなし」は上卦の三個の陰爻に就いて言う。両句はみな「无……不……」のごとき双重否定を用いて、要点明してこれらはみな天道の必定に到来する事と為す。即ち爻辞の言う所の「孚あり」である。人が能くこの一点を明白にすれば、ならば泰通が極点に到る時に当たりて、即ち……底本はここに脱文あり、項氏のこの段話は未完。

徐氏直方曰:小人所以勝君子者,非乘其怠,則攻其隙,艱則無怠之可乘,貞則無隙之可攻,如此則町以“無咎”,可以勿憂其孚矣。或曰:陰陽交運,《否》《泰》相仍,時勢然也,雖“艱貞”,“勿恤”如之何?曰:平陂住復者,天運之不能無;“艱貞”“勿恤”者,人事之所當盡。天人有交勝之理,處其交履其會者,必有變化持守之道,若一諉之天運,以為無預於人事,則聖人之《易》,可無作矣。

集説に徐直方を引く:小人が能く君子に勝つのは、君子の懈怠に趁ってか、君子の漏洞を攻撃するに非ず。能く艱難に処れば、即ち人をして乗ぜしむべき懈怠なし。能く貞正を守れば、即ち人をして攻ぜしむべき漏洞なし。かくすれば便ち「過錯なし」を得べし。自己の期待する信実を憂慮するを要せざるを得(底本の「町以」は当に「可以」と作るべし)。或る人問う:陰陽は交替運行し、否と泰は相継いで来るは、もと時勢の使然で、たとえ「艱貞」「勿恤」を致すともまたいかにせん。回答はいう:平地が陡坡と変じ、去ってまた回るは、天運の中の無き能わざるである。「艱貞」「勿恤」は、則ち人事上の当に尽到すべき所である。天と人はもと互相制勝する道理あり。この種の交替の関頭に身处しこの種の時会を親歴する人は、必ず時に随いて応変し堅守自持する弁法あるを要す。もし一味に天運に推して人事と関係なしと為さば、ならば聖人の《易》は作るを要せざらん。

六四,翩翩,不富以其鄰,不戒以孚。本義 已過乎中,《泰》已極矣,故三陰翩然而下復,不待富而其類從之,不待戒今而信也。其占為有小人合交以害正道,君子所當戒也。陰虛陽實,故凡言不富者,皆陰爻也。

泰卦の六四の爻辞はいう:翩翩然として軽捷に下落し、財富に憑らずして隣近の同類と一同に行動し、告誡を待たずして彼此信従す。朱熹《本義》はいう:六四はすでに上卦の中位を越過し、泰は極点に至った。だから三個の陰爻は翩然として下に向かい回复し、財富あるを待たずして同類は跟従し、誡令あるを待たずして彼此取信す(底本の「不待戒今」は当に「不待戒令」と作るべし)。この一爻の占断は、小人が党を結び交際して以て正道を危害せんとするあり、君子は当に警戒すべし。陰爻は虚にして陽爻は実。だから《易》の中に凡そ「富ならず」というはみな陰爻である。

程傳 六四處《泰》之過中,以陰在上,志在下復,上二陰亦志在趨下。“翩翩”,疾飛之貌,四翩翩就下,與其鄰同也。“鄰”,其類也,謂五與上。夫人富而其類從者,為利也,不富而從者,其志同也。三陰皆在下之物,居上乃失其實,其志皆欲下行,故不富而相從,不待戒告而誠意相合也。

程頤《伊川易伝》はいう:六四は泰卦が中位を越過した地方に処り、陰爻を以て上体に居り、心志は下に向かい回复するに在る。上面の両個の陰爻もまた同様に下に往かんと欲す。「翩翩」は急飛の様子で、六四は翩翩然として下方に趨向し、その隣爻と一致す。「隣」は即ち同類で、六五と上六を指す。人が富有に因って同類が跟従するは、あれは利のためにで、富有せずとも肯んじて跟従するは、あれは心志が相同じいがゆえである。三個の陰爻はもとみな下位に処すべき物で、上位に居れば則ちそれらの実位を失い、心志はみな下に往かんと欲す。だから財富に憑らずして互相跟従し、告誡を待たずして誠意は自然に契合す。

夫陰陽之升降,乃時運之《否》、《泰》,或交或散,理之常也。《泰》既過中,則將變矣,聖人於三,尚云“艱貞”則“有福”,蓋三為將中,知戒則可何,四已過中矣,理必變也,故專言始終反覆之道。五,《泰》之主,則復言處《泰》之義。

程頤続いていう:陰陽の升降は、即ち時運の否と泰で、時に交合し時に离散す。これは常理である。泰はすでに中位を過ぎたれば、将に転変せんとす。聖人は九三において還って「艱貞」すれば便ち「福あり」という。九三は将に中位に到らんとして、警戒を知れば還って及ぶがゆえ(底本の「知戒則可何」は当に「知戒則可矣」と作るべし)。六四はすでに中位を過ぎたれば、理に按じて必ず変ずべし。だから専ら始終反復の道理を講ず。六五は泰卦の主で、ここにまた頭を回して泰に処する意義を講ず。

集說 沈氏該曰:四處上體,在近君之位。三陽既進,樂與賢者共之,志同願得,是以不富以鄰,不戒而孚也。趙氏彥肅曰:從六五下賢,其心休休焉者也。李氏簡曰:陰氣上升,陽氣下降,乃天地之交《泰》也。上以謙虛接乎下,下以剛直事乎上,上下相孚,乃君臣之交泰也,君臣交泰,則天下泰矣。故下三爻皆以剛直事其上,上三爻皆以謙虛接乎下,四當二卦之交,故發此義。

集説に沈該を引く:六四は上体に処り、君位に接近する地方に居る。下卦の三個の陽爻はすでに上進し、六四は賢者と事を共にするを楽しみ、志向相同じくして心願は償いを得。だから財富に憑らずして隣類と同行し、告誡を須とせずして彼此取信す。集説に趙彦粛を引く:これは六五に随従して賢人に礼遇する做法で、心胸寛大にして能く容るの様子である。集説に李簡を引く:陰気が上升し陽気が下降するは、これは天地が相交りて泰と成る。上に在るは謙虚を以て下に在るを接納し、下に在るは剛直を以て上に在るに事え、上下は互相信任す。これは君臣が相交りて泰と成る。君臣は交泰すれば、天下もまた通泰す。だから下卦の三爻はみな剛直を以てその上に事え、上卦の三爻はみな謙虚を以てその下を接納す。六四は正に上下両体の交接する処に当たる。だからこの一爻においてこの層の意思を発明す。

俞氏琰曰:“翩翩”,降以相從之貌。《易》以陰虛為不富,六四陰爻,故曰“不富”。何氏楷曰:此正陰陽交《泰》之爻也。“翩翩”,群飛而下貌。陰虛陽實,凡言不富者皆陰爻。“鄰”,指五上,四能挾其並居之鄰,相從而下者,以三陰皆欲求陽,故不待教戒,而能以之下孚乎陽也。

集説に兪琰を引く:「翩翩」は下降して互相跟従する様子である。《易》は陰爻の虚を看て「富ならず」と為す。六四は陰爻。だから「富ならず」という。集説に何楷を引く:これは正に陰陽の交泰する一爻である。「翩翩」は群を成して飛落する様子である。陰は虚にして陽は実。凡そ「富ならず」というはみな陰爻である。「隣」は六五と上六を指す。六四が能くそれと並処する隣爻を帯びて一同に下行するは、三個の陰爻がみな陽に求合せんと欲するがゆえに、だから教導告誡を待たずして、能くこのを以て下に向かって陽爻に取信しうる。

案 《傳》義皆以此爻為小人復來,然以《彖傳》“上下交而其志同”觀之,則四五正當君相之位,下交之主,兩爻《象傳》所謂“中心願也”,中以行願也,則正所謂“志同”者也。爻辭“不富”,與《謙》六五同,皆言其謙虛而不自滿足爾。沈氏趙氏以下諸說,義皆可從。

李光地按する:《伊川易伝》と《本義》はみなこの一爻を看て小人が重ねて回来ると為すが、しかし《彖伝》の「上下交りてその志同じきなり」より看れば、六四・六五は正に宰輔と君主の位置に当たり、下に向かい交接するの主導者である。両爻の《象伝》の言う所の「中心の願いなり」「中を以て願いを行うなり」は、正にいわゆる「志同」である。爻辞の「富ならず」は、《謙》卦の六五と相同じく、みな不過彼が謙虚にして自ら満足せざるを言うのみ。沈該・趙彦粛以下の各家の説法は、義理はみな採信すべし。

六五,帝乙歸妹,以祉元吉。本義 以陰居尊,為《泰》之主,柔中虛已,下應九二,吉之道也。而“帝乙歸妹”

泰卦の六五の爻辞はいう:帝乙は少女を嫁がせ、よって福沢を獲得し、大いに吉祥。朱熹《本義》はいう:六五は陰爻を以て尊位に居り、泰卦の主で、柔順にして中を守り己を虚くして人に待し、下に向かって九二と相「応」ず。これは吉利の道である。「帝乙が妹を帰す」に至っては……底本はここに脱文あり、《本義》のこの段話は未完、下面は直接に《伊川易伝》に接ぐ。

程傳 史謂湯為天乙,厥後有帝祖乙,亦賢王也。後又有帝乙。《多士》曰:自成湯至於帝乙,罔不明德恤祀。稱“帝乙”者,未知誰是。以爻義觀之,帝乙制王姬下嫁之禮法者也。自古帝女雖皆下嫁,至帝乙然後制為禮法,使降其尊貴,以順從其夫也。六五以陰柔居君位,下應於九二剛明之賢,五能倚任其賢臣而順從之,如帝乙之歸妹然,降其尊而順從於陽,則以之受祉,且元古也。“元吉”,大吉而盡善者也,謂成治《泰》之功也。

程頤《伊川易伝》はいう:史書は商湯を称して天乙と為し、その後に帝祖乙あり、もまた賢明の君王で、後にまた帝乙あり。《尚書・多士》はいう:成湯より帝乙に至るまで、明徳を勉行し祭祀を慎重にせざるなし。爻辞の称する所の「帝乙」は究竟いずれの一位を指すか、確知すべきなし。爻義に就いて看れば、帝乙は当に王家の女児の下嫁の礼法を制定した人と為すべし。自古帝王の女はみな下嫁するといえども、帝乙に至ってはじめてそれを礼法に製成して、彼女たちをして自己の尊貴を降し、往きて丈夫に順従せしめたり。六五は陰柔を以て君位に居り、下に向かって九二の剛健明達の賢臣に応合す。六五は能くこの賢臣を倚重任用してかつ彼に順従す。ちょうど帝乙が妹を嫁がせるがごとく、尊貴を降して陽剛に順従す。よって福沢を得て、しかも大吉(底本の「且元古也」は当に「且元吉也」と作るべし)。「元吉」は大吉にして善を尽くし、泰世を治理する功業を成就したを指す。

集說 項氏安世曰:帝女,下嫁之札,至湯而備。湯嫁妹之辭曰:無以天子之富而驕諸侯。陰之從陽,女之順夫,天下之義也。往事爾夫,必以禮義。湯稱天乙。或者亦稱帝乙乎?

集説に項安世を引く:帝王の女の下嫁の礼制は、商湯の時に至ってはじめて完備した(底本の「下嫁之札」は当に「下嫁之礼」と作るべし)。湯が妹を嫁がせる時の訓辞はいう:天子の富貴に仗てて諸侯に驕慢する勿れと。陰は陽に順従し女は夫に順従するは、天下の通行する義理である。往きて汝の丈夫に事え、必ず礼義に依れと。湯は号して天乙と称し、或いはまた帝乙と称せられたか。

上六,城復于隍,勿用師,自邑告命,貞吝。本義 《泰》極而《否》,“城復于隍”之象。戒占者不可力爭,但可自守,雖得其貞,亦不免於羞吝也。

泰卦の上六の爻辞はいう:城墻は倒塌して城下の乾壕の裡に回落す。軍隊を出動する勿れ、ただ自己の封邑より告命を発布するのみ。たとえ正を守るも憾を免れない。朱熹《本義》はいう:泰は極点に至れば則ち否に転ず。これ即ち「城隍に復る」の象である。これは占問する人に告戒して力量を用いて争奪すべからず、ただ自我に守持するのみを得とす。たとえ貞正を守住するも、また羞愧憾惜を免れない。

程傳 掘隍土積累以成城,如治道積累以《泰》。及《泰》之終,將反於《否》,如城土頹圯,復反於隍也。上,《泰》泰之終,六以小人處之,行將否矣。“勿用師”,君之所以能用其眾者,上下之情通心從也。今《泰》之將終,失《泰》之道,上下之情不通矣。民心離散,不從其上,豈可用也?用之則亂。

程頤《伊川易伝》はいう:护城壕の土を挖取して層層堆積して城墻を筑成するは、ちょうど治国の道が層層積累して通泰を成就するがごとし。泰の終了に至れば、将に否塞に回帰せんとするは、ちょうど城上の土が崩塌してまた壕溝の裡に落回るがごとし。上六は泰の終点で、陰柔の小人を以てこの位置に処る。眼見てまさに否塞せんとす。いわゆる「師を用うる勿れ」は、君主が能く衆人を調動するは、靠る所は上下の情意が相通じ人心が順従するに在るがゆえに。今は泰は将に終結し、すでに泰に処する道を失い、上下の情意は通ぜず民心は离散し、肯んじて上面に服従せず。いかにして還って兵を用いえんや。用いれば則ち乱を生ぜん。

眾既不可用,方自其親近而告命之,雖使所告命者得其正,亦可羞吝。“邑”,所居,謂親近,大率告命必自近始。凡“貞凶”“貞吝”有二義,有貞固守此則凶吝者,有雖得正亦凶吝者,此不云貞凶而云“貞吝”者,將否而方告命,為可羞吝,否不由於告命也。

程頤続いていう:衆人はすでに動用すべからざれば、ただ自己に親近する人に向かって告命を発布するのみ。たとえ告命する所の内容が正道に合すとも、依然として羞ずべく惜しむべし。「邑」は自己の居る所の地で、親近の人を指す。大凡告命を発布するは、総じて近処より始むるを要す。凡そ「貞凶」「貞吝」のこの類の占辞はみな両層の含义あり:一つはこの道を固守すれば則ち凶を招き吝を致す、一つはたとえその正を得るも凶吝を免れず。ここは「貞凶」を言わずして「貞吝」というは、将に否塞せんとするに至ってはじめて来りて告命を発布するは、ただ羞ずべく惜しむべきのみで、否塞の本身は並び告命に因って造成せられたに非ざるがゆえである。

集說 《朱子語類》:問:《泰》卦“無平不陂,無往不復”,與“城復于隍”。曰:此亦事勢之必然,冶久必亂,亂久必治,天下無久而不變之理。子善遂言天下治亂,皆生於人心,治久則人心放肆,故亂因此生。亂極則人心恐懼,故治由此起。曰:固是生於人心,履其運者,必有變化持守之道可也。案 “貞”者,常也。爻義言當此之時,只可告邑,未可用師。若守常而用師則吝,非以告邑為可吝也。

集説に《朱子語類》を引く:或る人が泰卦の「平にして陂らざるなし、往きて復らざるなし」と上六の「城隍に復る」の当にいかに理解すべきかを問う。朱熹はいう:これもまた事勢の必然で、治世は久しければ必ず乱を生じ、乱世は久しければ必ず治に転ず。天下に長久にして変らざるの道理なし(底本の「冶久必乱」は当に「治久必乱」と作るべし)。門人の子善は続けていう:天下の治乱はみな人心より生ず。治世は久しければ人心は放縦し、乱はここに因って産出す。乱は極点に至れば人心は恐懼し、治はここに因って興起す。朱熹はいう:固より人心より生ずるなれども、しかし身があの時運に当たる人は、必ず時に随いて応変し堅守自持する弁法あってはじめて行けり。李光地按する:「貞」は常の意である。爻義の言う所はこの時においてただ本邑に向かって告命を発布すべく、還って出兵すべからずを言う。もし常規を墨守して軍隊を動用すれば則ち憾ありて、並び邑に告命する本身が羞ずべく惜しむべきを言うに非ず。

總論劉氏定之曰;《泰》取天地交而萬物通,上下交而其志同、故六爻之中,相交之義重。初與四相交,《泰》之始也。故初言“以其匯”,如茅之連茹。四言“以其鄰”,如鳥之連翩,二與五相交,《泰》之中也,故五言人君降其尊貴以任夫臣,二言大臣盡其職任以答夫君。三與上相交,《泰》之終也,故三言平變而為陂,上言城復而於隍。

総論に劉定之を引く:《泰》卦は天地の相交りて万物の通達し、上下の相交りて心志の相同ずるに義を取る。だから六爻の中に、彼此の相交る意義が最も重し。六爻は「応与」に按じて両両相配し、恰好として初と四・二と五・三と上のこの三対である。初九と六四と相交るは、泰の開始である。だから初九は「その彙を以てす」といい、ちょうど茅草の根鬚の牽連して把を成すがごとし。六四は「その隣を以てす」といい、ちょうど群鳥の連翩として下るがごとし。九二と六五と相交るは、泰の中段である。だから六五は君主が尊貴を降して大臣を任用するを講じ、九二は大臣が職責を尽くして君主に報答するを講ず。九三と上六と相交るは、泰の終結である。だから九三は平地が陡坡と変ずるを講じ、上六は城墻が壕溝に塌回るを講ず。

蓋君子進而小人退,所以致《泰》也。君委任而臣效忠,所以致《泰》也。抑天運之循環,《泰》極而《否》,有必然者,而保泰之意,隱然有不容不恐懼焉,則平陂城隍,其旨嚴哉!

劉定之続いていう:君子が進用して小人が退避するは、これは通泰を招致するの原因である。君主が放手して委任し臣子が忠を尽くして効力するは、これもまた通泰を招致するの原因である。ただし天運は循環して、泰は極点に至れば則ち否に転ず。自ずからその必然あり。しかして通泰を保守する用意の裡には、隠然として戒惧せざるべからざるの成分を含む。かくのごとく看れば、「平にして陂らざるなし」と「城隍に復る」の両句の爻辞は、用意は何等严峻なるか。

吳氏曰慎曰:初四以氣類言,二體之始也。三上以時運言,二體之終也。二五以主

総論に呉曰慎を引く:初九と六四は気類の相同ずるに就いて言う。それらは分かれて上下両体の開端である。九三と上六は時運の推移するに就いて言う。それらは分かれて上下両体の終結である。九二と六五は則ち……底本はここに脱文あり、呉氏のこの段話は未完、下面は直接に《否》卦に接ぐ。

否卦

否.乾上.坤下程傳 《否序卦》:“泰者通也,物不可以終通,故受之以否。”夫物理往來,通泰之極則必《否》,《否》所以次《泰》也。為卦天上地下,天地相交,陰陽和暢則為《泰》。天處上,地處下,是天地隔絕,不相交通,所以為《否》也。

《否》卦の卦画は上卦を乾・下卦を坤と標注す。程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は否卦を講じていう:「泰は即ち通達で、事物は永遠に通達しえない。だらく接ぐは否卦。」事理は往あり来あり、通泰は極点に至れば必ず否塞に転ず。《否》はここに因って《泰》の後に排す。卦象に就いて言えば、天は上に在り地は下に在る:天地の気が交合し陰陽が和順暢達するは、あれは《泰》。今は天は上位に居り地は下位に居り、天地は隔絶して彼此相往来交通せず。だから《否》と成る。

否之匪人,不利君子貞,大往小來。本義 “否”,閉塞也。七月之卦也,正與《泰》反,故曰“匪人”,謂非人道也。其占不利於君子之正道。蓋乾往居外,坤來居內。又自漸卦而來,則九往居四,六來居三也。或疑之匪人三字衍文,由《比》六三而誤也。《傳》不特解其義,亦可見。

《否》卦の卦辞はいう:否閉の世道は人道に合せず、君子が正固を守持するに利せず。大は外に往き小は裡に来る。朱熹《本義》はいう:「否」は即ち閉塞で、それは十二消息卦の中の七月に属する卦で、正好《泰》と相反す。だから「人に匪ざる」という。人道に合せざるを指す。その「占辞」は君子の正道に利せず。乾が外に往きて外卦に居り坤が裡に来りて内卦に居るがゆえに。もし「卦変」に按ずれば、この卦はまた漸卦より変じ来りて、漸卦の九三が上に向かい第四位に居り六四が下り来て第三位に居る。また或る人は「之匪人」の三字は衍文で、《比》卦六三の爻辞より誤って窜入したと疑う。《彖伝》は並び専門にこの三字を解釈せざるは、もまたこの一点を看出しうる。

程傳 天地交而萬物生於中,然後三才備,人為最靈,故為萬物之首。凡生天地之中者,皆人道也。天地不交,則不生萬物,是無人道,故曰“匪人”,謂非人道也。消長闔闢,相因而不息,《泰》極則復,《否》極則傾,無常而不變之理,人道豈能無也?既《否》則泰矣。夫上下交通,剛柔和會,君子之道也。否則反是,故“不利君子貞”。君子正道,否塞不行也。“大往小來”,陽往而陰來也。小人道長、君子道消之象,故為《否》也。

程頤《伊川易伝》はいう:天地は交合して万物はその中に生成し、然る後に天・地・人の三才は具備す。人はその中の最も霊性ある者で、だから万物の首と為る。凡そ天地の間に生まるるは、みな人道の範囲に属す。天地交らざれば、則ち万物を生出しえず、また人道もなし。だから「人に匪ざる」という。人道に合せざるを指す。消と長・閉と開は互相因循して停息せず、泰は極点に至れば則ち回复し、否は極点に至れば則ち傾覆す。天下に恒常にして変らざるの道理なし。人道はいずれか断絶しえんや。否は過去せばも転じて泰なり。上下の交通・剛柔の和合は、君子の道である。否卦は正好相反す。だから「君子の貞に利ならず」という。君子の正道は閉塞せられて行き通らず。「大往小来」は、陽が外に往きて陰が裡に来る。これは小人の道が増長し君子の道が消退する象で、だから《否》と成る。

集說 孔氏穎達曰:“否之匪人”者,言否閉之世,非是人道交通之時,故云匪人。“不利君子貞”者,由小人道長,君子道消,故不利君子為正也。陽氣往而陰氣來,故云“大往小來”。陽主生息,故稱大。陰主消耗,故稱小。

集説に孔頴達を引く:いわゆる「否の人に匪ざる」とは、否閉の時世は人道の交通する時候に非ずを言う。だから匪人と称す。いわゆる「君子の貞に利ならず」とは、小人の道が増長し君子の道が消退するがゆえに、だから君子が正道を守持するに利せず。陽気は外に往きて陰気は裡に来る。だから「大往小来」という。陽は生長滋息を主管す。だから「大」と称す。陰は消損耗減を主管す。だから「小」と称す。

崔氏憬曰:否,不通也。於不通之時,小人道長,故云“匪”人。君子道消,故“不利君子貞”也。呂氏大臨曰:否,閉幕而不交也,“否之匪人,不利君子貞”,言否閉之世,非其人者,惡直醜正,不利乎君子之守正。

集説に崔憬を引く:否は即ち通ぜずである。通。通ぜざる時において、小人の道は増長す。だから「人に匪ざる」という。君子の道は消退す。だから「君子の貞に利ならず」。集説に呂大臨を引く:否は閉塞にして彼此交らざるである(底本の「閉幕」は当に「閉塞」と作るべし)。「否の人に匪ざる、君子の貞に利ならず」は、否閉の時世は、権を当たるは並びその位に相称する人に非ずして、彼らは正直を悪悪し端正を詆毀し、君子が正道を守持するに対して不利を言う。

王氏宗傳曰:“匪人”,所謂非君子人也。人非君子,則平時與君子如枘鑿之不相入者,正斯人也。匪人得志,則君子之道,否塞而不行矣。夫正道之在天下。不可以一日無也。今也君子之道,否塞而不得行者,皆“否之匪人”,不利乎貞故也。蓋小人之心,同乎己者則利之,異乎己者則不利也。夫唯彼己之勢,既不相入,故大者往而小者來也。

集説に王宗伝を引く:「匪人」は即ちいわゆる君子に非ざるあの種の人である。人が君子に非ざれば、ならば平日に君子と方榫を円孔に插すがごとく合い到らざるは、正にこの種の人で——榫頭と卯眼は形状が相合せず、硬に凑れどもまた凑り入らず。この種の人が志を得れば、君子の道は即ち閉塞して行われざらん。正道は天下に対して一日もなきべからざるなり。今は君子の道は閉塞して行き通らざるは、みな「否の人に匪ざる」に因りて、正を守るに対して不利の縁故である。小人の心思は:自己と相同ずるは則ち彼をして利を得しめ、自己と相異なるは則ち彼をして利を得しめず。正に彼此の勢頭がもと合い来らざるがゆえに、だから大は外に往き小は裡に来る。

喬氏中和曰:君子以正自居,隱見隨時,無人而不自得,何不利之有,亦小人不利於君子之貞耳。於是而君子往小人來而天地《否》矣。由《否》而之《泰》焉,天也。由《泰》而之《否》焉,人也。

集説に喬中和を引く:君子は正道を以て自処し、あるいは隠れあるいは顕れてみな時に随いて定まり、いずれの境地に処るも能く自得す——この句は《中庸》の言う所の君子はいずれの処境に入るも能く安然として自処するに本づく——ならばなおなんの不利か言うべきあらん。不利はただ小人が君子の正を守るに対して不利なるのみ。ここに君子は外に往き小人は裡に来りて、天地もまた否塞す。否より泰に走向するは、あれは天意。泰より否に走向するは、あれは人為である。

初六,拔茅茹以其匯,貞吉亨。程傳 《泰》與《否》皆取茅為象者,以群陽群陰同在下,有牽連之象也。《泰》之時,則以同徵為吉。《否》之時,則以同貞為“亨”。始以內小人外君子為《否》之義,復以初六否而在下為君子之道。《易》隨時取義,變動無常。《否》之時,在下者君子也。

否卦の初六の爻辞はいう:茅草を拔き起こせば、根鬚は相連れて一同に帯出す。それらが同類なるがゆえに。正固を守持すれば則ち吉祥亨通。程頤《伊川易伝》はいう:《泰》と《否》はみな茅草を取って象と為すは、一群の陽爻あるいは一群の陰爻が同じく下面に処して、彼此牽連の象あるがゆえに。泰の時においては、同類と一起に前進するを以て吉と為す。否の時においては、同類と一起に正を守るを以て「亨」と為す。先前は内卦を以て小人・外卦を以て君子と為して《否》の卦義を立てたが、今はまた初六が身は否塞に処して下位に居るを説いて君子の道と為す。《易》は時位に随って義を取り、変動して定則なし。否の時においては、下位に居るは正に君子である。

否之三陰,上皆有應。在否隔之時,隔絕不相通,故無應義。初六能與其類貞固其節,則處否之吉,而其道之亨也。當否而能進者,小人也,君子則伸道免禍而已。君子進退,未嘗不與其類同也。

程頤続いていう:否卦の三個の陰爻は、上面にみな相配する陽爻あるといえども、しかし否塞隔絶の時に当たりて、彼此は断絶して相通ぜず。だから「応与」の意義なし。初六は能く同類と一起に自己の節操を堅守すれば、これ即ち否世に処するの吉で、またその道の能く亨通するである。身が否世に当たりてなお上進しうるは、小人である。君子はただその道を伸張し禍患を免除するのみ。君子の進と退は、従来同類と一致せざるなし。

集說 王氏弼曰;居《否》之時,動則入邪。三陰同道,皆不可進,故“拔茅茹以類”,“貞”而不諂則“吉亨”。胡氏瑗曰:《否》之初,是小人道長,君子不可用之時也。時既不可用,則必引類而退,守以正遭,不可求進,然後得其占而獲亨也。

集説に王弼を引く:否の時に処すれば、一動すれば則ち邪路に落入る。三個の陰爻は同道で、みな前進すべからず。だから「茅を拔き茹に類を以てす」という。能く貞正を守って諂媚せざれば、則ち「吉亨」。集説に胡瑗を引く:否卦の初爻は、正に小人の道が増長し君子は任用せられえざるの時候である。時勢はすでに任用を容れざれば、必ず同類を帯びて一起に退避し、正道を守住して、進用を求取すべからず。こうしてはじめて爻辞の占断を得て亨通を獲得しうる(底本の「守以正遭」は当に「守以正道」と作るべし)。

王氏宗傳曰:《否》之初六雖有其應,然當此之時,上下隔絕而不通,故初六無上應之義,唯其以匯守吾正而已。“吉亨”,《泰》之時為然也。初六以其類貞,而亦“吉”且“亨”者,詘身以伸道,故無往而不吉,亦無往而不亨也。“吉”,謂免禍。“亨”,謂伸道也。

集説に王宗伝を引く:《否》の初六はたとえ上面に相配の爻あるも、しかしこの時に当たりて上下は隔絶して通ぜず。だから初六は並び上に向かい相応ずる意義なく、ただ同類と一起に自己の正道を守住するのみ。「吉亨」はもと泰卦のあの種の時候にのみある話である。初六は同類と一同に正を守れば、も照様に「吉」にしてしかも「亨」す。それが自身を屈折してその道を伸張するがゆえに、だからいずれの処に走り到るも吉、いずれの処に走り到るも亨。「吉」の指すは禍患を免るるを言い、「亨」の指すはその道を伸張するを言う。

王氏應麟曰:《泰》之“征吉”,引其類以有為;《否》之“貞吉”,潔其身以有待。案 聖人雖許小人改過,恐無繫以吉亭之辭之理,《程傳》及諸家作君子守道者近是。

集説に王応麟を引く:《泰》卦の初九の「征吉」は、同類を帯びて作為あるに往くである。《否》卦の初六の「貞吉」は、身を潔くして自守して時機を等待するである。李光地按する:聖人はたとえ小人が改過するを容許するも、しかし恐らく小人に「吉亨」のこの種の占辞を繫ぐの道理あらざらん。《伊川易伝》と其他の各家が初六を解して君子の道を守ると為すは、比較的本意に接近す(底本の「吉亭」は当に「吉亨」と作るべし)。

六二,包承,小人吉,大人否亨。本義 陰柔而中正,小人而能包容、承順乎君子之象,小人之吉道也。故占者小人如是則吉,大人則當安守其否,而後道亭。蓋不可以彼包承於我,而自失其守也。

否卦の六二の爻辞はいう:包容して上に在る者に承順するは、小人は吉祥。大人は否塞に安んじてその道ははじめて亨通す。朱熹《本義》はいう:六二は陰柔にしてまた「中正」で、小人なるも能く包容し君子に承順する象で、これは小人の吉道である。だから占問する人がもし小人なれば、かくのごとく為れば則ち吉。もし大人なれば、則ち当に安心して自己の否塞の処境を守住して、その後に道ははじめて亨通すべし(底本の「而后道亭」は当に「而后道亨」と作るべし)。相手方が我に対して包容承順するに因って、自己の操守を丢弃すべからず。

程傳 六二其質則陰柔,其居則中正。以陰柔小人而言,則方否於下,志所包畜者,莊承順乎上,以求濟其否,為身之利,小人之吉也。大人當否,則以道自處,豈肯枉已屈道,承順於上?唯自守其否而已。身之否,乃其道之亨也。或曰上下不交,何所承乎?曰:正則否矣,小人順上之心,未嘗無也。集說 楊氏簡曰:小人者之事其上也,包而不敢露,承而不敢拂,故“吉”。若大大人,則否而“亨”。

程頤《伊川易伝》はいう:六二の資質は陰柔で、処する所の位置は却って「中正」である。陰柔小人のこの一面に就いて言えば、彼は正に下面において否塞を受け、心裡の包蔵する所は、上面の人に承順して、以て自己の否塞を解开し自身の利益を謀得せんと欲するを為す。これは小人の吉である。大人は身が否世に当たれば、則ち正道に依って自処す。いずれか肯んじて自己を委屈しその道を屈折して往きて上面に承順せんや。ただ自らその否を守るのみ。自身が否塞するは、正にその道の亨通するである。或る人問う:上下はすでに交らざれば、なおなんを承順せんや。回答はいう:正に上下が交らざるがゆえにはじめて否と呼ぶ。しかし小人が上面に順従するのあの份の心思は、従来なきことなし。集説に楊簡を引く:小人が上に在る者に事えるは、包蔵して敢えて顕露せず、承順して敢えて違逆せず。だから「吉」。大人に至っては、則ち否塞に身处してその道は「亨」通す。

六三,包羞。本義 以陰居陽而不中正,小人志於傷善而未能也,故為”包羞”之象。然以其未發,故無凶咎之戒。程傳 三以陰柔不中不正而居否,又切近於上,非能守道安命,窮斯濫矣,極小人之情狀者也。其所包畜謀慮邪濫無所不至,可羞恥也。

否卦の六三の爻辞はいう:羞ずべき心思を包蔵す。朱熹《本義》はいう:六三は陰爻を以て陽位に居り、「中正」に合せず。小人が心に善類を傷害せんと欲するも還って致し能わざるは、だから「羞を包む」の象と成る。ただし還って発作し出だせざるがゆえに、だから凶険咎害の告戒を繫がず。程頤《伊川易伝》はいう:六三は陰柔にしてまた中ならず正ならずの資質を以て否世に処り、また上卦に緊挨着す。能く道を守り命に安んずる人に非ず。一旦窮困すれば則ち胡作非為せんとして、小人の情状を極処に表現したり。彼の心裡の包蔵する謀慮は邪僻放縦にして至らざる所なし。実に羞ずべく恥ずべし。

集說 游氏酢曰:在下體之上,位浸顯矣。當否之世而不去,忍恥冒處,故謂之“包 郭氏雍曰:尸祿素餐,所謂“包羞”者也。孔子曰:邦無道,轂恥也,其六三之謂與?楊氏簡曰:六三德不如六二,而位益高,舍正從邪,有愧於中,故曰“包羞”。是謂君子中之小人,自古此類良多。

集説に游酢を引く:六三は下体の最も上面に在り、地位は漸々顕要となる。身が否塞の世に当たるも肯んじて引退せず、羞恥を忍んで硬に位子を占住す。だからこれを「包……底本はここに脱文あり、游氏のこの段話は未完。集説に郭雍を引く:白く禄位を占め白く俸禄を吃して事を為さざるは、即ちいわゆる「羞を包む」である。孔子はいう:国家が道なくしてなお俸禄を領するを知るのみは、恥なりと。これは大概言う所は六三か(底本の「毂恥也」は当に「穀、恥也」と作るべし)。集説に楊簡を引く:六三の徳行は六二に如かざれども、地位は却って更に高し。正道を捨棄して邪僻に跟従すれば、内心に愧あり。だから「羞を包む」という。これ即ちいわゆる君子の当中の小人で、自古以来この一類の人は甚だ多し。

九四,有命無咎,疇離祉。本義 《否》過中矣,將濟之時也。九四以陽居陰,不極其剛,故其占為“有命五咎”,而疇類三陽,皆獲其福也。“命”,謂天命。

否卦の九四の爻辞はいう:天命を秉承して事を行えば過錯あらざらん。同類はみなこの份の福沢に依附しえり。朱熹《本義》はいう:《否》はすでに中位を過ぎたるは、将に否塞を済渡せんとする時である。九四は陽爻を以て陰位に居り、剛強を極処に用いず。だからその占断は「命あり咎なし」と為り、しかしてそれと同類の三個の陽爻はみなこの份の福を獲得しうる(底本の「有命五咎」は当に「有命无咎」と作るべし)。「命」は天命を指す。

程傳 四以陽剛健體,居近君之位,是有濟否之才,而得高位者也。足以輔上濟否,然當君道方否之時,處逼近之地,所惡在居功取忌而已,若能使動必出於君命,威柄一歸於上,則“無咎”,而其志行矣。能使孕皆出於君命,則可以濟時之否,其疇類皆附離其福祉。“離”,麗也。君子道行,則與其類同進,以濟天下之否,“疇離祉”也。小人之進,亦以其類同行。

程頤《伊川易伝》はいう:九四は陽剛にして健体を具え、君主に接近する位置に居るは、すでに否塞を済渡する才あってまた高位を得た人で、以て君上を輔佐して否塞を解开するに足る。ただし正に君道が否塞の時に当たりて、君位に緊逼する地方に処れば、最も怕れるは即ち功に居って猜忌を招来する。もし能く一挙一動をみな君主の命令より出づらしむれば、威権は一概に君上に帰すれば、則ち「過錯なし」にして、その志向もまた施行を得るを得。能く凡事をみな君命より出づらしむれば、即ちこの時代の否塞を済渡しうる。その同類もまたみなこの份の福祉に依附し上る(底本の「能使孕皆出於君命」は当に「能使事皆出於君命」と作るべし)。「離」は即ち附麗依附である。君子の道は推行を得れば、則ち同類と一同に上進して、共同に天下の否塞を済渡す。これ便ち「疇が祉に離る」である。小人の進用も、同様に同夥を帯びて一起走るである。

集說 項氏安世曰:《泰》九三於“無咎”之下言“有福”,《否》九四於“無咎”之下言“疇離扯”者,二爻當天命之變,正君子補過之時也。《泰》之三,知其將變,能修人事以勝之,使在我者無可咎之事,然後可以勿恤小人之孚,而自食君子之福也。

集説に項安世を引く:《泰》卦の九三は「咎なし」の下に「福あり」を講じ、《否》卦の九四は「咎なし」の下に「疇が祉に離る」を講ずるは、この両爻が正に天命の転変する際に当たり、また正に君子が過失を補救する時だからである(底本の「疇離扯」は当に「疇離祉」と作るべし)。《泰》の九三は、形勢の将に変ぜんとするを知りて、能く人事を修治して往きてそれに勝てば、自己のこの一辺をして責咎すべき事なからしめて、然る後にはじめて小人の信従を憂慮するを要せずして、自己は君子の福を享用しうる。

《否》之四,因其當變,能修人事以乘之,有可行之時,而無可咎之事,則不獨為一己之利,又足為眾賢之祉也。是二者苟有咎焉,其禍可勝言哉?又曰:《泰》雖極治,以命亂而成《否》,《否》雖極亂,以有命而成《泰》。命者,天之所令,君之所造也。道之廢興,豈非天耶?世之治亂,豈非君耶?胡氏炳文曰:《否》、《泰》之變,皆天也。然《泰》變為《否》易,故於內卦即言之。《否》變為《泰》難,故於外卦始言之。

項安世続いていう:《否》の九四は、形勢の正に転変するに趁って、能く人事を修治して勢に順って行えば、すでに行うべきの時あってまた責咎すべきの事なし。ならば一己の利のみならず、還って以て衆多の賢者の福祉と為るに足る。この両爻はもし自身に咎あれば、あの禍患はなお言い尽くしえんや。彼またいう:《泰》はたとえ治の極点に至るも、政令が昏乱に因って《否》と変ず。《否》はたとえ乱の極点に至るも、天命君命に依拠すべき有るに因って《泰》と変ず。いわゆる「命」は、上天の命令する所・君主の造就する所である。道の廃と興は、いずれか天に在らざらんや。世の治と乱は、いずれか君に在らざらんや。集説に胡炳文を引く:否と泰の転変は、みな天より出づ。ただし泰が否に変ずるは易し。だから内卦の九三においてすでに点破したり。否が泰に変ずるは艱難。だから外卦の九四に至ってはじめて講じ始む。

九五,休否,大人吉,其亡其亡,繫于苞桑。本義 陽剛中正,以居尊位,能休時之否,大人之事也。故此爻之占,大人遇之則吉,然又當戒懼,如《繫辭傳》所云也。

否卦の九五の爻辞はいう:否塞を停息せしむれば、大人は吉祥。心に常に「まさに亡びんとす、まさに亡びんとす」と念ずれば、はじめて叢生の桑根に繫ぐがごとく牢固を象るを得。朱熹《本義》はいう:九五は陽剛にして「中正」、尊位に居りて、能く当時の否塞を停息せしむ。これは大人の事業である。だからこの一爻の占断は:大人がそれに遇上すれば則ち吉。しかるに還って当に戒慎恐懼して、正に《繫辞伝》の言う所のごとくすべし。

程傳 五以陽剛中正之德居尊位,故能休息天下之否,“大人”之“吉”也。大人當位,能以其道休息天下之否,以循致於泰。猶未離於否也,故有“其亡”之戒。《否》既休息,漸將反《泰》,不可便為安肆,當深慮遠戒,常虞否之復來,曰“其亡”矣,“其亡”矣。

程頤《伊川易伝》はいう:九五は陽剛中正の徳を以て尊位に居る。だから能く天下の否塞を止息す。これ即ち「大人」の「吉」である。大人が位に在れば、能くその道を用いて天下の否塞を止息して、一步步に泰通に引向す。ただしこの時はまだ否を脱離せず。だから「それ亡びん」の告戒あり。否はすでに止息せられ、漸々泰に転回せんと欲するも、しかしこのに就いて安逸放縦すべからず。当に深謀遠慮し時時に警戒して、常に否塞の再来するを擔心して、口裡に「まさに亡びんとす」「まさに亡びんとす」を念ずべし。

其“繫于苞桑”,謂為安固之道,如維繫於“苞桑”也。“桑”之為物,其根深固。“苞”,謂叢生者,其固尤甚。聖人之戒深矣。漢王允、唐李德裕不知此戒,所以致禍敗也。《繫辭》曰:“危者安其位者也,亡者保其存者也,亂者有其治者也,是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂,是以身安而國家可保也。”

程頤続いていう:いわゆる「苞桑に繫ぐ」とは、安穩牢固の局面を経営し出だして、ちょうど叢生の桑根の上に拴繫するがごとくせんことを要するを言う。桑のこの種の樹は、根は扎ること深くして牢し。「苞」の指すは叢生で、ならば格外に牢固なり。聖人の告戒は用意深遠なり。漢代の王允・唐代の李徳裕はこの層の告戒を懂得せず。だから禍敗を招致せり。《繫辞伝》はいう:「危亡を招致するは、正に自らその位の安穩と為す人。滅亡を招致するは、正に自らその存の保つべしと為す人。禍乱を招致するは、正に自らすでに治めたと為す人。だから君子は安定の時に危険を忘れず、生存の時に滅亡を忘れず、治世の時に禍乱を忘れず。よって自身は安穩にして国家は保たるべし」と。

集說 《朱子語類》:問:九五“其亡其亡,繫于苞桑”如何?曰:有戒懼危亡之心,則便有苞桑繫固之象。蓋能戒懼危亡,則如係于苞桑,堅固不拔矣。如此說,則象

集説に《朱子語類》を引く:或る人が九五の「それ亡びんそれ亡びん、苞桑に繫ぐ」の当にいかに講ずべきかを問う。朱熹はいう:心裡に戒惧危亡の念頭を存せば、即ち自然に苞桑の上に繫ぐがごとき牢固の象あり。能く戒惧危亡すれば、即ち叢生の桑根に繫ぐがごとく、堅固にして拔き動かすべからず。このように照らして講ずれば、ならば象……底本はここに脱文あり、朱子のこの段話は未完、下面は直接に上九の爻辞に接ぐ。

上九,傾否,先否後喜。本義 以陽剛居否極,能傾時之否者也,其占為“先否後喜”。程傳 上九否之終也,物理極而必,反,故《泰》極則《否》,《否》極則《泰》。上九《否》既極矣,故否道傾覆而變也。先極否也,後傾喜也。《否》傾則《泰》矣,“後喜”也。

否卦の上九の爻辞はいう:否塞を傾覆す。先には否塞して後に喜あり。朱熹《本義》はいう:上九は陽剛を以て否の極処に居り、能く当時の否塞を傾覆する人で、その占断は「先に否後に喜」。程頤《伊川易伝》はいう:上九は否の終点である。事理は極処に至れば必ず反転す。だから泰は極点に至れば即ち否と成り、否は極点に至れば即ち泰と成る。上九は時は否はすでに極点に至った。だから否の局面は傾覆して転変す。先前は否の極処に至り、後来は傾覆して喜を生ず。否は傾覆せられれば即ち泰と成る。これ便ち「後喜」である。

集說 孔氏穎達曰:處《否》之極,否道已終,能傾毀其否,故曰“傾否”也。否道未傾之時,是“先否”。已傾之後,其事得通,故曰後有喜也。王氏宗傳曰:言傾否而不言否傾,人力居多焉。

集説に孔頴達を引く:上九は否の極処に処り、否の一段の路はすでに走り尽くした。能くこの否局を傾壊す。だから「否を傾ぐ」という。否局がまだ傾覆せざる時は、即ち「先否」。すでに傾覆した後は、事情は通達を得。だから後に喜ありという。集説に王宗伝を引く:爻辞の言う所は「否を傾ぐ」で而して「否傾ぐ」に非ず。これで見ればその中の人為の力量は大半を占む。

胡氏炳文曰:以陰柔處《泰》之終,故不能保《泰》,而《泰》復為《否》。以陽剛處否之終,故卒能傾否,而否復為《泰》。《否》、《泰》反覆,天乎?人也。何氏楷曰:“先否後喜”,即先天下而憂、後天下而樂之意,正與“其亡其亡”之君心相似。

集説に胡炳文を引く:泰卦の上六は陰柔を以て泰の終点に処る。だから泰を保住しえずして、泰はまた否に転回す。否卦の上九は陽剛を以て否の終点に処る。だから終に能く否を傾覆して、否はまた泰に転回す。否と泰のかくのごとく反復するは、究竟天意か、それとも人為か。集説に何楷を引く:「先に否後に喜」は即ち范仲淹《岳陽楼記》の言う所の天下の憂に先んじて憂え天下の楽に後れて楽しむの意思で、衆人の前に憂えて衆人の後に楽しむは、正に九五の「それ亡びんそれ亡びん」のあの種の君主の心思と相似す。

同人卦

同人.乾上.離下程傳 《同人序卦》:“物不可以終否,故受之以同人。”夫天地不交則為《否》,上下相同則為《同人》。與《否》義相反,故相次。又世之方否,必與人同力乃能濟,《同人》所以次《否》也。

《同人》卦の卦画は上卦を乾・下卦を離と標注す。程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は同人卦を講じていう:「事物は永遠に否塞しえない。だから接ぐは同人卦。」天地が交らざれば即ち《否》と成り、上下が彼此相同ずれば即ち《同人》と成る。《否》の意義と正好相反す。だから両卦は相接ぐ。さらに、世道が正に否塞の時に当たるは、必ず人と同心協力してはじめて済渡し過ぐるを得。《同人》はここに因って《否》の後に排す。

為卦乾上離下,以二象言之,天在上者也,火之性炎上,與天同也,故為同人。以二體言之,五居正位,為乾之主,二為離之主,二爻以中正相應,上下相同,《同人》之義也。又卦唯一陰,眾陽所欲同,亦《同人》之義也。它卦固有一陰者,在《同人》之時,而二五相應,天火相同,故其義大。

程頤続いていう:この卦は乾は上に在り離は下に在る。上下両個の卦象に就いて言えば、天はもと上面に在り、火の性質は上に向かって燃焼して、天と同一の趨向。だから同人と成る。上下両体に就いて言えば、九五は正位に居りて乾卦の主爻、六二は離卦の主爻で、この両爻は「中正」を以て互相「応与」して、上下彼此相同ず。これ即ち《同人》の意義である。また、全卦にただ一個の陰爻ありて、衆多の陽爻はみなそれと相同ぜんと欲す。これもまた《同人》の意義である。別の卦は固よりまたただ一個の陰爻を含むありといえども、しかし同人のこの時位の上において、二と五と相応じ、天と火と同じく趨く。だからその意義は格外に重大である。

同人于野,亨,利涉大川,利君子貞。本義 離,亦三畫卦之名。一陰麗於二陽之間,故其德為麗,為文明,其象為火,為日,為電。《同人》,與人同也。以離遇乾,火上同於天。六二得位得中,而上應九五,又卦唯一陰,而五陽同與之,故為《同人》。“于野”,謂曠遠而無私也,有亨道矣。以健而行,故能涉川。為卦內文明而外剛健,六二中正而有應,則君子之道也。占者能如是則“亨”,而又可涉險,然必其所同合於君子之道,乃為“利”也。

《同人》卦の卦辞はいう:曠遠の郊野において人と相同ずれば、亨通。大河を渡るに利し、君子が正固を守持するに利し。朱熹《本義》はいう:離は、もまた三画の経卦の名称である。一個の陰爻が二個の陽爻の間に附麗す。だからその徳性は附麗・文明で、その物象は火・日・電である。《同人》は即ち人と相同ずる。離を以て乾に遇うは、火が上に向かって天と同じく趨く。六二はすでに「位に当た」りまた中に居り、上に向かって九五と相「応」ず。再加うるに全卦にただ一個の陰爻ありて、五個の陽爻はみな来りてそれと相同ず。だから《同人》と称す。「野に于てす」は曠遠にして偏私なきを言う。これ即ち亨通の道あるを得。剛健に憑って行うがゆえに、だから能く大河を渡る。この卦は内卦は文明にして外卦は剛健で、六二は中正にして相応の爻あり。これ即ち君子の道である。占問する人が能くこのようであれば便ち「亨」にして、しかも険を渉るべし。ただし必ず彼の認同する所が君子の道に合するを要して、はじめて「利」と算す。

程傳 “野”,謂曠野,取遠與外之義。夫《同人》者,以天下大同之道,則聖賢大公之心也。常人之同者,以其私意所合,乃暱比之情耳。故必於野,謂不以暱近情之所私,而於郊野曠遠之地,既不繫所私,乃至公大同之道,無遠不同也,其亨可知。能與天下大同,是天下皆同之也。天下皆同,何險阻之不可濟?何艱危之不可亨?故利涉

程頤《伊川易伝》はいう:「野」は曠野を指し、取る所は遥遠にして外に在るの意思である。いわゆる《同人》とは、天下大同の道理を用いて人と相同ずるで、あれは聖賢の至公無私の胸懐である。普通人の講ずる所の相同は、ただ私意に按じて凑合するに過ぎず、不過親昵結党の情分のみ。だから一定に「野に于てす」を言うを要す。即ち親近の私情に憑って認同せずして、郊野の曠遠の地方において人と相同ずる。すでに私に牽繫せざれば、あれは即ち至公大同の道で、再び遠き人も相同ぜられざるなし。その亨通は想うに知るべし。能く天下と大同すれば、即ち天下はみな来りて彼と相同ず。天下はみな来りて相同ずれば、なおなんの険阻か渡りえざるあらん。なおなんの艱危か通達しえざるあらん。だから「大川を渉るに利し」……底本はここに脱文あり、程氏のこの段話は未完。

集說 孔氏穎達曰:《同人》,謂和同於人。“野”,是廣遠之處。借其野名,喻其廣遠,言和同於人,必須寬廣無所不同,用心無私,乃得亨通,故云“同人于野亨”。與人同心,足以涉難,故曰:“利涉大川。”與人和同,易涉邪僻,故“利君於貞”也。

集説に孔頴達を引く:《同人》は人と和洽相同ずるを言う。「野」は広大遥遠の地方で、郊野のこの名目を借用して以てその広遠を比喻す。これは人と和同するは、必ず広々として相同ぜられざる人なきに至り、心を用いて私意を存せずして、はじめて亨通を得るを得を言う。だから「野に於て人と同じくすれば亨」という。人と同心すれば、以て危難を渡るに足る。だから「大川を渉るに利し」という。人と和同するは、また邪僻の路子に走上し易し。だから「君子の貞に利し」という(底本の「利君于貞」は当に「利君子貞」と作るべし)。

胡氏炳文曰:“同人于野”,其同也大;“利君子貞”,其同也正。與人大同,亨道也,雖大川可涉。然有所同者大,而不出於正者,故又當以正為本。蔡氏清曰:大人之道,豈必人人而求與之同哉?亦唯以正而已。正也者,人心之公理也,不期同而自無不同者也。若我既得其正,而彼或不我同,則彼之悖矣,吾何計哉?然同我者已億萬:而不同者僅一二,亦不害其為大同也。

集説に胡炳文を引く:「野に於て人と同じくす」とは、言う所は同ずる所の大である。「君子の貞に利し」とは、言う所は同ずる所の正である。人と大同するは、もと亨通の道で、たとえ大河でもまた渡るべし。しかるにもまた同ずる所はたとえ大なるも正より出づるに非ざるあり。だから還って当に正を以て根本と為すべし。集説に蔡清を引く:大人の道は、いずれか非要に挨拶りて人を求めて自己を認同せしめんや。も不過一個の「正」の字を守住するのみ。いわゆる正とは、人心の公共の道理で、刻意して同を求むるを要せず、自然に同じからざるなし。もし我がすでに正を守住して、しかして相手方が偏に我を認同せざれば、あれは相手方の悖謬で、我はまたなんの弁法かあらん。何を況んや我を認同するはすでに億万人ありて、認同せざるはただ一両個に過ぎず。これもまたそれが依然として大同たるに碍げず。

林氏希元曰:《序卦傳》曰:“與人同者,物必歸焉”。“同人于野”,則物無不應,人無不助,而事無不濟,故“亨”。雖大川之險,亦利於涉矣。然必所同者合於君子之正道,乃為“于野”而“亨”且利涉。使不以正,雖所同滿天下,竟是私情之合,不足謂之“于野”,又何以致亨而利涉哉。

集説に林希元を引く:《序卦伝》は「能く人と相同ずる者は、衆人は必ず彼に帰附す」を講ず。「野に於て人と同じくす」を致せば、即ち来りて響応せざるなく、来りて相助けざる人なく、また致し成らざる事なし。だから「亨」。たとえ大河のあのごとき険阻でも、また渡るに利し。しかるに必ず認同する所が君子の正道に合するを要して、はじめて「野に于て」にしてしかも「亨」・険を渉るべしと算す。もし正道に依らざれば、たとえ彼を認同する人が天下に遍布するも、終にただ私情の凑合に過ぎず、「野に于て」と称するに配せず、またいかにして亨通を招致して険を渡るに利せんや。

初九,同人于門,無咎。本義 《同人》之初,未有私主,以剛在下,無繫應,可以“無咎”,故其象占如此。程傳 九居《同人》之初,而無繫應,是無偏私,《同人》之公者也,故為出門同人。“出門”,謂在外。在外則無私暱之偏,其同博而公,如此則無過咎也。

同人卦の初九の爻辞はいう:門を出でれば即ち人と相同ず。過錯なし。朱熹《本義》はいう:同人の開頭は、まだ偏私の対象なし。初九は陽剛を以て下位に居り、相牽繫する「応与」なし。だから「過錯なし」を得べし。よってその象と占はこのよう。程頤《伊川易伝》はいう:陽爻が同人の初に居り、また牽繫の相応する爻なし。これは偏私なく、同人の中の至公の一類に属す。だから「門を出でて人と相同ずる」を取って象と為す。「門を出でる」は身が外面に在るを言う。外面に在れば則ち私昵の偏袒なく、彼の認同する所は広博にして公正で、かくすれば便ち過失咎害なし。

集說 王氏弼曰:居《同人》之始,為《同人》之首者也。無應於上,心無繫吝,通夫大同,出門皆同,故曰“同人于門”也。出門同人,誰與為咎?王氏應麟曰:《同人》之初曰“出門”,《隨》之初曰“出門”,謹于山門之初。則不苟同,不詭隨。胡氏炳文曰:《同人》與《隨》,皆易溺於私。《隨》必出門而後可以“有功”,《同人》必出門而後可以“無咎”。

集説に王弼を引く:初九は同人の開端に処り、同人の領頭の一爻である。上面に相応の爻なく、心裡に牽掛吝惜なく、大同の理に通達し、一たび門を出でれば便ち人として与に同じくすべからざるなし。だから「門に於て人と同じくす」という。門を出でて人と相同ずれば、誰か還って彼と為難して咎害を生ぜんや。集説に王応麟を引く:《同人》の初爻は「門を出でる」を講じ、《随》卦の初爻もまた「門を出でる」を講ず。みな門を出でるのこの一歩の上において格外に謹慎するがゆえに(底本の「謹于山門之初」は当に「謹于出門之初」と作るべし)、かくすれば便ち随分に附和せず、また曲意して跟従せざらん。集説に胡炳文を引く:《同人》と《随》の両卦は、みな私情の裡に陷溺し易し。《随》は必ず門を出でて然る後にはじめて「功有る」べく、《同人》は必ず門を出でて然る後にはじめて「過錯なし」たるべし。

六二,同人于宗,吝。本義 “宗”,黨也。六二雖中且正,然有應於上,不能大同而繫於私,吝之道也,故其象占如此。程傳 二與五為正應,故曰“同人于宗”。“宗”,謂宗黨也。同於所繫應,是有所偏與,在《同人》之道為私狹矣,故可“吝”。二若陽爻,則為剛中之德,乃以中道相同,不為私也。集說 馮氏當可曰:以卦體言之,則有大同之義;以爻義言之,則示阿黨之戒。

同人卦の六二の爻辞はいう:ただ本宗族の裡において人と相同ずれば、憾あり。朱熹《本義》はいう:「宗」は即ち党類である。六二はたとえすでに中を得また「位に当た」るも、しかし上面に相応の爻あって、能く広大に衆人と同じくせずして私に牽繫す。これは憾惜を招致するの道で、だからその象と占はこのよう。程頤《伊川易伝》はいう:六二と九五は正に相「応」ずる一対で、だから「宗に於て人と同じくす」という。「宗」は宗族党類を指す。ただ自己の牽繫相応するあの一個のみを認同するは、即ち偏袒する所有るで、同人の道の上においては便ち私にして狹と顕れり。だから「吝」たるべし。六二はもし陽爻に換えれば、あれは即ち剛にして中を得るの徳で、中道を以て人と相同ずるは、偏私と算せず。集説に馮当可を引く:整個の卦体に就いて看れば、それは大同の意義あり。こ一爻の爻義に就いて看れば、それが給出するは結党偏私の告戒である。

九三,伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。本義 剛而不中,上無正應,欲同於二而非其正,懼九五之見攻,故有此象。

同人卦の九三の爻辞はいう:兵衆を草莽の裡に埋伏し、また高き山岡に登りて張望す。三年の久しきに及ぶも敢えて発動せず。朱熹《本義》はいう:九三は剛強にして中に居らず、上面に正に相応ずる爻なく、六二と相同ぜんと欲するも正道に合せず、また九五の来りて自己を攻打するを怕る。だからこういう象あり。

程傳 三以陽居剛而不得中,是剛暴之人也。在《同人》之時,志在於同,卦唯一陰,諸陽之志,皆欲同之,三又與之比,然二以中正之道,與五相應,三以剛強居二五之間,欲奪而同之,然理不直,義不勝,故不敢顯發,伏藏兵戎於林莽之中,懷惡而內負不直,故又畏懼。時升高陵以顧望,如此至於三歲之久,終不敢興。此爻深見小人之情狀,然不曰凶者,既不敢發,故未至凶也。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は陽爻を以て剛位に居りてまた中を得ず。剛強暴戻の人である。同人の時においては、人人みな人と相同ぜんと欲す。全卦にただ一個の陰爻ありて、衆陽の心思はみなそれと相同ぜんと欲し、九三はまたそれと緊隣す。ただし六二は中正の道を以て九五と相応じ、九三は剛強に憑って二と五の中間に夾まりて、六二を奪取して自己の有と為さんと欲す。しかるに道理は直ならず、義理の上において上風を占めず。だから敢えて公開に発動せず、ただ兵衆を草莽林間に埋伏するのみ。心裡に悪念を懐き、自己に理亏あるを知る。よってまた害怕して、時時高岡に登りて張望す。かくのごとく拖いて三年の久しきに至るも、終に敢えて発動せず。この一爻は小人の情状を写すこと甚だ透なれども、しかし「凶」を言わず。それがすでに敢えて発作せざれば、だから還って凶に至らざるがゆえである。

集說 《朱子語類》:問:“伏戎于莽,升其高陵”如何?曰:只是伏於高陵之草莽中,三歲不敢出。胡氏炳文曰:卦唯三四不言“同人”,三四有爭奪之象,非同者也。

集説に《朱子語類》を引く:或る人が「戎を莽に伏し、その高陵に升る」の当にいかに講ずべきかを問う。朱熹はいう:ただ高岡の草莽の当中に埋伏して、三年敢えて出で来らざるのみ。集説に胡炳文を引く:全卦にただ九三・九四の両爻のみが「同人」の二字を提起せず。この両爻は争奪の象あるがゆえに、並び人と相同ずるの一類に非ざるがゆえである。

九四,乘其墉,弗克攻,吉。本義 剛不中正,又無應與,亦欲同於六二,而為三所隔,故為乘墉以攻之象。然以居柔,故有自反而不克攻之象。占者如是,則是能改過而得吉也。

同人卦の九四の爻辞はいう:あの道の墻に登るも、しかし終に攻打せず。吉祥。朱熹《本義》はいう:九四は剛強にして「中正」ならず、また相「応与」する爻なく、も六二と相同ぜんと欲するも、しかし九三に隔開せらる。だから墻に登りて進攻する象あり。ただしそれが陽爻を以て陰柔の位に居るがゆえに、また反躬自省して真に往きて攻打せざるの象あり。占問する人がこのようであれば、即ち能く過を改めて吉を得るである。

程傳 四剛而不中正,其志欲同二,亦與五為仇者也。”墉”,垣。所以限隔也。四切近於五,如隔墉耳。乘其墉欲攻之,知義不直而不克也,苟能自知義之不直而不攻,則為“吉”也。若肆其邪欲,不能反思義理,妄行攻奪,則其凶大矣。三以剛居剛,故終其強而不能反。四以剛居柔,故有困而能反之義。能反則“吉”矣,畏義而能改,其吉宜矣。

程頤《伊川易伝》はいう:九四は剛強にして中正ならず、心裡に六二と相同ぜんと欲するは、もまた九五と怨を結ぶの一方である。「墉」は即ち墻垣で、以て阻隔するに用いる物である。九四は九五に緊挨着し、中間は即ち一堵の墻を隔つるがごとし。それは墻頭に登りて往きて攻打せんと欲するも、しかし自己に義理の上において理を占めざるを知るに因って攻め成らざりき。もし真に能く自己に義理直ならざるを知りて往きて攻めざれば、あれは即ち「吉」。もし邪念を放縦して、肯んじて頭を回して義理を想わず、胡乱に往きて攻奪せば、あの凶険は即ち大なり。九三は陽爻を以て剛位に居る。だから一味に強横して到底にして能く頭を回さず。九四は陽爻を以て柔位に居る。だから困を受けて能く頭を回すの意思あり。能く頭を回せば即ち「吉」。義理を敬畏して肯んじて改むるに因れば、吉を得るは理の当然の所である。

集說 《朱子語類》:問:《同人》三四皆有爭奪之義。曰:三以剛居剛,便迷而不返;四以剛居柔,便有返底道理。《繫辭》云:“近而不相得則凶”。如初上則各在事外,不相干涉,所以無爭。項氏安世曰:凡爻言不克者,皆陽居陰位。唯其陽,故有訟有攻。唯其陰,故“不克訟”“弗克攻”。《訟》之九二九四,《同人》之九四,皆是物也。

集説に《朱子語類》を引く:或る人はいう、同人卦の九三・九四はみな争奪の意思ありと。朱熹はいう:九三は陽爻を以て剛位に居る。則ち執迷して頭を回さず。九四は陽爻を以て柔位に居る。則ち頭を回すの余地あり。《繫辞伝》は「相近にして彼此合い来らざれば則ち凶」という。初爻と上爻のごときは、各自に身を事外に置きて互いに相干らず。だから争端なし。集説に項安世を引く:凡そ爻辞の「克たず」を講ずるは、みな陽爻が陰位に居る。正に陽なるがゆえに、だから訟を興し進攻するあり。正に陰位に居るがゆえに、だから「訟に克たず」「攻め克たず」。《訟》卦の九二・九四、《同人》卦の九四は、みな同一類である。

案 卦名《同人》,而三四兩爻,所以有乖爭之象者,蓋人情同極必異,異極乃復於同,止如治極則亂,亂極乃復於治。此人事分合之端,《易》道循環之理也。卦之內體,自同而異,故“于門”“于宗”,同也。至三而有伏戎之象,則不勝其異矣。外體自異而同,故乘墉而弗克攻,大師而克相遇,漸反其異也。至上而有於郊之象,則復歸於同矣。

李光地按する:卦名は《同人》と呼ぶも、しかして九三・九四の両爻は却って乖違争闘の象を現出す。人情が相同ずること極処に至れば必ず歧異を生じ、歧異が極処に至ればまた相同に回るがゆえに。正に治が極処に至れば則ち乱を生じ、乱が極処に至ればまた治に転回するがごとし。これは人事の分合の関節で、また《易》道の循環する道理である。この卦の内体は、同より異に走向する。だから初九の「門に于て」・六二の「宗に于て」はみななお同で、九三に至って兵衆を埋伏する象を現出すれば、歧異は壓え住しえざるに至る。外体は則ち異より同に回る。だから九四は墻に登りて終に攻めず、九五は大軍を動用して終に相遇うは、漸々歧異を扭転して回る。上九に至って「郊に于て」の象を現出せば、即ち重ねて同に帰する。

三四兩爻,正當同而異、異而同之際,故聖人因其爻位爻德以取象。三之所謂敵剛者,敵上也。四之所謂乘墉者,攻初也,蓋既非應則不同,不同則有相敵相攻之象矣。以為爭六二之應,而與九五相敵相攻,似非卦意也。

李光地続いていう:九三・九四の両爻は、正に同より異に転じ異より同に転ずるの交界に処す。だから聖人はそれらの「爻位」と爻徳に依って象を取る。九三の《象伝》の言う所の「剛に敵す」は、敵する所は上面の九五。九四の言う所の「墉に乗ず」は、攻する所は下面の初九。すでに彼此は相「応」ずる一対に非ざれば、則ち同を談ずるに及ばず。同ならざれば、即ち互相敵対し互相攻撃する象あり。もしこの両爻を解して六二この相応の爻を争奪して、因って九五と敵対攻伐するとなせば、似て本卦の用意に合せず。

九五,同人先號咷而後笑,大師克相遇。程傳 九五同於二,而為三四二陽所隔,五自以義直理勝,故不勝憤抑,至於“號咷”。然邪不勝正,雖為所隔,終必得合,故“後笑’,也。“大師克相遇”,五與二正應,而二陽非理隔奪,必用大師克勝之,乃得相遇也。云“大師”、云“克”者,見二陽之強也。

同人卦の九五の爻辞はいう:人と相同ずるは、先には声を放ちて痛哭し、後に歓笑す。大軍を動用して相手方に戦勝してはじめて相遇うを得。程頤《伊川易伝》はいう:九五は六二と相同ぜんと欲するも、しかし九三・九四の両個の陽爻に隔断せらる。九五は自ら義理の正直・道理の優占を認め、だから憤懣壓抑して受け堪えず、「号咷」して痛哭するに至る。ただし邪は終に正に勝たず。たとえ隔断せらるるも、最後に必ず能く会合す。だから「後に笑う」。いわゆる「大師克えて相遇う」とは、九五と六二はもと正に相応ずる一対で、あの両個の陽爻は却って蛮不讲理にその中より隔断奪取し、大軍を動用して彼らに戦勝せざれば可ならず。然る後にはじめて能く相遇う。爻辞は「大師」といい「克ゆ」という。正にあの両個の陽爻の強横を見出す。

九五君位,而爻不取人君同人之義者,蓋五專以私暱應於二,而失其中正之德,人君當與天下大同,而獨私一人,非君道也。又先隔則號咷,後遇則笑,是私暱之情,非大同之體也。二之在下,尚以同於宗為“吝”,況人君乎?五既於君道無取,故更不言君道,而明二人同心,不可間隔之義。

程頤続いていう:九五はもと君位である。この一爻は却って君主が天下と大同するの意思を取らざるは、九五が単々に私昵の情を以て六二に応合して、中正の徳を失掉したがゆえに。君主は当に天下と大同すべきに、却って一個人を偏私す。これは君を為すの道に非ず。さらに、先には隔断せられれば則ち痛哭し、後に相遇えば則ち歓笑するは、これは私昵の情緒で、並び大同の気象に非ず。六二は身は下位に在るに、尚且つただ本宗に同ずるを看て「吝」と為す。何を況んや身が君位に居る人をや。九五はすでに君道の上において取るべき所なければ、だから再び君道を講ぜずして、ただ両人が同心にして人に隔断せられえざるの道理を発明するのみ。

《繫辭》云:“君子之道,或出或處,或默或語,二人同心,其利斷金” 。中誠所同,出處語默無不同,天下莫能間也。同者一也,一不可分,分乃二也。一可以通金石,冒水火,無所不能入,故云“其利斷金”。其理至微,故聖人贊之曰:“同心之言,其臭如蘭”,謂其旨意味深長也。

程頤続けて引証していう:《繫辞伝》は「君子の道は、あるいは出仕しあるいは退処し、あるいは沈黙しあるいは進言す。両個人が同心なれば、その鋒利は以て金属を切断するに足る」を講ず。内心の誠意はすでに相同ずれば、ならば出と処・語と黙は一致せざるなく、天下に誰か能く彼らを離間し開けんや。いわゆる「同」は即ち「一」で、一は分かつべからざるで、一分かれば即ち二と成る。一は以て金石を貫通し水火を冲犯して、進み入りえざる地方なし。だから「その利は金を断つ」という。この道理は極めて精微で、だから聖人は赞叹していう「同心の言は、その臭い蘭のごとし」——言う所はその旨趣の意味深長なるを。

集說 楊氏萬里曰:師莫大於君心,而兵革為小;克莫難於小人,而敵國為小。胡氏炳文曰:同人九五剛中正而有應,故“先號咷而後笑”,《旅》上九剛不中正而無應,故“先笑後號咷”。

集説に楊万里を引く:いわゆる軍隊とは、最大は君主の心志で、兵器甲冑は却って小なる者。いわゆる戦勝とは、最も勝ち難きは小人で、敵国は却って小なる者。集説に胡炳文を引く:同人卦の九五は陽剛中正にして相応の爻あり。だから「先に号咷して後に笑う」。《旅》卦の上九は陽剛なるも中正ならずしてまた相応の爻なし。だから「先に笑い後に号咷す」。

吳氏曰慎曰:案《程傳》論九五,非人君大同之道,《本義》不用此意,何也?蓋六二為《同人》之主,著於宗之吝,所以明大同之道也。至五則取其中正而應,故未合而號咷,既遇而笑樂,非以其私也:故《象傳》明其中直,《彖傳》與其中正而應,《本義》謂其義理所同,豈得以私暱病之哉?

集説に呉曰慎を引く:《伊川易伝》は九五を論じて、それを君主の大同の道に非ずと認む。《本義》はこの意思を採らざるは、何故か。六二は《同人》の主爻で、「宗に同じくす」の憾惜を標出するは、正に以て大同の道を阐明するに用いるがゆえに。九五に至っては則ちその中正にして相応あるを取る。だから未だ会合しえざる時は則ち痛哭し、すでに相遇えば便ち歓笑す。並び私情より出づるに非ず。だから《象伝》はそれを「中直」と点明し、《彖伝》はそれを許して中正にして相応すと為し、《本義》はそれの認同する所は義理なるを言う。いかにして私昵を拿ってそれを指摘しえんや。

案 居尊位而欲下交,居下位而欲獲上,其中必多忌害間隔之者,故此爻之號咷,《鼎》九二之“我仇有疾”,亦論其理如此爾,說《易》者必欲求其爻以實之,則鑿矣。

李光地按する:尊位に居りて下に向かい結交せんと欲し、下位に居りて上面の信任を得んと欲するは、中間に必ず許多の猜忌・傷害・その中より阻隔する人あらん。だからこの一爻の号咷痛哭、および《鼎》卦の九二の言う所の「我が仇に疾あり」は、みなただ道理に就いてこのように立論するのみ。 《易》を講ずる人が非要に或る一爻を指実して即ちあの梗を作る人となさば、あれは即ち穿鑿なり。

上九,同人于郊,無悔。本義 居外無應,物莫與同,然亦可以無悔,故其象占如此,郊在野之內,未至於曠遠,但荒僻無與同耳。程傳 “郊”,在外而遠之地。求同者必相親相與,上九居外而無應,終無與同者也。始有同,則至終或有睽悔,處遠而無與,故雖無同亦無悔。雖欲同之,志不遂,而其終無所悔也。

同人卦の上九の爻辞はいう:城外の近郊において人と相同ず。悔恨なし。朱熹《本義》はいう:上九は卦の外に居りて相応の爻なく、誰か来りてそれと相同ずるなし。しかるにもまた悔恨なからしめうる。だからその象と占はこのよう。郊は野の裡面に在りて、還って曠遠と算せず。ただ荒僻にして人のそれと相同ずるなきのみ。程頤《伊川易伝》はいう:「郊」は外に在りて較遠の地方である。相同を求むる人は必ず彼此親近し彼此結交す。上九は卦の外に処りて相応の爻なく、終に人のそれと相同ずるなし。起初に認同する所有りて、末了に至って或いは返って乖離悔恨を生ず。上九は処ること遠くしてまた人の相与するなし。だからたとえ同ずる所なきも、また悔なし。たとえそれもまた人と相同ぜんと欲するも、心志は実現しえざるも、しかし終に悔むべきなし。

集說 楊氏時曰:“同人于野亨”,上九“同人于郊”,止於“無悔”而已,何也?蓋以一卦言之,則於野無暱比之私焉,故“亨”。上九居卦之外而無應,不同乎人,人亦無同之者,則靜而不通乎物也,故“無悔”而已。蔡氏淵曰:國外曰”郊”,郊外曰“野”,雖在卦上,猶未出乎卦也,故止曰“郊”。

集説に楊時を引く:卦辞は「野に於て人と同じくす」を講じて即ち「亨」、上九は「郊に於て人と同じくす」を講じて却ってただ「悔なし」に至るのみ。これは何故か。整個の卦に就いて言えば、「野に于て」は一点の親昵結党の私心なく。だから「亨」。上九は卦の外面に処りて相応の爻なく、それは人と相同ぜず、別人もまた来りてそれと相同ずるなし。あれは即ち静守して外物と通ぜざるで、だからただ「悔なし」に至るのみ。集説に蔡淵を引く:国都の外を「郊」と呼び、郊の外をはじめて「野」と呼ぶ。上九はたとえ卦の最も上面に在るも、畢竟まだ卦を出でず。だからただ「郊」を言うのみ。

梁氏寅曰:上無所繫應,而“同人于郊”,則所同者遠,亦無私矣。然猶未能極乎遠,故不能“吉”“亨”,止於“無悔”而已。《象傳》言“志未得”,蓋其所同者未能周於天下,是其志之未遂也。楊氏文煥曰:“同人于野”則“亨”,“于門”則“無咎”,“于宗”則“吝”,“于郊”則“無悔”。“于宗”不若“于門”,“于門”不若“于郊”,“于郊”不若“于野”,六爻有不能盡卦義者,《同人》是也。

集説に梁寅を引く:上九は牽繫相応の爻なきも、却って能く「郊に於て人と同じくす」。これで見ればそれの認同する対象はすでに甚だ遠く、も私心包みなしと算すべし。ただまだ極処に遠からざるがゆえに、だから「吉」「亨」に及ばず。ただ「悔なし」に至るのみ。《象伝》はそれを「志未だ得ず」というは、それの認同する所がまだ天下に遍及しえざるがゆえに、心志は完全に実現せざるがゆえである。集説に楊文煥を引く:「野に於て人と同じくす」は即ち「亨」、「門に于て」は即ち「過錯なし」、「宗に于て」は即ち憾あり、「郊に于て」は即ち「悔なし」。「宗に于て」は「門に于て」に如かず、「門に于て」は「郊に于て」に如かず、「郊に于て」はまた「野に于て」に如かず。ある卦は、六爻の各自の時位がみな卦辞の標挙する所の境界に及ばざるは、これを六爻は能く卦義を講じ尽くさずと呼ぶ。《同人》は正にこのようの一卦である。

梁氏寅曰:《同人》之道,以大同而不私為善,故卦之諸爻,或比或應,皆為同於所近,無大言者。彖言”同人于野”,則能絕其私與,而廓然大公,此其所以“亨”也。以一卦觀之,由內而至外,初為“同人于門”,至近也;二為“同人于宗”,亦近也;至上而“同人于郊”,則遠矣,然未如野之尤遠也。“同人于野”,豈非超出於家邑之外乎?

集説にまた梁寅を引く:《同人》の道は、広大に相同じて偏私せざるを以て好しと為す。だから卦中の各爻は、あるいは相隣りあるいは相応じて、みなただ自己に靠近する人と相同ずるのみ。広大と称するに足る一爻なし。「彖」は即ち卦辞で、卦辞の「野に於て人と同じくす」を講ずるは、はじめて偏私の結交を断絶し、胸襟は廓然として大公なる。これ即ちその「亨」たるの縁故である。整卦に就いて看れば、内より外に向かい:初九は「門に於て人と同じくす」、最も近し。六二は「宗に於て人と同じくす」、も近し。上九の「郊に於て人と同じくす」に至れば、則ち遠し。ただし還って野のごとく更に遠きに比べず。いわゆる「野に於て人と同じくす」とは、いずれか家門邑里の外に超出したに非ざらんや。

二為《同人》之主,而不能大同,故其有應者,乃所以為“吝”。初上雖“無咎”、“無悔”,然終不若“于野”之“亨”也。聖人以四海為一家,中國為一人,而情無不孚,恩無不洽者,豈非“同人于野’之意哉!

梁寅続いていう:六二は《同人》の主爻なれども、しかし能く広大に衆人と相同ずることを得ず。だからそれが相応の爻あるのこの件事は、恰好としてその「吝」と成った。初九・上九はたとえ「過錯なし」「悔恨なし」なれども、終に「野に于て」のあのごとき「亨」に比べず。聖人は四海を看て一家と為し、整個の中国を看て一人と為す。情意は相通ぜざるなく、恩沢は沾溉せざるなし。これ正に「野に於て人と同じくす」の用意に非ずや。

大有卦

大有.離上.乾下程傳 《大有序卦》:“與人同者物必歸焉,故受之以大有。”夫與人同者,物之所歸也,《大有》所以次《同人》也。為卦火在天上,火之處高,其明及遠,萬物之眾,無不照見,為《大有》之象。又一柔居尊,眾陽並應,居尊執柔,物之所歸也。上下應之,為《大有》之義。《大有》,盛大豐有也。

《大有》卦の卦画は上卦を離・下卦を乾と標注す。程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は大有卦を講じていう:「能く人と相同ずる者は、衆物は必ず彼に帰附す。だから接ぐは大有卦。」能く人と相同ずれば、衆物は即ち彼に帰附す。《大有》はここに因って《同人》の後に排す。卦象に就いて言えば、火は天の上に在る。火は処ること高く、光明は照ること遠く、万物はたとえ多しとも、照り到らざるなし。これ即ち《大有》の象である。さらに、一個の柔爻が尊位に居りて、衆多の陽爻は一斉に来りて相応ず。身が尊位に居りて柔順を持守するは、正に衆物の帰附する所で、上下はみな来りて彼に応合す。これ即ち《大有》の意義である。《大有》は、即ち盛大豊足に擁有するである。

大有 元亨。本義 《大有》,所有之大也。離居乾上,火在天上,無所不照。又六五一陰居尊得中,而五陽應之,故為《大有》。乾健離明,居尊應天,有亨之道。占者有其德,則大善而亨也。

《大有》卦の卦辞はいう:大有、大いに亨通。朱熹《本義》はいう:《大有》は即ち擁有する所の広大である。離は乾の上面に在り、火は天の上に処りて、照り到らざるの地方なし。また六五のこの一個の陰爻は尊位に居りて中を得、五個の陽爻はみな来りてそれに応合す。だから《大有》と称す。乾は健にして離は明、尊位に居りて上に天道に応ずれば、自ずから亨通の道あり。占問する人がこういう徳を具備せば、即ち能く大善にして亨通す。

程傳 卦之才可以“元亨”也。凡卦德,有卦名自有其義者,如《比》吉、《謙》亨是也;有因其卦義便為訓戒者,如“師貞丈人吉”、”同人于野亨”是也;有以其卦才而言者,“大有元亨”是也。由剛健文明應天時行,故能“元亨”也。

程頤《伊川易伝》はいう:この一卦の材質は「元亨」を致しうる。凡そ卦徳は、あるものは卦名本身が即ち意義を帯びる。例えば《比》卦は吉といい《謙》卦は亨という。あるものは卦義に就着いて勢に順って訓誡を給出す。例えば《師》卦は「貞丈人吉」といい《同人》卦は「野に於て人と同じくすれば亨」という。あるものは則ち卦の材質に就いて講ず。「大有元亨」は正にこの一類である。内卦が剛健・外卦が文明にして、上に天道に応じて時に依って行うに因りて、だから能く「元亨」。

集說 鄭氏汝諧曰:陽為大,陰為小,一陰居尊,而為五陽所歸,所有者大也。大非陰柔所能有也,必沖虛不自滿者能有之。六五明體而虛中,所以為《大有》,所以為“元亨”。若直以大有為富有盛大,則失其義矣。

集説に鄭汝諧を引く:陽は大と称し、陰は小と称す。一個の陰爻が尊位に居りて、しかして五個の陽爻はみなそれに帰附す。これで見ればそれの擁有する所は「大」である。この「大」はもと陰柔自身の能く擁有しうる所に非ずして、必ず虚懐にして自ら満たざる人であってはじめて守住しうる。六五は離明の体に処りて中間は虚空。だからそれの《大有》と為る所以であり、もまた能く「元亨」たる所以である。もし径直に大有を理解して財富多く気象盛んと為さば、あれは即ち本義を失えり。

邱氏富國曰:一陰在上卦之中,而五陽宗之,諸爻之有,皆六五之有也,豈不大哉?唯其所有者大、故其亨亦大也。案 《比》以九居五,視《大有》之六五為優矣。然《比》之應之者,五陰也,則

集説に邱富国を引く:一個の陰爻が上卦の中位に処り、五個の陽爻はみなそれを尊奉し、各爻の擁有する所は、実はみな六五の有に帰す。これいずれか還って大と算さざらんや。正に擁有する所の大なるがゆえに、だからその亨通もまた大なり。李光地按する:《比》卦は陽爻を以て第五位に居るは、《大有》の六五に比べて似て更に優れり。しかるに《比》卦の来りてそれに応合するは五個の陰爻で、あれは即ち……底本はここに脱文あり、李氏のこの段の按語は未完。

初九,無交害,匪咎,艱則無咎。本義 雖當《大有》之時,然以陽居下,上無繫應,而在事初,未涉乎害者也,何咎之有?然亦必艱以處之則無咎,戒占者宜如是也。

大有卦の初九の爻辞はいう:外物と交接して生ずるの祸害なし。もと過錯に非ず。能く艱難の心を以て自処すれば過錯あらざらん。朱熹《本義》はいう:たとえ身が《大有》の時に当たるも、しかし初九は陽爻を以て下位に居り、上面に牽繫相応の爻なく、また事情の起頭に処りて、まだ祸害に沾上せず。なんの過錯か能くあらん。ただしもまた必ず艱難の態度を以て処置して、はじめて過錯なからしめうる。これは占問する人に告戒して当にこのようたるべし。

程傳 九居《大有》之初,未至於盛,處甲無應與,未有驕盈之失,故“無交害”,末涉於害也。大。凡富有鮮不有害,以子貢之賢,未能盡免,況其下者乎?“匪咎,艱則無咎”,言富有本匪有咎也,人因富有自為咎耳。若能享富有而知難處,則自“無咎”也。處富有而不能思艱兢畏,則驕侈之心生矣,所以有咎也。

程頤《伊川易伝》はいう:陽爻が《大有》の初位に居り、まだ盛大の地步に至らず、処ること卑下にしてまた相「応与」の爻なし。即ち驕矜盈満の毛病なし。だから「交害なし」という。まだ祸害に沾上せざるを言う(底本はここの「処甲」は当に「処卑」、「末渉」は当に「未渉」、「也。大。」の下に脱衍ありと作るべし)。大凡富有の人は祸害を招かざるは少なし。子貢のあのごとき賢者ですら尚且つ完全に免除しえず。何を況んや彼に如かざる人をや。「咎に匪ず、艱なれば則ち咎なし」は、富有の本身は並び過錯に非ずして、人は富有に因って自己より過錯を招き出すのみを言う。もし能く富足を享有して処境の難を懂得すれば、自然に「過錯なし」。富有に身处して肯んじて艱難を想わず心に戒惧を懐かざれば、驕縦奢侈の念頭は即ち生出して、過錯もまた之に随いて来る。

集說 胡氏炳文曰:當《大有》之時,反易有害。初陽在下,未與物接,所以未涉於害也,何咎之有?然以為“匪咎”而以易心處之,反有咎矣。“無交害”,大有之初如此;“艱則無咎”,大有自初至終皆當如此。

集説に胡炳文を引く:正に《大有》の時に当たりて、却って祸害を招来し易し。初九は陽爻にして下位に在り、まだ外物と交接せず。だから祸害に沾上せず。なんの過錯か能くあらん。しかるにもし「もと過錯に非ず」と認定して、便ち軽忽の心態を用いて応付せば、返って真に過錯を生出せん。「交害なし」の言う所は大有の初の情形である。「艱なれば則ち咎なし」は、則ち大有の頭より尾に至るまでみな当にこのようたるべし。

九二,大車以載。有攸往,無咎。本義 剛中在下,得應乎上,為大車以載之象。有所往而如是,可“無咎”矣。占者必有此德,乃應其占也。

大有卦の九二の爻辞はいう:大車を用いて重物を装載し、往く所有りて過錯なし。朱熹《本義》はいう:九二は陽剛にして中を得、下卦に処り、上に向かってまた相「応」ずるの六五あり。これ即ち大車が装載する象である。往く所有りて能くこのようたれば、便ち「過錯なし」を得べし。占問する人は必ずこういう徳を具備して、はじめてこの占断に配得上す。

程傳 九以陽剛居二,為六五之君所倚任。剛健則才勝,居柔則謙順,得中則無過,其才如此,所以能勝《大有》之任。如大車之材強壯,能勝載重物也。可以任重行遠,故“有攸往”而“無咎”也。《大有》豐盛之時,有而未極,故以二之才,可“往”而“無咎”。至於盛極,則不可以往矣。集說王氏弼曰:任重而不危。

程頤《伊川易伝》はいう:陽爻が剛健を以て第二位に居り、六五のこの位の君主に倚重任用せらる。剛健なれば即ち才干は以て勝任するに足り、柔位に居れば即ち謙遜和順で、中位を得れば即ち行事は分に過ぎず。才具かくのごとくなれば、だから《大有》の世の重任を担い得起こす。正に大車の材質の強壮にして、能く重物を承載するがごとし。すでに能く重を負いまた能く遠く行けば、だから「往く所有り」て「過錯なし」。《大有》は正に豊盛の時に当たりて、擁有してまだ極点に至らず。だから九二の才具に憑って、「往」にして「過錯なし」を得べし。盛極の後に至れば、則ち再び往くべからず。集説に王弼を引く:重任を担負して傾危を致さず。

九三,公用亨於天於,小人弗克。本義 “亨”,《春秋傳》作享,謂朝獻也。古者亨通之亨,享獻之享,烹飪之烹,皆作亨字。九三居下之上,公侯之象。剛而得正,上有六五之君,虛中不賢,故為“亨于天子”之象。占者有其德,則其占如是。小人無剛正之德,則雖得此爻,不能當也。

大有卦の九三の爻辞はいう:公侯は天子に向かって進献す。小人は担当し起こしえず(底本の「天于」は当に「天子」と作るべし)。朱熹《本義》はいう:この「亨」の字は、《左伝》は引いて「享」と作り、諸侯の朝覲進献を指す。古時の亨通の亨・享献の享・烹飪の烹は、みな亨の字を写したり。九三は下卦の最も上面に居るは、公侯の象である。それは剛強にして「位に当た」り、上面に六五のこの位の君主の虚懐にして賢に礼し士に下るあり(底本の「虚中不賢」は当に「虚中下賢」と作るべし)。だから「天子に亨す」の象と成る。占問する人がこういう徳を具備せば、占断は即ちこのよう。小人は剛正の徳なければ、たとえこの一爻を占得するも、担当し起こしえない。

程傳 三居下體之上,在下而居人上,諸侯人君之象也。公侯上承天子,天子居天下之尊,“率土之濱,莫非王臣”,在下者伺敢專其有。凡土地之富,人民之眾,皆王者之有也,此理之正也。故三當大有之時,居諸侯之位,有其富盛,必有亨通乎天子,謂以其有為天子之有也,乃人臣之常義也。若小人處之,則專其富有以為私,不知公以奉上之道,故曰“小人弗克”也。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は下体の最も上面に処り、自身は下位に在りて衆人の上に居るは、諸侯国君の象である。公侯は上に在りて天子を承奉し、天子は天下の最尊の位に処る。《詩経》のいわゆる「普天の下の土地の辺際は、人として王の臣属に非ざるなし」——下位に在る者はいずれか敢えて擁有する所を自己の有に据えんや(底本の「伺敢」は当に「何敢」と作るべし)。凡そ土地の富饒・人民の衆多は、みな王者の有に属す。これは正当の道理である。だから九三は身が大有の時に当たりて、諸侯の位に居りて、富足盛大を擁有すれば、則ち必ず天子に向かって進献通達して、即ち自己の有る所を以て天子の有と當作する。これは人臣と為るの常規義理である。もし小人に換えてこの位置に処らしめば、則ち富有を独占して私産に据えて、公心を以て君上に奉事する道理を懂得せざらん。だから「小人克たず」という。

集說 《朱子語類》云:古文無亨字,亨享烹並通用。如“公用亨于天子”解作亨字便不是。又曰:亨享二字,據《說文》本是一字,故《易》中多互用,如“王用亨于岐山”,亦當為享,如“王用享于帝”之雲也。字畫音韻,是經中淺事,故先儒得其大

集説に《朱子語類》を引く:古文の裡には単独の亨の字なく、亨・享・烹の三個字は通用す。例えば「公は天子に亨すを用い」を亨通の亨と解せば則ち錯り。朱熹またいう:亨・享の両個字は、《説文解字》に拠ればもと一個の字で、だから《易》の中に多く互用す。例えば《升》卦の「王は岐山に亨すを用い」もまた当に享と読むべく、ちょうど別処の言う「王は帝に享すを用い」のごとし。字形筆画と音読は、経学の裡において浅層の事に属す。だから先儒は着眼して大処に在りて……底本はここに脱文あり、朱子のこの段話は未完、下面は直接に九四の爻辞に接ぐ。

九四,匪其彭,無咎。本義 彭字音義未詳,《程傳》曰盛貌,理或當然。六五柔中之君,九四以剛近之,有僭逼之嫌,然以其處柔也,故有不極其盛之象,而得“無咎”,戒占者宜如是也。

大有卦の九四の爻辞はいう:自己を弄してあのように盛大にせざれば、過錯なし。朱熹《本義》はいう:彭の字の読音と意義はすでに言い清らかにしえず。《伊川易伝》はそれを盛大の様子と言い、道理の上において或いは当にこのようたるべし。六五は柔順守中の君主で、九四は陽剛を以てそれに緊挨着して、僭越逼上の嫌疑あり。ただしそれが陰柔の位に居るがゆえに、だから盛勢を極処に用いざるの象あり。よって「過錯なし」を得。これは占問する人に告戒して当にこのようたるべし。

程傳 九四居大有之時,已過中矣,是《大有》之盛者也,過盛則凶咎所由生也,故處之之道,“匪其彭”則得“無咎”,謂能謙損,不處其太盛則得“無咎”也。四近君之高位,苟處太盛則致凶咎。彭,盛多之貌。《詩載驅》云:“汶水湯湯,行人彭彭,”行人盛多之狀。《雅大明》云:“駟騵彭彭,”言武王戎馬之盛也。集說 沈氏該曰:以剛處柔,謙以自居,而懼以戒其盛,得明哲保身之義,故“無咎”也。

程頤《伊川易伝》はいう:九四は身が大有の時に処り、すでに中位を越過したるは、《大有》の裡の盛大なる者で、過分に盛大なるは、正に凶険咎害の産生する由頭である。だからこの一位に処するの弁法は、「その彭に匪ず」すれば便ち「過錯なし」を得。即ち能く謙退自損して、自己を太盛の位置の上に擺かざれば、則ち過錯なし。九四は君主に接近する高位で、もし太盛に居れば、則ち凶咎を招来せん。彭は、盛多の様子である。《詩経・斉風・載駆》は「汶水は浩蕩たり、行人は彭彭たり」といい、行人の衆多を形容す。《大雅・大明》は「赤身白腹の馬四匹は彭彭として馳す」といい、周武王の兵馬の盛んを形容す。集説に沈該を引く:九四は陽剛を以て陰柔の位に居り、謙遜を用いて自処し、また心に戒惧を存して自己の盛勢を節制し、明哲保身の義理に深く合す。だから「過錯なし」。

六五,厥孚交如,威如,吉。本義 《大有》之世,柔順而中,以處尊位,虛己以應九二之賢,而上下歸之,是其孚信之交也。然君道貴剛,太柔則廢,當以威濟之則吉,故其象占如此,亦戒辭也。

大有卦の六五の爻辞はいう:彼の誠信は人と交相感通して、しかも威厳を失わず。吉祥。朱熹《本義》はいう:《大有》の時代において、六五は柔順にして中を得、尊位に居り、己を虚くして人に待して九二の賢才と相「応」じ、上下はみな来りて帰附す。これ即ち誠信が互相交通するである。ただし君と為るの道は剛を以て貴びと為し、太く柔なれば則ち政事は廃弛す。当に威厳を用いて調剤してはじめて吉なるべし。だからその象と占はこのようで、これは同時にもまた一句の告戒である。

程傳 六五當《大有》之時居君位,虛中為孚信之象。人君執柔守中,而以孚信接於下,則下亦盡其信誠以事於上。上下孚信相交也。以柔居尊位,當《大有》之時,人心安易,若專尚柔順,則陵慢生矣,故必“威如”則“吉”。“威如”,有威嚴之謂也。既以柔和孚信接於下,眾志說從,又有威嚴使之有畏,善處有者也,吉可知矣。集說 俞氏琰曰:既有誠信以接下而人信之,又有威嚴以自重而人畏之,為《大有》之君,而剛柔得宜如此,故“吉”。

程頤《伊川易伝》はいう:六五は身が《大有》の時に当たりて君位に居り、中間は虚空で、正に誠信の象である。君主は柔順を持守し中道を堅守して、誠信を用いて下面の人を接待すれば、下面の人もまた信実誠意を竭くして以て上面に事えん。これ便ち上下の誠信が互相交通するである。柔爻を以て尊位に居り、また大有の時に逢えば、人心は安逸鬆懈す。もし一味に柔順を崇尚せば、欺凌怠慢は即ち産生す。だから必ず「威如」あってはじめて「吉」なり。「威如」は、即ち威厳あるの意思である。すでに柔和誠信を用いて下面を接待して、衆人は心服して跟従し、また威厳あって彼らをして心に畏懼を存せしむれば、これは善く有る所を守住する人で、その吉は想うに知るべし。集説に兪琰を引く:すでに誠信ありて下面を接待して、人をして彼を信服せしめ、また威厳ありて自重して、人をして彼を敬畏せしむ。身が《大有》の世の君主と為りて、剛と柔は配合することかくのごとく得当なり。だから「吉」。

上九,自天祜之,吉無不利。本義 《大有》之世,以剛居上,而能下從六五,是能履信思順而尚賢也。滿而不溢,故其占如此。

大有卦の上九の爻辞はいう:上天より佑助を降す。吉祥、不利なきなし。朱熹《本義》はいう:《大有》の時代において、上九は陽剛を以て最上に居るも、しかし能く下に向かって六五に順従す。これ即ち能く信実を践行し心に柔順を存してしかも賢者を尊崇するである。たとえ満盈なれども外溢せず。だからその占断はこのよう。

程傳 上九在卦之終,居五位之地,是《大有》之極,而不居其有者也。處離之上,明之極也。唯至明所以不居其有,不至於過極也。有極而不處,則無盈滿之災,能順乎理者也。五之孚信而履其上,為蹈履誠信之義。五有文明之德,上能降志以應之,為尚賢崇善之義。其處如此,合道之至也,自當享其福慶,“自天祐之”。行順乎天而獲天祐,故所往皆“吉”,無所不利也。

程頤《伊川易伝》はいう:上九は一卦の終点に在り、位置はまた五位の上に在るは、《大有》が極処に至ったるも、しかし有る所を自己の有に据えざる人である。それは離卦の最も上面に処り、明の極処に至ったるである。正に極めて明智なるがゆえに、だからその所有を据有せずして、過頭に走り到るに至らず。擁有して極点に至りて自ら居らざれば、則ち盈盈満して災を招くの禍患なし。これは能く事理に順応する人である。六五は誠信して下に在り、上九はその上面に踏む。これ即ち誠信を践履するの意思である。六五は文明の徳ありて、上九は能く己を屈し志を降してそれに応合す。これ即ち賢者を尊崇し善徳を推重するの意思である。彼がかくのごとく自処するは、道に合するの極致で、自然に当に福慶を享受すべし。だから「天よりこれを祐す」という。行事は天道に順応して上天の保佑を得るがゆえに、だから往く所はみな「吉」にして、不利なきなし。

集說 郭氏雍曰:《繫辭》曰:“祐者助也,天之所助者順也,人之所助者信也,履信思乎順,又以尚賢也。”六五之君實盡此,而言於上九者,蓋言《大有》之吉,以此終也。故《象》曰“大有上吉”,則知此吉《大有》之吉也,非止上九之言也。

集説に郭雍を引く:《繫辞伝》は講ず:「祐は即ち助である。天の助くる所は順、人の助くる所は信。信実を践行して心に順を想い、また能く賢者を尊崇す。」真にこの幾条を致したは実は六五のこの位の君主なれども、しかし話を上九の上に説くは、以て《大有》の世の吉を講ずれば、則ちこの一句を用いて結びと為すがゆえに。だから《象伝》は「大有の上吉」という。これで見ればこの吉は整個の《大有》の吉で、並びただ上九一爻に就いて言うに非ず。

鄭氏汝諧曰:“履信”思順,又以“尚賢”,蓋言五也。五“厥孚交如”,“履信”也。居尊用柔,思順也。上九在上,“尚賢”也。五獲天之祐,“吉無不利”,由其有是也。言五而繫之上,何也?五成卦之主,上其終也。五之德宜獲是福,於終可驗也。《易》

集説に鄭汝諧を引く:「信を履む」「順を思う」に再加うるに「賢を尚ぶ」は、講ずる所は実はみな六五である。六五の「その孚交如なり」は、即ち「信を履む」。尊位に居りて柔道を用うるは、即ち「順を思う」。上九はその上に在りてそれが能く之を尊奉するは、即ち「賢を尚ぶ」。六五は上天の保佑を得て、「吉にして利ならざるなし」は、正にこの三条を具備するに因る。ならば何故に講ずる所は六五なるに、却ってこの話を上九に繫ぐるか。六五は成卦の主爻で、上九は全卦の終結で、六五の徳はもと当にこの份の福を得べくして、終結の処に至ってはじめて看り出しうるがゆえに。《易》……底本はここに脱文あり、鄭氏のこの段話は未完。

王氏宗傳曰:六五以一柔有五剛,上九獨在五上,五能尚之,《繫辭傳》所謂“又以尚賢”,則上九是也。祐之自天,“吉無不利”,謂《大有》至此,愈有隆而無替也。然則當《大有》之極,莫大於得天。而所以得天,又莫大於尚賢也。

集説に王宗伝を引く:六五は一個の柔爻を以て五個の剛爻を擁有し、その中にただ上九のみが六五の上に処りて、しかして六五は能くそれを尊崇す。《繫辞伝》の言う所の「また以て賢を尚ぶ」は、指す所は即ち上九。佑助は上天より来る。「吉にして利ならざるなし」とは、《大有》がこの一歩に至れば、ただ愈加隆盛して衰替せざるのみを言う。かくのごとく看れば、身が《大有》の極処に処するは、最も要緊は上天の佑助を得るに若くはなし。しかして上天の佑助を得るの途徑は、また賢者を尊崇するに若くはなし。

胡氏炳文曰:《小畜》上九,畜之終也。其占曰“厲”曰“凶”,承六四言也。《大有》上九,有之終也。其占“吉無不利”,承六五言也,《小畜》一陰畜眾陽,故其終也如彼。《大有》一陰有眾陽,故其終也如此。君臣大分,豈不明哉?蓋五之“厥孚”,“履信”也,柔中思順也;尚上九之一陽,“尚賢”也。所以其終也,“自天祐之,吉無不利”也。

集説に胡炳文を引く:《小畜》の上九は、畜止して終点に至ったで、その占辞は「厲」といい「凶」というは、六四を承接して講ずる。《大有》の上九は、擁有して終点に至ったで、その占辞は「吉にして利ならざるなし」というは、六五を承接して講ずる。《小畜》は一個の陰爻が衆陽を畜止す。だからその結局はあのよう。《大有》は一個の陰爻が衆陽を擁有す。だからその結局はこのよう。君と臣の大分際は、いずれか清清楚楚ならざらんや。六五の「その孚」は、即ち「信を履む」。柔順にして中を守るは、即ち「順を思う」。上九のこの一個の陽爻を尊崇するは、即ち「賢を尚ぶ」。だからその終局ははじめて「天よりこれを祐して、吉にして利ならざるなし」。

案 《傳》義皆以“履信”思順“尚賢”為上九之事,然《易》中以上爻終五爻之義者甚多,如《師》之“大君有命”,《離》之“王用出征”,《解》之“公用射隼”,皆非以上爻為王公也。《蒙》五爻而終其義爾,郭氏、鄭氏、王氏之說,皆與卦意、爻義合,胡氏最為恪守《本義》者,於此獨從郭氏諸說,則亦未允於心故也。

李光地按する:《伊川易伝》と《本義》はみな「信を履む」「順を思う」「賢を尚ぶ」を當作して上九自身の事と為す。しかるに《易》の中に上爻を用いて五爻の義を収結する例は甚だ多し。例えば《師》卦の上六は「大君命あり」といい、《離》卦の上九は「王は出征するを用い」といい、《解》卦の上六は「公は隼を射るを用い」といい、みな並び上爻本身を以て王公と當作するに非ず。《蒙》卦は同じく五爻の意思を承いて卦義を収結するのみ。郭雍・鄭汝諧・王宗伝の説法は、みな卦意・爻義と相合す。胡炳文はもと最も《本義》を恪守する人なるに、ここの一処において却偏偏として郭雍らの人の説法を採る。これで見れば彼の心裡は旧解に対してもまた安んじえず。

謙卦

謙.坤上.艮下程傳 《謙序卦》:“有大者不可以盈,故受之以謙。”其有既大,不可至於盈滿,必在謙損,故《大有》之後,受之以《謙》也。為封坤上艮下,地中有山也。地體卑下,山高大之物,而居地之下,謙之象也。以崇高之德,而處卑之下,謙之義也。

《謙》卦の卦画は上卦を坤・下卦を艮と標注す。程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》は謙卦を講じていう:「大を擁有するは自ら満つべからず。だから接ぐは謙卦。」擁有する所はすでに広大なれば、則ち盈満の地步に至るべからず。必ず謙退自損して、だから《大有》の後に接ぐは《謙》。卦体に就いて言えば、坤は上に在り艮は下に在るは、地中に山を蔵す(底本の「為封」は当に「為卦」と作るべし)。地の体質は卑下で、山は高大の物にして、却って地の下面に屈居す。これ即ち謙の象。崇高の徳を卑下の位置の上に放るは、これ即ち謙の意義である。

謙,亨,君子有終。本義 謙者有而不居之義,止乎內而順乎外,謙之意也。山至高而地至卑,乃屈而止於其下,謙之象也。占者如是,則亨通而有終矣。有終謂先屈而後伸也。

《謙》卦の卦辞はいう:謙、亨通。君子は能く到底に保持す。朱熹《本義》はいう:謙は擁有して自ら居らざるの意である。内卦は艮にして止、外卦は坤にして順で、内に止まりて外に順うは、正に謙の用意である。山は極高にして地は極卑にして、山は却って地の下面に屈居停止す。これ即ち謙の象。占問する人が能くこのようであれば、則ち亨通にしてしかも始有り終有り。「終あり」は先に屈して後に伸ぶを言う。

程傳 謙有亨之道也,有其德而不居謂之謙。人以謙巽自處,何往而不亨乎?君子有終,君子志存乎說謙巽,達理故樂天而不競,內充故退讓而不矜,安履乎謙,終身不易,自卑而人益尊之,自晦而德益光顯,此所謂“君子有終”也。在小人則有欲必競,有德必伐,雖使勉慕于謙,亦不能安行而固守,不能有終也。

程頤《伊川易伝》はいう:謙は本身に亨通の道を含む。あのようの徳ありて自ら居らざるを、謙と呼ぶ。人は謙遜卑順を用いて自処すれば、いずれの処に到って亨通せざらんや。「君子終あり」というは、君子が心志を謙遜卑順の上に安放在するがゆえに(この句は底本の文字に訛脱あり):事理に通達し、だから天を楽しみ命を知りて人と争わず。内裏に充実し、だから退譲して自ら誇らず。彼は安然として謙道の上に行き、終身改めず。自ら処ること卑下にして別人は越えて彼を尊敬し、自己は隠晦にして徳行は越えて光顕す。これ即ちいわゆる「君子終あり」。小人に換えれば、欲望あれば必ず往きて争い、徳行あれば必ず誇耀す。たとえ勉强して謙徳を羨慕するも、能く安然として実行し堅固に守住しえない。だから能く終ありえず。

集說 馮氏椅曰:一陽五陰之卦,其立象也,一陽在上下者為《剝》、《復》,象陽氣之消長也;在中者為《師》、《比》,象眾之所歸也;至於三四在二體之際,當六畫之中,故以其自上而退處於下者為《謙》,自下而奮出乎上者為《豫》。此觀畫立象之本指也。

集説に馮椅を引く:凡そ一個の陽爻・五個の陰爻の卦は、それらが象を取る路数はこのようである:陽爻が最も上あるいは最も下に在るは、《剥》と《復》で、陽気の消退と生長を象徴す。陽爻が中間の第二位あるいは第五位に在るは、《師》と《比》で、衆人の帰附する所を象徴す。陽爻が三・四の両位に落つるに至っては、正に上下両体の交界・六画の中段に当たる。だからあの上面より退り下りて下体に居るを《謙》と呼び(陽は三に在り)、あの下面より奮起衝出して上体に到るを《豫》と呼ぶ(陽は四に在り)。これ即ち卦画を観察して以て卦象を確立するの本来意旨である。

案 《傳》義釋卦名,皆不取九三之義,實則成卦之由,在於九三,以《豫》卦反觀可見也。夫子《彖傳》所以不舉者,因周公爻辭與彖辭同,則三為成卦之主,其義易見爾。馮氏之說,可相補備。

李光地按する:《伊川易伝》と《本義》の謙卦の卦名を解釈するは、みな九三のこの一爻の意思を取らず。実はこの卦の成卦と為る所以は、関鍵は正に九三に在る。《豫》卦を倒して対看すれば即ち明白となる。孔子の《彖伝》のこの層を点出せざる所以は、周公の作った九三の爻辞と文王の卦辞と用語相同じきがゆえに。ならば九三は即ち成卦の主で、この層の意思はもと一看れば即ち清楚なり。馮椅の説法は、正に以てこの一点を補足すべし。

初六,謙謙君子,用涉大川,吉。本義 以柔處下,謙之至也,君子之行也。以此涉難,何往不濟,故占者如是,則利以涉川也。

謙卦の初六の爻辞はいう:謙にしてまた謙の君子は、このを憑って大河を渡れば、吉祥。朱熹《本義》はいう:初六は陰柔を以て最も下位に処り、謙の極処に至ったるで、正に君子の操行である。こういう態度を用いて危難を渡越せば、いずれか渡りえざる所あらんや。だから占問する人が能くこのようであれば、則ち大河を渡るに利し。

程傳 初六以柔順處《謙》,又居一卦之下,為自處卑下之至,謙而又謙也,故曰“謙謙”。能如是者,君子也,自處至謙,眾所共與也,雖用涉險難,亦無患害,況居平易乎?何所不吉也?初處謙而以柔居下,得無過於謙乎?曰:柔居下乃其常也,但見其謙之至,故為“謙謙”,未見其失也。

程頤《伊川易伝》はいう:初六は柔順の資質を以て謙卦に処り、また全卦の最も下面に居るは、自己を卑下に擺くること極点に至り、謙にしてまた謙。だから「謙謙」という。能くこのようたる人は即ち君子。自ら処ること極めて謙下なれば、衆人はみな彼に親近し彼を許賛するを楽しみ、たとえ以て険難を渡越するもまた禍患あらざらん。何を況んや平易の境地に処するをや。あれはなおなんの不吉かあらん。或る人問う:初六はもとすでに謙卦に在り、また陰柔を以て最も下位に居れば、いずれか謙が過分に過ぎるに非ざらんや。回答はいう:柔爻が下位に居るはもとその常態で、ここはただ彼が謙すること極処に至ったを見出すのみ。だから「謙謙」と呼ぶ。なんの失当あるを看り出さず。

集說 苟氏爽曰:初最在下,故曰“謙謙”也。胡氏一桂曰:“涉川”貴於遲重,不貴於急速,用謙謙之道以“涉川”,只是謙退居

集説に荀爽を引く:初六は全卦の最も下面に処す。だから「謙謙」という。集説に胡一桂を引く:大河を渡るは穏重従容を貴び、急躁に快を求むるを貴ばず。謙にしてまた謙の態度を用いて河を渡るは、即ち謙退自処……底本はここに脱文あり、胡氏のこの段話は未完。

胡氏炳文曰:《謙》主九三,故三爻辭與卦辭皆稱“君子有終”。初亦曰“君子”,何也?三在下卦之上,“勞”而能“謙”,在上之君子也。初在下卦之下,謙而又謙,在下之君子也。在上者尊而光,在下者卑而不可踰,皆所以為君於之終也。“用涉大川,吉”,雖用以濟患可也,況平居乎?

集説に胡炳文を引く:《謙》卦は九三を以て主爻と為す。だから九三の爻辞と卦辞はみな「君子終あり」という。初六もまた「君子」と称すは、これは何故か。九三は下卦の最も上面に在りて、功労ありて能く謙退するは、上位に居る君子。初六は下卦の最も下面に在りて、謙にしてまた謙は、下位に居る君子。上位に居るは尊顕にして光輝、下位に居るは卑下にして逾越すべからず。みな君子の終有るを得るの縁由である(底本の「君于」は当に「君子」と作るべし)。爻辞は「用いて大川を渉れば吉」というは、それを拿って患難を救済するもまた行くがごとくにして、何を況んや平居無事の日子をや。

六二,鳴謙,貞吉。本義 柔順中正,以謙有聞,正而且吉者也,故其占如此。程傳 二以柔順居中,是為謙德積於中。謙德充積於中,故發於外,見於聲音顏色,故曰“鳴謙”。居中得正,有中正之德也,故云“貞吉”。凡“貞吉”,有為貞且古者,有為得貞則吉者,六二之“貞吉”,所自有也。集說 蘇氏軾曰:雄鳴則雌應,故《易》以陰陽唱和寄之於嗚。《謙》之所以為謙者三,六二其鄰也,上九其配也,故皆和之而鳴于謙。

謙卦の六二の爻辞はいう:謙徳は流露して声名あり。正を守れば吉祥。朱熹《本義》はいう:六二は柔順にして「中正」で、謙遜に因って名声あるは、すでに正にして且つ吉の一爻で、だからその占断はこのよう。程頤《伊川易伝》はいう:六二は柔順を以て中位に居る。これは謙徳が内に積蓄するである。謙徳は内に充実積累して、自然に外に顕発して、声音容色の上に表現す。だから「鳴謙」という。それは中に居りてまた「位に当た」りて、中正の徳を具備す。だから「貞吉」という。凡そ「貞吉」は、あるものは本身がすでに正にして且つ吉(底本の「貞且古」は当に「貞且吉」と作るべし)、あるものは正を守住してはじめて吉と為るを要す。六二の「貞吉」は、それ本身の固有する所である。集説に蘇軾を引く:雄鳥が鳴叫すれば雌鳥は即ち応和す。だから《易》は陰陽の唱と和を「鳴」の字の上に寄托す(底本の「于嗚」は当に「于鳴」と作るべし)。《謙》をしてその謙と為る所以は九三で、六二はその近隣、上六はそれと相「応」ずる配偶で、だから両爻はみなそれに応和して謙の上において声を発す。

九三,勞謙,君子有終,吉。本義 卦唯一陽,居下之上,剛而得正,上下所歸,有功勞而能謙,尤人所難,故“有終”而“吉”。占者如是,則如其應矣。

謙卦の九三の爻辞はいう:功労ありて能く謙退する君子は、到底に保持して吉祥。朱熹《本義》はいう:全卦にただこの一個の陽爻ありて、下卦の最も上面に居り、剛強にして「位に当た」り、上下の衆爻はみなそれに帰附す。功労ありて還って能く謙退するは、これは尤其常人の致し能わざる所で、だから「終あり」にしてしかも「吉」。占問する人が能くこのようであれば、則ちそれと相称するの結果を得ん。

程傳 三以陽剛之德而居下體,為眾陰所宗,履得其位,為下之上,是上為君所任,下為眾所從,有功勞而持謙德者也,故曰”勞謙”。古之人有當之者,周公是也。身當天下之大任,上奉幼弱之主,謙恭自牧,夔夔如畏然,可謂有勞而能謙矣。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は陽剛の徳を以て下体に処り、衆多の陰爻に尊奉せらる。それが踏む所は正に相称の位置で、下卦の上に居りて、上面は君主に倚任せられ、下面は衆人に跟従せらる。功労ありてまた謙徳を持守する人で、だから「労謙」という。古人の中にこの一爻に当たり得起こすは、周公である。彼は一身に天下の重任を担い、上に向かって年幼柔弱の成王を輔佐して、却って謙恭に自己を約束して、一副の戒慎恐懼の様子を呈す。真に功労ありて能く謙退すると謂うべし。

既能“勞謙”,又須君子行之“有終”則“吉”。夫樂高喜勝,人之常情,平時能謙,固已鮮矣,況有功勞可尊乎?雖使知謙之善,勉而為之,若矜負之心不忘,則不能常久,欲其有終,不可得也。唯君子安履謙順,乃其常行,故久而不變,乃所謂有終,有終則吉也。九三以剛居正,能終者也。此爻之德最盛,故象辭特重。

程頤続いていう:すでに能く「労謙」を致すとも、還って君子が来りて実行して、能く到底に保持してはじめて「吉」なり。高位を喜び人に勝るを爱好するは、人の常情である。平時に能く謙退するはすでに少なし。何を況んや功労ありて以て自ら負いうる人をや。たとえ謙が好事なるを明白にして勉强して往きて做すとも、ただ自矜自負の念頭が除去せられざれば、則ち能く長久ならず。始有り終有らんと欲するもまた致し能わず。ただ君子が謙順を安然として実行して、平常の行事と當作するに至るのみ。だから久しくして変らず。これははじめていわゆる終あり。終あれば則ち吉。九三は陽剛を以て正位に居るは、能く終了に守り到る人である。この一爻の徳は最も盛美で、だから《象伝》の措辞は格外に鄭重である。

集說 王氏弼曰:處下體之極,履得其位,上下無陽以分其民,眾陰所宗,尊莫先焉。上承下接,“勞謙”匪懈,是以“吉”也。王氏宗傳曰:《謙》之成卦,在此一爻,故卦之德曰“君子有終”,而九三實當之。

集説に王弼を引く:九三は下体の頂端に処り、踏む所の位置もまた相称。上下に再び別の陽爻の来りてそれに帰附する民衆を分走するなく、衆陰はみなそれを尊奉して、尊貴はそれに超過するなし。それは上に向かって君主を承奉し、下に向かって衆人を接納し、功労ありて謙退して、従来懈怠せず。だから「吉」。集説に王宗伝を引く:《謙》の成卦と為る所以は、即ちこの一爻に在る。だからこの卦の卦徳は「君子終あり」といい、しかして真にこの句話に当たり得起こすは正に九三である。

胡氏炳文曰:文王卦辭,曰“謙:亨,君子有終”,周公於三之爻辭,山“吉”代亨字,謙之上加一“勞”字,蓋謙非難,勞而能謙為難,九三之勞,當在上位,而位止於下,所謂勞而能謙者也。《乾》之三以“君子”稱,《坤》之三以“有終”言,《謙》之三兼乾坤之占辭。蓋所謂“勞”者,即乾之“終日乾乾”,而《謙》則又坤之“含章”也。

集説に胡炳文を引く:文王の作った卦辞は「謙、亨、君子終あり」。周公は九三の爻辞の裡において、「吉」の字を用いて「亨」の字を替換し(底本の「山」は当に「以」と作るべし)、また謙の字の上頭に一個の「労」の字を加えたり。謙の本身は難からず、功労ありて能く謙するははじめて難し。九三の功労は、もと当に更に高き位子に配すべきに、位置は却ってただ下卦に至るに止まる。正にいわゆる功労ありて能く謙退する人である。《乾》卦の九三は「君子」を以て称呼し、《坤》卦の六三は「終あり」を以て立言し、《謙》卦の九三は則ち乾・坤の両卦の占辞を兼取す。いわゆる「労」は、即ち乾卦九三の「終日勤勉不懈」。しかして謙は、また正に坤卦六三の「文采を含蔵す」の意思である。

吳氏曰慎曰:諸儒皆以“君子有終”為句,然據初六“謙謙君子”,則此爻當“勞謙君子”為句,《象傳》明矣。六四,無不利,強謙。本義 柔而得正,上而能下,其占“無不利”矣。然居九三之上,故戒以更當發揮

集説に呉曰慎を引く:各家はみな「君子終あり」を一句に断じて成すが、しかし初六の「謙謙君子」の句式に依れば、この一爻は当に「労謙君子」を以て一句に断ずべく、《象伝》の行文はすでに言い極めて清楚なり。謙卦の六四の爻辞はいう:不利なきなし、処処にこの份の謙退を発揮すべし(底本の「強謙」は当に「撝謙」と作るべし)。朱熹《本義》はいう:六四は柔順にして「位に当た」り、身は上体に在りて能く下面に俯就す。その占断は「利ならざるなし」。しかるにそれは九三の上に居る。だからそれに告戒して更に当に発揮すべしとす……底本はここに脱文あり、《本義》のこの段話は未完。

程傳 四居上體,切近君位,六五之君,又以謙柔自處,九三又有大功德,為上所任,眾所宗,而己居其上,當恭畏以奉謙德之君,卑巽以讓勞謙之臣,動作施為,無所不利於“撝謙”也。“撝”,施布之象,如人手之抽也。動息進退,必施其謙,蓋居多懼之地,又在賢臣之上故也。

程頤《伊川易伝》はいう:六四は上体に処り、君位に緊挨着す。六五のこの位の君主はまた謙柔を以て自処し、九三はまた大功大徳を立てて、君上に倚任せられ衆人に尊奉せらる。しかして六四は偏偏として九三の上に居る。それは当に恭敬戒惧してあの謙徳の君に奉事し、また卑遜退譲してあの労謙の臣に与るべし。一挙一動・一施一為は、「撝謙」に利せざるなし。「撝」は施布散开の様子で、ちょうど人が手を揮う時の手臂の舒展のごとし。動作であれ静止であれ前進であれ後退であれ、みな必ず謙意を施布し出だすを要す。それが処する所は正に憂惧多き位置で、また賢臣の頭上に在るがゆえに。

集說 梁氏寅曰:六四柔而得正,上而能下,可謂謙矣,“無不利”矣。然處近君之地,在功臣之上,故戒以更當發揮其謙也。世之人臣,固有執柔守正,不與物競者矣。然或暗於事理。辭受失宜,無功而受其祿,無實而處其名,若是者失謙之道矣,不可以不戒也。案 “無不利撝謙”,《本義》作兩句,《程傳》作一句,觀夫子《象傳》,則程說近是。

集説に梁寅を引く:六四は柔順にして「位に当た」り、身は上体に在りて能く下面に俯就す。謙と謂うべくして、また確実に「利ならざるなし」。しかるにそれは君主に接近する位置に処り、また功臣の上に在る。だからそれに告戒して更に当に謙意を発揮し出だすべしとす。世の臣子は、固より柔順端正を持守して人と相争わざるあり。ただしある人は事理に明白ならざれば、辞すべき受くべきの分寸を失当にして、功労なくして俸禄を領し、実績なくして名位を占む。こういう人は則ち謙道を失えり。告戒を加えざるべからず。李光地按する:「利ならざるなし撝謙」の一句は、《本義》は両句に断じ、《伊川易伝》は連ねて一句に作す。孔子の《象伝》の読法に参看すれば、程頤の断法は比較的本意に接近す。

六五,不富以其鄰,利用侵伐,無不利。本義 以柔居尊,在上而能謙者也,故為不富而能以具鄰之象,蓋從之者眾矣。猶有未服者,則利以征之,而於他事亦無不利。人有是德,則如其占也。

謙卦の六五の爻辞はいう:財富に憑らずして能く隣近の人を帯動す。兵を出して征伐するに利し、不利なきなし。朱熹《本義》はいう:六五は柔爻を以て尊位に居り、身は上に在りて能く謙退す。だから財富に憑らずして能く隣類を帯動する象あり(底本の「具隣」は当に「其隣」と作るべし)。彼に跟従する人はもと多きがゆえに。もしなお肯んじて帰服せざるあれば、あれは則ち往きて征討するに利し。別の事情に至っては、も不利なきなし。人がこういう徳を具備せば、占断は則ちこれと相合す。

程傳 富者眾之所歸,唯財為能聚人。五以君位之尊,而執謙順以接於下,眾所歸也,故不富而能有其鄰也。“鄰”,近也。“不富”而得人之親也。為人君而持謙順,天下所歸心也。然君道不可專尚謙柔,必須威武相濟,然後能懷服天下,故“利用”行“侵伐”也。威德並著,然後盡君道之宜,而無所不利也。蓋五之謙柔,當防於過,故發此義。

程頤《伊川易伝》はいう:富有の人は衆人の帰附する所で、財物は能く人を聚攏するがゆえに。六五は君位の尊貴に憑って、却って謙順を持守して下面の人を接待すれば、衆人は自然に帰附す。だから財富に憑らずとも能くその隣類を擁有す。「隣」は即ち相近の人。財富に憑らずして人の親附を得るは、身が君主と為りて謙順を持守して、天下はみな彼に帰心するがゆえに。しかるに君と為るの道は一味に謙柔を崇尚すべからず。必ず威武ありて調剤して、然る後にはじめて天下をして心服せしめうる。だから「侵伐するを用いて利し」という。威と徳と並び顕れて、はじめて君と為るの分寸に尽くしたと算し、よって不利なきなし。六五の謙柔は、正に当にそれの頭を過ぐるを防ぐべきで、だからここにおいてこの層の意思を発明す。

集說 楊氏萬里曰:五以君上之尊,體謙柔之德,欲然不有其崇高富貴之勢,此一卦謙德之盛也。推不富之心,則其臣鄰翕然,焉往不利哉?“利用侵伐”,姑舉其大者。胡氏炳文曰:謙之一字,自禹征有苗,而伯益發之,六五一爻不言謙,而曰“利用侵伐”,何也?蓋不富者,六五虛中而能謙也;以其鄰者,眾莫不服五之謙也。如此而猶有不服者,則征之固宜。

集説に楊万里を引く:六五は君上の尊位を以て、謙柔の徳を体現し、謙退することあたかもあの份の崇高富貴の権勢を占有せざるがごとし。これは全卦の謙徳最も盛んの一爻である。この種の富を恃まざるの心を推行し開けば、臣属と隣近の人は斉心響応せざるなし。あれはいずれの処に到って利せざらんや。「侵伐するを用いて利し」というは、不過その中の最も大なる一件の事を挙出したのみ。集説に胡炳文を引く:謙のこの字は、自ずから大禹が有苗を征討し伯益が言を進めて勧諫する時より已に掲出せり。六五のこの一爻は並び謙の字を提起せずして、却って「侵伐するを用いて利し」というは、何故か。いわゆる「富ならず」は、正に六五が中を虚くして能く謙するを言う。いわゆる「その隣を以てす」は、正に衆人が六五の謙に服膺せざるなきを言う。この地步に致してなお肯んじて帰服せざるあれば、ならば往きて彼を征討するはもと応当のことである。

上六,鳴謙,利用行師,征邑國。本義 謙極有聞,人之所與,故可用行師。然以其質柔而無位,故可以徵己之邑國而已。

謙卦の上六の爻辞はいう:謙徳は流露して声名あり。軍隊を出動するに利し、往きて自己の封邑属国を征討す。朱熹《本義》はいう:謙は極処に至りて名声あるは、衆人の許賛する所で、だから軍隊を出動すべし。ただしそれが資質は柔弱にしてまた実位なきがゆえに、だからただ自己の邑国を征討するのみ。

程傳六以柔處柔順之極,又處《謙》之極,極乎謙者也。以極謙而反居高,未得遂其謙之志,故至發於聲音。又柔處謙之極,亦必見於聲色,故曰“鳴謙”。雖居無位之地,非任天下之事。然人之行己,必須剛柔相濟。上,《謙》之極也,至於太甚,則反為過矣,故利在以剛武自治。“邑國”,己之私有。“行師”,謂用剛武。“征邑國”,謂自治其私。

程頤《伊川易伝》はいう:上六は陰柔を以て柔順の極処に処り、また《謙》卦の極処に処るは、謙の頂点に至った人である。謙は頂点に至るも却って高位に居りて、謙退の心志は完全に実現しえず。だから声音に発する。また陰柔が謙の極処に処するも、また必ず声音顔色の上に表現す。だから「鳴謙」という。それはたとえ実位なき地方に処りて、天下の政事を担当せざるも、しかし人が立身行事するは、必ず剛柔の互相調剤を要す。上六は謙の極点で、謙すること太く頭を過ぐれば、却って偏失と成った。だから利ある做法は剛武を用いて自己を整治するである。「邑国」は自己の私有領地で、「師を行う」は剛武を動用するを指し、「邑国を征する」は即ち自己の私心私事を整治するである。

集說 楊氏時曰:君子行有不得,則反求諸己,故曰“利用行師征邑國”也。“邑國”,私於己者也。“征邑國”,自治也。不用剛克而能勝己之私者,未之有也。《朱子語類》:問:《謙》是不與人爭,如何?五上二爻,皆言“利用侵伐”,“利用行師”。曰:老子言大國下小國,則取小國,小國下大國,則取大國。又言抗兵相加,哀者勝矣。大抵謙自是用兵之道,只退處一步耳,如必也臨事而懼,皆是此意。何氏楷曰:所征止於“邑國”,毋敢侵伐,亦《謙》之象。

集説に楊時を引く:君子は事を做して予期に達せざれば、則ち頭を回して自己を責求す。だから「師を行い邑国を征するを用いて利し」という。「邑国」は自己の私有に属するもので、「邑国を征する」は即ち自我整治である。剛強の手段を用いずして能く自己の私欲に戦勝する人は、従来あったことなし。集説に《朱子語類》を引く:或る人問う:謙は人と争わざるに、いかにして六五・上六の両爻はみな「侵伐するを用いて利し」「師を行うを用いて利し」というや。朱熹はいう:老子は大国が小国に謙下すれば、即ち小国を取得しうると講じ、小国が大国に謙下すれば、即ち大国に容れられうると講ず。また両軍が対塁するに、心に哀矜を懐く一方が獲勝すると講ず。大抵謙はもと用兵の道で、無非先に一歩退譲するのみ。孔子の言う所の事に臨んで戒惧するを知るのごときは、みなこの意である。集説に何楷を引く:征討する所はただ自己の「邑国」に限られて、敢えて他人を侵伐せず。これもまた《謙》の象である。

總論王氏弼曰:夫“吉凶悔吝,生乎動者也”。動之所起,興於利者也。故飲食必有訟,訟必有眾起,未有居眾人之所惡,而為動者所害;處不競之地,而為爭者所奪。是以六爻雖有失位無應乘剛,而皆無凶咎悔吝者,以《謙》為主也。謙“尊而光”卑而不可踰,信矣哉!胡氏一桂曰:《謙》一卦,下三爻皆吉而無凶,上三爻皆利而無害,《易》中吉利,罕有若是純全者,《謙》之效固如此。

総論に王弼を引く:《繫辞伝》は「吉・凶・悔・吝はみな動の上より生出す」を講ず。しかして動の起因は、多半は争利より興る。だから飲食あれば必ず争訟を生出し、争訟あれば必ず衆人の蜂起を引き来る。従来誰か衆人の悪悪する卑下の地に甘居して、好動の人に傷害せられたあらんや。また誰か人と争わざる位置に処りて、争奪する人に搶奪せられたあらんや。よって謙卦の六爻はたとえ「位を失」えるあり「応」なきあり柔を以て剛に乗ずるあるも、しかしみな凶咎悔吝なし。整卦が謙を以て主と為すに因ればとて。《彖伝》は謙は「尊にして光」・卑に居りて逾越すべからずという。真に信すべきなり。集説に胡一桂を引く:《謙》のこの一卦は、下の三爻はみな吉にして凶なく、上の三爻はみな利にして害なし。《易》の中の吉と利は、かくのごとく純粋周全のは少なし。謙の功効はもとかくのごときものなり。

豫卦

豫.震上.坤下程傳 《豫序卦》:“有大而能謙必豫,故受之以豫。”承二卦之義而為次也。有既大而能謙,則有豫樂也。豫者,安和悅樂之義。為卦震上坤下,順動之象,動而和順,是以《豫》也。九四為動之主,上下群陰所共應也。坤又承之以順,是以動而上下順應,故為和豫之義。以二象言之,雷出於地上,陽始潛閉於地中,及其動而出地,奮發其聲,通暢和豫,故為豫也。

《豫》卦の卦画は、上卦が震、下卦が坤です。程頤《伊川易伝》は言います。《序卦伝》が豫卦について説くには、「広大を有しながら謙退できるものは、必ず安楽を得る。だから次に豫卦を受ける」と。《大有》《謙》の二卦の意味を引き継いで次序を定めたのです。すでに広大であってなお謙退できれば、安楽が得られます。豫とは、安寧にして順和、喜び楽しむことです。卦体から言えば、震が上に、坤が下にあり、順にして動く象です。動きが和順なので《豫》と呼びます。九四は全卦の動の主爻で、上下の各陰爻がみなこれに応合します。坤はまた柔順をもって下に承けるので、一たび動けば上下が順応し、和楽の意義を成します。上下の二卦象から言えば、雷が地の上から出ます。陽気ははじめ地中に潜み閉じ込められていましたが、やがて発動して土を破って出て、奮然として声を発し、暢達して和悦するので、豫と称するのです。

豫,利建侯行師。本義 豫,和樂也,人心和樂,以應其上也。九四一陽,上下應之。其志得行,又以坤遇震為順以動,故其卦為《豫》,而其占利以立君用師也。

《豫》卦の卦辞は言います。豫は、諸侯を封建し軍隊を出動するのに利ありと。朱熹《本義》は言います。豫とは和順にして喜楽であり、人の心が和楽なれば、上の君長に応じます。九四という一つの陽爻に、上下の衆爻がみな応合して、その心志が行き渡ることができます。また下の坤が上の震に遇い、順にして動くので、この卦を《豫》と呼び、その占断は君長を立て軍隊を用いるのに利があるとするのです。

程傳 豫,順而動也。豫之義,所利在於“建侯”“行師”。夫建侯樹屏,所以共安天下。諸侯和順,則萬民悅服;兵師之興,眾心和悅則順從而有功。故悅豫之道,利於建侯行師也。又上動而下順,諸侯從王,師眾順令之象。君萬邦,聚大眾,非和悅不能使之服從也。

程頤《伊川易伝》は言います。豫とは、順にして動くことです。豫の意義において利するところは「建侯」と「行師」にあります。諸侯を分封し屏藩を樹立するのは、ともに天下を安定させるためです。諸侯が和順なれば、万民は心から悦んで服します。兵を興こすにしても、衆人の心が和悦していれば、号令に順従して戦功を立てます。ですから喜悦安楽の道は、諸侯を封建し軍隊を出動するのに利があるのです。さらに上卦は震の動、下卦は坤の順で、まさに諸侯が王命に服し、軍衆が号令に従う象です。万邦を統御し大衆を集めるには、和悦によらなければ彼らを服従させることはできません。

集說 孔氏穎達曰:謂之豫者,取逸豫之義。以和順而動,動不違眾,眾皆悅豫,故謂之豫也。動而眾悅,故利建侯。以順而動,故可以“行師”也。邱氏富國曰:《屯》有震無坤,則言“建侯”而不言“行師”,《謙》有坤無震,則言“行師”而不言“建侯”,此合震坤成卦,故兼之。

集説は孔頴達を引いて言います。豫と名づけるのは、安逸喜楽の意味を取ったのです。和順の姿勢で発動し、一たび動けば衆人の心意に背かず、衆人がみな歓悦して安楽なので、豫と称します。一動して衆人が喜悦するので諸侯を封建するのに利があり、形勢に順って動くので「行師」ができるのです。集説は邱富国を引いて言います。《屯》卦は震があって坤がないので、「建侯」のみを言って「行師」を言いません。《謙》卦は坤があって震がないので、「行師」のみを言って「建侯」を言いません。豫卦は震と坤が合わさって卦を成すので、両方を兼ねて言うのです。

初六,鳴豫,凶。本義 陰柔小人,上有強援,得時主事,故不勝其豫而以自鳴,凶之道也,故其占程傳 初六以陰柔居下,四,《豫》之主也,而應之,是不中正之小人,處豫而為上所寵,其志意滿極,不勝其豫,至發於聲音。輕淺如是,必至於凶也。“鳴”,發於聲也。

豫卦の初六の爻辞は言います。得意になって安楽を叫び立てるのは、凶です。朱熹《本義》は言います。初六は陰柔の小人で、上に強力な援応があり、よい時に逢って事に当たることができるので、楽しみを抑えきれずに得意を張り出す、これは凶を招く道です。だからその占断は……底本はここに脱文があり、《本義》のこの段は未完で、以下は直接《伊川易伝》に接続します。程頤《伊川易伝》は言います。初六は陰柔をもって下位に居り、九四は《豫》卦の主であって、またこれと相「応」します。これは中にも正にもあたらない小人が、安楽の世にあって上から寵幸を受け、志得意満が極まって、楽しみを抑えきれず、とうとう声に発するに至ったのです。軽浮浅薄がこの地に至れば、必ず凶に赴きます。「鳴」とは、声を発することです。

集說 石氏介曰:四為《豫》之主,初與之相應,小人得志,必極其情慾以至於凶,形於聲鳴,豫之甚也。蘇氏軾曰:所以為《豫》者四也,而初和之,故曰“鳴”。己無以自樂,而恃其配以為樂,不得不凶。

集説は石介を引いて言います。九四は《豫》卦の主で、初六はこれに応じます。小人が一旦志を得れば、必ず情欲を極みまで放縦して凶を招きます。この得意が叫び立てる声に表れるのは、まさに楽しみが度を越えたためです。集説は蘇軾を引いて言います。この卦を《豫》たらしめるのは九四であり、初六は下でこれに応和するので、「鳴」と言うのです。自ら楽しむべき拠りどころがないのに、自分と相配の一爻にたよって楽しみを取る、これは凶ならざるをえません。

王氏應麟曰:“鳴謙”則“吉”,“鳴豫”則“凶”。“鳴”者,心聲之發也。龔氏煥曰:《豫》之初六,即《謙》上六之反對,故《謙》上六曰“鳴謙”,《豫》初六曰“鳴豫”。《謙》之上六應九三,故“鳴其謙”。《豫》之初六應九四,故不勝其豫以自鳴。《謙》而鳴則“吉”,《豫》而鳴則“凶”。

集説は王応麟を引いて言います。「鳴謙」ならば吉、「鳴豫」ならば凶です。「鳴」とは内なる声の発露であり、発露するものが何かによって結果もそれに従って異なります。集説は龔煥を引いて言います。《豫》卦の初六は、まさに《謙》卦の上六を倒転させた一爻です。だから《謙》の上六は「鳴謙」と言い、《豫》の初六は「鳴豫」と言います。《謙》の上六は九三と相応するので、その謙を声に発し、《豫》の初六は九四と相応するので、楽しみを抑えきれず自ら鳴らして得意となります。謙にして鳴けば「吉」、豫にして鳴けば「凶」です。

六二,介于石,不終日,貞吉。本義 《豫》雖主樂,然易以溺人,溺則反而憂矣。卦獨此爻中而得正,是上下皆溺於豫,而獨能以中正自守,其介如石也。其德安靜而堅確,故其思慮明審,不俟終日,而見凡事之幾微也。

豫卦の六二の爻辞は言います。石のように耿介にして堅く、一日を終えずして見極め、正を守れば吉です。朱熹《本義》は言います。《豫》は喜楽を主としますが、喜楽は人を沉溺させやすく、いったん沉溺すればかえって憂患となります。全卦の中でこの爻だけが中に居りかつ「当位」しており、上下の各爻がみな安楽に溺れているのに、ただこれだけが中正をもって自らを守り、石のように耿介です。その徳性は静かにして堅いので、思慮が清明で謹み深く、一日が終わるのを待たずして、万事が初めて動く時のかすかな兆しを見出すのです。

《大學》曰:安而後能慮,慮而後能得,意正如此。占者如是,則正而吉矣。

朱熹《周易本義》は続けて言います。《大学》に「安んじてしかる後に能く慮り、慮りてしかる後に能く得る」とある――心がまず安定してこそ思慮が周詳になり、思慮が周詳になってこそ得るところがある――六二は中正に安んじて、あらかじめ兆しを察知することができ、その意はまさにこれと同じです。占問する人がもし六二のように静かに自らを守り、機を見て動くならば、守るところはまさに正道であり、結果は自然に吉となります。

程傳 逸豫之道,放則失正,故《豫》之諸爻,多不得正,才與時合也。唯六二一爻處中正,又無應,為自守之象。當豫之時,扭能以中正自守,可謂特立之操,是其節介如石之堅也。“介于石”,其介如石也。人之於豫樂,心悅之,故遲遲遂至於耽戀不能已也。二以中正自守,其介如石,其去之速,不俟終日,故“貞”正而“吉”也。處豫不可安且久也,久則溺矣。如二可謂見幾而作者也。

程頤《伊川易伝》は言います。安逸享楽の道は、一放縦すれば正道を失います。だから《豫》卦の六爻は多く「当位」せず、これは各爻の才質と時勢との配合について言うのです。ただ六二の一爻だけが下卦の中に居りかつ「中正」で、上にも相応の爻がなく牽動されることがありません。まさに自らを守る象です。満卦が逸楽に処る時にあえて中正の道をもって自守するのは、特異な操と言うべく、節操は石のごとく堅固です。爻辞に「石に介なり」と言うのは、その耿介が石のようだと言うのです。人は逸楽に対して心に喜びを抱き、それで遅延し躊躇し、ついには沉溺して留まることをやめられなくなります。六二は中正をもって自守し、石のごとく耿介で、身を引く速さは一日を終えるのを待たず、だから「貞」――正を守る――と断じて「吉」とします。逸楽の中に身を置いて安然と長く留まってはなりません。長く留まれば必ず陥溺します。六二のようなものは、幾微を見てすぐに行動する人と言えます。

夫子因二之見幾,而極言知幾之道,曰:“知幾其神乎,君子上交不諂,下交不瀆,其知幾乎!幾者,動之微,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。《易》曰:‘介于石,不終日,貞吉。”介如石焉,寧用終日,斷可識矣。君子知微知彰,知柔知剛,萬夫之望”。夫見事之幾微者,其神妙矣乎!君子上交不至於諂,下交不至於瀆者,蓋知幾也。不知幾,則至於過而不已。交於上以恭巽,故過則為諂。交於下以和易,故過則為瀆。君子見於幾微,故不至於過也。

孔子は六二が幾を見て作ることができるので、この点について「幾を知る」の道理を極みまで説きました。《繫辞伝》は言います。幾微を察知できるなら、それはほぼ神明に近いのでしょう。君子は上と交わって諂媚に流れず、下と交わって軽慢に流れません。まさに幾微を知るゆえです。「幾」とは、事がちょうど萌動した時のごく細かい端倪であり、吉凶がまだ形を現さない先に漏れ出る兆しです。君子はこの端倪を一見すれば身を動かし、一日を終えるのを待ちません。《易》に「石に介なり、日を終えず、貞にして吉」とある――石のごとく耿介ならば、どうして一日中守り続ける必要があろうか。判断は分明で、一望すれば知れます。君子は隠微を見ることもでき、顕著を見極めることもでき、柔の一面を知り、剛の一面をも知るので、万人に仰がれます。事の兆しを見出せる人は、実に神妙です。君子が上と交わって諂媚に至らず、下と交わって軽慢に至らないのは、幾を知るからです。幾を知らなければ、ただ度を越えて止められなくなります。上と交わるには恭敬謙遜によりますが、度を越せば諂媚となり、下と交わるには和悦平易によりますが、度を越せば軽慢となります。君子は兆しが初めて現れた時に分別を見極めるので、失が過ぎることに至らないのです。

所謂幾者,始動之微也,吉凶之端,可先見而末著者也。獨言吉者,見之於先,豈復至有凶也?君子明哲,見事之幾微,故能其介如石,其守既堅,則不惑而明,見幾而動,豈俟終日也?斷,別也,其判別可見矣。微與彰,柔與剛,相對者也,君子見微則知彰矣,見柔則知剛矣。知幾如是,眾所仰也,故贊之曰“萬人之望”。

程頤は続けて解釈します。「幾」とは、事が始めて萌動する時のかすかなものであり、吉凶の端緒であって、あらかじめ見ることができてまだ顕露していません。《繫辞》は「吉の先見」とのみ言って凶に言及しないのは、最初のうちにすでに見極めたので、どうして凶の地に至ることがあろうか。君子は明智にして通達し、事の幾微を見ることができるので、石のごとく耿介たりえます。持守がすでに堅固なれば、心は惑わず清明で、幾微を一見すれば身を動かし、どうして一日を終えるのを待つことがあろうか。「断」とは分別の意であり、その判別が歴然としていると言うのです。隠微と顕著、柔と剛は、いずれも互いに対する両面です。君子は隠微を見て顕著を推し知り、柔を見て剛を推し知ります。このように幾微を知れば、自然に衆人に仰がれるので、《繫辞》は彼を「万人の望」と賛美するのです。

集說 王氏宗傳曰:凡人之情,於逸豫之事,心焉悅之,必至於耽戀而不舍,何者?有所溺故也。唯知幾之君子,其視樂豫之事,如將浼已,斷而識之,速而去之,又豈俟終日也哉?此其所以當《豫》之時而獲吉也。

「集説」は王宗伝を引いて言います。一般人の性情は、安逸享楽の事に遭えば、心に喜びを抱き、必ず沉溺して留まり手放すことを惜しみます。なぜか。すでに陥り込んでいるからです。ただ幾微を知る君子のみが、逸楽の事を見るに、まるでそれに汚されるのを恐れるかのようで、判断は分明で、身を引くのも速く、どうして一日を終えるのを待つことがあろうか。これこそ六二が《豫》卦の逸楽の時に身を置きながら、かえって吉を得られる所以です。

六三,盱豫悔,遲有悔。 本義 “盱”,上視也。陰不中正,而近於四,四為卦主,故六三上視於四,而下溺於豫,宜有悔者也,故其象如此,而其占為事當速悔,若悔之遲,則必有悔也。

《豫》卦の六三の爻辞は言います。「盱豫にして悔い、遅ければ悔い有り。」朱熹《周易本義》は解釈します。「盱」とは頭を上げて上を仰ぎ見ることです。六三は陰爻で、中にも居らず「当位」もしていませんが、九四に緊接しており、九四はまた全卦の主です。だから六三は一面では頭を上げて九四を仰ぎ望み、一面では下に向かって享楽に沉溺し、もともと悔恨があるべきです。卦象がすでにこのようである以上、「占辞」は言います。事に遇うては速やかに悔改めるべきであり、もし悔改めるのが遅ければ、必ず悔恨を残します。

程傳 六三陰而居陽,不中不正之人也。以不中正而處豫,動皆有悔。“盱”,上視也,上瞻望於四,則以不中正不為四所取,故有“悔”也。四,《豫》之主,與之切近,苟遲遲而不前,則見棄絕,亦有悔也。蓋處身不正,進退皆有悔吝。當如之何?在正身而已。君子處己有道,以禮制心,雖處豫時不失中正,故無悔也。

程頤《伊川易伝》は言います。六三は陰爻にして陽位に居り、中にも居らず当位もしない者に属します。このように不中不正の資質をもって逸楽の時に処れば、一挙一動がみな悔いを招きます。「盱」とは上を見ること、頭を上げて九四を仰ぎ見ます。しかし自らが不中不正なので、九四はこれを採用しようとせず、だから「悔い」があります。九四は《豫》卦の主で、六三と極めて近く接しています。もし六三が遅疑して進まなければ、九四に棄絶され、同様に悔いがあります。要するに身を立てることが正しくなければ、進んでも悔いがあり、退いても悔いがあります。ではどうすればよいか。自身を端正するだけです。君子が自らを安んずるにはおのずから法度があり、礼をもって心念を節制すれば、逸楽の時に身を置いても中正を失わず、だから悔恨がありません。

集說 郭氏忠孝曰:處《豫》之道,戒在不能自立,而優遊無斷,睢盱上視而悅之,非介于石者也。遲疑而有待,非“不終日”者也。 胡氏炳文曰:二中而得正,三陰不中正。故“盱豫”與介石相反,“遲”與“不終日”相反,中正與不中正故也。六三雖柔,其位則陽,猶有能悔之意,然悔之速可也,“悔”之“遲”,則又必“有悔”矣。

「集説」は郭忠孝を引いて言います。《豫》卦の逸楽の時に処るにあたり、最も警戒すべきは自ら立つことができず、優柔にして決断がないことです。目を見開いて上の九四を仰ぎ望んで喜びを生ずるのは、「石に介なり」のような耿介ではありません。遅疑して观望し、座して時機を待つのも、「日を終えず」のような果決ではありません。また胡炳文を引いて言います。六二は中に居りかつ当位し、六三は陰爻にして不中不正です。だから「盱豫」はまさに六二の「石に介なり」と正反対であり、「遅」はまさに六二の「日を終えず」と正反対です。根源は中正と不中不正の分別にあります。六三は性質は柔なれど、居るところは陽位なので、なお悔改める余地を残しています。ただ悔いるのが速ければよいのであって、一旦「悔い」が「遅」れれば、また「悔い有り」を免れません。

九四,由豫,大有得,匆疑,朋盍簪。 本義 九四,卦之所由以為《豫》者也,故其象如此,而其占為“大有得”,然又當至誠不疑,則朋類合而從之矣,故又因而戒之。“簪”,聚也,又速也。

《豫》卦の九四の爻辞は言います。「豫に由る、大いに得有り、疑う勿れ、朋盍に簪す。」(底本は「匆疑」ですが、これは「勿疑」であるべきです。)朱熹《周易本義》は言います。九四は全卦が《豫》となる所以の鍵となる一爻なので、取象がこのようであり、「占辞」は「大いに得有り」と断じます。ただし必ず至誠にして猜疑を生ぜしめてはならず、そうすれば同類の人が集まり来たって彼に従います。だから断語の後にまたこの一層の告誡を附します。「簪」は聚合の意であり、また迅速の意をも含みます。

程傳 《豫》之所以為豫者,由九四也,為動之主,動而眾陰悅順,為豫之義。四,大臣之位,六五之君順從之,以陽剛而任上之事,豫之所由也,故云“由豫”。“大有得”,言得大行其志,以致天下之豫也。

程頤《伊川易伝》は言います。《豫》卦がその「豫」たる所以は、すべて九四の一爻に由ります。それは下体震卦の動主で、一たび動けば衆陰がみな欣悦して順従します。これが「豫」の意義です。四は大臣の位で、六五の君は彼に従い、彼は陽剛の才をもって君上の事務を担い、天下の和楽はこれに由って来ます。だから「豫に由る」と言います。「大いに得有り」とは、自らの志向を大いに施展して、天下を安楽に帰せしめることができると言うのです。

“勿疑,朋盍簪”,四居大臣之位,承柔弱之君,而當天下之任,危疑之地也,獨當上之倚任,而下無同德之助,所以疑也。唯當盡其至誠,勿有疑慮,則朋類自當盍聚。夫欲上下之信,唯至誠而已。苟盡其至誠,則何患乎其無助也?簪,聚也,簪之名簪,取聚髮也。

「疑う勿れ、朋盍に簪す」について言えば、九四は大臣の位に身を置き、上は柔弱の君に承え、また天下の重任を担い、まさに危険で疑わしき地に処っています。独りで君上の倚重を受け、下には同心同徳の人の助けがない、これが彼が疑いを起こす所以です。この時ただ自らの至誠を竭くすべきで、心に疑慮を存してはなりません。そうすれば同類は自然に聚合して来ます。上下が互いに信じ合うには、ただ至誠によるのみです。果たして至誠を尽くせば、助手がないことを何の愁えることがあろうか。「簪」は聚合です。簪が簪と呼ばれる所以は、髪を集め束ねる意を取ったのです。

或曰:卦唯一陽,安得同德之助?曰:居上位而至誠求助,理必得之。《姤》之九五曰“有隕自天”是也。四以陽剛迫近君位,而專主乎豫,聖人宜為之戒,而不然者,《豫》,和順之道也。由和順之道,不失為臣之正也。 如此而專主於豫,乃是任天下之事,而致時於豫者也,故唯戒以至誠勿疑。

ある人が問います。《豫》卦には陽爻がただ一つしかありません。どこに同徳の助け手があるのですか。程頤は答えます。上位に身を置いて至誠をもって助けを求めれば、道理から言って必ず得られます。《姤》卦の九五に「天より隕ること有り」とあるのが、まさにこの意味です。九四は陽剛の質をもって君位に緊逼し、また一卦の楽を専らにします。理から言えば聖人は彼に警戒を加えるべきですが、そうしなかったのは、《豫》はもともと和順の道であり、和順の道に循って事を行えば、臣の正分を失わないからです。このように「豫」を専らにするのは、まさに天下の事を担い、天下を時に和楽ならしめる人なので、ただ彼に至誠にして猜疑しないよう告誡するのみです。

集說 侯氏行果曰:為《豫》為主,眾陰所宗,莫不由之,以得其逸。體剛心直,志不懷疑,故得群物依歸,朋從大合,若以簪篸之固括也。 耿氏南仲曰:九四為震之主,以象言之,萬物莫不由雷以豫;以爻言之,五陰莫不由陽以豫,是以“大有得”也。“大有得”而“勿疑”,乃能協眾力以安其上,猶簪之總眾髮以安其冠。若自疑則眾斯睽矣,未聞疑事而有功者也。

「集説」は侯行果を引いて言います。九四は《豫》卦の主で、衆陰の宗仰するところです。彼に由らずして安逸を得る者はいません。彼の体質は剛健で、心地は正直で、志向に猜疑を存さないので、衆物を依帰せしめ、朋類を大いに聚めることができ、簪が髪をしっかり束ねるようです。また耿南仲を引いて言います。九四は震卦の主です。卦象から言えば、万物は雷動に因って生発して和楽とならないものはありません。「爻位」から言えば、五つの陰爻はこの一陽爻に因って安楽を得ないものはありません。だから「大いに得有り」と言います。すでに「大いに得」てなお「疑う勿れ」たるを得れば、こそ衆人の力を協合して君上を安んずることができ、簪が衆髪を聚めて冠冕を安んずるに譬えられます。もし自分から先に疑心を起こせば、衆人は離散します。猜疑を懐いて事を成し得たとは、かつて聞いたことがありません。

梁氏寅曰:“由豫”者,言人心之和豫,由四而致也。處近君之地,以剛而能柔, 蔡氏清曰:九四“由豫大有得”矣,又必戒以“勿疑明盍簪”者,誠心由豫任大責重,難以獨力,必得同德者以自輔。自古以聖哲之資,而居元臣之任者,如舜則舉八元八凱,伊尹周公,皆有俊義又吉人之助,諸葛孔明亦必開誠心以來諸賢之益,聖人命辭之意深矣哉!

「集説」は梁寅を引いて言います。「豫に由る」とは、人の心の和楽が九四に由って来ると言うのです。彼は君に近い地に身を置き、剛健の才をもってなお柔和であり……(底本はここに脱文があり、梁寅の言は未完です)。また蔡清を引いて言います。九四はすでに「豫に由り大いに得」ているのに、なお「疑う勿れ朋盍に簪す」と告誡するのは、誠心をもって天下の楽を担当すれば、任は大きく責は重く、一己の力で独りで支えることは難しく、必ず同心同徳の人を得て自らを輔佐せしめねばならないからです。古来、聖哲の資をもって首輔の重任に居る者、虞舜のごときは八元・八愷を挙用し、伊尹・周公もいずれも俊傑吉士の助けがあり、諸葛孔明も必ず誠を開き公を布いて衆賢の裨益を招きました。聖人が辞を繫げ言を立てた用意、なんと深遠なことか。

何氏楷曰:“簪”,聚也。簪之名簪,取聚髮也。或謂古冠服無簪,按《鹽鐵論》,神禹治水,遺簪不顧,非簪而伺?即弁服之笄是也。

「集説」は何楷を引いて言います。「簪」は聚合の意で、簪が簪と称される所以は、まさに髪を集める義を取ったのです。ある人は古代の冠服には簪というものがなかったと言いますが、《塩鉄論》の載せるところによれば、大禹が水を治めた時に簪を落としても振り返って拾う暇がなかった、あれが簪でなくて何でしょう。実は弁服に用いる笄です。

六五,貞疾,恆不死。 本義 當《豫》之時,以柔居尊,沈溺於豫,又乘九四之剛,眾不附而處勢危,故為“貞疾”之象。然以其得中,故又為常不死之象。即象而觀,占在其中矣。

《豫》卦の六五の爻辞は言います。「貞疾、恒に死なず。」朱熹《周易本義》は言います。まさに逸楽の時にあたり、六五は柔弱の質をもって尊位に居り、安楽に沉溺し、また九四という剛爻の上に凌乗して、衆心が帰附せず処境は危険です。だから「貞疾」――正位を守りながら久病に纏われるような――象があります。しかし上卦の中に居って「中」を得ているので、また長く死なない象があります。卦象に即して見れば、占断はすでにその中に含まれています。

程傳 六五以陰柔居君位,當《豫》之時,沈溺於豫,不能自立者也。權之所主,眾之所歸,皆在於四。四之陽剛得眾,非耽惑柔弱之君所能制也,乃柔弱不能自立之君,受制於專權之臣也,居得君位,貞也;受制於下,有疾苦也。六五尊位,權雖失而位末亡也,故云貞疾恆不死。言貞而有疾,常疾而不死,如漢魏末世之君也。

程頤《伊川易伝》は言います。六五は陰柔の質をもって君位に居り、まさに逸楽の時にあたって安楽に沉溺し、自ら立つことができません。権柄の主とするところ、衆心の帰するところは、みな九四にあります。九四は陽剛にして衆を得ており、享楽に耽る柔弱昏惑の君主が制服できるものではありません。こうして柔弱で自立できない君が専権の臣に制せられることとなりました。君位を占めているのが「貞」であり、かえって臣下に挟制されるのは身に疾苦があるようなものです。六五は尊位に身を置き、権柄はすでに失われたが名位はまだ失われていないので、「貞疾、恒に死なず」――正位を守りながら病を帯び、長年病がありながら死に至らない、漢末・魏末の君主たちのようだ、と言うのです。

人君致危亡之道非一,而以豫為多。在四不言失正,由於五乃見其強逼者,四本無失,故於四言大臣任天下之事之義,於五則言柔順居尊、不能自立、威權去己之義,各據爻以取義,故不同也。若五不失君道,而四主於豫,乃是任得其人,安亨其功,如太甲成王也。

人君が危亡を招く道は一つではありませんが、逸楽によって招来するものが最も多いのです。九四の爻ではその正を失うとは言わず、六五に至ってはじめて強臣に逼迫される情形が見えます。九四自身に過失がないことがわかります。だから九四においては大臣が天下の事を担当する意義を説き、六五においては柔順にして尊に居り、自立できず威権が傍らに落ちる意義を説きます――それぞれ本爻に就いて義を取るので、説法が異なるのです。もし六五が為君の道を失っておらず、九四が天下の楽を主持するならば、それは用人が当を得て安んじてその成を享けることで、太甲の伊尹に対するがごとく、成王の周公に対するがごとしです。

《蒙》亦以陰居尊位,二以陽為《蒙》之主,然彼吉而此疾者,時不同也。童蒙而資之於人,宜也;耽豫而失之於人,危亡之道也。故《蒙》相應,則倚任者也;《豫》相遇,則失權者也。又上下之心,專歸於四也。

《蒙》卦もまた陰爻をもって尊位に居り、九二は陽爻をもって《蒙》卦の主となります。しかしあそこでは吉を得て、ここでは疾となる、その原因は時勢が異なることにあります。幼稚蒙昧であって他人に借りるのは当然です。逸楽に耽って権柄を他人に投げ与えるのは、危亡の道です。だから《蒙》卦の六五と九二は「応与」相通じて倚重任用に属し、《豫》卦の六五と九四はただ隣り合って比近するのみで権柄を失うことに属します。まして上下の心がまた皆、専ら九四に帰向しているのです。

集說 王氏宗傳曰:當逸豫之時,恣驕侈之慾,宜其死於安樂有餘也。然乘九四之剛,恃以拂弼於己,故得恆不死也。孟子曰:入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國恆亡,然後知生於憂患,而死於安樂也。則六五之得九四,得法家拂士也。故雖當豫之時,不得以縱其所樂。唯不得以縱其所樂,則恆不死,宜也。夫當豫之時,而不為豫者,以正自守也,六二是也。當豫之時,而不得豫者,見正於人也,六五是也。此《豫》之六爻,唯六二、六五,所以不言豫焉。

「集説」は王宗伝を引いて言います。まさに逸楽の時にあたり、恣に骄奢の欲を放縦すれば、もともと安楽に死すべきでした。しかし六五は九四の剛に乗り、まさにこの剛強の臣が傍らで自らを匡正輔弼するのに依って、長く死なないことができるのです。孟子は言います。「入れば法家拂士無く、出れば敵国外患無き者は、国は恒に亡ぶ」と。これによって人は憂患に生まれ安楽に死ぬことを知ります。六五が九四を得たのは、法度を守る世臣と矯正を敢えてする輔臣を得たということです。だから身は逸楽の時に処りながら、自らの享楽を放縦することができません。放縦して享楽することができないからこそ、長く死なない、これは理の当然です。《豫》の時に処って自ら楽しまないのは、正道をもって自守する者で、六二がこれです。《豫》の時に処って楽しむことができないのは、他人に匡正される者で、六五がこれです。これが《豫》卦六爻のうち、ただ六二・六五の二爻のみが「豫」の字を挙げない所以です。

何氏楷曰:六五以柔居尊,當豫之時,易於沈溺,必戰兢畏惕,常如疾病在身,乃得恆而不死,所謂生於憂患者也。 案 王氏、何氏說,深得爻義。

「集説」は何楷を引いて言います。六五は柔弱の質をもって尊位に居り、まさに逸楽の時にあたり、最も沉溺しやすいのです。必ず戦戦兢兢として常に畏懼を懐き、身にずっと病を帯びているがごとくしてこそ、長久にして死なず、これがいわゆる憂患に生きるということです。李光地が按に:王宗伝・何楷の両家の説は、深く本爻の爻義を得ている。

上六,冥豫,成有渝,無咎。 本義 以陰柔居豫極,為昏冥於豫之象。以其動作,故又為其事雖成,而能有渝之象。戒占者如是,則能補過而無咎,所以廣遷善之門也。

《豫》卦の上六の爻辞は言います。「冥豫、成して渝ること有り、咎無し。」朱熹《周易本義》は言います。陰柔の質をもって逸楽の頂点に居るのは、昏昧にして享楽に沉迷する象です。それがなお動体の中にあって動作する所があるので、また事がすでに成ってもなお改めることができる象があります。占問する人がもしこのようであれば、過失を補い禍に至らないことができると告誡し、聖人がこのように辞を立てたのは、人のために改過遷善の門路を広く開くためです。

程傳 上六陰柔,非有中正之德,以陰居上,不正也,而當豫極之時。以君子居斯 集說 王氏應麟曰:冥於豫而勉其有渝,開遷善之門也;冥於升而勉其不息,回進善之機也。

程頤《伊川易伝》は言います。上六は陰柔で、中正の徳を具えず、陰爻をもって上位に居るのはもともと「当位」せず、またちょうど逸楽が極点に至った時に逢っています。もし君子がこのような地位に処れば……(底本はここに脱文があり、程頤の言は未完です)。「集説」は王応麟を引いて言います。《豫》卦の上六は逸楽に昏冥しますが、聖人はあえて彼がなお改変できることを勉励します。これは人のために改過遷善の門を開くのです。《升》卦の上六は上昇に昏冥しますが、聖人はあえて彼がこれを持して息まないことを勉励します。これは人の善に向かう機縁を挽回するのです。

案 “貞疾”與“成有渝”兩爻之義,亦相為首尾,如人之耽於逸樂,而不能節其飲食起居者,是致死之道也。苟使縱其欲而無病,則將一病不支,而亡也無日矢。唯其常有疾也,故常能憂懼儆戒而得不死也。然所貴乎憂懼儆戒者,以其能改變爾。向也耽於逸樂,昏冥而不悟,殆將習與性成矣。今乃一變所為,而節飲食,慎起居,則可以復得其性命之理,豈獨不死而已乎?故於五不言無咎,而於上言之,所以終卦義而垂至戒也。

李光地が按に:「貞疾」と「成有渝」というこの二爻の義理も、首尾が呼応しています。たとえば一人の人が享楽に沉溺し、飲食起居に節度がなければ、それは自ら死を取る道です。もし彼に欲を縦にさせて偏に病気にならなければ、一旦病に倒れれば支えきれず、死期も遠くありません。まさに彼が常に病を帯びているからこそ、常に憂懼を懐き時時に警戒し、それで死なないでいられるのです。しかし憂懼警戒が貴ばれる所以は、人がこれによって自らを改変できることにあります。昔日は逸楽に耽り、昏昧にして覚悟せず、ほとんど習慣が自然になろうとしていました。いま一旦旧行を改め、飲食を節制し起居を慎めば、性命の正理に立ち帰ることができ、ただ死なないだけではありません。だから六五では「咎無し」と言わず、上六に至ってはじめて言うのです。これをもって全卦の義理を収束し、最も切要な告誡を垂れます。

随卦

隨.兌上.震下 程傳 《隨序卦》:“豫必有隨,故受之以隨。”夫悅豫之道,物所隨也,《隨》所以次《豫》也。為卦兌上震下,兌為說,震為動,說而動,動而說,皆隨之義。女,隨人者也。以少女從長男,隨之義也。又震為雷,兌為澤,雷震於澤中,澤隨而動,《隨》之象也。

《随》卦は、上卦が兌、下卦が震であり、この一行は卦画の标注です。程頤《伊川易伝》は言います。《序卦伝》に「豫には必ず随うもの有り、故にこれを随をもって受く」とあります。欣悦和楽の道は、万物が喜んで追随するものです。だから《随》卦は《豫》卦の後に排列されています。卦体から見れば、兌が上に、震が下にあり、兌は喜悦、震は行動で、先ず悦びて後に動き、一動して人はさらに悦びます。いずれも「随」の意に合います。少女はもともと人に随うもので、少女が長男に従うのも「随」の意です。さらに震は雷、兌は沢で、雷が沢の中で震動すれば沢水はこれに随って起伏します。これが《随》の卦象です。

又以卦變言之,乾之上來居坤之下,坤之初往居乾之上,陽來下於陰也。以陽下陰,陰必說隨,為隨之義。凡成卦既取二體之義,又有取爻義者,復有更取卦變之義者,如《隨》之取義,尤為詳備。

さらに「卦変」から言えば、乾卦の上爻が下がって坤卦の下に居り、坤卦の初爻が上がって乾卦の上に居る、これは陽爻が下に就いて陰爻となることです。陽をもって陰の下に居れば、陰は必ず欣悦して従い、まさに「随」の意義に合します。大凡そ一卦の成立は、上下両体の義を取ることもあれば、爻義を取ることもあり、さらに進んで「卦変」の義を取ることもあります。《随》卦のように義を取るのは、特に周詳にして完備です。

隨,元亨,利貞,無咎。 本義 “隨”,從也。以卦變言之,本自困卦九來居初,又自《噬嗑》九來居五,而自《未濟》來者,兼此二變,皆剛來隨柔之義。以二體言之,為此動而彼說,亦隨之義。故為《隨》。

《随》卦の卦辞は言います。「元亨、利貞、咎無し。」朱熹《周易本義》は言います。「随」とは従うことです。「卦変」から言えば、この卦はもともと《困》卦の九爻が下がって初位に居るものです。また《噬嗑》卦の九爻が上がって五位に居るものです。《未済》卦から変じて来たものについて言えば、この二重の変化を兼ねています。三つの説はいずれも剛爻が来て柔爻に従う意を取ります。上下両体から言えば、こちらが震動してかたほうが兌悦であり、同様に「随」の意に合します。だからこの卦を《随》と呼びます。

己能隨物,物來隨己,彼此相從,其通易矣,故其占為“元亨”。然必利於貞,乃得“無咎”。若所隨不正,則雖大亨而不免於有咎矣。《春秋傳》穆姜曰:“有是四德,隨而無咎,我皆無之,豈隨也哉”。今按四德雖非本義,然其下云云,深得占法之意。

自らが他人に従うことができ、他人もまた来て自分に従う、互いに相従えば容易に通達するので、「占辞」は「元亨」と断じます。しかし必ず正を守るに利あってこそ、過ちなくありえます。もし従う対象が正しくなければ、たとえ大いに亨通しても、禍患を残すことを免れません。《左伝》に魯国の穆姜が言ったと記されています。元・亨・利・貞の四つの徳を具えてこそ、人に従って過ちがないのです。この四つは私に一つもありません。どうして「随」に及びましょうか。いま見れば、「元亨利貞」を四徳に講じるのは《易》の本義に合わないとはいえ、穆姜の後の数句は、深く占筮の法の用意に切中しています。

程傳 隨之道。可以致大亨也。君子之道,為眾所隨,與己隨於人,及臨事擇所隨,皆隨也。隨得其道,則可以致大亨也。凡人君之從善,臣下之奉命,學者之徙義,臨事而從長,皆隨也。隨之道,利在於貞正。隨得其正,然後能大亨而“無咎”。失其正則有咎矣,豈能亨乎?

程頤《伊川易伝》は言います。跟隨の道は極めて大きな亨通を招くことができます。君子の道が衆人に追随され、自らが他人を追随し、事に臨んで誰に追随すべきかを選択する、これらはすべて「随」と呼ばれます。跟隨して正道に合すれば、大亨に達することができます。大凡そ人君が善言を聴き、臣下が君命を奉行し、学を求める者が義理に就き、事に遇って賢長に従うのも、みな「随」に属します。跟隨の道は、その好处が正を守ることにあります。随うところがその正を得て、そうしてはじめて大いに亨通して過ちなきを得ます。一旦正を失えば過ちがあり、どうして亨通に及びましょうか。

集說 石氏介曰:凡隨之義,可隨則隨。若唯隨之務,不以正道,安得亨乎?案 以二體言之,震剛下兌柔;以卦畫言之,剛爻下於柔爻,六十四卦中唯此一卦,此卦名為《隨》之第一義也。其象則如此貴下賤,以多問於寡,乃堯舜所謂舍己從人者, 初九,官有渝,貞吉,出門交有功。

「集説」は石介を引いて言います。大凡そ「随」の意義は、従うべきものに従うことです。もしひたすら従うことを能としながら正道に依らなければ、どうして亨通できましょうか。李光地が按に:上下両体から言えば、剛健の震が柔悦の兌の下にあります。卦画から言えば、剛爻が柔爻の下に居る――六十四卦の中でこの卦だけがこのようであり、これこそ本卦が《随》と名づけられる第一層の意義です。その象は、尊貴の者が卑下の者の下に屈し、多能の者がかえって寡能の者に教えを請うことで、すなわち堯舜の言う己見を捨て他人に聴き従うこと……(底本はここに脱文があり、李光地の按語は未完です)。以下は初九の爻辞です。「官に渝る有り、貞にして吉、門を出て交われば功有り。」

本義 卦以物隨為義,爻以隨物為義。初九以陽居下,為震之主,卦之所以為隨者也。既有所隨,則有所偏主而變其常矣。唯得其正則吉,又當出門以交,不私其隨,則有功也。故其象占如此,亦因以戒之。

朱熹《周易本義》は言います。全卦は他人が来て自分に従うことを義とし、各爻は自分が往って他人に従うことを義とします。初九は陽爻をもって最下に居り、震卦の主であり、また全卦が《随》となる所以の縁由です。すでに従う対象があれば、偏向あることを免れず、もとの常度を変えることになります。ただ随うところが正を得てこそ吉です。また門を出て人と交わるべきで、従うことを私人の情分の内に限ってはなりません。こうしてこそ成效があります。だから取象と「占辞」がこのようであり、同時にこれをもって占問する人に告誡するのです。

程傳 九居隨時而震體,且動之主,有所隨者也。“官”,主守也。既有所隨,是其所主守有變易也,故曰“官有渝”。“貞吉”,所隨得正則吉也。有渝而不得正,乃過動也。“出門交有功”,人心所從,多所親愛者也。常人之情,愛之則見其是,惡之則見其非,故妻孥之言,雖失而多從,所憎之言,雖善為惡也。苟以親愛而隨之,則是私情所與,豈合正理?故出門而交,則有功也。“出門”,謂非私暱。交不以私,故其隨當而有功。

程頤《伊川易伝》は言います。初九は陽爻をもって跟隨の時に処り、また震体の中にあって、行動の主爻であり、随うところある方に属します。「官」とは主守する職分です。すでに従う対象があれば、もとより主守していたものが変動を生じるので、「官に渝る有り」と言います。「貞吉」とは、随うところがその正を得てこそ吉であり、変動してその正を得なければ妄動です。「門を出て交われば功有り」について言えば――人心の従うところは、多くは自己に親近し愛する人です。常人の心情は、一人を愛すればその是のみを見、一人を悪むればその非のみを見ます。だから妻子児女の言は、正しくなくても多くはそのまま行い、憎悪する人の言は、たとえ良い言でも悪い言とします。もし親愛に因るのみで従うならば、それは私情を徇るのであり、どうして正理に合しましょうか。だから門を出て人と交わってこそ、成效があります。「門を出る」とは、私昵の親に局限されないことを指します。交わりに私心を搀まざれば、従うことがちょうどよくて功があります。

集說 孔氏穎達曰:人心所主謂之官。渝,變也。初九無應,無所偏繫,可隨則隨,是所執之志能渝變也。唯正是從,故貞吉也。所隨不以私,見善則往隨之,以此出門,交獲其功。 房氏喬曰:出門有功,先擇後交。

「集説」は孔頴達を引いて言います。人の心が主守するものを「官」と言います。「渝」は変動です。初九は上に相応の爻がなく、それゆえ誰にも偏り繋がれず、随うべき時に随います。これはまさにその執守する志向が時に随って変通できることを示します。それはただ正道に従うので「貞吉」です。跟隨するのが私情から出ず、善を見れば往って追従し、このような態度を携えて門を出れば、交わりは自然に成效を収めます。また房喬を引いて言います。門を出て交わるのに功があるのは、まず選択を明らかにしてから結び交わることによります。

石氏介曰:陽在二陰之下,以剛下柔,孰不從之?故出門則人從之。 《朱子語類》:問:初九“官有渝,貞吉,出門交有功”,官是主字之義,是一卦之主首,變得正便吉,不正便凶。口,是如此。

「集説」は石介を引いて言います。陽爻が二つの陰爻の下に処り、剛健をもって柔順の下に屈するのに、誰が来て従わないことがありましょうか。だから門を一歩出れば従う人があります。また《朱子語類》の記すところを引きます。ある人が問いました。初九の「官に渝る有り、貞にして吉、門を出て交われば功有り」とは、「官」は主の意を取り、一卦の主爻の首であり、変動して正を得れば吉、正を得なければ凶です。朱熹は答えました。まさにその通りです。(底本はここ「曰」の字を「口」に譌ります。)

張氏清子曰:“官”,主也。“渝”,變也。當隨之初,剛來下柔,為震之主,震,動也,官有渝,是主守有變動之象。隨時而動,有所變易,不能保其無偏也,故必變而從正則吉。出門而交,即“同人于門”之意。得隨之正而不牽於私,則有功而無失矣。

「集説」は張清子を引いて言います。「官」は主の意、「渝」は変動です。まさに跟隨の初めにあたり、剛爻が下がって柔爻の下に屈し、震卦の主となります。震は動であり、「官に渝る有り」とは、主守が変動を生ずる象です。時勢に随って動き、改易ある以上、偏向がないとは保証できないので、必ず変じて正に帰ってこそ吉です。門を出て交わるのは、まさに《同人》卦の初九「門に同人す」の用意です。跟隨の正道を得て私情に牽累されなければ、成效があって失失がありません。

俞氏琰曰:《隨》之六爻,專取相比相隨,不取其應。初九震體,震以剛爻為主,官也。官雖貴乎有守,然處隨之時,不可守常而不知變也。變者何?趨時從權,不以主自居也,故曰“官有渝”。初九乃成卦之主爻,主不可以隨人,故不言隨而言交。繫者,隨而攀戀不舍之義。六二、六三、上六,其性皆陰柔,而攀戀相隨不舍,故皆言繫。

「集説」は兪琰を引いて言います。《随》卦の六爻は、専ら隣り合い相随う義を取り、「応与」の義を取りません。初九は震体の中にあり、震は剛爻を主とします。これが「官」です。官を為すにはもちろん持守あることを貴びますが、跟隨の時に身を置いては、常規を死守して変通を知らないわけにはいきません。変通とは何か。時宜に趨合し、権を通じて変に達し、主人の架構を張らないことです。だから「官に渝る有り」と言います。初九は成卦の主爻であり、主は人に随いに行くべきではありません。だから爻辞は「随」と言わず「交」と言います。「係」の字については、跟隨の中にまた攀附留恋して手放せない意を帯びています。六二・六三・上六は性質がすべて陰柔に属し、攀附して相随い手放すことを惜しむので、三爻に皆「係」の字を用います。

案 剛為陰主,故曰“官”,夫陽為主而陰隨之者,正也。今以剛而下柔,是其變也,故曰“官有渝”。然當隨而隨,變而不失其正者也,故可以得占,而“出門交有功”。

李光地が按に:剛爻は衆陰の主なので「官」と称します。陽が主となり陰が来て従う、これが常態であり正例です。いまは剛爻をもって柔爻の下に屈する、これは常態の変化なので「官に渝る有り」と言います。ただしこれは随うべき時に随うのであって、変化あってもその正を失わないので、吉利の占断を得ることができ、しかも「門を出て交われば功有り」なのです。

六二,係小子,失丈夫。 本義 初陽在下而近,五陽正應而遠,二陰柔不能自守,以須正應,故其象如此,凶吝可知,不假言矣。

《随》卦の六二の爻辞は言います。「小子に係りて、丈夫を失う。」朱熹《周易本義》は言います。初九は陽爻で、下にあって近いです。九五もまた陽爻で、六二とは「応与」の正配ですが遠く離れています。六二は陰柔で、自らを守ってあの正配の方を待つことができません。だから取象がこのようです。その凶と羞吝は思い浮かべることができ、あえて明言するまでもありません。

程傳 二應五而比初,隨先於近,柔不能固守,故為之戒云:若“係小子”則“失丈夫”也。初陽在下,小子也;五正應在上,丈夫也。二若志繫於初,則失九五之正應, 六三,係丈夫,失小子。隨有求得,利居貞。

程頤《伊川易伝》は言います。六二は九五と相応しながら、また初九に近接しています。跟隨はいつも近い所から先に起こるもので、柔弱の六二は自らをしっかり守ることができません。だから聖人はこれに代わって告誡を設けます。もし「小子に係る」ならば、必ず「丈夫を失う」と。初九は陽爻にして下にあるのが「小子」であり、九五は正しく相応する方にして上にあるのが「丈夫」です。六二がもし心志を初九に係すれば、九五という正配を失うことになります……(底本はここに脱文があり、程頤の言は未完です)。以下は六三の爻辞です。「丈夫に係りて、小子を失う。随えば求めて得有り、居貞に利あり。」

本義 “丈夫”,謂九四。“小於”亦謂初也。三近繫四,而失於初,其象與六二正相反。四陽當任而己隨之,有求必得。然非正應,故有不正而為邪媚之嫌。故其占如此,而又戒以居貞也。

朱熹《周易本義》は言います。ここの「丈夫」は九四を指し、「小子」はやはり初九を指します。六三は近く就いて九四に係り、それによって初九を失うので、取象は六二とちょうど相反します。九四は陽爻で、まさに重責を担うべき時であり、六三が彼を追随すれば、求めるところあれば得られます。ただ六三と九四は「応与」の正配ではないので、正しくなくして諂媚取悦に流れる嫌疑を免れません。そこで「占辞」はこのように断じ、また特に彼に正に安んずるよう告誡します。

程傳 “丈夫”,九四也。“小於”,初也。陽之在上者,丈夫也。居下者,小於也。 三雖與初同體而切近於四,故繫於四也。大抵陰柔不能自立,常親繫於所近者。上繫於四,故下失於初。舍初從上,得隨之宜也。

程頤《伊川易伝》は言います。「丈夫」は九四を指し、「小子」は初九を指します。陽爻で上に居るのが丈夫であり、下に居るのが小子です。六三は初九と同じ下卦の一体にありながら、九四に近接しているので、九四に係ります。大凡そ陰柔の質は自立できず、常に自分に最も近い人に親附し係恋します。上に向かって九四に係るので、下に向かっては初九を失います。初九を捨てて上の九四に従うのは、跟隨が当を得たことです。

上隨則善也,如昏之隨明,事之從善,上隨也。背是從非,舍明逐暗,下隨也。四亦無應,無隨之者也。近得三之隨,必與之親善,故三之隨四,有求必得也。人之隨於上而上與之,是得所求也。又凡所求者可得也,雖然,固不可非理枉道以隨於上,苟取愛說以遂所求,如此乃小人邪諂趨利之為也,故云“利居貞”。自處於正,則所謂有求而必得者,乃正事,君子之隨也。

上に向かって従うのがよいのです。昏昧な人が明達な人に従い、事を為すに善道に従う、これらはみな上に向かう跟隨に属します。是を背いて非に従い、光明を捨てて暗黒を追う、それは下に向かう跟隨です。九四は上に相応の爻がなく、もともとそれに従う人がいませんでした。いま近く就いて六三が来て随うので、必ず六三と親しく厚く遇します。だから六三が九四に従えば、求めるところは必ず得られます。人が上位者に従い、上位者もまた与えることを肯んずる、これがその求めを得ることです。しかも求めあるごとに願いのごとく叶います。そうは言っても、終始事理に背き正道を枉げて上位に攀附することはできず、また讨好取悦によって求める所を達成することもできません。それは小人の邪佞諂媚、炎に趨り利を逐う所為です。だから爻辞は「居貞に利あり」と言います。自ら正道に安んずれば、いわゆる求めあれば必ず得られるというのも、正当の事であり、君子の跟隨です。

集說 虞氏翻曰:陰隨陽,三之上無應,上繫於四,失初小子,故“係丈夫,失小子”。 王氏弼曰:雖體下卦,二己據初,將何所附?故舍初繫四,志在丈夫。四俱無應,亦欲於己隨之,則得其所求矣,故曰“隨有求得”也。應非其正,以繫於人,何可以妄?故“利居貞”也。初處己下,四處己上,故曰“係丈夫,失小子”。 陸氏希聲曰:三非正而隨,其義可尚者,以承陽為順也。

「集説」は虞翻を引いて言います。陰は陽に跟隨します。六三は上に相応の爻がなく、やむをえず上に向かって九四に係り、それによって初九という小子を失うので、爻辞は「丈夫に係りて、小子を失う」と言います。また王弼を引いて言います。六三は身を下卦に置きながらも、初九はすでに六二に占められており、それは誰に依附できましょうか。だから初九を捨てて九四に係り、心志を丈夫の身に置きます。九四も同じく相応の爻がなく、人が来て自分に随うことを望むので、六三はその求めるところを得ます。だから「随えば求めて得有り」と言います。ただこの種の相随は「応与」の正ではありません。すでに己を他人に係した以上、どうして随意に妄為できましょうか。だから「居貞に利あり」と言います。初九は自己の下に居り、九四は自己の上に居るので、「丈夫に係りて、小子を失う」と言います。また陸希声を引いて言います。六三は正道をもって相随うのではありませんが、その義にはなお取るべきところがあります。それが陽爻に承事するのは、順の理に合するからです。

九四,隨有獲,貞凶,有孚在道,以明,何咎。 本義 九四以剛居上之下,與五同德,故其占隨而有獲。然勢陵於五,故雖正而凶。 唯有孚在道而明,則上安而下從之,可以無咎也。占者當時之任,宜審此戒。

《随》卦の九四の爻辞は言います。「随って獲有り、貞にして凶、孚有りて道に在り、以て明なれば、何の咎か有らん。」朱熹《周易本義》は言います。九四は剛爻をもって上卦の最下位に居り、九五と同じく陽剛の徳です。だから占断は随って獲得あるとします。しかしその声勢は九五の上に凌駕するので、たとえ守るところが正であっても、なお凶があります。ただ心に誠信を存し、行事が正道に合い、しかも処置が明智であってこそ、上の君主も安心し、下の人もまた帰附しようとします。こうすれば過ちなくありえます。占問する人がもし当世の重任を担っていれば、この一層の告誡をよくよく体認すべきです。

程傳 九四以陽剛之才,處臣位之極,若於“隨有獲”,則雖正亦凶。“有獲”,謂得天下之心隨於己。為臣之道當使恩威一出於上,眾心皆隨於君,若人心從己,危疑之道也,故“凶”。居此地者奈何?唯孚誠積於中,動為合於道,以明哲處之,則又“何咎”?

程頤《伊川易伝》は言います。九四は陽剛の才をもって臣位の頂点に処り、もし真に「随って獲有り」の地に至ったならば、たとえ守るところが正であっても、なお凶があります。「獲有り」とは、天下の人心がみな己に帰随することを言います。臣子たるの本分は、恩沢と威権を一に君上から出させ、衆人の心をみな君主に帰向せしめることです。もし人心が転じて自分に従えば、それは危険で疑わしき路を歩むことになるので、「凶」と言います。このような地位に身を置いてはどうすべきか。ただ誠信を心中に蓄積し、一挙一動がすべて正道に合し、明智通達の態度をもって自処するならば、それでもなお何の過ちがありましょうか。

古之人有行之者,伊尹、周公、孔明是也。皆德及於民而民隨之,其得民之隨,所以成其君之功,致其國之安,其至誠存乎中,是“有孚”也。其所施為無不中道,在道也。唯其明哲,故能如是,“以明”也。復伺過咎之有?是以下信而上不疑,位極而無逼上之嫌,勢重而無專權之過,非聖人大賢則不能也。

古人の中には確かにこの地に至った者がいます。伊尹・周公・諸葛孔明がこれです。彼らの徳沢はみな百姓に施び、百姓はそれによって彼らに従いました。そして彼らが民の随を得た所以は、まさに君上の功業を成就し、国家の安定を換えるために用いたのです。至誠を胸中に存す、これが「孚有り」です。為す所がみな中道に合する、これが「道に在り」です。ただ明智通達であってこそこのようになしえます。これが「以て明」です。こうであればまたどうして過ちがありましょうか。これによって下は信服し上は猜疑せず、位は人臣に極まりながら君に逼る嫌疑なく、権勢は深重でありながら権を擅にする過失がありません。聖人・大賢でなければ、成し得ません。

其次如唐之郭於儀,威震主而主不疑,亦由中有誠孚,而處無甚失也,非明哲能如是乎?集說 虞氏翻曰:謂獲三也。 王氏弼曰:處說之初,下據二陰,三求繫己,不距則獲,故曰“隨有獲”也。居於臣地,履非其位,以擅其民,失於臣道,故曰“貞凶”。雖違常義,心存公誠,著信在道,以明其功,“何咎”之有?徐氏幾曰:六三九四,相比相從。三言有得者,得乎四也;四言“有獲”者,獲乎三也。

次に劣る者として、唐代の郭子儀のごときは、威望が君主を震動しながら君主は猜疑しませんでした。これもまた彼の心中に誠信を存し、事を処するに大きな差失がなかったからです。明智通達の人でなければ、どうしてこのようになしえましょうか。「集説」は虞翻を引いて言います。獲有りとは、六三を獲得することを指します。また王弼を引いて言います。九四は上卦の兌悦の初めに処り、下に二つの陰爻を據え、六三が来て依附を求め、拒まなければ獲得とされるので、「随って獲有り」と言います。それは臣子の地に身を置き、履むところもまた本来あるべき位分ではないのに、民心を自分の身上に攬する、これは為臣の道を失うので、「貞にして凶」と言います。尋常の義理に背いたとはいえ、ただ心に公誠を存し、信実を正道に彰明して、これをもって功業を成就するならば、また何の過ちがありましょうか。また徐幾を引いて言います。六三と九四は互いに隣り合い相従います。六三は「得有り」と言うのは九四を得ること、九四は「獲有り」と言うのは六三を獲得することです。

龔氏煥曰:《隨》卦諸爻,皆以陰陽相隨為義,三四皆無正應,相比而相隨者也。 然六三上而從陽,理之正也,九四下為陰從,固守則凶。若心所孚信在於道焉,以明自處,“何咎”之有?案 郭氏、徐氏、龔氏之說,皆與卦意、爻義相合,龔氏尤簡明也。

「集説」は龔煥を引いて言います。《随》卦の各爻は、みな陰陽の互いに相随うことで義を取ります。六三・九四はともに「応与」の正配がなく、ただ隣り合って互いに跟隨するのみです。しかし六三は上に向かって陽爻に従い、事理の正に合します。九四は下にあって陰爻に従われ、ひたすら固守し続ければ凶があります。もし心中の信守する所がみな正道上にあり、また明智をもって自処するならば、それでもなお何の過ちがありましょうか。李光地が按に:郭氏・徐幾・龔煥の数家の説は、みな卦意・爻義に合しており、そのうち龔煥の説は特に簡明です。

九五,孚于嘉,吉。 本義 陽剛中止,下應中正,是信於善也。占者如是,其古宜矣。 程傳 九五居尊得正而中實,是其中誠在於隨善,其吉可知。“嘉”,善也。自人君至於庶人,隨道之吉,唯在隨善而已。下應二之正中,為隨善之義。

《随》卦の九五の爻辞は言います。「嘉に孚あり、吉。」朱熹《周易本義》は言います。九五は陽剛にして上卦の「中正」に居り、下はまた「中正」の六二と相応する、これが誠信をもって善の方に帰することです。占問する人がもしこのようであれば、吉を得るのはもちろん当然です。(底本の「中止」は「中正」であるべき、「其古」は「其吉」であるべきです。)程頤《伊川易伝》は言います。九五は尊位に居って当位して中を得、中はまた実心の陽爻です。それが内心の誠意がすべて善道に随うところにあることが見え、吉を得るのは言うまでもありません。「嘉」とは善です。上は人君から下は百姓に至るまで、跟隨の道が吉を得る所以は、ただ随うところが善であることのみです。九五が下に向かって六二という中正の爻に応ずるのは、まさに善道に従う意です。

集說 楊氏萬里曰:九五以陽剛居兌之中正,為一卦說隨之主,此聖君至誠樂從天下之善者也,吉孰大焉?“孚”,誠也。“嘉”,善也。 工氏應麟曰:信君子者,治之原。隨之九五曰“孚于嘉吉”。信小人者,亂之機。《兌》之九五曰“孚于剝有厲”。

「集説」は楊万里を引いて言います。九五は陽剛の質をもって上体兌卦の中正の位に居り、全卦の欣悦相随の主爻です。これはまさに聖明の君が至誠の心をもって天下の善言を聴くのを楽しむ写しであり、これより大きな吉利がどこにありましょうか。「孚」は誠、「嘉」は善です。また王応麟を引いて言います。君子を信任するのは天下大治の根源なので、《随》卦の九五は「嘉に孚あり、吉」と言います。小人を信任するのは禍乱の萌え出る機関なので、《兌》卦の九五は「剥に孚あり、厲あり」と言います。(底本の「工氏」は「王氏」であるべきです。)

上六,拘係之,乃從維之。王用亨于西山。 本義 居《隨》之極,隨之固結而不可解者也。誠意之極,可通神明,故其占為“王用亨于西山”。”亨”亦當作祭享之享。自周而言,歧山在西。凡筮祭山川者得之,其誠意如是則吉也。

《随》卦の上六の爻辞は言います。「これを拘係し、乃ち従りてこれを維ぐ。王以て西山に亨す。」朱熹《周易本義》は言います。上六は《随》卦の頂点に居り、相随うことが固くて解けない地に至っています。誠意が極まれば神明に感通できるので、「占辞」は「王以て西山に亨す」です。ここの「亨」もまた祭享の「享」と読むべきです。周人にとって、岐山はまさに西にあります。大凡そ山川を祭祀する事を卜問する人がこの爻を得れば、誠意を上六のようにすれば、それは吉です。

程傳 上六以柔順而居《隨》之極,極乎隨者也。“拘係之”,謂隨之極,如拘持縻繫之。“乃從維之”,又從而維繫之也。謂隨之固結如此。“王用亨于西山”,《隨》之極如是。昔者太王用此道亨於業於西山,太王避狄之難,去豳來岐,豳人老稚扶攜以隨之如歸市。蓋其人心之隨,固結如此,用此故能亨盛其王業於西山。“西山”,岐山也。周之王業,蓋興於此。上居隨極,固為太過,然在得民之隨,與隨善之固,如此乃為善也,施於他則過矣。

程頤《伊川易伝》は言います。上六は柔順の質をもって《随》卦の頂端に居り、跟隨を極みまで行った一爻です。「これを拘係す」とは、跟隨が極点に至り、まるで拘え引かれたようであることです。「乃ち従りてこれを維ぐ」とは、また進んでそれを係え固めます。相隨の牢固がこの地に至ったことが見えます。「王以て西山に亨す」については、まさに《随》の極まった写しです。昔の周太王はこの種の人心を得る路数に依って、西山において王業を亨盛にしました。太王は狄人の禍難を避けるため、豳地を離れて岐山に遷り、豳地の百姓は老いを扶え幼を携えて彼に従い、市に赴くように相次いで帰附しました。人心が相随うこと牢固にしてこの地に至ったので、西山において周家の王業を興隆することができたのです。「西山」とは岐山で、周朝の王業は概してここから興りました。上六は随の極みに居り、もともと甚だ過ぎと言えますが、民の随を得、善に随う堅さに用いるならば、このようでかえってよいのです。他の事に換えれば過分となります。

集說 呂氏祖謙曰:“拘繫”而不可解,《隨》之極者也。如有客詩,言授之縶,以縶其馬;白駒詩,縶之維之,以永今朝,正合此爻。

「集説」は呂祖謙を引いて言います。拘え引かれて解けない、これはまさに《随》の極まった様子です。《詩経・周頌・有客》に縄を彼に与えて客人の馬を絆すとあり、《詩経・小雅・白駒》にそれを絆し係えて、この美しい今朝を留めんとあります。両詩の意味は、まさにこの爻と合います。

項氏安世曰:《大有》九三,“公用亨于天子”;《隨》上六,“王用亨于西山”;《益》六二,“王用亨於帝”;《升》六四,“於用亨于岐山”,四爻句法皆同。古文“亨”即享字,今獨益作享讀者,俗師不識古字,獨於享帝,不敢作亨帝也。

「集説」は項安世を引いて言います。《大有》卦の九三「公用て天子に亨す」、《随》卦の上六「王以て西山に亨す」、《益》卦の六二「王以て帝に亨す」、《升》卦の六四「王以て岐山に亨す」、この四条の爻辞は句法が完全に同じです。古文の「亨」はすなわち「享」の字です。いま偏に《益》卦の一箇所のみを「享」と読むのは、浅陋の塾師が古字を知らず、ただ上帝を祭享する事に遇って、敢えて「亨帝」と読まなかっただけです。(底本の《升》卦引文「于用」は「王用」であるべきです。)

案 卦之初剛,下於二柔,則九五之剛,亦下於上柔也。而諸儒說兩爻義,皆不及此,故於九五“孚”“嘉”,以為應六二猶可,而於上六“拘繫”,則說得全無根據矣。

李光地が按に:この卦は初九の剛爻が六二・六三の二つの柔爻の下に居るので、九五の剛爻も同じく上六という柔爻の下に居ると言えます。しかし諸儒が九五・上六の二爻の義理を解説するに、この一層に及んだ者がいません。だから彼らが九五の「嘉に孚あり」を六二と相応すると講じるのは、まだ無理に通せますが、上六の「拘係」に至っては、根拠なく説いています。

總論王氏宗傳曰:《隨》之六爻,其半陰也,其半陽也。陽剛之才,則有所隨而無所繫,初九、九四、九五是也。故初之有渝,四之“有獲”,五之“孚于嘉”,此有所隨而無所繫者也。以柔從之才,而當隨之時,則均不兔於有所繫,六二、六三、上六是也。故二則“係小子失丈夫”,三則“係丈夫失小子”,上則曰“拘係之”,此均不兔於有所繫者也。

「総論」は王宗伝を引いて言います。《随》卦の六爻は、半分が陰爻、半分が陽爻です。大凡そ陽剛の才は、みな従うところあって牽係されないものです。初九・九四・九五がこれです。だから初九は「官に渝る有り」、九四は「獲有り」、九五は「嘉に孚あり」と言い、この三爻はみな随うところあって係るところなしに属します。大凡そ柔順の質をもって他人に従う者は、跟隨の時に処れば、一概に牽係されることを免れません。六二・六三・上六がこれです。だから六二は「小子に係りて、丈夫を失う」、六三は「丈夫に係りて、小子を失う」、上六は「これを拘係す」と言い、この三爻はみな牽係を免れないものに属します。(底本の二箇所の「不兔」は「不免」であるべきです。)

蠱卦

蠱.艮上.巽下 程傳 《蠱序卦》;“以喜隨人者必有事,故受之以蠱。”承二卦之義以為次也。 夫喜說以隨乾人者,必有事也,無事則何喜何隨?《蠱》所以次《隨》也。蠱,事也。 蠱非訓事,蠱乃有事也,為卦山下有風,風在山下,遇山而回則物亂,是為《蠱》象。

《蠱》卦は、上卦が艮、下卦が巽であり、この一行は卦画の标注です。程頤《伊川易伝》は言います。《序卦伝》に「喜びて人に随う者は必ず事有り、故にこれを蠱をもって受く」とあります。これは《豫》《随》の二卦の意を引き継いで次序を定めたのです。喜んで他人を追随すれば、必ず事がそれに随って来ます。為すべき事がなければ、何を喜び何に随うのでしょうか。だから《蠱》卦は《随》卦の後に排します。「蠱」はここで事を指します。注意すべきは、「蠱」の字自体は「事」と訓じないことです。蠱壊の後に必ず為すべき事があると言うのです。卦体から言えば、山下に風があります。風が山下に吹き、山に遇って回旋すれば、万物は攪乱されます。これが《蠱》の卦象です。

蠱之義,壞亂也。在文為蟲皿,皿之有蟲,蠱壞之義。《左氏傳》云:風落山,女惑男。 以長女下乾少男,亂其情也,風遇山而回,物皆撓亂,是為有事之象,故云蠱者事也。 既蠱而治之,亦事也。以卦之象言之,所以成盎也。以卦之才言之,所以治蠱也。

「蠱」の本義は敗壊紛乱です。字形から見れば、「虫」に「皿」を加えたもので、器皿の中に虫が生じたのはまさに敗壊の義です。《左伝》に晋の医和が蠱を論じたと記され、この卦は風が山上の草木を吹き落とすもの、女子が男子を迷惑するものだと言います。下卦の巽は長女で、上がって上卦艮の少男を干擾し、その情志を攪乱します。風は山に遇って回旋し、万物はみな擾動されます。これが事ある象なので、「蠱とは事なり」と言います。すでに敗壊した以上、手を着けて整治しなければならず、整治もまた事です。卦象に就て言えば、蠱壊を造成する縁由であり、卦の才質に就て言えば、蠱壊を整治する憑藉です。(底本の「所以成盎」は「所以成蠱」であるべきです。)

蠱,元亨,利涉大川,先甲三日,後甲三日。 本義 蠱,壞極而有事也。其卦艮剛居上,巽柔居下,上下不交,下卑巽而上苟止,故其卦為《蠱》。或曰,剛上柔下,謂卦變自《賁》來者;初上二下,自《井》來者;五上上下,自《既濟》來者。兼之,亦剛上而柔下,皆所以為《蠱》也。

《蠱》卦の卦辞は言います。「元亨、大川を渉るに利あり、甲に先んずること三日、甲に後るること三日。」朱熹《周易本義》は言います。蠱は敗壊が極点に達し、それによって事あらんとするものです。この卦は艮の剛が上に居り、巽の柔が下に居り、上下が交通せず、下はひたすら卑順、上は苟且に停滞するので、《蠱》と名づけます。「卦変」から言う人もいます。剛爻が上行し柔爻が下行するのは《賁》卦から変じたもの、初爻が上がり二爻が下がるのは《井》卦から変じたもの、五爻が上がり上爻が下がるのは《既済》卦から変じたものと。この数種を合わせて見れば、いずれも剛上柔下であり、みな《蠱》が卦を成す所以の縁由です。

蠱壞之極,亂當復治,故其占為“元亨”,而“利涉大川”。“甲”,日之始,事之端也。“先甲三日”,辛也,“後甲三日”,丁也。前事過中而將壞,則可自新以為後事之端,而不使至於大壞;後事方始而尚新,然更當致其丁寧之意,以監前事之失,而不使至於速壞,聖人之深戒也。

敗壊が極みに至り、乱れが久しければ改めて治めるべきなので、「占辞」は「元亨」と断じ、しかも「大川を渉るに利あり」です。「甲」は十干の首、一日の始まりであり、また事の開端を象徴します。「甲に先んずること三日」は辛の日で、「甲に後るること三日」は丁の日です。前の段の事はすでに中途を過ぎてまさに敗壊せんとし、この時に「辛」の諧音を借りて自ら新たにし、それを後の段の事の起点とし、それを収拾しがたいほどに壊させません。後の段の事はちょうど始まって気象もなお新しいのに、なおさら反復して丁宁に叮嘱し、前事の失誤を鑑戒とし、それを早くまた壊させません。これは聖人の極めて深切な告誡です。

程傳 既蠱則有復治之理,自古治必因亂,亂則開治,理自然也。如卦之才以治蠱,則能致“元亨”也。蠱之大者,濟時之艱難險阻也,故曰“利涉大川”。“甲”,數之首, 集說 馬氏融曰:十日之中唯稱甲者,甲為十日之首,蠱為造事之端,故舉初而明事始也。

程頤『伊川易伝』は言う、すでに敗壊した以上、立て直す道理がある。古来、太平はつねに禍乱に続いて来るもので、乱が極まれば治世の局面が開ける、これは自然の理である。この卦の才質をもって蠱壊を整治すれば、「元亨」に達することができる。蠱壊のうち最大のものは、時局の艱難険阻を救済することであるから、「利渉大川」と言う。「甲」は十干の首である……(底本ここに脱文があり、程頤の言は未完)。「集説」は馬融の説を引く:十干の中でひとえに「甲」を挙げるのは、甲が十干の首に居り、蠱はまさに事に着手する始めであるから、首位を挙げて事の起こりを示したのである。

孔氏穎達曰:蠱者事也,有事營為則大得串通。有為之時,利在拯難,故“利涉大川”也。“甲”者,創制之令,既在有為之時,不可因仍舊令,故用創制之令以治於人。 又曰:物既惑亂,終致損壞,當須有事,故《序卦》云:“蠱者,事也。”謂物蠱必有事,非謂訓蠱為事:集氏曰:“先甲三日”,殷勤告戒;“後甲三日”,丁寧宣佈。

「集説」は孔穎達の説を引く:蠱とは事であり、事があって経営作為すれば、大いに通達し得る。まさに作為すべき時には、危難を救うことが最も肝要であるから、「利渉大川」と言う。「甲」は新たに創制する法令を表す。すでに作為すべき時にある以上、旧法令を踏襲することはできず、ゆえに新たに創制した法令をもって民を治めるのである。孔穎達はまた言う:事物がすでに迷乱したなら、ついには損壊を招くから、整治せねばならない。ゆえに『序卦伝』は「蠱とは事なり」と言う。これは事物が敗壊すれば必ず為すべき事があるという意味であって、「蠱」の字をそのまま「事」と訓したのではない。「集説」はまた一説を引く:「先甲三日」とは、事前に丁寧に告げ戒めること、「後甲三日」とは、事後に繰り返し申明することである。

案 二體則陽卦居上,陰卦居下;六位則剛爻居上,柔爻居下。六十四卦中,亦唯此卦陰陽剛柔不相交,尊卑上下不相接,則隔絕而百弊生,萬事墮矣,亦此卦名《蠱》之第一義也。壞極則有復通之理,但當弘濟艱難,而不可扭於安,維始慎終,而不可輕於動,故以“利涉大川”“先甲”“後甲”為戒。

李光地が按する:上下二体から見れば、陽卦の艮が上に、陰卦の巽が下にある。六つの「爻位」から見れば、剛爻が上に居り、柔爻が下に居る。六十四卦の中で、陰陽・剛柔が互いに交わらず、尊卑・上下が互いに接しないのはこの卦だけである。上下が隔絶すれば百の弊が生じ、万事が廃弛する、これがこの卦を《蠱》と名づけた第一の意味である。敗壊が極まれば再び通達する道理があるが、ただ奮力して艱難を救済すべきであって、苟安して動かぬべきではない。始めを慎み終わりを慎むべきであって、軽率に妄動すべきではない。ゆえに卦辞は「利渉大川」と「先甲」「後甲」の二層をもって戒めるのである。

初六,幹父之蠱,有子,考無咎,厲終吉。 本義 “乾”,如木之幹,枝葉之所附而立者也。“蠱”者,前人已壞之緒,故諸爻皆有父母之象,子能幹之,則飭治而振起矣。初六蠱未深而事易濟,故其占為有子,則能治蠱,而考得“無咎”,然亦危矣。戒占者宜如是,又知危而能戒,則“終吉”也。

《蠱》卦の初六の爻辞:「父の蠱を干す、子あれば、考は咎なし、厲しきも終に吉。」朱熹『周易本義』は言う、「干」は樹木の主幹のごときもので、枝葉はみなそれに依り附いて立つのである。「蠱」とは前人がすでに敗壊させた事業の端緒を指す。ゆえに各爻はすべて父母の象を取る。子が担当し得れば、整頓振興することができる。初六は蠱壊が未だ深からず、事が成し易い時に当たる。ゆえに占断は、このような子があれば、蠱壊を整治して亡父に過失を残さず済む、ただし境遇はなお危険である、となる。聖人は占う者に、初六のごとくであり、しかも危険を知り戒惧の心を存するよう告げ戒める。こうしてこそ「終吉」となる。

程傳 初六雖居最下,成卦由之,有主之義,居內在下而為主,子幹父蠱也。子幹父蠱之道,能堪其事,則為有子,而其考得無咎。不然,則為父之累,故必惕厲則得“終吉”也。處卑而尸尊事,自當兢畏,以六之才,雖能巽順,體乃陰柔,在下無應而主於,非有能濟之義,若以不克於而言,則其義甚小,故專言為子幹蠱之道,必克濟則不累其父,能厲則可以終吉,乃備見為子幹蠱之大法也。

程頤『伊川易伝』は言う、初六は全卦の最下に居るが、卦の成立はまさにそれに由るので、主の意を含む。内卦に身を置いて下位に居りながら主となる、これは子が出て父輩の敗局を担当するものである。子として父輩の蠱壊を整治する道理は、この事を担い得てこそ、このような子があると言え、亡父もまた過失を残さずに済む。さもなくばかえって父の累となる。ゆえに必ず警惕戒惧してこそ「終吉」を得られる。卑下の身をもって尊長の大事を主催するのは、もとより戦戦兢兢たるべきである。初六の才質をもって論ずれば、卑順であり得るとはいえ、体質が陰柔で、下位にあって応じる爻もなく、整治を主催して真に成し遂げる意はない。もし成し得ぬものとして講ずれば、この爻の意義はあまりに小さい。ゆえに爻辞はひとえに子として蠱を干す道を講ずる:必ず成し遂げてこそ、父に累を及ぼさず、つねに危惧を存してこそ、終に吉を得られる。こうして子として家業を整治する大法をすべて示したのである。(底本「主于」「不克于」の二箇所の「于」は「干」の误り。)

集說 蘇氏軾曰:器久不用而蟲生之謂之蠱,人久宴溺而疾生之謂之蠱,天下久安無為而弊生之謂之蠱。蠱之災,非一日之故也,必世而後見,故爻皆以父子言之。

「集説」は蘇軾の説を引く:器物を長く置いて用いなければ虫が生じる、これを蠱と言う。人が長く宴楽に耽って病が生じる、これを蠱と言う。天下が長く安逸に作為なくして積弊が生じる、これもまた蠱と言う。蠱壊という禍患は一日にして成るものではなく、しばしば一代を経て現れる。ゆえに《蠱》卦の各爻はみな父子の関係をもって立言するのである。

故氏炳文曰:爻辭有以時位言者,有以才質言者,如《蠱》初六以陰在下,所應又柔,才不足以治蠱。以時言之,則為蠱之初,蠱猶末深,事猶《易》濟,故其占為有子,則其考可“無咎”矣。然捐之蠱,則已危“厲”,不可以蠱未深而忽之也。故又戒占者知危而能戒,則“終吉”。

「集説」は胡炳文の説を引く:爻辞には時勢と「爻位」に着目するものがあり、また才質に着目するものがある。《蠱》卦の初六のごときは、陰爻をもって下に居り、応じるものもまた柔爻で、才具は蠱壊を整治するに足らない。しかし時勢から言えば、蠱壊の初めに処して、敗壊が未だ深からず、事はなお成し易い。ゆえに占断は、このような子があれば亡父は「无咎」たり得る、となる。しかし着手して蠱壊を整治するのは、境遇がすでに危「厲」であり、蠱壊が未だ深からぬことをもって軽んじてはならない。ゆえにまた占う者に告げ戒める:危険を知り戒惧を知ってこそ「終吉」となる。(底本「故氏」は「胡氏」の、「捐之蠱」は「干之蠱」の误り。)

九二,幹母之蠱,不可貞。 程傳 九二陽剛,為六五所應,是以陽剛之才,在下而乾夫在上陰柔之事也,故取子幹母蠱為義。以剛陽之臣,輔柔弱之君,義亦相近。二巽體而處柔,順義為多,幹母之盅之道也。夫子之於母,當以柔巽輔導之,使得於義,不順而致敗蠱,則子之罪也。

《蠱》卦の九二の爻辞:「母の蠱を干す、貞にすべからず。」程頤『伊川易伝』は言う、九二は陽剛の爻で、六五に応ずる。これは陽剛の才をもって下位に居り、上の陰柔なる者が残した事を整治するので、子が母の方の敗局を整治する義を取る。剛強の臣をもって柔弱の君を輔佐する道理も、これに近い。九二は巽体に身を置いて柔位に居り、順従の面が多く、まさに母の事を整治する道に合する。子として母に対しては、柔和卑順の態度をもって輔助誘導し、彼女を義理に合わせるべきである。もし順に従って来ることができず、事を壊すに至れば、それは子の過失である。(底本「干母之盅」は「干母之蠱」の误り。)

從容將順,豈無道乎?以婦人言之,則陰柔可知。若伸己剛陽之道,遽然矯拂,則傷恩,所害大矣,亦安能入乎?在乎屈己下意,巽順將承,使之身正身治而已,故曰“不可貞”。

从容和緩に勢いに順って誘導すれば、どうして方法がないことがあろうか。婦人の性情をもって言えば、その陰柔は想うべく知れる。もしひとえに自己の剛陽の流儀を伸張して、猛然と矯正し違逆すれば、母子の恩情を傷つけ、為害は極めて大で、言葉はどうして聴き入れられよう。方法はただ自己を委屈させ、姿態を低く置き、卑順に承事奉侍して、彼女自身を端正にし、事を治め得るにあるのみである。ゆえに爻辞は「不可貞」と言う。

謂不可貞固盡其剛直之道,如是乃中道也,又安能使之為甚高之事乎?若於柔弱之君,盡誠竭忠,致之於小道則可矣,又安能使之大有為乎?且以周公之聖輔成王,成王非甚柔弱也。然能使之為成王而已,守成不失道則可矣,固不能使之為羲黃堯舜之事也。二巽體而得中,是能巽順而得中道,合不可貞之義,得幹母蠱之道也。

いわゆる「不可貞」とは、剛直の流儀を固執して用い尽くしてはならないということであり、このように処置してこそ中道に合する。彼女にいかに高遠の事業を為さしめるかは、成し得ぬことである。柔弱の君に対して、誠を竭くし忠を尽くし、彼を導いて小成の路に略々就かしめることはできるが、どうして彼に大有為の事業を為さしめ得よう。周公のごとき聖人をもって成王を輔佐した例を見れば、成王は十分に柔弱ではなかったが、周公もただ彼を一人の成王に造就し得たのみである——先業を守り正道を失わせぬことは足りたが、ついに彼に伏羲・黄帝・尭・舜のごとき事業を為さしめることはできなかった。九二は巽体に身を置きしかも中に居るので、卑順であり得てかつ中道に合する。まさに「不可貞」の意に合し、母の事を整治する正法を得ているのである。

集說 蘇氏軾曰:陰之為性,安無事而惡有為,是以為蠱之深,而乾之尤難者。正之則傷愛,不正則傷義,以是為之難也。二以陽居陰,有剛之實,而無用剛之跡,可以免矣。

「集説」は蘇軾の説を引く:陰の性情は、无事に安んじて作為を悪む。ゆえにそれが成す蠱壊は最も深く、整治もことさらに難しい。顔を厳めしくして糾正すれば親愛の情を傷つけ、糾正しなければ義理を傷つける。難しさはまさにここにある。九二は陽爻をもって陰位に居り、内に剛強の実質がありながら、外には用剛の痕跡を露さない。こうして両難を避け得るのである。

楊氏時曰:或曰卦以五為君位,而可以母言乎?曰:母者陰尊之稱,如《晉》六二之稱“王母”,《小過》六二之稱“遇其妣”,皆謂六五也。

「集説」は楊時の説を引く:人問う、一卦は従来第五爻をもって君位とするのに、どうして「母」をもってこれを称することができるか。答えて曰く:「母」はもとより尊貴の陰爻に対する称呼である。例えば《晋》卦の六二は「王母」と称し、《小過》卦の六二は「遇其妣」と称す。指すところはみなそれぞれの卦中の六五である。

蔣氏悌生曰;九二以陽剛而承六五之陰柔,有母子之象,但戒以“不可貞”,則與幹父小異。然以巽順而得中道,亦善於蠱者也。 楊氏啟新曰:子幹母蠱,易於專斷而失於承順,故戒以“不可貞”。

「集説」は蔣悌生の説を引く:九二は陽剛の質をもって六五の陰柔に承事し、母子相待の象がある。ただ「不可貞」と戒める点だけは、父輩の事を整治するのとやや異なる。しかし卑順をもって中道に合し得るのは、また善く蠱壊を整治する者と言える。楊啓新の説をまた引く:子が母の方の敗局を整治するのは、最も独断専行に失して承順の意を欠き易い。ゆえに特に「不可貞」と戒めるのである。

九三,幹父之蠱,小有悔,無大咎。 本義 過剛不中,故“小有悔”。巽體得正,故“無大咎”。

《蠱》卦の九三の爻辞:「父の蠱を干す、小なる悔あり、大なる咎なし。」朱熹『周易本義』は言う、九三は過剛でありかつ中に居らず、ゆえに「小有悔」である。しかし巽体に身を置き、陽爻をもって陽位に居り「當位」であるので、大なる禍患はないのである。

程傳 三以剛陽之才,居下之上,主幹者也,子幹父之蠱也,以陽處剛而不中,剛之過也。然而在巽體,雖剛過而不為無順,順事親之本也。又居得正,故無大過。以剛陽之才,克乾其事,雖以剛過,而有小小之悔,終無大過咎也。然有小悔,已非善事親也。

程頤『伊川易伝』は言う、九三は剛陽の才をもって下卦の最上位に居り、整治を主催する一爻であり、すなわち子が出て父輩の敗局を取り片づけるものである。陽爻をもって陽位に処り中に居らぬのは、剛が過ぎたものである。ただし畢竟巽体の中にあるので、過剛ではあるが順意が全くないのではなく、順はまさに両親に奉事する根本である。加うるに居る所が「當位」であるので、大なる過失に至らない。剛陽の才に凭って事を成し遂げ得るので、過剛のゆえに一点の小さい悔恨を留めるが、ついに大なる禍患はない。しかし小悔がある以上、すでに善く両親に奉事するとは言えないのである。

集說 趙氏汝楳曰:二三之剛,三有餘於乾;初四五之柔,四不足於乾。重剛之才,易失於太過,則小悔固所宜也。然蠱由以亨,何“大咎”之有?胡氏炳文曰:幹蠱之道,以剛柔相濟為尚。初六六五,柔而居剛,九二剛而居柔,皆可幹蠱,不然,與其為六四之過於柔而吝,不若九三之過於剛而悔,故曰“小有悔”。 若不足其過於剛,繼之曰“無大昝”,猶幸其能剛也。

「集説」は趙汝楳の説を引く:九二・九三はともに剛爻だが、九三は事を弁ずる力が綽々として余りある。初六・六四・六五はともに柔爻だが、六四は事を弁ずる力が明らかに足りない。重剛の才は太過に失し易く、小さい悔恨を留めるのはもとより意中の事である。しかし蠱壊はまさに彼に凭って通達を得るのであるから、どうして「大咎」を論ぜられよう。胡炳文の説をまた引く:蠱壊を整治する道は、剛柔の互相調剤を上とする。初六・六五は柔爻にして陽位に居り、九二は剛爻にして陰位に居り、みな蠱壊を整治し得る。もし剛柔相済うことを為し得なければ、六四のごとく柔が過ぎて羞吝に落ちるよりは、むしろ九三のごとく剛が過ぎて悔恨を留めるにしかず。ゆえに爻辞は「小有悔」と言う。まるで彼の過剛を惜しむがごとくに、続いてまた「无大咎」と言う。これを見れば、なお彼が剛であり得ることを幸いしているのである。(底本「无大昝」は「无大咎」の误り。)

六四,裕父之蠱,往見吝。 本義 以陰居陰,不能有為,寬裕以治蠱之象也。如是則蠱將日深,故“往”則“見吝”,戒占者不可如是也。

《蠱》卦の六四の爻辞:「父の蠱を裕にす、往けば吝を見ん。」朱熹『周易本義』は言う、六四は陰爻をもって陰位に居り、力は作為するに足らず、寛緩从容の態度をもって蠱壊に対処する象である。このまま行けば、敗壊は日に日に深まるのみであるから、さらに前に往けば羞吝を招く。聖人はこれをもって占う者に、決してこのようにしてはならないと告げ戒めるのである。

程傳 四以陰居陰,柔順之才也。所處得正,故為寬裕以處其父事者也。夫柔順之 集說 《朱子語類》云:此兩爻說得悔吝二字最分明,九三有悔而無咎,由凶而趨吉也;六四雖目下無事,然卻終吝,由吉而趨凶也。

程頤『伊川易伝』は言う、六四は陰爻をもって陰位に居り、柔順の才であり、処する所もまた「當位」である。ゆえに寛緩の態度をもって父輩の事を料理する様子となる。柔順の才は……(底本ここに脱文があり、程頤の言は未完)。「集説」は『朱子語類』の説を引く:この二爻は「悔」「吝」の二字を最も明白に説いている——九三は悔あって大なる禍患なきは、凶の方向から吉に向かうもの、六四は眼下平安无事ながらついに羞吝に落ちるは、吉の方向から凶に向かうものである。

劉氏彌邵曰:強以立事為乾,怠而委事為裕。事弊而裕之,弊益甚矣。蓋六四體艮之止而爻位俱柔,夫貞固足以幹事,今止者怠,柔者懦,怠且懦,皆增益其蠱者也。持是以往,吝道也,安能治蠱耶?六五,幹父之蠱,用譽。

「集説」は劉彌邵の説を引く:奮力して事を立てるを「干」と言い、懈怠して事を押し退けるを「裕」と言う。事はすでに毛病が出ているのに、なお寛緩に拖延すれば、毛病はますます重くなるのみである。六四は艮体に身を置いて止の性を取り、爻の質地と居る所の位もまたともに柔に属する。もとより正を守り固くすれば事を成すに足るのに、今は止が懈怠となり、柔が懦弱となった。懈怠に懦弱を加えれば、ただ蠱壊をますます深くせしめるのみである。この態度を抱いて前に往くは、まさに羞吝を招く路であって、どうして蠱壊を整治し得よう。以下は六五の爻辞:「父の蠱を干す、誉を用う。」

本義 柔中居尊,而九二承之以德,以此幹蠱,可致聞譽,故其象占如此。 程傳 五居尊位,以陰柔之質,當人君之幹,而下應於九二,是能任剛陽之臣也。 雖能下應剛陽之賢而倚任之,然己實陰柔,故不能為創始開基之事,承其舊業則可矣,故為幹父之蠱。夫創業垂統之事,非剛明之才,則不能。繼世之君,雖柔弱之資,苟能任剛賢,則可以為善繼而成令譽也。太甲成王,皆以臣而“用譽”者也。

朱熹『周易本義』は言う、六五は柔順をもって上卦の中に居り尊位に処し、下に九二が德をもって相承える。このような条件をもって蠱壊を整治すれば、美名を博し得る。ゆえに取象と占断がこのようである。程頤『伊川易伝』は言う、六五は尊位に身を居し、陰柔の質をもって人君として整治の責任を担当し、下は九二に応ずる。これは剛陽の臣子を任用し得ることを示す。下に向かって剛陽の賢に呼応して倚重し得るとはいえ、自身は実に陰柔であって、基業を開創する事は成し得ず、ただ旧有の家業を承接するのみである。ゆえに爻辞は「干父之蠱」と言う。基業を開創し統を後世に垂れる類の事は、剛健明達の才でなければ成せない。しかし先業を継承する君主は、たとえ資質が柔弱でも、剛正の賢臣を任用し得れば、善く承継する者となり美名を博し得る。太甲・成王はみな賢臣に凭って「用誉」した例である。

集說 趙氏汝楳曰:六五德位,適剛柔之中,用以幹蠱,宜有休譽,“用譽”則《蠱》之亨可知。 熊氏良輔曰:諸爻稱幹蠱者,皆乾前人已壞之事。六五至於“用譽”,則不特乾其事之已壞,所謂立身揚名,使國人稱願曰,幸哉有子矣。 鄭氏維嶽曰:子有幹蠱之名,則過歸於親,幹蠱而親不失於令名,是“用譽”以乾之也,幹蠱之最善者。

「集説」は趙汝楳の説を引く:六五の德と位は、ちょうど剛柔の間の中道に合する。これをもって蠱壊を整治すれば、理の当然として美名を贏得すべきである。すでに「用誉」するならば、《蠱》卦の亨通もまた想うべく知れる。熊良輔の説をまた引く:各爻の「干蠱」を講ずるは、みな前人のすでに敗壊した事を取り片づけることである。六五に至って「用誉」と言うのは、ただ壊れた事を片づけるのみならず、いわゆる立身揚名して、一国の人をして称羡せしめ曰く、まことに福あるかな、このような子があるとは、と。鄭維嶽の説をまた引く:子がもしただ「干蠱」の名声に留まるのみならば、過失はすべて父母の身に帰する。敗局を整治してしかも父母に美名を失わせぬ、これこそ美誉をもって整治するもので、干蠱の中で最も善く為したものである。

上九,不事王侯,高尚其事。 本義 陽剛居上,在事之外,故為此象,而占與戒,皆在其中矣。 程傳 上九居蠱之終,無繫應於下,處事之外,無所事之地也。以剛明之才,無應援而處無事之地,是賢人君子,不偶於時而高潔自守,不累於世務者也,故云“不事王侯,高尚其事”。古之人有行之者,伊尹、太公望之始,曾子、子思之徒是也。

《蠱》卦の上九の爻辞:「王侯に事えず、その事を高尚にす。」朱熹『周易本義』は言う、陽剛の爻は全卦の上に居り、身を事情の外に置く。ゆえにこのような象があり、占断と告戒はその中に含まれている。程頤『伊川易伝』は言う、上九は《蠱》卦の終点に処し、下に牵系相応する爻がなく、身を事外に置き、まさに為すべき事なき地位にいる。剛健明達の才をもってするが、援応もなくまた无事の地に居る。これは賢人君子が時に生まれ逢わずして高潔に自守し、世務に牵累されぬ様子である。ゆえに「不事王侯、高尚其事」と言う。古人の中に確かにこのように為した者がある:伊尹・太公望が出仕する以前の日々、および曾子・子思の輩は、みなこのようであった。

不屈道以徇時,既不得施設於天下,則自尊其身,尊高敦尚其事,守其志節而已。士之自高尚,亦非一道:有懷抱道德,不偶於時,而高潔自守者;有知止足之道,退而自保者;有量能度分,安於不求知者;有清介自守,不屑天下之事,獨潔其身者。所處雖有得失小大之殊,皆自高尚其事者也。《象》所謂“志可則”者,進退合道者也。

彼らは己の道を屈して時俗に迁就することを肯んじなかった。抱負を天下に施行し得ない以上、自重其身して、自ら守る所の事を崇高厚重と看做し、志節を堅持するのみである。読書人が自視高尚なのも、路数は一種に止まらない:道德を懐抱して時に生まれ逢わず、ゆえに高潔に自守する者あり、知止知足の道理を知って退いて自身を保全する者あり、自己の才能と分際を掂量して人に知られぬに安んずる者あり、清介に自守して天下の事を問うに屑せず、ただ独善其身を求める者あり。彼らの処する境地には得失大小の分別はあるが、みな自己の守る所の事を崇高とするに属する。『象伝』の言う「志可則」——志向は法とするに足る——とは、進退ともに正道に合する那一類を指すのである。

集說 石氏介曰;在卦之終,事成也。在卦之上而無所承,身退者也,在外卦而心不累於內,志之高者也。 胡氏炳文曰:初至五皆以蠱言,不言君臣而言父子,臣於君事,猶子於父事也。上九獨以“不事王侯”言者,蓋君臣以義合也。子於父母,有不可自諉於事之外,若王侯之事,君子有不可事者矣,是故對子之出處,在事之中。盡力以乾焉而不為汙,在事之外,潔身以退焉而不為僻。

「集説」は石介の説を引く:上九は一卦の終点に処し、事情はすでに了結した。全卦の上に居り承奉する所なきは、自身引退する者である。外卦に身を置き心は内卦の事に牵累されぬは、志向が高遠の者である。胡炳文の説をまた引く:初六から六五に至るまでみな蠱壊について立言し、しかも君臣を講ぜず父子を講ずる。臣子の君上に対する事が、ちょうど子の父に対する事のごときだからである。ただ上九のみ「不事王侯」をもって説くのは、君臣はもとより義をもって相合するからである。子の父母に対しては、自己を事外に推す余地はない。王侯の事に至っては、君子には肯んじて為さざる時がある。ゆえに子の出處進退をもって言えば、身が事情の中にあれば、力を尽くして整治しても汚濁と算せず、身が事情の外にあれば、潔身して引退しても乖僻と算しないのである。

臨卦

臨.坤上.兌下 程傳 《臨序卦》;“有事而後可大,故受之以臨。臨者,大也”。“蠱者,事也”。 有事則可大矣,故受之以臨也。韓康伯云:可大之業,由事而生。二陽方長而盛大,故為《臨》也。為卦澤上有地,澤上之地,岸也,與水相際,臨近乎水,故為臨。天下之物,密近相臨者,莫若地與水,故地上有水則為比,澤上有地則為臨也。臨者,臨民臨事,凡所臨皆是。在卦取自上臨下,臨民之義。

《臨》卦は、上卦は坤、下卦は兌である。この一行は卦画の標注である。程頤『伊川易伝』は言う、『序卦伝』は講ずる:「事あって後に大なるべし、故に受くるに臨を以てす。臨とは大なり。」前にすでに「蠱とは事なり」と言い、事があって為せばこそその大なるを成す。ゆえに《臨》卦は《蠱》卦の後に接ぐ。韓康伯は言う:大なるべき事業は、みな事を為すことから生ずる。この卦は二つの陽爻がまさに生長して盛大に趨るので、《臨》と言う。卦体を講ずれば、沢上に地あり。沢上のその地はすなわち岸で、水に接し水面に貼近する。ゆえに「臨」と言う。天下の物で貼近して相臨するは、地と水より近きはない。ゆえに地上に水あれば《比》卦となり、沢上に地あれば《臨》卦となる。いわゆる「臨」には、臨民・臨事を含め、凡そ高きに居りて何かに面するをすべて算する。この卦に就いて言えば、自ら上にして下に面し、百姓に君臨する意を取る。

臨,元亨,利貞,至于八月有凶。 本義 臨,進而陵逼於物也。二陽浸長以逼於陰,故為《臨》,十二月之卦也。又其為卦,下兌說,上坤順,九二以剛居中,上應六五,故占者大亨而利於正,然“至于八月”當“有凶”也。八月,謂自《復》卦一陽之月,至於《遯》卦二陰之月,陰長陽遯之時也。或曰:八月謂夏正八月,於卦為《觀》,亦《臨》之反對也,又因占而戒之。

《臨》卦の卦辞:「元亨、利貞、八月に至れば凶あり。」朱熹『周易本義』は言う、「臨」は進み逼って相手に壓し臨む意である。二つの陽爻が漸々生長して衆陰に逼向する。ゆえに《臨》と言い、十二消息卦の中で十二月に配する。卦体を講ずれば、下卦の兌は悦、上卦の坤は順、九二は剛爻をもって下卦の中に居り、上は六五に応ずる。ゆえに占う者は大いに亨通して守正に利あり。しかし「八月に至れば」すなわち「凶あら」ん。いわゆる八月とは、《復》卦の一陽初生のその月から算え、《遯》卦の二陰生長の月に数え至る。まさに陰長陽退の時である。また一説に、八月は夏暦の八月を指し、卦は《觀》となる。《觀》はまさに《臨》を倒転した卦である。これは占断に就いてさらに一層の告戒を加えたものである。

程傳 以卦才言也,臨之道,如卦之才,則大亨而正也。二陽方長於下,陽道向盛之時,聖人豫為之戒曰,陽雖方長,“至于八月”,則其道消矣,是“有凶”也。大率聖人為戒,必於方盛之時,方盛而慮衰,則可以防其滿極,而圖其永久。若既衰而後戒,則無及矣。自古天下安治,未有久而不亂者,蓋不能戒於盛也。方其盛而不知戒,故狃安富則驕侈生,樂舒肆則綱紀壞,忘禍亂則寡孽萌,是以浸淫不知亂之至也。

程頤『伊川易伝』は言う、卦辞は一卦の才質に就いて立言したものである。臨の道理は、もし本卦の才質のごとくであれば、大いに亨通して正に合し得る。二つの陽爻がまさに下に生長するは、陽道が興盛に趨る時である。しかし聖人はあらかじめ告戒を設けて、陽はまさに生長しているが、八月に至ればその勢いは消退し、その時「凶あら」んと言う。大抵聖人が戒めを立てるは、必ず事物がまさに盛んな時にする。まさに盛んの時に衰敗を考慮してこそ、その盈満が極点に至るを防止し、長久を謀り得る。もしすでに衰敗してから戒めに来れば、及ばない。古来天下が安定太平で、長久にして乱れざりしはない。その原因はまさに盛時に自ら戒め得ぬに在る。その興盛に当たって警惕を知らず、こうして安逸富足に習い驕奢を生じ、舒適放纵を貪り綱紀を敗壊し、禍乱を忘れて禍端を萌生し、因って一步步浸染して行き、なお乱がすでに眼前に来ているを知らないのである。

集說 張子曰:臨言“有凶”者,易之於爻,變陽至二,便為之戒,未過中已戒,猶“履霜堅冰”之義。及《泰》之三,曰“無平不陂,無往不復”,過中之戒也。 《朱子語類》:問:臨不特上臨下之謂臨,凡進而逼近者,皆謂之臨否?曰:然。 此是二陽自下而進上,則凡相逼近者,皆為《臨》也。

「集説」は張載の説を引く:《臨》卦が「有凶」と言う所以は、《易》は爻の変化において、陽爻が第二位に長ずるや先に告戒を立てる。まだ中位を過ぎざるにすでに警戒するは、ちょうど《坤》卦の初六「履霜堅冰」の用意と同じである。《泰》卦の九三「无平不陂、无往不复」に至れば、あれは中位を過ぎて後の告戒である。『朱子語類』の記載をまた引く:人問う、「臨」はただ上が下に面するをのみ臨と言うのではなく、凡そ進んで逼るものはみな臨と言い得るか。朱熹答えて曰く:そうである。この卦は二つの陽爻が下より上に向かって進逼する。ゆえに凡そ彼此逼近する情形は、みな《臨》と算する。

程氏迥曰:陽極於九,而少陰生於八,陰之義配月;陰極於六,而少陽復於七,陽之義配日。 王氏應麟曰:臨所謂八月,其說有三,一雲自丑至申為《否》,一雲自子至未為《遯》,一雲自寅至酉為《觀》,本義兼取《遯》、《觀》二說。《復》所謂“七日”,其說有三,一謂卦氣起《中孚》,六日七分之後為《復》;一謂過《坤》六位,至《復》為七日;一謂自五月《姤》一陰生,至十一月一陽生,《本義》取自《姤》至《復》之說。

「集説」は程迥の説を引く:老陽の数は九に極まり、少陰の数は八である。ゆえに陰の意義には「月」を配する。老陰の数は六に極まり、少陽の数は七に還る。ゆえに陽の意義には「日」を配する。王應麟の説をまた引く:《臨》卦のいわゆる「八月」には、従来三種の講法がある。一説は丑月から申月まで数え、卦は《否》となる。一説は子月から未月まで数え、卦は《遯》となる。一説は寅月から酉月まで数え、卦は《觀》となる。『本義』は《遯》《觀》両説を兼ね採る。《復》卦のいわゆる「七日」にも三種の講法がある。一説は卦氣が《中孚》から起算し、六日七分の後に《復》となる。一説は《坤》卦の六位を経て、《復》に至ってちょうど第七日となる。一説は五月《姤》卦の一陰初生から、十一月の一陽初生まで数える。『本義』が採るのは《姤》から《復》へのこの説である。

胡氏炳文曰:諸家臨字,訓近訓大,只見上臨下,不見剛臨柔之意。《本義》依如臨深淵之臨,謂進而迫於淵,此所謂臨者,剛進而迫於柔也。蓋《復》者,陰之極而陽初來也。《臨》者,二陽皆來而迫於陰也。故復“亨”而臨大“亨”,《復》不言“利貞” 初九,咸臨,貞吉。

「集説」は胡炳文の説を引く:各家の「臨」の字の解は、あるいは「近づく」と訓し、あるいは「盛大」と訓するが、みな上が下に面するを見るのみで、剛爻が柔爻に逼近する意を見出していない。『本義』は「如臨深淵」のあの「臨」の字に依り、進んで深淵に迫近する義と講ずる。ここにいう臨とは、剛爻が前進して柔爻に迫近することである。《復》卦は陰が極処に至って一陽が剛に帰ったもの、《臨》卦は二つの陽爻がすでに来て衆陰に逼向するものである。ゆえに《復》はただ「亨」と言い、《臨》は大いに「亨」と言う。《復》は「利貞」と言わず……(底本ここに脱文があり、胡炳文の言は未完)。以下は初九の爻辞:「咸臨、貞吉。」

本義 卦唯二陽,遍臨四陰,故二爻皆有“咸臨”之象,初九剛而得正,故其占為“貞吉”。 程傳 “咸”,感也。陽長之時,感動於陰,四應於初,感之者也。比他卦相應尤重。四近君之位,初得正位,與四感應。是以正道為當位所信任,得行其志,獲乎上而得行其正道,是以吉也。他卦初上爻不言得位失位,蓋初終之義為重也。臨則以初得位居正為重。凡言“貞吉”,有既正且吉者,有得正則吉者,有貞固守之則吉者,各隨其事也。

朱熹『周易本義』は言う、全卦に陽爻は二つのみながら、普く四つの陰爻に面している。ゆえに初九・九二の両爻にみな「咸臨」の象がある。初九は剛健にして「當位」であるから、「占辞」は「貞吉」と断ずる。程頤『伊川易伝』は言う、「咸」はすなわち感である。陽氣が生長する時、陰を感動した。六四と初九は相応して、まさに感動される方であって、他の卦の相応関係よりもはるかに切実である。六四は近君の位に居り、初九もまた正位を占める。両爻は彼此相感応する。こうして初九は正道をもって當権者の信任を得、自己の志向を施行し得る。上の支持を得てしかも正道を推行し得るゆえに吉である。他の卦では、初爻・上爻は一般に得位失位を講ぜない。その両爻は始と終の意義を重んずるからである。《臨》卦は特に初九の位を得て正を守るを重んずる。凡そ「貞吉」と言うのは、既に正にして吉のものあり、正を得てこそ吉のものあり、堅守し続けてこそ吉のものあり、各々占う事に随って定まる。

集說 李氏舜臣曰:山澤通氣,故山上有澤,其卦為《咸》,而澤上有地,初二爻亦謂之咸者,陰陽之氣相感也。 九二,咸臨,吉,無不利。 本義 剛得中而勢上進,故其占“吉”而“無不利也”。

「集説」は李舜臣の説を引く:山と沢は氣息相通ずる。ゆえに山の上に沢ある卦を《咸》と言う。《臨》卦は沢上に地あり、初九・九二の両爻もまた「咸」の字を用いる。同じく陰陽二氣の彼此相感応の意を取るのである。《臨》卦の九二の爻辞:「咸臨、吉、无不利。」朱熹『周易本義』は言う、九二は剛健にして下卦の中に居り、聲勢はまさに上に向かって進む。ゆえに「占辞」は「吉」にして「无不利」と断ずる。

程傳 二方陽長而漸盛,感動於六五中順之君,其交之親,故見信任,得行其志,所臨吉而無不利也。吉者已然,如是故占也;無不利者,將然於所施為,無所不利也。 集說 蔡氏清曰:初九以剛得正而吉,九二以剛中而吉。剛中則貞無待於言也,剛中最易之所善。

程頤『伊川易伝』は言う、九二はまさに陽氣が生長して漸く興盛に趨る時に當たり、六五という中に居りて柔順なる君主を感動させた。双方の交情は親密で、因って信任を受け、自己の志向を施行し得る。面する局面は自ずと吉利であって不利はない。「吉」は已然の情形に就いて言うので、目下このようであるから、このように断ずる。「无不利」は将来の作為に就いて言うので、凡そ施す所あれば往々にして利ならざるはない。「集説」は蔡清の説を引く:初九は剛健にして「當位」をもって吉を得、九二は剛健にして中に居るをもって吉を得た。すでに剛にして中に居る以上、守正を更に言う必要はない。剛にして中を得るは、まさに《易》が最も称許する品格である。

六三,甘臨,無攸利,既憂之,無咎。 本義 陰柔不中正,而居下之上,為以甘說臨人之象,其占固無所利。然能憂而改之,則“無咎”也。勉人遷善,為教深矣。

《臨》卦の六三の爻辞:「甘臨、攸利なし、既にこれを憂えば、咎なし。」朱熹『周易本義』は言う、六三は陰柔にして不中不正なのに、下卦の最上位に居る。これは甜言悦色をもって人に面する象で、占断はもとより何の利益もない。しかしもし心に憂懼を生じて改正すれば、過ちを犯さずに済む。聖人がこのように人を勉励して過ちを改め善に向かわせるのは、用心教化が極めて深切である。

程傳 三居下之上,臨人者也。陰柔而說體,又處不中正,以甘說臨人者也。在上而以甘說臨下,失德之甚,無所利也。兌性既說,又乘二陽之上,陽方長而上進,故不安而益甘。既知危懼而憂之,若能持謙守正,至誠以自處,則“無咎”也。邪說由己,能憂而改之,復何咎乎?集說 蘇氏軾曰:樂而受之謂之甘。

程頤『伊川易伝』は言う、六三は下卦の上に居り、人に面する方である。陰柔にして兌悦の体に身を置き、処する所もまた不中不正である。ゆえに甜言悦色をもって人を待つ様子となる。上位に身を居して甜言悦色をもって下に対するは、德行上極めて大なる缺失で、何の利益もない。兌の本性はすでに喜悦であり、六三はまた二つの陽爻の上に凌乗して、陽はまさに生長上進している。ゆえにその心は安からず、いよいよ言葉を甘くする。一旦危険を知って心に憂懼を生じ、もし謙遜を持守し正道を堅守して至誠をもって自処すれば、過ちなくし得る。邪佞が取悦するは本来自ら招いたもの、憂懼してこれを改め得れば、また何の過ちがあろう。「集説」は蘇軾の説を引く:人をして楽しく受け入れさせるような味を、甘と言うのである。

胡氏炳文曰:彖唯取剛臨柔,爻則初二外,皆上臨下。三兌體在二陽之上,為以甘說臨人之象。《節》九五以中正為甘,則吉;此以不中不正為甘,故“無攸利”。憂者說之反,能憂而改,則“無咎”矣。

「集説」は胡炳文の説を引く:「彖辞」はただ剛爻が柔爻に逼近する意を取るのみで、各爻は初九・九二を除いて、みな上から下に面するものである。六三は兌体に身を居して二つの陽爻の上にあり、甜言悦色をもって人を待つ象となった。《節》卦の九五は中正の德をもって「甘節」と称して吉を得、ここでは不中不正をもって「甘臨」と称し、ゆえに「攸利なし」である。憂懼はまさに喜悦の反面である。憂懼して改正し得れば、過ちなくし得るのである。

案 《臨》卦本取勢之盛大為義,因其勢之盛大,又欲其德業之盛大,是此卦彖爻之意也。初二以德感人,故曰“咸”。以德感人者,蓋以盛大為憂,而未嘗樂也。六三說主德不中正,以勢為樂,故曰“甘臨”。夫恣情於勢位,則何利之有哉?然說極則有憂之理,既憂則知勢位之非樂,而咎不長矣。此爻與節三“不節之嗟”正相似,皆兌體也。

李光地が按する:《臨》卦はもとより聲勢盛大を義に取る。まさに聲勢が盛大なるがゆえに、聖人はさらに一歩を進めて、人の德業もまたこれに随って盛大なることを望む。これが本卦の「彖辞」と爻辞の用意である。初九・九二は德をもって人を感じるゆえに「咸」と言う。德をもって人を感ずる者は、聲勢盛大を以て憂うべき事となし、従来これを以て楽しみとはしない。六三は兌悦の主として、德性が不中不正で、かえって權勢を楽しみと成す。ゆえに「甘臨」と言う。性情を權勢地位の上に放縦して、何の利益があろう。ただ喜悦が極処に至れば、自ずと憂うべき理を生ずる。一旦憂いを知れば、權勢地位は楽しむに足らぬを明白し、過ちもまた長引かない。この一爻は《節》卦の六三「不節之嗟」とちょうど相類似して、ともに兌体の爻である。

本義 處得其位,下應初九,相臨之至,宜“無咎”者也。 程傳 四居上之下,與下體相比,是切臨於下,臨之至也。臨道尚近,放以比為至。 四居正位,而下應於剛陽之初,處近君之位,守正而任賢,以親臨於下,是以“無咎”,所處當也。 集說 王氏宗傳曰:四以上臨下,其與下體最相親,故曰“至臨”。以言上下二體,莫親於此也。

以下は六四の一爻(底本は爻辞「六四、至臨、无咎」を脱去)。朱熹『周易本義』は言う、六四は陰爻をもって陰位に居り「當位」し、下はまた初九に相応する。これは彼此相臨して極めて親近の地步に至ったもので、理の当然として過ちはない。程頤『伊川易伝』は言う、六四は上卦の最下位に居り、下体と緊密に相隣り、下に貼近してこれに臨むは、臨むこと最も切なり。臨という事は近きを貴ぶ。ゆえに相隣るをもって最も切近と成す。六四は正位を占め、下は剛陽の初九に相応し、身は近君の位に処して能く正を守り賢を任じ、親近の態をもって下に面する。ゆえに「无咎」、これはその処する所が當を得た故である。「集説」は王宗傳の説を引く:六四は上から下に面して、しかも下体と最も親近であるから、「至臨」と言う。上下二体に就いて言えば、これより親密なるはない。

六五,知臨,大君之宜,吉。 本義 以柔居中,下應九二,不自用而任人,乃知之事,而“大君之宜”,吉之道也。 程傳 五以柔中順體居尊位,而下應於二剛中之臣,是能倚任於二,不勞而治,以知臨下者也。夫以一人之身,臨乎天下之廣,若區區自任,豈能周於萬事?故自任其知者,適足為不知。唯能取天下之善,任天下之聰明,則無所不周。是不自任其知,則其知大矣。五順應於九二剛中之賢,任之以臨下,乃己以明知臨天下,大君之所宜也,其吉可知。

《臨》卦の六五の爻辞:「知臨、大君の宜、吉。」朱熹『周易本義』は言う、六五は柔順をもって上卦の中に居り、下は九二に相応し、一己の能を逞しゅうせずして他人を任用する。これはまさに明智の表現であり、また大君たる身として當然あるべき做法である。自ずと吉を得る道である。程頤『伊川易伝』は言う、六五は柔順居中の質、坤順の体に身を置いて尊位に処し、下は九二という剛健居中の臣子に相応する。これは九二を倚重し得ることを示す。神を勞せずして天下はすでに治まる。これがすなわち明智をもって下に面するものである。一人の身躯をもって広大の天下に面するに、もし事事皆自ら扛がんとすれば、どうして万事に周遍し得よう。ゆえに聡明を自恃する者は、かえって不明智となる。ただ天下の善言を採納し、天下の聡明才智を任用し得てこそ、周遍せざるはない。自己の智慧を自恃せざれば、その智慧こそ真に広大である。六五は九二という剛中の賢に順応し、任用して下に面せしめれば、自己が明智をもって天下に臨御するに等しい。これはまさに大君が當然為すべき所で、吉を得るは想うべく知れる。

集說 王氏申子曰:《中庸》曰:“唯天下至聖,為能聰明睿知,足以有臨也。故知臨為“大君之宜”。六五以柔中之德,任九二剛中之賢,不自用其知,而兼眾知,為知之大,是宜為君而獲吉也。 胡氏炳文曰:《臨》是以己臨人,五虛中,下應九二,不任己而任人,所以為知,所以為“大君之宜”。

「集説」は王申子の説を引く:『中庸』は「唯天下至聖、為に聡明叡知なること、足以て臨む有らん」と講ずる。ゆえに明智をもって下に臨むはまさに「大君之宜」と言う。六五は柔順居中の德性に凭り、九二という剛中の賢を任用し、自己一人の智慧を逞しゅうせずして、衆人の智慧を匯聚する。これこそ大智慧である。ゆえに君たるに宜しくして吉利を獲る。胡炳文の説をまた引く:《臨》卦は自己をもって他人に面するものである。六五の中間は虚の陰爻で、下は九二に相応し、自己に倚仗せずして他人に倚仗する。まさにこのゆえにこそ明智と称し得、「大君之宜」と称し得るのである。

上六,敦臨,吉,無咎。 本義 居卦之上,處臨之終,敦厚於臨,“吉”而“無咎”之道也,故其象占如此。 程傳 上六坤之極,順之至也,而居臨之終,敦厚於臨也。與初二雖非正應,然大率陰求於陽,又其至順,故志在從乎二陽,尊而應卑,高而從下,尊賢取善,敦厚之至也,故曰“敦臨”,所以“吉”而“無咎”。陰柔在上,非能臨者,宜有咎也,以其敦厚於順剛,是以吉而無咎。六居臨之終而不取極義,臨無過極,故止為厚義,上五位之地,止以在上言。

《臨》卦の上六の爻辞:「敦臨、吉、无咎。」朱熹『周易本義』は言う、上六は全卦の上に居り、臨の終点に処して、人を待ち物に接するに敦厚篤實である。これは「吉」にして「无咎」の道である。ゆえに取象と占断がこのようである。程頤『伊川易伝』は言う、上六は坤卦の極処で、順は極点に至り、また臨の終点に居る。因って臨の態度において格別敦厚である。初九・九二とは「應與」の正配ではないが、大体陰はつねに陽に求助を要する。加うるにその極めて柔順なるがゆえに、心志はこの二つの陽爻に跟従するに在る。尊貴の身をもって卑下の位に應答し、高きに居る勢をもって下の人に跟従し、賢者を尊崇し善言を擇取する。敦厚は極処に至る。ゆえに「敦臨」と言い、因って「吉」にして「无咎」である。陰柔にして上位に居るは、もとより人を臨御し得る者ではなく、理に照らして過ちあるべきである。まさに剛爻に順従するこの事において敦厚を為したがゆえに、かえって吉にして咎なしである。上六は臨の終点に処して「極」の意を取らないのは、臨という事には過ぎるという説がないからで、ゆえにただ厚道の義を取るのみである。上位は五位の上にある。ここではただその上に居るに就いて言うのみである。

集說 《朱子語類》云:上六敦臨,自是積累至極處,有敦篤之義。《艮》上九亦謂之“敦艮”。《復》上六爻不好了,所以只於五爻謂之“敦復”。 楊氏啟新曰:處臨之終,有厚道焉,教思無窮,容保無疆者也。如是則德厚而物無不載,道久而化無不成。

「集説」は『朱子語類』の説を引く:上六の「敦臨」は、もとより積累が極処に至って敦厚篤實の義あるものである。《艮》卦の上九もまた「敦艮」と称す。《復》卦に至っては、上六のあの一爻はすでに好くないから、六五においてのみ「敦復」と言う。楊啓新の説をまた引く:臨の終点に処すれば、自ずと一份の厚道がある。まさに『象伝』の言う教化の心思に窮尽なく、包容保全に辺界なしである。このようであれば、德行が深厚であれば承載し得ぬ物はなく、教化が持久すれば化育成らぬ事はない。

觀卦

觀.巽上 程傳 《觀序卦》:“臨者大也,物大然後可觀,故受之以觀。”《觀》所以次《臨》也。凡觀視於物則為觀。為觀於下則為觀。如樓觀謂之觀者,為觀於下也。人君上觀天道,下觀民俗,則為觀。修德行政,為民瞻仰,則為觀。風行地上,遍觸萬類,周觀之象也。二陽在上,四陰在下,陽剛居尊,為群下所觀仰,觀之義也。在諸爻則唯取觀見,隨時為義也。

《觀》卦は、上卦は巽である(底本ここに「坤下」の二字を漏刻)。程頤『伊川易伝』は言う、『序卦伝』は講ずる:「臨とは大なり、物大なりて後に觀たるべし、故に受くるに觀を以てす。」ゆえに《觀》卦は《臨》卦の後に排す。凡そ自己が某物を見に行くは、平聲の「觀」と読み、自己を擺し出して下の人に見せるは、去聲の「觀」と読む。高台楼觀が「觀」と言われる所以は、それが下の人に見せるためである。人君は上は天道を察し下は民俗を察する、これは自己在看である。德行を修養し政教を推行して、百姓の仰望する榜様となる、これは人に看られるものである。風が地面の上を行走して萬物に遍及するは、周遍觀察の象である。この一卦は二つの陽爻が上に、四つの陰爻が下にあり、陽剛は尊位に居り、下の衆人に瞻仰される。まさに「觀」の意義である。六爻の中に至っては、ただ見る所が如何にを取り、各爻の時位に随って義を立てる。

觀,盥而不薦,有孚顒若。 本義 “觀”者,有以示人,而為人所仰也。九五居上,四陰仰之,又內順外巽,而九五以中正示天下,所以為觀。“盥”,將祭而潔手也。“薦”,奉酒食以祭也。“頤然”,尊嚴之貌。言致其潔清而不輕自用,則其孚信在中,而顒然可仰。戒占者宜如是也。或曰:“有孚顒若”,謂在下之人,信而仰之也。此卦四陰長而二陽消,正為八月之卦,而名卦繫辭,更取它義,亦扶陽抑陰之意。

《觀》卦の卦辞:「盥して薦せず、孚あり顒若たり。」朱熹『周易本義』は言う、いわゆる「觀」とは、自身を擺し出して人に見せ、因って人に仰望されることである。九五は上位に居り、四つの陰爻はそれを仰望する。内卦は坤順、外卦は巽入にして、九五はまた「中正」の德をもって天下に昭示する。ゆえに「觀」を成す。「盥」とはまさに祭を行わんとする時先に手を洗い淨めること、「薦」とは酒食を捧げ上げて獻祭すること、「顒然」とは莊重尊嚴の樣子である(底本ここの「頤然」は「顒然」と當るべし)。これは言う、自己を潔く收拾して輕率に作為を施展せざれば、誠信は心中に存して莊重に仰ぐべし。聖人はこれをもって占問する人に、當にこのようであるべきを告戒する。ある人はまた言う、「有孚顒若」は下の人が信服して彼を仰望するを指す。この一卦は四陰生長、二陽消退で、まさに八月の卦である。しかし卦に名を命じ辞を繋ぐに當たって別の意を取るのもまた、陽を扶助し陰を抑制する用心である。

程傳 子聞之胡翼之先生曰:君子居上,為天下之表儀,必極其莊敬,則下觀仰而化也。故為天下之觀,當如宗廟之祭,始盥之時,不可如既薦之後,則下民盡其至誠,顒然瞻仰之矣。“盥”,謂祭祀之始,盥手酌鬱鬯於地,求神之時也。“薦”,為獻腥獻熟之時也。

程頤『伊川易伝』は言う、私は老師胡瑗先生が講じたのを聞いた:君子は上位に居れば、天下の表率儀範である。必ず極めて莊重恭敬を致してこそ、下の人は彼を仰望してその感化を受ける。ゆえに天下人の觀仰の對象となるべきは、宗廟祭祀のごとく、剛に手を洗いし時のあの莊敬を保持し、獻祭品を過ぎた後のように鬆懈してはならない。こうすれば下の百姓は誠意を竭くして、莊重に彼を仰望する。「盥」とは祭祀が剛に始まる時に手を洗い、鬱鬯の酒を地に澆いて神の降臨を求めるあの一刻を指す。「薦」とは生肉・熟肉などの祭品を獻上するあの一刻を指す。

盥者事之始,人心方盡其精誠,嚴肅之至也。至既薦之後,禮數繁縟,則人心散,而精一不若始盥之時矣。居上者,正其表儀以為下民之觀,當莊嚴如始盥之初,勿使誠意少散,如既薦之後,則天下之人莫不盡其孚誠,顒然瞻仰之矣。顒,仰望也。

手を洗うは祭祀全體の開頭で、人心はまさに精誠を一処に聚め、嚴肅は極點に至る。祭品を獻じ過ぎた後に至っては、儀節は繁多瑣細で、人心は便ち散じ、あの專一は剛に手を洗いし時に如かない。上位に居る人は、自己の儀範を端正にして百姓の瞻仰の對象となれば、當に始終莊嚴にして剛に手を洗いしあの一刻の如くあるべきで、誠意をして一絲も涣散せしめず、獻祭の後のように懈怠せしめてはならない。こうすれば天下人はその誠信を竭くさぬはなく、莊重に彼を仰望する。「顒」はすなわち仰望の意である。

集說 《朱子語類》云:自上示下曰觀,自下觀上曰觀,故卦名之觀去聲,而六爻之觀皆平聲。 或問:伊川以為灌鬯之初,誠意猶存,至薦羞之後,精意懈怠。《本義》以為致其潔清而不輕自用,其義不同。曰:盥只是浣手,不是灌鬯。伊川承先儒之誤。若云薦羞之後,誠意懈怠,則先王祭祀,只是灌鬯之初,猶有誠意,及存羞之後,皆不成禮矣。

「集説」は『朱子語類』の説を引く:上から下に顯示して見せるを「觀」と言い、下から上を仰望するをもまた「觀」と言う。ゆえに卦名の「觀」は去聲に読み、六爻中の「觀」はすべて平聲に読む。ある人が問う:程頤は酒を澆り神を降す初めに誠意はなお在り、祭品を獻上して後は精神が懈怠すると考える。『本義』はこれを自己を潔く收拾して輕率に施為せずと講ずる。兩説は同じからず。朱熹答えて曰く:「盥」は不過手を洗うのみで、酒を澆り神を降すことではない。程頤は前代の學者の錯誤を沿襲したのである。もし祭品を獻じ過ぎた後に誠意が懈怠すると言うならば、先王の祭祀は豈に酒を澆る初めのみ誠意を存し、祭品を獻上して後は全く禮を成さぬことになろうか。

問:若爾,則是聖人在上,視聽言動,皆當為天下法,而不敢輕,亦猶祭祀之時,致其潔清而不敢輕用否?曰:然。 又云:祭祀無不薦者,此是假設來說,薦是用事了,盥是未用事之初。雲不薦者,言常持得這誠敬,如盥之意常在。若薦則是用出,用出則才畢便過了,無復有初意矣。

ある人がまた問う:このように言えば、すなわち聖人は上位に居り、一挙一動・一言一行すべて天下の法則と爲すべくして敢えて輕率にせず、ちょうど祭祀の時に自己を潔く收拾して敢えて軽く動作せざるがごとし、かようであるか。朱熹答えて曰く:然り。朱熹はまた言う:祭祀に祭品を獻じざるはない。卦辞がかように講ずるは假設の辞である。「薦」はすでに手を動かして事を辨ずること、「盥」は未だ手を動かさざる初めである。「不薦」と言うは、あの誠敬を長久に保持して、手を洗う時のあの点の心意を常在せしめるを講ずる。もし一旦「薦」すれば、すなわち心意を用い出したこと、用い出して後は事が一たび畢れば過ぎ去り、再び起の初めのあの份の意思はない。

問:“有孚顒若”。承上文“盥而不薦”,蓋致其潔清而不輕自用,則孚信在中而顒然可仰;一說下之人信而仰之,二說孰長?曰:從後說,則合得彖辭下觀而化之義。問:前說似好。曰:當以彖辭為定。

また問う:「有孚顒若」のこの一句は、上文の「盥而不薦」を承接し、自己を潔く收拾して輕率に施為せざれば、誠信は心中に存して莊重に仰ぐべしと言う。もう一つの説は下の人が信服し彼を仰望するという。この兩説はどちらが好いか。朱熹答えて曰く:後の一説に依ってこそ、「彖辞」に講ずる「下觀而化」の意に合し得る。その人はまた言う:前の一説の方が好いようである。朱熹答えて曰く:當に「彖辞」を以て準とすべきである。

馮氏椅曰:卦疊艮之畫,有門闕重複之象,故取象於《觀》。 龔氏煥曰:《易》之名卦,以陽為主。在陽長之卦,固主於陽而言。在陰長之卦,亦主於陽而言。主於陽而盲者,所以扶陽也。此四陰之卦,不曰小壯而曰《觀》也,四陽之卦,有曰《大過》;四陰之卦,有曰《小過》者何?陰可以言過,而不可以言壯也。

「集説」は馮椅の説を引く:この一卦は上下に艮卦の畫象を重畳し、宮門闕樓が重重に相對する樣子がある。ゆえに「觀」を取って象とする。龔煥の説をまた引く:《易》が卦に名を命ずるは、陽を主とする。陽爻が生長する卦では、固より陽に主じて言を立てる。陰爻が生長する卦でも、なお陽に主じて言を立てる。處處陽に主とする所以は、陽氣を扶助するためである。この一卦は四陰の卦なのに、「小壯」と言わずして《觀》と言う。ある人が問う:四陽の卦に《大過》と言うのがあり、四陰の卦に《小過》と言うのがある。これはまた何の故か。陰は「過」と言うべくしても、「壯」と言うべからざるが故である。(底本「主于陽而盲者」は「主于陽而言者」と當るべし。)

然《大過》之四陽,過而居中;《小過》之四陰,過而居外,亦崇陽抑陰之意。 蔡氏清曰:平庵項氏云:此但以“盥而不薦”,象恭己無為耳。愚謂恭己二字則說得,無為二字難通。無為者,聖人德盛而民自化,不待有所為,非不輕自用意也,無為豈可用心乎?雖堯舜亦不能自期於無為。至於神道設教而天下服,則是觀之極致,聖人之能事,是則所謂無為者。

さらに《大過》の四つの陽爻を言えば、過多ではあるが卦の中間に居り、《小過》の四つの陰爻は、過多ではあるが分かれて卦の外側に居る——これは同じく陽を尊崇し陰を抑制する用意である。「集説」は蔡清の説を引く:平庵項安世は講ずる、卦辞は不過「盥而不薦」をもって恭敬自持・無爲而治を比喻するのみである。私は「恭己」の二字は講じ得るが、「無爲」の二字は講じ得ないと思う。いわゆる無爲とは、聖人の德行が深厚で百姓が自ずと化を受け、作爲を用いるに及ばぬを言うので、「不軽自用」の意ではない——無爲は豈に刻意して用心して求得し得るものか。堯舜でさえも無爲に致るをあらかじめ期許することはできない。神道に依って教化を設立して天下が歸服する、あれこそ「觀」の極致、聖人の能事であって、あのようにしてこそいわゆる無爲と称し得る。

林氏希元曰:盥將以薦,豈有不薦之理?曰,“盥而不薦”,特以明敬常在之意耳。 盥而不薦,就祭祀上說,則“有孚顒若”,亦是就祭祀上說,為觀之意,則在言表。

「集説」は林希元の説を引く:手を洗うはもとより獻祭するためで、豈に手を洗って獻祭せざるの理があろう。ゆえに「盥而不薦」と言うは、ただこれを借りて敬意が長く存して散ぜぬを点明するのみである。「盥而不薦」はすでに祭祀に就いて立言した以上、「有孚顒若」もまた同じく祭祀に就いて立言である。それを借りて「觀」の道理を講ずるに至っては、言辞の外に自ずと見出るのである。

初六,童觀,小人無咎,君子吝。 本義 卦以觀示為義,據九五為主也。爻以觀瞻為義,皆觀乎九五也。初六陰柔在下,不能遠見,“童觀”之象,小人之道,君子之羞也。故其占在小人則“無咎”,君子得之,則可羞矣。

《觀》卦の初六の爻辞:「童觀、小人は咎なし、君子は吝。」朱熹『周易本義』は言う、整卦は自身を人に昭示するを義に取り、九五という主爻に依って講ずる。各爻は仰望瞻視を義に取り、みな九五を看ている。初六は陰柔にして最下に居り、見ること遠からず、まさに児童のごとき見識の象である。これは小人の常態であるが、君子の羞恥である。ゆえにこの占が小人の身に落ちれば過ちはないが、君子がこれを得れば、羞恥と感ずべきである。

程傳 六以陰柔之質,居遠於陽,是以觀見者淺近,如童稚然,故曰“童觀”。陽剛中正在上,聖賢之君也,近之則見其道德之盛,所觀深遠,初乃遠之,所見不明,如童蒙之觀也。小人,下民也,所見昏淺,不能識君子之道,乃常分也,不是謂之過咎,若君子而如是,則可鄙吝也。 集說 王氏弼曰:《觀》之為義,以所見為美者也,故以近尊為尚,遠之為“吝”。

程頤『伊川易伝』は言う、初六は陰柔の質をもって陽爻から遠い所に居る。ゆえに見る所が淺近で、小さい子どものごとし。ゆえに「童觀」と言う。九五は陽剛「中正」にして上に居り、聖賢の君である。彼に近ければ、その道德の隆盛を見て、見る所は深遠となる。初六はあいにく遠く離れ、分明に見ることができず、蒙昧の幼童が看るがごとし。「小人」はここでは下層の百姓を指し、彼らは見識が昏昧淺陋で、君子の道を認識し得ない。もとより分内の常態で、過失と算するに足らない。もし君子たる身としてなおこのようであれば、あれは鄙しむべく羞づべきである。「集説」は王弼の説を引く:《觀》のこの一卦の義理は、見る所が美好なるを貴ぶ。ゆえに尊位に近きを上とし、離れること遠きはすなわち「吝」となる。

六二,窺觀,利女貞。 本義 陰柔居內而觀乎外,窺觀之象,女子之正也,故其占如此。丈夫得之,則非所利矣。 程傳 二應於五,觀於五也,五剛陽中正之道,非二陰暗柔弱所能觀見也,故但如窺覘之觀耳。窺覘之觀,雖少見而不能甚明也,二既不能明見剛陽中正之道,則利如女子之貞,雖見之不能甚明,而能順從者,女子之道也,在女子為貞也。二既不能明見九五之道,能如女子之順從,則不失中正,乃為利也。

《觀》卦の六二の爻辞:「窺觀、女貞に利あり。」朱熹『周易本義』は言う、六二は陰柔にして内卦に居り、外面を看ようとする。これは門の隙間から偷み看る象である。これは女子が守るべき正道であるから、占断はこのようである。男子がこの一爻を得れば、利あるものではない。程頤『伊川易伝』は言う、六二は九五に相応し、看る所はまさに九五である。しかし九五の剛陽「中正」の道は、六二のごとき陰暗柔弱の資質の看明し得る所ではない。ゆえにただ隙間から張望するがごときのみ。窺視式の觀看は、略々見る所有るも十分に明白にできない。六二はすでに剛陽中正の道を看清し得ない以上、宜しく女子のごとく正を守るべきである。見ることは甚だ分明ならざるも、よく順従し得る。これがまさに女子の道で、女子にあっては貞と算する。六二はすでに九五の道を明見し得ない以上、女子のごとく順從し得れば、中正を失わず、これがまさに利ある所以である。

集說 胡氏炳文曰:初位陽,故為“童”。二位陰,故為女。“童觀”,是茫然無所見,小人日用而不知者也。“窺觀”,是所見者小而不見全體也。占曰“利女貞”,則非丈夫之所為可知矣。

「集説」は胡炳文の説を引く:初爻の位は陽に属するゆえに「童」を取って象とし、二爻の位は陰に属するゆえに「女」を取って象とする。「童觀」は茫然として何も見えず、ちょうど百姓が日々それを用いながらその道理を明白せざるがごとし。「窺觀」は見る所に限りあり、一角を見て全体を見ない。占断に「利女貞」と言う以上、それが大丈夫の為すべき作爲でないことは、また想うべく知れる。

六三,觀我生進退。 本義 “我生”,我之所行也。六三居下之上,可進可退,故不觀九五,而獨觀己所行之通塞以為進退,占者宜自審也。 程傳 三居非其位,處順之極,能順時以“進退”者也。若居當其位,則無進退之 集說孔氏穎達曰:二居下體之極,是有可進之時。又居上體之下,復是可退之地,遠則不為“童觀”,近則未為觀國,居在進退之外,可以自觀,時可則進,時不可則退,敵曰“觀我生進退”也。

《觀》卦の六三の爻辞:「我が生を觀て進退す。」朱熹『周易本義』は言う、「我生」とはすなわち我自己の所作所爲である。六三は下卦の最上位に居り、進むべく退くべく自在である。ゆえに九五を看ずして、ただ自己の行う所が通か塞かを看て、これをもって進退を決定する。占問する人は當に自己を省察すべきである。程頤『伊川易伝』は言う、六三の居る所は本位にあらず、また坤順の極処に処して、よく時勢に順応して進退し得る一爻である。もし居る所がその位に當たれば、進退の言はない……(底本ここに脱文があり、程頤の言は未完)。「集説」は孔穎達の説を引く:六三は下體の頂端に居り、前進し得る時機あり。また上體の下に貼着して、また退守し得る地位である。遠きを論ずれば、初六のごとく「童觀」に至らず、近きを論ずれば、また六四のごとく國の光を觀るに足らない。それはまさに進退の間の余地に処して、反觀して自己せしめ得る。時機が許せば進み、時機が許さなければ退く。ゆえに「觀我生進退」と言う。(底本この段「二居下體之極」は「三居下體之極」と當るべく、「敵曰」は「故曰」と當るべし。)

劉氏牧曰:自觀其道,應於時則進,不應於時則退。 《朱子語類》云:六三之“觀我生進退”者,事君則觀其言聽計從,治民則觀其政教可行,膏澤可下,可以見自家所施之當否,而為進退。

「集説」は劉牧の説を引く:反觀して自己の守る所の道を省し、時勢に合えば進み、時勢に合わなければ退く。『朱子語類』の説をまた引く:六三の「觀我生進退」とは、君主に事えることを言えば、自己の進言が採納されるか、謀劃が聽從されるかを看、百姓を治めることを言えば、自己の政令教化が行き通うか、恩澤が落ち届くかを看る。これにより自己の施行する所が恰當か否かを看出し、さらにこれに據って進むか退くかを決定するのである。

王氏申子曰:三處下之上,上之下,故有“進退”之象。君子進退常觀乎時。今不觀乎時而觀我生者,蓋九五方以陽剛中正觀示天下,則時不待觀也,但觀吾之所有以為進退可也。

「集説」は王申子の説を引く:六三は下卦の上、上卦の下に処する。ゆえに進退の象がある。君子の進退は、通常は時勢の如何を看る。今それは時勢を看ずしてただ自己の所作所爲を看るは、九五がまさに陽剛「中正」の德をもって天下に昭示して、時勢はすでに看るに及ばぬからである。ただ自己の具備する條件を省察し、これに據って進退を決定すれば足りる。

胡氏炳文曰:它卦三不中,多不善,二居中,多尊,而觀以遠近為義,故如此,諸爻皆欲觀五,唯近者得之。六四最近,故可決於進。六三上下之間,可進可退之地,故不必觀五,但觀我所為而為之進退。《本義》謂占者宜自審,蓋當進退之際,唯當自審其所為何如耳。

「集説」は胡炳文の説を引く:他の卦では、第三爻は中に居らず、多くは好くない。第二爻は中に居り、多くは取るべきである。しかし《觀》卦は九五からの遠近をもって義を取る。ゆえに情形は同じからず。各爻はみな九五を看清さんと欲するが、ただ靠り近きもののみ見え得る。六四は離れること最も近きゆえに、果て果として前進し得る。六三は上下卦の間に処して、まさに進むべく退くべき地位である。ゆえに九五を看るに及ばず、ただ自己の所作所爲を看て進退を決定すればよい。『本義』は占問する人が當に自己を省察すべしと言うのは、まさに該進該退の關頭に至って、ただ自己の所作所爲が畢竟如何であるかを審視するに及ばざるからである。

六四,觀國之光,利用賓于王。 本義 六四最近於五,故有此象,其占為利於朝覲仕進也。 程傳 觀莫明於近,五以陽剛中正居尊位,聖賢之君也。四切近之,觀見其道,故云“觀國之光”,觀見國之盛德光輝也。不指君之身而云國者,在人君而言,豈止觀其行一身乎?當觀天下之政化,則人君之道德可見矣。

《觀》卦の六四の爻辞:「國の光を觀る、王に賓たるに用いるに利あり。」朱熹『周易本義』は言う、六四は九五に離れること最も近きゆえに、このような象あり。占断は入朝覲見し出仕進用するに利あり。程頤『伊川易伝』は言う、物を看るに近くして看るより清楚なるはない。九五は陽剛「中正」の德をもって尊位に居り、聖賢の君である。六四はそれに緊挨着し、その道を見る。ゆえに「觀國之光」と言う、すなわち一國の盛德の光輝を見ることである。君主本人を看ると言わずして「國」を看ると言うのは、人君に就いて論ずれば、豈にただ彼一身の行事を看るのみか。當に天下の政教風化を看るべく、人君の道德もまたその中から顯現するのである。

四雖陰柔,而巽體居正,切近於五,觀見而能順從者也。“利用賓于王”,夫聖明在上,則懷抱才德之人。皆願進於朝廷,輔戴之以匡濟天下。四既觀見人君之德,國家之治,光華盛美,所宜賓于王朝,效其智力,上輔於君,以施澤天下,故云“利用賓于王”也。古者有賢德之人,則人君賓禮之,故士之仕進於王朝,則謂之賓。

六四は陰柔ではあるが、巽體に身を居して「當位」し、また九五に緊隣する。これはよく見え得てかつよく順從し得る一爻である。「利用賓于王」に至っては——聖明の君が上にあれば、才德を懐抱する人はみな朝廷に入ることを願い、彼を擁戴してともに天下を匡救せんとする。六四はすでに人君の德行・國家の治績を見、一派光華盛美であるから、理の當然として賓客の禮をもって王朝に入り、自己の智慧と力量を獻出し、上は君主を輔佐し、恩澤を天下に施及する。ゆえに「利用賓于王」と言う。古時は賢德ある人があれば、人君は便ち賓客の禮をもって相待し、ゆえに讀書人が王朝に出仕するを「賓」と言うのである。

集說 劉氏定之曰:九五大君,觀己所為以儀型天下。初居陽而去五遠,所觀不明如童子;二居陰而去五遠,所觀不明如女子。唯四得正而去五近,所觀最明,故曰觀光賓王。蓋諸爻皆就五取義也。

「集説」は劉定之の説を引く:九五は大君で、自己の所作所爲を省察して、もって天下の榜様とする。初六は陽位に居り九五に離れること遠く、分明に見ることできず、一箇の児童のごとし。六二は陰位に居り九五に離れることも遠く、分明に見ることできず、一箇の女子のごとし。ただ六四のみ「當位」にして九五に離れること近く、見ること最も清楚である。ゆえに爻辞は國の光を觀、王の賓と作ると言う。これを見れば各爻はみな九五に就いて義を取ることが分かる。

九五,觀我生。君子無咎。 本義 九五陽剛中正以居尊位,其下四陰,仰而觀之,君子之象也,故戒居此位,得此占者,當觀己所行,必其陽剛中正亦如是焉,則得“無咎”也。

《觀》卦の九五の爻辞:「我が生を觀る、君子は咎なし。」朱熹『周易本義』は言う、九五は陽剛「中正」の德をもって尊位に居り、下の四つの陰爻はみな頭を仰げて彼を看る。これは君子の象である。ゆえに聖人はこの位に身を居し、またこの占を得た人に告戒する:當に自己の所作所爲を省察し、必ず自己の陽剛中正をして確かにこの象の顯示するがごとくあらしめてこそ、過ちなくし得るのである。

程傳 九五居人君之位,時之治亂,俗之美惡,繫乎己而已。觀己之生,若天下之俗,皆君子矣。則是己之所為政化並也,乃無咎矣。若天下之俗,未合君子之道,則是己之所為政治未善,不能免於咎也。 集說 孔氏穎達曰:九五居尊,為《觀》之主。四海之內,由我而化。我教化善, 《朱子語類》云:九五之“觀我生”,如觀風俗之媺惡、臣民之從違,可以見自家所施之善惡。

程頤『伊川易伝』は言う、九五は人君の位に身を居し、一時代の治亂・風俗の美惡は、みな彼一人の身に繋る。いわゆる自己の作爲を省察するとは、看るに:もし天下の風俗がみな君子の道に合せば、それは自己の推行する政教化育がすでに效を見たことを說明し、こうして過ちはない。もし天下の風俗がなお君子の道に合せざれば、それは自己の推行する政治がなお完善せざることを說明し、過ちを免れ得ない。「集説」は孔穎達の説を引く:九五は尊位に居り、《觀》卦の主で、四海の內はみな我により化を受ける。我の教化がもし好ければ……(底本ここに脱文があり、孔穎達の言は未完)。『朱子語類』の説をまた引く:九五の「觀我生」とは、ちょうど風俗の好惡・臣民の順從と背離を考察するがごときで、これにより自己の施行する所が善か惡かを看出し得るのである。

王氏申子曰:五陽剛中正,居尊位以觀天下,此君子之道也。天下皆仰而觀之。在五又當觀己之所行,必一出於君子之道,然後可以立身於無過之地,故曰“觀我生,君子無咎”。 上九,觀其生,君子無咎。 本義 上九陽剛居尊位之上,雖不當事任,而亦為下所觀,故其戒辭略與五同,但以我為其,小有主賓之異耳。

「集説」は王申子の説を引く:九五は陽剛「中正」にして、尊位に居り天下を臨視する。これがすなわち君子の道で、天下人はみな頭を仰げて彼を看る。五位に身を處して、なお當に自己の所行を省察し、必ず件件皆君子の道に出づることを須として、然る後に自己を過失なき地位に立てることを得る。ゆえに「觀我生、君子无咎」と言う。《觀》卦の上九の爻辞:「其の生を觀る、君子は咎なし。」朱熹『周易本義』は言う、上九は陽剛をもって尊位の上に居り、具體の職事を擔當せざるも、同じく下の人に瞻仰される。ゆえにその告戒の辞は大体九五と相同じで、ただ「我」を「其」に換えたのみで、略々主と賓の分別あるのみである。

程傳 上九以陽剛之德處於上,為下之所觀,而不當位,是賢人君子不在於位,而道德為天下所觀仰者也。“觀其生”,觀其所生也。謂出於己者,德業行義也,既為天下所觀仰,故自觀其所生,若皆“君子”矣,則無“過咎”也,苟未君子,則何以使人觀仰矜式?是其咎也。

程頤『伊川易伝』は言う、上九は陽剛の德をもって全卦の上に處し、下の人に瞻仰されるが、しかし「當位」せず。これは賢人君子が職位に在らざるも、道德はなお天下の仰望と爲る情形である。いわゆる「觀其生」とは、彼が生發し出す所のものを省察すること、すなわち自己身上から生じ出る德業と行誼である。すでに天下の仰望と爲る以上、反りて自己の生發する一切を省察せねばならない。もし樣樣皆君子に合せば、便ち過ちはない。もしなお君子に及ばざれば、また何を以て人をして瞻仰效法せしめんか。それはすなわち彼の過錯である。

集說 王氏弼曰:“觀我生”,自觀其道者也。“觀其生”,為民所觀者也。不在於位,最處上極,高尚其志,為天下所觀者也。處天下所觀之地,可不慎乎?故君子德見,乃得“無咎”。

「集説」は王弼の説を引く:「觀我生」は、自己が自己の守る所の道を省察すること、「觀其生」は、百姓に瞻仰されることである。上九は職位に在らざるも、全卦最上の極處に處して、自己の志向を高遠と看做し、天下人の瞻仰の對象となる。天下の瞻仰の地に身を處して、能く慎重ならざらんや。ゆえに必ず君子の德が昭然として見えてこそ、過ちなくし得るのである。

案 上九觀其生,似只是承九五之義而終言之爾。蓋九五正當君位,故曰“我”。 上非君位,而但以君道論之,故曰“其”。辭與九五無異者,正所以見聖人省身察己,始終如一之心,故《象傳》發明之曰:“志未平也”。

李光地が按する:上九の「觀其生」は、見ればただ九五の意を承接し、この一層を説き尽くすのみである。九五はまさに君位に當るゆえに「我」と称し、上九は君位に在らず、ただ君たるの道に就いて議論するゆえに「其」と称す。兩爻の辞句は差別なく、ちょうど聖人が自身を反省し自己を省察するあの始終如一の心を顯出せんとする。ゆえに『象伝』はさらに一歩を進めて點明して「志未平也」と言う——あの心思は一刻も放平安歇しないのである。

總論《朱子語類》:問:《觀》卦陰盛而不言凶咎。曰:此卦取義不同,蓋陰雖盛於下,而九五之君,乃當正位,故只取為觀於下之義,而不取陰盛之象也。 問:《觀》六爻,一爻勝似一爻,豈所居之位愈高,則所見愈大耶?曰:上二爻意自別,下四爻是所據之位愈近,則所見愈親切底意思。

「總論」は『朱子語類』を引く:ある人が問う、《觀》卦は陰氣が甚だ盛んなのに、爻辞は凶險と過失を講ぜない。これは何の故か。朱熹答えて曰く:この一卦は義を取るに他の卦と同じからず。陰は下に在って強盛ではあるが、九五の君はまさに尊位に當る。ゆえにただ「自身を下に昭示する」のこの層の意を取り、陰盛の象を取らない。また問う:《觀》卦の六爻は一爻が一爻に勝るがごとし。豈に居る所の位が高ければ高いほど、見る所が大なるか。朱熹答えて曰く:上の兩爻の意は別に一路あり、下の四爻は占する位置が九五に離れること近ければ近いほど、見る所がますます親切となるのである。

噬嗑卦

噬嗑.離上.震下 程傳 《噬嗑序卦》:“可觀而後有所合,故受之以噬嗑,嗑者合也”。既有可觀,然後有來合之者也,《噬嗑》所以次《觀》也。“噬”,齧也。“嗑”,合也。口中有物,間之齧而後合之也。卦上下二剛爻而中柔,外剛中虛,人頤口之象也。中虛之中,又一剛爻,為頤中有物之象。口中有物,則隔其上下不得嗑,必齧之則得嗑,故為《噬嗑》,聖人以卦之象,推之於天下之事,在口則為有物隔而不得合,在天下則為有強梗,或讒邪隔於其間,故天下之事不得合也。

《噬嗑》卦は、上卦は離、下卦は震である。この一行は卦畫の標注である。程頤『伊川易伝』は言う、『序卦伝』は講ずる:「觀たるべくして後に合する所有り、故に受くるに噬嗑を以てす。嗑とは合なり。」自身に觀たるべき所有って後、前來會合する人あり。ゆえに《噬嗑》は《觀》卦の後に排す。「噬」は噛むこと、「嗑」は合することである。口中に物を含んで、それが隔てり、必ず噛み砕いてこそ合攏し得る。卦畫に就いて看れば、上下各一箇の剛爻にして中間は柔爻多し。外剛にして內虛、まさに人の兩腮と口の象である。しかも中虛の當中にまた一箇の剛爻を夾む、便ち口裏に物を含む象である。口の中に物あれば、上下兩顎を隔開して合攏せず、噛み砕かざるべからずしてこそ合上げ得る。ゆえに《噬嗑》と言う。聖人はこの卦象をもって天下の事に推及する:口の裏にあっては、物が梗げて合攏せざるあり、天下にあっては、強橫の徒あるいは讒佞邪人が中間に梗るあり。ゆえに天下の事もまた合攏せざるのである。

當用刑法,小則懲戒,大則誅戮,以除去之,然後天下之治得成矣。凡天下至於一國一家,至於萬事,所以不和合者,皆由有間也,無間

程頤『伊川易伝』は続けて言う:これら強橫に梗げ作る人に對しては、當に刑法を動用し、情節の軽きは懲戒を加え、情節の重きは誅戮を施し、梗阻を清除して然る後に天下の治理が成就し得る。凡そ大なりて天下、小なりて一國一家、乃至具體の種種の事務の和合し得ざる所以は、みな當中に一層の阻隔が橫たわるが故である。一旦阻隔を除去せば、自ずと合攏する(底本ここに脱文があり、「无間」以下の文字は未だ錄し全からず)。

噬嗑 亨,利用獄。本義 “噬”,齧也。“嗑”,合也。物有間者,齧而合之也。為卦上下兩陽而中虛,頤口之象。九四一陽,間於其中,必齧之而後合,故為《噬嗑》。其占當得亨通者,有間故不通,齧之而合,則亨通矣。又三陰三陽剛柔中半,下動上明,下雷上也,本自《益》卦六四之柔,上行以至於五而得其中,是知以陰居陽,雖不當位,而“利用獄”。蓋治獄之道,惟威與明,而得其中之為貴,故筮得之者,有其德則應其占也。

《噬嗑》卦の卦辞は言う:亨通し、刑獄に用いるに宜あり。朱熹『本義』の解釋:「噬」は噛むこと、「嗑」は合すること。物體中間に阻隔あれば、噛み開いてこそ合攏し得る。卦畫に就いて看れば、上下看れば、上下兩爻は陽爻にして中間空虛。まさに口腔の張開する「頤口之象」である。九四のこの一根の陽爻が口中に橫梗して、必ずそれを噛み斷ってこそ上下合上げ得る。ゆえに卦名を《噬嗑》と言う。その「占辞」が亨通と断ずるは、阻隔あればこそ通ぜず、阻隔を噛み斷りて之を合攏せしめれば、自ずと通ずるからである。さらに卦體を看れば、三陰三陽で剛柔各半に占め、下卦は震動、上卦は離明、下は雷で上は電である。この卦はもと《益》卦の「卦變」より來り、《益》卦の六四のあの柔爻が上行して第五位に至りて上卦の中に居る。これを見れば六五は陰爻を以て陽位に居り、「當位」に合せざるも、なお「利用獄」である。獄を治める道は、ただ威嚴と明察の兩條に在り、しかも中道を守り得るを貴びとする。ゆえにこの卦を筮得た人は、このような德性を具備して、占断こそ應驗するのである。

程傳 “噬嗑亨”,卦自有“亨”義也。天下之事,所以不得亨者,以有間也。噬而嗑之,則亨通矣。“利用獄”,噬而嗑之之道,宜用刑獄也。天下之間,非刑獄何以去之。不云利用刑而云利用獄者,卦有明照之象,利於察獄也。獄者所以究治情偽。得其情,則知為間之道,然後可以沒防與致刑也。

程頤『伊川易伝』は言う:「噬嗑亨」とは、この一卦が本身就中に亨通の義を含むことを言う。天下の事情の通達し得ざる所以は、中間に阻隔あるが故である。阻隔を噛み開き合攏せしめれば、事情は便ち通ず。「利用獄」とは、阻隔を咬合する辦法は、最も刑獄を施用に宜むを言う。天下に橫生する種種の阻隔は、刑獄を用いざればまた何を以て之を清除せん。經文は「利用刑」と言わずして「利用獄」と言うは、この卦の上體が離であって、光明照察の象あり、案情を審察するに長ずるが故である。獄訟は實情と虛僞を査究するに用うるものである。實情を査得れば、阻隔を造成した緣由を知り、然る後に設防と用刑とに及ぶべきを得る(末句「沒防」の二字は底本疑わしく訛字あり、「設防」と當るべし)。

集說 李氏舜臣曰:《噬嗑》震下離上,天地生物,有為造物之梗者,必用雷也擊搏之,聖人治天下,有為民之梗者,必用刑獄斷制之。故《噬嗑》以去頤中之梗,雷電以去天地之梗,刑獄以去天下之梗也。

集説は李舜臣の説を引く:《噬嗑》卦の下體は震、上體は離、震は雷、離は電である。天地が萬物を生養するに、もし造化に梗げる物あれば、必ず雷電を以て之を撃碎する。聖人が天下を治めるに、もし百姓に為害する梗阻あれば、必ず刑獄を以て之を裁斷する。ゆえに《噬嗑》のこの一卦は牙齒を以て口中の梗物を除去し、雷電は天地間の梗物を除去し、刑獄は天下の梗物を除去する。三者は道理相同なり。

初九,屨校滅趾,無咎。本義 初上無位為受刑之象,中四爻為用刑之象。初在卦始,罪薄過小,又在卦下,故為“屨校滅趾”之象。止惡於初,故得“無咎”,占者小傷而無咎也。

初九の爻辞は言う:足に木枷を戴いて、足指を遮沒す、災禍はあらじ。朱熹『本義』の解釋:初爻と上爻はともに職位に居らず、刑を受ける人の象である。中間の四爻は法を執り刑を用いる人の象である。初九は一卦の開端に處し、罪はなお輕微で、また全卦最下に居る。ゆえに「屨校滅趾」の象を取る——足に木械を套して足指を掩沒するがごとし。惡行が剛に萌芽の時に制止される。ゆえに過錯あらじ。占問の人は一點の小傷を受けるも、禍患を招くに至らない。

程傳 九居初最下,無位者也。下民之象,為受刑之人,當用刑之始,罪小而刑輕,“校”,木械也,其過小,故屨之於足以滅傷其趾。人有小過,校而滅其趾,則當懲懼,不敢進於惡矣,故得“無咎”。《繫辭》云:“小懲而大誡,此小人之福也。”言懲之於小與初,故得“無咎”也。

程頤『伊川易伝』は言う:陽爻は最下位に居り、爵位なき人で、在下の百姓を象徴する。すなわち受刑の一方である。この時まさに用刑の起始段階に當り、罪行は小さく刑罰も輕し。「校」は木製の刑具である。過失が輕微なるがゆえに、ただそれを足に套して、趾を掩傷するのみである。人に小過失あって、木枷を戴いて趾を傷れば、便ち警懼する所を知り、敢えて惡に向かわざる。ゆえに罪咎を獲ずるを得。『周易・繫辞』は言う:「小懲して大誡するは、此れ小人の福なり。」まさに過失がなお小さく、なお開端にある時に懲戒を與えるを講ずる。ゆえに災禍を免れ得るのである。

初與上無位,為受刑之人,餘四爻皆為用刑之人。初居最下,無位者也。上處尊位之上,過於尊位,亦無位者也。王弼以為無陰陽之位,陰陽繫於奇偶,豈容無也?然諸卦初上不言當位、不當位者,蓋初終之義為大,《臨》之初九則以位為正,若《需》上六云不當位,《乾》上九云無位,爵位之位,非陰陽之位也。

程頤は続けて辨析す:初爻と上爻はともに爵位を占めず、受刑の人に属し、其の余の四爻は皆執刑の人である。初爻は最下に處して、もとより職位なし。上爻は尊位の上に處して、すでに君位を越え、同じく職位なし。王弼はこれを以て初・上の兩爻は陰陽の位さえもなしと思う——陰陽の位は爻序の奇偶に繋る、初は奇、上は偶で、どうしてなきやあらん。各卦は初爻・上爻において多くは「當位」「不當位」を講ぜざるは、それらが「始」と「終」の意義をさらに重大とするが故である。《臨》卦の初九は依然として位を以て正とする。《需》卦の上六に至っては「不當位」と言い、《乾》卦の上九は「无位」と言う。あれは爵位の位を講ずるので、陰陽の位ではない。

集說王氏弼曰:居無位之地,以處刑初,受刑而非治刑者也。凡過之所始,必始於微,而後至於著。罰之所始,必始於薄,而後至於誅。過輕戮薄,故“屨校滅趾”,桎其行也,足懲而已,故不重也。過而不改,乃謂之過。小懲大誡,乃得其福,故“無咎”也。

集説は王弼の説を引く:初九は職位なき處に處し、また用刑の開頭に當り、受刑の人にして執法の人にあらず。凡そ過失の發生は、つねに先ず細微に起り、然る後に顯著に積成する。刑罰の施用も、つねに先ず輕薄に起り、然る後に誅戮に至る。この爻は過失輕く懲治もまた輕し。ゆえに「屨校滅趾」で、不過その行動を束縛し、彼を警醒せしめるに足るのみで、加重せず。過失あって改め肯んぜざるは、あれこそ真に過失と言う。小處に懲戒を受けて大なる警誡を得るは、かえって彼の福である。ゆえに災禍あらじと斷ず。

俞氏琰曰:“校”,獄具也。初在下,趾象也。“滅”,沒而不見也。以剛物加於著屨之足而沒其趾,故曰“屨校滅趾”。懲之於小,戒之於初,則不進於惡,故“無咎”。

集説は俞琰の説を引く:「校」は獄中の刑具である。初爻は全卦最下に居り、足指の象を取る。「滅」は掩沒して見えざること。堅硬の木械を鞋を穿いた足に加え、足指を遮沒す。ゆえに「屨校滅趾」と言う。過失がなお小さい時に彼を懲罰し、事が剛に開頭の時に彼を警戒すれば、彼は再び惡に向かって發展せず、ゆえに過錯あらじ。

六二,噬膚滅鼻,無咎。本義 祭有膚鼎,蓋肉之柔脆,噬而易嗑者。六二中正,故其所治如噬膚之易。然以柔乘剛,故雖甚易,亦不免於傷滅其鼻。占者雖傷而終“無咎”也。

六二の爻辞は言う:柔嫩の肉を噬み、深入して鼻を掩沒す、災禍はあらじ。朱熹『本義』の解釋:古代の祭祀には「膚」を專ら盛る鼎あり、膚は柔軟脆嫩の肉で、噬み起こして最も合口し易し。六二はすでに下卦の中に居り、また陰爻を以て陰位に居り、「中正」に合す。ゆえに彼の治理する對象は嫩肉を噬むがごとく制服し易し。但し六二は柔爻にして初九の剛爻の上に凌駕す。ゆえに容易なりといえども、下口が過深となりて自己の鼻を傷るを免れざる。占問の人は一點の損傷を受けるも、最終には災禍あらじ。

程傳 二應五之位,用刑者也。四爻皆取噬為義,二居中得正,是用刑得其中正也。用刑得其中正,則罪惡者易服,故取“噬膚”為象,噬齧人之肌膚為易入也。“滅”,沒也。深入至沒其鼻也。二以中正之道,其刑易服。然乘初剛,是用刑于剛強之人。刑剛強之人,必須深痛,故至滅鼻而無咎也。中正之道,易以服人,與嚴刑以待剛強,義不相妨。

程頤『伊川易伝』は言う:六二は九五と「應與」の情あり、執法用刑の一方に属す。中間の四爻は皆「噬」(噛む)を取って義を立て、六二は下卦の中に居りまた陰爻を以て陰位に居る。これは用刑して「中正」を守り得るものである。用刑が中正を守れば、罪ある人は服し易し。ゆえに「噬膚」を取って象とする——人の肌膚を噛むは、最も噛み入り易し。「滅」は掩沒で、下口の深きを形容し、一直線に鼻に至る。六二は中正の道に凭って刑を行い、もとより人心を服せしめ易し。しかし彼は初九の剛爻の上に凌駕し、剛強の人に對して刑を用いるものである。剛強の人に對して刑を用いれば、必ず彼をして深處に痛からしめねばならぬ。ゆえに「滅鼻」してなお罪を獲ざるの説あり。中正の道を以て人を服せしめると、嚴刑を以て剛強の徒に對するは、兩者の道理は竝び沖突せず。

集說 孔氏穎達曰:六二處中得位,是用刑者。膚是柔脆之物,以喻服罪受刑之人也。乘剛而刑未盡順,噬過其分,故至“滅鼻”,言用刑太深也。刑中其理,故“無咎”。胡氏炳文曰:噬而言膚臘胏肉者,取頤中有物之象也。各爻雖取所噬之難易而言,然因各爻自有此象,故其所噬者因而為之象耳。六二柔而中正,故所治如“噬膚”之易人,初剛未服,不能無傷,然始雖有傷,終可服也。

集説は孔穎達の説を引く:六二は下卦の中に居りまた當位し、執法用刑の一方に属す。膚は柔脆の物で、以て罪を認め刑を受ける人に比喻す。その剛爻の上に凌駕するがゆえに、行刑は未だ全然順遂せず、下口は分寸を超過す。ゆえに「滅鼻」と言い、用刑の過深なるを講ず。しかし刑罰は事理に合すれば、過錯あらじ。集説はまた胡炳文の説を引く:爻辞は分かちて膚・腊肉・干胏・干肉を説及す。皆「頤中有物」の象を取る。各爻は固より噛む所の物の難易に就いて説を立つるも、また每一爻の自身各々その象あるがゆえに、噛む所の物もこれに随って取象す。六二は柔順にして中正なれば、人を治するに嫩肉を噛むがごとく容易なり。ただ初九は剛強にして未だ屈服せず、損傷あるを免れざるも、然るに起初傷あるも、最終にはなお彼をして罪に服せしめ得る。

六三,噬臘肉遇毒,小吝,無咎。本義 “臘肉”,謂獸臘,全體骨而為之者,堅韌之物也。陰柔不中正,治人而人不服,為“噬臘”“遇毒”之象。占雖“小吝”,然時當《噬嗑》,於義為“無咎”也。

六三の爻辞は言う:風干の獸肉を噬み、惡味に遇う、稍々堪え難きあり、然れども災禍はあらじ。朱熹『本義』の解釋:「腊肉」は整隻連骨にして風干した獸肉を指し、堅硬柔韌の物である。六三は陰柔の爻で、中に居らずまた當位せず、人を治めて人は服せ肯んぜず。まさに「噬腊」「遇毒」の象に合す。占断上は幾分の堪え難きありといえども、すでに《噬嗑》の咬合去梗の時に身を處する以上、道理に就いて言えばなお過錯あらじ。

程傳 三居下之上,用刑者也。六居三,處不當位,自處不得其當而刑于人,則人不服,而怨懟悼犯之,如噬齧乾臘堅韌之物,而遇毒惡之味,反傷於口也。用刑而人不服,反致怨傷,是可鄙吝也。然當《噬嗑》之時,大要噬間而嗑之。雖其身處位不當,而強梗難服,至於遇毒。然用刑非為不當也,故雖可吝而亦小,噬而嗑之,非有咎也。

程頤『伊川易伝』は言う:六三は下卦の上に居り、また執法用刑の一方に属す。陰爻を以て陽位に居るは「不當位」である。自身の處す所が不正當にして人を處罰すれば、人は自ずと服せず、かえって怨恨を懐抱し言を出して頂撞す。ちょうどあの堅韌の風干獸肉を噛みて、惡劣の氣味を嘗め、かえって自己の口を傷るがごとし。用刑して人服せず、怨恨と傷損を招くは、鄙しむべく惜しむべきである。ただ《噬嗑》の時に身を處するは、大要は阻隔を噛み開き之を合攏せしむるに在り。自身の位置は當ならざるも、對付する所はまた強橫服し難きの徒で、「遇毒」に致るも、用刑というこの事の本身は錯誤なし。ゆえに惜しむべきなりといえども、ただ小小の堪え難きのみで、噛みて之を合すれば、罪過を構成せず。

集說 胡氏炳文曰:肉因六柔取象,臘因三剛取象。六二柔居柔,故所噬象膚之柔。六三柔居剛,故所噬象“臘肉”。柔中有剛,比之二難矣。二三皆無咎而三“小吝”者,中正不中正之分也。

集説は胡炳文の説を引く:「肉」は六のこの陰柔の數に就いて象を取り、「腊」は三のこの陽剛の位に就いて象を取る。六二は柔爻を以て柔位に居るゆえに、噛む所は嫩肤のごとく柔軟なり。六三は柔爻を以て剛位に居るゆえに、噛む所は「腊肉」——柔の裏に硬を帶び、六二より對付し難し。六二・六三はともに過錯に至らざると斷ずるも、六三は「小吝」の二字を多く出す。分別はまさに一箇は中正、一箇は不中正に在る。

九四,噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。本義 “胏”,肉之帶骨者,與胾通。《周禮》,獄訟人鈞金束矢而後聽之。九四以剛居柔,得用刑之道,故有此象。言所噬愈堅而得聽訟之宜也,然必利於艱難正固則吉,戒占者宜如是也。

九四の爻辞は言う:骨帶びの干肉を噬み、銅と箭を得、艱難の中に正道を固守するに利あり、吉祥なり。朱熹『本義』の解釋:「胏」は骨頭に連る肉で、「胾」と相通ず。『周禮』に據れば、官司を打つ人は先に一鈞の銅・一束の箭を交納して、官府こそ受理する。九四は陽爻を以て陰位に居り、剛にして能く柔なり、深く用刑の道を得。ゆえにこのような象あり。これは言う、彼の噛む所の物は越すほど堅硬なれば、ますます聽訟の正當なる法度を得。但し必ず艱難の中に正道を固守してこそ吉、これは占問の人に當にかくのごとくあるべきを告戒する。

程傳 九四居近君之位,當噬嗑之任者也。四已過中,是其間愈大而用刑愈深也,故云“噬乾胏”。“胏”,肉之有聯骨者。乾肉而兼骨,至堅難噬者也。噬至堅而“得金矢”,金取剛,矢取直,九四陽德剛直,為得剛直之道,雖用剛直之道,利在克艱其事,而貞固其守,則吉也。九四剛而明體,陽而居柔,剛明則傷於果,故戒以知難;居柔則守不固,故戒以堅貞。剛而不貞者有矣,凡失剛者,皆不貞也,在《噬嗑》四最為善。

程頤『伊川易伝』は言う:九四は君位に接近する大臣の位に處し、咬合の重任を擔當する人である。四爻はすでに下卦の中を越え、阻隔はますます大にして用刑はますます深きを說明す。ゆえに「噬干胏」と言う。「胏」は連骨を帶びた肉で、既に干にしてまた骨を帶び、最も堅硬噛み難し。このような堅硬の物を噛みて能く「得金矢」す:金はその剛を取り、矢はその直を取る。九四の陽剛の德はまさに剛直で、剛直の道を得るに等し。剛直の道を行うといえども、なお能く事を艱難と看做し、かつ正固を堅守するを以て利とす。かくのごとくしてこそ吉。九四は陽剛にして上體離明の下に處し、また陽爻を以て陰位に居る:剛にして明なれば果決に失し易し。ゆえに彼に難を知るを告戒し、柔位に居ればまた守り不牢に失し易し。ゆえに彼に堅貞を告戒す。剛強にして正を守り得ざる人はこれあり。凡そ剛德を喪失するは、みな正を守り得ざるが故に致る——《噬嗑》の一卦の裏で、九四は最好の一爻である。

集說 陸氏績曰:“金矢”者,剛直也。噬胏雖難,終得申其剛直也。王氏宗傳曰:以一卦言之,則九四頤中之物也,所以為強梗者也。以六爻旨之,則九四剛直之才也,所以去強梗者也。肉之附骨者謂之“胏”,而又乾焉,亦最難噬者也。然三之於“臘肉”則“遇毒”,而四之於“乾胏”,則無是患者,剛柔之才異也。

集説は陸績の説を引く:「金矢」は剛と直を象徴す。骨帶びの干肉を噛むは費力なりといえども、最終には剛直の道を伸張し出すを得。集説はまた王宗傳の説を引く:整卦に就いて看れば、九四は口中のあの梗物で、まさに強橫阻隔を造成する物である。六爻各自の意旨に就いて看れば、九四はまた剛直の才で、まさに強梗を清除する人である。骨に附く肉を「胏」と言い、しかもなお風干したるは、最も噛み難し。しかし六三は「腊肉」を噛みて便ち「遇毒」し、九四は「干胏」を噛みてこの種の禍患なし。分別は一箇は陰柔、一箇は陽剛に在り、才具の同じからざるにある。

邱氏富國曰:《噬嗑》唯四五兩爻,能盡治獄之道。《彖》以五之柔為主,故曰“柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。”利用之言,獨歸之五,而他爻不與焉。爻以四之剛為主,故曰“噬於胏,得金矢,利艱貞,吉”。吉之言獨歸之四,而他爻謂之“無咎”也。主柔而言,以仁為治獄之本。主剛而言,以威為治獄之用。仁以寓其哀矜,威以懲其奸愚。剛柔迭用,畏愛兼施,治獄之道得矣。

集説は邱富國の説を引く:《噬嗑》の一卦は、ただ九四・六五の兩爻のみが獄を治める道を講じ尽くす。「彖辞」は六五の柔を主として、ゆえに「柔得中而上行、雖不當位、利用獄也」と言う——「利用獄」のこの句はただ六五に歸し、別の爻は皆參與せず。爻辞は九四の剛を主として、ゆえに「噬干胏、得金矢、利艱貞、吉」と言う——「吉」のこの斷語はただ九四に歸し、別の爻は至りて過錯あらじと言うのみ。柔を主とするは、仁愛を以て獄を治める根本となす。剛を主とするは、威嚴を以て獄を治める手段となす。仁愛は以て哀矜の心を寄託し、威嚴は以て姦猾愚頑を懲治す。剛柔交替して施用し、人をして畏懼するも愛戴するに至らしむれば、獄を治める道は完備す。

胡氏炳文曰:離為乾卦,故為“乾胏”。“臘肉”,肉藏骨,柔中有剛。六三柔居剛,故所噬如之。“乾胏”,骨連肉,剛中有柔,九四剛居柔,故所噬如之。三“遇毒”,所治之人不服也。四“得金矢”,其人服矣,然必艱難正固乃“無咎”。

集説は胡炳文の説を引く:離は火で、乾燥の義あり。ゆえに「干胏」の象を取る。「腊肉」は肉の裏に骨を藏し、柔の中に剛を帶び、六三は柔爻を以て剛位に居り、噛む所はまさにそれと相似る。「干胏」は骨の上に肉を連ね、剛の中に柔を帶び、九四は剛爻を以て柔位に居り、噛む所もまさにそれと相似る。六三の「遇毒」は、治めらるる人の服せざるが故、九四の「得金矢」は、その人已に服したるが故。ただなお艱難の中に正道を固守してこそ、過錯を免れ得るのである。

六五,噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。本義 “噬乾肉”,難於膚而易於臘胏者也。“黃”,中色。“金”,亦謂鈞金。六五柔順而中,以居尊位,用刑于人,人無不服,故有此象。然必“貞厲”乃得“無咎”,亦戒占者之辭也。

六五の爻辞は言う:風干の肉を噬み、黄金を得、正を守りて心に危懼を存せば、災禍あらじ。朱熹『本義』の解釋:「噬干肉」は嫩肤を噛むより難く、腊肉・干胏を噛むより易し。「黄」は五色中に居中の顏色で、「金」は同じく訴訟の時に繳納するあの一鈞の銅を指す。六五は柔順にして上卦の中に居り、また尊貴の君位に處して、人に刑を用いて服せざるはなし。ゆえにこのような象あり。但し必ず正を守りてつねに危懼を懐いてこそ、差錯を出さざるを得。これもまた占問の者に告戒する言なり。

程傳 五在卦愈上而為“噬乾肉”,反易於四之“乾胏”者,五居尊位,乘在上之勢以刑于下,其勢易也,在卦將極矣,其為間甚大,非易嗑也,故為“噬乾肉”也。“得黃金”,“黃”,中色,“金”,剛物。五居中為得中道,處剛而四輔以剛,“得黃金”也。五無應而四居大臣之位,得其助也。“貞厲無咎”,六五雖處中剛,然實柔體,故戒以必正固而懷危厲,則得無咎也。以柔居尊,而當噬嗑之時,豈可不貞固而懷危懼哉?

程頤『伊川易伝』は言う:六五は卦中の位置はさらに上に靠るも、「噬干肉」と言うは、かえって九四の「干胏」より易しきは、六五が尊位に居り、上に居る形勢に凭って下の人を處罰すれば、形勢はもとより順手なり。但し此の爻は已に全卦の極に近く、阻隔は十分巨大で、輕易に咬合し得るにあらず。ゆえにただ「噬干肉」と言うのみ。「得黄金」の黄は居中の色、金は剛硬の物である。六五は上卦の中に居り、中道を得たり。また陽位に處して九四の剛德を以て相輔たり。これを「得黄金」と言う。六五はもとより相應の爻なきも、九四は正に大臣の位に當り、ゆえに彼の輔助を得るを得。「貞厲无咎」に至っては、六五は中に居りまた剛位に處すといえども、實質はなお柔弱の體である。ゆえに彼に必ず正道を固守しつねに危懼を懐いてこそ、過失を免れ得るを告戒す。柔弱の質を以て尊位に居り、また正に咬合去梗の時に當る、どうして正を堅守し心に戒懼を存せざるべけんや。

集說 《朱子語類》:問:九四“利艱貞”,六五“貞厲”,皆有艱難正固危懼之意,故皆為戒占者之辭。曰:亦是爻中元自有此道理,大抵才是治人,彼必為敵,不是易事,故雖是時位卦德,得用刑之宜,亦須以艱難正固處之。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、九四は「利艱貞」と言い、六五は「貞厲」と言う。皆艱難・守正・危懼の意を含む。ゆえに皆占問の者に告戒する言か。朱熹答えて曰く:これもまたもとより爻象の裏に元來具備する道理である。大抵人を處治するに往くは、對方は必ず己と敵となり、決して輕鬆の事にあらず。ゆえにたとえ時位と卦德と皆合宜にして、正に用刑の當を得るも、なお艱難にして守正の態度を以て應對せねばならぬ。

李氏過曰:九四以剛噬,六五以柔噬。以剛噬者,有司執法之分;以柔噬者,人君不忍之仁也。胡氏炳文曰:“噬膚”“噬臘肉”“噬乾胏”,一節難於一節。六五“噬乾肉”則易矣,五君位也,以柔居剛,柔而得中,用獄之道也,何難之有?訟則出矢,獄則出金。訟為小,獄為大。四於訟獄兼得,大小兼理之也,五君也,非大獄不敢以聞,《書》所謂罔攸兼於庶獄是也。

集説は李過の説を引く:九四は剛強を以て噛み、六五は柔和を以て噛む。剛強を以て噛むは、有司が法を執る本分である。柔和を以て噛むは、人君の不忍の仁である。集説はまた胡炳文の説を引く:「噬膚」「噬腊肉」「噬干胏」は一層より一層難し。六五「噬干肉」に至ってかえって易しきは、五は君位で、柔爻を以て剛位に居り、柔にして能く中を守れば、まさに用獄の道で、また何の爲難あらん。『周禮』に依れば、民間の爭訟は一束の箭を交し、獄案は一鈞の銅を交す。爭訟は小事、獄案は大事である。九四は訟と獄と兼ね得て、大小の案件を一竝に處理す。六五は國君で、重大の獄案あらざれば敢えて聞に上らず、『尚書』のいわゆる「罔攸兼于庶獄」は、まさにこの意である。

谷氏家傑曰:四先“艱”而後“貞”者,先以艱難存心,而後出入罔不得其正,此獄未成之前,詳審之法,人臣以執法為道也。五先“貞”而後“厲”者,雖出入無不得正,而猶以危厲惕其心,此獄既成之後,欽恤之仁,人君以好生為德也。

集説は谷家傑の説を引く:九四は先ず「艱」を言いて後に「貞」を言う。これは先ず事を艱難と看做して心上に置き、然る後に量刑の出入輕重は正に合せざるはなし。これは案子未だ定讞せざる之前の詳審慎察の辦法で、臣子たるは嚴格に法を執るを本分とす。六五は先ず「貞」を言いて後に「厲」を言う。これは出入輕重は正に合せざるはなしといえども、なお危懼を以て自己を警醒す。これは案子已に定讞して後の欽敬矜恤の仁心で、人君たるは生命を愛惜するを德とす。

上九,何校滅耳,凶。程傳 上過乎尊位,無位者也,故為受刑者。居卦之終,是其間大,噬之極也。《繫辭》所謂“惡積而不可掩,罪大而不可解”者也。故“何校”而滅其耳,“凶”可知矣。“何”,負也。謂在頸也。

上九の爻辞は言う:肩頸に大枷を扛ぎ、耳を遮沒す、凶險なり。程頤『伊川易伝』は言う:上九は尊貴の五位を越え、職位なき人である。ゆえに受刑の一方に属す。全卦の終に居るは、阻隔已に大なるを說明し、咬合の事は極處に至る。すなわち『周易・繫辞』のいわゆる「惡積りて掩ふべからず、罪大にして解くべからず」の地步である。ゆえに大枷を扛ぎて耳さえ遮沒す。凶險は想うべく知れる。「何」は負荷の意で、枷が頸の上に架るを指す。

集說 郭氏雍曰:初上“滅”字,或以為刑,獨孔氏訓沒。“屨校”,桎其足,桎大而滅趾。“何校”,械其首,械大而沒耳也。或以滅耳為刵,滅鼻為劓,滅趾為剕,《書》注劓刵輕刑,《呂刑》剕闢為重,故漢斬趾同於棄市。方初九小刑,固不當斷趾。上九罪大,復不當輕刑。以是知三者言滅,皆非刑也。

集説は郭雍の説を引く:初九・上九の兩處の「滅」の字は、ある人は肉刑と解す。ただ孔穎達のみ掩沒と訓す。「屨校」は足に刑具を與え、刑具大なれば足指を遮沒す。「何校」は頭頸に刑具を與え、刑具大なれば耳を遮沒す。ある人は「滅耳」を以て耳を割く刵刑とし、「滅鼻」を以て鼻を割く劓刑とし、「滅趾」を以て足を斷ずる剕刑とするも、『尚書』の注は劓・刵は輕刑に属すると言い、『呂刑』は剕刑を以て重刑とす。ゆえに漢代の斬趾の罪は棄市と同科なり。初九こそ小刑で、もとより趾を斷ずべからず。上九は罪大で、またただ輕刑を用いるべからず。これにより知る、此の三處の「滅」と言うは、皆肉刑を指すにあらざるを。

總論李氏過曰;以六爻之位言之,五君位也,為治獄之主。四大臣位也,為治獄之卿。三二又其下也,為治獄之吏。

總論は李過の説を引く:六爻の位次に就いて講ずれば、第五爻は君位で、獄を治める主宰である。第四爻は大臣の位で、刑獄を主管する卿である。第三・第二の兩爻はまたその下にあって、獄案を承辦する吏員である。全卦は上より下に至り、恰好一套の聽訟斷獄の職分等級を排出す。

賁卦(艮上離下)

程傳 《賁序卦》:“嗑者合也,物不可以苟合而巳,故受之以賁,賁者飾也。”物之合則必有文,文乃飾也。如人之合聚,則有威儀上下。物之合聚,則有次序行列。合則必有文也,《賁》所以次《噬嗑》也。為卦山下有火,山者草木百物之所聚也,下有火則照見其上,草木品彙,皆被其光彩,有賁飾之象,故為《賁》也。

程頤『伊川易伝』は言う:《賁》卦の『序卦伝』は講ずる:「嗑とは合なり、物は以て苟合のみすべからず、故に受くるに賁を以てす。賁とは飾なり。」事物が凑合して一處に至れば、必ず文采ある。文采はすなわち修飾である。譬えば人が一處に聚れば、威儀あり上下の別あるを要す。物が一處に聚れば、次序あり行列あるを要す。凡そ合攏すれば必ず文采あり。ゆえに《賁》卦は《噬嗑》の後に排す。卦體に就いて看れば、山下に火あり。山は草木百物聚集の處で、山下に火あれば、光は山上に照り、草木萬類は皆光彩を披上げ、まさに文飾の象である。ゆえに卦名を《賁》と言う。

賁亨,小利有攸往。本義 賁,飾也。卦自《損》來者,柔自三來而文二,剛自二上而文三。自《既濟》而來者,柔自上來而文五,剛自五上而文上。又內離而外艮,有文明而各得其分之象,故為《賁》。占者以其柔來文剛,陽得陰助。而離明於內,故為“亨”。以其剛上文柔,而艮止於外,故“小利有攸往”。

《賁》卦の卦辞は言う:亨通し、稍々前往に利あり。朱熹『本義』の解釋:賁はすなわち修飾である。「卦變」に就いて言えば、この卦はもし《損》卦より變じ來れば、柔爻が第三位より下りて第二位を文飾し、剛爻が第二位より上りて第三位を文飾する。もし《既濟》卦より變じ來れば、柔爻が上位より下りて第五位を文飾し、剛爻が第五位より上りて上位を文飾する。さらに卦德を看れば、內卦は離、外卦は艮で、文采光明にしてまた各々本分を守る象あり。ゆえに《賁》と言う。占問の人は、柔が來りて剛を文飾し、陽が陰の輔助を得るに因り、かつ離明が內に在れば、ゆえに「亨」と斷ず。また剛が上りて柔を文飾し、艮止が外に在るに因り、ゆえにただ「小利有攸往」のみである。

程傳 物有飾而後能亨,故曰無本不立,無文不行,有實而加飾,則可以“亨”矣。文飾之道,可增其光彩,故能小利於進也。

程頤『伊川易伝』は言う:事物は修飾あって然る後に通達し得る。ゆえに古語に講ずる:根本なければ立たず、文采なければ行かれず、と。すでに實質あって文飾を加えれば、「亨」し得る。文飾の道は光彩を增添し得る。ゆえに進取の上に略々小利あるのみで、それだけである。

集說 王氏申子曰:徒質則不能亨,質而有文以加飾之,則可“亨”,故曰“賁亨”。然文盛則實必衰,苟專尚文以往則流,故曰“小利有攸往”。小者,謂不可太過以滅其質也。

集説は王申子の説を引く:質朴のみあって文采なければ、通達し得ない。質地あって、さらに文を加えて修飾してこそ、「亨」し得る。ゆえに卦辞は「賁亨」と言う。但し文采が過盛なれば、實質は必ず衰減する。もし一味に文飾を崇尚して往けば、浮華に流れん。ゆえに「小利有攸往」と言う。いわゆる「小」とは、太過すべからざるを言い、以て本質を淹沒せしめざるを免れんとする。

粱氏寅曰:賁者,文飾之道也。有質而加之文,斯可“亨”矣。朝廷文之以儀制而亨焉,賓主文之以禮貌而亨焉,家人文之以倫序而亨焉,官府文之以教令而亨焉。推之事物,凡有質者,無不待於文也,文則無不亨也。然既亨矣,而曰:“小利有攸往”,何也?文飾之道,但加之文彩耳,非能變其實也。故文之過盛,非所利也。但小利於有往而已矣。世之不知本者,或忘其當務之急,而屑屑焉於文飾,雖欲其亨,亦安得而亭乎?

集説は梁寅の説を引く:賁はすなわち文飾の道である。質地あってさらに文采を加えてこそ、通達し得る。朝廷は儀制を以て文飾し、こうして通達す。賓主は禮貌を以て文飾し、こうして通達す。一家人は倫理次序を以て文飾し、こうして通達す。官府は政教號令を以て文飾し、こうして通達す。萬事萬物に推廣すれば、凡そ質地あるは、文采に依頼せざるはなく、文采あれば通達せざるはなし。すでに亨通したれば、何故にまた「小利有攸往」と言うか。文飾の道はただ一層の文采を加うるのみで、事物の實質を改變し得ないが故に、文采過盛は有利にあらず。ただ前往の上に略々小利ありと言うのみである。世上の根本を知らざる人は、あるいは當務の急を忘れて、外表の修飾に斤々計較す。たとえ通達を求めんと欲するも、またどうして通達し得んや(末字は底本「亭」と訛り、「亨」と當るべし)。

張氏振淵曰:離德文明莫掩,則無徑情直行之弊,行之可通,故“亨”。艮德止而

集説は張振淵の説を引く:離の德性は文明にして掩蔽し得ざる。これ有れば任性直闖の毛病なく、行事は因って通達し得る。ゆえに「亨」と斷ず。艮の德性に至っては止にして動かず——ここに底本脱文あり、張氏の艮德を論ずる下半段は未だ錄し全からず。

初九,賁其趾,舍車而徒。本義 剛德明本,自賁於下,為舍非道之車,而安於徒步之象,占者自處當如是也。

初九の爻辞は言う:その足指を飾り、寧ろ車を舍てて步行す。朱熹『本義』の解釋:初九は陽剛の德を以て根本を明白にし、ただ下位に在りて自己を修飾す。ゆえに道に合せざる車乘を舍て、安心して徒步して行く象あり。占問の人が立身自處するも、また當にこのようであるべし。

程傳 初九以陽剛居明體而處下,君子有剛明之德而在下者也。君子在無位之地,無所施於天下,唯自賁飾其所行而已。趾取在下而所以行也。君子修飾之道,正其所行,守節處義,其行不苟,義或不當,則舍車輿而寧徒行,眾人之所羞,而君子以為賁也。

程頤『伊川易伝』は言う:初九は陽剛の質を以て離明の體に處して最下に居り、剛健明察の德あって身は下位に在る君子を象徴す。君子は職位なき處に處して、天下に對し施展する所なく、ただ自己の行爲を修飾するのみ。「趾」を取って象とするは、脚が最下に在り、また行走の憑くる所なればなり。君子の修飾の道は、自己の行爲を端正にし、節操を守り義理に安んじ、行事は決して苟且せず。もし義に於て當ならざる所有れば、寧ろ車を舍てて步行す。これは衆人が看るに羞恥なれど、君子はこれを以て最好の文飾とす。

“舍車而徒”之義,兼於比應取之。初比二而應四,應四正也,與二非正也。九之剛明守義,不近與於二,而遠應於四,舍易而從難,如舍車而徒行也。守節義,君子之賁也。是故君子所賁,世俗所羞;世俗所貴;君子所賤。以車徒為言者,因趾與行為義也。

程頤は続けて言う:「舍車而徒」の取義は、なお兼ねて「比」と「應與」の兩方面より看る。初九は六二に緊隣して六四に相應す。六四に應ずるは正當の配合で、六二に親比するは不正當なり。初九は剛明にして能く義を守り、肯んじて近くに就りて六二に親附せず、かえって遙かに往きて六四に應合す。これは容易なるを舍てて艱難に就るで、正に車を舍てて徒步するがごとし。節操義理を守れば、すなわち君子の文飾なり。ゆえに君子の看重する文飾は、恰も世俗の羞恥と引く所、世俗の看重する所は、恰も君子の軽賤する所なり。爻辞が車と步行を以て言うは、「趾」と行走に承りて義を立つるなり。

六二,賁其須。本義 二以陰柔居中正,三以陽剛而得正,皆無應與,故二附三而動,有賁須之象。占者宜從上之陽剛而動也。

六二の爻辞は言う:その須を飾る。朱熹『本義』の解釋:六二は陰柔の質を以て下卦の中に居りまた當位し、九三は陽剛の質を以て同じく當位し、兩爻各自に相應の爻なし。ゆえに六二はただ九三に附着して動くのみ、須が頤に随って動くがごとし。これがすなわち「賁其須」の象である。占問の人は、上の陽剛者に跟從して行動するに宜し。

程傳 卦之為《賁》,雖由兩爻之變,而文明之義為重,二實賁之主也,故主言賁之道。飾於物者,不能大變其質也,因其質而加飾耳,故取須義。“須”,隨頤而動者也,動止唯繫於所附,猶善惡不由於賁也。二之文明,唯為賁飾,善惡則繫其質也。

程頤『伊川易伝』は言う:この卦が《賁》と爲る所以は、剛柔兩爻が互換して來るに由るといえども、文明の義が最も切實なり。六二は實際に卦を成す主爻で、ゆえに主要にはそれに就いて文飾の道を講ず。一物を修飾するは、その本質を大幅に改變し得ず、ただその質地に就着て裝點を加うるのみ。ゆえに須を取って義とす。「須」は頤に随って動く物で、動くか動かざるかは全く附する所に繋る。ちょうど善惡は文飾に取决まらざるがごとし。六二は文明の德ありて、能く爲す所はただ修飾を加うるのみで、善と惡は終に本質に繋る。

集說 王氏弼曰:得其位而無應,三亦無應,俱無應而比焉,近而相得者也。須之為物,上附者也,故曰“賁其須”。朱氏震曰:毛在頤曰“須”,在口曰“髭”,在頰曰“髯”。三至上有《頤》體,二在頤下,須之象。二三剛柔相賁,“賁其須”也。夫文不虛生,須生於頤,須所以賁其頤也。

集説は王弼の説を引く:六二は當位にして相應の爻なく、九三もまた相應の爻なし。兩爻とも應ずる所なくして彼此相隣るは、靠り近く情投意合の關係である。須という物は向上して附着する。ゆえに「賁其須」と言う。集説はまた朱震の説を引く:下巴の上に長る毛を「須」と言い、嘴唇の上に長るを「髭」と言い、面頰の上に長るを「髯」と言う。三爻より上爻に至るまで《頤》卦の形體を構成し、六二は下巴の下に在り、まさに須の象である。二と三は剛柔互相に文飾す。すなわち「賁其須」なり。文采は憑空に生出せず、須は頤の上に長り、須はまさに以て頤を文飾するに用うる。

俞氏琰曰:二無應而比三,三亦無應而比二,故與之相賁,賁以柔來文剛故亨。文當從質,非質則不能自飾。陰必從陽,非陽則不能自進。六二純柔,必待九三之動而後動,故曰“賁其須”。蔣氏悌生曰:六以二居中,故有賁須之象。須於人身,無損益於軀體,但可為儀表之飾。周旋揖讓,進退低昂,皆隨面貌而動,使人儀舉者文采容止可觀,故《象》曰“與上興也”。

集説は俞琰の説を引く:六二は相應の爻なくして九三に親近し、九三もまた相應の爻なくして六二に親近す。ゆえに兩爻は互相に文飾す。文飾は柔が來りて剛を裝點するを言う。ゆえに亨通す。文采は當に質地に依從すべく、質地なければ自飾する由なし。陰は必ず陽に依從し、陽なければ自ら前進する法なし。六二は純に柔爻で、必ず九三の一動を待ってこそ動き得る。ゆえに「賁其須」と言う。集説はまた蔣悌生の説を引く:陰爻は第二位に居り中を得るゆえに、須を修飾する象あり。須は人身の上に長り、身體本身に對して增損なく、ただ儀表の裝點と爲すのみ。周旋揖讓・進退俯仰は全く面容に随って動き、人の舉止容儀をして文采あり觀瞻すべからしむ。ゆえに「小象」は「與上興也」と言う。

何氏楷曰:須陰血之形,而,柔所以文剛者。然陰柔不能自動,必附麗於陽,如須雖有美,必附而於頤也。大抵剛為質,柔為文。文不附質,焉得為文?故二必“賁其須”以從三,五必“賁于丘園”以從上。聖人右質左文之意,於此可見。

集説は何楷の説を引く:須は陰血が凝成した形質で、柔はまさに以て剛を文飾するに用うる。然るに陰柔は自ら動作し得ず、必ず陽剛の上に附麗せねばならぬ。須は美觀なりといえども、必ず下巴に附してこそなり。大體に言えば、剛は質、柔は文なり。文は質に附着せざれば、どうして文と算ぜられん。ゆえに六二は必ず「賁其須」して九三に跟從し、六五は必ず「賁于丘園」して上九に跟從す。聖人が質を重んじ文を輕んずる用意は、ここに看出し得る。

九三,賁如濡如,永貞吉。本義 一陽居二陰之間,得其賁而潤澤者也,然不可溺於所安,故有“永貞”之戒。

九三の爻辞は言う:文采煥發、光澤潤飾、長久に正を守れば吉。朱熹『本義』の解釋:九三のこの陽爻は六二・六四の兩陰爻の間に夾り、文飾を得て潤澤を顯出するものである。但しこの安適に沉溺してはならぬ。ゆえに爻辞は「永貞」の告戒を加う。

程傳 三處文明之極,與二四二陰間處相賁,賁之盛者也。故云“賁如”。“如”,辭助也。賁飾之盛,光彩潤澤,故云“濡如”。光彩之盛,則有潤澤。《詩》云:麀鹿濯

程頤『伊川易伝』は言う:九三は下卦離明の頂端に處し、六二・六四の兩箇の陰爻と夾處して互相に文飾す。文飾最も盛なる一爻である。ゆえに「賁如」と言う。「如」はただ語助の詞である。文飾が極盛に達すれば、光彩潤澤する。ゆえに「濡如」と言う。光彩盛んなれば自ずと潤澤を顯出す。『詩經』のいわゆる「麀鹿濯濯」——ここに底本脱文あり、程氏が『詩』を引く以下の言は未だ錄し全からず。

集說 胡氏炳文曰;互坎有濡義,亦有陷義,既末濟濡首濡尾,濡而陷者也。九三非不貞也,能永其貞,則二陰於我為潤澤之濡,我於彼不為陷溺之濡矣。俞氏琰曰:九三處六二六四之間,故曰“賁如濡如”,文過則質喪,質喪則文弊,要當永久以剛正之德固守則“吉”。

集説は胡炳文の説を引く:此の卦は二より四爻に至るまで互いに坎體を出し、坎は沾濡の義あり、また陷溺の義あり。『既濟』『未濟』の兩卦は「濡其首」「濡其尾」を講ずるは、すなわち沾湿して中に陷るなり。九三は正を守り得ざるにあらず。ただ能く長久に正道を守住すれば、上下の兩箇の陰爻は我に對して潤澤の沾濡なり。我は彼らに對してもまた陷溺の沾濡と變ずるに至らず。集説はまた俞琰の説を引く:九三は六二と六四の間に處す。ゆえに「賁如濡如」と言う。文采が頭を過ぎれば質地喪失し、質地喪失すれば文采もまた之に随って敗壞す。ゆえに長久に剛正の德を以て固守してこそ、吉を得るを得。

潘氏士藻曰:三本剛正,特慮其為二陰所陷溺,未免有滅質之患,故有“永貞”之戒。何氏楷曰:以一剛介二柔之間,賁之盛者也。曰“濡如”者,猶《詩》言六轡如濡,謂所飾之文采鮮澤也。然受物之飾,恐為物溺,故戒之曰“永貞吉”。長守其陽剛之正,而不為陰柔所溺,則不至以文滅質矣。

集説は潘士藻の説を引く:九三はもとより剛健にして正を守るも、ただそれが上下の兩箇の陰爻に陷溺せらるるを患う。文を以て質を淹沒するの禍患あるを免れざる。ゆえに「永貞」の告戒あり。集説はまた何楷の説を引く:一根の剛爻が兩根の柔爻の間に夾るは、文飾最も盛なる時である。「濡如」と言うは、『詩經』の講ずる「六轡如濡」のごとく、加うる所の文采が鮮明潤澤を形容す。但し外物の修飾を受くるは、かえって外物に溺れ住せらるるを怕る。ゆえに彼に「永貞吉」を告戒す:長久に陽剛の正を守住し、陰柔に溺沒せられざれば、文采に因って本質を毁するに至らず。

六四,賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。本義 “皤”,白也。馬,人所乘,人白則馬亦白矣。四與初相賁者,乃為九三所隔而不得遂,故“皤如”。而其往求之心,如飛翰之疾也,然九三剛正,非為寇者也,乃求婚媾耳,故其象如此。

六四の爻辞は言う:正に文飾の時に當りて卻って一片素白、白馬奔馳して飛ぶがごとく、來るは強寇にあらずして婚配を求める人なり。朱熹『本義』の解釋:「皤」は白色である。馬は人の乘る所で、人が一身素白なれば、馬もすなわち白なり。六四はもと初九と互相に文飾するも、九三に中間に隔てられて如願せず。ゆえに素白の狀を呈す。しかもそれが往きて合を求める心情は、飛鳥の羽翼のごとく快し。然るに九三は剛健にして正を守り、竝びに劫掠に來る強寇にあらず、ただ同じく婚配を求めるのみ。ゆえに爻象はかくのごとし。

程傳 四與初為正應,相賁者也。本當“賁如”,而為三所隔,故不獲相賁而“皤如”。“皤”,白也,未獲賁也。馬,在下而動者也。未獲相賁,故云“白馬”。其從正應之志如飛,故云“翰如”。匪為九三之寇仇所隔,則婚媾遂其相親矣。己之所乘,與動於下者,馬之象也。初四正應,終必獲親,第始為其間隔耳。

程頤『伊川易伝』は言う:六四と初九は正相應の一對で、もとより互相に文飾すべし。もとより當に「賁如」なるべきも、九三に阻隔せられ、ゆえに未だ相飾り得ずして「皤如」を呈す。「皤」は白で、未だ文飾を得ざるを指す。馬は下に在りて奔動する物である。未だ文飾を得ざるがゆえに、ゆえに「白馬」と言う。正應の爻に追随する心志は飛翔のごとく快し。ゆえに「翰如」と言う。もし九三のこの寇仇に隔斷せられざれば、婚配の事は早くに兩情相親を成全せしめし。自己の乘る所、また下に在りて奔動するは、まさに馬の象である。初九と六四はもとより正應で、終に必ず相親し得る。ただ起初一陣阻隔せられたるのみ。

集說《朱子語類》云:六四“白馬翰如”,言此爻無所賁飾,其馬亦白也,言無飾之象如此。胡氏炳文曰:《屯》二應五,下求上也,不可以急。《賁》四應初,上求下也,不可以緩。

集説は『朱子語類』を引く:六四は「白馬翰如」と言う。これはこの一爻は竝びに文飾なく、馬さえ素白なるを講ずる。以て毫髪も裝點なき樣子を形容す。集説はまた胡炳文の説を引く:《屯》卦の六二は九五に應ずるは、下に在る者が上に在る者を求むるで、操之を過急にすべからず。《賁》卦の六四は初九に應ずるは、上に在る者が下に在る者を求むるで、遲緩すべからず。

俞氏琰曰:髮白為“皤”,馬白為“翰”。《禮記》云:商人尚白,戎事乘翰。鄭氏注云:翰,馬白色也。四當賁道之變,文返於質,故其象如此。梁氏寅曰:六四在離明之外,為艮止之始,乃賁之盛極,而當反質素之時也,故云“賁如皤如”。大初之舍車,為在下而無所乘故也,四在九三之上,則有所乘矣,故云“白馬翰如”。人既質素,則馬亦白也。

集説は俞琰の説を引く:頭髮の白きを「皤」と言い、馬の白きを「翰」と言う。『禮記』は言う、商人は白色を崇尚し、打仗する時は白馬に乘る。鄭玄の注解は、「翰」はすなわち馬の白色である。六四は正に文飾の道が轉折する時に當り、文より質に返る。ゆえに爻象はかくのごとし。集説はまた梁寅の説を引く:六四は已に離明の外に在り、艮止の開端で、正に文飾盛極にして返りて質素に歸すべき時に當る。ゆえに「賁如皤如」と言う。初九の「舍車」の所以は、身が最下に在りて乘るべき車なきが故、六四は九三の上に在りて、乘る所有れば、ゆえに「白馬翰如」と言う。人はすでに一身質素なれば、馬もすなわち白なり。

蘇氏濬曰:六四一爻,當以白賁之義推之,四與初相賁者也,以實心而求於初,不為虛飾,初曰賁趾,四門“皤如”,初曰“舍車”,四日“白馬”,同一白賁之風而已。

集説は蘇濬の説を引く:六四のこの一爻は、當に上九「白賁」の意を以て推求すべし。六四と初九は互相に文飾するは、誠實の心を以て初九を求むるで、虚浮の裝點を作さざるなり。初九は「賁其趾」と言い、六四は「皤如」と言う。初九は「舍車」と言い、六四は「白馬」と言う——同じく一種の素白を以て文飾とする風格に属するのみ(文中「四門」「四日」は、底本は當に「四曰」とすべし)。

案 《程傳》沿《註疏》之說,《本義》又沿《程傳》之說,皆以為初四相賁而為三所隔,故末得其賁而皤然也。然《朱子語類》以無飾言之,則已自改其說矣,故以後諸儒,皆以皤白為崇素返質之義,實於卦意為合。又案《易》中凡重言如者,皆兩端不安之辭,故“屯如邅如”者,欲進而未徑進也。

李光地が按する:『程伝』は王弼注・孔穎達疏の説を沿襲し、『本義』もまた『程伝』の説を沿襲して、皆初九と六四はもとより互相に文飾すべきを、九三に阻隔せられて文飾を得ずして素白の狀を呈すと思う。しかし『朱子語類』は毫髪も裝飾なしに改めて解釋し、朱熹は自ら已に旧説を修正した。ゆえに後來の諸家は皆「皤白」を質素を崇尚し本真に返歸する義と理解し、これは實にさらに本卦の意旨に合す。また按するに『周易』中、凡そ「如」の字を疊用するは、皆兩頭安ならず進退未定の措辞である。ゆえに《屯》卦は「屯如邅如」と言うは、前進せんと欲して能く徑直に前進し得ざるなり。

六五,賁于丘園,束帛戔戔,吝,終吉。本義 六五柔中為賁之主,敦本尚實,得賁之道,故有“丘園”之象。然陰性吝嗇,故有“束帛戔戔”之象。“束帛”,薄物;“戔戔”,淺小之意。人而如此,雖可羞吝,然禮奢寧儉,故得“終占”。

六五の爻辞は言う:丘陵園圃に文飾を施し、一束の帛は憐むべきほど少なし、寒酸に見ゆるも最終には吉祥。朱熹『本義』の解釋:六五は柔順にして中に居り、文飾を成就する主爻で、根本を敦厚にし實質を崇尚す。深く文飾の道を得、ゆえに「丘園」の象あり。但し陰の本性は吝嗇に偏し、ゆえにまた「束帛戔戔」の象あり。「束帛」は微薄の物で、「戔戔」は淺小の意である。人がこのように行事すれば、寒酸難看に見ゆるも、然るに禮を行うは奢侈するより儉省するに如かず。ゆえに終に吉を得る(末二字は底本「終占」と作る、「終吉」の訛と當るべし)。

程傳 六五以陰柔之質,密比於上九剛陽之賢,陰比於陽,復無所繫應,從之者也,受《賁》於上九也。自古設險守國,故城壘多依丘阪。“丘”,謂在外而近且高者。園圃之地,最近城邑,亦在外而近者。“丘園”,謂在外而近者,指上九也。六五雖居君位,而陰柔之才,不足自守,與上之剛陽相比而志從焉,獲賁於外比之賢,“賁于丘園”也。

程頤『伊川易伝』は言う:六五は陰柔の質を以て上九という陽剛の賢者に緊隣し、陰は陽に親比し、自身にまた相應の爻あって牵繫するなし。ただ上九に跟從し、上九より文飾を接受するのみ。古より險要を設置して國家を守衛すれば、城壘は多く丘陵坡地に依りて修築す。ゆえに「丘」は城外に鄰近して地勢較高き處を指し、園圃の地は城邑に最も靠近し、また外に在りて相近の地である。「丘園」はすなわち外に在りて相近する者、指すはまさに上九である。六五は君位に身を居すといえども、陰柔の才で自守するに足らず。上の陽剛の爻に相隣りて心志は彼に跟從し、近隣の賢者より文飾を獲得す。これがすなわち「賁于丘園」である。

若能受賁於上九,受其裁制,如“束帛”而“戔戔”,則雖其柔弱不能自為,為可吝少,然能從於人,成賁之功,終獲其吉也。“戔戔”,翦裁分裂之狀。帛未用則束之,故謂之“束帛”。及其制為衣服,必翦裁分裂戔戔然。“束帛”,喻六五本質。“戔戔”,謂受人翦制而成用也。其資於人與《蒙》同,而《蒙》不言吝者,蓋“童蒙”而賴於人,乃其宜也;非童幼而資賁於人,為可吝耳。然享其功,終為吉也。

程頤は続けて言う:六五もし上九の文飾を接受し、彼に裁處を聽憑すれば、一束の帛が剪裁されて一片片となるがごとく、それは柔弱にして自立し得ず、略々可惜なりといえども、畢竟他人に聽從して文飾の功を成就し、最終に吉祥を獲得す。「戔戔」は剪裁分割の樣子である。帛は未だ使用せざる時は束を成して捆ねる。ゆえに「束帛」と言う。衣服を作らんとすれば、必ず剪裁分割して零零碎碎となる。「束帛」は六五の本質に比喻し、「戔戔」は他人の剪裁加工を經て有用の物となるを言う。それは人に借助するが、《蒙》卦と相同じ。《蒙》卦は「吝」と言わざるは、「童蒙」にして他人に依賴するはもとより當然なるが故、六五は幼童にあらざるも他人に靠りて自己を文飾せねばならぬ。ゆえに可惜と見ゆる。然るにそれは成功を享有し、終にはなお吉なり。

集說 《朱子語類》:問:“賁于丘園”,安定作敦本說。曰:某之意正要如此。或以“戔戔”為盛多之貌,非也。“戔戔”者淺小之意,所以下文云“吝終吉”。吝者雖不好看,然終卻吉。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、「賁于丘園」の一句、胡瑗(安定先生)は敦厚根本と解す、可なりや。朱熹答えて曰く:我が意はまさにこのように講ずべきなり。ある人は「戔戔」を豐盛衆多の樣子と解す、あれは誤りである。「戔戔」は淺小の意、ゆえに下文は続いて「吝終吉」と言う——寒儉は看るに好くなしといえども、最終には吉なり。

又云:“賁于丘園。束帛戔戔”,是個務農尚儉。“戔戔”,是狹小不足之意。以字義考之,從水則為淺,從貝則為賤,從金則為錢。六五居尊位,卻如此敦本尚儉,便似吝嗇。如衛文公、漢文帝雖是“吝”,卻“終吉”,此在《賁》卦有反本之意。

朱熹はまた言う:「賁于丘園、束帛戔戔」とは、農事を重んじ儉朴を崇尚するを講ずる。「戔戔」は狹小不足の意である。字形上に考究すれば、戔は旁に水を加えれば淺、貝を加えれば賤、金を加えれば錢となり、皆少なく小さきの意味を含む。六五は尊位に身を居すも、このように本を敦め儉を尚ぶは、看るに吝嗇のごとし。譬えば衛文公・漢文帝は、寒儉の名ありといえども、結果は吉なり。これは《賁》卦の裏に根本に返歸する意を含む。

問:六五是在艮體,故安止於丘園,而不復外賁之象。曰:亦是上比於九,漸漸到極處。若一向賁飾去,亦自不好,須是收斂方得。

ある人がまた問う:六五は艮體の中に處す。ゆえに丘陵園圃に安止し、再び外に向かって文飾を求めず。このような象か。朱熹答えて曰く:またそれが上は上九に相親比し、文飾の道は漸々盡頭に走るが故でもある。もし一味に裝點し続けば、本身就是好き事にあらず、必ず收斂してこそ可なり。

胡氏炳文曰:不賁於市朝,而“賁于丘園”,敦本也。“束帛戔戔”,尚實也。潘氏士藻曰:五居中履尊,下無應與,而上比文柔之剛,得止之義,以成賁之道,故有“賁于丘園”之象。

集説は胡炳文の説を引く:文飾を市井朝廷に花せずして、丘陵園圃に用うは、これ根本を敦厚にするなり。「束帛戔戔」は、これ實質を崇尚するなり。集説はまた潘士藻の説を引く:六五は上卦の中に居り尊位を踏み、下は相應の爻なく、上向かってはあの柔爻を文飾する陽剛者と相親比す。深く艮止の義を得、因って文飾の道を成就す。ゆえに「賁于丘園」の象あり。

何氏楷曰:比於上九剛陽之賢,受賁於上九者也。“丘園”指上,上陽剛而處外,乃賢人隱丘園之象。據《彖》曰“剛上文柔”,則六五乃上所賁者,爻昕謂“賁于丘園”,猶曰受賁飾於丘園也。按《昏禮》納帛一束,束五兩,注,十端為束。“束帛戔戔”,其儀文雖薄,然終與上合志而吉。

集説は何楷の説を引く:六五は上九という陽剛の賢者に親比すは、上九より文飾を接受するものである。「丘園」は上九を指す:上九は陽剛にして卦の外に處し、まさに賢人が丘園に隱居する象である。「彖辞」の言う「剛上文柔」に依れば、六五はまさに上九に文飾せらるる方である。爻辞のいわゆる「賁于丘園」は、丘園より文飾を接受するに等しい。『儀禮・士昏禮』に按すれば、納徵は帛一束を用い、一束は五兩で、注解は十端を一束とす。「束帛戔戔」は、禮儀の排場は單薄なれども、六五は終に上九と心志相合する。ゆえに吉なり。

上九,白賁。無咎。程傳 上九《賁》之極也,賁飾之極則失於華偽,唯能質白其賁,則無過失之咎。“白”,素也。尚質素則不失其本真,所謂尚質素者,非無飾也,不使華沒實耳。

上九の爻辞は言う:素白を以て文飾と為す、過錯あらじ。程頤『伊川易伝』は言う:上九は《賁》卦の極處で、文飾は極點に至れば浮華虛僞に流れ易し。ただ能く素朴の白を以て文飾と為してこそ、過失の咎に至らざる。「白」はすなわち素である。質素を崇尚すれば、本來の真性を失わず。いわゆる質素を崇尚するとは、全然修飾を要せざるにあらず、ただ浮華をして實質を淹沒せしめざるのみ。

集說 《朱子語類》:問:如《本義》說六五上九兩爻,卻是賁極反本之意。曰:六五已有反本之漸,故曰“賁于丘園,束帛戔戔”。至上九“白賁”,則反本而復於無飾矢。蓋皆賁極之象也。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、『本義』に照らせば六五・上九のこの兩爻は、皆文飾が極處に至りて根本に返歸する意か。朱熹答えて曰く:六五は已に返本の萌芽を露出す。ゆえに「賁于丘園、束帛戔戔」と言う。上九「白賁」に至れば、就中根本に返歸して裝飾なき地步に回る。兩爻は皆文飾至極の象なり(末字は底本「矢」と作る、「矣」の訛と當るべし)。

王氏申子曰:上以陽剛為成卦之主,居艮止之極,當賁道之終,止文之流於終。終則返而質矣,故賁道成而無弊,無弊故“無咎”。熊氏良輔曰:“白賁”雲者,終歸於無所飾也。《賁》之取義,始則因天下之質而飾之以文,終則反天下之文而歸之於質。

集説は王申子の説を引く:上九は陽剛の質を以て一卦の主と爲り、艮止の頂端に居り、正に文飾の道の終點に當り、能く末流の處に於て文飾の泛濫を止住す。終點に至れば質朴に返歸す。ゆえに文飾の道は成就して流弊なく、流弊なければ過錯あらじ。集説はまた熊良輔の説を引く:いわゆる「白賁」は、最終に毫髪も裝飾なきに歸す。《賁》卦が義を立つるは、起初は天下の質地に就着て文采を加え、末了は天下の文采を收回して質朴に歸するなり。

胡氏炳文曰:《賁》賁上卦言“白馬”,言“束帛戔戔”,終言“白賁”。《雜卦》曰:“賁五色也。”可謂一言以蔽之矣。蔣氏悌生曰:六五上九皆敦尚質素,以白為賁,素以為絢之意。上九處無位之地,“高尚其事”,不尚華飾,以質素為賁,甘受和,白受采,其賢於五採彰施遠矣。

集説は胡炳文の説を引く:《賁》卦の上體は先ず「白馬」を言い、再び「束帛戔戔」を言い、最後に「白賁」を言う。『雜卦伝』は「賁、无色也」と講ずる。一句を以て全卦を點透したと言うべし(底本は「五色」と作る、「无色」の訛と當るべし)。集説はまた蔣悌生の説を引く:六五と上九は皆敦厚にして質素を崇尚し、素白を以て文飾と為す。正に『論語』「素以為絢」の意に合す。上九は職位なき處に處し、「高尚其事」にして浮華の裝點を慕わず、質素を以て文飾とす。ちょうど甘味が最も能く衆味を調和し、白い底が最も能く彩繪を承受するがごとく、五色斑斕の鋪陳に比すれば、高明なること遥かに多し。

總論邱氏富國曰:陰陽二物,有應者以應而相賁,無應者以比而相賁。四與初應,求賁於初,故初賁趾而四“翰如”也。二比三而賁乎三,故二賁須而三“濡如”也。五比上而賁乎上,故五賁丘園而上“白賁”也。初與四,應而相賁者也。二與三,五與上,比而相賁者也。此賁六爻之大旨也。

總論は邱富國の説を引く:陰陽兩類の爻は、「應與」あるは相應に凭って互相に文飾し、相應なきは相隣親比に凭って互相に文飾す。六四と初九は相應して、初九に向かって文飾を求む。ゆえに初九は「賁其趾」にして六四は「白馬翰如」なり。六二は九三に親比して九三を文飾す。ゆえに六二は「賁其須」にして九三は「濡如」なり。六五は上九に親比して上九を文飾す。ゆえに六五は「賁于丘園」にして上九は「白賁」なり。初と四は相應に靠って互飾する一對、二と三・五と上は親比に靠って互飾する兩對である。これがすなわち《賁》卦六爻の大旨である。

龔氏煥曰:《賁》之為言飾也,謂飾以文華也。然以六爻考之,初之“舍車而徒”,五之“丘園”,上之“白賁”,皆質實而不事文華者也。四之“皤如”賁於初,二之賁須附於三,惟三之“賁如濡如”,乃賁飾之盛,而即有“永貞”之戒者,懼其溺於文也。如是則古人之所賁者,未始事文華也。亦務其本實而巳。本實既立,文華不外焉。徒事文華,不務本實,非古人所謂賁。

集説は龔煥の説を引く:《賁》のこの字は修飾を講ずる、すなわち文采華美を以て裝點するなり。但し六爻を以て考察すれば:初九の「舍車而徒」・六五の「賁于丘園」・上九の「白賁」は、皆質朴篤實にして浮華を講究せず。六四の「皤如」は初九に向かって文飾を求め、六二の「賁其須」は九三に依附す。ただ九三の「賁如濡如」のみが文飾の盛と算するに足り、しかも爻辞は隨即「永貞」の告戒を加う。まさにそれが文采に沉溺するを怕るなり。これを見れば、古人の講ずる文飾は、從來浮華を追求せず、亦不過根本の實質に致力するのみ。根本實質一旦確立すれば、文采は自ずとその外に在らず。一味に浮華を追求して實質を務めざれば、古人の言う賁にあらざるなり。

剝卦(艮上坤下)

程傳 《剝序卦》:“賁者飾也,致飾然後亨則盡矣,故受之以剝。”夫物至於文飾,亨之極也。極則必反,故《賁》終則《剝》也。卦五陰而一陽,陰始自下生,漸長至於盛極,群陰消剝於陽,故為《剝》也。以二體言之,山附於地,山高起地上,而反附著於地,頹剝之象也。

程頤『伊川易伝』は言う:《剝》卦の『序卦伝』は講ずる:「賁とは飾なり、飾を致して後に亨盡す、故に受くるに剝を以てす。」事物が文飾を講究するまで發展すれば、通達は極點に至り、極點に至れば必ず反轉する。ゆえに《賁》卦の終りは《剝》卦である。この卦は五箇の陰爻にして一箇の陽爻のみ、陰氣は最下より生起して漸く極盛に至り、羣陰は一層々々陽爻を消蝕する。ゆえに《剝》と言う。上下兩體に就いて言えば、山は地に附着す:山はもとより地面上に高く聳立すべきに、今かえって地に貼伏す、まさに崩頹剥落の象である。

剝,不利有攸往。本義 “剝”,落也。五陰在下而方生,一陽在上而將盡,陰盛長而陽消落,九月之卦也。陰盛陽衰,小人壯而君子病。又內坤外良,有順時而止之象。故占得之者,不可以有所往也。

《剝》卦の卦辞は言う:前往するに利あらず。朱熹『本義』の解釋:「剝」は剥落。五箇の陰爻は下方にて興起未だ艾まず、一箇の陽爻は上にて耗盡せんとす、陰は盛長し陽は消落す。十二消息卦に配すればまさに九月の卦。陰氣盛んにして陽氣衰うは、小人勢を得て君子困るを象徴す。さらに卦體を看れば、內卦は坤、外卦は艮、時勢に順應して止まるを知る象あり。ゆえに此の卦を占得た人は往くあるべからず(「外良」は當に「外艮」とすべし)。

程傳 “剝”者,群陰長盛,消剝於陽之時,眾小人剝喪於君子,故君子不利有所往。唯當巽言晦跡,隨時消息,以免小人之害也。

程頤『伊川易伝』は言う:いわゆる「剝」とは、羣陰が滋長強盛にして正に陽剛を侵蝕する時、すなわち衆多の小人が君子を剝奪殘害する時である。ゆえに君子は行動あるべからず。この時はただ言語を謙順にし行跡を隱晦にして、時勢の消長に随って進退し、以て小人の加害を避くべきである。

初六,剝床以足,蔑貞凶。本義 剝自下起,滅正則“凶”,故其占如此。“蔑”,滅也。

初六の爻辞は言う:床を剝蝕して、床脚より始め、正道を滅却す、凶險なり。朱熹『本義』の解釋:剝蝕は最下より始まり、一旦正道を滅却せば凶險あり。ゆえに占斷かくのごとし。「蔑」はすなわち滅なり。

程傳 陰之剝陽,自下而上。以床為象者,取身之所處也。自下而剝,漸至於身也。“剝床以足”,剝床之足也。剝始自下,故為剝足。陰自下進,漸消滅於貞正,“凶”之道也。“蔑”,無也,謂消亡於正道也。陰剝陽,柔變剛,是邪侵正,小人消君子,其“凶”可知。

程頤『伊川易伝』は言う:陰の陽を剝蝕するは、下より上へ進行す。床を以て象を取るは、床はまさに人身の安んずる所なればなり。下より剝り起れば、徐々に人身に剝り至る。「剝床以足」は床の腿を剝り去るなり。剝蝕は最下に始まる、ゆえに床脚を剝ると言う。陰氣は下より推進して、逐歩に貞正の道を消滅す、これ凶を招く道なり。「蔑」は无なり、正道の消亡せらるるを指す。陰が陽を剝蝕し柔が剛を改變するは、すなわち邪が正を侵犯し小人が君子を消滅するなり、凶險は想うべく知れる。

集說 俞氏琰曰:陰之消陽,自下而進。初在下,故為剝床而先以床足滅於下之象。當此不利有攸往之時,唯宜順時而止耳。“貞凶”,戒占者固執而不知變則凶也。案 俞氏之說,是以蔑字屬上句讀,蓋自《象傳》“滅下”看出。亦可備一說。

集説は俞琰の説を引く:陰の陽を消蝕するは、下より上へ推進す。初六は最下に居る、ゆえに床を剝りて先ず床脚より滅起る象を取る。正に往くこと不利なる時に當り、ただ時勢に順って止まるを宜しとす。「貞凶」に至っては、占問する人に告戒する:もし成見に固執して變通を知らざれば、凶險あらん。李光地が按する:俞氏の讀法は、「蔑」の字を上一句に斷入して、「剝床以足蔑」と讀む。蓋し「小象」の「滅下」と講ずるより看出したるなり、亦た一説に備うべし。

六二,剝床以辨,蔑貞凶。本義 “辨”,床乾也,進而上矣。程傳 “辨”,分隔上下者,床之幹也。陰漸進而上,剝至於辨,愈滅於正也,“凶”益甚矣。

六二の爻辞は言う:床を剝蝕して、床身に剝り至り、正道を滅却す、凶險なり。朱熹『本義』の解釋:「辨」は床の軀幹の部分で、剝蝕がまた一層上に推進したるを說明す。程頤『伊川易伝』は言う:「辨」は上下を分隔する部件、すなわち床身である。陰氣は漸々上に推進して、床身に剝り至り、正道は滅せらるることますます多く、凶險もまたますます重し。

集說 俞氏琰曰:既滅初之足於下,又滅二之辨於中,則進而上矣。得此占者,若猶固執而不知變,則其“凶”必也。

集説は俞琰の説を引く:すでに下にて初爻の象する床脚を滅却し、また中間にて二爻の象する床身を滅却すれば、剝蝕は一歩々々上に逼近する。此の爻を占得た人、もしなお成見に固執して變通を知らざれば、凶險は必ず來るべし。

六三,剝之,無咎。程傳 眾陰剝陽之時,而三獨居剛應剛,與上下之陰異矣。志從於正,在剝之時為無咎者也。三之為可謂善矣,不言吉何也?曰:方群陰剝陽,眾小人害君子,三雖從正,其勢孤弱,所應在無位之地,於斯時也,難乎免矣,安得吉也?其義為無咎耳。言其“無咎”,所以勸也。

六三の爻辞は言う:剥落の中に身を處するも、過錯あらじ。程頤『伊川易伝』は言う:衆陰が陽爻を剝蝕する時に當りて、獨り六三のみ陽位に居り、また上九のこの剛爻と相應す。上下その余の陰爻と同じからず。其の心志は正道に跟從し、剥落の時に於て過錯を免れ得る。六三の作爲は好しと算すべきも、何故に吉と斷ぜざるか。答えて曰く:羣陰が陽を剝り衆小人が君子を加害する際に當り、六三は雖も正に從うも勢孤力弱にして、相應する上九はまた職位なき處に在る。このような時に禍を免れ得ればすでに好し、どうして吉と言うに及ばん。道理に就いて言えば、ただ罪咎を獲ざるのみなり。過錯なしと言うは、以て善に向かうを勸勉するなり。

集說 荀氏爽曰:眾皆剝陽,三獨應上,無剝害意,是以“無咎”。王氏弼曰:與上為應,群陰剝陽,我獨協焉,雖處於剝,可以“無咎”。

集説は荀爽の説を引く:衆陰は皆陽爻を剝蝕する中に、ただ六三のみ上九と相應して、剝害の心なし。ゆえに過錯あらじ。集説はまた王弼の説を引く:六三は上九と相應す。羣陰が共に陽爻を剝る時に當り、獨り我のみ陽爻と相協す。雖も剥落の世に身を處するも、罪咎を免れ得べし。

胡氏炳文曰:《剝》之三,即《復》之四。《復》六四不許以吉,《剝》六三許以“無咎”,何也?曰:《復》,君子之事,明道不計功,不以吉許之可也。《剝》,小人之事,小人中獨知有君子,不以“無咎”許之,無以開其補過之門也。案 王氏、程子,皆以剝之“無咎”連讀,言此乃剝時之無咎者也,玩《本義》,似以剝之為剝去其黨。

集説は胡炳文の説を引く:《剝》卦の六三は、位置は正に《復》卦の六四に相當す。《復》卦の六四は吉を許さず、《剝》卦の六三は罪咎を獲ざるを許す。これは何故か。答えて曰く:《復》は君子の事を講じ、君子はただ道を明らかにするを求めて成效を計らず。吉を以て彼を許さざるは可なり。《剝》は小人の事を講じ、一群の小人の中に偏に一箇の君子を敬するを知る者あり。もし罪咎を獲ざるを許さざれば、彼の爲に補過自新の門路を開くを得ず。李光地が按する:王弼と程子は皆「剝之无咎」を連ねて一句と爲して讀み、剥落の時に罪咎を免れ得る一爻を意とす。『本義』の語氣を玩味すれば、似たり「剝之」を彼自身の同黨を剝り去ると講ずるがごとし。

六四,剝床以膚,凶。本義 陰禍切身,故不復言蔑貞,而直言“凶”也。程傳 始剝於床足,漸至於“膚”。“膚”,身之外也。將滅其身矣,其“凶”可知。陰長已盛,陽剝已甚,貞道以消,故更不言蔑貞,直言“凶”也。

六四の爻辞は言う:床を剝蝕して、已に人の肌膚に剝り至る、凶險なり。朱熹『本義』の解釋:陰氣の禍は已に身に貼り至る、ゆえに再び「蔑貞」と言わず、徑直に凶と斷ず。程頤『伊川易伝』は言う:起初剝るは床脚、徐々に「膚」に剝り至る。「膚」は身體の外層で、ここに剝り至れば人身は毀滅せられんとす。凶險は想うべく知れる。この時陰氣は長じて已に盛ん、陽爻は剝られて已に重く、貞正の道は之に随って消亡す。ゆえに滅正と言うに及ばず、直ちに凶と言う。

六五,貫魚,以宮人寵,無不利。本義 “魚”,陰物。“宮人”,陰之美而受制於陽者也。五為眾陰之長,當率其類,受制於陽,故有此象。而占者如是,則“無不利”也。

六五の爻辞は言う:一串の魚のごとく順序に列して、宮中の妃嬪を帶いて君王の寵愛を承受す、不利なし。朱熹『本義』の解釋:「魚」は陰類の物に属す。「宮人」は陰柔の中の美者にして、また陽に受制する一方なり。六五は衆陰の長で、其の同類を率いて陽爻の節制を接受すべし。ゆえにこのような象あり。占問する人が能くこのようであれば、不利なることあらじ。

程傳 剝及君位,剝之極也,其凶可知,故更不言剝,而別設義以開小人遷善之門。五,群陰之主也。“魚”,陰物,故以為象。五能使群陰順序,如貫魚然,反獲寵愛於在上之陽,如宮人,則無所不利也。“宮人”,宮中之人。妻妾,侍使也。以陰言,且取獲寵愛之義。以一陽在上,眾陰有順從之道,故發此義。

程頤『伊川易伝』は言う:剝蝕は已に君位に逼り、剥落は極點に至れり、凶險は想うべく知れる。ゆえに爻辞は再び剝を言わずして、別に一義を立て、小人の爲に改過向善の門を開く。六五は羣陰の首領なり。「魚」は陰類の物、ゆえに取りて象と爲す。六五もし衆陰をして順序に就かしめ、一串の魚のごとく條理紊れず、反って上の陽爻より寵愛を獲得し、宮人の君王に事えるがごとくせば、不利なることあらじ。「宮人」は宮中の人、すなわち妻妾と侍從である。陰柔に就いて立說し、また其の寵愛を承受する義を取る。一根の陽爻が上位に高居するに因り、衆陰はもとより順從の道理あり、ゆえにこの層の意思を發揮す。

集說 張子曰:陰陽之際,近必相比。六五能上附於陽,反制群陰,不使進逼,方得處剝之善。下無剝之之憂,上得陽功之庇,故曰“無不利”。

集説は張載の説を引く:陰と陽の交接する處は、靠り近きは必ず互いに親比す。六五は能く上に向かって陽爻に依附し、反って羣陰を節制して、彼らの繼續進逼を許さざれば、これこそ剥落の世に善く處するを算す。下にあって剝蝕せらるるの憂患なく、上にあってはまた陽剛の功の庇護を得。ゆえに「无不利」と言う。

熊氏良輔曰:卦本為陰剝陽而陽凶,爻則以剝陽而見凶,故五則以順上為“無不利”,三則以應上為“無咎”,而上則有“碩果”得“輿”之象焉。張氏振淵曰:《遯》陰長而猶微,可制也,則告陽以制陰之道,曰“畜臣妾”;剝陰長已極不可制矣,則教陰以從陽之道,曰“以宮人寵”。

集説は熊良輔の説を引く:整卦より看れば、陰が陽を剝蝕して陽は凶險あり。各爻より看れば、却って陽を剝るに因って凶險を招く。ゆえに六五は上九に順從するに因って「无不利」、六三は上九と相應するに因って罪咎を獲ざらず、上九は「碩果不食」「君子得輿」の象あり。集説はまた張振淵の説を引く:《遯》卦は陰氣剛に長じてなお微弱、なお節制すべし。ゆえに陽の一方に陰を節制する辦法を告げて「畜臣妾」と言う。《剝》卦は陰氣已に極點に長じて再び節制し得ず、乃ち陰の一方に陽に順從する辦法を敎導して「以宮人寵」と言う。

上九,碩果不食,君子得輿,小人剝廬。本義 一陽在上,《剝》未盡而能復生。君子在上,則為眾陰所載;小人居之,則剝極於上,自失所覆,而無復“碩果”“得輿”之象矣。取象既明,而君子小人,其占不同,聖人之情,益可見矣。

上九の爻辞は言う:一顆の大果は殘りて食されず、君子は車輿の承載を得、小人は屋廬さえ剝り去られん。朱熹『本義』の解釋:一根の陽爻が最上に高居するは、剥落未だ窮盡せずして陽氣はなお重新生發し得るを說明す。もし君子此の位に居れば、衆陰に承載せられん。もし小人此の位を占據せば、剝蝕は頂點に至りて、自己の遮蔽さえ喪失し、再び「碩果」「得輿」のごとき象あらじ。取象は既に分明にして、君子と小人の得る所の占斷は截然として異なる。聖人の扶陽抑陰の心意、ここにおいてますます清楚なり。

集說 程子曰:息訓為生者,蓋息則生矣,中無間斷。“碩果不食”,則便為復也。楊氏文煥曰:“貫魚”者,眾陰在下之象也。“碩果”者,一陽在上之象也。

集説は程子の説を引く:「息」の字は生と訓す。止息の後便ち隨いて生長し、中間は間斷なきが故なり。「碩果不食」のこの果は殘り留まり、亦た《復》卦の一陽來復に轉成す。集説はまた楊文煥の説を引く:「貫魚」は衆陰が順序に排列して下に在る象、「碩果」は一陽が高く懸りて上に在る象なり。

胡氏炳文曰:乾為木果,眾陽皆變,而上獨存,有“碩果不食”象。果中有仁,天地生生之心存焉。“碩果”專以象言,“得輿”“剝廬”,兼占而言。床,上之藉下以安者也,廬,下之藉上以安者也。始而“剝床”,欲上失所安,今而“剝廬”,自失所安矣。自古小人慾害君子,亦豈小人之利哉?

集説は胡炳文の説を引く:『説卦』は乾を以て木果と爲す。此の卦はもと諸陽皆陰爻に變成して、ただ上爻のみ獨り存す。ゆえに「碩果不食」の象あり。果核の裏に仁あり、天地の生生不息の心は其の中に寄托す。「碩果」は純粹に象に就いて言い、「得輿」「剝廬」は占斷もまた包含す。床は上に在る人が下に在る物に凭りて安穩を求め、廬は下に在る人が上に在る物に凭りて安穩を求む。起初「剝床」は、上の人に安穩を失わしめんと欲す。今「剝廬」は、却って自ら安穩を失掉す。自古小人が君子を陷害せんと欲して、到頭來またどうして小人の便宜なりや。

蔡氏清曰:《易》固為君子謀,然其為君子謀者,亦所以為小人謀也,觀“小人剝廬”之辭可見。蓋道理自是如此,天地間豈可一日無善類哉?不然,人之類滅矣。可見聖人非姑為是抑彼以伸此也。喬氏中和曰:“碩果不食”,核也。仁也,生生之根也。自古無不朽之株,有相傳之果,此剝之所以復也。

集説は蔡清の説を引く:『周易』は固然君子の爲に打算するも、其れ君子の爲に打算するは、同時にすなわち小人の爲に打算するなり。「小人剝廬」の此の句を看れば明白なり。道理はもとよりかくのごとし:天地之間はどうして一日も善良の一類なからんや。之なければ、人類はすなわち滅絶す。見るべし、聖人は竝びに姑且一邊を壓抑し一邊を伸張するのみにあらざるを。集説はまた喬中和の説を引く:「碩果不食」は果核を講ず、核中の仁なり、生生不息の根なり。自古不朽の樹幹なくして、代々相傳する果實あり。これまさに《剝》の後必ず《復》に轉向する所以なり。

復卦(坤上震下)

程傳 《復序卦》:“物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復。”物無剝盡之理,故《剝》極則《復》來,陰極則陽生。陽剝極於上而復生於下,窮上而反下也,《復》所以次《剝》也。為卦一陽生於五陰之下,陰極而陽復也。歲十月,陰盛既極,冬至則一陽復生於地中,故為《復》也。陽,君子之道。陽消極而復反,君子之道消極而復長也,故為反善之義。

程頤『伊川易伝』は言う:《復》卦の『序卦伝』は講ずる:「物は以て終盡すべからず、剝は上に窮して下に返る、故に受くるに復を以てす。」事物に剥盡し尽くされる道理はない。ゆえに《剝》が極點に至れば《復》が來り、陰が極點に至れば陽は重生する。陽は上にて剝り尽くされて、また下より重新生出する。これがすなわち上に窮して下に返るなり。ゆえに《復》卦は《剝》卦の後に排す。卦體に就いて言えば、一根の陽爻が五箇の陰爻の下に生ずるは、陰極まりて陽の返るなり。一年の中に十月は陰氣盛極にして、冬至に至れば一陽が地中に復生す。ゆえに《復》と言う。陽は君子の道を象徴し、陽氣は消退の極點に至りて重新に返回す、ちょうど君子の道が消退の極點に至りて重新に滋長するがごとし。ゆえに本卦は善道に返歸する意義を含む。

復亨,出入無疾,朋來無咎,反復其道,七日來復,利有攸往。程傳 “復亨”,既復則亨也。陽氣復生於下,漸亨盛而生育萬物。君子之道既復,則漸以亨通,澤於天下,故復則有亨盛之理也。“出入無疾”,“出入”謂生長,復生於內,人也;長進於外。出也。先雲出,語順耳。陽生非自外也,來於內,故謂之人。物之始生,其氣至微,故多屯艱。陽之始生,其氣至微,故多摧折。春陽之發,為陰寒所折,觀草木於朝幕,則可見矣。

《復》卦の卦辞は言う:亨通し、出入に疾患なく、同類の來るも過錯あらず、往復運行は自ら常道あり、七日の後陽氣は回還す、前往するに利あり。程頤『伊川易伝』は言う:「復亨」とは、陽氣は已に回還すれば、便ち通達するを言う。陽氣が下に重新生出して、漸く旺盛となりて萬物を生養す。君子の道が已に回復すれば、漸く通達して、恩澤は天下に普及す。ゆえに一「復」に亨盛の道理を含む。「出入无疾」の「出入」は、陽氣の生と長を指す:內に重生するを入と言い、外に增長するを出と言う。經文は先ず出を言うは、ただ語氣の順暢の爲なり。陽氣の生發は外より來るにあらず、內より來る。ゆえに入と言う(底本兩處の「人」の字は皆「入」と當るべし)。萬物の初生の時、氣は極めて微弱、ゆえに多く艱難あり。陽氣の初生の時、氣もまた極めて微弱、ゆえに常に摧折を遭う。春に陽氣發動して、往々にして陰寒に摧折せらるるは、早晚に草木の情形を觀察すれば看出し得る。

“出入無疾”,謂微陽生長,無害之者也。既無害之,而其類漸進而來,則將亨盛,故無咎也;所謂咎,在氣則為差忒,在君子則為抑塞,不得盡其理。陽之當復,雖使有疾之,固不能止其復也,但為阻礙耳。而卦之才,有無疾之義,乃復道之善也。一陽始生至微,固未能勝群陰,而發生萬物,必待諸陽之來,然後能成生物之功,而無差忒,以朋來而無咎也。三陽子丑寅之氣,生成萬物,眾陽之功也。

程頤は続けて言う:「出入无疾」は、微弱の陽氣が生長し得て加害する物なきを講ず。すでに加害する人なく、同類はまた漸く進入すれば、まさに亨盛に向かう。ゆえに過錯あらじ。ここに言う咎は、氣候の上に於ては節令の差錯として表れ、君子の身上に於ては壓抑閉塞を受けて其の理を充分に實現し得ざるとして表れる。陽氣は回還すべき時に當りて、たとえ妨害する物あれど、終にはその回還を擋止し得ず、ただ些かの阻礙を造成するのみ。而るに此の卦の才質はもとより「无疾」の義あり、まさに復道の中の最好の情形なり。一根の陽爻が剛に生出するに當りて極めて微弱、もとより羣陰に勝るに足らず、萬物を生發するに足らず。必ずその余の陽爻が陸續と來到を待って、然る後に萬物を生養する功を成就して節候差錯なからしめ得る。これがすなわち「朋來无咎」。子・丑・寅の三箇月に三陽の氣は萬物を生成す、これ衆陽の合力の功なり。

若君子之道,既消而復,豈能便勝於小人?必待其朋類漸盛,則能協力以勝之也。“反復其道”,謂消長之遭,反覆迭至。陽之消,至七日而來復;《姤》陽之始消也,七變而成《復》,故云“七日”,謂七更也。《臨》云“八月有凶”,謂陽長至於陰長,歷八月也。陽進則陰退,君子道長,則小人道消,故“利有攸往”也。

程頤は続けて言う:君子の道は剛に消退より回還す、どうして便ち小人に勝つを得んや。必ず同道の人の漸く增多を待って、合力して取勝を能くす。「反復其道」とは、消と長の運行は往復交替して循環して至るを言う。陽氣は消退の後、第七次の變化に至りて回還す:《姤》卦の一陰始生・陽氣消退の始まりより算起して、七次の爻變を經て《復》卦を成す。ゆえに「七日」と言い、指すは七度の更迭なり。《臨》卦の言う「八月有凶」は、陽氣の生長より陰氣の生長に算えて、中間は八箇月を經歷す。陽進めば陰退く、君子の道は生長し小人の道は消退す。ゆえに「利有攸往」(「消長之遭」は當に「消長之道」とすべし)。

集說 房氏喬曰:“出入無疾”害之者,喜陽氣之復;朋來無罪咎之者。欲眾陽漸進之意。邵子曰:《復》次《剝》,明治生於亂乎!《夬》次《姤》,明亂生於治乎!時哉時哉!未有《剝》而不《復》,未有《夬》而不《姤》者。

集説は房喬の説を引く:「出入无疾」は、傷害する物なきを言い、見るべし聖人の陽氣の回還を喜ぶを。「朋來无咎」は、歸罪する人なきを言い、衆陽の逐步推進を盼望する意を含む。集説はまた邵雍の説を引く:《復》卦は《剝》卦に緊接す、まさに太平は禍亂の中より生出するを表明す。《夬》卦は《姤》卦に緊接す、まさに禍亂は太平の中より生出するを表明す。時勢や、時勢や!從來剥落到底にして回還せざるはなく、群陰を決盡して再び陰に遇わざるはなし。

鄭氏剛中曰:七者陽數,日者陽物,故於陽長言七日。八者陰數,月者陰物,《臨》剛長以陰為戒,故曰“八月”。《朱子語類》云:七日只取七義,猶“八月有凶”,只取八義。

集説は鄭剛中の説を引く:七は陽數で、日は陽に属する物、ゆえに陽氣の生長を講ずるに「七日」と言う。八は陰數で、月は陰に属する物、《臨》卦は陽剛生長して陰氣を以て戒めと爲す。ゆえに「八月」と言う。集説はまた『朱子語類』を引く:いわゆる七日は、ただ一箇の七の意義を取るのみ。ちょうど「八月有凶」のごとく、ただ一箇の八の意義を取るのみなり。

胡氏炳文曰:“反復其道”,統言陰陽往來,其理如此。“七日來復”,專言一陽往來,其數如此。林氏希元曰:天下事非一人所能獨辦,君子有為於天下,必與其類同心共濟,故《復》重“朋來”,而《泰》重“彙征”。張氏振淵曰:“反復其道”,猶云“反覆”計其程道也。此二句,正見天運自有定期,君子不可不善承之耳。

集説は胡炳文の説を引く:「反復其道」は總括して陰陽の往來を講ずるで、其の理はかくのごとし。「七日來復」は專ら一陽の往來に就いて講ずるで、其の數はかくのごとし。集説はまた林希元の説を引く:天下の事は一人にして獨力に辦成し得るにあらず、君子は天下に作爲せんと欲せば、必ず同道の人と同心協力せねばならぬ。ゆえに《復》卦は「朋來」を看ず、《泰》卦は「彙征」を看ず。集説はまた張振淵の説を引く:「反復其道」は、譬えば來回りて其の行く所の路程を計量するがごとし。この兩句は正に天運に自ら一定の期限あるを見る、君子は能く善く之を承接せざるべからず。

初九,不遠復,無祗悔,元吉。本義 一陽復生於下,《復》之主也,“祗”,抵也。又居事初,失之未遠,能復於善,不抵於悔,大善而占之道也,故其象占如此。

初九の爻辞は言う:遠く行かずして回頭す、懊悔に至らず、大いに吉祥。朱熹『本義』の解釋:一根の陽爻が最下に重生するは、《復》卦の主爻なり。「祗」は抵達なり。また事物の開端に處して、走失することなお遠からず、善道に回歸し得て、懊悔の地步に落ち至らず。これ大善にして吉なる路數なり。ゆえに爻象と占斷かくのごとし(「大善而占」は當に「大善而吉」とすべし)。

集說 楊氏時曰:初九陽始生而未形,動之微也。“吉凶悔吝,生乎動者也”,未形而復,其復不遠矣,故不至於悔而“元吉”。俞氏琰曰:初居震動之始,方動即復,是不遠而復,復之最先者也,故不至於悔而“元吉”。

集説は楊時の説を引く:初九は陽氣剛生にして未だ成形せざる時で、動の最も微なる處に属す。『繫辞』は「吉凶悔吝、生乎動者也」と言う。未だ成形せざる時に回頭すれば、その回頭は極めて早し。ゆえに懊悔に至らず大いに吉祥なり。集説はまた俞琰の説を引く:初九は震動の體の開端に處し、剛に一動して便ち回頭す、まさに遠く行かずして回還す、六爻の中で最先に回頭するもの。ゆえに懊悔に至らず大いに吉祥なり。

六二,休復,吉。本義 柔順中正,近於初九,而能下之,復之休美,言之道也。程傳 二雖陰爻,處中正而切比於初,志從於陽,能下仁也,復之休美者也。復者,復於禮也。復禮則為仁,初陽復,復於仁也。二比而下之,所以美而吉也。

六二の爻辞は言う:美しく回還す、吉祥。朱熹『本義』の解釋:六二は柔順にして居中當位、また初九に靠近し、かつ能く謙下して之に對す。これ回還の中の最も美好なる一種。ゆえに吉なり(「言之道也」は當に「吉之道也」とすべし)。程頤『伊川易伝』は言う:六二は陰爻なれど、居中守正にして初九に緊隣し、心志は陽剛に跟從して、仁者に對して身を屈して相下し得る。まさに回還の中の美好者なり。いわゆる復は、禮に復歸するなり。禮に復すればすなわち仁、初九の一陽回還は、まさに仁に復歸するなり。六二は之に親比して甘んじて其の下に居る。ゆえに美好にして吉祥なり。

集說 《朱子語類》云:學莫便於近乎仁,既得仁者而親之,資其善以自益,則力不勞而學美矣,故曰“休復,吉”。

集説は『朱子語類』を引く:學問を做るに仁者に親近するより便捷なるはなし。すでに仁者に遇いて之と親近し、彼の善を借りて自己を充實せば、大きな氣力を費やすに及ばずして學問は自ずと美好なり。ゆえに爻辞は「休復、吉」と言う。

六三,頻復,厲無咎。本義 以陰居陽,不中不正,又處動極,復而不固,屢失屢復之象,屢失故危,復則“無咎”,故其占又如此。

六三の爻辞は言う:屢々回頭す、危險あるも、過錯あらじ。朱熹『本義』の解釋:六三は陰爻を以て陽位に居り、中に居らずまた當位せず、また震動の體の頂端に處して、回還すれども守り牢ならず。まさに屢々失足し屢々回頭する象なり。屢々失足すればゆえに危險あり、回頭を肯んずれば過錯に至らず。ゆえに占斷かくのごとし。

程傳 三以陰躁處動之極,復之頻數,而不能固者也。復貴安固,頻復頻失,不安於復也。復善而屢失,危之道也。聖人開遷善之道,與其復而危其屢失,故云“厲無咎”。不可以頻失而戒其復也。頻失則為危,屢復何咎?過在失而不在復也。

程頤『伊川易伝』は言う:六三は陰柔浮躁の質を以て動體の頂端に處し、回頭は頻繁なれど守ること能わず。回還は安穩牢固を貴ぶ、屢々回頭して屢々失足するは、まさに回還に安んじ得ざるなり。已に善道に歸して一再に失守するは、これ危險の道なり。聖人は人の爲に遷善の門を開き、一面は彼の回頭するを稱許し、一面は彼の屢々失足するに示警す。ゆえに「厲无咎」と言い、彼が屢々失足するに因って彼の回頭を阻止せず。屢々失足は固然危險なり、屢々回頭はまた何の過錯かあらん。過錯は失足に在り、回頭に在らず。

集說 郭氏忠孝曰:唯君子能久於其道,其餘則日月至焉而已。是以子夏之徒,出見紛華盛麗而悅,入聞夫子之道而樂,與夫回之為人,拳拳服膺而弗失之者,固有間矣。趙氏汝楳曰:三為震動之極,故曰“頻”。“厲”,危也,即人心唯危之危。

集説は郭忠孝の説を引く:ただ君子のみ能く長久に其の道を守住す、その余の人は不過一日一月に偶々達するのみ。ゆえに子夏の一輩人は、門を出でて繁華盛美を見れば欣然として喜悅し、門に入りて孔子の道を聞けばまた欣然として快楽す。顏回のごとき道理を牢く胸中に捧持して始終失わざるの爲人に比すれば、畢竟なお一層を差す。集説はまた趙汝楳の説を引く:六三は震動の體の頂端、ゆえに「頻」と言う。「厲」は危なり、すなわち『尚書』「人心惟危」のあの危なり。

六四,中行獨復。本義 四處群陰之中,而獨與初應,為與眾俱行,而獨能從善之象。當此之時,陽氣甚微,未足以有為,故不言吉。然理所當然,吉凶非所論也。董子曰:仁人者,正其義不謀其利,明其道不計其功,於《剝》之六二及此爻見之。

六四の爻辞は言う:衆人の中を行きて獨り回頭す。朱熹『本義』の解釋:六四は一群の陰爻の當中に處して、獨り初九と相應す。まさに衆人と一同に行走しながら獨り自己のみ善道に跟從し得る象なり。この時に於て、陽氣はなお微弱にして作爲あるに足らず。ゆえに爻辞は吉と言わず。然るにこのようにするはもとより道理上當然なれば、吉凶はかえって計較の列に在らず。董仲舒は言う:「仁人は、其の義を正して其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず。」この層の意思は、《剝》卦の六二と此の一爻の上に皆看出し得る。

程傳 此爻之義,最宜詳玩,四行群陰之中,而獨能復,自處於正,下應於陽剛,其志可謂善矣。不言吉凶者,蓋四以柔居群陰之間,初方甚微,不足以相援,無可濟之理,故聖人但稱其能獨復,而不欲言其獨從道而必凶也。曰,然則不言無咎,何也?曰:以陰居陰,柔弱之甚,雖有從陽之志,終不克濟,非無咎也。

程頤『伊川易伝』は言う:此の一爻の意義は最も細細に玩味すべし。六四は羣陰の中を行走して、獨り回頭し得て、正道に自處し、下は陽剛に相應し、心志は好しと算すべし。爻辞が吉凶を言わざるは、六四が柔爻を以て衆陰の間に夾み、初九はまた極めて微弱にして之を援助するに足らず、事情は辦成の理なきが故。ゆえに聖人はただ其の獨り回頭し得るを稱許して、其の獨り道に從いてかえって必凶を言わんと欲せざるなり。ある人が問う:然らば何故に罪咎を獲ざるをも言わざるか。答えて曰く:彼は陰爻を以て陰位に居り、柔弱は極點に至り、雖も陽剛に跟從する心志あれど、終に事を成し得ず。ゆえに過錯なしとは言い得ず。

繆氏昌期曰:“中”,即“中以自考”中字。“獨”,即《中庸》慎獨之獨。四能以中而行,而於獨知之中,憬然自覺,所謂復以自知也。蓋《復》之所以為《復》,全在初爻,猶人之初念也。五陰皆復此而已,唯四在陰中有所專向,故發此義。

集説は繆昌期の説を引く:「中行」の中は、すなわち六五の「小象」に言う所の「中以自考」のあの中なり。「獨復」の獨は、すなわち『中庸』の講ずる慎獨のあの獨なり。六四は能く中を守りて行い、また能く自己のみ知るの隱微の處に於て猛然自覺す。すなわち所謂自己に靠って省察して回頭するなり。《復》卦の其れ《復》と爲る所以は、全く初爻に在り、譬えば人心の最初の一念のごとし。五箇の陰爻は不過皆此の一念に回歸せんとするのみ。ただ六四は羣陰の中にあって專一の嚮往あり。ゆえに爻辞は其の身上に於て此の層の意思を發揮す。

六五,敦復,無悔。本義 以中順居尊,而當復之時,“敦復”之象,”無悔”之道也。

六五の爻辞は言う:敦厚篤實にして回還す、懊悔あらじ。朱熹『本義』の解釋:六五は居中柔順の德を以て尊位に處し、また正に回還の時に當る。これ「敦復」の象にして、また懊悔に至らざる路數なり。

程傳 六五以中順之德處君位,能敦篤於復善者也,故“無悔”。雖本善,戒亦在其中矣。陽複方微之時,以柔居尊,下復無助,未能致亨吉也,能“無悔”而已。

程頤『伊川易伝』は言う:六五は居中柔順の德を以て君位に處して、能く敦厚篤實に善道に回歸す。ゆえに懊悔あらじ。この言はもとより稱許なれど、告戒の意思も亦た其中に含む:陽氣剛に回還してなお微弱の時に、彼は柔爻を以て尊位に居り、下はまた相應の援手なく、なお亨通吉慶を招致し得ず、ただ悔恨なきを致すのみなり。

集說 項氏安世曰:《臨》以上六為“敦臨”,《艮》以上九為“敦艮”,皆取積厚之極。《復》於五即言“敦復”者,《復》之上爻,迷而不復,故《復》至五而極也。卦中復者五爻,初最在先,故為“不遠”;五最在後,故為“敦”。

集説は項安世の説を引く:《臨》卦は上六を以て「敦臨」と爲し、《艮》卦は上九を以て「敦艮」と爲す。皆積累深厚して極點に至るの意を取る。《復》卦は卻って第五爻に於て「敦復」と言うは、《復》卦の上爻は昏迷して回頭を肯んぜざれば、復道は五爻に至りて頂に到るが故なり。全卦に回還を講ずるは凡そ五爻あり:初九は最も前に靠る、ゆえに「不遠復」と言う。六五は最も後に靠る、ゆえに「敦復」と言う。

蔡氏淵曰:“敦”,厚也。《坤》象復主初陽,五雖與初無繫,而處位得中,能自厚於復者也,可以“無悔”。李氏簡曰:初九陽剛,君於之道也。相應相比者復之易,二與四是也;遠而非應者復之難,六五所以稱“敦復”。“敦復”者,厚之至也。不與初應,本當有悔,以其能復,是以“無悔”。

集説は蔡淵の説を引く:「敦」は厚なり。六五は坤體に身を在れり、全卦は初九の一陽を以て復の主爻と爲す。六五は初九と牵繫なきも、上卦の中に居りて、能く自己厚重に復道を行す。ゆえに懊悔に至らざるべし。集説はまた李簡の説を引く:初九は陽剛にして、君子の道を代表す。之と相應あるいは相隣るは、回還すること易し、六二と六四が然り。離るること遠くまた相應せざるは、回還すること難し、六五の「敦復」と称する所以なり。「敦復」は厚の極點に至るなり。六五は初九と相應せず、もとより悔恨あるべきも、其の回還し得るに因って、懊悔に至らず。

胡氏炳文曰:“不遠復”者,善心之萌。“敦復”者,善行之固。故初九”無祗悔”,“敦復”則可“無悔”矣。“不遠復”,入德之事也。“敦復”,其成德之事與。

集説は胡炳文の説を引く:「不遠復」は善心剛に萌動す、「敦復」は善行已に穩固なり。ゆえに初九は「无祗悔」と言い、なお悔の生出するに及ばず。六五「敦復」は、則ち悔恨なきを致し得べし。「不遠復」は入德の功夫に属し、「敦復」は蓋し成德の境地ならん。

上六,迷復,凶。有災眚,用行師,終有大敗,以其國君凶,至于十年不克征。本義 以陰柔居復終,終迷不復之象,凶之道也,故其占如此。“以”猶及也。

上六の爻辞は言う:昏迷して回頭を知らず、凶險なり。天災人禍あらん。以て出兵作戰せば、終に大敗して、國君に連累して凶に遭い、十年の久しきも出征し得ず。朱熹『本義』の解釋:上六は陰柔の質を以て《復》卦の終點に居り、始終昏迷して回頭を肯んぜざる象、これ凶を招く道なり。ゆえに占斷かくのごとし。「以」の字はここに於て「及」と作って講ずる、牽連涉及の意なり。

程傳 以陰柔居復之終,終迷不復者也。迷而不復,其“凶”可知。有“災眚”,“災”,天災,自外來;“眚”,己過,由自作。既迷不復善,在己則動皆過失,災禍亦自外而至,蓋所招也。迷道不復,無施而可,用以“行師”,則“終有大敗”;以之為國,則君之凶也。十年者,數之終。至于十年不克征,謂終不能行。既迷於道,何時而可行也?

程頤『伊川易伝』は言う:上六は陰柔の質を以て復道の終點に居り、始終昏迷して回頭を肯んぜざる人なり。昏迷して返らざれば、凶險は想うべく知れる。「有災眚」と言う:「災」は天の降す災にして、外より來る。「眚」は自身の過失にして、自ら造成する。すでに昏迷して善に歸せざれば、自己の此方に於ては動輒過失と爲り、外來の禍患もまた接踵而至す。實は皆自ら招來するなり。道に迷失して返るを知らざれば、何を爲しても行き通らず。之を以て用兵せば、終に大敗す。之を以て國を治めれば、すなわち國君の凶險なり。十年は數目の終點なり。十年に至りて出征し得ざるを說及すは、終に行き通らざるを講ず——すでに道上に迷失せば、何時にして行き通るを得んや。

集說 徐氏幾曰:上六位高而無下仁之美,剛遠而無遷善之機,厚極而有難開之蔽,柔終而無改過之勇,是昏迷而不知復者也。楊氏啟新曰:心為天君。“以其國君”,言喪失其本心也。

集説は徐幾の説を引く:上六は位置最も高しといえども、己を屈して仁に親しむの美德なく、初九のあの陽剛の爻に離るること最も遠くして、遷善の機緣なく、坤厚の極處に處して、かえって打開し難き蒙蔽と爲り、柔道の終點に居りて、改過の勇氣なし。まさに昏迷して回頭を知らざる人なり。集説はまた楊啓新の説を引く:心は一身の天君なり。爻辞の言う「以其國君」は、本心さえ喪失し盡したるを講ず。

何氏楷曰:《坤》奉先迷,今居其極,則迷之甚矣。言“迷復”,即昏迷而不知所復之謂。“行師”以下,皆假象,以喻一心不能馭眾動,徇物必至喪天君也。

集説は何楷の説を引く:《坤》卦の辞にもと「先迷」の説あり。上六はまた坤體の極處に居れば、すなわち迷うこといよいよ甚し。いわゆる「迷復」は、すなわち昏迷してどこに回歸すべきかを知らざるなり。「用行師」以下の幾句は皆借來の比喻で、以て一心の主作する力量が紛紛たる行動を統攝し得ざれば、一味に物に逐いて、必ず心中の天君さえ喪失し盡さんとするを說明す。

總論 胡氏炳文曰:“迷復”與“不遠復”相反,初不遠而復,迷則遠而不復。“敦復”與“頻復”相反,敦無轉易,頻則屢易。“獨復”與,“休復”相似,休則比初,獨則應初也。“十年不克征”,亦“七日來復”之反。

總論は胡炳文の説を引く:「迷復」と「不遠復」とは正反對なり:初九は遠く行かずして回頭し、昏迷の人は甚だ遠く行きて回頭を肯んぜず。「敦復」と「頻復」とは正反對なり:敦厚のものは反復改易せず、頻繁のものは屢々改易す。「獨復」と「休復」とは相近し:「休復」は六二が初九に親比し、「獨復」は六四が初九に遠應す。「十年不克征」に至っては、亦た「七日來復」の反面なり。

无妄卦(乾上震下)

程傳 《無妄序卦》:“復則不妄矣,故受之以無妄”。復者,反於道也。既復於道,則合正理而無妄,故《復》之後,受之以《無妄》也。為卦乾上震下,震,動也,動以天為無妄,動以人慾則妄矣,《無妄》之義大矣哉!

程頤『伊川易伝』は言う:《无妄》卦の『序卦伝』は講ずる:「復すれば則ち妄あらず、故に受くるに无妄を以てす。」いわゆる復は、正道に返回すること。すでに正道に返回せば、正理に合して虚妄なし。ゆえに《復》卦の後に接ぐるは《无妄》なり。卦體に就いて言えば、乾は上に在り、震は下に在り、震は動なり:天理に依って動けばすなわち《无妄》、人欲に依って動けば虚妄と爲る。《无妄》の一卦の意義は真に重大なり。

無妄,元亨,利貞,其匪正有眚,不利有攸往。本義 無妄,實理自然之謂,《史記》作“無望”,謂無所期望而有得焉者,其義亦通,為卦自《訟》而變,九自二來而居於初,又為震主,動而不妄者也,故為《無妄》。又二體震動能乾健,九五剛中而應六二,故其占大亨,而利於正。若其不正,則有青而不利有所往也。

《无妄》卦の卦辞は言う:大いに亨通し、正を守るに利あり。もし行う所正ならざれば災禍あり、前往するに利あらず。朱熹『本義』の解釋:《无妄》は真實の理が自然かくのごとしの意なり。『史記』は「无望」と作る、竝びに期求なくして自然に得る所有るを指し、この講法も亦た通ずるを言い得べし。「卦變」に就いて言えば、此の卦は《訟》卦より變じ來る、九二のあの陽爻は下りて初位に居り、また震體の主と爲る。動いて虚妄ならざるなり、ゆえに《无妄》と言う。さらに上下兩體を看れば、震は能く動き乾は剛健、九五は陽剛居中にして六二と相應す。ゆえに占斷は大いに亨通して正を守るに利ありと爲す。もし行う所正ならざれば、災禍あって前往に利あらじ(底本「有青」は當に「有眚」とすべし)。

程傳 無妄者,至誠也。至誠者,天之道也。天之化有萬物,生生不窮,各正其性命,乃無妄也。人能合無妄之道,則所謂“與天地合其德”也。《無妄》有大亨之理,君子行無妄之道,則可以致大亨矣。《無妄》,天之道也,卦言人由無妄之道也。“利貞”法無妄之道,利在貞正,失貞正則妄也。雖無邪心,苟不合正理,則妄也,乃邪心也。故有匪正,則為過眚。既已無妄,不宜有往,往則妄也。

程頤『伊川易伝』は言う:《无妄》の講ずる所はすなわち至誠、至誠は天の道理なり。上天は萬物を化育して生生已まず、毎一物をして各々其の性命を正しくせしむ、これすなわち无妄なり。人もし能く无妄の道に合せば、すなわち『乾・文言』の言う所の「與天地合其德」なり。《无妄》はもとより大亨の理を含み、君子が无妄の道を推行すれば、以て大亨を招致し得べし。《无妄》は天の道にして、而るに此の一卦の講ずる所は、人が如何にして无妄の道を遵行するかなり。「利貞」は无妄の道を效法するに、利益は貞正に在るを講ず。貞正を失えばすなわち虚妄なり。たとえ心中に邪念なきも、もし正理に合せざれば、なお虚妄にして、すなわち邪心と爲る。ゆえに一旦行う所正ならざれば、災眚と爲る。すでに无妄なれば、更に往く所有るを宜しとせず、往けば妄動と爲るなり。

集說 《朱子語類》云:《無妄》一卦,雖云禍福之來也無常,然自家所守者,不可不利於正,不可以彼之無常,而吾之所守亦為之無常也,故曰“無妄,元亨利貞,其匪正有眚”。問:雖無邪心,苟不合正理,則妄也。既無邪,何以不合正?曰:有人自是其心全無邪,而卻不合於正理。如賢者過之,其心豈曾有邪?卻不合正理,佛氏亦豈有邪心者?

集説は『朱子語類』を引く:《无妄》の此の一卦は、雖も禍福の到來に常準なしといえども、然るに自己の守る所は正に利あらざるべからず。外來の禍福の無常に因って、自己の守る所さえ之に随って無常ならしむべからず。ゆえに卦辞は「无妄、元亨利貞、其匪正有眚」と言う。またある人が問う:程子はたとえ邪念なきも、もし正理に合せざれば虚妄と算すと言う。すでに邪念なし、どうして正に合せざるを得んや。朱熹答えて曰く:ある人は自ら以て心中全然邪念なしと爲すも、偏に正理に合せず。譬えば『中庸』の言う賢者は太過に失するは、彼の心は何嘗か邪あらん。終に正理に合せず。佛家の中の人は、豈に亦た邪心を存するや。

邱氏富國曰:唯其無妄,所以無望也。若其處心未免於妄,則尤道以致福,而妄欲徼,福非所謂無望之福;有過以召災,而妄欲免災,非所謂無望之災。此皆未免容心於禍福間,非所謂無妄也。若真實無妄之人,則純乎正理,禍福一付之天,而無苟得幸免之心也。

集説は邱富國の説を引く:正に心中に虚妄を存せざるに因って、こそ期求を存せざるを談ずるを得。もし存心がなお虚妄を免れざれば、もとより福を得る由なくして、妄りに僥倖に求取せんと妄想す、これは所謂期せずして至る福にあらず。もとより過失あって災を招くべきに、妄りに之を躲開せんと妄想す、これもまた所謂期せずして至る災にあらず。これらは皆心思を禍福の間に盤桓せしむるで、无妄と算するに足らず。真に无妄の人は、一片の純正の理、禍福は全く上天に交付して、絶えて苟且に求得し僥倖に禍を免れんの念頭あらざるなり(「尤道以致福」は當に「无道以致福」とすべし)。

胡氏炳文曰:朱子解《中庸》誠字,以為真實無妄之謂;此解《無妄》,則以為實理自然之謂。自然二字,已兼無所期望之意矣。胡氏居仁曰:無妄,誠也。誠,天理之實也。聖人只是循其實理之自然,無一豪私意造為。故出乎實理無妄之外,則為過眚。循此實理無妄而行之,則吉無不利。不幸而災疾之來,亦守此無妄之實理,而不足憂。卦辭爻辭皆此意。

集説は胡炳文の説を引く:朱子は『中庸』の「誠」の字を解して、真實にして虚妄なしと言う。ここに《无妄》を解しては、則ち真實の理が自然かくのごとしと言う。「自然」の兩字は、已に期求を存せざるの意思をも包含し盡したり。集説はまた胡居仁の説を引く:《无妄》はすなわち誠なり。誠は天理の真實なり。聖人はただ此の真實の理の自然に順うのみ、一絲一毫の私意造作あらず。ゆえに一旦真實无妄の理の以外に越出せば、災眚と爲る。此の真實无妄の理に順って做れば、吉利にして宜ならざるなし。万一災禍疾病の到來あれども、なお仍お此の无妄の實理を守住して、憂慮するを須いざるなり。卦辞と爻辞の講ずるは皆此の意なり。

初九,無妄,往吉。本義 以剛在內,誠之主也。如是而往,其“吉”可知。故其象占如此。

初九の爻辞は言う:もとより虚妄なく、前往すれば吉祥。朱熹『本義』の解釋:初九は陽剛の質を以て內卦に居り、誠の主宰なり。このような心地を以て前往せば、吉祥は想うべく知れる。ゆえに爻象と占斷かくのごとし。

集說 蘭氏廷端曰:初則當行,終則當止,行止適當則無妄,不妄則“吉”。《無妄》之初,當行者也,故“往”則有“吉”。《無妄》之終,當止者也,故行則有眚。胡氏炳文曰:《彖》曰:“剛自外來而為主於內”,《本義》於此曰:以剛在內,誠之主也。主字最有力。蓋妄者,誠之反也,誠之主如此,妄自然無矣。如此而往,其吉固宜。

集説は蘭廷端の説を引く:開端の時に當に行動すべく、終了の時に當に停止すべし。行と止と皆恰當なれば、すなわち无妄、妄ならざれば吉なり。《无妄》の初爻は正に行動すべき時に當る、ゆえに往けば則ち吉あり。《无妄》の上爻は正に停止すべき時に當る、ゆえに再走すれば災眚あり。集説はまた胡炳文の説を引く:「彖辞」は「剛自外來而爲主於內」と言い、『本義』はここに「以剛在內、誠之主也」と言う。一箇の「主」の字は最も分量あり。虚妄は誠の反面なり、誠はすでにかように主を爲せば、虚妄は自ずと無くなる。このような心地を以て前往せば、吉祥はもとより當然なり。

何氏揩曰:此爻足蔽《無妄》全卦。震陽初動,誠一未分,是之謂《無妄》。以此而往,動與天舍,何不吉之有?

集説は何楷の説を引く:此の一爻は《无妄》全卦を槪括するに足る。震體の陽氣は剛に發動して、誠は純一にして未だ分裂せず、これを《无妄》と言う。このような心地を以て前往せば、一擧一動皆天理と相合す、吉ならざるあらんや(底本「何氏揩」は當に「何氏楷」とし、「動與天舍」は當に「動與天合」とすべし)。

六二,不耕穫,不苗畲,則利有攸往。本義 柔順中正,因時順理,而無私意期望之心,故有“不耕穫,不菑畲”之象。言其無所為於前,無所冀於後也。占者如是,則利有所往也。

六二の爻辞は言う:收穫を求める爲に耕種せず、熟田を求める爲に開荒せず、かようにすれば則ち前往するに利あり(底本「不苗畬」は當に「不菑畬」とすべし)。朱熹『本義』の解釋:六二は柔順にして居中當位し、時勢に隨順し事理に依循して、一點の私心期求あらず。ゆえに「不耕穫、不菑畬」の象あり。これは言う、彼は事に先んじて刻意に造作せず、事の後にも指望を存せざるなり。占問する人が能くかくのごとくせば、則ち前往するに利あり。

程傳 凡理之所然者,非妄也。人所欲為者,乃妄也。故以”耕穫、菑畲”譬之。六二居中得正,又應五之中正,居動體而柔順,為動能順乎中正,乃《無妄》者也,故極言無妄之義。“耕”’農之始;”獲”,其成終也。田一歲曰“菑”,三歲曰“畲”。不耕而獲,不菑而畲,謂不首造其事,因其事理所當然也。首造其事,則是人心所作為,乃妄也。國事之當然,則是順理應物,非妄也,獲與畲是也。

程頤『伊川易伝』は言う:凡そ事理が本來かくあるべきは、則ち虚妄にあらず。人の自己が如何あらんと欲するに出づるが、こそ虚妄なり。ゆえに耕と穫、菑と畬を以て比喻と爲す。六二は下卦の中に居りて當位し、また九五の中正と相應し、身は震動の體に在りて性情は柔順なり。これ動いて能く中正に順うなり、まさに《无妄》の爻なり。ゆえにそれを借りて无妄の義を講じ尽くす。「耕」は農事の開頭、「穫」は農事の收尾。開墾第一年の田を「菑」と言い、第三年に至って「畬」と言う。耕せずして穫り、菑めずして畬くるは、言う、自己により先ずその事を造作せず、ただ事理の當有の結果に順うなり。先ずその事を造作するは、すなわち人心の有意の作爲、それはすなわち妄なり。事勢の本來かくあるべきに至っては、すなわち理に順い物に應ずるで、虚妄と算せず。收穫と熟田はまさに此の一類に属す(「國事之當然」は當に「因事之當然」とすべし)。

蓋耕則必有獲,菑則必有畲,是事理之固然,非心意之所造作也。如是則為無妄,不妄則所往利而無害也。或曰:聖人制作以利天下者,皆造端也,豈非妄乎?曰:聖人隨時制作,合乎風氣之宜,未嘗先時而開之也。若不待時,則一聖人足以盡為矣,豈待累聖繼作也?時乃事之端,聖人隨時而為也。

程頤は続けて言う:耕せば必ず收穫あり、開荒せば必ず熟田と爲る。これ事理は本來かくのごとし、心意の造作し出すにあらず。このようであればすなわち《无妄》。妄ならざれば、則ち往く所は利あって害なし。ある人が問う:聖人が器物制度を制作して天下に利益するは、皆端緒を開創す。豈に妄と算せざらんや。答えて曰く:聖人は時勢に随って制作して、當時の風氣の需要に合す。從來時機に先んじて開創せず。もし時機を待つを須いざれば、一位の聖人のみにして足りて事情を做り盡す、何必か歷代の聖人が相繼いで作るを待たん。時機こそ事情の端緒なれ、聖人は不過時機に随って做するのみなり。

集說 《朱於語類》:問:《程傳》爻辭恐未明白。竊謂無不耕而獲、不菑而畲之理,只是不於耕而計獲之利,如程子所解《象傳》,移之以解爻辭則可。曰:《易傳》爻象之辭,雖若相反,而意實相近,特辭有未足耳。爻辭言當循理,《象傳》言不計利。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、『程傳』の此の條の爻辞を解するは恐らく明白ならず。私は竊かに以爲う、天下に耕さずして收め、開荒せずして熟田と爲るの道理はあらず。ただ耕種する時に收穫の利益を盤算せざるを言うのみ、程子の『象伝』を解するあの套の講法を、移して來て爻辞を解すれば妥當なり。朱熹答えて曰く:『伊川易伝』の爻辞を解する言と『象伝』を解する言は、看るに相反するがごとく、用意は實は相近し、ただ措辭がなお周全ならざるのみなり。爻辞の講ずるは當に事理に依循すべきを言い、『象伝』の講ずるは利益を計較せざるを言う。

陳氏埴曰:伊川大意,只謂不為獲而耕,不為畲而菑,凡有所為而為者,皆計利之私心,即妄也。但經文中不如此下語,故《易傳》中頗費言語。始謂不耕而獲,不菑而畲,謂不首造其事,則似以耕菑為私意;中謂耕則必有獲,菑則必有畲,非心造意作,則以耕穫菑畲為非私意。終謂既耕則必有獲,既菑則必成畲。非必以獲畲之富而為,則又似以獲畲為私意。三說不免自相抵捂,所以《本義》但據經文直說,謂無耕穫菑畲之私心。

集説は陳埴の説を引く:伊川の大意は、ただ收穫の爲に耕さず、熟田の爲に開荒せずを言う。凡そ圖る所有って後に爲すは、皆利益を計較する私心、すなわち妄なり。ただ經文はかように措辭せず。ゆえに『伊川易伝』の裏に說く所は頗る周折を費やす:起初は耕せずして穫り菑めずして畬くると言い、自己により先ずその事を造作せざるを指す、これは似たり耕と菑とを皆私意と看るがごとし。中間は耕せば必ず穫あり菑めば必ず畬と爲ると言い、心意の造作にあらずと言う、これはまた耕穫菑畬を皆私意ならずと看る。最後はすでに耕せば必ず穫ありすでに菑めば必ず畬と爲ると言い、竝びに收穫と熟田の豐厚の爲に做るにあらずと言う、これはまた似たり穫と畬とを私意と看るがごとし。三種の說法は彼此抵觸を免れず。ゆえに『本義』はただ經文に依って直說して、耕穫菑畬のあの一類の私心なきと講ず(「抵捂」は當に「抵牾」とすべし)。

胡氏炳文曰:“耕穫”者,種而斂之也。“菑畲”者,墾而熟之也。一歲之農,始於耕,終於獲。三歲之田,始於菑,終於畲。“不耕穫,不菑畲”,諸家以為不耕而獲,不菑而畲,唯《本義》以為始終無所作為之象,而必曰因時順理者,理本自然無所作為,自始至終,絕無計功謀利之心,故其占曰“利有牧往”。

集説は胡炳文の説を引く:「耕穫」は播種して後に收斂す、「菑畬」は開墾して後に之を成熟せしむ。一年の農事は、耕に始まり穫に終わる。三年の田地は、菑に始まり畬に終わる。「不耕穫、不菑畬」は、各家は皆耕さずして收め開荒せずして熟田を得ると解す。ただ『本義』のみ自始至終に一たびも造作なき象と解す。而してそれが必ず「因時順理」と言うは、理は本來自然にして造作する所なければ、從頭到尾に絶えて功を計り利を謀るの心あらざるが故。ゆえに占斷は「利有攸往」と言う(底本「利有牧往」は當に「利有攸往」とすべし)。

何氏楷曰:人之有妄,在於期望。“不耕穫”者,不方耕而即望有其獲也。“不菑畲”者,不方菑而即望成其畲也。學者之除妄心而必有事焉,當如此矣,故曰“則利有攸往”。言必如此而後利也。案 何氏說與《傳》義頗異,質諸夫子先事後得、先難後獲之訓,則於理尤長。且《象傳》以未富釋之,正謂其無望獲之心,未必以耕為可廢也。

集説は何楷の説を引く:人の虚妄ある所以は、心に期望を存すればに在り。「不耕穫」は、剛に耕種する時に收成を指望せざるなり。「不菑畬」は、剛に開荒する時に熟田と爲らんを指望せざるなり。學者は妄心を去らんと欲してまた必ず從事する所有らんと欲すれば、正に當にかくのごとくすべし。ゆえに「則利有攸往」と言う、意思は必ずかくのごとくして後に利あるなり。李光地が按する:何氏の講法は『程傳』の義と頗る相同じからず。孔子の「先事後得」「先難後獲」の敎誨を以て印證すれば、かえってさらに理に合す。何况「小象」は「未富也」を以て此の一爻を解釋す、まさに彼が收穫を指望する心なきを言うにして、耕種が以て廢棄すべきと言うにあらざるなり。

六三,無妄之災,或繫之牛,行人之得,邑人之災。本義 卦之六爻,皆《無妄》者也。六三處不得正,故遇其占者,無故而有災,如行人牽牛以去,而居者反遭詰捕之擾也。

六三の爻辞は言う:端なくして來る災禍——ある人が牛を繫いで置けば、過路人が之を牽り去り、本地人は卻って此に因って盤査追捕の災を蒙る。朱熹『本義』の解釋:本卦の六爻は皆《无妄》に属す。六三の處する位置は正ならず、ゆえに此の占斷に碰上る人は無縁無故に災を遭う。ちょうど過路人が牛を牽いて跑了し、當地に住む人はかえって査問緝捕の騷擾を受くるがごとし。

程傳 三以陰柔而不中正,是為妄者也。又志應於上,欲也,亦妄也。在無妄之道,為災害也。人之妄動,由有欲也。妄動而得,亦必有失。雖使得其所利,其動而妄,失已大矣,況復凶悔隨之乎?知者見妄之得,則知其失必與稱也。故聖人因六三有妄之象,而發明其理云“無妄之災,或繫之牛,行人之得,邑人之災”。

程頤『伊川易伝』は言う:六三は陰柔の質を以てまた不中不正、まさに妄ある一爻なり。彼はまた一心に上九に應合するを、あれは欲望、同じく虚妄に属す。无妄の道の裏に於て、これはすなわち災害と爲る。人の妄動する所以は、皆欲望あるに由る。妄動して得る所有れば、必ず同時に失う所有り。たとえ欲する利益を得るも、彼の此一動はすでに妄に出づるに因り、失う所は已に大なり、何况凶險と悔恨はなお接踵して來るや。事理を明白する人は妄より得るの收穫を見れば、彼の損失は必ず得る所と相當なるを知る。ゆえに聖人は六三の妄ある象に就着て、此の道理を點明して言う:「无妄之災、或繫之牛、行人之得、邑人之災。」

言如三之為妄,乃無妄之災害也。設如有得,其失隨至,如“或繫之牛”。“或”,謂設或也,或繫得牛,行人得之以為有得,邑人失牛,乃是災也。借使邑人繫得馬,則行人失馬,乃是災也。言有得則有失,不足以為得也。“行人”“邑人”,但言有得則有失,非以為彼己也。妄得之福,災亦隨之:妄得之得,失亦稱之,固不足以為得也。人能知此,則不為妄動矣。

程頤は続けて言う:六三のごとき妄あるは、まさに无妄の世の裏の災害なり。假設それに得る所有れば、損失も亦た隨即に跟來す。ちょうど「或繫之牛」のごとし。「或」は假設の詞なり:假設一頭の牛を繫ぎ住むれば、過路人は之を牽り去るは得あると算し、本地人は牛を丟失すれば便ち災を遭う。反って、假使本地人の繫ぐ所は馬なれば、馬を丟失するは便ち過路人と爲り、災を遭うも亦た一方を換えたり。これはただ得あれば必ず失あるを言うにして、得は以て得と爲すに値せざるなり。「行人」と「邑人」は、不過以て得あれば必ず失あるを說明するにして、竝びに誰か彼誰か我を指定するにあらず。妄り得るの福は、災禍は之に随って來り、妄り得るの收穫は、損失も亦た之と相當す。もとより收穫と算するに足らず。人もし此の一層を明白せば、妄動せざらん。

集說 關氏朗曰:《無妄》而災者,災也。有妄而災,則其所也,非災之也。運數適然,非己妄致,乃無妄之災。《朱子語類》云;此卦六爻皆是無妄,但六三地頭不正,故有“無妄之災”,言無故而有災也。如行人牽牛以去,而居人反遭詰捕之擾,此正《無妄》之災之象。

集説は關朗の説を引く:もとより无妄にして卻って禍を遭う、これをこそ災と言う。自己に妄あって禍を招くは、あれは罪の應得にして、災と算するに足らず。氣運は偶然かくのごとく、自ら妄爲して招來するにあらず、こそ「无妄之災」なり。集説はまた『朱子語類』を引く:此の一卦の六爻は皆无妄に属す。ただ六三の處する地位は正ならず、ゆえに「无妄之災」あり、無縁無故にして災を遭うを言う。ちょうど過路人が牛を牽いて跑了し、當地に住む人はかえって査問緝捕の騷擾を受く、まさにこれ《无妄》の災の象なり。

胡氏炳文曰:匪正有眚,人自為之也。《無妄》之災,天實為之也。六爻皆《無妄》,三之時,則《無妄》而有災者也。《雜卦》曰:“無妄,災也”,其此之謂與?

集説は胡炳文の説を引く:「匪正有眚」の此の一句は、人が无妄ならざる時に災禍を招致するに因って言い立てる。「无妄之災」の此の一句は、上天の命が偶然かくのごときを人が碰上るに因って言い立てる。一は人自ら之を致す、一は天の意思なり。『雑卦伝』の言う「无妄、災也」の災は、卽ち「无妄之災」を指す。

九四,可貞,無咎。本義 陽剛乾體,下無應與,可固守而“無咎”,不可以有為之占也。

九四の爻辞は言う:正道を保持し得て、過錯あらじ。朱熹『本義』の解釋:九四は陽剛乾體にして下卦と相應の爻なし、「可貞」と斷ずるは正を守るべきなり。能くかくのごとくせば、過錯あらじ。「可貞」は聖人の告戒する詞なり、信認して固守すべきを言う。

程傳 四剛陽而居乾體,復無應與,無妄者也。剛而無私,豈有妄乎?可貞固守此,自“無咎”也。九居陰得為正乎?曰:以陽居乾體,若復處剛,則為過矣,過則妄也。居四,無尚剛之志也。“可貞”與“利貞”不同,“可貞”,謂其所處可貞固守之;“利貞”,謂利於貞也。

程頤『伊川易伝』は言う:「利貞」と「可貞」とは有別なり。彖辞の言う「利貞」は、无妄の道の本來宜しく貞正なるを指す。此の爻の言う「可貞」は、此の爻の位が以て貞を守るべきを指す、九四は剛德を以て上體に居り、下卦と相應なく、能く固守すべきなり、かくして過錯あらじ。四は上卦に在り下卦に至らず、なお行動し得る時にあらず、ただ固守すべきのみ。

集說 胡氏炳文曰:“貞”,正而固也。曰“利貞”,則訓正字,而兼固字之義,曰“不可貞”,則專訓固字,而無正字之義。九四陽剛健體,下無應與,可貞正守之,而其占不可有為也。何氏楷曰:四剛陽而居乾體,本自《無妄》者也。“可貞”固守此,則“無咎”。初

集説は胡炳文の説を引く:「可貞」は人の貞正なり得るを言う、「利貞」は事理が以て貞正なるを言う。集説はまた何楷の説を引く:九四は《无妄》の時に當り、下卦の正應あらざるに因りて「可貞」なり、能く貞を守れば過錯あらじ(底本此處脫漏數字、餘の「初」の字)。

九五,無妄之疾,勿藥有喜。本義 乾剛中正,以居尊位,而下應亦中正,無妄之也。如是而有疾,勿藥而自愈矣。故其象占如此。

九五の爻辞は言う:端なくして來る疾病、藥を服さずして愈えん。朱熹『本義』の解釋:九五は乾剛中正を以て尊位に居り、而下は六二の中正と相應す。无妄の至極なり。かようにして疾病あるは、卽ち端なくして來る病なり、もし藥を服せばかえって疾を助長す、ただ静かに待てば自ずと愈えん。ゆえに「勿藥有喜」、無縁無故に染る病にて、攻治を須いざるなり。

程傳 九以中正當尊位,下復以中正順應之,可謂無妄之至者也,其道無以加矣,“疾”,為之病者也。以九五之無妄,如其有疾,勿以藥治,則有喜也。人之有疾,則以藥石攻去其邪以養其正。若氣體平和,本無疾病,而攻治之,則反害其正矣。故勿藥則有喜也。有喜,謂疾自亡也。

程頤『伊川易伝』は言う:九五は已に尊位に居り、无妄は已に極點に至りて、猶ほ妄動すればすなわち疾病と爲る。疾病の來るは氣運の偶然、人事の攻治する所にあらず。「勿藥」は言う、藥物を以て之を攻治する勿れ。勿論「无妄之疾」は攻治せずして愈えるべく、然るに一身の疾病をば、世事の無妄の災に比す。苗・管蔡・叔孫武叔の類は、皆无妄にして災を蒙る者、事理は自然にやがて解息す、苟くも之を強治せんとすれば、かえって害を成さん。「勿藥有喜」、藥る勿かれ、喜あることを言う。

無妄之所謂疾者,謂若治之而不治,率之而不從,化之而不革,以妄而為無妄之疾。舜之有苗,周公之管蔡,孔子之叔孫武叔是也。既已無妄,而有疾之者,則當自如。無妄之疾,不足患也。若遂自攻治,乃是渝其無妄而遷於妄也。五既處無妄之極,故唯戒在動,動則妄矣。

程頤は続けて言う:九五の无妄は已に極まり、萬事俱に其の當然に合す、更に一毫動かす可からず、動かせば卽ち妄と爲る。ゆえに「勿藥」は言う、以て攻治する勿れなり。无妄の疾は、疾の妄にあらざるを言う。身の妄なき疾は、卽ち聖人の身に於て無妄の災なり。

案 勿者,禁止之辭。言無妄矣,而偶有疾,則亦順其自然而氣自復,勿復用藥以生他候。如人有無妄之災,則亦順其自然而事自平,勿復用智以生他咎也。凡《易》中言勿者皆同義。此爻之疾,與六三之災同。然此曰“有喜”者,剛中正而居尊位,德位固不同也。

李光地が按する:「勿」の字は禁止の詞なり、藥を用いる勿れを言う。「勿藥有喜」は六三の「无妄之災」と比するに、一は勿しと戒め、一は禍の招來を言う。六三の災は意外的來禍にして、九五の疾は亦た妄ならざるの疾なり。

上九,無妄,行有眚,無攸利。本義 上九非有妄也,但以其窮極而不可行耳,故其象占如此。

上九の爻辞は言う:妄動あらざるの時に行きても災害あり、利なる所なし。朱熹『本義』の解釋:上九は无妄の極點に至り、再進すべき時にあらず。假令无妄なりとも、行かば卽ち灾眚あらん。ゆえに「行有眚、无攸利」、行く所あれば卽ち妄動と爲るなり。

程傳 上九居卦之終,無妄之極者也。極而復行,過於理也。過於理則妄也。故上九而行,則有過眚而無所利矣。

程頤『伊川易伝』は言う:上九は全卦の極處に居り、无妄は既に極まれば、之より再び越出すれば卽ち妄と爲る。事理は之を容せず。ゆえに「行有眚、无攸利」、極處に至りて、更に往く所なきなり。

集說 龔氏煥曰:無妄者,實理自然之謂。循是理則吉,拂是理則凶。初“往吉”,二“利有攸往”,循是理而動者也;四“可貞無咎”,守是理而不動者也;三有“災”,五有“疾”,不幸而遇無故非意之事,君子亦聽之而已,守是禮而不為動者也。或動或靜,唯理是循,所以為無妄,上九居《無妄》之極,不可有行,若不循理而動,則反為妄矣,其有眚而不利也宜哉!何氏楷曰:彖所謂“匪正有眚,不利有攸往”者。

集説は龔煥の説を引く:理に順えば卽ち吉、理に悖れば卽ち凶、これ一定の常理なり。无妄の時に當りて猶ほ行けば災あり、卽ち理の外に出づるなり。集説はまた何楷の説を引く:彖辞の言う「其匪正有眚」は、卽ち此の爻の言う「行有眚」に互いに發明す。无妄已に極まりて、時勢は再進すべからず、强いて之を行かば災眚に値うべし。

總論 胡氏炳文曰:六爻皆無妄也,特初九得位而為震動之主,時之方來,故“無妄往吉”。上九失位而居乾體之極,時已去矣,故其行雖無妄,“有眚無攸利”。是故善學《易》者在識時,初曰“吉”,二日“利”,時也;三曰“災”,五日“疾”,上曰“眚”,非有妄以致之也,亦時也;初與二皆可“往”,時當動而動也;四“可貞”,五“勿藥”,上行“有眚”,時當靜而靜也。

總論は胡炳文の説を引く:《无妄》の六爻、其の時勢を認めて辨ずべし。初九は卦の始に當り、一陽は剛に動起して、行動すべき時なり、ゆえに「往吉」と言う。六二は居中にして作爲なし、ゆえに耕穫菑畬を論ず。六三は不中不正にして、无妄の世に妄動す、ゆえに災を招く。九四は剛居柔位にして、固守すべき時、ゆえに「可貞无咎」と言う。九五は尊位に居りて、中正无妄なり、疾あれど藥る勿かれ。上九は无妄の極點に居りて、窮極すれば妄と爲る、ゆえに「行有眚」と言う。善く易を學ぶ者は、時勢を認めて行止を辨ずべし。

大畜卦(艮上乾下)

程傳 《大畜序卦》:“有無妄然後可畜,故受之以大畜。”《無妄》則為有實,故可畜聚,《大畜》所以次《無妄》也。為卦艮上乾下,天而在於山中,所畜至大之象。畜為畜止,又為畜聚。止則聚矣。取天在山中之象,則為蘊畜。取艮之止乾,則為畜止。止而後有積,故止為畜義。

程頤『伊川易伝』は言う:《大畜》卦の『序卦伝』は講ずる:「无妄ありて然る後に畜すべし、故に受くるに大畜を以てす。」《无妄》があればすなわち真實あり、真實あってこそ蓄聚を談ずるに及ぶ。ゆえに《大畜》は《无妄》の後に排す。卦體に就いて言えば、艮は上に在り乾は下に在り、天は竟に山の中に容らる、まさに蓄うる所の至大の象なり。「畜」は止めることでもあり、また聚積することでもある。止まれば自ずと聚まる。天が山中にある象を取ればすなわち蘊蓄、艮が乾を止住する意を取ればすなわち畜止。先ず能く止まり、然る後に積累あり。ゆえに「止」はまさに「畜」の字の意義の在る所なり。

大畜,利貞,不家食吉,利涉大川。本義 “大”,陽也。以艮畜乾,又畜之大者也。又以內乾剛健,外艮篤實輝光,是以能日新其德。而為畜之大也。以卦變言,此卦自《需》而來,九自五而上,以卦體言,六五尊而尚之。以卦德言,又能止健,皆非大正不能,故其占為“利貞”,而“不家食吉”也。又六五下應於乾,為應乎天,故其占又為“利涉大川”也。“不家食”,謂食祿於朝,不食於家也。

《大畜》卦の卦辞は言う:正を守るに利あり、家に在りて自ら衣食を謀らず出仕して祿を受ければ吉、大河を渡涉するに利あり。朱熹『本義』の解釋:「大」は陽を指す。艮を以て乾を蓄止するは、蓄うる所の中の最大なり。また內卦の乾は剛健、外卦の艮は篤實にして光輝あるに因り、能く日々其の德を更新して、大いなる蓄聚を成就す。「卦變」に就いて言えば、此の卦は《需》卦より來る、九五のあの陽爻は上位に升る。卦體に就いて言えば、六五は尊位に居りて上の賢者を崇尙す。卦德に就いて言えば、また止を以て健を制し得る——これらは皆大中至正の人にあらざれば致し得ず。ゆえに占斷は「利貞」にして「不家食吉」。さらに六五は下に向かって乾體と相應するは、天に應合するなり。ゆえに占斷はまた「利涉大川」。「不家食」とは、朝廷に於て俸祿を享受して、自家に靠って養われざるを言う。

程傳 莫大於天,而在山中,艮在上而止乾於下,皆蘊畜至大之象也。在人為學術道德充積於內,乃所畜之大也。凡所畜聚皆是。專言其大者,人之蘊畜,宜得正道,故云“利貞”。

程頤『伊川易伝』は言う:天より大きき物なし、しかるに今天は山の中に容る。艮は上に居りて乾を下に止む。これらは皆蘊蓄至大の象なり。人の身上に落とせば、すなわち學問・道術・德行の內心に充實積累する、これこそ蓄うる所の大なり。凡そ蓄積するは皆畜と言い得るも、ここに專ら其の大に就いて講ず。人の蘊蓄は正道に合すべし。ゆえに卦辞は「利貞」と言う。

若夫異端偏學,所聚至多,而不正者固有矣。既道德充積於內,宜在上位,以享天祿,施為於天下,則不獨於一身之吉,天下之吉也。若窮處而自食於家,道之否也,故“不家食”則“吉”。所畜既大,宜施之於時,濟天下之艱險,乃大畜之用也,故“利涉大川”。此只據大畜之義而言,《彖》更以卦之才德而言,諸爻則唯有止畜之義。蓋《易》體道隨宜,取明且近者。

程頤『伊川易伝』は言う:異端偏曲の學に至っては、其の積み集めたる物もまた多きを得べく、其中の正ならざる成分はもとより免れず。ゆえに《大畜》は先ず一箇の「貞」の字を講ず。すでに道德は內心に充實積累せば、すなわち當に上位に居り朝廷の俸祿を享け、所學を天下に施行すべし。かようにすれば吉を得るは自己一身のみならず、整個の天下なり。もし困守窮居して家に在りて自ら食其力すれば、あれは道の行はれざるの表れ。ゆえに卦辞は「不家食」にしてこそ「吉」なり。蓄積する所すでに宏大なれば、すなわち當に當世に施用して、天下の艱難險阻を救濟すべし。これまさに《大畜》一卦の功用なり。ゆえに「利涉大川」と言う。以上はただ《大畜》の卦名の意義に就いて立說す。孔子の「彖辞」は更に全卦の才質德性より立說し、六爻は單に止住・畜制の此の一層の意思を取る。大凡『周易』の義理を體察し事に随って制宜するは、總じて最も明白にして最も切近なる一面を取って說くなり。

集說 《朱子語類》云:某作《本義》,欲將文王卦辭,只大綱依文王本義略說,至其所以然之故,卻於孔子《彖傳》中發之。且如“大畜,利貞,不家食吉,利涉大川”,只是占得《大畜》者,為“利貞不家食”而“吉”,“利”於“涉大川”。至於剛上尚賢等處,乃孔子發明,各有所主。爻象亦然。如此則不失文王本意,又可見孔子之意,但今未暇整頓耳。胡氏炳文曰:“不家食”,是賢者不畜於家而畜於朝。“涉大川”,又似有畜極而通之意。要之兩利字,一吉字,占辭自分為三,不必泥而一之也。

集説は『朱子語類』の記す所の朱熹の言を引く:我は『周易本義』を作るに、文王の係げたる卦辞に對しては、ただ文王の本意に按じて大綱を略しく解說せんと打算す。卦辞のかくのごとき所以の道理に至っては、則ち孔子の「彖辞」の裏に放いて發揮す。譬えば「大畜、利貞、不家食吉、利涉大川」は、ただ占問して《大畜》卦を得たる人は、正を守るに利あり、家に食せずして「吉」を得、かつ大河を渡るに利ありと言うのみ。「剛上而尚賢」の此の一類の講法に至っては、あれは孔子の發明にして、各々著眼點あり。爻辞爻象も亦た同じく此の讀法なり。かように處理すれば、文王の本意を失わず、また孔子の用意を看出し得べし。ただ眼下なお工夫を騰かして之を書に整理するを得ざるのみ。集説はまた胡炳文の説を引く:いわゆる「不家食」は、賢者は自家の中に畜養せられずして、朝廷に畜養せらるるを言う。いわゆる「涉大川」は、また蓄積の極點に至りて通達に轉ずるの意思を含むがごとし。總じて卦辞の裏の兩箇の「利」の字・一箇の「吉」の字は、これらの「占辞」はもとより三層に分かつ、拘泥して一つの句に捏合するを須いざるなり。

初九,有厲,利已。本義 乾之三陽,為艮所止,故內外之卦各取其義。初九為六四所止,故其占往則有危,而利於止也。程傳 《大畜》,艮止畜乾也。故乾三爻皆取被止為義,艮三爻皆取止之為義。初以陽剛,又健體而居下,必上進者也。六四在上,畜止於己,安能敵在上得位之勢?若犯之而進,則有危厲,故利在已而不進也。在他卦,則四與初為正應,相援者也。在《大畜》,則相應乃為相止畜。上與三皆陽,則為合志。蓋陽皆上進之物,故有同志之象,則無相止之義。

初九の爻辞:危險あり、止まるに利あり。朱熹『本義』は言う:下卦「乾」の三箇の陽爻は上卦「艮」に止住せられ、ゆえに內卦・外卦は各々一層の意思を取る。初九は六四に止住せられ、ゆえに其の「占辞」は、前往すれば危險ありにして、止住するに利あり。程頤『伊川易伝』は言う:《大畜》卦は「艮」が「乾」を止住し畜制する。ゆえに「乾」の三爻は皆「止めらるる」を以て立義し、「艮」の三爻は皆「人を止むる」を以て立義す。初九は陽剛の爻にして、また剛健の卦體に處して最下に居り、必ず上に向かって前進せんとす。六四は上位に在りて之を畜止す、初九はどうして上に居りてまた「當位」の勢に敵し得んや。もし之に冒犯して強いて前進せば、危厲あらん。ゆえに利は止まりて進まざるに在り。別の卦に於ては、四と初とは「應與」にして、彼此援助す。《大畜》卦に於ては、此の相應はかえって互相に止畜するを成す。上九と九三とは皆陽爻にして、すなわち志同道合を成す。陽は皆上に向かって進む物に因りて、同志の象あり、すなわち互いに止住する意なし。

集說 蔡氏清曰:初九不可進而未必能自不進,故戒之雲進則有“厲”,唯“利” 九二,輿說蝮。本義 九二亦為六五所畜,以其處中,故能自止而不進,有此象也。程傳 二為六五所畜止,勢不可進也。五據在上之勢,豈可犯也?二雖剛健之體,然其處得中道,故進止無失。雖志於進。度其勢之不可,則止而不行,如車輿說去輪輹,謂不行也。

集説は蔡清の説を引く:初九は前進すべからざる位置に處するも、未だ必ずしも自ら進まざるを能くせず。ゆえに爻辞は之に告戒し、前進すれば「厲」あり、「利」あるのみ——此處底本に脫文あり、蔡清の言は盡きず。九二の爻辞:車は車軸の伏兎を脫落せり。朱熹『本義』は言う:九二は同じく六五に畜制せらるるも、其の處するは下卦の中位に因りて、能く自ら止まりて進まざる、こそ此のような象あれ。程頤『伊川易伝』は言う:九二は六五に畜止せられ、形勢上進む能わず。六五は上位の權勢を占據す、どうして冒犯すべからんや。九二は剛健の爻體なれど、其の處するは中道、ゆえに進むべき止まるべき皆差錯なし。其れ心に進まんと欲するあれど、一たび形勢の行はれざるを衡量すれば、止まりて走らず。譬えば車の輪上の伏兎を卸すがごとし、言う所はまさに走動し得ざるなり。

九三,良馬逐,利艱貞,曰閒輿衛,利有攸往。本義 三以陽居健極,上以陽居畜極,極而通之時也。又皆陽爻,故不相畜而俱進,有“良馬逐”之象焉。然過剛銳進,故其占必戒以“艱貞”“閒習”,乃利於有往也。日,當為日月之日。

九三の爻辞:良馬は奔馳追逐す、艱難の中に正を守るに利あり、日々車輛と防衛とを演練せば、前往するに利あり。朱熹『本義』は言う:九三は陽爻を以て剛健の卦の頂端に居り、上九は陽爻を以て畜止の卦の頂端に居る。まさに蓄積の極點に至りて通達に轉ずる時なり。兩者はまた皆陽爻にして、ゆえに再び互いに畜制せずして一同に前進す。ここに因って「良馬逐」の象あり。ただ九三は過剛にして銳意猛進す、ゆえに其の「占辞」は必ず「艱貞」「閑習」を以て告戒すべし。かくしてこそ前往するに利あり。爻辞の裏の「曰」の字は、當に日月の「日」とすべし。

程傳 三剛健之極,而上九之陽,亦上進之物,又處畜之極而思變也。與三乃不相畜而志同,相應以進者也。三以剛健之才,而在上者與合志而進,其進如良馬之馳逐,言其速也。雖其進之勢速,不可恃其才之健與上之應,而忘備與慎也。故宜艱難其事,而由貞正之道。輿者用行之物,衛者所以自防。當自日常閒習其車輿,與其防衛,則利有攸往矣。三乾體而居正,能貞者也,當其銳進,故戒以知難,與不失其貞也。志既銳於進,雖剛明有時而失,不得不戒也。

程頤『伊川易伝』は言う:九三は剛健の極點に處し、而上九の此の陽爻もまた上に向かって進まんとするものにして、また畜止の極點に處して變を思う。其れは九三と再び互いに畜制せずして志向相同じく、彼此呼應して共に前進す。九三は剛健の才に凭り、上位に居る上九はまた之と合志して同進すれば、其の前進の勢は好馬の奔馳追逐するがごとく、其の迅速を形容す。然るに進勢は快しといえども、自己の才力の剛健・上の呼應あるに依仗して、戒備と謹慎とを忘るべからず。ゆえに當に事情を艱難と看做し、貞正の路子を走るべし。「輿」は行路に用いる要の車、「衛」は以て自我を防護する裝備なり。當に平日より自己の車輛と防衛とを演練すれば、すなわち「利有攸往」なり。九三は「乾」體にしてまた「當位」、もとより正を守るを能くするも、ただ其の正に銳意猛進するに因りて、ゆえに之に告戒して難を知らしめ、かつ貞正を失わざらしむ。心志すでに前進に銳ければ、たとえ剛強明白の人も失手の時あるを免れず、告戒を加えざるべからず。

集說 項氏安世曰:初九在初,故稱“童牛”。九二以剛居柔無勢,故為“豶豕”。九三純乾,故為“良馬。”六四,童牛之牿,元吉。本義 “童”者,未角之稱,“牿”,施橫木於牛角以防其觸,《詩》所謂楅衡者也。止之於末角之時,為力則易,大善之吉也,故其象占如此。《學記》曰:禁於未發之謂豫,正此意也。

集説は項安世の説を引く:初九は最初の位置に處す、ゆえに未だ角を長ぜざる「童牛」と稱す。九二は陽剛を以て陰柔の位に居り權勢なし、ゆえに去勢せられたる「豶豕」と成す。九三は純粹の「乾」體、ゆえに「良馬」を取りて象と爲す。六四の爻辞:小牛の角に橫木を加う、大いに吉利。朱熹『本義』は言う:「童」は未だ角を長ぜざるの稱呼なり。「牿」は牛角の上に橫たえて一根の木條を施し、其の頂撞を防ぐ、すなわち『詩經』の言う所の「楅衡」なり。牛角の未だ長成せざる時に於て之を制止すれば、用力は容易にして、大いなる善吉なり。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。『禮記・學記』は「禁於未發之謂豫」と言う、講ずる所はまさに此の意思なり。

程傳 以位而言,則四下應於初,畜初者也。初居最下,陽之微者,微而畜之則易制,猶“童牛”而加牿,大善而“吉”也。概論畜道,則四艮體,居上位而得正,是以正德居大臣之位,當畜之任者也。大臣之任,上畜止人君之邪心,下畜止天下之惡人。

程頤『伊川易伝』は言う:爻位より講ずれば、六四は下に向かって初九と「應與」し、初九を畜制する一方なり。初九は最下に居りて、陽氣なお微弱の時、微弱の時に畜制を加えれば控制すること易し。譬えば小牛に橫木を加うるがごとく、これ大善にして「吉」なり。もし泛泛に畜止の道を論ずれば、六四は「艮」體に属し、上位に居りてまた「當位」す。これすなわち正德を以て大臣の位に居り、畜止の責を擔當する人なり。大臣の職責は、上には君主の邪念を止住し、下には天下の惡人を止住するなり。

人之惡,止於初則易,既盛而後禁,則盾扞格而難勝。故上之惡既甚,則雖聖人救之,不能免違拂。下之惡既甚,則雖聖人治之,不能免刑戮。莫若止之於初,如“童牛”而加牿,則“元吉”也。牛之性,觝觸以角,故牿以制之。若童犢始角而加之以牿,使觝觸之性不發,則易而無傷。以況六四能畜止上下之惡於未發之前,則大善之吉也。

程頤は続けて言う:人の惡念は、剛に萌芽する時に制止すれば容易なり。滋長壯大の後に及んで禁絕せんとすれば、頑固抵觸して取勝し難し。ゆえに君上の惡一旦深重なれば、たとえ聖人が之を挽救するも、之と抵觸するを免れず。臣民の惡一旦深重なれば、たとえ聖人が之を治理するも、刑戮を動用するを免れず。初起の時に之を止住するに如かず。譬えば小牛に橫木を加うるがごとく、すなわちあれは「元吉」なり。牛の本性は角を以て頂撞するを用いる、ゆえに橫木を以て之を制約す。もし小牛の剛に角を長ずる時に之に橫木を加えて、頂撞の性子を發せしめざれば、すなわち容易にしてかつ牛を傷つけず。之を以て六四の能く上下の惡の未だ發作せざる前に畜止するに比擬すれば、すなわちあれは大善の吉なり。

集說 《朱子語類》云:《大畜》下卦,取其能自畜而不進,上卦取其能畜彼而不使進。然四能止之於初,故為力易。五則陽已進而止之,則難。以柔居尊,得其機會可制,故亦吉,但不能如四之“元吉”耳。六五,豶豕之牙,吉。

集説は『朱子語類』の記す所の朱熹の言を引く:《大畜》の下卦は、其の能く自ら畜止して前進せざるを取る。上卦は、其の能く對方を畜制して對方をして前進せしめざるを取る。然るに六四は初九の剛に起步する時に之を止住す、ゆえに用力は容易なり。六五は則ち陽氣の已に中途に進みて後に之を止む、すなわち難し。六五は陰柔を以て尊位に居り、制服すべき機會を抓住す。ゆえに亦是た吉なり、ただ六四のごとく「元吉」と稱するに能わざるのみ。六五の爻辞:勢を去られたる公豬の牙、吉利。

程傳 六五居君位,止畜天下之邪惡。夫以億兆之眾,發其邪欲之心,人君欲力以制之,雖密法嚴刑,不能勝也。夫物有總攝,事有機會,聖人操得其要,則視億兆之心猶一心,道之斯行。止之則戢,故不勞而治,其用若豶豕之牙也。“豕”,剛躁之物,而牙為猛利,若強制其牙,則用力勞而不能止其躁猛,雖縶之維之,不能使之變也。若豶去其勢,則牙雖存而剛躁自止。其用如此,所以“吉”也。

程頤『伊川易伝』は言う:六五は君位に居りて、天下の邪惡を止住し畜制せんとす。億萬の百姓に面對して、一旦彼らに邪僻の欲念を生ぜしめば、君主は強力を用いて壓制せんと欲すとも、たとえ法網嚴密・刑罰嚴酷なるも、壓住し得ず。然るに萬物には總管の樞紐あり、萬事には乘ずべき關節あり。聖人は此の要領を抓住すれば、億萬人の心を看るに一箇人の心のごとくなり:彼らを引導すれば、彼らは之に跟って走り、彼らを制止すれば、彼らは收斂す。ゆえに神を勞せずして天下已に治まる。此の用法は「豶豕之牙」に對付するがごとし。「豕」は剛烈躁動の畜生にして、牙齒はまた凶猛鋒利なり。もし硬に其の牙を制せば、用力辛苦して其の躁猛を止め得ず、たとえ之を拴縛するも、其の性を改めしめ得ず。もし之を去勢せば、牙齒は雖もなお在るも、剛躁の性子は自ずと止住す。用法かくのごとし。ゆえに「吉」なり。

君子法豶豕之義,知天下之惡,不可以力制也,則察其機,持其要,塞絕其本原,故不假刑法嚴峻而惡自止也。且如止盜,民有欲心,見利則動,苟不知教而迫於飢寒,雖刑殺日施,其能勝億兆利慾之心乎?聖人則知所以止之之道,不尚威刑,而修政教,使之有農桑之業,知廉恥之道,雖賞之不竊矣。故止惡之道,在知其本,得其要而已。不嚴刑于彼。而修政於此,是猶患豕牙之利,不制其牙而豶其勢也。

程頤は続けて言う:君子は「豶豕」の此の層の道理を效法して、天下の惡は強力を以て壓制すべからざるを懂得し、卽ち其の關節を察看し其の要領を把住し其の根源を堵塞斷絶すれば、是に於て嚴峻の刑法に借助せずして、惡は自ずと止息す。卽ち禁盜を以て言えば、百姓には貪欲の心あり、財利を見れば卽ち念を動かす。もし敎化を施さずしてまた饑寒に逼迫せらるれば、たとえ日日に人を殺して衆に示すも、またどうして億萬人の利欲の心に勝たんや。聖人は卻って制止の門道を懂得す:威刑を崇尙せず、而して政治敎化を修明して、百姓をして農桑の業の營すべきあり廉恥の道理を懂得せしむ。かようにすればたとえ懸賞して彼をして竊盜せしめんとすとも、彼は竊まず。ゆえに惡を止むるの辦法は、其の根本を認清し其の要領を抓住するに在るのみ。あの一頭に於て嚴刑を用いずして、此の一頭に於て政敎を修明するは、譬えば公豬の牙の鋒利を憂慮して、其の牙を制せずして其の勢を去るがごとし。

上九,何天之衢,亨。本義 “何天之衢”,言何其通達之甚也?畜極而通,豁達無礙,故其象占如此。程傳 予聞之胡先生曰:“天之衢亨”,誤加何字。事極則反,理之常也,故畜極而“亨”。《小畜》畜之小,故極而成,《大畜》畜之大,故極而散。極既當變,又陽性上行,故遂散也。天衢,天路也。謂空虛之中,雲氣飛鳥往來,故謂之天衢。天衢之亨,謂其亨通曠闊,無有蔽阻也。在畜道則變矣,變而亨,非畜道之亨也。

上九の爻辞:天上の通衢大道を擔荷す、亨通。朱熹『本義』は言う:「何天之衢」は、言う何等の通達なるや。蓄積の極點に至りて通達に轉じ、豁然開朗にして絲毫の阻碍なし。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。程頤『伊川易伝』は言う:我は胡瑗先生の講ずるを聞く、「天之衢亨」の一句は一箇の「何」の字を錯添せり。事情は極點に至れば卽ち反轉す、これ常理なり。ゆえに蓄の極點に至れば便ち「亨」なり。《小畜》の蓄うる所は小なり、ゆえに極點に至れば卽ち積み成す。《大畜》の蓄うる所は大なり、ゆえに極點に至れば卽ち散開す。極點に至ればもとより變すべく、加うるに陽の性子は上に走るを以て、是に於て散す。「天衢」は卽ち天上の路にして、虛空の中に雲氣飛鳥の往來する所在を指す。ゆえに天衢と言う。天衢の亨通は、其の通達空闊にして、任何の遮蔽阻隔なきを言う。畜止の道に就いて言えば、これ已に變す。變して而る後に亨通、竝びに畜止の道其れ自體の亨通にあらず。

集說 張氏浚曰:剛在上為“何”,何謂勝其任。王氏宗傳曰:《彖傳》曰:“剛上而尚賢”,則上九是也。以陽德而居五之上,為五所尚,此所以有“何天之衢”之象。天衢,通顯之地也。下之三陽,由己上進,故九三日“良馬逐”。又曰“上合志也”,此賢者之道所以亨也。“何”,如何校之何,《釋文》曰:梁武帝讀音賀是也。言以身任天下之責,當畜賢之時,為五所尚,主張賢路,賢者之得志,莫盛於斯也。

集説は張浚の説を引く:陽剛は上位に居れば卽ち「何」なり、「何」は此の擔子を擔當し得るを言う。集説はまた王宗傳の説を引く:孔子の「彖辞」の講ずる「剛上而尚賢」は、指すは上九なり。其れは陽剛の德を以て六五の上に居り、六五に尊崇せらる、これ卽ち其れに「何天之衢」の象ある所以なり。天衢は、通達顯赫の地なり。下面の三箇の陽爻は、皆上九に由りてこそ上進を得たり。ゆえに九三の爻辞は「良馬逐」と言い、「小象」はまた「上合志也」と言う。これまさに賢者の道の亨通する所以なり。「何」の字は、「何校滅耳」の「何」と相同じ。陸德明『經典釋文』は梁武帝は「賀」の音と讀むと言う、すなわち此の讀法なり。意思は自身を以て天下の責任を擔起し、正に賢才を畜養する時に當りて、六五に尊崇せられ、進賢の門路を主持す。賢者の得志は、此より盛んなるはなし。

吳氏澄曰:後漢王延壽魯靈光殿賦云,荷天衢以元亨,何作荷,何天之衢,其辭猶《詩》言何天之休,何天之龍。《大畜》者,一陽止於外,而三陽藏畜於內。畜極則散,止極則行。故上九雖艮體,至畜之終,則不止而行也。胡氏炳文曰:隨畜隨發,不足為《大畜》。唯畜之極而通,豁達無礙,如天衢然。此不徒為仕者之占,《大學章句》所謂用力之久,一旦豁然貫通者,亦是此意。多識前言往行以畜其德者,以之可也。

集説は吳澄の説を引く:後漢の王延壽『魯靈光殿賦』に「荷天衢以元亨」の言あり、見るべし「何」は「荷」と寫作せらるを。「何天之衢」の措辭は、卽ち『詩經』の言う所の「何天之休」「何天之龍」と同じからん。《大畜》卦は、一箇の陽爻は外に止まり、三箇の陽爻は內に蓄藏す。蓄の極點に至れば卽ち散開し、止の極點に至れば卽ち行動す。ゆえに上九は「艮」體に属するといえども、畜止の終點に到れば、すなわち再び止住せずして走動せんとす。集説はまた胡炳文の説を引く:蓄に随って發するは、《大畜》と稱するに足らず。ただ蓄の極點に至りて通達に轉じ、豁然開朗にして絲毫の阻碍なき、こそ天上の通衢のごとくならめ。此の一爻は出仕する人の占問に供するのみならず、朱熹『大學章句』の言う所の用力既に久しく、一旦豁然貫通するも、亦是た此の意思なり。凡そ前賢の言論行事を多く記取して德性を蓄養する人は、之を以て印證すれば卽ち可なり。

蔡氏清曰:觀畜極而通之意,則知君子患屈之未至耳,不患其不伸也。案 “何”字,《程傳》以為誤加,《本義》以為發語,而諸家皆以荷字為解,義亦可從。蓋“剛上尚賢”者,唯上九一爻當之,且為艮主,是卦之主也,故取尚賢之義。

集説はまた蔡清の説を引く:蓄の極點に至れば便ち通達に轉ずるの意思を體會すれば、君子はただ自己の屈することの未だ足らざるを怕るるを知り、將來伸展し得ざるを擔心するを須いざるなり。李光地が按する:「何」の字は、『伊川易伝』は錯加せられたると認め、『周易本義』は發語の感歎詞と認め、而して各家は皆「荷」(擔負)の字を以て解釋す。此の層の意思も亦た採用し得べし。「剛上而尚賢」に因りて、ただ上九一爻のみ當るに足る。何况其れまた「艮」卦の主爻・全卦の卦主なれば、ゆえに賢者を尊崇する意を取る。

則是賢路大通,卦所謂“不家食”者此已。取艮主之義,則能應天止健,卦所謂涉大川者此已,故天衢者,喻其通也。“荷天之衢”者,言其遇時之通也。《雜卦》云:“大畜 總論 胡氏炳文曰:他卦取陰陽相應,此取相畜。內卦受畜,以自止為義,外卦能畜,以止之為義。獨三與上居內外卦之極,畜極而通,不取止義。

李光地が続けて按する:かくすれば賢者の進身の路は大いに暢通し、卦辞の言う所の「不家食」は、指すは卽ち此れ。其れを「艮」卦の主爻の意に取れば、能く上は天道に應じて剛健を止住し、卦辞の言う所の「涉大川」は、指すは卽ち此れ。ゆえに「天衢」は其の通達を比喻し、「荷天之衢」は其れが通達の時運に遇上るを言う。『雜卦伝』は言う:「大畜——此處底本に脫文あり、引く所の『雜卦伝』は盡きず。總論は胡炳文の説を引く:別の卦は陰陽の互いに呼應するを取り、此の一卦は陰陽の互いに畜制するを取る。內卦は畜せらるる一方にして、自ら止まるを以て義と爲す。外卦は畜し得る一方にして、對方を止住するを以て義と爲す。獨り九三と上九とが內外卦の頂端に處し、蓄の極點に至りて通達に轉ずれば、すなわち「止」の意思を取らず。

葉氏良佩曰:卦《彖》兼取畜止、畜聚二義,《大象》專取畜聚義,六爻專取畜止義。初九進則“有厲”,唯利於已,知難而止者也;九二處得中道,能“說輹”而不行,時止則止者也;九三與上合志,其進也如良馬之馳逐,此畜極而通之象,然猶以“艱貞”閒習為戒者,慮其可進而銳於進也;六四當大畜之任,能止惡於初,若童牛始角而加之以牿,則大善之吉也;六五制惡有道,得其機會,故其象以“豶豕之牙”,其占雖吉,然比之於四則有間矣。

總論はまた葉良佩の説を引く:卦辞と孔子の「彖辞」は兼ねて畜止・畜聚の兩層の意思を取り、「大象」は專ら畜聚の一義を取り、六爻は專ら畜止の一義を取る。初九は前進すれば「有厲」、ただ止まるに利あり、是れ難を知りて止まる人なり。九二は中道に處して、能く「說輹」して走らず、是れ當に止まるべきに就いて止まる人なり。九三は上九と志向相合し、前進するや好馬の奔馳追逐するがごとく、これ蓄の極點に至りて通達に轉ずる象なり。然るになお「艱貞」と平日の演練とを以て之に告戒するは、其の進むべくしてまた太も進に銳きを顧慮するなり。六四は《大畜》の重任を擔當して、能く惡の剛に頭を起す時に止住す。譬えば小牛のこそ角を長ずれば卽ち橫木を加うるがごとく、是れ大善の吉なり。六五は惡を制するに辦法あり、關節機會を抓住す。ゆえに「豶豕之牙」を取りて象と爲す。其の「占辞」は雖も吉なれど、六四に比すればなお距離あり。

或問六四“元吉”,《傳》曰“有喜”,六五之吉,乃曰”有慶”,何也?曰:論為力之難易,則四為易,故曰“元吉”;論其功之廣狹,則五為廣,故曰“有慶”;上九之“亨”,畜極而大通也,故以天之衢為象,“雲行雨施,天下平也”,其斯以為道大行乎?

葉良佩は続けて言う:ある人が問う、六四は「元吉」と稱し、「小象」は「有喜」と言う。六五の吉は、「小象」は卻って「有慶」と言う。これ是れ何故か。回答するに:用力の難易を論ずれば、六四は容易なり、ゆえに「元吉」と言う。功效の寬窄を論ずれば、六五はいよいよ寬廣なり、ゆえに「有慶」と言う。上九の「亨」は、蓄の極點に至りて大いに通達す、ゆえに天上の通衢を以て象と作る。『乾』卦の「彖辞」の言う所の「雲行雨施、天下平也」は、蓋し大道の天下に通行する景象ならん。

案 “有厲”“說輹”,則猶“家食”者也,阻於“大川”者也。“牿牛”“豶豕”,則猶治不肖者也,弘濟艱難者也。至“良馬逐”則漸通矣。然猶防賢路之崎嶇,而“日閒輿衛”,故至於“何天之衢”,然後大道夷而險阻去也,卦爻義之相關者在此。

李光地が按する:初九の「有厲」、九二の「說輹」は、譬えばなお家中に在りて自ら食する人のごとく、是れ大河に去路を擋住せらるる人なり。六四の「牿牛」、六五の「豶豕」は、譬えば不肖の輩を整治する人のごとく、是れ艱難を宏濟する人なり。九三の「良馬逐」に至りては、路は漸々通ず。然るになお進賢の路の崎嶇を提防して、ここに因って「日閑輿衛」せねばならず。ゆえに上九の「何天之衢」に至りて、然る後にこそ大道平坦・險阻盡除せらるるなり。全卦の卦辞と六爻の爻義の互いに關聯する處は、卽ち此處に在り。

頤卦

頤.艮.震程傳 《頤序卦》:“物畜然後可養,故受之以頤。”夫物既畜聚,則必有以養之,無養則不能存息。《頤》所以次《大畜》也,卦上艮下震,上下二陽爻,中含四陰,上止而下動,外實而中虛,人頤頷之象也。頤,養也。人口所以飲食,養人之身,故名為《頤》。聖人設卦,推養之義,大至於天地養育萬物,聖人養賢以及萬民,與人之養生、養形、養德、養人,皆頤養之道也。動息節宣,以養生也;飲食衣服,以養形也;威儀行義,以養德也;推己及物,以養人也。

卦畫標注:《頤》卦は、上卦「艮」、下卦「震」。程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は「物畜して然る後に養すべし、故に受くるに頤を以てす」と講ず。萬物はすでに蓄聚せば、すなわち必ず之を養う物あるべし、養なくんば存活生息し得ず。《頤》卦の《大畜》の後に排する所以なり。此の卦は上に「艮」、下に「震」、上下各々一箇の陽爻、中間は四箇の陰爻を含む。上は静止して下は活動し、外は充實して中は空虛、まさに人の口腮下頜の象なり。頤とは、すなわち養なり。人の口は以て飲食して自身を養活す。ゆえに名を取りて《頤》と爲す。聖人は此の一卦を設立して、「養」の意義を推廣す:大には天地が萬物を養育し、聖人が賢才を養育して以て萬民に推及し、および人の養生・養形・養德・養人は、皆頤養の道に属す。作息に節あり宣洩に度あるは、養生なり。飲食衣服は、養形なり。威儀は度に合し行事は義に合するは、養德なり。己を推して物に及ぼすは、養人なり。

頤,貞吉,觀頤,自求口實。本義 “頤”,口旁也。口食物以自養,故為養義。為卦上下二陽,內含四陰,外實內虛,上止下動,為頤之象,養之義。“貞吉”者,占者得正則吉。“觀頤”,謂以其所養之道。“自求口實”,謂觀其所以養身之術,皆得正則吉也。

卦辞:頤、正を守れば吉なり。一箇人の養う所の何たるかを觀察し、彼が自ら如何にして口中の食物を求取するかを看る。朱熹『本義』は言う:「頤」は口の兩旁なり。口は食物を進めて以て自らを養活す。ゆえに「養」の意思あり。卦體に就いて看れば、上下兩箇の陽爻、裏面に四箇の陰爻を含み、外實內虛、上止下動、まさに頤頷の象・養育の義なり。いわゆる「貞吉」は、占問する人が能く正を守れば吉なるを言う。いわゆる「觀頤」は、彼の以て人を養う道理を看るを指す。いわゆる「自求口實」は、彼の以て身を養う辦法を看るを指す——此の兩樣が皆正に合せば、すなわち吉なり。

程傳 頤之道,以正則吉也。人之養身、養德、養人、養於人,皆以正道則吉也。天地造化,養育萬物,各得其宜者,亦正而已矣。“觀頤,自求口實”,觀人之所頤,與其自求口實之道,則善惡吉凶可見矣。

程頤『伊川易伝』は言う:頤養の道は、正路を走ってこそ吉なり。人の養身・養德・養人・人に養わるるは、皆正道を用いてこそ吉なり。天地造化は萬物を養育して、萬物をして各々其の宜に得せしむ、靠る所は亦不過一箇の「正」の字なり。いわゆる「觀頤、自求口實」は、すなわち一箇人の養う所の何たるかを觀察し、および彼の自ら口食を謀る路子なり。然らば彼の善惡吉凶もまた皆看て取り得べし。

集說 《朱子語類》云:養須是正則“吉”。“觀頤”,是觀其養德正不正。“自求口實”,是觀其養身正不正,未說到養人處。陳氏琛曰:集義以養其氣,寡慾以養其心,守聖道而不溺於虛無,崇聖學而不流於術數,則所以養德者正矣。窮而不屑於嘑蹴,達而不至於素餐,不以貧賤飢渴害其心,不以聲色臭味汩其性,則所以養身者正矣。

集説は『朱子語類』の記す所の朱熹の言を引く:養は必ず正路を走ってこそ「吉」なり。「觀頤」は、彼が德を養うの正否を看る。「自求口實」は、彼が身を養うの正否を看る、なお人を養うあの一層に說き及ばず。集説はまた陳琛の説を引く:義理を積聚して自己の氣を涵養し、嗜欲を減少して自己の心を涵養し、聖人の道を守着して虛无の說に沉溺せず、聖人の學を推崇して術數の一路に流入せず、かようにして德を養えば正なり。窮困の時に呼喝して踢り來るの嗟來の食を接受するを肯んぜず、顯達の時に白く俸祿を食むに至らず、貧賤饑渇に因って本心を傷害せず、聲色氣味に因って本性を擾亂せず、かようにして身を養えば正なり。

陸氏銓曰:“觀頤”,即考其善不善;“自求口實”,即於己取之而已矣。案 陸氏說與《傳》義異,蓋雲觀其所養者,以自求養而已,如所養者德乎?則當自求其所以養德之道;如所養者身乎?則當自求其所以養身之方,與夫子《彖傳》語意尤合也。

集説はまた陸銓の説を引く:いわゆる「觀頤」は、すなわち其の養う所の善不善を考察す。いわゆる「自求口實」は、すなわち自己の身上より求取するのみ。李光地が按する:陸銓の說法は『伊川易伝』の解釋と同じからず、大意は言う:自己の養わんと欲する所の何たるかを觀察し、之に據って自ら養を求む。養う所は德なるか。然らば卽ち當に自ら德を養う門路を求むべし。養う所は身なるか。然らば卽ち當に自ら身を養う方法を求むべし。これ孔子の「彖辞」の語意とますます吻合す。

初九,舍爾靈龜,觀我朵頤。凶。本義 “靈龜”,不食之物。“朵”,垂也。“朵頤”,欲食之貌。初九陽剛在下,足以不食,乃上應六四之陰,而動於欲,“凶”之道也,故其象占如此。

初九の爻辞:你自己の靈龜を丢開して、卻って我を盯視して口を張り垂涎す、凶。朱熹『本義』は言う:「靈龜」は進食を用いざる物なり。「朵」は下垂なり。「朵頤」は食物を吃せんと欲する樣子なり。初九は陽剛にして最下に居り、もとより進食に靠らずして自養するに足るも、卻って上に向かって六四の此の陰爻に呼應し、欲望に牽動せらる。これ凶を招く道なり。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。

程傳 《蒙》之初六,蒙者也,爻乃主“發蒙”而言;《頤》之初九,亦假外而言。“爾”,謂初也。“舍爾”之“靈龜”,乃“觀我”而“朵頤”,“我”對爾而設。初之所以“朵頤”者,四也。然非四謂之也,假設之辭耳。九陽體剛明,其才智足以養正者也。

程頤『伊川易伝』は言う:《蒙》卦の初六は自身は蒙昧の一方なれど、爻辞は卻って蒙昧を啓發する一方に立って說く。《頤》卦の初九も、亦是た外邊の口氣を借りて說く。「爾」の指すは初九自己なり:你自己の「靈龜」を丢開して、かえって「我を觀」て「朵頤」す。此の「我」は「爾」に對して假設し出したるなり。初九をして垂涎せしむるは、六四なり。然るに竝びに六四が真にかくのごとく彼に對して言うにあらず、不過假設の措辭のみ。九は陽爻にして、體質は剛強明白、才智は正を守りて養うに足る。

龜能咽息不食,“靈龜”,喻其明智,而可以不求養於外也。才雖如是,然以陽居動體,而在頤之時。求頤,人所欲也。上應於四,不能自守,志在上行,說所欲而朵頤者也。心既動,則其自失必矣。迷欲而失己,以陽而從陰,則何所不至?是以凶也。“朵頤”,為朵動其頤頷,人見食而欲之,則動頤垂涎,故以為象。

程頤は続けて言う:龜は能く氣を吞みて進食せず、「靈龜」は初九の明智を比喻す、もとより外に向かって養を求めずして可なり。才質はかくのごとしといえども、然るに其れは陽爻を以て「震」の此の動く卦體に居り、また正に《頤》養の時に處す。養を求めるは、人人の欲する所なり。其れは上に向かって六四に呼應して、自守し能わず、心志は上行に在り、自己の欲する所を貪戀して、是に於て垂涎し口を張る。心の一たび動けば、必ず自らを失う。欲望に迷いて自己を失い、陽剛を以て陰柔に順從すれば、何をか做し出さざるあらん。ゆえに凶なり。「朵頤」は、其の腮頰を動起するを言う:人は食物を見て吃せんと欲すれば、卽ち腮を動かし涎を流す。ゆえに持ち來りて象を取る。

集說 王氏弼曰:“朵頤”者,嚼也。以陽處下,而為動始,不能令物由己養,動而求養者也。夫安身莫若不競,修己莫著自保,守道則福至,求祿則辱來。居養賢之世,不能貞其所履以全其德,而舍其“靈龜”之明兆,羨我“朵頤”而躁求,凶莫甚焉。

集説は王弼の説を引く:「朵頤」はすなわち咀嚼なり。初九は陽爻を以て最下に處し、また動の開端なり、他人をして自己に靠って養を受けしむる能わず、かえって一動すれば卽ち人に向かって養を求む。身を安んずるに人と相爭わざるより好きはなく、己を修むるに自我を保全するより顯明なるはなし。道を守住すれば福の來るあり、祿を去りて求めれば辱の到るあり。朝廷の賢を養う時世に身を處して、卻って正を守り道を履んで自己の德を保全する能わず、反って「靈龜」のごとき明白の徵兆を丢開して、「朵頤」を羨慕して躁急に求取す。凶險は此より厲しきはなし。

蘇氏軾曰;養人者,陽也。養於人者,陰也。君子在上足以養人,在下足以自養。初九以一陽而伏於四陰之下,其德足以自養,而無待於物者,如龜也。不能守之而觀於四,見其可欲,“朵頤”而慕之,為陰之所致也,故“凶”。

集説は蘇軾の説を引く:陽は充實にして、ゆえに他人を養う一方なり。陰は空虛にして、ゆえに人に養わるる一方なり。君子は上位に居れば、力量は他人を養活するに足り、下位に居れば、亦た自己を養活するに足る。兩頭とも人の鼻息を仰ぐを須いず。初九は一箇の陽爻を以て四箇の陰爻の下に潛伏し、其の德行は自養して外物に依賴せざるに足る。ちょうど龜の能く氣を吞み食せざるがごとし。然るに此の自足を守る能わず、反って頭を抬げて六四を張望し、欲すべき物を見て、卽ち垂涎して愛慕を生出す。これ上頭の陰柔に招引し出されたるなり。ゆえに「凶」。

鄭氏汝諧曰:《頤》之上體皆“吉”,而下體皆“凶”。上體止也,下體動也。在上而止,養人者也。在下而動,求養於人者也。動而求養於人者,必累於口體之養。故雖以初之剛陽,未免於動其欲而觀“朵頤”也。何氏楷曰:初與上陽剛之德同,而吉凶不同者,初為動之主,上為止之主,養道宜靜故也。

集説は鄭汝諧の説を引く:《頤》卦の上體三爻は皆「吉」、下體三爻は皆「凶」。上體は「艮」の止、下體は「震」の動なり:上に居りて能く止まるは、人を養う一方。下に居りて動を好むは、人を求めて養わるる一方。一動して卽ち人を求めて養わるるは、必ず口腹の養に拖累せらる。ゆえにたとえ初九のごとき剛陽なりとも、欲念を動かして人家の「朵頤」を看るを免れず。集説はまた何楷の説を引く:初九と上九とは同じく陽剛の德を具備するも、吉凶は同じからず。初九は動の主爻、上九は止の主爻にして、而して頤養の道は静を以て宜と爲すが故なり。

附錄 項氏安世曰:《頤》卦唯有二陽,上九在上,謂之“由頤”,固為所養之主。初九在下,亦足為自養之賢,靈龜伏息而在下,初九之象也。“朵頤”在上而下垂,上九之象也。上九為卦之主,故稱“我”。群陰從我而求養,固其所也。初九本無所求,乃亦仰而“觀我”,有靈而不自保,有貴而不自珍,宜其“凶”也。初九本靈本貴,聖

附錄は項安世の説を引く:《頤》卦はただ兩箇の陽爻あり。上九は最上に在りて、「由頤」と稱す。もとより衆爻の仰賴する養の主人なり。初九は最下に在りて、亦た自養し得る賢者と算するに足る。靈龜は伏藏吐納して下方に處す、まさに初九の象なり。「朵頤」は高く上に居りて下に向かって垂動す、まさに上九の象なり。上九は全卦の主、ゆえに自ら「我」と稱す。衆多の陰爻は「我」に跟從して養を求む、もとより理の當然なり。初九はもとより人に求むる所なかりしか、竟にまた頭を仰げて「我を觀」る。靈性ありて自保せず、貴ぶべき處ありて自珍せず、其の「凶」なるを怪むに足らず。初九はもとより靈ありもとより貴ぶべし、聖——此處底本に脫文あり、項安世の言は盡きず。

六二,顛頤,拂經,于丘頤,征凶。本義 求養於初,則顛倒而違於常理;求養於上,則往而得凶。“丘”,土之高者,上之象也。程傳 女不能自處,必從男;陰不能獨立,必從陽。二陰柔不能自養,待養於人者也。天子養天下,諸侯養一國,臣食君上之祿,民賴司牧之養,皆以上養下,理之正也。

六二の爻辞:顛倒して下に向かって養を求むは、常理に違背す。高丘の彼方に轉向して養を求むれば、前往すれば則ち凶。朱熹『本義』は言う:初九に向かって養を求むれば、すなわち顛倒して常理に違背す。上九に向かって養を求むれば、すなわち前往して凶を得。「丘」は高き起きたる土堆にして、上九の象なり。程頤『伊川易伝』は言う:女子は自ら立身し能わず、必ず男子に跟從せねばならず。陰は獨立し能わず、必ず陽に跟從せねばならず。六二は陰柔にして、自養し能わず、他人の來養を待つを要す。天子は天下を養い、諸侯は一國を養い、臣子は君上の俸祿を食み、百姓は執政者の供養に依賴す。皆上を以て下を養う、これこそ正理なり。

二既不能自養,必求養於剛陽,若反下求於初,則為顛倒,故云“顛頤。”顛則拂違經常,不可行也。若求養於丘,則往必有“凶”。丘在外而高之物,謂上九也。卦止二陽,既不可顛頤於初,若求頤於上九,往則有“凶”。在頤之時,相應則相養者也。上非其應而往求養,非道妄動,是以凶也。“顛頤”則“拂經”,不獲其養爾;妄求於上,往則得“凶”也。

程頤は続けて言う:六二はすでに自養し能わざれば、必ず陽剛に養を求めねばならず。もし反って下に向かって初九に求めれば、あれはすなわち顛倒なり。ゆえに「顛頤」と言う。顛倒すれば卽ち常理に違背して、行き通らず。もし高丘に轉向して養を求めれば、然らば前往必ず「凶」あり。「丘」は外に在りて高き起きたる物にして、上九を指す。全卦はただ兩箇の陽爻あり:すでに顛倒して初九に養を求むる能わず、もし再び上九に向かって養を求めれば、前往すれば「凶」あり。《頤》卦の時に於ては、互いに「應與」せばこそ互いに供養するなり。上九は竝びに六二の正應にあらず、其れは卻って前往して養を求む。正道に合せずして妄りに自ら行動す、ゆえに凶なり。顛倒して養を求むれば常理に違背して、其の養を得ず。胡亂に上九に求めれば、前往して「凶」を得。

今有人,才不足以自養,見在上者勢力足以養人,非其族類,妄往求之,取辱得凶必矣。六二中正,在他卦多吉,而凶,何也?曰,時然也,用柔既不足以自養,初上二爻,皆非其與,故往求則悖理而得“凶”也。

程頤は続けて言う:今かくのごとき人あり、才干は自己を養活するに足らずして、上位に居る人の勢力の人を養うに足るを見て、明明として同類にあらざるを、卻って貿然として前往して彼を求むれば、辱を招き凶を得るは必然なり。ある人が問う:六二はすでに「中正」なり、別の卦の裏に於ては多く吉を得、此處に卻って凶なるは、何の爲ぞ。回答するに:時勢の然らしむるなり。陰柔を以てはすでに自養するに足らず、初九と上九の兩爻はまた皆其の同伴にあらず。ゆえに前往して養を求むれば事理に違背して「凶」を得。

集說 項氏安世曰:二五得位得中,而不能自養,反由頤於尤位之爻,與常經相悖,故皆為“拂經”。上艮體,故為於“丘”。黃氏乾曰:《頤》之六爻,只是顛拂二字,求養於下則為“顛”,求養於上則為“拂”。

集説は項安世の説を引く:六二と六五とは皆「當位」にしてまた居中するも、自養し能わず、反って當位ならざる爻に依りて養を受くるを要す、常理と相悖す。ゆえに皆「拂經」と言う。上九は「艮」體に属し、「艮」は山と爲す、ゆえに「丘」と成す。集説はまた黃干の説を引く:《頤》卦の六爻は、翻り來り覆り去りて不過「顛」「拂」の兩箇の字のみ——下に向かって養を求むればすなわち「顛」、上に向かって養を求むればすなわち「拂」。

六二比初而求上,故“顛頤”當為句。“拂經于丘頤”為句,“征凶”則其占辭也。六三“拂頤”,雖與上為正應,然是求於上以養己,故“凶”;六四“顛頤”,固與初為正應,然是賴初之養以養人,故雖顛而“吉”;六五“拂經”,是比於上,然是賴上九之養以養人,所以居貞而亦“吉”。

黃干は続けて言う:六二は初九に親近してまた上九に求めんと欲す、ゆえに「顛頤」は當に一句と斷じ、「拂經于丘頤」は一句と斷じ、「征凶」は則ち其の「占辞」なり。六三は「拂頤」と言う、雖も上九と「應與」なれど、あれは上九を求めて自己を養わしむる、ゆえに「凶」。六四は「顛頤」と言う、固然として初九と「應與」なれど、あれは初九の養を借りて天下を養う、ゆえに雖も顛倒するも「吉」。六五は「拂經」と言う、是れ上九に親近するも、あれは上九の養に靠って人を養いに行く、ゆえに正道に安んじて守ればも亦た「吉」。

案 項氏、黃氏說,深得文意,可從。《本義》雖從《程傳》以征凶屬之丘頤,然至其解《象傳》“六二征凶,行失類也”,則曰初上皆非其類也,則亦以征凶總承兩義矣。六三,拂頤,貞凶,十年勿用,無攸利。本義 陰柔不中正,以處動極,拂於頤矣。既拂於頤,雖正亦凶,故其象占如此。

李光地が按する:項安世・黃干の說法は深く經文の本意を得たり、採用し得べし。『周易本義』は雖も『伊川易伝』に依從して、「征凶」を「丘頤」の上に係属せしめしか、然るに「小象」の「六二征凶、行失類也」を解釋するに至りては、卻って初九と上九とは皆六二の同類にあらずと說く。あれはすなわち「征凶」を總じて「顛頤」「拂經」の兩層の意思に承けたるなり。六三の爻辞:頤養の道に違背す、正を守るも凶、十年作爲すべからず、一樣として利なし。朱熹『本義』は言う:六三は陰柔にして「中正」ならず、また「震」動の極點に處し、已に頤養の道に違背せり。すでに頤養の道に違背せば、たとえ正を守るも凶。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。

程傳 頤之道唯正則吉,三以陰柔之質,而處不中正,又在動之極,是柔邪不正而動者也。其養如此,拂違於頤之正道,是以“凶”也。得頤之正,則所養皆吉。求養養人,則合於義。自養,則成其德。三乃拂違正道,故戒以“十年勿用”。十,數之終,謂終不可用,無所往而利也。

程頤『伊川易伝』は言う:頤養の道はただ正を守ってこそ吉なり。六三は陰柔の資質を以て、既に中ならずまた正ならざる位置に處し、また動の極點に在り、これ柔にして邪・正ならずして妄動する人なり。かようにして養えば、頤養の正道に違背す。ゆえに「凶」。頤養の正を得れば、養う所は皆吉なり:人を求めて養わるるも好し、人を養うも好し、皆義に合す。自ら養えば、則ち能く自己の德を成就す。六三は卻って正道に違背す、ゆえに「十年勿用」を以て之に告戒す。十は數の終點にして、意思は終竟任用すべからず、往く所を論わず皆好處なし。

集說 張子曰:履邪好動,繫說於上,不但拂頤之經而已,害頤之正莫甚焉,故“凶”。楊氏時曰:頤正則吉,六三不中正而居動之極,拂頤之正也。“十年勿用”,則終不可用矣,何利之有?鄭氏汝諧曰:三應於上,若得所養,而凶莫甚於三,蓋不中不正而居動之極,所以求養於人者,必無所不至,是謂拂於頤之正,凶之道也。“十年勿用無收利”,戒之也,

集説は張載の説を引く:六三は行爲邪僻にしてまた動を好み、なお上九の歡悅に牽掛す、不獨り頤養の常理に違背するのみにあらず、頤養の正を損害するは之より厲しきなし。ゆえに「凶」。集説はまた楊時の説を引く:頤養は正を守れば則ち吉、六三は既に中ならず正ならずしてまた動の極點に居る、まさに頤養の正に違背す。「十年勿用」、あれはすなわち終竟任用すべからず、また何の利か言うべきあらん。集説はまた鄭汝諧の説を引く:六三は上九と相應し、看るに似たり所養を得べしとす。然るに六爻の中、凶險は六三より甚しきはなし。其の中ならず正ならずして動の極點に處するに因り、以て人を求めて自己を養う手段は必ず至らざる所なし。これを頤養の正に違背すると言う、是れ凶を招く道なり。「十年勿用无攸利」は、之に告戒する——此處底本に脫文あり、鄭汝諧の言は盡きず。

六四,顛頤吉,虎視眈眈,其欲逐逐,無咎。本義 柔居上而得正,所應又正,而賴其養以施於下,故雖顛而吉。“虎視眈眈”,下而專也。“其欲逐逐”,求而繼也。又能如是,則“無咎”矣。

六四の爻辞:顛倒して下に向かって養を求む、吉。老虎のごとく目不轉睛に俯視し、欲求は接續斷えず、過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:六四は陰柔を以て上位に居りてまた「當位」し、應する所の初九も亦た「當位」す。其れは初九の供養に依靠して以て下民に惠を施す。ゆえに雖も顛倒するも吉なり。「虎視眈眈」は、眼光が下に向かって專一なり。「其欲逐逐」は、求取して接續斷えざるなり。また能くかくのごとくなれば、則ち「无咎」なり。

程傳 四在人上,大臣之位。六以陰居之,陰柔不足以自養,況養天下乎?初九以剛陽居下,在下之賢也。與四為應,四又柔順而正,是能順於初,賴初之養也。以上養下則為順,今反求下之養,顛倒也,故曰“顛頤”。然己不勝其任,求在下之賢而順從之,以濟其事,則天下得其養,而己無曠敗之咎,故為“吉”也。

程頤『伊川易伝』は言う:六四は衆人の上に居り、大臣の位置なり。陰爻を以て此の位置に居れば、陰柔は自養するさえ足らず、何况天下を養わんや。初九は陽剛を以て下位に居り、在野の賢者なり。其れは六四と相應し、六四はまた柔順にして「當位」、正に能く初九に順從し初九の供養に依賴す。上を以て下を養うをこそ順と言う、今反って下を求めて養を來さしむるは顛倒なり。ゆえに「顛頤」と言う。然るに自己すでに此の擔子を擔當し得ざれば、卽ち下に在る賢者を訪求して之に順從し、彼に靠って大事を成就すれば、然らば天下は皆供養を得、自己も亦た曠廢敗事の過錯なし。ゆえに是れ「吉」なり。

夫居上位者,必有才德威望,為下民所尊畏,則事行而眾心服從。若或下易其上,則政出而人違,刑施而怨起,輕於陵犯,亂之由也。六四雖能順從剛陽,不廢厥職,然質本陰柔,賴人以濟,人之所輕,故必養其威嚴,“眈眈”然如“虎視”,則能重其體貌,下不敢易。

程頤は続けて言う:凡そ上位に居る人は、必ず才干德行威望あるべく、下民に尊重畏服せられてこそ、事情は纔に推行し開け衆心は服從す。もし下が上を輕慢せば、則ち政令一たび出でて人は遵行せず、刑罰一たび施されて怨恨は四起す。輕易に冒犯するは、まさに禍亂の由來なり。六四は雖も能く陽剛に順從し自己の職守を廢棄せざるも、然るに本質は陰柔にして、他人に靠って事を成すを要し、人に看輕せられ易し。ゆえに必ず自己の威嚴を蓄養して、老虎の盯視するがごとき「眈眈」なるべく、こそ自己の體統儀表を加重して、下は敢えて輕慢せざらん。

又從於人者必有常。若問或無繼,則其政敗矣。“其欲”,謂所須用者。必逐逐相繼而不乏,則其事可濟。若取於人而無繼,則困窮矣。既有威嚴,又所施不窮,故能“無咎”也。二“顛頤”則“拂經”,四則吉,何也?曰:二在上而反求養於下,下非其應類,故為“拂經”。

程頤は続けて言う:さらに、他人に跟從して事を辦するは必ず常度あるべし。もし時に斷じ時に續き後繼する人なければ、政事は敗壞す。「其欲」の指すは需用する所の物なり、必ず接續斷えず供應して匱乏せざらしめてこそ、事情は纔に辦成す。もし人に取給して後繼なければ、すなわち困窘す。すでに威嚴あり、施行する所また源源として絶えず。ゆえに能く「无咎」なり。ある人が問う:六二は「顛頤」にして卽ち「拂經」と言う、六四は卻って吉なるは、何故か。回答するに:六二は上位に在りて反って下に向かって養を求め、下のあの一爻はまた其の應類にあらず、ゆえに「拂經」と言う。

四則居上位,以貴下賤,使在下之賢,由己以行其道,上下之志相應而施於民,伺吉如之?自三以下,養口體者也。四以上,養德義者也。以君而資養於臣,以上位而賴養於下,皆養德也。

程頤は続けて言う:六四は則ち上位に居りて能く尊貴の身を以て卑賤に屈就し、下に在る賢者をして自己に由って其の道を推行せしめ、上下の心志は互いに呼應して百姓に惠を施す、何ぞ此より吉なるあらん。六三より以下は、養う所は口腹なり。六四より以上は、養う所は德義なり。君主を以て臣下に養を取り、上位を以て下位に依賴して養わるるは、皆養德に属す。

集說 蘇氏軾曰:自初而言之,則初之見養於四為“凶”。自四言之,則四之得養初九為“吉”。游氏酢曰:以上養下,頤之正也。若在上而反資養於下,則於頤為倒置矣。此二與四所以俱為“顛頤”也。然二之志在物,而四之志在道,故四“顛頤”而“吉”,而二則“征凶”也。

集説は蘇軾の説を引く:同じく初九と六四の相配する此の一件事、兩頭に立って看れば、吉凶は恰好相反す:初九の一邊より講ずれば、初九は六四に養わるるは、自養を丢開して他人を仰賴しに行く、ゆえに「凶」。六四の一邊より講ずれば、六四は初九を得て供養せしむるに來るは、賢を求めて自らを輔く、ゆえに「吉」。集説はまた游酢の説を引く:上を以て下を養うは、頤養の正理なり。もし上位に居りて反って下に養を取れば、則ち頤養の上に於て本末倒置を成す、これすなわち六二と六四とが皆「顛頤」と稱する所以なり。然るに六二の下に向かって求むる所は口腹の奉養にして、心志は物欲の上に落ちる。六四の下に向かって求むる所は賢者の助力にして、心志は道義の上に落つ。ゆえに六四は「顛頤」にして「吉」、六二は卻って「征凶」なり。

《朱子語類》:問:《音辯》載馬氏曰:“眈眈”,虎下視貌,則當為下而專矣。曰:然。又問:“其欲逐逐”如何?曰:求於下以養人,必當繼續求之,不厭乎數,然後可以養人而不窮。

集説はまた『朱子語類』の記す所を引く:ある人が問う、『周易音辯』に載する馬氏の說法は、「眈眈」は老虎が下に向かって看る樣子なれば、則ち當に眼光下に向かって專一なるべし。朱熹は言う:然り。また問う:「其欲逐逐」は如何に講ずるか。朱熹は言う:下に向かって賢を求めて人を養うに、必ず接續斷えず去って求めて、次數の多きを嫌わずして、然る後に能く人を養いて匱乏に至らざらしむるなり。

吳氏澄曰:自養於內者莫如龜,求養於外者莫如虎,故《頤》之初九六四,取二物為象。四之於初,其下賢求益之心,必如虎之視下求食而後可。其視下也,專一而不他;其欲食也,繼續而不歇。如是,則於人不貳,於己不自足,乃得居上求下之道。林氏希元曰:苟下賢之心不專,則賢者不樂告以善道;求益之心不繼,剛才有所得而遽自足。

集説は吳澄の説を引く:內に於て自ら養うは龜に比するなし、外に向かって養を求むるは虎に比するなし。ゆえに《頤》卦の初九と六四とは、此の兩樣の物を取りて象と作す。六四の初九に對するは、あの禮に賢者を下し人に益を求むるの心は、必ず老虎の下を盯着して食を覓するがごとくしてこそ行け。其の下を看るは、專一にして旁騖せず。其の食を吃せんと欲するは、接續斷えずして停歇せず。かようにすれば、人に對して二心なく、己に對して自滿せず、こそ上位に居りて下に向かって人に求むるの正道と算すべし。集説はまた林希元の説を引く:もし禮に賢者を下すの心が專一ならざれば、賢者は好道理を彼に告げんことを樂しまず。益を求むるの心が接續せざれば、則ち剛に一たび所得あれば便ち馬上自滅せんとす——すなわち自滿す。

六五,拂經,居貞吉,不可涉大川。本義 六五陰柔不正,居尊位而不能養人,反賴上九之養,故其象占如此。程傳 六五,頤之時居君位,養天下者也。然其陰柔之質,才不足以養天下,上有剛陽之賢,故順從之,賴以養己以濟天下。君者養人者也,反賴人之養,是違拂於經常。

六五の爻辞:常理に違背す、正道に安んじて守れば吉、大河を渡るべからず。朱熹『本義』は言う:六五は陰柔にして「當位」せず、尊位に居りて人を養う能わず、反って上九に依賴して養わる。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。程頤『伊川易伝』は言う:六五は《頤》卦の時に於て君位に居り、當に天下を養うべき人なり。然るに其の陰柔の資質、才干は天下を養うに足らず、上に陽剛の賢者あり、ゆえに之に順從し、彼に靠って自己を養い以て天下を濟す。君主を做るはもとより人を養うなり、反って他人に依賴して養わる、これ常理に違背す。

集說 邱氏富國曰:《豫》五不言豫,以《豫》由乎四也。《頤》五不言頤,以《頤》由乎上也。林氏希元曰:不能養人,而反賴上九以養於人,故其象為“拂經”,言反常也。然在己不能養人,而賴賢者以養,亦正道也,故“居貞”而“吉”。若不用人而自用,則任大責重,終不能勝,如“涉大川”,終不能濟,故“不可”。

集説は邱富國の説を引く:《豫》卦の六五は「豫」の字を提せず、《豫》卦の和樂は九四に主あるに因る。《頤》卦の六五は「頤」の字を提せず、《頤》卦の供養は上九に主あるに因る。集説はまた林希元の説を引く:六五は人を養う能わず、反って上九に依賴して他人を養いに行かしむ。ゆえに其の象は「拂經」、說く所は常規に違反するなり。然るに自己すでに人を養う能わずして、賢者に依靠して養うも、亦是た正道なり。ゆえに「居貞」にして「吉」。もし人を用いずしてただ自己に凭らば、然らば任務重く責任大にして、終に擔當し起らず。ちょうど「涉大川」の終に渡り過ぐる能わざるがごとし。ゆえに「不可」と言う。

上九,由頤,厲吉,利涉大川。本義 六五賴上九之養以養入,是物由上九以養也。位高任重,故厲而吉。陽剛在上,故利涉川。程傳 上九以剛陽之穗,居師傅之任,六五之君,柔順而從於己,賴己之養,是當天下之任,天下由之以養也。以人臣而當是任,必常懷危厲則吉也。如伊尹、周公,何嘗不憂勤競畏,故得終吉。

上九の爻辞:萬物は彼に由って養を得、危懼を心に存すれば吉、大河を渡るに利あり。朱熹『本義』は言う:六五は上九の供養に依賴して人を養いに行く、見るべし衆物は上九を經由してこそ養を得るを。上九は位置高く擔子重し、ゆえに常に危懼を懷いてこそ吉なり。陽剛は上に居る、ゆえに大河を渡るに利あり。程頤『伊川易伝』は言う:上九は陽剛の德を以て、帝王の師傅のごとき職責を擔任し、六五の此の君主は柔順に彼に服從し彼の供養に依賴す。これすなわち天下の重任を承當し、天下人は皆彼に靠ってこそ養を得。人臣の身份を以てかくのごとき重任を擔當せば、必ず常に危厲の心を存してこそ吉なり。伊尹・周公のごときは、何嘗か憂勞勤勉・戒慎畏懼ならざりしか。ゆえに能く終に吉利を獲たり。

夫以君之才不足,而倚賴於己,身當天下大任,宜竭其才力,濟天下之艱危,成天下之治安,故曰“利涉大川”。得君如此之專,受任如此之重,苟之濟天下艱危,何足稱委遇而謂之賢乎?當盡誠竭力而不顧慮,然惕厲則不可忘也。

程頤は続けて言う:君主の才干足らずして自己に倚賴す、自身は天下の大任を擔當すれば、卽ち當に才力を竭盡して、天下の艱危を救濟し、天下の治安を成就すべし。ゆえに「利涉大川」と言う。君主のかくのごとき專一の信任を得、かくのごとき沉重の委託を接受して、もし天下の艱危を救濟し能わざれば、また何を以て知遇に負かずして賢臣と算せられんや。當に誠を盡くし力を竭くして瞻前顧後せずべし、ただ危懼を警惕する心は一刻も忘るべからざるなり。

集說 王氏弼曰:以陽處上,而履四陰,陰不能獨為主,必宗於陽也,故莫不由之以得其養。李氏舜臣曰:《豫》九四曰“由豫”者,即“由頤”之謂也。“由豫”在四,猶下於五也,而已有可疑之跡。“由頤”在上,則過中而嫌於不安,故“厲”。

集説は王弼の説を引く:上九は陽爻を以て最上に處し、脚下に四箇の陰爻を踩踏す。陰は獨自に主を作る能わず、必ず陽を以て宗と爲さねばならず。ゆえに衆爻は彼を經由してこそ供養を得ざるなし。集説はまた李舜臣の説を引く:《豫》卦の九四は「由豫」と言う、すなわち「由頤」の同一種の講法なり。「由豫」は九四に在り、なお九五の下に在りて、なお且つ已に人をして疑を生ぜしむる痕跡あり。「由頤」は上九に在れば、則ち已に中位を過ぎて不安の嫌あり。ゆえに「厲」と言う。

邱氏富國曰:陽實陰虛,實者養人,虛者求人之養,故四陰皆求養於陽者。然養之權在上,是二陽爻又以上為主,而初陽亦求養者也,故直於上九一爻曰“由頤”焉。

集説はまた邱富國の説を引く:陽は實にして、陰は虛なり。實は人を養い、虛は人を求めて養わる。ゆえに四箇の陰爻は皆陽に向かって養を求むる一方なり。然るに供養の權柄は上九に在る、此に因って兩箇の陽爻はまた上九を以て主と爲し、而して初九のあの陽爻は自己も亦た養を求めて在り。ゆえにただ上九の此の一爻に於て「由頤」と說く。

總論 吳氏曰慎曰:養之為道,以養人為公,養己為私。自養之道,以養德為大,養體為小。艮三爻皆養人者,震三爻皆養己者。初九、六二、六三,皆自養口體,私而小者也。六四、六五、上九,皆養其德以養人,公而大者也。公而大者吉,得頤之正也,私而小者凶,失頤之貞也。可不觀頤而自求其正邪?

總論は吳曰慎の説を引く:頤養の道は、人を養うは公にして、己を養うは私なり。自養の道は、德を養うを大と爲し、形體を養うを小と爲す。「艮」の三爻は皆人を養うなり、「震」の三爻は皆自己を養うなり。初九・六二・六三は皆自ら口腹を養い、私にして小なる一類に属す。六四・六五・上九は皆自己の德を修養して以て人を養い、公にして大なる一類に属す。公にして大なるは則ち吉なり、頤養の正を得たるに因る。私にして小なるは則ち凶なり、頤養の貞正を失掉したるに因る。《頤》卦を讀む人は、養う所を觀察して自ら其の正を求めざるを得んや。

大過卦

大過.兌上.巽下程傳 《大過序卦》曰:“頤者,養也。不養則不可動,故受之以大過。”凡物養而後能成,成則能動,動則有過,《大過》所以次《頤》也。為卦上兌下巽,澤在木上, 大過,棟橈,利有攸往,亨。本義 “大”,陽也。四陽居中過盛,故為《大過》。上下二陰不勝其重,故有“棟橈”之象。又以四陽雖過,而二五得中,內巽外說,有可行之道,故利有所往而得“亨”也。

卦畫標注:《大過》卦は、上卦「兌」、下卦「巽」。程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は「頤とは養なり。養せざれば則ち動くべからず、故に受くるに大過を以てす」と講ず。凡そ物は養い足りてこそ長成し得、長成してこそ行動し得、一たび行動すれば過越を生ず。《大過》の《頤》の後に排する所以なり。此の卦は上「兌」下「巽」、澤水は樹木の上に在り——此處底本に脫文あり。卦辞:大過、棟梁は彎曲す、前往するに利あり、亨通。朱熹『本義』は言う:「大」は陽を指す。四箇の陽爻は中間に聚りて過りて盛壯、ゆえに《大過》と言う。上下兩箇の陰爻は此の重量を承け持つ能わず、ゆえに「棟橈」の象あり。また四陽は過盛なれど、九二・九五は皆中に居り、內卦「巽」は順入・外卦「兌」は和悅にして、推行すべき路子あり。ゆえに前往するに利ありて「亨」を得。

程傳 《小過》,陰過於上下。《大過》,陽過於中。陽過於中而上下弱矣,故為“棟橈”之象。棟取其勝重,四陽聚於中,可謂重矣。九三九四皆取棟象,謂任重也。橈,取其本末弱,中強而本末弱,是以橈也。陰弱而陽強,君子盛而小人衰,故利有攸往而亨也。棟,今人謂之檁。

程頤『伊川易伝』は言う:《小過》は陰が上下兩頭に於て過盛、《大過》は陽が中間に於て過盛なり。陽が中間に於て過盛すれば、上下兩頭は卽ち弱し。ゆえに「棟橈」の象あり。「棟」は其の能く重を承くるを取る:四箇の陽爻は中間に聚る、重しと言うべし。九三・九四は皆棟梁を取りて象と爲す、說く所は擔子の重きなり。「橈」は其の兩頭の弱きを取る:中間強にして兩頭弱し、ゆえに彎曲す。陰弱にして陽強、君子は興盛して小人は衰微す。ゆえに前往するに利ありて亨通す。「棟」は、今人は之を檁と呼ぶ。

集說 王氏宗傳曰:天下之事,固有正理,豈可過耶?然古今固有所謂非常之事者,以理而論,亦無非君子之時中,特其事大勢重,不常見爾。《朱子語類》:問:《大過》、《小過》,先生與伊川之說不同。曰:然。伊川此論,正如以反經合道為非相似,殊不知《大過》自有《大過》時節,《小過》自有《小過》時節。處《大過》之時,則當為《大過》之事。處《小過》之時,則當為《小過》之事。

集説は王宗傳の説を引く:天下の事は本來各々一箇の正常の道理あり、どうして過越すべからんや。然るに古より今に至りて、確かに所謂非常の事あり。此の一類の事は道理を按じて推せば、亦是た無非君子の時勢に随ってあの恰當の分寸を求むるに過ぎず、不過事情重大・形勢沉重にして、平日は常に見ること稀なり。集説はまた『朱子語類』の記す所を引く:ある人が問う、《大過》《小過》の兩卦に、先生の說法は程頤と同じからず。朱熹は言う:然り。程頤のあの段の議論は、譬えば「常法に違反して大道に合する」を一概に是ならずと判ずるがごとく、卽ち《大過》には自ら《大過》の時節あり、《小過》には自ら《小過》の時節あるを知らざるなり:《大過》の時節に處すれば、卽ち當に《大過》の事を做すべし。《小過》の時節に處すれば、卽ち當に《小過》の事を做すべし。

在事雖是過,然適當其時合當如此作,便是合義。胡氏一桂曰:或疑《頤》與《大過》對者也,何不名為《小過》?《中孚過》與《小過》對者也,何不名為《大過》?蓋《大過》以四陽在中言,《小過》以四陰在外言,此是聖人內陽外陰之意。

朱熹は続けて言う:事情其れ自體に就いて看れば雖も過越なれど、然るに恰好あの時に碰上りて理に當ってかようにすべきなれば、則ち義に合す。集説はまた胡一桂の説を引く:ある人が疑惑す、《頤》と《大過》とは相對する一組の卦なり、《頤》は何故に《小過》と稱せざるか。《中孚》と《小過》とは相對する一組の卦なり、《中孚》は何故に《大過》と稱せざるか。其の實《大過》は四箇の陽爻の中間に在るに就いて言い、《小過》は四箇の陰爻の外邊に在るに就いて言う。此處に體現するは聖人の內陽外陰の用意なり。

胡氏炳文曰:既曰“棟橈”,又曰“利有攸往亨”,何也?曰:“棟橈”,以卦象言也,利往而後亨。是不可無大有為之才,而天下亦無不可為之事,以占言也。

集説はまた胡炳文の説を引く:すでに「棟橈」と言い、また「利有攸往亨」と言うは、これ如何なる事ぞ。回答するに:「棟橈」は卦象に就いて言うなり。前往するに利ありて而る後に亨通するは、言う、大有作爲の才干なくんば可ならず、而して天下に做成し得ざる事なきを言う。これ「占辞」に就いて言うなり。

何氏楷曰:“棟”,《說文》謂之極,《爾雅》謂之桴,其義皆訓中也,即屋之脊檁。唯《大過》是以“棟橈”,是以“利有攸往”,唯有攸往,是以“亨”,《翼傳》乃字當玩。卦辭言棟,概指二三四五言也。爻辭專及三四者,舉中樞也。

集説はまた何楷の説を引く:「棟」は、『說文解字』は之を「極」と作し、『爾雅』は之を「桴」と作す。取義は皆「中」と訓す、すなわち屋脊の上の正檩なり。正に《大過》なるが故に、「棟橈」なり。正に「棟橈」なるが故に、「利有攸往」なり。正に往く所有るが故に、「亨」なり——孔子の「彖辞」の裏のあの「乃」の字は細細に玩味するに値す。卦辞の講ずる「棟」は、大致は九二・九三・九四・九五の四爻を指す。爻辞はただ九三・九四に講じ及ぶは、居中の樞紐を擧出して說くなり。

初六,藉用白茅,無咎。本義 當《大過》之時,以陰柔居巽下,過於畏慎而“無咎”者也,故其象占如此。“白茅”,物之潔者。程傳 初以陰柔巽體而處下,過於畏慎者也。以柔在下,用,茅藉物之象,不錯諸地而藉以茅,過於慎也,是以“無咎”。茅之為物雖薄,而用可重者,以用之能成敬慎

初六の爻辞:白茅草を以て下に墊し置く、過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:正に《大過》の時に當りて、初六は陰柔を以て「巽」卦の最下に居り、是れ謹慎畏懼の頭を過ぎてこそ「无咎」なる人。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。「白茅」は潔淨の物なり。程頤『伊川易伝』は言う:初六は陰柔の資質・順入の卦體を以て最下に處す、是れ畏慎に過ぎたる人なり。陰柔を以て下に居るは、まさに茅草を以て墊子を作りて物を承くる象なり。徑直に地上に放さずして茅草を以て墊するは、謹慎の頭を過ぎたるなり。ゆえに「无咎」。茅草の此の物は雖も輕薄なれど、用處は卻って重きを得べし、之を用いて能く敬慎を成就するに因る——此處底本に脫文あり。

集說 胡氏瑗曰:為事之始,不可輕易,必須恭慎,然後可以免咎。況居《大過》之時,是其事至重,功業至大,尤不易於有為,必當過分而慎重,然後可也,:苟於事始慎之如此,則可以立天下之大功,興天下之大利,又何咎之有哉?

集説は胡瑗の説を引く:事を辦するの開頭は掉以轻心すべからず、必ず恭敬謹慎して、然る後にこそ過錯を免れ得べし。何况《大過》の時に身を處し、辦する所の事は極めて沉重・成す所の功業は極めて宏大、もとより格外に作爲あること容易ならず。則ち必ず謹慎に尋常の分寸を超出して、然る後に行き通るを得——初六の白茅を以て底を墊するは、まさに此の常度を超出する持重なり。もし事情の頭を起す時に謹慎すること此の地步に至れば、則ち天下の大功を建立し天下の大利を興起し得べく、またどうして更に何の過錯かあらんや。

朱氏震曰:茅之為物薄而用重,過慎也。過慎者,慎之至也。《大過》君子,將有事焉,以任至大之事,過而“無咎”者,其唯過於慎乎!過非正也,初六執柔處下,不犯乎剛,於此而過,其誰咎之?

集説は朱震の説を引く:茅草の此の物は輕薄にして用處は貴重、是れ謹慎の頭を過ぎたるなり。謹慎に頭を過ぐは、まさに謹慎の極處に到るなり。《大過》の時の君子はまさに行動あるを將にす、以て極大の事を擔當するに、能く過越して「无咎」なるは、蓋し謹慎の上に頭を過ぐの此の一條のみか。過越はもとより正道にあらざれど、然るに初六は柔順を執守して卑下に居り、陽剛に冒犯せず、此の上に於て一點過ぐるは、誰かまた之を怪罪せんや。

趙氏玉泉曰:當過時而陰居巽下,是以過慎之心任事,遵始慮終,無所不至。如物措諸地,又藉之以白茅焉,如是則視天下無可忽之事者,舉天下無不可為之事,身無過動,行無敗謀,何咎之有?

集説は趙玉泉の説を引く:過越の時節に處して陰爻を以て「巽」體の下に居るは、これ過分に謹慎の心を以て事を任ずるなり。開頭より結局を考慮に到りて、無微ならず至る。譬えば物は已に地上に放たれ、なお更に白茅を以て下に墊するがごとし。かようにすれば、天下を看るに一事として輕忽すべきなく、天下の事を做るに一件として做成せざるなし。自身に過分の擧動なく、行事に失敗の謀劃なし、また何の過錯かあらん。

案 胡氏、朱氏、趙氏說,極於卦義相關。蓋《大過》者,大事之卦也。自古任大事者,必以小心為基,故聖人於初爻發義。任重大者,棟也;基細微者,茅也。棟支於上,茅藉於下。故《繫傳》云:“茅之為物薄,而用可重也”,正對棟為重物、重任而言。

李光地が按する:胡瑗・朱震・趙玉泉の三家の說法は、全卦の義理と關聯極めて緊し。《大過》は大事を辦する卦なり。自古大事を擔當する人は、必ず小心を以て根基と爲す。ゆえに聖人は初爻の上に此の層の意思を發明す。重任を承擔するは棟梁にして、細微の根基を奠定するは茅草なり:棟梁は上に在りて支撐し、茅草は下に在りて鋪墊す。ゆえに『繫辞伝』は「茅之爲物薄、而用可重也」と言う、まさに棟梁の重物・重任に属するに對して講ずるなり。

九二,枯楊生稊,老夫得其女妻,無不利。本義 陽過之始,而比初陰,故其象占如此。“稊”,根也,榮於下者也。榮於下則生於上矣。夫雖老而得女妻,猶能成生育之功也。

九二の爻辞:枯萎の楊樹の根の上に新芽を生ず、年老いたる男子は年少の妻子を娶り得、不利なし。朱熹『本義』は言う:九二は陽氣過盛の開頭に處し、また初六の此の陰爻に緊挨す。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。「稊」は樹根にして、下より新綠を萌發す。下萌發せば、上は自ずと活き來る。丈夫は雖も老いたるも少妻を娶り得れば、なお生育の功效を成就し得べし。

程傳 陽之大過,比陰則合,故二與五,皆有生象。九二當《大過》之初,得中而居柔,與初密比而相與。初既切比於二,二復無應於上,其相與可知。是剛過之人,而能以中自處,用柔相濟者也。過剛則不能有所為,九三是也。得中用柔,則能成大過之功,九二是也。

程頤『伊川易伝』は言う:陽の過盛は、陰と相配すれば卽ち合す。ゆえに九二と九五とは皆「生」の象あり。九二は《大過》の開頭に處し、中に居りて位は陰柔の位に在り、初六と緊緊に相隣りて互いに親附す。初六はすでに九二に緊貼せば、九二は上に於てまた「應與」なし、兩者の親附は想うべく知れる。これ剛強に頭を過ぎたる人にして卻って能く中道を以て自處し柔を用いて調劑するの樣子なり。剛強に過ぎれば卽ち事を幹成せず、九三は卽ち是れ。中に居りて柔を用うれば、卽ち能く《大過》の功業を成就す、九二は卽ち是れ。

楊者,陽氣易感之物,陽過則枯矣。楊枯槁而復生稊,陽過而未至於極也。九二陽過而與初,老夫得女妻之象。老夫而得女妻,則能成生育之功。二得中居柔而與初,故能復生稊,而無過極之失,無所不利也。在《大過》陽爻居陰則善,二與四是也。二不言吉,方言無所不利,未遽至吉也。“稊”,根也,劉琨《勸進表》云:生繁華於枯黃,謂枯根也。鄭康成《易》亦作荑字,與稊同。

程頤は続けて言う:楊樹は陽氣一たび來れば感應し易き樹にして、陽過盛すれば其れは枯る。楊樹は已に枯槁してまた根の上より新芽を生ずは、陽は雖も過盛なるも未だ極點に至らざるを說明す。九二は陽過盛にして初六と相配す、まさに老夫の少妻を娶るの象なり。老夫は少妻を娶り得れば、なお生育の功效を成就し得べし。九二は中に居り柔に處して初六と相親しむ、ゆえに能く重新に新芽を生出して、極點に過ぎたるの毛病なく、ここに因って一樣として利ならざるなし。《大過》卦の中に於て、陽爻の陰位に居るは卽ち好し、九二と九四は卽ち是れ。九二は「吉」と言わず、ただ不利なき所と言うは、未だ一擧に吉の地步に到らざるなり。「稊」は樹根なり、劉琨『勸進表』は「生繁華于枯黃」と言う、講ずるは卽ち枯根なり。鄭玄本『周易』も亦た「荑」の字と寫作す、「稊」と相同じ。

集說 司馬氏光曰:《大過》剛已過矣,止可濟之以柔,不可濟之以剛也。故《大過》之時,皆以居陰為吉,不以得位為美。楊氏時曰:聞之蜀僧云,四爻之剛,雖同為木,然或為楊,或為棟。棟負眾榱,則木之強者也。楊為早凋,則木之弱者也。此卦本末皆弱,二近於本,五近於末,故均為木之弱也。

集説は司馬光の説を引く:《大過》の剛は已に過盛せり、ただ柔を以て調劑すべく、再び剛を以て火を添うべからず。ゆえに《大過》の時、各爻は皆陰位に居るを以て吉と爲し、「當位」を以て美と爲さず。集説はまた楊時の説を引く:蜀地の僧人の講ずるを聞くに、四箇の陽爻は同じく皆木に属す、然るに或るは楊を取象と爲し或るは棟を取象と爲す。棟梁は衆多の椽子を背負い、是れ木の裏の剛強なり。楊樹は凋零すること早し、是れ木の裏の柔弱なり。此の卦は首尾兩頭とも弱し、九二は樹根に靠近し、九五は樹梢に靠近す。ゆえに同じく皆木の裏の柔弱の一類と算す。

項氏安世曰:二五皆濱於澤,楊,澤木也。當《大過》之時,故稱枯焉。過則木枯也。胡氏炳文曰:巽為木,兌為澤,楊近澤之木,故以取象。枯楊,大過象;稊,初在下象;老夫,九象;女妻,初柔在下象。九二陽雖過而下比於陰,如枯陽雖過於老,稊榮於下,則復生於上矣。老夫而得女妻,雖過以相與,終能成生育之功。無他,以陽從陰,過而不過,生道也。

集説は項安世の説を引く:九二と九五とは皆澤水に靠近す、楊は水澤の邊に生ずる樹なり。正に《大過》の時に當りて、ゆえに其れを枯れたりと言う——過盛せば、木は卽ち枯る。集説はまた胡炳文の説を引く:「巽」は木と爲し、「兌」は澤と爲す、楊は水澤に靠る樹、ゆえに持ち來りて象を取る。枯楊は《大過》の象、「稊」は初六の下に在る象、「老夫」は九の此の陽爻の象、「女妻」は初六の陰柔の下に在る象なり。九二は陽雖も過盛なるも卻って下に向かって陰爻に親近す。譬えば枯楊は雖も老に頭を過ぎたるも、新芽は下に於て萌發して、上は便ち重新に活き來るがごとし。老夫は少妻を娶り得れば、雖も過越の相配なるも、終竟生育の功效を成就し得べし。別の緣故なし、ただ陽を以て陰に順從し、過越してまた過越と算せざるに因るのみ。これすなわち生生の道なり。

九三,棟橈,凶。本義 三四二爻,居卦之中,棟之象也。九三以剛居剛,不勝其重,故象橈而占“凶”。程傳 夫居大過之時,興大過之功,立大過之事,非剛柔得中,取於人以自輔,則不能也。既過於剛強,則不能與人同。常常之功。尚不能獨立,況大過之事乎!以聖人之才,雖小事必取於人,當天下之大任,則可知矣。

九三の爻辞:棟梁は彎曲す、凶。朱熹『本義』は言う:九三・九四の兩爻は全卦の中に居り、是れ棟梁の象なり。九三は陽爻を以て陽位に居り、此の重量を承受し持つ能わず。ゆえに取象は彎曲と爲して「占辞」は「凶」と爲る。程頤『伊川易伝』は言う:《大過》の時に身を處し、《大過》の功を興し《大過》の事を立てんと欲すれば、剛柔中を得て人に助を取りて自己を輔佐するにあらざれば辦到し得ず。すでに剛強に頭を過ぎれば、卽ち他人と合せ來らず。尋常の事功なお且つ獨力に完成し能わず、何况《大過》のごとき大事をや。聖人の才能に憑りても、たとえ小事なるも必ず人に助を取るを要す。然らば天下の大任を承當するに何を靠むべきかは、亦た想うべく知れる。

九三以大過之陽,復以剛自居而不得中,剛過之甚者也。以過甚之剛,動則遠於中和,而拂於眾心,安能當大過之任乎?故不勝其任。如棟之橈,傾敗其室,是以凶也。取棟為象者,以其無輔而不能勝重任也。

程頤は続けて言う:九三は《大過》の陽爻を以て、また剛強を以て自ら居りて中位を得ず、是れ剛強に頭を過ぐること厲しきなり。過分に剛強の性子を以て、一動すれば卽ち中和を遠離して衆人の心に違逆す、どうして《大過》の重任を擔當し當るを得んや。ゆえに自己の職任を擔當し起らず、ちょうど棟梁の彎折して整間の屋子を壓塌するがごとく、此に因って凶なり。棟梁を取りて象と爲すは、其れに輔助なくして重任を承け持つ能わざるに因る。

或曰:三巽體而應於上,豈無用柔之象乎?曰:言《易》者貴乎識勢之重輕,時之變易。三居過而用剛,巽既終而且變,豈復有用柔之義?應者謂志相從也,三方過剛,上能繫其志乎?集說 俞氏琰曰:卦有四剛爻,而九三過剛特甚,故以卦之棟橈屬之。

ある人が程頤に問う:九三は「巽」體に属してまた上六と相應す、豈に柔を用うるの象なからんや。程頤は回答して言う:『周易』を講ずる人は形勢の輕重・時機の變化を識得するを貴ぶ。九三は過越の時に處して剛強を使用す、「巽」はすでに終點に到りて且つ將に變ぜんとす、どこにか尚ほ柔を用うるの道理あらん。いわゆる「應」は、心志の互いに跟從するを言う。九三は正に剛に頭を過ぐ、上六は其の心志を繫げ持ち得るか。集説は俞琰の説を引く:此の卦は四箇の剛爻あり、而して九三は剛の過ぐること特別に厲し。ゆえに全卦の「棟橈」の象を其の身上に歸す。

吳氏曰慎曰:九三“棟橈”,自橈也,所謂太剛則折,故《彖》有取於“剛過而中,巽而說行”也。九四,棟隆吉,有它吝。本義 以陽居陰,過而不過,故其象隆而占“吉”。然下應初六,以柔濟之,則過於柔矣,故又戒以有它則吝也。

集説はまた吳曰慎の説を引く:九三の「棟橈」は、自己が自己を壓彎するなり、すなわち所謂太も剛強なれば卽ち折斷せんとするなり。ゆえに孔子の「彖辞」は「剛過而中、巽而說行」を取りて立說するを要す。九四の爻辞:棟梁は上に向かって隆起す、吉。別に他の求あれば憾惜あり。朱熹『本義』は言う:九四は陽爻を以て陰位に居り、過越してまた過越と算せず。ゆえに取象は隆起と爲して「占辞」は「吉」と爲る。然るに其れは下に向かって初六と相應し、陰柔を用いて調劑すれば、則ち柔の頭を過ぐ。ゆえにまた告戒して別に他の求あれば憾惜あらんと言う。

程傳 四居近君之位,當《大過》之任者也。居柔為能用柔相濟,既不過剛,則能勝其任,加棟之隆起,是以吉也。隆起,取不下橈之義。《大過》之時,非陽剛不能濟,以剛處柔為得宜矣。若又與初六之陰相應,則過也。既剛柔得宜,而志復應陰,是有它也。有它則有累於剛,雖未至於大害,亦可吝也。蓋《大過》之時,動則過也。有它,謂更有他志。吝為不足之義,謂可少也。

程頤『伊川易伝』は言う:九四は君位に接近する處に居り、是れ《大過》の重任を承擔する人なり。其れは陰柔の位に居りて、能く柔を用いて調劑するを說明す。すでに剛強に過ぎざれば、卽ち能く勝任す、ちょうど棟梁の上に向かって隆起するがごとく、ゆえに吉なり。「隆起」は、取る所は下に向かって彎曲せざるの意思なり。《大過》の時は、陽剛にあらざれば卽ち事を濟す能わず、陽剛を以て陰柔の位に處すれば便ち得宜と算す。もしまた初六の此の陰爻と相應せば、則ち頭を過ぎたり。すでに剛柔は宜を得たるも、心志は卻って去りて陰爻に應和す、これすなわち「有它」なり。它あれば卽ち其の剛を牽累す、雖もなお大害を釀成するに至らざるも、亦是た可惜なり。《大過》の時に因りて、一動すれば卽ち過なり。「有它」は、言う、別にまた別の心思あるなり。「吝」は不足の意思にして、すなわちなお一點差すを言う。

或曰:二比初則無不利,四若應初則為吝,何也?曰:二得中而比於初,為以柔相濟之義;四與初為正應,志相繫者也。九既居四,剛柔得宜矣,復牽繫於陰以害其剛,則可吝也。集說 劉氏牧曰:《大過》之時,陽爻皆以居陰為美,有應則有“它吝”。

ある人が程頤に問う:九二は初六に親近すれば卽ち「无不利」、九四はもし初六に應和せば反って「吝」と成る、何故か。程頤は回答して言う:九二は中に居りて初六と相隣る、是れ柔を用いて調劑するの意思に属す。九四と初六とは「應與」にして、是れ心志の互いに牽繫するなり。九はすでに四位に居りて剛柔は已に宜を得たり、再去りて陰爻を牽掛して自己の剛を妨害せば、則ち可惜なり。集説は劉牧の説を引く:《大過》の時は、陽爻は皆陰位に居るを以て美と爲し、一たび「應與」あれば卽ち「它吝」あり。

李氏過曰:下卦上實而下弱,下弱則上傾。故三居下卦之上,而曰棟橈凶,言下弱而無助也。上卦上弱而下實,下實則可載。故四居上卦之下,而曰“棟隆吉”,言下實而不橈也。此二爻當分上下體看。吳氏曰慎曰:三四居卦之中,皆有棟象。三橈而四隆者,三以剛居剛,四以剛居柔,一也;三在下,四在上,二也;三於下卦為上實下虛,四於上卦為下實上虛,三也。

集説は李過の説を引く:下卦は上面實にして下面弱し、下面弱ければ上面は卽ち傾覆せんとす。ゆえに九三は下卦の上に居りて、爻辞は「棟橈凶」と言う、講ずるは下面弱にして人の相助するなきなり。上卦は上面弱にして下面實、下面實なれば卽ち承載し持ち堪う。ゆえに九四は上卦の下に居りて、爻辞は「棟隆吉」と言う、講ずるは下面實にして彎曲せざるなり。此の兩爻は當に上下體を分けて看るべし。集説はまた吳曰慎の説を引く:九三・九四は全卦の中に居り、皆棟梁の象あり。九三は彎曲して九四は隆起す、緣故に三あり:九三は陽を以て陽に居り九四は陽を以て陰に居る、これ一なり。九三は下に在り九四は上に在る、これ二なり。九三は下卦に在りて是上實下虛、九四は上卦に在りて是下實上虛、これ三なり。

九五,枯楊生華,老婦得其士夫,無咎無譽。本義 九五陽過之極,又比過極之陰,故其象占皆與二反。程傳 九五當《大過》之時,本以中正居尊位,然下無應助,固不能成《大過》之功。而上比過極之陰,其所相濟者,如枯楊之生華。枯楊下生根稊,則能復生,如《大過》之陽,興成事功也。上生華秀,雖有所發,無益於枯也。上六過極之陰,老婦也。

九五の爻辞:枯萎の楊樹の梢の上に花を開く、年老いたる婦人は年少の男子に嫁ぐ、過錯なくまた稱譽なし。朱熹『本義』は言う:九五は陽の過盛の極點に處し、また過盛の極點に到りたる陰爻に緊挨す。ゆえに爻象と「占辞」とは皆九二と相反す。程頤『伊川易伝』は言う:九五は《大過》の時に於て、もとより「中正」の德を以て尊位に居る。然るに下は「應與」の相助なく、本來《大過》の功業を成就し能わず。而して上に向かってまた過極の陰爻に親近す、兩者の互相調劑の結果は、枯楊の花を開くがごとし。枯楊は下に於て根を生じ芽を發するは、なお重新に活き來るを得べし、譬えば《大過》の陽の能く事功を興起するがごとし。上に於て花を開き秀を吐くは、雖も發洩する所有れど、枯木に對しては絲毫の好處なし。上六は過盛の極點に到りたる陰にして、すなわち老婦なり。

五雖非少,比老婦則為壯矣,於五無所賴也,故反稱婦得。過極之陰,得陽之相濟,不為無益也。以士夫而得老婦,雖無罪咎,殊非美也,故云“無咎”“無譽”,《象》復言其可醜也。集說 沈氏該曰:九二比於初,近本也,“生稊”之象也。九五承於上,近末也,“生華”之象也。

程頤は続けて言う:九五は雖も年少と算せざるも、老婦に比すればなお壯年と算す。九五に對しては依賴すべき所なきに因りて、ゆえに反って之を言いて老婦の士夫に嫁ぐと爲す。過極の陰は、陽を得て調劑せられれば、好處なしと言うべからず。然るに壯年の男子を以て老婦を娶り得れば、雖も罪過なきも、實に美事にあらず。ゆえに「无咎」「无譽」と言い、「小象」はなお進んで其れを可醜と言う。集説は沈該の説を引く:九二は初六に親近して、樹根に靠近す、是れ「生稊」の象なり。九五は上六を承接して、樹梢に靠近す、是れ「生華」の象なり。

何氏楷曰:“生稊”則生機方長,“生華”則洩且竭矣。二所與者初,初,本也,又巽之主爻,為木、為長、為高;木已過而復芽,又長且高,故有往亨之理。五所與者上,上末也,又兌之主爻,為毀折,為附決,皆非木之所宜;木已過而生華,又毀且折,理無久生已。

集説は何楷の説を引く:「生稊」は生機のこそ滋長するなり、「生華」は則ち元氣の外泄して將に枯竭せんとするなり。九二の配する所は初六にして、初六は根本なり、また「巽」卦の主爻なり、「巽」は木と爲し長と爲し高と爲す。木は已に老に過ぎてまた重新に芽を發すれば、なお長じて高くなるを得。ゆえに前往亨通の道理あり。九五の配する所は上六にして、上六は末梢なり、また「兌」卦の主爻なり、「兌」は毀折と爲し附着して而る後に剥落と爲す、皆木の宜しき所にあらず。木は已に老に過ぎてまた花を開けば、接いで卽ち毀折せんとす。理を按ずれば長久に生存するの可能なし。

上六,過涉滅頂,凶,無咎。本義 處過圾之地,才弱不足以濟,然於義為“無咎”矣。蓋殺身成仁之事,故其象占如此。程傳 上六以陰柔處過極,是小人過常之極者也。小人之所謂大過,非能為大過人之事也。直過常越理,不恤危亡,履險蹈禍而已,如過涉於水,至滅沒其頂,其“凶”可知。小人狂躁以自禍,蓋其宜也。復將何尤?故曰“無咎”,言自為之,無所怨咎也。因澤之象而取涉義。

上六の爻辞:水を涉りて河を過ぐるに水は頭頂を淹沒す、凶、怪罪すべきなし。朱熹『本義』は言う:上六は過越の極點に到りたる位置に處し、才力は柔弱にして事を濟すに足らず。然るに道義に就いて講ずれば「无咎」なり、これは殺身成仁の事に属するに因る。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。程頤『伊川易伝』は言う:上六は陰柔を以て過越の極點に處し、是れ小人の常理を過越すること極點に到りたるの樣子なり。小人の所謂「大過」は、竝びに常人を超過する大事業を做し出し得るにあらず、不過常軌を越出し事理に違背して、危亡を顧みず、險を蹈み禍を闖くのみ。ちょうど水を涉りて河を過ぐるに、頭頂を淹沒するに至りて、あの「凶」は想うべく知れるがごとし。小人は狂躁にして自ら禍患を招く、もとより活該なり、なお誰をか怪まん。ゆえに「无咎」と言う、意思は自己の作したるにして、他人を怨むを得ざるなり。これは「兌」の澤と爲る卦象に就いて涉水の義を取るなり。

集說 錢氏志立曰:澤之滅木,上之所以滅頂也。雖至滅頂,然有不容不涉,即不得不過者,孔子所以觀卦象,而有獨立不懼之思也。案 此爻,《程傳》以為履險蹈禍之小人,《本義》以為殺身成仁之君子。《本義》之說,固比《程傳》為長。然又有一說,以為《大過》之極,事無可為者。上六柔為說主,則是能從容隨順,而不為剛激以益重其勢,故雖處過涉滅頂之凶,而無咎也。如東京之季,範李之徒,適足以推波助瀾,非救時之道。況上六居無位之地,委蛇和順,如申屠蟠、郭泰者,君子弗非也,此說亦可並存。

集説は錢志立の説を引く:澤水は樹木を淹沒す、すなわち上六の頭頂を淹沒する所以なり。雖も頭頂を淹沒するの地步に到るも、然るに或る水は容れずして涉らざるべからず、或る事は已むを得ずして過ぎざるべからざるなり。孔子は正に此の卦象を看到したるに因りて、こそ獨立不懼の想法を有せり。李光地が按する:此の一爻は、『伊川易伝』は之を看做して險を蹈み禍を闖く小人と爲し、『周易本義』は之を看做して殺身成仁の君子と爲す、『本義』の說法はもとより『伊川易伝』より高明なり。不過なお別の一種の講法あり、《大過》は極點に到りて、事情は已に作爲すべきなしと認む。上六は陰柔を以て「兌」卦の悅の主爻を作る、あれはすなわち能く從容隨順して、剛烈激切を用いて局勢の危殆を加重せず。ゆえに雖も「過涉滅頂」の凶險に身を處するも、卻って「无咎」なり。東漢の末年のごとき、范滂・李膺の一班人は、恰好推波助瀾の作用を起して、竝びに時を救うの辦法にあらざりしか。何况上六は職位なき處に處して、委曲和順にして、申屠蟠・郭泰のごとき人は、君子は彼らを非議せず。此の一說も亦た並存し得べし。

總論 馮氏椅曰:《易》大抵上下畫停者,從中分反對為象,非他卦相應之例也,《頤》、《中孚》、《小過》皆然,而此卦尤明。三與四對,皆為棟象,上隆下橈也;二與五對,皆為“枯楊”之象,上華下稊也;初與上對,初為“藉用白茅”之慎,上為“過涉滅頂” 龔氏煥曰:《大過》本為陽過,若復以陽居陽,則愈過矣。故諸爻以陽居陰者皆“吉”,以陽居陽者皆“凶”,與大壯諸爻取義略同。

總論は馮椅の説を引く:『周易』は大抵凡そ上下卦の畫の對停する卦は、皆中間より分け開きて、正反相對を以て象を取る、別の卦のあの爻位の相應する體例にあらず。《頤》《中孚》《小過》は皆此のごとく、而して此の一卦は尤其に明顯なり。九三と九四とは相對して、皆棟梁の象を取り、上のは隆起して下のは彎曲す。九二と九五とは相對して、皆「枯楊」の象を取り、上のは花を開きて下のは根を生ず。初六と上六とは相對して、初六は「藉用白茅」の謹慎、上六は「過涉滅頂」——此處底本に脫文あり。總論はまた龔煥の説を引く:《大過》はもとより陽の過なり、もし再び陽爻を以て陽位に居らば、いよいよ頭を過ぐ。ゆえに各爻の中、陽を以て陰に居るは皆「吉」、陽を以て陽に居るは皆「凶」、「大壯」の各爻の取義と大致相同じ。

坎卦(習坎)

坎.坎上.坎下程傳 《習坎序卦》:“物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。”理無過而不已,過極則必陷,《坎》所以次《大過》也。習,謂重習。他卦雖重,不加其名,獨坎加習者,見其重險,險中復有險,其義大也。卦中一陽,上下二陰,陽實陰虛,上下無據,一陽陷於二陰之中,故為坎陷之義。

卦畫標注:《坎》卦は、上卦「坎」、下卦「坎」。程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は「物は以て終に過ぐべからず、故に受くるに坎を以てす。坎とは、陷なり」と講ず。理を按ずれば、一途に過越し去って止まざるはなく、過は極點に至れば必ず陷落す。《坎》の《大過》の後に排する所以なり。「習」は重復の意思なり。別の卦は雖も亦是た兩箇の同じ三畫卦の相重なるも、卻って卦名の上に別の字を加えず。獨り《坎》は一箇の「習」の字を加えるは、以て其の險の上に險を加え、險の中にまた險あるを顯出して、含義重大ならしむるが爲なり。卦の中は一箇の陽爻、上下各々一箇の陰爻、陽實陰虛にして、上下とも憑據なく、一箇の陽爻は兩箇の陰爻の當中に陷る。ゆえに坎陷の義を取る。

陽居陰中則為陷,陰居陽中則為麗。凡陽在上者止之象。在中陷之象,在下動之象。陰在上說之象,在中麗之象,在下巽之象。陷則為險。習,重也。如學習溫習,皆重複之義也。坎陷也,卦之所言,處險難之道。坎,水也,一始於中,有生之最先者也,故為水。陷,水之體也。

程頤は続けて言う:陽の陰の當中に居るは卽ち「陷」、陰の陽の當中に居るは卽ち「麗」、すなわち附着なり。凡そ陽爻は上に在れば、是れ止の象。中に在れば、是れ陷の象。下に在れば、是れ動の象。陰爻は上に在れば、是れ悅の象。中に在れば、是れ附麗の象。下に在れば、是れ順入の象。陷落すれば卽ち險と成る。「習」は重復にして、學習・溫習のごとく、皆重復の意思なり。坎はすなわち陷にして、此の一卦の講ずる所は、身を險難に處するの道理なり。坎はまた水なり。一は中間に於て發端し、是れ萬物の中で最先に生意ある物、ゆえに水と爲る。陷落は、まさに水の本體なり。

習坎,有孚,維心亨,行有尚。本義 習,重習也。坎。險陷也。其象為水,陽陷陰中,外虛而中實也。此卦上下皆坎,是為重險。中實為有孚心亨之象,以是而行,必有功矣,故其占如此。

卦辞:習坎、心の中に誠信あり、ただ心是れ亨通す、かようにして行動すれば卽ち嘉尚するに値す。朱熹『本義』は言う:「習」は重復、「坎」は險陷なり。其の象は水にして、陽爻は陰爻の當中に陷り、外は虛にして中は實なり。此の一卦は上下皆「坎」、ゆえに重險と言う。中間は充實す、まさに心の中に誠信ありて心の能く亨通する象なり。かようなを凭りて行動せば、必ず功あり。ゆえに其の「占辞」かくのごとし。

程傳 陽實在中,為中有孚信。“維心享”,維其心誠一,故能亨通。至誠可以通金石,蹈水火,何險難之不可亨也?行有尚,謂以誠一而行,則能出險,有可嘉尚,謂有功也。不行則常在險中矣。

程頤『伊川易伝』は言う:陽爻は中間に充實す、すなわち心の中に誠信あるなり。「維心亨」は、言う、ただ其の心の誠一に因って、ゆえに能く亨通す。至誠は以て金石を貫通し水火を踐踏し得べく、また何の險難か亨通せざるあらん。「行有尚」は、言う、誠一を凭りて去りて行動せば、卽ち能く險境を走出して、嘉許するに値する處あり、すなわち功あるなり。行動せざれば、卽ち永遠に險の中に留まる。

集說 孔氏穎達曰:坎是險陷之名,習者便習之義。險難之事,非經便習,不可以行。故須便習於坎,事乃得用,故云“習坎”也。案諸卦之名,皆於卦上不加其字。此坎卦之名特加習者,以坎為險難,故特加習名。

集説は孔穎達の説を引く:「坎」は險陷の名稱、「習」は熟習の意思なり。險難の事は、熟習を經ざれば應付する法なし。ゆえに必ず坎險の上に熟習してこそ、事情は纔に辦成す。ここに因って「習坎」と言う。孔穎達はまた按す:各卦の卦名は、皆卦字の上頭に別の字を加えず。獨り此の坎卦は特地に一箇の「習」の字を加えるは、坎は險難を代表するに因りて、ゆえに特地に「習」の此の名を加上す。

胡氏瑗曰:此卦在八純之數,其七卦皆一字名,獨此加習字者,何也?蓋乾主於健,坤主於順,若是之類,率皆一寧可以盡其義。而此卦上下皆險,以是為險難重疊之際。君子之人,必當預積習之,然後可以濟其險阻,故聖人特加習字者此也。

集説は胡瑗の説を引く:此の一卦は八箇の純卦の列に属す。その余の七卦は皆一箇の字の名にして、獨り此の一卦は「習」の字を加上す、何故か。「乾」は健に主とし「坤」は順に主とし、此の一類は皆一箇の字を以て其の含義を說き盡くすに足るに因る。而して此の一卦は上下皆險にして、まさに險難重疊の時なり。君子は必ず預め積累熟習して、然る後にこそ險阻を渡過し得べし。ゆえに聖人は特地に「習」の字を加上す、緣故は卽ち此處に在り。

蘇氏軾曰:坎,險也。水之所行,而非水也,唯水為能習行於險,其不直曰坎而曰“習坎”,取於水也。呂氏大臨曰:“習坎”,更試乎至難也。八卦乾健坤順,震動艮止,離明坎險,巽入兌說。唯險非吉德,君子所不取,故於坎也,獨以習坎為名。更試重險,乃君子所有事也。

集説は蘇軾の説を引く:「坎」は險にして、水の流經する處なり、其れ自體は竝びに水にあらず。ただ水のみ能く險の中に於て熟練して行走す。卦名は徑直に「坎」と呼ばずして「習坎」と呼ぶ、取る所はまさに水の意思なり。集説はまた呂大臨の説を引く:「習坎」は、すなわち反復して最も艱難の處境を試歷するなり。八卦の中、「乾」は健「坤」は順、「震」は動「艮」は止、「離」は明「坎」は險、「巽」は入「兌」は悅、獨り「險」は吉德にあらず、君子の取らざる所なり。ゆえに坎卦の上に單單に「習坎」を以て名と爲す——反復して重々の險難を試歷するは、まさに君子の分內の做すべき事なり。

薛氏溫其曰:坎非用物,以習為用,故名異它卦,蓋言用坎之人也。張氏浚曰:習,安行不息之稱。習坎險可出矣。夫陽陷於陰,非出險則功無自興。曰習坎,求以出險也。鄧氏汝諧曰:複習溫習,皆有重義。水雖至險,而習乎水者,雖出入乎水而不能溺,

集説は薛溫其の説を引く:坎は竝びに以て使用すべき物にあらず、其れは「習」を以て用と爲す。ゆえに名稱は別の卦と同じからず、說く所は其の實坎險を運用するに善き人なり。集説はまた張浚の説を引く:「習」は安然として前行して停息せざるの稱呼なり。坎を熟習すれば、險は卽ち出で來るべし。陽は陰の中に陷りて、險を出でざれば功業を興起する由なし。「習坎」と說くは、まさに險境を走出せんと求むるなり。集説はまた鄭汝諧の説を引く:復習・溫習は、皆重復の意思を含む。水は雖も極險なれど、然るに水性を熟習する人は、水中に出入するも之を淹殺し得ず——此處底本に脫文あり。

李氏舜臣曰:坎之中實是為誠,離之中虛是為明。中實者坎之用,中虛者離之用也。作《易》者,因坎離之中,而寓誠明之用,古聖人之心學也。胡氏炳文曰:他卦亨字,《本義》例以為占,唯此則曰中實為有孚心亨之象,蓋他卦事之亨也,此心之亨也。陽實,“有孚”之象。陽明,心亨之象。

集説は李舜臣の説を引く:「坎」の中間は實なり、これすなわち誠なり。「離」の中間は虛なり、これすなわち明なり。中實は坎の功用、中虛は離の功用なり。『周易』を作る人は、坎・離兩卦の中爻の虛實に就着て、誠と明の功用を寄寓せり。これ古代聖人の心學なり。集説はまた胡炳文の説を引く:別の卦の裏の「亨」の字は、『周易本義』は例に按じて皆占辞として講ず、獨り此の一卦は卻って中實は有孚心亨の象と言う——別の卦の講ずるは事情の亨通、此の一卦の講ずるは心の亨通に因る。陽爻は充實す、是れ「有孚」の象。陽爻は光明す、是れ心亨の象なり。

章氏潢曰:六十四卦,獨於坎卦指出心以示人,可見心在身中,真如一陽陷於二陰之內,所謂道心惟微者此也。吳氏曰慎曰:陽陷陰中,所以為坎。中實“有孚”,所以處險。有孚則誠立,心亨則明通。心之體,靜而常明,如一陽藏於二陰中也。心之用動而不息,如二陰中一陽之流行也。一陽者流行之本體,二陰者所在之分限。流而不踰限,動而靜也。限之而安流,靜而動也。有孚心亨之義,發於習坎,至矣哉!

集説は章潢の説を引く:六十四卦の裏、獨り坎卦に於て一箇の「心」の字を點出して人に看せしむ。見るべし心は身體の中に在るは、真に一箇の陽爻が兩箇の陰爻の裏面に陷れるがごとし、『尚書・大禹謨』の所謂「道心惟微」は、說くは卽ち此れ。集説はまた吳曰慎の説を引く:陽は陰の當中に陷る、ゆえに坎と成る。中間は充實して「有孚」、ゆえに能く險難に應付す。誠信あれば則ち誠立ち、心亨通せば則ち明通す。心の本體は、安靜にして常に明、ちょうど一箇の陽爻が兩箇の陰爻の中に藏るるがごとし。心の作用は、活動して停息せず、ちょうど兩箇の陰爻の中間のあの一箇の陽爻の流行するがごとし。一箇の陽爻は流行の本體にして、兩箇の陰爻は流行の所在する界限なり。流れて界限を越出せざるは、動中の静なり。界限ありて水流は安然たるは、静中の動なり。「有孚心亨」の義理は、「習坎」の上より發出す、真に深至極まれるなり。

初六,習坎,入于坎窞,凶。本義 以陰柔居重險之下,其陷益深,故其象占如此。程傳 初以陰柔居坎險之下,柔弱無援,而處不得當,非能出乎險也,唯益陷於深險耳。“窞”,坎中之陷處。已在“習坎”中,更入坎窞,其“凶”可知。

初六の爻辞:重々の坎險、坎中の深坑に掉墮す、凶。朱熹『本義』は言う:初六は陰柔を以て重險の最下に居り、陷ることいよいよ深し。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。程頤『伊川易伝』は言う:初六は陰柔を以て坎險の下に居り、柔弱にして援助する人なく、處する位置もまた恰當ならず、是れ能く險境を走出するにあらざるなり、ただいよいよ陷りて深からんのみ。「窞」は坎中のいよいよ深き陷處なり。人は已に重々の坎險の中に在りて、なお再び深坑の裏に掉墮せば、あの「凶」は想うべく知れる。

集說 張氏浚曰:陰居重坎下,迷不知復,以習於惡,故“凶”,失正道也。《傳》曰:小人行險以僥倖,初六之謂。案 如張氏說,習坎兩字,才不虛設,時俗所謂機深禍轉深者。

集説は張浚の説を引く:陰爻は重坎の下に居り、迷惑して回頭を知らず、ここに因って惡に習慣す。ゆえに「凶」、これ正道を失掉したるなり。『禮記・中庸』は「小人行險以僥倖」と言う、說くは卽ち初六なり。李光地が按する:張浚の此の說法に照れば、「習坎」の兩箇の字はこそ白設と算せざれ、すなわち俗に言う心機は深ければ深いほど、禍患はいよいよ深しなり。

九二,坎有險,求小得。本義 處重險之中,未能自出,故為“有險”之象。然剛而得中。故其占可以“求小得”也。程傳 二當坎險之時,陷上下二陰之中,乃至險之地,是“有險”也,然其剛中之才,雖未能出乎險中,亦可小自濟,不至如初益陷入於深險,是所“求小得”也。君子處險難而能自保者,剛中而已。剛則才足自衛,中則動不失宜。

九二の爻辞:坎の中に險あり、求むる所は能く小さく得あり。朱熹『本義』は言う:九二は重險の中に處して、なお自ら出づる能わず。ゆえに「有險」の象あり。然るに其れは陽剛にして中に居る、ゆえに「占辞」は「求小得」し得べし。程頤『伊川易伝』は言う:九二は正に坎險の時に當りて、上下兩箇の陰爻の當中に陷る、是れ最も險なる處。ゆえに「有險」と言う。然るに其の剛にして中を得たる才干に憑れば、雖もなお險境を走出し能わざるも、亦た稍稍自ら救濟し得て、初六のごとくいよいよ陷りて深からんとするに至らず。これすなわち求むる所の「小得」なり。君子の身を險難に處して能く自保するは、靠る所は不過剛にして中のみ:剛は、才力は卽ち自衛するに足り。中は、行動は分寸を失わず。

集說 楊氏時曰:求者,自求也。外雖有險而心常亨,故曰“求小得。”陳氏仁錫曰:求其小,不求其大,原不在大也。涓涓不已,流為江河,如掘地得泉,不待溢出外,然後為流水也。案 楊氏、陳氏之說極是,凡人為學作事,必自求小得始,如水雖涓涓面有源,為行險之本也。

集説は楊時の説を引く:所謂「求」は、自己が自己を求むるなり。外は雖も險あれど內心は常に亨通す。ゆえに「求小得」と言う。集説はまた陳仁錫の説を引く:あの小を求めて、あの大を求めず、もとより大を意に介せず。涓涓の細流は止まず、卽ち江河に匯成す。譬えば地を掘りて泉を得るに、其の滿溢し出るを待つを須いずして、然る後にこそ流水と算す。李光地が按する:楊時・陳仁錫の說法は極めて是なり。凡そ人の學問を做り事情を辦するは、必ず自ら小得を求むるより始まる。ちょうど水は雖も細小なれど卻って源頭あるがごとし、これまさに險難に行うの根本なり。

六三,來之坎坎。險且枕,入于坎客。勿用。本義 以陰柔不中正,而履重險之間,來往皆險,前險而後枕,其陷益深,不可用也,故其象占如此。枕,倚著未安之意。程傳 六三在坎險之時,以陰柔而居不中正,其處不善,進退與居皆不可者也。來下則入於險之中,之上則重險也,退來與進之皆險,故云“來之坎坎”。既進退皆險,

六三の爻辞:來るも坎なり去るも坎なり。險、しかもただ勉强して倚靠するのみ、坎中の深坑に掉墮す、作爲すべからず。朱熹『本義』は言う:六三は陰柔にしてまた「中正」ならず、重々の險難の間を踩踏す、來往ともに險なり。前は險にして後はただ勉强して倚靠するのみ、陷ることいよいよ深く、施用する所有るべからず。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。「枕」は倚靠着して未だ安穩を得ざるの意思なり。程頤『伊川易伝』は言う:六三は正に坎險の時に當りて、陰柔を以て中ならず正ならざる位置に居り、處する地位は好からず、前進・後退・原地に留まるも皆行けず。下に往けば卽ち險の中間に進入し、上に往けば又是た重々の險なり。退回り來るも往き去るも皆險、ゆえに「來之坎坎」と言う。すでに進退皆險なれば——此處底本に脫文あり。

集說 《朱子語類》云:“險且枕”,只是前後皆險。來之自是兩字,謂下來亦坎。上往亦坎,之,往也,進退皆險也。王氏申子曰:下卦之險已終,上卦之險又至,進退皆險,則寧於可止之地而暫息焉。

集説は『朱子語類』の記す所の朱熹の言を引く:「險且枕」は、不過前後皆險なるを言うのみ。「來之」はもとより兩箇の字なり:下に往くも坎、上に往くも坎。「之」はすなわち往なり、亦たすなわち進退皆險なり。集説はまた王申子の説を引く:下卦の險は剛に走り盡くし、上卦の險はまた來る。進退皆險なれば、則ち止まるべき處に於て暫く歇むに如かず。

且者聊爾之辭,枕者息而來安之義。能如此,雖未離乎險,亦不至深入于坎窞之中也。其進而入,則陷益深,為不可用。勿者,止之之辭也。案 “險且枕”,《傳》義與王氏分為三說,王氏以為戒處險者順聽之意,似與《需》之六四,義足相發。

王申子は続けて言う:「且」は姑且の措辭、「枕」は歇まり下りて稍々安穩を得るの意思なり。能くかくのごとくすれば、雖も未だ險境を脫離せざるも、深々と坎窞の中に陷り入るに至らず。もし前に闖入せば、卽ち陷ることいよいよ深し。ゆえに「不可用」と言う。「勿」は制止の措辭なり。李光地が按する:「險且枕」に關しては、『伊川易伝』・『周易本義』と王申子とが三種の說法に分かつ。王申子は之を看做して險に處する人に告戒して時に順い命に聽かしむるの意思と爲す、似たり『需』卦の六四の義理と正に以て互いに發明すべしとす。

六四,樽酒簋,貳用缶,納約自牖,終無咎。本義 晁氏云:先儒讀“樽酒簋”為一句,“貳用缶”為一句,今從之。貳,益之也。《周禮》,大祭三貳,弟子職,左執虛豆,右執挾匕,周旋而貳,是也。九五尊位,六四近之,在險之時,剛柔相際,故有但用薄禮,益以誠心,進結“自牖”之象。牖非所由之正,而室之所以受明也。始雖艱阻,終得“無咎”,故其占如此。

六四の爻辞:一樽の酒・一簋の飯、再添うるに瓦缶の盛る物を以てし、窗口より簡約の禮意を送入す、終に過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:晁說之の講ずるに、前輩學者は「樽酒簋」を一句と讀み「貳用缶」を一句と讀む、今此の讀法に依從す。「貳」は增添なり:『周禮』は大祭に「三貳」ありと講じ、『管子・弟子職』は左手に空豆を持ち右手に挾匕を持ち、周旋して添加すると講ず、すなわち此の「貳」なり。九五は尊位に居り、六四は之に緊挨して、正に險難の時に當り、剛と柔とは互いに交接す。ゆえにただ微薄の禮數を用い再添うるに一片の誠心を以てし、窗口より進獻して結交する象あり。窗户は正常の出入する處にあらざれど、卻って屋子の以て光を採る所在なり。開頭は雖も艱難阻塞するも、最終は「无咎」を得るを以て、ゆえに其の「占辞」かくのごとし。

程傳 六四陰柔而下無助,非能濟天下之險者,以其在高位,故言為臣處險之道。大臣當險難之時,唯至誠見信於君,其交固而不可間,又能開明君心,則可保“無咎”矣。夫欲上之篤信,唯當盡其質實而已。多儀而尚飾,莫如燕享之禮,故以燕享喻之。

程頤『伊川易伝』は言う:六四は陰柔にして下面に援助なく、是れ能く天下の險を救濟する人にあらず。其の身居高位なるに因りて、卽ち臣子の身を險難に處するの道理に就いて講ず。大臣は險難に當る時、ただ至誠を以て君主に取信してこそ、交情は纔に牢固にして離間すべからず。また能く君主の心を開啓照亮してこそ、「无咎」を保住し得べし。君上をして自己を篤信せしめんと欲せば、ただ自己の質樸誠實を盡くすのみ。儀節繁多にして文飾を崇尙するは、宴享の禮より甚だしきなし。ゆえに宴享を持ち來りて比喻と作す。

言當不尚浮飾,唯以質實,所用一樽之酒,二簋之食,復以瓦缶為器,質之至也。其質實如此,又須納約自牖。“納約”謂進結於君之道。牖開通之義。室之暗也,故設牖所以通明。“自牖”,言自通明之處,以況君心所明處。《詩》云:天之牖民,如誦如篪。

程頤は続けて言う:これは言う、當に浮華の文飾を崇尙せず、ただ質樸誠實を以て相待すべし:用うる所は不過一樽の酒・兩簋の飯、再び瓦缶を以て器皿と作す、質樸は極點に到れり。質樸誠實此の地步に到れば、なお「納約自牖」を須う。「納約」は進言して君主に結交するの門路を指す。「牖」は開通の意思を取る——屋子の裏は暗し、ゆえに窗を開きて以て光を通ず。「自牖」は、言う、通明の處より進入す、以て君主の心の裏の明白なるあの一面を比喻す。『詩經』に「天之牖民、如誦如篪」の句あり。

毛公訓牖為道,亦開通之謂。人臣以忠信善道結於君心,必自其所明處乃能入也。人心有所蔽,有所通。所蔽者,暗處也;所通者,明處也。當就其明處而告之,求信則易也。故云“納約自牖”。能如是,則雖艱險之時,終得無咎也。且如君心蔽於荒樂,唯其蔽也故爾,雖力詆其荒樂之非,如其不省何?必於所不蔽之事,推而及之,則能悟其心矣。

程頤は続けて言う:毛公は「牖」を「道」と訓す、亦是た開通の意思なり。人臣は忠信善道を用いて君主の心に結交せんとすれば、必ず彼の明白なる處より纔に進入し得べし。人心には蒙蔽せらるる處あり、また通達する處あり:蒙蔽せらるるは暗處にして、通達するは明處なり。當に彼の明處に就着て彼に告ぐべし、信任を求取すれば容易なり。ゆえに「納約自牖」と言う。能くかくのごとくなれば、然らばたとえ艱險の時なるも、最終も亦た過錯なきを得べし。ちょうど君主の心が荒淫逸樂に蒙蔽せられたるがごときは、正に蒙蔽なるに因りて、ゆえにたとえ極力に彼の荒樂の不是を指斥するも、彼は省悟せざればまた如何ともせん。必ず彼の蒙蔽せられざるの事情より推演し過ぎて、纔に彼の心を點醒し得べし。

自古能諫其君者,未有不因其所明也。故訐直強勁者,率多取忤,而溫厚明辯者,其說多行。且如漢祖愛戚姬,將易太子,是其所蔽也。群臣爭之者多矣,嫡庶之義,長幼之序,非不明也,如其蔽而不察何?四老者,高祖素知其賢而重之,此其不蔽之明心也,故因其所明而及其事,則悟之如反乎。

程頤は続けて言う:自古能く君主を規諫する人は、彼の明白なる處に趁りて入手するにあらざるはなし。ゆえに直言強諫する人は多く抵觸を招致し、而して溫厚明辨の人は、其の言は多く行き通る。譬えば漢高祖は戚姬を寵愛して、太子を改換せんと欲す、これ彼の蒙蔽せられたる處なり。羣臣の爭諫する少なからず、嫡庶の名分・長幼の次序は、竝びに講じ明白ならざるにあらざれど、然るに彼は蒙蔽して省察せず、また何の辦法かあらん。商山の四皓は、高祖が一向に彼らの賢能を知りて看重する人なり、これまさに彼の蒙蔽せられざるの一點の明心なり。ゆえに彼の明白なる處に趁りて此の事の上に牽引すれば、彼を點醒するや翻掌のごとき容易さなり。

且四老人之力,孰與張良群公卿及天下之士?其言之切,孰與周昌、叔孫通?然而不從彼而從此者,由攻其蔽與就其明之異耳。又如趙王太后愛其少於長安君,不肯使質於齊,此其蔽於私愛也。大臣諫之雖強,既曰蔽矣,其能聽乎?愛其子而欲使之長久富貴者,其心之昕明也。故左師觸龍因其明而導之以長久之計,故其聽也如響。非唯告於君者如此,為教者亦然。夫教必就人之所長,所長者,心之所明也。從其心之所明而入,然後推及其餘,孟子所謂成德達才是也。

程頤は続けて言う:況んや四位の老人の分量は、張良・滿朝の公卿および天下の士に比するを得んや。彼らの言は懇切にして、周昌・叔孫通に比するを得んや。然るに高祖はあの一邊を聽かずして此の一邊を聽く、まさに彼の蒙蔽する處を攻むると彼の明白なる處に就くとの分別のみ。また趙太后のごときは其の小兒子の長安君を疼愛して、彼をして齊國に往きて人質を做らしむるを肯んぜず、これ私愛に蒙蔽せられたるなり。大臣たちの諫むるは再び強硬なるも、すでに蒙蔽と言う以上は、彼女はどこへ聽き入れ得んや。然るに兒子を疼愛し兒子をして長久に富貴ならしめんと欲するは、これ彼女の心の明白なる處なり。ゆえに左師觸龍は彼女の明白なる處に趁りて、彼女を引導して長久の計を作らしむれば、彼女の聽き來るや回聲のごとき應和なり。不獨り君主に進言するは此のごときにして、敎育を做るも亦た同じ:人を敎うるは必ず人家の長處に就着くべし、長處はすなわち彼の心の裏の明白なる處なり。彼の心の明白なる處より進入して、然る後に再び其の余に推及す。孟子の言う所の德行を成就し才能を通達するは、すなわち此の道理なり。

集說 王氏弼曰:處重險而履正,以柔居柔,履得其位。以承於五,五亦得位。剛柔各得其所,皆無餘應,以相承比,明信顯著,不存外飾,處坎以斯,雖復一樽之酒, 崔氏憬曰:於重險之時,居多懼之地。比五而承陽,修其潔誠,進其忠信,則終“無咎”也。

集説は王弼の説を引く:六四は重險の中に處して所履は「當位」し、陰柔を以て陰柔の位に居り、位子は正しく踏めり。上に向かって九五を承接し、九五も亦た「當位」す。剛と柔とは各々其の所を得て、彼此とも多餘の相應なく、ただ承接親比を以て相處し、誠信は顯著にして、外表の文飾に靠らず。坎險に處して此の辦法を用いれば、たとえただ一樽の酒なるも——此處底本に脫文あり。集説はまた崔憬の説を引く:重險の時に處して、多憂懼の位置に居り、九五に親比して陽剛を承奉し、自己の潔淨の誠意を修飭し、自己の忠信を進獻すれば、則ち終に「无咎」なり。

郭氏雍曰:有孚者坎之德,君子行險而不失其信,所以法其德也。一樽之酒,二簋之食,瓦缶之器,至微物也。苟能虛中盡誠,以通交際之道,君子不以為失禮,所謂能用有孚之道者也。《傳》曰:苟有明信,蘋蘩薀藻之菜,筐莒錡釜之器,可薦於鬼神,可羞於王公者,無他焉,以誠為主故也。

集説は郭雍の説を引く:誠信は坎の德性なり。君子は險難に行いて自己の信を失わず、まさに坎の德を效法するなり。一樽の酒・兩簋の飯・瓦缶の做る器皿は、皆極微薄の物なり。もし能く心を虛にし誠を盡くして、以て交際の道を打通せば、君子は此を失禮と認めず。これすなわち所謂能く「有孚」の道を運用する人なり。『左傳』は言う:ただ明白の誠信あらば、蘋・蘩・薀藻の一類の野菜、筐・筥・錡・釜の一類の粗器は、皆進獻して鬼神にし進奉して王公にすべし。別の緣故なし、ただ誠を以て主と爲すに因るのみ。

潘氏夢旂曰:“樽酒簋貳用缶”,與《損》之“二簋可用享”同意,皆言不事多儀而尚誠實也。“納約自牖”,與《睽》之“遇主于巷”同意,皆言自間道而通於君也。六四居大臣之位,當坎險之時,盡其誠實,雖“自牖”而“納約”,而終“無咎”,唯《睽》、《坎》之時為然。

集説は潘夢旂の説を引く:「樽酒簋貳用缶」は、《損》卦の「二簋可用享」と同一の意思なり、皆繁多の儀節を講究せずして一片の誠實を崇尙するを言う。「納約自牖」は、《睽》卦の「遇主于巷」と同一の意思なり、皆正門大道を走らずして、旁邊の小路より君主に接通するを言う。六四は大臣の位置に居りて、正に坎險の時に當る。ただ自己の誠實を盡くすに憑りて、雖も窗口より簡約の禮意を送入するなるも、最終は卻って「无咎」を得べし——此の常軌を循らざるの做法は、亦たただ《睽》・《坎》のごとき乖離艱險の時にのみ說き過ぐるを得べし。

何氏楷曰:“貳”,副也,謂樽酒而副以簋也。"L》天子大臣出會諸侯,主國樽股簋副是也。案 簋貳之說,何氏得之。九五,坎不盈,祗既平,無咎。本義 九五雖在坎中,然以陽剛中正居尊位,而時亦將出矣,故其象占如此。

集説は何楷の説を引く:「貳」は副なり、言う、一樽の酒を以て主と爲して簋を以て相配するなり。(底本此處書名殘缺)禮書は天子の大臣が出外して諸侯に會見するに、主國は樽を以て正と爲し簋を以て副と爲すと講ず、すなわち此の意思なり。李光地が按する:「簋貳」の解釋に關しては、何楷は說き對えり。九五の爻辞:坎中の水は滿溢せず、恰好平の程度に到る、過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:九五は雖もなお坎の中に在るも、然るに陽剛「中正」を以て尊位に居り、時勢もまた將に險を出でんとす。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。

程傳 九五在坎之中,是“不盈”也,盈則平而出矣。“祗”,宜音柢,抵也。《復》卦云:“無祗悔”,必抵於已平則“無咎”。既曰“不盈”,則是未平而尚在險中,未得“無咎”也。以九五剛中之才居尊位,宜可以濟於險,然下無助也。二陷於險中未能出,餘皆陰柔無濟險之才。人君雖才,安能獨濟天下之險?居君位而不能致天下出於險,則為有咎,必“祗既平”乃得“無咎”。

程頤『伊川易伝』は言う:九五は坎の中間に在り、これすなわち「不盈」なり。盈滿すれば則ち塡平して流れ出づ。「祗」は當に「柢」の音と讀むべし、是れ抵達の意思なり。『復』卦の言う「无祗悔」は、必ず已に塡平したる地步に抵達してこそ「无咎」なり。すでに「不盈」と言えば、あれはすなわち未だ塡平せずして仍ほ險の中に在り、還く「无咎」を得ず。九五の剛にして中なる才干を以て尊位に居れば、もとより險を濟すべく、然るに下面に幫手なし:九二は險の中に陷りてなお出で來らず、その余の各爻は皆陰柔にして、濟險の才干なし。君主は縱使才有りとも、どうして獨自に天下の險を救濟せんや。君位に居りて天下をして險を脫せしめ能わざれば、則ち是れ咎あり。必ず「祗既平」してこそ「无咎」を得べし。

集說 《朱子語類》云:“坎不盈,祗既平”,祗字他無說處,看來只得作抵字解,《復》卦亦然。俞氏琰曰:“坎不盈”,以其流也。《彖傳》云“水流而不盈”是也,“不盈”則適至於“既平”,故“無咎”。何氏楷曰:“祗”,適也,猶言適足也。言適於平而已,即《彖傳》所謂“水流而不盈”也。

集説は『朱子語類』の記す所の朱熹の言を引く:「坎不盈、祗既平」の此の句の裏の「祗」の字は、別處には講じ通ずるの解釋なし。看來ただ「抵」の字として講ずるほかなし、『復』卦の「祗」も一樣なり。集説はまた俞琰の説を引く:「坎不盈」は、水の流動するに因る、孔子の「彖辞」の言う「水流而不盈」はすなわち此の意思なり。盈滿せざれば恰好「既平」の地步に到る、ゆえに「无咎」。集説はまた何楷の説を引く:「祗」は恰好なり、等しく言えば恰恰として足る。意思は恰好平の程度に到るのみ、すなわち「彖辞」の言う所の「水流而不盈」なり。

案 如《程傳》說,則“不盈”為未能盈科出險之義,與《彖傳》異指矣,須以俞氏、何氏之說為是。蓋“不盈”,水德也。有源之水,雖涓微而不舍晝夜,雖盛大而不至盈溢,唯二五剛中之德似之。此所以始於小得,而終於不盈也。

李光地が按する:『伊川易伝』の說法に照れば、「不盈」は成りてなお坑坎を注滿し得ず險を出づる能わざるの意思と爲る。然らば卽ち孔子の「彖辞」の旨趣と同じからず、なお俞琰・何楷の說法を以て是と爲すべし。「不盈」はまさに水の德性なり:源頭ある水は、雖も細微なるも晝夜停まらず、雖も盛大なるも滿溢に至らず、ただ九二・九五の剛にして中なる德性は之に似たり。これすなわち坎卦の何故に九二の「小得」より始まりて、九五の「不盈」を以て結ぶ所以なり。

上六,係用徽纆,寘于叢棘,三歲不得,凶。本義 以陰柔居險極,故其象占如此。程傳 上六以陰柔而居險之極,其陷之深者也。以其陷之深,取牢獄為喻,如繫縛 不得免也,其“凶”可知。

上六の爻辞:繩索を以て捆綁し、荆棘の圍成する牢獄に關入れ、三年脫身し得ず、凶。朱熹『本義』は言う:上六は陰柔を以て險の極點に居る。ゆえに爻象と「占辞」かくのごとし。程頤『伊川易伝』は言う:上六は陰柔を以て險の極點に居り、是れ陷ること最も深きなり。陷ること深きに因りて、卽ち牢獄を持ち來りて比方と作す。譬えば捆綁せられ——此處底本に脫文あり——逃げ得ざるがごとし、あの「凶」は想うべく知れる。

集說 王氏弼曰:囚執賓于思過之地,自修三歲,乃可以求復,故曰“三歲不得凶”。吳氏澄曰:《周官司圜》收教罷民,能改者,上罪三年而舍,其不能改而出圜上者,殺。三歲不得,其罪大而不能改者與?

集説は王弼の説を引く:犯人を彼に思過せしむる處に拘禁し、自己修省すること三年して、こそ復歸を求得し得べし。ゆえに「三歲不得凶」と言う。集説はまた吳澄の説を引く:『周禮・秋官・司圜』は收容敎化する罪ありて未だ墨刑を受けざるの人を掌管す。能く過を改むるは、重罪は三年滿ちて放ち出す。あの能く過を改めざるにして擅自に圜土を逃出するは、處死す。所謂「三歲不得」は、蓋し罪重くしてまた過を改むるを肯んぜざる人を指さんか。

案 不得者,不能得其道也。如悔罪思愆,是謂得道。則其困苦幽囚,止於三歲矣。聖人之教人動心忍性以習於險者,雖罪苦已成,而猶不忍棄絕者如此。

李光地が按する:所謂「不得」は、言う、あの出路を得る能わざるなり。罪を悔い過を思うがごときは、之を道を得たりと作す。道を得れば、然らば困苦幽禁も亦た三年を以て止まるのみ。聖人は人を敎えて其の心を震動し其の性を堅忍せしめ、此の辦法を用いて險難の中に熟習せしむ。たとえ罪苦は已に鑄成せらるるも、仍ほ人を徹底に抛棄するに忍びず、用心は竟に此の地步に到れり。

總論 龔氏煥曰:坎卦本以陽陷為義,至爻辭則陰陽皆陷,不以陽陷於陰為義矣。二“小得”,五“既平”,是陽之陷為可出;初與三之“入於坎宮”,上之“三歲不得”,則陰之陷反為甚。《易》卦爻取義不同多如此。

總論は龔煥の説を引く:坎卦はもとより陽の陷るを以て立義と爲す。爻辞に到れば、卻って陰爻陽爻ともに陷りて、再び單に陽の陰に陷るを以て義と爲さず。九二の「小得」・九五の「既平」は、陽の陷落はなお出で來るべし。初六と六三の「入于坎窞」・上六の「三歲不得」は、則ち陰の陷落は反っていよいよ深重なり。『周易』の卦爻の取義の同じからざる情形は、多く此のごとし。

離卦

離.離上.離下程傳 《離序卦》:“坎者陷也,陷必有所麗,故受之以離,離者麗也,”陷於險難之中,則必有所附麗,理自然也,《離》所以次《坎》也。離,麗也,明也。取其陰麗於上下之陽,則為附麗之義。取其中虛,則為明義。離為火,火體虛,麗於物而明者也。又為日,亦以虛明之象。

卦畫標注:《離》卦は、上卦「離」、下卦「離」。程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は「坎とは陷なり、陷れば必ず麗する所有り、故に受くるに離を以てす、離とは麗なり」と講ず。險難の中に陷れば、卽ち必ず依附する所有る、これ自然の理なり。《離》の《坎》の後に排する所以なり。離は、附麗にして、亦是た光明なり:其の陰爻の上下の陽爻の間に附着するを取れば、卽ち附麗の意思と成る。其の中間の空虛なるを取れば、卽ち光明の意思と成る。離は火と爲し、火の形體は虛なるを以て、別の物の上に附着してこそ能く發光す。離はまた日と爲す、亦是た虛にして明なる象を取る。

離,利貞,亨,畜牝牛,吉。本義 “離”,麗也。陰麗於陽,其象為火,體陰而用陽也。物之所麗,貴乎得正。“牝牛”,柔順之物也,故占者能正則“亨”,而“畜牝牛”則“吉”也。

卦辞:離、正を守るに利あり、亨通、母牛を畜養すれば則ち吉。朱熹『本義』は言う:「離」は附麗なり。陰は陽の上に附着し、其の象は火にして、形して、形體は陰に属して作用は陽に属す。凡そ附麗する所有る物は、附ること正きを貴ぶ。「牝牛」は柔順の牲畜なり。ゆえに占問の人は能く正を守れば卽ち「亨」、能く「牝牛を畜」すれば卽ち「吉」なり。

程傳 “離”,麗也。萬物莫不皆有所麗,有形則有麗矣。在人則為所親附之人,所由之道,所主之事,皆其所麗也。人之所麗,利於貞正。得其正,則可以亨通。故曰“離利貞亨”。“畜牝牛吉”,牛之性順而又牝焉,順之至也。既附麗於正,必能順於正道,如牝牛則吉也。“畜牝牛”,謂養其順德。人之順德,由養以成,既麗於正,當養習以成其順德也。

程頤『伊川易伝』は言う:「離」は附麗なり。萬物は各々附麗する所有らざるはなく、形體あれば卽ち附麗する所有り。人に在りて言えば、卽ち自己の親附する人・遵行する道・主持する事は、皆其の附麗に属す。人の附麗は、利は貞正に在り。附ること正を得れば、卽ち以て亨通し得べし。ゆえに「離利貞亨」と言う。「畜牝牛吉」に至れば、牛の性子はもとより柔順、また母なるを以て、あれは柔順の極點に到れり。すでに正に附麗せば、卽ち必ず能く正道に順從す、母牛のあの樣にすれば便ち吉なり。「畜牝牛」は、言う、自己の柔順の德を涵養するなり。人の順德は涵養に靠りて纔に養成され、すでに正に附麗せば、卽ち當に涵養熟習して以て自己の順德を成就すべし。

集說 王氏弼曰:《離》之為卦,以柔為正,故必貞而後乃亨。柔外於內而履正中,牝之善也。外強而內順,牛之善也。離之為體,以柔順為主者也,故不可以畜剛猛之物,而“吉”於“畜牝牛”也。郭氏忠孝曰:乾為馬,坤為牝馬;坤為牛,離為牝牛,象之宜也。

集説は王弼の説を引く:《離》の此の一卦は、陰柔を以て正と爲す。ゆえに必ず正を守りて而る後にこそ亨通し得べし。柔順は外に見れてまた中に正を含む、位子は正しく踏み分寸は中を守る、これ母牛の好處なり。外表は壯強にして內心は馴順、これ牛の好處なり。離の卦體はすでに柔順を以て主と爲す、則ち之を以て剛猛の牲畜を畜養し往くべからずして、「吉」を「畜牝牛」の此の一件の上に落とす。集説はまた郭忠孝の説を引く:「乾」は馬と爲し、「坤」は卽ち牝馬と爲る。「坤」は牛と爲し、「離」は卽ち牝牛と爲る——一陽一陰・一牡一牝の彼此相配す、かように取象してこそ合適なり。

《朱子語類》:問:《離》卦是陽包陰,占“利畜牝牛”,便也是宜畜柔順之物。曰:然。吳氏澄曰:牛、牝皆坤象,離中畫一陰,坤之中畫也,故象牝牛。胡氏炳文曰:坎之明在內,以剛健而行之於外。離之明在外,當柔順以養之於中。

集説は『朱子語類』の記す所を引く:ある人が問う、《離》卦は陽が陰を包み、占辞は「利畜牝牛」と言う、あれはすなわち亦た柔順の牲畜を畜養するに宜しきなり。朱熹は言う:然り。集説はまた吳澄の説を引く:牛と牝とは皆「坤」の象なり、「離」の中間の一畫は陰爻にして、まさに「坤」の中畫なり。ゆえに取象を牝牛と爲す。集説はまた胡炳文の説を引く:坎の明は內に在り、ゆえに剛健を用いて之を外面に施行するを要す。離の明は外に在り、卽ち當に柔順を以て內裏に於て之を涵養すべし。

案 “畜牝牛”,胡氏、吳氏之說為切。蓋《離》,明也,高明柔克,則用明而不傷矣。初九,履錯然。敬之無咎。本義 以剛居下而處明體,志欲上進,故有“履錯然”之象,“敬之”則“無咎”矣。戒占者宜如是也。

李光地が按する:「畜牝牛」に關しては、胡炳文・吳澄の說法は最も切當なり。《離》は光明なり、『尚書・洪範』は「高明柔克」を講ず、能くかくのごとくすれば、明を用いて人を傷り己を傷るに至らず。初九の爻辞:脚步は交錯紛雜す、恭敬して對待すれば過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:初九は陽剛を以て最下に居りて光明の卦體に處し、心志は上進せんと欲す。ゆえに「履錯然」の象あり。能く「之を敬」すれば卽ち「无咎」なり。これは占問の人に告戒して當にかくのごとくすべきなり。

程傳 陽固好動,又居下而離體。陽居下則欲進,離性炎上,志在上麗,幾於躁動。其履錯然,謂交錯也。雖未進而跡已動矣,動則失居下之分而有咎也。然其剛明之才,若知其義而敬慎之,則不至於咎矣。初在下,無位者也。明其身之進退,乃所麗之道也。其志既動,不能敬慎,則妄動,是不明所麗,乃有咎也。

程頤『伊川易伝』は言う:陽はもとより動を好み、初九はまた下位に居りて「離」體に属す:陽は下に居れば卽ち進まんと欲し、離の性子は炎上にして、心志は上に往きて附麗せんとす。幾ほどか躁動せんとす。其の「履錯然」は、言う、脚步の交錯雜亂するなり:雖も未だ真に前進せざるも、行迹は已に動けり。一動すれば卽ち下に居る本分を失掉して過錯あり。然るに其れは剛強明白の才質あり、もし此の層の道理を懂得して恭敬謹慎せば、咎あるに至らず。初九は最下に在りて、是れ職位なき人なり。自身の進退を弄明白にするは、まさに其の附麗すべき道なり。心志はすでに動きたるも、而して敬慎し能わざれば、則ち妄動と成る、是れ自己の附麗する物を明白ならざるなり、ここに於て咎あり。

集說 孔氏穎達曰:身處離初,故其所履踐,恆錯然敬慎,不敢自寧,故云“履錯然,敬之無咎”。若能如此恭敬,則得避其禍而無咎。王氏昭素曰:處萬物相見之初,履錯雜之時。

集説は孔穎達の説を引く:初九は身を離卦の開端に處し、ゆえに其の擧步行事は、常に交錯謹慎して、敢えて自ら安逸を圖らず。ここに因って「履錯然、敬之无咎」と言う。もし能く此の恭敬ならば、卽ち能く禍患を避開して過錯あらじ。集説はまた王昭素の説を引く:これは萬物相見の開頭・脚步交錯雜沓の時に處するなり。

胡氏瑗曰:“錯然”者,“敬之”之貌也。居離之初,如日之初生,於事之初,則當常錯然警懼,以進德修業,所以得免其咎。馮氏當可曰:日方出,人夙興之晨也。“履錯然”,動之始也。於其始而加敬,則終必吉。禍福幾微,每萌於初動之時,故戒其初。

集説は胡瑗の説を引く:「錯然」は「之を敬」するの樣子なり。離卦の開頭に處するは、譬えば太陽の剛に升起したるがごとし。事情の開頭に處すれば、卽ち當に常に交錯警惕して、以て德を進め業を修むべし。ゆえに能く過錯を免れ得。集説はまた馮當可の説を引く:太陽は剛に出づ、まさに人の早起する清晨なり。「履錯然」は行動の開始にして、開始の時に一箇の敬の字を加上せば、最終は必ず吉なり。禍福の苗頭は極めて細微にして、往往初動の時に萌生す。ゆえに爻辞は初爻の上に於て告戒を加う。

趙氏彥肅曰:能敬,則動與物交,皆天理也。不能敬,則役於物而生咎矣。日出而作,故發此象。胡氏一桂曰:“錯然”是事物紛錯之意,能敬則心有主宰,酬應不亂,可免於咎。不能敬則反是。

集説は趙彥肅の説を引く:人はただ能く「敬」を持守せば、然らば一擧一動の外物と打交道するは、便ち天理に合せざるなし。一旦「敬」を持守し能わざれば、卽ち外物に驅使奴役せられて、過錯も亦た之に随いて生ず。《離》卦の初九の當る所はまさに太陽の初升・人の起身勞作する時辰なり。ゆえに爻辞は此處に於て「履錯然、敬之」の告戒を發出す。集説はまた胡一桂の説を引く:爻辞の裏の「錯然」は、指す所は事情の頭緒の紛雜交錯する樣子なり。心中に「敬」を存じ持ち得れば、卽ち主宰ありて、萬事に應酬して錯亂に至らず、ここに因って過錯を免れ得べし。反って、心中に「敬」を存じ持ち得ざれば、結果は自ずと此れと相反す。

案 “履錯然”,王氏、馮氏、胡氏之說為是,蓋錯雜者,處應物之初也。敬者,養明德之本也。人心之德,敬則明,不敬則昏。於應物之初而知敬,其即於咎者鮮矣。

李光地が按する:「履錯然」の此の句の爻辞を解說するに、王氏・馮氏・胡氏の幾家の講法は最も取るべし。所謂「錯雜」は、說く所は人の剛に外物を應接し始め頭緒最も紛亂なるあの時候なり。所謂「敬」は、則ち內心の光明德性を涵養する根本なり。人心の本具する德性は、能く敬を持すれば卽ち明亮し、能く敬を持せざれば卽ち昏昧す。外物を應接する起頭處に於て便ち一箇の「敬」の字を持守することを懂得すれば、然らば過過錯の裏に落ち入るの機會は自ずと稀少と爲る。

六二,黃離,元吉。本義 “黃”,中色,柔離乎中而得其正,故其象占如此。

六二の爻辞は說く:黃色の附麗、大いに吉祥。朱熹『本義』は言う:「黃」は五色の中に居る顏色なり。六二は陰柔の質を以て下卦の中位の上に附麗し、また陰爻の陰位に居り、「當位」して正を得。ゆえに此の一爻の取象と「占辞」とは纔に此の樣子なり。

程傳 二居中得正,麗於中正也。“黃”,中之色,文之美也。文明中正,美之盛也,故云“黃離”。以文明中正之德,上同於文明中順之君,其明如是,所麗如是,大善之“吉”也。

程頤『伊川易伝』は言う:六二は下卦の中位に處し、また陰爻の陰位に居り、すでに「中」且つ「正」なり、其の附麗依托する所はまさに中正の道なり。「黃」は中に居る顏色にして、亦是た文采の美の標志なり。すでに文明の德あり、また能く中正に自守す、これすなわち美の極盛に到れるなり。ゆえに爻辞は之を「黃離」と稱す。六二は文明中正の德性を以て、上に向かって六五のあの文明にして柔順に中を守る君主と同心同德す。其の自身の光明は此のごとく、其の依附する對象も又是た此のごとし。ここに因って得る所は最大の善・最大の「吉」なり。

集說 王氏弼曰:居中得位,以柔處柔,履文明之盛而得其中,故曰“黃離元吉”也。劉氏牧曰:《離》為火之象,焰猛而易燼,九四是也。過盛則有衰竭之凶,九三是也。唯二得中,《離》之“元吉”也。俞氏琰曰:九三言“日昃之離”,六二其日中之離乎。居下卦之中而得其中道,故比他爻為最吉。六二蓋《離》之主爻也。楊氏啟新曰:“畜牝牛”而“利貞”,六二得之,明而不失其中正,故曰“黃離”。

集説は王弼の説を引く:六二は下卦の中位に居りてまた「當位」し、陰柔の爻を以て陰柔の位に處し、文明鼎盛の地に踏みて能く中道を守住す。ゆえに爻辞は「黃離元吉」と言う。集説は劉牧の説を引く:《離》卦は火を取象と爲す、火焰は猛烈にして卻って灰燼に燒成し易し、九四のあの一爻はまさに此の情形なり。火勢は旺に過ぎれば卽ち衰竭の凶險あり、九三のあの一爻はまさに此の情形なり。ただ六二は中に居りて偏らず、纔に《離》卦の「元吉」に當るを得。六二は說く可く卽ち《離》卦の主爻なり。集説は俞琰の説を引く:九三の爻辞は「日昃之離」を講ず、然らば六二は蓋し日の中天に在る時の附麗ならんか。其れは下卦の中位に處して走る所は中道なり。ゆえにその余の各爻に比べて皆吉なり。集説は楊啓新の説を引く:卦辞は「畜牝牛」にして「利貞」を講ず、六二は恰好此の一點を做し到れり、光明にして其の中正を失わず。ゆえに之を「黃離」と稱す。

九三,日昃之離,不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。本義 重離之間,前明將盡,故有“日昃”之象。不安常以自樂,則不能自處而凶矣。戒占者宜如是也。

九三の爻辞は說く:太陽の西斜する時の附麗、もし瓦缶を敲きて歌い自樂せざれば、便ち年老將盡の悲嘆を發出せんとす、凶險あり。朱熹『本義』は言う:九三は上下兩重の離體の交接する處に處し、前の一段の光明は將に終結せんとす。ゆえに「日昃」すなわち日頭の偏西するの取象あり。人はもし能く尋常に安じ自ら其の樂を尋ぬる能わざれば、卽ち自己を安頓し得ず、ここに因って凶を致す。これ「占辞」の占問の人に告戒するにして、當に此の道理に照りて自處すべし。

程傳 八純卦皆有二體之義,《乾》內外皆健,《坤》上下皆順,《震》威震相繼,《巽》上下順隨,《坎》重險相習,《離》二明繼照,《艮》內外皆止,《兌》彼己相說,而《離》之義在人事最大。九三居下體之終,是前明將盡,後明當繼之時。人之始終,時之革易也,故為“日昃之離”,日下昃之明也。昃則將沒矣。

程頤『伊川易伝』は言う:八箇の純卦は皆上下兩體の重疊の意思を含む。《乾》卦は內外皆剛健、《坤》卦は上下皆柔順、《震》卦は威震の一層に一層を接ぎ、《巽》卦は上下皆順從隨和、《坎》卦は重々の險難の層層相因、《離》卦は兩重の光明の前後相續して照耀す、《艮》卦は內外皆靜止に歸し、《兌》卦は彼此の相互喜悅なり。而して《離》卦の此の一重の意思は人事の上に落つるに最も重大なり。九三は下卦の末位に居り、まさに前の一段の光明の將に終結せんとし後の一段の光明の當に接續すべき時に當る。これ既に一箇人の一生の開端と終結にして、亦是た時運の更革變易なり。ゆえに「日昃之離」と稱す、すなわち日頭の西斜する時候のあの一段の光明なり。すでに西斜せば、亦た卽ち將に沈沒せんとす。

以理言之,盛必有衰,始必有終,常道也。達者順理為樂。“缶”,常用之器也。“鼓缶而歌”,樂其常也。不能如是,則以大耋為嗟憂,乃為“凶”也。“大耋”,傾沒也。人之終盡,達者則知其常理,樂天而已。於常皆樂,如鼓缶而歌。不達者則恐恆有將盡之悲,乃“大耋之嗟”,為其“凶”也。此處死生之道也。“耋”,與昳同。

程頤は続けて言う:道理の上より講ずれば、興盛の後は必ず衰敗あり、開端あれば必ず終結あり、これ恆常の道なり。通達の人は此の道理に順いて看れば、反って之を以て樂と爲す。「缶」は日常の使用する瓦器、「鼓缶而歌」はすなわち尋常に安じ尋常を以て樂と爲すなり。此の一歩を做し到り得得ざれば、卽ち年老將盡を以て嘆くべく憂うべき事と作す、ここに於て「凶」なり。「大耋」は指す所は生命の傾覆沈沒なり。人は總じて終盡の一天あり、通達の人は明白してこれ常理と爲し、天を樂しみ命を知る卽ち已むのみ。一切の尋常の事に對して能く自ら其の樂を得るは、ちょうど瓦缶を敲きて歌うあの樣のごとし。通達せざる人は、則ち常に大限の將に至らんとするを怕れて悲は中より來る、これ便ち「大耋之嗟」なり、凶險は卽ち此に由って生ず。此の一爻の講ずるはまさに生死の道理なり。「耋」の此の字は、日頭偏西の「昳」と相通ず。

集說 苟氏爽曰:初為日出,二為日中,三為日昃。梁氏寅曰:三居下離之終,乃“日昃”之時也。夫持滿定傾,非中正之君子不能。三處日之夕,而過剛不中,其志荒矣,故“不鼓缶而歌,則大耋之嗟”。其歌也,樂之失常也。其嗟也,裒之失常也。哀樂失常,能無“凶”乎?君子值此之時,則思患之心,與樂天之誠,並行而不悖,是固不暇於歌矣,而亦何至於嗟乎?案 梁氏之說,獨得爻義。蓋“日昃”者,喻心之昏,非喻境之變也。

集説は苟氏爽(卽ち東漢の易學家荀爽)の説を引く:初九は譬えば太陽の初升、六二は譬えば日の中天に在り、九三は譬えば太陽の西斜なり。集説は梁寅の説を引く:九三は下卦離體の終點に居り、まさに「日昃」の時なり。盈滿の際に於て守り持ち將傾の際に於て穩やかに持つを要するに、中正の君子にあらざれば做し到り能わず。九三は身を日暮の時に處し、卻って剛硬に過ぎてまた中位に居らず、心志は已に荒怠せり。ゆえに纔に「不鼓缶而歌、則大耋之嗟」の此の結果あり。彼はもし歌えば、あれは歡樂の常度を失掉せり。彼はもし悲嘆せば、あれは哀傷の常度を失掉せり。哀と樂とが皆常度を失掉せば、どうして「凶」ならざるを得んや。君子は此の時に碰上れば、憂患の心と天を樂しむの誠とは並行して相妨げず、もとより歌い樂を取るに顧み得ず、またどこへ長吁短嘆の地步に落到せんや。李光地が按する:梁寅の此の一說は、獨獨此の爻の本義を抓住せり。所謂「日昃」は、比喻する所は人心の昏昧にして、竝びに外在びに外在處境の變化を比喻するにあらず。

九四,突如其來如,焚如,死如,棄如。本義 後明將繼之時,而九四以剛迫之,故其象如此。

九四の爻辞は說く:突然として闖來る、烈火の焚燒するがごとく、喪亡死去するがごとく、人に抛棄せらるるがごとし。朱熹『本義』は言う:九四は正に後の一段の光明の將に接續し上來せんとする時に當る。其れは卻って陽剛の勢を以て逼迫し往く。ゆえに此の一爻の取象は纔に此の樣子なり。

程傳 九四離下體而升上體,繼明之初,故言繼承之義。在上而近君,繼承之地也。以陽居離體而處四,剛躁而不中正,且重剛以不正。而剛盛之勢,“突如”而來,非善繼者也。夫善繼者,必有巽讓之誠,順承之道,若舜、啟然。今四“突如其來”,失善繼之道也。又承六五陰柔之君,其剛盛陵爍之勢,氣焰如焚然,故曰“焚如”。四之所行不善如此,必被禍害,故曰“死如”。失繼紹之義,承上之道,皆逆德也,眾所棄絕,故云“棄如”。至於死棄,禍之極矣,故不假言凶也。

程頤『伊川易伝』は言う:九四は下卦を脫出して上卦に升入す、正に後の一段の光明の接續を開始するの際に當る。ゆえに此の一爻の講ずるは繼承の道理なり。其れは身を上卦に在りてまた君位に緊挨す、まさに繼承の責を承擔する位置なり。其れは陽爻を以て離體の第四位に處し、剛烈躁進にして、すでに中に居らずまた「當位」せず、是れ重剛にして正を失す。此のごとき一股の剛盛の勢を帶びて「突如」として闖り上來るは、決して繼承に善き人にあらず。真に繼承に善き人は、必ず謙遜退讓の誠意を懷き、走る所は順承の路子なり、虞舜の唐堯を承け夏啓の大禹を承くるあの樣のごとし。今九四は卻って「突如其來」、已に善繼の道を丟掉せり。其れは上また六五の此の陰柔の君主を承く、あの剛盛にして凌逼し人を灼くや燒くるがごとき氣勢は、氣焰は烈火の燃燒するがごとし。ゆえに「焚如」と言う。九四の所作所爲は此の田地に壞れり、必ず禍害を招來す。ゆえに「死如」と言う。繼承の本分を丟掉し、上に奉ずるの正道に違背す、皆悖逆の德にして、衆人は皆之を唾棄斷絕す。ゆえに「棄如」と言う。已に身死被棄の地步に到り、禍患は極點に到れり。ゆえに爻辞は一箇の「凶」の字を連ねて必ずしも再び言わず。

集說 章氏潢曰:明之於人,猶火之於木。火宿於木而能焚木,明本於人而能害人,顧用之何如耳。九四不中不正,剛氣燥暴,其害若此。何氏楷曰:三處下卦之盡,似日之過中。四處上卦之始,似火之驟烈。案 離,明德也。繼明者,所謂有緝熙於光明,其明不息也。與繼世之義:至無交

集説は章潢の説を引く:光明は人に對しては、譬えば火の木に對するがごとし。火は木の裏に寄宿して、卻って能く反って木を燒毀す。光明はもとより人より出づるも、卻って亦能く反って人を害す、全く看るに你がどう去りて之を用うか。九四はすでに中に居らずまた「當位」せず、剛氣は焦躁暴烈、爲害は卽ち此の樣子なり。集説は何楷の説を引く:九三は下卦の盡頭に處し、太陽の已に中天を過ぐるがごとし。九四は上卦の開端に處し、火勢の驟然に猛烈起るがごとし。李光地が按する:離は、講ずる所は人の內在の光明德性なり。所謂「繼明」は、すなわち『詩經・周頌・敬之』の「學有緝熙于光明」の言う所のあの境地にして、此の光明の連綿相續し永く止息せざるを指す。其れは王位の世代相繼の意思と——底本此處に脫文あり、按語の下半截は殘缺して全からず、通讀する由なし。

六五,出涕沱若,戚嗟若,吉。本義 以陰居尊,柔麗乎中,然不得其正而迫於上下之陽,故憂懼如此,然後得“吉”。戒占者宜如是也。

六五の爻辞は說く:眼淚は雨のごとき淌れ下り、憂傷悲嘆す、吉祥。朱熹『本義』は言う:六五は陰爻を以て尊位に居り、柔順にして上卦の中位に附麗す。然るに陰爻の陽位に居るは竝びに「當位」せず、上下はまた皆陽爻に逼迫せられ。ゆえに憂懼は此の地步に到る、ただ其れしかるに因りて、然る後にこそ「吉」を得べし。これ「占辞」の占問の人に告戒して當にかくのごとくすべきなり。

程傳 六五居尊位而守中,有文明之德,可謂善矣。然以柔居上,在下無助,獨附麗於剛強之間,危懼之勢也。唯其明也,故能畏懼之深,至於出涕;憂慮之深。至於“戚嗟”,所以能保其吉也。“出涕戚嗟”,極言其憂懼之深耳,時當然也。居尊位而文明,知憂畏如此,故得“吉”,若自恃其文明之德,與所麗中正,泰然不懼,則安能保其吉也?

程頤『伊川易伝』は言う:六五は身を尊位に居りて能く中道を守住し、文明の德性を具備す、說く可く好しとす。然るに其れは陰柔の質を以て上位に居り、下面は以て倚靠すべき援手なく、孤零零として幾箇の剛強の陽爻の中間に附麗す、これ一種の危殆にして懼るべき形勢なり。正に其の明察なるに因りて、纔に畏懼することあの樣に深く、深くして眼淚滂沱に至り。憂慮することあの樣に切にして、切にして憂傷悲嘆に至る、亦た正に此に因って纔に此の吉を保住せり。「出涕」「戚嗟」は不過極力に其の憂懼の深きを形容するのみ、あの時位に處するはもとより當に此のごとくすべし。身を尊位に居りてまた文明通達にして、此のごとくの憂懼戒慎を懂得す、ゆえに能く「吉」を得。たとえば自ら恃みて文明の德あり自ら恃みて附麗する所も又是た中正の道なりとし、便ち安然自若にして毫も戒懼なからば、あれはまたどうして此の吉を保住せんや。

集說 蔡氏淵曰:《坎》、《離》之用在中,二五皆卦之中也。坎五當位而二不當位,故五為勝。離二當位而五不當位,故二為勝。劉氏定之曰:坎者陰險之卦,惟剛足以濟之,沉潛剛克也。《離》者陽躁之卦,唯柔足以和之,高明柔克也。二五同歸於“吉”,以柔而然也。

集説は蔡淵の説を引く:《坎》《離》兩卦の功用は皆一箇の「中」の字の上に落つ。二爻と五爻はまさに上下兩體の中位なり。《坎》卦の九五は陽爻の陽位に居るは「當位」する、九二は陽爻の陰位に居るは則ち當位せず。ゆえに坎卦は五爻を以て勝と爲す。《離》卦の六二は陰爻の陰位に居るは「當位」する、六五は陰爻の陽位に居るは則ち當位せず。ゆえに離卦は二爻を以て勝と爲す。集説は劉定之の説を引く:坎は陰暗險陷の卦にして、ただ剛健のみ纔に以て險難を濟渡するに足る、これすなわち『尚書・洪範』の言う所の「沉潛剛克」なり。《離》は陽亢躁動の卦にして、ただ柔順のみ纔に以て之を調和するに足る、これすなわち『洪範』の言う所の「高明柔克」なり。坎離兩卦の二爻と五爻とは同じく「吉」に歸結す、靠る所は皆一箇の柔の字なり。

案 唯六二為得明德之正,三之歌嗟,四之突來,則明德昏而性情蕩,忿欲仍而災患至矣。能返之者,其唯哀悔之心乎!五有中德,又適昏極將明之候,故取象如此。三之“嗟”,樂過而悲也。五之“嗟”,自怨自艾也。

李光地が按する:《離》卦の六爻の當中、ただ六二は算して光明德性の正路を得着せり。九三のあの忽ち歌い忽ち嘆く、九四のあの突然闖來るは、皆內在の明德の昏昧し性情の放蕩して、忿怒と嗜欲とが一層に一層を接ぎて生出す、災禍も亦た之に跟いて門に上來す。能く此の局面を扭轉し回るは、蓋しただ一片の哀痛悔過の心のみか。六五は居中の德を具備し、また恰好昏暗の極點に到り將に轉明せんとする關口の上に處す。ゆえに爻辞は「出涕」「戚嗟」のごとき象を取れり。九三の「嗟」は、歡樂に頭を過ぎて悲哀に轉成せり。六五の「嗟」は、則ち自我怨責・自我改過なり。

上九,王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎。本義 剛明及遠,威震而刑不濫,“無咎”之道也,故其象占如此。

上九の爻辞は說く:君王は此に因って兵を出し征伐し、嘉美の功勳を建立す、ただ首を爲る元凶を斬取して、俘獲する所は竝びにあの同黨にあらず、過錯あらじ。朱熹『本義』は言う:上九は陽剛にして明察、光は遠く四方に照及し、威勢は震攝して刑罰は竝びに濫施せず、これまさに「无咎」すなわち過錯を致さざるの路數なり。ゆえに此の一爻の取象と「占辞」とは纔に此の樣子なり。

程傳 九以陽居上,在離之終,剛明之極者也。明則能照,剛則能斷。能照足以察邪惡,能斷足以行威刑。故王者宜用如是剛明,以辨天下之邪惡,而行其征伐,則有嘉美之功也。征伐,用刑之大者。夫明極則無微不照,斷極則無所寬宥,不約之以中,則傷於嚴察矣。去天下之惡,若盡究其漸染詿誤,則何可勝誅?所傷殘亦甚矣。故但當折取其魁首,所執獲者,非其丑類,則無殘暴之咎也。《書》曰:殲厥渠魁,脅從罔治。

程頤『伊川易伝』は言う:上九は陽爻を以て全卦の最上の一位に居り、離體の終點に處し、是れ剛強と明察と皆極點に到りたる一爻なり。明察せば卽ち能く照見し、剛強せば卽ち能く決斷す。照見は以て邪惡を察出するに足り、決斷は以て威刑を施行するに足る。ゆえに君王を做るはまさに當に此のごとき剛明の人を起用して、去りて天下の邪惡を分辨し、進んで征伐を發動せば、あれはすなわち嘉美の功業あり。征伐は、刑を用うる中の最大の一件なり。然るに明察は極點に到れば便ち細微に遺ならず一切を照見し、決斷は極點に到れば便ち肯んじて半分の寬赦を留めず。もし中道を持ち來りて之を約束せざれば、則ち嚴苛察察に失す。天下の惡人を鏟除するに、もしあの牽連沾染・裹挾誤陷せらるる人を連れて一一追究せば、どこへ殺し盡くし得んや。傷害殘殺する所も亦たあまりに多し。ゆえにただ當にあの首を爲る元凶を斬取して、抓獲の對象は竝びに其の同黨にあらざるべし、かようにしてこそ殘暴の過咎あらじ。『尚書・胤征』は言う:「殲厥渠魁、脅從罔治。」意思はあの首惡を殲滅して、脅迫せられて跟從するは一概に追究を加えざるなり。

案 上九承四五之後,有重明之象。故在人心則為克己而盡其根株,在國家則為除亂而去其元惡。《詩》云:如火烈烈,則莫我敢遏,苞有三檗,莫遂莫達。此爻之義也。

李光地が按する:上九は九四・六五の後に承接して、兩重の光明の前後相續する象を具備す。ゆえに此の一爻は箇人の心地の上に落ちれば、すなわち私欲を克除するに連根に拔盡くすべく。國家政事の上に落ちれば、すなわち禍亂を平定するにあの首惡を除掉すべし。『詩經・商頌・長發』は「如火烈烈、則莫我敢遏」と言う、形容するは商湯の師の氣勢は烈火のごとくして、出面して阻擋するを敢てするなし。同篇はまた「苞有三檗、莫遂莫達」と言う、說くは樹根の上に叢生するあの旁枝亂蘗は、一根も長起り伸出し得ざるなり。此の一爻の意旨はまさに此のごとし。

周易下經

咸卦(兌上艮下)

程傳 《咸序卦》:“有天地,然後有萬物;有萬物,然後有男女;有男女,然後有夫婦;有夫婦,然後有父子;有父子,然後有君臣;有君臣,然後有上下;有上下,然後禮義有所錯。”天地,萬物之本。夫婦,人倫之始。所以上經首《乾》、《坤》,下經首《咸》繼以《恆》也。

程頤『伊川易伝』は言う:《咸》卦の下の『序卦伝』は講ず:「天地ありて而る後に萬物あり、萬物ありて而る後に男女あり、男女ありて而る後に夫婦あり、夫婦ありて而る後に父子あり、父子ありて而る後に君臣あり、君臣ありて而る後に上下の分あり、上下の分ありて而る後に禮義は安放施行する處あり」。天地は萬物の本原にして、夫婦は人倫の開端なり。正に此の緣故に因りて、『周易』の上經は《乾》《坤》の兩卦を以て開頭と爲し、下經は則ち《咸》卦を以て開頭と爲し、接ぐるは便ち《恆》卦なり。

天地二物,故二卦分為天地之道。男女交合而成夫婦,故《咸》與《恆》皆二體合為夫婦之義。咸,感也,以說為主。恆,常也,以正為本。而說之道自有正也,正之道固有說焉。巽而動,剛柔皆應,說也。《咸》之為卦,兌上艮下,少女少男也。男女相感之深,莫如少者,故二少為《咸》也。艮體篤實,止為誠愨之義。男女篤實以下交,女心說而上應,男感之先也。男先以誠感,則女說而應也。

程頤は続けて言う:天と地とはもとより各々獨立の兩物なり。ゆえに上經の開頭は分けて《乾》《坤》の兩卦と作し、各々天道と地道を講ず。男と女とは卻って交合してこそ夫婦と成るを要す。ゆえに《咸》《恆》の兩卦は皆上下二體を合して纔に夫婦の義を成就す。「咸」は感應にして、喜悅を以て主と爲す。「恆」は恆久にして、端正を以て本と爲す。然るに喜悅の道の裏は自ずと端正を含み、端正の道の裏はもとより亦た喜悅を含む。《恆》卦は下巽上震にして、是れ順從して而る後に行動す、六爻の剛柔上下は皆相「應與」す、此の裏頭に卽ち喜悅あり。《咸》卦の結構は兌は上に在り艮は下に在り、すなわち少女は上に在り少男は下に在り。男女の相互感動の深きは、年少の人に比するなし。ゆえに兩箇の年少者を取りて《咸》卦を組成す。艮の卦體は篤實厚重にして、「止」は誠懇篤實の意思を含む。男子は篤實の心を以て下位に屈居して交接し往き、女子は心の裏喜悅して上に向かって回應す、これ男方の先ず去りて對方を感動するなり。男方は先ず誠意を用いて感じ、女方便ち歡喜して應和せり。

集說 邱氏富國曰:《感》,二少相交者,夫婦之始也,所以論交感之情,故以男下女為象。男下於女,婚姻之道成矣。恆二長相承者,夫婦之終也,所以論處家之道。故以男尊女卑為象,女下於男,居室之倫正矣。損雖二少,而男不下女,則咸感之義微,益雖二長,而女居男上,則恆久之義悖。此下經所以不首《損》、《益》而首《咸》、《恆》與?

集説は邱富國の説を引く:《咸》卦は少男少女の兩箇の年少者の相交なり、講ずるは夫婦關係の起頭、ゆえに論ずるは交相感應の情意にして、ここに因って男方の女方の下に屈居するを取りて象と爲す。男方は肯んじて女方の下に屈居すれば、婚姻の道は卽ち成立す。《恆》卦は長男長女の兩箇の年長者の相承なり、講ずるは夫婦關係の長久の歸宿、ゆえに論ずるは家を持ち日子を過ぐるの道理にして、ここに因って男尊女卑を取りて象と爲す。女方は男方の下に居れば、一家の內の倫序は卽ち端正す。《損》卦は雖も亦是た少男少女なれど、然るに艮男は上に在りて兌女の下に屈居するを肯んぜず、交感の意味は卽ち淡薄せり。《益》卦は雖も亦是た長男長女なれど、然るに巽女は反って震男の上に居りて、恆久の意味は卽ち乖違せり。これ蓋し下經の《損》《益》を用いて開頭と爲さずして、卻って《咸》《恆》を用いて開頭と爲すの緣故ならんか。

咸,亨,利貞,取女吉。本義 “咸”,交感也。兌柔在上,艮剛在下,而交相感應。又艮止則感之專,兌說則應之至。又艮以少男下於兌之少女,男先子女,得男女之正,婚姻之時,故其卦為咸,其占“亨”而“利”正,“取女”則“吉”。蓋感有必通之理,然不以正,則失其“亨”而所為皆凶矣。

《咸》卦の卦辞は說く:亨通、正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。朱熹『本義』は言う:「咸」はすなわち交相感應なり。兌の陰柔は上に在り、艮の陽剛は下に在り、彼此は交互に感應す。再者、艮は靜止にして、靜止すれば則ち感ずる所は專一なり。兌は喜悅にして、喜悅すれば則ち回應は真切なり。また、艮は少男の身を以て兌の此の少女の下に屈居し、男方は女方より先に主動す、男女相處の正道に合し、正に婚配の時に當る。ゆえに此の一卦は取名を「咸」と爲す。其の「占辞」は亨通して正を守るに利あり、妻を娶れば則ち吉なり。感應はもとより必然相通ずるの道理あり、然るに若し正道に循いで感ぜざれば、卽ちあの亨通を丟掉し、所作所爲は反って皆凶を致さんとす。

程傳 “咸”,感也。不曰感者,《咸》有皆義,男女交相感也。物之相感莫如男女,而少復甚焉。凡君臣上下以至萬物,皆有相感之道。物之相感,則有亨通之理。君臣能相感,則君臣之道通。上下能相感,則上下之志通。以至父子夫婦親戚朋友,皆情意相感,則和順而亨通,事物皆然。故《咸》有“亨”之理也。

程頤『伊川易伝』は言う:「咸」はすなわち感應なり。徑直に「感」の字を用いずして「咸」の字を用うるは、「咸」はなお「都」「普遍」の意思を含むに因る、指すは男女雙方の交互に相感ずるなり。萬物の間の相感は、男女の間に比する強きなし、而して年少の男女はまた年長よりさらに強烈なり。凡そ君と臣・上と下、一直に天地萬物に推廣するまで、皆相互感應の道理あり。事物の間は一旦相感すれば、卽ち亨通の道理は裏頭に在り。君臣は能く彼此相感すれば、君臣の間の道路は卽ち打通す。上下は能く彼此相感すれば、上下の間の心志は卽ち貫通す。推して父子・夫婦・親戚・朋友に至るまで、ただ情意の能く相感するさえすれば、便ち和順にして亨通す、一切の事物は此のごとからざるなし。ゆえに《咸》卦は「亨」の道理を含有す。

“利貞”,相感之道,“利”在於正也。不以正,則入於惡矣。如夫婦之以淫姣,君臣之以媚說,上下之以邪僻,皆相感之不以正也,“取女吉”,以卦才言也。卦有柔上剛下,“二氣感應相與,止而說,男下女”之義,以此義“取女”,則得正而“吉”也。集說 胡氏炳文曰:“咸”,感也。不曰感而曰《咸》,咸,皆也,無心之感也。無

程頤は続けて言う:卦辞の講ずる「利貞」は、說く、相感の道は、好處はまさに一箇の「正」の字の上に落つ。正道に循いで感ぜざれば、卽ち邪惡に墮入す。譬えば夫婦の間は淫邪妖冶を靠りて相感し、君臣の間は諂媚取悅を靠りて相感し、上下の間は奸邪偏僻を靠りて相感す、皆相感して而して正道に由らざるに属す。「取女吉」に至れば、則ち一卦の材質結構に就いて說くなり。此の卦は陰柔の上に在り・陽剛の下に在りあり、「二氣感應相與、止而說、男下女」のごとき意思あり、此の意思に依って妻を娶れば、自ずと正を得て「吉」を獲す。集説は胡炳文の説を引く:「咸」はすなわち感應なり。「感」と說かずして「咸」と說くは、「咸」は普遍周遍の義あるに因る、講ずるは一種の私心を起さず無心にして自然生發するの感應なり。此處底本に脫文あり、胡氏の說は此に到りて中斷す。

初六,咸其拇。本義 “拇”,足大指也。咸以人身取象,《咸》於最下,“咸拇”之象也。感之尚淺,欲進未能,故不言吉凶。此卦雖主於感,然六爻皆宜靜而不宜動也。

初六の爻辞は說く:感應は脚の大拇指の上に發動す。朱熹『本義』は言う:「拇」は脚の大拇指なり。《咸》卦は通篇人の身體を持ち來りて象を取る、初六は全卦の最下に在りて、まさに「咸拇」の此の象に合す。此の時感ずる所はなお甚だ淺く、前進せんと欲すれど力量は足らず。ゆえに爻辞は吉を說かずまた凶を說かず。此の一卦は雖も感應を以て主旨と爲すれど、然るに六爻は卻って皆靜守に宜しく妄動に宜しからず。

程傳 初六在下卦之下,與四相感,以微處初,其感未深,豈能動於人?故加人拇之動,未足以進也。“拇”,足大指。人之相感,有淺深輕重之異。識其時勢,則所處不失其宜矣。

程頤『伊川易伝』は言う:初六は下卦の最下の一位に在りて、九四とは「應與」の關係にして相感ず、然るに其れは微弱の質を以て最初の位置に處し、感ずる所はなお深からず、どこに能く他人を打動せんや。ゆえに譬えば人の脚上の大拇指の一動せしがごとく、なお此に據りて步を邁して前進するに足らず。「拇」はすなわち脚の大拇指なり。人と人との間の相感は、淺あり深あり・輕あり重あり、各々同じからず。能く自己の處する時勢を看清すれば、然らばどの一歩に處するも皆其の分寸を失わざらん。

集說 《朱子語類》:問:《咸》內卦艮止也,何以皆說動?曰:艮雖是止,然咸有交感之義,都是要動,所以都說動。卦體雖說動,然才動便不吉。蔡氏清曰:“咸其拇”,辭意若曰,感以其拇也,諸爻皆同。又曰:《本義》云,此卦雖主於感,然六爻皆宜靜而不宜動,此即以虛受人之理。《大傳》曰:寂然不動,感而遂通天下之故。程子曰:廓然而大公,物來而順應。周子所謂主靜,朱子所謂鑑空衡平,及先儒所謂無心之感者,皆謂此也。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、《咸》卦の內卦は艮にして、艮の性質は靜止なり、何故に各爻は卻って皆動を講ずるか。朱熹は答えて言う:艮は雖も止なれど、然るに「咸」は交相感應の意思を含み、處處皆動を要す。ゆえに各爻は皆動を說く。卦體の上は雖も動を說くも、然るに一動すれば便ち不吉なり。集説は蔡清の説を引く:「咸其拇」の此の句の語意は、「其の脚拇指を用いて感ず」に等し、その余の各爻の句式の意思は皆此れと同じ。蔡清はまた言う:『本義』の講ずる此の一卦は雖も感應を以て主旨と爲し六爻は卻って皆靜に宜しく動に宜しからずは、これまさに《咸》卦の『大象伝』の「君子以虛受人」の道理なり。『繫辞伝』は言う:「寂然不動、感而遂通天下之故。」程顥は言う:「廓然而大公、物來而順應。」周敦頤の主張する所の「主静」、朱熹の比喻する所の「鏡空衡平」、および前輩儒者の言う所の「無心之感」、講ずるは皆此の同一の事なり。

六二,咸其腓,凶。居吉。本義 “腓”,足肚也。欲行則先自動,躁妄而不能固守者也。二當其處,又以陰柔不能固守,故取其象。然有中正之德,能居其所,故其占動“凶”而靜“吉”也。

六二の爻辞は說く:感應は小腿肚の上に發動す、凶險あり。安居して動かざれば則ち吉。朱熹『本義』は言う:「腓」は小腿肚なり。人は一たび路を走らんと想えば、小腿肚は先に自ら動き起る、これ躁動妄進にして自己を守住し得ざるの樣子なり。六二は正に身體の上の小腿肚の此の位置に當り、また陰柔の質を以て自己を守住し得ず。ゆえに此の象を取れり。不過六二は畢竟陰爻の陰位に居りて下卦の中位に處し、「中正」の德を具備し、能く本位を安守す。ゆえに其の「占辞」は動けば則ち「凶」にして靜ければ則ち「吉」なり。

程傳 二以陰在下,與五為應,故設咸腓之戒。“腓”,足肚。行則先動,足乃舉之,非如腓之自動也。二若不守道待上之求,而如腓之動,則躁妄自失,所以“凶”也。安其居而不動,以待上之求,則得進退之道而吉也。二中正之人,以其在咸而應五,故為此戒。復云“居吉”,若安其分不自動,則“吉”也。集說 王氏弼曰:咸道轉進,離拇升腓,腓體動躁者也。感物以躁,“凶”之道也。由躁故凶,居則“吉”矣。處不乘剛,故可以居而獲“吉”。

程頤『伊川易伝』は言う:六二は陰爻を以て下體に居り、九五と「應與」を構成す。ゆえに爻辞は特地に「咸其腓」の此の一層の告戒を設下す。「腓」は小腿肚なり。人は路を走る時其れは先に動き起る、其の實脚は纔に步を擡ぐる主體にして、竝びに小腿肚のあの樣に自ら先に動くべきにあらず。六二は倘も能く正道を守住して上の來りて求むるを等待せずして、反って小腿肚の一樣に先を搶りて妄動せば、則ち躁動輕率にして自ら其の守を失す、ここに因って「凶」を致す。本位に安處して妄動せず、靜候して上の來りて求むるを待つは、纔に進退の道を得着して吉を獲ると算す。六二はもとより中正の人なり、ただ其の身が《咸》卦に處してまた上に九五に應ずるに因りて、ゆえに特地に此の告戒を立下す。爻辞はまた一句「居吉」を補す、すなわち說く、本分を安守して自ら主張して動かざれば、便ち「吉」を得。集説は王弼の説を引く:感應の道は逐級上に向かって推進し、脚拇指を離れれば卽ち小腿肚に升到す、小腿肚の此の部位は躁動するなり。躁動の方式を用いて物を感ずは、まさに凶を致すの路數なり。躁動するに因ってゆえに凶、安居して動かざれば便ち吉なり。六二は下面に曾て陽剛の爻を騎乘せず、ゆえに其れは安居して「吉」を獲るの條件あり。

九三,咸其股,執其隨,往吝。本義 “股”,隨足而動,不能自專者也。執者,主當持守之意。下二爻皆欲動者,三亦不能自守而隨之,“往”則“吝”矣,故其象占如此。

九三の爻辞は說く:感應は大腿の上に發動す、執守する所はただ他人に跟いて走るのみ、前往すれば憾惜あり。朱熹『本義』は言う:「股」は大腿にして、其れは脚に跟いて動き、自己の主を做し得ず。「執」の字は主守する所・持定する所の意思を含む。下面の初六・六二の兩爻は皆動かんと欲するなり、九三も亦た自己を守住し得ずして彼らに跟いて動く、かように前往すれば卽ち憾恨を留下せんとす。ゆえに此の一爻の取象と「占辞」とは此の樣子なり。

程傳 九三以陽居剛,有剛陽之才,而為主於內。居下之上,是宜自得於正道以感於物,而乃應於上六,陽好上而說陰,上居感說之極,故三感而從之。“股”者,在身之下,足之上,不能自由,隨身而動者也,故以為象。言九三不能自主,隨物而動如股然。其所執守者,隨於物也。剛陽之才,感於所說而隨之,如此而往,可羞吝也。

程頤『伊川易伝』は言う:九三は陽爻を以て陽位に居り、剛健の才質を具備し、又是た內卦の主爻なり。其れは下體の最上の一位に處し、もとより當に自ら正道に站穩して他人を感動すべきに、卻って偏偏と上六と「應與」を構成す。陽爻はもとより上に往くを好みてまた陰爻を愛悅し、上六はまた感應と喜悅の極點の上に居る。ゆえに九三は其れに一感せられれば卽ち跟いて去れり。「股」の此の部位は身軀の下・雙脚の上に在り、自ら主を做し得ず、ただ能く身子に随着擺動するのみ。ゆえに之を持ち來りて象を取る。これは說く、九三は自己の主を做し得ず、大腿のあの樣に外物に随着動くがごとし。其の執守する物は、不過「他人に跟く」の四箇の字のみ。剛健陽明の才質を以て、卻って自己の喜愛する對象に一感せられて卽ち之に随い去るは、かように再び前に往かば、甚だ羞ずべく惜しむべし。

集說 王氏宗傳曰:九三處下體之上,所謂股也。三雖艮體,然以陽居陽,又有應在上,非能止也,故曰“咸其股”。夫股隨上體而動者也,以剛過之才,不能為主於內,而其所秉執者,在於隨上體而動焉,則躁動而失正矣,故曰“往吝”。案 “執其隨”,《本義》以為隨下二爻,《程傳》以為隨上,然隨之為義,取於雁

集説は王宗傳の説を引く:九三は下體の最上の一位に處し、すなわち身上の所謂大腿なり。九三は雖も艮體に属すれど、然るに其れは陽爻を以て陽位に居り、上面にまた相「應與」の爻あり、竝びに真能く靜止し下るにあらず。ゆえに爻辞は「咸其股」と言う。大腿はもとより上半身に跟いて動く部位なり。九三は過剛の才質を以て、內卦の主を做し得ず、而して其の秉持執守する所は、ただ上體に跟いて動くのみ、これ卽ち躁動して正を失すと成る。ゆえに爻辞は「往吝」と言う。李光地が按する:「執其随」に關しては、『本義』は認めて下面の初六・六二の兩爻に跟隨すると爲し、『程伝』は則ち認めて上六に跟隨するとなす。然るに「随」の此の字の意思は、大雁より取る——此處底本に脫文あり、按語の後半截は殘缺す。

九四,貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思。本義 九四居股之上,脢之下,又當三陽之中,心之象,《咸》之主也。心之感物,當正而固,乃得其理。今九四乃以陽居陰,為失其正而不能固,故因占設戒,以為能正而固,則吉而“悔亡”。若“憧憧往來”,不能正固而累於私感,則但其朋類從之,不復能及遠矣。

九四の爻辞は說く:正を守れば則ち吉、悔恨は消失す。心思は忙亂に來往不定なれば、則ちただ你の同類が你の念頭に跟從するのみ。朱熹『本義』は言う:九四は人身の上に於て大腿の上・背脊肉の下に處し、また正に三箇の陽爻の當中に當る、まさに心の象にして、亦是た《咸》卦の主爻なり。心は去りて外物を感應するに、當に端正且つ堅定してこそ、其の理に合乎ると算す。今九四は卻って陽爻の陰位に居る、是れ其の正を失してまた能く堅守し得ざるに属す。ゆえに占問に就着て告戒を設下す:能く端正にして堅定なれば、便ち吉にして「悔亡」、悔恨は自ずと消解す。もし心思の「憧憧往來」して忙亂不定なれば、すでに能く正固せずまた私心の感應に拖累せらるれば、則ちただ之と同類の人のみ其れに跟從して、再び遠處の人を感動し得ず。

程傳 感者,人之動也,故皆就人身取象。拇取在下而動之微,腓取先動,股取其隨。九四無所取,直言感之道。不言咸其心,感乃心也。四在中而居上,當心之位,故為感之主。而言感之道,貞正則吉而悔亡。感不以正則有悔也。又四說體,居陰而應初,故戒於貞。感之道無所不通,有所私繫,則害於感通,乃有悔也。聖人感天下之心,如寒暑雨暘,無不通,無不應者,亦貞而已矣。貞者,虛中無我之謂也。

程頤『伊川易伝』は言う:感應は、人の心念の發動なり。ゆえに《咸》卦の各爻は皆人の身體に就いて象を取る。脚拇指を取るは、其の最下に在りて動くこと極めて微なるに因る。小腿肚を取るは、其の前頭を搶りて先に動くに因る。大腿を取るは、其のただ能く跟いて走るのみなるに因る。九四に到れば便ち取象する所なく、而して徑直に感應の道を點明す。爻辞は「咸其心」と說かざるは、所謂「感」はもとより即ち心の事なるに因る。九四は六爻の正中に處してまた上體に居り、正に心の位置に當る。ゆえに是れ感應の主爻なり。すでに直に感應の道を說けば、あれはすなわち:端正に守固すれば便ち吉にして悔恨は消解す。感應はもし正道に由らざれば、卽ち悔を生ぜんとす。再者九四は兌の此の喜悅の體に属し、陽爻を以て陰位に居りて初六と相「應與」す。ゆえに特地に「貞」の字の上に告戒を加う。感應の道はもとより通ぜざるなし、一旦私心の牽繫あれば、卽ち此の感通を妨害して、ここに於て悔あり。聖人の天下の人の心を感動するや、寒の來り暑の往き雨の降り晴の放つがごとく、通ぜざるなく應ぜざるなし、靠る所は亦不過一箇の「貞」の字のみ。所謂「貞」は、すなわち內心の虛靜にして、一箇の私我を夾帶せざるなり。

“憧憧往來,朋從爾思”,夫貞一則所感無不通。若往來憧憧然,用其私心以感物,則思之所及者有能感而動,所不及者不能感也,是其朋類則從其思也。以有繫之私心,既主於一隅一事,豈能廓然無所不通乎?《繫辭》曰:“天下何思何慮?天下同歸而殊塗,一致而百慮,天下何思何慮”,夫子因咸極論感通之道。夫以思慮之私心感物,所感狹矣。天下之理一也,塗雖殊而其歸則同,慮雖百而其致則一。雖物有萬殊,事有萬變,統之以一,則無能違也。故貞其意,則窮天下無不感通焉,故日“天下何思何慮”。用其思慮之私心,豈能無所不感也?

程頤は「憧憧往來、朋從爾思」を解して言う:ただ貞正專一せば、感ずる所は通ぜざるなし。たとえば心思は忙忙碌碌として囘り搖れて、一己の私心を持ち來りて外物を感動せば、然らば念頭の顧み到る處は纔に人の感動して響應するあり、念頭の顧み到らざる處は、卽ち感動し得ず、ここに於てただ之と同類の人のみ纔に其の念頭に跟いて走る。牽掛繫縛する私心を帶びて、すでにただ一箇の角落・一樁の事情を盯住するのみ、どこにかなお廓然開闊・通ぜざるなきを得んや。『繫辞伝』は言う:「天下何思何慮。天下同歸而殊塗、一致而百慮、天下何思何慮。」孔子はまさに《咸》卦の九四の此の一爻に藉りて、感通の道理を極處に到るまで講じたり。思慮營營の私心を用いて物を感ずれば、能く感動する範圍は卽ち狹窄す。天下の道理はもとより一箇にして、路徑は雖も各々相同じからざるも、歸宿は卻って同一の處なり。考慮は雖も上百種有り得るも、指向は卻って同一箇なり。縱使物に千差萬別あり事に萬種の變化あるも、ただ一箇の根本を用いて彼らを統べれば、卽ち哪の一樣も違離し得るなし。ゆえにただ心意を擺正するを要せば、然らば天下を窮盡するも感通し到らざる處なし。ここに因って「天下何思何慮」と言う。反って、專らあの思慮不休の私心を用うれば、またどうして感ぜざるなきを得んや。

“日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感而利生焉。”此以往來屈信明感應之理。屈則有信,信則有屈,所謂感應也。故日月相推而明生,寒暑相推而歲成,功用由是而成,故曰“屈信相感而利生焉”。感,動也。有感必有應,凡有動皆為感,感則必有應,所應復為感,感復有應,所以不已也。

程頤は『繫辞伝』を引いて言う:「日往けば則ち月來り、月往けば則ち日來る、日月はかくのごとく交相推移して、光明は便ち生出せり。寒往けば則ち暑來り、暑往けば則ち寒來る、寒暑はかくのごとく交相推移して、一年は便ち成就せり。往くは收縮にして、來るは伸展なり、收縮と伸展とは彼此相感じて、利益は便ち此に由って生出す。」これは往來屈伸を持ち來りて感應の道理を說明するなり。收縮の後は必ず伸展あり、伸展の後はまた收縮に歸す、これを卽ち感應と呼ぶ。ゆえに日月は交相推移して光明を生出し、寒暑は交相推移して歲月を成就す、一切の功用は皆此に由って成る。ここに因って「屈信相感而利生焉」と言う。「感」はすなわち動なり。感あれば必ず應あり。凡そ動く所有るは、皆感と算す、一感すれば必ず應あり、應ずる所はまた新たな感に轉成し、感じてまた再び應あり、かくのごとき循環して停まらず。

“尺蠖之屈,以求信也:龍蛇之蟄,以存身也;精義入神,以致用也;利用安身,以祟德也。過此以往,未之或知也。”前云屈信之理矣,復取物以明之。尺蠖之行,先屈而後信,蓋不屈則無信,信而後有屈,觀尺蠖則知感應之理矣。龍蛇之藏,所以存息其身,而後能奮迅也。不蟄則不能奮矣,動息相感,乃屈信也,君子潛心精微之義,入於神妙,所以致其用也,潛心精微,積也。

程頤は続けて『繫辞伝』を引いて言う:「尺蠖の身を蜷縮する所以は、伸展を求むるが爲なり。龍蛇の蟄伏する所以は、身體を保全するが爲なり。義理を鑽研して精微入神の地步に到るは、之を事に施用するが爲なり。施用は得當にして身心は安頓するは、德業を崇高に推向するが爲なり。此の層を過ぎて再び上に往かば、卽ち人の知り得る所にあらず。」前面に已に屈伸の道理を講じ過ぎたり、此處はまた具體の物象を取りて以て說明を加う。尺蠖の爬行は、總じて先に蜷縮して而る後に伸展す、蜷縮せざれば卽ち伸展なきに因る、伸展の後はまた蜷縮せんとす。尺蠖を看れば、感應の道理は明白せり。龍蛇の蟄藏は、身體をして休養生息せしめ、然る後にこそ能く奮起騰躍するが爲なり。蟄藏せざれば卽ち奮起し起らず、一動一靜は彼此相感ず、まさに屈と伸なり。君子は心を精微の義理の裏に沉潛し、神妙の境に深入す、爲す所は之を施用し出さんとするなり。沉潛精微は、「積蓄」の一面に属す。

致用,施也。積與施乃屈信也。“利用安身,以崇德也”,承上文致用而言,利其施用,安處其身,所以崇大其德業也。所為合理,則事正而身安,聖人能事,盡於此矣,故云:“過此以往,未之或知也。窮神知化德之盛也。”既云“過此以往”,“未之或知”,更以此語終之,雲窮極至神之妙,知化育之道,德之至盛也,無加於此矣。

程頤は続けて言う:之を施用し出すは、「發放」の一面に属す。積蓄と發放とは、正に卽ち屈と伸なり。「利用安身、以崇德也」の此の一句は、上文の「致用」を承けて講じ下す:自己の施爲をして得當にして利あるらしめ、自己の身心をして安處して擾なからしむるは、すなわち以て德業を崇高博大に推向するなり。所作所爲は皆道理に合乎れば、事情は卽ち端正し、身心は卽ち安穩す。聖人の能く做する事は、此處に到れば卽ち窮盡せり。ゆえに「過此以往、未之或知也。窮神知化德之盛也」と言う。すでに「此の層を過ぎて再び上に往かば」「卽ち人の知り得る所にあらず」と說きたる以上、最後はまた此の一句を持ち來りて收束す、說くはあの至神の奧妙を窮究して、造化生育の道理を通曉する、これ纔に德性の最高極盛の處にして、再び之の上に加え得るなし。

集說 程子曰:天地之常,以其心普萬物而無心。聖人之常,以其情順萬事而無情。楊氏時曰:九四脢之下,股之上,心之位也。不言心,心無不該,不可以位言也。《朱子語類》:問:《咸》九四《傳》,說虛心貞一處全似敬。曰:蓋嘗有此語曰敬,心之貞也。

集説は程顥の説を引く:天地の恆常なる所以は、卽ち其の心は萬物に遍及して而して自己は竝びに一箇の心を存せざるに在り。聖人の恆常なる所以は、卽ち其の情は萬事に順應して而して自己は竝びに一份の情を留めざるに在り。集説は楊時の説を引く:九四は背脊肉の下・大腿の上に在りて、まさに心の所在する位置なり。爻辞は卻って「心」を說かざるは、心は包まざるなきに因りて、能く一箇の具體の部位を以て之を框住し得ざるなり。集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、《咸》卦の九四の『程伝』の裏に虛心貞一のあの一段を講ずるは、简直に全く一箇の「敬」の字に同じ。朱熹は答えて言う:從前確かに此のごとき說法あり——「敬」はすなわち心の貞正なり。

問:“瞳憧往來,朋從爾思”,莫是此感彼應,憧憧是添一個心否?曰:“往來”固是感應,“憧憧”是一心方欲感他,一心又欲他來應。如正其義便欲謀其利,明其道便欲計其功。又如赤子入井之時,此心方怵惕要去救他,又欲他父母道我好,這便是憧憧之病。又云:“憧憧往來,朋從爾思”,聖人未嘗不教人思,只是不可憧憧,這便是私了。感應自有個自然底道理,何必思他?若是義理,卻不可不思。

ある人が問う:「憧憧往來、朋從爾思」は、此の一邊一感しあの一邊一應するを說くか、而して「憧憧」は此の上頭に於てまた一重の心思を添うるか。朱熹は答えて言う:「往來」はもとより卽ち感と應なり。「憧憧」は則ち一邊心裏まさに人家を感動せんと欲し、一邊心裏また人家の來りて自己に回應するを盼るなり。譬えば嘴上は端正道義を言うれど、心裏は卻って已に好處を盤算し。嘴上は大道を闡明せんと言うれど、心裏は卻って已に功勞を計較す。また譬えば小兒子の將に井の裏に掉墮せんとするを見れば、此の心はまさに驚懼不忍にして趕緊に彼を救わんと欲すと同時に、また兒子の父母が自己に一聲の好を誇るを盼る——これすなわち「憧憧」の毛病なり。朱熹はまた言う:「憧憧往來、朋從爾思」を講ずるに、聖人は竝びに人を敎えて思考せざるにあらず、ただ「憧憧」と思うべからず、あの樣すれば卽ち私心に落入す。感と應とは自ら其の天然かくのごとくの道理あり、何ぞ必ずしも之に替りて操心せんや。義理に至れば、あれは卻って思考せざるべからざるなり。

問:“瞳憧往來”是心中憧憧然往來,猶言往來於懷否?曰:非也。又問:是憧憧於往來之間否?曰:亦非也。只是對那“日往則月來”底說,那個是自然之往來,此“憧憧”者是加私意不好底往來,“憧憧”只是加一個忙迫底心,不能順自然之理。方往時又便要來,方來時又便要往,只是一個忙。

ある人が問う:「憧憧往來」は、心裏頭の忐忑不定に來り去るを指すか、すなわち常に言う所の「往來于懷」か。朱熹は答えて言う:不是なり。また問う:然らば往と來との間に於て忐忑不定するを指すか。答えて言う:亦た不是なり。此の一句はただ『繫辞伝』の裏の「日往則月來」のあの一段に對して說くのみ:あの邊の講ずるは天然かくのごとくの往來にして、此處の「憧憧」は則ち私意を摻進したる・好からざる往來なり。所謂「憧憧」は、不過往來の上頭に於て多く一顆の急切忙迫の心を添うるのみ、自然の理に順い得ず。まさに去る時に卽ち急ぎて其れを回來らしめんと要し、まさに回來る時にまた急ぎて其れを出去らしめんと欲す、通篇はただ一箇の「忙」の字のみ。

問:“憧憧往來”,如霸者以私心感人,便要人應。自然往來,如王者我感之也無心而感,其應我也無心而應,周遍公溥,無所私繫。曰:也是如此。又問:此以私而感,彼非以私而應,只是應之者有限量否?曰:也是以私而應、如我以私惠及人,少間被我之惠者,則以我為恩,不被我之惠者,則不以我為恩矣。

ある人が問う:「憧憧往來」は、譬えば霸主が私心を持ち來りて他人を感動して、感ずれば卽ち人家に回應するを非えず要す。而して自然の往來は、譬えば王者の去りて人を感ずる時は無心にして感じ、他人が彼に回應する時も亦是た無心にして應ず、普遍公正にして周流廣大にして、一點の私相牽繫なし。朱熹は答えて言う:亦た正に是れなり。あの人はまた問う:此の一邊は私心を帶びて感ず、あの一邊は未必私心を帶びて應ず、ただ回應する人數に一箇の限量あるのみか。朱熹は答えて言う:あの一邊も亦た同樣に私心を帶びて應ず。譬えば我が私恩を持ち來りて人に施與すれば、些時を過ぎて、我が恩惠を得たりし人は便ち我を恩人と做し、我が恩惠を得ざりし人は便ち我を恩人と做さず。

胡氏炳文曰:“寂然不動”,心之體。“感而遂通”,心之用。“憧憧往來”已失其寂然不動之體,安能感而遂通天下之故?“貞吉悔亡”,無心之感也,何思何慮之有?“憧憧往來”,私矣。林氏希元曰:以“憧憧往來”反《觀》九四之貞,只是往來付之無心爾。蓋盡吾所感之道,而人之應與否,皆所不計也,此便是正而固。“憧憧往來”,是把個往來放在心上,切切然不能放下,故曰“何思何慮”,言其不消如此。

集説は胡炳文の説を引く:『繫辞伝』の講ずる「寂然不動」は、心の本體なり。「感而遂通」は、心の作用なり。「憧憧往來」は已にあの寂然不動の本體を丟掉せり、またどうして一感すれば卽ち天下の事理を通達せんや。「貞吉悔亡」の講ずるは私心を起さざるの感應にして、どこにかなお可思可慮する何かあらん。「憧憧往來」に至れば、則ち私に落入せり。集説は林希元の説を引く:「憧憧往來」より反って九四のあの「貞」の字を看れば、知るべし所謂貞は、ただ往來を一概に無心に交付するのみなり。すなわち說く、我はただ我自己の感ずべき道理を盡くし、他人の應ずるか應ぜざるかは、一概に去りて計較せず、これ便ち端正にして堅定なり。「憧憧往來」は、則ち此の一往一來を心の上に擱き、牽腸掛肚して放下し得ず。ゆえに『繫辞伝』は纔に「何思何慮」と說く、すなわち人に告げて此のごとくするを須いざるなり。

又曰:“貞”者,施己之感,不必人之應也。惟不必人之應,則不私己之感,其應者亦感,其不應者亦感,無一人之不感,亦無一人之不應,故“吉”而“悔亡”。“憧懂往來”者,施己之感,必人之應也。唯必人之應,則私己之感,應者則感,不應者則不感,而其應之,亦唯其感者即應,不感者則不應矣,故“朋從爾思”。蓋“憧憧往來”,思也,朋則思之所及者,以其思之所及,故從而目之曰朋,猶云朋黨也。

林希元はまた言う:所謂「貞」は、我が自己の有すべき感應を施し出して、竝びに人家の一定に回應するを指望せず。ただ其の人家の回應するを指望せざるに因りて、亦た自己の感應を私有に據さず。我に回應するは、我は照樣に去りて感じ。我に回應せざるは、我も亦た照樣に去りて感ず。ここに於て一箇人として我が感ずる內に在らざるなく、亦た一箇人として來りて回應せざるなし。ゆえに「吉」にして「悔亡」。「憧憧往來」に至れば、則ち我が感應を施し出して、人家に回應するを非えずして可ならずと要す。ただ其の人家に回應するを非えず要するに因りて、卽ち自己の感應を私有に變成す。我に回應するは我は纔に去りて感じ、我に回應せざるは卽ち去りて感ぜず。而して人家の我に回應するも、亦たただ我が感到するあの些の人のみ纔に回應し、我が感到せざるは卽ち回應せず。ゆえに「朋從爾思」と言う。「憧憧往來」の講ずるはまさにあの「思」なり。「朋」は則ち此の份の思慮の顧及し得る一批の人なり。彼らは思慮の及ぶ所の範圍の裏に落つるに因りて、ゆえに便ち彼らを「朋」と叫ぶ、朋黨に言うに等し。

九五,咸其脢,無悔。本義 “脢”,背肉。在心上而相背,不能感物,而無私繫,九五適當其處,故取其象,而戒占者以能如是,則雖不能感物,而亦可以“無悔”也。

九五の爻辞は說く:感應は背脊の肉の上に發動す、悔恨なし。朱熹『本義』は言う:「脢」は背脊の上の肉なり。其れは心の上方に長りて心と正好背對す、すでに外物を感動し得ず、亦た卽ち私心の牽繫あらじ。九五は恰好此の部位に當る。ゆえに此の象を取りて、竝びに此に藉りて占問の人に告戒す:能く此の地步を做し到れば、然らば雖も外物を感動し得ざるも、倒って亦た悔恨なきを得べし。

程傳 九居尊位,當以至誠感天下。而應二比上。若係二而說上,則偏私淺狹,非人君之道,豈能感天下乎?脢,背肉也,與心相背而所不見也。言能背其私心,感非其 集說 孔氏穎達曰:馬融云:“脢”,背也;鄭康成云:“脢”,脊肉也;王肅云:“脢”在背而夾脊。諸說不同,大體皆在心上。王氏宗傳曰:上六處《咸》之末,以口舌為容悅之道,五或以其近己也,比而說之。“脢”,背肉也,與心相背者也。戒之使背其心之所向,則無親狎之悔矣。

程頤『伊川易伝』は言う:九は陽爻を以て尊位に居り、もとより當以至誠を持ち來りて天下を感動すべし。然るに其れは下に六二と相「應與」し、上また上六に緊挨す。倘も六二に牽繫しまた上六を喜愛せば、則ち偏私狹隘にして、是れ君主を做るの路數にあらず、どこにかなお天下を感動し得んや。「脢」は背脊の上の肉にして、心と正好相背して彼此見えず。これは說く、能く自己の私心を背棄すれば、感ずる所は卽ち——此處底本に脫文あり、『程伝』の一段は此處に到りて斷ず。集説は孔穎達の説を引く:馬融は「脢」を講じて卽ち背とす。鄭玄は「脢」を講じて脊背の上の肉とす。王肅は「脢」を講じて背の上に在りて脊骨を夾むとす。諸家の說法は一ならざれど、然るに大體は皆心の上方に在るを指す。集説は王宗傳の説を引く:上六は《咸》卦の末位に處して、口舌を靠りて人の歡喜を討す。九五は或いは其れの自己に離るる最も近きに因りて、便ち親比して之を喜愛す。「脢」は背脊の肉にして、心と正に相背す。爻辞は九五に告戒するに在り、要するに身を背け過ぎて心の裏のあの點の向往に順わず、かようにすれば卽ち親昵狎近の悔恨あらじ。

上六,咸其輔頰舌。本義 “輔頰舌”,皆所以言者,而在身之上。上六以陰居說之終,處感之極,感人以言,而無其實,又兌為口舌,故其象如此,凶咎可知。

上六の爻辞は說く:感應は牙床・面頰と舌頭の上に發動す。朱熹『本義』は言う:「輔頰舌」は皆用いて說話する器官にして、しかも身體の最上部に長る。上六は陰爻を以て兌の此の喜悅の體の終點に居り、また整箇の感應過程の極點に處し、專ら言語を持ち來りて他人を打動して而して實在の內容なし。再び加うるに兌は卦象の上に正に口舌を代表す。ゆえに此の一爻の取象は此の樣子にして、凶險と過咎とも亦た想うべく知れる。

程傳 上陰柔而說體,為說之主。又居感之極,是其欲感物之極也。故不能以至誠感物,而發見於口舌之間,小人女子之常態也,豈能動於人乎?不直云口,而云“輔頰舌”,亦猶今人謂口過曰唇吻,曰頰舌也。“輔頰舌”,皆所用以言也。

程頤『伊川易伝』は言う:上六は本身陰柔にして、また兌の此の喜悅の體に属し、是れ喜悅の主爻なり。再び加うるに其れは感應の極點に居りて、其れの他人を打動せんと欲する心思も亦た極點に到れるを說明す。正にかくのごとくに因りて、其れは至誠を拿出して人を感ずるを得ず、ただ能く功夫を口舌の上頭に花す、これ見識淺短の人と一般女子の常態なり、どこに能く真に他人を打動せんや。爻辞は徑直に一箇の「口」の字を說かずして、卻って「輔頰舌」と說く、亦たちょうど今人の嘴の上の過失を說くに、「唇吻」と說成し「頰舌」と說成する一樣なり。「輔頰舌」の此の三樣は、皆人の用いて說話する部位なり。

集說 王氏弼曰:“輔頰舌”者,所以為語之具也。“咸其輔頰舌”,則滕口說也。“憧幢往來”,猶未光大,況在滕口,薄可知也。郭氏忠孝曰:《易》稱“近取諸身”,獨《咸》、《艮》二卦言之為詳,而其成終有特異,豈非《咸》極於說,《艮》終於止耶?觀艮其輔,言有序為可知矣。

集説は王弼の説を引く:「輔頰舌」は人の用いて講話する工具なり。「咸其輔頰舌」は、すなわち口を張りて空談し・ただ口舌の利を逞しくするなり。九四のあの「憧憧往來」を連れてもなお且つ光明博大と算し得ず、何况此處は已に誇誇其談に淪落せり、其の淺薄は想うべく知れる。集説は郭忠孝の説を引く:『繫辞伝』は聖人の『易』を作るに「近取諸身」を講ず、其の中ただ《咸》《艮》の兩卦のみ身體の各部位を講ずること最も詳備にして、而して此の兩卦の收尾の處もまた特別に同じからず。これ竝びに正に《咸》卦の「喜悅」の上に終結し、《艮》卦の「靜止」の上に終結するに因らざらんや。《艮》卦の六五の「艮其輔、言有序」を說くを看れば、兩兩相對照して卽ち明白せり。

總論 鄭氏汝諧曰:卦言感應之理,六爻皆不純乎吉,何也?卦合而言之,爻析而言之,天地感而萬物化生,聖人感人心而天下和平,《咸》之全也。六爻之所感不同,《咸》之偏也。自初至上,皆以人身為象。囿於有我,安能無所不感乎!

總論は鄭汝諧の説を引く:《咸》卦の講ずるは感應の道理なり、然るに六爻は卻って一爻として純粹吉利なるなし、是れ何故か。一卦は合して通看し、六爻は拆き開きて分說するに因る。『彖伝』の講ずる「天地感而萬物化生、聖人感人心而天下和平」は、あれは《咸》卦の完整周全の一面なり。六爻の各々感ずる所の部位・程度は皆同じからず、あれは《咸》卦の一隅に偏るの一面なり。初爻より上爻に到るまで、一律に人身の某箇の部位を持ち來りて象を取る、すでに一箇の「我」の字に圈住せられたる以上、またどこに能く感ぜざるなきを做到せんや。

易氏祓曰:“咸”,感也。感以心為主,而偏體皆所感之一。初“咸其拇”。二“咸其腓”,三“咸其股”,五“咸其脢”,上“咸其輔頰舌”,皆感其偏體者也。所感出於心,故皆以“咸”字明之。九四在上下之間,其位在心,故不言咸而言所感之道。

總論は易祓の説を引く:「咸」は感應なり。感應は心を以て主宰と爲し、而して身上の各箇の局部は不過感ずる所の其の中の一處なり。初六は「咸其拇」を說き、六二は「咸其腓」を說き、九三は「咸其股」を說き、九五は「咸其脢」を說き、上六は「咸其輔頰舌」を說く、講ずるは皆身上の某一箇の局部の感動せらるるなり。此の些の感應はすでに皆心より出づる以上、ゆえに每一爻は皆一箇の「咸」の字を用いて標明す。ただ九四のみ上下體の間に夾まりて、其の位置は正に心に當る。ゆえに爻辞は再び「咸其某處」を說かずして、而して直接感應其れ自體の道理を講ず。

邱氏富國曰:《咸》六爻以身取象,上卦象上體,下卦象下體。初在下體之下為“拇”,二在下體之中為“腓”,三在下體之上為“股”,此下卦三爻之序也。四在上體之下為心,五在上體之中為“脢”,上在上體之上為口,此上卦三爻之序也。龔氏煥曰:《咸》以人身取象,與《艮》卦相類,但《咸》感《艮》止,感者動而止者靜,故《咸》諸爻,不如《艮》吉多而凶少。

總論は邱富國の説を引く:《咸》卦の六爻は皆人身を持ち來りて象を取る、上卦は身體の上半截に對應し、下卦は身體の下半截に對應す。初六は下半截の最下端に在り、ゆえに是れ「拇」、脚の大拇指なり。六二は下半截の中間に在り、ゆえに是れ「腓」、小腿肚なり。九三は下半截の上端に在り、ゆえに是れ「股」、大腿なり——これ下卦の三爻の次第なり。九四は上半截の下端に在り、ゆえに是れ心なり。九五は上半截の中間に在り、ゆえに是れ「脢」、背脊の肉なり。上六は上半截の最上端に在り、ゆえに是れ口なり——これ上卦の三爻の次第なり。總論は龔煥の説を引く:《咸》卦は人身を持ち來りて象を取るは、《艮》卦と同一類の做法なり。ただ《咸》は感を講じ《艮》は止を講ず、感は動に属して止は靜に属す。ゆえに《咸》卦の各爻は、《艮》卦のあの樣の吉多く凶少なきに比ぶべからず。

恆卦(震上巽下)

程傳 《恆序卦》:“夫婦之道,不可以不久也,故受之以恆。恆,久也。”咸夫婦之道,夫婦終身不變者也,故咸之後受之以恆也。咸少男在少女之下,以男下女,是男女交感之義。恆長男在長女之上,男尊女卑,夫婦居室之常道也:論交感之情,則少為親切。論尊卑之序,則長為謹正。故兌艮為《咸》,而震巽為《恆》也。男在女上,男動於外,女順於內,人理之常,故為恆也。又剛上柔下,雷風相與,巽而動,剛柔相

程頤『伊川易伝』は言う:《恆》卦の下の『序卦伝』は講ず:「夫婦の道は以て久しからざるべからず、ゆえに《咸》卦の後に接ぐるは《恆》卦なり。恆は、すなわち長久なり。」《咸》の講ずるは夫婦の道にして、而して夫婦は終身不變するを要す。ゆえに《咸》の後は緊接して《恆》なり。《咸》卦は少男は少女の下に在りて、男方は女方の下に屈居す、取る所は男女の交相感動の意思なり。《恆》卦は長男は長女の上に在りて、男尊女卑なり、取る所は夫婦の居家日子を過ぐるの恆常の道なり。交相感動の情意に就いて論ずれば、年少はいよいよ親切なり。尊卑長幼の次序に就いて論ずれば、年長はいよいよ端謹にして正を守る。ゆえに兌艮相配して《咸》卦を成し、震巽相配して《恆》卦を成す。男は女の上に在りて、男子は外に於て奔走行動し、女子は內に於て柔順に家を持つ、これ人倫の常態なり。ゆえに「恆」と作す。此の外此の一卦は還く陽剛の上に在り・陰柔の下に在りにして、雷と風とは彼此相應相助し、順從して而る後に行動し、剛と柔とは——此處底本に脫文あり、『程伝』の此の一段は此處に到りて中斷す。

恆,亨,無咎,利貞,利有攸往。本義 恆,常久也。為卦震剛在上,巽柔在下,震雷巽風,二物相與,巽順震動,為巽而動,二體六爻陰陽相應,四者皆理之常,故為恆。其占為能久於其道,則“亨”而“無咎”。然又必利於守正,則乃為得所常久之道,而利有所往也。

《恆》卦の卦辞は說く:亨通、過錯あらじ、正を守るに利あり、前往するに利あり。朱熹『本義』は言う:恆は、すなわち恆常長久なり。卦體に就いて論ずれば、震の此の陽剛の卦は上に在り、巽の此の陰柔の卦は下に在り。震は雷と爲し巽は風と爲し、兩樣の物は彼此相助す。巽は順從・震は行動にして、合して便ち順從して而る後に行動す。上下二體の六爻はまた皆陰陽の彼此「應與」なり。此の四層は皆常理なり。ゆえに此の一卦は名を「恆」と爲す。其の「占辞」は:能く長久に自己の正道を堅守すれば、卽ち亨通して過錯あらじ。然るにまた必ず正を守るを以て利と爲してこそ、纔に真に以て恆久すべき路子を得着するを得と算し、ここに因って前往するに利あり。

程傳 恆者常久也,《恆》之道可以亨通,恆而能“亨”,乃‘無咎”也。恆而不可以亨,非可恆之道也,為有咎矣。如君子之恆於善,可恆之道也。小人恆於惡,失可恆之道也。恆所以能亨,由貞正也。故云“利貞”。夫所謂恆,謂可恆久之道,非守一隅而不知變也,故利於有往。唯其有往,故能恆也,一定則不能常矣。又常久之道,何往不利?

程頤『伊川易伝』は言う:恆はすなわち恆常長久なり。《恆》卦の講ずる道理は以て亨通し得べし。能く恆守してまた能く亨通してこそ、纔に過錯あらじと談じ得べし。たとえば恆守し下るも卻って通ずるを得ざれば、則ち其れはもとより以て恆守すべき路子にあらざるを說明し、反って過錯あるを要す。譬えば君子は恆久に善を守る、あれは以て恆守すべき路子なり。小人は恆久に惡を幹る、あれは卽ち恆守すべき道を丟掉せり。恆の能く亨通する所以は、靠る所は端正にして中を守るなり。ゆえに卦辞は「利貞」と說く。所謂「恆」は、指す所は以て長久に施行すべき道理にして、竝びに一箇の角落を死守して時に随って變通するを知らざるにあらず。ここに因って纔に「利有攸往」なり。ただ其の往く所有るを肯んずるに因りて、纔に能く真に恆久す。一旦僵死して動かざれば、反って持久し能わず。再び說く、真に恆常長久の道は、どこへ往かば順利ならざるあらんや。

集說 《朱於語類》云:“恆”是個一條物事,徹頭徹尾不是尋常字,古字作,其說象一支船,兩頭靠岸,可見徹頭徹尾。徐氏幾曰:《恆》有二義,有不易之恆,有不已之恆。“利貞”者,不易之恆也。“利有攸往”者,不已之恆也。合而言之乃常道也,倚於一偏,則非道矣。林氏希元曰:唯其不易,所以不已。

集説は『朱子語類』を引いて說く:「恆」の字の指す所は一條の頭より尾に貫く物にして、徹頭徹尾、竝びに平常隨便の字にあらず。其の古文字形(底本此處一字を缺き、原當に古體を錄出す)、解說に據れば一隻の船のごとくにして、兩頭は皆岸に靠る、其の首尾を貫通するの義を見るべし。集説は徐幾の説を引く:《恆》卦は兩層の意思を含む、一層は「不改易」の恆、一層は「不停息」の恆なり。卦辞の講ずる「利貞」は、說く是不改易のあの種の恆なり。講ずる「利有攸往」は、說く是不停息のあの種の恆なり。兩層を合して纔に恆常の道なり。どの一頭に偏するも、皆道にあらず。集説は林希元の説を引く:正に其の改易せざるに因りて、ゆえに纔に能く停息せず。

初六,浚恆,貞凶,無攸利。本義 初與四為正應,理之常也。然初居下,而在初未可以深有所求。四震體而陽性,上而不下,又為二三所隔,應初之意,異乎常矣。初之柔暗不能度勢,又以陰居巽下,為巽之主,其性務入,故深以常理球之,“浚恆”之象也。占者如此,則雖正亦凶,而無所利矣。

初六の爻辞は說く:一開頭より恆常の求を深く掘り過ぐれば、たとえ正を守るも凶險あり、何の好處もなし。朱熹『本義』は言う:初六は九四と陰陽相配の正「應與」なり、これもとより常理なり。然るに初六は最下位に居りて、また事情の剛に起頭する階段に處し、なお當に對方に對して太も深き索求あるべからず。九四は震體に属して陽剛の性を秉り、一味に上に向かいて俯就するを肯んぜず、中間はまた九二・九三に隔斷せられ、其の初六に回應する心意は、已に常態に合せざりしか。初六は柔弱昏昧にして、形勢を估量し出せず、また陰爻を以て巽卦の最下位に居り、是れ巽の主爻なり、巽の性子は專ら裏に往きて鑽るに在る。ゆえに其れは卽ち常理に照りて一味に深處に向かって求索す、これ便ち「浚恆」の象なり。占問の人はもし此のごとく行事せば、然らば縱使自己は正しく站つも、一樣に凶を致して、任何の好處を得ず。

程傳 初居下而四為正應,柔暗之人,能守常而不能度勢。四震體而陽性,以剛居高,志上而不下,又為二三所隔,應初之志,異乎常矣。而初乃求望之深,是知常而不知變也。“浚”,深之也。“浚恆”,謂求恆之深也。守常而不度勢,求望於上之深,堅固守此,“凶”之道也。泥常如此,無所往而利矣。世之責望故素而致悔咎者,皆浚恆者也。志既上求之深,是不能恆安其處者也。柔微而不恆安其處,亦致凶之道。凡卦之初終,淺與深,微與盛之地也,在下而求深,亦不知時矣。

程頤『伊川易伝』は言う:初六は下位に居りて九四を以て正「應與」と爲す。其れは箇柔弱昏昧の人にして、ただ常規を死守するを知りて形勢を估量するを會せず。九四は震體に属して性は陽剛に属し、剛爻を以て高位に居り、心志は一味に上に向かいて下に往きて俯就するを肯んぜず、中間はまた九二・九三に阻隔せられ、其の初六に回應する心意は、早く已に尋常と同じからず。初六は卻って偏偏と之に向かって索求指望することあの樣に深し、これすなわちただ常理を知りて變通を知らざるなり。「浚」は深處に往きて挖るの意思、「浚恆」はすなわち恆常の誼を求取すること深きに過ぐるなり。常規を死守して形勢を估量せず、上面に對して指望すること深に過ぎ、還く牢牢と此の念頭を守住して放さず、まさに凶を致すの路數なり。かように常規に拘泥すれば、どこへ往くも好處を得ず。世上のあの舊日の交情を持ち來りて他人を責求指望して、結果は悔恨過咎を招來するは、皆「浚恆」の此の一類に属す。心志はすでに一味に上に向かって索求することあの樣に深ければ、亦た卽ち其れの自己の現有の處境に安んじ得ざるを說明す。もとより柔弱微小にして卻って本位に安んじ得ざるは、同じく凶を致すの路數なり。凡そ一卦の初爻と上爻とは、まさに淺と深・微と盛の所在なり。身は最下位に在りて卻って索求すること最も深し、これ亦た時勢を識らざるなり。

集說 陸氏希聲曰:常之為義,貴久於其道日以浸深,初為常始,宜以漸為常,而體巽性躁,遽求深入,是失久於其道之義,不可以為常,故“貞凶”。胡氏瑗曰:天下之事,必皆有漸,在乎積日累久,而後能成其功。是故為學既久,則道業可成,聖賢可到;為治既久,則教化可行,堯舜可至。若是之類莫不由積日累久而後至,固非驟而及也。初六居下卦之初,為事之始,責其長久之道,永遠之效,是猶為學之始,欲亟至於周孔;為治之始,欲化及於堯舜,不能積久其事,而求常道之深,故於貞正之道,見其凶也。“無攸利”者,以此而往,必無所利,孔子曰;“欲速則不達”是也。

集説は陸希聲の説を引く:「恆」の此の字の意義の可貴の處は長久に自己の道を守住して、日積月累に一天天深く下るに在り。初六は恆常の起頭にして、もとより當に循序漸進して之を養成して恆常と爲すべきに、然るに其れは身を巽體に在りて性情躁急にして、一上來れば卽ち深入を要求す、これ卽ち「久于其道」の本義を丟掉して、真の恆常を成し得ず。ゆえに爻辞は「貞凶」と說く。集説は胡瑗の説を引く:天下の事情は必定に皆一箇の漸進の過程あり、日子の一天天累積・時間の一點點堆起るに靠りて、然る後にこそ其の功效を成就し得べし。ゆえに學を求むること久しきを求得れば、學問道業は卽ち成就し得て、聖賢の境地は卽ち到達し得べし。國家を治理すること久しきを治めれば、敎化は卽ち推行し得て、堯舜の太平は卽ち企及し得べし。此のごとき諸類は、日積月累に靠りて纔にあの一歩に走り到るにあらざるなし、もとより卽ち一蹴にして就くにあらず。初六は下卦の最初の一位に處して、正に事情の開端に當る、卻って之に向かって長久の道・久遠の效を索取せんと欲す、これ譬えば剛に讀書を開始して卽ち立刻に周公孔子に趕上せんと想い、剛に政を理し開始して卽ち立刻に堯舜の一樣に敎化したらんと想うがごとし。事情をして慢慢累積せしむるを肯んぜずして、卻って一味に恆常の道を求むること深きに過ぐ。ゆえに卽ち此のもとより當に端正すべき路上に於て凶を看出せり。所謂「无攸利」は、すなわち此の樣に照りて走り下れば、必定に任何の好處を得ざるなり、孔子の言う「欲速則不達」は、まさに此の道理なり。

王氏申子曰:恆,久也。天下可久之事,豈一朝夕所能致者?初六質柔而志則。質柔故昧於遠見,志剛故欲速不達,處恆之初,是方為可久之計者,而遽焉求深,故曰“浚恆”。非急暴而不能恆,則必苟且而不可恆矣。貞固守此以為恆,取凶之道也,何所利哉。案 此爻義,陸氏、胡氏、二王氏俱與《傳》義異,於卦義尤為精切可從。蓋凡事漸則能久。不漸則不能久矣。孟子所謂其進銳者,其退速也。

集説は王申子の説を引く:恆はすなわち長久なり。天下凡そ能く長久する事は、どこに一朝一夕に辦成するを得んや。初六の質地は柔弱にして心志は卻って剛急なり(底本此處「志則」の下に一「剛」の字を脫したりと疑う)。質地柔弱なれば、ゆえに長遠を看るに到らず。心志剛急なれば、ゆえに快を求めて反って到達せず。其れは恆道の起頭に處して、もとよりまさにあの長久すべき打算を籌劃せんとするに、卻って匆匆忙忙として卽ち深處に往きて求む。ゆえに「浚恆」と叫ぶ。此のごとき人は急躁暴進に因って恆し下らざるにあらざれば、卽ち必定に苟且敷衍に因って恆し下らず。牢牢と此の一套を守住して竝びに之を以て恆常と作すは、まさに自ら凶險を取るの路數なり、能く何の好處かあらん。李光地が按する:此の一爻の意義は、陸希聲・胡瑗および王氏の兩家の講法は皆『程伝』と同じからざれど、而して卦義に切合する上に於て尤其に精當にして從うべし。大凡事情は能く循序漸進すれば卽ち能く長久し、能く循序漸進せざれば卽ち長久する能わず。これ亦たすなわち『孟子』の言う所の「其進鋭者、其退速」なり。

九二,悔亡。本義 以陽居陰,本當有“悔”,以其久中,故得“亡”也。程傳 在《恆》之義,居得其正,則常道也。九陽爻,居陰位,非常理也。處非其常,本當有“悔”,而九二以中德而應於五,五復居中,以中而應中,其處與動,皆得中也,是能恆久於中也。能恆久於中,則不失正矣,中重於正,中則正矣,正不必中也。九二以剛中之德而應於中,德之勝也,足以“亡”其“悔”矣,人能識重輕之勢,則可以言《易》矣。

九二の爻辞は說く:悔恨は消失す。朱熹『本義』は言う:九二は陽爻を以て陰位に居り、もとより當に「悔」あるべきに、其れは能く長久に中位を守住するに因りて、ゆえに悔恨は以て消解を得。程頤『伊川易伝』は言う:《恆》卦の義理に按ずれば、居る所能く其の正を得れば、纔に恆常の道なり。九は陽爻にして、卻って陰位の上に居る、これ常理に合せず。處する所はすでに其の常に合せざれば、もとより當に悔あるべし。然るに九二は居中の德を具備し、また六五と相「應與」し、六五も亦た同樣に上體の中位に居る、是れ中を以て中に應ず、然らば其れは靜處するも行動するも皆中道に合乎す、これすなわち能く恆久に中を守るなり。能く恆久に中を守れば、亦た卽ち正を失わざらん。「中」は「正」に比べていよいよ要緊なり:中を守住すれば自ずと正しく、而して正しく站つも未必卽ち中なり。九二は剛健守中の德を以て去りて同樣に中を守る六五に應合す、是れ德性は位置の不當に勝過して、以てあの點の悔恨を消解掉するに足る。人はもし能く輕重の間の分量を辨え清ければ、卽ち以て彼と『周易』を談ずべし。

集說 程氏迥曰:《大壯》九二,《解》初六,及此爻,皆不著其所以然,蓋以爻明之也。案 恆者,常也。中則常矣。卦唯此爻以剛居中,《大壯》之壯。戒於太過,而四陽爻唯二得中。《解》“利西南”,貴處後也,而卦唯初六為最後。此皆合乎卦義而甚明者,故直系以吉占而辭可略也。

集説は程迥の説を引く:《大壯》卦の九二・《解》卦の初六、および《恆》卦の此の一爻は、爻辞は皆其のかくのごとくなる所以の緣由を交代せず、あれはただ爻の位置を看るのみに因って已に不言自明なるに因る。李光地が按する:恆はすなわち常なり、能く中を守れば亦た能く常を守る。《恆》卦の六爻の裏はただ九二の此の一爻のみ陽剛にして中位に居る。《大壯》卦の講ずるは壯盛にして、最も提防するを要するは頭を過ぐるなり、而して四箇の陽爻の當中も亦たただ九二のみ中に居る。《解》卦は「利西南」を講ず、可貴の處は人の後に居るに甘んずるに在り、而して全卦の裏はただ初六のみ最後に站つ。此の些は皆卦義と絲絲相合して明白にして疑いなし。ゆえに爻辞は以て徑直に一句の吉利の「占辞」を繫上して、而して多く解釋を作るを須いず。

九三,不恆其德,或承之羞,貞吝。本義 位雖得正,然過剛不中,志從於上,不能久於其所,故為“不恆其德,或承之羞”之象。“或”者,不知其何人之辭。“承”,奉也,言人皆得奉而進之,不知其所自來也。“貞吝”者,正而不恆,為可羞吝,申戒占者之辭。

九三の爻辞は說く:自己の德行を守住し得ざれば、卽ち人ありて羞辱を彼に捧上し來る、此の樣子を守れば卽ち憾惜あり。朱熹『本義』は言う:九三は陽爻を以て陽位に居り、位置は雖も「當位」すれど、然るに剛強に過ぎてまた中位に居らず、心志は一味に上六に跟いて走りて、自己の本位に安んじ得ず。ゆえに「不恆其德、或承之羞」のごとき象あり。「或」は何人を指明せざるの說法、「承」は捧奉の意思にして、說く、人人は皆羞辱を彼の面前に捧げ來るを得、從どこより來るか連れて弄清楚せざらんとするなり。所謂「貞吝」は、說く、雖も正位に占るも卻って能く恆守し得ざるは、まさに可羞可惜の處なり、これ進んで占問者に告戒するの言なり。

程傳 三陽爻,居陽位,處得其位,是其常處也。乃志從於上六,不唯陰陽相應,風復從雷,於恆處而不處,不恆之人也。其德不恆,則羞辱或承之矣。“或承之”,謂有時而至也。“貞吝”,固守不恆以為恆,豈不可羞吝乎?

程頤『伊川易伝』は言う:九三は陽爻の陽位に居る、處する所は「當位」して、もとより卽ち其の身を安し命を立つる常處なり。然るに其の心志は偏に上六に跟いて跑らんと要す:不獨り陰陽兩爻のもとより相「應與」するに因るのみならず、而且下卦の巽風は還く上卦の震雷に順從せんとす。もとより當に恆守すべき處に於て卻って守住し得ざれば、これすなわち箇の恆心なき人なり。德行はすでに能く恆守し得ざれば、羞辱も亦た時時人に面前に捧げ來らるるのみ。所謂「或承之」は、說く、此の類の羞辱は準を說かず何時に卽ち門に上り找來するなり。所謂「貞吝」は、說く、牢牢と「不恆」の此の一套を守住して竝びに之を以て恆常と當成せば、豈に甚だ可羞可惜ならざらんや。

集說 蘇氏軾曰:《咸》、《恆》無完爻,以中者用之,可以悔亡。以不中者用之,無常之人也,故九三“不恆其德”。王氏申子曰:人之為德,過乎中則不能恆。三過乎中矣,且以剛居剛,而處巽之極。過剛則躁,巽則不果,是無恆者也。案 《易》所最重者中,故卦德之不善者,過乎中則愈甚,《睽》、《歸妹》之類是

集説は蘇軾の説を引く:《咸》《恆》の兩卦は一爻として十全なるなし。居中の爻に由りて擔當するは、なお以て悔恨を消掉し得べし。居中せざる爻に由りて擔る爻に由りて擔當するは、卽ち反復無常の人と成る。ゆえに九三は纔に「不恆其德」なり。集説は王申子の説を引く:人の德行を修養するは、一旦中道を過ぎれば卽ち恆守し住めず。九三は已に中位を過ぎ、而且是剛爻の剛位に居りて、また巽體の最上端に處す。剛に過ぎれば卽ち躁進し、巽に属すれば卽ち優柔にして決斷せず、此の樣の人はまさに恆心なきなり。李光地が按する:『周易』の最も看重するは卽ち一箇の「中」の字なり。ゆえに凡そ卦德の其れ自體の好からざるは、一旦中を過ぎれば、毛病はいよいよ嚴重す、《睽》卦・《歸妹》卦の類のごとき是れ——此處底本に脫文あり、按語の下文は殘缺す。

九四,田無禽。本義 以陽居陰,久非其位,故為此象。占者田無所獲,而凡事亦不得其所求也。程傳 以陽居陰,處非其位,處非其所,雖常何益?人之所為,得其道,則久而成功,不得其道則雖久何益?故以田為喻。言九之居四,雖使恆久如田獵而無禽獸之獲,謂徒用力而無功也。

九四の爻辞は說く:打獵して禽獸を打ち得ず。朱熹『本義』は言う:九四は陽爻を以て陰位に居り、長久に一箇のもとより自己に属せざる位置に占る。ゆえに此の象あり。占問の人はちょうど打獵して一獲せざるあの樣に、凡事皆自己の求むる物を得ざらん。程頤『伊川易伝』は言う:陽爻を以て陰位に居るは、處する所は竝びに其の處すべき位置にあらず。位置はすでに錯えたれば、たとえ守ること再び久しきもまた何の用かあらん。人の事情を做するは、路子は對えば、久しければ自ずと成功す。路子は對えざれば、たとえ久しきもまた何の益處かあらん。ゆえに田獵を持ち來りて比喻と作す。これは說く、九は陽爻を以て第四位に居りて、縱使其れは恆久不變に守り下るも、不過ちょうど一場の獵を打ちて卻って一隻の禽獸をも捉えず、白白に力を費して絲毫の功效あらじ。

集說 胡氏媛曰:常久之道,必本於中正。九四以陽居陰,是不正也。位不及中,是不中也。不中不正,不常之人也。以不常之人為治則教化不能行,撫民則膏澤不能下,足猶田獵而“無禽”可獲也。。案 “浚恆”者,如為學太銳而不以序,求治太速而不以漸也。“田無禽”者,如學不衷於聖而失其方,治不准於王而乖其術也。如此則雖久何益哉?韓愈與侯生釣魚之詩,即此“田無禽”之喻也。

集説は胡瑗の説を引く:恆常長久の道は、必定に中正を以て根本と爲す。九四は陽爻を以て陰位に居るは、これ不正なり。其の位置はまた上體の中位に够らず、これ不中なり。すでに中ならずまた正ならずは、すなわち箇の恆常なき人なり。此の樣の人をして去りて國を治めしめれば、敎化は便ち推行し開かず。去りて百姓を安撫せば、恩澤は便ち沾溉し下らず、正好比一場の獵を打ちて卻って「无禽」に獲るべからず。李光地が按する:「浚恆」のあの一爻は、譬えば學を求むること急急切に過ぎて按部就班を肯んぜず、治を求むること快速に過ぎて循序漸進を肯んぜざるがごとし。「田无禽」の此の一爻は、則ち譬えば學問を做するに聖人を以て準と爲さずして門徑を錯え、政治を搞するに王道を以て準と爲さずして手段を歪むるがごとし。此のごとく下れば、たとえ久しきもまた何の用かあらん。韓愈の侯生に寫給するあの釣魚を講ずる詩は、說くはまさに此の「田无禽」の比喻なり。

六五,恆其德貞,婦人吉,夫子凶。本義 以柔中而應剛中,常久不易,正而固矣。然乃婦人之道,非夫子之宜也,故其象占如此。

六五の爻辞は說く:恆久に自己の柔順の德行を守住して改めず、婦人に在りては吉、丈夫に在りては卻って凶。朱熹『本義』は言う:六五は陰柔を以て上體の中位に居りて、去りて同樣に中に居る陽剛の九二に應合し、長久不變、說く可く又正又固とす。然るにこれ終究は婦人を做るの路數にして、竝びに丈夫の走るべき路にあらず。ゆえに此の一爻の取象と「占辞」とは纔に此の樣子なり。

程傳 五應於二,以陰柔而應陽剛,居中而所應又中,陰柔之正也,故恆久其德,剛為貞也。夫以順從為恆者,婦人之道,在婦人則為“貞”,故“吉”。若丈夫而以順從於人為恆,則失其剛陽之正,乃“凶”也。五君位而不以君道言者,如六五之義,在丈夫猶凶,況人君之道乎!在他卦六居君位而應剛,未為失也,在恆故不可耳。君道豈可以柔順為恆也?

程頤『伊川易伝』は言う:六五は九二と相「應與」す、是れ陰柔を以て去りて陽剛に應合す。自己は中位に居りて、應ずる對象も亦た中位に居る、これ陰柔の一方に在りては端正と算す。ゆえに能く恆久に自己の德行を守住して、堅定不移は卽ち其の貞なり。然るに順從を以て恆常と作すは、あれは婦人の路數にして、婦人の身上に落つれば卽ち「貞」と叫ぶ、ここに因って「吉」を得。たとえば身を丈夫と爲して、卻って他人に順從するを以て恆常と作せば、則ち陽剛の正を丟掉せり、ここに於て「凶」。六五はもとより君位にして、爻辞は卻って君主の道に從りて講ぜず、是れ六五のごとき品格は、尋常の丈夫の身上に落ちてもなお且つ凶なるを以て、何况君主を做るの道理をや。別の卦の裏に於て、陰爻の君位に居りて陽剛に應合するは、未必何の過失と算せず、ただ《恆》卦の裏に於て纔に以て可ならざるのみ。君主を做るの道理は、どうして以て柔順を以て恆常と當成せんや。

集說 《朱子語類》:問:“恆其德貞,婦人吉,夫子凶”,德指六,謂常其柔順之德固貞矣,然此婦人之道,非夫子之義。曰:固是如此,然須看得象占分明。六五有“恆其德貞”之象,占者若婦人則“吉”,夫子則“凶”。大抵看《易》須是曉得象占分明。所謂吉凶者,非爻之能吉凶,爻有此象,而占者視其德而有吉凶耳。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、「恆其德貞、婦人吉、夫子凶」の此の句の裏の「德」は六五の此の陰爻を指すか、意思は恆久に自己の柔順の德行を守住するは固然貞と算せど、然るにこれただ婦人の路數にして、丈夫の道義に合せざるなり。朱熹は答えて言う:言は固然是れなれど、然るに必ず「象」と「占」の兩層を分辨清楚するを須う。六五は「恆其德貞」の此の象を具有す、占問の人はもし婦人なれば、卽ち「吉」。もし丈夫なれば、卽ち「凶」。大抵『周易』を讀むは、一定に象と占とを分辨明白するを要す。所謂吉凶は、竝びに爻其れ本身の能く人に吉凶を與うるにあらずして、而して爻はかような象を具備し、再看ば占問者の自身の德性如何にして、吉凶は纔に之に随いて定まるなり。

邱氏富國曰:二以陽居陰,五以陰居陽,皆位不當而得中者也。在二則“悔亡”,而五有“夫子凶”之戒者,蓋二以剛中為常,而五以柔中為常也。以剛處常,能常者也。以柔為常,則是婦人之道,非夫子所尚,此六五所以有從婦之凶。

集説は邱富國の説を引く:九二は陽爻を以て陰位に居り、六五は陰爻を以て陽位に居り、兩爻は皆位置「不當位」にしてまた各自中に居る。然るに九二のあれに在りては結果は「悔亡」にして、六五の此處に在りては卻って「夫子凶」の告戒を下す、原因は卽ち九二は剛健に中を守るを持ち來りて恆常と當成し、六五は柔順に中を守るを持ち來りて恆常と當成するに在り。剛健を以て恆常を守るは、是れ真能く持久するなり。柔順を以て恆常に當るは、則ち婦人の路數と成る、是れ丈夫の崇尙すべき所にあらず。これすなわち六五の婦人に随順する凶ある所以なり。

上六,振恆,凶。本義 振者,動之速也。上六居《恆》之極,處震之終,恆極則不常,震終則過動。又陰柔不能固守,居上非其所安,故有“振恆”之象,而其占則“凶”也。

上六の爻辞は說く:搖動を以て恆常と當成す、凶險あり。朱熹『本義』は言う:「振」は動くこと急促なり。上六は《恆》卦の極點に居りて、また震體の終端に處す。恆は極點に到れば反って常態を失掉し、震は終端に到れば便ち動くこと頭を過ぐ。再び加うるに其れは陰柔にして自己を守住し得ず、最上の一位に占るも又是た其れ安んじ下るを得る處にあらず。ゆえに「振恆」の此の象ありて、而して其の「占辞」は便ち「凶」なり。

程傳 六居《恆》之極,在震之終。《恆》極則不常,震終則動極。以陰居上,非其安處,又陰柔不能堅固其守,皆不常之義也,故為“振恆”,以振為恆也。振者,動之速也。如振衣,如振書,抖擻運動之意。在上而其動無節,以此為恆,其“凶”宜矣。王氏申子曰:振者,運動而無常也。居恆之終,處震之極,恆終則變而不能恆,震極則動而不能止,故有“振恆”之象。在上而動無恆,其“凶”宜矣。

程頤『伊川易伝』は言う:上六は《恆》卦の極點に居りて、また震體の終端に在り。恆は極點に到れば反って再び恆常ならず、震は終端に到れば便ち動くこと極處に到れり。陰爻を以て最上の位に占るは、もとより其の安んじ住める處にあらず。再び加うるに陰柔の質は自己を堅守し得ず:此の幾層は皆「不恆常」の意思なり。ゆえに「振恆」と稱す、すなわち搖動を以て恆常と當成すなり。「振」は動くこと急促にして、衣裳を抖し書冊を抖すがごとく、是れ抖擻振動の意思なり。身を高位に居りて擧動は絲毫節制なく、還く此れを以て恆常と當成せば、「凶」を招來するも亦た理所當然なり。集説は王申子の説を引く:所謂「振」は、すなわち動くこと停まらずして定準なきなり。上六は恆道の終點に居りて、震、震體の極處に處す。恆は終點に到れば便ち變じて恆し下らず、震は極處に到れば便ち動くを顧みて止め得ず。ゆえに「振恆」の象あり。身を高位に在りて擧動に恆常なければ、其の「凶」は自ずと應有なり。

總論 邱氏富國曰:恆中道也,中則能恆,不中則不恆矣。《恆》卦六爻,無上下相應之義,唯以二體而取中焉,則恆之義見矣。初在下體之下,四在上體之下,皆未及乎恆者,故泥常而不知變,是以初“浚恆”,四“田無禽”也。三在下體之上,上在上體之上,皆已過乎恆者,故好變而不知常,是以三不恆而上“振恆”也。

總論は邱富國の説を引く:恆の講ずるは卽ち中道なり、能く中を守れば卽ち能く恆久し、能く中を守らざれば卽ち恆久する能わず。《恆》卦の六爻は上下相「應與」の路子を取らずして、ただ上下二體に就いて各自一箇の「中」の字を取れば、恆の意義は便ち顯出せり。初六は下體の最下端に在り、九四は上體の最下端に在り、皆未だ「恆」の火候に够到らず。ゆえにただ能く常規に拘泥して變通を知らず、ここに於て初六は「浚恆」と成り、九四は「田无禽」と成る。九三は下體の最上端に在り、上六は上體の最上端に在り、皆已に「恆」の分寸を越過せり。ゆえにただ變を貪るを知りて常を守るを知らず、ここに於て九三は「不恆其德」、上六は「振恆」なり。

唯二五得上下體之中,知恆之義者,而五位剛爻柔,以柔中為恆。故不能制義,而但為婦人之吉。二位柔爻剛,以剛中為恆,而居位不當,亦不能盡守常之義,故特言悔亡而已。恆之道,豈易言哉!李氏舜臣曰:《咸》、《恆》二卦其彖甚善,而六爻之義,鮮有全吉者,蓋以爻而配六位,則陰陽得失,承乘逆順之理,又各不同故也。

邱富國は続けて言う:ただ九二・六五は分別に上下二體の中位を得着して、「恆」の意義を懂得すると算す。然るに六五は位置は剛に属して爻體は柔なり、柔順に中を守るを持ち來りて恆常に當る。ゆえに大義を裁斷し得ずして、ただ一箇の「婦人吉」を落得するのみ。九二は位置は柔に属して爻體は剛なり、剛健に中を守るを持ち來りて恆常に當る、然るに居る所の位置は竝びに「當位」せずして、亦た能く常を守るの道理を盡し得ず。ゆえにただ一句の「悔亡」を說くのみ。恆久の道は、どこに容易く說き清むるを得んや。總論は李舜臣の説を引く:《咸》《恆》兩卦の『彖辞』は皆講ずること極好なれど、然るに六爻の意義は少なく全然吉利なる、あれは爻を六箇の位次の上に分配して以後、陰陽の得位失位・承接と凌乘・悖逆と順從の此の些の道理は、各爻もまた皆相同じからざる緣故なり。

遯卦(乾上艮下)

程傳 《遯序卦》:“恆者久也,物不可以久居其所,故受之以遯。遯者退也。”夫久則有去,相須之理也,遯所以繼恆也。遯,退也,避也,去之之謂也。為卦天下有山,天在上之物,陽性上進,山高起之物,形雖高起,體乃止物,有卜陵之象而止不進,天乃上進而去之,下陵而上去,是相違遯,故為遯去之義,二陰生於下,陰長將盛,陽消而退,小人漸盛,君子退而避之,故為遯也。

程頤『伊川易伝』は言う:《遯》卦の下の『序卦伝』は講ず:「恆は長久なり、然るに萬物は能く長久に同一の處に待在るべからず、ゆえに《恆》卦の後に接ぐるは《遯》卦なり。遯は、すなわち退なり。」長久の後は必ず離去あるを要す、これ彼此相因相待の道理なり。ゆえに《遯》卦は《恆》卦の後面に接ぐ。遯は、すなわち退・すなわち避、亦たすなわち離開の意思なり。卦象に就いて說けば、是れ天底の下に山有り:天は上方に居る物にして、陽性はまた一味に上に向かう。山は高く隆起する物にして、形體は雖も高聳すれど、其の本本體は卻って靜止不動なり。山は上に向かって凌逼する勢ありて停住して再び前に往かず、天は卻って徑自に上升して其れを離れ遠ざかる。下面のは上に往きて逼り、上面のは卻って上に往きて走開す、これすなわち彼此背離して退避す、ゆえに「遯去」の義を取る。再び爻を看れば、兩箇の陰爻は下面より生出し來りて、陰氣は漸長して將に旺盛ならんとし、陽氣は消退して後撤す、まさに小人の一天天勢を得るがごとく、君子は便ち身を退きて躲開す。ゆえに《遯》と作す。

遯,亨,小利貞。本義 遯,退避也。為卦二陰浸長,陽當退避,故為《遯》,六月之卦也。陽雖當遯,然九五當位,而下有六二之應,若猶可以有為,但二陰浸長於下,則其勢不可以不遯,故其占為君子能遯則身雖退而道亨,小人則利於守正,不可以浸長之故,而遂侵迫於陽也。小謂陰柔小人也,此卦之占,與否之初二兩爻相類。

《遯》卦の卦辞は說く:亨通、小者は正を守るに利あり。朱熹『本義』は言う:遯はすなわち退避なり。卦體に就いて看れば、兩箇の陰爻は正に逐漸生長し、陽氣は當に退避すべし。ゆえに《遯》と作す、其れは六月の卦に配す。陽は雖も退くべき時に到れるも、然るに九五は陽爻の陽位に居るは「當位」する、下面にまた六二ありて之と相「應與」す、看るに似たり還く一番の作爲あり得べしとす。ただ兩箇の陰爻は下頭に於て一天天生長すれば、形勢の上は便ち退避せざる能わず。ゆえに其の「占辞」は:君子はもし能く時に及んで退避せば、身は雖も退くも守る所の道は反って亨通す。小人は則ち正道を守住するに利あり、以て自己の氣勢の漸長するを仗りて、便ち步步進逼して陽剛に及ぶべからず。「小」は指す所は陰柔の小人なり。此の一卦の占斷は、《否》卦の初六・六二の兩爻の意思と相近きなり。

程傳 遯者陰長陽消,君子遯藏之時也。君子退藏以伸其道,道不屈則為亨,故遯所以有“亨”也。在事亦有由遯避而亨者,雖小人道長之時,君子知幾退避固善也。然事有不齊,與時消息,無必同也,陰柔方長而末至於甚盛,君子尚有遲遲致力之道,不可大貞而尚利小貞也。

程頤『伊川易伝』は言う:《遯》卦の講ずるは陰氣生長・陽氣消退、まさに君子の退隱藏身する時なり。君子の退藏するは、爲す所は自己の守る所の道をして伸展し得しめんとするなり。道は屈折を受けざれば、卽ち亨通なり。ゆえに「遯」の裏頭は一箇の「亨」の字を含む。具體の事情の上に落つれば、亦た確かに退避に靠りて纔に亨通を得るあり。雖も說く是れ小人の氣焰の上升する時節なれど、君子は能く苗頭を看出して及早に退避すれば、固然好し。然るに事情は千差萬別にして、時勢の消長に随って定まるを要し、人人皆一樣ならざるを必せず。陰柔の剛に生長して未だ極盛に到らざる時に當りては、君子は仍ほ從容遲緩・繼續して力を出すの餘地あり。ゆえに能く大張旗鼓に一味に正を守るべからずして、而してただ小處に於て正を守るに宜しきのみ。

集說 朱子《易說》問:《遯》“小利貞”,《本義》謂小人也。案《易》中小字,未有以為小人者,如“小利有攸往”,與小貞吉之類皆大小之小耳。曰:經文固無此例,以《彖傳》推之,則是指小人而言,今當且依《經》而存《傳》耳。案 “小利貞”之義,《傳》義說各不同,據《易》例則似《傳》說為長。蓋至於

集説は朱熹『易說』を引く:ある人が問う、《遯》卦の講ずる「小利貞」は、『本義』は「小」を解して小人と作す。然るに『周易』の裏の「小」の字を查すれば、還くどの一處も小人に當りて講ずるはなく、「小利有攸往」および「小貞吉」の類のごときは、皆不過大小の小のみ。朱熹は答えて言う:單に經文を看れば、確かに此の用例なし。然るに『彖伝』を持ち來りて推求すれば、卽ち分明に小人を指して說くなり。眼下ただ經文の常例に依って解して、同時に『彖伝』の講法を竝びに保留するのみ。李光地が按する:「小利貞」の意思に關しては、『程伝』と『本義』とは各々說く所各々なり。もし『周易』の通行の用字體例に按じて看れば、似たり『程伝』の講法はいよいよ長ず——此處底本に脫文あり、按語の下文は殘缺す。

初六,遯尾厲。勿用有攸往。本義 遯而在後,尾之象、危之道也。占者不可以有所往,但晦處靜俟,可免災耳。程傳 它卦以下為初,遯者往遯也,在前者先進,故初乃為尾,尾在後之物也。遯而在後,不及者也,是以危也。初以柔處微,既已後矣,不可往也,往則危矣。微者,易於晦藏,往既有危,不若不往之無災也。

初六の爻辞は說く:退避して最後面に落つる、危險。前往するに宜しからず。朱熹『本義』は言う:退避して卻って人の後に落つるは、これすなわち「尾」の象にして、亦是た危殆の路數なり。占問の人は以て前往する所あらざるべからず、ただ能く隱晦に自處し・安靜に等待して、こそ災禍を免れ得べし。程頤『伊川易伝』は言う:別の卦は最下の一爻を以て「初」と爲す、而して《遯》の講ずるは外に往きて退避す、前頭に走るは先に脫身す。ゆえに初爻は反って「尾」と成る、尾はすなわち後面に落つる部位なり。退避して後面に落つるは、是れ趕上せざるに及べり、ここに因って危險なり。初六は柔弱の質を以て微賤の地に處し、すでに落後せたる以上は、卽ち再び前に往くべからず、走れば卽ち危險なり。地位微賤の人はもとより隱匿藏身し易し。前往はすでに危險あれば、卽ち動かざるに如かずして反って災禍あらじ。

集說 陸氏績曰:陰氣已至於二,而初在其後,故曰“遯尾”也。避難當在前而在後,故“厲”。往則與災難會,故“勿用有攸往”。孔氏穎達曰:“遯尾厲”者為遯之尾,最在後遯者也。小人長於內,應出外以避之。而最在卦內,是遯之為後,故曰“遯尾厲”也。危厲既至,則當危行言遜,勿用更有所往。

集説は陸績の説を引く:陰氣は已に第二爻に長じ到れるに、而して初六は還く其の後面に落つる。ゆえに「遯尾」と叫ぶ。禍難を躲避するはもとより當に前頭を搶すべきに、其れは卻って後頭に落つる。ゆえに「厲」、危險あり。再び前に往かば卽ち災難と迎面撞上せんとす。ゆえに「勿用有攸往」と說く。集説は孔穎達の説を引く:所謂「遯尾厲」は、說く是れ其れの退避隊伍の尾巴の上に處するにして、是れ最後に纔に退くあの一箇なり。小人の勢力は內卦に於て滋長す、もとより當に趕緊に外邊に出でて躲開すべきに。然るに初六は恰恰と全卦の最裏面に待在り、退避すること最も遲きに等し。ゆえに「遯尾厲」と說く。危險はすでに頭に臨める以上は、卽ち當に『論語』の言う所のごとく行事端方にして言辭謙遜すべく、再び何の擧動あるべからず。

《朱子語類》:問:“遯尾厲,勿用有攸往”者,言不可有所往,但當晦處靜俟耳,此意如何?曰:《程傳》作不可往,謂不可去也,言遯已後矣。不可往,往則危。往既危,不若不往之無災。某竊以為不然,遯而在後,尾也。既已危矣,豈可更不往乎?若作占辭看,尤分明。

集説は『朱子語類』を引く:ある人が問う、「遯尾厲、勿用有攸往」は說く以て前往する所あらざるべからず、ただ當に隱晦に自處し・安靜に等待すべし、此の講法は如何。朱熹は答えて言う:『程伝』は之を解して前往すべからずと成す、亦たすなわち以て走るべからずなり、理由は退避は已に後頭に落ちたるを以て、再走れば卽ち危險、すでに走れば危險なれば、走らざるに如かずして反って災なし。我は私竊に以爲して此のごとからずとす。退避して後頭に落つるは、まさに所謂「尾」なり。すでに危險の中に處せたる以上、どうして反って走らざる可けんや。もし此の句を以て「占辞」と作して讀まば、意思は便ちいよいよ分明なり。

王氏申子曰:遯,往遯也,故《遯》以初為後,在前者見幾先遯,初柔而不能決,止而不能行,故遯而在後,“危厲”之象也。既已處後,然位居卑下,不往即遯也,若又有所進往,則“危厲”益甚矣。楊氏啟新曰:卦中以二陰為小人,至爻中則均退避之君子,蓋皆《遯》爻,則發《遯》義也。

集説は王申子の説を引く:遯は外に往きて退避なり。ゆえに《遯》卦は初爻を以て最後に當作す。前頭に走る人は一看すれば苗頭に先ず退く。初六は柔弱にして決斷を下し得ず、性は艮止に属して步子を邁開し得ず。ゆえに退避して最後に落つる、これすなわち「危厲」の象なり。其れはすでに後面に落ちたるも、然るに位置はもとより卑微低下にして、ただ前に往かざるさえすれば、待ちて動かざるは其の實已には退避なり。たとえば還く再び前に湊らば、あれは危險は便ちいよいよ厲害なり。集説は楊啓新の説を引く:整卦に就いて言えば、兩箇の陰爻は小人を代表す。然るに爻辞の裏に到れば、各爻は卻って一律に退避の君子と作して講ず、彼らは皆《遯》卦の爻なるに因りて、講ずるは自ずと皆《遯》の道理なり。

案 《易》例多取初爻為居先,何獨《遯》而取在後之義?曰:因卦義而變者也。初於序則先,然於位則內也。遯者,遠出之義也,故以外卦為善。初居最內,豈非在後者乎?或曰:《明夷》之初九居內,何以為先幾乎?曰:《明夷》則以上卦為內,以上六為主故也,是以六四入左腹,而六五當內難也,如是則初又為最遠,與《遯》之義,正相反也。

李光地が按する:『周易』の通例は多く初爻を看做して最前面に站ると爲す、何故に惟獨《遯》卦は其れの後面に落つるの意思を取るか。回答するに:これ是れ卦義に随って變通するなり。初爻は次序に按じて說けば確かに先に在り、然るに位置に按じて說けば卻って最裏面に在り。「遯」は遠遠に出走するの意思なり。ゆえに外卦を以て好と爲す。初六は最裏頭に待在り、豈に正に後面に落つるあの一箇ならざらんや。ある人がまた問う:《明夷》卦の初九も亦た內卦に在り、何故に其れは反って最早く苗頭を察覺するか。回答するに:《明夷》卦は上卦を以て裏面に當作して、上六を以て一卦の主と爲す。ゆえに六四は「入于左腹」と說き、六五は「箕子之明夷」と說きて而して正に宮廷內部の禍難に當る。此の樣に照りて算すれば、初九は反って禍患に離るること最も遠く、《遯》卦の取義と恰好相反す。

六二,執之用黃牛之單,莫之勝說。本義 以中順自守,人莫能解,必遯之志也,占者固守亦當如是。程傳 二與五為正應,雖在相違遯之時,二以中正順應於五,五以中正親合於二,其交自固。“黃”,中色。“牛”,順物。“革”,堅固之物。二五以中正順道相與,其固如執繫之以牛革也,莫之勝說,謂其交之固,不可勝言也。在《遯》之時,故極言之。

六二の爻辞は說く:黃牛皮の製する繩索を持ち來りて之を捆住す、誰も解脱し開くことなし。朱熹『本義』は言う:六二は居中柔順の道を用いて自己を守住し、他人は之を解き開く法なし、これ必定に退避せんとする心志なり。占問の人は牢牢に自守して、亦た當に此の樣子のごとくすべし。程頤『伊川易伝』は言う:六二は九五と正「應應與」なり、雖も身を彼此背離退避の時節に處するも、六二は仍ほ中正の德を以て柔順に九五に應合し、九五も亦た中正の德を以て六二に親近契合す、兩者の交誼は自ずと牢固なり。「黃」は中に居る顏色、「牛」は柔順の牲畜、「革」は堅韌牢固の物なり。二と五とは中正順從の道を以て彼此相與す、あの牢固はちょうど牛皮繩を用いて捆縛し起るがごとし。所謂「莫之勝說」は、說く此の份の交誼の牢固は简直に說き盡くし得ざるなり。正に《遯》の時節に處するに因りて、纔に言を此の份上に說き到るなり。

集說 吳氏綺曰:六二居人臣之位,任國家之責,不當遯者也,故六二不言遯。龔氏煥曰:五爻皆言遯,唯六二不言者,二上與五應,雖當遯時,固結而不可遯者也,故有執用黃牛之革之象。謂其有必遯之志,似未必然。附錄 孔氏穎達曰:處中居內,非遯之人也。既非遯之人,便為所《遯》之主,物皆棄己而遯。何以執固留之?唯有中和厚順之道,可以固而安之也。能用此道,則無能勝已解脫而去。

集説は吳綺の説を引く:六二は人臣の位置に居りて、國家の責任を肩負す、もとより是れ退避すべからざる人なり。ゆえに六二の爻辞の裏は一箇の「遯」の字なし。集説は龔煥の説を引く:その余の五爻は皆「遯」に提及す、惟獨六二は提せず、是れ六二の上に向かって九五と相「應與」するに因る、雖も正に退避の時に當るも、兩者は卻って糾結牢固にして退避するを得ず。ゆえに黃牛皮繩を用いて捆縛する象あり。其れの非えず退くべからざるの心志を懷くを說くに至れば、恐怕未必此のごとくならん。附錄は孔穎達の説を引く:六二は中に居りて內卦に處し、もとよりあの退避せんとする人にあらず。すでに退避者にあらざれば、其れは便ち衆人の離棄せんと欲する對象と成り、他人は皆之を抛下して自ら退走せんと欲す。あれは然らば何を持ち來りて人を牢牢に留住せんや。ただ中和厚道・寬順に人に待つの此の一條の路ありて、以て人を穩め安頓し下るを得べし。能く此の法子を用いれば、卽ち誰も能く掙脫し開きて離去するなし。

案 此爻《傳》義說亦不同,吳氏、龔氏則暢程《傳》之說。謂六二為五正應如肺腑之臣,義不可去,箕子所謂我不顧行遯是也。蔡氏則申《本義》之說,謂處遯以中順之道,如所謂危行言遜者,亦與不惡而嚴之義合。至孔氏則別為一說,謂其能羈縻善類而不使去,“執”,如《雅》詩“執我仇讎”之“執”,於經文“執之”兩字語氣,亦自恰合也,故並存其說。

李光地が按する:此の一爻は『程伝』と『本義』との講法も亦た一致せず。吳綺・龔煥は『程伝』の意思を闡發し開きて、六二は九五の正「應與」にして、譬えば君主の心腹の臣にして、道義に按じて一走了之し能わず、まさに『尚書・微子』の裏の箕子の言う所の「我不顧行遯」のあの情形と認む。蔡氏は則ち『本義』の意思を申說して、退避の世に處するは中正柔順の道を用いるを要し、ちょうど『論語』の講ずる「危行言遜」のごとし、これ亦た『周易』の「不惡而嚴」の意思と相合す。孔穎達に至れば、則ち別に一說を立てて、六二は能く善類を籠絡し住めて彼らをして離去せしめざると認む。此處の「執」の字は、卽ち『詩經・小雅・正月』の「執我仇仇」の「執」と同じく、用いて經文の「執之」の兩箇の字の語氣に對應するも、亦た自ずと貼切なり。ゆえに此の幾家の說法を竝びに保留し下る。

九三,係遯,有疾厲,畜臣妾,吉。本義 下比二陰,當遯而有所繫之象,有“疾”而“危”之道也。然以“畜臣妾”則“吉”,蓋君子之於小人,唯臣妾則不必其賢而可畜耳,故其占如此。

九三の爻辞は說く:牽牽掛掛として退避す、病患ありて危險なり。用いて僕役侍妾を蓄養すれば、則ち吉。朱熹『本義』は言う:九三は下面に兩箇の陰爻に緊挨し、まさに退避すべき時に當りて卻って牽繫する所有る象なり、これ是れ「疾」病を招來して「危」險に陷入する路數なり。然るに若し之を持ち來りて「臣妾を畜」せば、倒って吉なり。君子の小人に對待するは、ただ僕役侍妾の此の一類、彼の賢能否かを挑るを須いずして亦た身邊に留めて使喚し得べきに因る。ゆえに其の「占辞」は纔に此の樣なり。

程傳 陽志說陰,三與二切比繫乎二者也。遯貴速而遠,有所繫累,則安能速且遠也?害於遯矣,故為“有疾”也。遯而不速,是以“危”也。“臣妾”,小人女子,懷恩而不知義,親愛之則忠其上,繫戀之私恩,懷小人女子之道也,故以畜養臣妾,則得其心為吉也。然君子之待小人,亦不如是也。三與二非正應,以暱比相親,非待君子之道。若以正,則雖係不得為有疾,蜀先主之不忍棄士民是也,雖危為無咎矣。

程頤『伊川易伝』は言う:陽爻の心性は陰爻を喜愛す、九三は六二と緊緊に相隣り、まさに六二の身上に牽繫するなり。退避は快きを貴び遠きを貴ぶ、一旦牽掛拖累あれば、どうして能く快くまた遠からんや。これ卽ち退避を妨礙す、ゆえに「有疾」と說く。退避して快く起來らず、ここに因って「危」。「臣妾」は指す所は僕役と侍妾の此の一類の人、彼らはただ恩惠を感念して大義を懂らず。親近愛護すれば、彼らは卽ち主上に忠なり。私恩を用いて彼らを繫げ籠絡し住むるは、まさに此の類の人に對待するの路數なり。ゆえに持ち來りて僕役侍妾を蓄養すれば、能く彼らの心を收得し、便ち吉なり。然るに君子の小人に對待するは、卻って能く此の一套を用いず。九三と六二とは竝びに正「應與」にあらずして、ただ親昵相隣に靠りて互いに親近するのみ、これ竝びに君子に對待するの路數にあらず。たとえば牽繫する所は正當の對象なれば、然らば雖も牽繫あるも亦た「有疾」と算し得ず、ちょうど蜀の先主劉備の南奔する時に追隨の百姓を抛下するに忍びざりしあの樣のごとく、雖も處境危險なるも過錯あらざりしか。

集說 孔氏穎達曰:九三無應於上,與二相比,處遯之世而意有所繫,故曰“係遯”。《遯》之為義宜遠小人,既繫於陰,即是有疾憊而致危厲也。親於所近,繫在於下,施之於人,畜養臣妾則可矣,大事則凶,故曰“畜臣妾吉”。胡氏瑗曰:為《遯》之道,在乎遠去。九三居內卦之上,切比六二之陰,不能超然遠遯,是有疾病而危厲者也。“畜臣妾吉”者,言九三既不能遠遯,然畜群小以臣妾之道,即得其吉。蓋臣妾至賤者也,可以遠則遠之,可以近則近之,如此則吉可獲也。

集説は孔穎達の説を引く:九三は上面に相「應與」する爻なく、卻って六二と緊隣し、身を退避の世に處して而して心の裏牽掛する所有り。ゆえに「繫遯」と說く。《遯》卦の意旨は小人に遠離するに在り。すでに陰爻の身上に牽繫せば、あれはすなわち病を害し疲憊不堪して危險を招來すなり。身邊の人に親近し、下面の人に牽掛して、此の一套を他人の身上に施すは、用いて僕役侍妾を蓄養するは還く可なり、用いて大事を辦するは卽ち凶なり。ゆえに「畜臣妾吉」と說く。集説は胡瑗の説を引く:《遯》に處する道は、要害は遠遠に離開するに在り。九三は內卦の最上の一位に居り、六二の此の陰爻に緊挨して、超脫し出來て遠遠に退避する法なし、これすなわち病を害して危險に陷入する人なり。所謂「畜臣妾吉」は、說く、九三はすでに遠退は成らざる以上は、あれは卽ち僕役侍妾に對待する辦法を用いて去りてあの一班の小人を駕馭すれば、亦た卽ち吉を得べし。僕役侍妾は最も卑賤にして、當に疎遠すべき時に卽ち彼を疎遠し、當に親近すべき時に卽ち彼を親近す、此の樣に辦すれば便ち以て吉を獲るを得べしに因る。

蘇氏濬曰:“畜臣妾吉”,示之以待小人之道,見其不可繫也。蓋小人之《易》親,如臣妾之《易》以惑人,畜之法,止有不惡而嚴,嚴以杜其狎侮之奸,而不惡以柔其忿戾之氣。用畜臣妾之法以畜之,庶可以免疾憊而吉耳。案 孔子曰:“唯女子與小人為難養也,近之則不遜,遠之則怨,”然則不遠不近之間,豈非不惡而嚴之義乎?故當《遯》之時,有所繫而未得去者,待小人以畜臣妾之道則可矣。胡氏、蘇氏說明白。

集説は蘇濬の説を引く:「畜臣妾吉」の此の一句は、小人に對待する辦法を人に指點して看せしめ、人をして小人は牽繫し得ざるを明白せしむるが好し。小人は人に親近し易し、ちょうど僕役侍妾の人を迷惑し易きがごとし。彼らを駕馭する法子は、ただ「不惡而嚴」の四箇の字あり——嚴は、爲す所は以て彼らの狎昵欺侮の奸巧を堵住するなり。不惡は、爲す所は以て彼らの怨忿暴戾の氣を化開するなり。僕役侍妾を蓄養する法子を持ち來りて去りて彼らを駕馭すれば、或いは以てあの份の病困疲憊を免れて吉を得べし。李光地が按する:孔子は說く:「唯女子與小人爲難養也、近之則不遜、遠之則怨。」然らば不遠不近の間に於て分寸を拿捏するは、豈に正に「不惡而嚴」の意思ならざらんや。ゆえに退避の世に當りて、牽掛する所有りて一時に走掉し得ざる人は、僕役侍妾を蓄養する辦法を用いて去りて小人に對待すれば卽ち可なり。胡瑗・蘇濬の兩家の言は說くこと甚だ明白なり。

九四,好遯,君子吉,小人否。本義 下應初六,而乾體剛健,有所好而能絕之以遯之象也。唯自克之君子能之,而小人不能。故占者君子則吉,而小人否也。程傳 四與初為正應,是所好愛者也。君子雖有所好愛。義苟當遯,則去而不疑,

九四の爻辞は說く:愛する所を割舍して退避す、君子は吉、小人は做し到る能わず。朱熹『本義』は言う:九四は下面に初六と相「應與」し、而して其れ自身は乾體に属して、剛強健行す、まさに心の裏雖も偏愛する所有れど、卻って能く一刀に斬斷して退去する象なり。ただ能く自己を克制する君子のみ做し到り得て、小人は做し到り得ず。ゆえに占問の人はもし君子なれば便ち吉、もし小人なれば便ち然らず。程頤『伊川易伝』は言う:九四は初六と正「應與」にして、まさに其の心の裏の喜愛する對象なり。君子は縱使心の裏喜愛する所有るも、ただ道義に按じて當に退避すべければ、卽ち斷然として離去して毫も遲疑せず——此處底本に脫文あり、『程伝』の一段は此處に到りて中斷す。

集說 張子曰:有應於陰,不惡而嚴,故曰“好遯”。小人暗於事幾,不忿怒成仇,則私溺為慮矣。朱氏震曰:“好”者情之所好也,君子剛決,以義斷之,舍所好而去,故“吉”。“否”者,不能然也。此爻與初六相應,處陰而有所繫,故陳小人之戒,以佐君子之決。

集説は張載の説を引く:九四は陰爻と相「應與」すれど、卻って做し到りて惡臉色を擺せずして自ら威嚴あり。ゆえに「好遯」と叫ぶ。小人は事情の苗頭を看清せず、忿忿不平として仇怨を結ぶにあらざれば、卽ち私情の裏に陷りて放下し得ず、反って心頭の牽累と成る。集説は朱震の説を引く:「好」は情感の上の偏愛する物なり。君子は剛毅果決にして、道義を用いて裁斷し、自己の愛する所を舍下して離去す。ゆえに「吉」。所謂「否」は、すなわち此の一歩を做し到り得ざるなり。此の一爻は初六と相「應與」して、陰位に處して心に牽繫あり。ゆえに特地に小人に對する告戒を擺出して、用いて君子をして此の決心を下さしむるを助く。

案 “好”者,惡之反也。“好遯”,言其不惡也。從容以遯,而不為忿戾之行。孟子曰:予豈若是小丈夫然哉?怒悻悻然見於其面。正好遯之義也。“小人否”者,即孟子所謂“小丈夫”者也。

李光地が按する:「好」は「惡」と相對するの一面なり、「好遯」は說く其れの退くや竝びに惡聲惡氣を帶びざるなり。從容不迫に退き下りて、あの種の怨忿暴戾の擧動を做出さず。『孟子・公孫丑下』は說く:「予豈若是小丈夫然哉」——我は豈にあの種の氣量狭小の人に像似せんや。些點の氣を受ければ卽ち怒氣冲冲として臉の上に擺す。これまさに「好遯」の意思なり。「小人否」に至れば、說くは卽ち『孟子』の裏のあの種の「小丈夫」なり。

又案 “君子吉,小人否”,若以小人與君子相敵者言之,則否字解如《泰》、《否》之義,謂“好遯”者身退道亨,在君子固吉矣。然豈小人之福哉?自古君子退避,則小人亦不旋踵而履敗,是君子之遯者,非君子之凶,乃君子之吉。而致君子之遯者,非小人之《泰》,乃小人之《否》也。此義與《剝》上“小人剝廬”之指正同,蓋《易》雖不為小人謀,而未嘗不為小人戒也。《本義》以“小利貞”為戒小人之辭,似與此意亦合。

李光地はまた按する:「君子吉、小人否」の此の一句は、もし小人と君子とを以て彼此對立する兩方に當作して講ずれば、然らば此の「否」の字は卽ち當に《泰》《否》の兩卦の「否」に照りて解すべし——すなわち說く、能く「好遯」する人は、身は雖も退くも道而反って亨通し、君子の此の邊に在りては固然吉なり。然るにこれは小人に對しては豈に福氣ならんや。自古以來、君子は一旦退避せば、小人は轉眼の間にも亦た敗亡の路の上に踩踏す。見るべし君子の退避は、竝びに君子の凶にあらずして、反って君子の吉なり。而して君子をして退避せしむるに逼る此の事は、亦た竝びに小人の《泰》にあらずして、恰恰と小人の《否》なり。此の層の意思は《剥》卦の上九の「小人剥廬」の意旨と完全一致す——『周易』は雖も小人に替りて謀を出し策を劃せざるも、亦た未嘗小人に警戒を留下せざるにあらず。『本義』は「小利貞」を講成して小人に告戒する言と爲す、似たり亦た此の層の意思と相合すとす。

九五,嘉遯,貞吉。本義 剛陽中正,下應六二,亦柔順而中正,遯之嘉美者也,占者如是而正則“吉”矣。程傳 九五中正,遯之嘉美者也。處得中正之道,時止時行,乃所謂嘉美也,故為貞正而“吉”。九五非無繫應,然與二皆以中正自處,是其心志及乎動止,莫非中正,而無私繫之失,所以為“嘉”也。在《彖》則概言遯時,故云“與時行”“小利貞”,尚有濟遯之意。於爻至五,遯將極矣,故唯以中正處遯言之。遯非人君之事,故不主君位言。然人君之所避遠乃遯也,亦在中正而已。

九五の爻辞は說く:嘉美の退避、正を守りて吉。朱熹『本義』は言う:九五は陽剛にしてまた中正、下面に六二と相「應與」し、六二も亦是た柔順にして中正なり、これ是れ退避の當中で最も嘉美の一種なり。占問の人はもし能く此のごとくしてまた正を守住し得れば、卽ち「吉」。程頤『伊川易伝』は言う:九五は中正にして、是れ退避の裏頭で最も嘉美なり。其れは身を處して中正の道に合乎り、當に停まれば卽ち停まり當に走れば卽ち走る、これ纔に嘉美と叫ぶ。ゆえに是れ正を守りて「吉」を得。九五は竝びに牽繫相應の對象なきにあらざれど、然るに其れは六二と皆中正を以て自處す。ここに因って心志の及ぶ所・動靜の至る所、一として中正に合せざるなく、私相牽繫の過失なし、これ纔に「嘉」と稱し得べし。『彖辞』の裏に於てはただ籠統に退避の時を講ず、ゆえに「與時行」「小利貞」と說きて、還く時局を挽救するの意思を留む。爻に到りて、第五位に走り到れば、退避は將に極點に到らんとす。ゆえにただ「中正の道を以て退避に處す」の此の一層に就いて講ず。退避はもとより君主を做るの事にあらず、ゆえに此の一爻は君位に按じて立說せず。不過君主は或る人を躲き或る人を疎遠せんと欲するは、あれも亦是た退避にして、其の要領は同樣に中正の二字より出でず。

集說 龔氏煥曰:“嘉遯貞吉”,即《彖傳》所謂“遯而亨也”。五當位而應,與時偕行者也。案 此爻雖不主君位,然居尊則亦臣之位高者也。凡功成身退者,人臣之道,故伊尹曰:臣罔以寵利居成功,豈非遯之嘉美者乎!嘉之義,比好又優矣。

集説は龔煥の説を引く:「嘉遯貞吉」は、亦たすなわち『彖伝』の言う所の「遯而亨也」なり。九五は陽爻の陽位に居るは「當位」して、下面にまた相「應與」する爻あり、まさに能く時勢と同步して行く人なり。李光地が按する:此の一爻は雖も君位に按じて立說せざるも、然るにすでに尊位に居れば、あれは亦たすなわち人臣の當中で位置最も高きなり。凡そ功業は成就すれば便ち身を抽き引退するは、もとより臣子を做るの正道なり。ゆえに『尚書・太甲』の裏の伊尹は「臣罔以寵利居成功」と說く——臣子を做るは當に恩寵祿位に仗りて功勞の上に賴りて走らざるべからず、これ豈に正に退避の當中で最も嘉美の一種ならざらんや。「嘉」の此の字の分量は、九四の「好」に比べて還くいよいよ一層高し。

上九,肥遯。無不利。本義 以剛陽居卦外,下無繫應,遯之遠而處之裕者也,故其象占如此。“肥”者,寬裕自得之意。程傳 “肥”者,充大寬裕之意。“遯”者,唯飄然遠逝。無所繫滯之為善。上九乾體剛斷,在卦之外矣。又下無所繫,是遯之遠而無累,可謂寬綽有餘裕也。遯者,窮困之時也。善處則為肥矣。其遯如此,何所不利?

上九の爻辞は說く:寬綽自得に退避す、不利なる何かなし。朱熹『本義』は言う:上九は陽剛の爻を以て全卦の外に居り、下面にまた牽繫相應の對象なし、是れ退くこと最も遠く處境最も從容寬裕の一爻なり。ゆえに其の取象と「占辞」とは此の樣子なり。所謂「肥」は、寬綽して餘裕あり・自在得意の意思なり。程頤『伊川易伝』は言う:「肥」は充實博大・寬綽して餘裕あるの意思なり。所謂「遯」は、ただ飄然として遠去して、牽掛滯留する所なき纔に好しと算す。上九は乾體に属して剛強果斷にして、また身を一卦の外に在り。下面に再び牽繫なければ、これすなわち退くこと遠くして毫も拖累なし、說く可く寬綽して綽綽として餘裕ありとす。退避はもとより窮困窘迫の時なり、自處するに善き人は反って能く寬舒に過ぐるを得。其れのごとき退避せば、還く何の順利ならざるあらん。

姜氏寶曰:四之“好”,不如五之”嘉”。五之“嘉”,不如上之“肥”。上與二陰無應無繫,故“肥”。“肥”者,疾憊之反也。總論 項氏安世曰:下三爻艮也,主於止,故為不往,為執革,為“係遯”。上三爻乾也,主於行,故為“好遯”,為“嘉遯”。為“肥遯”也。

集説は姜寶の説を引く:九四の「好遯」は、九五の「嘉遯」に比ぶべからず。九五の「嘉遯」は、また上九の「肥遯」に比ぶべからず。上九は下面の兩箇の陰爻とすでに相「應與」せず、亦た牽繫なし。ゆえに纔に「肥」なり。所謂「肥」は、まさに九三のあの種の「疾憊」——病に害して困頓するの反面なり。總論は項安世の説を引く:下面の三爻は艮に属し、艮の性質は靜止なり。ゆえに初六は「勿用有攸往」、六二は「執之用黃牛之革」、九三は「繫遯」なり。上面の三爻は乾に属し、乾の性質は行動なり。ゆえに九四は「好遯」、九五は「嘉遯」、上九は「肥遯」なり。

大壯卦(震上乾下)

程傳 《大壯序卦》:“遯者退也,物不可以終遯,故受之以大壯。”遯為違去之義,壯為進盛之義。遯者,陰長而陽遯也,大壯陽之壯盛也,衰則必盛消息相須,故既遯則必壯,《大壯》所以次《遯》也。為卦震上乾下,乾剛而震動,以剛而動,大壯之義也。剛陽大也,陽長已過中矣。大者壯盛也,又雷之威震而在天上,亦《大壯》之義也。

程頤『伊川易伝』は言う:《大壯》卦の下の『序卦伝』は講ず:「遯はすなわち退なり、然るに萬物は能く一直に退き下るべからず、ゆえに《遯》卦の後に接ぐるは《大壯》なり。」遯の取るは背離して去るの意思、壯の取るは前進旺盛の意思なり。《遯》の講ずるは陰氣生長して陽氣退避す、《大壯》の講ずるは則ち陽氣の壯盛なり。衰落の後は必定に興盛に轉向し、消と長とはもとより彼此相因相待す。ゆえに退避の後は必定に之に繼ぐるは壯盛なり、《大壯》はここに因って《遯》卦の後に排す。卦體に就いて說けば、震は上に在り乾は下に在り。乾は剛健・震は行動にして、剛健に凭りて去りて行動す、これすなわち「大壯」の意思なり。剛陽は「大」と稱し、陽氣の生長は已に六爻の中線を越過せり。「大者壯盛」は、說くはまさに陽の壯大興盛なり。此の外、雷のあの威震の勢はまた天の上頭に發す、同じく《大壯》の意思なり。

大壯,利貞。本義 “大”謂陽也,四陽盛長,故為《大壯》,二月之卦也。陽壯,則占者吉亨不假言,但利在正固而已。程傳 《大壯》之道利於貞正也,《大壯》而不得其正,強猛之為耳,非君子之道壯盛也。

《大壯》卦の卦辞は說く:正を守るに利あり。朱熹『本義』は言う:「大」の指す所は陽なり、四箇の陽爻は旺盛に生長す。ゆえに《大壯》と作す、其れは二月の卦に配す。陽はすでに壯盛なれば、然らば占問の人は自ずと吉利亨通して、再び說くを須いず。ただ好處は正を守り持固するの此の一點の上に落つるのみ。程頤『伊川易伝』は言う:《大壯》の道は、好處は端正にして中を守るに在り。大壯にして正路に站り到らざれば、あれは不過強を逞し猛を使うのみにして、竝びに君子の道の壯大興盛にあらず。

初九,壯于趾,征凶,有孚。本義 “趾”在下而進動之物也,剛陽處下而當壯時,壯於進者也,故有此象。居下而壯於進,其“凶”必矣,故其占又如此。程傳 初陽剛乾體而處下,壯於進者也。在下而用壯,“壯于趾”也。趾在下而進動之物,九在下用壯而不得其中。夫以剛處壯,雖居上猶不可行,況在下乎?故征則其“凶”。“有孚”,“孚”,信也,謂以壯往則得“凶”可必也。

初九の爻辞は說く:壯は脚指の上に表はれ、前に往きて征伐すれば凶險あり、これ是れ確實にして疑いなし。朱熹『本義』は言う:「趾」は最下面に長じて、用いて步子を邁び前進する部位なり。陽剛の爻は最下位に處してまた正に壯盛の時に當る、是れ一味に前進の上に強を逞す、ゆえに此の象あり。身を下位に居りて卻って前進の上に強を逞すは、凶を招來するは必然なり。ゆえに其の「占辞」は又是た此の樣なり。程頤『伊川易伝』は言う:初九は陽剛の爻にして、乾體に属して最下位に處し、是れ前進の上に強を逞すなり。身を下位に在りて壯力を使用すれば、卽ち「壯于趾」なり。脚指は最下面に在りて步子を邁び前進することを主管す。九は陽爻を以て下位に居りて壯力を使用し、また中道を守住せず。陽剛の質を以て壯盛の時に處すれば、たとえ身を上位に居るも尚且つ輕擧妄動すべからず、何况下位に在るをや。ゆえに一出兵して前往すれば「凶」。「有孚」に至れば、「孚」は信實の意思にして、說く、一股の壯力に凭りて去りて闖れば、凶險を招來するは以て斷定し得べし。

集說 王氏弼曰:在下而壯,故曰“壯于趾”也。居下而用剛壯,以斯而進,窮凶可必也,故曰“征凶有孚”。王氏申子曰:卦雖以剛壯為義,然爻義皆貴於用柔,蓋以剛而動,剛不可過也。趾在下而主於行,初乾體而居剛用剛,是壯於行而不顧者也。在上猶為過,況下下乎?其“凶”必矣。

集説は王弼の説を引く:身を最下に在りて其の壯を逞す。ゆえに「壯于趾」と說く。下位に處して卻って剛強壯猛の手段を使用して、此の樣に照りて前に往きて闖れば、山窮水盡の凶境に落到するは以て斷定し得べし。ゆえに「征凶有孚」と說く。集説は王申子の説を引く:此の一卦は雖も剛強壯盛を主旨と爲すも、然るに六爻の義理は卻って皆能く柔を用いるを以て貴と爲す、剛健に凭りて去りて行動するに因りて、剛は以て頭を過ぐるべからざるに因る。脚指は最下面に在りて行走を主管す、初九は乾體に属し、又是た陽爻の陽位に居りて用いるは還く剛なり、これすなわち行動の上に強を逞して一切を顧みざるなり。此の種の做法はたとえ上位に在るも尚且つ頭を過ぐと算し、何况最下の下に在るをや。凶を招來するは必然なり。

九二,貞吉。本義 以陽居陰,已不得其正矣。然所處得中,則猶可因以不失其止。故戒占者, 程傳 二雖以陽剛當《大壯》之時,然居柔而處中,是剛柔得中,不過於壯,得貞正而“吉”也。或曰:“貞”非以九居二為戒乎?曰:《易》取所勝為義,以陽剛健體,當《大壯》之時,處得中道,無不正也。在四則有不正之戒。人能識時義之輕重,則可以學《易》矣。

九二の爻辞は說く:正を守れば則ち吉。朱熹『本義』は言う:九二は陽爻を以て陰位に居り、已に「當位」して正を得と算し難し。然るに其の處する所は下體の中位にして、還く以て此の一點に凭りて分寸を失せざるに至るを得べし。ゆえに之に就いて占問の人に告戒す——此處底本に脫文あり、『本義』の一段は此處に到りて斷る。程頤『伊川易伝』は言う:九二は雖も陽剛の質を以て《大壯》の時に處するも、然るに其れの居る所は柔位にしてまた中位を占む、これすなわち剛と柔とは各自其の中を得て、壯が頭を過ぐるに至らず。ここに因って貞正を得着して「吉」。ある人が問う:此の「貞」の字は、豈に九の陽爻を以て二の此の陰位に居るに對して設ける告戒にあらざらんや。回答するに:『周易』の取義は、看る所はどの一面が上風を占むるかなり。九二は陽剛の質・健行の體を以て、正に《大壯》の時に當り、而して處する所はまた中道に合乎れば、あれは卽ち正ならざる何かなし。九四に到りて、纔に正を失うの告戒あり。人はもし能く各卦各爻の時義の輕重を辨え清ければ、卽ち以て『易』を學ぶを談ずべし。

集說 王氏弼曰:居得中位,以陽居陰,履謙不亢,是以“貞占”。易氏祓曰:爻貴得位,《大壯》則以陽居陰為吉,益慮其陽剛之過於壯也,故二與四皆言“貞吉”。

集説は王弼の説を引く:九二は下體の中位を占め、また陽爻を以て陰位に居り、行く所は謙退の道にして高亢せず。ゆえに「貞吉」のごとき「占辞」あり。集説は易祓の説を引く:一般に說く、爻は「當位」を以て貴と爲す。然るに《大壯》卦は卻って陽爻の陰位に居るを以て吉と爲す、正に更に剛陽の壯が頭を過ぐるを提防するを要するに因る。ゆえに九二と九四とは皆「貞吉」と說く。

九三,小人用壯,君子用罔,貞厲,羝羊觸藩,羸其角。本義 過剛不中,當壯之時,是“小人用壯”而君子則“用罔”也。“罔”,無也,視有如無,君子之過於勇者也,如此則雖正亦危矣。“羝羊”,剛壯喜觸之物。“藩”,籬也。“羸”,困也。“貞厲”之占,其象如此。

九三の爻辞は說く:小人は一味に壯力を使用し、君子は卻って之を看做して無と爲す。此の樣子を守住すれば危險あり。公羊は去りて籬笆を頂きて、角を卡困し住む。朱熹『本義』は言う:九三は剛強に過ぎてまた中位に居らず、正に壯盛の時に當る、これすなわち「小人用壯」にして君子は則ち「用罔」なり。「罔」はすなわち無にして、明明ある物を看做して無と爲す、これ是れ君子の勇の上に頭を過ぐるなり。此の樣に下れば、縱使自己は正しく站つも一樣に危險なり。「羝羊」は公羊にして、性子は剛壯にして抵觸を愛す。「藩」は籬笆なり。「羸」は困住するなり。「貞厲」の此の條の「占辞」は、其の象は卽ち此の樣子なり。

程傳 九三以剛居陽而處壯,又當乾體之終,壯之極者也。極壯如此,在小人則為“用壯”,在君子則為“用罔”。小人尚力,故用其壯勇。君子志剛,故“用罔”。“罔”,無也,猶云蔑也。以共至剛,蔑視於事而無所忌憚也。君子小人,以地言,如君子有勇而正義為亂,剛柔得中,則不折不屈,施於天下而無不宜。苟剛之太過,則無和順之德,多傷莫與,貞固守此,則危道也。

程頤『伊川易伝』は言う:九三は剛爻を以て陽位に居りて壯盛の中に處し、また正に乾體の終點に當る、是れ壯が極處に到るの一爻なり。壯が此の般の地步に到れば、小人の身上に落つれば卽ち「用壯」に、君子の身上に落つれば卽ち「用罔」に成る。小人は氣力を崇尙す、ゆえにあの股の壯勇を使い出す。君子は心志剛硬にして、ゆえに「用罔」なり。「罔」はすなわち無にして、等しく「蔑視」と說く。自己のあの份の極端の剛強に凭りて、何事に對するも蔑視輕慢して、毫も顧忌畏懼なし。此處の說く君子と小人とは、地位身分に就いて言うなり、ちょうど『論語』の裏に君子は勇ありて義なければ卽ち亂を作すと講ずるがごとし。剛と柔とは能く各自其の中を得れば、卽ちすでに折斷せざるもまた屈服せずして、天下に施行するに合宜せざるなし。たとえば剛が太も頭を過ぐれば、卽ち和順の德なきに成り、處處人を傷つけて人の彼と相處するを肯んずるなし、還く牢牢と此の一套を守住して放さず、あれはすなわち危險の路數なり。

凡物莫不用其壯,齒者齧,角者觸,蹄者踶,羊壯於首,羝為喜觸,故取為象。羊喜觸藩籬,以藩籬當其前也。蓋所當必觸,喜用壯如此,必羸困其角矣。猶人尚剛壯,所當必用,必至摧困也。三壯甚,如此而不至凶,何也?曰:如三之為,其往足以致凶,而方言其危,故末及於凶也。凡可以致凶而未至者,則曰“厲”也。

程頤は続けて言う:凡そ動物は、其の自己最も強壯のあの一部分を使用せざるなし。牙あるは咬みを用い、角あるは頂くを用い、蹄あるは踢るを用いるがごとし。羊の強壯の處は頭の上に在り、公羊は尤其に頂くを愛す。ゆえに之を取りて以て象と作す。羊は籬笆を頂くを好むは、籬笆はまさに其の前頭に攔ぐに因る。凡そ前面に擋がるは其れは必定に頂く、此の樣に一味に強を逞せば、必定に自己の角を卡困し住む。これ譬えば人は剛強壯猛を崇尙して、凡そ碰上る事は皆硬來して、最後に必定に摧折困住せらるるの地步に落到するがごとし。九三は壯が此の麼に厲害なれど、何故に還く「凶」の地步に到らざるか。回答するに:九三のごとき此の種の做法は、再走り下れば以て凶を招來するに足る。ただ眼下は還く其れ危險を說くに到るのみ、ゆえに尚未だ凶を提及せず。凡そ以て凶險を招來し得べくして而して還く真にあの一歩に到らざるは、卽ち「厲」と叫作す。

集說 京氏房曰:壯一也,小人用之,君子有而不用。劉氏牧曰:“罔”,不也。君子尚德而不用壯。若固其壯,則“危”矣。胡氏瑗曰:九三處下卦之上,當乾健之極,以陽居陽,是強壯之人也。以小人乘此,則必恃剛強陵犯於人,雖至壯極而不已,是用壯者也。君子則不然,雖壯而不矜,雖大而不伐,罔而不用其壯也。小人居強壯之時,動則過中,進則不顧,是猶剛狠之羊,雖藩在前,亦觸突而進,以至反“羸其角”,凶之道也。

集説は京房の説を引く:壯盛はもとより同一樣の物にして、小人は之を持ち來りて卽ち用い、君子は則ち雖も有れど卻って擱きて用いず。集説は劉牧の説を引く:「罔」はすなわち「不」なり。君子は德性を崇尙して壯力を動用せず。若し硬に自己のあの份の壯を守住せんと要せば、卽ち危險なり。集説は胡瑗の説を引く:九三は下卦の最上位に處して、正に乾健の德の極極點に當り、又是た陽爻の陽位に居る、これ是れ箇の強壯の人なり。若し小人をして此の位置を占めしめば、彼は必定に剛強を倚仗して去りて他人を欺凌侵犯して、壯は極點に到るも還く罷手するを肯んぜず、これすなわち「用壯」なり。君子は卻って此のごとからず:雖も壯盛なるも自誇せず、雖も強大なるも自伐せず、看做して無と爲して去りてあの股の壯力を動用せず。小人は身を強壯の時に處して、一動けば卽ち分寸を過ぎ、一前に冲れば卽ち何をも顧みず、正にあの頭の凶狠の公羊に像似り、明明籬笆は前面に擋がるも、還く是れ頂撞して前に冲らんと要し、結果は反って自己の角を卡住す、これ是れ凶を招來する路數なり。

郭氏雍曰:至三而壯矣,小人務勝人,故喜壯而用之。君子務勝己之私,是以勿用壯於外也。以用壯為正,則危矣。羊狠喜觸,用壯之象也;觸藩羸角,用壯而厲也。“君子用罔”者,君子罔以壯為用也。先儒或為羅網之罔,失之矣。項氏安世曰;既曰;“小人用壯”,又曰“君子用罔”,勸戒備矣。又曰“貞厲,羝羊觸藩,羸其角”者,恐人以用剛居剛為得正也。案 京氏以下諸家說“用罔”,與《傳》義異,以夫子《小象》文意參之,諸說近是。

集説は郭雍の説を引く:九三に到れば卽ち壯盛と算す。小人は一心に他人に勝過せんと要す、ゆえに此の股の壯力を喜歡して持ち來りて使用す。君子は一心に自己の私欲に戰勝せんと要す、ゆえに壯力を外面に使い出さず。若し「用壯」を以て正道に當成せば、あれは卽ち危險なり。羊の性は凶狠にして頂撞を愛す、まさに「用壯」の象なり。籬笆を頂きて角を卡住するは、まさに用壯して以て危險を致すなり。所謂「君子用罔」は、說く、君子は壯力を持ち來りて以て用い得べき物に當作せざるなり。前代の學者は此の「罔」を以て羅網の「網」と解するあり、あれは卽ち講くを錯えたり。集説は項安世の説を引く:爻辞は先ず「小人用壯」と說き、また「君子用罔」と說く、勸勉と告戒とは已に皆齊備せり。後面にまた「貞厲、羝羊觸藩、羸其角」と說くは、是れ人をして誤りて以爲して陽爻の陽位に居り・剛を以て剛を用いれば卽ち正道を得着し得と算すと爲さしめざらんと欲するなり。李光地が按する:京房以下の此の幾家の「用罔」を解するは、皆『程伝』『本義』の講法と同じからず。孔子の『小象伝』の文意を持ち來りて參照すれば、此の幾家の說法は倒って本旨にいよいよ接近す。

九四,貞吉悔亡,藩決不羸,壯于大輿之輹。程傳 四陽剛長盛壯已過中,壯之甚也,然居四為不正,方君子道長之時,豈可有不正也?故戒以貞則吉而“悔亡”。蓋方道長之時,小失則害亨進之勢,是有悔也。若在他卦,重剛而居柔,未必不為善也,《大過》是也。藩所以限隔也,藩籬決開,不復羸困其壯也。高大之車,輪輹強壯,其行之利可知,故云“壯于大輿之輹”。“輹”,輪之要處也。車之敗,常在折輹,輹壯則車強矣。雲壯於輹,謂壯於進也,輹與輻同。

九四の爻辞は說く:正を守れば則ち吉、悔恨は消失す。籬笆は已に冲開せられ、角は再び卡住せらるるなし、壯はちょうど大車の車軸伏兔のあの樣に結實なり。程頤『伊川易伝』は言う:九四は陽剛の生長旺盛・壯勢は已に中線を越過せる一爻にして、壯は甚だ厲害なれど、然るに陽爻は第四位に居るは不正に属す。正に君子の道の方に興る時に當りて、どこに不正の處あるを得んや。ゆえに爻辞は告戒して說く、能く正を守れば卽ち吉にして悔恨は消解す。正に道長勢盛の際に在るに因りて、一點の小小の失誤も卽ち亨通上進の勢頭を妨害せんとすれば、あれは卽ち悔あり。此の種の重剛にして柔位に居るの格局は、若し別の卦の裏に換えば、未必好き事にあらざらず、《大過》卦は卽ち例子なり。「藩」は用いて隔斷攔阻する物なり。籬笆は已に冲開せられれば、卽ち再び其の壯勢を困住し得ず。高大の車子は、輪子と伏兔とは皆甚だ結實にして、其れの走り來るや多く順利なるは想い知るべし。ゆえに「壯于大輿之輹」と說く。「輹」は車輪の上の最も要緊の部位なり。車子の毛病を出すは常常に車車軸伏兔の斷裂の上に出ず、伏兔は結實なれば車子は卽ち強健なり。「壯于輹」と說くは、亦たすなわち前進の上に力ありと說くなり。「輹」は車輻の「輻」と相通ず。

集說 王氏弼曰:未有違謙越禮而能全其壯者也,故陽爻皆以後陰位為美。鄭氏汝諧曰:居四陽之終,其壯易過,故必正吉則“悔亡”。群陽並進,非二陰之所能止,“藩決不羸”,其道通也。“壯于大輿之輹”,其行健也。

集説は王弼の説を引く:從來に謙退に背離して禮法を逾越して而して還く能く自己の壯勢を保全するはありやなし。ゆえに《大壯》卦の裏の陽爻は皆退居して陰位に在るを以て美と爲す。集説は鄭汝諧の説を引く:九四は四箇の陽爻の末尾に處し、其の壯勢は容易く頭を過ぐ。ゆえに必須に正を守りて吉を得て、然る後に悔恨は纔に消解し得べし。衆陽は竝肩して前進す、竝びに上面の兩箇の陰爻の攔え得住る所にあらず。ゆえに「藩決不羸」と說く、其の路は已に通ぜり。「壯于大輿之輹」と說くは、是れ其れの行走し起來ること強健有力を形容すなり。

《朱子語類》云:九二“貞吉”只是自守而不進,九四卻是有可進之象。蓋以陽居陰,不極其剛,而前遇二陰。有藩決之象。所以為進,非如九二前有三四二陽隔之,不得進也。俞氏琰曰:爻剛位柔,不極其壯,故因占設戒曰:“貞吉悔亡”。三以九四之剛在前,如藩籬之障而不能進,故觸而受羸,四以六五之柔在前,如藩籬剖破而無俟乎觸,故“不羸”。曰“藩決不羸”而不及羊,承九三之辭也。

集説は『朱子語類』を引いて說く:九二の「貞吉」は不過ち自守して前進せざるのみ、九四は卻って以て前進し得べきの象を帶ぶ。其れは陽爻を以て陰位に居りて、剛強は盡頭に使い到らず、而して前面に遇上るは兩箇の陰爻なるに因る。ゆえに籬笆の冲開せらるるの象ありて、ここに因って以て前進し得べし。九二のごとく前面に九三・九四の兩箇の陽爻を橫えて擋がりて、走り動くを得ざるに似ず。集説は兪琰の説を引く:九四は爻體は剛にして位置は柔に属し、壯勢は極處に使い到らず。ゆえに占問に就着いて告戒を設下して、「貞吉悔亡」と說く。九三は前面に九四の此の剛爻を擋がれ、譬えば一道の籬笆は之を攔え住めて過ぐるを得ざるがごとし。ゆえに一頂けば卽ち角を卡住す。九四は前面は六五の此の柔爻にして、譬えば籬笆は已に破開して、頂くに往くを須いず。ゆえに「不羸」。爻辞はただ「藩決不羸」と說きて而して羊を提及せざるは、あれは九三の言に承りて說き下るなり。

六五,喪羊于易,無悔。本義 卦體似兌有羊象焉,外柔而內剛者也。獨六五以柔居中,不能牴觸,雖失其壯,然亦無所悔矣。故其象占如此。“易”,容易之易,言忽然不覺其亡也。或作疆塌之塌,亦通。《漢食貨志》埸作易。

六五の爻辞は說く:不意の間に羊を丟掉す、悔恨なし。朱熹『本義』は言う:《大壯》の整箇の卦體は看起來一箇の兌卦に像似り、兌は『說卦』の裏に正に羊の象あり、外面は柔順にして裏頭は剛強なり。惟獨六五は陰柔の爻を以て上體の中位に居りて、抵觸する何かを得ず。其れは雖もあの份の壯勢を失掉せるも、倒って亦た悔ゆべき何かなし。ゆえに其の取象と「占辞」とは此の樣子なり。「易」はすなわち容易の易にして、說くは知らず覺えずの間に羊は便ち沒き去るなり。ある人は亦た讀みて田界「疆埸」の「埸」と作す、同樣に講じ通ず。『漢書・食貨志』の裏の「埸」の字は正に寫作して「易」なり。

程傳 羊群行而喜觸,以象諸陽並進。四陽方長而並進,五以柔居上,若以力制,則難勝而有悔。唯和易以待之,則群陽無所用其剛,是喪其壯於和易也,如此則可以“無悔”。五以位言則正,以德言則中,故能用和易之道,使群陽雖壯無所用也。

程頤『伊川易伝』は言う:羊は總は成群して行きてまた抵觸を愛す、用いて衆多の陽爻の一齊に上進するを象徵す。四箇の陽爻は正に生長して竝肩して前進す、六五は陰柔の質を以て上位に居り、たとえば硬に氣力を用いて去りて壓制せば、あれは卽ち勝取し難くして悔を生ぜんとす。ただ平和寬易の態度を持ち來りて去りて之に對待するのみ、衆陽のあの股の剛勁は便ち使い可くの處なし、これすなわち「和易」の中に於て彼らの壯勢を消解掉すなり。此の樣にすれば便ち以て「无悔」すべし。六五は位次に就いて說けば尊正の位にして、德性に就いて說けば居中の德なり。ゆえに能く平和寬易の道を施行して、衆陽をして雖も壯盛なるも勁を使い上げ得ざらしむ。

集說 《朱子語類》云:“喪羊于易”,不若作疆埸之易。《漢書食貨志》疆埸之埸正作易,蓋後面有“喪牛于易”亦同此義。今《本義》所注,只是從前所說如此,只且仍舊耳。胡氏炳文曰:《旅》上九“喪牛于易”,牛性順,上九以剛居極,不覺失其所謂順,此曰“喪羊於《易》”,羊性剛,六五以柔居中,不覺失其所謂剛,自失其壯,故爻獨不言壯。案 壯之道貴乎得中,九二方壯之時,以剛處中,壯之正也。至六五則壯已過矣,又以柔處中,則無所用其壯矣,故雖“喪羊”而“無悔”。

集説は『朱子語類』を引いて說く:「喪羊于易」は、此の「易」を以て田界の「埸」と讀作するに如かず。『漢書・食貨志』の裏の「疆埸」の「埸」は正に寫作して「易」なり。再び說く、《旅》卦の後面に還く「喪牛于易」の一句ありて、亦是た同一箇の意思なり。如今『本義』の上の注解は、不過ち從前の舊說に沿用して、姑且旧に照りて擺くのみ。集説は胡炳文の説を引く:《旅》卦の上九は「喪牛于易」を講ず、牛の天性は柔順にして、上九は陽剛を以て極位に居りて、知らず覺えずの間に便ちあの份の柔順を丟掉せり。此處の講ずる「喪羊于易」は、羊の天性は剛硬にして、六五は陰柔を以て中位に居りて、知らず覺えずの間に便ちあの份の剛硬を丟掉して、自己は壯勢を失掉せり。ゆえに此の一爻は偏偏と一箇の「壯」の字を提せず。李光地が按する:壯盛の道は、可貴の處は中を得るに在り。九二は正に壯勢の方に起こる時に當りて、陽剛を以て中位に居る、あれは是れ壯が端正を得。六五に到れば、壯は已に頭を過ぎ、而して其れはまた陰柔を以て中位に居る、あれは卽ち何の壯か用い得べきなし。ゆえに雖も「喪羊」せるも卻って「无悔」なり。

上六,羝羊觸藩,不能退,不能遂,無攸利,艱則吉。

上六の爻辞は說く:公羊は去りて籬笆を頂きて、角は裏頭に卡え住めて、退けば退き回るを得ず、進むも進み過ぐるを得ず、何の好處もなし。能く艱難困苦を守住し得れば、反って吉を得。本片の源文は此處に到りて止まり、此の一爻の『本義』『程伝』『集説』の諸層は後の一分片に由りて承接せらる。

本義 壯終動極,故“觸藩”而“不能退”。然其質本柔,故又“不能遂”其進也。程傳 “羝羊”但取其用壯,故陰爻亦稱之。六以陰處震終而當壯極,其過可知。如羝羊之觸藩籬,進則礙身,退則妨角,進退皆不可也。

朱熹『本義』は言う:《大壯》の上六は剛壯は已に終り・震動は極點に到るの位置に處す。ゆえに爻辞は其れの公羊に像似る「觸藩」を說き、籬笆の上に頂きて「不能退」。然るに其れ本身は陰爻にして、質地柔弱なり。ゆえにまた「不能遂」、一鼓作氣に冲り過ぐらんと想うも辦し到るを得ず。程頤『伊川易伝』は言う:爻辞は「羝羊」(公羊)を取りて立象す、不過ち其れの好鬪逞強の此の一點を借りて來りて事を說くに因る。ゆえに陰爻も亦た以て此の比喻を用い得べし。上六は陰柔の質を以て上卦の震の最末の一位に處し、また正に壯盛の頂に到る時に當る、其れの過分するやどの地步に到るか、想い見るに難からず。ちょうど公羊の去りて籬笆を頂くがごとく、前に往きて進めば則ち身子は卡え住められ、後に往きて退けば則ち羊角は絆え住められ、進退の兩條の路は皆走り通ずべからず。

才本陰柔,故不能勝己以就義,是不能退也。陰柔之人,雖極用壯之,心然必不能終其壯,有摧必縮,是不能遂也。其所為如此,無所往而利也。陰柔處壯,不能固其守,若遇艱困,必失其壯。失其壯則反得柔弱之分矣,是“艱”則得“吉”也。用壯則不利,知艱而處柔則吉也。居壯之終,有變之義也。

程頤は続けて言う:上六の才質はもとより陰柔にして、ゆえに克制し得ず自己去りて道義に遷就す、これすなわち爻辞の講ずる「不能退」なり。陰柔の人は縱使逞強の心思を極處に用いるも、亦た終究に最後に撑り到るを得ず、一挫折を受ければ必定に囘に往きて縮む、これすなわち「不能遂」なり。其の作爲はすでに此のごとくなれば、何れへ往くに論なく好處を得ず。陰柔の人は身を壯盛の時に處して、自己の本分を守り牢めず、一旦艱難困頓に碰上れば、あの股の壯勢は必然に丟失す。壯勢は一失せば、反って柔弱の本分の上に退回す。ゆえに爻辞は「艱」難の中に處して反って「吉」を得と說く。一味に強を逞すれば卽ち利益なし、處境艱難を明白して柔順に自處するに甘んずる、纔に吉利せん。上六は《大壯》の全卦の最後の一位に居りて、もとより物極まれば則ち變ずの意思を含む。

集說 《朱子語類》云:上六取喻甚巧,蓋壯終動極,無可去處,如羝羊之角掛於藩上,不能退遂。然“艱則吉”者,畢竟有可進之理,但必艱始吉耳。

「集説」は『朱子語類』を引いて說く:上六の此の比喻は取ること極めて巧妙なり——剛壯は盡頭に到り・震動は極點に到りて、再び往く可きの處なし、ちょうど公羊の角の籬笆の上に掛かりて、すでに退き回るを得ず、亦た冲り出づるを得ざるがごとし。爻辞の說く「艱則吉」に至れば、是れ其中は畢竟に還く以て前進し得べきの道理を留むるに因りて、不過ち必須に先ず艱難を熬り過ぎて、然る後に纔に吉利を得着するなり。

易氏祓曰:三前有四,故為“觸藩”。四前遇陰,故為“藩決”。上六前無滯礙,而亦言觸藩者,處一卦之窮也。不能退者,在眾爻之上。不能遂者,亢而不可前進也。然能“艱則吉”,此《易》之所以備勸戒也。

「集説」は易祓の説を引く:九三は前面に九四の此の一陽爻を擋がる。ゆえに爻辞は「觸藩」と說く。九四は前面に遇上るは六五の陰爻にして、容易く冲開す。ゆえに「藩決」と說く。上六は前面にもとより竝びに阻礙なし、爻辞も卻って「觸藩」と說くは、あれは其れの一卦の窮盡の地に處するに因る。其れの「不能退」を說くは、是れ其れの衆爻の上に高踞して、退くに退く可きなきに因る。其れの「不能遂」を說くは、是れ其れの已に亢極して、前面に再び去路なきに因る。然るに爻辞は仍舊に「艱則吉」の一線の出路を給出す、これまさに『周易』の勸勉と警戒と兩面俱備するの所在なり。

案 五與上皆陰爻,而當陽壯已過之時,五猶曰“喪羊”而上反曰“羝羊觸藩”,何也?蓋“《易》者,像也”。羊之觸也以角,卦似兌,有羊象,而上六適當角位,故雖陰爻而亦云“觸藩”也。陰柔不至子羸角,但不能退、不能遂而已。“艱則吉”者,知其難而不敢輕易以處之也;故可進則進,不可進則退,《雜卦》謂“大壯則止”是也。

李光地が按する:六五と上六とは皆陰爻にして、また皆陽剛壯盛は已に過ぐる時に處す、何故に六五は「喪羊」を說き、上六は反って「羝羊觸藩」を說くか。これ是れ「易者象也」に因る——『周易』の立辞は全く取象の上より來る。羊の物を頂くは靠る所は角なり、《大壯》卦の體中は兌の形狀を含み(三・四・五爻は互體して兌と爲し、兌は羊象あり)、而して上六は恰好と角の在る位置の上に落つる。ゆえに其れは雖も陰爻なるも、爻辞も亦た「觸藩」と說く。不過ち陰柔の質は羊角を折損するの地步に弄り到るに至らずして、不過ち退き回るを得ず・また冲り出づるを得ざるのみ。所謂「艱則吉」は、是れ處境艱難を明知して而して輕率に對待するを敢えてせず。ここに因って以て進み可ければ卽ち進み、以て進む可からざれば卽ち退く。『雜卦伝』は「大壯則止」と說く、講ずるはまさに此の層の意思なり。

總論 項氏安世曰:有以事理得中為正者,有以陰陽當位為正者,剛以柔濟之,柔以剛濟之,使不失其正,此事理之正也;以剛處剛,以柔處柔,各當其位,此爻位之正也。《大壯》之時義,其所謂“利貞”者,利守事理之正,不以爻位言也。

「總論」は項安世の説を引く:所謂「正」は兩種の講法あり。一種は事理の得當適中する否かに就いて說くの正、一種は陰陽爻の「當位」する否かに就いて說くの正なり。剛強は柔順を用いて去りて調劑し、柔弱は剛健を用いて去りて補足して、處事をして常道に偏離せざらしむるは、これ是れ事理の上の正なり。陽爻は陽位に居り・陰爻は陰位に居りて、各自もとより自己に属すべき位次の上に安んずるは、これ是れ「爻位」の上の正なり。《大壯》の一卦の時勢含義は、其の「彖辞」の中の言う所の「利貞」は、指す所は事理の正を守住するに利ありにして、竝びに爻位の當不不當に就いて講ずるにあらず。

是故九二、九四、六五三爻,不當位而皆利。初九、九三、上六三爻,當位而皆不利。又於九二、九四爻辭明言貞吉,於初九、九三爻辭明言“征凶”“貞厲”,聖人猶恐其未明也。又以《小象》釋之,於九二則曰“‘九二,貞吉’以中也”,明正吉以中而不以位也;子六五則曰“位不當也”,亦明無悔在中不在位也。《易》之時義屢遷如此。

ゆえに《大壯》の中の九二・九四・六五の此の三爻は、位次は皆相當せずして、占斷は卻って皆利あり。初九・九三・上六の此の三爻は、位次は雖も相當するも、占斷は卻って皆利ならず。聖人は還く九二・九四の爻辞の裏に明寫して「貞吉」、初九・九三の爻辞の裏に明寫して「征凶」「貞厲」、ただ讀者の仍ほ看明白せざらんことを恐る。ここに於てまた「小象」を用いて之を加以解釋す。九二を解して「九二、貞吉、以中也」と說き、點明する其れの正にして吉なる所以は、靠る所は「得中」にして而して爻位にあらず。六五を解して「位不當也」と說き、同樣に點明する其れの无悔なる所以は、在る所は居中にして而して當位に在らず。『周易』の講ずる所の時勢の義は、卽ち此の樣に處に随って變遷するなり。

晉卦(離上坤下)

程傳 《晉序卦》:“物不可以終壯,故受之以晉,晉者進也,”物無壯而終止之理,既盛壯則必進,《晉》所以繼《大壯》也。為卦離在坤上,明出地上也。日出於地,升而益明,故為《晉》。晉,進而光明盛大之意也,凡物漸盛為進,故《象》云:“晉,進也。”

程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は講ず、「物は以て終に壯なるべからず、ゆえに之を受くるは《晉》を以てす、晉は者進なり」——事物は壯盛が頭に到れば卽ち此に打止めの道理なし、すでに盛壯なれば、卽ち必定に前に往きて推進せんとす。ゆえに《晉》卦は緊接して《大壯》の後に在り。卦體に就いて說けば、離は上に在り坤は下に在り、是れ光明の地面より升起する形象なり。太陽は地裏より出でて、越えば升るほど亮し。ゆえに名を取りて《晉》と爲す。「晉」は前進して而して光明盛大の意思なり。凡そ事物は逐漸に興盛するは皆「進」と叫作す。ゆえに『序卦』は「晉、進也」と說く。

卦有有德者,有無德者,隨其宜也。乾坤之外,云“元亨”者,固有也。云“利貞”者,所不足而可以有功也。有不同者,《革》、《漸》是也,隨卦可見。《晉》之盛而無德者,無用有也。晉之明盛,故更不言“亨”。順乎大明,無用戒正也。

六十四卦の裏に於て、或る卦は卦辞に卦德を標出し、或るは標せず、全く各卦の宜しき所を看る。乾・坤の兩卦を除く以外、凡そ卦辞の「元亨」を說くは、是れ此の一卦のもとより此の份の德を具備す。「利貞」を說くは、是れ此の一卦の所有る所は足らず、然るに正を守れば便ち成功し得べし。其中にも亦た此の例に照らざるあり、《革》卦・《漸》卦は卽ち是れ、卦を逐いて看れば便ち明白を得べし。《晉》卦は盛大にして而して卦德を標せざるは、是れ用いて標するを須いざるに因る。《晉》の本身は卽ち光明盛大なり、ゆえに必ず「亨」を說くを須いず。下體は柔順にして上面の大明に依附す、ゆえに亦た必ず正を守るを持ち來りて之に告戒するを須いず。

晉,康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。本義 “晉”,進也。“康侯”,安國之侯也。“錫馬蕃庶,晝日三接”,言多受大賜, 程傳 《晉》為進盛之時,大明在上,而下體順附,諸侯承王之象也,故為“康侯”。

《晉》卦の卦辞:晉、康侯は錫馬蕃庶を用い、晝日に三接す。朱熹『本義』は言う:「晉」はすなわち前進なり。「康侯」は、指す所は能く邦國を安定せしむる諸侯なり。「錫馬蕃庶、晝日三接」は、說く是れ其れの一再に厚重の賞賜を領受す——此處底本に脫文あり、『本義』の此の句は竝びに說き完さず。程頤『伊川易伝』は言う:《晉》は正に前進興盛の時に當り、大明は上に高懸し、下體は柔順に歸附す、是れ諸侯の王命を奉承する形象なり。ゆえに卦辞は彼を稱して「康侯」と爲す。

“康侯”者,治安之侯也。上之大明,而能同德以順附,治安之侯也,故受其寵數,錫之馬眾多也。車馬,重賜也;“蕃庶”,眾多也。不唯錫與之厚,又見親禮,晝日之中,至於三接,言寵遇之至也。晉,進盛之時,上明下順,君臣相得,在上而言,則進於明盛;在臣而言,則進升高顯,受其光寵也。

程頤は言う:所謂「康侯」は、すなわち能く封國を治理安定せしむる諸侯なり。上面に大明の君ありて、彼は能く君と同德して而して柔順に歸附す、まさに國を治め民を安んずる諸侯なり。ゆえに君王の一再の恩寵を承受して、彼に成群の馬匹を賜與す。車馬は甚だ重き賞賜なり。「蕃庶」はすなわち數量の衆多なり。不獨り賞賜の豐厚なるのみ、還く親近の禮遇を受けて、一日の內に竟と三度接見せらる、見るべし寵信優待は極點に到れり。《晉》は前進興盛の時にして、上面は明察・下面は柔順にして、君臣は相得す:君王の一面より說けば、是れ光明盛大の境に進入す。臣子の一面より說けば、是れ高顯の位に升進して、君上の榮寵を領受す。

集說 郭氏雍曰:《晉》卦取名之義,與《大有》略相類,《大有》火在天上,君道也。《晉》明出地上,臣道也,以人臣之進,獨備一卦之義。則臣之道至大者,非康侯安足以當之?

「集説」は郭雍の説を引く:《晉》卦の命名の取義は、《大有》卦と略々相似の處あり。《大有》は火は天の上に在りて、講ずるは君を爲るの道なり。《晉》は光明は地の上より升起して、講ずるは臣を爲るの道なり。單に人臣の進用を憑って、卽ち一整卦の義理を獨占する以上、然らば臣道の當中で最も尊大の一種は、「康侯」のごとき人を除いて、還く誰か配當し得べけんや。

案 《易》有《晉》、《升》、《漸》三卦,皆同為進義而有別。《晉》如日之方出,其義最優;《升》如木之方生,其義次之;《漸》如木之既生,而以漸高大,其義義次之,觀其彖辭皆可見矣。

李光地が按する:『周易』の中に《晉》《升》《漸》の三卦ありて、皆「前進」の義を取るも、彼此は卻ってまた分別あり。《晉》は太陽の剛に升起せるに像似り、此の一層の意思は最も好し。《升》は樹木の剛に萌生せるに像似り、其の次なり。《漸》は樹木は已に長成して、再び一點一點に長高長大するに像似り、また次の一等なり。此の三卦の「彖辞」を持ち來りて對看すれば、其の間の高下は便ち皆顯出せり。

初六,晉如,摧如,貞吉,罔孚,裕無咎。本義 以陰居下,應不中正,欲進見摧之象。占者如是而能守正則吉,設不為人所信,亦當處以寬裕,則“無咎”也。程傳 初居《晉》之下,進之始也。“晉如”,升進也。“摧如”,抑退也。於始進而言遂其進,不遂其進,唯得正則“吉”也。

初六の爻辞:晉如、摧如、貞吉、罔孚、裕无咎。朱熹『本義』は言う:初六は陰爻を以て全卦の最下に居り、其の「應」ずる所の九四はすでに中に居らずまた當位せず。ゆえに上進せんと想うも卻って壓し回さるるの象あり。占問の人は若し此の種の境地に處して而して能く正道を守住せば、卽ち吉利なり。たとえば他人に信任せらるるを得ざるも、亦た當に寬舒從容の態度を以て自處すべく、此の樣にすれば便ち過錯あらじ。程頤『伊川易伝』は言う:初六は《晉》卦の最下に居りて、是れ前進の開端なり。「晉如」は上に往きて升進す、「摧如」は壓し退回せらるるなり。剛に起步して上進する時に在りて、進み成ると進み成らざるとを論せず、ただ正を守住し得べくのみ、纔に吉利せん。

“罔孚”者,在下而始進,豈遽能深見信於上?苟上末見信,則當安中自守,雍容寬裕,無急於求上之信也。苟欲信之心切,非汲汲以失其守,則悻悻以傷於義矣,皆有咎也。故裕則“無咎”,君於處進退之道也。

程頤は言う:所謂「罔孚」は、說く、人は下位に在りて剛に起步して上進す、どこに能く一下子就に上面の信任を深得せんや。たとえば上面は尚未だ自己を信任せざれば、卽ち當に中道に安んじ・本分を守住して、從容寬舒にして、必ず急いで去りて上面の信任を討取するを須いず。たとえば信を求むる心は太も切なれば、急急忙として自己の操守を丟掉するにあらざれば、卽ち忿忿不平して道義を傷ふるなり、兩樣は皆過錯を招來せんとす。ゆえに能く寬舒に自處すれば便ち「无咎」、これまさに君子の進退の分寸を拿捏するなり。

集說 王氏安石曰:初六以柔進,君子也,度禮義以進退者也。常人不見孚,則或急於進以求有為,或急於退則懟上之不知。孔子曰:我待價者也。此“罔孚”而裕於進也。孟子久於齊,此“罔孚”而裕於退也。

「集説」は王安石の説を引く:初六は柔順の姿態を以て上進す、これ是れ君子にして、是れ禮義を持ち來りて當に進むべき當に退くべきを衡量する人なり。尋常の人は一旦信任せられざれば、急いで前に往きて鑽求して作爲有らんとするにあらざれば、卽ち急いで退き下りて而して上面の自己を了解せざるを怨恨す。孔子は「我待價者也」と說く、我は是れ識貨の人の出價を等待するなり、これすなわち信任せられざるも「進」の此の一頭に在りては仍ほ能く從容なり。孟子は齊國に遲遲として離去するを肯んぜず、これすなわち信任せられざるも「退」の此の一頭に在りては仍ほ能く從容なり。

《朱子語類》:問:初六“晉如摧如”象也,“貞言”占辭。曰:“罔孚,裕無咎”,又是解上兩句,恐“貞吉”說不明,故又曉之。胡氏炳文曰:進之初,人多有未信者。然“摧如”在彼,而吾不可以不正,“罔孚”在人,而吾不可以不裕。“貞”與“裕”,皆戒辭也。

「集説」は『朱子語類』を引く:ある人が問う、初六の爻辞の裏の「晉如摧如」は取象にして、「貞吉」は「占辞」なるか。朱熹は答えて言う:「罔孚、裕无咎」は又是た上面のあの兩句を解釋するに在り、「貞吉」の說くが明白足らざるを恐れて、ゆえに再び一層を申說す。胡炳文は言う:剛に上進を開始する時は、多く人ありて還く汝を信服せず。然るに「摧如」は對方の汝を壓制するにして、我は卻って正を守らざる能わず。「罔孚」は他人の我を信ぜざるにして、我は卻って寬舒せざる能わず。「貞」と「裕」の兩箇の字は、皆告戒の辞なり。

六二,晉如愁如,貞吉,受茲介福,于其王母。本義 六二中正,上無應援,故欲進而愁。占者如是而能守正則吉,而受福於王母也。“王母”,指六五。蓋享先妣之言占,而凡以陰居尊者,皆其類也。

六二の爻辞:晉如愁如、貞吉、茲の介福を其の王母に受く。朱熹『本義』は言う:六二はすでに中に居りまた當位して、是れ「中正」の爻なり、惜しむらくは上面に相應の援手なし。ゆえに上進せんと想うも心の裏發愁す。占問の人は此の種の境地に處して而して能く正を守れば、便ち吉利にして、并且に「王母」のあの處より福佑を得ん。「王母」は六五を指す。これもとより先祖母を祭享する時に得たる占辞にして、凡そ陰爻を以て尊位に居るは、皆此の一類に属す。

程傳 六二在下,上無應援,以中正柔和之德,非強於進者也,故於進為可憂愁,謂其進之難也。然守其貞正,則當得吉,故云“晉如愁如貞吉”。“王母”,祖母也,謂陰之至尊者,指六五也。二以中正之道自守,雖上無應援,不能自進。然其中正之德,久而必彰。上之人自當求之。蓋六五大明之君,與之同德,必當求之,加之寵祿,受介 集說 胡氏炳文曰:《小過》六二曰“遇其妣”,彼言祖妣,即此言“王母”也。

程頤『伊川易伝』は言う:六二は下卦に居りて、上面に相應の援手なし、憑る所は中正柔和の德性にして、竝びに硬に前に往きて擠らんと要する人にあらず。ゆえに進取の此の事の上に於ては免れず憂愁す、是れ其れの進むこと艱難を說くなり。然るにただ貞正を守住しさえすれば、終究に當に吉を得べし。ゆえに爻辞は「晉如愁如貞吉」と說く。「王母」はすなわち祖母にして、指す所は陰爻の當中で最も尊貴の一位、亦たすなわち六五なり。六二は中正の道を以て自守して、雖も上に援應なく・能く自己より上に往くを得ざるも、然るに其の中正の德性は日子久しければ必然に顯露して、上位に居る人は自ずと來りて之を延請せん。六五は大明の君にして、之と同德す、必定に來りて之を求取して、之に恩寵祿位を加えん——此處底本に脫文あり、程頤の此の段の言は「受介」の二字に到りて戛然として止み、未及だ說き完さず。「集説」は胡炳文の説を引く:《小過》の六二の爻辞は「遇其妣」を講ず、あの處の說く祖妣は、卽ち此處の說く「王母」なり。

案 二五相應者也,以陰應陽,以陽應陰,則有君臣之象,以陰應陰,則有妣婦之象。不曰母而曰王母者,禮重昭穆,故孫祔於祖,則孫婦祔於祖姑。蓋以昭穆相配,《易》爻以相配喻相應也。此明其為王母,而《小過》只言“妣”,蒙上過其祖之文爾。六五卦之主,而二應之,故有受福之義。

李光地が按する:二爻と五爻とはもとより相「應」する一對なり。若し陰爻は陽爻に應じ・陽爻は陰爻に應ずれば、取る所は君臣の象なり。若し陰爻は陰爻に應ずれば、取る所は便ち祖姑と孫婦の象なり。此處は「母」と稱せずして「王母」と稱するは、是れ禮制は昭穆の次序を看重するに因る。孫子の神主は祖父の傍邊に祔せられ、孫媳の神主は卽ち祖姑の傍邊に祔せらるるを要す。すでに昭穆に按じて相配せる以上、『周易』の爻位は便ち此の種の相配を借りて來りて「應與」を比喻す。此の爻は明說して「王母」、而して《小過》はただ「妣」を說くのみ、あれは上文の「過其祖」の一句に承りて省略し下りしなり。六五は全卦の卦主にして、六二は上に之に應ず。ゆえに福佑を承受するの意思あり。

六三,眾允,悔亡。本義 三不中正,宜有悔者,以其與下二陰皆欲上進,是以為眾所信而“悔亡”也。程傳 以六居三,不得中正,宜有悔咎。而三在順體之上,順之極者也。三陰皆順上者也,是三之順上,與眾同志,眾所允從,其悔所以亡也。

六三の爻辞:衆允、悔亡。朱熹『本義』は言う:六三はすでに中に居らずまた當位せず、理に按じて當に悔恨あるべし。然るに其れは下面の初六・六二の兩箇の陰爻と一樣に皆上に往きて進まんと想う、ここに因って衆人の信從を得て、悔恨は亦た卽ち消失せり。程頤『伊川易伝』は言う:陰爻を以て第三位に居るは、中正に合せず、もとより當に悔あり咎あるべし。然るに六三は坤の此の柔順の卦體の最上面に處し、是れ順は極點に到るなり。下卦の三箇の陰爻は皆上面に順從し、六三は上面に順從す、まさに衆人と同一心志にして、衆人は皆之を贊許追隨す、其の悔恨はここに因って消解す。

有順上嚮明之志,而眾允從之,何所不利?或曰,不由中正,而與眾同,得為善乎?曰:眾所允者,必至當也,況順上之大明,豈有不善也?是以“悔亡”。蓋亡其不中正之失矣。古人曰,謀從眾則合天心。集說 吳氏曰慎曰:初“罔孚”,未信也;三“眾允”,見信也。信於下斯信於上,故弗信乎友,弗獲於亡矣。

程頤は続けて言う:上位に順從して光明に趨向するの志向を懷き、また衆人の贊許跟從ありて、還く何の行き通らざるあらんや。ある人が問う:中正の路を走らずして、不過ち衆人と一致するのみ、これも亦た好事と算し得べきか。回答するに:衆人の一致に贊許する所は、必定に至當の理に合乎り、何况其の順從する所は上面の大明の君、どうして好からざらんや。ゆえに爻辞は「悔亡」と說く、亦たすなわち其れの不中不正の毛病を消解掉すなり。古人は說きしあり、事を謀るに衆議に聽從すれば、卽ち天心に合乎るなり。「集説」は吳曰愼の説を引く:初六は「罔孚」を說き、是れ尚未だ信任を取得せず。六三は「衆允」を說き、是れ已に人に信從せられり。先ず下に在る人に於て信を取りて、然る後に纔に上に在る人に於て信を取るを得べし。ゆえに『中庸』は「不信乎朋友、不獲乎上矣」と說く。

九四,晉如鼫鼠,貞厲。本義 不中不正,以竊高位,貪而畏人,蓋危道也,故為“鼫鼠”之象。占者如是,雖正亦“危”也。程傳 以九居四,非其位也。非其位而居之,貪據其位者也。貪處高位,既非所安,而又與上同德,順麗於上,三陰皆在己下,勢必上進,故其心畏忌之。貪而畏人者,“鼫鼠”也,故云“晉如鼫鼠”。貪於非據,而存畏忌之心,貞固守此,其危可知。言“貞厲”者,開有改之道也。

九四の爻辞:晉如鼫鼠、貞厲。朱熹『本義』は言う:九四はすでに中に居らずまた當位せず、等しく高位を竊據して、貪心にしてまた人を怕る、もとより是れ危險の道なり。ゆえに「鼫鼠」を取りて象と爲す。占問の人は此の種の境地に處すれば、卽ち正を守るも、照樣に危險なり。程頤『伊川易伝』は言う:陽爻を以て第四位に居るは、もとより其の待つべき位次にあらず。待つべからざるにして偏に待たんと要すれば、卽ち此の位子を貪圖占據すなり。高位を貪居すれば、もとより住むこと安穩せず、何况其れはまた上面の六五と同德して、柔順に君に依附し、而して下卦の三箇の陰爻は皆自己の脚の下に在りて、勢は必ず上に往きて擠らんとす。ゆえに心の裏彼らに對してまた忌みまた怕る。貪心にしてまた人を怕るは、まさに鼫鼠なり。ゆえに爻辞は「晉如鼫鼠」と說く。もとより占むべからざる位置を貪占して、還く畏忌の心を存し、また固執に之を守住して放さず、其の危險は想い知るべし。爻辞の說く「貞厲」は、是れ彼に一條の改過自新の路を留下す。

集說 項氏安世曰:《晉》之道,以順而麗乎大明,以柔進而上行,皆主乎順者也。三雖不正,以其能順,故得其志而上行。四雖已進乎上,以其失柔順之道,故如“鼫鼠”之窮而不得遂。

「集説」は項安世の説を引く:《晉》卦の道は、是れ柔順に上面の大明に依附して、柔順の姿態を以て一路に上行す、通篇は皆「順」の字を以て主と爲す。六三は雖も當位せざるも、其れの能く順なるに因りて、ゆえに能く其の心志を遂げて向上す。九四は雖も已に上卦に進み到れるも、其れの柔順の道を丟掉せるに因りて、ゆえに鼫鼠の一樣に走りて投ぐる路なし、進まんと想うも亦た進み成らず。

案 此卦以彖辭觀之,則九四以一陽而近君,“康侯”之位也。參之爻義,反不然者,蓋卦義所主在柔,則剛正與時義相反。當《晉》時,居高位,而失靜正之道。乖退讓之節,貪而畏人,則非鼫鼠而何?“貞厲”者,戒其以持祿保位為常,而不知進退之義也。

李光地が按する:此の一卦は若し單に「彖辞」の上より看れば、九四は一箇の陽爻を以て君位に緊挨し、まさに「康侯」の在る所の位子なり。然るに爻辞の意思に參照せば、卻って全然是のごとくにあらず:《晉》卦の主とする所は柔に在るに因りて、然らば剛正の一路は反って此の一卦の時勢の義と相違背す。正に《晉》進の時に當りて、身を高位に居りて而して安靜に正を守るの路數を丟掉し、謙退辭讓の分寸に違背して、貪得にしてまた人を怕る、これ鼫鼠にあらずして又是た何ぞや。爻辞の說く「貞厲」は、是れ彼を警戒して俸祿を保住し位子を守住することを以て常態に當成して、當に進むべき當に退くべきの道理を懂得せざるべからざらしむるなり。

六五,悔亡,失得勿恤,往吉無不利。本義 以陰居陽,宜有悔矣。以大明在上,而下皆順從,故占者得之,則其“悔亡”。又一切去其計功謀利之心,則“往吉”而“無不利”也。然亦必有其德,乃應其占耳。

六五の爻辞:悔亡、失得勿恤、往吉无不利。朱熹『本義』は言う:陰爻を以て陽位に居るは、もとより當に悔あるべし。然るに其れは大明の德を以て上位に高踞し、下面の各爻はまた皆順從す。ゆえに占問の人は此の一爻を得れば、悔恨は便ち消解す。再び能く一切の功效を計較し・利益を圖謀するの心思を統統去り除けば、あれは卽ち「往吉」にして「无不利」なり。不過ち占者も亦た必須に自身に此の樣の德を具備して、纔に此の占斷に配當し得べし。

程傳 六以柔居尊位,本當有悔,以大明而下皆順附,故其悔得亡也。下既同德順附,當推誠委任,盡眾人之才,通天下之志,勿復自任其明,恤其失得,如此而往,則 集說 劉氏牧曰:陽為躁動,陰為靜止。二五陽位,以陰居之,能節其動,故爻辭不稱晉,而皆曰“悔亡”。

程頤『伊川易伝』は言う:陰柔を以て尊位に居るは、もとより當に悔あるべし。其れは大明の德あるに因り、下面の各爻はまた皆順從依附す。ゆえに悔は以て消解を得。下面はすでに同德に歸附せれば、卽ち當に誠を推して相待し・手を放手して任用して、衆人の才干を皆用い盡くし、天下の人の心志を皆疏通して、再び自ら己の明察を恃み、斤斤に一時の得失を計較するべからず。此の樣に前に往けば、卽ち——此處底本に脫文あり、程頤の言は說き完さず。「集説」は劉牧の説を引く:陽性は躁動し、陰性は靜止す。二・五の兩爻の居る所はもとより陽の位置に属して、卻って陰爻に由りて來りて占められ、能くあの份の躁動を節制す。ゆえに此の兩爻の爻辞は皆「晉」の字を提せずして、一概に「悔亡」と說く。

石氏介曰:以道自怔,得之自是,失之自是,曾不以介意小人患得患失,恤也。胡氏炳曰:事有不必憂者,“勿恤”,寬之之辭也,有不當憂者,“勿恤”,戒之之辭也。此曰“失得勿恤”,戒辭明矣,蓋當《晉》之時,易有患得患失之心,才柔又易有失得之累。大明在上,用其明於所當為,不當用其明於計功謀利之私也。

「集説」は石介の説を引く:道を以て自守する人は、得るは此の樣子にして、失うも亦是た此の樣子にして、從來に得失を心の上に放せず。ただ小人のみ患得患失して、成天憂慮やまず。胡炳文は言う:ある事はもとより憂うるを須いず、「勿恤」を說くは是れ寬解の辞なり。ある事はもとより憂うべからず、「勿恤」を說くは是れ告戒の辞なり。此處の說く「失得勿恤」は、顯然たり告戒の辞に属す——正に《晉》進の時に當りて、人は容易く患得患失の心を生出し、何况六五の才質は柔弱にして、いよいよ容易く得失に牽累せられん。大明は上に高懸し、當に此の份の明察を該當に做る事の上に用いて、當に之を功效を計較し私利を圖謀するの上に用いるべからず。

案 彖辭言康侯之被遇,而《傳》以柔進上行釋之,則聖人之意,以此爻當康侯而為卦主明矣。蓋凡卦皆有主,其合於彖辭者是也。九四高位而爻辭不善如此,則彖辭之,義,誠非六五不足以當之。“晉如鼫鼠”者,患得患失,鄙夫之行也。“失得勿恤”者,竭誠盡忠,君子之志也。

李光地が按する:「彖辞」は講ずるは康侯の君上の禮遇を受くるにして、而して『彖伝』は「柔進而上行」を持ち來りて之を解釋す、見るべし聖人の意思は、是れ此の一爻を以て康侯に當作し・全卦の卦主に當作す、此の一點は甚だ明白なり。大凡一卦は皆卦主ありて、「彖辞」と相合するあの一爻は卽ち是れ。九四は身を高位に居るも、爻辞は卻ってあの地步に壞れる、然らば「彖辞」の含義は、實在に六五にあらざれば以て承當するに足らず。「晉如鼫鼠」は、是れ患得患失にして、鄙陋の人の行徑なり。「失得勿恤」は、是れ誠を竭し忠を盡くすにして、君子の心志なり。

上九,晉其角,維用伐邑,厲吉無咎,貞吝。本義 “角”,剛而居上,上九剛進之極,有其象矣。占者,得之而以伐其私邑,則雖“危”而“吉”且“無咎”。然以極剛治小邑,雖得其正,亦可“吝”矣。

上九の爻辞:晉其角、維用伐邑、厲吉无咎、貞吝。朱熹『本義』は言う:「角」の此の物は剛硬にして頭頂の上に生ず、上九は剛健上進は極點に到り、まさに此の象に合す。占問の人は此の一爻を得て、若し之を用いて自己の私邑を討伐せば、然らば雖も「危」なるも、卻って仍ほ「吉」にして「无咎」なり。不過ち極剛の手段を持ち來りて去りて一座の小邑を整治するは、卽ち正道に合乎るも、終究に幾分の「吝」を留下す——是れ一件の憾事なり。

程傳 “角”,剛而居上之物。上九以剛居卦之極,故取角為象。以陽居上,剛之極也。在《晉》之上,進之極也。剛極則有強猛之過,進極則有躁急之失。以剛而極於進,失中之甚也。無所用而可,唯獨用於“伐邑”,則雖“厲”而“吉”且“無咎”也。

程頤『伊川易伝』は言う:「角」は剛硬にして最高處に長ずる物なり。上九は陽剛を以て一卦の極に居る。ゆえに角を取りて象と爲す。陽爻を以て最上に居るは、是れ剛は極點に到るなり。《晉》卦の上に處するは、是れ進は極點に到るなり。剛は極點に到れば便ち強横猛烈の過失あり、進は極點に到れば便ち躁動急切の毛病あり。すでに剛強にしてまた進は極處に到るは、是れ嚴重に中道を失掉す。此の樣の人はどこに用いるも合適せず、惟獨之を用いて「邑を伐」て、纔に雖も危「厲」あるも而して仍ほ「吉」にして且つ「无咎」なり。

伐四方者,治外也。伐其居邑者,治內也。言“伐邑”,謂內自治也。人之自治,剛極則守道愈固,進極則遷善愈速。如上九者以之自治,則雖傷於“厲”而“吉”且“無咎”也。嚴厲非安和之道,而於自治則有功也。復云“貞吝”以盡其義,極於剛進,雖自治有功,然非中和之德,故於貞正之道為可“吝”也,不失中正為貞。

程頤は続けて言う:四方を討伐するは、是れ外を治むるなり。自己の居する封邑を討伐するは、是れ內を治むるなり。爻辞の說く「伐邑」は、指す所は卽ち對內に自我整治す。人の自我整治するは、剛は極は極處に到れば則ち道を守ることいよいよ牢め、進は極處に到れば則ち過を改め善に遷ることいよいよ快し。上九のごとき人は、此の股の勁頭を用いて自ら治むれば、然らば雖も嚴「厲」に失するも、卻って仍ほ「吉」にして「无咎」なり。嚴厲はもとより安詳和平の道にあらざれど、用いて自治の上に在りては確かに成效あり。爻辞はまた一句の「貞吝」を添えて、言を說き盡くす:剛進は極處に到る人は、自治は雖も功あるも、畢竟に中和の德にあらず。ゆえに貞正の道に從りて來りて衡量すれば、仍ほ可「吝」に属す——中正を失せざる纔に「貞」と叫作す。

集說 張子曰:無可進而進,唯“伐邑”於內則可矣,如君子則知止也。王氏宗傳曰:《晉》之上九,晉至於“角”,無所復進矣。唯能自反自克而內自治焉,則知危厲自警而獲吉矣,此所以無剛進之咎也。

「集説」は張載の説を引く:已に進む可きの處なしにして卻って還く進まんと要すれば、ただ對內に「邑を伐つ」の此の一條の路のみ走り通り得べし。君子に換えれば、卽ち當に止住すべきを懂得す。王宗傳は言う:《晉》卦の上九は、「角」の位置に進み到りて、再び進む可きの地方なし。惟獨能く反躬自省して・自己を克制して、內に向かいて整治の工夫を做する、纔に處境危厲を明白して自ら警惕を加えて、從而に吉を獲り、これすなわち其れの剛進の咎を落下せざるに至らざる緣故なり。

《朱子語類》:看伯於與廬陵問答內《晉》卦“伐邑”說。曰:《晉》上九“貞吝”,“吝”不在克治,正以其克治之難,面言其合下有此吝耳。“貞吝”之義,只雲貞固守此則吝,不應於此獨雲於正道為吝也。

「集説」は『朱子語類』を引く:ある人が朱熹をして伯于と廬陵の往復問答の中に《晉》卦の「伐邑」を論ずるの一段を看せしめんと請う。朱熹は言う:《晉》卦の上九の講ずる「貞吝」は、此の「吝」は竝びに克己整治の上に落つるにあらずして、正に克己整治の本身は極めて難きに因りて、纔に勢に就いて其れの一開頭より此の份の可惜を帶ぶるを指出す。「貞吝」の含義は、不過ち固執に此の一套を守住すれば便ち憾あるを說くのみ、當に此處に於て單獨に講成して正道を守るは反って憾事と爲すべからず。

項氏安世曰:《晉》好柔而惡剛,故九四、上九皆以“厲”言之。四進而非其道,故為“鼫鼠”。上已窮而猶晉,故為“晉其角”。陸氏振奇曰:當《晉》之時,聖人最喜用柔而不用剛,故四陰“吉”“悔亡”,二陽“厲”且“吝”也。

項安世は言う:《晉》卦は柔を喜び剛を厭う。ゆえに九四・上九の兩爻は皆「厲」の字を持ち來りて彼らを說く。九四は上に往きて進むも卻って正路を走らず。ゆえに「鼫鼠」に像似る。上九は已に窮盡したるも卻って還く前に往きて晉せんと要す。ゆえに「晉其角」と說く。陸振奇は言う:正に《晉》進の時に當りて、聖人は最も柔を用いるを贊成して而して剛を用いるを主張せず。ゆえに四箇の陰爻の占斷は「吉」にあらざれば卽ち「悔亡」にして、兩箇の陽爻の占斷は則ち「厲」にして而且「吝」なり。

案 ”晉其角”者,是知進而不知退者也。知進而不知退者,危道也。然亦有時事使然,而進退甚難者。唯內治其私,反身無過,如居家則戒子弟,戢僮僕;居官則杜交私,嚴假託,皆“伐邑”之謂也,如此則雖“危”而“吉無咎”矣。

李光地が按する:所謂「晉其角」は、說くは前進を知るのみにして後退を知らざる人なり。進を知るのみにして退を知らざるは、もとより是れ危險の道なり。不過ちも亦た時勢の逼れて此の樣と成りて・進退皆極めて拿捏し難きの時あり。此の時は惟獨對內に自己の私門を整治して、反躬自省して而して過失なきを做し到るのみ。家に在りては卽ち子弟を管束し・僮僕を約束す。官を做るは卽ち私相請託を杜絕し・他人の名義を假借するを嚴防す。此の些は皆「伐邑」の意思に属す——所謂伐邑は竝びに真に兵を興しに往くにあらずして、而して對外用兵のあの份の嚴厲を轉じ回して來りて自家の門內を整治すなり。能く此の樣に做せば、然らば雖も「危」境に處するも、亦た仍ほ「吉无咎」なり。

若以進為常,縱未 總論 邱氏富國曰:“晉”,進也,柔進而上行也,故卦專主柔進為義。六爻四柔二剛,六五一柔自四而升,已進者也,故“往吉無不利”。下坤三柔,皆欲進者,而九四以剛間之,故有“晉如鼫鼠”之象。

李光地の按語は「若以進爲常、縱未」の處に到りて戛然として止まり、底本に脫文ありて、下面の言は已に缺えたり。「總論」は邱富國の説を引く:「晉」はすなわち前進にして、是れ柔順者の一路に上に向かって升進す。ゆえに此の一卦は專ら柔進を持ち來りて立義す。六爻の中は四柔二剛にして、六五の此の一柔爻は第四位より升り上がり來るにして、属す所は已に進み位に到りしなり。ゆえに爻辞は「往吉无不利」と說く。下卦の坤の三箇の柔爻は皆上に往きて進まんと想うも、偏偏と九四は陽剛を以て中間に橫たわりて擋がる。ゆえに「晉如鼫鼠」の象あり。

趙氏汝騰曰:下三爻皆柔順而坤體,故初二“吉”、三“悔亡”。四上以陽不當位,故“厲”且“吝”。唯五以柔明居尊位,故“往吉無不利”也。龔氏煥曰:《晉》卦諸爻,皆以進為義。初二三五,柔之進。四與上,剛之進也。四陰二陽,陰多“吉”而陽多“厲”者,《晉》以柔順為善,剛強則躁矣,故《彖傳》曰:“順而麗乎大明,柔進而上行。”卦之得名,其亦以柔為主與?

趙汝騰は言う:下面の三爻は皆柔順にして坤體に属す。ゆえに初六・六二は「吉」を占し、六三は「悔亡」を占す。九四・上九は陽爻を以て不當の位次に處す。ゆえに「厲」を占して而且「吝」なり。惟獨六五は柔順明察を以て尊位に居る。ゆえに「往吉无不利」と說く。龔煥は言う:《晉》卦の各爻は、一律に「進」を以て立義す。初・二・三・五は、是れ柔者の進なり。四と上とは、是れ剛者の進なり。全卦は四陰二陽にして、陰爻は多く「吉」を得て陽爻は多く「厲」を得るは、是れ《晉》は柔順を以て善と爲して、剛強は卽ち躁動に流るるに因る。ゆえに『彖伝』は「順而麗乎大明、柔進而上行」と說く。此の一卦の名を得る所以は、大概に亦是た柔を以て主と爲すか。

明夷卦(坤上離下)

程傳 《明夷序卦》:“晉者進也,進必有所傷,故受之以明夷,夷者傷也。”夫進之不已,必有所傷,理自然也,《明夷》所以次《晉》也,為卦坤上離下,明入地中也。反晉成明夷,故義與晉正相反。《晉》者明盛之卦,明君在上,群賢並進之時也。《明夷》昏暗之卦,暗君在上,明者見傷之時也。日入於地中,明傷而昏暗也,故為《明夷》。

程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は講ず、「晉は者進也、進は必ず傷ある所あらんとす、ゆえに之を受くるは《明夷》を以てす、夷は者傷也」。一味に前に往きて進みて停まるを肯んぜざれば、必定に傷を受けん、これ是れ自然の理なり。ゆえに《明夷》は《晉》の後面に排す。卦體に就いて說けば、坤は上に在り離は下に在り、是れ光明の地中に沈入するの形象なり。《晉》卦を整箇に倒せば便ち《明夷》と成る。ゆえに兩卦の意義は正に相反す。《晉》は光明盛大の卦にして、明君は上に在りて、群賢は一齊に進用するの時なり。《明夷》は昏暗の卦にして、暗君は上に在りて、明智の人は傷害を受けるの時なり。太陽は地中に沈入して、光明は傷を受けて天下は昏暗なり。ゆえに《明夷》と作す。

明夷,利艱貞。本義 “夷”,傷也。為卦下離上坤,日入地中,明而見傷之象,故為《明夷》。又其上六為暗之主。六五近之,故占者利於艱難以守正,而自晦其明也。程傳 君子當《明夷》之時,利在知艱難而不失其貞正也。在昏暗艱難之時,而能不失其正,所以為明君子也:集說 孔氏穎達曰:時雖互暗,不可隨世傾邪,故宜艱難堅固,守其貞正之德。

《明夷》卦の卦辞:明夷、艱貞に利あり。朱熹『本義』は言う:「夷」はすなわち傷なり。卦體に就いて說けば、下は離・上は坤にして、太陽は地中に沈入す、是れ光明の傷損を受けるの象なり。ゆえに《明夷》と作す。再び說く、上六は黑暗の主にして、六五は之に緊挨す。ゆえに占問の人は艱難の中に於て正を守るに利ありて、竝びに自己の明智を收斂藏起して・鋒芒を露せず。程頤『伊川易伝』は言う:君子は《明夷》の時に處すれば、好處は處境艱難を明白して而して自己の貞正を丟掉せざるに在り。昏暗艱難の時に於て仍ほ能く其の正を失せざるは、正に此に因って纔に明智の君子と算し得べし。「集説」は孔穎達の説を引く:時世は縱使一片に昏暗なるも、亦た以て波に随って流れ・邪僻に跟い著くべからず。ゆえに當に艱難の中に於て堅定不移にして、自己の貞正の德操を守住すべし。

李氏舜臣曰:《易》卦諸爻,《噬嗑》之九四,《大畜》之九三,曰“利艱貞”,未有一卦全體以“利艱貞”為義者。此蓋睹君子之明傷為可懼,而危辭以戒之,其時可知也。胡氏炳文曰:以二體,則離明也,傷之者坤;以六爻,則初至五皆明也,傷之者上;上為暗主,而五近之,故《本義》從《彖傳》以“利艱貞”為五。

李舜臣は言う:『周易』の各卦の爻辞の裏、《噬嗑》の九四・《大畜》の九三は皆「利艱貞」を說きしあれど、卻ってどの一卦も通篇に「利艱貞」を以て立義するはなし。これは大概に聖人は君子の明智の損傷せらるるは實在に可怕なるを看出して、纔に危懼の辞を用いて告戒す、あの時世は何の光景か、亦た卽ち想い知るべし。胡炳文は言う:上下の兩箇の卦體より看れば、離は明にして、其れを傷つけるは坤なり。六爻より看れば、初九より六五に到るまで皆明にして、彼らを傷つけるは上六なり。上六は黑暗の主にして、六五はまた之に緊挨す。ゆえに『本義』は『彖伝』の講法に依って、「利艱貞」を六五の身上に落實せしめり。

初九,明夷于飛,垂其翼。君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。本義 飛而垂翼,見傷之象。占者行而不食,所如不合,時義當然,不得而避也。程傳 初九明體,而居明夷之初,見傷之始也。九,陽明上升者也,故取飛象。昏暗在上,傷陽之明,使不得上進,是于飛而傷其翼也。翼見傷,故垂朵。

初九の爻辞:明夷は飛に於て、其の翼を垂る。君子は行に於て、三日食わず。往く所有りて、主人は言あり。朱熹『本義』は言う:飛びて而して翅膀は下垂するは、是れ傷を受けたるの象なり。占問の人は路の上に奔走して而して飯を喫うに及ばず、到る所の處はまた人と合わず、これ是れ眼下の時勢はもとより當に此のごとくにして、躲くるも亦た躲け開かざるなり。程頤『伊川易伝』は言う:初九は離の此の明體に属し、また《明夷》の開頭に處し、是れ傷を受けるの起始なり。陽爻はもとより光明上升するにして、ゆえに飛の形象を取る。昏暗は上に壓して、陽爻の明を損傷して、之をして上に往きて進むを能わざらしむ、これすなわち飛びて而して翅膀を傷えたるなり。翅膀は傷を受けたれば、ゆえに耷拉し下る。

凡小人之害君子,害其所以行者。“君子于行,三日不食”,君子明照,見事之微,雖始有見傷之端,未顯也,君子則能見之矣,故行去避之。“君子于行”,謂去其祿位而退藏也。“三日不食”,言困窮之極也。事未顯而處甚艱,非見幾之明不能也。夫知幾者,君子之獨見, 集說 蘭氏廷瑞曰:陽剛之君子,居明夷之始,戢翼避禍,見幾先遯。

程頤は続けて言う:小人は君子に加害するは、害するはまさに君子の行事するに賴る憑借なり。爻辞の說く「君子于行、三日不食」——君子は明察にして、能く事情は尚未だ甚微細なる時に苗頭を看出して、縱使傷を受けるの端倪は剛に露出して・尚未だ顯形せざるも、君子は已に看見せり。ゆえに身を抽き走開して之を躲避す。「君子于行」は、說くは俸祿官位を舍棄して而して退隱藏身す。「三日不食」は、說くは困窘窮苦は極點に到れり。事情は尚未だ顯形せざるにして而して處境は已に極めて艱難なれば、竝びに「見幾」の明ある人にあらざれば做し到る能わず。能く幾微を知るに至れば、あれは君子の獨到の眼力なり——此處底本に脫文あり、程頤の言は說き完さず。「集説」は蘭廷瑞の説を引く:陽剛の君子は《明夷》の開端に處して、翅膀を收起して禍患を躲避して、苗頭を看見すれば卽ち先行して隱遁す。

項氏安世曰:“垂其翼”,不言夷,未傷也。“夷于左股”,言已傷也。說者以“垂其翼”為傷翼,非也,斂翼而下飛者,避禍之象也。邱氏富國曰:初體離明,去上最遠,見傷即避,有飛而垂翼之象。君子知幾,義當速去。蓋可以不食,而不可以不去。去重於食故也。

項安世は言う:初九の爻辞は「垂其翼」と說きて、竝びに「夷」の字を用いず、見るべし尚未だ傷を受けず。六二は「夷于左股」と說きて、纔に已に傷を受けたるなり。ある人は「垂其翼」を以て翅膀の傷を受けたると講成す、これ是れ對ならず——翅膀を收斂して低低と飛ぶは、まさに禍患を躲避するの形象なり。邱富國は言う:初九は離の此の明體に属して、離を上六より最も遠く、一見すれば傷害あれば卽ち躲け開く。ゆえに飛びて而して翅膀を垂るの象あり。君子は能く苗頭を察知して、道理に按じて當に趕緊に走るべし。寧ろ肚を餓えても、亦た走らざる能わず、走るは飯を喫うに比べて要緊なるに因る。

俞氏琰曰:居《明夷》之初,不敢高飛,遂垂斂其翼以向下,此見幾之明,不待難作而蚤避者也。夫知幾而早去,此君子獨見,主人固不識也,豈得無言?六二,明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。本義 傷而未切,救之速則免矣,故其象占如此。

兪琰は言う:《明夷》の開頭に處して、敢えて高處に往きて飛ばず、ここに於て翅膀を收斂して低低に下降す、これ是れ「見幾」の明智にして、禍難の發作を待たずして早早と躲け開くなり。能く苗頭を察知して而して及早に身を抽くは、是れ君子の獨到の眼光にして、彼を接待する主人は自ずと看懂し得ず、どうして閑話なきを得んや。六二の爻辞:明夷、左股に夷る、拯に用いて馬壯、吉。朱熹『本義』は言う:雖も傷を受けたるも、卻って傷は切要を得ず、救治は快ければ卽ち以て脫身し得べし。ゆえに其の取象と占斷とは此の樣なり。

程傳 六二以至明之才,得中正而體順,順時自處,處之至善也。雖君子自處之善,然當陰暗小人傷明之時,亦不免為其所傷。但君子自處有道,故不;能深相傷害,終能違避之耳。足者所以行也,股在脛足之上,於行之用為不甚切。左又非便用者。手足之用以右為便,唯蹶張用左,蓋右立為本也。“夷于左股”,謂傷害其行而不甚切也。

程頤『伊川易伝』は言う:六二は極明の才質ありて、居中當位して而して卦體は柔順にして、時勢に順應して自己を安頓して、處世は算しく盡善を做す。然るに君子は卽ち自處すること好しと雖も、陰暗の小人は光明を傷害するの時に碰上れば、亦た免れず彼らに傷つけらるるなり。不過ち君子は自處するに法度あるに因りて、ゆえに對方は能く彼を傷つけること太も深くは得ず、終究に躲け開き得べし。脚は用いて路を走るにして、大腿は小腿と脚の上面に長じて、路を走るの此の事に對する關係は還く算しく太も要緊ならず。左邊は又慣用の一側にあらず。人の手脚は皆右邊を以て順手と爲して、ただ脚を以て弩を蹬るのみ左脚を使う、站立は右脚を以て本と爲すに因る。ゆえに「夷于左股」は、說くは其の行動を傷つけたるも、卻って傷は切要を得ざるなり。

雖然,亦必自免有道,拯用壯健之馬,則獲免之速而古也。君子為陰暗所傷,其自處有道,故其傷不甚。自拯有道,故獲免之疾。用拯之道不壯,則被傷深矣。故云“馬壯”則“吉”也。二以明居陰暗之下,所謂“吉”者,得免傷害而已,非謂可以有為於斯時也。

程頤は続けて言う:言は雖も此のごとくなれど、脫身するも亦た辦法あらんことを得:強壯の馬を借りて來りて救援すれば、險を脫するは快く、ここに因って吉利なり。君子は陰暗の勢力に傷つけらるるは、自處するに法度あるに因りて、ゆえに傷は重からず。自救するに辦法あるに因りて、ゆえに脫身は甚だ快し。たとえば救援の手段は强勁足らざれば、あれは卽ち傷つけらるること甚だ深かるべし。ゆえに爻辞は「馬壯」を說きて纔に「吉」なり。六二は光明の質を以て陰暗の勢力の下に居る、此處の所謂「吉」は、不過ち以て傷害を免れ得に過ぎず、竝びに此の時候に還く何の作爲有り得べしと說くにあらず。

集說 王氏宗傳曰:六二文明之主也,以六居二,柔順之至文王以之。案 《明夷》與《豐》卦略相似,然《豐》者明中之昏,《明夷》則昏極而不復明也。兩卦皆以上六為昏之主,六二為明之主。既為明之主,豈可不以救昏為急?故此之“夷于左股”者,與《豐》二之“往得疑疾”同也;此之“用拯馬壯”者,與《豐》之“有孚發若”同也。蓋未至於《豐》三之“折其右肱”,則猶有可為之理也。

「集説」は王宗傳の説を引く:六二は文明の主にして、陰爻を以て第二位に居りて、柔順は極點に到れり、周の文王は身を紂世に處してまさに此の一套を用いしなり。李光地が按する:《明夷》と《豐》の兩卦は略々相似す、不過ち《豐》の講ずるは光明の當中の昏暗にして、《明夷》は則ち昏は極處に到りて・再び亮せず。兩卦は皆上六を以て昏暗の主と爲し・六二を以て光明の主と爲す。すでに光明の主なる以上、どうして昏暗を救治するを以て急務と爲さざるを得んや。ゆえに此の卦の「夷于左股」は、《豐》卦の六二の「往得疑疾」と同一の路數なり。此の卦の「用拯馬壯」は、《豐》卦の「有孚發若」と同一の路數なり。ただ尚未だ《豐》卦の九三の「折其右肱」のあの一歩に到らざれば、卽ち還く以て施爲し得べきの餘地あり。

九三,明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。本義 以剛居剛,又在明體之上,而屈於至暗之下,正與上六暗主為應,故有嚮明除害,得其首惡之象。然不可以亟也,故有“不可疾貞”之戒。成湯赴於夏臺,文王興於羑里,正合此爻之義,而小事亦有然者。

九三の爻辞:明夷は南狩に於て、其の大首を得、疾貞すべからず。朱熹『本義』は言う:九三は陽爻を以て陽位に居り、また離の此の明體の最上面に處し、卻って極めて黑暗の勢力の下に屈居す、恰好と上六の此の黑暗の主と相「應」す。ゆえに光明に向かって去りて禍害を除き・首惡を擒獲するの象あり。不過ち此の事は急ぐべからず。ゆえに「不可疾貞」の告戒あり。商の湯は曾て夏臺に囚われて而後に興り、周の文王は曾て羑里に囚われて而後に興り、まさに此の一爻の意思に合す。小事情の上に於ても亦た同じ道理あり。

程傳 九三離之上,明之極也。又處剛而進,上六坤之上,暗之極也。至明居下而 集說 胡氏炳文曰:二之救難,可速也;三之除害,不可速也,故有“不可疾貞”之戒。六四,入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。

程頤『伊川易伝』は言う:九三は離卦の最上面に處し、是れ光明は極點に到りて、また陽位に居りて前に向かって推進す。上六は坤卦の最上面に處し、是れ黑暗は極點に到るなり。極明の一方は下に居り——此處底本に脫文あり、程頤の言は說き完さず。「集説」は胡炳文の説を引く:六二の救う所は自身の危難にして、以て快かるべし。九三の除く所は天下の禍害にして、以て快からるべからず。ゆえに「不可疾貞」の告戒あり。六四の爻辞:左腹に入りて、明夷の心を獲、門庭を出づ。

本義 此爻之義未詳,竊疑左腹者幽隱之處;“獲明夷之心于出門庭”者,得意於遠去之義。言筮而得此者,其自處當如是也。蓋離體為至明之德,坤體為至暗之地。下三爻明在暗外,故隨其遠近高下而處之不同。六四以柔正居暗地而尚淺,故猶可以得意於遠去。五以柔中居暗地而已迫,故為內難正志以晦其明之象。上則極乎暗矣,故為自傷其明以至於暗,而又足以傷人之明。蓋下五爻皆為君子,獨上一爻為暗君也。

朱熹『本義』は言う:此の一爻の意思は尚未だ弄明白せざり、我は私下に猜想する「左腹」は幽深隱蔽の處所なり。「獲明夷之心于出門庭」は、是れ稱心如意に遠走高飛するの意思なり。亦たすなわち說く、占筮して此の一爻を得たる人は、自己を安頓するは當に此の樣のごとくすべし。大抵離の此の卦體は極明の德を代表し、坤の此の卦體は極暗の處境を代表す。下面の三爻の光明は還く黑暗の外に在り、ゆえに各自の黑暗に離るる遠近高低に按じて、處置の方式も亦た一樣ならず。六四は柔順當位を以て而して暗地に陷入すること尚淺し。ゆえに還く能く心に稱い遠走し得べし。六五は柔順居中を以て而して已に黑暗に逼近せられり。ゆえに身を內難に處して・心志を端正にして而して其の明を收斂するの象あり。上六は則ち黑暗は極處に到れり、ゆえに是れ自己は自己の明を損傷して以て全然昏暗に至りて、還く以て他人の明を傷害するに足る。總起來說けば、下面の五爻は皆君子にして、惟獨最上の一爻は昏暗の君なり。

程傳 六四以陰居陰,而在陰柔之體,處近君之位,是陰邪小人居高位,以柔邪順於君者也,六五《明夷》之君位,傷明之主也。四以柔邪順從之,以固其交。夫小人之事君,未有由顯明以道合者也,必以隱僻之道自結於上。右當用,故為明顯之所;左不當用,故為隱僻之所。人之手足皆以右為用,世謂僻所為僻左,是左者隱僻之所也。

程頤『伊川易伝』は言う:六四は陰爻を以て陰位に居り、また身を坤の此の陰柔の卦體の裏に在りて、近君の位置に處す、これ是れ陰邪の小人は高位を占めて、柔媚邪佞の手段を用いて君主に順從す。六五は《明夷》の一卦の君位にして、まさに光明を損傷する主人なり。六四は柔邪を用いて去りて彼に順從して、彼此の交情を鞏固せんと好す。小人の君主に事奉するは、從來に光明正大・道を以て相合するに靠るなく、必定に隱蔽偏僻の路數を用いて自己を君上の身上に結托す。慣用の一側にして、ゆえに明顯の處を代表す。左邊は常用せず、ゆえに隱僻の處を代表す。人の手脚は皆右を以て用と爲して、世人は偏僻の地方を「僻左」と叫作す、見るべし「左」は卽ち隱僻の所在なり。

四由隱僻之道深入其君,故云“入于左腹”。“入腹”,謂其交深也。其交之深,故得其心。凡奸邪之見信於其君,皆由奪其心也。不奪其心,能無悟乎?“于出門庭”,既信之於心,而後行之於外也。邪臣之事暗君,必先蠱其心而後能行於外。

程頤は続けて言う:六四は隱僻の路數に循りて深深と君主の內裏に鑽り入る。ゆえに「入于左腹」と說く。「入腹」は說くは交結すること深し。交結すること深ければ、ゆえに君主の心を摸到せり。凡そ奸邪の人の君主の信任を取得するは、皆君主の心を奪い過ぐるに由る。其の心を奪い過がざれば、君主はどうして醒悟せざらんや。「于出門庭」は、說くは已に君主の心裏に於て信任を取得して、然る後に纔に手を朝廷の外面に伸ばし出づるなり。邪臣は昏君に事奉するは、必定に先ず其の心を迷惑して、然る後に纔に外面に於て爲所慾爲し得べし。

集說 楊氏時曰:“腹”,坤象也,坤體之下,故曰“左腹”,尊右故也。“獲明夷之心”,所謂求仁而得仁也,此微子之明夷也。《朱子語類》云:《明夷》下三爻皆說“明夷”,是明而見傷者。六四說者卻以為奸邪之臣,先蠱惑其君心,而後肆行於外。

「集説」は楊時の説を引く:「腹」の取るは坤の象にして、六四は坤體の下部に處す。ゆえに「左腹」と說く、これ是れ禮制は右を以て尊と爲し・左を以て卑と爲すに因る。「獲明夷之心」は、卽ち所謂仁を求めて而して仁を得るなり、これ是れ微子の《明夷》の世に於ける作爲なり。『朱子語類』は言う:《明夷》の下面の三爻は皆「明夷」の二字を點出して、指す所は本身は光明にして而して損傷を遭受する人なり。六四に到りて、經を解する人は卻って之を說成して奸邪の臣は先ず君心を迷惑して・而後に外面に於て肆意妄爲すと成す。

下三爻皆說明夷是好底,何獨此爻卻作不好說?以意觀之,六四居暗地尚淺,猶可以得意而遠去。故雖入於幽隱之處,猶能獲明夷之心“于出門庭”也。上六“不明晦”,則是合下已是不明。

朱熹は続けて言う:下面の三爻の講ずる「明夷」は皆好處に往きて講ず、何故に單單此の一爻は壞處に往きて講ずるを要するか。我の體會に照れば、六四は黑暗に陷り入ること還く算しく深からずして、仍舊に能く心に稱い遠走高飛し得べし。ゆえに其れは雖も幽深隱蔽の處に進入したるも、還く能く心願を遂げて、門庭の裏より走り出づるを得。上六の說く「不明晦」に至れば、あれは纔に一開頭より已に明ならざるなり。

胡氏炳文曰:初二三在暗外,至四則將入暗中。然比之六五,則四尚淺也,猶可得意於遠去。“獲明夷之心”者,微子之自靖。“于出門庭”者,微子之行遯也。六五,箕子之明夷,利貞。本義 居至暗之地,近至暗之君,而能正其志,箕子之象也,貞之至也。“利貞”,以戒占者。

胡炳文は言う:初九・六二・九三は還く黑暗の外に在りて、六四に到れば卽ち將に黑暗の裏に陷り入らんとす。然るに六五と相比すれば、六四の陷り入るは還く淺く、仍舊に能く心に稱い遠走し得べし。「獲明夷之心」は、說くは微子の自ら心安を求むるなり。「于出門庭」は、說くは微子の出走隱遁すなり。六五の爻辞:箕子の明夷、貞に利あり。朱熹『本義』は言う:身を極暗の地に處して、また極昏の君に緊挨して、卻って能く自己の心志を端正す、これまさに箕子の形象にして、貞正は極點に到れり。爻辞の說く「利貞」は、是れ用いて占問の人に告戒するなり。

程傳 五為君位,乃常也。然《易》之取義,變動隨時。上六處坤之上,而明夷之 上六,不明晦,初登于天,後入于地。本義 以陰居坤之極,不明其德以至於晦。始則處高位以傷人之明,終必至於自傷而墜厥命。故其象如此,而占亦在其中矣。

程頤『伊川易伝』は言う:第五位は君位にして、これ是れ通例なり。然るに『周易』の取義は、時に随って皆變動す。上六は坤卦の最上面に處し、而して《明夷》の——此處底本に脫文あり、程頤の六五を解する此の段の言は說き完さず。上六の爻辞:不明晦、初は天に登り、後は地に入る。朱熹『本義』は言う:陰爻を以て坤卦の極處に居りて、能く自己の德を昭明せずして、以て昏晦に陷入す。起初は高位に凭りて去りて他人の光明を損傷して、最終に必然に自己は傷を受けて而して天命を喪失するの地步に落到す。ゆえに取象は此のごとくにして、占斷は亦た卽ち其中に含まるるなり。

程傳 上居卦之終,為《明夷》之主,又為《明夷》之極,上至高之地。明在至高,本當遠照。明既夷傷,故不明而反昏晦也。本居於高,明當及遠,“初登于天”也,乃夷傷其明而昏暗,“後入于地”也。上,《明夷》之終,又坤陰之終,明傷之極者也。

程頤『伊川易伝』は言う:上六は全卦の末に居りて、是れ《明夷》の主人にして、又是た《明夷》の極處なり。上位は最も高き地方なり。光明は最も高き處に處して、もとより當に照ること甚だ遠くすべきに、如今光明は已に受損せり。ゆえに不獨り明ならざるのみ、反って昏晦なり。其れはもとより高位に居りて、光明は當に四方に遠及すべきに、これすなわち「初登于天」なり。結果は卻って自己の明を損傷して而して昏暗に陷入す、これすなわち「後入于地」なり。上六はすでに《明夷》の終點にして、又是た坤の此の陰體の終點にして、是れ光明の受傷すること極處に到るの一爻なり。

集說 蘇氏軾曰:六爻皆“晦”也,而所以晦者不同,自五以下,“明”而“晦”者也。若上六不明而晦者也,故曰“不明晦”。胡氏炳文曰:下三爻以“明夷”為句首,四五“明夷”之辭在句中。上六不曰“明夷”而曰“不明晦”,蓋唯上六“不明”而“晦”。所以五爻之明,皆為其所夷也。

「集説」は蘇軾の説を引く:六爻は皆「晦」の狀態に處すれど、然るに晦の緣由は各々相同じからず。六五以下は、皆本身は光明にして而して自ら晦らざるを得ず。上六は卻って本身は卽ち明ならざるにして而して昏晦に陷る。ゆえに爻辞は「不明晦」と說く。胡炳文は言う:下面の三爻の爻辞は皆「明夷」の二字を句首に放ちて、六四・六五の「明夷」は句子の當中に放つ。上六は「明夷」を說かずして「不明晦」を說くは、正に惟獨上六は本身「不明」にして而して「晦」なるに因る。亦た正に此に因りて、その余の五爻の光明は纔に統統之に傷つけらるるなり。

總論 蘇氏軾曰:力能求則救之,六二之“用拯”是也。力能正則正之,九三之“南狩”是也。既不能救,又不能正,則君子不敢辭其辱以私便其身,六五之“箕子”是也。君子居《明夷》之世,有責必有以塞之,無責必有以全其身而不失其正。初九、六四,無責於斯世,欲近者則入腹獲心“于出門庭”。而遠者,則行不及食也。

「總論」は蘇軾の説を引く:力量は挽救するに够到るは卽ち去りて挽救す、六二の「用拯」は卽ち是れ。力量は匡正するに够到るは卽ち去りて匡正す、九三の「南狩」は卽ち是れ。すでに救うを得ずまた正すを得ざれば、然らば君子も亦た敢えて自己の方便を圖るに因りて此の份の屈辱を推掉せず、六五の「箕子」は卽ち是れ。君子は《明夷》のあの樣の世道に生まれて、身上に職責あるは、必定に法を設けて盡し到らんとす。身上に職責なきは、必定に法を設けて自身を保全して而して正道を丟掉せざらんとす。初九・六四は此の世道に對して竝びに職守なし:離るること近きは、便ち幽隱に深入して・心意を探得して而後に門庭を走り出づ。離るること遠きは、便ち乾脆と身を動かし路を趕る、連れて飯を喫うも顧み及ばず。

家人卦(巽上離下)

程傳 《家人序卦》:夷者傷也,傷於外者必反於家,故受之以家人。”夫傷困於外,則必反於內,《家人》所以次《明夷》也。家人者,家內之道,父子之親,夫婦之義,尊卑長幼之序,正倫理,篤恩義,家人之道也。卦外巽內離,為風自火出。火熾則風生。風生自火,自內而出也。自內而出,由家而及於外之象。二與五,正男女之位於內外,為家人之道。明於內而巽於外,處家之道也。

程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は講ず「夷は者傷也、外に於て傷つけらるるは必ず家に反る、ゆえに之を受くるは《家人》を以てす」。人は外面に於て傷を受け・困に遭えば、必定に家の裏に囘り來るを要す。ゆえに《家人》は《明夷》の後に排す。所謂家人は、講ずるは一家の內の道理なり:父子の間の親情、夫婦の間の義分、尊卑長幼の間の次序。倫理を端正にし・恩義を篤厚にす、これすなわち家人の道なり。卦體に就いて說けば、外卦は巽・內卦は離にして、象を取るは風の火の裏より生出し來るなり。火は旺に燒ければ卽ち風を生じ、風は火に由りて起こる、是れ內より外に向かって發出す。內より外に向かって發出するは、まさに一家に由りて推して一國天下に及ぶの形象なり。第二爻と第五爻とは、分別に女位・男位を內外の兩邊に擺正す、これすなわち家人の道なり。內裏は明察にして外面は遜順するは、是れ家を持つの道理なり。

夫人有諸身者,則能施於家。行於家者,則能施於國,至於天下治。治天下之道,蓋治家之道也。推而行之於外耳。故取自內而出之象,為家人之義也。《文中子》書以明內齊外為義,古今善之,非取象之意也。所謂“齊乎巽”,言萬物潔齊於巽方,非巽有齊義也。如“戰乎乾”,乾非有戰義也。

程頤は続けて言う:人は自己の身上に先ず此の份の德を具備してこそ、纔に一家に於て施行し得べし。能く一家の中に行き通れば、纔に一國に於て施行し得て、直ちに天下大治に到る。天下を治むるの道理は、其の實卽ち家を治むるの道理にして、不過ち是れ推廣し開きて外面に施行するのみ。ゆえに《家人》卦は「自內而出」の象を取りて、以て此の一卦の義理と作す。王通の『文中子』の一書は此の一卦を講成して「明內齊外」と爲し、古より今に到るまで皆此の說法を稱贊すれど、其の實竝びに取象の本意にあらず。『說卦伝』の所謂「齊乎巽」は、說くは萬物は巽の此の方位の上に於て潔淨整齊す、竝びに巽の字の本身は「齊」の意思を含むにあらず。ちょうど「戰乎乾」と說くがごとく、乾の字の本身は竝びに「戰」の意思なし。

家人,利女貞。程傳 家人之道,利在女正,女正則家道正矣。夫夫、婦婦而家道正,獨云“利女貞”者,夫正者,身正也。女正者,家正也。女正則男正可知矣。集說 楊氏時曰:家人者,治家人之道也。齊家自夫婦始,舜觀刑于二女,文王刑于寡妻,至于兄弟。“利女貞”者,言家道之本也。林氏希元曰:所正雖在女,所以正之者則在夫,蓋主家之人也。

《家人》卦の卦辞:家人、女貞に利あり。程頤『伊川易伝』は言う:家人の道は、好處は女子の正を守るに在り。女子は正を守れば、一家の道理は便ち正し。丈夫を做るは丈夫に像似り・妻子を做るは妻子に像似れば、家道は纔に正と算す。卦辞は卻って單に「利女貞」を說くは、是れ男子の正を守るは、正しきは不過ち自身のみ。女子の正を守るは、正しきは卻って整箇の家なりに因る。女子はすでに正なれば、男子の正は亦た言うまでもなく明白なり。「集説」は楊時の説を引く:所謂家人は、卽ち一家人を治理するの道理なり。家庭を整治するは夫婦の此の一倫より開始するを要す:虞舜は堯の兩箇の女兒の身上より治家の法度を考察し、周の文王は先ず自己の妻子に榜樣を做出して、再び推して兄弟に及ぼす。卦辞の說く「利女貞」は、講ずるは家道の根本なり。林希元は言う:端正するを須うは雖も女子なれど、然るに能く彼女を端正し過ぐるは卻って丈夫に在り、丈夫は纔に一家を主持する人なるに因る。

初九,閒有家,悔亡。本義 初九以剛陽處有家之始,能防閒之,其“悔亡”矣。戒占者當如是也。程傳 初,家道之始也。“閒”,謂防閒法度也。治其有家之始,能以法度為之防閒,則不至於悔矢。

初九の爻辞:家あるを閑ぐ、悔亡。朱熹『本義』は言う:初九は陽剛の質を以て治家の開端に處して、能く豫め防範を立下すれば、悔恨は自ずと消解す。これ是れ占問の人に告戒して當に此の樣に做すべし。程頤『伊川易伝』は言う:初位は家道の開頭なり。「閑」の指す所は用いて防範するの法度なり。治家の初めに於て、能く法度を持ち來りて一家に替りて防範を立下せば、卽ち日後に懊悔するに至らず。

治家者治乎眾人也,苟不閒之以法度,則人情流放,必至於有悔,失長幼之序,亂男女之別,傷恩義,害倫理,無所不至。能以法度閒之於始,則無是矣。故“悔亡”也。九剛明之才,能閒其家者也。不云“無悔”者,群居必有悔,以能閒故亡耳。

程頤は続けて言う:家を治むるは卽ち一群の人を管するなり。たとえば法度を用いて之を加以防範せざれば、人の性情は便ち放縱散漫して、日後に必定に後悔せん:長幼の次序は亂れ、男女の分別は亂れ、恩義を傷つけ、倫理を害して、何の毛病も皆冒頭し出づべし。能く開頭に於て卽ち法度を用いて防範し住めば、此の些は便ち皆無し。ゆえに爻辞は「悔亡」と說く。初九は剛健明察の才質にして、まさに能く一家に替りて防範を立つる人なり。爻辞は「无悔」を說かずして「悔亡」を說くは、是れ一群の人は住み合わせれば難免に悔あるに因りて、ただ能く防範するに因りて、あの份の悔は纔に消解掉するなり。

集說 王氏弼曰:凡教在初而法在始,家瀆而後嚴之、志變而後治之,則晦矣。處家人之初,為家人之始,故必“閒有家”,然後“悔亡”也。胡氏炳文曰:初之時當閒,九之剛能閒,顏之推曰:教子嬰孩,教婦初來。

「集説」は王弼の説を引く:凡そ敎化は皆開頭を趁るを要し、法を立つるは皆起始を趁るを要す。一家は已に輕慢無禮せるを待ちて纔に嚴く之を加えて約束し・心志は已に變壞せるを待ちて纔に去りて整治せば、卽ち晚し。初九は《家人》卦の最初に處して、是れ治家の起點なり。ゆえに必須に先ず「閑有家」して、然る後に悔恨は纔に消解し得べし。胡炳文は言う:初の此の時位はまさに當に防を設くべく、九の此の陽剛の質はまさに能く防を設くべし。顏之推は說きしあり「敎子嬰孩、敎婦初來」——孩子を敎うるは襁褓の時より要し、規矩を立つるは新婦の門に進む時より要すなり。

六二,無攸遂,在中饋,貞吉。本義 六二柔順中正,女之正位乎內者也,故其象占如此。程傳 人之處家,在骨肉父子之間,大率以情勝禮,以恩奪義,唯剛立之人,則能不以私愛失其正理,故《家人》卦大要以剛為善,初三上是也。

六二の爻辞:遂げる攸なし、中饋に在り、貞吉。朱熹『本義』は言う:六二は柔順にしてまた居中當位す、まさに女子の家內に於て自己の位置を擺正するの樣子なり。ゆえに取象と占斷とは此のごとくす。程頤『伊川易伝』は言う:人は家の裏に日子を過ぐすは、骨肉父子の間に處すれば、大抵は感情は禮數に壓倒し・恩愛は義理を奪い去る。ただ剛強自立の人のみ、纔に能く私愛に因りて正理を丟掉せざるを得。ゆえに《家人》の一卦は大體の上に於て剛を以て善と爲す、初九・九三・上九の三爻は卽ち是れ。

六二以陰柔之才,而居柔,不能治於家者也,故“無攸遂”,無所為而可也。夫以英雄之才,尚有溺情愛而不能自守者,況柔弱之人,其能勝妻子之情乎?如二之才,若為婦人之道,則其正也。以柔順處中正,婦人之道也。故在“中饋”則得其正而“吉”也。婦人居中而主饋者也,故云“中饋”。

程頤は続けて言う:六二は陰柔の才質を以てまた柔位に居るは、是れ能力なくして一家を主持するに堪えず。ゆえに「无攸遂」と說く——どの一樣も其れの出面して做して辦成し得べきはなきなり。英雄の才具に憑るも、尚且つ人ありて情愛に沉溺して自己を守住し得ず、何况柔弱の人、どうして妻子兒女に對する私情に勝過し得んや。六二のごとき才質は、若し婦人の道の上に放せば、倒って正に合適す。柔順の德を以て中正の位に居るは、これまさに婦人の道なり。ゆえに其れは「中饋」の本分の上に守りて、卽ち其の正を得て而して吉利なり。婦人は家內に居りて而して飲食の事を主持す。ゆえに「中饋」と叫作す。

集說 孔氏穎達曰:六二履中居位,以陰應陽,盡婦人之義也。婦人之道,巽順為常,無所必遂,其所職主,在於家中饋食供祭而已,得婦人之正,故曰:“無攸遂,在中饋,貞吉”。

「集説」は孔穎達の説を引く:六二は中位の上に踏み・また當位の處に居りて、陰爻を以て上に九五の陽爻に應じて、婦人の義分を盡し到れり。婦人の道は遜順を以て常態と爲して、どの一件も必定に要して彼女に由りて出面して辦成するはなし。其の主管する所は、不過ち家の中の飲食を備辦し・祭祀を供奉するのみ。此の樣にすれば便ち婦人の正を得。ゆえに爻辞は「无攸遂、在中饋、貞吉」と說く。

王氏宗傳曰:“無攸遂”,示不敢有所專也。婦人之職,不過奉祭祀、饋飲食而已,此外無他事也。《詩》曰無非無儀,唯酒食是議。采蘩以供祭祀,為不失職;采蘋以供祭祀,為能循法度。推而上之,推而下之,其職守莫不皆然,是之謂“貞”而“吉”也。《易》氏祓曰:六二柔順得位,與九五相應,女正位乎內者也,此爻正所以發明“利女貞”之義。

王宗傳は言う:「无攸遂」は、敢えて自ら主意を作さざるを表す。婦人の職分は、不過ち祭祀を奉行し・飲食を備辦す、此の外は別の事なし。『詩經・小雅・斯干』は說く「无非無儀、唯酒食是議」——出格の事を做出さず、擅自に主を作さず、ただ酒食の一類の家務を操心す。『召南・采蘩』の寫くは白蒿を采りて以て祭祀に供す、是れ職守を失せざるなり。『召南・采苹』の寫くは苹菜を采りて以て祭祀に供す、是れ能く法度に遵循すなり。此に由りて上に推し・下に推すれば、どの一等の人家に論ずるなく、婦人の職守は皆此の樣なり、これ便ち「貞」にして而して「吉」と叫作す。易祓は言う:六二は柔順にして當位して、九五と相「應」す、まさに女子の家內に於て位置を擺正するの樣子なり。此の一爻は恰好と卦辞の「利女貞」の意思を發揮し出したり。

九三,家人嗃嗃,悔厲吉,婦子嘻嘻,終吝。程傳 “嗃嗃”。未詳字義,然以文義及音意觀之,與“嗷嗷”相類,又若急束之意。九三在內卦之上,主治乎內者也。以陽居剛而不中,雖得正而過乎剛者也。治內過剛,則傷於嚴急,故“家人嗃嗃”然。治家過嚴,不能無傷,故必悔於嚴厲,骨肉恩勝,嚴過故悔也。

九三の爻辞:家人嗃嗃、悔厲吉、婦子嘻嘻、終吝。程頤『伊川易伝』は言う:「嗃嗃」の二字の確切の字義は還く弄清楚せざるも、然るに上下文義と讀音の上より體會すれば、「嗷嗷」と相近し、また急切に約束するの樣子に像似る。九三は內卦の最上面に處して、是れ家內の事を主持する人なり。陽爻を以て陽位に居りて而して中に居らず、雖も當位するも、卻って剛は頭を過ぐ。家內を治理するに剛硬に過ぐれば、卽ち嚴厲急躁に失す。ゆえに一家人は「嗃嗃」として苦を叫ぶ。家を治むること嚴に過ぐれば、能く人を傷つけざるは得ず。ゆえに必定に此の份の嚴厲の爲めに後悔せんとす——骨肉の間はもとより恩情を以て重と爲し、嚴は頭を過ぐれば、卽ち悔あり。

雖悔於嚴厲,未得寬猛之中,然而家道齊肅,人心祗畏,猶為家之“吉”也。若“婦子嘻嘻”,則終至羞“吝”矣。在卦非有“嘻嘻”之象,蓋對“嗃嗃”而言,謂與其失於放肆,寧過於嚴也。“嘻嘻”,笑樂無節也。自恣無節,則終至敗家,可羞吝也。

程頤は続けて言う:雖も嚴厲の爲めに後悔して・寬と猛との間の中道を拿捏し到らざるも、然るに一家は整齊肅穆にして、人人は心の裏敬畏を存す、此の家に對して說けば仍舊に算しく「吉」なり。若し是れ「婦子嘻嘻」なれば、あれは卽ち終歸に可羞可「吝」の地步に落到せん。卦象の裏はもとより竝びに「嘻嘻」の形象なし、此の句は是れ「嗃嗃」に對して說くなり、意思は是れ與其れ放縱に失するは、寧ろ嚴に過ぐるに失せよ。「嘻嘻」是れ嬉笑して樂を取りて節制なし。放縱にして而して節制なければ、最後に必定に家を敗す、これ是れ可羞可惜なり。

蓋嚴謹之過,雖於人情不能無傷,然苟法度立,倫理正,乃恩義之所存也。若嘻嘻無度,乃法度之所由廢,倫理之所由亂,安能保其家乎?嘻嘻之甚,則致敗家之凶。但云“吝”者,可吝之甚,則至於凶,故未遽言凶也。

程頤は続けて言う:嚴謹は頭を過ぐれば、雖も人情の上に於て免れず傷あるも、然るにただ法度は立ち上がり・倫理は端正せらるれば、恩義は反って其の中に保存せらる。若し是れ一味に嬉笑して度なければ、法度は便ち此處より廢弛し、倫理は便ち此處より紊亂す、どうして此の家を保住し得んや。嬉笑放縱は極點に到れば、卽ち家敗の凶を招來せん。爻辞はただ「吝」を說きて而して「凶」を說かざるは、是れ可羞可惜は極點に到りて纔に凶に轉成するに因りて、ゆえに急いで「凶」の字を說き出さざるなり。

集說 《朱子語類》:問:《易傳》云:治家之道,在於正倫理,篤恩義。今欲正倫理,則有傷恩義。欲篤恩義,又有乖於倫理,如何?曰:須是於正倫理處篤恩義,篤恩義而不失倫理方可。

「集説」は『朱子語類』を引く:ある人が問う、『伊川易伝』は治家の道は倫理を端正にし・恩義を篤厚にするに在りと講ず。然るに如今倫理を端正せんと想えば、卽ち恩義を傷つけ、恩義を篤厚せんと想えば、また倫理に違背す、これ當にどう辦すべきか。朱熹は答えて言う:必須に倫理を端正するの同時に恩義を厚く做して、恩義を篤厚するの同時に倫理を丟掉せず、これ纔に行き通り得べし。

胡氏炳文曰:“嗃嗃”,以義勝情,雖“悔厲”而“吉”。“嘻嘻”,以情勝義,“終吝”,“悔”自凶而吉,“吝”自吉而凶。九三以剛居剛,若能嚴於家人者;比乎二柔,又若易暱於婦子者。三其在吉凶之間乎!故悔吝之占兩言之。

胡炳文は言う:「嗃嗃」は是れ義は情に勝過す、ゆえに雖も「悔厲」あるも而して終究に「吉」なり。「嘻嘻」は是れ情は義に勝過す、ゆえに「終吝」なり。「悔」は是れ凶より吉に轉向す、「吝」は是れ吉より凶に轉向す。九三は陽爻を以て陽位に居り、樣子を看れば是れ能く一家人に對して嚴しく起來り得べし。然るに其れはまた六二の此の柔爻に緊挨して、樣子を看れば又是た容易く妻兒と親昵し起來る。九三は大概にまさに吉と凶との分界の上に站るか。ゆえに爻辞は悔と吝との兩種の占斷を皆說き出したり。

六四,富家大吉。本義 陽主義,陰主利,以陰居陰而在上位,能富其家者也。程傳 六以巽順之體,而居四,得其正位。居得其正,為安處之義。巽順於事而由正道,能保有其富者也。居家之道,能保有其富,則為“大吉”也。四高位而獨云“富”者,於家而言。高位,家之尊也。能有其富,是能保其家也,吉孰大焉?

六四の爻辞:家を富ます、大吉。朱熹『本義』は言う:陽は道義を主管し、陰は財利を主管す。六四は陰爻を以て陰位に居りて而してまた身を上卦に處す、まさに能く一家を富起來らしむる人なり。程頤『伊川易伝』は言う:六四は巽の此の遜順の卦體を以て第四位に居りて、其の應に得べき位次を得、居處は正を得れば、便ち安穩に自處するの意思あり。事を辦するに遜順にしてまた正路を走るは、まさに能く此の份の富有を守住する人なり。家を持つの道は、能く富有を守住し得れば、卽ち「大吉」なり。第四位は高位なれど、爻辞は卻って單に一箇の「富」の字を說く、あれは是れ家の裏の事に就いて說くなり。高位は一家の中に於ては尊長の位置にして、能く家財を保有すれば、卽ち能く此の家を保住す、還く此に比べていよいよ大きの吉利あらんや。

案 四在他卦,臣道也,在《家人》卦,則亦妻道也。夫主教一家者也,婦主養一家者也,老子所謂教父、食母是也。自二之“在中饋”,進而至於四之“富家”,則內職舉矣。九五,王假有家,勿恤吉。本義 “假”,至也。如假於大廟之假。“有家”,猶言有國也。九五剛健中正,下應六二之柔順中正,王者以是至於其家,則勿用憂恤而“吉”可必矣。蓋聘納后妃之吉占。而凡有是德者,遇之皆吉也。

李光地が按する:第四爻は別の卦の裏に於ては臣道を代表し、《家人》卦の裏に於ても亦た妻道を代表す。丈夫は一家の敎化を主管し、妻子は一家の養育を主管す、『老子』の書の裏の說く所の「敎父」「食母」は、卽ち此の分工なり。六二の「在中饋」より進みて、六四の「富家」に到れば、家內の職分は便ち皆齊備せり。九五の爻辞:王は家あるに假り、恤るなかれ吉。朱熹『本義』は言う:「假」是れ至・到達の意思にして、『詩經』の「假于大廟」の假と一樣なり。「有家」は、等しく「有国」と說くなり。九五は剛健にして而して居中當位して、下面に六二のあの柔順中正の一爻に應ず、君王は此の樣の德に憑りて其の家に到達すれば、卽ち憂慮するを須いずして、吉利是れ必然なり。これもとより后妃を迎娶する時の吉占にして、而して凡そ此の種の德を具備する人は、之に遇上れば皆吉利なり。

程傳 九五男而在外,剛而處陽,居尊而中正,又其應順正於內,治家之至正至善者也。“王假有家”,五君位,故以王言。“假”,至也,極乎有家之道也。夫王者之道,修身以齊冢,家正而天下治矣。自古聖王,未有不以恭己正家為本,故有家之道既至,則不憂勞而天下治矣,“勿恤”而“吉”也。五恭己於外,二正家於內,內外同德,可謂至矣。

程頤『伊川易伝』は言う:九五は男子にして位は外卦に在り、陽剛を以て陽位に居り、尊位に處して而してまた居中當位し、加うるに其の應ずる所の六二は內卦に於て柔順に正を守る、これ是れ治家最も正・最も善の格局なり。爻辞は「王假有家」と說く、第五位は君位なり、ゆえに「王」を用いて彼を稱す。「假」是れ至にして、指す所は治家の道を極處に做し到るなり。君王の道は、是れ自身を修養して以て家室を整齊す、家は正なれば天下は便ち治まる。自古の聖王は、恭敬に自持し・家室を端正するを以て根本に當作せざるなし。ゆえに治家の道は一旦極處に做し到れば、操勞するを須いずして而して天下は自ら治まる、これすなわち「勿恤」にして而して「吉」なり。九五は外に於て恭敬に自持し、六二は內に於て家室を端正にす、內外は同德にして、說く可く家に到るとす。

邱氏富國曰:三五陽剛,皆主治家者也。三剛而不中,失之過嚴,未免有悔厲之失。五剛而得中,威而能愛,盡乎治家之道者,故人無不化,可以勿憂恤而“吉”也。或曰:治家之道尚嚴,在彖以嚴正為吉,五以相愛為義,何也?曰:嚴以分言,正家之義也;愛以情言,假家之義也。假有感格之義,故以相愛言之。

邱富國は言う:九三・九五は皆陽剛の爻にして、皆治家を主持する人なり。九三は剛にして而して中に居らず、嚴に過ぐるに失して、免れず悔恨と危厲とを落下す。九五は剛にして而して中に居りて、威嚴ありてまた能く慈愛して、治家の道を做し盡くせり。ゆえに一家人は感化を受けざるなし、以て憂慮するを須いざるにして而して吉を得べし。ある人が問う:治家の道は嚴を以て上と爲す、「彖辞」のあの處は是れ嚴正を以て吉に當作す、何故に九五は卻って相愛を持ち來りて立義するか。回答するに:嚴は是れ名分に就いて說くにして、「正家」の義に属す。愛は是れ情意に就いて說くにして、「假家」の義に属す。「假」は感通格心の意思あり、ゆえに相愛を用いて之を講ずるを要す。

龔氏煥曰:“假”與格同,猶奏假無言,昭假烈祖之假,謂感格也。九五以陽剛中正居尊位,為“有家”之主,盛德至善,所以感格乎家人之心者至矣。王者家大人眾,其心難一。有未假者,勿用憂恤而自“吉”也。蓋初之“閒有家”,是以法度防閒之;至“王假有家”,則躬行有以感化之矣。

龔煥は言う:「假」は「格」と相通ず、ちょうど『詩經』の「奏假無言」「昭假烈祖」の裏のあの假のごとく、是れ感通格心の意思なり。九五は陽剛中正を以て尊位に居りて、是れ「有家」の主人にして、德は盛にして至善に至り、用いて一家人の心を感通するの力量は已に極點に到れり。君王の家は大きく人は多く、人心はもとより劃一し難し、縱使還く感化せられ到らざるあるも、亦た憂慮するを須いずして、自ずと吉利なり。初九の「閑有家」は、是れ法度を持ち來りて去りて防範す。「王假有家」に到れば、卽ち自己の身體力行に靠りて去りて感化すなり。

何氏楷曰:舜格於文祖,公假於太廟,格假互用可證。身範既端,故能感格其家,使父父子子,兄兄弟弟,夫夫婦婦,各得其所,以相敦睦,正家而天下定,故不待憂恤而“吉”也。游氏曰:九五尊位,故以王言。假者感格之義,“王假有廟”,其義同也。案 “假”字訓感格,諸說皆有明證可從。何氏之說,於《象傳》之義,尤為浹治也。

何楷は言う:『尚書』は虞舜の「格于文祖」を記して、『詩經』は周公の「假于太廟」を記す、格・假の兩字は互相に通用す、これ卽ち明證なり。自身の表率はすでに端正なれば、卽ち能く全家を感通して、父を做るをして父に像似らしめ・子を做るをして子に像似らしめ、兄を做るをして兄に像似らしめ・弟を做るをして弟に像似らしめ、丈夫を做るをして丈夫に像似らしめ・妻子を做るをして妻子に像似らしめ、各々其の位に安んじて、彼此敦厚和睦す。家は正なれば天下は便ち安定す。ゆえに憂慮するを須いずして而して吉利なり。游氏は言う:第五位是れ尊位なり、ゆえに「王」を用いて彼を稱す。「假」是れ感通格心の意思にして、《萃》卦の「王假有廟」の假は此と同義なり。李光地が按する:「假」の字を訓じて感通格心と爲すは、以上の諸家の說法は皆確鑿の證據ありて以て依從し得べし。其中何楷の說は、用いて『象伝』の意思を講ずるに、尤其に貫通妥帖なり。

上九,有孚威如,終吉。本義 上九以剛居上,在卦之終,故言正家久遠之道,占者必有誠信嚴威則“終吉”也。程傳 上,卦之終,家道之成也。故極言泊家之本。治家之道,非至誠不能也。故必中有孚信,則能常久,而眾人自化。為善不由至誠,己且不能常守也,況欲使人乎!

上九の爻辞:孚あり威如、終吉。朱熹『本義』は言う:上九は陽剛を以て最上に居り、また一卦の終點に處す。ゆえに講ずるは家道をして長久に端正ならしむるの道理なり。占問の人は必須にすでに誠信あり・また威嚴あらば、纔に「終吉」し得べし。程頤『伊川易伝』は言う:上位は一卦の終點にして、是れ家道の成就する地方なり。ゆえに治家の根本を講じ到りて盡頭に到れり。治家の道は、至誠より出でざれば辦成せず。ゆえに心の裏に必須に誠信を存して、纔に能く長久に維持して、衆人は自ずと感化せられん。好き事を做するに若し至誠より出でざれば、自己さえ守住すること長久ならず、何况還く他人をして守住せしめんと欲するをや。

故治家以“有孚”為本。治家者,在妻孥情愛之間,慈過則無嚴,恩勝則掩義。故家之患,常在禮法不足,而瀆慢生也。長失尊嚴,少忘恭順,而家不亂者,未有之也,故必有威嚴則能“終吉”。保家之終在“有孚威如”二者而已,故於卦終言也。

程頤は続けて言う:ゆえに家を治むるは「有孚」を持ち來りて根本と作すを要す。家を治むる人は整天に妻子兒女の情愛の中に處して、慈愛は頭を過ぐれば卽ち威嚴なし、恩情は壓し頭を過ぐれば卽ち義理を遮掩す。ゆえに一家の禍患は、常常に禮法の够到らざるに出づ、ここに於て輕慢無禮は便ち生出し來る。長輩は尊嚴を失掉し、晚輩は恭順を忘れて、此の樣の家は還く能く亂れざるは、從來にありやなし。ゆえに必須に威嚴あらば、纔に「終吉」し得べし。一箇の家を保住して最後に到るは、全く「有孚」「威如」の此の兩件事の上に在り。ゆえに全卦の末尾に放ちて來りて說く。

集說 王氏弼曰:家道可終,唯信與威。蘇氏軾曰:凡言終者,其始未必然也。“婦子嘻嘻”,其始可樂。威如之吉,其始苦之。王氏中子曰:家人之終,家道成也,故極言齊家久遠之道。齊家之道,以誠為本,以嚴為用。不誠則上下相欺,眾事不立。不嚴則禮法不存,瀆慢易生。如此而家道齊者,未之有也。故家人之終,以孚威二者言之。是二者,保家道之“終吉”者也。

「集説」は王弼の説を引く:家道は能く善終するは、靠る所はただ誠信と威嚴との兩樣のみ。蘇軾は言う:凡そ爻辞は「終」の字を用いるは、起初は未必卽ち此の樣子なり。「婦子嘻嘻」は、起初は倒って快活なり。「威如」の吉は、起初は卻って人をして苦と感ぜしむ。王中子は言う:《家人》卦の末の一爻は、是れ家道の成就する地方なり。ゆえに家室を整齊し・長久に維持するの道理を講じ到りて盡頭に到れり。家を齊むるの道は、誠を以て本と爲し、嚴を以て用と爲す。誠ならざれば、上下は便ち互相に欺瞞して、何事も辦成せず。嚴ならざれば、禮法は便ち立ち住めずして、輕慢無禮は甚だ容易く生出す。此の樣にして還く能く家を整治し好くは、從來にありやなし。ゆえに《家人》卦の末尾は、「孚」と「威」の兩箇の字を用いて來りて說く、此の兩樣はまさに家道を保住して・之をして「終吉」せしむるの憑借なり。

何氏楷曰:治家觀於身,下五爻未及正身之義,故於此爻足其意。蓋探本之論,與《大象》“言有物,行有恆”相表裡。總論 吳氏曰慎曰:家人之道,男以剛嚴為正,女以柔順為正。初曰“閒”,三曰“厲”,上曰“威”,男子之道也。二四《象傳》皆曰“順”,婦人之道也。五剛而中,非不嚴也,嚴而泰也。

何楷は言う:家を治むるは自身より看起るを要す、下面の五爻は皆自身を端正するの此の層の意思を講じ到らず。ゆえに此の一爻に於て之を補足す。これ是れ本を追い源を溯るの議論にして、「大象」の言う所の「言有物、行有恒」と互いに表裏を爲す。「總論」は吳曰愼の説を引く:家人の道は、男子は剛強嚴正を以て正と爲し、女子は柔順を以て正と爲す。初九は「閑」を說き、九三は「厲」を說き、上九は「威」を說く、これ是れ男子の道なり。六二・六四の『象伝』は皆「順」を說く、これ是れ婦人の道なり。九五は剛にして而して中に居るは、竝びに嚴ならざるにあらずして、不過ち嚴なること從容安泰なり。

睽卦(離上兌下)

程傳 《暌序卦》:“家道窮必乖,故受之以睽,睽者乖也”。家道窮則睽乖離散,理必然也,故《家人》之後,受之以《睽》也。為卦上離下兌,離火炎上,兌澤潤下,二體相違,睽之義也。又中少二女,雖同居而所歸各異,是其志不同行也,亦為《睽》義。

程頤『伊川易伝』は言う:『序卦伝』は講ず「家道窮すれば必ず乖く、ゆえに之を受くるは《睽》を以てす、睽は者乖也」。家道は盡頭に走到れば、必然に乖違離散す、これ是れ必然の理なり。ゆえに《家人》の後に《睽》卦を接上す。卦體に就いて說けば、上卦是れ離・下卦是れ兌:離是れ火にして、性は上に往きて燒く。兌是れ澤にして、水性は下に往きて潤す。兩箇の卦體は背道して馳せて、まさに「睽」に合す——乖違背離の意思なり。再び說く、離是れ中女・兌是れ少女にして、兩箇の女子は雖も同じく一家に住するも、將來に出嫁するの歸宿は卻って各々相同じからず、これすなわち志向は同じ路ならず、亦た《睽》卦の取義に合す。

睽,小事吉。本義 “睽”,乖異也。為卦上火下澤,性相違異,中女少女,志不同歸,故為《睽》。然以卦德言之,內說而外明。以卦變言之,則自離來者,柔進居三。自中孚來者,柔進居五。自《家人》來者兼之。以卦體言之,則六五得中而下應九二之剛,是以其占不可大事,而“小事”尚有“吉”之道也。

《睽》卦の卦辞:睽、小事は吉。朱熹『本義』は言う:「睽」是れ乖違背離なり。卦體に就いて說けば、上面是れ火・下面是れ澤にして、兩者の性質は彼此相反す。離は中女・兌は少女と爲し、兩人は出嫁するの歸宿志向も亦た各々相同じからず。ゆえに《睽》と作す。不過ち卦德に就いて說けば、內卦の兌是れ喜悅、外卦の離是れ明察にして、內心は和悅にして而して外面は明察なり。「卦變」に就いて說けば、《離》卦より變じ來るは、是れ柔爻は上進して而して第三位に居る。《中孚》より變じ來るは、是れ柔爻は上進して而して第五位に居る。《家人》より變じ來るは則ち兩樣は兼ね有す。卦體に就いて說けば、六五は中に居りて而して下面に九二の陽剛に應ず。ここに因って其の占斷は:大事は辦成せず、小事は卻って還く得吉の路數あり。

程傳 “睽”者,睽乖離散之時,非吉道也。以卦才之善,雖處《睽》時而“小事吉”也。集說 程子曰:“小事占”者,止是方《睽》之時。猶足以至小事之吉,不成終《睽》而已,須有濟睽之道。趙氏汝楳曰:睽蓋人情事勢之適然,聖人自有御時之方。“小事吉”者,就其睽異之中,有以善處之,則亦吉也。其《屯》之“小貞”,《洪範》之作內之時乎!

程頤『伊川易伝』は言う:所謂「睽」は、是れ乖違離散の時候にして、もとより吉利の道にあらず。ただ此の一卦の卦才は好なるに因りて、ゆえに雖も身を《睽》の時に處するも、仍舊に「小事吉」なり。「集説」は程子の説を引く:「小事吉」と說くは、不過ちまさに乖違の當口に就いて講ずるなり:還く小事を辦成するの吉利に够到れば、總もずっと乖違し下って卽ち算すと爲す能わず、終究に乖違を化解するの辦法あらんことを得。趙汝楳は言う:乖違はもとより人情事勢はあの一歩に走到するの自然の結果にして、聖人は自ら此の種の時勢に應付するの辦法あり。所謂「小事吉」は、說くは卽ち此の乖違の中に於て、能く善く之を處置すれば、亦た一樣に吉を得るなり。これは大概に《屯》卦の「小貞」に相當し、《尚書・洪範》の講ずる所の「作內」の時に相當するか。

何氏楷曰:業已《睽》矣,斗:可以忿疾之心驅迫之也。唯不為已甚,徐徐轉移,此合睽之善術也,故曰“小事吉”。“小事”,猶言以柔為事,非大事不吉,而“小事吉”之謂。案 “小事吉”之義,以爻義見“惡人”、遇巷,“噬膚”之類觀之,則趙氏、何氏之說是也。蓋周旋委曲,就其《易》者為之,皆“小事吉”之義。

何楷は言う:すでに乖違せる以上、卽ち以て憤恨嫉惡の心思を持ち來りて去りて對方を逼迫する可からず(底本の此の句に訛字あり、「斗」は當に「不」の誤とす)。ただ事情を做得太も過ぎず、慢慢に風氣を轉移するのみ、纔に乖違を化解するの好辦法なり。ゆえに卦辞は「小事吉」と說く。所謂「小事」は、等しく柔の路數を持ち來りて去りて事を辦すると說くにして、竝びに大事は不吉・小事は纔に吉と說くにあらず。李光地が按する:「小事吉」の含義は、各爻の意思——「見惡人」のごとく、巷の中に相遇す、「噬膚」の此の一類——を持ち來りて看れば、趙汝楳・何楷の兩家の說法是れ對なり。凡そ轉圜迂回して・容易く手を下す地方を揀りて去りて做するは、皆「小事吉」の意思に属す。

初九,悔亡,喪馬勿逐自復,見惡人無咎。本義 上無正應,有“悔”也。而居睽之時,同德相應,其“悔亡”矣,故有“喪馬勿逐”而“自復”之象。然亦必見“惡人”,然後可以辟咎,如孔子之於陽貨也。

初九の爻辞:悔亡、馬を喪うも逐うなかれ自ら復す、惡人を見るも咎なし。朱熹『本義』は言う:初九は上面に相「應」の正配なく、もとより當に悔あり。然るにまさに乖違の時に當りて、其れは同じく陽剛なる九四と同德相合し、悔恨は便ち消解す。ゆえに「喪馬勿逐」にして而して馬は自己に回り來るの象あり。不過ち還く必須に去りてあの「惡人」を見るば、然る後に纔に能く過咎を避開し得べし、孔子の陽貨に對待するがごとくす。

程傳 九居卦初,《睽》之始也,在睽乖之時,以剛動於下,有“悔”可知。所以得“亡”者,九四在上,亦以剛陽睽離無與,自然同類相舍,同是陽爻,同居下,又當相應之位,二陽本非相應者,以在睽故合也。上下相與,故能亡其悔也。在《睽》諸爻皆有應。夫合則有睽,本異則何睽?唯初與四雖非應,而同德相與,故相遇。

程頤『伊川易伝』は言う:陽爻は全卦の初めに居りて、是れ《睽》の開端なり。まさに乖違の時に當りて、剛強の質を以て下面に於て躁動すれば、悔あるは以て想見し得べし。其の悔を消掉し得るの所以は、是れ上面に九四ありて、同じく陽剛の質を以て孤零零と伴侶なく、ここに於て自然に同類相投す。兩爻は同じく陽爻にして、また分別に上下卦の起首に居りて・本該相應の位次に處す。兩箇の陽爻はもとより算しく相應と爲さざるも、まさに乖違の世に身を處するに因りて、反って一處に合するに到れり。上下は彼此相交結す、ゆえに能く悔を消掉し得べし。《睽》卦の各爻はもとより皆應與あり。要に看到せよ、先ず相合ありて纔に乖違を談じ得べし。もとより各々相干ならざれば、どこで乖違を說き上ぐるを得んや。ただ初九と九四は雖も正應と算し得ざれど、卻って同德に因りて相結す、ゆえに能く遇合し得べし。

馬者,所以行也。陽,上行者也。睽獨無與則不能行,是喪其馬也。四既與之合則能行矣,是勿逐而馬復得也。“惡人”,與己乖異者也。“見”者,與相通也。當《睽》之時,雖同德者相遇,然小人乖異者至眾。若棄絕之。不幾盡天下以仇君子乎?如此則失含弘之義,致凶咎之道也。又安能化不善而使之合乎?故必“見惡人”則“無咎”也。占之聖王, 集說 鄭氏汝諧曰:居《睽》之初,在卦之下,必安靜以俟之,寬裕以容之,睽斯合矣。“喪馬勿逐”,久則“自復”,安靜以俟之也。睽而無應,無非戾於己者,拒絕之則愈戾,故寬裕以容之也。合睽之道,莫善於斯。

程頤は続けて言う:馬は用いて路を趕るなり。陽の性質是れ上に向かって走る。乖違にして而して孤單伴侶なければ卽ち走り動かず、これすなわち馬を丟了すなり。九四はすでに其れと一處に合する以上、卽ち走り動き得、これすなわち必ずしも去りて追うを須いずして而して馬は自己に回り來るなり。「惡人」は、指す所は自己と乖違不合の人なり。「見」は、是れ彼と往來溝通すなり。まさに乖違の時に當りて、雖も同德の人は以て遇合し得るも、然るに乖違不合の小人は多く得なり。たとえば一概に往來を斷絕せば、豈はほとんど天下の人を皆君子の仇敵と變成するにあらずや。此の樣にすれば卽ち包容寬大の義理を失掉して、是れ凶咎を招來するの路子なり。又たどうして能く不善の人を感化して、彼らをして自己と合し來らしめ得んや。ゆえに必須に「見惡人」して、纔に「无咎」なり。古時の聖王は——此處底本に脫文あり、程頤の言は說き完さず。「集説」は鄭汝諧の説を引く:《睽》卦の開頭に處し・全卦の最下面に居るは、必須に安靜に去りて它を等待し、寬舒に去りて它を容納すれば、乖違は纔に會合に轉成せん。「喪馬勿逐」は、時間は久しければ自ら回り來る、これ是れ安靜に它を等待すなり。乖違にして而又た應與なく、周圍は一箇も自己と彆扭せざるなく、越えて拒絕すれば卽ち越えて彆扭す、ゆえに寬舒に去りて容納するを要す。乖違を化解するの辦法は、此に比べていよいよ好きはなし。

項氏安世曰:“喪馬勿逐自復”,往者不追也。“見惡人無咎”,來者不拒也。此君子在下無應之時,處睽之道也。“見”,與迫斯可見之見同,非往見之也。若往見,則違“勿逐”之戒矣。

項安世は言う:「喪馬勿逐自復」は、是れ走った者を去りて追わざるなり。「見惡人无咎」は、是れ來りし者を拒絕せざるなり。これ是れ君子は身を下位に處し・また應與なき時に、乖違を處理するの辦法なり。此の「見」の字は、『孟子』の「迫斯可以見矣」の見と相同じく、是れ人家は門を找上げ來りて纔に見るにして、竝びに自己は跑り去りて見るにあらず。若し自己は跑り去りて見れば、卽ち「勿逐」の此の條の告戒に違背す。

王氏申子曰:方《睽》之時,其睽未深,馬之失也未遠,惡人睽間之情未甚也。失馬逐之,則愈逐愈遠。惡人激之,則愈激愈睽。故”勿逐”而聽其“自復”,見之而可以免“咎”也。處《睽》之初,其道當如此。不然,睽終於睽矣。

王申子は言う:まさに乖違は剛に頭を起こすの時候に當りて、裂痕は還く深からず:馬は丟れて還く遠く跑れず、惡人は自己と隔閡猜忌の情緒は還く厲害ならず。馬は丟れて去りて追えば、越えて追えば跑れること卽ち越えて遠し。惡人は刺激を受ければ、越えて刺激すれば隔たること卽ち越えて開けり。ゆえに馬に對しては「勿逐」して、聴き任せて它をして自己に回り來らしめよ。人に對しては肯んじて見面して、此の樣に纔に能く過咎を免れ得べし。《睽》卦の開端に處すれば、辦法は卽ち當に此の樣にすべし。然らざれば、乖違はただ能くずっと乖違し下るのみ。

何氏楷曰:靜以俟之,遜以接之,泊然若不見其睽者,夫唯不見其睽,而後睽可合。案 此爻所謂不立同異者也,不求同,故“喪馬勿逐”。不立異,故見“惡人”。然唯居初處下,其睽未甚者,用此道為宜耳。立此心以為之本,然後隨所處而變通也。此爻“悔亡”,乃因無應。程子所謂合則有睽,本異則何睽者是也。與六五“悔亡”,詞同而義異。

何楷は言う:安靜に它を等着して、謙遜に它を接待して、恬淡として好もしく根本に何の乖違あるを看見せざるがごとくす。ただ去りてあの份の乖違を盯視せざるのみ、乖違は纔に能く合攏し得べし。李光地が按する:此の一爻の講ずるは卽ち去りて何の同と異とを分たざるなり:刻意に同を求めず、ゆえに「喪馬勿逐」す。刻意に異を立てず、ゆえに肯んじて「惡人」を見る。不過ち亦たただ身を初位に居り・地を最下に處し・乖違は還く嚴重ならざる人のみ、此の套の辦法を用いるは纔に合適す。先ず此の份の心地を立てて根本と作して、然る後に再び各自の處境に随って去りて變通す。此の一爻は「悔亡」を說くは、是れ其れはもとより應與なきに因る。程子の言う所の「先ず相合ありて纔に乖違を談じ得べし、もとより各々相干ならざればどこで乖違を說き上ぐるを得んや」は、まさに此を指すなり。其れは六五の「悔亡」と、用詞は相同じくして而して含義は相同じからず。

九二,遇主子巷,無咎。本義 二五陰陽正應,居睽之時,乖戾不合,必委曲相求而得會遇,乃為“無咎”,故其象占如此。程傳 二與五正應,為相與者也。然在睽乖之時,陰陽相應之道衰,而剛柔相戾之意勝。學《易》者識此,則知變通矣。

九二の爻辞:巷に於て主に遇う、咎なし。朱熹『本義』は言う:九二と六五と是れ陰陽相配の正「應」なれど、然るに身を乖違の時に處して、彼此彆扭して合わず、必須に轉圜迂回に互相に求取して、纔に能く頭を碰上し得べし、此の樣に纔に「无咎」なり。ゆえに取象と占斷とは此のごとくす。程頤『伊川易伝』は言う:九二と六五と是れ正應にして、もとより當に彼此相交結すべきに、然る而乖違の時に在りて、陰陽相應のあの份の道理は衰弱し下りて、剛柔は互相に抵觸するのあの股の勁頭は反って上風を占めたり。『周易』を學ぶ人は此の一層を懂得せば、亦た卽ち變通を懂得すなり。

故二五雖正應,當委曲以相求也。二以剛中之德居下,上應六五之君,道合則志行,成濟睽之功矣。而居睽離之時,其交非固,二當委曲求於相遇,覬其得合也,故曰“遇主于巷”。必能合而後無咎。君臣睽離,其咎大矣。“巷”者,委曲之途也。“遇”者,會逢之謂也。當委曲相求,期於會遇,與之合也。所謂委曲者,以善道宛轉將就使合而已,非枉己屈道也。

程頤は続けて言う:ゆえに九二と六五とは雖も正應なるも、亦た轉圜迂回に互相に求取するを得たり。九二は剛にして而して中に居るの德性を以て下位に處し、上に六五の君に應ず。ただ道は能く合さば、志向は卽ち行き通りて、以て乖違を化解するの功業を成就し得べし。然るに身を乖違の世に處して、兩人の交情は竝びに牢固ならず、九二は卽ち當に迂回して去りて相遇を求めて、能く合攏せんを指望すべし。ゆえに爻辞は「遇主于巷」と說く。必須に能く合して、然る後に纔に咎なし。君臣の間は乖違離心せば、あの過咎は卽ち大きと爲すべし。「巷」是れ曲折の小路にして、「遇」是れ碰上・會合の意思なり。當に迂回して相求して、碰上を指望して、彼と一處に合すべし。所謂迂回は、不過ち正當の辦法を用いて婉轉に遷就して、雙方をして合し來らしむるのみ、竝びに自己を委屈して・原則を降低するにあらず。

集說 張氏清子曰:在《睽》之時,唯九二獨遇六五之主,故曰“遇主于巷”,《彖》所謂“得中而應乎剛”者,指此爻也。蔣氏悌生曰:初九與九四同德相遇,二與五為正應,亦曰“遇”。《小象》釋六三亦曰“遇剛”,蓋當乖離之時,相求相合。在禮雖簡,而於情則甚切至。

「集説」は張清子の説を引く:乖違の時に在りて、惟獨九二は六五の此の位の君主に遇上せり。ゆえに爻辞は「遇主于巷」と說く。『彖伝』の所謂「得中而應乎剛」は、指す所は卽ち此の一爻なり。蔣悌生は言う:初九と九四とは同德にして而して相遇し、九二と六五と是れ正應にして、爻辞も亦た「遇」の字を用い。「小象」の六三を解するも同じく「遇剛」と說く。大抵乖離の時に在りて、彼此は相求相合して、禮數を論ずれば雖も簡略なるも、情意を論ずれば卻って極めて懇切なり。

案 《春秋》之法,備禮則曰“會”,禮不備則曰“遇”。《睽》卦皆言“遇”,“小事吉”之意也。又《禮》,君臣賓主相見,皆由庭以升堂。“巷”者,近宮垣之小徑,故古人謂循牆而走,則謙卑之義也。謙遜謹密,巽以入之,亦“小事吉”之意也。

李光地が按する:『春秋』の書法は、禮數の齊備するを「會」と作し、禮數の齊備せざるを「遇」と作す。《睽》卦の各爻は一律に「遇」を說くは、まさに「小事吉」の意思なり。再び禮制に按ずれば、君臣賓主は相見するに、皆要して庭院を經過して再び堂に登る。而して「巷」是れ宮牆に靠る一條の小路にして、ゆえに古人は說く「循牆而走」、取るは謙卑の意思なり。謙遜にして而して周密、遜順の姿態を用いて慢慢に滲み進むは、亦た「小事吉」の意思なり。

六三,見輿曳,其牛掣,其人天且劓,無初有終。本義 六三上九正應,而三居二陽之間,後為二所曳,前為四所掣。而當《睽》之時,上九猜很方深,故又有髡劓之傷。然邪不勝正,終必得合,故其象占如此。集說 胡氏瑗曰:“天”當作而字,古文相類,後人傳寫之誤也。然謂而者,在漢法,有罪髡其鬢髮曰而。又《周禮》,梓人為筍虡作而,亦謂髡其鬢髮也。

六三の爻辞:輿の曳かるるを見、其の牛は掣せられ、其の人は天且つ劓り、初めなくして終わりあり。朱熹『本義』は言う:六三と上九とはもとより正應なれど、然るに其れは九二・九四の兩箇の陽爻の中間に夾まれて、後面に九二に拖き住められ、前面に九四に牽掣せらる。また乖違の時に趕上して、上九は猜忌狠戾まさに深し。ゆえに還く剃髪割鼻の此の一類の刑傷を添上す。然る而邪は終に正に壓し過ぐる能わず、最後に必定に能く合攏し得べし。ゆえに取象と占斷とは此のごとくす。「集説」は胡瑗の説を引く:「天」の字は當に「而」の字と作すべし、兩箇の字の古文の寫法は相近し、是れ後人の傳抄は寫し錯えたるなり。所謂「而」は、漢朝の法律に按ずれば、犯罪して鬢髮を剃去るを「耐」と作す。又た『周禮』の裏に梓人は鐘磬を懸掛するの木架を制作するに「而」の形狀を做出するを要す、亦是た鬢髮を剃去るを指す。

九四,睽孤,遇元夫,交孚,厲無咎。本義 “睽孤”,謂無應。“遇元夫”,謂得初九。“交孚”,謂同德相信。然當《睽》時,故必“危”厲乃得“無咎”,占者亦如是也。程傳 九四當《睽》時,居非所安,無應而在二陰之間,是睽離孤處者也。以剛陽之德,當睽離之時,孤立無與,必以氣類相求而合,是以“遇元夫”也。

九四の爻辞:睽孤、元夫に遇い、孚を交わし、厲なるも咎なし。朱熹『本義』は言う:「睽孤」は、說くは其れは應與なし。「遇元夫」は、說くは其れは初九に遇上せり。「交孚」は、說くは兩人は同德にして而して彼此相信任す。然るに身を乖違の時に處して、必須に危「厲」を經歷して纔に「无咎」を得、占問の人も亦た此の樣なり。程頤『伊川易伝』は言う:九四はまさに乖違の時に當りて、其の居る所の位置はもとより安穩ならず、すでに應與なく、また六三・六五の兩箇の陰爻の間に夾まれて、是れ乖離にして而して孤零零に自處するの一爻なり。其れは陽剛の德あれど、卻って乖離の世に碰上して、孤立無伴なれば、必定に氣味相投に憑りて去りて同類を尋求して而して一處に合するを要す。ゆえに「遇元夫」と說く。

“夫”,陽稱。“元”,善也。初九當《睽》之初,遂能與同德而亡睽之悔,處睽之至善者也。故目之為“元夫”,猶云善士也,四則過中,為睽已甚,不若初之善也。四與初皆以陽處一卦之下,居相應之位,當睽乖之時,各無應援,自然同德相親,故會遇也。

程頤は続けて言う:「夫」是れ陽爻に對する稱呼にして、「元」是れ善の意思なり。初九は《睽》卦の開頭に處して、卽ち能く同德の人と相合して而して乖違の悔を消掉す、是れ乖違を處理するに最も妥善の一爻なり。ゆえに之を「元夫」と稱し、等しく「好人」と說くなり。九四は已に中位を過ぎて、乖違すること太も厲害にして、初九のあの樣に趕上せず。九四と初九と皆陽爻を以て上下の兩卦の起首に處して、本該相應の位次に居る。まさに乖違の時に當りて、兩邊は皆援應なく、自然に同德に因りて相親す、ゆえに能く會合し得べし。

同德相遇,必須至誠相與。“交孚”,各有孚誠也。上下二陽以至誠相合,則何時之不能行?何危之不能濟?故雖處危“厲”而“無咎”也。當睽離之時,孤居二陰之間,處不當位,“危”且有“咎”也。以“遇元夫”而“交孚”,故得“無咎”也。

程頤は続けて言う:同德の人は相遇するに、必須に至誠を以て相待するを要す。「交孚」は、是れ雙方は各々一份の誠信を有す。上下の兩箇の陽爻は至誠を以て相合せば、還く何の時勢か闖り過ぐる能わざらんや。還く何の危難か渡り過ぐる能わざらんや。ゆえに其れは雖も身を危「厲」に處するも而して仍ほ能く「无咎」なり。まさに乖離の時に當りて、孤零零として兩箇の陰爻の中間に夾まれて、其の居る所の位次も又た相當ならず、もとよりすでに「危」にして又有「咎」なるに、ただ「遇元夫」して而して彼此「交孚」するに因りて、纔に以て「无咎」を得。

集說 孔氏穎達曰:“元夫”,謂初九也。處於卦始,故云“元”。王氏申子曰:四居近臣之位,獨立無與,幸有初九同德君子,與之相遇,四能交之以誠,則睽不孤矣。然當《睽》之時,必危“厲”以處之乃得“無咎”。

「集説」は孔穎達の説を引く:「元夫」の指す所は初九なり。其れは一卦の起首に處す、ゆえに「元」と稱す。王申子は言う:九四は近臣の位置に居りて、孤零零として同伴なく、幸いに初九の此の位の同德の君子ありて之と相遇す。九四は能く誠心を以て去りて結交すれば、乖違の中に於て卽ち再び孤單ならず。不過ち身を乖違の時に處して、必須に戒懼危「厲」の心態を抱着して去りて應付して、纔に「无咎」を得べし。

案 四亦無應者也,然居大臣之位,則孤立無黨,乃正其宜,故以睽孤為“無咎”。若“元夫”則非其所親厚者,故雖遇之而”交孚”,不害其為淡然而寡合。史稱諸葛亮法正,趨尚不同而以公義相取者,是也。

李光地が按する:九四も亦是た應與なきの一爻なれど、然るに其れは大臣の位置に居りて、孤立して而して黨を結ばず、反ってまさに其の身份に合す。ゆえに「睽孤」を以て「无咎」と看作す。「元夫」の初九に至れば、もとより亦た其れと私下に親厚の人にあらざるに因りて、ゆえに雖も之と相遇して而して「交孚」するも、亦た兩人の間のあの份の淡然寡合の關係に妨なし。史書の上に說く諸葛亮と法正とは志趣取向は竝びに相同じからざれど、卻って能く公義に憑りて彼此相取重す、まさに此の種の情形なり。

六五,悔亡,厥宗噬膚,往何咎。本義 以陰居陽,“悔”也。居中得應,故能“亡”之。“厥宗”,指九二。“噬膚”,言易合。六五有柔中之德,故其象占如是。程傳 六以陰柔當暌離之時,而居尊位,有“悔”可知。然而下有九二剛陽之賢,與之為應,以輔翼之,故得“悔亡”。

六五の爻辞:悔亡、厥宗は膚を噬む、往けば何の咎あらん。朱熹『本義』は言う:陰爻を以て陽位に居れば、もとより當に悔あり。其れは中に居りて而して又有應與あるに因りて、ゆえに能く悔を消掉し得べし。「厥宗」は九二を指し、「噬膚」は是れ合攏し易きを說くなり。六五は柔順居中の德あり、ゆえに取象と占斷とは此のごとくす。程頤『伊川易伝』は言う:陰柔の質を以て乖離の時に趕上して、また尊位に居れば、悔あるは以て想見し得べし。然るに下面に九二の此の位の陽剛の賢者ありて之と相應し、傍より它を輔佐す、ゆえに悔恨は以て消解し得。

“厥宗”,其黨也,謂九二正應也。“噬膚”,噬齧其肌膚,而深入之也。當《睽》之時,非人之者深,豈能合也?五雖陰柔之才,二輔以陽剛之道而深入之,則可往而有慶,復何過咎之有?以周成之幼稚而興盛王之治,以劉 集說 孔氏穎達曰:“宗”,主也,謂二也。

程頤は続けて言う:「厥宗」是れ其の同黨にして、指す所は九二の此の正應なり。「噬膚」是れ皮膚の裏に咬み進むにして、深入を形容す。まさに乖違の時に當りて、若し是れ深深地と打ち進まざれば、どうして合し攏るを得んや。六五は雖もただ陰柔の才質なるも、九二は陽剛の道を用いて它を輔佐して・深深地と打ち進めば、あれは卽ち以て前往して而して福慶あり、還く何の過咎あらんや。周の成王のあの樣の幼小の年紀を持ち來りて而して能く盛王の治を開創し、劉を持ち來りて——此處底本に脫文あり、程頤の此の段の言は說き完さず。「集説」は孔穎達の説を引く:「宗」是れ主の意思にして、指す所は九二なり。

王氏申子曰:《睽》之諸爻皆言“睽”,獨二五不言“睽”而言合。“膚”者睽之淺,噬則合之深,君臣之合如此,可以往而有為,何“咎”之有?龔氏煥曰:《睽》與《同人》所謂“宗”,皆以其應言也。然“同人于宗”則“吝”,而睽“厥宗噬膚”則無咎者,處同人之世,則欲其公,不可以有私應;處《睽》之世則欲其合,不可以無正應。時義有不同也。

王申子は言う:《睽》卦の各爻は皆「睽」の字を提ぐるに、惟獨九二・六五は乖違を說かずして會合を說く。「膚」是れ淺處にして、指す所は乖違すること淺し。「噬」是れ咬み下るにして、指す所は合すること深し。君臣の會合は此の地步に到れば、卽ち以て前往して而して作爲有るべし、還く何の「咎」あらんや。龔煥は言う:《睽》卦と《同人》卦との言う所の「宗」は、皆其の相應するのあの一爻に就いて說くなり。然るに《同人》は「同人于宗」と說けば卽ち「吝」にして、《睽》は「厥宗噬膚」と說くも卻って咎なし、これ是れ因るに:《同人》のあの樣の世道に處すれば、要するは公にして、私に相親附の應與あるべからず。《睽》のあの樣の世道に處すれば、要するは合にして、正應なかる能わず。兩卦の處する所の時勢含義は相同じからざるなり。

胡氏炳文曰:《噬嗑》六二曰“噬膚”,《睽》六五以九二為“厥宗噬膚”,《睽》二變即《噬嗑》也。或曰:二至上有《噬嗑》象,二五剛柔得中,故五以二為“宗”,其合也,如“噬膚”之易;二以五為主,其合也,有於巷之遭。“宗”,親之也,上當以情親下也。主,尊之也,下當以分嚴上也。

胡炳文は言う:《噬嗑》卦の六二の爻辞は「噬膚」を講じ、《睽》卦の六五は九二を說成して「厥宗噬膚」と爲す。《睽》卦の第二爻は一變すれば、卽ち《噬嗑》卦と成る。ある人が言う:第二爻より上爻に數え到れば、此の一段の卦形は本身卽ち《噬嗑》の象を帶ぶるなり。九二・六五は一剛一柔にしてまた皆中に居る。ゆえに六五は九二を以て「宗」と當作して、兩者は會合して、「噬膚」のあの樣に容易し。九二は六五を以て「主」と當作して、兩者は會合して、纔に巷の中に於て相遇するのあの一番の周折あり。「宗」と稱するは、是れ彼を親近して、上位に在るは當に情意を用いて去りて下に在るに親近すべし。「主」と稱するは、是れ彼を尊崇して、下位に在るは當に名分に按じて去りて上に在るに敬事すべし。

案 《睽》之時“小事吉”者,逕情直行則難合,委曲巽入則易通也。如食物然,齧其體骨則難,而噬其膚則易。九二遇我乎巷,是“厥宗”之來“噬膚”也。我往合之,睽者不睽矣。此其所以“悔亡”也,何“咎”之有?上九,睽孤,見豕負塗,載鬼一車,先張之弧,後說之弧。匪寇婚媾,往遇雨則吉。

李光地が按する:乖違の時の「小事吉」の所以は、是れ性子に由りて直來直去すれば卽ち合し攏り難く、轉圜迂回して・遜順に滲み進めば卽ち容易く通達するに因る。ちょうど東西を喫うがごとく、骨頭を啃り去れは卽ち費勁にして、あの一層の軟肉を咬めば卽ち容易し。九二は巷の中に於て我に遇上すれば、卽ち「厥宗」は前來して「噬膚」す。我は迎え上がりて彼と會合すれば、乖違するも亦た卽ち乖違ならず。これまさに其の「悔亡」するの緣故にして、還く何の「咎」あらんや。上九の爻辞:睽孤、豕の塗を負えるを見、鬼一車を載せ、先ず之弧を張り、後に之弧を說(脫)す。寇にあらず婚媾なり、往きて雨に遇えば則ち吉なり。

本義 “睽孤”,謂六三為二陽所制,而己以剛處明極、睽極之地,又自猜很而乖離也。“見豕負塗”,見其汙也。“載鬼一車”,以無為有也。張弧,欲射之也。說弧,疑稍釋也。“匪寇婚媾”,知其非寇而實親也。“往遇雨則吉”,疑盡釋而睽合也。上九之與六三,先睽後合,故其象占如此。

朱熹『本義』は言う:所謂「睽孤」は、指す所は六三は九二・九四の兩箇の陽爻に夾制せられ住められて、而して上九は自己も亦た陽剛を以て明察は頂に到り・乖違は頂に到るの地位に處し、加うるに生性は猜忌狠戾にして、ここに於て自己を弄り成して孤家寡人と爲らしめり。「見豕負塗」は、是れ對方の污穢不堪を看見す。「載鬼一車」は、是れもとより無き東西を有ると看成す。「張弧」是れ弓を拉き開けて彼を射んと要す。「說弧」是れ弓を放下して、疑心は稍稍に解開す。「匪寇婚媾」は、是れ對方は強盜にあらざるを明白して、實際上是れ親人なり。「往遇雨則吉」は、是れ疑心は全部に消散して而して乖違は會合に轉成す。上九と六三とは先ず乖違し後に會合す。ゆえに取象と占斷とは此のごとくす。

程傳 上居卦之終,《睽》之極也。陽剛居上,剛之極也。在離之上,用明之極也,睽極則咈戾而難合,剛極則躁暴而不詳,明極則過察而多疑。上九有六三之正應,實不孤,而其才性如此,自“睽孤”也。如人雖有親黨,而多自疑猜,妄生乖離,雖處骨肉親黨之間,而常孤獨也。

程頤『伊川易伝』は言う:上九は全卦の末に居りて、是れ乖違は極點に到れり。陽剛を以て最上に居るは、是れ剛は極點に到れり。離卦の最上面に處するは、是れ明察を用い到りて極點に到れり。乖違は極點に到れば卽ち彆扭乖張して・甚だ合し攏り難し。剛は極點に到れば卽ち躁急粗暴して・肯んじて細看せず。明察は極點に到れば卽ち看ること過細にして而して疑心は重々す。上九はもとより六三の此の正應ありて、實在に孤單と算するに足らざるも、ただ其の才性は此の樣なるに因りて、纔に自己は自己を弄り成して「睽孤」と爲らしめり。ちょうどある人の明明に親族朋黨あるに、卻って成天に疑神疑鬼して、空より乖離を生出して、雖も身を骨肉親族の當中に在るも、卻って常常に形單影隻たるがごとし。

上之與三,雖為正應,然居《睽》極,無所不疑。其見三如豕之汙穢,而又揹負泥塗,見其可惡之甚也。既惡之甚,則猜成其罪惡,如見載鬼滿一車也。鬼本無形,而見載之一車,言其以無為有,妄之極也。

程頤は続けて言う:上九は六三と雖も正應なるも、然るに其れは乖違の極處に處して、何も皆疑うを要す。其れは六三を看るに、一頭の臟豕を看るがごとくして、背上は還く一身の爛泥を馱えて、對方は可厭するに極點に到ると覺える。すでに厭惡するに此の地步に到る以上、卽ち空より對方の一身の罪惡を猜想し出す、好もしく整整たる一車の鬼を看見せるがごとし。鬼はもとより形體なく、居然と裝滿たる一車を看見せるは、これ是れ無きを有りと說成して、荒謬は極點に到れり。

物理極而必反,以近明之,如人適東,東極矣,動則西也。如升高,高極矣,動則下也,既極則動而必反也。上之睽乖既極,三之所處者正理,大凡失道既極,則必反正理。故上於三,始疑而終必合也。

程頤は続けて言う:事物の道理は極處に走到すれば必定に囘轉す。近處に就いて比方を打てば:人はずっと東に往きて走れば、東は盡頭に到りて、再び動けば卽ち西に往きて走るなり。ずっと上に往きて升れば、高きは盡頭に到りて、再び動けば卽ち下に往きて走るなり。極處に到れば、一動すれば必然に頭を囘す。上九の乖違は已に極處に到りて、而して六三の守住する所はもとより正理なり。大凡正道に背離すること極處に到れば、必定に正理の上に囘り來る。ゆえに上九は六三に對して、開頭は猜疑して、最後に必定に合攏せん。

先張之弧,始疑惡而欲射之也。疑之者妄也,妄安能常?故終必復於正。三實無惡,故後說弧而弗射。睽極而反,故與三非復為寇仇,乃“婚媾”也。此“匪寇婚媾”之語,與他卦同,而義則殊也。陰陽交而和暢則為雨,上於三始疑而睽,睽極則不疑而合,陰陽合而益和則為雨,改云“往遇雨則吉”。“往”者自此以往也,謂既合而益和則“吉”也。

程頤は続けて言う:「先張之弧」は、是れ起初は猜疑厭惡して而して彼を射んと想いしなり。然るに猜疑はもとより妄念にして、妄念はどうして能く長久ならんや。ゆえに最後に必定に正理の上に囘り來る。六三は實在に何の可惡の處もなし、ゆえに後來は弓を放下して射ざるなり。乖違は極處に到りて而して囘轉す、ゆえに上九は六三と再び仇敵ならずして、反って「婚媾」に成る——結親の對象なり。此の句の「匪寇婚媾」は、字面は別の卦と一樣なるも、含義は卻って相同じからず。陰陽は交感して而して和暢すれば卽ち雨を下す。上九は六三に對して起初は猜疑して而して乖違し、乖違は極處に到れば便ち再び猜疑せずして而して合攏す、陰陽はすでに合して而して愈々和洽すれば、卽ち雨と化成す。ゆえに「往遇雨則吉」と說く。「往」是れ此より以後の意思にして、說くはすでに合攏して而して愈々和洽すれば、卽ち吉利なり。

集說 耿氏南仲曰:凡物之情,信然後合。合則愈信,疑然後睽,睽則愈疑。《朱子語類》云:《小畜》之上九日“既雨既處”,《睽》之上九曰“往遇雨則吉” 邱氏富國曰:上本與三應,不孤也。睽極而疑生,故亦曰“睽孤”。豕、鬼,皆指三也。

「集説」は耿南仲の説を引く:凡そ人情物理は、皆先ず信任ありて纔に合攏し、合攏したる後に信任は愈々深し。先ず猜疑ありて纔に乖違し、乖違したる後に猜疑は愈々甚し。『朱子語類』は言う:《小畜》の上九は「既雨既處」を講じ、《睽》卦の上九は「往遇雨則吉」を講ず——此處底本に脫文あり、朱熹の此の段の比較の言は說き完さず。邱富國は言う:上九はもとより六三と相應して、孤單と算するに足らざるも、ただ乖違は極處に到りて而して疑心を生出すに因りて、ゆえに爻辞も亦た「睽孤」と說く。爻辞の裏の豬と鬼とは、皆六三を指す。

上睽疑而未敢親近乎三,如見豕背之負泥塗。又如載鬼滿於一車之中,始焉致疑則張弧,終焉釋疑則說弧,知其非為寇仇,乃我之婚媾也。自此以往,陰陽和暢,向之疑心群起者,至此盡冰釋而亡矣。

邱富國は続けて言う:上九は乖違猜疑に因りて而して敢えて六三と親近せず、它を看るに卽ち一頭の背上に爛泥を馱えたる豬を看見せるがごとく、又た一車を整裝して鬼を裝滿せるを看見せるがごとし。起初は疑心を起こせば卽ち弓を拉き開けて、最後に疑心は解ければ卽ち弓を放下して、對方は竝びに仇敵にあらざるを明白して、而して是れ自己の結親せんと要する人なり。此より以後、陰陽は和洽通暢して、先前は紛紛と湧き起こせしあの些の疑心は、此の時に到りて全部に冰のごとく化盡せり。

總論 馮氏當可曰:內卦皆睽而有所待,對卦皆反而有所應,初“喪馬勿逐”,至四“遇元夫”,而初四合矣,二委曲以求遇,至五“往何咎”,而二五合矣。三“輿曳”“牛掣”,至上“遇雨”,而三上合矣。天下之理,固未有終睽也。

「總論」は馮當可の説を引く:內卦の三爻は皆乖違の中に處して而して等待する所有りて、之と相對する外卦の三爻は則ち皆囘轉し過ぎ來りて呼應する所有り。初九は「喪馬勿逐」、九四に到りて「遇元夫」、初九と九四とは便ち合上せり。九二は迂回して相遇を求め、六五に到りて「往何咎」、九二と六五とは便ち合上せり。六三は「輿曳」「牛掣」、上九に到りて「遇雨」、六三と上九とは便ち合上せり。天下の道理は、もとより永遠に乖違し下るはなし。

吳氏曰慎曰:六爻皆取先睽後合之象,初之“喪馬”“自復”,即四之“睽孤遇元夫”也。二之“遇主于巷”,即五之“厥宗噬膚”也。三之無初有終,即上之張弧“遇雨”也。合六爻處睽之道而言,在於推誠守正,委曲含弘,而無私意猜疑之蔽,則雖睽而必合矣。

吳曰愼は言う:六爻は皆先ず乖違し・後に會合するの象を取る。初九の「喪馬」にして而して「自復」は、卽ち九四の「睽孤遇元夫」なり。九二の「遇主于巷」は、卽ち六五の「厥宗噬膚」なり。六三の「无初有終」は、卽ち上九は先ず弓を張りて而後に「遇雨」するなり。六爻を合起して乖違を處理するの辦法を講ずれば、無外是れ誠を推し相待し・正道を守住して、迂囘轉圜・寬宏に容納して、私心猜忌をして眼睛を蒙らしめず。能く此の樣にせば、雖も一時に乖違するも、最終に必定に合攏せん。

蹇卦・坎上艮下

程傳 《蹇序卦》:“睽者乖也,乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。”睽乖之時,必有蹇難,《蹇》所以次《睽》也。蹇,險陰之義,故為蹇難。為卦坎上艮下,坎,險也。艮,止也。險在前而止,不能進也。前有險陷,後有峻阻,故為《蹇》也。

程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に「睽は乖なり、乖あれば必ず難あり、故にこれを蹇に受く。蹇とは、難なり」とある。乖違の時には必ず艱難険阻が伴うので、《蹇》卦は《睽》卦の後に置かれたのである。「蹇」には険阻幽暗の意味があるので、艱難と解する。卦体から言えば、坎が上に、艮が下にある。坎は険、艮は止で、険が目の前に横たわり立ち止まるしかなく、通り抜けられない。前に陥穽があり、後ろに峻岭が道を塞ぐので、《蹇》と名づける。

蹇,利西南,不利東北,利見大人,貞吉。本義 “蹇”,難也。足不能進,行之難也。為卦艮下坎上,見險而止,故為《蹇》。“西南”平易,“東北”險阻,又艮方也。方在《蹇》中,不宜走險。又卦自《小過》而來,陽進則往居五而得中,退則入於艮而不進,故其占曰“利西南”而“不利東北”。

《蹇》卦の卦辞:蹇は、西南に利あり、東北に利なし、大人を見るに利あり、貞なれば吉。朱熹《本義》は言う:「蹇」は難で、足が踏み出せず、歩行が困難なのである。卦体から言えば、艮が下に、坎が上にあり、危険を見て立ち止まるので、《蹇》という。西南は地勢が平坦で、東北は険峻であり、しかも東北はまさに艮卦の主る方位である。人が艱難の只中にある時、さらに険地へ向かうべきではない。さらにこの卦は《小過》から変じたもので、陽爻が上に進めば第五位に居り「中を得」、下に退けば艮の中に落ちて動けなくなる。だから占断に「西南に利あり」而して「東北に利なし」と言うのである。

當《蹇》之時,必見“大人”,然後可以濟難。又必守正,然後得“吉”。而卦之九五,剛健中正,有大人之象。自二以上五爻,皆得正位,則又貞之義也,故其占又曰“利見大人,貞吉”。蓋見險者貴於能止,而又不可終於止;處險者利於進,而不可失其正也。

朱熹は続けて言う:艱難の時にあっては、必ず「大人」を見て、そうして初めて危難を渡り越えられる。また必ず正道を守って、そうして初めて吉利を得る。この卦の九五は剛健にして中に居り位に当たり、大人の象がある。第二爻から上へ数えた五爻がそれぞれ皆、ちょうど適切な位次にあり、これがまた「貞」の意に合うので、占断にまた「大人を見るに利あり、貞なれば吉」と言う。おおよそ危険を見たら立ち止まれることが貴いが、いつまでも止まっていてはならない。危険に身が落ちたら進めることが利だが、正道を失ってもならない。

程傳 “西南”,坤方。坤,地也,體順而易。“東北”,艮方。艮,山也,體止而險。在《蹇》難之時,利於順處平易之地,不利止於危險也,處順易則難可紓,止於險則難益甚矣。蹇難之時,必有聖賢之人,則能濟天下之難,故“利見大人”也。濟難者,必以大正之道,而堅固其守,故“貞”則“吉”也。

程頤《伊川易伝》は言う:「西南」は坤の主る方位である。坤は地で、性体は柔順にして平易である。「東北」は艮の主る方位である。艮は山で、性体は停滞にして険峻である。艱難の時にあっては、形勢に順じて平坦な所に居るのが利で、険地に留まるのは不利である。平順で行い易い所に居れば艱難は緩和され、険地に留まれば艱難はますます甚しくなる。艱難の時には必ず聖賢の人がいて、初めて天下の難を解くことができる。だから「大人を見るに利あり」と言う。危難を救済する人は、必ず大中至正の道を用い、かつ操を堅く守り抜かねばならない。だから「貞」であってこそ「吉」なのである。

凡處難者,必在乎守貞正。設使難不解,不失正德,是以“吉”也。若遇難而不能固其守,入於邪濫,雖使苛免,亦惡德也,知義命者不為也。集說 王氏弼曰:“西南”,地也,“東北”,山也。之平則難解,之山則道窮。范氏仲淹曰:《蹇》與《屯》近,然《屯》則動乎險中,難可圖也。《蹇》則止乎險中,難未可犯也。

程頤は続けて言う:およそ艱難に身を置く者の要は、貞正を守ることにある。たとえ艱難がついに解けなくても、正直の徳を失わなければ、これを吉と言う。もし艱難に遭えば自分を守れず、邪僻放縦の道に滑り落ちるならば、たとえ苟且に身を脱しても、それは敗れた品德であり、義理天命を知る者はそうはしない。「集説」に王弼を引く:「西南」は地、「東北」は山である。平地に向かえば艱難は解け、山に入れば路は絶える。范仲淹は言う:《蹇》卦は《屯》卦に近いが、《屯》は険中にあってなお動け、艱難にも対処の術がある。《蹇》は険中にあって止まるしかなく、艱難にまだ強いて当たってはならない。

案 《易》“西南”“東北”之義,先儒皆以坤艮二卦釋之,故謂西南屬地而子。《易》,東北屬山而險阻。然以文意觀之,所謂“西南”者,西方、南方。所謂“東北”者,東方、北方。非指兩隅而言也。此義自坤卦發端,而《蹇》、《解》彖辭申焉。參之諸卦大義,則坤者宜後而不宜先者也。《蹇》者宜來而不宜往者也。《解》或可以有往,而終以來復為安者也。

李光地の按:《周易》における「西南」「東北」の含意を、前代の学者はみな坤・艮の二卦で解した。それで西南は地に属して平易、東北は山に属して険阻と言う。しかし文意から見れば、「西南」と言うのは西方と南方を指し、「東北」と言うのは東方と北方を指すのであって、単に西南・東北という二つの隅だけを指すのではない。この意味は《坤》卦に端を発し、《蹇》《解》二卦の「彖辞」でさらに申し述べられる。各卦の大義を参照すれば、坤は後に居るべきで先を争うべきではない。《蹇》は退くべきで往くべきではない。《解》は往くことが許される場合もあるが、終じては退き戻るのが穏当である。

然則“西南”當為退後之位,“東北”當為進前之方。坤在後之地,則可以“得朋”;在先之地,則利於“喪朋”。《蹇》當退而居後,不可進而居先,此兩卦之義也。難既解矣,或可以有進往,故無“不利東北”之文。然曰”利西南”者,終以退復自治為安也。蓋文王之卦,陽居“東北”,陰居“西南”,陽先陰後,陽進陰退,大分如此,似非險易之說也。

このように見れば、「西南」は後ろに退く位置であって、「東北」は前に進み出る方向であろう。坤が後に居る位に処すれば「朋を得」、先を争う位に処すれば「朋を喪う」のが利である。《蹇》は退き下がって後に居るべきで、前に進んで先を取ってはならない。これがこの二卦の意である。艱難がすでに解けて後は、往くことが許されることもあるので、《解》卦の卦辞には「東北に利なし」の一句がない。しかしそれでもなお「西南に利あり」と言うのは、終じて退き戻って自らを整えるのが穏当だからである。おおよそ文王の後天八卦の方位では、陽卦は東北に居り、陰卦は西南に居る。陽は先に陰は後に、陽は進み陰は退く。大きな分際はこのようであり、どうやら険易の講釈ではないようである。

初六,往蹇來譽。本義 “往”遇險,“來”得譽。程傳 六居《蹇》之初,往進則益入於賽,“往蹇”也。當《蹇》之時,以陰柔無援而進,其蹇可知。來者對往之辭,上進則為往,不進則為來。止而不進,是有見幾知時之美,來則“有譽”也。

初六の爻辞:往けば蹇み、来れば誉れあり。朱熹《本義》は言う:前に進めば険阻に遭い、退き戻れば称誉を得る。程頤《伊川易伝》は言う:初六は《蹇》卦の初めに居り、さらに前に進めばますます深く陥る。これが「往蹇」である。艱難の時にあって、陰柔の質で援手もないのに強いて進めば、その艱難は知れる。「来」の字は「往」の字に対して言う。上へ進むを「往」と言い、進まぬを「来」と言う。止まって進まなければ、兆しを察し時勢に通じる利がある。だから「来」れば称誉があるのである。

集說 王氏弼曰:處難之始,居止之初,獨見前識,睹險而止,以待其時,故“往”則遇“蹇”,“來”則得“譽”。《朱子語類》:問:“往蹇來譽”。曰:來往二字,唯《程傳》言上進則為“往”,不進則為“來”,說得極好。

「集説」に王弼を引く:艱難の初めに処し、また艮という「止」の体の最初に居り、眼光が独自であらかじめ形勢を見通せ、危険を見れば止まり、時機を待つ。だから「往」けば艱難に遭い、「来」れば称誉を得る。《朱子語類》:ある人が「往蹇来誉」はどう講ずるかと問うた。朱熹は言う:「来」「往」の二字は、《伊川易伝》だけが上に進むを「往」、進まぬを「来」と講じており、この説は実に良い。

今人或謂六四“往蹇來連”是來就三,九三“往蹇來反”是來就二,上六“往蹇來碩”是來就五,亦說得通。但初六“來譽”,則位居最下,無可來之地,其說不得通矣。故不若《程傳》好,只是不往為佳耳。何氏楷曰:此卦中言“來”者,皆就本爻言,謂來而止於本位也。對往之辭,初六去險最遠,其止最先,獨見前識,正《傳》之所謂智也。

朱熹は続けて言う:近ごろある人は、六四の「往蹇来連」は退き下がって九三に倚り、九三の「往蹇来反」は退き下がって六二に倚り、上六の「往蹇来碩」は退き下がって九五に倚ると講じる。これも通じる。しかし初六の「来誉」は、その位次がすでに最下にあって退く所がない。この講じ方では通らない。だから《伊川易伝》の方がよい。「来」はただ前に往かぬことで、これが最も穏当である。何楷は言う:この卦で「来」と言う所は、みな本爻について言い、退き戻って自己の本来の位次に止まることを指し、「往」の字に対して講じられている。初六は険から最も遠く、止まるのが最も早く、眼光が独自であらかじめ形勢を見通す。まさに《彖伝》の言う「智」である。

六二,王臣蹇蹇,匪躬之故。本義 柔順中正,正應在上,而在險中,故蹇而又蹇,以求濟之,非以其身之故也,不言吉凶者,占者但當鞠躬盡力而已,至於成敗利鈍則非所論也。

六二の爻辞:王臣蹇蹇たり、躬の故に匪ず。朱熹《本義》は言う:六二は柔順にして中に居り位に当たり、その正「応」である九五が上にあるが、自分はまた険中に身を陥れている。だから艱難の上にさらに艱難を重ねるのは、危難を渡り越える方法を講じるためで、自分一身のためではない。爻辞が吉凶を言わないのは、占問する者はただ鞠躬尽力すべきで、成否順逆は考慮の外におくべきだからである。

程傳 二以中正之德居艮體,止於中正者也。與五相應,是中正之人,為中正之君所信任,故謂之“王臣”。雖上下同德,而五方在大蹇之中,致力於蹇難之時,其艱蹇至甚,故為蹇於蹇也。二雖中正,以陰柔之才,豈易勝其任?所以蹇於蹇也。志在濟君於蹇難之中,其“蹇蹇”者,非為身之故也。雖使不勝,志義可嘉,故稱其忠藎不為己也。然其才不足以濟蹇也,小可濟,則聖人當盛稱以為勸矣。

程頤《伊川易伝》は言う:六二は中正の徳をもって艮という卦体の中に処し、中正に安止する者である。九五と応じるのは、中正の臣が中正の君に信任されることなので、これを「王臣」と称する。上下が同徳ではあるが、九五はまさに大難の只中に陥っている。艱難の時に力を出せば、その辛苦艱険は極まる。だから「蹇に蹇む」――難の上に難を重ねるという。六二は中正ではあるが、結局は陰柔の才質にすぎず、どうしてこの荷を担えようか。これもまたその難上に難を重ねる所以である。君主を危難から救い出そうと一心に務めるその「蹇蹇」の労苦は、自身のためではない。たとえ担いきれなくても、この志向と道義はなお嘉ぶべきものがあるので、爻辞はその一片の忠誠を称えて自分のためでないとする。しかしその才力は結局のところ難を済すに足らない。もし多少なりとも難を済せるなら、聖人は大いに称揚して世人を勧めたはずである。

集說 王氏弼曰:處難之時,當位居中,以應乎五,執心不違,志匡王室者也。故 韓氏愈曰:《易》《蠱》之上九“不事王侯,高尚其事。”《蹇》之六二,則曰“王臣蹇蹇,匪躬之故”。所居之時不一,而所蹈之德不同也。若《蠱》之上九,居無用之地,而致匪躬之節。《蹇》之六二,在王臣之位,而高不事之心,則冒進之患生,曠官之刺興,志不可則,而尤不終無矣。

「集説」に王弼を引く:艱難の時に処し、位次が相当にして中位に居り、上は九五に応じ、心を持して改めず、一意に王室を匡扶す――ここで底本に脱文があり、王弼の言は尽きていない。韓愈は言う:《周易》《蠱》卦の上九は「王侯に事えず、その事を高尚にす」と言い、《蹇》卦の六二は「王臣蹇蹇、躬の故に匪ず」と言う。両者の処する時勢が異なり、践履する徳も同じではない。もし《蠱》卦の上九が閑散無用の地位に身を置きながら、わざわざ国のため身を忘れる節操を尽くそうとし、《蹇》卦の六二が王臣の位に身を置きながら、わざわざ王侯に事えぬ清高の心を抱くならば、前者は冒進の禍を招き、後者は職守を曠廃する譏刺を招く。このような心志は取法すべきでなく、怨咎も結局免れない。

蘇氏軾曰:初六、九三,六四、上六四者,或遠或近,皆視其勢之可否,以為往來之節。獨六二有應於五,君臣之義深矣。是以不計遠近,不慮可否,無往無來,“蹇蹇”而已。君子不以為不智者,非身之故也。楊氏萬里曰:諸爻聖人皆不許其往,唯六二、九五,無不許其往之辭者,二為王者之大臣,五履大君之正位,復不往以濟,而誰當任乎?九三,往蹇來反。

蘇軾は言う:初六・九三・六四・上六の四爻は、あるいは遠くあるいは近く、みな形勢が行き通るかどうかを見て、往くべきか来るべきかを決める。ただ六二のみ上は九五に応じ、君臣の義分が極めて深い。だから険までの遠近を計らず、成し遂げられるかを算せず、往くとも来るとも言わず、ただひたすら「蹇蹇」と力を尽くすのみである。君子はこれを不明智としない。まさに自身のためでないからである。楊万里は言う:その余の各爻には、聖人は皆往くことを許さない。ただ六二と九五の爻辞にだけ往くことを許さぬ言がない。六二は王者の大臣、九五は大君の正位を踏む。この二つが身を挺して往き難を救わなければ、いったい誰が担うべきか。九三の爻辞:往けば蹇み、来れば反る。

本義 反就二陰,得其所安。程傳 九三以剛居正,處下體之上。當《蹇》之時,在下者皆柔,必依於三,是為下所附者也。三與上為正應,上陰柔而無位,不足以為援,故上往則蹇也。“來”,下來也。“反”,還歸也。三為下二陰所喜,故來為反其所也,稍安之地也。

朱熹《周易本義》は「来反」を解して言う:九三が退き戻って下の二つの陰爻に親しめば、安身の処を得る。程頤《伊川易伝》は言う:九三は陽剛をもって陽位に居り、「当位」して正を得、また下卦の最上爻に処する。《蹇》卦の艱難阻塞の時にあって、その下の初六・六二はみな柔弱無力で、必ず九三に依託しなければならない。だから九三は下に帰附される爻である。九三と上六は一陰一陽の「応与」の正応だが、上六は陰柔である上に無位の地に居り、その援手となるに足らない。だから上に往けばますます蹇難となる。爻辞の「来」は上から下へ帰ること、「反」は本処に帰ること。九三は下の二つの陰爻に愛されるので、「来」とはまさにその本来の位置へ帰ることであり、それはやや安穏な一カ所である。

集說 孔氏穎達曰:九三與坎為鄰,進則入險,故曰“往蹇”;來則得位,故曰“來反”。吳氏曰慎曰:九三剛正,為艮之主,所謂見險而能止者,故來而能反,止於其所。案 《傳》義以反為反就二陰,孔氏、吳氏則謂止於其所。以孔子《象傳》觀之,則《傳》義理長,蓋三為內卦之主故也。

「集説」に孔頴達を引く:九三は上卦の坎体に緊接しており、さらに一歩進めば険陥に落ちる。だから爻辞は「往蹇」と言う。退き戻れば自分の正を得た爻位に安処するので、「来反」と言う。集説はまた呉曰慎を引く:九三は陽剛にして中正で、下卦艮体の主爻であり、まさに《彖伝》の「険を見て能く止まる」の意に合う。だから退き戻れば安定し、自己の本位に止まる。李光地の按:《伊川易伝》と《本義》はいずれも「反」を退き戻って下の二陰爻に親しむと講じ、孔頴達・呉曰慎は本位に止まると講じる。孔子の作した《象伝》に照らせば、やはり《伊川易伝》と《本義》の解釈の方が理にかなう。九三はもともと内卦の主爻だからである。

六四,往蹇來連。本義 連於九三,合力以濟。程傳 往則益入於坎險之深,“往蹇”也。居蹇難之時,同處艱厄者,其志不謀而同也。又四居上位,而與在下者,同有得位之正,又與三相比相親者也。二與初同類,相與者也。是與下同志,眾所從附也,故曰“來連”。來則與在下之眾相連合也,能與眾合,得處蹇之道也。

経文:六四、往けば蹇難、退き戻れば連なるを得る。朱熹《周易本義》は言う:六四は退き下がって九三と連なり、二爻が力を合わせて艱難を渡る。程頤《伊川易伝》は言う:六四がもし上に往けば、さらに深く坎体の険陥に陥る。これが「往蹇」である。蹇難の時節に処しては、共に困厄に身を陥れた者は、心志は商わずとも自然と一致する。まして六四は上卦の位に居りながら、下の諸爻と同じくみな「当位」して正を得、また九三と緊隣して親しむ。六二と初六は同じ陰爻で、もともと互いに相与する類である。これが六四の下と同心同志で、衆爻に帰附される所以である。だから爻辞は「来連」と言う。退き戻れば、下の衆爻と連結して一体となれる。衆人と力を合わせられれば、蹇難に処する正道を得たことになる。

集說 荀氏爽曰:蹇難之世,不安其所,故曰“往蹇”也。來還承五,則與至尊相連,故曰“來連”也。案 荀氏以“來連”為承五,極為得之。《易》例,凡六四承九五,無不著具美於爻象者,況蹇有“利見大人”之文乎!若三則於五無承應之義,而為內卦之主,固不當與四並論也。

「集説」に荀爽を引く:蹇難の世に身を処して、六四はその位置に安んじない。だから「往蹇」と言う。退き戻って上は九五を承ければ、至尊の君と一気に連なる。だから「来連」と言う。李光地の按:荀爽が「来連」を上は九五を承くと講じたのは、極めて精当である。《周易》の通例に照らせば、およそ六四が陰柔をもって九五の君を上承するものは、爻辞爻象に美善を顕さぬものはない。まして《蹇》卦の《彖辞》には「大人を見るに利あり」の句がある。九三について言えば、九五に対して「承」とも「応」とも言えず、しかも自身は内卦の主爻で、もともと六四と併論すべきではない。

九五,大蹇朋來。本義 “大蹇”者,非常之蹇也。九五居尊,而有剛健中正之德,必有朋來而助之者。古者有是德,則有是助矣。集說 干氏寶曰:在險之中,而當無位,故曰“大蹇”。

経文:九五、大いなる蹇難に遭い、同志の朋が来たりて相助く。朱熹《周易本義》は言う:「大蹇」とは、尋常ならざる艱難である。九五は尊貴の君位に居り、また陽剛強健にして「中正」の徳性を具える。必ず志を同じくする者が来たり援助する。古にこのような徳行があれば、このような援助を得た。「集説」に干宝を引く:九五は坎険の中に身を置き、この時まさに君徳が一時に施展できず、依り凭く位がないに等しい。だから「大蹇」と称する。

《朱子語類》:問:《蹇》九五何故為“大蹇”?曰:五是為蹇主。凡人臣之蹇,只是一事,至大蹇須人主當之。又問:大“蹇朋來”之義:曰:處九五尊位,而居蹇之中,所以為“大蹇”,所謂遺大投艱於朕身。人君當此,則須屈群策,用群力,乃可濟也。胡氏炳文曰:諸爻皆以“往”為蹇,聖人又慮天下皆不往,蹇無由出矣。二五君臣復不住,誰當往乎?是以於二曰“蹇蹇”,於五曰“大蹇”。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。《蹇》卦の九五はなぜ「大蹇」と言うのか。朱熹は答える:九五は全卦の蹇難の係る主爻である。およそ臣子の遭う蹇難は、一つ二つの事にすぎない。挙国の大蹇難に至っては、必ず君主が一身で担当せねばならない。その人がまた「大蹇朋来」とは何の意味かと問うた。朱熹は答える:九五の尊位に身を処しながら、またまさに蹇難の中に陥っている。だから「大蹇」と称する。すなわち《尚書・大誥》の言う「天下の大難の重荷を我が一身に投じる」である。人君がこのような局面に遭えば、必ず己を屈して衆人の謀略を聴き、衆人の力を借用して、初めて難関を渡れる。集説はまた胡炳文を引く:《蹇》卦の各爻はみな「往」を蹇難とするが、聖人はまた天下人がこぞって往くことを肯じず、蹇難が永遠に解脱の日なきことを慮る。九二と九五は君臣の二爻で、もし彼らまでも止まり動かなければ、いったい誰が身を挺して前に進むべきか。だから九二に「蹇蹇」と言い、九五に「大蹇」と言う。

案 二五獨無“往”“來”之義,蓋君臣相與濟蹇者,其責不得辭,而於義無所避。猶之《遯》卦諸爻皆“遯”,六二獨以應五,而固其不遯之志也。胡氏之說得之。凡《易》之應,莫重於二五,故二之稱“王臣”者,指五也;五之稱“朋來”者,指二也。如在下者占得五,則當念國事之艱難,而益致其匪躬之節。如在上者占得二,則當諒臣子之忠貞,而益廣其“朋來”之助。正如朱子說《乾》卦二五相為賓主之例也。推之《蒙》、《師》諸卦。無不皆然。

李光地の按:《蹇》卦の六爻のうち、ただ九二と九五だけが「往」「来」の説がない。君臣の二人は共に難を済す責を担うのであり、この責任は辞し得ず、道義の上でも避ける所がない。これは《遯》卦の六爻がみな退避を講じるのに、ただ六二のみが九五と応じるため、かえって退避せぬ心志を堅くしたのに似る。胡炳文の言は正しい。およそ《周易》が「応与」を講ずるに、二爻と五爻の相応ほど緊要なものはない。だから九二の爻辞は「王臣」と称し、指すはまさに九五である。九五の爻辞は「朋来」と称し、指すはまさに九二である。もし下位に身を居する者が九五の爻を占えば、国事の艱難を体念し、いっそう自身を顧みぬ忠節を尽くすべきである。もし上位に身を居する者が九二の爻を占えば、臣子の忠貞を体諒し、いっそう「朋来」の相助ける路子を広く開くべきである。これはまさに朱熹が《乾》卦の九二と九五が互いに賓主となる体例を講じた通りである。この理を《蒙》卦《師》卦などに推せば、いずれもみなこのようである。

上六,往蹇來碩,吉,利見大人。本義 己在卦極,往無所之,益以蹇耳。來就九五,與之濟蹇,則有碩大之功。“大人”,指九五。曉占者宜如是也。程傳 六以陰柔居《蹇》之極,冒極險而往,所以蹇也。不往而來,從五求三,得剛陽之助,是以“碩”也。蹇之道,阨塞窮蹙。“碩”,大也,寬裕之稱。來則寬大,其蹇紓矣。《蹇》之極有出蹇之道,上六以陰柔,故不得出。得剛陽之助,可以紓蹇而已。

経文:上六、往けば蹇難、退き戻れば碩大の功あり、吉、大人を見るに宜し。朱熹《周易本義》は言う:上六はすでに全卦の頂点に処し、さらに前に進んでも往く所がなく、ただ蹇難を増すのみである。退き戻って九五に親附し、九五と共に蹇難を解除すれば、碩大の功業を成す。爻辞の「大人」は九五を指す。これは占卦の人がこのようにすべきを告げるものである。程頤《伊川易伝》は言う:上六は陰柔の質をもって《蹇》卦の極点に処し、もしなお極険を冒して前に闖めば、それは自ら蹇難を取ることになる。前に往かず退き戻って、上は九五を承け、下は九三を求め、陽剛の援助を得る。だから「碩」と称する。蹇難の情状は閉塞窘迫であり、「碩」は大で、寛绰して余裕あるの意である。退き戻れば寛舒に転じ、蹇難もまた纾解する。《蹇》卦は極点に至り本来蹇難を出る機があるが、ただ上六は陰柔無力で、真に出ることはできず、陽剛の援助によって蹇難をやや纾解するのみである。

在《蹇》極之時,得紓則為“吉”矣。非剛陽中正,豈能出乎蹇也?“利見大人”,《蹇》極之時,見大德之人,則能有濟於蹇也。“大人”,謂五,以相比發此義,五剛陽中正而居君位,大人也。在五不言具濟蹇之功,而上六利見之,何也?曰,在五不言,以其居坎險之中,無剛陽之助,故無能濟蹇之義。在上六蹇極,而見大德之人則能濟於蹇,故為利也。

程頤は続けて言う:蹇難が極点に至った時、纾解を得られればすなわち「吉」である。陽剛にして「中正」の人でなければ、どうして真に蹇難を出られようか。いわゆる「大人を見るに利あり」とは、蹇難の極まる時に大徳の人を見れば、蹇難の解除に補益あることを言う。「大人」は九五を指し、これは上六と九五が隣り合い親しむという一層に就いて発揮したものである。九五は陽剛「中正」にして君位に居り、まさに大人である。ある人が問う:なぜ九五の爻には済蹇の功があると言わず、かえって上六に「利見」すると言うのか。答えて曰く:九五の爻に済蹇の功を言わないのは、それが坎険の中に身を陥れ、また陽剛の爻の援助もなく、済蹇できるとは言えないからである。上六は蹇難の尽きる所に処し、大徳の人を見れば済蹇に助益あるので、上六にとっては「利」なのである。

各爻取義不同,如《屯》初九之志正,而於六二則目之為寇也。諸爻皆不言“吉”,上獨言“吉”者,諸爻皆得正,各有所善。然皆未能出於蹇,故末足為吉。唯上處蹇極 集說 《朱子語類》云:諸爻皆不言“吉”,蓋未離乎蹇中也。至上六“往蹇來碩吉”,卻是《蹇》極有可濟之理。項氏安世曰:上六本無所往,特以不來為“往”耳。初六本無所來,特以不往為“來”耳。

程頤はまた言う:各爻の取義はそれぞれ同じではない。たとえば《屯》卦の初九はもともと志向端正であるが、六二の立場に立てばこれを寇仇と見る。《蹇》卦の諸爻はみな「吉」と言わず、ただ上六のみ「吉」と言う。諸爻はみな「当位」して正を得、各々その善き所があるが、いずれもまだ蹇難を出ていないので、吉と称するに足らない。ただ上六のみ蹇難の極点に処し――ここで底本に脱文があり、程頤の言は尽きず、以下はすぐ「集説」に接する。集説に《朱子語類》を引く:諸爻がみな「吉」と言わないのは、いずれもまだ蹇難の中を脱していないからである。上六の「往蹇来碩吉」に至って初めて、蹇難極まりて済渡し得べき理がある。集説はまた項安世を引く:上六はもともと往く所がなく、ただ「来たらぬ」を「往」と称したのみである。初六はもともと来る所がなく、ただ「往かぬ」を「来」と称したのみである。

案 《易》卦上與五雖相比,然無隨從之義者,位在其上,故於象如事外之人,不與二三四同也。唯有時取尚賢之義,則必六五遇上九乃可,《大有》、《大畜》、《頤》、《鼎》之類是也。然《隨》以九五遇上六,亦取下賢之義,則以卦義剛來下柔故耳。至於以上六遇九五,吉者絕少,而凶吝者多。蓋以漸染於陰,為剛中正之累,《大過》、《咸》、《夬》、《兌》之類是也。唯是卦有“利見大人”之文,而以九五為義者,則上六與五相近,可以反而相從,《訟》、《巽》之彖,以九五為“大人”矣。而上九以剛遇剛,則不相從也。

李光地の按:《周易》の各卦において、上爻と五爻は位置が緊隣するが、通常は追随順従の意がない。上爻は五爻の上にあるので、卦象から見れば事外に身を置く人に等しく、二・三・四爻の地位と異なるからである。ただ「尚賢」の義を取る時のみ例外であり、かつ必ず六五が上九に遇うのでなければならない。《大有》《大畜》《頤》《鼎》の類がそうである。《随》卦は九五が上六に遇うが、これも礼賢下士の義を取る。それは当該卦の卦義がもともと陽剛が陰柔に下就する故である。もし上六が九五に遇うに換えれば、吉は極めて少なく、凶咎悔吝が多い。九五が陰柔の気に漸く染まり、かえって陽剛「中正」の徳の拖累となるからである。《大過》《咸》《夬》《兌》の類がそうである。ただ卦辞の中に「大人を見るに利あり」の語を帯び、かつ九五をもってこの「大人」に当てるもののみ、上六は九五と近く、頭を掉いでこれに追随できる。《訟》卦《巽》卦の《彖辞》はいずれも九五を「大人」とするが、それらの上爻は上九で、陽剛が陽剛に遇うので、相従を論ずるに及ばない。

升彖亦言“用見大人”矣,而卦無九五,故言用見以別之。獨《蹇》、《萃》之彖,以九五為“大人”,而遇之者上六也。以柔遇剛,則有相從之義,故《萃》則“齎諮”,求萃於五而“無咎”:《蹇》則來就於五而得“吉”。《蹇》之上優於《萃》者,聚極則散,難極則解也。《乾》卦二五而外,爻辭言“利見大人”者,唯此而已。

《升》卦の《彖辞》もまた「用いて大人を見る」と講ずるが、当該卦の五爻は六五であって九五ではない。だから特に「用見」と書いて区別を示す。ただ《蹇》卦と《萃》卦の《彖辞》のみ、九五を「大人」とし、この大人に相遇うのはまさに上六である。陰柔が陽剛に遇えば、相随相従の理がある。だから《萃》卦の上六は「齎咨涕洟」して、九五に帰聚せんと求めて「咎なし」を得、《蹇》卦の上六は退き戻って九五に親就して「吉」を得る。《蹇》卦の上六は《萃》卦の上六より良い。聚まること極まれば離散し、難極まればまさに消解せんとするからである。《乾》卦の九二・九五を除けば、六爻の爻辞に「大人を見るに利あり」を講ずるのは、この二カ所のみである。

解卦・震上坎下

解.震上坎下程傳 《解序卦》:“蹇者難也,物不可以終難,故受之以解。”物無終難之理,難極則必散。《解》者散也,所以次《蹇》也。為卦震上坎下,震,動也,坎,險也,動於險外,出乎險也,故為患難解散之象。又震為雷,坎為雨,雷雨之作,蓋陰陽交感,和暢而緩散,故為平《易》。解者,天下患難解散之時也。

卦画の標注:《解》卦は、上卦が震、下卦が坎。程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に《解》卦が《蹇》卦に承くことを講じて「蹇とは艱難であり、事物は永遠に艱難に困ることはできないので、続いて《解》卦を排する」とある。天下にずっと難が続く理はなく、難極まれば必ず消散する。「解」とは消散である。だから《解》卦は《蹇》卦の後に排された。卦体から言えば、上卦は震、下卦は坎。震は動、坎は険で、険陥の外に動くは、まさに険境を出ることなので、患難の解除消散の象である。さらに震は雷、坎は雨で、雷雨が起これば、陰陽が交相感応し、気機が和暢して舒緩に散開するので、平和安易の意味がある。いわゆる「解」とは、まさに天下の患難が消散し散去する時である。

解,利西南,無所往,其來復吉,有攸往,夙吉。本義 “解”,難之散也。後險能動,則出於險之外矣,解之象也。難之既解,利於平易安靜,不欲久為煩擾。且其卦自《升》來,三往居四,人於坤體,二居其所而又得中,故利於西南平易之地。若“無所往”,則宜來復其所而安靜。若尚有所往,則宜早往早復,不可久煩擾也。

卦辞:《解》、西南に利あり。往く所なければ、本処に帰れば吉。なお成すべき事あれば、早めに往けば吉。朱熹《周易本義》は言う:「解」は艱難の消散である。険陥の後に処してなお行動できれば、険陥の外に出たのであり、まさに解散の象である。艱難がすでに解除された以上、平和安静が宜しく、長く擾攘して事を起こすことを欲しない。さらにこの卦は「卦変」によれば《升》卦から変じたもので、《升》の九三が上に往きて四位を占め、上卦の坤体に入り、九二はもとの所を守ってまた「中」に居る。だから西南という平坦安易の地に利あり――後天八卦によれば、西南はまさに坤位である。もし「往く所な」ければ、本位に退き戻って安静にすべきである。もしなお往くべき事があれば、早く往き早く帰るべきで、長く擾攘してはならない。

程傳 “西南”,坤方。坤之體,廣大平易。當天下之難方解,人始離艱苦,不可復以煩苛嚴急治之,當濟以寬大簡《易》,乃其宜也。如是則人心懷而安之,故利於西南也。湯除桀之虐而以寬治,武王誅紂之暴而反商政,皆從寬易也。

程頤《伊川易伝》は言う:「西南」は坤卦の在る方位で、坤の体性は広大にして平坦安易である。まさに天下の患難が初めて解除され、人々が艱苦を脱したばかりの時、再び繁苛厳急の手段をもって治めてはならない。寛大簡易をもって調剤すべきで、これが合宜である。こうすれば人心は帰附して安定する。だから「西南に利あり」と言う。商湯が夏桀の暴虐を除いた後に寛緩の政に改め、周武王が商紂の残虐を誅滅した後に商朝の苛政を反転させたのは、いずれも寛和平易の路を行ったのである。

“無所往,其來復吉,有攸往,夙吉”,“無所往”,謂天下之難已解散,無所為也。“有攸往”,謂尚有所當解之事也。夫天下國家,必紀綱法度廢亂,而後禍患生。聖人既解其難,而安平無事矣,是“無所往”也。則當修復治道,正紀綱,明法度,進復先代明工之治,是“來復”也。謂反理正也,天下之“吉”也。

程頤は卦辞の「往く所なく、その来復すれば吉、往く所有らば、夙なれば吉」を解して言う:いわゆる「往く所なし」とは、天下の患難がすでに解散し、なさねばならぬ大事がないことを言う。いわゆる「往く所有り」とは、なお解決すべき事が残っていることを言う。天下国家は常にまず綱紀法度の廃弛紊乱があり、そうして後に禍患が生じる。聖人がすでにこの患難を解除し、局面が安定して事なければ、これが「往く所なし」の処境である。この時まさに治国の道を修整回復し、綱紀を端正し、法度を申明し、再び前代の明王のような治世に推進すべきである。これを「来復」と言い、すなわち正理に帰ることであり、天下の「吉」である。

“其”,發語辭。自古聖王救難定亂,其始未暇遽為也。既安定,則為可久可繼之治。自漢以下,亂既除,則不復有為,姑隨時維持而已,故不能成善治,蓋不知來復之義也。“有攸往,夙吉”,謂尚有當解之事,則早為之乃吉也。當解而未盡者,不早去則將復盛。事之復生者,不早為則將漸大,故“夙”則“吉”也。

程頤は言う:卦辞の「其れ来復して吉」の「其」は句首の発語詞で、自体に実義はない。古来、聖王が難を救い乱を定める初めには、すぐに建制に着手する暇がない。局面が安定して後、初めて長久にして承継できる治理をなす。漢代以降は異なる。禍乱が除かれればもはや作為せず、ただ随時に勉めて維持するのみである。だから良好な治世を成せない。まさに「来復」の道理を知らぬからである。「往く所有らば、夙なれば吉」に至っては、なお解決すべき事があれば、早めに為すが吉ということである。解決すべきでまだ解決し尽くさぬものは、早く除かなければ将来また滋長する。すでに再び頭をもたげた事は、早く手を下さなければ将来徐々に大きくなる。だから「夙」――早める――が「吉」なのである。

集說 王氏弼曰:《解》之為義,解難而濟厄者也。以解來復則不失中,有難而往,則以速為吉也。無難則能復其中,有難則能濟其厄也。孔氏穎達曰:褚氏云,世有無事求功,故誡以無難宜靜,亦有待敗乃救,故誡以有難須速也。林氏栗曰:《蹇》止乎坎小,是以言“利西南,不利東北”。《解》動於險外,是以但言“西南”之“利”,不復言“東北”之小利也。

「集説」に王弼を引く:《解》卦の意義は、艱難を解除し困厄を救うことである。解散の道をもって本位に帰れば、「中」を失わない。艱難に遇って往きて処置すれば、迅速をもって吉とする。難なき時にはその「中」に回復でき、難ある時には困厄を救出できる。集説はまた孔頴達を引く:褚氏がかつて講じた。世には事なきにも事功を強求する人があるので、卦辞は難なき時は安静が宜しと戒める。また事が敗壊するまで待って初めて補救する人もあるので、卦辞は難ある時は必ず迅速たるべしと戒める。集説はまた林栗を引く:《蹇》卦は艮の止が坎険の下にあるので、《彖辞》は兼ねて「西南に利あり、東北に利なし」と言う。《解》卦は震の動が坎険の外にあるので、ただ「西南」の「利」を言うのみで、再び「東北」の一面に及ばない。

胡氏炳文曰:《解》之時,以平易為利,略有苛急即非利。以安靜為吉,久為煩擾即非吉。《本義》曰:若“無所往”,則宜來復其所而安靜,是以安靜為吉也。曰:若有 案 《解》之時,異於《蹇》之時,故其辭小異。然處解之道,猶然處蹇之道,故其意大同。言“利西南”,不言不利東北,是辭小異也。

集説はまた胡炳文を引く:《解》卦の時勢は、平和簡易をもって「利」とし、少しでも苛刻急迫を帯びれば利ではない。安定沈静をもって「吉」とし、長く擾攘すれば吉ではない。《本義》の「若し『往く所な』ければ、則ちその所に来復して安静にすべし」と講ずるは、まさに安静を吉とする。胡炳文は続けて「若有」――ここで底本に脱文があり、胡氏の言は尽きず、以下はすぐ李光地の按語に接する。李光地の按:《解》卦の時勢は《蹇》卦の時勢と異なるので、卦辞の措辞にやや差異がある。しかし解散の世に身を処する道理は、なお蹇難の世に身を処する道理と相通じるので、用意はおおよそ一致する。ただ「西南に利あり」を言い、「東北に利なし」を言わない。これが措辞上の小異である。

然“西南”者退後也,猶《蹇》所云“來”也。“東北”者前進也,猶《蹇》所謂“往”也。今無事則來,固以“西南”為“利”矣。有事雖可以往,而必以“夙”為“吉”,不可以往而忘返也,是猶不以東北為利,而終以“西南”為“利”也。其與處《蹇》之道,意大同矣。蓋國家無論有事無事,皆以退而自修為本。以爻義與卦相參,皆可見矣。

李光地は続けて言う:いわゆる「西南」は退後であり、《蹇》卦の言う「来」に相当する。いわゆる「東北」は前進であり、《蹇》卦の言う「往」に相当する。今、事なければ退き戻る。もともと「西南」をもって「利」とする。事あれば往くこともできるが、必ず早めるをもって「吉」とし、一往して帰るを忘れてはならない。これは依然として「東北」を有利とせず、終じて「西南」をもって「利」とするに等しい。それは《蹇》卦に身を処する道理と、用意がおおよそ一致する。要するに国家は事の有無にかかわらず、退き戻って自我を修整するを根本とする。六爻の爻義と卦辞を相互に参照すれば、この一層の意は至る所に見出せる。

初六,無咎。本義 難既解矣,以柔在下,上有正應,何“咎”之有?故其占如此。程傳 六居《解》初,患難既解之時,以柔居剛,以陰應陽,柔而能剛之義,既無患難,而自處得剛柔之宜。患難既解,安寧無事,唯自處得宜,則為“無咎”矣。方解之初,宜安靜以休息之。爻之辭寡,所以示意。

経文:初六、咎なし。朱熹《周易本義》は言う:患難がすでに解除され、初六はまた陰柔をもって最下に居り、上には九四がそれと「応与」して正応する。なんの咎があろうか。だからその占辞はこのように簡短である。程頤《伊川易伝》は言う:初六は《解》卦の初めに居り、まさに患難すでに解けた時である。陰柔の質をもって陽剛の位に居り、また陰爻をもって上は陽爻に応じ、柔中に剛あるの意を含む。患難なき上に、自分がまた剛柔得宜の位置に処し、患難すでに解け安寧無事である。ただ自処が合宜ならば、すなわち「咎なし」で、過ちはない。難が解けたばかりの時は、まさに安静にして人を休養生息させるが宜しい。この爻の爻辞がこのように少ないのは、まさに簡省をもってこの用意を顕すのである。

集說 郭氏雍曰:處《解》之初,得“無所往其來復吉”之義,故“無咎”也。胡氏炳文曰:《恆》九二“悔亡”,《大壯》九二“貞吉”,《解》初六“無咎”。三爻之占只二字,其言甚簡,象在爻中,不復言也。蔡氏清曰:初六以柔在下,則能安靜而不生事以自擾,何“咎”之有?案 彖“利西南”者,處後也。初應剛承剛而處其後,得卦義矣。義明故辭寡。

「集説」に郭雍を引く:初六は《解》卦の開端に処し、まさに卦辞の「往く所なく、その来復すれば吉」の意に合う。だから「咎なし」。集説はまた胡炳文を引く:《恒》卦の九二はただ「悔亡」を言い、《大壮》卦の九二はただ「貞吉」を言い、《解》卦の初六はただ「咎なし」を言う。この三爻の占辞はいずれも二字のみで、措辞は極めて簡省である。卦象がすでに爻位の中に含まれるので、再び言うに及ばない。集説はまた蔡清を引く:初六は陰柔をもって最下に居り、よく安々として事端を生じて自ら面倒を求めない。なんの咎があろうか。李光地の按:卦辞は「西南に利あり」と言い、退後の一辺に処することを講ずる。初六は上は九四の剛に応じ、上は九二の剛を承け、自らはその後ろに安処する。まさに卦義に合う。義理はすでに明白なので、爻辞がこのように少ないのである。

九二,田獲三狐,得黃矢,貞吉。本義 此爻取象之意未詳,或曰:卦凡四陰,除六五君位,餘三陰,即“三狐”之象也。大抵此爻為卜田之吉占,亦為去邪媚而得中直之象,能守其正,則無不吉矣。

経文:九二、田猟して三匹の狐を獲、黄色の矢を得、正を守れば吉。朱熹《周易本義》は言う:この爻の取象の用意ははっきりしない。ある人は言う:《解》卦には合計四つの陰爻があり、六五という君位を除けば、その余の三つの陰爻がすなわち「三狐」の象である。おおよそこの爻は田猟を占問する吉利の「占辞」であると同時に、邪佞諂媚の人を除去して中正正直を獲得する卦象でもある。自己の正道を守り得れば、吉利でないことはない。

程傳 九二以陽剛得中之才,上應六五之君,用於時者也。天下小人常眾,剛明之君在上,則明足以照之,威足以懼之,剛足以斷之,故小人不敢用其情。然猶常存警戒,慮其有間而害正也。六五以陰柔居尊位,其明易蔽,其威易犯,其斷不果而易惑。小人一近之,則移其心矣。況難方解而治之初,其變尚易。二既當用,必須能去小人,則可以正君心,而行其剛中之道。

程頤《伊川易伝》は言う:九二は陽剛にして「中」を得た才幹を具え、上は六五の君に応じ、まさに時局に任用される人である。天下の小人は従来より衆多で、もし剛健明察の君主が上にあれば、明は彼らを照見するに足り、威は彼らを震懾するに足り、剛は彼らを裁断するに足り、小人は自己の心機を施展できない。それでもなお常に警戒を存し、彼らが隙を窺って正人に危害を加えるを防がねばならない。まして六五は陰柔の質をもって尊位に居り、その明察は蒙蔽され易く、その威厳は冒犯され易く、その裁断は果決せず迷惑され易い。小人がいったん近づけば、その心志を動かす。ましてまさに患難が初めて解け、治理が始まったばかりの時、局面はなお反復し易い。九二はこの重任に当たる以上、必ず小人を除去できねばならない。こうして初めて君心を端正し、自己の剛健守中の正道を推行できる。

“田”者去害之事,“狐”者邪媚之獸。“三狐”,指卦之三陰,時之小人也。“獲”,謂能變化除去之,如田之獲狐也。獲之則得中直之道,乃“貞”正而“吉”也。“黃”,中色。“矢”,直物。“黃矢”,謂中直也。群邪不去,君心一人,則中直之道,無由行矣。桓敬之不去武三思是也。

程頤は続けて逐字解する:「田」は田猟で、害を除く事に属する。「狐」は邪佞諂媚の類の野獣である。「三狐」は全卦の三つの陰爻を指し、すなわち当時の小人である。「獲」は彼らを転化し除去できると言い、田猟して狐を捕獲するに等しい。捕獲すれば、中正正直の道を得、ここに「貞」正にして「吉」である。「黄」は五色の中の中央に属する色、「矢」は笔直の物である。だから「黄矢」はすなわち中正正直である。群邪を除かなければ、君主の心思がいったんこの一味に牽いられれば、中正正直の道を推行する由がない。唐代の桓彦範・敬暉が武三思を除けなかったのは、このような例である。

集說 楊氏萬里曰:當《解》之時,此爻欲其獲狐,三戒其致寇,四欲其解“拇”,五欲其退“小人”,六慾其“射隼”。一卦六爻,而去“小人”之象居其五。然則召天下多難者誰乎,人君亦何利於天下之多難,而樂於近小人以疏君子哉!王氏應麟曰:世之治也,君子以直勝小人之邪。《易》曰:“田獲三狐得黃矢”,世之亂也。小人以狡勝君於之介,《詩》曰:“有兔爰爰,雉離於羅。”

「集説」に楊万里を引く:まさに《解》卦の時節にあって、九二の爻はそれに狐を捕獲させ、六三は寇盗を招くを戒め、九四は「拇」を解かせ、六五は小人を退かせ、上六は鷙隼を射落とさせる。全卦六爻にして、小人を除去する爻象が五爻を占める。それでは天下の多難を招いたのはいったい誰か。人君はまた何を天下の多難から得て、小人に親しみ君子を疏んずるを楽しむのか!集説はまた王応麟を引く:世道が太平の時は、君子は正直をもって小人の邪佞に勝る。だから《周易》は「田に三狐を獲、黄矢を得」と言う。世道が昏乱の時は、小人は狡詐をもって君子の耿介に勝る。だから《詩経・王風・兎爰》は「狡兎は从容自在にして、野雉はかえって羅網に落つ」と言う。

六三,負且乘,致寇至,貞吝。本義 《繫辭》備矣。“貞吝”,言雖以正得之,亦可羞也。唯避而去之,為可免耳。程傳 六三陰柔居下之上,處非其位,猶小人宜在下以負荷。而且乘車,非其據也,必致寇奪之至。雖使所為得正,亦可鄙吝也。小人而竊盛位,雖勉為正事,而氣質卑下。

経文:六三、貨物を背負いながらまた車に乗る。強盗を招く。正を守るも羞吝あり。朱熹《周易本義》は言う:この爻の道理は、孔子が《繫辞伝》ですでに詳しく講じている。いわゆる「貞吝」とは、たとえ正道をもって得たとしても、なお羞ずべきであり、ただ避け退いてこそ禍を免れられる。程頤《伊川易伝》は言う:六三は陰柔の質をもって下卦の最上爻に居り、処する所はそれが占むべき位置ではない。小人はもともと下で物を背負うべきなのに、今車に乗っているようなものである。この位はそれが凭じ得る所ではなく、必ず強盗の劫奪を招く。たとえその所作為がみな正道に合っても、なお鄙吝羞ずべきである。小人が顕要の位置を窃據すれば、力を尽くして正经の事を為しても、気質は結局卑下である。

本非在上之物,終可“吝”也。若能大正則如何?曰:大正非陰柔所能也,若能之,則是化為君子矣。三陰柔小人,宜在下而反處下之上,猶小人宜負而反乘,當致寇奪也。難解之時,而小人竊位,復致寇矣。

程頤は続けて言う:それはもともと上位に居るべき材料ではなく、結局「吝」の字に落ちる。ある人が問う:もし大いに方々正正たる純正ができたなら、どう言うべきか。答えて曰く:大正は陰柔の質のできることではない。もし真にできたなら、それはすでに君子に化したのである。六三は陰柔の小人で、もともと下に留まるべきなのに、かえって下卦の頂端に処する。小人がもともと背負すべきなのにかえって車に乗るようなもので、当然に強盗の劫奪を招く。患難が初めて解けた時、小人がまた位を窃據すれば、ここにまた寇盗を招くのである。

集說 孔氏穎達曰:“乘”者君子之器也,“負”者小人之事也。施之於人,即在車騎之上而負物也。故寇盜知其非己所有,於是競欲奪之。胡氏瑗曰:六三以不正之質,居至貴之地,是小人在君子之位也,故致寇盜之至。為害於己而奪取之,然而小人得在高位者,蓋在上之人,慢其名器,不辨賢否而與之,以至為眾人所奪而致寇戎之害也。

「集説」に孔頴達を引く:「乗」車は君子の用いる器物で、「負」荷は小人のする仕事である。この二つの事を一人の身上に湊えれば、車馬の上に坐りながらなお貨物を背負う怪しげな姿となる。だから強盗はひと目でこれらの物が彼自身の持つべきものでないと知り、争って奪いに来る。集説はまた胡瑗を引く:六三は端正ならぬ資質をもって、極めて尊貴の地位を占める。これは小人が君子の位に坐るので、盗寇を招く。盗寇は彼に加害しその物を奪う。しかし小人が高位に攀り登れたのは、上位の者が朝廷の名号器用を軽慢し、賢と不肖を分かたず手当たり次第に人に授けたためで、衆人に奪われ兵寇の禍を招くに至ったのである。

案 《繫辭傳》釋此爻云:“盜斯奪之”者,奪負乘之人也。又云“盜斯伐之”者,非伐負乘之人,乃伐上慢下暴之國家也。蓋上褻其名器,則是上慢,如“慢藏”之“誨盜”。下肆其貪竊,則是下暴,如“冶容”之“誨淫”。大是以賊民興而國家受其害,難又將何時而解乎?

李光地の按:《繫辞伝》がこの爻を解して言う「盗これを奪う」とは、奪われるのはあの貨を背負い車に乗る人である。また「盗これを伐つ」と言うが、討伐されるのはあの負乗の人ではなく、上が軽慢し下が横暴な国家全体である。上位者が朝廷の名号器用を軽褻するが「上慢」であり、《繫辞伝》の言う「蔵するに随便ならば、人を教えて偷ましむるに等しい」に等しい。下位者が放肆に貪求窃取するが「下暴」であり、《繫辞伝》の言う「打扮して妖冶ならば、人を教えて淫ならしむるに等しい」に等しい。ここに百姓を残害する乱賊が興り、国家がその禍を蒙る。患難はまたいつの日か解けようか。

九四,解而拇,朋至斯孚。本義 “拇”,指初。初與四皆不得其位而相應,應之不以正者也。然四陽初陰,其類不同,若能解而去之,則君子之朋至而相信矣。程傳 九四以陽剛之才居上位,承六五之君,大臣也。而下與初六之陰為應,“拇”,在下而微者,謂初也。居上位而親小人,則賢人正士遠退矣。斥去小人,則君子之黨進而誠相得也。四能解去初六之陰柔,則陽剛君子之朋來至而誠合矣。不解去小人,則己之誠未至,安能得人之乎也。初六其應,故謂遠之為解。

経文:九四、お前の足の拇指を解け。同志の朋が来たれば誠信あり。朱熹《周易本義》は言う:「拇」は初六を指す。初六と九四はいずれも「当位」せずして互いに応じる。これは不正当の方式で応じることである。しかし九四は陽、初六は陰で、両者は同類ではない。もし九四がこの一層の牽連を解きこれを去れば、君子の同類が来たりて互いに信を取る。程頤《伊川易伝》は言う:九四は陽剛の才幹をもって上位に居り、上は六五の君を承け、大臣の地位であるが、下においてまた初六の陰に応じる。「拇」は位置が最も下で最も細微の部分で、指すは初六である。上位に身を居して小人に親しめば、賢人正士はみな遠く退き去る。小人を斥退してこそ、君子の一党が進用されて互いに誠心を得合う。九四が初六という陰柔の牽掛を解き得れば、陽剛の君子の朋が来たりて誠意相合する。小人を解かなければ、自己の誠意が到底せず、どうして人の誠意を得られようか。初六はもともと九四の正応なので、それを疏遠するを「解」と称する。

集說 劉氏牧曰:“拇”,謂初也。居下體之下而應於己,故曰“拇”。何氏楷曰:《解》,去小人之卦也。卦唯二四兩陽爻,皆任解之責者。“而”,汝也。“拇”,足大指也。九四居近君之位,苟暱近比之小人而不解,則君子之朋雖至,被必肆其離間之術矣。

「集説」に劉牧を引く:「拇」は初六を指す。それは下卦の最下爻に居りて九四と応じる。だから「拇」と言う。集説はまた何楷を引く:《解》卦は小人を除去する卦である。全卦に九二・九四の二つの陽爻のみがあり、いずれも難を解き悪を除く責任を担う。爻辞の「而」はすなわち「お前」で、「拇」は足の大拇指である。九四は君主に接近する位置に処し、もし昵近して身辺の小人に貼り着いて解くを肯じなければ、君子の類の人が到来しても、小人は必ず彼らの離間の手段を放ち施展する。

六五,君子維有解,吉,有孚于小人。本義 卦凡四陰,而六五當君位,與三陰同類者,必解而去之則“言”也。“孚”,驗也。君子有解,以小人之退為驗也。程傳 六五居尊位,為《解》之主,人君之解也。以君子通言之,君子所親比者,

経文:六五、君子はただ小人を解散してこそ吉、しかも小人の身上に験証を得る。朱熹《周易本義》は言う:《解》卦には合計四つの陰爻があり、六五は君位を占め、その余の三つの陰爻ともとは同類である。必ずそれらを解き除かねばならない――底本はここに「則言也」と作り、「言」の字は「吉」の字の訛りであろう。「孚」は験証である。君子が解除する所あれば、小人の退去をもって験証とする。程頤《伊川易伝》は言う:六五は尊位に居り、《解》卦の主爻で、人君の難を解くことを講ずる。もし通じて君子について言えば、君子の親しむ所の人――ここで底本に脱文があり、程頤の言は尽きず、以下はすぐ「集説」に接する。

集說 鄭氏汝諧曰:益之戒曰:任賢勿貳,去邪勿疑。如使世之小人,皆信上之所用者必君子,而所解者必小人,則必改心易慮,不復有投隙抵巇之望。唯未孚于小人,此小人所以猶有覬倖之心也。五,《解》之主也。以其陰柔,故有戒意。

「集説」に鄭汝諧を引く:《尚書・大禹謨》に益の告戒は「賢人を任ずるに二心する勿れ、邪佞を除くに猶疑する勿れ」とある。もし世の小人が上の者の任用する所は必ず君子で、解除する所は必ず小人と信ずれば、彼らは必ず心思を改め打算を変更し、再び隙を窺い縫を求めるを望まない。まだ小人の身上に信を取り得ていないがゆえに、小人はなお僥倖の心を存する。六五は《解》卦の主爻で、資質が陰柔なので、爻辞の中に告戒の意味を含む。

胡氏炳文曰:卦唯四五言“解”,四能解“小人”,可以來“君子”。五能解“小人”,亦可驗其能為君子。案 鄭氏說“有孚于小人”,與《傳》義異,而其理尤精。蓋“朋至斯孚”者,君子信之也。“有孚于小人”者,小人亦信之也。君子信,故樂於為善。小人信,故化而不為惡。往往國家有舉措,而小人未革心者,未信之也。信則枉者直,而不仁者遠矣。

集説はまた胡炳文を引く:全卦に九四・六五の二爻のみ「解」を講ずる。九四が小人を解き去れば、君子を招来できる。六五が小人を解き去れば、それが確かに君子たり得るを験証できる。李光地の按:鄭汝諧の「小人に孚あり」は、《伊川易伝》《本義》の解釈と異なり、道理はいっそう精到である。「朋至り斯く孚あり」は君子が上の者を信ずることで、「小人に孚あり」は小人までもが上の者を信ずることである。君子が信ずれば善に楽しみ、小人が信ずれば感化を受けて再び悪を為さない。国家は常に举措する所があるが、小人が洗心革面を肯じないのは、まさに彼らに信を取り得ていないからである。信を取れば、曲がったものは自ずから直くなり、不仁は自ずから遠く去る。

上六,公用射隼于高墉之上,獲之,無不利。本義 《繫辭》備矣。程傳 上六尊高之地,而非君位,故曰“公”,但據《解》終而言也。“隼”,鷙害之物,象為害之小人。“墉”,牆,內外之限也。害若在內,則是未解之時也。若出墉外,則是無害矣。復何所解,故在墉上,離乎內而未去也。云“高”,見防限之嚴而未去者。

経文:上六、王公が高墻の上にあってあの鷙隼を射、一箭で擒獲す。利なからざるなし。朱熹《周易本義》は言う:この爻の意は孔子が《繫辞伝》ですでに詳しく講じている。程頤《伊川易伝》は言う:上六は尊貴高遠の地位に処するが、君位ではない。だから「公」と称する。これはただ《解》卦が終わるという一層に就いて言うのみである。「隼」は凶猛にして人を害する禽鳥で、害を為す小人を象徴する。「墉」は墻で、内外の分界である。禍害がなお墻の内にあれば、それはまだ解けていない時である。すでに墻の外に出れば、妨害もなく、再び解くに及ばない。だからそれが墻頭の上にいると言うのは、すでに内部を離れたがなお去っていないことである。特に「高」の一字を言うのは、防守界限の厳しさを見せるが、それはなお去っていない。

“上”,《解》之極也。《解》極之時,而獨有末解者,乃害之堅強者也。上居《解》極,《解》道已至,器已成也,故能射而獲之。既獲之,則天下之患,解已盡矣,何所不利?夫子於《繫辭》復伸其義曰:“隼者禽也,弓矢者器也,射之者人也。君子藏器於身,待時而動,何不利之有。動而不括,是以出而有獲,語成器而動者也。”

程頤は続けて言う:「上」は《解》卦の極点である。解くこと極まって、なお単に解き残したものがあれば、それは必ず禍害の中で最も頑固強悍の一つである。上六は《解》卦の極点に処し、難を解く道はすでに到家し、用いる器械もすでに備え成っている。だから一箭で射中て擒獲できる。すでに擒獲した以上、天下の禍患もまた解けて乾淨であり、なんの利なからざるがあろうか。孔子は《繫辞伝》でまたこの一層の意を申し述べた:「隼は禽鳥、弓矢は器械、それを射るは人である。君子は器械を自己の身に蔵し、時機を待って後に動く。なんの利なからざるがあろうか。動けば阻碍なく、だから出手すれば擒獲する所有る。これは器械すでに成って後に動く人を言うのである。」

鷙害之物在墉上,苟無其器,與不待時而發,則安能獲之,所以解之之道,器也。事之當解,與已解之之道至者時也。如是而動,故無括結,發而無不利矣。括結,謂阻礙。聖人於此,發明藏器待時之義,夫行一身至於天下之事,苟無其器,與不以時而動,小則括塞,大則喪敗。自古喜有為而無成功,或顛覆者,皆由是也。

程頤は言う:凶猛にして人を害する物が墻頭に留まっている。もしあの器械がなければ、あるいは時機を待たずに箭を発すれば、どうしてそれを射中てられようか。だから、禍害を解除するのに恃む手段がすなわち「器」であり、事が解くべきでかつ解除の道がすでに到位するがすなわち「時」である。こうして初めて行動し、だから阻碍なく、一たび発せば順ならざるはない。いわゆる「括結」とは、すなわち阻碍である。聖人はここに「器を蔵し時を待つ」の道理を闡発する。自己一身の事を為すにも天下の事を為すにも、もしあの器械がなければ、あるいは時機に按せず行動すれば、小なれば処処窒塞し、大なれば身を喪い事を敗る。古来、作為を好みてついに成就なく、甚だしきは傾覆に弄到した者は、みなこれより来る。

集說 沈氏該曰:“隼”之為物,果於悖害者也。“墉”,所以衛內而限外也。害在內,小人在君側也。出乎墉之外,則非射之所能及。“高墉之上”,在內外之間,據衛限之勢,於此而射之,則擬而後動,動而不括,“獲之無不利”矣。在外卦之上,射於高墉之象也。

「集説」に沈該を引く:「隼」という禽鳥は、果決に悖逆害人の事を為すものである。「墉」は内を衛護し外を隔てるに用いる。禍害が墻の内にあれば、小人が君主の身辺に留まっていることである。いったん墻の外に出れば、弓箭の射る所ではない。「高墉の上」はまさに内外の間にあり、衛護と分界の形勢を占め、ここにそれを射れば、すなわち先に瞄准して後に発動し、一動すれば阻碍なし。だから「これを獲、利なからざるなし」。上六は外卦の頂端に居り、まさに高墻の上に箭を放つ卦象である。

鄭氏汝諧曰:所謂“公”者,非上六也。言公於此爻,當用射隼之道也。“隼”,指上之陰而言也。“墉”,指上之位而言也。王氏申子曰:“隼”指上,以其柔邪謂之狐,以其陰鷙謂之“隼”。上以陰柔處震之極,而居一卦之上,是陰鷙而居高者。《解》之既極,尚何俟乎,故“獲之無不利”。

集説はまた鄭汝諧を引く:爻辞の言う「公」は上六自身ではなく、王公がこの爻に対面して、隼を射る方法を採用すべきを言う。「隼」は上六という陰爻に就いて言い、「墉」は上六の処する高位に就いて言う。集説はまた王申子を引く:「隼」はまさに上六を指す。それを柔媚邪佞の一面から見れば「狐」と言い、陰沈凶猛の一面から見れば「隼」と言う。上六は陰柔の質をもって震体の極点に処し、また全卦の最上に居り、まさに陰沈凶猛にして高所を占めるものである。《解》卦はすでに尽きる所に至った。なにを待とうか。だから「これを獲、利なからざるなし」。

案 此言“公用”,乃《隨》上《離》上“王用”之例,皆非以本爻之位當王公也,鄭氏王氏之說似可從。或以解終言之,而不指隼之為誰,亦可。蓋“狐”者,邪而穴於城社,在內之奸也。“隼”者,鷙而翔於坰野,化外之悍也。自二至五,所以解內難者 總論 徐氏幾曰:下三爻不言解,上三爻言解,所謂動而免乎險也。

李光地の按:ここに「公用」と言うは、《随》卦の上爻、《離》卦の上爻に「王用」と言うと同一体例で、いずれも本爻の爻位をもって王公に充てるのではない。鄭汝諧・王申子の解釈は採信できるようである。ある人はただ《解》卦が終わるという一層の意に就いて言い、隼がいったい誰かを指明しない。この講じ方もできる。おおよそ「狐」は邪媚にして城墻社廟の中に身を蔵するもので、内部の奸佞に属する。「隼」は凶猛にして郊野の外に盘旋するもので、教化の外の強悍の徒に属する。九二から六五に至り、内部の難を解除するに用いる――ここで底本に脱文があり、李光地の按語は尽きず、以下は「総論」に接する。総論に徐几を引く:《解》卦の下三爻はみな「解」を言わず、上三爻に至って初めて「解」を言う。これはまさに《彖伝》のいわゆる「動いて険を免る」の意に合う。

損卦・艮上兌下

損.艮上.兌下程傳 《損序卦》:“解者緩也,緩必有所失,故受之以損。”縱緩則必有所失,失則損也,《損》所以繼《解》也。為卦艮上兌下,山體高,澤體深,下深則上益高,為損下益上之義。又澤在山下,其氣上通,潤及草木百物,是損下而益上也。又下為兌說,三爻皆上應,是說以奉上,亦損下益上之義。又下兌之成兌,由六三之變也,上艮之成艮,自上九之變也,三本剛而成柔,上本柔而成剛,亦損下益上之義。

卦画の標注:《損》卦は、上卦が艮、下卦が兌。程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に《損》卦が《解》卦に承くことを講じて「解とは舒緩であり、舒緩すれば必ず失う所有る。故に続いて《損》卦を排す」とある。放任して松緩すれば必ず失う所があり、失あるはすなわち損である。だから《損》卦は《解》卦の後に接ぐ。卦体から言えば、上卦は艮、下卦は兌。山の形体は高く聳え、沢の形体は深く陥る。下を掘るほど深くすれば、上はますます高く見える。これが下を減損して上を増益する意である。さらに沢が山の下にあり、沢気は上に向かい流通し、草木百物を潤沢す。これも下を減損して上を増益である。さらに下卦の兌は喜説で、三つの爻がみな上に向かい応じる。これは喜悅の心をもって上位に奉承し、同じく損下益上である。さらに下体が兌となる所以は、六三の爻が変じて来たもので、上体が艮となる所以は、上九の爻が変じて来たものである。三位はもともと陽剛で陰柔に変じ、上位はもともと陰柔で陽剛に変じた。これは依然として損下益上の意である。

損上而益於下則為益,取下而益於上則為損,在人上者,施其澤以及下則益也,取其下以自厚則損也。譬諸壘土,損於上以培厚其基本,則上下安固矣,豈非益乎。取於下以增上之高,則危墜至矣,豈非損乎。故損者,損下益上之義,益則反是。

程頤は続けて言う:上を減損して下を増益するがすなわち《益》、下から取りて上を増益するがすなわち《損》である。人の上に居る者が、恩沢を下に施せば益であり、下を搜取して自己を丰厚にすれば損である。土を堆めるに譬えれば、上頭から土を取りて根基を培厚すれば、上下ともに安穏牢固となる。これは益ではないか。底下から土を取りて頂端を加高すれば、傾危墜塌が来る。これは損ではないか。だから《損》卦は下を減損し上を増益する意で、《益》卦はちょうどこれに反する。

損,有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。本義 “損”,減省也。為卦損下卦上畫之陽,益上卦上畫之陰。損兌澤之深,益艮山之高。損下益上,損內益外,剝民奉君之象,所以為損也。損所當損,而有孚信,則其占當有此下四者之應矣。

卦辞:《損》、孚あり、元吉、咎なし、貞にすべし、往く所有るに利あり。朱熹《周易本義》は言う:「損」は減省である。卦体について言えば、下卦の最上一画の陽爻を減じて、上卦の最上一画の陰爻を増益する。兌沢の深さを減損し、艮山の高さを増益する。下を損して上を益し、内を損して外を益すは、百姓を剥取して君上を奉養する卦象である。だから《損》と名づける。減損すべきものを減損し、同時に誠信を懐けば、占にこの卦を得れば、以下の「元吉・咎なし・可貞・往く所有るに利あり」の四項の応験があるべきである。

程傳 “損”,減損也。凡損抑其過以就義理,皆損之道也。損之道必有孚誠,謂至誠順於理也。損而順理,則大善而“吉”,所損無過差,“可貞”固常行,而利有所往也。人之所損,或過或不及,或不常,皆不合正理,非有孚也。非“有孚”則無吉而有咎,非“可貞”之道,不可行也。

程頤《伊川易伝》は言う:「損」は減損である。およそ自己の過分な所を抑損して義理に合わんと求めるものは、みな損の道に属する。損の道は必ず孚有るを要し、すなわち至誠をもって道理に順う。減損して道理に合えば、大善にして「吉」。減損する所に過と不及の偏差なければ、「可貞」で、堅固に長久に推行できる。よって往く所有るに宜し。人の減損する所は、あるいは過ぎ、あるいは足らず、あるいは忽ちこのよう忽ちこのようでなく、みな正理に合わず、それでは「孚あり」ではない。「孚あり」でなければ、吉を得ることもできず過ちを生じ、「可貞」の正道でもなく、行き通らない。

集說 呂氏大臨曰:《損》之道不可以為正,當《損》之時,故曰“可貞”。時損則損,時益則益,苟當其時,無往而不可,故《損》、《益》皆“利有攸往”。蔡氏清曰:剝民奉君之義,只可用之卦名,其卦辭“有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往”,只承損字泛說。言損所當損,人人皆可用,不專指上之損下也。《益》卦“利有攸往,利涉大川”亦然,豈專為益下之事乎?

「集説」に呂大臨を引く:減損の道はもともと常規の正法とすべきではないが、ただまさに損すべき時節に当たるがゆえに、卦辞が「可貞」と言う。時勢が損すべきなら損し、益すべきなら益し、ただ時に合えば、行き通らぬことはない。だから《損》《益》の二卦はともに「往く所有るに利あり」と言う。集説はまた蔡清を引く:百姓を剥取して君上を奉養するという一層の意は、ただ卦名を解するに用いるべきである。卦辞の「孚あり、元吉、咎なし、可貞、往く所有るに利あり」に至っては、ただ一つの「損」の字を承けて泛泛と言うのみである。それが講ずるは減損すべきものを減損することで、人々みな用い得るのであり、専ら上の下を剥損するを指すのではない。《益》卦の「往く所有るに利あり、大川を渉るに利あり」もまたこのようで、どうして専ら下民を増益する一事だけを講じようか。

曷之用,二簋可用享。本義 言當《損》時,則至薄無害。程傳 “損”者,損過而就中,損浮末而就本實也。聖人以寧儉為禮之本,故為損發明其義。以享祀言之,享祀之禮,其文最繁,然以誠敬為本,多儀備物,所以將飾其誠敬之心,飾過其誠,則為偽矣。

卦辞は続けて言う:何を用いるか。二簋の薄食をもって祭享に用いうべし。朱熹《周易本義》は言う:これはまさに損すべき時節に当たれば、供奉がいかに菲薄でも妨害なきを講ずる。程頤《伊川易伝》は言う:「損」は過分を減じて適中に帰し、浮華の枝節を減じて根本の実質に帰する。聖人は寧ろ倹朴をもって礼の根本とするので、《損》卦を借りてこの道理を闡明する。祭享について言えば、祭祀の礼の儀文は最も繁多であるが、誠敬をもって根本とする。儀節が繁多し器物が斉備するは、もともとその誠敬の心を装点するに用いるが、いったん装点が誠意を超過すれば、虚偽となる。

損飾,所以存誠也,故云“曷之用,二簋可用享”。“二簋”之約,可用享祭,言在乎誠而已,誠為本也。天下之害,無不由末之勝也。峻宇雕 集說 孔氏穎達曰:“曷之用二簋可用享”者,明行損之禮。貴夫誠信,不在於豐,“二簋”至約,可用享祭。

程頤は続けて言う:外在の装点を減ずるは、まさに内裏の誠を保つためである。だから卦辞は「曷之を用いん、二簋もって用い享るべし」と言う。二簋のような簡約な供品も祭享に用い得るとは、関鍵はただ一つの誠の字にあり、誠こそ根本であることを言う。天下の禍害で、枝末が根本を圧倒して造成せざるものはない。高峻の屋宇、彫鏤の――ここで底本に脱文があり、程頤の挙げた「峻宇彫墻」などの奢華の例は尽きず、以下はすぐ「集説」に接する。集説に孔頴達を引く:「曷之を用いん、二簋もって用い享るべし」とは、減損の礼を施行するに、誠信に貴ぶがあって豊盛に在らずを説明せんとするもので、二簋は極めて簡約であるが、祭享に用いうべきである。

案 彖辭自“有孚”以下,泛說《損》所當損之義,蔡氏之說,極為得之。蓋損益者時也,時在當損,不得不損,唯以誠意為主,而行之又得乎大善之吉,則不但“無咎”,而且可以為常道而利有所往矣。舉一端以明之,則如“二簋”薄祭,固因乎時而節損者也。然能積誠盡禮,則可以致孝乎鬼神,而推之凡事之當損者視此矣。卦義以孚而行損,《程傳》則因損以致孚,略有不同也。

李光地の按:《損》卦の「彖辞」は「孚あり」以下、みな泛泛と損すべきは損する道理を講ずる。蔡清の説は極めて中肯である。おおよそ損と益は時勢に取决まる。時勢が損すべきなら損せざるを得ず、ただ誠意を主とし、施行してまた大善の吉を得れば、ただ「咎なし」に止まらず、常道として立てることもでき、よって往く所有るに宜し。一事を挙げて説明すれば、たとえば二簋の薄祭は、もともと時勢に因応して節損したものである。しかし誠意を積累し礼数を尽くし得れば、孝心を鬼神に通達するに足り、推して広めれば、およそ減損すべき事はみなこの様子に照らす。卦辞の意は誠信を凭じて減損を施行することで、《伊川易伝》は減損により進んで誠信に達する。両者はやや異なる。

初九,已事遄往,無咎,酌損之。本義 初九當損下益上之時,上應六四之陰,輟所為之事而速往以益之,“無咎”之道也,故其象占如此。然居下而益上,亦當斟酌其淺深也。程傳 損之義,損剛益柔,損下益上也。初以陽剛應乾四,四以陰柔居上位,賴初之益者也。下之益上,當損己而不目以為功。所益於上者,事既已則速去之,不居其功,乃無咎也。若享其成功之美,非損己益上也,乾為下之道為有咎矣。四之陰柔,賴初者也,故聽於初。初當酌度其宜而損己以益之,過與不及,皆不可也。

経文:初九、手もとの事を了結したら急いで往け。咎なし。ただし斟酌して自己を減損せよ。朱熹《周易本義》は言う:初九はまさに下を損して上を益する時節に当たり、上は六四の陰に応じ、自己の手頭の事を撂下して迅速に往きてそれを増益する。これは「咎なし」の道なので、その爻象と「占辞」はともにこのように言う。しかし下位に身を居して上を増益するにも、損する所の深浅を斟酌すべきである。程頤《伊川易伝》は言う:損の意は陽剛を減損し陰柔を増益し、下を減損し上を増益すること。初九は陽剛をもって上は六四に応じ、六四は陰柔をもって上位に居り、初九を恃んで増益されるを要する。下が上を増益するには、己を損してこれを自己の功労とせず、上に増益する所有れば、事が了われば急いで身を抽き、その功労を占拠せぬが「咎なし」である。もしその成功の美名を享用すれば、己を損して上を益するに非ず、これを居下の道とすれば過ちある。六四は陰柔で、初九に依頼するがゆえに、初九に聴従を肯ず。初九はまさに合宜の分寸を斟酌し、己を損してそれを増益すべきで、過頭も不足もいけない。

集說 孔氏穎達曰:損之為道,損下益上,如人臣欲自損己奉上。然各有職掌,若廢事而往,咎莫大焉。竟事速往,乃得無咎。酌損之者,以剛奉柔,初未見親也,故須酌而減損之。《朱子語類》云:酌損之,在損之初下,猶可以斟酌也。案 孔氏說已事之義,謂如學優而後從政之類,於理亦精。

「集説」に孔頴達を引く:減損の道は下を損して上を益し、臣子が己を減損して君上を奉養せんと欲するに等しい。しかし各人に各人の職守がある。もし本職を丢下して上に奉げに走れば、過ちはこれより大きいはない。本職の事を了わして後に迅速に往けば、咎なしを得る。いわゆる「酌に損す」とは、初九が陽剛をもって陰柔に奉承し、初めはまだ親信されていないので、必ず斟酌して減損せねばならない。集説はまた《朱子語類》を引く:「酌に損す」の句を《損》卦の第一爻の下に置くは、まさにこの時なお斟酌の余地あるを示す。李光地の按:孔頴達の「已事」の意を解するは、学問に余ありて後に仕宦従政する類を言うのであり、道理の上でも極めて精当である。

九二,利貞,征凶。弗損益之。本義 九二剛中,志在自守,不肯妄進,故占者“利貞”,而“徵”則“凶”也。“弗損益之”,言不變其所守,乃所以益上也。程傳 二以剛中當損剛之時,居柔而說體,上應六五陰柔之君,以柔說應上,則失其剛中之德,故戒所利在貞正也。“徵”’行也。離乎中,則失其貞正而凶矣,守其中乃“貞”也。“弗損益之”,不自損其剛貞,則能益其上,乃益之也。若失其剛貞,而用柔說,適足以損之而已,非損己而益上也。世之愚者,有雖無邪心,而唯知竭力順上為忠者,蓋不知弗損益之之義也。

経文:九二、正を守るに宜しく、貿然として前行すれば凶。自己を減損せざるは、まさに上を増益する。朱熹《周易本義》は言う:九二は陽剛にして「中」に居り、心志は自守に在り、軽率に進を求めず。だから占者は「貞に利あり」で、「征」行すれば「凶」。「弗れ損して之を益す」とは、自己の守る所を改変せぬを言い、これこそがまさに上を増益する方法である。程頤《伊川易伝》は言う:九二は陽剛をもって中に居り、まさに陽剛を減損すべき時節に当たり、陰位に処し、また兌説の体の中に在り、上は六五という陰柔の君に応じる。もし柔順取悦をもって上に応ずれば、自己の剛健守中の徳性を失う。だから爻辞はその利する所が貞正に在るを戒める。「征」は行である。いったん「中」を離れば、貞正を失って凶となる。この「中」を守ってこそ「貞」と言う。「弗れ損して之を益す」とは、自己の剛健貞正を減損せぬを言い、こうしてこそ君上を増益でき、これこそ真の増益である。もし剛健貞正を失いて柔順取悦を用いれば、ちょうどただ君上を減損するのみで、己を損して上を益すに非ず。世の愚人は、あるいは邪心なきに雖も、ただ力を竭して上意に順从すれば忠と知るのみ。まさに「弗れ損して之を益す」の道理を知らぬがゆえである。

集說 林氏希元曰:九二在爻則為剛中,在人事則為志在自守,不肯妄進。志在自守,不肯妄進,九二之貞也,故占者利於守貞。若征行,則是變其所守而得“凶”矣。夫自守而不妄進,宜若無益於上矣。然由是而啟時君尊德樂道之心,止士大夫奔競之習,其益於上也不少,是弗損乃聽以益之也。桐江一絲,繫漢九鼎,清風高節,披拂士習,

「集説」に林希元を引く:九二は爻象について言えば陽剛が中に居り、人事について言えば心志が自守に在りて軽率に進を求めぬことである。心志が自守に在りて軽率に進を求めぬが、まさに九二の「貞」である。だから占者はこの貞正を守るに利あり。もし貿然として出行すれば、自己の操守を改変して「凶」を招く。自守して軽率に進を求めぬは、見れば君上に補益なきが如きである。しかしこれにより当時の君主の徳を尊崇し道を聞くを楽しむ心を啓発でき、士大夫の奔走鑚営の風気を刹住できる。君上への補益は実に少なからず。これが自己を減損せずしてかえって増益となる所以である。厳子陵が桐江に垂れた一本の釣糸は、漢家の社稷を牽繋し、清高の風操気節は、一代の士林の風習を吹拂す――ここで底本に脱文があり、林氏の言は尽きず、以下はすぐ六三の爻辞に接する。

六三,三人行,則損一人,一人行,則得其友。本義 下卦本乾,而損上爻以益坤。“三人行”而“損一人”也。一陽上而一陰下,“一人行”而“得其友”也。兩相與則專,三則雜而亂,卦有此象,故戒占者當致一也。

経文:六三、三人同行すれば、一人を減ず。一人独行すれば、その伴侶を得。朱熹《周易本義》は言う:《損》卦の下卦はもともと乾で、今その最上一爻を減じて上の坤を増益する。これが「三人行」にして「一人を損す」。一つの陽爻が上がり一つの陰爻が下りる。これが「一人行」にして「その友を得」。二つが相与すれば専一で、三つになれば駁雑にして混乱する。卦の中にこのような象があるので、占者が専一に帰すべきを戒める。

程傳 “損者”,損有餘也。“益”者,益不足也。“三人”,謂下三陽上三陰,三陽同行,則損九三以益上,三陰同行,則損上六以為三,“三人行則損一人”也。上以柔易剛而謂之損,但言其減一耳。上與三雖本相應,由二爻升降,而一卦皆成,兩相與也。初二二陽,四五二陰,同德相比,三與上應,皆兩相與,則其志專,皆為得其友也。三雖與四相比,然異體而應上,非同行者也。

程頤《伊川易伝》は言う:「損」は多余を減ずることで、「益」は不足を補足することである。「三人」は下の三つの陽爻と上の三つの陰爻を指す。三つの陽爻が一同に前行すれば、九三を減じて上を増益する。三つの陰爻が一同に前行すれば、上六を減じて下りて三位に充当する。これが「三人行けば則ち一人を損す」。上位は柔をもって剛に換えるが、依然として「損」と称する。ただ一人を減ずるに就いて言うのみである。上位と三位はもともと相応するが、まさにこの二爻の一升一降により、卦全体が初めて形成される。これが両両の相与である。初九・九二の二陽爻、六四・六五の二陰爻は、いずれも同徳で相隣する。六三と上九は相応する。これらはみな両両相与し、心志はよって専一となり、みな「その友を得」と算する。六三は六四と相隣するが、二爻は異なる卦体に分属し、また六三は別に上九を正応とするので、同行の一味とは算しない。

三人則損一人,一人則得其友。蓋天下無不二者,一與二相對待,生生之本也。三則餘而當損矣,此《損》、《益》之大義也。夫子又於《繫辭》盡其義曰:“天地絪縕,萬物化醇,男女媾精,萬物化生,《易》曰:“三人行則損一人,一人行則得其友”,言致一也。 ”“絪縕”,交密之狀。天地之氣,相交而密,則生萬物之化醇。“醇”,謂醲厚,醲厚,猶精一也。男女精氣交媾,則化生萬物。

程頤は続けて言う:三人になれば一人を減じ、一人になれば伴侶を得。天下の万物で双を成さざるはないからである。一と二が彼此相対相待するは、まさに生々不息の根本である。三に至れば、多余となり減損すべきである。これが《損》《益》二卦の大義である。孔子は《繫辞伝》でまたこの一層の意を講じ尽くした:「天地の気は交密纒綿し、万物はこれにより化育して醇厚を得る。男女は精気を交合し、万物はこれにより化育して生ずる。《周易》に『三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ちその友を得』とあるは、専一に帰することを講ずる。」「絪緼」は交合緊密の貌である。天地の気が相交り緊密すれば、万物化育の醇厚を生ず。「醇」は醲厚で、醲厚はまた純粹専一に近い。男女の精気が交合すれば、万物を化生する。

唯精醇專一,所以能生也。一陰一陽,豈可二也。故三則當損,言專致乎一也。天地之間,當損益之明且大者,莫過此也。集說 林氏希元曰:此爻之辭,兼舉六爻,以三正是當損之爻,乃卦之所以為《損》者,故於此言之。

程頤は言う:ただ純粹醇厚・専一不雑のみが、生生不已を能くする。一陰が一陽に配すれば、どこに第二を容れようか。だから三に至れば減損すべきで、講ずるはまさに専注帰一である。天地の間で、損すべき益すべきの道理で、最も明白にして最も重大なものは、この一条を超えるはない。「集説」に林希元を引く:この爻の爻辞は実は全卦六爻を兼挙して言うものである。六三がまさに減損されるべき爻で、またまさにこの卦が《損》と名づけられる所以の縁由なので、この一層の意をここに置いて講じたのである。

楊氏啟新曰:人之相與,唯其心之同而已。苟精神不孚,意氣不貫,則群黨比周,固三也。即一人之異,亦三也,是皆不可以不損也。苟精神相孚,意氣相貫,則二人同心,固兩也。即千百其朋,亦兩也,是皆不可以不得者也。

集説はまた楊啓新を引く:人と人の相交りは、関鍵はただ心が同じか否かにある。もし精神上互いに信を取らず、意気上互いに貫通せざれば、朋党を結び彼此勾連するは、固然として「三」と算する。たとえ異心の人が一人多出するだけでも、「三」と算し、いずれも減損を加えざるを得ない。もし精神上互いに信を取り、意気上互いに貫通すれば、両人が同心なら固然として「両」と算し、たとえ同伴が千百に成っても、依然として「両」と算し、いずれも争い求めざるを得ないものである。

六四,損其疾,使遄有喜,無咎。本義 以初九之陽剛益己,而損其陰柔之疾,唯速則善,戒占者如是,則“無咎”也。程傳 四以陰柔居上,與初之剛陽相應,在損時而應剛,能自損以從剛陽也,損不善以從善也。初之益四,損其柔而益之以剛,損其不善也,故曰“損其疾”。“疾”,謂疾病,不善也。損於不善,唯使之遄速,則“有喜”而“無咎”。人之損過,唯患不速,速則不致於深過,為可喜也。

経文:六四、その疾を損し、この事を来たらしめるに迅速なれば喜慶あり、咎なし。朱熹《周易本義》は言う:六四は初九の陽剛を借りて自己を増益し、よって自身の陰柔の毛病を減ず。事はただ速きが良い。占者にこのようにせよと告戒すれば、「咎なし」。程頤《伊川易伝》は言う:六四は陰柔をもって上卦に居り、初九の陽剛と応じる。まさに減損の時節に当たりて陽剛と応ずれば、自らを減損して陽剛に跟従できる。すなわち不善を減じて善に跟従する。初九が六四を増益するは、その柔を減じて剛をもってそれを補う。まさにその不善を減ずるので、「其の疾を損す」と言う。「疾」はすなわち疾病で、すなわち不善である。不善を減ずるには、ただそれを来たらしめるに迅速なれば、「喜あり」て「咎なし」。人が自己の過失を減損するに、最も怕れるは速からぬこと。速ければ、深重の過失に陥らず、これこそ喜ぶべきである。

集說 王氏弼曰:履得其位,以柔納剛,能損其疾也。疾何可久,故速乃“有喜”,“有喜”乃“無咎”也。蘇氏軾曰:“遄”者初九也,“損其疾”,則初之從我也易,故“遄有喜”。楊氏萬里曰:六四以柔居柔,得初九之陽以為應,“損其疾”者也。初言”遄往”,四言“使遄”,蓋初之“遄”,實四有以使之也。胡氏炳文曰:六四與初九為應,初方已其事而速於益四,四損其陰柔之疾,唯速則“有喜”。不然,彼方汲汲,此乃悠悠,非受益之道。案 蘇氏,楊氏說,於使字語氣亦近是。

「集説」に王弼を引く:六四の踏むはまさにその占むべき位置で、陰柔をもって陽剛を接納すれば、自己の疾を減じ得る。疾はどうして長く拖延できようか。だから速かなればこそ「喜あり」、「喜あり」てこそ「咎なし」。集説はまた蘇軾を引く:いわゆる「遄」は初九を指す。六四が自己の疾を減じれば、初九がそれに跟従するは易い。だから「遄に喜あり」。集説はまた楊万里を引く:六四は陰柔をもって陰位に居り、また初九の陽を得てその正応と為す。まさに「其の疾を損す」の爻である。初九の爻辞は「遄に往け」と言い、六四の爻辞は「遄にせしめよ」と言う。初九の速き所以は、実は六四が促成したものと見える。集説はまた胡炳文を引く:六四は初九と応じ、初九が手もとの事を了結すれば急いで来たりて六四を増益し、六四が自身の陰柔の毛病を減ずるは、ただ速かなればこそ「喜あり」。そうでなければ、あちらは急ぎ忙し、こちらは遅々として、増益を接受する態度ではない。李光地の按:蘇軾・楊万里の説は、爻辞のあの「使」の字の語気から見ても、本意に近い。

六五,或益之,十朋之龜。弗克違,元吉。本義 柔順虛中,以居尊位,當《損》之時,受天下之益者也。兩龜為朋,十朋之龜,大寶也。或以此益之而不能辭,其吉可知。占者有是德,則獲其應也。程傳 六五於《損》時,以中順居尊位,虛其中以應乎二之剛陽,是人君能虛中自損,以順從在下之賢也。能如是,天下孰不損己自盡以益之,故或有益之之事,則十朋助之矣。“十”,眾辭。“龜”者,決是非吉凶之物。眾人之公論,必合正理,雖龜筴不能違也,如此可謂大善之吉矣。古人曰:謀從眾則合天心。

経文:六五、或る人が来たりてそれを益すは、価十朋の大亀で、推辞し得ず、元吉。朱熹《周易本義》は言う:六五は柔順にして中虚、尊位に居り、まさに《損》卦の時節に当たり、天下の増益を承受する人である。亀二隻を一朋と算し、十朋の亀は極めて貴重の宝物である。或る人がこのような重宝を持って贈りに来て推辞し得なければ、その吉は知れる。占卦の人がこのような徳性を具えれば、相応の回報を得る。程頤《伊川易伝》は言う:六五は減損の時節に、中に居り柔順の徳をもって尊位を占め、自己の心を虚にして九二の陽剛に応ず。これは人君が虚心に自己を減損して、下に在る賢人に順従できることである。こうできれば、天下の誰が己を損し誠を竭して彼を増益するを肯ぜざらん。だからいったん人の来たりて益すあれば、十朋の多き人の相助けがある。「十」はその多きを形容し、「亀」は是非吉凶を判定する物である。衆人の公論は必ず正理に合い、たとえ亀卜蓍筮も背き得ない。これをもって大善の吉と称すべきである。古人が言った:事を謀るに衆人に聴従すれば、天心に合う。

集說 張子曰:龜弗能違,言受益之可必,信然不疑也。楊氏時曰:柔得尊位,虛己而下人,則謙受益。時乃天道,天且不違,況於人乎,況於鬼神乎,宜其益之者至矣。故曰“或益之十朋之龜,弗克違,元吉”。郭氏雍曰:《益》之至,豈獨人事而已,雖元龜之靈弗能違,此其所以“元吉”也。《洪範》曰:汝則從,龜從筮從,卿士從,庶民從,是之謂大同,六五之“元吉”,猶《洪範》之“大同”也。楊氏簡曰:“或”者,不一之辭。“益之”者,不一也,人心歸之也。“十朋之龜”,皆從而弗違,天與龜神祐之也。龜神祐之,故“龜筮協從”。

「集説」に張載を引く:亀卜も背き得ないとは、受ける増益が必ず手に至り、確鑿にして信頼すべく遅疑を要せぬを言う。集説はまた楊時を引く:陰柔をもって尊位を得、自己を虚下して旁人を礼待するは、すなわち《尚書》の言う「謙は益を受く」である。時勢に順応するはまさに天道で、上天ですら背かない。況や人をや、況や鬼神をや。それを増益する人は自然に紛紛と到来する。だから「或る益す、十朋の亀、克く違わざらん、元吉」と言う。集説はまた郭雍を引く:増益が極点に至れば、どうしてただ人事上の増益のみならん。大亀の神霊も背き得ない。これがまさにその「元吉」の所以である。《尚書・洪範》は言う:汝自ら之に同じ、亀卜之に同じ、蓍筮之に同じ、卿士之に同じ、庶民之に同じ。これを「大同」と言う。六五の「元吉」は、まさに《洪範》の言う「大同」の如し。集説はまた楊簡を引く:「或」は一つに止まらぬ意で、「益之」に来たるは一つに止まらず、人心がみなそれに帰向する。「十朋の亀」がみな順从して背かぬは、上天と亀霊がそれを保祐する。亀霊が保祐する。だから「亀筮協従」。

上九,弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。本義 上九當損下益上之時,居卦之上,受益之極,而欲自損以益人也。然居上而益下,有所謂惠而不費者,不待損己,然後可以益人也。能如是則“無咎”,然亦必以正則“吉”,而利有所往。惠而不費,其惠廣矣,故又曰“得臣無家”。

経文:上九、減損せずして他人を増益す。咎なし。正を守れば吉。往く所有るに宜しく、臣民を得て内外親疏を分かたず。朱熹《周易本義》は言う:上九はまさに下を損して上を益する時節に当たり、全卦の頂端に居り、益を受けること極点の爻である。よって自己を減損して他人を増益せんと欲す。しかし上位に居りて下を増益するに、「恵みて費えず」と称する一種の方法があり、必ずしも先に己を損して初めて他人を増益できるに非ず。こうできれば「咎なし」。ただし必ず正道を行かねば「吉」とならず、往く所有るに宜しからず。恵みて費えざれば、その恩恵は広く施される。だから爻辞はまた「臣を得て家なし」と言う。

程傳 凡《損》之義有三,損己從人也,自損以益於人也,行損道以損於人也。損己從人,徙於義也。自損益人,及於物也,行損道以損於人,行其義也。各因其時,取大者言之,四五二爻,取損己從人,下體三爻,取門損以益人,損時之用,行損道以損天下之當損者也。

程頤《伊川易伝》は言う:《損》の意義はおおよそ三種ある。一は自己を減損して他人に跟従し、二は自己を減損して他人を増益し、三は減損の道を施行して他人を減損する。自己を減損して他人に跟従するは、義理に向かって遷移すること。自己を減損して他人を増益するは、恩沢が外物に及ぶこと。減損の道を施行して他人を減損するは、当然の義理を推行することである。各爻はそれぞれの時位に依り、その中の分量の重い一層を取って講ずる。六四・六五の二爻は自己を減損して他人に跟従するを取り、下卦の三爻は自己を減損して他人を増益するを取る。減損の世の実際の運用に至っては、減損の道を施行して天下の減損すべきものを減損するのである。

上九則取不行其損為義,九居損之終,損極而當變者也。以剛陽居上,若用剛以損削於下,非為上之道,其咎大矣。若不行其損,變而以剛陽之道益於下,則“無咎”而得其正且“吉”也。如是則宜有所往,往則有益矣。在上能不損其下而益之,天下孰不服從,從服之眾,無有內外也,故曰“得臣無家”。“得臣”,謂得人心歸服。”無家”,謂無有遠近內外之限也。

程頤は続けて言う:上九は「減損を施行せず」を義に取る。上九は《損》卦の終点に処し、損が極まって転変すべき時である。陽剛をもって最上に居り、もしなお剛強をもって下を剥削すれば、上位に居る者の行くべき路ではなく、過ちは大きい。もし再び減損を施行せず、転じて陽剛の道をもって下を増益すれば、「咎なし」にしてその正を得、その「吉」を得る。こうすれば往く所有るべく、一往すれば増益がある。上位に居りて下を剥損せずかえって下を増益できれば、天下の誰が服せざらん。帰服する人が多く内外の分なきに至る。だから「臣を得て家なし」と言う。「得臣」は人心の帰服を得るを言い、「无家」は遠近内外の界限なきを言う。

集說 王氏肅曰:處《損》之極,損極則益,故曰不“損益之”。“得臣”則萬方一軌,故“無家”也。句氏微曰:上九剛德,為物所歸,雖曰“得臣”,非已所有,蓋以四海為家。《朱子語類》云:“得臣”有家,其所得也小矣,“無家”則可見其大。案 卦以損三益上成義,則上者受益之極,卦之主也。故“尤咎,可貞,利有攸往” 卦名以損下益上為義,卦辭則泛論損所當損,而損中有益也。六爻之辭,其以上下體分損益,則根乎卦名,其言損所當損,而損中有益,則又根乎卦辭。

「集説」に王粛を引く:《損》卦の極点に処し、損極まれば益に転ず。だから「損せずして之を益す」と言う。「得臣」は万方が一軌に帰する地に至る。だから「无家」と言う。集説はまた句微を引く:上九は陽剛の徳を具え、万物の帰向する所である。「得臣」と言うも、己の有と据えず、四海をもって家とするがゆえである。集説はまた《朱子語類》を引く:臣民を得てなお一家の私を留めれば、その得る所は小さい。「无家」でこそその大が見える。李光地の按:この卦は六三を減損し上九を増益して卦義を構成する。然れば上九は益を受けること極点の爻で、また全卦の主爻である。だから爻辞が「咎なし、可貞、往く所有るに利あり」と言う――底本はここに「无咎」を「尤咎」と作り、かつ按語に脱文がある。下文は続けて言う:卦名は下を損し上を益するを義とし、卦辞は泛泛と損すべきは損し、損の中に益を含むを論ずる。六爻の爻辞で、およそ上下卦体により損と益を分派するものは、みな卦名に本づき、およそ損すべきは損し損中に益あるを講ずるものは、またみな卦辞に本づく。

益卦・巽上震下

益.巽上.震下程傳 《益序卦》:“損而不已必益,故受之以益”。盛衰損益如循環,損極必益,理之自然,《益》所以繼《損》也。為卦巽上震下,雷風二物,相益者也,風烈則雷迅,雷激則風怒,兩相助益,所以為益,此以象言也。巽震二卦,皆由下變而成,陽變而為陰者損也,陰變而為陽者益也。上卦損而下卦益,損上益下,所以為益,此以義言也。下厚則上安,故益下為《益》。

卦画の標注:《益》卦は、上卦が巽、下卦が震。程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に《益》卦が《損》卦に承くことを講じて「減損やまざれば、必ず増益に転ず。故に続いて《益》卦を排す」とある。盛と衰、損と益は円環のごとく循環し、損極まれば必ず益に転ず。これは自然の理で、《益》卦は《損》卦の後に接ぐ。卦体から言えば、上卦は巽、下卦は震。雷と風の二物は彼此増益する。風が猛烈なれば雷は急驟し、雷が激蕩すれば風は狂怒す。両下が相互に助長するので「益」と名づく。これは卦象から講じたものである。巽と震の二卦は、いずれも爻位の変動により成る。陽が陰に変ずるは損で、陰が陽に変ずるは益である。上卦に減損ありて下卦に増益あり、上を損し下を益すので「益」と名づく。これは義理から講じたものである。下が厚実すれば上こそ安穏なので、下を増益するがすなわち《益》である。

益,利有攸往,利涉大川。本義 “益”,增益也。為卦損上卦初畫之陽,益下卦初畫之陰,自上卦而下於下卦之下,故為《益》。卦之九五六二,皆得中正,下震上巽,皆木之象,故其占利有所往:而“利涉大川”也。程傳 “益”者,益於天下之道也,故“利有攸往”。益之道可以濟險難,“利涉大川”也。

卦辞:《益》、往く所有るに宜しく、大河を渡るに宜し。朱熹《周易本義》は言う:「益」は增添である。卦体について言えば、上卦の最下一画の陽爻を減じて、下卦の最下一画の陰爻を増益する。この一陽は上卦から下りて、下卦の最底に落ちる。だから《益》と名づく。卦中の九五と六二はいずれも「中」に居りかつ「当位」して、「中正」である。下卦の震・上卦の巽はいずれも木の物象を取り、木は舟を造り水を渡れる。だからその「占辞」は往く所有るに宜しく、しかも「大川を渉るに利あり」である。程頤《伊川易伝》は言う:「益」は天下の道理を増益することなので「往く所有るに利あり」。増益の道は険難を救済できるので「大川を渉るに利あり」。

集說 孔氏穎達曰:《損》卦則損下益上,《益》卦則損上益下,得名皆就下而不據上者。向秀云:明王之道,志在惠下,故取下謂之《損》,與下謂之《益》。陸氏贄曰:損上益下曰《益》,損下益上曰《損》。約己而裕於人,入必悅而奉上矣,豈不謂之益乎。上蔑人而肆諸己,人必怨而畔上矣,豈不謂之損乎。

「集説」に孔頴達を引く:《損》卦は下を損して上を益し、《益》卦は上を損して下を益す。両卦の得名はいずれも下に着眼して上に着眼せず。向秀がかつて講じた:明王の道は、用心は下に恵を施すに在り。だから下から取るを《損》と言い、下に与えるを《益》と言う。集説はまた陸贄を引く:上を減損し下を増益するを《益》と言い、下を減損し上を増益するを《損》と言う。上位の者が自己を約束して百姓を寛裕にせば、百姓は必ず歓悦して君上を奉戴す。これは益と称すべきではないか。上位の者が百姓を軽蔑して自己を放縦すれば、百姓は必ず怨恨して君上に背叛す。これは損と称すべきではないか。

范氏仲淹曰:益上曰《損》,損上曰《益》者,何也?益上則損下,損下則傷其本也。損上則益下,益下則固其本也。蔡氏清曰:損下益上,民貧則君不能獨富,損道也,故為《損》。損上益下,民富則君不能獨貧?益道也,故為《益》。損則上下通一損,益則上下通一益,要知關於上者為多。

集説はまた范仲淹を引く:上を増益するをかえって《損》と言い、上を減損するをかえって《益》と言う。これは何故か。上を増益すれば下を減損し、下を減損すれば根本を傷つける。上を減損すればすなわち下を増益し、下を増益すれば根本を鞏固にする。集説はまた蔡清を引く:下を損し上を益すれば、百姓は窮し、君主も独り富むことはできない。これは損を致す道なので《損》と言う。上を損し下を益すれば、百姓は富み、君主が独り窮するやあらん。これは益を致す道なので《益》と言う。一損すれば上下ともに損に随い、一益すれば上下ともに益に随う。知るべし、その中に関わる上位者の分け前はなお多きことを。

初九,利用為大作,元吉,無咎。本義 初雖居下,然當益下之時,受上之益者也。不可徒然無所報效,故“利用為大作”,必“元吉”,然後得“無咎”。程傳 初九震動之主,剛陽之盛也。居《益》之時,其才是以益物。雖居至下,而上有六四之大臣應於己。四巽順之主,上能巽於君,下能順於賢才也,在下者不能有為也,得在上者應從之,剛宜以其道輔於上,作大益天下之事,“利用為大作”也。

経文:初九、用いて一番の大事業を為すに宜しく、大善にして吉なれば、初めて咎なし。朱熹《周易本義》は言う:初九は身は最下に居るが、しかしまさに下を増益する時節に当たり、それは上の増益を承受する爻である。空しく受けて報効なきは不可なので「用いて大作を為すに利あり」。必ず「元吉」を致して後、初めて「咎なし」とできる。程頤《伊川易伝》は言う:初九は震体の動の主爻で、陽剛の気が最も盛んであり、《益》卦の時節に処して、その才幹は万物を増益するに足る。それは最下に居るが、上に六四という大臣がそれと応じる。六四は巽体の順の主爻で、上に対しては君に柔順でき、下に対しては賢才に順从できる。下位に身を居する者はもともと事を成せないが、上位の者の応和順从を得れば、陽剛はまさに自己の正道をもって上を輔佐し、大いに天下を増益する事業を為すべきである。これが「用いて大作を為すに利あり」。

居下而得上之用以行其志,必須所為大善而“吉”。則無過“咎”,不能“元吉”,則不唯在已有咎乃累乎上,為上之“咎”也。在至下而當大任,小善不足以稱也,故必“元吉”,然後得“無咎”。集說 《朱子語類》云:初九在下,為四所任而“大作”者,必盡善而後“無咎”。若所作不盡善,未免有咎也。

程頤は続けて言う:下位に身を居して上の任用を得、これにより自己の志向を施展する者は、為す所は必ず大善にして「吉」でなければ、過ちなきを得ない。もし「元吉」を致せなければ、自己の過ちあるのみならず、上にも累及し、上の「咎」となる。極卑下の身分をもって大任を担当するに、尋常の善は相称に足らない。だから必ず「元吉」であって後、初めて「咎なし」とできる。「集説」に《朱子語類》を引く:初九は下位に身を居り、六四に委任されて「大作」を為す者は、必ず尽善して後「咎なし」。もし為す所が尽善できなければ、過ちを免れない。

案 卦以損四益初為義,則初亦受益之極,卦之主也,故其辭亦與卦同。“利用為大作者”,即彖所謂“利有攸往,利涉大川”也。必大為益人之事,然後可以自受其益。非然,則受大益者,乃所以為大損矣。凡《易》中言“吉”“無咎”者,皆謂得“吉”而後可以免“咎”。而《損》彖辭及此爻,與《萃》四之辭為尤著。

李光地の按:《益》卦は六四を減損し初九を増益して卦義を構成する。然れば初九もまた益を受けること極点の爻で、全卦の主爻である。だからその爻辞は卦辞と一致する。いわゆる「用いて大作を為すに利あり」とは、すなわち《彖辞》の言う「往く所有るに利あり、大川を渉るに利あり」である。必ず大いに人に益ある事業を一番為して後、初めて自己がこの増益を承受するに配する。然らざれば、大益を受けてかえって大損となる。およそ《周易》の中で「吉」と「咎なし」を併挙するものは、みな先に「吉」を得て後に「咎」を免れ得るを言う。その中では《損》卦の彖辞、《益》卦のこの爻、および《萃》卦の六四の爻辞が最も顕著である。

六二,或益之,十朋之龜,弗克違,永貞吉,王用享于帝,吉。本義 六二當《益》下之時,虛中處下,故其象占與《損》六五同。然爻位皆陰,故以“永貞”為戒。以其居下而受上之益,故又為卜郊之吉占。

経文:六二、或る人が来たりてそれを益すは、価十朋の大亀で、推辞し得ず。永く貞を守れば吉。君王はこれを用いて上帝を祭享すれば吉。朱熹《周易本義》は言う:六二はまさに下を増益する時節に当たり、中虚にして下卦に処す。だからその爻象と「占辞」は《損》卦の六五と同じである。ただしこの爻は陰爻にしてまた陰位に居り、純柔にして剛なし。だから特に「永貞」をもって戒める。それが下位に身を居して上の増益を承受するがゆえに、また郊祀の礼を占問する吉利の占となる。

程傳 六二處中正而體柔順,有虛中之象。人處中正之道,虛其中以求益,而能順從,天下孰不願告而益之。孟子曰:夫苟好善,則四海之內,皆將輕千里而來告之以善。夫滿則不受,虛則來物,理自然也。故或有可益之事,則眾朋助而益之。“十”者,眾辭眾人所是,理之至當也。“龜”者,占吉凶辨是非之物。言其至是,也不能違也。

程頤《伊川易伝》は言う:六二はすでに「中」に居りまた「当位」して、「中正」であり、しかも体質は柔順で、内心虚空の卦象がある。人がもし中正の道を守り、心を虚にして増益を求め、しかも他人に順从できれば、天下の誰が進言して彼を増益するを願わざらん。《孟子・告子下》は言う:人がもし真心から善言を好めば、四海の内の人はみな千里の遠きを事とせず、駆けつけて善言を彼に告げる。満ちれば再び装入れず、虚ければ外物こそ入り来る。これは自然の理である。だからいったん増益すべき事あれば、衆多の同類が来たり相助けて彼を増益する。「十」はその多きを形容し、衆人が一致して認可するは、まさに道理の最も恰当なるものである。「亀」は吉凶を占断し是非を弁別する物である。これは六二の為すが極めて正当で、亀卜も背き得ぬことを言う。

“永貞吉”,就六二之才而言。二中正虛中,能得眾人之益者也。然而質本陰柔,故戒在常永貞固,則吉也。求《益》之道,非永貞則安能守也。《損》之六五,十朋之則“元吉”者,蓋居尊自損,應下之剛,以柔而居剛,柔為虛受,剛為固守,求益之至善,故“元吉”也。六二虛中求益,亦有剛陽之應,而以柔居柔,疑益之未固也,故戒能常永貞固則吉也。

程頤は続けて言う:「永貞吉」は六二の資質に就いて言う。六二は中に居り正を得、内心虚空で、衆人の増益を得られる者である。しかしその本質は結局陰柔なので、長く貞固を堅守せよと戒める。こうしてこそ吉である。増益を求取する路は、長く正を守らずしてどうして守り得ようか。《損》卦の六五も同じく十朋の亀を言うが、「元吉」である。それは尊位に居りて自らを減損し得、下は九二の陽剛に応じ、陰柔の質をもって陽位に居るがゆえである。柔は虚心に接受し、剛は牢固に守持する。益を求めて極善の地に求め得たので「元吉」である。六二は虚心に益を求め、また陽剛の爻がそれと応ずるが、それは陰柔をもって陰位に居り、受ける増益がまだ牢固でないと人に疑わせる。だから長く貞固できてこそ吉と戒める。

“王用享于帝吉”,如二之虛中而能永貞,用以享上帝,猶當獲吉,況與人接物其意有不通乎。求益於人,有不應乎。祭天,天子之事,故云“王用”也。集說 王氏逢曰:為臣若是,王者用之,可享上帝。郭氏雍曰:“或益之”,人益之也。“十朋之龜弗克違”,龜神益之也。“王用享于帝吉”,天益之也。“天且弗違,況於人與鬼神乎”!

程頤は「王用いて帝に享る吉」を解して言う:六二のごとく虚心にしてまた長く正を守り得る者を、もって上帝を祭享するに用いても、なお吉を獲るべきである。況や人と交接し物と相処するに、その心意の通ぜざる有らんや。人に向かいて増益を求めるに、回応を得ざる有らんや。天を祭るは天子の職事なので「王用」と言う。「集説」に王逢を引く:臣子たる者がこの地に至れば、君王が彼を任用し、もって上帝を祭享に持ちゆける。集説はまた郭雍を引く:「或る之を益す」は人が彼を増益すること、「十朋の亀克く違わず」は亀霊が彼を増益すること、「王用いて帝に享る吉」は上天が彼を増益することである。まさに《乾・文言》の言う「天ですら彼に違わず、況や人と鬼神をや」である!

蘭氏廷瑞曰:六二柔順,受益之臣,王用之可以享帝獲吉。如成湯用伊尹而享天心, 李氏簡曰:“王用享于帝吉”,猶言使之主祭而百神享之也。鄭氏維嶽曰:王用享帝,言王用六二以享帝也,古人一德克享天心,又曰籲俊尊上帝。

集説はまた蘭廷瑞を引く:六二は柔順で、増益を承受する臣子である。君王が彼を任用すれば上帝を祭享して吉を獲られる。商湯が伊尹を任用して上は天心に合したに等しい――ここで底本に脱文があり、蘭氏の言は尽きていない。集説はまた李簡を引く:「王用いて帝に享る吉」とは、六二に祭祀を主持せしめ、百神みな来たり歆享するに等しい。集説はまた鄭維嶽を引く:「王用享帝」は君王が六二を任用して上帝を祭享せしめるを言う。古人《尚書・咸有一徳》に「徳行が純一なればこそ上は天心に合う」の言あり、《尚書・立政》にまた「俊傑の士を延攬して上帝を尊奉せよ」の言あり。

案 郭氏說,於文意甚明,“益之”者人也,“弗克違”者鬼神也。然必克當天心,乃獲是應。故《損》五《象傳》,推本於自上祐,而此爻辭又更有享於上帝之義也。鄭氏謂王用六二以享帝者極是,《隨》上《升》四,其義皆同。但彼云“西山”“岐山”,而此云“上帝”者,彼但言鬼神享之而已,此爻上文既云朋龜弗違,則鬼神其依之義已見,故復推而上之至於上帝。若山川之神,則不大於蓍龜也。

李光地の按:郭雍の説は文意を極めて明らかに講じた。来たりて「之を益す」は人であり、「克く違わず」は鬼神である。しかし必ず真に天心に合してこそ、このような感応を獲る。だから《損》卦六五の《象伝》は、根由を上天の保祐に帰する。而して《益》卦のこの爻の爻辞は、さらに進んで上帝を祭享する意ある。鄭維嶽の言うこれ君王が六二を任用して上帝を祭享せしめるは、極めて確当である。《随》卦の上爻、《升》卦の六四、義例はみな同じ。ただあの二カ所の言うは「西山」「岐山」で、ここに言うは「上帝」である。あの二カ所はただ鬼神が来たり歆享するを言うのみで、この爻は上文にすでに衆人と亀卜がいずれも背かぬと言い、鬼神の依从の意はすでに顕れた。だからさらに上に推して上帝に及ぶ。山川の神に至っては、分量は蓍亀より大ならざるなり。

六三,益之用凶事,無咎,有孚中行,告公用圭。本義 六三陰柔不中不正,不當得益者也。然當益下之時,居下之上,故有益之以凶事者,蓋警戒震動,乃所以益之也。占者如此,然後可以“無咎”。又戒以“有孚中行”而“告公用圭”也,用圭所以通信。

経文:六三、凶険の事を用いてそれを益す。咎なし。誠信を心存して行事は中道に合し、王公に禀告するに圭を執て信と為す。朱熹《周易本義》は言う:六三は陰爻にして陽位に居り、「中」に居らずまた「当位」せず、もともと増益を得べきに非ず。しかしまさに下を増益する時節に当たり、また下卦の頂端に処す。だから凶険の事をもってそれを益すと言う説が現れた――警戒震動を用いてそれを磨礪するが、まさにそれを増益する方法である。占卦の人がこのように致せば、そうして後「咎なし」とできる。爻辞はまた彼に「孚ありて中行」かつ「公に告げるに圭を用う」べきを戒める。圭を執るは信実を通達するに用いる。

程傳 三居下體之上,在民上者也,乃守令也。居陽應剛,處動之極,居民上而剛決,果於為益者也。果於為益,用之“凶事”則“無咎”。“凶事”,謂患難非常之事。三居下之上,在下當承稟於上,安得自任擅為益乎。唯於患難非常之事,則可量宜應卒,奮不顧身,力庇其民,故“無咎”也。

程頤《伊川易伝》は言う:六三は下卦の最上爻に処し、百姓の上に在る人で、すなわち郡守県令の類の地方官である。それは陽位に居り、上は陽剛に応じ、また震動の体の極点に処す。百姓の上に身を在して剛強果決は、敢えて手を放して利を興す者である。敢えて手を放して利を興す者は、「凶事」に用いれば「咎なし」。いわゆる「凶事」とは、患難変故の類の非常の事を指す。六三は下卦の頂端に処し、下位に身を居してもともと事事上に禀承すべきで、どうして自ら主張し擅自に利を興せようか。ただ患難変故の類の非常の事に遇うてのみ、事宜を酌量し倉卒に応付し、身を奮って顧みず、力を尽くして治下の百姓を庇護できる。だから「咎なし」。

下專自任,上必忌疾,雖當凶難,以義在可為,然必有其孚誠,而所為合於中道,則誠意通於上,而上信與之矣。專為而無為上愛民之至誠,固不可也。雖有誠意,而所為不合中行,亦不可也。圭者通信之物,《禮》云;大夫執圭而使,所以申信也。凡祭祀朝聘,用圭玉,所以通達誠信也。有誠孚而得中道,則能使上倍之,是猶告公上用圭王也,其孚能通達於上矣。

程頤は続けて言う:下の人が擅自に主を作れば、上は必ず猜忌して悪む。まさに凶険の難に当たり道義に按じて放胆して為し得るとはいえ、なお必ず自ら誠信を懐き、為す所がまた中道に合してこそ、誠意が上に通達し、上こそ信任し支持するを肯ず。ただ擅自に為すを顧みて、君上のために憂を分かち百姓のために着想する至誠がなければ、固然として不可である。誠意あるも、為す所が中道に合せざれば、また不可である。圭は信実を通達するに用いる器物で、《礼記》に言う:大夫が出使する時に圭玉を手執するは、すなわち信実を申明するに用いる。およそ祭祀・朝覲・聘問には、みな圭玉を用いる。誠信を通達する為である。誠信ありてまた中道に合すれば、上をして彼に信従せしめることができる。これは王公に禀告する時に圭を執て信と為すに等しく、その誠信が上に通達できるのである。

在下而有為之道,固當“有孚中行”。又三陰爻而不中,故發此義。或曰:三乃陰柔,何得反以剛果任事為義,曰:三質雖本陰,然其居陽乃自處以剛也。應剛,乃志在乎剛也。居動之極,剛果於行也。以此行益,非剛果而何。《易》以所勝為義,故不論其本質也。

程頤は言う:下位に身を居して作為する所有らんと欲するは、もともと「孚ありて中行」すべきである。況や六三は陰爻にしてまた「中」に居らず。だから特にこの一層の道理を発明する。ある人が問う:六三はすでに陰柔なり、どうしてかえって剛強果決に任事するをもって義を立てるか。答えて曰く:六三の資質は本属陰なりといえど、それが占むるは陽位で、すなわち自ら剛をもって自処す。それが上は陽剛に応ずるは、すなわち心志が剛に在り。それが震動の体の極点に処するは、すなわち行動上剛強果決なり。このような姿態をもって増益の事を行うは、剛果ならずして何ぞや。《周易》の取義は、どちらの面が上風を占めたかを見る。だからその本来の質地に拘泥するに及ばない。

集說 王氏安石曰:以至誠而中行,則不獨“無咎”,可以成功。“圭”者所以告成功也。游氏酢曰:益則吉矣,而“用凶事”者,所謂吉人凶其吉也。三居下體之上,當震之極,不用凶事,則高而危,滿而溢矣。《朱子語類》云:“益之用凶事”,猶《書》言:用降我凶德,嘉績於朕邦。蔡氏淵曰:“凶事”,困心衡慮之事,在一卦之中,故三四皆曰“中行”。

「集説」に王安石を引く:至誠の心をもって行事が中道に合すれば、「咎なし」に止まらず、功業を成就できる。「圭」はまさに功業すでに成るを禀報するに用いる。集説はまた游酢を引く:増益を得るはもともと吉であるべきに、あえて「凶事を用い」る。これがいわゆる福ある人がかえって自己の福を凶険と見做して警惕するである。六三は下卦の頂端に処し、また震動の体の極点に当たる。凶険の事を用いてそれを磨かざれば、位高により危うく、盈満により溢れん。集説はまた《朱子語類》を引く:「益するに凶事を用い」るは、《尚書・盤庚》の言う「上天の降す災禍を借りて我が悪徳を去り、これにより我が邦国に美好の功績を成就す」に等しい。集説はまた蔡淵を引く:「凶事」は人心思を困苦せしめ思慮を横塞する事である。六三・六四はいずれも一卦の中間に在るので、両爻ともに「中行」と言う。

蔡氏清曰:當《益》之時,概當得益,而居於之上,乃危地也,故獨為“益之”以“凶事”之象。雖益之而以凶事,雖凶事亦益之也。所謂苦其心志,行拂亂其所為,所以動心忍性,增益其所不能者也。其功夫又在“有孚中行”上。張氏振淵曰:益不以美事而以凶事,如投之艱難,置之盤錯,警戒震動之謂也。“無咎”,言可因是而遷善樸過也。下二句,正言其所以“無咎”。“有孚”者,滌慮洗心,

集説はまた蔡清を引く:まさに《益》卦の時節に当たり、各爻は大体みな増益を得べきであるが、六三は下卦の上に居り、危険の位置である。だから単に「凶事」をもって「之を益す」の卦象が現れた。増益と言うも、用いるは凶事である。凶事と言うも、実は依然として増益である。これが《孟子・告子下》の言う「その心志を困苦せしめ、その為す所を攪乱す」で、為すはその心を震動しその性を堅忍し、そのもともと欠缺する本领を増長せんがためである。而して工夫を下す所は、また「孚ありて中行」に落ちる。集説はまた張振淵を引く:彼を増益するに美好の事を用いず、あえて凶険の事を用いるは、彼を艱難に投じ盤根錯節の局面に置くに等しく、警戒して彼を震動する意である。「咎なし」と言うは、彼がこれを借りて善道に遷り過失を補正できるを講ずる。爻辞の以下の二句は、まさに彼が「咎なし」たり得る所以の縁由を説明する。いわゆる「孚あり」は、思慮を洗滌し心地を洗浄す――ここで底本に脱文があり、張氏の言は尽きていない。

案 此爻與《損》之六四相反對,損四受下之益者,此爻受上之益者。然皆不言所益,而曰“疾”,曰“凶事”,蓋三四凶懼之位也。故其獲益,亦與他爻不同。在上位者而知《損》四之義,則不以下之承奉為益,而能匡其過,能輔其所不逮者,乃益也。在下位者而知此爻之義,則不以上之恩榮為益,而試之諸艱,投之以多難者,乃益也。然在《損》四則宜速以改過,在此爻則宜緩以通誠,乃有以為受益之地。

李光地の按:《益》卦のこの爻は《損》卦の六四とちょうど相対する。《損》卦の六四は下の増益を承受する者で、この爻は上の増益を承受する者である。しかし両爻とも得る所の増益が何かを言わず、ただ一つは「疾」、一つは「凶事」を言うのみ。三・四の両位はもともと《繫辞伝》のいわゆる凶多く懼れ多き位置なので、それらの獲る増益も他の爻と異なる。上位に居る者がもし《損》卦六四の道理を知れば、下の承奉を増益とせず、自己の過失を糾正し自己の不及の処を補足できるを真の増益とする。下位に居る者がもし《益》卦のこの爻の道理を知れば、上の恩寵栄顕を増益とせず、各種の艱険をもって自己を試煉し重重の困難をもって自己を磨礪するを真の増益とする。ただ《損》卦の六四は迅速に過を改むるに貴び、《益》卦のこの爻は从容に誠意を上に通達するに貴ぶ。こうしてこそ増益を承受する余地ある。

六四,中行,告公從,利用為依遷國。本義 二四皆不得中,故皆以“中行”為戒。此言以益下為心,而合於“中行”,則“告公”而見“從”矣。《傳》曰:周之東遷,晉鄭焉依。蓋古者遷國以益下,必有所依,然後能立。此爻又為遷國之吉占也。

経文:六四、行事が中道に合し、王公に禀告すれば聴従され、用いて大国に依托して国都を遷移するに宜し。朱熹《周易本義》は言う:六二と六四はいずれも「中」に居らず。だからいずれも「中行」をもって戒める。ここに言うは、ただ下民を増益するをもって存心とし、また「中行」に合せば、王公に禀告すれば采納される。《左伝》に記す:周室が東に洛邑に遷ったは、晋と鄭の扶持に恃んだ。おおよそ古代の国都遷移は下民を増益する為で、必ず依托する所有りて後、立ち得た。この爻はまた国都遷移を占問する吉利の占である。

程傳 四當益時,處近君之位,居得其正,以柔巽輔上,而下順應於初之剛陽,如是可以益於上也。唯處不得其中,而所應又不中,是不足於中也。故云若行得中道,則可以益於君上,告於上而獲信從矣。以柔巽之體,非有剛特之操,故“利用為依遷國”。“為依”,依附於上也。“遷國”,順下而動也。上依剛中之君,而致其益,下順剛陽之才,以行其事,利用如是也。自古國邑,民不安其居則遷。遷國者,順下而動也。

程頤《伊川易伝》は言う:六四はまさに増益の時節に当たり、君主に接近する位置に処し、また「当位」して正を得、柔順謙遜をもって上を輔佐し、下においては初九の陽剛に順応す。こうすれば上に対して増益する所有り。ただその処する爻位は「中」に居らず、応ずる初九も「中」に居らず、「中」の一点に欠缺ある。だから爻辞は言う:もし行事が中道に合し得れば、君上を増益し、上に禀告して信任采納を獲られる。それは柔順謙遜を体と為し、剛強特立の操守を並び持たない。だから「用いて依りて国を遷すに利あり」。「為依」は上に依附し、「遷国」は下情に順応して行動す。上には陽剛中に居る君主に依托し、これにより自己の増益を奉献し、下には陽剛の才に順応し、これにより事を成す。いわゆる「利用」はまさにこのようである。古来の国都城邑は、百姓がそこに安住できなければ遷り去る。国都を遷移するは、まさに下情に順応して行動するなり。

集說 吳氏曰慎曰:四正主於益下者,然非君位,不敢自專,必告於公也,“中行”則見從矣。案 此爻亦與《損》三相反對,《損》三為卦之所損以益上者。此爻為卦之所損以益下者,故辭義相類。《損》三無私交而與上同德,乃可以益上。此爻不專己而與上同德,乃可以益下也。“用”,用六四也,與六二“王用”之“用”同。”遷國”,大事也,亦即卦之所謂“利有攸往,利涉大川”者也。

「集説」に呉曰慎を引く:六四はまさに下民を増益するを主管する一爻であるが、君位には在らず、自ら主張して専断するを敢えてせず、必ず王公に禀告せねばならない。行事が「中行」に合しさえすれば、聴従される。李光地の按:この爻もまた《損》卦の六三とちょうど相対する。《損》卦の六三は全卦の減損する所にして上を増益するに用いる爻で、《益》卦のこの爻は全卦の減損する所にして下を増益するに用いる爻である。だから両処の辞義は相類す。《損》卦の六三は私相結交せず上と同徳であってこそ、上を増益できる。《益》卦のこの爻は自ら専断せず上と同徳であってこそ、下を増益できる。爻辞の「用」は六四を任用するで、六二の「王用」の「用」と同じ。「遷国」は国家の大事で、すなわち卦辞の言う「往く所有るに利あり、大川を渉るに利あり」である。

九五,有孚惠心,勿問,元吉,有孚惠我德。本義 上有信以惠於下,則下亦有信以惠丁上矣,不問而“元吉”可知。程傳 五剛陽中正居尊位,又得六二之中正相應,以行其益,何所不利。以陽實在中,“有孚”之象也。以九五之德之才之位,而中心至誠在惠益於物,其至善大吉,不問可知,故云“勿問元吉”。人君居得致之位,操可致之權,苟至誠益於天下,天下受其大福,其“元吉”不假言也。“有孚惠我德”,人君至誠益於天下,天下之人,無不至誠愛戴,以君之德澤為恩惠也。

経文:九五、誠信を懐きて恵を施す心を存すれば、問わずとも、大善にして吉。下もまた誠信を懐きて我が徳沢を感戴す。朱熹《周易本義》は言う:上が誠信をもって下に恵を施せば、下もまた誠信をもって上に回報す。問うに及ばず、「元吉」は想見すべきである――底本はここに「恵于上」の「于」を誤って「丁」と刻す。程頤《伊川易伝》は言う:九五は陽剛にしてまた「中正」で、尊位に居り、また六二という中正の爻がそれと応ずるを得、もって増益の政を推行す。なんの順ならざる有らん。陽爻の充実をもって上卦の中に居るは、まさに「孚あり」の卦象である。九五の徳・才・位を凭じて、内心の至誠はただ万物に恵を施すに在り。その至善大吉は問わずとも知れる。だから「問う勿れ元吉」と言う。人君は事を成し得る位置を占め、事を成し得る権柄を握る。ただ至誠に天下を増益すれば、天下はその大福を承受し、その「元吉」は自ずから再び言うに及ばない。「孚ありて我が徳を恵む」に至っては、人君が至誠に天下を増益すれば、天下の人は至誠に愛戴せざるなく、君主の徳沢を恩惠と為して感念するを言う。

集說 王氏弼曰:得立履尊,為《益》之主者也。為益之大,莫大於信,為惠之大,莫大於心。因民,所利而利之焉,惠而不費。惠心者也,信以惠心,盡物之願,固不待問而“元吉”,以誠惠物,物亦應之,故曰“有孚惠我德”也。呂氏祖謙曰:人君但誠心惠民,不須問民之感,如此然後“元吉”,民皆交孚而惠君之德也。苟惠民而先問民之感不感,是計功利,非誠心惠民者也,安能使民之樂應乎。

「集説」に王弼を引く:九五は尊位に身を立て、《益》卦の主爻である。増益の事を行うに、誠信より大なるはなし。恩惠の事を行うに、本心より出ずるより大なるはなし。百姓の利と認むる所に順って彼らを利せしむれば、これは《論語・尭曰》の言う「恵みて費えず」であり、またまさに「恵心」である。誠信をもってこの施恵の心を推行し、万物の願望を満足せしめれば、もともと問わずとも「元吉」である。至誠をもって物に恵を施せば、物もまた誠をもって相応ず。だから「孚ありて我が徳を恵む」と言う。集説はまた呂祖謙を引く:人君はただ誠心をもって民に恵を施せばよく、百姓が感激するや否やを問うに及ばない。こうしてこそ「元吉」で、百姓もみな彼此相信じて君主の徳沢を感念する。もし民に恵を施しながら先に百姓の感ずるや否やを問えば、それは功利を計較するのであって、誠心をもって民に恵を施す人に非ず。どうして百姓をして楽しく回応せしめ得ようか。

鄭氏維嶽曰:《損》之六五,受下之益者也。《益》之九五,益下者也。《損》六五受益而獲“元吉”,《益》九五但知民之當益而已,“勿問元吉”也,此惠心之出於“有孚”者也。然上雖不望德於民,而民固德其惠矣。其德其惠,亦出於“有孚”也,故曰王道本子誠意。案 “勿問”二字,呂氏說是,觀孔子《象傳》可見。

集説はまた鄭維嶽を引く:《損》卦の六五は下の増益を承受し、《益》卦の九五は下を増益する。《損》卦の六五は益を受けて「元吉」を獲、《益》卦の九五はただ百姓の増益を得べきを知るのみ。だから「問う勿れ元吉」。これは施恵の心が誠信より出づる。しかし上は百姓の感恩を指望せざるも、百姓は自然にその恩惠を感念す。百姓の感念と君主の恩惠は、同じく誠信より出づ。だから王道は誠意をもって根本と為すと言う。李光地の按:「勿問」の二字は、呂祖謙の解釈が正しい。孔子の作した《象伝》を見れば明らかである。

上九,莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。本義 以陽居益之極,求益不已,故“莫益”而“或擊之”。“立心勿恆”,戒之也。程傳 上居無位之地,非行益於人者也。以剛處益之極,求益之甚者也。所應者陰,非取善自益者也。利者,眾人所同欲也。專欲益己,其害大矣。

経文:上九、それを益す人なく、かえってそれを撃つ人有り。心を立てて恒を守らざれば、凶。朱熹《周易本義》は言う:上九は陽爻をもって《益》卦の極点に居り、増益を求めて已まない。だから「益する莫し」にして「或る之を撃つ」。「心を立てて恒勿し」はそれを戒める。程頤《伊川易伝》は言う:上九は職位なき所に処し、もともと他人に増益を施与する人に非ず。それは陽剛をもって増益の極点に処し、益を求めて過分なる人である。それが応ずる六三は陰爻で、また人の善を取りて自己を増益する対象に非ず。利は衆人の共に欲する所で、一心にただ自己を増益せんとすれば、害は大きい。

欲之甚,則昏蔽而忘義理。求之極,則侵奪而致仇怨。或夫子曰:放於利而行多怨,孟子謂先利則不奪不厭,聖賢之深戒也。九以剛而求益之極,眾人所共惡,故無益之者,而或攻擊之矣。“立心勿恆凶”,聖人戒人存心不可專利。云“勿恆”如是,“凶”之道也,所當速改也。

程頤は続けて言う:貪欲が重すぎれば、昏昧蒙蔽して義理を忘る。求取が極点に至れば、他人を侵奪して仇怨を招く。《論語・里仁》に孔子の言を記す「ひたすら私利に依って事を為せば、招く怨恨は多し」。《孟子・梁恵王上》は言う:利を前頭に擺けば、臣下は君上の物を奪い尽くさずして罷まず――これらはみな聖賢の深切なる告戒である。上九は陽剛をもって増益を求めて極点に至り、衆人の共に悪む所である。だから彼を益す人なく、かえって彼を撃つ人有り。「心を立てて恒勿し凶」は、聖人が人に存心は私利を専図すべからずと告戒する。「恒勿し」と言うの意は、このように心を存し続ければ「凶」の路子に走向することなので、急いで改めるべきである。

集說 孔氏穎達曰:上九處《益》之極,益之過其者也。求益無厭,怨者非一,故曰“莫益之,或擊之”也。“勿”,猶無也。求益無巳,是“立心無恆”者也。無恆之人,必凶咎之所集。

「集説」に孔頴達を引く:上九は《益》卦の極点に処し、増益を得ること過頭の爻である。増益を求めて永く満足せざれば、彼を怨恨する者は一人に止まらない。だから「之を益す莫し、或る之を撃つ」と言う。爻辞の「勿」は「无」に相当す。増益を求めて終わりなきは、すなわち「心を立てて恒无き」人である。恒常なき人は、必ず凶険と咎害の聚集する所である。

案 卦義損上益下,則上者受損之極者也。若以受損為克己利於亦可,而爻義不然者,蓋能克己利下,則受益莫大焉,不得雲受損矣。故損上以處損之終,自損之極,而得益為義。此爻以處益之終,自益之極而得損為義。《書》云:滿招損,謙受益。兩爻之意相備也。

李光地の按:《益》卦の卦義は上を損し下を益すなれば、上九は損を受けること極点の爻である。もしこの受損を自己を克制して下を利するに解せば、もともと講じ通るが、爻義はこのように立てず。一人が自己を克制して下を利益し得れば、受ける増益はこれより大なるはなく、受損と言うこともできないからである。だから《損》卦の上九は、減損の世の終点に処し自己を減損すること極点にしてかえって増益を得るをもって義を立て、《益》卦のこの爻は、増益の世の終点に処し自ら増益を求むること極点にしてかえって減損を招くをもって義を立てる。《尚書・大禹謨》は言う「自満は損失を招き、謙虚は増益を得」。この二爻の用意はちょうど相互に補足する。

總論 熊氏良輔曰:《損》、《益》二卦,皆以損陽益陰為義。《損》自泰來者也,益自《否》來者也。天下之理,未有《泰》而不《否》,《否》而不《泰》,亦未有損而不益。益而不損者,故《泰》居上經十一卦,而《損》居下經十一卦。《泰》、《否》、《損》、《益》為上下經之對,後天序易,其微意蓋可識矣。

「総論」に熊良輔を引く:《損》《益》の二卦は、いずれも陽爻を減損し陰爻を増益するを義と為す。「卦変」に按じれば、《損》卦は《泰》卦から変じ来たり、《益》卦は《否》卦から変じ来たる。天下の道理に、一直に泰して否ならず、一直に否して泰ならざるはなく、またただ損して益せず、ただ益して損せざるもなし。だから《泰》卦は上経の第十一卦に排し、《損》卦は下経の第十一卦に排す。《泰》《否》と《損》《益》はまさに上下両経の彼此相対する一組である。後天に排定せられたる《周易》の卦序、その中の深意はおおよそこれにより見出せる。

夬卦・兌上乾下

夬.兌上.乾下程傳 《夬序卦》:“益而不已必決,故受之以夬,夬者決也。”益之極,必決而後止,理無常益,益而不已,已乃決也,《夬》所以次《益》也。為卦兌上乾下,以二體言之,澤,水之聚也,乃上於至高之處,有潰決之象。以爻言之,五陽在下,長而將極,一陰在上,消而將盡,眾陽上進,決去一陰,所以為《夬》也。《夬》者剛決之義,眾陽進而決去一陰,君子道長,小人消衰,將盡之時也。

卦画の標注:《夬》卦は、上卦が兌、下卦が乾。程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に《夬》卦が《益》卦に承くことを講じて「増益やまざれば、必ず潰決す。故に続いて《夬》卦を排す。夬とはすなわち決なり」とある。増益が極点に至れば、必ず潰決して後に止まる。天下に一直に増益する道理なく、益して已まざれば、到頭は決口である。だから《夬》卦は《益》卦の後に排す。卦体から言えば、上卦は兌、下卦は乾。沢は水の汇聚で、今この一汪の水が最高処に升れば、潰決の形象あり。爻位から言えば、五つの陽爻が下に在り、生長して頂に至らんとす。一つの陰爻が上に在り、消退して尽きんとす。衆陽が上に向かい推進し、この一陰爻を決去せんとす。だから《夬》と名づく。「夬」は陽剛の決断の意で、衆陽が前進して一陰を決去すは、まさに君子の道が増長し小人が衰微して尽きんとする時である。

本義 “夬”,決也,陽決陰也,三月之卦也。以五陽去一陰,決之而已。然其決之也,必正名其罪,而盡誠以呼號其眾,相與合力。然亦尚有危厲,不可安肆,又當先治其私,而不可專尚威武,則利有所往也。皆戒之之辭。

底本のここの《夬》卦の卦辞はすでに脱落し、ただ一つの句号のみ残り、「王庭に揚ぐ」以下の経文は源本に見えず、以下はすぐ《本義》である。朱熹《周易本義》は言う:「夬」は決で、陽爻が陰爻を決去することで、十二消息卦の中の三月の卦に属す。五つの陽爻をもって一つの陰爻を去るは、一決すれば了りである。しかしそれを決する時には、必ず公開してその罪状を指明し、かつ誠意を竭して衆人を号召し、大家が力を合わせ心を同じくせねばならない。しかもなお危険を存し、安逸放縦すべからず。またまず自己一方の私弊を整治し、一味に武力を崇尚すべからず。こうしてこそ往く所有るに宜し。これらはみな告戒の言である。

程傳 小人方盛之時,君子之道未勝,安能顯然以正道決去之。故含晦俟時,漸圖消之之道。今既小人衰微,君子道盛,當顯行之於公朝,使人明知善惡,故云“揚于王庭”。“孚”,信之在中,誠意也。“號”者,命眾之辭。君子之道雖長盛,而不敢忘戒備,故至誠以命眾,使知尚有危道。雖以此之甚盛,決彼之甚衰,若《易》而無備,則有不虞之悔。是尚有危理,必有戒懼之心,則無患也,聖人設戒之意深矣。

程頤《伊川易伝》は言う:小人がまさに盛んの時、君子の道はなお彼らを圧し得ず、どうして公開して正道を用いて彼らを決除できようか。だから含蓄隠晦して時機を等候し、徐徐に消解の道を謀るしかない。今、小人はすでに衰微し君子の道はまさに盛んなり。朝廷上に公開して施行し、人々をして善悪を明白に看明せしむべきである。だから「王庭に揚ぐ」と言う。「孚」は誠信が心裏に存するで、すなわち誠意である。「号」は衆人を号令する言辞である。君子の道は増長興盛するも、戒備を忘るるを敢えてせず。だから至誠をもって衆人を号令し、大家をしてなお危険の一面あるを知らしむ。極盛の一方をもって極衰の一方を決去すと言うも、もし軽心して防備なければ、意想不到の懊悔ある。これはその中になお危険の理あるを説明し、必ず戒惧の心を懐いてこそ、禍患なきを得る。聖人の告戒を設くる用意は、極めて深い。

君子之治小人,以其不善也,必以己之善道勝革之,故聖人誅亂,必先修己,舜之敷文德是也。“邑”,私邑。“告自邑”,先自治也。以眾陽之盛,決於一陰,力固有餘。然不可極其剛至於太過,太過乃如《蒙》上九之為寇也。戎兵者強武之事。“不利即戎”,謂不宜尚壯武也。“即”,從也。從戎,尚武也。“利有攸往”,陽雖盛,未極乎上,陰雖微,猶有未去,是小人尚有存者,君子之道有末至也。故宜進而往也,不尚剛武,而其道益進,乃夬之善也。

程頤は続けて言う:君子が小人を整治するは、小人が不善なるがゆえに、必ず自己の善道をもって彼に勝ち彼を改造する。だから聖人が禍乱を討伐するは、必ず先に自己を修整す。虞舜が文徳を広く施したがこれである。「邑」は自己の私邑で、「邑より告ぐ」はまず自己の一辺より治め起こす。衆陽の盛を凭じて一陰を決去するは、力量はもともと绰绰として余りある。しかし剛強を極処に用いるは不可で、過分に至れば《蒙》卦の上九のごとく、かえって自ら寇盗となる。「戎兵」は強を逞くし武を用いる事で、「戎に即くに利あらず」は勇武を崇尚すべからずを言う。「即」は従で、「戎に従う」は武力を崇尚することである。「往く所有るに利あり」に至っては、陽は興盛するもまだ最上に至らず、陰は微弱するもまだ除尽せず。これは小人になお残存あり、君子の道はいまだ円満ならず。だから前進を続くべきである。剛強武力を崇尚せず自己の道は日々に推進するが、こそ《夬》卦の善き所である。

集說 游氏酢曰:“揚於正庭”,誦言於上也。“孚號”,誕告於下也。“告自邑”。自近而及遠也。胡氏炳文曰:以五陽去一陰,而彖為警戒危懼之辭不一。蓋必“揚于王庭”,使小人之罪明。以至誠呼號其眾,使君子之類合,不可以小人之衰而遂安肆也。有危道焉,不可以君子之盛而事威武也,有自治之道焉。複利往、往而為《臨》為《泰》為《夬》也。《夬》利往,往而為乾也。蓋陰之勢雖微,蔓或可滋,窮或為敵,君子固無叫不戒懼,尤不可於小人道衰之時忘戒懼也。

「集説」に游酢を引く:「王庭に揚ぐ」は朝堂上に公開してその罪を数説し、「孚号」は下に向かい広く宣告し、「邑より告ぐ」は近処より遠処に推及す。集説はまた胡炳文を引く:五つの陽爻をもって一つの陰爻を去るに、《彖辞》の中に警戒危惧の言は一句に止まらず。もとは必ず「王庭に揚げ」て小人の罪状を明白遺漏なからしめ、必ず至誠をもって衆人を号召し君子の類の人を聚合せしむべし。小人の衰微を以て安逸放縦すべからず。その中になお危険の道あるがゆえに。君子の興盛を以て一味に武を用いるも不可。その中に別に自我整治の道あるがゆえに。《復》卦は往くに利ありと言い、往き下れば《臨》と成り《泰》と成り《夬》と成る。《夬》卦は往くに利ありと言い、再び往き下れば純乾と成る。おおよそ陰の勢力は微弱なるも、蔓延すればなお滋長し得、絶路に逼められればなお反撲し得。君子はもともと戒惧すべからざる時なく、とりわけ小人の道の衰落の時に戒惧を忘るべからず。

案 以《彖傳》觀之,則“揚于王庭”者聲罪正辭也。“孚號有厲”者,警戒危懼也。“有厲”,不指時事,謂其心之憂危也。夫既曰“揚于王庭”矣,則所宣告者眾,而治之務於武斷矣。而又曰“告自邑不利即戎”,意似相反何也?曰:雖宣告者眾,而其本則在於自修。雖治之貴剛,而神武則存乎不殺也。蓋“告自邑不利即戎”,是終“孚號有厲”之意,“利有攸往”,是終“揚于王庭”之意。

李光地の按:《彖伝》をもって見れば、「王庭に揚ぐ」は罪状を宣布し名分説辞を端正し、「孚号有厲」は警戒して心に危惧を懐く。この「有厲」は当時の時局がいかに険悪かを指すに非ず、心に憂惧を存するを言う。すでに「王庭に揚ぐ」と言う以上、宣告の範囲は広く、整治するも难免武断に趨る。しかし《彖辞》はまた「邑より告げ、戎に即くに利あらず」と言い、用意は似乎相反す。これは何故か。答えて曰く:宣告の範囲は広きも、根本は自我修整に在り。整治は剛断に貴ぶも、最高明の武功は殺伐を動かさざるに在り。だから「邑より告げ、戎に即くに利あらず」は「孚号有厲」の一層の意を貫徹し尽くし、「往く所有るに利あり」は「王庭に揚ぐ」の一層の意を貫徹し尽くす。

初九,壯于前趾,往不勝,為咎。本義 “前”,猶進也。當決之時,居下任壯,不勝宜矣,故其象占如此。程傳 九陽爻而乾體,剛健在上之物,乃在下而居決時,壯於前進者也。“前趾”,謂進行,人之決於行也。行而宜,則其決為是。往而不宜,則決之過也。故“往”而“不勝”,則“為咎”也。《夬》之時而往,往決也,故以勝負言。九居初而壯於進,躁於動者也,故有不勝之戒。陰雖將盡,而己之躁動,自宜有不勝之咎,不計彼也。

経文:初九、足趾の上に強を逞くして前衝し、往けど勝つ能わず、過ちと成る。朱熹《周易本義》は言う:「前」は進に相当す。まさに決除の時に当たり、身は最下に居りて一味に強を逞くす。勝てざるは理の当然なので、その爻象と「占辞」はこのように講ずる。程頤《伊川易伝》は言う:初九は陽爻にして乾体に属し、もともと剛健にして上位に宜居る物である。今や身は最下に処しまたまさに決除の時に当たるは、前進上に強を逞くする一爻である。「前趾」は歩を邁して前行するを言い、すなわち人が行動上に果決する。行動が得当なれば、その果決は是である。往きて得当ならざれば、それは果決の過頭で、だから「往」きて「勝たず」は「咎と為す」。《夬》卦の時節に往くは、往はすなわち決去しに行くので、勝負をもって言う。初九は最下の一位に居りて前進上に強を逞くすは、行動に躁る一爻である。だから勝てぬの告戒ある。陰爻は消え尽きんとすといえど、自らこのように躁動すれば、もともと勝てぬ過ちあるべきで、相手の強弱と関わりなし。

集說 蘇氏軾曰:《大壯》之長則為《夬》,故《夬》之初九,與《大壯》之初九無異。蔡氏清曰:其“不勝”者,自為不勝也。故曰“為咎”,明非時勢不利也。九二,惕號,暮夜有戎,勿恤。本義 九二當決之時,剛而居柔,又得中道,故能憂惕號呼以自戒備。而“暮夜有戎”,亦可無患也。

「集説」に蘇軾を引く:《大壮》卦に再び上へ一爻を長ぜしめれば《夬》卦と成る。だから《夬》卦の初九と《大壮》卦の初九は分別なし。集説はまた蔡清を引く:いわゆる「不勝」は、自己の造成した勝てずで、だから「為咎」と言う。時勢が彼に不利に非ざるを見るべし。経文:九二、警惕して号呼戒備し、たとえ傍晚に兵戎の来襲有るも、憂慮するに及ばず。朱熹《周易本義》は言う:九二はまさに決除の時に当たり、陽剛をもって陰位に居り、また「中」に居るの道を得。だから憂惧警惕し衆人を号呼して自ら戒備し得。こうすればたとえ傍晚に兵戎有るも、禍患なきを得る。

程傳 《夬》者,陽決陰,君子決小人之時,不可忘戒備也。陽長將極之時,而二處中居柔,不為過剛。能知戒備,處決之至善也。內懷兢惕,而外嚴誠號,雖“暮夜”有兵戎,亦可“勿恤”矣。集說 張子曰:警懼申號,能“孚號”而“有厲”也。以必勝之剛,決至危之柔,能自危厲,雖有戎何恤。蘇氏軾曰:“暮夜”,警也。“有戎”“勿恤”,靜也。

程頤《伊川易伝》は言う:《夬》は陽が陰を決去し、君子が小人を決除する時で、戒備を忘るべからず。まさに陽気の増長が頂点に至らんとする時、九二は「中」に居りて陰位に処し、剛強の過頭に至らず、また戒備を知る。これは決除の事を処理する最も妥善の態度である。内心に兢兢の警惕を懐き、外に厳整に誠をもって号令すれば、たとえ傍晚に兵戎の来犯有るも、「恤れず」、愁うるに及ばない。「集説」に張載を引く:警惕畏懼して反復して号令を申明すは、まさに「孚号」かつ「有厲」を能くする。必勝の陽剛をもって極危の陰柔を決除するに、なお自ら危惧の心を保持し得れば、たとえ兵戎有るも何をか憂えん。集説はまた蘇軾を引く:「暮夜」は警惕の一面を講じ、「戎有りて恤れず」は鎮静の一面を講ずる。

王氏申子曰:彖言”孚號”,而以“有厲”處之矣。二剛得中而知戒懼,故亦”惕號”。蓋必如是而後可免小人乘間抵隙之憂,故雖暮夜陰伏之時有兵戎,亦不足慮矣,以防之密而備之素也。吳氏曰慎曰:剛中居柔,能憂惕號呼,即彖之“孚號有厲,告自邑,不利即戎”者也,雖“暮夜有戎”而無憂。

集説はまた王申子を引く:《彖辞》は「孚号」を講ずるが、それを「有厲」の心態をもって処置する。九二は陽剛にして「中」を得、また戒惧を知る。だからまた「惕号」である。必ずこうあってこそ、小人が隙に乗じ空子を鑚るの憂患を免れ得る。だからたとえ傍晚の陰気潜伏の時に兵戎の来襲有るも、慮るに足らず。防範は周密にして平素に早く準備有ればなり。集説はまた呉曰慎を引く:九二は陽剛にして中に居り陰位に処し、憂惧警惕し号呼戒備し得。これはまさに《彖辞》の言う「孚号有厲、邑より告げ、戎に即くに利あらず」。だから「暮夜に戎有り」といえども憂愁するに及ばない。

案 此爻辭有以“惕號莫夜”為句,“有戎勿恤”為句者,言莫夜人所忽也。而猶惕號,則所以警懼者素矣。有戎人所畏也,而不之恤,則所以持重者至矣。蓋即彖之所謂“孚號有厲”,“不利即戎”者也。夫唯無事而惕號,故有事而能“勿恤”。史稱終日欽欽,如對大敵,及臨陳則志氣安閒,若不欲戰者是也。

李光地の按:この爻辞はある人が「惕号莫夜」の一句と「有戎勿恤」の一句に断つ。「莫夜」はすなわち傍晚で、人の疏忽し易き時である。而して彼は依然として警惕号呼す。平素の警惧がすでに習慣と成れるを見るべし。兵戎有るは人の害怕する所で、而して彼は憂慮せず。持重の功夫がすでに到家せるを見るべし。これもまた《彖辞》の言う「孚号有厲」と「戎に即くに利あらず」である。平安無事の時にも警惕号呼するがゆえに、真に事有る時にこそ「勿恤」を能くする。史書が名將を称許して終日小心謹慎にして強敵に面するがごとく、真に臨陣するに及んで、かえって神気は从容閑適にして戦いを思わざるがごとくと言うは、まさにこの道理を言う。

此卦當以九五為卦主,而彖辭之意獨備於九二者,蓋九二遠陰,主子平時,則發“孚號”告邑“不利即戎”之義。九五近陰,主於臨事,則發“揚于王庭,利有攸往”之義,然其為中行中道則一也。

李光地は続けて言う:この卦はもともと九五をもって卦主と為すべきだが、《彖辞》の意はあえて九二の爻の裏に最も完備す。原因は九二があの陰爻から遠く、主管するは平日無事の時で、だから発揮するは「孚号」「邑より告げ」「戎に即くに利あらず」の一層である。九五はあの陰爻に近く、主管するは事に臨み変に応ずる時で、だから発揮するは「王庭に揚げ、往く所有るに利あり」の一層である。しかし両爻は同じく中道を行い「中行」を守る。この一点は完全一致する。

九三,壯于頄,有凶,君子夬夬,獨行遇雨,若濡有慍,無咎。本義 “頄”,顴也。九三當決之時,以剛而過乎中,是欲決小人,而剛壯見於面目也。如是則有凶道矣,然在眾陽之中,獨與上六為應,若能果決其決,不繫私愛,則雖合於上六,如”獨行遇雨”,至於“若濡”,而為君子所慍,然終必能決去小人而無所咎也。溫嶠之於王敦,其事類此。

経文:九三、強を逞くする色を顴骨に露わせば、凶険あり。君子は果決にまた果決にして、独自前行して雨に遇い、濡れたるがごとく同伴の不快感を惹くも、咎はなし。朱熹《周易本義》は言う:「頄」は顴骨である。九三はまさに決除の時に当たり、陽剛にしてまた「中」を過ぐ。これは小人を決除せんと欲して、剛強の気をことごとく臉面に露わす。こうすれば凶険の道あり。しかし衆陽の中で、ただそれのみ上六と応ず。もしそれが決すべきに果断に決し、私人の情愛に牽繋せざれば、たとえ一時上六と合して、「独行して雨に遇い」し「濡るるが若く」濡れたるに至り、同伙の君子に不滿せられるも、最終に仍り必ず小人を決去して咎なし。晋代の温嶠が王敦を対付したあの件は、これと正に相似す。

程傳 爻辭差錯,安定胡公移其文曰:“壯于頄有凶,獨行遇雨,若濡有慍,君子夬夬,無咎”,亦未安也。當云“壯於順有凶,獨行遇雨,君子夬夬,若濡有慍,無咎”。夬決尚剛健之時,三居下體之上,又處健體之極,剛果於決者也。“頄”,顴骨也,在上而未極於上者也。三居下體之上,雖在上而未為最上,上有君而自任其剛決,“壯于頄者”也,有凶之道也。“獨行遇雨”,三與上六為正應,方群陽共決一陰之時,己若以私應之,故不與眾同而獨行,則與上六陰陽和合,故云“遇雨”。

程頤《伊川易伝》は言う:この爻辞の次序に錯乱あり。安定先生胡瑗は文句を「頄に壮んなれば凶有り、独行して雨に遇い、濡るるが若くして慍有り、君子夬夬たり、咎なし」に調整せるも、なお妥当ならず。应当「頄に壮んなれば凶有り、独行して雨に遇い、君子夬夬たり、濡るるが若くして慍有り、咎なし」と為すべし――底本はここに「順に壮んなれば」の「順」の字は「頄」の字の訛り。《夬》卦の決除の時は剛健を崇尚す。九三は下卦の最上爻に処し、また乾という健体の頂端に居るは、決除に果決する一爻である。「頄」は顴骨で、位置は上に在りてまた最上に非ず。正に九三の下卦の上に処するに合す。上に在りて最上に非ず、上頭になお君主ありて、自己は擅自にその剛断を逞くす。これが「頄に壮んなり」で、凶を招く道である。「独行して雨に遇い」に至っては、九三と上六は正応で、まさに群陽が力を合わせ共に一陰を決する時、それがもし私情をもって上六に応ずれば、衆人と同じからず独自に行動し、ここに上六と陰陽和合す。だから「雨に遇い」と言う。

《易》中言雨者,皆謂陰 集說 陸氏希聲曰:當君子之世而應小人,故外有沾汙之累,內有慍恨之心。然後獲“無咎”者,志有存焉。王氏安石曰:九三乾體之上,剛亢外見,“壯于頄”者也。“夬夬”者,必乎夬之辭也,應乎上六,疑於汙也,故曰“若濡”。君子之所為,眾人固不識,“若濡”則“有慍”之者矣。和而不同,有“夬夬”之志焉,何咎之有。

底本はここに脱文ありて、ただ上文の按語の末句のみ残る:《周易》の中でおよそ「雨」を講ずるは、みな陰気を指す。「集説」に陸希声を引く:九三は君子の道の当たる時代に身を処しながら、上六という小人と応ず。だから外において汚点に沾染する牽累を免れず、内にも悩恨の心を存す。こうして後に仍り「咎なし」を得るは、彼の小人を決去する志向が始終変わらざるがゆえに。「集説」はまた王安石を引く:九三は乾体の最上爻に居り、剛強高亢の気が外に顕露す。まさに爻辞の言う「頄に壮んなり」のあの種の人である。「夬夬」は必ず決断せんとする措辞である。九三と上六は「応与」の関係ありて、人に同流合汚と疑心せられ易し。だから「濡るるが若く」と言い、沾湿せられたるがごとし。君子の作為は、衆人はもともと看明せず、彼を見て沾湿せられたるがごとくあれば、彼に心生して慍怒する人有り。しかし彼は和順にして苟同せず、胸中に自ら決してまた決する志向あり。なんの過ちあらん。

郭氏雍曰:《夬》與《大壯》內卦三爻相類,故初九九三言“壯”。壯者小人用剛之事,非大者之壯也。二卦九三皆具君子小人二義,故《大壯》曰“小人用壯,君子用罔”。而此曰“壯于頄有凶,君子夬夬”是也。以小人用壯言之,則知“壯于頄”者,小人之事也,是以“凶”也。唯君子明“夬夬”之義,則終“無咎”矣。

「集説」に郭雍を引く:《夬》卦と《大壮》卦の内卦の三爻は性質相近し。だから両卦の初九・九三はいずれも「壮」を講ずる。この「壮」は小人が一味に剛強を逞用する事で、《大壮》卦名の指す大者の壮に非ず。両卦の九三はいずれも君子・小人の二層の意を兼含す。だから《大壮》の九三は「小人は壮を用い、君子は罔を用う」と言い、《夬》卦の九三は「頄に壮んなれば凶有り、君子夬夬たり」と言う。まさに同一路の筆法である。小人が強を逞くする一面から見れば、剛強を顴骨面容に顕すは小人の做法と知る。これによりてこそ「凶」と断ず。ただ君子のみ決してまた決するの道理を知りて、こそ到頭過ちを留めざるを能くす。

《朱子語類》云:君子之去小人,不必悻悻然,見於面目。至於“遇雨”而為所濡溼,雖為眾陽所慍,然志在決陰,故得“無咎”也。蓋九三雖與上六為應,而以剛居剛,有能決之象。故“壯于頄”則“有凶”,而和柔以去之乃“無咎”。

「集説」に《朱子語類》を引く:君子が小人を除去するは、必ずしも一臉に怒気を漲らせ憤恨を面孔に擺するを要せず。たとえ爻辞の言う「雨に遇い」のごとく濡れたるとなり、同類の衆陽爻に埋怨せられても、心志を始終陰柔の小人を決去する上に放てば、災禍なきを得る。九三は上六と「応与」の関係あるも、それは陽剛の爻をもって陽剛の位に居り、本身に決断し得るの象あり。だから剛強を顴面に顕せば凶を招き、平和柔順の手段に改めて小人を去れば、かえって過ちなし。

蔡氏清曰:大意謂君子之去小人,顧其本心何如耳。本心果是要決小人,則雖暫與之合,而為善類之慍,終必能決之而“無咎”。不愈於“壯于頄”而“有凶”乎,此所以貴於決而和也。何氏楷曰:上六為成兌之主,澤上於天,故稱“雨”。以其適值而非木心也,故稱“遇”。本非濡也,而跡類之,故稱“若”。或觀其跡而不察其心也,故稱有“慍”。

「集説」に蔡清を引く:この爻の大意は、君子が小人を除去するに、ただその本心が究竟如何を見る。本心が確かに小人を決去せんと欲せば、たとえ一時小人と往来有りて善類の埋怨を招くも、最終に必ず小人を決除し乾淨にして過ちを留めず。これは剛強を顴面に顕して凶を招くに比べて強きこと甚だしからずや。だからこの爻は最も決断もでき和順もできるを重んず。「集説」はまた何楷を引く:上六は上卦の兌体を成就する主爻で、兌は沢為り、沢気は天に升る。だから「雨」と称す。この雨は恰好碰上したので、九三の本心より出ず(底本の「木心」は「本心」と作るべし)。だから「遇」と称す。彼はもともと沾湿せられず、ただ行跡が沾湿せられたるに見ゆ。だから「若」と称す。旁人はただ行跡を見て用心を体察せず。だから「慍」怒する人有りと言う。

九四,臀無膚,其行次且,牽羊悔亡,聞言不信。本義 以陽居陰,不中不正,居則不安,行則不進,若;下與眾陽競進而安出其後,則可以“亡”其“悔”。然當決之時,志在上進,必不能也。占者聞言而信,則轉凶而吉矣。“牽羊”者,當其前則不進,縱之使前而隨其後,則可以行矣。

《夬》卦の九四の爻辞は言う:臀部に皮肉なく、行き起これば趑趄して進み難し。もし羊を牽きて行けば、悔恨は消え得べし。惜しむらくは忠言を聞きても信ずるを肯ぜず。朱熹《本義》は言う:九四は陽爻をもって陰位に居り、中に居らずまた「当位」せず。止まれば坐して安んぜず、前に往けば前進できず。彼はもし下の衆陽と争って進を抢せず、安心して衆陽の後ろを行かば、悔恨を消去し得べし。しかしまさに小人を決除する時に当たり、人々は志みな上進に在りて、彼は必ず致し得ず。占卦の人がもし勧告を聴入れかつ信じ得れば、凶を転じて吉と為し得る。いわゆる「羊を牽く」とは、羊という牲口は、汝がその前頭を挡けば肯じて行かず、放してそれを先に行かせて自ら後ろに跟えば、かえって行き動くを言う。

程傳 “臀無膚”,居不安也。“行次且”,進不前也,“次且”,進難之狀。九四以陽居陰,剛決不足,欲止則眾陽並進於下,勢不得安,猶臀傷而居不能安也。欲行則居柔失其剛壯,不能強進,故其行次且也。“牽羊悔亡”,“羊”者,群行之物。“牽”者,挽拽之義。言若能自強而牽挽以從群行,則可以“亡”其“悔”。然既處柔,必不能也。雖使聞是言,亦必不能信用也。夫過而能改,聞善而能用,克己以從義,唯剛明者能之。在它卦九居四,其失未至如此之甚。在《夬》而居柔,其害大矣。

程頤《伊川易伝》は言う:「臀に肤なし」は坐処の安穏ならざる、「行き次且たり」は行かんと欲して行き上らず、「次且」はまさに進退艱難の様子。九四は陽爻をもって陰位に居り、剛断の力量が足らず。止まらんと欲すれば、下の衆陽は一斉に上進し、形勢は彼をして坐り得ざらしむ。臀部が傷つきて安坐し得ざるがごとし。前に往かんと欲すれば、また柔位に居るがゆえに陽剛壮健の気を失い、奋力して前行できず。だから行き起こせば趑趄す。爻辞は「羊を牽けば悔亡」と言う。羊は群を成して行く牲畜で、「牽」は牽引拉拽の義。九四がもし自ら強振し、自己を牽引して群陽に随いて一同に前進すれば、悔恨を消去し得べしを言う。しかし彼はすでに柔位に処する以上、必ず致し得ず。たとえこの言を聞くも、必ず采信して照弁するを肯ぜず。過失あって改正し、善言を聞きて採用し、私意を克制して道義に服从すは、ただ剛健明達の人のみが弁じ得る。他の卦において、陽爻が第四位に居るは、毛病はなおこのように厳重に至らず。《夬》卦のこの決断の時において柔位に居れば、為害は大きい。

集說 方氏應祥曰:“牽羊”之說,《本義》謂讓羊使前而隨其後,則羊乃眾君子之象,若就兌羊之象言之,則羊還是九四。羊性善觸,不至羸角不已。聖人教以自牽其羊,抑其很性,則可以亡悔矣,是亦壯頄“有凶”之意。案 “臀”者與陰相背之物也。《夬》四《姤》三,皆與陰連體而相背,故皆以“臀”

「集説」に方応祥を引く:「牽羊」について、朱熹《本義》は羊を先に行かせて自ら後ろに跟うと解す。こうすれば羊は衆位の君子の象である。もし上卦の兌が羊為るの取象に按じて講じれば、羊はなお九四自身を指す。羊の天性は角を用いて抵触するを好み、角を撞き疲弱せしめざれば肯じて罷まず。聖人は九四に自らこの羊を牽住せしめ、あの倔强好斗の性を圧住せしむれば、悔恨を消去し得べし。これもまた九三の「頄に壮んなれば」凶を招くと同一層の意である。李光地の按:「臀」は陰と相背する部位である。《夬》卦の九四と《姤》卦の九三は、いずれも陰爻と一体に連なりてまたそれを背に向く。だからいずれも「臀」をもって象を取る。此条の按語はここに中断し、底本に脱文あり。

九五,莧陸夬夬,中行無咎。本義 “莧陸”,今馬齒莧,感陰氣之多者。九五當決之時,為決之主,而切近上六之陰。如“莧陸”然,若決而決之,而又不為過暴,合於“中行”,則“無咎”矣。戒占者當如是也。

《夬》卦の九五の爻辞は言う:莧陸を折るがごとく決してまた決し、行事が中道に合すれば、咎なし。朱熹《本義》は言う:「莧陸」はすなわち今の馬歯莧で、陰気を感受すること最も多き草である。九五はまさに小人を決去する時に当たり、身は決断の主為り、また上六という陰爻に緊挨す。処境は一株の莧陸に面するがごとし。彼がもし干脆にそれを決除し、同時に過分暴烈に流れず、「中行」の分寸に合せば、災禍なからん。これは占卦の人がこのようにすべきを告戒する。

程傳 五雖剛陽中正居尊位,然切近於上六。上六說體,而卦獨一陰,陽之所比也。五為決陰之主,而反比之,其咎大矣。故必決其決,如“莧陸”然,則於其“中行”之德為“無咎”也。“中行”,中道也。“莧陸”,今所謂馬齒莧是也。曝之難乾,感陰氣之多者也。而脆易折,五若如莧陸,雖感於陰而決斷之易,則於“中行”無過咎矣。不然,則失其中正也。感陰多之物,“莧陸”為易斷,故取為象。

程頤《伊川易伝》は言う:九五は陽剛「中正」にして尊位に居るも、上六に緊挨す。上六は兌体に属し、性情は喜悅柔説で、しかも一卦の中にただこの一つの陰爻のみあり、衆陽の親近せんとする対象である。九五は身は陰柔を決去する主爻為りて、かえってそれに親近すれば、罪過は大きい。だから必ず決してまた決し、莧陸を折るがごとく干脆にしてこそ、「中行」の徳上に過ちを留めざるを得る。「中行」はすなわち中道である。「莧陸」はすなわち今の言う馬歯莧で、曬して乾き難く、陰気を感受すること多き物である。しかしその質地は脆嫩にして折れ易し。九五がもし莧陸に対するがごとく、陰柔に感ずるも決断して乾淨利落なれば、中道の上に過失なし。こうせざれば、その中正の徳を丟失す。陰気を感受すること多き物の中に、莧陸は最も折れ易し。だから取りて象と為す。

集說 鄭氏汝諧曰:“莧陸”,本草云:一名“商陸”,其根至蔓,雖盡取之,而旁根復生,小人之類難絕如此。《朱子語類》云:“莧陸”是兩物,“莧”者馬齒莧,“陸”者章陸。一名”商陸”,皆感陰氣多之物。藥中用商陸治水腫,其物難乾,其子紅。

「集説」に鄭汝諧を引く:「莧陸」を講ずれば、《本草》に記すそれはまた「商陸」と名づき、根鬚は蔓延して極めて広く、たとえ乾淨に掘るも、旁の根はなお重新に長出す。小人という類は除尽し難く、まさにこの草のごとし。「集説」はまた《朱子語類》を引く:「莧陸」は二つの物で、「莧」は馬歯莧、「陸」は章陸で、また「商陸」とも言う。いずれも陰気を感受すること多き植物である。薬材の中には商陸を用いて水腫を治す。この物は曬乾し難く、結ぶ子は紅なる。

項氏安世曰:“夬夬”者,重夬也。當夬者,上六也。三應之,五比之,嫌其不能夬也,故皆以“夬夬”明之。三謂之“遇雨”,五謂之”莧陸”,皆與陰俱行者也。比於陰而能自決以保其中,故可免咎。案 此言“莧陸夬夬”,猶《姤》言“包瓜”,皆以細草陰類喻小人也。時當含章則包之,時當揚庭則決之。然其包之也以杞,剛之體不失也。其決之也,以“中行”,柔之用兼濟也。

「集説」に項安世を引く:「夬夬」は「決」の字を两遍言うで、すなわち決してまた決す。全卦の決去すべきは上六である。九三はそれと応じ、九五はそれと相隣す。人はこの二爻が決心を下し得ざるを疑心し易し。だからいずれも「夬夬」の二字をもって点明す。九三は「雨に遇い」と言い、九五は「莧陸」と言う。いずれも陰爻と同行する爻である。陰爻に親近するも自ら決断し得て、これにより中道を守る。だってこそ過ちを免れ得る。李光地の按:ここに「莧陸夬夬」と言うは、《姤》卦の九五が「杞をもって瓜を包む」と言うと同一路の取象で、いずれも柔弱の小草の類の陰物をもって小人に比喻す。時機が含蓄不露すべきなれば、それを包裹す。時機が王庭に宣揚すべきなれば、それを決除す。ただそれを包裹するには高大の杞木を用い。陽剛の本体が丟失せざるを見るべし。それを決除するには「中行」に合すべし。柔順の作用もまた併せ配合するを見るべし。

上六,無號,終有凶。本義 陰柔小人,居窮極之時,黨類已盡,無所號呼,終必“有凶”也。占者有君子之德,則其敵當之,不然反是。程傳 陽長將極,陰消將盡,獨一陰處窮極之地,是眾君子得時,決去危極之小人也。其勢必須消盡,故云無用號咷畏懼,終必“有凶”也。

《夬》卦の上六の爻辞は言う:再び号呼して救を求むるに及ばず、結局は終じて凶あり。朱熹《本義》は言う:上六は陰柔の小人で、窮尽して頭に至る時に処す。同党はすでに清除し乾淨にして、再び呼号して求助し得る所なし。結局は必ず凶険である。この爻を占った人が、もし自身に君子の徳を具えば、凶険はその対頭の身上に落つ。もしこのように非ざれば、情形は便に反転す。程頤《伊川易伝》は言う:陽気の生長はまさに頂に至らんとし、陰気の消退はまさに浄尽せんとす。ただ一つの陰爻が窮極の地に処するのみ。これはまさに衆位の君子が時勢を得て、あのすでに危亡の極に至った小人を決去する。この形勢に照れば、この一陰は必ず消尽せらるべし。だから号啕畏懼するに及ばず、終じて凶なりと言う。

集說 蘇氏軾曰:“無號”者,不警也。陽不警,則有以乘之矣。楊氏簡曰:柔已決去,剛道已長,然不可不敬戒。苟忽焉不敬不戒,不警號。則亦終有凶。雖未必凶遂至,而既不警戒則放逸,逸則失道矣,失道者終於凶。蔣氏悌生曰:《易》為君子謀,不為小人謀。詳味此爻,若如《傳》義說,似為小人謀,恐只依卦辭“孚號有厲”之意。言雖是五陽決去,一陰尚存,為君子之計。苟或總論 徐氏幾曰:“夬”,決也。以盛進之五剛,決衰退之一柔,其勢若甚易。然而聖人不敢以易而忽之,故於《夬》之一卦,丁寧深切,所以周防戒備者,無所不至。龔氏煥曰:《夬》卦似《大壯》,故諸爻多與《大壯》相似,初之“壯于趾”,三之“壯于頄”之類是也。《夬》以五陽決一陰,其壯甚矣。聖人慮其夬決之過,故於爻皆致戒,而以陽居陽者為尤甚焉。陽之決陰,君子之去小人,亦貴乎中而已矣。

「集説」に蘇軾を引く:「号无し」は警戒を加えず。陽剛の一方が警戒せざれば、陰柔に乗ずべき機有り。「集説」はまた楊簡を引く:柔爻はすでに決去せられ、陽剛の道はすでに生長し起これり。しかし仍り恭敬戒惧せざるべからず。もし一時疏忽し、恭敬せずまた戒備せず、警号を発せざれば、最終はなお凶有り。凶は必ずしも立刻に到来せざるも、すでに警戒せざれば放縦し、放縦すれば正道を丟失す。道を失う者は終じて凶に帰す。「集説」はまた蒋悌生を引く:《周易》は君子のために謀るのであって、小人のために謀るに非ず。細細とこの一爻を体味すれば、もし《伊川易伝》と《本義》のごとく講ぜば、かえって小人のために打算するがごとし。おそらくなお卦辞の「孚号有厲」の意に依って読むべき。五つの陽爻がすでに陰爻を決去せりと言うも、畢竟なお一陰の尚存あり。此話は君子のために設想したもの。底本はここに中断し、蒋氏の説はただ「苟或」の二字に存るのみ。「総論」に徐几を引く:「夬」はすなわち決断である。五つの盛長上進の陽爻をもって一つの衰退の陰爻を決除す。形勢は見れば極めて容易なり。しかし聖人は容易を以て軽心するを敢えてせず。だから《夬》の一卦の裏に反復して丁寧し、極めて懇切にして、およそ周密に防範し戒惧して患に備える言は、言わざる処なし。「総論」はまた龔煥を引く:《夬》卦の格局は《大壮》卦のごとし。だから各爻の辞は多く《大壮》と相似す。初九の「趾に壮んなり」、九三の「頄に壮んなり」と言うはこの類に属す。《夬》卦は五陽をもって一陰を決す。その壮盛の勢はすでに甚だ盛んなり。聖人は彼らの決断の過頭を擔心す。だから每一爻に告戒を下し、而して陽爻をもって陽位に居る幾爻への告戒はとりわけ厳厲なり。陽が陰を決去し、君子が小人を除去す。同じく貴ぶは一つの「中」の字のみ。

案 《夬》之與《壯》,前三爻全相類,是已。後三爻先儒未詳說,須知壯之當前者四也,夬之當前者五也,故《壯》四之“藩決”,即《夬》五之“夬夬”。若《壯》之六五,則壯已過,而非用壯之時。《夬》之九四,則夬未及,而亦未可為果決之事,故《壯》五之“喪羊”,即《夬》四之“牽羊”也。若《壯》上之“艱”,《夬》上之“號”,則戒之始終不忘危懼而已。《壯》不如《夬》之盛,故猶曰“不能遂”。《夬》則可以遂矣,然其危懼之心同也。

李光地の按:《夬》卦と《大壮》卦は、前の三爻は完全に相似す。この一点は前人すでに講じ定めたり。後の三爻は前代の儒者の細説せざる所。知るべし、《大壮》卦の最前面に冲するは九四で、《夬》卦の最前面に冲するは九五。だから《大壮》の九四の「藩決」と言うは、正に《夬》卦の九五の「夬夬」と言うに相当す。《大壮》の六五に至っては、あの時壮盛はすでに過去し、再び壮を用いる時に非ず。《夬》卦の九四は、決断の時機はまだそれに輪らず、また果决の事を為すべからず。だから《大壮》の六五の「羊を喪う」は、正に《夬》卦の九四の「羊を牽く」に相当す。再び《大壮》の上六の「艱」と言う、《夬》卦の上六の「号」と言うを見れば、いずれも不過人に自始至終危惧を忘るべからずを告戒するのみ。《大壮》の勢頭は《夬》卦のごとく盛ならず。だからなお「遂げる能わず」と言う。《夬》卦に至ればすでにその志を遂行し得べし。しかしあの危惧の心は一様なり。

姤卦

姤.乾上.巽下程傳 《姤序卦》:“夬,決也。決必有遇,故受之以姤。姤,遇也。”決,判也。物之決判則有遇合,本合則何遇,《姤》所以次《夬》也。為卦乾上巽下,以二體言之,風行天下,天之下者,萬物也,風之行無不經觸,乃遇之象,又一陰始生於下,陰與陽遇也,故為《姤》。

《姤》卦の卦画の標注は:上卦が乾、下卦が巽。程頤《伊川易伝》は言う:《序卦伝》に《姤》卦を講じて「夬とはすなわち決断なり。決断の後は必ず相遇う所有り。故に次は《姤》卦なり。姤とはすなわち相遇なり」とある。いわゆる決とは、分判し開くこと。事物はいったん分判せられてこそ、重新に遇合するを言い得る。もともと合して在れば、なんの相遇をか言わん。《姤》卦はこれにより《夬》卦の後に排す。卦体から言えば、上卦は乾、下卦は巽。上下二体から見れば、風は天下に吹行し、天の底下はみな万物なり。風の経過するは接触せざるなし。これが相遇の象である。さらに一つの陰爻が剛に下に生出し、陰は初めて陽と相遇す。だから卦名を《姤》と為す。

姤,女壯,勿用,取女。本義 “姤”,遇也,決盡則為純乾四月之卦。至《姤》然後一陰可見,而為五月之卦,以其本非所望,而卒然值之,如不期而遇者,故為遇。遇已非正,又一陰而遇五陽,則女德不貞而壯之甚也。取以自配,必害乎陽,故其象占如此。

《姤》卦の卦辞は言う:この女子は過度に強盛なり。かかる女子を娶る勿れ。朱熹《本義》は言う:「姤」は相遇である。陰爻が決除し乾淨せられれば、純陽の乾卦と成り、あれは四月の卦である。《姤》卦に至ってこそまた一つの陰爻を見、五月の卦と成る。この一陰はもともと人の盼望する所に非ざるに、突然碰上したれば、事先に約定なきに遇うに等し。だから「遇」と名づく。相遇の本身はすでに正道に合せず。況や一つの陰爻が五つの陽爻に遇うは、便ち女子の徳行が貞ならず強盛の過頭なる。かかる女子を娶りて自己に配すれば、必ず陽剛を傷害す。だから此卦の取象と「占辞」はこの様子である。

程傳 一陰始生,自是而長,漸以盛大,是女之將長壯也。陰長則陽消,“女壯”則男弱,故戒“勿用取”如是之女。“取女”者,欲其柔和順從以成家道。《姤》乃方進之陰,漸壯而敵陽者,是以不可取也。女漸壯,則失男女之正,家道敗矣。《姤》雖一陰甚微,然有漸壯之道,所以戒也。

程頤《伊川易伝》は言う:一つの陰爻が剛剛生出せり。これより便ち生長し、漸々盛大せんとす。これは女子のまさに長成して強壮と成らんとするに似たり。陰長すれば陰消し、女子強壮なれば男子衰弱す。だから卦辞はかかる女子を娶る勿れと告戒す。妻を娶るは、もともと彼女の柔和順従を希望し、家道を成全し起こさんがため。《姤》卦のこの一陰は、まさに上進する陰で、まさに漸々壮盛して陽と抗衡せんとす。ゆえに娶るべからず。女子がいったん漸々強壮なれば、男女の間の正分はなく、家道もまた敗壊す。《姤》卦は一陰のみありて勢頭は極微なるも、それは逐步に壮大する趨勢を含む。だから特に告戒を提出す。

集說 孔氏穎達曰:“姤”,遇也。此卦一柔而遇五剛,故名為《姤》。施之於人,則是一女而遇五男,為壯至甚。故戒之曰:此女壯甚,“勿用取”此“女”也。敦氏雍曰:陽至四五而後言壯,《姤》一陰方長即為壯者,亦見君子小人之錆不同也。馮氏椅曰:古文《姤》作《遘》,遇也,亦婚媾也,以女遇男為象。王洙易改為今文為《姤》,《雜卦》猶是古文,鄭本同。

「集説」に孔頴達を引く:「姤」はすなわち相遇。この一卦は一つの柔爻が五つの剛爻に遇う。だから名を取りて《姤》と為す。人事に落せば、すなわち一つの女子が五人の男子に遇う、強盛極点に至る。だから告戒して曰く、この女子は太だ強壮なり、彼女を娶る勿れ。「集説」はまた敦雍を引く:陽気は一般要すに四爻・五爻に積みてこそ「壮」と言い得。《姤》卦は一つの陰爻が剛開始して生長すれば「壮」と称す。君子と小人の情勢がもともと同じからざるをも見るべし(此の字は底本に「錆」と作る。訛誤あるべし)。「集説」はまた馮椅を引く:古文の裏に《姤》は《遘》と写作す。相遇の意にして、また婚媾の義を含む。女子が男子に遇うを象と取る。王洙はこれを今文の《姤》の字に改成せり。《雜卦伝》の裏の用いるはなお古文なり。鄭玄本は古文と相同じ。

胡氏炳文曰:“女壯”諸家皆以為一陰有將盛之漸。《本義》以為一陰當正陽,已有 案 “女壯”之義,非以一陰始生於下為壯,亦非以一陰獨當五陽為壯。蓋卦以陰為主,陰而為主,即是壯也。

「集説」はまた胡炳文を引く:「女壮」を講ずれば、各家はみなこの一陰がまさに盛大ならんとする勢頭を含むと認め、朱熹《本義》は一陰が正面に純陽に抵当し、すでに……底本はここに脱文ありて、胡氏の説は未完。李光地の按:「女壮」の含義は、既に一陰が剛に下より生出せば壮と言うがゆえに非ず、また一陰が独自に五陽に抵当すれば壮と言うがゆえに非ず。実はこの一卦は陰爻をもって主と為す。陰はすでに一卦の主と為れり。これ本身就是壮なり。

初六,繫于金柅,貞吉,有攸往,見凶,羸豕孚蹢躅。本義 “柅”,所以止車,以金為之,其剛可知。一陰始生,靜正則吉,往進則凶。故以二義戒小人,使不害於君子,則有吉而無凶。然其勢不可止也,故以“羸豕”“蹢躅”曉君子,使深為之備雲。

《姤》卦の初六の爻辞は言う:金属の作った車閘に拴繋し、正を守れば吉。一往する所有れば、凶険を見ん。瘦弱の母猪も確かに焦躁して乱踏する在り。朱熹《本義》は言う:「柅」は車輪を止住するに用いる器具で、金属を用いて製成す。それの堅硬なるを見るべし。一陰が剛剛生出せり。安静に正を守れば吉利。前に進取すれば凶険有り。聖人はこの二層の意を用いて小人を告戒し、彼らをして君子を妨害せざらしむ。それなれば吉有りて凶なし。しかし陰長の勢頭は終じて止住し得ず。だからまた「羸豕」の焦躁して地を踢るの比喻を用いて君子を提醒し、彼らをして早く深く防備を加えしむ。

程傳 《姤》陰始生而將長之卦,一陰生,則長而漸盛,陰長則陽消,小人道長也,制之當於其微而未盛之時。柅止車之物,金為之,堅強之至也。止之以金柅,而又繫之,止之固也。固止使不得進,則陽剛貞正之道吉也。使之進往,則漸盛而害於陽,是見凶也。“羸豕孚蹢躅”,聖人重為之戒,言陰雖甚微,不可忽也。“豕”,陰躁之物,故以為況。羸弱之豕,雖未能強猛,然其中心在乎“蹢躅”。“蹢躅”,跳躑也。陰微而在下,可謂“羸”矣,然其中心常在乎消陽也,君子小人異道,小人雖微弱之時,未嘗無害君子之心。防於微,則無能為矣。

程頤《伊川易伝》は言う:《姤》は陰気が初生してまさに生長せんとする卦。一つの陰爻が生出せば、便ち漸々長じて盛勢と成らん。陰長すれば陽消す。すなわち小人の勢力が増長する中にあり、それを制服するはそれの微弱未盛の時を趁て当たりし。「柅」は車を止むる器具で、金属を用いて鋳成せり。堅硬極点に至る。金柅を用いてそれを止住し、さらにそれを拴牢せよ。これは止むること極めて牢固なり。牢く止住してそれを前進せしめざれば、陽剛貞正の道は吉を得。もし放任してそれを前往せしめば、それは便ち漸々盛大して陽剛を危害す。これが「凶を見ん」。「羸豕孚蹢躅」に至っては、聖人が再三に告戒を加え、陰気は極めて微弱なりといえど、軽忽すべからずと言う。猪は陰性にして躁動の牲畜なれば、取りて比喻と為す。瘦弱の母猪は強猛と算するに足らざるも、それの心裏は一直に乱踏乱跳せんと思う在り。「蹢躅」はすなわち跳躑して安ならず。陰気は微弱にして下位に処す。「羸」と言うべし。しかしそれの心裏は始終に陽剛を消滅する念頭を存す。君子と小人の行く路は同じからず。小人は微弱の時に在るも、未嘗君子を傷害するの心思なからず。それの細微なるに趁って防備を加えれば、それはなんの能耐もなし。

集說 邱氏富國曰:《姤》之所以為姤者在此一爻,一陰始生,非以“金柅”繫之,則柔道何所牽制而不敢進,繫之所以防之也。胡氏炳文曰:彖總一卦而言,則以一陰而當五陽,故於女為壯。爻指一畫而言,五陽之下,一陰甚微,故於豕為羸。壯可畏也,羸不可忽也。案 一陰窮於上,眾以為無凶矣。而曰終有凶,防其後之辭也。一陰伏於下,眾未覺其凶矣。而曰見凶,察於先之辭也。陰陽消息,循環無端。能察於先,即所以防其後,能防其後,即所以察於先也。

「集説」に邱富国を引く:《姤》卦が《姤》と為る所以は、全て初六のこの一爻に在り。一陰が剛剛生出せり。もし「金柅」を用いてそれを拴えざれば、柔道はなんの牽制を恃みて上進せざるを敢えてせん。それを拴るはまさにそれを防範する為なり。「集説」はまた胡炳文を引く:「彖辞」は一卦の整体に就いて言う。一つの陰爻が五つの陽爻に抵当す。だから女子の身上に落して「壮」と言う。爻辞は一画に就いて言う。五陽の下にこの一陰はなお微弱なり。だから猪の身上に落して「羸」と言う。壮盛なるは固然として畏るべし。羸弱なるもまた軽忽すべからず。李光地の按:《夬》卦は一陰が窮して最上に居る。衆人は再び凶なからんと為すも、爻辞はあえて「終に凶有り」と言う。これは後患を防備する言なり。《姤》卦は一陰が最下に潜伏す。衆人はなおその凶険を察覚せざるも、爻辞はあえて「凶を見ん」と言う。これは先事に洞察する言なり。陰陽の消長生息は循環往復し、起点なく終点なし。事先に洞察し得るは、日後を防備する所以なり。日後を防備し得るは、すなわち事先に洞察する所以なり。

九二,包有魚,無咎,不利賓。本義 “魚”,陰物,二與初遇,為“包有魚”之象。然制之在己,故猶可以“無咎”。若不制而使遇於眾,則其為害廣矣。故其象占如此。

《姤》卦の九二の爻辞は言う:包裹の裏に魚有り。咎はなからん。ただし賓客にも分与せしむるに宜しからず。朱熹《本義》は言う:魚は陰に属する物。九二が初六と相遇えば、「包に魚有り」の象と成る。それを管束する権柄は自己の手裏に握る。だからなお過ちを出さざるを得。もし管束を加えず、それをして衆人と相遇わしめば、禍害は散布して広し。だから此爻の取象と「占辞」はこの様子なり。

程傳 “姤”,遇也。二與初密比,相遇者也。在它卦則初正應於四,在《姤》則以遇為重。相遇之道,主於專一。二之剛中,遇固以誠。然初之陰柔,群陽在上,而又有所應者,其志所求也。陰柔之質,鮮克貞固。二之於初,難得其誠心矣。所遇不得其誠心,遇道之乖也。“包”者,苴裹也。“魚”,陰物之美者,陽之於陰,其所悅美,故取魚象。二於初,若能固畜之,如包苴之有魚,則於遇為“無咎”矣。“賓”,外來者也。“不利賓”,包苴之魚,豈能及賓,謂不可更及外人也。遇道當專一,二則雜矣。

程頤《伊川易伝》は言う:「姤」は相遇。九二と初六は貼りて極めて近く、まさに相遇の一対なり。他の卦においては、初爻はもともと九四と正相応ずべし。《姤》卦においては「遇」を重しと為す。相遇の道は、専一に貴し。九二は陽剛居中の徳有りて、相遇は自然に誠意より出づ。しかし初六は陰柔の質で、上頭にまた一群の陽爻有り、しかも別に相応ずる九四有りて、あれこそそれの心裏の求むる所。陰柔の質地は少く貞定固守を能くせず。九二の初六に対するは、その誠心を換来し難し。遇う所の対象が誠心をもって相待するを肯ぜざれば、これは相遇の道の偏差出づるなり。「包」は草苞を用いて裹住す。「魚」は陰物の裏の美味。陽の陰に対するは、まさに喜愛称美する所。だから魚を取りて象と為す。九二の初六に対するは、もし牢牢とそれを畜養し住え、草苞の裏に魚を裹むがごとくせば、相遇のこの事上に過ちなからん。「賓」は外来の人を指す。「賓に利あらず」と言うは、草苞の裏の魚はどこで賓客に分与するに足らん。意は再び外人にも沾上せしむべからず。相遇の道は専一なるべし。九二はここにすでに夾雑して純ならず。

集說 陸氏希聲曰:不正之陰,與剛中之二相比,能包而有之,使其邪不及於外。李氏開曰:《剝》之“貫魚”,《姤》之“包有魚”,皆能制陰者也。胡氏炳文曰:“包”,如包苴之包,容之於內,而制之使不得逸於外也。何氏楷曰:“包”字與“繫豕”“包瓜”同意,古之小人所以亂天下者,往往君子激

「集説」に陸希声を引く:端正ならざる陰爻と陽剛居中の九二は相隣す。九二は能くそれを包裹して己の有と据え、その邪気をして外に蔓延せざらしむ。「集説」はまた李開を引く:《剥》卦の「魚を貫く」、《姤》卦の「包に魚有り」は、いずれも陰柔を制服し得る爻なり。「集説」はまた胡炳文を引く:「包」は草苞の包のごとく、それを裏面に容納し、同時に管束を加え、それをして外に逃逸せざらしむ。「集説」はまた何楷を引く:「包」の字は初六の「豕を繋ぐ」、九五の「瓜を包む」と同一層の意なり。古時、小人が天下を攪乱し得たる所以は、往々にして君子が激……底本はここに脱文ありて、何氏の説は未完。

案 制陰之義,不取諸九四之相應,而取諸九二之相比者,陰陽主卦,皆以近比者為親切,而處之又有中有不中焉。故《復》六四之“獨復”,亦不如六二“休復”之為美也。《夬》五近上,則有“莧陸”之嫌,《姤》二《比》初,獨不以陰邪為累乎。曰,夬之陰,其勢極矣。如病之既劇,如亂之已成,非有以除去之不可。《姤》則陰始生也,如病將發,如亂初萌,豫防而早冶之,則不至於盛長矣。觀乎“不利賓”之戒,未嘗不以陰邪之漸馴為諄諄也。《詩》云:敝笱在梁,其魚魴鰥,齊子歸止,其從如雲。是不能制之而使及賓之驗矣。

李光地の按:陰柔を制服するの意は、初六と相応ずる九四の上より取らず、かえって初六と相隣する九二の上より取る。それはおよそ陰あるいは陽をもって一卦の主と為す卦は、みな貼近相隣の関係を最も親切と為し、而して処する位置にまた居中と居中せざるの分別有ればなり。だから《復》卦の六四の「独復」も、六二の「休復」の美善に比ぶるに及ばず。ある人が問う:《夬》卦の九五は上六に靠近して、便ち「莧陸」のような嫌疑を落とす。《姤》卦の九二、《比》卦の初六は陰爻に緊挨して、どうしてあえて陰邪の牽累を受けざるか。答えて曰く:《夬》卦のあの一陰は、勢頭はすでに極点に至り、病はすでに沉重し乱はすでに釀成せられたるに等しく、除かざるべからず。《姤》卦の陰は纔に生出せり。病はまさに発作せんとし、乱は剛に萌芽すに等しく、預め防範し早めに医治すれば、それをして気候に長成せざらしむに至らず。爻辞「賓に利あらず」のこの告戒を見れば、聖人が未嘗陰邪の一步步坐大を為して反復丁寧せざるに非ざるを見るべし。《詩経・斉風・敝笱》は言う:破れた魚籠は魚梁の上に擺き、魴魚と鰥魚は来去自如なり。斉国の女子は嫁ぎ去りて、随从は雲のごとく多し。これはまさに管束し得ず、陰邪をして外人の身上に蔓延せしめたるの明証なり。

九三,臀無膚,其行次且,厲,無大咎。本義 九三過剛不中,下不遇於初,上無應於上,居則不安,行則不進,故其象占如此。然既無所遇,則無陰邪之傷,故雖危“厲”而“無大咎”也。

《姤》卦の九三の爻辞は言う:臀部に皮肉なく、行き趑趄して進み難し。危険有り。ただし大なる過ちに至らず。朱熹《本義》は言う:九三は剛強に過ぎてまた中に居らず。下には初六に遇上らず、上にも相応ずる爻なし。止まれば坐して安穏ならず、前に往けば行き動かず。だから取象と「占辞」はこのよう。ただしそれはすでに陰柔に遇上らざれば、陰邪の傷害を受けざる。ゆえに危厲有るも、大なる災禍を招くに至らず。

程傳 二與初既相遇,三說初而密比於二,非所安也。又為二所忌惡,其居不安,若臀之無膚也。處既不安,則當去之。而居《姤》之時,志求乎遇,一陰在下,是所欲也。故處雖不安,而“其行”則又“次且”也。“次且”,進難之狀,謂不能遽舍也。然三剛正而處巽,有不終迷之義,若知其不正而懷危懼,不敢妄動,則可以“無大咎”也。非義求遇,固已有咎矣。知危而止,則不至於大也。

程頤《伊川易伝》は言う:九二はすでに初六と相遇えり。九三は初六を喜び、また九二の上頭に緊挨す。この位置はもともと安穏ならず。況やまた九二の猜忌厭悪に遭うをや。だから席に坐して安んぜず、臀部に皮肉なきがごとし。すでに処るに安んぜざれば、走開すべし。しかし身は《姤》卦の相遇の時に在り、人々は志みな遇を求むるに在り、下にまた一つの陰爻有りて、まさに彼の欲する所。だから位置は安穏ならざるも、行き起こればまた趑趄して前ならず。「次且」は前進艱難の様子で、彼が马上撒手を捨て得ざるを言う。しかし九三は陽剛にして正を得て巽体に身を処す。一路迷惑して底に至らざるの意を含む。もし彼が自らの求遇の正道に合せざるを明白し、心に危惧を懐きて妄動を敢えてせざれば、大なる過ちを出さざるを得。道義に合せずして遇を求むるは、もともとすでに咎有り。危険を知りて及時に止步すれば、こそ大に鬧るに至らず。

集說 李氏簡曰:居則臀在下,故《困》初六言“臀”。行則臀在中,故《夬》、《姤》三四言“臀”。案 “臀無膚”之義,與《夬》四同,“其行次且”,志欲制陰也。非其位任,而欲制之,有危道焉,然於義則無咎。

「集説」に李簡を引く:人の坐する時は臀は最下に在り。だから《困》卦の初六は「臀」を講ずる。人の行走する時は臀は身体の中段に在り。だから《夬》卦・《姤》卦の三爻と四爻は「臀」を講ずる。李光地の按:ここに「臀に肤なし」の含義は、《夬》卦の九四と相同じ。「其の行き次且たり」は、彼が心裏に陰柔を制服せんと想去るを言う。陰を制すはもともとこの「爻位」の担う職任に非ず。彼はこれを為さんと欲す。その中に危険の道を含む。ただし道義上に講ずれば、彼は過ちを並び有せず。

九四,包無魚,起凶。本義 初六正應,已遇於二,而不及於己,故其象占如此。程傳 “包”者,所裹畜也。“魚”,所美也。四與初為正應,當相遇者也。而初已遇於二矣,失其所遇,猶包之“無魚”,亡其所有也。四當姤遇之時,居上位而失其下,下之離,由己之失德也。四之失者,不中正也。以不中正而失其民,所以凶也。曰,韌之從二,以比近也,豈四之罪乎。曰,在四而言,義當有咎,不能保其下,由失道也,豈有上不失道而下離者乎。遇之道,君臣民主夫婦朋友皆在焉。四以下睽,故主民而言,為上而下離,必有凶變。起者,將生之謂,民心既離,難將作矣。

《姤》卦九四の爻辞にいう:包みの中に魚がない、凶が起きようとしている。朱熹《本義》にいう:初六はもともと九四の正応であるが、すでに先に九二と遇ってしまい、自分に回ってこない。だから取象と「占辞」がこのようになる。程頤《伊川易伝》にいう:「包」は包んで畜養すること、「魚」は重んずる美味である。九四と初六は正に応じる一対で、本来遇うべきである。しかし初六はすでに九二と遇ってしまい、九四は遇うべき相手を失った。包みの中に魚がなく、本来自分のものを失ったようなものである。九四はまさに相遇の時にあって、上位に居ながら下の民衆を失った。下が離散するのは、自らの失徳による。九四が失ったのは、まさに不中不正である。不中不正で民心を失ったから凶である。問うていわく:初六が九二に従ったのは、近くにあったからだ。これは九四の罪ではないではないか。答えていわく:九四自身について言えば、理の上では咎あるべきである——下の人を保てないのは、まさに自らが道を失ったためである。上位にあって道を失わないのに下が離散するということがあろうか。相遇の道には、君と臣、民と主、夫と婦、朋と友が皆含まれる。九四は下と睽離したから、民衆の面について言えば、上位に居して下が離散すれば、必ず凶の変故がある。「起」はまさに起こらんとするの義である。民心がすでに離散すれば、禍難は発作しようとしている。

集說 吳氏曰慎曰:九三以不遇陰而“無大咎”,上九以不遇陰而“無咎”,四則“包無魚起凶”,何也?蓋初六本其正應,當遇而不遇故也。案 四與初正應,當制陰之任者也。然不能制之而為“包無魚”之象,何也?曰:此與《夬》之九三同,當決陰制陰之任,而德非中正。故一則剛壯而懷慍怒,一則疾惡而胥絕遠,無包容之量,無制服之方故也。以是爻德,而適犯卦義取女之戒,則其起凶

「集説」に呉曰愼を引く:九三は陰爻に遇わなかったので「无大咎」、上九も陰爻に遇わなかったので「无咎」なのに、九四だけが「包无魚起凶」であるのはなぜか。初六はもともと九四の正応で、遇うべきなのに遇えなかったからである。李光地の按:九四と初六は正応で、本来陰柔を制する職任を担うべきだった。しかしそれは偏に制しきれず、「包无魚」の象に落ちた。これはなぜか。答えていわく:これは《夬》卦九三の情形と同じである——同じく陰を決し陰を制する職任を担いながら、自身の徳が中正ではない。だから一方は剛強壊盛して慍怒を懐き、一方は邪悪を痛恨してひたすら絶えて疎遠にし、包容の気量もなく制服の方法もない。このような爻徳を帯びて、またちょうど卦義の「勿用取女」の戒めに触れたのだから、それが招く凶は……底本はここに脱文があり、按語は未完である。

九五,以杞包瓜,含章,有隕自天。本義 “瓜”,陰物之在下者,甘美而善潰。“杞”,高大堅實之木也。五以陽剛中正主卦於上,而下防始生必潰之陰,其象如此。然陰陽迭勝,時運之常,若能含晦章美,靜以制之,則可以回造化矣。“有隕自天”,本無而倏有之象也。

《姤》卦九五の爻辞にいう:杞の樹の枝葉で瓜を包み、内の文采を含蓄すれば、天から物が降ってくることがある。朱熹《本義》にいう:瓜は下に生える陰物で、甘く美味だが爛れやすい。杞は高大で堅実な樹木である。九五は陽剛「中正」の徳をもって上にあって一卦を主り、下に向かってあの生まれたばかりで終に必ず爛れる陰気を防ぐ。その象はまさにこのようである。ただし陰陽は互いに勝敗があり、もともと時運の常態である。もし彼が美しい文采を含蓄して露わさず、安静の姿でそれを制することができれば、造化の機をねじ戻すことができる。「有隕自天」は、もともとなかったものが忽然として有る象である。

程傳 九五下亦無應,非有遇也。然得遇之道,故終必有遇。夫上下之遇,由相求也。杞高木而葉大,處高體大而可以包物者杞也。美實之在下者瓜也,美而居下者,側微之賢之象也。九五尊居君位,而下求賢才,以至高而求至下,猶以杞葉而包瓜,能自降屈如此。又其內蘊中正之德,充實章美。人君如是,則無有不遇所求者也。雖屈己求賢,若其德不正,賢者不屑也。故必含蓄章美,內積至誠,則“有隕自天”矣。猶言自天而降,言必得之也。自古人君至誠降屈,以中正之道,求天下之賢,未有不遇者也。高宗感於夢寐,文王遇於漁釣,皆由是道也。

程頤《伊川易伝》にいう:九五は下にも応じる爻がなく、本来遇があるとは言えない。しかしそれは遇を求める正道を握ったので、終に必ず遇がある。上下が遇うのは、彼此相求めることによる。杞は高大で葉が広い樹で、位置が高く形体が大きくて物を包めるものが杞である。美しい果実で下に生えるものが瓜である。美しくて低位にあるのは、まさに卑賤に身を置く賢人の象である。九五は君位に尊居しながら、下に向かって賢才を訪求し、至高の身をもって至下の人を求める。杞の葉で瓜を包むようで、かくのごとく身分を自ら下げることができる。これに加えて内に中正の徳を藴蓄し、充実して文采がある。君主としてかくのごとくできれば、求めて遇えない人はない。ただし自らを屈して賢を求めても、自身の徳行が正しくなければ、賢者は顧みるに値しないとする。だから必ず美しい文采を含蓄し、内心に至誠を積み満たしてこそ「有隕自天」——賢才が天から降ってきたようだ、すなわち必ず得られるという意味である。古来、人君が至誠で自らを屈し、中正の道で天下の賢人を訪求して遇えなかった者はない。殷の高宗は夢寐の中で感通して傅説を得、周の文王は渭濱の垂釣の所で呂尚に遇った。皆この路を歩んだのである。

集說 胡氏炳文曰:“魚”與“瓜”皆陰物,二與初遇,故“包有魚”。五與初無相遇之道,猶以高大之杞,而包在地之瓜也。然瓜雖始生而必潰,九五陽剛中正,能含晦章美,靜以待之,是雖陰陽消長,時運之常,而造化未有不可回者,《姤》其將可轉而為《復》乎。

「集説」に胡炳文を引く:魚と瓜は皆陰物である。九二は初六と遇ったので「包有魚」といい、九五は初六と遇う門路がないので、高大な杞の樹で地に生えた瓜を包むようである。瓜は生えたばかりだが終に爛れる。九五は陽剛中正で、美しい文采を含蓄して静かにそれが自潰するのを待つことができる。こう見ると、陰陽の消長は時運の常態だが、造化の機は戻せないものではない。《姤》卦はおそらく《復》卦にねじ戻せるであろう。

俞氏琰曰:“含”即包之謂,其初含蓄不露。一旦瓜熟蒂脫,自杞墜地。故曰“含章”,“有隕自天”。林氏希元曰:“含章”不是全無所事,是用意周密,不動聲色,而自有以消患於方萌也。案 五為卦主,而與陰無比應,得卦“勿用取女”之義也。夫與陰雖無比應,而為卦主,則有制陰之任焉,故極言修德迴天之道。

「集説」に兪琰を引く:「含」は包の義で、初めは含蓄して顕れない。いったん瓜が熟して蔕が落ちれば、自然に杞の樹から地に墜ちる。だから爻辞に「含章」といい、また「有隕自天」という。「集説」に林希元を引く:「含章」は何事もしないということではなく、心を周密に用いて声も色も動かさず、自然に禍患を萌芽したばかりのときに消滅できる。李光地の按:九五は一卦の主であるのに、陰爻と隣りもせず応じもしない。まさに卦辞「勿用取女」の意に合う。陰爻と比応の関係はないが、卦主である以上陰柔を制する職任を担う。だから《本義》《程伝》とも徳を修めて天運を挽回する理を力説する。

上九,姤其角,吝,無咎。本義 “角”,剛乎上者也。上九以剛居上而無位,不得其遇,故其象占與九三類。程傳 至剛而在最上者角也。九以剛居上,故以“角”為象。人之相遇,由降屈以相從,和順以相接,故能合也。上九高亢而剛極,人誰與之,以此求遇,固可“吝”也。己則如是,人之遠之,非他人之罪也,由己致之,故無所歸“咎”。

《姤》卦上九の爻辞にいう:角で遇う、少しきまりが悪いが、過ちはない。朱熹《本義》にいう:角は最も剛硬で最も上に生えるものである。上九は陽剛で全卦の最上に居して職位がなく、遇うべき相手に遇えない。だから取象と「占辞」が九三と同類である。程頤《伊川易伝》にいう:極めて剛硬で最も上に生えるのが角である。上九は陽剛で上に居するので「角」を象に取る。人と人が遇うのは、身分を下げて相手に順い、和悦柔順で人と交接することによる。こうしてこそ合う。上九は高亢で剛の極にあり、誰が彼に親しもうか。このような姿で遇を求めれば、自然きまり悪さを招くだけである。自分がかくのごとくである以上、他人が彼を疎遠にするのは他人の罪ではなく、すべて自分が招いたのだから、帰咎する所もない。

集說 徐氏幾曰:上九處《姤》之窮,與初無遇,雖“吝”,然亦“無咎”,陰不必遇也。胡氏炳文曰:九三以剛居下卦之上,於初陰無所遇,故雖“厲”而“無大咎”。上九以剛居上卦之上,於初陰亦不得其遇,故雖“吝”而亦“無咎”,遇本非正,不遇不足為咎也。

「集説」に徐幾を引く:上九は《姤》卦の窮尽の地にあり、初六と遇えない。きまり悪いが、過ちもない——陰はもともと遇わなければならないものではない。「集説」に胡炳文を引く:九三は陽剛で下卦の最上爻に居し、初六という陰爻と遇う由がないので、危厲はあっても大きな過ちには至らない。上九は陽剛で上卦の最上爻に居し、初六という陰爻と同じく遇えないので、きまり悪いが過ちもない。相遇ということ自体がもともと正道に合わないのだから、遇えなくても過失とは言えない。

萃卦

萃.兌上.坤下程傳 《萃序卦》:“姤者遇也,物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。”物相會遇則成群,《萃》所以次《姤》也。為卦兌上坤下,澤上於地,水之聚也,故為《萃》,不言澤在地上而云澤上於地,則為方聚之義也。

《萃》卦の卦画の注記は:上卦は兌、下卦は坤。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《萃》卦を説くに、「姤は相遇である。物が遇って然る後に集まる。だから次に《萃》卦がある。萃は聚集である。」万物が互いに会遇すれば群を結ぶ。《萃》卦はこのため《姤》卦の後に並ぶ。卦体について言えば、上卦は兌、下卦は坤。沢水が地の上に積もるのは、まさに水の聚集である。だから卦名を《萃》という。「大象」は「沢在地上」といわず「沢上于地」という。水がまさに集まり来る意を取ったのである。

萃,亨,王假有廟,利見大人,亨,利貞,用大牲吉,利有攸往。本義 “萃”,聚也。坤順兌說,九五剛中而二應之,又為澤上於地,萬物萃聚之象,故為《萃》。亨字衍文。“王假有廟”,言王者可以至乎宗廟之中,王者卜祭之吉占也。祭義曰:“公假”於太廟是也,廟所以聚祖考之精神,又人必能聚己之精神,則可以至於廟而承祖考也。物既聚,則必“見大人”而後可以得“亨”。然又必利於止,所聚不正,則亦不能亨也。大牲必聚而後有。聚則可以有所往,皆占吉而有戒之辭。

《萃》卦の卦辞にいう:亨通する。君王が宗廟の中に親臨し、大人に見るに宜しく、亨通し、貞を守るに宜しい。大牲を用いて献祭すれば吉、往く所あるに宜しい。朱熹《本義》にいう:「萃」は聚集である。下卦の坤は柔順、上卦の兌は喜悦で、九五は陽剛が中に居り六二がそれに応じ、また沢水が地の上に積もる。まさに万物聚集の象である。だから卦名を《萃》という。卦名の下の「亨」字は衍文である。「王假有廟」は、君王が宗廟の中に親臨できるということで、君王が祭祀を卜問して得た吉の「占辞」である。《礼記・祭義》に「公假于太廟」というのがまさにこの用法である。宗廟は祖先の精神を聚合する所で、人も自分の精神を集められなければ、廟中に入って祖先を承奉できない。万物がすでに聚集すれば、必ず大人に見えて然る後に亨通と言える。しかしまた必ず貞を守るに利あらねばならない(底本は「正」を「止」と訛す)。聚まる所が端正でなければ同じく亨通できない。大きな犠牲は必ず物力が聚足して後に初めて挙げられる。すでに聚集すれば往く所があることができる。これらは皆占が吉であって同時に戒めを帯びた言葉である。

程傳 王者萃聚天下之道,至於“有廟”極也,群生至眾也,而可一其歸仰,人心莫知其鄉也。而能致其誠敬,鬼神之不可度也。而能致其來格,天下萃合人心總攝眾志之道非一,其至大莫過於宗廟。故王者萃天下之道,至於“有廟”,則《萃》道之至也。

程頤《伊川易伝》にいう:君王が天下を聚合する方法は、宗廟を設立するまでで極まる。衆生の数は極めて多いが、宗廟は彼らを帰心仰望させて同一の所に至らせる。人心は散乱して向かう所を知らないが、宗廟は人に誠敬を生じさせることができる。鬼神は幽遠で測度する由がないが、宗廟は彼らを招来して降臨せしめる。天下が人心を聚合し衆志を総攬する途は一つに止まらないが、その中で最大は宗廟に如くものはない。だから君王が天下を聚合する方法は、「有廟」に至れば《萃》卦の道の極致である。

祭祀之報,本於人心。聖人制禮以成其德耳,故豺獺能祭,其性然也。萃下有亨字,羨文也,亨字自在下,與《渙》不同。《渙》則無言卦才,《萃》乃先言卦義,彖辭甚明,天下之聚,必得大人以治之。人聚則亂,物聚則爭,事聚則紊,非大人治之,則萃所以致爭亂也。萃以不正,則人聚為苟合,財聚為悖入,安得亨乎,故“利貞”。

祭祀は本源に報いるためで、根は人心にある。聖人が礼儀を制定したのは、不过この心を徳に成全しただけである。だから豺獺の類の禽獣も獲物を陳列して祭祀の如くにする。あれは天性の然らしめる所である。「萃」の下の「亨」字は多出来た衍文で、真の「亨」字は自らその位置があり後にある。この点は《渙》卦と異なる。《渙》卦は先に卦才を説かなかったが、《萃》卦は先に卦義を説いた。「彖辞」がはっきり言う:天下の人が集まるには、必ず大人が治めなければならない。人が集まれば乱れやすく、物が集まれば争いやすく、事が集まれば紊れやすい。大人の治めがなければ、聚集はかえって争乱を招く口実となる。聚合が正道に循わなければ、人が集まれば苟且に結託し、財が集まれば理に悖って入る横財となり、どうして亨通できようか。だから卦辞に「利貞」という。

《萃》者豐厚之時也,其用宜稱,故“用大牲吉”。事莫重於祭,故以祭享而言。上交鬼神,下接民物,百用莫不皆然。當萃之時,而交物以厚,則是享豐富之吉也,天下莫不同其富樂矣。若時之厚,而交物以薄,乃不享其豐美,天下莫之與而悔吝生矣。蓋隨時之宜,順理而行,故《彖》云“順天命也”。夫不能有為者,力之不足也,當萃之時,故“利有攸往”。大凡興工立事,貴得可為之時,萃而後用,是動而有裕,天理然也。

《萃》は物力が豊厚な時で、用度はそれに相称すべきだから「用大牲吉」という。人間の事で祭祀より重いものはないから、祭享を例に挙げた。上は鬼神に交接し、下は百姓万物を接待する。諸々の用度は皆このようである。まさに聚集豊厚の時にあって、人に接し物に遇することを厚く肯んじれば、それは豊足の吉を享受するのであり、天下人が皆つき従って共に富足安楽する。もし時勢が豊厚なのに人に接し物に遇することがかえって刻薄なら、それはこの豊美を享受しようとしないのであり、天下人は皆親附せず、悔恨と羞吝もこれに従って生じる。要するに時勢の宜不宜と事理に順って行うを見るべきである。だから《彖伝》に「順天命也」という。凡そ事を成し得ない者は皆力が足りないためである。まさに聚集の時にあって力はすでに足りている。だから「利有攸往」という。大凡工程を興し事業を立てるに最も緊要なのは、有所作为の時機に間に合うことである。先に聚積して後に動用すれば、行動に綽々余裕がある。これは天然の理である。

集說 程子曰:《萃》、《渙》皆立廟,因其精神之萃,而形於此,為其渙散,故立此以收之。項氏安世曰:卦名下元無亨字,獨王肅本有,王弼遂用其說,孔子彖辭初不及此字。趙氏汝騰曰:陽居五而五陰從之為《比》,陽居五與四而四陰從之為《萃》,二卦相似,然《比》者眾陰始附之初,聖人作而萬物睹之時也。《萃》者二陽相比,群陰萃而歸之,君臣同德,萬物盛多之時也。

「集説」に程頤を引く:《萃》卦と《渙》卦はともに宗廟の設立を説く。《萃》は人の精神が集まるので宗廟に体現し、《渙》は人心が渙散するので宗廟を設立してそれを収め戻す。「集説」に項安世を引く:卦名の下にもともと「亨」字はなく、王肅本にのみあり、王弼はそこで彼の説を沿用した。孔子の作った「彖辞」には全くこの字に言及していない。「集説」に趙汝騰を引く:一つの陽爻が第五位に居して五つの陰爻がそれに従うのが《比》卦、陽爻が第五位と第四位に居して四つの陰爻がそれらに従うのが《萃》卦である。両卦の格局は似ているが、《比》卦は衆陰が始めて依附する時で、まさに聖人が興起し万物が瞻仰する時である。《萃》卦は二つの陽爻が相隣り、群陰が聚まり帰附する、君臣同徳で万物が繁盛衆多の時である。

何氏楷曰:“用大牲吉”,承“王假有廟”言,“利有攸往”,承“科見大人”言。案 以《彖傳》觀之,“利見人人亨利貞”為一事無疑。“王假有廟”者,神人之聚也。“利見大人”者,上下之聚也。“用大牲吉”。廣言群祀,由假廟而推之,皆所以聚於神也。“利有攸往”,廣言所行,由見大人而推之,皆所以聚於人也。

「集説」に何楷を引く:「用大牲吉」は「王假有廟」を承けて言い、「利有攸往」は「利見大人」を承けて言う(底本は「利」を「科」と訛す)。李光地の按:《彖伝》から見れば、「利見大人・亨・利貞」は一つの事で、この点に疑問はない(底本は「大人」を「人人」と訛す)。「王假有廟」は神と人の聚合を説き、「利見大人」は上と下の聚合を説く。「用大牲吉」は言を各類の祭祀に推広し、宗廟親臨から層層に推衍して皆神明への聚合に属し、「利有攸往」は言を各種の行事に推広し、大人に見ることから層層に推衍して皆人への聚合に属する。

初六,有孚不終,乃亂乃萃,若號,一握為笑,勿恤往無咎。本義 初六上應九四,而隔於二陰,當萃之時,不能自守,是“有孚”而“不終”,志亂而妄聚也。若呼號正應,則眾以為笑。但“勿恤”而往從正應,則“無咎”矣。戒占者當如是也。

《萃》卦初六の爻辞にいう:心に誠信があるのに守り通せず、そこで心志が錯乱して胡乱に聚合する。一たび声を発して呼号すれば、転眼の間に笑いとなる。憂慮する必要はなく、往けば過ちはない。朱熹《本義》にいう:初六は上に向かって九四と応じるが、中間に二つの陰爻が隔てている。まさに聚集の時にあって、それは自分を守ることができない。これが誠信あって終わることができず、心志が錯乱して胡乱に聚合するである。もし正応の九四に呼号すれば、衆人はそれを笑い柄にする。ただこれらに理会せず往って正応に従えば、過ちはない。これは占う人がかくあるべきことを戒める。

程傳 初與四為正應,本“有孚”以相從者也。然當《萃》時,三陰聚處,柔無守正之節。若舍正應而從其類,乃“有孚”而“不終”也,“乃亂”,惑亂其心也。“乃萃”。與其同類聚也。初若守正不從,號呼以求正應,則一握笑之矣。“一握”,俗語一團也,謂眾以為笑也。若能“勿恤”而往從剛陽之正應,則無過咎。不然,則入小人之群矣。

程頤《伊川易伝》にいう:初六と九四は正に応じる一対で、本来誠信をもって互いに従うべきである。しかしまさに聚集の時にあって、下卦の三つの陰爻が一所に挤き、柔弱の質に貞を守る操守がない。もし正応を捨てて同類に従えば、誠信あって終わることができないことになる。「乃乱」はその心が惑乱させられたこと、「乃萃」は同類と聚まったことである。初六がもし貞を守って同類に随わず、呼号して正応を求めれば、一団の人に笑われることになる。「一握」は俗語の「一団」で、衆人がそれを笑い柄にすることを指す。もし理会せず往って陽剛の正応に従えば過ちはない。さもなければ小人の堆に落ち込む。

集說 胡氏瑗曰:“號”,謂號咷也。萃聚之世,必上下相求和會,然後必有所濟,故始有號咷之怨,終得與四萃聚而有歡笑也。王氏宗傳曰:初之於四,相信之志,疑亂而不一也。然居萃之時,上下相求。若號焉,四必說而應之,則一握之頃,變號咷而為笑樂矣,謂得其所萃也。故戒之曰“勿恤”,又勉之曰“往無咎”。

「集説」に胡瑗を引く:「号」は号啕痛哭である。聚集の時代には、必ず上下が互いに尋求し彼此和合して初めて事が成る。だから初六は初め号啕の怨苦があり、終に九四と聚合して歓笑を有する。「集説」に王宗伝を引く:初六の九四へのあの互信の心志は、疑惑に乱されて専一でない。しかし聚集の時にあって上下はもともと互いに尋求するので、初六がひとたび呼号を発すれば九四は必ず欣然として応和する。すると只一握手の工夫で号啕が歓笑に変わる。これはそれが聚まるべき対象を見つけたと言うのである。だから爻辞はそれに「勿恤」と戒め、また「往无咎」と勉励する。

姚氏舜牧曰:初四相應,此心本自相孚。但孚須有終為善,如“有孚”而“不終”,則“乃亂”而“乃萃”矣,萃其可亂乎哉。若念有孚之當終,而呼號以往從之,則正應可合,而無妄萃之咎矣。錢氏志立曰:《萃》與《比》同,所異者多九四一陽耳。《比》初無應,曰,“有孚”者,一於五也。《萃》初與四應,曰“有孚不終”者,有二陽焉,“不終”於四也。及此時而號以求萃,可以破涕為笑,《同人》“先號咷而後笑”者是也。

「集説」に姚舜牧を引く:初六は九四と応じ、両辺の心はもともと互いに信実している。ただ誠信は必ず最後まで守ってこそ好い。もし誠信あって守り通せなければ「乃乱」して「乃萃」する——聚集という事は、どうして乱雑にできようか。初六がもし誠信は終わりあるべきと記えて、因って呼号して往って九四に従えば、正応は合攏でき、胡乱に聚合する過ちもない。「集説」に銭志立を引く:《萃》卦と《比》卦は同じで、差はただ九四という陽爻が一つ多いだけである。《比》卦初六は応じる爻がないので「有孚」といい、専一に九五に信従する。《萃》卦初六は九四と応じるのに「有孚不終」というのは、卦中に二つの陽爻があり、それが九四への誠信を守り通せないからである。この時に呼号して聚を求めれば涕を破って笑となる。《同人》卦九五の「先号咷而後笑」はまさにこの情形である。

案 胡氏王氏姚氏錢氏諸說,皆於文義甚合,蓋《易》中“號”“笑”二字每每相對也。兩“乃”字不同,上“乃”字,虛字也;下“乃”字,猶汝也。正如《書》“而康而色”,上而字,虛字也,下而字,猶汝也。言“有孚不終”,則必亂汝之所萃也。其所以亂之故,則錢氏得之矣。“握”者,手所執持以轉移之機也。言能至誠迫切,則一轉移之間,必有和合之喜,故曰“若號,一據為笑”。

李光地の按:胡瑗・王宗伝・姚舜牧・銭志立の諸家の説は皆文義に十分贴合する。《周易》では「号」と「笑」の二字が往々にして対挙して文を成すからである。爻辞の二つの「乃」字は用法が異なる。上の「乃」は虚字、下の「乃」は「你」に相当する。これはちょうど《尚書・洪範》の「而康而色」のようで、上の「而」は虚字、下の「而」は「你」に相当する。全句が言うのは:誠信が最後まで守れなければ、必ずあなたが聚合しようとする対象を攪乱する。攪乱の縁由については銭志立がすでに説いた。「握」は手の把持し随時に回転できる関節の機括である。これは人がただ至誠で懇切ならば、手を一転する間に必ず和合の喜事があると言うので、「若号・一握為笑」という(底本は「握」を「据」と訛す)。

六二,引吉,無咎,孚乃利用禴。本義 二應五而雜於二陰之間,必牽引以萃,乃“吉”而“無咎”。又二中正柔順,虛中以上應。九五剛健中正,誠實而下交,故卜祭者有其孚誠,則雖薄物亦可以祭矣。程傳 初陰柔,又非中正,恐不能終其孚,故因其才而為之戒。二雖陰柔而得中正,

《萃》卦六二の爻辞にいう:牽引されて上がれば吉、過ちはない。心に誠信さえあれば、簡薄な禴祭を用いても合宜である。朱熹《本義》にいう:六二は九五と応じるが、二つの陰爻の中間に挟まれて、必ず人に牽引されて九五の所に聚まらなければならない。こうして初めて吉で咎がない。さらに六二は柔順で「中正」で、虚静の中心をもって上に応和する。九五は剛健「中正」で、誠実の心をもって下に交接する。だから祭祀を占う人はただこの誠信があれば、たとえ簡薄な祭品でも持って祭を行うことができる。程頤《伊川易伝》にいう:初六は陰柔で、また不中不正で、誠信を最後まで守れない恐れがあるので、その才質につきて戒めを加えた。六二は陰柔だが中に居り正を得て、……底本はここに脱文があり、《程伝》この段は未完である。

集說 胡氏瑗曰:君子之進,不可自媒。以苟媚其君,而幸其時之寵榮也。是故君子進用,必須有道。六二以陰居陰,履得其中,又上應九五中正之君,必待其君援引於己,然後往之,此所以得“吉”而“無咎”也。“孚”,信也。“禴”,薄祭也。君子之進,必在乎誠信相交,心志相接。當萃聚之時,誠信既著,心志既通,則可以不煩外飾,其道得行矣。孚信中立,則雖禴之薄祭,亦可通於神明也。

「集説」に胡瑗を引く:君子が進を求めるに、自分で自分の媒をしてはならず、苟且に君主に媚びる方法で僥倖に一時の寵栄を博してはならない。だから君子が進用されるには、必ず正道を歩まなければならない。六二は陰爻で陰位に居し、処す所も中道に合い、上に向かって九五という中正の君と応じる。それは必ず君主が自ら来りて援引するのを待って然る後に往く。これがそれが吉を得て過ちなき所以である。「孚」は誠信、「禴」は簡薄の祭祀である。君子が進を求める要は、誠信をもって相交わり、心志をもって相通ずるにある。まさに聚集の時にあって、誠信はすでに彰明し、心志はすでに貫通している。あの外在の文飾は用いなくてよく、君子の道は自然に行き通る。誠信が心中に立てば、たとえ禴のような簡薄の祭祀でも同じく神明に感通できる。

張子曰:能自持不變,引而後往,“吉”乃“無咎”。凡言“利用禴”,皆誠素著自於幽明之際。王氏宗傳曰:彖以“用大牲”為“吉”,而六二以“用禴”為利,何也?備物者,王者所以隨其時。“有孚”者,人臣所以通乎上。

「集説」に張載を引く:自分を守って変えず、牽引されて後に往くことができれば、これが吉で過ちない。凡そ「利用禴」という所は、皆誠意が平素にすでに幽明両界の間に彰顕していることを指す。「集説」に王宗伝を引く:卦辞は「用大牲」を吉とし、六二は「用禴」を利とする。これはなぜか。豊盛な祭品を備えるのは君王がその処する時勢に順うこと、心に誠信を懐くのは人臣が上に君に通ずる憑藉である。

案 彖言“利見大人”,九五者卦之大人也。六二應之,得見大人之義矣。然見大人者,聚必以正,故必,待其引而從之,乃”吉”而“無咎”。蓋聚而不正,則不亨也。“孚乃利用禴”者,言相聚之道,以誠為本,苟有明信,雖用禴可祭矣,況大牲乎,亦根卦義而反其辭也。《易》曰:可用汲,王明並受其福。《傳》曰:在下位,不援上。此引字是汲引之引,非援引之引。

李光地の按:「彖辞」に「利見大人」という。九五は一卦中のあの大人である。六二がそれに応じるのは、まさに大人に見る意に合う。しかし大人に見るには、聚合が必ず正道に循わなければならない。だから必ず九五が来りて牽引し、自分がそれにつき従ってこそ吉で過ちがない——聚合が端正でなければ亨通できない。「孚乃利用禴」に至っては、互いに聚合する道は誠を本とするということである。明白な誠信さえあれば、禴のような簡薄の祭品でも持って祭祀できるのに、いわんや大牲をや。これも卦義につきて言を反対に言ったものである。《周易・井》卦九三に「可用汲・王明并受其福」といい、《中庸》に「在下位不援上」という。この爻の「引」字は汲引提拔の引であって、攀援して進を求める援ではない。

六三,萃如嗟如,無攸利,往無咎,小吝。本義 六三陰柔,不中不正,上無應與,欲求萃於近而不得,故“嗟如”而無所利。唯往從於上,可以“無咎”。然不得其萃,困然後往,復得陰極無位之爻,亦小可羞矣。戒占者當近舍不正之強援,而遠結正應之窮交,則“無咎”也。

《萃》卦六三の爻辞にいう:聚合しようとして嘆息するのみで、利ある所がない。往けば過ちはないが、ただ少しきまり悪い。朱熹《本義》にいう:六三は陰柔で、中に居らず位にも当たらず、上に応じる爻がなく、近くに求めて聚合を得ようとしても得られないので、ただ嘆息して利を得る所がない。それはただ往って上六に従うのみで、過ちなきを得ることができる。しかし聚が成らず、走投無路して後に動身し、依附する所がまた一つの陰の極で身に爵位なき爻なので、少し羞ずべき所もある。これは占う人に戒める:近くのあの不正な強援を捨て、遠くの応じる窮交と結合すべきである。こうして初めて過ちがない。

程傳 二陰柔不中正之人也,求萃於人,而人莫與,求四則非其正應,又非其類,是以不正為四所棄也。與二則二自以中正應五,是以不正為二所不與也。故欲“萃如”,則為人棄絕而“嗟如”,不獲萃而嗟恨也。上下皆不與,無所利也。唯往而從上六,則得其萃,為“無咎”也。三與上雖非陰陽正應,然萃之時,以類相從,皆以柔居一體之上,又皆無與,居相應之地,上覆處說順之極,故得其萃而“無咎”也。易道變動無常,在人識之,然而小吝,何也?三始求萃於四與二,不獲而後往從上六。人之動為如此,雖得所求,亦可小羞吝也。

程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔で不中不正の人である(底本は「三」を「二」と訛す)。それが人に聚を求めても、他人は肯んじてそれとしない。九四に求めれば、九四はその正応でもなく同類でもないので、不正と嫌ってそれを棄置する。六二に求めれば、六二は自ら中正の徳があり九五に応ずるので、やはり不正と嫌って肯んじてそれとしない。ゆえにそれは聚まろうとして、かえって人に棄絶されて嘆息するのみで、聚が成らず心に嗟怨を生じる。上下が皆肯んじてそれとしないので、自然利ある所がない。それはただ往って上六に従うのみで、その聚まる所を得て過ちなきを得る。六三と上六は陰陽の正応ではないが、聚集の時には同類相従でよい。両爻はともに柔をもって一体の最上位に居り、また相与の対象がなく、しかも分かれて応じる位置に処し、上六はまた喜悦柔順の極に処する。だから六三はその聚まる所を得て咎なし。《周易》の道は変動して居らず、すべて人が自ら体会するにある。かくのごときであるのに、なぜ「小吝」というか。六三が初め九四と六二に聚を求め、得られずして後に転じて上六に従ったからである。人の挙動がこの地步に至れば、たとえ求むる所を得ても、少し羞吝と言うに足る。

集說 吳氏澄曰:與二陰萃於下,而上無應,故嗟嘆不得志。雖無應而比近九四之 俞氏琰曰:《萃》之時“利見大人”,三與五非應非比,而不得其萃,未免有嗟嘆之聲,則“無攸利”矣。既曰“無攸利”,又曰“往無咎”,三與四比,則其往也。舍四可乎,三之從四,四亦巽而受之,故“無咎”。第無正應,而近比於四,所聚非正,有此小疵耳。

「集説」に呉澄を引く:六三は他の二つの陰爻と下卦に聚まり、上に応じる爻がないので、志を得ないと嗟嘆する。正応はないが九四と相隣近し……底本はここに脱文があり、呉氏の説は未完である。「集説」に兪琰を引く:《萃》卦のこの時は「利見大人」を講究する。六三は九五と応じも隣りもせず、それの所に聚まることができず、嗟嘆の声を免れない。すなわち「无攸利」である。すでに「无攸利」といい、また「往无咎」というのは、六三が九四と相隣り、それが往こうとするに九四を捨ててなおどこに往けようか。六三が往って九四に従えば、九四も順にこれを容納するので過ちはない。ただそれに正応がなく近く就いて九四に依附し、聚まる対象が正しくないので、この一点の小疵を留めるだけである。

案 以《象傳》觀之,吳氏俞氏之說是也。易例三四隔體,無相從之,義,然亦有以時義而相從者,《隨》三之“係丈夫”,及此爻是也。其不正而亦以時義相從者,《豫》三《咸》三是也。皆因九四有主卦之義者故然。

李光地の按:《象伝》をもって対照すれば、呉澄・兪琰の両家の説は正しい。《周易》の通例では、三爻と四爻は上下両体に分属し、中間に卦体が隔たり、本来互いに従う道理がない。しかし時勢の義によって相従する例もある。《随》卦六三の「系丈夫」と、《萃》卦のこの爻はこの類に属する。その中で位に処して正しくないのに仍りて時義によって相従するものは、《豫》卦六三、《咸》卦九三がある。これらは皆その卦の九四が一卦を主る義を含むため、かくのごとくなのである。

九四,大吉,無咎。本義 上比九五,下比眾陰,得其萃矣。然以陽居陰不正,故戒占者必“大吉”,然後得“無咎”也。程傳 四當《萃》之時,上比九五之君,得君臣之聚也。下比下體群陰,得下民之聚也:得上下之聚,可謂善矣。然四以陽居陰,非正也。雖得上下之聚,必得“大吉”,然後為“無咎”也。“大”為周遍之義,無所不周,然後為大,無所不正,則為“大吉”,“大吉”則“無咎”也。夫上下之聚,固有不由正道而得者,非理枉道而得君者,自古多矣。非理枉道而得民者,蓋亦有焉:如齊之陳恆,魯之季氏是也。然得為“大吉”乎,得為“無咎”乎,故九四必能“大吉”,然後為“無咎”也。

《萃》卦九四の爻辞にいう:大吉であってこそ過ちがない。朱熹《本義》にいう:九四は上は九五と隣り、下は衆陰と隣り、衆を聚めたと言える。しかしそれは陽爻で陰位に居り位置が正しくないので、占う人に戒める:必ず大吉を成し遂げて然る後に初めて過ちなきを得る。程頤《伊川易伝》にいう:九四はまさに聚集の時に身を当て、上は九五の君と隣りて君臣の聚合を得、下は下卦の群陰と隣りて下民の聚合を得る。上下が皆聚を得るので、とても良いと言える。しかし九四は陽爻で陰位に居り位に当たらないので、上下の聚合を得ても、必ず大吉を成し遂げて然る後に初めて過ちなしと算えられる。「大」は周遍の義である。周わらざるなくして初めて大と称するに足り、正しからざるなくして初めて大吉と算えられる。大吉を能くしてこそ過ちがない。上下の聚合には、もともと正道に循わずして得たものがある。情理に合わず正道を曲げて君主の信任を取った者は古来多い。情理に合わず正道を曲げて民心を取った者も、ないではない。例えば斉の陳恒、魯の季氏がそれである。しかしこれを大吉と言えようか、過ちなしと言えようか。だから九四は必ず真に大吉を成し得て然る後に初めて无咎と言うに足る。

集說 房氏喬曰:“大吉”謂匪躬盡瘁,始終無玷,可免專民之咎,有謂立大功可免咎者非也。項氏安世曰:無尊位而得眾心,故必“大吉”而後可以“無咎”。如《益》之初九,在下位而任厚事,亦必“元吉”而後可以“無咎”也。胡氏炳文曰:《比》卦五陰,皆比五之一陽,《萃》四陰,皆聚歸五與四之二陽。五日“萃有位”,以見四之萃非有位也。無尊位而得眾心,非“大吉”安能“無咎”。

「集説」に房喬を引く:いわゆる「大吉」とは、自身を顧みず心力を竭くし、始めから終わりまで汚点がないことを指す。こうして初めて民衆を専擅した罪を免れる。大功を立てれば咎を免れるという説は正しくない。「集説」に項安世を引く:九四は尊位がないのに衆人の心を得たので、必ず大吉して後に過ちなきを得る。《益》卦初九のように、下位に身を置きながら重大な事を担当し、必ず「元吉」して後に過ちなきを得る。「集説」に胡炳文を引く:《比》卦の五つの陰爻は皆九五という一つの陽爻に親比し、《萃》卦の四つの陰爻は皆九五と九四という二つの陽爻に聚帰する。九五の爻辞に「萃有位」というのは、まさに九四の聚にあの位がないことを見せている。尊位がないのに衆人の心を得たのに、大吉せずしてどうして過ちなきを得られようか。

九五,萃有位,無咎,匪孚,元永貞,悔亡。本義 九五剛陽中正,當《萃》之時而居尊,固“無咎”矣。若有末信,則亦修其“元永貞”之德而“晦亡”矣。戒占者當如是也。

《萃》卦九五の爻辞にいう:天下を聚合してまたその位に居れば、過ちはない。もし尚信服しない者があれば、元善・恒久・貞固の徳を修めれば、悔恨は自ら消える。朱熹《本義》にいう:九五は陽剛「中正」で、まさに聚集の時にあって尊位に居し、もともと過ちがない。もし尚信服しない者があれば(底本は「未」を「末」と訛す)、それは彼の「元永貞」の徳行を修めれば、悔恨も消える(底本は「悔」を「晦」と訛す)。これは占う人がかくあるべきを戒める。

程傳 九五居天下之尊,萃天下之眾,而君臨之,當正其位,修其德,以陽剛居尊位稱其“位”矣。為有其位矣,得中正之道,無過“咎”也。如是而有不信而未歸者,則當自反以修其“元永貞”之德,則無思不服,而“悔亡”矣。“元永貞”者,君之德,民所歸也。故比天下之道,與萃天下之道,皆在此三者。

程頤《伊川易伝》にいう:九五は天下の最尊の位に居り、天下の民衆を聚合して彼らに君臨する。自分の位を端正し自分の徳を修養すべきである。陽剛の爻をもって尊位に居ればあの「位」字と相称する。すでにこの位を有し、また中正の道を行えば、過ちもない。かくしても尚信服せず帰附せざる者があれば、反躬自省して自分の「元永貞」の徳行を修養すべきである。そうすれば人心は服せざるなく、悔恨も消える。いわゆる「元永貞」は君主の徳行であり、また民衆の帰向する所である。だから天下に親比する方法と天下を聚合する方法は皆この三つに外ならない。

王者既有其位,又有其德,中正無過咎,而天下尚有未信服歸附者。蓋其道未光大也,“元永貞”之道未至也,在修德以來之。如苗民逆命,帝乃誕敷文德,舜德非不至也。蓋有遠近昏明之異,故其歸有先後。既有未歸,則當修德也。所謂德,“元永貞”之道也。“元”,首也,長也。為君德首出庶物君長群生,有尊大之義焉,有主統之義焉。而又恆永貞固,則通於神明,光

君王にすでにあの位があり、またあの徳があり、中正で過ちがないのに、天下に尚信服せず帰附せざる者がいるのは、その道が尚光大に足らず、「元永貞」の道が極に至っていないからである。方法は徳を修めて彼らを招来するにある。例えば三苗が命令に違抗したとき、舜帝はそこで文徳を広く施行した——舜の徳が尚足りなかったのではなく、天下に遠近の別と昏明の異があり、だから帰附に先後があるのである。すでに尚帰附せざる者があれば、徳を修めるべきである。いわゆる徳とは「元永貞」の道である。「元」は首・長である。君主の徳として、万物に首出し衆生に君長する意を含み、尊大の義もあり主統の義もある。これに恒久貞固を加えれば神明に貫通し、光……底本はここに脱文があり、《程伝》この段は未完である。

集說 王氏宗傳曰:五,《萃》之主也。當萃之時,為萃之主,莫大於有其位,尤莫大於有其道。有是位而無是道,則天下不我信者,亦眾矣、故曰“匪孚”。謂天下之人,容有言曰:上之人但以位而萃我也,而其道則未至也,故必“元永貞”而後“悔亡”。《朱子語類》:問:九五以陽剛中正,當萃之時,而居尊位,安得又有“匪孚”?曰:此言有位而無德,則雖萃而不能使人信,故人有不信,當修其“元永貞”之德,而後“悔亡”也。

「集説」に王宗伝を引く:九五は《萃》卦の主である。聚集の時に身を当てて聚集の主となるに、最も緊要はあの位を有するに過ぎず、さらに緊要はあの道を有するに過ぎない。位あって道なければ、天下に我を信服せざる者も多い。だから「匪孚」という——意味は天下人に或いはかくのごとき議論がある:上のあの方は不过位によって我らを聚めているだけで、その道は尚到家していないと。だから必ず「元永貞」を成し遂げて然る後に悔恨が消える。「集説」に《朱子語類》を引く:ある人が問う、九五は陽剛中正で、聚集の時にあって尊位に居るのに、なぜ尚「匪孚」があるか。朱子が答える:これは位あって徳なきを言う。すると人を聚めても人を信服せしめることができない。だからひとたび信ぜざる者あれば、その「元永貞」の徳行を修養して然る後に悔恨が消える。

案 萃九五,居尊以萃群陰,與比略同。卦象澤上於地,與比象亦略同也,故其“元永貞”之辭亦同。“元永貞,悔亡”,即所謂“原筮,元永貞,無咎”也。

李光地の按:《萃》卦九五は尊位に居して群陰を聚合し、《比》卦九五と大体同じである。卦象は沢水が地の上に積もり、《比》卦の水在地上の象とも大体同じなので、爻辞の「元永貞」の措辞も同じく一致する。ここで「元永貞・悔亡」というのは、すなわち《比》卦の卦辞のいわゆる「原筮・元永貞・无咎」である。

上六,齎諮涕淡,無咎。本義 處《萃》之終,陰柔無位,求萃不得,故戒占者必如此,而後可以“無咎”也。程傳 六,說之主。陰柔小人,說高位而處之,天下孰肯與也。求萃而人莫之與,具窮至於“齎諮”而“涕洟”也。“齎諮”,諮嗟也。人之絕之,由己自取,又將誰咎。為人惡絕,不知所為,則隕穫而至嗟涕,真小人之情狀也。

《萃》卦上六の爻辞にいう:嘆息し涙と鼻水を流して、こうして初めて過ちがない(底本は「洟」を「淡」と訛す)。朱熹《本義》にいう:上六は《萃》卦の終点に処し、陰柔で職位がなく、聚を求めても聚まらない。だから占う人に戒める:必ずかくのごとく痛切に自らを傷まねば、過ちなきを得られない。程頤《伊川易伝》にいう:上六は上卦兌体喜悦の主である。陰柔の小人が高位を貪恋して占めて放さず、天下に誰が彼に親附しようか。聚を求めて人が肯んじて与せず、その窮窘は嘆息し涙と鼻水を流す地步に至る(底本は「其」を「具」と訛す)。「賚咨」はすなわち咨嗟嘆息である。他人が彼を絶つのは彼自身が招いたのだから、誰を怪めようか。人に厭悪され断絶されて、またどうすればよいか知らず、そこで沮喪して失措して流涕嗟嘆に至る。これはまさに小人の情状である。

集說 方氏應祥曰:此爻照“後夫凶”看,《比》之上六,以比之最後而凶。《萃》之上六,亦以萃之最後而有未安者。故其憂懼若此,此正所謂孤臣孽子也。黃氏淳耀曰:上乃孤孽之臣子也。《萃》極將職,而不得所萃,乃不得於君親者。“齎諮涕洟”四字,乃極言怨艾求萃之情,故終得萃而“無咎”。

「集説」に方応祥を引く:この爻は《比》卦の卦辞「後夫凶」と対照して見るべきである。《比》卦上六は親比が最も遅かったため凶、《萃》卦上六も聚合が最も遅かったため不安穏な所がある。だから彼はこの地步まで憂懼する——これはまさにいわゆる孤立无援の臣子、父母に容れられざる庶子である。「集説」に黄淳耀を引く:上六はあの種の孤臣孽子である。聚集が尽きて将に離散せんとするのに(底本ここに訛字あり)、彼は自分の聚まるべき所に聚まらず、まさにあの君主親長に容れられざる人である。「賚咨涕洟」の四字は、彼の悔恨自責して切に聚合を求める心情を極まで書き尽くしたので、最終的に聚を得て過ちがない。

案 方氏黃氏之說得之,蓋不止孤臣孽子,乃放臣屏子之倫也,方氏以比上相照亦是。然《比》上直曰“凶”,此則“齎諮涕演”而“無咎”者,《比》彖有“後夫凶”之辭,故遂以上六當之。此彖有“利見大人”之辭,正與《蹇》卦同例,故尚有積誠求萃之理也。

李光地の按:方応祥・黄淳耀の説は筋を言い当てている。上六は孤臣孽子だけではなく、まさに放逐された臣・擯棄された子の類である。方氏が《比》卦上六をもって対照したのも正しい。ただし《比》卦上六は直截に「凶」と断じたのに、この爻は嘆息し涙を流して過ちがない(底本は「洟」を「演」と訛す)。原因は《比》卦の「彖辞」に「後夫凶」の一句があり、だから上六をもってこの断語を承当せしめた。《萃》卦の「彖辞」に「利見大人」の一句があり、まさに《蹇》卦と同じ体例なので、上六に尚誠意を積み聚合を求める余地を留めた。

升卦

升.坤上.巽下程傳 《升序卦》:“萃者聚也,聚而上者謂之升,故受之以升。”物之積聚而益高大,聚而上也,故為《升》,所以次於《萃》也。為卦坤上巽下,木在地下,為地中生木,木生地中,長而益高,為升之象也。

《升》卦の卦画の注記は:上卦は坤、下卦は巽。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《升》卦を説くに、「萃は聚集である。聚積して上に向かうを升という。だから次に《升》卦がある。」事物が積聚すればますます高大となる。これが聚まって上に向かうで、だから卦名を《升》という。したがって《萃》卦の後に並ぶ。卦体について言えば、上卦は坤、下卦は巽。木が地の下にあり、地中生木の象となる。樹木が土中に生えて長ずれば長ずるほど高くなり、まさに上昇の象である。

升,元亨,用見大人,勿恤,南征吉。本義 “升”,進而上也。卦自《解》來,柔上居四,內巽外順,九二剛中而五應之,是以其占如此。“南征”,前進也。程傳 “升”者,進而上也。升進則有亨義,而以卦才之善,故“元亨”也。用此 集說 代氏淵曰:尊爻無此人,故不云“利見”。

《升》卦の卦辞にいう:大いに亨通する。このような徳をもって大人に見れば、憂慮する必要はない。南に進発すれば吉。朱熹《本義》にいう:「升」は上に向かって前進すること。この卦は《解》卦から「卦変」して来て、柔爻が上行して第四位に居る。内卦の巽は遜入、外卦の坤は柔順で、九二は陽剛が中に居り六五がそれに応ずる。だから「占辞」がこのようである。「南征」はすなわち前に向かって進取すること。程頤《伊川易伝》にいう:「升」は上に向かって前進すること。上昇前進はそれ自体に亨通の義を含み、加えてこの卦の卦才が良好なので「元亨」という。これを用いて……底本はここに脱文があり、《程伝》この段は未完である。「集説」に代淵を引く:尊位のあの爻にはこのような大人がいないので、卦辞は「利見」といわない。

案 卦直言“元亨”而無他辭者,《大有》、《鼎》也。雖有他辭而非戒辭者。《升》也。歷選易卦,唯此三者,蓋《大有》與《比》相似。然所比者陰也,民也。所有者陽也,賢也。《鼎》與《井》相似,然“往來井井”者,民也。“大烹以養”者,賢也。《升》與《漸》相似,然《漸》者,賢之有所需待而進者也。《升》者,賢之無所阻礙而登者也。《易》道莫大於尚賢,而賢人得時之卦,莫盛於此三者。故其彖皆曰“元亨”,而無戒辭也,不曰“利見大人”而曰“用見”,代氏之說得之。

李光地の按:卦辞がただ「元亨」と言って他の言を加えないのは《大有》卦と《鼎》卦であり、他の言があっても戒めの辞に属さないのは《升》卦である。《周易》の諸卦を遍数すれば、ただこの三つがこのようである。《大有》は《比》と似ているが、《比》卦の親比する所は陰爻で民衆を代表し、《大有》の擁有する所は陽爻で賢人を代表する。《鼎》は《井》と似ているが、《井》卦の「往来井井」は民衆を説き、《鼎》卦の「大烹以養」は賢人を説く。《升》は《漸》と似ているが、《漸》卦は賢人に待つ所あって然る後に進用されるを説き、《升》卦は賢人が毫も阻碍なく登進するを説く。《周易》の道は賢人を尊尚するより大きいものはなく、賢人が時運を得る卦はこの三卦より盛んなものはない。だからそれらの「彖辞」は皆「元亨」といい、戒めの辞を加えない。卦辞が「利見大人」といわず「用見」というのは、代淵の解釈が正しい。

初六,允升,大吉。本義 初以柔順居下,巽之主也,當升之時,巽於二陽,占各如之,則信能升而“大吉”矣。程傳 初以柔居巽體之下,又巽之主。上承於九二之剛,巽之至者也。二以剛中之德,上應於君,當升之任者也。“允”者,信從也。初之柔巽,唯信從於二,信二而從之同升,乃“大吉”也。二以德言則剛中,以力言則當任,初之陰柔又無應搔,不能自升,從於剛中之賢以進,是由剛中之道也,吉孰大焉。

《升》卦初六の爻辞にいう:信従を得て上昇し、大吉。朱熹《本義》にいう:初六は柔順の質をもって最下に居し、巽卦の主である。まさに上昇の時にあって、それは上の二つの陽爻に恭順退譲する。占う人が各自それのようにできれば、確かに昇ることができて大吉である。程頤《伊川易伝》にいう:初六は柔爻をもって巽体の最下に居し、また巽の主爻で、上に向かって九二の陽剛を承奉し、恭順の極である。九二は剛健居中の徳があり、上に向かって君主と応じ、上昇の任を担う爻である。「允」は信従の義である。初六は柔順恭遜で、ただ一心に九二に信従する。九二を信服してそれにつき従って共に上昇する。これをこそ大吉という。九二は徳に論ずれば剛健居中、力に論ずれば担任するに足る。初六は陰柔でまた応じる援手がなく(底本は「援」を「掻」と訛す)、自ら昇ることができず、剛中の賢者につき従って共に前進する。これが剛中の道に循って行くことであり、これより大きい吉があろうか。

集說 王氏申子曰;以柔而升,升之義也。初以柔居下,即木之升言之,乃木之根,故信其升之必達,而獲“大吉”也。何氏楷曰:初六巽主居下,猶木之根也。而得地氣以滋之,其升也允矣。所以為升者巽也,所以為巽者初也,“大吉”孰如之。案 此“允升”允字,當與《晉》之“眾允”同義。蓋不獲上信友,不可以升進也,然《晉》三言眾允,《升》初遂言“允升”,則王氏何氏巽主木根之說是也。

「集説」に王申子を引く:柔順の質をもって上昇するのがまさに《升》卦の本義である。初六は柔爻をもって最下に居し、樹木の上長について言えばそれは樹根である。だから必ず昇れると確信でき、因而大吉を得る。「集説」に何楷を引く:初六は巽の主爻で最下に居し、樹の根のようである。根が地気の滋養を得れば、その上昇には把握がある。全卦が「升」となるのは巽による。巽が巽たるは初六による。これより「大吉」に当たるものがあろうか。李光地の按:ここの「允升」の「允」字は、《晋》卦六三の「衆允」の「允」と同義であるべき——人が上の信任と同儕の認可を得なければ升進してはならない。ただし《晋》卦は第三爻に至って「衆允」といい、《升》卦は初爻に「允升」という。王申子・何楷が初六を巽主・木根と見る説は正しいことがわかる。

九二,孚乃利用禴,無咎。本義 義見《萃》卦。程傳 二陽剛而在下,五陰柔而居上,夫以剛而事柔,以陽而從陰,雖有時而然,非順道也。以暗而臨明,以剛而事弱,若黽勉於事勢。非誠眼也。上下之交,不以誠,其可以久乎,其可以有為乎。五雖陰柔,然居尊位,二雖剛陽,事上者也。當內存至誠,不假文飾於外,誠積於中,則自不事外飾,故曰“利用禴”,謂尚誠敬也。自古剛強之臣,事柔弱之君,未有不為矯飾者也。“禴”,祭之簡質者也。云“孚乃”,謂既孚乃宜不用文飾,專以其誠感通於上也,如是則得“無咎”。以剛強之臣,而事柔弱之君,又當升之時,非誠意相交,其能免於咎乎。

《升》卦九二の爻辞にいう:心に誠信があれば、簡薄な禴祭を用いるに宜しく、過ちはない。朱熹《本義》にいう:この句の含意は《萃》卦六二に見える。程頤《伊川易伝》にいう:九二は陽剛で下位に処し、六五は陰柔で上位に居る。剛強をもって柔弱に事え、陽をもって陰に順うのは、時に形勢かくのごとくなることがあっても、終に順当の道ではない。昏暗の君主をもって明達の臣子を臨馭し、剛強の臣子をもって柔弱の君主に事えるに、もし只勉強して形勢を敷衍すれば、それは真心の誠服ではない(底本ここに字の訛あり)。上下が相交わって誠を用いなければ、長久できるか、有所作为できるか。六五は陰柔だが畢竟尊位に居り、九二は陽剛だが畢竟上に在る者に事える人である。彼は内心に至誠を存し、外面の文飾に頼るべきではない。誠意が心に積まれれば自然に外表の修飾を講究せず、だから「利用禴」という。すなわち誠敬を崇尚する意である。古来、剛強の臣子が柔弱の君主に事えて矯飾に流れなかった者はない。「禴」は祭祀の中で最も簡朴な一種である。「孚乃」というのは、すでに誠信がある以上、文飾を用いず専らこの誠意をもって上に在る人に感通すべきである。かくのごとくできれば過ちはない。剛強の臣をもって柔弱の君に事え、またまさに上昇の時にあって、誠意をもって相交わらなければどうして過咎を免れられようか。

集說 張氏清子曰:《萃》六二以中虛為“孚”,而與九五應。《升》九二以中實為“孚”,而與六五應。二爻虛實雖殊,其孚則一也。孚則雖用禴而亦利,故二爻皆曰“孚乃利用禴”,《彖》言“剛中而應”,指此爻也。案 升晉之時,以柔為善。二剛而亦利者,以其中也。剮中有應,是見大人者也,

「集説」に張清子を引く:《萃》卦六二は中位の虚空を「孚」として九五と応じ、《升》卦九二は中位の充実を「孚」として六五と応じる。両爻の一虚一実は異なるが、あの誠信は同じである。誠信があれば、禴のような薄祭を用いても同じく合宜なので、両爻とも「孚乃利用禴」という。《彖伝》の「剛中而応」はまさに《升》卦のこの爻を指す。李光地の按:上昇進用の時は柔順を好む。九二は陽剛で同じく利を得るのは、それが中に居るによる。剛健が中に居りまた応じる爻があれば、これが大人に見ることができる人である(底本は「剛」を「剐」と訛す)……底本はここに脱文があり、按語は未完である。

九三,升虛邑。本義 陽實陰虛,而坤有國邑之象。九三以陽剛當升時,而進臨於坤,故其象占如此。程傳 三以陽剛之才,正而且巽,上皆順之,復有援應,以是而升。如入無人之邑,孰御哉。案 諸爻皆有吉利之占,三獨無之,則“升虛邑”者,但言其勇於進而無所疑畏耳。方升之時,故無凶咎之辭。然終不如二五之中,初四之順也,九三過剛,與柔以時升之義反,故其辭非盡善。

《升》卦九三の爻辞にいう:空虚で人のいない城邑に升進する。朱熹《本義》にいう:陽は実、陰は虚で、坤は国邑の象がある。九三は陽剛の質をもってまさに上昇の時に身を当て、上に向かって坤体に逼臨する。だから取象と「占辞」がこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:九三は陽剛の才具に凭り、位に当たり正を得てまた遜順できるので、上の各爻が皆それに順い、また応じる爻があって援手できる。このような条件を帯びて上昇すれば、人のいない城邑に入るようなもので、誰がそれを遮止できようか。李光地の按:その余の各爻は皆吉利の断語があるのに、ただ九三だけがない。「升虚邑」はただそれが勇んで前進して疑慮畏懼がないというだけである。まさに上昇の時なので凶咎の断語もない。しかしそれは終に九二・六五の居中に及ばず、初六・六四の柔順にも及ばない。九三は剛強に過ぎ、本卦の「柔以時升」の意旨に反するので、その爻辞は十全十美とは言えない。

六四,王用亨于岐山,吉,無咎。本義 義見《隨》卦。程傳 四柔順之才,上順君之升,下順下之進,已則止其所焉。以陰居柔,陰而在下,止其所也。昔者文王之居岐山之下,上順天子,而欲致之有道,下順天下之賢而使之升進,己則柔順謙恭,不出其位,至德如此,周之王業用是而亨也。四能如是,則“亨”而“吉”且“無咎”矣。四之才固自善矣,復有“無咎”之辭,何也?曰:四之才雖善,而其位當戒也。居近君之位,在升之時,不可復升,升則凶咎可知,故云如文王則“吉”而“無咎”也。然處大臣之位,不得無事於升,當上升其君之道,下昇天下之賢,已則止其分焉。分雖當止,而德則當升也,道則當亨也。盡斯道者其唯文王乎。

《升》卦六四の爻辞にいう:君王が岐山で祭享を行い、吉、過ちはない。朱熹《本義》にいう:この句の含意は《随》卦上六に見える。程頤《伊川易伝》にいう:六四は柔順の才質を備え、上は君主の上昇に順応し、下は下の賢人の進用に順応し、自分は本位に安守する。それは陰爻で柔位に居し、陰に属してまた上体の下方に処する。まさに本位に安守する象である。当年周の文王は岐山の麓に住み、上は天子に順事して彼を正道に導こうとし、下は天下の賢人に順任して彼らを升進せしめ、自分は柔順謙恭で本位を越えなかった。徳行がこの地步に至れば、周家の王業はそれに依って亨通した。六四がかくのごとくできれば亨通して吉で過ちがない。問うていわく:六四の才質はもともと良いのに、なぜ「无咎」の一語を加えるのか。答えていわく:六四の才は良いが、その処する位置は戒惧すべきである。君主に近い位置に身を居し、また上昇の時にあって、さらに上昇してはならない。さらに昇れば凶咎は想いて知るべきである。だから文王のようであってこそ吉で過ちがないという。しかし大臣の位に処しても、「升」という事に無所作为であってはならない。上は君主の道を提升し、下は天下の賢才を提升し、自分は本分に安守すべきである。名分の上では止まるべきだが、徳行の上では上昇すべきであり、道術の上では亨通すべきである。この路を尽頭まで歩める者は、おそらく文王だけであろう。

案 卦義柔以時升,六四初交上體,又位在巽坤之間,有“南征”之象。迫近尊位,有見大入之義,是爻之合於卦義者也,在己者,用之以見大人則吉。為大人者,用之以享神明則宜。與《隨》上之義同,皆言王用此人,以享于山川也。不曰“西山”,而曰“岐山”,避彖辭“南征”之文。先儒或言岐山在周西南。

李光地の按:本卦の卦義は柔順者が時勢に順って上昇するである。六四は剛に上体に入り、位置も巽体と坤体の交界にあり、「南征」の象を含む。それは尊位に迫近し、大人に見る意を含む。まさに卦義と相合する一爻である(底本は「人」を「入」と訛す)。六四自身について言えば、この徳をもって大人に見れば吉。大人たる君主について言えば、このような臣子をもって神明を祭享すれば相宜である。これは《随》卦上六の意と同じで、皆君王がこのような人を任用して山川を祭享するを説く。「西山」といわず「岐山」というのは、卦辞「南征」の字面を避けるためである。前代の儒者にも岐山は周地の西南にあるという者がいた。

六五,貞吉,升階。本義 以陰居陽,當升而居尊位,必能正固,則可以得言而升階矣。“階”,升之易者。程傳 五以下有剛中之應,故能居尊位而吉。然質本陰柔,必守貞固,乃得其吉也。若不能貞固,則信賢不篤,任賢不終,安能吉也。階所由而升也,任剛中之賢,輔之而升,猶登進自階,言有由而易也。指言九二正應,然在下之賢,皆用升之階也。能用賢,則匯升矣。

《升》卦六五の爻辞にいう:貞を守れば吉、階段に沿って一段一段上昇するようである。朱熹《本義》にいう:六五は陰爻で陽位に居し、まさに上昇の時にあって尊位に居る。必ず端正固守できてこそ、その心志を遂げ階に循って上昇できる(底本は「志」を「言」と訛す)。「階」は上昇する時に最も省力の憑藉である。程頤《伊川易伝》にいう:六五は下に剛中の九二がそれに応ずるので、尊位に居て吉を得ることができる。しかしその本質は畢竟陰柔で、必ず貞定固執を守ってこそこの吉を得る。もし貞固できなければ、賢者を信任するに篤実ならず、賢者を任用するに終わりなく、どうして吉を言えようか。「階」は人が借りて上昇するものである。剛中の賢者を任用し、彼の輔佐に依って上昇すれば、階を登って上がるようで、憑藉あるため易しいということである。ここで指すのは九二という正応である。実は下位の賢人は皆君主が上昇に用いる階段であり、賢を能用いれば人材は類を成して提拔されて来る。

集說 李氏元量曰:“貞吉升階”,升而有序,故以階言之,謂賓主以揖遜而升者也。王氏宗傳曰:《彖傳》柔以時升,蓋謂五也。熊氏良輔曰:以順而升,如歷階然。案 升至五而極,居坤地之中,亦有“南征”之象焉,乃卦之主也。不取君象,但

「集説」に李元量を引く:「貞吉升階」は、上昇に次第あることを説き、だから階段をもって比方する。賓主が互いに揖譲して一段一段堂に登るようである。「集説」に王宗伝を引く:《彖伝》の「柔以時升」は六五を説いたのである。「集説」に熊良輔を引く:柔順に凭って上昇するのは、一段一段階段を歩くようである。李光地の按:第五爻に昇れば頂点に至る。それは坤地の正中に処し、また「南征」の象を含み、一卦の主である。爻辞は君主の象を取らず、ただ……底本はここに脱文があり、按語は未完である。

上六,冥升,利于不息之貞。本義 以陰居升極,昏冥不已者也。占者遇此,無適而利,但可反其不已於外之心,施之於不息之正而已。程傳 六以陰居升之極,昏冥於升,知進而不知止者也,其為不明甚矣。然求升不已之心,有時而用於貞正而當刁;息之事,則為宜矣。君于于貞正之德,“終曰乾乾”,“自強不息”。如上六不已之心,用之於此,則利也。以小人貪求無已之心,移於進德。則何善如之。

《升》卦上六の爻辞にいう:昏昧にひたすら上昇する。永く息まない貞に用いるに宜しい。朱熹《本義》にいう:上六は陰爻をもって上昇の極点に居し、昏昧糊塗で升って止まない人である。占う人がこの爻に遇えば、どこに往っても利を得られず、ただあの外に奔競して止まない心を掉転して、永く止息せざる正道に用いるしかない。程頤《伊川易伝》にいう:上六は陰爻をもって上昇の極点に処し、上昇という事に昏昧糊塗で、進むのみ知って止まるを知らず、糊塗が酷い。しかしあの升を求めて止まない心は、時にもし貞正で持続不懈すべき事に用いれば、かえって相宜である。君子は貞正の徳に対し、「終日乾乾」「自强不息」である(底本は「子」を「于」と、「日」を「曰」と訛し、この句にまた脱訛あり)。上六のあの停歇を肯じない心をこれに用いれば、利がある。小人の貪求无厭の念頭を、進徳修業に移せば、これより良い事があろうか。

集說 石氏介曰:已在升極,是昧於升進之理。若能知時消息,但自消退,不更求進,乃利也。徐氏之樣曰:《豫》上樂極,故”冥豫”。《升》上進極,故“冥升”。案 “冥升”與“晉其角”之義同,皆進而不能退者也。以其剛也,故曰“角”。以其柔也,故曰“冥”。”利于不息之貞”,其戒亦與“維用伐邑”之義同,皆勤於自治,不敢以盛滿自居者也。以其剛也,故曰“伐邑”。以其柔也,故曰“不息之貞”。

「集説」に石介を引く:上六はすでに上昇の極点に処し、升進の理に昏昧不明である。それがもし時勢の消長を知って、ただ自分が退譲して進を求めなければ、初めて利がある。「集説」に徐之様を引く:《豫》卦上六は快楽が極に至ったので「冥豫」といい、《升》卦上六は上進が極に至ったので「冥升」という。李光地の按:「冥升」は《晋》卦上九の「晋其角」と意が同じで、皆ただ進めて退けない人である。《晋》卦上九は陽剛なので「角」といい、《升》卦上六は陰柔なので「冥」という。「利于不息之貞」のこの戒めも、《晋》卦上九の「維用伐邑」の意と同じで、皆人に己を修治するに勤め、盛満をもって自ら居らざれと欲する。一は剛なので「伐邑」といい、一は柔なので「不息之貞」という。

困卦

困.兌上.坎下程傳 《困序卦》:“升而不已必團,故受之以困。”升者,自下而上,自下升上,以力進也,不已必困矣,故《升》之後受之以《困》也。困者,憊乏之義。為卦兌上而坎下,水居澤上,則澤中有水也,乃在澤下?枯涸無水之象,為困乏之義。又兌以陰在上,坎以陽居下,與上六在二陽之上,而九二陷於二陰之中,皆陰柔掩於陽剛,所以為困也。君子為小人所掩蔽,窮困之時也。

《困》卦の卦画の注記は:上卦は兌、下卦は坎。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《困》卦を説くに、「上昇が止まなければ必ず困窮する。だから次に《困》卦がある」(底本は「困」を「団」と訛す)。いわゆる升は下から上に向かう。下から上に昇るのは力を用いて前進することに依り、升って止まなければ必ず困窮する。だから《升》卦の後に《困》卦が続く。「困」は疲憊匱乏の義である。卦体について言えば、上卦は兌、下卦は坎。水が沢の上に停まれば沢中に水ありである。今水が沢の下にあるので枯竭して水なき象となり、まさに困乏の義に合う。さらに兌は陰爻が上にあり、坎は陽爻が下にある。上六は二つの陽爻の上に圧し、九二は二つの陰爻の中間に陥る。皆陰柔が陽剛を遮蔽したので、卦名を《困》という。君子が小人に遮蔽されるのは、まさに窮困の時である。

困,亨,貞,大人吉,無咎,有言不信。本義 “困”者,窮而不能自振之義。坎剛為兌柔所掩,九二為二陰所掩,四五為上六所掩,所以為困,坎險兌說,處險而說,是身雖困而道則“亨”也。二五剛中,又有“大人”之象。占者處困能亨,則得其正矣,非大人其孰能之,故曰“貞”。又曰“大人”者,明不正之小人不能當也。“有言不信”,又戒以當務晦默,不可尚口,益取窮困。

《困》卦の卦辞にいう:亨通し、貞を守る。大人は吉を得て過ちがない。この時口を開いて話しても人は信じない。朱熹《本義》にいう:「困」は窮窘して自ら振作できないこと。坎の陽剛が兌の陰柔に遮蔽されている。九二は上下二つの陰爻に遮蔽され、九四・九五は上六に遮蔽されている。だから《困》という。坎は険、兌は悦で、身が険境に処して心が尚喜悦できる。これが身は困頓するも道は亨通するである。九二・九五は皆陽剛が中に居り、また「大人」の象がある。占う人が困境に処して亨通できるのは、正道を守ったからである。大人でなければ誰ができようか。だから「貞」という。また「大人」というのは、正しからざる小人がこの断語を担当できないことを表明するためである。「有言不信」はさらに進んで人にこの時収斂沈黙すべきで、口舌の弁を逞しくしてはならないと戒める。それはたださらに深い困窮を招くだけである。

程傳 如卦之才,則困而能亨,且得貞正,乃大人處困之道也,故能“吉”而“無咎”。大人處困,不唯其道自吉,樂天安命,乃不失其吉也。況隨時善處,復有裕乎,“有言不信”,當困而言,人誰信之。集說 孔氏穎達曰:“困”者,窮厄委頓之名,道窮力竭,不能自濟,故名為《困》。

程頤《伊川易伝》にいう:この卦の卦才から見れば、困境にあっても亨通でき、また貞正を守れる。これがまさに大人の困に処する道で、だから吉で過ちがない。大人が困に処するのは、ただ彼の行う道がそれ自体吉だからだけでなく、さらに彼が楽天知命だからその吉を失わない。いわんや彼が尚時に随って妥善に自処し、行事に綽々余裕があることをや。「有言不信」に至っては、まさに困窮の時に口を開いて話しても、誰が信じようかということである。「集説」に孔頴達を引く:「困」は窮厄疲頓の名目——道路が絶え力が尽きて自ら脱することができない。だから卦名を《困》という。

案 “困亨”者,非謂處困而能亨也。蓋困窮者,所以動人之心,忍人之性,因屈以致伸,有必通之理也。然唯守正之大人,則能進德於困,而得其所以可通者爾,豈小人之所能乎。困者,君子道屈之時也,屈則不伸矣。“有言不信”,信字疑當作伸字解,蓋有言而動見沮抑,乃是困厄之極,不特,人疑之而不信也。《夬》卦“聞言不信”,己不信人之言也。而夫子以聰不明解之,以信字對聰字,則信字當為疑信之信。此卦“有言不信”,人不行豈之言也。而夫子以尚口乃窮解之,以信字對窮字,則信字當為屈伸之伸。

李光地の按:いわゆる「困亨」は、身が困境にあって居然と亨通できるということではない。困窮は人の心を震動し人の性を堅忍するためのもので、一時の屈抑に凭って後日の伸展を換える。その中に自ら必然に通達する理がある。しかし正を守る大人のみが、困境の中で徳行を一層推進し、従ってあの通達できる憑拠を掴むことができる。これは小人にできようか。困は君子の道が屈を受ける時で、屈を受ければ伸展できない。「有言不信」の「信」字は、おそらく「伸」字として解すべきである。口を開けば至る所抑圧に遭う。これがこそ困厄の極であって、単に他人が彼を疑い信じないだけではない。《夬》卦九四に「聞言不信」というのは、自分が他人の言を信じようとしないことで、孔子は「聡不明」をもってそれを解釈した。「信」字を「聡」字に対せしめれば、あの「信」字は疑信の信であることがわかる。この卦に「有言不信」というのは、他人が自分の言を信じないことで(底本この句に訛字あり)、孔子は「尚口乃窮」をもってそれを解釈した。「信」字を「窮」字に対せしめれば、この「信」字は屈伸の伸であるべきことがわかる。

初六,臀困于株木,入于幽谷,三歲不覿。本義 “臀”,物之底也。“困于株木”,傷而不能安也。初六以陰柔處困之底,居暗之甚,故其象占如此。程傳 六以陰柔處於至卑,又居坎險之下,在困不能自濟者也,必得在上剛明之人為援助,則可以濟其困矣。初與四為正應,九四以陽而居陰為不正,失剛而不中,又方困於陰掩,是惡能濟人之困。猶“株木”之下,不能蔭覆於物。“株木”,無枝葉之木也。

《困》卦初六の爻辞にいう:臀部が剥き出しの切り株に砢れて苦しみ、幽深の谷に陥り、三年人に見えない。朱熹《本義》にいう:「臀」は物体の底部である。「困于株木」は、砢れ傷ついて坐って安穏でないこと。初六は陰柔の質をもって困卦の最底層に処し、昏暗の極にある。だから取象と「占辞」がこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:初六は陰柔の質をもって極めて卑の地に処し、また坎険の最下に居し、身が困境に陥って自ら救う力がない人で、必ず上の剛健明達の人の援助を得てこそ困厄を解脱できる。初六と九四は正応だが、九四は陽爻で陰位に居り位置が正しくなく、剛健を失い中にも居らず、自身正に陰柔に遮蔽されて困を受けている。どうして尚他人の困厄を解救できようか。剥き出しの切り株の下のようで、一片の蔭涼も遮れない。「株木」は、枝葉のない樹である。

四,近君之位,在它卦不為無助,以居困而不能庇物,故為”株本”。“臀”,所以居也。“臀困于株木”,謂無所庇而不得安其居,居安則非圍也。“入于幽谷”,陰柔之人,非能安其所遇。既不能免於團,則益迷暗妄動,入於深困。“幽谷”,深暗之所也。方益人於困,無自出之勢,故於至“三歲不覿”,終困者也。“不覿”,不遇其所亨也。

九四は君主に近い位置に処し、他の卦なら助力がないとは言えないが、それ自身が困中にあって他人を庇護できないので、ただ一段の剥き出しの切り株と算えられる(底本は「木」を「本」と訛す)。「臀」は人が坐に用いる部位である。「臀困于株木」は、庇蔭する所なく坐って安穏でないと言う——坐って安穏ならば困とは呼ばない(底本は「困」を「囲」と訛す)。「入于幽谷」に至っては:陰柔の人は、自分の処境に安んずる本事がなく、困厄を脱することができない以上(底本は「困」を「団」と訛す)、いよいよ迷暗に妄動して、一頭深い困境に扎し込む。「幽谷」は幽深昏暗の所である。彼はまさに一歩一歩困中に陥り(底本は「入」を「人」と訛す)、自ら脱する勢いがないので、「三歳不覿」の地步に至った。始終困にあって出られない人である。「不覿」は、彼を亨通せしめる機会に遇えないことである。

集說 項氏安世曰:初六在坎下,故為“入于幽谷”,即坎初爻入於坎陷也。張氏清子曰:人之體行則趾為下,坐則臀為下,初六困而不行,此坐困之象也。案 《詩》云:出於幽谷,遷於喬木。初不能自遷於喬木,而唯坐困株木之下,則有愈入于幽谷而已。陰柔處困之最下,故其象如此。在人則卑暗窮陋,而不能自拔者。言“臀”者,況其坐而不遷也。

「集説」に項安世を引く:初六は坎体の最下に処するので「入于幽谷」といい、これは《坎》卦初六の坎窞に陥るのと同一類の象である。「集説」に張清子を引く:人の身体は、歩く時脚指が最下、坐る時臀が最下である。初六は困られて行くことができない。これは坐困の象である。李光地の按:《詩経・小雅・伐木》に「出于幽谷・遷于喬木」という。初六は自ら喬木に遷ることができず、ただ剥き出しの切り株の下に困坐するのみで、ますます陥り深くなり、一路幽谷に落ちるだけである。陰柔の質が困卦の最下に処するので取象がこのようである。人に落とせば、あの卑微昏暗・窮窘鄙陋で自ら抜く力なき人である。爻辞に「臀」というのは、彼がそこに坐って巣を動かせないことを形容する。

九二,困于酒食,朱紱方來,利用亨祀,征凶,無咎。本義 “困于酒食”,厭飫苦惱之意。“酒食”人之所欲,然醉飽過宜,則是反為所困矣。“朱紱方來”,上應之也。九二有剛中之德,以處困時,雖無凶害,而反困於得其所欲之多,故其象如此,而其占利以享祀。若征行則非其時,故“凶”,而於義為“無咎”也。

《困》卦九二の爻辞にいう:酒食に困られ、朱色の蔽膝がまさに送られて来る。それを用いて祭享を行うに宜しい。この時出行すれば凶だが、道義の上では過ちがない。朱熹《本義》にいう:「困于酒食」は、食べ飽き飲み足りてかえって苦悩を覚える意味である。酒食はもともと人々が欲するものだが、酔飽が分寸を過ぎればかえってそれに困られる。「朱紱方来」は、上の九五がそれに応ずること。九二は陽剛居中の徳があり、困厄の時に応ずるに持てるが、凶険禍害はないものの、かえって自分の欲する物が多すぎて困られる。だから取象がこのようで、その「占辞」は祭享を行うに宜しい。もしこの時に出行すれば時宜に合わないので凶という。ただし道義の上では過ちはない。

程傳 “酒食”人所欲,而所以施惠也。二以剛中之才,而處困之時,君子安其所遇,雖窮厄險難,無所動其心,不恤其為困也。所困者唯困於所欲耳,君子之所欲者,澤天下之民,濟天下之困也。二未得遂其欲,施其惠故為“困于酒食”也。大人君子懷 集說 石氏介曰:“朱紱”,祭服,謂可衣朱紱而享宗廟也。“征凶”,既在險中,何可以行。“無咎”,以其居陽明之德,可以“無咎”。

程頤《伊川易伝》にいう:酒食は人々が欲するものであり、また人に施恵するものである。九二は陽剛居中の才具に凭って困厄の時に処する。君子は自分の遭遇に安んじ、たとえ窮厄険艱でも彼の心を動揺できず、困頓を心に置かない。彼が困るのは、ただ自分の心願に困るだけである。君子の心願は、沢を天下の百姓に施し、天下の困苦を救助することである。九二は尚この心願を遂げこの恩惠を施すことができないので、「困于酒食」という。大人君子が懐く……底本はここに脱文があり、《程伝》は未完である。「集説」に石介を引く:「朱紱」は祭祀の礼服で、九二が朱紱を着て宗廟を祭享できるということ。「征凶」というのは、彼が険難の中に身を置いてどうして出行できようか。「无咎」というのは、彼が陽剛明達の徳を備えているので過ちなきを得られるからである。

案 小人以身窮為困,君子以道窮為困。卦之三陽,所謂君子也。所困者,非身之窮,乃道之窮也,故二五則“紱”服榮於躬,四則“金車”寵於行。然而道之不通,則其榮寵也,適以為困而已矣。然榮寵亦非無故而來,神明之意,必有在焉。唯竭誠以求當神明之意,則終有通時矣。故雖當《困》之時,“征行”必“凶”,而其要“無咎”也。

李光地の按:小人は自身の窮窘を困とし、君子は道路の通ぜざるを困とする。卦中の三つの陽爻はすなわちいわゆる君子で、彼らの困る所は身の窮ではなく道の窮である。だから九二・九五の身には蔽膝の服の栄耀があり、九四の出行には金車の礼遇がある。しかし道が行き通らなければ、これらの栄寵はちょうど彼らの困頓となるだけである。ただし栄寵も縁故なく来るのではなく、神明の用意には必ず寄托する所がある。ただ誠意を竭くして神明の用意に体合すれば、最終的にいつか通達の時がある。だからたとえ《困》卦の時に身を処し、出行すれば必ず凶を招くが、その帰結は尚過ちなしである。

“用享祀”者,謂服此“朱紱”。用此酒食以享之,喻所得之爵祿,不敢以之自奉,而以為竭誠盡職之具也。《書》曰:予不敢宿,則禋於文王武王,意義相近。

いわゆる「用享祀」は、この朱紱を着て、これらの酒食をもって神明を祭享することを説き、自分の得た爵位俸禄を敢えて自身を供養するに用いず、誠意を竭くし職守を克尽する憑藉とすることを比喩する。《尚書・洛誥》に「予不敢宿・則禋于文王武王」というのは、意味がここに近い。

六三,困于石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。本義 陰柔而不中正,故有此象,而其占則凶。“石”,指四。“蒺藜”,指二。“宮”謂三,而妻則六也。其義則《繫辭》備矣。程傳 六三以陰柔不中正之質,處險極而用剛,居陽用剛也,不善處困之甚者也。

《困》卦六三の爻辞にいう:大きな石に遮られ、蒺藜の上に坐る。自分の家に帰っても妻子に見えない、凶。朱熹《本義》にいう:六三は陰柔でまた不中不正なのでこのような象があり、その「占辞」はすなわち凶である。「石」は九四を指し、「蒺藜」は九二を指し、「宮」は六三の居る所を指し、「妻」はこの陰爻自身である。その中の道理は《繫辞伝》がすでに説き尽くしている。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔で不中不正の資質をもち、身が坎険の極点に処しながらひたすら剛を逞しくする——それは陽位に居して剛を用いるので、極めて困に処するに善くない人である。

“石”,堅重難勝之物。“蒺藜”,刺不可據之物。三以剛險而上進,則二陽在上,力不能勝,堅不可犯,益自困耳,“困于石”也。以不善之德,居九二剛中之上,其不安猶藉刺,“據于蒺藜”也。進退既皆益困,欲安其所,益不能矣。“宮”,其居所安也。“妻”,所安之主也。知進退之不可,而欲安其居,則失其所安矣。進退與處皆不可,唯死而已,其凶可知。

「石」は堅硬沉重で動かし難いもの、「蒺藜」は尖刺に満ちて坐り靠ることができないものである。六三は剛愎険詐に凭って上に闯もうとするが、上に二つの陽爻があり、その力は勝てず、あの堅固も冒犯できない。ただますます自分を困らせるだけである。これが「困于石」である。それは不良の徳を帯びて、陽剛居中の九二の頭上に圧し、そこに坐って安穏を得ず、一層の尖刺を敷いたようである。これが「据于蒺藜」である。進も困、退も困、原処に安頓しようとすればなおさら不可能である。「宮」は彼の居住し安身する所、「妻」は彼の安身が依る人である。進退が皆行き通らないと明知しながら、尚原処に安居しようとすれば、結果的に安んずる所まで失う。進・退・留の三路が皆行き通らず、残るは一死のみで、凶険は想いて知るべきである。

《繫辭》曰:“非所困而困焉,名必辱,非所據而據焉,身必危,既辱且危,死期將至,妻其可得見邪。”二陽不可犯也,而犯之以取困,是非所困而困也。名辱,其事惡也。三在二上,固為據之,然苟能謙柔以下之,則無害矣。乃用剛險以乘之,則不安而取困,如據蒺藜也,如是,死期將至。所安之主,可得而見乎?案 三陰皆非能處困者,初在下,坐而困者也。三居進退之際,行而困者也。傷於外者,必反其家,而又無所歸,甚言妄行取困,其極如此。

《繫辞伝》にいう:「困を受くべからざる所に偏って困を受ければ、名声は必ず辱められる。凭拠すべからざるものに偏って凭拠すれば、身家は必ず危殆となる。辱められてまた危殆なれば、死期がまさに至らんとし、妻子に尚見えようか。」二つの陽爻はもともと冒犯すべからずなのに、彼は偏って冒犯して自ら困厄を取った。これが困を受くべからざる所に偏って困を受けるである。名声が辱められるのは、彼の行った事が悪劣だからである。六三は九二の上に圧し、固然それに凭拠していると言えるが、彼がもし謙遜柔順に自らその下に居れば妨害もなかった。偏って剛愎険詐をもってその上を陵駕したので、坐って安穏でなく自ら困厄を取った。蒺藜の上に坐るようである。このように続ければ死期がまさに近い。彼の安身が依る人に尚見えようか。李光地の按:三つの陰爻は皆困に処するに善くない。初六は最下にあって坐って困を受ける人、六三は進退可の関口に処して歩いて困を受ける人である。外で傷を受ければ必ず家に帰るが、家に帰ってまた安身する所がない——これは妄動が困を招くことを極力形容し、かくも酷い地步に至り得ることを示す。

九四,來徐徐,困于金車,吝,有終。本義 初六,九四之正應,九四處位不當,不能濟物,而初六方困於下,又為九二。所隔,故其象如此。然邪不勝正,故其占雖為可“吝”,而必有終也。“金車”為九二,象未詳,疑坎有輪象也。

《困》卦九四の爻辞にいう:ゆっくりと前来り、金車に困られ、少しきまり悪いが、終に結果がある。朱熹《本義》にいう:初六は九四の正応である。九四の処する位置が当たらず、他人を救助できず、初六は正に下に困り、中間はまた九二に隔てられている。だから取象がこのようである。ただし邪は終に正に勝てないので、その「占辞」は羞ずべき意味を帯びながらも、最終的に必ず善終がある。「金車」は九二を指す。この取象の来歴は尚明らかでない。坎卦が車輪の象を含むためかと疑う。

集說 胡氏瑗曰:“徐徐”者,舒緩不敢決進也。案 “來徐徐”者,喻君子當困時,不欲上進也。“困于金車”者,招我以車,不容不來也,如是則可羞吝矣。然上近九五之剛中止,乃卦所謂大人者,與之同德,終有亨道。

「集説」に胡瑗を引く:「徐徐」は从容緩慢で断然と前進を敢えてしない様子である。李光地の按:「来徐徐」は、君子が困厄の時に身を当て、本来上に進を求めようとしないことを比喩する。「困于金車」は、人が車馬をもって招請し、自分が来ないを容れないので、こうして少し羞ずべき所がある。しかし九四は上に陽剛居中の九五に挨り(底本ここに「止」の一衍字あり)、それはまさに卦辞のいう大人で、両人の徳行が同じなので、終に亨通の道がある。

九五,劓刖,困于赤紱,乃徐有說,利用祭祀。本義 “劓刖”者,傷於上下。下既傷,則赤紱無所用而反為困矣。九五當《困》之時,上為陰掩,下則乘剛,故有此象。然剛中而說體,故能遲久而有說也。占具象中,又利用祭祀,久當獲福。

《困》卦九五の爻辞にいう:上は鼻を割かれ下は足を断たれる刑を受け、赤色の蔽膝に困られる。ゆっくりして初めて喜悦があり、祭祀を行うに宜しい。朱熹《本義》にいう:「劓刖」は上下両頭とも傷害を受けること。下がすでに傷を受ければ、赤紱の礼服は用いる所なくかえって困累となる。九五は困厄の時に身を当て、上は陰爻に遮蔽され、下はまた剛爻の上を陵駕するので、このような象がある。ただしそれは陽剛居中で身が兌体にあるので、長く拖ることができて終に喜悦がある。「占辞」は象の中に含まれている。また祭祀を行うに宜しいというのは、時が久しければ自ら福佑を獲得すべきと言うのである。

程傳 截鼻曰“劓”,傷於上也、去足為“刖”,傷於下也。上下皆掩於陰,為其傷害,“劓刖”之象也。五,君位也。人君之困,由上下無與也。“赤紱”,臣下之服,取行來之義,故以紱言。人君之困,以天下不來也。天下皆來,則非困也。五雖在困,而有剛中之德,下有九二剛中之賢,道同德合,徐必相應而來,共濟天下之困,是始困而徐有喜說也,“利用祭祀”,祭祀之事,必致其誠敬而後受福。人君在田時,宜念天下之困,求天下之賢,若祭祀然。致其誠敬,則能致天下之賢,濟天下之困矣。五與二同德,而云上下無與,何也?曰:陰陽相應者,自然相應也,如夫婦骨肉分定也。五與二皆陽爻。以剛中之德同而相應,相求而後合者也,如君臣朋友義合也。方其始困,安有上下之與。有與則非困,故徐合而後有說也。

程頤《伊川易伝》にいう:鼻を割くを「劓」といい上部の傷、足を砍るを「刖」といい下部の傷である。九五は上下両面とも陰爻に遮蔽されて傷害を受ける。これが「劓刖」の象である。五は君位で、君主の困る所以は上下に相与する人がないことにある。「赤紱」は臣下の服飾で、往来朝見の義を取ったので蔽膝をもって説く。君主の困る所以は天下の人が来り帰することを肯じないことにある。天下が皆来れば困とは呼ばない。九五は困中に身を置きながら陽剛居中の徳があり、下にまた陽剛居中の賢者九二があり、両人が道同じく徳合うので、ゆっくりして必ず互いに応和して来り、共に天下の困厄を解救する。これが初め困頓して後に徐々に喜悦があるである。「利用祭祀」を説くに:祭祀という事は、必ずその誠敬を尽くして然る後に福を受けることができる。君主が困厄の時に身を処して(底本は「困」を「田」と訛す)、天下の困苦を念じ天下の賢人を訪求すべきで、あの態度は祭祀のようでなければならない。その誠敬を尽くせば、天下の賢人を招来し、天下の困厄を解救できる。問うていわく:九五と九二は徳行が同じなのに、なぜ上下に相与する人がないというか。答えていわく:陰陽の相応は自然と相応するので、夫婦骨肉のように名分がすでに定まっている。九五と九二は皆陽爻で、同じ剛中の徳に凭って相応し、彼此尋求して後に結合したので、君臣・朋友のように道義をもって相合う。彼が困厄に陥ったばかりの時、どうして上下に相与する人ありと言えようか。相与する人があれば困とは呼ばないので、ゆっくり会合して後に初めて喜悦がある。

二云“享祀”,五云“祭祀”,大意則宜用至誠,乃受福也。祭與祀享,泛言之則可通。分而言之,祭天神,祀地示,享人鬼。五君位言祭,二在下言享,各以其所當用也。集說 王氏應麟曰:《困》九五日“利用祭祀”,李公晦謂明雖困於人,而幽可感於神,豈不以人不能知,而鬼神獨知之乎。愚謂孔子云:知我者其天乎。韓子云:唯乖於時,乃與天通,不求人知而求天知,處困之道也。

九二は「享祀」といい、九五は「祭祀」という。大意は皆至誠を用いて然る後に福を受けるである。祭・祀・享の三字は、渾然として言えば相通じ、分かれて言えば、祭は天神を祭り、祀は地祇を祀り、享は人鬼を享ける。九五は君位にあるので「祭」といい、九二は下位にあるので「享」という。各々自分が用いるべき名目による。「集説」に王応麟を引く:《困》卦九五に「利用祭祀」という。李公晦が解釈して曰く、人は明の処では世人に困られ、幽の処では神明に感通できる。これは世人が彼を了解できず、ただ鬼神のみが彼を了解するからではないか。私は孔子が「知我者其天乎」と言い、韓愈が「唯乖于時・乃与天通」と言ったと思う。人の知るを求めず天の知るを求める。これがまさに困に処する道である。

案 九五不敢君象,但取位高而益困者耳。其象與九二同,但二則“朱紱”方將來,五則高位而已“困于赤紱”矣。“乃徐有說”者,五兌體,故能從容以處之而有餘裕也。“利用祭祀”之義,亦與二同。

李光地の按:九五この爻は君主の象を取らず(底本は「取」を「敢」と訛す)、ただ位置が高いほど困ることも重い意を取る。その象は九二と同じで、ただ九二の所は朱紱がまさに送られて来るところだが、九五はすでに高位に居り正に赤紱に困られている。いわゆる「乃徐有説」は、九五が兌体に属するので从容に対応して余地を留められるからである。「利用祭祀」の含意も九二と同じである。

上六,困于葛藟,于臲卼,曰動悔,有悔,征吉。程傳 物極則反,事極則變,困既極矣,理當變矣。“葛藟”,纏束之物。“臲卼”,危動之狀。六處困之極,為困所纏束,而居最高危之地,“困于葛藟”與“臲卼”也。“動悔”,動輒有悔,無所不困也。“有悔”,咎前之失也。曰,自謂也,若能曰如是動皆得悔,當變前之所為有悔也。能悔則往而得吉也,困極而征,則出於困矣,故“吉”。

《困》卦上六の爻辞にいう:葛藤に纏われ、揺れ動いて墜ちんとする険地に処す。自ら一動すれば悔いありと言い、そこで真に悔改の心を生じ、往けば吉。この爻の底本はただ《程伝》を録し、《本義》がない。程頤《伊川易伝》にいう:事物は極に至れば反転し、事情は極に至れば変化する。困はすでに極に至ったので、理によって変ずべきである。「葛藟」は纏繞捆縛するもの、「臲卼」は危険動揺の様子である。上六は困の極点に処し、困厄に纏われて死ぬほど固く、また最高最険の所に居る。これが「困于葛藟」と「臲卼」である。「動悔」は一動すれば悔いありで、困ならざる所なし。「有悔」は自分の従前の過失を追咎する。「曰」は自分が自分に言う:彼がもし言えるなら、かくのごときなれば一動すれば皆悔いを得るのだから、従前の所作を改めて悔悟の心を生ずべきと。悔悟できれば往って吉を得る。困の極で出行すれば困境を出ることになるので「吉」という。

三以陰在下卦之上而凶,上居一卦之上而無凶,何也?曰三居剛而處險,困而用剛險,故凶,上以柔居說,唯為困極耳。困極則有變困之道也,《困》與《屯》之上皆以無應居卦終,《屯》則“泣血漣如”,《困》則“有悔征吉”,《屯》險極而《困》說,體故也。以說順進,可以離乎困也。

問うていわく:六三は陰爻で下卦の上に居れば凶で、上六は全卦の上に居てかえって凶でないのはなぜか。答えていわく:六三は陽位に居して身が坎険に処し、困って尚剛を逞しくし険を使うので凶。上六は柔爻で兌悦の体に居し、不过困が極に至っただけである。困が極に至れば、困境を転変する門路がある。《困》卦と《屯》卦の上爻は、皆応じる爻なく一卦の終点に処する。《屯》卦上六は「泣血漣如」、《困》卦上六は「有悔征吉」である。原因は《屯》卦の上体が坎で険の極、《困》卦の上体が兌で性が喜悦であること。喜悦柔順に凭って前に往けば困境を脱することができる。

集說 項氏安世曰:此《彖》所謂“尚口乃窮也”。若能斷“葛藟”而不牽,辭“臲卼”而不居,行而去之,“吉”孰加焉。《易》氏祓曰:陽剛不可終囤,而二四五皆不言吉,陰柔未免乎困,而上獨言“吉”者,《困》極則變,如《否》之有《泰》,雖險而終濟也。徐氏幾曰:“震無咎者存乎悔”,困已極矣。“有悔”則可出困而“征吉”,困窮而通,其謂是夫。

「集説」に項安世を引く:この爻はまさに《彖伝》のいわゆる「尚口乃窮」である。彼がもし葛藤を斬断して牽絆を受けず、あの揺れて墜ちんとする高位を辞して占めず、動身して離れ去れば、これより吉なるものがあろうか。「集説」に易祓を引く:陽剛はもともと終始困にあるべからずなのに(底本は「困」を「囤」と訛す)、九二・九四・九五は皆吉と言わなかった。陰柔はもともと困厄を免れないのに、上六だけが独り吉という。これは困が極に至れば転変するからで、ちょうど《否》卦の後に《泰》卦があるように、凶険ながら終に渡れる。「集説」に徐幾を引く:《繫辞伝》の「震无咎者存乎悔」は、上六の困はすでに極点に至り、悔悟を生じれば困境を出て「征吉」できる。いわゆる困窮して後に通達は、おそらくこれを説いたのであろう。

吳氏曰慎曰:困非自己致而時勢適逢者,則當守其剛中之德,是謂困而不失其所亨也。其道主於貞,若困由己之柔暗而致者,則當變其所為,以免於困也。其道主於悔,學者深察乎此,則處《困》之道,異宜而各得矣。案 處困貴於說,而上說之主也,故雖當困極而尚有征吉之占,異乎初與三之坐困行塞者也。然而兌主,則又有尚口之象,尚口則支離繳繞,如“困于葛藟”然,將且“臲卼”不安,而失其所為說矣,故必悔悟而離去之則“吉”。

「集説」に呉曰愼を引く:困厄が自分で招いたのでなくただ時勢に適っただけなら、自分の剛健居中の徳を守るべきである。これがいわゆる身は困してもその亨通を失わずで、方法の要は一つの「貞」字にある。困厄がもし自分の柔弱昏暗から招いたなら、自分の作為を変えて困境を脱すべきで、方法の要は一つの「悔」字にある。《易》を学ぶ人がこの一層を体察し尽くせば、困に処する道は情形が異なって各々宜しき所有りでも、皆拿捏して当を得られる。李光地の按:困に処するに最も貴いのは喜悦で、上六はまさに兌体喜悦の主である。だからそれは困の極点に処しながら尚「征吉」の断語があり、初六の坐って困を受ける、六三の行って阻まれる情形と異なる。ただしそれは兌主であるので、また口舌の弁を逞しくする象を帯びる。ひとたび口舌を逞しくすれば言語が支離糾纏し、葛藤に纏われたようになり、続いて揺れて墜ちんとして安穏を得ず、兌体本来の喜悦も失う。だから必ず悔悟して身を抽いて離れ去ってこそ吉を得られる。

總論 龔氏煥曰:卦以柔掩剛而為《困》,主乎陽而言也。而陰之困為尤甚,《彖傳》曰:“困而不失其所亨,其唯君子乎”,三剛爻之謂矣。

「総論」に龔煥を引く:この卦は陰柔が陽剛を遮蔽して《困》となすので、陽爻のこの面について立論した。しかし三つの陰爻の受ける困はかえってさらに重い。《彖伝》の「困而不失其所亨・其唯君子乎」は、まさに卦中のあの三つの陽爻を指す。

井卦

井.坎上.巽下程傳 《井序卦》:“困乎上者必反下,故受之以井”。承上升而不已必困為言,謂上升不已而困,則必反於下也,物之在下者莫如井,《井》所以次《困》也。

《井》卦の卦画の注記は:上卦は坎、下卦は巽。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《井》卦を説くに、「上にあって困を受けた者は必ず下に折れ返る。だから次に《井》卦がある。」これは上文の「升而不已必困」を承けて言ったもので、ひたすら上昇して困窮に至れば、必ず下に返って来なければならない。下にあるもので井ほど典型的なものはないので、《井》卦は《困》卦の後に並ぶ。本片の源文はここまでで、《井》卦以下の内容は後の片が引き継ぐ。

為卦坎上巽下,坎,水也,巽之象則木也,巽之義則入也。木,器之象,木入於水下而上乎水,汲井之象也。

程頤《伊川易伝》にいう:卦体から見れば、《井》卦は坎が上、巽が下である。坎は水を代表し、巽は取象の上で木を、取義の上で入を代表する。木は器具を作る材料で、汲水の桶を作ることができる。木器が水面の下に沈み、また水を盛って水中から提げ上げる。これがまさに井戸から水を汲む形象なので、この卦を《井》と名づけた。

井,改邑不改井,無喪無得,往來井井,汔至,亦未繘井,羸其瓶,凶。

《井》卦の「卦辞」にいう:城邑は移り改めることができるが、あの井は動かすことができない。井水は損なわれることもなく、増えることもない。来る人も去る人も、皆この同一の井で水を汲む。まさに水が井口まで提げられようとしているのに、井縄はまだ井の中から出し尽くしておらず、汲水の瓶が先に壊れてしまった。これは凶である。

本義 “井”者,穴地出水之處,以巽木入乎坎水之下、而上出其水,故為《井》。“改邑不改井”,故“無喪無得”,而“往”者“來”者,皆“井”其“井”也。“汔”,幾也。“繘”,綆也。“羸”,敗也。汲井幾至,未盡綆而敗其瓶,則“凶”也,其占為事仍舊無得,喪而又當敬勉,不可幾成而敗也。

朱熹《周易本義》にいう:「井」は地を掘って水を取る所である。この卦は巽木をもって坎水の下に深く入り、更に水を提げ上げるので《井》と称する。城邑は改めるが水井は改めないので、井水に損失も増益もない。往来する人は皆この同一の井を自分の井として水を汲む。「汔」はほとんど・近く、「繘」は汲水の井縄、「羸」は損壊である。水を汲んでまさに成功しようとするのに、井縄がまだ提げ尽くされず、水瓶が先に破れてしまえば凶である。この「占辞」が言うのは、事がなお旧態のままで収穫がなくまた喪失があるので、さらに恭敬勉励すべきで、成功しようとする時に功敗垂成してはならないということである。

程傳 井之為物,常而不可改也。邑可改而之它,井不可遷也,故曰“改邑不改井”。汲之而不竭,存之而不盈,“無喪無得”也。至者皆得其用,“往來井井”也。“無喪無得”,其德也常。“往來井井”,其用也周。常也,周也,《井》之道也。

程頤《伊川易伝》にいう:井というものは、恒常に固定して改めることができない。城邑は改建して他に遷ることができるが、井は移せない。だから卦辞に「改邑不改井」という。絶えず汲み取っても涸れず、長く蓄えても溢れない。これが「无喪无得」である。凡そ井辺に来る人は皆その功用を得られる。これが「往来井井」である。「无喪无得」は井の徳性が恒常に変わらないことを説き、「往来井井」は井の功用が衆人に周遍することを説く。恒常、周遍。これがまさに《井》卦の説く道理である。

“汔”,幾也。“繘”,綆也。井以濟用為功,幾至而未及用,亦與未下繘於井同也。君子之道貴乎有成,所以五穀不熟,不知荑稗。掘井九仞而不及泉,猶為棄井。有濟物之用而未及物,猶無有也,羸敗其瓶而失之,其用喪矣,是以“凶”也。“羸”,毀敗也。

程頤は続けて解釈する:「汔」はほとんど、「繘」は汲水の繩索である。井は人の取用を救済することを功效とする。水がまさに提げ上げられようとしてまだ用に就かないのは、井縄を全く井に下ろさなかったのと区別がない。君子が道を行うに成あるを貴ぶので、《孟子》に五穀がもし成熟しなければ、かえって稊稗の類の野草に及ばないと言い、また井を掘って九仞の深さに至っても泉に見えなければ、依然として廃井に過ぎないと言う。物を済する功用があっても真に外物に惠及しなければ、ないに等しい。水瓶が破損して水を漏らし尽くせば、井の功用も喪失する。だから「凶」という。「羸」はすなわち毀壊である。

集說 鄭氏康成曰:井以汲人,水無空竭,猶人君以政教養天下,惠澤無窮也。邱氏富國曰:“改邑不改井”,井之體也。“無喪無得”,井之德也。”往來井井”,井之用也,此三句言井之事。“汔至,亦未繘井”,未及於用也。“羸其井”,失其用也,此二句言汲井之事。

「集説」に鄭玄を引く:井は人の汲取に供するもので、井水はかつて空竭しない。ちょうど君主が政令教化をもって天下を養育するように、恩沢は窮りがない。集説に邱富国を引く:「改邑不改井」は井の本体を説き、「无喪无得」は井の徳性を説き、「往来井井」は井の功用を説く。この三句は皆井自体について立言する。「汔至・亦未繘井」は水がまだ用に就いていないを説き、「羸其井」は元ある功用まで失ったを説く。この二句は汲井という事について立言する。

案 “改邑不改井”句,解說多錯。文意蓋言所在之邑,其井皆無異制。如諸葛孔明行軍之處,千井齊甃者。以喻王道之行,國不異政,家不殊俗也。“無喪無得”,則言井無盈涸,以喻道之可久。“往來井井”,則言所及者多,以喻道之可大。此三句皆言井,在人事則王者養民之政是也。然井能澤物,而汲之者器。政能養民,而行之者人。無器則水之功不能上行,無人則王者之澤不能下究。故汔至以下,又以汲井之事言之。

李光地の按:「改邑不改井」のこの句は、旧説は大抵解を誤った。その文意はおそらく、凡そ至る所の城邑には、そこの井は皆異なる形制がないということ。ちょうど諸葛亮が行軍して駐屯した所では、千口の井が一律に整然と砌られていたように、王道が通行した後は、各国に相異なる政令がなく、各家に相異なる風俗がないことを比喩する。「无喪无得」は井水が満溢もせず干乾もしないを説き、王道が長久し得るを比喩し、「往来井井」は恵を受ける人が衆多であるを説き、王道が広大し得るを比喩する。この三句は皆井自体について言ったもので、人事に落とせば、王者が百姓を養育する政令である。しかし井は万物を潤沢し得ても、水を取るには器具に頼らなければならない。政令は百姓を養育し得ても、推行には人才に頼らなければならない。器具がなければ水の功効を地面上に提げることができず、人才がなければ王者の恩沢を下に貫徹することができない。だから「汔至」以下は、また汲井という事から立言に改めた。

初六,井泥不食,舊井無禽。程傳 井與鼎皆物也,就物以為義,六以陰柔居下,上無應援,無上水之象,不能濟物,乃井之不可食也。井之不可食,以泥汙也。在井之下,有“泥”之象。

初六の「爻辞」にいう:井底に污泥が積もり、井水は飲用できない。これは荒廃して久しい旧井で、鳥獣も来ない。程頤《伊川易伝》にいう:井と鼎は皆器物で、この二卦は皆器物自体について立義する。初六は陰柔の質をもって全卦の最下に居し、上にまた相「応与」して援助する爻がなく、水を提げ上げる象に欠け、外物を救済できない。これが井水が飲用できないである。井水が飲用できない所以は、泥に汚濁されたからである。初六は井の最も下に処するので「泥」の形象がある。

井之用,以其水之養人也,無水則舍置不用矣。井水之上,人獲其用,禽鳥亦就而求焉。舊廢之井,人既不食,水不復上,則禽鳥亦不夏往矣,蓋無以濟物也。井本濟人之物,六以陰居下,無上水之象,故為“不食。”井之不食,以“泥”也。猶人當濟物之時,而才弱無援,不能及物,為時所舍也。

程頤が続けて言う:井の用は、井水が人を養活できることにある。水がなければ人はそれを放って用いない。井水が地面上に提げられれば、人はその功用を得、飛鳥走獣も近づいて水を求めて飲む。荒廃して久しい旧井は、人がすでに飲用せず水も提げ上げられなければ、鳥獣もあそこに行かなくなる。これはそれが物を済する由がないからである。井はもともと人を救済するもので、初六は陰柔をもって下位に居り、水を上げる象がないので「不食」という。井水が飲用されない所以は「泥」である。これはちょうど一人の人がまさに外物を救済すべき時にあって、才具が薄弱でまた人の援引がなく、他人に惠及できず、そこで時世に棄置されるようなものである。

集說 王氏弼曰:最在井底,上又無應,沈滯滓穢,故曰“井泥不食”也。井泥而不可食,則是久井不見渫治者也。久井不見揲治,禽所不響,而況人乎。蔡氏清曰:井以陽剛為泉,而初六則陰柔也,故為“井泥”,為“舊井”。井以上出為功,而初六則居下,故為“不食”,為“無禽”。

「集説」に王弼を引く:初六は井の最底層に処し、上にまた「応与」がなく、滓穢が沈積して去らない。だから「井泥不食」という。井の中が泥に満ちて飲用できないのは、これが久しく淘洗整治されていない井であることがわかる。久しく淘治しない井は鳥獣すら来て顧みないのに、いわんや人をや。集説に蔡清を引く:《井》卦は陽剛の爻をもって泉水を象徴し、初六は陰柔なので「井泥」「旧井」の取象となる。井は水を上に提げることを功效とし、初六は下位に居するので「不食」「无禽」という。

九二,井谷射鮒,甕敝漏。本義 九二剛中,有泉之象,然上無正應,下比初六,功不上行,故其象如此。

九二の爻辞にいう:井壁の孔穴が下に向かって水を漏らし、ただ井底の小魚に注ぐだけで、汲水の瓦瓮も破れて漏れている。朱熹《周易本義》にいう:九二は陽剛をもって下卦の中位に居し、泉水の象がある。しかし上に正當の「応与」がなく、下は初六に密接して、功效を上に輸送できない。だからこのような象を取った。

程傳 二雖剛陽之才而居下,上無應而比於初,不上而下之象也。井之道,上行者也。澗谷之水,則旁出而就下。二居井而就下,失井之道,乃井而如谷也。井上出,則養人而濟物。今乃下就汙泥,注於鮒而已。“鮒”,或以為蝦,或以為蟆,井泥中微物耳。

程頤《伊川易伝》にいう:九二は陽剛の才具があるが、身が下卦に居り、上に応じる爻がなくただ初六と相隣る。これは水が上に向かわずかえって下に向かう象である。井の常道は水を上に送ることである。山涧渓谷の水は、旁から流出して低所に奔る。九二は身が井中にありながら下に就いて低に向かい、井の常道を失って、名は井で実は渓谷と同じになった。井水は上に提げられて初めて人を養い物を済できる。今は下に向かって污泥に近づき、ただ小魚に注ぐだけである。「鮒」は、ある人は蝦といい、ある人は蝦蟆という。要するに井泥の中の小さな生物である。

“射”,注也,如谷之下流注於鮒也。“甕敝漏”,如甕之破漏也。陽剛之才,本可以養人濟物,而上無應援,故不能上而就下,是以無濟用之功。如水之在甕,本可為用,乃破敝而漏之,不為用也。《井》之初二無功,而不言悔咎,何也?曰失則有悔,過則為咎,無應援而不能成用,非悔咎乎?居二比初,豈非過乎?曰:處中非過也,不能上由無援,非以比初也。

程頤が続けて言う:「射」は灌注で、渓谷の水が下に流れ注いで鮒魚に及ぶようなものである。「瓮敝漏」は、瓦瓮が破れて水が漏れるようなものである。陽剛の才具は本来人を養い物を済できるが、上に援引する人がないので上に行かずかえって下に向かう。だから世を済し用を致す功效がない。これは瓮に盛った水が本来用に就くことができたのに、瓮が破れて漏れ尽くし使用できなくなったようなものである。問うていわく:《井》卦の初六・九二は皆功というべきものがないのに、なぜ爻辞は「悔」とも「咎」とも言わないか。答えていわく:失う所あって初めて悔あり、過ちあって初めて咎となる。援応がなくて功用を成就できないのは、悔咎ではないか。九二が初六に密接するのは、過失ではないか。答えていわく:九二は中位に居するので過失ではない。それが上に行けないのは人の援引がないためで、初六に親近したためではない。

集說 張氏振淵曰:以井言,則為“井谷”之泉,僅下注於鮒。以汲井言,則為敝壞之甕,水反漏於下也。

「集説」に張振淵を引く:単に井自体について言えば、九二は「井谷」のような泉眼で、泉水はただ下に流れ注いで小魚に及ぶ。汲井という事について言えば、それはまた一只の破損した瓦瓮のようで、打ち上げた水がかえって底から漏れてしまう。

案 “井谷”者,井中出水之穴竅也。井能出水,則非泥井也。而其功僅足以射“鮒”者,上無汲引之人,如瓶甕之敝漏然,則不能自濟於人用也決矣。在卦則以《井》喻政,以汲之者,喻行政之人,在爻則下體以井喻材德之士,汲之者喻進用之君,上體以井喻德位之君,汲之者喻被澤之眾,三義相因而取喻不同。

李光地の按:「井谷」は井壁上の水が出る孔竅である。井は水を出すことができる以上、それは泥井でないことがわかる。しかしその功效はわずかに「鮒」のような小生物に注ぐに足るだけで、上にそれを汲引する人がなく、瓶瓮が破損して水を漏らすようであれば、それは明らかに自力で人の取用に供することができない。整卦について言えば、《井》をもって政事を比喩し、水を汲む人をもって政事を推行する人を比喩する。爻位について言えば、下卦は井をもって才徳ある士人を比喩し、水を汲む人をもって彼を提拔任用する君主を比喩し、上卦は井をもって徳ある位ある君主を比喩し、水を汲む人をもって恩沢を承受する民衆を比喩する。この三層の意は相因って相承え、取る比喩は各々異なる。

九三,井渫不食,為我心惻,可用汲,王明,並受其福。本義 “諜”,不停汙也。“井渫不食”而使人“心惻”,“可用汲”矣。“王明”,則汲井以及物,而施者受者“並受其福”也。九三以陽居陽,在下之上,而未為時用,故其象占如此。

九三の爻辞にいう:井はすでに淘洗して清潔なのに、人が来て飲用しない。我のために心痛む。この水はもともと汲むことができるもので、君王がもし明察ならば、上上下下が共に福沢を蒙る。朱熹《周易本義》にいう:「渫」は淘洗して清潔にし、汚濁を停留させないこと(この字は源文が「諜」と誤る)。井はすでに淘浄なのに人が来て汲まないので、旁人に心中惻然たらしめる。すなわち「可用汲」であるべきである。君王がもし明察ならば、井水を汲取して万物に惠及し、施恵する方と受恵する方が「并受其福」する。九三は陽爻で陽位に居し、下卦の最も上に処するが、まだ時世に任用されていない。だからその象と「占辞」がこのようである。

程傳 三以陽剛居得其正,是有濟用之才者也。在井下之上,水之清潔可食者也。井以上為用,居下未得其用也。陽之性上,又志應上六,處剛而過中,汲汲於上進,乃

程頤《伊川易伝》にいう:九三は陽剛をもって陽位に居して「当位」して正を得、世を済し用を致す才ある人である。それは下卦の上位に処し、まさに井中の清清潔で飲用できる水である。井は水を上に提げて初めて有用で、九三は尚下に居するので未だ任用を得ていない。陽の本性は上に向かい、九三はまた志を立てて上六と「応与」し、剛位に処して中位を超え、切に上進しようとする——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 蔡氏清曰:“為我心惻”,“我”指旁人,所謂行惻也,非謂九三自惻也。“可用汲”,帶連“王明並受其福”,皆側之之辭也。案 不曰“明王”而曰“王明”,乃惻者祈禱之辭。言王若明,則吾儕“並受其福”矣。

「集説」に蔡清を引く:「為我心惻」の中の「我」は旁观の人を指し、すなわち過路の人がそれのために傷むのであって、九三自身が傷むと言うのではない。「可用汲」は下の「王明并受其福」と続けて読むべきで、皆九三のために傷む人の言った言葉である。李光地の按:爻辞が「明王」といわず「王明」というのは、まさにあの傷痛する者の祈祷の口気——意味は君王がもし明察ならば、我ら大家が皆福沢を同じく受けられるということである。

六四,井甃,無咎。本義 比六居四,雖得其正,然陰柔不泉,則但能修治而無及物之功,故其象為“井甃”,而占則“無咎”。占者能自修治,則雖無及物之功,而亦可以“無咎”矣。

六四の爻辞にいう:磚石で井壁を修砌する。過ちはない。朱熹《周易本義》にいう:六のような陰爻をもって第四位に居し、「当位」して正を得るが、陰柔の質は泉源となることができない。だからただ修整の工夫をするのみで外物に惠及する功效はない。だから取象を「井甃」とし、占断は「无咎」である。占問の人がもし自ら修治の工夫を下せば、たとえ暫時他人に惠及する功效がなくても、同じく過ちはない。

程傳 四雖陰柔而處正,上承九五之君,才不足以廣施利物,亦可自守者也,故能修治則得“無咎”。“甃”,砌累也,謂修治也”。四雖才弱不能廣濟物之功,修治其事,不至於廢可也。若不能修治,廢其養人之功,則失並之道,其咎大矣。居高位而得剛陽中正之君,但能處正承上,不廢其事,亦可以免咎也。

程頤《伊川易伝》にいう:六四は陰柔だが居位が正を得、上に向かって九五の君を承奉する。才具は広く施恵して万物を利益するに足らないが、仍として自守できる人なので、ただ修治の工夫を肯んずれば「无咎」を得られる。「甃」は磚石をもって壘砌すること、すなわち修整である。六四は才力が薄弱で広く外物を済する功業を成就できないが、自分の分内の事を整治して井を廃棄に至らせないことは、できる。もし修治すら肯んじなければ、井が人を養う功用を廃してしまい、井の常道を喪失して過ちは大きい。身が高位に居してまた剛陽中正の君主に遇えば、ただ正を守り上を承け、本職を荒廃しなければ、過ちを免れることができる。

集說 邱氏富國曰:三在內卦,渫井內以致其潔。四在外卦,甃井外以御其汙,蓋不渫則汙者不潔,不甃則潔者易汙。來氏知德曰:六四陰柔得正,近九五之君,蓋修治其井,以瀦蓄九五之“寒泉”者也。占者能修治臣下之職,則可以因君而成井養之功,斯“無咎”矣。

「集説」に邱富国を引く:九三は内卦にあり、井の中から淘洗して水を潔淨にする。六四は外卦にあり、井の外から壁を砌てて汚濁を抵御する。淘洗しなければ汚濁したものは潔淨にならず、壁を砌てなければ潔淨なものもまた汚染されやすい。集説に来知徳を引く:六四は陰柔で「当位」して正を得、また九五の君に近く、まさに井壁を修整して九五のあの一泓の「寒泉」を蓄積する人である。占問の人がもし臣たるの職分を修好すれば、君主に凭藉して井が万民を養う功業を成就でき、こうすれば「无咎」である。

九五,井冽寒泉食。本義 “冽”,潔也。陽剛中正,功及於物,故為此象。占者有其德,則契其象也。

九五の爻辞にいう:井水は清洌で、一泓の甘寒の泉で、人の飲用に供できる。朱熹《周易本義》にいう:「冽」は潔淨である。九五は陽剛をもって上卦の中位に居して「中正」で、功效が外物に惠及できる。だからこのような象がある。占問の人がもしこのような徳行を備えれば、この象と相合する。

程傳 五以陽剛中正居尊位,其才其德,盡善盡美,“井冽寒泉食”也。“冽”,謂甘潔也,井泉以寒為美,甘潔之寒泉,可為人食也,於井道為至善也。然而不言吉者,井以上出為成功,未至於上,未及用也,故至上而後言“元吉”。

程頤《伊川易伝》にいう:九五は陽剛中正をもって尊位に居し、才具と徳行が皆善を尽くし美を尽くす。まさに「井冽寒泉食」である。「冽」は甘美潔淨の義で、井泉は清寒を佳とし、甘潔で清寒な泉水は人の飲用に供できる。井道としてはすでに最良である。しかし爻辞が「吉」といわないのは、井は水を上に提げて初めて成功とするので、九五はまだ上位に至らず未だ真に取用されていない。だから上六に至って「元吉」という。

集說 易氏祓曰:三與五皆泉之潔者,三居甃下,未汲之泉也,故曰“不食”。五出乎甃,已汲之泉也,故言“食”。

「集説」に易祓を引く:九三と九五は皆潔淨の泉水である。九三は砌壁の下に処し、まだ汲み上げられていない泉なので「不食」といい、九五はすでに砌壁を出て、すでに汲み上げられた泉なので「食」という。

上六,井收勿幕,有孚元吉。本義 “收”,汲取也,晁氏云:“收”,鹿盧收繘者也,亦通。“幕”,蔽覆也。“有孚”,謂其出有源而不窮也。井以上出為功,而坎口不掩,故上六雖非陽剛,而其象如此。然占者應之,必“有孚”乃“元吉”也。

上六の爻辞にいう:井水はすでに汲み上げられた。井口を蓋うなかれ。心に誠信あれば、大いに吉利。朱熹《周易本義》にいう:「収」は汲取である。晁説之は「収」を井上で縄を収める轆轤とし、この説も通る。「幕」は遮蓋である。「有孚」は井水が源有りて出でて永く竭きないということ。井は水を上に提げることを功效とし、坎卦の卦口は敞いて掩わないので、上六は陽剛の爻でないのにこのような象がある。ただし占問の人はそれに応じて、必ず「有孚」であってこそ「元吉」を得られる。

程傳 井以上出為用,居井之上,井道之成也。“收”,汲取也。“幕”,蔽覆也。取而不蔽,其利無窮,井之施廣矣大矣。“有孚”,有常而不變也。博施而有常,大善之吉也。夫體並之用,博施而有常,非大人孰能。它卦之終,為極為變,唯《井》與《鼎》,

程頤《伊川易伝》にいう:井は水を上に提げることを功用とし、上六は井の最上位に居り、まさに井道が完成する時である。「収」は汲取、「幕」は遮蓋である。水を取って遮蓋を加えなければ、その利益に窮りがない。井の施与が広大無辺であることがわかる。「有孚」は恒常で変わらないこと。広く施与してまた恒久に変わらないのは大善の吉である。真に井の功用を体現して博施で有常を成すのは、大人の徳量ある人でなければ誰ができようか。他の卦は上爻に至れば皆物極まりて変を生ずるが、ただ《井》卦と《鼎》卦だけは然らず——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

案 “勿幕”,謂取之無禁,所謂往來井井者也。“有孚”,謂有源不窮,所謂“無喪無得”者也。此爻得備卦之義者,巽乎水而上水,至此爻則上之極也。

李光地の按:「勿幕」は水を取るに禁限がないを説き、すなわち卦辞の講ずる「往来井井」である。「有孚」は泉源に本有りて竭きないを説き、すなわち卦辞の講ずる「无喪无得」である。この爻が全卦の意義を完備に体現できる所以は、《井》卦の卦体が巽木が水に入って水を提げ上げることで、この爻に至ってまさに上に出ることの極に至ったからである。

總論 李氏過曰:初“井泥”,二“井谷”,皆廢井也。三“井渫”,則渫初之泥。四“井甃”,則甃二之谷。既諜且甃,井道全矣。故五“井冽”而泉寒,上“井收”而“勿幕”,功始及物,而井道大成矣。

「総論」に李過を引く:初六の「井泥」、九二の「井谷」は皆荒廃した井である。九三の「井渫」は、初六の泥を淘洗して清潔にしたもの。六四の「井甃」は、九二の水漏れする孔穴を砌てて好くしたもの。すでに淘洗しまた壁を砌てれば井道は完備となる。だから九五に「井冽」といって泉水が清寒で、上六に「井収」「勿幕」といって功效がここに初めて外物に惠及する。井道はそこで大功告成した。

邱氏富國曰:先儒以三陽為泉,三陰為井,陽實陰虛之象也。九二言“井谷射鮒”,九三言“井諜不食”,九五言“井冽寒泉”。曰“射”,曰“渫”,曰“冽”,非泉之象乎。初六言“井泥不食”,六四言“井甃無咎”,上六言“井收勿幕”。曰“泥”,曰“甓”,曰“收”,非井之象乎。

総論にまた邱富国を引く:前代の学者は《井》卦の三つの陽爻を泉水と見、三つの陰爻を井体と見て、陽爻の充実・陰爻の虚空の象を取った。九二に「井谷射鮒」といい、九三に「井渫不食」といい、九五に「井冽寒泉」という。一は「射」、一は「渫」、一は「冽」、これは皆泉水の象ではないか。初六に「井泥不食」といい、六四に「井甃无咎」といい、上六に「井収勿幕」という。一は「泥」、一は「甃」、一は「収」、これは皆井体の象ではないか。

以卦序而言,則二之“射”,始達之泉也。三之“渫”,已潔之泉也。五之“冽”,則可食之泉矣。初之“泥”,方掘之井也。四之“甃”,已修之井也。上之“收”,則已汲之井矣。又以二爻為一例,則初二皆在井下,不見於用,故初為“泥”而二“為谷”。三四皆在井中,將見於用,故三為“諜”而四為“甃”。五上皆在井上,而已見於用矣,故五言“食”而上言“收”也。

邱富国が続けて言う:爻位の先後で見れば、九二の「射」はちょうど透って出たばかりの泉、九三の「渫」はすでに淘洗して清潔にした泉、九五の「冽」はすなわち飲用できる泉である。初六の「泥」はちょうど掘り成したばかりの井、六四の「甃」はすでに修砌して好くした井、上六の「収」はすなわちすでに水を汲んだ井である。さらに每二爻を併せて一組として見れば、初六と九二は皆井の下部にあり、まだ用処を顕さないので、初六は「泥」で九二は「谷」。九三と六四は皆井の中部にあり、まさに用処を顕さんとするので、九三は「渫」で六四は「甃」。九五と上六は皆井の上部にあり、用処はすでに顕現したので、九五に「食」といい上六に「収」という。

革卦

革.兌上.離下程傳 《革序卦》:“井道不可不革,故受之以革。”井之為物,存之則穢敗,易之則清潔,不可不革者也,故《井》之後受之以《革》也。為卦兌上離下,澤中有火也,革,變革也,水火相息之物,水滅火,火涸水,相變革者也,火之性上,水之性下,若相違行,則睽而已,乃火在下,水在上,相就而相剋,相滅息者也,所以為革也。又二女同居,而其歸各異,其志不同,為不相得也,故為革也。

《革》卦は兌が上、離が下、これが卦画の注記である。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》に「井道不可不革・故受之以革」という。井水というものは、長く存して動かなければ汚穢敗壊し、新水に換えれば清潔で用いられる。变革を加えなければならないので、《井》卦の後に《革》卦が続く。卦体について言えば、兌が上、離が下で、大沢の中に火を蔵する。「革」はすなわち变革である。水と火は互いに消滅するものである。水は火を滅し、火は水を烤り乾かす。二者が互いに变革する。火性は上に向かい、水性は下に向かう。もし彼此が背道して行けば、ただ《睽》卦の乖離である。今は火が下、水が上で、二者が相い近づきまた相い剋制し、互いに消滅するので《革》となる。さらに兌は少女、離は中女で、二人の女子が同じ処に住むが、将来嫁いで各々各家に帰り、心志が同じでなく彼此合わないので、また《革》の取象とする。

革,巳曰乃孚,元亨,利貞,悔亡。本義 “革”,變革也。兌澤在上,離火在下,火燃則水乾,永決則火滅。中少二女,合為一卦,而少上中下,志不相得,故其卦為《革》也。變革之初,人未之信,故必“巳日”而後信。又以其內有文明之德,而外有和說之氣,故其占為有所更革,皆大亨而得其正。所革皆當,而所革之“悔亡”也,一有不正,則所革不信不通,而反有悔矣。

《革》卦の「卦辞」にいう:巳日に至って人は初めて信ずる。大いに亨通し、貞を守るに利あり、悔恨は消える。朱熹《周易本義》にいう:「革」はすなわち变革である。兌沢が上、離火が下で、火が一たび燃えれば水は烤り乾き、水が一たび決口すれば火は熄滅する。中女と少女が合して一卦を成し、少女が上、中女が下で、心志が合わないのでこの卦を《革》という。变革が始まったばかりの時、人は尚信じようとしないので、必ず「巳日」に至って後に初めて人に取信される。またこの卦は内に文明の徳を含み、外に和悦の気を有するので、その「占辞」は、凡そ更改变革する所は皆大いに亨通して正道に合う。变革した事が皆当を得れば、变革のもたらす悔恨も消える。一旦正道に合わざる所あれば、变革した事は取信も通行もできず、かえって悔恨を生じる。

程傳 “革”者,變其故也。變其故,則人未能遽信,故必“巳日“然後人心信從。“元亨利貞悔亡”,弊壞而後革之,革之所以致其通也,故革之而可以大亨。革之而利於正道,則可久,而得去故之義,無變動之悔,乃‘悔亡”也。革而無甚益,猶可悔也,況反害乎,古人所以重改作也。

程頤《伊川易伝》にいう:「革」はもとの旧様を改めること。旧様を改めれば、人は一時にすぐ信ずることができないので、必ず「巳日」に至って後に人心が初めて信従する。「元亨利貞悔亡」に至っては、事がすでに弊壊して然る後に初めてそれを变革するを説き、变革はまさにそれを再び通暢せしめるためなので、变革は大いに亨通し得る。变革が正道に合すれば長久し得、また真に旧弊を除く本意を達成するので、軽挙妄動の悔恨はない。これが「悔亡」である。变革して大した益がないなら尚懊悔に値するのに、いわんや变革してかえって危害をもたらすをや。古人が更張改作を慎重に扱った道理は、まさにここにある。

集說 李氏簡曰:“巳日”者,已可革之時也。先時而革,則人疑而罔孚,故“巳日乃孚”。“元亨利貞”者,謂窮則變,固有大通之道,而利於不失正也,正則其“悔亡”

「集説」に李簡を引く:「巳日」はすでに变革すべき時に至ったこと。時機が熟する前に先んじて变革すれば、人は疑惑して信伏しない。だから「巳日乃孚」という。「元亨利貞」は、事物が窮尽すれば自然に変わるを説き、その中にもともと大いに通達する理を含み、正道を失わないを宜とする。正を守ればその悔恨は消える——ここに底本に脱文があり、李簡のこの言は说完していない。

何氏楷曰:“巳日”,即六二所謂“巳日”也。“乃孚”,即九三九四九五所謂“有孚”也。“悔亡”,即九四所謂“悔亡”也。所以云“巳日”者。變革天下之事,不當輕遽,乃能孚信於人。“乃”,難辭也。下三爻,方欲革故而為新,故有謹重不輕革之意。上三爻,則故者已革而為新矣。九四當上下卦之交,正改命之時,故“悔亡”獨於九四見之。即《彖傳》所云“革而當,其悔乃亡”也。

集説に何楷を引く:卦辞の「巳日」はすなわち六二の爻辞のいう「巳日」、「乃孚」はすなわち九三・九四・九五のいう「有孚」、「悔亡」はすなわち九四のいう「悔亡」である。「巳日」といわなければならない所以は、天下の大事を变革するに軽率躁急であるべきでなく、緩くして初めて人に取信されるからである。「乃」字は為難・不易の語気を帯びる。下の三爻はまさに旧を革めて新に換えようとするので、鄭重に事に当たって軽々しく变革しない意がある。上の三爻は、則ち旧はすでに革められて新に換わった。九四はまさに上下卦の交接の処に当たり、ちょうど「改命」の時刻なので、「悔亡」は九四にのみ現れる。すなわち《彖伝》のいわゆる「革而当・其悔乃亡」である。

案 “巳日乃孚”,李氏何氏之說為長。蓋卦辭爻辭,不應互異也。

李光地の按:「巳日乃孚」の解釈については、李簡と何楷の両家の説が最も通達している。卦辞と爻辞が説くのは本同一の事で、彼此矛盾するべきではないからである。

初九,鞏用黃牛之革。本義 雖當革時,居初無應,未可有為,故為此象。“鞏”,固也。“黃”,中色,“牛”順物。革所以固物,亦取卦名而義不同也。其占為當堅確固守,而不可以有為。聖人之於變革,其謹如此。

初九の「爻辞」にいう:黄牛の皮革で牢固に縛り束ねる。朱熹《周易本義》にいう:初九は身が变革の時に処するが、全卦の最下に居し、上にまた「応与」がなく、まだ有所作为の時ではない。だからこの象を取った。「鞏」は牢固に束ねる、「黄」は中に居する色、「牛」は性が柔順の牲畜である。皮革は物を縛り固めるに用いる。ここでは卦名の「革」字を沿用したが、取義は变革と異なる。その占断は、堅定牢固に自守し、有所作为すべきでない。聖人が变革に対する態度は、かくのごとくの地步まで謹慎である。

程傳 變革,事之大也。必有其時,有其位,有其才,審慮而慎動,而後可以無悔。九以時則初也,動於事初,則無審慎之意而有躁。《易》之象,以位則下也,無時無援而動於下,則有僭妄之咎,而無體勢之重,以才則離體而陽也,離性上而剛體健,皆速於動也,其才如此,有為則閃咎至矣。蓋剛不中而體躁,所不足者,中與順也,當以中順自固而無妄動則可也。

程頤《伊川易伝》にいう:变革は天下の大事で、必ず合適の時機、相称の地位、十分の才具があり、深慮熟考して後に慎重に行動して初めて悔恨を留めない。初九は時機について言えば正に始めで、事が起きたばかりで手を動かせば審慎の意を顕せず、躁急軽易の象がある。地位について言えば最下に居し、時機もなく援応もなく下位にあって妄動すれば、僭越妄為の過ちがあり、また地位形勢の分量に欠ける。才具について言えば離体に属してまた陽爻で、離性は上に向かい剛体は強健で、皆行動を急ぐ。才性がこのようであれば、一たび作为すれば禍咎がこれに従って来る。要するに、それは剛で中に居らず、体質も躁急で、欠く所はまさに「中」と「順」である。だから中順の道で自分を安んじ、軽挙妄動しなければよい。

“鞏”,局束也,革所以包束。“黃”,中色。“牛”,順物。“鞏用黃牛之革”,謂以中順之道自固,不妄動也。不云吉凶,何也?曰:妄動則有凶咎,以中順自固,則不革而已,安得便有吉凶乎?

程頤が続けて言う:「鞏」は約束して緊く縛ることで、皮革はまさに包裹して束ねるに用いる。「黄」は中に居する色、「牛」は柔順の物である。「鞏用黄牛之革」は、中正柔順の道理で自分を安んじ、軽挙妄動しないを説く。問うていわく:この爻はなぜ吉凶を講じないか。答えていわく:妄動すれば凶険と禍咎がある。もし中順で自守すれば、それは不过暫時变革に行かないだけで、どうして吉凶を言うに至ろうか。

集說 干氏寶曰:在革之初,未可以動,故曰“鞏用黃牛之革”。劉氏牧曰:下非可革之位,初非可革之時,要在固守中順之道,而不敢有革也。呂氏大臨曰:初九當《革》之初,居下無位,比於六二,上無正應,雖有剛德,不當自任,唯結六二以自固,故“鞏用黃牛之革”。六二居中柔順,故曰“黃牛”,與《遯》六二同義。

「集説」に干宝を引く:变革の始めに処しては、尚行動すべきでない。だから「鞏用黄牛之革」という。集説に劉牧を引く:下位は变革を施行し得る位置でなく、初始も变革を施行し得る時機でない。要は牢固に中正柔順の道を守り、敢えて贸然と变革に行かないことにある。集説に呂大臨を引く:初九はまさに《革》卦の初めに当たり、下位に居して職権がなく、ただ六二と相隣り、上にまた正當の「応与」がない。剛健の徳を備えても、自ら主張すべきでなく、ただ六二に結連して自己を穏固にするのみ。だから「鞏用黄牛之革」という。六二は中に居り柔順なのでそれを「黄牛」と称する。これは《遯》卦六二の取義と同じである。

龔氏煥曰:《易》言“黃牛之革”者二,《遯》之六二,居中有應,欲遯而不可遯者也。《革》之初九,在下無應,當革而不可革者也。所指雖殊,而意實相類。

集説に龔煥を引く:《周易》で「黄牛之革」を講じる所は二箇所ある。《遯》卦の六二は、中に居りまた「応与」があり、隠退しようとして退き得ない。《革》卦の初九は、下に居して応与がなく、变革すべきなのにまだ变革できない。両処の指す情形は異なるが、用意は実は近い。

案 更改之義,有取於《革》者。“革”,鳥獸之皮也。鳥獸更四時則皮毛改換,《堯典》“希革”“毛毨”之類是也。六爻取象於牛虎豹者以此,牛之皮至堅韌,難以更革者也。以之繫物則固,故《遯》二之“執用”者似之。以之裹物則密,故《革》初之“鞏用”者似之。

李光地の按:更改のこの層の意が《革》に取象した所以は、「革」が本来鳥獣の皮を指すからである。鳥獣は四時の更替に随って毛を換え皮を換える。《尚書・尭典》のいう「希革」「毛毨」がこの類である。六爻が牛・虎・豹に取象した原因はまさにここにある。牛皮は極めて堅韌で、最も改換し難い。それをもって物を捆系すれば牢固なので、《遯》卦六二に「執用黄牛之革」というのはそれと相似する。それをもって物を包裹すれば厳密なので、《革》卦初九に「鞏用黄牛之革」というのはそれと相似する。

六二,巳日乃革之,征吉,無咎。本義 六二柔順中正,而為文明之主,有應於上,於是可以革矣。然必“巳日”然後革之,則“征吉”而“尤咎”,戒占者猶未可遽變也。

六二の爻辞にいう:巳日に至って初めて变革に着手する。往けば吉、過ちはない。朱熹《周易本義》にいう:六二は柔順でまた「中正」で、離卦文明の徳の主爻で、上に向かって九五と相「応与」する。この時に至って变革できる。ただし必ず「巳日」を待って初めて变革に行き、往って吉を得て過ちなきを得る。これは占問の人に尚急いで変を求めるべきでないと戒める。

程傳 以六居二,柔順而得中正。又文明之主,上有剛陽之君,同德相應,中正則無偏蔽,文明則盡事理,應上則得權勢,體順則無違悖,時可矣,位得矣,才是矣,處

程頤《伊川易伝》にいう:六のような陰爻をもって第二位に居し、柔順でまた中に居り正を得る。それはまた文明の徳の主爻で、上に剛陽の君主があり、徳性が同じく彼此「応与」する。中正であれば偏私蔽塞せず、文明であれば事理を窮尽でき、上に九五に応ずれば権勢を取得でき、体性が柔順であれば違逆悖乱しない。時機が合適になり、地位が当を得、才具も職に称えた。処——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 王氏宗傳曰:六二以中正之德,上應九五中正之君,當《革》之時,卦德所謂“巳日乃孚”是也。故曰“巳日乃革”之,“征吉無咎”。熊氏良輔曰:六二為內卦之主,故卦辭之“巳日”,見之於此卦曰“巳日乃孚”。爻曰“巳日乃革”者,孚而後革也。

「集説」に王宗伝を引く:六二は中正の徳に凭って、上に「応与」して九五という中正の君主に及び、まさに变革の時にあたり、すなわち卦徳の講ずる「巳日乃孚」である。だから爻辞に「巳日乃革之・征吉无咎」という。集説に熊良輔を引く:六二は内卦の主爻なので、卦辞の「巳日」はまさにこの爻で印証を得る。卦辞に「巳日乃孚」といい、爻辞に「巳日乃革」という。先に人に取信されて然る後に初めて变革に着手することがわかる。

九三,征凶,貞厲,革言三就,有孚。本義 過剛不中,居離之極,躁動於革者也,故其佔有“征凶貞厲”之戒。然其時則當革,故至於“革言三就”,則亦“有孚”而可革也。

九三の爻辞にいう:往けば凶、固守しても危険。变革の議論が三次に至って皆合すれば、誠信がある。朱熹《周易本義》にいう:九三は剛に過ぎて中位に居らず、また離卦の頂端に処し、躁急に変を求める人なので、その「占辞」に「征凶貞厲」の戒めがある。しかし時勢について言えば確かに变革すべき時に至ったので、「革言三就」を待てば、衆人の信従があって变革に着手できる。

程傳 九三以剛陽為下之上,又居離之上而不得中,躁動於革者也,在下而躁於變革,以是而行,則有凶也。然居下之上,事苟當革,豈可不為也。在乎守貞正而懷危懼,順從公論,則町行之不疑。“革言”,猶當革之論。“就”,成也,合也。審察當革之言,至於三而皆合,則可信也。言重慎之至能如是,則必得至當乃“有孚”也。己可信而眾所信也,如此則可以革矣。在革之時,居下之上,事之當革,若畏懼而不為,則失時為害。唯當慎重之至,不自任其剛明,審稽公論,至於三就而後革之,則無過矣。

程頤《伊川易伝》にいう:九三は陽剛をもって下卦の上位に居し、また離卦の頂端に処して中位を得ず、躁急に変を求める人である。身が下位にありながら变革を急げば、このように行えば凶険がある。ただしそれは畢竟下卦の上に居するので、事がもし確かに变革すべきならば、どうして為さざるを得ようか。要は貞正を守り心に危懼を懐き、公衆の議論に順うにある。すなわち放手して為して遅疑するに足らない。「革言」はすなわち变革すべきか否かの議論、「就」は成・合である。变革すべき意見を仔細に審察して、三次に至って皆彼此吻合すれば、信ずべきである。これは慎重の極を説く。かくのごとくできれば、必ず至当の理に合し、すなわち「有孚」——自分が信ずるに足り、衆人も信じるに足る。こうすれば变革できる。变革の時に処し、身が下卦の上に居り、事は本来变革すべきなのに、もし畏懼して為すを敢えてしなければ、時機を錯失して禍害を釀成する。ただ慎重の極に至り、自分の剛強明察を恃まず、反復して公衆の議論を稽考し、三次に至って皆吻合して然る後に初めて变革すれば、過失がない。

集說 呂氏大臨曰:九三居下體之上,自初至三,遍行三爻,革之有漸,革道以成,故曰“革言三就”。至於三則民信之矣,故“有孚”。龔氏煥曰:九三以過剛之才,躁動以往則凶。處當革之時,貞固自守則厲。唯於改革之言,詳審“三就”,則既無躁動之凶,又無固守之厲。得其時宜,所以可革也。胡氏炳文曰:以其過剛也,故恐其征而不已則凶。以其不中也,又恐其一於貞固,而失變革之義則厲。故必革之言至於“三就”。審之屢,則“有孚”而可革矣。

「集説」に呂大臨を引く:九三は下卦の最上位に居り、初九から九三まで三爻がすでに遍く行き渡り、变革は循序漸進でここに至って变革の道が初めて完成を告げる。だから「革言三就」という。第三次に至って百姓も信服するので「有孚」という。集説に龔煥を引く:九三は過剛の才性に凭り、躁急に前進すれば凶がある。身が变革すべき時に処しながら、ひたすら固守して動かなければ危険がある。ただ改革の主張を反復審視して「三就」に至って初めて、躁動の凶険もなく死守の危厲もなく、ちょうど時宜に切合して变革できる。集説に胡炳文を引く:九三が剛に過ぎるので、それが一往直前して止まろうとせず凶を致すを恐れ、それが中位に居らないので、またそれがひたすら貞固を死守して变革の本義を失い危を致すを恐れる。だから必ず变革の議論が「三就」に達し、反復審察して後に、初めて「有孚」で变革できる。

九四,悔亡,有孚改命,吉。本義 以陽居陰故有“悔”,然卦已過中,水火之際,乃革之時,而剛柔不偏,又革之用也,是以“悔亡”。然又必“有孚”然後革,乃可獲“吉”。明占者有其德而當其時,又必有信,乃“悔亡”而得“吉”也。

九四の爻辞にいう:悔恨が消える。人に取信されて成命を更改すれば、吉利。朱熹《周易本義》にいう:九四は陽爻をもって陰位に居し、本来「悔」があるはず。しかし全卦はすでに中位を過ぎ、まさに水火の交界の処にあり、ちょうど变革の時機で、それは剛柔偏らずまたまさに变革に所需の功用なので「悔亡」。ただしまた必ず先に人に取信されて然る後に变革して、初めて吉利を獲得できる。これは表明する:占問の人がこのような徳行を備え、またこのような時機に遇上し、さらに誠信があって初めて悔恨が消えて吉を得られる。

程傳 九四,革之盛也。陽剛,革之才也。離下體而進上體,革之時也。居水火之際,革之勢也。得近君之位,革之任也。下無繫應,革之志也。以九居四,剛柔相際,革之用也。四既具此,可謂當革之時也。

程頤《伊川易伝》にいう:九四は变革が最も盛んな時である。それは陽剛の爻で、これは变革に所需の才具。それは下卦を脱して上卦に入り、これは变革の時機。それは水火の交界の処に処し、これは变革の形勢。それは君主に近い地位を得、これは变革の責任。それは下に繋絆の「応与」がなく、これは变革の心志。それは九をもって四に居り、剛と柔が相交接し、これは变革の功用。九四はすでにこれらを兼備するので、まさに变革すべき時に赶上したと言える。

事之可悔而後革之,革之而當,其“悔”乃“亡”也。革之既當,唯在處之以至誠,故“有孚”則“改命”吉。“改命”,改為也,謂革之也。既事當而弊革,行之以誠,上信而下順,其吉可知。四非中正而至善何也?曰:唯其處柔也,故剛而不過,近而不逼,順承中正之君,乃中正之人也。易之取義無常也,

程頤が続けて言う:事が懊悔に値する地步に至って然る後に初めてそれを变革し、变革が当を得ればあの「悔」も消える。变革がすでに当を得た以上、残るはただ至誠をもって処置するにあり、だから「有孚」すれば「改命」して吉を得られる。「改命」はすなわち改弦更張、すなわち变革である。事がすでに処置し当を得て弊病を革除し、また誠信をもって推行すれば、上に信任、下に順従して、吉利は想うに知れる。問うていわく:九四は「中正」でないのに、なぜかえって至善なのか。答えていわく:まさにそれが柔位に居するので、剛強であっても過分でなく、君主に近づいても君主を逼迫せず、恭順に中正の君を承奉すれば、それ自身も中正の人となる。《周易》の取義にはもともと一成不変の死例がない——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 虞氏翻曰:將革而謀謂之言,革而行之謂之命。陸氏希聲曰:革而當,故“悔亡”也。為物所信,則命令不便於民者,可改易而獲“吉”。劉氏牧曰:成《革》之體,在斯一爻,且自初至三,則革道已成,故下三爻皆以革字著於爻辭。至於四,則唯曰“悔亡,有孚,改命吉”也。

「集説」に虞翻を引く:まさに变革せんとして先に謀議するを「言」といい、变革がすでに定まって施行に付するを「命」という。集説に陸希声を引く:变革が当を得たので「悔亡」。すでに衆人に信任されたので、凡そ百姓に不便な政令は皆更改して吉利を獲得できる。集説に劉牧を引く:《革》卦の体を成就するのは、まさに九四のこの爻である。しかも初九から九三まで变革の道はすでに完成したので、下の三爻の爻辞には皆「革」の一字を帯び、九四に至っては、ただ「悔亡・有孚・改命吉」と言うだけである。

《朱子語類》:問:《革》下三爻,有謹重難改之意,上三爻則革而善,蓋事有新故,下三爻則故事也。未變之時,必當謹審於其先,上三爻則變而為新事矣。曰:然,《乾》卦到九四爻,謂乾道乃革,也是到這處方變。胡氏炳文曰:自三至五,皆言“有孚”,三議革而後孚,四“有孚”而後改,深淺之序也。五“未占”而“有孚”,積孚之素也。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問う、《革》卦の下の三爻は鄭重に改め難い意味を帯び、上の三爻は变革して善に向かう。大概事に新旧の分があり、下の三爻は旧事を説き、まだ変わらない時で必ず事前に謹慎審察し、上の三爻はすでに新事に変わった。朱熹が答える:まさにその通りである。《乾》卦も九四爻に至って「乾道乃革」という。これもこの所に至って初めて転変が発生する。集説に胡炳文を引く:九三から九五まで皆「有孚」を講ずる。九三は先に变革を議論して然る後に信任を取得し、九四は先に信任があって然る後に成命を更改する。これは浅から深に入る次序である。九五は「未占」ですでに「有孚」で、あれは平素に誠信を積累した結果である。

九五,大人虎變,未占有孚。本義 “虎”,大人之象。“變”,謂希革而毛毨也。在大人則自新新民之極,順天應人之時也。九五以陽剛中正為革之主,故有此象。占而得此,則有此應,然亦必自其未占之時,人已信其如此,乃足以當之耳。

九五の爻辞にいう:大人は虎が毛を換えるように変化一新し、まだ占問しないうちにすでに人に取信されている。朱熹《周易本義》にいう:「虎」は大人の象徴である。「変」は鳥獣が旧毛を脱ぎ皮毛が新たに潤沢に生えるを指し、すなわち《尚書・尭典》の「希革」「毛毨」の講ずるあの更換である。大人に落とせば、自新と新民が極に至り、天道に順応し人心に合う時である。九五は陽剛「中正」をもって变革の主爻となるので、このような象がある。占問してこの爻を得れば、相応の効験がある。ただしまた必ずまだ占問しない時に人が早くも彼が確かにかくのごときと信じていて初めて、この句の爻辞に当たる。

程傳 九五以陽剛之才,中正之德,居尊位,大人也。以大人之道,革天下之事,無不當也,無不時也,所過變化,事理炳著。如虎之文采,故云“虎變”。龍虎,大人之象也。變者事物之變。曰虎何也?曰:大人變之,乃大人之變也。以大人中正之道變革之,炳然昭著,不待占決,知其至當,而天下必信也。天下蒙大人之革,不待占決,知其至當而信之也。

程頤《伊川易伝》にいう:九五は陽剛の才具・中正の徳行に凭って尊位に居し、これが大人である。大人の道をもって天下の事を变革すれば、当を得ないものはなく、時に合わないものもない。凡そ彼の手を経て改変されたものは事理が昭然として顕著で、虎の身の花紋のように鮮明なので「虎変」という。龍と虎は皆大人の象徴である。問うていわく:「変」は事物の変化を講ずるのに、ここではなぜ虎を説くのか。答えていわく:これは大人の主導する変、すなわち大人自身の変である。大人の中正の道をもって变革すれば、光彩が焕然として昭著分明で、占卜を待って疑を決するに及ばず、それが至当であることがわかり、天下人は必ず信服する。天下人は大人の变革の恩惠を蒙り、占卜を待って疑を決するに及ばず、それが至当であることを知ってそれを信ずる。

集說 鄭氏汝諧曰:《革》之道久而後信,五與上,其革之成乎。五陽剛中正,居尊而說體,盡革之美,是以“未占”而“有孚”也,其文曉然見於天下,道德之威,望而可信,若卜筮罔不是孚,虎變之謂也”。龔氏煥曰:《革》以孚信為主,故彖與三四皆以孚為言,至五之“未占有孚”,則“不言而信”,而無以復加矣。

「集説」に鄭汝諧を引く:变革の道は一段の時日を経て初めて人に信従される。九五と上六はおそらく变革が完成する時であろう。九五は陽剛中正で、身が尊位に居して兌卦和悦の体に属し、变革の好処を極致に発揮するので「未占」ですでに「有孚」である。彼の文采は明明白として天下に顕現し、道徳の威望は人をして一望して信を生ぜしめる。卜筮に応験せざるなきが如し。これが「虎変」である。集説に龔煥を引く:《革》卦は誠信を主とするので、《彖辞》と九三・九四は皆「孚」字の上で立言する。九五の「未占有孚」に至っては、あれは《中庸》のいわゆる「不言而信」で、增添できるものはない。

上六,君子豹變,小人革面,征凶,居貞吉。本義 《革》道已成,君子如豹之變,小人亦革而以聽從矣。不可以往,而居正則“吉”。變革之事,非得已者,不可以過,而上六之才,亦不可以有行也,故占者如之。

上六の爻辞にいう:君子は豹が毛を換えるように変化し、小人も面貌を改める。さらに前に往けば凶、安居して正を守れば吉。朱熹《周易本義》にいう:变革の道はすでに完成し、君子は豹のように文采が一新し、小人もこれに随って改変して教化に聴従する。この時はさらに前に往くべきでなく、安居して正を守れば吉利である。变革という事はもともと已むを得ずに出たので、やり過ぎてはならない。いわんや上六の才具はもともと行動あるに適わないので、占問の人はかくのごとくすべきである。

程傳 《革》之終,革道之成也。“君子”,謂善人。良善則已從革而變,其著見若豹之彬蔚也:“小人”,昏愚難遷者。雖未能心化,亦革其面以從上之教令也。龍虎,大人之象。故“大人”云“虎”,“君子”云“豹”也。

程頤《伊川易伝》にいう:上六は《革》卦の終点で、また变革の道が完成する時である。「君子」は善良の人を指す。善良の人はすでに变革に随って改変し、顕現した文采は豹紋のように斑斕茂美である。「小人」は昏昧愚頑で善に遷り難い人を指す。彼らは尚心から感化され得ないが、外表を改めて上の教令に服従する。龍と虎は皆大人の象徴なので、「大人」には「虎」を、「君子」には「豹」を説く。

人性本善,皆可以變化。然有下愚,雖聖人不能移者,以堯舜為君,以聖繼聖,百有餘年,天下被化,可謂深且久矣。而有苗有象,其來格烝又,蓋亦革面而已。小人既革其外,革道可以為成也。苟更從而深治之。則為已甚,已甚非道也,故至革之終而又征則凶也。當貞固以自守,革至於極,而

程頤が続けて言う:人性は本来善で、人々は皆感化改変できる。しかし一等の下愚の人があり、聖人も移易し得ない。尭舜を君として、聖人が聖人に接し、百余年の間天下が教化を受けたのは、深くかつ久しいと言える。しかし三苗・象のような人は、彼らの後の帰順・後の和善も、大概は不过外表を改めただけであろう。小人がすでに外表さえ改めて来れば、变革の道は完成と算えられる。もしさらに一歩進んで深く整治すれば、それはやり過ぎである。やり過ぎれば正道に合わないので、变革の終点に至ってさらに前に推進すれば、凶険がある。この時は貞固に自守すべきで、变革が極に至って、そして——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 孔氏穎達曰:居《革》之終,變道已成,君子處之,雖不能同九五革命創制,如虎文之彪炳,然亦潤色鴻業,如豹文之蔚縟,故曰“君子豹變”也,“小人革面”者,但能變其顏面容色順上而已,革道已成,宜安靜守正,更有所“徵”則“凶”,居而守正則“吉”。

「集説」に孔頴達を引く:上六は《革》卦の終点に身を処し、变革の道はすでに完成した。君子がこの位置に処して、九五のように旧命を革除し制度を創立して虎紋のように炳焕夺目とはいかないが、宏大の功業を潤色して豹紋のように細密繁茂とすることはできる。だから「君子豹変」という。「小人革面」に至っては、彼らはただ自分の容貌顔色を改変して在上者に順うのみと説く。变革の道はすでに完成したので、安靜に正を守るべきである。さらに前進あれば凶、安居して正を守れば吉利である。

龔氏煥曰:九三與上六皆曰“征凶”,而有“貞厲”“貞吉”之殊者。三之“征凶”。戒其不可妄動也。上之“征凶”,謂事之已革者,不可復變也。三當革而末革,故守“貞”則“厲”。上已革而當守,故居“貞”則“吉”。三革道未成,上革道已成故也。

集説に龔煥を引く:九三と上六は皆「征凶」というが、一は「貞厲」を接し、一は「貞吉」を接する。分別はどこにあるか。九三の「征凶」は、それに軽挙妄動すべからずと戒める。上六の「征凶」は、すでに变革して好くした事はさらに翻して重変すべからずを説く。九三はまさに变革すべきでまだ变革しない時に当たるので、死守して動かなければ危険がある。上六はすでに变革が完成して守成すべきなので、安居して正を守れば吉利である。帰根到底、九三の時は变革の道が未だ完成せず、上六の時は变革の道がすでに完成したからである。

揚氏啟新曰:《革》道已成,非上六革之,有革之者也。上六特承其重熙累洽之後,治定功成之日耳。若九五則必堯舜湯武,乃足以當之。首創之君。開大型範,耳目一新。若混沌初闢,其文疏朗闊大,繼體之後。則漸深邃遒密耳。周之頑民,既歷三紀,世變風移,則革面之謂。革而不守以貞,則所變者隨復變矣。天下事,未革患其不能革,既革患其不能守也,故戒以“居貞”。

集説に揚啓新を引く:变革の道がすでに完成したのは、上六自身が变革したのではなく、別に变革する人が前にあった。上六は不过光明の積累・和洽の相沿の後に承接し、治世が安定し功業がすでに成った日に赶上しただけである。九五に至っては、あれは必ず尭・舜・湯・武のような人物でなければ当たらない。開創の君主が宏大の規模法度を訂立して天下の耳目を一新せしめるのは、混沌初開の時のようで、あの文采は疏朗闊大である。基業を継承する後代に至っては、徐々に深邃細密に転ずる。周朝の頑固な遺民は、三紀三十六年を経て、世が変わり風が移った。これが「革面」の指す情形である。变革の後に正をもってそれを守らなければ、すでに変わったものもまた随って元に戻る。天下の事は、变革していない時に恐れるのは变革できないこと、すでに变革した後に恐れるのは守れないこと。だから爻辞は「居貞」をもって戒める。

案 五上兩爻相承,虎豹兩物相似。《程傳》以君子為被王化之人,似不如孔氏楊氏以為繼體守成之為安也。如文武開基,肇造維新,豈非若虎之變而文采煥然者乎。成康繼世,禮明樂備,豈非若豹之變而文理繁密者乎。言君子雖稍別於大人,然革道必至此而後為詳且備也。

李光地の按:九五と上六の両爻は前後相承接し、虎と豹の二種の動物も彼此相似する。《伊川易伝》が「君子」を王化を承受する人と解したのは、孔頴達・揚啓新が基業を継承し守成する君と解したほど穏当でないようである。ちょうど周文王・周武王が基業を開創し、維新の局面を肇建したのは、あれは虎が毛を換えて文采焕然としたのに正に似ていないか。成王・康王が先業を継承し、礼制が昌明し楽教が完備したのは、あれは豹が毛を換えて紋理が細密になったのに正に似ていないか。「君子」というのは、「大人」と略々分別があるが、变革の道は必ずこの歩に至って初めて詳尽完備と算えられる。

至“小人革面”,方以被王化者言之。所謂“革面”者,亦非但革其面而不能革心之謂。此卦以禽獸取義,凡禽獸之有靈性而近於人者,如猩猩猿猴之類,皆革其面,故以此為民風丕變之喻爾。王道之行,則仁義成俗,而心亦無不革矣。不然,何以為必世後仁乎!

李光地が続けて言う:「小人革面」に至っては、初めて王化を承受する百姓について講ずる。いわゆる「革面」も、ただ顔面を改めて内心を改め得ないと言うのではない。この卦は禽獣を取って象とする。凡そ禽獣の中に霊性あって人に近いもの、例えば猩猩・猿猴の類は、皆顔の毛を更換するので、これを借りて民風の大変を比喩するだけである。王道が推行されて開けば、仁義が風俗を形成し、人心も改まらないことはない。さもなければ《論語》に「必世而後仁」というのはなぜか!

總論 龔氏煥曰:初言“鞏用黃牛”,末可有革者也。二言“巳日乃革”,不可遽革者也。三言“革言三就”,謹審以為革者也。皆革道之未成也。四言“有孚改命”,則事革矣。五言“大人虎變”,則為聖人之神化矣。上言“君子豹變,小人革面”,則天下為之丕變,而革道大成矣。

「総論」に龔煥を引く:初九に「鞏用黄牛」を講ずるは、まだ变革できない時。六二に「巳日乃革」を講ずるは、急いで变革すべきでない時。九三に「革言三就」を講ずるは、慎重審察して後に初めて变革に着手する。これらの爻は皆变革の道が未だ完成しない段階に属する。九四に「有孚改命」を講ずるは、事がすでに变革成功した。九五に「大人虎変」を講ずるは、あれは聖人の神妙の教化。上六に「君子豹変・小人革面」を講ずるは、あれは天下がこれによって大変となり、变革の道が大功告成した。

鼎卦

鼎.離上.巽下程傳 《鼎序卦》:“革物者莫若鼎,故受之以鼎。”鼎之為用,所以革物也。變

《鼎》卦は離が上、巽が下、これが卦画の注記である。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》に「革物者莫若鼎・故受之以鼎」という。鼎の用は、まさに物の形質を改変することにあるので、《革》卦の後に《鼎》卦が続く。変——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

鼎 元吉亨。本義 “鼎”,烹飪之器,為卦下陰為足,二三四陽為腹,五陰為耳,上陽為鉉,有鼎之象。又以巽木入離火而致烹飪,鼎之用也。故其卦為鼎,下巽,巽也,上離為目而五為耳,有內巽順而外聰明之象。卦自巽來,陰進居五,而下應九二之陽,故其占曰“元亨”。“吉”,衍文也。

《鼎》卦の「卦辞」にいう:大いに吉利、亨通。朱熹《周易本義》にいう:「鼎」は食物を烹煮する器具である。卦画で見れば、最下の陰爻は鼎足、二・三・四の三つの陽爻は鼎腹、第五位の陰爻は鼎耳、最上の陽爻は耳を穿って鼎を挙げる横杠「鉉」で、一幅の卦画全体に鼎の形象がある。また巽木をもって離火の中に送り込んで烹煮するのは、まさに鼎の用途なので、この卦の名を《鼎》という。下卦は巽で遜順の義を取り、上卦の離は本は目を取象とし、第五爻が耳位に居するので、内に遜順・外に聡明の象がある。「卦変」について言えば、この卦は《巽》卦から変じて来て、陰爻が上進して第五位に居り、下に向かって九二の陽爻と相「応与」するので、その「占辞」に「元亨」という。「吉」字に至っては、伝写して多出来た衍文である。

程傳 以卦才言也,如卦之才,可以致“元亨”也,止當云“元亨”,文羨“吉”字,卦才可以致“元亨”,未便有“元吉”也。《彖》復止云“元亨”,其羨明矣。

程頤《伊川易伝》にいう:この句の卦辞は一卦の才質について言ったものである。この卦の才質に照らせば、「元亨」を招致できるので、ただ「元亨」の二字を書くべきで、経文に一つの「吉」字が多出来た。卦才は「元亨」を招致できても、「元吉」には及ばない。いわんや《彖伝》がこの卦を解説するにもただ「元亨」というのみで、あの「吉」字が衍文であることは、さらに明らかである。

集說 易氏祓曰:《易》之渚卦皆言象,取諸物以名卦者,《鼎》與《井》而已。《井》以木巽水,《鼎》以木巽火,二卦以養人為義,故皆以實象明之。胡氏一桂曰:自“元亨”外無餘辭,唯《大有》與《鼎》。

「集説」に易祓を引く:《周易》の各卦は皆取象を講ずるが、直接に一件の実物を取って卦に命名したのは、《鼎》と《井》の二卦のみである。《井》卦は木をもって水に入り、《鼎》卦は木をもって火に入り、両卦は皆人を養うことに立義するので、皆具体の実物の象をもって説明した。集説に胡一桂を引く:卦辞が「元亨」の二字以外に他辞がないのは、《大有》と《鼎》の二卦のみである。

案 上經《頤》卦言養道,曰聖人養賢以及萬民。然則王者之所當養,此兩端而已。下經《井》言養,《鼎》亦言養,然井在邑里之間,往來行汲,養民之象也。《鼎》在朝廟之中,燕饗則用之,養賢之象也。養民者存乎政,行政者存乎人,是其得失未可知也,故《井》之彖猶多戒辭。至於能養賢,則與之食天祿,治天職,而所以養民者,在是矣,故其辭直曰“元亨”,與《大有》同。

李光地の按:上経の《頤》卦は養育の道を講じ、「聖人養賢以及万民」という。王者が養うべき所は、この両方面に外ならないことがわかる。下経の《井》卦は養を講じ、《鼎》卦も養を講ずる。ただし井は郷里の間に処し、人々が往来して水を汲みに来るのは、百姓を養育する象である。鼎は朝廷宗廟の中に陳設し、賓客を宴享する時にそれを用いるのは、賢才を奉養する象である。百姓を養育するには政令に頼り、政令を推行するには人才に頼る。この中間の得失は尚料定し難いので、《井》卦の卦辞は戒めの辞が比較的多い。賢才を奉養できるに至っては、すなわち賢者に天賜の俸禄を享受せしめ、上天の交付した職事を治理せしめるので、百姓を養育する根本もその中に包含される。だから《鼎》卦の卦辞は干脆と「元亨」という。《大有》卦と同じである。

初六,鼎顛趾,利出否,得妾以其子,無咎。本義 居《鼎》之下,鼎趾之象也。上應九四則“顛”矣。然當卦初,鼎未有實,而舊有否惡之積焉。因其顛而出之,則為利矣。得妾而因得其子,亦由是也。此爻之象如此,而其占“無咎”。蓋因敗以為功,因賤以致貴也。

初六の爻辞にいう:鼎足が転覆して上を向く。ちょうど中の汚穢を倒し出すに利あり。侍妾を娶って彼女によって子を生ませる。過ちはない。朱熹《周易本義》にいう:初六は《鼎》卦の最も下に居し、鼎足の象である。それは上に向かって九四と相「応与」し、鼎足が上を向けば転倒となる。ただしこの時はまさに全卦の初めで、鼎の中はまだ新しい食物を装っておらず、かえって陳旧の汚穢を積んでいる。それが転倒するのに乗じてこれらの汚穢を倒し出せば、かえって利がある。侍妾を娶って順に子を得るのも、道理は同じである。この爻の象はかくのごとくで、その占断は「无咎」である。それは敗壊の処につきて功用に転じ、卑賤の処につきて尊貴を致すからである。

程傳 六在《鼎》下,“趾”之象也。上應於四,趾而向上,“顛”之象也。鼎覆則趾顛,趾顛則覆其實矣,非順道也。然有當顛之時,謂傾出敗惡以致潔取新,則可也。故“顛趾”利在於“出否”,“否”,惡也。四近君大臣之位,初在下之人而相應,乃上求於下,下從其上也。上能用下之善,下能輔上之為,可以成事功,乃善道。如鼎之“顛趾”,有當顛之時,未為悖理也。“得妾”以其子“無咎”,六陰而卑,故為妾。“得妾”,

程頤《伊川易伝》にいう:初六は《鼎》卦の最下に居し、鼎「足」の象である。それは上に九四に応じ、鼎足が上を向けば「顛」の象である。鼎が転がれば鼎足は上を向き、鼎足が上を向けば鼎の中の物は倒れ出す。これは本来順理に合わない。しかし転ぐべき時もあり、腐敗汚穢の旧物を傾倒出して清潔新鮮なものに換えるのがそれで、すなわち行える。だから「顛趾」の好処はまさに「出否」にある。「否」はすなわち汚穢悪物である。九四は君主に近い大臣の位に処し、初六は下位の人で、両者は相応する。これは上に在る人が下に求助し、下に在る人が上に服従すること。上に在る者が下の長処を採用でき、下に在る者が上の作为を輔助できれば、事功を成就できる。これは好い道理である。鼎の「顛趾」のように、転ぐべき時に赶上れば、常理に背くと算えない。「得妾以其子无咎」に至っては、初六は陰爻で地位が卑下なので妾を取象とする。妾を得て——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 熊氏良輔曰:“鼎顛趾”,鼎之末用而傾僕也。未用而傾僕,則汙穢不能留,反以顛為利也。若九四之折足,則覆敗而凶矣。“得妾以其子”,又就“顛趾”“出否”上取義,“得妾”者,“顛趾”也,以其子者,“出否”也,疑於有咎,故曰“無咎”。

「集説」に熊良輔を引く:いわゆる「鼎顛趾」は、鼎がまだ使用しないうちに先に転倒したこと。まだ使用しないうちに転倒すれば、中の汚穢は留められないので、かえって転倒を利とする。もし九四のように鼎足を折れば、それは徹底的に傾覆して事を敗り凶がある。「得妾以其子」に至っては、また「顛趾」「出否」のこの層の意につきて取義したのである。「得妾」は「顛趾」に相当し、妾によって子を得るは「出否」に相当する。この類の事は見るに過ちがありそうなので、爻辞は特に「无咎」という。

案 《易》例初六應九四,無亨吉之義,蓋以初六乃材德之卑,應四有援上之嫌,故於義無可取者。其動於應而凶咎者,則有之矣,“鳴豫”“咸拇”之類是也。唯《晉》有上進之義,《萃》有萃上之義,《鼎》有得養之義,此三者則初六九四之應,容有取焉。然《晉》初則“晉如摧如”,《萃》初則“乃亂乃萃”,蓋主於在下者之求進求萃而言。

李光地の按:《周易》の通例では、初六と九四が相応じるのは一般に亨通吉利の意がない。初六は才徳が卑微で、九四に応じれば上位に攀附する嫌疑があるので、義理の上に取るべき所がない。かえって上に応じたために凶咎を招く例は少なくなく、《豫》卦初六の「鳴豫」、《咸》卦初六の「咸其拇」がこの類である。ただ《晋》卦は上進の意を含み、《萃》卦は上に聚合する意を含み、《鼎》卦は奉養を承受する意を含む。この三卦では初六と九四が相応じて初めて取るべき所がある。しかし《晋》卦の初爻は「晋如摧如」といい、《萃》卦の初爻は「乃乱乃萃」という。あれは主に下に在る者が自ら上進を求め、自ら聚合を求めることについて言ったからである。

則居卑處初,未能自達者宜也。唯《鼎》之義,主於上之養下,上之養下也,大賢固養之矣。及其使人也器之,薄材微品,所不遺焉。當此之時,雖其就上也如顛趾,而因得去汙穢以自濯於沽清。雖其媒鬻也如妾,而因得廣嗣續以薦身於嬪御。盛世所以無棄才,而人入於士君子之路者,此也,故觀《易》者知時義之為要。

李光地が続けて言う:然らば身が卑下に処して位が初始に居り、一時にまだ自ら通達できないのも、理の当然である。ただ《鼎》卦の意義は、主に上に在る人が下に在る人を奉養することにある。上に在る人が下に在る人を奉養すれば、大賢は固然奉養される。用人の時に至って各々の器量に按って職事を分派すれば、才薄品微の人も遺漏されない。このような時に至って、一人の人が上位に趨就する様子が鼎足の転覆のように体統を成さなくても、因って自身の汚穢を除去して自己を洗滌清潔にでき、自薦して進を求める様子が媵妾となるのように卑屈でも、因って子嗣を広延して自己を宮掖に薦進できる。盛世に遺棄される人才がなく、人々が皆士君子の道に上れる原因は、まさにここにある。だから《周易》を読む人は、「時」と「義」がこそ最も緊要であることを知るべきである。

九二,鼎有實,我仇有疾,不我能即,吉。本義 以剛居中,“鼎有實”之象也。“我仇”,謂初。陰陽相求而非止,則相陷於惡而為仇矣。二能以剛中自守,則初雖近,不能以就之矣。是以其象如此,而其占為如是則“吉”也。

九二の爻辞にいう:鼎の中に食物が装ってある。我が仇敵は身上に病があり、我に近づくことができない。吉利。朱熹《周易本義》にいう:九二は陽剛をもって下卦の中位に居し、「鼎有実」の象である。「我仇」は初六を指す。陰と陽が互いに求め合って節制を知らなければ、共に邪悪に陥って冤家を結ぶ。九二が剛健を凭り中を守って自持できれば、初六はそれに密接していても寄り靠ることができない。したがってその象はこのようで、その占断は、かくのごとくできれば吉利である。

程傳 二以剛實居中,鼎中“有實”之象。鼎之有實,上出則為用。二陽剛有濟用之才,與五相應,上從六五之君,則得正而其道可亨。然與初密比,陰從陽者也。九二居中而應中,不至失正,己雖自守,彼必相求,故戒能遠之,使不來即我,則“吉”也。“仇”,對也。陰陽相對之物,謂初也。相從則非正而害義,是有“疾”也。二當以正自守,使之不能來就己。人能自守以正,則不正不能就之矣,所以“吉”也。

程頤《伊川易伝》にいう:九二は剛実の質をもって中位に居し、まさに鼎中に「有実」の象である。鼎の中に食物があり、取り出して人の享用に供して初めて有用である。九二は陽剛の済世の才を備え、六五と相「応与」し、上に向かって六五の君に追随すれば、すなわちその正を得てその道が亨通できる。しかしそれは初六と極めて近く貼りついており、陰は常に陽に追随するものである。九二は中に居り、応ずる六五も中に居るので、正道を失うに至らない。自分は身を守ることができても、相手は必ず来て合を求めるので、爻辞はそれに相手を疎遠にして相手をして自分に近づかせないことを戒め、こうして初めて吉利である。「仇」は対偶の義で、陰陽相対するもう一方を指し、すなわち初六である。それと相従すれば正道に合わず義理を妨害する。これが「有疾」である。九二は正に正道で自守して、初六をして寄り靠らせないようにすべきである。人はただ正を守れば、正しからぬ者は寄り靠れないので、吉利である。

集說 胡氏炳文曰:《鼎》諸爻與《井》相似,《井》以陽剛為泉,《鼎》以陽剛為實。《井》二無應,故其功終不上行。《鼎》二有應,而能以剛中自守,故“吉”。

「集説」に胡炳文を引く:《鼎》卦の各爻は《井》卦と相似する。《井》卦は陽剛の爻をもって泉水を象徴し、《鼎》卦は陽剛の爻をもって鼎中の食物を象徴する。《井》卦の九二は「応与」がないので、その功效は終に上に輸送できない。《鼎》卦の九二は応与があり、また剛健を凭り中を守って自持できるので、吉利である。

案 此“疾”字是妒害之義,所謂入朝見疾是也。夫相妒害,則相遠而不相即矣。然小人之害人也,必托為親愛以伺其隙,故必不惡而嚴,使之“不我能即”,而後無隙之可乘也。此只據九二剛中能自守而取此象,不必定指一爻為我仇也。

李光地の按:ここの「疾」字は嫉妬し陥れるの義で、ちょうど史伝の「入朝見疾」のあの「疾」である。彼此嫉恨し陥れ合えば、自然に疎遠になって相親しまない。ただし小人が人を害するには、必ず親近し愛護する様子を仮托して乗ずべき隙を窺うので、必ず疾言厲色せずして自ら威厳あるを成し、相手をして「不我能即」たらしめて然る後に、初めて鑽るべき空隙がない。この句はただ九二が剛健に中を守り自守できるに拠って象を取ったので、必ずしもある爻がすなわち「我仇」と指定する必要はない。

九三,鼎耳革,其行塞,雉膏不食,方雨虧悔,終吉。本義 以陽居鼎腹之中,本有美實者也。然以過剛失中,越五應上,又居下之極,為變革之時,故為鼎耳方革而不可舉移。雖承上爻文明之腴。有“雉膏”之美,而不得以為人之食。然以陽居陽,為得其正,苟能自守,則陰陽將和,而失其悔矣。占者如是,則初雖不利,而“終”得“吉”也。

九三の「爻辞」にいう:鼎耳に変故が起き、鼎は抬げられず路は通じない。肥美な野鶏の肉羹を食する人がいない。陰陽が調和して雨が降るを待てば、悔恨は減損し、最終的に吉利。朱熹《周易本義》にいう:九三は陽爻をもって鼎腹の中に居し、本来美味を盛っている。しかしそれは剛に過ぎて中位を失い、六五を越えて上九に応じ、また下卦の頂端に処し、まさに变革の時にあたるので、鼎耳がちょうど変故を起こして抬げて運搬できない取象となった。それは上の文明の卦の肥腴を承接して「雉膏」のような美味があるが、人に食用せしめることができない。ただしそれは陽爻で陽位に居し、「当位」して正を得るので、もし自守できれば陰陽は終に調和し、あの悔恨も消える。占問の人がもしかくのごとくできれば、初めは不利でも最終的には吉を得る。

程傳 “鼎耳”,六五也,為《鼎》之主。三以陽居巽之上,剛而能巽,其才足以

程頤《伊川易伝》にいう:「鼎耳」は六五を指し、それは《鼎》卦の主爻である。九三は陽爻をもって巽卦の最上位に居し、剛強でまた遜順でき、その才具は足りて——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 易氏祓曰:三鼎腹,有實者也,“耳”謂六五。正所以運其腹中所容者,唯上無應,塞而不行。實在其中,美如“雉膏”,誰得而享之,然君子處心,要使美實備於我,而不計行之通塞。及其終也,陰陽相濟,有至和將雨之兆,此所以虧其始之悔,而終必獲吉也。

「集説」に易祓を引く:九三は鼎腹で、物を盛っている。「耳」は六五を指し、まさに鼎腹の盛る物を運搬するに用いる。ただ九三の上に「応与」がないので、壅塞して通じない。食物は鼎の中にあり、「雉膏」のように鮮美だが、誰がそれを享用できようか。しかし君子の存心は、ただこの美好の実質を己の身に備えるを求めるのみで、施行の通と不通を計り計らない。最後に至り、陰陽が彼此調済し、極めて和洽でまさに雨が降らんとする兆が現れる。これが当初のあの悔恨が減損を得て、最終的に必ず吉を獲得する所以である。

胡氏炳文曰:《井》《鼎》九三,皆居下而未為時用。《井》三如清潔之泉而不見食,《鼎》三如鼎中有雉膏而不得以為人食。然君子能為可食,不能使人必食,六五鼎耳,三與五不相遇,如鼎耳方變革而不可舉移,故其行不通。然五文明之主,三上承文明之腴,以剛正自守,五終當求之,方且如陰陽和而為雨,始雖有不遇之悔,終當有相遇之吉。《井》三所謂“王明並受其福”者,亦猶是也。

集説に胡炳文を引く:《井》卦と《鼎》卦の九三は、皆身が下卦に居して時世に任用されていない。《井》卦九三は清清潔の泉水のようで人に飲用されず、《鼎》卦九三は鼎の中に肥美な野鶏の肉羹があって人に食せられない。しかし君子はただ自分を食すべき物となすことができるのみで、他人に強いて必ず食べさせることはできない。六五は鼎耳で、九三と六五は彼此遇合しない。鼎耳がまさに変故の中にあって抬挙運搬できないようで、だからその路は通じない。ただし六五は文明の徳の主爻で、九三は上に向かって文明の卦の肥腴を承接している。ただ剛強に正を守って自持すれば、六五は終に来りてそれを求める。その時はまさに陰陽が調和して雨が降る如くで、初めは不遇の悔恨があっても、最終的には必ず相遇の吉利がある。《井》卦九三のいう「王明并受其福」は、道理もこれと同じである。

九四,鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。本義 晁氏臼;“形渥”,諸本作“刑剭”,謂重刑也,今從之。九四居上任重者也,而下應初六之陰,則不勝其任矣。故其象如此,而其占凶也。

九四の爻辞にいう:鼎の足が折れ、王公の美食を傾覆して一面に溢し、鼎身は汚されて狼狽し、凶。朱熹《周易本義》にいう:晁説之が指摘するに、「形渥」は諸本で「刑剭」となっており、重刑を指す。今はこの説に従う。九四は上位に身を居して重任を担いながら、下に向かって初六という陰爻と相「応与」する。すなわち自分の職責を担いきれない。だからその象はこのようで、その占断は凶である。

程傳 四,大臣之位,任天下之事者也。天下之事,豈一人所能獨任,必當求天下之賢智,與之協力。得其人,則天下之治,可不勞而致也。用非其人,則敗國家之事,貽天下之患。四下應於初,初陰柔小人,不可用者也。而四用之,其不勝任而敗事、猶鼎之折足也。“鼎折足”,則傾覆公上之餗。“餗”,鼎實也。居大臣之位,當天下之任,而所田非人,至於覆敗,乃不勝其任,可羞愧之甚也。“其形渥”,謂赧汗也,其凶可知。

程頤《伊川易伝》にいう:第四爻は大臣の位置で、天下の事務を担っている。天下の事は、どうして一人の力で独りで担えようか。必ず天下の賢能智士を訪求し、彼らと協力同心しなければならない。人を正しく用いれば、天下の治平は気力を費やさずに達成できる。人を誤って用いれば、国家の政事を敗壊し、天下に禍患を残す。九四は下に向かって初六と応じ、初六は陰柔の小人で、本来任用すべからずである。九四は偏に彼を用い、結果的に責任を担いきれず事を敗壊した。鼎足が折れたようである。鼎足が一たび折れれば、王公の美食を地に傾覆する。「餗」はすなわち鼎中に盛る食物である。大臣の位に身を居して天下の重任を承当しながら、任用する所が適当な人でなく、傾覆して事を敗るに至る。これは職任を担いきれないことで、羞愧が極に至る。「其形渥」は、羞じて顔が紅く汗が出るを説く。その凶険は想いて知るべきである。

《繫辭》曰:“德薄而位尊,知小而謀大,力少而任重,鮮不及矣。”言不勝其任也,蔽於所私,德薄知小也。

程頤が続けて引証する:《繫辞伝》に「徳薄而位尊・知小而謀大・力少而任重・鮮不及矣」という。これがまさに自分の職任を担いきれないを説く。私心に蒙蔽されるのは、すなわち徳行が浅薄・見識が短小の表れである。

集說 王氏弼曰:“渥”,沾濡之貌也。既“覆公餗”,體為沾滯,知小謀大,不堪其任,受其至辱,災及其身,故曰“其形渥,凶”也。胡氏瑗曰:夫鼎之實必有齊量,不可以盈溢。若遇其盈溢,則有覆餗之凶。君子之人,雖有才德,亦有分量。若職事過其才分,則有墮官之謗矣。

「集説」に王弼を引く:「渥」は沾湿して浸潤する様子。すでに王公の美食を傾覆した以上、鼎身もまた沾汚して滞塞する。見識が短小で大事を図謀し、この重任を担いきれず、因って極大の恥辱を蒙り、災禍が自身に及ぶ。だから「其形渥・凶」という。集説に胡瑗を引く:鼎の容納できる食物には必ず一定の分量があり、満溢するまで装ってはならない。一旦満溢すれば、美食を傾覆する凶険がある。君子のような人は、才有り徳有りでも各々自分の分量がある。もし担う職事がその才分を超えれば、失職して譏議される名声を招く。

蘇氏軾曰:《鼎》之量極於四,其上則耳矣。受實必有餘量,以為溢地也,溢則覆矣。朱氏震曰:“其形渥”,羞赧之象。澤流被面,沾濡其體也。易氏祓曰:四亦鼎腹有實,在二陽之上,已過於溢,而又以陽剛之才,下應於初, 胡氏炳文曰:初未有鼎實,故因“顛趾”而“出否”。四已有鼎實,故“折足”而覆餗。

集説に蘇軾を引く:鼎の容量は第四爻で頂に至り、さらに上は鼎耳である。物を盛るには必ず余地を留めて、満溢の時の緩衝としなければならない。一旦満溢すれば傾覆する。集説に朱震を引く:「其形渥」は羞愧して顔が紅くなる形象で、汗水が流れ下りて面孔を蓋い、周身を皆沾湿せしめる。集説に易祓を引く:九四も鼎腹に物を盛り、しかも二つの陽爻の上に処してすでに満溢に過ぎ、また陽剛の才具に凭って下に向かって初六と応合する——ここに底本に脱文があり、易祓の言は说完していない。集説に胡炳文を引く:初六の時は鼎の中にまだ食物がないので、「顛趾」に乗じて「出否」した。九四の時は鼎の中にすでに食物があるので、一たび「折足」すれば美食を傾覆した。

案 四之得凶,諸家之說備矣。蓋三陽為實,而四適當其盈也,盈則有傾覆之象矣。又應初為無輔,故有“折足”覆餗之象,凡《易》例,九四應初六,皆有損而無助,《大過》之“不橈乎下”,《解》之“解而拇”,皆是也,“其形渥”,從王氏說為是。《詩》曰“渥赭”,曰“渥丹”,皆以顏貌言之,愧生於中,則顏發赤也。

李光地の按:九四が凶を得る所以は、各家の解説はすでに完備している。大抵三つの陽爻は鼎中の実物で、九四はまさにその満盈の処に当たり、満盈すれば傾覆の象がある。これに加えてそれが応ずる初六はそれに助力を与えられないので、「折足」して美食を傾覆する象がある。凡そ《周易》の通例では、九四と初六が相応じるのは、皆損耗あって助けなし。《大過》九四に「不橈乎下」といい、《解》卦九四に「解而拇」というのは、皆この類である。「其形渥」に至っては、王弼の説に従うのが正しい。《詩経》に「渥赭」といい「渥丹」というのは、皆人の容貌顔色について言う。羞愧が心の中から生じれば、顔色が紅くなる。

六五,鼎黃耳金鉉,利貞。本義 五於象為耳,而有中德,故云“黃耳”。“金”,堅剛之物。“鉉”,貫耳以舉鼎者也。五虛中以應九二之堅剛,故其象如此。而其占則利在貞固而已。或曰“金鉉”以上九而言,更詳之。

六五の爻辞にいう:鼎に黄色の耳と堅剛の金鉉がある。貞を守るに利あり。朱熹《周易本義》にいう:第五爻は取象の上で鼎耳であり、また居中的徳を備えているので「黄耳」と称する。「金」は堅硬剛強のもの。「鉉」は鼎耳を穿って鼎を抬げる横杠である。六五は虚心に中に居り九二の堅剛と相「応与」するので、このような象がある。その占断はただ貞を堅定に守るに宜しいにある。ある人は「金鉉」は上九について言うという。この点は尚仔細に推求すべきである。

程傳 五在鼎上,耳之象也。鼎之舉措在耳,為鼎之主也。五有中德,故云“黃耳”。“鉉”,加耳者也。二應於五,來從於耳者鉉也。二有剛中之德,陽體剛,中色黃,故為“金鉉”。五文明得中而應剛,二剛中巽體而上應,才無不足也,相應至善矣。所利在貞固而已,六五居中應中,不至於失正,而質本陰柔,故戒以貞固於中也。

程頤《伊川易伝》にいう:六五は鼎の上部にあり、鼎耳の象である。鼎の抬げ上げ放下は全て耳に依るので、耳は一鼎の主宰である。六五は居中の徳を備えているので「黄耳」と称する。「鉉」は鼎耳に加える横杠で、九二は上に六五に応じ、来りて鼎耳に依附するのが鉉である。九二は剛健守中の徳を備え、陽の体質は剛で、居中の色は黄なので「金鉉」と称する。六五は文明で中を得、また下に剛健の爻に応ずる。九二は剛健守中で巽卦の体に属して上に向かって相応し、才具に欠缺がなく、両者が相応じて尽善尽美と言える。宜しく注意すべきはただ貞を堅定に守るにあるだけである。六五は中に居り、応ずる所も中に居るので、正道を失うに至らない。ただその本質は畢竟陰柔なので、中を守る上で堅定不動を成すようそれを戒める。

集說 五氏宗傳曰:在鼎之上,受鉉以舉鼎者耳也,六五之象也。在鼎之外,貫耳以舉鼎者鉉也,上九之象也。王氏申子曰:“黃”,中色,謂五之中也。“金”,剛德,謂上之陽也。主一鼎者在乎耳,耳不虛中,則鼎雖有鉉而無所措,耳而無鉉,則鼎雖有實而無所施。故《鼎》之六五,虛其中以納上九陽剛之助,而後一鼎之實,得以利及天下,猶“鼎黃耳”得“金鉉”也。曰“利貞”,亦以陰居陽而有此戒。

「集説」に王宗伝を引く:鼎の上部にあって鉉杠を承受して鼎を抬げるのが耳で、あれは六五の象。鼎の外面にあって鼎耳を穿って鼎を抬げるのが鉉で、あれは上九の象。集説に王申子を引く:「黄」は居中の色で六五の居中を指し、「金」は剛強の徳で上九の陽剛を指す。一只の鼎を主宰する鍵は耳にある。鼎耳がもし中間に虚空でなければ、たとえ鉉があっても安置する所がない。耳だけあって鉉がなければ、鼎の中に食物があっても取用する由がない。だから《鼎》卦の六五は中位を虚出して上九の陽剛の助けを容納し、然る後に一鼎の食物が天下を利益し得る。「鼎黄耳」が「金鉉」を配したようなものである。爻辞に「利貞」というのも、それが陰爻をもって陽位に居するために設けた戒めである。

胡氏一桂曰:《程傳》及諸家,多以六五下應九二為“金鉉”,《本義》從之。然猶舉或曰之說,謂“金鉉”以上九言,竊謂鉉所以舉鼎者也,必在耳上,方可貫耳。九二在下,勢不可用,或說為優。然上九又自謂“玉鉉”者,金象以九爻取,王象以爻位剛柔相濟取。

集説に胡一桂を引く:《伊川易伝》および各家は、大抵六五の下に応ずる九二を「金鉉」とし、《周易本義》もこの説に従うが、仍として「或曰」のもう一説を挙げて、「金鉉」は上九を指すとする。私見では、鉉は鼎を抬げるに用いるので、必ず鼎耳の上にあって初めて鼎耳を穿つことができる。九二は下に処して形勢上用いられないので、「或曰」のあの説がさらに勝る。上九が自ら「玉鉉」と称するに至っては、「金」の象は九という陽爻から取り、「玉」の象は爻位の剛柔相済から取ったからである。

上九,鼎玉鉉,大吉,無不利。本父上於象為“鉉”,而以陽居陰,剛而能溫,故有“玉鉉”之象。而其占為“大吉尤不利”,蓋有是德,則如其占也。

上九の爻辞にいう:鼎に玉製の鉉を配し、大いに吉利、利あらざるなし。朱熹《周易本義》にいう:上九は取象の上で「鉉」であり、それは陽爻をもって陰位に居し、剛強の中にまた温潤できるので「玉鉉」の象がある。その占断は「大吉无不利」で、このような徳行を備えればこのような占に応験する。

程傳 《井》與《鼎》以上出為用,處終,鼎功之成也。在上鉉之象,剛而溫者玉也。九雖剛陽,而居陰履柔,不極剛而能溫者也。居成功之道,唯善處而已。剛柔適宜,動靜不過,則為“大吉”,無所不利矣。在上為鉉,雖居無位之地,實當用也。與它卦異矣,《井》亦然。

程頤《伊川易伝》にいう:《井》卦と《鼎》卦は皆物を上に送り届けることを功用とし、上爻は終点に処し、まさに鼎の功業が告成する所である。最上に居するのは鉉の象で、剛強でまた温潤のものがすなわち玉である。上九は剛健の陽爻だが、陰位に居して柔地を踏み、剛強であっても極端に走らず温潤できる。功成の時の要道に処しては、ただ自処に善いにあるだけである。剛柔が配合して宜しく、動静が皆過分でなければ、それがすなわち「大吉」で、利あらざるものはない。上位に居して鉉となるのは、職位のない所に処していても、実際にはまさに大用に当たっている。この点は他の卦と異なり、《井》卦もまたこのようである。

集說 易氏祓曰;《鼎》與《井》,其用在五,而其功皆在上。《井》至上而後為“元吉”,《鼎》至上而後為“大吉”,皆所以全養人之利者也。熊氏良輔曰:《井》、《鼎》皆以上爻為“吉”,蓋水以汲而出井為用,食以烹而出鼎為用也。

「集説」に易祓を引く:《鼎》卦と《井》卦は、その功用は第五爻にあり、その功效は皆上爻に成る。《井》卦は上爻に至って初めて「元吉」といい、《鼎》卦は上爻に至って初めて「大吉」という。皆人を養う利益を成全するためである。集説に熊良輔を引く:《井》卦と《鼎》卦は皆上爻を吉とする。水は井口から汲み出して初めて有用で、食物は熟して煮えて鼎の外に盛り出して初めて有用だからである。

案 此卦與《大有》,只爭初六一爻耳,餘爻皆同也。《大有》之彖辭直曰“元亨”,它卦所無也。唯《鼎》亦曰“元亨”,《大有》上爻曰“吉無不利”,它爻所無為也。唯《鼎》上爻亦曰“大吉無不利”,以其皆為尚賢之卦故也。上九剛德為賢,六五尊而尚之,是尚賢也。在它卦有此象者,如《賁》、《大畜》、《頤》之類,其義皆善,其《彖傳》亦多發“尚賢”“養賢”之義。

李光地の按:この卦と《大有》卦は、ただ初六のこの一爻を差すのみで、その余の各爻は完全に同じである。《大有》の《彖辞》は直截に「元亨」という。これは他の卦にないもので、ただ《鼎》卦も「元亨」という。《大有》の上爻は「吉无不利」という。これは他の爻にないもので、ただ《鼎》卦の上爻も「大吉无不利」という。これは両卦が皆賢才を崇尚する卦だからである。上九は剛健の徳をもって賢者となり、六五は尊位に居して彼を推崇する。これが尚賢である。他の卦にこのような象があるもの、例えば《賁》《大畜》《頤》の類は、取義が皆好く、その《彖伝》も大抵「尚賢」「養賢」の意を闡発する。

然以卦義言之,則《大有》與《鼎》獨為盛也。卦義之盛,重於此兩爻之相得,故“古無不利”。皆於上爻見之,即彖所謂“元亨”者也。又《易》中《大象》言天命者,亦唯此兩卦。一曰“順天體命”,一曰“正位凝命”。《書》曰,天命有德,五服五章哉,故退不肖而進賢者,天之命也。《大有》以遏惡揚善為順天,此則推本於正位以凝命,所謂君正莫不正者,用能協於上下,以承天體也。

李光地が続けて言う:しかし卦義について言えば、やはり《大有》と《鼎》の両卦が最も隆盛である。卦義が隆盛なる所以は、鍵は六五と上九の両爻の彼此契合にあるので、「吉无不利」が皆上爻の上に体現される。すなわち《彖辞》のいわゆる「元亨」である。さらに《周易》の「大象」で天命に言及するのも、ただこの両卦のみである。一処は「順天体命」(通行本は「順天休命」)と作り、一処は「正位凝命」と作る。《尚書》に「天命有徳・五服五章哉」という。不肖を斥退して賢才を進用するのは、まさに上天の命令であることがわかる。《大有》は邪悪を遏止し善行を表彰することを順天とし、《鼎》卦は君位を端正して天命を凝聚することに追本溯源する。すなわちいわゆる「君正莫不正」で、因って上下を協和して上天を承奉し得る。

總論 邱氏富國曰:初為足,故曰“顛趾”,二三四為腹,故曰“有實”,曰“雉膏”,曰“公餗”。五為耳,故曰“黃耳”。上為鉉,故曰“玉鉉”,此豈非全鼎之象乎。然初曰“趾”,四亦曰“足”者,以四應乎初,而四之足即初也。上曰“鉉”,而五亦曰“鉉”者,以五附乎上,五之鉉即上也。五曰“耳”,而三亦曰“耳”者,則以三無應乎五,而有“鼎耳革”之象。

「総論」に邱富国を引く:初爻は鼎足なので「顛趾」といい、二・三・四爻は鼎腹なので「有実」「雉膏」「公餗」といい、第五爻は鼎耳なので「黄耳」といい、上爻は鉉なので「玉鉉」という。これは一整只の鼎の形象ではないか。ただし初爻は「趾」と称し、九四も「足」と称する。あれは九四と初六が相応じて、九四の足は実はすなわち初六だからである。上爻は「鉉」と称し、六五も「鉉」と称する。あれは六五が上九に緊靠して、六五の鉉は実はすなわち上九だからである。六五は「耳」と称し、九三も「耳」と称する。あれは九三と六五が相応じないので、因って「鼎耳革」の象があるからである。

震卦

震.震上.震下程傳 《震序卦》:“主器者莫若長子,故受之以震。”鼎者器也,《震》為長男,故取主器之義,而繼《鼎》之後。長子,傳國家繼位號者也,故為主器之主。《序卦》取其一義之大者,為相繼之義。震之為卦,一陽生於二陰之下,動而上者也,故為震。

《震》卦は震が上、震が下、これが卦画の注記である。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》に「主器者莫若長子・故受之以震」という。鼎はすなわち器物で、《震》卦は長男を代表するので、「主器」のこの層の意を取って《鼎》卦の後に続ける。長子は国家を承伝し名位を継承する人なので、宗廟の祭器を主管する人である。《序卦伝》はただその中で意義が最も重大な一層を取って、前後相承接する線索とする。卦体について言えば、《震》卦は一つの陽爻が二つの陰爻の下に生じ、上に向かって奮動するので、震という。

震,動也,不曰動者,震有動而奮發震驚之義,乾坤之交,一索而成震,生物之長也,故為長男,其象則為雷,其義則為動,雷有震奮之象,動為驚懼之義。

程頤が続けて言う:震はすなわち動である。直接「動」と呼ばない所以は、「震」に尚奮起振作・震動驚駭の意味を含むからである。乾坤の両卦が相交わり、第一次に求索して震を成し、生ずる所の物の中で長に居するので、長男を代表する。その象は雷、その義は動である。雷には震盪奮発の形象があり、動には驚懼警醒の含意がある。

震,亨,震來虩虩,笑言啞啞,震驚百里,不喪匕鬯。本義 “震”,動也。一陽始生於二陰之下,震而動也。其象為雷,其屬為長子。

《震》卦の「卦辞」にいう:亨通する。雷の声が伝わって来る時は驚懼して四顧し、過ぎてまた談笑自如とする。巨雷が百里を震動しても、祭を主る人の手にある匕と鬯は失落しない。朱熹《周易本義》にいう:「震」はすなわち動である。一つの陽爻が二つの陰爻の下に始めて生じ、奮起して動くので、震という。その取象は雷で、人倫上の所属は長子である。

震有亨道,“震來”,當震之來時也。”虩虩”,恐懼驚顧之貌。“震驚百里”,以雷言。“匕”,所以舉鼎實;“鬯”,以秬黍酒和鬱金,所以灌地降神者也。“不喪匕鬯”,以長子言也。此卦之占,為能恐懼則致福,而不失其所主之重。

朱熹が続けて言う:震はそれ自体に亨通の道を含む。「震来」はまさに震動が到来する時を説き、「虩虩」は恐懼して驚き顧みる様子である。「震惊百里」は雷の声について言う。「匕」は鼎中から牲肉を挑取する器具。「鬯」は黒黍の酒を鬱金草で調和して作る香酒で、地に灌注して神霊を迎降するに用いる。「不喪匕鬯」は、長子が祭祀を主持することについて言う。この卦の「占辞」は、心に恐懼を存すれば福慶を招来し、自分の主守する重任を失わずに済むということである。

程傳 陽生於下而上進,有“亨”之義。又震為動,為恐懼,為有主。震而奮發,動而進,懼而修,有主而保大,皆可以致亨,故震則有“亨”。當震動之來,則恐懼不

程頤《伊川易伝》にいう:陽気が下方に生じて上に向かって推進するのは、「亨」の意を含む。さらに震は動を代表し、恐懼を代表し、主守あるを代表する。震を受けて奮発し、一動すれば前進し、懼れに因って修省し、主守あって因って大業を保ち得る。これらは皆亨通を招致するに足るので、震卦はそれ自体に「亨」を帯びる。まさに震動が到来する時、恐懼して——ここに底本に脱文があり、程伝以下の言はすでに闕失している。

集說 干氏寶曰:祭禮薦陳甚多,而經獨言“不喪匕鬯”者,匕牲體,薦鬯酒,人君所自親也。胡氏瑗曰:“百里”,雷聲之所及也、“匕”者,宗廟之器,以棘木為之,似畢而無兩岐,所以舉鼎之實而升於俎也。“鬯”者,以鬱金草和酒,而有芬芳調鬯之氣。

「集説」に干宝を引く:祭祀の礼の陳列進献する物は多いが、経文は単に「不喪匕鬯」という。これは匕で牲体を挑取し鬯酒を進献するこの二つの事が、君主が親ら手を動かして為すものだからである。集説に胡瑗を引く:「百里」は雷の声が伝わり得る範囲である。「匕」は宗廟の中の器具で、棘木をもって作り、形状は「畢」のようだが二つの分叉がなく、鼎中の牲肉を挑んで俎に置くに用いる。「鬯」は鬱金草で調和した酒で、芬芳調暢の香気を帯びる。

胡氏炳文曰:“震驚百里”,以震為雷取象。“不喪匕鬯”,以長子主器取象。“震亨”,謂震有亨之道。又自以“震來虩虩”釋震字,以“笑言啞啞”以下釋亨字。

集説に胡炳文を引く:「震惊百里」は、震を雷に取象して講じたもの。「不喪匕鬯」は、震を長子の祭器を主持するに取象して講じたもの。「震亨」は震が亨通の道を含むを説く。卦辞は続いてまた「震来虩虩」をもって「震」字を解釈し、「笑言啞啞」以下の数句をもって「亨」字を解釈する。

蔡氏清曰:“震來”,當震之來時也,以心言,謂事之可懼而吾懼之也。其震懼之也“虩虩”然,非震來而後“虩虩”也。“虩虩”,所以狀其震來也。或曰:來者自外來也,故爻云“震來厲”。又云“震不于其躬于其鄰”,此說非唯昧卦辭“震來”之義,亦失卦名震字之義矣。

集説に蔡清を引く:「震来」はまさに震動が到来する時を説き、これは人心について言う。恐るべき事に遇上して我が心に懼れを生ずるを指す。あの震懼の様子を「虩虩」という。震が先に来て然る後に「虩虩」となるのではなく、「虩虩」はまさに「震来」という事自体を形容するに用いる。ある人は、いわゆる「来」は外から来るのだから、爻辞に「震来厲」を講じ、また「震不于其躬・于其隣」を講ずる。この説は卦辞「震来」の含意を見抜けなかったのみならず、卦名「震」字の含意も失った。

蓋震之來,來猶至也,固亦有其事,然震之至則在我也。六二“震來厲”,謂當震之來而危厲,此震來正與卦辭旨同。至於“震不于其躬”,《本義》分明有“恐懼”“修省”字,其與卦辭同益明矣。凡有所事者皆當懼,懼便是震來也。君子之心,常存敬畏,執事便敬,所以致福而不失其所主之重。

蔡清が続けて言う:いわゆる震の「来」とは、「来」はすなわち「至」である。外に固然あの恐るべき事が確かにあるが、震動の到来する所以は、鍵は尚我が心の上にある。六二に「震来厲」というのは、まさに震動が到来して処境が危険であるを説き、この「震来」はまさに卦辞の意旨と同じである。「震不于其躬」に至っては、《周易本義》が分明に「恐懼」「修省」のような字眼を用いたので、それが卦辞と同義であることはさらに明らかである。凡そ身に事ある人は皆戒懼すべきで、この戒懼がすなわち「震来」である。君子は心に常に敬畏を存すので、事を弁ずれば恭敬し、だから福慶を招来して自分の主守する重任を失わない。

又曰:“震來虩虩”,以心言;“震驚百里”,以事言。“不喪匕鬯”,不懼也,不懼由於能懼。餘氏本曰:”震驚百里”,只是足“笑言啞啞”一句意,大意謂人平時若能恐懼,則可以致福。雖卒然禍變之來,亦無可畏也。案 “震來”之義,蔡氏得之矣。

蔡清がまた言う:「震来虩虩」は人心について言い、「震惊百里」は外事について言う。「不喪匕鬯」は恐れないことだが、この恐れないことは、まさに平日に戒懼できたことから来る。集説に余本を引く:「震惊百里」のこの句は、ただ「笑言啞啞」のあの句の意を補足するのみで、大意は人がもし平日に心に恐懼を懐けば、福慶を招来でき、たとえ突然に禍患変故に遇上しても、恐るべきところはないということ。李光地の按:「震来」の含意については、蔡清は講じて正しいと算えられる。

初九,震來虩虩,後笑言啞啞,吉。本義 成《震》之王,處震之初,故其占如此。程傳 初九成《震》之主,致震者也。在卦之下,處《震》之初也。知震之來,當震之始,若能以為恐懼,而周旋顧慮,“虩虩”然不敢寧止,則終必保其安吉,故後“笑言啞啞”也。

初九の爻辞にいう:雷震が伝わって来る時は驚懼して四顧し、過ぎて談笑自如とする。吉利。朱熹《周易本義》にいう:初九は《震》卦を構成する主爻で、また震動の始めに処するので、その占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:初九は《震》卦を構成する主爻で、また震動を引き起こす爻である。それは全卦の下方にあり、まさに震動の初めに処する。それは震動の来臨を知り、震動が剛に起きた時に因って心に恐懼を生じ、反復して顧慮し、「虩虩」として安逸停歇を敢えてしない。すなわち最終的に必ず平安吉利を保ち得るので、後に「笑言啞啞」できた。

集說 石氏介曰:初九有陽明之德,居《震》之始,是能先戒懼者,故繇彖所言,此爻當之。胡氏炳文曰:初九在內卦之內,《震》之主也,故辭與卦同。蓋震之用在下,在重震之初。又最下者,所以為《震》之主也。

「集説」に石介を引く:初九は陽剛光明の徳を備え、《震》卦の開端に居り、先んじて戒懼できる人なので、卦辞の講ずるあの言がまさにこの爻の身に落ちる。集説に胡炳文を引く:初九は内卦の中に処して《震》卦の主爻なので、その爻辞は卦辞と同じである。震の功用は下方にあるので、それが上下両震の重畳の最初に処し、しかも最下の一爻なので、《震》卦の主爻となる。

六二,震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐七日得。程傳 六二居中得正,善處震者也,而乘初九之剛。九,震之主。震剛動而上奮,孰能御之。“厲”,猛也,危也。彼來既猛,則己處危矣。“億”,度也。“貝”、所有之資也。“臍”,升也。“九陵”,陵之高也。“逐”,往追也。以“震來”之“厲”,度不能當,而必喪其所有,則升至高以避之也。

六二の爻辞にいう:震動が到来し、処境は危険。財貨が必ず喪失すると料想し、そこで高い山陵に登る。追いかけに行くな、七日の後に自ら失われて復た得られる。程頤《伊川易伝》にいう:六二は中に居り「当位」して正を得、震動に対応するに善い人である。しかしそれは初九の剛爻の上に陵駕する。初九は震卦の主爻で、剛強で動き上に向かって奮発する。誰が抵当できようか。「厲」は猛烈であり、また危険である。相手の来る勢いがすでに猛ければ、自分の処境は危険となる。「億」は揣度、「貝」は自分の所有する財貨、「躋」は登る、「九陵」は極めて高い山陵、「逐」は前に行って追尋すること。なぜなら「震来」の勢いが猛烈で、抵当できず必ず所有する財貨を喪失すると估量したので、最高所に登ってそれを避ける。

“九”,言其重。岡陵之重,高之至也。“九”,重之多也,如九天九地也。“勿逐七日得”,二之所貴者中正也。遇震懼之來,雖量勢巽避,當守其中正,無自失也。億之必喪也,故遠避以自守,過則復其常矣,是勿逐而自得也。

程頤が続けて言う:「九」は層数の多いを形容する。岡陵が一重また一重ならば高さの極に至る。「九」は重畳の多いを表示し、「九天」「九地」のような説法である。「勿逐七日得」に至っては、六二の貴ぶ所はまさに中正にある。震懼の到来に遇って、形勢を估量して柔順に退避すべきではあるが、仍として自分の中正を守り、自ら陣脚を乱してはならない。それは財貨が必ず喪失すると揣度したので、遠く避けて自守を求めた。この陣の勢いが過ぎれば、一切が常態に回復する。これが追いかけに行かなくても自然に復た得られるである。

“逐”,即物也。以己即物,失其守矣。故戒“勿逐”,避遠自守,處震之大方也,如二者當危懼而善處者也。卦位有六,七乃更始,事既終,時既易也,不失其守,雖一時不能御其來,然時過事已,則復其常,故云“七日得”。

程頤が続けて言う:「逐」はすなわち自分で外物に趨就すること。自分をもって外物に趨就すれば、本分を守ることができないので、爻辞は「勿逐」と戒める。遠く避けて自守するのは、震動に対応する大原則である。六二のように、まさに身が危懼に処して自処するに善い人である。一卦は六つの爻位しかなく、第七位に至れば再び始まり、事がすでに終了し時勢がすでに改変したを表示する。ただ自分の操守を失わなければ、一時に来る勢いを遮れなくても、時勢が過ぎ事が完結するを待てば、常態に回復するので「七日得」という。

集說 鄭氏汝諧曰:“億”,度也,度寶貨之可喪而喪之,不憚九陵之險而升之,避害以自全,靜退以觀變,事定則必得其所謂安利也。楊氏簡曰:六二乘初九之剛,不可安處,故“億喪貝”。往而躋于九陵,雖今未得,至於歷七日,則時當得矣,勿用逐也。避難曲折有如此者,昔太王既不可御狄,不可安處,去而邑於岐山之下,而他日興周焉,此象也。

「集説」に鄭汝諧を引く:「億」は揣度である。これらの珍宝財貨が捨てうると揣度すれば、索性捨ててしまい、九重の山陵の険峻を畏れずに攀登する。禍害を避けて自身を保全し、安静退譲して変化を観察すれば、事が平定した後に必ずいわゆる安穏と利益を得る。集説に楊簡を引く:六二は初九の剛爻の上に陵駕し、その位に安居できないので「億喪貝」。それは往って九陵に登り、眼下は一得もないが、七日を経過して時が来れば自然に得られる。追うに及ばない。難を避ける曲折がかくのごとき地步に至ることがある。昔周の太王はすでに狄人を抵当できず、また原地に安居できなかったので、遷り去って岐山の下に邑を建て、後に周朝はこれによって興起した。まさにこの爻の象である。

蔣氏悌生曰:“億”,度也,事未至未著而先謀度之謂億。楊氏啟新曰:“喪”,自喪之也。“躋于九陵”,飄然遠舉之意。人之所以常蹈禍者,利耳。遠利而自處於高,豈唯無厲,所喪者,可以不久而獲矣。

集説に蔣悌生を引く:「億」は揣度で、事がまだ到来せずまだ顕露しないうちに予め謀り推度するを「億」という。集説に楊啓新を引く:「喪」は自分で主動的に捨てること。「躋于九陵」は、飄然として遠く挙げる意を含む。人が常に禍を招く所以は、無非一つの「利」字のためである。財利から遠く離れて自己を高所に安置すれば、則ち危険がないのみならず、捨てたものもまた久しからずして再び得られる。

六三,震蘇蘇,震行無眚。本義 “蘇蘇”,緩散自失之狀。以陰居陽,當震時而居不正,是以如此。占者若因懼而能行,以去其不正,則可以“無眚”矣。

六三の爻辞にいう:震動の下で神情が涣散して安んじない。震を受けて行動するを肯んずれば、災害はない。朱熹《周易本義》にいう:「蘇蘇」は精神が松懈涣散して六神に主がない様子。六三は陰爻をもって陽位に居し、まさに震動の時にあって居位が正しくないので、こんな様子になった。占問の人がもし恐懼に因って行動して、自身の不正を去れば、「无眚」を得られる。

程傳 “蘇蘇”,神氣緩散自失之狀。三以陰居陽不正,處不正,於平時且不能安,況處震乎,故其震懼而“蘇蘇”然。若因震懼而能行,去不正而就正,則可以無過。“眚”,過也。三行則至四,正也。動以就正為善,故二“勿逐”則自得。三能行則“無眚”,以不正而處震懼,有眚可知。

程頤《伊川易伝》にいう:「蘇蘇」は神気が松懈涣散して六神に主がない様子。六三は陰爻をもって陽位に居して正しくない。居位が正しくない人は、平時でも尚安穏できないのに、いわんや身が震動の中に処するをや。だからそれは一たび震懼を受ければ「蘇蘇」として主張を失う。もしこの震懼に因って行動して、不正を去って正に帰れば、過失がない。「眚」はすなわち過失である。六三はただ前に一動すれば第四位に至り、あれは正である。行動は正に帰するを善とするので、六二は「勿逐」で自然に失物を得戻し、六三は行動できれば「无眚」である。反対に言えば、不正の身をもって震懼の中に処すれば、災害あるは想いて知るべきである。

集說 趙氏光大曰:當震時而懼益甚,精神渙散,故為“震蘇蘇”之象。然天下不患有憂懼之時,而患無修省之功。若能因此懼心而行,則持身無妄動,應事有成規,又何眚之有?楊氏啟新曰:震而不行,徒震耳,行者,改圖也,此恐懼所以修省也。

「集説」に趙光大を引く:まさに震動の時にあって恐懼がいよいよ甚しく、精神涣散に至るので「震蘇蘇」の象がある。しかし天下人は憂懼ある時を畏れず、ただ修身省察の実功がないを畏れる。もしこの懼れ心に凭って行動できれば、立身は妄動せず、応事に一定の準則があり、またどうして災害があろうか。集説に楊啓新を引く:震動を受けて行動しなければ、白く震っただけである。いわゆる「行」は、改弦更張して別に打算するを説き、これがまさに恐懼に因って修身省察する道理である。

九四,震遂泥。本義 以剛處柔,不中不正,陷於二陰之間,不能自震也,“遂”者,無反之意,“泥”,滯溺也。

九四の爻辞にいう:震動が泥の中に陥る。朱熹《周易本義》にいう:九四は剛爻をもって柔位に処し、中に居らず「当位」もせず、上下二つの陰爻の間に陥って、自ら奮起して震動することができない。「遂」は一たび往けば返らないの義で、「泥」は滞塞して沉溺すること。

集說 項氏安世曰:初九以一陽動乎二陰之下,得《震》之本象,故其福與卦辭合。九四以一陽動乎四陰之中,則震變成坎,震而遂陷於泥也。胡氏炳文曰:初與四,皆《震》之所以為《震》者。然震之用在下,四溺於陰柔之中,故震之亨在初而不在四。

「集説」に項安世を引く:初九は一つの陽爻が二つの陰爻の下で奮動し、《震》卦の本象を得たので、その福慶は卦辞と相符する。九四は則ち一つの陽爻が四つの陰爻の中で奮動し、こうなれば震は坎に変わり、震動して隨って泥の中に陥る。集説に胡炳文を引く:初九と九四は、皆《震》をしてその《震》たらしめる爻である。しかし震の功用は下方にあり、九四はまた陰柔の中に沉溺しているので、震卦の亨通は初九に落ちて九四に落ちない。

案 卦爻“震”字,雖以人心為主,然《震》之本象則雷也。凡雷乘陽氣而動,然所乘之氣不同,故邵子曰:水雷玄,火雷赫,土雷連,石雷霹。蓋雷聲有動而不能發達者,陷於陰氣也。此爻陽動於四陰之中,故有“震遂泥”之象。在人則志氣未能自遂,乃困心衡慮之時也。

李光地の按:卦辞爻辞の中の「震」字は、主に人心について言うが、しかし《震》卦の本象は畢竟雷である。凡そ雷は皆陽気に乗じて発動するが、乗ずる所の気が各々同じでないので、邵雍が言うには、水中の雷は幽暗、火中の雷は熾烈、土中の雷は沈悶して相連なり、石中の雷は霹靂して響く、と。雷の声にも震動しながら発揚し出せないものがあることがわかる。あれは陰気に困らされたのである。この爻は陽爻が四つの陰爻の中で奮動するので、「震遂泥」の象がある。人に落とせば、志気が一時に自ら伸展できず、まさに《孟子》のいう「困于心・衡于慮」の時である。

六五,震往來厲,億無喪有事。本義 以六居五而處震時,無時而不危也,以其得中,故無所喪而能“有事”也。占者不失其中,則雖危“無喪”矣。

六五の爻辞にいう:震動の中、往くも帰るも皆危険。能く予め揣度すれば、喪失する所なくして祭祀の事を守り得る。朱熹《周易本義》にいう:六のような陰爻をもって第五位に居してまた身が震動の時に処すれば、一刻も危険の中にあらざるがない。ただしそれは中位に居するので、何も喪失せず「有事」できる。占問の人はただ自分の中道を失わなければ、危険であっても喪失する所はない。

程傳 六五雖以陰居陽不當位為不正,然以柔居剛又得中,乃有中德者也。不失中則不違於正矣,所以中為貴也。諸卦二五雖不當位,多以中為美。三四雖當位,或以不中為過,中常重於正也。蓋中則不違於正,正不必中也。天下之理,莫善於中,於六二六五可見。

程頤《伊川易伝》にいう:六五は陰爻をもって陽位に居し、「当位」について言えば正しくないと算えられるが、しかし柔をもって剛に居りまた中位に居れば、中德を備えると言える。中道を失わなければ、正道に背くこともないので、「中」がこのように貴い。各卦の第二爻と第五爻は常常に位に当たらないが、大抵中に居るを美とする。第三爻・第四爻は位に当たるが、時にかえって中に居らないため過ありと指される。これは「中」が常に「正」よりもさらに緊要であることを示す。中に居れば正に背かず、正は必ずしも中を兼ね得られない。天下の道理は、「中」より好いものはない。六二と六五の両爻から見て取れる。

五之動,上往則柔不可居動之極,下來則犯剛,是往來皆危也。當君位為動之主,隨宜應變,在中而已,故當億度無喪失其所有之事而已。所有之事,謂中德,苟不失中,雖有危不至於凶也。億度,謂圖慮求不失中也。五所以危,由非剛陽而無助,若以剛陽有助為動之主,則能亨矣。往來皆危,時則甚難,但期於不失中,則可自守,以柔主動,固不能致亨濟也。

程頤が続けて言う:六五が一動して上に往けば、柔弱の質をもって震動の頂端に居るに宜しからず。下に帰れば、また下の剛爻に触犯する。だから往くも危く来るも危い。それは君位に身を居して震動の主宰となるので、ただ宜に随って変に応ずるのみで、鍵は一つの「中」字の上にある。だから反復して揣度し、自分の原有のあの物を喪失してはならない。いわゆる原有の物とは、中德を指す。ただ中道を失わなければ、危険あっても凶禍に陥るに至らない。「億度」はすなわち籌劃思慮してその中を失わざるを力求めること。六五が危険なる所以は、それが剛健の陽爻でなくまた人の助けがないからである。もし剛陽で助けある爻に換えて震動の主宰を為せば、亨通し得る。往来が皆危険で、時勢は実に艱難なので、ただ中道を失わざるに指望するのみで、こうすれば自守できる。柔弱の質をもって震動を主持すれば、本来亨通して世を済する功效を招致できない。

集說 虞氏翻曰:可以守宗廟社稷為祭主,故“無喪有事”也。項氏安世曰:二居下震之上,故稱來。五居重震之上,故稱“往來”。“億”,度也。二五之“厲”,即震之恐懼也。二五之“億”,即震之修省也。

「集説」に虞翻を引く:六五は宗廟社稷を守って祭祀の主を充当できるので「无喪有事」という。集説に項安世を引く:六二は下卦震の上位に処するのでただ「来」と称し、六五は上下両震の最上に処するので「往来」と称する。「億」は揣度である。六二・六五のいう「厲」は、すなわち震卦の講ずる恐懼である。六二・六五のいう「億」は、すなわち震卦の講ずる修身省察である。

熊氏良輔曰:震“往”亦“厲”,“來”亦“厲”,皆以危懼待之,故能“無喪有事”,蓋不失其所有也。此卦辭所謂“不喪匕鬯”,能主器以君天下者與。俞氏琰曰:二曰“震來”,指初之來。以五視初,則初之始震為既往,四之洊震為復來,五蓋震往而復來之時也。“有事”,謂有事於宗廟社稷也。《震》之主爻在初,而“元喪有事”乃歸之五,五乃《震》之君也。

集説に熊良輔を引く:震動の中で、往くも危く帰るも危いのを、六五は皆危懼の心情をもって対応するので、「无喪有事」し得る。すなわち自分の原有の物を失わない。これはまさに卦辞のいう「不喪匕鬯」で、祭器を主持して天下に君臨できる人であろう。集説に兪琰を引く:六二に「震来」というのは、初九の震が伝わって来るを指す。もし六五の位置から初九を回顧すれば、初九の最初の一震はすでに過去と算え、九四の再度の震動はまた一度の到来と算え、六五はまさに震動が去ってまた来る時に処する。「有事」は宗廟社稷に祭祀の事あるを説く。《震》卦の主爻は初九にあり、「无喪有事」は六五の身に帰する。六五が《震》卦の君位だからである。

案 《春秋》凡祭祀皆口“有事”,故此“有事”謂祭也。二五之震同,具有中德而能億度於事理者亦同。然二“喪貝”而五“無喪”者,二居下位,所有者見耳。五居尊,所守者則宗廟社稷也。貝可喪也,宗廟社稷可以失守乎。故二以“喪貝”為中,五以“無喪有事”為中。

李光地の按:《春秋》で凡そ祭祀を記載すれば皆「有事」と称するので、ここの「有事」はすなわち祭祀を指す。六二と六五の遇う震動は同じで、両爻は皆中德を備えまた事理を反復揣度できる。この点も同じである。しかし六二は「喪貝」で六五は「无喪」である。六二は下位に身を居して所有する所は不过些かの財貨だが、六五は尊位に身を居して守る所は宗廟社稷である。財貨は捨てうるものだが、宗廟社稷はどうして失守できようか。だから六二は財貨を捨てるをもって中を得とし、六五は所有を失わず祭祀を守るをもって中を得とする。

本義 以陰柔處震極,故為“索索”“矍矍”之象。以是而行,其凶必矣。然能及其震未及身之時,恐懼修省,則可以“無咎”,而亦不能免於“婚媾”之“有言”。戒占者當如是也。

ここに底本は上六の爻辞を脱し、直接朱熹の解説に接続する。朱熹《周易本義》にいう:上六は陰柔の質をもって震動の極点に処するので「索索」「矍矍」の象がある——歩が瑟縮し、目が惶惑する。このような状態を帯びて行動すれば、凶険は免れない。ただしもし震動がまだ自身に波及しないうちに恐懼戒慎して修身省察すれば、「无咎」し得る。ただ仍として近い姻親が些かの閑話を言うを免れない。これは占問の人がかくのごとく自処すべきと戒める。

程傳 “索索”,消索不存之狀,謂其志氣如是。六以陰柔居震動之極,其驚懼之甚,志氣殫索也。“矍矍”,不安定貌。志氣索索,則視瞻徊徨。以陰柔不中正之質而處震動之極,故“徵”則“凶”也。震之及身,乃於其躬也。“不于其躬”,謂未及身也。

程頤《伊川易伝》にいう:「索索」は消耗し尽きて存留する所なき様子で、その志気がかくのごときを形容する。上六は陰柔の質をもって震動の極点に居し、驚懼が甚しすぎて志気はすでに耗竭した。「矍矍」は不安定の様子で、志気がすでに消索すれば、眼神も左右に顧み彷徨して定まらない。陰柔でまた不中不正の資質をもって震動の極点に処するので、一たび前に往けば凶がある。震動が自身に波及するのが「于其躬」で、「不于其躬」というのは、まだ自身に波及しないを指す。

“鄰”者,近於身者也。能震懼於未及身之前,則不至於極矣,故得“無咎”。苟未至於極,尚有可改之道。震終當變,柔不固守,故有畏鄰戒而能變之義。聖人於震終,示人知懼能改之義,為勸深矣。“婚媾”,所親也,謂同動者。“有言”,有怨咎之言也。六居《震》之上,始為眾動之首,今乃畏鄰戒而不敢進,與諸處震者異矣,故“婚媾有言”也。

程頤が続けて言う:「隣」は自身に近い旁人である。震動がまだ自身に波及しない先に心に震懼を生ずることができれば、極端に至らないので「无咎」し得る。ただまだ極端に至らなければ、総じて改過しうる路がある。震動は終点に至れば本来変化あるべきで、上六は陰柔で成見を死守しないので、隣人を畏れる警戒を含んで改変し得る意がある。聖人が震卦の末尾で人に懼れを知って改め得る道理を指し示したのは、勧勉の意が深いと言える。「婚媾」は近い姻親を指し、すなわち同じく震動の中にいるあの人々である。「有言」は怨恨し責める言があること。上六は《震》卦の最上に居して本来率先して行動すべきなのに、今は隣人を畏れる警戒のため前進を敢えてせず、その余の震動の中に処する人と同じでないので、「婚媾有言」を招く。

集說 鄭氏汝諧曰:上以陰柔之資,而居一卦之上,其中無所得,不能自安,故“震索索”而氣不亢,“視矍矍”而神不固。人之過於恐懼者,固無足取,若能舉動之際,睹事之未然而知戒,亦聖人之所許也。

「集説」に鄭汝諧を引く:上六は陰柔の資質をもって一卦の最上に居し、心中に一得なく自ら安んじ得ないので、「震索索」として気が振作せず、「視矍矍」として神が安定しない。一人の人が過分に恐懼するのは、本来取るべき所がない。ただしもし挙動の際に、事がまだ発生しない苗头を見て戒懼する所を知れば、あれも聖人の許す所である。

趙氏光大曰:陰處震極,故當震之來,志氣消沮,瞻視徬徨,驚懼之甚也,以是而行,其志先亂,“凶”也。所以然者,以不能圖之於早也。若震未及身而方及鄰之時,恐懼修省,豫為之圖,則自無“索索”“矍矍”之“咎”矣。

集説に趙光大を引く:陰爻が震動の極点に処するので、震動が一たび来れば志気は消沈沮喪し、目光は彷徨して四顧し、驚懼が極に至る。この様子を帯びて行動すれば、心志が先に乱れるので「凶」。かくのごときなる所以は、それが及び早く籌劃できないからである。もし震動がまだ自身に波及せず、ちょうど隣人に波及したばかりの時に恐懼して修省し、予め打算を作っておけば、自然に「索索」「矍矍」のような過失はないであろう。

案 此“婚媾有言”,與《夬》四“聞言不信”同,皆占戒之外,反言以決之之辭也。瑣瑣姻婭,見識幾近,當禍患之未至,則相誘以宴安而已爾,安能為人深謀長慮,而相與儆戒於未然乎。

李光地の按:ここの「婚媾有言」は、《夬》卦九四の「聞言不信」と性質が同じで、皆占断の戒めの外に、さらに反面から立言して言を透かし尽くす。あの瑣碎平庸の姻親は、見識が浅近で、禍患がまだ到来しない時には、不过彼此誘引して安逸を貪るだけで、どうして人のために深遠の謀劃を作し、事が未だ発せざる前に互いに警戒できようか。

艮卦

艮.艮上.艮下程傳 《艮序卦》:“震者動也,物不可以終動,止之,故受之以艮,艮者止也。 ”動靜相因,動則有靜,靜則有動,物無常動之理,《艮》所以次《震》也。艮者止也,不曰止者,艮山之象,有安重堅實之意,非止義可盡也。乾坤之交,三索而成艮,一剛居二陰之下,陽動而上進之物,既至於上則止矣,陰者靜也,上止而下靜,故為艮也。

《艮》卦は艮が上、艮が下、これが卦画の注記である。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》に「震者動也・物不可以終動・止之・故受之以艮・艮者止也」という。動と静は互いに因果で、動が過ぎれば静があり、静が久しければまた動く。天下に永遠に動いて止まない道理はないので、《艮》卦は《震》卦の後に並ぶ。艮はすなわち止である。直接「止」と呼ばない所以は、艮は山に取象して安穏厚重・堅実不移の意味を含み、一つの「止」字で説き尽くせるものではないからである。乾坤の両卦が相交わり、第三次に求索して艮を成す。一つの剛爻が二つの陰爻の上に居る。陽はもともと動を好み上に向かって前進するものだが、すでに頂上に至った以上、停まった。陰の本性は静で、上に停まり下に安静なので、艮という。

然則與畜止之義問異?曰:畜止者,制畜之義,力止之也,艮止者,安止之義,止其所也。艮其背,不獲其身,行其庭,不見其人,無咎。

問うていわく:然らば艮の「止」と《畜》卦のいう「畜止」とはどう異なるか。答えていわく:「畜止」は節制して蓄聚する義で、力量を用いてそれを遮り止める。「艮止」は安然として停息する義で、それが停まるべき所に停まる。《艮》卦の「卦辞」にいう:背に止息して、自分の身体を覚えない。彼の庭院に入って行っても、院中の人を見ない。過ちはない。

本義 “艮”,止也。一陽止於二陰之上,陽自下升,極上而止也,其象為山,取坤地而隆其上之狀,亦止於極而不進之意也。其占則必能止於背而不有“其身”,“行其庭而不見其人”,乃“無咎”也。蓋身動物也,唯背為止,“艮其背”,則止於所當止也,

朱熹《周易本義》にいう:「艮」はすなわち止である。一つの陽爻が二つの陰爻の上に停まる。陽気は下から上に向かって昇り、昇って頂点に至れば停まる。その取象は山で、坤地につきて上に隆起する形状を取ったので、同じく極に至れば停まって前進しない意を含む。その占断は、必ず背に止息して「其身」を覚えず、「行其庭而不見其人」を成して初めて「无咎」し得る。身体は動くものだが、ただ背は静止している。「艮其背」は、すなわちそれが停まるべき所に停まる——ここに底本に脱文があり、本義以下の言はすでに闕失している。

程傳 人之所以不能安其止者,動於欲也。欲牽於前而求其止,不可得也。故艮之道,當“艮其背”,所見者在前,而背乃背之,是所不見也。止於所不見,則無慾以亂其心,而止乃安。

程頤《伊川易伝》にいう:人が静止に安んじ得ない所以は、欲望に牽動されるからである。欲望が前に引いているのに、停まろうと欲すれば、あれはできない。だから艮の道理は、「艮其背」にある。人の見る物は皆前にあり、背はまさに前に背き向いていて、見えない。見えない所に止息すれば、欲望が来て内心を攪乱することがなく、かくのごとき停止こそ安穏である。

“不獲其身”,不見其身也,謂忘我也。無我則止矣,不能無我,無可止之道,“行其庭不見其人”,庭除之間至近也。在背則雖至近不見,謂不交於物也。外物不接,內欲不萌,如是而止,乃得止之道,於止為“無咎”也。

程頤が続けて言う:「不獲其身」は、自分の身体を見ないこと、すなわち自我を忘れること。无我であって初めて真に停まることができる。无我できなければ、停まるべき路がない。「行其庭不見其人」は、庭院階前は極めて近い所だが、すでに背に止息していれば、たとえ咫尺に近くても見えない。これは外物と交接しないを説く。外物が接して入れず、内心の欲望も萌生しない。かくのごとき停止で初めて停止の正道を得たと算え、停止という事について言えば「无咎」である。

集說 周子曰:“艮其背”,背非見也,靜則止,止非為也,為不止矣,其道也深乎。郭氏忠孝曰:人之耳目口鼻皆有欲也,至於背則無慾也。內欲不動,則外境不入,是以“行其庭不見其人”也。“不獲其身”,止其止矣。“不見其人”,止於行矣。內外兼止,故人慾滅而天理固存。孟子曰:養心莫善於寡慾,其“艮其背”之謂乎?

「集説」に周敦頤を引く:「艮其背」、背は物を見ない。安静すれば自然に止まり、止まるは刻意して何かを為すではなく、一たび作为すれば止まれない。この道理は実に深い。集説に郭忠孝を引く:人の耳・目・口・鼻は各々嗜欲があるが、ただ背に至っては嗜欲がない。内心の欲望が動かなければ、外の境物は入って来ないので「行其庭不見其人」という。「不獲其身」は、静止の中で止を成した。「不見其人」は、行動の中で止を成した。内外が皆止まれれば、人欲は消滅して天理が自然に長存する。《孟子》に「養心莫善于寡欲」というのは、おそらく「艮其背」を説いたのであろう。

郭氏雍曰:《中庸》曰:喜怒哀樂之未發謂之中,艮之為止,其在茲時乎。《朱子語類》云:“艮其背”,只是言止也。人之四體皆能動,唯背不動,取止之義,止其所,則廓然而大公。

集説に郭雍を引く:《中庸》に「喜怒哀楽之未発謂之中」といい、艮卦のいう「止」は、おそらくこの時の境界であろう。集説に《朱子語類》を引く:「艮其背」は不过一つの「止」字を講ずるだけである。人の四肢は皆動くが、ただ背は動かないので、それを取って「止」の意を立てる。それが停まるべき所に停まれば、心境は廓然として開闊して毫も偏私がない。

又云“艮其背”,便“不獲其身”。“不獲其身”,便“不見其人”。“行其庭”對“艮其背”,只是對得輕,身為動物,不道動都是妄,然而動斯妄矣,不動自無妄。又云“艮其背不獲其身”,只是見道理,不見自家,“行其庭不見其人”,只是見道理,不見個人也。

朱熹がまた言う:「艮其背」すれば、自然に「不獲其身」となる。「不獲其身」すれば、自然に「不見其人」となる。「行其庭」の一句は「艮其背」と相対するが、ただ対するのが軽い。身体は動くもので、凡そ動が皆虚妄に属すると言うのではないが、一たび動けば虚妄に流れやすく、動かなければ自然に虚妄はない。朱熹がまた言う:「艮其背不獲其身」は、ただ眼に道理を見て、自己を見ない。「行其庭不見其人」も、ただ眼に道理を見て、旁人を見ない。

又云明道云,與其非外而是內,不若內外之兩忘也,說得最好,便是“不獲其身”,“行其庭不見其人”,不見有物,不見有我,只見所當止也。

朱熹がまた言う:程顥が「与其非外而是内・不若内外之両忘也」と講じたのは、この言が最も好く、まさに「不獲其身」「行其庭不見其人」の意に合う——眼に既に外物有りを見ず、また自我有りをも見ず、ただ自分が停まるべき所在を見るのみ。

問伊川云,內欲不萌,外物不接,如是而止,乃得其正,似只說得靜中之止否。曰:然。此段分作兩截,“良其背不獲其身”,為靜之止,“行其庭不見其人”,為動之止,總說,則“艮其背”,是止之時當其所而止矣,所以止時自“不獲其身”,行時自“不見其人”,此三句乃“艮其背”之效驗。

問うていわく:程頤が「内欲不萌・外物不接・如是而止・乃得其正」と言うのは、これはただ静中の止を講じただけではないか。朱熹が答える:まさにその通りである。この一段は二截に分かれて見るべきである。「艮其背・不獲其身」は静中の止、「行其庭・不見其人」は動中の止である。合わせて言えば、「艮其背」は止まるべき時にちょうどそれが停まるべき所に停まるので、静止の時は自然に「不獲其身」、行動の時は自然に「不見其人」となる。後のこの三句は皆「艮其背」が生じた効験である。

問“艮其背不獲其身”,曰:不見有身也。“行其庭不見其人”,曰:不見有人也。曰;不見有身,不見有人,所見者何物?曰:只是此理。陸氏九淵曰:“艮其背,不獲其身”,無我。“行其庭不見其人”,無物。

また問うていわく「艮其背不獲其身」はどういう意味か、朱熹が言う:すなわち自身有りを覚えない。再び問うていわく「行其庭不見其人」、朱熹が言う:すなわち旁人有りを覚えない。その人がまた問う:すでに身有りを見ず人有りを見ないなら、則ち見る所は一体何か。朱熹が言う:ただこの理のみである。集説に陸九淵を引く:「艮其背・不獲其身」は无我を講じ、「行其庭不見其人」は无物を講ずる。

許氏衡曰:人平地行不困,沙行便困,為其立處不穩故也。蔡氏清曰:“艮其背”,《本義》云,背者止之所也。夫天有四時,冬不用。地有四方,北不用。人有四體,背不用。一理也。蓋體立而後用有以行,此理若充得盡,即是定之以中正仁義而主靜。

集説に許衡を引く:人は平地上を歩けば疲れを覚えず、沙地上を歩けば疲れる。あれは立脚する所が穏かでないからである。集説に蔡清を引く:「艮其背」について、《周易本義》は背が止息する所在であると言う。天に四時あって冬は施用せず、地に四方あって北は施用せず、人に四体あって背は施用しない。道理は皆同じである。先に本体を立住して然る後に作用が初めて施行できる。この道理がもし拡充して尽くすに至れば、すなわち周敦頤のいわゆる「定之以中正仁義而主静」である。

又曰四句只略對,“艮其背”一句是腦,故《彖傳》中言“是以‘不獲其身,行其庭不見其人’”。此段功夫,全在“艮其背”上,人多將行其庭對此句說,便不是了。“行其庭”只輕帶邊,緣“艮其背”了,則自然不見有己,也不見有人,故云此四句只略對。

蔡清がまた言う:卦辞のこの四句はただ大略相対するのみで、「艮其背」の一句がこそ綱領の所在である。だから《彖伝》に「是以『不獲其身・行其庭不見其人』」という。この一段の工夫は全て「艮其背」の上に落ちる。一般人は往々にして「行其庭」と「艮其背」を平列して対対挙として講じるが、それならば誤りである。「行其庭」はただ軽く帯び過ぎる一笔で、「艮其背」が成し遂げられれば、自然に自己有りを見ず、また旁人有りを見ない。だからこの四句はただ大略相対すると言う。

陳氏琛曰:“背”者北也。人之一心,靜之所養有淺深,則發之所中有多寡,而於 吳氏曰慎曰:程子廓然而大公,物來而順應,即其義。蓋廓然大公,則忘我而不獲其身。物來順應,則忘物而不見其人,動靜各止其所,斯能內外兩忘。

集説に陳琛を引く:卦辞の中の「背」は北方の義を取った。人は南に面して立ち、背脊の対する所はまさに北方である。人の一心は、平日に静中で涵養する功夫に深さ浅さがあり、事に応じて発するに至り、道理に合う所もまた多少がある。そして……(ここに底本に脱文があり、陳琛のこの条は说完していない)。集説に呉曰愼を引く:程頤の講ずる「廓然而大公・物来而順応」の两句は、ちょうど「艮其背・不獲其身・行其庭・不見其人」の意旨を言い中てた。心胸が空闊して私なく一片の大公であれば、「我」を忘れる。これが経文のいう「不獲其身」である。外物が来ればただその本然に順って応接すれば、「物」も忘れる。これが経文のいう「不見其人」である。動の時と静の時に、各々それが当たって停まるべき位置に停まり、内に己を見ず外に人を見ず、これをこそ内外両忘という。

初六,艮其趾,無咎,利永貞。 本義 以陰柔居艮初,為艮趾之象。占者如之則“無咎”,而又以其陰柔,故又戒其“利永貞”也。

初六の爻辞にいう:脚趾を止める。過ちはない。永く正固を守持するに宜しい。朱熹《本義》にいう:初六は陰柔の質をもって《艮》卦の最下位に処し、まさに「脚趾を止める」という取象に合う。占筮の人がもしそれのようにできれば、まさに歩を挙げんとする時に止めて、災禍がない。ただそれは畢竟陰柔の才で、長久を保ち難いので、爻辞はまた特に「利永貞」と戒めて、長久に正を守って移らざれと欲する。

程傳 六在最下,“趾”之象。“趾”,動之先也。“艮其趾”,止於動之初也。事止於初,未至失正,故“無咎”也。以柔處下,當趾之時也,行則失其正矣,故止乃“無咎”。陰柔患其不能常也,不能固也,故方止之初,戒以利在常“永貞”固,則不失止之道也。

程頤《伊川易伝》にいう:初六のこの爻は全卦の最も下に処し、まさに脚趾の象である。脚趾は人の身上で最先に発動する部位で、「艮其趾」は動念して歩を挙げる最初に於いて止めること。事が剛に起きたばかりの時に止めれば、まだ正を失う地步に至っていないので、過ちがないという。それは陰柔の質をもって下位に居り、まさに脚趾の位に当たり、この時にもし贸然と前行すれば正道を失うので、ただ止まってこそ災禍がない。陰柔の才が最も畏れるのは持久できず堅固できないことなので、それが剛に止まった時に於いて、好処は恒常に「永貞」して堅固にあると戒める。かくのごとくできて初めて「止」の正道を失わずに済む。

集說 胡氏炳文曰:事當止者,當於其始而止之,乃可“無咎”。止於始,猶懼不能止於終,而況不能止於始者乎。初六陰柔,懼其始之不能終也,故戒以“利永貞”,欲常久而貞固也。

集説に胡炳文を引く:凡そ止まるべき事は、必ずそれが剛に起きた時に止めて初めて過ちなきを得る。たとえ始めに止められても、尚最後まで止め通せないを畏れるのに、いわんや始めにすら止められない人をや。初六は陰柔の爻で、人々はそれが始有りて終無きを恐れるので、爻辞は「利永貞」をもってそれを戒め、長久に正固を堅守し得るを願う。

六二,艮其腓,不拯其隨,其心不快。 本義 六二居中得正,既止其腓矣。三為限,則腓所隨也。而過剛不中,以止乎上,二雖中正,而體柔弱,不能往而拯之,是以其心不快也。此爻占在象中,下爻放此。

六二の爻辞にいう:小腿部を止める。それが随従する部位を救えず、心が快くない。朱熹《本義》にいう:六二は下卦の中に居りまた陰爻をもって陰位に居し、「中正」の爻で、すでに自分の小腿を止めた。九三の当たる位置は腰胯の間の「限」で、まさに小腿の随従する所である。しかし九三は剛に過ぎてまた中に居らず、ただ一味に上に止まっている。六二は中正だが、無奈何にも本体が柔弱で、上に行ってそれを救う力量がない。したがって心が快くない。この爻の占辞は取象の中に含まれており、別に吉凶の辞を立てない。以下の各爻も皆この例に照らして見るべきである。

程傳 六二居中得正,得止之道者也。上無應援,不獲其君矣。三居下之上,成止之主,主乎止者也,乃剛而失中,不得止之宜,剛止於上,非能降而下求。二雖有中正之德,不能從也。二之行止繫乎所主,非得自由,故為“腓”之象。股動則腓隨,動止在股而不在腓也。二既不得以中正之道,拯救三之不中,則必勉而隨之,不能拯而唯隨也。雖咎不在己,然豈其所欲哉。言不聽,道不行也,故其心不快,不得行其志也。士之處高位則有拯而無隨,左下位,則有當拯,有當隨,有拯之不得而後隨。

程頤《伊川易伝》にいう:六二は中に居りまた正を得、「止」の道を深く得た一爻である。しかしそれは上に応じる援手がなく、君上の信任任用を得られない。九三は下卦の最も上に処し、全卦をして「止」ならしめる主爻で、止という事を主持している。しかしそれは剛で中に居らず、止の分寸を把握できない。それは硬く上の位に止まり、肯んじて身を屈して下に人に求助しない。六二は中正の徳があるが、九三は肯んじて聴従しない。六二の自分の行と止は皆随従する所の九三の身に係り、自ら主張できないので、小腿肚を取象とする——大腿が一動すれば小腿肚がこれに従って動き、動か止かの主権は大腿にあって小腿肚にない。六二はすでに中正の道をもって九三の偏失を救正できなければ、則ち勉強してそれに従って行くしかなく、救うことができずただ随従するのみ。こうなれば、過失は自身にないが、これはどうしてそれの情願するところであろうか。言を説いても人が聴かず、道を守っても行き通らないので、心が快くない。その志向が施展できないからである。読書人が高位に処すれば、ただ君上を匡救するのみで随順の説はない。下位に処すれば、匡救すべき時もあり、随順すべき時もあり、また先に力を尽くして匡救し、救い成らざるを経て然る後に初めて随順する時もある。

集說 楊氏簡曰:“腓”,隨上而動者也。上行而不見拯,不得不隨而動,故“心不快”。

集説に楊簡を引く:「腓」は小腿肚で、それは常に上の大腿に従って動く。上の九三が一意に前行すれば、六二は引き止めることも救うこともできず、已むを得ず従って動くしかないので、爻辞に「其心不快」という。

案 此爻“隨”字與《咸》三同,《咸》三謂隨四,此爻謂隨三也。蓋《咸》、《艮》皆以人身取象,凡人心屬陽,體屬陰,咸卦三陽居中。而九四尤中之中,故以四為心也。

李光地の按:この爻の「随」字は、《咸》卦九三の爻辞の中の「随」字と用法が同じである。《咸》卦九三が説くのは九四に随従することで、この爻が説くのは九三に随従すること。《咸》《艮》の両卦は皆人の身体を取って象とし、人身の中では、心は陽に属し形体は陰に属する。《咸》卦は三つの陽爻が中間に居り、その中の九四がまた三阳の中で最も中に居る位なので、九四を心とした。

此卦唯九三一陽居中,故以三為心也。人心之動,則體隨之,而《易》例以相近之下位而隨,故《咸》三《艮》二皆言“隨”也。兩卦直心位者,皆德非中正,若一以隨為道,則隨之者亦失其正矣,故《咸》三則“執其隨”而“往吝”,此爻則不拯其隨而不快。然六二有中正之德,本有以自守者,故以不能拯其隨為不快於心,與《咸》三之志在隨人異矣。

《艮》卦はただ九三の一つの陽爻が中間に居るので、九三を心とした。人の心が一動すれば形体は便ち従って動く。《周易》の通例は、心位に緊挨着する下一爻が「随」の役を充当するので、《咸》卦の九三、《艮》卦の六二は皆「随」を説いた。この両卦でまさに心位に当たるあの爻は、徳行は皆中正と算えない。もし一味に随従を常道とすれば、それに随従する方もまた従って正を失う。したがって《咸》卦九三は「執其随」で「往吝」、随人を抱えて放さず、往けば必ず憾惜がある。この爻は随う所の爻を救えなくて心中が快くない。ただし六二は自身に中正の徳を備え、本来自分を守り得る所があるので、それは随う所の九三を匡救できないために心が快くないのであって、これは《咸》卦九三が一心にただ他人に従って行きたいと思うのとは大いに異なる。

九三,艮其限,列其夤,厲薰心。 本義 “限”,身上下之際,即腰胯也,“夤”,膂也。止於腓,則不進而已。九三以過剛不中,當限之處,而艮其限,則不得屈伸,而上下判隔,如“列其夤”矣。危“厲

九三の爻辞にいう:腰胯の間を止める。夾脊の膂肉を撕裂し、危厲の気がその心を薰灼する。朱熹《本義》にいう:「限」は身体の上下両半の交界する所で、すなわち腰胯である。「夤」は脊骨の旁の膂肉である。前の一爻はただ小腿肚を止めただけで、不过前に往かなくなっただけである。九三は剛に過ぎてまた中に居らず、ちょうど腰胯の位置に当たり、腰胯を止め死させれば、人は屈伸し得ず、上下両截が判然として隔断し、夾脊の膂肉を撕裂したようである。「厲」は危……(底本ここに脱文があり、《本義》のこの段の後半は保存されていない)。

程傳 “限”,分隔也,謂上下之際。三以剛居剛而不中,為成《艮》之主,決止之極也。已在下體之上,而隔上下之限,皆為止義,故為“艮其限”,是確乎止而不復能進退者也。在人身如“列其夤”。“夤”,膂也,上下之際也。列絕其夤,則上下不相從屬,言止於下之堅也。止道貴乎得宜,行止不能以時而定於一,其堅強如此,則處世乖戾。與物睽絕,其危甚矣。人之固止一隅,而舉世莫與宜者,則艱蹇忿畏,焚撓其中,豈有安裕之理。“厲薰心”,謂不安之勢,薰爍其中也。

程頤《伊川易伝》にいう:「限」は分隔の義で、上身と下身の交界する所を指す。九三は陽爻で陽位に居して中を得ず、全卦をして「止」ならしめる主爻で、止を決絶の極に至らしめた。それはすでに下卦の上に居り、また上下の限の所に隔たっており、この両層は皆止の意味を含むので「艮其限」という。硬くあそこに止まって、再び進むことも退くこともできない様子である。人の身に落とせば「列其夤」のようである。「夤」は膂肉で、まさに上下の交界する所にある。膂肉を撕断すれば、上下両半はもはや連属しない。これはそれが止まることの極めて僵硬を形容する。「止」という功夫は合宜を貴び、行と止が時勢に随って定まることができず、一途を死守して僵硬がこの田地に至れば、世に処して必ず乖違し、外物と往来を断絶する。その危険はあまりに大きい。一人の人が一隅の見を死守すれば、挙世に彼と相安んじ得る者はなく、そこで艱難困頓・憤懣畏懼が胸中で焚焼攪擾して、どうして安舒寛裕の道理があろうか。「厲薰心」が説くのはまさにこの不安の勢いが心の中で薰灼烧烤することである。

集說 王氏宗傳曰:九三下體之終也,以上下二體觀之,則交際之地也,故曰限夫人之身。雖有體節程度,然其脈絡血氣,必也周流會通,曾無上下之間,故能屈伸俯仰,無不如意,而心得以夷然居中。今也“艮其限”,而有所止焉,則截然不相關屬。而所謂心者,其能獨寧乎,故曰“厲薰心”。

集説に王宗伝を引く:九三は下卦の終点で、上下両体を合わせて見れば、まさに上下の交接する所なのでそれを「限」と称する。人の身体は関節部位の一定の分際があるが、脈絡と血気は必ず周流貫通して、上下の間に一点の阻隔も留めてはならない。こうして初めて屈し得伸し得、俯し得仰し得、様々如意で、心もまた安穏として中間に居し得る。今「艮其限」して、この交界の処で止まって通ぜず、上下は截然として断れ互いに相属さない。こうなれば、あの心はどうして独り安寧し得ようか。だから爻辞に「厲薰心」という。

胡氏炳文曰:《震》所主在下,初九,下之最下者也。九四雖亦《震》所主,而溺於四柔之中,有泥之象,故不如初之吉,《艮》所主在上,上九,上之最上者也。九三雖亦《艮》所主,然介乎四柔之中,有限之象,有“列其夤”之象,故不如上之吉。蓋寂然不動者心之體,如之何可以徇物,感而遂通者心之用,如之何可以絕物。三過剛不中,確乎止而不能進退,以至上下隔絕,是絕物者也,唯見其危厲薰心而已。

集説に胡炳文を引く:《震》卦の主爻は下にあり、初九はまさに下の最下位である。九四もまた《震》の主爻だが、四つの陰爻の中に陥溺して「震遂泥」のような泥淖に粘った象があり、だから初九の吉に及ばない。《艮》卦の主爻は上にあり、上九はまさに上の最上位である。九三もまた《艮》の主爻だが、四つの陰爻の中に挟まれ、腰胯が限死された象があり、「列其夤」の膂肉を撕裂する象があるので、上九の吉に及ばない。寂然として動かないは心の本体で、どうして一味に外物を追逐できようか。感じて遂に通ずるは心の功用で、またどうして外物を断絶できようか。九三は剛に過ぎて中に居らず、硬くあそこに止まり、進退両難で、上下隔絶に至った。これが外物を断絶する一路で、結果的にただその危厲の気が心を薰灼するのみ見える。

楊氏啟新曰:此爻是惡動以為靜,而反至於動心者,蓋心之與物,本相聯屬,時止而止,時行而行,則事應於心,而心常泰然,有意絕物,則物終不可絕,而心終不可靜矣。

集説に楊啓新を引く:この爻は動を厭い、これを借りて静を求めようとして、結果かえって心が静まらないに至った例である。心と外物は本来相連なり相属する。止まるべき時に止まり、行くべき時に行けば、事が来れば心は自ら応付でき、心も常に安泰である。もし存心して外物を断絶しようとすれば、外物は終に断絶できず、心も終に静まらない。

案 “夤”為夾脊骨,止與心相對。“列”,峙也。峙其脊骨,而不得為艮背之象者,蓋艮背者,能動而止也,如人之坐尸立齊,而揖讓俯仰之用則未嘗廢,此所以能行其庭,而與物酬酢也。此之列夤,由於艮限,則因腰之不能屈伸,而脊為之峙,是不能動而止,如人之有戾疾者,安得不危而薰心哉。

李光地の按:「夤」は夾脊の骨肉で、位置がちょうど心と相対する。「列」はここでは挺立して僵峙するの義。脊骨を挺直しても、卦辞「艮其背」のあの象と算えないのはなぜか。「艮其背」は動し得て後に止し得るもので、古人が祭祀の時に端坐して尸の如く、站立して斎の如く荘敬しながら、揖し謙譲し俯仰周旋する挙動は一样も荒廃しなかったからである。だから「行其庭・不見其人」し得て、依然として庭中を行走し外物と往来酬酢した。この爻の「列夤」は、「艮其限」に起因し、腰胯が屈伸できず、脊背が迫られて僵挺したので、これは根本的に動けない止で、人が痙攣僵直の病に罹ったようである。どうして危厲して心を薰灼しないでいられようか。

心猶火也,可揚而不可遏也。揚之則明,遏之則薰矣。危薰心者,言其堙鬱昏塞,無光明通泰之象也。《震》之九四,不當動而動,此爻則不當止而止,《咸》之九四,感之妄,此爻則止之偏,皆因失中正之德故如此。

心は火のようなもので、火はそれを暢旺せしめることはできるが、それを堵死してはならない。暢旺せしめれば光明を発し、堵死すれば燻煙だけが残る。いわゆる「厲薰心」は、心気が堙塞して鬱結し、昏昧して通ぜず、一点の光明通泰の気象もないを説く。《震》卦の九四は、動くべきでない時に動いた。この爻は則ち止まるべきでない時に偏って止めた。《咸》卦の九四は、感応するに虚妄不正で、この爻は則ち止めるに偏枯不当である。両者の病根は同じで、皆「中正」の徳を失ったため、だからこの地步に落ちた。

六四,艮其身,無咎。 本義 以陰居陰,時止而止,故為“艮其身”之象,而占得“無咎”也。

六四の爻辞にいう:自身を止める。過ちはない。朱熹《本義》にいう:六四は陰爻をもって陰位に居し、止まるべき時に止まることができるので「艮其身」の取象がある。占筮してこの爻を得れば、結果は災禍がない。

程傳 四,大臣之位,止天下之當止者也。以陰柔而不遇剛陽之君,故不能止物。唯自止其身,則可“無咎”,所以能“無咎”者,以止於正也。言“止其身無咎”,則見其不能止物,施於政則有咎矣。在上位而僅能善其身,無取之甚也。

程頤《伊川易伝》にいう:第四爻は大臣の位置で、職責は本来天下の一切の止まるべき事を止めるにある。しかし六四は陰柔の質をもち、また剛健の君に遇っていないので、外物を止める力量がなく、ただ自分の一身を止められるのみで、こうすれば過ちがない。それが過ちなきを得る所以は、それが止める所が正しいからである。爻辞はただ「止其身无咎」という。反対に見ればそれが外物を止められないことがわかり、もしこのような本事を持って政事を施行すれば、乱子を出す。上位に身を居して潔身自好するだけでは、実に取るべき所が多くない。

集說 胡氏瑗曰:人之體,統而言之,則謂之一身。分而言之,則腰足而上謂之身。六四出下體之上,在上體之下,是身之象也。夫人患不能自止其身,今能止之得其道,使四肢不妄動,故“無咎”也。

集説に胡瑗を引く:人の形体は、籠統に言えば全体を一身といい、分かれて言えば腰脚以上の軀幹部分をこそ「身」という。六四はすでに下卦の上を越えて上卦の下に居り、まさにこの軀幹の象に合う。人が最も畏れるのは自分の一身を管し得ないことである。今それは自身を止められ、しかも止めること正道に合して、四肢を胡乱に挙動させないので、災禍がない。

吳氏曰慎曰:視聽言動,身之用也。非禮勿視聽言動,“艮其身”也,時止而止,故“無咎”。若艮限則一於止,是猶絕視聽言動,而以寂滅為道者矣。

集説に呉曰愼を引く:看・聴・説・做は皆この一身の功用である。孔子が顔淵の仁を問うに答えて「非礼勿視・非礼勿聴・非礼勿言・非礼勿動」といったのは、まさに「艮其身」で、止まるべき時に止まるので過ちがない。もし九三のように「艮其限」して、一味に死に止まり尽くせば、それは視聴言動を全て断絶して寂滅をもって大道とするに等しい。

六五,艮其輔,言有序,悔亡。 本義 六五當輔之處,故其象如此,而其占“悔亡”也。“悔”,謂以陰居陽。

六五の爻辞にいう:牙床を止める。言に条理次序あり。悔恨が消える。朱熹《本義》にいう:六五はまさに牙床の位置に当たるので、このように取象し、その占辞は「悔亡」である。ここで言う「悔」は、それが陰爻をもって陽位に居して本来あるべきあの悔恨を指す。

程傳 五君位,《艮》之主也,主天下之止者也。而陰柔之才,不足以當此義,故止以在上取輔義言之,人之所當慎而止者,唯言行也。五在上,故以輔言。“輔”,言之所由出也。艮於輔,則不妄出而有序也。言輕發而無序,則有悔。止之於輔,則悔亡也。“有序”,中節有次序也。輔與頰舌,皆言所由出,而輔在中,“艮其輔”,謂止於中也。

程頤《伊川易伝》にいう:第五爻は君位で、《艮》卦の主爻で、本来天下の一切の当たって止まるべき事を主持すべきである。しかし六五はただ陰柔の才で、かくのごとき重い意義を担いきれないので、ただそれが上位に居し口輔に当たるこの一点につきて取義する。人が最も謹慎して節制すべきは、ただ言と行の二件である。六五は上にあり、だから牙床をもって説く。「輔」は言語の従り出る所で、牙床を止めれば、言は随って口に出されず自然に条り理ある。話が軽率で雑乱に序がなければ、悔恨を生ずる。牙床という関で止められれば、悔恨も消える。いわゆる「有序」は、出言が節度に合して先后の次第あるを指す。牙床・面頰・舌は皆言語の従り出る部位で、牙床は中に居するので「艮其輔」はすなわち中道の上で止める義である。

集說 蘇氏軾曰:口欲止,言欲寡。 趙氏彥肅曰:能默故能言,非默而不言也。由言以推行,所謂艮者,亦如是而已。 龔氏煥曰:“艮其輔”,非不言也,“言”而“有序”,所以為《艮》也。 谷氏家傑曰:止在言前,非出口方思止也,然“有序”為止,止亦非緘默之謂也。

集説に蘇軾を引く:口は止め得るを要し、言は少なく説くを要す。集説に趙彦粛を引く:正に沈黙できるからこそ、真に話せるのであって、一味に沈黙して何も説かないのではない。言語から行事に推せば、いわゆる「艮」の功夫も不过かくのごときである。集説に龔煥を引く:「艮其輔」は話をしないのではなく、口を開いて話して条理次序ある、これこそ《艮》を成す。集説に谷家傑を引く:止の功夫は口を開く前に下すべきで、言がすでに口を出てから止めようと思い出すのではない。しかし話が「有序」であればすなわち止と算えられるので、止はまた口を閉じて言わないの義でないことがわかる。

上九,敦艮,吉。 本義 以陽剛居止之極,敦厚於止者也。

上九の爻辞にいう:敦厚に止道を守る。吉祥。朱熹《本義》にいう:上九は陽剛の質をもって全卦「止」の最高処に居し、止という事を敦実厚重に為した一爻なので、爻辞は一つの「敦」字をもってそれを称許する。

程傳 九以剛實居上,而又成《艮》之主。在艮之終,止之至堅篤者也。“敦”,篤實也。居止之極,故不過而為“敦”。人之止難於久終,故節或移於晚,守或失於終,事或廢於久,人之所同患也。上九能敦厚於終,止道之至善,所以“吉”也。六爻之德,唯此為“吉”。

程頤《伊川易伝》にいう:上九は剛健篤実の質をもって最上に居り、また全卦をして《艮》ならしめる主爻である。それは「止」の終点に処し、止を最も堅定・最も篤厚にした一爻である。「敦」はすなわち篤実である。それは止の極処に居するので、却って太過に失せず、反って「敦」を成す。人が止を守るに最も難いのは最後まで守れることで、だから晩節を保てない人があり、臨終に守を失う人があり、事を長く為して半途に廃する人がある。これは人々が犯しやすい病である。上九はずっと敦厚で最後に至れる。これは止道の中で最も好い一種なので、それを吉という。全卦六爻の徳行は、ただこの一爻が吉と称すに足る。

集說 項氏安世曰:上九與三相類,皆一卦之主也。然九三當上下之交,時不可止而止,故“危”。上九當全卦之極,時可止而止,故“吉”。 又曰:彖曰“艮其背,不獲其身,行其庭不見其人,無咎”,唯六四一爻足以當之。《象》曰“兼山艮,君子以思不出其位”,唯上九一爻足以當之。

集説に項安世を引く:上九と九三は同類の両爻で、皆一卦の主爻である。しかし九三は上下両体の交接する所に処し、止まるべきでない時に止まったので、爻辞はそれを「危」という。上九は全卦の最末に処し、止まるべき時に止まったので、爻辞はそれを「吉」という。項安世がまた言う:卦辞に「艮其背・不獲其身・行其庭不見其人・无咎」を講ずるに、六爻の中でただ六四の一爻のみがこの言に当たる。「大象」に「兼山艮・君子以思不出其位」を講ずるに、六爻の中でただ上九の一爻のみがこの言に当たる。

胡氏炳文曰:“敦臨”“敦復”,皆取坤土象,艮山乃坤土而隆其上者也。其厚也彌固,故其象為“敦”,其占曰“吉”,艮之在上體者凡八,而皆吉。

集説に胡炳文を引く:《臨》卦上六の「敦臨」、《復》卦六五の「敦復」は、皆坤を土とするこの象から取義した。《艮》は山で、まさに坤土が上に隆起して成った。土が隆起して山となれば、さらに厚実牢固なので「敦」の取象とし、占辞は「吉」という。《周易》六十四卦で艮を上卦とするのは合計八卦あり、凡そ上九が艮体の極に当たるのは、占辞が皆吉である。

總論 《朱子語類》云;《咸》、《艮》皆以人身為象,但艮卦又差一位。 項氏安世曰:《咸》、《艮》二卦取象相類,艮四為“背”,故五為“輔”。《咸》四為“心”,故五為背肉,上為輔,又上兌為口,則輔宜在上也。

総論部分は先に《朱子語類》を引く:《咸》《艮》の両卦は皆人の身体を取って象とするが、ただ《艮》卦の取る部位は《咸》卦より一位錯開している。項安世が言う:《咸》《艮》の両卦の取象の路数は相似する。《艮》卦は六四を「背」とするので、六五は「輔」すなわち牙床である。《咸》卦は九四を「心」とするので、九五は背の脢肉、上六は牙床である。さらに《咸》卦の上体は兌で、兌は口なので、牙床を上爻に安んじるのは合適であることがわかる。

案 《咸》、《艮》之象,所以差一位者,《咸》以四為心,故五為背而上為口。《艮》以三為心,故四為背而五為口。其位皆緣心而變者也。二之腓兼股為一象,故與《咸》三俱言“隨”。

李光地の按:《咸》《艮》の両卦の取象が一位錯開した所以は、《咸》卦が九四を心とするので、したがって九五を背、上六を口とし、《艮》卦が九三を心とするので、したがって六四を背、六五を口とする。各部位の安排は皆心の在る爻位に随って挪動することがわかる。《艮》卦六二に至っては、小腿肚を大腿と連ねて一つの象として見るので、それは《咸》卦九三と同じく、爻辞の中に皆「随」字が現れた。

漸卦

漸.巽上.艮下程傳 《漸序卦》:“艮者止也,物不可以終止,故受之以漸,漸者進也。”止必有進,屈伸消息之理也,止之所生亦進也,所反亦進也,《漸》所以次《艮》也。進以序為漸,今人以緩進為漸,進以序不越次,所以緩也。為卦上巽下艮,山上有木,木之高而因山,其高有因也。其高有因,乃其進有序也,所以為《漸》也。

《漸》卦の卦画の注記:上卦は巽、下卦は艮。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《漸》卦の次序を講ずるに、「艮」は止の義で、事物は永遠に停止し続けることはできないので、《艮》卦の後に接続するのは《漸》卦で、「漸」はすなわち進である。止まった後には必ず前進があり、これは屈と伸・消と長が互いに転換する道理である。止の中から生じるのは進で、止から反転するのもまた進なので、《漸》卦は《艮》卦の後に並ぶ。いわゆる「漸」は、次序に按って前進する。今人はただゆっくり進むを漸というが、実は次序に循って等級を越えないので、見た目に慢く見えるのである。卦体について言えば、上卦は巽で木、下卦は艮で山、山の上に樹木が生え、樹木の高く長ずる所以は、山の高さに憑藉するからで、その高さに依憑あることがわかる。高さに依憑あるは、すなわち進に次序あるで、だから名を《漸》と取った。

漸,女歸吉,利貞。 本義 “漸”,漸進也。為卦止於下而巽於上,為不遽進之義,有“女歸”之象焉。又自二至五,位皆得正,故其占為“女歸吉”,而又戒以“利貞”也。

《漸》卦の卦辞にいう:女子が嫁ぐ。吉祥。正固を守持するに宜しい。朱熹《本義》にいう:「漸」はすなわち一歩一歩前進すること。卦体について言えば、下卦の艮は止、上卦の巽は遜順で、下に止り上に順うは、躁急に冒進しない意を含み、まさに女子の嫁ぐに六礼に循い次第に按って行く象に合う。さらに爻位を見れば、九二から九五までのこの四爻は、陽は陽位に居り陰は陰位に居り、個個「当位」して正を得るので、占辞は「女帰吉」といい、同時に「利貞」をもって占者を戒める。

程傳 以卦才兼漸義而言也,乾坤之變為巽艮,巽艮重而為《漸》。在漸體而言,中二爻交也。由二爻之交,然後男女各得正位。初終二爻,雖不當位,亦陽上陰下,得尊卑之正。男女各得其正,亦得位也。與《歸妹》正相對,女之歸,能如是之正則“吉”也。天下之事,進必以漸者,莫如“女歸”。臣之進於朝,人之進於事,固當有序。不以其序,則陵節犯義,凶咎隨之。然以義之輕重,廉恥之道,女之從人,最為大也,故以“女歸”為義。

程頤《伊川易伝》にいう:卦辞はこの一卦の才質と「漸」の意義を合わせて講じたものである。乾坤の両卦が変化して巽と艮を生じ、巽艮が相重なれば《漸》卦を成す。《漸》の卦体について言えば、中間の両爻が互換して成り、この両爻の交換によって、男女が初めて各々端正の位置を得た。初爻と上爻は「当位」しないが、また陽が上に陰が下にあるので、尊卑の正理に合う。男女が各々その正を得れば、すなわち位を得たに等しい。《漸》と《帰妹》はちょうど相対する。女子が嫁いでもし《漸》のように端端正正できれば、すなわち吉である。天下の事の中で、前進が必ず循序して行くべきものは、女子の嫁ぐより典型的なものはない。臣子が朝廷に進身し、常人が事業に進取するのも、本来皆次序あるべきである。次序に照らさなければ、すなわち等級を越え義理を犯し、凶険と咎害が随って来る。ただし道義の軽重・廉恥の関口について講ずれば、女子が終身を人に託付するが最も緊要の一件なので、卦辞は「女帰」を取って立義した。

且男女,萬事之先也。諸卦多有利貞而所施或不同,有涉不正之疑而為之戒者,有其事必貞乃得其宜者,有言所以利者,以其有貞也。所謂涉不正之疑而為之戒者,《損》之九二是也,處陰居說,故戒以宜貞也。有其事必貞乃得宜者,《大畜》是也,言所畜利於貞也。有言所以利者以其有貞者,《漸》是也。言女歸之所以吉,利於如此貞正也。蓋其固有,非設戒也,《漸》之義宜能亨而不云亨者,蓋亨者通達之義,非漸進之義也。

いわんや男女の倫は万事の開端である。各卦に多く「利貞」の二字があるが、用法は同じでない。あるのは正しからぬ嫌疑に係るために、特に戒めを加えた。あるのはこの事が必ず正を守って初めて合宜と弁ずる。あるのはそれが利ある所以が、まさにそれ自体が正しいからであると説明する。いわゆる正しからぬ嫌に係るために戒めを加えたは、《損》卦の九二で、それは陰位に処しまた兌説の体に居するので、正を守るべきと戒めた。いわゆるこの事が必ず正を守って初めて合宜は、《大畜》卦で、畜聚する所が正を守るに宜しいを説く。いわゆるそれが利ある所以が正にそれ自体が正しいことを説明するは、すなわち《漸》卦で、女子の嫁ぐが吉なる所以は、好処がまさにこのように端正貞固にあるを説く。これは《漸》卦が本来備える徳性で、別に一条の戒めを設けるのではない。《漸》卦の意義は本来「亨」を説くに足るが、卦辞が亨字を挙げないのは、「亨」が通達无碍の義で、一歩一歩ゆっくり前進する意と相合しないからである。

集說 胡氏瑗曰:天下萬事,莫不有漸。然於女子,尤須有漸,何則?女子處於閨門之內,必須男子之家,問名納采請期以至於親迎,其禮畢備,然後乃成其禮,而正夫婦之道。君子之人,處窮賤不可以干時邀君,急於求進,處於下位者,不可諂諛佞媚以希高位,皆由漸而致之,乃獲其“吉”也。

集説に胡瑗を引く:天下の万事に循序漸進を要しないものはなく、女子のこの事にはとりわけ要する。なぜか。女子は閨門の内に深く居り、必ず男家が順に納采・問名・請期から親迎までの礼節を行って、六礼が斉備して初めて婚事が成立し、夫婦の道が端正となる。君子もまた同じである。身が困窮卑賤の時に処しては、時君を干求し寵幸を邀取して、急いで上に爬ってはならない。下位に身を居しては、諂媚逢迎に頼って高位を謀取してはならない。凡そ事は皆次第に循って一歩々々為して初めて、卦辞のいう吉を得られる。

郭氏雍曰:進之漸者,無若女之歸,“女歸”不以漸則奔也。漸則為歸,速則為奔,故“女歸”以“漸”為“吉”。凡天下之進,如女婦之漸,無不吉也。“利貞”者,女歸之道,正固守之,無不利也。

集説に郭雍を引く:循序前進を講ずるに、女子の嫁ぐより貼切なものはない。女子の嫁ぐがもし次第に按らなければ、それは私奔となる。礼に依って漸進して初めて「帰」といい、急ぎ慌てれば「奔」となるので、女子の嫁ぐは「漸」を吉とする。凡そ天下の一切の前進の事は、ただ女子の嫁ぐように循序して行けば、吉ならざるはない。「利貞」に至っては、女子の嫁ぐの道理を端端正正に堅固に守れば、不利はないを説く。

胡氏炳文曰:《咸》“取女言”,取者之占也。《漸》“女歸吉”,嫁者之占也。然皆以貞艮為主,艮止也,止而說,則其感也以正,是為取女之吉。止而巽,則其進也以正,是為“女歸”之“吉”。

集説に胡炳文を引く:《咸》卦の卦辞に「取女吉」を講ずるは、あれは妻を娶る方から立占した。《漸》卦の卦辞に「女帰吉」を講ずるは、あれは女を嫁がせる方から立占した。しかし両卦は皆正を守ると下体の艮を主とする。艮は止である。《咸》は止まって後に兌悦をもって相接するので、その感応は正に出て、これが妻を娶るの吉がある。《漸》は止まって後に巽順をもって上に行くので、その前進は正に出て、これが女子の嫁ぐの吉がある。

初六,鴻漸于干,小子厲,有言,無咎。 本義 鴻之行有序,而進有漸。“乾”,水涯也。始進於下,未得所安,而上覆無應,故其象如此。而其占則為“小子厲”,雖“有言”,而於義則“無咎”也。

初六の爻辞にいう:鴻雁が漸々として水辺の高岸に飛び至る。年幼の人は危険で、些かの閑話を招くが、過ちはない。朱熹《本義》にいう:鴻雁は飛行する時に行列を成してとても次序があり、前進も一段一段に推移するので、全卦の六爻は皆それを取って象とする。「干」は水辺の岸である。初六はちょうど最も下から歩を挙げて、まだ安身の処を見つけず、上にまた応ずる爻がなく呼応できないので、このように取象した。その占辞は年幼の者に危険あって、些かの閑言碎語を招くが、道理の上では過ちはない。

集說 李氏鼎祚曰:“鴻”,隨陽鳥,喻女從夫。卦明漸義,爻皆稱焉。 楊氏簡曰:進欲其知時,故鴻為象。進欲其漸,故以乾磐陸木陵為象。 何氏楷曰:六爻皆取鴻象,往來有時,先後有序,於漸之義為切也。昏禮用雁,取不再偶,又於女歸之義為切也。

集説に李鼎祚を引く:鴻雁は陽気に随って南北に遷徙する候鳥で、それを用いて女子の夫に従うを比喩する。この卦は漸進の義を講ずるので、六爻は皆それを称引する。集説に楊簡を引く:前進の最も緊要は時令を知ることなので、鴻雁を取って象とし、前進の最も緊要は循序して推移するなので、また順に水岸・大石・高地・樹木・丘陵のこれらの落脚処を取って象とする。集説に何楷を引く:六爻が皆鴻雁の象を取るのは、鴻雁の来去が節候に合し行列の先后に序ありて、「漸」の意義と最も貼切だからである。古代の婚礼は雁を贄礼に用い、それが偶を失って再び配らない意を取ったので、「女帰」の意義とまた最も貼切である。

案 昏禮用雁,大夫執贄亦用雁,皆取有別有序之義。此爻“小子厲有言”,正如《晉》之“摧如”。凡始進之初,未有使得所安而人信之者。然正唯如此,乃所以安其身,而信於人。若謀便於身圖,而求合於眾議,則危疑之大者至矣。唯《升》之初六曰“眾允”,蓋以其為卦主,時義不同也。

李光地の按:婚礼に雁を用い、大夫が相見して贄を執るにも雁を用いるのは、皆雁群が雌雄別あって飛行に序あるこの層の意を取る。この爻に「小子厲・有言」というのは、情形がちょうど《晋》卦初六のいう「晋如摧如」のようで、まさに上進しようとして抑え挫けられる。凡そ人が始めて進身する時は、総じてまだ身を安んじ命を立て、また人に信ぜられる地步に至っていない。しかしまた正にかくのごとく老実実に頭から為すを肯んずるによって、後日に初めて真にその身を安んじ人に信ぜられる。もし一心に自身の便利を謀求し、処処衆人の議論に迎合すれば、さらに大きい危疑がまさに頭上に臨まんとする。六十四卦の中でただ《升》卦初六に「允升」といって衆人が信従するのは、それが一卦の主で、時と義が皆ここと異なるからである。

六二,鴻漸于磐,飲食衎衎,吉。 本義 “磐”,大石也。漸遠於水,進於乾而益安矣。“衎衎”,和樂意。六二柔順中正,進以其漸,而上有九五之應,故其象如此,而占則“吉”也。

六二の爻辞にいう:鴻雁が漸々として大磐石に飛び至り、飲食して和楽从容す。吉祥。朱熹《本義》にいう:「磐」は大石である。鴻雁は水面から漸々遠くなり、水岸に停まった時よりまた一層安穏である。「衎衎」は和悦快楽の様子。六二は柔順でまた中正で、前進は次序に按って来て、上にまた九五とそれに応ずるので、このように取象し、占辞はすなわち吉である。

程傳 二居中得正,上應於五,進之安裕者也,但居漸故進不速。“磐”,石之安平者,江河之濱所有。象進之安,自“乾”之“磐”,又漸進也。二與九五之君,以中正之道相應,其進之安固平易莫加焉。故其“飲食”和樂“衎衎”然,“吉”可知也。

程頤《伊川易伝》にいう:六二は下卦の中に居りまた正を得、上に九五と応じ、進が安穏寛裕の一爻で、ただ身が《漸》卦にあるので、進が速くはない。「磐」はまた安穏でまた平坦な大石で、江河の辺に常にある。それは前進の安穏を象徴し、水岸から磐石の上に挪るは、また前に一歩推進した。六二と九五の君が中正の道をもって彼此呼応し、前進の安穏平易はこれより好いものはないので、それが飲食起居して和楽从容するのは、吉は想いて知るべきである。

集說 胡氏炳文曰:艮為石,故有“磐”象。鴻食則呼眾,飲食衎衎和鳴,初之“小子”,“厲有言”,危而傷也。二“飲食衎衎”,安且樂矣,時使之然也。在初則無應,在二則柔順中正,而上有九五之應也。

集説に胡炳文を引く:下卦の艮は石なので、磐石の象がある。鴻雁は食物を覓れば同伴を呼び、一群が同じく飲啄し和鳴して已まない。まさに「衎衎」の様子である。初六のあの「小子」は、処境が危険でまた閑話を招き、既危かつ傷である。六二は飲食して和楽し、既安かつ楽である。これは処する所の時位がそれをかくのごとくせしめた。初六は上に応ずる爻がなく、六二は自身が柔順中正で上にまた九五とそれに応ずる。

九三,鴻漸于陸,夫征不復,婦孕不育,凶,利禦寇。 本義 “鴻”,水鳥,陸非所安也。九三過剛不中而無應,故其象如此,而其占夫征則不復,“婦孕”則“不育”,“凶”莫甚焉,然以其過剛也,故“利禦寇”。

九三の爻辞にいう:鴻雁が漸々として高平の陸地に飛び至る。夫は出行して一たび去れば帰らず、婦は孕を懐いても養い活かせず、凶険。盗寇を御ぐに宜しい。朱熹《本義》にいう:鴻雁は水鳥で、陸地はそれが安身する所でない。九三は剛に過ぎてまた中に居らず、また応ずる爻がないので、このように取象した。その占辞は、夫は出行すれば帰らず、婦は懐孕すれば養い成さず、凶険はこれより甚しいものはない。ただしそれが剛に過ぎるからこそ、盗寇を御ぐに用いるにはかえって利がある。

程傳 平高曰“陸”,平原也。三底下卦之上,進至於陸也。陽上進者也,居漸之時,志將漸進,而上無應援,當守正以俟時。安處平地,則得漸之道。若或不能自守,欲有所牽,志有所就,則失漸之道。四陰在上而密比,陽所說也。三陽在下而相親,陰所從也。二爻相比而無應,相比則相親而易合,無應則無適而相求,故為之戒。“夫”,陽也。夫,謂三。三若不守正而與四合,是知征而不知復。“徵”,行也。“復”,反也。

程頤《伊川易伝》にいう:また平でまた高い地面を「陸」という。すなわち平原である。九三は下卦の最も上に位して、すでに陸地に進んだに等しい。陽爻の本性は上に行くものだが、身が《漸》卦にあり、志向は前進にあっても、上に応じる援手がない。この時は正を守って時機を待つべきで、安穏としてこの平地に待つのが、漸進の道に合する。もし自分を守れず、何かに牽動されて、心に別に図る所があれば、漸進の道を失う。六四は陰爻で、それの上に緊挨着して、まさに陽爻の喜ぶ所である。九三は陽爻で、下にそれと相親し、まさに陰爻の従うを願う所である。この両爻は緊緊に相隣するが正応ではない。相隣すれば親近して結合しやすく、正応でなければ正当の名分なく彼此私に求める。だから爻辞は特に戒めを加える。「夫」は陽爻を指し、ここではすなわち九三である。九三がもし正を守らず六四と結合すれば、それはただ前に行くを知って回頭を知らない。「征」は前行、「復」は返る。

“不復”,謂不反顧義理。“婦”,謂四。若以不正而合,則雖孕而不育,蓋非其道也。如是則“凶”也。三之所利,在“於禦寇”,非理而至者寇也。守正以閒邪,所謂“御 集說 郭氏雍曰:以卦辭言“女歸吉”,故以夫婦為言。

いわゆる「不復」は、一たび去れば再び回頭して義理を顧念しないを説く。「婦」は六四を指す。もし不正当の方式で結合すれば、たとえ孕を懐いても養い活かせない。これは本来正道に合わないからである。このようでは自然に凶である。九三の真に利ある所は、「御寇」にある。凡そ正理に循わずに闖入して来るは、すなわち寇である。正道を守って邪僻を防閑する、これがいわゆる御……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)。集説に郭雍を引く:卦辞が「女帰吉」を講ずるので、爻辞は夫婦を取って立説した。

程氏敬承曰:三以過剛之資,當漸進之時,懼其進而犯雌也,故有戒辭焉。徵孕皆凶,言不可進也。“利”在“禦寇”,言可止也。

集説に程敬承を引く:九三は過分に剛強の資質をもって、まさに漸進の時にあたり、人々はそれが一味に前に往って近旁の陰爻を侵犯するを恐れるので、爻辞の中に戒めの語がある。出征も凶、懐孕も凶とは、この時はさらに前に進むべきでないを説く。利あるはただ外寇を御ぐにあって、この時は止まるべきを説く。

案 此卦以“女歸”為義,則必陰陽相應,乃與義合,故初之“厲”者無應也。二之安者有應也,二亦無應,而位愈高,則不止於厲而已。上九在卦外,不與三應。如“夫征”而“不復”,不顧其家也。三剛質失柔道,如婦有產孕而不能養育,不恤其子也。以士君子之進言之。上不下交,而下又失順勤之道,於義則凶矣。上下不交,必有讒邪間於其間,所謂寇也,唯能謹慎自守,使寇無所乘,則可以救其過剛之失而利。

李光地の按:この卦は「女帰」に立義するので、必ず陰陽が彼此相応じて初めてこの層の意に合う。だから初六が「厲」なる所以は、それが応ずる爻がないからである。六二が安穏なる所以は、それが応ずる爻あるからである。九三も同じく応ずる爻がなく、位置は初六よりさらに高いので、危厲だけに止まらない。上九は遠く卦位の外にあり、九三と応じない。これは夫が門を出て遠行して一たび去れば返らず、全く自分の家を顧念しないようである。九三の剛硬の質地が柔順の道を失えば、婦が子を生んでも養育できず、全く自分の骨肉を体恤しないようである。士君子の進身で講じれば、上に在る人が身を屈して下に交わるを肯んぜず、下に在る人がまた柔順勤謹の道を失えば、道義の上から見れば凶である。上下が交通できなければ、中間に必ず讒言を進める邪佞の徒があって中から梗を為す。それが爻辞のいう「寇」である。ただ謹慎自守して、これらの人をして隙に乗ずべからざらしめて初めて、それが剛強に過ぎる病を補救して利に転じ得る。

六四,鴻漸于木,或得其桷,無咎。 本義 鴻不木棲,“桷”,平柯也,或得平柯,則可以安矣。六四乘剛而順巽,故其象如此,占者如之則“無咎”也。

六四の爻辞にいう:鴻雁が漸々として樹木の上に飛び至り、或いは一根の平直の枝幹を得て落脚し、過ちはない。朱熹《本義》にいう:鴻雁の脚趾は相連なって、樹枝を抓住できず、本来樹上に棲息しない。「桷」は平直の枝幹で、万一このような平枝を見つければ、また安身できる。六四は九三という剛爻の上に陵駕し、自身は柔順でまた巽体に居するので、このように取象する。占筮の人がもしそれのようにできれば、災禍はない。

程傳 當《漸》之時,四以陰柔進據剛陽之上,陽剛而上進,豈能安處陰柔之下,故四之處非安地,如鴻之進於木也。木漸高矣,而有不安之象。鴻趾連,不能握枝,故不木棲。“桷”,橫平之柯,唯平柯之上,乃能安處。謂四之處本危,或能自得安寧之道,則“無咎”也。如鴻之於木本不安,或得平柯而處之,則安也。四居正而巽順,宜“無咎”者也。必以得失言者,因得失以明其義也。

程頤《伊川易伝》にいう:まさに《漸》卦の時にあって、六四は陰柔の質をもって陽剛の爻の上に進んだ。陽剛の本性は上に行こうとするもので、どうして安安分々として陰柔の下に待っていられようか。だから六四の処する所は安穏の地でなく、鴻雁が樹上に飛び入ったようである。樹は一歩々々高く長じたが、しかしまた不安穏の象を帯びた。鴻雁の脚趾は相連なって樹枝を抓住できないので、樹上に棲息しない。「桷」は横生の平直枝幹で、ただこのような平枝の上でのみ、鴻雁は站り穏かにできる。これは六四の処する所が本来危険だが、万一それ自身が一条の安寧の路子を見つければ、過ちがないを説く。ちょうど鴻雁が樹上で本は安穏でないが、万一一根の平枝を得て落ちれば、また安穏となる。六四は陰爻で陰位に居して「当位」して正を得、また巽体に処して柔順で、本来災禍なきべきである。爻辞が偏に「或得」のような有得有失の口気を用いて説くのは、得失の分際を借りて道理を点明したのである。

集說 房氏喬曰:進而漸於木,失所也。或得勁直之桷,可容綱足而安棲,謂上附於五,故“無咎”。

集説に房喬を引く:鴻雁が一路前進して竟然樹上に至ったのは、それが待つべき所を失った。万一一根の勁挺平直の枝幹を見つけて、それが脚蹠を張って穏かに棲息するに容られれば、これは譬えば六四が上に向かって九五に依附するようなもので、だから過ちがないという。

胡氏炳文曰:巽為木,而處艮山之上,鴻漸於此,則愈高矣。鴻之掌不能握木,木雖高,非鴻所安也。然陰居陰得正,如於木之中,或得平柯而處之,則亦安矣,故“無咎”。

集説に胡炳文を引く:上卦の巽は木で、この木はまた下卦の艮山の上に長ずる。鴻雁は一路漸進してここに至れば、先前よりさらに高い。しかし鴻雁の脚蹠は樹枝を抓住できず、樹がさらに高くてもそれが安身できる所でない。幸いに六四は陰爻で陰位に居し、「当位」して正を得る。譬えば満樹の枝条の中で、万一一根の平直の枝幹を尋ね当てて落ちれば、それなら安穏となるので、災禍がないという。

案 六四亦無應者也,然六四承九五,例皆吉者,以陰承陽,合於“女歸”之義矣。順以事上,高而不危,故有集木得桷之象。

李光地の按:六四も同じく応ずる爻がないが、しかし《周易》の通例では、凡そ六四が上に九五を承けるは大抵吉で、陰をもって陽を承くるがまさに「女帰」のこの層の意に合する。六四が柔順に上に在る九五に事えれば、位置は高いが危険ではないので、樹上に落ちてちょうど平枝を見つけた象がある。

九五,鴻漸于陵,婦三歲不孕,終莫之勝,吉。 本義 “陵”,高阜也。九五居尊,六二正應在下,而為三四所隔。然終不能奪其正也,故其象如此,而占者如是則“吉”也。

九五の爻辞にいう:鴻雁が漸々として高丘に飛び至る。婦は三年孕まず、終にそれに勝るものなし。吉祥。朱熹《本義》にいう:「陵」は高い土山である。九五は尊位に居し、それと正に応ずる六二は下にあり、中間は九三・六四の両爻に隔てられた。しかしあの両爻は終に九五と六二の正応を奪い去れないので、このように取象した。占筮の人がもしこのような境地に処すれば、結果は吉である。

程傳 “陵”,高阜也。鴻之所止,最高處也,象君之位。雖得尊位,然漸之時,其道之行,固亦非遽。與二為正應,而中正之德同,乃隔於三四,三比二,四比五,皆隔其交者也。未能即合,故“三歲不孕”。然中正之道,有必亨之理,不正豈能隔害之,故“終莫之”能“勝”,但其合有漸耳,終得其“吉”也。以不正而敵中正,一時之為耳,久其能勝乎。

程頤《伊川易伝》にいう:「陵」は高い土山で、鴻雁の停歇する処の中で最高の一級で、人君の位を象徴する。九五は尊位を得たが、しかし身が《漸》卦の時にあり、その道を推行して開くのは、本来一度に弁じ得るものでない。それは六二と正応で、しかも同じく中正の徳を備えるが、無奈何にも中間が九三・六四に隔断された。九三は六二に緊挨着し、六四は九五に緊挨着して、皆中からそれらの交合を阻隔している。一時に合い攏められないので「三歳不孕」という。しかし中正の道は自ら必ず通達する理があり、不正のものがどうして長くそれを隔断妨害できようか。だから「終莫之勝」、終に誰もそれに勝るものはない。不过それらの会合は一歩々々来るだけで、最後は帰するところ吉である。不正をもって中正に対抗するは、不过一時に勢いを得るだけで、日が長くなればそれが尚上風を占められようか。

案 此卦之爻象,與《歸妹》同。不擇陰爻陽爻,皆有婦象也。先儒見三五兩陽爻皆言婦,故於三則以婦指四,於五則以婦指二。今推爻意,蓋三五皆取婦象,三無應者

李光地の按:この卦の爻象は《帰妹》卦と同じで、陰爻陽爻を分かたず、皆婦人の象を取れる。前輩の儒者は九三・九五の両陽爻の爻辞に皆「婦」字が現れるのを見て、したがって九三を講ずる時に「婦」を六四と指し、九五を講ずる時に「婦」を六二と指した。今爻辞の本義につきて推求すれば、九三・九五は実は皆自己をもって婦象とする。九三は応ずる爻がないあの種で……(底本ここに脱文があり、この按語は说完していない)。

上九,鴻漸于陸,其羽可用為儀,吉。 本義 胡氏程氏皆云:“陸”當作“逵”,謂雲路也。今以韻讀之良是。“儀”,羽旄,旌纛之飾也。上九至高,出乎人位之外,而其羽毛可用以為儀飾,蓋雖極高而不為無用之象,故其占為如是則“吉”也。

上九の爻辞にいう:鴻雁が漸々として高所に飛び至り、その羽毛は儀飾に用いることができる。吉祥。朱熹《本義》にいう:胡瑗と程頤は皆「陸」字は「逵」と作るべきとし、雲中の通路を指すと考えた。今押韻に按って読めば、この説は甚だ正しい。「儀」は羽旄の類の旌旗大纛上の装飾を指す。上九は高さの極処に至り、すでに人の居る爻位の外を超出したが、しかしその羽毛は尚儀仗の装飾に取り得る。高さの極に至っても一无所用でない象がわかるので、その占辞はこのようで吉を得る。

程傳 安定胡公以陸為逵,“逵”,雲路也,謂虛空之中。《爾雅》:九達謂之逵,逵,通達無阻蔽之義也。上九在至高之位,又益上進,是出乎位之外,在它時則為過矣。於漸之時,居巽之極,必有其序。如鴻之離所止,而飛於雲空,在人則超逸乎常事之外者也。進至於是而不失其漸,賢達之高致也,故可用為儀法而吉也。“羽”,鴻之所用進也。以其進之用,況上九進之道也。

程頤《伊川易伝》にいう:安定先生胡瑗は「陸」を「逵」と読み、「逵」は雲中の道路で虚空の中を指す。《爾雅》に、四面八方に達して九路が交会する処を逵というといい、「逵」に通達无阻・毫も遮蔽なき意あることがわかる。上九は最高の位置に処してさらに上に進めば、これは爻位の外に走り出る。他の卦に換えれば、これは過分と算えられる。しかし《漸》卦の時にあって、それは巽体の頂端に居り、行事は必ず次序に循う。鴻雁がもとの停歇する所を離れて、直ちに雲天に飛び入るようで、人の身に落とせば、尋常の事務の外に超然洒脱するあの類の人である。この歩に進んで尚その漸進の節を失わないのは、まさに賢達の士の高遠の情致なので、取って世人の取法する儀則とし得る。因って吉を得る。「羽」は鴻雁の飛進に用いる工具で、それが飛進に憑藉するを借りて、上九の進身の路数を比況する。

集說 孔氏穎達曰:上九與三,皆處卦上,故並稱“陸”。上九最居上極,是進處高潔,故曰“鴻漸于陸”也。“其羽可用為儀吉”者,居無位之地,是不累於位者也。處高而能不以位自累,則其羽可用為物之儀表,可貴可法也。

集説に孔頴達を引く:上九と九三は、一は上卦の上に居り、一は下卦の上に居り、皆本体の頂端に処するので、爻辞の中に同じく「陸」と称する。上九は全卦の最上の極処に処して、高潔の地に進んだので「鴻漸于陸」という。「其羽可用為儀吉」に至っては、それが居する所は職位のない地で、まさに名位に牽累されない人である。身が高位に処して名位に自己を拖累させなければ、その羽毛は取って万物の儀表とし得、珍貴すべくまた效法すべくである。

王氏安石曰:其進也,以漸而不失時。其翔也,以群而不失序,所謂進退可法者也。

集説に王安石を引く:鴻雁の前進は、一歩一歩来て時令を錯過しない。鴻雁の飛翔は、群を成して行列を乱さない。これがまさにいわゆる進退も皆人の取法に供するあの風範である。

案 六爻皆有“女歸”之義,獨於三五言“婦”者,陰爻則其為臣道妻道不必言也。上九又處卦上,以為妻道,則女之已老而非歸者,以為臣道,則臣之已退而非進者。既在卦義之外,則亦不必言也。唯三與五,既居高位,又為陽爻,疑其無婦象也,故稱“婦”焉。蓋雖無位,亦時以臣道妻道言,各隨其卦義而已。

李光地の按:六爻は皆「女帰」の意を含むのに、偏に九三・九五の爻辞の中にのみ「婦」字が現れる。これは陰爻はそれ自体が柔順の象で、それが取る臣道・妻道はわざわざ点明するに及ばないからである。上九はまた全卦の最上に処し、妻道をもって言えば、あれは年紀すでに老いて嫁を談じない女子で、臣道をもって言えば、あれはすでに退隠して進取を図らない臣子である。それはすでに卦義の外に站るので、またわざわざ点明するに及ばない。ただ九三と九五は、高位に居り自身また陽爻なので、人々はそれらが婦象を帯びないを疑いやすい。だから爻辞は特に一つの「婦」字を標出した。爻は実際の職位がなくても、時に依然として臣道妻道をもって講じ、各々本卦の取義に随うだけであることがわかる。

初以陰應陰,三以陽應陽,皆不合“女歸”之義,故各有“凶”“厲”之辭。五應二,陰陽相求者也,然以二為女,則歸於陽為正偶,故“飲食衎衎”而和也。以五為女,則歸於二為反類,故“三歲不孕”而不和也。四則雖無應而承五,亦得所歸,可以“無咎”。上,卦之終也,進之極也。

初六と六四は同じく陰爻で相「応与」し、九三と上九は同じく陽爻で相応与し、皆「女「女帰」の陰陽相配の意に合わないので、両爻の爻辞の中に各々「厲」と「凶」の字様がある。九五と六二は相応じて、陰陽が彼此追求する一対である。ただしもし六二を女子と見れば、彼女は上頭の陽爻に嫁いでまさにその偶に配するので「飲食衎衎」として一片の和楽である。もし九五を女子と見れば、彼女は六二に下嫁すれば同類の反面に配するので「三歳不孕」として和合できない。六四は応ずる爻がないが、上に九五を承けるので、また帰宿あると算え、よって過ちがない。上九は全卦の終点で、また前進の極処である。

既無所取于歸與進之義,則反以無應為宜。蓋在家為保姆,在國為黎老,超然於進退之外者也。陸字與九三重,故先儒改作逵字以葉韻。然逵儀古韻,實非葉也。意者陸乃阿字之誤,阿,大陵也,進於陵則阿矣。儀,古讀俄,正與阿葉。《詩》云:菁菁者莪,在彼中阿,既見君子,樂且有儀。

上九はすでに嫁ぐと進取の両層の意の上で取る所なしとするなら、応ずる爻がないはかえってちょうど合適である。それは譬えば一家の中で保姆を作る老婦、一国の中で耆宿を作る元老のようで、超然として進退の外に站る。「陸」字が九三の「陸」字と重複するに至っては、前輩の儒者はそれを「逵」に改作して押韻を求めた。しかし「逵」と「儀」は古韻で実は同部でなく、葉韻と算えない。私の推測では、「陸」はおそらく「阿」字の誤りであろう。「阿」は大きい丘陵で、九五の「陵」からさらに上に進めば、「阿」に至るべきである。「儀」字の古音は「俄」と読んで、ちょうど「阿」と押韻する。《詩経・小雅・菁菁者莪》に「菁菁者莪・在彼中阿・既見君子・楽且有儀」とあるが、阿と儀はまさに相押している。

帰妹卦

歸妹.震上.兌下程傳 《歸妹序卦》:“漸者進也,進必有所歸,故受之以歸妹。”進則必有所至,

《帰妹》卦の卦画の注記:上卦は震、下卦は兌。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《帰妹》卦の次序を講ずるに、「漸」は進の義で、前進すれば必ず帰宿する所有るので、《漸》卦の後に接続するのは《帰妹》である。前進すれば必ずある所に至達する……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)。

歸妹,征凶,無攸利。 本義 婦人謂嫁曰“歸”。“妹”,少女也。兌以少女而從震之長男,而其情又為以說而動,皆非正也,故卦為《歸妹》。而卦之諸爻,自二至五,皆不得正。三五又皆以柔乘剛,故其占“征凶”而無所利也。

《帰妹》卦の卦辞にいう:往けば凶険あり、益はない。朱熹《本義》にいう:婦人が嫁ぐを「帰」といい、「妹」は年少の女子である。下卦の兌は少女で、上卦の震という長男に跟従し、両方の情形はまた喜悦のため妄動する。これらは皆正道に合わないので、この卦を《帰妹》という。さらに爻位を見れば、九二から六五までのこの四爻は皆「当位」して正を得ず、六三と六五はまた皆柔爻をもって剛爻の上に陵駕する。したがってその占辞は往けば凶で、利あるものは一样もない。

程傳 以說而動,動而不當,故“凶”。不當,位不當也。“征凶”,動則凶也。如卦之義,不獨女歸,無所往而利也。

程頤《伊川易伝》にいう:喜悦のため妄動し、一動すれば当に合わないので凶である。いわゆる不当は、爻位が当たらないを指す。「征凶」は一たび挙動あれば凶険あるを説く。この卦の意に照らせば、凶険は尚女子の嫁ぐ一事に止まらず、凡そ往く所有れば皆益がない。

集說 蔡氏清曰:不曰妹歸而曰“歸妹”,歸者在妹也,如《漸》則曰“女歸”矣。 張氏振淵曰:“妹”乃少女而從長男,又其情以說而動,是其情勝而不計乎匹偶之宜者,故為“歸妹”。所歸在妹,不正可知,故“凶”而無所利也。

集説に蔡清を引く:卦名が「妹帰」といわず「帰妹」というのは、主動的に自分を嫁がせたのがまさにこの妹子だからである。もし《漸》卦のように礼法に合すれば、「女帰」というべきである。集説に張振淵を引く:「妹」は年少の女子で、長男に跟従し、しかも両情がまた喜悦のため妄動する。これは情欲が理智を圧倒して、配偶が相宜かどうかを根本的に計較しないので「帰妹」という。嫁ぐの主動権が妹子の身に落ち、不正もまた想いて知るべきで、だから凶で益はない。

案 歸妹文意,如《春秋》歸地歸田之例,以物歸於人,非其人來取物也。歸妹所以失者有二,一則不待取而自歸,失昏姻之禮,以卦象女先於男,與《咸》之男下女相反也。一則以少女歸長男,失昏姻之時,與《咸》兩少之交相反也。故不曰“妹歸”而曰“歸妹”,以明其失禮。不曰歸女而曰歸妹,以見其失時。凡彖辭直著吉凶而無它戒者,《大有》、《鼎》直曰“元亨”,此直曰“征凶無攸利”,蓋尊賢育才者,人君之盛節也。自媒自薦者,士女之丑行也。

李光地の按:「帰妹」のこの二字の文法は、《春秋》の「帰地」「帰田」の用例と同じで、皆物を人に送るのであって、人が来りて物を取るではない。《帰妹》が礼を失い時を失う所以は、二条ある。一は男家が来りて迎娶するを待たずに自分で嫁いで行き、婚姻のあるべき礼節を失した。これは卦象の上から見れば女方が男方の前に抢うので、《咸》卦の男方が身を屈して下に女方に就くとちょうど相反する。二は年少の女子をもって長男に配し、婚姻のあるべき時宜を失した。《咸》卦の少男少女が相交わるとちょうど相反する。だから「妹帰」といわず「帰妹」という。その礼を失すを点明するに用い、「帰女」といわず「帰妹」という。その時を失すを点明するに用いる。凡そ「彖辞」が直截了当に吉凶を標出して別に戒めを加えないのは、例えば《大有》《鼎》の両卦が徑直に「元亨」といい、この卦が徑直に「征凶无攸利」というのは、賢者を尊崇し人才を培育するが人君の最も盛大の挙措で、自ら媒人を作し自ら兜售するは士人と女子の最も醜い行従だからである。好し悪しが皆そこに据わっていて、さらに戒めを加えるに及ばない。

初九,歸妹以娣,跛能履,征吉。 本義 初九居下而無正應,故為“娣”象。然陽剛在女子為賢正之德,但為娣之賤,僅能承助其君而巳,故又為“跛能履”之象。而其占則“征吉”也。

初九の爻辞にいう:妹を嫁がせて陪嫁の媵妾の身分をもって同じく往く。瘸れた腿でも尚歩ける。往けば吉祥。朱熹《本義》にいう:初九は全卦の最下に居してまた正応がないので、陪嫁の娣の象を取る。ただし陽剛が女子の身に落ちれば、賢良端正の徳性である。ただ身分が卑下で、媵妾を為すは、仅仅正室を承事し幇襯し得るだけなので、また「跛能履」の象を取る。その占辞は往けば吉である。

程傳 女之歸,居下而無正應,“娣”之象也。剛陽在婦人為賢貞之德,而處卑順,娣之賢正者也。處說居下為順義,娣之卑下,雖賢何所能為,不過自善其身,以承助其 集說 孔氏穎達曰:“征吉”者,少女非偶,為妻而行則凶,為娣而行則吉。

程頤《伊川易伝》にいう:女子が嫁ぐに、下位に居してまた正応がないのは、陪嫁の娣の象である。剛陽の質地を婦人の身に放てば賢良貞正の徳で、それはまた卑下柔順の地位に処し、まさに娣の中の賢良端正の一位である。身が兌説の体にあって下に居り、柔順の義を含む。娣の身分は卑下で、たとえ賢良でもまた何の大事を為し得ようか。不过自分の一身を修好して、もってあの……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)を承事し幇襯するだけである。集説に孔頴達を引く:「征吉」という所以は、少女は本は長男に配すべきでないが、もし正妻の身分をもって嫁いで行けば凶で、もし陪嫁の娣の身分をもって嫁いで行けば吉だからである。

胡氏瑗曰;“跛”者,足以偏也,姪娣非正配,而能盡其道,以配君子,猶足之雖偏,而能履地而行,不至於廢也。

集説に胡瑗を引く:「跛」は二隻の脚の一隻が偏廃したこと。姪と娣のこれらの陪嫁の人は本は正式の配偶でないが、しかし自分の本分を尽くして君子に事え得る。譬えば脚が一隻偏廃しても、仍として地を踏んで前に往け、完全に廃すに至らないようである。

案 初在下,“娣”之象。凡女之歸,不待六禮備者,為失禮。唯娣可以從歸,而不嫌於失禮。少女非偶者為失時,唯娣可以待年,而不嫌於失時,是卦義雖凶,而於初則無嫌,故變征凶而為“征吉”也。

李光地の按:初九は全卦の最下にあり、陪嫁の娣の象である。凡そ女子が嫁ぐに、納采・問名・納吉・納征・請期・親迎のこの六礼が斉備するを待たずに門を過ぎるは、失礼と算えられる。ただ娣は正室に随って同じく過ぎるので、失礼の嫌疑は存在しない。少女が長男に配するは失時と算えられる。ただ娣は娘家に留まって年歳が長成するを待って然る後に往けるので、また失時の嫌疑は存在しない。だから《帰妹》の整卦の意は凶だが、初九の身に落ちればこの両層の嫌疑がない。よって卦辞の「征凶」を翻転して、爻辞の「征吉」に変わった。

九二,眇能視,利幽人之貞。 本義 “眇能視”,承上爻而言。九二陽剛得中,女之賢也。上有正應,而反陰柔不正,乃女賢而配不良,不能大成內助之功,故為“眇能視”之象。而其占則“利幽人之貞”也,“幽人”,亦抱道守正而不偶者也。

九二の爻辞にいう:一眼が瞎れても尚見える。幽居して静を守る人の貞正に宜しい。朱熹《本義》にいう:「眇能視」は上の一爻の「跛能履」の説法を承接した。九二は陽剛でまた下卦の中に居し、女子の中の賢者である。上に正応の六五があるが、偏にあの一爻が陰柔で正を得ない。これは女子が賢良で配偶が不良となり、大いに内助の功を成就できないので、「眇能視」の象を取る。その占辞は幽居して静を守る人の貞正に宜しいである。いわゆる「幽人」は、すなわち道義を懐抱し正道を堅守して配偶ないあの種の人である。

程傳 九二陽剛而得中,女之賢正者也。上有正應,而反陰柔之質,動於說者也。乃女賢而配不良,故二雖賢,不能自遂以成其內助之功,適可以善其身而小施之。如眇者之能視而已,言不能及遠也。男女之際,當以正禮。五雖不正,二自守其幽靜貞正,乃所利也。二有剛正之德,幽靜之人也。二之才如是,而言利貞者,利言宜於如是之貞,非不足而為之戒也。

程頤《伊川易伝》にいう:九二は陽剛でまた中に居り、女子の中の賢良端正の一位である。上に正応があるが、あの一爻は陰柔の質で、ただ喜悦に随って妄動するを知るのみ。これは女子が賢良で配偶が不良となり、だから九二は賢でも、順遂に施展开来して内助の功を成就できず、ただ自分の一身を修好して小小に一点施行するに足るだけである。眼睛が一隻瞎れた人のように、尚見えるが望み遠くない。男女の間は、本来正当の礼法に依るべきである。六五が不正でも、九二はただ自分の幽静貞正の操守を守ればよい。これがこそそれの有利の処である。九二は剛正の徳を備え、まさに幽静の人である。その才質がすでにこのようで、爻辞が尚「利貞」というのは、このような貞正を保持するに宜しいを説くのであって、それが足りないを嫌って特に戒めを加えるのではない。

集說 郭氏雍曰:九二剛中。賢女也。守其幽獨之操,不奪其志,故曰“利幽人之貞”。 胡氏一桂曰:初二跛眇,兌毀折象,《履》卦六三亦兌體,故取象同。

集説に郭雍を引く:九二は陽剛で中に居り、賢良の女子である。彼女は幽居独处の操守を守り、誰も彼女の志を奪い去れないので、爻辞に「利幽人之貞」という。集説に胡一桂を引く:初九に跛といい九二に眇というのは、皆兌を毁折とする象を取った。《履》卦六三もまた兌体の中に処するので、あそこで取った象はここと同じで、同じく「眇能視・跛能履」を講ずる。

案 此卦與《漸》相似,凡以陰應陽者,女之有配者也。以陰應陰以陽應陽者,女之無配者也。若以陽應陰,則雖有應而反其類,比之無應者加甚矣,乃女之有配而失配者也。《衛詩》曰:泛彼柏舟,亦泛其流,則配之不良者也。又曰:泛彼柏舟,在彼中河,則配之不終者也。然皆自執其志,如石之不移,至於之死而矢靡它,豈非所謂幽人之貞乎。

李光地の按:この卦は《漸》卦と相似する。凡そ陰爻をもって陽爻に応ずるは、女子に配偶あり。陰をもって陰に応じ陽をもって陽に応ずるは、女子に配偶なし。もし陽爻をもって陰爻に応じに行けば、則ち「応与」あっても類別を顛倒し、配偶ないよりさらに悪く、まさに女子が配偶あっても配する所が人でない。《詩経・邶風・柏舟》に「泛彼柏舟・亦泛其流」といい、写すのは配偶が不良のあの種。《詩経・鄘風・柏舟》にまた「泛彼柏舟・在彼中河」といい、写すのは配偶が白頭して老に至れないあの種。しかしこの両首の詩の中の女子は皆各々自分の心志を堅守し、磐石のように挪移を肯んぜず、誓って死に至るまで他人に改嫁しない。このはどうしてまさに爻辞のいう「幽人之貞」でないことがあろうか。

凡足以兩而行,目以兩而明,夫婦以兩而成,跛者一正而一偏也,眇者一昏而一明也。娣雖屈於偏側,而猶能佐理,故曰“能履”。幽人雖失所仰望,而其志炯然,故曰“能視”。

大凡脚は二隻あって初めて路を歩け、眼は二隻あって初めて分明に見え、夫婦もまた二人あって初めて家を成し得る。跛は一隻の脚が正で一隻の脚が偏、眇は一隻の眼が昏で一隻の眼が明である。娣を為すは偏側の地位に委屈していても、尚内事を料理するを幇けるので「能履」という。幽居して正を守る人は、依頼し仰望すべき配偶を失っても、彼女の心志は依然として炯炯として神ありなので「能視」という。

六三,歸妹以須,反歸以娣。 本義 六三陰柔而不中正,又為說之主。女之不正,人莫之取者也。故為未得所適,而反歸為娣之象。或曰,“須”,女之賤者。

六三の爻辞にいう:嫁ぐ妹子は誰も娶りに来るを待ち、反って陪嫁の娣の身分をもって嫁いで行くしかない。朱熹《本義》にいう:六三は陰柔でまた不中不正で、尚下卦兌説の主爻である。これは女子の行為が端を失して、彼女を娶るを肯んずる人がいないので、ずっと帰宿を見つけられず、反って退いて媵妾となる象がある。もう一説あり、「須」は身分の低賤の女子を指す。

程傳 三居下之上,本非賤者,以久德而無正應,故為欲有歸而未得其歸。“須”,待也。待者,未有所適也。六居三不當位,德不正也、柔而尚剛,行不順也,為說之主,以說求歸,動非禮也。上無應,無受之者也。無所適,故須也。女子之處如是,人誰取之,不可以為人配矣。當反歸而求為娣媵則可也,以不正而失其所也。

程頤《伊川易伝》にいう:六三は下卦の最も上に居り、身分は本来低賤でない。ただ徳行に虧あってまた正応がないので、嫁ぎたくても嫁げないとなった。「須」は等待で、等待はすなわちまだ着落がない。陰爻をもって第三という陽位に居するは、「当位」に合わず、徳行が正しくないを説明する。自身が柔弱なのに剛爻を陵駕するは、行事が順でないを説明する。また兌説の主爻で、一味に取悦するに頼って人に娶りに来るを求めるは、挙動が礼に合わないを説明する。上に応ずる爻がなければ、すなわち彼女を接納するを肯んずる人がいない。往く所がないので、ただ乾く待つしかない。女子がこのような地步に処すれば、誰が尚彼女を娶るを肯んずるか。人の正妻を為すことはできない。ただ一歩退いて陪嫁媵妾の名分を求めるのがまあまあである。これは皆自身が正しくないためあるべき位置を失ったからである。

集說 陸氏希聲曰:在天文,織女為貴,須女為賤。

集説に陸希声を引く:天文星宿の上から言えば、織女星は尊貴で、須女星は低賤である。だから爻辞の中の「須」字は、低賤の女子のこの層の意を取れる。

案 “須”當從本義賤女之解為是。三不中正而無應,故取象於女之賤者。人不之取,但反歸而為娣也。然亦唯下卦無應,有娣之象,從在上之同類而歸也。上卦無應,則並無娣之象矣。故在四為“愆期”,在上為“虛筐”。

李光地の按:「須」字は《本義》の引く第二説に依って、低賤の女子と解するべきである。六三は不中不正でまた応ずる爻がないので、低賤の女子を取って象とする。彼女を娶るを肯んずる人がいなく、反って陪嫁の娣を為すしかない。ただし下卦の爻が応ずる爻ない時にのみ、娣の象を帯び出せる。彼女は上の同類の女子に従って一道に嫁いで行けるからである。もし上卦の爻が応ずる爻なければ、則ち娣を為す機会すらない。だから同じく無応でも、九四に落ちれば「愆期」して婚期を誤り、上六に落ちれば「虚筐」の空篮無物となる。

九四,歸妹愆期,遲歸有時。 本義 九四以陽居上體而無正應,賢女不輕從人,而“愆期”以待所歸之象,正與六三相反。

九四の爻辞にいう:嫁ぐ妹子は婚期を誤過し、遅々として嫁ぐ。自ら彼女の時ある。朱熹《本義》にいう:九四は陽爻をもって上卦に居してまた正応がない。これは賢良の女子が容易に人に従って行くを肯んぜず、寧ろ婚期を耽誤しても合適な帰宿を待つので、取象がちょうど六三と相反する。

程傳 九以陽居四,四上體,地之高也。陽剛在女子為正德,賢明者也。無正應,未得其歸也。過時未歸,故云“愆期”。女子居貴高之地,有賢明之資,人情所願取,故其“愆期”乃為“有時”。蓋自有待,非不售也,待得佳配而後行也。九居四雖不當位,而處柔乃婦人之道,以無應故為“愆期”之義。而聖人推理,以女賢而“愆期”,蓋有待也。

程頤《伊川易伝》にいう:陽爻をもって第四位に居し、第四爻は上卦に属し、地位は高い。陽剛が女子の身に落ちれば端正の徳性で、彼女が賢良明達であるを説明する。正応がないは、まだ帰宿を見つけていない。嫁ぐべき時を過ぎて尚嫁がないので「愆期」という。女子が尊貴高顕の位置に処して、また賢良明達の資質あれば、人々が皆迎娶を願うので、彼女は婚期を耽誤したが、「有時」で自ら嫁ぐべき時がある。これは彼女自身が等待しているので、嫁げないのではなく、好い配偶を待って初めて門を過ぎるを肯んずる。九爻が第四位に居するは「当位」に合わないが、陽爻が陰柔の位に処するは、まさに婦人の道に合する。応ずる爻がないために、「愆期」のこの層の意を帯び出した。聖人が情理につきて推求し、女子が賢良で婚期を誤るは、心に別に待つ所有りと認めた。

集說 胡氏瑗曰:以剛陽之質,居陰柔之位,不為躁進,故待其禮之全備。俟其年之長大,然後歸於君子,斯得其時也,“遲”,待也。

集説に胡瑗を引く:彼女は剛陽の質地をもって陰柔の位に居り、躁急に冒進するを肯んぜないので、六礼が完全斉備し、自分の年歳が長成するを待って、然る後に君子に嫁ぐ。こうして初めてその時を得る。爻辞の中の「遅」は、すなわち等待の義である。

六五,帝乙歸妹,其君之袂,不如其娣之袂良,月幾望,吉。 本義 六五柔中居尊,下應九二,尚德而不貴飾,故為帝女下嫁而服不盛之象。然女德之盛,無以加此,故又為“月幾望”之象,而占者如之則“吉”也。

六五の爻辞にいう:帝乙が妹を嫁がせ、あの正室の衣袖は、反って陪嫁の娣の衣袖に華美ならず。月がまさに円かんとして未だ円ならず。吉祥。朱熹《本義》にいう:六五は柔順で中に居りまた尊位に処し、下に九二と応じ、徳行を崇尚して服飾を看重しないので、帝王の女が下嫁して衣着が盛美でない象がある。しかし女子の徳の美盛は、これより高いものはないので、また「月幾望」の象を取る。占筮の人がもしそれのようにできれば、すなわち吉である。

程傳 六五居尊位,妹之貴高者也。下應於二,為下嫁之象。王姬下嫁,自古而然。至帝乙而後正婚姻之禮,明男女之分,雖至貴之女,不得失柔巽之道,有貴驕之志,故《易》中陰尊而廉降者,則曰“帝乙歸妹”,《泰》六五是也。貴女之歸,唯謙降以從禮,乃尊高之德也,不事容飾以說於人也。娣媵者,以容飾為事者也。衣袂,所以為容飾也。

程頤《伊川易伝》にいう:六五は尊位に居り、嫁ぐ妹子の中で身分が最も尊貴である。それは下に九二と応じ、まさに下嫁の象である。王室の女が下嫁するは、古来このような事があった。商王帝乙に至って、初めて婚姻の礼を整頓端正し、男女の分際を明白に説いた。たとえ最も尊貴の女子でも、柔順謙遜の道を失うを許さず、身分を仗恃して驕慢の心思を懐くを許さない。だから《周易》で凡そ陰爻が尊位に居して自ら抑え降下し得るを、「帝乙帰妹」という。《泰》卦六五もまたこのようである。尊貴の女子が嫁ぐに、ただ謙卑下降して礼に依って行って初めて、尊高の徳行と算え、粧飾容貌に頼って人の喜びを討うを肯んぜない。あの陪嫁の媵妾は、まさに粧扮を取って正事とする。衣袖は、すなわち容儀を粧点するに用いるものである。

六五尊貴之女,尚禮而不尚飾,放其袂不及其娣之袂良也。“良”,美好也。“月望”,陰之盈也,盈則敵陽矣。“幾望”,未至於盈也。五之貴高,常不至於盈極,則不亢其夫,乃為吉也,女之處尊貴之道也。

六五は尊貴の女子で、看重するのは礼であって粧飾でないので、彼女の衣袖は反って陪嫁の娣の衣袖に華美ならない。「良」はすなわち美好である。「月望」は月円で、すなわち陰気が満盈すること。満盈すれば陽と相抗する。「幾望」はまさに満ちんとして未だ満ちない。六五は身分が尊貴なのに、常に自分を満盈の極処に至らせない。こうすれば夫の上に陵駕しないので、因って吉を得る。これがまさに女子が尊貴の位に身を処すにあたってあるべき道理である。

集說 薛氏溫其曰:至尊之妹,必歸於夫,人倫之正。

集説に薛温其を引く:たとえ天子のような至尊の家の妹でも、終に夫に嫁いで夫を主とする。これは人倫の正理で、誰も身分の尊貴に凭って例外にはなれない。

案 女不待夫家之求而自歸,非正也,卦之所以凶也,然唯天子之女,則必求於夫家而自歸焉。是《歸妹》之義,在他人則為越禮犯義而凶,在天子則為降尊屈貴而吉矣。六五居尊而下應九二,適合此象,故其辭如此。卦唯此爻有應,而又于歸妹之義,正為所宜,而非所病,則其為吉宜矣。

李光地の按:女子が男家が来りて求めるを待たずに自分で嫁いで行くのは、不正なのであり、まさに全卦が凶たる所以である。しかし独り天子の女は、反って必ず王家が主動的に夫家に提出して自ら嫁がせなければならない。「帰妹」のこの層の意は、尋常人の身に落ちれば礼を越え義を犯して凶だが、天子の身に落ちれば尊位を降下し己を屈して人に下って吉であることがわかる。六五は尊位に居して下に九二に応じ、ちょうどこの象に合うので、その爻辞がこのように言った。全卦でただこの一爻のみが応ずる爻を有し、この一爻が帰妹の意義の上でまたまさに相宜なので、毛病でないのみならず反って長処となった。然らばそれが吉を得るのも理の当然である。

上六,女承筐無實,士刲羊無血,無攸利。 本義 上六以陰柔居《歸妹》之終而無應,約婚而不終者也,故其象如此,而於占為無所利也。

上六の爻辞にいう:女子が捧げた竹筐の中に一物なし、男子が羊を宰すも血を出せず、益はない。朱熹《本義》にいう:上六は陰柔の質をもって《帰妹》卦の終点に処してまた応ずる爻がなく、婚約を訂したが終に成婚しない人なので、このように取象し、占断の上では利あるものが一样もない。

程傳 上六女歸之終而無應,女歸之無終者也,“婦”者,所以承先祖,奉祭祀。

程頤《伊川易伝》にいう:上六は女子の嫁ぐ一事の終点に処してまた応ずる爻がなく、嫁いでも善終を得られない一种である。嫁を為すは、本来夫家の先祖を承継し家中の祭祀を主持するに用いる……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)。

集說 胡氏炳文曰:《震》有虛筐之象,兌羊象,上與三皆陰虛而無應,故有“承筐無實”“刲羊無血”之象。《程傳》以為女歸之無終,本義 以為約婚而不終,蓋曰士曰女,未成夫婦也。先女而後士,罪在女也,故“無攸利”之占,與卦辭同。

集説に胡炳文を引く:上卦の震は仰盂の形で空筐の象あり、下卦の兌は羊で羊の象あり。上六と六三は皆陰爻で中虚で彼此応じないので、「承筐无実」「刲羊无血」のこの二つの象を帯び出した。《程伝》はそれを女子が嫁いでも善終を得られないと解し、《本義》はそれを婚約を訂したが終に成婚しないと解した。爻辞はすでに「士」と称しまた「女」と称するので、両人がまだ正式に夫婦を結成していないことがわかる。しかも先に女を説き後に士を説くのは、過が女方にあるを説明するので、それが「无攸利」の占辞は卦辞と完全一致する。

豊卦

豐.震上.離下程傳 《豐序卦》:“得其所歸者必大,故受之以豐,”物所歸聚,必成其大,故《歸妹》之後,受之以《豐》也。豐,盛大之義。為卦震上離下,震,動也,離,明也,以明而動,動而能明,皆致豐之道,明足以照,動足以亨,然後能致豐大也。

《豊》卦の卦画の注記:上卦は震、下卦は離。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《豊》卦の次序を講ずるに、帰宿を得たは必ず壮大し、だから次は《豊》卦である。事物に帰聚する処あれば、必然に徐々にその盛大を成すので、《帰妹》の後に《豊》卦が続く。「豊」はすなわち盛大の義。卦体について言えば、上卦は震、下卦は離で、震は動、離は明。明智に凭って行動し、行動の中にまた明察を保つ。この両条は皆豊盛を招致する路子である。明察は一切を照見するに足り、行動は通達无碍するに足る。こうして初めて豊大の局面を成就できる。

豐,亨,王假之,勿憂,宜日中。 本義 “豐”,大也。以明而動,盛大之勢也,故其佔有“亨”道焉。然王者至此,盛極當衰,則又有憂道焉。聖人以為徒憂無益,但能守常,不至於過盛則可矣,故戒以“勿憂宜日中”也。

《豊》卦卦辞にいう:亨通する。君王はこの境地に到達できる。憂うるに及ばず、太陽が空に正中するが如きに宜しい。朱熹《本義》にいう:「豊」はすなわち大である。明智に凭って行動するは、一派の盛大の気勢なので、その占辞の中に亨通の道を含む。しかし君王がこの歩に至れば、盛が極まれば則ち衰に転ずべきで、また可憂の道を含む。聖人は空しく憂愁しても用がないと認め、ただ常道を守り、それが盛に過ぎなければよいので、「勿憂宜日中」をもって戒めた。

程傳 豐為盛大,其義自“亨”。極天下之光大者,唯王者能至之。“假”,至也,天位之尊,四海之富,群生之眾,王道之大,極豐之道其唯王者乎。《豐》之時,人民之繁庶,事物之殷盛,治之豈易周,為可憂慮,宜如日中之盛明廣照,無所不及,然後無憂也。

程頤《伊川易伝》にいう:豊はすなわち盛大で、この層の意はそれ自体に亨通を含む。天下の光輝盛大を極処に推すには、ただ君王のみが弁じ得る。「假」は至・達到である。天子の位の尊崇・四海の財賦の富厚・万民百姓の衆多・王道の規模の宏大で、豊盛を極処に推せるは、おそらく君王のみであろう。《豊》の時に当たり、人口がかくのごとく繁密で、事物がかくのごとく殷盛ならば、治理して周全するのは容易ではない。これは確かに憂慮に値する。正午の太陽のように光明盛大で四方を普照し、照らさざる所なしとせよ。然る後に初めて無憂でいられる。

集說 張子曰:“宜日中”,不宜過中也。 郭氏忠孝曰:《豐》者盛大之名,盛大所以“亨”。然物極盛大者,憂必將至,日過中則昃,《豐》過盛則衰,聖人慾持滿以中,故言“宜日中”。

集説に張載を引く:いわゆる「宜日中」は、正中に停まるに宜しく、正中を過ぎるに宜しからずを説く。集説に郭忠孝を引く:《豊》は盛大の名目で、盛大だから亨通し得る。しかし事物は一旦盛大が極処に至れば、憂患が必ず従って来る。太陽は正中を過ぎれば西に斜くし、豊盛は頭を過ぎれば衰敗する。聖人は人に満盈の時に「中」をもって自己を把住せしめたいので「宜日中」という。

項氏安世曰:《豐》卦皆以明為主,故下三爻皆明而“無咎”,上三爻皆暗,以能求明為“吉”,不能求為凶,此所以“宜日中”也。

集説に項安世を引く:《豊》卦は通篇「明」を主とする。だから下卦離体の三爻は皆明で、因って皆過ちがない。上卦震体の三爻は皆暗で、その中で下に向かって明を求め得るは吉、明を求め得ないは凶である。これがまさに卦辞が「宜日中」を説く所以である。

胡氏炳文曰:《豐》之大有“亨”道焉,大則必通也。亦有憂遭焉,大則可憂也。不必過於憂,如日之中斯可矣。《泰》、《晉》、《夬》、《家人》、《升》皆曰“勿恤”,此曰“勿憂”,皆當極盛之時,常人所不憂,而聖人所深憂。其辭曰“勿憂”,深切之辭,非謂無憂也。

集説に胡炳文を引く:《豊》の盛大の中に亨通の道を含む。大なれば自然に通ずるからである。また可憂の処を含む。大なれば自然に憂うるに値するからである。ただ憂えて頭を過ぎるに及ばず、太陽が正中に停まるようにできれば足りる。《泰》《晋》《夬》《家人》《升》の数卦は皆「勿恤」といい、この卦は「勿憂」という。説く所は皆極盛の時の事——あれはまさに尋常人が憂えるを知らず、聖人が彼のために深く憂慮する時である。爻辞に「勿憂」というのは、実は言を極めて懇切にしたので、真に憂うべきものがないと言うのではない。

何氏楷曰:《豐》有憂道焉,而云“勿憂”,蓋於此有道焉,可不必憂也。其道安在,亦曰致豐之本,即保豐之道。何以致豐,離明主之,而震動將之也。宜常如之方中,使其明無所不及,則幽隱畢照,斯可永保夫豐亨矣;

集説に何楷を引く:《豊》卦は本来可憂の処を含むのに、卦辞は「勿憂」という。あれはここに別に一条の路子があり、それに乗り上げれば憂うに及ばないからである。この路子はどこにあるか。不过招致する豊盛の根本が、すなわち豊盛を保つ弁法であると言うだけである。何に凭って豊盛を招致するか。下卦の離の明智が主となり、上卦の震の行動が推行するに凭る。常に正午のような位置に保持して、この明照が照らさざる所なしとせよ。すなわち最も幽深隠蔽の角落も皆照らして通透となり、かくのごとくすれば長く豊盛と亨通を保ち得る。

本義 “配主”,謂四。“旬”,均也,謂皆陽也。當《豐》之時,明動相資,故初九之遇九四,雖皆陽剛,而其占如此也。

(初九の爻辞は底本に脱漏し、ここに径て《本義》に接続する。)朱熹《本義》にいう:初九の爻辞の中の「配主」は九四を指す。「旬」は均等の義で、初九と九四が皆陽爻で勢力が相當であるを説く。まさに《豊》卦の時にあって、明と動は互いに憑藉すべきで、だから初九が九四に遇えば、両者は同じく陽剛で常例に按れば相応じないが、占辞は仍としてこのように吉利である。

程傳 雷也皆至,成《豐》之象。明動相資,致豐之道。非明無以照,非動無以行,相須猶形影,相資猶表裡。初九明之初,九四動之初,宜相須以成共用,故雖旬而相應。位則相應,用則相資,故初謂四為配主,己所配也。配雖匹稱,然就之者也,如配天以配君子,故初於四云“配”,四於初云“夷”也。“雖旬無咎”,“旬”,均也。天下之相應者,常非均敵,如陰之應陽,柔之從剛,下之附上,敵則安肯相從。

程頤《伊川易伝》にいう:雷と電が一斉に至るは、まさに《豊》卦を成就する象である。明と動が互いに憑藉するは、豊盛を招致する路子である。明なければ照見せず、動なければ行き開かず、両者は互いに依頼して形と影の如く、互いに憑藉して表と裏の如し。初九は明の開端で、九四は動の開端で、本来彼此依頼して共同に作用を発揮すべきなので、勢力が均しく敵しても、仍として相応する。爻位の上では相応し、功用の上では相資するので、初九は九四を「配主」と称する。意思は自分が配するあの一位である。「配」字は匹敵相称の意を含むが、用いるには総じて相手につきて行く。「配天」といい「配君子」というように。したがって初九は九四に対して「配」と称し、九四は初九に対して則ち「夷」と称する。爻辞に「虽旬无咎」という。「旬」は均等である。天下の相応ずる両方は、通常勢均力敵でない。例えば陰が陽に応じに行き、柔が剛に従いに行き、下位が上位に依附する。もし勢均力敵ならば、誰が誰に服従するを肯んずるか。

唯《豐》之初四,其用則相資,其應則相成,故雖均是陽剛,相從而無過咎也。蓋非明則動無所之,非動則明無所用,相資而成用,同舟則胡越一心,共難則仇怨協力,事勢使然也。往而相從,則能成其豐,故云“有尚”,有可嘉尚也。在它卦則;不相下而離隙矣。

独り《豊》卦の初九と九四は、功用の上で彼此憑藉し、感応の上で彼此成全するので、同じく陽剛でも、相従相就しても過ちはない。明なければ行動に方向がなく、動なければ明察も施用する処がない。彼此憑藉して初めて事を成し得る。胡人と越人が同じ一条の船に坐れば同心し、仇人と怨家が共に一场の患難に赴けば協力する。形勢があそこに逼れば自然にかくのごとくなる。前に往って彼此相従すれば、豊盛を成就できるので、爻辞に「有尚」という。嘉許し推崇するに値する所有るである。他の卦に換えれば、この二つの陽爻は互いに譲らず裂痕を生ずる。

集說 胡氏瑗曰:“旬”者,十日也,謂數之盈滿也,言初與四其德相符,雖居盈滿盛大之時,可以“無咎”。以此而往,則行有所尚也。

集説に胡瑗を引く:「旬」は十天で、数目が満盈する意を取る。これは初九と九四が徳性相合して、たとえ満盈盛大の時に処しても、過ちなきを得るを説く。このように前に行けば、行事に推崇するに値する所がある。

蘇氏軾曰:凡人知生於憂患,而愚生於安佚。《豐》之患常在於暗,故爻皆以明暗為占凶也。初九六二九三,三者皆離也,而有明德者也。九四六五上六,則所謂豐而暗者也。離,火也,日也。以下升上,共性也。以明發暗,其德也。故三離皆十適於震。初九適四,其配之所在也,故曰“配主”。

集説に蘇軾を引く:大凡人の智慧は憂患に生じ、愚昧は安逸に生ずる。《豊》卦の禍患は常に一つの「暗」字の上にあるので、六爻は皆明と暗をもって吉凶を断ずる。初九・六二・九三のこの三爻は同じく下卦離体に属し、明徳ある一路である。九四・六五・上六は、すなわちいわゆる豊盛にして昏暗の一路である。離は火であり、また日である。火と日の本性は皆下から上に向かって昇り、それらの徳性は光明をもって昏暗を照破することにある。だから離体の三爻は皆上に震体に就く。初九の往く所は九四で、あれはまさにそれと相配する一位なので、「配主」と称する。

項氏安世曰:初以四為配,四以初為“夷”,上下異辭也,自下並上曰“配”。

集説に項安世を引く:初九は九四を「配」と呼び、九四は初九を「夷」と呼ぶ。これは下に居ると上に居るの説法が異なる所以である。下から攀附して上に並列しに行くを、「配」という。

胡氏炳文曰:初不言“豐”,初未至豐也。五亦不言“豐”者,陰虛歉然方賴在下之助,不知有其豐也。凡卦爻取剛柔相應,《豐》則取明動相資。初之剛與四之剛,同德而相遇,雖兩陽之勢均敵,往而從之,非特“無咎”,且“有尚”矣。或曰,十日為“旬”。

集説に胡炳文を引く:初九の爻辞の中に「豊」字を挙げないのは、それがまだ豊盛に至っていないからである。六五の爻辞の中にも「豊」字を挙げないのは、それが陰虚で不足で、正に下が来りて幇襯するを指望し、自分では豊盛と言うべきものを覚えないからである。一般の卦爻は剛と柔が彼此相応じるを取るが、《豊》卦は明と動が彼此憑藉するを取る。初九の剛と九四の剛は、徳性が同じく遇い、二つの陽爻で勢均力敵だが、往ってそれに依従すれば、過ちがないのみならず、しかも推崇するに値する所がある。ある人は、十天を一「旬」というという。

來氏知德曰:因“宜日中”句,爻辭皆以日言,文王象《豐》,以一日象之,故曰“勿憂宜日中”。周公象《豐》,以十日象之,故曰“雖旬無咎”。十日為“旬”,言初之豐,以一月論,已一旬也,正豐之時也。

集説に来知徳を引く:卦辞に「宜日中」の一句あるにより、各爻の爻辞は皆太陽を取って立説した。文王が《豊》に取象するに、一天を用いて比方したので「勿憂宜日中」といい、周公が《豊》に取象するに、十天を用いて比方したので「虽旬无咎」という。十天を一句という。意思は初九のこの一段の豊盛は、もし一ヶ月に按って算すれば、すでに一句を過ぎて、まさに豊盛が当令の時である。

六二,豐其蔀,日中見斗,往得疑疾,有孚發若,吉。 本義 六二居豐之時,為離之主,至明者也。而上應六五之柔暗,故為豐蔀“見斗”之象。“蔀”,障蔽也,大其障蔽,故日中而昏也。往而從之,則昏暗之主,必反見疑。唯在積其誠意以感發之則吉,戒占者宜如足也。虛中,有孚之象。

六二の爻辞にいう:遮蔽物が甚だ大きく、正午の時分に北斗星を見る。前に往けば反って猜疑忌恨を招く。ただ誠信あって相手を感発せば、則ち吉祥。朱熹《本義》にいう:六二は《豊》卦の時に処して、下卦離の主爻で、最も明察の一位である。しかしそれの上に応ずる六五は柔弱昏暗なので、遮蔽物が大張して正午に斗を見る象がある。「蔀」は障蔽の物で、障蔽を極めて大きくしたので、大白天でも昏黑となる。前に往って六五に依従すれば、あの昏暗の主は反ってそれを猜疑する。ただ一点々々自分の誠意を積累して相手を感動啓発して初めて吉を得る。これは占筮の人がかくのごとくすべきと戒める。六二は陰爻で中虚で、まさに心に誠信を懐く象である。

程傳 明動相資,乃能成《豐》。二為明之主,又得中正,可謂明者也。而五在正應之地,陰柔不正,非能動者。二五雖皆陰,而在明動相資之時,居相應之地,五才不足,既其應之才不足資,則獨明不能成豐,既不能成豐,則喪其明功,故為“豐其蔀”。

程頤《伊川易伝》にいう:明と動が互いに憑藉して、初めて《豊》を成就し得る。六二は明の主爻で、また中に居り正を得るので、明察と言い得る。しかし六五はそれと正応の位置に処しながら、陰柔で正しくなく、有所作为できる者でない。六二と六五は同じく陰爻だが、明動相資の時にあって、それらはまたちょうど相応ずる位置を占めている。六五は才具が足らず、すでに応ずる方が憑藉に足らない以上、単に自分の一份の明察に頼っても豊盛を成せない。豊盛を成せなければ、この明察の功效も喪失するので、「豊其蔀」、遮蔽物が大張すると言う。

“日中見斗”,二至明之才,以所應不足與,而不能成其豐,喪其明功,無明功則為昏暗,故云“見斗”。“斗”,昏見者也。“蔀”,周匝之義,用障蔽之物,掩晦於明者也。斗屬陰而主運平,象五以陰柔而當君位。日中盛明之時乃見斗,猶豐大之時,乃遇柔弱 集說 服氏虔曰:日中而昏也。

「日中見斗」に至っては、六二は本来極めて明察の才具だが、ただ応ずる方が共にするに足らないため、豊盛を成せず、明察の功效が落空した。明察の功效がなくなれば昏暗となるので、北斗を見るという。北斗は天が黒くなって後に初めて現れる星である。「蔀」は四面囲繞する義があり、障蔽の物をもって光明を遮り暗くする。北斗は陰に属して運転の平衡を主宰し、ちょうど六五が陰柔の質をもって君位を占めるを象徴する。正午の最も光明の時に反って北斗を見るは、譬えば豊大が当令の時に反って柔弱の主に遇う……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)。集説に服虔を引く:これは大白天にして昏黑となる。

張子曰:凡言“往”者,皆進而之上也。初進而上,則遇陽而“有尚”,二既以陰居陰,又所應亦陰,故往增“疑疾”。

集説に張載を引く:凡そ爻辞に「往」というは、皆上に行くの義である。初九は上に行って陽爻九四に遇うので「有尚」。六二は自身が陰爻で陰位に居り、応ずる六五もまた陰爻で、一路が皆陰なので、上に行けば反って猜疑忌恨を添える。

郭氏雍曰:六二為離明之中,而有豐蔀之暗者,以陰居陰,上非正應,所以有從暗之象也。天下之理明則無疑,暗則疑。六二用明投暗,“往得疑疾”,乃其宜也。然任其中正,“有孚”而發,則動無不吉。

集説に郭雍を引く:六二は身が離明の正中に居するのに、遮蔽昏暗の象を帯び出したのは、それが陰爻で陰位に居り、上に対する所もまた真に相配の正応でないからで、昏暗に投ずる象がある。天下の道理は、明なれば猜疑なく、暗なれば猜疑を生ずる。六二は一身の光明を持って昏暗に投奔するので、「往得疑疾」もまた当然の事である。ただしそれが一たび中正の徳に凭り、誠信を本として相手を感発すれば、則ち動に不吉なし。

徐氏幾曰:卦言“宜日中”,以下體言之,則二為中。以一卦言之,則三四為中,故二三四皆言“日中”。剛生明,故初應四則為“往有尚”。柔生暗,故二應五為“往得疑疾”也。

集説に徐幾を引く:卦辞に「宜日中」を講ずる。もし単に下卦の三爻について見れば、六二が中に居る。もし整卦の六爻について見れば、九三・九四が中に居る。だから六二・九三・九四のこの三爻の爻辞の中に皆「日中」が現れる。剛は明を生じ得るので、初九と九四が相接すればすなわち「往有尚」。柔は暗を生ずれば、六二と六五が相応じればすなわち「往得疑疾」。

九三,豐其沛,日中見沫,折其右肱,無咎。 本義 “沛”,一作旆,謂幡幔也,其蔽甚於薛矣。“沫”,小星也。三處明極,而應上六,雖不可用,而非咎也,故其象占如此。

九三の爻辞にいう:遮幔が甚だ大きく張られ、正午の時分に細小の星を見る。右臂を折った。過ちはない。朱熹《本義》にいう:「沛」はある本で「旆」と作り、旗幔の類の垂挂する物を指し、それが光を遮るは「蔀」よりさらに甚しい。「沫」は小星である。九三は下卦離明の頂端に処し、応ずるは上六だが、この上六は用いられない。しかしこれは九三の過ちでないので、その取象と占辞はこのようである。

程傳 沛字古本有作旆字者,王弼以為幡幔,則是旆也。幡幔圍蔽於內者,“豐其沛”,其暗更甚於蔀也。三明體而反暗於四者,所應陰暗故也。三居明體之上,陽剛得正,本能明者也。豐之道,必明動相資而成。三應於上,上陰柔,又無位而處震之終,既終則止矣。不能動者也。它卦至終則極,震至終則止矣。三無上之應,則不能成豐。

程頤《伊川易伝》にいう:「沛」字は古本に「旆」と作るがあり、王弼は旗幔と解した。すなわち旆である。旗幔は中に囲って光線を遮蔽する物で、「豊其沛」はこの遮幔を極めて大きく張るので、昏暗の程度は「蔀」よりさらに甚しい。九三は本は離明の体にあるのに、反って九四より尚暗いのは、それが応ずる上六が陰柔昏暗だからである。九三は離明の体の最上に居り、陽爻で陽位に居して剛で正を得、本来明察できる。しかし豊盛の道は、必ず明と動が互いに憑藉して初めて成り立つ。九三の応ずるは上六で、上六は陰柔で、また職位のない所に処し、しかも震体の終点に居る。終点に至れば停まって、再び動けるものでない。他の卦は終点に至れば極処に走り着くが、震卦は終点に至れば停止である。九三はすでに上の応援を得られないので、豊盛を成せない。

“沫”,星之微小無名數者。“見沫”,暗之甚也。豐之時而遇上六,“日中”而“見沫”者也。“右肱”,人之所用,乃折矣,其無能為可知。賢智之才遇明君,則能有為於天下。上無可賴之主,則不能有為,如人之折其右肱也。人之為有所失,則有所歸咎,曰由是故致是,若欲動而無右肱,欲為而上無所頹,則不能而已,更復何言,無所歸咎也。

「沫」は細小で名目次第にも算えられない星である。このような小星を見るは、昏暗が極点に至ったを説明する。豊盛の時に当たって上六に遇うは、まさに大白天に細小の星子を見る情形である。「右肱」は人が事を為すに最も得力の部位で、今は折れた。それが事を為し成せないも想いて知るべきである。賢才有り智慧有りの人が明君に遇えば、天下に一番の事業を為し得る。上に倚靠すべき君主がなければ、事を為し成せず、人が右臂を折ったように正しい。人が事を為して閃失あれば、総じて某処に帰咎して、このためあの地步に落ちたという。しかし動こうと欲するに右臂なく、有所作为しようと欲するに上に依托すべき人なければ、則ちただ為し成せないだけで、尚言うべき何かあろうか。根本的に帰咎すべき所がない。だから爻辞に「无咎」、過ちはないという。

案 九三之蔽,又甚於二四者,爻取日中為昏義。二三四在一卦之中,而九三又在三爻之中也。且二應五,為柔中之主。四應初,為同德之助。三所應者,乃過中處板之陰,其蔽安得不甚哉。上六以其昏昏,使人昏昏,故九三雖以剛明之才,為之股肱,而不免於毀折。然於義為“無咎”者,守其剛正以事上,反己無怍而眾無尤也。

李光地の按:九三の受ける遮蔽は六二・九四よりさらに甚しい。爻辞が正午に暗を見るを借りて取義したからである。六二・九三・九四の三爻は一卦の中に居り、九三はまたこの三爻の正中に居し、まさに「日中」の最も当中の位置である。さらに言えば、六二の応ずる六五は、好歹は尚柔順居中の主である。九四の応ずる初九は、徳性相同の帮手である。九三の応ずるは中位を過ぎて僵滞の尽頭に処する陰爻で、それの受ける遮蔽がどうして最も重くなくていられようか。上六は自ら昏昏として、尚他人を教えて従って昏昏たらしめる。だから九三は剛健明察の才具あって、それに臂膀を為すを肯んじても、摧折されるを免れない。しかし道理の上から言えば仍として「无咎」である。それが剛正の徳を守って上に事えたので、反躬して問えば心に愧なく、衆人もその過失を挑出できないからである。

又案《易》中所取者雖虛象,然必天地間有此實事,非憑虛造設也,“日中見斗”,甚而至於“見沫”,所取喻者,固謂至昏伏於至明之中。然以實象求之,則如太陽食時是也。食限多則大星見,食限甚則小星亦見矣。所以然者,陰氣蔽障之故,故所謂“豐其蔀”“豐其沛”者,乃蔽日之物,非蔽人之物也。且此義亦與《彖傳》“日中則昃月盈則食”相發。

李光地がまた按ずる:《周易》の取るは虚擬の象だが、天地の間には必ず真にこのような実事があり、憑空に造り出したのでない。「日中見斗」、甚しきに至っては「見沫」に至るは、比喩する所は固然極昏暗のものが極光明の中に潜伏することだが、ただし実事に照らして求めれば、則ち日食の時のようである。日食が虧蝕すること多ければ、大星が現れ、虧蝕が極めて甚しければ、小星も従って現れる。かくのごとくなる所以は、陰気が太陽を遮障する故である。いわゆる「豊其蔀」「豊其沛」は、太陽を遮蔽する物を指し、人を遮蔽する物でないことがわかる。しかもこの層の意は、またちょうど《彖伝》のいう「日中則昃・月盈則食」と互いに発明する。

本義 象與六二同。“夷”,等夷也。謂初九也。其占為當豐而遇暗主,下就同德則“吉”也。

(九四の爻辞は底本に脱漏し、ここに径て《本義》に接続する。)朱熹《本義》にいう:九四の取象は六二と同じで、また「豊其蔀・日中見斗」である。「夷」は同輩・平等相待の義で、初九を指す。その占辞は、まさに豊盛の時に当たって昏暗の主に遇うが、ただ下に往って徳性相同の初九に就近することを肯んずれば、則ち吉を得る。

程傳 四雖陽剛,為動之主,又得大臣之位,然以不中正,遇陰暗柔弱之主,豈能致豐大也,故為“豐其蔀”。“蔀”,周圍掩蔽之物。周圍則不大,掩蔽則不明。“日中見斗”,當盛明之時反昏暗也。“夷主”,其等夷也,相應故謂之主。初四皆陽而居初,是其德同。又居相應之地。故為“夷主”。居大臣之位,而得在下之賢,同德相輔,其助豈小也哉,故“吉”也。

程頤《伊川易伝》にいう:九四は陽剛で、震動の主爻で、また大臣の位置を占めるが、しかしそれは中正でなく、上に遇う所はまた陰暗柔弱の主なので、どうして豊大の局面を成就できようか。だから「豊其蔀」という。「蔀」は四面囲って遮蔽する物で、四面囲めば大きくできず、遮蔽すれば明にできない。「日中見斗」は、まさに光明が極盛の時に反って昏暗である。「夷主」の「夷」は同輩平等で、彼此呼応するので、それを主と称する。初九と九四は同じく陽爻で、初九はまた起始の位に居り、両者は徳性相同で、また彼此相応ずる位置を占めるので、「夷主」という。大臣の位に身を居して下に在る賢者を得られ、徳性相同で彼此輔助する。この助けは小事であろうか。だから吉という。

如四之才,得在下之賢為之助,則能致豐大乎?曰:在下者上有當位為之與,在上者下有賢才為之助,豈無益乎,收“吉”也。然而致天下之豐,有君而後能也,五陰柔居尊而震體,無虛中巽順下賢之象。下雖多賢,亦將何為。蓋非陽剛中正,不能致天下之豐也。

問うていわく:九四のような才具が、下に在る賢者の相助を得れば、豊大を成就できようか。答えていわく:下に在る人は上に当位に居る者を同伴とし、上に在る人は下に賢才を帮手とする。どうして益がなかろうか。だから一つの「吉」字を収得した。しかし天下の豊盛を成就するには、総じて先に好い君主があって初めて弁じ得る。六五は陰柔をもって尊位に居りまた身が震体にあり、虚心に中に居り謙遜して賢に下る象がない。下にたとえ多くの賢才があっても、また何を為し出せようか。陽剛中正の君でなければ、天下の豊を成就できないことがわかる。

集說 孔氏穎達曰:據初適四,則以四為主,故曰“遇其配主”。自四之初,則以初為主,故曰“遇其夷主”也。

集説に孔頴達を引く:初九から上に九四に往くこの面について言えば、則ち九四を取って主とするので、初九の爻辞に「遇其配主」という。九四から下に初九に往くこの面について言えば、則ち初九を取って主とするので、九四の爻辞に「遇其夷主」という。

張子曰:近比於五,故亦云“見斗”,正府亦陽,故云“夷主”。

集説に張載を引く:九四は昏暗の六五に緊挨着するので、その爻辞の中にも「見斗」という。それと相対するあの一爻は同じく陽なので、「夷主」と称し、同類平輩の意を取る。

郭氏雍曰:二之豐蔀“見斗”,以重陰而非正應也。而“有孚發若吉”者,中正也。四之豐蔀“見斗”,非中正也。而“遇其夷主吉”者,應初而有遇也。二爻之義相類,故其辭同,而皆終之以吉。有為之時,明動必相濟,然後有成,故初謂四為“配主”,四謂初為“夷主”。迭稱主者,明動相須,莫適為主。唯明者知求動以為主,動者知求明以為主故也。

集説に郭雍を引く:六二が「豊其蔀・日中見斗」なる所以は、それが六五と重畳して皆陰爻で、真に相配の正応と算えられないからである。それが終に「有孚発若吉」し得る所以は、それ自身が中正だからである。九四が「豊其蔀・日中見斗」なる所以は、それが中正でないからである。それが終に「遇其夷主吉」し得る所以は、それが初九と相応じて人に遇い得たからである。両爻の意は近いので、爻辞が同じで、しかも皆一つの吉字をもって結尾する。有所作为の時に当たり、明と動は必ず互いに接済して、然る後に事を成し得る。だから初九は九四を「配主」と称し、九四は初九を「夷主」と称する。彼此が輪番に相手を主と称するのは、明と動が互いに需要し、誰も独りで主に当たれないからである。ただ明察の人は行動する者を求めて主と為すを知り、行動の人もまた明察する者を求めて主と為すを知る。

鄭氏汝諧曰:初視四為“配”,以下偶上也,四視初為“夷”,降亡就下也。

集説に鄭汝諧を引く:初九が九四を見て「配」と称するは、あれは下に在る身分をもって上に在るに匹配する。九四が初九を見て「夷」と称するは、あれは自分が尊を屈して格を降して下の人に就く。

六五,來章,有慶譽,吉。 本義 質雖柔暗,若能來致天下之明,則有“慶譽”而“吉”矣。蓋因其柔暗,而設此以開之。占餚能如是,則如其占矣。

六五の爻辞にいう:文明の才を招来すれば、福慶と美誉あり。吉祥。朱熹《本義》にいう:六五の資質は柔弱昏暗だが、もし天下の明智の士を招来して己の用と為し得れば、則ち福慶あり美誉あって吉を得る。これはそれの柔暗の毛病につきて、特にこの層の意を立ててそれに一条の路を開く。占筮の人がもしこのようにできれば、この条の占辞に応え上げられる。

程傳 五以陰柔之才,為《豐》之主,固不能成其豐大。若能來致在下章美之才而用之,則有福慶,復得美譽,所謂“吉”也,六二文明中正,章美之才也。為五者誠能致之在位而委任之,可以致豐大之慶,名譽之美,故“吉”也。章美之才,主二而言。

程頤《伊川易伝》にいう:六五は陰柔の才をもって《豊》卦の主爻を為す。本来豊大の業を成せない。もし下のあの文采美盛の賢才を招来して任用できれば、福慶があり、また美好の名声を得られる。これがいわゆる吉である。六二は文明でまた中正で、まさに文采美盛の賢才である。六五を為すは果してそれを位に請じて委任できれば、豊大の福慶と名誉の美好を招来できるので、吉という。ここでいう文采美盛の才は、主に六二を指す。

然初與三四,皆陽剛之才,五能用賢則彙征矣。二雖陰,有文明中正之德,大賢之在下者也。五與二雖非陰陽正應,在明動相資之時,有相為用之義,五若能來章,則“有慶譽”而“吉”也。然六五無虛己下賢之義,聖人設此義以為教耳。

ただし初九・九三・九四も皆陽剛の才で、六五がもし賢を用いるを肯んずれば、これらの人は《泰》卦のいう拔茅連茹のように成批に進んで来る。六二は陰爻だが、文明中正の徳があり、下位に在る大賢である。六五と六二は陰陽相配の正応でないが、しかし明と動が互いに憑藉する時にあって、両者は本来彼此為用の意義がある。六五がもしこの文明を招来できれば、福慶美誉あって吉を得る。しかし爻象自体で見れば、六五に虚心して自処し己を屈して賢に下る意はなく、聖人は不过この層の道理を立てて教誨と為すだけである。

集說 馮氏當可曰:六二言往,六五言來,往來交合,章明之象。

集説に馮当可を引く:六二の爻辞に「往」といい、六五の爻辞に「来」という。一往一来して彼此交合し、まさに文采光明が顕現を得る象である。

項氏安世曰:六二以五為“蔀”,在上而暗也,六五以二為“章”,在下面明也。

集説に項安世を引く:六二は六五を自分を遮蔽する「蔀」と見る。それが上にあって昏暗だからである。六五は六二を招来すべき「章」と見る。それが下にあって光明だからである。

陳氏曰:五陰暗則往而疑,二文明則來而章,章者離體文明之象。

集説に陳氏を引く:六五は陰柔昏暗なので、六二が往けば猜疑を招く。六二は文采光明なので、六五がそれを来り招けば文章の美を得る。いわゆる「章」は、まさに下卦離体の文明の象である。

胡氏炳文曰:三爻稱“日中”,皆有所蔽。六五不稱“日中”,蓋宜日中,無蔽也。

集説に胡炳文を引く:六二・九三・九四のこの三爻の爻辞の中に皆「日中」に言及し、しかも皆遮蔽される意を帯びる。六五の爻辞は「日中」を挙げない。あれはそれが正に卦辞のいう「宜日中」に合して、自身に遮蔽がないからである。

案 五,君位也。彖辭所謂“王假之”者,即此位,則五乃卦主也,卦義所重,在明以照天下。六五雖非明體,然下應六二為文明之主,而五有柔中之德,能資其章明以

李光地の按:第五爻は君位である。卦辞のいう「王假之」は、すなわちこの位置を指す。六五がこそ全卦の主爻であることがわかる。この卦が看重する所は、光明を用いて天下を照徹するにある。六五は自身は離明の体に属さないが、しかし下に応ずる六二はまさに文明の主爻で、六五はまた柔順居中の徳を備え、六二のあの文采光明を借取して……(底本ここに脱文があり、この按語は说完していない)。

上六,豐其屋,蔀其家,窺其戶,闃其無人,三歲不覿,凶。 本義 以陰柔居於極,處動終,明極而反暗者也,故為豐大其屋,而反以自蔽之象。無人不覿,亦言障蔽之深,其“凶”甚矣。

上六の爻辞にいう:房屋を極めて高大に造り、反って自家を一片昏黑に遮る。門縫から中を覗けば、静かに人影一人見えず、三年も人に見えない。凶険。朱熹《本義》にいう:上六は陰柔の質をもって全卦の極処に処し、また震動の体の終点に当たり、光明が尽頭に至って反転して昏暗となる一爻なので、屋宇を高大に造って反って因って自己を遮蔽する象がある。中に人を見ず多年人に見えないも、この遮蔽がすでに極点に深まったを説き、その凶険は甚だしい。

程傳 六以陰柔之質,而居豐之極,處動之終,其滿假躁動甚矣。處豐大之時,宜乎謙屈,而處極高,致豐大之功,在乎剛健,而體陰柔,當豐大之任,在乎得時,而不當位。如上六者,處無一當,其凶可知。“豐其屋”,處太高也,“蔀其家”,居不明也。

程頤《伊川易伝》にいう:上六は陰柔の質をもって豊盛の極処に居り、また震動の体の終点に当たり、その自満自大・浮躁妄動はすでに極点に至った。豊大の時に処しては、本来謙遜退譲すべきなのに、それは偏に最高処に站る。豊大の功を成就するには剛健に頼るのに、それは偏に陰柔の体である。豊大の重任を担当するには時宜に合するを貴ぶのに、それは偏に「当位」に合わない。上六のように、样样が対頭でない。その凶険もまた想いて知るべきである。いわゆる「豊其屋」は、それが站る所が高すぎるを説く。いわゆる「蔀其家」は、それが住む所が一片昏黑であるを説く。

以陰柔居豐大,而在無位之地,乃高亢昏暗,自絕於人,人誰與之,故“窺其戶,闃其無人”也。至於三歲之久,而不知變,其“凶”宜矣。“不覿”,謂尚不見人,蓋不變也。六居卦終,有變主義,而不能遷,是其才不能也。

それは陰柔の質をもって豊大の世に処し、また職位のない所を占めて、高慢で昏昧で、自分で他人を隔絶して外に置く。誰が尚それに親近するを肯んずるか。だから門縫から中を覗けば、静かに一人もいないという。三年の久しきに至るまで変わるを知らない。その凶もまた応にある。いわゆる「不覿」は、あの時に至って尚人に見えないを説き、それが始終変わらないことがわかる。上六は全卦の終点に居して本来窮極して変ずる意を含むが、それは挪動できない。これはその才具が及ばないからである。

集說 龔氏煥曰:《豐》卦與《明夷》相似,唯變九四一爻,豐其蔀蔽,皆六五上六二陰所為。二“豐其蔀”,以五為應也。三“豐其沛”,以上為應也。四“豐其蔀”,以承五也。然五雖柔暗,以其得中,故有“來章”之“吉”。上居《豐》極,始則蔽人之明,終以自蔽,與《明夷》上六相似。

集説に龔煥を引く:《豊》卦と《明夷》卦は甚だ相似し、ただ九四のこの一爻に差がある。全卦の中のあの光明を遮蔽する「蔀」は、皆六五・上六のこの二つの陰爻が造成した。六二に「豊其蔀」というのは、それが六五を応とするから。九三に「豊其沛」というのは、それが上六を応とするから。九四に「豊其蔀」というのは、それが上に六五を承けるから。ただし六五は柔弱昏暗でも、幸いにそれが中に居するので、尚「来章」の吉がある。上六は豊盛の極点に処し、初めは他人の光明を遮蔽し、最後には自己も遮蔽してしまった。これは《明夷》卦上六の情形と相似する。

何氏楷曰:處《豐》之極,亢然自島。豐大其居以明得意,方且深居簡出,距人於千里之外,豈知凶將及矣,能無懼乎?

集説に何楷を引く:《豊》卦の極点に処して、高慢自大して一座の孤島のようで、住宅をまた高くまた闊く造り、自分の得意を誇耀するに用い、一面また深く居して出ず、人を千里之外に拒む。どうして凶険がまさに頭上に臨まんとするを知らんや。これはどうして尚恐るべきでないことがあろうか。

總論 熊氏良輔曰:《豐》六爻以不應為善,初四皆陽,初曰“遇其配王”,四曰“遇其夷主”。二五皆陰,二曰“有孚發若吉”,五日“來章有慶譽吉”。三與上為正應,三不免於折肱,而上則甚凶。當豐大之時,以同德相輔為善,不取陰陽之應也。

総論部分に熊良輔を引く:《豊》卦の六爻は、反って正応を成さないが好い。初九と九四は同じく陽爻で、初九の爻辞に「遇其配主」といい、九四の爻辞に「遇其夷主」という。六二と六五は同じく陰爻で、六二の爻辞に「有孚発若吉」といい、六五の爻辞に「来章有慶誉吉」という。ただ九三と上六は一対の正応で、九三は臂膀を折るを免れず、上六はさらに極凶である。まさに豊大の時に当たり、徳性相同の人をもって彼此輔助するを好とし、陰陽相応のあの一套を取らないことがわかる。

旅卦

旅.離上.艮下程傳 《旅序卦》;“豐,大也。窮大者必失其居,故受之以旅。”豐盛至於窮極,則必失其所安,《旅》所以次《豐》也。為卦離上艮下,山止而不遷,火行而不居,違去而不處之象,故為《旅》也。又麗乎外,亦旅之象。

《旅》卦の卦画の注記:上卦は離、下卦は艮。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《旅》卦の次序を講ずるに、「豊」は大で、大を窮極に推すは必ず自分の居所を失う。だから次は《旅》卦である。豊盛が窮極に至れば、必ず安身の処を失う。《旅》が《豊》の後に並ぶ所以である。卦体について言えば、上卦は離、下卦は艮で、山は静止して遷移せず、火は游走して停留しない。一去一留は、まさに原処を離れて安居を肯んじない象なので、《旅》という。さらに離は附麗で、外に附麗するは、まさに羈旅して外にある象である。

旅,小亨,旅貞吉。 本義 “旅”,羈旅也,山止於下,火炎於上,為去其所止而不處之象,故為《旅》。以六五得中於外,而順乎上下之二陽,艮止而離麗於明,故其占可以“小亨”。而能守其旅之貞則“吉”,旅非常居,若可苟者,然道無不在,故自有其正,不可須臾離也。

《旅》卦卦辞にいう:小さく亨通する。羈旅の中に正を守れば吉祥。朱熹《本義》にいう:「旅」は他郷に客居すること。山は下に静止し、火は上に炎騰する。もとの止まる所を離れて安処を肯んじない象なので、《旅》という。六五が外卦にあって中を得、しかも上下に九四・上九の二つの陽爻を承順し、下卦の艮は止、上卦の離は光明に附麗するので、その占辞は「小亨」と言い得る。羈旅の中にあるべき貞正を守り得れば、則ち吉を得る。他郷に客居するは長住の地でなく、見るに少し馬虎でも妨げなさそうだが、しかし道理は処に在らざるなく、羈旅の中に自ら羈旅の正道あり、一刻も離れてはならない。

程傳 以卦才言也。如卦之才,可以“小亨”,得《旅》之“貞”正而“吉”也。 集說 胡氏炳文曰:在《旅》而“亨”,亨之小者也。然事有小大,道無不在,大亨固利於貞,不可以“亨”之“小”而失其貞也,正道果可須臾離哉。

程頤《伊川易伝》にいう:卦辞はこの一卦の才質につきて講じた。この卦の才質に照らせば、小さく亨通でき、羈旅の中の貞正を得れば吉である。集説に胡炳文を引く:身が羈旅にあって亨通できても、あれはただ小の亨通である。しかし事に大小あっても、道理は処に在らざるなし。大の亨通は固然正を守るに頼るが、またこの亨通がただ「小」だからとて、貞正を丢掉してはならない。正道はどうして片刻の離れもあり得ようか。

初六,旅瑣瑣,斯其所取災。 本義 當《旅》之時,以陰柔居下位,故其象占如此。

初六の爻辞にいう:他郷に客居して猥瑣卑屑する。これがすなわちそれが自ら災禍を取る縁由である。朱熹《本義》にいう:まさに羈旅の時に当たり、それは陰柔の質をもって最下の位に居するので、取象と占辞はこのようである。

程傳 六以陰柔在旅之時,處於卑下,是柔弱之人。處《旅》困而在卑賤,所存汙下者也。志卑之人,既處旅困,鄙猥瑣細,無所不至,乃其所以致侮辱,取災咎也,“瑣瑣”,猥細之狀。當旅困之時,才質如是,上雖有援,無能為也。四陽性而離體,亦非就下者也。又在《旅》,與他卦為大臣之位者異矣。

程頤《伊川易伝》にいう:初六は陰柔の質をもって羈旅の時に当たり、また卑下の位置に処し、柔弱の人である。身が旅途の困頓に陥ってまた地位が卑賤で、心に存する念頭もまた汚濁低下である。志気が卑下の人は、一旦旅途の困頓に陥れば、鄙陋瑣屑の事で為さざるはない。これがまさに彼が侮辱を招き災禍を自取する原因である。「瑣瑣」はすなわち鄙陋細碎の様子。羈旅困頓の時に当たり、才質がこのような様子ならば、上にたとえ引くを肯んずる人があっても、助けられるものでない。いわんや九四は陽剛を性と成しまた身が離体にあって、本来下に屈就するを肯んずる者でない。さらに言えば身が《旅》卦にあれば、他の卦の第四爻が大臣の位と算えられる情形とまた同じでない。

集說 王氏應麟曰:《旅》,初六“所其所取災”,王輔嗣注云,為斯賤之役,唐郭京謂“斯”合作“亻斯 ”。愚按後漢左雄傳“職斯祿薄”,注云:“斯,賤也。” 不必改“亻斯”字。

集説に王応麟を引く:《旅》卦初六の爻辞の中の「斯其所取災」の一句について、王弼の注はこれを卑賤の差役に干しているとし、唐人の郭京は「斯」字は人旁を加えた「厮」と作るべきと考えた。私の見では:《後漢書・左雄伝》に「職斯禄薄」の言あり、注文が「斯就是賤」と解釈するので、「斯」はそれ自体に卑賤の意あり、人旁を加えた「厮」字に改めるに及ばない。

案 《易》中初爻,多取童稚小子之象,在《旅》則童僕之象,王氏之說是也。

李光地の按:《周易》の中の初爻は、大抵孩童・小子のこの類の象を取る。《旅》卦に放てば、則ち随行の童僕の象である。王応麟が字を改めるに及ばないとする説は正しい。

六二,旅即次,懷其資,得童僕貞。 本義 “即次”則安,“懷”“資”則裕,得其童僕之貞信,則無欺而有賴,《旅》之最吉者也。二有柔順中正之德,故其象占如此。

六二の爻辞にいう:客居の途中で旅舎に住み込み、身に盤纏を帯び、また童僕の忠貞可靠を得た。朱熹《本義》にいう:旅舎に住み込めば安頓した。懐に銭財を揣れば寛裕した。童僕の忠貞誠信を得れば、欺騙を受けず依靠する所有る。これは《旅》卦の六爻の中で最も吉の一爻である。六二は柔順中正の徳を備えるので、取象と占辞はこのようである。

程傳 二有柔順中正之德,柔順則眾與之,中正則處不失當,故能保其所有。童僕亦盡其忠信,雖不若五有文明之德,上下之助,亦處《旅》之善者也。次舍,旅所安也。

程頤《伊川易伝》にいう:六二は柔順中正の徳を備える。柔順なれば、衆人は皆それを幇けるを願う。中正なれば、行事が失当に至らないので、自分の所有する物を保ち得る。童僕さえもそれに忠を尽くし信を尽くすを肯んずる。それは六五に及ばない文明の徳・また上下両方の相助を得るには及ばないが、しかしまた羈旅の中で処境が不錯の一爻と算えられる。旅舎は、客居の人が頼って安頓する所である。

財貨,旅所資也。童僕,旅所賴也。得就次舍,懷蓄其資財,又得童僕之貞良,旅之善 集說 胡氏炳文曰:旅中不能無賴乎“童僕”之用,亦多不免乎童僕之欺,惟得其貞信者,則無欺而有賴。

銭財は、客居の人が頼って周转する物。童僕は、客居の人が頼って使喚する人手。すでに旅舎に住み込み、また盤纏を揣え、さらに童僕の忠貞良善を得た。これは羈旅の中で好いと算えられる……(底本ここに脱文があり、《程伝》のこの段は说完していない)。集説に胡炳文を引く:外に客居しては、童僕を倚仗して差を聴かせ事を弁せしめなければならないが、しかしまた多くは童僕に蒙騙されるを免れない。ただ忠貞誠信の童僕に遇って初めて、欺瞞を受けずしかも真に依靠がある。

趙氏玉泉曰:二處《旅》而有柔順中正之德,則內不失己,而己無不安,外不失人而人無不與。凡旅之所恃以不可無者,皆有以全之也。

集説に趙玉泉を引く:六二は身が羈旅にあって柔順中正の徳を備えれば、則ち内に自分の操守を失わず、自己にも安穏でない処なし。外に他人の心を失わず、他人にもそれを幇けざるなし。凡そ外に客居して倚仗する所の、一样も少なくならない物を、それは皆保全して周到できる。

案 二得位得中,故曰“即次懷資”,與九四之旅處而得其資斧者異矣。下有初六比之,故曰“得童僕”。與九三之“喪其童僕”者異矣,在初則為“童僕”之“瑣瑣”者,自二視之,則為“童僕”之”貞”者,義不相害也。

李光地の按:六二はすでに「当位」しまた中に居するので、爻辞はそれが旅舎に住み込み盤纏を懐揣するという。これは九四のようなただ随処に栖身し、銭財あっても尚一把の斧頭を帯びて防身する情形と異なる。それは下にまた初六が緊挨着するので「得童僕」という。これは九三の「喪其童僕」とも異なる。同じ一つの初六でも、それ自身から見れば童僕の中のあの鄙瑣卑屑のものだが、六二のこちらから見れば童僕の中の忠貞可靠のもので、二種の説法は各々各々の角度につき、互いに妨げない。

九三,旅焚其次,喪其童僕貞,厲。 本義 過剛不中,居下之上,故其象占如此。“喪其童僕”,則不止於又其心矣,故“貞”字連下句為義。

九三の爻辞にいう:客居の途中で旅舎を焼き、童僕の忠貞を失った。危険。朱熹《本義》にいう:九三は剛に過ぎてまた中に居らず、尚下卦の最上位を占めるので、取象と占辞はこのようである。すでに「喪其童僕」といえば、則ち童僕の心を失うだけに止まらないので、「貞」字は下の一句に連ねて講じ、「貞厲」と読むべきで、すなわち正を守っても仍として危険ある。

程傳 處《旅》之道,以柔順謙下為先。三剛而不中,又居下體之上,與《艮》之上,有自高之象。在《旅》而過剛自高,致困災之道也。自高則不順於上,故上不與而焚其次,失所安也?上離為焚象,過剛則暴下,故下離而“喪其童僕”之貞信,謂失其心也,如此則危厲之道也。

程頤《伊川易伝》にいう:羈旅の道に処するに、頭一条は柔順謙下である。九三は剛強で中に居らず、また下卦の最も上に居り、まさに艮体の頂端にあって、自高自大の象を帯びる。身が羈旅にありながら剛強に過ぎて自視が甚だ高いは、困頓災禍を招く路子である。自高すれば上に順従するを肯んぜず、だから上の人はそれを幇けるを肯んぜず、住む旅舎さえも焼かれて、安身の処を失った。上卦の離は火で、まさに焚焼の象がある。剛強に過ぎれば下に凶暴で、だから下の人は心が離れ徳が離れて、童僕の忠貞誠信を失う。すなわち彼らの心を失った。こう下去れば、まさに危厲を招致する路数である。

集說 潘氏夢旂曰:居剛而用剛,平時猶不可,況旅乎!以此與下,焚次喪僕,固其宜也。九三以剛居下體之上,則焚次。上九以剛居上體之上,則焚巢。位愈高,剛愈亢,則禍愈深矣。

集説に潘夢旂を引く:自身が剛位に処してまた一味に剛を使うは、平常の日でも尚不可なのに、いわんや他郷に客居する時をや。この副の脾气をもって下の人に待てば、旅舎を焼き童僕を丢くのは、本来有るべき下場である。九三は剛爻をもって下卦の上に居り、結果は旅舎を焼いた。上九は剛爻をもって上卦の上に居り、結果は鳥巣を焼いた。位置がますます高ければ、剛強はますます亢戻し、禍患もまたますます深い。

邱氏富國曰:九二爻辭,全與二反。二“即次”而三“焚”,二“得童僕”而三“喪”,二之“貞”無尤,而三之“貞”則“厲”者,二柔順得中,三過剛不中故也,過剛豈處《旅》之道哉!

集説に邱富国を引く:九三の爻辞(底本ここに誤って「九二」と作る)は、処処六二と相反する。六二は旅舎に住み込み、九三はかえって旅舎を焼いた。六二は童僕を得、九三はかえって童僕を丢した。六二の「貞」は過失ない貞で、九三の「貞」は一つの「厲」字を接する。縁故は六二が柔順で中に居り、九三が剛に過ぎて中に居らないにある。剛強に過ぎるは、どうして羈旅に処すにあたるべき道理であろうか。

案 三得位,故亦有“即次”象。以其過剛,故焚之也。六爻惟二三言“次”,得位故也。

李光地の按:九三は陽爻で陽位に居して「当位」して正を得るので、それもまた旅舎に住み込む象を帯びる。ただそれが剛強に過ぎたため、旅舎を焼き掉した。全卦の六爻の中でただ六二・九三のみが「次」という旅舎に言及するのは、まさにこの両爻が皆位に当たる所以である。

九四,旅于處,得其資斧,我心不快。 本義 以陽居陰,處上主下,用柔能下,故其象占如此。然非其正位,又上無剛陽之與,下唯陰柔之應,故其心有所不快也。

九四の爻辞にいう:客居の途中で一処の栖身の地を見つけ、銭財と利斧を得たが、我が心は快くない。朱熹《本義》にいう:それは陽爻をもって陰位に居り、身が上卦にあって上卦の下に処し、柔道を用い得己を屈して人に下るを肯んずるので、取象と占辞はこのようである。しかしこれは畢竟それが端正の位置でなく、上にまた剛陽の爻がなく結伴できず、下に応ずる所はただ陰柔の初六なので、心に快からざる所有る。

程傳 四陽剛雖不居中,而處柔在上體之下,有用柔能下之象,得《旅》之宜也。以剛明之才,為五所與,為初所血,在《旅》之善者也。然四非正位,故雖得其處止,不若二雲就次舍也。有剛明之才,為上下所與,乃旅而得貨財之資,器用之利也。雖在旅為善,然上無剛陽之與,下唯陰柔之應,故不能伸其才,行其志,“其心不快”也。云“我”者,據四而言。

程頤《伊川易伝》にいう:九四は陽剛で中に居らないが、しかしそれは陽爻をもって陰位に処し、また上卦の最も下にあって、柔道を用い得己を屈して人に下るを肯んずる象を帯び、まさに羈旅の中にあるべき分寸に合う。それは剛健明察の才具に凭り、上に六五の親附を得、下に初六の呼応を得て、《旅》卦の中で処境が不錯と算えられる。ただし第四位はそれが端正の位置でないので、栖身の処を見つけても、六二のように正経の旅舎に住み込んだと言えるには及ばない。剛健明察の才具あり、また上下両方の親附を得て、そこで外に客居しても銭財の資用・器具の便利を弄り得る。これは羈旅の中では好いと算えられるが、しかし上に剛陽の爻がなくそれと作伴せず、下に応ずる所はただ陰柔の爻なので、それは自分の才能を施展し開かず、自分の志向を行い成せない。したがって「其心不快」という。爻辞の中に「我」というのは、九四自身のこの面につきて言う。

集說 蔣氏悌生曰:凡卦爻陽剛皆勝陰柔,惟《旅》卦不然。二五皆以柔順得“吉”,三上皆以陽剛致“凶”。六爻六五最善,二次之,上九最凶,三次之。九四雖得其處,

集説に蔣悌生を引く:一般の卦爻では、陽剛は常に陰柔に勝るが、独り《旅》卦は然らず。六二・六五は皆柔順のため吉を得、九三・上九は皆陽剛のため凶を招く。六爻の中で六五が最も好く、六二がそれに次ぐ。上九が最も凶で、九三がそれに次ぐ。九四は栖身の処を見つけたが……(底本ここに脱文があり、この条は说完していない)。

案 四居位非正,故不曰“即次”。而日“於處”。在《旅》而處“多懼”之地,故雖得資與六二同,而未免加斧以自防衛,其未忘戒心可知,安得快然而安樂乎?

李光地の按:九四の居する位置は正しくないので、爻辞は「即次」といわず「于処」という。ただ随処に栖身するだけである。それは身が羈旅にあり、また《繫辞伝》のいう第四爻のような「多懼」の地に処するので、六二と同じく盤纏を弄り得ても、尚一把の斧頭を帯びて防身するを免れない。それが心中のあの戒懼は一刻も放下していないことがわかる。どうして尚痛痛快快にその楽を安享できようか。

六五,射雉,一矢亡,終以譽命。 本義 “雉”,文明之物,《離》之象也。六五柔順文明,又得中道,為《離》之主;故得此爻者,為“射雉”之象。雖不無“亡失”之費,而所喪不多終有“譽命”也。

六五の爻辞にいう:野鶏を射る。一支の箭を損失するが、最終的に美誉と爵命を得る。朱熹《本義》にいう:野鶏は羽毛が華美で文采ある禽鳥で、まさに離卦の象である。六五は柔順で文采あり、また中道を行く。上卦離の主爻なので、この一爻を占得する人は野鶏を射る象がある。一支の箭を折損する花費を免れないが、しかし損失は大きくなく、最後には総じて美誉と爵命を得られる。

程傳 六五有文明柔順之德,處得中道而上下與之,處《旅》之至善者也。人之處旅,能合文明之道,可謂善矣。羈旅之人,動而或失,則困辱隨之。動而無失,然後為善。離為雉,文明之物,“射雉”謂取則於文明之道而必合。如“射雉一矢”而“亡”之,發無不中,則終能致“譽命”也。“譽”,令聞也。“命”,福祿也。五居文明之位,有文明之德,故動必中文明之道也。五君位,人君無旅,旅則失位,故不取君義。

程頤《伊川易伝》にいう:六五は文明柔順の徳を備え、処する所もまた中道に合し、上下両方が皆それに親附する。羈旅の中で処境が最も好い一爻である。人が他郷に客居して、文明の道に合し得れば、好いと言い得る。羈旅の人は、一たび挙動すれば差錯を出し、困頓屈辱が随って来る。挙動して差錯を出さなければ、然る後に初めて好いと算えられる。離は雉で、文采ある禽鳥である。「射雉」は文明の道に取法して命中を務求するを説く。野鶏を射るにただ一支の箭を用いて了結するように、発して中らざるなければ、最後に自然に美誉と爵命を招来できる。「誉」は好い名声、「命」は福分禄位である。六五は文明の位置に居り、また文明の徳があるので、一挙一動は必ず文明の道に合する。第五爻は本来君位だが、しかし人君に他郷に客居する一説はなく、真に他郷に客居すればすなわち国を失い位を失うなので、ここでは君主の意を取らない。

集說 朱氏震曰:五在《旅》卦,不取君象,有文明之德,則令譽升聞而爵命之矣。 《朱子語類》云:“亡”字,正如秦無亡矢遺鏃之亡,不是如伊川之說,《易》中凡言“終吉”者,皆是初不甚好也。 王氏申子曰:“一矢亡”,言中之易也。

集説に朱震を引く:六五は《旅》卦の中で君主の象を取らず、ただそれに文明の徳あるを取る。この徳行あれば、好い名声が上頭に伝わり、そこで封爵授命を得る。集説に《朱子語類》を引く:爻辞の中の「亡」字は、まさに賈誼《過秦論》の中の「秦无亡矢遺鏃之費」の「亡」で、損失し掉うの義で、程頤の講ずるように射出してすなわち完結と解するのでない。《周易》で凡そ「終吉」というは、皆初めがあまり好くない。集説に王申子を引く:「一矢亡」は、射中するに容易で、一箭で事了了するを説く。

案 五在《旅》卦,不取君義,《程傳》之說是也。古者士大夫出疆則以贄行,而士執雉以相見,射雉而得,是進身而有階之象也。信於友則有“譽”,獲乎上則有“命”。

李光地の按:六五が《旅》卦の中で君主の義を取らないのは、《程伝》の説が正しい。古く士人大夫は国境を出れば、皆面見の贄礼を帯びて同行した。士のこの等の人が相見して執るはまさに野鶏である。野鶏を射て手に射取するは、まさに進身して階梯ある象である。朋友に信ぜられれば、美好の名声ある。上の賞識を得れば、封爵の命ある。

上九,鳥焚其巢,旅人先笑後號咷,喪牛于易,凶。 本義 上九過剛,處《旅》之上,《離》之極,驕而不順,凶之道也,故其象占如此。

上九の爻辞にいう:鳥が自分の巣を焼き、客居の人は先に歓笑し後に号咷して大哭し、軽忽のうちに牛を失った。凶険。朱熹《本義》にいう:上九は剛に過ぎ、また《旅》卦の最も上・離体の極点に処して、驕傲して柔順を肯んじない。これは凶を招く路子なので、取象と占辞はこのようである。

程傳 “鳥”,飛騰處高者也。上九剛不中而處最高,又《離》體,其亢可知,故取鳥象。在旅之時,謙降柔和,乃可自保,而過剛自高,失其所安,宜矣。“巢”,鳥所安止。“焚其巢”,失其所安,無所止也。

程頤《伊川易伝》にいう:鳥は高く飛んで高所に棲息する。上九は剛強で中に居らず、また全卦の最も高い位置に站り、尚身が離体にあり、その亢傲は想いて知るべきなので、鳥を取って象とした。他郷に客居する時に当たり、ただ謙卑退譲・柔和に人に待して、初めて自分を保ち得る。それはかえって剛強に過ぎて自視が甚だ高いので、安身の処を失うも応にある。「巣」は鳥が安身し棲止する所で、「焚其巣」はすなわち安身の処を失い、再び止るべき所なしである。

在《離》上為焚象,陽剛自處於至高,始快其意,故“先笑”,既而失安莫與,故“號咷”,輕《易》以喪其順德,所以“凶”也。“牛”,順物,“喪牛于易”,謂忽易以失其順也。離火性上,為躁易之象,上承“鳥焚其巢”,故更加“旅人”字,不云“旅人”,則是鳥笑哭也。

身が離体の上にあれば、焚焼の象がある。それは陽剛の質をもって自己を最も高い処に措いたので、初めは正しく心に称い意に得て、「先笑」した。随って安身の地を失いまたそれと相処するを肯んずる人なし。「后号咷」。軽忽随便に因って柔順の徳を失い、これが初めて凶険を招いた。「牛」は柔順の牲畜で、「喪牛于易」は疏忽軽慢の間に自分の柔順を失ったを説く。離は火で、火性は上に向かい、まさに急躁軽率の象である。この一句の上に「鳥焚其巣」を接ぐので、特に「旅人」の二字を補い出した。もし「旅人」を写明しなければ、則ち鳥がまた笑いまた哭くことになる。

集說 王氏宗傳曰:上九之視九三,尤為剛亢者也。凡物棲高處亢,而寄諸危地者,鳥之巢是也。故《旅》之上取以為象。夫高極必危,離火有焚象也,故曰“鳥焚其巢”。“先笑”,謂喜居物上也。“後號眺”,謂巢焚之故也。夫“牛”,順物也,旅道以柔順謙下為本。上九喪其至順之德,此所以“凶”也。

集説に王宗伝を引く:上九は九三に比べて、さらに剛強亢傲の一爻である。凡そ高所に棲し亢極に居して自己を危険の地に付托するは、鳥巣がまさにこのようであるので、《旅》卦の上爻はそれを取って象とした。高きが極処に至れば必然に危険で、加うるに離は火で焚焼の象あるので、「鳥焚其巣」という。「先笑」はそれが衆物の上に陵駕するを喜ぶを説き、「后号咷」は巣が焼かれた縁故を説く。牛に至っては、柔順の牲畜である。羈旅の道に処するは、本来柔順謙下を根本とする。上九はこの最も柔順の徳行を失い掉った。これがまさにそれが凶を招く縁由である。

徐氏幾曰:旅貴柔順中正,三陽爻皆失之,而最亢者上九也。

集説に徐幾を引く:他郷に客居するに、貴ぶべきは柔順と中正である。《旅》卦の中の初九以外の三つの陽爻——九三・九四・上九は皆この点に欠け、その中で最も亢傲なるは上九である。

總論 范氏仲淹曰:內止而不動於心,外明而弗迷其往,以斯適旅,故得“小亨”而“貞吉”。夫旅人之志,卑則自辱,高則見疾,能執其中,可謂智矣。

総論部分に范仲淹を引く:内卦は艮で止で、安住して心が境に随って乱動しないを得る。外卦は離で明で、前路を照見して方向を迷失しないを得る。このような本事を帯びて他郷に客居するので、「小亨」かつ「貞吉」を得られる。客居の人の心志を知るべし。放しすぎて低ければ自ら屈辱を取り、抬げすぎて高ければ人の忌恨を招く。中道を把持し得るが、初めて明智と算えられる。

故初“瑣瑣”,卑以自辱者也。三焚“次”而上焚“巢”,高而見疾者也。二懷“資”而五“譽命”,柔

これは上一卦《旅》の総論の收尾である:だから《旅》卦初六の爻辞に「旅瑣瑣」という。あれは自処が卑瑣で、因って自らその辱を取る一类の人である。九三の爻辞に「次」(旅途中に歇宿する処所)を焼いたといい、上九の爻辞に「巣」を焼いたという。あれは站る所が高すぎて、反って人の嫉恨を招く一类の人である。六二の爻辞に「資」(盤纏)を懐揣するといい、六五の爻辞に終に「誉命」(美誉と爵命)を得たという。あれは柔をもって……底本の文字はここに中断し、「柔」字以下に脱文があり、例に依り臆補しない。

巽卦

巽.巽上.巽下程傳 《巽序卦》:“《旅》而無所容,故受之以《巽》,巽者,入也。”羈旅親寡,非巽順何所取容?苟能巽順,雖旅困之中,何往而不能入,巽所以次《旅》也。為卦一陰在二陽之下。巽順於陽,所以為巽也。

「巽・巽上・巽下」は卦画の注記で、本卦の上体・下体が皆巽であるを表し、重巽の卦に属する。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《旅》の後に《巽》を接ぐ道理を講じて「漂泊して外にあって容身する所なし。だから《巽》卦をもってそれを承け、巽はすなわち進入である」という。人が羈旅の中にあって親友が稀少で、もし謙遜柔順に凭らなければ、何に凭って他人の接納を求めるか。ただ謙遜柔順できれば、たとえ旅途の困頓の中に身を処しても、どこに行っても入り得ないことがあろうか。《巽》卦が因って《旅》卦の後に並ぶ所以である。卦体について言えば、一つの陰爻が二つの陽爻の下に処して、陰柔が陽剛に順従するので、名を取って「巽」という。

巽,小亨,利有攸往,利見大人。 本義 “巽”,入也,一陰伏於二陽之下,其性能巽以入也,其象為風,亦取入義,陰為王,故其占為“小亨”。以陰從陽,故又利有所往。然必知所從乃得其正,故又曰“利見大人”也。

卦辞にいう:《巽》卦、小さく亨通し、往く所有るに宜しく、大人を見るに宜しい。朱熹《周易本義》にいう:「巽」は進入で、一つの陰爻が二つの陽爻の下に潜伏し、その性情は謙順の姿態をもって深入りし入り得る。それが象を風に取るは、同じく「入」のこの層の意を取る。陰爻がここにあって主を為す(底本は「陰為王」で、「王」は「主」の訛りであるべき)ので、その「占辞」は「小亨」である。陰柔をもって陽剛に追随するので、因此また往く所有るに宜しい。しかし必ず追随する所が誰かを明白にして、初めて正路を歩き得るので、また「利見大人」という。

程傳 卦之才,可以“小亨”。“利有攸往”,“利見大人”也。《巽》與《兌》皆剛中正,《巽》說義亦相類,而《兌》則亨。《巽》乃小亨者,兌,陽之為也。巽,陰之為也。兌柔在外,用柔也,巽柔在內,性柔也,《巽》之“亨”所以“小”也。

程頤《伊川易伝》にいう:この一卦の才質は、ただ「小亨」の地步に達するのみで、また「利有攸往」「利見大人」を為し得る。《巽》卦と《兌》卦は皆陽剛が中に居り正を得る爻を有し、《巽》の謙順と《兌》の喜悅は、取義もまた相近い。しかし《兌》卦は径に「亨」と称し、《巽》卦はかえってただ「小亨」という。原因は:兌がその兌たる所以は陽爻が作用するが故にあり、巽がその巽たる所以は陰爻が作用するが故にある。兌卦は柔爻が外にあり、柔を用い出す。巽卦は柔爻が内にあり、本性がすなわち柔である。《巽》卦の「亨」がただ「小」なる所以の道理はここにある。

集說 郭氏雍曰:“巽”,入也,能入故“利有攸往”,故“利見大人”,是亦沈潛剛克之意與。 《朱子語類》云:巽有入之義,巽為風,如風之人物,只為巽便能入,義理之中,無細不入。 趙氏汝楳曰:一陰生於下,二陽巽之於上,卦以剛爻得名,陰生而陽巽之。

「集説」に郭雍を引く:「巽」は進入で、深入りし得るので「利有攸往」で、「利見大人」である。これはすなわち《尚書・洪範》のいう「沈潜剛克」——外表は沈静柔順で内裏は剛強をもって勝つ——の意であろう。《朱子語類》に記す:巽は「入」の意義を含み、巽の卦象は風で、風が万物に滲入するが如し。まさに謙順なので、入り得て、義理の中の再び細微なる処も鑽入らざるなし。趙汝楳がいう:一つの陰爻が下から生出して、二つの陽爻が上にあってそれに深入り過去する。この一卦は陽剛の爻につきて名を立てたので、陰爻が一たび生出すれば、陽爻が深入りしてそれを制伏する。

蔡氏清曰:順字解巽字不盡,潛心懇到方為巽也。《程傳》只說順,然孔子不曰順,而每仍卦名曰《巽》,是必巽字與順字有辨矣。《大傳》曰“巽,入也。”又曰“巽,德之制也。”又曰“巽,稱而隱。”未嘗只以順字當之也。 何氏楷曰:凡巽之所以致“亨”,皆陽之為也。所謂申命乃陽事也,有陽以巽之於上,故“小亨”。

「集説」に蔡清を引く:一つの「順」字をもって「巽」字を解釈するは周全でなく、必ず潜心専注・懇切して到底して、初めて巽と算えられる。《程伝》はただ「順」を講ずるが、しかし孔子は「順」と言わず、毎毎仍として卦名に沿ってそれを《巽》と称するので、「巽」字と「順」字に必ず分別あることがわかる。《繫辞大伝》に「巽・入也」といい、また「巽・徳之制也」(巽は徳行の裁断)といい、また「巽・称而隠」(権衡に巧みにして形跡を露さず)という。従来ただ一つの「順」字を取ってそれに頂替したことがない。何楷がいう:凡そ巽が「亨」を招致し得る所以は、皆陽爻の作為である。いわゆる「申命」(反復して政令を申明する)は本来陽の事で、陽爻が上にあって下に向かって深入りして陰爻を制伏するが故に、初めて「小亨」である。

案 “巽”,入也。從來說者,皆以為一陰入於二陽之下,非也。蓋一陰伏於內,陽必入而散之。陰性疑滯,必散而後與陽合德也,其在造化,則吹浮雲,散積陰者也。

李光地の按:「巽」は進入である。従来の解説者は皆一つの陰爻が二つの陽爻の下に進入したと認めるが、これは正しくない。実情は一つの陰爻が中に潜伏し、陽が必ず入りてそれを吹散せざるべからず。陰の性質は凝滞して疑結するので、必ず吹散した後に初めて陽と同心同徳できる。この道理が天地造化に表れるは、すなわち風が浮雲を吹散し積聚した陰霾を駆散することである。

其在人心,則察幾微,窮隱伏者也。其在國家,則除奸慝,釐弊事者也。三者皆非入不能,卦之所以名《巽》者以此,“亨”之所以“小”者,如《蠱》則壞極而更新之,故其亨大。《巽》但修敝舉廢而已,觀卦爻“庚”“甲”之義可見也。天下之事,既察知之,則必見之於行,故曰“利有攸往”。非有剛德之人不能濟也,故又曰“利見大人”。

人心に表れるは、すなわち細微の苗头を明察し隠伏の念慮を窮究すること。国家に表れるは、すなわち奸邪を剷除し積弊を整頓すること。この三件事は「入」なければ皆弁じられず、本卦が名を《巽》と取る所以の原因はまさにここにある。「亨」がただ「小」なる所以に至っては、《蠱》卦を取って比べ得る。《蠱》は敗壊が極点に至って重新に更始するので、その亨通は大である。《巽》は不过破損を修補し荒廃した事を重弁するだけである。卦辞爻辞の中の「庚」「甲」の二字の用法を見れば、明白に了解できる。天下の事は、すでに察知した以上、必ず行動に落実せざるべからず。だから「利有攸往」という。剛健有徳の人なくしては弁じられないので、また「利見大人」という。

初六,進退,利武人之貞。 本義 初以陰居下,為《巽》之主,卑《巽》之過,故為“進退”不果之象。若以“武人之貞”處之,則有以濟其所不及,而得所宜矣。 集說 王氏弼曰:處令之初,未能服令者也,故“進退”也。成命齊邪,莫善武人,故“利武人之貞”以整之。

爻辞にいう:初六、あるいは進みあるいは退き、武人のように正固を守持するに宜しい。朱熹《周易本義》にいう:初六は陰爻をもって最下位に居り、《巽》卦の主爻で、謙卑柔順が頭を過ぎたので、「進退」して果決しない爻象がある。もし「武人之貞」のあの剛毅で正を守る態度をもって自処すれば、それが欠缺する一面を補え、従って処置が得当となる。「集説」に王弼を引く:初六は政令を発布する開頭に処して、尚人に命令に服従せしめ得ないので、時に進み時に退く。命令を得て完成し邪僻を得て整粛せしめるに、武人より合適なるはなし。だから「利武人之貞」といい、剛毅をもってそれを整飭する。

胡氏瑗曰:初六以陰柔之質,復在一卦之下,是以有“進退”之疑,利在武人之正,勇於行事,然後可獲其吉也。 俞氏琰曰:《巽》,“申命行事”之卦也。令出則務在必行,豈宜或進或退。初六卑巽而不中,柔懦而不武,故或進或退而不能自決也。若以武人處之,則“貞固足以幹事”矣,故曰“利武人之貞”。

「集説」に胡瑗を引く:初六は陰柔の資質でまた全卦の最も下に処するので、進退猶豫の疑慮がある。利なる所は武人の剛正に取法し事に任ずるに勇んで、然る後に吉祥を得るに在り。兪琰がいう:《巽》は「申命行事」(命令を申明し政事を推行する)の卦で、命令は一たび発すれば、務めて貫徹して到底せざるべからず。どうして一つに進み一つに退くことができようか。初六は卑順で中位に居らず、柔弱怯懦で勇武でないので、時に進み時に退き、自分で決断できない。もし武人の方式をもって自処すれば、すなわち《文言伝》のいう「貞固足以幹事」(正を守り堅定で以て事情を弁成するに足る)なので、「利武人之貞」という。

九二,巽在床下,用史巫紛若,吉,無咎。 本義 二以陽處陰而居下,有不安之意。然當《巽》之時,不厭其卑。而二又居中,不至已甚。故其占為能過於巽,而丁寧煩悉其辭以自道達,則可以“吉”而“無咎”。 亦竭誠意以祭祀之吉占也。

爻辞にいう:九二、謙卑なること床の下に伏するが如く、祝史と巫覡を動用して紛紛紜々たり。吉祥で過ちなし。朱熹《周易本義》にいう:九二は陽爻をもって陰位に処しまた下卦に居り、心中安ならざる意を含む。しかし《巽》の時勢に当たっては、その卑下を嫌わない。九二はまた下卦の中位に居して、過分に至らない。だからその占断は:謙順の上で少し過ぎるを為し得て、しかも反復して叮嚀し言を周詳詳尽にして、以て上に陳述して自己の心意を通達せしめれば、「吉」にして「无咎」にできる。これは同時に誠意を竭くして祭祀を挙行する吉利の占辞である。

程傳 二居巽時,以陽處陰而在下,過於巽者也。“床”,人之所安。“巽在床下”,是過於巽,過所安矣。人之過於卑巽,非恐怯則諂說,皆非正也。二實剛中,雖《巽》體而居柔,為過於巽,非有邪心也。恭巽之過,雖非正禮,可以遠恥辱,絕怨咎,亦吉道也。“史巫”者,通誠意於神明者也。“紛若”,多也。苟至誠安於謙巽,能便通其誠意者多,則“吉”而“無咎”。謂其誠足以動人也。人不察其誠意,則以過巽為諂矣。

程頤《伊川易伝》にいう:九二は巽の時勢に処して、陽爻で陰位に居しまた下卦にあって、謙順が頭を過ぎた。「床」は人が安身する所で、「巽在床下」はすなわち謙順が頭を過ぎて、自分の安身する所在を越えた。人がもし卑順が過分に過ぎれば、恐懼怯懦に出ずるか、諂媚討好に出ずるかで、皆正道でない。九二は実際に陽剛で中に居り、身は《巽》体に在って柔位に処し、為すに謙順に過ぎても、しかし邪僻の心思はない。恭敬謙順が頭を過ぎても、正当の礼数に合わないが、恥辱に遠ざかり怨恨と責咎を断絶し得て、また一条の吉利の路数と算えられる。「史巫」は誠意を神明のあそこに通達する人で、「紛若」は衆多の様子である。もし至誠で謙遜に安んじて、それのために誠意を伝通し出せる人がまた多ければ、則ち「吉」にして「无咎」である。その誠意が人を打動するに足るを説く。人々がもしその誠意を見出せなければ、過分の謙順を諂媚と當てる。

集說 馮氏椅曰:周官史掌卜筮,巫掌祓禳。卜筮所以占其吉凶,祓禳所以除其災害。 案 “床下”者,陰邪所伏也。入於床下,則察之深矣。於是既以史占而知之,復以巫祓而去之,雖有物妖神怪,無能為害矣。“紛若”者,以喻“申命”之頻煩,而“行事”之織悉也。二與五,皆所謂“剛巽乎中正而志行”者,卦之主也。故能盡“申命行事”之道如此。

「集説」に馮椅を引く:《周官》(即《周礼》)の中で「史」は卜筮を掌管し、「巫」は祓除禳祭を掌管する。卜筮は吉凶を占断するに用い、祓禳は災害を消除するに用いる。李光地の按:「床下」は陰邪が潜伏する所在で、深入りして床下に至るは、すなわち明察が甚だ深い。そこで先に史官で占問してそれを察知し、再び巫祝で祓除してそれを清掉すれば、たとえ物怪妖異・鬼神の作祟あっても、危害を造成できない。「紛若」は「申命」の頻繁と「行事」の細密周到を比喻するに用いる。九二と九五は、皆《彖伝》のいう「剛巽乎中正而志行」(陽剛が謙順の道をもって中正に行きて心志が推行を得る)の爻に属し、全卦の主爻なので、「申命行事」の道理をこの般の地步に為し得る。

九三,頻巽,吝。 本義 過剛不中,居下之上,非能巽者,勉為屢失,“吝”之逭也,故其象占如此。 程傳 三以陽處剛,不得其中,又在下體之上,以剛亢之質,而居巽順之時,非能巽者,勉而為之,故屢失也。居巽之時,處下而上臨之以巽,又四以柔順相親,所乘者剛,而上覆有重剛,雖欲不巽得乎!故頻失而“頻巽”,是可“吝”也。

爻辞にいう:九三、一再して勉強に謙順し、憾惜あり。朱熹《周易本義》にいう:九三は剛に過ぎて中位に居らず、下卦の頂端に処して、本来謙順できる人でなく、勉強して為せば屡屡失当する。これは「吝」を招致する路子なので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:九三は陽爻で陽位に居り、中道を得ず、また下体の最も上にあって、剛強高亢の資質に凭るのに、巽順を崇尚する時勢の中に生まれ、本は謙順できる人でなく、ただ勉強して為すのみできるので、屡屡失当する。巽の時勢に処して、自分が下に居りて上がまた巽をもってそれを圧し、六四がまた柔順をもってそれに親比し、それが乗ずるは剛爻で、上にまた重畳の剛爻あるのに、謙順しないと欲しても、弁じ得ようか。だから屡屡失当して一再して謙順する。これは憾惜に値する。

集說 趙氏汝楳曰:“頻巽”者,既巽復巽,猶頻復也。 案 “巽”者,入也。然又曰“德之制”,若不能斷制,則其人之深者,徒足使弊益以滋,而奸無所畏,非唯無益而又害之也。夫子曰“再思可矣”,言事貴斷也。九三上九,皆過於中,則是蓄疑以敗謀,多思而少斷。然三未如上九之甚也,故但為“頻巽”

「集説」に趙汝楳を引く:いわゆる「頻巽」は、すでに謙順したのにまた再び謙順するので、《復》卦のいう「頻復」(屡失して屡復る)に譬えるが如し。李光地の按:「巽」は進入だが、しかし《繫辞伝》はまたそれを「徳之制」(徳行の裁断)という。もし決断裁制できなければ、則ち鑽研が深い人ほど、反って弊病をますます滋長せしめ奸人を畏れなくせしめるだけで、益がないのみならず、禍害を添える。孔子が「再思可矣」(考慮は両遍で足りる)と言ったは、まさに事を弁ずるに決断を貴ぶを講じた。九三と上九は皆中道を越過して、すなわち疑を積んで謀略を敗壊し思を多くして決断を少なうした。ただし九三は尚上九のように厳重でないので、ただ「頻巽」という……底本の文字はここに中断し、下に脱文あり。

六四,悔亡,田獲三品。 本義 陰柔無應,承乘皆剛,宜有“悔”也,而以陰居陰,處上之下,故得”悔亡”,而又為卜田之吉占也。“三品”者,一為乾豆,一為賓客,一以充庖。

爻辞にいう:六四、悔恨が消失し、田猟で三類の猟物を獲得した。朱熹《周易本義》にいう:六四は陰柔で応ずる爻がなく、上に承接し下に乗ずる所もまた皆剛爻で、本来「悔」あるべきだが、しかしそれは陰爻で陰位に居り、上卦の最も下に処するので、「悔亡」を得られ、しかもこれは田猟を占問する吉利の占辞である。いわゆる「三品」は、一份を乾豆(祭祀に用いる乾肉)に作り、一份を賓客に招待し、一份を厨房を充実する。

程傳 陰柔無援,而承乘皆剛,宜有“悔”也。而四以陰居陰,得《巽》之正,在上體之下,居上而能下也,居上之下,巽於上也,以巽臨下,巽於下也。善處如此,故得“悔亡”。所以得“悔亡”,以如田之“獲三品”也。“田獲三品”,及於上下也。田獵之獲分三品:一為乾豆,一供賓客與充庖,一頒徒御。四能巽於上下之陽,如田之“獲三品”,謂遍及上下也。四之地本有悔,以處之至善,故“悔亡”。而復有功,天下之事,苟善處,則悔或可以為功。

程頤《伊川易伝》にいう:六四は陰柔で援応がなく、承接と乗ずる所もまた皆剛爻で、本来「悔」あるべきである。しかし六四は陰爻で陰位に居り、《巽》の正道を得た。それは上体の最も下にあって、上位に身を居して謙下できる。上卦の下に処しては、上に対して謙順である。謙順の姿態をもって下に面しては、下に対して謙順である。このように自処に善いので、「悔亡」を得られる。それが「悔亡」し得る所以は、正しく田猟の「獲三品」と同じである。「田獲三品」は、恩沢が上下に兼ね及ぶ。田猟の収獲を三類に分ける:一份を乾豆に作り、一份を賓客に供して厨房を充実し、一份を随行の徒衆と駕車する者に頒給する。六四が上下の陽爻に皆謙順し得るは、田猟の「獲三品」の如く、普く上下に恵及するを説く。六四の処する地位は本来悔あるのに、自処が極めて妥善なので「悔亡」し、しかも功を立てた。天下の事情は、ただ処置に善ければ、悔恨も時に反って功業に転じ得る。

集說 王氏弼曰:雖以柔遇剛,而依尊履正,以欺行命,必能獲強暴,遠不仁者也。 獲而有益,莫善“三品”,故曰“悔亡,田獲三品”。 王氏安石曰:“田”者,興事之大者也。“三品”,有功之盛者也。 郭氏雍曰:六四近君,志決於進,無初六之疑,則“悔亡”矣。是以有“田獲三品”之功也。六四至柔,不當有“田獲”之功。而此以順乎剛得之,由是觀之,則巽之為道,豈柔弱畏懦之謂哉!

「集説」に王弼を引く:六四は柔爻をもって剛爻に遭遇したが、尊位に依傍し正道を践行し、これに凭って命令を推行する(底本は「以欺行命」で、「欺」は「斯」の訛りであるべき)ので、必ず強暴を擒獲し不仁の人を駆遠できる。収獲あってまた益あるに、「三品」より好いはなし。だから「悔亡・田獲三品」という。王安石がいう:「田」は大事を興弁する象徴で、「三品」は功業が盛大の象徴である。郭雍がいう:六四は君位に近づき、心志が決然に前に向かい、初六のような疑慮がないので「悔亡」し、因此「田獲三品」の功労がある。六四は極めて柔弱で、本来「田獲」のような功労あるべきでないのに、ここではかえって陽剛に順従する因によって得た。これにより見れば、巽のこの路数は、どうして柔弱畏縮の代名詞であろうか。

沈氏該曰:“田獲三品”,令行之效也。“田”,除害也。“獲”,得禽也。行君之令而致之民,將以興利除害也,害去利獲,令行而功著,是以“田獲三品也”。 胡氏炳文曰:“田”,武事也。初“利武人之貞”,四之“田獲”,用武而有功者也。

「集説」に沈該を引く:「田獲三品」は政令が推行を得た効験である。「田」は害を除くで、「獲」は禽獣を猟得する。君主の命令を推行して百姓の身に落実するは、利を興し害を除くにある。禍害がすでに除かれ利益がすでに得られ、政令が推行して功效が彰著なので、「田獲三品」という。胡炳文がいう:「田」は武事に属する。初六に「利武人之貞」といい、六四に「田獲」というは、皆武力を動用して功労を立てた。

案 以卦義論,則初與四皆伏陰也。陽所入而制之者也。有以制之,則柔順乎剛,而在內者無陰慝矣。以爻義論,則初與四能順乎剛,是皆有行事之責者。蓋質雖柔,而能以剛克,則所謂柔而立者也。初居重巽之下,猶有“進退”之疑。至四則居高當位,上承九五,視初又不同矣,故在初“利武人之貞”。四則載纘武功,而田害悉去,解獲三狐,而此“獲三品”,所獲者多,不止於狐也。

李光地の按:整卦の取義に按って言えば、初六と六四は皆潜伏の陰爻で、陽爻が深入りして裁制を加えんとする対象である。それを裁制する力量あれば、陰柔は陽剛に順従して、内部にもまた陰邪の作祟なし。各爻の取義に按って言えば、初六と六四は陽剛に順従できて、皆政事を推行する責を負う。資質は柔弱でも、剛毅をもって克服できれば、これがすなわち《尚書・洪範》のいう「柔而立」のあの種の人である。初六は重巽の最も下に処して、尚「進退」の疑慮を帯びる。六四に至れば、位に居して既に高くまた「当位」し、上に九五を承接するので、初六に比べてまた同じでない。だから初六は「利武人之貞」で、六四は則ち武功を継承して発揚し、田猟の中の禍害を全く除尽する。《解》卦九二に「田獲三狐」といい、ここに「獲三品」というは、獲得する所がさらに多く、狐に止まらない。

九五,貞吉悔亡,無不利,無初有終,先庚三日,後庚三日,吉。 本義 九五剛健中正,而居《巽》體,故有“悔”,以有“貞”而“吉”也,故得亡其悔而“無不利”。有“悔”,是“無初”也。“亡”之,是“有終”也。“庚”,更也,事之變也,“先庚三口”,丁也。“後庚三曰”,癸也。“丁”,所以丁寧於其變之前。“癸”,所以揆度於其變之後。有所變更而得此占者,如是則“吉”也。

爻辞にいう:九五、正を守れば則ち吉、悔恨が消失し、不利なし。開頭は美ならずも結局は好い収成を得られる。庚日の前の三日に予め叮嚀を作し、庚日の後の三日にさらに考量を加えれば、吉祥。朱熹《周易本義》にいう:九五は剛健中正だが、身が《巽》体に処するので「悔」あり。能く「貞」を守って「吉」を得るので、この悔を消去して「无不利」を得られる。「悔」あるはすなわち「无初」で、悔を消掉すればすなわち「有終」である。「庚」は更改の義で、事情の変動を指す。「先庚三日」は丁日(底本「先庚三口」、「口」は「日」の訛り)で、「後庚三日」は癸日である。「丁」は叮嚀の義を取り、変動の前に反復して叮嘱するに用い、「癸」は揆度の義を取り、変動の後に仔細に審量するに用いる。変更する所有ってこの一爻を占得する人は、このようにして行けば吉祥である。

程傳 五居尊位,為《巽》之主,命令之所出也。處得中正,盡巽之善,然巽者柔順之道,所利在貞,非五之不足,在《巽》當戒也。既“貞”則“古”而“悔亡”,無所不利。“貞”,正中也。處《巽》出令,皆以中正為吉。柔巽而不貞則有悔,安能無所不利也。命令之出,有所變更也。“無初”,始未善也。“有終”,更之始善也。若己善,則何用命也,何用更也。“先庚三日,後庚三日,吉”。出命更改之道,當如是也。“甲”

程頤《伊川易伝》にいう:九五は尊位に居して《巽》卦の主爻で、命令が発する所である。それは位に処して「中正」で、巽の美善を極処に為した。しかし巽は柔順の道で、利のある所は正を守るに在り。これは九五自身に不足あるを説くのでなく、身が《巽》卦の中に在って理当この告誡あるべきである。すでに「貞」を守り得れば、則ち「吉」にして「悔亡」し、不利なし(底本「則古而悔亡」、「古」は「吉」の訛り)。「貞」はすなわちまた正でありまた中である。身が《巽》卦に処して政令を発布するに、皆中正をもって吉と為す。柔順謙巽して正を守らなければ悔ある。どうして不利なきことができようか。命令の発出は、変更有るを意味する。「无初」は開頭が尚完善でなく、「有終」は変更の後に初めて完善する。もし原本から完善ならば、何ぞ必ず再び命令を下さん、何ぞ必ず再び更改を作さんや。「先庚三日・後庚三日・吉」、命令を発布し旧制を更改する弁法は、このようであるべきである。「甲」に至っては——底本の文字はここに中断し、下に脱文あり。

集說 張氏浚曰:巽孰為貞,“先庚”“後庚”,巽之貞也。先三日,蓋慎始而圖其幾。後三日,蓋思終而考其成。慎始思終,權斯行矣。“庚”有制變之義,當以剛德為主,不然其弊將淪溺而入於《蠱》矣。 郭氏雍曰:慎乃出令,君人之道也。先後三日而申命之者,慎之至也。慎之至者,令出惟行,弗惟反故也、命令之出,有必可行之善,而無不可行復反之失,是以“吉”也。上曰“貞吉”,九五之“貞吉”也。下曰“吉”,蓋命令以是為吉也。“庚”,即命令也。“先庚”,謂“申命”。“後庚”,謂出令之後而“行事”也。

「集説」に張浚を引く:巽は何をもって貞と算えるか。「先庚」「後庚」がすなわち巽の貞である。前三日は、開端に謹慎してその先兆を謀る。後三日は、結局に思慮が及んでその成效を考核する。開端が謹慎で結局が周全なれば、権変の道がこれで初めて施行できる。「庚」は裁制変更の意義を含み、剛健の徳を主とすべきで、然らずんばその弊病は一路沈淪して《蠱》卦のような敗壊に堕ち入る。郭雍がいう:慎重に命令を発布するは、天下に君臨する者の道理である。前三日後三日に反復して命令を申明するは、謹慎が極点に至った。謹慎が極点に至れば、命令は一たび発すれば執行あるのみで、反悔して收回する事はない。命令の発出は、必ず行い得る好処あって、行き通らずまた收回する過失なし。したがって「吉」。上文に「貞吉」というは九五自身の「貞吉」で、下文に「吉」というは命令につきてこれを以て吉と為す。「庚」はすなわち命令で、「先庚」が指すは「申命」で、「後庚」が指すは命令発出の後の「行事」である。

胡氏炳文曰:《蠱》者事之壞,“先甲”“後甲”者,飭之使復興起,巽者事之權,“先庚”“後庚”者,行之使適變通。 張氏清子曰:“甲”者十干之首,事之端也,故謂之“終則有始”。“庚”者十干之過中,事之當更者也,故謂之“無初有終”。況《巽》九五乃《蠱》六五之變,以造事言之,故取諸甲。以更事言之,故取諸庚,《易》於甲庚皆曰,先後“三日”者,蓋聖人謹其始終之意也。

「集説」に胡炳文を引く:《蠱》卦が講ずるは事情がすでに敗壊したで、「先甲」「後甲」はそれを整飭して重新に振興せしめる。巽卦が講ずるは事情が権変を需要するで、「先庚」「後庚」はそれを推行して変通に切合せしめる。張清子がいう:「甲」は十天干の首で、事情の開端を代表するので、《蠱》卦に「終則有始」という。「庚」は十天干で中数を過ぎ、事情が更改すべき時に至ったを代表するので、《巽》卦に「无初有終」という。いわんや《巽》卦九五はまさに《蠱》卦六五から変じ来た。創立する事情につきては、だから「甲」を取り、更改する事情につきては、だから「庚」を取る。《周易》が甲・庚の両処で皆前後各「三日」というは、聖人が事情の始終に対して謹慎する用意である。

梁氏寅曰:五居尊位,乃命令之所自出也。巽之義為入,入於理者深,而見於行者決,巽之道然後為盡矣。不然優遊牽制,其多思者乃其所以為累者也,曷足貴乎。 鄭氏維嶽曰;九五一爻,正所謂“剛巽乎中正而志行”者,五居《巽》體,有《蠱》壞之病,故“有悔”,而以剛小正之道,渙號更命,得其貞正,故“吉悔亡”而“無不利”。先三後三,即是“申命行事”,即是貞處。 吳氏曰慎曰:苟有昕變,必丁寧揆度而後行事,則入於事理,順於人心,以得重巽之中,盡權宜之制,是以“吉”也。

「集説」に梁寅を引く:九五は尊位に居して命令の従って出る所である。巽の意義は「入」で、義理に深入りするほど深ければ、行動に見るほど果決で、巽の道理がこれで初めて尽くされたと算える。然らずんば、優柔で遅疑して処処牽制され、あの想う多きは反って自己の拖累となって、どうして看重に値しようか。鄭維岳がいう:九五のこの一爻は、まさに《彖伝》のいう「剛巽乎中正而志行」のあの種である。九五は身が《巽》体に在って、《蠱》のような敗壊の毛病を帯びるので「有悔」。剛健中正の道を用い(底本「剛小正」、「小」は「中」の訛りであるべき)、号令を渙発し成命を更改し、その貞正を得たので「吉悔亡」にして「无不利」。前三日後三日は、すなわち「申命行事」で、すなわち貞を守る処置である。呉曰慎がいう:もし変更する所有れば(底本「昕変」、「昕」は「所」の訛りであるべき)、必ず反復して叮嚀し仔細に揆度して後に初めて事を弁ずれば、事理に深入りし人心に順応し、重巽の中道を取得して権宜裁制の分寸を尽くし得る。したがって「吉」。

上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。 本義 “巽在床下”,過於巽者也。“喪其資斧”,失所以斷也。如是則雖“貞”亦“凶”矣。居巽之極,失其陽剛之德,故其象占如此。

爻辞にいう:上九、謙卑なること床の下に伏するが如く、頼って決断する斧鉞を喪失し、正を守るも尚凶。朱熹《周易本義》にいう:「巽在床下」は謙順が頭を過ぎた。「喪其資斧」は決断するに用いる憑藉を失った。こうなれば、たとえ能く「貞」でも、仍として「凶」である。上九は巽の頂点に処して、陽剛の有すべき徳性を失い掉ったので、その卦象と占断はこのようである。

程傳 “床”,人所安也:“在床下”,過所安之義也。九居巽之極,過於巽者也,“資”,所有也。“斧,以斷也。陽剛本有斷,以過巽而失其剛斷,失其所有,“喪資斧”也。居上而過巽,至於自失,在正道為凶也。

程頤《伊川易伝》にいう:「床」は人が安身する所で、「在床下」はすなわち安身の処を越えたの意。上九は陽爻をもって巽の頂点に居して、謙順が頭を過ぎた。「資」は自分が擁有するもので、「斧」は砍断して事を決するに用いる。陽剛は本来決断の能力を具備するが、謙順が過度で剛毅の決断を喪失したので、本来擁有したものを失い掉った。これがすなわち「喪資斧」である。上位に身を居して謙順が過度に至って、自己をも失い掉うに至ったは、正道から見れば則ち凶である。

集說 王氏弼曰:處《巽》之極,極《巽》過甚,故曰“巽在床下”。“斧”,所以斷者也。過巽失正,喪所以斷,故曰“喪其資斧”。 胡氏瑗曰:“斧”,斤也,善於斷割。處無位之地,無剛明之才,不能斷割以自決其事,故“凶”也。 案 “資斧”古本作“齊斧”為是。蓋因承《旅》卦同音而誤也。《說卦》“齊乎《巽》 ”。 齊斧者,所以齊物之斧也。

「集説」に王弼を引く:上九は《巽》の頂点に処して、《巽》を極端に推したので「巽在床下」という。「斧」は決断するに用いる。謙順が過度で正道を失い、決断の憑藉を喪失したので「喪其資斧」という。胡瑗がいう:「斧」はすなわち斤で、砍斫する利器で、劈断裁割に長ずる。上九は爵位のない地位に処して、また剛健明叡の才具なく、果断に裁割して自己のために事情を了断できないので「凶」。李光地の按:「資斧」は古本で「齊斧」と作るが正しい。大概上の文の《旅》卦の「資斧」を承接して読音が同じなので誤りを致した。《説卦伝》に「斉乎《巽》」(万物が巽方に整斉する)という。いわゆる斉斧は、すなわち万物を整斉するに用いる斧鉞である。

總論 蘇氏濬曰:“巽”者,入也。然所謂入者,豈徒藉口於迂徐《漸》次之功,

「総論」に蘇濬を引く:「巽」は進入である。しかし言う所の進入は、どうしてただ《漸》卦のような迂緩漸進の功夫を口実とすることのみであろうか——底本の文字はここに中断し、下に脱文があり、例に依り臆補しない。

兌卦

兌.兌上.兌下程傳 《兌序卦》:“巽者,入也。入而後說之,故受之以《兌》,兌者,說也。”物相入則相說,相說則相入,《兌》所以次《巽》也。

「兌・兌上・兌下」は卦画の注記で、本卦の上体・下体が皆兌であるを表し、重兌の卦に属する。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《巽》の後に《兌》を接ぐ道理を講じて「巽はすなわち進入で、進入して後に人が喜悅する。だから《兌》卦をもってそれを承け、兌はすなわち喜悅である」という。事物が彼此深入りすれば彼此喜悅し、彼此喜悅すればさらに彼此深入りし得る。《兌》卦が因って《巽》卦の後に並ぶ所以である。

兌,亨,利貞。 本義 “兌”,說也。一陰進乎二陽之上,喜之見乎外也。其象為“澤”,取其說萬物,又取坎水而寒,其下流之象。卦體剛中而柔外,剛中,故“說”而“亨”。柔外,故“利”於“貞”。蓋說有亨道,而其妄說不可以不戒,故其占如此。又柔外故為“說亨”,剛中故“利”於“貞”,亦一義也。

卦辞にいう:《兌》卦、亨通し、正を守るに宜しい。朱熹《周易本義》にいう:「兌」は喜悅である。一つの陰爻が二つの陽爻の上に昇進したは、喜悅が外に流露する。それが象を「沢」に取るは、沢が万物を欣悦せしめ得るの義を取り、また坎水の寒涼で下に向かって流注する形象を取る。卦体について言えば陽剛が中に居りて陰柔が外にある。剛爻が中に居るので能く「説」にして「亨」でき、柔爻が外にあるので「貞」に「利」する。大凡喜悅は本来亨通の路子あるが、しかし胡乱に取悦しては警戒を加えざるべからず。だからその占断はこのようである。別の一种の講法は:柔爻が外にあるので「説亨」と称し、剛爻が中に居るので「貞」に「利」する。これもまた講じて通ずる。

程傳 “兌”,說也,“說”,致亨之道也。能說於物,物莫不說而與之,足以致亨。 然為說之道,利於貞正,非道求說則為邪諂而有悔咎,故戒“利貞”也。 集說 焦氏竑曰:人有喜說必見而在外,蓋陽假陰之和柔以為用。喜說非由於陰也,故二陰一陽,則陽為之主。二陽一陰,則陰非為主,但為陽之用耳。

程頤《伊川易伝》にいう:「兌」は喜悅で、「悦」は亨通を招致する途徑である。外物を喜悅せしめ得れば、外物で喜悅して彼に親附せざるはなく、亨通を招致するに足る。しかし取悦の路数は、利のある所は貞正を守持するに在る。もし正道に循って人の喜ぶを求めなければ、邪僻諂媚となって悔恨と咎責を招く。だから「利貞」と告誡した。「集説」に焦竑を引く:人に喜悅あれば必ず外面に顕露する。これは陽が陰の和柔を借助して作用を発揮する。喜悅は陰から生ずるのでないので、両陰一陽の卦では陽がその主を為し、両陽一陰の卦では陰は主でなく、ただ陽の用具を充当するだけである。

案 地有積溼,春氣至則潤升於上。人身有血,陽氣盛則腴敷於色,此《兌》為澤為說之義,蓋說雖緣陰,而所以用陰者陽也。入有柔和之質,而非以忠直之心行之,則失正而入於邪矣,故“利貞”。

李光地の按:地の中に湿気を積み、春気が一たび至れば滋潤の気が昇騰し上がる。人の身の中に血あり、陽気が一たび旺なれば豊潤が気色に顕現する。これがまさに《兌》卦が象を沢に取り義を悦に取る道理——喜悅は陰に縁るが、しかし陰を駆使するは陽である。人に柔和の資質あれば(底本「入有柔和之質」、「入」は「人」の訛りであるべき)、もし忠誠正直の心を用いて践行しなければ、正道を失って邪僻に堕ち入る。だから「利貞」という。

初九,和兌,吉。 本義 以陽爻居說體,而處最下,又無繫應,故其象占如此。 程傳 初雖陽爻,居說體而在最下,無所繫應,是能卑下和順以為說,而無所偏私者也。以和為說,而無所偏私,說之正也。陽剛則不卑,居下則能巽,處說則能和,無應則不偏,處說如是,所以“吉”也。

爻辞にいう:初九、和順をもって相悦ばむ。吉祥。朱熹《周易本義》にいう:初九は陽爻をもって喜悅の体に居し、また最下位に処し、また牽係して相応ずる爻なし。だからその卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:初九は陽爻だが、喜悅の体に処して最下に居り、牽係して相応ずる対象なし。これは能く謙卑柔和に人に待して悦ばしめ、毫も偏私なしである。和順を悦と為して偏私する所なしは、まさに喜悅の正道である。陽剛なれば卑屈に至らず、下に居れば謙遜でき、悦体に処すれば和順でき、「応与」なければ偏私しない。喜悅の時に処してこのようであれば、だから「吉」。

集說 蔡氏淵曰:爻位皆剛,不比於柔,得說之正,和而不流者也,故“吉”。 吳氏澄曰:六畫唯初不比陰柔,說道之善。故曰“和”。 趙氏玉泉曰:陽剛則無邪媚之嫌,居下則無上求之念,無應又無私繫之累,其說也不諂不瀆,中節而無乖戾,“和兌”之象,如是則說得其正矣。 來氏知德曰:“和”,與《中庸》“發而皆中節謂之和”同。謂其所說者無乖戾之私,皆性情之正,道義之公也。

「集説」に蔡淵を引く:初九は爻が剛で位もまた剛(陽爻が陽位に居る)で、柔爻と親比せず、喜悅の正道を得て、和順で波に逐い流れないので「吉」。呉澄がいう:六画の中でただ初九のみが陰柔と親比せず、喜悅の道の中で最も美善なので「和」という。趙玉泉がいう:陽剛なれば邪媚の嫌疑なく、下に居れば上に攀求の念頭なく、「応与」なければまた私相牽係の拖累なし。彼の喜悅は諂媚でもなく軽慢でもなく、処処節度に合して乖張せず、まさに「和兌」の形象で、こうして喜悅がその正を得た。来知徳がいう:「和」は《中庸》の「発而皆中節謂之和」の「和」と同じで、彼が喜悦する所に乖戾の私心なく、皆性情の正・道義の公から出るを説く。

九二,孚兌,吉,悔亡。 本義 剛中為“孚”,居陰為“悔”。占者以“孚”而“說”,則“吉”而“悔亡” 程傳 二承比陰柔,陰柔小人也。說之則當有“悔”,二剛中之德,孚信內充,雖比小人,自守不失。“君子和而不同”,說而不失剛中,故“吉”而“悔亡”,非二之剛中則有悔矣,以自守而亡也。

爻辞にいう:九二、誠信をもって相悦ばむ。吉祥で悔恨が消失する。朱熹《周易本義》にいう:陽剛が中に居るので「孚」となり、陽爻が陰位に居るので「悔」あり。占問の人がもし誠信をもって取悦できれば、「吉」にして「悔亡」す——底本ここの文字はやや脱漏あり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は上に陰柔の六三に緊挨着し、陰柔はすなわち小人で、それに取悦して往けば本来「悔」あるべきだが、しかし九二は陽剛居中の徳性を備え、誠信が内に充実するので、小人と親比するも、仍として自守して失わず。孔子が「君子和而不同」と言った如く、九二は喜悅して剛中の道を失わないので「吉」にして「悔亡」。もし九二の剛中なければ、則ち悔あり。まさに自守できるが故に悔が消失した。

集說 王氏宗傳曰:六三陰柔而不正,所謂非道以說者也。而二比之,疑於有“悔”矣,然二以剛居中,誠實之德,充足於內,故雖與二同體,而無失己之嫌,此其“悔”所以“亡”也。 龔氏煥曰:九二陽剛得中,當說之時,以孚信為說者也。己以“孚”信為“說”,人不得而妄說之,所以“吉”也。

「集説」に王宗伝を引く:六三は陰柔で正位に居らず、まさにいわゆる正道に循って人に取悦しない者である。九二がそれと親比すれば、見るに「悔」あるべきだが、しかし九二は剛爻で中位に居り、誠実の徳性が内に充満するので、六三と同じ一体に処しても(底本は「与二同体」で、「二」は「三」の訛りであるべき)、自我を喪失する嫌疑なし。これがすなわちそれの「悔」が消失する所以の縁故である。龔煥がいう:九二は陽剛で中位を得て、喜悅の時に処して、誠信を以て喜悅と為す。自己がすでに「孚」信を「悦」と為せば、他人は虚妄の手段をもって彼に取悦できない。だから「吉」。

六三,來兌,凶。 本義 陰柔不中正,為《兌》之主。上無所應,而反來就二陽以求說,“凶”之道也。 程傳 六三陰柔不中正之人,說不以道者也。“來兌”,就之以求說也,比於在下之陽,枉己非道,就以求說,所以“凶”也。之內為來,卜下俱陽而獨之內者,以同體而陰性下也,失道下行也。

爻辞にいう:六三、頭を回らして悦を求める。凶険。朱熹《周易本義》にいう:六三は陰柔で不中不正だが、《兌》卦の主爻である。上に相応ずる爻なく、反って頭を回らして下の二つの陽爻に凑近して取悦を求める。これは凶険の路数である。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔で不中不正の人で、取悦が正道に循わない。「来兌」は、凑り上げて人の喜ぶを求める。それは下に在る陽爻に親比して、自己を委屈し正道に由らず、凑り上げて悦を求めるので「凶」。内卦の方向に往くを「来」という。上下が皆陽爻なのにそれは偏に内に往く(底本「卜下倶陽」、「卜」は「上」の訛りであるべき)のは、同じく一体に処して陰の本性が下に趨くからで、これは正道を失って下に走るである。

集說 王氏宗傳曰:六三居兩《兌》之間,一《兌》既盡,一《兌》復來,故曰“來兌”,夫以不正之才,居兩《兌》之間,左右逢迎,惟以容說為事,此小人之失正者,故於兌為“凶”。 案 三居內體,故曰“來”。然非來說於下二陽之謂也,為說之主。志在於說,凡外物之可說者,皆感之而來也。

「集説」に王宗伝を引く:六三は二つの《兌》体の間に処して、一つの《兌》が剛々終了し、別の一つの《兌》がまた接続して来るので「来兌」という。不正の才質に凭り、両《兌》の間に居り、左右に逢迎し、一味に討好取悦を正事と當てる。これは小人が正道を失う様子なので、兌卦の中で「凶」と断ずる。李光地の按:六三は内体に居するので「来」という。ただしこれはそれが前に来りて下の二つの陽爻に取悦するを説くのでない。それは喜悅の卦の主爻で、心志が専ら悦に在り、凡そ外物の中の人を喜ばしむべきものは、皆それに招感されて来る。

九四,商兌未寧,介疾有喜。 本義 四上承九五之中正,而下比六三之柔邪,故不能決。而商度所說,未能有定,然質本陽剛,故能介然守正,而疾惡柔邪也。如此則“有喜”矣,象占如此,為戒深矣。

爻辞にいう:九四、反復して誰に親悦すべきかを掂量して安寧を得ず、耿介に邪佞を憎悪できれば疾病を去るが如く、喜慶あり。朱熹《周易本義》にいう:九四は上に中正の九五を承接し、下にまた陰柔邪僻の六三に親比するので、決断できず、ただ反復して親悦すべき対象を揣度して定まらない。しかしその本質はもとは陽剛なので、耿介に正道を守持して柔邪を憎悪し得る。こうすれば「有喜」となる。その卦象と占断がかくの如く、垂誡は甚だ深切である。

程傳 四上承中正之五,而下比柔邪之三,雖剛陽而處非正。二陰柔陽所說也,故不能決而商度未寧,謂擬議所從而未決,未能有定也。兩間謂之介,分限也。地之界則加田義乃同也,故人有節守謂之介,若介然守正,而疾遠邪惡,則“有喜”也。從五,正也。說三,邪也。四近君之位,若剛介守正,疾遠邪惡,將得君以行道,福慶及物,為“有喜”也。若四者得失未有定,繫所從耳。

程頤《伊川易伝》にいう:九四は上に中正の九五を承接し、下に柔邪の六三に親比する。陽剛でも処する位置が正しくない。陰柔は陽が喜悅する対象なので、決断できず、ただ反復掂量して安寧を得ない——すなわちそれが誰に跟従すべきかを擬議して定まらないを説く。両者の間を「介」という。分界の義である。土地の分界は田旁を加えて「界」と写し、取義は同じなので、人に節操あって堅守するを「介」という。もし耿介に正道を守持し、邪悪を憎悪して遠離できれば、「有喜」となる。九五に跟従するは正で、六三に取悦するは邪である。九四は近君の位置に処して、もし剛毅耿介で正を守り邪悪を憎悪遠離できれば、まさに君主の信任を得て大道を推行し、福慶が万物に恵及する。これがすなわち「有喜」。九四のような処境は、得失が尚定准なく、全くそれが究竟誰に跟従するかを看るだけである。

集說 楊氏簡曰:九剛四柔,近比六三諛佞之小人,心知其非,而實樂其柔媚,故商度所說,去取交戰於胸中而“未寧”。聖人於是勉之曰,介然疾惡小人則“有喜”。 案 《易》中“疾”字皆與“喜”對,故曰“無妄之疾勿藥有喜”,又曰“損其疾使遄有喜”。以此爻例之,則疾者謂疾病也,喜者謂病去也。四比於三,故曰“介疾”,言介於邪害之間也。若安而溺焉,則其為鴆毒大矣,惟能商度所說而不以可說者為安,則雖“介疾”而“有喜”矣。《論語》曰:君子易事而難說也。說之不以道不說也,其

「集説」に楊簡を引く:九は剛爻で四は柔位で、それは六三という阿諛奸佞の小人に緊挨着し、心の中では明らかにすべからずと知るが、実際にはあの柔媚を貪恋するので、親悦すべき対象を反復掂量し、取舍が胸中で交戦して「未寧」である。聖人はそこで彼を勉励していう:能く耿介に小人を憎悪すれば「有喜」。李光地の按:《周易》の中の「疾」字は皆「喜」字と相対するので、《无妄》九五に「无妄之疾・勿薬有喜」といい、《損》卦初九にまた「損其疾・使遄有喜」という。この体例を以てこの一爻を推すれば、則ち「疾」は疾病を指し、「喜」は病が去るを指す。九四は六三と親比するので「介疾」といい、それが邪害の間に挟まるを説く。もしこれに安んじて沉溺し入れば、禍害は鴆毒のように甚しい。ただ能く悦ばむ所の対象を反復掂量し、人を喜ばしむべき物を安身の処と當てなければ、則ち「介疾」でも能く「有喜」できる。《論語》にいう:君子は事を共にするは易く悦ばしめるは難し。正道をもって彼を悦ばしめなければ、彼は喜悅しない。彼は——底本の文字はここに中断し、下に脱文あり。

九五,孚于剝,有厲。 本義 “剝”,謂陰能剝陽者也。九五陽剛中正,然當說之時而居尊位,密近上六,上六陰柔,為說之王,處說之極,能妄說以剝陽者也。故其占但戒以信於上六則有危也。

爻辞にいう:九五、あの陽剛を剥蝕し得る陰柔を信任するに往けば、危険あり。朱熹《周易本義》にいう:「剥」が指すは陰が能く陽を剥蝕する。九五は陽剛中正だが、しかしまさに喜悅の時に当たって尊位に居し、上六に緊挨着する。上六は陰柔で、喜悅を造成する主爻(底本「為説之王」、「王」は「主」の訛りであるべき)で、喜悅の頂点に処し、虚妄の取悦をもって陽剛を剥蝕し得る者である。だからその占辞はただ告誡して、もし上六を信任すれば危険ありと説く。

程傳 九五得尊位而處中正,盡說道之善矣。而聖人復設有厲之戒,蓋堯舜之盛,未嘗無戒也。戒所當戒而已,雖聖賢在上,天下未嘗無小人,然不敢肆其惡也。聖人亦說,其能勉而革面也。彼小人者,未嘗不知聖賢之可說也。如四凶處堯朝,隱惡而順命是也。聖人非不知其終惡也,取其畏罪而強仁耳。五若誠心信小人之假善為實善,而不知其包藏,則危道也。小人者備之不至,則害於善,聖人為戒之意深矣。“剝”者,消陽之名,陰消陽者也。蓋指上六,故“孚于剝”則危也。以五在說之時而密比於上六,故為之戒。雖舜之聖,且畏“巧言令色”,安得不戒也。說之惑人,易入而可懼也如此。

程頤《伊川易伝》にいう:九五は尊位を得て位に処して中正で、喜悅の道の美善を極処に為したが、しかし聖人は尚別に「有厲」の告誡を設ける。これはたとえ尭舜のような盛世でも、未だ嘗て告誡のないことがなく、ただ告誡すべきを告誡し尽しただけである。上位に聖賢あっても、天下に未だ嘗て小人のないことがなく、ただ彼らが放肆に悪を為すを敢えてしないだけである。聖人もまた彼らのために欣喜し、喜ぶは彼らが外表の面目を勉力して改換し得る。あの小人どもは、未だ嘗て聖賢が取悦できるを知らず、譬えば四凶が尭の朝廷に身を処して、悪念を隠蔵して表面は命令に順従するは、まさにこのようである。聖人は彼らが終に悪なるを知らないのでなく、ただ彼らが罪責を畏れて強いて仁を行うのこの一点を取るだけである。九五がもし誠心に小人が仮装する善がすなわち真善と信じて、彼らの心の中に何を包蔵するかを知らなければ、則ち危険の路数である。小人に対して防備が周到でなければ、善類を妨害する。聖人がこの告誡を立てる用意は甚だ深い。「剥」は陽を消蝕する名目で、陰が陽を消蝕するを指し、ここで説くはまさに上六なので「孚于剥」すれば危険である。九五が身に喜悅の時に処して上六と緊緊に親比するので、彼のために告誡を立てた。たとえ舜のような聖人でも、尚「巧言令色」を畏れる。どうして警戒を加えないことができようか。喜悅が人に対する迷惑は、鑽入り易くして畏るべきで、竟にこの般の地步に至る。

集說 王氏弼曰:比於上六,而與相得,處尊正之位,不說信乎陽,而說信乎陰,“孚于剝”之義也。“剝”之為義,小人道長之謂。 楊氏簡曰:九五親信上六柔媚不正之小人,故曰“孚于剝”。《剝》之為卦,小人剝君子,又剝喪其國家,故謂小人為剝。信小人,危厲之道也。 胡氏炳文曰:說之感人,最為可懼,感之者將以剝之也。況為君者,易狃於所說,故雖聖人且畏“巧言令色”,況凡為君子者乎!

「集説」に王弼を引く:九五は上六と親比して彼此投合し、尊貴中正の位に身を処して、陽剛を信悦せず、反って陰柔を信悦する。これがすなわち「孚于剥」の意思である。「剥」という字の取義は、小人の勢力がまさに滋長するを説く。楊簡がいう:九五は上六という柔媚不正の小人に親近信任するので「孚于剥」という。《剥》のこの一卦が講ずるは小人が君子を剥蝕しまたその国家を剥喪するなので、小人を「剥」と称する。小人を信任するは、危険の路数である。胡炳文がいう:喜悅が人に対する感染は最も可怕しく、来りてあなたを感染する人は来りてあなたを剥蝕する。いわんや君主と為る人は、自己の喜ぶ事物に沉溺し易い。だからたとえ聖人でも尚「巧言令色」を畏れるのに、いわんや一般の君子をや。

錢氏一本曰:《兌》五說體,與《履》五健體不同,《履》五健,恐其和之難,危在夬,《兌》五說,不覺其人之易,危在孚,故皆“有厲”之象。 案 《易》中凡言“厲”者,皆兼內外而言,蓋事可危而吾危之也。《履》五爻及此爻,皆以剛中正居尊位,而有厲辭。夫子又皆以位正當釋之,是其危也。以剛中正故能危也。《兌》卦有危懼之義,而九五居尊,所謂“履帝位而不疚”者,故能因《夬》、《履》而常危。《兌》有說義,九五居尊,又比上六,故亦因“孚于剝”而心有危也。 此“有厲”與《夬》“有厲”正同,皆以九五比近上六,所謂其危乃光者也。

「集説」に銭一本を引く:《兌》卦九五は悦体に処するは、《履》卦九五が健体に処すると同じでない。《履》卦九五は剛健で、怕れるは和易の難しさで、危険は「夬」(果決が過甚)の上に落ちる。《兌》卦九五は喜悅で、他人が靠拢して来るの易しさを察覚しないので、危険は「孚」(軽易に相信する)の上に落ちる。だから両処に皆「有厲」の象ある。李光地の按:《周易》の中で凡そ「厲」というは、皆内外を兼ねて言い、事情に本来可危の処あって我が自己で戒懼する所を知るを説く。《履》卦九五とこの一爻は、皆陽剛中正を以て尊位に居するのに、「厲」の辞を繋ぐ。孔子がまた皆「位正当」をもって解釈するので、この種の危懼は、まさに剛健中正の故をもって初めて生出し得ることがわかる。《兌》卦は本来危懼の意昧があり、九五が尊位に居するは、すなわち《履》卦のいう「履帝位而不疚」の人なので、能く《夬》《履》の義に因って常に戒懼を存する。《兌》は喜悅の義あり、九五は尊に居してまた上六に緊挨着するので、また「孚于剥」に因って心に危懼を懐く。ここの「有厲」は《夬》卦の「有厲」と正しく相同じく、皆九五が上六に緊鄰する因による。すなわち《夬》卦《彖伝》のいう「其危乃光」(危懼を知りて然る後に道が乃ち光大する)の意思である。

上六,引兌。 本義 上六成說之主,以陰居說之極,引下二陽相與為說,而不能必其從也。故九五當戒,而此爻不言其吉凶。 程傳 他卦至極則變,兌為說,極則愈說。上六成說之主,居說之極,說不知已者也。故說既極矣,又引而長之,然而不至悔咎何也?曰:方言其說不知已,未見其所說善惡也。又,下乘九五之中正,無所施其邪說,六三則承乘皆非正,是以有凶。

爻辞にいう:上六、他人を牽引して相悦ばむ。朱熹《周易本義》にいう:上六は喜悅を造成する主爻で、陰爻をもって喜悅の頂点に居し、下の二つの陽爻を牽引してそれと一緒に喜悅せしめるが、しかし彼らが必ず跟従するを保証できない。だから九五のあそこに告誡を立て、この一爻は吉凶を言わない。程頤《伊川易伝》にいう:他の卦は極点に至れば転変するが、兌は喜悅で、極点に至ってかえってさらに喜悅する。上六は喜悅を造成する主爻で、喜悅の頂点に処して、喜悅して停止を知らない者である。だから喜悅がすでに極点に至ったのに、尚牽引してそれを拉长する。しかし竟に悔恨咎責に至らないは、これは何の故か。答えていわく:ここはただそれが喜悅して停止を知らないを説き、尚悦ぶ所が善か悪かを見出せない。さらに言えば、それの下に乗ずるは中正の九五で、それのあの邪僻の取悦を施展する処なし。六三は承接と乗ずる所が皆正しくないので、これで初めて凶ある。

集說 劉氏牧曰:執德不固,見誘則從,故稱“引兌”。 毛氏璞曰:所以為兌者,三與上也。三為內卦,故曰“來”,上為外卦,放曰“引”。 案 三與上,皆以陰柔為說主。“來兌”者,物感我而來,《孟子》所謂蔽於物,《樂記》所謂感於物而動者也。“引兌”者,物引我而去,《孟子》所謂物交物則引之而已矣,

「集説」に劉牧を引く:徳性を持守することが牢固でなく、一たび誘引に遇えば随って走るので、「引兌」と称する。毛璞がいう:この一卦をして兌と成らしめるは、六三と上六である。六三は内卦に属するので「来」といい、上六は外卦に属するので「引」という(底本「放曰引」、「放」は「故」の訛りであるべき)。李光地の按:六三と上六は、皆陰柔を以て喜悅の主爻を充当する。いわゆる「来兌」は、外物が我を感動して我に向かって涌来するで、すなわち《孟子》のいう外物に蒙蔽される、《礼記・楽記》のいう「感于物而動」である。いわゆる「引兌」は、外物が我を牽引して我を離去らしめるで、すなわち《孟子》のいう「物交物・則引之而已矣」である——底本の文字はここに中断し、下に脱文あり。

總論 龔氏煥曰:兌本以說之見乎外而得名,然六爻之義,皆不取說之徇乎外者,只之所說,苟能不徇乎外,則其見於外者,斯得其正而吉矣。 蔣氏悌生曰:當說之時,剛則有節,柔則無度,故此卦初二及四五四爻,皆以剛陽而得吉。三上二爻,皆以陰柔而致凶。

「総論」に龔煥を引く:兌は本来喜悅が外に流露する因によって名を得たが、しかし六爻の取義は、皆あの一味に外物に曲従する喜悅を取らない。自己が喜悅する所は、ただ外物に曲従しない能くすれば、則ち外に顕露する喜悅も、またその正を得て吉となる(底本「只之所説」の句は脱字あるを疑う)。蔣悌生がいう:まさに喜悅の時に当たり、剛なれば節制あり、柔なれば分寸なし。だからこの一卦の初九・九二と九四・九五のこの四爻は、皆陽剛の因によって吉を得、六三・上六の両爻は、皆陰柔の因によって凶を招く。

渙卦

渙.巽上.坎下程傳 《渙序卦》:“兌者,說也,說而後散之,故受之以《渙》。”說則舒散也,人之氣,憂則結聚,說則舒散,故說有散義,《渙》所以繼《兌》也,為卦巽上坎下,風行於水上,水遇風則渙散,所以為渙也。

「渙・巽上・坎下」は卦画の注記で、本卦の上体が巽(風)で下体が坎(水)であるを表す。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《兌》の後に《渙》を接ぐ道理を講じて「兌はすなわち喜悅で、喜悅して後に舒散し開ける。だから《渙》卦をもってそれを承く」という。喜悅すれば人が舒展松散する。人の身の上の気は、憂愁すれば鬱結凝聚し、喜悅すれば舒展松散する。だから「悦」は「散」の意を含み、《渙》卦が因って《兌》卦の後に接続する所以である。卦体について言えば巽が上に坎が下で、風が水面上に吹行して、水が風に遇えば渙散し開くので、名を渙という。

渙,亨,王假有廟,利涉大川,利貞。 本義 “渙”,散也,為卦下坎上巽,風行水上,離披解散之象,故為《渙》。其變則本自《漸》卦九來居二而得中,六往居三,得九之位,而上同於四,故其占可“亨”。 又以祖考之精神既散,故王者當至於廟以聚之,又以巽木坎水,舟楫之象,故“利涉大川”。其曰“利貞”,則占者之深戒也。

卦辞にいう:《渙》卦、亨通す。君王が宗廟に親臨して祖考の神霊を聚合し、大河を渡るに宜しく、正を守るに宜しい。朱熹《周易本義》にいう:「渙」は離散である。卦体について言えば下坎上巽で、風が水面上に行くは水波が披離して解散する形象なので《渙》という。「卦変」について言えば、それは本来《漸》卦から来た。《漸》の九三が来りて第二位に居して中を得、六二が往って第三位に居してもとの九のあった位置を占め、しかも上に九四と同心するので、その占断は「亨」し得る。また祖先の精神がすでに飘散したので、王者はまさに宗廟に親至してそれを聚攏すべきである。また巽は木で坎は水で、舟船の形象なので「利渉大川」。「利貞」というに至っては、あれは占問者に対する深切の告誡である。

程傳 “渙”,離散也。人之離散由乎中,人心離則散矣。治乎散亦本於中,能收拾人心,則散可聚也。故卦之義皆主於中,“利貞”,合渙散之道,在乎正固也。 案 《渙》與《萃》對。“假廟者”,所以聚鬼神之既散也。涉川者,所以聚人力之不齊也。蓋盡誠以感格,則幽明無有不應。秦越而共舟,則心力無有不同。此二者,渙而求聚之大端也。然不以正行之,則必有黷神犯難之事,故曰“利貞”。

程頤《伊川易伝》にいう:「渙」は離散である。人の離散の根源は内心にあり、人心が一たび背離すれば散ずる。離散を治理するもまた内心から入手し、人心を収拾し得れば、散じたも尚重新に聚攏できる。だからこの一卦の取義は皆「中」を主とする。「利貞」というは、渙散を収合する弁法が正固を守るに在るを講ずる。李光地の按:《渙》卦は《萃》卦と相対する。「假廟」はすでに飘散した鬼神を聚合するためで、「渉川」は参差不斉の人力を聚合するためである。誠意を竭くして感通すれば、幽冥と人間に応ぜざるなし。秦人と越人は本は相干ずるなくとも、同じ一条の船に乗れば、心力に一致せざるなし。この両件の事は、まさに渙散の中から聚合を求める大関節である。しかしもし正道を用いて為さなければ、必ず神明を褻瀆し危難を軽犯する事を鬧出する。だから「利貞」という。

初六,用拯馬壯,吉。 本義 居卦之初,《渙》之始也。始《渙》而拯之,為力既易,又有壯馬,其古可知。初六非有濟渙之才,但能順乎九二,故其象占如此。

爻辞にいう:初六、健壯の馬を借助して施救に往けば吉祥。朱熹《周易本義》にいう:初六は全卦の開頭に処して《渙》の起始段階である。剛々渙散して間もなく動手して挽救すれば、用力は既に容易で、また健壯の馬を借り得る。その吉利は想いて知るべきである(底本「其古可知」、「古」は「吉」の訛り)。初六は自身に渙散を救治する才干なく、ただ九二に順従できるのみなので、その卦象と占断はこのようである。

程傳 六居卦之初,渙之始也,始渙而拯之,又得馬壯,所以吉也,六爻獨初不云渙者,離散之勢,辨之宜早,方始而拯之,則不至於渙也,為教深矣。“馬”,人之所託也。托於壯馬,故能拯渙。“馬”,謂二也。二有剛中之才,初陰柔順,兩皆無應,無應則親比相求,初之柔順,而托於剛中之才以拯其渙。如得壯馬以致遠,必有濟矣,故“吉”也。渙拯於始,為力則易,時之順也。

程頤《伊川易伝》にいう:初六は全卦の開頭に処して渙散の起始である。剛々渙散して間もなく挽救に往けば、また健壯の馬を得たので吉祥である。六爻の中で独り初六のみが「渙」字を挙げないのは、離散の勢いはまさに及早に辨識すべきで、剛一開頭に挽救すれば、真に渙散に至らないので、ここの垂教は甚だ深い。「馬」は人が依托するもので、健壯の馬に依托するので、能く渙散を挽救できる。「馬」が指すは九二である。九二に陽剛居中の才干あり、初六は陰柔で順従し、両者に皆「応与」なし。応与なければ彼此親比して相求める。初六は柔順で、剛中の才に依托して渙散を挽救するは、壯馬を得て遠方に奔赴する如く、必ず成就する所有る。だから「吉」。渙散が開頭にあって挽救するは用力が容易で、時機に順応した。

集說 王氏宗傳曰:居《渙》散之初,則時未至於渙也。當此之時,順此之勢而亟救之,則用拯之道得矣,故必馬壯而後“言”。 胡氏炳文曰:五爻皆言“渙”,初獨不言者,救之尚早,可不至於渙也。

「集説」に王宗伝を引く:《渙》散の起始に処して、時勢は尚真に渙散の地步に至らない。まさにこの時に当たり、勢いに順って急いで施救すれば、「拯」の弁法が得当を得るので、必ず健壯の馬あって然る後に初めてこのように講ずる(底本「而后言」の「言」字は訛誤あるを疑う)。胡炳文がいう:五つの爻に皆「渙」というに、独り初六のみが言わないのは、挽救するが尚早くて、渙散に至らないを得るからである。

九二,渙奔其機,悔亡。 程傳 諸爻皆云“渙”,謂渙之時也。在渙離之時,而處險中,其有“悔”可知。 若能奔就所安,則得”悔亡”也。“機”者,俯憑以為安者也。俯,就下也。“奔”,急往也。二與初雖非正應,而當渙離之時兩皆無與。以陰陽親比相求,則相賴者也。故二目初為“機”,初謂二為“馬”。二急就於初以為安,則能“亡”其“悔”矣。初雖《坎》體,而不在陰中也。或疑初之柔微何足賴,蓋渙之時,合力為勝。先儒皆以五為機,非也。方渙離之時,二陽豈能同也。若能同,則成濟渙之功當大,豈止“悔亡”而已。機謂俯就也。

爻辞にいう:九二、渙散の中に憑倚すべき几案に奔る。悔恨が消失する。(底本この爻に《本義》の一節なし。)程頤《伊川易伝》にいう:各爻に皆「渙」というは、渙散の時勢を指す。身が渙散離析の時に在り、また険陷の中に処するに、それに「悔」あるは想いて知るべきである。もし安身すべき所に奔り得れば、「悔亡」を得られる。「机」は身を俯せて憑靠して安穏を求める物で、「俯」は下位に趨就し、「奔」は急赴する。九二と初六は正応でないが、まさに渙散離析の時に当たり、両者に配合の対象なく、陰陽の親比に凭って相求めるは、すなわち相互に依頼し得る。だから九二は初六を「机」と看做し、初六は九二を「馬」と称する。九二が急切に初六に趨就して安穏を求めれば、その「悔」を消掉できる。初六は《坎》体に属するが、しかし陰気の中に在らず。ある人は初六が柔弱微小で、どうして依頼に値しようと疑う。渙散の時は、合力して初めて勝てるを知るべし。先儒は皆九五を「机」と當てたが、これは正しくない。まさに渙散離析の時に当たり、二つの陽爻がどうして相合し得ようか。もし真に相合し得れば、則ち渙散を救治する功業は甚だ大なるべきで、どうして「悔亡」のみに止まらんや。「机」が講ずるはすなわち身を俯せて趨就する。

集說 郭氏雍曰:九二之剛,自外來而得中,得去危就安之義,故有“奔其機”之象。唯得中就安,故《彖傳》所以言不窮也。 《朱子語類》云:九二“渙奔其機”,以人事言之,是來就安處。 案 聚渙者,先固其本,以剛中居內,固本之象也。“機”者,所以憑而坐也,有所憑依而安居,然後可以動而不窮矣。

「集説」に郭雍を引く:九二の陽剛は、外から来りて中位を占居したので、危険を離れて安穏に趨就する意を含む。だから「奔其机」の象ある。まさに中を得て安に趨くので、《彖伝》が初めてそれを「不窮」(走り着く路なしに至らない)と説く。《朱子語類》に記す:九二の「渙奔其机」は、人事を用いて講ずれば、すなわち一個の安穏の所に来至する。李光地の按:渙散する人を聚合するは、まず自分の根本を穏固せざるべからず。陽剛居中を以て内卦に処するは、まさに根本を穏固する象である。「机」は憑靠して坐し得る物で、憑依する所有って安居して、然る後に初めて行動して困窮に至らないを得る。

六三,渙其躬,無悔。 本義 陰柔而不中正,有私於己之象也,然居得陽位,志在濟時,能散其私,以得“無悔”。故其占如此。大率此上四爻,皆因渙以濟渙者也。 程傳 三在渙時,獨有應與,無渙散之悔也。然以陰柔之質,不中正之才,上居無位之地。豈能拯時之渙而及人也。止於其身可以“無悔”而已。上加渙字,在渙之時,躬無渙之悔也。

爻辞にいう:六三、自身の私念を散去して悔恨なし。朱熹《周易本義》にいう:六三は陰柔で不中不正で、自分のために打算する私心の象ある。しかしその居する所は陽位で、心志は時局を救助するに在り、自分の私心を散掉できて、因って「无悔」なので、その占断はこのようである。大抵この一爻から上に往く四爻は、皆渙散に借りて渙散を救治する。程頤《伊川易伝》にいう:六三は渙散の時に処して、独りそれのみが相応して配合する爻あり、離散の悔恨なし。しかし陰柔の資質・不中不正の才具を以て、また上のあの爵位のない所に居するに、どうして時局の渙散を救治して他人に恵及できようか。ただ自身の「无悔」を為し得るだけである。爻辞が「其躬」の上に一つの渙字を加えるは、身が渙散の時に処して、自身に渙散の悔恨なきを説く。

集說 王氏申子曰:自此以上四爻,皆因渙以拯渙者,謂渙其所當渙,則不當渙者聚矣。 案 《易》中六三應上九,少有吉義,唯當渙時,則有應於上者,忘身徇上之象也。 《蹇》之二曰“王臣蹇蹇,匪躬之故”,亦以當蹇難之時,而與五相應,此爻之義同之。

「集説」に王申子を引く:この一爻から上に往く四爻は、皆渙散に借りて渙散を挽救するので、意思は散掉すべきを散掉すれば、則ち散すべからざるは自然に聚攏する。李光地の按:《周易》の中で六三と上九が相応ずるは、吉利の意昧あること稀で、独り渙散の時にあって、上九と相応じ得るは、自身を忘れて上に在る者に効命する形象ある。《蹇》卦六二に「王臣蹇蹇・匪躬之故」(臣子が国事に艱難奔走するは自己のためでない)というも、またまさに蹇難の時に当たって九五と相応ずる因で、この一爻の取義はそれと同じである。

六四,渙其群,元吉。渙其丘,匪夷所思。 本義 居陰得正,上承九五,當濟渙之任者也。下無應與,為能散其朋黨之象。占者如是,則大善而“吉”。又言能散其小群以成大群,使所散者聚而若丘,則非常人思慮之所及也。

爻辞にいう:六四、朋党私群を散去して大いに吉祥。散去して後に重新に聚成して丘陵のような大群と為す。これは尋常人の思慮が想い及べる所でない。朱熹《周易本義》にいう:六四は陰爻で陰位に居して正を得、上に九五を承接して、渙散を救治する任に担当する。それの下に相応して配合する爻なく、自分の朋党を散掉し得る形象ある。占問の人がもしこのようにできれば、大いに善くして「吉」。爻辞はまたそれが小の私群を散掉して大の公群を成就し、散開したが反って聚攏して丘陵のように高くならしめるを説く。これは尋常人の思慮が企及できる所でない。

程傳 《渙》四五二爻義相須,故通言之,《彖》故曰“上同”也。四巽順而正,居大臣之位。五剛中而正,居君位,君臣合力,剛柔相濟,以拯天下之渙者也。方渙散之時,用剛則不能使之懷附,用柔則不足為之依歸。四以巽順之正道,輔剛中正之君,君臣同功,所以能濟渙也,天下渙散而能使之群聚,可謂大善之“吉”也。“渙有丘”,“匪夷所思”,讚美之辭也。“丘”,聚之大也。方渙散而能致其大聚,其功甚大,其事甚難,其用至妙。“夷”,平常也。非平常之見所能思及也,非賢智孰能如是。

程頤《伊川易伝》にいう:《渙》卦の六四・九五の両爻の取義は互いに配合すべきなので、合わせて講ずる。《彖伝》が因って「上同」という。六四は謙順して正を得て、大臣の位置に処する。九五は陽剛居中して正を得て、君主の位置に処する。君臣が力を合わせ剛柔が互いに補い、以て天下の渙散を救治する。まさに渙散の時に当たり、一味に剛を用いれば人心を懐附せしめ得ず、一味に柔を用いれば人に帰依する所を足らしめ得ない。六四は謙順の正道を以て剛健中正の君主を輔佐し、君臣が同功するので、渙散を救治できる。天下がすでに渙散したのにそれを重新に聚合せしめ得れば、大善の「吉」と言い得る。「渙有丘」「匪夷所思」は賛美の言である。「丘」は聚積して極めて大である。まさに渙散の時に当たってこのような大聚合を招来し得るは、功労が極めて大、事が極めて難、作用が極めて精妙である。「夷」は平常で、平常の見識が想い及べる所でない。賢明叡智の人でなくて、誰がこのようにできようか。

《朱子語類》云:老蘇云,《渙》之六四曰“渙其群,元吉”,夫群者聖人之所欲渙以混一天下者也。此說雖《程傳》有所不及,如《程傳》之說則是群其渙,非渙其群也。 蓋當人心渙散之時,各相朋黨,不能混一。惟六四能渙小人之私群,成天下之公道,此所以“元吉”也。 陳氏琛曰:天下之所以渙者,多由人心叛上而各締其私也。私黨既散,則公道大行。 而勢合於一,如丘陵之高矣,所謂散小群以成大群也。然此必才識之高邁者乃能之,非常人思慮所及也。

《朱子語類》に記す:老蘇(蘇洵)がいう、《渙》卦六四に「渙其群・元吉」といい、いわゆる「群」は、まさに聖人が渙散し掉いて、従って天下を混同して一と為さんと欲する物である。この説法は《程伝》が講じ到らなかった所である。《程伝》の講法に照らせば、則ち「群其渙」(渙散する人を聚めて群と為す)となって、「渙其群」(群党を散掉する)でなくなる。人心が渙散する時に当たり、各人が相互に朋党を結成して混同して一と為せないを知るべし。ただ六四のみが小人の私党を散掉して天下の公道を成全でき、これがすなわちそれが「元吉」なる縁故である。陳琛がいう:天下が渙散する所以は、多くは人心が君上に背離して各自に私党を締結するに由る。私党が一たび散すれば、公道が大行して、形勢もまた合して一と為り、丘陵のように高大で、まさにいわゆる小群を散して以て大群を成就するである。しかしこれは必ず才識が高超の人で初めて為し得られ、尋常人の思慮が企及できる所でない。

案 孔安國書序云,“丘”,聚也。則丘字即訓聚。“渙有丘,匪夷所思”,語氣蓋云,常人徒知散之為散,不知散之為聚也,散中有聚豈常人思慮之所及乎。世有合群黨以為自固之術者,然徒以私相結,以勢相附耳,非真聚也。及其散也,相背相傾,乃甚於不聚者矣。惟無私者,公道足以服人。惟無邪者,正理可以動眾。此所謂散中之聚,人臣體國者之所當知也。

李光地の按:孔安国《尚書序》に「丘」は聚というので、丘字はすなわち聚と訓ずべきことがわかる。「渙有丘・匪夷所思」、語気は大概いわんとする所:尋常人はただ散はすなわち散と知って、散はまさに聚のためであるを知らない。散の中に聚を含む。どうして尋常人の思慮が想い及べる所であろうか。世に党羽を糾合して自ら地位を固くするに頼る者有り。しかしあれは不过私を以て相互に結合し勢を以て相互に依附するだけで、並びに真の聚合でない。それが散ずる時に至れば、彼此背離し彼此傾圧して、嘗て聚めたことがないよりも尚糟い。ただ毫も私心なき人のみが、公道が以て人に服するに足り、ただ毫も邪念なき人のみが、正理が以て衆を感動できる。これがすなわちいわゆる散の中の聚で、臣子と為りて心に国家を存する人はこの道理を懂るべきである。

九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。 本義 陽剛中正,以居尊位,當渙之時,能散其號令,與其居積,則可以濟渙而“無咎”矣。故其象占如此。九五《巽》體,有號令之象。“汗”,謂如汗之出而不反也。“渙王居”如陸贄所謂散小儲而成大儲之意。

爻辞にいう:九五、汗を発するが如くその重大な号令を渙発し、王者が積聚した私蔵を散去して、過ちなし。朱熹《周易本義》にいう:九五は陽剛中正で尊位に居り、まさに渙散の時に当たり、その号令を散布しその積儲を散去し得れば、渙散を救治して「无咎」にできるので、その卦象と占断はこのようである。九五は身が《巽》体に在って、号令を発施する象ある。「汗」は、汗が排出すれば則ち再び收回しない如きを説く。「渙王居」は、唐代の陸贄のいう小の儲蓄を散じて以て大の儲蓄を成就するの意思の如し。

程傳 五與四君臣合德,以剛中正巽順之道治渙,得其道矣。惟在浹洽於人心,則順從也。當使號令洽於民心,如人身之汗,浹於四體,則信服而從矣。如是則可以濟天下之渙,居王位為稱而“無咎”。“大號”,大政令也。謂新民之大命,救渙之大政。再云“渙”者,上謂渙之時,下謂處渙如是則“無咎”也。在四已言“元吉”,五惟言稱其位也。《渙》之四五通言者,《渙》以離散為害,拯之使合也。非君臣同功合力,其能濟乎,爻義相須,時之宜也。

程頤《伊川易伝》にいう:九五と六四は君臣同徳で、陽剛中正・謙順の弁法を用いて渙散を治理するは、得法と算えられる。関鍵はただ人心に浸潤融洽せざるべきに在り、人心が初めて順従する。号令を民心の中に浸潤せしめるべきで、人の身の上の汗が四肢に滲透する如くすれば、人々が信服して跟従する。こうすれば天下の渙散を救治でき、王位に居して初めて職に称して「无咎」である。「大号」は重大の政令で、百姓を革新する大命令・渙散を拯救する大政策を指す。爻辞が両度「渙」という:上の一は渙散の時勢を指し、下の一は身が渙散の時に処してこのように為し得れば「无咎」を指す。六四にすでに「元吉」を説いて、九五に至ればただそれがこの位子に配得上るを説く。《渙》卦の六四・九五を合わせて講ずるは、《渙》が離散を以て禍害と為し、それを挽救して重新に合攏せしめんと要する因である。君臣が同功合力せずんば、どうして成らんや。両爻の意義は相互に配合を要し、これは時勢が決定した。

集說 胡氏瑗曰:“汗”者膚腠之所出,出則宣人之壅滯。愈人之疾,猶上有教令,釋天下各難,使天下各得其所者。九五居至尊之位,為渙散之主。居得其正,履得其中,能出其號令,布其德澤,宣天下壅滯,發天下堙鬱,使天下之人,皆信於上。咸有所歸,所以居位而無悔咎。

「集説」に胡瑗を引く:「汗」は肌肤の纹理の中から排出するもので、一たび排出すれば人の身の壅塞を疏通して人の疾病を治す。これは譬えば上位に在る者が教令を発布して、天下の各種の患難を解除し、天下人を各々その所得らしめる如し。九五は至尊の位に居して、渙散を救治するを主持する人である。居位が正を得て践履が中を得て、その号令を発しその徳沢を布施し、天下の壅塞を疏通し天下の鬱結を抒発して、天下人を皆上位に在る者を信頼せしめ帰附する所有らしめる。だからその位に居して悔恨咎責なし。

《朱子語類》云:聖人就人身上說一汗字為象,不為無意。蓋人君之號令當出乎人君之中心,由中而外,由近而遠,雖至幽至遠之處無不被而及之。亦猶人身之汗,出乎中而浹於四體也。 俞氏琰曰:散人之疾,而使之愈者,汗也。散天下之難而使之愈者,號令也。“王居”,謂王者所居之位。 何氏楷曰:王者以天下為一身,欲渙周身之汗,其必有大號以與天下更始而後可。

《朱子語類》に記す:聖人が人の身の上から一個の「汗」字を拈出して取象したは、用意なきではない。人君の号令はまさに彼の自己の中心から出て、内より外に、近より遠に、たとえさらに幽深遙遠の処も覆恵されざるなしとすべきである。これは正しく人の身の上の汗の如く、中間から発して四肢に浸透する。兪琰がいう:人の疾病を散じて人を痊愈せしめるは汗で、天下の患難を散じて天下を痊愈せしめるは号令である。「王居」が指すは王者の居する位子である。何楷がいう:王者は天下を看做自己の一個の身体で、周身の汗を渙発せんと欲すれば、必ず重大の号令あって、天下人と一緒に故を革め始めを更えて、然る後に初めて弁じられる。

案 凡《易》中“號”字皆當作平聲,為呼號之號。在常人則是哀痛迫切,寫情輸心也。在工者則是至誠懇惻,發號施令也。“渙王居”渙字,當一讀,言其大號也。如渙汗然,足以通上下之壅塞,回周身之元氣,則雖當渙之時,而以王者居之,必得“無咎”矣。

李光地の按:凡そ《周易》の中の「号」字は皆平声に読むべきで、呼号の号である。尋常人のあそこでは、すなわち哀痛急切で情懐を抒写し心事を傾吐する。王者のあそこでは(底本「在工者」、「工」は「王」の訛りであるべき)、すなわち至誠懇切に号令を発施する。「渙王居」のこの渙字は、まさに上句に帰して単独に一読すべきで、説く所はまさにあの重大の号令である。それは汗を出す如く、以て上下の壅塞を疏通し周身の元気を挽回するに足る。すなわちたとえまさに渙散の時に当たっても、王者がその位に居せば、必ず「无咎」し得る。

上九,渙其血去,逖出,無咎。 本義 上九以陽居《渙》極,能出乎渙,故其象占如此。“血”,謂傷害。“逖”,當作惕,與《小畜》六四同。言“渙其血”則“去”,渙其惕則出也。

爻辞にいう:上九、その受ける傷害を散去して離去し、遠くに出脱して、過ちなし。朱熹《周易本義》にいう:上九は陽爻を以て《渙》の頂点に居して、渙散の中から脱身し出る能くするので、その卦象と占断はこのようである。「血」が指すは傷害で、「逖」は「惕」と作るべきで、《小畜》六四の用法と同じ。説く所はその「血」を散去すれば「去」れ、その「惕」を散去すれば「出」れる。

程傳 《渙》之諸爻,皆無繫應。亦渙離之象,惟上應於三。三居險陷之極,上若下從於彼,則不能出於渙也。險有傷害畏懼之象,故云血惕。然九以陽剛處渙之外,有出渙之象。又居《巽》之極,為能巽順乎事理,故云若能使其血去,其惕出,則“無咎”也。其者,所有也。渙之時,以能合為功,獨九居《渙》之極,有繫而臨險,故以能出渙遠害為善也。

程頤《伊川易伝》にいう:《渙》卦の各爻に皆牽係して相応ずる対象なく、これもまた渙散離析の象である。独り上九のみが六三と相応ずる。六三は険陷の頂点に処して、上九がもし下に向かってそれに跟従すれば、渙散の中から脱身できない。険は傷害と畏懼の象を含むので「血」「惕」という。しかし上九は陽剛を以て渙散の外に処して、渙散を脱出する象ある。また《巽》の頂点に居して、謙順に事理に依循する能くする者なので、いわく:もしその血を去らしめその惕を出脱せしめ得れば、「无咎」。「其」は「所有」の意思である。渙散の時は、能く合攏するを以て功と為す。独り上九のみが《渙》の頂点に処して、牽係あってまた険陷に逼近するので、能く渙散を脱出し禍害に遠離するを以て好と為す。

集說 王氏弼曰:“逖”,遠也。最遠於害,不近侵克,散其憂傷,遠出者也。散患於遠害之地,誰將咎之哉! 朱氏震曰:“逖”,遠也。“去逖出”,一本作“去惕出”。然象曰遠害,當以“逖”矣。 王氏申子曰:以諸爻文法律之,“渙其血”,句也。渙其所傷而免於難。 俞氏琰曰:當依爻傳作“渙其血”,上居《渙》終,去坎甚遠,而無傷害,故其象為“渙其血”,其占曰“無咎”。 錢氏一本曰:去不復來,逖不復近,出不復入。其於坎血,遠而又遠,何咎之有。

「集説」に王弼を引く:「逖」は遠である。上九は禍害を離るる最も遠く、侵奪攻撃に接近せず、自分の憂傷を散去して遠くに出走した。禍患を危害に遠離する所に消散すれば、誰が尚彼を責咎するか。朱震がいう:「逖」は遠である。「去逖出」は別の一個の本子で「去惕出」と作る。ただし《象伝》に「遠害」というので、仍として「逖」字に依るべきである。王申子がいう:各爻の行文の体例を以て衡量すれば、「渙其血」は自ら一を成し、その受ける傷害を散じて患難を免るるを説く。兪琰がいう:まさに《象伝》に依りて「渙其血」と断ずべきである。上九は《渙》の終端に処して、坎体を離るる甚だ遠いので、因って傷害なし。だからその象は「渙其血」で、その占辞は「无咎」。銭一本がいう:去れば則ち再び回らず、遠ければ則ち再び靠近せず、出れば則ち再び進入せず。彼は坎体の血光の災に対して、遠くしてまた遠い。尚何の咎責かあらん。

案 《萃》以聚為義,故至卦終而猶齎諮涕洟以求萃者,天命之正,人心之安也,《渙》以離為義,故至卦終而遂遠害,離去以避咎者,亦樂天之智,安土之仁也。古之君子,不潔身以亂倫,亦不濡首以蹈禍,各惟其時而已矣。

李光地の按:《萃》卦は聚合を以て取義と為すので、卦の最後の爻に至っても、尚嗟嘆して涕を流し人に聚まるを求める。あれは天命の正理・人心の安頓する所在である。《渙》卦は離散を以て取義と為すので、卦の最後の爻に至れば、則ち禍害に遠離し身を抽き咎を避ける。あれもまた《繫辞伝》のいう楽天知命の明智・安土敦仁の仁厚である。古の君子は、身を潔く自ら好むがために人倫を攪乱せず、またその中に沉溺するがために自ら禍端を蹈まず、各々自分の処する時勢に依循するだけである。

節卦

節.坎上.兌下程傳 《節序卦》:“渙者離也,物不可以終離,故受之以《節》。”物既離散,則當節止之,《節》所以次《渙》也,為卦澤上有水,澤之容有限,澤上置水,滿則不容,為有節之象,故為《節》。

「節・坎上・兌下」は卦画の注記で、本卦の上体が坎(水)で下体が兌(沢)であるを表す。程頤《伊川易伝》にいう:《序卦伝》が《渙》の後に《節》を接ぐ道理を講じて「渙はすなわち離散で、事物はずっと離散し続けてはいけない。だから《節》卦をもってそれを承く」という。事物がすでに離散した以上、則ち節制して約束を加えるべきで、《節》卦が因って《渙》卦の後に並ぶ所以である。卦体について言えば沢の上に水あるは、沢の容量に限りあり、沢の上にさらに水を注げば、満ちれば容れられない。これは節制ある形象なので《節》という。

節,亨,苦節不可貞。 本義 “節”,有限而止也,為卦下兌上坎,澤上有水,其容有限,故為節,節固 程傳 事既有節,則能致亨通,故節有“亨”義。節貴適中,過則苦矣,節至於苦,豈能常也,不可固守以為常,“不可貞”也。

卦辞にいう:《節》卦、亨通す。節制が言い尽くせないほど苦しい地步に至れば、則ち固守し続けてはいけない。朱熹《周易本義》にいう:「節」は限度あって停止を知る。卦体について言えば下兌上坎で、沢の上に水あり、容量に限りあるので節という——底本は「節固」以下の文字が中断し、脱文あり。程頤《伊川易伝》にいう:事情にすでに節制あれば、亨通を招致できるので、節は「亨」の意義を含む。節制は恰好到処を貴び、頭を過ぎれば苦しい。節制が苦の地步に至れば、どうして長久できようか。固執して堅守してそれを常態と當ててはいけない。これがすなわち「不可貞」である。

集說 孔氏穎達曰:“節”者,制度之名,節止之義,制事有節,其道乃亨,故曰“節亨”。節須得中,為節過苦,傷於刻薄,物所不堪不可復正,故曰“苦節不可貞”也。 薛氏溫其曰:節以禮其道乃“亨”,過苦傷陋,不可以為正也。

「集説」に孔頴達を引く:「節」は制度の名称で、節制約束の意を含む。事情を処置するに節度あれば、路子が初めて亨通できるので「節亨」という。節制は必ず中を得ざるべからず。節制が苦に過ぎれば、刻薄に傷つき、他人が堪えられず、また正道と算えられないので「苦節不可貞」という。薛温其がいう:礼をもって節制すれば、路子が初めて「亨」する。刻苦に過ぎれば鄙陋に傷つき、それを以て正道と當てることはできない。

初九,不出戶庭,無咎。 本義 “戶庭”,戶外之庭也。陽剛得正,居節之初,未可以行,能節而止者也,故其象占如此。 程傳 “戶庭”,戶外之庭。“門庭”,門內之庭。初以陽在下,上覆有應,非能節者也,又當節之初,故戒之謹守,至於“不出戶庭”,則“無咎”也。初能固守,終或渝之,不謹於初,安能有卒,故於節之初為戒甚嚴也。

爻辞にいう:初九、戸外の庭院を出ない。過ちなし。朱熹《周易本義》にいう:「戸庭」は門戸の外の庭院である。初九は陽剛で正を得て、節の起始に処して、尚行動すべき時に至らず、能く節制して止を知るなので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:「戸庭」は門戸の外の庭院で、「門庭」は大門の中の庭院である。初九は陽爻を以て下に居り、上にまた相応ずる爻あるので、本来能く節制する者でない。またまさに節の起始に当たるので、それに告誡して謹慎して自守せしめ、「不出戸庭」を為せば、「无咎」。開頭に能く堅守すれば、後に至っても変卦し得る。開頭に謹慎でなければ、どうして好い結局があろうか。だから節の起始にあって、垂誡が格外に厳厲である。

集說 王氏中子曰:陽剛在下,居得其正。當節之初,知其時未可行,故謹言謹行,至於不出產外之庭,是知節而能止者,故“無咎”。 徐氏在漢曰:坎變下一畫為兌,象止坎下流,戶以節,人之出入,澤以節水之出入。 初“不出戶庭”,以極其慎密為不出,此其所以“無咎”。

「集説」に王中子を引く(まさに前文に屡々引く王申子に当たる):初九は陽剛で下にあり、位に居して正を得る。まさに節の起始に当たり、時機が尚行動すべからずを知るので、言語を謹慎し行事を謹慎して、戸外の庭院を出ないを為す(底本「不出産外之庭」、「産」は「戸」の訛りであるべき)。これは節制を懂りて自止する能くするなので「无咎」。徐在漢がいう:坎卦は下の一画を変じれば則ち兌となる。坎水の下に流瀉するを攔住するを象徴する。門戸は人の出入を節制するに用い、沢は水の出入を節制するに用いる。初九の「不出戸庭」は、慎密を極点に到るを以て「不出」と為す。これがすなわちそれが「无咎」なる縁故である。

九二,不出門庭,凶。 本義 “門庭”,門內之庭也。九二當可行之時,而失剛不正。上無應與,知節而不知通,故其象占如此。 程傳 二雖剛中之質,然處陰居說而承柔。處陰,不正也。居說,失剛也。承柔,近邪也。節之道當以剛中正。二失其剛中之德,與九五剛中正異矣。“不出門庭”,不之於外也,謂不從於五也,二五非陰陽正應,故不相從。若以剛中之道相合,則可以成節之功。惟其失德失時,是以“凶”也。不合於五,乃不正之節也,以剛中正為節,如懲忿窒欲。損過益有餘,是也。不正之節,如嗇節於用,儒節於行,是也。

爻辞にいう:九二、大門以内の庭院を出ない。凶険。朱熹《周易本義》にいう:「門庭」は大門の中の庭院である。九二はまさに行動すべき時に当たるのに、剛徳を失い位に居して正しくなく、上にまた相応して配合する爻なく、ただ節制を知って通変を知らないので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:九二は陽剛居中の資質あるも、しかし陰位に処し悦体に居しまた上に柔爻を承ける。陰位に処するは正でなく、悦体に居するは剛健を失い、柔爻を承けるは邪僻に近づく。節制の道はまさに剛健中正を本とすべきで、九二は剛中の徳性を失い掉ったので、九五の剛健中正と同じでない。「不出門庭」は、外に出ないで、それが九五に跟従しないを指す。九二と九五は陰陽の正応でないので、相跟従しない。もし剛中の道を以て彼此配合できれば、節制の功業を成就できる。まさにそれが徳性に虧あり時機もまた失うが故に、「凶」。九五と配合しないは、すなわち正しくない節制である。剛健中正を以て節制するは、忿怒を懲戒し私欲を堵塞し過分を裁損して有余を調剤する如き、あの一类に属する。正しくない節制は、用度の上で一味に吝嗇し行事の上で拘執して怯懦する如き、あの一类に属する。

集說 《朱子語類》云:“戶庭”是初爻之象,“門庭”是第二爻之象。 錢氏志立曰:澤所以鍾水也,水始至則增其防以瀦之,初九是也。水漸盛敗啟其竇以洩之,九二是也,二與初同道,則失其節矣。

「集説」に《朱子語類》を引く:「戸庭」は初爻の象で、「門庭」は第二爻の象である。銭志立がいう:沢は水を汇聚するに用いる。水が剛々来た時に堤防を加高してそれを蓄えるは、初九がまさにこのようである。水が漸々盛満すれば孔道を啓開してそれを泄し出すは、九二がまさにこのようである(底本「水漸盛敗啓其竇」、「敗」は「則」の訛りであるべき)。九二がもし初九と同じ一条の路を行けば、則ち節制を失う。

案 《節》卦六爻皆以澤水二體取義,澤者止,水者行。《節》雖以止為義,然必可以通行而不窮,乃為節之“亨”也。初二兩爻,一在澤底,一在澤中。在澤底者水之方瀦,不出宜也,在澤中則當有蓄洩之道,不可閉塞而不出也。兌本《坎》體,中爻其主也。有《坎》之德可以流行,而變《兌》則為下流之塞,二適當之,故六爻之失時,未有如二者也。時應塞而塞,則為慎密不出,雖足不窺戶可也。時不應塞而塞,則為絕

李光地の按:《節》卦の六爻は皆沢・水の両体から取義する。沢は止で水は行である。《節》は止を以て取義と為すが、しかし必ず能く通行して困窮に至らなければ、初めて節の「亨」と算えられる。初九・九二の両爻は、一つは沢底に在り一つは沢中に在る。沢底に在るは、水が剛々汇聚したので、出ないは応にある。沢中に在るは、則ち蓄あり泄あるべきで、堵し死にして放し出さないは不可である。兌は本来《坎》体から出て、中間のあの一爻がその主爻である。《坎》の徳性あれば流行できるのに、変じて《兌》となれば則ち下流が堵塞される。九二がちょうどこの位置に当たっているので、六爻の中で時機を失うに、九二より厳重なるはなし。時勢が堵すべきに堵するは、則ち慎密して出ないこと、たとえ戸を出なくても未だ嘗て不可でない。時勢が堵すべからざるに堵するは、則ち絶となる——底本の文字はここに中断し、下に脱文あり。

六三,不節若,則嗟若,無咎。 本義 陰柔而不中正,以當節時,非能節者,故其象占如此。 程傳 六三不中正,乘剛而臨險,固宜有咎。然柔順而和說,若能自節而順於義,則可以無過。不然,則凶咎必至,可傷嗟也。故“不節若則嗟若”。己所自致,無所歸“咎”也。

爻辞にいう:六三、節制を加えなければ、則ち嗟嘆する。過ちなし。朱熹《周易本義》にいう:六三は陰柔で不中不正で、まさに節制を講ずる時勢の中に処して、本は能く節制する人でないので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:六三は不中不正で、剛爻を凌乗してまた険陷に逼近し、本来咎あるべきだが、しかしそれは柔順で和悦なので、もし自我を節制して義理に順従できれば、過ちなきを得る。然らずんば、凶険咎責が必ず至り、あれは悲傷嗟嘆するに値するので「不節若則嗟若」という。これは自分で招き来たので、「咎」責を推卸する処なし。

集說 張子曰:處非其位,失節也。然能嗟其不節,則亦“無咎”矣。 又曰:王弼於此“無咎”,又別立一例,只舊例亦可推行,但能嗟其不節,有補過之心,則亦“無咎”也。 李氏彥章曰:《臨》之六三,失臨之道,而既憂之。《節》之六三,失節之道而嗟若,皆得“無咎”。《易》以補過為善者也。

「集説」に張載を引く:六三の処するはそれが処すべき位置でなく、これは節制を失う。しかし能く自分が節制しないために嗟嘆すれば、また「无咎」。張載がまたいう:王弼はこの「无咎」の上に別に一条の体例を立てた。実は旧有の体例もまた推行し続けられる——ただ能く自分が節制しないために嗟嘆し、過失を補救する心を存すれば、また「无咎」。李彦章がいう:《臨》卦六三は臨の正道を失いて事後に憂懼し、《節》卦六三は節の正道を失いて嗟嘆して、皆「无咎」を得られる。《周易》は過失を補救するを以て善と看做す。

鄭氏汝諧曰:進乘二陽,處澤之溢,過乎中而不節者三也。知其不節,而能傷嗟以自悔,其誰咎之哉!下體之極,極則當變,故發此義。 豐氏寅初曰:處兌之極,水溢澤上,說於驕侈,不知謹節,以致窮困。然其心痛悔,形於悲歡,能悔則有改過之幾,是猶可以“無咎”也。

「集説」に鄭汝諧を引く:六三は上に向かって二つの陽爻を凌乗し、沢がまさに漫溢する位置に処して、中道を越過して節制を加えないはすなわちそれである。自分が節制しないを知って、能く悲傷嗟嘆して自我を悔恨すれば、誰が尚それを責咎するか。それは下体の頂端に在って、極点に至れば則ち転変すべきなので、《周易》がここにこの層の意を発出した。豊寅初がいう:六三は兌の頂端に処して、水が沢の上から漫溢し出して、驕縦奢侈に沉溺して、謹慎節制を知らず、以て困窮に陥入する。しかしその心が痛悔して、流露して悲嘆となる。能く悔いれば過ちを改める苗头あるので、尚「无咎」にできる。

六四,安節,亨。 本義 柔順得正,上承九五,自然有節者也,故其象占如此。 程傳 四順承九五剛中正之道,是以中正為節也。以陰居陰,安於正也,當位為有節之象。下應於初,四坎體水也,水上溢為無節,就下有節也。如四之義,非強節之,安於節者也,故能致“亨”。節以安為善,強守而不安則不能常,豈能亨也。

爻辞にいう:六四、安然として節制ある。亨通す。朱熹《周易本義》にいう:六四は柔順で正を得て、上に九五を承接して、自然而然に節制あるなので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:六四は順従して九五の剛健中正の道を承接する。これは中正を取って節制と為す。陰爻を以て陰位に居するは、正道に安んずる。「当位」はすなわち節制ある象である。それは下に初九と相応ずる。六四は坎体に属して水で、水が上に向かって漫溢すれば節制なく、下に向かって流れれば節制ある。六四のような取義は、勉強して節制するのでなく、節制に安んずるなので、能く「亨」を招致できる。節制は安然たるを以て好と為し、勉強して堅守して心中安ならざれば、長久できず、どうして亨通を談じ得ようか。

集說 俞氏琰曰:六三失位而處兌澤之極,是乃溢而不節,六四當位而順承九五之君,故為“安節”。 案 六四以柔正承五,故曰“安節”。安與勉對,蓋凡其制節謹度,皆循乎成法而安行,非勉強以為節者也。於象居坎之下,水之下流也,柔正為水流平地安瀾之象。

「集説」に兪琰を引く:六三は位を失して兌沢の頂端に処して、まさに漫溢して節制を加えない。六四は「当位」して順従して九五の君を承接するので、「安節」である。李光地の按:六四は柔順して正を得るの身を以て九五を承接するので、「安節」という。「安」は「勉」と相対する。凡そそれが節度を裁定し法度を謹守するは、皆現成の規矩に循って安然として行き往くので、勉強して作り出した節制でない。卦象について言えばそれは坎体の下に処して、水が下に向かって流れる。柔順して正を得るは、まさに水が平地に流れて波瀾が安穏の形象である。

九五,甘節,吉,往有尚。 本義 所謂當位以節,中正以通者也,故其象占如此。 程傳 九五剛中正居尊位,為節之主。所謂當位以節,中正以通者也。在己則安行,天下則說從,節之甘美者也,其“吉”可知。以此而行,其功大矣,故“往”則有可嘉“尚”也。

爻辞にいう:九五、甘美で適中の節制。吉祥で、前に往って推行すれば嘉尚を受ける。朱熹《周易本義》にいう:これはすなわち《彖伝》のいう「当位以節・中正以通」(居位が得当にして節制を施行し、中正に因って通達する)のあの一种なので、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》にいう:九五は陽剛中正で尊位に居して、節卦の主爻で、まさにいわゆる「当位以節・中正以通」。自己に在っては安然として行い、天下に在っては欣悦して順従する。これは節制の中で最も甘美なので、その「吉」は想いて知るべきである。このように照らして推行すれば、功業が大きくなるので、「往」に嘉許し推崇するに値する所有る。

集說 王氏弼曰:當位居中,為節之主。不失其中,不傷財,不害民之謂也。為節而不苦,非甘而何,術斯以往,“往有尚”也。 《朱子語類》云:甘便對那苦,甘節與“禮之用,和為貴”相似。 趙氏汝楳曰:咸苫酸辛,味之偏。甘,味之中也。甘受和,和者口味之偏向而適其中。行之以甘,人不吾病,而事以成,節之“吉”也。

「集説」に王弼を引く:九五は位に居して得当にして中位に処して、節卦の主爻である。彼の中道を失わないは、すなわち財用を損傷せず百姓を侵害しない。節制を為してその苦を覚えないは、甘でなくてまた何か。この路に沿って行き下がれば(底本「術斯以往」、「術」は「由」の訛りであるべき)、すなわち「往有尚」である。《朱子語類》に記す:甘はまさに苦に対するを説く。「甘節」は《論語》の「礼之用・和為貴」の意思と相似する。趙汝楳がいう:咸・苦・酸・辛は、皆一頭に偏った味道である。甘は味道の中に居する(底本「咸苫」、「苫」は「苦」の訛り)。《礼記》に「甘受和」という。甘は衆味の調和を容受し得る。いわゆる和は、すなわち口味の偏向を調えて恰当適中にする。甘の方式を以て推行すれば、人々は我が彼を難受せしめたを覚えず、しかし事は弁成した。これがすなわち節制の「吉」。

上六,苦節,貞凶,悔亡。 本義 居《節》之極,故為“苦節”,既處過極,故雖得正而不免於“凶”。然禮奢寧儉,故雖有“悔”而終得“亡”之也。 程傳 上六居《節》之極,節之苦者也。居險之極,亦為苦義,固守則“凶”,“悔”則凶“亡”。“悔”,損過從中之謂也。節之“悔亡”,與他卦之悔亡,辭同而義異也。

爻辞にいう:上六、言い尽くせないほど苦しい節制で、固守し続ければ則ち凶。悔恨が消失する。朱熹《周易本義》にいう:上六は《節》の頂点に処するので「苦節」である。すでに処して頭を過ぎたので、正を得ても、「凶」を免れない。しかし礼制の上では奢侈よりむしろ倹朴をとるので、「悔」あっても、最終的にはそれを消掉できる。程頤《伊川易伝》にいう:上六は《節》の頂点に処して、節制が苦の地步に至った。それはまた険陷の頂点に処して、同じく苦の意昧を含む。固執して堅守すれば「凶」で、能く悔改すれば凶を消掉できる。「悔」は、すなわち過分を減損して中道に回帰するの意思である。節卦のここの「悔亡」は、他の卦の悔亡と、字面は同じだが意義が異なる。

集說 干氏寶曰:彖稱“苦節不可貞”,在此爻也,故曰“貞凶”。 孔氏穎達曰:上六處《節》之極,過《節》之中,節不能甘,以至於苦,故曰“苦節”也。若以苦節施人,則是正道之凶,若以苦節修身,則儉約無妄,可得亡悔。 呂氏大臨曰:上六居《節》之極,其節巳甚,“苦節”者也。用過乎節,物所不堪,守是不變物窮必乖,故曰“貞凶”。禮奢寧儉,未害乎義,故曰“悔亡”。

「集説」に干宝を引く:《彖辞》が「苦節不可貞」と称するは、すなわちこの一爻を指すので、「貞凶」という。孔頴達がいう:上六は《節》の頂点に処して、《節》の中道を越過して、節制が甘美を為せず、以て苦に至るので「苦節」という。もし苦節を取って他人に施加すれば、則ち正道を行うも凶を招く。もし苦節を以て自身を修養すれば、則ち倹約で虚妄ならず、悔恨を消掉できる。呂大臨がいう:上六は《節》の頂点に処して、節制がすでにあまりに過ぎて、「苦節」。用度が節の分寸を超過したは、人が承受できない。死守して変通を肯んぜざれば、事物が窮極すれば必ず乖違するので「貞凶」という。礼制の上では奢侈よりむしろ倹朴をとる。これは尚義理を傷害するに至らないので「悔亡」という。

胡氏炳文曰:無位中,故為“甘”:上位極,故為“苦”。彖曰“節亨”,五以之,曰“苦節不可貞”,上以之。 來氏知德曰:無甘節之吉,故“貞閃”。無不節之嗟,故“悔亡”。

「集説」に胡炳文を引く:九五は位に居して中を得るので「甘」(底本「无位中」、「无」は「五」の訛りであるべき)。上六は位に居して頂点に至ったので「苦」。《彖辞》に「節亨」というは九五につきて言い、「苦節不可貞」というは上六につきて言う。来知徳がいう:上六に甘節のような吉なく、だから「貞凶」(底本「貞閃」、「閃」は「凶」の訛り)。また節制を加えずに嗟嘆するような過失なし。だから「悔亡」。

總論 邱氏富國曰:《彖傳》當位以《節》,故《節》之六爻,以當位為善,不當位為不善。若以兩爻相比者觀之,則又各相比而相反。初與二比,初“不出戶庭”則“無咎”,二“不出門庭”則“凶”,二反乎初者也。三與四比,四柔得正則為“安節”,三柔不正則為“不節”,三反乎四者也。五與上比,五得中則為節之“甘”,上過中則為節之“苦”,上反乎五者也。

「総論」に邱富国を引く:《彖伝》が「当位以節」を講ずるので、《節》卦の六爻は、「当位」を以て善と為し、当位せざるを以て不善と為す。もし相隣の両爻を取って対照して見れば、また各々相隣して意義が相反する。初九と九二は相隣する。初九は「不出戸庭」すれば「无咎」で、九二は「不出門庭」すれば「凶」。九二はまさに初九と相反する。六三と六四は相隣する。六四は柔爻を以て正を得ればすなわち「安節」で、六三は柔爻を以て正ならざればすなわち「不節」。六三はまさに六四と相反する。九五と上六は相隣する。九五は中を得ればすなわち節制の「甘」で、上六は中を過ぎればすなわち節制の「苦」。上六はまさに九五と相反する。

陸氏振奇曰:觀下卦通塞二字,上卦甘苦二字,可以知《節》道矣,通處味甘,塞處味苦,塞極必潰,故三受焉,甘失反苦,故上受焉。 案 下卦為澤為止,故初二皆曰“不出”。三則澤之止而溢也,上卦為水為流,故四曰“安”而五曰“甘”。上則水之流而竭也,通塞甘苦,皆以澤水取義。陸氏之說得之矣。

「総論」に陸振奇を引く:下卦の「通」「塞」の二字・上卦の「甘」「苦」の二字を看れば、《節》の道理を懂り得る。通ずる処は味が甘く、塞ぐ処は味が苦い。堵する極処に至れば必ず潰決するので、六三がこの結果を承受した。甘が頭を過ぎれば反転して苦となるので、上六がこの結果を承受した。李光地の按:下卦は沢で止なので、初九・九二に皆「不出」という。六三は則ち沢が止められずに漫溢し出した。上卦は水で流なので、六四に「安」といい九五に「甘」という。上六は則ち水の流が最後に至って枯竭した。通と塞・甘と苦は、皆沢と水から取義する。陸氏の説法は講じて正しい。

中孚卦

中孚.巽上.兌下程傳 《中孚序卦》:“節而信之,故受之以《中孚》。”節者,為之制節使不得過越也,信而後能行,上能信守之,下則信從之,節而信之也,《中孚》所以次《節》也。

「中孚・巽上兌下」は卦画の標注で、本卦の上体が巽・下体が兌であることを示す。程頤《伊川易伝》はいう:《序卦伝》が《節》のあとに《中孚》を置く理は、「節度があって人を信従させるから、《中孚》卦をもってこれに承く」ということである。節とは、物事に節度を定めて過分に越えさせないことである。誠信があってのち行い通じ、上にある者が信を守りて変えなければ、下にある者は信じて従う。これを「節而信之」という。《中孚》卦が《節》卦のあとに列する所以である。

為卦澤上有風,風行澤上,而感於水中,為中孚之象。感,謂感而動也。內外皆實而中虛,為中孚之象。又二五皆陽中實,亦為孚義。在二體則中實,在全體則中虛,中虛信之本,中實信之質。

卦体についていえば沢の上に風があり、風が沢面に吹き行きて水中に感動する、これが中孚の形象である。感とは、感動されてこれに随って動くことをいう。全卦は内外の両端がいずれも実爻で中が空虚、これが中孚の形象である。また九二・九五はともに陽爻で中に充実し、これもまた孚信の義である。上下二体に分けて見れば「中実」、卦体全体を合わせて見れば「中虚」である。中虚は誠信の根本、中実は誠信の質地である。

本義 “孚”,信也。為卦二陰在內,四陽在外,而二五之陽,皆得其中。以一卦言之為中虛,以二體言之為中實,皆孚信之象也。又下說以應上,上巽以順下,亦為孚義。“豚魚”,無知之物。又木在澤上,外實內虛,皆舟楫之象。至信可感豚魚,涉險難,而不可以失其貞。故占者能致豚魚之應則吉,而“利涉大川”,又必利於貞也。

本卦の卦辞は底本ではここで脱漏している(通行本は「中孚、豚魚吉、利渉大川、利貞」と作る)が、例により補入しない。朱熹《周易本義》はいう:「孚」は誠信である。卦体についていえば二つの陰爻が内にあり四つの陽爻が外にあり、九二・九五という二つの陽爻はいずれも中位を占めている。全卦として見れば中が虚であり、上下二体として見れば中が実であって、いずれも孚信の象である。また下体は喜悦をもって上体に応え、上体は謙順をもって下体に順う、これもまた孚信の義である。「豚魚」は知覚のない生き物である。また木が沢の上にあり、外が実で内が虚なのは、いずれも舟船の形象である。至誠の信は豚魚をも感動し、険難を渉ることができるが、その貞正を失ってはならない。ゆえに占う者が豚魚のごとき応を致すことができれば吉であり、かつ「利渉大川」、同時に必ず正を守るに宜しいのである。

程傳 豚躁,魚冥,物之難感者也。孚信能感於豚魚,則無不至矣,所以“吉”也。 忠信可以蹈水火,況涉川乎。守信之道,在乎堅正,故利於貞也。 集說 孔氏穎達曰:信發於中,謂之“中孚”。“魚”者蟲之幽隱,“豚”者獸之微賤,內有誠信,則雖微隱之物信皆及矣。既有誠信,光被萬物,以斯涉難,何往不通,故曰“利涉大川”。信而不正,凶邪之道,故“利”在“貞”也。

程頤《伊川易伝》はいう:小猪は性が浮躁し、魚は水の中で幽暗昏蒙であり、いずれも感動しがたいものである。誠信が豚魚にまで感動できれば、感動できないものはない。ゆえに「吉」である。忠信の者は水火をも蹈むことができる、いわんや川を渉るをや。信を守る道は堅く正しくあるにあり、ゆえに貞に利がある。「集説」に孔穎達の言を引く:信が中より発することを「中孚」という。「魚」は虫類のうち幽隠のもの、「豚」は獣類のうち微賤のものである。内に誠信があれば、微小幽隠のものにも信は皆及ぶ。すでに誠信があれば、光は万物を被い、これをもって難を渉れば、往きて通ぜざることなし。ゆえに「利渉大川」という。信あれど正しからざれば、それは凶邪の道である。ゆえに「利」は「貞」にあるのである。

蘇氏軾曰:“中孚”,信也,而謂之“中孚”者,如羽蟲之孚,有諸中而後能化也。 內無陽不生,故必剛得中,然後為“中孚”也。 《朱子語類》:問:《中孚》“孚”字與“信”字恐亦有別,曰:伊川云,存於中為孚,見於事為信,說得極好。因舉字說孚字從爪從子,如鳥抱子之象。今之乳字一邊從孚,蓋中所抱者,實有物也,中間實有物,所以人自信之。

「集説」に蘇軾の言を引く:「中孚」は信である。これを「中孚」と呼ぶのは、羽族が卵を孚(抱)くがごとく、中に有ってのち化することができるからである。内に陽がなければ生じない。ゆえに必ず剛が中を得て、のちに「中孚」となる。《朱子語類》に記す:ある人が問うた、《中孚》の「孚」の字と「信」の字にもおそらく区別があるのでしょう、と。朱熹はいう:伊川は「心に存するを孚といい、事に著われるを信という」と述べた、実によく言い得ている、と。そこで《字説》を挙げて、「孚」の字は爪と子に従い、鳥が爪で雛を抱く形であると説き、今の「乳」の字にも孚の偏がある。見ればその抱くところ、実に中に物があるのである。中に実に物があるから、人はおのずからこれを信ずるのである。

問中虛信之本,中實信之質,如何?曰:只看虛實字,便見本質之異,中虛是無事時虛而無物,故曰中虛。自中虛中發出來皆是實理,所以曰中實。 又云,一念之間,中無私主,便謂之虛,事皆不妄,便謂之實,不是兩件事。

またある人が問うた:「中虚は誠信の根本、中実は誠信の質地」とはどういうことか。朱熹はいう:ただ虚・実の二字を見れば、「本」と「質」の区別が見える。中虚とは、事のないときに心が虚静で一物も着かないゆえに中虚という。その虚より発するものはまた皆実の理だから中実という、と。朱熹はまたいう:一念の間、心に私意が主とならなければ虚といい、事を行うに虚妄なければ実という。これは二つの事ではないのである。

胡氏炳文曰:“豚魚”至愚無知,惟信足以感之。大川至險不測,惟信足以濟之。 然信而或失其正,則如盜賊相群,男女相私,士夫死黨,小人出肺月於相示,而遂背之,其為孚也,人為之偽,非天理之正,故又戒以“利貞”。

「集説」に胡炳文の言を引く:「豚魚」は愚昧の極みで少しも知覚がなく、誠信のみが足りてこれを感動できる。大川は険悪の極みで深さを測れず、誠信のみが足りてこれを渉ることができる。しかるに信あれどもしその正を失えば、それは盗賊が徒党を結び、男女が私に苟合し、士大夫が死黨を結び、小人が心肺を出して相示する(底本は「出肺月于相示」とあり、「月于」は「肝」に作るべきで、肝胆を披く意)ごとく、過ぎてのちは翻して背く。このような孚は、人為造作の虚偽であって天理の正ではない。ゆえにまた「利貞」をもってこれを戒めるのである。

蔡氏清曰:“豚魚吉”,承中孚雲也。中孚便有以孚於物矣,不然,乃為豚魚之言,而不為中孚者之占矣,“豚魚”是承中孚,故《彖傳》曰“豚魚吉,信及豚魚也”。 吳氏曰慎曰:“中孚豚魚吉”,卦辭連卦名為義,猶“同人于野”,“履虎尾”“艮其背”之例,言人中心能孚信於豚魚,則無所不感矣,故吉也。

「集説」に蔡清の言を引く:「豚魚吉」は「中孚」の二字を承けて説き下るものである。中孚があれば、おのずから誠信を万物に及ぼすことができる。そうでなければ、それは豚魚のために言う言葉となり、中孚の人のために下す占ではなくなる。「豚魚」は中孚を承けて言うものだから、《彖伝》は「豚魚吉、信及豚魚也」という。呉曰慎はいう:「中孚豚魚吉」は、卦辞が卦名に連なって義を取るもので、《同人》の「同人于野」、《履》の「履虎尾」、《艮》の「艮其背」の体例のごときである。人の中心が誠信して豚魚にまで及べば、感動できないものはない、ゆえに吉であるということである。

初九,虞吉,有它不燕。 本義 當《中孚》之初,上應六四,能度其可信而信之,則吉。復有他焉,則失其所以度之之正,而不得其所安矣,戒占者之辭也。

爻辞はいう:初九、先に揣度し審量してのちに信従すれば吉祥。別に他の牵挂があれば安寧を得ない。朱熹《周易本義》はいう:初九は《中孚》の始まりに当たり、上に六四と相応する。相手が信ずるに足ると揣度してのちに信任すれば吉である。もし別に他の牵挂があれば、揣度するとき保つべき正を失い、安頓を得られない。これは占う者を戒める言である。

程傳 九當《中孚》之初,故戒在審其所信。“虞”,度也,度其可信而後從也。雖有至信,若不得其所,則有悔咎。故虞度而後信則言也。既得序脂,則當誠一,若“有它”,則不得其燕安矣。“燕”,安裕也。“有它”,志不定也。人志不定,則惑而不安,初與四為正應,四《巽》體而居正,無不善也。爻以謀始之義大,故不取相應之義,若用應則非虞也。

程頤《伊川易伝》はいう:初九は《中孚》の初めに当たるから、戒めの重点は自ら信ずる対象を審察することにある。「虞」は揣度であり、先に相手が信ずるに足ると揣度してのちに従う。たとい至誠の信があっても、託するところを誤れば悔咎がある。ゆえに揣度してのち信従してこそ吉なのである(底本は「則言也」とあり、「言」は「吉」の誤りに作るべき)。すでに信ずべき所を得たなら(底本は「既得序脂」とあり、「既得所信」に作るべき)、誠一にして二心なくあるべきである。もし「有它」あれば、その安逸を得られない。「燕」は安適宽裕であり、「有它」は心志が専ら定まらないことである。人の心志が専ら定まらなければ、迷惑して安らかでなくなる。初九と六四は正応で、六四は《巽》体に属し居位も正を得ており、もともと悪いことはない。ただこの爻は「謀始」(始めを謀る)の義を重んずるゆえに、相応の義を取らない。ひたすら相応に依れば、それは「虞」とはいえなくなるからである。

集說 荀氏爽曰:“虞”,安也。初應於四,宜自安虞,無意於四則吉,故曰“虞吉”也,有意於四則不安,故曰“有它不燕”也。 案 荀氏項氏說,於《易》例卦義皆合。蓋《易》例初九應六四,義無所取,如《屯》之“磐桓”,《賁》之“賁趾”。皆不取應四為義。《頤》之“朵頤”,則反以應四為累。

「集説」に荀爽の言を引く:「虞」は安である。初九と六四は相応するが、理として自ら審度のうちに安処すべきである。六四に心を動かさなければ吉、ゆえに「虞吉」という。六四に心を動かせば安らかでない、ゆえに「有它不燕」という。李光地は案ずる:荀爽と項安世の説は、《周易》の通例と卦義のいずれにおいても通ずる。《周易》の通例では初九と六四は相応するが、取義の上で取るべきものはない。例えば《屯》卦初九の「磐桓」、《賁》卦初九の「賁其趾」は、いずれも六四に応ずることで義を取らない。《頤》卦初九の「朵頤」は、かえって六四に応ずることを累としている。

惟《損》、《益》之初,則適當益上報上之卦,時義不同也。此卦之義,主於中有實德,不願乎外,故六爻無應者吉,有應者凶。初之“虞吉”者,謂其有以自守自安也。禮有虞祭,亦安之義也。“燕”,亦安也。虞則燕,不虞則不燕矣。“有它不燕”,正與《大過》九四“有它,吝”同。九四下應初六為“有它”,初九上應六四,亦為“有它”也。

ただ《損》《益》二卦の初爻のみ、ちょうど上を益し上に報いる卦義に遇うが、それは時勢の取義が異なるだけである。この卦の取義は、心中に実の徳を有して外に望まないことを重んずる。ゆえに六爻のうち「応与」のないものは吉であり、応与のあるものは凶である。初九の「虞吉」は、自ら守り自ら安んずることをいう。古礼に「虞祭」(埋葬後に亡魂を安んずる祭祀)があるが、これも安の義であり、「燕」もまた安である。審度すれば安らかであり、審度しなければ安らかでない。「有它不燕」は、まさに《大過》九四の「有它、吝」と同じである。《大過》九四が下に初六に応ずるのを「有它」とすれば、ここで初九が上に六四に応ずるのも同じく「有它」という。

九二,嗚鶴在陰,其子和之。我有好爵,吾與爾靡之。 本義 九二《中孚》之實,而九五亦以中孚之實應之,故有鶴鳴子和我爵爾靡之象。 鶴在陰,謂九居二。“好爵”,謂得中。“靡”,與縻同,言懿德人之所好。故“好爵”雖我之所獨有,而彼爾繫戀之也。

爻辞はいう:九二、鶴が幽暗のところで鳴けば、その雛がこれに和す。我に好爵美酒あれば、我は汝とともにこれに沉浸せん。(底本は「嗚鶴」、通行本は「鳴鶴」と作る。)朱熹《周易本義》はいう:九二は《中孚》の実徳を備え、九五もまた中孚の実徳をもってこれに応ずるから、鶴鳴子和・我爵爾靡の象がある。鶴が陰に在るとは、陽爻が第二位に居ることを指し、「好爵」とは中位を占めていることを指す。「靡」は「縻」と同じで係恋の義であり、美しい徳は人々の愛するところゆえに、「好爵」は我一人の独り有するものだが、汝はこれに係念しているというのである。

程傳 二剛實於中,孚之至者也,孚至則能感通,鶴鳴於幽隱之處,不聞也。而其乎相應和中心之願相通也。“好爵”我有,而彼亦係慕,說“好爵”之意同也。有孚於中,物無不應,誠同故也。至誠無遠近幽深之間,故《繫辭》云,“善則千里之外應之,不善則千里違之”。占誠通也,至誠感通之理,知道若為能識之。

程頤《伊川易伝》はいう:九二は陽剛が内に充実し、誠信が極まったものである。誠信が極まれば感通できる。鶴が幽隠のところで鳴くのは本来聞こえないはずだが、その雛が相応して和すのは、心中の願いが彼此相通ずるからである。「好爵」は我が有するところだが、相手もまた係念して仰慕する。好爵を愛する心は相同じい。心に誠信あれば、外物は応ぜざることなし、誠相同じければなり。至誠は遠近幽深に隔てられない。ゆえに《繋辞伝》は「善なれば千里の外も皆これに応じ、善ならざれば千里の外も皆これに違う」という。これはまさに誠のよく感通することをいうのであり、至誠感通の理は、まことに道を知る者のみが識ることができるのである。(底本の「占誠通也」「知道若為能識之」二箇所の文字にやや訛脱がある。)

集說 孔氏穎達曰:九二體剛,處於卦內,又在三四重陰之下,而履不失中,是不徇於外,自任其真者也。處於幽昧而行不失信,則聲聞於外,為同類之所應焉。如鶴之鳴於幽遠,則為其子所和也。“靡”,散也。不私權利,惟德是與。若“我有好爵”,願與爾賢者分散而共之。故曰“我有好爵”,“吾與爾靡之”。

「集説」に孔穎達の言を引く:九二は本体が陽剛で、卦の内部に処し、また六三・六四の二重の陰爻の下にあって、践履するところは中道を失わない。これは外物に曲従せず自ら真を守るものである。幽暗のうちに身を処して行事は信用を失わなければ、名声は外に伝わり、同類に応ぜられる。鶴が幽遠に鳴けばその雛が和するがごとし。「靡」は分散である。権勢利禄を私に据えず、ただこれを徳ある者に与える。「我有好爵」というのは、汝という賢者と分かち共にせんと欲するゆえに、「我有好爵」「吾与爾靡之」というのである。

王氏安石曰:君子之言行,至誠而善,則雖在幽遠,為己類者,亦以至誠從而應之,中孚之至也。 蘇氏軾曰:《中孚》必正而一,靜而久,而初九六四,六三上九,有應而相求,皆非所謂正而一,靜而久者也。惟九二端愨無求,而物自應焉。 張氏浚曰:二處二陰下為在陰,“其子和之”謂韌。

「集説」に王安石の言を引く:君子の言語行為が至誠より出でて美善なれば、たとい幽遠の地に身を置いても、自らと同類の者は至誠をもって随って応ずる。これが中孚の極である。蘇軾はいう:《中孚》は正しく専一、静かにして持久せねばならない。初九と六四、六三と上九はいずれも相応があって彼此求め合うもので、いずれも正しく専一、静かにして持久とはいえない。ただ九二のみ端方誠朴にして求めるところなく、外物がおのずからこれに応ずる。張浚はいう:九二は二つの陰爻の下に処するから「在陰」という。「其子和之」は初九を指す(底本は「謂韌」とあり、「韌」は「初」の誤りに作るべき)。

鄭氏汝諧曰:二獨無應,若未信於人,而爻之最吉莫二若也。自耀者其實喪,自悔者其德章。無心於感物,而物無不感者,至誠之道也。二以剛履柔,其居得中,且伏於二陰之下,蓋靜晦而無求者,無求而物自應,故鶴鳴在陰,而“其子和之”者,感以天也。

「集説」に鄭汝諧の言を引く:九二は独り相応する爻がなく、まだ人に信を取っていないように見えるが、六爻のうち最も吉なるものはこれに比ぶるものなし。自ら炫耀する者はかえって実質を失い、自ら貶抑する者はかえって徳性が彰れる。心して外物を感動せんとせずして、外物で感動せざるものはない。これがまさに至誠の道である。九二は剛爻をもって柔位を踏み、居るところはまた中を得、しかも二つの陰爻の下に潜伏して、沈静晦蔵して求めるところなし。求めるところなくして外物おのずから応ず、ゆえに鶴は幽暗に鳴きて「其子和之」、これは天然の誠をもって相感ずるのである。

案 《易》例凡言“子”言“童”者,皆初之象,故張氏以“其子和之”為初者近是。“好爵”,謂旨酒也。“靡”,謂醉也。九二有剛中之實德,無應於上,而初與之同德,故有鶴鳴子和好爵爾靡之象。言父子,明不逾出戶庭也。言爾我,明不逾同類也。

李光地は案ずる:《周易》の通例、およそ「子」といい「童」というのは、皆初爻の象である。ゆえに張浚が「其子和之」を初九と解するのは実情に近い。「好爵」は美酒を指し、「靡」は同じく酔うことを指す。九二は陽剛居中の実徳があり、上に相応する爻がなく、初九はこれと同徳ゆえに、鶴鳴子和・好爵爾靡の象がある。父と子というは、この感通が自家門庭を出ないことを表明し、汝と我というは、この感通が同類の外を出ないことを表明する。

《詩》云:鶴鳴於九皋,聲聞於天,則居爽塏之地,而聲及遠矣。處於陰而子和,則不求遠聞可知。又曰:我有旨酒,嘉賓式燕以衎,則同樂者眾矣。吾與爾靡,則惟二人同心而已。 君子之實德實行,不務於遠而修於邇。故《繫辭傳》兩言“況其邇者乎”!然後推廣而

《詩経・小雅・鶴鳴》に「鶴鳴于九皋、声聞于天」というが、あれは高爽乾燥の地に立って声の伝わること遠きをいう。ここでの鶴は幽暗のうちに処して雛に和せられる。見ればそれは名声が遠く播れることを求めないのである。《詩経・小雅・鹿鳴》にまた「我有旨酒、嘉賓式燕以衎」(我に美酒あり、貴客に宴飲歓楽せしめん)というが、あれは同じく楽しむ者が多いことをいう。ここで「吾与爾靡」というは、ただ二人の心が同じくするのみである。君子の実の徳・実の行は、遠く播れることを求めず先に近きにおいて修める。ゆえに《繋辞伝》は二度「況其邇者乎」(いわんや近きの者をや)というのである。そしてのちに外に推し広めて――底本の文字はここで中断し、下に脱文がある。

六三,得敵,或鼓,或罷,或泣,或歌。 本義 “敵”,謂上九信之窮者,六三陰柔不中正,以居說極,而與之為應,故不能自主,而其象如此。 程傳 “敵”,對敵也,謂所交孚者,正應上九是也。三四皆以虛中為成孚之主,然所處則異。四得位居正,故亡匹以從上,三不中失正,故“得敵”以累志,以柔說之質,既有所繫,惟聽信是從,或鼓張,或罷廢,或悲泣,或歌樂,動息憂樂皆繫乎所信也。惟繫所信,故未知吉凶,然非明達君子之所為也。

爻辞はいう:六三、敵手に遇えば、あるいは鼓を撃ち進撃し、あるいは疲れて罷み、あるいは悲泣し、あるいは歌唱する。朱熹《周易本義》はいう:「敵」は上九を指し、あれは誠信が窮極に至る爻である。六三は陰柔にして中でも正でもなく、悦体の頂点に処しながら上九と相応するから、自ら主と為ることができず、その象はこのようになる。程頤《伊川易伝》はいう:「敵」は相対する一方で、これと交わり孚信する対象、すなわちその正応たる上九である。六三・六四はいずれも中の虚をもって孚信を成就する主爻と為るが、処する位置が異なる。六四は位を得て正に居るから、配偶を絶ちて上位に従う。六三は中せず正を失うから、「得敵」して心志が累わされる。柔悦の資質をもって、いったん牵係があればひたすら相手を聴信し、おのれからあるいは鼓を撃ちて張揚し、あるいは疲罷して停歇し、あるいは悲泣し、あるいは歌楽し、動と静・憂と楽はすべてその信ずる者に係る。すべてが信ずるところに係るゆえに吉凶はまだ見えないが、しかしこれは明達の君子の為すところではない。

集說 劉氏牧曰:人惟信不足,故言行之間,變動不常如此。 李氏簡曰:六三之得敵,以其有私繫之心也。 案 諸爻獨三上有應,有應者,動於外也,非中孚也。人心動於外,則憂樂皆繫於物,鼓罷泣歌,喻其不能坦然自安,蓋初力虞燕之反也。

「集説」に劉牧の言を引く:人はただ誠信足らざるがゆえに、言語行為の間、変動不定でここに至る。李簡はいう:六三が「得敵」する所以は、私に牵係する心を存するからである。李光地は案ずる:各爻のうち六三と上九のみ相応がある。相応があれば、それは心が外に動くことであり、それでは中孚ではない。人の心がいったん外に動けば、憂と楽は皆外物に係る。鼓撃・罷休・悲泣・歌唱は、それが坦然として自ら安んじ得ないことを喩えるもので、まさに初九の「虞」であり「燕」であることの反面である(底本は「蓋初力虞燕之反也」とあり、「力」の字は疑い衍文)。

六四,月幾望,馬匹亡,無咎。 本義 六四居陰得正,位近於君,為“月幾望”之象。“馬匹”,謂初與己為匹。四乃絕之而上以信於五,故為“馬匹亡”之象,占者如是則“無咎”也。

爻辞はいう:六四、月は将に望(満)に近づくも未だ満ちず、駕車の馬はその対を失う。過ちはない。朱熹《周易本義》はいう:六四は陰爻をもって陰位に居して正を得、位置は君主に近いから「月幾望」の象がある。「馬匹」とは初九が自らと対を結ぶことを指す。六四はこれを絶ちて、転じて上に向かい九五に信を取るから「馬匹亡」の象がある。占う者がよくこのようになれば「无咎」である。

程傳 四為成孚之主,居近君之位,處得其正,而上信之至,當孚之任者也,如月之幾望盛之至也。己望則敵矣,臣而敵君,禍敗必至,故以幾望為至盛。“馬匹亡”,四與初為正應,匹也,古者駕車用四馬,不能備純色,則兩服兩驂各一色,又小大必相稱,故兩馬為匹,謂對也。馬者,行物也。初上應四,而四亦進從五,皆上行,故以馬為象。 孚道在一,四既從五,若復下繫於初,則不一而害於孚,為有咎矣。故“馬匹亡”則“無咎”也。上從五而不繫於切,是亡其匹也,繫初則不進,不能成孚之功也。

程頤《伊川易伝》はいう:六四は孚信を成就する主爻で、君主に近い位置に処し、居位は正を得、上よりこれに信を極められ、孚信の任を担う者である。月の将に望なるも未だ満ちざるがごとく、盛んなること極点にある。真に円満すれば太陽と相敵する。臣子たるもの君主と相敵すれば、禍敗は必ず至る。ゆえに「幾望」をもって盛極を表す。「馬匹亡」というは:六四と初九は正応で本来一対である。古の駕車は四匹の馬を用い、純一の毛色を配することができなければ、服馬二匹・驂馬二匹を各々一色とし、かつ大小は相称せねばならない。ゆえに二馬を一「匹」と算え、すなわち配対の義である。馬は行動の動物で、初九は上に六四に応じ、六四もまた上進して九五に従う、いずれも上に行くゆえに馬に象を取る。孚信の道は専一を貴ぶ。六四すでに九五に従う、もしまた下に初九を牵係すれば専一ならず孚を害して咎がある。ゆえに「馬匹亡」してこそ「无咎」なのである。上に九五に従いていささかも初九を牵係せざれば、すなわち自らの配偶を失うことである(底本は「不系于切」とあり、「切」は「初」の誤りに作るべき)。初九を牵係すれば上進できず、孚信の功業を成就できない。

集說 郭氏雍曰:“匹”,亦敵之類也。得敵匹亡,其道相反也。《彖傳》言柔在內,而爻則其道相反,蓋卦爻取義有不得而同者也。 案 《易》中六四應初九,而義有取焉者,皆上不遇九五者也。如六四遇九五,則以從上為義,而應非所論,《易》例皆然。而此爻尤明,蓋孚不容於有二,況居大臣之位者乎。“月幾望”者,陰受陽光,承五之象也。“馬匹亡”者,無有私群,遠初之象也。 自《坤》卦牝馬以得主為義,而其下曰:“東北喪朋”。東北者,近君之位也,《中孚》之四當之矣。

「集説」に郭雍の言を引く:「匹」もまた「敵」(相対の配偶)の類に属する。六三の「得敵」と六四の「匹亡」は、二者の路数が正反対である。《彖伝》は柔爻が内にあるというが、爻辞の言うところはかえってこれと相反する。卦と爻の取義は一致できないことがあるのが見える。李光地は案ずる:《周易》において六四が初九に応じて取義の上で取るべきものがあるのは、皆上に九五に遇わない場合である。もし六四が九五に遇えば、上位に従うことをもって取義とし、相応するか否かは議論の列に入らない。《周易》の通例は皆このようである。そしてこの爻はことに明白である。孚信は二心を容れないから、いわんや大臣の位置に身を処するをや。「月幾望」は、陰が陽の光照を受けることで、まさに九五に承奉する象である。「馬匹亡」は、私党なきことで、まさに初九を疎遠にする象である。《坤》卦より牝馬が「得主」することを取義とし、その下にすなわち「東北喪朋」という——東北は、まさに君主に近い位置である。《中孚》の六四はまさにこの位に当たる。

九五,有孚孿如,無咎。 本義 九五剛健中正,《中孚》之實而居尊位,為孚之主者也。下應九二,與之同德,故其象占如此。 程傳 五居君位,人君之道,當以至誠感通天下,使天下之心信之,固結如拘攣然,則為“無咎”也。人君之孚,不能使天下固結如是,則億兆之心,安能保其不離乎。

爻辞はいう:九五、誠信を懐いて天下を牽連固結せしむれば、過ちはない。朱熹《周易本義》はいう:九五は剛健中正で、《中孚》の実徳を備えて尊位に居り、孚信の主爻である。下は九二と相応し、彼此同徳ゆえに、その卦象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:九五は君位に居る。人君たるの道は、至誠をもって天下に感通し、天下の人心が皆これを信じ、固結して拘挛のごとくあらしめてこそ「无咎」なのである。人君の誠信が天下をかくのごとく固結せしめ得なければ、億兆の心は離散せぬことをどうして保証できようか。

集說 王氏弼曰:處中誠以相交之時,居尊位以為群物之主,信何可舍,故“有孚 咎”。九五君位,足以感通天下,又無私應之累,故直曰“有孚攣如”而已。 胡氏炳文曰:六爻不言“孚”,惟九五言之,九五孚之主也。

「集説」に王弼の言を引く:九五は中誠をもって相交るときに処し、尊位に居って群物の主宰と為る。誠信はどうして捨てられようか。ゆえに「有孚……咎」という——底本はここで一節の文字が脱け、ついでに下の注家の姓名もともに脱失した。脱文のあとに続いていう:九五は君位で、天下に感通するに足り、また偏私応和の累がない。ゆえにただ「有孚攣如」と言うのみで足りる。胡炳文はいう:六爻のうち皆「孚」を言わず、独り九五のみこれを言う、九五は孚信の主爻だからである。

案 此爻是《彖》所謂“孚乃化邦者也”,人君之孚,與在下者不同,居下位者,中有實德,不遷於外而已,人君則以孚天下為實德。故必誠信固結於天下,然後為“無咎”也。此爻義與《小畜》之九五同,其為臣者,“月幾望”之義亦同,但彼主於君臣相畜,而此主於君臣相孚爾,要之“富以其鄰”者,即“孚乃化邦”之說,而“君子征凶”者,亦即“馬匹亡”之意也。

李光地は案ずる:この爻はすなわち《彖伝》のいう「孚乃化邦者也」(誠信あってこそ邦国を化育する)の類である。人君の孚信は、下位に在る者と異なる。下位に居る者は、中に実の徳を有し外に遷らざるのみで足りる。人君は天下に孚すをもって実徳と為す。ゆえに必ず誠信が天下人に固結してのちに「无咎」なのである。この爻の義は《小畜》の九五と同じであり、臣たる者のあの爻の「月幾望」の義もまた同じである。ただあれは君臣の相畜を主とし、これは君臣の相孚を主とするのみである。要するに《小畜》九五の「富以其鄰」は、すなわち「孚乃化邦」の説であり、《小畜》上九の「君子征凶」は、すなわちここでの「馬匹亡」の意である。

上九,翰音登于天,貞凶。 本義 居信之極,而不知變,雖得其貞,亦凶道也,故其象占如比。雞曰翰音,乃巽之象。居《巽》之極,為“登於天”,雞非登天之物而欲登天,信非所信,而不知變,亦猶是也。

爻辞はいう:上九、鶏の鳴く声が天に登る、固守し続ければ凶。朱熹《周易本義》はいう:上九は誠信の頂点に処して変通を知らず、正を守り得てもこれも凶の道である。ゆえにその卦象と占断はこのようである(底本は「如比」とあり、「比」は「此」の誤り)。《礼記》において祭祀に用いる鶏を「翰音」というのは、まさに巽の象である。上九は《巽》の頂点に居るから「登于天」という。鶏は本来天に登れるものでないのに登ろうとし、信ずるところは信ずべき者でなく、しかも変を知らないのもまたこのようである。

程傳 “翰音”者,音飛而實不從,處信之終,信終則衰,忠篤內喪,華美外揚,故云翰音登天,正亦滅矣。陽性上進,風體飛颺。九居《中孚》之時,處於最上,孚於上進而不知止者也,其極至於羽翰之音,登聞於天,貞固於此而不知變,凶可知矣。夫子曰好信不好學,其蔽也賊,固守而不通之謂也。 集說 王氏弼曰:“翰”,高飛也。飛音者,音飛而實不從之謂也。

程頤《伊川易伝》はいう:「翰音」とは、音は飛び上るが実は従わないことである。上九は信の終わりに処し、信が終われば衰える。忠篤は内に喪われ、華美は外に揚がる。ゆえに翰音登天といい、正もまた滅するのである。陽の性は上に進み、風体は飛颺する。上九は《中孚》の時に居って最上に処し、上進に孚して止まるを知らざる者である。その極は羽翰の音となり、登りて天に聞こえる。これにおいて貞固を守りて変を知らざれば、凶は知るべきである。孔子はいう「好信不好学、其蔽也賊」(信を好みて学を好まざれば、その蔽は賊なり)、これは固守して通ぜざることをいう。「集説」に王弼の言を引く:「翰」は高く飛ぶこと。飛音というは、音飛びて実は従わざるの謂いである。

居卦之上,處信之終,信終則衰,忠篤內喪,華美外揚,故曰“翰音登于天”也。胡氏瑗曰:“翰”者,鳥羽之高飛也,上九在一卦之上,居窮極之地,是無純誠之心,篤實之道,徒務其虛聲外飾,以矯偽為尚,如鳥之飛登於天,徒聞其虛聲而已。

前の一家の注説はいう:上九は整卦の最上位に処し、まさに《中孚》誠信の道が尽きるに至るときに当たる。誠信が尽きれば衰え、内には忠厚篤実の実質はすでに喪われ、外には華美の名声を張揚する。ゆえに爻辞は「翰音登于天」という。集説に胡瑗の言を引く:「翰」は鳥が羽翼をもって高飛すること。上九は一卦の上に居り窮極の地に処して、純誠の心なく篤実の道なく、いたずらに虚声外飾を務め、矯偽をもって尚びと為す。鳥が飛びて天に登るがごとく、人はただその虚声を聞くのみである。

蘇氏軾曰:“翰音”,飛且鳴者也。處外而居上,非中孚之道,飛而求顯,鳴而求信者也,故曰“翰音登于天”,九二在陰而子和,上九飛鳴而登天,其道蓋相反也。朱氏震曰:巽為雞,剛其翰也,柔其毛也。“翰”,羽翮也。雞振其羽翮而後出於聲,“翰音”也。

集説に蘇軾の言を引く:「翰音」とは、飛びかつ鳴く鳥である。上九は卦外に身を処ししかも最上に居る。《中孚》の誠信をもって相感ずる道に合わず、飛び高きをもって顕達を求め、鳴くをもって人の信任を求める類である。ゆえに爻辞は「翰音登于天」という。九二は下卦の幽暗のところに蔵れて黙々として鳴くが、かえって同類の応和がある。上九は飛びかつ鳴いて雲天に直登し、二者の路数は正反対である。集説にまた朱震の言を引く:上卦「巽」は《説卦伝》において鶏に象を取る。鶏の身で剛硬なるは翎羽、柔軟なるは絨毛である。「翰」はすなわち翅上の硬羽茎である。鶏はまずその硬翅を振りてのちに鳴声を出す。これが「翰音」の来歴である。

鄭氏汝諧曰:“翰音”登天者,聲聞過情,君子恥之。章氏潢曰:二居兌澤,故曰“在陰”。上為巽風,故曰“於天”。孚於中也,則鳴鶴自有子和。孚於外也,則翰音徒登於天。然則中孚可以人偽為之哉!

集説に鄭汝諧の言を引く:「翰音」が天に直登するは、名声が実情を過ぐることで、これは君子の恥とするところである。集説にまた章潢の言を引く:九二は下卦「兌」に処し、兌の取象は沢ゆえに九二爻辞は「在陰」という。上九は上卦「巽」に処し、巽の取象は風ゆえに上九爻辞は「于天」という。誠信が中に生ずれば、九二のごとく「鳴鶴在陰」にしておのずから同類の応和がある。誠信がただ外に為されれば、上九のようになり、空しく一声の鳴叫を高天に送るのみである。ここより見れば、《中孚》のいう誠信は、どうして人為造作で装い得られようか!

小過 震上艮下

程傳 《小過序卦》:“有其信者必行之,故受之以《小過》。”人之所信則必行,

程頤《伊川易伝》は《序卦伝》を引いていう:「信ずるところある者は必ずこれを行う、ゆえに《小過》をもってこれに承く。」人は自ら信ずるところに対して必ず行動に移す。ここで底本に脱文があり、程頤が卦序を解説する後半の文字はすでに缺失し、以下は直接卦辞に接続する。

小過,亨,利貞,可小亨不可大事,飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉。

《小過》卦辞はいう:小過、亨通、正固を守るに宜しい。小さき方面に施用すべく、大事を為すには用いられない。飛鳥が掠めて一路の鳴声を遺すがごとく、この声は上に散ずるに宜しからず下に伝わるに宜しい。かくて大いに吉利である。底本は「可小亨」、通行本は「可小事」と作り、下句の「不可大事」と正に相対する。

本義 “小”,謂陰也。為卦四陰在外,二陽在內,陰多於陽,小者過也。既過於陽,可以“亨”矣。然必利於守貞,則又不可以不戒也。卦之二五,皆以柔而得中,故”可小事”。三四皆以剛失位而不中,故“不可大事”。卦體內實外虛,如鳥之飛,其聲下而不上,故能致飛烏遺音之應,則“宜下”而“大吉”,亦“不可大事”之類也。

朱熹《周易本義》はいう:卦名の「小」は陰爻を指す。卦体についていえば四つの陰爻が外に分布し二つの陽爻が中間に挟まれ、陰は陽より多し。まさに「小者過」——柔小の一方が剛大の一方を超えたのである。すでに陽を超えた以上、事は「亨」通できる。しかし必ず正貞を守るに利あらねばならない。ゆえに卦辞はまた一句の告戒を加える。この卦の六二・六五の二爻はいずれも柔爻をもって上下卦の中位に居り「中」を得、ゆえに「可小事」という。九三・九四の二爻はいずれも剛爻をもって「失位」しまた中せず、ゆえに「不可大事」という。卦体は内の二爻が充実し外の四爻が虚薄で、たとえば鳥の飛ぶがごとく、その声は下に落ちて上に揚がらない。ゆえに「飛鳥遺音」の応を致すことができ、すなわち「宜下」にして「大吉」であり、これもまた「不可大事」の類に属する。

程傳 “過”者,過其常也。若矯枉而過正,過所以就正也。事有時而當然,有得過而後能亨者,故《小過》自有“亨”義。“利貞”者,過之道,利於貞也不失時宜之謂正,過所以求就中也,所過者“小事”也,事之大者,豈可過也。於《大過》論之詳矣。“飛鳥遺之音”謂過之不遠也,“不宜上宜下”,謂宜順也。順則“大吉”,過以就之,蓋順理也。過而順理,其吉必大。

程頤《伊川易伝》はいう:「過」とは常を過ぐることである。曲がったものを矯めるに正中よりやや過ぐるがごとき、その「過」は正に就かんがためである。世事には時として然るべきがあり、過ぎるを得てのち亨通できるものがある。ゆえに《小過》は自ら「亨」の義を有する。「利貞」というは、「過」の道は貞を守るに利あればよく、時宜を失わざるを「正」と謂う。「過」は「中」に求めて就かんがためであり、過ぐるところは「小事」であり、事の大なる者はどうして過ぎることができよう。この層は《大過》において論じて詳しい。「飛鳥遺之音」は過ぐること遠からざるをいい、「不宜上宜下」は順うに宜しきをいう。順えば「大吉」、過ぎてこれに就くは、おおむね理に順うのである。過ぎてしかも理に順えば、その吉は必ず大きい。

集說 王氏弼曰:飛鳥遺其音,聲哀以求處卜愈無所適,下則得安,愈上則愈窮,莫若飛鳥也。孔氏穎達曰:過之“小事”,謂之小過。即行過乎恭,喪過乎哀之例是也。諸氏云,謂小人之行,小有過差,君子為過厚之,行以矯之,如晏子狐裘之比也,過為小事,道乃可通,故曰:“小過亨”。“利貞”者,矯世勵俗,利在歸正也。“可小事不可大事”者,小有過差,惟可矯以小事,不可正以大事。“飛鳥遺之音,不宜上宜下,大吉”者。飛鳥聲哀以求處,過上則愈無所適。過下則不失其安,譬君子處過差之時,為過矯之行,順則執卑守下,逆則犯君陵上,故以順逆類鳥之上下也。

集説に王弼の言を引く:飛鳥はその音を一路に遺し、その声は凄哀で、求めるところの安身の地があり、上に飛ぶほどに落ち着くべきところなく、下にすれば安を得、上にすればするほど窮する。天下に飛鳥よりもこの理を説明できるものはない。集説にまた孔穎達の言を引く:過ぐるところが「小事」であるをもって小過という。すなわち行いは恭に過ぎ、喪は哀に過ぐるの類の例である。諸家はまたいう、小人の行いが小さく過差あれば、君子はこれに過厚の行を為してこれを矯める。晏嬰が旧い狐裘を三十年着て、倹省をもって奢靡を矯めるがごときである。過ぐるところが小事であれば道理は行い通ず。ゆえに卦辞は「小過亨」という。「利貞」というは、世風を矯め習俗を砥礪するは、正に帰するに利あるがゆえである。「可小事不可大事」というは、小さき過差は小事をもって矯めるべく、大事をもって正すことはできないからである。「飛鳥遺之音、不宜上宜下、大吉」というは、飛鳥が哀鳴して棲処を求め、上に過ぐればますます適うところなく、下に過ぐればその安を失わざるがゆえである。たとえば君子が世風のやや偏差した時に処し、矯枉の挙動を為すに、順に来れば卑下の本分を執守し、逆に来れば君に犯り上に陵ぐ。ゆえに順逆をもって鳥の上下に比すのである。

呂氏大臨曰:《小過》,過於小者也。君子之道,皆以濟其不及,然後可以會於中。《大過》以濟其大不及,《小過》以濟其小不及者,濟所以“亨”也。“飛鳥”“不宜上宜下”,上窮而下有止也。過奢過慢則凶,不宜上也。過恭過儉則吉,宜下也。

集説に呂大臨の言を引く:《小過》は小さきところにおいてやや過ぐるを論ず。君子の道は皆「過」をもってその「不及」を済い、のちに「中」に会帰することができる。《大過》は大きな不及を済い、《小過》は小さな不及を済う。済うところある、ゆえに「亨」である。「飛鳥」「不宜上宜下」というは、上に飛び尽きれば依託するものなく、下に落ちれば棲止すべきところあるがゆえである。奢に過ぎ慢に過ぐれば凶、これが「不宜上」である。恭に過ぎ倹に過ぐれば吉、これが「宜下」である。

《朱子語類》云:《小過》是過於慈惠之類,《大過》則是剛嚴果毅底氣象。《小過》是小事過,又是過於小,如“行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉”。皆是過於小。退後一步,自貶底意思。俞氏琰曰:《小過》之時,可過者“小事”而已,“大事”則不可過也。

集説に《朱子語類》を引いていう:《小過》は慈愛寛厚のやや過ぐる類に属し、《大過》は剛強峻厳・果敢剛毅の気象である。《小過》は小事に過ぐるとともに、また「小」の方向に向かって過ぐるものである。たとえば《大象伝》のいう「行いは恭に過ぎ、喪は哀に過ぎ、用は倹に過ぐ」は皆「小」の一辺に過ぐるもので、一歩退き自ら一等を降抑する意を含む。集説にまた兪琰の言を引く:《小過》の時に処して、やや過ぐべきは「小事」のみであり、「大事」は過ぐるべからざるものである。

林氏希元曰:《小過》不當以人類言。當以事類言。觀大象《本義》曰:三者之過,皆小者之過,可過於小,而不可過於大,可以小過,而不可以甚過。又曰彖所謂“可小事”,而“宜下”,其意可見矣。“《小過》亨”者,小事過而亨也。曰“利貞”,深戒占者之辭。“可小事不可大事,不宜上宜下”,又是申“利貞”之意。陸氏銓曰:君子雖行貴得中,事期當可,然勢有極重,時須損餘以補缺,事必矯枉

集説に林希元の言を引く:《小過》は人の類別によって論ずべきではなく、事の類別によって論ずべきである。朱熹《周易本義》が「大象」を解するを見るに:行恭・喪哀・用倹の三様の「過」は、皆小さきところに過ぐるものであり、小さきところに過ぐべく、大ききところに過ぐべからず、やや過ぐべく、太だしく過ぐべからざるである。彼はまたいう、卦辞のいわゆる「可小事」にして「宜下」、その意は見えたるものがある、と。いわゆる「《小過》亨」とは、小事にやや過ぎて亨通を得るをいう。一句「利貞」を加えるは、占う者への極めて鄭重な告戒の辞である。「可小事不可大事、不宜上宜下」は、また「利貞」の意を申し述べるものである。集説にまた陸銓の言を引く:君子の行事はもとより「中」を得るを貴び、事を為すに恰到好処を期す。しかしながら形勢の偏して極めて重きときは、余余を減損して虧欠を補足し、事を為すに矯枉せざるを得ない。ここで底本に脱文があり、陸銓のこの段の言は語り尽くされていない。

案 《大過》者,大事過也。《小過》者,小事過也。“大事”,謂關係天下國家之事。“小事”,謂日用常行之事。道雖貴中,而有時而過者,過所以為中也,當過而過,然後可以通行,故有“亨”道而利於正也。“可小事不可大事”,是申《小過》之義。言此卦之義,可以施於小事,不可施於大事。“不宜上宜下”,又是申“利貞”之義。

李光地は案ずる:《大過》は大事に過ぐるもの、《小過》は小事に過ぐるものである。いわゆる「大事」とは天下国家に関わる事を指し、いわゆる「小事」とは日常の起居行事を指す。道理は「中」を貴ぶと雖も、時として過ぎざるを得ないことがあり、この「過」はちょうど「中」を求めるためである。過ぐべきときに過ぎて、のちに事は行い通ず。ゆえにこの卦は「亨」の道理があり、また正を守るに宜しい。「可小事不可大事」は、《小過》の卦義を申し述べるもので、この卦の義理は小事に施用すべく大事に施用すべからざるをいう。「不宜上宜下」は、また「利貞」の意を申し述べるものである。

“飛鳥遺之音”者,卦有飛鳥之象,卦示以兆,如飛鳥之遺以音也。上下二字是借鳥飛之上下,以切人事。飛鳥相呼云,不宜上宜下,在飛鳥則上無止戾,下有棲宿,在人事則高亢者失正而遠於理,卑約者得正而近乎情,是以“大吉”也。

李光地は続けていう:いわゆる「飛鳥遺之音」は、この卦に飛鳥の卦象があるがゆえである。卦は吉凶の徴兆を人に示し、飛鳥が空中より一声の鳴叫を遺して人に聞かせるがごとし。「上」「下」の二字は、鳥の飛ぶ高低を借りて人事に切合する。飛鳥が彼此呼び合うに、「不宜上宜下」という。鳥の側においては、上には停歇安定のところなく、下には栖宿すべき窩巣がある。人事の側においては、志気高亢の者は中正を失い事理にますます遠ざかり、卑退守約の者は中正を守りて人情に切近す。ゆえに「大吉」という。

初六,飛鳥以凶。本義 初六陰柔,上應九四,又居過時,上而不下者也。飛鳥遺音,“不宜上宜下”,故其象占如此,郭璞《洞林》占得此者,或致羽蟲之孽。

初六爻辞はいう:飛鳥ゆえに凶を招く。朱熹《周易本義》はいう:初六は陰柔の爻で、上に九四と「応」があり、またまさに陰が陽に過ぐる時勢のうちに処する。これはひたすら上に飛んで下に落ちるを肯ぜざる類である。飛鳥が鳴声を遺すは本来「不宜上宜下」のはずだが、初六はひねもすこれに反し、ゆえにその爻象と占断はこのようである。晋人郭璞《洞林》に記す、卦を占うにこの爻に遇う者は、時として鳥類のもたらす災異を招く。

程傳 初六陰柔在下,小人之象。又上應於四,四,復動體,小人躁《易》,而上有應助,於所當過,必至過甚,況不當過而過乎。其過如飛鳥之迅疾,所以凶也。躁疾如是,所以過之速且遠,救止莫及也。

程頤《伊川易伝》はいう:初六は陰柔の質をもって最下に居り、小人の象である。また上に九四と相「応」し、九四は上卦「震」という動を好む卦体のうちに処する。小人はもともと軽躁して動きやすく、上にまた接応幇助する者があれば、本はやや過ぐべきところを必ず太だしく過ぎ、いわんや本より過ぐべからざるにして強いて過ぐるところをや。その過ぐること飛鳥のごとく迅疾にして凶がある。軽躁急速このに至れば、過失の来ること速く遠く、挽救せんとし制止せんとするも及ばない。

集說 孔氏穎達曰:《小過》之義,上逆下順。而初應在上卦,進而之逆,同於飛鳥無所錯足,故曰“飛鳥以凶”。胡氏瑗曰:《小過》之時“不宜上”,位在下而志愈上,故獲“凶”也。

集説に孔穎達の言を引く:《小過》の義理は上を逆とし下を順とする。初六の「応」爻はかえって上卦にあり、一往進めばすなわち逆の一辺に上る。飛鳥が空中に落ち着くところを見出せざるがごとし。ゆえに爻辞は「飛鳥以凶」という。集説にまた胡瑗の言を引く:《小過》の時に処するは本来「不宜上」である。初六は身位が最下にありながら心志はますます上に攀る。ゆえに「凶」を得るのである。

項氏安世曰:初上二爻,陰過而不得中,是以“凶”也。以卦象觀之,二爻皆當鳥翅之末。初六在艮之下,當止而反飛,以飛致凶,故曰“飛鳥以凶”,上六居震之極,其飛已高則麗於網罟,故曰“飛鳥離之凶”。龔氏煥曰:《大過》卦辭以棟為象,而三四兩爻亦以棟言。《小過》卦辭以鳥為象,而初上兩爻亦以鳥言。《大過》陽過於中,而三四又陽之中也。《小過》陰過於外,初上又陰之外也。

集説に項安世の言を引く:初六と上六の二爻は、いずれも陰爻が過甚でしかも中を得ず、ゆえに皆「凶」と断ずる。卦象より見れば、この二爻はまさに鳥の両翅の末梢に当たる。初六は下卦「艮」の最下に処し、艮の取象は止であり、本来止まるべきなのにかえって起飛し、飛ぶをもって凶を招く。ゆえに「飛鳥以凶」という。上六は上卦「震」の極に処し、飛ぶこと高ければ羅網に撞く。ゆえに「飛鳥離之凶」という。集説にまた龔煥の言を引く:《大過》の卦辞は屋棟に象を取り、九三・九四の二爻もまた棟をもって言う。《小過》の卦辞は飛鳥に象を取り、初六・上六の二爻もまた鳥をもって言う。《大過》は陽爻が過盛して卦の中間にあり、九三・九四はまさに衆陽の正中である。《小過》は陰爻が過盛して卦の外圍にあり、初六・上六はまたまさに衆陰の最外である。

胡氏炳文曰:《大過》有棟橈象,棟之用在中,故於三四言之。《小過》有飛鳥象,鳥之用在翼,故於初上言之。然初二五上皆翼也,獨初上言之何耶,嗎飛不在翼而在翰,初上其翰也。

集説に胡炳文の言を引く:《大過》に「棟撓」——屋梁の弯曲する象あり。屋梁の力を受ける鍵は正中にあり、ゆえに九三・九四の二爻においてこれを言う。《小過》に飛鳥の象あり、鳥の飛ぶ鍵は翅膀にあり、ゆえに初六・上六の二爻においてこれを言う。しかるに初・二・五・上の四爻は皆翅膀と算えられるのに、なぜ独り初・上の二爻において言うのか。底本はここで一字訛誤し、文意により「蓋」に作るべし:鳥の飛べるは整片の翅膀に依るのではなく、翅端の硬羽に依る。初六・上六はまさにその二支の硬羽である。

案 《大過》象棟者兩爻,《小過》象飛鳥者亦兩爻。然《大過》宜隆不宜橈,則四居上吉,三居下凶,宜矣。《小過》之鳥,“宜下”“不宜上”,初居下應吉而反凶者,何也?蓋屋之中棟,惟一而已,四之象獨當之,鳥之翼則有兩,初與上之象皆當之也。初於時則未過,於位則處下,如鳥之正當棲宿者,乃不能自禁而飛,其凶也,豈非自取乎。

李光地は案ずる:《大過》において屋棟に象を取るは二爻、《小過》において飛鳥に象を取るも二爻である。ただ《大過》の棟は高く隆えるに宜しく下に弯むに宜しからず、ゆえに九四は上に居りて吉を得、九三は下に居りて凶を得る。これは理に順い成章である。《小過》の鳥はすでに「宜下」「不宜上」なれば、初六は最下に居り、理により吉を得るべきなのに、かえって凶であるのはなぜか。もともと一間の屋子の正梁は一本のみで、九四の一爻の象がこれを独占した。鳥の翅膀は二只あり、初六と上六の象は皆これに当たり得る。初六は時勢を論ずればまだ「過」の地步に至らず、爻位を論ずればまた最下に処する。まさに鳥が本来安穏に栖宿すべきときに、それが按耐せず飛び起きたがごとし。かくて招く凶は、豈に自ら求めたものではないか。

六二,過其祖,遇其妣;不及其君,遇其臣,無咎。本義 六二柔順中正,進則過三四而遇六五,是過陽而反遇陰也。如此則不及六五而自得其分,是不及君,而適遇其臣也。皆過而不過,守正得中之意,“無咎”之道也。

六二爻辞はいう:祖父を越えて祖母に遇い、君主に攀り至らずちょうど臣たるの本分に遇う。過ちはない。朱熹《周易本義》はいう:六二は柔順にしてまた「中正」で、前に進めば九三・九四の二陽爻を越えて六五に遇う。これは陽を越えてかえって陰に遇うものである。こうなれば、それは六五の君位に攀り至ることなく、自ら有るべき名分を守った。すなわち「不及其君」にしてちょうど「遇其臣」である。これらは皆、見れば過のようで実は過なきもので、正を守りて中を得るの意で、まさに過を免れる路数である。

程傳 陽之在上者父之象,尊於父者祖之象。四在二上,故為“祖”。二與五居相應之地,同有柔中之德,志不從於二四,故過四而遇五,是“過其祖”也。五陰而尊,祖妣之象,與二同德相應,在它卦則陰陽相求,過之時必過其常,故異也。無所不過,故二從五亦戒其過。不及其君遇其臣,謂上進而不陵及於君。適當臣道,則“無咎”也。遇,當也,過臣之分,則其咎可知。

程頤《伊川易伝》はいう:陽爻の上位に居るは父の象であり、父より尊きは祖父の象である。九四は六二の上にあり、ゆえにこれを「祖」と称す。六二と六五は相応の位置に処し、同じく柔順守中の徳性を具え、心志はあの二陽爻に従わない。ゆえに九四を越えて六五に遇い、これが「過其祖」である。六五は陰爻にして尊位に居り、まさに祖母の象で、六二と徳性相同じく彼此呼応する。他の卦では陰陽相求めるが、《小過》のごとく過を義とする時に至っては、必ず常例を超え、ゆえに同じからざるなり。この時は過なきところなく、ゆえに六二は六五に従い、爻辞もまた過頭せざるを提醒する。「不及其君遇其臣」とは、上に進取して君位に冒犯攀附せず、ちょうど臣たるの道に合すれば過なきをいう。「遇」はすなわち「恰ら也」の義である。もし臣たるの本分を超えれば、招く過もまた知るべきである。

集說 王氏宗傳曰:六二或過或不及,皆適當其時與分,而不愆於中焉,此在過之道為無過也,故曰“無咎”。俞氏琰曰:遇妣而過於祖,雖過之,君子不以為過也。遇臣則不可過於君,故曰“不及其君”。“遇其臣”,彖言“可小事不可大事,不宜上宜下”。而六二柔順中正,故其象如此,其占“無咎”。

集説に王宗伝の言を引く:六二はあるときは「過」、あるときは「不及」で、皆ちょうどその処する時勢と名分に合し、「中」を逸していない。「過」を義とするこの卦においては、これはすなわち過なきに等しい。ゆえに爻辞は「无咎」と断ずる。集説にまた兪琰の言を引く:祖母に遇いて祖父を越えたは、過というと雖も、君子はこれを過ちと算えない。臣位に遇えば更に君位に越えてはならない。ゆえに「不及其君」「遇其臣」という。卦辞は「可小事不可大事、不宜上宜下」と講じ、六二は柔順中正ゆえに、その爻象はこのようで、占断は過なしである。

張氏振淵曰:“祖”“妣”只作陰陽象,陽亢而陰順也。過祖遇妣,是去陽而就陰,去亢而從順。如此則不陵及於君,適當臣道之常矣。“不及其君遇其臣”,宜下宜順也。吳氏曰慎曰:六二中正,而爻辭以過不及言之。蓋當過而過,當不及而不及,此權之所以取中,而卒無過不及之偏矣。

集説に張振淵の言を引く:「祖」と「妣」はただ陰陽二種の象と見るべきである。陽の性情は高亢、陰の性情は柔順である。祖父を越えて祖母に遇うは、すなわち陽を離れて陰に靠り、高亢を離れて柔順に従うことである。こうなれば君位に冒犯攀附せず、ちょうど臣たるの常道に合す。いわゆる「不及其君遇其臣」とは、すなわち下に居るに宜しく順うに宜しきをいう。集説にまた呉曰慎の言を引く:六二は本は中正の爻なのに、爻辞は「過」と「不及」をもってこれを言う。これは過ぐべきときに過ぎ、不及たるべきときに不及とする、まさに権衡して中を取る法で、終に過・不及いずれの一辺にも偏していないからである。

案 古者重昭穆,故孫則拊於祖,孫婦則拊於祖姑。《晉》之“王母”,此爻之“妣”,皆謂祖姑也。兩陰相應,故取妣婦相配之象。凡《易》之義,陰陽有應者,則為君臣,為夫婦,取其耦配也。無應者,則或為父子,或為等夷,或為嫡媵,或為妣婦,取其同類也。此爻二五皆柔,有妣婦之配,無君臣之交,故取遇妣不及其君為義。

李光地は案ずる:古人は宗廟の昭穆の次序を重んじた。ゆえに孫は死して祖父の列に祔祭し、孫の嫁は死して祖母の列に祔祭した。《晋》卦六二爻辞の「王母」とこの爻の「妣」は、いずれも祖母を指す。六二・六五の二陰爻は彼此呼応するから、祖母と孫嫁の相配の象を取る。およそ《周易》の通例:陰陽二爻に「応」あれば、君と臣・夫と妻に取り、その異性相配を取る。「応」なければ、あるいは父と子に取り、あるいは地位等しき同輩に取り、あるいは正妻と陪嫁の妾に取り、あるいは祖母と孫嫁に取り、その同類相従を取る。この爻は六二と六五がともに柔爻で、祖孫婦の間の同類相配あるのみで、君臣の間の異性交はない。ゆえに「遇妣」「不及其君」を取りて義を立つ。

孫行而附於祖列,疑其過矣。然禮所當然是適得其分也,無應於君者,不敢仰乾於君之象。然守柔居下,是臣節不失也。以人事類之,則事之可過者。過而得其恭順之體。事之必不可過者,不及而安於名分之常。夫子之言麻冕拜下,意正如此也。《小過》之義主於過恭過儉,妻道也,臣道也。二當其位,而有中正之德,故能權衡於過不及而得其中,於六爻為最善。

李光地は続けていう:孫輩の行次をもって祖輩の行列に附祔するは、見れば逾越のようだが、しかしこれはもともと礼制の当然で、ちょうど各々その分を得るものである。六二は君位と「応」なく、上に干求せんことを敢えてせざるの象である。しかしそれは柔順を守りて下位に安んじ、為臣の節操は失われていない。人事をもって比すれば:およそ少し過ぎてよい事は、過ぎてかえって恭敬順従の体統を成し、およそ断じて過ぐべからざる事は、むしろ不及として名分の常規を安守する。孔子が「麻冕」と「拝下」を講じた意はまさにこのようである――礼帽は本来麻で織るところ、当時は絹に改め、比較的省倹ゆえに孔子は衆に依り、臣子は本来先に堂下で拝すべきところ、当時は堂上で拝に改め驕慢なり、孔子はむしろ衆に違いながらなお堂下で拝した。《小過》一卦の義理は、主として恭に過過ぎ儉に過ぐるに落ちる。これは妻たるの道であり、また臣たるの道である。六二はまさにその位に当たり、また中正の徳性を備える。ゆえに「過」と「不及」の間に権衡して「中」を得る。六爻のうち最もよき一爻である。

九三,弗過防之,從或戕之,凶。本義 《小過》之時,事每當過,然後得中。九三以剛居正,眾陰所欲害者也。而自恃其剛,不肯過為之備,故其象占如此,若占者能過防之,則可以免矣。

九三爻辞はいう:多く一分の防備を加えざれば、従いて人ありてこれを害せん、凶。朱熹《周易本義》はいう:《小過》の時に処しては、事を為すに往往やや過ぎてのちにちょうど「中」を得る。九三は陽剛の爻をもって陽位に居り、位置は正を得、まさに衆多の陰爻の害を加えんと欲する対象である。それが自ら剛強を恃み、防備を過ぎて為さんことを肯んぜず、ゆえに爻象と占断はこのようである。もし占う者が防備を過ぎて為すことができれば、この禍患を免れる。

程傳 《小過》陰過陽失位之時,三獨居正,然在下無所能為,而為陰所忌惡。故有當過者,在過防於小人,若“弗過防之”,則或從而戕害之矣,如是則“凶”也。三於陰過之時,以陽居剛,過於剛也。既戒之過防,則過剛亦在所戒矣。防小人之道,正己為先。三不失正,故無必凶之義,能過防則免矣。三居下之上,居上為下,皆如是也。

程頤《伊川易伝》はいう:《小過》はまさに陰爻過盛・陽爻失位の時であり、ただ九三の一爻のみ居位正を得る。しかしそれは下卦に身を処し、大きな事を為し出すこともできず、かえって衆陰に猜忌嫌悪される。ゆえにこの時「過」すべきところは、小人を防範する功夫を過ぎて為すにある。もし「弗過防之」なれば、人ありて従ってこれを加害し、かくのごとくは「凶」である。九三は陰過の時勢のうちに処し、また陽爻をもって剛位に居り、それ自身すでに剛過に失している。すでに過ぎて防備せよと告戒する以上、剛に過ぐるも同じく告戒の列にある。小人を防備する法は、第一に自らを正しくするである。九三は「正」を失っていないから、必ずしも凶ならざるを得ないのではなく、過ぎて防備することができれば免れる。九三は下卦の上に居り、およそ上位に身を居して人の下属を為す者の処するは皆このようである。

集說 楊氏啟新曰:言當過於防,而九三不知時也。案 《小過》者,小事過也。小事過者,敬小慎微之義也。九三過剛,違於斯義矣。故為不過於周防,而或遇戕害之象。《傳》曰:君子能勤小物,故無大患,此爻之意也。

集説に楊啓新の言を引く:爻辞はこの時に防備を過ぎて為すべきを講じ、九三は時勢を体察することを知らざるをいう。李光地は案ずる:《小過》は小事に過ぐるを講ず。小事に過ぐるとは、すなわち細小に敬を存し隠微に慎しむの意である。九三は剛強に過ぎ、この層の義理に違い、ゆえに防備の周密足らずして人に戕害さるべきの象がある。《左伝》はいう、君子は細小事物に勤勉なれば大禍患なし、と。この爻の用意はまさにこのようである。

九四,無咎,弗過遇之,往厲必戒,勿用永貞。程傳 四當小過之時,以剛處柔,剛不過也,是以“無咎”。既弗過則合其宜矣,故云“遇之”,謂得其道也。若“往”則有“危”,必當戒懼也。往去柔而以剛進也,“勿用永貞”,陽性堅剛,故戒以隨宜不可固守也。方陰過之時,陽剛失位,則君子當隨時順處,不可固守其常也。四居高位,而無上下之交,雖比五應初,方陰過之時,彼豈肯從陽也,故“往”則有“厲”。

九四爻辞はいう:過ちなし。過分ならずしてちょうど相合する。前に往けば危険あり、必ず警惕せよ、固執して永く一定の規を守るべからず。程頤《伊川易伝》はいう:九四は《小過》の時に処し、陽剛の質をもって陰柔の位に居り、剛にして過ぎず、ゆえに過ちなし。すでに過頭せざれば事の宜に合し、ゆえに「遇之」といい、これはそれが路を走り正したことをいう。もしひたすら前に往けば危険あり、必ず戒懼せねばならない。いわゆる「往」は、柔順を捨てて剛強をもって進取することである。「勿用永貞」というは、陽の性情が堅硬剛強なるがゆえに、それに事の宜に随いて変ずべく死守すべからずと告戒するのである。まさに陰盛過頭の時に当たり、陽剛は本位を失い、君子はすなわち時勢に随いて順応自処すべく、平日の常法を固守すべからざるなり。九四は高位に身を居すが、上下とも真の交接なし。六五に緊接し初六に相応すると雖も、しかし陰過の時勢のうちに在り、あの陰爻たちはどうして陽に従わんと肯んぜんや。ゆえに「往」すれば「厲」がある。

集說 《朱子語類》云:過遇,猶言加意待之也,與九三“弗過防之”文體正同。案 《彖傳》,三四皆“剛失位而不中”,然九三純剛,故“凶”。九四居柔,故有“無咎”之義。然質本剛也,故又戒以當過遇之為善。“遇”者,合人情,就事理。過遇,朱子所謂加意待之者是也。若不能過遇之,則“往”而有“危”。所當以為戒,而不可固執而不變者,是《小過》之時義也。

集説に《朱子語類》を引いていう:いわゆる「過遇」とは、格別心を用いてこれに対することに等しく、九三爻辞の「弗過防之」の句式と正に相同じい。李光地は案ずる:《彖伝》は九三・九四がともに「剛失位而不中」と講ずるが、しかし九三は純粋に剛爻居剛位ゆえに「凶」と断じ、九四は剛をもって柔位に居り、ゆえに過を免れる義理がある。ただその本質は畢竟剛である。ゆえに爻辞はまたそれに、「過遇」できてこそよしと告戒する。「遇」とは人情に合し事理に切近することであり、「過遇」とは朱熹のいう格別心を用いる対待である。もし「過遇」をなし得なければ、「往」めば危険がある。この一層を警戒とすべく、固執変ぜざるべからざるなり――これがまさに《小過》一卦の講ずる時勢義理である。

六五,密雲不雨,自我西郊,公弋取彼在穴。本義 以陰居尊,又當陰過之時,不能有為。而弋取六二以為助,故有此象。“在穴”,陰物也。兩陰相得,其不能濟大事可知。

六五爻辞はいう:濃雲密に布くも雨は降らず、雲気は我が西の郊野より来る。王公は糸綱を繋げた箭をもってあの洞穴に藏れたるものを射取る。朱熹《周易本義》はいう:六五は陰柔の爻をもって尊位に居り、またまさに陰が陽に過ぐる時勢に当たり、何事をも成すことができず、ただ六二を射取りて自らの幇手と為すほかなく、ゆえにこのような象がある。「在穴」とは洞のうちに藏れた陰類の物を指す。二陰爻が湊り合い、それらが大事を成せぬはまた知るべきである。

程傳 五以陰柔居尊位,雖欲過為,豈能成功,如“密雲”而不能成雨。所以不能成雨,自“西郊”故也。陰不能成雨,《小畜》卦中已解。“公弋取彼在穴”,“弋”,射取之也。“射”止是射,“弋”有取義。“穴”,山中之空,中虛乃空也。“在穴”,指六二也,五與二本非相應,乃弋而取之,五當位,故云“公”,謂公上也。同類相取,雖得之。兩陰豈能濟大事乎,猶“密雲之不能成雨”也。

程頤《伊川易伝》はいう:六五は陰柔の質をもって尊位を占め、たとい過人の作為をなさんと欲するも、またどうして成せよう。濃雲密なるも雨を結ばざるがごとし。雨を結び得ざる所以は、雲気が「西郊」より来るによる。陰気は独りでは雨を成さず、この層の道理は《小畜》卦においてすでに講じた。「公弋取彼在穴」の「弋」は、糸綱を繋げた箭をもって射取ることである。ただ「射」といえば射出すのみ、「弋」といえば射中して取り戻すの意を帯ぶ。「穴」は山中の空洞で、中が虚空なるがゆえに洞と成る。「在穴」とは六二を指す。六五と六二はもともと「応」を成さざるを、射取らんと欲す。六五は当位の尊に居るから「公」と称し、上位の王公を指す。同類の間に彼此取用するも、たとい手に取り得たとしても、二陰爻がどうして大事を成就できよう。これはまさに濃雲密に布くも雨を下さざるがごときである。

集說 張子曰:《小過》有飛鳥之象,故因曰“取彼在穴”。胡氏瑗曰:“弋”者,所以射高也。“穴”者,所以隱伏而在下也。公以弋繳而取穴中之物,猶聖賢雖過行其事,意在矯下也。

集説に張載の言を引く:《小過》一卦に飛鳥の象あるがゆえに、この象に順いて「取彼在穴」の言を出す。集説にまた胡瑗の言を引く:「弋」は高きところの飛鳥を射取るに用い、「穴」は低きところに隠伏する所在である。王公が糸綱を繋げた箭をもって洞穴中の物を取るは、聖賢が超常規の挙動をなすと雖も、本意は下の風気を矯正するに在るがごとし。

姚氏舜牧曰:時值《小過》,“宜下”“不宜上”。陰至於五,過甚矣,其所居者尊位也。挾勢自亢,澤不下究,雲雖密而“不雨”,“自我西郊”故耳。當此之時,欲沛膏澤於生民,必須下求穴之士以為輔,乃可也。故又戒之以求助,抑之以下賢。錢氏志立曰:《小過》所惡者,飛烏也。鳥“在穴”而不飛,所謂“不宜上”而“宜下”者也,故公弋取以為助。

集説に姚舜牧の言を引く:時勢まさに《小過》に当たり、「宜下」「不宜上」を講ずる時なり。陰爻は六五に長じてすでに過ぐること甚だしく、しかもその占むるはまた尊位である。権勢に倚伏して自ら高亢すれば、恩沢は下に流れず、雲は濃密なるも「不雨」なるは、まさにそれが「自我西郊」より来るがゆえである。このような時に処して恩沢を百姓に普施せんと欲すれば、必ず下に訪求して岩穴に隠居する賢士を補佐と為さねばならない。ゆえに爻辞は一面これに求助を提醒し、一面それを抑して礼賢下士せしむ。集説にまた銭志立の言を引く:《小過》の忌諱するところは一「飛」の字である。鳥が洞に待ちて起飛せざるは、まさに「不宜上」にして「宜下」の理に合する。ゆえに王公はそれを射取りて幇手と為すのである。

案 《小過》有飛鳥之象,而所惡者飛。蓋飛則上而不下,違乎“不宜上宜下”之義也,雲亦飛物也,下而降則為雨。“密雲不雨”是猶飛而未下也,五在上體,又居尊位,當小過之時,上而未下者也,故取“密雲不雨”為象。雲而“不雨”,則膏澤不下於民矣。以其虛中也,故能降心以從道,抑志以下交。如弋鳥然,不弋其飛者,而弋其在穴者,如此則合乎“宜下”之義。而云之飛者,不崇朝而為雨之潤矣,此爻變鳥之象

李光地は案ずる:《小過》に飛鳥の象あり、しかして忌諱するはまさに「飛」である。一たび飛べばすなわち上に向かって下に向かわず、「不宜上宜下」の義理に背く。雲もまた空中に浮くもので、落ちればすなわち雨と成る。「密雲不雨」は、浮いて飛びてまだ落ちざるに等しい。六五は上卦に処しまた尊位に居り、まさに《小過》の時勢に当たり、上に向かってまだ下落せざる類である。ゆえに「密雲不雨」を取りて象を立つ。雲にして雨を成さざれば、恩沢は百姓に落ちない。幸いに六五は柔爻居中にして中間虚空なるがゆえに、心を屈して正道に聴従し、自らの意志を圧して下と交接できる。鳥を射るがごとく、天に飛ぶを射ずして洞に在るを射る。かくのごとくすれば「宜下」の義理に合し、あの空中に浮く雲も、一朝を用いずして万物を滋潤する雨と化作す。この爻は鳥の象を翻転して来たのである。この句以下、底本に脱文あり。

上六,弗遇過之,飛鳥離之,凶,是謂災眚。本義 六以陰居動體之上,處陰過之極。過之已高而甚遠者也,故其象占如此。或曰遇過,恐亦只當作過遇,義同九四未知是否。

上六爻辞はいう:恰ら相合せんことを肯んぜずひたすら超越すれば、飛鳥は羅網に撞く、凶。これを天災人禍と謂う。朱熹《周易本義》はいう:上六は陰爻をもって上卦「震」という動を好む体の最上に居り、まさに陰過の極点に処し、超越すること高く遠し。ゆえにその爻象と占断はこのようである。ある人は「遇過」はおそらく九四の書き方に照らして「过遇」と作るべく、含義は九四と同じであろうというが、この説の当否はなお断ずるを敢えてしない。

程傳 六陰而動體,處過之極,不與理遇,動皆過之,其違理過常如飛鳥之迅速,所以“凶”也。“離”,過之遠也,是謂“災眚”,是當有災眚也。“災”者天殃,“眚”者人為。既過之極,豈惟人眚,天災亦至,其“凶”可知,天理人事皆然也。

程頤《伊川易伝》はいう:上六は陰爻にして動を好む震体のうちに処し、また「過」の極点に居り、およそ事は道理に合せず、一動すればすなわち分寸を超える。それが事理に違い常軌を越ゆるの迅疾は、飛鳥のごとし。ゆえに「凶」と断ずる。「離」は超越すること遠きの意である。「是謂灾眚」というは、すなわちこの時に灾眚当に有るべきをいう。「灾」は天の降す禍殃、「眚」は人が自ら造る過失である。すでに過ぐること極に至れば、豈に人の自ら招く過失のみならんや、天降の災禍もまた併せて来る。その「凶」はまた知るべきなり――天理と人事は皆このようである。

集說 王氏弼曰:小人之過,遂至上極。過而不知限,至於亢也。過至於亢,將何所遇。飛而不已,將何所託。災自己致,復何言哉!孔氏穎達曰:以小人之身,過而弗遇,必遭羅網。其猶鳥飛而無托,必離繒繳,故曰“飛鳥離之凶”也。過亢離凶,是謂自災而致眚。

集説に王弼の言を引く:小人の過失は、一路発展して最上位に至る。過頭して節制を知らざれば、高亢の地步に至る。高亢に過ぐれば、また何の合適の境遇にか遇わん。一路飛んで止まざれば、また何の依託かあらん。災禍は自ら招くもの、また何の言うところかあらん!集説にまた孔穎達の言を引く:小人の身分をもって、ひたすら過頭して遇合するものなければ、必ず羅網に撞入る。これは鳥が一路飛びて依託するところなく、必ず糸綱を繋げた箭に掛かるがごとし。ゆえに「飛鳥離之凶」という。過頭して高亢に至り、羅網に撞きて凶を得る。これを自ら天災を招きまた人禍を惹き出すと謂う。

胡氏瑗曰:上六過而不已,若鳥之高翔,不知所止,以至窮極,而離於凶禍不能反於下以圖其所安,猶人之不近人情,亢己而行,故外來之災自招之損,皆有之也。餘氏芑舒曰:飛鳥離之,如鴻則離之之離。俞氏琰曰:彖辭言“不宜上”,而上乃震動之體,動極而忘返,如飛鳥離於繒繳,不亦凶乎?是天災也,亦人眚也。故曰“飛鳥離之凶”,是謂“災眚”。

集説に胡瑗の言を引く:上六はひたすら過頭して止まらんことを肯んぜず、鳥が高く翱翔してどこに落ち着くべきかを知らざるがごとく、窮極のところに至って凶禍に撞入り、更に下に帰りて安身の所を謀ること能わず。これは人が人情に近からず自らを高く抬げて行事するに同じく、ゆえに外より来る災禍と自ら招く損失と、二様ともに備わる。集説にまた余芑舒の言を引く:「飛鳥離之」の「離」は、すなわち《詩経・邶風・新台》の「魚網之設、鴻則離之」のあの「離」で、網羅に遭うの意である。集説にまた兪琰の言を引く:卦辞は「不宜上」と講ずるに、上六はひねもす震卦の動を好む体に処し、動くこと極に至りて回頭を忘る。飛鳥が糸綱を繋げた箭に撞くがごとく、豈に凶ならずや。これは既に天の降す災にして、また人の自ら造る禍なり。ゆえに「飛鳥離之凶」といい、これを「灾眚」と謂う。

案 《復》之上曰:“迷復凶有災眚”,此曰“飛鳥離之凶”,是謂“災眚”。辭意不同,凶由己作,災眚外至,迷復則因凶而致災眚者也。此則“凶”即其“災眚”也,蓋時當過極,不能自守,而徇俗以至於此,與初六當時未過,而自飛以致凶者稍別。

李光地は案ずる:《復》卦上六は「迷復、凶、有灾眚」といい、ここでは「飛鳥離之凶、是謂灾眚」という。二句の語意は相同じからず。凶は自ら造り出すもので、灾眚は外より身に臨むものである。《復》卦上六は先に凶あり、凶より灾眚を引き出す。ここでは「凶」がそれ自体その「灾眚」なのである。上六の処する時勢はすでに過頭の極点に至り、自ら守ること能わず流に随い波に逐いてこのに至る。これは初六の当時まだ「過」の地步に至らざりしに、自ら起飛して凶を招いたのと、やや分別がある。

總論 項氏安世曰:《坎》、《離》者,《乾》、《坤》之用也。故上經終於《坎》、《離》,下經終於既未濟。《頤》、《中孚》肖離,大小過肖坎。故上經以《頤》、《大過》附《坎》、《離》,下經以《中孚》、《小過》附既未濟。二陽函四陰則謂之《頤》,四陽函二陰則謂之《中孚》,二陽函四陰則謂之《大過》,四陰函二陽則謂之《小過》,《離》之為麗,《坎》之為陷,意亦類此。

総論に項安世の言を引く:《坎》《離》二卦は《乾》《坤》の功用で、ゆえに上経は《坎》《離》をもって収尾し、下経は《既済》《未済》をもって収尾する。《頤》卦と《中孚》卦の形状は「離」に象り、皆外実にして中虚。《大過》《小過》の形状は「坎」に象り、皆外虚にして中実。ゆえに上経は《頤》《大過》を《坎》《離》の前に附し、下経は《中孚》《小過》を《既済》《未済》の前に附する。二陽爻が四陰爻を包むを《頤》といい、四陽爻が二陰爻を包むを《中孚》といい、二陽爻が四陰爻を包むを《大過》という――この句は底本が上文《頤》と重出し、卦体により「四陽函二陰」に作るべし――四陰爻が二陽爻を挟むを《小過》という。「離」は附麗を取義とし、「坎」は陥入を取義とし、含意もまたこれと相類する。

吳氏曰慎曰:以二陽言,九三過剛居上,不能自下,故“或戕之”。九四居柔能下,故“無咎”。五上皆以陰乘陽上,《彖傳》所謂“上逆”者也,曰已上,曰已亢,然上凶而五不然者,以其柔中也。六二柔順中正而承乎陽,所謂“下順”者也,故無咎。初以柔居下而凶者,位雖卑,而志則上而不下,是以與上六同為“飛鳥”之象也。

総論にまた呉曰慎の言を引く:二陽爻についていえば、九三は剛強に過ぎかつ下卦の上に居り、自ら卑下に処せんことを肯んぜず、ゆえに人ありて「或戕之」す。九四は剛をもって柔位に居り、よく謙退して下に居り、ゆえに過なし。六五・上六はいずれも陰爻をもって陽爻の上に凌駕し、まさに《彖伝》のいう「上逆」で、一つはすでに上に行ったといい、一つはすでに高亢したという。しかし上六は凶で六五は凶ならざるは、六五が柔順にして居中するがゆえである。六二は柔順中正にしてまた上の陽爻を承奉し、まさに《彖伝》のいう「下順」ゆえに過なし。初六は柔爻をもって最下に居るもなお凶なるは、位置は卑下と雖も、心志は上に向かって下に向かわざるがゆえである。ゆえに上六と同じく「飛鳥」の象を取る。

既済 坎上離下

程傳 《既濟序卦》:“有過物者必濟,故受之以《既濟》 ”。能過於物,必可以濟,故《小過》之後,受之以《既濟》也。為卦水在火上,水火相交,則為用矣。各當其用,故為既濟,天下萬事已濟之時也。

程頤《伊川易伝》は《序卦伝》を引いていう:「常人の本領に過ぐる者は必ず事を成し得る、ゆえに《小過》のあとに《既済》を承く。」一般の事物に過ぐることができれば、必ず事を成し得る。ゆえに《小過》のあとに《既済》を接ぐ。卦体についていえば、坎水は上にあり離火は下にあり、水火交わり接して功用を生ず。各々その用を発揮し、ゆえに「既済」という。これは天下万事すでに成った時である。

本義 “既濟”,事之既成也。為卦水火相交,各得其用,六爻之位,各得其正,故為《既濟》。“亨小”當為“小亨”,大抵此卦及六爻占辭,皆有警戒之意,時當然也。

朱熹《周易本義》はいう:「既済」とは事がすでに成ったことである。卦体についていえば水火交わり接し、各々自らの用を得、六爻の位置は陽爻は陽位に居り陰爻は陰位に居り、一々「当位」して正を得、ゆえに《既済》という。卦辞の「亨小」は「小亨」に作るべきである。大体この一卦および六爻の占断の辞は、皆警戒の意味を帯ぶ、時勢は本来このようにあるべきなり。底本はここで卦辞「既済、亨小、利貞、初吉終乱」の一句を脱し、ゆえに《本義》は直接上文のあとに承接する。

程傳 《既濟》之時,大者既已亨矣,小者尚有未亨也。雖既濟之時,不能無小未亨也,小字在下,語當然也。若言“小亨”,則為亨之小也。“利貞”處《既濟》之時,利在貞固以守之也。“初吉”,方濟之時也。“終亂”,濟極則反也。

程頤《伊川易伝》はいう:《既済》の時において、大きき方面はすでに亨通し、小さき方面にはまだ亨通せざるがある。たとい万事已成の時に至るとも、一点の小さな窒碍もないことはありえない。ゆえに「小」の字を「亨」の字の後に置く、語順は本来このようであるべきなり。もし「小亨」と写せば、すなわち「亨ること小さき」の意となる。「利貞」というは、《既済》の時に処するは、貞正を堅守して成果を保つに利あるがゆえである。「初吉」というは、剛に成したときを指し、「終乱」というは、成ること極に至れば反転するがゆえである。

集說 孔氏穎達曰:人皆不能居安思危,慎終如始,故戒以今日《既濟》之初。雖皆獲吉,若不進德修業,至於終極,則危亂及之。谷氏家傑曰:不曰小亨而曰“亨小”,言所亨者其小事也。吳氏曰慎曰:剛柔正則體立,水火交則用行,體立用行,所以為《既濟》也。

集説に孔穎達の言を引く:人は往々安穏に身を処して危険を思い、結尾を開頭のごとく謹慎とすること能わず。ゆえに卦辞は《既済》の剛に始まるときに先に告戒を与える。目下は皆吉を得ると雖も、もし更に徳業を進修せざれば、尽きるに及んで危乱もまた従って来る。集説にまた谷家傑の言を引く:「小亨」と写さずして「亨小」と写すは、亨通するところはただ小事なるをいう。集説にまた呉曰慎の言を引く:剛爻柔爻が各々その正位に帰れば、卦の本体はすなわち立ち、水火が互相交接すれば、卦の功用はすなわち運行する。体立ち用行い開く、これがすなわち《既済》である。

案 天地交為《泰》,不交為《否》,水火交為《既濟》,不交則為《未濟》。以治亂之運推之,《泰》、《否》其兩瑞也,《既濟》、《未濟》其交際也。《既濟》當在《泰》之後而《否》之先,《未濟》當在《泰》之先而《否》之後。《泰》猶夏也,《否》猶冬也,《未濟》猶春也,《既濟》猶秋也。故先天之圖,乾坤居南北是其兩端正,離坎居東西,是其交際也。

李光地は案ずる:天地二気の相交は《泰》、相交らざるは《否》。水火の相交は《既済》、相交らざるはすなわち《未済》。治世と乱世の気運をもって推排すれば、《泰》と《否》は二つの極端で、《既済》と《未済》は両端の間の過渡である。《既済》は《泰》の後・《否》の前に排すべく、《未済》は《泰》の前・《否》の後に排すべし。《泰》は夏のごとく、《否》は冬のごとく、《未済》は春のごとく、《既済》は秋のごとし。ゆえに先天八卦方位図において、乾・坤は南北両方に居り、まさにあの二つの極端であり、離・坎は東西両方に居り、まさに両端の間の過渡である。

《既濟》之義不如《泰》者,為其《泰》而將《否》也。《未濟》之義優於《否》者,為其《否》而將《泰》也。是以《既濟》彖辭曰“初吉終亂”,即《泰》“城復于隍”之戒,《未濟》彖辭曰“汔濟濡其尾無攸利”,即《否》“其亡其亡”之心。

李光地は続けていう:《既済》の義理は《泰》に及ばず、すでに通泰より閉塞に転向するがゆえである。《未済》の義理はかえって《否》に勝る、すでに閉塞より通泰に転向するがゆえである。ゆえに《既済》の卦辞は「初吉終乱」といい、これはすなわち《泰》卦上六の「城復于隍」――城墻が護城壕に塌れ帰るのあの一句の告戒である。《未済》の卦辞は「汔済濡其尾无攸利」といい、これはすなわち《否》卦九五の「其亡其亡」――時時に傾覆を提防するあの一份の戒心である。

初九,曳其輪,濡其尾,無咎。本義 輪在下,尾在後,初之象也。曳輪則車不前,濡尾則狐不濟。《既濟》之初,謹戒如是,無咎之道,占者如是則“無咎”矣。

初九爻辞はいう:車輪を曳き止め、尾を濡らす。過ちはない。朱熹《周易本義》はいう:車輪は車の下部にあり、尾は身体の後端に長ず。皆初九この爻の象である。車輪を曳き止めれば車は行けず、尾を濡らせば狐は河を渡れない。《既済》の剛に開頭するとき、よくこのように小心戒懼するは、まさに過を免れる路数である。占う者がよくこのようにすれば過ちはない。

程傳 初以陽居下,上應於四,又火體,其進之志銳也。然時《既濟》矣,進不已則及於悔咎,故“曳其輪”,“濡其尾”,乃得“無咎”,輪所以行,倒曳之使不進也。獸之涉水,必揭其尾,“濡其尾”則不能濟。方《既濟》之初,能止其進,乃得“無咎”。不知已則至於咎也。

程頤《伊川易伝》はいう:初九は陽爻をもって最下に居り、上に九四と相「応」し、また離火の卦体のうちに処し、前進の意志は十分に鋭利である。しかし時勢はすでに《既済》で、更にひたすら前に往けば悔恨と過失を惹く。ゆえに「曳其輪」「濡其尾」してこそ過を免れる。車輪は行動するに用いるもので、倒してこれを曳き止むれば、すなわち車に更に前進せしめざるをいう。野獣が河を過ぐるは必ず尾を高く翹げ、尾が一たび水に沾れれば過ぐること能わず。まさに《既済》の剛に開頭する時に当たり、よく自らの前進を止めるがこそ過を免れ、適可に止むを知らざれば過を惹き出す。

集說 李氏簡曰:既濟之初,以濡尾而曳乾,見其用力之難也。雖“濡其尾”,於義何咎?案 爻之文意,李氏得之。蓋曳輪者,有心於曳之也。濡尾者,非有心於濡之也。當濟之時,眾皆競濟,故有濡尾之患。惟能“曳其輪”,則雖“濡其尾”而可及止也,觀夫子《象傳》可知。

集説に李簡の言を引く:《既済》の剛に開頭にして、尾はすでに濡れたりと雖もなお車輪を曳きて回り拉す。見れば力を用うるの難きを知る。たとい「濡其尾」とも、道理によりて何の過かあらん。李光地は案ずる:この爻の文意は、李簡の言うところが正しい。車輪を曳くは意をもって曳きに行くもので、尾を濡らすは意をもって沾らんと欲するにあらず。まさに皆河を渡らんとする時に当たり、人々は争うて渡を搶し、ゆえに尾を濡らすの煩を免れがたい。ただよく「曳其輪」さえすれば、すなわち「濡其尾」と雖も、なお止まるに及ぶ。孔子《象伝》の「曳其輪、義无咎也」といえるを見れば、すなわち明白なり。

六二,婦喪其弗,勿逐,七日得。本義 二以文明中正之德,上應九五剛陽中正之君,宜得行其志。而九五居《既濟》之時,不能下賢以行其道,故二有“婦喪其弗”之象。“茀”,婦車之蔽,言失其所以行也。然中正之道,不可終廢,時過則行矣,故又有“勿逐”而自得之戒。

六二爻辞はいう:婦人は車上の帷幔を喪うも、追い求むるを要せず、七日のうち自ら復得す。朱熹《周易本義》はいう:六二は文明・中正の徳性を備え、上に九五この剛健中正の君主と相「応」し、本は自らの抱負を施行し得べし。しかし九五は《既済》の時に身を処し、尊を降して賢に礼し正道を推し行うことを肯んぜず。ゆえに六二は「婦喪其茀」の象あり。「茀」は婦人の車上の遮蔽物で、出行の憑藉を失うをいう。ただ中正の道は永く廃せられず、時が過ぎれば自ずからまた通行する。ゆえに爻辞はまた「勿逐」を与えてそれ自ら失い復た得るの提醒を為す。

程傳 二以文明中正之德,上應九五剛陽中正之君,宜得行其志也。然五既得尊位, 集說 胡氏炳文曰:喪特失其在外者,逐則失其在我者矣。

程頤《伊川易伝》はいう:六二は文明中正の徳性を備え、上に九五この剛健中正の君主と相「応」し、本は自らの抱負を施行し得べし。しかし九五はすでに尊位を据有し……ここで底本に脱文あり、《程伝》の後半段の文字はすでに缺失した。集説に胡炳文の言を引く:車帷は喪うも、失うところはただ身外の物である。もし追ってこれを求めれば、失うは自ら心のうち守るべきものとなる。

案 初二居下位,故皆取君子欲濟時而未得濟為義。“輪”者,車之所以行路也。“茀”者,車之所以蔽門也。初之時,未可以行也,故曰“曳其輪”。二可以行矣,而不苟於行,苟“喪其弗”,亦不行也。夫義路也,禮門也,義不可則不行,禮不備則亦不苟於行也。二有應而曰“喪其茀”者,既未濟卦義以上下體之交為濟,二猶居下體之中故也。

李光地は案ずる:初九・六二はともに下卦に処し、ゆえにともに君子の世を済わんと欲してまだ機会を得ざるを取りて義を立つ。「輪」は車の頼りて上路するもの、「茀」は車の用いて車門を遮蔽するものである。初九の時はなお出行すべからず、ゆえに「曳其輪」という。六二はすでに出行すべくして、輕率に出行せんことを肯んぜず、いったん「喪其茀」すれば、すなわち行かざるなり。《孟子》は義は人の行るべき路、礼は人の出入すべき門という。義に合する路は通通ぜざれば行かず、礼数斉備せざるもまた同じく輕率に行せんことを肯んぜず。六二は明らかに「応」あるも「喪其茀」というは、《既済》《未済》二卦の卦義は上下二体の交接を「済」とし、六二はなお下体の中位に処するがゆえである。

九三,高宗伐鬼方,三年克之,小人勿用。本義 《既濟》之時,以剛居剛,“高宗伐鬼方”之象也。“三年克之”,言其久而後克,戒占者不可輕動之意。“小人勿用”,占法與《師》上六同。

九三爻辞はいう:殷の高宗が鬼方を征伐し、三年打ちてこれを克す。小人を任用するなかれ。朱熹《周易本義》はいう:《既済》の時に処して、九三は陽剛の爻をもって陽剛の位に居り、まさに「高宗伐鬼方」の象である。「三年克之」とは、長く拖りてのちに攻め下したをいい、占う者に輕挙妄動すべからずの意を含む告戒である。「小人勿用」のこの句の占断の用法は、《師》卦上六の「小人勿用」と同じである。

程傳 九三當既濟之時,以剛居剛,用剛之至也。《既濟》而用剛如是,乃“高宗伐鬼方”之事。高宗必商之高宗。天下之事既擠,而遠伐暴亂也。威武可及,而以救民為心,乃王者之事也。惟聖賢之君則可,若騁威武,忿不服,貪土地,則殘民肆欲也,故戒不可用小人。小人為之,則以貪忿私意也,非貪忿則莫肯為也。“三年克之”,見其勞憊之甚,聖人因九三當《既濟》而用剛,發此義以示人為法為戒,豈淺見所能及也!

程頤《伊川易伝》はいう:九三はまさに《既済》の時に当たり、陽剛の爻をもって陽の爻をもって陽剛の位に居り、剛を用いること極に至る。万事已成の時にあってなおこのように剛を用いれば、すなわち「高宗伐鬼方」のこの類の事である。高宗は必ず商代の中興の主たる武丁を指す。天下の事はすでに成りてのち、遠く暴乱の方国を征す。威武の及ぶところ、心中に存するは救民の念頭である。これが王者の事業である。ただ聖賢の君のみ之を為し得る。もし威武を逞しめ、人の服せざるを悩恨し、土地を貪求すれば、すなわち百姓を残害し私欲を放縦するに成る。ゆえに爻辞は小人を任用すべからずと告戒す。小人がこの事を干るに、憑るは貪心と忿気である。貪と忿のためならざれば、彼らもまた干るを肯んぜず。「三年克之」という、見れば労苦疲敝は如何なる地步に至ったかを知る。聖人は九三が《既済》の時に剛を用うるのこの一点に就き、この層の義理を発して人に法則を立て警戒を遺す。豈に見識淺薄の者の思い及ぶところならんや!

集說 沈氏該曰:《既濟》初吉,銳於始也。終止則亂,怠於終也。中興之業既就,遠方之伐既成,而使小人預於其間,貪功逞欲,憊民不息,則必以亂終,不可不戒,是以”小人勿用”也。龔氏煥曰:三言克鬼方則事已濟矣。“三年”,言其濟之難。“小人勿用”,欲保其濟也。

集説に沈該の言を引く:《既済》の「初吉」なる所以は、開頭の時に鋭意進取するによる。「終止則乱」なる所以は、末尾に至りて懈怠するによる。中興の大業はすでに成就し、遠方の征伐もまた已完成す。この時もし小人を其間に插手せしめば、功を貪り賞を邀れ、欲望を放縦して百姓を折騰して休息を得ざらしむれば、すなわち必ず乱をもって収場する。警惕せざるを得ず、ゆえに「小人勿用」という。集説にまた龔煥の言を引く:九三が鬼方を克すという、事はすなわち成したと算うる。「三年」というは、成すの難きを形容する。「小人勿用」というは、すでに成した局面を保ちおさえんと欲するのである。

案 《既濟》、《未濟》皆以“高宗”言者,高宗商中興之君,振衰撥亂,自未濟而既濟者也,《既濟》於三言之者,卦為《既濟》,至於內卦之終,則已濟矣,故曰克之者,已然之辭也。《未濟》於四言之者,卦為《未濟》,則至外卦之初,方圖濟也,故曰“震用”者,方然之辭也。既濟之後,則當思患而豫防之,故“小人勿用”,與《師》之戒同。

李光地は案ずる:《既済》《未済》二卦ともに「高宗」をもって事を説くは、高宗武丁は商代の中興の君で、衰敗を振起し乱局を整治し、まさに「未済」より「既済」に走到した者なるがゆえである。《既済》はこれを九三において説くは、整卦はすでに《既済》で、内卦の末一爻に至って事はすなわち成したと算うる。ゆえに「克之」といい、已然完成の口気を用う。《未済》はこれを九四において説くは、整卦は《未済》で、外卦の頭一爻に至って始めて謀って為さんとする。ゆえに「震用」といい、正在進行の口気を用う。事の成した後は、出現すべき禍患を予想して事先に防備すべし。ゆえに「小人勿用」といい、《師》卦上六の告戒と同じである。

六四,繻有衣袽,終日戒。本義 《既濟》之時,以柔居柔,能豫備而戒懼者也,故其象如此。程子曰:“繻”當作濡,“衣袽”所以塞舟之罅漏。集說 蘇氏軾曰:“衣袽”所以備舟隙也,卦以濟為事,故取於舟。

六四爻辞はいう:船身は水滲み、破布旧絮を備え、終日戒備す。朱熹《周易本義》はいう:《既済》の時に処して、六四は柔爻をもって柔位に居り、よく予め準備し時時戒懼する類で、ゆえに爻象はこのようである。程頤はいう:「繻」は「濡」と読むべく、水滲みの意である。「衣袽」は船の縫隙漏洞を堵塞するに用いる破衣旧絮である。集説に蘇軾の言を引く:「衣袽」は船縫の漏水を防備するに拿るものである。この卦は渡済を主題とし、ゆえに船上より象を取る。

郭氏忠孝曰:《既濟》思患豫防,而四又居“多懼”之地,是以有“繻有衣袽”之戒。勿以《既濟》而忘《未濟》之難也。“終日”者,言無怠時也。胡氏炳文曰:乘舟者不可以無繻而忘“衣袽”,亦不可謂“衣袽”已備,遂恝然不知戒。水浸至而不知,則雖有衣袽,不及施矣。備患之具,不失於尋常,而慮患之念,又不忘於頃刻,此處《既濟》之道。

集説に郭忠孝の言を引く:《既済》の講ずるは禍患を予想し事先に防備するにあり、六四はまた《繋辞伝》のいう「多懼」の位置に処す。ゆえに「繻有衣袽」のごとき告戒あり。意は目下万事已成なるをもって、未成の時の艱難を忘るるなかれという。終日というは、一刻も懈怠すべからざるをいう。集説にまた胡炳文の言を引く:船に坐る者は目下水滲みなきをもって破布旧絮を備うるを忘るべからず、また自ら破布旧絮すでに斉備したりと為して漠然として更に警惕せざるべからず。水の浸上するを知らざれば、その時たとい衣袽あるも塞ぐに及ばず。禍患を防備する器具は平常より欠かず、禍患を憂慮する念頭は片刻も忘れず――これがすなわち《既済》に身を処するの正道である。

張氏清子曰:六四出離入坎,此濟道將革之時也。濟道將革,則罅漏必生。四坎體也,故取漏舟為戒。“終日戒”者,自朝至夕,不忘戒備,常若坐敝舟而水驟至焉,斯可以免覆溺之患。

集説にまた張清子の言を引く:六四はまさに下卦「離」を走出して上卦「坎」に踏入る、これは已成の局の将に変化せんとする時である。已成の局は将に変化せんとすれば、縫隙漏洞は必ず出現する。六四は坎体に属し、坎の取象は水。ゆえに漏船をもって警戒を立つ。いわゆる「終日戒」とは、早より晩に至るまで防備を忘れず、心中常に一条の破船に坐りて水随時に猛灌し入るがごとくすれば、ここにおいて傾覆淹没の禍患を免れる。

九五,東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。本義 東陽西陰,言九五居尊而時已過,不如六二之在下而始得時也。又當文王與紂之事,故其象占如此。彖辭“初吉終亂”,亦此意也。

九五爻辞はいう:東の隣が牛を殺して大祭すれど、西の隣の一場の薄祭に及ばず、かえって西隣が実実に福佑を承受す。朱熹《周易本義》はいう:東方は陽に属し西方は陰に属す。これは九五は尊位に居るも時勢はすでに過去し、六二が下位に身を処して正に好時候に趕上するに及ばざるをいう。これはまた周文王と商紂の旧事に切合す――紂は東に在り周は西に在り。ゆえに爻象と占断はこのようである。卦辞の「初吉終乱」もまたこの意である。

程傳 五中實,孚也。二虛中誠也,故皆取祭祀為義。“東鄰”,陽也,謂五。“西鄰”,陰也,謂二。“殺牛”,盛祭也。“禴”,薄祭也。盛不如薄者,時不同也。二五皆有孚誠中正之德,二在濟下,尚有進也,故受福。五處濟極,無所進矣,以至誠中正守之,苟未至於反耳,理無極而終不反者也。已至於極,雖善處無如之何矣,故爻象惟言其時也。

程頤《伊川易伝》はいう:九五は陽爻で中間充実し、誠信を象徴し、六二は陰爻で中間虚空し、誠敬を象徴す。ゆえに二爻ともに祭祀を取りて義を立つ。「東隣」は陽に属し九五を指し、「西隣」は陰に属し六二を指す。「殺牛」は豊盛の大祭、「禴」は簡薄の小祭である。豊盛のかえって簡薄に如かざるは、処する時の異なるによる。六二・九五はともに誠信中正の徳性を備え、六二は渡済の局の下半に処し、なお上進すべき余地あり、ゆえに福佑を承受す。九五は渡済の局の極点に処し、更に上進すべきところなし。ただ至誠中正をもってこれを守り、姑らく拖止して即座に反転せざらしむるのみ――理によりて、極に至りて終に反転せざるはなし。すでに極に至れば、更によく処置するも奈何すべきところなし。ゆえにこの爻の爻象はただその処する時勢に就きて言を立つるのみである。

集說 楊氏簡曰:《既濟》盛極則衰至,君子當思患豫防,持盈以虛,保益以損。六四已有“終日”之“戒”矣,而況於五乎?“西鄰”之時,守以損約,故終受福。

集説に楊簡の言を引く:《既済》は極盛に至り、衰敗もまた従って来る。君子は当に禍患を予想し事先に防備し、謙虚をもって盈満を把持し、減損をもって増益を保住すべし。六四にすでに「終日戒」のごとき告戒あり、いわんや九五をや。「西隣」の処する時は、減損倹約をもってこれを守る。ゆえに終に福佑を承受した。

潘氏士藻曰:五以陽剛中正,當物大豐盛之時,故借東鄰祭禮以示警懼。夫祭,時為大,時苟得矣,則明德馨而黍稷可薦,明信昭而沼毛可羞。是以“東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福”。在於合時,不在物豐也。東西者,彼此之辭,不以五與二對言。

集説にまた潘士藻の言を引く:九五は陽剛中正の徳をもって、正に万物極めて豊盛の時に趕上する。ゆえに東隣の祭礼を借りて警惧を提示す。祭祀この事は、時に合するをもって最も緊要と為す。時機もし対なれば、すなわち美德の芬芳一たび顕れれば、黍稷この類の尋常の物もまた進献すべく、誠信一たび昭著なれば、まさに《左伝》のいうがごとく、池沼の水草もまた供奉に拿るべし。ゆえに「東隣殺牛、不如西隣之禴祭、実受其福」という――関鍵は時宜に合するに在り、祭品の豊盛に在らず。「東」「西」はただ彼此対挙の説法で、九五と六二の二爻を相対して講ずるにあらず。

姚氏舜牧曰:人君當《既濟》時,享治平之盛,驕奢易萌,而誠敬必不足,故聖人借兩鄰以為訓。若曰,“東鄰殺牛”何其盛也。西鄰禴祭,何其薄也。然神無常享,享於克誠。彼殺牛者,反不如禴祭者之“實受其福”,信乎享神者在誠不在物,保治者以實不以文,此蓋教之以祈天保命之道。

集説にまた姚舜牧の言を引く:君主は《既済》の時に処し、天下太平の極盛を享受し、驕縦奢侈の念頭は萌生しやすく、誠敬の心は必ず足らず。ゆえに聖人は東西両隣を借りて訓戒を立つ。あたかもいわんがごとし:「東隣殺牛」は如何に豊盛、西隣の禴祭は如何に簡薄なるや。しかし《尚書・太甲》の講ずるがごとく、鬼神は固定して誰の祭品を享用するなく、ただあの真によく誠を尽くす者を享用す。あの牛を宰るはかえって薄祭を行うの「実受其福」に如かず。見れば神に奉ずるは誠に在りて物に在らず、治世を保住するは実に在りて文飾に在らず――これは人に天に祈求し天命を保住する法を教うるなり。

案 潘氏姚氏之說皆是,當受報收功,極熾而豐之時,而能行恭敬撙節退讓明禮之事,此其所以受福也。與《泰》三“于食有福”同,皆就本爻設戒爾,若以兩鄰為六二。則受福為六二受福,《易》無此例。

李光地は案ずる:潘士藻・姚舜牧両家の説法は皆対である。まさに回報を収取し功業を成就し極めて熾盛豊満の時に当たり、なお《礼記・曲礼》の講ずるがごとく恭敬・節制・退譲をもって礼数を昭明にするがこそ、それが福佑を承受する縁故である。これは《泰》卦九三の「于食有福」と一路で、皆本爻に就きて告戒を立つるのみである。もし「西隣」を六二と認めば、福を受くるは六二と成る。《周易》にこのような体例はなし。

上六,濡其首,厲。程傳 《既濟》之極,固不安而危也,又陰柔處之,而在險體之上,坎為水,濟亦取水義,故言其窮至於濡首危可知也。《既濟》之終,而小人處之,其敗壞可立而待也。

上六爻辞はいう:頭まで浸濡る、危険。程頤《伊川易伝》はいう:《既済》は極に至り、本来安穏ならずして危険を帯ぶ。いわんやまた陰柔の爻がここに処し、しかも坎険の体の最上に位すをや。坎の取象は水、「済」のこの字もまた渡水の意を取る。ゆえにそれは窮困して頭まで浸没するという。危険はまた知るべきなり。万事已成の末尾にして小人にこの位置を当たらしめば、敗壊の局面は立ちて待つべし。

集說 胡氏瑗曰:物盛則衰,治極必亂,理之常也。上六處《既濟》之終,其道窮極,至於衰亂,如涉險而濡溺其首,是危厲之極也。皆由治不思亂,安不慮危以至窮極而反於未濟也。

集説に胡瑗の言を引く:事物は興盛して頭に至れば衰敗し、治世は極に至れば必ず乱を生ず。これは常理である。上六は《既済》の末尾に処し、それのこの路はすでに窮極のところに走り尽き、衰乱の地步に落ち、険水を渡りて頭まで浸没するがごとし。危厲極に至るなり。これは皆、治世に身を在して乱を思わず、安穏に身を処して危険を顧慮せざるにより、窮極に走り至りてまた「未済」に反転帰るに至ったのである。

薛氏溫其曰:“濡其尾”者,有後顧之義。“濡其首”者,不慮前也。恃以為濟,遂至陷沒,沒而至首,其危可知,歷險而不虞患,故曰亂者有其治者也。《既濟》“終亂”,其義見矣。朱氏震曰:以畫卦言之,初為始為本,上為終為末。以成卦言之,上為首為前,初為尾為後。

集説にまた薛温其の言を引く:「濡其尾」は回頭顧念の意を含み、「濡其首」は全く前路を考慮せざるなり。事のすでに成ったを恃みて、一路陷りて行き、頭まで没するに陷る。危険は知るべきなり。険境を経歴して禍患を予料せず、ゆえに乱局は往々にして曽て治平した者の身に出るという。《既済》卦辞の「終乱」は、意思がまさにここに顕れた。集説にまた朱震の言を引く:画卦の次序より言えば、初爻は開始・根本で、上爻は終了・末梢である。卦体成形の後より言えば、上爻は頭で前にあり、初爻は尾で後にある。

未済 離上坎下

程傳 《未濟序卦》:“物不可窮也,故受之以《未濟》,終焉,” 《既濟》矣,物之窮也。物窮而不變,則無不已之理。《易》者,變易而不窮也,故《既濟》之後,受之以《未濟》而終焉。未濟則未窮也,未窮則有生生之義,為卦離上坎下,火在水上,不相為用,故為《未濟》。

程頤《伊川易伝》は《序卦伝》を引いていう:「事物は窮尽すべからざるなり、ゆえに《既済》のあとに《未済》を承く。全経はここにて終わる。」万事すでに成れば、すなわち事物は尽頭に走到したり。事物は尽頭に至りて変化せざれば、停止せざる道理なし。《周易》の講ずるはまさに変易にして永く窮尽せず。ゆえに《既済》のあとに《未済》を接ぎて収尾す。「未済」とはすなわちまだ窮尽せざることで、まだ窮尽せざればすなわち生生不已の意を含む。卦体についていえば、離は上にあり坎は下にあり、火は水面に浮き、両者は互相為用できず、ゆえに《未済》という。

未濟,亨,小狐汔濟,濡其尾,無攸利。本義 “未濟”,事未成之時也。水火不交,不相為用。封之六爻,皆失其位,故為《未濟》,“汔”,幾也。幾濟而濡尾,猶未濟也。占者如此,何所利哉!

《未済》卦辞はいう:未済、亨通。小狐は将に河を渡り尽さんとして、尾を沾濡す。益するところなし。朱熹《周易本義》はいう:「未済」は事がまだ成らざる時である。水火は相交接せず、彼此為用できず。この卦の六爻は、陽爻は陰位に居り陰爻は陽位に居り、一々「失位」す。ゆえに《未済》という。「汔」は接近・将に至らんとする意である。眼の前に渡り過ぎんとして尾を沾濡せば、なお渡らざるに等し。占う者がこのような情形に遇うて、何の益か言うべきあらん!

程傳 《未濟》之時,有亨之理,而卦才復有致亨之道。惟在慎處,狐能度永,濡尾則不能濟。其老者多疑畏,故履冰而聽,懼其陷也。小者則未能畏慎,故勇於濟,“汔”,當為仡,壯勇之狀。《書》曰:仡仡勇夫,小狐果於濟,則“儒其尾”而不能濟也。《未濟》之時,求濟之道,當致懼則能“亨”。若如小狐之果,則不能濟也。既不能濟,無所利矣。

程頤《伊川易伝》はいう:《未済》の時に処しては、本に亨通すべき道理あり、この一卦の才質はまた亨通を招く路子を具備す。関鍵はただ謹慎自処に在るのみ。狐は水を渡ることを能くし、尾が一たび濡れれば渡ること能わず。老狐は疑慮戒懼すること多し、ゆえに氷面を踏みてなお耳を側めて細聴し、怕るるは氷の裂けて陷るなり。小狐はまだ畏懼謹慎を知らず、ゆえにひたすら勇んで渡を搶す。「汔」は当に「仡」と読むべく、壮健勇猛の貌である。《尚書・秦誓》にすなわち「仡々勇夫」の説あり。小狐は河を渡ること果決にして、尾を沾濡して過ぐること能わずという結果となった。《未済》の時に処して、成を求める法は戒懼を做足すに在り、かくのごとくすればこそ「亨」なり。もし小狐のごとく果決冒進せば、成すこと能わず。すでに成すこと能わざれば、すなわち益するところなし。

集說 胡氏炳文曰:天地不交為《否》,《否》不曰“亨”,《否》不通也。水火不交為《未濟》,非不濟也,未焉爾,故曰“《未濟》亨”。案 “小狐”當從《程傳》之解,“汔濟”當從《本義》之解。要之是戒人敬慎之意,自始濟以至於將濟,不可一息而忘敬慎也。

集説に胡炳文の言を引く:天地二気相交らざるは《否》、《否》卦は「亨」を言わず、それが根本的に通ぜざるがゆえである。水火相交らざるは《未済》で、しかし成せざるにあらず、ただまだ成らざるのみ。ゆえに卦辞は「《未済》亨」という。李光地は案ずる:「小狐」の一詞は当に《程伝》の解釈に照るべく、「汔済」の一詞は当に《本義》の解釈に照るべし。総じて皆、人に敬慎の心を存せよと提醒するなり。剛に動身して河を渡るより将に渡り尽さんとするまで、一口の気も敬慎を丢開すべからず。

初六,濡其尾,吝。本義 以陰居下,當《未濟》之初,未能自進,故其象占如此。集說 張氏振淵曰:卦辭所謂“小狐”,正指此爻。新進喜事,急於求濟,而反不能濟,可吝,孰甚焉。

初六爻辞はいう:尾を沾濡す、憾惜あり。朱熹《周易本義》はいう:初六は陰爻をもって最下に居り、まさに《未済》の剛に開頭するに当たり、まだ自ら前進する能力なし。ゆえに爻象と占断はこのようである。集説に張振淵の言を引く:卦辞のいう「小狐」は、まさにこの一爻を指す。剛に頭を出して事を生ずるを好み、急いで事を成さんと欲して、結果かえって成らず。可惜を説かば、これより更に可惜なるものあらんや。

九二,曳其輪,貞吉。本義 以九二應六五,而居柔得中,為能自止而不進,得為下之正也,故其象占如此。程傳 在他卦九居二為居柔得中,無過剛之義也。於《未濟》聖人深取卦象以為戒,明事上恭頤之道。《未濟》者,君道艱難之時也。五以柔處君位,而二乃剛陽之才,而居相應之地,當用者也。剛有陵柔之義,水有勝火之象。方艱難之時,所賴者才臣耳。

九二爻辞はいう:車輪を曳き止め、正を守りて吉を得る。朱熹《周易本義》はいう:九二は六五と相「応」し、また陽爻をもって陰位に居り下卦の中位に処す。これはよく自ら止まりて冒進せざる者で、下位に身を居するに有るべき正道に合す。ゆえに爻象と占断はこのようである。程頤《伊川易伝》はいう:他の卦においては、陽爻が第二位に居るを「居柔得中」と算え、剛に過ぐるの毛病なし。《未済》に至っては、聖人は特意深く卦象を取りて告戒を立て、君上に事えるに恭順の道理を講明す。《未済》は君道艱難の時で、六五は柔爻をもって君位を占め、九二は陽剛の才でまたこれと相応の位置に処す。まさに起用さるべき人である。剛は柔の上に凌駕する勢いあり、水は火に克勝する卦象あり。まさに艱難の時に当たり、君主の倚頼するところはただ有才幹の臣子のみである。

尤當盡恭順之道,故戒“曳其輪”,則得正而“吉”也。倒“曳其輪”,殺其勢,緩其進,戒用剛之過也。剛過則好犯上而順不足,唐之郭子儀李晟,當艱危未濟之時,能極其恭順,所以為得正而能保其終吉也。於六五則言其“貞吉”光輝,盡君道之善。於九二則戒其恭順,盡臣道之正,盡上下之道也。

程頤は続けていう:臣子たる者はなおさら当に恭順の道理を做尽すべし。ゆえに爻辞は彼に「曳其輪」と告戒し、かくのごとくすればこそ正を得て「吉」なり。倒して車輪を曳き止むるは、自らの気勢を殺ぎ自らの步子を放慢する、防ぐるは剛を用いること過頭するなり。剛は一たび過頭すれば君上を冒犯することを愛して順従足らず。唐代の郭子儀・李晟は、まさに艱危未定の時に当たり、恭順を極処に做り得たり。ゆえに彼らは正を得て最終の吉を保住し得たりという。六五のあの爻においてそれが「貞吉」にして光輝あるを講ずるは、為君の道の善処を説き尽くすなり。九二のこの爻においてそれに恭順せよと告戒するは、為臣の道の正処を説き尽くすなり――君臣上下両面の道理は皆講じ到らされたり。

集說 潘氏夢旂曰:九二剛中,力足以濟者也。然身在坎中,未可以大用。故曳其車輪,不敢輕進,待時而動,乃為吉也。不量時度力,而勇於赴難,適以敗事矣。案 《既濟》之時,初二兩爻,猶未敢輕濟,況《未濟》乎,故此爻曳輪之戒,與《既濟》同。而差一位者,時不同也。觀此初二兩爻,“濡其尾”則“吝”,而“曳其輪”則“吉”,可知《既濟》之初,所謂“濡其尾”者,非自止不進之謂也。

集説に潘夢旂の言を引く:九二は陽剛にして居中し、力量は本に事を成すに足る。しかし身はなお坎険のうちに陷り、大いに作為すべからず。ゆえに自らの車輪を曳き止め、軽易に前進するを敢えてせず、時機到りてのちに動く、これがこそ吉なり。時勢を衡量せず力量を估計せず、ひたすら勇んで難に赴けば、ちょうど事を壊し成さん。李光地は案ずる:《既済》の時において、初九・六二の二爻はなお軽率に渡を搶するを敢えてせず、いわんや《未済》をや。ゆえにこの爻の「曳輪」の告戒は《既済》と同じく、ただ位置が一爻差うるのみ、処する時勢の異なるによる。《未済》の初・二の二爻を見れば、「濡其尾」すればすなわち「吝」、「曳其輪」すればすなわち「吉」。以て《既済》初九のいわゆる「濡其尾」は、自ら止まりて前まざるの意にあらざるを知るべし。

六三,未濟,征凶,利涉大川。本義 陰柔不中正,居《未濟》之時,以“徵”則“凶”。然以柔乘剛,將出乎坎,有“利涉”之象,故其占如此。蓋行者可以水浮,而不可以陸走也,或疑利字上當有不字。

六三爻辞はいう:まだ渡り済さず、出行すれば凶険あり。大川を渡渉するに宜し。朱熹《周易本義》はいう:六三は陰柔の爻で、居中せず当位せず、《未済》の時に処して出行遠征すれば凶あり。しかしそれは柔爻をもって陽爻の上に凌駕し、将に坎険を走出せんとし、また「利渉」の象あり。ゆえに占断はこのようである。これはまさに路を趕く人が水に浮いて行くべく、陸地に奔走すべからざるに譬う。ある人はまた「利」の字の上に本は一「不」の字あるべしと疑う。

程傳 《未濟》“征凶”,謂居險無出險之用,而行則凶也,必出險而後可證。三以陰柔不中正之才而居險,不足以濟,未有可濟之道出險之用,而征所以凶也,然《未既》有可濟之道,險終有出險之理,上有剛陽之應,若能涉險而往從之,則濟矣,故“利涉大川”也。然三之陰柔,豈能出險而往,非時不可,才不能也。集說 趙氏汝楳曰:三居《未濟》之終,過此則近於濟矣,故特表以卦名也。胡氏炳文曰:六三居坎上,可以出險,陰柔非能濟者,故明言“未濟征凶”。

程頤《伊川易伝》はいう:《未済》が「征凶」というは、身が険中に居りて険境を脱出する本事なきを指す。この時出行すれば凶なり。必ず先に険を出でてのちに行動すべし。六三は陰柔不中不正の才質をもって坎険に身を処し、事を成すに足らず。事を成すべき門路なく、また険を出ずるの本事なし。ゆえに出行してこそ凶あり。しかし《未済》は本に事を成すべき門路あり、険境は終に走出去るの道理あり。六三の上頭に上九この陽剛の爻あってこれと相応し、もしよく険阻を渡りて往きてこれに依従すれば、事はすなわち成す。ゆえに「利渉大川」という。ただ六三は自身陰柔にして、どうして険を出でて往かんや。時機は許さず、才干もまた及ばず。集説に趙汝楳の言を引く:六三は下卦《未済》の末一爻に処し、この一爻を過ぎればすなわち「済」に接近す。ゆえに特意爻辞のうちに卦名を標出す。集説にまた胡炳文の言を引く:六三は坎体の最上に処し、本は険を出ずべし。しかしそれは陰柔にして、事を成し得る人にあらず。ゆえに爻辞は明白に「未済征凶」という。

案 此爻之義,最為難明。蓋上下卦之交,有濟之義,《既濟》之三,剛也,故能濟。《未濟》之三,柔也,故未能濟。《傳》曰:“其柔危,其剛勝邪!”於此兩爻見之矣。又《既濟》、《未濟》兩卦爻辭,未有舉卦名者,獨此爻曰“未濟”。蓋他爻之既濟未濟者時也,順時以處之而已。此爻時可濟矣,而未能濟,是未濟在己而不在時,故言未濟,

李光地は案ずる:この一爻の義理は最も講じ明白し難し。大凡上下両卦の交接する所は「済」の意を含む。《既済》の第三爻は剛爻ゆえに能く成し、《未済》の第三爻は柔爻ゆえに成すこと能わず。《繋辞下伝》は「柔弱なるは危殆し、剛強なるは取勝せん」という。この二爻において正に見出すべし。さらにいえば、《既済》《未済》二卦の爻辞に、卦名を標出する一条なし。独りこの爻のみ「未済」と写す。他の爻は、いわゆる已成未成は時勢を説くもので、時勢に順いて処置すればすなわち是なり。この爻はしかして時機すでに事を成すべきにして、自らは成すこと能わず。未成の原因は自らに在りて時勢に在らず。ゆえに特意「未済」の两字を点出す。この句以下、底本に脱文あり。

九四,貞吉,悔亡,震用伐鬼方,三年有賞于大國。本義 以九居四,不正而有“悔”也。能勉而貞,則“悔亡”矣。然以不貞之資,欲勉而貞,非極其陽剛用力之久不能也,故為“伐鬼方”三年而受賞之象。

九四爻辞はいう:正を守りて吉を得、悔恨は消失す。威勢を奮起して鬼方を討伐し、三年の間に大国の封賞を受く。朱熹《周易本義》はいう:陽爻をもって第四位に居る、位置は正ならず。ゆえに本に「悔」あり。よく勉力して正を守れば、「悔」はすなわち消失す。しかし本来正ならざる資質を憑りて、勉力して正を守らんと欲すれば、陽剛の力を極処に用い、用うること久しきに足らざれば不可なり。ゆえに鬼方を討伐して三年ののち賞を受くるの象あり。

程傳 九四陽剛,居大臣之位,上有虛中明順之主。又已出於險,《未濟》已過中矣,有可濟之道也。濟天下之艱難,非剛健之才不能也,九雖陽而居四,故戒以貞固則吉而“悔亡”。不貞則不能濟,有悔者也。“震”,動之極也。古之人用力之甚者,“伐鬼方”也。故以為義。力勤而遠伐,至於三年,然後成功,而行大國之賞,必如是乃能濟也。濟天下之道,當貞固如是。四居柔,故設此戒。

程頤《伊川易伝》はいう:九四は陽剛の爻で、大臣の位置を占め、上頭に六五この虚心にして文明柔順の君主あり。それはまたすでに坎険を走出し、《未済》一卦はここに至りてすでに中段を過ぎ、事を成すべき門路あり。天下の艱難を解救せんとすれば、剛健の才干に非ざれば不可なり。九四は陽爻と雖も陰位の上に居る。ゆえに爻辞はそれに正を守り堅固にしてこそ吉を得て「悔亡」せんと告戒し、正を守らざれば成すこと能わず、それは悔恨を留めるなり。「震」は動くこと極処に至るなり。古人の力を用いる最も艱巨の事は、「伐鬼方」より若くはなし。ゆえにそれを取りて義を立つ。気力を傾尽して遠道を征伐し、一直に三年に打ちてのち成功し、のちに大国の規格を按じて賞を行う――このようでなくては成すことを得ず。天下を解救する路子は、当にこのように貞固不移たるべし。九四は剛をもって柔位に居る。ゆえに特意それにこの条の告戒を設下す。

集說 俞氏琰曰:“震用伐鬼方”者,震動而使之驚畏也,《詩時邁》云,“薄言震之,莫不震疊”,與此震同。案 此“伐鬼方”,亦與《既濟》同,而差一位也。“三年克之”,是已克也。“震用伐鬼”,是方伐也。“三年有賞于大國”,言三年之間,賞勞師旅者不絕,非謂事定而論賞也。與《師》之“王三錫命”同,不與《師》之“大君有命”同。

集説に兪琰の言を引く:いわゆる「震用伐鬼方」とは、威勢を振動せしめて相手を震驚畏服せしむるなり。《詩経・周頌・時邁》に「稍一たびそれを振動せば、驚懼戦栗せざるなし」という。あそこの「震」とここの「震」は同義である。李光地は案ずる:ここの「伐鬼方」もまた《既済》と同じく、ただ位置が一爻差うるのみ。「三年克之」はすでに攻克したであり、「震用伐鬼」は正在征伐である。「三年有賞于大国」とは、この三年の間、軍旅を犒賞慰労する事の断えざりしをいい、事の平定の後に功を論じ賞を行うを説くにあらず。これは《師》卦九二の「王三錫命」と一路で、《師》卦上六の「大君有命」とは一路にあらず。

又案 三四非君位,而以高宗之事言者,蓋《易》中有論時者,則不論其位。如《泰》之論平陂之運,而利於艱貞。《革》之論變革之道,而宜於改命。皆以上下卦之交時義論之也。

李光地はまた案ずる:九三・九四はともに君位にあらず、爻辞は殷高宗の事をもって説く。これは《周易》のうちに専ら時勢に就きて立論する処あり、およそ時勢を論ずればすなわち爻位に拘泥せざるがゆえである。譬えば《泰》卦九三は平地と陡坡の相互転換する気運を論じて、艱難のうちに正を守るに宜しきを説き、《革》卦九四は変革の道理を論じて、天命を改換するに宜しきを説く。皆上下両卦の交接処の時勢の含義に就きて立論するなり。

六五,貞吉,無悔,君子之光,有孚,吉。本義 以六居五,亦非正也。然文明之主,居中應剛,虛心以求下之助,故得“貞”而“吉”且“無悔”。又有光輝之盛,信實而不妄,吉而又吉也。

六五爻辞はいう:正を守りて吉を得、悔恨なし。これは君子の光輝、心に誠信を存す、吉。朱熹《周易本義》はいう:陰爻をもって第五位に居る、同じく「当位」と算えず。しかしそれは文明の主で、上卦の中位に居りて下の陽爻九二と相「応」し、心を虚にして下の幇助を求取す。ゆえに「貞」を得て「吉」にして、しかも「无悔」なり。それはまた盛大の光輝あり、誠実にして虚妄ならず。ゆえに吉の上に吉を加うるなり。

程傳 五文明之主,居剛而應剛,其處得中,虛其心而陽為之輔,雖以柔居尊,處之至正至善,無不足也。既得貞正,故“吉”而“無悔”。貞其固有,非戒也。以此而擠,無不濟也。五文明之主,故稱其光。君子德輝之盛,而功實稱之,“有孚”也。上雲吉,以貞也。柔而能貞,德之吉也。下雲吉,以功也。既“光”而“有孚”,時可濟也。

程頤《伊川易伝》はいう:六五は文明の主で、柔爻をもって陽剛の位に居りてまた陽剛の爻と相応し、処する位置は「中」を得たり。それは心を虚にして、陽剛の爻がそれがため補佐を為す。柔をもって尊位に居ると雖も、自処は極めて中正・極めて妥善にして、欠けるところなし。すでに貞正を守住せば、ゆえに「吉」にして「无悔」なり。ここの「貞」はそれが本来具備するもので、告戒の辞にあらず。このような条件をもって事を為せば、成らざるなし。六五はすでに文明の主なれば、ゆえにその光輝を称許す。君子の徳性の光輝は盛大にして、実際の功業もまたこれと相称す。これがすなわち「有孚」なり。上に説く「吉」は、正を守るに就きて説くもので、柔順にしてよく正を守るは、徳性上の吉なり。下に説く「吉」は、功業に就きて説くもので、すでに光輝ありまた誠信あるは、時勢すでに事を成すべき地步に至ったり。

集說 楊氏萬里曰:六五逢未濟之世而光輝,何也?日之在夏,曀之益熱,火之在夜,宿之彌熾。六五變未濟為既濟,文明之盛,又何疑焉?案 《易》卦有“悔亡”“無悔”者,必先“悔亡”而後“無悔”。蓋無悔之義,進於悔亡也。其四五兩爻相連言之者,則《咸》、《大壯》及此卦是也。此卦自下卦而上卦,事已過中,向乎濟之時也。以高宗論之,四其奮伐荊楚之時,而五其嘉靖殷邦之侯乎。凡自晦而明,自剝而生,自亂而治者,其光輝必倍於常時。觀之雨後之日光,焚餘之山色,可見矣。

集説に楊万里の言を引く:六五は《未済》のごとき世道に遇いてかえって光輝あるは、何ぞや。夏の太陽は、天一たび陰ればかえって更に悶熱し、夜裏の火は、深夜に守るほどに越えて旺なり。六五は一たび変ずれば《未済》を変じて《既済》と為す。文明の徳の盛大、また何の疑うべきかあらん。李光地は案ずる:《周易》の各卦のうち、およそ「悔亡」「无悔」現るるは、必ず先に「悔亡」してのち「无悔」なり。「无悔」の境地は「悔亡」よりまた一層進むがゆえである。四・五の二爻が連なりてこの二句を講ずるは、《咸》卦・《大壮》卦および本卦あり。本卦は下卦より上卦に走到し、事はすでに中段を過ぎ、まさに成事のあの一辺に向かいて走る時なり。殷高宗の事をもって比すれば、九四は彼が奮力して荊楚を征伐する時に譬え、六五はおおむね彼が殷邦を安定する時ならんか。およそ昏暗より光明に転じ、剥落より新生に転じ、乱世より治世に転ずるは、あの光輝は必ず平常の時より加倍す。雨後の日光・火焼過ぎてのち山上に重ねて長ち出ずる草色を看れば、すなわち明白なり。

上九,有孚,于飲酒,無咎,濡其首,有孚,失是。程傳 九以剛在上,剛之極也。居月之上,明之極也。剛極而能明,則不為躁而為決。明能燭理,剛能斷義。居《未濟》之極,非得濟之位,無可濟之理,則當樂天順命而已。若《否》終則有傾,時之變也。《未濟》則無極而自濟之理,故止為《未濟》之極,至誠安於義命而自樂,則可“無咎”。

上九爻辞はいう:心に誠信を存し、安然として酒を飲む。過ちなし。もし頭まで浸濡せば、すなわち誠信あると雖も、ここにおいてはこの事を失えり。程頤《伊川易伝》はいう:上九は陽剛の爻をもって最上に居り、剛の極処に至ったり。それはまた離明の体の最上に処す――底本はこの字を「月」と訛作す――明の極処に至ったり。剛極処に至りてまたよく明なれば、急躁に流れずして果決と為る。明は事理を照見し、剛は是非を裁断す。それは《未済》の尽頭に処し、事を成し得る位置にあらず、また事を成すべき道理なし。すなわちただ当に楽天知命なるのみ。《否》卦のごときは尽頭に至ればすなわち傾覆す、あれは時勢自身の変化なり。《未済》はしかし極点に至れば自ら「済」に転ずるの道理なし。ゆえにそれはただ《未済》の極点のみ。至誠の心をもって道義と天命に安んじて自らその楽を得れば、過を免るべし。

“飲酒”,自樂也。不樂其處,則忿躁隕穫,入於凶咎矣。若從樂而耽肆過禮,至“濡其首”,亦非能安其處也。“有孚”,自信於中也。“失是”,失其宜也。如是則於有孚為失也。人之處患難,知其無可奈何,而放意不反者,豈安於義命者哉!

程頤は続けていう:「飲酒」とはすなわち自らその楽を尋ぬるなり。自らの処境に安んずること能わざれば、怨憤急躁・頽唐喪志して、凶険と過失のうちに落ち入らん。しかし若しこの份の快楽に順いて沉溺放縦し礼数を超出し、「濡其首」に至らば、それもまた同じく処境に安んじ得るの表現にあらず。「有孚」は心裏に自らに確信有ること、「失是」は有るべき分寸を失うことである。あの地步に至れば、「有孚」この事についていえばすなわち丢失了なり。人は患難のうちに処し、奈何すべからざるを明知して、便ちに索性心意を放縦して更に回頭せず。これはどうして道義と天命に安んずる人と算えんや!

集說 劉氏牧曰:《既濟》以柔居上,止則亂也,故“濡其首厲”。《未濟》以剛居上,窮則通矣,故“有孚于飲酒,無咎”。石氏介曰:上九以剛明之德,是內“有孚”也。在《未濟》之終,終又反於《既濟》,故得飲酒自樂。若樂而不知節,復“濡其首”,則雖“有孚”,必失於此,此戒之之辭也。

集説に劉牧の言を引く:《既済》は柔爻をもって最上に居り、一たび停まればすなわち乱を生ず。ゆえに「濡其首、厲」という。《未済》は剛爻をもって最上に居り、窮処に走到すればかえって通ず。ゆえに「有孚于飲酒、无咎」という。集説にまた石介の言を引く:上九は剛健にして明察の徳性を具備す、これがすなわち心裏の「有孚」なり。それは《未済》の末尾に処し、末尾はまた《既済》に転帰せんとす。ゆえに飲酒して自楽すべし。若し快楽にして節制を知らず、また「濡其首」に弄至せば、すなわち本に誠信あると雖も、必ずこの事の上に失う――これは告戒の言である。

邱氏富國曰:既言“飲酒”之“無咎”,復言飲酒濡首之失,何耶!蓋飲酒可也,耽飲而至於濡首,則昔之“有孚”者,今失於是矣。李氏簡曰:《未濟》之終,甫及《既濟》,而復以濡首戒之。懼以終始,其要無咎,此之謂《易》之道也。

集説にまた邱富国の言を引く:すでに「飲酒」は過を免るべしと説けば、何をかまた飲酒して頭頂を浸濡するの過失を説くや。もともと飲酒は自身可なり、しかし沉湎して頭まで浸濡せば、すなわち従前の「有孚」は、如茲この上において失えり。集説にまた李簡の言を引く:《未済》は末尾に走到して、剛に《既済》に接続す。しかしまた「濡其首」をもって告戒す。まさに《繋辞下伝》のいうがごとく、頭より尾に至るまで戒懼の心を存し、要領は過を出さざるに在り。これを《周易》の道理と謂う。

總論 鄭氏汝諧曰:《既濟》“初吉終亂”,《未濟》則初亂終吉,以卦之體言之,《既濟》則出明而之險,《未濟》則出險而之明。以卦之義言之,濟於始者必亂於終,亂於始者必濟於終,天之道物之理固然也。

総論に鄭汝諧の言を引く:《既済》は「初吉終乱」、《未済》は開頭乱にして末尾吉なり。卦体についていえば、《既済》は離下坎上にして、光明のうちより走出して険境に進入す。《未済》は坎下離上にして、険境のうちより走出して光明に進入す。卦義についていえば、開頭に成したは、末尾に必ず乱を生ず。開頭が乱局なるは、末尾に必ず成す――天道このよう、物理もまた本来このようである。

邱氏富國曰:內三爻,坎險也。初言濡尾之吝,二言曳輪之貞,三有征凶位不當之戒,皆未濟之事也。外三爻,離明也。四言“伐鬼方”有賞,五言“君子之光有孚”,上言“飲酒無咎”,則未濟為既濟矣。

総論にまた邱富国の言を引く:内卦三爻は坎にして、険陥を象徴す。初六は尾を沾濡するの憾惜を講じ、九二は車輪を曳き止むるの正守を講じ、六三は出行凶に遇い・位置不当の告戒あり。これらは皆「未済」時の事なり。外卦三爻は離にして、光明を象徴す。九四は鬼方を討伐して賞を受くるを講じ、六五は「君子之光有孚」を講じ、上九は飲酒して過を出さざるを講ず。ここに至りて「未済」はすなわち「既済」に転成す。

萬氏善曰:《泰》之變為《既濟》,《否》之變為《未濟》,蓋《既濟》自《泰》而趨《否》者也,《未濟》自《否》而趨《泰》者也。故《既濟》爻辭無吉者,以其趨於《否》也。《未濟》爻辭多吉,以其趨於《泰》也。《否》《泰》者,治亂對待之理。《既濟》、《未濟》者,《否》《泰》變更之漸也。吳氏曰慎曰:《易》之為義,不易也。交易也,變易也。乾坤之純,不易者也。《既濟》《未濟》,交易變易者也。以是始終,《易》之大義。

総論にまた万善の言を引く:《泰》卦は「卦変」を経て《既済》と成り、《否》卦は卦変を経て《未済》と成る。《既済》は通泰より閉塞に走向するもの、《未済》は閉塞より通泰に走向するものなり。ゆえに《既済》六爻の爻辞に一条も吉を断ずるなく、それがまさに《否》に朝着するがゆえであり、《未済》の爻辞は多く吉を断ず、それがまさに《泰》に朝着するがゆえである。《否》《泰》の講ずるは治と乱の両相対待の道理、《既済》《未済》の講ずるは《否》《泰》の間の逐步変更の過程なり。総論にまた呉曰慎の言を引く:《周易》の「易」の字は三層の含義を含む。不易・交易・変易なり。乾は純陽・坤は純陰、「不易」に属す。《既済》《未済》は水火互いに換り終わりて復た始まる、「交易」と「変易」に属す。全経は乾坤をもって開頭し既未済をもって収尾す。これがまさに《周易》の大義の所在なり。

彖上伝

本義 “彖”,即文王所繫之辭。“上”者,經之上篇。“傳”者,孔子所以釋經之辭也。後凡言傳者放此。案 《彖傳》者,孔子所以釋文王之意。先釋名,後釋辭。其釋名則雜取諸卦象卦德卦體,有兼取者,有但取其一二者,要皆以傳中首一句之義為重。如《屯》則“剛柔始交而難生”,《蒙》則“山下有險”,皆第一義也。

朱熹《周易本義》はいう:「彖」とはすなわち周文王が一卦ごとに系えたる卦辞である。「上」は経文の上篇を指す。「伝」は孔子の用いて経文を解釈する文字である。以後およそ「伝」と称するは、皆この例に照らして看よ。李光地は案ずる:《彖伝》は孔子の用いて文王の本意を闡発するものなり。その写法は先に卦名を解釈し、再び卦辞を解釈す。卦名を解釈する時、「卦象」「卦徳」「卦体」の幾方面より掺杂して取材し、兼ねて幾項を取るもあり、ただそのうちの一二項を取るもあり、総じて《彖伝》の頭一句の意思をもって最も緊要と為す。譬えば《屯》卦の「剛柔始交而難生」、《蒙》卦の「山下有険」は、皆各自の第一義なり。

釋辭之體,尤為不一。有直據卦名而論其理者,有雜取卦象卦德卦體者,蓋辭生於名。就文王本文觀之,則據卦名而論其理者正也。然名既根於卦,則辭亦不離乎卦,雜而取之。一則所以盡名中之縕,以見辭義之有所從來。一則以為二體六爻吉凶之斷例,而見辭義之無所不包也。唯《乾》、《坤》、《坎》、《離》、《震》、《艮》、《巽》、《兌》八卦不釋名者,八卦之名,文王無改於伏羲之舊,而其德其象,相傳已久,不待釋也。唯《坎》加口“習”字,有取於重卦之義,故特釋之。

李光地は続けていう:卦辞を解釈するの体例はさらに劃一せず。径直に卦名に依拠して義理を論説するあり、掺杂して卦象・卦徳・卦体を取りて講ずるあり。卦辞は本は卦名より生じ出づるもので、文王の原文に就きて看れば、卦名に依拠して義理を論説するがこそ正格なり。しかし卦名すでに卦体に植根すれば、卦辞もまた卦体を離るること能わず。ゆえに掺杂して取材す。かくのごとく為すは、一来は卦名のうちに蘊含する意思を講じ尽くし、人に卦辞の義理はどこより来るかを看取せしめ、二来は上下二体と六爻の吉凶に判断の通例を立て、人に卦辞の義理の包まざるところなきを看取せしむるなり。ただ《乾》《坤》《坎》《離》《震》《艮》《巽》《兌》のこの八卦のみ卦名を解釈せず。八卦の名称は文王は伏羲の旧称を改動せず、それらの卦徳・卦象は相伝えて久しく、更に解釈を用いず。独り《坎》卦のみ名の上に一「習」の字を加う――底本は「一」の字を「口」と訛作す――上下重叠して卦を成すの意を取る。ゆえに特意一たび解釈したり。

其釋辭則亦雜取德象,與其爻位。如釋《乾》“元亨利貞”之辭,則以天言之者,其卦象也。以九五言之者,其爻位也。釋《坤》辭以地,釋《坎》辭以水,釋《震》辭以雷,則皆卦象也。釋《坎》以剛中。釋《離》以柔中,釋《艮》曰“上下敵應,不相與也”,釋《巽》曰“剛巽”“柔順”,釋《兌》曰“剛中”“柔外”,則皆爻位也。先明《乾》卦,則諸卦可通矣。

李光地は続けていう:この八卦は卦辞を解釈する時、同じく掺杂して卦徳・卦象と爻位を取る。譬えば《乾》卦の「元亨利貞」を解釈するに、天をもって講ずるは卦象を取るなり。九五をもって講ずるは爻位を取るなり。《坤》卦の卦辞を解釈するに地を用い、《坎》卦の卦辞を解釈するに水を用い、《震》卦の卦辞を解釈するに雷を用いるは、取るところ皆卦象なり。《坎》を解釈して「剛中」といい、《離》を解釈して「柔中」といい、《艮》を解釈して「上下敵応、不相与也」といい、《巽》を解釈して「剛巽」「柔順」といい、《兌》を解釈して「剛中」「柔外」というは、取るところ皆爻位なり。先に《乾》卦のこの一套を弄明白にすれば、その余の各卦は皆貫通し得べし。

彖上伝・乾

大哉乾元,萬物資始,乃統天。本義 此專以天道明《乾》義,又析“元亨利貞”為四德,以發明之,而此一節首釋元義也。“大哉”,嘆辭。“元”,大也,始也。“乾元”,大德之大始,故萬物之主,皆資之以為始也。又為四德之首,而貫乎天德之始終,故曰“統天”。

《彖伝》はいう:偉大なるかな乾元、万物は皆それに靠りて始まり、それは整个の天道を統摂す。朱熹《周易本義》はいう:ここは専ら天道を用いて《乾》卦の含义を闡明し、また「元亨利貞」を拆きて四種の徳性と為して加以発揮す。そしてこの一節は先に「元」の意思を解釈す。「大哉」は讃歎の辞である。「元」は大なり、また始なり。「乾元」は天の大徳の偉大なる開端で、ゆえに万物は皆それに依靠して自らの起点と為す。それはまた四徳の首で、天徳の始終を貫穿す。ゆえに「統天」という。

集說 九家易曰:《乾》者純陽,天之象也。觀《乾》之始,以知大德。唯天為大,故曰“大哉”。“元”者,氣之始也。《朱子語類》云:“乾元”只是天之性,不是兩個物事。又云:“元”者用之端,而“亨利貞”之理具焉,至於為“亨”為“利”為“貞”,則亦”元”之為耳,此元之所以包四德也。若分而言之,則“元亨”誠之通,“利貞”誠之復。其體用固有在矣,以用言,則“元”為主,以體言,則“貞”為主。

集説に《九家易》を引いていう:《乾》卦は純粋に陽爻にして、天の卦象なり。《乾》の起始する処を観察すれば、すなわちその大徳を知り得べし。天下にただ天のみ大と称すに足る。ゆえに「大哉」という。「元」は元気の開端なり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:「乾元」はただ天の本性のみ、並びに「乾」と「元」の両様の物にあらず。又いう:「元」は功用の開頭で、「亨」「利」「貞」の道理はすでに全てそのうちに含められたり。および「亨」と成り「利」と成り「貞」と成るに至るも、あれはなお「元」の作用を起こすに在り。これがすなわち「元」のよく四徳を包住するの縁故なり。若し分け開きて講ぜば、「元亨」は誠の通達発散、「利貞」は誠の収斂回復なり。本体と功用は各々帰属あり。功用の一面より看れば「元」を主とし、本体の一面より看れば「貞」を主とす。

又云:“元”者,天地生物之端倪也。“元”者生意,在“亨”則生意之長,在“利”則生意之遂,在“貞”則生意之成。若言仁便是這意思,仁本生意,生意則惻隱之心也。苟傷著這生意,則惻隱之心便發。若羞惡,也是仁去那義上發。若辭讓,也是仁去那禮上發。若是非,也是仁去那智上發。若不仁之人,安得更有義禮智。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:「元」は天地が万物を生養するの頭緒なり。「元」はすなわちあの一点の生意なり。「亨」に至れば生意の生長なり、「利」に至れば生意の遂成なり、「貞」に至れば生意のすでに完成なり。若し「仁」を説かば、すなわちこの意なり――仁は本来生意にして、生意の表現し出づるはすなわち惻隠の心なり。一旦この点の生意が傷触を受ければ、惻隠の心は立刻に発動し出づ。至るや羞悪の心もまた仁が「義」のこの一面において発したるなり。辞譲の心は仁が「礼」のこの一面において発したるなり。是非の心は仁が「智」のこの一面において発したるなり。若し不仁の人ならば、どこでかなお義・礼・智のあるを談じ得んや。

雲行雨施,品物流形。本義 此釋《乾》之“亨”也。集說 楊氏萬里曰:彖言“元”“利貞”,而獨不言“亨”者,蓋“雲行雨施”,即氣之“亨”也,“品物流形”,即形之亨電。俞氏琰曰:前言“萬物”,此言“品物”。萬與品,同與異與?“元”為稟氣之始,未可區別,故總謂之“萬”。“亨”則流動形見,而洪纖高下,各有區別,放特謂之“品”。

《彖伝》はいう:雲は天上を運行し、雨は天降りて施す。各類の事物は流布して形を成す。朱熹《周易本義》はいう:この一節は《乾》卦の「亨」を解釈す。集説に楊万里の言を引く:《彖伝》この段は明らかに「元」と「利貞」を講じ、独り「亨」の字を点出せず。それは「雲行雨施」はまさに気の亨通で、「品物流形」はまさに形の亨通なるがゆえなり。集説にまた兪琰の言を引く:上文は「万物」といい、ここは「品物」という。「万」と「品」は同なるや異なるや。「元」の階段においては、万物はただ剛に気を禀受するのみで、なお彼此を分別せず。ゆえに総じて「万」と称す。「亨」に至れば、気はすでに流動し形はすでに顕現し、粗き細き・高き低き、各々区別あり。ゆえに特意「品」と称す。

大明終始,六位時成,時乘六龍以御天。本義 “始”,即元也。“終”,謂貞也。不終則元始,不貞則無以為元也。此言聖人大明乾道之終始,則見卦之六位,各以時成,而乘此六陽以行天道,是乃聖人之“元亨”也。

《彖伝》はいう:透彻に終と始の道理を明白にし、六個の爻位は依次時を按じて形成す。こ の六条の竜に乗りて天道を駕御す。朱熹《周易本義》はいう:「始」はすなわち「元」、「終」はすなわち「貞」なり。終有ること能わざれば始まるところなく、貞固すること能わざれば「元」と成るに従ってなし。ここは聖人が透彻に乾道の終始を明白にすれば、すなわち一卦の六個の爻位が各々その時を按じて形成するを看取し、従ってこの六個の陽爻に乗駕して天道を推行するをいう。これがすなわち聖人の身の上の「元亨」なり。

集說 《朱子語類》云:乾道“終始”,即四德也。“始”則元,“終”則貞,蓋不終則無以為始,不貞則無以為元。六爻之立,由此而立耳。以時成者,言各以其時而成,如“潛”“見”“飛”“躍”,皆以時耳,然皆四德之流行也。又云:“六龍”只是六爻,“龍”只是譬喻。明此六爻之義,“潛”“見”,“飛”“躍”,以時而動,便是“乘六龍”,便是“御天”。聖人便是天,天便是聖人。蔡氏清曰:謂之“乘”者,因龍字生也。御者,如御車之御。

集説に《朱子語類》を引いていう:乾道の「終始」とはすなわち四徳なり。「始」は元、「終」は貞なり。終有ること能わざれば始有るに従らず、貞固すること能わざれば元と成るに従らざるがゆえなり。六爻の立ち得る所以は、すなわちこれによりて立つなり。「以時成」というは、各々各々の時候を按じて成るをいう。譬如「潜竜」「見竜」「飛竜」「躍竜」は皆時を按ずるのみ。しかし一として四徳の流行ならざるなし。又いう:「六竜」はただ六爻のみ、「竜」は不過比喻のみ。この六爻の含義を弄明白にし、「潜」「見」「飛」「躍」は皆時を按じて動く、これがすなわち「乗六竜」、すなわち「御天」なり。聖人はすなわち天、天はすなわち聖人なり。集説にまた蔡清の言を引く:「乗」の字を用いるは、「竜」の字に順いて生じ出づるなり。「御」の字は、車を駕るあの「御」のごとし。

乾道變化,各正性命,保合大和,乃利貞。本義 變者化之漸,化者變之成。物所受為性,天所賦為命。“大和”,陰陽會合,沖和之氣也。“各正”者,得於有生之初。“保合”,者,全於已生之後,此言“乾道變化”,無所不利,而萬物各得其性命以自全,以釋“利貞”之義也。

《彖伝》はいう:乾道は運行変化して、万物をして各々自らの本性と天命を端正せしめ、あの太和の気を保持し聚合せしむ。ここにおいて「利」と「貞」と有り。朱熹《周易本義》はいう:「変」は「化」の漸進の過程、「化」は「変」の完成なり。事物の禀受するを「性」といい、上天の賦与するを「命」という。「大和」は陰陽会合して成る冲和の気なり。「各正」は、万物が初生の時にすでに得たるを指し、「保合」は、万物が既生の後になお保全し得るを指す。この一節は乾道の運行変化して宜しからざるところなく、万物は各々その性と命を得て自身を保全するを説き、用いて「利貞」の含義を解釈す。

集說 《朱子語類》云:“各正性命”,他那元亨時雖正了,然未成形質,到這裡方成,如百穀堅實了,方喚作正性命。又云“乾道變化,各正性命”,總只是一個理。此理處處相渾淪,如一粒粟生為苗,苗便生花,花便結實,又成粟還復本形。一穗有百粒,每粒個個完全,又將這百粒去種,又各成百粒,生生只管不已,初間只是這一粒分去,物物各有理,總只是一個理。

集説に《朱子語類》を引いていう:「各正性命」を講ずるに、「元亨」の階段においてはすでに端正したりと雖も、しかしまだ形体质地を成就せず、ここに至りてこそ成就と算え、各种の谷物の結実し硬くなるがごとき、こそ「正性命」と謂う。又いう:「乾道変化、各正性命」、通体はただ一個の理のみ。この理は処処に渾然として一貫し、譬えば一粒の谷子の長じて苗と成り、苗また開花し、花また結実して、重ねて谷子と成り、本来の形状に帰るがごとし。一個の穂の上に上百粒あり、毎一粒は個個に完整なり。再びこの一百粒を拿りて種すれば、また各々上百粒を結出し、生々息々として一直に下り行く。最初は不過この一粒より分け出づるのみ。物物は各々各々の理あり、帰総すればただ一個の理のみ。

又云:“保合大和”,即是保合此生理也。“天地氤氳”,乃天地保合此生物之理。造化不息,及其萬物化生之後,則萬物各自保合其生理,不保合則無物矣。又云:“保合大和”,天地萬物皆然。天地便是大底萬物。萬物便是小底天地。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:いわゆる「保合大和」とは、すなわちこの一段の生生の理を保住し聚合するなり。《繋辞伝》の「天地氤氳」と講ずるは、まさに天地がこの万物を生養するの理を保住し聚合して、造化ここにおいて運転して停まざるなり。および万物の化生し出づるを待って、万物はまた各々自ら身上の生理を保住聚合し、保合すること能わざればこの物は有らざるなり。又いう:「保合大和」この件の事は、天地万物皆このようである。天地はすなわち放大したる万物、万物はすなわち縮小したる天地なり。

又云:仁為四德之首,而智則能成始而成終,猶“元”為四德之長。然“元”不生於“元”而生於“貞”,蓋天地之化,不翕聚則不能發散也。仁智交際之間,乃萬化之機軸。此理循環不窮,吻合無間,不貞則無以為“元”也。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:仁は仁義礼智四徳の首で、智はしかしてよく開端を成就しまた結尾を成就す。まさに「元」が元亨利貞四徳の長たるがごとし。しかし「元」は「元」より生じ出づるにあらずして、「貞」より生じ出づるなり。天地の造化は、先に収斂聚拢せざれば外に発散する法なきがゆえなり。仁と智の交接するあの一段は、まさに万般の造化の枢軸なり。この道理は循環して尽きず、銜接して一絲の縫隙なし。ゆえに貞固すること能わざれば「元」と成るに従らざるなりという。

胡氏炳文曰:以二氣之分言,則變者萬物之出機,“元亨”是也。化者萬物之人機,“利貞”是也,以一氣之運言,則變者其漸,化者其成,先言“品物流形”,後言“各正性命”。物有此形,即有此性,皆天所命也。謂之“各正”,則命之稟也,乃性之所以一定而不易。謂之“保合”,則性之存也,又命之所以流行而不已。蓋“大和”者,陰陽會合沖和之氣。而“乾元”“資始”之理,固在其中矣。

集説に胡炳文の言を引く:陰陽二気の分別の上より講ずれば、「変」は万物が機括のうちより出づる、すなわち「元亨」なり。「化」は万物が機括のうちに帰る、すなわち「利貞」なり。一気の運行の上より講ずれば、「変」はその漸進、「化」はその完成なり。《彖伝》は先に「品物流形」といい、後に「各正性命」という。万物はこの形有ればこの性あり、皆上天の賦命するところなり。「各正」というは、禀受するの命に就きて言う、あれは性の一経確定すれば更に改易せざる所以なり。「保合」というは、性の存続に就きて言う、あれはまた命の流行して停まざる所以なり。いわゆる「大和」とは、陰陽会合の冲和の気にして、「乾元」「資始」の道理は、本来すでにそのうちに包められたり。

薛氏瑄曰:“大哉乾元,萬物資始”,誠之源也,道之體也,萬殊之所以一本也。“乾道變化,各正性命”,誠斯立焉,道之用也,一本之所以萬殊也。然凡言體用,不可分而為二。

集説に薛瑄の言を引く:「大哉乾元、万物资始」は、誠の源頭・道の本体を講じ、千差万別の事物の一個の根本に帰する所以なり。「乾道変化、各正性命」は、誠がここにおいて立住するを講じ、道の功用にして、一個の根本の散じて千差万別と為る所以なり。不過およそ体と用を講ずるは、皆それらを劈きて両截と為して看るべからず。

蔡氏清曰:“各正”“保合”,雖合為乾之“利貞”。然細分之,各正者利也,保合者貞也。《文言本義》云:利者生物之遂,物各得宜,不相妨害,非即此之“各正性命”乎!貞者生物之成,實理具備,隨在各足,非即此之“保合大和”乎!

集説に蔡清の言を引く:「各正」と「保合」は、合わせて言えば固より《乾》卦の「利貞」なり。しかし細分すれば、「各正」は「利」に属し、「保合」は「貞」に属す。《文言》の《本義》のうちにいう、「利」は万物を生養して遂成の階段に至り、万物は各々その宜を得て互相妨害せず、これ豈にここの「各正性命」ならずや。「貞」は万物を生養して完成の階段に至り、実在の道理は一応斉備し、随いどこに落つるも自足す、これ豈にここの「保合大和」ならずや!

林氏希元曰:“各正性命”是“利”,“保合大和”是“貞”。向之“資始”於“元”,“流形”於“亨”者,今則各效法象,各成形質,而性命於是乎各正。既而愈斂愈固,生意凝畜而不滲漏,化機內蘊而不外見,則“大和”於是“保合”矣。

集説に林希元の言を引く:「各正性命」は「利」に属し、「保合大和」は「貞」に属す。先前「元」の階段においてそれに靠りて起始し、「亨」の階段において流布して形を成したる万物は、如今各々有るべき様子を呈現し各々形体质地を成就し、性と命はここに至りて一々端正したり。接ぎて収むるほどに緊り、斂むるほどに固く、生意は凝聚蓄積して滲漏し出づることなく、造化の機括はそのうちに含みて外に顕露せず、「大和」はここに至りて「保合」し住まったり。

首出庶物,萬國咸寧。本義 聖人在上,高出於物,猶乾道之變化也。“萬國”各得其所而“咸寧”,猶萬物之“各正性命”,而“保合大和”也。此言聖人之“利貞”也。蓋嘗統而論之,“元”之者物之始生,“亨”者物之暢茂,“利”則向於實也,“貞”則實之成也。實之既成,則其根蒂脫落,可複種而生矣。此四德之所以循環而無端也。

《彖伝》はいう:聖人は衆物の上に高出し、天下万国は皆安寧を得たり。朱熹《周易本義》はいう:聖人は上位に居りて万物の上に高出するは、乾道の運行変化のごとし。「万国」は各々その所を得て普遍に安寧するは、万物の「各正性命」にして「保合大和」するがごとし。この一節の講ずるは聖人の身の上の「利貞」なり。曽て通盤に来りて論ぜば、「元」は万物の剛に生出する、「亨」は万物の暢達茂盛する、「利」は結実に走向する、「貞」は果実すでに長成したるなり。果実すでに長成すれば、蒂は脱落して下り、また重新に播種して生長すべし。これがすなわち四徳の循環往復して起点終点を尋ぬること能わざる縁故なり。

然而四者之間,生氣流行,初無間斷,此“元”之所以包四德而統天也。其以聖人而言,則孔子之意,蓋以此卦為聖人得天位,行天道,而致太平之占也。雖其文義有非文王之舊者,然讀者各以其意求之,則並行而不悖也。《坤》卦放此。

朱熹は続けていう:しかしこの四者の間、生気は一路流行して本来間断なし。これがすなわち「元」のよく四徳を包住して天道を統摂するの縁故なり。至るや聖人を拿りて講ぜば、孔子の意思はおおむねこの一卦を看て聖人が天子の位を得て天道を推行して天下を太平ならしむるの占辞と為すならん。かくのごとく解すれば文義の上においてはすでに文王卦辞の本来の面目にあらずと雖も、しかし読者は各々各々の路数を按じて体会し、両説は並行してまた衝突せず。《坤》卦もまたこの例に照らして看よ。

程傳 卦下之辭為“彖”,夫子從而釋之,通謂之“彖”。“彖”者言一卦之義,故“知者觀其彖辭,則思過半矣”。“大哉乾元”,贊乾元始萬物之道大也。四德之元,猶五常之仁。偏言則一事,專言則包四者。“萬物資始乃統天”,言“元”也。“乾元”,統言天之道也。天道始萬物,物資始於天也。

程頤《伊川易伝》はいう:卦画の下に系えたる文辞を「彖」と呼び、孔子は従いて解釈を作り、もまた併せて「彖」と称す。「彖」は一整卦の義理を講ず、ゆえに《繋辞伝》は「見識ある人は彖辞を看て、思索すればすなわち一多半を領会する」という。「大哉乾元」は、乾元の万物を創始する道理の大なるを讃歎するなり。四徳のうちの「元」は、五常のうちの「仁」に譬えたり。分け開きて単に説けば、それはただそのうちの一件のみ。合わせて専ら説けば、それはすなわち四者を皆包住したり。「万物资始乃統天」は、「元」を講ずるなり。「乾元」は総じて天の道を講ずるなり。天道は万物を創始し、万物は皆天に靠りて始まることを得たり。

“雲行雨施,品物流形”,言“亨”也。天道運行,生育萬物也,大明天道之終始,則見卦之六位,各以時成。卦之初終,乃天道終始,乘此六爻之時,乃天運也。“以御天”謂以當天運。“乾道變化”,生育萬物,洪纖高下,各以其類,“各正性命”也。天所賦為命,物所受為性,“保合大和”乃“利貞”。

程頤は続けていう:「雲行雨施、品物流形」は「亨」を講じ、天道の運行して万物を生育するなり。透彻に天道の終と始を明白にすれば、すなわち一卦の六個の爻位が各々その時を按じて形成するを看取す。卦の開頭と結尾は、まさに天道の終と始なり。この六爻の時位に乗るは、まさに天の運行なり。いわゆる「以御天」とは、これをもって天の運行を担当するをいう。「乾道変化」は、万物を生育して、粗き細き・高き低き、各々その類別を按ず。これがすなわち「各正性命」なり。上天の賦与するを「命」といい、事物の禀受するを「性」という。「保合大和」すること能うは、すなわち「利貞」なり。

“保”,謂常存。“合”,謂常和。“保合大和”,是以“利”且“貞”也。天地之道,常久而不已者,“保合大和”也。天為萬物之祖,王為萬邦之宗,乾道“首出庶物”而萬匯亨,君道尊臨天位而四海從。王者體天之道,則“萬國咸寧”也。

程頤は続けていう:「保」は常に存続し、「合」は常に諧和す。「保合大和」すること能うがゆえに、既に「利」にしてまた「貞」なり。天地の道の長久にして停歇せざる所以は、「保合大和」に靠るなり。天は万物の祖、王は万邦の宗なり。乾道は衆物の上に高出して万類これによりて亨通し、君道は天子の位に尊居して四海これによりて帰服す。君王たる者が天の道を体現すること能えば、天下万国は皆安寧なり。

集說 《朱子語類》云:“大哉乾元,萬物資始”,“至哉坤元,萬物資生”,那“元”林氏希元曰:伏羲所畫《乾》卦,其義所該者廣,不止天道。文王“元亨利貞”之繫,只是個占辭。原無它意,夫子贊《易》,則專以天道來發明乾義。又將‘元亨利貞”之辭,分為“四德”,以發明乾義,以天道明乾義。它無所見,只在析“元亨利貞”為四德上見得。

集説に《朱子語類》を引いていう:「大哉乾元、万物资始」「至哉坤元、万物资生」、あの「元」は……ここで底本に脱文あり、朱子のこの条の語録は言い尽くされず、以下は直接林希元の言に接続す。集説にまた林希元の言を引く:伏羲の画いたる《乾》卦は、含义は包羅すること甚だ広く、天道のみに止まらず。文王が「元亨利貞」の四字を系えたるは、ただ一句の占辞で、本来別の意思なし。孔子が《周易》を讃述して、こそ専ら天道を拿りて《乾》の含义を闡発し、また「元亨利貞」のこの句の辞を分けて「四徳」と為し、用いて《乾》の含义を闡発し、天道を用いて《乾》の含义を説明したり。この一層は別の処に看るべきなく、ただ「元亨利貞」を拆きて四徳と為すのこの一点において看取し得るのみ。

又曰:“元亨利貞”本旨,在卦辭者,與諸卦一般。至吾夫子分為四德,而後世之言天道者因之,此夫子所以為道德之宗也。又如仁字首見於《尚書》,只作愛人說,至夫子始作心德說,以此立教,仁道始行於世。

集説にまた林希元の言を引く:「元亨利貞」の本義は、卦辞のうちにおいてその余の各卦と同一の用法なり。孔子がこれを分けて四徳と為すに至り、後世に天道を講ずる者は便ちに一直に沿用して来たり。これがまさに孔子の尊ばれて道徳の宗主と為るの縁故なり。また譬えば「仁」のこの字は最早《尚書》のうちに出現し、ただ「愛人」に当てて講ず。孔子に至りてこそそれを心の上の徳性に講じ成し、併せてそれを用いて教を立つ。仁道はこれよりこそ世に通行したり。

又曰:“利”者生物之遂,“貞”者生物之成。遂與成,如何分別?《論語》遂事不諫,注云,遂謂事雖未成,而勢不能已也,則知遂是方向成之勢,而貞則成矣。故曰“利”則向於實也,“貞”則實之成也。

集説にまた林希元の言を引く:「利」は万物を生養して遂成の階段に至り、「貞」は万物を生養して完成の階段に至るなり。「遂」と「成」はどう区分するや。《論語・八佾》に「遂事不諫」の一句あり、注解は「遂」は事すでに成らざると雖も勢いはすでに収住すべからずを指すという。これによりて「遂」は正に成に向かいて走るあの勢いで、「貞」はすでに成したるを知るべし。ゆえに朱熹は「利」は結実に走向する、「貞」は果実すでに長成したるという。

案 《乾》者,健也。彖辭但言至健之道,大通而宜於正固,以為人事之占而已。夫子作《彖傳》,乃推卦象卦位以發明之。以卦象明之者,乾之象莫大於天也。以卦位明之者,乾之位莫尊於五也。以天之“元亨”言之,其以一時統四時之德者莫如“元”,至於澤流萬物則“亨”也。以君之“元亨”言之,九五以一位統六位之德,是亦天之元矣,澤流萬民是亦天之亨矣。

李光地は案ずる:《乾》の意思は剛健である。卦辞はただ至極剛健の道路が大いに通達して正固を守るに宜しきを説き、用いて人事上の占断と為すのみ。孔子が《彖伝》を作りて、こそ卦象と卦位を推衍して加以発揮したり。卦象を用いて説明するは、乾の象のうちに天より大なるなく、卦位を用いて説明するは、乾の位のうちに九五より尊きなきがゆえなり。天の「元亨」に就きて講ずれば、よく一個の時節をもって四時の徳を統摂するは「元」より若くはなく、至るや恩沢が万物の身に流布するは、すなわち「亨」なり。君主の「元亨」に就きて講ずれば、九五は一個の爻位をもって六位の徳を統摂す、これもまた天の「元」なり。恩沢が万民の身に流布するは、これもまた天の「亨」なり。

其言“六位”,又言“六龍”者,蓋以切“飛龍在天”之義。言四德之終始,寓於六爻之中。而獨九五備眾爻之德,處在天之位。如乘駕六龍以御於天路,則能行雲施雨,與天之“雲行雨施”同也。又以天之“利貞”言之,萬物成遂,性命正而大和洽者,“利貞”之候也。以君之“利貞”言之,九五一爻,為卦之主。

李光地は続けていう:《彖伝》は既に「六位」を講じ、また「六竜」を講ずるは、九五爻辞の「飛竜在天」の含义に切合せんがためである。四徳の終と始は皆六爻のうちに寄寓し、独り九五のみ衆爻の徳性を兼備して在天の位置を占むと説く。譬えば六条の竜に乗駕して天路に行駛すれば、すなわち雲を興し雨を布くことを得、天の「雲行雨施」と是一回事なり。再び天の「利貞」に就きて講ずれば、万物は成熟遂長し、性命は端正にして太和の気は融洽す。まさに「利貞」の時なり。君主の「利貞」に就きて講ずれば、九五この爻は全卦の主爻なり。

上下五陽與之同德,如大君在上,萬民各得其性命之理,以休養於大和之化,是亦天之“利貞”矣。其言“庶物”言“萬國”者,又以切“利見大人”之義。以德位之所統言之,則曰“庶物”。以功化之所及言之,則曰“萬國”。“首出”則為物所睹,至於“咸寧”,而臻乎上治矣。《乾》之為義,無所不包,夫子舉其大者,故以天道君道盡之。

李光地は続けていう:上下その余の五個の陽爻は九五と同徳にして、大君が上位に居りて万民が各々自らの性命の理を得て、太和の化育のうちに休養生息するに譬えたり。これもまた天の「利貞」なり。《彖伝》が「庶物」といい「万国」というは、また「利見大人」の含义に切合せんがためなり。徳と位の統摂する範囲より講ずれば、すなわち「庶物」といい、功業教化の到達する範囲より講ずれば、すなわち「万国」という。「首出」は衆物に瞻仰せられるなり。「咸寧」に至れば、すなわち最上乘の治世に達したり。《乾》卦の含义は包まざるところなく、孔子はただそのうちの最大なるを挙出し、ゆえに天道と君道を用いてこれを講じ尽くしたり。

彖上伝・坤

至哉坤元,萬物資生,乃順承天。本義 此以地道明《坤》之義,而首言元也。“至”,極也,比“大”義差緩,“始”者氣之始,“生”者形之始。順承天施,地之道也、集說 呂氏大臨曰:《乾》之體大矣,《坤》之效乾之法,至乾之大而後已,故“乾元”曰“大哉”,“坤元”曰“至哉”。《朱子語類》云:資乾以始,便資坤以生,不爭得霎時間。萬物資乾以始而有氣,資坤以生而有形,氣至而生,即“坤元”也。

《彖伝》はいう:至極なるかな坤元、万物は皆それに靠りて生長し、それは順い承けて天を接続す。朱熹《周易本義》はいう:ここは地道を用いて《坤》卦の含义を闡明し、先に「元」を講ず。「至」は極の意で、「大」に比ぶれば語気やや緩なり。「始」は気の開端、「生」は形の開端なり。順い承けて上天の施与を接続す、これがすなわち地の道なり。集説に呂大臨の言を引く:《乾》の本体は大きさ足れるなり、《坤》は乾の法度を效法して、一直に乾のごとき大に達してのち罷む。ゆえに「乾元」は「大哉」と称し、「坤元」は「至哉」と称す。集説にまた《朱子語類》を引いていう:乾に靠りて始まり、緊接してすなわち坤に靠りて生成す。中間は一霎時の間隔をも容れず。万物は乾に靠りて始まりて気を有し、坤に靠りて生成して形を有す。気は一到すればすなわち形を生出す。これがすなわち「坤元」なり。

坤厚載物,德合無疆。含弘光大,品物咸亨。本義 言“亨”也,“德合無疆”,謂配乾也。集說 崔氏憬曰:含育萬物為“弘”,光華萬物為“大”。動植各遂其性,故曰“品物咸亨”也。

《彖伝》はいう:坤地は厚重にして万物を承載し、その徳性は無辺無際の天と相合す。包容寛厚・光明博大にして、各類の事物は皆これによりて亨通す。朱熹《周易本義》はいう:この一節の講ずるは「亨」なり。「徳合无疆」はそれが乾と相配するを説くなり。集説に崔憬の言を引く:万物を含育するを「弘」といい、万物をして光華煥発せしむるを「大」という。動物植物は各々自らの本性を遂げ、ゆえに「品物咸亨」という。

游氏酢曰:“其靜也翕”,故曰“含弘”。“含”言無所不容,“弘”言無所不有,“其動也闢”,故曰“光大”。“光”言無所不著,“大”言無所不被,此所以“德合無疆”也。

集説にまた游酢の言を引く:《繋辞伝》は坤の「其静也翕」――静なる時は収斂す――を講じ、ゆえに「含弘」という。「含」は容れざるなく、「弘」は有さざるなし。坤の「其動也辟」――動く時は開張す――を講じ、ゆえに「光大」という。「光」は照らさざるなく、「大」は覆わざるなし。これがすなわちそれの「徳合无疆」なるの縁故なり。

林氏希元曰:無所不包,可見其弘。無所不達,可見其大。“含弘光大”,坤之“亨”也。“品物咸亨”,是物隨《坤》亨而亨也。變“萬”言“品”者,與《乾》“雲行雨施品物流形”一般。

集説にまた林希元の言を引く:包まざるなく、以てその「弘」を看るべし。達せざるなく、以てその「大」を看るべし。「含弘光大」は坤自身の「亨」を講じ、「品物咸亨」はすなわち万物が《坤》の亨通に跟いて亨通するなり。ここは「万」の字を換えて「品」の字と為す。《乾》卦《彖伝》の「雲行雨施、品物流形」の用法と同じなり。

牝馬地類,行地無疆。柔順利貞,君子攸行。本義 言“利貞”也。“馬”,乾之象,而以為地類者,牝陰物,而馬又行地之物也,“行地無疆”,則順而健也。“柔順利貞”,《坤》之德也。君子攸行,人之所行,如《坤》之德也。所行如是,則其占如下文所云也。

《彖伝》はいう:母馬は地のこの類に属し、大地の上を行きて辺界なし。柔順にして正を守るに宜しく、これがまさに君子の走るべき路なり。朱熹《周易本義》はいう:この一節の講ずるは「利貞」なり。「馬」は本来乾の象なり、ここはしかしそれを算えて地のこの類と為す。母馬は陰性の物にして、馬はまた地上を行くものなるがゆえなり。「行地无疆」とは、すなわち既に柔順にしてまた剛健なり。「柔順利貞」は《坤》の徳性なり。「君子攸行」とは、人の行う路は《坤》の徳性のあのようたるべきをいう。行うところがよくこのようであれば、占断はすなわち卦辞の下文の説くがごとくならん。

程傳 資生之道,可謂大矣。《乾》既稱“大”,故《坤》稱“至”。“至”義差緩,不若“大”之盛也,聖人於尊卑之辨,謹嚴如此。萬物資《乾》以始,資《坤》以生,父母之道也。順承無施,以成其功。《坤》之厚德,持載萬物,合於乾之無疆也。以“含弘光大”四者形容《坤》道,猶《乾》之剛健中正純粹也。

程頤《伊川易伝》はいう:万物の頼りて生長する道理は、大いに極まれりと謂うべし。《乾》はすでに「大」と称せば、ゆえに《坤》はすなわち「至」と称す。「至」の語気はやや緩にして、「大」のごとく盛ならず。聖人の尊卑の分辨におけるはすなわちこのように謹厳なり。万物は《乾》に靠りて始まり、《坤》に靠りて生成す。これがすなわち父と母の分工なり。坤は順い承けて上天の施与を接続し、来りてその功業を成就す。《坤》の厚徳は万物を承載し、正に乾の無辺無際と相合す。「含弘光大」の四字を用いて《坤》道を形容するは、「剛健中正純粹」を用いて《乾》道を形容するがごとし。

“含”,包容也。“弘”,寬裕也。“光”,昭明也。“大”,博厚也。有此四者,故能成承天之功,品物咸得亨遂,取牝馬為象者,以其柔順而健,行地之類也。“行地無疆”,謂健也。《乾》健《坤》順,《坤》亦健乎?曰:非健何以配《乾》,未有《乾》行而《坤》止也。其動也剛,不害其為柔也。“柔順”而“利貞”,乃《坤》德也。君子之所行也,君子之道,合坤德也。

程頤は続けていう:「含」は包容、「弘」は寛裕、「光」は昭明、「大」は博厚なり。この四様を具備す。ゆえに上天を承接する功業を完成し、各類の事物は亨通遂長することを得たり。母馬に象を取るは、それが柔順にしてまた強健で、地上を行くの類に属するがゆえなり。「行地无疆」の説くはまさに「健」なり。乾は健を主とし坤は順を主とす。坤は豈にまた「健」ならんや。答えていわく:健ならざればまた何を憑りて乾に配せんや。かつて乾が運行して坤が停まりて動かざるはなし。坤の「動也剛」は、それが本質上は柔なるを妨げず。柔順にしてまた正を守るに宜しく、これがこそ《坤》の徳性にして、また君子の走るべき路なり――君子の道は、正に坤徳に合す。

集說 王氏弼曰:地之所以得“無疆”者,以卑順行之故也。《乾》以龍“御天”,《坤》以馬“行地”。《朱子語類》云:“牝馬地類,行地無疆”,便是那“柔順利貞,君子攸行”。本連下面,緣它趁押韻後,故說在此。

集説に王弼の言を引く:大地のよく「无疆」たる所以は、それが卑下柔順の方式を用いて運行するがゆえなり。《乾》は竜を用いて「御天」し、《坤》は馬を用いて「行地」す。集説にまた《朱子語類》を引いていう:「牝馬地類、行地无疆」の説くところは、すなわち「柔順利貞、君子攸行」のこの件の事なり。この二句は本は当に下文に連なるべし、ただ押韻に順わんがために、ここに擺置せられたり。

又云:《程傳》云,未有《乾》行而《坤》止,此說是。且如《乾》施物,《坤》不應,則不能生物。既會生物,便是動,若不是它健後,如何配《乾》,只是健得來順。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:《程伝》の「かつて乾が運行して坤が停まりて動かざるはなし」と講ずるは、この説法は対である。譬えば乾が生意を万物に施与すれば、坤もし呼応を作さざれば、すなわち物を生出すこと能わず。すでによく物を生出すは、すなわちそれは動けるなり。もしそれもまた剛健ならざれば、どうして乾に配すること足らんや。ただそれは健なること柔順なるのみ。

龔氏煥曰:《坤》“先迷後得”而亦有“元亨”者,《坤》之“元亨”,承《乾》而已。故曰“至哉坤元”、“乃順承天”,又曰“德合無疆”、“品物咸亨”。《坤》之“利貞”。乃《坤》之德,故曰“牝馬地類,行地無疆,柔順利貞”。此亦“先迷後得”之意。《坤》所以能承《乾》之“元亨”以為“元亨”者,以其“柔順利貞”也。

集説にまた龔煥の言を引く:《坤》卦辞は「先迷後得」を講ずるも、同じく「元亨」有り。あれは《坤》の「元亨」は不過《乾》を承接して来るのみなるがゆえなり。ゆえに《彖伝》は「至哉坤元」「乃順承天」といい、また「徳合无疆」「品物咸亨」という。至るや《坤》の「利貞」は、あれはこそ《坤》自身の徳性なり。ゆえに「牝馬地類、行地无疆、柔順利貞」という。これもまさに「先迷後得」の意思なり。《坤》のよく《乾》の「元亨」を承接して自らの「元亨」と當為する所以は、靠るはまさにそれの「柔順利貞」なり。

蔡氏清曰:以象言則為“牝馬地類,行地無疆”。以義言則為“柔順利貞”。《本義》謂馬行地之物者,明龍之能飛乎天,而為《乾》之象也。林氏希元曰:“牝馬地類”,順也。“行地無疆”,順而健也。故承之曰“柔順利貞”,言此即《坤》德之順健云爾。不敢自主,承天之施以生萬物,“柔順”也。承天生物,直至於有終,“利貞”也。彖辭“利牝馬之貞”,本無四德,夫子以四德解,故為之說如此。

集説に蔡清の言を引く:象の上より講ずれば、すなわち「牝馬地類、行地无疆」なり。義理の上より講ずれば、すなわち「柔順利貞」なり。《本義》は馬は地上を行くものという。まさにそれを拿りて竜のよく天上を飛びて《乾》の象と為るに反襯するなり。集説にまた林希元の言を引く:「牝馬地類」の講ずるは順なり、「行地无疆」の講ずるは順にしてまた健なり。ゆえに接ぎて「柔順利貞」という。意はこれがすなわち《坤》徳のうちの順と健なり。敢えて自ら主張を作さず、上天の施与を承接して万物を生養す、これは「柔順」なり。上天を承接して万物を生養し、一直に做りて結局あるに至る、これは「利貞」なり。卦辞の原文はただ「利牝馬之貞」と説くのみ、本来併せて四徳の分別なし。孔子は四徳を用いてそれを解説す。ゆえに《彖伝》はこそこのように講ずるなり。

彖上伝・坤(前に承く)

先迷失道,後順得常,西南得朋,乃與類行,東北喪朋,乃終有慶。 本義 陽大陰小,陽得兼陰,陰不得兼陽。故《坤》之德,常減於《乾》之半也。“東北”雖“喪朋”,然反之“西南”,則“終有慶”矣。

《彖伝》はいう:坤道は前に搶えば方向を迷失し、後に随い順承してこそ常規を守住す。西南に往けば同類の友を得るは、同類と同行するなり。東北に往けば朋類を喪うと雖も、最終に喜慶あり。朱熹《本義》はいう、陽は大と為し陰は小と為す。陽は陰を兼包すべく、陰は陽を兼包すること能わず。ゆえに《坤》卦の徳性は総じて《乾》卦より一半を減ずべし。東北に往けば「喪朋」と雖も、ただ回身して西南に転向すれば、終に喜慶有らん。

集說 程子曰:“東北喪朋”,陰必從陽,然後“乃終有慶”也。 項氏安世曰:“東北喪朋,乃終有慶”者,所以發文王盲外之意也。地之交乎天,臣之事乎君,婦之從乎夫,皆“喪朋”之“慶”也。

「集説」に程頤の言を引く、「東北喪朋」は陰が必ず陽に跟従してのち、こそ「乃終有慶」を談じ得べしを講ず。項安世の言を引く、「東北喪朋、乃終有慶」のこの一句は、周文王の卦辞の言外の意を発揮せんと欲するなり(底本は「言」を「盲」と訛作す)。大地の上天と交合し、臣子の君主に事え、妻子の丈夫に順従するは、皆同類の朋を捨棄して換え来たる喜慶に属す。

邱氏富國曰:《坤》道主成,成在後,故先《乾》而動,則迷而失其道,從《乾》而動,則順而得其常。“西南”為後,於《坤》為得地,故往“西南”則與類行,東北為先,於《坤》為不得地,故往“東北”則必”喪朋”。

邱富国の言を引く、《坤》道は万物を成就するを職分と為す。成就は総じて造始の後に在り。ゆえに《乾》の前に搶えて発動すれば、すなわち迷惑して本分を失い、《乾》の後に跟いて発動すれば、すなわち順遂して常規を守住す。「西南」は方位の上において後に属し、《坤》に対しては各々その所を得る本土なり。ゆえに西南に走向すればすなわち同類と同行す。東北は方位の上において先に属し、《坤》に対しては本土にあらず。ゆえに東北に走向すればすなわち必ず朋類を喪失す。

王氏申子曰:馬而非牝,則不順而非地之類。牝而非馬,則不能配《乾》而“行地無疆”,此《坤》之“柔順利貞”也。故君子行《坤》之道者,先乎陽,則迷而失。後乎陽,則順而得。以陰從陰,猶與類行,以陰從陽,然後有慶。

王申子の言を引く、卦辞は母馬に象を取る。若しただ馬にして母馬ならざれば、便ちに剛にして順ならず、地の一類に属さず。若しただ母馬にして馬ならざれば、また力《乾》の健行に配合して「行地无疆」するなし。これがまさに《坤》のいう「柔順利貞」なり。ゆえに君子が《坤》道を施行するに、陽の前に搶えばすなわち迷惑して依拠を失い、陽の後に跟えばすなわち順遂して得るところあり。陰をもって陰に追随するは、不過同類と同行するのみ。陰をもって陽に追随して、のちに喜慶有らん。

林氏希元曰:“先迷失道”,是以失道解先迷。蓋陰本居後,今居先是失道,故“迷”也。“後順得常”,是以順解得常。蓋陰本居後,居先為逆,居後為順,故得其常道也。 金氏賁亨曰:“喪朋”,猶《泰》之“朋亡”。舍其朋而從陽,則有“得主”之“慶”。

林希元の言を引く、「先迷失道」は「失道」を用いて「先迷」を解釈するなり。陰は本来当に後に居るべく、如今前に搶居すればすなわち本分を失う。ゆえにこそ迷惑す。「後順得常」は「順」を用いて「得常」を解釈するなり。陰は本来当に後に居るべく、前に居るを逆と為し後に居るを順と為す。ゆえによく恒常の道を守住す。金賁亨の言を引く、ここの「喪朋」は、《泰》卦九二爻辞の「朋亡」と是一個の道理なり。自らの朋党を捨棄して陽剛に追随すれば、便ちに卦辞のいわゆる「得主」の喜慶あり。

何氏楷曰:“君子攸行”,雖趁上韻,然意連下文,釋卦辭“君子有攸往也”。君子之行,以陽剛為主。以陰抗陽,故迷而失道。以陰順陽,故得所主而不失其常。蓋陽為主,陰承之,此天地不易之常理也。“得朋”者,合群陰以從陽,後代終也。“喪朋”者,斂群陰以避陽,先無成也。

何楷の言を引く、「君子攸行」の一句は押韻のために上文の韻脚に合わせたると雖も、語意はしかして下文に連なり、用いて卦辞の「君子有攸往」を解釈す。君子の行事は陽剛を主宰と為す。陰を用いて陽に対抗する、ゆえに迷惑して正道を失う。陰を用いて陽に順従する、ゆえに主宰を尋得して恒常を失わず。陽は主と為り陰はこれを承奉す、これは天地間の更易すべからざる常理なり。いわゆる「得朋」は、衆陰を聚合して一同に陽に追随し、後に居るゆえに終有るなり。いわゆる「喪朋」は、衆陰を収斂して以て陽を回避し、先に搶えばすなわち事を成すこと能わず。

安貞之吉,應地無疆。 本義 安而且貞,地之德也。 程傳 《乾》之用,陽之為也。《坤》之用,陰之為也。形而上曰天地之道,形而下曰陰陽之功。“先迷後得”以下,言陰道也。先唱則迷失陰道,後和則順而得其常理。

《彖伝》はいう:安静に正を守るゆえに吉利なり、正に大地のあの辺際なき徳行に合す。朱熹《本義》はいう、既に安静にしてまた貞正なり、これがすなわち大地の徳性なり。程頤《伊川易伝》はいう、《乾》の功用は陽の作為、《坤》の功用は陰の作為なり。形而上の一層に就きて講ずれば、天地の道と呼ぶ。形而下の一層に就きて講ずれば、陰陽の功と呼ぶ。「先迷後得」以下の幾句の講ずるは皆陰道なり。先に搶えて倡導すればすなわち陰道を迷失し、後に随いて応和すればすなわち順遂してその常理に合す。

西南陰方,從其類“得朋”也。東北陽方,離其類“喪朋”也。離其類而從陽,則能成生物之功,終有吉慶也;“與類行’’者本也,從於陽者用也。陰體柔躁,故從於陽,則能安貞而吉,應地道之無疆也。

西南は陰の方位で、同類に跟従す。ゆえに「得朋」という。東北は陽の方位で、同類を離る。ゆえに「喪朋」という。同類を離れて陽に追随して、こそ万物を生養する功業を成就し、終に吉慶有らん。「与類行」の講ずるは本体、「従于陽」の講ずるは功用なり。陰の体性は柔弱にして躁動す。ゆえに必ず陽に追随して、こそ安静貞正にして吉を獲得し、大地の道の無辺無際と相応ずることを得べし。

陰而不安貞,豈能應地之道,《彖》有三“無疆”,蓋不 集說 孔氏穎達曰:“萬物資生”者,言萬物資地而生。《乾》本氣初,故云“資始”。《坤》據成形,放云“資生”。

陰もし安静に正を守ること能わざれば、どうして地道と相応ずるを談じ得んや。《彖伝》のうちに三処の「无疆」出現す――ここで底本に脱文あり、程頤のこの段の言は言い尽くされず。「集説」に孔穎達の言を引く、「万物资生」は万物が大地に依頼して生長するを講ずるなり。《乾》は気の初起を主とす、ゆえに「資始」という。《坤》は形体の成就を據る、ゆえに「資生」という。

“乃順承天”者,《乾》是剛健,能統領於天,《坤》是陰柔,以和順承奉於天。以其廣厚,故能載物。有此生長之德,合會“無疆”。凡言“無疆”者有二義,一是廣博無疆,二是長久無疆也。自此以上,論“坤元”之德也。

いわゆる「乃順承天」とは、《乾》の性は剛健にしてよく上天を統領し、《坤》の性は陰柔にして和順を用いて上天を承奉するをいう。大地は広大深厚なるがゆえに、よく万物を承載す。かくのごとき生養の徳性有れば、便ちに「无疆」と相合す。およそ「无疆」と説くは皆二層の意思を含む。一は空間上に広博にして辺なく、二は時間上に長久にして尽きざるなり。開頭よりここに至るまで、講ずるは皆「坤元」の徳性なり。

包含弘厚,光著盛大,故品類之物,皆得亨通。此二句釋“亨”也。牝馬以其柔順,故云“地類”。以柔順為體,故“行地無疆”,不復窮已。此二句釋“利貞”。故上文云“利牝馬之貞”是也。“柔順利貞,君子攸行”者,重釋“利貞”之義。是君子之所行,兼釋前文“君子有攸往”也。

大地は包容弘大深厚にして、光華顕著盛大なり。ゆえに各類の物種は皆亨通生長し得べし。この二句は卦辞の「亨」を解釈す。母馬は柔順なるがゆえに、《彖伝》はそれを「地類」と称す。柔順を本体と為すがゆえに、よく「行地无疆」にして永く窮尽せず。この二句は「利貞」を解釈す、すなわち卦辞のいう「利牝馬之貞」なり。至るや「柔順利貞、君子攸行」は、再び一たび「利貞」の含义を申説し、君子の当に践行すべき路数を指し、同時にまた前面の卦辞の「君子有攸往」を解釈したり。

“先迷失道”者,以陰在物之先,失其為陰之道。“後順得常”者,以陰在物之後,陽唱而陰和,是後順得常。“乃與類行”者,以陰而造坤位,是乃與類行。“乃終有慶”者,以陰而詣陽,初雖離群,乃終久有慶善也。“安”謂安靜,“貞”謂貞正也。地體安靜而貞正,人若靜而能正,即得其吉,應合地之無疆也。

いわゆる「先迷失道」は、陰が万物の先に搶えて、陰たるの本分を失うなり。「後順得常」は、陰が万物の後に処して、陽が倡導して陰が応和し、随い順承して便ちに常規を守住するなり。「乃与類行」は、陰が陰に属する坤位の上に走到し、ゆえに同類と同行す。「乃終有慶」は、陰が陽に属する方位に前往し、起初は同伴を離れたりと雖も、最終長久にして必ず喜慶善果あり。「安」は安静を指し、「貞」は貞正を指す。大地の体性は安静にして貞正なり。人もしよく安静にして正を守れば、すなわち吉利を得て、正に大地のあの辺際なき徳行に合す。

彖上伝・屯

屯,剛柔始交而難生。 本義 以二體釋卦名義,“始交”,謂震。“難生”,謂坎。 集說 朱氏震曰:“震”者,《乾》交於《坤》,一索得之,“剛柔始交”也。坎險難,“剛柔始交而難生”也。 張氏清子曰:《乾》、《坤》之後,一索得震為“始交”,再索得坎為“難生”,而承上接下之辭,所以合震坎之義,而釋其為《屯》也。

《彖伝》はいう:《屯》は剛と柔が初次に交合して艱難はこれに随いて産生す。朱熹《本義》はいう、これは上下二個の「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。「始交」は下卦の震を指し、「難生」は上卦の坎を指す。「集説」に朱震の言を引く、震は《乾》と《坤》の相交りて初次求索して得たる長男で、正に「剛柔始交」に合す。坎は険陥艱難なり。合わせれば便ちに「剛柔始交而難生」なり。張清子の言を引く、《乾》《坤》の両卦の後において、一索して震を得るを「始交」と為し、再索して坎を得るを「難生」と為す。この句の上を承け下を接ぐの言は、震・坎両卦の意思を一処に合し、用いて卦名のなぜ《屯》と呼ぶかを解釈す。

動乎險中,大亨貞。 本義 以二體之德釋卦辭,“動”。震之為也。“險”,坎之地也。自此以下,釋“元亨利貞”,乃用文王本意。

《彖伝》はいう:険難のうちに発動し、ゆえに大いに亨通して正を守るに利あり。朱熹《本義》はいう、これは上下両体の「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。「動」は震の作為、「険」は坎の処する境地なり。ここより往下に「元亨利貞」の四字を解説するに、採用するは周文王の卦辞を作りし時の本意で、後来の四徳の説にあらず。

集說 《朱子語類》:問:《本義》云,此以下釋“元亨利貞”,用文王本意,何也?曰:《乾》“元亨利貞”,至孔子方作四德說,後人不知,將謂文王作《易》,便作四德說,即非也。如《屯》卦所謂“元亨利貞”者,以其能動雖可以“亨”,而在險則宜守正。 故筮得之者,其占為“大亨”而利於正,初非謂四德也。故孔子釋此彖辭,只曰“動乎險中,大亨貞”,是用文王本意釋之也。

「集説」に《朱子語類》を引く。ある人問う:《本義》はここより往下は文王の本意を用いて「元亨利貞」を解釈すという、なぜか。朱熹答えていわく:《乾》卦の「元亨利貞」は、孔子が《文言》を作りてこそ四種の徳性の説と為立せられたり。後人は明白せず、以て文王の《易》を作りし時すでに四徳を按じて説を立てたりと為す、これは錯なり。《屯》卦の説く「元亨利貞」のごときは、それがよく発動するによる。亨通すべくと雖も、しかし身は険中に処して当に正を守るべし。ゆえに占筮がこの一卦に遇えば、占断は便ちに大いに亨通して正を守るに利あり。本来併せて四徳を講ずるにあらず。ゆえに孔子のこの条の彖辞を解釈するは、ただ「動乎険中、大亨貞」と説くのみ、まさに文王の本意を用いて解説するなり。

雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧。 本義 以二體之象釋卦辭。“雷”,震象。“雨”,坎象。“天造”,猶言天運。“草”,雜亂。“昧”,晦冥也。陰陽交而雷雨作,雜亂晦冥,塞乎兩間。天下未定,名分未明。 宜立君以統治,而未可遽謂安寧之時也。不取初九爻義者,取義多端,姑舉其一也。

《彖伝》はいう:雷雨の鼓動は天地の間に充満し、天運はまさに草創晦暗の際に処す。当に諸侯を封建して安居すべからず。朱熹《本義》はいう、これは上下両体の物象を用いて卦辞を解釈す。「雷」は震の象、「雨」は坎の象、「天造」は天運を説くに等し、「草」は雑乱、「昧」は昏暗なり。陰陽交合すれば便ちに雷雨を生出し、雑乱昏暗の気は天地の間に塞満す。天下はいまだ安定せず、名分はいまだ分明ならず。当に君長を確立して統轄治理すべく、なおこれを安寧の時と説くべからず。ここで初九爻の意思を取らざるは、一句の彖辞の義を取り得る方面は甚だ多く、姑らくそのうちの一端を挙出するのみなるがゆえなり。

程傳 以雲雷二象言之,則“剛柔始交”也。以坎震二體言之,“動乎險中”也。“剛柔始交”,未能通暢則艱屯,故云“難生”。又“動於險中”,為艱屯之義,所謂“大亨”而“貞”者,“雷雨之動滿盈”也。陰陽始交,則艱屯未能通暢。及其和洽,則成雷雨滿盈於天地之間,生物乃遂。《屯》有“大亨”之道也,所以能“大亨”,由夫“貞”也。

程頤《伊川易伝》はいう、雲と雷の二個の物象に就きて講ずれば、これは「剛柔始交」なり。坎と震の二個の卦体に就きて講ずれば、これは「動乎険中」なり。剛柔は剛に交接し、気機はなお通暢すること能わず。ここにおいて艱難屯結し、ゆえに「難生」という。さらに加えて険陥のうちに発動するも、また艱難屯結の意なり。いわゆる「大亨」にして「貞」なるは、指すはまさに「雷雨之動満盈」なり。陰陽初交の時は艱難にして通暢せず、彼此和洽するに及んで、便ちに雷雨と化して天地の間に充満し、万物はこれによりて生長を得たり。《屯》卦は本に大いに亨通するの道理あり、しかして大亨通し得る所以は、全て一「貞」の字に靠るなり。

集說 孔氏穎達曰:“草”,謂草創。“昧”,謂冥昧。言天造萬物於草創之始,如在冥味之時也。於此草昧之時,王者宜建立諸侯,以撫卹萬方之物,而不得安居無事。 王氏安石曰:“難生”也,“動乎險中”也,此雲雷之時也,故曰雲雷《屯》。卒至於“雷雨之動滿盈”,然後能免乎險而《屯》難解,“大亨貞”。要《屯》之終而為言也。

「集説」に孔穎達の言を引く、「草」は草創を指し、「昧」は昏暗不明を指す。これは上天の万物を造化するがまさに草創の初に在り、昏昧未開の時に処するがごときを説く。かくのごとき草創昏暗の時において、王者たるは当に分封して諸侯を建立し、来りて四方万物を安撫体恤すべく、安坐して事なきを能わず。王安石の言を引く、「難生」なるも「動乎険中」なるも、講ずるは皆雲雷の時なり。ゆえに《大象伝》は「雲雷屯」と称す。「雷雨之動満盈」に至るまで、こそ険陥を脱出して屯難消解し、「大亨貞」に達達す。これは《屯》の結局に就きて言を立つるなり。

《朱子語類》:問:“剛柔始交而難生”,《程傳》以雲雷之象為“始交”,謂震始交於下,坎始交於中,如何?曰:“剛柔始交”,只指震言。所謂震一索而得男也,此三句各有所指,“剛柔始交而難生”,是以二體釋卦名義。“動乎險中大亨貞”,是以二體之德釋卦辭,“雷雨之動滿盈,天造草昧,宜建侯而不寧”,是以二體之象釋卦辭,只如此看甚明,緣後來說者交雜混了,故覺語意重複。

《朱子語類》を引く。ある人問う:「剛柔始交而難生」の一句、《程伝》は雲雷の象を拿りて「始交」を解し、震は下卦に初交し坎は中爻に初交すと説く。このように講じて対なるか。朱熹答えていわく:「剛柔始交」はただ震を指して言うのみ、すなわち《説卦伝》のいわゆる震は一索して男を得るなり。この三句は各々指すところあり。「剛柔始交而難生」は両体を用いて卦名の含义を解釈し、「動乎険中大亨貞」は両体の「卦徳」を用いて卦辞を解釈し、「雷雨之動満盈、天造草昧、宜建侯而不寧」は両体の物象を用いて卦辞を解釈す。このように分け開きて看ればすなわち甚だ清楚なり。ただ後来の《易》を解する人が三層を一処に攪拌したるがゆえに、こそ語意の重復するを覚えたり。

蔡氏清曰:草雜亂則不定矣,故下雲天下未定。昧晦冥則不明矣,故下雲名分未明。 名分不獨謂君臣上下,如父子夫婦昆弟之類皆是也,立君統治者,君臣,人道之綱也。 何氏楷曰:震之未動,坎氣為雲,雲上雷下鬱結而未成雨,所以為《屯》。動則云化為雨,雷上雨下,《屯》之鬱結者變而為解,而未亨者果“大亨”矣。

蔡清の言を引く、「草」は雑乱なり、雑乱なれば便ちに安定を談じ上ぐること能わず。ゆえに《本義》は接ぎて「天下未定」という。「昧」は昏暗なり、昏暗なれば便ちに明晰を談じ上ぐること能わず。ゆえに接ぎて「名分未明」という。名分は単に君臣上下を指すのみならず、父子・夫妻・兄弟の類は皆そのうちに在り。しかして君長を確立して統轄治理せしむる所以は、君臣の一倫はこそ人道的綱領なるがゆえなり。何楷の言を引く、震はいまだ発動せざる時、坎気は結成して雲と為り、雲は上に在り雷は下に在り、鬱結して雨を成さず。ゆえに《屯》なり。一旦発動すれば、雲はすなわち化して雨と成り、雷は上に在り雨は下に在り、《屯》の鬱結は《解》の舒散に転成し、原先通ぜざりしは便ちに真に大いに亨通したり。

案 《本義》以“動乎險中”釋“大亨貞”,“雷雨之動”以下釋“建侯”。《程傳》則以“動乎險中”屬上句,總釋卦名,而以“雷雨之動滿盈”一句釋“大亨貞”。今觀《屯》稱雲雷,《解》稱“雷雨”,則《屯》之時猶未解也。夫子欲明“元亨”之義,故變“雲雷”言“雷雨”,以見《屯》之必《解》,則觀其動也,而《屯》之“元亨”可知矣。然動者亨之機爾,其醞釀姻媼以滿盈其氣,又足以見貞固之義,《程傳》說可從,故王氏何氏同。

李光地は案ずる:《本義》は「動乎険中」を用いて「大亨貞」を解釈し、「雷雨之動」以下を用いて「建侯」を解釈す。《程伝》はすなわち「動乎険中」を帰して上一句に入れ、合わせて総じて卦名を解し、単に「雷雨之動満盈」の一句を用いて「大亨貞」を解釈す。今按ずるに《屯》卦の《大象》は「雲雷」と称し、《解》卦の《大象》は「雷雨」と称す。見れば《屯》の時勢はなお舒解の地步に至らざるを知る。孔子は「元亨」の意思を闡明せんと欲し、ゆえに「雲雷」を改めて「雷雨」と説き、以て《屯》の必ず《解》に走向するを顕示す。その発動を観察すれば、《屯》の「元亨」はすなわち知るべし。不過発動はただ亨通の契机のみ、あの氤氳醞釀して以てその気を充盈するの過程は、また足りて貞固の意思を見出すに足る。《程伝》の説法は依従すべし。ゆえに上文の王安石・何楷両家の講法はこれと同じなり。

彖上伝・蒙

蒙,山下有險。險而止,蒙。 本義 以卦象卦德釋卦名,有兩義。

《彖伝》はいう:《蒙》は山下に険陥伏したり、険に遇いて停止して前まず、ゆえに蒙と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは分別して「卦象」と「卦徳」を用いて卦名を解釈し、ここにおいて二層の意思を含む。象に就きて講ずれば、艮山の下に坎水の険伏したり。徳に就きて講ずれば、険に遇いて歩を止むるは、まさに蒙昧不明の様子なり。

蒙,亨,以亨行時中也。匪我求童蒙,童蒙求我,志應也。初筮告,以剛中也。再三瀆,瀆則不告,瀆蒙也。蒙以養正,聖功也。 本義 以卦體釋卦辭也。九二以可亨之道,發人之蒙,而又得其時之中,謂如下文所指之事,皆以亨行而當其可也:“志應”者。二剛明,五柔暗,故二不求五而五求二,其志自相應也。“以剛中”者,以剛而中,故能告而有節也。“瀆”,筮者二三,則問者固瀆,而告者亦瀆矣。“蒙以養正”,乃作聖之功,所以釋“利貞”之義也。

《彖伝》はいう:《蒙》の亨通する所以は、亨すべきの道を用いて施行し、また恰らく時宜の中道に合するなり。我の求むるあの蒙昧の童子にあらずして、蒙昧の童子の来りて我を求むるなり、これは彼此心志相応ずるなり。初次占問せばすなわち彼に告ぐるは、九二の剛健にして居中するによる。反復三次すればすなわち亵渎なり、亵渎せば便ちに更に告げず、あの様はかえって童蒙を渎乱するに在り。蒙昧未開の時に趁りてその正性を涵養す、これは聖人を成就するの功夫なり。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦辞を解釈す。九二は以て亨を致すべきの道を用いて別人の蒙昧を啓発し、また時勢の中道を得たり。指すはすなわち下文の挙ぐる各事で、皆亨道を以て施行して恰らくその可に当たるなり。「志応」は、九二は剛明・六五は柔暗なるがゆえに、二の往きて五を求むるにあらずして五の来りて二を求むるなり。両者の心志は自然に相応ず。「以剛中」は、九二は剛を以て中に居るがゆえに、告示する時よく節制有らん。「涜」は、占筮する人の再三反復せば、すなわち発問するは固より亵渎にして、回答するもまた跟いて亵渎なり。「蒙以養正」は聖を作るの功夫で、用いて卦辞の「利貞」を解釈す。

程傳 山下有險,內險不可處,外止莫能進,未知所為,故為昏蒙之義。“蒙亨”,以亨行時中也。蒙之能亨,以亨道行也。所謂亨道時中也。“時”,謂得君之應。“中”,謂處得其中。得中則時也。“匪我求童蒙,童蒙求我,志應也”。二以剛明之賢處於下, 集說 《朱子語類》云:“蒙以養正聖功也”,蓋言蒙昧之時,先自養教正當了,到那開發時,便有作聖之功。若蒙昧之中,已自不正,他日何由會有聖功。

程頤《伊川易伝》はいう、山下に険あり、内に向かえば険陥にして安処すべからず、外に向かえば艮止に挡かれて前進すること能わず、如何に為すべきかを知らず。ゆえに昏昧蒙蔽の義を取る。「蒙亨、以亨行時中也」とは、《蒙》のよく亨する所以は、亨通の道を用いて施行するに在り、この条の亨道はすなわち時に合乎するの中道なりを説く。「時」は君上の应与を得るを指し、「中」は処する所が恰らく中位に在るを指す。中を得ればすなわち時をも得たり。「匪我求童蒙、童蒙求我、志応也」とは、九二が剛明の賢者を以て下位に処するを説く――ここで底本に脱文あり、程頤の言は言い尽くされず。「集説」に《朱子語類》を引いていう、「蒙以養正聖功也」とは、蒙昧未開の時において、先に自身を涵養教導して端正と為し、日後の開明発達の時に到りて、便ちに聖人を成就するの功效有らんを講ずるなり。假如蒙昧のうちに本身就でに不正なれば、日後どこでかなお聖功を談じ得んや。

胡氏炳文曰:《程傳》云,亨道即時中也。《本義》謂九二以可亨之道,發人之蒙,而又得其時之中,蓋蒙豈無可亨之道,但恐亨之不得乎時之中耳。《本義》謂如下文所指之事,蓋謂志未應而遽欲亨之,非時中也。再三瀆而亦告之,非時中也。蒙宜養正,過此而後養之,非時中也。

胡炳文の言を引く、《程伝》は亨道はすなわち時中と講じ、《本義》はすなわち九二が以て亨すべきの道を用いて別人の蒙昧を啓発し、また時勢の中道を得たりと講ず。蒙昧の人はかつて致亨すべきの門路なきにあらず、怕るるは致亨する時に時中を錯過せんことを。「如下文所指之事」と《本義》が説く意は:心志いまだ相応せざるに急いで往きて彼を開導すれば、時中に合せず。反復亵渎するもなお照らして告げて誤らざれば、時中に合せず。童蒙は本来当に時に及んで正性を涵養すべく、この段の時候を錯過して更に涵養せんとすれば、また時中に合せず。

俞氏琰曰:聖者無所不通之謂,“童蒙”之時,便當以正道涵養其正性,是乃作聖之功也。古之人,含德之厚,比於赤子,大人之所以為大人者,不失其赤子之心而已。 童蒙之時,情竇未開,天真未散,粹然一出於正,所謂赤子之心是也。涵養正性,全在“童蒙”之時。若“童蒙”之時,無所養而失其正,則他日慾望其作聖,不可得矣。 林氏希元曰:養蒙發蒙原非二事,對前日之蒙言,則曰發,對後日之作聖言,則曰養利貞之語。實《蒙》上文,加《咸》、《恆》“利貞”之例,非發蒙之後,又別出養蒙之義也。

兪琰の言を引く、いわゆる聖とは、通ぜざるところなきの意なり。「童蒙」の時はすなわち当に正道を用いてその正性を涵養すべく、これがこそ聖を作るの功夫なり。古人の徳性は醇厚にして、《老子》はこの種の人を初生の嬰児に比作したり。孟子の講ずる大人の大人たる所以は、也不過赤子の心を失わざるのみ。童蒙の時は情竇未開・天真未散にして、純粹に正より出づ、すなわちいわゆる赤子の心なり。正性を涵養するは、全てこの時候に在り。倘若童蒙の時に涵養する人なくして正を失わば、日後に彼が聖徳を成就せんことを指望するは、成すこと能わざるなり。林希元の言を引く、養蒙と発蒙は本来二件の事にあらず。先前の蒙昧に対して説けばすなわち「発」と呼び、日後の作聖に対して説けばすなわち「養」と呼ぶ。「利貞」の二字は実際は《蒙》卦の上文より承け来るもので、《咸》《恒》両卦の「利貞」を系うるの体例と同じく、併せて発蒙の後に另外更に一個の養蒙の意思を立つるにあらず。

彖上伝・需

需,須也,險在前也,剛健而不陷,其義不困窮矣。 本義 此以卦德釋卦名義。 程傳 “需”之義,須也。以險在於前,未可遽進,故需待而行也。以《乾》之剛健,而能需待不輕動,故不陷於險,其義不至於困窮也。剛健之人,其動必躁,乃能需待而動,處之至善者也。故夫子贊之云“其義不困窮矣”。

《彖伝》はいう:《需》はすなわち等待で、険陥が前に横たわる。剛健にして陥落して入らざれば、義理の上より説いて困窮の地步に走到することなからん。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、「需」の意思は等待なり。険陥が前に在るがゆえに、冒然と前進すべからず。ゆえに時機を等待してのち行うなり。《乾》の剛健を憑りてしかして等待して軽挙妄動せず。ゆえに険中に陥るに至らず、義理の上にまた困窮せず。剛健の人は一動するや往々にして急躁に失す。如今竟に時機を等待して再び動くことを得、これは処置し得て最も好いの一種なり。ゆえに孔子は讃嘆して「其義不困窮矣」という。

集說 王氏申子曰:“需”者,坎險在前,須而後進也。唯剛則內,有所主,故能需。唯健則動不可御,故能濟。 蔡氏清曰:以剛遇險,而不遽進以陷於險者,蓋陰柔不能寧耐,乾剛則沈毅不苟,而能寧耐,所謂乾天下之至健也,德行恆易以知險。

「集説」に王申子の言を引く、「需」は坎険が前に横たわり、等待してのち前進す。唯だ剛有ればこそ内心に主宰あり、ゆえに能く等ぐ。唯だ健有ればこそ一動きすればすなわち擋当すべきなく、ゆえに能く険を済す。蔡清の言を引く、剛健を以て険陥に遇上して冒然と前進せず、以てそのうちに陥落せざるは、陰柔の人は性子に耐えず、乾の剛健はしかして沈毅不苟にして、よく気を沈め得るによる。これがすなわち《繋辞伝》のいう「夫乾、天下之至健也、徳行恒易以知険」なり。

需,有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。 本義 以卦體及兩象釋卦辭。 程傳 五以剛實居中,為孚之象,而得其所需,亦為“有孚”之義。以乾剛而至誠,故其德光明而能亨通,得貞正而吉也。所以能然者,以居天位而得正中也。居大位,指 集說 谷氏家傑曰:此卦合坎乾成《需》。唯乾易而知險,故曰“剛健”,曰“正中”。 見有天德者,能需也。

《彖伝》はいう:《需》は誠信有りて光明亨通し、正を守りて吉を得るは、九五が天位に居りてまた能く正を守り中に居るがゆえなり。大川を渡渉するに利あるは、前往すれば必ず功效あるを説く。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」および上下両象を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、九五は剛実の爻を以て中位に居るは、まさに誠信の象にして、しかも自らの等待する所を得たり、また「有孚」の意思に合す。乾の剛健にしてまた至誠を憑るがゆえに、徳性は光明にして亨通し得て、その貞正を得て吉利なり。よくこのようたる所以は、身が天子の位に居りてまた正を得中を得るがゆえなり。大位に居るは、指すは――ここで底本に脱文あり。「集説」に谷家傑の言を引く、この一卦は坎と乾が合成して《需》と為る。唯だ乾道は平易にして能く険難を預知す。ゆえに《彖伝》は「剛健」といい「正中」という。見れば天徳を具有する人こそ等待すること能うを知るべし。

彖上伝・訟

訟,上剛下險,險而健,訟。 本義 以璞德釋卦名義。 程傳 《訟》之為卦,上剛下險,險而又健也。又為險健相接,內險外健,皆所以為《訟》也。若健而不險,不生訟也。險而不健,不能訟也,險而又健,是以《訟》也。 集說 毛氏璞曰:上剛下險,以彼此言之。險而健,以一人言之。

《彖伝》はいう:《訟》卦は上体剛強・下体険陥にして、既に険にしてまた健なり。ゆえに訟を成す。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す(底本は「卦」を「璞」と訛作す)。程頤《伊川易伝》はいう、《訟》のこの一卦は上剛下険にして、是れ険にしてまた健なり。又是れ険と健の彼此相接し、内裏は険陥・外表は剛健にして、皆《訟》を構成するの縁由なり。假如ただ健にして険ならざれば、争訟を生出すことなからん。ただ険にして健ならざれば、また争訟するの力量なし。既に険にしてまた健なり。ゆえに訟を成す。「集説」に毛璞の言を引く、「上剛下険」は争訟双方の彼此に就きて言うなり、「険而健」は同一個人の身上に就きて言うなり。

訟,有孚窒惕中吉,則來而得中也,終凶,訟不可咸也,利見大人,尚中正也,不利涉大川,入于淵也。 本義 以卦變卦體卦象釋卦辭。 程傳 《訟》之道固如是,又據卦才而言,九二以剛自外來而成《訟》,則二乃《訟》之主也。以剛處中,中實之象,故為“有孚”,處《訟》之時,雖有孚信,亦必艱阻窒塞而有惕懼,不窒則不成訟矣。又居險陷之中,亦為窒塞惕懼之義。

《彖伝》はいう:《訟》は誠信有るも窒塞せられ、心に戒懼を存し、中を持せばすなわち吉なり、剛爻が来り居りて中を得るがゆえなり。一直に訟えて底まで行けばすなわち凶なり、争訟は尽头まで做すことを得べからず。大人を見るに利あるは、中正を崇尚するがゆえなり。大川を渡渉するに利あらざるは、あれは自ら深淵に陥るなり(底本は「剛来」を「則来」と作し、「不可成」を「不可咸」と作す)。朱熹《本義》はいう、これは「卦変」「卦体」「卦象」の三者を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、争訟の道は本来かくのごとし、再び卦の才質に就きて講ずれば:九二は剛爻を以て外卦より来りて下体に至りて《訟》を成す。すなわち九二は便ちに《訟》卦の主なり。剛を以て中に居るは、中心篤実の象にして、ゆえに「有孚」と称す。争訟の時に処するや、縦令心に誠信を懐くも、また必ず艱阻窒塞に遭遇して心に戒懼を存し、窒塞せざればすなわち争訟を構成せず。さらに加えて九二は身が険陥のうちに処す。同じく窒塞戒懼の意思を含む。

二以陽剛自外來而得中,為以剛來訟而不過之義,是以吉也。卦有更取成卦之由為義者,此是也。卦義不取成卦之由,則更不言所變之爻也。據卦辭,二乃善也。而爻中不見其善,蓋卦辭取其有孚得中而言,乃善也。爻則以自下訟上為義,所取不同也。

九二は陽剛を以て外より来りてまた中位に居るは、剛強を以て争訟して過分に至らざるの意思を含む。ゆえに吉という。ある卦は別に「成卦之由」を取りて義を立つ、これ一卦は便ちにそなり。若し卦義が成卦の由を取らざれば、便ちに更に変ずる所は哪一爻なるかを説明せず。卦辞を按ずるに見れば、九二は好いなり。しかるに九二爻辞のうちにはしかしその好処を見出さず。卦辞はそれの誠信有りてまた中に居るを取りて言うがゆえに善と為すなり。爻辞はすなわちそれの在下の者を以て去りて在上の者と争訟するを取りて義を立つ。両処の取る角度は同じからず。

訟非善事,不得已也。安可終極其事,極意於其事,則“凶”矣,故曰“不可成也”。“成”,謂窮盡其事也。“訟”者,求辯其是非也。辯之當,乃中正也,故“利見大人”。以所尚者中正也,聽者非其人,則或不得其中正也。中正大人,九五是也。與人訟者,必處其身於安平之地。若蹈危險,則陷其身矣。乃“入於深淵”也。卦中有中正險陷之象。

争訟は好事にあらず、是れ万やむを得ずしてこそ做すもの。どうしてそれを尽头まで推せんや。一味に争訟の上に心力を用い尽せば、すなわち凶なり。ゆえに「不可成也」という。「成」は事をして穷尽まで做すなり。いわゆる「訟」は、是非を弁明せんと欲するなり。弁じて恰当を得るは、靠るは中正なり。ゆえに「利見大人」という――崇尚する所はまさに中正なるがゆえなり。訟を聴く者もし合适の人ならざれば、すなわち必ずしも中正を得ること能わず。中正し得るの大人は、指すは九五なり。人と争訟する人は、必ず自らの身を安穏平坦の処境に放たざればならず。若し危険を踏履しに往かば、便ちに自身を陥没せん。あれはすなわち「入于深淵」なり。この一卦のうちには中正と険陥の両種の象を兼ねる。

集說 孔氏穎達曰:“剛來而得中”,輔嗣必以為九二者,凡上下二象,在於下象者則稱來。故《賁》卦云“柔來而文剛”,是離下艮上而稱柔來。今此云“剛來而得中”,故知九二也。且凡云來者,皆據異類而來。九二在二陰之中,故稱“來”。若於爻辭之中,亦有從下卦向上卦稱“來”也。故《需》上六“有不速之客三人來”,謂下卦三陽。 然《需》上六陰爻,陽來詣之,亦是非類而稱來也。

「集説」に孔穎達の言を引く、「剛来而得中」、王弼は必ずこれを九二を指すと認定す。理由は:およそ上下両象のうちに、下象に処するはすなわち「来」と称すがゆえなり。ゆえに《賁》卦《彖伝》は「柔来而文剛」といい、あれは離が下に在り艮が上に在りて「柔来」と称す。ここは「剛来而得中」といい、知るべし指すは九二なり。しかもおよそ「来」と説くは、皆異類の相就くに就きて言う。九二は二個の陰爻のうちに夾在す。ゆえに「来」と称す。至るや爻辞の裏面にも、また下卦より上卦に向かいて「来」と称する有り。《需》卦上六は「有不速之客三人来」といい、指すはすなわち下卦の三個の陽爻なり。しかして《需》の上六は陰爻にして、陽爻は前来りて相就く、同じく異類相就して「来」と称す。

劉氏牧曰:“剛來”,謂二也,性本剛,好勝而訟也。來居柔,能屈其性也。處中位,不失中道也。 王氏安石曰:彖言乎其才也,《訟》“有孚窒惕中吉”,此言九二之才也。“終凶”,此言上九之才也。“利見大人”,言九五之才也。“不利涉大川”,言一卦之才也。

劉牧の言を引く、「剛来」は九二を指す。それは本性剛強にして、勝を好み争訟を好む。来りて柔位に居るは、能く自らの剛性を委屈し、また中位に処す。ゆえに中道を失わず。王安石の言を引く、彖辞の講ずるは一卦の才質なり。《訟》の「有孚窒惕中吉」というは、九二の才質を講ず。「終凶」は、上九の才質を講ず。「利見大人」は、九五の才質を講ず。「不利渉大川」は、講ずるはすなわち全卦の合わさりたる才質なり。

蔡氏清曰:“訟不可成”,以理言之,揚人之惡也,煩上之聽也,損己之德也,增俗之偷也。又人己之間,俱廢其業,雖得不償失也,此豈君子之所樂成者哉!謂之“不可成”,見其宜惕中也。

蔡清の言を引く、「訟不可成」、道理の上より講ずれば:争訟は別人の過悪を張揚し、是れ官長を煩労して聴断せしめ、是れ自らの徳行を折損し、是れ風俗の澆薄を助長す。況んや争訟双方は皆各自の本業を荒廃せんことをや、たとえ打ち勝つとも得るところ失うところに償わず。これはどこで君子の楽しみて做成せんと欲する事ならんや。《彖伝》の「不可成」というは、正に当に心に戒懼を存して中を守るべきを見るなり。

彖上伝・師

師,眾也。貞,正也。能以眾正,可以王矣。 本義 此以卦體釋師貞之義。“以”,謂能左右之也。一陽在下之中,而五陰皆為所以也。能以眾正,則王者之師矣。 程傳 能使眾人皆正,可以王天下矣。得眾心服從而歸正,王道止於是也。

《彖伝》はいう:「師」は衆人、「貞」は正道なり。能く衆人を率領して正道の上に走らしめば、すなわち王業を成就すべし。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦辞「師貞」の意思を解釈す。「以」は能く指揮調度するなり。一個の陽爻は下卦の中に居り、五個の陰爻は皆それに帰して統率せらる。能く衆人を帯領して正に帰せば、あれはすなわち王者の師なり。程頤《伊川易伝》はいう、能く衆人をして皆正に帰せしめば、すなわち天下に王と称すべし。衆人の心の悦誠服して正道に帰向するを得るは、王道もただこのようたるのみ。

剛中而應,行險而順,以此毒天下而民從之,吉又何咎矣。 本義 又以卦體卦德釋“丈人吉無咎”之義。 ”剛中”,謂九二。“應”,謂六五應之。 “行險”,謂行危道。“頃”,謂順人心。此非有老成之德者不能也。“毒”,害也。師旅之興,不無害於天下,然以其有是才德,是以民悅而從之也。

《彖伝》はいう:九二は剛健にして中に居りて上に应与有り、険道を行走するも和順より出づ。このような方式を用いて天下に一番の毒害を受けしむるも百姓は仍旧それに跟従す。既に吉利を得て、またどこに過誤有らんや。朱熹《本義》はいう、これは再用して「卦体」「卦徳」を用いて卦辞「丈人吉无咎」を解釈す。「剛中」は九二を指し、「応」は六五のそれと相応ずるを指し、「行険」は走るは危難の道を指し、「順」(底本は「頃」と訛作す)は人心に順応するを指す。これは老成の徳を具備する人にあらざれば做ること能わず。「毒」は毒害なり。兵を興し衆を動かすは、天下に対して傷害なかるべからず。然るに主将がこのような才と徳を具備するがゆえに、百姓はこそ楽しみて彼に跟従す。

程傳 言二也。以剛處中,剛而得中道也。六五之君為正應,信任之專也。雖“行險”道,而以順動,所謂義兵,王者之師也。上順下險,“行險而順也”。師旅之興,不無傷財害人,毒害天下,然而民心從之者,以其義動也。古者東征西怨,民心從也。如是故“吉”而無咎,“吉”,謂必克。“無咎”謂合義,“又何咎矣”,其義故“元咎”也。

程頤《伊川易伝》はいう、ここに講ずるは九二なり。剛爻を以て中位に処するは、剛強にしてまた中道を得たり。六五の君はそれと正に相応ずるは、信任専一なり。走るは険道なると雖も、しかして道理に順いて発動すれば、すなわちいわゆる義兵・王者の師なり。上体は坤順・下体は坎険なり。ゆえに「行険而順」という。兵を興し衆を動かすは、財物を耗费し人命を傷害することを免れず、天下に毒害を帯び来たるも、しかして民心は仍旧跟従す。出兵が義に合するがゆえなり。古時に商湯が東に征伐せば、西辺の人は便ちに彼の先に来らざるを埋怨したり。まさに民心の帰附するの様子なり。このようゆえに「吉」にして「无咎」なり。「吉」は必ず敵に克つなり。「无咎」は義理に合すなり。「又何咎矣」というは、すなわち義理の上に就きて講ずれば本来過錯あるべからざるなり(底本は「无咎」を「元咎」と訛作す)。

集說 游氏酢曰:用師之道,將以正天下之不正也,故師謂之徵。己則不正,其能正人乎。“剛中而應”,任將之道也。“行險而順”,興師之義也。仰順乎天,無違天以干時。俯順乎人,無咈人以從欲。興師之順如此,故能以眾正。以眾正之,則人皆知其欲正己而已,天下孰不趨於正哉! 胡氏炳文曰:“毒”之一字,見得王者之師,不得已而用之。如毒藥之攻病,非有沈痾堅症,不輕用也,其指深矣。

「集説」に游酢の言を引く、用兵の道は天下の不正を匡正せんと欲するなり。ゆえに師を出だすを「征」と呼ぶ。自らもし正ならざれば、なお人を正し得るや。「剛中而応」の講ずるは将帥を委任するの道なり。「行険而順」の講ずるは師を興し兵を出すの義なり。上は天に順い、天時に違逆して妄りに事を興さず。下は人に順い、人情に拂逆して私欲を放縦せず。師を興して能くこの地步まで順えば、ゆえに能く衆を率いて正に帰す。衆人の力を以て天下を匡正せんとす、人は皆それが不過己を匡正せんと欲するのみなるを明白すれば、すなわち天下に誰か正に趨向せざらんや。胡炳文の言を引く、一個の「毒」の字、見れば王者の軍隊は不得已にしてこそ動用するを知る。毒薬を用いて疾病を攻治するがごとく、沉重頑固の病症に遇うにあらざれば決して軽易に施用せず。この一字の用意は甚深なり。

彖上伝・比

比,吉也。 本義 此三字疑衍文。 比,輔也,下順從也。 本義 此以卦體釋卦名義。 程傳 “比吉也”,比者吉之道也。物相親比,乃吉道也。“比輔也”,釋比之義,比者相親輔也,下順從也。解卦所以為比也。五以陽居尊位,群下順從以親輔之,所以為《比》也。

《彖伝》はいう:「比、吉也。」朱熹《本義》はいう、この三字は疑わしくは衍文なり。《彖伝》は接ぎていう:「比」は輔助なり、下面の衆爻は皆順従す。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、「比吉也」は親比が本身就是吉利の道を講じ、万物は相親し相輔すればすなわちまさに吉道なり。「比輔也」は「比」の字の意義を解釈し、比はすなわち相親し相輔するなり。「下順従也」はこの一卦の《比》と為る所以を解説す。九五は陽爻を以て尊位に居り、下面の衆爻は順従して彼に親附輔助す。ゆえに《比》と呼ぶ。

集說 孔氏穎達曰:“比吉也”者,言相親比而得吉也。“比輔也”者,釋比所以得吉。“下順從”者,謂從陰順從九五也。 《朱子語類》云:“比吉也”,也字羨,當云“比吉”,比輔也,下順從也。“比輔也”,解“比”字。“下順從也”,解“吉”字。

「集説」に孔穎達の言を引く、「比吉也」は相親し相比して因りて吉を得るを講じ、「比輔也」は比の吉を得る所以を解釈し、「下順従」は衆陰が九五に順従するを説く(底本は「衆陰」を「従陰」と作す)。《朱子語類》を引いていう、「比吉也」の「也」の字は多出来たるなり、当に「比吉。比、輔也、下順従也」と読み作すべし。「比輔也」は「比」の字を解し、「下順従也」は「吉」の字を解す。

楊氏啟新曰:“下順從”以卦體言,實則兼上下眾陰,不曰上下而曰下者,以九五 原筮元永貞無咎,以剛中也。不寧方來,上下應也。後夫凶,其道窮也。 本義 亦以卦體釋卦辭。“剛中”,謂五。“上下”,謂五陰。

楊啓新の言を引く、「下順従」は「卦体」に就きて講ずるなり、其実は上下の衆陰を兼ねて指す。上下と説かずしてただ下と説くは、九五が――ここで底本に脱文あり。《彖伝》は接ぎていう:占筮を推原して、元善・恒久・貞正を具備してこそ過錯なかるは、九五が剛健にして中に居るがゆえなり。安寧ならざる人は四方より帰り来るは、上下の衆爻が皆それと相応ずるがゆえなり。後到する人は凶険なり、是れその路のすでに尽头に走到せるなり。朱熹《本義》はいう、これは同じく「卦体」を用いて卦辞を解釈す。「剛中」は九五を指し、「上下」は五個の陰爻を指す。

程傳 推“原筮”決相比之道,得“元永貞”而後可以“無咎”。所謂“元永貞”,如五是也。以陽剛居中正,盡比道之善者也。以陽剛當尊位為君德,“元”也。居中得正,能永而“貞”也。卦辭本泛言《比》道。《彖》言“元永貞”者,九五以剛處中正是也。

程頤《伊川易伝》はいう、占筮を推原して来りて相親し相比するの道を決断すれば、必ず「元永貞」の三者を具備してのち、こそ過錯有ることなからん。いわゆる「元永貞」は、九五はすなわち様板なり。それは陽剛を以て中正の位に居りて、親比の道の好処を占尽したり。陽剛を以て尊位を担当するは、これは人君の徳にして、すなわち「元」なり。中に居りて正を得るは、能く長久にして貞固す、すなわち「永」と「貞」なり。卦辞は本来泛泛に親比の道を講じ、《彖伝》は「元永貞」を点出す、指すはまさに九五の剛爻を以て中正に処するなり。

人之生,不能保其安寧,方且來求附比。民不能自保,故戴君以求寧。君不能獨立,故保民以為安。不寧而來比者,上下相應也。以聖人之公言之,固至誠求天下之比,以安民也。以後王之私言之,不求下民之附,則危亡至矣。故上下之志,必相應也。

人は世上に活きて自ら安寧を保住すること能わず、ここにおいて前来りて人に依附親比を求む。百姓は自保すること能わず、ゆえに君主を擁戴して以て安寧を求む。君主は孤立して自存すること能わず、ゆえに百姓を保养して来りて安定を求む。安寧を得ずして前来りて親比するは、まさに上下彼此相応ずるなり。聖人の公心に就きて説けば、本来以至誠を以て天下人の親附を求め、為すは百姓を安頓するなり。後世君王の私心に就きて説けば、若し下民の帰附を求めざれば、危亡もまた到らん。ゆえに上下の心志は必然に相互に呼応す。

在卦言之,上下群陰比於五,五比其眾,乃上下應也。眾必相比,而後能遂其生。天地之間,未有不相親比而能遂者也。若相從之志,不疾而後,則不能成比,雖夫亦凶矣。無所親比,困屈以致凶,窮之道也。

卦象に就きて講ずれば、上下の衆陰は皆九五に親比し、九五もまた衆陰に親比す。これが便ちに上下相応なり。衆人は必ず彼此親比してのちこそ各々その生を遂ぐることを得。天地の間には、かつて相親比せずして能くその生を遂ぐるはなし。假如相従の心志が赶紧して跟上せずして人後に落つれば、すなわち親比を結成せず。あのようはたとえ剛強の男子ともなれば照様に凶険なり。親比するところなく、困頓屈縮して以て凶に至るは、まさに走投無路の路数なり。

集說 胡氏炳文曰:凡“應”字,多謂剛柔兩爻相應,此則謂上下五陰應乎五之剛,又一例也。《師》、《比》皆一陽五陰,《師》之應,謂五應二,將之任專也。《比》之應,則謂上下應五,君之分嚴也。

「集説」に胡炳文の言を引く、《易》のうちおよそ「応」の字を用うるは、多半は一剛一柔両爻の「応与」を指す。ここはしかし上下五個の陰爻が皆九五の剛に応ずるを指す、また一種の体例なり。《師》《比》の両卦は皆一陽五陰なり。《師》の講ずる応は、六五が九二に応ずるなり、見れば将帥の職任専一を知る。《比》の講ずる応は、上下の衆爻が皆九五に応ずるなり、見れば君主の名分尊厳を知る。

彖上伝・小畜

小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。 本義 以卦體釋卦名義,“柔得位”,指六居四。“上下”,謂五陽。 程傳 言成卦之義也。以陰居四,又處上位,“柔得位”也。上下五陽皆應之,為所畜也。以一陰而畜五陽。能繫而不能固,是以為《小畜》也。彖解成卦之義,而加“曰”字者,皆重卦名文勢當然,單名卦唯革有曰字,亦文勢然也。

《彖伝》はいう:《小畜》は柔爻が各々その位を得て上下の衆陽は皆それと相応ず。ゆえに小畜と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。「柔得位」は柔爻が第四位に居るを指し、「上下」はその余の五個の陽爻を指す。程頤《伊川易伝》はいう、これは成卦の道理を講ずるなり。陰爻を以て第四位に居りて、また上卦に処す。ゆえに「柔得位」なり。上下五個の陽爻は皆それと相応じ、皆それに畜止せらる。一個の陰爻を以て去りて五個の陽爻を畜止するは、ただ能く牽係して住せしむるも牢固に拘住すること能わず。ゆえに《小畜》と呼ぶ。彖辞が成卦の義を解釈する時に一個の「曰」の字を加うるは、およそ卦名を重複する処は文勢自然このようたり。単に一字を称するの卦名のうちには、唯独《革》卦のみ「曰」の字を用いたり、また文勢の然らしむる所なり。

集說 胡氏瑗曰:《小畜》卦有二義,六四以一陰得位,體無二陰以分其應,故上下五陽皆應之,是小者能畜矣。三陽在下而並進,四以一陰獨當其路,是小有所畜也。 此二義也。

「集説」に胡瑗の言を引く、《小畜》一卦は二層の意思を含む。その一は、六四が単独一個の陰爻を以て当位の処に居り、全卦には更に第二個の陰爻なくしてその「応与」を分かつ。ゆえに上下五個の陽爻は皆それに応ず。これは小者の能く大者を畜止するなり。その二は、下卦の三個の陽爻が一斉に上進して、六四は一陰を以て独りそれらの去路に挡当る。これは小にして畜すること有るなり。これがすなわち二層の意思なり。

健而巽,剛中而志行,乃亨。 本義 以卦德卦體而言,陽猶可亨也。 程傳 以卦才言也,內健而外巽,健而能巽也。二五居中,“剛中”也。陽性上進下復乾體,志在於行也。剛居中,為剛而得中,又為中剛,言畜陽則以柔巽,言能亨則由剛中。以成卦之義言,則為陰畜陽。以卦才言,則陽為剛中。才如是,故畜雖小而能亨也。

《彖伝》はいう:内に健にして外に巽なり、剛爻は中に居りて心志は行を得たり。ゆえに亨通す。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」「卦体」に就きて講じ、陽は仍旧亨通すべきを説明す。程頤《伊川易伝》はいう、これは卦の才質に就きて講ず。内卦は剛健・外卦は巽順にして、是れ剛健にして能く巽順す。九二・九五は分かれて上下卦の中に居るは、「剛中」なり。陽の本性は向上進取し、下体はまた乾なり、心志はまさに行に在り。剛爻は中に居るは、既に剛にして中を得るも、又是れ中位に剛有るなり。陽を畜止するの一面を講ずればすなわち柔と巽に靠り、能く亨通するの一面を講ずればすなわち剛中に靠る。成卦の義より講ずれば、是れ陰が陽を畜止す。卦才より講ずれば、すなわち陽は自ら剛中有り。才質このようゆえに、畜する所は小なると雖も、仍旧能く亨通す。

密雲不雨,尚往也。自我西郊,施未行也。 本義 “尚往”,言畜之未極其氣猶上進也。 程傳 畜道不能成大,如“密雲”而不成雨。陰陽交而和則相固而成雨,二氣不和, 集說 王氏逢曰:四以陰盛,有“密雲”之象。以柔止健,不能固陽,足以不雨,西郊陰地臣之類也。

《彖伝》はいう:濃雲密布するも雨を下さざるは、陽気はなお上に走向す。雲は我が西辺の郊野より飄来するは、恩沢はなお施行せざるなり。朱熹《本義》はいう、「尚往」は畜止がなお極点に到らず、陽気は仍旧上進するを講ず。程頤《伊川易伝》はいう、畜止の道は大功を成就すること能わず、濃雲密布して雨を結成せざるがごとし。陰陽相交りて和洽すれば、便ちに彼此固結して雨と為る。両気和せざれば――ここで底本に脱文あり。「集説」に王逢の言を引く、六四は陰気の偏盛を以て、「密雲」の象有り。柔を用いて往きて剛健を止むるは、陽を固結して住せしむること能わず。ゆえに下に雨を成さず。西郊は陰に属するの方位で、是れ臣の一類の位置なり。

楊氏時曰:卦五陽而一陰,則一陰為之主。四以陰居陰,“柔得位”也,為一卦之主,而上下應之,以陰畜陽也。陽大而陰小,小者畜也。此以六四一爻言之也,合一卦之才,則三陽健而進,一陰體巽而上行,九五剛得中,與之合志,則志行矣,是以亨也。

楊時の言を引く、一卦に五陽一陰なり、あの一個の陰爻は便ちに全卦の主なり。六四は陰爻を以て陰位に居るは、「柔得位」にして、一卦の主を做り、上下の衆爻は皆それに応ず。これは陰を以て陽を畜するなり。陽は大と為し陰は小と為す、能く畜するは小者なり。ゆえに《小畜》と呼ぶ。これは六四の一爻に就きて論を立つ。若し全卦の才質を合起して看れば、下卦の三陽は剛健にして上進し、一個の陰爻は体性巽順にしてこれに随いて上行し、九五の剛爻はまた中位に居りて、それと心志相合すれば、すなわち衆陽の志は便ちに推行を得て、ゆえに能く亨通す。

項氏安世曰:陰陽之理,畜極則亨。畜之小者,雖未遽亨,及其成也,終有亨理。 以六爻言之,一柔得位,五陽應之。能繫其情,未能全制之也,故為《小畜》。以二卦言之,健而能巽,不激不亢,其勢必通。二五皆剛中,同心同德,其志必行,故有亨理,凡陰閉之極,則陽氣蒸而成雨。“密雲不雨”者,陰方上往,未至於極也。“自我西郊”者,方起於此,未至於彼也。此皆言所畜之小,然謂之“尚往”,則非不住,謂之未行。 則非不行,亨固在其中矣。此於人事為以臣畜君,終當感悟之象。 蔡氏清曰:“本義”“其氣猶上進”也,當以既雨既處來照看。此句全就雲雨說,不然,用不得氣字。

項安世の言を引く、陰陽の道理は畜積して極点に至ればすなわち亨通す。畜する所の分量は小にして、能く馬上亨通せざると雖も、畜積の成熟するを及ぼば、終に亨通の理有らん。六爻に就きて講ずれば、一個の柔爻が位を得て、五個の陽爻はそれに応ず、ただ能くそれらの情意を牽係して、なお完全に制住すること能わず。ゆえに《小畜》なり。上下両卦に就きて講ずれば、剛健にして能く巽順し、偏激せずも亢進せず、その勢は必然に通達す。九二九五は皆剛中にして、同心同徳なり、衆陽の志は必然に行を得たり。ゆえに亨通の理有り。およそ陰気は閉塞して極点に至れば、陽気は蒸騰して化して雨と為る。「密雲不雨」は、陰気がまさに上行して、なお極点に到らざるなり。「自我西郊」は、雲気が剛にこの辺より興起して、なおあの辺に到らざるなり。これらは皆畜する所の分量の小なるを説明す。しかるに既に「尚往」と説けば、すなわち停住して動かざるにあらず。既に「施未行」と説けば、また永に施行せざるにあらず。亨通は本来すでにそのうちに含まれたり。これは人事の上においてはすなわち臣を以て君を畜し、終に君心を感動して彼を省悟せしむるの象なり。蔡清の言を引く、《本義》の「其気猶上進」と講ずるは、当に上九爻辞の「既雨既処」に対照して体会すべし。この一句は完全に雲雨に就きて講ずるなり、然らざれば「気」の字は用い上ぐること能わず。

彖上伝・履

履,柔履剛也。 本義 以二體釋卦名義。 集說 王氏申子曰,《履》以六三成卦,三之象下迫於二陽之進,上躡乎三陽之剛。 胡氏炳文曰:《本義》謂二體,見得是以兌體之柔,履乾體之剛,非指六三以柔而履剛也。 案 王氏胡氏二說不同,然當兼用,其義乃備。

《彖伝》はいう:《履》は柔が剛を踩踏す。朱熹《本義》はいう、これは上下両体を用いて卦名の含义を解釈す。「集説」に王申子の言を引く、《履》卦は六三より成卦し、六三の象は下面は二個の陽爻の上進に逼迫せられ、上面はまた三個の陽爻の剛強を踩着す。胡炳文の言を引く、《本義》の講ずるは両体なり、見れば兌体の柔を以て往きて乾体の剛を踩踏するにして、併せて単に六三の柔を以て剛に履るを指すにあらず。李光地は案ずる:王・胡両家の説法は同じからざるも、しかし当に兼ね取りて併用してこそ、卦義こそ完備と算す。

說而應乎乾,是以履虎尾不咥人亨。 本義 以卦德釋彖辭。 程傳 兌以陰柔履藉乾之陽剛,柔履剛也。兌以說順應乎乾剛而履藉之,下順乎上,陰承乎陽,天下之正理也。所履如此,至順至當。雖“履虎尾”,亦不見傷害。以此履行,其“亨”可知。

《彖伝》はいう:和悦にして乾に応ず、ゆえに虎尾を踩着するも咬傷せられず、能く亨通す。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」を用いて彖辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、兌は陰柔を以て乾の陽剛を踩踏するは、まさに柔の剛に履るなり。兌は和悦順従の態度を用いて往きて乾の剛に応じてそれを踩踏す、下位は上位に順従し、陰は陽を承奉す、これは天下の正理なり。踩踏する所の路数このよう、極めて順・極めて当なれば、たとえ老虎の尾巴を踩着するも、傷害に遭うことなからん。このような態度を用いて往きて事を行えば、能く亨通するは以て想見すべし。

集說 游氏酢曰:卦以一柔進退履眾剛,故有“履虎尾”之象。然而“不咥人亨”者,說而應乎乾故也。夫敬以和,何事不行!君子之所履,苟在於是,則雖暴人之前無虞矣。 項氏安世曰:以兌說而“應乎乾”,則所行無忤。履雖危而不傷,莊周曰:虎媚養己者順也,唯柔順而說,則“履虎尾”而“不咥人”,且有能“亨”之理。

「集説」に游酢の言を引く、この一卦は一個の柔爻を以て衆剛の間に進退践履す。ゆえに「履虎尾」の象有り。しかして「不咥人亨」なる所以は、それが和悦にして乾に順応するがゆえなり。敬を持してまた能く和すれば、何事か成さざる有らんや。君子の践履する所もしこれに在らば、すなわちたとえ凶暴の人の面前に立つとも何の憂慮すべきもなし。項安世の言を引く、兌の和悦を憑りて往きて「応乎乾」すれば、行う所は抵触なく、践履は危険なると雖も受傷せず。荘子は老虎が自らを飼養する人に対して親媚を顕出すを講じ、是れ飼養者がその性子に順うがゆえなり。唯だ柔順にして和悦して、こそ能く虎尾を踩着して咬まれず、併せて亨通の道理を具備せん。

胡氏炳文曰:說而應乎乾,亦是以下體之兌,應上體之乾。若《蒙》曰“志應”,《師》曰“剛中而應”,是剛柔兩爻自相應。《比》、《小畜》上下應,是一爻為主,而眾爻應之。

胡炳文の言を引く、「説而応乎乾」は、また以下体の兌を以て往きて上体の乾に応ずるなり。《蒙》卦の「志応」といい《師》卦の「剛中而応」というがごときは、あれは一剛一柔両爻の彼此相「応与」なり。《比》卦・《小畜》卦の上下相応と説くは、すなわち一爻が主を做りて衆爻が皆来りてそれに応ずるなり。三者の体例は各々相同じからず。

剛中正,履帝位而不疚,光明也。 程傳 九五以陽剛中正,尊“履帝位”,苟無疚病,得履道之至善光明者也,“疚”謂疵病,夾履是也。“光明”,德盛而輝光也。 集說 張氏浚曰:九五履乾正位,曰“剛中正”,剛健不息,體大中至正之道,以君臨天下,“履帝位而不疚”也。君臨天下者!其可危為大。蓋人君以一身撫馭海內,使所履一不正,而蹈於非禮,則政令紀綱弛於上,讒賊寇攘起子下。穆王命君牙曰:心之憂危,若蹈虎尾,涉於春冰是也。

《彖伝》はいう:九五は剛健中正にして、帝位に登臨して愧病なく、ゆえに光明なり。程頤《伊川易伝》はいう、九五は陽剛を以て中に居りて正を得、帝位に尊居す。ただ毛病なからば、すなわち履道を極善まで做して光明なり。「疚」は瑕疵毛病を指し、すなわち践履の間に不正を夾帯するなり。「光明」は徳性充盛にして光輝を発出するなり。「集説」に張浚の言を引く、九五は乾の正位の上に踩る。ゆえに「剛中正」と称す。剛健にして停息せず、大中至正の道を体現し、用いて天下に君臨すれば、まさに「履帝位而不疚」なり。天下に君臨する人の最も可怕なるは、危険より若くはなし。人君は一身を以て四海を統御す。ただ履する所の中に一処も正ならずして非礼に踏入すれば、上面の政令綱紀はすなわち鬆弛し、下面の讒佞盗賊はすなわち興起せん。《尚書》に周穆王の君牙を任命するを記載する時に説く、心中の憂懼危懼は、虎尾を踩み春の薄氷の上を走るがごとし、説くはまさにこのことなり。

彖上伝・泰

泰,小往大來吉亨,則是天地交而萬物通也,上下交而其志同也。內陽而外陰,內健而外順,內君子而外小人,君子道長,小人道消也。 程傳 “小往大來”,陰往而陽來也,則是天地陰陽之氣相交,而萬物得遂其通泰也。在人則上下之情交通,而其志意同也。陽來居內,陰往居外,陽進而陰退也。乾健在內,坤順在外,為“內健而外順”,君子之道也。君子在內,小人在外,是“君子道長,小人道消”,所以為《泰》也。既取陰陽交和,又取“君子道長”,陰陽交和,乃君子之道長也。

《彖伝》はいう:《泰》卦は小者往き大者来る、吉利亨通す。これがすなわち天地相交りて万物は通暢し、上下相交りて心志は相同じ。内卦は陽と為り外卦は陰と為り、内裏剛健にして外面柔順、内に君子を用いて外に小人を置き、ここにおいて君子の道は生長し小人の道は消退す。程頤《伊川易伝》はいう、「小往大来」はすなわち陰爻は外に往き陽爻は内に来る、すなわち天地陰陽の二気は彼此交合し、万物は因りて各々その通泰を遂ぐ。人事に落とせば、すなわち上下の情は彼此交通して、意願相同じ。陽は来りて内に居り陰は往きて外に居るは、是れ陽進にして陰退なり。乾の剛健は内に在り坤の柔順は外に在るは、すなわち「内健而外順」、これは君子の道なり。君子は内に在り小人は外に在るは、すなわち「君子道長、小人道消」、ゆえに《泰》と称す。ここは既に陰陽交合和洽の義を取り、また君子の道生長の義を取る――陰陽交合和洽は、本来就是君子の道の生長なり。

集說 孔氏穎達曰:所以得名為《泰》者,由天地氣交,而生養萬物,物得大通,故云《泰》也。上下交而其志同,以人事象天地之交也。“內陽”“外陰”據其象,“內健”“外順”明其性,此就卦爻釋“小往大來吉亨”也。內君子而外小人,“君子道長,小人道消”,更就人事之中,釋“小往大來吉亨”也。

「集説」に孔穎達の言を引く、この一卦の名を取りて《泰》と為す所以は、天地の気が相交りて万物を生養し、万物は大いに通暢することを得るがゆえに、《泰》と呼ぶ。「上下交而其志同」は、人事を拿りて天地の交合に比象す。「内陽」「外陰」は卦象に就きて講じ、「内健」「外順」はその性情を点明す、この一層は卦爻に就きて「小往大来吉亨」を解釈す。「内君子而外小人、君子道長、小人道消」は、すなわち再び人事の上より来りて「小往大来吉亨」を解釈す。

項氏安世曰:《泰》、《否》、《彖》皆具三義。第一段,以重卦上下為義,子陰陽二氣,無所抑揚,但貴其交而已。第二段,以卦體內外為義,雖在內在外,各得其所,要是重內輕外,則已於陰陽有所抑揚矣。第三段,以六爻消長為義,至此則全是好陽而惡陰,以陽長陰消為福,則不止於抑揚而已。《否彖》依此推之,大抵諸卦皆然。如《小畜》之《彖》,“柔得位而上下應之”,是統論六爻五陽一陰也。“健而巽”,卻以兩卦言之。“剛中而志行”,又以九二九五兩爻言之。故《彖》之義無所不備,不可以一說通也。

項安世の言を引く、《泰》《否》両卦の《彖伝》は皆三層の義理を具備す。第一層は、重卦の上下を以て義を取り、陰陽二気に対して併せて褒貶抑揚なく、ただそれらの相交るや否やを看重す。第二層は、卦体の内外を以て義を取り、内に在外に在各々その所を得ると説くと雖も、究竟是れ内を重んじて外を軽んじ、陰陽に対してすでに抑扬する所有り。第三層は、六爻の消長を以て義を取り、ここに到ればすなわち完全是れ陽を喜びて陰を厭い、陽長陰消を当作して福気と為す。あれはすなわちただ抑扬のみにあらず。《否》卦の《彖伝》はこれに照じて類推す、大体上各卦は皆このようたり。譬えば《小畜》の《彖伝》のごとき、「柔得位而上下応之」は統論して六爻の五陽一陰なり、「健而巽」はしかして上下両卦に就きて講じ、「剛中而志行」はまた九二九五両爻に就きて講ず。見れば《彖伝》の義理は備えざるところなく、一種の説法を拿りて全部を講通すること能わず。

邱氏富國曰:天地之形不可交而以氣交,氣交而物通者,天地之《泰》也。上下之分不可交而以心交,心交而志同者,人事之《泰》也。陰陽以氣言,健順以德言,君子小人以類言,“內外”,釋“往來”之義。陰陽健順君子小人,釋“小大”之義。

邱富国の言を引く、天と地の形体は交合するべきこと能わざるも、しかして気を以て相交ることを得、気交りて万物通暢す。これは天地の《泰》なり。君と臣の名分は混同するべきこと能わざるも、しかして心を以て相交ることを得、心交りて志向相同じ。これは人事の《泰》なり。陰陽は気に就きて講じ、健順は徳に就きて講じ、君子小人は類に就きて講ず。「内外」の二字は卦辞「往来」の意思を解釈し、陰陽・健順・君子小人はすなわち卦辞「小大」の意思を解釈す。

王氏應瞵曰:君子道盛,小人自化。故舜湯舉皋伊,而不仁者遠。玉泉喻氏云,《泰》小人道消,非消小人也,化小人為君子也。 喬氏中和曰:有陽必有陰,有君子必有小人。必欲絕而去之,有是哉!善養身者,化痰邪為氣血。善治國者,化盔賊為良民而已矣。

王応麟の言を引く(底本は「麟」を「瞵」と訛作す)、君子の道は興盛し、小人は自然に感化せらる。ゆえに舜は皐陶を挙用し湯は伊尹を挙用して、不仁の人は自然に遠去す。玉泉喩氏はかつて説きたり、《泰》卦の「小人道消」と講ずるは、併せて小人を消滅掉するにあらず、是れ小人を化して君子と為すなり。喬中和の言を引く、陽有ればすなわち必ず陰有り、君子有ればすなわち必ず小人有り。一定に斬尽除絶せんとすれば、どこにこのような道理有らんや。善く身を養う人は、痰濁邪気を化して気血と為す。善く国を治むる人は、也不過盗賊を化して良民と為すのみ。

彖上伝・否

否之匪人,不利君子貞。大往小來,則是天地不交,而萬物不通也。 上下不交,而天下無邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。 集說 胡氏瑗曰;內柔而外剛者,小人之體也。語曰:色厲而內荏,外有嚴厲之色,內有柔荏之心,此所以反君子之道也。

《彖伝》はいう:《否》卦の遇う所は人に非ず、君子の正を守るに利あらず。大者往き小者来る、これがすなわち天地は相交らずして万物は通暢せず、上下は相交らずして天下は邦国なきに等し。内卦は陰と為り外卦は陽と為り、内裏柔弱にして外表剛強、内に小人を用いて外に君子を置き、ここにおいて小人の道は生長し君子の道は消退す。「集説」に胡瑗の言を引く、内に柔にして外に剛なるは、まさに小人の体質なり。《論語》は「色厲而内荏」という、外面は厳厲の脸色を擺出し、裏面は柔弱怯懦の心を蔵す。これがすなわち君子の道と相反するの処なり。

李氏過曰:“否泰反其類”,故《否》之辭皆與《泰》反。 吳氏綺曰:六十四卦,獨《乾》、《坤》、《泰》、《否》四卦言陰陽。乾坤,陰陽也。 唯《泰》、《否》二卦,內外皆得乾坤之全體,故亦以陰陽言也。

李過の言を引く、《雑卦伝》は「否泰反其類」と講ず。ゆえに《否》卦の彖辞は句句皆《泰》卦と相反す。呉綺の言を引く、六十四卦のうちに、ただ《乾》《坤》《泰》《否》の四卦のみ明白に陰陽の二字を拈出す。乾坤は本身就是陰陽なり。しかして《泰》《否》両卦の内外両体は恰好に各々是れ乾坤の全体なり。ゆえにまた陰陽を用いて講ず。

彖上伝・同人

同人,柔得位得中而應乎乾,曰同人。 本義 以卦體釋卦名義。“柔”,謂六二,“乾”,謂九五。 程傳 言成卦之義。“柔得位”,謂二以陰居陰,得其正位也。五中正而二以中正應之,“得中而應乎乾”也。五剛健中正,而二以柔順中正應之,各得其正,其德同也,故為《同人》。五,乾之主,故云“應乎乾”。象取天火之象,而《彖》專以二言。

《彖伝》はいう:《同人》は柔爻が位を得中を得て上に乾に応ず。ゆえに同人と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。「柔」は六二を指し、「乾」は九五を指す。程頤《伊川易伝》はいう、これは成卦の義を講ず。「柔得位」は、六二が陰爻を以て陰位に居りて、それの当に在るべき正位を得たり。九五は中正にして、六二はまた中正の徳を以てそれに応ず。ゆえに「得中而応乎乾」なり。九五は剛健中正にして、六二は柔順中正を以てそれと相応ず。各々その正を得て、徳性相同じ。ゆえに《同人》と呼ぶ。九五は乾卦の主なり。ゆえに「応乎乾」という。《大象》の取るは天と火の象なり、《彖伝》はしかして専ら六二に就きて説を立つ。

集說 項氏安世曰:同人以一柔為主,徒柔不能以同乎人也,必以天德行之,故雖“得位得中”,而必“應乎乾”,乃可謂之《同人》。至於“利涉大川”,則又曰此“乾行也”,明非柔之所能辨也。凡封之以柔為主者皆然,《履》之六三,不能以自亨也,必曰“應乎乾”,是以“履虎尾不咥人亨”。《小畜》之六四,不能以自亨也,必曰“剛中而志行乃亨”。《大有》之六五,不能以自亨也,必曰“應乎天而時行,是以元亨”。凡此皆柔為卦主。而其濟也必稱乾焉,此乾之所以為大與。

「集説」に項安世の言を引く、《同人》は一個の柔爻を以て卦主と為す。しかるに単に柔に靠るは人と相同じること能わず、必ず天徳を憑りて往きて施行してこそ。ゆえに「得位得中」なると雖も、なお必ず「応乎乾」して、こそ《同人》と称するに配す。「利渉大川」と説くに至りては、また特別にこれを点明して「乾行」と為す。表明するは柔爻自らの能く成し到る所にあらざるなり(底本は「弁」を「辨」と作す)。およそ柔を以て卦主と為すの卦は皆このようたり。《履》卦の六三は自ら致亨すること能わず、必ず「応乎乾」と説いて、ゆえにこそ「履虎尾不咥人亨」なり。《小畜》の六四は自ら致亨すること能わず、必ず「剛中而志行乃亨」と説く。《大有》の六五は自ら致亨すること能わず、必ず「応乎天而時行、是以元亨」と説く。これらは皆柔爻が卦主を做るも、しかして事を成す時は必ず乾を抬出せざればならず。これがまさに乾の大たる所以ならんか。

案 《傳》義皆以乾為專指九五,然若專指二五之應,恐不得謂之“同人于野”矣。 蓋乾者陽爻之通稱,一陰虛中,與五陽相應,此卦所以為《同人》也。不言上下應者,蓋陰陽居上體而為卦主,則可言上下應,如《比》如《小畜》如《大有》是也。若在下體,則但言應而已,《蒙》、《師》、《履》及此卦是也。

李光地は案ずる:《程伝》と《本義》は皆「乾」を看て専ら九五を指すと為す。しかし若しただ六二と九五のこの一対の相応を指せば、恐怕らくは「同人于野」のあのような広大に够上がらざらん。乾は其実は陽爻の通称にして、一個の陰爻が虚にして中位に居りて、五個の陽爻と相応ずる。これがこそ本卦の《同人》と呼ぶ所以の縁故なり。ここは「上下応」と説かざるは、陰爻が上体に居りて卦主を做れば、こそ上下相応と説くべきがゆえに、《比》《小畜》《大有》のごときはすなわちそなり。若し陰爻が下体に在れば、すなわちただ一個の「応」の字を説くのみ、《蒙》《師》《履》および本卦は皆このようたり。

同人曰。 本義 衍文。 程傳此三字羨文。 集說 孔氏穎達曰:稱“同人曰”,猶言同人卦曰也。 同人于野亨,利涉大川,乾行也,文明以健,中正而應,君子正也,唯君子為能通天下之志。 本義 以卦穗卦體釋卦辭,通天下之志,乃為大同。不然,則是私情之合而已,何以致“亨”而“利涉”哉!

《彖伝》のここの処に「同人曰」の三字あり。朱熹《本義》は是れ衍文という。程頤《伊川易伝》もまたこの三字は多出来たるなりという。「集説」に孔穎達の言を引く、「同人曰」と称するは、「同人卦曰」と説くに等し。《彖伝》は接ぎていう:人と曠野において相同じて亨通し、大川を渡渉するに利あるは、これは乾の作為なり。文明にしてまた剛健、中に居り正を守りて上下相応ずるは、これは君子の正道にして、唯だ君子のみ能く天下人の心志を会通す。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」(底本は「徳」を「穂」と訛作す)と「卦体」を用いて卦辞を解釈す。能く天下人の心志を会通して、こそ大同と算す。否すれば不過私情の結合のみ、何を憑りて「亨」にして「利渉大川」を招致せんや。

程傳 至誠無私,可以蹈險難者,乾之行也。無私,天德也。又以二體言其義有文明之德而剛健,以中正之道相應,乃君子之正道也。天下之志萬殊,理則一也。君子明 案 上專以“乾行”釋“于野”“涉川”者,但取剛健無私之義也。下釋“利貞”,則兼取明健中正之義,蓋健德但主於無私而已。必也有文明在於先,而所知無不明。有中正在於後,而所與無不當。然後可以盡無私之義,而為君子之貞也。

程頤《伊川易伝》はいう、至誠にして私心なく、因りて能く険難を蹈履す、これは乾の作為なり。無私はすなわち天徳なり。また上下両体に就きてその義理を講ず。文明の徳有りてまた剛健、中正の道を用いて彼此相応ずるは、これがこそ君子の正道なり。天下人の心志は千差万別にして、道理はしかし一個のみ。君子は明――ここで底本に脱文あり。李光地は案ずる:上半段は専ら「乾行」を用いて「同人于野」と「利渉大川」を解釈し、ただ剛健無私の意思を取るのみ。下半段は「利貞」を解釈して、すなわち文明・剛健・中正の幾層の意思を兼ね取る。剛健の徳はただ無私に主とするのみなり、必ず先に文明有ってこそ、知る所は明らかならざるなく、後に中正有ってこそ、交与する人は恰当ならざるなく、然るのちこそ無私の義を做尽して、君子の貞正と為るを談じ上ぐるに足る。

彖上伝・大有

大有,柔得尊位大中,而上下應之,曰大有。 本義 以卦體釋卦名義,“柔”謂六五,“上下”謂五陽。 程傳 言卦之所以為《大有》也。五以陰居君位,“柔得尊位”也。處中,得“大中”之道也。為諸陽所宗,“上下應之”也。夫居尊執柔,固眾之所歸也。而又有虛中文明大中之德,故上下同志應之,所以為《大有》也。

《彖伝》はいう:《大有》は柔爻が尊位を得て大中に居り、上下の衆爻は皆それに応ず。ゆえに大有と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。「柔」は六五を指し、「上下」はその余の五個の陽爻を指す。程頤《伊川易伝》はいう、これはこの一卦のなぜ《大有》と呼ぶかを講ず。六五は陰爻を以て君位に居るは、すなわち「柔得尊位」なり。上卦の中に居るは、すなわち「大中」の道を得たり。衆陽に尊奉せらるるは、すなわち「上下応之」なり。身が尊位に処して柔道を執守するは、本来就是衆人の帰向する所なり。況んやまた虚心・文明・大中の徳性有るをや。ゆえに上下は同心して以てそれに応ず。これによりて《大有》と称す。

集說 蘇氏軾曰:謂五也,大者皆見有於五,故曰《大有》。 郭氏忠孝曰:“柔得尊位大中”,謙以居之,不自滿假者也。以一柔而應五剛,所謂所寶唯賢,光天之下,萬邦黎獻,共唯帝臣。不如是,不足以為尚賢也。

「集説」に蘇軾の言を引く、講ずるは六五なり。衆多の陽大の物は皆六五に占有せらる。ゆえに《大有》と呼ぶ。郭忠孝の言を引く、「柔得尊位大中」は、謙虚の態度を用いて尊位に居りて、自ら満ち自ら大きくせず。一個の柔爻を以て往きて五個の剛爻に応ずるは、すなわち《尚書》のいう「所宝惟賢」および「光天之下、至于海隅蒼生、万邦黎献、共惟帝臣」のあのような気象なり。このようにならざれば、すなわち賢人を尊崇するに够上がらず。

楊氏萬里曰:《同人》、《大有》,一柔五剛均也。柔在下者,曰“得位”,曰“得中”。 曰“應乎乾”,而為《同人》,我同乎彼之辭也。柔在上者,曰“尊位”,曰“大中”,曰“上下應”,而為《大有》,我有其大之辭也。

楊万里の言を引く、《同人》と《大有》は、同じく一柔五剛なり。柔爻の下に在るは、《彖伝》は「得位」といい「得中」といい「応乎乾」といい、因りて《同人》と呼ぶ。あれは我が往きて人と相同ずるの口気なり。柔爻の上に在るは、《彖伝》は「尊位」といい「大中」といい「上下応之」といい、因りて《大有》と呼ぶ。あれは我が衆大を占有するの口気なり。

項氏安世曰:一陰在下,勢不足以有眾,能推所有以同乎人者也,故名曰《同人》。 一陰在上,人同乎我,為我所有者也,故名曰《大有》。《彖》於《同人》曰“應乎乾”,明我應之也。於《大有》曰“上下應之”,明人應我也。《履》卦柔在下,亦曰“應乎乾”。 《小畜》柔在上,亦曰“上下應之”。此可以推卦例矣。

項安世の言を引く、一個の陰爻が下位に在るは、勢力は衆人を据有するに足らず、ただ能く自ら有する所を推出して往きて人と相同ず。ゆえに名を取りて《同人》と為す。一個の陰爻が上位に在るは、別人は来りて我と相同じて、我が据有する所と為る。ゆえに名を取りて《大有》と為す。《彖伝》は《同人》において「応乎乾」といい、表明するは我が往きて人に応ずるなり。《大有》において「上下応之」といい、表明するは人の来りて我に応ずるなり。《履》卦は柔爻が下に在り、また「応乎乾」と説く。《小畜》は柔爻が上に在り、また「上下応之」と説く。これによりてすなわち《易》の卦例を推知すべし。

胡氏炳文曰:或曰:《小畜》亦五陽一陰之卦,主巽之一陰,則曰“小”。此主離之一陰,則曰“大”,何也?曰巽之一陰在四,欲畜上下五陽,其勢逆而難。離之一陰在五,而有上下五陽,其勢順而易。

胡炳文の言を引く、ある人問う:《小畜》もまた五陽一陰の卦にして、巽のあの一個の陰爻を以て主と為すも、しかして「小」と称す。この一卦は離のあの一個の陰爻を以て主と為すも、しかして「大」と称す。なぜか。答えていわく:巽の陰爻は第四位に在りて、上下五個の陽爻を畜止せんと欲すも、その勢は逆にして艱難なり。離の陰爻は第五位に在りて、上下五個の陽爻を据有すも、その勢は順にして容易なり。

其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。 本義 以卦德卦體釋卦辭。應天,指六五也。 程傳 卦之德,內“剛健”而外“文明”。六五之君,應於乾之九二。五之性柔順而明,能順應乎二。二,乾之主也,是應乎乾也。順應乾行,順乎天時也,故曰“應乎天而時行”。其德如此,是以“元亨”也。王弼云:不大通何由得《大有》乎?《大有》則必“元亨”矣。此不識卦義,離乾成《大有》之義,非《大有》之義,便有“元亨”。

《彖伝》はいう:その徳性は剛健にして文明、上に天に応じて時に依りて運行す。ゆえに大いに亨通す。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」と「卦体」を用いて卦辞を解釈す。「応天」の指すは六五なり。程頤《伊川易伝》はいう、この一卦の徳性は内裏剛健・外面文明なり。六五の君は乾体の九二と相応ず。六五は性情柔順にして明察にして、能く九二に順従応和す。九二は乾の主爻なり。ゆえに是れを応乎乾と説く。乾の運行に順応するは、すなわち天時に順応するなり。ゆえに「応乎天而時行」という。徳性このようゆえに「元亨」なり。王弼はいう:大いに通達せざれば、何を憑りて能く大有せんや。既に《大有》なればすなわち必ず「元亨」なり。これは卦義を懂らざるなり。離と乾が相合してこそ《大有》の義を成す。併せて《大有》のこの名目有れば、すなわち自然に「元亨」を帯び来たるにあらず。

由其才故得“元亨”,《大有》而不善者,與不能亨者有矣。諸卦具“元亨利貞”,則《彖》皆釋為“大亨”,恐疑與《乾》、《坤》同也。不兼“利貞”,則釋為“元亨”,盡元義也。 “元”有大善之義,有“元亨”者四卦,《大有》、《蠱》、《升》、《鼎》也。唯《升》之《彖》誤隨它卦作大亨。曰:諸卦之元與乾不同,何也?曰:元之在乾,為元始之義,為“首出庶物”之義。它卦則不能有此義,為善為大而已,曰元之為大可矣。為善,何 集說 王氏弼曰:德應於天,則行不失時矣。“剛健”不滯,“文明”不犯,應天則大,時行無違,是以“元亨”。

是れその才質によるがゆえにこそ「元亨」を得たり。大有の世に居りて善ならざるおよび能く亨通せざるは、皆これ有るなり。およそ卦辞が四字俱全にして「元亨利貞」と作るは、《彖伝》は一概に「大亨」と解作す。是れ人の誤りて《乾》《坤》と相同じと為さんことを怕るるなり。「利貞」を兼ねざるは、すなわち「元亨」と解作して、「元」の字の意義を講じ足す。「元」は大善の意思を含む。卦辞の「元亨」と称するは共に四卦にして、《大有》《蠱》《升》《鼎》なり。ただ《升》の《彖伝》のみ誤りてその余の卦に随いて「大亨」と作したり。ある人問う:各卦の「元」と乾の「元」は同じからず、なぜか。答えていわく:「元」は乾においては、是れ元始の意思にして、「首出庶物」の意思なり。別の卦は能くこの層の意思を有せず、ただ是れ善と為し大と為すのみ。「元」といえばすなわち大なり、以て可なり。至るや善と為すと説かば、どうして――ここで底本に脱文あり。「集説」に王弼の言を引く、徳性は天に応合すれば、行事は時機を失わざらん。剛健にして停滞せず、文明にして冒犯せず、天に応ずるゆえに大と為し、時に依りて行うゆえに違逆する所なし。これによりて「元亨」なり。

項氏安世曰:《同人》、《大有》兩卦,皆以離之中爻為主,而以乾為應者也。《同人》離在下,以德為主,故曰“應乎乾”者,應其德也。《大有》離在上,以位為主,故曰“應乎天而時行”者,應其命也。《履》兌在下,曰“應乎乾”。《大畜》艮在上,曰“應乎天”,亦卦例也。

項安世の言を引く、《同人》《大有》両卦は皆離卦の中爻を以て卦主と為し、しかして乾を以て応ずる所と為す。《同人》の離は下体に在りて、徳を以て主と為す。ゆえに「応乎乾」といい、応ずるは乾の徳なり。《大有》の離は上体に在りて、位を以て主と為す。ゆえに「応乎天而時行」といい、応ずるは天の命なり。《履》卦の兌は下体に在りて「応乎乾」といい、《大畜》の艮は上体に在りて「応乎天」という。これもまた同じ一条の卦例なり。

案 卦辭未有不根卦名而繫者,況柔中居尊,能有眾陽,是虛心下賢之君,而眾君子皆為之用,其亨孰大於是哉!《彖傳》又推卦德卦體以盡其縕,其實皆不出乎卦名之中也。《程傳》謂卦名未足以致“元亨”,由卦才而得“元亨”者,恐非《易》之通例。

李光地は案ずる:卦辞は卦名に依據せずして系うるはなし。況んや柔順にして中に居りて尊位に処して、能く衆陽を据有するは、これは虚心にして賢を礼するの君主にして、衆君子は皆願いで彼に用いられんとす。なお何の亨通かこれより大ならんや。《彖伝》は再び「卦徳」「卦体」を推究して、そのうちの蕴含を講尽す。其実は皆卦名の範囲を出でず。《程伝》は卦名本身は「元亨」を招致するに足らず、靠るは卦の才質にしてこそ「元亨」を得ると説く。恐怕らくは《易》の通例に合わざらん。

彖上伝・謙

謙,亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。 本義 言《謙》之必“亨”。 程傳 濟當為際,此明《謙》而能“亨”之義。天之道,以其氣下際,故能化育萬物,其道光明,“下際”,謂下交也。地之道,以其處卑,所以其氣上行交於天,皆以卑降而“亨”也。

《彖伝》はいう:《謙》は能く亨通するは、天道が下に向かい施済して因りて光明、地道が卑に処して因りて上行するがゆえなり。朱熹《本義》はいう、これは《謙》の必ず亨通するを講ず。程頤《伊川易伝》はいう、「済」の字は当に「際」と作すべし、これは謙にして能く亨するの道理を闡明す。天の道は、その気が下に向かい交接するがゆえに、能く万物を化育して、その道は光明なり。「下際」はすなわち下に向かい交接するなり。地の道は、それが卑下に処するがゆえに、その気は能く上行して往きて天と相交る。両者は皆卑下に靠りて亨通を致すなり。

集說 項氏安世曰:“天道下濟而光明,地道卑而上行”,此以卦體釋卦辭也。九三乾也,降在下卦,是“下濟而光明”也。坤地道,處勢至卑,而升在上卦,是“卑而上行”也。“下濟”與“卑”,皆釋“謙”字。“光明”與“上行”,皆釋“亨”字。自人事言之,尊者行之則有光,即“天道下濟而光明”也。卑者行之則不可逾,即“地道卑而上行”也。始雖謙下,終必高明,是有終也。自天道虧盈以下,皆極言《謙》之必有後福。質之於天地神人之心,以明有終之義也。

「集説」に項安世の言を引く、「天道下済而光明、地道卑而上行」は、これは「卦体」を用いて卦辞を解釈す。九三は乾に属するも、しかして降りて下卦に在るは、まさに「下済而光明」なり。坤は地道を代表して、処勢は極めて卑下なるも、しかして昇りて上卦に在るは、まさに「卑而上行」なり。「下済」と「卑」は皆「謙」の字を解し、「光明」と「上行」は皆「亨」の字を解す。人事の上より講ずれば、尊貴の人が謙を行えばすなわち光輝有り、正に「天道下済而光明」に合す。卑下の人が謙を行えばすなわち逾越すべからず、正に「地道卑而上行」に合す。起初は謙卑退譲なると雖も、終に必ず高大顕明なり。これがすなわち卦辞のいう「有終」なり。「天道虧盈」以下は、皆竭力して謙を行えば必ず後福あるを申説し、天・地・鬼神・人心を拿りて印証し、以て「有終」の道理を闡明す。

邱氏富國曰:凡卦以一陽為主者,《彖傳》皆以剛言,《復》曰“剛反”,《豫》曰“剛應”,《師》、《比》曰“剛中”,《剝》曰“變剛”。《謙》主九三,而《彖》不言剛者,《謙》無用於剛也。用剛則不能謙矣,三有剛而不用,此其所以為《謙》也。

邱富国の言を引く、およそ一個の陽爻を以て卦主と為すの卦は、《彖伝》は皆「剛」の字の上より説を立つ。《復》は「剛反」といい、《豫》は「剛応」といい、《師》《比》は「剛中」といい、《剥》は「変剛」という。《謙》卦は九三を以て主と為すも、《彖伝》は偏偏として「剛」の字を提げず。是れ《謙》は剛を用いる処なく――一たび剛を用いればすなわち謙は成らざるがゆえなり。九三は剛有るも使い出さざるは、これがまさにそれの《謙》たる所以なり。

蔡氏淵曰:“下濟而光明”,艮也。艮有光明之象,故《艮》之《彖》曰“其道光明”,謂艮陽止乎上,陰不得而掩之,故“光明”。“卑而上行”,坤也。

蔡淵の言を引く、「下済而光明」の指すは艮なり。艮は本に光明の象有り。ゆえに《艮》卦の《彖伝》は「其道光明」といい、是れ艮の陽爻が上位に止まりて、陰爻はそれを掩蔽し得ず。ゆえに光明なり。至るや「卑而上行」は、指すはすなわち坤なり。

天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可逾,君子之終也。 本義 “變”,謂傾壞。“流”,謂聚而歸之。人能謙,則其居尊者,其德愈光,其居卑者,人亦莫能過,此君子所以“有終”也。

《彖伝》はいう:天道は盈満を虧損して謙虚を増益し、地道は盈満を傾壊して謙虚に流注し、鬼神は盈満を損害して謙虚に降福し、人道は盈満を厭悪して謙虚を喜好す。謙にして尊に居ればすなわち徳は愈々光輝し、謙にして卑に居ればすなわち人は能く越ゆることなし。これがまさに君子の善終なり。朱熹《本義》はいう、「変」は傾覆敗壊にして、「流」は聚まり来りてそれに帰向するなり。人は能く謙を行えば、尊位に居るは徳性愈々光輝し、卑位に居るは別人もまた超過すること能わず。これがすなわち君子の「有終」たる所以なり。

程傳 以天行而言,盈者則虧,謙者則益,日月陰陽是也。以地勢而言,盈滿者傾變而反陷,卑下者流注而益增也。“鬼神”,謂造化之跡。盈滿者福害之,謙損者福祐之。 集說 崔氏憬曰:若日中則昃,月滿則虧,損有餘以補不足,天之道也。高岸為谷,深谷為陵,是以“變盈而流謙”,地之道也,朱門之家,鬼瞰其室,黍稷非馨,明德唯馨,是其義矣。滿招損,謙受益,人之道也。

程頤《伊川易伝》はいう、天の運行に就きて講ずれば、盈満するはすなわち虧損し、謙退するはすなわち増益す。日月の盈虧・陰陽の消長は便ちにそなり。地の形勢に就きて講ずれば、高満するは傾塌反陥し、卑下するは彙流して日漸に增高せん。「鬼神」は造化の痕迹を指し、盈満するはそれは禍を降りて損害し、謙損するはそれは福を降りて保祐す。「集説」に崔憬の言を引く、太陽は中天に到ればすなわち西に偏り、月は満つればすなわち虧缺し、有余を減損して以て不足に補う、これは天の道なり。高岸は変じて深谷と為り、深谷は変じて丘陵と為る。ゆえに「変盈而流謙」といい、これは地の道なり。朱門大戸は、鬼神は暗中にその屋子を窺伺す。《尚書》は黍稷は馨香と算さず、ただ明徳のみ馨香なりといい、すなわちこの意思なり。「満招損、謙受益」は、これは人の道なり。

劉氏牧曰:降卑接下,名譽益隆,故其道光顯。辭貌卑遜,而志行剛正,故雖卑退而“不可逾”。 《朱子語類》云:天道是就寒暑往來上說,地道是就地形高下上說。鬼神言害福,是有些造化之柄,各自主一事而言耳。 問《謙》之為義,不知天地人鬼,何以皆好尚之。曰:太極中本無物,若事業功勞,於我何有。觀天地生萬物而不言所利,可見矣。

劉牧の言を引く、身段を放低して往きて下位の人を接納すれば、名声はかえって愈々隆盛す。ゆえにその道は光大にして顕揚す。言辞容貌は謙卑退譲にして、しかして志向操行は剛強端正なり。ゆえに卑退なると雖も「不可逾」なり。《朱子語類》を引いていう、天道は寒来暑往の上に就きて講じ、地道は地形高下の上に就きて講ず。鬼神は禍を降り福を降ると説くに至りては、是れそれらが一些の造化の権柄を握りて、各々一件の事を主管するのみなるがゆえなり。ある人は《謙》の意義を問いて、天・地・人・鬼はなぜ皆それを推重するかを明白せず。朱熹答えていわく:太極のうちは本来一物もなし。あれらの事業功労は、我に対して何の相干か有らんや。天地の万物を生養して従来自ら誇るの好処なきを看れば、すなわち明白すべし。

又云,“謙尊而光,卑而不可逾”,以尊而行謙,則其道光。以卑而行謙,則其德不可逾。尊對卑言,伊川以謙對卑說非是,聖人九卦引此一句,看來大綱說。 蔡氏清曰:如日設而升,中而昃,月晦而弦,盈而蝕之類,天非有意於虧之益之也。 若論至無心處則雖人道,惡盈好謙,初亦何容心於好惡哉!在我者有以感召其好惡耳,可不慎哉!

またいう、「謙尊而光、卑而不可逾」は、尊貴の身分を以て謙を行えば、その道はすなわち光大す。卑下の身分を以て謙を行えば、その徳はすなわち人の能く越ゆるなく。ここの「尊」は「卑」に対して説くなり。伊川は「謙」と「卑」を相対にして講じ、併せて妥当ならず。《繋辞伝》は九卦を論ずる時にこの一句を引くも、看来ただ籠統に講ずるのみ。蔡清の言を引く、太陽の昇起して中天に到りてまた西に偏り、月は晦より弦・盈より食するの類のごときは、上天は併せて存心してそれを虧し或いはそれを益さんと欲するにあらず。若しあの完全に無心の処に論及せば、たとえ人道が盈満を厭悪し謙退を喜好すとも、当初はまた何ぞかつて好悪の上に心を存せんや。ただ我がこの辺に先に好悪を招引するの東西有るのみ。これは能く謹慎せざらんや。

彖上伝・豫

豫,剛應而志行,順以動,豫。 本義 以卦體卦德釋卦名義。 程傳 “剛應”,謂四為群陰以應,剛得眾應也。“志行”謂陽志上行,動而上下順從,其志得行也。“順以動豫”,震動而坤順,為動而順理,順理而動,又為動而眾順,所以《豫》也。 集說 胡氏炳文曰:建萬國,聚大眾,非順理而動,使人心皆和樂而從,不可也,故二者皆繫之豫。

《彖伝》はいう:《豫》卦の剛爻は衆爻の相応有りて心志は行を得たり。理に順いて動く。ゆえに豫と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」と「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、「剛応」は九四が衆陰に応ぜらるるを指し、剛爻は衆爻の響応を得たり。「志行」は陽の心志が向上推行するを指し、一動して上下順従し、その志向は実現を得たり。「順以動豫」は、震は動を主とし坤は順を主とし、既是れ行動が道理に合乎して理に順いてのち動き、又是一動して衆人が順従す。ゆえに《豫》を成す。「集説」に胡炳文の言を引く、万国を分封し大衆を聚合するは、若し理に順いて動き人心をして和楽に跟従せしめざれば、成すこと能わず。ゆえにこの二件の事は皆《豫》卦名の下に系う。

案 《彖傳》中凡稱卦德。皆先內而後外,而其文義又各不同。其曰“而”者,兩字並重。如《訟》之“險而健”,既險又健也。《小畜》之“健而巽”,既健又巽也。《大有》“剛健而文明”,既剛健而又文明也。其曰“以”者,則重在上一字。如《同人》“文明以健”,重在“文明”字。此卦“順以動”,重在“順”字。其或以下一字為重者,則又變其文法,《復》卦“動而以順行”之類。

李光地は案ずる:《彖伝》のうちおよそ「卦徳」を称説するは、皆先ず内卦を後に外卦とす。しかして措辞の分寸はまた各々相同じからず。「而」の字を用いて連接するは、前後両字は併重す。《訟》の「険而健」は既に険にしてまた健、《小畜》の「健而巽」は既に健にしてまた巽、《大有》の「剛健而文明」は既に剛健にしてまた文明のごとし。「以」の字を用いて連接するは、すなわち上面の一字に着重す。《同人》の「文明以健」は「文明」の二字に重をおき、本卦の「順以動」は「順」の字に重をおくがごとし。偶に下面の一字に着重せんと欲するは、すなわちまた句法を改換す。《復》卦の「動而以順行」と説くの類のごとし。

豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎。 本義 以卦德釋卦辭。 程傳 以“豫順而動”,則天地如之而弗違。況“建侯行師”,豈有不順乎?天地之道,萬物之理,唯至順而已。大人所以先天後天而不違者,亦順乎理而已。 集說 吳氏曰慎曰:“順以動”,所謂行其所無事也。“天地如之”,猶云“天且弗違”。

《彖伝》はいう:《豫》は理に順いて動く、ゆえに天地もまたこのようたり。況んや諸侯を分封し兵を興し師を行うの類の事をや。朱熹《本義》はいう、これは「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、豫の理に順うを用いて発動すれば、天地もまたこのようにして違背せず。況んや「建侯行師」をや、どこに順ならざるの道理有らんや。天地の道・万物の理は、ただ一個の至順のみ。《乾・文言》は大人は天に先んじて天違わず、天に後れて天時を奉ずという。ゆえに能く違わざるは、也不過道理に順うのみ。「集説」に呉曰慎の言を引く、「順以動」はすなわち孟子の講ずる「行其所无事」なり。「天地如之」は、「天且弗違」と説くに等し。

天地以順動,故日月不過,而四時不忒,聖人以順動,則刑罰清而民服,豫之時義大矣哉! 本義 極言之而贊其大也。 程傳 復詳言順動之道。天地之運,以其順動,所以日月之度不過差,四時之行不愆忒。聖人以順動,故經正而民興於善,刑罰清簡而萬民服也。既言《豫》順之道矣,然其旨味淵永,言盡而意有餘也。故復贊之云,《豫》之“時義大矣哉”!欲人研味其理,優柔涵泳而識之也。“時義”,謂《豫》之時義。諸卦之時與義用大者,皆贊其“大矣哉”。

《彖伝》はいう:天地は理に順いて動く、ゆえに日月の運行は差錯を出さず、四季の推移は錯乱を見ず。聖人は理に順いて動けば、すなわち刑罰は清簡にして百姓は帰服す。《豫》の処する時と含む義は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう、これは道理を極処に推してその宏大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう、ここは再び詳細に順動の道を講ず。天地の運行は理に順いて動くがゆえに、日月の度数は差わず四時の推移は乱れず。聖人は理に順いて動く、ゆえに常道は端正にして百姓は善に向かい、刑罰は清簡にして万民は帰服す。既に《豫》の順動の道を講明し、しかしてそのうち意味深長にして、話は完了するも意思はなお余り有り。ゆえに再び《豫》の「時義大矣哉」の一句を讃す。是れ人をしてそのうちの道理を細細に体味し、従容涵泳してのち領会せしめんと欲す。「時義」はすなわち《豫》の時と義なり。およそ各卦の時・義・用に宏大の処有るは、《彖伝》は皆一句の「大矣哉」を讃す。

《豫》以下十一卦是也,《豫》、《遯》、《姤》、《旅》言時義,《坎》、《睽》、《蹇》言時用,《頤》、《大過》、《解》、《革》言時,各以其大者也。 集說 項氏安世曰:《豫》、《隨》、《遯》、《姤》、《旅》,皆若淺事而有深意,故曰“時義大矣哉”!欲人之思之也。《坎》、《睽》、《蹇》,皆非美事,而聖人有時而用之,故曰“時用人矣哉”!欲人之別之也。《頤》、《大過》、《解》,《革》,皆大事大變也,故曰“時大矣哉”!欲人之謹之也。

《豫》卦以下共に十一卦はすなわちこのようたり。《豫》《遯》《姤》《旅》は「時義」といい、《坎》《睽》《蹇》は「時用」といい、《頤》《大過》《解》《革》は「時」という。各々そのうちの宏大の一面に就きて言を立つ。「集説」に項安世の言を引く、《豫》《随》《遯》《姤》《旅》の幾卦は、看似て浅近の事にして深意を含む。ゆえに「時義大矣哉」といい、是れ人をして思索せしめんと欲す。《坎》《睽》《蹇》の幾卦は皆美事にあらず、聖人はしかして時に用いざるを得ざる有り。ゆえに「時用大矣哉」(底本は「大」を「人」と訛作す)といい、是れ人をして分辨せしめんと欲す。《頤》《大過》《解》《革》の幾卦は皆大事大変なり。ゆえに「時大矣哉」といい、是れ人をして謹慎に対待せしめんと欲す。

吳氏澄曰:專言“時”者,重在”時字”,“時義”重在義字,“時用”重在用字。 蔡氏清曰;“時”之一字,貫六十四卦皆有,不止《豫》等諸卦耳。有時則有義,有義則有用。單言時,則義與用在其中矣。言義未嘗無用,言用未嘗無義,各就所切而言。

呉澄の言を引く、単に一個の「時」を説くは、重点は「時」の字に在り。「時義」と説くは、重点は「義」の字に在り。「時用」と説くは、重点は「用」の字に在り。蔡清の言を引く、「時」のこの字は六十四卦を貫穿して、卦なりて有さざるなく、併せて《豫》等の幾卦に限らず。時有ればすなわち義有り、義有ればすなわち用有り。単に「時」と説けば、義と用は便ちにそのうちに含まれたり。義を説くもかつて用なきにあらず、用を説くもかつて義なきにあらず。各々最も切要の一面に就きて言を立つるのみ。

彖上伝・随

隨,剛來而下柔,動而說,隨。 本義 以卦變卦德釋卦名義。 集說 孔氏穎達曰:“剛”,謂震也。“柔”,謂兌也。震處兌下,是“剛來”“下柔”。 震動而兌說。既能下人,動則喜說,所以物皆隨從也。 胡氏瑗曰:震以動,其性剛。兌以說,其性柔。今震在兌下,是“剛來”而下於柔也。猶聖賢君子。以至剛之德,至尊之位,至貴之勢,接於臣而下於民。故賞罰號令一出於上,則民皆說而隨於下也。

《彖伝》はいう:《随》卦は剛爻が来り居りて屈して柔爻の下に処し、一動すればすなわち人をして喜悦せしむ。ゆえに随と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦変」と「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。「集説」に孔穎達の言を引く、「剛」は震を指し、「柔」は兌を指す。震は兌の下に処すは、すなわち「剛来」にして「下柔」なり。震は動を主とし兌は悦を主とす。能く己を屈し人に下れば、一動すればすなわち人をして歓喜せしむ。ゆえに万物は皆彼に跟従す。胡瑗の言を引く、震は動象を取りて、その性は剛に属す。兌は悦象を取りて、その性は柔に属す。如今震は兌の下に在るは、すなわち剛来りて屈して柔の下に処す。譬えば聖賢君子が最剛の徳性・最尊の地位・最貴の権勢を以て、往きて臣下を接納し百姓に俯就するがごとし。ゆえに賞罰号令は一たび上面より発出すれば、下面の百姓は皆歓歓喜喜に追随す。

王氏逢曰:上能下下,下之。所以隨上。貴能下賤,賤之所以隨貴。《隨》之義,剛下柔也。 王氏宗傳曰:陽剛非在下之物也,今也得《隨》之義,來下於陰柔,則是能以上下下,以貴下賤者也,物安得不隨之乎?動而說,此有所動,而彼無不說之謂也。彼無不說,則亦無不隨矣。

王逢の言を引く、上位に居る者の能く下位の人に屈就するは、下位の人はこそ因りて在上の者に追随す。地位尊貴の者の能く卑賤の人に屈就するは、卑賤の人はこそ因りて尊貴の者に追随す。《随》の要義は、すなわち剛の屈して柔の下に処するに在り。王宗伝の言を引く、陽剛は本来当に下位に待在るべきの東西にあらず。如今《随》の義を取りて、来りて陰柔の下に居れば、あれはすなわち能く尊上を以て卑下に就き、貴者を以て賎者に就く。万物はどうして彼に追随せざる有らんや。「動而説」は、説くはこの辺に一たび挙動有れば、あの辺は歓喜せざるなく、あの辺は歓喜せざるなければ、すなわち追随せざるもなきなり。

或曰:易家以《隨》自《否》來,《蠱》自《泰》來,其義如何?曰:非也。乾坤重而為《泰》、《否》,故《隨》、《蠱》無自《泰》、《否》而來之理。世儒惑於卦變,殊不知“八卦成列,因而重之”,而內外上下往來之義,已備乎其中。自八卦既重之後,又焉有所謂內外上下往來之義乎!

ある人問う:《易》を治むる人は《随》は《否》卦より変じ来たり《蠱》は《泰》卦より変じ来たりと説く、この話はどうか。王宗伝答えていわく:対ならず。乾坤両卦の相重ねてこそ《泰》《否》を成す。ゆえに《随》《蠱》は《泰》《否》より変じ来たるの道理なし。世上の儒者は「卦変」の説に迷住し、全く《繋辞伝》の「八卦成列、因而重之」と講ずるを知らず。内外上下往来の意義は早已そのうちに具備す。八卦はすでに相重ねたるの後、どこにまた別にいわゆる内外上下往来の言うべき有らんや。

蔣氏悌生曰:《程傳》謂說而動,動而說,皆《隨》之義。《朱於語錄》云:但當言 大亨貞無咎,而天下隨時。 本義 王肅本“時”作“之”,今當從之。釋卦辭,言能如是,則天下之所從也。

蒋悌生の言を引く、《程伝》は「説而動」と「動而説」は皆《随》の意思と認為す、《朱子語録》はしかしてただ当に講ずべしと説く――ここで底本に脱文あり。《彖伝》は接ぎていう:大いに亨通して正を守りて過錯なく、天下は皆その時に随順す。朱熹《本義》はいう、王粛本は「時」の字を「之」と作す。如今当に王粛本に依従して、「而天下随之」と読作すべし。この一句は卦辞を解釈し、是れ能くこのようになれば、天下人はすなわち皆跟従せんと説く。

程傳 卦所以為隨,以“剛來而下柔,動而說”也。謂《乾》之上九,來居《坤》之下。《坤》之初六,往居《乾》之上。以陽剛來下於陰柔,是以上下下,以貴下賤,能如是,物之所說隨也。又下動而上說,動而可說也,所以隨也。如是則可“大亨”而得正,能大亨而得正,則為“無咎”。不能“亨”,不得正,則非可隨之道,豈能使天下隨之乎?天下所隨者時也,故云“天下隨時”。

程頤《伊川易伝》はいう、この一卦の《随》と呼ぶ所以は、「剛来而下柔、動而説」なるがゆえなり。《乾》の上九は来りて《坤》の下面に居り、《坤》の初六は往きて《乾》の上面に居る。陽剛を以て来りて陰柔の下に屈処するは、すなわち尊上を以て卑下に就き、貴者を以て賎者に就くなり。能くこのようであれば、万物は自然に歓喜して追随す。さらに加えて下卦は震動にして上卦は兌悦なり。一動すればすなわち人をして喜悦せしむ。ゆえに能く人の追随を致す。このようであれば便ちに大いに亨通してその正を得べし。能く大亨して正を得れば、すなわち過錯あることなからん。若し能く亨せず正を得ざれば、すなわち人をして追随せしむべきの路数にあらず。どうして天下をして彼に跟従せしめんや。天下の随う所は時なり。ゆえに「天下随時」という。

集說 孔氏穎達曰:大亨貞正,無有咎害,而天下隨之。以正道相隨,故隨之者廣。 若不以“大亨貞無咎”,而以邪僻相隨,則天下不從也。 喬氏中和曰:剛下柔而陽隨陰。以我隨物,則物自隨我,而動罔不說,此大亨之正道也。人同此心,天下有不隨之者哉!

「集説」に孔穎達の言を引く、大いに亨通し貞固端正にして、災咎禍害なく、ここにおいて天下人は彼に跟従す。正道を用いて相随えば、ゆえに追随する人はこそ広大なり。假如「大亨貞无咎」を做り到ること能わざれば、しかして邪僻の手段を以て人を招いて跟随せしむれば、天下はすなわち聴従せざらん。喬中和の言を引く、剛の屈して柔の下に処するは、すなわち陽が去りて陰に追随す。我先に往きて別人に随順すれば、別人は自然に来りて我に随順す。一挙一動は人をして歓喜せしめざるなし。これがすなわち大いに亨通するの正道なり。人人は皆同様の心有り。天下はどうして来りて追随せざる有らんや。

隨時之義大矣哉。 本義 王肅本“時”字在“之”字下,今當從之。 程傳 君子之道,隨時而動,從宜適變,“不可為典要”。非造道之深,知幾能權者,不能與於此也,故贊之曰“隨時之義大矣哉”!凡贊之者欲人知其義之大,玩而識之也。 此贊《隨》時之義大,與《豫》等諸卦不同,諸卦“時”與“義”是兩事。

《彖伝》はいう:時に随いて行うの意義は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう、王粛本は「時」の字を「之」の字の下面に排して、「随之時義大矣哉」と作す。如今当に依従すべし。程頤《伊川易伝》はいう、君子の道は時勢に随いて動き、適宜に趨就し変化に順応す。まさに《繋辞伝》のいう「不可為典要」のごとし。造詣深厚・能く微を見て著を知りまた善く権変する人にあらざれば、この事に参与すること能わず。ゆえに「随時之義大矣哉」の一句を讃嘆す。およそ讃嘆を加うるの処は、皆人をしてそのうちの意義の宏大を明白せしめ、反復玩味してのち領会せんと欲す。ここは讃ずるは「随時」の義の大なり。《豫》等の幾卦と同じからず、あの幾卦の「時」と「義」は両回事なり。

彖上伝・蠱

蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。 本義 以卦體卦變卦德釋卦名義,蓋如此則積弊而至於蠱矣。 程傳 以卦變及二體之義而言,“剛上而柔下”,謂《乾》之初九,上而為上九,《坤》之上六,下而為初六也。陽剛,尊而在上者也,今往居於上。陰柔,卑而在下者也,今來居於下。男雖少而居上,女雖長而在下,尊卑得正,上下順理,治蠱之道也。由剛之上,柔之下,變而為艮巽。艮,止也。巽,順也,下巽而上止,止於巽順也,以巽順之道治蠱,是以“元亨”也。

《彖伝》はいう:《蠱》卦は剛爻は上に居り柔爻は下に居り、巽順にしてまた止息す。ゆえに蠱と呼ぶ。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」「卦変」「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す――このような格局は、積弊日久して敗壊して蠱と成ったり。程頤《伊川易伝》はいう、「卦変」と上下両体の意思に就きて講ずれば、「剛上而柔下」は《乾》の初九が上行して上九と成り、《坤》の上六が下行して初六と成るなり。陽剛は本来尊にして上に在るべく、如今往きて極位に居る。陰柔は本来卑にして下に在るべく、如今来りて初位に居る。艮の男は少なると雖も上に居り、巽の女は長なると雖も下に在り。尊卑は各々その正を得て、上下は条理に順う。これは蠱を治むるの道なり。剛上柔下によるがゆえに、卦変して艮上巽下と成る。艮は止なり、巽は順なり。下面は巽順にして上面は止定す、すなわち巽順に止まるなり。巽順の道を用いて往きて積弊を整治す。ゆえに能く「元亨」なり。

集說 集氏曰:“巽而止”者,巽而不為,因循至壞者也。 《朱子語類》云:“剛上”“柔下”,“巽而止”,此是言致蠱之由,非治蠱之道。 又云:龜山說“巽而止”乃治蠱之道,言當柔順而止,不可堅正,非唯不成道理,且非易彖文義,巽而止蠱,猶順以動豫,動而說隨,皆言卦義。

「集説」に集氏の言を引く、いわゆる「巽而止」とは、一味に巽順して不作為にして、因循苟且して以て敗壊に至るなり。《朱子語類》を引いていう、「剛上」「柔下」と「巽而止」は、講ずるは蠱壊を導致するの縁由にして、併せて蠱壊を整治するの弁法にあらず。またいう、楊亀山は「巽而止」を講じて蠱を治むるの道と為し、当に柔順にして歩を止め、執意して正を求むべからずと説く。これは不但道理を講成すこと能わず、また《易》の彖辞の文義に合わず。「巽而止、蠱」の句式は、「順以動、豫」「動而説、随」と同じく、皆卦名の義を講ずるに在り。

俞氏琰曰:巽固進退不決,苟非艮之止,亦未至於蠱,唯其巽而止,所以《蠱》也。 巽則無奮迅之志,止則無健行之才,於是事事因循。苟且積弊,而至於蠱,故曰“巽而止蠱”。蓋以卦德言致蠱之由,非飭蠱之道也。

兪琰の言を引く、巽は固より進退遅疑不決なるも、しかし假如艮の止なからば、また蠱壊に至らざらん。まさに既に巽順にしてまた歩を止むるがゆえに、《蠱》を成す。巽なればすなわち奮発迅疾の志気なく、止なればすなわち剛健実行の才干なく。ここにおいて事事は因循して、苟且拖延して、積弊は日久して以て敗壊に至る。ゆえに「巽而止、蠱」という。これは「卦徳」を用いて蠱を致すの縁由を講じ、併せて蠱壊を整饬するの弁法を講ずるにあらず。

蠱,元亨而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日, 本義 釋卦辭,治蠱至於“元亨”,則亂而復泊之象也。亂之終,治之始,天運然也。

《彖伝》はいう:《蠱》は能く大いに亨通して、ここにおいて天下は治を得たり。大川を渡渉するに利あるは、前往すれば必ず一番の事業を做すべきを説く。甲日の前の三天・甲日の後の三天――ここで底本に脱文あり、《彖伝》の「終則有始、天行也」の一句は未だ録せず。朱熹《本義》はいう、これは卦辞を解釈す。蠱壊を整治して「元亨」まで做り到るは、すなわち乱より重ねて安治に帰るの象なり。乱の終点はまさに治の起点なり。天運は本来このようたり。

程傳 治蠱之道,如卦之才,則“元亨”而天下治矣。夫治亂者,苟能使尊卑上下之義正,在下者巽順,在上者能止齊安定之,事皆止於順,則何蠱之不治也,其道大善而亨也,如此則天下治矣。方天下壞亂之際,宜涉艱險以往而濟之,是往有所事也。夫有始則必有終,既終則必有始,天之道也。聖人知終始之道,故能原始而究其所以然。 要終而備其將然,“先甲”“後甲”而為之慮,所以能治蠱而致“元亨”也。

程頤《伊川易伝》はいう、蠱壊を整治するの弁法は、若しこの一卦の才質のあのようであれば、すなわち能く大いに亨通して天下は治を得べし。およそ乱を治むる人は、ただ能く尊卑上下の名分を端正にして、下に在るは巽順服従し、上に在るは能く止定整粛してそれを安定せしめ、事事皆順に帰せば、なお何の蠱壊か治め好えざらんや。この路は極善にして亨通す。このようであれば則ち天下は治を得たり。まさに天下の敗壊動乱の時に当たりて、当に険艱を渉過して前に往きて救済すべし。これがすなわち「往有事也」なり。開始有ればすなわち必ず終結有り、既に終結せばすなわち必ず別に開始有らん。これは天道なり。聖人は終始の道を懂得す。ゆえに能く開端を推原してそのこのようたる所以の縁由を追究し、能く結局を預計してそれの将に発生せんとする変化を防備す。甲日前後の各三天の上に預先に籌画す。ゆえに能く蠱壊を整治して「元亨」を招致す。

集說 楊氏萬里曰:蠱,壞矣。而曰“元亨而天下治”,何也?蓋亂為治根,《蠱》為飭源,雖然亂不自治,蠱不自飭,不植不立,不振不起,故利於濟大難,“往有事”也。 《朱子語類》云:“蠱元亨而天下治”,言《蠱》之時如此,必須是大善亨通而後天下治。

「集説」に楊万里の言を引く、蠱はすなわち敗壊したり、《彖伝》はしかして「元亨而天下治」と説く、なぜか。是れ乱はまさに治の根子で、蠱はまさに整饬の源頭なるがゆえなり。話はこのようたると雖も、乱は自ら治に変ずることなく、蠱は自ら整饬せざる。往きてそれを扶植せざればすなわち立ち起ること能わず、往きてそれを振作せざればすなわち起き来ること能わず。ゆえに大難を救済するに利あり。これがすなわち「往有事」なり。《朱子語類》を引いていう、「蠱元亨而天下治」は、《蠱》の時勢はすなわちこのようで、必ず大善亨通まで做り到ってのち天下はこそ治を得べしを講ずるなり。

胡氏炳文曰:“諸卦皆言往有功,《蠱》獨曰“往有事”。蠱者事也,事雖已治,不可以無事視之也。前事過中而將壞,即當為自新之圖,後事方始而尚新,即當致丁寧之意。亂之極而治之始,雖天運然也,亦人事致然也。

胡炳文の言を引く、別の卦は皆「往有功」と説くも、ただ《蠱》のみ「往有事」と説く。蠱はすなわち事なり。事情はすでに治理し好えたると雖も、また能く没事と当作して看待すべからず。前一段の事情は中道を過ぎて将に敗壊せんとせば、すなわち当に自新を謀画すべし。後一段の事情は剛に開始してなお甚だ新しければ、すなわち当に反復に叮咛告誡すべし。乱より極点に到りて転じて治の開端と成るは、説くと雖も天運の然らしむるなり、また人事の努力の促成する所なり。

龔氏煥曰:《蠱》卦辭言“先甲”“後甲”,《巽》卦辭言“先庚”“後庚”。事壞而至蠱,則當復始。甲者事之始,故《蠱彖傳》以“先甲”“後甲”,為終則有始地。事久而有弊,不可以不更。庚者事之變,故《巽》爻辭以“先庚”“後庚”為無初有終也。 夫事之壞而新之,是謂“終則有始”。事之弊而革之,是謂無初有終。終則有始,如創業之君,新一代之法度也。無初有終,如中興之主,革前朝之弊事也。

龔煥の言を引く、《蠱》の卦辞は「先甲」「後甲」を講じ、《巽》の卦辞は「先庚」「後庚」を講ず。事情は敗壊して蠱と成れば、すなわち当に重ねて開頭すべし。甲は十干の首にして、事情の開始を代表す。ゆえに《蠱・彖伝》は「先甲」「後甲」を拿りて来りて「終則有始」を説明す。事情は久しくして弊病を生出せば、能く変更を加えざるべからず。庚は更改の義有りて、事情の変動を代表す。ゆえに《巽》の爻辞は「先庚」「後庚」を拿りて来りて「无初有終」を説明す。敗壊したる事情を重ねて做起するを、「終則有始」と呼ぶ。弊を生じたる事情に革除を加うるを、「无初有終」と呼ぶ。終則有始は、国を開き業を創るの君主が一代の新法度を制定するに譬えたり。无初有終は、中興の主が前朝の弊政を革除するに譬えたり。

俞氏琰曰:“往有事”者,當蠱壞之時,宜涉艱險而往有攸濟,不可處之於無事之域也。文子云:流水之不腐,以其逝故也。戶樞之不蠹,以其運故也。大抵器欲常用,久不用則蠹生。體欲常動,久不動則病生。《蠱》之時,止而不動,則天下之事,終於蠱而已矣,故勉之使往,不宜坐視其弊而弗救也。

兪琰の言を引く、いわゆる「往有事」とは、蠱壊の時に当たりて当に険艱を渉過して前に往きて救済する所有るべく、自らを没事可做の地位に擺すを得べからず。《文子》はいう、流動する水は腐臭せざるは、それが一直在て流るるがゆえなり。門の上の転軸は蛀虫を生ぜざるは、それが一直在て転ずるがゆえなり。大抵器物は常に用いるを要し、久しく用いざればすなわち蛀を生ず。身体は常に動くを要し、久しく動かざればすなわち病を生ず。《蠱》の時もし止まりて動かざれば、天下の事はただ蠱のうちに爛れるのみ。ゆえに《彖伝》は人を勉励して前往せしめ、当に坐看して弊病を看て往きて救治せざるべからず。

彖上伝・臨

臨,剛浸而長。 本義 以卦體釋卦名。 集說 王氏應麟曰:《陰符經》云,天地之道浸,故陰陽勝。愚嘗讀《易》之《臨》曰“剛浸而長”,《遯》曰“浸而長也”,自《臨》而長為《泰》,自《遯》,而長為《否》。 浸者漸也,聖人之戒深矣。 張氏清子曰:自《復》一陽生,積而至《臨》,則二陽長矣,故曰“剛浸而長”。《遯》者《臨》之反也,《臨彖》曰“剛浸而長”,《遯彖》不曰“柔浸而長”,而止曰“小利貞浸而長”,《易》不為小人謀也。

《彖伝》はいう:《臨》卦は剛爻が逐漸に生長す。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」を用いて卦名を解釈す。「集説」に王応麟の言を引く、《陰符経》は「天地之道浸、故陰陽勝」と講ず。我はかつて《易》を読むに、《臨》は「剛浸而長」といい、《遯》は「浸而長也」という。《臨》より再び長せばすなわち《泰》と成り、《遯》より再び長せばすなわち《否》と成る。「浸」はすなわち漸漸なり。聖人の告誡の用意は甚深なり。張清子の言を引く、《復》卦の一陽初生より積累して《臨》に到ればすなわち両個の陽爻の生長有り。ゆえに「剛浸而長」という。《遯》は《臨》の反卦なり。《臨》の《彖伝》は「剛浸而長」といい、《遯》の《彖伝》はしかして「柔浸而長」と説かず、ただ「小利貞、浸而長也」と説く。見れば《易》は小人のために謀算を替えざるを知る。

說而順,剛中而應。 案 “剛浸而長,說而順,剛中而應”,皆釋卦名也。蓋“剛浸而長”,則陽道方亨。 有說順之德,則人心和附。剛中得應,則上下交叫志同:此其所以德洋及於天下,而足以有《臨》也。此亦如《泰》之取義,兼交《泰》與消長兩意,見正道之盛大。故夫子釋之曰“臨者大也”。若但以“臨”為陵逼小人之義,則於卦爻之辭多有所難通者。

《彖伝》はいう:和悦にして順従し、剛爻は中に居りて上下相応ず。李光地は案ずる:「剛浸而長」「説而順」「剛中而応」の三句は皆卦名を解釈するに在り。剛爻は漸漸に生長し、陽道はまさに亨通す。和悦柔順の徳性を具備すれば、人心は便ちに和洽帰附す。剛爻は中に居りて応与を得れば、上下は便ちに交通して心志相同じ(底本は「交」の下に一「叫」の字を衍す)。これがまさにそれが徳沢を天下に広被して、《臨》と称するに足るの縁故なり。ここの取義もまた《泰》卦と同じく、交泰と消長の二層の意思を兼ね含み、正道の盛大を見出す。ゆえに孔子は《序卦伝》において「臨者大也」と解釈す。假如ただ「臨」を当作して高に居りて小人に陵逼するの意思と為さば、すなわち卦爻辞のうちには甚だ多く講通せざるの処あらん。

大亨以正,天之道也本義 當剛長之時,又有此善,故其占如此也。 程傳 浸,漸也。二陽長於下而漸進也。下兌,上坤,和說而順也,剛得中道而有應助,是以能大亨而得正,合天之道,剛正而和順,“天之道也”。化育之功所以不息者,剛正和順而已。以此臨人臨事臨天下,莫不大亨而得正也。兌為說,說乃和也,《夬彖》云“決而和”。

《彖伝》はいう:大いに亨通してまた正を守るは、これは天の道理なり。朱熹《本義》はいう、まさに剛爻の生長する時に当たりて、またこのような好処を具備す。ゆえに占断はこのようたり。程頤《伊川易伝》はいう、「浸」は漸漸なり。両個の陽爻は下面において生長して逐步に上進す。下卦は兌・上卦は坤にして、是れ和悦にして柔順なり。剛爻は中道を得てまた応爻の相助有り。ゆえに能く大いに亨通してその正を守り、天道に合す。剛正にしてまた和順は、まさに「天之道也」なり。造化の生育する功用の永に停息せざる所以は、也不過剛正和順のみ。このような態度を用いて往きて人に臨み事に臨み天下に臨めば、大いに亨通してその正を得ざるはなし。兌は悦象を取り、悦はすなわち和なり。ゆえに《夬》の《彖伝》は「決而和」という。

至于八月有凶,消不久也。 本義 言雖天運之當然,然君子宜知所戒。 程傳 《臨》二陽生,陽方漸盛之時,故聖人為之戒云。陽雖方長、然“至于八月”,則消而凶矣。八月,謂陽生之八月。陽始生於《復》,自《復》至《遯》凡八月,自建子至建未也。二陰長而陽消矣,故云“消不久”也。在陰陽之氣言之,則消長如循環,不可易也。以人事言之,則陽為君子,陰為小人,方君子道長之時。聖人為之誡,使知極則有凶之理而虞備之,常不至於滿極,則無凶也。

《彖伝》はいう:八月に到れば凶険有らんは、陽の消退はすでに期りて遠からざるがゆえなり。朱熹《本義》はいう、これは天運本は当にこのようたるべきと雖も、君子はしかして当に戒懼を知るべし。程頤《伊川易伝》はいう、《臨》は両陽初生・陽気まさに漸漸興盛するの時なり。ゆえに聖人はそれのために告誡を立つ。陽は生長するまさに中なると雖も、しかし八月に到ればすなわち転じて消退と為りて凶有り。いわゆる八月は、陽気の初生より算え起すの第八個の月なり。陽は始めて《復》卦に生じ、《復》より《遯》に至るまで共に八個月、すなわち建子の月より建未の月に至るなり。あの時両個の陰爻は生長して陽は始めて消退す。ゆえに「消不久」という。陰陽二気に就きて講ずれば、消長は円環のごとく循環往復して更改すべからず。人事に就きて講ずれば、陽は君子を代表し陰は小人を代表す。まさに君子の道の生長する時に当たりて、聖人は彼のために告誡を立てて、彼をして盛極まれば必ず凶なるの道理を明白せしめて預先に防備し、常に満極の地步に到らざるを保てば、すなわち凶有ることなからん。

集說 孔氏穎達曰:陽長之卦,每卦皆應“八月有凶”。但此卦名《臨》,是盛大之義,故於此卦特戒之耳。若以類言之,則陽長之卦,至其終末皆有凶也。 陸氏振奇曰:日陽象,月陰象。八,少陰之數。七,少陽之數。故言陰來之期曰“八月”,言陽來之期曰“七日”。

「集説」に孔穎達の言を引く、およそ陽気生長の卦は、每一卦皆当に「八月有凶」の告誡有るべし。ただこの一卦は名を《臨》と呼びて、盛大の意思を含むがゆえに、特地にここにおいて申戒するのみ。若し類推に按ぜば、陽長の諸卦は末尾に到れば皆凶有らん。陸振奇の言を引く、日は陽の象・月は陰の象なり。八は少陰の数・七は少陽の数なり。ゆえに陰の来るの期限を説けばすなわち「八月」と呼び、陽の来るの期限を説けばすなわち「七日」と呼ぶ。

案 “八月”“七日”,說者多鑿。陸氏之說,最為得之。蓋陽數窮於九,則退而生少陰之八,陰數窮於六,則進而生少陽之七,七八者陰陽始生之數也。若拘拘於卦氣月候之配,則《震》、《既濟》之“七日”,與夫三日三年十年之類,皆多不可通者矣。

李光地は案ずる:「八月」「七日」は、解説する人は多半穿鑿にして、陸振奇の説は最も得当なり。陽数は九に窮尽してすなわち退きて少陰の八を生出し、陰数は六に窮尽してすなわち進みて少陽の七を生出す。七と八はまさに陰陽初生の数なり。倘若死に卦気と月候の配合を摳えば、すなわち《震》卦・《既済》卦の説く「七日」および三日・三年・十年の類は、すなわち大都講通せざらん。

彖上伝・観

大觀在上,順而巽,中正以觀天下。 本義 以卦體卦德釋卦名義。 程傳 五居尊位,以剛陽中正之德,為下所觀,其德甚大,故曰“大觀在上”。下坤而上巽,是能順而巽也,五居中正,以巽順中正之德,為觀於天下也。

《彖伝》はいう:偉大の瞻仰する対象は上位に高居し、柔順にしてまた巽入し、中正の徳を以て天下に示範す。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」と「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう、九五は尊位に居りて、剛陽中正の徳性を以て下面の人に瞻仰せらる。徳性は極めて宏大なり。ゆえに「大観在上」という。下卦は坤・上卦は巽なり。ゆえに能く柔順にして巽入す。九五は中に居りて正を得て、巽順中正の徳性を用いて天下人の瞻仰する様榜を做す。

集說 趙氏彥肅曰:“大觀在上”,統謂二陽,“中正以觀天下”,獨舉九五。 楊氏啟新曰:順以宅心,堯舜之溫恭克讓,文王之徽柔懿恭是也。巽以制事,通人情,酌物理,隨物付物,因時制宜者也,“巽,德之制也”,非巽何以使萬事各得其宜。

「集説」に趙彦粛の言を引く、「大観在上」は合わせて九五・上九両個の陽爻を指し、「中正以観天下」はすなわち単に九五の一爻を挙ぐ。楊啓新の言を引く、順を用いて心地を安頓すれば、《尚書》が尭舜の温和恭敬・能く賢に譲るを称し、文王の和善柔順・美好恭謹を称するがごとし。巽を用いて事務を処置すれば、すなわち人情を通達し物理を斟酌し、事物の本来の様子に順いて往きてそれを安頓し、時勢に按じて合宜の弁法を制定す。《繋辞伝》は「巽、徳之制也」という、巽に靠らざれば、何を憑りて万事をして各々その宜を得せしめんや。

觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。 程傳 為《觀》之道,嚴敬如始盅之時,則下民至誠瞻仰而從化也。“不薦”,謂不使誠意少散也。 集說 虞氏翻曰:“孚”,信。“盥”,有威容貌。容止可觀,進退可度,則下觀其德而順其化。《詩》曰:“顒顒卬卬,如圭如璋。”君德之義也。

《彖伝》はいう:《観》卦は祭祀の時すでに灌礼を行いてなお牲を献ぜざるを講じ、心に誠信を存し容貌粛穆として、下面の人は瞻仰してその感化を受く。程頤《伊川易伝》はいう、上に在りて人に瞻仰せらるるの道と為すは、当に剛に灌礼を行いし時のあのように厳粛恭敬として、下面の百姓はこそ至誠に仰望して跟いて化を受けん。「不薦」とは、あの一点の誠意をして少しも涣散せしめざるを説くなり。「集説」に虞翻の言を引く、「孚」は誠信、「盥」は威厳有る容貌なり。挙止は瞻観に値し、進退は以て法と為すべし。下面の人はすなわちその徳性を瞻仰してその教化に順従す。《詩経・大雅・巻阿》は「顒顒卬卬、如圭如璋」といい、講ずるはまさに人君の徳なり。

朱氏震曰:祭之初,迎尸入廟,天子涗乎而後酌酒,涗謂之盥。酌酒獻尸,尸得之灌地而祭,謂之祼。祼之後,三獻而薦腥,五獻而薦熟,謂之薦。“盥”者,未祼之時,精神專一,誠意未散,不言之信,發而為敬順之貌。“顒”,顒如也,故下觀而化,莫不有敬順之心也。 王氏中子曰:觀示天下之道,其誠意精一。常如始盥之時,則觀感之下,莫不從化,蓋有不動而敬不言而信之妙。

朱震の言を引く、祭祀は開始して尸を迎えて廟に入るに、天子は先に手を洗いて然るのち酒を斟す。手を洗うのこの一節を「盥」と呼ぶ。酒を斟して尸に献ずるに、尸は接取して酒を地の上に灌りて神を求むるを、「祼」と呼ぶ。祼礼の後は、三献して生肉を進上し、五献して熟食を進上す。之を「薦」と呼ぶ。いわゆる「盥」は、なお祼礼を行わざるの時にして、精神専一にして誠意かつて涣散せず、あの言説を必せざる誠信は発露して出づれば、すなわち恭敬順服の容貌と成る。「顒」はすなわち顒然として粛穆の様子なり。ゆえに下面の人は瞻仰して化を受け、恭敬順服の心を生出さざるなし。王中子の言を引く、天下に垂示して以て瞻仰するの道と為すは、全て誠意精純専一に在り。能く常に剛に灌礼を行いし時のあのようであれば、すなわち観感の下において、人は跟いて化を受けざるなく、そのうちに自ら「不動而敬、不言而信」の妙処有らん。

觀天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。 本義 極言《觀》之道也。“四時不忒”,天之所以為觀也。神道設教,聖人之所以為觀也。 程傳 天道至神,故曰“神道”。觀天之運行,四時無有差忒,則見其神妙。聖人見天道之神,體神道以設教,故天下莫不服也。夫天道至神,故運行四時,化育萬物,無有差忒。至神之道,莫可名言。唯聖人默契,體其妙用,設為政教,故天下之人,涵泳其德而不知其功,鼓舞其化而莫測其用,自然仰觀而戴服,故曰“以神道設教而天下服矣”。

《彖伝》はいう:上天のあの神妙の道理を観察すれば、四季は運行して一点の差錯なし。聖人はこの神妙の道に依りて教化を設立せば、天下は便ちに皆帰服す。朱熹《本義》はいう、これは《観》の道理を極処に推す。「四時不忒」は天の人に瞻仰せらるる所以なり。「神道設教」は聖人の人に瞻仰せらるる所以なり。程頤《伊川易伝》はいう、天道は極めて神妙なり。ゆえに「神道」と称す。上天の運行を観察すれば、四時は絲毫の差錯なく、すなわちその神妙を見得たり。聖人は天道の神妙を見て、神道を体会して教化を設立す。ゆえに天下は帰服せざるなし。天道は極めて神妙にして、ゆえに四時を運行し万物を化育して差錯なし。このような神妙の道理は言語を用いて説尽すこと能わず、唯だ聖人のみ黙然に契合し、その妙用を体察して制定して政教と為す。ゆえに天下の人はその徳沢のうちに涵泳して功労有るを覚えず、その教化に鼓舞せられてそのうちの作用を測透すること能わず、自然に仰望瞻観して愛戴帰服す。ゆえに「以神道設教而天下服矣」という。

集說 虞氏翻曰:聖人“退藏於密”“以神明其德”,故“設教而天下服矣”。 王氏弼曰:統說《觀》之為道,不以刑制使物,而以觀感化物。神則無形者也,不見天之使四時,而“四時不忒”。不見聖人使百姓,而百姓自服也。

「集説」に虞翻の言を引く、聖人は《繋辞伝》の講ずる「退蔵于密」「以神明其徳」のごとき。ゆえに能く「設教而天下服矣」なり。王弼の言を引く、これは総じて《観》の道理を説く。刑罰制度を用いて往きて万物を駆使せずして、瞻観感化を用いて往きて万物を化育す。神は形跡なきなり。上天がどのように四時を駆使するかを見ざるも、四時はしかし毫も差錯せず。聖人がどのように百姓を駆使するかを見ざるも、百姓はしかし自然に帰服す。

楊氏時曰:古人聽以交神而接人,其道一主於誠,故曰明則有禮樂,幽則有鬼神。 幽明本無二理,故所以感之者一。聖人”以神道設教”,所謂“神道”,誠意而已。誠意,天德也。 《朱子語類》云;聖人以“神道設教”,即是“盥而不薦”之義。

楊時の言を引く、古人の神明に交接し人事を接待するに用いるは、その道は皆一個の誠の字に帰す。ゆえに《礼記》は「明則有礼楽、幽則有鬼神」という。幽と明は本来二個の道理にあらず。ゆえに能くそれらを感動するもまたただ一個の誠のみ。聖人の「以神道設教」は、いわゆる「神道」は不過誠意のみ。しかして誠意はすなわち天徳なり。《朱子語類》を引いていう、聖人の「以神道設教」は、すなわち「盥而不薦」の意思なり。

又云;天之神道,只是自然運行底道理,四時自然不忒,聖人神道,亦是有教人自然觀感處。 吳氏澄曰:常人以言設教,則有聲音。以身設教,則有形跡。聖人妙天道於不測,其應捷如影響,蓋所存者神,故所過者化也。

またいう、上天の神道はただ自然にして然るべく運行するの道理にして、四時は自然に差錯を出さず。聖人の神道も、また自ら人をして観感興起せしむるの処有らん。呉澄の言を引く、常人は言語を用いて教を設けば、便ちに声音を留下す。身体力行を用いて教を設けば、便ちに形跡を留下す。聖人は天道の神妙を測度すべからざるの地步まで運用し、感応の快なるは影が形に随い響が声に随うがごとし。これは彼の心裏の存する所は神なるがゆえに、経過する所は感化を受けざるなきなり。

楊氏啟新曰:聖人設教,誠於此,動於彼。不顯之德。篤恭之妙,與上天之載無聲無臭者同一機,而其動物之妙,不變之感,有非人所能測者,故曰“神道設教”。

楊啓新の言を引く、聖人は教化を設立して、誠はこの一辺に在れば、すなわちあの一辺に動く。《中庸》の講ずる「不顕之徳」「篤恭而天下平」の妙処は、「上天之載、無声無臭」と是れ同一の機括なり。しかしてそれが万物を感動するの神妙・改変を待たずして自ら能く感通するの力量は、人の能く測度する所ならざる有り。ゆえに「神道設教」という。

彖上伝・噬嗑

頤中有物,曰噬嗑。本義 以卦體釋卦名義。噬嗑而亨,剛柔分,動而明,雷電合而章,柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。本義 又以卦名卦體卦德二象卦變釋卦辭。

《彖伝》は卦名を解釈していう:口腔のうちに一件の東西が横たわりて、上下の牙床を隔開す。これを「噬嗑」と呼び、すなわち咬合なり。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦体」を用いて――《噬嗑》の上下両爻は上下の牙床に象え、中間の九四の一陽は口中の物に象える――卦名の取義を解釈す。《彖伝》は接ぎていう:それを咬破して上下はこそ合攏し得て、ゆえに亨通す。一卦のうち陽爻陰爻は相間に排列して、「剛柔」は各自分明なり。下卦の震は動と為り上卦の離は明と為るは、是れ行動のうちに明察を帯びたり。雷と電は相配相合して声威光彩は顕著なり。六五は陰柔の爻を以て上卦の中に居るは、是れ「柔得中而上行」なり。それは陰柔を以て五のこの陽位に居りて、「不当位」と雖も、しかし正に以て案を断じ獄を理するに適合す。朱熹《本義》はいう、この一段は合わせて卦名・「卦体」「卦徳」・雷電の二象および「卦変」の幾層の意思を用いて卦辞を解釈す。

程傳 “頤中有物”,故為“噬嗑”。有物間於頤中則為害,噬而嗑之,則其害亡,乃亨通也,故云“噬嗑而亨”。“剛柔分,動而明,雷電合而章”,以卦才言也。剛爻與柔爻相間,剛柔分而不相雜,為明辯之象。明辨,察獄之本也,動而明,下震上離,其動而明也。“雷電合而章”,雷震而電耀,相須並見,“合而章”也。照與威並行,用獄之道也。能照則無所隱情,有威則莫敢不畏。上既以二象言其動而明,故復言威照並用之意。六五以柔居中,為用“柔得中”之義。“上行”,謂居尊位。“雖不當位”,謂以柔居五為不當。而“利”於“用獄”者,治獄之道。全剛則傷於嚴暴,過柔則失於寬縱。

程頤《伊川易伝》はいう:口のうちに東西を含む、ゆえに卦名を「噬嗑」と呼ぶ。東西の口腔の中間に梗在するはすなわち妨害と成り、咬み下してそれを嗑碎せば、妨害はすなわち消失して、ここにおいて通暢す。ゆえに《彖伝》は「噬嗑而亨」という。「剛柔分、動而明、雷電合而章」のこの幾句は、一卦の才質に就きて講ずるなり。陽爻と陰爻は交錯排列して、剛柔は各自分明にして相混雑せず。これがすなわち明察辨別の象にして、明察辨別はまさに案件を審理するの根本なり。いわゆる「動而明」は、下卦は震と為り上卦は離と為り、震は動を主とし離は明を主とするがゆえに、行動のうちに明察を帯びたり。いわゆる「雷電合而章」は、雷声は震動して電光は閃耀し、二者は相互依待して同時に出現し、配合せば便ちに声威光彩は俱に顕著なり。照察と威厳は並行す。まさに刑を用い獄を断ずるの路数なり。能く照察すれば便ちに隠瞞すべきの実情なく、威厳有れば便ちに人は敢えて畏れざるなし。上文はすでに雷・電両個の物象を用いて動にして能く明なるを説明せば、ゆえにここは再び威と照の併用の意思を補出す。六五は陰柔の爻を以て上卦の中に居るは、正に「柔得中」の義に合す。「上行」はそれが尊貴の君位に処するを説く。「雖不当位」は陰柔の質を以て五のこの陽位に居りて相称せざるを説く。しかして「利」に「用獄」と説く所以は、案を審るの道理はまさにこのよう:一味剛硬なればすなわち厳酷暴戻に失し、過分柔軟なればまた寛縦姑息に失するがゆえなり。

五為用獄之主,以柔處剛而得中,得用獄之宜也。以柔居剛為“利用獄”,以剛居柔為利否。曰剛柔,質也。居,用也。用柔非治獄之宜也。集說 崔氏憬曰;物在頤中,隔其上下,因齧而合,乃得其“亨”焉。以喻人於上下之間,有亂群者,當用刑法之,故言“利用獄”。

程頤は続けていう:六五は刑獄を主持するの主爻にして、それは陰柔の質を以て陽剛の位に処してまた中に居りて、恰好に獄を用うるの分寸に合乎す。ある人問う:陰柔を以て陽剛の位に居るを「利用獄」と呼べば、すなわち反対に陽剛を以て陰柔の位に居るも是れまた利有るや否や。答えていわく:いわゆる剛柔とは、指すは爻本身の質地なり。いわゆる「居」とは、指すはそれの施用して出ずるの作風なり。質地は偏りて柔なるを妨げざるも、施用して出ずるはしかし一味柔弱に宜しからず。ゆえに陽剛の質を以て柔緩の用を行うは、併せて刑獄を審理するの需要に合わず。集説に崔憬の言を引く:東西の口腔のうちに卡在して、上下の牙床を隔開して、咬嚙に靠りてこそ合攏し得て、このようにしてこそ「亨」を得たり。それを拿りて人事に比喻せば:上下の間にもし群体を擾乱する人有らば、すなわち当に刑法を動用して往きて処置すべし。ゆえに《彖伝》は「利用獄」という。

石氏介曰:大凡柔則言“上行”,剛則言“來”。柔下剛上,定體也。剛來,如《訟》、《無妄》、《渙》等,剛體本在上而來下。“上行”,如《晉》、《睽》、《鼎》、《噬嗑》等。柔體本在下,今居五位為上行。朱氏震曰:六五柔中,“不當位”也。施於用獄,無若柔中之為利。蓋人君止於仁,不以明斷稱。以皋陶寧失不經,曾子哀矜而勿喜之言觀之,則不在明斷審矣。

集説に石介の言を引く:大凡「卦変」を講ずるに、陰柔の爻はすなわち「上行」といい、陽剛の爻はすなわち「来」という。柔は本来下に在り剛は本来上に在るは、これは天然の定局なり。「剛来」と説くは、《訟》卦・《无妄》卦・《渙》卦の一類のごとき、剛爻は本に上体に属してしかして下りて内卦に来るなり。「上行」と説くは、《晋》卦・《睽》卦・《鼎》卦・《噬嗑》卦の一類のごとき、柔爻は本に下体に属して、如今しかして第五位に居る。ゆえに上行と呼作す。集説にまた朱震の言を引く:六五は陰柔を以て中に居りて、「当位」の標準より看れば確かに「不当位」なり。しかるに獄を断ずるに用いれば、柔にして中を得るより利なるはなし。是れ君主を做るは仁を以て帰宿と為し、併せて精明果断を以て長を見るにあらざるがゆえなり。皐陶が寧ろ不合常法に失するとも錯って人を殺すを肯ぜざるを看て、曽子は実情を審出すれば当に哀憐すべく歓喜すべからずと説けるを看れば、すなわち獄を治むるの要害は明察決断の上に在らざるを断定すべし。

趙氏汝楳曰:體卦之畫,則寬嚴胥濟。體卦之德,則明清善聽。體卦之象,則獄不淹宿。噬以剛動而能嗑,《彖》言“利用獄”,疑當以剛能斷制。而聖人歸之六五之柔,其哀矜惟良之義乎!大君在上,三又而後制刑,德雖柔,於獄則利。

集説に趙汝楳の言を引く:一卦の爻画の構成より往きて体会すれば、剛爻柔爻は交錯して、寛と厳は正好に相互調剤す。「卦徳」より往きて体会すれば、下は動き上は明るく、明察にして清正にして、善く案情を聴取す。卦象より往きて体会すれば、雷電は迅疾にして、案は積圧して夜を過ぎるに至らず。咬合は本来剛強の動作に靠りてこそ嗑開き得るに、《彖伝》は「利用獄」といい、理に照せば当に陽剛の果断決制に帰功すべく、しかるに聖人は偏偏としてそれを六五の陰柔の上に帰す。取るは大概れ正に《尚書》のいう哀怜慎刑・良善の官を任用するの意思ならんか。君主は上位に高居して、《周礼》の三宥の法に依りて反覆に寛審して然るのち刑を定む。徳性は偏りて柔なると雖も、刑獄の上に用いればしかし正に相宜なり。

俞氏琰曰:《噬嗑》倒轉為《賁》,亦有“頤中有物”之象。而以為《賁》,何耶?曰:凡噬者必下動,《賁》無震,故不得為《噬嗑》也。夫頤而中虛,則無事於噬而自可合。今有物焉,則窒塞矣。苟不以齒決之,烏得而合,故噬已則嗑。嗑則窒者去而上下亨通。故文王曰“噬嗑亨”。孔子添一而字,蓋謂噬而嗑之則亨,不噬則不嗑,不嗑則不亨也。

集説に兪琰の言を引く:《噬嗑》卦を顛倒せばすなわち《賁》卦と成る。《賁》卦は同様に「頤中有物」の形象有り、なぜそれは偏偏として《賁》と呼びて《噬嗑》と呼ばざるか。答えていわく:およそ物を咬むは、必ず下頜先に動く。《賁》卦は下体は離と為して震なく、「動」のこの一層を缺く。ゆえに能く《噬嗑》と算さず。口腔のうちもし是れ空ならば、咬むを用いずして自然に合攏す。如今中間に一件の東西が横たわれば、すなわち堵塞せられたり。若し牙歯を用いてそれを咬断せざれば、どうして合上ぐるを得んや。ゆえに咬了してこそ合上ぐるを得。一たび合上げれば、堵塞する東西は去掉して、上下はすなわち通暢す。これによりて文王の卦辞を作るはただ「噬嗑亨」と説くのみ、孔子の《彖伝》を作るは一個の「而」の字を添えたり。まさに点明せんと欲す:咬開いてのち合攏してこそ亨通す、咬まざればすなわち合上がらず、合上がらざればすなわち亨通せず。

彖上伝・賁

賁,亨。本義 “亨”字疑衍。柔來而文剛,故亨。分剛上而文柔,故小利有攸往,天文也。本義 以卦變釋卦辭。剛柔之交,自然之象,故曰“天文”,先儒說“天文”上當

《彖伝》は先に「賁、亨」の両字を出す。朱熹《本義》はいう:この「亨」の字は疑心うは伝写の時に多出来たる衍文なり。《彖伝》は接ぎていう:陰柔の爻は下りて来りて陽剛を文飾す、ゆえに亨通す。一画の陽剛を分出して上りて陰柔を文飾す、ゆえに稍稍往く所有るに利有り、これが便ちに天の文采なり。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦変」を用いて卦辞を解釈す。剛と柔は交錯相配して、本は天地間の自然生成するの形象なり。ゆえに「天文」と称す。以下朱熹は本に先儒の「天文」の二字の上に当に如何なるかの説法を引述せんと欲するに、底本はここの処に脱文有りて、先儒の説は未だ写全し得ざりき。

集說 蘇氏軾曰:《易》有剛柔往來、上下相易之說,而其最著者,《賁》之《彖傳》也。故學者治是爭推其所從變,曰《泰》變為《賁》,此大惑也。一卦之變為六十三,豈獨為《賁》也哉!徒知《泰》之為《賁》,又烏知《賁》之不為《泰》乎!凡易之所謂剛柔往來相易者,皆本諸乾坤也。乾施一陽於坤,以化其一陰,而生三子,凡三子之卦有言剛來者,明此本坤也,而乾來化之。坤施一陰於乾,以化其一陽,而生三女,凡三女之卦有言柔來者,明此本乾也,而坤來化之。非是卦也,則無是言也。

集説に蘇軾の言を引く:《周易》のうちに剛柔往来・上下互換位置の講法有りて、そのうち最も顕眼なるはすなわち《賁》卦の《彖伝》なり。ゆえに《易》を治むる人は争いでそれが到底哪一卦より変じ来たるかを推求して、《泰》卦が変じて《賁》卦と成ったりと説く。これは極大の迷誤なり。任何の一卦も皆別の六十三卦を変出し得て、どうして単単《賁》に変成せんや。ただ《泰》の以て《賁》に変成し得るを知るのみで、またどうして《賁》の同様に以て《泰》に変成し得るを知らざらんや。およそ《周易》の説く剛柔往来互換は、根子は皆乾・坤の両卦に在り。乾は一陽を坤に施与して、坤の一陰を化掉せば、ここにおいて震・坎・艮の三個の男卦を生出す。およそこの三個の男卦の《彖伝》の「剛来」と説到するは、皆それが本は坤体にして、乾の陽が来りてそれを化するを表明す。坤は一陰を乾に施与して、乾の一陽を化掉せば、ここにおいて巽・離・兌の三個の女卦を生出す。およそこの三個の女卦の《彖伝》の「柔来」と説到するは、皆それが本は乾体にして、坤の陰が来りてそれを化するを表明す。この一類に属せざる卦は、《彖伝》のうちにすなわちこの種の説法有ることなからん。

胡氏炳文曰:“柔來而文剛”,是以剛為主也。剛往文柔,必曰“分剛上而文柔”者,亦以剛為主也。故《本義》於柔文剛,則曰陽得陰助,於剛文柔,而不曰陰得陽主。蓋一陰下而為離,則陰為陽之助,而明於內。一陽上而為艮,則陽為陰之主,而止於外,是知皆以剛為主也。

集説に胡炳文の言を引く:「柔来而文剛」のこの一句は、主体は剛に在り。剛の往きて上りて柔を文飾するは、《彖伝》は必ず「分剛上而文柔」と説成して、主体は同様に剛に在り。ゆえに朱熹《本義》は柔の剛を文飾するを講ずる時は、説くは陽が陰の幇助を得るなり。剛の柔を文飾するを講ずる時は、しかし併せて陰が陽を得て主宰を做すと説成せず。一個の陰爻が下りて来りて離卦と成れば、陰は便ちに陽の幇手にして、光明は内卦に発す。一個の陽爻が上りて往きて艮卦と成れば、陽は便ちに陰の主宰にして、安止は外卦に立つ。これによりて両処は皆剛を以て主と為すを知るべし。

何氏楷曰:剛為質,柔為文,“柔來”“文剛”,是本先立矣。而文行焉,故“亨”。“分剛上而文柔”者,非以剛為文也。分剛畫居上,而柔始得成其文。不然,無質之文非文已。張氏振淵曰:“柔來”“文剛”,是當質勝之餘,而以文濟之。“剛上”“文柔”,是當文勝之後,而以質救之,二者皆以質為主。

集説に何楷の言を引く:剛は本質・柔は文采なり。「柔来」にして「文剛」は、根本は先に立住して、然るのち文采はこそ施加上去せられ、ゆえに亨通す。至るや「分剛上而文柔」は、併せて剛を拿りて文采と当作するにあらず、是れ一画の陽剛を分出して上位に居らしめて、柔はこそ依托する所有りてその文采を成就するを得。然らざれば、本質なきの文采は根本に文采と算せられず。集説にまた張振淵の言を引く:「柔来」「文剛」は、質朴有余の時において文采を拿りて往きてそれを補足す。「剛上」「文柔」は、文采過盛の後において質朴を拿りて往きてそれを挽救す。両者は皆本質を以て主と為す。

案 “亨”與“小利有攸往”,皆指文而言之。故“柔來而文剛”者,見剛當以柔濟之,而後可通也。“剛上”“文柔”者,見柔當以剛節之。而柔之道不可純用以行也,何氏張氏質文之說極明。又案:“剛上”“文柔”而曰“分”者,本子內之誠實,以為節文之則,乃是由中而分出者,故曰“分”也。

李光地は案ずる:「亨」と「小利有攸往」は、皆文飾のこの一面に就きて説くなり。ゆえに「柔来而文剛」は、人をして剛は必ず柔を用いて往きて調剤して、然るのちこそ行通し得るを看せしめんと欲す。「剛上」「文柔」は、人をして柔は必ず剛を用いて往きて節制すべく、柔の路数は以て単独に拿りて施行すべからずを看せしめんと欲す。何楷・張振淵両家の質と文に関する議論は、この層の意思を極めて透彻に講得たり。又按ずる:「剛上」「文柔」にして特地に一個の「分」の字を用うるは、文飾を節制するの準則は本に内心の誠実より出づるがゆえに、中間より分派して出づるがゆえに、「分」という。

文明以止,人文也。本義 又以卦德言之。止,謂各得其分。程傳 卦為賁飾之象,以上下二體,剛柔交相為文飾也。下體本乾,柔來文其中而為離。上體本坤,剛往文其上而為艮。乃為山下有火,止於文明而成《賁》也。天下之事,無飾不行,故《賁》則能“亨”也。“柔來而文剛,故亨”,柔來文於剛,而成文明之象,文明所以為《賁》也。《賁》之道能致亨,實由飾而能亨也。

《彖伝》はいう:文采は光明にして各々その分に安んずるは、これが便ちに人の文采なり。朱熹《本義》はいう、この一句はまた「卦徳」の上より講ずるなり。いわゆる「止」とは、人人が各自その本分を得るを説く。程頤《伊川易伝》はいう:この一卦の取るは修飾の形象にして、上下両体の剛柔は互相交錯して、各自相手方の文飾を做す。下体は本来乾にして、一陰柔が来りてその中爻を文飾して離と成る。上体は本来坤にして、一陽剛が往きて上りてその上爻を文飾して艮と成る。ここにおいて山下有火の象と成りて、光明は照耀して各々その所に止まる。《賁》卦はこれに就きて形成す。天下の事情は文飾なくばすなわち推行し開くこと能わず。ゆえに《賁》は能く亨通す。「柔来而文剛、故亨」は、柔の下りて来りて剛を文飾して、文明の象を成就す。文明はまさに《賁》の《賁》たる所以なり。《賁》の道の能く亨通を招致するは、実在は文飾有るによりてこそ亨通するなり。

“分剛上而文柔,故小利有攸往”,分乾之中爻,往文於艮之上也。事由飾而加盛,由飾而能行,“故小利有攸往”。夫柱而能利者,以有本也。賁飾之道,非能增其實也,但加之文彩耳。事由文而顯盛,故為“小利有攸往”。“亨”者亨通也,“往”者加進也。二卦之變,共成《賁》義。而《彖》分言上下各主一事者,蓋離明足以致亨,文柔又能小進也。

程頤は続けていう:「分剛上而文柔、故小利有攸往」は、乾の中爻を分出して、上りて艮の上爻を文飾す。事情は文飾有るによりて愈々興盛し、文飾有るによりてこそ推行し開くを得。ゆえに「小利有攸往」という。およそ往く所有りて能く利を得るは(底本のここの処の「柱」の字は疑うに訛誤有らん)、皆背後に根本の支撐有るによるなり。文飾の道は併せて事物の実質を増加すること能わず、不過それのために一層の文采を加上するのみ。事情は文采に靠りて興盛に顕れ、ゆえにただ「小利有攸往」と算す。「亨」は通暢にして、「往」は更に一歩を進むるなり。上下両体の変化は合起してこそ《賁》の意義を成就す。しかして《彖伝》は分かれて開きて上下各々一事を主とすを講ずるは、離の光明は足りて亨通を招致し、文飾柔順はまた能く稍稍前進するがゆえなり。

“天文也,文明以止人文也”,此承上文言陰陽剛柔相文者,天之文也,止於文明者,人之文也。“止”,謂處於文明也。質必有文,自然之理,理必有對待,生生之本也。有上則有下,有此則有彼,有質則有文。一不獨立,二則為文,非知道者孰能識之。“天文”,天之理也。“人文”,人之道也。

程頤は続けていう:「天文也、文明以止人文也」は、これは上文に承接していうなり。陰陽剛柔の互相文飾するは、是れ天の文采なり。文明の上に停住するは、是れ人の文采なり。いわゆる「止」とは、文明のうちに安処するを説く。質地は必ず文采を伴有するは、これは自然の理なり。しかして理は必ず成双対待するは、これがまさに生生不已の根本なり。上有ればすなわち下有り、この辺有ればすなわちあの辺有り、本質有ればすなわち文采有り。単独一個は対を成さず、両個相配してこそ文と呼ばる。真に道理を懂得する人にあらざれば、誰かこの一層を認識せんや。「天文」は天の条理にして、「人文」は人の道理なり。

胡氏允曰:君臣父子兄弟夫婦朋友,粲然有禮以相接者,文之明也。截然有分以相守者,文之止也,是則卦中離明而艮止者也。王氏應麟曰:《大畜》為學,《賁》為文。能止健而後可以為學,文明以止而後可以為文者,篤實而已。不以篤實為本,則學不足以成德,文不足以明理。何氏楷曰:止者限而不過之謂。一文之一止之而文成,禮以節文為訓,即此意。

集説に胡允の言を引く:君臣・父子・兄弟・夫婦・朋友のこの五倫の間において、礼数は燦然分明にして互相接待するは、これは文采の「明」なり。界限は截然に分清して各自守るは、これは文采の「止」なり。これは正に卦のうちの下離の明と為り上艮の止と為るに対応す。集説に王応麟の言を引く:《大畜》の講ずるは治学にして、《賁》の講ずるは修文なり。能く剛健を止住して然るのちこそ治学を談じ上げ、文明にして能く各々その分に安んじて然るのちこそ修文を談じ上げ、靠るは皆篤厚踏実の四字なり。篤実を拿りて根本を做らざれば、学問は徳行を成就するに足らず、文采は義理を彰明するに足らず。集説に何楷の言を引く:いわゆる「止」とは、すなわち制限する所有りて越過せず。一面に文飾を加え、一面に節制を加えて、文采はこそ完成と算す。礼の字は「節文」を以て訓解と為す、説くはまさにこの意思なり。

觀乎天文,以察時變。觀乎人文,以化成天下。本義 極言《賁》道之大也。程傳 “天文”,謂日月星辰之錯列,寒暑陰陽之代變。觀其運行,以察四時之遷改也。“人文”,人理之倫序,觀人文以教化天下,大下成其禮俗,乃聖人用《賁》之道也。

《彖伝》はいう:天の文采を観察して、用いて四時の変化を考察す。人の文采を観察して、用いて天下を教化して風俗を成就す。朱熹《本義》はいう、この両句は《賁》の道を極処に推してその博大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:「天文」は日月星辰の交錯排布・寒暑陰陽の輪番更替を指す。それらの運行を観察すれば、すなわち四季の推移改換を考察すべし。「人文」は人倫事理の次序を指す。人文を観察して来りて天下を教化し、天下をして合宜の礼節風俗を養成せしむるは、これがすなわち聖人の《賁》道を施用するの弁法なり。

《賁》之象,取山下有火,又取卦變“柔來”“文剛”“剛上”“文柔”。凡卦有以二體之義及二象而成者,如《屯》取“動乎險中”與雲雷,《訟》取“上剛下險”與天水違行是也。有取一爻者,成卦之由也。“柔得位而上下應之曰《小畜》 ”,“柔得尊位大中而上下應之曰《大有》”是也。

程頤は続けていう:《賁》卦の象は、一面に山下有火を取り、一面にまた「卦変」の上の「柔来」「文剛」と「剛上」「文柔」を取る。大凡六十四卦は、上下両体の義理が連同して両個の物象と合成するに靠る有り。例えば《屯》卦は「動乎険中」の義理に雲と雷の象を加上して取り、《訟》卦は上剛下険の義理に天と水の背道而行の象を加上して取るは、すなわちこの一類なり。あるいは某一爻に靠りて卦を成す有れば、あの一爻は便ちに成卦の縁由なり。例えば「柔得位而上下応之曰《小畜》」「柔得尊位大中而上下応之曰《大有》」は、すなわちこの一類なり。

有取二體又取消長之義者,“雷在地中《復》”,“山附於地《剝》”是也。有取二象兼取二爻交變為義者,“風雷《益》”兼取損上益下,“山下有澤《損》 ”兼取損下益上是也。有既以二象成卦,復取爻之義者,《夬》之“剛決柔”,《姤》之“柔遇剛”是也。有以用成卦者,“巽乎水而上水《井》 ”,“木上有火《鼎》 ”是也,《鼎》又以卦形為象。有以形為象者,“山下有雷《頤》”,“頤中有物曰《噬嗑》”是也。

程頤は続けていう:上下両体を取りて、同時にまた陰陽消長の義を取る有り。例えば「雷在地中」を《復》と為し、「山附于地」を《剥》と為すは、すなわちこの一類なり。両個の物象を取りて、また兼ねて両爻の交換変化の義を取る有り。例えば「風雷」を《益》と為して兼ねて上面を減損し下面を増益するを取り、「山下有沢」を《損》と為して兼ねて下面を減損し上面を増益するを取るは、すなわちこの一類なり。すでに両象を用いて卦を成し、再び別に某爻の義を取る有り。例えば《夬》は「剛決柔」を講じ、《姤》は「柔遇剛」を講ずるは、すなわちこの一類なり。功用に靠りて卦を成す有り。例えば「巽乎水而上水」を《井》と為し、「木上有火」を《鼎》と為すは、すなわちこの一類なり。《鼎》卦は別にまた卦の形状を取りて象と為す。直接に形状を拿りて象を取る有り。例えば「山下有雷」を《頤》と為し、「頤中有物曰《噬嗑》」は、すなわちこの一類なり。

此成卦之義也,如剛上柔下,損上益下,謂剛居上,柔在下,損於上,益於下。據成卦而言,非謂就卦中升降也。如《訟》、《無妄》云“剛來”,豈自上體而來也。凡以柔居五者,皆云“柔進而上行”,柔居下者也,乃居尊位,是進而上也,非謂自下體而上也。

程頤は続けていう:以上は皆成卦の義例なり。いわゆる剛が上に在り柔が下に在り・上面を減損し下面を増益するのごときは、ただ剛爻が上位に処し柔爻が下位に処し、損するは上面・益するは下面を説くのみ。これは皆すでに成形したる卦に就きて講ずるなり、併せて卦のうちの爻が真に上下に升降するを説くにあらず。譬えば《訟》卦・《无妄》卦の「剛来」と説く、豈にあの一剛は真に上体より跑り下り来たるか。およそ陰柔を以て第五位に居るは、皆「柔進而上行」という。あれは柔は本は当に下位に処すべく、如今しかして尊位を占めたり。ゆえに是れを進みて向上と説く、併せてそれが真に下体より升り上去したるを説くにあらず。

卦之變皆自乾坤,先儒不達,故謂《賁》本自《泰》卦,豈有乾坤重而為《泰》,又由《泰》而變之理。下離本乾,中爻變而成離,上艮本坤,上爻變而成艮。離在內,故云“柔來”。艮在上,故云“剛上”。非自下體而上也。乾坤變而為六子,八卦重而為六十四,皆由乾坤之變也。

程頤は続けていう:卦の変化は皆乾・坤より出づ。先儒はこの点を通曉せず。ゆえに《賁》は本に《泰》卦より変じ来たりと説く。どこに乾坤重畳して《泰》と成り、再び《泰》より別卦を変出するの道理有らんや。《賁》の下体の離は本来乾にして、中爻一変すればすなわち離と成る。上体の艮は本来坤にして、上爻一変すればすなわち艮と成る。離は内卦に在り、ゆえに「柔来」という。艮は上卦に在り、ゆえに「剛上」という。併せてそれが下体より升り上去したるを説くにあらず。乾坤は変化して六個の子卦を生出し、八卦は重畳して六十四卦と成る。全ては皆乾坤の変化より来たるなり。

彖上伝・剥

剝,剝也。柔變剛也。本義 以卦體釋卦名義。言柔進於陽,變剛為柔也。集說 陳氏友文曰:《夬彖》曰“剛決柔”,而《剝》曰“柔變剛”,何也?君子之去小人,聲其罪與天下共棄之,名正言順,故曰“決”。小人之慾去君子,辭不順理不直,必萋菲浸潤以侵蝕之,故曰“變”。一字之間,君子小人之情狀皦然矣。不利有攸往,小人長也。順而止之,觀象也。君子尚消息盈虛,天行也。本義 以卦體卦德釋卦辭。

《彖伝》はいう:《剥》はすなわち剥落にして、是れ陰柔が陽剛を侵蝕改変するに在り。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦体」を用いて卦名の取義を解釈し、是れ陰柔が一路に上に向かい逼進して陽剛に入りて、剛爻を変じて柔爻と為すを説く。集説に陳友文の言を引く:《夬》卦《彖伝》は「剛決柔」を講じ、《剥》卦はしかして「柔変剛」を講ず。なぜ用字は同じからざるか。君子は小人を除去するは、是れ公開にその罪状を宣布して、天下人と一斉に彼を抛弃す。名は正しく言は順なり。ゆえに「決」の字を用いて、決断斬除の意を取る。小人は君子を除去せんと欲するは、話は順ならず理は直に立たず、ただ能く羅織讒譖・一点一点に浸潤浸透して往きて彼を侵蝕するに靠る。ゆえに「変」の字を用う。一字の差は、君子と小人の情状は便ちに昭然分明せり。《彖伝》は接ぎていう:往く所有るに利あらざるは、小人がまさに滋長するがゆえなり。形勢に順いて且らく止まるは、卦象の上より看出するの道理なり。君子は陰陽消退生長・盈満虧虚の規律を看重す。あれは天道自然の運行なるがゆえなり。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦体」と「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。

彖上伝・復

復,亨,剛反。本義 剛反則亨。動而以順行,是以出入無疾,朋來無咎。本義 以卦德而言。集說 孔氏穎達曰:“復亨”者,以陽復則亨,故以亨連復而釋之也。“剛反,動而以順行”者,既上釋“復亨”之義,又下釋“出入無疾朋來無咎”之理。潘氏夢旂曰:《剝》以順而止,《復》以順而行,君子處道消之極,至道長之初,未嘗一豪之不以順也。

《彖伝》はいう:《復》卦は亨通するは、陽剛が返り来たるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:陽剛は一たび返れば、自然に亨通す。《彖伝》は接ぎていう:下卦は震動にして上卦は坤順、行動は皆順の路子に依りて走る。ゆえに出入は皆妨害なく、同類の朋友は前来りてもまた過錯なからん。朱熹《本義》はいう、この両句は「卦徳」の上より講ずるなり。集説に孔穎達の言を引く:いわゆる「復亨」は、陽気が一回復すれば便ちに亨通するがゆえに、「亨」の字を緊接して「復」の字の後において解釈す。いわゆる「剛反、動而以順行」は、上半句は承接して「復亨」の含义を解釈し、下半句はすなわち「出入无疾、朋来无咎」の道理を解釈す。集説に潘夢旂の言を引く:《剥》卦は形勢に順いて止住し、《復》卦は形勢に順いて前行す。君子は正道が極点まで消退して、また転じて正道の滋長を開始するの関頭に処して、一絲一毫も「順」の字に依りて往きて做さざるはなし。

反復其道,七日來復,天行也。本義 陰陽消息,天運然也。集說 侯氏行果曰:五月天行至午,陰升也。十一月天行至子,陽升也。天地運往,陰陽升復,凡歷七月,故曰“七日來復”,此天之運行也。《幽詩》曰:一之日觱發,二之日栗烈。“一之日”,周之正月也。“二之日”,周之二月也。則古人呼“月”為“日”明矣。

《彖伝》はいう:往返循環してそれ自らの路を走りて、七個の段落を経過して回復して来たるは、これは天道の運行なり。朱熹《本義》はいう:陰陽の消退と生長は、本来就是天道運転の自然このようたり。集説に侯行果の言を引く:五月は天道は午位に運行して、是れ陰気の上昇を開始す。十一月は天道は子位に運行して、是れ陽気の上昇を開始す。天地は運転推移し、陰陽は上昇回復して、前後に七個月を経歴す。ゆえに「七日来復」といい、これがすなわち天の運行なり。《詩経》の《豳風・七月》(底本は「豳」を「幽」と訛作す)は「一之日觱発、二之日栗烈」といい、「一之日」はすなわち周暦の正月にして、「二之日」はすなわち周暦の二月なり。見れば古人は「月」を称して「日」と為すは明明白白なり。

利有攸往,剛長也。本義 以卦體而言,既生則漸長矣。集說 項氏安世曰:《剝》曰“不利有攸往”,小人長也。復曰“利有攸往剛長也”,《易》之意,凡以為君子謀也。邱氏富國曰:“剛反”,言《剝》之一剛,“窮上反下”而為《復》也。“剛長”,言《復》之一陽,自下進上,為《臨》為《泰》,以至為《乾》也,以其既去而來反也,故“亨”。以其既反而漸長也,故“利有攸往”。“剛反”,言方《復》之初。“剛長”,言巳《復》之後。

《彖伝》はいう:往く所有るに利あるは、陽剛がまさに滋長するがゆえなり。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」に就きて講ずるなり。一陽はすでに生出せられたれば、すなわち漸漸に長大せん。集説に項安世の言を引く:《剥》卦は「不利有攸往」といい、是れ小人がまさに滋長するがゆえなり。《復》卦は「利有攸往、剛長也」といい、見れば《周易》の用意は、処処皆是れ君子のために打算するなり。集説に邱富国の言を引く:いわゆる「剛反」は、《剥》卦の僅存するあの一剛が上爻の尽头に走り至りてまた返りて下面と為りて《復》と成るを講ず。いわゆる「剛長」は、《復》卦のあの一陽が下より上に向かい推進して、《臨》と成り《泰》と成り、一直到りて《乾》と成るを講ず。それがすでに離去してまた返り来たるがゆえに、「亨」という。それが返回の後また漸漸に長大するがゆえに、「利有攸往」という。「剛反」の説くは剛に復回したるの当初にして、「剛長」の説くは復回以後の進展なり。

復其見天地之心乎。本義 積陰之下,一陽復生,天地生物之心,幾於滅息,而至此乃復可見。在人則為靜極而動,惡極而善,本心幾息而復,見之端也。程子論之洋矣,而邵子之詩亦曰:冬至子之半,天心無改移,一陽初動處,萬物未生時,玄酒味方淡,大音聲正希,此言

《彖伝》はいう:《復》卦より大概れ天地生生の本心を看るべきか。朱熹《本義》はいう:層層堆積する陰爻の底下において、一陽は重ねて生出せられたり。天地の万物を化育するあの顆の心は、本に已に幾乎泯滅断絶して、ここに到りてこそ重ねて顕露して出づ。人の身に落とせば、すなわち静まること極点に到りて動き、悪なること極点に到りて善に向かい、本心は幾乎断息して重ねて萌発す。これがまさにそれが顕露するの端倪なり。程頤はこの点を討論してすでに甚だ詳尽にして、邵雍もまた詩有りていわく:冬至はまさに子月の半に当たり、天心はかつて改移有ることなし。一陽剛に発動するの処は、万物はなお生長して出でざるなり。祭祀の用うる玄酒の滋味は方に淡薄にして、最大の楽音は聴取するに正に稀微なり。この幾句の話は――底本はここの処に脱文有りて、朱熹の評語は未だ写尽し得ざりき。

程傳 “復亨”,謂剛反而亨也。陽剛消極而來反,既來反,則漸長盛而亨通矣。動而以順行,是以“出入無疾,朋來無咎”,以卦才言其所以然也。下動而上順,是動而以順行也,陽剛反而順動,是以得“出入無疾,朋來而無咎”也。朋之來亦順動也,其道反覆往來,迭消迭息,七日而來復者,天地之運行如是也。消長相因,天之理也,陽剛君子之道長,故“利有攸往”。一陽復於下,乃天地生物之心也,先儒皆以靜為見天地之心,蓋不知動之端乃天地之心也,非知道者孰能識之。

程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる「復亨」とは、陽剛の返り来たるに因りて亨通するを説く。陽剛は消退して尽头に到りてまた折返して来たれば、すでに折返して来たれば、すなわち漸漸に長大興盛して通達せん。「動而以順行、是以出入无疾、朋来无咎」は、一卦の才質に就きてそのこのようたる所以の縁故を説明す。下卦は震動にして上卦は坤順、これが便ちに行動は順の路子に依りて走るなり。陽剛は返りてまた理に順いて動く、ゆえに能く出入妨害なく同類前来りて過錯有ることなからん。朋類の前来るも同様に理に順いて動くなり。その道理は往返来回して、交替に消退し交替に生息して、七個の段落を経過して回復す。天地の運行は本来すなわちこのようたり。消退と生長は互いに因果と為すは、是れ天然の条理なり。陽剛君子の道はまさに滋長す。ゆえに「利有攸往」なり。一陽は下面において回復するは、まさに天地の万物を化育するの本心なり。先儒は皆静を当作して天地の心を看るの所在と為すは、あれは発動のこの一点の端倪こそ天地の心なるを懂得せざるなり。真に道理を懂得する人にあらざれば、誰かこの一層を認識せんや。

集說 程子曰:“復其見天地之心”,皆謂至靜能見大地之心,非也。《復》之卦下面一畫,便是動也,安得謂之靜?自古儒昔皆言靜見天地之心,唯某言動而見天地之心。或曰:莫足於動上求靜否。曰:固是,然最難。又曰:“復其見天地之心”,一言以蔽之,天地以生物為心。張子曰:《復》言“見天地之心”,《咸》、《恆》、《大壯》言“天地之情”。心發乎微,情發乎顯。

集説に程頤の言を引く:「復其見天地之心」に講到すれば、大家は皆説いて静まること極処に到りてこそ天地の心を看ることを得ると為す。これは対ならず。《復》卦の最下面のあの一画はすなわち動なり、どうして静と呼作すべからんや。自古以来の儒者は皆静中に天地の心を看ると説くも、ただ我のみ是れ動中に天地の心を看ると説く。ある人問う:是れ当に動の上に就きて静を求むべきや否や。答えていわく:本来すなわち当にこのようたるべし、ただこの事は最も難し。程頤はまたいう:「復其見天地之心」、一句話に概括せば、すなわち天地は万物を化育するを当作して自らの心と為すなり。集説に張載の言を引く:《復》卦は「見天地之心」を講じ、《咸》・《恒》・《大壮》の三卦は「天地之情」を講ず。心は隠微の処において発動し、情は顕露の処において発動す。

《朱子浯類》云:天地以生生為德,“元亨利貞”,乃生物之心也。但其靜而復,乃未發之體,動而通焉,則已發之用。一陽來復,其始生甚微,固若靜矣。然動之機日長,而萬物莫不資始焉。此天命流行之初,造化發育之始。天地生生不已之心,於是而可見也。若其靜而未發,則此心之體,雖尤所不在,然卻有未發見處。此程子所以以動之端為天地之心,亦舉用以該其體爾。

集説に《朱子語類》を引いていう:天地は生生不息を以て徳と為し、「元亨利貞」の四徳は便ちに万物を化育するの心なり。不過それが静まりて回復する時は、是れ尚未だ発動せざるの本体にして、動きて通達する時は、すなわちすでに発動したるの作用なり。一陽来復して、起初生出するは極めて細微にして、看上去は確かに静なるに象えたり。然るに発動の生機は一天天に長大して、万物はそれに靠りて開端せざるはなし。これがまさに天命流行の開頭・造化発育の起点にして、天地生生不已の心は、すなわちここにおいて看るべし。至るやそれが静にして未だ発せざる時は、この顆の心の本体は在らざるところなしと雖も、しかし畢竟になお顕現して出でざるの処有らん。これがすなわち程頤の発動の端倪を以て天地の心と当作するの所以にして、也不過「用」を挙出して「体」を一併に包含し入れたるのみ。

又云:伊川與濂溪說“復”字亦差不同,濂溪就回來處說,伊川卻正就動處說,如“元亨利貞”濂溪就利貞上說復字,伊川就“元”字頭說復字。以《周易》卦爻之意推之,則伊川之說為正。然濂溪伊川之說,道理只一般,只是所指地頭不同。王弼之說,與濂溪同。胡氏炳文曰:天地生物之心,即人之本心也,皆於幾息而復萌之時見之。

《朱子語類》はまたいう:程頤と周敦頤はこの「復」の字を講ずるに略有不同なり。周敦頤は折返して来たるのあの一頭に就きて説き、程頤はしかし正に発動のあの一頭に就きて説く。譬えば「元亨利貞」の四徳に配すれば、周敦頤は「復」の字を利・貞の上に安んじて講じ、程頤は「復」の字を「元」の字頭の上に安んじて講ず。《周易》卦爻の本意を拿りて往きて推求すれば、程頤の講法は正解なり。不過周・程両家の説法は、道理は原より一様にして、ただ指する所の地位同じからざるのみ。王弼の講法は、周敦頤と相同じ。集説に胡炳文の言を引く:天地の万物を化育するの心は、すなわち人の本心にして、皆それが幾乎断息して重ねて萌動するの時においてこそ看ることを得。

俞氏琰曰:“天地之心”,謂天地生萬物之心也。天地生物之心,無乎不在。聖人於《剝》反為《復》,靜極動初,見天地生物之心,未嘗一日息,非謂惟《復》卦“見天地之心”也。或謂靜為“天地之心”,非也。或又謂動力“天地之心”,亦非也。吳氏曰慎曰:天地以生物為心,所謂仁也。《復》之一陽初動,十二也。故曰“復其見大地之心乎”。

集説に兪琰の言を引く:いわゆる「天地之心」は、指すは天地の万物を生養するあの顆の心なり。天地の万物を生養する心は、在らざるところなし。聖人は《剥》卦の返転して《復》卦と為り・静まること極点に到りて動いてこそ発端するの処において、天地生物の心がかつて一天も停息せざるを看出す。併せてただ《復》卦のみが「見天地之心」なるを説くにあらず。ある人は静を当作して「天地之心」と為す、対ならず。ある人はまた動を当作して「天地之心」と為す、また対ならず。集説に呉曰慎の言を引く:天地は万物を化育するを当作して自らの心と為すは、これがすなわちいわゆる仁なり。《復》卦の一陽剛に発動せしは、まさにこの顆の仁心の端倪なり(底本はこの句の文字に訛脱有り)。ゆえに《彖伝》は「復其見天地之心乎」という。

案 “天地之心”,在人則為道心也。道心甚微,故曰“《復》,小而辯於物”。於是而惟精以察之,惟一以守之,則道心流行,而微者著矣。顏子“有不善未嘗不知”,是其精也。“知之未嘗復行”,是其一也。夫子以初爻之義當之者此也,惟精惟一者,所以執中而已矣。

李光地は案ずる:いわゆる「天地之心」は、人の身に落とせばすなわち道心なり。道心は極めて隠微なり。ゆえに《繋辞伝》は「《復》、小而辯于物」といい、意思是れそれが細小なると雖もしかして万物の中より分辯して出づるを得るを説く。ここにおいて「惟精」を用いて往きてそれを省察し、「惟一」を用いて往きてそれを守住すれば、道心はすなわち流行し開きて、隠微の東西はまた顕著ならん。顔回の「有不善未嘗不知」は、これは彼の「精」なり。「知之未嘗復行」は、これは彼の「一」なり。孔子は《復》卦初九爻の義理を拿りて来りて顔回に配するは、まさにこの縁故なり。いわゆる惟精惟一は、不過是れ中道を執守せんがためのみ。

二五皆中,故二則“休復”而“吉”,五則“敦復”而“無悔”。初爻之外,唯此兩爻最善。三則“頻復”而“厲”者,所謂人心危而難安也。四之“中行”而“獨”者,所謂道心微而難著也。然皆能自求其心者也。至於上六,則不獨微而且“迷”,不獨危而且“敗”,“迷”而以至於“敗”。則所謂天君者,不能以自主矣。故夫子咎之曰:反君道也。堯舜相傳之心學,皆於《復》卦見之。

李光地は続けていう:六二と六五は皆中位に居る。ゆえに六二は「休復」にして「吉」を得、六五は「敦復」にして「无悔」なり。初九を除去する以外は、すなわちこの両爻を数えて最好と為す。六三は「頻復」にして「厲」有るは、まさに《尚書》のいう人心危殆にして安んじ難きなり。六四は「中行」にして孤「独」なるは、まさに説く所の道心隠微にして彰顯し難きなり。不過この両爻は皆なお算んに能く自ら往きて本心を找回するを得。上六に到れば、すなわち不只是隠微にして而且に「迷」に陥入し、不只是危殆にして而且に「敗」に落到し、迷惑より一直に敗亡まで走れば、すなわちいわゆる一身を主宰するの天君は、すなわち再び自らの主を做ることを得ざらん。ゆえに孔子は《象伝》のうちにそれを責備していわく:これは君主を做るの道理に違反したり。尭・舜の逓相伝授するあの套の心法の学は、全て皆《復》卦のうちに看るべし。

彖上伝・无妄

本義 以卦變卦德卦體言卦之善如此,故其占當獲“大亨”,而利於正,乃天命之當然也。其有不正,則不利有所往,欲何往哉?蓋其逆天之命,而天不佑之,故不可以有行也。程傳 謂初九也,坤初爻變而為震,剛自外而來也。震以初爻為生,成卦由之,故初為無妄之主。動以天為無妄,動而以天,動為主也。以剛變柔,為以正去妄之象,又剛正為主於內,無妄之義也。

底本はここの処の《无妄》一卦の《彖伝》正文を脱漏して、径に《本義》に接す。朱熹《本義》はいう:この一段は「卦変」「卦徳」「卦体」を用いて此卦の美善がこのようたるを説明し、ゆえにそれを占えば当に大いに亨通するを獲得すべく、また正を守るに利あり。これは本来就是天命当然の道理なり。若しは正ならざるの処有れば、すなわち往く所有るに利あらず――なおどこに往くを得んや。あれは上天の命令に違逆して、上天は保佑せざるがゆえに、行動ある所を以て可ならざるなり。程頤《伊川易伝》はいう:《彖伝》の説くあの一剛は、指すは初九なり。坤の初爻は一変すればすなわち震と成る。ゆえに陽剛は外面より来たるという。震は初爻を以て生成の根本と為し、一卦はそれによりて成る。ゆえに初九は《无妄》の主爻なり。天理に依りて動くはすなわち无妄にして、行動して天理を以て準と為すは、「動」を拿りて主を做すなり。陽剛を以て陰柔を改換するは、まさに正道を用いて虚妄を除去するの象なり。さらに加えて剛正の爻が内卦において主を做す、これがすなわち「无妄」の意義なり。

九居初,正也。下動而上健,是其動剛健也。剛健,無妄之體也。剛中而應,五以剛居中正,二復以中正相應,是順理而不妄也。故其道大亨通而貞正,乃天之命也。“天命”,謂天道也。所謂無妄也。所謂“無妄”,正而已,小失於正,則為有過,乃妄也。所謂“匪正”,蓋由有往,若無妄而不往,何由有匪正乎。“無妄”者,理之正也,更有往將何之矣,乃入於妄也。往則悖於天理,天道所不佑,可行乎哉。

程頤は続けていう:陽爻は初位に居るは、「当位」にして正を得たり。下卦は震動にして上卦は乾健なり。ゆえにその行動は剛強勁健なり。剛健はまさに《无妄》の本体なり。いわゆる「剛中而応」は、九五は陽剛を以て中位に居りてまた正を得て、六二は再び中正の徳を以てそれと「応与」相配す。これがすなわち道理に順いて妄動せざるなり。ゆえにその道理は大いに亨通してまた貞固純正なり。これは本来就是上天の命令なり。「天命」はすなわち天道にして、すなわちいわゆる无妄なり。いわゆる「无妄」とは、不過一個の正の字のみ。稍稍正を失えば、すなわち過失と成る。あれは便ちに妄なり。卦辞の説く「匪正」は、別に往く所有るによりて招来せられたり。若しすでに无妄にして更に別に往く所なからば、どこに不正有らんや。「无妄」は本身就是道理の正当の処にして、なお更にどこに往かんと欲せんや――一往すればすなわち虚妄のうちに落進す。前往すればすなわち天理に違背し、天道は保佑を加えざれば、なお行通し得べきや。

集說 王氏宗傳曰:初九之剛,乾一索於坤而得之,是以為震,而無妄之外體又乾也。則初九之剛,實自《乾》來,故曰“剛自外來”。震以初爻為主,其在無妄則內體也,故曰“為主於內”。趙氏彥肅曰:“剛自外來”,寄象爾。其實天之所賦,我固有也。胡氏炳文曰:外卦為乾,震之剛自乾來也。《無妄》釋“元亨利貞”與《臨》同。“命”,即道也。“無妄之往”,程子以為無妄而又往,《本義》只順上文本意解,舉首尾句而包中間也,不可泥文而失意。

集説に王宗伝の言を引く:初九の陽剛は、乾が第一次に坤に向かい求索して得来したるなり。これによりて震と成る。しかして《无妄》の外卦はまた正に乾なり。見れば初九の剛は実在は乾より来たる。ゆえに「剛自外来」という。震は初爻を以て主爻と為し、それは《无妄》卦のうちにおいて内卦に属す。ゆえに「為主于内」という。集説に趙彦粛の言を引く:「剛自外来」はただ卦象を借りて話を説くのみ。其実はあれは上天の賦与する所にして、本来就是我自己の固有の東西なり。集説に胡炳文の言を引く:外卦は乾にして、震の陽剛は乾より来たる。《无妄》の「元亨利貞」を解釈するの体例は、《臨》卦と相同じ。ここの「命」はすなわち道なり。至るや卦辞の「无妄之往」は、程頤は以てすでに无妄にしてしかしてまた別に往く所有ると認為し、朱熹《本義》はただ上文の本意に順いて解し、首尾の両句を挙出して中間の意思を皆その裏頭に包含す。読者は字面に拘泥して本意を失うべからず。

何氏楷曰:震初一剛,其所從來,即乾之初畫。《無妄》外乾內震,初九得外卦乾剛初爻,以為內卦之主,故曰“剛自外來而為主於內”。案 《彖》言剛來柔來,未有言自外來者,則王氏諸家謂指外卦乾體者信矣。在卦為震得乾最初之畫,在人為吾心得天最初之理,此所以為無妄也。天理非由外鑠我者,此特指卦象言之,見自乾來之意。趙氏之說是矣。

集説に何楷の言を引く:震卦の最下面のあの一剛は、その来路を追究すれば、すなわち乾の初画なり。《无妄》は外卦は乾と為り内卦は震と為りて、初九は外卦乾剛の初爻を取得して、用いて内卦の主を做す。ゆえに「剛自外来而為主于内」という。李光地は案ずる:《彖伝》の「剛来」「柔来」と講ずるの処は甚だ多いも、しかし一処も「自外来」と説くはなし。見れば王宗伝の諸家はここを以て外卦乾体を指すと認為す、是れ可信なり。卦に就きて言えば、是れ震が乾の最初の一画を得たるなり。人に就きて言えば、是れ我が心が天の最初の道理を得たるなり。これがこそ无妄と称する所以の縁故なり。天理は併せて外面より我に熔鋳して来たるにあらず。ここはただ卦象に就きて説を立てて、それが乾より来たるの意思を点出すのみ。趙彦粛の説法は是れ対なり。

彖上伝・大畜

大畜,剛健篤實輝光,日新其德。本義 以卦德釋卦名義。程傳 以卦之才德而言也。乾體剛健,艮體篤實,人之才“剛健篤實”,則所畜能大。充實而有“輝光”,畜之不已,則“其德”“日新”也。集說 鄭氏汝諧曰:“畜”有三義,以蘊畜言之,畜德也。以畜養言之,畜賢也。以畜止言之,畜健也。“剛健篤實輝光,日新其德”,此蘊蓄之大者。“養賢”以及萬民,此畜養之大者。乾天下之至健,而四五能畜之,此畜止之大者。故《彖傳》兼此三者言之。

《彖伝》はいう:《大畜》卦は剛強勁健・篤厚踏実にして光輝煥発し、能く一天天にその徳性を更新す。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦徳」を用いて卦名の取義を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:これは一卦の才質と徳性に就きて講ずるなり。下体の乾の徳性は剛健にして、上体の艮の徳性は篤実なり。人の才質もし能く剛健篤実ならば、積蓄する所は能く宏大ならん。内裏は充実すれば便ちに自然に光輝有りて外に発し、積蓄は停まず、その徳性はすなわち一天天に更新す。集説に鄭汝諧の言を引く:「畜」の字は三層の意思有り。蘊積の上より説けば、是れ徳性を積蓄す。畜養の上より説けば、是れ賢才を養育す。止畜の上より説けば、是れ剛健を止住す。「剛健篤実輝光、日新其徳」は、これは蘊積のうちの大者なり。「養賢」にして恩沢を万民に推及するは、これは畜養のうちの大者なり。乾は天下の最も剛健なるも、しかして六四・六五両個の陰爻は能くそれを止住す。これは止畜のうちの大者なり。ゆえに《彖伝》はこの三層を一併に講到したり。

剛上而尚賢,能止健,大正也。程傳 “剛上”,陽居上也。陽剛居尊位之上,為“尚賢’之義。止居健上,為能“止健”之義。止乎健者,非大正則安能?以剛陽在上,與尊尚賢德,能止至健,皆“大正”之道也。集說 郭氏忠孝曰:《大有》,有賢之卦也。《大畜》,畜賢之卦也。故曰“剛上而尚賢”。《朱子語類》云:“能止健”,不說健而止,見得是艮來止這乾。

《彖伝》はいう:陽剛は上位に居りて賢者を尊崇し、能く剛健を止住す。これは大いに純正なり。程頤《伊川易伝》はいう:「剛上」は上九のこの一陽爻が最高処に居るを説く。陽剛は君位の上に処するは、すなわち賢者を尊崇するの意思なり。止の一体は健の一体の上に圧するは、すなわち能く剛健を止住するの意思なり。剛健の東西を止住せんと欲するは、大いに純正にあらざればどうして成し到るを得んや。陽剛は上に在り、さらに加えて君主は賢徳を尊崇し、また能く至極剛健の乾を止住す。これらは皆「大正」の道理なり。集説に郭忠孝の言を引く:《大有》は賢者を擁有するの卦にして、《大畜》は賢者を畜養するの卦なり。ゆえに「剛上而尚賢」という。集説に《朱子語類》を引いていう:《彖伝》は「能止健」といい、しかして「健而止」と説かず。見れば是れ艮が来りてこの乾を止住するなり。

不家食吉,養賢也。本義 亦取“尚賢”之象。集說 梁氏寅曰:“養賢”者,亦取“尚賢”之象。自剛上而言,則謂之“尚賢”,所以盡其禮也。自“不家食”而言,則謂之“養賢”,聽以重其祿也。利涉大川,應乎天也。本義 亦以卦體而言。

《彖伝》はいう:自己の家裏において閑飯を喫せずして吉を得るは、国家が賢者を養育するがゆえなり。朱熹《本義》はいう、この一句は同様に「尚賢」の象を取る。集説に梁寅の言を引く:いわゆる「養賢」も、また「尚賢」の象を取るなり。陽剛が上に居るのこの一面より説けば、「尚賢」と呼ぶ。あれは礼数を十足まで做るなり。「不家食」のこの一面より説けば、「養賢」と呼ぶ。あれは俸禄を優厚に給与するなり。《彖伝》はまたいう:大河を渡るに利あるは、下体が上天と相応ずるがゆえなり。朱熹《本義》はいう、この一句もまた「卦体」に就きて講ずるなり。

程傳 《大畜》之人,所宜施其所畜,以濟天下,故不食於家則吉,謂居天位享天祿也。國家養賢,賢者得行其道也。“利涉大川”,謂大有蘊畜之人,宜濟天下之艱險也,《彖》更發明卦才云,所謂能涉大川者,以“應乎天”也。六五,君也。下應乾之中爻,乃《大畜》之君。應乾而行也,所以能“應乎天”,無艱險之不可濟,況其它乎?集說 胡氏炳文曰:卦有乾體者,多曰“利涉大川”,健故也。

程頤《伊川易伝》はいう:《大畜》の徳を具備する人は、当に積蓄する所を施展して出すべく、用いて天下を救済す。ゆえに家裏において閑飯を喫せずして便ちに吉を得るは、意思はれ彼が朝廷の位置に登り国家の俸禄を享受するなり。国家は賢者を養育して、賢者はこそ自らの主張を推行するを得。「利渉大川」は、蘊蓄深厚の人は当に往きて天下の艱難険阻を解救すべきを説く。《彖伝》は再び更に一歩を進みてこの一卦の才質を発揮していわく:大河を渡ることを得る所以は、「応乎天」なるがゆえなり。六五は君主にして、下に向かい乾の中爻九二と「応与」相配す。まさに《大畜》の君主にして、一挙一動は皆乾に順応して行う。惟れこのようゆえにこそ能く「応乎天」にして、再び険艱の事も渡り過ぐる能わざるなく、況んや別の事をや。集説に胡炳文の言を引く:およそ乾体を含有するの卦は、多半は「利渉大川」と説く。すなわち乾性の剛健なる縁故によるなり。

案 “尚賢”“止健”之義,六爻中皆可見。然夫子釋卦,必以“剛健篤實”一句居首者,蓋莫大於天德。“剛健”者,天德也。人慾畜其天德,非“篤實”則不能。“篤實”者,《論語》所謂重,《大學》所謂靜,《中庸》所謂暗。雖至於達天德,而必有以固其聰明聖智。故“篤實”者,學之所以成始成終,如艮為“萬物之所成終而所成始也”。此義最大,故首發之。

李光地は案ずる:「尚賢」「止健」のこの二層の意思は、六爻のうちに皆看るべし。然るに孔子の此卦を解釈するは、一定に「剛健篤実」の一句を最前面に擺す。是れ天徳より大なるはなきがゆえなり。「剛健」はすなわち天徳なり。人は自らの天徳を積蓄せんと欲するは、「篤実」に靠らざれば成すこと能わず。いわゆる「篤実」とは、すなわち《論語》の講ずる「重」にして、荘重にして自ら持ち、《大学》の講ずる「静」にして、静定にして揺がず、《中庸》の講ずる「暗」にして、内に含んで外に露わさざるなり。たとえすでに天徳に通達すとも、また必ずこのような功夫に靠りて来りてその聡明睿智を鞏固せざればならず。ゆえに「篤実」は学を為すの能く始有り終有る所以の根本にして、まさに《説卦伝》の講ずる艮は「万物之所成終而所成始也」のごとし。この層の意思は最も重大なり。ゆえに孔子はそれを開頭に放ちて先に説出せり。

彖上伝・頤

頤,貞吉,養正則吉也。觀頤觀其所養也。自求口實,觀其自養也。本義 釋卦辭。程傳 “貞吉”,所養者正則吉也。“所養”,謂所養之人,與養之之道。“自求口實”,謂其自求養身之道,皆以正則吉也。集說 李氏舜臣曰:占之觀人,每每觀其所養。而所養之大小,則必以其所“自養”者觀之。夫重道義之養而略口體,此養之大者也,急口體之養而輕道義,此養之小者也。養其大體,則為大人。養其小體,則為小人。天之賦予,初無小大之別,而人之所養各殊,則其所成就者亦異。

《彖伝》はいう:《頤》卦は正を守れば便ちに吉なり。説くは養う所が正道に合乎すればすなわち吉なり。「観頤」は、彼の養う所は什么人にて用いるは什么弁法なるかを看るなり。「自求口実」は、彼がどのように自らを養活するかを看るなり。朱熹《本義》はいう、この幾句は卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる「貞吉」とは、養う所の対象が正道に合乎すれば便ちに吉なるを説く。「所養」は既に彼の養う人を指し、また彼の養育を施行するの弁法を指す。「自求口実」は、彼が自ら身体を養活するの路子を謀求するを説く。この両方面は皆正道に合乎すればすなわち吉なり。集説に李舜臣の言を引く:古人は一個の人を観察するに、往々にして彼の養うは何なるかを看る。しかして養う所は大なるや小なるやは、また一定に彼自身がどのように保养するの上より看ざればならず。道義の滋養を看重して口腹肢体をあまり計較せざるは、これは養の大者なり。口腹肢体の享受に急いで道義を軽忽するは、これは養の小者なり。その大体を養えば、すなわち大人と成る。その小体を養えば、すなわち小人と成る。上天の人に賦与するは、本来併せて大小の別なし。ただ人の各々養う所の同じからざるがために、最終の成就する所もまた両様と為れたり。

谷氏家傑曰:“觀頤”者,當於所養觀之,又當於所養中“自養”處觀之。案 李氏、谷氏說,皆得孟子考其善不善之意。本義 極言養道而贊之。程傳 聖人極言《頤》之道而贊其大。天地之道,則養育萬物。養育萬物之道,正而已矣。聖人作養賢才,與之共天位,使之食天祿,俾施澤於天下,養賢以及萬民也。

集説に谷家傑の言を引く:いわゆる「観頤」とは、既に彼の養う所の対象の上より看るを要し、また養う所のうちの彼自身が保养するのあの一層の上より看るを要す。李光地は案ずる:李舜臣・谷家傑両家の説法は、皆《孟子》の一個人を考察して大体を養うや小体を養うや、以て彼の善と不善を定むるの用意に合乎す。底本はここの処に《彖伝》の「天地養万物、聖人養賢以及万民、頤之時大矣哉」の数句を脱して、径に《本義》に接す。朱熹《本義》はいう、これは養育の道を極処に推して讃嘆を加う。程頤《伊川易伝》はいう:聖人は《頤》の道理を極処に講じてその博大を讃美す。天地の道は、すなわち万物を養育す。しかして万物を養育するの道理は、不過一個の正の字のみ。聖人は賢才を培养して、彼らと共に朝廷の爵位を有し、彼らをして国家の俸禄を享用せしめ、彼らをして恩沢を天下に施与せしむ。これがすなわち賢者を養育して恩恵は万民に及ぶなり。

“養賢”,所以養萬民也。夫天地之中,品物之眾,非養則不生。聖人裁成天地之道,輔相天地之宜,以養天下,至於鳥獸草木,皆有養之之政。其道配天地,故夫子推《頤》之道,贊天地與聖人之功,曰“頤之時大矣哉”!或云“義”,或云“用”,或止云“時”,以其大者也。萬物之生與養時為大,故云“時”。

程頤は続けていう:賢者を養育するは、まさに万民を養育せんがためなり。天地の間の品類众多の万物は、養育を加えざればすなわち生長すること能わず。聖人は天地の道を裁断成就し、天地の宜を輔助調理して、用いて天下を養育し、甚至に鳥獣草木も皆それらを養護するの政令有らん。このような道は足りて天地と相配す。ゆえに孔子は《頤》の道理を推闡して、天地と聖人の功業を讃美して「頤之時大矣哉」という。《彖伝》の諸卦を讃嘆するに、あるは「時義」といい、あるは「時用」といい、あるはただ「時」と説くのみ。皆そのうちの最大の一面に就きて言を立つ。万物の生長と養育は、時令を以て最も緊要と為す。ゆえにここはただ一個の「時」の字を説くのみ。

集說 趙氏汝楳曰:聖人之於萬民,豈能家與之粟,而人與之衣。其急先務者,亦曰養賢而已。賢得所養,則仁恩自及於百姓矣。案 卦有曰“尚賢”“養賢”者,皆是六五上九相遇,《大有》、《大畜》、《頤》、《鼎》是也。此卦《頤》為養義,而六五又賴上九之養以養人,故曰“聖人養賢以及萬民”也。

集説に趙汝楳の言を引く:聖人は天下万民に対して、どうして家毎に粮食を送給し人毎に衣裳を発給すること能わんや。彼の急いで頭一位に擺するは、也不過賢者を養育するのみ。賢者は供養を得れば、仁愛の恩沢は自然に百姓の身上に落到す。李光地は案ずる:およそ《彖伝》のうちに「尚賢」「養賢」を講ずるの卦は、皆六五と上九の両爻が相遇するの格局にして、《大有》《大畜》《頤》《鼎》はまさにこの四卦なり。此卦の《頤》は本身就是養育の義を取り、しかして六五はまた上九の供養に倚靠してこそ往きて別人を養うことを得。ゆえに「聖人養賢以及万民」という。

彖上伝・大過

大過,大者過也。本義 以卦體釋卦名義。程傳 大者過,謂陽過也。在事為事之大者過,與其過之大。集說 俞氏琰曰:“大過”,謂陽之過也。在人事則泛言萬事大者之過,凡大者皆是,非一端也。

《彖伝》はいう:《大過》はすなわち大の一方が常度を超過したり。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦体」を用いて卦名の取義を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる大の超過は、指すは陽の一方の超過なり。事情に落とせば、すなわち事情のうちの大のあの一頭が格を出でたり、或いはそれの超過する分量が甚だ大なるを説く。集説に兪琰の言を引く:「大過」は陽の超過を説く。人事に落とせば、すなわち泛指して万事のうちの大者の超過にして、およそ大に属するは皆そのうちに算え入れ、某一端に限らず。

棟橈,本末弱也。本義 復以卦體釋卦辭,“本”,謂初。“末”,謂上。“弱”,謂陰柔。程傳 謂上下二陰衰弱,陽盛則陰衰,故為大者過。在《小過》則曰小者過,陰過也。集說 何氏楷曰:剛過始致本末之弱,本末既弱,則亦不能獨支。本末弱,即《大過》之象,乃棟所由橈也。

《彖伝》はいう:屋梁は彎曲す、是れ根本と末梢は皆太も弱なればなり。朱熹《本義》はいう、この一句は再用して「卦体」を用いて卦辞を解釈す。「本」は初六を指し、「末」は上六を指し、「弱」は陰柔を指す。程頤《伊川易伝》はいう:これは上下両個の陰爻の衰弱を説く。陽盛なれば便ちに陰衰を顕出す。ゆえに大者の超過と称作す。《小過》卦のうちにおいてはすなわち小者の超過と説く、あれは陰の超過なり。集説に何楷の言を引く:中間の四陽は過盛にして、こそ首尾両端の虚弱を招致し、首尾はすでに虚弱なれば、すなわち撐持し住むこと能わず。首尾弱はまさに《大過》の象にして、またまさに屋梁の彎曲する所以の縁故なり。

剛過而中,巽而說行,利有攸往乃亨。本義 又以卦體卦德釋卦辭。程傳 言卦才之善也。剛雖過而二五皆得中,是處不失中道也。下巽上兌,足以巽順和說之道而行也。在《大過》之時,以中道巽說而行,故“利有攸往”,乃所以能“亨”也。集說 朱氏震曰:剛過而中,所謂時中好。過,非過於理也,以過為中也。猶之治疾,疾勢沈痼,必攻之以瞑眩之藥。自其治微疾之道視之,則謂之過。自藥病相對言之,則謂之中。《大過》之時,君子過越常分以濟弱,能達乎時中矣。

《彖伝》はいう:陽剛は過盛なると雖も能く中位を守住し、遜順和悦の態度を用いて往きて事を行えば、ゆえに往く所有りてこそ利有り、また能く亨通す。朱熹《本義》はいう、この一段はまた「卦体」と「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:これは一卦の才質の美善を講ずるなり。陽剛は過盛なると雖も、しかし九二・九五は皆中位に居りて、見れば処身は併せて中道を失わざるを知る。下卦は巽と為り上卦は兌と為りて、足りて遜順和悦の路数を憑りて往きて事を行う。《大過》の時に処して、中道に遜順和悦を加えて往きて行動すれば、ゆえに「利有攸往」にして、また正にこれによりてこそ能く「亨」なり。集説に朱震の言を引く:陽剛は過盛にしてまた中を得るは、すなわちいわゆる時に合乎するの中なり。ここの「過」は、併せて道理を超過したるにあらず、是れ常度を超過するの本身を当作して中と為す。譬えば病を治むるに、病勢深重頑固なれば、必ず人をして頭暈目眩せしむるの猛薬を用いて往きてそれを攻せざればならず。軽病を治むるの常法を拿りて看れば、これは過分と呼作す。薬と病の相当当るを拿りて看れば、これはすなわち恰当と呼作す。《大過》の時に処して、君子は平常の分寸を超越して往きて衰弱を救助す、まさに時中の道理を通達したり。

項氏安世曰:“棟橈”二字,以六爻之象言之,中四爻強,初上二爻弱,有棟橈之象,此禍變之大者也。“利有攸往亨”,以六爻之才言之,中四爻剛雖大過,而得時措之 又曰:先言“亨”,後言“利有攸往”者,亨自亨,利自利也。今先言“利有攸往”,後言“亭”者,明亨因於往也。故《彖》曰“利有攸往乃亨”,言“往”乃“亨”,不往則不亨也。

集説に項安世の言を引く:「棟撓」の両字は、六爻の象に就きて講ずるなり。中間の四爻は強にして、初・上の両爻は弱にして、屋梁彎曲の形象有り。これは禍乱変故のうちの大者なり。「利有攸往亨」は、六爻の才質に就きて講ずるなり。中間四爻の陽剛は大いに過盛なると雖も、能く因時制宜の分寸を得たり――底本はここの処に脱文有りて、項氏の言は未だ説尽し得ざりき。項安世はまたいう:別処は大多は先に「亨」と説き後に「利有攸往」と説く。あれは亨は亨に帰し利は利に帰して、各自義を成すなり。此卦はしかし先に「利有攸往」と説き後に「亨」と説く。正に表明するは亨は往より来たるなり。ゆえに《彖伝》は「利有攸往乃亨」といい、意思是れ往けばこそ亨通し、往かざればすなわち亨通せざるなり。

大過之時大矣哉。本義 《大過》之時,非有大過人之材,不能濟也,故嘆其大。程傳 《大過》之時,其事甚大,故贊之曰“大矣哉!”如立非常之大事,興不世之大功,成絕俗之大德,皆大過之事也。集說 胡氏炳文曰:《大過》之事甚大,無其時不可過,有其時無其才,愈不可過。蔡氏清曰:《大過》之時,非時大過也。人當《大過》之時也,以其時事宜於大過也。其理正《小過》所謂“過以利貞,與時行”者也。大過二字屬人。

《彖伝》はいう:《大過》の処する時勢は真に重大なるかな。朱熹《本義》はいう:《大過》の時勢に処するは、常人に超遠するの材具有るにあらざれば便ちに渡り過ぐること能わず。ゆえにその重大を感嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:《大過》の時は、弁ずる要の事情は極大なり。ゆえに「大矣哉」と讃嘆す。譬えば非同尋常の大事を做出し、幾世も遇わざるの大功を興起し、流俗を超絶するの大徳を成就するは、皆大過の事に属す。集説に胡炳文の言を引く:《大過》の弁ずる要の事は極大にして、このような時勢なければすなわち過分すべからず。このような時勢有りてしかして相応するの才具なければ、すなわち更に過分すべからず。集説に蔡清の言を引く:いわゆる「大過之時」とは、併せて時勢本身が大過なるを説くにあらず、是れ人が《大過》の時に処して、当時の事情が大過の手段を用うるに適宜するによるなり。この道理はまさに《小過》卦の説く「過以利貞、与時行」の意思なり。見れば「大過」の両字は人のこの一面に就きて説くを知るべし。

彖上伝・習坎

習坎,重險也。本義 釋卦名義。集說 孔氏穎達曰:釋“習坎”之義。“險”,難也。若險難不重,不須便習。今險難既重,是險之甚者。若不便習,不可濟也。故注云:習坎者,習重險也。

《彖伝》はいう:《習坎》はすなわち双重の険陥なり。朱熹《本義》はいう、この一句は卦名の取義を解釈す。集説に孔穎達の言を引く:これは「習坎」の二字を解釈す。「険」はすなわち艱難なり。假使艱難が双重ならざれば、また反覆練習するを用いず。如今艱難はすでに双重叠加なれば、見れば険は極処に到れり。若し熟習演練を加えざれば、すなわち渡り過ぐること能わず。ゆえに王弼の注はいう:いわゆる習坎とは、すなわち双重の険難を熟習するなり。

水流而不盈,行險而不失其信。本義 以卦象釋“有孚”之義,言內實而行有常也。程傳 “習坎”者,謂重險也。上下皆坎,兩險相重也。初六云“坎陷”,是坎小之坎,重險也。“水流而不盈”,陽動於險中而未出於險,乃水性之流行,而未盈於坎,既盈則出乎坎矣。“行險而不失其信”,陽剛中實,居險之中,行險而不失其信者也。坎中實,水就下,皆為信義,“有孚”也。

《彖伝》はいう:水は不停に流れて満溢せず、険難のうちを走りてしかしその常度を失わず。朱熹《本義》はいう、この両句は卦象を用いて卦辞「有孚」の含义を解釈し、是れ内裏充実にして行為に常規有るを説く。程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる「習坎」は、指すは双重険陥にして、上下両体は皆坎にして、两重の険難は一処に叠在す。初六爻辞は坑のうちに陥落するに講到す。あれは坎の裏頭にまた小坎を套す、すなわち重険なり(底本はこの句の文字に略有訛誤有り)。「水流而不盈」は、陽爻が険中において活動してなお険境を脱出せざるなり。まさに水性は本来流動すると雖も、しかしなお坑坎を灌満せざるがごとし。一たび灌満せばすなわち坑坎を出でたり。「行険而不失其信」は、陽剛は中に居りて内裏充実にして、険陥の正中に処して、険難のうちを走りてしかし常度を失わず。坎卦の中爻は実と為り、水はまた総じて下に向かい走る。これらは皆誠信の意思に属す。ゆえに卦辞は「有孚」という。

集說 《朱子語類》云:坎水只是平,不解滿,盈是滿出來。胡氏炳文曰:水字當讀“流而不盈,行險而不失其信”兩句,皆指水言。以水之內實行有常者,釋卦辭“有孚”之義也。俞氏琰曰:坎水,流水也。晝夜常流,流則不盈,故曰“水流而不盈”。水之流迂迴曲折,不知更歷幾險,而終至於海,茲非“行險而不失其信”者乎!梁氏寅曰:“流而不盈”,“時止則止”也。盈而後進,“時行則行”也。坎以能止為信,以能行為功,“時止”“時行”,其君子處險之道與。

集説に《朱子語類》を引いていう:坎水はただ平なるのみ、満つることなく、「盈」は満ちて溢れ出ずるに至るを指す。集説に胡炳文の言を引く:この一句を読む時は、「水」の字は当に単に作して一読と為すべく、下面の「流而不盈」「行険而不失其信」の両句は皆水に就きて説く。水の内裏充実・行動有常を用いて、卦辞「有孚」の含义を解釈す。集説に兪琰の言を引く:坎の水は流動の水にして、昼夜不停に流れ、一たび流れればすなわち満溢せず。ゆえに「水流而不盈」という。水の流動は迂回曲折にして、多少の険阻を経歴するかを知らず、最後は終に大海に帰到せん。これは豈に正に「行険而不失其信」ならざるや。集説に梁寅の言を引く:「流而不盈」は、すなわち《艮》卦の説く「時止則止」なり。灌満して然るのち再び前に走るは、すなわち「時行則行」なり。坎は能く停住するを以て誠信と為し、能く行進するを以て功效と為す。当に停まればすなわち停まり、当に行けばすなわち行く。これは大概れ君子が険境のうちに処するの弁法ならん。

維心亨,乃以剛中也。行有尚,往有功也。本義 以剛在中,“心亨”之象。如是而往,必有功也。程傳 維其心可以亨通者,乃以其剛中也。中實為“有孚”之象,至誠之道,何所不通。以剛中之道而行,則可以濟險難而亨通也。以其剛中之才而往,則有功,故可嘉

《彖伝》はいう:ただ心のみ是れ亨通するは、あれは陽剛が中に居るがゆえなり。行動は崇尚を受くるは、前往すれば必ず功效有るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:陽剛は中位に居るは、まさに「心亨」の象なり。このように照らして前往すれば、一定に功效有らん。程頤《伊川易伝》はいう:ゆえにただ心のみ以て亨通すべしと説くは、まさにそれが陽剛にして中に居るがゆえなり。中爻は充実なれば便ちに「有孚」の象にして、至誠の道理は行通せざるなし。剛にして中を得るの路数を用いて往きて事を行えば、すなわち険難を渡りて通達すべし。剛にして中を得るの才具を憑りて前往すれば、すなわち功效有らん。ゆえに嘉許に値す――底本はここの処に脱文有りて、程氏の言は未だ説尽し得ざりき。

天險不可升也,地險山川丘陵也,王公設險以守其國,險之時用大矣哉。本義 極言之而贊其大也。程傳 高不呵升者,天之險也。山川丘陵,地之險也。王公,君人者,觀坎之象,知險之不可陵也。故設為城郭溝池之險,以守其國,保其民人。是有用險之時,其用甚大,故贊其“大矣哉!”山河城池,設險之大瑞也。若夫尊卑之辨,貴賤之分。明等威,異物採,凡所以杜絕陵僭限隔上下者,皆體險之用也。

《彖伝》はいう:天の険は高くして攀上すべからざるに在り、地の険は山川丘陵に在り、王公はすなわち険阻を設置して自らの国家を守衛す。険は特定の時における功用は真に重大なるかな。朱熹《本義》はいう、これはそれを極処に講じてその博大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:高くして攀上すべからざるは、これは天の険なり。山川丘陵は、これは地の険なり。王公は人民を統治する人にして、坎の卦象を看て、険阻は人に凌越せらるべからざるを明白す。ゆえに城墻壕溝のこの類の険阻を修築して、用いて国家を守衛し百姓を保護す。これがすなわち険阻を運用するの時機にして、その功用は極大なり。ゆえに「大矣哉」と讃嘆す。山河城池は、険阻を設置するうちの最も顕眼の大端なり(底本は「大瑞」の二字に疑うに訛誤有らん)。至るや尊卑の辨別・貴賤の区分は、等級威儀を明定し器物紋采を分別す。およそ僭越を杜絶し上下を隔開するの種種の制度は、また皆是れ険の意思を体会して施用を加うるなり。

集說 王氏應麟曰:下陽舉而虢亡,虎牢城而鄭懼,西河失而魏蹙,大峴度而燕危,故曰“設險以守其國”。俞氏琰曰:“時用”,謂有時乎用,而非用之常也。案 彖辭發“習險”之義,《彖傳》又發用險之義。“習險”者,練習於艱難之事而無所避,立身之大本也。用險者,自然有嚴峻之象而不可乾,御物之大權也。

集説に王応麟の言を引く:下陽のこの関邑は一たび攻取せられれば、虢国はすなわち滅亡せり。晋人は虎牢に城を築けば、鄭国はすなわち害怕せり。西河は一たび失守すれば、魏国はすなわち窘迫せり。晋軍は大峴山を越過せば、南燕はすなわち危亡せり。ゆえに《彖伝》は「設険以守其国」という。集説に兪琰の言を引く:いわゆる「時用」とは、某些の時においてこそ用い得るを説くにして、併せて平常総じて動用するにあらず。李光地は案ずる:卦辞の発揮するは「習険」の意思にして、《彖伝》はまた用険の意思を発揮し出せり。いわゆる「習険」とは、艱難の事情の上において反覆に磨練して躲避を加えざるなり。これは身を立つるの大根本なり。いわゆる用険とは、自然に一種の厳峻にして冒犯すべからざるの気象有るなり。これは外物を駕馭するの大権柄なり。

天之崇窿不可升,地之修阻不可越,此天地用險之著者。在人則所謂忠信以為甲冑,禮義以為乾櫓,皆此意也。其大者則又莫如王公之設險守國,蓋用天之道而刑賞之威,莫敢以干犯。因地之利,而河山之固,莫敢以窺伺。險之用豈不大哉!大抵八卦之德,皆有其善。坎之德險,雖微與諸卦不同。然以其用言之,則亦與諸卦之德同歸矣。

李光地は続けていう:天は高峻隆起して攀登し上ぐること能わず、地は深長阻隔して跨越し過ぐること能わず。これは天地の険阻を運用するの最も顕著の例子なり。人の身に落とせば、すなわち《左伝》の説く忠信を拿りて盔甲と当作し礼義を拿りて盾牌と当作するは、講ずるは皆この意思なり。そのうちの最大なるは、また王公の険阻を設置して国家を守衛するより若くはなし。彼らは天道に依りて刑賞の威を立てて、人は敢えて来りて触犯するなく、地利に憑藉して山河の固有りて、人は敢えて来りて窺伺するなし。険の功用は豈に大ならざらんや。大体説くに、八卦の徳性は各々その美善有りて、坎の徳性は険にして、稍稍に別の卦と同じからざる有り。しかしその功用に就きて講ずれば、すなわち別卦の徳性と殊途同帰なり。

彖上伝・離

離,麗也。日月麗乎天,百穀草木麗乎土,重明以麗乎正,乃化成天下。本義 釋卦名義。程傳 “離”,麗也,謂附麗也。如“日月則麗於天”,“百穀草木”則“麗於土”,萬物莫不各有所麗。天地之中,無無麗之物。在人當審其所麗,麗得其正,則能“亨”也。“重明以麗乎正”,以卦才言也。上下皆離,重明也。五二皆處中正,“麗乎正”也。君臣上下,皆有明德而處中正,可以化天下成文明之俗也。

《彖伝》はいう:《離》はすなわち附着なり。日月は天上に附着し、百谷草木は土上に附着す。上下两重の光明は皆正位に附着して、ここにおいて能く天下を教化して風俗を成就す。朱熹《本義》はいう、この一段は卦名の取義を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:「離」はすなわち麗にして、すなわち依附なり。譬えば日月は天上に依附し、百谷草木は土上に依附す。万物は各々依附する所有るならずはなし。天地の間には、一件の東西も依附する所なきはなし。人の身に落とせば、すなわち当に依附する所の対象を審慎に選択して、依附してその正を得れば、すなわち能く亨通す。「重明以麗乎正」は一卦の才質に就きて講ずるなり。上下両体は皆離にして、ゆえに是れ双重の光明なり。六二・九五は皆中に処して正を得たり。ゆえに「麗乎正」なり。君臣上下は皆明徳有りてまた中に居りて正を守れば、すなわち天下を教化して文明の風俗を造成すべし。

集說 項氏安世曰:“日月麗乎天”而成明,“百穀草木麗乎土”而成文。故離為文,又為明。齊氏夢龍曰:龜山楊氏云:火無常形,麗物而有形,最得本旨。人之生也。得水為精,得火為神,其合也。氣聚而形成於有其分也,氣散而神泯於無。蓋精所以為形,而神麗於形者也。天地,形之大者也。日月麗天,百穀草木麗土,其神之發見而可見者也。案 項氏齊氏說,則是陽麗乎陰,而以為陰麗乎陽者,非矣。唯張子《正蒙》之說得之。

集説に項安世の言を引く:日月は天上に依附して光明を形成し、百谷草木は土上に依附して文采を形成す。ゆえに離は既に文采の義を取り、また光明の義を取る。集説に斉夢竜の言を引く:亀山先生楊時はかつて講じたり、火は固定の形体なく、別の東西の上に附してこそ形体を顕出す。この話は最も離卦の本旨を得たり。人の出生は、水を得て精と成り、火を得て神と成る。聚合する時は、気は凝聚して形体は「有」において成り、分離する時は、気は消散して神は「無」において泯滅す。大概れ精は形体を構成するに用いられ、しかして神はすなわち形体の上に依附す。天と地は形体のうちの最大にして、日月は天上に依附し、百谷草木は土上に依附す。まさに神の発露して出でて看るべきの処なり。李光地は案ずる:項安世・斉夢竜のこのように講ずるに照らせば、説くは陽が陰に依附するなり。あれらの陰が陽に依附すると認為するは、すなわち説錯せり。ただ張載《正蒙》の説法のみ講対せり。

柔麗乎中正故亨,足以畜牝牛吉也。本義 以卦體釋卦辭。集說 項氏安世曰:“重明以麗乎正”,此統論一卦之義,以釋卦名也。“柔麗乎中正”,此以二五成卦之爻釋卦辭也。胡氏炳文曰:坎之剛中,九五分數多,故九五曰“坎不盈”,卦辭釋“有孚”。亦曰“水流而不盈”。離之中正,六二分數多,故卦辭曰“畜牝牛吉”,而六二爻辭亦曰“黃離元吉”

《彖伝》はいう:陰柔は中にして正を得るの位置に依附し、ゆえに亨通して、足りて母牛を畜養するがごときの柔順にして吉を得るに足る。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦体」を用いて卦辞を解釈す。集説に項安世の言を引く:「重明以麗乎正」は通盤に一卦の義理を論説して、用いて卦名を解釈す。「柔麗乎中正」はすなわち六二・九五のこの両個の成卦の爻を拿りて来りて卦辞を解釈す。集説に胡炳文の言を引く:坎卦は陽剛が中に居るを講じて、九五の占する分量は更に重し。ゆえに九五爻辞は「坎不盈」といい、しかして卦辞は「有孚」を解釈する時にも「水流而不盈」と説く。離卦は柔順中正を講じて、六二の占する分量は更に重し。ゆえに卦辞は「畜牝牛吉」といい、しかして六二爻辞もまた「黄離元吉」と説く。

彖下伝・咸

咸,感也。本義 釋卦名義。集說 劉氏牧曰:卦以《咸》名,而《彖傳》以“感”釋其義者,聖人之微旨,欲明感物之無心也。張子曰:萬物本一,故一能合異,以其能合異,故謂之“感”,若非有異,則無合,天地乾坤,陰陽也,二端故有感,本一故能合。

《彖伝》はいう:《咸》はすなわち感応なり。朱熹《本義》はいう、この一句は卦名の取義を解釈す。集説に劉牧の言を引く:卦名の用うるは《咸》にして、しかして《彖伝》はしかし「感」の字を用いてその意義を解釈す。ここは聖人の微妙の用意を含みて、是れ外物に感通する時は本に成心なきを点明せんと欲す。集説に張載の言を引く:万物は本源の上において是一体にして、ゆえにこの「一」は能く相異の東西を合攏せしむ。まさに能く相異を合攏するがゆえに、こそ「感」と呼作す。若し先に相異有るにあらざれば、便ちに合を談じ上ぐること能わず。天と地・乾と坤は、説尽すればすなわち陰と陽なり。この両端有るがゆえに能く感有り、本源は一と為るがゆえに能く相合す。

邱氏富國曰:“咸”者感也,所以感者心也,無心者不能感,故“咸”加“心”而為“感”。有心於感者,亦不能咸感,故“感”去“心”而為“咸”。“咸”,皆也,唯無容心於感,然後無所不感,聖人以《咸》名卦,而《彖》以“感”釋之,所以互明其旨也。王氏應麟曰:咸之感無心,感以虛也。兌之說無言,說以誠也。

集説に邱富国の言を引く:「咸」はすなわち感にして、しかして用いて感通するは心なり。心なきの東西は能く感ぜず。ゆえに「咸」の字は「心」を加えてこそ「感」の字と為る。しかるに心を存して往きて感ずる人は、また能く普遍的に感ずるを做り到らず。ゆえに「感」の字は「心」を去掉してこそ「咸」の字と為る。「咸」は全都・普遍の意思にして、ただ感通の上に私意を安放せずして、然るのちこそ感ぜざる所なし。聖人は《咸》を拿りて卦に名を付与し、しかして《彖伝》は「感」を用いて往きてそれを解釈す。まさに両下裏に互相にこの層の意旨を発明せんと欲す。集説に王応麟の言を引く:咸の感は成心なきにして、靠るは内心の虚静なり。兌の悦は多言を必せざるにして、靠るは内心の誠実なり。

柔上而剛下,二氣感應以相與,止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。本義 以卦體卦德卦象釋卦辭。或以卦變言“柔上”“剛下”之義,曰《咸》自《旅》來,柔上居六,剛下居五也,亦通。

《彖伝》はいう:陰柔は上に往きて陽剛は下に居り、陰陽二気は互相感応して彼此親与す。下卦は艮止にして上卦は兌悦、男方は女方の下に屈居す。ゆえに卦辞は亨通・正を守るに利有り・妻を取れば吉を得べしと説く。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦体」「卦徳」「卦象」を用いて卦辞を解釈す。またある人は「卦変」を用いて「柔上」「剛下」の意思を講じて、《咸》は《旅》卦より変じ来たり、柔は上に往きて第六位を占め、剛は下に往きて第五位を占めたりと説く。このように講じてもまた説通し得べし。

程傳 “咸”之義感也,在卦則柔爻上而剛爻下,柔上變剛而成兌,剛下變柔而成艮。陰陽相交,為男女交感之義。又兌女在上,艮男居下,亦柔上剛下也。陰陽二氣相感相應而和合,是“相與”也。止而說,止於說為堅愨之意。艮止於下,篤誠相下也,兌說於上,和說相應也。以男下女,和之至也。相感之道如此,是以能亨通而得正。“取女”如是則“吉”也。卦才如此,大率感道利於正也。

程頤《伊川易伝》はいう:「咸」の意思は感なり。卦に就きて言えば、是れ柔爻の上に往き剛爻の下に来るなり。柔は上に往きて剛を改換して兌と為り、剛は下に来りて柔を改換して艮と為る。陰と陽は交錯して、まさに男女の交相感応するの意思なり。再び兌は少女と為して上に居り、艮は少男と為して下に処す。同様に柔は上に在り剛は下に在り。陰陽二気は互相感応して和合す。これがすなわち「相与」なり。「止而説」は、喜悦の上に停住して、堅定誠篤の意思を含む。艮は止まりて下面に在るは、篤実誠懇にして甘んじて人の下に居るなり。兌は悦びて上面に在るは、和順喜楽にして以て回応を予うなり。男方を以て女方の下に屈居するは、和順の極点に到れり。相互感応するの路数このよう、ゆえに能く亨通して正を得。これに照らして往きて妻を取れば便ちに吉を得たり。一卦の才質このよう、大略説くに、感応の道は正を守るを以て宜と為す。

集說 王氏肅曰:山澤以氣通,男女以禮感。男而下女,初婚之所以為禮,取女之所以為吉也。馮氏當可曰:“柔上”“剛下”,“感應”“相與”,所以為“亨”。“止而說”,所以“利貞”。“男下女”,所以“取女吉”也。王氏申子曰:“止而說”者,謂艮止不動,而意氣自相和說,乃所謂感。不止而動,則是出於作為,非感也,故六爻皆欲其靜。蔡氏清曰:卦體卦德卦象三段意,皆歸於“咸”之一字內。而所謂“亨利貞,取女吉”者,義蓋從此而出,故《本義》以通釋卦名卦辭。

集説に王粛の言を引く:山と沢は気に靠りて相通じ、男と女は礼に靠りて相感ず。男方は女方の下に屈居するは、まさに初次成婚の礼に合する所以・妻を取るの吉を得る所以の縁由なり。集説に馮当可の言を引く:「柔上」「剛下」にして「感応」「相与」は、「亨」の根據なり。「止而説」は、「利貞」の根據なり。「男下女」は、「取女吉」の根據なり。集説に王申子の言を引く:いわゆる「止而説」とは、艮が止住して動かざるに、しかして情意は自然に相互和悦す。これがこそ感と呼作す。若し能く止まらずして妄動せば、あれは人為造作より出づるにして、感と算さず。ゆえに《咸》卦の六爻は皆それを安静ならんことを希望す。集説に蔡清の言を引く:卦体・卦徳・卦象のこの三層の意思は、皆一個の「咸」の字のうちに帰結す。しかしていわゆる「亨利貞、取女吉」の意義は、まさにここより生出する所なり。ゆえに朱熹《本義》はそれを当作して卦名と卦辞を貫通して解釈するの一段と為す。

本義 極言感通之理。程傳 既言男女相感之義,復推極感道,以盡天地之理,聖人之用。天地二氣交感,而化生萬物,聖人至誠以感億兆之心,而天下和平。天下之心所以和平,由聖人感之也。觀天地交感化生萬物之理,與聖人感人心致和平之道,則“天地萬物之情可見矣”。感通之理,知道者默而觀之可也:

底本はここの処に《彖伝》の「天地感而万物化生、聖人感人心而天下和平。観其所感、而天地万物之情可見矣」の数句を脱して、径に注解に接す。朱熹《本義》はいう、これは感通の道理を極処に講じたり。程頤《伊川易伝》はいう:すでに男女相感の意思を講じ、接ぎてまた感の道理を極処に推して、用いて天地の条理と聖人の功用を窮尽す。天地の陰陽二気は交相感応して万物を化育生成し、聖人は至誠を以て千万人の心を感動して天下は和平す。天下人の心の和平たる所以は、まさに聖人の感動して出づるによるなり。天地の交感して万物を化生するの道理および聖人の人心を感動して和平を招致するの弁法を観察すれば、すなわち天地万物の実情は看見すべし。感通の道理は、道を懂得する人は黙々として往きて体察すればすなわち可なり。

集說 張子曰:能通天下之志者,為能感人心。聖人同乎人而無我,故和平天下,莫盛於感人心。鄭氏汝諧曰:天地萬物雖異位,其氣則一。聖人億兆雖異勢,其誠則一,觀其所感,而其情可見者,感生於情也。情出於正,然後知感通之理。張氏清子曰:“寂然不動”,性也。“感而遂通”,情也。於其所感而觀之,“而天地萬物之情”,可得而見矣。

集説に張載の言を引く:能く天下人の心意を通曉する人は、こそ能く人心を感動す。聖人は常人と相同じて自我私意なく、ゆえに天下をして和平せしめんと欲するは、人心を感動するより力有るはなし。集説に鄭汝諧の言を引く:天地万物は処する所の位置は同じからざると雖も、それらの気はしかし同一個なり。聖人と千万の百姓は処する所の地位は同じからざると雖も、それらの誠はしかし同一個なり。それが感ずる所を観察すればすなわち実情を看見す、是れ感は情より生ずるがゆえなり。情は正より出でて、然るのちこそ感通の道理を懂得す。集説に張清子の言を引く:《繋辞伝》は「寂然不動」と講ずるは、あれは性なり。「感而遂通」と講ずるは、あれは情なり。それが感ずる所より往きて観察すれば、天地万物の実情はすなわち以て看見すべし。

彖下伝・恒

恆,久也。剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。本義 以卦體卦象卦德釋卦名義。或以卦變言“剛上”“柔下”之義,曰《恆》自《豐》來,剛上居二,柔下居初也,亦通。

《彖伝》はいう:《恒》はすなわち長久なり。陽剛は上に在りて陰柔は下に在り、雷と風は互相助成し、遜順にして能く行動し、剛爻柔爻は両両として「応与」相配す。これがすなわち恒なり。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦体」「卦象」「卦徳」を用いて卦名の取義を解釈す。またある人は「卦変」を用いて「剛上」「柔下」を講じて、《恒》は《豊》卦より変じ来たり、剛は上に往きて第二位を占め、柔は下に来りて初位を占めたりと説く。このように講じてもまた説通し得べし。

程傳 “恆”者,長久之義也。卦才有此四者,成恆之義也。“剛上而柔下”,謂乾之初上居於四,坤之初下居於初,剛爻上而柔爻下也。二爻易處則成震巽,震上巽下,亦“剛上而柔下”也。剛處上而柔居下,乃恆道也。“雷風相與”,雷震則風發,二者相須,交助其勢,故云“相與”,乃其常也。“巽而動”,下巽順,上震動,為以巽而動。

程頤《伊川易伝》はいう:「恒」は長久の意思なり。一卦の才質は下面のこの四条を具備して、こそ恒の意義を成就したり。いわゆる「剛上而柔下」とは、乾の初爻が上に往きて第四位に居り、坤の初爻が下に来りて初位に居りて、剛爻は上に在りて柔爻は下に在るを説く。この両爻は一たび位置を交換せば、すなわち震と巽と成る。震は上に在り巽は下に在る、同様に「剛上而柔下」なり。剛は上に処して柔は下に居るは、まさに恒常の道なり。いわゆる「雷風相与」は、雷は一たび震動せば、風はすなわち随いて発作し、二者は互相依待して、交相に気勢を助長す。ゆえに「相与」といい、これもまたそれらの常態なり。いわゆる「巽而動」は、下体は巽順・上体は震動にして、合わせればすなわち遜順を憑りて往きて行動するなり。

天地造化恆久不已者,順動而已。“巽而動”,常久之道也。動而不順,豈能常也。“剛柔皆應”,一卦剛柔之爻皆相應。剛柔相應,理之常也。此四者《恆》之道也,卦所以為《恆》也。集說 鄭氏汝諧曰:《咸》與《恆》,皆剛柔相應。《咸》不著其義,《恆》則曰“剛柔皆應”。《咸》無心,《恆》有位也。有位而剛柔相應,其理也。無心而剛柔相應,其私也。能識時義之變易,斯可言《易》矣。

程頤は続けていう:天地造化の長久にして停まらざる所以は、也不過理に順いて動くのみ。「巽而動」はまさに恒常長久の路子なり。行動して理に順わざれば、どうして長久すること能わんや。いわゆる「剛柔皆応」は、一卦のうち剛爻柔爻は両両として相応ず。剛柔相応は、本来天然の常理なり。この四条はすなわち《恒》の道理にして、また此卦の《恒》と呼ばるる所以の縁故なり。集説に鄭汝諧の言を引く:《咸》と《恒》は皆剛柔相応の格局有るも、しかるに《咸》卦は併せてこの層の意思を標挙して出でず、《恒》卦はしかし「剛柔皆応」と説く。これは《咸》は無心の感を取り、《恒》は各々定位有るを取るがゆえなり。各々定位有りて剛柔相応ずるは、あれは正理に合乎するなり。無心の感にしてしかしてなお剛柔相応を標挙せば、かえって私意のうちに落進す。能く時と義の変易を認識して、こそ《易》を講ずるを談じ上ぐるに足る。

恆亨無咎,利貞,久於其道也。天地之道,恆久而不已也。本義 恆固能“亨”且“無咎”矣。然必利於正,乃為久於其道,不正則久非其道矣。天地之道,所以常久,亦以正而已矣。程傳 恆之道可致“亨”而無過咎,但所恆宜得其正,失正則非可恆之道也,故曰“久於其道”。“其道”,可恆之正道也。“不恆其德”,與恆於不正,皆不能亨而有咎也。天地之所以不已,蓋有恆久之道,人能恆於可恆之道,則合天地之理也。

《彖伝》はいう:恒久は能く亨通して過錯有ることなく、また正を守るに利あるは、長久にしてそれの当有るべき道の上に守るがゆえなり。天地の道は、すなわち恒久にして停息せざるなり。朱熹《本義》はいう:恒久は本来すでに能く「亨」してしかも「无咎」なり。然るに必ず正を守るに利有って、こそ長久にしてその道の上に守ると算す。若し正ならざれば、久しきもまたそれの当有るべき道にあらざるなり。天地の道の能く常久たる所以は、同様に不過一個の正の字のみ。程頤《伊川易伝》はいう:恒久の道は以て亨通を招致して過失なかるべし。ただ恒守する所は当に正に合乎すべく、正を失せば、すなわち以て恒守すべきの道にあらず。ゆえに「久于其道」という。「其道」はすなわち以て恒守すべきの正道なり。既に「不恒其徳」の毛病有り、また恒守して不正の事の上の毛病有り。両様は皆能く亨通せずして必ず過錯有らん。天地の運行して停まらざる所以は、恒久の道有るがゆえなり。人は能く以て恒守すべきの道の上に恒守せば、すなわち天地の条理に合乎す。

利有攸往,終則有始也。程傳 天下之理,未有不動而能恆者也。動則終而復始,所以恆而不窮。凡天地所生之物,雖山嶽之堅厚,未有能不變者也。故恆非一定之謂也,一定則不能恆矣。唯隨時變易,乃常道也,故云“利有攸往”。明理之如是,懼人之泥於常也。集說 朱氏震曰:“易,窮則變,變則通,通則久。”《恆》非一定而不變也,隨時變易,其恆不動,故“利有攸往”。

《彖伝》はいう:往く所有るに利あるは、一段は結束してまた新たの開始有るがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:天下の道理は、動かずして能く長久するはなし。一たび動けばすなわち終にしてまた始まる。ゆえに恒久にして窮尽せず。およそ天地の生ずる所の東西は、たとえ山岳のあのように堅固厚重なるとも、能く変ぜざるはなし。ゆえに恒は併せて固定不動の意思にあらず、一たび固定せばすなわち能く恒ならず。ただ時勢に随いて変化更易して、こそ恒常の道なり。ゆえに「利有攸往」という。孔子は道理のこのようたるを点明す。是れ人の「常」の字の上に拘泥して死守して動かざらんことを怕るるなり。集説に朱震の言を引く:《繋辞伝》は「易、窮則変、変則通、通則久」と講ず。《恒》は併せて固定不変にあらず、是れ随時に変易して、その恒常の本体はしかし動揺せず。ゆえに「利有攸往」という。

《朱子語類》云:《恆》非一定之謂,一定則不能《恆》矣。體之常。所以為用之變。用之變,乃所以為體之常。趙氏汝棋曰:所貴於攸往者,謂事雖有終,我行不已。則終者,復有始,所以體天地之道也。日月得天而能久照,四時變化而能久成,聖人久於其道而天下化成,觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。本義 極言恆久之道。

集説に《朱子語類》を引いていう:《恒》は併せて固定不動の意思にあらず、一たび固定せばすなわち能く恒ならず。本体の恒常は、まさに作用上の変化に応付せんがためなり。作用上の変化は、またまさに用いて本体の恒常を成全するなり。集説に趙汝楳の言を引く:「有所往」を看重する所以は、事情は結終有ると雖も、我はしかし行進して止まざれば、すなわち結終の処はまた別に開始有らんを説く。これがこそ天地の道を体現したりと算す。《彖伝》は接ぎていう:日月は天の運行の理を得て能く長久に照耀し、四季は推移変化して能く長久に万物を成就し、聖人は長久にしてその道の上に守りて天下は教化を受け風俗は形成を得たり。それらの恒守する所を観察すれば、天地万物の実情はすなわち看見すべし。朱熹《本義》はいう、これは恒久の道を極処に講じたり。

程傳 此極言常理,“日月”,陰陽之精氣耳。唯其順天之道,往來盈縮,故能久照而不已。“得天”,順天理也。“四時”,陰陽之氣耳。往來變化,生成萬物,亦以得天,故常久不已。聖人以常久之道行之有常,而天下化之以成美俗也。“觀其所恆”,謂觀日月之久照,四時之久成。聖人之道,所以能常久之理。觀此,則“天地萬物之情理可見矣”。天地常久之道,天下常久之理,非知道者孰能識之?集說 蘇氏軾曰:非其至情者,久則厭矣。

程頤《伊川易伝》はいう:これは恒常の理を極処に講じたり。「日月」は不過陰陽の精気のみ、ただそれらが天の規律に順いて往来盈虧するがゆえに、能く長久に照耀して停息せず。「得天」はすなわち天理に順うなり。「四時」もまた不過陰陽の気のみ、往来変化して万物を生成して、同様に天理に順得るがゆえに、長久にして停まらず。聖人は恒常長久の道を用いて往きて施行して、行事に常規有り。因りて天下は感化を受けて美好の風俗を形成す。「観其所恒」とは、日月の能く久照する所以・四季の能く久成する所以および聖人の道の能く常久たる所以の道理を観察するを説く。これらを観察すれば、天地万物の情理はすなわち看見すべし。天地長久の道・天下長久の理は、真に道を懂得する人にあらざれば、誰か能く認識せんや。集説に蘇軾の言を引く:至情より出づるにあらざるの東西は、時間一たび長ければすなわち人をして厭倦せしむ。

《朱子語類》云:物各有個情,有個人在此。決定是有個惻隱羞惡是非辭讓之情,性只是個物事,情卻多般,或起或滅,然而頭面卻只一般,長長恁地,這便是“觀其所恆”,而“天地萬物之情可見”之義。龔氏煥曰:“利貞久於其道”,體常也。“利有攸往,終則有始”,盡變也。體常而後能盡變,盡變亦所以體常。天地萬物所以常久者,以其能盡變也。

集説に《朱子語類》を引いていう:万物は各々その情有り。譬えばここに一個の人ありて、彼は一定に惻隠・羞悪・是非・辞譲のこの幾様の情有らん。性はただ一個の渾然の東西にして、情はしかし許多の様有りて、忽ち起こり忽ち滅す。然るにその面目はしかし総じてあの一副にして、長長久久にしてすなわちこの様子なり――これが便ちに「観其所恒」にして「天地万物之情可見」の意思なり。集説に龔煥の言を引く:「利貞、久于其道」は、恒常の体を守住するを講ず。「利有攸往、終則有始」は、変化の用を窮尽するを講ず。恒常を守住して然るのちこそ能く変化を窮尽し、変化を窮尽するもまたまさに恒常を守住せんがためなり。天地万物の能く長久たる所以は、すなわちそれらの能く変化を窮尽するによるなり。

陳氏琛曰:即其恆久之理而觀之,則“天地萬物之情可見矣”。蓋大氣渾淪充塞,而太極為之綱維主張。氣有參差,而理無不一。故天高地下,萬物散殊,不特其聲色貌象常久如此,而其德性功用,亦亙萬古而不易。少有變易,則為怪異不祥矣。此可見天地萬物之情,皆有恆也。

集説に陳琛の言を引く:恒久の道理に就きて観察すれば、天地万物の実情はすなわち看見すべし。大概れ元気は渾然一片にして宇宙の間に充塞し、しかして太極はそのうちにおいて綱紀を做し主宰を做す。気の分布は参差不斉有るも、しかして理は同じからざるなし。ゆえに天は上に在り地は下に在り、万物は散布して各々差別有り。不只是それらの声音・顔色・形貌・気象の長久このようのみ、すなわちそれらの徳性と功用もまた、万古に貫通して改変せず。稍有改変あれば、すなわち反常不祥の怪事と成る。これによりて天地万物の実情は、全て皆一個の「恒」の字を含むを見るべし。

案 釋“利貞”云“久於其道”,則居所不遷之謂也。釋“利有攸往”云“終則有始”,則動靜不窮之謂也。然兩義並行,初不相悖。動靜雖不窮,而所謂居所不遷者,未嘗變也。然則天地之道,恆久不已,與終則有始之義,一而已矣。下文天地日月,即根此意而申明之。

李光地は案ずる:「利貞」を解釈するに「久于其道」を用うるは、本位に安居して遷移せざるを説く。「利有攸往」を解釈するに「終則有始」を用うるは、一動一静は循環して尽きざるを説く。しかるにこの両層の意思は併行するにして、本来併せて衝突せず。動静は循環して尽きざると雖も、しかしていわゆる本位に安居して遷移せざるのあの一面は、併せてかつて改変せざるなり。このように看れば、天地の道は恒久にして停まざるは、「終則有始」の意思と同じく、原より一回事なり。下文は天地日月を講ずるは、まさにこの層の意思に順いて申説発明を加えたるなり。

“日月得天而能久照”者,恆久不已也。“四時變化而能久成”者,終則有始也。日月為之體,四時為之用,四時者日月之所為,合之皆天地之道也。聖人久於其道,如日月之得天而久照,化天下而成之,如四時之變化而久成,此恆道之大者也。

李光地は続けていう:「日月得天而能久照」は、恒久にして停まざるのこの一面を説く。「四時変化而能久成」は、終にしてまた始まるのこの一面を説く。日月はそれの本体にして、四時はそれの作用なり。四時の推移はまさに日月運行の造成する所にして、合わせて皆是れ天地の道なり。聖人は長久にしてその道の上に守るは、まさに日月が天理に順得て長久に照耀するがごとし。天下を教化して風俗を成就するは、まさに四季が推移変化して長久に万物を成就するがごとし。これが便ちに恒久の道のうちの大者なり。

彖下伝・遯

遯亨,遯而亨也。剛當位而應,與時行也。本義 以九五一爻釋亨義。程傳 小人道長之時,君子遯退,乃其道之亨也。君子遯藏,所以伸道也,此言處《遯》之道。自“剛當位而位”以下,則論時與卦才,尚有可為之理也。雖《遯》之時,君子處之,未有必遯之義。五以剛陽之德,處中正之位,又下與六二以中正相應,雖陰長之時,如卦之才,尚當隨時消息。苟可以致其力,無不至誠自盡以扶持其道,未必於遯藏而不為,故曰“與時行也”。

《彖伝》はいう:《遯》卦は亨通するは、退避してこそ亨通するを得るがゆえなり。九五は陽剛にして「当位」にして六二と「応与」相配し、ゆえに能く時勢に随いて行動す。朱熹《本義》はいう、これは九五のこの一爻を拿りて「亨」の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:小人の道はまさに滋長するの時において、君子は退避隠蔵す。これがまさに彼の道の通行するを得るなり。君子の退蔵は是れ自らの道を伸張せんがためなり。この一句の講ずるは《遯》の時に身を処するの弁法なり。「剛当位而応」(底本は「応」の字を「位」と訛作す)以下は、すなわち時勢と卦の才質を討論して、なお以て有所作為すべきの道理有るを説明す。たとえ《遯》の時に処するとも、君子はそのうちに身をおれば、また必ずしも退避せざるを得ざるにあらず。九五は陽剛の徳を以て中正の位に処し、下に向かいまた六二と中正の徳を以て相応ず。正当陰気滋長の時に当たると雖も、この一卦の才質に照らして看れば、なお当に時勢に随いて消長を斟酌すべし。ただなお出だし上ぐるの力有れば、すなわち至誠を竭くして正道を扶持せざるなく、必ずしも一味退蔵して何も做さざるにあらず。ゆえに「与時行也」という。

集說 孔氏穎達曰:此釋《遯》之所以得亨通之義。小人之道方長,君子非遯不通,故曰“遯而亨也”。又曰:釋所以能遯而致亨之由,艮由九五以剛而當其位,有應於二,非為否亢,遯不否亢,即是相時而動,所以遯而得亨。郭氏忠孝曰:聖人進退皆道,無入而不自得,雖遯亦亨也。“與時行”者,“時止則止,時行則行”,是為《遯》之義也。

集説に孔穎達の言を引く:これは《遯》の能く亨通を得る所以の道理を解釈す。小人の道はまさに滋長して、君子は退避せざればすなわち走通せず。ゆえに「遯而亨也」という。孔穎達はまたいう:これは能く退避して亨通を招致する所以の縁由を解釈す――是れ九五が陽剛を以て恰当の位置に処し、また六二と相応じて、併せて閉塞高亢にあらざるがゆえなり。退避して閉塞高亢せざるは、すなわち時勢を相度して然るのち行動す。ゆえに能く退避して亨を得たり。集説に郭忠孝の言を引く:聖人は進むも退くるも皆道に合乎し、哪の一歩に到るも皆自在安適すること能わし。ゆえにたとえ退避するとも照様に亨通す。いわゆる「与時行」とは、すなわち《艮》卦の講ずる「時止則止、時行則行」にして、これがまさに《遯》の意義の所在なり。

《朱子語類》:問:“遯亨遯而亨也”,分明是說能遯便亨,更說剛當位而應,“與時行也”,是如何?曰:此其所以“遯而亨也”,陰方微,為他剛當位而應,所以能知時而遯,是能“與時行”。不然,便是與時背也。吳氏曰慎曰:非以剛當位而應為猶可亨,唯其當位而應,能順時而遯,所以“亨”也。“與時行”,謂時當遯而遯。

集説に《朱子語類》を引いていう:ある人問う、「遯亨、遯而亨也」は分明に説くは能く退避すればすなわち亨通す、なぜなお再び「剛当位而応」「与時行也」と説かんや。朱熹は答えていわく:これがまさにそれが「遯而亨」たる所以の縁故なり。陰気は剛に萌動してなお甚だ微弱にして、九五の陽剛当位にしてまた相応するの爻有るがゆえに、能く時機を識得して及早に退避す。これがこそ「与時行」と呼作す。然らざれば、すなわち時勢と相背す。集説に呉曰慎の言を引く:併せて陽剛当位にして応有るに憑れば、すなわちなお勉强に亨通すべしと説くにあらず。是れ惟その当位にして応有れば、こそ時勢に順いて往きて退避すること能わし。ゆえに亨通す。「与時行」とは、時勢が当に退避すべきの時に即して便ちに退避するを説く。

小利貞,浸而長也。本義 以下二陰釋“小利貞”。集說 胡氏瑗曰:君子所以不得大有為於世,而唯小利於貞者,蓋以下之群陰浸長,而小人之黨漸盛也。朱氏震曰;二陰浸長方之於否,不利君子貞,固有間矣。然不可大貞,“利小貞”而已。先儒謂居小官,乾小事,其害未甚,我志猶行。蓋遯非疾世避俗,長往不反之謂也。去留遲速,唯時而已。非不忘乎君,不離乎群,消息盈虛,循天而行者,豈能盡《遯》之時義。

《彖伝》はいう:ただ小処において正を守るに利あるは、陰気がまさに一点一点に滋長するがゆえなり。朱熹《本義》はいう、これは下面の両個の陰爻を拿りて「小利貞」を解釈す。集説に胡瑗の言を引く:君子の能く世上において大有作為せずして、ただ小処において正を守るに利ある所以は、下面の一群の陰爻が逐漸に滋長して、小人の党羽は日漸に興盛するがゆえなり。集説に朱震の言を引く:両個の陰爻は慢慢に滋長して、《否》卦の「不利君子貞」の局面に比ぶれば、畢竟になお距离有らん。ただ大処において正を守るべからず、僅僅に「利小貞」のみ。先儒はこの時は以て小官を担任し小事を弁理して、害処はなお大と算せず、自らの志向は仍お行通し得べしと説く。見れば退避は併せて世道を憎悪し俗務を逃避して一去回頭せざるの意思にあらず。離去するや留下するや・遅一点や早一点やは、全て時勢を看て以て定む。若し心裏に君主を忘れず身上に人群を脱離せざる・能く消長盈虚の道理に依りて天に順いて行う人にあらざれば、どうして能く《遯》の時義を領会して周全せらんや。

張氏清子曰:二陽為《臨》,二陰為《遯》,《遯》者《臨》之反對也。《臨》之《彖》曰“剛浸而長”,《遯》之《彖》則不曰柔浸而長,而止曰“浸而長”。遯之時義大矣哉!本義 陰方浸長,處之為難,故其時義為尤大也。

集説に張清子の言を引く:下面の両爻を陽と為すは《臨》卦にして、下面の両爻を陰と為すは《遯》卦なり。《遯》はまさに《臨》の倒転して来たるの対頭卦なり。《臨》の《彖伝》は「剛浸而長」といい、《遯》の《彖伝》はしかし「柔浸而長」と説かずして、ただ「浸而長」と説くのみ。措辞の上において含蓄するの意有らん。《彖伝》は最後にいう:《遯》の処する時勢と義理は真に重大なるかな。朱熹《本義》はいう:陰気はまさに一点一点に滋長して、身をそのうちに処するは甚だ容易ならず。ゆえにその時義は格外に重大なり。

程傳 當陰長之時,不可大貞,而尚“小利貞”者,蓋陰長必以浸漸,未能遽盛,君子尚可小貞其道。所謂“小利貞”,扶持使未遂亡也。《遯》者陰之始長,君子知微,故當深戒。而聖人之意未便遽已也,故有“與時行”、“利貞”之教。聖賢之於天下,雖 集說 郭氏雍曰:《遯》之“小利貞”,《睽》之“小事吉”,不知者遂以為小而不思也。故孔子明其大,而後知“小利貞”“小事吉”者,有大用存焉。

程頤《伊川易伝》はいう:まさに陰気滋長の時に当たりて、大処において正を守るべからざるに、しかし仍お「小利貞」と説くは、陰の滋長は必ず慢慢に滲み入りて来るにして、能く一下子就に強盛ならず。君子はなお以て小処において自らの道を守住すべし。いわゆる「小利貞」とは、すなわち局面を撐持して、正道をして立刻に消亡せざらしむるなり。《遯》は陰気の滋長を開始するの卦にして、君子は能く幾微の処において分明を見得す。ゆえに当に深く自ら戒懼すべし。然るに聖人の意思は併せて人をして馬上に撒手せしめんとするにあらず。ゆえにこそ「与時行」と「利貞」のこのような教誨有らん。聖賢の天下に対するは、虽し――底本はここの処に脱文有りて、程氏の言は未だ説尽し得ざりき。集説に郭雍の言を引く:《遯》は「小利貞」を講じ、《睽》は「小事吉」を講ず。明白せざる人は便ちに当作して小事と為して往きて深想せず。ゆえに孔子は《彖伝》のうちにおいてその重大を点明して、人々はこれに於てこそいわゆる「小利貞」「小事吉」の裏頭に大用処を存するを知れり。

彖下伝・大壮

大壯,大者壯也。剛以動,故壯。本義 釋卦名義。以卦體言,則陽長過中,大者壯也。以卦德言,則乾剛震動,所以壯也。程傳 所以名《大壯》者,謂大者壯也。陰為小,陽為大。陽長以盛,是大者壯也。下剛而上動,以乾之至剛而動,故為《大壯》。為大者壯,與壯之大也。

《彖伝》はいう:《大壮》はすなわち大の一方が強盛なり。剛強の質を以て行動すれば、ゆえに強盛なり。朱熹《本義》はいう、これは卦名の取義を解釈す。「卦体」に就きて講ずれば、陽爻の滋長はすでに半分を超過して、是れ大の一方が強盛なり。「卦徳」に就きて講ずれば、下は乾の剛健・上は震の発動にして、ゆえに強盛なり。程頤《伊川易伝》はいう:《大壮》と取名する所以は、大の一方が強盛なるを説く。陰は小と算し陽は大と算し、陽は滋長して興盛に到れば、すなわち大の一方が強盛なり。下体は剛健にして上体は震動にして、乾の至極剛強の質地を憑りて往きて行動すれば、ゆえに《大壮》と呼作す。これは既に大の一方が強盛にして、また強盛の甚だ大なり。

集說 項氏安世曰:剛則不為物慾所橈,故其動也壯,使以血氣而動,安得壯乎?案 大者,謂陽也。大者壯,謂四陽盛長也。此句止釋名卦之義。“剛以動故壯”一句,非正釋卦名,乃推明卦之善以起辭義耳。凡曰故者皆同義,“順以說”“故聚”,“明以動故《豐》”是也。

集説に項安世の言を引く:剛強の人は物欲に揺撼せられず。ゆえにその行動はこそ壮と称するに足る。假使ただ一時の血気に憑りて往きて行動せば、どうして壮と算すべからんや。李光地は案ずる:「大者」は陽を指し、「大者壮」は、四個の陽爻が興盛滋長するを説く。この一句はただ卦名の含义を解釈するのみ。「剛以動故壮」の一句は併せて正面に卦名を解釈するにあらず、是れ此卦の美善を推闡して、用いて卦辞の義理を引出す。およそ「故」の字を用うるの句子は皆同一体例に属す。例えば《萃》卦は「順以説」といいのち「故聚」といい、《豊》卦は「明以動、故《豊》」というは、皆是れこのようたり。

大壯利貞,大者正也。正大而天地之情可見矣。本義 釋“利貞”之義而極言之。程傳 大者既壯,則利於貞正,正而大者道也。極正大之理,則“天地之情可見矣”。天地之道,常久而不已者,至大至正也。正大之理,學者默識心通可也。不云大下而云“正大”,恐疑為一事也。

《彖伝》はいう:《大壮》は正を守るに利あるは、大の一方は本来当に純正たるべきがゆえなり。能く又正又大到れば、天地の実情はすなわち看見すべし。朱熹《本義》はいう、これは「利貞」の含义を解釈してそれを極処に推したり。程頤《伊川易伝》はいう:大の一方はすでに強盛なれば、すなわち貞固純正に宜し。又正又大にして、こそ道なり。正大の道理を極処に推せば、天地の実情はすなわち看見すべし。天地の道の恒久にして停まらざる所以は、すなわちそれが極大にしてまた極正なるに在り。正大の道理は、学者はただ黙々として領会し心中に通暁せばすなわち可なり。《彖伝》は「大正」と説かずして「正大」と説くは、人をして正と大を誤認して一件事と為さんことを怕るるなり。

集說 《朱子語類》問:如何見“天地之情”,曰:“正大”便見得“天地之情”。天地只是正大,未嘗有些子邪處。胡氏炳文曰:心未易見,故疑其辭曰“復其見天地之心乎”!情則可見矣,故直書之。孟子養氣之論,自此而出。大者壯也,即是其為氣也。至大至剛,大者正也,即是以直養而無害。

集説に《朱子語類》を引いていう:ある人問う、どのようにしてこそ「天地之情」を看ることを得んや。朱熹は答えていわく:ただ「正大」の両字あれば、すなわち天地之情を看るべし。天地は不過正にして大なるのみ、従来に一絲一毫の邪曲の処有ることなし。集説に胡炳文の言を引く:心は容易に看ることを得ず。ゆえに《復》卦の《彖伝》は推測の語気を用いて「復其見天地之心乎」と説く。情はしかし看るべきなるを得。ゆえにここは直截に写し出せり。孟子の気を養うの議論は、すなわちここより生発して出づるなり。「大者壮也」は、正に彼の説く「其為気也、至大至剛」に相当当す。「大者正也」は、正に彼の説く「以直養而无害」に相当当す。

彖下伝・晋

晉,進也。本義 釋卦名義。集說 俞氏琰曰:《晉》以日之進言,與《升》、《漸》木之進不同。日出地上,其明進而盛。《升》、《漸》雖亦有進義,而無明盛之象。明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。本義 以卦象卦德卦變釋卦辭。

《彖伝》はいう:《晋》はすなわち前進なり。朱熹《本義》はいう、この一句は卦名の取義を解釈す。集説に兪琰の言を引く:《晋》は太陽の上昇に就きて進を講じ、《升》《漸》の両卦の草木生長の進を取ると一様ならず。太陽は地面より升起して、その光明は一歩一歩に拡大して隆盛に至る。《升》《漸》は同様に進の意思を含むと雖も、しかし光明隆盛の形象なし。《彖伝》は接ぎていう:光明は地上より升起して、柔順にして大光明に依附し、陰柔は前進して上に向かい行く。ゆえに邦国を安定するの諸侯は天子の賞賜する大量の車馬を獲得し、一天のうちに三次に接見を受く。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦象」「卦徳」「卦変」を用いて卦辞を解釈す。

程傳 “晉”,進也,明進而盛也。明出於地,益進而盛,故為《晉》。所以不謂之 集說 崔氏憬曰:雖一卦名《晉》,而五爻為主,故言“柔進而上行也”。郭氏雍曰:“順而麗乎大明,柔進而上行”,康侯之德也。其德柔順而明,故下能康一國之民,而為之主。上能致工者之寵,而“錫馬蕃庶晝日三接”也。

程頤《伊川易伝》はいう:「晋」は前進にして、光明の前進して隆盛に趨るを指す。光明は地裏より升り出でて、愈々進めば愈々盛なり。ゆえに《晋》と呼作す。至るやなぜ呼作さざるかは――底本はここの処に脱文有りて、程氏の言は未だ説尽し得ざりき。集説に崔憬の言を引く:整卦は名を取りて《晋》と為すと雖も、しかして実際は六五の一爻を以て主と為す。ゆえに《彖伝》は「柔進而上行也」という。集説に郭雍の言を引く:「順而麗乎大明、柔進而上行」は、講ずるは康侯の徳性なり。彼の徳性は柔順にしてまた明達なり。ゆえに下に対しては能く一国の百姓を安定して彼らの君長を做り、上に対しては能く天子の寵遇を獲得す。因りて「錫馬蕃庶、昼日三接」なり。

項氏安世曰:三女之卦,獨離柔在上,為得尊位,大中而行之,故謂之“上行”。巽在六四,例謂之上合上同,兌在上六,例謂之上窮,皆不得為“上行”也。王氏申子曰:六卜四卦,離上者八,專取六五一爻,以為成卦之主者二:《晉》、《大有》也。《大有》曰“柔得尊位大中而上下應之”,《晉》則曰“柔進而上行”,是專以康侯之晉者,當此一卦之義矣。

集説に項安世の言を引く:三個の女卦のうち、ただ離の柔爻のみ上体の中位に居るは、算んに尊位を取得したり。能く大中の道を以て施行す。ゆえにそれを称して「上行」と為す。巽の柔爻は六四に在りて、通例は「上合」「上同」と称作す。兌の柔爻は上六に在りて、通例は「上窮」と称作す。この両種は皆「上行」と呼ぶに够らず。集説に王申子の言を引く:六十四卦のうち、上体を離と為すは共に八卦有りて、そのうち専ら六五の一爻を取りて成卦の主爻と為すは両卦有りて、すなわち《晋》と《大有》なり。《大有》は「柔得尊位大中而上下応之」といい、《晋》はすなわち「柔進而上行」という。見れば是れ専ら康侯の晋升を拿りて来りてこの一卦の義理を承当するなり。

吳氏曰慎曰:《晉》、《咸》、《彖傳》,文意正同。卦象數句,在卦名之下,卦辭之上,是既用以釋卦名,而即以之釋卦辭,故用“是以”二字接下。案 離之德,為麗為明,是明與麗皆離也。“順而麗乎大明”,蓋以順德為本,而為大明所附麗。則明者離,而麗者亦離矣。若曰以順而附麗於大明,則麗字乃為坤所借用,其義不亦贅乎?火之為物,不能孤行也,必有所附,猶人心之明。不可孤行也,必有所附。《離》曰“畜牝牛”者,明附於順也。《睽》、《旅》之《彖》亦然,皆以說止為主,而明附之也。此文義之誤,不可不正。

集説に呉曰慎の言を引く:《晋》卦と《咸》卦の《彖伝》は、行文の路数は完全相同なり。卦象を講ずるのあの幾句は卦名の下・卦辞の上に擺し、既に用いて卦名を解釈し、また勢いに順じて用いて卦辞を解釈す。ゆえに下面は「是以」の両字を用いて接住す。李光地は案ずる:離の徳性は既に依附にして、また光明なり。見れば明と麗は皆離に属すを知るべし。「順而麗乎大明」は、坤の柔順の徳を以て根本と為し、しかして大光明よりそれの上に附着せらるるなり。このようであれば、光を発するは離にして、依附するもまた仍お離なり。若し柔順に憑りて往きて大光明に依附すると講成せば、すなわち「麗」の字は坤に借りて行かれて用いられ、意思は豈に多余ならざらんや。火のこの東西は能く独自存在せず、必ず依附する所有らざればならず。好しとするは人心の明もまた能く独自存在せず、必ず依附する所有らざればならずと同じし。《離》卦は「畜牝牛」といい、まさに光明が柔順の上に附着するなり。《睽》卦・《旅》卦の《彖伝》もまた是れこのようにして、皆喜悦・静止を以て主と為して光明より附着して上去せらる。前人のこの文義の上における誤解は、糾正を加えざるべからざるなり。

彖下伝・明夷

明入地中,明夷。本義 以卦象釋卦名。集說 孔氏穎達曰:此就二象以釋卦名,此及《晉》卦,皆《彖》、《象》同辭也。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。本義 以卦德釋卦義。“蒙大難”,謂遭紂之亂而見囚也

《彖伝》はいう:光明は地の下に沈入す、すなわち《明夷》なり。朱熹《本義》はいう、この一句は卦象を用いて卦名を解釈す。集説に孔穎達の言を引く:これは上下両個の物象に就きて卦名を解釈す。此卦は《晋》卦と一様にして、《彖伝》と《象伝》の用うる所の辞句は相同じ。《彖伝》は接ぎていう:内裏は文采光明にして外表は柔和順従し、因りて能く大難を蒙受す。周文王はすなわちこのように做したり。朱熹《本義》はいう、この一句は「卦徳」を用いて卦義を解釈す。いわゆる「蒙大難」とは、文王が商紂の乱政に遭逢して囚禁せられたるを指す。

程傳 明入於地,其明滅也,故為《明夷》。內卦離,離者文明之象。外卦坤,坤者柔順之象。為人內有文明之德,而外能柔順也。昔者文王如是,故曰“文王以之”。當紂之昏暗,乃明夷之時,而文王內有文明之德,外柔順以事紂,蒙犯大難。而內不失其明聖,而外足以遠禍患,此文王所用之道也,故曰“文王以之”。集說 王氏申子曰:《明夷》一卦,大抵主商之未造言之。

程頤《伊川易伝》はいう:光明は地の下に沈入せば、その光はすなわち熄滅す。ゆえに《明夷》と呼作す。内卦は離にして、離は文采光明の象なり。外卦は坤にして、坤は柔和順従の象なり。人を做るは内裏に文明の徳有りて、外表は能く柔順す。従前の文王はまさにこのようたり。ゆえに「文王以之」という。商紂の昏庸黒暗の時に当たりて、まさに光明の受傷するの時勢なり。文王は内裏に文明の徳有りて、外表は柔順を用いて往きて紂王に事奉し、因りて大難を蒙受したり。しかるに彼は内裏に自らの明睿聖徳を失わず、外表はまた足りて禍患を遠避す。これがすなわち文王の採用したるの路数なり。ゆえに「文王以之」という。集説に王申子の言を引く:《明夷》の整卦は、大抵是れ商朝末世の局面に就きて説を立てたるなり。

利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。本義 以六五一爻之義釋卦辭,“內難”,謂為紂近親,在其國內,如六五之近於上 程傳 《明夷》之時,利於處艱厄而不失其貞王,謂能晦藏其明也。不晦其明,則被禍患。不守其正,則非賢明。箕子當紂之時,身處其國內,切近其難,故云“內難”。然箕子能藏晦其明,而自守其正志,箕子所用之道也,故曰“箕子以之”。

《彖伝》はいう:艱難のうちにおいて正を守るに利あるは、是れ自らの明智を収斂隠蔵せんと欲するなり。内部の禍難のうちに身を処して能く自らの志向を守正するは、箕子はすなわちこのように做したり。朱熹《本義》はいう、これは六五の一爻の義理を拿りて卦辞を解釈す。いわゆる「内難」とは、箕子が身を紂王の近親と為し、その国のうちに処するを指し、まさに六五の上六に緊挨するがごとし――底本はここの処に脱文有りて、朱熹の言は未だ説尽し得ざりき。程頤《伊川易伝》はいう:《明夷》の時に処しては、艱難困厄に安処して自らの貞正を失わざるに宜し(底本は「貞」の下に一「王」の字を衍す)、すなわち能く明智を隠晦収蔵するなり。自らの明智を隠晦せざれば、すなわち禍を遭わん。自らの正道を守住せざれば、すなわち賢明と算さず。箕子は紂王の在位の時に当たりて、身を彼の国中に在らしめ、あの場の禍難と挨りて極近し。ゆえに是れを「内難」という。然るに箕子は能く自らの明智を収蔵隠晦して、独自に端正の志向を守住す。これがすなわち箕子の採用したるの路数なり。ゆえに「箕子以之」という。

集說 胡氏炳文曰:六五爻辭曰“箕於之明夷利貞”。釋彖,兼文王發之。蓋羑里演易,處之甚從容,可見文王之德。佯狂受辱,處之極艱難,可見箕子之志。然此一時也,文王因而發伏羲之《易》,箕子因而發大禹之疇。聖賢之於患難,自繫斯文之會,蓋有天意存焉。俞氏琰曰:“大難”,謂羑里之囚也。其難關係天下之大,民命之所寄,故曰“大難”。“內難”。謂家難也。其難關係一家之內,宗社之所寄也,箕子為紂之近親,故曰“內難”。

集説に胡炳文の言を引く:六五爻辞は「箕子之明夷、利貞」といい、しかして《彖伝》は卦辞を解釈する時に、文王を連帯して一斉に説出せり。文王は羑里において《周易》を推演して、処境は困なると雖も従容不迫なり。以て文王の徳を看るべし。箕子は瘋癲を仮装して屈辱に甘受して、処境は極めて艱難なり。以て箕子の志を看るべし。然るに両人は同一個の時代に処して:文王はこれによりて伏羲の《易》を闡発し、箕子はこれによりて大禹の《洪範》九疇を闡発せり。聖賢は身に患難を遭うは、恰恰としてこの一脈の文化の際遇に関係し、そのうちには大概れ天意有らん。集説に兪琰の言を引く:「大難」は羑里の囚禁を指し、あの場の禍難は整個の天下の大に牽渉して、是れ万民の性命の寄托する所なり。ゆえに「大難」と称す。「内難」は一家のうちの禍難を指し、あの場の禍難は一家のうちに牽渉して、是れ宗廟社稷の寄托する所なり。箕子は紂王の近親なり。ゆえに「内難」と称す。

彖下伝・家人

家人,女正位乎內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。本義 以卦體九五六二釋“利女貞”之義。程傳 彖以卦才而言,陽居五,在外也,陰居二,處內也,男女各得其正位也。尊卑內外之道正,合天地陰陽之大義也。集說 孔氏穎達曰:此因二五得正,以釋《家人》之義,並明“女貞”之旨。吳氏曰慎曰:先言“女正位乎內”,釋“利女貞”也。

《彖伝》はいう:《家人》一卦は、女子は内卦において正位を守住し、男子は外卦において正位を守住す。男女は各々正を得るは、これは天地の間の大道理なり。朱熹《本義》はいう、これは「卦体」のうちの九五・六二の両爻を用いて卦辞「利女貞」の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:《彖伝》は一卦の才質に就きて説を立つ。陽爻は第五位に居りて外卦に在り、陰爻は第二位に居りて内卦に処す。男と女は各々応有の正位を得たり。尊卑内外の秩序は端正にして、まさに天地陰陽の大義に合乎す。集説に孔穎達の言を引く:これは六二・九五の皆「当位」にして正を得るに根據して、《家人》の意義を解釈し、併せて順帯に卦辞「女貞」の旨趣を闡明す。集説に呉曰慎の言を引く:先に「女正位乎内」と説くは、まさに「利女貞」を解釈せんがためなり。

家人有嚴君焉,父母之謂也。本義 亦謂二五。程傳 《家人》之道,必有所尊嚴而君長者,謂父母也。雖一家之小,無尊嚴則孝敬衰,無君長則法度廢。有嚴君而後家道正,家者國之則也。集說 王氏申子曰:父道固主乎嚴,母道尤不可以不嚴,猶國有尊嚴之君長也。無尊嚴則孝敬衰,無君長則法度廢。故《家人》一卦,大要以剛嚴為尚。

《彖伝》はいう:一家のうちに威厳の君長有るに在り、指すは父母なり。朱熹《本義》はいう、ここは同様に六二と九五の両爻を指す。程頤《伊川易伝》はいう:家を治むるの道理は、必ず尊敬すべく君長を做り得るの人有らざればならず。あれはすなわち父母なり。たとえ小さくして一個の家庭に到るとも、尊厳なければ、孝順恭敬はすなわち衰減し、君長なければ、法度はすなわち廃弛す。威厳の君長有りて、然るのち家道はこそ端正ならん。一家はまさに一国の様板なり。集説に王申子の言を引く:父を做るの道は固然として厳を以て主と為すも、母を做るの道は尤其として厳ならざるべからず。まさに国家の尊厳の君長有るべきと一様なり。尊厳なければ、孝順恭敬はすなわち衰減し、君長なければ、法度はすなわち廃弛す。ゆえに《家人》一卦は、大要は剛正厳明を崇尚するに在り。

父父子子,兄兄弟弟,夫夫婦婦,而家道正,正家而天下定矣。本義 上父,初子,五三夫,四二婦,五兄三弟。以卦畫推之。又有此象。程傳 父子,兄弟夫婦各得其道,則家道正矣。推一家之道,可以及天下,故家正則“天下定矣”。集說 俞氏琰曰:彖辭舉其端,故但言“利女貞”。《彖傳》極其全,故兼言男女之正,而又以父子兄弟夫婦推廣而備言之。林氏希元曰:“正家而天下定”,猶云人人親其親長其長而天下平,不作正家之效說。

《彖伝》はいう:父を做るは父に象え、子を做るは子に象え、兄長を做るは兄長に象え、弟弟を做るは弟弟に象え、丈夫を做るは丈夫に象え、妻子を做るは妻子に象えば、家道はすなわち端正ならん。家家端正なれば、天下はすなわち安定せん。朱熹《本義》はいう:上九は父・初九は子・九五と九三は丈夫・六四と六二は妻子・九五は兄・九三は弟なり。卦の爻画に按じて往きて推せば、また別にこのような一層の象有らん。程頤《伊川易伝》はいう:父子・兄弟・夫婦は各々自らのあの一份の道理を尽くせば、家道はすなわち端正ならん。一家の道理を推広して開けば以て天下に及ぶべし。ゆえに家は端正なれば天下はすなわち安定す。集説に兪琰の言を引く:卦辞はただ一個の頭緒を挙出して、ゆえに単に「利女貞」と説く。《彖伝》はそれを講じて周全せんと欲す。ゆえに兼ねて男女各々正を得るを説き、また父子・兄弟・夫婦を拿りて推広して開きて一一に説到す。集説に林希元の言を引く:「正家而天下定」は、譬えば《孟子》の説く人人が自らの親人を親愛し自らの長輩を尊敬して天下は太平するがごとし。併せてそれを当作して家を正して以後の収る所の功效と為して講ずるにあらず。

案 六十四卦,六爻剛柔皆得位者,唯《既濟》而已。此外則中四爻得位者三卦,《家人》、《蹇》、《漸》也。然《家人》名義,獨取於風火之卦者,一則風自火出,為風化有原之象。二則《蹇》、《漸》之中爻雖得位,而初上不皆陽爻。凡《易》取類,上爻有父之象。故《蠱》卦下五爻皆曰父母,至上爻則變其文也。初爻有子之象,故蠱曰“有

李光地は案ずる:六十四卦のうち、六爻の剛柔が全て皆「当位」なるは、ただ《既済》一卦のみ。この外に中間四爻の全部当位なるは三卦有りて、すなわち《家人》《蹇》《漸》なり。然るに「家人」のこの卦名の取義は、偏偏として風火のこの一卦の上に落つる。原因は二有り。一は風は火の裏より生じ出づるは、まさに風俗教化にその本源有るの象なり。二は《蹇》《漸》の両卦は中間四爻は当位なると雖も、初爻と上爻は併せて皆陽爻ならざるなり。およそ《周易》の類を取り象を比するに、上爻は父親の象有り。ゆえに《蠱》卦は下面五爻は皆父母に講到して、上爻に到ればすなわち説法を換えたり。初爻は児子の象有り。ゆえに《蠱》卦の初爻は「有――底本はここの処に脱文有りて、李氏の言は未だ写尽し得ざりき。

彖下伝・睽

睽,火動而上,澤動而下,二女同居,其志不同行。本義 以卦象釋卦名義。程傳 《彖》先釋《睽》義,次言卦才,終言合睽之道,而贊其時用之大。火之性動而上,澤之性動而下,二物之性違異,故為《睽》義。中少二女雖同居,其志不同行,亦為《睽》義。女之少也,同處長則各適其歸,其志異也。言睽者,本同也。本不同,則非《睽》也。

《彖伝》はいう:《睽》卦は上体の離火は動きて上に向かい、下体の兌沢は動きて下に向かう。両個の女子は一処に同住して、志向はしかし一個の方向に朝えず。朱熹《本義》はいう、この一段は卦象を用いて卦名の取義を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:《彖伝》は先に「睽」の意義を解釈し、其次に卦の才質を講じ、最後に乖違を弥合するの弁法を講じ、併せてそれが特定の時における功用の大を讃嘆す。火の性子は動きて上に向かい、沢の性子は動きて下に向かい、両様の東西の性子は相背す。ゆえに取りて《睽》の意義と為す。中女の離と少女の兌は一処に同住すると雖も、志向はしかし一個の方向に朝えず。同様に《睽》の意義なり。女子は年幼の時は一処に同住して、長大せば便ちに各々当に往くべきの人家に嫁到す。それらの志向は本来すなわち一様ならず。乖違に説到すれば、本は就くは原来相同の東西に講ずるなり。本来すなわち相同ならざれば、あれもまた《睽》を談じ上ぐること能わざるなり。

案 二女同居之卦多矣,獨於《睽》、《革》言之者,以其皆非長女也。凡家有長嫡,則有所統率而分定,其不同行不相得,而至於乖異變易者,無長嫡而分不定之故爾。說而麗乎明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以小事吉。本義 以卦德卦變卦體釋卦辭。

李光地は案ずる:両個の女子が一処に同住するの卦は一個に止まらず。《彖伝》は偏偏としてただ《睽》と《革》の両卦において点明す。是れこの両卦の配する所は皆長女にあらざるがゆえなり。およそ一家のうちに嫡長有れば、すなわち統率する人有りて、名分もまた定下り得べし。志向同じからず彼此合来せず、以て乖離変乱に至る所以は、まさに嫡長なく名分不定なる縁故によるなり。《彖伝》は接ぎていう:喜悦にして光明に依附し、陰柔は前進して上に向かい行き、中位に居りて陽剛と「応与」相配す。ゆえに小事の上において吉を得たり。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦徳」「卦変」「卦体」を用いて卦辞を解釈す。

程傳 卦才如此,所以“小事吉”也。兌,說也,離,麗也,又為明。故為說順而附麗於明。凡離在上而《彖》欲見柔居尊者,則曰“柔進而上行”,《晉》、《鼎》是也。方暌乖之時,六五以柔居尊位,有說順麗明之善,又得中道而應剛,雖不能合天下之睽,成天下之大事,亦可以小濟,是於“小事吉”也。

程頤《伊川易伝》はいう:一卦の才質このよう、ゆえに「小事吉」なり。兌は喜悦にして、離は依附にして、また光明の義を取る。ゆえに合わせればすなわち喜悦順従して光明に依附す。およそ離が上体に在りて《彖伝》の柔爻が尊位に居るを点出せんと欲するは、すなわち「柔進而上行」といい、《晋》卦・《鼎》卦は皆是れこのようたり。まさに乖違分離の時に当たりて、六五は陰柔を以て尊位に居り、喜悦順従・光明に依附するの長処を具備し、また中に居りて道を得て陽剛の九二と相応ず。足りて天下の乖離を弥合し天下の大事を成就するに足らざると雖も、またなお小処において有所補救すべし。ゆえに「小事吉」という。

五以明而應剛,不能致大吉,何也?曰:五陰柔,雖應二,而睽之時,相與之道未能深固。故二必“遇主于巷”,五“噬膚”,而無咎也。天下睽散之時,必君臣剛陽中正,至誠協力,而後能合也。

程頤は続けて設問す:六五は光明に憑りて陽剛と相応ずるに、なぜ能く大吉を招致せざるか。答えていわく:六五は陰柔の質にして、九二と相応ずると雖も、しかるにまさに乖違の時に当たりて、彼此親相与するの関係はなお能く深厚牢固ならず。ゆえに九二は必ず僻巷のうちにおいて偶然に君主に遇上せざればならず、六五は必ず軟肉に咬み入るがごときに深く人と相合して、然るのちこそ過錯なからん。天下の乖離涣散の時は、一定に君と臣は皆陽剛中正の才にして、至誠合力して、然るのちこそ弥合し起きることを得。

集說 何氏楷曰:易無樂乎柔主也,而獨離居外體者,每稱焉。乾下離上曰《大有》,曰“柔得尊位,大中而上下應之”。艮下離上曰《旅》,曰“柔得中乎外而順乎剛”。離下離上曰《離》,曰“柔麗乎中正故亨”。震下離上曰《噬嗑》,曰“柔得中而上行”。坤下離上曰《晉》,曰“柔進而上行”。兌下離上曰《睽》,巽下離上曰《鼎》,皆曰“柔進而上行,得中而應乎剛”。坎下離上曰《未濟》,猶曰“柔得中也”。下卦兌說,上卦柔中,皆以小心行柔道者。《彖》之所謂“小事吉”者此耳。

集説に何楷の言を引く:《周易》は一向に陰柔の爻をして一卦の主を充当せしむるを喜ばざるも、唯独離が外卦に処するの時は、《彖伝》は毎々に称許を加う。是れあの時柔爻は恰好に第五位を占住して中を得るがゆえなり。乾下離上は《大有》にして、《彖伝》は「柔得尊位、大中而上下応之」といい、艮下離上は《旅》にして、「柔得中乎外而順乎剛」といい、離下離上は《離》にして、「柔麗乎中正故亨」といい、震下離上は《噬嗑》にして、「柔得中而上行」といい、坤下離上は《晋》にして、「柔進而上行」といい、兌下離上は《睽》・巽下離上は《鼎》にして、この両卦は皆「柔進而上行、得中而応乎剛」といい、坎下離上は《未済》にして、またなお一句「柔得中也」と説く。これらの卦のうちの柔主は、一つとして中に居るに靠りてこそ肯定を得たるならずはなし。此卦に就きて論ずれば、下体の兌は喜悦を以て主と為し、上体の六五は柔順にして中に居りて、通盤に看去すれば皆是れ小心謹慎にして柔順の路子を走るの様子なり。《彖伝》の説く「小事吉」は、指すはまさにこの一層の意思――柔順の道はただ小事を弁ずるに宜しく、大事を担い上ぐること能わざるなり。

案 此彖言卦之善,與《鼎》略同。《鼎》曰“元亨”,而此卦但曰“小事吉”者,當《睽》之時故也。凡釋卦名畢,則文義略斷,而特舉卦辭釋之,其與此卦之義相似者,則《革》卦釋名辭之例,尤為顯著也。今釋卦名而文意不斷,直連釋辭之義而總結之。蓋明乎當睽之時,有此數善,是以“小事吉”。亦唯因睽之時,故有此數善,而唯“小事吉”也。凡《彖傳》名辭之義不分者皆此類。

李光地は案ずる:この一卦の《彖伝》の講ずる卦の美善は、《鼎》卦と大致相同なり。《鼎》卦は「元亨」と説き、しかして此卦はただ「小事吉」と説くは、是れまさに《睽》の時に処するがゆえなり。通例に按ぜば、卦名を解釈し完了すれば、文意はすなわち略かに停顿を作して、別に卦辞を挙出して解釈す。此卦と意義相近きの例子のうち、《革》卦の卦名と卦辞を分釈するの体例は最も顕眼なり。如今此卦は卦名を解釈し完了して文意は併せて停顿せず、直接に連ねて卦辞の意思を解釈して一併に収束す。まさに点明せんと欲す:乖違の時に処して上述の幾様の長処を具備せば、ゆえに「小事吉」なり。また正に乖違の時に処するがゆえに、こそただこの幾様の長処有るのみ、またこそただ「小事吉」のみ。およそ《彖伝》のうち卦名と卦辞の意思を分かれて講ぜざるは、皆この一類に属す。

天地睽而其事同也,男女睽而其志通也,萬物睽而其事類也,睽之時 本義 極言其理而贊之。程傳 推物理之同,以明《暌》之時用,乃聖人合睽之道也。見同之為同者,世俗之知也。聖人則明物理之本同,所以能同天下而和合萬類也。以天地男女萬物明之,天高地下,其體睽也。然陽降陰升,相合而成化育之事則同也。男女異質,睽也,而相求之志則通也。生物萬殊,睽也。然而得天地之和,稟陰陽之氣,則相類也。

《彖伝》はいう:天と地は相乖違してしかしてそれらの化育するの事情はしかし相同じ、男と女は相乖違してしかしてそれらの相求するの心志はしかし相通じ、万物は彼此相乖違してしかしてそれらの生成するの事理はしかし同類なり。《睽》の処する時――底本はここの処に「用大矣哉」の幾字を脱せり。朱熹《本義》はいう、これは道理を極処に講じて讃嘆を加う。程頤《伊川易伝》はいう:事物の理の本来相同の一面を推尋して、用いて《睽》の特定の時における功用を闡明す。これがまさに聖人の乖違を弥合するの弁法なり。ただ相同を看ること能くするのみ相同と算すは、あれは世俗の見識なり。聖人はしかし事物の理は根本上相同なるを明白す。ゆえに能く天下を統同して万類を調和す。天地・男女・万物を拿りて来りて説明せば:天は上に在り地は下に在りて、それらの形体是れ乖違なり。然るに陽気は下降し陰気は上昇して、相合して化育の功を成就するのこの一点はしかし相同じ。男と女は質性同じからず是れ乖違なり、然るに彼此相求するの心志はしかし相通ず。生ずる所の万物は千差万別是れ乖違なり、然るに同様に天地の中和を得て陰陽の気を禀受するのこの一点はすなわち同類なり。

物雖異而理本同,故天下之大,群生之眾,睽散萬殊,而聖人為能同之,處《睽》之時,合《睽》之用。其事至大,故云“大矣哉!”集說 趙氏汝楳曰:天地不睽,則清濁淆瀆。男女不睽,則外內無別。萬物不睽,則生化雜糅。睽者其體,合者其用。

程頤は続けていう:事物は各々同じからざると雖も、しかして道理は根本上一致なり。ゆえに天下はこのように広大にして衆生はこのように繁多にして、乖離涣散・千差万別にして、唯だ聖人のみ能くそれらを統同し起きることを得――これがすなわち《睽》の時に身を処して乖違を弥合するの功用を施展するなり。この事は極めて重大なり。ゆえに《彖伝》は「大矣哉」という。集説に趙汝楳の言を引く:天と地もし乖違せざれば、清気濁気はすなわち混雑淆乱せん。男と女もし乖違せざれば、内外はすなわち分別なからん。万物もし乖違せざれば、生長化育はすなわち雑糅にして分不清ならん。見れば乖違はそれらの本体にして、弥合はこそそれらの功用なり。

彖下伝・蹇

蹇,難也,險在前也。見險而能止,知矣哉。本義 以卦德釋卦名義而贊其美。程傳 “蹇”,難也。蹇之為難,如乾之為健,若易之為難,則義有未足。

《彖伝》はいう:《蹇》はすなわち艱難にして、険陥は前面に横在す。険陥を看見して能く停住して進まざるは、これは真に明智と算すべきか。朱熹《本義》はいう、この一段は「卦徳」を用いて卦名の取義を解釈し、併せてその好処を讃美す。程頤《伊川易伝》はいう:「蹇」はすなわち難なり。不過《蹇》の「難」を取りて名と為す所以は、譬えば《乾》の「健」を取りて名と為す所以のごとく、是れこの一性質を当作して卦の本名と為す。若しただ平常の「難易」の難に照らして往きて理解せば、意思はすなわち充分ならず。本片の源文はここに到りて止まり、以下は別片より続録す。

彖下伝・蹇卦(承上)

《蹇》有險阻之義,《屯》亦難也,《困》亦難也。同為難而義則異。《屯》者,始難而未得通,《困》者,力之窮,《蹇》乃險阻艱難之義,各不同也。“險在前也”,坎險在前,下止而不得進,故為《蹇》。見險而能止,以卦才言,處《蹇》之道也。上險而下止,“見險而能止”也。犯險而進,則有悔咎,故美其能止為知也。方蹇難之時,唯能止為善。故諸爻除五與二外,皆以往為失,來為得也。

程頤《伊川易伝》は続けていう:《蹇》卦は険阻の意思を含有し、《屯》卦の講ずるもまた艱難にして、《困》卦の講ずるもまた艱難なり。同様に難なりと雖も、含义はしかし各々同じからず。《屯》は起步の初めに就きて受阻して、なお局面を打通せず。《困》は力量はすでに耗盡して、走投無路なり。《蹇》はすなわち前路険阻にして挙歩維艱なり。三者は各々分別有らん。《彖伝》は「険在前也」といい、上卦の坎の険陥が前面に横在し、下卦の艮は止住して能く前進せざるがゆえに、卦名を《蹇》と呼ぶ。「見険而能止」は「卦才」(一卦の具する所の才質)の上より説く。まさに蹇難の時に身を処して当に取るべきの態度なり。上卦は険と為り下卦は止と為るは、これがすなわち危険を見て能く停下来るなり。明らかに険有るを知りてなお硬闖せば、すなわち悔恨と災禍を招来せん。ゆえに《彖伝》はこの種の能く停住するの態度を讃美して明智と為す。まさに蹇難の時に当たりて、唯だ能く止まるのみ是れ善処なり。これによりて《蹇》卦の六爻は、九五と六二を除く以外は、皆「往」(外卦に向かい前進する)を以て失と為し「来」(内卦に返回する)を以て得と為す。

集說 項氏安世曰:險而止為《蒙》,止於外也。“見險而能止”為智,止於內也。止於外者,阻而不得進也。止於內者,有所見而不妄進也。此《蒙》與《蹇》之所以分也。《屯》與《蹇》皆訓難,《屯》者“動乎險中”,濟難者也。《蹇》者“止乎險中”,涉難者也。此《屯》,與《蹇》之所以分也。王氏申子曰:冒險而進,豈知者之事,故諸爻皆喜來而惡往。唯二與五不言來往,蓋君臣濟蹇者也。其可見險而遽止乎!其止者,處《蹇》之事也。其不止者,濟《蹇》之事也。

集説に項安世の言を引く:「険而止」は《蒙》卦の卦徳にして、あの「止」は外卦に停住す。「見険而能止」は智慧にして、この「止」は内卦に停住す。外面に停住するは、被くは阻擋し住められて前行すること能わざるなり。裏面に停住するは、心裏に察覚する所有りて軽率に前進するを肯ぜざるなり。これがすなわち《蒙》と《蹇》の分別するの所在なり。《屯》と《蹇》は皆艱難と訓作す。《屯》は「動乎険中」にして、険中において奮起して往きて危難を解救す。《蹇》は「止乎険中」にして、身を険境に陥れてただ能く謹慎に険を渉る。これがすなわち《屯》と《蹇》の分別するの所在なり。集説にまた王申子の言を引く:危険を冒して硬に前に向かい闖入するは、どこが明智者の做する所の事なるや。ゆえに《蹇》卦の各爻は皆「来」を以て可喜と為し「往」を以て可厭と為す。ただ六二と九五のみ来往を談ぜず。是れこの両爻はまさに蹇を済すの責を担うの君と臣なるがゆえに、彼らは豈に一たび危険を見ればすなわち立刻に停歩して前進せざることを得んや。停下来るは、蹇難の時に身を処して自守するの事なり。停下来ざるは、蹇難を解救するの時に担当するの事なり。

蹇利西南,往得中也;不利東北,其道窮也;利見大人,往有功也;當位貞吉,以正邦也。蹇之時用大矣哉。本義 以卦變卦體釋卦辭,而贊其時用之大也。

《彖伝》はいう:《蹇》卦の「利西南」は、西南に前往して中位を取得するを能くするがゆえなり。「不利東北」は、あの条の路はすでに尽头に走り到るがゆえなり。「利見大人」は、前往すれば能く功業を建立するがゆえなり。「当位貞吉」は、各爻は居位得当にして正道を守持して、足りて邦国を匡正するに足るがゆえなり。蹇難の時の功用は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう:この一段は「卦変」(一卦が他卦より爻位升降して変じ来たる)と「卦体」(六爻の整体結構)を用いて卦辞を解釈し、併せて《蹇》卦の処する時勢の功用の大を讃嘆す。

程傳 《蹇》之時,利於處平易,西南坤方為順易,東北艮方為險阻。九上居五而得中正之位,是往而得平易之地,故為利也。五居坎險之中,而謂之平易者,蓋卦本坤,由五往而成坎,故但取往而得中,不取成坎之義也。方《蹇》而又止危險之地,則蹇益甚矣,故“不利東北,其道窮也”,謂《蹇》之極也。蹇難之時,非聖賢不能濟天下之蹇,故利於見大人也。大人當位,則成濟蹇之功矣,往而有功也。能濟天下之蹇者,唯大正之道。夫子又取卦才而言,《蹇》之諸爻,除初外,餘皆當正位,故為貞正而吉也。

程頤《伊川易伝》はいう:蹇難の時に処しては、平坦易行の地方に停留するに宜し。西南は坤に属して、是れ柔順平易の方位なり。東北は艮に属して、是れ険阻難行の方位なり。一陽は上行して第五位に居りて「中正」(既に中位に居り、またその正位に当たる)の位を取得す。これがすなわち前往して平易の地を得るにして、ゆえに利と称す。ある人は会い問わん:九五は分明に坎険のうちに処するに、どうしてかえってそれを平易と説かんや。これは此卦は本に坤卦より変じ来たり、一陽が往きて第五位に居りてこそ坎体と成ったるがゆえに、ただ「往而得中」のこの一層を取りて、それが坎険に変成するのあの一層を取らざるなり。まさに蹇難にして、しかしてまた危険の地に停在せば、蹇難はただ更に深かるのみ。ゆえに「不利東北、其道窮也」といい、蹇難はすでに極点に到るを指す。蹇難の時は、聖賢にあらざれば便ちに天下の蹇難を解救するの力なし。ゆえに大人を見るに宜し。大人は応当の位に居れば、すなわち蹇を済すの功を成就すること能わし。これがすなわち「往而有功」なり。能く天下の蹇難を解救するは、ただ大中至正の道のみ。孔子はまた「卦才」より論を立てて:《蹇》卦の六爻は、初六を除く以外は、その余の各爻は皆正位に居る。ゆえに正を守りて吉を獲ると説く。

集說 薛氏溫其曰:諸卦皆指內為來,外為往,則此“往得中”謂五也。《蹇》、《解》相循,覆視《蹇》卦則為《解》。九二得中。則曰“其來復吉,乃得中也”。往者得中,中在外也。來復得中,中在內也。胡氏炳文曰:《坎》、《睽》、《蹇》皆非順境,夫子以為雖此時亦有可用者,故皆極言贊之。《坎》、《睽》釋卦辭後,復從天地人物極言之,以贊其大。《蹇》則釋卦辭以贊之而已,蓋上文所謂“往得中”“有功”“正邦”即其用之大者也。

集説に薛温其の言を引く:各卦の通例は皆内卦に進入するを以て「来」と為し外卦に走向するを以て「往」と為す。すなわちここの「往得中」は指すは九五なり。《蹇》と《解》の両卦は首尾相接して、《蹇》卦を整個に翻転して看れば便ちに《解》卦なり。そのうちの九二は中に居りて位を得たり。ゆえに《解・彖伝》はこそ「其来復吉、乃得中也」と説く。「往」にして中を得るは、中位は外卦に在り。「来復」にして中を得るは、中位は内卦に在り。集説にまた胡炳文の言を引く:《坎》《睽》《蹇》の三卦は皆順境にあらず。孔子はたとえこの種の時においても自ら可用の処有ると認為す。ゆえに皆極力に讃嘆を加う。《坎》《睽》の両卦は卦辞を解釈するの後に、なお更に一歩を進みて天地人物の上より放開して講じて、用いてその宏大を讃嘆す。《蹇》卦はすなわちただ卦辞に就きて讃嘆を加うるのみ。是れ上文の説く所の「往得中」「有功」「正邦」は、本身就是それの功用宏大の所在なるがゆえなり。

案 《彖傳》於《蹇》、《解》言“得中”者,但取其進退之合宜,不躁動以犯難,為“利西南”之義耳。諸家必以《坤》、《坎》、《艮》之象求之,猶乎漢儒鑿智之餘也。

李光地は案ずる:《彖伝》は《蹇》《解》の両卦のうちにおいて「得中」を講ずるは、不過進退の分寸に合乎して・急躁に妄動して険を犯さざるのこの一層の意思を取りて、用いて「利西南」を説明するのみ。各家は非要として坤・坎・艮の卦象を拿りて往きて一一に坐実す。これは仍お是れ漢代儒者の穿鑿求巧の留下せる余習なり。

彖下伝・解卦

解,險以動,動而免乎險解。本義 以卦德釋卦名義。程傳 坎險震動,“險以動”也,不險則非難,不動則不能出難。動而出於險外,是“免乎險難”也,故為《解》。

《彖伝》はいう:《解》卦は、険難有りて奮動し、一動すれば便ちに険難を脱出せり。ゆえに解と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」(上下両卦の各自の性情)を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:下卦の坎は険にして、上卦の震は動なり。合わせればまさに「険以動」なり。険なければ、すなわち危難を談じ上ぐること能わず。奮動せざれば、すなわち危難を脱出するの法なし。動きて険陥の外に走り至るは、これがすなわち「免乎険難」なり。ゆえに卦名を《解》と呼ぶ。

集說 何氏楷曰:以畫觀之,《蹇》之反。以卦觀之,《屯》之反。《蹇》止於險下,不如《屯》“動乎險中”。《屯》“動乎險中”,又不如《解》動乎險外也。

集説に何楷の言を引く:単に六爻の爻画より看れば、《解》は《蹇》を整個に倒転して来たるなり。上下両卦の配置より看れば、《解》はまた《屯》を上下に対調して来たるなり。《蹇》は険陥の下に停住するは、《屯》の「動乎険中」に比べ及ばず。しかして《屯》は険中において奮動するは、また《解》の能く険陥の外に動き出づるに比べ及ばず。

解,利西南,往得眾也,其來復吉,乃得中也,有攸往夙吉,往有功也。本義 以卦變釋卦辭。坤為眾,得眾,謂九四入坤體。“得中”“有功”,皆指九二。程傳 解難之道,利在廣大平易,以寬易而往濟解,則得眾心之歸也。不云無所往,省文爾。救亂陳難,一時之事,未能成治道也。必待難解無所往,然後來復先王之治,乃得中道,謂合宜也。有所為,則“夙吉”也,早則往而有功,緩則惡滋而害深矣。

《彖伝》はいう:《解》卦の「利西南」は、前往すれば能く衆人の擁護を得るがゆえなり。「其来復吉」は、本位に返回してこそ中道に合乎するがゆえなり。「有攸往夙吉」は、前往すれば能く功業を建立するがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは「卦変」を用いて卦辞を解釈す。坤は衆を代表し、いわゆる「得衆」は、九四のこの一陽が坤体のうちに進入するを指す。「得中」「有功」は、皆九二を指す。程頤《伊川易伝》はいう:危難を解救するの弁法は、寛大平易に利在り。寛緩平易の姿態を以て前に往きて難を解けば、こそ衆人の心の帰附を贏得すること能わし。卦辞は「无所往」と説かず、ただ行文の省略のみ。乱を平らげ難を除くはただ一時の応急にして、なお足りて治世の道を成就するに足らず。必ず危難すでに解け再び外に出でて師を興すを須いざるを待ち、然るのち頭を回らして先王の治法を回復して、これがこそ中道に合乎すと算し、すなわち恰好到当なり。若し確かに当に弁ずべきの事有れば、すなわち「夙吉」を要す――趁早に往きて弁めば便ちに功を建て、一旦拖延せば、悪勢はすなわち滋長して禍害は加深せん。

集說 王氏安石曰:有難則往,所以濟難。難已則來而復,所以保常。濟難以權,保常以中,此所以吉。郭氏雍曰:“其來復古乃得中”者,險難既解而來復,乃得中道,所謂“獲三狐”而“得黃矢”者也。“有攸往夙吉,往有功”者。如“射隼于高墉之上”者也。徐氏幾曰:“乃得中”,指二也。蓋禍亂已散,則復反於安靜之域,不事煩擾,以靜而吉也。邱氏富國曰:大抵處時方平者,易緩。除惡不盡者,易滋。聖人於患難方平之際,既不欲人以多事自疲,又不欲人以無事自怠也。

集説に王安石の言を引く:難有ればすなわち前往して、用いて危難を解救す。難すでに平息せばすなわち返回して常に復し、用いて常道を保守す。難を解くは権変を用い、常を守るは中道を用うる。これがすなわち吉を獲るの縁由なり。集説にまた郭雍の言を引く:「其来復吉乃得中」(底本は「吉」を「古」と誤写す)は、険難すでに解除せられれば便ちに返回して常に復し、これがこそ中道に合乎すを説くにして、すなわち九二爻辞の「田獲三狐、得黄矢」の写す所の情形なり。至るや「有攸往夙吉、往有功」は、すなわち上六爻辞の「公用射隼于高墉之上」のあのような果決のごとし。集説にまた徐幾の言を引く:「乃得中」は九二を指す。禍乱すでに消散せば、すなわち当に安静の境地に回到して、更に折腾して事を生ぜず、静守を以て吉を獲る。集説にまた邱富国の言を引く:大体説くに、時局は剛に平定するの人は松懈し易く、邪悪を鏟除して徹底せざるの人はまたそれを重新に滋長せしめ易し。聖人は患難初平の際において、既に人々の多事によりて自我疲敝するを願わず、また人々の無事によりて自我懈怠するを願わず。

案 之東北為進前,之西南為退後,然則來復即“利西南”之義也。而以“得眾”“得中”重釋之者,“得眾”,釋“利”字之義。言能修內固本,則得人心之歸也。“乃”字即承此意言之,謂唯其“利西南”,故必來復乃得中道也。“得眾”“得中”,亦但論義

李光地は案ずる:東北に往くは前に向かい推進し、西南に往くは後に向かい退守するに、すなわち「其来復」は正にすなわち「利西南」の意思なり。《彖伝》はしかしまた「得衆」「得中」の両句を用いて重新に一遍を解釈す。「得衆」は卦辞のうちのあの「利」の字を解釈して、是れ能く内部を修治し根本を穏固にすれば、すなわち能く人心の帰附を贏得するを説く。下句の「乃」の字はまさにこの層の意思を承接して来りて、是れ惟その「利西南」ゆえに、必ず返回復常してこそ中道を得着するを得と算すを説く。「得衆」「得中」の両句は、也不過義理に就きて論を立つるのみ――ここの処底本に脱文有りて、下文は接続し得ざるなり。

天地解而雷雨作,雷雨作而百果草木皆甲坼,解之時大矣哉。本義 極言而贊其大也。程傳 既明處《解》之道,復言天地之解,以見解時之大。天地之氣,開散交感而和暢,則成雷雨,雷雨作而萬物皆生發甲坼,天地之功,由解而成,故贊“解之時大矣哉!”王者法天道,行寬宥,施恩惠,養育兆民,至於昆蟲草木,乃順《解》之時,與天地合德也。

《彖伝》はいう:天地は鬱結して一たび解開せれば、雷雨はすなわち興作し起こる。雷雨は一たび興作せば、各种の果実草木の外殻は皆迸裂発芽す。解の時勢は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう:これは放開して極力に《解》の宏大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:すでに《解》の時に身を処するの道理を講明し、また接ぎて天地の解を講じて、用いて解時の宏大を顕示す。天地の気は舒张して開き交相感応して和暢通達せば、すなわち雷雨を凝成す。雷雨は一たび起これば、万物は皆萌発して殻を破り、天地生養の功はまさにこの一「解」によりて成る。ゆえに「解之時大矣哉」と讃嘆す。王を為る者は天道を効法して、寛赦を施行し恵恩を広布して、億万の百姓を養育し、一直到りて昆虫草木に恵及する。これがこそ《解》の時勢に順応して、天地とその徳を合わするなり。

集說 王氏弼曰:天地否結,則雷雨不作。交通感散,“雷雨乃作”也。雷雨之作,否結則散,故“百果草木皆甲坼”。胡氏炳文曰:《解》上下體易為《屯》,“動乎險中”為《屯》,動而出乎險之外為《解》。《屯》象草穿地而未申,《解》則“雷雨作而百果草木皆甲坼”。當《蹇》之未《解》,必動而免乎險,方可以為《解》。《蹇》之既《解》,則宜安靜而不可久煩擾。故《蹇》、《解》之時,聖人皆贊其大。

集説に王弼の言を引く:天地の気は閉塞鬱結せば、雷雨はすなわち興作せず。一旦上下交通して感応は四散せば、雷雨はこそ興作し起これり。雷雨は一たび作れば、閉塞鬱結はこれに随いて涣散す。ゆえに「百果草木皆甲坼」という――「甲坼」はすなわち種子の外殻の裂けて幼芽の頂き出づるなり。集説にまた胡炳文の言を引く:《解》は上震下坎にして、上下両体を対調して成れば上坎下震と為る。あれはすなわち《屯》卦なり。険中において奮動するは《屯》にして、動きて険外に走出するは《解》なり。《屯》の卦象は草芽が地面を穿透してなお舒展せざるなり、《解》はすなわち「雷雨作而百果草木皆甲坼」にして、すでに暢達无阻なり。《蹇》難の未だ解開せざる時に当たりては、必ず奮動を以て険境を脱出して、こそ転じて《解》と成るを得。《蹇》難のすでに解開するを待てば、すなわち当に安静守成して、長久に折腾すべからず。ゆえに《蹇》《解》両卦の時勢は、聖人は皆その宏大を讃嘆す。

彖下伝・損卦

損,損下益上,其道上行。本義 以卦體釋卦名義。程傳 損之所以為損者,以損於下而益於上也。取下以益上,故云“其道上行”。夫損上而益下則為《益》,損下而益上則為《損》,《損》基本以為高者,豈可謂之《益》乎?

《彖伝》はいう:《損》卦は、下面を減損して上面を増益するにして、その道は上に向かい運行す。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:《損》の損と呼ばるる所以は、下面を削減して上面を補益するがゆえなり。下面より取りて上面を増益す、ゆえに「其道上行」という。上面を減損して下面を増益すればすなわち《益》卦と成り、下面を減損して上面を増益してこそ《損》卦なり。根基を挖掉して上して上層を墊高す、これはどうして増益と称呼すべからんや(底本は「基本以為高」の一句の文字に似有訛脱有らん)。

集說 蔡氏清曰:“損下益上”,利歸於上也,故曰“其道上行”。下損則上不能獨益矣,圭晰以為《損》也。林氏希元曰:“損下益上”,下損則上亦損,故曰“其道上行”,道者,損之道也。《程傳》小注蒙引俱作利歸於上說,愚謂卦以損下取名,所重不在於利,又難以道為利。

集説に蔡清の言を引く:「損下益上」は、好処は上面に帰到す。ゆえに「其道上行」という。しかるに下面は一たび虧損せば、上面もまた能く単独に益を得ることならず。これによりてこの一卦を《損》と判定す(底本は「圭晰」の二字に訛有り)。集説にまた林希元の言を引く:「損下益上」は、下面は損を受ければ上面もまたこれに随いて損を受く。ゆえに「其道上行」という――この「道」の字は、指すはまさに損の路子なり。《程伝》の小注と《周易蒙引》は皆「好処は上面に帰す」と作して講ずるも、我は以て此卦は下面を減損するに就きて名を取るにして、着重の点は併せて利に在らず、しかもまた甚だ難く「道」の字を講じて「利」と成すこと能わざるなり。

案 蔡氏林氏兩說,沿襲用之。今思之,於卦義皆未全。蓋說者但主取民財一事耳,豈知如人臣之致身事主,百姓之服役奉公,皆損下益上之事也。必如此。然後上下交而志同,豈非“其道上行”乎!“上行”,與“地道卑而上行”之義同。下能益上,則道上行矣。上能益下,則道大光矣。如此則道字方有意味,而於兩卦諸爻之義亦合。

李光地は案ずる:蔡清・林希元両家の説法は、一向に人に沿用せられて来たり。如今細想すれば、卦義に対して皆講じて周全ならざるを得たり。是れ説を立つる人はただ民財を征斂するのこの一件事に盯住するのみにして、しかして臣子が身を献じて君主に事奉し・百姓が役を服して公事を奉行するも、同様に皆是れ「損下益上」の事なるを知らざればなり。まさにこのようとして、然るのち上下交通して心志相同じ、これは豈に正に「其道上行」ならざるや。ここの「上行」は、《謙・彖伝》の説く「地道卑而上行」と是れ同一個の意思なり。下に在るは能く上に在るを補益せば、道はすなわち上に向かい運行す。上に在るは能く下に在るを補益せば、道はすなわち広大光明なり。このように講じて、「道」の字はこそ意味有りて、しかも《損》《益》両卦の各爻の義理とまた皆相合す。

損而有孚,元吉無咎可貞,利有攸往,曷之用,二簋可用享,二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。本義 此釋卦辭。“時”,謂當損之時。程傳 謂損而以至誠,則有此“元吉”以下四者,損道之盡善也。夫子特釋“曷之用二簋可用享”,卦辭簡直,謂當損去浮飾。曰何所用哉,二簋可以享也。厚本損末之謂也。夫子恐後人不達,遂以為文飾當盡去,故詳言之。有本必有末,有實必有文,天下萬事無不然者。無本不立,無文不行。父子主思,必有嚴順之體。君臣主敬,必有承接之儀。禮讓存乎內,待威儀而後行。尊卑有其序,非物採則無別,文之與實,相須而

《彖伝》はいう:減損して誠信を懐けば、すなわち大いに吉利・過錯なし・正を守るべし・往く所有るに宜し。何を拿りて献享せんや。二簋の薄物を以てすなわち献享すべし。二簋の献享は時機を看るを要し、剛強を減損して柔弱を増益するは時機を看るを要す。減損・増益・盈満・虧虚は、皆時勢と一同に推行するを要す。朱熹《本義》はいう:この一段は卦辞を解釈し、「時」は指すは当に減損すべきの時なり。程頤《伊川易伝》はいう:これは減損して至誠を以て之を行えば、すなわち能く「元吉」以下の四項の好処有るを講ずるにして、これは損道の尽善の処なり。孔子は特意に「曷之用、二簋可用享」の一句を解釈す。是れ卦辞の太も簡直なるがゆえに、本意は是れ虚浮の文飾を損去すべしを説く――あの許多を要して何を為さんや、二簋はすなわち足りて献享す。講ずるは根本を厚待して枝末を削減するなり。孔子は後人の領会し得ず、誤りて文飾は当に全部去掉すべしと認為せんことを怕りて、ゆえに詳しく申説を加う。根本有れば必ず枝末有り、実質有れば必ず文采有りて、天下の万事は例外なし。根本なければ便ちに立住せず、文采なければ便ちに行開せず。父子の間は恩愛を以て主と為すも、また必ず荘厳順従の体統有らん。君臣の間は恭敬を以て主と為すも、また必ず承迎接待の儀節有らん。礼譲は心中に存して、威儀に靠りてこそ施行すべし。尊卑は各々次序有りて、器物采飾なければすなわち等差を分出さず。文采と実質は、両相依待して――ここの処底本に脱文有り。

集說 徐氏幾曰:卦辭曰“損有孚”,《彖傳》曰“損而有孚”,加以而字,義曉然矣。張氏清子曰:當其可之謂時,當損而損,時也。不當損而損,則非時。

集説に徐幾の言を引く:卦辞は「損有孚」と作して、《彖伝》は「損而有孚」と作して、多く一個の「而」の字を加えて、意思はすなわち明白せり――是れ減損するの同時において誠信を懐くなり。集説にまた張清子の言を引く:恰も当に做すべきの時において往きて做すは、これがこそ「時」と呼作す。当に減損すべきの時にこそ減損するは、是れ時に合乎す。当に減損すべからざるにしかして往きて減損するは、すなわち時に合乎せず。

案 《程傳》之義,施於《賁》卦則可。此卦所謂損者,乃謂時當節損。如家則稱貧富之有無,國則視凶豐為豐儉之類耳,故曰“損而有孚”。言時雖不得已而損,而以“有孚”行之。如祭祀雖不能備品,而以至誠將之也。“二簋”,喻節損之義。然下云“損剛益柔”者,非以損剛喻二簋也。剛為本,喻孚誠。柔為末,喻儀物。以孚誠之有餘,補儀物之不足。則雖二簋而不嫌於簡矣。此“損剛益柔”之義。

李光地は案ずる:《程伝》のあの一番の文と質を辨析するの議論は、《賁》卦の上に用いれば是れ合適なり。此卦の説く「損」は、講ずるは時勢が当に節省削減すべきにして、譬えば家を治むるは貧富有無に按じて入を量りて出を為すを要し、国を治むるは年成凶豊を看て豊倹を決定するを要す。これのみ、ゆえに「損而有孚」という――是れ時勢は強いで不得已に節損せしむると雖も、しかし誠信を用いてそれを貫徹するを説くにして、まさに祭祀の時はたとえ品物を備斉せずとも、また至誠を以て奉行せんと欲するがごとし。「二簋」はまさに節損のこの層の意思の比喻なり。不過下文の説く「損剛益柔」は、併せて「損剛」を拿りて二簋を比喻するにあらず。剛は根本にして、誠信を比喻す。柔は枝末にして、儀節器物を比喻す。誠信の有余を用いて、儀物の不足を弥補するに往けば、すなわちただ二簋有るのみと雖も、またそれが簡陋なるを嫌わず。これがこそ「損剛益柔」の含义なり。

彖下伝・益卦

益,損上益下,民說無疆,自上下下,其道大光。本義 以卦體釋卦名義。程傳 以卦義與卦才言也。卦之為《益》,以其“損上益下”也。損於上而益下,則民說之。“無疆”,為無窮極也。自上而降己以下下,其道之大光顯也。陽下居初,陰上居四,為自上下下之義。集說 胡氏炳文曰:《損》“其道上行”以上兩句,皆釋《損》義。《益》“其道大光”以上四句,皆釋《益》義。

《彖伝》はいう:《益》卦は、上面を減損して下面を増益するにして、百姓は喜悦して辺際なし。上位より己を屈して下位に下れば、その道は広大光明なり。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:これは卦義と「卦才」に就きて論を立つ。此卦の《益》と呼ばるる所以は、まさにそれが「損上益下」なるがゆえなり。上に在る者を削減して下に在る者を補益すれば、百姓は自然に喜悦す。「无彊」は、窮尽なきの意思なり。上位より身段を放下して俯就して下位に来れば、この条の道はすなわち広大にして光顕なり。爻画に就きて説けば、一陽は下りて来りて初位に居り、一陰は上りて往きて四位に居る。これがすなわち「自上下下」の含义なり。集説に胡炳文の言を引く:《損》卦は開頭より「其道上行」に到るまで共に両句にして、皆是れ《損》義を解釈す。《益》卦は開頭より「其道大光」に到るまで共に四句にして、皆是れ《益》義を解釈す。

利有攸往,中正有慶,利涉大川,木道乃行。本義 以卦體卦象釋卦辭。程傳 五以剛陽中正居尊位,二復以中正應之,是以中正之道益天下,天下受其福慶也。《益》之為道,於平常無事之際,其益猶小。當艱危險難,則所益至大,故“利涉大川”也。於濟艱險,乃《益》道大行之時也。益誤作木,或以為上巽下震,故云“木道”,非也。集說 朱氏震曰:“利涉大川”言木者三,《益》也,《渙》也,《中孚》也,皆巽也。

《彖伝》はいう:「利有攸往」は、中に居りて正を守りて福慶有るがゆえなり。「利渉大川」は、木道に依りてこそ通行するを得るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」と「卦象」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:九五は陽剛中正を以て尊位に居り、六二はまた中正を以てそれと相応ず。これがすなわち中正の道を用いて天下を増益して、天下人はその福慶を蒙受す。《益》の道理は、平常無事の時における増益する所はなお小さく、一たび艱危険難の関頭に到れば増益する所はすなわち極大なり。ゆえに「利渉大川」といい、艱険を渡越する時は、まさに《益》道の大いに通行するの日なり。「益」の字は「木」の字と誤写せられたり。ある人は上卦は巽・下卦は震にして、木は上に在りて下において動くに因りて、便ちにこれを「木道」と説く。あれは対ならず。集説に朱震の言を引く:「利渉大川」を講じて木に提到するは共に三処有りて、《益》卦・《渙》卦・《中孚》卦にして、三卦は皆巽体を含有す。

益動而巽,日進無疆,天施地生,其益無方,凡益之道,與時偕行。本義 動巽,二卦之德。乾下施,坤上生,亦上文卦體之義,又以此極言贊益之大。程傳 又以二體言,卦才下動而上巽,“動而巽”也。為《益》之道,其動巽順於理,則其益日進,廣大無有疆限也。動而不順於理,豈能成大益也。以天地之功,言《益》道之大,聖人體之以益天下也。天道資始,地道生物,“天施地生”,化育萬物,“各正性命”,“其益”可謂“無方”矣。方,所也,有方所,則有限量。“無方”,謂廣大無窮

《彖伝》はいう:《益》卦は、奮動にしてまた謙遜にして、増益は一天天に推進して辺際なし。上天は施与し大地は化生して、その増益は一定の処所有らず。およそ増益の道は、皆時勢と一同に推行す。朱熹《本義》はいう:「動」と「巽」は震・巽両卦の各自の卦徳なり。「乾下施」「坤上生」も、またなお上文の講ずる卦体のあの層の意思にして、またこれに借りて極力に《益》の宏大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:ここは再び上下両体より論を立てて、此卦の才質は下卦震動にして上卦巽順にして、まさに「動而巽」なり。《益》の道を行うに、その奮動は能く事理に謙順せば、すなわちその増益は日日に推進して広大にして疆界なからん。反対に動きて理に順わざれば、どうして能く大の増益を成就せんや。接ぎてまた天地生成の功を用いて《益》道の大を説明して、聖人はそれを取法して用いて天下を増益す。天道は万物に開端を給与し、地道は万物に形体を生養す。「天施地生」は万物を化育して、各々自らの性命を端正せしむ。このような増益は真に以て「无方」と説くべし。方はすなわち処所にして、固定の処所有れば、すなわち限量説くべき有らん。「无方」は、広大無窮を説く――ここの処底本に脱文有り。

集說 顧氏象德曰:既奮發,又沈潛,學所以日新,故“日進無疆”。天下施,地上行,化所以不已。故“其益無方”。此皆時之自然者,故曰“凡益之道,與時偕行”。案 動巽取卦德,施生取卦象。風者天施也,故《姤》有施命之象。雷者地生也,故《解》有甲坼之象。《損》之“與時偕行”者,時當損而損也。《益》之“與時偕行”者,時當益而益也。人事也,造化也,非氣候之至,則不能強為益也。

集説に顧象徳の言を引く:能く奮発振作し、また能く沈潜含蓄すれば、学問はまさにこれによりて日日に更新す。ゆえに「日進无彊」という。天気は下降して施与し、地気は上昇して運行して、造化はまさにこれによりて永遠に停歇せず。ゆえに「其益无方」という。これらは皆是れ時勢の自然而然にして、ゆえに「凡益之道、与時偕行」という。李光地は案ずる:「動」「巽」は卦徳に就きて義を取り、「天施」「地生」は卦象に就きて義を取る。風は上天の施与なり。ゆえに《姤》卦は「施命誥四方」の象有らん。雷は大地の生発なり。ゆえに《解》卦は草木の「甲坼」の象有らん。《損》卦は「与時偕行」といい、是れ時勢が当に減損すべければ便ちに減損す。《益》卦は「与時偕行」といい、是れ時勢が当に増益すべければ便ちに増益す。ここは既に人事を講ずるにして、また造化を講ずるなり。気候節令は到らざれば、すなわち能く強行して増益するの法なし。

彖下伝・夬卦

夬,決也,剛決柔也。健而說,決而和。本義 釋卦名義而贊其德。程傳 “夬”為決義,五陽決上之一陰也。“健而說,決而和”,以二體言卦才也。下健而上說,是健而能說,決而能和,決之至善也。兌說為和。

《彖伝》はいう:《夬》卦は、決除の意思にして、陽剛が陰柔を決除す。剛健にしてまた和悦にして、決除にしてまた和順なり。朱熹《本義》はいう:これは卦名の含义を解釈し、併せてその卦徳を讃美す。程頤《伊川易伝》はいう:「夬」はすなわち決除の義にして、下面の五個の陽爻は上面のあの一個の陰爻を決除せんと欲す。「健而説、決而和」は、上下両体に就きて「卦才」(一卦の具する所の才質)を講ずるなり。下卦は乾の剛健・上卦は兌の和悦にして、これがすなわち剛健にして能く和悦・決除にして能く和順にして、是れ決除のうちの最も尽善の做法なり。兌の性情は喜悦と為る。ゆえに「和」のこの層の意思を取る。

集說 何氏楷曰:君子以天下萬物為一體,如陽德之無所不及,其於小人,未嘗仇視而物畜之也。唯獨恐其剝陽以為世道累,則不容於不去耳,而矜惜之意,未嘗不存,此和意也。案 凡釋卦名之後,復有讚語者,皆以起釋辭之端。此言“健而說,決而和”,起“揚于王庭”以下之意也。

集説に何楷の言を引く:君子は天下万物を看作して一体と為して、まさに陽気の徳沢の到らざる所なきがごとし。彼の小人に対待するは、かつて仇敵を以て相看ぜずして、是れ万物を畜養するがごとく彼らを容納す。ただ小人の陽気を剥蝕し・世道の禍患と成らんことを唯恐するがゆえに、こそそれを清除を加えざるを得ざるも、しかし怜惜愛重の心意は、始終にかつて消失せざるなり。これがすなわち「和」の意思なり。李光地は案ずる:およそ卦名を解釈するの後にまた一句の讃語を添うるは、皆用いて下文の卦辞を解釈するの話頭を引出するなり。ここは「健而説、決而和」と説くは、まさに「揚于王庭」以下の幾句の意思を引出するなり。

揚于王庭,柔乘五剛也。孚號有厲,其危乃光也。告自邑不利即戎,所尚乃窮也。利有攸往,剛長乃終也。本義 此釋卦辭。“柔乘五剛”,以卦體言,謂以一小人加於眾君子之上,是其罪也。“剛長乃終”,謂一變即為純《乾》。

《彖伝》はいう:「揚于王庭」は、一個の陰爻が五個の陽爻の上に凌駕するがゆえなり。「孚号有厲」は、心に危懼を存して、君子の道はこそ光大するを得るがゆえなり。「告自邑不利即戎」は、崇尚する所の武力はすでに尽头に走り到るがゆえなり。「利有攸往」は、陽剛の生長はここに到りてこそ終了と算するがゆえなり。朱熹《本義》はいう:この一段は卦辞を解釈す。「柔乗五剛」は「卦体」(六爻の整体結構)に就きて説くにして、一個の小人が衆多の君子の上に凌駕するを指し、これがまさにその罪状なり。「剛長乃終」は、上六は再び一変すればすなわち純陽の《乾》卦と成るを説く。

程傳 柔雖消矣,然居五剛之上,猶為乘陵之象。陰而乘陽,非理之甚,君子勢既足以去之,當顯揚其罪於王朝大庭,使眾知善惡也。盡誠信以命其眾,而知有危懼,則君子之道,乃無虞而光大也。當先自治,不宜專尚剛武。“即戎”,則所尚乃至窮極矣。《夬》之時所尚,謂剛武也。陽剛雖盛,長猶未終,尚有一陰,更當決去,則君子之道純一而無害之者矣,乃剛長之終也。

程頤《伊川易伝》はいう:陰柔はすでに消退してただ一爻を剩るのみと雖も、しかしそれはなお五陽の上に居りて、仍お是れ凌駕欺圧の象なり。陰を以て陽に凌ぐは、是れ極めて理に合せざるの事なり。君子の勢力はすでに足りてそれを除掉するに足れば、すなわち当にその罪状を公開に王朝の大庭の上に宣揚して、衆人をして皆善悪の所在を明白せしむべし。同時に要して至誠を竭くして衆人に号令して、大家をして心に危懼を存せしめば、すなわち君子の道はこそ意外の虞なく光大し起きることを得。当に先ず自身を整治するより入手して、一味に剛猛武力を崇尚するに宜しからず。一旦「即戎」して武を動かせば、崇尚する所の東西はすなわち窮極に走り到らん。《夬》の時の崇尚する所は、指すはまさに剛猛武力なり。陽剛はすでに盛大なると雖も、生長はしかしなお到頭せず、上面はなお一個の陰爻有りて、なお当にそれを決除掉すべし。すなわち君子の道はすなわち純一にしてそれを妨害するなし。これがこそ陽剛生長の終点なり。

集說 孔氏穎達曰:剛克之道,不可常行。若專用威猛,以此“即戎”,則便為尚力取勝,即是決而不和,其道窮矣。所以唯“告自邑不利即戎”者,只為“所尚乃窮”故也。項氏安世曰:“其危乃光”,與“中未光”相應。“不利即戎”,與“暮夜有戎”相應。“剛長乃終”,與“終有凶”相應。

集説に孔穎達の言を引く:剛強を以て勝を取るの路子は、能く長久に施行すべからず。若し一味に威猛を使用して、これに憑りて往きて「即戎」して武を動かせば、あれはすなわち武力争勝を崇尚と成るにして、すなわち決して和せず。あの条の路はすなわち尽头に走り到らん。ゆえに《彖伝》はただ「告自邑不利即戎」と説くのみ。まさに「所尚乃窮」なる縁故によるなり。集説にまた項安世の言を引く:「其危乃光」は、九五爻辞の繋する所の「中未光也」と相呼応す。「不利即戎」は、九二爻辞の「莫夜有戎」(傍晚に兵戎の来犯有り)と相呼応す。「剛長乃終」は、上六の「終有凶」と相呼応す。

胡氏炳文曰:《復》“利有攸往”,“剛長也”。《夬》“利有攸往”,“剛長乃終”也。小人有一人之未去,猶足為君子之憂,人慾有一分之未盡,猶足為天理之累。必至於純陽為《乾》,方為“剛長乃終”也。吳氏曰慎曰:《復》“利有攸往”,譬如平地之一簣,故喜其進而曰“剛長也”。《夬》

集説に胡炳文の言を引く:《復》卦は「利有攸往」を講じて、理由は「剛長也」なり。《夬》卦は「利有攸往」を講じて、理由は「剛長乃終」なり。小人はただなお一個も除去せざる有れば、すなわち足りて君子の憂患と為るに足る。人欲はただなお一分も浄尽せざる有れば、すなわち足りて天理の牽累と為るに足る。必ず六爻純陽に到りて《乾》と成って、こそ「剛長乃終」と算す。集説にまた呉曰慎の言を引く:《復》卦は「利有攸往」を講ずるは、譬えば平地の上に第一筐の土を倒下するがごとし。ゆえにその推進を欣喜して一句「剛長也」と説く。至るや《夬》は――ここの処底本に脱文有りて、呉氏の説は未だ尽きざるなり。

彖下伝・姤卦

姤,遇也,柔遇剛也。本義 釋卦名。程傳 “姤”之義遇也。卦之為《姤》,以柔遇剛也,一陰方生,始與陽相遇也。集說 趙氏汝楳曰:“柔遇剛”者,明非剛遇柔也。

《彖伝》はいう:《姤》卦は、相遇の意思にして、陰柔が陽剛に遇上す。朱熹《本義》はいう:これは卦名を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:「姤」の含义はすなわち相遇なり。此卦の《姤》と為る所以は、陰柔を以て往きて陽剛に遇うがゆえなり。一個の陰爻は剛に生出して、衆陽と相遇を開始す。集説に趙汝楳の言を引く:《彖伝》は「柔遇剛」といい、是れ点明せんと欲して併せて陽剛が往きて陰柔に遇うにあらざるなり。

林氏希元曰;依《本義》是陽遇陰,依《彖傳》是陰遇陽。《彖傳》乃《本義》以一陰而遇五陽意,蓋《彖傳》是為下文“勿用取女,不可與長”而設也。案 “柔遇剛”者,以柔為主也。如臣之專制,如牝之司晨,得不謂壯乎!故不復釋“女壯”,而直釋“勿用取女”之義。

集説に林希元の言を引く:《本義》に依りて講ずれば、是れ陽が往きて陰に遇うなり。《彖伝》に依りて講ずれば、是れ陰が来りて陽に遇うなり。《彖伝》はまさに《本義》の説く一個の陰爻が五個の陽爻に遇上するのあの層の意思にして、是れ《彖伝》のこの句話は本来下文の「勿用取女、不可与長」のために設けたるがゆえなり。李光地は案ずる:いわゆる「柔遇剛」は、陰柔を以て主導と為す。まさに臣子の国政を専擅し・母鶏が公鶏に代わりて晨を司るがごとし。これは豈にまだ「壮」と算さざらんや。ゆえに《彖伝》は更に「女壮」の二字を解釈せずして、径直に「勿用取女」の含义を解釈す。

勿用取女,不可與長也。本義 釋卦辭。程傳 一陰既生,漸長而盛,陰盛則陽衰矣。“取女”者欲長久而成家也,此慚盛之陰,將消勝於陽,不可與之長久也。凡女子小人夷狄,勢苟漸盛,何可與久也。故戒“勿用取”如是之“女”。

《彖伝》はいう:「勿用取女」は、彼女と長久に相処すべからざるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:一個の陰爻はすでに生出せられれば、すなわち漸漸に生長して盛大ならん。陰は一たび盛なればすなわち陽はすなわち衰せん。「取女」は長久に相守して家を成さんと欲するに、しかしこれはまさに漸盛の陰にして、まさに陽を消損併倒せんと欲す。能くそれと長久すること能わず(底本は「慙盛」を「漸盛」と当作すべし)。およそ女子・小人・夷狄は、気勢は一旦漸盛せば、どうしてなお彼らと長久に相処すること能わんや。ゆえに人々に告誡してこのような女子を娶るなからしむ。

集說 鄭氏康成曰:一陰承五陽,苟相遇耳,非禮之正。女壯如是,故不可娶。王氏肅曰:女不可娶,以其不正,不可與長久也。蘇氏軾曰:姤者所遇而合,無適應之謂也,故其女“不可與長”。李氏舜臣曰:以一陰遇五陽,女下於男,有女不正之象,故曰“勿用取女”。《咸》所以“取女吉”者,以男下女,得昏姻正禮故也。若《蒙》之六三,以陰而先求陽,其行不順,故亦曰“勿用取女”。

集説に鄭玄の言を引く:一個の陰爻が五個の陽爻を承奉して、ただ苟且に相遇するのみ、礼の正道に合せず。女子は壮盛してこの地步に到る。ゆえに娶るべからず。集説にまた王粛の言を引く:この女子は娶るべからず。是れ彼女の行為は正ならず、能く彼女と長久するを得ざるがゆえなり。集説にまた蘇軾の言を引く:いわゆる姤は、碰上すればすなわち結合して、専一に相応ずるの対象なし。ゆえにこの女子は「不可与長」なり。集説にまた李舜臣の言を引く:一陰を以て往きて五陽に遇うは、是れ女子が男子に屈就して、女子の行為不正の象有らん。ゆえに「勿用取女」という。《咸》卦の「取女吉」と説く所以は、男子が女子に屈就して、婚姻の正礼に合乎するがゆえなり。至るや《蒙》卦の六三は、陰柔を以て先を搶いで往きて陽を求めて、行為は順ならず。ゆえにまた「勿用取女」という。

天地相遇,品物咸章也。本義 以卦體言。程傳 陰始生於下,與陽相遇,“天地相遇”也。陰陽不相交遇,則萬物不生,“天地相遇”,則化育庶類。“品物咸章”,萬物章明也。剛遇中正,天下大行也。本義 指九五。程傳 以卦才言也,五與二皆以陽剛居中與正,以中正相遇也。君得剛中之臣,臣遇中正之君,君臣以剛陽遇中正,其道可以大行於天下矣。

《彖伝》はいう:天地は互相遇合して、各類の物品は皆彰明顕著す。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」に就きて論を立つ。程頤《伊川易伝》はいう:陰気は下方において生を開始して、陽と相遇す。これがすなわち「天地相遇」なり。陰陽は不交相遇合せざれば、万物はすなわち能く生長せず。天地は一たび相遇せば、すなわち各類の生物を化育し出づ。「品物咸章」は、万物が皆彰明顕著するを説く。《彖伝》はまたいう:陽剛は中正の君に遇上せば、すなわち能く天下に大行す。朱熹《本義》はいう:これは九五を指す。程頤《伊川易伝》はいう:これは「卦才」に就きて論を立つ。九五と九二は皆陽剛を以て中に居りてその正を得るは、是れ中正を以て相遇す。君主は剛中の臣子を得て、臣子は中正の君主に遇う。君臣は陽剛を以て中正において相遇せば、それらの道はすなわち以て天下に大行すべし。

姤之時義大矣哉!本義 幾微之際,聖人所謹。程傳 贊《姤》之時與《姤》之義至大也。天地不相遇,則萬物不生。君臣不相遇,則政治不興。聖賢不相遇,則道德不亨。事物不相遇,則功用不成。《姤》之“時”與

《彖伝》はいう:《姤》卦の時勢の意義は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう:幾微初萌の際において、まさに聖人の謹慎対待する要する所なり。程頤《伊川易伝》はいう:これは《姤》の時勢と《姤》の義理は皆極めて宏大なるを讃嘆す。天地は相遇せざれば、万物はすなわち能く生ぜず。君臣は相遇せざれば、政治はすなわち能く興らず。聖賢は相遇せざれば、道徳はすなわち能く通達せず。事物は相遇せざれば、功用はすなわち能く成さず。《姤》の「時」と――ここの処底本に脱文有り。

集說 《朱子語類》問:“《姤》之時義大矣哉!”《本義》云:幾微之際,聖人所謹,與伊川之說不同,何也?曰:上面說“天地相遇”至“天下大行也”,而不好之漸,已生於微矣,故當謹於此。吳氏曰慎曰:《姤》為陰遇陽之卦,陰陽有當遇者,如“天地相遇”,及君臣夫婦之類,是不能相無者,有遇而當制者,如“勿用取女”。及小人妄念之類,是不容並立者。“時義大矣哉”,《程傳》重“遇”字,專以遇之善者言,《本義》重“制”字,專以遇之不善者言。竊意此語總承上文兩端而言可也。

集説に《朱子語類》を引く:ある人問う、「《姤》之時義大矣哉」の一句は、《本義》は「幾微之際、聖人所謹」と講成して、程伊川の講法と同じからざるは、これは何のためか。朱子は回答していわく:上文は「天地相遇」より一直到りて「天下大行也」に講到したるも、然るに不好の苗头は、すでに細微の処において萌生せり。ゆえに正に当にここにおいて謹慎を加うべし。集説にまた呉曰慎の言を引く:《姤》は陰が陽に遇うの卦なり。陰陽の間には、本は当に相遇すべきの有りて、「天地相遇」および君臣夫婦の類のごときは、あれは彼此缺くべからざるなり。また相遇ると雖も当に節制を加うべき有りて、「勿用取女」および小人邪念の類のごときは、あれは併存を容れざるなり。「時義大矣哉」のこの句話に対して、《程伝》は「遇」の字に着重して、専ら相遇の善なる一面に就きて講じ、《本義》は「制」の字に着重して、専ら相遇の不善の一面に就きて講ず。我が私意は以て、この句話は総じて上文の両端を承けて講ずればすなわち可なり。

案 必如天地之相遇,而後“品物咸章”也。必如此卦以群剛遇中正之君,然後“天下大行也”。苟天地之相遇,而有陰邪乾於其間,君臣之相遇,而有宵類介乎其側。則在天地為伏明,在國家為隱慝,而有“女壯”之象矣。

李光地は案ずる:必ず天地のあのように相遇るを得て、然るのちこそ能く「品物咸章」にして、各類の生物は皆彰明顕著す。必ず此卦のこのように衆陽を以て中正の君に遇うを得て、然るのちこそ能く「天下大行」にして、君臣の道は天下に暢行す。倘若天地相遇の際に陰邪がそのうちより作梗して、君臣相遇の側に宵小の一類の人が插足すれば、すなわち天地の上に落とせば便ちに光明の遮蔽せられて潜伏して彰らざると為り、国家の上に落とせば便ちに邪慝の暗藏して察覚し易からざると為る。ここにおいてすなわち卦辞の説く「女壮」のあの種の景象が出現せん。

彖下伝・萃卦

萃,聚也。順以說,剛中而應,故聚也。本義 以卦德卦體釋卦名義。程傳 “萃”之義聚也。“順以說”,以卦才言也。上說而下順,為上以說道使民,而順於人心。下說上之政令,而順從於上。既上下順說,又陽剛處中正之位,而下有應助,如此故所聚也。欲天下之萃,才非如是不能也。

《彖伝》はいう:《萃》卦は、聚集の意思なり。柔順にしてまた和悦にして、陽剛は中に居りて下に応与有りて、ゆえに能く聚む。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」と「卦体」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:「萃」の含义はすなわち聚なり。「順以説」は「卦才」に就きて論を立つ。上卦は兌の和悦にして下卦は坤の柔順にして、すなわち上に在る者は和悦の道を用いて百姓を役使して人心に順応し、下に在る者は上面の政令に悦服して上に順従す。すでに上下は順にして而且に悦ばし、また陽剛の中正の位に居る有りて、下面になお相応ずるの援助有り。このようとしてこそ聚集する所有らん。天下をして帰聚せしめんと欲するは、才質はこのようにあらざれば便ちに弁到ること能わず。

案 “順以說,剛中而應”,亦非正釋卦名,乃就卦德而推原能以聚者,以起釋辭之端也。蓋“順以說”,是以順道感格,起“假廟”“用牲”之意。“剛中而應”,是有德者居位,而上下應之,起“見大人有攸往”之意。

李光地は案ずる:「順以説、剛中而応」の両句も、また併せて正面に卦名を解釈するにあらず、是れ卦徳に就きてそれが能く聚む所以の縁由を推究して、用いて下文の卦辞を解釈するの話頭を引出す。「順以説」は、柔順の道を以て物に感通格致して、「王假有廟」「用大牲」の意思を引出す。「剛中而応」は、徳有る人がその位に居りて上下は呼応相響くにして、「利見大人」「利有攸往」の意思を引出す。

王假有廟,致孝享也。利見大人亨,聚以正也。用大牲吉,利有攸往,順天命也。本義 釋卦辭。程傳 王者萃人心之道,至於建立宗廟,所以致其孝享之誠也。祭祀,人心之所自盡也,故萃天下之心者,無如孝享。王者萃天下之道,至於有廟,則其極也。《萃》之時,見大人則能亨,蓋聚以正道也。“見大人”,則其聚以正道,得其正則亨矣。萃不以正,其能亨乎?“用大牲”,承上“有廟”之文,以享祀而言,凡事莫不如是。豐聚之時,交於物者當厚,稱其宜也。物聚而力贍,乃可以有為,故“利有攸往”,皆天理然也。故云“順天命也”。集說 來氏知德曰:盡志以致其孝,盡物以致其享。

《彖伝》はいう:「王假有廟」は、孝敬献享の誠を尽くさんがためなり。「利見大人亨」は、聚合して正道に合乎するを得るがゆえなり。「用大牲吉、利有攸往」は、天命に順応したるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:王を為る者の人心を聚合するの弁法は、宗廟を建立するのこの一歩を做到するは、是れその孝敬献享の誠意を尽くさんがためなり。祭祀は人心の自然にその情を竭尽せんと欲するの事なり。ゆえに天下人の心を聚合するは、孝享より効能有るはなし。王を為る者の天下を聚合するの弁法は、宗廟有るを做到すれば、すなわち頂点に到ると算す。《萃》の時は、大人を見れば便ちに能く亨通す。是れ聚合する所が正道に合乎するがゆえなり。能く「見大人」は、すなわちその聚合は正道より出づるを意味し、その正を得れば自然に亨通す――聚合して正道に由らざれば、なお能く亨通せんや。「用大牲」は上文の「有廟」を承接して来りて、是れ祭享に就きて説くにして、其実は凡事は皆このようたり。豊盛聚集の時は、用いて人に待接するは当に豊厚たるべくして、こそ時勢と相称せん。物力は聚集して力量は充足して、こそ有所作為すべし。ゆえに「利有攸往」という。これらは皆是れ天理の自然このようたり。ゆえに「順天命也」という。集説に来知徳の言を引く:心志を竭くして以てその孝を尽くし、物力を竭くして以てその享を尽くす。

觀其所聚,而天地萬物之情可見矣。本義 極言其理而贊之。程傳 觀萃之理,可以見天地萬物之情也。天地之化育,萬物之生成,凡有者皆聚也。有無動靜終始之理,聚散而已,故觀其所以聚,則“天地萬物之情可見矣”。

《彖伝》はいう:それが聚合するの情形を観察すれば、天地万物の実情はすなわち以て看見すべし。朱熹《本義》はいう:これは道理を極処に推して来りて讃嘆を加う。程頤《伊川易伝》はいう:聚合の道理を観察すれば、すなわち以て天地万物の実情を看るべし。天地の化育・万物の生成は、およそ存在するは皆聚合より来たる。有と無・動と静・終と始の道理は、帰根到底は不過聚と散のみ。ゆえに万物の聚合する所以を観察すれば、「天地万物之情可見矣」なり。

集說 王氏弼曰:“方以類聚,物以群分。”情同而後乃聚,氣合而後乃群。案 “順天命”雖繫於“用大牲”“利有攸往”之下,然連假廟見大人之意,皆在其中矣。蓋萬物本乎天,人本乎祖,“方以類聚,物以群分”,“聖人作而萬物睹”,是乃天地人物之所以聯屬而不散者,實天之命也。《咸》、《恆》皆推言造化人事,而後終之以天地萬物之情可見。此卦則天人之義已備,故言“順天命”而遂極贊之。

集説に王弼の言を引く:《繋辞伝》は「方以類聚、物以群分」と講ず。情性は相同じて然るのちこそ一処に聚り、気息は相合して然るのちこそ群を結成す。李光地は案ずる:「順天命」の一句は「用大牲」「利有攸往」の下に繋がると雖も、然るに連ねて「王假有廟」「利見大人」の意思も、また皆そのうちに包含せられたり。万物は天に本源し、人は祖先に本源す。「方以類聚、物以群分」、「聖人作而万物睹」は、これがまさに天地人物の彼此聯属して涣散せざる所以の縁由にして、実実在在にすなわち上天の命令なり。《咸》《恒》両卦は皆先に造化人事を推説して、最後にこそ「天地万物之情可見」を用いて収束す。此卦はすなわち天と人の両方面の義理はすでに完備して、ゆえに一句「順天命」と説きて、接ぎてすなわち極力に讃嘆す。

彖下伝・升卦

柔以時升。本義 以卦變釋卦名。集說 孔氏穎達曰:“升”之為義,自下升高,故就六五居尊以釋名升之義。徐氏幾曰:《升》、《晉》二卦,皆以柔為主。剛則有躁進之意。龔氏煥曰:《彖傳》“柔以時升”,似指六五而言,非謂卦變,故下文言“剛中而應”,亦謂二應五也。

《彖伝》はいう:陰柔は時勢に順いて上昇す。朱熹《本義》はいう:これは「卦変」を用いて卦名を解釈す。集説に孔穎達の言を引く:「升」の含义は、低処より高処に升るなり。ゆえに六五の尊位に居るのこの一点に就きて「升」のこの卦名の意思を解釈す。集説にまた徐幾の言を引く:《升》《晋》両卦は、皆陰柔を以て主爻と為す。若し換えて陽剛を以て主と為せば、すなわち急躁躐進の意味を帯び来たらん。集説にまた龔煥の言を引く:《彖伝》の「柔以時升」は、看来るに六五を指して言うにして、併せて卦変を講ずるにあらず。ゆえに下文は「剛中而応」といい、また是れ九二の上に六五に応ずるを指す。

巽而順,剛中而應,是以大亨。本義 以卦德卦體釋卦辭。程傳 以二體言,柔升,謂坤上行也。巽既體卑而就下,坤乃順時而上,升以時也,謂時當升也。柔既上而成《升》,則下巽而上順,以巽順之道升,可謂時矣。二以剛中之道應於五,五以中順之德應於二,能巽而順,其升以時,是以“元亨”也。《彖》文誤作“大亨”,解在《大有》卦。

《彖伝》はいう:謙遜にしてまた柔順にして、陽剛は中に居りて上に応与有りて、これによりて大いに亨通す。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」と「卦体」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:これは上下両体に就きて論を立つ。いわゆる柔升は、坤体の上行を指す。巽は本来体性は卑下にして下位に俯就し、坤はしかし時勢に順いて上行す。これがすなわち「升以時」にして、すなわち時勢はまさに上昇すべきなり。陰柔はすでに上行して《升》卦と成れば、すなわち下卦は謙遜・上卦は柔順にして、巽順の道を用いて上昇して、以て時に合乎すると説くべし。九二は剛中の道を以て上に六五に応じ、六五は中順の徳を以て下に九二に応ず。能く謙遜にして柔順にして、その上昇はまた時に合乎す。ゆえに「元亨」なり。《彖伝》のここの処の文字は「大亨」と誤写せられたり。この一点の解説は《大有》卦において見るべし。

用見大人勿恤,有慶也。南征吉,志行也。程傳 凡《升》之道,必由大人。升於位則由王公,升於道則由聖賢。用巽順剛中之道以見大人,必遂其升。“勿恤”,不憂其不遂也。遂其升,則己之福慶,而福慶及物也。“南”,人之所向。“南征”,謂前進也。前進則遂其升而得行其志,是以“吉”也。

《彖伝》はいう:「用見大人勿恤」は、福慶有るがゆえなり。「南征吉」は、心志の施行するを得るがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:およそ上昇の道は、必ず大人に憑藉せざればならず。爵位の上において上昇するは王公に靠り、道徳の上において上昇するは聖賢に靠る。巽順剛中の道を用いて往きて大人に謁見せば、必定にその上昇を達成すること能わし。「勿恤」は、上昇成らざるを憂慮するを必せざるなり。上昇はすでに達成せられれば、あれは便ちに自己の福慶にして、しかしてこの福慶はなお能く他人他物に推及す。「南」は人の面向する所の方位にして、「南征」はすなわち前に向かい推進す。前に向かい推進すればすなわち能く上昇を達成してその心志を施行す。ゆえに「吉」という。

案 “柔以時升”之義,或主四言,或主五言,或主上體之坤而言。然卦之有六四六五,及坤居上體者多矣,皆得名為《升》乎?則其說似皆未確。蓋“時升”者,固以坤居上體,而四五得位言也。然唯巽為下體。故其升也有根。蓋巽乃陰生之始也,陰自下生以極於上,如木之自根而滋生,以至於枝葉繁盛,此謂《升》之義矣。

李光地は案ずる:「柔以時升」の含义は、ある人は六四を指すと主張し、ある人は六五を指すと主張し、ある人は上体の坤に就きて言うと主張す。然るに《易》のうちに六四・六五の爻および坤の上体に居るの卦は甚だ多くして、豈に皆名を取りて《升》と為すを得べきや。見ればこの幾種の説法は似りて皆确切ならざるを知るべし。いわゆる「時升」は、固然として坤の上体に居り・四五両爻の各々その位に当たるに就きて講ずるを要すも、しかし更に緊要なるは唯だ巽が下体を作すがゆえに、その上昇はこそ根柢有らん。是れ巽はまさに陰気の初生するの処にして、陰は下面より生出して一直に最上まで貫到す。譬えば樹木の根部より滋長して、一直到りて枝葉繁盛するがごとし。これがこそ《升》の含义と呼作す。

此卦與《無妄》反對,《無妄》者,陽為主於內也,而其究為健。《升》者,陰為主於內也,而其究為順。《無妄》之《彖》曰“剛自外來而為主於內”,明剛德自內以達於外也。《升彖》曰“柔以時升”,明陰道自下以達於上也。然則“柔以時升”雲者,尤當以初六之義為重。故《無妄》六爻,獨初九曰“吉”。此卦六爻亦唯初六曰“大吉”。則二卦之所重者可知矣。其下云,“巽而順,剛中而應”,亦與《無妄》“動而健,剛中而應”之辭相似,皆連釋名之義以釋“元亨”也。

李光地は続けていう:此卦は《无妄》卦と互いに「反対」(一卦を整個に顛倒せば便ちに別の一卦と成る)を為す。《无妄》は陽が内卦の主を做して、推究して到底すればその性は剛健に帰す。《升》は陰が内卦の主を做して、推究して到底すればその性は柔順に帰す。《无妄・彖伝》は「剛自外来而為主于内」といい、剛徳は自ら内より外に通達するを点明す。《升・彖伝》は「柔以時升」といい、陰道は自ら下より上に通達するを点明す。このように看れば、いわゆる「柔以時升」は、尤其として当に初六のこの一爻の意義を以て重と為すべし。ゆえに《无妄》の六爻は、唯だ初九のみ「吉」と称し、此卦の六爻もまた、唯だ初六のみ「大吉」と称す。両卦は各々哪の一爻を看重するやは、これによりてすなわち知るべし。下文の説く「巽而順、剛中而応」も、また《无妄》の「動而健、剛中而応」と措辞相似たり。両処は皆卦名を解釈するの語意を承接して、勢いに順じて接ぎて卦辞の「元亨」の二字を解釈す。

彖下伝・困卦

本義 以卦體釋卦名。程傳 卦所以為困,以剛為柔所掩蔽也。陷於下而掩於上,所以困也,陷亦掩也。剛陽君子而為陰柔小人所掩蔽,君子之道困窒之時也。

(ここの処底本は《彖伝》の「困、剛掩也」の一句正文を脱して、僅に以下の解説を存す。)朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦名を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:此卦の困と為る所以は、陽剛が陰柔に遮蔽せられたるがゆえなり。陽は下面に陥って、また上面の陰に圧さえられて、ゆえに困と呼ぶ。陥落は其実すなわち被掩なり。陽剛の君子は陰柔の小人に遮蔽せられて、まさに君子の道の困頓窒塞するの時なり。

險以說,困而不失其所,“亨”,其唯君子乎。“貞大人吉”,以剛中也。“有言不信”,尚口乃窮也。本義 以卦德卦體釋卦辭。程傳 以卦才言處《困》之道也,下險而上說,為處險而能說。雖在困窮艱險之中,樂天安義,自得其說樂也。時雖困也,處不失義,則其道自亨,困而不失其所亨也。能如是者,”其唯君子乎”!若時當困而反亨,身雖亨,乃其道之困也。君子,大人通稱。困而能貞,大人所以吉也。蓋其以剛中之道也,五與二是也。非剛中,剛遇困而失其正矣。當困而言,人所不信,欲以口免困,乃所以致窮也。以說處困,故有“尚口”之戒。

《彖伝》はいう:険難有りて能く和悦し、困に処してその可亨の道を失わざるは、これは大概れ唯だ君子のみの做り到るを得るか。「貞大人吉」は、陽剛が中に居るがゆえなり。「有言不信」は、一味に口舌を逞しくしてかえって窮途に走り上ぐるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」と「卦体」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:これは「卦才」に就きて《困》の時に身を処するの道理を講ずるなり。下卦は坎は険と為り上卦は兌は悦と為るは、すなわち険境に身を処して能く和悦す。困窮艱険のうちに在ると雖も、なお能く楽天知命・義理に安んじて、自らその喜悦自得有らん。時勢は困頓なると雖も、しかし処身はその義を失わざれば、すなわちその道は自然に亨通す。これがすなわち「困而不失其所亨」なり。能くこの一歩を做到するは、「其唯君子乎」なり。倘若時勢は本来当に困頓たるべきに、彼はかえって通達せば、すなわち身は通達なると雖も、其実はまさにその道の困頓なり。君子と大人は通用の称呼なり。困に処して能く正を守るは、まさに大人の吉を獲るの縁由にして、是れ彼の憑る所は剛中の道にして、九五と九二の両爻を指す。剛中にあらざれば、すなわち陽剛は困厄に遇上すればすなわちその正を失わん。困頓のうちに身を処して進言せば、人家は能く相信せざらん。口舌に憑りて困境を摆脱せんと欲するは、恰恰として窮途を招致するの做法なり。是れ此卦は和悦を以て困に処するがゆえに、特地に「尚口」のこの一層の告誡有らん。

集說 鄭氏汝諧曰:九二陷於中,九四九五為上六所掩,是以為《困》。以上下卦言之,則合坎兌而成也。坎,難也。兌,說也。困而安於難,則不失其所亨。困而取說於人,“尚口乃窮也”。

集説に鄭汝諧の言を引く:九二のこの一陽は下卦の両陰のうちに陥って、九四・九五の両陽はまた上六に遮掩せられて、陽剛は上下皆陰に受制せらる。これによりて《困》と成る。上下両卦に就きて説けば、それは坎と兑とによりて合成せられたるなり。坎は険難を代表し、兑は和悦を代表す。困のうちに処して能く険難に安んずれば、すなわちその可亨の道を失わざらん。困のうちに処してしかし一味に人に向かい取悦納を討うは、あれはまさに《彖伝》の説く「尚口乃窮也」なり。

案 此卦所以為剛掩者,《本義》備矣。蓋諸卦之二五剛中,皆為陰掩者。唯《困》與《節》。然以二體言之,則《節》坎陽居上,兌陰居下,此《困》所以獨為剛掩也。此義與卦象亦相貫,水在澤上,非澤之所能掩也。水在澤中,則為所掩矣。“險以說”者,非處險而說也,險有致說之理,以字與而字,義不同也。唯險有致說之理,故困有所為亨者。然以小人處之,則困而困耳,不知其所為亨,故不能因困而得亨。因困而得其所亨者,非君子其孰能之。下剛中之大人,即不失所亨之君子也,指二五言。“尚口乃窮”者,處困之極,務說於人,指上六言。

李光地は案ずる:此卦の陽剛の被掩と為る所以は、《本義》はすでに講じて甚だ完備せり。各卦のうち二・五両爻が陽剛にして中に居りて陰に掩わるるは、ただ《困》と《節》のみ。しかるに上下両体に就きて看れば、《節》は坎の陽は上に在り兌の陰は下に在りて、ゆえに《困》はこそ独り陽剛被掩の卦と成れるなり。この層の意思は卦象とまた貫通す。水は沢の上面に在れば、沢の掩い住むる能くする所にあらず。水は沢のうちに在れば、すなわち沢に掩い住めらる。いわゆる「険以説」は、併せて険境に身を処して和悦するにあらず、是れ険の本身に喜悦を招致するの道理を含有す――「以」の字と「而」の字は、含义は併せて相同じからず。まさに険のうちに悦を致すの理を含むがゆえに、こそ困のうちに可亨の処有らん。然るに換えて小人をしてこの境地に処らしめば、あれはただ困のみにして、根本的にそのうちの可亨なる何なるを知らず。これによりて能く困に因りて亨を得ること能わず。能く困に因りてその可亨を得るは、君子を除きてなお誰か能く做り到らん。下文の「剛中」の大人は、すなわちその所亨を失わざるの君子にして、九二・九五を指す。「尚口乃窮」は、困の極点に処して一味に人に向かい討好して悦を求むるにして、上六を指す。

彖下伝・井卦

巽乎水而上水,井,井養而不窮也。本義 以卦象釋卦名義。集說 鄭氏康成曰:坎,水也。巽木,桔槔也。桔槔引瓶下入泉口,汲水而出,《井》之象也。荀氏爽曰:木入水出,《井》之象也。案 釋名之下,又著“井養而不窮也”一句,亦以起釋辭之意。

《彖伝》はいう:深く水の下面に入りて水を汲み上ぐるは、これがすなわち井なり。井は万物を養育して窮尽なし。朱熹《本義》はいう:これは「卦象」を用いて卦名の含义を解釈す。集説に鄭玄の言を引く:坎は水にして、巽は木にして、桔槔を指す。桔槔は水瓶を牽引して泉口に垂れ入れて、水を汲みて上ぐ。これがすなわち《井》の卦象なり。集説にまた荀爽の言を引く:木は下りて往き・水は上りて来るは、すなわち《井》の卦象なり。李光地は案ずる:卦名を解釈するの後にまた「井養而不窮也」の一句を添うるは、同様に用いて下文の卦辞を解釈するの意思を引出するなり。

改邑不改井,乃以剛中也。汔至亦未繘井,未有功也。羸其瓶,是以凶也。本義 以卦體釋卦辭。“無喪無得,往來井井”兩句,意與“不改井”同,故不復出。“剛中”,以二五而言。“未有功”而敗其瓶,所以“凶”也。程傳 巽入於水下而上其水者,《井》也。井之養於物,不有窮已,取之而不竭,

《彖伝》はいう:「改邑不改井」は、九二・九五の陽剛が中に居るがゆえなり。「汔至亦未繘井」は、なお成功を未だせざるがゆえなり。「羸其瓶」は、これによりてこそ凶なり。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦辞を解釈す。卦辞の「无喪无得、往来井井」の両句は、意思は「不改井」と相同じ。ゆえに《彖伝》は更に重出せず。「剛中」は、九二・九五に就きて説く。功はなお成らざるにしかして水瓶を打破れば、ゆえに「凶」なり。程頤《伊川易伝》はいう:巽は水の下面に入りて水を汲み上ぐるは、すなわち《井》なり。井は万物を養育して、窮尽するの時なし。それを取用して枯渇せず――ここの処底本に脱文有り。

集說 蘇氏軾曰:井井未嘗有得喪,繘井之為功,羸瓶之為凶,在汲者爾。晁氏說之曰:或謂《彖》主三陽言。五“寒泉食”,是陽剛居中,邑可改而並不可改也。三“井渫不食”,是“未有功”也。二“甕敝漏”,是“羸其瓶”而“凶”者也。郭氏雍曰:不言“無喪無得”“往來井井”者,蓋皆繫乎剛中之德,聖人舉一以明之耳。案 井唯有常。故其體則“無喪無得”,其用則“往來井井”。王道唯有常,故其體則久而無弊,其用則廣而及物。故言“改邑不改井”,足以包下二者。

集説に蘇軾の言を引く:井の本身は従来に得と失と謂うべき無く、縄を以て水を汲み上ぐるを成功と算し、瓶を打破るを凶険と算す。これらは皆水を汲む人の自己に在るのみ。集説にまた晁説之の言を引く:ある人は以て《彖伝》は三個の陽爻に就きて論を立つと為す――九五は「寒泉食」にして、是れ陽剛中に居りて、都邑は遷改すべきも井は遷改すべからず。九三は「井渫不食」にして、是れ「未有功」なり。九二は「瓮敝漏」にして、すなわち「羸其瓶」にして凶を致すの情形なり。集説にまた郭雍の言を引く:《彖伝》は「无喪无得」「往来井井」を提せざるは、是れこれらが皆剛中の徳の上に繋がるがゆえに、聖人は一句を挙出すればすなわち足りてその余を説明す。李光地は案ずる:井の可貴はただ有常に在るのみ。ゆえにその本体に就きて説けば「无喪无得」にして、その功用に就きて説けば「往来井井」なり。王道の可貴もまたただ有常に在るのみ。ゆえにその本体に就きて説けば歴久にして弊なく、その功用に就きて説けば広被して物に及ぶなり。これによりて一句「改邑不改井」を講ずれば、すなわち足りて下面の両層を皆包括し入るるを得。

彖下伝・革卦

革,水火相息,二女同居,其志不相得,曰革。本義 以卦象釋卦名義,大略與《睽》相似。然以相違而為《睽》,相息而為《革》也。“息”,滅息也,又為生息之義,滅息而後生息也。程傳 澤火相滅息,又二女志不相得,故為《革》。“息”為止息,又為生息,物止而後有生,故為生義。《革》之“相息”,謂止息也。

《彖伝》はいう:《革》卦は、水火は互相熄滅して、両個の女子は一処に同住して心志は各々相投せず。ゆえに革と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:これは「卦象」を用いて卦名の含义を解釈す。大体は《睽》卦と相似たり。不過彼此相違背せば便ちに《睽》と成り、彼此相熄滅せば便ちに《革》と成る。「息」は熄滅の意思にして、また生息の意思有らん――先に熄滅して、然るのちこそ新たに生息有らん。程頤《伊川易伝》はいう:沢と火は互相消滅して、両個の女子の心志不合を加う。ゆえに《革》と成る。「息」は停止の意思有りて、また生長の意思有らん。事物は停歇して然るのちこそ新生有らん。ゆえに生長の義を含む。《革》卦の説く「相息」は、指すは止息なり。

集說 朱氏震曰:兌澤離火,而《彖》曰“水火”,何也?曰:坎兌一也。澤者水所鍾,無水則無澤矣,坎上為雲,下為雨。上為雲者,澤之氣也。下為雨,則澤萬物也。故《屯》、《需》之坎為雲,《小畜》之兌亦為雲。坎為川,《大畜》之兌亦為川。坎為水,《革》兌亦為水。坎陽兌陰,陰陽二端,其理則一,知此始可言象矣。

集説に朱震の言を引く:兌は沢にして離は火にして、しかして《彖伝》はしかし「水火」と説くは、これは何のためか。答えていわく:坎と兌は本来一類なり。沢は水の匯聚する所の地方にして、水なければすなわち沢なし。坎は上に在れば雲と為り、下に在れば雨と為る。上に在りて雲と為るは、あれは沢気の上昇なり。下に在りて雨と為るは、すなわち万物を潤沢するなり。ゆえに《屯》《需》両卦の坎は雲の象を取り、《小畜》の兌もまた雲の象を取る。坎は川の象を取るべくして、《大畜》の兌もまた川の象を取る。坎は水にして、《革》卦の兌もまたすなわち水なり。坎は陽に属し兌は陰に属して、陰陽は両端に分かれると雖も、その理はしかし一致なり。ここの点を懂得して、こそ卦象を談ずるべし。

《朱子語類》云:《革》之《象》不曰澤在火上,而曰“澤中有火”,蓋水在火上,則水滅了火,不見得火炎則水涸之義。澤中有火,則二物並在,有相息之象。李氏舜臣曰:不同行,不過有相離之意,故止於《睽》。不相得,則不免有相剋之事,故至於《革》。胡氏炳文曰:《既濟》水在火上,不曰相息者何也?坎之水,動水也,火不能息之。澤之水,止水也,止水在上而火炎上,故息。

集説に《朱子語類》を引く:《革》卦の《大象》は「沢在火上」と説かずして、「沢中有火」と説くは、是れ水は火の上面に在れば、水はすなわち火を澆滅して、火の焼き起これば水は便ちに乾涸するのこの層の意思を顕出すること能わず。沢のうちに火有れば、両様の東西は一処に併存して、こそ互相熄滅の象有らん。集説にまた李舜臣の言を引く:《睽》卦は二女の「不同行」を講じて、不過彼此離析の意思を含有するのみ、ゆえにただ《睽》に到りて止まる。此卦は「不相得」を講ずれば、すなわち互相克伐の事を免れず。ゆえに発展して《革》と成る。集説にまた胡炳文の言を引く:《既済》もまた水は火の上に在りて、なぜ相息と説かざるか。是れ坎の水は流動の水にして、火はそれを焼乾すること能わず。沢の水は静止の水にして、静水は上面に在りて火焔は上に向かい騰がる。ゆえに彼此熄滅す。

巳日乃孚,革而信之,文明以說,大亨以正,革而當,其悔乃亡。本義 以卦德釋卦辭。程傳 事之變革,人心豈能便信,必終日而後孚。在上者於改為之際,當詳告申令。至於“巳日”,使人信之,人心不信,雖強之行,不能成也。先王政令,人心始以為疑者有矣。然其久也必信,終不孚而成善治者,未之有也。

《彖伝》はいう:巳日に到りてこそ人に取信せられるは、変革の後に人々はこそそれに信従するがゆえなり。文采光明にしてまた和悦にして、大いに亨通にしてまた正道を守持す。変革して恰当を得て、悔恨はこそ消亡せん。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:事情は一たび変革有れば、人心はどうして能く立刻に信従せんや。必ず些かの時日を過して然るのちこそ人に取信せらる。上位に在る人は有所更改するの際に、当に詳しく告諭を加え・反復に申令して、一直到りて「巳日」にして、人々をして信従せしむべし。人心は信ぜざれば、たとえ強行して推動すとも、また能く事を成すこと能わず。先王の政令は、人心は起初に疑惑するの情形有るはこれ有りて、然るに時間は一たび久しければ必定に信従す。始終に信任を得ずして良好の治績を成就し得たるは、従来にかつて有りたることなし。

“文明以說”,以卦才言《革》之道也。離為文明,兌為說,文明則理無不盡,事無不察。說則人心和順,革而能照察事理。和順人心,可致大亨而得貞正。如是變革得其至當,故“悔”“亡”也。天下之事,《革》之不得其道,則反致弊害,故《革》有悔之道。唯《革》之至當,則新舊之“悔”皆“亡”也。

程頤は続けていう:「文明以説」は、「卦才」に就きて《革》の道理を講ずるなり。離は文采光明にして、兌は和悦なり。文明なればすなわち事理は講じて透徹せざるなく・事情は察して明白せざるなく、和悦なればすなわち人心は和順す。変革して能く事理を照察し、また能く人心に和順せば、すなわち以て大いに亨通してその貞正を得るに達すべし。このように変革して極めて恰当なれば、ゆえに「悔」もまたすなわち「亡」せり。天下の事は、変革してその道を得ざれば、かえって弊害を招致す。ゆえに変革は本来すなわち悔を招くの可能有らん。唯だ変革して極めて恰当なるのみ、すなわち新たの旧きの悔恨はこそ皆消亡せん。

案 “文明以說,大亨以正”,兩“以”字,上句重在文明,蓋至明則事理周盡,故以此而順人心,有所更改,則無不宜也。下句重在正,蓋其大亨也,以正行之,則無不順也。凡《彖傳》用“以”字者,文體正倒,皆可互用。如“順以動”,及“動而以順行”,其義一也。

李光地は案ずる:「文明以説、大亨以正」の両句のうちの両個の「以」の字は、上句の分量は「文明」の上に落つる――是れ極めて明察なるがゆえに、事理はこそ周遍詳尽にして、これを用いて人心に順応せば、およそ更改有れば便ちに妥当せざるなし。下句の分量は「正」の上に落つる――ゆえに能く大いに亨通するは、正道を用いて往きて推行すれば、便ちに順遂せざるなし。およそ《彖伝》の「以」の字を使用するの処は、句式は正説倒説して皆互いに換用すべし。例えば「順以動」と「動而以順行」は、意思は是れ一様なり。

天地革而四時成,湯武革命,順乎天而應乎人,革之時大矣哉。本義 極言而贊其大。程傳 推《革》之道,極乎天地變易,時運終始也。天地陰陽推迂變易而成四時,萬物於是生長成終,各得其宜,《革》而後四時成也。時運既終,必有革而新之者。王者之興,受命於天,故易世謂之“革命”。湯武之王,上順天命,下應人心,“順乎天而應乎人”也。天道變改,世故遷易,《革》之至大也。故贊之曰“革之時大矣哉!”

《彖伝》はいう:天地は変革して四季を形成し、商湯・周武は天命を変革して、上は天意に順い下は人心に応ず。変革の時勢は真に大なるかな。朱熹《本義》はいう:これは放開して極力にその宏大を讃嘆す。程頤《伊川易伝》はいう:《革》の道理を極処に推せば、すなわち天地の変易・時運の終始に説到す。天地の陰陽は推移変易して四季を形成し(底本は「推迂」を「推遷」と当作すべし)、万物はこれにおいて生長成熟して各々その宜を得るは、まさに「革」有りて然るのち四季はこそ成れるなり。時運はすでに終了せば、必定にそれに変革更新を加うる人有らん。王者の興起は、上天より大命を承受するにして、ゆえに改朝换代を「革命」と呼ぶ。商湯・周武は王を称えて、上は天命に順い下は人心に応ず。これがすなわち「順乎天而応乎人」なり。天道は変改し世事は遷易して、見れば《革》は極めて宏大なるを知るべし。ゆえに「革之時大矣哉」と讃嘆す。

集說 《朱子語類》云:《革》是更革之謂,到這裡須盡翻轉更變一番,所謂上下與天地同流,豈曰小補之哉。小補之者,謂扶衰救弊,逐些補緝,如錮露家事相似。若是更革,則須徹底從新鑄造一番,非止補其罅漏而已。

集説に《朱子語類》を引く:《革》はすなわち更改して変革するの意思にして、この一歩に到れば、必ず整個に翻転して徹底に一番を変更せざればならず。すなわち《孟子》の説く「上下与天地同流、豈曰小補之哉」なり。いわゆる小小の修補は、衰敗を扶持し弊病を挽救して、一点一点に補綴し起こるにして、まさに鍋を補う匠が家務の活を料理するがごときあれなり。若し是れ更革なれば、あれはすなわち必ず徹底に重新に一遍を鋳造して、不過その裂縫漏洞を補うのみにあらず。

彖下伝・鼎卦

鼎,象也。以木巽火,亨飪也。聖人亨以享上帝,而大亨以養聖賢。本義 以卦體二象釋卦名義,因極其大而言之。享帝貴誠,用犢而已。養賢則饔飧牢禮,當極其盛,故曰“大亨”。

《彖伝》はいう:《鼎》卦は、取るは鼎のこの件の器物の形象なり。木柴を火のうちに順入するは、是れ烹煮を為さんがためなり。聖人は烹煮して以て上帝に献享し、また大いに烹煮して以て聖賢を奉養す。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」と上下両卦の物象を用いて卦名の含义を解釈し、併せて勢いに順じてその功用を極大の処に推して講ずるなり。上帝を祭享するは誠敬を貴びて、一頭の牛犢を用いればすなわち足らん。賢人を奉養するはすなわち飯食牢礼を備えて、当に極尽して豊盛たるべし。ゆえに「大亨」という。

程傳 卦之為《鼎》,取鼎之象也。鼎之為器,法卦之象也。有象而後有器,卦復用器而為義也。“鼎”,大器也,重寶也。故其制作形模,法象尤嚴。鼎之名正也,古人訓方,方實正也。以形言,則耳對植於上,足分峙於下。周圓內外,高卑厚薄,莫不有法而至正。至正然後成安重之象,故鼎者法象之器,卦之為《鼎》,以其象也。“以木巽火”,以二體言鼎之用也。“以木巽火”,以木從火,所以“亨飪”也。鼎之為器,生人所賴至切者也。極其用之大,則“聖人亨以享上帝”,“大亨以養聖賢”。“聖人”,古之聖王,“大”言其廣。

程頤《伊川易伝》はいう:此卦の《鼎》と為る所以は、鼎の形象を取りたるなり。しかして鼎のこの件の器物は、本身はまた卦の形象を彷照して造出せられたるなり。先に卦象有りて、然るのちこそ器物有らん。卦はまた反ってこの件の器物に借りて義を取る。「鼎」は大器にして、国家の重宝なり。ゆえにその形制模様は、卦象を取法して格外に厳整なり。鼎のこの名称の含义はすなわち正なり――古人は鼎を方と訓して、方は其実すなわち正なり。形制に就きて説けば、両耳は対称して上に竪立し、三足は分開して下に鼎峙して、周身内外の円転・高低・厚薄は、法度に合せざるなく極めて端正なり。極めて端正にして然るのちこそ安穏凝重の象と成れり。ゆえに鼎は卦象を取法して造れる器物にして、此卦の名を《鼎》と為すは、まさにそれがこの象なるがゆえなり。「以木巽火」は、上下両体に就きて鼎の功用を講ずるなり。木柴を火裏に順入すれば、すなわち用いて食物を烹煮するなり。鼎のこの件の器物は、活人の依頼する所の最も切要の物なり。その功用を最大の処に推せば、すなわち「聖人亨以享上帝」「大亨以養聖賢」なり。「聖人」は古代の聖王を指し、「大」はそれの規模の広大を説く。

集說 蔡氏淵曰:祭之大者,無出於上帝。賓客之重者,無過於聖賢。案 釋名之後,繼以“享帝”“養賢”兩句,指明卦義之所主也,與《井》“養而不窮也”對觀之,便明。蓋彼主養民,此主享帝養賢。而享帝之實,尤在於養賢也。

集説に蔡淵の言を引く:祭祀のうちの最大なるは、上帝を祭るに超ゆるなし。賓客のうちの最重なるは、聖賢に超ゆるなし。李光地は案ずる:卦名を解釈するの後に、接ぎて「享帝」「養賢」の両句を写すは、是れこの一卦の義理の主脳の所在を指明せんがためなり。それを拿りて《井》卦の「養而不窮也」と対照して看れば便ちに明白せり。あの一卦は民を養うを以て主と為し、この一卦は帝を享し賢を養うを以て主と為す。しかして帝を享するの実際の功夫は、尤其として賢を養うの上頭に落つるなり。

巽而耳目聰明,柔進而上行,得中而應乎剛,是以元亨。本義 以卦象卦變卦體釋卦辭。程傳 上既言鼎之用矣,復以卦才言。人能如卦之才,可以致“元亨”也。下體巽,為巽順於理,離明而中虛於上,為“耳目聰明”之象。凡離在上者,皆云“柔進而上行”。柔在下之物,乃居尊位,“進而上行”也。以明居尊而得中道,“應乎剛”,能用剛陽之

《彖伝》はいう:謙遜にしてまた耳聡目明にして、陰柔は前進して上行し、中に居りて陽剛と相応ず。これによりて大いに亨通す。朱熹《本義》はいう:これは「卦象」「卦変」「卦体」を用いて卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:上文はすでに鼎の功用を講過し、ここは再び「卦才」より論を立つ。人は若し此卦のこのような才質を具備し能わば、すなわち以て「元亨」を招致すべし。下体は巽にして、事理に謙順するを代表す。離は明にして中間は虚空にして上に居るは、「耳目聡明」の象なり。およそ離の上卦に居るは、皆「柔進而上行」という。陰柔は本来下に居るの物にして、如今はしかし尊位に処す。これがすなわち「進而上行」なり。明智を以て尊位に居りて中道を得、また「応乎剛」にして、能く陽剛の――ここの処底本に脱文有り。

集說 單氏渢曰:巽以養下,則達聰而明目者也。“柔進而上行”,則不為驕亢者也。“得中而應剛”,則能養聖賢者也。劉氏曰:“得中而應乎剛”者,以柔居中,下應九二之剛,乃能用賢也。柔得尊位,卑巽以下賢,是以致“元亨”。張氏清子曰:上體離也,離為目,而兼耳言之者,蓋以六五為鼎耳而取也。

集説に単渢の言を引く:謙遜の道を以て下に在る人を奉養すれば、すなわち能く耳は遠くを聴き・眼は明くを見て、すなわち《尚書》の説く「明四目、達四聡」なり。「柔進而上行」は、すなわち身は高位に居りて驕慢自大せざるなり。「得中而応剛」は、すなわち能く聖賢を奉養するなり。集説にまた劉氏の言を引く:いわゆる「得中而応乎剛」は、六五が陰柔を以て上卦の中位に居りて、下に向かい九二の陽剛に呼応して、これがこそ賢才を任用するを談じ上ぐるに足る。陰柔は尊位を得て、また能く謙卑に己を屈して賢に下る。これによりて「元亨」を招致す。集説にまた張清子の言を引く:上体は離にして、離は《説卦伝》のうちにおいて目を取りて象と為すも、ここはしかし耳を併せて説き入るるは、是れ六五のこの一爻を取りて鼎耳と為すの縁故によるなり。

彖下伝・震卦

震,亨。本義 震有亨道,不待言也。震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。本義 “恐致福”,恐懼以致福也,“則”,法也。程傳 《震》自有亨之義,非由卦才。“震來”而能恐懼,自修自慎,則可反致福吉也。“笑言啞啞”,言自若也。由能恐懼,而後自處有法則也。“有則”,則安而不懼矣,處《震》之道也。

《彖伝》はいう:《震》は、亨通す。朱熹《本義》はいう:震の本身はすなわち亨通の道を含有して、別に解釈を加うるを必せず。《彖伝》はまたいう:「震来虩虩」は、恐惧に因りてかえって福気を招来するがゆえなり。「笑言唖唖」は、事後に処身して法度有るを得るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:「恐致福」は、恐惧によりて福気を招致す。「則」はすなわち法度なり。程頤《伊川易伝》はいう:《震》の本身は自ら亨通の義有りて、卦才より来たるにあらず。雷震の到来する時に能く恐惧して、自ら修治し・自ら謹慎せば、かえって以て福吉を招来すべし。「笑言唖唖」は、言笑自如を説く。まさに先に能く恐惧するがゆえに、事後の処身はこそ法則有らん。法則有れば、すなわち安穏にして更に恐惧せず。これがすなわち《震》の時に身を処するの道理なり。

集說 董氏曰:“致福”雲者,見君子常以危為安也。“有則”雲者,見君子不以忽忘敬也。李氏過曰:“有則”,謂君子所履,出處語默,皆有常則,不以恐懼而變也。

集説に董氏の言を引く:「致福」と説けば、見れば君子は常に危懼を当作して安身の本と為すを知るべし。「有則」と説けば、見れば君子は一時の疏忽に因りて敬慎を忘掉せざるを知るべし。集説にまた李過の言を引く:いわゆる「有則」は、君子の一挙一動は、出仕するや退処するや・言談するや沈黙するやを問わず、皆恒常の法度有りて、一時の恐惧に因りて改変せざるを説く。

震驚百里,驚遠而懼邇也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。本義 程子以為“邇也”下,脫“不喪匕鬯”四字,今從之。“出”,謂繼世而主祭也。或云,出即鬯字之誤。程傳 雷之震及於百里,遠者驚,近者懼,言其威遠大也。《彖》文脫“不喪匕鬯”一句,卦辭云“不喪匕鬯”,本謂誠敬之至,威懼不能使之自失。《彖》以長子宜如是,因承上文用長子之義通解之,謂其誠敬能“不喪匕鬯”,則君出而可以守宗廟社稷為祭主也。長子如是,而後可以守世祀承國家也。

《彖伝》はいう:雷震は百里の内を驚動して、遠処の人は驚を受け・近処の人は畏惧す。長子は出でて以て宗廟社稷を守護し、祭祀の主を充当するを得べし。朱熹《本義》はいう:程子は以て「邇也」の下面は「不喪匕鬯」の四字を脱去せりと為して、今はこの説に依従す。「出」は君位を承継して祭祀を主持するを指す。ある人はまたいう、「出」はすなわち「鬯」の字の誤なりと。程頤《伊川易伝》はいう:雷の震動は百里に波及して、遠きは驚を受け・近きは畏惧す。これはその威勢の広大を説く。《彖伝》の文中は「不喪匕鬯」の一句を脱去せり。卦辞は「不喪匕鬯」と説くは、本来誠敬の極点に到れば、威勢驚懼もまた彼をして自ら方寸を乱らしむること能わざるを講ずるなり。《彖伝》は以て長子はまさに当にこのようたるべしと為して、ここにおいて上文の長子を任用するの意思を承接して一併に解釈す。是れ長子は誠敬して能く「不喪匕鬯」に到れば、すなわち国君の外出する時に彼は以て宗廟社稷を守護し・祭主を充当すべし。長子はこの一歩を做到して、然るのちこそ以て世代の祭祀を守住し・国家の重任を担負すべし。

集說 《朱子語類》云:《震》便自是“亨”,“震來虩虩”,是恐懼顧慮,而後便“笑言啞啞”。“震驚百里”。,便也“不喪匕鬯”。文王語已是解“震亨”了,孔子又自說長子事。邱氏富國曰:“驚”者,卒然遇之而動乎外。“懼”者,惕然畏之而變於中。

集説に《朱子語類》を引く:《震》の本身は自然にすなわち「亨」なり。「震来虩虩」は雷の来る時に恐惧顧慮して四顧不安にして、まさに先にこの一番の戒懼有るがゆえに、随後にこそ能く「笑言唖唖」にして談笑自如たらん。「驚震百里」は、接ぎてもまた能く「不喪匕鬯」にして、手中の匕と鬯酒は至りて失落せざらん。文王の卦辞はすでに「震亨」を解釈して清楚せり。孔子は《彖伝》のうちにおいてまた別に長子主祭のこの一層の事を補説せり。集説にまた邱富国の言を引く:「驚」は突然に遇上して外表に動くにして、「惧」は警惕畏怕して内心に変ずるにして、一は外に在り一は内に在りて、深浅は併せて相同じからず。

張氏清子曰;“出”者,即《說卦》“帝出乎震”之謂。“主”者,即《序卦》“主器莫若長子”之謂。若舜之烈風雷雨弗迷,可以出而嗣位矣。蔡氏清曰:懼深於驚,遠近之別也。楊氏啟新曰:乾者自強而已矣,而曰“惕”。震者動而已矣,而曰“懼”。惕之為強也,見惕之非惴懾也。懼之為動也,見懼之非驚恐也。

集説に張清子の言を引く:いわゆる「出」は、すなわち《説卦伝》の「帝出乎震」のあの出なり。いわゆる「主」は、すなわち《序卦伝》の「主器者莫若長子」のあの主なり。虞舜の烈風雷雨のうちにおいて方向を迷乱せざるがごときは、すなわち以て出でて帝位を継承すべし。集説にまた蔡清の言を引く:惧は驚に比ぶれば更に一層深し。これがまさに遠と近の分別なり。集説にまた楊啓新の言を引く:乾は不過自強するのみにして、爻辞はしかし「夕惕」と説く。震は不過奮動するのみにして、《彖伝》はしかし「惧」と説く。「惕」はまさに剛強の表現にして、見れば惕は併せて惴惴として畏縮するにあらざるを知るべし。「惧」はまさに奮動の表現にして、見れば惧は併せて驚慌恐怖するにあらざるを知るべし。

彖下伝・艮卦

艮,止也。時止則止,時行則行。動靜不失其時,其道光明。程傳 艮為止,止之道唯其時,行止動靜不以時,則妄也。不失其時,則順理而合義。在物為理,處物為義,動靜合理義,不失其時也,乃“其道”之“光明”也。君子所貴乎時,仲尼行止久速是也。艮體篤實,有光明之義。

《彖伝》はいう:《艮》は、止の意思なり。当に止まるべきの時にすなわち止まり、当に行くべきの時にすなわち行く。動と静は皆その時機を錯過せざれば、この条の道はすなわち光明なり。程頤《伊川易伝》はいう:艮はすなわち止なり。止の道理は全て一個の「時」の字に在り。行・止・動・静は若し時に合せざれば、あれはすなわち妄なり。時機を錯過せざれば、すなわち理に順い義に合乎す。事物の上において講ずれば理と呼び、事に応ずるの上において講ずれば義と呼ぶ。動静は理義に合乎せば、すなわち時機を錯過せず。これがこそ「其道光明」なり。君子の看重する所はまさに時にして、孔子の当に行けばすなわち行き・当に止まればすなわち止まり・当に久しければすなわち久しく・当に速ければすなわち速きは、すなわち例子なり。艮の体性は篤実にして、本来すなわち光明の意思を含有す。

集說 程子曰:“時止則止,時行則行”,時行對時止而言,亦“止其所也”。“動靜不失其時”,皆“止其所也”。張子曰:艮一陽為主於兩陰之上,各得其位,而其勢止也。《易》言“光明”者,多艮之象,著則明之義也。

集説に程子の言を引く:「時止則止、時行則行」の「時行」は、「時止」に対して説くにして、其実はまたなお「止其所」なり。至るや「動静不失其時」は、あれはすなわち全て皆「止其所」なり。集説にまた張載の言を引く:艮は一個の陽爻が主を做して両個の陰爻の上に居りて、各爻は各々その位を得て、その勢いは自然に止住す。《易》のうちに「光明」を講ずるの処は、多半是れ艮の象にして、取るは篤実顕著すれば便ちに明を生ずるのこの層の意思なり。

《朱子語類》云:“時止則止,時行則行”,行固非止,然行而不失其理,乃所以為止也。問艮之象何以為“光明”。曰:定則明。凡人胸次煩擾,則愈見昏昧。中有定止,則自然光明,莊子所謂泰宇定而天光發是也。案 釋名之下,先著此四句,亦所以為釋辭之端。“時止則止”,則,所謂“艮其背不獲其身”也。“時行則行”,則所謂“行其庭不見其人”也。

集説に《朱子語類》を引く:「時止則止、時行則行」は、行は当然に止にあらざるも、然るに行きてその理を失わざるは、正にすなわち止と為す所以なり。ある人問う:艮の象はなぜ「光明」なるか。答えていわく:定住せば自然に明なり。およそ人は胸中は煩乱擾攘せば、すなわち愈々昏昧す。心裏に一個の定止の処有れば、自然に光明す。《荘子》の説く「宇泰定者、発乎天光」はすなわちこの意思なり。李光地は案ずる:卦名を解釈するの後に先にこの四句を写上するは、同様に用いて下文の卦辞を解釈するの話頭を引出するなり。「時止則止」は、すなわち卦辞の説く「艮其背、不獲其身」なり。「時行則行」は、すなわち卦辞の説く「行其庭、不見其人」なり。

艮其止,止其所也。上下敵應,不相與也。是以不獲其身,行其庭,不見其人,無咎也。本義 此釋卦辭,《易》背為止,以明背即止也。背者,止之所也。以卦體言,內外之卦,陰陽敵應而“不相與也”。不相與則內不見己,外不見人,而“無咎”矣。晁氏云:“艮其止”,當依卦辭作“背”。

《彖伝》はいう:艮はそれが当に止まるべきの地方に止るは、是れ止るにその所を得たり。上下の各爻は両両に敵対して相応じ、彼此は相亲与せず。これによりて「不獲其身、行其庭、不見其人」にして過錯なし。朱熹《本義》はいう:この一段は卦辞を解釈す。《易》は背を以て止と為して、用いて背はすなわち止なるを点明す。背は、まさに止の処所なり。「卦体」に就きて説けば、内卦と外卦は陰陽は両両に敵対して、ゆえに「不相与也」なり。相亲与せざれば、あれはすなわち内に向かい自己を見ず・外に向かい他人を見ず。因りて過錯なし。晁氏はいう:「艮其止」の「止」は、当に卦辞に依りて「背」と作すべし。

程傳 “艮其止”,謂止之而止也。止之而能止者,由止得其所也。止而不得共所,則無可止之理。夫子曰:於止知其所止,謂當止之所也。夫有物必有則,父止於慈,子止於孝,君止於仁,臣止於敬,萬物庶事,莫不各有其所,得其所則安,失其所則悖。聖人所以能使天下順治,非能為物作則也。唯止之各於其所而已。“上下敵應”,以卦才言也。上下二體以敵相應,無相與之義。陰陽相應,則情通而相與,乃以其敵故不相與也。不相與則相背,為“艮其背”,止之義也。相背故“不獲其身”“不見其人”,是以能止,能止則“無咎”也。

程頤《伊川易伝》はいう:「艮其止」は、それを止住してそれが果然に止住するを説く。それを止住して能く止住し得る所以は、是れ止るにその所を得るがゆえなり。若し止りてそれが応在の処所を得ざれば、あれはすなわち止るべきの理なし。孔子は「于止、知其所止」といい、講ずるはまさに当に止住すべきの地方なり。およそ一物有れば必ず一個の準則有らん。父は慈愛に止り、子は孝順に止り、君は仁徳に止り、臣は恭敬に止る。万物万事は皆各々その所有らざるなし。その所を得ればすなわち安穏にして、その所を失えばすなわち悖乱す。聖人の能く天下をして順治せしむる所以は、併せて能く万物のために別に準則を立てるにあらず、不過それらをして各々自らの位置の上に止らしむるのみ。「上下敵応」は「卦才」に就きて論を立つ。上下両体は同性にして敵対して相応じて、互相亲与するの意思なし。陰陽は相応じれば、情意はすなわち相通じて彼此亲与す。如今は同性敵対に因りて、ゆえに相亲与せず。相亲与せざるはすなわち相背するにして、まさに「艮其背」にして、すなわち止の含义なり。相背するに因りて、ゆえに「不獲其身」「不見其人」にして、これによりてこそ能く止るを得。能く止ればすなわち過錯なし。

集說 孔氏穎達曰:《易》背為止,以明背者無見之物,即是可止之所也。“艮其止”,是止其所止也,故曰“艮其止,止其所也”。凡應者一陰一陽,二體不敵,今上下之位,爻皆峙敵,不相交與,故曰“上下敵應,不相與也”。然八純之卦,皆六爻不應,何獨於此言之?謂此卦既止而不交,爻又峙而不應,與止義相協,故兼取以明之。

集説に孔穎達の言を引く:《易》は背を以て止と為して、用いて背は東西を看見し得ざるの部位にして、まさに以て止住すべきの処所なるを点明す。「艮其止」は、すなわちそれが応止の地方に止るにして、ゆえに「艮其止、止其所也」という。およそ相応ずるは皆須く一陰一陽にして、上下両体は能く同性敵対すべからざるなり。如今は上下相対するの爻位は、各爻は皆是れ同性にして対峙して、交往せざるなり。ゆえに「上下敵応、不相与也」という。しかるに乾坤坎離のこれらの純卦は、六爻は皆相応せざるに、なぜ単にこの一卦の上において講ずるか。これは是れ此卦は既に止りて交わらず・爻はまた対峙して応ぜずして、恰も「止」の義理と相合するがゆえに、併せて取りて来りて説明を加うるなり。

蘇氏軾曰:“艮其止,止其所也”,此所以“不獲其身”也。“上下敵應,不相與也”,此所以“行其庭,不見其人”也。《朱子語類》云:“艮其止止其所也”,上句“止”字,便是“背”字。故下文便繼之云“是以不獲其身”,更不再言“艮其背”也。下句“止”字,是解艮字,“所”字,

集説に蘇軾の言を引く:「艮其止、止其所也」のこの一層は、まさに卦辞「不獲其身」の縁由なり。「上下敵応、不相与也」のこの一層は、まさに卦辞「行其庭、不見其人」の縁由なり。両句は各々卦辞の半分を照应す。集説にまた《朱子語類》を引く:「艮其止止其所也」のこの一句のうち、上一個の「止」の字は其実すなわち「背」の字にして、ゆえに下文は緊接して「是以不獲其身」と説きて、更に「艮其背」の三字を重提せず。下一個の「止」の字は卦名の「艮」の字を解釈して、至るやあの「所」の字は――ここの処底本に脱文有りて、朱子の下面の話は缺けたり。

又云:“艮其背”了,靜時“不獲其身”,動時“不見其人”,所以《彖辭傳》中,說“是以不獲其身,行其庭,不見其人,無咎也”。周先生所以說定之以仁義中正而主靜。

集説にまた《朱子語類》の別条を引く:すでに「艮其背」せれば、静の時は便ちに「不獲其身」にして、動の時は便ちに「不見其人」なり。ゆえに《彖辞伝》のうちにおいて「是以不獲其身、行其庭、不見其人、无咎也」と説く。周敦頤先生はこれに因りて「定之以仁義中正而主静」せんを要すと説く。

項氏安世曰:卦辭為“艮其背”,傳為“艮其止”。晁氏說之曰:《傳》亦當為“良其背”。自王弼以前,無“艮其止”之說。今案古文“背”字為北,有訛為“止”字之理。胡氏炳文曰:“不獲其身”以下三句,皆從背說。背則自視“不獲其身”,“行其庭”則“不見其人”。《本義》所謂止而止,行而止,即程子所謂靜亦定,動亦定也。

集説に項安世の言を引く:卦辞は「艮其背」と作して、《彖伝》は「艮其止」と作す。晁説之はかつて《彖伝》もまた当に「艮其背」と作すべしと説きて(底本は「良」は「艮」の誤なり)、王弼以前よりは、併せて「艮其止」のこの説法有りたることなし。如今考察するに、古文は「背」の字を「北」と写作して、是れ訛じて「止」の字と成るの可能有らん。集説にまた胡炳文の言を引く:「不獲其身」以下の三句は、皆背に就きて説を立つ。背を対えば、すなわち自己は自己を看るに「不獲其身」にして、「行其庭」すればすなわち「不見其人」なり。《本義》の説く静止する時は止にして行動する時もまた止なるは、すなわち程子の説く静時も亦定・動時も亦定なり。

案 此是以卦體爻位釋卦辭,以卦體言,陽上陰下,“止其所也”。以爻位言,陰陽無應,“不相與也”。“艮其背”內兼此二義,故其止所者,為“不獲其身”。“不相與”者,為“不見其人”。孔氏所謂卦既止而不交,爻又峙而不應者,極為得之。

李光地は案ずる:この一段は「卦体」と「爻位」を用いて卦辞を解釈す。卦体に就きて説けば、陽は上に在り陰は下に在りて、まさに「止其所也」なり。爻位に就きて説けば、陰陽は彼此応なく、まさに「不相与也」なり。「艮其背」の三字のうちには兼ねてこの両層の意思を含有し、ゆえに止るにその所を得るの一面は、すなわち「不獲其身」と成り、相亲与せざるの一面は、すなわち「不見其人」と成る。孔穎達の説く此卦は既に止りて交わらず・爻はまた対峙して応ぜずは、講じて最も透徹せり。

彖下伝・漸卦

漸之進也,女歸吉也。本義 之字疑衍,或是漸字。程傳 如漸之義而進,乃女歸之吉也。謂正而有漸也,女歸為大耳,它進亦然。集說 郭氏雍曰:《傳》言漸之進,如女之歸則吉,所以明卦辭也。蓋世俗多失漸進之道,獨“女歸”有漸存焉耳。毛氏璞曰:《易》未有一義明兩卦者,《晉》進也,《漸》亦進,何也?漸非進,以漸而進耳。案 曰“漸之進也”,以別於《晉》之進,《升》之進也。

《彖伝》はいう:漸のこの種の前進は、まさに女子の嫁ぐがごとく吉利なり。朱熹《本義》はいう:「漸之進也」の「之」の字は疑わしきは衍文にして、あるいは本来「漸」の字と作るべかりしか。程頤《伊川易伝》はいう:漸の義理に依照して前進せば、すなわち女子の嫁ぐのあのような吉利にして、すなわち既に正を守りてまた序を循るなり。女子が嫁ぐは人生の大事にして、それを挙げて例と為すのみ。別の前進もまた皆一様なり。集説に郭雍の言を引く:《彖伝》は漸のこの種の前進を講じて、女子の嫁ぐがごときに便ちに吉と為すは、用いて卦辞を闡明するなり。世俗は多半は循序漸進の道理を失掉して、唯だ「女帰」のこの件事の上になお一個の漸の規矩を保存す。集説にまた毛璞の言を引く:《易》のうちに同一個の義訓を用いて両個の卦を解するはなし。《晋》は進と訓して、《漸》もまた進と訓す。これは何のためか。其実は漸は併せて進に等しからずして、是れ序を循りて進むのみ。李光地は案ずる:「漸之進也」と説くは、まさにそれを《晋》の進・《升》の進と区別して開かんと欲するなり。

進得位,往有功也。進以正,可以正邦也。本義 以卦變釋“利貞”之意,蓋此卦之變,自《渙》而來。九進居三,自《旅》而來,九進居五,皆為得位之正。程傳 漸進之時,而陰陽各得正位,進而有功也。四復由上進而得正位,三離下而為上,遂得正位,亦為進得位之義。以正道而進,可以正邦國至於天下也。凡進於事,進於德,進於位,莫不皆當以正也。

《彖伝》はいう:前進してその位を得、前往すればすなわち能く功を建つ。前進して正道に依れば、すなわち以て邦国を匡正すべし。朱熹《本義》はいう:これは「卦変」を用いて卦辞「利貞」の意思を解釈す。此卦の変化は、《渙》卦より看れば一陽は前進して第三位に居り、《旅》卦より看れば一陽は前進して第五位に居る。皆位を得て正に属す。程頤《伊川易伝》はいう:まさに漸進の時に当たりて、陰陽は各々正位を得る。ゆえに前進して能く功を建つ。六四はまた上面より進み入りて正位を得、九三は下体を離れて上に居りて、また正位を得たり。同様に「進得位」の意思なり。正道を以て前進せば、すなわち以て邦国を匡正して一直に天下に及ぶべし。およそ事功の上において前進し・道徳の上において前進し・爵位の上において前進するは、皆当に正道に依るべきならざるなし。

集說 粱氏寅曰:卦自二至五,陰陽各得正位,此所以進而有功也。“進得位”,以位言。“進以正”,以道言。案 梁氏之說得之,蓋“進得位”,以卦位言。“進以正”,以人事言。在卦為“得位”者,在人事即是“得正”也。“正邦”,亦只是申有功之意。《易》卦中四爻得位者,《既濟》曰“定也”,《家人》曰“正家而天下定矣”,《蹇》、《漸》皆曰“以正邦也”。蓋董子正朝廷以正百官,正百宮以正萬民之意也。

集説に梁寅の言を引く:此卦は第二爻より第五爻に到るまで、陰陽は各々正位を得たり。これがすなわち前進して能く功を建つるの縁由なり。「進得位」は爻位に就きて説き、「進以正」は道理に就きて説く。李光地は案ずる:梁氏のこの説法は講じて対せり。「進得位」は卦のうちの爻位に就きて説き、「進以正」は人事に就きて説く。卦のうちに「得位」と呼ばるるは、人事の上に落とせばすなわち「得正」なり。「正邦」もまた不過「有功」の意思を再び一遍を申説するのみ。《易》のうちに卦体の中間四爻の皆位を得たるは、《既済》は「定也」といい、《家人》は「正家而天下定矣」といい、《蹇》《漸》は皆「以正邦也」という。大抵すなわち董仲舒の説く朝廷を端正して以て百官を端正し・百官を端正して以て万民を端正するの意思なり(底本は「正百宮」を「正百官」と当作すべし)。

其位,剛得中也。程傳 上云“進得位往有功也”,統言陰陽得位,足以進而有功。復云“其位剛得中也”,所謂“位”者,五以剛陽中正得尊位也。諸爻之得正,亦可謂之得位矣。然未若五之得尊位,故特言之。集說 梁氏寅曰:上言“進得位”,以自二至五四爻言之也。此又言“其位剛得中”,以九五言之也。

《彖伝》はいう:説く所のあの位は、指すは陽剛が中位を得たるなり。程頤《伊川易伝》はいう:上文は「進得位、往有功也」と説くは、笼统に陰陽は各々その位を得て、足りて前進して功を建つるを講ずるなり。ここはまた「其位剛得中也」と説くに、いわゆる「位」は、指すは九五が陽剛中正を以て尊位を取得したるなり。その余の各爻の正を得るも、また以て位を得と呼ぶべきも、然るに皆九五の尊位を取得するに比ぶれば及ばず。ゆえに特地に拈出して来りて講ずるなり。集説に梁寅の言を引く:上文の講ずる「進得位」は、第二爻より第五爻に到るのこの四爻に就きて説く。ここはまた「其位剛得中」を講ずるは、九五の一爻に就きて説く。

止而巽,動不窮也。本義 以卦德言,漸進之義。程傳 內艮止,外巽順,“止”為安靜之象,“巽”為和順之義。人之進也,若以欲心之動,則躁而不得其漸,故有困窮。在《漸》之義,內止靜而外巽順,故其進動不有困窮也。

《彖伝》はいう:止りてまた謙遜にして、ゆえに行動し起こるに困窮に陥るを得ず。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」に就きて漸進の意思を講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:内卦の艮は止にして、外卦の巽は順なり。「止」は安静の象にして、「巽」は和順の義なり。人は前進するの時に、若し私欲の心に憑りて妄動せば、すなわち急躁にして循序漸進を失掉して、これによりて困窮に陥入せん。しかして《漸》の義理は内裏は止静にして外面は巽順にして、ゆえにその行動前進は能く困窮有らざらん。

集說 吳氏曰慎曰:“止而巽”,終是進。但進以漸,故卦名為《漸》。若“巽而止”,則終於止而事壞亂矣,故卦名為《蠱》。內外先後之辨,不可易也。案 “剛得中”,“止而巽”,又就中四爻內特舉九五與卦德,申“女歸”“利貞”之義。《節》卦“說以行險”,“當位”“中正”同。

集説に呉曰慎の言を引く:「止而巽」は、帰根到底はなお進にして、ただ進むに序を循るがゆえに、卦名を《漸》と呼ぶ。若し換えて「巽而止」と為せば、あれはすなわち終に停住して事情は敗壊す。ゆえにあの一卦の名は《蠱》と呼ぶ。内外先後の分別は、能く対調すべからざるなり。李光地は案ずる:「剛得中」「止而巽」の両句は、また中間四爻のうちにおいて特意に九五を拈出して、卦徳を連ね合わせて、来りて「女帰」「利貞」の義理を申説す。これは《節》卦の「説以行険」を講じて、また「当位」「中正」を講ずると同一体例なり。

彖下伝・帰妹卦

歸妹,天地之大義也。天地不交而萬物不興,歸妹人之終始也。本義 釋卦名義也。“歸”者,女之終。生育者,人之始。程傳 “一陰一陽之謂道”,陰陽交感,男女配合,天地之常理也。《歸妹》,女歸於男也,故云“天地之大義也”。男在女上,陰從陽動,故為女歸之象,天地不交,則萬物何從而生?女之歸男,乃生生相續之道。男女交而後有生息,有生息而後其終不窮。前者有終,而後者有始。相續不窮,是“人之終始也”。

《彖伝》はいう:《帰妹》は、天地の間の大義なり。天地は交合せざれば、万物はすなわち能く興起せず。女を嫁がすのこの件事は、人類の終結と開端に関係す。朱熹《本義》はいう:これは卦名の含义を解釈す。「帰」は女子の一生の帰宿終点にして、児女を生養するはすなわち人類の開端なり。程頤《伊川易伝》はいう:《繋辞伝》は「一陰一陽之謂道」と講じ、陰陽は交相感応して、男女は配合して家を成す。これは天地の間の常理なり。《帰妹》は女子が男家に嫁到するにして、ゆえにそれを「天地之大義」と説く。此卦は男は女の上に在りて、陰は陽に随いて動く。ゆえに是れ女子の嫁ぐの象なり。天地は交わらざれば、万物はどこより生出せんや。女子は男子に嫁すは、まさに生生して相続くの途徑なり。男女は交合して然るのちこそ生育有りて、生育有りて然るのちこそ綿延不断ならん。前一代はそれの終結有りて、後一代はそれの開端有りて、接続して下って窮尽なし。これがすなわち「人之終始也」なり。

集說 項氏安世曰:“有男女然後有夫婦”,“天地之大義也”。“有夫婦然後有父子”,“人之終始也”。案 將言《歸妹》之凶,而先言其本“天地之大義”,猶《姤》言“柔遇剛”之失,而又推本於天地相遇之正也。由此言之,陰陽原不可以相無,而唯當慎之始以防其敝者,是《易》之道也。

集説に項安世の言を引く:《序卦伝》は「有男女然后有夫婦」と講ず。これがすなわち「天地之大義」なり。「有夫婦然后有父子」と講ず。これがすなわち「人之終始」なり。李光地は案ずる:まさに《帰妹》の凶を説かんと欲するに、しかし先にそれが「天地之大義」に本源するを説く。これはまさに《姤》卦が先に「柔遇剛」の過失を講じて、随後にまた天地相遇の正に推本するがごとし。これに由りて説けば、陰陽は本来すなわち彼此缺くべからざるにして、ただ当に開端の処において謹慎して、用いてその流弊を防備するなり――これがまさに《易》の道理なり。

說以動,所歸妹也。本義 又以卦德言之。集說 鄭氏汝諧曰:長男居上,少女居下,以女下男也。少女“說以動”,而又先下於男,其所歸者妹,故以“徵”則“凶”,且“無攸利”。

《彖伝》はいう:喜悦に因りて奮動して、嫁がす所は妹なり。朱熹《本義》はいう:ここはまた「卦徳」に就きて論を立つ。集説に鄭汝諧の言を引く:長男の震は上に居り、少女の兌は下に居るは、是れ女子が男子に屈就す。少女は「説以動」にして、また先を搶いで男に屈就す。彼女の嫁がす所はまさに個の妹にして、ゆえに「征」すればすなわち「凶」にして、しかも「无攸利」なり。

案 卦德“說以動”,則與《咸》之“止而說”者異矣。卦象女先於男,是所欲歸者妹也。又以少女從長男,是所歸者乃妹也。所歸妹一句兼此二意,可見其失於禮,又愆於義也。夫“說以動”,則徇乎情。所歸妹,則不能止乎禮義。此卦之所以凶乎!《本義》以卦德言之,實則兼卦德卦象在內。

李光地は案ずる:卦徳に就きて「説以動」と説けば、これはすなわち《咸》卦の「止而説」と同じからず。卦象に就きて説けば、女は男の前面に搶い出づるは、まさに嫁が出さんと欲する所は妹なり。再び少女を以て長男に随従せば、嫁がす所もまた確実に妹なり。「所帰妹」の一句は兼ねてこの両層の意思を含有して、見ればそれは既に礼に失し・また義に乖るを知るべし。「説以動」は、すなわち私情に徇順す。「所帰妹」は、すなわち能く礼義に止るを得ず。これがまさに此卦の凶と為る所以なり。《本義》はこれを卦徳に就きて論を立つと説くも、其実は卦徳と卦象は皆その裏頭に包含せられたり。

本義 又以卦體釋卦辭。男女之交,本皆正理。唯若此卦,則不得其正也。程傳 以二體釋《歸妹》之義。男女相感說而動者,少女之事,故以“說而動”,所歸者妹也。所以征則凶者,以諸爻皆不當位也。所處皆不正,何動而不凶。大率以“說而動”,安有不失正者,不唯位不當也。又有乘剛之過,三五皆乘剛,男女有尊卑之序,夫婦有唱隨之禮,此常理也,如《恆》是也。

(ここの処底本は《彖伝》の「征凶、位不当也。无攸利、柔乗剛也」の一句正文を脱せり。)朱熹《本義》はいう:ここはまた「卦体」を用いて卦辞を解釈す。男女の相交は、本来皆正理に合乎するも、ただこの一卦のごときは、すなわちその正を得るを得ざるなり。程頤《伊川易伝》はいう:これは上下両体を用いて《帰妹》の含义を解釈す。男女は互相感応して喜悦に因りて奮動するは、これは少女の事にして、ゆえに「説而動」といい、嫁がす所は妹なり。出行すればすなわち凶なる所以は、各爻は皆当位せざるがゆえなり。処する所は皆正ならざれば、一動すればどうして凶ならざらんや。大体説くに、「説而動」に憑れば、どうしてその正を失わざるを得んや。しかも併せて位不当のみならず、なお剛に乗凌するの過失有らん――六三・六五は皆陽剛の上に乗ず。男女は尊卑の次序有りて、夫婦は倡随の礼節有りて、これは常理にして、《恒》卦のごときはすなわちこのようたり。

苟不由常正之道,徇情肆欲,唯說是動,則夫婦瀆亂,男牽欲而失其剛,婦狃說而忘其順,如《歸妹》之乘剛是也。所以凶,無所往而利也。夫陰陽之配合,男女之交媾,理之常也。然從欲而流放,不由義理,則淫邪無所不至,傷身敗德,豈人理哉,《歸妹》之所以“凶”也。

程頤は続けていう:若し常正の道に遵循せざれば、一味に情に徇い放縦して、ただ喜悦に憑りて動けば、すなわち夫婦の間はすなわち軽慢淫乱す。男は欲望に牽かれて走りて剛を喪失し、女は喜悦を貪図して順を忘掉す。まさに《帰妹》の柔の剛に乗ずるがごとし。これによりてこそ凶にして、哪の処に向かい往くとも利言うべきなし。陰陽の配合・男女の交媾は、本は是れ常理なり。然るに欲望に順従して放縦して帰る処なく、義理に依りて来たらざれば、すなわち淫邪は至らざる所なく、身体を傷害し徳行を敗壊す。どうしてなお人を為るの理に合乎せんや。これがすなわち《帰妹》の「凶」たる所以なり。

集說 陸氏希聲曰:《易》以《咸》、《恆》為夫婦之道,《漸》、《歸妹》為夫婦之義。《漸》四爻得正,故“女歸吉”。《歸妹》四爻失正,故“征凶”。吳氏曰慎曰:卦以少女從長男,則非其配偶。“說以動”,則恣情縱欲。中爻不正,則陰陽皆失其常。三五柔乘剛則不順,宜其“凶”也。然四者又以“說以動”為重。

集説に陸希声の言を引く:《易》は《咸》《恒》両卦を用いて夫婦の相処するの道を講じ、《漸》《帰妹》両卦を用いて夫婦の成合するの義を講ず。《漸》卦の中間四爻は皆その正位を得る。ゆえに「女帰吉」という。《帰妹》の中間四爻は皆その正位を失う。ゆえに「征凶」という。集説にまた呉曰慎の言を引く:此卦は少女を以て長男に随従して、年歳は懸殊にして、あれはすなわち相称の配偶にあらず。「説以動」は、あれはすなわち情を恣りに欲を縦るなり。中間の幾爻は正ならざれば、あれはすなわち陰陽は皆常度を失掉せり。六三・六五は陰柔を以て陽剛の上に乗凌するは、あれはすなわち順ならず。この四様有れば、その凶は是れ理の当然なり。不過この四条の裏辺は、また「説以動」の一条を数えて分量は最も重しと為すを要す。

案 中四爻皆失正位者,除《未濟》外,唯《睽》、《解》及此卦,而《家人》、《睽》、《漸》、《歸妹》,皆言男女之道者也。《家人》以得位而正,故《睽》以失位而乖,《漸》以得位而吉,故《歸妹》以失位而凶也,他卦有柔乘剛而義與《歸妹》不同者,義與卦變。

李光地は案ずる:中間四爻の皆正位を失うの卦は、《未済》を除く以外は、ただ《睽》《解》とこの一卦のみ。しかして《家人》《睽》《漸》《帰妹》は、皆是れ男女の道を講ずるなり。《家人》は位を得るに因りて端正なれば、ゆえに《睽》はすなわち位を失うに因りて乖違す。《漸》は位を得るに因りて吉なれば、ゆえに《帰妹》はすなわち位を失うに因りて凶なり。別の卦のうちにもまた柔が剛に乗じて義理は《帰妹》と同じからざる有れば、あれはすなわち卦変に連ねて一同に看るを要す(底本は「義与卦変」の四字に疑わしき訛脱有らん)。

彖下伝・豊卦

豐,大也。明以動,故豐。本義 以卦德釋卦名義。程傳 “豐”者,盛大之義。離明而震動,明動相資而成豐大也。集說 楊氏簡曰:以明而動,故豐故亨。以昏而動,則反是矣。

《彖伝》はいう:《豊》は、大の意思なり。光明に憑りて奮動すれば、ゆえに豊大なり。朱熹《本義》はいう:これは「卦徳」を用いて卦名の含义を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:「豊」は盛大の意思なり。離は光明と為り震は奮動と為りて、明と動は互相憑借して、すなわち豊大を成就す。集説に楊簡の言を引く:明察に憑りて奮動すれば、ゆえに能く豊に・能く亨なり。若し昏昧に憑りて奮動せば、結局はすなわち正反対と成らん。

案 “明以動故豐”,亦非正釋名義,乃推明其所以致豐之故,以起釋辭之端,與《壯》、《萃》同。“以”字與“而”字不同,“而”字有兩意,“以”字只是一意,重在首字。如以剛而動,所以致壯,可見處壯者之必貞也。以順而說,所以致聚,可見處《萃》者之必順也。以明而動,所以致豐。可見處《豐》者之必明也。卦爻之義,皆欲其明而防其昏,故《傳》先發此義,以示玩辭之要。

李光地は案ずる:「明以動故豊」のこの句も、また併せて正面に卦名の含义を解釈するにあらず、是れそれが能く豊を致す所以の縁由を推究して、用いて下文の卦辞を解釈するの話頭を引出するにして、《大壮》《萃》両卦の写法と相同じ。「以」の字と「而」の字は同じからず。「而」の字は両層の意思を含み、「以」の字はただ一層のみ有りて、分量は頭一個の字の上に落つる。譬えば剛に憑りて動けば、こそ壮大を招致す。見れば壮盛に身を処する人は必ず正を守るを要す。順に憑りて悦ばしけば、こそ聚集を招致す。見れば《萃》の時に身を処する人は必ず柔順を要す。明に憑りて動けば、こそ豊大を招致す。見れば《豊》の時に身を処する人は必ず明察を要すを知るべし。此卦の卦爻の義理は、皆是れ人をして明察にして昏昧を防備せしめんと希望す。ゆえに《彖伝》は先にこの層の意思を掲出して、用いて卦爻辞を玩味するの要領を指示す。

王假之,尚大也。勿憂宜日中,宜照天下也。本義 釋卦辭。程傳 王者有四海之廣,兆民之眾,極天下之大也。故《豐》大之道,唯王者能致之。所有既大,其保之治之之道亦當大也,故王者之所尚至大也。所有既廣,所治既眾,當憂慮其不能周及。宜如日中之盛明,普照天下,無所不至,則可勿慮矣。如是,然後能保其豐大。保有豐大,豈小才小知之所能也。集說 吳氏曰慎曰:所以“宜日中”者,恐“日中則昃”也。“照天下”,日中時。“昃”,日中後。

《彖伝》はいう:「王假之」は、盛大を崇尚するなり。「勿憂宜日中」は、当に天下を普照すべきなり。朱熹《本義》はいう:これは卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:王を為る者は四海の広闊・億万の百姓の衆多を擁有して、是れ天下の最大なり。ゆえに豊大の道は、唯だ王者のみ能く達成す。擁有する所はすでに広大なれば、すなわちそれを保守し・それを治理するの弁法もまた当に広大たるべし。ゆえに王者の崇尚する所は極めて宏大なり。擁有する所はすでに広博にして、治理する所はすでに衆多なれば、すなわち当に照顧の周到ならざるを憂慮すべし。当に正午の太陽のあのような盛明にして、天下を普照して到らざる所なからしむべし。あれは便ちに憂慮するを必せざるなり。このようにして、然るのちこそ能く彼の豊大を保住せん。豊大を保有せんと欲するは、どうして是れ小才小智の人の弁じ到るを得るや。集説に呉曰慎の言を引く:「宜日中」と説く所以は、是れ「日中則昃」を怕るるなり。「照天下」の説くは正午の当时にして、「昃」はすなわち正午の後なり。

日中則昃,月盈則食,天地盈虛,與時消息,而況於人乎?況於鬼神乎?本義 此又發明卦辭外意,言不可過中也。程傳 既言豐盛之至,復言其難常以為誠也。日中盛極,則當昃昳。月既盈滿,則有虧缺。天地之盈虛,尚與時消息,況人與鬼神乎!“盈虛”,謂盛衰。“消息”,謂進退。天地之運,亦隨時進退也。“鬼神”,謂造化之跡。於萬物盛衰可見其消息也,於豐盛之時而為此誡,欲其守中不至過盛,處《豐》之道,豈易也哉!

《彖伝》はいう:太陽は正午に到ればすなわち西に偏り、月亮は盈満に到ればすなわち虧蝕す。天地の盈満と空虚は、なおかつ時勢に随いて消退生長するに、何况や是れ人ならんや、何况や是れ鬼神ならんや。朱熹《本義》はいう:この一段はまた卦辞の言外の意思を発揮して、中限を超過すべからずを講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:すでに豊盛の極致を講じ、接ぎてまたそれが長久し難きを講じて、用いて告誡を為す。太陽は正午に当たりて最も盛にして、随いですなわち偏斜せんと欲す。月亮はすでに盈満せば、随いですなわち虧缺有らん。天地の盈虚は、なおかつ時勢に随いて消長するに、何况や人と鬼神ならんや。「盈虚」は盛衰を説き、「消息」は進退を説く――天地の運行も、また是れ時に随いて進退す。「鬼神」は造化の踪跡を指して、万物の盛衰の上よりすなわちそれの消長を看見すべし。豊盛の時においてこの一番の告誡を下すは、是れ人をして中道を守住して過盛に至らざらしめんと希望するなり。《豊》の時に身を処するの道理は、どうして是れ容易のや。

集說 孔氏穎達曰:先陳天地,後言人鬼神者,欲以輕譬重,亦先尊後卑也。日月先天地者,承上“宜日中”之文。遂言其昃食,因舉日月以對。然後並陳天地,作文之體也。《朱子語類》云:《豐》卦《彖》許多言語,其實只在“日中則昃”“月盈則食”“天地盈虛”“與時消息”數語上,這盛得極,常須謹謹保守得日中時候方得。不然,便是偃仆傾壞了。

集説に孔穎達の言を引く:先に天地を擺出して後に人と鬼神を説くは、是れ分量軽きを用いて分量重きに比況せんと欲して、同時にまた先尊後卑の次序に合乎す。至るや日月はまた天地の前に排せられたるは、あれは上文の「宜日中」の一句を承接して来たればなり。勢いに順じて太陽偏斜・月亮虧蝕に説到して、因りて日と月を対挙して、然るのちこそ一併に天地を陳説す。これは行文謀篇の体例なり。集説にまた《朱子語類》を引く:《豊》卦の《彖伝》のあの許多の話は、其実はただ「日中則昃」「月盈則食」「天地盈虚」「与時消息」のこの幾句の上に落つるのみ。すでに極処に盛に到れば、すなわち常に須く小心翼翼にして正午のこの時を保守して住れりてこそ行得せん。然らざれば、転眼すなわち便要として栽倒傾覆せん。

問鬼神者造化之跡,然天地盈虛,即是造化之跡矣,而復言鬼神何耶?曰:大地舉全體而言,鬼神指其功用之跡,似有人所為者。毛氏璞曰:“豐”,大也,亦盈也。唯有道者明德若不足,未嘗中故不昃,未嘗盈故不食。日新則為大,反是則為盈。知日中之宜,則知日昃之可戒。

集説にまた《朱子語類》を引く:ある人問う、鬼神は造化の踪跡なるも、然るに天地の盈虚はすでにすなわち造化の踪跡にして、なぜなお別に鬼神を説かんや。朱子は回答していわく:天地はその整個の本体を挙げて来りて講ずるにして、鬼神はすなわち造化の功用の踪跡を指す。あの形跡は好像として誰か有りて操作するがごとし(底本は「大地」を「天地」と当作すべし)。集説にまた毛璞の言を引く:「豊」は大にして、また盈なり。唯だ道有るの人のみ、明徳は充盛なるも好像としてなお不足のごとし。かつて自ら正中に居おると為さざれば、ゆえに能く偏斜せず。かつて自ら盈満に居おると為さざれば、ゆえに能く虧蝕せず。日日に更新してこそ大と算し、反対にすればすなわちただ盈のみ。正午の可貴を懂得すれば、すなわち日斜の警戒すべきをも懂得す。

林氏希元曰:卦辭“勿憂宜日中”,所以然處未之及,此方言之以補卦辭之所未及,故曰發明卦辭外意。言辭外之意也,雖曰辭外之意,然實有此意,但辭不及耳。案 林氏之說得之,朱子釋彖辭:爾曰盛極當衰也。

集説に林希元の言を引く:卦辞はただ「勿憂宜日中」と説くに、至るやなぜこのようするやはしかし説到せず。ここはこそ補説して来りて、卦辞の及ばざるの処を補足す。ゆえに朱子はこれを「発明卦辞外意」と説くにして、すなわち言辞以外の意思なり。虽し是れ言辞以外の意思と雖も、其実は本来すなわちこの層の意思を含有して、ただ言辞は説到せざるのみ。李光地は案ずる:林氏のこの説法は講じて対せり。朱子の《彖》辞を解釈するも、也不過盛が極処に到ればすなわち当に衰に転ずべしと説くのみ。

彖下伝・旅卦

旅,小亨。柔得中乎外而順乎剛,止而麗乎明,是以小亨。旅,貞吉也。本義 以體卦卦德釋卦辭。程傳 六上居五,“柔得中乎外”也。麗乎上下之剛,“順乎剛”也。下艮止,上離麗,“止而麗於明”也。柔順而得在外之中,所止能麗於明,是以“小亨”。得《旅》之貞正而吉也。《旅》困之時,非陽剛中正有助於下,不能致大亨也。所謂得在外之中,中非一揆,《旅》有旅之中也。止麗於明,則不失時宜,然後得處《旅》之道。

《彖伝》はいう:《旅》は、稍や亨通すべし。陰柔は外卦において中位を得て陽剛に順従し、静止にしてまた光明に附麗す。これによりて稍や亨通すべし。羈旅のうちにおいて正を守りてこそ吉なり。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」と「卦徳」を用いて卦辞を解釈す(底本は「体卦卦徳」を「卦体卦徳」と当作すべし)。程頤《伊川易伝》はいう:一個の陰爻は上行して第五位に居るは、すなわち「柔得中乎外」なり。それは上下両個の陽爻の間に附麗するは、すなわち「順乎剛」なり。下卦の艮は止と為り上卦の離は附麗と為るは、すなわち「止而麗于明」なり。柔順にしてまた外卦において中を得て、止まる所の処は能く光明に附麗す。これによりて「小亨」にして、すなわち羈旅のうちの貞正を得着して吉を獲るなり。《旅》は困頓の時にして、若し是れ陽剛中正にして下面にまた援助有らざれば、すなわち能く大亨を招致すること能わず。いわゆる外卦において中を得るは、須く中は併せてただ一個の尺度あるのみにあらざるを知り、羈旅は自ら羈旅の中有らん。止りて明に附麗せば、すなわち能く時宜を錯失せざらん。然るのちこそ羈旅に身を処するの道理を得着するを得。

集說 王氏宗傳曰:用剛非旅道也,故莫尚乎用柔。然柔不可過也,故莫尚乎得中。以六居五,得中位而屬外體,麗乎二剛之間,故曰“柔得中乎外而順乎剛”。案 處《旅》之道,審幾度勢,貴於明也。待人接物,亦貴於明也。然明不可以獨用,故必以止靜為本而明麗焉,與《晉》、《睽》之主於順說者同。

集説に王宗伝の言を引く:剛強を使用するは併せて羈旅の道にあらず。ゆえに最も好しきは柔を用うるなり。然るに柔はまた能く過頭すべからず。ゆえに最も好しきは中を得るなり。六のこの陰爻を以て第五位に居りて、既に中位を得てまた外体に属し、両個の陽爻の間に附麗す。ゆえに「柔得中乎外而順乎剛」という。李光地は案ずる:羈旅に身を処するの弁法は、幾微を審察し形勢を揣度して、一個の明の字を貴ぶ。人に待接物するも、また一個の明の字を貴ぶ。然るに明は能く単独に使用するを得ず。ゆえに必ず止静を以て根本と為して、しかして明をその上に附麗せしむるを要す。これは《晋》《睽》両卦の柔順・和悦を以て主と為すと同一の路数なり。

旅之時義大矣哉!程傳 天下之事,當隨時各適其宜。而《旅》為難處,故稱其時義之大。集說 俞氏琰曰:《旅》之時最難處,《旅》之義不可不知。蓋其亨雖小,其“時義”則大。聖人小其亨而大其時義,非大旅也,大其處《旅》之道也。錢氏一本曰:難處者,《旅》之時。難盡者,《旅》主義。或以《旅》興,或以《旅》喪,所關甚大。

《彖伝》はいう:羈旅の時の意義は真に大なるかな。程頤《伊川易伝》はいう:天下の事は、皆当に時勢に随いて各々その宜を求むべし。しかして羈旅は最も処し難し。ゆえにそれの時義の宏大を称許す。集説に兪琰の言を引く:《旅》の時勢は最も安処し難く、《旅》の義理は知らざるべからず。それの亨は小なると雖も、それの「時義」はしかし大なり。聖人はそれの亨を小と説きてそれの時義を大と説くは、併せて羈旅の本身がどれほど大なるにあらず、是れ羈旅に身を処するのあの套の道理が大なるなり。集説にまた銭一本の言を引く:安処し難きは、《旅》の時なり。窮尽し難きは、《旅》の義なり(底本は「《旅》主義」を「《旅》之義」と当作すべし)。ある人は羈旅に因りて興起し、ある人は羈旅に因りて敗亡す。関係する所は極大なり。

彖下伝・巽卦

重巽以申命。本義 釋卦義也,巽順而入,必究乎下。命令之象,“重巽”故為“申命”也。程傳 “重巽”者,上下皆巽也,上順道以出命,下奉命而順從,上下皆順,“重巽”之象也。又重為重複之義,君子體重巽之義,以申覆其命令。“申”,重複也,丁寧之謂也。

《彖伝》はいう:巽は上に巽を加うるは、用いて反復に命令を申明するなり。朱熹《本義》はいう:これは卦義を解釈す。巽は柔順にして深入して、必定に下面に貫徹するは、まさに命令の形象なり。「重巽」は両重の巽が相畳みたるにして、ゆえに「申命」の義を取る。程頤《伊川易伝》はいう:いわゆる「重巽」は、上下両体は皆是れ巽なり。上に在る者は道理に順いて命令を発出し、下に在る者は命令を奉行して順従す。上下は皆順なり。これがすなわち「重巽」の象なり。「重」はまた重複の意思有りて、君子は重巽の義理を体察して、用いて反復に彼の命令を申明す。「申」はすなわち重複にして、すなわち反復に叮嚀するなり。

集說 石氏介曰:巽者齊也,齊者申之以命令。朱氏震曰:巽為風,風者天之號令也,故巽為命。內巽者命之始,外巽者申前之命也。重巽之象,施之於“申命”。先儒謂不違其令,命乃行也。

集説に石介の言を引く:巽はすなわち整斉劃一なり。整斉劃一せんと欲すればすなわち反復に命令を申明するを得べし。集説にまた朱震の言を引く:巽は風と為りて、風は上天の号令なり。ゆえに巽は命令の象を取る。内卦の巽は命令の初発にして、外卦の巽は前面のすでに発するの命令を申明す。この重巽の象は、まさに「申命」の上に落実す。前代の儒者は説過せり。自らすでに発するの号令に違背せざれば、命令はこそ行通を得べしと。

《朱子語類》問:申字是兩番降命令否,曰:非也,只是丁寧反覆說,便是“申命”。巽風也,風之吹物,無處不入,無物不鼓動,詔令之人人,淪膚浹髓,亦如風之動物也。俞氏瑣曰:巽之取象,在天為風,在人君為命。風者天之號令,其入物也,無不至。命者人君之號令,其入人也,亦無不至。

集説にまた《朱子語類》を引く:ある人問う、「申」の字は指すは両次に命令を下達するか。朱子はいう:是れ非ず。ただ反復に叮嚀して講ずるのみ。これがすなわち「申命」なり。巽は風にして、風は万物を吹拂して、鑽り入らざるの一処なく・鼓動せられざるの一物なし。詔令は人人の心裏に深入して、肌肤骨髓に浸透するも、また風の万物を鼓動するがごとし。集説にまた兪琰の言を引く:巽の取象は、天上においては風にして、人君においては命令なり。風は上天の号令にして、それは万物に進入して到らざるの処なし。命令は人君の号令にして、それは人心に進入して、また到らざるの処なし(底本は「兪氏瑣」を「兪氏琰」と当作すべし)。

案 頒發號令以象天之風聲,是已,然須知巽者入也。王者欲知民之休慼,事之利弊,則必清問乾下而察之周,告誡於上而行之切,此其所以“申命”也。蓋始則入民情之隱,而散其不善者,終乃入人心之深,而動其善者。

李光地は案ずる:号令を頒発して上天の風声に取象するは、これは固然として錯ならざるも、然るになお須く巽の本義は「入」なるを知るべし。王者は百姓の疾苦歓欣・政事の利弊得失を知らんと欲すれば、すなわち必ず下面より清明に詢訪して察を周遍に得、上面より告誡して下りて切実に推行して、これがこそ彼の「申命」たる所以なり。大抵は起初は民情の隠微の処に深入して、不善なるを散去せしめ、末了に到りては人心の深処に深入して、善なるを鼓動し起こすなり。

剛巽乎中正而志行,柔皆順乎剛,是以小亨。利有攸往,利見大人。本義 以卦體釋卦辭。“剛巽乎中正而志行”,指九五。“柔”,謂初四。程傳 以卦才言也。陽剛居巽而得中正,巽順於中正之道也。陽性上,其志在以中正之道上行也。又上下之柔,皆巽順於剛。其才如是,雖內柔可以“小亨”也。巽順之道,無往不能入,故“利有攸往”。巽順雖善道,必知所從。能巽順於陽剛中正之大人則為利,故“利見大人”也。如五二之陽剛中正,大人也。巽順不於大人,未必不為過也。

《彖伝》はいう:陽剛は中正の徳を以てその巽順を行いて心志の施行するを得、衆陰柔は皆陽剛に順従す。これによりて稍や亨通して、往く所有るに宜しく、大人を見るに宜し。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦辞を解釈す。「剛巽乎中正而志行」は九五を指し、「柔」は初六と六四を指す。程頤《伊川易伝》はいう:これは「卦才」に就きて論を立つ。陽剛は巽体に居りて中正を得るは、すなわち中正の道に巽順す。陽の性質は上に向かいて、その心志はすなわち中正の道を上に向かい推行するに在り。上下両個の陰爻の皆陽剛に巽順するを加えて、才質はこのよう、内里は柔弱なると雖もまた以て「小亨」すべし。巽順の道は、哪の処に到るも皆進入し得べし。ゆえに「利有攸往」という。不過巽順は虽し是れ好き徳行と雖も、必ず当に誰に順従すべきを懂得するを要す。能く陽剛中正の大人に巽順してこそ利と算す。ゆえに「利見大人」という。九五・九二のごときこのようの陽剛中正なるは、すなわち大人なり。巽順するの対象は若し大人にあらざれば、未だ必ずしも過失と成らざることなし。

集說 胡氏瑗曰:利見大有德之人,以果斷而決白之,然後所申之命令,所行之事,施之於人,莫有不順之者。如風之及於物,罔有不入者也。朱氏震曰:“剛巽乎中正”,則所施當乎人心。是以志行乎上下。“柔皆順乎剛”,則物無違者。大人者九五,“剛巽乎中正”者也。

集説に胡瑗の言を引く:大いに徳行有るの人を見るに宜しく、彼に由りて果断に裁決明弁して、然るのち申明する所の命令・推行する所の事情は、人の身上に施行せられて、順服せざるなく、まさに風の万物の上に吹き到れば、鑽り入らざるなきがごとし。集説にまた朱震の言を引く:「剛巽乎中正」なれば、すなわち施行する所は人心に合乎す。これによりて心志は能く上下に通行す。「柔皆順乎剛」なれば、すなわち万物は違逆するなし。いわゆる大人はすなわち九五にして、すなわち「剛巽乎中正」のあの一爻なり。

李氏舜巨曰:柔順乎剛,“剛巽乎中正”者,所以為巽之休也。若徒以一陰潛伏謂之為巽,而不究乎陰畫在二陽之下,有順乎陽剛之象,陽畫在二五之位,有巽乎中正之

集説に李舜臣の言を引く(底本は「李氏舜巨」と作す、当に「李氏舜臣」たるべし):陰柔は陽剛に順従し、陽剛はまた中正の徳を以てその巽順を行う。これがこそ巽の美善の処なり。倘若ただ一個の陰爻を下面に潜伏せしむるを以てすなわち巽と呼作して、しかして深く陰の爻画が両個の陽爻の下に処して自ら陽剛に順従するの象有り・陽の爻画が二五の位に処して自ら中正に巽る之を推究せざれば――ここの処底本に脱文有り。

項氏安世曰:以卦體言之,“重巽”以“申命”,是“小亨”也。以九五言之,“剛巽乎中正而志行”,是“利有攸往”也。以初六六四言之,“柔皆順乎剛”,是“利見大人”也。彖辭與《旅》相類,皆總陳卦義,而用“是以”二字結之。趙氏汝楳曰:卦本乾體,一陰下生,剛有巽之之象,剛巽柔,居二五中正之位。柔既已生,皆在二五之下,有“順乎剛”之象。

集説に項安世の言を引く:「卦体」に就きて講ずれば、両重の巽は用いて「申命」す。これがすなわち「小亨」なり。九五に就きて講ずれば、「剛巽乎中正而志行」。これがすなわち「利有攸往」なり。初六・六四に就きて講ずれば、「柔皆順乎剛」。これがすなわち「利見大人」なり。此卦の《彖伝》の写法は《旅》卦と相類にして、皆先に総じて卦義を述べて、最後に「是以」の両字を用いて収結す。集説にまた趙汝楳の言を引く:此卦は本は乾体にして、一個の陰爻が下面より生出せば、陽剛は便ちに巽り入りてそれを制するの形象有らん。陽剛は巽を以て柔を制して、自身は二・五の中正の位に居おる。陰柔はすでに生出せられて、皆二・五の下に処して、すなわち「順乎剛」の象有らん。

何氏楷曰:成卦之主,在初與四,陰始生而陽巽之,二瓦其最近者也。“剛巽乎中正”,則不暴急以忤物,故命不下格而志可行。初四各處卦下,柔皆順剛,無有違逆,所以教命得申,成“小亨”以下之義也。

集説に何楷の言を引く:此卦を成就するの主爻は、初六と六四に在り。陰は剛に生出して陽はそのうちに巽り入りて、九二はそれより離るる最も近きの一爻なり(底本は「二瓦」の二字に訛有り)。「剛巽乎中正」なれば、あれはすなわち能く暴躁急切して人物に触忤せず。ゆえに命令は至りて下面に格拒せられず、心志の施行するを得。初六・六四は各々上下両卦の最も下面に処して、衆柔は皆陽剛に順従して、違逆なし。これによりて教令は申明するを得て、「小亨」以下の幾層の意思を成就す。

案 卦義是陰在內而陽入之,非陽在外而陰入之也。陰在內而陽入之者,將以制之也,制之者將以齊之也。剛以中正之德為巽,則能入而制之矣。至於柔皆順剛,則豈有不受其制,而至於不齊者乎?《彖傳》詞義甚明,李氏項氏何氏說皆合經意。

李光地は案ずる:此卦の義理は、陰は内に在りて陽は進入するにして、併せて陽は外に在りて陰は進入するにあらず。陰は内に在りて陽は進入するは、是れそれを制服せんと欲す。それを制服するは、是れそれを整斉せんと欲す。陽剛は中正の徳を以てその巽順を行えば、すなわち能く進入してそれを制服す。至るや衆柔は皆陽剛に順従せば、あれはなお制約を接受せざりて、以て参差不斉ならん有るや。《彖伝》の文義は十分に清楚にして、李舜臣・項安世・何楷の三家の説法は皆経文の本意に合乎す。

彖下伝・兌卦

兌,說也。本義 釋卦名義;集說 張氏雨若曰:此釋名義類《咸》,兌者無言之說,以說解兌,兌木為說,特以其說不在言而稱兌耳。

《彖伝》はいう:《兌》は、喜悦の意思なり。朱熹《本義》はいう:これは卦名の含义を解釈す。集説に張雨若の言を引く:ここの処の卦名の含义を解釈するの体例は《咸》卦と同一類なり。兌は言語に落とさざるの喜悦なり。「説」を用いて「兌」を訓するは、是れ「兌」は本来すなわち「説(悦)」の字なるがゆえに(底本は「兌木」を「兌本」と当作すべし)、ただその喜悦は言語の上に在らざるに因りて、こそ別に「兌」を用いて称呼す。

剛中而柔外,說以利貞,足以順乎天而應乎人。說以先民,民忘其勞,說以犯難,民忘其死。說之大民勸矣哉。本義 以卦體釋卦辭而極言之。程傳 兌之義說也。一陰居二陽之上,陰說於陽而為陽所說也。

《彖伝》はいう:陽剛は中に居りて陰柔は外に在りて、喜悦を以て正道を守持して、足りて上は天意に順い・下は人心に応ず。喜悦の道を以て百姓の前頭に走れば、百姓はすなわち労苦を忘掉す。喜悦の道を以て往きて艱難を冒犯せば、百姓はすなわち死亡を忘掉す。喜悦の作用は真に大にして、百姓はこれに因りて鼓舞を受くるかな。朱熹《本義》はいう:これは「卦体」を用いて卦辞を解釈し、併せて極処に推して講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:兌の含义はすなわち喜悦なり。一個の陰爻は両個の陽爻の上に居るは、是れ陰が陽に喜悦して、同時にまた陽に喜悦せらるるなり。(本片の源文はここに到りて止まり、程伝の下文は後片に帰す。)

彖下伝・兌卦

陽剛居中,中心誠實之象。柔爻在外,接物和柔之象。故為說而能貞也。“利貞”,說之道宜正也。卦有剛中之德,能貞者也。說而能貞,是以上順天理,下應人心,說道之至正至善者也。若夫違道以干百姓之譽者,苟說之道,違道不順天,干譽非應人,苟取一時之說耳,非君子之正道。君子之道,其說於民,如天地之施,感於其心而說服無斁,故以之先民,則民心說隨而忘其勞。率之以犯難,則民心說服於義而不恤其死。說道之大,民莫不知勸。勸,謂信之而勉力順從。人君之道,以人心說服為本。故聖人贊其大。

程頤《伊川易伝》は接ぎて《兌》卦を解説す:陽剛の爻は内卦のうちに居るは、内心の誠実の象なり。柔爻は最も外面に浮かぶは、人に待接物するの和順柔婉の象なり。ゆえに《兌》はこそ能く人を悦ばし・能く正道を守持するの卦と成れたり。卦辞は「利貞」と説くは、人を悦ばすの路数は必ず端正に走るを要すを説く。此卦は「剛中」の徳有りて、まさに能く正を守るの一類に属す。能く人を悦ばし能く正を守れば、ここにおいて上は天理に合し・下は人心に応ず。これがこそ悦道のうちの最も正・最も善の一種なり。至るやあの種の正道に違背して往きて百姓の称誉を博取する人は、走るは苟且に取悦するの路にして、正道に違背すればすなわち天に合せず、虚誉を博取すればすなわち人に応ずると算さず。不過一時の歓心を換取するのみ、併せて君子の正道にあらず。君子の道は百姓に施すは、まさに天地の施化するがごとく、人心のうちに感動して、人心は悦服して厭倦を生ぜず。ゆえにそれを拿りて百姓の前頭に走れば、百姓は心裏に喜びて随従して、労苦を連れて忘掉す。彼らを帯同して険を冒し難を犯せば、百姓は心裏に道義に悦服して、生死を連れて計較を顧みず。悦道の大は、百姓は勧勉を受けざるなし。いわゆる「勧」は、百姓が上に在る人を信任して、因りて肯んじて勉力して順従するを説く。君主を做るの道理は、人心の悦服を以て根本と為す。ゆえに孔子は《彖伝》のうちにおいてそれの博大を讃嘆す。

集說 王氏弼曰:說而違剛則諂,剛而違說則暴,“剛中而柔外”,所以“說以利貞”也,“剛中”故“利貞”,“柔外”故說亨。劉氏牧曰:“天之所助者順也,人之所助者信也。 ”。柔外為順,剛中為信,故得“順乎天而應乎人”。呂氏祖謙曰:當適意時而說,與處安平時而說,皆未足為難,唯當勞苦患難而說,始見真說。聖人以此先之,故能使之任勞苦而不辭,赴患難而不畏也。

集説に王弼の言を引く:一味に取悦して剛の骨干なければ、すなわち諂媚に流る。一味に剛強して悦の和気なければ、すなわち暴戻に流る。《彖伝》の講ずる「剛中而柔外」は、まさに「説以利貞」の縁由なり――「剛中」は能く「利貞」たる所以にして、「柔外」は悦にして亨通するの所以なり。集説に劉牧の言を引く:《繋辞伝》は「天の幇助する所は順にして、人の幇助する所は信なり」と講ず。「柔外」はすなわち順にして、「剛中」はすなわち信なり。ゆえに《兌》は能く「順乎天而応乎人」を做到す。集説に呂祖謙の言を引く:称心如意の時において歓悦し、安定平順の処境のうちにおいて歓悦するは、皆難と算せざるなり。唯だ労苦患難のうちに在りてなお能く歓悦して、こそ真の歓悦なるを見得す。聖人はこの種の真悦を拿りて百姓の前頭に走る。ゆえに能く百姓をして労苦を担がしめて推辞せず・患難に奔赴せしめて畏惧せざらしむ。

彖下伝・渙卦

渙,亨,剛來而不窮,柔得位乎外而上同。程傳 《渙》之能“亨”者,以卦才如是也。《渙》之成《渙》,由九來居二,六上居四也。剛陽之來,則不窮極於下,而處得其中。柔之往,則得正位於外,而上同於五之中。巽順於五,乃上同也。四五君臣之位,當《渙》而比,其義相通。同五,乃從中也,當《渙》之時而守其中,則不至於離散,故能“亨”也。

《彖伝》はいう:《渙》卦は亨通す。是れ陽剛の爻は来りて内卦に居りて困窮に至らず、陰柔の爻は外卦において正位を得て上に向かい九五と同心なるがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:《渙》の能く亨通する所以は、是れ卦の材質がこのようたるがゆえなり。《渙》の《渙》と成る所以は、陽爻が下りて来りて二位に居り・陰爻が上りて往きて四位に居るより成るなり。剛陽の爻は内卦に来れば、すなわち能く下面において窮極に陥入せず、しかも下体の中間に処す。これがすなわち「得中」なり。柔爻は上に向かい往けば、便ちに外卦において正位を得たり。これがすなわち「当位」にして、併せて上に向かい九五の「中」と同心す。それは巽順の徳を以て九五に順従して、これがこそ「上同」と呼ぶ。四と五は臣位と君位にして、まさに涣散の時に当たりて彼此親比して、両者の意義は相通ずるなり。九五と同心するは、すなわち中道に依従す。涣散の時に処して中道を守住し得れば、すなわち至りて離散せず。ゆえに能く亨通す。

集說 王氏弼曰:二以剛來居內則不窮於險,四以“柔得位乎外而與上同”。內剛而無險困之難,外順而無違逆之乖。是以“亨”也。孔氏穎達曰:此就九二剛德居險,六四得位從上,釋所以能釋險難而致亨通。馮氏椅曰:以二四往來明卦義,“不窮”“上同”明“亨”。剛來不窮,即《需》“剛健”“不陷”“義不困窮”之象。

集説に王弼の言を引く:九二は剛爻を以て来りて内卦に居れば、すなわち能く坎険に困住せられず。六四はすなわち「柔得位乎外而与上同」なり。内裏に剛有れば、便ちに険に陥り困を受くるの患難なく、外面に能く順なれば、便ちに違逆乖戻の毛病なし。これによりて能く亨通す。集説に孔穎達の言を引く:この一句は九二の剛徳を以て坎険のうちに処し・六四の正位を得て上に在る九五に順従するに就きて論を立てて、《渙》卦の何を以て険難を解開して亨通を致すを得るやを解釈す。集説に馮椅の言を引く:《彖伝》は二・四両爻の一来一往を用いて卦義を説明し、「不窮」「上同」を用いて亨通を説明す。「剛来不窮」は、すなわち《需》卦の《彖伝》の講ずる「剛健」にして「不陥」、「其義不困窮」のあの種の象なり。

林氏希元曰:“柔得位乎外而上同”,是六四之柔,得位乎外卦,而上同九五。四五同德,斯足以濟渙矣,故“亨”。《本義》已定,《語錄》雖謂未穩而未及更改。案 “剛來而不窮”者,固其本也。“柔得位乎外而上同”者,致其用也。固本則保聚有其基,致用則聯屬有其具。

集説に林希元の言を引く:いわゆる「柔得位乎外而上同」は、指すは六四のこの柔爻が外卦において正位を得、また上に向かい九五と同徳なるなり。四と五は同徳なれば、すなわち足りて涣散を救済するに足る。ゆえに卦辞は「亨」と称す。朱熹《周易本義》の解釈はすでに定定せられて、《朱子語録》のうちに虽しこの一条はなお穏妥と算せずと説くとも、しかし改定するに及ばざりき。李光地は案ずる:「剛来而不窮」の講ずるは《渙》卦の根本を巩固するなり。「柔得位乎外而上同」の講ずるはその功用を発揮するなり。根本は巩固せられれば、人心を收拾するにこそ基址有らん。功用は発揮せられれば、上下を聯結するにこそ憑借有らん。

王假有廟,王乃在中也。本義 “中”,謂廟中。程傳 “王假有廟”之義,在《萃》卦詳矣,天下離散之時,王者收合人心,至於“有廟”,乃是在其中也。在中,謂求得其中,攝其心之謂也。中者,心之象。“剛來而不窮”,“柔得位而上同”,卦才之義,皆主於中也。王者拯渙之道,在得其中而已。孟子曰:得其民有道,得其心斯得民矣。亨帝立廟,民心所歸從也。歸人心之道無大於此,故云。至於“有廟”,拯渙之道極於此也。集說 何氏楷曰:“王乃在中”者,非在廟中之謂。王者之心,渾然在中。則“不薦”之孚,直有出於儀文之外者,宜其精神之與祖考相為感格也。

《彖伝》はいう:「王假有廟」は、君王の心がまさに中に守るを説く。朱熹《本義》はいう:ここの「中」は、宗廟のうちを指す。程頤《伊川易伝》はいう:「王假有廟」の意義は、《萃》卦のうちにおいてすでに講じて詳尽せり。天下の人心は離散するの時に、君王は人心を収合して、一直に「有廟」を做到せば、あれはすなわち身はそのうちに在るなり。いわゆる「在中」は、あの中を求取して、散乱の人心を収攝攏来するを説く。中は、まさに心の象なり。「剛来而不窮」「柔得位而上同」は、卦材の意義は皆一個の「中」の字の上に帰結す。君王の涣散を救治するの弁法も、またただその中を得るに在るのみ。《孟子》はいう:天下の百姓を得るに弁法有りて、彼らの心を得れば、すなわち百姓を得たりと。上帝を祭享し宗廟を建立するは、民心の帰附順従する所の所在にして、人心を収攏するの路数はこれより大なるはなし。ゆえに《彖伝》はこのように講ず。「有廟」を做到すれば、涣散を救治するの道理はすなわち頂点に到る。集説に何楷の言を引く:「王乃在中」は、併せて人が宗廟の裏面に站つを説くにあらず。君王の心は渾然として中正の上に守るに、ここにおいて《観》卦の「盥而不薦」の講ずる所のあの種の誠信のごとき、直ちに是れ儀節文飾の外に流露して、彼の精神の能く祖先と感通交格するも怪うに足らざるなり。

利涉大川,乘木有功也。程傳 治《渙》之道,當濟於險難。而卦有乘木濟川之象,上巽木也,下坎水,大川也,利涉險以濟渙也。木在水上,乘木之象。乘木所以涉川也,涉則有濟渙之功,卦有是義有是象也。集說 胡氏炳文曰:《易》以巽言“利涉大川”者三,皆以木言。《益》曰“木道乃行”,《中孚》曰“乘木舟虛”,《渙》曰“乘木有功也”。十三卦“舟楫之利”,獨取諸《渙》,亦以此也。案 “王乃在中”,謂九五居中,便含至誠感格之意。“乘木有功”,謂木在水上,便含濟險有具之意。

《彖伝》はいう:「利渉大川」は、木船に乗りて河を渡りて能く功を建つるに因るがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:涣散を治理するの弁法は、要して能く険難を渡越すべし。しかして此卦はまさに木に乗りて川を渡るの象有らん――上卦は巽は木と為り、下卦は坎は水と為るは、すなわち大川なり。ゆえに険を渉りて涣散を救済するに利あり。木は水面の上に浮かぶは、すなわち「乗木」の象なり。木に乗るは用いて川を渡るにして、渡り過ぎれば便ちに涣散を救済するの功有らん。卦のうちにはこの層の意義有りて、またこの象有らん。集説に胡炳文の言を引く:《周易》は巽卦に就きて「利渉大川」を講ずるは共に三処有りて、皆是れ木を拿りて来りて説く。《益》卦は「木道乃行」を講じ、《中孚》は「乗木舟虚」を講じ、《渙》は「乗木有功也」を講ず。《繋辞伝》は十三卦の制器尚象を挙げて、「舟楫之利」は独り《渙》より取れるは、またまさにこの縁故なり。李光地は案ずる:「王乃在中」の説くは、九五の中位に居るを説きて、そのうちに便ちに至誠感通の意思を含む。「乗木有功」の説くは、木の水上に浮かぶを説きて、そのうちに便ちに険を渡るに自ら憑借有るの意思を含む。

彖下伝・節卦

節,亨,剛柔分而剛得中。本義 以卦體釋卦辭。集說 趙氏玉泉曰:統觀全體,而剛柔適均,則剛以濟柔,柔以濟剛,一張一弛,唯其稱也。析觀二體,而二五得中,則不失之過,不失之不及。一損一益,唯其宜也。由是以“制數度”而隆殺皆中,以“議德行”而進反皆中,此《節》之所以“亨”也。

《彖伝》はいう:《節》卦は亨通す。是れ剛爻柔爻は各々半分にして分居して、剛爻はまた中位に居るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは卦体を用いて卦辞を解釈す。集説に趙玉泉の言を引く:全卦を合せて看れば、三剛三柔は恰好に均等にして、ここにおいて剛は用いて柔を済し・柔は用いて剛を済して、一張一弛にして、ただ相称を求めるのみ。上下両体を拆きて看れば、九二・九五は各々本体のうちに居りて、ここにおいて既に太過に失せず・また不及に失せずして、一減一増にして、ただ合宜を求めるのみ。これによりて往きて「制数度」すれば、礼数の隆重と省減は皆中を得べし。これによりて往きて「議徳行」すれば、進取と退守は皆中を得べし。これがすなわち《節》卦の亨通する所以の道理なり。

苦節不可貞,其道窮也。本義 又以理言。程傳 《節》至於極而苦,則不可堅固常守,其道已窮極也。集說 孔氏穎達曰:若以”苦節”為正,則其道困窮。吳氏應回曰:中節則和,否則不和。稼穡作甘,以得中央之土也。火炎上則苦,亦以焦枯之極也。“剛得中”而能節,乃為九五之甘。柔失中而過節,則為上六之苦。故物得中則甘,失中則苦。

《彖伝》はいう:「苦節不可貞」は、あの条の路はすでに尽头に走り到るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:この一句はまた事理の上より講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:節制は極端に到ればすなわち苦と変じ、苦なればすなわち能く牢固に長久に守住せず。あの条の路はすでに窮尽せり。集説に孔穎達の言を引く:若し「苦節」を当成して正道と為して往きて守れば、あの条の路はただ困窘不通なるのみ。集説に呉応回の言を引く:節制して中を得ればすなわち和順にして、中を得ざればすなわち和順ならず。《尚書・洪範》は「稼穡作甘」と講ず。庄稼の味甘たる所以は、是れそれが中央の土を得るがゆえなり。また「炎上作苦」と講ず。火の味苦たる所以も、また是れ焦枯して極処に到るがゆえなり。九五は「剛得中」にして能く節制せば、すなわち《節》卦の九五の甘節と成る。上六は柔にして中を失い・節制は頭を過ぐれば、すなわち上六の苦節と成る。ゆえに物は中を得ればすなわち甘にして、中を失えばすなわち苦なり。

俞氏炎曰:凡物過節則苦,味之過正,形之過勞,心之過思,皆謂之苦。節而苦,則非通行之道,故曰“其道窮也”。黃氏淳耀曰:合於中,即“甘”即“亨”。失其中,即“苦”即“窮”。苦與甘反,窮與亨反。

集説に兪炎の言を引く:およそ物は一たび節度を過ぐればすなわち苦を発す――味道は正を過ぎ・身形は労を過ぎ・心思は度を過ぐるは、皆苦と呼ぶ。節制して苦を発するに到れば、すなわち以て天下に通行すべきの道理にあらず。ゆえに《彖伝》は「其道窮也」という。集説に黄淳耀の言を引く:中に合するは、すなわち「甘」にして、すなわち「亨」なり。中を失うは、すなわち「苦」にして、すなわち「窮」なり。苦と甘は相反し、窮と亨は相反して、両両に対看せば、《節》卦の分寸はすなわち清楚なり。

說以行險,當位以節,中正以通。本義 又以卦德卦體言之,“當位”“中正”,指五。又坎為通。程傳 以卦才言也,內兌外坎,“說以行險”也。人於所說則不知已,遇艱險則思止,方說而止,為《節》之義。“當位以節”,五居尊,當位也。在澤上,有節也。當位而以節,主節者也。處得中正,節而能通也。中正則通,過則苦矣。

《彖伝》はいう:和悦の徳を以て往きて険難の路を走り、当位に居りて節制を行い、中正を守住して通達を得たり。朱熹《本義》はいう:この幾句はまた「卦徳」(上下両体の各自の性情)と「卦体」(六爻の剛柔の分布)に就きて講ずるにして、「当位」「中正」は皆九五を指す。また坎卦は通の意思有らん。程頤《伊川易伝》はいう:これは卦材に就きて論を立つ。内卦は兌にして外卦は坎にして、すなわち「説以行険」なり。人は自らの喜歓する所の事の上において往往に停下来るを得ず、一たび艱険に遇えばまたただ停住せんと欲す。まさに歓悦のうちに在りて能く止住し得るは、これがすなわち「節」の意義なり。「当位以節」は、九五が尊位に居るを説きて、これを「当位」と呼ぶ。それは沢の上面に在りて、ゆえに節制有らん。既に当位にしてまた節制を行えば、すなわち節制を主持するのあの一爻なり。それはまた既に中にして且つ正の地位に処す。ゆえに節制して能く通行す。中正を得ればすなわち通じ、頭を過ぐればすなわち苦なり。

集說 孔氏穎達曰:更就二體及四五當位,重釋行節得亨之義,以明“苦節”之窮也。林氏希元曰:九五陽剛居尊,當位以主節於上。而所節者得其中正,是可以通行於天下。案 “說以行險”,先儒說義未明。蓋《節》有阻塞難行之象,所謂險也。而其所以“亨”者,則以其有安適之善,而無拘迫之苦,所謂說也。當位以位言,中正以德言。

集説に孔穎達の言を引く:ここは再び上下両体および四・五両爻の当位に就きて、重新に節制を行いて亨通を得るの道理を解釈して、用いて「苦節」の何を以て困窮するやを反襯す。集説に林希元の言を引く:九五は陽剛を以て尊位に居りて、当位にして上において節制を主持す。彼の節制する所はまた皆中正に合乎す。これによりて以て天下に通行すべし。李光地は案ずる:「説以行険」の一句は、前代の儒者は講じてなお明白ならず。《節》卦は本来阻塞難行の象有りて、これがすなわちいわゆる険なり。しかしてそれが能く亨通する所以は、是れそのうちに安適の好処有りて、拘束逼迫の苦楚なし。これがすなわちいわゆる説なり。「当位」は爻位に就きて説き、「中正」は徳行に就きて説く。

當位則有節天下之權,中正則能通天下之志。此三句,當依孔氏為總申彖辭之義。說則不苦,而通則不窮矣。蓋上文既以全卦之善言之,此又專主九五及卦德以申之,正與《漸》卦同例。

李光地は続けて案ずる:当位なれば、すなわち天下を節制するの権柄を握有す。中正なれば、すなわち能く天下人の心志を通達す。「説以行険」以下のこの三句は、当に孔穎達の講法に依りて、看作して総じて卦辞の意思を申説するを為すべし。能く和悦なればすなわち苦に至らず、能く通達なればすなわち窮に至らず。上文はすでに全卦の好処を拿りて論を立てて、ここはまた専ら九五の一爻と卦徳に就きて再び一遍を申説す。体例はまさに《漸》卦の《彖伝》と相同じ。

天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。本義 極言《節》道。程傳 推言《節》之道,天地有節,故能成四時,無節則失序也。聖人立制度以為節,故能不傷財害民。人慾之無窮也,苟非節以制度,則侈肆至於傷財害民矣。

《彖伝》はいう:天地は節度有りて、四季はこそ成就するを得。典章制度を用いて節制すれば、すなわち財貨を損傷せず・百姓を残害せず。朱熹《本義》はいう:これは《節》の道理を極致に推して講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:これは《節》の道理を推広す。天地は節度有れば、ゆえに能く四時を成就す。節度なければ、寒暑はすなわち次序を乱らん。聖人は典章制度を訂立して節度と為して、ゆえに能く財を傷らず・民を害せずを做到す。人の欲望は本来是れ窮尽なきにして、若し制度を用いて節制せざれば、奢侈放縦して下りて、終究に財を傷らん・民を害せんと欲す。

吳氏曰慎曰:《革》曰“天地革而四時成”,此曰“天地節而四時成”。限止之謂《節》,改易之謂《革》。《節》淺而《革》深,《節》先而《革》後。四時舉其大者言之,天地之化,刻刻相節,時時相革。

集説に呉曰慎の言を引く:《革》卦の《彖伝》は「天地革而四時成」と講じ、ここは「天地節而四時成」を講ず。限定し止住するを《節》と呼び、更改し変換するを《革》と呼ぶ。《節》は浅くして《革》は深く、《節》は前に在りて《革》は後に在り。四時はただそのうちの大なるを挙げて来りて説くのみ。其実は天地の造化は刻刻に皆相節し・時時に皆相革するなり。

彖下伝・中孚卦

中孚,柔在內而剛得中,說而巽,孚乃化邦也。本義 以卦體卦德釋卦名義。程傳 二柔在內,中虛為誠之象。二剛得上下體之中,中實為孚之象。卦所以為《中孚》也。“說而巽”,以二體言卦之用也。上巽下說,為上至誠以順巽於下,下有孚以說從其上。如是,其孚乃能化於邦國也。若人不說從,或違拂事理,豈能化天下乎?集說 張子曰:“孚”者,覆乳之象也。夫覆乳者必剛外而柔內。雖柔內,非陽則不生,故“剛得中”而為“孚”也。

《彖伝》はいう:《中孚》卦は、柔爻は内に在りて剛爻は中を得て、和悦にしてまた巽順にして、誠信はここにおいて能く邦国を感化す。朱熹《本義》はいう:これは卦体と卦徳を用いて卦名の意義を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:三・四の両個の柔爻は中間に居りて、中間は空にして、これは誠の象なり。二・五の両個の剛爻は各々上下体の中を得て、中間は実にして、これは孚の象なり。卦はこれに因りて《中孚》と呼ぶ。「説而巽」は上下両体に就きて卦の功用を講ずるなり。上体は巽・下体は兌にして、すなわち上に在る人は至誠を以て下に在る人に順待し、下に在る人は誠信を懐きて喜悦に上に在る人に服従す。このようにして、誠信はこそ能く一国を感化すべし。倘若人心は悦服せず、あるいは做法は事理に違背せば、どうしてなお能く天下を感化せんや。集説に張載の言を引く:いわゆる「孚」は、禽鳥の卵を伏し雛を哺るの象を取る。およそ卵を伏し雛を哺るは、必定に外面は剛硬にして裏面は柔軟なり。裏面は柔軟なると雖も、陽気なければまた孵化し出づること能わず。ゆえに「剛得中」としてこそその「孚」と為るを得。

王氏宗傳曰:以成卦觀之,在二體則為中實,在全體則為中虛。蓋中不虛則有所累,有所累,害於信者也。中不實則無所主,無所主則又失其信矣,故曰《中孚》。案 “柔在內而剛得中”,其義甚精,非柔在內則中不虛矣,非剛得中則中又不實矣。地至虛也,然唯陰中有陽,故受天氣而生物。月至虛也,然唯水陰根陽,故受日光而發照。物之雌牝,受陽精而胎化者亦然。此卦之名,所以取於乳卵者此也。老子亦曰:髣兮髴,其中有物,窈兮冥,其中有精,真精之中,其中有信。蓋見及此也。

集説に王宗伝の言を引く:成卦の上より看れば、上下両体に就きて説けば「中実」にして、全卦に就きて説けば「中虚」なり。中は虚ならざればすなわち牽累有りて、牽累有れば便ちに誠信を妨害す。中は実ならざればすなわち主宰なきにして、主宰なければまた誠信を失掉す。ゆえに卦名を《中孚》と呼ぶ。李光地は案ずる:「柔在内而剛得中」のこの句話は説きて極めて精なり。柔爻は内に在るにあらざれば、中間はすなわち空ならず。剛爻は中を得るにあらざれば、中間はすなわち実ならず。大地は最も虚なるに、然るにまさに陰のうちに陽を含むがゆえに、こそ能く天気を承受して万物を生養す。月亮は最も虚なるに、然るにまさに水の陰は陽を以て根と為すがゆえに、こそ能く日光を承受して光明を発出す。雌性の動物は陽精を承受して胎を結び化育するも、また是れ同一個の道理なり。この一卦の名字の乳育と卵孵より取れる所以の縁故は、すなわちここに在り。老子もまた説過せり。恍恍惚惚として、そのうちに物有り。深遠幽暗として、そのうちに精有り。真精のうちには、そのうちに信有りと。彼は大概れもまたこの一層を看たらん。

又案《無妄》天德也,天德實,實則虛矣,故曰《無妄》,言其虛也。《中孚》地德也,地德虛,虛則實矣,故曰《中孚》,言其實也。唯《無妄》之主於虛也,故六爻之義,皆貴乎無謀望作為之私,反是則有妄矣。唯《中孚》之主於實也,故六爻之義,皆貴乎有誠心實德之積,反是則非孚矣。二卦之義,實相表裡。

李光地はまた案ずる:《无妄》の講ずるは天の徳にして、天徳は是れ実なり。実は極処に到ればかえって虚を顕出す。ゆえに卦名を《无妄》と呼ぶは、説くはまさにそれの虚なり。《中孚》の講ずるは地の徳にして、地徳は是れ虚なり。虚は極処に到ればかえって実を顕出す。ゆえに卦名を《中孚》と呼ぶは、説くはまさにそれの実なり。まさに《无妄》は虚を以て主と為すがゆえに、その六爻の意義は、皆鑽営図謀・私意造作なきを以て可貴と為し、反対にすればすなわち虚妄に落ち入る。まさに《中孚》は実を以て主と為すがゆえに、その六爻の意義は、皆誠心実徳を積得するを以て可貴と為し、反対にすればすなわち誠信と算さず。両卦の意義は、実実は互いに表裏を為す。

豚魚吉,信及豚魚也。利涉大川,乘木舟虛也。本義 以卦象言。程傳 信能及於“豚魚”,信道至矣,所以“吉”也。以“中孚”涉險難,其利如乘木濟用而以虛舟也。舟虛則無沈覆之患,卦虛中,為虛舟之象。

《彖伝》はいう:「豚魚吉」は、誠信が小猪と魚に及ぶなり。「利渉大川」は、中間空虚の木舟に乗るなり。朱熹《本義》はいう:この両句は卦象に就きて講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:誠信は能く小猪と魚のこの類の無知の物に感及すれば、信道はすなわち到家と算す。ゆえに吉なり。《中孚》の誠信を拿りて往きて険難を渡るは、あの種の便利はまさに木に乗りて水を渡るにして用うるは一只の空船なるがごとし。船は空なれば、便ちに沈没傾覆の憂患なし。此卦の中間の両爻は虚にして、まさに空船の象なり。

集說 王氏弼曰:用《中孚》以涉難,若“乘木舟虛也”。鄭氏湘鄉曰:仁及草木,言草木難仁也。誠動金石,言金石難誠也。“信及豚魚”,言豚魚難信也。蔡氏清曰:木在澤上,既為乘木之象,外實內虛,又為舟虛之象。

集説に王弼の言を引く:《中孚》の誠信を拿りて往きて険難を渡るは、まさに「乗木舟虚」のごとく穏当なり。集説に鄭湘郷の言を引く:仁愛は草木に及ぶと説くは、是れ草木は最も仁愛に打動せられ難きがゆえなり。至誠は金石を感動すと説くは、是れ金石は最も誠意に感動せられ難きがゆえなり。「信及豚魚」と説くも、また是れ小猪と魚は最も信義に感通せられ難きがゆえなり。集説に蔡清の言を引く:木は沢の上に浮かぶは、既に木に乗るの象なり。此卦は外面の両爻は実にして裏面の両爻は虚にして、また空船の象なり。

吳氏曰慎曰:“豚魚吉”,蓋信及豚魚者之吉,非豚魚吉也。故在卦辭不可以“豚魚吉”三字為句,當以“中孚豚魚”為讀。《彖傳》“信及豚魚”,即“中孚豚魚”也。中孚以利貞,乃應乎天也。本義 信而正,則應乎天”矣。集說 蘇氏軾曰:天道不容偽。

集説に呉曰慎の言を引く:いわゆる「豚魚吉」は、誠信の小猪と魚に及ぶの人は吉を得て、併せて小猪と魚が吉を得るにあらず。ゆえに卦辞のうちにおいて当に「豚魚吉」の三字を断じて一句と為すべからず、当に「中孚豚魚」と読作すべし。《彖伝》の講ずる「信及豚魚」は、まさにすなわち「中孚豚魚」なり。《彖伝》はまたいう:《中孚》は正を守るを以て利と為すは、これがこそ上は天に応ずるなり。朱熹《本義》はいう:誠信有りてまた正しく走れば、すなわち天道と相応ず。集説に蘇軾の言を引く:天道は半分の虚偽をも容れ得ざるなり。

彖下伝・小過卦

小過,小者過而亨也。本義 以卦體釋卦名義與其辭。程傳 陽大陰小,陰得位,剛失位而不中,是“小者過”也,故為小事過。過之小小者與小事有時而當過,過之亦小,故為《小過》。事固有待過而後能亨者,過之所以能亨也。

《彖伝》はいう:《小過》卦は、小なる者の過ぐる所有りて亨通を得るなり。朱熹《本義》はいう:これは卦体を用いて卦名の意義と卦辞を解釈す。程頤《伊川易伝》はいう:陽は大と為り陰は小と為りて、此卦は陰爻は位を得て、剛爻は位を失いてまた中に居らず。これがすなわち「小者過」にして、ゆえに是れ小事の上において稍や過分なり。過ぐるは甚だ軽微にして、小事は時には本に当に一点を過ぐべきを加えて、過ぐとも仍お小なり。ゆえに《小過》と呼ぶ。世上には確かに些かの事は必ず稍微を過ぐらざれば便ちに弁通し得ざる有りて、これがまさに「過」の能く亨通する所以の縁故なり。

集說 孔氏穎達曰:順時矯俗,雖過而通。朱氏震曰:《小過》,小者過也。蓋事有失之於偏,矯其失,必待小有所過,然後偏者反於中。謂之過者,比之常理則過也。過反於中,則其用不窮而亨矣,故曰“小者過而亨也”。

集説に孔穎達の言を引く:時勢に順いて往きて流俗を矯正するに、虽し做るに一点を過ぐると雖も、事情はしかし行通を得たり。集説に朱震の言を引く:《小過》は、すなわち小なる者の過ぐる所有るなり。事情には一辺に偏して失当なる有りて、この種の失当を矯正せんと欲すれば、必ず稍や一点を過ぐらざれば、偏するの一頭はこそ中間に回到るを得。呼作するに「過」と為す所以は、是れ平常の道理を拿りて来りて比べてこそ過と算するなり。一点を過ぐればかえって中に回到りて、その用処は便ちに窮竭せずして能く亨通す。ゆえに《彖伝》は「小者過而亨也」という。

王氏宗傳曰:言以過故亨也。天下固有越常救失之事,如《象》所謂“過乎恭”、“過乎哀”、“過乎儉”是也,不有所過,安能亨哉?故曰“小者過而亨也”。案 此釋義,與“《遯》而亨也”同。《遯》非得已之事,然必《遯》而後亨。《小過》亦非得已之事,然必過而後亨,故其釋義同也。

集説に王宗伝の言を引く:これはまさに一点を過ぐるに因りてこそ亨通するを説く。天下は本来すなわち常軌を越出して過失を補救するの事有りて、例えば《大象伝》の講ずる「過乎恭」「過乎哀」「過乎倹」は便ちに是れなり。稍や一点を過ぐらざれば、どうして能く行通せんや。ゆえに《彖伝》は「小者過而亨也」という。李光地は案ずる:この一句の釈義は、《遯》卦の《彖伝》の「遯而亨也」と是れ同一の路数なり。退避は併せて人の做さんと願うの事にあらざるも、然るに退避せざれば能く亨通せず。小さく過ぐる所有るもまた併せて人の做さんと願うの事にあらざるも、然るに稍や過ぐらざれば能く亨通せず。ゆえに両処の釈義は相同じ。

過以利貞,與時行也。程傳 過而利於貞,謂“與時行也”。時當過而過,乃非過也,時之宜也,乃所謂正也。集說 蘇氏軾曰:《彖》之所謂“利貞”,即《象》之所謂“過乎恭”“儉”與“哀”者,時當然也。

《彖伝》はいう:稍や過ぐりて正を守るに利あるは、時勢に随いて行うなり。程頤《伊川易伝》はいう:一点を過ぐるもしかし正を守るに利あるは、すなわちいわゆる「与時行也」なり。時勢はまさに当に一点を過ぐべきにして果然に一点を過ぐれば、あれはすなわち過と算さずして、ただ時に合乎するの挙措にして、またまさにいわゆる正なり。集説に蘇軾の言を引く:《彖伝》の講ずる「利貞」は、すなわち《大象伝》の講ずる「過乎恭」「過乎倹」および「過乎哀」にして、皆是れ時勢の本来当にこのようたるべきなり。

朱氏震曰:君子制事,以天下之正理,所以《小過》者,時而已,故曰“過以利貞,與時行也”。蔡氏淵曰:“與時行”,謂隨《小過》之時而用其正也。龔氏煥曰:道貴得中,過非所尚,然隨時之宜,施當其可則過也,乃所以為中也,故曰“過以利貞,與時行也”。“與時行”而不失其貞,則過非過矣。

集説に朱震の言を引く:君子の事情を処置するは、依拠するは天下の正理なり。彼の肯んじて稍や一点を過ぐる所以は、ただ時に合さんがためのみ。ゆえに《彖伝》は「過以利貞、与時行也」という。集説に蔡淵の言を引く:いわゆる「与時行」は、《小過》のこの時勢に随いて往きて彼の正道を施用するなり。集説にまた龔煥の言を引く:道は中を得るを以て貴と為して、過分は本来併せて崇尚すべきにあらず。然るに時勢の宜する所に随いて、施行して恰好到当せば、すなわち看れば過ぐるに似るも、其実はまさに中を得たり。ゆえに「過以利貞、与時行也」という。能く時に随いて行いまたその正を失わざれば、すなわち過もまた成りて過と為さざるなり。

柔得中,是以小事吉也。本義 以二五言。剛失位而不中,是以不可大事也。本義 以三四言。程傳 《小過》之道,於小事有過則吉者,而《彖》以卦才言吉義。“柔得中”,二五居中也。陰柔得位,能致“小事吉”耳,不能濟大事也。“剛失位而不中”,是以不可大事,大事非剛陽之才不能濟。三不中,四失位,是以“不可大事”。《小過》之時,自“不可大事”,而卦才又不堪大事,與時合也。

《彖伝》はいう:柔爻は中を得て、ゆえに小事の上において吉利なり。朱熹《本義》はいう:これは六二・六五の両爻に就きて講ずるなり。《彖伝》はまたいう:剛爻は位を失いてまた中に居らざれば、ゆえに以て大事を弁ずべからず。朱熹《本義》はいう:これは九三・九四の両爻に就きて講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:《小過》の道理は、小事の上において一点を過ぐれば便ちに吉なり。しかして《彖伝》は卦材を拿りて来りてこの吉の縁由を講ずるなり。「柔得中」は、六二・六五の皆本体のうちに居るを指す。陰柔にして位を得るは、ただ能く小事の上の吉を招来するのみ、能く大事を成就すること能わず。「剛失位而不中」は、ゆえに以て大事を弁ずべからず――大事は併せて剛陽の材にあらざれば弁成し得ざるなり。九三は中に居らず、九四はその位を失う。これによりて「不可大事」なり。《小過》のこの時勢は本来すなわち大事を弁じ得ずして、しかして卦材はまた大事を担い上ぐるを得ず。両者はまさに相吻合す。

朱氏震曰:於小事有過而不失其正則吉,“柔得中”也。作大事非剛得位得中不能濟,失位則無所用其剛,不中則才過乎剛。是以《小過》之時,不可作大事也。胡氏炳文曰:矯大下之枉者,以過為正。然“剛過而中”為《大過》,“柔得中”為《小過》,是則事有當過者,而皆不可外乎中也。

集説に朱震の言を引く:小事の上において一点を過ぐりてその正を失わざればすなわち吉なるは、これは是れ「柔得中」なるがゆえなり。大事を弁まんと欲するは、剛爻の既に位を得てまた中を得るに非ざれば能く成功せず。位を失えば、剛もまた施用するの処なし。中に居らざれば、材質はすなわち剛は頭を過ぐる。ゆえに《小過》の時においては、以て大事を興作すべからず。集説に胡炳文の言を引く:天下の弯曲を矯正するに(源文は「大下」を「天下」と当作すべし)、往往に一点を過ぐるを拿りて来りて当作して正と為すを要す。不過《大過》は「剛過而中」にして、《小過》は「柔得中」なり。見れば事情は固然として当に一点を過ぐべき有ると雖も、しかし皆一個の「中」の字を越出すること能わざるを知るべし。

案 任大事貴剛,取其強毅,可以遺大投艱也。處小事貴柔,取其畏慎,為能種細勤小也,二者皆因乎時,得中者,適乎時之謂也。此卦“柔得中”,“剛失位而不中”,則有行小事適時,而行大事則非其時之象。

李光地は案ずる:大事を担当するは剛を以て貴と為して、取るはそれが強毅果決にして、以て重大にして艱難の托付を承受すべきなり。小事を処理するは柔を以て貴と為して、取るはそれが敬畏謹慎にして、能く細微の処において功夫を下すべきなり。両者は皆要して時勢を看て以て定むべし。いわゆる「得中」は、すなわち時勢に合乎するの意思なり。此卦は「柔得中」にして「剛失位而不中」にして、ここにおいてすなわち小事を為すはまさにその時に合し・大事を為すはしかしその時に当たらざるの象有らん。

有飛鳥之象焉,飛鳥遺之音,不宜上宜下大吉,上逆而下順也。本義 以卦體言。程傳 “有飛鳥之象焉”,此一句不類《彖》體。蓋解者之辭誤入《彖》中。中剛外柔,飛鳥之象。卦有此象,故就“飛鳥”為義。事有時而當過,所以從宜,然豈可甚過也。如“過恭”“過哀”“過儉”,《大過》則不可,所以在《小過》也。所過當如飛鳥之遺音,鳥飛迅疾,聲出而身已過,然豈能相遠也,事之當過者亦如是。身不能甚遠於聲,事不可遠過其常,在得宜耳。

《彖伝》はいう:卦のうちに飛鳥の象有りて、飛鳥は鳴声を留下して、上に向かうに宜しからずして下に向かうに宜しく、大吉なり。是れ上に向かうは逆にして、下に向かうは順なるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは卦体に就きて講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:「有飛鳥之象焉」のこの一句は《彖伝》の体例に似ず、大概れ是れ経を解する者の話が誤りて《彖伝》のうちに混入したるなり。此卦の中間の両爻は剛にして外面の四爻は柔にして、是れ飛鳥の象なり。卦はこの象有れば、ゆえに「飛鳥」に就きて義を立つ。事情は時に当に一点を過ぐべき有りて、是れ宜に従わんがためなり。然るにどうして以て過ぐるに太も狠かるべからんや。「過于恭敬」「過于哀戚」「過于倹省」のこの一類のごときは、若し《大過》のあのように照らして過ぐればすなわち不行なり。ゆえにただ《小過》のうちに放る。過ぐる所の分寸は、当に飛鳥の留下する鳴声のごとくなるべし。鳥は飛ぶこと速くして、声音は発出して身子はすでに掠り過ぐるも、しかし身と声はまた能く離るることどれほど遠からんや。当に一点を過ぐべきの事情もまた是れこのようたり――身子は能く声音より離るること太も遠からず、事情は能く常軌より出づること太も多からずして、全て一個の合宜に在り。

“不宜上宜下”,更就鳥音取宜順之義。過之道,當如飛鳥之遺音,夫聲逆而上則難,順而下則易,故在高則大。山上有雷,所以為過也。過之道,順行則吉,如飛鳥之遺音宜順也。所以過者,為順乎宜也。能順乎宜,所以大吉。

程頤は続けていう:「不宜上宜下」は、また鳥の鳴くの声に就きて「宜順」の意思を取る。過の道理は、当に飛鳥の留下する声音のごとくなるべし。声音は逆らいで上に向かい伝えばすなわち難しく、順いて下に向かい伝えばすなわち易し。ゆえに高処に処するの声音はかえって顕れて大なり。此卦は山の上に雷有りて、雷は本来当に天上に在るべきに、如今は山の上に出づ。まさにこれに因りてこそ過と呼作す。過の道理は、順いて走ればすなわち吉にして、まさに飛鳥の留下する鳴声の順を以て宜と為すがごとし。一点を過ぐらんと欲する所以は、是れ事の宜する所に順応せんがためなり。能く宜する所に順応せば、ゆえに大吉なり。

集說 王氏弼曰:施過於不順,凶莫大焉。施過於順,過更變而為吉也。胡氏瑗曰:四陰在外,二陽在內,是內實外虛,故“有飛鳥之象”也。飛鳥翔空,無所依著,愈上則愈窮,是上則逆也。下附物則身可安,是下則順也。猶君子之人,過行其事以矯世勵俗,必下附人情,亦“宜下”而“不宜上”也。

集説に王弼の言を引く:「過」を順ならざるの地方に施用すれば、凶険はこれより大なるはなし。「過」を順なるの地方に施用すれば、過はかえって転じて吉と成る。集説に胡瑗の言を引く:四個の陰爻は外に在り・両個の陽爻は内に在るは、是れ裏面は実にして外面は虚にして、ゆえに「飛鳥之象」有らん。飛鳥は空中に翱翔して、依託する所なし。愈々上に往けば愈々着落するの処なし。これがすなわち上に向かうは逆と為るなり。下に向かい実物に附着せば、身子はこそ安穏ならん。これがすなわち下に向かうは順と為るなり。譬えば君子が稍や一点を過ぐりて往きて事を做すは、是れ世風を矯正し流俗を砥礪せんがためなり。あれはまた必ず下に向かい人情に貼合せざればならず。同様に是れ「宜下」にして「不宜上」なり。

朱氏震曰:上逆也,故“不宜上”。“下順”也,故“宜下”。《小過》之時,事有時而當過。所以從宜,不可過越已甚,不然必凶也。俞氏琰曰:溯風而上為“逆”,隨風而下為“順”。

集説に朱震の言を引く:上に向かうは逆なり。ゆえに「不宜上」といい、下に向かうは順なり。ゆえに「宜下」という。《小過》の時は、事情は固然として当に一点を過ぐべき有りて、是れ宜に従わんがためなり。然るに能く越出して甚だ厲しくすべからず。然らざれば必定に凶を招かん。集説に兪琰の言を引く:風に迎いで上に向かい飛ぶは「逆」にして、風に順いて下に向かい飛ぶは「順」なり。

方氏時化曰:聖人因此卦有飛鳥之象,遂即象以戒之曰:“飛鳥有遺音雲。遺音如何?言“不宜上宜下大吉”云耳。夫鳥上飛則逆,下飛則順,其大致也。今自謂宜下而不宜上焉,實為二陽諷也。吳氏曰慎曰:以卦體言,陰乘陽為“逆”,承陽為“順”,四陰分居上下,有逆順之象。

集説に方時化の言を引く:聖人は是れ此卦に飛鳥の象有るに因りて、この象に就きて来りて告誡していわく:飛鳥は鳴声を留下せり。留下する所の鳴声は是れ何なるや。すなわち「不宜上宜下大吉」のこの句話のみ。鳥は上に向かい飛ぶは逆にして下に向かい飛ぶは順なり。これは大致の情形なり。如今《彖伝》は自ら下に宜しく上に宜しからずと説くに、其実は是れこの話を拿りて中に居るの両個の陽爻に諷勧するなり。集説に呉曰慎の言を引く:卦体に就きて講ずれば、陰爻は陽爻の上に凌駕するを「逆」と呼び、陰爻は陽爻の下に承奉するを「順」と呼ぶ。四個の陰爻は上下に分居して、まさに逆と順の象有らん。

案 四陽居中,則有棟樑之象,四陰居外,則有羽毛之象。君子之任大事,則為天下棟樑。修細行,則為天下羽儀。此二卦取象之意也。然以其陰陽皆過多也,故謂之《大過》、《小過》。事固有過以為中者,無嫌於過也。然必過而不失其中,乃歸於無過,故棟則惡其太剛而折。太重而橈,故宜隆於上,不可橈於下也。羽則惡其柔而無立,輕而不戢,故宜就於下,不可颺於上也。

李光地は案ずる:《大過》は四個の陽爻が中間に聚集して、すなわち棟梁の象有らん。《小過》は四個の陰爻が外辺に分在して、すなわち羽毛の象有らん。君子は大事を担当すれば、便ちに天下の棟梁なり。細行を修飭すれば、便ちに天下の儀表なり。これがすなわち両卦の取象の用意なり。不過それらの陰陽は皆多きに失するに因りて、ゆえに分別して《大過》《小過》と呼ぶ。事情は固然として一点を過ぐればかえって中と算し得る有りて、あれは便ちにそれが過ぐるを嫌うを必せず。然るに必ず過ぐりてその中を失わざらば、こそ帰結して過失なからん。ゆえに棟梁は最も怕るは太も剛にして折斷し・太も重くして弯曲するなり。これによりて上頭において高起するに宜しく、下頭において圧弯すべからず。羽毛は最も怕るは柔弱にして立住せず・軽飄にして収斂せざるなり。これによりて下に向かい貼附するに宜しく、上に向かい飛揚すべからず。

彖下伝・既済卦

《大過》之《彖》曰“剛過而中”,不橈乎下,斯為 既濟,亨,小者亨也。本義 濟下疑脫小字。集說 陸氏銓曰:國家當極盛時,縱有好處,都只是尋常事,所以說“小者亨”。案 亨小之義,陸氏說善。《既濟》之時,自然事事亨通。然特其小者爾,聖人之制治保邦也。制度之立,綱紀之修,以為小,而精神之運,心術之動,以為大。故《屯》難之時而大亨者,以其“動乎險中”,不敢安寧也。《既濟》之時而亨小者,以其已安已治,四達不悖也。《彖》所以言“初吉終亂”者以此,《象》所以言“思患”“豫防”者亦以此。

李光地の按語は続けていう:《大過》の《彖伝》は「剛過而中」を講じて、至りて下頭において圧弯せず。これがこそ算す――底本はここの処に脱文有りて、下面は径ちに《既済》の一節に接す。《彖伝》はいう:《既済》は亨通して、小なる者は亨通す。朱熹《本義》はいう:「済」の字の下面は疑わしきは一個の「小」の字を脱掉せり。集説に陸銓の言を引く:国家はまさに極盛の時に当たりて、たとえ好処有るとも、皆不過尋常の事なり。ゆえに「小者亨」という。李光地は案ずる:「亨小」の意義は、陸銓は講じて好し。《既済》の時は、自然に事事亨通するも、然るに通ずるはただあれらの小処のみ。聖人は天下を整治し邦国を保守して、制度の確立・綱紀の整飭を看作して小と為し、精神の運用・心術の動向を看作して大と為す。ゆえに《屯》難の時はかえって大亨するは、是れそれが「動乎険中」にして、一刻も安逸を敢えてせざるがゆえなり。《既済》の時はかえってただ小亨なるは、是れそれがすでに安定し・すでに治平して、四通八達して窒碍なきがゆえなり。《彖伝》の「初吉終乱」を講ずる所以の縁故はここに在り、《大象伝》の「思患」「豫防」を講ずる所以の縁故もまたここに在り。

利貞,剛柔正而位當也。本義 以卦體言。程傳 《既濟》之時,大者固已亨矣,唯有小者未亨也。時《既濟》矣,固宜貞固以守之,卦才剛柔正當其位,當位者其常也。乃正固之義,利於如是之貞也。陰陽各得正位,所以為《既濟》也。集說 俞氏琰曰:三剛三柔,皆正而位皆當。六十四卦之中,獨此一卦而已,故特贊之也。

《彖伝》はいう:「利貞」は、剛柔は各々その正に帰して爻位は皆相ち当たるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:これは卦体に就きて講ずるなり。程頤《伊川易伝》はいう:《既済》の時は、大なる方面は固然としてすでに亨通して、剩るはただ小なる方面はなお通通ぜざるのみ。時勢はすでに成済せられれば、自然に当に堅貞固守すべし。しかして卦材は剛柔は各々その位に当たるは、当位はすなわち常態にして、またまさに正を持し固守するの意思なり。ゆえにこのようの貞に利あり。陰陽は各々正位を得たり。これによりて《既済》と成る。集説に兪琰の言を引く:三個の剛爻・三個の柔爻は皆各々その正に帰して、六爻の位もまた皆相ち当たる。六十四卦のうちに唯だこの一卦のみこのようたり。ゆえに《彖伝》は特地にそれを讃美す。

初吉,柔得中也。本義 指六二。程傳 二以柔順文明而得中,故能成既濟之功。二居下體,方濟之初也,而又善處,是以吉也。集說 粱氏寅曰:《既濟》“柔得中”在下卦,則“初吉”而“終亂”。以文明已過,而坎險繼之也。《未濟》柔得中在上卦,則始末濟而終亨,以出乎坎險,而正當文明也。

《彖伝》はいう:「初吉」は、柔爻が中を得るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:六二を指す。程頤《伊川易伝》はいう:六二は柔順にしてまた文明の徳性を以て中位に居る。ゆえに能く既済の功を成就す。それは下体に処して、まさに成済の開頭に当たりて、また自ら処するに善し。これによりて吉を得たり。集説に梁寅の言を引く:《既済》の「柔得中」は下卦に在りて、ゆえに「初吉」にして「終乱」なり――是れ離の文明はすでに過去して、接ぎて来るは坎険なり。《未済》の柔得中は上卦に在りて、ゆえに開頭は未済にして末了は亨通す――是れすでに坎険を走出して、恰好に離の文明に迎上するがゆえなり。

案 凡《易》義以剛中為善,而《既濟》,《未濟》皆善柔中者。《既濟》以內卦為主,至外卦則向乎《未濟》矣。《未濟》亦以內卦為主,至外卦則向乎《既濟》矣。亦猶《泰》之善在二,而《否》之善在五。

李光地は案ずる:《周易》の通例は、大抵剛爻の中に居るを以て善と為すに、《既済》《未済》両卦はしかし皆柔爻の中に居るを称許す。《既済》は内卦を以て主と為して、外卦に到れば便ちに《未済》に転向す。《未済》もまた内卦を以て主と為して、外卦に到れば便ちに《既済》に転向す。これはまさに《泰》卦の好処は九二に在りて、しかして《否》卦の好処は九五に在るがごとし。

終止則亂,其道窮也。程傳 天下之事,不進則退,無一定之理,擠之終不進而止矣,無常止也。衰亂至矣,蓋其道已窮極也。九五之才非不善也,時極道窮,理當必變也,聖人至此奈伺?曰:唯聖人為能通其變於未窮,不使至於極也,堯舜是也,故有終而無亂。

《彖伝》はいう:末了に到りて停住して動かざればすなわち乱るは、是れその路はすでに窮まれるがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:天下の事は、前進せざればすなわち後退して、一処に停住して動かざるの道理なし。最後に到りて更に前進せずして停住すれば、あれはまた能く長久に停住し得るにあらず、衰敗禍乱はすなわち要来らん。是れあの条の路はすでに窮まりて極処に到るがゆえなり。九五の材質は併せて不好にあらざるも、ただ時勢は極点に到り・道理は尽头に走り到りて、理に按じて必定に変ずべし。聖人はこの一歩に到りてまたどう為さんや(源文は「奈伺」を「奈何」と当作すべし)。回答していわく:唯だ聖人のみ能くなお窮尽せざるの時において先にその変を通じて、事情をして極端に走り到らしめず。堯・舜はすなわちこのようたり。ゆえに善終有りて禍乱なし。

集說 侯氏行果曰:由止故物亂而窮也。《乾鑿度》曰:《既濟》、《未濟》者,所以明戒慎,全王道也。胡氏瑗曰:天下久治,則人苟安,萬務易墜,禍患不警,故持盈守成之道,當須至兢至慎,然後可以久濟。苟止於逸樂,不自省懼,以為終安,亂斯至矣,此聖人深戒之 張氏清子曰:卦曰“終亂”,而《彖》曰“終止則亂”,非終之能亂也。於其終而有止心,此亂之所由生也。俞氏琰曰:人之常情,處無事則止心生,止則怠,怠則有患而不為之防,此所以亂也。當知“終止則亂”,不止則不亂也。

集説に侯行果の言を引く:まさに停住したるがゆえに、事物はこそ紛乱して窮竭す。《易緯乾鑿度》はいう:《既済》《未済》両卦は、用いて戒懼謹慎を申明し・王道を保全するなり。集説に胡瑗の言を引く:天下は長久太平すれば、人はすなわち苟且して安を偸みて、万般の事務は廃坠し易く、禍患は頭に臨んでもまた警覚せず。ゆえに盈満を守住し・成業を保住するの弁法は、必ず極めて戒懼し・極めて謹慎して、然るのちこそ能く已成の済を長久に保住せん。倘若安逸享楽の裏に停住して、自ら省せず自ら惧れずして、以て太平して到底すべしと為せば、禍乱はすなわち来たらん――これは是れ聖人の深切に告誡するの処なり(底本はここの処に脱文有り)。集説に張清子の言を引く:卦辞は「終乱」を講じて、《彖伝》は「終止則乱」を講ず。見れば併せて「終」の本身が能く乱を致すにあらず、是れ末了に到りて停住せんと欲するの心を起して、禍乱はこれに由りて生ずるを知るべし。集説に兪琰の言を引く:人の常情は、無事のうちに処すればすなわち止息の心を生出し、一たび止ればすなわち懈怠し、一たび懈怠すればすなわち憂患有りてもまた防備を加えず。これがまさに乱を致すの縁由なり。須く「終止則乱」を知りて、停住せざればすなわちまた能く乱らざるを要す。

彖下伝・未済卦

未濟,亨,柔得中也。本義 指六五言。程傳 以卦才言也。所以能“亨”者,以“柔得中”也。五以柔居尊位,居剛而應剛,得柔之中也。剛柔得中,處《未濟》之時可以“亨”也。集說 蔡氏淵曰;《既濟》之後必亂,故主在下卦而“亨”取二。《未濟》之後必濟,故主在上卦而“亨”取五。

《彖伝》はいう:《未済》は亨通す。是れ柔爻が中を得るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:六五を指す。程頤《伊川易伝》はいう:これは卦材に就きて論を立つ。それが能く亨通する所以は、是れ「柔得中」なるがゆえなり。六五は柔爻を以て尊位に居りて、居る所は剛位にして応ずる所はまた剛爻なり。これは是れ柔の中を得たるなり。剛柔は各々その中を得て、未済の時に処すれば便ちに以て亨通すべし。集説に蔡淵の言を引く:《既済》の後は必定に乱を生ず。ゆえに主爻は下卦に在りて、「亨」は六二を取る。《未済》の後は必定に済を成す。ゆえに主爻は上卦に在りて、「亨」は六五を取る。

小狐汔濟,未出中也。濡其尾無攸利,不續終也。雖不當位,剛柔應也。程傳 據二而言也。二以剛陽居險中,將濟者也。又上應於五,險非可安之地。五有當從之理,故果於濟如“小狐”也。既果於濟,故有“濡尾”之患,未能出於險中也。

《彖伝》はいう:小き狐狸は河を渡らんと欲するは、是れそれがなお坎険のうちより走出せざるなり。尾巴を沾湿して、好処是れ有るなきは、能く事情を接続して到底するを得ざるなり。虽し六爻は皆当位せざると雖も、剛柔はしかし両両に相応ず。これがすなわちいわゆる「応与」なり。程頤《伊川易伝》はいう:これは九二に就きて論を立つ。九二は陽剛を以て坎険のうちに居るは、是れまさに河を渡らんと欲する人なり。それはまた上に向かい六五に応じて、険境は本来能く身を安んずるの地方にあらざるに、しかして六五はまた追随するに値するの道理有りて、ゆえにそれの河を渡るは渡りて果決にして、まさにあの只の小狐狸のごとし。渡るに太も果決にして、ここにおいて「濡尾」の憂患有りて、なお能く険中より走出するを得ざりき。

其進銳者其退速,始雖勇於濟,不能繼續而終之,無所往而利也。雖陰陽不當位,然剛柔皆相應。當《未濟》而有與,若能重慎,則有可濟之理。二以“汔濟”,故“濡尾”也。卦之諸爻皆不得位,故為《末濟》。《雜卦》云: “《未濟》,用之窮也”。謂三陽皆失位也。斯義也,聞之成都隱者。

程頤は続けていう:前進するに急なる人は、退下来るもまた速し。開頭は虽し河を渡るに勇なると雖も、しかし能く接続して下りてそれを弁了するを得ず。ゆえに哪の処に向かい往くとも好処は皆なし。虽し陰陽の各爻は皆当位せざると雖も、剛柔はしかし全て両両に相応ず。未済の時に処して相与の伙伴有れば、若し能く格外に慎重せば、すなわち渡り過ぐるを得るの道理有らん。九二は「汔済」なるに因りて、ゆえに「濡尾」なり。此卦の六爻は皆正位を得ざれば、これに因りて《未済》と呼ぶ(源文は「《末済》」を「《未済》」と当作すべし)。《雑卦伝》は「《未済》、用之窮也」といい、指すは三個の陽爻の皆位を失うなり。この層の意思は、是れ我が成都の一位の隠者より聴き来たるなり。

集說 《朱子語類》云:“小狐汔濟”,汔字訓幾,與《井》卦同。既曰幾,便是未出坎中。郭氏鵬海曰:《既濟》之吉,以“柔得中”。《未濟》之“亨”,亦以“柔得中”,則敬慎勝也。《既濟》之“亂”以終止,《未濟》之“無攸利”以“不續終”,則克終難也。《既濟》之貞以“剛柔正”,《未濟》之可濟以“剛柔應”,則交濟之功也。既曰“柔得中”,而又有“不續終”之戒,可見濟事無可輕忽之時。既曰“不當位”,又著剛柔之應,可見得人無不可濟之享。

集説に《朱子語類》を引いていう:「小狐汔済」の「汔」の字は「幾」と訓して、《井》卦の「汔至亦未繘井」の用法と相同じ。すでに幾と説けば、便ちになお坎険のうちより走出せざるなり。集説に郭鵬海の言を引く:《既済》の吉は、「柔得中」に靠る。《未済》の亨も、また「柔得中」に靠る。見れば勝を取るは全て敬慎に在るを知るべし。《既済》の「乱」は末了に停住するに由り、《未済》の「无攸利」は能く接続して到底せざるに由る。見れば善終は最も難きを知るべし。《既済》の可貞は「剛柔正」に靠り、《未済》の可済は「剛柔応」に靠る。見れば済を成すは上下の交相為用の功に靠るを要すを知るべし。すでに「柔得中」と説きて、また一句「不続終」の告誡を下せば、見れば事を成すの際は一刻も軽忽すべからざるを知るべし。すでに「不当位」と説きて、また剛柔の相応ずるを標出せば、見ればただ人を得れば、便ちに渡り過ぐるを得ざるの事なきを知るべし。

吳氏曰慎曰:《既濟》曰“終止則亂”,此曰“無攸利,不續終也”,蓋事之《既濟》而生亂,與《未濟》而無終者,皆一念之怠為之,君子是以貴“自強不息”。

集説に呉曰慎の言を引く:《既済》は「終止則乱」を講じ、ここは「无攸利、不続終也」を講ず。事情はすでに成済せられてしかしまた禍乱を生出するは、事情はなお成済せざるに終究に下文なきと、両様は皆一念の懈怠の造成する所なり。君子はこれに因りて「自強不息」を看て極めて重しと為す。

象上伝

本義 象者,卦之上千兩象。及兩象之六爻,周公所繫之辭也。

朱熹《本義》はいう:いわゆる「象」は、一卦の上下両体の取る所の両個の象、およびこの両象より合成せられたる六爻を指し、周公はそれらのために辞を繋げたるなり(源文は「上千」を「上下」と当作すべし)。後人は卦下に上下両体の象を総括して、これによりて君子の徳を立起するのあの一段を「大象」と呼び、爻下に逐句に爻辞を解釈するのあの一段を「小象」と呼ぶ。

象上伝・乾卦

天行健,君子以自強不息。本義 “天”,乾卦之象也。凡重卦皆取重義,此獨不然者,天一而已。但言“天行”,則見其一日一周,而明日又一周,若重複之象,非至健不能也。君子法之,不以人慾害其天德之剛,則“自強”而“不息”矣。

《大象伝》はいう:天の運行は剛健已まず、君子はそれを取法して自強して息まず。朱熹《本義》はいう:「天」は乾卦の象なり。およそ重卦は大抵皆上下重畳の義を取るに、唯だこの一卦のみこのようならず。是れ天はただ一個有るのみなり。ただ「天行」と説けば、すなわちそれが一天に一周を転じ・明天にまた一周を転ずるを見出して、彷彿として重複の象有るがごとし。併せて剛健の極処に到るにあらざれば能くこのようたらざるなり。君子はそれを効法して、人欲をして自己の天賦の剛健の徳を損害せしめざれば、あれはすなわち「自強」にして「不息」なり。

程傳 卦下象,解一卦之象。爻下象,解一爻之象。諸卦皆取象以為法,乾道覆育之象至大,非聖人莫能體,欲人皆可取法也。故取其行健而已,至健固足以見天道也。“君子以自強不息”,法“天行”之“健”也。

程頤《伊川易伝》はいう:卦の下面の《象伝》は一卦の象を解釈し、爻の下面の《象伝》は一爻の象を解釈す。各卦は皆象を取りて効法の準則と為す。乾道の化育を覆うの象は太も大にして、併せて聖人にあらざれば領会し来たることを得ざるなり。しかして《大象伝》は人々をして皆取法し得べからしめんと欲す。ゆえにただそれの運行剛健のこの一点を取る――剛健は極処に到れば、本来すなわち足りて天道を見出すに足る。「君子以自強不息」は、まさに「天行」のあの「健」の字を効法するなり。

集說 游氏酢曰:至誠無息,“天行健”也,若文王之德之純是也。未能無息而不息者,料子之自強也,若顏子三月不違仁是也。《朱子語類》云:乾重卦上下皆《乾》,不可言兩天。昨日行,一天也。今日又行,亦一天也。其實一天而行健不已。有重天之象,此所以為“天行健”。坤重卦上下皆《坤》,不可言兩地,地平則不見其順,必其高下層層,有重地之象,此所以為“地勢坤”。

集説に游酢の言を引く:至誠にして間断なきは、すなわち「天行健」にして、文王のあのようの純一已まざるの徳のごときは便ちに是れなり。なお毫も間断なきを做到し得ざるに勉力して自己をして間断せざらしむるは、あれは君子の自強にして、顔回の三個月も仁に違背せざるがごときは便ちに是れなり(源文は「料子」を「君子」と当作すべし)。集説に《朱子語類》を引いていう:乾卦は重畳して上下は皆《乾》と為るも、しかし能く両個の天有ると説くことを得ず。昨天は一周を転じたるは、是れこの一個の天なり。今天又は一周を転ずるは、なお是れこの一個の天なり。其実はただ一個の天にして運行は剛健已まずして、重畳の天の象有りて、これがすなわち「天行健」なり。坤卦は重畳して上下は皆《坤》と為るも、また能く両個の地有ると説くことを得ず。地面は若し平なればすなわちそれの順を看るを得ず。必ず高々下々に層層に相因じて、こそ重畳の地の象有らん。これがすなわち「地勢坤」なり。

問天運不息,“君子以自強不息”。曰:非是說天運不息,自家去趕逐,也要學它如此不息。只是常存得此心,則天理常行,而周流不息矣。又曰:天運不息,非特四時為然,雖一日一時,頃刻之間,其運未嘗息也。

《朱子語類》はまた記す:ある人問う、天の運行は停息せずして、「君子以自強不息」は、是れ人をして天に跟いて往きて追趕せしめんと欲するか。朱熹は回答していわく:併せて天の運は停息せざれば、自家は便ちに往きて追逐して、またそれのこのように停まざるを学ばんと説くにあらず。ただ要して常にこの心を存住せば、天理は便ちに時時に流行して、自然に周流して息まざるなり。彼はまたいう:天の運行の停息せざるは、単に四時のみこのようたるにあらず、すなわち一日一時・頃刻の間においても、それの運行もまたかつて停まりたることなし。

胡氏炳文曰:上經四卦,《乾》曰“天行”,《坤》曰“地勢”,《坎》曰“水洊至”,《離》曰“明兩作”,先體而後用也。下經四卦,《震》曰“洊雷”,《艮》曰“兼山”,《巽》曰“隨風”,《兌》曰“麗澤”,先用而後體也。乾坤不言重,異於六子也。稱健不稱乾,異於坤也。

集説に胡炳文の言を引く:上経のうちの四個の純卦は、《乾》は「天行」といい、《坤》は「地勢」といい、《坎》は「水洊至」といい、《離》は「明両作」といい、皆先に本体を説きて後に功用を説く。下経のうちの四個の純卦は、《震》は「洊雷」といい、《艮》は「兼山」といい、《巽》は「随風」といい、《兌》は「麗沢」といい、皆先に功用を説きて後に本体を説く。乾坤両卦は「重」の字を提せずして、震・巽・坎・離・艮・兌のこの六個の子卦と同じからず。乾卦は「健」と称して「乾」と称せざるも、また坤卦と同じからず。

蔡氏清曰:孔子於釋卦名卦辭之後,而復加之以《大象》者,蓋卦名卦辭之說有限,而聖人胸中義理無窮。故自“天行健”至“火在水上《未濟》 ”,自“君子自強不息”至“慎辨物居方”,皆聖人之蘊,因卦以發者也。林氏希元曰:夫子贊《易》,既釋卦名卦辭,而有《彖傳》、《文言》諸作矣。見得《易》理無窮,又合二體之象,作《傳》以發明之。

集説に蔡清の言を引く:孔子は卦名卦辞を解釈するの後にまた《大象伝》を添上するは、是れ卦名卦辞の説き得る所は有限にして、しかして聖人の胸中の義理は無窮なるがゆえなり。ゆえに「天行健」より一直到りて「火在水上《未済》」に、そして「君子以自強不息」より一直到りて「慎辨物居方」に至るまで、皆是れ聖人の心中に藴蓄する所の道理にして、卦象に借りて発揮し出したるなり。集説に林希元の言を引く:孔子は《周易》を讃述して、すでに卦名卦辞を解釋して、《彖伝》《文言》の諸篇を写下せり。彼は《易》理の無窮なるを見得て、ここにおいてまた上下両体の象を合して、別に一《伝》を作して用いてそれを発明す。

何氏楷曰:健而無息之謂乾,《中庸》言至誠無息者,通之於天也。自強言不息,不言無息,學之為法天事耳。始於不息,終於無息,故《中庸》於無息之下文,而推原之曰不息則久。自強之法何如?曰主敬,君子莊敬日強。

集説に何楷の言を引く:剛健にして間断なきを乾と呼ぶ。《中庸》は「至誠无息」を講ずるは、人を拿りて天上に通じて説くなり。ここは「自強不息」を講じて「无息」と説かざるは、是れ学者の能く做し得るはただ天を効法するのみなるがゆえなり。起頭は「不息」に在りて、到頭にこそ「无息」なり。ゆえに《中庸》は「无息」の一句の下面において本を追い源を遡りて「不息則久」と説く。自強の下手の処はどこに在るや。一個の「敬」の字に在り――《礼記》は君子は荘敬すればすなわち一天比一天に強健すると説く。

案 《彖傳》釋名,或舉卦象,或舉卦德,或舉卦體。《大象傳》則專取兩象以立 潛龍勿用,陽在下也。本義 “陽”,謂九。“下”,謂潛。程傳 陽氣在下,君子處微,未可用也。

李光地は案ずる:《彖伝》の卦名を解釈するは、時には卦象を挙げ・時には卦徳を挙げ・時には卦体を挙ぐ。《大象伝》はすなわち専ら上下両体の象を取りて来りて立つ――底本はここの処に脱文有りて、下面は径ちに《乾》卦の小象に接す。《小象伝》はいう:「潜龍勿用」は、陽はなお下面に在るがゆえなり。朱熹《本義》はいう:「陽」は九のこの一陽爻を指し、「下」は潜蔵の位置を指す。程頤《伊川易伝》はいう:陽気はなお底下に在りて、君子は微賤の地位に処して、なお施用するの時に到らざるなり。

集說 胡氏炳文曰:夫子於《乾》、《坤》初爻,揭陰陽二字以明《易》之大義。《乾》初曰“陽在下”,《坤》初曰“陰始凝”。扶陽抑陰之意,已見於言辭之表。見龍在田,德施普也。程傳 見於地上,德化及物,其施已普也。

集説に胡炳文の言を引く:孔子は《乾》《坤》両卦の初爻において、特地に「陰」「陽」の二字を標出して《周易》の大義を点明す。《乾》の初爻は「陽在下」といい、《坤》の初爻は「陰始凝」という。陽を扶助し陰を抑制するの用意は、すでに字面の外に透け出でたり。《小象伝》はいう:「見龍在田」は、徳沢の施与はすでに普及せり。程頤《伊川易伝》はいう:龍は地面の上に出現して、徳化は万物に施及して、それの施与はすでに普遍せり。

集說 陸氏希聲曰:陽氣見於田,則生植利於民。聖人見於世,則教化漸於物。故曰“德施普也”。梁氏寅曰:“德施普”,正孟子所謂正己而物正者也。所謂“德施”,豈必博施濟眾,乃謂之施乎。蓋聞其風而興起者,無非其德之施也。

集説に陸希声の言を引く:陽気は田野の上に顕現して、草木は生長して便ちに百姓に利有らん。聖人は世間に顕現せば、教化は便ちに漸漸に万物を浸潤す。ゆえに「徳施普也」という。集説に梁寅の言を引く:「徳施普」は、まさに《孟子》の講ずる「正己而物正」の意思なり。いわゆる「徳施」は、豈に必ず恵恩を広施し・衆人を周済してこそ施与と算すべからんや。およそ彼の風範を聴いて振作奮起するは、彼の徳の施与ならざるなし。

終日乾乾,反復道也。本義 “反覆”,重複踐行之意。程傳 進退動息,必以道也。集說 項氏安世曰:三以自修,故曰“反覆”。四以自試,故曰進退。或躍在淵,進無咎也。本義 可以進而不必進也。程傳 量可而進,適其時則無咎也。集說 石氏介曰:“進無咎也”一句,是承“或躍在淵”言,非決其疑也。蓋曰如此而進,斯無咎耳。

《小象伝》はいう:「終日乾乾」は、反復に道の上に行くなり。朱熹《本義》はいう:「反復」は重複に践行するの意思なり。程頤《伊川易伝》はいう:一進一退・一動一静は、必定に皆道に依る。集説に項安世の言を引く:九三は自ら修治するにして、ゆえに「反復」といい、九四は自ら試探するにして、ゆえに「進退」という。《小象伝》はいう:「或躍在淵」は、進取して過錯を得ざらん。朱熹《本義》はいう:進むべきも、しかし必定に進まざるべからざるにあらず。程頤《伊川易伝》はいう:行うべきを量度して然るのち前進して、恰好にその時に合せば便ちに過錯を得ざらん。集説に石介の言を引く:「進无咎也」のこの一句は「或躍在淵」を承けて来りて説くにして、併せてそれのために疑惑を決断するにあらず。不過このように照らして往きて進めば、すなわち至りて過錯を得ざらんを説くのみ。

飛龍在天,大人造也。本義 “造”,猶作也。集說 徐氏幾曰:“大人造”者,聖人作也。龍以飛而在天,猶大人以作而居位。“大人”釋“龍”字,“造”釋“飛”字。亢龍有悔,盈不可久也。程傳 盈則變,“有悔”也。集說 谷氏家傑曰:亢不徒以時勢言,處之者與時勢懼亢方謂之盈,“不可”二字,聖人深為處盈者致戒。

《小象伝》はいう:「飛龍在天」は、大人が興起す。朱熹《本義》はいう:「造」は猶お「作」のごとく、興起の意思なり。集説に徐幾の言を引く:いわゆる「大人造」は、すなわち聖人の興起なり。龍は飛び起きるに因りてこそ天上に在りて、譬えば大人は興起するに因りてこそその位に居るがごとし。「大人」は「龍」の字を解釈して、「造」は「飛」の字を解釈す。《小象伝》はいう:「亢龍有悔」は、盈満は能く長久せざるがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:盈満せばすなわち要して変ずべし。ゆえに「有悔」なり。集説に谷家杰の言を引く:「亢」は単に時勢に就きて言うにあらず、ここの位置に居る人は連帯して時勢と一共に亢して頂に到りて、こそ盈と呼作す。「不可」の両字は、是れ聖人の特に盈満に身を処する人のために下すの重重の告誡なり。

用九,天德不可為首也。本義 言陽剛不可為物先,故六陽皆變而吉。“天行”以下,先儒謂之《大象》。“潛龍”以下,先儒謂之《小象》。後放此。程傳 “用九”,天德也。天德陽剛,復用剛而好先,則過矣。

《小象伝》はいう:「用九」は、天徳は以て万物の頭を做すべからず。朱熹《本義》はいう:これは陽剛は能く万物の先に搶い出づるべからずを説きて、ゆえに六個の陽爻は全て陰に変じて吉を得たり。彼はまたいう:「天行健」以下のこの一類は、前代の儒者は之を「大象」と呼びて、是れ上下両体の象を取りて来りて君子の徳を立つるなり。「潜龍勿用」以下のこの一類は、前代の儒者は之を「小象」と呼びて、是れ爻に逐いで爻辞を解釈するにして、以下の各卦は皆この例に照らす。程頤《伊川易伝》はいう:「用九」は天徳なり。天徳は本来すなわち陽剛にして、若し再び一味に剛を用いて先を搶うを好めば、あれはすなわち過分なり。

集說 谷氏家傑曰:一歲首春,一月首朔,似有首矣。然春即臘之底,朔即晦之極,渾渾全全,要之莫知所終,引之鳥有其始,更無可為首也。“用九”者,全體天德,循環不已,聖人之御天者此也。

集説に谷家杰の言を引く:一年は春を以て頭と為し、一月は初一を以て頭と為して、好像として是れ頭有らんとするも、しかし春天はまさに臘月の底に接続して、初一はまさに晦日の尽头に接続して、渾然一片にして、推究すれば既にそれがどこに在りて終結するを知らず、追溯して上ればまたそれの開始なきに、更に何の頭と做すべきを談じ上ぐるに足らんや(源文は「鳥有」を「烏有」と当作すべし)。いわゆる「用九」は、完完全全に天徳を体現して、循環して已まず、聖人の天道を駕駕するは靠るはすなわちこれなり。

案 此“不可為首”,與“不可為典要”語勢相似,非戒辭也。若言恐用剛之太過,不可為先。則“天德”兩字,是至純至粹,無以復加之稱。非若剛柔仁義倚於一偏者之謂,尚恐其用之太過而不可為先,則非所以為天德矣。程子嘗曰:動靜無端,陰陽無始,蓋即“不可為首”之義。如所謂不可端倪,不可方物,亦此意也。

李光地は案ずる:ここの「不可為首」は、《繋辞伝》の「不可為典要」と語勢相似たり。併せて告誡の辞にあらず。倘若剛を用うるに太過を怕りて先を搶うべからずと説かば、すなわち「天徳」の両字は本来すなわち至純至粹にして復た加うべきなきの称呼にして、剛柔仁義のあのように一辺に偏するに似ず。若しなおそれの用いるに太過にして先を搶うべからずを擔心せば、あれはすなわち天徳と算さず。程頤はかつて「動静无端、陰陽无始」といい、講ずるはまさに「不可為首」の意思なり。またいわゆる頭緒を摸得し得ず・形状を指出し得ざるのごときも、亦是れこの意思なり。

象上伝・坤卦

地勢坤,君子以厚德載物。本義 地,坤之象,亦一而已。故不言重,而言其勢之順,則見其高下相因之無窮,至順極厚,而無所不載也。程傳 坤道之大猶乾也,非聖人孰能體之,地厚而其勢順傾,故取其順厚之象。而云“地勢坤”也,君子觀坤厚之象,以深厚之德,容載庶物。

《大象伝》はいう:大地の形勢は是れ順にして、君子はそれを取法して、深厚の徳を以て万物を承載す。朱熹《本義》はいう:地は坤の象にして、またただ一個のみ有りて、ゆえに重畳と説かずして、ただそれの形勢の順を説く。このようにして便ちにそれの高々下々に相因じ相続いて窮尽なきを見出して、順は極処に到り・厚は極処に到りて、因りて載せざる所なし。程頤《伊川易伝》はいう:坤道の大は乾と一様にして、併せて聖人にあらざれば誰か能く領会し来たることを得んや。地はすでに深厚にしてその勢いはまた順いて傾斜して下る。ゆえにそれの順にして厚きの象を取りて、「地勢坤」と説成す。君子は坤の厚重の象を看て、便ちに深厚の徳性を用いて往きて万物を容納承載す。

集說 《朱子語類》云:高下相因只是順,然唯其厚,所以高下只管相因去,只見得它順。若是薄底物,高下只管相因,則傾陷了,不能如此之無窮矣。君子體之,唯至厚為能載物。

集説に《朱子語類》を引いていう:高々下々に相因じ相続くは、まさに一個の順の字なり。然るに唯だそれが厚き有れば、ゆえにこそ一路に相因じて下るを得て、ただそれの順を見得るなり。若し単薄の東西に換作せば、高下のこのようの層層相因じて、早くすでに塌陷して、能く大地のこのようの綿延無窮たらざらん。君子はこの一はこの一層を領会して、便ちに唯だ厚の極処に到りてこそ能く万物を承載するを知る。

林氏希元曰:“地勢坤”,言地勢順也。於此就見其厚,故“君子以厚德載物”,蓋坤之象為地,重之又得《坤》焉。則是地之形勢,高下相因,頓伏相仍,地勢之順,亦唯其厚耳。不厚,則高下相因便傾陷了,安得如此之順。唯其厚,故能無不持載,故君子厚德以承載天下之物。夫天下之物多矣,君子以一身任天下之責。群黎百姓,倚我以為安。鳥獸昆蟲草木,亦倚我以為命。使褊心涼德,其何以濟,而天下之望於我者亦孤矣。

集説に林希元の言を引く:「地勢坤」は地の形勢の順を説きて、すなわちこの順の上において便ちにそれの厚を見出す。ゆえに接ぎて「君子以厚徳載物」と説く。坤の象は地にして、重畳して一遍はまた坤と為るは、あれはすなわち地の形勢は高下に相因じ・起伏は相続くなり。地勢の順たる所以も、またただそれが厚きに因るのみ。厚ならざれば、高下のこのように相因じて便ちに塌陷せんと欲して、どうして能くこのようの順有らんや。唯だそれが厚ければ、ゆえに承載して住まざるはなし。これによりて君子は要して厚徳を用いて往きて天下の物を承載すべし。天下の物は太も多くして、君子は一身を拿りて天下の責任を担う。黎民百姓は我に靠りてこそ安定を得て、鳥獣昆虫草木もまた我に靠りてこそ存活を得る。仮使に心地は偏狭・徳性は凉薄ならば、何を拿りて往きて此らの事を成就して、天下人の我に対する指望もまた落空せんや。

履霜堅冰,陰始凝也,馴致其道,至堅冰也。程傳 “陰始凝”而為霜,漸盛則至於“堅冰”。小人雖微,長則漸至於盛,故戒於初。“馴”,謂習。習而至於盛。習,因循也。

《小象伝》はいう:霜を踩めばすなわち堅氷の将至るを知るは、是れ陰気が剛に凝結し始むなり。この条の路に順いて一歩々に走り下れば、すなわち堅氷に到らん。程頤《伊川易伝》はいう:陰気は剛に凝結して霜と成りて、漸漸に盛に起ればすなわち堅氷と成る。小人は起初は虽し微弱なると雖も、一たび長起れば便ちに逐漸に興盛す。ゆえに初爻において先に警を示す。「馴」は習の意思にして、習い久しくなれば便ちに盛の地步に到らん。いわゆる習は、すなわち一路に因循して下るなり。

集說 孔氏穎達曰:“馴”,猶狎順也。若鳥獸馴狎然,言順其陰柔之道,習而不已,乃至“堅冰”也。於“履霜”而逆以“堅冰”為戒,所以防漸慮微,慎終於始。邱氏富國曰:《乾》韌九,《小象》釋之以“陽在下”。《坤》初六,《小象》釋之以“陰始凝”。聖人慾明九六之為陰陽,故於《乾》、《坤》之初畫言之。

集説に孔穎達の言を引く:「馴」はまさに馴順して親狎するがごとく、鳥獣の養熟せられたるがごとし。是れ陰柔のあの条の路に順いて、習熟して下りて停むを肯ぜざれば、すなわち堅氷に到るを説く。剛に霜を踩むの時において便ちに預かって堅氷を拿りて来りて警戒するは、まさに微を防ぎ漸を杜じて、開頭よりすなわち結局を想い周全せるなり。集説に邱富国の言を引く:《乾》卦の初九は、《小象伝》は「陽在下」を用いて解釈す。《坤》卦の初六は、《小象伝》は「陰始凝」を用いて解釈す。聖人は要して九と六はすなわち陽と陰なるを点明して、ゆえに特地に《乾》《坤》両卦の頭一画の上において説破す(源文は「韌九」を「初九」と当作すべし)。

胡氏炳文曰:上六曰“其道窮也”,由初六順習其道,以至於窮耳,兩其“道字”具載始末,經曰“堅冰至”,要其終也。《傳》曰“至堅冰”,原其始也。六二之動,直以方也,不習無不利,地道光也。程傳 承天而動,“直以方”耳,“直方”則大矣。“直方”之義,其大無窮。地道光顯,其功順成,豈習而後利哉。

集説に胡炳文の言を引く:上六は「其道窮也」と説くは、まさに初六よりあの条の路に順いて習熟して下りて、一直に窮尽に走り到るのみ。前後両個の「道」の字は始末を皆裏頭に載す。爻辞は「堅氷至」と説くは、是れそれの結局を推求す。《小象伝》は「至堅氷」と説くは、是れそれの開端を追溯す。《小象伝》はいう:六二の挙動は、正直にして端方なり。演習せずともまた不利なきは、是れ地道の光大なるがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:天に承奉して動くは、ただ一個の「直」に一個の「方」を加えるのみ。能く直にして能く方なれば、すなわちまた大なり。「直方」の意義は、大にして辺際なし。地道は光顕にして、その功用は理に順いて成る。どうして是れ練習し過ぐしてこそその利を見るや。

集說 王氏安石曰:六二之動者,六二之德,動而後可見也。因物之性而生之,是其“直’也。成物之形而不易,是其“方”也。王氏宗傳曰:《坤》之六二,以順德而處正位。六爻所謂盡地之道者,莫二若也,故曰“地道光也”。

集説に王安石の言を引く:いわゆる六二の動は、六二の徳は要して動き起りて然るのちこそ看るを得るを説く。物の本性に順いて往きてそれを生養するは、これがすなわちそれの「直」なり。物の形体を成就して改易を加えざるは、これがすなわちそれの「方」なり。集説に王宗伝の言を引く:《坤》卦の六二は、順徳を以て正位に居る。六爻のうちにいわゆる地道を極処に尽くすは、六二に比及するはなし。ゆえに「地道光也」という。

項氏安世曰:《乾》以九五為主爻,《坤》以六二為主爻。蓋二卦之中,唯此二爻既中且正。又五在天爻,二在地爻,正合乾坤之本義也。《乾》主九五,故於五言《乾》之大用,而九二止言乾德之美。《坤》主六二,故於二言坤之大用,而六五止言坤德之美。六二之“直”,即至柔而動剛也。六二之“方”,即至靜而德方也。其“大”,即“後得王而有常,含萬物而化光也”。其“不習無不利”,即“《坤》道其順乎,承天而時行”也。六二蓋全具坤德者。孔子懼人不曉六二何由兼有乾直,故解之曰:“六二之動,直以方也。”言坤動也剛,所以能直也。又懼人不曉六二何由無往不利,故又解之曰:“地道光也。”言地道主六二,猶《乾》之九五,言乃位乎天德也。

集説に項安世の言を引く:《乾》卦は九五を以て主爻と為し、《坤》卦は六二を以て主爻と為す。是れ両卦の六爻のうちに唯だこの両爻のみ既に中に居りてまた正を得るがゆえなり。何况や五は天位の爻にして二は地位の爻にして、恰好に乾坤の本来の意義に合す。《乾》は九五を以て主と為す。ゆえに五爻の上において乾の大用を講じて、九二はただ乾徳の美を講ず。《坤》は六二を以て主と為す。ゆえに二爻の上において坤の大用を講じて、六五はただ坤徳の美を講ず。六二の「直」は、すなわち《文言》の説く所の至柔にして一たび動けば便ちに剛なり。六二の「方」は、すなわち至静にして徳行は端方なり。それの「大」は、すなわち「後得主而有常、含万物而化光」なり。それの「不習无不利」は、すなわち「坤道其順、承天而時行」なり。六二は説いて完完全全に坤徳を具備するの一爻と可なり。孔子は人の六二の何を以て乾のあのようの「直」を兼有するやを明白せざるを怕りて、ゆえに「六二之動、直以方也」と解釈するは、是れ坤は一たび動けば便ちに剛を見て、これによりて能く直なるを説き。また人の六二の何を以て往きて利ならざるなきやを明白せざるを怕りて、ゆえに再び「地道光也」と解釈するは、是れ地道は六二を以て主と為して、まさに《乾》卦の九五を講ずる「乃位乎天徳」と一様なるを説く。

蔡氏清曰:地道是直方,地道之光是直方而大處,直方而大,即便“不習無不利”。葉氏爾瞻曰:直以方,看一以字。六二之動方矣,然由其存乎內者直,是以見乎外者方也。含章可貞,以時發也,或從王事,知光大也。

集説に蔡清の言を引く:地道はすなわち直と方にして、地道の光大はすなわち直方にしてまた大なるの地方なり。直方にして大なれば、すなわちまた自然に「不習无不利」なり。集説に葉爾瞻の言を引く:「直以方」は、要して当中のあの「以」の字を留意すべし。六二の挙動は是れ方なるも、然るにまさに内里に存在するは直なるがゆえに、こそ外面に顕出するはこそ方なり。《小象伝》はいう:「含章可貞」は、要して時機を等待して再び発出すべし。「或従王事」は、是れ彼の見識の光明博大なり。

程傳 夫子懼人之守文而不達義也,又從而明之,言為臣處下之道,不當有其功善,必含晦其美,乃正而可常。然義所當為者,則以時而發,不有其功耳,不失其宜,乃以時也。非含藏終不為也,含而不為,不盡忠者也。“或從王事”,《象》只舉上句,解義則並及下文,它卦皆然。“或從王事”而能“無成有終”者,是其知之光大也。唯其知之光大,故能含晦。淺暗之人,有善惟恐人之不知,豈能“含章”也。

程頤《伊川易伝》はいう:孔子は人のただ字面を守住して義理に通暁せざるを怕りて、ゆえにまた申明を加えたり。臣子を做し・下位に居るの道理は、当に功労と好処を自ら有に据うべからず。必ず自らの美処を含蓄して起して、こそ正と算して以て長久すべし。然るに道義の上において当に做すべきの事は、仍お要して時機に按じて発出して、ただその功に居らざるのみ。それの宜する所を失わざるは、まさにいわゆる「以時」なり。併せて含蔵して起ればすなわち始終に做さざるにあらず――含みて做さざれば、あれは是れ忠を尽くさざるなり。「或従王事」の一句は、《小象伝》はただ上半句を挙げて、義理を解釈するの時はしかし下文をも一も一併に裏頭に包む。別の卦も亦是れこの体例なり。能く「或従王事」して「无成有終」を做到するは、まさに彼の見識の光明博大なり。唯だその見識の光明博大なれば、ゆえにこそ含蓄して住むを得。浅陋昏暗の人は、一点の好処有れば唯だ人の知らざるを恐れて、どうして能く「含章」せんや。

集說 呂氏祖謙曰:《傳》云唯其知之光大,故能含晦。此極有意味,尋常人慾含 王氏申子曰:含非含藏終不發也,待時而後發也。“或從王事”而能“無成有終”者,必其知之光大也。淺暗者有善唯恐人不知,豈能含晦哉!

集説に呂祖謙の言を引く:《伊川易伝》の講ずる「唯其知之光大、故能含晦」は、この話は極めて意味有りて、尋常の人は含蔵せんと欲す――底本はここの処に脱文有り。集説に王申子の言を引く:いわゆる「含」は、併せて含蔵して起りて始終に発せざるにあらず、是れ時機を等して再び発するなり。能く「或従王事」して「无成有終」を做到するは、必定に是れ彼の見識の光明博大なり。浅陋昏暗の人は一点の好処有れば唯だ人の知らざるを恐れて、どうして含蓄して住むを得んや。

括囊無咎,慎不害也。程傳 能慎如此,則無害也。黃裳元吉,文在中也。本義 文在中而見於外也。程傳 黃中之文,在中不過也。內積至美而居下,故為“元吉”。集說 谷氏家傑曰:“黃裳”,是中德之發為文治也。《象》又推本於在中,謂文豈由外襲者哉!文德實具於中故也。中具於內曰“黃中”,中見於外曰“黃裳”。文在中乃闇然之章,不顯之文也,即美在其中意。

《小象伝》はいう:「括嚢无咎」は、是れ謹慎なるがゆえに損害を受けざるなり。程頤《伊川易伝》はいう:能く謹慎してこの地步に到れば、便ちに禍害有らざらん。《小象伝》はいう:「黄裳元吉」は、文采は裏頭に含む。朱熹《本義》はいう:文采は裏頭に含みて外面に顕露す。程頤《伊川易伝》はいう:黄色の中に居るのあの種の文采は、裏面に含みて過分せず。内里に極美の徳を積みて身は下位に居る。ゆえに「元吉」なり。集説に谷家杰の言を引く:「黄裳」は中徳の発出して文治と成れるなり。《小象伝》はまた本を追い源を遡りて「在中」の上に帰するは、是れ文采はどこより外面より借り来たるやを説きて、実実は文徳の本来すなわち心中に具備するに因るなり。中は内に具するを「黄中」と呼び、中は外に見ゆるを「黄裳」と呼ぶ。文采は中間に含むは、是れあの種の暗淡にして自ら光彩有りて、炫耀せざるの文にして、すなわち《文言》の説く所の「美在其中」の意思なり。

龍戰于野,其道窮也。程傳 陰盛至於窮極,則必爭而傷也。集說 趙氏汝楳曰:《乾》曰“亢龍有悔,窮之災也。”《坤》曰“龍戰于野,其道窮也”。《乾》至上而窮則災,《坤》至上而窮則戰,戰則不止於悔。

《小象伝》はいう:「龍戦于野」は、是れその路はすでに尽头に走り到るがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:陰盛は窮極に到れば、必定に相争して両敗倶傷せん。集説に趙汝楳の言を引く:《乾》卦は「亢龍有悔、窮之災也」を講じ、《坤》卦は「龍戦于野、其道窮也」を講ず。乾は上爻に到りて窮して、結局は是れ災なり。坤は上爻に到りて窮して、結局は是れ戦なり。一たび戦い起れば、便ちに一個の「悔」の字に止まらざるなり。

用六永貞,以大終也。本義 初陰後陽,故曰“大終”。程傳 陰既貞固不足,則不能永終,故“用六”之道,利在盛大於終。能大於終,乃“永貞”也。集說 荀氏爽曰:陽欲“無首”,陰以“大終”。

《小象伝》はいう:「用六永貞」は、大を以て収結するなり。朱熹《本義》はいう:起初は是れ陰にして、後来は陽に変ず。ゆえに「大終」と呼ぶ。程頤《伊川易伝》はいう:陰は本来すなわち堅貞固守の上において不足にして、因りて能く事情を永久に保ちて到底せしむるを得ず。ゆえに「用六」の道理は、好処は收尾の時において能く盛大たるに在り。能く收尾の処においてその大を見て、こそ「永貞」なり。集説に荀爽の言を引く:陽は要して「无首」、陰は要して「大終」。

程氏迥曰:《乾》以元為本,所以“資始”。《坤》以貞為主,所以“大終”。《朱子語類》云:陽為大,陰為小,陰皆變為陽,所謂“以大終”也,言始小而終大也。俞氏琰曰:《坤》體本小,變為《乾》則其用大,故曰“以大終也”。

集説に程迥の言を引く:《乾》は「元」を以て根本と為す。ゆえに能く「資始」す。《坤》は「貞」を以て主と為す。ゆえに能く「大終」す。集説に《朱子語類》を引いていう:陽は大と算し陰は小と算して、六個の陰爻は全て陽に変ずるは、すなわちいわゆる「以大終」にして、是れ開頭は小にして末了は大なるを説く。集説に兪琰の言を引く:坤体は本来是れ小なるに、乾に変じたる以後はその用は便ちに大と成る。ゆえに「以大終也」という。

陸氏振奇曰:“元亨利貞”,雖《乾》、《坤》有同德,然《乾》重“元”,以元為統。《坤》重“貞”,以貞為安。程氏敬承曰:陽之極不為首,是“無首”也。陰之極“以大終”,是“無終也”。終始循環,變化無端,造化之妙固如此。

集説に陸振奇の言を引く:「元亨利貞」の四徳は、《乾》《坤》は虽し共有すると雖も、然るに《乾》は「元」に偏重して、元を以て一切を統領す。《坤》は「貞」に偏重して、貞を以て身を安んずるの処と為す。集説に程敬承の言を引く:陽は極処に到りて頭を做さざるは、これがすなわち「无首」なり。陰は極処に到りて「以大終」するは、これがすなわち一個の死住せる終なきなり。終りて復た始まりて循環して、変化は端緒なし。造化の奥妙は本来すなわちこのようたり。

象上伝・屯卦

雲雷屯,君子以經綸。本義 坎不言水而言云者,未通之意。“經綸”,治絲之事,經引之,綸理之也。《屯》 程傳 坎不云“雨”而云“雲”者,云為雨而未成者也,未能成雨,所以為《屯》。君子觀《屯》之象,經綸天下之事,以濟於屯難。經、緯、綸、緝,謂營為也。

《大象伝》はいう:雲は上に在り・雷は下に在るは、是れ《屯》なり。君子はそれを取法して往きて天下を経綸す。朱熹《本義》はいう:坎は水と説かずして雲と説くは、取るは是れなお通暢せざるの意思なり。「経綸」は本は絲縷を治理するの事にして、経は絲を引直し、綸は絲を理順す。至るや《屯》は――底本はここの処に脱文有り。程頤《伊川易伝》はいう:坎は「雨」と説かずして「雲」と説くは、是れ雲は将に雨と成らんと欲してしかもなお成らざるの東西なればなり。能く雨と成らざれば、ゆえにこそ《屯》なり。君子は《屯》の象を看て、便ちに往きて天下の事を経綸して、以て屯難を救済す。経・緯・綸・緝は、説くは皆是れ一番の営為措置なり。

集說 李氏舜臣曰:坎在震上為《屯》,以雲方上升,畜而未散也。坎在震下為《解》,以雨澤既沛,無所不被也。故雷雨作者,乃所以散《屯》。而雲雷方興,則《屯》難之始也。項氏安世曰:經者立其規模,綸者糾合而成之,亦有艱難之象焉。經以象雷之震,綸以象云之合。

集説に李舜臣の言を引く:坎は震の上に在ればすなわち《屯》なり。是れ雲気はまさに上に向かい升らんと欲して、蓄えてなお散開せざるがゆえなり。坎は震の下に在ればすなわち《解》なり。是れ雨沢はすでに沛然として下りて、潤沢を被らざるの処なきがゆえなり。ゆえに雷雨は大作するは、まさに用いて屯結を消散するなり。しかして雲雷は剛に興起するは、すなわち屯難の開頭なり。集説に項安世の言を引く:「経」は規模を立起し、「綸」は絲縷を糾合して織成すにして、そのうちにもまた自ら艱難の象有らん。経は用いて雷の震動を象徴し、綸は用いて雲の聚合を象徴す。

馮氏椅曰:雲雷方作而未有雨,有《屯》結之象。君子觀象以治世之《屯》,猶治絲者,既經之又綸之,所以解其結而使就條理也。吳氏澄曰:君子治世猶治絲,欲解其紛亂。《屯》之時,必欲解其鬱結也。

集説に馮椅の言を引く:雲と雷は剛に発作して雨はなお下来らざれば、屯結して解けざるの象有らん。君子はこの象を看て往きて世道の屯結を治理するは、まさに絲を治するの人の先に経して後に綸するがごとく、為すは是れ糾結を解開して・それをして条理に帰せしめんと欲するなり。集説に呉澄の言を引く:君子の世を治むるは譬えば絲を治するがごとく、要してあの一団の紛乱を解開すべし。屯の時に処せば、一定にあの一層の鬱結を解開すべし。

雖磐桓,志行正也,以貴下賤,大得民也。程傳 賢人在下,時苟未利,“雖磐桓”未能遂往濟時之《屯》。然有濟屯之志,與濟屯之用,志在行其正也。九當屯難之時,以陽而來居陰下,為“以貴下賤”之象。方《屯》之時,陰柔不能自存,有一剛陽之才,眾所歸從也。更熊自處卑下,所以“大得民也”,或疑方《屯》於下,何有貴乎?夫以剛明之才,而下於陰柔,以能濟屯之才,而下於不能,乃“以貴下賤”也,況陽之於陰,自為貴乎!

《小象伝》はいう:虽し徘徊して前進せざると雖も、志向はしかし正道を推行するに在り。尊貴の身分を以て卑下の人の下に屈居して、大いに民心を得たり。程頤《伊川易伝》はいう:賢人は下位に処して、時勢は若しなお順ならざれば、虽し徘徊盤桓して、一時に能く径直に前往して時局の屯難を救うことを得ざると雖も、然るに彼は屯を救うの志向有りて、また屯を救うの本領有りて、志向はすなわち彼の正道を推行するに在り。初九は屯難の時に処して、陽爻を以て来りて陰爻の下に居るは、是れ「以貴下賤」の象なり。まさに屯難に当たりて、陰柔の人は自らも保つを得ざるに、忽然と一個の剛陽の材有れば、衆人は自然に帰附して跟従せん。何况や彼は更に能く卑下に自ら処するや。ゆえに「大得民也」なり(源文は「更熊」を「更能」と当作すべし)。ある人は疑心す:彼は自らなお屯困して下位に在れば、どうして貴を談じ上ぐらんや。須く剛健明達の材を以て甘んじて陰柔の下に居り・能く屯を救うの材を以て甘んじて能わざる者の下に居るを知るべし。これがすなわち「以貴下賤」なり。何况や陽は陰に対しては、本来すなわち是れ貴なるを。

集說 王氏弼曰:不可以進,故“磐桓”也。非為晏安棄成務也,故“雖磐桓,志行正也”。楊氏萬里曰:“磐桓”不進,豈真不為哉!居正有待,而其志未嘗不欲行其正也。故周公言“居貞”,而孔子言“行正”。

集説に王弼の言を引く:情勢は前進を容れず。ゆえに「磐桓」なり。これは併せて安逸を貪図して当に做すべきの事を丢下するにあらず。ゆえに「虽磐桓、志行正也」という。集説に楊万里の言を引く:盤桓して前進せざるは、豈に真に事を做すを肯ぜざらんや。彼は正を守りて時機を等待して、しかして心裏は従来一刻も彼の正道を推行せんと想わざるなし。ゆえに周公は爻辞のうちに「居貞」と説きて、孔子は《小象伝》のうちに「行正」と説く。

王氏申子曰:初“磐桓”有侍者,其志終欲行其正也。況當《屯》之時,陰柔者不能自存,有一陽剛之才,眾必從之以為主。而初又能“以貴下賤”,大得民心。在上者果能建之以為侯,則《屯》可濟矣,故利。胡氏炳文曰:《乾》、《坤》初爻,提出陰陽二字,此則以陽為貴,陰為賤,陽為君,陰為民,陰陽之義益嚴矣。

集説に王申子の言を引く:初九の盤桓するは是れ等待する所有るにして、彼の志向は終究に要して正道を推行せんと欲す(源文は「有侍者」を「有待者」と当作すべし)。何况やまさに屯難の時に当たりて、陰柔の人は自ら保つを得ず、一旦に剛陽の材有れば、衆人は必定に彼に跟従して・彼を奉じて主と為さん。しかして初九はまた能く「以貴下賤」して、大いに民心を得たり。上位に在る人は果真に能く彼を立てて侯と為せば、屯難はすなわち以て救い過ぐるを得。ゆえに爻辞は「利」と説く。集説に胡炳文の言を引く:《乾》《坤》両卦の初爻は「陰」「陽」の二字を標出して、ここはすなわち陽を当作して貴と為し・陰を当作して賤と為し・陽を当作して君と為し・陰を当作して民と為して、陰陽の分際は便ちに更に厳明せり。

六二之難,乘剛也。十年乃字,反常也。程傳 六二居《屯》之時,而又“乘剛”,為剛陽所逼,是其患難也。至於十年,則難久必通矣。乃得反其常,與正應合也。十,數之終也。

《小象伝》はいう:六二の患難は、それが剛爻の上に凌駕するに在り。十年にこそ嫁を許すは、是れ常道に回到したるなり。程頤《伊川易伝》はいう:六二は屯難の時に身を処して、また「乗剛」にして、下面の陽剛に逼せられたり。これがすなわちそれの患難なり。十年を等して、難困は久しきを得れば必定に通開せん。ここにおいて常道に回到して、正応の九五と配合す。十は、是れ数の終点なり。

即鹿無虞,以從禽也,君子舍之,往吝,窮也。程傳 事不可而妄動,以從欲也。“無虞”而“即鹿”,以貪禽也。當《屯》之時,不可動而動,猶“無虞”而“即鹿”,以有從禽之心也。君子則見幾而舍之不從,若往則可吝而困窮也。

《小象伝》はいう:鹿を追いて虞人の引路なきは、是れ一味に禽獣を逐取するなり。君子は捨開して追わずして、追い往けばすなわち憾惜有りて、あれは走投して路なきなり。程頤《伊川易伝》はいう:事情は行うべからざるに軽挙妄動するは、是れ欲望に牽かれて走るなり。虞人の帯路なきに往きて鹿を逐うは、是れあの頭の猟物を貪るなり。屯難の時に処して、当に動くべからざるに動くは、譬えば虞人の帯路なきに往きて鹿を逐うがごとし。是れ心裏に禽獣を追逐するの念頭を存するがゆえなり。君子はしかし能く微を見て幾を知りて、捨開して追わず。若し追い往けば、便ちに憾惜を招来して困窮に陥入せん。

集說 楊氏簡曰:夫無虞而即鹿者,心在乎禽為禽所蔽。雖無虞猶漫往,不省其不 蔡氏清曰:從字重,是心貪乎禽也。故著以字,所謂禽荒者也,是以身徇物也。案 《象傳》有單字成文者,如此爻“窮”也,下爻“明”也,是即起例處。餘卦放此。

集説に楊簡の言を引く:虞人なきに往きて鹿を逐うの人は、心思は全て猟物の上に在りて、猟物に遮られて眼を掩われたり。虽し向導なきと雖もまた胡乱に前往して、省察してこのように做るの不――底本はここの処に脱文有り。集説に蔡清の言を引く:「以従禽也」の「従」の字は下りて重し。是れ心裏にあの頭の猟物を貪着すを説きて、ゆえに特地に一個の「以」の字を加う。これがすなわち《尚書》の説く所の田猟に沈溺するの「禽荒」にして、是れ自身を拿りて外物に殉ずるなり。李光地は案ずる:《小象伝》の裏にただ一個の字を用いて文を成す有りて、この爻の「窮」の字・下の爻の「明」の字のごときは便ちに是れなり。ここはまさにこの体例を開くの処にして、其余の各卦は此に倣え。

求而往,明也。程傳 知己不足,求賢自輔而後往,可謂明矣。居得致之地,已不能而遂已,至暗者也。集說 胡氏瑗曰:必待人求於己,然後往而應之。非君子性修智明,其能與於斯乎!

《小象伝》はいう:求むる所有りて然るのち前往するは、是れ明智なり。程頤《伊川易伝》はいう:自らの力量の足らざるを知りて、先に賢者の補助を求めて然るのち前往するは、説いて明智と可なり。身は能く賢者を招致するの地位に処して、自ら能く幹せざるに就此に罷手せば、あれはこそ最も昏昧なるなり。集説に胡瑗の言を引く:必定に別人の来りて自らに求むるを等して、然るのち前往して彼に応ず。若し是れ君子の性情修養が到家にあらざれば・智慮が明達にあらざれば、どうして能くこの一歩を做到せんや。

俞氏琰曰:彼求而我往,則其往也,可以為明矣。如不待其招而往,則是不知去就之義,謂之明可乎!蔣氏悌生曰:指從九五,凡退下為“來”,進上為“往”。案 《傳》義皆謂己求人也,胡氏俞氏蔣氏,皆作人求己。而已往從之,於求而往三字語氣亦葉。又《易》例六四應初九,從九五,皆有吉義,故作從初從五俱可通。

集説に兪琰の言を引く:対方は来りて求めて我は前往するは、このようの前往はこそ以て明智と算すべし。若し人家の招請を等たずして自ら跑去せば、あれは是れ去就の分寸を董せざるなり。なお能く明智と呼作せんや。集説に蒋悌生の言を引く:これは六四の上に向かい九五に従うを指す。《周易》の通例は、退きて下面に到るを「来」と呼び、進みて上面に到るを「往」と呼ぶ。李光地は案ずる:《伊川易伝》の解釈は皆自ら往きて別人を求むと説成して、しかして胡瑗・兪琰・蒋悌生の三家は皆別人の来りて自らを求め・自らは前往して彼に依従すると講成して、これは「求而往」の三字の語気と亦た相合乎す。再者《周易》の通例は、六四は初九に応じて・九五に従いて、皆吉の意思を含む。ゆえに初九に従うと解すとも・九五に従うと解すとも皆講じて通ず。

屯其膏,施未光也。程傳 膏澤不下及,是以德施未能光大也。人君之屯也。集說 谷氏家傑曰:“施”字當“澤”字,澤屯而不施,即“未光”,非謂得施而但未光也。

《小象伝》はいう:膏沢を屯積して住むは、是れ施与がなお光大せざるなり。程頤《伊川易伝》はいう:膏沢は能く下に向かい百姓の身上に流るるを得ざれば、これに因りて徳の施与は能く光大せず。これは是れ君主を做るの一種の屯困なり。集説に谷家杰の言を引く:ここの「施」の字は要して「沢」の字を当てて看るべし。膏沢は屯住して施出せざるを、すなわち「未光」と呼ぶにして、併せてすでに施出せりてただなお光大するに足らざるを説くにあらず。

泣血漣如,何可長也。程傳 《屯》難窮極,莫知所為,故至泣血。顛沛如此,其能長久乎?夫卦者事也,爻者事之時也。分三而又兩之,足以包括眾理:“引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣”。集說 楊氏簡曰:“何可長”者,言何可長如此也。非唯深憫之,亦覬其變也,變則庶乎通矣。案 《象傳》凡言“何可長”者,皆言宜速反之,不可遲緩之意,如楊氏之說。

《小象伝》はいう:哭きて眼裏に血を出して・涙は流れて止まざるは、この種の局面はどうして能く長久せんや。程頤《伊川易伝》はいう:屯難は窮極に到りて、どう弁ずべきを知らず。ゆえに泣血に至るなり。顛沛してこの地步に到れば、なお能く長久に下ることを得んや。卦の講ずるは是れ事にして、爻の講ずるは是れ事の処する所の時なり。三画を拿りて一分して、またそれを重ねて六画と成せば、すなわち足りて天下の衆多の道理を包括す。ゆえに《繋辞伝》は「引而伸之、触類而長之、天下之能事畢矣」という。集説に楊簡の言を引く:いわゆる「何可長」は、どうして以てこのように長久に下ることを得んやを説く。これは単に深く彼を憐愍するにあらずして、また彼の変する所有らんを盼望す。変ずればすなわち差不多に能く通ぜん。李光地は案ずる:《小象伝》はおよそ「何可長」を講ずるの地方は、皆是れ当に急いで扭転して来りて・遅緩すべからずを説くの意思にして、まさに楊簡の説く所のごとし。

象上伝・蒙卦

山下出泉,蒙,君子以果行育德。本義 “泉”,水之始出者,必行而有漸也。程傳 “山下出泉”,出而遇險,未有所之,《蒙》之象也。若人蒙穉,未知所適也。君子觀《蒙》之象,“以果行育德”,觀其出而未能通行,則以果決其所行,觀其始出而未有所向,則以養育其明德也。

《大象伝》はいう:山の下に泉水を湧出するは、是れ《蒙》なり。君子はそれを取法して、果決に実行い・自らの徳を涵育す。朱熹《本義》はいう:「泉」は水の剛に流出するの様子にして、それは必定に前に向かい流れて、しかも是れ一歩々に漸漸に流れ開くなり。程頤《伊川易伝》はいう:「山下出泉」は、泉は一たび出来ればすなわち険阻に遇上して、なお哪に向かい往くを知らず。これがすなわち《蒙》の象にして、譬えば人の蒙昧幼稚の時に在りて、哪に向かい走るべきを知らざるがごとし。君子は《蒙》の象を看て「果行育徳」す。それの出来してなお通出し得ざるを看て、便ちに果決を用いて自らの行う所を断定し。それの剛に出来してなお方向なきを看て、便ちに涵養を用いて自らの明徳を培育す。

集說 周子曰:“童蒙求我”,我正果行,如筮焉。“筮”,叩神也,再三則瀆矣,“瀆則不告”也。“山下出泉”,靜而清也。汨則亂,亂不決也。慎哉其唯時中乎!王氏宗傳曰:不曰“山下有水”,而曰“山下出泉”雲者,泉者水之源,所謂純一而不雜者矣。

集説に周敦頤の言を引く:卦辞は「童蒙求我」を講じて、我は端正果決の行を以て彼に応ずるは、まさに占筮のごとし。いわゆる「筮」は、神明を叩問するなり。一再三番に問えばすなわち軽慢して、軽慢すればすなわち更に彼に告げざらん。「山下出泉」は、是れ静にして清なり。一たび攪動すればすなわち渾濁して、渾濁すればすなわち断じて明白ならず。要して謹慎せんや、関鍵はただ一個の「時中」に在るのみ。集説に王宗伝の言を引く:「山下有水」と説かずして「山下出泉」と説くは、是れ泉は水の源頭にして、まさにいわゆる純一にして駁雑せざるなり。

徐氏幾曰:《蒙》而未知所造也,必體坎之剛中,以決果其行而達之。《蒙》而未有所害也,必體艮之靜止,以養育其德而成之。蔡氏清曰:“果行育德”,是內外動靜交相養之道。養《蒙》之道,不外乎此。

集説に徐幾の言を引く:蒙昧にして哪に向かい往くを知らざるは、必ず坎の剛中の徳を領会して、果決を用いて彼の行止を断定して彼をして通達せしむべし。蒙昧にしてなお外物の戕害を受けざるは、必ず艮の静止の徳を領会して、涵養を用いて彼の徳性を培育して彼をして成就せしむべし。集説に蔡清の言を引く:「果行育徳」は内と外・動と静の交相涵養するの路数にして、蒙童を培養するの弁法は、この四字より出づることなし。

利用刑人,以正法也。本義 “發蒙”之初,法不可不正,懲戒所以正法也。程傳 治蒙之始,立其防限,明其罪罰,正其法也。使之由之,漸至於化也。或疑“發蒙”之初,遽用刑人,無乃不教而誅乎!不知立法制刑,乃所以教也。蓋後之論刑者,不復知教化在其中矣。

《小象伝》はいう:人に対して刑を用うるに利あるは、為すは是れ法度を端正するなり。朱熹《本義》はいう:蒙昧を啓発するの開頭は、法度は端正すべからざるなし。懲戒はまさに用いて法度を端正するなり。程頤《伊川易伝》はいう:蒙を治するの起頭は、先に防範の界限を立下し・犯罪の処罰を明示するは、これがすなわち法度を端正するなり。彼らをして照らして走らしめば、漸漸にすなわち化し来たらん。ある人は疑心す:蒙を啓するの開頭にすなわち驟然に刑を用うるは、豈に教えずして誅するにあらんや。彼らは立法して刑を制するは本身すなわち是れ教なるを知らざるなり。後世の刑罰を議論する人は、更に教化はすなわち刑罰の裏頭に在るを暁ることなし。

集說 項氏安世曰:刑之於小,所以脫之於大,此聖人用刑之本心也。所以正法,非所以致刑也。至其極也,用師擊之,猶為御而不寇。蓋聖人之於蒙,哀矜之意常多。此九二之“包蒙”,所以為一卦之主也與。

集説に項安世の言を引く:小処において刑を施すは、為すは是れ彼をして大禍を免れしむるなり。これは是れ聖人の刑を用うるの本心なり。刑を用うるは是れ法度を端正せんがためにして、併せて刑罰を人の身上に加えんがためにあらず。就し極処に到りて・軍旅を動用して彼を撃つを要すとも、亦た仍お是れ抵御にして劫を行うにあらず。聖人の蒙昧の人に対待するは、哀憐体恤の心思は総じて更に多し。これは大概れ九二の「包蒙」の一卦の主と成る所以の縁故なり。

子克家,剛柔接也。本義 指二五之應。程傳 子而克治其家者,父之信任專也。二能主蒙之功者,五之信任專也。二與五剛柔之情相接,故得行其剛中之道,成“發蒙”之功。苟非上下之情相接,則二雖剛中,安能尸其事乎!

《小象伝》はいう:児子は能く一個の家を撑起するは、是れ剛柔の両情は相接するなり。朱熹《本義》はいう:九二と六五の相応ずるを指す。程頤《伊川易伝》はいう:児子は能く一家を治好するは、是れ父親の信任するは専一を得るがゆえなり。九二は能く蒙を治するの功を主持するは、是れ六五の信任するは専一を得るがゆえなり。九二と六五は剛柔の情は彼此相接す。ゆえに九二は能く彼の剛にして中を得るの道理を施行して、蒙昧を啓発するの功を成就す。倘若上下の情は相接せざれば、九二はたとえ剛中なるとも、どうしてこの件の事を主持し得んや。

勿用取女,行不順也。本義 “順”,當作慎,蓋“順”“慎”古字通用,荀子“順墨”作“慎墨”,且行不慎,於經意尤親切。程傳 女之如此,其行邪僻不順,不可取也。集說 熊氏良輔曰:《蒙小象》凡三順字,只是一般,不必以“不順”為“不慎”。蓋六三所行不順,故:勿用取之。

《小象伝》はいう:このようの女子を娶るを要せず。是れその行為は順ならざるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:「順」の字は当に「慎」と作るべし。「順」「慎」の両字は古時は通用して、《荀子》の裏の「順墨」はすなわち「慎墨」と写作す。何况や「行不慎」と講ずるは、経文の意思と亦た更に貼切するを。《伊川易伝》はいう:女子はすでに是れこのようたれば、それの行為は邪僻にして順ならずして、以て娶るべからず。集説に熊良輔の言を引く:《蒙》卦の《小象伝》の裏には一共に三個の「順」の字有りて、皆是れ一個の意思にして、必ず「不順」を改読して「不慎」と為すを要せず。六三の行う所は順ならざれば、ゆえに彼女を娶るを要せずと説く。

困蒙之吝,獨遠實也。本義 實,叶韻去聲、程傳 《蒙》之時,陽剛為“發蒙”者,四陰柔而最遠於剛,乃愚蒙之人,而不比近賢者,無由得明矣。故困於蒙可羞吝者,以其獨遠於賢明之人也。不能親賢以致困,可吝之甚也。“實”,謂陽剛也。

《小象伝》はいう:蒙昧に困して憾惜有るは、是れそれが独り陽実の爻より最も遠く離るるがゆえなり。朱熹《本義》はいう:「実」の字はここにおいて韻を叶えて、去声と読む。程頤《伊川易伝》はいう:《蒙》卦の時は、陽剛の爻は是れ蒙昧を啓発するに責任するなり。六四は陰柔にして陽剛より最も遠く離るるは、まさに一個の愚昧の人にしてしかしまた賢者に親近せずして、明白を得るの弁法なし。ゆえに蒙昧の裏に困して・羞じて惜しむべきは、すなわちそれが独り賢明の人より遠離するに因るなり。能く賢者に親近せずして以て自ら困境に陥るは、これは是れ最も惋惜すべきなり。いわゆる「実」は、陽剛の爻を指す。

集說 孔氏穎達曰:陽主生息,故稱“實”。陰主消損,故不得言實。項氏安世曰:初三近九二,五近上九,三五皆與陽應,唯六四所比所應皆陰:故曰 王氏申子曰:陽實陰虛,“獨遠實”者,謂於一卦之中,獨不能近陽實之賢,故困於蒙而無由達也。

集説に孔穎達の言を引く:陽は生長滋息を主管す。ゆえに「実」と称す。陰は消減損耗を主管す。ゆえに能く実と呼作することを得ず。集説に項安世の言を引く:初六・六三は九二に挨り、六五は上九に挨りて、六三・六五はまた皆陽爻と相応ずるに、唯だ六四のみ比する所・応ずる所は皆是れ陰爻なり。ゆえに説く――底本はここの処に脱文有り。集説に王申子の言を引く:陽は是れ実にして陰は是れ虚にして、いわゆる「独遠実」は、是れ整卦のうちにおいて、唯だそれのみ陽実の賢に挨るを得ざるを説く。ゆえに蒙昧の裏に困して通達するの従来なし。

童蒙之吉,順以巽也。程傳 舍己從人,順從也。降志下求,卑巽也。能如是,優於天下矣。集說 胡氏一桂曰:“順”,以爻柔言。“巽”,以志應言。利用禦寇,上下順也。本義 “禦寇”以剛,上下皆得其道。程傳 “利用禦寇”,上下皆得其順也。上不為過暴,下得擊去其蒙,“禦寇“之義也。

《小象伝》はいう:童蒙の吉たる所以は、是れそれが既に順にしてまた巽なるがゆえなり。程頤《伊川易伝》はいう:自らの成見を丢開して往きて別人に聴従するは、これは是れ順なり。心志を放低して下に向かい教を求むるは、これは是れ謙巽なり。能くこのようたれば、天下の事に処するは綽綽として余裕有らん。集説に胡一桂の言を引く:「順」は爻の柔に就きて説き、「巽」は心志の相応ずるに就きて説く。《小象伝》はいう:外寇を抵御するに利あるは、是れ上下は皆順なり。朱熹《本義》はいう:剛を用いて往きて外寇を抵御すれば、上下は皆各々その道を得たり。程頤《伊川易伝》はいう:「利用御寇」は、是れ上下は皆その順を得たり。上に在るは至りて過分に暴烈せず、下に在るは能く自らの蒙昧を撃退す。これがすなわち「御寇」の意義なり。

象上伝・需卦

雲上於天,需,君子以飲食宴樂。本義 “雲上於天”,無所復為,待其陰陽之和而自雨爾。事之當需者,亦不容更有所為。但飲食宴樂,俟其自至而已。一有所為,則非需也。程傳 雲氣蒸而上升於天,必待陰陽和洽,然後成雨。雲方上於天,未成雨也,故為須待之義。陰陽之氣,交感而未成雨澤。猶君子畜其才德,而未施於用也。君子觀“雲上於天,需”而為雨之象,懷其道德,安以待時,飲食以養其氣體,宴樂以和其心志,所謂居易以俟命也。

《大象伝》にいう:雲が天に上るのが《需》であり、君子はこれに倣って飲食し安楽に時を待つ。朱熹《本義》にいう:雲がすでに天に上った以上、なすべきことはもはやなく、ただ陰陽の気が和らいで自然に雨が降るのを待つだけである。事が待つべきときには、これ以上何かをすることは許されず、ただ飲食して安楽に、そのおのずから至るのを待つのみである。一度でも何かを為せば、それはもはや「需」ではない。程頤《伊川易伝》にいう:雲気が蒸して天に昇るには、必ず陰陽が和洽してはじめて雨となる。雲がいま天に上ったばかりで雨はまだ成っていない、ゆえに待つべき義を取る。陰陽の二気が交感しながら未だ雨沢を成さないのは、君子がその才徳を蓄え養いながら未だ用に施さないのに似ている。君子は「雲上于天」という雨を成さんとする《需》の象を見て、自らの道徳を懐き、安らかに時を待つ。飲食をもって気血の身体を養い、宴楽をもって心志を和らげる、これすなわち《中庸》のいう「居易以俟命」である。

集說 孔氏穎達曰:不言“天上有云”,而言“雲上於天”者,若是天上有云,無以見欲雨之義,故云“雲上於天”。是天之慾雨,待時而落,所以明《需》。胡氏瑗曰:“飲食”者所以養身也,“宴樂”者所以寧神也,是亦“樂天知命”,居易俟時耳。

集説に引く孔穎達の説:「天上有云」と言わず「雲上于天」と言うのは、もし天に雲があると言うなら雨を降らんとする義が見えないからである。ゆえに「雲上于天」と言う。これは天がまさに雨を降らせようとして、時が至るのを待って落とすのであり、もって《需》の意を明らかにする。集説に引く胡瑗の説:「飲食」は身を養うためのもの、「宴楽」は神を安んずるためのものであり、これもまた《繋辞伝》のいう「楽天知命」であって、平易の地に安んじて時を待つことにほかならない。

《朱子浯類》云:“需”,待也。“以飲食宴樂”,謂更無所為,待之而已。待之須有至時,學道者亦猶是也。吳氏澄曰:“宴”者,身安而它無所營作。“樂”者,心愉而它無所謀慮也。“飲食”則素其位,而“宴樂”則不願乎外也。谷氏家傑曰:“雲上於天”,而後可以待雨。君子有為於前,而後可以待冶。不然,不幾於坐廢乎。

集説に引く《朱子語類》の説:「需」とは待つことである。「以飲食宴楽」とは、さらに為すべきことがなく、ただ待つのみということである。待てば必ず至るときがあり、道を学ぶ者もまたこれと同じである(源文の「浯類」は「語類」とすべき)。集説に引く呉澄の説:「宴」とは身が安らかで他に営求・造作がないこと、「楽」とは心が愉しみ他に謀慮・籌画がないことである。「飲食」は自らの現在の位に安んじ、「宴楽」は分外を願わないことである。集説に引く谷家傑の説:雲がまず天に上ってこそ、はじめて雨を待つことが言える。君子が前もって何かを為してこそ、はじめて治平を待つことが言える(源文の「待冶」は「待治」とすべき)。そうでなければ、座して荒廃するに近いではないか。

需于郊,不犯難行也。利用恆無咎,未失常也。程傳 處曠遠者,不犯冒險難而行也,陽之為物,剛健上進者也。初能需待於曠遠之地,不犯險難而進,復宜安處不失其常,則可以“無咎”矣。雖不進而志動者。不能安其常也,君子之需時也,安靜自守,志雖有須,而恬然若將終身焉,乃能用常也。

《小象伝》にいう:郊野で待つのは、険難を冒して行かないことである。恒をもってすれば咎なしと利するのは、常道を失わないからである。程頤《伊川易伝》にいう:空曠で遠い所に処るとは、冒険して難に犯して行かないことである。陽というものは、性が剛健でひたすら上に進もうとする。初九は空曠で遠い地で待つことができ、険難を冒して進まず、さらに安らかに処って常を失わなければ、「无咎」としうる。もし身は進まなくても志が動くなら、その常を安んずることはできない。君子の時を待つことは、静かに安んじて自ら守り、志には待つところがありながら、恬として终身こうあり続けるがごとくであって、はじめて常を用いることができる。

集說 孫氏質卿曰:不犯難而行,便是常。不失常,便是恆德。人唯中無常主,或為才能所使,或為意氣所動,或為事勢所激,雖犯難而不顧耳,所以不失常最難。“飲 需于沙,衍在中也,雖小有言,以吉終也。本義 “衍”,寬意。以寬居中,不急進也。

集説に引く孫質卿の説:険難を冒して行かないことがすなわち常であり、常を失わないことがすなわち恒久の徳である。人はただ心中に恒常の主がないため、あるいは才能に駆られ、あるいは意気に動かされ、あるいは事勢に激されて、難を冒すのも顧みなくなる。ゆえに「失常しない」ということは最も難しい。「飲」については――底本にここ脱文がある。《小象伝》にいう:沙で待つのは、ゆったりと中に居るからである。小言(非難)が少しあっても、終わりは吉に帰する。朱熹《本義》にいう:「衍」は寛の意である。寛裕をもって中に居り、急いで進まない。

程傳 “衍”,寬綽也。二雖近險,而以寬裕居中,故“雖小有言”語及之,“終”得其“吉”,善處者也。集說 楊氏簡曰:衍在中者,言胸中寬衍平夷。初不以進動其心,亦不以小言動其心,夫如是“終”“吉”,以九二得其道故也。

程頤《伊川易伝》にいう:「衍」は寛綽である。九二はすでに険に近づいているが、寛裕の心をもって中位に居る。ゆえに「小有言」たる言葉が身に及んでも、「終」にその「吉」を得る、これはよく処る者である。集説に引く楊簡の説:「衍在中」とは、胸中が寛にして平らかであることを言う。進もうとして心を動かさず、小言によっても心を動かさない。このようであってこそ「終」に「吉」となる、九二がその道を得たゆえである。

需于泥,災在外也。自我致寇,敬慎不敗也。本義 “外”,謂外卦。“敬慎不敗”,發明占外之占,聖人示人之意切矣。程傳 三切逼上體之險難,故云“災在外也”。“災”,患難之通稱,對“眚”而言則分也。三之“致寇”,由己進而迫之,故云“自我”。寇自己致,若能敬慎,量宜而進,則無喪敗也。《需》之時,須而後進也。其義在相時而動,非戒其不得進也,直使敬慎毋失其宜耳。

《小象伝》にいう:泥で待つのは、災が外卦にあるからである。自ら寇を致したのだが、敬慎であれば敗れない。朱熹《本義》にいう:「外」とは外卦を指す。「敬慎不敗」は本占の外にさらに一層の占辞を発明するもので、聖人が人に示す意がなんと懇切なことか。程頤《伊川易伝》にいう:九三は上体の険難に切迫するゆえに「災在外也」と言う。「災」は患難の通称で、「眚」と対言するなら区別がある。九三が「致寇」するのは、自ら進んでそれに迫るからゆえに「自我」と言う。寇が自ら致したものである以上、もし敬慎であれば、宜しきを量って進めば、喪敗することはない。《需》の時は、待って然る後に進む。その義は時を相て動くにあり、進むなと戒めるのではなく、ただ敬慎であって其の宜を失うなというだけである。

集說 《朱子語類》:問:“敬慎”,曰:敬字大,慎字細小,如人行路一直恁地去,便是敬,前面險處防有吃跌,便是慎。慎是唯恐有失之之意,如思慮兩字。思是恁地思去,慮是怕不恁地底意思。項氏安世曰:寇雖在外,然亦不自至,我有以致之則至。我敬慎而無失,則雖與之逼,亦無敗理。邱氏富國曰:坎險在外,未嘗逼人。由人急於求進,自逼於險,以致禍敗。《象》以“自我”釋之,明致災之由,不在它人也。

集説に引く《朱子語類》:《朱子語類》に「敬慎」の二字について問う者がある。朱熹が言うには、敬の字は広く大きくを管し、慎の字は細かく密にを管する。たとえば人が歩いてずっとこのまま行き続けるのが敬であり、前方に険しい所があって転倒を防ぐのが慎である。慎には失うことを恐れる意が伴う、「思」「慮」の二字のようなもので、思はこのまま考え続けること、慮はそうならないことを恐れる一層の意である。集説に引く項安世の説:盗寇は外にあっても、自ら門をたたいて来るわけではなく、こちらにそれを招くところがあってはじめて来る。自分が敬慎であって差し違いがなければ、たとえそれと相迫っても敗れる道理はない。集説に引く邱富国の説:坎険は外にあり、もともと人を逼りに来たわけではない。人が自ら急いで進もうとして、自ら険に迫ったからこそ、禍敗を招いたのだ。《小象伝》が「自我」の二字で釈明したのは、まさに災を招いた由来が他にあるのではないことを点明するのである。

需于血,順以聽也。程傳 四以陰柔居於險難之中,不能固處,故退出自穴。蓋陰柔不能與時競,不能處則退。是順從以聽於時,所以不至於凶也。集說 楊氏簡曰:六四入險而傷,然不言吉凶何也?能需而退聽故也。易之為道,無所不通,雖如四之入險而傷,其處之亦有道,六與四皆柔,故有順聽之象。

《小象伝》にいう:血の中で待つのは、順にして時に聴き従うからである。程頤《伊川易伝》にいう:六四は陰柔の質をもって険難の中に陥り、立つところがない。ゆえにその穴から出て行く。陰柔はもともと時勢と争うことができず、立たなければ退く、これが順にして時に聴き従うことである。ゆえに凶に至らない。集説に引く楊簡の説:六四はすでに険に入って傷ついたが、《小象伝》は吉凶を言わない、なぜか。それが待つことができ、退いて命に聴くことができるからである。《易》の道理は通じないところがなく、たとえ六四のように険に入り傷ついても、それを処置する術はおのずからある。六という数と四という位はともに柔である。ゆえに順に聴き従う象がある。

吳氏澄曰:謂六四柔順以聽從於九五也。胡氏炳文曰:三能敬,則雖迫坎之險而不敗,四能順,則雖陷坎之險而可出,敬與順,固處險之道也。酒食貞吉,以中正也。程傳 需于酒食而貞且吉者,以五得中正而盡其道也。

集説に引く呉澄の説:これは六四が柔順に九五に聴き従うことを言う。集説に引く胡炳文の説:九三は敬ができるゆえに、坎険に切迫しながら敗れない。六四は順ができるゆえに、坎険に陥りながら出て来ることができる。敬と順は、もともと険に処る二つの正路である。《小象伝》にいう:酒食をもって待ちて貞吉なのは、九五が中であり正だからである。程頤《伊川易伝》にいう:酒食の間で従容として待ち、正を守って吉を得るのは、九五が中を得正を得て、待つの道を尽くしたからである。

集說 梁氏寅曰:言以“中正”,見其飲宴者非耽樂也。張氏振淵曰:內多欲則有求治太急之患,德唯中正,所以需合於貞而得吉,中正,即孚貞意,是推原所以能需處。本義 以陰居上,是為當位,言“不當位”未詳。

集説に引く梁寅の説:《小象伝》が「中正」と言うのを見れば、この九五は飲宴にあっても享楽に耽溺していないことが分かる。集説に引く張振淵の説:心に欲望が多ければ、治を急いで求める病がある。ただ徳性が中正であってこそ、待つことが正に合して吉となる。「中正」とはすなわち卦辞の「有孚」「貞」の意であり、これは彼が待つことができる所以の根拠を推し究めたものである。朱熹《本義》にいう:上六は陰爻をもって上の位に居り、本来「当位」とすべきなのに、《小象伝》は「不当位」と言う。その縁は詳しくない。

程傳 不當位,謂以陰而在上也,爻以六居陰為所安,《象》復盡其義,明陰宜在下,而後上為“不當位”也。然能敬慎以自處,則陽不能陵,終得其吉,“雖不當位”,而未至於大失也。集說 呂氏祖謙曰:《需》初九、九五二爻之吉,固不待言。至於餘四爻,如二則“小有言終吉”,如三之象則曰“敬慎不敗”,四之象則曰“順以聽”也,上則曰“有不速之客三人來,敬之終吉”。大抵天下之事,若能款曲停待,終是少錯。蔡氏清曰:雖不當位,謂其陰居險極,正與《團》上六“困于葛藟,未當也”一般。

程頤《伊川易伝》にいう:不当位とは、陰爻をもって最上に居ることを指す。爻はもともと六が陰位に居るのを安しとし、《小象伝》がさらにこの意を言い尽くして、陰はもともと下に居るべきもので、ゆえに最上に居ると「不当位」というのである。しかしそれが敬慎に自ら処れば、陽爻もそれを欺凌することができず、終に吉を得る。「不当位」と言うとはいえ、大きな過失に至るものではない。集説に引く呂祖謙の説:《需》卦の初九・九五の二爻の吉はもともと言うに足りない。残りの四爻については、九二は「小有言終吉」と言い、九三の《小象》は「敬慎不敗」と言い、六四の《小象》は「順以聴」と言い、上六は「有不速之客三人来、敬之終吉」と言う。およそ天下の事は、従容として周旋し辛抱強く待てば、終に差し違いが少ない。集説に引く蔡清の説:「雖不当位」とは、陰爻をもって険の極に処ることを言う。これは《困》卦上六の「困于葛藟、未当也」と同じ言い方である(源文の「《団》」は「《困》」とすべき)。

象上伝・訟卦

天與水違行,訟。君子以作事謀始。本義 天上水下,其行相違,作事謀始,訟端絕矣。程傳 天上水下,相違而行,二體違戾,訟之由也。若上下相順,訟何由興,君子觀象,知人情有爭訟之道,故凡所作事,必謀其始,絕訟端於事之始,則訟無由生矣,謀始之義廣矣,若慎交結明契券之類是也。

《大象伝》にいう:天と水がそれぞれ相反する方向に行くのが《訟》であり、君子はこれに倣って、事を作るに先立ってその始めを謀る。朱熹《本義》にいう:天は上にあり水は下に行き、両者の運行は互いに背き合う。事を作るに先立ってその始めを謀れば、争訟の根苗が断たれる。程頤《伊川易伝》にいう:天は上に、水は下にあり、背き合って行く、上下二体が乖違する、これが争訟の由来である。もし上下が互いに順うなら、争訟はどこから生じよう。君子はこの象を見て、人情にもともと争訟の筋道があることを知り、ゆえに凡そ一事を作すには、必ず先にその始めを謀り、事の起頭において訟端を断ち、争訟は生ずるところがなくなる。「謀始」の意は広く、交際を慎重にすること、契約文書を明らかにすることの類もこれである。

集說 吳氏澄曰:水行而下,天行而上,其行兩相背戾,是“違行”也。胡氏炳文曰:凡事有始有中有終《訟》“中吉終凶”,然能謀於其始,則訟端既絕,“中”與”終”不必言矣。林氏希元曰:訟不興於訟之日,而興於作事之始,作事不豫謀,此訟端之所由起也,故君子於其始而謀之,看事理有無違礙,人情有無違拂,終久有無禍患,凡其事之不善而可以致訟者,皆杜絕之而不為,則訟端無自起矣。

集説に引く呉澄の説:水は下に流れ天は上に行き、両者の運行が互いに背離する、これが「違行」である。集説に引く胡炳文の説:凡そ事には始め・中・終わりがあり、《訟》卦は「中吉終凶」と言う。しかし始めにおいてよく謀れば、訟端がすでに断たれ、中と終わりは言うに及ばない。集説に引く林希元の説:争訟は裁判の日に始めて興るのではなく、事を作す始めにすでに種を蒔かれている。事を作してあらかじめ謀らないことこそ、訟端の生ずる所以である。ゆえに君子は事の始めにおいて謀る。事理に窒碍があるか、人情に違拂があるか、長く見て後患があるかを見る。凡そ妥当でなく争訟を招きうる事は、いっさい杜絶して為さない。そうすれば訟端もまた生ずるところがない。

不永所事,訟不可長也。雖小有言,其辯明也。程傳 六以柔弱而訟於下,其義固不可長永也,永其訟,則不勝而禍難及矣。又於“訟”之初,即戒訟非可長之事也,柔弱居下,才不能訟,雖“不永所事”,既訟矣,必有小災,故“小有言也”。既不永其事,又上有剛陽之正應,辯理之明,故終得其吉也,不然,其能免乎。在訟之義,同位而相應相與者也,故初於四為獲其辯明,同位而不相得相訟者也,故二與五為對敵也。

《小象伝》にいう:この争訟を長引かせない、訟は長く続くべき事ではないからである。小言(非難)は少しあっても、是非はすでに弁明される。程頤《伊川易伝》にいう:初六は柔弱の質をもって下にあって訟を興す。理に照らしてもともと長引かせるべきではない。訟を長引かせれば、必ず勝てずに禍難を招く。孔子はまた訟の初めにおいて戒める、訟は長くすべき事ではないと。それは柔弱で下位に居り、もともと争訟の本拠がない。「不永所事」とはいえ、すでに訟えた以上、必ず小さな災いがある、ゆえに「小有言」と言う。事を長引かせず、上に剛陽の爻があってこれと正応するゆえに、是非が弁明されて終に吉を得る。そうでなければ、どうして免れよう。《訟》卦の義例に照らせば、同じ位次にあって互いに応じ相与する者同士は、ゆえに初六は九四に対して弁明を得た。同じ位次にあって互いに合わず争訟する者同士は、ゆえに九二と九五は敵対した。

集說 王氏申子曰:止訟於初者上也,故於“訟”之初,即以“訟不可長”為戒。俞氏琰曰:《彖傳》云“訟不可成”,蓋言訟之通義,而不欲其成。爻傳云“訟不可長”,蓋言初為訟端,而不欲其長。

集説に引く王申子の説:最初に争訟を止めることが上策である。ゆえに訟の第一爻において「訟不可長」をもって戒める。集説に引く俞琰の説:《彖伝》が「訟不可成」と言うのは、争訟の通義を言うのであって、それを最後までやり遂げることを望まない。爻下の《小象伝》が「訟不可長」と言うのは、初六がまさに訟の始めであるゆえに、それを引き延ばすことを望まない。

不克訟,歸逋竄也。自下訟上,患至掇也。本義 掇,自取也。程傳 義既不敵,故不能訟,歸而逋竄,避去其所也,自下而訟其上,義乖勢屈,禍患之至,猶拾掇而取之,言易得也。王氏申子曰:知義不克歸而逋竄,猶可免禍。若不知自反,則禍患之至,如掇拾而取之矣。《彖》稱二“剛來而得中”,而爻義乃如此,蓋《彖》總言一卦之體,爻則據其時之用以言之也。

《小象伝》にいう:この官司に勝てず、帰って逃げ隠れる。下の身分をもって上の人を訟えるのは、患いの来ることが手を伸ばして拾うがごとし。朱熹《本義》にいう:「掇」は自ら招き取る意である。程頤《伊川易伝》にいう:道理に照らして敵わないゆえに勝てず、帰って逃げ隠れてもとの位置を避けるほかない。下の身分をもって上の人を訟えるのは、道理に背き勢力もまた屈する。患いの来ることが、腰を屈めて物を拾うがごとしとは、来るのがあまりに易いことを言う。集説に引く王申子の説:自分が理に立てないことを知り、帰って逃げ隠れれば、まだ禍を免れることができる。もし身を省みることを知らなければ、その患いの来ることは、まさに手を伸ばして拾うがごときであろう。《彖伝》は九二を「剛来而得中」と称するが、爻の義はこのようである。《彖伝》は一卦の体を総じて言い、爻はその当時の用に就いて言うからである。

食舊德,從上吉也。本義 從上吉,謂隨人則吉,明自主事則無成功也。程傳 守其素分,雖從上之所為非由己也,故無成而終得其吉也。集說 喬氏中和曰:三“食舊德”,其卒也,斯謀斯猷,皆我後之德。從王事而無成,何以訟為,故“從上吉”。

《小象伝》にいう:旧来の俸禄を食み、上の人に従えば吉。朱熹《本義》にいう:「從上吉」とは他人に従って行けば吉ということであって、自ら頭を出して事を主れば成すことはないと見える。程頤《伊川易伝》にいう:自分の素来の本分を守る。上に従って事に当たるとはいえ、功労は自ら出すものではない。ゆえに「无成」であって終に吉を得る。集説に引く喬中和の説:六三が「食旧徳」とは、終に一切の謀画・規画を君上の徳に帰美することである。すでに王事に従事してその成を居らないのなら、なにを争訟しよう。ゆえに「從上吉」と言う。

復即命渝安貞,不失也。程傳 能如是則為無失矣,所以吉也。集說 邱氏富國曰:二沮於勢,四屈於理,此二之美所以止於“無眚”,而四之貞所以為“不失也”。訟元吉,以中正也。本義 中則聽不偏,正則斷合理。程傳 中正之道,何施而不“元吉”。集說 楊氏啟新曰:中正,則虛心盡下而聽不偏,因事求情而斷合理,此之謂大人也。

《小象伝》にいう:回りて天命に即し、初志を改めて正を守るに安んずれば、過失はない。程頤《伊川易伝》にいう:こうできるなら過失なしと算され、ゆえに吉を得る。集説に引く邱富国の説:九二は形勢に遮られて引き返したのであり、九四は道理において自ら屈したのである。ゆえに九二の善さは「无眚」に止まり、九四の正を守るは「不失」と称しうる。《小象伝》にいう:訟を断じて元吉なのは、九五が中であり正だからである。朱熹《本義》にいう:中に居れば訟を聴くに偏袒せず、正を得れば案を断ずるに道理に合う。程頤《伊川易伝》にいう:中正の道を用いるに、どこに用いて大吉でないことがあろう。集説に引く楊啓新の説:中正であれば、心を虚しくして下情を聴き尽くして偏袒せず、事に就いて実情を探求して断ずるに理に合う。こういう人をこそ大人と呼ぶ。

以訟受服,亦不足敬也。程傳 窮極訟事,設使受服命之寵,亦且不足敬而可賤惡,況又禍患隨至乎。集說 蔡氏清曰:“亦不足敬”,且據其以訟得服言也,況終必見褫乎,猶《益》上九日“莫益之,偏辭也”。

《小象伝》にいう:官司を打って得た命服もまた敬うに足らない。程頤《伊川易伝》にいう:争訟を窮極までに及ぼせば、たとえ賜服の寵命を得ても、同じく敬うに足らず、ただ鄙賤に厭悪すべきのみ。ましてや禍患はそれに従って来る。集説に引く蔡清の説:「亦不足敬」と言うのは、まだ彼が争訟によって命服を得たという一層に就いて言うのであり、ましてや終に必ず剥奪される。これは《益》卦上九の《小象伝》が「莫益之、偏辞也」と言うのと同じく、半ばしか言っていない(源文の「上九日」は「上九曰」とすべき)。

象上伝・師卦

地中有水,師。君予以容民畜眾。本義 水不外於地,兵不外於民,故能養民則可以得眾矣。程傳 地中有水,水聚於地中,為眾聚之象,故為師也。君子觀地中有水之象,以容保其民,畜聚其眾也。集說 陳氏琛曰:地中有水,猶民中有兵,非《師》之象乎。君子觀《師》之象,必容保其民,必畜其兵眾焉。蓋田以民分,兵以賦出,故當無事之時,必制田裡,教樹畜,使比閭族黨州鄉之民,無不各得其養,民既有養,則所謂伍兩卒旅軍師之眾,以為他日折衢禦侮之用者,皆畜於此矣,苟平時誨之無其方,則緩急誰復為之用哉。

《大象伝》にいう:地の中に水を含むのが《師》であり、君子はこれに倣って民を容れ養い、衆を蓄え集める(源文の「君予」は「君子」とすべき)。朱熹《本義》にいう:水は地の外になく、兵は民の外にない。ゆえに民を養うことができれば衆を得ることもできる。程頤《伊川易伝》にいう:地中に水あり、水が地に聚まるのは衆が集まる象であり、ゆえに《師》とする。君子は地中に水ある象を見て、民を容れ保ち、兵衆を蓄え集める。集説に引く陳琛の説:地の中に水を含むのは、百姓の中に兵を含むがごとし、これがまさに《師》の象ではないか。君子は《師》の象を見て、必ずその百姓を容れ保ち、必ずその兵衆を蓄養する。田地は人口に応じて分け授けられ、兵役は田賦の中から出る。ゆえに無事の時には、必ず田宅を画定し民に樹木を植え畜牧させ、比・閭・族・党・州・郷の各級の百姓がすべておのおの養うところを得るようにする。百姓にすでに養いあれば、いわゆる伍・両・卒・旅・軍・師という建制ある衆は、将来折衝・侮を禦ぐのに用いるものが、すべてここに蓄養されている。もし平素に彼らを誨え導く法度がなければ、一朝緩急の際に誰が国家のために力を尽くそう。

師出以律,失律凶也。集說 蔡氏清曰:不曰“否臧凶”,而曰“失律凶”者,明否臧之為“失律”也。在師中吉,承天寵也。王三錫命,懷萬邦也。程傳 在師中吉者,以其承天之寵任也。天,謂王也。人臣非君寵任之,則安得專征之權,而有成功之吉,象以二專主其事,故發此義,與前所云世儒之見異矣。王三錫以恩命,褒其成功,所以“懷萬邦”也。

《小象伝》にいう:兵を出すには律によらねばならず、律を失えば凶。集説に引く蔡清の説:「否臧凶」と言わず「失律凶」と言うのは、爻辞の「否臧」がまさに律を失うことであることを点明しようとするのである。《小象伝》にいう:師中にありて中道を得るゆえに吉、天子の寵を承る。王が三たび命を錫うのは、万邦を懐かせるためである。程頤《伊川易伝》にいう:「在師中吉」とは、君王の寵信・重託を承ったからである。ここでいう「天」は君王を指す。臣子たる者、もし君主の寵信・委任でなければ、どうして専ら征伐を主る権柄を得て成功の吉があろう。《小象伝》は九二の一爻が専らその事を主るゆえに、この意を発したのであって、前に言った世俗の儒者の見解とは異なる。君王が三たび恩命を頒してその成功を褒めるのは、まさに万邦を懐かせるためである。

集說 干氏寶曰:錫命,非私也,安萬邦而已。邱氏富國曰:王者用兵非得已,嗜殺豈其本心,故三錫之命,唯在於懷綏萬邦而已。谷氏家傑曰:不曰威而曰懷,見王者用師之本心。

集説に引く干宝の説:冊命を頒賜するのは君王の私恩から出るのではなく、ただ万邦を安んずるためである。集説に引く邱富国の説:王者が兵を動かすのは已むを得ないことで、殺伐を好むことなど彼の本心ではない。ゆえに三たび命を頒するのも、その意はただ万邦を安撫・綏定するにある。集説に引く谷家傑の説:《小象伝》が「威」と言わず「懐」と言うのは、まさに王者が兵を用いる本心の在るところを見せるものである。

師或輿尸,大無功也。程傳 倚付二三,安能成功,豈唯無功,所以致凶也。集說 楊氏簡曰:行師之法,權歸一將,使眾主之,凶之道也。眾所不一,必無成功,九二既作帥,六三居二之上,有權不歸一之象。

《小象伝》にいう:師を出して衆が屍を載せて帰るのは、大いに功がないことである。程頤《伊川易伝》にいう:兵権を二三人に委ねるのでは、どうして成功しえよう。功がないばかりか、まさにこれによって凶を招くのである。集説に引く楊簡の説:兵を用いる法度は、権柄を一人の主将に帰すべきである。衆人にともに主らせるのは凶を取る道である。衆人の号令が一でなければ、必ず成功しない。九二がすでに主帥を務めているのに、六三がまた九二の上に居る、まさに権柄が一処に帰さない象である。

左次無咎,未失常也。本義 知難而退,師之常也。程傳 行師之道,因時施宜,乃其常也,故左次未為失也。如四退次,乃得其宜,是以無咎。集說 楊氏時曰:師以右為主,常也。左次則失常矣,然四以柔順之資,量敵而後進,慮勝而後會,退而左次,未為失常也。

《小象伝》にいう:左に退き次(とま)るも咎なきは、常法に違わないからである。朱熹《本義》にいう:勝ち難いことを知って退くのは、もともと用兵の常法である。程頤《伊川易伝》にいう:用兵の道は、時に因りて宜を制するのが常法である。ゆえに左に退き次るは過失と算されない。六四のように退いて駐屯するのは、まさにその宜に合うゆえに咎はない。集説に引く楊時の説:用兵は右を主位とするのが常法で、左に退き次るは一見常を失ったようである。しかし六四は柔順の質をもって、敵情を忖度して然る後に進み、勝てると度って然る後に戦う。退いて左に次るは、常法を失ったと算されない。

長子帥師,以中行也。弟子輿尸,使不當也。程傳 長子,謂二。以中正之德合於上,而受任以行,若復使其餘者眾尸其事,是任使之不當也,其凶宜矣。集說 孔氏穎達曰:“以中行”,是九二居中也,“使不當”,謂六三失位也。

《小象伝》にいう:長子に軍を帥らせたのは、彼が中道に依って行くからである。弟子に屍を載せて帰らせたのは、任使が当を得ないからである。程頤《伊川易伝》にいう:「長子」は九二を指す。彼は中正の徳をもって上と相合し、委任を受けて兵を帯びて出る。もし更にその余の者をしてともに軍務を主らせれば、それは任使が当を得ないのであって、凶を招くのも当然である。集説に引く孔穎達の説:「以中行」とは、九二が下体の中に居ることを指す。「使不当」とは、六三が正位を失ったことを指す。

大君有命,以正功也。小人勿用,必亂邦也。本義 聖人之戒深矣。

《小象伝》にいう:天子が冊命を頒くのは、功を論定するためである。小人は用いるべからず、用いれば必ず邦国を乱す。朱熹《本義》にいう:聖人がここに下す告戒、その意は極めて深い。

《象伝》・師卦上六(前に承く)

程傳 大君持恩賞之柄,以正軍旅之功,師之終也,雖賞其功,小人則不可以有功而任用之,用之必亂邦,小人恃功而亂邦者,古有之矣。 集說 楊氏簡曰:師之終功成,“大君有命”,所以賞功也。正功,言賞必當功,不可差失也。“開國承家”之始,其初不可用小人也,於此始占“勿用”者,因此賞功,原其始也,用小人為將帥,幸而成功,則難於不賞,使之開國承家,則害及民,必亂邦也,去一害民者,又用一害民者,以亂易亂,必不可。

程頤《伊川易伝》にいう:天子は賞を頒し爵を封ずる権柄を握り、これをもって軍旅の功を評定する。これが《師》卦の終わりに至ったときの事である。功は賞すべきであるが、小人に対しては戦功を立てたからといって実職を委任することはできない。一旦委任すれば国家は必ず乱され、小人が軍功を倚りて邦国を禍乱した例は、古来ある。集説に引く楊簡の説:《師》卦が最後に至り、戦事はすでに成功した。「大君有命」はまさに功を論じて賞を行う時である。「正功」とは、賞賜を必ず功労に相当させ、毫も偏差・失当があってはならないということである。「開国承家」は分封・建国し采邑を授ける始めであり、この始めにおいて小人を起用してはならない。爻辞がここに至ってはじめて「勿用」の戒めを提するのは、行賞のこの一歩を借りて、当初の用人の源に遡ったのである。もし当初に小人を将帥として用い、僥倖に勝ちを得れば、事後に賞しないわけにはいかない。一旦彼をして開国承家せしめれば、禍害は必ず百姓に及び、国家は必ず大いに乱れる。一人の民を害する者を除いて、また別の民を害する者を立て、一種の乱をもって別の乱に換える、これは断じてしてはならないことである。

胡氏炳文曰:“王三錫命”,命於行師之始,“大君有命”,命於行師之終,懷邦亂邦, 邵氏寶曰:“弟子輿尸”,戒乾師始。“小人勿用”,戒於師終。始無弟子,則終無小人,即使有之,或賞而不封,或封而不任,不任亦不用也。

集説に引く胡炳文の説:《師》卦九二の爻辞「王三錫命」は、師を出す初めに天子が相次いで命令を下したもの。上六「大君有命」は、班師の後に天子が詔命を頒いたもの。一方は邦国を安んずることに関わり、一方は邦国を乱すことに関わる――ここで底本に脱文があり、胡氏の言は完結していない。集説に引く邵宝の説:六三「弟子輿尸」は、用兵開始の時の戒め。上六「小人勿用」は、用兵終了の時の戒め。初めにもし不任の子弟に兵を統べさせなければ、終わりに自ずから功を邀える小人は現れない。たとえ真にそういう人があっても、財物を賞して土地を封じないか、あるいは土地を封じて職権を授けないかすればよい。職権を授けなければ、すなわち彼を任用しなかったのに等しい。

《象伝》・比卦

地上有水,比,先王以建萬國,親諸侯。 本義 地上有水,本比於地,不容有間,建國親侯,亦先王所以比於天下而無間者也,《彖》意人來比我,此取我往比人。 程傳 夫物相親比而無間者,莫如水在地上,所以為比也,先王觀《比》之象,“以建萬國,親諸侯”,建立萬國,所以比民也,親撫諸侯,所以比天下也。

《象伝》にいう:大地の上に水がある、これが《比》卦の「大象」である。先王はこれに倣って天下に万国を建て、方々の諸侯を親しんだ。朱熹《本義》にいう:水が地の面に敷くは、もともと大地に密着して、中間に一糸の隙間も容れない。封国を建て諸侯を親しむは、同じく先王が天下と親附して毫も隔閡なきに用いた法である。《彖伝》が言うのは天下の人が来たりて我に帰附するのであり、ここの「大象」が取るのは我が自ら進んで人を親附するである。程頤《伊川易伝》にいう:万物の中で相親しみ相附き、彼此間隙なきは、水が地を覆うに及ぶものなし。ゆえにこの卦を《比》と名づく。先王は《比》卦の象を観て、乃ち「建万国、親諸侯」とする。万国を建てるは、もって百姓を親附する。諸侯を慰撫するは、もって天下を親附する。

集說 張氏浚曰:水行地上,小大相比,率以歸東,先王法之,“建萬國”以下比其民,“親諸侯”以上比其君,若身使臂,臂使指,小大相維,順以聽命,制得其道也。 《朱子語類》云:伊川言建萬國以比民,民不可盡得而比,故建諸侯使比民,而天下所親者諸侯而已,這便是比天下之道。

集説に引く張浚の説:水が地面を流れるとき、大水・小水は彼此依附し、大体皆東に向かって海に入る。先王はこの理に効法する。「建万国」は諸侯をして下に向かってその百姓を親附せしめ、「親諸侯」は諸侯をして上に向かってその君主を親附せしむ。身軀が手臂を指揮し、手臂が手指を指揮するがごとく、大小が層層相維系して、順に上の命を聴く。そうすれば制度は正道に合して按排されたと算される。集説に引く《朱子語類》の説:程頤は「建万国」は百姓を親附するためと言うが、天下の百姓を天子が一人ずつ親附できるはずがない。ゆえに諸侯を分封し、諸侯に彼に代わって百姓を親附させる。天子が直接親しむのはただ諸侯のみ、これが天下を親附する門路である。

馮氏當可曰:地上之水,異源同流,畎澮相比,以比於川,九川相比,以比於海,如萬國諸侯,大小相比,而方伯連帥,率之以比於天子也。 胡氏炳文曰:《師》之“客民畜眾”,井田法也,可以使民自相合而無間,《比》之建國親候,封建法也,可使君與民相合而無間。

集説に引く馮当可の説:地面上の水は、源は各々同じからず帰趨は一致する。田間の小さな溝は彼此相依して河川に入り、九州の大川は彼此相依して大海に入る。これはまさに天下万国の諸侯が、大小相次いで親附し、さらに一方の長・数国の帥に統領されて、ともに天子に親附するに似ている。集説に引く胡炳文の説:《師》卦「大象」は「容民畜衆」と言い(底本は「客民畜衆」に作る、「客」は「容」の訛り)、これは井田の法を言うのであって、百姓が自ら彼此結合して隔閡なきを得しむる。《比》卦「大象」は建国・親侯と言い(底本は「侯」を「候」に作る)、これは封建の法を言うのであって、君主と百姓が結合して隔閡なきを得しむる。

比之初六,有它吉也。 程傳 言《比》之初六者,《比》之道在乎始也,始能有孚,則終致有它之吉,其始不誠,終焉得吉,上六之凶,由無首也。 集說 蔣氏悌生曰:爻辭“有孚”凡兩更端,及“盈缶”等語,《象傳》皆略之,直舉初六為言,可見《比》之要道,在乎始先,此義與卦辭“後夫凶”之意相發明。

《象伝》にいう:《比》卦の初六の一爻は、別に意表外の吉慶がある。程頤《伊川易伝》にいう:ことさら「《比》之初六」と点出するのは、親相附の道理がすべて初めに在るからである。初めに誠信を懐くことができれば、終にその意外の吉を招く。初めに誠ならずば、末にどうして吉を得よう。上六が凶なる所以は、まさにそれが「无首」で、起頭から空しくなったからである。集説に引く蒋悌生の説:初六の爻辞に「有孚」が二度別に話頭を起し、また「盈缶」などの詞句があるが、《象伝》は一概に略して取り上げず、ただ直ちに「初六」を標挙して言う。これにより《比》道の要領が初めを先んずるに在ることが見え、この意は卦辞の「后夫凶」と互いに発明し合う。

比之自內,不自失也。 本義 得正則不自失矣。 程傳 守己中正之道,以待上之求,乃不自失也,《易》之為戒嚴密,二雖中正,質柔體順,故有貞吉自失之戒,戒之自守,以待上之求,無乃涉後凶乎。曰:士之修已,乃求上之道,降志辱身,非自重之道也,故伊尹武侯,救天下之心非不切,必待禮至然後出也。 集說 朱氏震曰:六二柔也,恐其自失也,二處乎內,待上之求,然後應之,“比之自內”者也,故曰“不自失也”。

《象伝》にいう:内より自守して上と相親しむは、自ら操守を失わしめないからである。朱熹《本義》にいう:六二は中に居りまた「当位」で、正を守るゆえに己を失わない。程頤《伊川易伝》にいう:己の「中正」の分寸を守り、上の者が来たりて求めるのを待つ、これを己を失わないと言う。《周易》の戒めを立つるは極めて周密である。六二は「中正」であるが、資質が柔弱で体性が順なので、ことさらに「貞吉」と「自失」の両面の告戒を与え、それを自守せしめ、上の者が来たりて求めるのを待たしむ。ある人が問う:これでは卦辞「后夫凶」の地に落ちるのではないか。答えていう:士人が身を修養するは、もともと上の者に任用される正路を求めるもの。志を降し身分を辱めるは、自重の術ではない。ゆえに商の伊尹・蜀漢の諸葛武侯は、天下を救う心は迫切ならざるなしと雖も、必ず礼数が周りて然る後に出仕を肯んじた。集説に引く朱震の説:六二は陰柔の爻で、恐れるのはそれが自守を失うことである。それは内卦に処り、上の者が来たりて求めるのを待ち、然る後に応和する。これを「比之自内」と言い、ゆえに「不自失也」と言う。

比之匪人,不亦傷乎。 程傳 人之相比,求安吉也,乃比於匪人,必將反得悔吝,其亦可傷矣,深戒失所比也。 程傳 “外比”謂從五也,五剛明中正之賢,又居君位,四比之,是比賢且“從上”,所以吉也。

《象伝》にいう:親附したところが正しき人でないとは、これ亦た痛ましくないか。程頤《伊川易伝》にいう:人と人とが相親附するのは、もともと安穏・吉祥を求めるためである。今や親附すべからざる人を親附し、結果は必ず悔恨と羞吝を招くに反し、実に痛ましい。これは深く人を戒めて親附する対象を誤るなとするものである。(六四小象「外比于賢、以從上也」の《象伝》本文は、底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:「外比」とは、九五に順うことを指す。九五は剛健にして明察、中に居り正を守る賢者であり、また君位を占む。六四が彼を親附するは、賢者を親附するでもあり、また「従上」の本分にも合う。ゆえに吉を得る。

顯比之吉,位正中也。舍逆取順,失前禽也。邑人不誡,上使中也。 本義 由上之德,使不偏也。 程傳 顯比所以吉者,以其所居之位得正中也,處正中之地,乃由正中之道也,比以不偏為善,故云“正中”。凡言“正中”者,其處正得中也,《比》與《隨》是也。言“中正”者,得中與正也,《訟》與《需》是也,禮取不用命者,乃是舍順取逆也,順命而去者皆免矣,比以向背而言,謂去者為逆,來者為順也,故所失者前去之禽也。言來者撫之,去者不迫也,不期誡於親近,上之使下,中平不偏,遠近如一也。

《象伝》にいう:光明正大に相親しんで吉を得るのは、九五の居る位が「正中」だからである。背き去るを放ち帰順するを収む、ゆえに「失前禽」。邑中の人は戒めを用いない、上の者が彼らを駆使するに中平に出るからである。朱熹《本義》にいう:これは上位に居る者の徳によるのであって、彼が下民を駆使するにいずれの辺にも偏しない。程頤《伊川易伝》にいう:「顕比」が吉なる所以は、九五の居る「爻位」が「正中」を得たからである。正中の地に身を処すれば、行うは自ずから正中の道である。相親附するに偏私なきを善とし、ゆえに「正中」と称す。凡そ「正中」と言うは、処る位が恰好中に居るを指し、《比》卦九五と《随》卦九五がこれである。「中正」と言うは、中を得また正を得るを指し、《訟》卦と《需》卦がこれである。古礼の田猟では、駆るに聴かず逆に冲出する禽獣を取る、これは順を舎り逆を取る。駆る方向に順って逃走するは、一概に放つ。《比》卦は則ち向背に就いて言う。我に背きて去るを「逆」とし、我に向かいて来るを「順」とし、ゆえに放失するはまさに前に逃走するあの一隻である。これは来帰するを安撫し、去るを逼らないことを言う。身辺に親しき者にわざわざ戒めるに及ばないのは、上の者が下民を駆使するに、一律中平にして偏せず、遠きも近きも同じように見るからである。

集說 邱氏富國曰:“舍逆”,謂舍上一陰,陰以乘陽為逆也。“取順”,謂取下四陰,陰以承陽為順也,失上一陰,故曰“失前禽”。 胡氏炳文曰:《師》之使不當,誰使之,五也;《比》之使中,誰使之,亦五也。

集説に引く邱富国の説:「舎逆」とは、上六のこの一陰爻を放つことを指す。陰爻が陽爻の上に凌駕するを「逆」と言うからである。「取順」とは、九五以下のあの四つの陰爻を収むを指す。陰爻が陽爻の下に承奉するを「順」と言うからである。放失するは上面のこの一陰、ゆえに「失前禽」と言う。集説に引く胡炳文の説:《師》卦六五の《象伝》は「使不当也」と言う。遣使が当を得ないとは、誰が遣したか。六五のこの君位である。《比》卦の《象伝》は「上使中也」と言う。駆使が中平とは、誰が駆使したか。同じく五のこの一爻である。

比之無首,無所終也。 本義 以上下之象言之,則為“無首”,以終始之象言之,則為無終,無首則無終矣。 程傳 《比》既“無首”,何所終乎。相比有首,猶或終違,始不以道,終復何保,故曰“無所終”也。

《象伝》にいう:親附して首なくは、すなわち好き終わりもあるまい。朱熹《本義》にいう:上下の爻象に就いて見れば、上六は全卦の最上に居りて衆爻の首たること能わず、ゆえに「无首」と言う。終始の爻象に就いて見れば、それは一卦の尽頭に処り、「无終」となる。初めがすでに空缺すれば、終わりもまた談ずるところなし。程頤《伊川易伝》にいう:《比》がすでに「无首」なら、なんの終結を談ぜん。相親附すも一初めより緒あると雖も、なお末に至りて鬩ぎ合うことあり。初めより正道を循らずば、末に何をもって保ち得ん。ゆえに「无所終」と言う。

集說 楊氏簡曰:由初而比之,其比也誠,比不於其初,及終而始求比,不忠不信,人所不與,凶之道也。“首”,初也、有始則有終,無始何以能終,故曰“無所終”也。 蔣氏悌生曰:即卦辭“後夫凶”之義。

集説に引く楊簡の説:一初めより親附すれば、その親附は誠懇なり。初めに親附せず、最後まで引き延ばして後に来たりて人に親を求むるは、これ則ち不忠・不信にして、衆人皆な彼を容納せんと肯ぜず。まさに凶を招く路数なり。「首」とは則ち開端、開端あってはじめて結局あり。開端なくんば何をもって結局あらんや。ゆえに「无所終」と言う。集説に引く蒋悌生の説:これ則ち卦辞「后夫凶」の意――人後に落つる者は凶ある。

《象伝》・小畜卦

風行天上,小畜,君子以懿文德。 本義 風有氣而無質,能畜而不能久,故為小畜之象,“懿文德”,言未能厚積而遠施也。 程傳 “乾之剛健而為巽所積,夫剛健之性,唯柔順為能畜止之,雖可以畜止之,然非能固制其剛健也,但柔順以擾繫之耳,故為《小畜》也。君子觀《小畜》之義,以懿美其文德,畜聚為蘊畜之義。君子所蘊畜者,大則道德經綸之業,小則文章才藝,君子觀《小畜》之象,以懿美其文德,文德方之道義為小也。 集說 林氏希元曰:大風一過,草木皆為屈橈,過後則旋復其歸,足能畜而不能久也,有氣而無質故也。

《象伝》にいう:風が天の上を吹行する、これが《小畜》卦の「大象」である。君子はこれに倣って、己の文采・徳芸を修美する。朱熹《本義》にいう:風は気あるのみで形質なく、一時を拦ること能うも持久すること能わず。ゆえに「小畜」の象と取る。「懿文徳」とは、この時なお深厚に積蓄し広遠に施用すること能わざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:乾体の剛健は上の巽風に蓄聚せられる。剛健の本性は、柔順のみが之を拦り得る。拦り得ると言うと雖も、真に能くその剛健を牢と制服するに非ず、ただ柔順をもって纏繞・牽係するのみ、ゆえに《小畜》と言う。君子は《小畜》の義を体して、己の文采・徳芸を修治して美ならしむるに用う。「畜」とは則ち蕴蓄・積聚の意。君子の蕴蓄する所は、大なるは道徳と経綸天下の事業、小なるは文章・才芸。君子は《小畜》の象を観て、則ちもって己の文徳を修美す――文徳は道義に比すれば、畢竟小なる一頭なり。集説に引く林希元の説:一陣の大風が刮り過ぎれば、草木は皆な圧されて弯れ、風の過ぎれば随いてまた直らんと回る。これ正に風は拦ること能えど持久すること能わざるを説明す、気ありて形質なきが故なり。

復自道,其義吉也。 程傳 陽剛之才,由其道而復,其義吉也。初與四為正應,在畜時乃相畜者也。 集說 張氏浚曰:能反身以歸道,其行己必不悖於理,是能自畜者也:故曰“其義 牽復在中,亦不自失也。

《象伝》にいう:本来の路に循りて返るは、道理に就いて言えば吉なり。程頤《伊川易伝》にいう:初九は陽剛の才を具え、自ら行くべき路に順いて折り返る、道理に就いて言えば吉なり。初九と六四はもともと「応与」相配の一対であるが、蓄止の時にあっては、両者は反って彼此牽制の関係となる。集説に引く張浚の説:身に反りて省み正道に帰ること能えば、その行事は必ず事理に違わず、これ則ち能く己を蓄養する者なり。ゆえに「其義……」――ここに底本脱文あり、張氏の言は完結せず、下は直ちに《象伝》九二の一条「牽復在中、亦不自失也」に接続す。

本義 “亦”者,承上爻義。 程傳 二居中得中者也,剛柔進退,不失乎中道也。陽之復,其勢必強,二以處中,故雖強於進,亦不互於過剛,過剛乃自失也。爻止言牽復而吉之義,象復發明其在中之美。 集說 楊氏萬里曰:初安於復,故為“自復”,二勉於復,故為“牽復”,能勉於復,故亦許其不自失。 俞氏琰曰:往而不復,則不能不自失。既復矣,則亦不自失也,云“亦”者,承上爻之義,以初九之不失而亦不失也。

朱熹《本義》にいう:小象の「亦」の字は、上一爻の語意を承接して言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は下卦の中に居り、「中」を得たるなり。剛と柔・進と退と皆な中道を失わず。陽気の回返す、来勢は必ず強勁なり。九二は中位に処るが故に、進む有力なると雖も、剛猛に過ぎんに至らず(底本「不互于過剛」は「互」を「至」の訛りとす)――剛猛に過ぐるは即ち己が己を失うなり。爻辞はただ「牽復」して吉を得るのこの一層を言うのみ、《象伝》は更に一歩進めてその「在中」の好さを点明す。集説に引く楊万里の説:初九は返るに安んず、ゆえに「自復」と言う。九二は勉力して返る、ゆえに「牽復」と言う。勉力して返ること能うが故に、同じくそれに「不自失」を許す。集説に引く俞琰の説:一去りて返らずば、己を失わざること能わず。すでに返れる以上は、同じく己を失わざるなり。一つの「亦」の字を用うるは、上一爻の語意を承くるなり。初九は己を失わざりしが故に、九二も同じく失わざるなり。

夫妻反目,不能正室也。 本義 程於曰:說輻反目,三自為也。 程傳 夫妻反目,蓋由不能正其室家也,三自處不以道,故四得制之不使進,猶夫不能正其室家,故致反日也。 集說 項氏安世曰:下卦三陽,皆為巽所畜者也,初九止之於初、不施畜止而自復於道,無過可補,此畜之最美者也。九二已動而後牽之,牽而後復,畜而後止,已用力矣,以其在中而未遠,故亦不至於失道,“亦”之為言,猶可之辭也。九三剛已過中而後畜之,四當其上,其勢必至於相拂,如人已升輿輻說,繫而止之,夫不行正,妻反目而爭之,故曰“不能正室”也。

《象伝》にいう:夫妻が面を反らし争うは、夫が己の家室を整粛すること能わざるが故なり。朱熹《本義》に程子の説を引く:車輪の輻条が脱落し、夫妻が反目するは、皆な九三が自ら招きしなり(底本「程于」は「程子」とすべし)。程頤《伊川易伝》にいう:夫妻が反目するは、夫たる者が己の家室を端正せざるに由る。九三は自処に正道を循らず、ゆえに六四がそれを制して進ましめざること能う、まさに夫が家室を端正せず、妻子の面を反らすを招くに似たり。集説に引く項安世の説:下卦の三陽爻は、皆な上の巽体に蓄止せられるなり。初九は最初に於て止まり、誰の拦るをも用いず、自ら正道に復す。補救すべき過失なきは、これ「畜」の最も好き一種なり。九二はすでに動きて然る後に牽かれ、牽かれて然る後に回返し、蓄止せられて然る後に停まる。すでに力を費やせり。中に居りて去ること遠からざるが故に、また正道を失うに至らず――「亦」という字は、まさに「まだ及第」の口気なり。九三は中位を過ぎて然る後に蓄止せられ、六四はまさにその頭上に圧す。形勢は必ず互相抵触に演ずる。まさに人がすでに車に登りて輻条脱落し、強いて係止せられて停まるがごとし。夫が行事正しからず、妻子は面を反らし彼と争う。ゆえに「不能正室」と言う。

有孚惕出,上合志也。 程傳 四既“有孚”,則五信任之,與之合志,所以得“惕出”而無咎也。“惕出”則“血去”可知,舉其輕者也,五既合志,眾陽皆從之矣。 集說 郭氏忠孝曰:上合志者,合九五有孚之志,唯其上合志,是以能畜也。

《象伝》にいう:誠信を懐き、惕懼の中より脱するは、上位の者と心志相合するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六四はすでに「有孚」あれば、九五はそれを信任し、これと心志相合す。ゆえに惕懼の中より脱し出て過失なきを得る。すでに「惕出」と言う以上、「血去」は自ずから推知すべし、これは軽き一頭のみを挙げて言うなり。九五はすでにこれと同心たれば、衆陽爻も亦た皆なこれに従う。集説に引く郭忠孝の説:「上合志」とは、九五のあの誠信の志に合するを言う。まさに上と相合するが故に、六四のこの一柔爻は衆陽を蓄止すること能う。

王氏宗傳曰:但云“惕出”,則“血去”可知,蓋謂恐懼猶免,則傷害斯遠矣,舉輕以見重也。 有手攣如,不獨富也。 程傳 “有孚攣如”,蓋其鄰類皆牽攣而從之,與眾同欲,不獨有其富也。君子之處艱厄,唯其至誠,故得眾力之助,而能濟其眾也。

集説に引く王宗伝の説:ただ「惕出」と言っただけで、「血去」はこれをもって推知することができる。恐懼すら免れたのだから、傷害は自ずからさらに遠く離れる。これは軽き一面を挙げて重き一面を顕す。《象伝》にいう:誠信を懐きて彼此牽連するは、己の富を独り占めにしないからである(底本「有手攣如」は「手」を「孚」の訛りとす)。程頤《伊川易伝》にいう:「有孚攣如」とは、隣近の同類が皆な牽かれて彼に従い、衆人と願いを同じくし、富を独り己に帰さないことを言う。君子が艱難困厄に身を処するは、全く一片の至誠に頼る。ゆえに衆人の力の助けを得て、もって衆人を救済することができる。

既雨既處,德積載也。君子征凶,有所疑也。 程傳 “既雨既處”,言畜道積滿而成也。陰將盛極,君子動則有凶也。陰敵陽,則必消陽,小人抗君子,則必害君子,安得不疑慮乎?若前知疑慮而警懼,求所以制之,則不至於凶矣。

《象伝》にいう:雨はすでに降り、事はすでに歇まるは、陰徳が積聚して満ちる地に至ったからである。君子がこの時に行き出れば凶あるは、局面の中に疑慮すべき所があるからである。程頤《伊川易伝》にいう:「既雨既処」とは、蓄止の道が積まれて満々としてすでに成就したことを言う。陰気はまさに盛の極に至らんとし、君子がこの時に一動すれば兇険がある。陰が陽と相敵すれば、必ず陽を消損する。小人が君子と相抗すれば、必ず君子を加害する。どうして心に疑慮を存せざるを得よう。もし事に先んじて疑慮を知りて警惕・戒懼し、設法して之を制約すれば、凶に落ちるに至らない。

《象伝》・履卦

上天下澤,履。君子以辨上下,定民志。 本義 程傳備矣。 程傳 天在上,澤居下,上下之正理也,人之所履當如是,故取其象而為《履》。 君子觀《履》之象,以辨別上下之分,以定其民志。夫上下之分明,然後民志有定,民志定,然後可以言治。民志不定,天下不可得而治也。

《象伝》にいう:上は天、下は沢、これが《履》卦の「大象」である。君子はこれに倣って上下の名分を辨明し、百姓の心志を安んずる。朱熹《本義》にいう:この一条は程頤がすでに言い尽くしている。程頤《伊川易伝》にいう:天は上にあり沢は下にある、これは上下の応にあるべき正当の次序で、人の践み行うもまたこのごとくあるべきである。ゆえにこの象を取って《履》卦と立つ。君子は《履》の卦象を観て、もって上下の名分を辨別し、百姓の心志を安定する。上下の名分が分明なれば、百姓の心志ははじめて落ち着きあり。百姓の心志が安定して然る後にはじめて治を談ずべし。百姓の心志が定まらざれば、天下は治め難い。

古之時,公卿大夫而下,位各稱其德,終身居之,得其分也。位未稱德,則君舉而進之,士修其學,學至而君求之,皆非有予於己也。農工商賈勤其事,而所享有限,故皆有定志,而天下之心可一。後世自庶士至於公卿,日志於尊榮,農工商賈,日志於富侈,億兆之心,交騖於利,天下紛然,如之何其可一也!欲其不亂難矣,此由上下無定志也。君子觀《履》之象,而分辨上下,使各當其分,以定民之心志也。

程頤が続けていう:古は、公卿・大夫より下に至るまで、人毎にその位次がその徳行に相称い、終身その位に安居して各々己の本分を得た。位次が一時徳行に配さざるは、国君が之を挙拔して上げる。士人が学業を修治して火候に至れば、国君は自ずから来たりて求める。これ皆な己が己のために安排するに非ず。農夫・工匠・商販は各々その本業に勤しみ、享用に一定の限度あり。ゆえに人々の心志に定まりあり、天下の人の心は乃ち一致に帰すること能う。後世は然らず。上は公卿より下は一般の士人に至るまで、日々尊貴・栄顕を思い、農工商販は日々富足・奢侈を思う。億万人の心思は、一斉に利に向かいて奔競し、天下は乱紛紛として、どうして一致に帰すること得ん。それを乱れざらしめんとするも難し、まさにこれ上下ともに安定の心志なきに由る。君子は《履》卦の象を観て、従いて上下を分辨し、各人をして各々その名分に相当せしめ、この法をもって百姓の心志を安定す。

集說 《朱子語類》問:《履》如何都作“禮”字說。曰:禮主卑下,履也。是那踐履處,所行若不由禮,自是乖戾,所以曰“履以和行”。 王氏應麟曰:上天下澤《履》,此《易》之言禮;雷出地奮《豫》,此《易》之言樂。 呂成公之說,本於《漢書》上天下澤,春雷奮作,先王觀象,爰制禮樂。 何氏楷曰:天高地下,天尊地卑,澤又下之下卑之卑者。

集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、《履》卦はなぜ至る所「礼」の字として講ずるのか。朱熹が答えていう:礼は謙卑をもって下に居るを本とし、而して「履」とは則ち践行、実地に落ちて歩むあの一歩である。行う所が礼に依らざれば、自ずから乖張・失当す。ゆえに《繋辞》は「履以和行」と言う。集説に引く王応麟の説:「上天下沢」の《履》は、《周易》が礼を言うところであり、「雷出地奮」の《豫》は、《周易》が楽を言うところである。呂祖謙(諡は成公)のこの説は、《漢書》の記す所に本づく:上天下沢、春雷奮起、先王はこれらの物象を観て、乃ち礼と楽を制定した。集説に引く何楷の説:天は高き処にあり地は低き処にあり、天尊くして地卑し。沢に至りては、また低中の低・卑中の卑なり。

素履之往,獨行願也。 程傳 安履其素而往者,非苟利也,獨行其志願耳。獨,專也。若欲貴之心,與行道之心,交戰於中,豈能安履其素也。 集說 李氏心傳曰:“素履往”,即《中庸》所謂素位而行者也,獨行願,即《中庸》所謂不願乎其外者也。

《象伝》にいう:平素の本分を安守して往くは、独り己の心願を践行するなり。程頤《伊川易伝》にいう:己の平素の処境に安んじて往く者は、苟且に利を図るに非ず、ただ独りその志愿を行うのみ。「独」とは則ち専一。もし富貴を求める念頭と道義を行う念頭とが胸中に交戦せば、どうして平素の処境に安んぜん。集説に引く李心伝の説:「素履往」とは、則ち《中庸》の講ずる「素其位而行」なり。「独行願」とは、則ち《中庸》の講ずる「不願乎其外」なり。

幽人貞吉,中不自亂也。 程傳 履道在於安靜,其中恬正,則所履安裕。中若躁動,豈能安其所履?故必幽人則能堅固而吉,蓋其中心安靜,不以利慾自亂也。 集說 谷氏家傑曰:初之素而曰“行願”,二之坦而曰不亂,可見其身之履,皆由於志之定也。

《象伝》にいう:幽居して静を守る人が正を守りて吉を得るは、心中自ら乱れざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:践行の道は安寧・沈静を貴び、内心が恬淡にして端正なれば、脚下の路ははじめて従容・寛裕に歩むを得る。心中もし浮躁・乱動せば、どうして己の行う路に安んぜん。ゆえに必ず幽居・隠処の人のごとくあって、はじめて守り堅定にして吉を獲す。その心中安靜にして、利欲に己を攪乱せしめざるが故なり。集説に引く谷家傑の説:初九は平素の本分を言いて《象伝》は「行願」と言い、九二は道路の平坦を言いて《象伝》は「不自乱」と言う。これにより一人の脚下がどう歩むかは、全く心志の定まるや否やに取决することが見える。

眇能視,不足以有明也。跛能履,不足以與行也。咥人之凶,位不當也。武人為于大君,志剛也。 程傳 陰柔之人,其才不足,視不能明,行不能遠,而乃務剛,所履如此,其能免於害乎。以柔居三,履非其正,所以致禍害,被咥至而凶也。以武人為喻者,以其處陽,才弱而志剛也,志剛則妄動,所履不由其道,如武人而為大君也。

《象伝》にいう:一目を失明してもなお見ること能うも、明らかに見るに足らず。腿脚が跛れてもなお歩むこと能うも、人と同行するに足らず。老虎に咬まれて険凶なるは、「位不当」なるが故なり。勇武の人が強いて大君を充とせんとするは、心志の剛硬に過ぐるなり。程頤《伊川易伝》にいう:陰柔の人は才具足らず、見る明らかならず、行く長遠ならず、却って強いて逞強す。脚下がこのように歩めば、なお禍害を免れんや。柔爻をもって第三のこの陽位に居る、行う所は「当位」の正に合せず。ゆえに禍害を招き、咬まれ傷つきて凶を致す。勇武の人を用いて比方するは、それが陽位に処り、才具は軟弱にして心志は剛硬なればなり。心志剛硬なれば妄動せんとし、歩む路は正道を循らず、まさに一武夫が強いて大君を為さんとするに似たり。

集說 王氏申子曰:三質暗才弱,本不足以有為,以當《履》之時,一陰為主,適 愬愬終吉,志行也。 程傳 能“愬愬”畏懼,則終得其吉者,志在於行而不處也,去危則獲吉矣。陽剛,能行者也;居柔,以順自處者也。

集説に引く王申子の説:六三は資質昏暗にして才具薄弱、本来為す有るに足らず。ただ《履》卦の時に当たり、全卦唯一の陰爻がこれをもって主とするに因り、恰好……ここに底本脱文あり、王氏の言は完結せず、下は直ちに《象伝》九四の一条「愬愬終吉、志行也」に接続す。程頤《伊川易伝》にいう:戒懼・警惕すること能くて終に吉を得るは、その心志が前行に在りて滞留を肯ぜざるが故なり。危険を離れれば、自ずから吉を獲す。九四は陽剛の爻で、もともと行動する能力あるなり。却って陰柔の位に居るは、柔順をもって己を安頓するなり。

集說 李氏過曰:畏懼,所以行其志也。 王氏申子曰:三與四皆履虎尾者,三凶而四吉何也?三柔而志剛,勇於行而不知懼;四剛而志柔,謹於行而知所懼也。懼則能防,是以“終吉”,其吉者,上進之志行也。 沈氏一貫曰:合而言之,則乾為虎,離而言之,唯五為虎,故九四亦有“履虎尾”之象,以九居四,正與六三相反,故其志行。

集説に引く李過の説:まさに怕れることを知るが故に、己の志向を行き通ずるを得る。集説に引く王申子の説:六三と九四は皆な虎尾を踏む。何を以て六三は凶にして九四は吉なるや。六三は体柔にして志剛、勇んで往くも畏懼を知らず。九四は体剛にして志柔、行事は謹慎にして何を怕るべきかを知る。怕るを知れば防備すること能う、ゆえに「終吉」。その吉は、まさに向上・進取の心志が行き通ずるに在り。集説に引く沈一貫の説:合わせて言えば、乾体全体は皆な虎なり。分かちて言えば、九五のみ虎なり。ゆえに九四もまた「履虎尾」の象あり。陽爻をもって第四のこの陰位に居るは、まさに六三が陰爻をもって陽位に居ると相反す。ゆえにその心志は施行すること能う。

夬履貞厲,位正當也。 本義 傷於所恃。 程傳 戒“夬履”者,以其正當尊位也,居至尊之位,據能專之勢而自任剛決,不復畏懼,雖使得正亦危道也。

《象伝》にいう:剛決に一味に前行して、正を守るもなお危厲なるは、九五が尊位に正当るが故なり。朱熹《本義》にいう:傷は傷むに彼の倚仗する所の物に――まさに至尊の位を占めて恃むべしとすが故に、反ってそれに傷られるなり。程頤《伊川易伝》にいう:「夬履」に告戒を下す所以は、まさにそれが君位に当たるが故なり。身に至尊の位に居り、独断すべきの権勢を握り、また自ら剛強・果決を恃み、更に一点の畏懼の心を存せず。このようであれば、行う所が正を得ると雖も、なお旧として危険の路数なり。

元吉在上,大有慶也。 本義 若得元吉,則大有福慶也。 程傳 上,履之終也。人之所履善而吉,至其終周旋無虧,乃大有福慶之人也,人之行貴乎有終。 集說 林氏希元曰:在上,履之終也,言於履之終而得元吉,則大有福慶也:在上,是解所以“元吉”,“大有慶”,是正解元吉。

《象伝》にいう:大吉が最上の一爻に現るるは、大いに福慶あるなり。朱熹《本義》にいう:もし「元吉」を得れば、則ち大いに福気と喜慶あるなり。程頤《伊川易伝》にいう:上九は《履》卦の終点なり。一人の行う所が善にして吉、最後に至りて周旋・応対に虧欠なし、これをこそ大いに福慶ある人と言う。人の行事の貴ぶべきは、まさに始めあり終わりあるに在り。集説に引く林希元の説:「在上」とは、《履》卦の終点を指し、践履の終点に走り至りて「元吉」を得るを言う、すなわち大いに福慶あらん。「在上」の両字は何を以て「元吉」たり得るかを解釈し、「大有慶」こそ正面より「元吉」そのものを解釈するなり。

《象伝》・泰卦

天地交,泰。后以裁成天地之道,輔相天地之宜,以左右民。 本義 “裁成”以制其過,“輔相”以補其不及。 程傳 天地交而陰陽和,則萬物茂遂,所以泰也。人君當體天地通泰之象,而以“裁成天地之道,輔相天地之宜”,以左右生民也;“裁成”,謂體天地交奉之道,而裁制成其施為之方也,“輔相天地之宜”,天地通泰,則萬物茂遂,人君體之而為法制,使民用天時,因地利,輔助化育之功,成其豐美之利也。如春氣發生萬物,則為播植之法,秋氣成實萬物,則為收斂之法,乃輔相天地之宜,以左右輔助於民也。民之生,必賴君上為之法制,以教率輔翼之,乃得遂其生養,是左右之也。

《象伝》にいう:天地交通す、これが《泰》卦の「大象」である。君王はこれに倣って、天地運行の道を裁節・成就し、天地の宜しき事を輔助・配合し、もって百姓を扶助す。朱熹《本義》にいう:「裁成」とはその過頭の処を節制し、「輔相」とはその足らざる処を補足するなり。程頤《伊川易伝》にいう:天地交通して陰陽調和せば、万物は茂盛・順遂す。ゆえに「泰」と言う。人君たる者は天地の通泰の象を体察し、「裁成天地之道、輔相天地之宜」をもって生民を扶助すべし。いわゆる「裁成」とは、天地交泰の道理を体会し(底本「交奉」は「交泰」の訛り)、拠りて裁断・制定して施政の方案とするなり。いわゆる「輔相天地之宜」とは、天地通泰なれば万物茂盛し、人君はこの一点を体察して法度を訂立し、百姓をして天時を利用し地利に憑藉せしめ、天地の化育の功用を幇襯し、豊盛・美好の収益を成就するを言う。譬えば春気は万物を生発せば、則ち播種・栽植の办法を訂出し、秋気は万物を結実せしめば、則ち收割・儲蔵の办法を訂出す。これ則ち天地の宜する所を輔助し、もって百姓を扶持するなり。百姓の生計は、必ず君上が彼らのために法度を訂立し、教導・統領し、扶助・衛護を加えてこそ、順遂に生養して行くこと能う。これ則ち「左右」の意なり。

集說 《朱子語類》云:“裁成”,是截作段子。“輔相”,是佐助它,大地之化,亻龍侗相續下來,聖人便截作段子,如氣化一年一周,聖人於它截作春夏秋冬四時。 蔡氏淵曰:氣化流行,亻龍侗相續,聖人則為之裁制,以分春夏秋冬之節,地形廣邈,經緯交錯,聖人則為之裁制,以分東西南北之限,此“裁成天地之道”也。春生秋殺,此時運之自然,高黍下稻,亦地勢之所宜,聖人則輔相之,使當春而耕,當秋而斂,高 拔茅征吉,志在外也。

集説に引く《朱子語類》の説:「裁成」とは則ちそれを一段一段に截成すること。「輔相」とは則ち旁より之を幇襯すること。天地の造化は浑然一片として連綿・断絶せず流れ来たる。聖人は便ち之がため截して段落と為す。例えば気の運化が一年に一圈を転ずれば、聖人は則ち之がため截して春夏秋冬の四時と為す。(底本「亻龍侗」は「儱侗」の分写誤刻、渾沌未分の様を指す。「大地之化」は「天地之化」とすべし。)集説に引く蔡淵の説:気の運化・流行は浑然として連綿・断絶せず、聖人は便ち之がため裁断を加え、春夏秋冬の節令を分出す。地形は広大・遼遠にして経緯交錯し、聖人も亦た之がため裁断を加え、東西南北の界限を分出す。これ則ち「裁成天地之道」。春に生長し秋に肅殺するは、時運がもとより然るなり。高地は黍を種するに宜しく低地は稲を種するに宜しきは、地勢がもとより宜しき所なり。聖人は乃ち旁より輔助し、人をして春に当たり耕種し秋に当たり收斂せしめ、高……ここに底本脱文あり、蔡氏の言は完結せず、下は直ちに《象伝》初九の一条「拔茅征吉、志在外也」に接続す。

程傳 時將泰,則群賢皆欲上進,三陽之志欲進同也,故取茅茹彙征之象,志在外,上進也。 集說 楊氏萬里曰:君子之志,在天下,不在一身,故曰“志在外也”。 包荒得尚于中行,以光大也。

程頤《伊川易伝》にいう:時運まさに通泰せんとすれば、衆多の賢人は皆な向上・進用を思う。下卦の三陽爻の進を求める心志は完全一致、ゆえに「茅草を拔き根鬚相連なり同類並進」の象を取る。いわゆる「志在外」とは、則ち向上して進取するなり。集説に引く楊万里の説:君子の志向は天下に在り、己一身に在らず。ゆえに「志在外也」と言う。《象伝》にいう:荒穢を包容する能うもまた中道の行に配するは、九二の胸襟が正大・光明なるが故なり。

程傳 《象》舉包荒一句,而通解四者之義,言如此則能配合中行之德,而其道光明顯大也。 案 《傳》只舉“包荒”,非省文以包下。蓋“包荒”是治道之本,然“包荒”而得合乎中道者,以其正大光明,明斷無私,是以有“馮河”之決,有“不遐遺”乏照,有“朋亡”之公,以與“包荒”相濟,而中道無不合也。

程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》はただ「包荒」の一句を挙出すのみ、実は則ち爻辞の四層の意を一倂に解釈したなり。意は能くこうあってこそ中道に合乎の徳に配し、彼の行う道もまた光明・宏大ならんと言うに在り。李光地按す:《象伝》はただ「包荒」を挙ぐるのみ、文を省くがために之を以て下面の数句を概括するに非ず。「包荒」は本来治国の道の根本なり。然るに「包荒」を致してまた中道に合乎こと能うは、胸襟が正大・光明にして判断が明確にして私心なきに恃む。ゆえに「馮河」のごとき果決あり、「不遐遺」のごとき周遍の照察あり(底本「乏照」は「之照」とすべし)、「朋亡」のごとき公正あり。この数様を以て「包荒」と互相済助せば、中道もまた吻合せざるなし。

無往不復,天地際也。 程傳 “無往不復”,言天地之交際也,陽降於下,必復於上,陰升於上,必復於下,屈伸往來之常理也。因天地交際之道,明《否》、《泰》不常之理,以為戒也。 案 “天地際”,只是言乾坤交接之際也。自卦言之,外卦為陰往,自爻言之,》外卦又為陰來。

《象伝》にいう:一往きて回返せざるなきは、これまさに天地交接の分際なり。程頤《伊川易伝》にいう:「无往不復」は、天地交接の界限を講ず。陽は下に降れば、必ずまた上に帰る。陰は上に升れば、必ずまた下に帰る。これ屈伸・往来の常理なり。天地交接の道を借りて、《否》《泰》は固定・不変に非ざるを点明し、もって人のために警戒と為す。李光地按す:「天地際」とは、ただ乾坤両体の交接するあの分界処を言うのみ。整卦より見れば、外卦は陰の上へ往くなり。爻位より見れば、外卦は又た陰の下へ向かうと為る。(底本はここに一つの書名号を衍出す、刻本の誤りなり。)

翩翩不富,皆失實也。不戒以孚,中心願也。 本義 陰本居上,在上為“失實”。 程傳 “翩翩”,下往之疾,不待富而鄰從者,以三陰在上,皆失其實故也,陰本在下之物,今乃居上,是“失實”也。不待告戒而誠意相與者,蓋其中心所願故也,理當然者天也,眾所同者時也。

《象伝》にいう:軽捷に群を成して下に飛びて富有ならざるは、三つの陰爻が皆な充実を失うが故なり。告戒を用いずして彼此誠信に相与するは、内心の願望に出るなり。朱熹《本義》にいう:陰は本来下位に居るべきに、今や上位に居る。ゆえに「失実」と言う。(底本「陰本居上」は「上」を「下」の訛りとす。)程頤《伊川易伝》にいう:「翩翩」とは、下に飛ぶこと甚だ速きの様なり。己は富有ならずして隣近の同類が随いて来るは、三つの陰爻が皆な上に在りて、皆なその充実を失うが故なり。陰はもとより下に在るべき物にして、今や上位に居る、これ即ち「失実」。誰の告戒をも用いずして彼此誠意をもって相待つは、これ本来それらの心中の願う所に出るなり。道理に合乎必然は、あれは天なり。衆人が共同して趨向するは、あれは時勢なり。

集說 李氏簡曰:爻言“不富”,象言“失實”,是皆不以富貴驕人,而有虛中無我之意也。鄰,類也。謂五與上也,故四五皆稱行願,在下卦之初,則明以匯交於上,在上卦之初,則明以鄰交於下,蓋“上下交而其志同”也。 俞氏琰曰:“失實”,與《蒙》六四遠實同,皆指陽為實也。陰之從陽,猶貧之依富也,今三陰在外而失所依,故曰“皆失實也”。願者,“上下交而其志同”也,泰之時,上下不相疑忌,蓋出其本心,故曰“中心願也”。

集説に引く李簡の説:爻辞は「不富」と言い、《象伝》は「失実」と言う、皆な富貴を以て人前に驕矜せず、虚心・无我の意を含む。「隣」とは即ち同類、六五と上六を指す。ゆえに六四・六五は皆な「行願」に提及す。下卦の頭一爻においては、同類の身分を以て上に向かい交結するを点明し、上卦の頭一爻においては、隣近の身分を以て下に向かい交結するを点明す。これまさに《彖伝》の講ずる「上下交而其志同」なり。集説に引く俞琰の説:「失実」は、《蒙》卦六四の《象伝》の言う所の「遠実」と一路にして、皆な陽爻を「実」と作す。陰が陽に従うは、窮人が富人に依靠するがごとし。今や三つの陰爻は皆な外卦に到り、依靠すべき対象を失う。ゆえに「皆失実也」と言う。いわゆる「願」とは、即ち「上下交而其志同」。《泰》の時は上下が彼此猜忌せず、これは本心に出るなり。ゆえに「中心願也」と言う。

何氏楷曰:“失實”,即不富之謂。不富而其鄰從之者,以三爻皆不富而欲資於陽故也,不待期約而相孚,各出於其中心之所願欲也。 案 王弼以陰居上為“失實”,而傳義從之,考《易》中皆以陰陽分虛實,不因乎上下也,故凡陽爻為實為富,陰爻為虛為不富,則“失實”之為解不富,明矣。“失實”, 以祉元吉,中以行願也。

集説に引く何楷の説:「失実」は即ち「不富」。己は富まずして隣近の同類が随いて来るは、三つの陰爻が皆な富まず、皆な陽爻のあの所より憑藉を取得せんと欲するが故なり。事先に約定するを用いずして彼此信任し、各々心中の願望に出る。李光地按す:王弼は陰爻が上位に居るを以て「失実」と為し、程頤《伊川易伝》と朱熹《本義》は皆なこの説を沿用す。《周易》全書を考察するに、虚と実は一向に陰陽を以て分かち、上下に取决せず。ゆえに凡そ陽爻は皆な「実」と算し「富」と算し、陰爻は皆な「虚」と算し「不富」と算す。則ち「失実」を「不富」と解するは甚だ明らかなり。「失実」……ここに底本脱文あり、按語未完、下は直ちに《象伝》六五の一条「以祉元吉、中以行願也」に接続す。

程傳 所以能獲祉福且元吉者,由其以中道合而行其志願也,有中德,所以能任剛中之賢,所聽從者,皆其志願也,非其所欲,能從之乎! 集說 王氏宗傳曰:“中以行願”,謂以柔中之德,而行此志願以合乎下,故能受其祉福且元吉也,所謂“上下交而其志同”如此。 城復于隍,其命亂也。 本義 命亂故復否,告命所以治之也。 程傳 城復于隍矣,雖其命之亂,不可止也。

程頤《伊川易伝》にいう:六五の福祉を得てまた大吉なる所以は、それが中道を以て下と相合し、従いて己の心願を実行するが故なり。居中の徳あるが故に、剛健・得中の賢臣を任用すること能う。凡そその聴従する所は、皆な己の願望に合乎――心の欲する所に非ざれば、また聴従せんや肯んず。集説に引く王宗伝の説:「中以行願」とは、柔順・居中の徳行に憑って、この心志を実行して下と相合するを言う。ゆえに福祉を承受してまた大吉なり。《彖伝》の講ずる「上下交而其志同」はまさにこのごとし。《象伝》にいう:城墻が城壕に倒れ回るは、政令すでに乱れるが故なり。朱熹《本義》にいう:政令乱れたれば、ゆえにまた転じて閉塞に回る。上六の爻辞は「自邑告命」と言う、まさに号令を発布するを以てこの局面を収拾せんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:城墻はすでに壕溝に塌れ回る、縦使明らかにこれ政令の乱れるが造成するを知ると雖も、もはや止むること能わず。

《象伝》・否卦

天地不交,否,君子以儉德辟難,不可榮以祿。 本義 收斂其德,不形於外,以闢小人之難,人不得以祿位榮之。 程傳 天地不相交通,故為否。否塞之時,君子道消,當觀否塞之象,而以儉損其德,闢免禍難,不可榮居祿位也。否者小人得志之時,君子居顯榮之地,禍患必及其身,故宜晦處窮約也。

《象伝》にいう:天地は互いに交通せず、これが《否》卦の「大象」である。君子はこれに倣って、徳行を收斂して患難を避け、禄位を以て己を顕耀すべからず。朱熹《本義》にいう:己の徳行を蔵め収め、外に顕露せず、もって小人の加害の禍難を避け、人をして俸禄・爵位を以て彼を抬挙するに従由なからしむ。程頤《伊川易伝》にいう:天地は彼此交通せず、ゆえに《否》と為る。閉塞の時は、君子の道消退す。閉塞の象を観察して、因りて倹約に己の徳行を收斂し、禍難を避け、栄耀に禄位を占めてはならざるべし。《否》はまさに小人の志を得る時、君子もしなお顕赫・栄耀の位置上に処れば、禍患は必ず己の身に落ちる。ゆえに韜光・養晦し、窮約に安んずべし。

拔茅貞吉,志在君也。 本義 小人而變為君子,則能以愛君為念,而不計其私矣。 程傳 爻以六自守於下,明君子處下之道,《象》復推明以象君子之心,君子固守其節以處下者,非樂於不進獨善也,以其道方否不可進,故安之耳。心固未嘗不在天下也,其志常在得君而進,以康濟天下,故曰“志在君也”。

《象伝》にいう:茅草を拔き同類を連ねて正を守りて吉を得るは、心志が君主に在るが故なり。朱熹《本義》にいう:小人もし転じて君子と為れば、一心に君を愛するを念とし、更に己の私利を盤算すること能わず。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞は初六が下位に自守するを取りて、君子が下位に処るの道理を説明す。《象伝》はまた更に一歩推し阐きて、もって君子の用心を点出す。君子が己の節操を堅守して甘んじて下位に居るは、出仕せず独善その身を図るを楽しむに非ず、ただ道が正に閉塞に逢いて進用すること能わざるが故に、これに安んずるのみ。その心は何ぞ嘗て天下に在らざらん。志向は常に君主の賞識を得て進用するに在り、よく往きて天下を安康・救済せんとす。ゆえに「志在君也」と言う。

集說 王氏弼曰:志在於君,故不苟進。 胡氏瑗曰:君子之志未嘗不在致君澤民也,雖當此否塞之時,引退守正,不苟務其進,俟時而後動者,亦志在致君澤民而已。 郭氏雍曰:先人曰:先大夫有言,居廟堂之高,則憂其民,處江湖之遠,則憂其君,蓋《泰》言志在外,《否》言志在君之意也。卦象以內為小人,而爻以初為君子,伊川所謂隨時取義,變動無常也。志在君者,君子儉德辟難,豈忘君者哉,君臣之義,如之何其廢之,故荷條之徒,聖人無取焉。

集説に引く王弼の説:心志はすでに君主の身に在り、ゆえに苟且に進を求めるを肯ぜず。集説に引く胡瑗の説:君子の志向は嘗て君主を輔佐し沢を百姓に被らせざるなし。たとえこのごとき閉塞の時に遭うと雖も、退避して正道を守り、苟且に進を求めず、時機の成熟するを待ちて乃ち動く。心志は同じくなお君を輔け民に沢するのみ。集説に引く郭雍の説:先父が言うに、先祖父が嘗て講じたまいし――身に朝廷の高位に居れば、則ち百姓を憂念し、身に江湖の遠きに処れば、則ち君主を憂念す。これまさに《泰》卦の「志在外」を講じ、《否》卦の「志在君」を講ずる意なり。卦象に就いて言えば、内卦は小人なり。爻辞に就いて言えば、却って初六を以て君子と為す。これ則ち程頤のいわゆる時に随いて義を取り変動常なし。いわゆる「志在君」は、君子が倹約に徳を守り禍難を避くるは、豈に君主を忘れたらんや。君臣の間の大義、どうして廃棄すべからん。ゆえに荷蓧の丈人のあの一類の避世の士のごときは、聖人の取る所に非ず(底本「荷条」は「荷蓧」とすべし)。

於氏宗傳曰:時方否塞,故以匯守正於下,若反否而為泰,則亦如初九之以彙征矣,故初九之《象》曰“志在外”,初六之《象》曰“志在君”,以言行止雖繫於時,而君子之志於君,亦無往而不在也。 案 此爻本義主小人說,故欲其以愛君為念,然卦象雖分別大小,而爻辭則皆係以君子之義,朱子嘗答陳亮書云,就其不遇,獨善其身,以明大義於天下,使天下之人,皆知道義之正而守之,以待上之使令,是亦所以報不報之恩,豈必進為而撫世哉,正此 大人否亨,不亂群也。

集説に引く王宗伝の説(底本は「于氏」に作る、「王氏」の訛りと為す):時局は正に閉塞、ゆえに同類を帯びて下位に正を守るのみ能う。もし閉塞が転覆して通泰と成れば、則ち《泰》卦初九のごとく同類を帯びて一同に上進せん。ゆえに《泰》卦初九の《象伝》は「志在外」と言い、《否》卦初六の《象伝》は「志在君」と言う。もって出仕と退隠は時勢に取决すると雖も、而して君子の君主に心を繋ぐこの一点は、何処に行きても変わらざるを説明す。李光地按す:この一爻、朱熹《本義》は小人に就いて説を立つ、ゆえに彼が君を愛するを以て念と為すを望む。但だ卦象は大小を分かつと雖も、爻辞は皆な君子の意を係けたり。朱熹が陳亮に答えし書に言いしことあり:その志を得ざる処境に就きて、独善その身、大義を天下に昭明して、天下の人をして皆な道義の正当を知りて之を持守せしめ、以て上の者の差遣を候うは、これ亦たあの報ゆるに由なき恩徳を報ずるなり。何ぞ必ずしも出仕して事を為し一世を撫有せんことを要せん――まさにこの意なり。ここに底本脱文あり、按語未完、下は直ちに《象伝》六二の一条「大人否亨、不乱群也」に接続す。

本義 言不亂於小人之群。 程傳 大人於《否》之時守其正節,不雜亂於小人之群類,身雖否而道之亨也,故曰“否亨”。不以道而身亨,乃道之否也,不云君子而云大人,能如是則其道大也。 集說 王氏宗傳曰:六二當上下不交之時,五雖正應,無由而通。“包承”,小人之常態也。乃若大人,則不以非道求合,身雖否而道亨,又豈務為包承之事,以雜亂於群流之中而不自知耶。

朱熹《本義》にいう:これは彼が小人のあの一群と混雑・淆乱せざるを講ず。程頤《伊川易伝》にいう:大人は《否》の時に己の正節を守り、小人のあの一夥と攪り合わず。身は困否なると雖も而して道は亨通す。ゆえに「否亨」と言う。もし正道を循らずしてただ自身の通達を求めば、則ち是れこそ道の閉塞なり。ここに「君子」と言わずして「大人」と言うは、能くこの一歩を致すれば、その道は大なればなり。集説に引く王宗伝の説:六二は正に上下交わらざるの時に当たり、九五はそれの「応与」相配の正応なると雖も、通達するに従由なし。いわゆる「包承」は、小人の慣有の姿態なり。大人に至りては、則ち正当ならざる門路を以て合を求めるを肯ぜず。身は困否にして道は自ずから亨通す、またどうしてあのごとき包容・承順の事を為して、人流に混じりてなお自ら知らざらんや。

包羞,位不當也。 程傳 陰柔居否,而不中不正,所為可羞者處不當故也,處不當位,所為不以道也。 集說 王氏弼曰:用小道以承其上,而位不當,所以“包羞”也。

《象伝》にいう:羞ずべき事を懐くは、処る所の「爻位」が恰當ならざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔の質を以て閉塞の時に処り、中に居らずまた「当位」ならず。それの作為する所は人をして羞愧せしむ、まさに処る所の位置が恰當ならざるが故なり。位置すでに恰當ならざれば、事を作すにも正道を循らざるなり。集説に引く王弼の説:卑小の手段を以て上の人に承奉して、而して居る所の位また相称せず。ゆえに「包羞」と言う。

有命無咎,志行也。 程傳 有君命則得“無咎”,乃可以濟否,其志得行也。 大人之吉,位正當也。 程傳 有大人之德,而得至尊之正位,故能休天下之否,是以吉也。無其位,則雖有其道,將何為乎,故聖人之位,謂之“大寶”。

《象伝》にいう:君命を秉承して過錯あらざるは、心志の施行するを得たればなり。程頤《伊川易伝》にいう:君主の命令有りて、はじめて過錯なしと談じ得、亦た閉塞の局面を救済して行くべし。九四の志向はこれに由りて施行するを得たり。《象伝》にいう:大人の吉慶は、九五の居る所の位が正当なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:大人の徳行を具え、また至尊の正位を得、ゆえに天下の閉塞を止息すること能う。ここを以て吉を得たり。もしあの位置なくんば、縦使あの道ありと雖も、また何を作し成さんや。ゆえに聖人の君位は「大宝」と称せらる。

否終則傾,何可長也。 程傳 否終則必傾,豈有長否之理,極而必反。理之常也,然反危為安,易亂為治,必有剛陽之才而後能也,故《否》之上九,則能傾否,《屯》之上六,則不能變屯也。 集說 何氏楷曰:“則”字要歸到人事,謂否極則當思所以傾之,何可使長否也,正責成於人之意。

《象伝》にいう:閉塞は尽頭に至りて則ち傾覆す、どうして長く閉塞して行かんや。程頤《伊川易伝》にいう:閉塞は終点に到れば必ず傾覆す、豈に永遠に閉塞の道理あらん。事の極に至れば必然反転す、これ常理なり。但だ危を転じて安と為し乱を換えて治と為さんとするは、必ず剛健・陽剛の才具あってはじめて弁じ得。ゆえに《否》卦の上九は閉塞を傾覆すること能くして、《屯》卦の上六は屯難を改変すること能わざるなり。集説に引く何楷の説:「則」という字は人事の上に落ちて体会すべし。意は閉塞が極点に到れば、人は則ち設法して之を傾覆すべし、どうして聴任して長く閉塞せしめんや――まさにこれ責任を人に交付する意なり。

《象伝》・同人卦

天與火,同人,君子以類族辨物。 本義 天在上而火炎上,其性同也,“類族辨物”,所以審異而致同也。 程傳 不云火在天下,天下有火,而云“天與火”者,天在上,火性炎上,火與天同,故為同人之義。君子觀《同人》之象,而“以類族辨物”,各以其類族,辨物之同異也,若君子小人之黨,善惡是非之理,物情之離合,事理之異同,凡異同者,君子能辨明之,故處物不失其方也。

《象伝》にいう:天と火とが並び挙ぐ、これが《同人》卦の「大象」である。君子はこれに倣って、族類に按りて群体を区分し事物を辨明す。朱熹《本義》にいう:天は上にあり、而して火性は上に向かい燃ゆ。両者の性質相同なり。「類族辨物」とは、差異を審辨して、従いて真正の相同に達せんと欲するなり。程頤《伊川易伝》にいう:「火在天下」或いは「天下有火」と言わずして、却って「天与火」と言うは、天は上に在り、火性は炎上し、火と天とは趨向一致するが故に、ゆえに取りて「同人」の義と為す。君子は《同人》の象を観て、因りて「以類族辨物」す。各々その族類に按り、事物の同と異を辨別す。君子と小人の党類、善悪・是非の道理、人情の離合、事理の異同のごとき、凡そ異同の分别に属するは、君子は皆な辨じて分明なり。ゆえに人を待ち物に接して分寸を失わざるなり。

集說 虞氏翻曰:“方以類聚,物以群分”,君子和而不同,故於同人“以類族辨物”也。 《朱子語類》云:“類族”,是就人上說。“辨物”,是就物上說,天下有不可皆同之理,故隨它頭項去分別。

集説に引く虞翻の説:《繋辞》は「方以類聚、物以群分」と講ず。君子は和睦を講求して苟同せず、ゆえに《同人》卦の裏に「以類族辨物」す。集説に引く《朱子語類》の説:「類族」は人のこの一辺に就いて講じ、「辨物」は物のこの一辺に就いて講ず。天下の事はもとより一概に相同ならざるの道理あり。ゆえにそれに順いて一項一項に分别し開くを要す。

程傳 “出門同人”於外,是其所同者廣,無所偏私,人之同也,有厚薄親疏之異,過咎所由生也,既無所偏黨,誰其咎之。 集說 休氏希元曰:“出門同人”,是解“同人于門”,明於門為出門也,言出門外去同人,無私繫而能同人者也,內不失己,外不失人,又誰得而咎之。 何氏楷曰:同人于門,《傳》以“出門同人”釋之,加一出字而意愈明。

(初九《象伝》本文「出門同人、又誰咎也」は、底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:門を出で行きて外の人と相同ずれば、則ち彼の認同する範囲は広く、偏袒・私心なし。人と人と相認同して、一旦厚薄・親疏の分别あれば、過失はこれに由りて生ず。すでに偏袒・結党なくんば、誰かまだ彼を怪罪せん。集説に引く林希元の説(底本「休氏」は「林氏」とすべし):「出門同人」は爻辞「同人于門」を解釈するなり、「于門」は則ち門を出づるを点明す。意は門外に走出りて人と相同じ、私情に牽係せられずして人と相同じること能えば、内に己を失わず外に他人を失わず、また誰か彼を怪罪すること能わん。集説に引く何楷の説:爻辞は「同人于門」と言い、《象伝》は「出門同人」を以て解釈す。一つ「出」の字を多加すれば、意は更に明白なり。

同人于宗,吝道也。 程傳 諸卦以中正相應為善,而在《同人》則為可吝,故五不取君義,蓋私比非人君之道,相同以私,為可吝也。 集說 姜氏寶曰:必出門然後無咎,若於宗,則門內之人而已,此所以吝也。

《象伝》にいう:ただ己の宗族の裏の人と相同ずるのみは、これ羞吝を招致する路数なり。程頤《伊川易伝》にいう:他の卦は皆な「中正」を以て彼此「応与」するを好しとす。然るに《同人》卦の裏に在りては反って羞吝と算す。ゆえに九五のこの一爻は君主の義を取らず――偏私に相親附するは人君の道に非ざればなり。私情に憑りて相認同するは、羞吝なり。集説に引く姜宝の説:必ず門を出で行きてこそ過錯なし。もしただ宗族の内にのみあれば、あれは不過門の裏頭の人のみ、まさにこれがそれの羞吝なる所以なり。

案 凡《易》例,九五六二雖正應,然於六二每有戒辭,《比》之“不自失”,《萃》之“志未變”是也。在《同人》之卦,其應尤專,故曰“吝道”。言若同於情之專,而不同於理之正,則其道可吝,亦因占設戒之辭爾,非與卦義異也。但在卦則通言應眾陽,而不專指九五之應,在爻則偏言與五位相應,而因以發大公之義,各不相悖。

李光地按す:凡そ《周易》の通例、九五と六二は「応与」の正配なると雖も、然るに六二に対しては往々別に告戒の辞を加う。《比》卦は「不自失」と言い、《萃》卦は「志未変」と言う、皆なこの一類に属す。《同人》卦に至りては、これ一対の相応は格外専一、ゆえに「吝道」と言う。意は、もしただ情感の専一の上に相同じて、道理の端正の上に相同ぜざれば、あの路は羞吝なり――これ同じく占筮する者の処境に就いて設けたる告戒の辞にして、全卦の意旨と相違せず。但だ整卦に就いて言えば、泛く六二が衆陽に応和するを言い、并びに専ら九五と相応ずるを指さず。爻辞に就いて言えば、則ち偏じてそれの五位と相応ずるに就きて論を立て、進んで大公・无私の道理を発揮す。両頭各々その言う所あり、彼此并びに衝突せず。

伏戎于莽,敵剛也,三歲不興,安行也。 本義 言不能行。 程傳 所敵者五,既剛且正,其可奪乎,故畏憚伏藏也,至於“三歲不興”矣,終安能行乎。 案 敵者,應也,若《艮》言“敵應”,《中孚》言“得敵”,皆謂應爻也。

《象伝》にいう:兵甲を草莽の中に埋伏するは、敵対する所の一方が剛強なるが故なり。三年も発動すること敢えてせず、どうしてなお行き通ること得ん。朱熹《本義》にいう:「安行」とはそれが根本に行き通らざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:九三の敵対する所は九五にして、剛健なると正なるを兼ね、どうして奪い取ること得ん。ゆえに畏懼・忌惮して兵を伏せ蔵匿し、「三歳不興」に至るまで、最終にまたどうして行き通ること得ん。李光地按す:「敵」は即ち「応」、《艮》卦の「敵応」と言い《中孚》卦の「得敵」と言うごとき、皆な之と相応ずるあの一爻を講ず。

乘其墉,義弗克也。其吉,則困而反則也。 本義 “乘其墉”矣,則非其力之不足也,特以義之弗克而不攻耳,能以義斷,困而反於法則,故吉也。 程傳 所以“乘其墉”而“弗克攻”之者,以其義之弗克也。以邪攻正,義不勝也,其所以得吉者,由其義不勝,困窮而反於法則也。二者,眾陽所同欲也,獨三四有爭奪之義者,二爻居二五之間也,初終遠,故取義別。

《象伝》にいう:あの城墻に登るも進攻せざるは、道義の上に攻め過ぐること能わざればなり。それが吉を得る所以は、困境に走り至りて法則に折り返るなり。朱熹《本義》にいう:すでに城墻に登りしからば、并びに力量足らざるに非ざるを見る。ただ道義の上に説き通らざるが故に攻めざるのみ。道義を以て決断し、困窘の中に法則に折り返ること能う、ゆえに吉を得たり。程頤《伊川易伝》にいう:「乗其墉」にして「弗克攻」なる所以は、道義の上に攻め下すこと能わざるが故なり。邪を以て正を攻むれば、道理の上に勝つこと能わず。それが吉を得る所以は、まさに道義の上に勝つこと能わざるに由り、困窘の余に法則に回帰したり。六二は衆陽爻が共同に欲する所にして、独り九三・九四のみ争奪の意味を帯ぶ。これ两爻がまさに二と五の間に夾まるが故に。初九と上九は離るること遠し、ゆえに義を取るも則ち同じからず。

同人之先,以中直也。大師相遇,言相剋也。 本義 “直”謂理直。 程傳 先所以“號咷”者,以中誠理直,故不勝其忿切而然也,雖其敵剛強,至用“大師”,然義直理勝,終能克之,故言“能相剋”也。相剋,謂能勝,見二陽之強也。

《象伝》にいう:人と相同じて先に声を放ち痛哭するは、内心誠実にして道理正直なるが故なり。大軍を動用して然る後に相遇うは、双方が力量を以て相勝たんとすることを言うなり。朱熹《本義》にいう:「直」とは道理が立つことを言う。程頤《伊川易伝》にいう:起先「号咷」の大哭する所以は、内心誠懇にして道理正直、あの憤懣・急切に忍びること能わざれば是のごとくなるなり。敵対する所の一方が剛強、以至「大師」を動用するに至ると言うと雖も、然るに道義正直にして事理に占優すれば、終にそれに勝つこと能う。ゆえに「能相克」と言う。いわゆる相克は即ち取勝すること能うなり。これにより九三・九四のこの両陽爻の強を見るべし。

集說 董氏銖曰:雖大師相剋,而後相遇,亦以義理之同,物終不得而間之故也。 案 《易》凡言“號”者,皆寫心抒誠之謂,故曰“中直”,言至誠積於中也。當《同人》之時,二五正應,必以相剋而後相遇者,因外卦以反異歸同取象,無它旁取也。

集説に引く董銖の説:大軍を以て相勝たんことを要し、然る後に会合するを得ると雖も、あれも亦た双方が義理の上にもとより相同じ、外物は終に彼らを隔て断つこと能わざるが故なり。李光地按す:《周易》凡そ「号」に言及する所は、皆な心意を傾瀉し誠意を抒発する意なり。ゆえに《象伝》は「中直」と言う、これは至誠が胸中に積聚することを講ず。《同人》の時に当たりて、六二と九五はもともと相応ずる正配なり。却って必ず相勝ちて然る後に相会せんとするは、これは外卦が取る所は「相異より折り返り相同ず」のこの一層の象にして、并びに別に旁より他の意を取らざるなり。

同人于郊,志未得也。 集說 蔡氏淵曰:未及乎野,非盡乎大同之道者也,故曰“志未得”。 案 卦外有野象,於野曰亨。而此爻但曰“無悔”,則知郊去野猶一間,而大同之志未得也,孔子可謂善讀周公之文矣。

《象伝》にいう:郊外に於て人と相同ずるは、心志いまだ実現せざるなり。集説に引く蔡淵の説:郊はなお曠野のごとき遠きに及ばず、まだ天下大同の道理を窮尽せざるを見る。ゆえに「志未得」と言う。李光地按す:卦の外に曠野の象あり、卦辞は「同人于野、亨」と言う。而して上九のこの一爻はただ「无悔」と言うのみ。郊が野を離るることなお一層差あり、天下大同の心志は并びに達成せざるを見る。孔子が《象伝》を作る、真に周公の係けし爻辞を善く読む人と言うべし。

《象伝》・大有卦

火在天上,大有。君子以遏惡揚善,順天休命。 本義 火在天上,所照者廣,為《大有》之象。所有既大,無以治之,則釁櫱萌於其間矣。天命有善而無惡,故遏惡揚善,所以順天,反之於身,亦若是而已矣。 程傳 火高在天上,照見萬物之眾多,故為大有。大有,繁庶之義。君子觀《大有》之象,以遏絕眾惡,揚明善類,以奉順天休美之命,萬物眾多,則有善惡之殊,君子享大有之盛,當代天工,治養庶類,治眾之道,在遏惡揚善而已,惡懲善勸,所以順天命而安群生也。

《象伝》にいう:火が天の上に在り、これが《大有》卦の「大象」である。君子はこれに倣って、邪悪を遏止し善良を表彰し、上天の美好の命令に順応す。朱熹《本義》にいう:火は高く天に懸りて、照らす所の範囲広し。ゆえに《大有》の象なり。擁有する所すでに広大なり、もし治理の方法なくんば、禍端はその裏に萌生せん。「天命」は善あるのみにして悪なし。ゆえに悪を遏め善を揚ぐるはまさに天に順応す。反して自身に施せば、道理もまた不過このごとし。程頤《伊川易伝》にいう:火は高く天の上に在り、衆多の万物を皆な照見す。ゆえに「大有」と言う。「大有」は則ち繁盛・衆多の意。君子は《大有》の象を観て、もって各種の悪を断絶し各類の善を表彰し、以て上天の美好の命令に奉行・順応す。万物すでに衆多なれば、則ち善悪の分别あり。君子はこのごとき盛大の所有を享有し、天に代わりて事を為し衆類を治理・養育すべし。衆を治むるの办法は、不過悪を遏め善を揚ぐるのみ。悪は懲戒を得善は勧勉を受く、まさに天命に順応して衆生を安定せしむるなり。

集說 王氏弼曰:大有,包容之象也。故遏惡揚善,成物之美,順夫天德休物之命。 司馬氏光曰:火在天上,明之至也,至明則善惡無所逃。善則舉之,惡則抑之,慶賞刑威得其當,然後能保有四方,所以“順天休命”也。

集説に引く王弼の説:《大有》は包容の象なり。ゆえに悪を遏止し善を表彰し、事物の美好を成全し、上天が美德を以て万物を養育するあの命令に順従せよ。集説に引く司馬光の説:火が天の上に在るは、光明の極処に至るなり。光明の極処に至れば、善悪は蔵れ匿るる処なし。善なれば則ち彼を挙拔し、悪なれば則ち彼を圧抑す。奨賞と刑威と皆な恰當に用いられ、然る後に天下四方を保有すること能う。これ則ち「順天休命」なり。

楊氏萬里曰:天討有罪,吾遏之以天,天命有德,吾揚之以天,吾何與焉,此舜禹有天下而不與也,故曰“順天休命”。《同人》離在下,而權不敢專,故止於類而辨,《大有》離在上,而權由己出,故極於遏而揚。

集説に引く楊万里の説:上天が罪ある人を討伐せんと欲すれば、我は則ち天に順いて彼を遏止す。上天が徳ある人に授命せんと欲すれば、我は則ち天に順いて彼を表彰す。我自ら何ぞ嘗て一点の私意を攙入せんや。これ則ち舜と禹が天下を擁有して而してそれを己有と為さざるの態度なり。ゆえに「順天休命」と言う。《同人》卦は離体が下に在り、権柄は独攬すること敢えてせず。ゆえにただ族類を分かち事物を辨ずるに至るまでなり。《大有》卦は離体が上に在り、権柄は己より発す。ゆえに能く一直に悪を遏め善を揚ぐるに至るまで致すこと能う。

大有初九,無交害也。 程傳 在《大有》之初,克念艱難,則驕溢之心,無由生矣,所以不交涉於害也。 集說 陸氏振奇曰:保終之道,慎於厥始,必有克艱於初。而後有天祐於終,故初曰《大有》初九,上曰《大有》上吉,獨本末見大有焉。

《象伝》にいう:《大有》卦の初九は、いまだ交涉なし、ゆえに禍害なし。程頤《伊川易伝》にいう:《大有》の開頭に処りて、能く時々事の艱難を思えば、驕縦・満溢の心思は生ずるに従由なし。ここを以て禍害と相牽渉せず。集説に引く陸振奇の説:結局を保住するの办法は、開頭に於て謹慎するに在り。必ず最初に於て能く艱難を以て自処し、然る後に終了の時の上天の保祐あらん。ゆえに初爻の《象伝》は「《大有》初九」と言い、上爻の《象伝》は「《大有》上吉」と言う。独り一頭一尾に於てことさらに「大有」の両字を点出す。

黃氏淳耀曰:“無交言”者,以九居初,是初心未變,無交故無害也。若過此而有交,則有害矣,安得不慎終如始,而一以艱處之也。 大車以載,積中不敗也。 程傳 壯大之車,重積載於其中,而不損敗,猶九二材力之強,能勝《大有》之任也。

集説に引く黄淳耀の説:《象伝》の「无交害」と講ずるは(底本は「无交言」に作る、「言」は「害」の訛り)、陽爻を以て初位に居り、最初のあの一念いまだ変質せず、交涉なきが故に禍害なきが故なり。もしこの一歩を越えて交涉有れば、禍害は来たる。どうして開頭のごとく謹慎にして最後に至り、一律に艱難の態度を以て自処せんとせざらん。《象伝》にいう:大車を以て装載するは、重物が車中に積みて圧垮せざるに至るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:壮大の車、重物を車廂の裏に堆みて損壊を受けず。九二の材質・力量が強健にして、《大有》のこの責任を担うに足るに似たり。

集說 郭氏雍曰:道積於中,無所往而不利,如大車之不可敗也。 吳氏曰慎曰:積中不敗,與《詩》言“不輸爾載”相似。 公用亨于天子,小人害也。 程傳 公當用亨于天子,若小人處之,則為害也。自古諸侯能守臣節。忠順奉上者,則蕃養其眾,以為王之屏翰。豐殖其財,以待上之徵賦。若小人處之,則不知為臣奉上之道,以其為己之私,民眾財豐,則反擅其富強,益為不順。是小人大有則為害,又大 匪其彭,無咎,明辨皙也。

集説に引く郭雍の説:道理が胸中に積蓄すれば、何処に行きても順利ならざるなし。まさに大車が装むること重きと雖も圧垮せざるがごとし。集説に引く呉曰慎の説:「積中不敗」は、《詩経》の言う所の「不輸爾載」(汝の車を翻覆せしめず)と意思相近し。《象伝》にいう:公侯が天子に献享して通達す、もし小人に換われば則ち禍害と成る。程頤《伊川易伝》にいう:公侯は理当天子に献享・通達すべし。もし小人がこの位置に処れば、則ち禍害と成る。自古以来、諸侯が臣節を守り忠誠・順服して天子に奉事するは、則ちその民衆を繁育し、王室の屏障を充とし、その財貨を豊殖し、以て朝廷の征賦に備う。もし小人がこの位置に処れば、便ち臣として上に奉るの道理を知らず、ただ己の私利を顧るのみ。人多く財豊かなるを待ちて、反って擅に富强を倚仗し、愈々順服を肯ぜず。これにより小人が一旦大有なれば則ち禍害と成り、また大……ここに底本脱文あり、程氏の語未完、下は直ちに《象伝》九四の一条「匪其彭、无咎、明辨皙也」に接続す。

本義 “皙”,明貌。 程傳 能不處其盛而得無咎者,蓋有明辨之智也。皙,明智也。賢智之人,明辨物理,當其方盛,則知咎之將至,故能損抑,不敢至於滿極也。 集說 梁氏寅曰:謂之“明辨”,而又謂之“皙”者,見其明智之極也。

朱熹《本義》にいう:「皙」とは明るく清楚なる様なり。程頤《伊川易伝》にいう:最盛の位置上に立たずして過錯なきを得るは、彼に明白・辨別の智慧あるが故なり。「皙」とは即ち明智。賢明・有智の人は、事物の道理を見ること清らかにして、正に興盛の際に当たりて、すでに過失の将に至らんとするを料到す。ゆえに能く自ら加減・損抑して、敢えて一直に満極に至るまで走らず。集説に引く梁寅の説:すでに彼を「明辨」と称し、また彼を「皙」と称す、これにより明智の極点に至れるを見るべし。

厥孚交如,信以發志也。 本義 一人之信,足以發上下之志也。 威如之吉,易而無備也。 本義 太柔則人將易之,而無畏備之心。 程傳 下之志,從乎上者也,上以孚信接於下,則下亦以誠信事其上,故“厥孚交如”。由上有孚信,以發其下孚信之志,下之從上,猶響之應聲也,威如之所以吉者,謂若無威嚴,則下易慢而無戒備也,謂無恭畏備上之道。備,謂備上之求責也。

《象伝》にいう:あの誠信が上下交相感応するは、誠信を以て衆人の心志を激発するなり。朱熹《本義》にいう:一人の誠信は、上上下下の所有人の心志を激発するに足る。《象伝》にいう:威厳を顕して吉を得るは、一味平易なれば人に戒備の心を存せしめざるが故なり。朱熹《本義》にいう:あまりに柔和なれば、人々は彼を軽慢し、更に敬畏・防備の心思を存ぜず。程頤《伊川易伝》にいう:下の者の心志は、もとより上の者に従う。上位の者が誠信を以て下を接待すれば、下もまた誠信を以て上に奉事す。ゆえに「厥孚交如」と言う。上位の者に誠信あるに由りて、はじめて下のあの誠信の心志を激発す。下が上に従うは、回声が声音に応和するがごとし。「威如」が吉なる所以は、もし毫も威厳なければ、下は容易に怠慢にして戒備を存せざるを言う――指す所はまさに下のあの恭敬・畏懼して上を防ぐ心なり。ここの「備」とは、上の求索・責問を防備するなり。

附錄 孔氏穎達曰:“信以發志”者,釋“厥孚交如”之義,由己誠信發起其志,故上下應之,與之交接也,“易而無備”者,釋“威如之吉”之義,所以“威如”者,以己不私於物,唯行簡易,無所防備,物自畏之,故云“易而無備”。 案 孔氏之說亦有理,蓋言“威如”,則疑於上下相防矣,故申之曰:“易而無備”,明乎“遏惡揚善”,順理而行,非有所戒備也。

附録に引く孔穎達の説:「信以発志」は「厥孚交如」の意を解釈す、己に誠信あるに由り、衆人の心志を激発し起こす。ゆえに上下皆な来たりて応和し、彼と交接・往来す。「易而无備」は「威如之吉」の意を解釈す。彼が威厳を顕す所以は、人に対して偏私する所なし、ただ平易・簡約に行事して、并びに何らの防備を設けざるが故に、人々は自ずから彼を敬畏す。ゆえに「易而无備」と言う。李光地按す:孔氏のこの説もまた道理あり。一たび「威如」と言えば、人をして上下が彼此提防するを疑せしめ易し。ゆえに《象伝》は一句「易而无備」を補い、いわゆる「遏悪揚善」はただ道理に順いて為すのみ、并びに人に対して戒備を存するに非ざるを表明す。

大有上吉,自天祐也。 程傳 《大有》之上,有極當變。由其所為順天合道,故“天祐”助之,所以吉也。 君子滿而不溢,乃“天祐”也。《繫辭》復申之云:“天之所助者順也,人之所助者信也,履信思乎順,又以尚賢也,是以自天祐之,吉無不利也。 ”“履信”,謂履五。五虛中,信也,“思順”,謂謙退不居,“尚賢”,謂志從於五。《大有》之世,不可以盈豐,而復處盈焉,非所宜也,六爻之中,皆樂據權位,唯初上不處其位,故初九“無咎”,上九“無不利”,上九在上,履信思順,故在上而得吉,蓋自天祐也。

《象伝》にいう:《大有》上爻の吉は、上天の保祐に来るなり。程頤《伊川易伝》にいう:《大有》の上爻は、所有すでに極処に至り、理に照らして変ずべし。それの作為する所は天道に順応し正理に合乎するに由り、ゆえに上天はそれを保祐・幇助す。ここを以て吉を得たり。君子は盈満にして外溢に至らず、これ則ち「天祐」なり。《繋辞》はまた申説していう:「天之所助者順也、人之所助者信也。履信思乎順、又以尚賢也。是以自天祐之、吉无不利也。」いわゆる「履信」とは、上九が六五の上に踏むを指す。六五は中間虚にして実ならず、まさに誠信の象なり。いわゆる「思順」とは、謙退にして其の位に自居せざるを指す。いわゆる「尚賢」とは、心志が六五に従うを指す。《大有》の時世は、もとより更に盈満を求めざるべし。もしまた盈満の地に占むれば、則ち合宜ならず。六爻の中、他の爻は皆な権位を占むるを楽しみ、独り初爻と上爻のみ其の位に居らず。ゆえに初九は「无咎」と言い、上九は「无不利」と言う。上九は身に最高処に在るも、却って誠信を践行し柔順を思念す。ゆえに上に居りて吉を得る、これまさに上天の保祐に来るなり。

集說 項氏安世曰:《象傳》曰:《大有》上吉,明事關全卦,非止上爻也,此猶《師》之上六,論師之事,至此而終,其言“大君”,蓋指六五,非謂上六為大君也。 趙氏彥肅曰:五能尊上,此《大有》所以上吉也,君之大有,極於尊賢。

集説に引く項安世の説:《象伝》が「《大有》上吉」と言うは、この事が整卦に関係し、ただ上爻に限らざるを表明す。これは《師》卦の上六に比す。用兵の事を討論してここに収尾す、それの言う所の「大君」は実は六五を指し、并びに上六が即ち大君と言うに非ず。集説に引く趙彦粛の説:六五が上九を尊崇すること能うは、まさにこれが《大有》の「上吉」なる所以の縁なり。君主の「大有」は、登峰造極の処は賢者を尊敬するに在り。

《象伝》・謙卦

地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。 本義 以卑蘊高,謙之象也。“裒多益寡”,所以稱物之宜而平其施,損高增卑,以趨於平,亦謙之意也。 集說 《朱子語類》:問:“裒多益寡”,是損高就低使教恰好,不是一向低去。曰:大抵人多見得在己者高,在人者卑,謙則抑己之高,而卑以下人,便是平也。

《象伝》にいう:大地の裏に高山を蔵す、これが《謙》卦の「大象」である。君子はこれに倣って、多きを減損し少なきを増補し、事物の分量を衡量して施予を均平ならしむ。朱熹《本義》にいう:卑下の地を以て高聳の山を包藴す、まさに謙の象なり。「裒多益寡」は、事物の適宜を称量して、施予を持平せしめんと欲す。高きを削減し低きを增益して、以て均平に趨向するは、同じく謙の意なり。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、「裒多益寡」は高きを減り下げて、低きに就着けて、それを恰好ならしむるにして、并びに一味に低きに向かうに非ざるか。朱熹が答えていう:大体上、人は総じて己のこの一辺が高く、他人のあの一辺が低しと覚える。謙とは則ち己の高きを圧し下げ、謙卑に人の下に屈居する、これを平と謂うなり。

馮氏椅曰;凡《大象》皆別立一意,使人知用《易》之理,“裒多益寡,稱物平施”,俾小大長短,各得其平,非君子謙德之象,乃君子治一世使《謙》之象也,《彖》與六爻無此意。

集説に引く馮椅の説:凡そ《大象》は、皆な別に一層の意を立てて、人をして《周易》の道理を運用するを知らしむ。「裒多益寡、称物平施」は、大小・長短をして各々その均平を得しめんと欲するなり。これは并びに君子自身の謙徳の象に非ず、而して君子が一世を治理して天下を謙譲に帰せしむるの象なり。《彖伝》と六爻の爻辞の裏に皆なこの一層の意なし。

蔡氏清曰:以卑蘊高,謙之象也。此與上本義山至高而地至卑,乃屈而止於其下不同。上所謂謙者主山言,謂高而能下也,此主地言,謂地雖卑,而中之所蘊則高,內充而外欿也。

集説に引く蔡清の説:卑下を以て高聳を包藴す、これは謙の象なり。この一条は前面《彖伝》の下に朱熹《本義》の言う所の「山は極めて高く地は極めて卑し、山は却って屈居して地の下面に止まる」と并びに相同じからず。前面の言う所の謙は、山に就きて論を立て、本来極めて高きにして能く自ら下に居るを講ず。ここでは則ち地に就きて論を立て、地は卑下なると雖も、而してその内部の藴含する所は却って極めて高く、裏頭は充実にして外表より見れば反って空歉なるを講ず。

楊氏啟新曰:人之常情,自高之心常多,下人之心常寡,不裒而益之,則自處太高,處人太卑,而物我之間,不得其平。故抑其輕世傲物之心,而多者不使之多,增其謙卑遜順之意。而寡者不使之寡,多者裒之,則自視不見其有餘,寡者益之,則視人不見其不足。而物我之施,各得其平矣,茲其為君子之謙與。

集説に引く楊啓新の説:人の常情は、自ら高く自ら大なる念頭は総じて偏多く、甘んじて人の下に居る念頭は総じて偏少なり。多きを減らさず少なきを補わざれば、則ち己をあまりに高く摆め、他人をあまりに低く摆め、人と我の間は便ち均平を失う。ゆえにあの世人を軽慢し外物を傲視する心を圧し下げて、偏多の一頭をして更に多からざらしめ、同時にあの謙卑・退譲・順従の意を長養して、偏少の一頭をして更に少なからざらしむ。多きは減損されれば、己を見れば何の人に過ぐる処も覚えず。少なきは補足されれば、人を見れば何の人に如らざる処も覚えず。このようであれば人と我の間の施予は各々その平を得、これ大概君子の謙ならん。

案 諸說皆說向謙本義上,唯馮氏以為推說,亦可相備。 謙謙君子,卑以自牧也。 程傳 “謙謙”,謙之至也,謂君子以謙卑之道自牧也。自牧,自處也,《詩》云“自牧歸荑”。

李光地按す:上面の各家の説は皆な謙の本義に向かいて講ずるに、独り馮椅のみ《大象》は別に一層の推衍と認め、この一説もまた並び存して考に備うべし。《象伝》にいう:謙にまた謙なる君子は、卑下を以て己を牧養す。程頤《伊川易伝》にいう:「謙謙」は謙の極処に至る、君子が謙卑の道を以て己を牧養するを言う。「自牧」は則ち自我を安頓す。《詩経・邶風・静女》に「自牧帰荑」の句子あり、「牧」の字の用法は参看すべし。

集說 孔氏穎達曰:“牧”,養也。解“謙謙君子”之義,恆以謙卑自養其德也。 王氏宗傳曰:“謙”,卑德也。初,卑位也。養德之地,未有不基於至卑之所,所養也至,則愈卑而愈不卑矣,此自養之方也。

集説に引く孔穎達の説:「牧」は則ち養。これは「謙謙君子」の意を解釈す、彼が常に謙卑を以て己の徳行を涵養するを言うなり。集説に引く王宗伝の説:「謙」は卑下の徳、初六は卑下の位。徳行を涵養する処は、従来最も卑下の処に奠基せざるなし。涵養が家に到れば、愈々自ら卑下に処るほど愈々卑ならざるを顕す。これまさに自我涵養の門径なり。

張氏栻曰:“謙謙君子,卑以自牧”,如牧牛羊然,使之馴服,方可以言謙。今人往往反以驕矜為養氣,此特客氣,非浩然之氣也。 俞氏琰曰:爻辭“謙謙”句點,爻《傳》乃以“君子”綴於“謙謙”之下,謂“謙謙”乃君子之德,非君子則不能“謙謙”也。

集説に引く張栻の説:「謙謙君子、卑以自牧」は、牛羊を牧放するがごとく、それを調馴・服帖して、はじめて謙を談ずべし。今の人は往々反って驕矜・自大を以て気概を涵養すると為す、あれはただ一時浮動の客気にして、孟子の言う所の浩然の気に非ず。集説に引く俞琰の説:爻辞は「謙謙」の処に点断す、《象伝》は却って「君子」の両字を「謙謙」の下に綴る、これは「謙謙」は乃ち君子の徳行にして、君子に非ざれば「謙謙」を致すこと能わざるを言うなり。

鳴謙貞吉,中心得也。 程傳 二之謙德,由至誠積於中,所以發於聲音,中心所自得也,非勉為之也。 集說 胡氏瑗曰:“中心得”者,言君於所作所為皆得諸心,然後發之於外,故此謙謙皆由中心得之,以至於聲聞流傳於人,而獲至正之吉也。

《象伝》にいう:謙徳が声音に発露して正を守りて吉を得るは、内心真に得る所有るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六二の謙徳は、至誠が胸中に積蓄するに来り、ゆえに自ずから声音の上に発露す、これは内心が自ら得たるにして、勉强して作り出すに非ず。集説に引く胡瑗の説:いわゆる「中心得」とは、君子の一切の作為は皆な先に心裏に得る所有りて、然る後に外に発露すを言う。ゆえにこの謙謙の徳は皆な内心に由りて得て、名声が衆人の耳裏に伝揚するに至り、而して極めて端正の吉を獲す(底本「君于」は「君子」とすべし)。

勞謙君子,萬民服也。 程傳 能“勞謙”之君子,萬民所尊服也。《繫辭》云:“勞而不伐,有功而不德, 集說 吳氏澄曰:“萬民服”,謂有終而吉也。 俞氏琰曰:爻辭本以“勞謙”句點,爻《傳》又以君子二字屬之,言勞而能謙,乃君子之德,非君子則不能如是也。

《象伝》にいう:功労ありて謙譲すること能う君子は、万民皆な彼に帰服す。程頤《伊川易伝》にいう:能く「労謙」の君子は、万民の尊崇・帰服する所なり。《繋辞》にいう:「労而不伐、有功而不徳……」ここに底本脱文あり、程氏の引く所未完、下は直ちに集説に接続す。集説に引く呉澄の説:いわゆる「万民服」は、彼が能く好き結局を得て吉を得るを言う。集説に引く俞琰の説:爻辞はもと「労謙」の処に点断す、《象伝》はまた「君子」の両字を連属し上げる、これは功労ありて謙譲すること能うは乃ち君子の徳行にして、君子に非ざればこのごとく致すこと能わざるを言う。

無不利撝謙,不違則也。 本義 言不為過。 程傳 凡人之謙,有所宜施,不可過其宜也。如六五“或用侵伐”是也,唯四以處近君之地,據勞臣之上,故凡所動作,摩不利於施謙,如是然後中於法則,故曰“不違則”也,謂得其宜也。 集說 《朱子語類》云:“不違則”,言不違法則,“撝謙”是合如此,不是過分事。

《象伝》にいう:往く所利ならざるなき謙譲を発揮するは、法則に違背せざるが故なり。朱熹《本義》にいう:これは彼が謙にして并びに過分ならざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:一般人の謙譲は、施用に合適の分寸あるを要し、分寸を超過すべからず。六五の爻辞の言う「或用侵伐」は則ち一例なり。独り六四のみ君位に貼近する処に処り、また功労ある大臣の上に踏む。ゆえに一挙一動に謙譲を施行するに宜ならざるなし(底本「摩不利」は「靡不利」とすべし)。こうしてこそ法則に合乎、ゆえに「不違則」と言う、意は恰その宜を得るなり。集説に引く《朱子語類》の説:「不違則」とは、法度に違背するなきを言う。「撝謙」はもとよりこのごとく為すべきにして、并びに過分の事に非ず。

利用侵伐,征不服也。 程傳 徵其文德謙巽昕不能服者也,文德所不能服,而不用威武,何以平治天下?非人君之中道謙之過也。 集說 何氏楷曰;“侵伐”非黷武,以其不服,不得已而征之,正以釋征伐用謙之義。

《象伝》にいう:兵を用いて討伐するに宜しきは、往きてあの帰服を肯ぜざる人を征討するなり。程頤《伊川易伝》にいう:征討する所は、まさに文徳と謙遜とが感化すること能わざるあの一等の人なり(底本「昕」は「所」とすべし)。文徳の感化すること能わざれば、また威武を動用するを肯ぜず、何を以て天下を平定・治理せん。然らば則ち人君の中道に合せず、反って謙に過頭なり。集説に引く何楷の説:「侵伐」は并びに兵を窮め武を黷るに非ず、ただ相手方が帰服を肯ぜざるに因り、已むを得ず往きて征討す。これまさに《謙》卦の裏に何を以てなお征伐を講ずるを解釈す。

鳴謙,志未得也。可用行師,征邑國也。 本義 陰柔無位,才力不足,故其志未得,而至於行師,然亦適足以治其私邑而已。 程傳 謙極而居上,欲謙之志未得,故不勝其切至於鳴也。雖不當位,謙既過極,宜以剛武自治其私,故云“利用行師,征邑國”也。

《象伝》にいう:謙徳が声音に発露するは、心志いまだ実現せざるなり。もって出兵すべきは、亦ただだ己の封邑・小国を征するのみ。朱熹《本義》にいう:上六は陰柔にしてまた実位なし、才具・力量足らず。ゆえに心志は実現すること能わず。縦使出兵のこの一歩に動くと雖も、不過剛に己の私邑を整治するに足るのみ。程頤《伊川易伝》にいう:謙は極点に至りてまた最上に居り、更に謙に往かんと欲する心志は実現するに従由なし。ゆえにあの懇切を按抑すること能わず、声音に形るに至る。居る所の位当たらざると雖も、謙はすでに過頭に過ぐれば、則ち剛強・武断を以て己の分内の事を整治すべし。ゆえに「利用行師、征邑国」と言う。

集說 項氏安世曰:六二“鳴謙”,《象》以“中心”解之,上六“鳴謙”,《象》以“志”解之,《豫》之初六“鳴豫”,《象》又以“志”解之,然則凡言鳴者皆志也,志有憂有樂,皆寓於鳴。當豫之時,人志以從上為樂,當謙之時,人志在下,不以上為樂也。 谷氏家傑曰:上之“鳴謙”,外雖有聲譽,而其心則欿然不自滿足,志猶未得也。“志未得”,正是謙處。

集説に引く項安世の説:六二の「鳴謙」は《象伝》が「中心」を以て解釈し、上六の「鳴謙」は《象伝》が「志」を以て解釈し、《豫》卦初六の「鳴豫」は《象伝》も亦た「志」を以て解釈す。これにより凡そ「鳴」に言及するは、皆な心志を講ずるを見る。心志に憂あり楽あり、皆なこの一声の鳴に寄托す。《豫》の時に当たりては、人の心志は上の者に従うを以て楽とす。《謙》の時に当たりては、人の心志は下面に安放され、并びに上に居るを以て楽とせず。集説に引く谷家傑の説:上六の「鳴謙」は、外面すでに名声あると雖も、心中は却って空歉にして自ら満足せず、志向はなお達成せざりと覚ゆ。この「志未得」は、恰々まさに彼が謙たる処なり。

何氏楷曰:“志未得”者,上居《謙》之極,方自視歉然,而猶以其謙為未足,如益贊於禹滿損謙益之意。 案 《象傳》意,言上六之“鳴謙”,由其中心之志,欿然不自滿足故也,是以雖 雷出地奮,豫。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。

集説に引く何楷の説:いわゆる「志未得」とは、上六が《謙》卦の頂点に居り、まさに自ら空歉・不足と覚え、なお己の謙に足らざるを嫌う、《尚書・大禹謨》の裏に益が禹に進言して言う所の「満招損、謙受益」のあの一層の意のごとし。李光地按す:《象伝》の意旨は、上六の「鳴謙」が、その内心の志向の空歉にして自満せざるに出るを言う。ここを以て雖……ここに底本脱文あり、按語未完、下は直ちに《象伝》《豫》卦「大象」の一条「雷出地奮、豫。先王以作楽崇徳、殷薦之上帝、以配祖考」に接続す。

《象伝》・豫卦

本義 “雷出地奮”,和之至也,先王作樂,既象其聲,又取其義。殷,盛也。 程傳 雷者,陽氣奮發,陰陽相薄而成聲也。陽始潛閉地中,及其動,則出地奮震也,始閉鬱,及奮發則通暢和豫,故為《豫》也。坤順震發,和順積中而發於聲,樂之象也。先王觀雷出地而奮,和暢發於聲之象,作聲樂以褒崇功德,其殷盛至於薦之上帝,推配之以祖考。“殷”,盛也。禮有殷奠,謂盛也,薦上帝,配祖考,盛之至也。

朱熹《本義》にいう:「雷出地奮」は、和暢の極処に至るなり。先王が音楽を制作す、すでに雷の声音に取法し、またその意義を取用す。「殷」は則ち盛大なり。程頤《伊川易伝》にいう:雷とは、陽気の奮発、陰陽相互の激盪して声を成すなり。陽気は起初潜蔵・閉鎖して地中に在り、それの一動を待ちて、便ち地面に冲出して震動・奮発す。起初は郁閉せしが、一旦奮発し出でれば通暢・和楽す。ゆえに《豫》と言う。下卦の坤は順、上卦の震は動、和順が中に積蓄して声音に発露す、まさに音楽の象なり。先王は雷が地に出でて奮発し和暢の気が声音に発するこの象を観て、於是楽曲を制作して功德を褒揚・崇奉し、その隆盛に至りては以て上帝に献祭し、併せて祖先を推尊して配享せしむ。「殷」は則ち盛、礼制の中に「殷奠」あり、言う所は盛大なり。上帝に献祭し祖考を以て配享するは、あれは隆盛の頂点に至るなり。

集說 荀氏爽曰:樂者,聖人因人之豫而節之,所以養其正而閒其邪,其和可以感鬼神,而況於人乎。 鄭氏康成曰:“奮”,動也。雷動於地上,萬物乃豫也,人至樂則手欲鼓之,足欲舞之,王者功成作樂,以文得之者作龠舞,以武得之者作萬舞,各充其德而為制,祀天帝以配祖考者,使與天同饗其功也,故《孝經》云,郊祀后稷以配天,宗祀文王於明堂以配上帝也。

集説に引く荀爽の説:音楽とは、聖人が人心の歓愉に順いて之に節制を加え、もってその正を涵養しその邪を防閑するなり。あの和気は鬼神をも感動するに連なり、何況や人をば。集説に引く鄭玄(字は康成)の説:「奮」は則ち動。雷は地の上に震動し、万物は於是歓暢す。人は快楽の極処に到れば、手は撃拍せんと思い足は起舞せんと思う。王者は功業成就すれば便ち楽舞を制作す。文徳を以て天下を取得するは「龠舞」を作り、武功を以て天下を取得するは「万舞」を作る。各々己の徳行に按りて制度を定む。天帝を祭祀して祖先を以て配享するは、祖先をして上天と一同にこの功業を享受せしめんと欲するなり。ゆえに《孝経》に言う、郊に於て天を祭るに后稷を以て配享し、明堂に於て文王を尊祀して以て上帝に配すと。

胡氏炳文曰:《本義》云象其聲者,樂之聲法雷之聲,又取其義者,豫以和為義,雷所以發揚化功,而鼓天地之和,樂所以發揚功德,而召神人之和也。 初六,鳴豫,志窮凶也。 本義 窮,謂滿極。 程傳 雲初六,謂其以陰柔處下,而志意窮極,不勝其豫,至於鳴也,必驕肆而致凶矣。

集説に引く胡炳文の説:朱熹《本義》が「象其声」と講ずるは、楽の声音が雷の声音に取法するを言う。「又取其義」と講ずるは、《豫》が和を以て義とするを言う――雷はもって造化の功を発揚し天地の和気を鼓動するに用いられ、楽は則ちもって功業・徳行を発揚し神と人の和気を召来す。《象伝》にいう:初六が歓愉に叫び声を出すは、心志すでに窮極して凶を致すなり。朱熹《本義》にいう:「窮」とは満の極処に至るを言う。程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》がことさら「初六」を標出するは、それが陰柔の質を以て最下に処りて、而して心意はすでに窮極し、あの得意を按抑すること能わず、叫び声を出すに至るを指す。このようであれば必ず驕縦・放肆にして兇険を招く。

集說 楊氏簡曰:位之在下,未為窮也,豫而鳴,其志窮矣。 趙氏汝楳曰:位方在初,時勢未窮,而競躁如此,是志已先窮,自取其凶者也。 不終曰貞吉,以中正也。 程傳 能‘不終日’而‘貞’且‘吉’者,以有中正之德也。中正故其守堅而能辨之早,去之速,爻言六二處豫之道,為教之意深矣。

集説に引く楊簡の説:位置は下に在り、本身はなお窮と算せず。一たび得意して叫び声を出せば、あの心志は是れ真に窮なり。集説に引く趙汝楳の説:位置は才に初爻に在り、時勢はいまだ尽頭に至らず、すでにこのごとく争競・浮躁す。これにより心志は先に自ら窮尽したるを見る。凶は自ら招来するなり。《象伝》にいう:一日を用いずして正を守りて吉を得るは、「中正」の徳を具えるが故なり(底本「不終曰」は「曰」を「日」の訛りとす)。程頤《伊川易伝》にいう:能く「不終日」にしてまた「貞」また「吉」なるは、それに中正の徳行あるが故なり。惟れそれ中正なるが故に、操守は堅定にして、能く及早に辨明し迅速に抽身す。爻辞の講ずる六二が《豫》の時に処身するの道は、垂教の用意は甚だ深し。

集說 黃氏淳耀曰:“中正”,即“介石”意,是推明所以“不終日”之故。 盱豫有悔,位不當也。 程傳 自處不當,失中正也,是以進退有悔。 集說 王氏申子曰:此爻與六二相反,‘盱’則不能“介于石”,“遲”則不能“不終日”,中正與不中正故也。

集説に引く黄淳耀の説:「中正」は則ち爻辞「介于石」の意にして、「不終日」の縁由を推究したるなり。《象伝》にいう:顔を仰いで楽を求めて悔ありとあるは、居る所の位恰當ならざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は自処當ならず、中正を失う。ゆえに進めば悔、退けば悔なり。集説に引く王申子の説:この一爻は六二と正反対なり。一味に「盱」して臉色を上に仰望すれば、「介于石」のごとき耿介を致すこと能わず。一味に遅疑・拖延すれば、「不終日」のごとき果斷を致すこと能わず。分別はただ中正と不中正にあるのみ。

由豫大有得,志大行也。 集說 喬氏中和曰;剛應而志行,蓋由四以陽剛為群陰所應,故其志得以大行也。 六五貞疾,乘剛也。恆不死,中未亡也。 程傳 貞而疾,由乘剛為剛所逼也。“恆不死”,中之尊位未亡也。

《象伝》にいう:衆人が彼に由りて歓楽を得て、因りて大いに獲る所有るは、彼の心志が大いに施行することを得たるなり。集説に引く喬中和の説:陽剛の爻が応和を得て心志を施行するは、まさに九四が陽剛の質を以て一群の陰爻に応和せられるが故に、その志向が大行すること能うなり。《象伝》にいう:六五が正を守りて疾患あるは、それが陽剛の上に凌駕するが故なり。長久にして死亡に至らざるは、居中の尊位いまだ丟れざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:正を守るも疾患を生ずるは、それが「乗剛」にして、下面の陽剛に逼られしに由る。いわゆる「恒不死」は、それが居中の尊位をいまだ失わざるを言う。

集說 楊氏時曰:居豫之時,無剛健之才,逸於豫者也。孟子曰:入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國常亡。六五之乘剛,有法家拂士敵國外患之謂也,左右救正之故以正為疾,雖未能執其中而中未亡,則不死於安樂矣,故“常不死”。 鄭氏汝諧曰:二與五皆不言豫,二靜晦,不為豫也,五乘剛,不敢豫也,若人得一固疾,雖不快於已,亦足以久其生者,有戒心也,是以終未亡而常存。

集説に引く楊時の説:《豫》の時に処りて、また剛健の才具なければ、則ち安逸・享楽の人なり。孟子が言いしことあらん:国の内に法度を守る世臣と輔弼の賢士なく、国の外に敵対の邦国と外来の憂患なきがごとき国は、往々にして滅亡す。六五の「乗剛」は、まさに法家・拂士あり敵国・外患あるの処境に相当す。左右に人あってそれを匡救・扶正すれば、ゆえにそれは反ってこの匡正を以て疾患と為す。それは雖もなお真に中道を執守すること能わざれども、居中の位は并びに丟れず。就中や安楽の裏に死するに至らず、ゆえに「常不死」と言う。集説に引く鄭汝諧の説:六二と六五は皆な「豫」の字を提げず。六二は安静・晦蔵して逸楽せず。六五は下面の陽剛に逼られて、敢えて逸楽せず。人が一種の痼疾を得るがごとく、自ら痛快ならざると雖も、亦た以て寿命を延長するに足る。心中に常に戒懼を存するが故に、終に亡びずして長く存す。

胡氏炳文曰:豫最易以溺人,六二柔中且正,能不終日而去之。六五陰柔不正,未免溺於豫矣!猶得不死者,“中未亡”也。人莫不生於憂患,而死於逸樂,以六五之中,僅得不死,然則初之“鳴”,三之“盱”,上之“冥”,其不中者,皆非生道矣。

集説に引く胡炳文の説:安楽は最も容易に人を淹没す。六二は柔順にして中に居りてまた「當位」の正を得て、能く一天の過ぐるを待たずして抽身・離去す。六五は陰柔にして當位ならず、難免や安楽の裏に沈溺せん。居然としてなお死せざるは、「中未亡」に頼るなり。人に憂患に生まれ安楽に死せざるはなし。六五を憑りて一個の「中」の字を占むるも、不過勉强にして不死を保住するのみ。然らば則ち初六の「鳴豫」、六三の「盱豫」、上六の「冥豫」、これらすでに中に居らざるは、則ち皆な活路に非ず。

冥豫在上,何可長也。 程傳 昏冥於豫。至於終極,災咎行及矣,其可長然乎,當速渝也。 集說 胡氏瑗曰:“何可長”者,言其悅豫過甚,至於情蕩性冥而不知所止,是“何可長”如此乎,言能渝變,則可以無咎也:王氏申子曰:豫至於上極矣,極則不可以久,速渝可也。

《象伝》にいう:逸楽に昏昧してまた最上に居る、これ何ぞ長くすること能わん。程頤《伊川易伝》にいう:昏昏然として安楽の裏に沈迷し、一直に尽頭に到れば、災禍・過咎はまさに臨頭せんとす。豈になおこのまま下去ること能わんや。まさに赶快に改変すべし。集説に引く胡瑗の説:いわゆる「何可長」とは、彼が喜悦・逸楽に過頭して、情感放蕩・心性昏昧にして何処に止まるを知らざるに至るを言う。このごとくして何ぞ長久ならん。言外の意はただ能く改変すれば、即ち以て過錯なかるべし。集説に引く王申子の説:《豫》は上爻に到れば則ち極点なり。極点に到れば便ち持久すべからず。赶快に改変してこそ對なり。

《象伝》・随卦

澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。 本義 雷藏澤中,隨時休息。 程傳 雷震於澤中,澤隨震而動,為《隨》之象。君子觀象,以隨時而動,隨時之宜,萬事皆然,取其最明且近者言之。“君子以嚮晦入宴息”,君子晝則自強不息,及向昏晦,則入居於內,宴息以安其身,起居隨時,適其宜也。禮君子晝不居內,夜不居外,隨時之道也。

《象伝》にいう:大沢の中に雷の潜伏あり、これが《随》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、天色の晩に向かえば屋に入りて歇息す。朱熹《本義》にいう:雷は沢中に収蔵す、まさに時令に順いて休息するなり。程頤《伊川易伝》にいう:雷は沢中に震動し、沢水は雷震に随いて動盪す、これは《随》の象なり。君子はこの象を観て、就ち時勢に随いて行動す。時勢の宜しき所に順随するは、万事皆なこの道理なり。ここではただ最も明白・最も切近の一件を取りて講ず。「君子以向晦入宴息」とは、君子は白天に自強・不息にして事を為し、天色の昏晩に到れば、就ち屋の裏に進み入り、安歇して身体を休息せしむ。起居・作息は時候に順いて、各々その宜を得る。礼制に按れば、君子は白天に内室を待たず、夜裏に外面を待たず。これまさに随時の道理なり。

集說 翟氏玄曰:“晦”者冥也,雷者陽氣,春夏用事,今在澤中,秋冬時也。故君子象之,日出視事,其將晦冥,退入宴寢而休息也。 《朱子語類》:問:程子云澤隨雷動,君子當隨時宴息,是否?曰:既曰雷動,何不言君子以動作,卻言宴息,蓋其卦震下兌上,乃雷入地中之象,雷隨時伏藏,故君子亦“嚮晦入宴息”。

集説に引く翟玄の説:「晦」は則ち昏暗なり。雷は陽気に属し、春夏に当令す。如今却って沢中に伏す、これにより秋冬の時節を見るべし。ゆえに君子はこれに倣って、太陽出でれば出でて理事し、天色まさに昏黒せんとすれば、就ち退回して内室に安寝・休息す。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、程頤が沢は雷に随いて動き、君子はまさに時に随いて安息すべしと言う、この話は對か。朱熹が答えていう:すでに雷は動くと言う、何を以て君子のまさに起きて行動すべきを講ぜず、反って安息を講ずるや。因るにこの一卦は震は下に在り兌は上に在り、まさに雷が地中に潜入するの象なり。雷は時令に順いて伏蔵す。ゆえに君子も亦た「向晦入宴息」す。

官有渝,從正吉也。出門交有功,不失也。 程傳 既有隨而變,必所從得正則吉也,所從不止。則有悔吝。出門而交,非牽於私,其交必正矣,正則無失而有功。 集說 俞氏琰曰:卦以陽爻為主,為主者故不當隨人,而陽亦不當隨陰,然以正從正,則隨道之當然也。

《象伝》にいう:主とする所の事に変動ありて、正道に跟従すれば則ち吉なり。門外に走り出でて交往して功あるは、閃失あらざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:すでに形勢に随いて改変する所あれば、必ず跟従する所の一方端正なるを須としてこそ吉なり。跟従の對象端正ならざれば、悔恨・羞吝を招来せん(底本「所従不止」は「止」を「正」とすべし)。門外に走り出でて交往し、私情の牽累を受けざれば、交往の對象は必ず端正なり。端正なれば則ち閃失なくして建功すること能う。集説に引く俞琰の説:この一卦は陽爻を以て主とす。主を為すはもとより人に随うべからず、陽もまた陰に随うべからず。不過もし正を以て正に随わば、則ちあれは道に随う当然の様子なり。

程傳 人之所隨,得正則遠邪,從非則失是,無兩從之理,二苟繫初,則失五矣,弗能兼與也,所以戒人從正當專一也。 案 九五、六二之應同也,在《比》、《萃》則“吉”,在《同人》則“吝”,在《隨》則“係小子”,而吝亦可知矣。所以然者。皆因卦義而變,卦義以剛下柔,柔必繫之。 故推之爻義,而知其“弗兼與也。”

(六二《象伝》の本文「繋小子、弗兼与也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:人の跟従する對象は、その正を得れば則ち邪に遠ざかる。錯の一頭に跟従すれば、則ち對の一頭を失う。両頭兼ねて従うの道理なし。六二がもし初九を牽繋すれば、則ち九五を失う。両辺は兼顧すること能わず。これは人を誡めて正道に跟従するに必ず専一ならしむるなり。李光地按す:九五と六二の相応は、各卦もとより一樣なり。可是《比》《萃》の両卦に於ては「吉」と言い、《同人》卦に於ては「吝」と言い、《随》卦に於ては「繋小子」と言う。然らば則ちその羞吝も亦た想見すべし。然る所以は、皆な各卦の卦義に随いて変ずるなり。《随》卦の卦義は陽剛が柔下に屈居すれば、柔は就ち必ず往きてそれを牽繋す。ゆえに爻義に推して、便ちそれが「弗兼与也」なるを知る。

繫丈失,志舍下也。 程傳 既隨於上,則是其志舍下而不從也。舍下而從上,舍卑而從高也,於隨為善矣。 集說 黃氏淳耀曰:人之取舍繫乎志,三志既繫於四,則所舍必在於初矣。在二則因繫以明其弗兼,在三則因舍以堅其所繫。

《象伝》にいう:成年の男子を牽繋するは、心志が下面を捨棄したるなり(底本「繋丈失」は「失」を「夫」の訛りとす)。程頤《伊川易伝》にいう:六三すでに上面の九四に随従すれば、則ちあれはその心志が下面を捨棄して更に跟従せず。下を捨てて上に従うは、卑者を捨棄して尊者に跟従するにして、《随》卦の裏に於ては好しと算す。集説に引く黄淳耀の説:人の取り捨ては心志に繋る。六三の心志すでに九四に牽繋すれば、然らば則ちそれが捨棄する所は必ず初九なり。六二に於ては、「繋」のこの一面に就きてそれが両頭を兼顧すること能わざるを点明す。六三のここに於ては、「捨」のこの一面に就きてそれが牽繋する所の一頭を堅定す。

案 此爻何以知其志舍下,以無剛來下之,則必從上之剛矣,四近而初遠故也。卦義以剛下柔,而此爻以柔從剛,於時義則不合,而不失乎陽唱陰隨之常理,故聖人猶嘉其志焉。

李光地按す:この一爻は何を憑りてその心志が下面を捨棄したると断定せん。因るに下面に陽剛のそれに屈就するなく、則ちそれは必ず往きて上面の陽剛に跟従す。何況や九四は近く初九は遠し。全卦の卦義は陽剛が柔下に屈居するにして、而してこの一爻は却って柔が剛に跟従し往くなり。一卦の当時の意旨に就きて言えば并びに吻合せざれども、仍旧として陽唱・陰随の常理に違背せず。ゆえに聖人はその心志に対してなお嘉許を加う。

隨有獲,其義凶也。有孚在道,明功也。 程傳 居近君之位而有獲,其義固凶,能有孚而在道則無咎,蓋明哲之功也。 集說 袁氏樞曰:其義凶者,有凶之理也,處得其道如下所云,則無咎矣。

《象伝》にいう:随従して獲取する所有るは、道理に就きて講ずれば凶なり。心に誠信を懐きて正道に合乎するは、これは明智の帶来する功效なり。程頤《伊川易伝》にいう:身に君主に貼近する位置に居りてまた収穫あるは、道理に就きて本来凶なり。能く誠信を懐きて正道に合乎すれば、過錯なし、これは明達・睿智の功效なり。集説に引く袁枢の説:いわゆる「其義凶」とは、この裏頭に凶を招くの道理を含むを言う。もし能く下文の言うごとく処置・得當ならば、亦た過錯なかるべし。

案 義者,謂卦義也,卦義剛下於柔,而四剛為柔隨,且處近君之地,尤有招納之嫌,故曰“其艾凶也”。 孚于嘉,吉。位正中也。 程傳 處正中之位,由正中之道,孚誠所隨者正中也,所謂“嘉”也,其吉可知。 所孚之嘉謂六二也,隨以得中為善,隨之所防者過也,蓋心所說隨,則不知其過矣。

李光地按す:ここの「義」は卦義を指す。《随》卦の卦義は陽剛が柔下に屈居するにして、而して九四は陽剛の質を以て反って柔に随従せられ、また君主に貼近する処に処れば、格外に人心を招引・収納するの嫌疑あり。ゆえに「其義凶也」と言う(底本「其艾凶也」は「艾」を「義」の訛りとす)。《象伝》にいう:誠信にて美善の一方に随従して吉を得るは、九五の位すでに正にして且つ中なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:正中の位に処り、正中の道を走り、誠信にて随従する所も亦た正中の一方なり、これ則ちいわゆる「嘉」なり。その吉は想知すべし。それが誠信にて随従する「嘉」は六二を指す。随従は中を得るを以て好しと為し、随従の提防すべき所は過分なり。因るに心中一たび喜べば則ち随い下りて、往々自らの過分を察覚せず。

案 當隨之時,居尊位而有正中之德,則所孚者皆善矣,初五皆言吉,而五尤吉,以其正中故爾。 拘係之,上窮也。 本義 “窮”,極也。 程傳 隨之固如“拘繫”維持,隨道之窮極也。

李光地按す:《随》の時に当たりて、身に尊位に居りて正中の徳を具えれば、然らば則ちそれが信従する人は自ずから皆な善類なり。初九と九五は皆な吉に言及す、而して九五は尤も吉なり、まさにそれがすでに正にして且つ中なるに因る。《象伝》にいう:彼を拘捕・捆縛し起きるは、上六すでに尽頭に到れるなり。朱熹《本義》にいう:「窮」は則ち極なり。程頤《伊川易伝》にいう:随従が堅固にして拘禁・捆縛せらるるがごとく維系せられるに至るは、これは随道の窮極に走到したるなり。

案 上窮則有高亢之意,在人如絕世離群,往而不返者是也。卦之陰爻皆云“繫”,至上六獨曰“拘係之”,故未子發明其義,以為因上六之不易繫也。

李光地按す:上爻は窮極なれば、便ち高亢・孤絶の意味を帶び、人事の上に於てはあの世と隔絶し人群を離れ一去・不返の人のごとし。この一卦の陰爻は皆な「繋」と言う、上六に到りて却って単に「拘繋之」と言う。ゆえに朱熹はことさらその意を闡発して、これは上六がもとより繋住し易からざるに因ると認む(底本「未子」は「朱子」とすべし)。

《象伝》・蠱卦

山下有風,蠱。君子以振民育德。 本義 “山下有風”,物壞而有事矣。而事莫大於二者,乃治己治人之道也。 程傳 “山下有風”,風遇山而回,則物皆散亂,故為有事之象。君子觀有事之象, 集說 李氏舜臣曰:“山下有風”,則風落山之謂。山木摧落,蠱敗之象。飭蠱者,必須有以振起之。“振民”者,猶巽風之鼓為號令也。“育德”者,猶艮山之養成材力也。

《象伝》にいう:山の下面に風が刮く、これが《蠱》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、百姓を振奮し徳行を培育す。朱熹《本義》にいう:「山下有風」は、東西が吹き壊されて、於是為すべき事あり。而して事はこの両件より大なるはなし、則ち己を治理し人を治理するの道理なり。程頤《伊川易伝》にいう:「山下有風」は、風は山に碰上れば便ち回旋し、万物は皆な吹き散乱せらる。ゆえに「有事」の象なり。君子はこの有事の象を観て、……ここに底本脱文あり、程氏の語未完、下は直ちに集説に接続す。集説に引く李舜臣の説:「山下有風」と言う所は、風が山上の東西を吹き落とすを講ず。山上の林木は摧折・凋零し、まさに敗壊・生蠹の象なり。敗壊を整治せんと要すれば、必ずそれを振作し起こすの办法あらん。いわゆる「振民」は、巽風の鼓盪して号令と化するに比す。いわゆる「育徳」は、艮山の涵養して材質・力量を成就するに比す。

《易》中育德多取于山,故《蒙》亦曰“果行育德”。 楊氏文煥曰:振萬物者莫如風,育萬物者莫如山。 李氏簡曰:“山下有風”,振物之象也。《蠱》之時,民德敗矣,敗而育之,必振動之,使離其故習可也,猶風之撓物,適所以養之也。

李舜臣が接続して言う:《周易》の裏に「育徳」を講ずるは多半山に取象す。ゆえに《蒙》卦《大象》も亦た「果行育徳」と言う。集説に引く楊文煥の説:能く万物を振動するは、風に比するなし。能く万物を養育するは、山に比するなし。集説に引く李簡の説:「山下有風」は、万物を振動するの象なり。《蠱》の時に到れば、民風・徳行すでに敗壊す。敗壊したるを培育せんと要すれば、必ず先にそれを振動し起こして、それを旧有の習気に脱離せしめてこそ可なり。まさに風が草木を揺撼するは、恰々則ちそれらを養育するがごとし。

俞氏琰曰:《小畜》之風在天上,《觀》之風在地上,《渙》之風在水上,並無所阻,故皆言行。《蠱》之風則止於山下,為山所阻,而不能條達,故不言行而言有。 沈氏一貫曰:風遇山而回,物皆擾亂,是為有事之象,君子以振起民心而育其德,“作新民”也。

集説に引く俞琰の説:《小畜》の風は天上に在り、《観》の風は地上に在り、《涣》の風は水上に在り、皆な何らの阻碍なし。ゆえに《大象》は一概に「風行」と言う。《蠱》の風は却って山下に停りて、山に挡がれて、舒展・通達すること能わず。ゆえに「行」と言わずして「有」と言う。集説に引く沈一貫の説:風は山に碰上れば便ち回旋し、万物は皆な攪擾・紛乱せらる。これは有事の象なり。君子は因りて民心を振作し彼らの徳行を培育す、亦た則ち《大学》の引く所の「作新民」なり。

案 諸家“以振民育德”,懼為治人之事。與傳義不同,考其文意似為得之,蓋治己不應後於治人,而《蒙》之“果行育德”,亦施於蒙者之事也,若《漸》之“居賢德善俗”,為治己治人,則語次先後判然,且“居”與“育”亦有別。

李光地按す:各家は「以振民育徳」を皆な人を治するの事と看作す(底本「惧」は「俱」とすべし)、程頤《伊川易伝》、朱熹《本義》の講法と相同じからず。文意を考究すれば、各家の説法は似かより妥當なり。因るに己を治理するは人を治理するの後に排すべからず、而して《蒙》卦の「果行育徳」も亦た蒙昧の者の身上に施加するの事なり。《漸》卦の「居賢徳善俗」に至りては、あれこそ己を治と人を治とを兼ねて言うなり。語句の先後は分かること清清楚楚、何況や「居」の字と「育」の字も亦た自ずから分別あり。

幹父之蠱,意承考也。 程傳 子幹父蠱之道,意在承當於父之事也,故祗敬其事,以置父於無咎之地,常懷惕厲,則終得其吉也,盡誠於父事,吉之道也。 集說 項氏安世曰:“幹父之蠱”,跡若不順,意則承之也。跡隨時而遷,久則有敝,何可承也。孝子之於父,不失其忠愛之意而已。

《象伝》にいう:父輩の遺留したる弊壊を匡正するは、用意は父を承継するに在り。程頤《伊川易伝》にいう:児子の父輩の弊壊を匡正するは、用意は父の事を担当し起こすに在り。ゆえに恭敬・謹慎にしてこの件を辦し、好く父を過錯なき地位に摆めん。心中に常に警惕・憂懼を懐けば、最終に能く吉を得ん。父の事に一片の誠心を尽くすは、まさに吉を得るの路数なり。集説に引く項安世の説:「幹父之蠱」は、行跡より見れば好像順従せざるがごとく、用意の上に於ては却ってまさに承継なり。行跡は時代に随いて変遷し、年深・日久なれば総じて弊を生ず。あの種の東西は怎んぞ承継し下去ること得せん。孝子の父に対するは、ただあの忠誠・愛敬の心意を失わざるのみ。

楊氏簡曰:不得已而幹父之蠱,其意未嘗不順承者也。其意則承,其事則不可得而承矣,承其事則蠱不除,乃所以彰父之惡,非孝也。 張氏清子曰:不承其事而承其意,此善繼父之志者也。 楊氏啟新曰:前人以失而致蠱,未必無悔過之心。“幹父之蠱”,乃承考之意,而置之無過之地也,此聖人以子之賢善,歸之於父,為訓之義大矣。

集説に引く楊簡の説:迫不得已にしてこそ往きて父輩の弊壊を匡正す、用意の上に於て何嘗順従・承継ならざらん。用意は承継すべし、あの件事の本身は却って承継すること得ず。もしあの件事を照舊承継し下去れば、弊壊は除き去らず、反って父の過失を張揚し出さん。則ちあれは孝に非ず。集説に引く張清子の説:彼の為したるあの件事を承継せず、而して彼の用意を承継す、これこそ父の志向を善く継承する人なり。集説に引く楊啓新の説:前人は失誤に因りて弊壊を造成す、未だ必ずしも悔過の心なからざらん。「幹父之蠱」は、まさに先父の本意を承接し、彼を過失なき地位に摆むるなり。これは聖人が児子の賢良を父に帰美するにして、その中の垂訓の意義は非常に重大なり。

案 “意承考”,釋“考”所以無咎,如楊氏之說。 幹母之蠱,得中道也。 程傳 二得中道而不過剛,幹母蠱之善者也。 集說 吳氏曰慎曰:爻曰“不可貞”,所以戒占者,《傳》:曰“得中道”,則是本爻象。言其能不至於貞者也,貞則非中道矣。

李光地按す:「意承考」は先父の何を以てか能く過錯なからんを解釈す、まさに楊啓新の言う所のごとし。《象伝》にいう:母輩の遺留の弊壞を匡正するは、中道を得着するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は中道を得て剛硬に過ぎず、これは母輩の弊壞を匡正することの好く為せる一等なり。集説に引く呉曰慎の説:爻辞が「不可貞」と言うは、以て占筮者を誡告するなり。《象伝》が「得中道」と言うは、あれは本爻の象に就きて立説し、それが能く固執・到底に至らざるを講ず――一味固執すれば、則ち中道に非ず。

幹父之蠱,終無咎也。 程傳 以三之才,幹父之蠱,雖小有悔,終無大咎也。蓋剛斷能幹,不失正而有順,所以“終無咎也”。 集說 蔡氏清曰:不曰無大咎,而只曰“無咎”,蓋不但無大咎也,有進而勉之之意。

《象伝》にいう:父輩の遺留の弊壞を匡正するは、最終に過錯あらざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:九三の才具を憑りて父輩の弊壞を匡正し往くは、雖も略や悔恨あらん、最終に大なる過失あらじ。因るに彼は剛強・果斷にして事を辦め得、すでに正を失わず、また順を帶びる。ゆえに「終无咎也」と言う。集説に引く蔡清の説:《象伝》は「无大咎」と言わず、ただ「无咎」と言うは、因るに単に大なる過失なきのみならず、裏頭になお更に一歩進みて彼を勉励するの意を含むなり。

程傳 以四之才,守常居寬裕之時則可矣,欲有所往,則未得也,加其所任,則不勝矣。 集說 趙氏汝楳曰:謂重柔之往,未得遂其有事之志,斯其為於蠱者之吝。 幹父用譽,承以德也。 程傳 幹父之蠱,而用有令譽者,以其在下之賢,承輔之以剛中之德也。

(六四《象伝》本文「裕父之蠱、往未得也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:六四の才具を憑れば、寛緩・従容の時に常規を守るはなお可なり。もし行動あるを欲せば、則ち辦し成らず。更にその担子を加重すれば、それは担い起こさず。集説に引く趙汝楳の説:これは柔を以て柔に居り、重畳して柔なる一爻が前に往き進まんとするを言う。遂にその弊壊を整治するの志向を成さず、これ則ち蠱を治する人の羞吝なり。《象伝》にいう:父輩の弊壞を匡正して美譽を博するは、徳行を以て承継するに依るなり。程頤《伊川易伝》にいう:父輩の弊壞を匡正して能く美好の声譽あるは、下面の賢臣が剛健・居中の徳行を以て彼を承輔するに因るなり。

集說 項氏安世曰:六五得尊位,行大中,能以令名掩前人之蠱者也。故曰“幹父用譽,承以德也”,言不以才幹,而以德干也。 鄭氏維嶽曰:既曰蠱矣,何德之可承,夫使人不曰承敝而承德,若不知其為前人之蠱然者。 案 《程傳》謂九二承以剛中之德,然凡言“承”者,皆就父子之繼而言,故初之“意承考”,此之“承以德”,文義相似也,不以事承考,而以意承考。不承父以事,而承父以德,父之德著,則譽亦彰矣,承以德,正釋“用譽”之意。

集説に引く項安世の説:六五は尊位を得着し、行う所は大中の道なり。能く美好の名声を以て前人の弊壞を遮蓋し過ぐす。ゆえに「幹父用譽、承以徳也」と言う。意は才干を以て匡正せず、而して徳行を以て匡正するなり。集説に引く鄭維岳の説:すでに「蠱」と称したる以上、また何の徳の承継すべきあらん。可是彼は能く人をして前人の弊敗を承接したと言わしめず、而して前人の徳を承接したと言わしむ。好像まったくあれがもと前人の弊壞なるを知らざるがごとし。李光地按す:《程伝》はこれを九二の剛健・居中の徳行を承受するとなす。不過凡そ「承」に言及するは、皆な父子相継に就きて言う。ゆえに初六は「意承考」と言い、ここは「承以徳」と言う。文義まさに相類似す。事を以て先父を承継せず、而して心意を以て先父を承継す。事を用いて父を承接せず、而して徳行を用いて父を承接す。父の徳は一旦顕揚せば、美譽は自ずから彰著す。「承以徳」は、まさに「用譽」の意を解釈す。

不事王侯,志可則也。 程傳 如上九之處事外,不累於世務,不臣事於王侯,蓋進退以道,用舍隨時,非賢者能之乎,其所存之志,可為法則也。 集說 陸氏銓曰:士何事尚志,志可則也,正是“高尚其事”。

《象伝》にいう:往きて王侯に事奉せざるは、彼の心志が人の法則を為すに足るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:上九のこのごとく事外に置身し、世俗の事務に牽累せられず、臣子の身分を以て王侯に事奉せず、進と退とは皆な道に依り、出仕と退隠とは皆な時に順う。これは賢者に非ざれば何処にか能く致せん。彼の心裏に存する所の志向は、以て法則と為すべし。集説に引く陸銓の説:《孟子》の裏に「士何事」と問い、答うる所は「尚志」なり。ここの「志可則也」と言うは、まさに爻辞「高尚其事」の上に落つ。

《象伝》・臨卦

澤上有地,臨。君子以教思無窮,容保民無疆。 本義 地臨於澤,上臨下也,二者皆臨下之事,教之無窮者兌也,容之無疆者坤也。 程傳 澤之上有地,澤岸也,水之際也。物之相臨與含容,無若水之在地,故澤上有地為臨也。君於觀親臨之象,則教思無窮,親臨於民,則有教導之意思也,“無窮”,至誠無敦也,觀含容之象,則有容保民之心;“無疆”,廣大無疆限也,含容有廣大之意,故為無窮無疆之義。

《象伝》にいう:大沢の上面に地あり、これが《臨》卦の「大象」なり。君子はこれに倣って、百姓を教導するの心思は窮尽なく、容納・保護して百姓に辺際なし。朱熹《本義》にいう:地は沢に臨むは、上の者が下の者を俯臨するなり。この両句の講ずるは皆な上に居りて下に臨むの事なり。教導の無窮なる所以は、下卦の兌に取象す。容納の無疆なる所以は、上卦の坤に取象す。程頤《伊川易伝》にいう:沢の上面に地あり、則ちあれは沢岸にして、水の辺際なり。事物の間の相臨と含容は、水の地の裏に盛るに比するなし。ゆえに「沢上有地」は《臨》を成す。君子は親身に下に臨むの象を観て、就ち無窮の教導の思を生ず――親身に百姓に臨撫すれば、自ずから教導の心意あり。「无窮」は、至誠にして毫も倦怠なし(底本「无敦」は「无斁」とすべし)。含容の象を観て、就ち百姓を容納・保護するの心を生ず。「无疆」は、広大にして界限なし。含容はもとより広大の意を帶び、ゆえに「无窮」「无疆」と成す。

集說 王氏弼曰:相臨之道,莫若悅順,不恃威制,得物之誠,故物無違也。是以“君子教思無窮,容保民無疆”。 劉氏牧曰:岸高於澤,俯臨之也。 胡氏炳文曰:不徒曰教,而曰“教思”,其意思如兌澤之深,不徒曰“保民”,而曰“容保民”,其度量如坤土之大。

集説に引く王弼の説:彼此相臨の道理は、和悦・順従に比するなし。威勢に倚仗して壓制せざれば、こそ對方の真心を得ん。ゆえに人人違逆せず。ここを以て「君子教思无窮、容保民无疆」と言う。集説に引く劉牧の説:岸は沢より高く、これは高きに居りてそれを俯臨するなり。集説に引く胡炳文の説:単に「教」と言わずして「教思」と言う、あの心意は兌沢のごとく深し。単に「保民」と言わずして「容保民」と言う、あの気量は坤土のごとく大なり。

俞氏琰曰:《臨》有二義,以爻之陰陽言,則為大臨小,以象之地澤言,則為上臨下。 蔡氏清曰:“教思”,謂其一段教育成就人底意思也,教人以善謂之忠,味“忠”之一字,方見此之所謂“教思”者。

集説に引く俞琰の説:《臨》に両層の意あり。爻の陰陽に就きて言えば、大者の小者に臨むなり。地と沢の物象に就きて言えば、上の者の下の者に臨むなり。集説に引く蔡清の説:いわゆる「教思」とは、あの一段の教育・培養して他人を成就するの心意を指す。《孟子》に「教人以善謂之忠」と言う、この「忠」の字を細かく體味して、はじめてここの講ずる所の「教思」が究竟何なるかを見出だすべし。

又曰:勞之來之,匡之直之,輔之翼之,使自得之,又從而振德之,此可見君子教 案 臨者,大也。“澤上有地”。澤之盛滿,將與地平,大之義也。“教思無窮”,容保無疆,蓋言王澤之盛大,所以淪浹之深,而漸被之廣者。

蔡清また言う:《孟子》の引く堯の話「労之来之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、又従而振徳之」――彼らを慰労し、彼らを招徠し、彼らを糾正し、彼らを扶直し、彼らを幇扶し、彼らを衛護して、彼らをして各々得る所有らしめ、再び進んで恩恵を彼らに施加す。これに由りて君子の教……を見出すべし。ここに底本脱文あり、蔡氏の語未完、下は直ちに李光地の按語に接続す。李光地按す:「臨」は則ち大なり。「沢上有地」は、沢水盛満にして、まさに岸地と齊平せんとす、これ則ち大の意なり。「教思无窮」「容保无疆」は、言う所は王者の恩沢の盛大にして、因りて浸潤すること深く漸々覆被すること広し。

咸臨,貞吉,志行正也。 程傳 所謂貞吉,九之志在於行正也,以九居陽,又應四之正,其志正也。 集說 吳氏曰慎曰:有守正,有行正,《臨》初正與《屯》同。

《象伝》にいう:感応の心を以て上に居りて下に臨み、正を守りて吉を得るは、その心志が端正に行うに在るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「貞吉」は、初九の心志が正を行うに在るを言う。陽爻を以て陽位に居るは「當位」なり。また六四のこの正を得るの爻と相応す。ゆえにその心志は端正なり。集説に引く呉曰慎の説:正に「守正」の一路あり、亦た「行正」の一路あり。《臨》卦初爻の講ずる所の正は、《屯》卦初爻と同じ路数なり。

咸臨,吉無不利,未順命也。 本義 未詳。 程傳 未者非遽之辭。孟子或問勸齊伐燕有諸,曰:未也。又云:仲子所食之粟,伯夷之所樹與,抑亦盜跖之所樹與,是未可知也。《史記》侯羸曰:人固未易知。古人用字之意皆如此。今人大率用對巳字,故意似異,然實不殊也。九二與五感應以臨下,蓋以剛德之長,而又得中,至誠相感,非由順上之命也,是以“吉”而“無不利”。五順體而二說體,又陰陽相應,故象特明其非由說順也。

《象伝》にいう:感応の心を以て上に居りて下に臨み、吉にして不利なきは、上面の命令に順従するに出づるに非ざるが故なり。朱熹《本義》にいう:この一句は確かに解き清楚ならず。程頤《伊川易伝》にいう:「未」のこの字は「不遽然如此」の語気なり。《孟子》の裏にある人が問う、あなたは斉国に勧めて燕国を討伐せしめ、こんな事あるか。孟子が答えていう「未也」。また言う、陳仲子の食う所の糧食は、伯夷の種し下す所か、盗跖の種し下す所か、これは「未可知」なり。《史記》の裏に侯嬴がいう:「人固未易知」。古人がこの字を用うるの語意は皆なこのごとし。今人は大抵それを「已」の字と相對に用う。ゆえに意思は看似不同なれど、其の実并びに両樣なし。九二と六五は感応・相通して上に居りて下に臨むは、剛徳のまさに生長するを憑り、また中位を占め、至誠を以て彼此相感ずるにして、并びに上面の命令に順従するに由るに非ず。ゆえに「吉」にして「无不利」なり。六五は坤順の体に属し、九二は兌説の体に属し、両者はまた陰陽相応す。ゆえに《象伝》はことさらそれが取悦と順従に出づるに非ざるを点明す。

案 君子道長,天之命也,然命不於常,故《彖》言“八月有凶”,而《傳》:言“消不久”,君子處此,唯知持盈若虛,所謂大亨以正天之道者,則順道而非順命矣,以二為剛長之主,即卦主也,故特發此義,以與《彖》意相應。凡天之命,消長焉而已,方其長也,則不順命,不受命,知盈不可久,而進不可恃也。及其消也,則志不舍命。知物不可窮,而往之必復也,《易》之大義,盡在於斯。

李光地按す:君子の道はまさに生長す、これは上天の命なり。然而天命は一処に固定せず。ゆえに《彖伝》は「八月有凶」と言い、《伝》の裏に消退は期に遠からずと言う。君子はこの局面に処り、ただ盈満を守るを知るも空虚のごとくす。亦た則ち《彖伝》の言う所の「大亨以正、天之道也」――あれは道に順うにして、命に順うに非ず。因るに九二は陽剛・生長の主爻にして、亦た則ち全卦の卦主なり。ゆえにことさらこの層の意を発揮して、《彖伝》の意旨と相呼応す。大凡天命は、非ず一消・一長のみ。まさに生長の時に当たれば、就ち命に順わず命を受けず、盈満の長久すること能わざる、上進の倚仗すべからざるを明白す。消退の時に到れば、就ち心志は天命を捨棄せず、事物は絶路に走らず、去りて必ず回り来るを明白す。《周易》の大義は、全てここに在り。

甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。 程傳 陰柔之人,處不中正,而居下之上,復乘二陽,是處不當位也。既能知懼而憂之,則必強勉自改,故其過咎不長也。 集說 李氏簡曰:六三不中不正,處不當位,雖甘說此位,亦安足以有臨乎?能知而憂之,強勉自改,則過咎不長也。

《象伝》にいう:甜言・媚態を以て上に居りて下に臨むは、居る所の位恰當ならざるが故なり。すでにそれを憂えたれば、過錯は拖長せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰柔の人にして、処身すでに中に居らず正を得ず、却って下卦の最も上頭に踞り、また下面の両個の陽爻の上に凌駕す。これ則ち処する所の位置恰當ならず。すでに能く畏懼する所を知りてそれを憂うれば、就ち必ず勉力して自ら改正す。ゆえに彼の過錯は拖長せざるなり。集説に引く李簡の説:六三はすでに中に居らず正を得ず、処する所の位は恰當ならず。縦使この位置に甘心・喜悦すと雖も、また何処にか上に居りて下に臨むの資格足らん。能く醒悟して来りてそれを憂え、勉力して自ら改正すれば、過錯は拖長せざるなり。

案 三之爻位不當,而四之爻位當,故其德有善否。然三之所處,位高勢盛,不可甘也,而甘之,此其所以為不當也。四之所處,與下相親,最切至也,而能至焉,此其所以為當也。是為借爻位之當不當,以明所處位之當不當,《易》之例也。

李光地按す:六三の「爻位」は當ならず、六四の「爻位」は當なり。ゆえに両者の徳行に好壊あり。不過六三の処する所の地は、位すでに高く勢また盛ん、もとより甘之如飴とすべからず、それは偏に甘之如飴とす、これこそその「不當」なり。六四の処する所の地は、下面と相親近し、これは下に臨む最も貼切の位置にして、而してそれは果として貼切を致し到る、これこそその「當」なり。これ則ち爻位の當と不當に借りて、処する境地の當と不當を説明するにして、《周易》の一個の通例なり。

至臨,無咎,位當也。 程傳 居近君之位,為得其任,以陰處四,為得其正,與初相應,為下賢,所以“無咎”,蓋由位之當也。 集說 鄭氏汝諧曰:其位在上下之際,《臨》之切至也,凡上之臨下,唯患其遠而不相通,四既近於下,其所處之位至當,是以“無咎”。

《象伝》にいう:貼切に上に居りて下に臨みて過錯なきは、居る所の位恰當なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六四は身に君主に貼近する位置に居り、算じてこの職任を担い起こすに足る。陰爻を以て第四のこの陰位に処るは、「當位」の正を得ると算す。また初九と相応するは、能く下面の賢者を礼敬すると算す。ゆえに「无咎」、全て位置の恰當に由るなり。集説に引く鄭汝諧の説:その位置はまさに上下卦の交界の処に在り、《臨》卦の裏の最も貼切の一爻なり。凡そ上の者が下の者に臨撫するは、最怕するは則ち距離遠くして彼此通ぜざるなり。六四すでに下面に靠近し、処する所の位置極めて恰當、ゆえに「无咎」なり。

程傳 君臣道合,蓋以氣類相求,五有中德,故能倚任剛中之賢,得“大君之宜”,成“知臨”之功,蓋由行其中德也。人君之於賢才,非道同德合,豈能用也。 集說 沈氏該曰:能以其知行中者也。

(六五《象伝》本文「大君之宜、行中之謂也」は底本脱漏す。)程頤《伊川易伝》にいう:君臣の道の相契合するは、同気相求・同類相応に頼るなり。六五は居中の徳あり、ゆえに能く剛健・居中の賢臣を倚重・任用し、「大君之宜」を得着し、「知臨」の功業を成就す。これ皆なそれが己の中徳を施行したるに由る。人君の賢才に對するは、若し道相同じく徳相合せざらば、何処にか用い起こすこと得せん。集説に引く沈該の説:これは能くその明智を以て中道を施行する人なり。

敦臨之吉,志在內也。 程傳 志在內,應乎初與二也,志順剛陽而敦篤,其吉可知也。 集說 張氏振淵曰:志在內,即萬物一體之意。所以能敦,若將天下國家置在度外,雖有些小德澤,終是淺薄。

《象伝》にいう:敦厚に上に居りて下に臨みて吉を得るは、心志が内卦に放在るが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「志在内」は、上六が初九・九二と相応するを指す。心志は陽剛に順従してまた厚重・篤実、その吉は想知すべし。集説に引く張振淵の説:「志在内」は則ち万物と同じく一体と為るの意なり。惟れこのよう故にこそ「敦」を致すべし。假如天下・国家を己の心思の外に撇き置かば、縦使一点の小恩・小惠あらんも、終に究めて浅薄なり。

案 此志在內,當與《泰》初“志在外”反觀,同是天下國家也,自初言之則為外,自上言之則為內。伊尹躬耕,而自任以天下之重,可謂志在外矣。堯舜耄期倦勤,而念不忘民,可謂志在內矣。

李光地按す:ここの「志在内」は、まさに《泰》卦初九の「志在外」と対照して看るべし。同じく天下・国家なり。初爻の位置より言い出せば則ち「外」と言い、上爻の位置より言い回せば則ち「内」と言う。伊尹は有莘の野に親身耕作するも、却って天下の重任を己の肩上に担う、以て「志在外」と言うべし。堯舜は年事已高く勤政に倦むも、心中は終始百姓を挂念す、以て「志在内」と言うべし。

《象伝》・観卦

風行地上,觀。先王以省方觀民設教。 本義 “省方”以“觀民”,“設教”以為“觀”。 程傳 “風行地上”,周及庶物,為遊歷周覽之象。故先王體之,為省方之禮,以觀民俗而設政教也,天子巡省四方,觀視民俗,設為政教,如奢則約之以儉,儉則示之以禮是也。“省方”,觀民也,“設教”,為民觀也。

《象伝》にいう:風は大地の上に吹行す、これが《観》卦の「大象」なり。先王はこれに倣って、四方を巡視し民情を観察し教化を設立す。朱熹《本義》にいう:「省方」は「観民」を為るがため、「設教」は己をして百姓の観仰する對象と為さんがためなり。程頤《伊川易伝》にいう:「風行地上」は、万物に遍及するは遊歴・周覧の象なり。ゆえに先王はそれを體察して、四方を巡視するの礼制を制定し、以て民風・民俗を観察して政令・教化を設立す。天子は四方を巡行し、各地の風俗を察看して、拠りて政教を訂立す。たとえば風気奢靡なれば則ち節儉を以て約束し、風気過儉なれば則ち礼節を以て開示す。いわゆる「省方」は、往きて百姓を観察するなり。いわゆる「設教」は、己をして百姓の観仰する所の榜様と為らしむるなり。

集說 《九家易》曰:“風行地上,草木必偃,故以省察四方,觀視民俗,而設其教也。”

集説に引く《九家易》の説:風は地面の上に吹き過ぐれば、草木は必ずこれに随いて伏倒す。ゆえに先王はこの象を取りて、往きて天下四方を省察し、各地の民風・民俗を察看し、これに拠りて己の教化を設立す。

《象伝》・観卦(前に承ぐ)

劉氏牧曰:“風行地上”,無所不至,散採萬國之聲詩,省察其俗,有不同者,教之使同。

この条はなお《観》卦「大象」より承く。集説に引く劉牧の説:いわゆる「風行地上」は、風が大地の上に吹行して、到らざるの角落なし。先王はこの象に倣って出巡・四方し、広く各邦国の歌謡・詩篇を采集し、これらの声詩を憑りて当地の風俗・民情を考察す。凡そ風俗の王道・教化に合せず彼此参差不齊なるは、則ち之に教導を加えて、天下の礼俗をして同一の準則に帰せしむ。

初六,童觀,小人道也。 程傳 所觀不明如童稚,乃小人之分,故曰“小人道也”。 集說 王氏申子曰:卑下而無遠見,在凡民為可恕,在君子為可羞。

《象伝》が初六を解していう:孩童のごとく浅陋に観看するは、小人の路数なり。程頤《伊川易伝》にいう:見る所・観る所は昏昧・不明にして、幼童のごとく無知、これはもとより小人の分際の限る所なり。ゆえに《象伝》は「小人道也」と断ず。集説に引く王申子の説:地位卑下にしてまた遠見なし、この種の情形は普通百姓の身上に出現すればなお原谅すべし、もし君子の身上に出現せば、則ち十分に可羞の事なり。

窺觀女貞,亦可醜也。 本義 在丈夫則為丑也。 程傳 君子不能觀見剛陽中正之大道,而僅窺覘其彷彿,雖能順從,乃同女子之貞,亦可羞丑也。 集說 郭氏忠孝曰:男女吉凶不同,故《恆》卦曰:“婦人吉,夫子凶。”則知“利女貞”者,固為男之丑也。

《象伝》が六二を解していう:門縫より偷看するは、ただ女子の貞を守るの分寸に合す、これは男子に於ても亦た可羞なり。朱熹《本義》にいう:このごとき「窺観」は、成年男子の身上に放てば則ち醜事と成る。程頤《伊川易伝》にいう:君子は能く正面に九五のあの剛陽「中正」の大道を観見せず、ただ縫隙の間より一個の仿佛の影子を窺見す。雖も亦た能く順従すると算すれども、却って女子の貞を守るの順従と同属・一層次なり。ゆえに可羞・可醜と言う。集説に引く郭忠孝の説:同じ一件事、男女の吉凶の断法は并びに相同じからず。ゆえに《恒》卦六五は「婦人吉、夫子凶」と言う。これに由りて《観》六二が「利女貞」と言うを知るべし、反ってこれは男子に於てはもとより醜事なるを正しく点出す。

觀我生進退,未失道也。 程傳 觀己之生,而進退以順乎宜,故未至於失道也。 案 “道”,即進退之道。量而後入,則不失乎進退之道矣。

《象伝》が六三を解していう:己の作為する所を観察して以て進退を決定す、いまだ正道を走失せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:反観して己の平生の行事を、拠りて進むべきか退くべきかを決定し、処処時勢の宜しき所に順う。ゆえに正道を走失するに至らず。李光地按す:ここの「道」とは、指す所は則ち進退の道なり。先に自身の才徳と時勢を衡量して、然る後にこそ出仕を決定す、就ち進退の分寸を違失せざるなり。

程傳 君子懷負才業,志在乎兼善天下,然有卷懷自守者,蓋時無明君,莫能用其道,不得已也!豈君子之志哉。故孟子曰:中天下而立,定四海之民,君子樂之,既觀見國之盛德光華。古人所謂非常之遇也,所以志願登進王朝,以行其道,故云“觀國之光尚賓也”。尚,謂志尚,其志意願慕賓于王朝也。 集說 楊氏簡曰:言其國貴“尚”賓賢,可以進也。

底本ここに六四の小象「観国之光、尚賓也」の一句を脱し、直ちに程伝に接続す。程頤《伊川易伝》にいう:君子は身に才能・学業を懐き、志向はもとより兼ねて天下を善くするに在り。然而亦た抱負を收巻して、ただ独善・自守を求める者あり、それは時代に明君なく、人にその道を用うる能わざるに因り、迫不得已に出づるにして、何処が君子の本願ならん。ゆえに《孟子・盡心上》に言う、天下の中央に立身して四海の百姓を安定する、これこそ君子の楽しむ所なり。如今すでに親しく一国の盛徳の光輝を見、まさに古人のいわゆる千載・難逢の際遇なり。ここを以て彼は情願に朝廷に進身して、己の道を施行し往かんとす。《象伝》はこそ「観国之光、尚賓也」と言う。「尚」は志尚の意にして、彼の心中が王朝に到りて賓客を為さんと向往するを指す。集説に引く楊簡の説:この句はあの国家が賢者を賓礼にて待することを看重・崇尚するを言う。ゆえに賢者は以て進身すべし。

觀我生,觀民也。 本義 此夫子以義言之,明人君現己所行,不但一身之得失,又當觀民德之善否,以自省察也。 程傳 我生出於己者,人君欲觀己之施為善否,當觀於民,民俗善則政化善也。王弼云,觀民以察己之道是也。 集說 胡氏瑗曰:觀流則可以知源,觀影則可以知表,觀民則可以知己政之得失也。

《象伝》が九五を解していう:いわゆる「観我生」は、其の実は則ち百姓を観察するなり。朱熹《本義》にいう:これは孔子が義理に就きて立言し、人君の己の作為する所を観照するに、ただ一身の得失を看るべからず、なおまさに百姓の徳行の善あるいは不善を看て、以て自ら省察すべきを点明す(底本は「現己所行」と作る、「現」は「観」とすべし)。程頤《伊川易伝》にいう:「我生」は己の身上より発し出でたる種種の作為を指す。人君は己の施政の好壊を知らんと欲せば、就ち百姓の彼処に到りて看るべし。民風淳善なれば、則ち政教の化の好しと説明す。王弼が言う、百姓を観察するはまさに己を考察するの办法なり、則ちこの意なり。集説に引く胡瑗の説:水流を看れば則ち源頭を知ること能く、影子を看れば則ち形體を知ること能く、百姓を看れば則ち己の為政の得失を知ること能し。

觀其生,志未平也。 本義 “志未平”,言雖不得位,未可忘戒懼也。 程傳 雖不在位,然以人觀其德,用為儀法,故當自慎省。觀其所生,常不失於君子,則人不失所望而化之矣。不可以不在於位,故安然放意無所事也,是其志意未得安也,故云“志未平”也。“平”,謂安寧也。 集說 陸氏希聲曰:民之善惡,由我德化,其志未平,憂民之未化也。

《象伝》が上九を解していう:彼の作為する所を観察して、心志いまだ安然とすること能わざるなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「志未平」は、上九が雖も身に无位の地に処ると雖も、亦た戒慎・恐懼を忘掉すべからずを言う。程頤《伊川易伝》にいう:上九は雖も職位の上に在らざれども、天下人は仍旧彼の徳行を看て、以て準則と為して效法す。ゆえに彼は必ず自ら謹慎・省察せざるべからず。彼は己の平日の作為を省視して、常に君子の分寸を失わざれば、人々の期望は落空せず、亦た之に随いて感化せらる。己の位に在らざるに因りて、便ち安然として心意を放縦し何事も管せざること能わず。まさにこのよう故に、彼の心志は終始安適を得ず、《象伝》はこそ「志未平」と言う。「平」は則ち安寧の意なり。集説に引く陸希声の説:百姓の善悪は、我の徳化に取決す。いわゆる心志未平は、百姓のいまだ教化せらるるに至らざるを憂慮するなり。

《象伝》・噬嗑卦

雷電,噬嗑。先王以明罰敕法。 本義 “雷電”當作“電雷”。 程傳 象無倒置者,疑此文互也。“雷電”相須並見之物,亦有嗑象,電明而雷威,先王觀“雷電”之象,法其明與威,以明其刑罰,飭其法令。法者,明事理而為之防者也。

《大象伝》にいう:雷と電と交作す、《噬嗑》卦の象なり。先王はこれに倣って刑罰を昭明にし法令を整飭す。朱熹《本義》にいう:《噬嗑》の下體は震(雷)、上體は離(電)、上下體の次序に依れば、「雷電」の二字はまさに「電雷」と作るべし。程頤《伊川易伝》にいう:諸卦の「大象」に上下體を倒して言うはなし、疑うにここは文字の互いに倒れたるなり。雷と電はもとより相須・併見の物、両者の相合も亦た「嗑」(咬合)の象を含む。電はその明照を取り、雷はその威震を取る。先王は雷電の象を観て、その中の明と威を效法し、以て刑罰を昭明にし法令を整飭す。いわゆる法とは、事理を講明白にして、拠りて防禁を設下するなり。

集說 侯氏行果曰:雷所以動物,電所以照物,雷電震照,則萬物不能懷邪,故先王則之,明罰敕法,以示萬物也。 項氏安世曰:陰陽相噬而有聲則為雷,有光則為電,二物因噬而嗑,故曰“雷電噬嗑”。

集説に引く侯行果の説:雷は以て万物を震動するに用いられ、電は以て万物を照亮するに用いられる。雷震・電照が一齊に加臨すれば、万物は敢えて邪僻を心懐かず。ゆえに先王はこれに倣って、刑罰を昭明にし法令を整飭し、好悪を天下万物に昭示す。集説に引く項安世の説:陰気と陽気とが相互に咬齧・激盪して、声響を発するは則ち雷、光亮を発するは則ち電なり。この両様の東西はまさに相咬(噬)して後相合(嗑)するに因り、ゆえに《象伝》はそれらを連ねて「雷電噬嗑」と称す。

徐氏幾曰:“明罰”者,所以示民而使之知所避;“敕法”者,所以防民而使之知所畏。此先王忠厚之意也,未至折獄致刑處,故與《豐》象異。 張氏清子曰:蔡邕石經本作“電雷”。 蔡氏清曰:先王以明罰敕法,此以立法言,故曰“先王”,若《豐》折獄致刑,以用法言,則曰君子矣。

集説に引く徐幾の説:「明罰」は刑罰を公布し出でて百姓に看せしむ、彼らをして何が躲くべきかを知らしむなり。「敕法」は法令を以て百姓を防範し、彼らをして何が畏懼すべきかを知らしむなり。これ皆な先王の忠厚・存心する処にして、いまだ案を断じ刑を用うるの一歩に走到せず。ゆえに《豐》卦の大象が「折獄致刑」と言うとは取象を異にす。集説に引く張清子の説:漢代の蔡邕の刻せる熹平石経の本子は、ここ正に「電雷」と作る。集説に引く蔡清の説:ここに「先王以明罰敕法」と講ずるは、法度を訂立するに就きて言う。ゆえに「先王」と称す。《豐》卦の大象の「折獄致刑」と講ずるは、法律を施用するに就きて言う。就ち改めて「君子」と称す。

薛氏瑄曰:《噬嗑》、《賁》、《豐》、《旅》四卦論用刑,皆離火之用,以是見用法貴 屨校滅趾,不行也。

集説に引く薛瑄の説:《噬嗑》《賁》《豐》《旅》の四卦は皆な刑を用うるに談及し、而してこの四卦は皆な離體を含有す。取る所は離火の明の功用なり。これに由りて法を用うるは……に貴ぶを見るべし。ここに底本脱文あり、薛瑄の話は未だ言い盡さずして断たれ、下は直接《噬嗑》初九の小象「屨校滅趾、不行也」に接上す――脚上に木械を戴きて遮り併せて脚趾を傷うは、彼をして更に前に往き行かざらしめんと欲するなり。

本義 “滅趾”,又有不進於惡之象。 程傳 “屨校”而滅傷其趾,則知懲誡而不敢長其惡,故云“不行也”。古人制刑,有小罪則校其趾,蓋取禁止其行,使不進於惡也。 集說 胡氏炳文曰:下卦為震,“滅趾”使其不敢如震之動也,動則進於惡矣。

朱熹《本義》にいう:「滅趾」は脚趾を傷うを指すを除き、なお更に悪の裏に発展せざるの象を含む。程頤《伊川易伝》にいう:脚上に械を戴きて脚趾を傷えば、刑を受くる人は則ち警戒を知りて、敢えて更に己の悪行を長養せず。ゆえに《象伝》は「不行也」と言う。古人の刑を立つるに、小罪を犯す者は則ち脚の上に木械を加う。用意はまさに彼の行走を禁止して、彼をして悪路の上に愈々走り深からざらしむるに在り。集説に引く胡炳文の説:《噬嗑》の下體は震、震は動を主とす。「滅趾」はまさに彼をして敢えて震のごとく妄動せざらしめんと欲するなり。一動すれば則ち悪の上に往くなり。

噬膚滅鼻,乘剛也。 程傳 深至滅鼻者,“乘剛”故也。“乘剛”乃用刑于剛強之人,不得不深嚴也,深嚴則得宜,乃所謂中也。 集說 孔氏穎達曰:乘剛者,釋“噬膚滅鼻”之義,以其乘剛,故用刑深也。

《象伝》が六二を解していう:軟肉を咬齧して一直に深く鼻子を没するに至るは、六二が剛爻の上に乘凌するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:刑を用うること深くして「滅鼻」の歩地に到るは、まさに六二が「乗剛」するに因る。いわゆる「乗剛」とは、柔爻が剛爻の上面に壓するにして、剛強・難制の人に對して刑を用うるに等しく、深切・厳厲せざるを得ず。深嚴にして恰々その分に如れば、これ則ちいわゆる中道に合乎するなり。集説に引く孔穎達の説:「乗剛」の二字は「噬膚滅鼻」の縁由を解釈す、それが剛爻の上に乗るが故に、刑を用うることこそこのごとく深し。

遇毒,位不當也。 程傳 六三以陰居陽,處位不當。自處不當,故所刑者難服,而反毒之也。 案 此亦借爻位之不當,以明其所處之難爾。非其所行有不當也,若所行有不當,則施之刑獄,其失大矣,安得無咎,又豈獨“小吝”而已乎。

《象伝》が六三を解していう:毒ある腊肉を食うは、処する所の爻位正當ならざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は陰爻を以て陽位に居り、「不當位」に属す。己の処する所すでに正當ならざれば、刑を受くる人は便ち心服し難く、反ってなお彼を毒害せんとす。李光地按す:ここも亦たただ「爻位」の不當を借りて、六三の処する境地の艱難なるを説明するのみ、并びに彼の行う所の事に何らの不正當あるを言うに非ず。假使行う所真に不當あらば、一旦刑獄の上に施用すれば、過失は大なり。何処にかなお「无咎」を談ずべく、また豈にただ「小吝」のこのごとく軽からんや。

利艱貞吉,未光也。 程傳 凡言“未光”,其道未光大也。戒於“利艱貞”,蓋其所不足也,不得中正故也。 集說 方氏應樣曰:慮聽訟者之心有所末光,故以“利艱貞”為戒。

《象伝》が九四を解していう:艱難の中に正を守りて後に吉を得るに利ありとするは、その道いまだ光大せざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:凡そ《象伝》が「未光」と言うは、皆なその道いまだ広大・顕明ならざるを指す。爻辞が「利艱貞」を以て彼を告誡するは、まさに彼に不足する所有るに因る。九四は剛を以て柔に居り、すでに中位に居らず、亦た「當位」に合せず、「中正」を得ざるの縁故なり。集説に引く方應祥の説(底本は「方氏應様」と作る、「末光」は「未光」とすべし):まさに訟獄を審理する人の心裏になお光明足らざるの処あるを顧慮す、ゆえに「利艱貞」を以て彼を警戒す。

貞厲無咎,得當也。 程傳 所以能“無咎”者,以所為得其當也,所謂“當”,居中用剛,而能守正慮危也。 集說 趙氏汝楳曰:釋《彖》言“不當位”,此言“得當”者,釋《彖》以位言,此以事言。六五以柔用獄,行以正厲,其“無咎”者,得用獄之當者也。 林氏希元曰:“得當”,即是得用刑之道,不就爻位說。若果是說位得中,當以解“得黃金”,不宜以解“貞厲無咎”矣。

《象伝》が六五を解していう:正を守りて常に危懼を存せば過錯あらざるは、處置・得當なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六五の能く「无咎」なる所以は、作為する所皆な恰當なるに因る。いわゆる「當」とは、則ち身に中位に居りて能く剛斷を用い、同時に正道を守りて危険を顧慮するなり。集説に引く趙汝楳の説:《彖伝》は《噬嗑》六五を「不當位」と言うに、ここでは却って「得當」と言う。因るに《彖伝》は爻位に就きて講ず、ここは事情に就きて講ず。六五は柔を以て尊位に居りて刑獄を主持し、行事は正を守りて常に危厲の心を懐く。その「无咎」は、まさに獄を用うるの道の恰當を得たるなり。集説に引く林希元の説:「得當」は則ち刑を用うるの道を得るにして、爻位に就きて言うに非ず。若し真に位置の居中を指さば、則ちまさに以て爻辞の「得黄金」を解釈すべく、「貞厲无咎」を解釈するに用うべからず。

何校滅耳,聰不明也。 本義 “滅耳”,蓋罪其聽之不聰也,若能審聽而早圖之,則無此凶矣。 程傳 人之聾暗不悟,積其罪惡以至於極,古人制法,罪之大者,何之以校,為其無所聞知,積成其惡,故以校而滅傷其耳,誡“聰”之“不明”也。 集說 胡氏炳文曰:上卦為離,“滅耳”,言其不能如離之明也。

《象伝》が上九を解していう:肩上に大枷を負いて耳朵をも遮没するは、彼の事を聴くこと明ならざるを責むなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「滅耳」は、彼の聴くこと聰ならざるに帰罪す。假如彼が能く仔細に聴取して及早に圖謀せば、則ちこのごとき兇険あらじ。程頤《伊川易伝》にいう:人は耳聾・心暗にして執迷・不悟、罪悪は愈々積み愈々多く、極点に至るまで。古人の法を立つるに、罪の大なるは則ち木枷を肩颈の上に加う(「何」は「荷」に同じ、負荷の意なり)。まさに彼が何をも聴き入れざるに因りて、こそ大悪を積成す。ゆえに枷を以て彼の耳朵を遮傷し、彼の聴覚の「聰」は并びに「明」ならざるを警戒す。集説に引く胡炳文の説:《噬嗑》の上體は離、離は明を主とす。「滅耳」は上九が能く離のごとく明察すること能わざるを言う。

《象伝》・賁卦

山下有火,賁。君子以明庶政,無敢折獄。 本義 “山下有火”,明不及遠;“明庶政”,事之小者;“折獄”,事之大者,內離明而外艮止,故取象如此。

《大象伝》にいう:山下に火あり、《賁》卦の象なり。君子はこれに倣って各種の政務を修明にして、而して敢えて軽率に獄訟を断決せず。朱熹《本義》にいう:火は山下に在りて光照限りあり、明は遠きに及ぶこと能わず。「庶政」を修明するは事情の中の小者に属し、「折獄」は事情の中の大者に属す。《賁》卦の内體は離にしてその明照を取り、外體は艮にしてその静止を取る。ゆえに取象することこのごとし。明はただ小事に施し、大事に遇えば便ち停住するを知る。

程傳 山者,草木百物之所聚生也,火在其下而上照:庶類皆被其光明,為賁飾之象也。君子觀山下有火,明照之象,以修明其庶政,成文明之治,而無敢果於“折獄”也。“折獄”者,人君之所致慎也,豈可恃其明而輕自用乎,乃聖人之用心也,為戒深矣。象之所取,唯以山下有火,明照庶物,以用明為戒。而《賁》亦自有“無敢折獄”之義,折獄者專用情實,有文飾則沒其情矣,故無敢用文以折獄也。

程頤《伊川易伝》にいう:山は草木・百物の聚生する所、火は山下に在りて上に向かいて照耀すれば、各類の物象は皆なその光明を蒙受す。これ則ち文飾・増彩の「賁」の象なり。君子は山下に火ありて万物を光照するの象を見て、就ちそれを以て各項の政務を修明にし、文明の治道を成就す。而して敢えて果決に案を断ぜず。案を断ずるは人君の最も慎重すべきの事、怎んぞ己の明察に仗恃して輕率に一己の見に憑りて處断せんや。これまさに聖人の用心にして、警戒すること極めて深し。取象に就きて言えば、ただ山下に火ありて庶物を明照するを取り、「用明」の上に戒を立つ。而して《賁》卦の本身も亦た別に「无敢折獄」の道理あり――案を断ずるは専ら事情の真相に憑る、一たび文飾あれば、真相は則ち掩没せらる。ゆえに敢えて文飾を以て獄を断ぜず。

集說 王氏弼曰:處賁之時,止物以文明,不可以威刑,故“君子以明庶政,而無敢折獄”。 《朱子語類》:問:“明庶政,無敢折獄”。曰:此與《旅》卦都說刑獄事,但爭艮與離之在內外,故其說相反。止在外,明在內,故明政而不敢折獄。止在內,明在外,故明謹用刑而不敢留獄。如今州縣治獄,禁勘審覆,自有許多節次,過乎此而不決,便是留獄,不及乎此而決,便是敢於折獄,《尚書》要囚至於旬時,它須有許多時日,與《周禮秋官》同意。

集説に引く王弼の説:《賁》卦の文飾を講ずる時に処りて、事物を約束するは文徳の昭明に頼り、威勢・刑罰に頼るべからず。ゆえに「君子以明庶政、而无敢折獄」と言う。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う「明庶政、无敢折獄」はまさに怎んぞ講ずべき。朱熹が答えていう:この一条は《旅》卦の言う所と皆な刑獄の事、分別はただ艮と離とが一個は内に居り一個は外に居るに在り。ゆえに両処の説法は正に相反す。《賁》は艮止は外に在り離明は内に在り、ゆえにただ政務を修明にして敢えて案を断ぜず。《旅》は艮止は内に在り離明は外に在り、ゆえに明慎に刑を用いて敢えて案子を積壓せず。まさに如今の州県の案を審するに、收禁・勘問・復審あり、もとより若干道の程序あり。これらの程序を超過してなお判決せざれば、則ち「留獄」なり。程序いまだ走り盡さずして判決すれば、則ち「敢于折獄」なり。《尚書・康誥》の講ずる拘繫・待審の囚犯は五六天乃至十天・三月の期限を経るを要す、もとよりまさにこの許多の時日あるべし、《周礼・秋官》の記する所の用意と相同じ。

蔡氏淵曰:有山之材,而照之以火,則光彩外著,《賁》之象也。“明庶政”,離明象,政者治之具,所當文飾也,“無敢折獄”,艮止象,折獄貴乎情實,賁則文飾而沒其情矣。 何氏楷曰:《呂刑》曰:非佞折獄,惟良折獄,苟恃其明察,而緣飾以沒其情,民且有含冤矣。故言刻核者曰深文,言鍛鍊者曰文致,法曰文綱,弄法者曰舞文,治獄之多冤,未有不起於文者,此皆敢心誤之也。

集説に引く蔡淵の説:山の中にもとより草木・百物の材あり、再用びて火を以てそれを照れば、光彩は則ち外に顕露す。これまさに《賁》卦の象なり。「明庶政」は離明の象を取る、政事は天下を治理するの器具にして、もとよりまさに之に文飾を加えてそれを灿然として可観ならしむべし。「无敢折獄」は艮止の象を取る、案を断ずるは真実の情状を得るに貴し、一経て文飾あれば、真情は則ち淹没せらる。集説に引く何楷の説:《尚書・呂刑》にいう、巧言の人に案を断ぜしむるなかれ、ただ賢良の人に案を断ぜしめよ。假如己の明察に仗恃して、文辞を以て粉飾して案情を掩没せば、百姓は就ち冤を含まん。ゆえに苛刻・深究を形容して「深文」と言い、羅織して罪を成すを形容して「文致」と言い、法網を「文網」と言い、法条を玩弄するを「舞文」と言う。獄を断ずるの多く冤なる所以は、一樁としてこの「文」の字より生ぜざるなし。これら皆なあの一点の敢作・敢為の心が事を誤るなり。

舍車而徒,義弗乘也。 本義 君子之取舍,決於義而已。 程傳 “舍車而徒”行者,於義不可以乘也,初應四正也,從二非正也,近舍二之易,而從四之難,舍車而徒行也,君子之賁,守其義而已。

《象伝》が初九を解していう:車子を舍てて徒歩にて行走するは、道義に按りてあの輛の車に乘るべからざるが故なり。朱熹《本義》にいう:君子は取と舍との間に在りて、ただ一個の「義」の字に憑りて決断す。程頤《伊川易伝》にいう:車を舍て徒歩するは、義理の上に於て乘るべからず。初九と六四とは正応にして、六二に跟従すれば則ち正道に合せず。近処の六二のあの容易に走る路を舍掉して、往きて遠処の六四のあの難く走る路に跟従するは、則ち車子を舍掉して徒歩・行走するに等し。君子の文飾は、ただ己の義を守るに在るのみ。

賁其須,與上興也。 程傳 以須為象者,謂其與上同興也,隨上而動,動止唯繫所附也,猶加飾於物,因其質而賁之,善惡在其質也。

《象伝》が六二を解していう:その鬍鬚を文飾するは、上面に随いて一同に興動するなり。程頤《伊川易伝》にいう:鬍鬚を以て取象するは、六二が上面の爻と一同に興起するを言う。鬍鬚は面頰に附し、面頰動いてこそそれ動く、動くや止まるや、全てそれが依附する所の東西に繫る。これ則ち物件に装飾を加うるがごとく、ただあの物の本来の質地に順いて文飾する能く、最終の善悪はなお質地の本身に取決するがごとし。

集說 候氏行果曰:自三至上,有《頤》之象,二在《頤》下,須之象也,上無其應,三亦無應,若能上承於三,與之同德,雖俱無應,可相與而興起也。 袁氏樞曰:陰不能以自明也,得陽而後明;柔不能以自立也,得剛而後立;下不能以自興也,得上而後興也。

集説に引く侯行果の説(底本は「候氏行果」と作る、則ち侯行果):九三より上九に至るの這幾爻は合して《頤》卦の象を成す。六二は《頤》口の下に在り、まさに鬍鬚の象なり。上九はそれと相応する爻なく、九三も亦た応爻なし。六二がもし能く上に向かいて九三を承奉し、それと同徳・相与ならば、則ち両爻は雖も皆な「応与」を缺く、仍旧として彼此扶持して一同に興起すること能し。集説に引く袁枢の説:陰は能く自ら光を発せず、陽を得てこそ明なり。柔は能く自ら立たず、剛を得てこそ立つ。下位に居る者は能く自ら興起せず、上面の援引を得てこそ興る。

永貞之吉,終莫之陵也。 程傳 飾而不常且非正,人所陵侮也,故戒能永正則言也,其賁既常而正,誰能陵之乎。 集說 蔡氏淵曰:“陵”,侮也。三能“永貞”,則二柔雖比己而“濡如”,然終莫之陵侮,而不至陷溺也。 沈氏一貫曰:下三爻皆取離義,至三而文明極矣,有溺質之象。唯“永貞”則濟之以艮止,故吉而莫之陵。

《象伝》が九三を解していう:長久に正を守りてこそ吉なり、最終に彼を欺凌する能う者なし。程頤《伊川易伝》にいう:文飾もし能く持久せざらば、また正に合せず、就ち人に欺侮せられん。ゆえに爻辞は彼を告誡して能く長久に正を守りてこそ好しとす(底本「則言也」は「言」を疑い「吉」とすべし)。彼の文飾すでに能く持久してまた端正なれば、なお彼を欺凌する能う者あらんや。集説に引く蔡淵の説:「陵」は欺侮の意なり。九三が能く「永貞」せば、則ち六二のこの柔爻は雖も自らに緊挨して「濡如」のあの潤沢・相親の様子を呈すと雖も、終に彼を欺凌すること能わず、彼も亦た陷溺し入るに至らず。集説に引く沈一貫の説:《賁》卦の下面の三爻は皆な離の義理を取る、九三に到りて文明すでに極点に至り、柔潤の質に沉溺するの象あり。ただ「永貞」のみ、こそ艮の静止を以てそれを救済す。ゆえに吉を得て人の欺凌する能う者なし。

六四,當位疑也。匪寇婚媾,終無尤也。 本義 “當位疑”,謂所當之位可疑也。“終無尤”,謂若守正而不與,亦無它患也。 程傳 四與初相遠,而三介於其間,是所當之位為可疑也,雖為三寇仇所隔,未得親於婚媾,然其正應,理直義勝,終必得合,故云“終無尤也”。“尤”,怨也。終得相賁,故無怨尤也。

《象伝》が六四を解していう:六四が面對する所の處境は人をして疑を生ぜしむ。来るは強寇に非ずして求婚する者、最終に怨尤あらざるなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「當位疑」は、それが面對する所の位置の可疑なるを言う。いわゆる「終无尤」は、假如正道を守りて相与せずと雖も、亦た別の禍患あらざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:六四と初九とは相隔たること遠く、九三はまた両者の中間に橫插す。ゆえにそれが面對する所の位置は人をして懐疑せしむ。雖も九三のこの寇仇のごとき爻に阻隔せられて、いまだ婚媾の對象と親近する能わざれども、それと初九とはもとより「応与」の中の正応にして、理直にして義勝る、終に必ず能く會合せん。ゆえに「終无尤也」と言う。「尤」は怨の意なり。最後に能く彼此文飾・相親すれば、ゆえに怨尤なし。

集說 朱氏震曰:純白無偽,誰能間之,始疑而終合,故曰“終無尤也”。 郭氏雍曰:四雖自飾,亦有“皤如”之質,猶丘園之賁,虛己待物之象也。初飾其趾而來,翰如之馬也,以剛下柔而來,應匪寇也,婚媾之道也,四雖懷疑,終何尤哉。

集説に引く朱震の説:両方とも純白・无偽なれば、彼らを離間する能う者あらんや。開頭は雖も疑を生ず、最後は終に會合せん。ゆえに「終无尤也」と言う。集説に引く郭雍の説:六四は雖も自ら文飾を加うるも、却って亦た爻辞の言う所の「皤如」のあの素白の本質あり、六五の「丘園之賁」に比す、己を虚にして外物を等待するの象なり。初九はその脚趾を文飾して前來す、まさに「白馬翰如」のあの匹の馬なり。それは剛爻を以て柔爻の下に屈居して来る、来るは相応の正応にして、并びに強寇に非ず、走る所は婚媾の道なり。六四は雖も心中に疑を生ず、最終にまた何の怨尤あらんや。

六五之吉,有喜也。 程傳 能從人以成賁之功,享其吉美?是“有喜”也。 集說 方氏應祥曰:於文勝之時,而為丘園之賁,豈不甚可喜乎。非自喜也,為世道喜也。

《象伝》が六五を解していう:六五の吉なる所以は、可喜の事あるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六五は能く上九に聴従して文飾の功效を成就し、因りてその吉美を享有す、これ則ち「有喜」なり。集説に引く方應祥の説:まさに文采の盛んに過ぐる時に当たりて、六五は却って「丘園之賁」を行い、田園の質朴を以て文飾とす。これ豈に甚だ可喜ならざらんや。彼は己の一身を為して喜ぶに非ず、世道・人心を替えて喜ぶなり。

案 《傳》:於五位多言“有慶”,慶大而喜小也,此爻居尊而返樸祟儉,亦可以易俗移風,而但曰有喜者,且就一身無過言爾。如《無妄》五、《損》四、《兌》四之例,皆以無疾為喜,若推其用,則化成天下,慶在其中矣。

李光地按す:《象伝》は第五のこの爻位の上に於て多く「有慶」と言う。「慶」は大にして天下に遍及し、「喜」は小にして一身に止まる。この爻は身に尊位に居りて質朴に返帰し、儉素を崇尚す(底本「祟」は「崇」とすべし)。もとより亦た以て風を移し俗を易うるに足るも、《象伝》は却ってただ「有喜」と言う、あれは姑らく彼の一身に過失なきに就きて言うなり。《无妄》九五、《損》六四、《兌》九四の體例のごとく、皆な疾患なきを以て喜と算す。もし推廣し開きてその功用を講ぜば、則ち天下を化成し、「慶」は自ずからその中に含まるなり。

白賁無咎,上得志也。 程傳 “白賁無咎”,以其在上而得志也。上九為得志者,在上而文柔,成賁之功,六五之君,又受其賁,故雖居無位之地,而實尸賁之功,為得志也。與它卦居極者異矣,既在上而得志,處賁之極,將有華偽失實之咎,故戒以質素則無咎,飾不可過也。

《象伝》が上九を解していう:素白を以て飾と為して過錯あらざるは、上位に居りて心志の行うを得たるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「白賁无咎」は、上九が上位に処りてその志を遂げ得たるに因る。上九の得志を言うは、彼が上に居りて文飾を以て下面の柔爻に施して、整卦の文飾の功を成就したるに因る。六五のこの君主はまた彼の文飾を接受す。ゆえに彼は雖も身に職位なき処に処ると雖も、実際は却って文飾の功業を主持す、これを得志と謂う。この一点は他の卦の裏の極上の位に居るの爻と不同なり。すでに上に在りて得志し、また《賁》卦の文飾の極点に処れば、浮華・失実の過失を有さん。ゆえに《象伝》は素朴・无華を以て彼を告誡す。能く質素を守れば則ち過錯なし、文飾は以て太過すべからず。

集說 《朱子語類》:問:何謂得志。曰:居卦之上,在事之外,不假文飾,而有自然之文,便是優遊自得也。

集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、何を「得志」と謂う。朱熹が答えていう:身に一卦の最上に居り、事務の外に站りて、人為の修飾に借助せざるも、却って自ずから一種の天然の文采あり。これ則ち従容・自在、優游・自得なり。

項氏安世曰:六二柔來而文剛,主內卦之文者也,內卦以文為文,故曰:“賁其須”,須之麗於身,最為虛文也,然陽氣不盛,不足以賁其須,故曰“與上興也”,二與上交而成卦,二以上為主,猶須以陽為主也,深明文之與質,未嘗相離,故不言吉凶,吉凶繫於質也,上九分剛上而文柔,主外卦之文者也,外卦以質為文,故曰“白賁”。白本 案 項氏以“與上興”為上九,不如指九三言為當。

集説に引く項安世の説:六二は柔爻が下體に來りて剛爻を文飾するにして、内卦の文采を主持する一爻なり。内卦は文采を以て文采と為す。ゆえに爻辞は「賁其須」と言う。鬍鬚は身上に附して、最も虚なる一種の文飾なり。然而陽氣足りて旺盛ならざれば、則ち以てその鬍鬚を潤飾するに足らず。ゆえに《象伝》は「與上興也」と言う。六二と上面の爻と交換して《賁》卦を成せば、六二は上爻を以て主と為す、まさに鬍鬚が陽氣を以て主と為すがごとし。ここに切深く文と質とは従来曽て相離れざるを説明す。ゆえに爻辞は吉凶を講ぜず、吉凶は「質」の上に繫るなり。上九は剛爻を分出して上に居りて柔爻を文飾するにして、外卦の文采を主持する一爻なり。外卦は質朴を以て文采と為す。ゆえに爻辞は「白賁」と言う――以下底本はただ「白本」の二字を剩して便ち断たれ、項氏の話は未だ言い盡さず。李光地按す:項氏は「與上興」の「上」を上九と認む、指して九三に就きて講ずるに及ばざるが更に妥當なり。

《象伝》・剥卦

山附於地,剝。上以厚下安宅。 程傳 艮重於坤,“山附於地”也。山高起於地而反附著於地,圮剝之象也。上,謂人君與居人上者,觀《剝》之象,而厚固其下,以安其居也,下者上之本,未有基本固而能剝者也。故上之剝必自下,下剝則上危矣。為人上者,知理之如是,則安養人民,以厚其本,乃所以安其居也,《書》曰:民唯邦本,本固邦寧。

《大象伝》にいう:山は地上に依附す、《剥》卦の象なり。上位に居る人はこれに倣って下民を厚待し己の居所を安定す。程頤《伊川易伝》にいう:艮體は坤體の上に疊れば、則ち「山附于地」なり。山はもとより地面より高く聳起したるに、如今反って地上に貼附す、まさに坍塌・剥落の象なり。「上」とは、人君および一切人の上に居る者を指す。彼らは《剥》卦の象を観て、就ち下面を培厚・加固して、以て己の居處を安定せん。下面は上面の根本なり、従来根基牢固にして崩剥するあらず。ゆえに上面の崩剥は必ず下面より始まる、下面一たび剥れれば、上面は則ち危険なり。上位の人を為すは道理の然るを明白すれば、則ち百姓を安養し根本を厚培せん、これまさに己の居處を安定するの办法なり。《尚書・五子之歌》にいう、百姓はこそ国家の根本、根本牢固なれば、国家こそ安寧なりと。

集說 虞氏翻曰:山高絕於地,今附地者,明被剝矣,君當厚錫於下,然後得安其居。 劉氏牧曰:山以地為基,厚具地,則山保其高;君以民為本,厚其下,則君安於上。 司馬氏光曰:基薄則牆頹,下薄則上危,故君子厚其下者,所以自安其居也。 《朱子語類》云:唯其地厚,所以山安其居而不搖,人君厚下以得民,則其位亦安而不搖,猶所謂本固邦寧也。

集説に引く虞翻の説:山は本来高聳にして地面と判然別あり、如今却って地上に貼附す、これによりそれがすでに剥蝕せられたるを見るべし。君主はまさに厚厚と下民を賞賜して、然る後に能くその位に安居すべし。集説に引く劉牧の説:山は大地を以て根基と為し、地を培厚すれば(底本「厚具地」は「具」を「其」とすべし)、山こそその高峻を保住す。君主は百姓を以て根本と為し、下民を厚待すれば、君主こそ上に安居すること能し。集説に引く司馬光の説:地基薄ければ、牆は就ち倒れん。下面薄ければ、上面は則ち危険なり。ゆえに君子はその下面を厚待す、まさに以て己の居處を安定するなり。集説に引く《朱子語類》の説:まさに大地の深厚に因りて、山こそ安穏に立ちて揺動せず。人君は下民を厚待して民心を得れば、彼の君位も亦た安穏・不揺なり、則ちいわゆる「本固邦寧」なり。

剝床以足,以滅下也。 程傳 取床足為象者,以陰侵沒陽於下也,“滅”,沒也,侵滅正道,自下而上也。 集說 虞氏翻曰:床所以安人,在下故稱足。先從下剝,漸及於上,故曰“以滅下也”。

《象伝》が初六を解していう:牀を剥落するは先に牀脚より剥起す、侵滅が下面より始まるを言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:牀脚を以て取象するは、陰気が下面に在りて陽を侵蝕・淹没するに因る。「滅」は則ち淹没なり。正道を侵蝕・淹没するは、下より上に向かい一歩一歩に來るなり。集説に引く虞翻の説:牀は以て人を安頓するに用いられ、牀脚は最も下面に在り。ゆえに「足」と称す。剥落は先に下面より始まりて、漸々上面に波及す。ゆえに「以滅下也」と言う。

剝床以辨,未有與也。 本義 言未大盛。 程傳 陰之侵剝於陽,得以益盛,至於剝“辨”者,以陽未有應與故也。小人侵剝君子。若君子有與,則可以勝小人,不能為害矣。唯其無與,所以被“蔑”而凶。當消剝之時,而無徒與,豈能自存也。言未有與,剝之未盛,“有與”,猶可勝也,示人之意深矣。

《象伝》が六二を解していう:牀を剥落して牀身と牀脚と相接する処に剥到るは、陽がいまだ応与を得ざるが故なり。朱熹《本義》にいう:これは陰の剥勢がいまだ大盛ならざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:陰の陽に對する侵剥の能く一歩一歩に加劇して、「辨」のこの部位に剥及するに至る所以は、陽に「応与」なきに因る、亦た則ち相応・相助の同伴なし。小人は君子を侵剥す、君子もし同伴あらば、則ち能く小人に勝たん、小人は便ち彼を害うること得ず。まさに同伴なきに因りて、こそ侵蔑せられて凶を致す。陽氣消剥の時に処りて、また同類相与なければ、怎んぞ能く自保せんや。《象伝》の言う「未有与」は、剥勢のいまだ大盛ならざるを言う。ただなお「有与」あれば、則ち仍旧として勝取すること能し――聖人の人に示すの用意は甚だ深し。

集說 崔氏憬曰:“辨”當在第足之間,是床梐也,“未有與”者,言至三則應,故二“未有與也”。 吳氏澄曰:若六三之剝之,唯其有與也。

集説に引く崔憬の説:「辨」はまさに牀簀と牀脚との間に當るべし、則ち牀身の横木・欄干なり(底本「第」は「簀」とすべし)。いわゆる「未有与」は、剥が六三に到りてこそ相応の陽爻あるを言う。ゆえに六二のこの爻はなお「未有与」なり。集説に引く呉澄の説:六三の爻辞の言う所の「剥之」にして能く无咎なるは、まさに独りそれに相応の爻あるに因る。

龔氏渙曰:六二陰柔中正,使上有陽剛之與,則必應之助之,而不為剝矣,唯其無與,所以雜於群陰之中而為剝,若三則有與,故雖不如二之中正而得無咎。 案 崔氏、吳氏、龔氏之說,皆得文意,六三不中正而辭優於二,故聖人以“未有與”失上下明之。

集説に引く龔渙の説:六二は陰柔にしてまた居中・得正、假使上面に陽剛の爻あってそれと相応せば、それは一定に往きてあの陽爻を応和・幇助して、剥落に参與せざらん。まさに応与なきに因りて、こそ混雑して一群の陰爻の当中に在りて一同に剥を為す。六三に至りては、それに応与あり。ゆえに雖も六二の「中正」に及ばざれども、爻辞は反ってそれに過錯なしと言う。李光地按す:崔憬・呉澄・龔渙の三家の説法は皆な《象伝》の文意に合乎す。六三はすでに居中せず當位せざるに、爻辞は却って六二より言うこと好し。ゆえに聖人は六二の「未有与」と六三の「失上下」のこの両句を以て、その中の道理を点明したるなり。

本義 “上下”,謂四陰。 程傳 三居剝而“無咎”者,其所處與上下諸陰不同。是與其同類相失,於處剝之道為“無咎”,如東漢之呂強是也。 集說 王氏弼曰:三上下各有二陰,而三獨應於陽,則“失上下”也。 邱氏富國曰:上謂四五,下謂初二,違去四陰而獨從剛,故曰“失上下也”。

底本ここに六三の小象「剥之无咎、失上下也」の一句を脱し、直ちに本義に接続す。朱熹《本義》にいう:いわゆる「上下」とは、指す所は六三以外の其余の四個の陰爻なり。程頤《伊川易伝》にいう:六三は身に剥落の世に処りて能く「无咎」なるは、それが処する立場が上下の衆陰と同じからざるが故なり。それは己の同類と離心・相失し、剥に処するの道理の上に於てはまさに過錯なし、東漢の宦官の裏の呂強は則ちこのごとき人なり。集説に引く王弼の説:六三の上面と下面とは各々両個の陰爻あり、而して独り六三のみ上九の陽爻と相応す、これ則ち「失上下」なり。集説に引く邱富国の説:「上」は六四・六五を指し、「下」は初六・六二を指す。六三はこの四個の陰爻に背離して独り剛爻に跟従す。ゆえに「失上下也」と言う。

剝床以膚,切近災也。 程傳 五為君位,剝已及四,在人則剝其膚矣,剝及其膚,身垂於亡矣,“切近”於災禍也。

《象伝》が六四を解していう:剥落すでに人の肌膚に剥到るは、災禍すでに身に貼り逼近したるを言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:五は君位、剥落すでに六四に到れる。もし人身に比作せば、則ち皮膚に剥到るなり。皮膚に剥到れば、性命は就ち保たれざらんとす。ゆえに災禍に「切近」と言う。

以宮人寵,終無尤也。 程傳 群陰消剝於陽,以至於極,六五若能長率群陰,駢首順序,反獲寵愛於陽,則終無過尤也,於剝之將終,復發此義,聖人勸遷善之意,深切之至也。 案 五以陰居尊,取后妃之象,而為“貫魚以宮人寵”,則豈有妒害潰亂,以剝其君之尤哉。

《象伝》が六五を解していう:宮人のごとく寵愛を承受するは、最終に怨尤あらざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:衆陰は陽爻を消剥し、すでに極点に到れる。六五がもし能く帶頭して群陰を率領し、魚貫して行くがごとく併頭・依次に進みて、反って陽爻の寵愛を承受せば、最終に過失・怨尤あらじ。剥落まさに盡きんとする時に於てまたこの層の意を発す、聖人の人に勧めて善に遷らしむるの用心は、実に深切の極処に到れる。李光地按す:六五は陰爻を以て尊位に居り、取る所は后妃の象なり。すでに「貫魚以宮人寵」を致し到れば、何処にかなお嫉妬・残害、宮闈を潰乱して以てその君を剥傷するの過錯あらんや。

君子得輿,民所載也。小人剝廬,終不可用也。 程傳 正道消剝既極,則人復思治,故陽剛君子,為民所承載也。若小人處剝之極,則小人之窮耳。“終不可用也”,非謂九為小人,但言剝極之時,小人則是也。

《象伝》が上九を解していう:君子は車輿を得るは、百姓の擁戴・承載する所なり。小人は己の房舍をも剥掉す、終に任用すべからず。程頤《伊川易伝》にいう:正道は消剥せられて極点に到れば、人心は重新して治世を思念す。ゆえに陽剛の君子は百姓に承載・擁戴せらる。倘若小人にして剥落の極点に処らば、則ちあれは小人の窮途に走到せるなり。「終不可用也」と言うは、并びに上九のこの爻を指して則ち小人と為すに非ず、ただ剥極の時に到れば、小人の下場は便ちこのごとしと言うのみ。

集說 《朱子語類》云:唯君子乃能覆蓋小人,小人必賴君子以保其身。今小人慾剝君子,則君子亡,而小人亦無所容其身,如自剝其廬也。且看自古小人慾害君子,到害得盡後,國破家亡,其小人曾有存活得者否?故聖人於《象》曰:“君子得輿,民所載也,小人剝廬,終不可用也”。

集説に引く《朱子語類》の説:ただ君子のみ能く小人を庇覆し、小人も亦た必ず君子に依頼してこそ自身を保住すること能す。如今小人は一心に君子を剥落せんと要す、君子一旦覆亡せば、小人も亦た安身の処なし、己が己の房子を拆掉するに等し。且らく自古以来小人の君子を害せんと要するを看よ、害を到ること干干净净の後に至れば、国破・家亡、あれらの小人に曽て活きて下来る一人ありや。ゆえに聖人は《象伝》の裏に言う:「君子得輿、民所載也。小人剥廬、終不可用也。」

《象伝》・復卦

雷在地中,復。先王以至日閉關,商旅不行,后不省方。 本義 安靜以養微陽也。月令,是月齋戒,掩身以待陰陽之所定。 程傳 雷者,陰陽相薄而成聲,當陽之微,未能發也。“雷在地中”,陽始復之時也,陽始生於下而甚微,安靜而後能長,先王順天道,當至日陽之始生,安靜以養之,故閉關使商旅不得行,人君不省視四方。觀《復》之象而順天道也,在一人之身亦然,當安靜以養其陽也。

《大象伝》にいう:雷は地中に伏す、《復》卦の象なり。先王はこれに倣って、冬至のこの日に関口を閉閉し、商旅は出行せず、君主も亦た四方を巡視せず。朱熹《本義》にいう:これは安静を以て剛に萌生し出づる一点の微陽を涵養するなり。《礼记・月令》に記する所は、仲冬のこの月に斎戒を要し、身心を敛蔵して、以て陰陽二気の各々安定下来るを等待す。程頤《伊川易伝》にいう:雷は陰陽二気の相迫・相激して発出するの声響なり、陽気なお微弱の時に当たりては、それは発し出でず。「雷在地中」は、まさに陽気の回復し始まるの時なり。陽は下面より初生して極めて微弱、必ず安静にしてこそ生長すること能す。先王は天道に順応し、冬至の陽気剛生の時に当たりて、安静を以てそれを涵養す。ゆえに関口を閉閉して、商旅をして通行すること能わざらしめ、人君も亦た出巡・察看せず。これ則ち《復》卦の象を観察して天道に順応するなり。一人の身上に放てば亦た一樣なり、この時まさに安静に己の一点の陽気を涵養すべし。

集說 劉氏蛻曰:“雷在地中”,殷殷隆隆,陽來而復,復來而天下昭融乎。

集説に引く劉蜕の説:「雷在地中」は、隠隠・隆隆として地下に響動し、陽気は去りてまた來り。一旦回復せば、天下は大概就ち一片の通明・和融ならんとす。

蘇氏舜欽曰:“復,其見天地之心乎”,王弼解云,復者反本之謂,天地以本為心,寂然至無,是其本也,故動息地中,乃天地之心見矣。予竊惑焉,夫復也者,以一陽始生而得名也,《象》曰“剛反”,又曰“剛長”,安得謂寂然至無耶,安得謂動息耶?《象》曰“雷在地中,復”,雷者陽物也,動物也,今在地中,則是有陽動之象也,輔嗣昧舉卦之體,乃以寂然至無為復,斯失之矣!又云,冬至陰之復,夏至陽之復,何冬夏陰陽 《朱子語類》:問:陽始生甚微,安靜而後能長,故《復》之《象》曰:“先王以至日閉關”,人善端之萌亦甚微,須莊敬持養,然後能大。不然復亡之矣。曰:然。

集説に引く蘇舜欽の説:《彖伝》の講ずる「復、其見天地之心乎」は、王弼が解釈していう、復は則ち根本に返回す。天地は「本」を以て心と為し、あの寂然・无物の至无は則ちその本なり。ゆえに雷の動が地中に止息してこそ、天地の心は顕現し出づる。我は私裏この説法に對して甚だ疑惑す。いわゆる復は、もとより一陽の初生に就きて名を得るにして、《彖伝》は「剛反」と言い、また「剛長」と言う。怎んぞ寂然・至无と言うこと能わんや、また怎んぞ動の止息・滅と言うこと能わんや。《大象伝》は「雷在地中、復」と言う、雷は陽物にして主動の物なり、如今それは地中に在り、まさに陽気萌動の象あるを表明す。王弼(字は輔嗣)は整卦・卦體の取象に昧く、竟に寂然・至无を以て復を講ず、これは則ち言い差えたり。彼はまた冬至は陰の復、夏至は陽の復と言う。何を以て冬夏・陰陽……。ここに底本脱文あり、蘇氏の議論は未だ言い盡さず、下に接ぐは別の一条の集説なり。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、陽気の初生の時は極めて微弱にして、安静にしてこそ生長すること能す。ゆえに《復》卦《大象伝》は「先王以至日閉関」と言う。人心の中の善端の萌発も亦た極めて微弱にして、必ず莊重・持敬の涵養にして、然る後にこそ長大すること能し、不然なれば剛に生じ出づれば又復消亡せん。朱熹が答えていう:正にこのごとし。

問純坤之月,可謂至靜,然昨日之靜,所以養成今日之動,一陽之復,乃是純陰養得出來,在人則主靜而後善端始復。曰:固有此意,但不是此卦大義,《大象》所謂“至日閉關”者,正是於已動之後,要以安靜養之。

門人が接続して問う:純坤の当令する十月は、以て静の極点に到れると言うべし。然而昨日の静は、まさに以て今日の動を養成するなり。一陽の回復は、乃ち純陰の涵養し出づる所なり。人の身上に放てば、則ち先に静を以て主と為して、而して後に善端こそ回復し始まる。朱熹が答えていう:この層の意は固然あり、但し本卦の大義に非ず。《大象伝》の言う所の「至日閉関」は、恰々陽気すでに萌動せし後に在りて、安静を以てそれを涵養し往かんと要するなり。

楊氏啟新曰:“閉關”,靜以養陽:“施命”,動以制陰。乾者於《姤》、《復》,用意深矣。

集説に引く楊啓新の説:《復》卦の大象は「閉関」を講ずるは、静を以て陽気を涵養するなり。《姤》卦の大象は「后以施命誥四方」を講ずるは、動を以て陰気を節制するなり。《易》を作る人は《姤》《復》のこの両卦の上に於て、用意は実に甚だ深し(底本ここに「干者」と作る、字に訛誤あり)。

不遠之復,以修身也。 程傳 不遠而復者,君子所以修其身之道也,學問之道無它也,唯其知不善,則速改以從善而已。 集說 王氏弼曰:所以不遠速復者,以能修正其身,有過則改故也。

《象伝》が初九を解していう:走りて遠からずして回頭するは、以て自身を修養するなり。程頤《伊川易伝》にいう:走り出でて遠からずして折り返すは、まさに君子の自身を修養するの办法なり。学問を為すの道理は別になし、ただ一たび己に不善あるを発覚せば、就ち赶忙に改めて善に帰するのみ。集説に引く王弼の説:能く走りて遠からずして迅速に回頭する所以は、彼が能く自身を修正し、過失あれば則ち立刻に改むるに因る。

休復之吉,以下仁也。 程傳 為復之體美而占者,以其能下仁也。仁者天下之公,善之本也。初復於仁,二能親而下之,是以吉也。 集說 孔氏穎達曰;陽為仁行,已在其上,附而順之,是降下於仁,所以吉也。

《象伝》が六二を解していう:美善の回復の吉なる所以は、能く己を屈して仁者に親近するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:この一爻の回復の體段美好にして吉を占得する所以は、それが能く仁者の下に自居するに因る。仁は天下の公道にして、一切の善の根本なり。初九すでに仁に復帰す、六二は能く彼に親近してその下に甘居す。ゆえに吉を得たり。集説に引く孔穎達の説:陽爻は仁の行事を代表す。六二は自ずからその上に在るも、却って貼附してそれに順従す、これ則ち自ら身分を降りて仁に屈居するにして、ゆえに吉を得たり。

張氏栻曰:《易》三百八十四爻未嘗言仁,此獨言之,蓋有深旨。克己復禮為仁,克其私心,復其天理,所以為仁;二去初未遠,上無繫應,能從初而復,所以為下仁也;至四但言從道,而不謂之仁,蓋道者舉其大凡,不若仁為至切也。 俞氏琰曰:仁者心之德,善之本,初九修身而反本復善,可以為仁矣。二之吉,蓋以親近初九而吉也。

集説に引く張栻の説:《周易》の三百八十四爻は従来曽て「仁」の字を講ぜず、独りここに於て講及す、その中にまさに深意あるべし。孔子が言う克己・復礼は則ち仁なり。己の私心を克去して、本有の天理に回復す、ゆえに仁と称す。六二は初九に離ること遠からず、上面にまた牽繋・相応の爻なし、能く初九に跟いて一同に回復す。ゆえに「下仁」と称す。六四に到りては《象伝》はただ「以従道也」と言う、而してそれを仁と称せず、あれは「道」はその大略を挙げて言うにして、「仁」の字のごとく貼切・親近に來らざるが故なり。集説に引く俞琰の説:仁は心の徳性にして、善の根本なり。初九は自身を修養して本原に返帰し、善に復帰すれば、則ち以て仁と称すべし。六二の吉は、まさに初九に親近するに由りて來るなり。

頻復之厲,義無咎也。 程傳 頻復頻失。雖為危厲,然復善之義則“無咎”也。 中行獨復,以從道也。 程傳 稱其“獨復”者,以其從陽剛君子之善道也。 集說 郭氏雍曰:《剝》六三乃《復》六四反對,其義相類。在《剝》取其失上下以應乎陽,在《復》則取其獨復以從道。

《象伝》が六三を解していう:屢々回頭してまた屢々失去して危厲あるも、善に復帰するのこの層の義理に就きて言えば仍旧過錯なし。程頤《伊川易伝》にいう:一度一度回頭し、また一度一度失掉す、雖も是れ危険の事、然而善に復帰するのこの層の義理に就きて講ずれば、なお「无咎」なり。《象伝》が六四を解していう:衆陰の中間を走りて独り回復するは、正道に跟従したるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:それを「独復」と称するは、それが跟従する所は初九のこの陽剛・君子の善道なるに因る。集説に引く郭雍の説:《剥》卦の六三と《復》卦の六四とは彼此倒転・相對の両爻にして、義理は相類す。《剥》卦に於てはそれが上下の衆陰を捨棄して陽に応ずるを取り、《復》卦に於ては則ちそれが独り回復して正道に跟従するを取る。

敦復無悔,中以自考也。 本義 “考”,成也。 程傳 以中道自成也。五以陰居尊,處中而體順,能敦篤其志,以中道自成,則可以“無悔”也。自成,謂成其中順之德。 集說 王氏安石曰:能以中道自考,則動作不離於中。 李氏簡曰:“中以自考”,非自有降衷之性,則亦不能成此德也。 粱氏寅曰:中以自考,言以其有中德,故能自考其善不善也。

《象伝》が六五を解していう:敦厚に回復して悔恨なきは、居中の徳を以て自我成就するに依るなり。朱熹《本義》にいう:「考」は成就の意なり。程頤《伊川易伝》にいう:これは中道を以て自我成就するなり。六五は陰爻を以て尊位に居り、中位に処りて體性は柔順、能く心志を敦厚・篤実し起こして、中道を以て自我成就すれば、則ち以て悔恨なかるべし。いわゆる自成とは、彼が中にして順なる徳性を成就するを言う。集説に引く王安石の説:能く中道を以て自我成就せば、則ち挙動は中道を離れざらん。集説に引く李簡の説:いわゆる「中以自考」は、もし本来より上天の降す所のあの中正の性あらざらば、亦たこのごときの徳を成就すること能わず。集説に引く梁寅の説(底本は「粱氏寅」と作る):「中以自考」は、彼に居中の徳あるに因りて、能く自ら己の善と不善とを考察するを言う。

迷復之凶,反君道也。 程傳 復則合道,既迷於復,與道相反也,其凶可知。“以其國君凶”,謂其“反君道也”。人君居上而治眾,當從天下之善,乃迷於復,反君之道也。非止人君,凡人迷於復者,皆反道而凶也。 集說 楊氏啟新曰:心為天君,唯君能役群動,而反以群動役,與心之道相背弛者也。

《象伝》が上六を解していう:回頭の路を迷失して凶を致すは、君たるの道に違反したるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:能く回復すれば則ち道に合乎、如今回復の上に於て迷失せば、正に道と相反す、その兇険は想知すべし。爻辞の言う「以其国君凶」は、則ち彼が君たるの道に違反したるを指す。人君は上位に居りて衆人を治理す、もとより天下の善に順従すべく、如今却って迷いて復せず、これ則ち君主たるの道に違背す。単に人君のみならず、凡そ回復の上に於て迷失する人は、皆な道に背いて凶を致す。集説に引く楊啓新の説:心は一身の天君にして、ただ君のみ能く衆多の活動を役使す。如今反って衆多の活動に役使せらる、これ則ち心の本然の道と背道而馳す。

《象伝》・无妄卦

天下雷行,物與無妄。先王以茂對時育萬物。 本義 “天下雷行”,震動發生,萬物各得其性命,是物物而與之以無妄也。先王法此以對時育物,因其所性而不為私焉。

《大象伝》にいう:天下に雷響き、雷行の至る所、万物は皆な真実・不虚の性を賦与せらる。先王はこれに倣って、勉力して天時に順応して万物を養育す。朱熹《本義》にいう:「天下雷行」は、雷が震動して万物が発生し、万物は各自己の性命を得る、これ則ち一物一物に彼らに真実・无妄を賦与するなり。先王はこの一点を效法して、天時に順応して万物を養育す。一切は万物の本有の天性に依循して、己の私意を摻れ入れず。

程傳 雷行於天下,陰陽交和,相薄而成聲,於是驚蟄藏,振萌芽,發生萬物,其所賦與,洪纖高下,各正其性命,無有差妄,物與無妄也。先王觀天下雷行發生賦與之象,而以茂對天時,養育萬物,使各得其宜,如天與之無妄也。“茂”,盛也。茂對之為言,猶盛行永言之比,“對時”,謂順合天時,天道生萬物,各正其性命而不妄,王者體天之道,養育人民,以至昆蟲草木,使各得其宜,乃對時育物之道也。

程頤《伊川易伝》にいう:雷は天下に行い、陰陽二気は交合・調和して、相互に激盪して声響を発出す。於是蛰伏の虫豸を驚起し、草木の萌芽を振発して、万物を生出す。それが各物に賦与するは、粗大・細小、高き低きを問わず、皆な各自その性命を端正して、一点の差錯・虚妄なし、これ則ち「物與无妄」なり。先王は天下に雷行し万物を発生して各々賦与あるの象を観て、就ち盛大の力を以て天時に順応し、万物を養育して、それらをして各々その宜しきを得しむ、上天が彼らに真実・无妄を賦与するがごとし。「茂」は盛の意、「茂対」のこの説法は、「盛行」「永言」の一類の構詞に比す。「対時」とは、天時に順応・契合するなり。天道は万物を生養して、各々性命を正しくして虚妄ならざらしむ。王者は天の道理を體察して、人民を養育して以て昆虫・草木に至らしめ、それらをして各々その宜しきを得しむ、これ則ち時に順い物を育むの道理なり。

集說 《九家易》曰:“天下雷行”,陽氣普遍,無物不與,故曰“物與”也。 《朱子語類》:問:“物與無妄”眾說不同。文蔚曰:是“各正性命”之意。曰:然。 一物與它一個無妄。

集説に引く《九家易》の説:「天下雷行」は、陽気普遍・流布して、一と物として賦与せられざるなし、ゆえに「物與」と言う。集説に引く《朱子語類》:ある人が問う、「物與无妄」は各家の説法一ならず。門人の陳文蔚が言う:則ち《乾・彖伝》の「各正性命」の意なり。朱熹が答えていう:對。また言う:これ則ち一物一物に各々それに一個の真実・无妄を給うなり。

俞氏琰曰:天有是時,先王非能先後之也,對而循之耳;物有是生,先王非能損益之也,育而成之耳。《中庸》之所謂“誠”,即《易》之所謂“無妄”也,《中庸》云:“唯天下至誠為能盡其性,能盡其性,則能盡人之性,能盡人之性,則能盡物之性,能盡物之性,則可以贊天地之化育,可以贊天地之化育,則可以與天地參矣。”子思之說,蓋本於此。

集説に引く俞琰の説:天にその時序あり、先王は并びにそれを提前し推后すること能わず、ただそれに對してそれに順いて為すのみ。物にその生機あり、先王は并びにそれに增添・削減すること能わず、ただそれを養育してそれを成全するのみ。《中庸》の言う所の「誠」は、則ち《周易》の言う所の「无妄」なり。《中庸》に言う、ただ天下の至誠の人のみ能く己の本性を窮盡し、能く己の本性を盡くせば則ち能く人の本性を盡くし、能く人の本性を盡くせば則ち能く万物の本性を盡くし、能く万物の本性を盡くせば則ち以て天地の化育を輔助し、能く天地の化育を輔助せば則ち以て天地と並列して三と為る。子思のこの番の話は、大概まさに《无妄》のこの卦に本づくなり。

蔡氏清曰:“物與無妄”者,萬物各正其性命也,對時育物者,因其所性而不為私,乃聖人盡物之性也。

集説に引く蔡清の説:いわゆる「物與无妄」とは、則ち万物各自その性命を端正するなり。いわゆる時に順い物を育むとは、則ち万物の本有の天性に依循して私意を摻入せざるなり、これまさに聖人の万物の性を窮盡するの功夫なり。

無妄之往,得志也。 程傳 以無妄而往,無不得其志也,蓋誠之於物,無不能動,以之修身,則身正,以之治事,則事得其理,以之臨人,則人感而化,無所往而不得其志也。

《象伝》が初九を解していう:真実・不虚の心を以て前往するは、能くその心志を遂げるなり。程頤《伊川易伝》にいう:真実・不虚の心を抱きて事を行えば、その志を遂げざるなし。誠意を事物の上に施加すれば、感動すること能わざるなし。それを以て身を修めれば、身は則ち端正なり。それを以て事を辦せば、事は則ち理に合す。それを以て人を待てば、人は則ち感動して化を受く。ゆえに何れの処に往くを問わず、心志を得遂げざるなし。

不耕穫,未富也。 本義 “富”,如非富天下之富,言非計其利而為之也。 集說 豐氏寅初曰:“未”,猶非也。“富”,謂利也。不於力耕之際,遽有望獲之心,乃仁人不計功謀利,而天德全矣,其行之所以利也。

《象伝》が六二を解していう:收穫を為さずして耕種するは、并びに利を求むるの打算を打たざるが故なり。朱熹《本義》にいう:ここの「富」は、《孟子》の言う「非富天下也」のあの富のごとし、意は并びに利益を盤算してこそ往きて為すに非ず。集説に引く豊寅初の説:「未」は「非」に相当し、「富」は利を指す。まさに力を出して耕種する時に当たりて、則ち馬上に収成を求取するの念頭を動かさず。これまさに仁者は功を計らず利を謀らず、天然の徳性は因りて保全され、彼の行事の処処有利なる所以なり。

行人得牛,邑人災也。 程傳 行人得牛,乃邑人之災也,有得則有失,何足以為得乎。 集說 豐氏寅初曰:“邑人之災”,所謂“無妄之災”,然無故被誣者,反己無怍,君子求其無妄而已,禍福聽之於天,悉置度外也。

《象伝》が六三を解していう:過路の人が牛を牽き去るは、本邑人の災殃と成る。程頤《伊川易伝》にいう:過路の人が牛を牽き去るは、まさに本邑人の災殃なり。一辺に得る所有れば、一辺に就ち失う所有り、このごときの得は何の得を算せんや。集説に引く豊寅初の説:いわゆる「邑人之灾」は、則ち爻辞の講ずる「无妄之灾」なり。然而無縁・無故に人に誣賴せらるる人は、反躬・自問して愧怍せず。君子はただ己の真実・不虚を求めるのみ、禍福は天意に聴憑し、一概に之を度外に置く。

可貞無咎,固有之也。 本義 “有”,猶守也:程傳 貞固守之,則無咎也。 集說 蘇氏軾曰:“固有之”者,生而性之,非外掠而取之也。 王氏宗傳曰:正者人之性也,非外鑠我者,我固有之也。因其固有而不失之,故曰“可貞無咎”。

《象伝》が九四を解していう:以て正を守りて過錯なかるべきは、この正はもとより己の固有なるが故なり。朱熹《本義》にいう:ここの「有」は、守に相当す(底本は「本義」と「程伝」の両条を一行に連写す)。程頤《伊川易伝》にいう:堅定にそれを守住せば、則ち過錯なし。集説に引く蘇軾の説:いわゆる「固有之」は、生来より具備するの本性にして、外面より掠奪して來るに非ず。集説に引く王宗伝の説:正は則ち人の本性にして、外面の我に熔鋳するに非ず、我の本来有する所なり。この本有の東西に順いてそれを失わざれば、ゆえに「可貞无咎」と言う。

無妄之藥,不可試也。 本義 既已無妄,而復藥之,則反為妄而生疾矣。“試”,謂少嘗之也。 程傳 人之有妄,理必修改,既無妄矣,復藥以治之,是反為妄也,其可用乎,故云“不可試也”。“試”,暫用也,猶曰少嘗之也。

《象伝》が九五を解していう:本来真実・不虚の人に服薬せしむるは、あの薬は以て試すべからざるなり。朱熹《本義》にいう:すでに本身すでに真実・不虚なるに、なお彼に薬を用いんと要すれば、反って虚妄と成り、因りて病を生出す。「試」は稍微一点を嘗るの意なり。程頤《伊川易伝》にいう:人に虚妄あれば、理に按りて必ず修正・改過を須す。すでに虚妄なきに、なお薬を以て彼を医療せんと要すれば、これ反って虚妄と成る。怎んぞ以て用うべきや、ゆえに「不可試也」と言う。「試」は暫且一用、亦た則ち稍微一点を嘗るの意なり。

集說 林氏希元曰:既無妄,而復藥,則為以“無妄之疾”,試無妄之藥,反為妄而生疾矣,然則所處既當於理,豈可因非意之事而改圖乎。 錢氏志立曰:九五陽剛中正,本無致疾之道而有疾焉,此“無妄之疾”也,唯守正安常以處之,疾且自去。而試之藥焉,則必以吾之常者為非,而悉反其道,斯紛紛召疾之方至矣,故曰“無妄之藥,不可試也”。

集説に引く林希元の説:すでにもと虚妄なきに、なお薬を吃せんと要すれば、則ち「无妄之疾」を以て无妄の薬を試むると成り、反って虚妄と疾病とを生出す。これにより処身すでに道理に合乎する以上、怎んぞ一件の意外の事に因りて本来の打算を改変せんやを見るべし。集説に引く銭志立の説:九五は陽剛にしてまた「中正」、もとより病を招くの道理なきに偏に病あり、これ則ち「无妄之疾」なり。ただ正道を守りて常態に安んじて以てそれを對待せば、病は自ずから退去せん。もし薬を以て試みれば、則ち必ず己の一向の常道を以て錯と為して、做法を全部反過す。然らば則ち病を招くの路数は紛紛として皆な來り。ゆえに「无妄之薬、不可試也」と言う。

無妄之行,窮之災也。 程傳 無妄既極,而復加進,乃為妄矣,是窮極而為災害也。 集說 趙氏玉泉曰:無妄之行,宜無災矣,但處時之窮,則有其德而無其時,故有災也。

《象伝》が上九を解していう:《无妄》の極処に於てなお行動せんと要するは、窮尽の地に走到して招来せる災殃なり。程頤《伊川易伝》にいう:真実・不虚すでに極点に到れるに、なお更に前に進まんと要すれば、則ち虚妄と成る。これは窮極にして災害を生出するなり。集説に引く趙玉泉の説:真実・不虚の心を以て往きて行えば、もとより災殃なかるべきなりに。ただ上九は時運の窮尽の処に処りて、あの徳ありてあの時なし、ゆえに仍旧として災あり。

何氏楷曰:“無妄之行”,猶《彖傳》所云“無妄之往”,上九《乾》之“窮”,與《乾》“亢龍”義同,故二《小象》亦同,以其意於行,故曰“眚”,以其時位使然,故曰“災”。

集説に引く何楷の説:「无妄之行」は《彖伝》の言う所の「无妄之往」と同じ。上九は《无妄》の上體・乾の窮極の位に処りて、《乾》卦上九の「亢龍有悔」と意思相同じ。ゆえにこの両処の《小象》の説法も亦た相近し。彼が自ら一意に行動せんと要するに就きて言えば、ゆえに爻辞は「眚」と称す、あれは自作の患なり。時と位との造成する局面に就きて言えば、ゆえに《象伝》は「災」と称す、あれは外来の禍なり。

《象伝》・大畜卦

天在山中,大畜,君子以多識前言往行,以畜其德。 本義 “天在山中”,不必實有是事,但以其象言之耳。 集說 楊氏時曰:君子多識前言往行,非徒資聞見而已,所以畜德也。畜德則所畜大矣,世之學者,誇多斗靡以資見聞而已,亦烏用學為哉。

《大象伝》にいう:天は山中に在り、《大畜》卦の象なり。君子はこれに倣って、広く前賢の嘉言と往聖の懿行を記取して、以て己の徳を蓄養す。朱熹《本義》にいう:いわゆる「天在山中」は、必ずしも真にこの事あらざるなり、ただ卦象に就きて言うのみ。集説に引く楊時の説:君子の多々前人の言行を記取するは、并びにただ以て見聞を增添するに非ず、而して以てそれで徳性を蓄養せんと要するなり。能く徳性を蓄養せば、蓄うる所は則ち大なり。世上の学者は、ただ記誦の多きを誇耀し辞采の美を争比して、以て見聞に充作するを知るのみ。このごとくしてまた何必学問を為さんや。

邱氏富國曰:《大畜》言“畜”“德”,《小畜》言“懿文德”,“畜”“德”雖同,而“文德”則德之小者也。 張氏清子曰:天在山中,畜其氣也。凡山中有雷雨雲風之氣,皆天也。

集説に引く邱富国の説:《大畜》の大象は「畜其徳」を講じ、《小畜》の大象は「懿文徳」を講ず。同じく徳を蓄うると雖も、「文徳」はただ徳の裏面の較小なる一類なり。集説に引く張清子の説:天は山中に在りて、蓄うる所は天の気なり。凡そ山の裏の含む所の雷・雨・雲・風の気は、皆な天に属す。

有厲利已,不犯災也。 程傳 有危則宜巳,不可犯災危而行也。不度其勢而進,有災必矣。

《象伝》が初九を解していう:危険あれば則ち停止してこそ利あり、往きて災禍を触犯せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:危険あれば則ちまさに停止すべし(底本は「宜巳」と作る、「巳」は則ち「已」、停止)、以て災険を冒して硬に前に往くべからず。形勢を衡量せずして冒進すれば、必ず災を招く。

輿說輹,中無尤也。 程傳 “輿說輹”而不行者,蓋其處得中道,動不失宜,故無過尤也。善莫善於剛中,柔中者,不至於過柔耳;剛中,中而才也。初九處不得中,故戒以有危宜已,二得中,進止自無過差,故但言“輿說輹”,謂其能不行也,不行則無尤矣。初與二,乾體剛健而不足以進,四與五,陰柔而能止,時之盛衰,勢之強弱,學《易》者所宜深識也。 集說 呂氏祖謙曰;二以剛而居中,能度其宜,見其不可,自說其輿輹而不行也,故曰“中無尤”。

《象伝》が九二を解していう:車子は軸上の伏兎を卸掉して走らず、居中なるに因りて過失なきなり。程頤《伊川易伝》にいう:車輹を卸掉して前行せざるは、九二が身に中位に処り挙動に分寸を失わざるが故に、過錯なし。好し、剛にして中に居るに好く過ぐるはなし。柔にして中に居るは、ただ過分柔弱に至らざるのみ。剛にして中に居るは、則ちすでに中を得てまた才干あり。初九の処する所は中に居らず、ゆえに「危険あれば則ち停下すべし」を以てそれを告誡す。九二は中を得て、進むも止まるも自ずから偏差なし。ゆえにただ「輿説輹」と言う、それが能く走らざるを言う、走らざれば亦た過失なし。初九と九二とは乾體に属し、剛健なれど以て前進するに足らず。六四と六五とは陰柔にして、反って能く剛健を止住す。時運の盛衰、形勢の強弱は、《易》を学ぶ人のまさに深く體會すべき所なり。集説に引く呂祖謙の説:九二は剛爻を以て中位に居り、能く事情の分寸を衡量し、行うべからざるを看出して、自ずから車輹を卸下して走らず。ゆえに《象伝》は「中无尤」と言う。

利有攸往,上合志也。 程傳 所以“利有攸往”者,以與在上者合志也,上九陽性上進,且畜已極,故不下畜三,而與合志上進也。 集說 趙氏汝楳曰:它卦陰陽應為得,此則為畜,它卦陰陽敵為不胥與,此則為合。

《象伝》が九三を解していう:往く所有るに利ありは、上面の爻と心志の相合するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:ゆえに「利有攸往」と言うは、九三が上の上九と心志の相合するに因る。上九は陽性にして上に向かい、而且蓄止の勢すでに極点に到れる。ゆえに更に下に向かいて九三を蓄止せず、反ってそれと同心・一齊に上に向かいて進む。集説に引く趙汝楳の説:他の卦の裏は陰陽相応するを以て相得と算し、この一卦の裏は相応は反って蓄止と成る。他の卦の裏は同類相敵するを以て相親与せずと算し、この一卦の裏は同類相敵は反って會合と成る。

六四元吉,有喜也。 程傳 天下之惡已盛而止之,則上勞于禁制,而下傷於刑誅,故畜止於微小之前,則大善而吉,不勞而無傷,故可喜也,四之畜初是也,上畜亦然。

《象伝》が六四を解していう:六四は大吉なるは、可喜の処あるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:天下の悪はすでに盛大なる後にこそ往きて禁止すれば、上面は禁令・法制を為して神を労し、下面は刑罰・誅戮に因りて傷を受けん。ゆえに悪のなお微小なる時に於てそれを蓄止するは、こそ大善にして吉なり、すでに神を労せずまた人を傷えず。ここを以て可喜なり。六四が初九を蓄止するはまさにこのごとし、前面の講ずる蓄止も亦たこの道理なり。

六五之吉,有慶也。 程傳 在上者不知止惡之方,嚴刑以敵民欲,則其傷甚而無功,若知其本,制之有道,則不勞無傷而俗革,天下之福慶也。 集說 呂氏大臨曰:六四六五,皆以柔畜剛,止健者也。牛之剛健在角,豕之剛健在牙。初九居健之始,其健未著,若童牛然。禁於未發,以牿閒之,及其長也,無所用其健,豈特不暴而已。安於馴柔,可駕而服,故有喜也。九二居健之中,其健已具,若豕之牙,漸不可制。六五居尊守中,能以柔道殺其剛暴之氣,若豶豕然,其牙雖剛,莫之能暴,可以養畜而無虞,故“有慶也”。 蔡氏清曰:五不如四所處之易者,時不同也,四不如五所濟之廣者,位不同也。

《象伝》が六五を解していう:六五の吉は、天下に及ぶの福慶あるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:上位に居る人が悪を止むるの办法を懂得せず、ただ厳刑を以て百姓の欲望に硬に碰えば、あの傷害は極めて大にして功效を收めず。もし能く根本を抓住し制約・得法ならば、則ち神を労せず人を傷えずして風俗は自ずから変わる、これは天下の福慶なり。集説に引く呂大臨の説:六四・六五は皆な柔爻を以て剛爻を蓄止し剛健の物を止住するなり。牛の剛健は角の上に在り、猪の剛健は牙の上に在り。初九は剛健の開端に処り、健気いまだ顕露せず、小牛に比す。それの未だ発作せざるの前に於て之に禁約を加えて、横木を以てその角を拦れば、それの長大するを待ちて、あの剛健は便ち用うるの処なし。豈にただ更に狂暴せざるのみならん――それは馴順に安んじて、以て車を駕し役に服すべし。ゆえに《象伝》は「有喜」と言う。九二は剛健の中に処り、健気すでに完備す、猪の獠牙に比し、漸々制し止むべからず。六五は尊位に居りて中道を守りて、能く柔和の办法を以てその剛暴の気を銷す、閹したる猪に比す。牙は雖もなお剛硬なれど、能く更に兇を逞ふすること能わず、以て畜養して憂うるを須せず。ゆえに《象伝》は「有慶」と言う。集説に引く蔡清の説:六五は六四の処する所の容易に如かず、あれは時候の同じからざるなり。六四は六五の成就する所の広大に如かず、あれは位置の同じからざるなり。

何天之衢,道大行也。 程傳 何以謂之天衢,以其無止礙,道路大通行也。以天衢非常語,故《象》特設問曰:何謂天之衢?以道路大通行,取空豁之狀也,以《象》有“何”字,故爻下亦誤加之。

《象伝》が上九を解していう:何を天上の通衢と謂うや、道路の大いに暢通するを言うなり。程頤《伊川易伝》にいう:何を以てそれを天衢と称するや、因るに更に阻碍なくして道路の大いに通行す。「天衢」は寻常の説法に非ず、ゆえに《象伝》はことさら設問す。何を「天之衢」と謂うや、答案は道路の大いに通行するなり、取る所は空闊・豁然の形状なり。亦たまさに《象伝》にこの「何」の字あるに因りて、こそ爻辞の下に誤って一個の「何」の字を加えられたるなり。

集說 游氏酢曰:畜道之成,賢路自我而四達矣,故曰“何天之衢亨”,《彖》曰“剛上而尚賢”,則大畜之義,主於上九也。崇俊良以列庶位,摧轂賢路,使天下無家食之賢者,上九之任也,天下至於無家食之賢,則道之大行,孰盛於此。

集説に引く游酢の説:蓄養の道成就せし後、賢を進むるの路は我のここより四通八達す。ゆえに「何天之衢亨」と言う。《彖伝》は「剛上而尚賢」と言う、これにより《大畜》の一卦の義理は上九を主とするを見るべし。才俊・賢良を推崇して、彼らを各種の職位に排列して、賢者の為に車を推して道を開く(摧轂は則ち推轂、薦引の意)、天下をして更に家中に困守して閒飯を食うの賢人なからしむ、これは上九の責任なり。天下は一と賢人としてただ家に在りて飯を食う者なきの歩地に到れば、則ち道の大行、これより盛なるあらんや。

沈氏該曰:“何天之衢”,尚賢也。大畜之時,已獨居上,五以柔尚之,畜盛德而處上,止眾賢而聚王庭,以天衢之亨,為己之任,畜道至此,賢路不塞,其道盛矣,故曰“道大行也。”呂氏祖謙曰:畜極則散,如伊尹樂堯舜之道,居畝犬畝之中,其畜可謂大矣,必佐湯以發其所蘊,是得時如天之衢也,故曰道行,得時行道之謂也。 何氏揩曰:備於身之謂德,達於世之謂道。道可大行,其亨可知,《彖》所謂“不家食吉”而“利涉大川”者此也。

集説に引く沈該の説:「何天之衢」の講ずるは賢者を尊尚するなり。《大畜》の時に当たりて、上九は独り最上に居り、六五は柔順の徳を以て彼を尊崇す。彼は盛大の徳を蓄えて上位に処り、衆多の賢者を王庭に留聚して、天衢の亨通を己の責任と當てる。蓄養の道この一歩に到れば、賢を進むるの路は更に堵塞せず、彼の道は則ち盛大なり。ゆえに「道大行也」と言う。集説に引く呂祖謙の説:蓄積は極点に到れば就ち発散せん。伊尹が堯舜の道を楽しみて田畝の中に隱居したるがごとく(底本「畝犬畝」は「畎畝」とすべし)、彼の蓄積する所は以て甚だ大と言うべし。後來必ず商湯を輔佐して、胸中の藴する所を発揮し出づ、これ則ち時運に遇上するにして、天衢に走上するがごとし。ゆえに「道行」と言う――時機を得着してその道を施行するは、まさにこの意なり。集説に引く何楷の説(底本は「何氏揩」と作る):自身に具備するを徳と謂い、世に通達するを道と謂う。道は能く大行すれば、その亨通は想知すべし。《彖伝》の言う所の「不家食吉」にして「利渉大川」は、講ずる所まさにこれなり。

《象伝》・頤卦

山下有雷,頤。君子以慎言語,節飲食。 本義 二者養德養身之切務。

《大象伝》にいう:山下に雷あり、《頤》卦の象なり。君子はこれに倣って、言語を謹慎し飲食に節あり。朱熹《本義》にいう:この両件の事は、一件は徳を養うの切要の功夫、一件は身を養うの切要の功夫なり。

程傳 以二體言之,山下有雷,雷震於山下,山之生物,皆動其根荄,發其萌芽,為養之象;以上下之義言之,良止而震動,上止下動,頤頷之象;以卦形言之,上下二陽,中含四陰,外實中虛,頤口之象。口所以養身也,故君子觀其象以養其身,“慎言語”以養其德,“節飲食”以養其體,不唯就口取養義,事之至近而所繫至大者,莫過於言語飲食也。在身為言語,於天下則凡命令政教,出於身者皆是,慎之則必當而無失。 在身為飲食,於天下則凡貨資財用,養於人者皆是。節之則適宜而無傷,推養之道,養德養天下,莫不然也。

程頤《伊川易伝》にいう:上下の両體に就きて講ずれば、山下に雷あり、雷は山下に震動して、山中の生ずる所の草木は皆なその根須を震動せられ萌芽を発出す、これは養育の象なり。上下體の義理に就きて講ずれば、艮止にして震動す(底本は「良止」と作る、「良」は「艮」とすべし)、上面静止して下面活動す、まさに人の上頷は動かず下頷は開合するの象なり。卦の形状に就きて講ずれば、上下各々一個の陽爻、中間に四個の陰爻を含み、外実にして中空なり、まさに口腔の象なり。口は以て身を養うに用いられ、ゆえに君子はこの象を観て以て自身を養う。「慎言語」は以てその徳を養い、「節飲食」は以てその形體を養う。これは并びにただ口に就きて養育の義を取るのみならず――事情の最も切近にして関係の最も大なるは、言語と飲食に超過するなし。一身に就きて言えば言語、天下に推せば、凡そ命令・政教のこの類の自身より発し出づるは皆な此に属し、謹慎に従事すれば則ち一定に妥當にして差錯を出さず。一身に就きて言えば飲食、天下に推せば、凡そ貨物・資財のこの類の外面より進み入りて人を供養するは皆な此に属し、節制を加えれば則ち適宜にして損傷を受けず。この養の道理を推廣すれば、徳を養うも好し天下を養うも好し、このごとくならざるなし。

集說 《朱子語類》:或云諺有禍從口出,病從口入,甚好。曰:此浯前輩曾用以解頤之象:“慎言語,節飲食。”馮氏椅曰:法雷之動,以慎其所出,法山之止,以節其所入。 趙氏汝楳曰:雷之聲為言浯,山之養為飲食,言語飲食出入乎頤者也。

集説に引く《朱子語類》:ある人が言う、諺語に「禍从口出、病从口入」と講ず、言うこと甚だ好し。朱熹が答えていう:この句の話は前輩曽て以て《頤》卦の象「慎言語、節飲食」を解釈せり(底本は「此浯」と作る、「浯」は「語」とすべし)。集説に引く馮椅の説:雷の動を效法して、以て己の発出する所を謹慎す。山の止を效法して、以て己の納入する所を節制す。集説に引く趙汝楳の説:雷の声響は言語に對応し、山の養育は飲食に對応す、言語と飲食はまさに口頤より出入するの東西なり(底本は「言浯」と作る、「浯」は「語」とすべし)。

俞氏琰曰:頤乃口頰之象,故取其切於頤者言之。曰“慎言語,節飲食。”充此言語之類,則凡號令政教之出於己者,皆所當慎,而不可悖出,充此飲食之類,則凡貨財賦稅之入於上者,皆所當節,而不可悖入。

集説に引く俞琰の説:頤は口頰の象なり、ゆえに最も口頤に切近の事を取りて言う、則ち「慎言語、節飲食」なり。言語のこの一類を擴充し開けば、凡そ号令・政教のこれらの自己より発出するの東西は、皆なまさに謹慎すべく、情理に違背して発出すべからず。飲食のこの一類を擴充し開けば、凡そ貨財・賦税のこれらの上面に收進し來るの東西は、皆なまさに節制すべく、情理に違背して收入すべからず。

觀我朵頤,亦不足貴也。 集說 楊氏簡曰:明其本有良貴,今觀夫“朵頤”,則失其所謂貴矣。 俞氏琰曰:孟子云:“養其大體為大人,養其小體為小人。”又云:“飲食之人,則人賤之矣,”今初九陽德之大,本有可貴之質,乃內舍其大而外觀其小,豈不為人所賤,故曰”亦不足貴也”。

《象伝》が初九を解していう:人家の腮頰を鼓動して大嚼するを眼睹むは、これ則ち看重するに足らざるなり。集説に引く楊簡の説:これは彼の本来天賦の可貴の処を具えるを点明す。如今却って人家の「朵頤」・大嚼するを盯着すれば、あのいわゆる貴は便ち失掉したるなり。集説に引く俞琰の説:《孟子・告子上》に言う、己の身上の大なる部分を養うは大人なり、小なる部分を養うは小人なり。又言う、ただ吃喝を講究する人は、别人は則ち彼を軽賎す。如今初九に陽剛の徳の宏大あり、本より可貴の資質あるも、却って内に於てあの大なるを捨棄して、外に向かいてあの小なるを羨看す、怎んぞ人に軽賎せられざらんや。ゆえに《象伝》は「亦不足貴也」と言う。

六二征凶,行失類也。 本義 初上皆非其類也。 程傳 征而從上則凶者,非其類故也,往求而失其類,得凶宜矣。行,往也。

《象伝》が六二を解していう:六二の前往して凶あるは、この一行が同類を失掉するが故なり。朱熹《本義》にいう:初九と上九は皆な六二の同類に非ず。程頤《伊川易伝》にいう:前往して上九に跟従すれば則ち凶、因るにそれらは同類に非ず。出でて養を求めて反って同類を失掉せば、凶を得るは当然なり。「行」は則ち往なり。

十年勿用,道大悖也。 程傳 所以戒終不可用,以其所由之道,大悖義理也。 集說 項氏安世曰:“拂頤貞”三字當連讀。《頤》之卦辭曰:“頤貞吉。”三之爻辭曰:“拂頤貞凶”。卦中唯此一爻,與卦義相反,故曰“道大悖也”。

《象伝》が六三を解していう:十年も亦た起用すべからざるは、走る所の路が大いに正理に違背するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:ゆえに告誡して終始任用すべからずと言うは、彼の遵循する所のあの路が大いに義理に違背するに因る。集説に引く項安世の説:「拂頤貞」の三个字はまさに連ねて読むべし。《頤》卦の卦辞は「頤貞吉」と言い、六三の爻辞は「拂頤貞凶」と言う、まさに養道の正に違背してこそ凶なり。全卦にただこの一爻のみ卦義と相反す。ゆえに《象伝》は「道大悖也」と言う。

顛頤之吉,上施光也。 程傳 顛倒求養而所以吉者,蓋得剛陽之應以濟其事,致己居上之德施,光明被於天下,吉孰大焉。 集說 谷氏家傑曰:養逮於下,則上施光,是養賢及民也。

《象伝》が六四を解していう:顛倒して下に向かいて養を求めて吉を得るは、上の者の施与の光大なるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:顛倒して養を求めて能く吉を得るは、初九のこの陽剛・正応を得着してそれに事を成さしめ、己の上位に居るの徳沢を施行し開きて、光明遍く天下に被すに因る、これより大なる吉あらんや。集説に引く谷家傑の説:養育の惠は能く民に下達せば、上の者の施与は則ち光大す、これ則ちすでに賢者を養いまた百姓に惠及するなり。

居貞之吉,順以從上也。 程傳 “居貞之吉”者,謂能堅固順從於上九之賢,以養天下也。 集說 張氏清子曰:五能柔順以從上九之賢,賴之以養天下,真聖人養賢以及萬民之事也。

《象伝》が六五を解していう:安居して正を守りて吉を得るは、柔順に上面の賢者に跟従するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「居貞之吉」は、彼が能く堅定に上九のこの賢者に順従して、彼に依靠して以て天下を養育するを言う。集説に引く張清子の説:六五は能く柔順の徳を以て上九のこの賢者に跟従して、彼に倚頼して以て天下を養育す、これ真に聖人の賢を養いて恩沢万民に及ぶの事なり。

由頤厲吉,大有慶也。 程傳 若上九之當大任如是,能兢畏如是,天下被其德澤,是大有福慶也。 集說 王氏宗傳曰:《豫》之九四,天下由之以豫。故曰“大有得”。《頤》之上九,天下由之以頤,故曰“大有慶”。

《象伝》が上九を解していう:天下は彼に由りて養を得、雖も危厲に処ると雖も終に吉なるは、大いに福慶あるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:上九のこのごとく大任を担当し、またこのごとく戒懼・敬慎せば、天下は皆な彼の徳沢を蒙受す、これ則ち大いに福慶あるなり。集説に引く王宗伝の説:《豫》卦の九四は、天下は彼に由りて安楽を得る。ゆえに爻辞は「大有得」と言う。《頤》卦の上九は、天下は彼に由りて奉養を得る。ゆえに《象伝》は「大有慶」と言う。

項氏安世曰:六五上九二爻,皆當以《小象》解之,六五之“居貞”,非自守也,貞於從上也。故曰“居貞之吉,順以從上也”。上九之“厲吉”,非能自吉也,得六五之委任而吉也,故曰“由頤厲吉,大有慶也”。

集説に引く項安世の説:六五と上九のこの両爻は、皆なまさに《小象》を以て解釈すべし。六五の「居貞」は、門を関じて自ら守るに非ず、而して「貞」を上面に順従するのこの件の事の上に用うるなり。ゆえに「居貞之吉、順以従上也」と言う。上九の「厲吉」も亦た彼が自ら能く吉に非ず、而して六五の委任を得着してこそ吉なり。ゆえに「由頤厲吉、大有慶也」と言う。

《象伝》・大過卦

澤滅木,大過。君予以獨立不懼,遯世無悶。 本義 “澤滅於木”,大過之象也。不懼無悶,大過之行也。

《大象伝》にいう:沢水は樹木を淹没す、《大過》卦の象なり。君子はこれに倣って、独り挺立して畏懼せず、世を避けて隱居して煩悶せず(底本は「君予」と作る、「君子」とすべし)。朱熹《本義》にいう:沢水は樹木の上に淹到るは、これは寻常に超過する「大過」の象なり。畏懼せず煩悶せざるは、則ち寻常に超過する「大過」の行なり。

集說 劉氏牧曰:用之則“獨立不懼”,舍之則“遯世無悶”。 趙氏汝楳曰:“獨立”如巽木,“無悶”如兌說。 李氏簡曰:君子進則大有為,“獨立不懼”可也。或遲而窮居,則堅貞不移,“遯世無悶”可也,皆大過之事。

集説に引く劉牧の説:世人は彼を用えば、彼は則ち独り挺立して畏懼する所なし。世人は彼を舍棄すれば、彼は則ち世を避けて隱居して煩悶を覚えず。集説に引く趙汝楳の説:「独立」は下體の巽の木の直立に取象し、「无悶」は上體の兌の和悦に取象す。集説に引く李簡の説:君子は出でて事を任ずれば、則ち大いに作為して「独立不惧」を致し到る。もし時運遅滞して野に窮居せば、則ち堅貞・不移にして「遯世无悶」を致し到る。この両様は皆な常人に超越する「大過」の事なり。

藉用白茅,柔在下也。 程傳 以陰柔處卑下之道,唯當過於敬慎而已。以柔在下,為以茅藉物之象,敬慎之道也。 集說 錢氏志立曰:以卦象論之,初與四應而在下,初者四之本也,本弱而藉茅,則敬慎之至以善處者,故四之棟不至於傾也。 案 高以下為基,剛以柔為本,柔在下,對剛在上。

《象伝》が初六を解していう:白茅を以て下面に襯墊するは、柔爻の下位に居るなり。程頤《伊川易伝》にいう:陰柔の質を以て卑下の位に処れば、その道理はただ平常より更に恭敬・謹慎するに在るのみ。柔爻は下に在り、まさに茅草を以て器物を襯墊するの象、これ則ち敬慎の道なり。集説に引く銭志立の説:卦象に就きて講ずれば、初六と九四とは相応して位は下方に居り、初六は九四の根本なり。根本柔弱なれど、却って能く白茅を以て襯墊することを懂得す、是れ敬慎の極点にして自処に善し。ゆえに九四のあの棟梁はこそ傾倒に至らざるなり。李光地按す:高処は低処を以て根基と為し、剛は柔を以て根本と為す。「柔在下」と言うは、まさに上面の剛に對して言うなり。

老夫女妻,過以相與也。 程傳 老夫之說少女,少女之順老夫,其相與過於常分,謂九二初六陰陽相與之和,過於常也。 集說 王氏申子曰:老夫而女妻,雖過乎常,然陰陽相與,以成生育之功,則無不利也。

《象伝》が九二を解していう:老夫は少女を娶りて妻と為すは、常分に超出するの相与なり。程頤《伊川易伝》にいう:老夫は少女を喜愛し、少女は老夫に順従す、彼らの相与は寻常の分際に超過す。これは九二と初六との陰陽相与の和洽の平常に超過するを言うなり。集説に引く王申子の説:老夫が少女を娶りて妻と為すは、雖も常態に超過す、然而陰陽は彼此相与して、能く生育の功效を成就す。ゆえに不利なきなし。

棟橈之凶,不可以有輔也。 程傳 剛強之過,則不能取於人,人亦不能親輔之,如“棟橈”折,不可支鋪也。 棟當室之中,不可加助,是“不可以有輔也”。 集說 楊氏時曰:棟居中而眾材輔之者也,九三以剛居剛,過而不中也,剛過而不中則不可以有輔,此棟之所以橈也。

《象伝》が九三を解していう:棟梁は彎曲して凶を致すは、輔助を得ること能わざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:剛強は頭を過ぐれば、則ち能く别人の長処を采納せず、别人も亦た彼に親近・輔助するの法なし。棟梁の彎折するがごとく、更に支撑するの法なし。棟梁は屋子の正中に在り、他の木料は加え上げてそれを幇すこと能わず、これ則ち「不可以有輔也」なり。集説に引く楊時の説:棟梁は中に居りて衆多の木料に輔助せらる。九三は剛爻を以て陽位に居り、是れ剛に過ぐるにして中に居らず。剛は頭を過ぐればまた中に居らざれば、則ち輔助を得ること能わず、これまさに棟梁の彎曲するの縁故なり。

項氏安世曰:全卦有“棟橈”之象,而九三乃獨有之,全卦有利往之象,而九二乃獨有之,蓋九二當剛過之時,獨能居柔而用中,在六爻之中,獨此一爻不過,故“無不利”也,卦體本以中太強而本末弱,是以為“橈”,九三以剛居剛,在六爻之中,獨此一爻為過,故棟愈橈而不可輔也。

集説に引く項安世の説:整卦に「棟橈」の象あるに、而して六爻の裏に独り九三のみそれを坐実す。整卦に前往に利あるの象あるに、而して六爻の裏に独り九二のみそれを坐実す。九二はまさに陽剛の過盛の時に当たりて、独り能く柔位に居りて中道を行う、六爻の中にただこの一爻のみ過分ならず。ゆえに爻辞は「无不利」と言う。卦體はもとより中間の強き過ぎて首尾の両端柔弱なり。ここを以て「橈」と成る。九三は剛爻を以て剛位に居り、六爻の中にただこの一爻のみ過分と算す。ゆえに棟梁は彎み愈々甚しく、誰もそれを幇し上ぐること能わず。

棟隆之吉,不橈乎下也。 程傳 “棟隆”起則吉,不橈曲以就下也,謂不下繫於初也。

《象伝》が九四を解していう:棟梁は隆起して吉を得るは、それが下に向かいて彎曲せざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:棟梁は隆起すれば則ち吉、それが腰を彎め下げて下面に遷就せざるを言う、亦た則ち下に向かいて初六に牽繋せざるなり。

枯楊生華,何可久也。老婦士夫,亦可醜也。 程傳 枯楊不生根而生華,旋復枯矣,安能久乎!老婦而得士夫,豈能成生育之功, 集說 蘇氏軾曰:“稊”者,顛而復櫱,反其始也;“華”者,盈而畢發,速其終也。

《象伝》が九五を解していう:枯楊は花を開き出づ、何ぞ長久せんや。老婦は少年男子を配す、亦た可羞なり。程頤《伊川易伝》にいう:枯萎の楊樹は新根を生ぜずして花を開き出づ、轉眼また枯死せん。怎んぞ能く長久せんや。老婦は少年男子を得る、何処にか能く生育の功效を成就せん――ここに底本脱文あり、程氏の話は未だ言い盡さず、下に直接接ぐは集説なり。集説に引く蘇軾の説:いわゆる「稊」とは、樹の倒れたる後にまた根上より新芽を抽出して、その開端に回帰するなり。いわゆる「華」とは、精気充満して一齊に迸発して、その終結を加快するなり。

項氏安世曰:二五皆無正應,而過以與陰者也。二所與者初,初,本也,故為“稊”。 稊者,木根新生之芽也,過而復芽,故有往亨之理。五所與者上。上,末也,故為華。 木已過而生華,故無久生之理也。 王氏申子曰:木枯而華,是速其枯,老婦士夫,是過乎常,而為柔邪所惑。

集説に引く項安世の説:九二と九五は皆な正応なきに、却って常理を越出して陰爻に親近す。九二の親む所は初六にして、初六は樹の根本なり。ゆえに「稊」と称す。いわゆる稊とは、則ち樹根の上に新生するの芽なり。すでに時を過ぐるに却ってまた抽芽す、ゆえに前往・亨通の道理なおあり。九五の親む所は上六にして、上六は樹の末梢なり。ゆえに「華」と称す。樹はすでに衰え頭を過ぐるに却って花を開き出づ、ゆえに長久・生存の道理なし。集説に引く王申子の説:樹はすでに枯れてまた花を開くは、まさにその枯死を加快するなり。老婦が少年男子を配するは、常理に超出するにして、柔邪の物に迷惑せられたるなり。

何氏楷曰:盛極將枯而又生華以自耗竭,不能久矣。二以剛居柔,初以柔居剛,此未甚過者也,又在卦初,故過以相與,可成生育之功:五以剛居剛,上以柔居柔,皆過者也,又在卦終,故陰陽相比,只以為“丑”,其相反如此。

集説に引く何楷の説:盛んなりて極点に到りてまさに枯萎せんとす、却ってまた花を開いて己を消耗す、則ち能く長久ならず。九二は剛爻を以て柔位に居り、初六は柔爻を以て剛位に居り、両者ともなお過分に算せず、また一卦の開頭に処る。ゆえに常分を越出して相与すとも、なお能く生育の功效を成就す。九五は剛爻を以て剛位に居り、上六は柔爻を以て柔位に居り、皆な過分に属し、また一卦の末尾に処る。ゆえに陰陽は雖も相隣比近すと雖も、亦たただ一個の「醜」の字に落着するのみ。両処の情形は相反することこの歩地に到れり。

過涉之凶,不可咎也。 程傳 過涉至溺,乃自為之,不可以有咎也,言無所怨咎。 集說 蘇氏軾曰:過涉至於“滅頂”,將有所救也,勢不可救,而徒犯其害,故凶。 然其義則“不可咎也”。

《象伝》が上六を解していう:渉水の深きに過ぎて凶を致すも、却って以て彼に帰咎すべからず。程頤《伊川易伝》にいう:渉水は深きに太過して淹溺に至るは、彼が自ら甘心して然る所なり、以て過錯を彼を責怪すべからず、意は彼に怨む所なく咎むべきなし。集説に引く蘇軾の説:渉水は「滅頂」の歩地に深し、もとより往きて何を救わんと欲したるなり。形勢の上に於てはすでに救うこと能わざるに、なお白くあの禍害を冒せば、ゆえに凶なり。但し道義の上に於て講ずれば、これ仍旧「不可咎也」なり。

《象伝》・坎卦(習坎)

水洊至,習坎。君予以常德行,習教事。 本義 治己治人,皆必重習,然後熟而安之。 程傳 坎為水,水流仍洊而至。兩坎相習,水流仍洊之象也。水自涓滴,至於尋丈,至於江海,洊習而不驟者也。其因勢就下,信而有常,故君子觀坎水之象,取其有常,則常久其德行。人之德行不常,則偽也,故當如水之有常,取其洊習相受,則以習熟其教令之事。夫發政行教,必使民熟於聞聽,然後能從,故三令五申之,若驟告未喻,譴責其從,雖嚴刑以驅之,不能也,故當如水之洊習。

《大象伝》にいう:水は一波一波に接いで涌来す、《習坎》卦の象なり。君子はこれに倣って、己の徳行をして常あらしめ、教化の事をして反復・演習せしむ(底本は「君予」と作る、「君子」とすべし)。朱熹《本義》にいう:己を治理し人を治理するは、必ず一再去演習して、然る後にこそ熟練・安穏ならん。程頤《伊川易伝》にいう:坎は水、水は一波に一波が跟いて接続して來る。両個の坎が重畳・相因すは、まさに水流の相継・涌至するの象なり。水は一点一滴より、幾尺・幾丈に積みて、再び江海に到る、皆な一歩一歩に相継いで成れるにして、驟然にして來るに非ず。それは地勢に順いて低処に向かいて流る、信ありて常あり。ゆえに君子は坎水の象を観て、その常あるを取りて、就ち己の徳行をして長久に改めざらしむ。人の徳行もし能く持久せざらば、則ちあれは虚偽なり。ゆえにまさに水のごとく常あるべし。その一波が一波を承接するの相続を取りて、就ち以て教化・政令の事を演練・純熟す。政令を発布し教化を推行するは、必ず百姓をして聴き熟さしめて、然る後にこそ遵従すること能わしめん。ゆえに三令・五申を要す。倘若突然宣告して百姓がいまだ明白せざるに、就ち彼らの不服従を責怪せば、則ち縱使厳刑を以て駆趕すと雖も、亦た致すこと能わず。ゆえにまさに水のごとく層層相継の熟習あるべし。

集說 司馬氏光曰;水之流也,習而不已,以成大川,人之學也,習而不止,以成大賢,故“君子以常德行,習教事”。 蘇氏軾曰:事之待教而後能者,教事也。君子平居,常其德行,故遇險而不變,習其教事,故遇險而能應。

集説に引く司馬光の説:水の流動は、一波に一波が接いで停歇せず、こそ大川を彙成す。人の求学は、一遍に一遍が接いで止息せず、こそ大賢と成る。ゆえに「君子以常徳行、習教事」と言う。集説に引く蘇軾の説:あれらの必ず先に教習を経過してこそ做し成ること能う事は、則ち「教事」と謂う。君子は平日に徳行をして常あらしむ。ゆえに険難に遇うとも改変せず。平日に教事を熟習す。ゆえに険難に遇うとも能く應付す。

陸氏佃曰:《離》言“明兩作”,《坎》言“水洊至”,起而上者作也,趨而下者至也。 王氏宗傳曰:坎者水之科也,故以“水洊至”為習坎之象。上坎既盈,至於下坎,此孟子所謂盈科而後進也。盈科而後進,不舍其晝夜之功也,君子德行貴其有常,而教事貴於習熟,此不舍晝夜之功也。 俞氏琰曰:“常德行”,謂德行有常而不改,“習教事”,謂教事練習而不輟。

集説に引く陸佃の説:《離》卦の大象は「明両作」と言い、《坎》卦の大象は「水洊至」と言う。上に向かいて升起するを「作」と謂い、下に向かいて奔赴するを「至」と謂う。集説に引く王宗伝の説:坎は則ち水を盛るの坑坎なり、ゆえに「水洊至」を以て《習坎》の象と作す。上面の坑坎は注満して、水こそ下面の坑坎に流る。これまさに《孟子》の言う所の「盈科而后進」なり。盈満して一坎して再び前に進むは、昼夜・不停の功夫に頼る。君子の徳行は常あるに貴び、教事は熟習するに貴ぶ、これも亦たまさに昼夜・不舍の功夫なり。集説に引く俞琰の説:「常徳行」は、徳行に常ありて更改せざるを言う。「習教事」は、教化の事を演練して間断せざるを言う。

習坎入坎,失道凶也。 程傳 由習坎而更入坎窞,失道也,是以凶。能出於險,乃不失道也。 集說 朱氏震曰:君子處險,當以正道,乃可出險。初六不正,不能出險,失道而凶也。

《象伝》が初六を解していう:身に重畳の険陷の中に在りてまた坎穴に掉進すは、正道を失うが故に凶なり。程頤《伊川易伝》にいう:もとよりすでに重坎の中に在るに、却って更に坎底の深穴に陷進す、これ則ち道を失うにして、ここを以て凶を致す。能く険難より走出すは、こそ道を失わざると算す。集説に引く朱震の説:君子は身に険難に処りて、まさに正道を以て自処すべく、こそ以て険を出づべし。初六は陰を以て陽に居りて、その正を得ず、険を出づること能わず、是れ道を失いて凶を致す。

錢氏志立曰:行險而不失其信,此是出險之道,若小人行險以僥倖,則為初六上六 求小得,未出中也。

集説に引く銭志立の説:険難の中に行走して己の誠信を失わざるは、これこそ険を出づるの道なり。もし小人のごとく険を冒して僥幸を求めば、則ち初六・上六のごとき下場と成る――ここに底本脱文あり、銭氏の話は未だ言い盡さず、下に直接接ぐは九二の小象「求小得、未出中也」なり。求むる所はただ稍や得る所有る、いまだ重険の中を走出せざるなり。

程傳 方為二陰所陷,在險之地,以剛中之才,不至陷於深險,是所求小得,然未能出坎中之險也。 集說 郭氏雍曰:一離乎中,則失之矣,故《象》言“未出中也”。 許氏聞至曰:君子不為險困者,非能遽出於險之外也,但能心安於險之中而已。人在險中,思旦夕出於險者,求其大得,君子第從其小者而求之,所謂“有孚”“心亨”者以此。

程頤《伊川易伝》にいう:九二はまさに上下の両個の陰爻に困住せられて、身に険地に在り。剛にして中に居るの才具を憑れば、更に深き険に陷進するに至らず、これ則ち求むる所の略や得る所有るなり、但しなお能く坎険の中を走出せざるなり。集説に引く郭雍の説:一旦中位を離れば、この憑借は失わる。ゆえに《象伝》は「未出中也」と言う。集説に引く許聞至の説:君子は険難に困せられず、并びに能く立刻に険の外面に跳び出づるに非ず、ただ能く己の心をして険の中に安処せしむるのみ。人は険の中に在りて、一心に朝夕の間に脱険せんと指望するは、求むるに大いに得る所あらんと欲するなり。君子はただ小処より着手して求む、爻辞の言う所の「有孚」「心亨」、道理は則ちここに在り。

來之坎坎,終無功也。 程傳 進退皆險,處又不安,若用此道,當益入於險,終豈能有功乎!以陰柔處不中正,雖平易之地,尚致悔咎,況處險乎!險者人之所欲出也,必得其道,乃能去之,求去而失其道,益困窮耳,故聖人戒如三所處,不可用也。

《象伝》が六三を解していう:來るも坎、去るも坎、終に功あらざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:進むも険、退くも険、地に就きて待つもまた安穏ならず。もしこの路に照りて走り下去れば、ただ更に深き険に陷進するに会す、最終に何ぞ功あらんや。陰柔の質を以て処する所はすでに中に居らず當位ならず、縱使平坦の地に在ると雖もなお悔咎を招く、何況や身に険の中に在るや。険は人人皆な脱出せんと要する所、必ず對の办法を找着してこそ摆脱すること能し。脱せんと要して正確の路数を失えば、ただ愈々困窘するに会す。ゆえに聖人は告誡して言う、六三のこのごとき処境と做法は、以て採用すべからざるなり。

樽酒簋貳,剛柔際也。 本義 晁氏曰:陸氏《釋文》本無“貳”字,今從之。 程傳 《象》只舉首句,如此比多矣,“樽酒簋貳”,質實之至,剛柔相際接之,道能如此,則可終保無咎,君臣之交,能固而常者,在誠實而已。“剛柔”,指四與五,謂君臣之交際也。

《象伝》が六四を解していう:一樽の酒、両簋の飯は、講ずる所は剛柔の両方の交接の際の事なり。朱熹《本義》にいう:晁説之が講ずるに、陸徳明《経典釈文》の拠る所の本子に「貳」の字なし、今は彼の説法に依従す。程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》はただ爻辞の頭の一句を挙ぐ、このごときの例は甚だ多し。「樽酒簋貳」は質朴・誠実の極点に到れるなり。剛と柔とは互相に交接して、道理は能くこのごとく致せば、則ち以て終始過錯なきを保住すべし。君臣の間の交往は、能く牢固にして持久するは、全て一個の誠実に在り。「剛柔」は九五と六四を指し、言う所は君臣の間の交際なり。

集說 王氏弼曰:剛柔相比而相親焉,“際”之謂也。 姜氏寶曰:觀禮於《小象》,以“樽酒簋貳”為句,則晁氏之說以“貳用缶”為句者非矣。

集説に引く王弼の説:剛爻と柔爻とは緊隣して彼此相親す、これを「際」と謂う。集説に引く姜宝の説:《小象》の文例より看れば、「樽酒簋貳」を以て一句と作りて読むなり。然らば則ち晁説之の「貳用缶」の連読を主張するの説法は則ち不對なり。

坎不盈,中未大也。 本義 有中德而未大。 程傳 九五剛中之才,而得尊位,當濟天下之險難,而坎尚不盈,乃未能平乎險難,是其剛中之道,未光大也。險難之時,非君臣協力,其能濟乎!五之道未大,以無臣也,人君之道,不能濟天下之險難,則為未大,不稱其位也。

《象伝》が九五を解していう:坎中の水はいまだ満たざるは、居中の徳がいまだ広大ならざるなり。朱熹《本義》にいう:居中の徳あるも、但しいまだ広大する能わず。程頤《伊川易伝》にいう:九五は剛にして中に居るの才具あり、また尊位を得着す、もとより天下の険難を済渡すべし。可是坎中の水はいまだ注満せず、亦た則ちいまだ険難を填平すること能わず、これは彼の剛中の道のいまだ光大せざるを説明す。険難の時に処りて、若し君臣の同心・協力あらざらば、何処にか済えんや。九五の道の未だ大ならざる所以は、得力の臣子なきに因る。人君を為すは、もし能く天下の険難を済渡せざらば、則ち未大と算して、亦たその位置に配不上なり。

集說 《朱子語類》云:水之為物,其在坎只能平,自不能盈,故曰“不盈”,盈者高之義,中未大者,平則是得中,“不盈”是“未大也”。 項氏安世曰:水流而不盈,謂不止也。坎不盈,謂不滿也,不止故有“孚,不滿故“中未大”,凡物盈則止,水盈則愈行,故坎有時而盈,水無時而盈也。

集説に引く《朱子語類》の説:水のこの様の東西は、坑坎の裏に落ればただ持平する能く、もとより高く出でることあらず。ゆえに「不盈」と言う、盈は高く起こるの意なり。いわゆる「中未大」は、持平せば則ち中を得ると算し、「不盈」は則ち「未大」なり。集説に引く項安世の説:《彖伝》は「水流而不盈」と言うは、水の流れて停まざるを講ず。《象伝》は「坎不盈」と言うは、坑坎の装満せざるを講ず。因るに流れて停まざれば、ゆえに「孚」あり、則ち信あり。因るに装満せざれば、ゆえに「中未大」と言う。凡そ物は装満せば則ち停住す、水は却って愈々満ちれば愈々流る。ゆえに坑坎に装満するの時あれど、水には満溢して止まるの時なし。

陸氏振奇曰:知二之得小,則知五之未大矣。 陳氏仁錫曰:水流不盈,才盈便橫流泛溢,五爻曰“不盈”,《象》曰“未大”,以五有中德,故不侈然自大。“未大”,明其所以不盈。

集説に引く陸振奇の説:九二の得る所がただ小なるを懂得せば、則ち九五の「未大」なる所以を明白す。集説に引く陳仁錫の説:水は流れて盈満せず、一旦盈満すれば就ち横流・泛濫せん。九五の爻辞は「不盈」と言い、《象伝》は「未大」と言う、まさに九五に居中の徳あるに因りて、張揚・自大せざるなり。「未大」と言うは、彼の「不盈」なる所以の縁由を点明す。

程傳 以陰柔而自處極險之地,是其“失道”也,故其凶至於“三歲”也,“三歲”之久而不得免焉,終凶之辭也。言久有曰十,有曰三,隨其事也,陷於獄,至於“三歲”,久之極也,它卦以年數言者,亦各以其事也,如“三歲不興”,“十年乃字”是也。 集說 朱氏震曰:上六無出險之才,處險極之時,如人陷於狴犴之中,坐而省過,雖上罪也,不過三歲得出矣,妄動求出,則陷之愈深,雖三歲豈得出哉。

底本ここに上六の小象「上六失道、凶三歳也」の一句を脱し、直ちに程伝に接続す。程頤《伊川易伝》にいう:陰柔の質を以て自ら最険の地に站上るは、これ則ち「失道」なり。ゆえにその凶は「三歳」に延続せん。三年の久しきもなお身を脱ること能わざるは、これは終に凶に帰するの説法なり。時間の久しきを講ずるに、「十」と言うあり、「三」と言うあり、各各自の事情に随いて定む。牢獄の裏に陷りて三年に到るは、久しきの極点なり。他の卦が年数を以て言うも、亦た各々その事に随う、例えば《同人》九三の「三歳不興」と言い、《屯》六二の「十年乃字」と言うは、皆なこのごとし。集説に引く朱震の説:上六は険を脱るの才具なく、また険難の極点に処りて、人が牢獄の中に陷りて、その裏に坐して己の過失を反省するがごとし。縱使上等の重罪と雖も、不過三年して出るべし。もし妄動して脱を求めば、反って陷ること愈々深く、則ち三年してまた何処にか出ること得せん。

《象伝》・離卦

明兩作,離。大人以繼明照于四方。 本義 作,起也。 程傳 若云兩明,則是二明,不見“繼明”之義,故云“明兩”,明而重兩,謂相繼也。作離,“明兩”而為離,“繼明”之義也。震巽之類,亦取洊隨之義,然離之義尤重也。“大人”,以德言則聖人,以位言則王者,大人觀離明相繼之象,以世繼其明德,照臨於四方,大凡以明相繼,皆繼明也,舉其大者,故以世襲繼照言之。

《大象伝》にいう:光明両番升起す、《離》卦の象なり。大人はこれに倣って、接続・不断の光明を以て四方に照臨す。朱熹《本義》にいう:「作」は升起の意なり。程頤《伊川易伝》にいう:もし「両明」と成して言えば、則ち両個の明の並列と成りて、「継明」の意を見出だすべからず。ゆえに「明両」と言う――明にして重複両次するは、指す所は前後・相継なり。「作離」は、明が両番升起して《離》卦を成すを言う、まさに「継明」の義に合す。震・巽の一類の卦も、亦た相継・随従の意を取る、不過《離》卦のこの一層の意は尤も吃重なり。いわゆる「大人」とは、徳性に就きて言えば則ち聖人、地位に就きて言えば則ち王者なり。大人は離明・相継の象を観て、就ち世世代代己の明徳を接続し下去りて、四方に照臨す。大凡光明を以て彼此接続するは、皆な継明と謂う。ここにその中の最大の一層を挙ぐ、ゆえに世代・承襲して光明・相継を以て言う。

集說 王氏弼曰:“繼”謂不絕也,明照相繼,不絕曠也。 孔氏穎達曰:繼續其明,乃照于四方,若明不繼續,則不得久為照臨。 《朱子語類》云:“明兩作”,猶言“水洊至”,今日明,來日又明,“明”字便是指日而言,只是一個“明”,兩番作。

集説に引く王弼の説:「継」は断絶せざるの意なり。光明の照耀は一番に一番が接いて、中断・空缺せず。集説に引く孔穎達の説:光明を接続し下去りて、こそ四方に照到ること能し。もし光明接続せざらば、則ち能く長久に照臨せず。集説に引く《朱子語類》の説:「明両作」は《坎》卦の言う「水洊至」に比す。今日一亮して一回し、明日また一亮して一回す。この「明」の字は便ち太陽を指して言う、ただ同一個の明、分かれて両番升起するなり。

徐氏在漢曰:“繼明”者,無時不明也,照于四方者,無處不照也。唯其無時不明,所以無處不照,是之謂明,明德於天下也。

集説に引く徐在漢の説:いわゆる「継明」とは、一刻として明ならざるなきなり。いわゆる「照于四方」とは、一処として照らざるなきなり。まさに一刻として明ならざるなきに因りて、こそ一処として照らざるなきこと能し、これを光明の徳性を天下に彰明すると謂作るなり。

履錯之敬,以辟咎也。 程傳 “履錯”然欲動,而知敬慎不敢進,所以求闢免過咎也,居明而剛,故知而能“闢”,不剛明則妄動矣。 集說 徐氏在漢曰:“敬以直內”,坤之德也,“履錯之敬”,是體坤之德,所謂“畜牝牛吉”者也,咎不期遠而自遠,故曰“以辟咎也”。

《象伝》が初九を解していう:脚步の錯雑する際に仍お恭敬なるは、以て過錯を避けるなり。程頤《伊川易伝》にいう:脚步は錯雑して躍躍として動かんと欲するも、却って恭敬・謹慎を懂得して敢えて冒進せず、まさに以て過錯を避けるを求めんが為なり。初九は明體に処りてまた剛健、ゆえに能く事理を明白して回避を懂得す。もし剛ならず明ならざれば、就ち妄動せん。集説に引く徐在漢の説:《坤・文言》の講ずる「敬以直内」は、あれは坤の徳なり。「履錯之敬」は、まさに坤の徳を體會したるにして、亦た則ち《離》卦の卦辞の言う所の「畜牝牛吉」なり。過錯は并びに必ずしも刻意に往きて躲くを須せず、自ずから遠離す、ゆえに「以辟咎也」と言う。

黃離元吉,得中道也。 程傳 所以“元吉”者,以其“得中道也”,不云“正”者,離以中為重,所以成文明由中也,正在其中矣。 集說 郭氏忠孝曰:離之所以“亨”,柔麗乎中正,故“亨”也,“黃離”之所以“元吉”,文明而用中,故“元吉”也,故盡一卦之美,其唯六二乎。

《象伝》が六二を解していう:黄色の附麗して大吉なるは、中道を得着するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:ゆえに「元吉」は、それが「得中道」するに因る。「正」の字を提げざるは、《離》卦は「中」を以て重きと為すに因る、文明の成就する所以はまさに中に由る。中を言えば、正も亦たその中に含まるなり。集説に引く郭忠孝の説:《離》卦の「亨」なる所以は、柔爻の「中正」の位に附麗するに因りて亨なり。「黄離」の「元吉」なる所以は、すでに文明にしてまた中を用うるに因りて元吉なり。ここを以て一卦の美を占盡するは、大概ただ六二のこの一爻なり。

日昃之離,何可久也。 程傳 日既傾昃,明能久乎!明者知其然也,故求人以繼其事,退處以休其身,安常處順,何足以為凶也。 案 “日昃”,喻心德之昏也,心德明則常繼,昏則不能以久。

《象伝》が九三を解していう:太陽の偏西する時の附麗は、何ぞ長久せんや。程頤《伊川易伝》にいう:太陽すでに西斜す、光明はなお長久すること能わんや。事理を明白する人は勢の必ず然るを知る。ゆえに接手する人を物色して以て己の事業を接続せしめ、己は退下来りて身心を休養す、常分に安んじ時に順いて処る、これ何の凶と算すべきあらんや。李光地按す:「日昃」は譬喻なり、心中の徳性の昏昧を喩う。心徳明なれば、光明は則ち能く常常に接続す。心徳昏なれば、則ち能く持久せず。

本義 “無所容”,言“焚”“死”“棄”也。 程傳 上陵其君,不順所承。人惡眾棄,天下所不容也。 案 “突如其來如”,《書》所謂昏暴者是也,非人不容之,自若無所容爾。

底本ここに九四の小象「突如其来如、无所容也」の一句を脱し、直ちに本義に接続す。朱熹《本義》にいう:いわゆる「无所容」は、則ち爻辞の講ずる「焚如」「死如」「棄如」、焚かれ殺され棄てらるるなり。程頤《伊川易伝》にいう:九四は上に在りてその君主を凌逼し、己の承奉する所の人に順従するを肯ぜず、因りて人人は彼を厭悪し衆人は彼を抛棄す、天下は皆な彼を容るること能わず。李光地按す:いわゆる「突如其来如」とは、則ち《尚書》の裏に講ずる所のあの昏乱・暴虐の人なり。并びに别人の彼を容れざるに非ず、彼が自ら処容するの地なきを弄して來れるのみ。

六五之吉,離王公也。 程傳 六五之吉者,所麗得王公之正位也。據在上之勢,而明察事理,畏懼憂虞以持之,所以能言也,不然,豈能安乎。 集說 趙氏彥肅曰:明極故憂深,憂深故禍弭,義麗於尊位,故致“言”也。 蔡氏清曰:味“離王公也”之詞,則知諸卦之五,所謂尊位者,不必皆謂天王,凡諸侯之各君其國者,亦足當五也。

《象伝》が六五を解していう:六五の吉は、王公の尊位に附麗するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六五の吉なる所以は、それが依附する所がまさに王公の正位なるが故なり。それは上に居るの形勢を拠有し、また能く事理を明察して、畏懼・憂慮の心を懐きて以て持守す。ゆえに終に吉を得ること能し。然らざれば、何処にか安穏を得んや(底本のこの段と下条の「言」の字は、疑い皆な「吉」の字の訛なり)。集説に引く趙彦肅の説:明は極点に到ればゆえに憂慮すること深く、憂慮すること深ければゆえに禍患は消弭す。義理に就きて言えばそれは尊位に附麗す、ゆえに終にその吉を得。集説に引く蔡清の説:「離王公也」のこの句の話を玩味すれば、則ち各卦の第五爻のいわゆる尊位は、必ずしも皆な天子を指すに非ずと知る。凡そ諸侯各自本國に於て君主を為すも、亦たこの五位に當るに足る。

王用出征,以正邦也。 程傳 王者用此上九之德,明照而剛斷,以察除天下之惡,所以正治其邦國,剛明,居上之道也。

《象伝》が上九を解していう:王者は彼を以て出征するは、以て邦國を匡正するなり。程頤《伊川易伝》にいう:王者は上九のこのごときの徳――明照にしてまた剛斷――を任用して、往きて天下の悪人を査究・除掉す、まさに以て己の邦國を端正・治理するなり。剛にして而且明なるは、上位に居る者のまさにあるべきの道理なり。

《象伝》・咸卦(象下伝)

象下傳山上有澤,咸,君子以虛受人。 本義 山上有澤,以虛而通也。 程傳 澤性潤下,土性受潤,澤在山上,而其漸潤通徹,是二物之氣相感通也。君子觀山澤通氣之象,而虛其中以受於人,夫人中虛則能受,實則不能入矣,虛中者無我也,中無私主,則無感不通,以量而容之,擇合而受之,非聖人有感必通之道也。

以下は《象下伝》なり。《大象伝》にいう:山上に沢あり、《咸》卦の象なり。君子はこれに倣って、己の心を虚して以て别人を接受す。朱熹《本義》にいう:山上に沢ありは、山體の中虚を憑りて氣息の相通ずるなり。程頤《伊川易伝》にいう:沢の性質は下に向かいて滋潤し、土の性質は滋潤を承受す。沢は山上に在りて、その潤沢は漸々として滲透・貫通す、これは両種の物類の氣の互相・感通するなり。君子は山沢・通氣の象を観て、就ち己の心胸を虚して以て别人を接受す。人の心の裏に空虚あればこそ東西を裝進むこと能く、塞満てば則ち進み入ること能わず。いわゆる虚中とは、則ち心の裏に一個の「我」なきなり。心中に私意の作り主せざれば、則ち一様として感應の通通ぜざるなし。もし先に量りて然る後に容納し、意に合うを挑びてこそ接受せば、則ちあれは聖人の感あれば必ず通ずるの道理に非ず。

集說 崔氏憬曰:山高而降,澤下而升,山澤通氣,《咸》之象也。 呂氏大臨曰:澤居下而山居高,然山能出雲而致雨者,山內虛而澤氣通也,故君子居物之上,物情交感者,亦“以虛受”也。 郭氏雍曰:唯虛故受,受故能感,不能感者,以不能受故也,不能受者,以不能虛故也。 胡氏炳文曰:“以虛受人”,無心之感也。

集説に引く崔憬の説:山は高くして肯んじて自ら降り、沢は低くして能く上升す、山沢の氣はここを以て相通ず、これ則ち《咸》卦の象なり。集説に引く呂大臨の説:沢はもとより低処に在り、山はもとより高処に在る、然而山は能く雲を興し雨を致すは、山の内裏の空虚にして沢氣の貫通を得るに因る。ゆえに君子は衆人の上に居りて、衆人の情意は能く彼と交相・感應するは、亦た「以虚受」の这三个字に頼る。集説に引く郭雍の説:ただ虚あるのみこそ接受すること能く、能く接受してこそ感通すること能し。能く感通せざるは、能く接受せざるに因り、能く接受せざるは、能く虚ならざるに因る。集説に引く胡炳文の説:「以虚受人」とは、私心を起こさざるの感應なり。

陳氏琛曰:山上有澤,澤以潤而感乎山,山以虛而受其感,《咸》之象也。君子體之,則虛其心以受人之感焉!蓋心無私主,有感皆通,若有一豪私意自蔽,則先人者為主,而感應之機窒矣,雖有所受,未必其所當受,而所當受者,反以為不合而不之受矣。

集説に引く陳琛の説:山上に沢ありて、沢はその潤沢を以て山を感動し、山はその中虚を以てこの感動を接受す、これ則ち《咸》卦の象なり。君子はこの一層を體會して、就ち心を虚して以て别人の感通を接受す。心の裏に私意の作り主せざれば、凡そ感ある所は相通ぜざるなし。假使一糸・一毫の私意をもって己を蒙蔽するあらば、則ち先入の成見は便ち主位を占めて、感應の機括は就ち堵塞せん。このごときは縱使接受する所有ると雖も、亦た必ずしも受くべきに非ず。而して真正に受くべきは、反って不合と認作されて門外に拒ぜられん。

何氏楷曰:六爻之中,一言思,三言志。思何可廢,而至於明從則非虛;志何可無,而末而外而隨人,則非虛。極而言之,天地以虛而感物,聖人以虛而感人心,三才之道,盡於是矣。 吳氏曰慎曰:虛者《咸》之貞也,天地之常,以其心普萬物而無心,聖人之常,以其情順萬事而無情者,虛而已。君子之學,廓然大公,物來順應,所謂“以虛受人”也。

集説に引く何楷の説:《咸》卦の六爻の中に、一処に「思」を講じ、三処に「志」を講ず。思慮は何処にか廃すること能わんや、可是人家の明明白白に己に順従し來るを指望するの歩地に到れば、則ち虚に非ず。志向は何処にか以て無かるべきや、可是志は末梢に落ち身外に落ち、ただ别人に随って轉ずるを知るのみ、亦た則ち虚に非ず。極処に推して言えば、天地は虚を憑りて万物を感動し、聖人は虚を憑りて人心を感動す、天・地・人の三才の道理は、盡くここに在り。集説に引く呉曰慎の説:虚とは、則ち《咸》卦の貞正の道なり。天地の常道は、それが心を万物に普及して自己に心なきなり。聖人の常道は、彼が情を万事に順應して自己に情なきなり――帰根・到底ただ一個の虚の字に過ぎず。君子が学問を做すに、胸懐は廓然・大公にして、事物は來れば則ちそれに順いて以て應ず、これまさにいわゆる「以虚受人」なり。

咸其拇,志在外也。 程傳 初志之動,感於四也,故曰“在外”,志雖動而感未深,如拇之動,未足以進也。 集說 虞氏翻曰:志在外,謂四也。 孔氏穎達曰:與四相應,所感在外。 俞氏琰曰:初與四感應以相與,則志之所之,在於外矣。

《象伝》が初六を解していう:感應はただ大脚指に到るは、心志の外卦に指向するなり。程頤《伊川易伝》にいう:初六の心志の萌動は、九四に感動せられたるなり。ゆえに「在外」と言う。心志は雖も動いたると雖も、感應はなお深からず、大脚指の一動するがごとく、なお以て歩を邁げ前進するに足らず。集説に引く虞翻の説:いわゆる志在外は、九四を指す。集説に引く孔穎達の説:初六と九四とは相応して、感ずる所の對象は外卦に在り。集説に引く俞琰の説:初六と九四とは彼此・感應して相親せば、則ち心志の趨向する所は、外面に在るなり。

雖凶居吉,順不害也。 程傳 二居中得正,所應又中正,其才本善,以其在咸之時,質柔而上應,故戒以先動求君則凶,居以自守則吉。《象》復明之云,非戒之不得相感,唯順理則不害,謂 集說 顧氏象德曰:雖凶而居則吉者,蓋能順理以為感,不為躁動害也。居非專靜、特不妄動而已。

《象伝》が六二を解していう:雖も凶あると雖も安居して動かざれば則ち吉、理に順いて行えば則ち受害せざるが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:六二は中に居りてまた正を得、応ずる所の九五も亦た「中正」なり、その才質はもとより則ち好し。ただ身に《咸》卦の感應の時に処りて、質地柔弱にして上に向かいて人に応ずるに因る。ゆえに爻辞はそれを告誡す。先に搶けて身を動かして君主を求め往かば則ち凶、安居して自守すれば則ち吉。《象伝》は再びこの層の意を点明す。并びにそれが人と相感ずるを禁止するに非ず、ただ道理に順いて來れば則ち受害せず――ここに底本脱文あり、程氏の話は未だ言い盡さず、下に直接接ぐは集説なり。集説に引く顧象徳の説:雖も凶あると雖も安居すれば則ち吉なるは、それが能く道理に順いて感應して、躁動に害せられざるに因る。ここの「居」は并びに一味に静止するに非ず、ただ妄動せざるのみ。

咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。 本義 言“亦”者,因前二爻皆欲動而云也,二爻陰躁,其動也宜,九三陽剛,居止之極,宜靜而動,可吝之甚也。

《象伝》が九三を解していう:感應は大腿に到る、これも亦た安処するを肯ぜざるなり。心志はただ人に跟いて走るに在り、守持する所の東西は太も卑下なり。朱熹《本義》にいう:一個の「亦」の字を言うは、前面の両爻が皆な動かんと欲するに因りて然して講ず。前の両爻は陰爻にして性躁なり、それらの動かんと欲するはまさにあるべし。九三は陽剛にして、また下體・艮止の頂端に処りて、もとより静なるべきに反って動く、可惜・可鄙に極点に到れり。

程傳 云“亦”者,蓋象辭本不與易相比,自作一處,故諸爻之象辭,意有相續者,此言“亦”者,承上爻辭也,上云“咸其拇志在外也”,“雖凶居吉順不害也”,“咸其股亦不處也”。前二陰爻皆有感而動,三雖陽爻亦然,故云“亦不處也”。“不處”,謂動也,有剛陽之質,而不能自主,志反在於隨人,是所操執者卑下之甚也。

程頤《伊川易伝》にいう:「亦」の字を言うは、《象伝》の文辞はもとより経文と並列・相接せず、自ら一処を成すに因る。ゆえに各爻の象辞は、意思は往々として前後・相承す。ここに「亦」と言うは、まさに上面の象辞を承接して來るなり。上面は「咸其拇、志在外也」と言い、接いで「雖凶居吉、順不害也」と言い、再び接いでこそ「咸其股、亦不処也」と言う。前面の両個の陰爻は皆な感ずる所有りて動く、九三は雖も陽爻なれど、亦た照様として然り。ゆえに「亦不処也」と言う。「不処」は則ち動くの意なり。九三に陽剛の資質あるに、却って己を作主すること能わず、心志は反って别人に跟随するの上に放る、これ則ち彼が操守・執持する所の東西の太も卑下なるなり。

貞吉悔亡,未感害也。憧憧往來,未光大也。 本義 “感害”,言不正而感,則有害也。 程傳 貞則吉而悔亡,未為私感所害也,繫私應則害於感矣,“憧憧往來”,以私心相感,感之道狹矣,故云“未光大也”。

《象伝》が九四を解していう:正を守りて吉にして悔恨の消失するは、いまだ私感に害せられざるなり。心神は定まらず往來憧憧するは、心量のいまだ光大ならざるなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「感害」は、不正の方式を以て感應し往かば、則ち害あるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:正を守れば則ち吉にして悔恨消失すは、いまだ私意の感應に傷せられざるを説明す。一旦私に牽繋して相応和せば、感應は就ち受損す。「憧憧往來」は、私心を以て人を感ずるにして、感應の路子は就ち窄し。ゆえに「未光大也」と言う。

集說 陸氏九淵曰:《咸》九四一爻,聖人以其當心之位,其言感通為尤至,曰“貞吉悔亡”,而《象》以為“未感害也”,蓋未為私感所害,則心之本然,無適而不正,無感而不通。曰“憧憧往來朋從爾思”,而《象》以為“未光大也”。蓋“憧憧往來”之私心,其所感必狹,從其思者,獨其私朋而已,聖人之洗心,其諸以滌去“憧憧往來”之私而全其本然之正也與,此所以“退藏於密”,而能同乎民,交乎物,而不墮於膠焉溺焉之一偏者也。

集説に引く陸九淵の説:《咸》卦の九四のこの一爻は、聖人は因るにそれがまさに人身の「心」の位置に當たりて、感通を講ずること尤も透徹す。爻辞は「貞吉悔亡」と言い、《象伝》は「未感害也」と解作す――ただいまだ私意の感應に害せられざれば、心の本然の状態は便ち往かんとして正ならざるなく、感じて通ぜざるなし。爻辞は「憧憧往來、朋従爾思」と言い、《象伝》は「未光大也」と解作す――「憧憧往來」は一片の私心にして、感ずる所の範囲は必ず狭窄なり、肯んじて彼のこの分の思慮に順従するも、亦た不過彼の私交の一班の朋類のみ。聖人の言う所の「洗心」は、大概まさにこの種の「憧憧往來」の私意を洗去して、心の本然の正を保全せんと欲するなり。正にこれに因るが故に、こそ「退蔵于密」して、而又た百姓とその好悪を同じくし、万物と相交接して、膠着して一物に跌進し沉溺して一偏するの毛病の裏に至らざるなり。

咸其脢,志末也。 本義 “志末”謂不能感物。 程傳 戒使背其心而咸脢者,為其存心淺末,繫二而說上,感於私慾也。

《象伝》が九五を解していう:感應はただ背脊の肌肉に到るは、心志の末梢に落ちるなり。朱熹《本義》にいう:「志末」は彼の能く外物を感動せざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞は彼をして己の私心に背きてただ背脊に感ぜしむるは、彼の存心浅薄にして末流に落ちるに因る。一面に六二に牽繋し、一面にまた上六を喜悦す、あれは皆な私欲に牽動せられたるの感應なり。

集說 李氏鼎祚曰:“末”,猶上也,五比於上,故“咸其脢,志未”者,謂五志感於上也。 朱氏震曰:卦以初為本,上為末。 王氏宗傳曰:謂五有“咸其脢”之象者,以其志意之所向,在於一卦之末,故欲“咸其脢”以背去之也。 何氏楷曰:謂五志在與仁相感也。《繫辭》曰:“其初難知,其上《易》知,本末也。 ”《大過彖傳》“本末弱”,“末”指上六可知矣。

集説に引く李鼎祚の説:「末」は上に相当し、九五は緊く上六に挨れば、ゆえに「咸其脢、志末」と言う、九五の心志が上六に感じ向かうを指す(底本は「志未」と作る、「志末」とすべし)。集説に引く朱震の説:一卦は初爻を以て本と為し、上爻を以て末と為す。集説に引く王宗伝の説:九五に「咸其脢」の象あると言うは、彼が心意の趨向が一卦の末梢に落ちるに因る。ゆえに「咸其脢」せんと要し、脊背を以てそれに對してそれを撇開す。集説に引く何楷の説:これは九五の心志の上六と相感するに在るを言う(底本は「与仁相感」と作る、「仁」の字訛あり)。《系辞伝》に言う、一卦の初爻は知り難く、上爻は知り易し、これは本と末との分别なり。《大過・彖伝》の講ずる「本末弱」は、これにより「末」の指す所はまさに上六なるを見るべし。

咸其輔頰舌,滕口說也。 本義 “滕”“騰”通用。 程傳 唯至誠為能感人,乃以柔說騰揚於口舌言說,豈能感於人乎。

《象伝》が上六を解していう:感應はただ牙牀・面頰と舌頭の上に在るは、不過嘴上に説き熱鬧するのみ。朱熹《本義》にいう:「滕」と「騰」の両字は通用す。程頤《伊川易伝》にいう:ただ極誠あるのみこそ能く人を感動す。如今却って柔媚の言辞を以て口舌の上に於て張揚・鼓吹す、何処にか人を感動し得んや。

《象伝》・恒卦

雷風恆,君子以立不易方。 程傳 君子觀雷風相與成《恆》之象,以常久其德,自立於大中常久之道,不變易其方所也。

《大象伝》にいう:雷と風と相并びて《恒》卦の象を成す。君子はこれに倣って、身を立つるに常あり、己の方向を更改せず。程頤《伊川易伝》にいう:君子は雷と風との互相・配合して《恒》を成すの象を観て、就ち己の徳をして長久に変わらざらしめ、大中にして恒久の道の上に自立して、己の守る所の方位を改易せず。

集說 呂氏大臨曰:雷風雖若非常,其所以相與則恆。 胡氏炳文曰:雷風雖變,而有不變者存,體雷風之變者,為我之不變者,善體雷風者也。

集説に引く呂大臨の説:雷と風とは雖も看上去として変動・不居なれど、然而それらの彼此・相与・配合するのこの一点は却って恒常なり。集説に引く胡炳文の説:雷風は雖も変動するなれど、その中に却って不変の東西在り。能く雷風の変を體察して、以て己のあの不変なるを成就すれば、こそ雷風を體察するに善しと算す。

案 說此象者,用烈風雷雨弗迷,說震象者,用迅雷風烈必變,皆非也。“雷風”者,大地之變而不失其常也;“立不易方者”,君子之歷萬變而不失其常也;“洊雷”者,天地震動之氣也;恐懼修省者,君子震動之心也。

李光地按す:《恒》卦のこの大象を講ずる人は、《尚書・舜典》の「烈風雷雨弗迷」を拿りて附会と為し、《震》卦の大象を講ずる人は、《論語・郷黨》の「迅雷風烈必変」を拿りて附会と為す、皆な對ならず。いわゆる「雷風」は、言う所は天地間の千変・万化にしてその常を失わざるなり(底本「大地」は「天地」とすべし)。いわゆる「立不易方」は、言う所は君子の万変を経歴してその常を失わざるなり。至って《震》卦の講ずる「洊雷」は、あれは天地の震動の氣なり。講ずる「恐惧修省」は、あれは君子の震動を受けて生ずる所の敬畏の心なり。両卦は各々帰属あり、混じて言うべからず。

浚恆之凶,始求深也。 程傳 居恆之始,而求望子上之深,是知常而不知度勢之甚也。所以“凶”,陰暗不得恆之宜也。 集說 朱氏震曰:初居巽下,以深入為恆,上居震極,以震動為恆,在始而求深,在上而好動,皆凶道也。

《象伝》が初六を解していう:一上來すれば則ち恒久を深求して凶を致すは、開頭より求むること太も深きが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:身に《恒》卦の起頭に処りて、則ち上面の九四に對し期望すること深きに過ぐ、これはただ常を守るを知りて全然形勢を権衡するを懂得せざるなり(底本「求望子上」、「子」は「于」とすべし)。それが凶なる所以は、陰暗・不明にして、恒久の道の分寸を把握せざるに因る。集説に引く朱震の説:初六は巽體の最下に居りて、深入するを以て恒常と為す。上六は震體の頂端に居りて、震動するを以て恒常と為す。開頭より深を求め、上に居りて動を好むは、皆な凶を招くの路数なり。

郭氏雍曰:進道有漸而後可久,在《恆》之初,浚而深求,非其道也。 王氏申子曰:可恆之道,以久而成,始而求深,是施諸己則欲速不達,施諸人則責之太遽者也,故凶。

集説に引く郭雍の説:進取の道は循序・漸進を要して、然る後にこそ持久すること能し。《恒》卦の起頭に於て則ち一味に深を挖りて求むるは、正道に合せず。集説に引く王申子の説:以て恒久すべきの道は、日子の長久を靠ってこそ成就すること能し。一開頭より深を求むるは、己の身上に用うれば、則ち速きを欲して達せざるなり。別人の身上に用うれば、則ち責求すること急促に太りて、ゆえに凶なり。

蘇氏濬曰:凡人用功之始,立志太銳,取效太急,便有欲速不助長之病,故曰“始求深”,盂子言“深造必以道”,正是此意。

集説に引く蘇濬の説:一般人の功夫を下すの開頭は、志を立つること太も猛く、効験を求むること太も急く、則ち速きを欲してまた苗を揠げて助長するの毛病を落下す。ゆえに「始求深」と言う。《孟子・離婁下》の講ずる「君子深造之以道」は、まさにこの意なり(底本「盂子」は「孟子」とすべし)。

九二悔亡,能久中也。 程傳 所以得“悔亡”者,由其能恆久於中也,人能恆久於中,豈止亡其悔,德之善也! 集說 胡氏炳文曰:九二獨提“能久中”。諸爻不中,故不久可見。

《象伝》が九二を解していう:九二の悔恨の消失するは、能く長久に中道を守住するが故なり。程頤《伊川易伝》にいう:それが能く「悔亡」なる所以は、能く恒久に中道の上に守るに由る。人は能く恒久に中を守れば、豈にただ悔恨を消掉するのみならん、あれは本身則ち徳の美善なり。集説に引く胡炳文の説:《恒》卦の六爻の裏に独り九二のみ「能久中」と点出せらる。其餘の各爻は皆な中に居らず、ここを以て能く持久せず、この一層は則ち看出すこと能し。

不恆其德,無所容也。 程傳 人既無恆,何所容處,當處之地,既不能恆,處非其據,豈能恆哉?是不恆之人,尤所容處其身也。 案 此“無所容”,與《離》四相似,皆謂德行無常度,自若無所容,非人不容之也。

《象伝》が九三を解していう:徳行は能く持久せざれば、則ち容身の処なし。程頤《伊川易伝》にいう:人はすでに恒心なければ、何処にかなお容身の地方あらんや。彼のもとより安処すべき位置は、すでに恒常を守住すること能わざれば、則ちあれは占むべからざる地方を占めたるにして、怎んぞ能く長久せんや。ゆえに能く持恒せざる人は、己のこの身子を安放するの地方なきなり(底本「尤所容処」、「尤」は「无」とすべし)。李光地按す:ここの「无所容」は、《離》卦九四の情形と相似たり、皆な徳行に常度なきを言うにして、自ら処容するの地なきを弄し、并びに别人の彼を容れざるに非ず。

久非其位,安得禽也。 程傳 處“非其位”,雖久何所得乎,以田為喻,故云“安得禽”也。 集說 王氏弼曰:恆“非其位”,雖勞無獲也。

《象伝》が九四を解していう:長く待つ所はまさに待つべからざる位置に在り、何処にか禽獣を猟得せんや。程頤《伊川易伝》にいう:処する所はすでに己がまさに在るべき位置に非ざれば、待つこと再び久しくともまた何を得んとするや。ここに田猟を拿りて譬喩と作す。ゆえに「安得禽」と言う。集説に引く王弼の説:己に属せざる位置を老守すれば、縱使労苦すと雖も亦た収穫あらざらん。

婦人貞吉,從一而終也。夫子制義,從婦凶也。 程傳 如五之從二,在婦人則為正而吉,婦人以從為正,以順為德,當終守於從一。 夫子則以義制者也,從婦人之道,則為凶也。

《象伝》が六五を解していう:婦人は正を守りて吉なるは、一に従して終わるなり。男子はまさに道義に依りて裁断すべく、婦人に跟いて走れば則ち凶。程頤《伊川易伝》にいう:六五の九二に順従するがごときは、婦人に於ては便ち正にして吉を得るなり。婦人は順従を以て正と為し、柔順を以て徳と為す、まさに終始一に従して終わるを守住すべし。男子は則ち義理を以て事情を裁断する人にまさに爲るべきなり。もし婦人のあの一味に順従するの路を走れば、則ち凶なり。

集說 項氏安世曰:九二以剛中為常,故“悔亡”,六五以柔中為恆,在二可也,在五,則夫也父也君也,而可乎。婦人從夫則吉,夫子從婦則凶矣。 楊氏啟新曰:爻辭只曰“婦人吉”,《象傳》又添一“貞”字,明“恆其德,貞”,為婦人之貞也。

集説に引く項安世の説:九二は剛にして中に居るを以て常道と爲す。ゆえに「悔亡」。六五は柔にして中に居るを以て恒と爲す。この分の柔中を九二の位置の上に放てばなお可なれど、第五爻のこの位置の上に放てば、あれは丈夫、是れ父親、是れ君主の地位にして、なおこのごとくすること能わんや。婦人は丈夫に順従すれば則ち吉、男子は婦人に順従すれば則ち凶なり。集説に引く楊啓新の説:爻辞はただ「婦人吉」と言うに、《象伝》は却って一個の「貞」の字を添えて、まさに爻辞の「恒其徳、貞」のあの貞を点明す、是れ婦人の貞なり。

振恆在上,大無功也。 程傳 居上之道,必有恆德,乃能有功。若躁動不常,豈能有所成乎!居上而不恆,其凶甚矣,《象》又言其不能有所成立,故曰“大無功也”。

《象伝》が上六を解していう:身に上位に在りて却って揺蕩・不定なるは、大いに功效なきなり。程頤《伊川易伝》にいう:上位に居るの道理は、必ず恒久の徳あらば、こそ功業を建立すること能し。もし躁動・無常ならば、何処にか成就する所有らんや。上位に居りて能く持恒せざれば、兇険は則ち大なり。《象伝》はまた彼の能く建樹する所有らざるを指出す。ゆえに「大无功也」と言う。

集說 王氏安石曰:終乎動,以動為恆者也,以動為恆,而在物上,其害大矣。 王氏申子曰:此所謂天下本無事,庸人自擾之。其好功生事之過乎。故聖人折之曰“大無功”,言振擾於守恆之時,決無所成也。

集説に引く王安石の説:上六は位に於て震體の終に在りて動を主とす、是れ動を以て恒常と當てるなり。動を以て恒常と當てて、また身に衆人の上に在れば、害を爲すこと則ち大なり。集説に引く王申子の説:これ則ちいわゆる天下はもとより事なきに、庸人は自ら攪擾し出だすにして、大概是れあの功を貪り事を生ずるの過失ならん。ゆえに聖人は一句の話を以て彼を折服して、「大无功」と判斷す、是れもとより恒を守るべき時に於て反って揺蕩・攪擾すれば、絶えて成就する所有らざらんを言うなり。

《象伝》・遯卦

天下有山,遯。君子以遠小人,不惡而嚴。 本義 天體無窮,山高有限,《遯》之象也。“嚴”者,君子自守之常,而小人自不能近。

《大象伝》にいう:天下に山あり、《遯》卦の象なり。君子はこれに倣って以て小人を遠離す。憎悪の様子を摆出せず、而して自ずから一種の威厳あり。朱熹《本義》にいう:天體は無窮・無盡、山は再高くとも終に限りあり、天は一味に上に退きて山は下に止まる、これ則ち《遯》の象なり。いわゆる「厳」は、君子の自守するの常態にして、小人は自ずから敢えて挨近せず。

程傳 天下有山,山下起而乃止,天上進而相違,是遯避之象也,君子觀其象,以避遠乎小人。遠小人之道,若以惡聲厲色,適足以致其怨忿,唯在乎矜莊威嚴,使知敬畏,則自然遠矣。

程頤《伊川易伝》にいう:天下に山あり、山は下面より聳起して、一定の高度に到れば則ち止住す。天は却って一直に上に向かいて退去す、両者は背道して行う、これ則ち逃避・退隱の象なり。君子はこの象を観て、以て小人を避け遠離す。小人を遠離するの办法は、もし難聽の話、厳厲の臉色を用えば、恰好彼らの怨恨・憤懑を招く。関鍵はただ己の端荘・威重に在りて、彼らをして心に敬畏を生ぜしめば、則ち自ずから疏遠するなり。

集說 石氏介曰:“不惡而嚴”,外順而內正也,尚惡則小人憎,不嚴則正道消。 張子曰:“惡”讀為憎惡之“惡”,“遠小人”不可示以惡也,惡則患及之,又焉能遠?“嚴”之為言,敬小人而遠之之意也。

集説に引く石介の説:いわゆる「不悪而厳」は、外面和順にして裏面端正なり。もし一味に疾悪を崇尚すれば、小人は則ちあなたを憎恨せん。もし荘厳ならざれば、正道は則ち消亡せん。集説に引く張載の説:この「悪」の字はまさに憎悪の悪と讀むべし。小人を遠離するに、厭悪を臉の上に摆出すべからず。一たび厭悪を摆出せば、禍患は就ち跟いて來る、また怎んぞ遠離すること得んや。一個の「厳」の字を言うは、まさに《論語》のいわゆる敬して之を遠ざくるの意なり。

楊氏時曰:天下有山,其藏疾也無所拒,然亦終莫之陵也,此君子遠小人不惡而嚴之象也。 郭氏雍曰:君子當遯之時,畏小人之害,志在遠之而已。遠之之道何如?不惡其人而嚴其分是也。孔子曰:疾之已甚,亂也。不惡則不疾矣。

集説に引く楊時の説:天下に山あり、山は能く汚を蔵し垢を納れて拒絶する所なし、然而終に誰かその上頭に凌駕すること能う者なし、これまさに君子の小人を遠離する「不悪而厳」の象なり。集説に引く郭雍の説:君子は《遯》の時に処りて、小人の害を受けるを怕れて、心志はただ彼らを遠離するに在るのみ。遠離の办法は何ぞや、則ちその人を厭悪せざるにして、而して彼此の分際を厳正に守るなり。孔子は説いたり、一個の人を厭悪すること太も過分なれば、就ち乱子を激し出ださん。厭悪を摆出せざれば、亦た過分に疾恨するに至らざるなり。

俞氏琰曰:君子觀象以遠小人,豈有它哉!不過危行言遜而已。

集説に引く俞琰の説:君子は《遯》卦の象を観て以て小人を遠離す、何処にかなお別の門道あらんや。不過《論語・憲問》の言う所の行事端正・不苟にして言語謙遜・収斂するのみ。

遯卦・大象与爻象

遜其言則不惡,不使之怨也;危其行則有不可犯之嚴,不使之不遜也。此“君子遠小人”之道也。案 “天下有山”,以山喻小人,以天喻君子,似未切。蓋“天下有山”,山之高峻極於天也,山之高峻者,未嘗絕人,而自不可攀躋,故有“不惡而嚴”之象。楊氏之說,蓋是此意。

集説のこの一条は接いで《遯》卦《大象》の「君子以遠小人、不悪而厳」を解す。言辞を謙遜・退譲せば、則ち憎悪の色を顕出するに至らず、これは小人をして心裏に怨を生ぜしめざるなり。行事を端厳・峻正せば、便ち自ずから一種の冒犯すべからざるの威厳あり、これは小人をして放肆・無礼ならしめざるなり。これ則ち「君子遠小人」のまさにあるべきの分寸なり。李光地按す:「天下有山」を以て山を以て小人に比喻し天を以て君子に比喻すと講ずるは、似乎并びに貼切ならず。「天下有山」の本意は、山勢の高峻にして直に天に逼るなり。高峻の山は并びに曽て人を千里の外に拒むことなし、可人は自ずから攀登して上ぐること能わず、ゆえにこそ「不悪而厳」のこの一層の物象あるなり。楊氏の説法は、大概まさにこの意なり。

程傳 見幾先循,固為善也,遯而為尾,危之道也,往既有危,不若不往而晦藏,可免於災,處危故也。古人處微下,隱亂世,而不去者多矣。案 《程傳》以不遯為免災,朱子以晦處勿有所行為免災,故朱子嘗欲劾韓伏胄,占得此爻而止。

以下は初六「遯尾、厲、勿用有攸往」の《象伝》を解す。程頤《伊川易伝》にいう:幾微の兆を看出して便ち先に搶けて隱遁すは、もとより最も好きなり。隊伍の尾巴の上に落ちるを待ちてこそ遯せば、則ちあれは険を招くの道なり。すでに前往すれば危険あるに、索性動かずして韜光・晦跡するに如かず、反って以て災禍を免るること能す、これは身に険地に処るの縁故なり。古人の身に卑微の位を居して乱世に隱忍して終始离去するを肯ぜざるは、原本則ち少数に在らず。李光地按す:《程伝》は「不遯」を以て災を免るるの办法と作し、朱熹は則ち「隱晦・自処して行動する所有ることなし」を以て災を免るるの办法と作す。ゆえに朱熹は當年曽て韓侂胄を弾劾せんと欲して、この一爻を占得て則ち手を停めて発せざりき。

執用黃牛,固志也。程傳 上下以中順之道相固結,其心志甚堅,扣執之以牛革也。集說 侯氏行果曰:上應貴主,志在輔時,不隨物遯,獨守中直,堅如革束,執此之志,“莫之勝說”,殷之父師,當此爻矣。蔡氏清曰:謂自固其志,“不可榮以祿也”。附錄 孔氏穎達曰:“固志”者,堅固遯者之志,使不去己也。

《象伝》にいう:「執用黄牛」は、心志の堅固・不移を講ず。程頤《伊川易伝》にいう:上下の両方は中道・柔順を以て互相に固結す、あの心志は極めて堅牢にして、牛皮の繩を拿りてそれを捆縛するがごとし。集説に引く侯行果の説:六二は上に九五のこの尊貴の主に応じて、志は時局を輔佐するに在り、肯んじて大流に随いて一同に遯去せず、独り中道・正直を守住して、堅牢なること皮索の捆束するがごとし。執守するこのごときの心志は、まさに爻辞の言う所の「莫之勝説」なり――誰もそれを解き開くこと能わず。殷商の父師・箕子は、まさにこの一爻に當るに足る。蔡清に言う、これは六二が自ら己の心志を堅固にするを講ず、ゆえに「不可栄以禄也」なり――爵禄の栄寵は彼を打動すること能わず。附録に引く孔穎達の説:いわゆる「固志」は、遯る者の心志を固結して、彼をして己を離れざらしむるなり。

係遯之厲,有疾憊也。畜臣妾吉,不可大事也。程傳 遯而有繫累,必以困憊致危。其有疾乃憊也。蓋力亦不足矣,以此暱愛之心,畜養臣妾則吉,豈可以當大事乎。集說 張氏清子曰:當遯而繫,故有疾而厲,至於憊乏也。唯當以剛自守,止下二陰,而畜之以臣妾之道,然後獲吉,又豈可當大事乎。案 “不可大事”,言末可直行其志,危言危行也,與《彖》“小貞言”,《大》“不惡而嚴”之意,皆相貫。

《象伝》にいう:「系遯之厲」は、病を害するがごとく疲憊・不堪に因る。「畜臣妾吉」は、この種の情形は大事を擔當し起こすべからざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:遯すべき時に於て却って牽挂・系累あるは、必ず困頓・疲憊に因りて危険を招致す。いわゆる「有疾」は則ち疲憊なり、これにより氣力のすでに不足なるを見るべし。このごときの私昵・眷戀の心を抱きて、以て臣僕・姫妾を畜養すればなお吉利と算す、怎んぞ大事を擔當し起こすべきや。集説に引く張清子の説:まさに遯避の時に當たりて却って牽系せらる。ゆえに疾ありて危厲、困乏・不支に至る。ただまさに陽剛を以て自守して、下面の両個の陰爻を止住し、臣妾を畜養するの方式を以て彼らを安置すれば、これこそ能く吉を得る、また何処にか大事を擔當し起こすべきや。李光地按す:「不可大事」は、この時いまだ直截了当に己の主張を推行すること能わず、危言・危行を致すこと能わざるを言う。これは《彖伝》の言う所の「小貞」と《大象》の言う所の「不悪而厳」と、意思は皆な一脈に貫通す。

君子好遯,小人否也。程傳 君子雖有好而能遯,不失於義,小人則不能勝其私意,而至於不善也。集說 俞氏琰曰:爻辭云:“好遯,君子吉小人否”,爻傳不及吉字,蓋謂唯君子為能“好遯”,小人則不能“好遯”也。既“好遯”,則遯而亨,其吉不假言矣。

《象伝》にいう:「君子好遯、小人否也」。程頤《伊川易伝》にいう:君子は心の裏に雖も愛好する所有ると雖も、却って仍お毅然として遯去して、その道義を失わず。小人は却って己の私意に勝ること能わず、終に不善に陷入す。集説に引く俞琰の説:九四の爻辞は「好遯、君子吉、小人否」と講ず、《象伝》は却ってあの「吉」の字を提げず、これは因るにただ君子のみ「好遯」を致すこと能く、小人は根本より「好遯」を致すこと能わず。すでに「好遯」を致すこと能えば、則ち遯にして亨通す、その吉は自ずから更に言うを須せず。

嘉遯貞吉,以正志也。程傳 志正則動必由正,所以為遯之嘉也。居中得正而應中正,是其志正也。所以為吉,人之遯也止也,唯在正其志而已矣。集說 張子曰:居正處中,能正其志,故獲“貞吉”。案 君子之志,不在寵利,故進以禮而退以義,所謂“正志”也。

《象伝》にいう:「嘉遯貞吉」は、心志の端正なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:心志端正なれば、行動は就ち必ず正道に循って発す。ゆえに遯ること美好と称すに足る。九五は上卦の中に居りてまた「當位」して正を得、下面にまた中正の六二と相「応与」す、これ則ち彼の心志の端正なり。吉なる所以は、人の遯と止とは、関鍵ただ己の心志を摆正するに在るのみに因る。集説に引く張載の説:処する所の位はすでに正にしてまた中に居り、能く己の心志を端正す。ゆえに「貞吉」を獲得す。李光地按す:君子の志向は恩寵と利禄の上に落ちず、ゆえに出仕は礼に依り退隱は義に依る、これ則ちいわゆる「正志」なり。

肥遯無不利,無所疑也。程傳 其遯之遠,無所疑滯也。蓋在外則已遠,無應則無累,故為剛決無疑也。集說 侯氏行果曰:最處外極,無應於內,心無疑戀,超世高舉,安時無悶,故“肥遯無不利”。趙氏汝楳曰:四陽之中,三繫於陰,四五應於陰,皆不能不自疑,至上則疑慮盡亡, 李氏心傳曰:“無所疑也”,此及《升》之九三並言之,此決於退,彼決於進,時之宜耳。

《象伝》にいう:「肥遯无不利」は、心中に毫も遅疑なきに因る。程頤《伊川易伝》にいう:上九は遯ること甚だ遠く、疑慮・滞碍する所なし。彼は身に卦外に在りて、距離はすでに拉开し、また相応の爻なくして牽累なし。ゆえに是れ剛斷・決然にして毫も遅疑なし。集説に引く侯行果の説:上九は外卦の最上端に処りて、内卦と「応与」なし、心の裏にすでに疑慮なく留戀もなし、世俗を超脱して高挙・遠引し、時勢に安んじて煩悶を覚えず。ゆえに「肥遯无不利」と言う。趙汝楳に言う、四個の陽爻の当中に、九三は下面の陰爻に牽系せられ、九四・九五はまた陰爻と相応して、皆な自ら疑慮を生を生ぜざる能わず。上九に到りては、疑慮は則ち全部消盡す。李心伝に言う、「无所疑也」のこの句の話は、ここの処と《升》卦九三の《象伝》とに皆な用いらる。ここは退くに決然し、あそこは進むに決然す、不過各々時宜に合乎するのみ。

大壮卦・大象与爻象

雷在天上,大壯。君子以非禮弗履。本義 自勝者強。程傳 雷震於天上,大而壯也,君子觀《大壯》之象以行其壯。君子之大壯者,莫若克己復禮。古人云,自勝之謂強,《中庸》於和而不流,中立而不倚,皆曰強哉矯,赴湯火,蹈白刃,武夫之勇可能也,至於克己復禮,則非君子之大壯,不可能也,故云“君子以非禮弗履”。張子曰:克己反禮,壯莫盛焉。《朱子語類》云:雷在天上,是甚生威嚴,人之克己,須是如雷在天上方能克去非禮。項氏安世曰:君子所以養其剛大者,亦曰非禮勿履而已。

《大象伝》にいう:雷は天の上方に震響す、これ則ち《大壮》なり。君子はこれに由りて領悟す、凡そ礼に合せざるの事は一概に為さず。朱熹《本義》にいう:能く己に勝る人はこそ強と算す。程頤《伊川易伝》にいう:雷は天上に於て震動す、是れまた大にして壮の景象、君子は《大壮》の卦象を観て以て己の壮を施行す。君子の真正の大壮は、「克己復礼」に比上するなし。古人は説いたり、己に勝るをこそ強と謂作す。《中庸》の講ずる「和而不流」「中立而不倚」は、皆な一句を讃嘆して「強哉矯」なり。湯に赴き火に蹈み白刃を脚踏むは、武夫の勇を憑りても亦た致すこと能し。至って克己復礼は、もし君子の大壮に非ざれば、則ち断えて致すこと能わず。ゆえに「君子以非礼弗履」と言う。集説に引く張載の説:己私を克去して礼法に回帰す、壮は更にこれより盛大なるなし。《朱子語類》にいう:雷は天上に在り、あれは何等の威厳ぞや。人は己を克せんと要せば、必ず雷の天上に在るがごときの声勢あらば、こそ礼に合せざるの東西を克除・乾浄すること能し。項安世に言う、君子の以て己の剛健・盛大の氣を涵養するは、亦た不過「非礼勿履」のこの一句のみ。

壯于趾,其孚窮也。本義 言必窮困。程傳 在最下而用壯以行,可必信其窮困而凶也。集說 王氏申子曰:居下而用壯,任剛而決行,信乎其窮而凶也。九二貞吉,以中也。程傳 所以貞正而吉者,以其得中道也,中則不失正,況陽剛而乾體乎。集說 孔氏穎達曰:以其居中履謙,行不違禮,故得正而吉也。案 卦言“大壯利貞”,唯九二剛德則為大,健體則為壯,而居中則為處壯之貞,乃卦之主也,故《傳》言“以中”,明《大壯》之“貞”在於中也。

《象伝》にいう:「壮于趾」は、以て彼の必ず困窮に陷るを確信すべし。朱熹《本義》にいう:これは彼の必ず困窮するを講ず。程頤《伊川易伝》にいう:初九は全卦の最下面に処りて、却ってその強壮を逞して妄行す、以て彼の必ず困窮して凶を致すを断ずべし。集説に引く王申子の説:身に下位を居して却って壮を逞し、一味に剛に任せて決然と前行す、確かに是れ窮にして凶を致す。《象伝》にまたいう:「九二貞吉」は、彼が「中」を得るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:能く貞正にして吉なる所以は、彼の行う所は中道なるに由る。中に居れば則ち正を失わず、何況や彼はもとより陽剛の爻、また乾體の中に処るや。集説に引く孔穎達の説:因るに九二は中に居りて能く謙を持し、行事は礼に違せず。ゆえに正を得て吉なり。李光地按す:卦辞の講ずる「大壮利貞」は、ただ九二のみ當るに足る。剛徳を以て言えば則ち「大」、健體を以て言えば則ち「壮」、而して中に居るは則ち壮に処るの時の「貞」なり、彼はまさに全卦の卦主なり。ゆえに《象伝》は「以中」と言う、《大壮》の「貞」のまさに一個の「中」の字の上に落ちるを点明す。

小人用壯,君子罔也。本義 小人以壯敗,君子以罔困。程傳 在小人則為用其強壯之力,在君子則為用罔,志氣剛強,蔑視於事,靡所顧憚也。集說 項氏安世曰:君子用罔,說者不同,然觀爻辭之例,如“小人吉,大人否亨”、“君子吉,小人否”、“婦人吉,夫子凶”,皆是相反之辭,又《象辭》曰:“小人用壯,君子罔也”,全與“君子好遯,小人否也”句法相類,《詩》、《書》中“罔”字與“弗”字“勿”字“毋”字通用,皆禁止之義也。

《象伝》にいう:「小人用壮、君子罔也」。朱熹《本義》にいう:小人は壮を逞するに因りて敗亡し、君子は「罔」に因りて困を受く。程頤《伊川易伝》にいう:この話は小人の身上に落とせば、則ち彼が強壮の氣力を使用するなり。君子の身上に落とせば、則ち「用罔」なり――志氣は剛強に過ぐるに太り、事情を看得ること軽きに太り、何をも顧忌せず。集説に引く項安世の説:「君子用罔」の一句は、解釈する人は各々相同じからず。但し爻辞の通例を看れば、「小人吉、大人否亨」「君子吉、小人否」「婦人吉、夫子凶」のごときは、皆な正反・對挙の説法なり。再び《象伝》の講ずる「小人用壮、君子罔也」を看れば、句法は《遯》卦の「君子好遯、小人否也」と完全に相類す。《詩経》《尚書》の裏に「罔」の字は「弗」「勿」「毋」と通用して、皆な禁止の意なり。

楊氏簡曰:九三雖益進,勢雖壯,君子之心未嘗以為意焉,唯小人則自嘉已勢之壯,而益肆益壯,是謂小人用壯。罔,無也。言君子之所用,異乎小人之用也,故曰“小人用壯,君子罔也”。俞氏琰曰:孔子恐後世疑爻辭有兩“用”字,以為小人之“用”與君子同,故特去其一。

集説に引く楊簡の説:九三は雖も更に前に推進すと雖も、氣勢は雖も壮盛なれど、君子は心の裏に従来この事を當て成さず。ただ小人のみ自ら己の氣勢の壮を欣賞して、於是愈々放肆し愈々壮を逞す、これを「小人用壮」と謂う。「罔」は則ち「无」なり。これは君子の用うる所の東西は、小人の用うる所と根本より相同じからざるを言う。ゆえに「小人用壮、君子罔也」と講ず。俞琰に言う、孔子は恐るらく後世の人が爻辞の裏に両個の「用」の字あるを看て、誤って小人の「用」と君子の「用」とが一回事と認めんことを惟れて、ゆえにことさらその中の一個を删去せり。

藩決不羸,尚往也。程傳 剛陽之長,必至於極,四雖已盛,然其往未止也,以至盛之陽,用壯而進,故莫有當之,藩決開而不羸困其力也。“尚往”,其進不已也。集說 項氏安世曰:九四以剛居柔,有能正之吉,無過剛之悔。“貞吉”“悔亡”四字,既盡之矣,又曰“藩決不羸,壯于大輿之輹”者,恐人以居柔為不進也,故以“尚往”明之。

《象伝》にいう:「藩決不羸」は、彼がなお継続して前往するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:陽剛の生長は必ず極点に到るを要す、九四は雖もすでに盛壮なれど、但しそれの前進の勢頭は并びに停住せず。最盛の陽氣を以て壮を用いて進めば、ゆえにそれを挡住する所なし、籬笆は衝開せられて、その力量も亦た曽て困住せられず。「尚往」とは、則ち前進・不止なり。集説に引く項安世の説:九四は陽剛の質を以て柔位に居りて、能く正を守るの吉あり、剛に過ぐるの悔なし、「貞吉」「悔亡」の四个字はすでに話を説き盡したり。更に「藩決不羸、壮于大輿之輹」を講ずる所以は、人の誤って柔に居れば則ち前進するを肯ぜずと認めんことを怕るるに因る。ゆえに「尚往」を以て点明す。

喪羊于易,位不當也。程傳 所以必用柔和者,以陰柔居尊位故也。若以陽剛中正得尊位,則下無壯矣。以六五位不當也,故設“喪羊于易”之義。然大率治壯不可用剛,夫君臣上下之勢,不相侔也,苟君之權足以制乎下,則雖有強壯跋扈之人,不足謂之壯也,必人君之勢有所不足,然後謂之治壯。故治壯之道,不可以剛也。

《象伝》にいう:「喪羊于易」は、「位不當」に由る。程頤《伊川易伝》にいう:必ず柔和の手段を以てしなければならざる所以は、六五が陰柔の質を以て尊位に居るに因る。假如陽剛・中正の徳を以て尊位を占拠するならば、底下に壮を逞する人あらざらん。まさに六五の「位不當」なるに因りて、こそ「喪羊于易」のこの一層の義理を立てたるなり。不過大体に言えば、壮盛の勢を治理するに一味に剛を用うべからず。君と臣、上と下の勢力はもとより相當せず。もし君主の権柄は以て臣下を制服するに足らば、則ち縱使強壮・跋扈の人あると雖も、亦た「壮」と算上せざるなり。必ず人君の権勢の不足する所有りて、これこそ「治壮」を談ずるに至る。ゆえに治壮の道は、以て剛を用うべからず。

集說 王氏安石曰:剛柔者所以立本,變通者所以趨時。方其趨時,則位正當而有咎凶,位不當而無悔者有矣。大壯之時,得中而處之以柔,能喪其很者也。案 “位當”、“位不當”,《易》例多借爻位,以發明其德與時地之相當不相當也。此“位不當”,不止謂以陰居陽,不任剛壯而已,蓋謂四陽已過矣,則五所處非當壯之位也!於是而以柔中居之,故為“喪羊于易”。

集説に引く王安石の説:剛と柔とは以て根本を確立するに用いられ、変と通とは以て時勢に順応するに用いらる。それが時勢に順応するの際に当たりては、則ち「當位」にして反って咎あり凶ある、「位不當」にして反って悔なしの情形を出現す。《大壮》の時、中に居りて柔道を以て自処するは、まさに能く己のあの很戾の氣を消去する人なり。李光地按す:「位當」「位不當」は、《周易》の通例は多半「爻位」を借りて某爻の徳と処する所の時地の相當・不相當を発明す。ここの「位不當」は、ただ陰爻を以て陽位に居り剛壮を擔當し起こすべからずを言うのみならず、更に四個の陽爻のすでに過盛ならば、則ち六五の処する所は則ち壮に當たるの位に非ざるを言う。このごときの処境の下に於て柔中の道を以て居守す、ゆえにこそ「喪羊于易」なり。

不能退不能遂,不詳也。艱則吉,咎不長也。程傳 非其處而處,故講退不能。是其自處之不詳慎也。“艱則吉”,柔遇艱難,又居壯終,自當變矣,變則得其分,過咎不長,乃吉也。集說 胡氏炳文曰:《臨》六三,《壯》上六,皆“無攸利”,皆曰“咎不長”。蓋六三之憂,上六之艱,不貴無過而貴改過也。俞氏琰曰:人之處事,以為易則不詳審,以為艱則詳審。向也既以不詳審而致咎,令詳審而不輕率,則其“咎不長也”。

《象伝》にいう:「不能退、不能遂」は、事を処すること周詳ならざるに因る。「艱則吉」は、過咎の長久ならざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:己がまさに待つべきの地方に非ざるに却ってあそこに待てば、ゆえに進退両難す、これまさに彼が自処すること周詳・審愼を得ざるなり。「艱則吉」は、柔弱の人は艱難に遇上して、また《大壮》の終末に処りて、自ずからまさに変する所有るべし。一たび変すれば則ち各々その本分を得て、過咎は拖長するに至らず、於是吉を得。集説に引く胡炳文の説:《臨》卦の六三と《大壮》の上六とは、皆な「无攸利」を講じ、皆な「咎不長」を講ず。これにより六三の憂、上六の艱の、貴ぶべき所は過錯なきに在らずして、能く過を改むるに在るを見るべし。俞琰に言う、人は事情を処理するに、看得ること容易なれば則ち周密・審察せず、看得ること艱難なれば反って周密・審察す。先前すでに不審愼に因りて咎過を招來したるに、如今審愼にして軽率ならざれば、則ち彼の過咎は自ずから「不長也」なり。

晋卦・大象与爻象

明出地上,晉。君子以自昭明德。本義 “昭”,明之也:程傳 “昭”,明之也:傳曰昭德塞違,昭其度也君子觀“明出地上”而益明盛之象。而以自昭其明德,之蔽致知,昭明德於己也。明明德於天下,昭明德於外也,明明 集說 胡氏炳文曰:至健莫如天,君子以之“自強”,至明莫如日,君子以之“自昭”。

《大象伝》にいう:光明は地面の上に升出す、これ則ち《晋》なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに自ら己の明徳を彰明すべし。朱熹《本義》にいう:「昭」は則ちそれをして明ならしむ。程頤《伊川易伝》にいう:「昭」は則ちそれをして明ならしむ。《左伝》の講ずる「昭徳塞違、昭其度也」なり。君子は「明出地上」のあの愈々として光明・盛大の物象を観て、因りて自ら己の明徳を彰明す。ここに底本の文字錯乱してまた脱漏あり、程頤の原意は:昏蔽を去掉してその知を推致するは、これは明徳を自身に昭明するなり。明徳を天下に昭明するは、これは明徳を外に昭明するなり。集説に引く胡炳文の説:最も剛健なるは天に過ぐるなし、君子はそれに倣って「自強」す。最も光明なるは日に過ぐるなし、君子はそれに倣って「自昭」す。

俞氏琰曰:“明德”,君子固有之德也;自昭者,自有此德而自明之也。人德本明,人慾蔽之,不能不少昏昧,其本然之明,固未嘗息。知所以自明,則本然之明,如日之出地,而其昭著初無增損也。《大學》所謂“明明德”,所謂“自明”,與此同旨。

集説に引く俞琰の説:いわゆる「明徳」は、君子のもとより具有するの徳性なり。いわゆる「自昭」は、己すでにこの分の徳性あるに、また自ら往きてそれを彰明し出だすなり。人の徳性はもとより光明、私欲に遮蔽せられて、稍や昏暗ならざること能わず。但しあの本然の光明は、其実従来止息せざるなり。如何に自我彰明するを懂得せば、あの本然の光明は則ち太陽の地面より升出するがごとく、その昭著・明亮はもとより增添なく減損もなし。《大学》の言う所の「明明徳」、言う所の「自明」と、こことは同一個の宗旨なり。

晉如摧如,獨行正也。裕無咎,未受命也。本義 初居下位,未有官守之命。程傳 無進無抑,唯獨行正道也。寬裕則無咎者,始欲進而未當位故也。君子之於進退,或遲或速,唯義所當,未嘗不裕也。聖人恐後之人,不達寬裕之義,居位者廢職失守以為裕,故特云初六裕則無咎者,始進未受命當職任故也。若有官守,不信於上而失其職,一日不可居也,然事非一概,久速唯時,亦容有為之兆者。

《象伝》にいう:「晋如摧如」は、彼が独り正道を堅守するを言う。「裕无咎」は、彼がいまだ任命を接受せざるに因る。朱熹《本義》にいう:初六は身に下位を居して、いまだ官職の任命を担任せず。程頤《伊川易伝》にいう:上進するを論ぜず受阻するを論ぜず、彼はただ独り正道を履行するのみ。寛舒・従容すれば便ち過錯なし、初六が剛に上進せんと要して尚未その位に居らざるに因る。君子は進と退とに於て、或いは慢く或いは快く、全て道義の上に於てどうあるべきを看る、従來従容・不迫なり。聖人は後來の人が「寛裕」の本義を明白せざるを怕れて、すでに位に在る人をして職守を廃弛するをも亦た寛裕と當て成さしめん。ゆえにことさら説明す、初六の寛裕して過錯なき所以は、彼が剛に進用せんと要していまだ命を受けて職任を擔當せざるに因る。もしすでに官守あるならば、上面の信任を得ずしてその職分を失うは、則ち一日として更に待ち下去るべからざるなり。不過事情は一概に論ずること能わず、久留するも速去するも、ただ時機を看る、亦た彼の為に端倪を留下するの情形を容許す。

集說 劉氏曰:君子之於正,不可以人之不見知而改其度。張氏振淵曰:“獨行正”,是原所以見摧之故。大凡君子處世,枉己易合,直道難容,唯正所以見摧,然安可因摧而自失其正,正與爻互相發明。案 “未受命”,與《臨》九二同。《臨》、《晉》皆君子道長向用之卦也,然君子無急於乘勢趨時之意,當其臨也,至誠感物,如忘其勢,當其進也,守道優遊,若將終身然,故一則曰“未順命”,一則曰“未受命”。

集説に引く劉氏の説:君子は正道に於て、能く別人の己を了解せざるに因りて己の法度を改変すべからず。張振淵に言う、「独行正」は、彼の挫折を受ける所以の縁故を追溯するなり。大凡君子は世に処りて、己を委屈すれば容易く人に接納せられ、直道を堅持すれば反って容れられること難し、まさに正を守るに因りて摧折を招致す。然而怎んぞ挫折を受けるに因りて自ら正道を丢掉せんや。この句の《象伝》は爻辞とまさに互相に発明す。李光地按す:「未受命」の説法は、《臨》卦九二の《象伝》と相同じ。《臨》と《晋》とは皆な君子の道の生長してまさに任用せられんとするの卦なり。然而君子は并びに勢に乗じ時に趨くの心思を急がず。《臨》の時に當たりては、至誠を以て万物を感動して、髣髴として己の勢位を忘れたるがごとし。《晋》の時に當たりては、道を守りて従容にして、髣髴としてこのごとくにして一輩子を過さんと欲するがごとし。ゆえに一処に「未順命」と言い、一処に「未受命」と言う。

受茲介福,以中正也。程傳 “受茲介福,以中正”之道也,人能守中正之道,久而必亨,況大明在上而同德,必受大福也。集說 楊氏時曰:六二以柔順處乎眾陰,而獨無應,是不見知也,故“晉如愁如”,然居中守正,素位而行,鬼神其福之矣。《詩》曰:“靖共爾位,好是正直,神之聽之,介爾景福。”此之謂也。何氏楷曰:《爾雅》云:“父之妣為王母。”《小過》六二遇妣,即此言“王母”,二五德同位應,二受“介福”,以其履中得正也。

《象伝》にいう:「受兹介福」は、六二の「中正」に由る。程頤《伊川易伝》にいう:「受兹介福」は、「中正」の道に靠る。人は能く中正の道を守住せば、時間一たび久しければ必ず亨通す、何況や上面にまた大明の君ありて彼と徳を同じくするや、則ち一定に大福を承受せん。集説に引く楊時の説:六二は柔順の質を以て衆陰の間に処りて、偏に「応与」なし、これ則ち人に了解せられざるなり。ゆえに爻辞は「晋如愁如」と講ず。然而彼は中に居りて正を守り、本分に安んじて行えば、鬼神は皆な彼に福を降さん。《詩経・小雅・小明》に言う、「靖共爾位、好是正直、神之聴之、介爾景福」――安くその職位を守りて、正直の道を喜好せば、神明は聴聞して便ちあなたに大福を賜う。言う所はまさにこれなり。何楷に言う、《爾雅》の講ずる「父之妣為王母」なり。《小過》六二の講ずる「遇其妣」は、則ちここに言う所の「王母」なり。六二と六五とは徳同じくして「応与」に相配し、六二の「介福」を承受する所以は、彼が中を履みて正を得るに因る。

眾允之,志上行也。程傳 “上行”,上順麗於大明也。上從大明之君,眾志之所同也。集說 李氏過曰:初之“罔孚”,眾未允也;二之“愁如”,猶有悔也;三德孚於眾,進得所願而“悔亡”也。鼬鼠貞厲,位不當也。程傳 賢者以正德宜在高位,不正而處高位,則為非據,貪而懼失則畏人,固處其地,危可知也。

《象伝》にいう:「衆允之」は、衆人の心志の皆な上に朝りて歸附するを言う。程頤《伊川易伝》にいう:「上行」は、上に向かいて大明の君に順従・依附するなり。上に在る大明の君に追随するは、まさに衆人の心志の共同に向慕する所なり。集説に引く李過の説:初六の「罔孚」は、衆人がいまだ彼を認可せざるなり。六二の「愁如」は、なお悔を帯びたるなり。六三の徳はすでに衆に取信して、前進してその願う所を得償す、ゆえに「悔亡」。《象伝》にまたいう:「鼫鼠貞厲」(底本「鼫」は「鼬」と訛作す)は、「位不當」に由る。程頤《伊川易伝》にいう:賢者は端正の徳を憑りてもとより高位に居るべし。徳は端正ならずして身に高位に処れば、則ちあれは占むべからざる位置を占めたるなり。貪求してまた失うを怕れて、於是他人を畏懼して、硬にあの位子の上に賴居す、危険は想知すべし。

失得勿恤,往有慶也。程傳 以大明之德,得下之附,推誠委任,則可以成天下之大功,是往而有福慶也。維用伐邑,道未光也。程傳 “維用伐邑”,既得“吉”而“無咎”,復云“貞吝”者,其道未光大也。以正理言之,尤可吝也,夫道既光大,則無不中正,安有過也。今以過剛自治,雖有功矣,然其道未光大,故亦可吝,聖人言盡善之道。

《象伝》にいう:「失得勿恤」、前往すれば則ち喜慶あり。程頤《伊川易伝》にいう:六五は大明の徳を以て、下に在る衆爻の歸附を得て、心を推して腹を置きて賢能を委任すれば、則ち以て天下の大功を成就すべし、これ便ち前往して福慶あるなり。《象伝》にまたいう:「維用伐邑」は、その道のいまだ光大ならざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「維用伐邑」はすでに「吉」を得てまた「无咎」に、却ってなお一句の「貞吝」を言うは、まさに彼の道の未だ光大すること能わざるに因る。正理に按りて衡量すれば、これは尤も可惜なり。道はすでに光大なれば、則ち中正ならざるなし、何処にかなお過失あらんや。如今上九は過分に剛猛するを靠りて以て自治す、雖も亦た功效を收めたると雖も、然而その道は并びに光大ならず。ゆえに仍旧可惜なり。聖人はここに講ずる所は盡善・盡美の標準なり。

案 “道未光”,乃推原所以伐邑之故。蓋進之極,則於道必未光也,如勢位重,則有居成功之嫌,爵祿羈,則失獨行願之志,故必克治其私,然後高而不危,免於亢悔也。《夬》五之“中未光”同。

李光地按す:「道未光」は、上九の「伐邑」せんと要する所以の縁由を追溯するなり。大凡上進は極点に到れば、道の上に於て必ずなお光大するに足らざるの処あり。譬えば勢位の重きに太れば、則ち成功に貪居するの嫌いを免れ難し。爵禄に牽絆せられれば、則ち當初のその志を独行するの心願を丢掉せん。ゆえに必ず己の私念を克治して、然る後にこそ位は高くして危なからず、亢極の悔を免るること能し。《夬》卦九五の《象伝》の言う「中未光」は、こことは同一個の機杼なり。

明夷卦・大象与爻象

明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。程傳 明所以照,君子無所不照,然用明之過,則傷於察,太察則盡事而無含弘之度,故君子觀“明入地中”之象,於“蒞眾”也,不極其明察而“用晦”,然後能容物和眾,眾親而安。是用晦乃所以為明也。若自任其明,無所不察,則己不勝其忿疾,而無寬厚含容之德,人情睽疑而不安,失蒞眾之道,適所以為不明也,古之聖人設前旒屏樹者,不欲明之盡乎隱也。

《大象伝》にいう:光明は地中に沈入す、これ則ち《明夷》なり。君子はこれに由りて領悟す、衆人に臨御するにまさに鋒芒を収斂して、反って能く真正に明察す。程頤《伊川易伝》にいう:明は以て物を照るに用いられ、君子はもとより以て照らざる所なかるべし。然而明を用うること頭を過ぐれば、則ち苛察に傷し、苛察に太れば則ち事情を看得ること一糸も漏らさず、含容・寛大の氣度なし。ゆえに君子は「明入地中」の物象を観て、「蒞衆」のこの件の事の上に於て明察を用い盡くさずして、而して「用晦」す、これに如かずしてこそ衆人を容納し衆心を調和すること能し、衆人は親附して安定す。これにより「用晦」はまさにその明を成就するの办法なるを見るべし。もし一味に己の明を逞恃して、何をも察り透らんと要せば、則ち己の忿恨・憎悪をも按捺し住むこと能わず、寛厚・含容の徳なくして、人心は疑懼・不安にして、反って衆に臨むの道を失掉し、恰も不明と変成す。古代の聖人は冕の前に旒を垂れ門外に屏樹を設くるは、まさに明を用いて隱微の処に至るまで放さざるを願わざるなり。

集說 孔氏穎達曰:冕旒垂目,黃主纊塞耳,無為清淨,民化不欺,若運其聰明,顯其智慧,民即逃其密綱,奸詐愈生。豈非藏明用晦,反得其明也。張子曰;不任察而不失其治也。

集説に引く孔穎達の説:冕上の玉旒は眼前に垂れて、黄色の糸纊は耳朵を塞ぐ、君主は清靜・無為にして、百姓はその感化を受けて欺瞞せず。もし一味に聡明を運用し智慧を炫耀せば、百姓は則ち方を想して法を設けて彼の細密の法網を躲開せん、奸詐の事は反って愈々生じて愈々多し。これ豈にまさに明を蔵めて晦を以て用と為し、反って真正にその明を得るに非ずや。張載に言う、専ら明察に靠らず、而して并びにこれに因りて治理を失わず。

林氏希元曰:“用晦而明”,不是以晦為明,亦不是晦其明。蓋雖明而用晦,雖用晦而明也。“用晦而明”,只是不盡用其明,蓋盡用其明,則傷於太察,而無含弘之道,唯明而用晦,則既不汶汶而暗,亦不察察而明,雖無所不照,而有不盡照者,此古先帝王所以蒞眾之術也。何氏楷曰:晦其明,謂藏明於晦;晦而明,謂生明於晦。意實相發。

集説に引く林希元の説:「用晦而明」は、すでに晦を以て明と當てるに非ず、亦た己の明を遮掉せんと要するに非ず。それは雖も明ありて晦を以て用と為し、雖も晦を用うと雖もその明は仍お在るを言うなり。「用晦而明」は、不過己の明を用い盡くさざるのみ。明を用い盡くせば則ち苛察に傷して、含容・寛大の道を失掉す。ただすでに明にしてまた晦を用うるのみこそ、すでに糊裏・糊塗に暗なるに至らず、亦た錙銖・必較に明なるに至らず。雖も照らざる所なしと雖も、却って意に照らざる地方を留下す、これまさに古代の帝王の衆人に臨御するの方術なり。何楷に言う、「晦其明」は、明を晦の当中に蔵むるなり。「晦而明」は、晦の当中より明を生出するなり。この両層の意思は其実互相に発明す。

君子于行,義不食也。本義 唯義所在不食可也。程傳 君子遯藏而困窮,義當然也。唯義之當然,故安處而無悶,雖不食可也。集說 王氏申子曰:義所不食,則于飛攸往,義所當行亦明矣,去之可不速乎,此伯夷太公之事。

《象伝》にいう:「君子于行」は、道義の上に於てもとより禄を受けて食すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:ただ道義の在る所にあらば、食せざるも亦た曽て不可ならず。程頤《伊川易伝》にいう:君子は隱遯して身を蔵めて困窮に陷るは、これは道義の上に於てもとよりまさに當然なり。まさに道義の上に於てまさに然るべしに因りて、ゆえに彼はその中に安処して煩悶を覚えず、縱使三日食せざると雖も妨げなし。集説に引く王申子の説:道義の上に於てすでに食を受くべからざれば、則ち爻辞の講ずる「明夷于飛」、講ずる「有攸往」は、亦た則ち道義の上に於てまさに行動すべきにして、この一層も亦た則ち清楚なり。すでに然れば、离去すること怎んぞ快からざるを得んや。これまさに伯夷・姜太公が商紂を避けて遠走したるのあの一類の事なり。

六二之吉,順以則也。程傳 六二之得吉者,以其順處而有法則也。“則”,謂中正之道。能順而得中正,所以處明傷之時,而能保其吉也。王氏申子曰:以柔順處之而不失其中正之則,昔者文王用明夷之道,其如是乎。

《象伝》にいう:「六二之吉」は、彼がすでに柔順にしてまた法則を守るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六二の吉を得る所以は、彼が柔順・自処にしてまた循るべきの法則あるに由る。「則」とは、中正の道を指す。すでに能く順にして、また能く中正を得、ゆえに身に光明の損傷せらるるの時に処りて、仍お能く彼の吉を保住す。集説に引く王申子の説:柔順の道を以て自処してその中正の法則を失わず――當年の周文王が《明夷》の道を施行せしは、大概まさにこの様子ならん。

南獰之志,乃大得也。程傳 夫以下之明,除上之暗,其志在去害而已,如商周之湯武,豈有意於利天下乎。“得其大首”,是能去害而大得其志矣。志苟不然,乃悖亂之事也。入于左腹,獲心意也。程傳 “入于左腹”,謂以邪僻之道,入於君而得其心意也,得其心,所以終不悟也。

《象伝》にいう:「南狩之志」(底本「狩」は「狞」と訛作す)は、ここに到りて大いに実現せられたり。程頤《伊川易伝》にいう:下の者の光明を以て上の者の昏暗を除すは、その志向はただ害を除くに在るのみ。商湯・周武のあのごときの人は、豈に心を存して天下を拿りて以て己に利を謀らんとしたや。「得其大首」とは、則ち能く害を除きて大いに己の志を遂げるなり。志向はもしこのごとくならざらば、則ち悖逆・作乱の事と成る。《象伝》にまたいう:「入于左腹」は、君主の心意を摸透したるなり。程頤《伊川易伝》にいう:「入于左腹」は、六四が邪僻の路数を以て君主の身辺に鑽入して彼の心意を摸透したるを言う。彼の心を摸住せば、ゆえにあの位の君主は終始醒悟すること能わず。

箕子之貞,明不可息也。程傳 箕子晦藏,不失其貞固,雖遭患難,其明自存,不可滅息也。若逼禍患,遂失其所守,則是亡其明,乃滅息也。古之人,如揚雄者是也。集說 蘇氏軾曰:六五之於上六,正之則勢不敵,救之則力不能,去之則義不可,此最難處者也,如箕子而後可,箕子之處於此,身可辱也,而“明不可息也”。

《象伝》にいう:「箕子之貞」は、彼の光明の熄滅すべからざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:箕子は韜晦して身を蔵むれど、却って曽て彼の貞固を失掉せず。雖も患難に遭遇すと雖も、彼の内心の光明は自ずから在りて、誰もそれを滅掉すること能わず。もし禍患に逼迫せられて、於是己の守る所を丢掉せば、則ちあれは己の明をも丢きたるにして、あれこそ熄滅と謂うべし。古人の当中に、揚雄のごときは則ちこのごときの例子なり。集説に引く蘇軾の説:六五は上六のこの昏暗の主に面對して、彼を糾正せんと要せば則ち勢力は敵せず、彼を挽救せんと要せば則ち力量は足らず、彼を離去せんと要せば則ち道義の上に於て許可せず、これは最も自処し難きの境地なり。非ずば箕子のごときに如くしてこそ行ふべし。箕子はこの種の境地に処りて、身子は受辱すべく、可是彼の「明不可息也」なり。

初登于天,照四國也。後入于地,失則也。本義 “照四國”,以位言。程傳 “初登于天”,居高而明,則當照及四方也,乃被傷而昏暗,是“後人於地”,火明之道也。“失則”,失其道也。集說 胡氏炳文曰:“則”者,不可逾之理,失則所以為紂,順則所以為文王。

《象伝》にいう:「初登于天」は、もとより四方の國に照臨すべし。「後入于地」は、法則を失掉したるなり。朱熹《本義》にいう:「照四國」は、彼の居する所の位置に就きて講ず。程頤《伊川易伝》にいう:「初登于天」は、身に高位を居して光明あるを言う、もとより四方に照到るべし。却って别人を傷害するに因りて自ら昏暗に陷る、これ則ち「後入于地」にして、亦た則ち光明の自滅するの道なり。「失則」とは、則ち彼の正道を丢掉したるなり。集説に引く胡炳文の説:「則」とは、逾越すべからざるの道理なり。法則を失掉せば、ゆえに商紂と成れり。法則に順従せば、ゆえに周文王と成れり。

家人卦・大象与爻象

風自火出,家人。君子以言有物而行有恆。本義 身修則家治矣。程傳 正家之本,在正其身。正身之道,一言一動,不可易也,君子觀風自火出之象,知事之由內而出,故所言必有物,所行必有恆也。“物”,謂事實。“恆”,謂常度法則也。德業之著於外,由言行之謹於內也,言慎行修,則身正而家治矣。

《大象伝》にいう:風は火の中より生出す、これ則ち《家人》なり。君子はこれに由りて領悟す、言語には必ず実事あり、行事には必ず常度あるべし。朱熹《本義》にいう:自身は修め好ければ、家は自ずから治まる。程頤《伊川易伝》にいう:家を正すの根本は自身を端正するに在り、自身を正すの門道は則ち一言・一動も皆な軽忽すべからざるに在り。君子は「風自火出」の物象を観て、事情は皆な内より外に向かいて発し出づるを明白す。ゆえに説き出だす所の話に必ず実事あり、做し出だす所の事に必ず常度あり。「物」は事実を指し、「恒」は恒常の法度・準則を指す。徳業の能く外に顕揚する所以は、言行は先に内裏に於て謹厳せるに因る。言語は謹慎にして行為は修整なれば、則ち自身は端正にして家道も亦た就ち治まる。

集說 孔氏穎達曰:“物”,事也。言必有事,即口無擇言。行必有常,即身無擇行,正家之義,修於近小,言之與行,君子樞機,出身加人,發邇化遠,故舉言行以為之誡。楊氏時曰:言忠信則有物,行篤敬則有常。胡氏炳文曰:風自火出,一家之化,自吾言行出,皆由內及外,自然薰蒸而咸者也。

集説に引く孔穎達の説:「物」は則ち事なり。説話に必ず事実を以て憑と為すは、亦た則ち《孝経》の講ずる所の「口无擇言」なり。行事に必ず常度あるは、亦た則ち「身无擇行」なり。家を正すの義理は、切近・細小の地方より修め起こすを要す。言と行とは君子の発動の枢機にして、自身より発し出でて他人に加え、近処より発動して遠方に化及す。ゆえに言行の両項を挙出して以て告誡と作す。楊時に言う、説話は忠信なれば則ち実事あり、行事は篤敬なれば則ち常度あり。胡炳文に言う、風は火の中より出で來る。一家の風化は、我自己の言行より出で來る。両者は皆な内より外に及びて、自ずから熏蒸・浸染して及ばざる所なし。

俞氏琰曰:齊家之道,自修身始,此風自火出,所以為《家人》之象也。君子知風之自,於是齊家以修身為本,而修身以言行為先,言必有物而無妄,行必有恆而不改。“物”,謂事實,言而誠實則有物,不誠實,則無物也。“恆”,謂常度,行而常久則有恆,不常久,則無恆也。

集説に引く俞琰の説:家を斉えるの道は身を修めるより入手すべし、これ則ち「風自火出」の《家人》の物象と成る所以の縁故なり。君子は風の何の処より來るを懂得して、於是家を斉えるに身を修めるを以て根本と爲し、而して身を修めるにまた言行を以て先務と爲す。説話に必ず実事ありて虚妄せず、行事に必ず常度ありて軽改せず。以下の几句は《程伝》釈文の余句なり:「物」は事実を指し、説話は誠実なれば則ち実事あり、誠実ならざれば則ち実事なし。「恒」は常度を指し、行事は能く長久なれば則ち恒あり、能く長久ならざれば則ち恒なし。

本義 志未變而豫防之。程傳 閒之於始,家人志意未變動之前也。正志未流散,變動而閒之,則不傷恩,不失義,處家之善也,是以“悔亡”。志變而後治,則所傷多矣,乃有悔也。集說 蘇氏軾曰:忘閒焉則志變矣,及其未變而閒之,故“悔亡,”楊氏簡曰:治家之道,當防閒其初,及其心志未變而閒之以禮,邪僻之意,無由而興矣。

以下は初九の《象伝》「閑有家、志未変也」を解す、この句の伝文は底本未だ収めず。朱熹《本義》にいう:心志のいまだ改変せざるに趁りて、就ち予め之に防范を加う。程頤《伊川易伝》にいう:起頭の処に於て則ち防閑を設下すは、家人の心意のいまだ変動せざるの前に於て手を動かすなり。心志のなお端正にしていまだ涣散・変動せざるに趁りて之に防閑を加えれば、則ち恩情を傷するに至らず、亦た義理を失うに至らず、これは家を治むるの好き办法なり。ゆえに「悔亡」。心志のすでに変われるを待ちてこそ往きて整治せば、損傷は就ち多し、於是悔あり。集説に引く蘇軾の説:防を設くるを忘れれば、心志は就ち変わる。それの未だ変わらざるに趁りて就ち防を設く、ゆえに「悔亡」。楊簡に言う、家を治むるの道は、まさに最初に於て防閑を設下すべし。人の心志のいまだ改変せざるに趁りて、礼を以て彼を防閑せば、あれらの邪僻の念頭は則ち生起するの由なからん。

六二之吉,順以巽也。程傳 二以陰柔居中正,能順從而卑巽者也,故為婦人之貞吉也。案 六二六四之力順同,順者女之貞也,四位高,故曰順在位,二位卑,故曰“順以巽”。

《象伝》にいう:「六二之吉」は、彼がすでに柔順にしてまた謙巽なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六二は陰柔の質を以て中正の位に居りて、是れ能く順従してまた卑下・謙巽なる人なり。ゆえに婦人の貞正の吉を成就す。李光地按す:六二と六四とは同じく柔順を以て徳と為し、順正は婦人の貞なり。六四の居する所の位は高し、ゆえに《象伝》は彼を「順在位」と言う。六二の居する所の位は卑し、ゆえに彼を「順以巽」と言う。

家人嗃嗃,未失也。婦子嘻嘻,失家節也。程傳 雖“嗃嗃”於治家之道,未為甚失,若“婦子嘻嘻”,是無禮法,失家之節,家必亂矣。集說 王氏弼曰:以陽處陽,剛嚴者也。處下體之極,為一家之長者也。行與其慢,寧過乎恭,家與其瀆,寧過乎嚴,是以家人雖“嗃嗃悔厲”,猶得其道,“婦子嘻嘻”,乃失其節也。

《象伝》にいう:「家人嗃嗃」は、なお失当と算上せず。「婦子嘻嘻」は、則ちあれは家を治むるの節度を失掉したるなり。程頤《伊川易伝》にいう:雖も「嗃嗃」として厳厲しきに過ぐると雖も、家を治むるの道の上に於てはなお大過失と算上せず。もし「婦子嘻嘻」ならば、則ちあれは毫も礼法の言うべきなし、家中の節度を失掉して、家は必ず乱れん。集説に引く王弼の説:九三は陽爻を以て陽位に居り、是れ剛強・厳厲の人なり。また下卦の頂端に処りて、是れ一家の長なり。行事は怠慢に失するに如かず寧ろ恭謹に過ぐるべく、家中は褻狎に失するに如かず寧ろ厳厲に過ぐるべし。ゆえに家人は雖も「嗃嗃」にして「悔厲」あると雖も、なお正道に合乎と算す。「婦子嘻嘻」は、則ちあれは節度を失うなり。

富家大吉,順在位也。程傳 以巽順而居正,位正而巽順,能保有其富者也,“富家”之“大吉”也。集說 俞氏琰曰:《禮運》云,父子篤,兄弟睦,夫婦和,家之肥也。豈以多財為吉哉,以順居之,則滿而不溢,可以保其家而長守其富,吉孰大焉。

《象伝》にいう:「富家大吉」は、彼が順徳を以て正位に居るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六四は謙巽・柔順の徳を以て「當位」して正を得、位はすでに正にして人はまた柔順、まさに能く自家の富厚を保住する人なり。ゆえに「富家」にして「大吉」。集説に引く俞琰の説:《礼記・礼運》に講ず、父子は篤厚、兄弟は和睦、夫妻は和諧、これをこそ「家之肥」と謂う。何処にか銭財の多きを以て吉と當てんや。柔順の徳を以てその位に居守せば、則ち能く盈満して外に溢れず、以てこの家を保住して長久にこの分の富を守住すべし、また何の吉かこれより大ならん。

王假有家,交相愛也。本義 程子曰:夫愛其內助,婦愛其刑家。程傳 “王假有家”之道者,非止能使之順從而已,必致其心化誠合,夫愛其內助,婦愛其刑家,“交相愛”也。能如是者,文王之妃乎,若身修法立而家末化,未得為“假有家”之道也。集說 郭氏雍曰:父父子子,兄兄弟弟、夫夫婦婦、同大順而無逆焉者,“交相愛”之義也。龔氏煥曰:“交相愛”則一家之父子兄弟,夫婦長幼,莫不相愛,非特夫婦而已也。

《象伝》にいう:「王假有家」は、一家人の互相・親愛するなり。朱熹《本義》に引く程子の説:丈夫を為すは妻子の内助の功を愛重し、妻子を為すは丈夫の家を治むるの法を愛重す。程頤《伊川易伝》にいう:能く「王假有家」の道を行う人は、ただ能く家人をして順従せしむるのみならず、必ず人心に感化を受け誠意の相契合するを致さんと要す。丈夫は妻子の内助を愛重し、妻子は丈夫の家を治むを愛重す、これをこそ「交相爱」と謂う。能くこの一歩を致すは、大概ただ周文王の后妃ならん。もしただ自身は修め好く法度は立ち起こるに、而して全家は并びに真正に感化を受けざらば、あれはなお「假有家」の道と算上せず。集説に引く郭雍の説:父は父の道を盡くし、子は子の道を盡くし、兄は兄の道を盡くし、弟は弟の道を盡くし、夫は夫の道を盡くし、妻は妻の道を盡くし、同じく大順に帰して一処として相違逆するなし、これ則ち「交相爱」の意なり。龔煥に言う、「交相爱」とは、一家の父子・兄弟、夫婦・長幼は相親愛せざるなきなり、并びにただ夫妻の両人を指すのみならず。

威如之吉,反身之謂也。本義 謂非作威也,反身自治,則人畏服之矣。程傳 治家之道,以正身為本,故云“反身之謂”。爻辭謂治家當有威嚴,而夫子 集說 朱氏震曰:威非外求,反諸身而已,反身則正,正則誠,誠則不怒而威,後世不知所謂威嚴者正其身也,或不正而尚威怒,則父子相夷,愈不服矣,安得吉。

《象伝》にいう:「威如之吉」は、講ずる所は反って己に求むるなり。朱熹《本義》にいう:これは并びに威勢を装い出だすを要するに非ず、而して反って己を管好せば、别人は自ずから敬畏・順服するなり。程頤《伊川易伝》にいう:家を治むるの道は自身を端正するを以て根本と為す、ゆえに《象伝》は「反身之謂」と言う。爻辞は家を治むるにまさに威厳あるべきを講ず、而して孔子は――ここに底本脱文あり、程頤の下文はまさに孔子の惟るらく人が誤って威厳を以て声色・倶厲と看做さんことを恐れて、ゆえにことさら「反身」を以て解釈せんと要するを言うべし。集説に引く朱震の説:威厳は外に向かいて求むるに非ず、自身に反求すれば則ち足る。身に反れば則ち自身正しく、正しければ則ち誠にして、誠なれば則ち必ずしも怒を発せずして自ずから威厳あり。後世の人はいわゆる威厳が則ち自身を端正するなるを懂得せず、或るは己并びに端正ならずして却って威嚇・発怒を崇尚して、結局は父子は互相に傷害して愈々服せず、何処にかなお吉を得んや。

郭氏雍曰:《象》明“言有物而行有恆”,而此又言“反身之謂”者,家人之道,所以成始成終者,修身而已。趙氏汝楳曰:爻於初言“閒”,三言“嗃嗃”,上言“威”。聖人慮後世以為威嚴有餘,而親睦不足,故特釋之以“反身”。謂“威如”者,非嚴厲以為威。反求諸己而已。

集説に引く郭雍の説:《大象》はすでに「言有物而行有恒」を点明せるに、ここにまた「反身之謂」と言う、これにより《家人》の道は頭より尾まで能く成就するは、不過則ち修身の両字なるを見るべし。趙汝楳に言う、爻辞は初九に於て「閑」を講じ、九三に於て「嗃嗃」を講じ、上九に於て「威」を講ず。聖人は後世の人がこの一卦を以て威厳は余りて親睦は足らずと為さんことを擔心し、ゆえにことさら「反身」を以てそれを解釈す。いわゆる「威如」とは、并びに厳厲を靠りて以て威を立つるに非ず、ただ反って己に要求するのみ。

睽卦・大象与爻象

上火下澤,睽,君子以同而異。本義 二卦合體,而性不同。程傳 “上火下澤”,二物之性違異,所以為睽離之象。君子觀睽異之象,於大同之中,而知所當異也。夫聖賢之處世,在人理之常,莫不大同,於世俗所同者,則有時而獨異。蓋於秉彝則同矣,於世俗之失則異也,不能大同者,亂常拂理之人也,不能獨異者,隨俗習非之人也,要在同而能異耳。《中庸》曰和而不流是也。

《大象伝》にいう:上面は火、下面は沢、これ則ち《睽》なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに大同の中に於て有所不同なるを懂得すべし。朱熹《本義》にいう:離・兌の両卦は一體に合成すれど、それらの性情は并びに相同じからず。程頤《伊川易伝》にいう:「上火下沢」は、両様の東西の性情は相違・相異す、ゆえに乖離の物象と成る。君子はこの睽異の象を観て、大同の当中に於てまさに何れの地方に於て人と同じからざるべきを懂得す。聖賢は世に処りて、人倫・常理の上に於ては衆人と大同ならざるなし。可是世俗の共同に認可する所のあの一套に對しては、時に偏に独異せんと要す。これは因るに秉受する所の常性の上に於ては彼は人と相同じく、世俗の偏失の上に於ては彼は人と相異なるが故なり。能く大同せざるは、綱常を擾乱し事理に違逆する人なり。能く独異せざるは、波に随り流に逐い非を習いて是と成すの人なり。関鍵は則ち能く同じく能く異なるに在り。《中庸》の講ずる「和而不流」は、言う所はまさにこれなり。

集說 荀氏爽曰:火性炎上,澤性潤下,故曰睽也。大歸雖同,小事當異,百官殊職,四民異業,文武並用,威德相反,共歸於治,故曰“君子以同而異”也。項氏安世曰:同象《兌》之“說”,異象《離》之“明”。

集説に引く荀爽の説:火の性情は上に向かいて燃焼し、沢の性情は下に向かいて浸潤す、ゆえに「睽」と謂作る。大方向は雖も一致すと雖も、具体の事情の上に於ては却ってまさに各々分别あるべし。百官は各々その職守あり、士農工商は各々その行業あり、文治と武功とは并用して、威厳と恩徳とは看似相反すれど、却って共同に一個の「治」の字に帰結す。ゆえに「君子以同而異」と言う。項安世に言う、「同」は下卦《兌》の「説」に取象し、「異」は上卦《離》の「明」に取象す。

見惡人,以辟咎也。程傳 睽離之時,人情乖違,求和合之,且病其不能得也,若以惡人而拒絕之,則將眾仇於君子,而禍咎至矣,故必見之,所以免避怨咎也,無怨咎,則有可合之道。

《象伝》にいう:「見悪人」は、以て咎害を避ける為なり。程頤《伊川易伝》にいう:乖離の時に當たりて、人心は互相に違背し、和合を求得せんと欲してなお求め得らざるを怕る。もし對方の悪人なるに因りて一口に回絶せば、則ち衆人は皆な君子と仇を結ばん、禍患・災咎は跟いて則ち來る。ゆえに必ず彼に一面を見んと要す、為むる所は怨咎を免かれ開かんが為なり。怨咎なければ、こそ一條の以て和合すべきの路を留下すること能し。

遇主于巷,未失道也。本義 本其正應,非有邪也。程傳 當睽之時,君心未合,賢臣在下,竭力盡誠,期使之信合而已。至誠以感動之,盡力以扶持之,明義理以致其知,杜蔽惑以誠其意,如是宛轉以求其合也。“遇”非枉道迎逢也,“巷”非邪僻由徑也,故夫子特云“遇主于巷,未失道也”,未非此也,非必謂失道也。集說 王氏申子曰:處上下睽離之時,不得不委曲以求合,故曰“未失道”,言於正道未為失也。

《象伝》にいう:「遇主于巷」は、并びに正道を偏离せざるなり。朱熹《本義》にいう:これはもとより則ち九二と六五とが正相「応与」するにして、并びに邪曲の何物もなし。程頤《伊川易伝》にいう:乖離の時に當たりて、君主の心はいまだ臣下と契合せず、賢臣は身に下位に在りて、全力を竭くし全副の誠意を拿出して、ただ君主に信任せしめ己と契合せんことを求む。至誠を以て彼を感動し、全力を以て彼を扶持し、義理を講明して彼をして明白ならしめ、蒙蔽・疑惑を堵住して彼の心意をして誠実ならしむ――則ちこのごとく婉転・曲折して以て契合を求得せんとす。いわゆる「遇」は、正道を歪曲して逢迎するに非ず。いわゆる「巷」は、邪僻の小路を走るに非ず。ゆえに孔子はことさら「遇主于巷、未失道也」と講ず、このごとく做すれば并びに不對の何物もなきを言うにして、并びに彼が道を失いたるを言うに非ず。集説に引く王申子の説:身に上下・乖離の時に処りて、幾分を委曲して以て契合を求むるを得ざれば、ゆえに「未失道」と言う、意思は正道の上に於てはなお失と算すべからざるなり。

見輿曳,位不當也。無初有終,遇剛也。程傳 以六居三,非正也。非正則不安,又在二陽之間,所以有如是艱厄,由“位不當也,無初有終”者,終必與上九相遇而合,乃“遇剛也”,不正而合,未有久而不離者也,合以正道,自無終睽之理,故賢者順理而安行,知者知幾而固守。

《象伝》にいう:「見輿曳」は、「位不當」に因る。「无初有終」は、終に陽剛に遇上するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六のこの陰爻を以て三のこの陽位に居るは、正位に非ず。位正ならざれば則ち安寧を得ず、また両個の陽爻の当中に夾まれて、ゆえにこそこのごときの艱難・困厄あるなり、これは皆な「位不當」に由る。いわゆる「无初有終」は、彼が最終に必ず上九と相遇して契合するを言う、これ則ち「遇剛也」なり。正道を以て結合せざるは、能く長久に分離せざるなし。正道を以て結合すれば、もとより終身・乖離の道理なし。ゆえに賢者は道理に順いて安然として行い、智者は幾微の兆を看出して堅守・不移す。

集說 胡氏瑗曰:“無初有終,遇剛也”者,言初為上之見疑,然終則知己之誠而 案 爻有兩喻,而《象傳》偏舉者,舉其重者也,此舉“見輿曳”,以乘剛也,《困》三舉“據于蒺藜”,亦以乘剛也,《易》例乘剛之危最甚。

集説に引く胡瑗の説:「无初有終、遇剛也」は、起初は上九に猜疑せられて、最後に到りて上九は終に六三の誠意を明白せるを言う――ここに底本脱文あり、胡瑗の下文はまさに両者は於是相合したるを言うべし。李光地按す:この一爻の爻辞は両個の比喻を用いたるに、《象伝》は却ってただその中の一個を挙ぐ、あれは分量の重きあの個を挙ぐなり。ここに「見輿曳」を挙ぐるは、それが「乗剛」するに因る。《困》卦六三に「据于蒺藜」を挙ぐるも、亦た「乗剛」に因る。《周易》の通例に按れば、陰爻の陽爻の上に凌駕するは、この種の危険は最も厳重なり。

交孚無咎,志行也。程傳 初四皆陽剛君子,當睽乖之時,上下以至誠相交,協志同力,則其志可以行,不止無咎而已。卦辭但言“無咎”,夫子又從而明之,雲可以行其志,救時之睽也,蓋以君子陽剛之才,而至誠相輔,何所不能濟也,唯有君子,則能行其志矣。

《象伝》にいう:「交孚无咎」は、彼らの志向の以て推行すべきを言う。程頤《伊川易伝》にいう:初九と九四とは皆な陽剛の君子にして、まさに乖離の時に當たりて、上下は至誠を以て相交わり、志同じくして力合わせば、則ち彼らの志向は則ち以て推行すべし、好処はただ「无咎」のみに止まらず。爻辞はただ「无咎」を講ず、孔子はまた接いで話を説き透して、彼らは以て己の志向を推行して往きてこの乖離の時局を挽救すべしと言う。君子の陽剛の才を憑りて、また至誠を以て互相に輔助せば、また何の事か済えざらんや。ただ君子のみ、こそ能く己の志向を推行す。

厥宗噬膚,往有慶也。程傳 爻辭但言“厥宗噬膚”,則可以往而無咎,《象》復推明其義,言人君雖己才不足,若能信任賢鋪,使以其道深入於己,則可以有為,是往而有福慶也。

《象伝》にいう:「厥宗噬膚」、前往すれば則ち喜慶あり。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞はただ「厥宗噬膚」を講ずるに、便ち以て前往して過錯なし。《象伝》はまたこの層の義理を推闡し出だして、君主を為すは縱使己の才具足らずと雖も、ただ能く賢能の輔臣を信任して、彼をして己の主張を君心の裏に深く送進せしめば、則ち以て作為あるべし、これ則ち前往して福慶あるなり。

集說 項氏安世曰:二以五為主,而委曲以入之,巷雖曲而通諸道,“遇主于巷”,將以行道,非為邪也。五以二為宗而親之,二五以中道相應,當睽之時,其間也,微而易合,如膚之柔,噬之則人,豈獨“無咎”,又將“有慶”,二五陰陽正應,故其辭如此。何氏楷曰:“厥宗”既“噬膚”矣,往則有相合之慶,蓋決之也。

集説に引く項安世の説:九二は六五を以て君主と為して、委曲・婉転してまさに君心の裏に打進せんと欲す。小巷は雖も曲折すれど、却って終に大道に通向す、いわゆる「遇主于巷」は、往きて大道を推行せんと要するにして、并びに邪曲の事を干すに非ず。六五は九二を以て同宗と當てて彼を親近す。二と五とは中道を以て相「応与」し、まさに乖離の時に當たりて、両人の間の隔閡は細微にして弥合すること易く、皮膚のあのごとく柔軟にして、一たび咬めば則ち進み入る。このごとくにしてまた豈にただ「无咎」ならんや、還將「有慶」ならん。二と五とは一陰・一陽にして正相「応与」す、ゆえに爻辞はこそこのごとく言う。何楷に言う、「厥宗」はすでに「噬膚」せる以上、前往すれば則ち彼此・契合の喜慶あり、これは断然・肯定の話なり。

遇雨之吉,群疑亡也。程傳 “雨”者,陰陽和也,始睽而能終和,故吉也。所以能和者,以群疑盡亡也,其始睽也,無所不疑,故云“群疑”,睽極而合,則皆亡也。集說 孔氏穎達曰:“群疑亡”者,往與三合,如雨之和,向之“見豕”、“見鬼”、“張弧”之疑,並消釋矣,故曰“群疑亡也”。

《象伝》にいう:「遇雨之吉」は、種種の疑虑の全く消ゆるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「雨」は、陰陽・交和の産物なり。起初は乖離にして最終は能く和す、ゆえに吉なり。能く和する所以は、種種の疑虑が皆な消盡するに因る。當初の乖離の時、彼は何をも懐疑す、ゆえに「群疑」と謂う。乖離は極点に到りて反転して相合すれば、あれらの疑虑は則ち全てなし。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「群疑亡」は、上九が前往して六三と契合して、雨のあのごとく和洽するを言う、先前の「見豕負塗」「載鬼一車」「先張之弧」の種種の疑心は、一併に消釋す。ゆえに「群疑亡也」と言う。

王氏安石曰:上九《睽》極有應而疑之,夫《睽》之極,則物有似是而非者,雖明猶疑,疑之已甚,則以無為有,無所不至,況於不明者乎,上九剛過中,用明而過者也,故其始不能無疑。《朱子語類》云:諸爻立象,聖人必有所據,非是自撰,但今不可考耳。到孔子方不說象,如“見豕負塗”、“載鬼一車”之類,孔子只說“群疑亡也”,便見得上面許多,皆是狐惑可疑之事而已,到後人解說,便多牽強。

集説に引く王安石の説:上九は《睽》の極点に処りて、もとより相「応与」するの六三あるに、却って反ってそれを疑心す。乖離は極点に到れば、事物は則ち似是・而非の様子を出現す、縱使眼力の明なる人と雖も生疑を免れ難し。疑心は一たび重くなれば、則ち無きを有りと當てて、何の荒唐の念頭をも冒出す、何況や眼力はもとより明ならざるの人や。上九は陽剛にして中位を過ぐるは、「明」を用うること頭に過ぐるの人なり。ゆえに起初は疑あるを免れ難し。《朱子語類》にいう:各爻の立つる所の物象は、聖人は必ず依拠する所有りて、己が空を憑りて編造するに非ず、ただ今はすでに考え出だすこと能わず。孔子の経を解するに到りて、こそ更にあれらの象を講ぜず。「見豕負塗」「載鬼一車」のこの一類のごときは、孔子はただ一句の「群疑亡也」を言うに、則ち人をして上面のあの許多の話は不過皆な狐疑・惑乱の事なるを看出せしむ。後人の解説に往くに到りては、則ち多半は牽強・附会なり。

趙氏汝楳曰:怪力亂神,聖人所不語,而此卦言之甚詳,故聖人斷之曰“疑”。蓋心疑則境見,心明則疑亡,知此者,志怪之書可焚,無鬼之論可熄。王氏申子曰:孤生於睽,睽生於疑,今群疑既亡,則睽而合,合而和,所以吉也。

集説に引く趙汝楳の説:怪異・勇力・悖乱・鬼神、これらは聖人の談ぜざる所に、可この一卦は却って講ずること甚だ詳細なり。ゆえに聖人は一句の話を以てそれを「疑」と断定す。心の裏に疑を生ぜば、境相は就ち現出す。心の裏に明白なれば、疑は就ちなし。この道理を懂得せば、あれらの志怪の書は以て焼掉すべく、あれらの鬼あり鬼なしを論辯するの文章も亦た以て搁下すべし。王申子に言う、孤独は乖離より生産し、乖離は疑心より生産す。如今種種の疑心はすでに消盡せり、則ち乖離より轉じて契合と為し、契合より轉じて和洽と為す。ゆえに吉を得。

蹇卦・大象与爻象

山上有水,蹇。君子以反身修德。程傳 山之峻阻。上覆有水,坎水為險陷之象,上下險阻,故為蹇也。君子觀蹇難之象,而以“反身修德”,君子之遇艱阻,必反求諸己而益自修。孟子曰:行有不得者,皆反求諸己。故遇艱蹇,必自省於身有失而致之乎,是反身也,有所未善,則改之。無歉於心,則加勉,乃自修其德也,君子修德以俟時而已。

《大象伝》にいう:山上に水あり、これ則ち《蹇》なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに反って自身の上に功を用いて己の徳を修養すべし。程頤《伊川易伝》にいう:山はもとより険峻・難行にして、上面にまた水あり、坎水はまさに険陷の物象なり。上下は皆な険阻、ゆえに《蹇》と成る。君子はこの蹇難の象を観て、因りて「反身修徳」す。君子は艱難・険阻に遇上すれば、必ず反って己に責求して愈々自修す。孟子は言う、凡そ事は做して却って預期の結果を得ざれば、皆な反って己の身上に於て原因を找むべし。ゆえに艱難・蹇滞に遭遇すれば、必ず自我・省察す。是か非か自身に何の過失あってこそ招來せしか。これ則ち「反身」なり。做し好からざるあるを発見すれば則ちそれを改め、心に問えば愧なければ更に勉励す、これ則ちその徳を自修するなり。君子は不過徳行を修養して静かに時機を待つのみ。

《朱子語類》云:潘謙之書曰:《蹇》與《困》相似,“致命遂志”,“反身修德”亦一般,殊不知不然。《象》曰“澤無水,困”,處困之極,事無可為者,故只得“致命遂志”,若蹇則猶可進步,如山上之泉,曲折多艱阻,然猶可行,故教人以“反身修德”,只觀“澤無水,困”,與“山上有水,蹇”二句,便全不同。項氏安世曰:反身象艮之背,修德象坎之勞。

集説に引く《朱子語類》の説:潘謙之は來信に講ず、《蹇》と《困》と相似たり、「致命遂志」と「反身修徳」とも亦た一回事なりと。殊不知并びに然らず。《大象》の講ずる「沢无水、困」は、あれは困窮の極点に処りて事情に作為すべきなきの歩地なり。ゆえにただ「致命遂志」する能く、生死を天命に付与して己の志向を成全す。至って《蹇》は、則ちなお能く前に向かいて歩を挪ぐ、山上の泉水のごとく、雖も曲折して艱阻多しと雖も、畢竟なお走り通ずること能し。ゆえに人に「反身修徳」を教う。単に「沢无水、困」と「山上有水、蹇」のこの両句を看れば、両者は則ち全然相同じからず。項安世に言う、「反身」は艮卦の「背」に取象し、「修徳」は坎卦の「労」に取象す。

往蹇來譽,宜待也。程傳 方蹇之初,進則益蹇,時之未可進也,故宜見幾而止,以待時可行而後行也。諸爻皆蹇往而善來,然則無出蹇之義乎。曰:在蹇而往,則蹇也,蹇終則變矣,故上已有碩義。集說 王氏申子曰:往而行險,不如居易以俟之為宜也。龔氏煥曰:居止之初,去險尚遠,見險而即止,《彖傳》之所謂知也。

《象伝》にいう:「往蹇來誉」は、この時宜しく等待すべきを言う。程頤《伊川易伝》にいう:まさに蹇難の初に當たりて、前進すればただ更に蹇なり、時機はなお前進を容許せず。ゆえにまさに苗頭を看出して就ち停住し、時機の可行なるを待ちて再び動くべし。ある人が問う、各爻は皆な往かば則ち蹇、來れば則ち善、豈に則ち蹇難を走出するの義理なからんや。回答は、蹇難の中に於て前往すれば、あれは自ずから仍お蹇なり。蹇難は終点に到れば就ち転変せん、ゆえに上六はすでに「來碩」のこの層の意あるなり。集説に引く王申子の説:前往して険を渉るは、平易の地に安居して静かに時機を待つが來りて合宜するに如かず。龔煥に言う、初六は艮止の體の開頭に処りて、険を離るることなお遠く、一たび険を見れば則ち立刻に停住す、これまさに《彖伝》の言う所の「知」なり。

王臣蹇蹇,終無尤也。本義 事雖不濟,亦無可尤。程傳 雖艱厄於蹇時,然其志在濟君難,雖未能成功,然終無過尤也,聖人取其志義而謂其“無尤”,所以勸忠藎也。集說 侯氏行果曰:二上應於五,五在坎中,險而又險,志在匡弼,匪惜其躬,故曰“王臣蹇蹇,匪躬之故”,輔君以此,“終無尤也”。

《象伝》にいう:「王臣蹇蹇」は、終に責怪すべきの何物もなし。朱熹《本義》にいう:事情は雖も成し辦せざると雖も、亦た彼を責怪するの由なし。程頤《伊川易伝》にいう:六二は雖も蹇難の時に於て艱厄を受け盡くすと雖も、可彼の志向は君主の危難を解救するに在り。雖も未だ成功すること能わざると雖も、最終に亦た責むべきの過錯なし。聖人は彼のこの分の志向と道義とを取りて彼を「无尤」と言う、為むる所は天下の忠誠の士を勉励するなり。集説に引く侯行果の説:六二は上に向かいて九五と相「応与」し、九五は身に坎険の中に在りて、険の上に険を加う。六二は志に匡正・輔佐するに在りて、自身を惜しまず。ゆえに爻辞は「王臣蹇蹇、匪躬之故」と言う。このごときの態度を以て君主を輔佐すれば、自ずから「終无尤也」なり。

往蹇來反,內喜之也。程傳 “內”,在下之陰也。方蹇之時,陰柔不能自立,故皆附於九三之陽而喜愛之。九之處三,在蹇為得其所也,處蹇而得下之心,可以求安,故以“來”為“反”,猶春秋之言歸也。集說 孔氏穎達曰:內卦三爻,唯九三一陽,居二陰之上,是內之所恃,故云“內喜之也”。

《象伝》にいう:「往蹇來反」は、内卦の陰爻が彼を歡喜するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「内」とは、下面のあの両個の陰爻を指す。まさに蹇難の時に當たりて、陰柔の爻は己が脚を立ち住むこと能わず、ゆえに皆な九三のこの陽爻に依附して彼を喜愛す。九のこの陽爻は三位に処りて、蹇難の時に於てはその所在を得ると算す。身に蹇難に処りて下面の人心を得れば、則ち以て安穏を謀るべし。ゆえに「來」を「反」と講ずるにして、《春秋》の裏の言う所の「帰」のごとし。集説に引く孔穎達の説:内卦の三爻にただ九三の一個の陽爻ありて、両個の陰爻の上に居り、是れ内卦の倚仗する所なり。ゆえに「内喜之也」と言う。

往蹇來連,當位實也。程傳 四當蹇之時,居上位,不往而來,與下同志,固足以得眾矣,又以陰居陰,為得其實,以誠實與下,故能連合而下之。二三亦各得其實,初以陰居下,亦其實也,當同患之時,相交以實其合可知,故來而連者,當位以實也,處蹇難,非誠實何以濟,當位不曰正而曰實,上下之交,主於誠實,用各有其所也。

《象伝》にいう:「往蹇來連」は、彼が「當位」して而且實なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六四はまさに蹇難の時に當たりて身に上位を居りて、前に往かずして退き回りて、下面の人と心を同じく志を同じくす、もとより以て衆を得るに足る。また陰爻を以て陰位に居るは、是れその「實」を得るにして、誠実の心を以て下面の人を對待す、ゆえに能く彼らと連ねて一片と成りて甘んじてその下に居る。六二・九三も亦た各々その實を得、初六は陰爻を以て最下に居りて、同じく是れ實なり。まさに患難を共にする時に當たりて、彼此は誠実を以て相交われば、あの契合は想知すべし。ゆえに「來而連」は、則ち「當位」にして誠実を以て相待するなり。身に蹇難に処りて、誠実に靠らざれば怎んぞ済し得んや。ここに「當位」を講じて「正」を言わずして「実」を言うは、上下の間の交往は誠実を以て主と為すに因り、各々の字眼は各々の用処あるなり。

集說 荀氏爽曰:處正承陽,故曰“當位實也”。沈氏該曰:四當位可進,而陰柔不能獨濟,來而承五,連於陽實,則得所輔也。案 荀氏、沈氏、姜氏之說皆是,然如此,則當位兩字,宜著。九五說,言當尊位者有實德也,如“敵剛也”之例。

集説に引く荀爽の説:六四は正位に処りて上に九五の陽を承えば、ゆえに「當位實也」と言う。沈該に言う、六四は雖も「當位」にして前進すべくと雖も、但し陰柔の質は能く独力にて難を済せず。ゆえに退き回りて九五を承奉して、陽剛の実徳と相連わる、これ則ち依靠を得たるなり。李光地按す:荀爽・沈該・姜氏の説法は皆な對なり。不過このごとくに講ずれば、「當位」の両字は則ちまさに九五の身上に落として言うべく、意思は尊位を占据する人に実実在在の徳あるを言うにして、《象伝》の講ずる「敵剛也」のあの種の用法のごとし。

大蹇朋來,以中節也。程傳 “朋”者,其朋類也。五有中正之德,而二亦中正,雖大蹇之時,不失其守,蹇與蹇以相應助,是以其中正之節也。上下中正而弗濟者,臣之才不足也。自古守節秉義,而才不足以濟者,豈少乎,漢李固、王允,晉周豈頁、王導之徒是也。

《象伝》にいう:「大蹇朋來」は、九五が中道の節操を守住したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「朋」とは、彼と同類の人を指す。九五に中正の徳あり、六二も亦た中正にして、縱使大蹇の時に於ても守る所を失わず、両個の身に蹇難に処る人は互相に「応与」・援助す、靠る所はまさに彼らの中正の節操なり。上下は皆な中正にして却って仍お難を済すこと能わざるは、あれは臣子を為すの才具の足らざるなり。古より來りて節を守り義を秉りて才具の難を済すに足らざる人は、豈に還少なからんや。漢朝の李固・王允、晋朝の周顗・王導のこれらの人は則ち然り。

集說 孔氏穎達曰:得位履中,不改其節,則同志者自遠而來,故曰“朋來”。案 《蹇》卦之義,在乎進止得宜,爻之往來,即進止也。九五雖不言往來,而傳明其為“中節”,則進止之宜不失,可以濟難而不至於犯難矣。裴度云,朝延處置得宜,有以服其心,其“中節”之謂乎。

集説に引く孔穎達の説:その位を得てその中を履みて、己の節操を更改せざれば、則ち志同く道合わすの人は自ずから遠方より趕來す。ゆえに「朋來」と言う。李光地按す:《蹇》卦の義理は、進と止との分寸の當を得るの上に落つ。各爻の講ずる往と來とは、則ち進と止なり。九五は雖も往來を講ぜずと雖も、但し《象伝》は彼を「中節」と点明す、これにより彼の進止の分寸は曽て失わざるを見るべし。因りて能く難を済して身を以て難に犯するに至らず。唐朝の裴度は説いたり、朝廷は處置を當を得ば、こそ人をして心服せしむ。大概ここに言う所の「中節」ならん。

往蹇來碩,志在內也。利見大人,以從貴也。程傳 上六應三而從五,志在內也。蹇既極而有助,是以碩而吉也。六以陰柔當蹇之極,密近剛陽中正之君,自然其志從附以來自濟,故“利見大人”,謂從九五之貴也,所以云“從貴”,恐人不知大人為指五也。集說 蘇氏軾曰:內與貴,皆五之謂。

《象伝》にいう:「往蹇來碩」は、彼の心志の内に向かうに因る。「利見大人」は、まさに尊貴の人に追随せんと要するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:上六は九三と相「応与」してまた九五に追随す、これ則ち「志在内」なり。蹇難はすでに盡頭に到りてまた助ける人あれば、ゆえに碩大にして吉なり。上六は陰柔の質を以て蹇難の極点に処りて、緊く陽剛・中正の君主に挨れば、自ずから心志を托付し過ぎ去りて追随・來りて以て自済を求めん。ゆえに「利見大人」と言う、指す所は九五のあの尊貴者に追随するなり。要点出する所以の「従貴」は、人が「大人」の指す所を知らざるを怕るるに因る。集説に引く蘇軾の説:ここの「内」と「貴」は、講ずる所は皆な九五なり。

解卦・大象与爻象

雷雨作,解。君子以赦過宥罪。程傳 天地解散而成雷雨,故“雷雨作”而為解也,與“明兩”而作離語不同。“赦”,釋之;“宥”,寬之。過失則赦之可也,罪惡而赦之,則非義也,故寬之而已。君子觀雷雨作解之象,體其發育,則施恩仁,體其解散,則行寬釋也。集說 孔氏穎達曰:“赦”謂放免;“過”謂誤失;“宥”謂寬宥;“罪”謂故犯。過輕則赦,罪重則宥,皆解緩之義也。趙氏汝楳曰:雷者天之威,雨者天之澤,威中有澤,猶刑獄之有赦宥。

《大象伝》にいう:雷雨は興作す、これ則ち《解》なり。君子はこれに由りて領悟す、過失に於ては赦免を予以し、罪悪に於ては寛減を予以すべし。程頤《伊川易伝》にいう:天地の鬱結の氣は解散し開きて化して雷雨と成る、ゆえに「雷雨作」は便ち《解》なり。これは《離》卦《大象》の講ずる「明両作、離」の句法と相同じからず。「赦」は人を放掉すること、「宥」は寛より發落するなり。過失に属するは、赦免するも亦た可なり。罪悪に属するは、一概に赦免すれば則ち義に合せず、ゆえにただ寛より処理するのみ。君子は雷雨・興作して鬱結を解散せしむるの物象を観て、それが生發・化育するの一面を體會して、則ち恩惠・仁愛を広施す。それが鬱結・解散するの一面を體會して、則ち寛釋の政を推行す。集説に引く孔穎達の説:「赦」は放免、「過」は無心の失なり。「宥」は寛減、「罪」は有意の触犯なり。過失は軽ければ則ち赦免し、罪悪は重ければ則ち寛減す、皆な解き放き緩め放すの意なり。趙汝楳に言う、雷は上天の威厳、雨は上天の恩沢、威厳の中に恩沢を含むは、刑獄の中に赦あり宥あるがごとし。

剛柔之際,義無咎也。程傳 初四相應,是剛柔相際接也。剛柔相際,為得其宜,艱既解而處之,剛柔得宜,其“義無咎”也。集說 蘇氏淵曰:柔居解初,而承剛應剛,得剛柔交際之宜,難必解矣,故曰“義無咎也”。案 初本以居最內最後得來復之義,故無咎,孔子恐人謂其一無所為也,故以從陽補其義,在後之例,與《遯》初同。

《象伝》にいう:剛と柔と交接するは、義理の上に於て過錯なし。程頤《伊川易伝》にいう:初六と九四とは互相に「応与」す、これ則ち剛柔の彼此・交接するなり。剛柔は能く交接すれば、まさにその宜しきを得るなり。艱難はすでに解けて、また剛柔・得宜の方式を以て自処す、ゆえに義理の上に於て「无咎」。集説に引く蘇淵の説:柔爻は《解》卦の初に処りて、上に向かいて陽剛を承奉しまた陽剛と相「応与」して、剛柔・交接の分寸を得たり、患難は必ず能く解けん。ゆえに「義无咎也」と言う。李光地按す:初六はもとより最内・最後に居るに因りてこそ回復・歸來のこの層の義あれば、ゆえに「无咎」。孔子は人がそれを以て何をも為さざると為さんことを怕れて、ゆえに「従陽」を以てこの層の義理を補足す。この種の後に居るを以て義と為すの體例は、《遯》卦の初六と是れ一様なり。

九二貞吉,得中道也。程傳 所謂“貞吉”者,得其中道也。除去邪惡,使其中直之道得行,乃正而吉也。

《象伝》にいう:「九二貞吉」は、彼が中道を得たるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「貞吉」は、則ちその中道を得るなり。邪悪の人を清除し出去して、己の中正・正直の主張をして推行するを得しむ、これこそすでに正にしてまた吉なり。

負且乘,亦可醜也。自我致戎,又誰咎也。程傳 負荷之人,而且乘載,為可醜惡也,處非其據,德不稱其器,則寇戎之致,乃己招取,將誰咎乎?聖人又於《繫辭》明其致寇之道,謂作《易》者其知盜乎!盜者乘釁而至,苟無釁隙,則盜安能犯?“負者小人之事,乘者君子之器”,以小人而乘君子之器,非其所能安也,故盜乘釁而奪之,小人而居君子之位,非其所能堪也,故滿假而陵慢其上,侵暴其下,盜則乘其過惡而伐之矣。

《象伝》にいう:「負且乗」は、亦た真に丢人に足る。兵戎は己が招來するにして、また誰を怪まんや。程頤《伊川易伝》にいう:もとより東西を背負すべきの下等の人、偏に車子の上に坐し乗るは、これは可羞・可悪なり。占むべからざる位置を占めて、徳行は居する所の器位に配得上せざれば、則ち兵寇を招來するは、まさに己が招來するにして、還誰を怪まんや。聖人はまた《系辞伝》の裏に於て寇を招くの縁由を講明して言う、《易》を作る人は大概盗賊を懂得するならんと。盗賊は縫隙に乗じて來る、もし縫隙なければ、盗賊は何処にか侵犯すること得んや。「負は小人の干す所の事、乗は君子の用うる所の器」。小人の身份を以て君子の車に坐上すれば、あれは彼の安処すること能わざる所にして、ゆえに盗賊は隙に乗じて來りて搶奪す。小人の身份を以て君子の位置を占拠すれば、あれは彼の承受すること能わざる所にして、於是驕満・自大して、上に對しては凌慢し、下に對しては侵暴す、盗賊は則ち彼の過悪を抓住して以て彼を声討す。

“伐”者,聲其罪也,“盜”,橫暴而至者也,貨財而輕慢其藏,是教誨乎盜使取之也!女子而夭冶其容,是教海淫者使暴之也,小人而乘君子之器,是招盜使奪之也,皆自取之之謂也。

程頤は接いで言う:いわゆる「伐」は、彼の罪状を宣布するなり。いわゆる「盗」は、横行・暴虐して門上に闖入し來るの人なり。銭財あるに却って軽慢にして肯んじて妥かに収蔵せざるは、これは盗賊に拿りに來るを教唆するに等し。女子が容貌を妖冶・招揺に打扮するは、これは淫邪の徒に侵害し來るを教唆するに等し。小人にして却って君子の車に坐上するは、これは盗賊に搶奪し來るを招引するに等し。凡そこの種種は、講ずる所は皆な禍事は全て己が招來するなり。

集說 雷氏思曰:“負且乘”,小人自以為榮,而君子所恥,故“可丑”,寇小則為盜,大則為戎,任使非人,則變解而蹇,天下起戎矣。案 雷氏說,極得此《傳》及《繫傳》之意,此《傳》所謂致戎,《繫傳》所謂“盜斯伐之”,皆謂有國家者也。

集説に引く雷思の説:「負且乗」は、小人は自ら以て栄耀と為し、君子は却って以て恥と引す、ゆえに「可醜」と言う。寇害の小なるを「盗」と謂い、大なるを「戎」と謂う。人を用うるに對象を用い錯えば、局面は則ち「解」より変じて「蹇」とならん、天下は皆な兵戎の禍を起こさん。李光地按す:雷思のこの段の話は、最も能くこの条の《象伝》および《系辞伝》の本意を抓住す。この条の《象伝》の言う所の「致戎」と《系辞伝》の言う所の「盗斯伐之」は、講ずる所は皆な國家を執掌する人なり。

解而拇,未當位也。程傳 四雖陽剛,然居陰,於正疑不足,若復親比小人,則其失正必矣,故戒必“解其拇”,然後能來君子,以其處未當位也。“解”者,本合而離之也,必解拇而後朋孚,蓋君子之交,而小人容於其間,是與君子之誠未至也。集說 鄭氏汝諧曰:四之所自處者不當,宜小人之所附麗也。必解去之,然後孚於其朋。“朋”,剛陽之類。“拇”,在下之陰。案 德非中正,而應初比三,故曰“未當位”。

《象伝》にいう:「解而拇」は、彼の処する所の位置のいまだ恰當ならざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九四は雖も陽剛なれど、却って陰位に居りて、正を守るのこの一点に於ては恐るらくなお足らず。もし更に往きて小人を親近せば、則ち必ず正を失わん。ゆえに彼を告誡して必ず「解其拇」せんと要す――脚指のごとく黏附する小人を解脱し開いて、然る後にこそ能く君子を招來す、これは皆な彼の処する所の位置のいまだ恰當ならざるに因る。いわゆる「解」は、もとより黏りて一起に在るをそれを分開するなり。必ず先に「拇」を解開して、然る後にこそ同類の朋は肯んじて彼を信ず。因るに君子の間の交往は、もし一個の小人を中間に夾ませ容れれば、則ちあれは彼の君子に對するの誠意の家に到らざるなり。集説に引く鄭汝諧の説:九四は自処する所の位置當らず、小人の來りて彼に依附するを怪むるなし。必ず小人を解脱し掉して、然る後にこそ能く彼の同類に取信す。「朋」は、陽剛の一類の爻を指す。「拇」は、下面の陰爻を指す。李光地按す:九四の徳は中正と算上すべからず、却ってまた初六と相「応与」し六三と相親比す、ゆえに「未當位」と言う。

君子有解,小人退也。程傳 君子之所解者,謂退去小人也,小人去,則君子之道行,是以吉也。集說 吳氏曰慎曰:君子能有解,則小人退矣。小人若未退,則是君子未能解也,以小人之退,驗君子之解,雖不言有孚,而有孚之義明矣。案 如鄭氏說,則須云君子果能有解,則雖小人亦信之,而回心易行,不待黜抑而自退矣。

《象伝》にいう:「君子有解」は、小人は自ずから退去せんを言う。程頤《伊川易伝》にいう:君子のまさに解き開くべき所は、則ち小人を退斥し出去するなり。小人は一たび走れば、君子の道は則ち行い通ずること能し、ゆえに吉なり。集説に引く呉曰慎の説:君子はもし真に能く解せば、小人は自ずから退去す。小人はもしいまだ退かざれば、則ち君子のいまだ真正に解き開かざるを説明す。小人の退くや退かざるやを以て君子の解せしや否やを検験すれば、《象伝》は雖も「有孚」を講ぜずと雖も、「有孚」の意思はすでに清楚なり。李光地按す:鄭氏の講法に照らせば、則ちまさに成して言うべし。君子は果して能く解せば、則ち小人をも彼を信ぜしめて、従りて心を回りて意を轉じ弦を改め轍を易え、貶黜・壓制するを用いずして自ら退去したるなりと。

公用射隼,以解悖也。程傳 至解終而未解者,悖亂之大者也,射之所以解之也,解則天下平矣。集說 吳氏曰慎曰:天下之難,由小人作,群比如拇,邪媚如狐,鷙害如隼。解拇獲狐射隼而難解矣,故《解》卦以去小人為要義。案 五以前所解者,但總名之為小人耳,此則曰“悖”,內亂外亂之別也,在有虞則共驩者內亂也,三苗者外亂也。

《象伝》にいう:「公用射隼」は、以て悖乱を解除する為なり。程頤《伊川易伝》にいう:《解》卦の終末に到りてなお解き開かざるは、あれは悖乱の当中の最も厳重なり。それを射下るは、まさに以てそれを解き開かんが為なり。解き開けば、天下は就ち太平なり。集説に引く呉曰慎の説:天下の禍難は皆な小人に由りて興起す。成群・結党のは脚指のごとく黏附し、邪佞・諂媚のは狐狸のごとくし、凶猛・為害のは鷹隼のごとし。脚指のごときの黏附を解き開き、狐狸を猟獲し、鷹隼を射下れば、禍難は就ち解き開かる。ゆえに《解》卦は小人を除却するを以て緊要の義と為す。李光地按す:九五以前の解する所は、ただ笼统に小人と称するのみ。ここに到りては却って「悖」と称す、これは内乱と外乱との分别なり。虞舜の世に於ては、共工・驩兜は内乱に属し、三苗は則ち外乱に属す。

損卦・大象与爻象

本義 君子修身所當損者,莫切於此。程傳 山下有澤,氣通上潤與深下以增高,皆損下之象。君子觀《損》之象,以損於己,在修己之道所當損者,唯“忿”與“欲”,故以懲戒其忿怒,窒塞其意欲也。

以下は《損》卦《大象》の「山下有沢、損。君子以懲忿窒欲」を解す、この句の伝文は底本未だ収めず。朱熹《本義》にいう:君子の身を修めるにまさに減損すべきは、忿怒と私欲より更に切要なるなし。程頤《伊川易伝》にいう:山下に沢あり、沢氣は上に通じて山に滋潤す。下面を挖ること愈々深ければ、上面は便ち顕れて愈々高し、皆な下面を減損するの物象なり。君子は《損》卦の象を観て、以て己を減損す。自身を修養するのこの件の事の上に於てまさに減損すべきは、ただ一個の「忿」と一個の「欲」と有るのみ。ゆえに己の忿怒を懲戒して、己の私欲を堵塞せんと要す。

集說 虞氏翻曰:兌說故“懲忿”,艮止故“窒慾”。孔氏穎達曰:“懲”者,息其既往。“窒”者,閉其將來,“懲”“窒”互文而相足也。楊氏時曰:“損”,德之修也。所當損者,唯“忿”“欲”而已。故九思始於視聽貌言,終於忿思難,見得思義者,以此。

集説に引く虞翻の説:下卦の兌は悦と為して、悦なれば則ち怒らず、ゆえに「懲忿」を取る。上卦の艮は止と為して、止まれば則ち物を逐わず、ゆえに「窒欲」を取る。孔穎達に言う、「懲」はすでに発し過ぎたるを止住すること、「窒」はまさに生起せんとするを堵住するなり。「懲」「窒」の両字は互文にして義を見る、彼此補足し合う。楊時に言う、《損》は徳を修むるの卦にして、まさに減損すべきはただ忿と欲の両様あるのみ。ゆえに《論語》の講ずる君子に九思あるは、視・聴・色・貌・言のこれらより開頭して、末に「忿思難」「見得思義」に歸る、道理は則ちここに在り。

《朱子語類》:問:何以“窒慾”,伊川雲思,此莫是欲心一萌,當思禮義以勝之否。曰:然。王氏申子曰:和說則無忿,知止則無慾,故曰修德之要也。案 凡大象配兩體之德者,皆先內後外,故當以虞氏之說為是,《益》象亦然。

《朱子語類》に記載す:ある人が問う、怎んのごとくしてこそ「窒欲」と算せんや。程伊川はただ一個の「思」の字を答う、これは私欲の心の剛に萌動すれば則ちまさに礼義を想い起こして以てそれを克制すべしを言うに非ずや。朱熹に言う、まさに然り。集説に引く王申子の説:心氣は和悦なれば則ち忿あること能わず、止を知るを懂得せば則ち欲あること能わず。ゆえにこれを徳を修むるの要領と言う。李光地按す:凡そ《大象》が上下の両體の徳を分别・配属するは、皆な先に内卦を講じ後に外卦を講ず、ゆえにまさに虞翻の説法を以て是と為すべし。《益》卦の《大象》も亦た同様の例子なり。

已事遄往,尚合志也。本義“尚”“上”通。程傳 “尚”,上也。時之所崇用為尚,初之所尚者,與上合志也。四賴於初,初益於四,與上合志也。案 《易》例,初九與六四雖正應,卻無往從之之義,在下位不援上也。唯《損》初爻言“遄往”,而《傳》謂“上合志”,蓋當損下益上之時故也。

《象伝》にいう:「已事遄往」は、上面の人と心志の相合するなり。朱熹《本義》にいう:「尚」と「上」とは通用す。程頤《伊川易伝》にいう:「尚」は則ち「上」なり。時勢の推崇・取用する所を「尚」と謂う。初九の推崇する所は、則ち上面の六四と心志の相合するなり。六四は初九に頼る所有り、初九は往きて六四を增益す、これまさに上と相合・志するなり。李光地按す:《周易》の通例に按れば、初九と六四とは雖も正相「応与」すと雖も、却って前往・追随するの義理なし、因るに身に下位に在る人は上位に攀附せざるが故なり。独り《損》卦の初爻は「遄往」を講じて、而して《象伝》は「上合志」と言う、あれは因るにまさに下を損して上を益すの時に當たるが故なり。

九二利貞,中以為志也。程傳 九居二,非正也,處說,非剛也,而得中為善。若守其中德,何有不善,豈有中而不正者,豈有中而有過者。二所謂“利貞”。謂以中為志也,志存乎中,則自正矣,大率中重於正,中則正矣,正不必中也,能守中則有益於上矣。

《象伝》にいう:「九二利貞」は、中を把守するを以て心志と爲す。程頤《伊川易伝》にいう:九のこの陽爻は二のこの陰位に居りて、「當位」と算せず。身に兌悦の體に処りて、亦た剛勁と算上せず。然而彼は「中」を得る、これ則ち好処なり。ただこの分の中徳を守住せば、また何の不好あらんや。何処にか中に居りて正ならざるあらんや、何処にか中に居りて過失あるあらんや。九二のいわゆる「利貞」は、則ち「中」を以て心志と當てるなり。心志は中に存すれば、自ずから正し。大体に言えば、中は正より更に重し。能く中なれば則ち必ず正なり、正は却って必ずしも能く中ならず。能く中を守れば、上面に對して自ずから增益する所有り。

集說 孔氏穎達曰:言九二所以能居而氣守貞,不損益之,良由居中,以中為志,故損益得其節適也。王氏宗傳曰:順從為事,則在己者所損多矣!以道自守,乃所以益之,故曰九二“利貞,中以為志也”,“中以為志”,則在己者無失,而益上之實,亦無出諸此。

集説に引く孔穎達の説:これは九二の能くその位に安処して貞正を守住し、一味に己を損して人を益せざる所以を講ず、其実彼が中に居りて「中」を以て心志と為すに由る。ゆえに減損と增益との間に於て拿捏すること恰好・到処なり。王宗伝に言う、一味に順従を以て本分と當てれば、則ち己の身上に損掉したるは則ち太も多し。正道を以て自守するは、こそ真正に上に對して增益する所有るなり。ゆえに《象伝》は九二を「利貞、中以為志也」と言う。すでに「中以為志」なれば、則ち己のこの辺に虧失なくして、而して上面を增益するの実効は、亦たこの範囲を出でず。

一人行,三則疑也。程傳 一人行而得一人,乃得友也;若三人行,則疑所與矣,理當損去其一人,損其餘也。案 自二以上,皆可以三概之,不必正三人也,季文子三思,南容三復之類。

《象伝》にいう:「一人行」はこそ成る、三個人一起走れば則ち疑を生ぜんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:一個人走りて另一個人に遇うは、これこそ朋友を得着するなり。もし三個人一起走れば、則ち誰と结伴すべきを知らず、理に按りてまさにその中の一人を减去して、多余なるを損掉すべし。李光地按す:凡そ両個以上は、皆な以て「三」を以て概括すべく、必ずしも実に三個人を指すに非ず、《論語》の講ずる季文子の「三思而后行」と南容の「三復白圭」のあのごときの用法のごとし。

損其疾,亦可喜也。程傳 損其所疾,固可喜也。云“亦”,發語辭。集說 項氏安世曰:能不吝其疾,自損以受之,使合志者得效其忠,豈非可喜之事 案 《易》多言“有喜”,而此《傳》云“亦可喜也”,則此喜不主己身,乃主於使遄來而益我者有喜,故變文曰“可喜”者,他人之辭也。

《象伝》にいう:「損其疾」は、亦た真に一件の可喜の事なり。程頤《伊川易伝》にいう:己の毛病を減損し掉するは、もとより則ち可喜なり。ここに「亦」と言うは、ただ句首の発語詞なり。集説に引く項安世の説:能く己の毛病を護せず、肯んじて自我減損して以て别人の幇助を接受して、志同く道合わすの人をして忠誠を效盡するを得しむるは、豈に是れ可喜の事に非ずや――ここに底本脱文あり。李光地按す:《周易》は多く「有喜」を講ず、而してこの条の《象伝》は却って「亦可喜也」と言う、これによりこの分の喜は六四の自己に就きて言うに非ずして、而してあの赶紧前來して我を增益する人に就きて言うなるを見るべし。ゆえに措辞を変換して「可喜」と言う、あれは他人の角度に立つるの説法なり。

六五元吉,自上祐也。程傳 所以得“元吉”者,以其能盡眾人之見,合天地之理,故自上天降之福祐也。案 “自上祐”,以為正釋龜筮弗違亦可,然觀《益》二言朋龜不違,下又云“享于帝,吉”,則帝者,又百神之主也,故此“上祜”,亦是言天心克享,人神不能違也。弗損益之,大得志也。程傳 居上不損下而反益之,是君子大得行其志也,君子之志,唯在益於人而已。

《象伝》にいう:「六五元吉」は、上天が彼を保佑するなり。程頤《伊川易伝》にいう:能く「元吉」を得る所以は、彼が能く衆人の見解を吸納して、天地の道理に合するに因る。ゆえに上天は福祐を降下す。李光地按す:「自上祐」を以て正面に爻辞の「十朋之亀弗克違」を解釈するに當てても、亦た説き通ずべし。不過《益》卦六二の講ずる「十朋之亀弗克違」を看るに、下面にまた「王用享于帝、吉」と言う、これにより「帝」は百神の主なるを見るべし。ゆえにここの「上祐」も、亦た天心に受享せられて人も神も皆な違背するの由なきを言うなり。《象伝》にまたいう:「弗損益之」は、志向を大いに実現せり。程頤《伊川易伝》にいう:上九は身に上位を居して却って下を損せずして、反って下に增益す、これは君子が己の志向を大いに推行せるなり。君子の志向は、ただ別人に於て增益あるに在るのみ。

益卦・大象与爻象

風雷益,君子以見善則遷,有過則敗。本義 風雷之勢,交相助益,遷善改過,益之大者,而其相益亦猶是也。程傳 風烈則雷迅,雷激則風怒,二物相益者也。君子觀風雷相益之象,而求益於己。為益之道,無若“見善則遷,有過則改”也,見善能遷,則可以盡天下之善,有過能改,則無過矣,益於人者,無大於是。

《大象伝》にいう:風と雷と相合して《益》と成る。君子はこれに由りて領悟す、善行を見れば就ち赶紧してそれに向かい靠拢し、過錯あれば就ち赶紧してそれを改掉す(底本「改」は「敗」と訛作す)。朱熹《本義》にいう:風と雷との声勢は互相に助長し合う。善に遷り過を改むるは、增益の当中の最大の両件事なり、それらの彼此・助益するの情形も亦たまさに風雷のごとし。程頤《伊川易伝》にいう:風は一たび猛烈なれば、雷は則ち更に迅疾し。雷は一たび激蕩すれば、風は則ち更に狂怒す、この両様の東西は互相に增益するなり。君子は風雷の相益する物象を観て、因りて自身の上に於て增益を求む。益を為すの道は、「見善則遷、有過則改」より更に好きなし。善を見て能く遷れば、則ち以て天下の善を皆な己の身上に収るべし。過あって能く改むれば、則ち過錯なし。人に對するの增益は、これより更に大なるなし。

集說 王氏弼曰:遷善改過,益莫大焉。胡氏炳文曰:雷與風自有相益之勢,速於遷,善則過當益寡,決於改過,則善當益純,是遷善改過,又自有相益之功也。蔣氏悌生曰:風雷相益,迅速不遲,君子法之,見善則即遷,知過必速改,不可猶豫。

集説に引く王弼の説:善に遷ると過を改むとは、增益の大なるはこの両件に過ぐるなし。胡炳文に言う、雷と風とはもとより則ち互相に助益するの勢頭あり。善に遷ること速やかなれば、過錯は自ずから愈々少なし。過を改むこと決断なれば、善行は自ずから愈々純粹す。これにより善に遷ると過を改むとのこの両件の事の間に於て、亦た自ずから互相に助益するの功效あるを見るべし。蔣悌生に言う、風雷は互相に增益して、迅速にして拖延せず。君子はそれに效法して、善を見れば則ち立刻に靠り上去して、過あるを知れば則ち必ず馬上に改む、猶豫すべからず。

何氏楷曰:咸言速,心之德通於虛也。不損不虛。“懲忿窒欲”,損之又損,致虛以復其為咸;恆言久,心之德凝於實也,不益不實,遷善改過,益之又益,充實而成其為恆。案 雷者動陽氣者也,故人心奮發而勇於善者如之;風者散陰氣者也,故人心蕩滌以泊其惡者如之。

集説に引く何楷の説:《咸》卦の講ずる所は感応の速なり、心の徳性は虚に通達して、減損せざれば則ち能く虚ならず。「懲忿窒欲」は損してまた損して、心を虚に致して、従りてそれが感通するの本能を回復す。《恒》卦の講ずる所は持守の久なり、心の徳性は實に凝聚して、增益せざれば則ち能く實ならず。善に遷り過を改むるは益してまた益して、内心を充実せしめて、従りてそれが恒久の力量を成就す。李光地按す:雷は陽氣を鼓動するにして、ゆえに人心は奮發して勇んで善を為す、まさに雷のごとし。風は陰氣を吹散するにして、ゆえに人心は滌蕩して悪念を洗去す、まさに風のごとし。

元吉無咎,下不厚事也。本義 下本不當任厚事,故不如是,不足以塞咎也。程傳 在下者本不當處厚事。“厚事”,重大之事也,以為在上所住,所以當大事,必能濟大事,而致“元占”,乃為無咎,能致“元吉”,則在上者任之為知人,己當之為勝任,不然,則上下皆有咎也。

《象伝》にいう:「元吉无咎」は、身に下位を居る人はもとより厚重の事を承擔すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:下位に在る人はもとより則ち厚重の事を擔當すべからず、ゆえに「元吉」のこの歩を致さざれば、則ち招來する可ならんの咎責を堵住すること能わず。程頤《伊川易伝》にいう:身に下位に在る人はもとより厚重の事を処理すべからず。「厚事」は則ち重大の事なり。因るに彼が上に在る者に倚重せらるるに、こそ重大の事を承擔し起こす。必ず能く重大の事を辦成して、而且「元吉」を致して、これこそ「无咎」と算す。能く「元吉」を致し得れば、則ち上に在る人は彼を任用して便ち人を知り善く任すと顕れ、彼自己は承擔し起きて便ち勝任と顕れる。然らざれば、上上下下に過咎あり。

集說 鄭氏汝諧曰:得益者非以是而自私也,故《損》之上,“利有攸往,得臣無家”,《益》之初,“利用為大作”。“為大作”者,當為大益之事也。然在下而為大益之事,位未崇也,誠未孚也,必“元吉”然後“無咎”,以其位非厚事之地也。

集説に引く鄭汝諧の説:增益を得る人は、并びにそれを拿りて以て己の私利を図るに非ず。ゆえに《損》卦上九に「利有攸往、得臣无家」を講じ、《益》卦初九に「利用為大作」を講ず。いわゆる「為大作」は、則ちまさに往きてあれらの大いに人に於て增益あるの事を做すべきなり。可是身に下位に在りて而して往きて大いに增益あるの事を做すは、位置はなお足らず高からず、誠意はいまだ人に取信せられず。ゆえに必ず「元吉」を致して、然る後にこそ「无咎」なり、因るに彼の処する所の位置はもとより則ち厚重の事を承擔するの地方に非ざるが故なり。

《朱子語類》云:“利用大作”,《象》曰:“下不厚事也”。自此推之,則凡居下者 或益之,自外來也。本義 “或”者,眾無定主之辭。程傳 既中正虛中,能受天下之善而固守,則有有益之事,眾人自外來益之矣。或曰“自外來”豈非謂五乎?曰如二之中正虛中,天下孰不願益之,五為正應,固在其中矣。

《朱子語類》にいう:爻辞は「利用為大作」を講ず、《象伝》は却って「下不厚事也」と言う。ここより推き開けば、凡そ身に下位を居る人は――ここに底本脱文あり、接ぐるの一句はすでに六二の《象伝》「或益之、自外來也」なり。朱熹《本義》にいう:「或」は、衆多にして確定の主名なきの説法なり。程頤《伊川易伝》にいう:六二はすでに中正にしてまた能く心を虚うし、以て天下の善を接受して而且堅守・不失すれば、則ち一たび增益すべきの事あれば、衆人は自ずから外面より來りて彼を增益せん。ある人が問う、いわゆる「自外來」は、豈に則ち九五を指すに非ずや。回答は、六二のごとく中正・虚中なれば、天下に誰か彼を增益することを願わざるあらんや。九五は彼と正相「応与」す、當然も亦たこの「衆人」の裏面に包含せらる。

集說 孔氏穎達曰:“自外來”者,明“益之”者從外而來,不召而至也。楊氏簡曰:“或益之,自外來也”,亦猶《損》六五之“或益之”,“自上祐也”,皆言本無求益之意,而益自至也,曰“自外來”,言非中心之所期,自外而至也。

集説に引く孔穎達の説:いわゆる「自外來」は、來りて彼を增益する人は外面より來るを点明するにして、招呼を用いずして自ら到る。楊簡に言う、「或益之、自外來也」は、亦た則ち《損》卦六五の講ずる「或益之」にして《象伝》の言う「自上祐也」のごときなり、皆な本人はもとより人に增益を求むの念頭なくして、而して增益は自ら門上に找來するを言う。「自外來」と言うは、これは并びに彼の心裏の指望する所に非ずして、而して外面より自ら到來するを講ず。

益用凶事,固有之也。本義 “益用凶事”,欲其困心衡慮而“固有之也”。程傳 六三益之獨可用於凶事者,以其“固有之也”,謂專固自任其事也,居下當稟承於上,乃專任其事,唯救民之凶災,拯時之艱急,則可也,乃處急難變故之權宜,故得“無咎”,若平時則不可也。集說 龔氏煥曰:益之以凶事,雖曰災“自外來”,而己乃受益,乃其己分之所固有者,非“自外來”也。

《象伝》にいう:「益用凶事」は、この分の增益を牢牢に己に據為有と爲す。朱熹《本義》にいう:「益用凶事」は、彼をして困苦・憂患の中に於て心志を磨鍊し反覆・思量して、従りてこの分の増益を真正に己のものと変成せしめんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:六三の得る所の增益は、唯だ以て凶險の事の上に用いるべし、就ち「固有之也」に因る、意思は彼が専断にこの件の事を己の肩上に擔うなり。身に下位を居ればもとより事事に上級に稟報すべく、如今却って専断に行事す。ただ百姓の凶災を拯救し時局の危急を解救するの上に於てのみこそ行い通ること能し。これは急難・変故に應付するの権宜の計なり、ゆえに「无咎」を得。もし平常の時候に在りては則ち不可なり。集説に引く龔煥の説:凶險の事を以て彼を增益すは、雖も言うに災禍は「自外來」するなりと雖も、可彼がその中より得る所の益処は、却って彼が本分の内に於てもとより固有する所にして、并びに外面より來るに非ず。

告公從,以益志也。程傳 爻辭但云,得“中行”,則“告公”而獲從。《象》復明之曰:“告公”而獲“從”者,告之以益天下之志也,志苟在於益天下,上必信而從之,事君者不患上之不從,患其志之不誠也。集說 龔氏煥曰:六四之“告公”,以益民為志,故得見“從”也。

《象伝》にいう:「告公従」は、彼が天下を增益するの志向を抱くるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞はただ行事は「中行」の道に合乎を講ずるに、王公に稟告すれば則ち採納せられん。《象伝》はまた話を説き透して言う、王公に稟告して採納せらるるは、彼の稟告する所がまさに天下を增益するの志向なるに因る。志向はもし真に天下を增益するに在らば、上面は必ず彼を相信して彼に聽從せん。君主に侍奉する人は、必ずしも上面の聽從せざるを發愁せず、ただ己の志向の誠実に足らざるを發愁するを須いるのみ。集説に引く龔煥の説:六四の「告公」する所以は、百姓を增益するを以て志と爲すに因る。ゆえに能く採納せらる。

有孚惠心,勿問之矣。惠我德,大得志也。程傳 人君有至誠惠益天下之心,其元吉不假言也。故云“勿問之矣”,天下至誠懷吾德以為惠,是其道大行,人君之志得矣。集說 崔氏憬曰:損上之時,一以損己為念,雖“有孚惠心”及下,終不言以彰已功,故曰“有孚惠心,勿問”。“問”,猶言也。如是獲“元吉”,且為下所信而懷己德,故曰“有孚惠我德”。君雖不言,人惠其德,則我“大得志也”。張氏振淵曰:惠出於心,又何問焉!“大得志”,非以民之惠我為“得志”,以我足以致民惠我為得志也。

《象伝》にいう:「有孚恵心」は、再び問うを用いず。「恵我徳」は、志向を大いに実現せり。程頤《伊川易伝》にいう:君主を為すは至誠・恵愛して天下を增益するの心を懷けば、彼の「元吉」は言わずとも知るべし、ゆえに「勿問之矣」と講ず。天下人は至誠の心を以て我が徳行を感念してそれを恩惠と當てる、これ則ち彼の道の大いに推行し開けたるにして、人君の志向は実現せり。集説に引く崔憬の説:まさに上を損して下を益すの時に當たりて、君主は一心にただ己を減損するを想う。雖も「有孚恵心」にして恵は下に及ぶと雖も、却って終始説き出だして己の功労を炫耀せず。ゆえに「有孚恵心、勿問」と言う。「問」は則ち「説」に等し。このごとくにして便ち「元吉」を獲得し、而且下に信服せられて己の徳を感念せらる。ゆえに「有孚恵我徳」と言う。君主は雖も言わずと雖も、人々は却って彼の徳を感念す、則ち我便ち「大得志也」なり。張振淵に言う、恩惠は本心より出づれば、還何をか問わんや。いわゆる「大得志」は、百姓の我を感念するを以て得志と當てるに非ずして、而して我が自身の以て百姓をして我を感念せしむるに足るを以て得志と當てるなり。

莫益之,偏辭也。或擊之,自外來也。本義 “莫益之”者,猶從其求益之偏辭而言也,若究而言之,則又有擊之者矣。 集說 胡氏炳文曰:二不求益而“或益之”,“自外來也”,上求益而“或擊之”,亦“自外來也”,孰有以來之,五之吉,由中心之“有孚”,上之凶,由立心之“勿恆”,吉凶之道,未有不自心生者。

《象伝》にいう:「莫益之」は、あれは不過一面の辞なり。「或撃之」は、外面より來るなり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「莫益之」は、なおただ彼に順いて一味に人に增益を求むのあの分の偏私に就きて言うなり。もし話を到底に説けば、則ちただ人の彼を增益するなきのみならず、還人ありて彼を打撃するに來る。集説に引く胡炳文の説:六二は增益を求めずして却って「或益之」は、「自外來也」なり。上九は一味に増益を求めて却って「或撃之」は、同様に「自外來也」なり。到底是何ぞそれを招來せしか。九五の吉は、内心の「有孚」に源す。上九の凶は、心を立つるの「勿恒」に源す。吉凶の道理は、己の心裏より生出するに非ざるなし。

夬卦・大象与爻象

澤上於天,夬。君子以施祿及下,居德則忌。本義 “澤上於天”,潰決之勢也,“施祿及下”,潰決之意也,“居德則忌”未詳。程傳 澤,水之聚也,而上於天至高之處,故為《夬》象。君子觀澤決於上而注溉於下之象,則以“施祿及下”,謂施其祿澤以及於下也,觀其決潰之象,則以“居德則忌”。“居德”,謂安處其德。“則”,約也。“忌”,防也,謂約立防禁,有防禁則無潰散也,王弼作“明忌”,亦通。不云澤在天上,而云澤上於天,上於天,則意不安而有決潰之勢,雲在天上,乃安辭也。

《大象伝》にいう:沢水は天上に涌到す、これ則ち《夬》なり。君子はこれに由りて領悟す、禄惠を下に施及して、己の徳に安処して心に戒忌を存すべし。朱熹《本義》にいう:「沢上于天」は、潰決の形勢なり。「施禄及下」は、潰決の意思なり。至って「居徳則忌」は、含義は不詳なり。程頤《伊川易伝》にいう:沢は水の聚集する地方にして、如今却って天のごとき至高の処に涌到す、ゆえに《夬》の物象と成る。君子は沢水の上に在りて潰決して下面に灌注するの象を観て、因りて「施禄及下」す、則ち己の禄惠を下面の人に傾注するなり。再びそれが潰決するの象を観て、因りて「居徳則忌」す。「居徳」は己の徳に安処するなり。「則」は約束、「忌」は防禁、意思是則ち約立・防禁して、防禁あれば則ち潰散せざるなり。王弼の本は「明忌」と作る、亦た講じ通ずべし。「沢在天上」と言わずして「沢上于天」と言うは、「上于天」に一種の安穩ならずしてまさに决口せんとするの勢頭あるに因る。「在天上」と言えば、あれは便ち安穏の口氣なり。

案 澤上於天,所謂稽天之浸也,必潰決無疑矣。財聚而不散則悖出,故“君子以施祿及下”。居身無所畏忌,則滿而溢,故君子之聚德也,則常存畏忌而已。《禮》曰:積而能散。《書》曰:敬忌而罔有擇言在躬。夫如是,則何潰決之患之有。

李光地按す:沢は天上に涌到すは、則ち《荘子》の言う所のあの滔天の大水にして、必ず潰決して疑いなし。財貨はただ聚めて散ぜざれば、則ち以て悖乱の方式を以て流れ出去せん。ゆえに「君子以施禄及下」。立身・處世はもし畏忌する所なければ、則ち盈満・外溢せん。ゆえに君子は徳行を積聚するの時、ただ常に一分の畏忌を存するのみ。《礼記》の講ずる「積而能散」、《尚書》の講ずる「敬忌而罔有擇言在躬」――心に敬畏・戒忌を存すれば、自身に挑剔すべきの言語なし。能くこのごとくを致せば、何処にか還潰決の患あらんや。

不勝而往,咎也。程傳 人之行,必度其事可為,然後決之,則無過矣。理不能勝而且往,其咎可知,凡行而有咎者,皆決之過也。集說 王氏申子曰:謂非往之為咎,不能度其可勝而後往之為咎也。谷氏家傑曰:夬之道,其危乃光,勝心不可有也,況不勝而往乎。

《象伝》にいう:勝ち能わざるに却って硬に前往せんと要するは、則ちあれは過咎なり。程頤《伊川易伝》にいう:人は行動するに、必ず先にこの件の事の做し成るべきを估量して、然る後にこそ决然として做す、このごとくにして則ち過失あらざらん。道理の上に於て明明勝ち能わざるに却って還前に向かいて衝すれば、彼の過咎は想知すべし。凡そ行動して過咎を招來するは、皆な決断すること頭に過ぐるなり。集説に引く王申子の説:これは過咎は「往」その身に在らずして、而して先に己の能く勝つや否やを估量せずして冒然として前往するに在るを言う。谷家傑に言う、《夬》の道は、常に危懼を存してこそ能く光大す。勝を好むの心は尚且あっては不可なり、何況や明知して勝ち能わざるに還前往せんと要するや。

有戎勿恤,得中道也。程傳 暮夜有兵戎,可懼之甚也,然可勿恤者,以自處之善也,既得中道,又知惕懼,且有戒備,何事之足恤也。九居二雖得中,然非正,其為至善何也?曰:陽決陰,君子決小人而得中,豈有不正也,知時識勢,學《易》之大方也。集說 張子曰:能得中道,故剛而不暴。蘇氏軾曰:能靜而不忘警,能警而不用,“得中道”矣。與《大壯》九二“貞占”同,故皆稱其“得中”。

《象伝》にいう:「有戎勿恤」は、九二が中道を得たるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:傍晚の時分に兵戎の來襲するは、もとより極めて可怕の事に、然而以て必ずしも憂慮せずとも可なり、彼の自処することの好きに因る。すでに中道を得、また警惕・戒懼を懂得し、而且早くより防備あり、また何の事か憂慮に値せん。ある人が問う、九は陽爻を以て二位に居る、雖も中を得ると雖も、却って「當位」せず、為にかなお彼を至善と称する。回答は、陽は來りて陰を決去して、君子は小人を決去して能く中を得れば、何の正ならざるの道理あらんや。時機を懂得し形勢を認清するは、《易》を學ぶの大方向なり。集説に引く張載の説:能く中道を得れば、ゆえに剛強にして粗暴ならず。蘇軾に言う、能く安静にして警戒を忘れず、能く警戒して軽易に動用せず、これ則ち「得中道」なり。これは《大壮》九二の「貞吉」と是れ同一路数なり、ゆえに両処皆な彼を「得中」と称す。

程傳 牽梏於私,好,由無決也。君子義之與比,決於當決,故終不至於有咎也。集說 黃氏淳耀曰:“終”對“始”言之,始雖“若濡有慍”,終必決去而“無咎”也。其行次且,位不當也。聞言不信,聰不明也。程傳 九處陰,位不當也,以陽居柔,失其剛決,故不能強進,“其行次且”,剛然後能明,處柔則遷,失其正性,豈復有明也。故“聞言”而不能“信”者,蓋其“聰”聽之“不明”也。案 四與陰尚隔,“位不當”者,借爻位以明四之未當事任,而欲“次且”前進之非宜也。

以下は九三の《象伝》「君子夬夬、終无咎也」を解す、この句の伝文は底本未だ収めず。程頤《伊川易伝》にいう:私情・私好に牽絆せられて手脚を住められたるは、決断の缺少するに由る。君子はただ義と為伍して、まさに決断すべき処に於て決断す、ゆえに終に過咎あるに至らず。集説に引く黃淳耀の説:「終」は「始」に對して言う。起初は雖も「若濡有愠」にして、沾湿せられて人の恼怒を招くと雖も、最終に必ず决然として離去して「无咎」。《象伝》にまたいう:「其行次且」は、「位不當」に因る。「聞言不信」は、耳力の明ならざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九四は陽爻を以て陰位に居るは、是れ「位不當」なり。陽剛を以て柔位に処りて、剛断を失掉し、ゆえに能く強力に前進せずして、こそ「其行次且」のあの走り停まり走り停まりするの様子あるなり。剛強して然る後にこそ能く明察し、柔位に処れば則ち境に隨いて遷移し易く、己の剛正の本性を失掉して、何処にかなお明の言うべきあらんや。ゆえに「聞言」して「信」すること能わざるは、彼が聴くこと「不明」なるに因る。李光地按す:九四と陰爻との間は還一層を隔着す、いわゆる「位不當」は、「爻位」を借りて以て九四がなおこの分の事任を擔い起こすべからざるを説明して、而して走り停まり走り停まりに前に向かいて挪ぐるを欲するは并びに合宜ならざるを言う。

中行無咎,中未光也。本義 《程傳》備矣。程傳 卦辭言“夬夬”,則於中行為無咎矣。《象》復盡其義云“中未光也”。夫人心正意誠,乃能極中正之道,而充實光輝,五心有所比,以義之不可而決之,雖行於外,不失中正之義,可以“無咎”。然於中道未得為光大也,蓋人心一有所欲,則離道矣,夫子於此,示人之意深矣!

《象伝》にいう:「中行无咎」は、彼の心中のなお光大すること足らざるに因る。朱熹《本義》にいう:《程伝》はすでに講ずること甚だ完備せり。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞は「夬夬」を講ずれば、則ち「中行」の上に於て則ち「无咎」と算す。《象伝》はまたこの層の義理を説き盡くして、一句の「中未光也」を講ず。人はまさに心正しく意誠にして、こそ能く中正の道を極処に推到して、従りて充実して光輝あらん。九五は心の裏に上六に對して親比する所有りて、ただ道義の上に於て許可せざるに因りてこそ决然としてそれを除去す。このごとくは雖も外面の行事の上に於て中正の義を失わずして以て「无咎」すべくと雖も、然而中道に就きて言えば、なお光明・盛大と称上せず。因るに人心は一たび貪恋する所有れば、則ちすでに道を離れ去れり。孔子はここに於て世人に点撥するの用意は、甚だ深し。

集說 張子曰:陽近於陰,不能無累,故必正其行,然後免咎。趙氏汝揲曰:它卦貴於中行,此爻乃止於“無咎”,其亦體兌之說,溺於上而致然乎,故於中為“未光”也。案 張子之說極是,蓋因“中末光”,故貴於“中行”,非謂雖“中行”而猶“末光”也。

集説に引く張載の説:陽爻は陰爻に緊挨すれば、毫も牽累なからんこと能わず。ゆえに必ず己の行事を端正して、然る後にこそ過咎を免る。趙汝楳に言う、別の卦は皆な「中行」を以て可貴と為すに、この一爻は却ってただ「无咎」に落着するに止まる、大概は九五が身に兌悦の體に処りて上六に對して沉溺する所有るに因りてこそこのごとく、ゆえに「中」の上に於て則ち「未光」と算す。李光地按す:張載の説法は極めて是なり。まさに「中未光」なるに因りて、こそ「中行」を以て可貴と爲す。并びに雖も「中行」を致し到ると雖も却って仍旧「未光」なりと言うに非ず。

無號之凶,終不可長也。程傳 陽剛君子之道,進而益盛,小人之道,既已窮極,自然消亡,豈復能長久乎。雖號咷無以為也,故云“終不可長也”。先儒以卦中有“孚號”“惕號”,欲以“無號”為“無號”作去聲,謂無用更加號令,非也。一卦中適有兩去聲字一平聲字何害,而讀《易》者,率皆疑之,或曰:聖人之於天下,雖大惡未嘗必絕之也,今直使之“無號”,謂必有凶可乎。曰:夬者,小人之道,消亡之時也,決去小人之道,豈必盡誅之乎!使之變革,乃小人之道亡也,道亡乃其凶也。

《象伝》にいう:「无号之凶」は、小人の道は終に長久すること能わざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:陽剛・君子の道は愈々前に向かいて愈々盛んにして、小人の道はすでに盡頭に窮まれば、自ずから消亡す、何処にかなお能く長久せんや。この時に縱使号啕・大哭すと雖も亦た事を済すに無济于事なり、ゆえに「終不可長也」と言う。前代の學者は因るにこの一卦の裏に「孚号」「惕号」あるに、則ち「无号」の「号」を去声に読むべしと想いて、説くに用いて再び号令を発するを要せずと、これは不對なり。一卦の中に恰好に両個の去声字と一個の平声字あれば、また何の妨げあらんや。可《易》を読む人は大抵皆なこの上頭に於て疑を起こす。ある人が問う、聖人は天下を對待するに、縱使大悪の人と雖も亦た未だ必ずしも定めて彼を斷絶せず。如今直截に彼をして「无号」せしめて、彼は必ず凶あるを言う、このごとくは可なりや。回答は、《夬》は小人の道の消亡するの時なり。小人の道を決去するに、豈に非ずば小人を統統に殺掉して不可ならんや。彼らをして己を改変せしめれば、小人の道も亦た亡ぶ。あの「道」の亡掉するは、則ち彼らの凶なり。

姤卦・大象与爻象

天下有風,垢。后以施命誥四方。程傳 風行天下,無所不周,為君后者觀其周遍之象,以施其命令,用誥四方也。“風行地上”,與“天下有風”,皆為周遍庶物之象,而行於地上,遍觸萬物則為《觀》, 集說 龔氏煥曰:“天下有風,姤”,與“風行地上,觀”相似,故在《姤》則曰“施命誥四方”,在《觀》則曰“省方觀民設教”,曰“施”曰“誥”,自上而下,“天下有風”之象也,曰“省”曰“觀”,周曆遍覽,“風行地上”之象也。

《大象伝》にいう:天下に風あり、これ則ち《姤》なり(底本「姤」は「垢」と作る)。君王はこれに由りて領悟す、命令を颁布して以て四方に曉諭す。程頤《伊川易伝》にいう:風は天下に吹遍して到らざる処なし。君王を為すはこの周遍・無遺の物象を観て、因りて己の命令を颁下して、以て四方に曉諭す。「風行地上」と「天下有風」とは、皆な万物に周遍するの物象なり。而して風の地面上に行き走るは、処処に万物に触れ及ぶ、あれは便ち《觀》卦なり――ここに底本脱文あり。集説に引く龔煥の説:「天下有風、姤」と「風行地上、觀」との両個の象は相似たり、ゆえに《姤》に於ては則ち「施命誥四方」を講じ、《觀》に於ては則ち「省方觀民設教」を講ず。「施」を言い「誥」を言うは、上より下に自して、これは「天下有風」の象なり。「省」を言い「觀」を言うは、周游・歴覧して、これは「風行地上」の象なり。

案 《巽》之“申命”,因有積弊而振飭之也,《姤》之“施命”,與《巽》正同,蓋在三畫之卦為巽者,在六畫之卦即為《姤》也,“施命”“申命”,所以消隱慝,除積弊,法風之吹散伏陰也。

李光地按す:《巽》卦《大象》の講ずる「申命」は、因るに積久の弊病ありて之に整飭を加うるが故なり。《姤》卦の講ずる「施命」は、《巽》とまさに相同じ。因るに三画の経卦の裏に巽に属するは、六画の別卦の裏に到りて則ち《姤》と成れるが故なり。「施命」なりと「申命」なりと、皆な以て潜伏の邪悪を消除し積久の弊病を革除するに用いられ、風が潜伏の陰氣を吹散するに效法す。

繫于金柅,柔道牽也。本義 “牽”,進也,以其進,故止之。程傳 “牽”者,引而進也,陰始生而漸進,柔道方牽也,繫之於“金柅”,所以止其進也,不使進,則不能消正道,乃“貞吉”也。集說 孔氏穎達曰:“柔道牽”者,陰柔之道,必須有所牽繫也。

《象伝》にいう:「繋于金柅」は、柔道がまさに前に向かいて牽引するに因る。朱熹《本義》にいう:「牽」は則ち進なり。まさにそれが前に往きて進むに因りて、ゆえにそれを止住せんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:「牽」は、牽引して前に往くなり。陰氣は剛に萌生して逐漸に前進し、柔道はまさに牽引す。それを「金柅」に繋ぐるは、以てそれの前進を止住する為なり。それをして前進せしめざれば、それは則ち正道を消蝕すること能わず、於是「貞吉」。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「柔道牽」は、陰柔の道は必ず一個の東西ありてそれを牽繋し住めるを要するを言う。

鄭氏汝諧曰:此“羸豕”也,力雖微而其志則“蹢躅”,唯信其“蹢躅”,則不可不有所牽制,故曰“柔道牽也”。趙氏汝棋曰:《姤》之初言“繫”言“牽”,惡陰之長而止之也。

集説に引く鄭汝諧の説:これ則ち爻辞の言う所の「羸豕」――瘦弱の小猪、氣力は雖も微弱なれど、可その心志は却って「蹢躅」に在りて、停まらずに蹦跳・掙扎す。まさにそれが必ず蹦跳・掙扎するを知るに因りて、能く之に牽制を加えざること能わず、ゆえに「柔道牽也」と言う。趙汝楳に言う、《姤》卦の初爻は「繋」を講じ「牽」を講ず、是れ陰氣の生長するを厭惡して而してそれを止住せんと要するなり。

包有魚,義不及賓也。程傳 二之遇初,不可使有二於外,當如包苴之有魚,包苴之魚,義不及於賓客也。集說 吳氏曰慎曰:九二既“包有魚”,則當盡其防制之責,以義言之,不可使遇於賓也,若不制而使遇於賓,則失其義矣。

《象伝》にいう:「包有魚」は、道理に按りて賓客に輪るべからざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:九二と初六と相遇すれば、初六をして外面に於て別に第二個の對象あるを許すべからず。これ則ちまさに包裹の裏に裹めたるの魚のごとくすべく、包裹の裏の魚は、道理に按りて是れ以て賓客を待するに拿らざるなり。集説に引く呉曰慎の説:九二はすでに「包有魚」なれば、則ちまさに防范・制約の責任を盡くすべし。道義の上より講ぜば、以てそれをして往きて賓客と相遇せしむべからず。もし制約を加えずしてそれの往きて賓客と相遇するに任せば、則ちあれは道義を失うなり。

其行次且,行未牽也。程傳 其始志在求遇於初,故其行遲遲。“未牽”,不促其行也,既知危而改之,故未至於大咎也。集說 郭氏雍曰:“無膚”“次且”之厲,蓋未嘗牽勉,而妄行焉,是以至此。案 《易》中言“牽”者,自《小畜》至此,皆當為牽制之義。

《象伝》にいう:「其行次且」は、彼が前行するに并びに牽動せられざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:九三は起初一心に往きて初六と相遇せんと欲せば、ゆえに脚步は遲遲・疑疑す。「未牽」は、何物か彼を催して走らしむるなきを言う。すでに危險を知りて主意を改めば、ゆえに大の過咎を釀成するに至らず。集説に引く郭雍の説:「臀无膚」「其行次且」のあのごときの危厲は、彼が從來曽て牽制・勉抑せられざるに因りて、則ち胡乱に前行したるに、こそこの一歩に落ち到りたるなり。李光地按す:《周易》の裏に「牽」の字を講ずるの地方は、《小畜》卦より一直にここに到るまで、皆なまさに牽制と作して解すべし。

無魚之凶,遠民也。本義 民之去已,猶己遠之。程傳 下之離,由己致之,“遠民”者,己遠之也,為上者有以使之離也。集說 餘氏本曰:言其使民失道,無以結民之心,致民之去己,由己之遠乎民也。

《象伝》にいう:「无魚之凶」は、百姓を疏远したるに因る。朱熹《本義》にいう:百姓は己を離去す、等しく是れ己が彼らを推し遠ざけたるなり。程頤《伊川易伝》にいう:下面の人の離散するは、己が招來する所なり。いわゆる「遠民」は、己が彼らを疏远したるにして、上位に居る人は何を做したるにこそ彼らをして離散せしめしか。集説に引く余本の説:これは九四の百姓を駕馭するの办法の失當せるを言うにして、民心を収攏するの本事なくして、百姓の彼を離れて去るを招致す、根子は彼の自己が先に百姓を疏远したるに在り。

案 九四因與陰相應,故惡而欲遠之,正如《夬》三“壯于頄”之意,徒欲遠之而不能容之制之,此所以“包無魚”也,君子之子小人也,唯其能容之,是以能制之,不 九五含章,中正也。有隕自天,志不舍命也。程傳 所謂”含章”,謂其含蘊中正之德也,德充實,則成章而有輝光。“命”,天理也。“舍”,違也。至誠中正,屈己求賢,有志合於天理,所以“有隕自天”,必得之矣。

李光地按す:九四は陰爻と相「応与」するに因りて、ゆえにそれを憎惡してそれを推し遠ざけんと欲す、これまさに《夬》卦九三の「壮于頄」のあの層の意思のごとし。ただそれを推し遠ざけんを想うのみにして、却って能くそれを容納しそれを制約せざれば、これ則ち「包无魚」の縁由なり。君子は小人を對待するに、唯だ能くそれを容納して、こそ能くそれを制約す――ここに底本脱文あり。以下は九五の《象伝》:「九五含章」は、彼が中正なるに因る。「有隕自天」は、彼の心志の肯んじて天命を放弃せざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「含章」は、彼が中正の徳を内藴するを言う。徳は充実すれば、則ち文を成して光輝あらん。「命」は天理、「舍」は違背なり。至誠にして中正、己を屈げ下げて以て賢を求め、心志は天理に合せば、ゆえに「有隕自天」、あの様の東西は必ず手に到る。

集說 蘇氏軾曰:陰長而消陽,天之命也,有以勝之,人之志也,君子不以命廢志,故九五之志堅,則必有自天而隕者,言人之至者,天不能勝也。楊氏啟新曰:陰陽迭勝,天運自然,而心心念念,不舍天命,以靜制之,此所以挽回造化也。

集説に引く蘇軾の説:陰氣は生長して陽氣を消蝕す、これは天の命なり。それに勝つべきの办法あるは、これは人の志なり。君子は天命に因りて人志を放弃せず、ゆえに九五の心志は一たび堅定すれば、則ち必ず東西の天上より落ち來るあらん。これは人の努力すること極処に到れば、天も亦た彼に勝つこと能わざるを言う。楊啓新に言う、陰陽は彼此・消長するは、天運の自然なり。可是念々に忘れず肯んじて天命を撒手せずして、安静を以てそれを制服するは、これまさに造化を挽回するの办法なり。

案 《詩》云:“桑之落矣,其黃而隕”,故“有隕自天”,謂天時既至而瓜隕也。雖天命之必然,亦由君子積誠修德,與之符會,故曰“志不舍命”。

李光地按す:《詩経・衛風・氓》の講ずる「桑之落矣、其黄而隕」に、ゆえに「有隕自天」は、天時はすでに到れば、あの顆の瓜は自ずから墜落するを言う。これは雖も天命の必然なりと雖も、亦た仍お君子の誠意を積累し徳行を修養して天命と相契合するを靠るを須す、ゆえに「志不舍命」と言う。

姤其角,上窮吝也。程傳 既處窮上,剛亦極亦,是上窮而致吝也。以剛極居高而求遇,不亦難乎。案 不與陰遇雖無咎,然君子終以不能濟時為可羞,為其身在事外,所處之窮故爾。

《象伝》にいう:「姤其角」は、上九が窮極の地に処りて悔吝を招來するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:すでに身に最上の窮極の地に処りて、陽剛も亦た盡頭に到れり、これ則ち上窮して悔吝を招致するなり。剛の極点に到るの姿態を以て高上に居りて而して往きて人と相遇せんと欲す、豈に是れ難の上に難を加えるに非ずや。李光地按す:陰爻と相遇せざるは、雖も過錯なしと雖も、然而君子は終に能く時局を救済せざるを以て可羞の事と當てす。これは因るに彼が身に事の外に在りて処する所の境地は窮極したるが故なり。

萃卦・大象与爻象

澤上於地,萃。君子以除戎器,戒不虞。本義 “除”者,修而聚之之謂。程傳 澤上於地,為萃聚之象,君子觀《萃》象,以除治戎器,用戒備於不虞。凡物之萃,則有不虞度之事,故眾聚則有爭,物聚則有奪,大率既聚則多故矣,故觀《萃》象而戒也。“除”,謂簡治也,去弊惡也,除而聚之,所以“戒不虞”也。

《大象伝》にいう:沢水は地面の上に積到す、これ則ち《萃》なり。君子はこれに由りて領悟す、兵器を整治して以て意外に防備すべし。朱熹《本義》にいう:「除」は、修整して聚存し起こすの意なり。程頤《伊川易伝》にいう:沢水は地面の上に積到するは、聚集の物象なり。君子は《萃》卦の象を観て、因りて兵器を整治して、以て意想し到らざるの変故に防備す。凡そ東西は一たび聚集すれば、則ち意料し到らざるの事あらん。人は一たび多ければ則ち争鬭あり、物は一たび多ければ則ち搶奪あり。大体に言えば、聚まり起こせば変故は則ち多し、ゆえに《萃》象を観て警戒を生ず。「除」は、挑揀・整治して、破破損・壞掉したるを除去す。整治し好くて再び聚存し起こすは、まさに以て「戒不虞」するなり。

集說 王氏弼曰:聚而無防,則眾生心。《朱子語類》云:大凡物聚眾盛,處必有爭,故當豫為之備,又澤本當在地中,今卻上於地上,是水盛有潰決奔突之憂,故取象如此。

集説に引く王弼の説:聚まり起きて而して防備なければ、衆人は則ち別の心思を生出せん。《朱子語類》にいう:大凡東西は聚ること多く人は聚ること盛んなるの地方は、必ず争鬭あらん、ゆえにまさに預め防備を做好すべし。再び言う、沢水はもとよりまさに地の低窪の処に在るべきに、如今却って地面の上に漫到す、これは水の盛んにして潰決・奔突の憂あるなり。ゆえに《大象》はこのごとく取象す。

王氏申子曰:澤上有地,《臨》,則聚澤者地岸也,澤上於地,《萃》,則聚澤者隄防也。以地岸而聚澤,則無隄防之勞,以隄防而聚澤,則有潰決之憂,故君子觀此象為治世之防,除治其戎器,以為不虞之戒。若以治安而忘戰守之備,則是以舊防為無用而壞之也,其可乎。

集説に引く王申子の説:沢上に地あるは《臨》なり、則ち沢水を圍住するは天然の地岸なり。沢水は地面の上に漫到するは《萃》なり、則ち沢水を攔住するは就ち人の筑くるの堤防なり。天然の地岸に靠りて沢水を圍住せば、則ち堤防を修するの労費を省く。堤防に靠りて沢水を攔住せば、則ち潰決の隱憂あり。ゆえに君子はこの象を観て、治世の為に防備を預設して、己の兵器を整治して以て不測に防ぐ。もし天下の太平なるに因りて戦守の準備を忘掉せば、則ち等しく旧有の堤防を看做して没用と為してそれを扒掉するなり、これ怎んぞ行うべけんや。

乃亂乃萃,其志亂也。程傳 其心志為同類所惑亂,故乃萃於群陰也,不能固其守,則為小人所惑亂而失其正矣。集說 李氏簡曰:非其志惑亂,必無舍應亂萃之理。

《象伝》にいう:「乃乱乃萃」は、彼の心志の乱れたるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:初六の心志は同類の陰爻に迷惑・擾乱せられて、ゆえに就ち衆陰と一処に聚まり往けり。己の立場を守り牢くせざれば、就ち小人に迷惑・擾乱せられて正道を失掉せんと要す。集説に引く李簡の説:もし彼の心志の迷惑・擾乱せられたるに非ざれば、絶に正相「応与」するの九四を丢下して胡乱に聚合するの道理なし。

引吉無咎,中未變也。程傳 萃之時以得聚為吉,故九四為得上下之萃,二與五雖正應,然異處有間,乃 集說 楊氏萬里曰:“中末變”者,蓋六二所守之中道,不以為上所引而有所變也。案 此“中未變”,與《比》二“不自失”之意同,《中庸》所謂“不變塞焉”,孟子所謂“達不離道者”是也。

《象伝》にいう:「引吉无咎」は、彼の中を守るの操守の変わらざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:《萃》の時は能く聚まるを以て吉と為す、ゆえに九四はこそ上下の歸聚を得るの説法あるなり。六二と九五とは雖も正相「応与」すと雖も、可是彼此は両地に分処して中間に阻隔あり――ここに底本脱文あり。集説に引く楊萬里の説:いわゆる「中未変」は、六二の守る所の中道は、并びに上面に牽引・提拔せらるるに因りて改変する所有るを言うに非ず。李光地按す:ここの「中未変」は、《比》卦六二の《象伝》「不自失」と意思は相同じ、亦た則ち《中庸》の言う所の「不変塞焉」と孟子の言う所の「達不離道」なり。

往無咎,上巽也。程傳 上居柔說之極,三往而無咎者,上六巽順而受之也。集說 虞氏翻曰:動之四,故“上巽”。鄭氏汝諧曰:下二陰皆萃於陽矣,三獨無附,故諮嗟怨嘆而無攸利。雖然,當萃之時,下欲萃於上,上亦欲下之萃於我,三不以無應之故,能往歸於上,雖“小吝”而亦可以“無咎”,“上”非上六,謂在上之陽也。

《象伝》にいう:「往无咎」は、上面の人の肯んじて謙順に接納するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:上六は柔悦の體の頂端に処りて、六三の前往して過錯なきは、上六が謙順の態を以て彼を接納したるに因る。集説に引く虞翻の説:六三は変動して往きて九四に就けば、ゆえに「上巽」と言う。鄭汝諧に言う、下面の両個の陰爻は皆な陽爻のあの辺に聚まり往けり、独り六三は依附すべきなくして、ゆえに嗟嘆・怨恨して「无攸利」。雖も然ると雖も、まさに聚合の時に當たりて、下面は上面に聚まり往かんを想い、上面も亦た下面の己のここに聚まり來らんを希望す。六三は「応与」なきに因りて就ち作罢せずして、能く前往して上面に歸附す、雖も「小吝」あれども亦た仍お以て「无咎」すべし。ここの「上」は上六を指すに非ずして、而して上に在る陽爻を指す。

大吉無咎,位不當也。程傳 以其位之不當,疑其所為未能盡善,故云必得“大吉”,然後為“無咎”也。非盡善,安得為大吉乎。集說 蘇氏軾曰:非其位而有聚物之權,非大吉,則有咎矣。

《象伝》にいう:「大吉无咎」は、「位不當」に因る。程頤《伊川易伝》にいう:まさに彼の居する所の位の當らざるに因りて、人をして彼の作為する所の未だ必ずしも善を盡くすこと能わざるを疑心せしむ、ゆえに必ず「大吉」を得て、然る後にこそ「无咎」と算す。盡善・盡美に非ざれば、何処にか大吉と称上せんや。集説に引く蘇軾の説:あの位置に在らずして却って万物を聚合するの権柄を握る、大吉を致さざれば、就ち過咎あらんと要す。

郭氏雍曰:四得上下之聚而非君位,故言“不當也”。鄭氏汝諧曰:其位近,其德同,其為下之所歸亦同,自非所為至善,則其君病之,烏能無咎,戒之也。凡言位不當,其義不一,此所謂不當者,為其以剛陽迫近其君也。

集説に引く郭雍の説:九四は上下の人心を聚攏せるに、可他は并びに君位に在らず、ゆえに「不當也」と言う。鄭汝諧に言う、九四は君位を離るること甚だ近く、徳行はまた君主と相同じく、下面に歸附せらるるの情形も一様なり。もし作為する所は至善に非ざれば、君主は則ち彼を忌憚せん、怎んぞ能く過咎なからんや――これは彼を告誡するなり。凡そ「位不當」を講ずるは、含義は各々相同じからず。ここに言う所の不當は、彼が陽剛の質を以て君主に緊逼するに因る。

熊氏良輔曰:九四九五,皆《萃》之主:九五,在上之《萃》也;九四,在下之《萃》也。故九五曰“萃有位”,而四《象》曰“位不當”,“大吉無咎”者,上比於君,以臣而有君萃之象,疑於有咎故也。案 鄭氏謂凡言“位不當”,其義不一者是已,然須知是借爻位之當不當,以發明其德與時位之當不當。

集説に引く熊良輔の説:九四と九五とは皆な《萃》卦の卦主なり。九五は上の位に在る者の聚合、九四は下の位に在る者の聚合なり。ゆえに九五の爻辞は「萃有位」を講じて、而して九四の《象伝》は「位不當」を講ず。必ず「大吉」あってこそ「无咎」なる所以は、九四は上に向かいて君に親比して、臣子の身份を以て却って君主のごときの人心を聚攏するの様子あるに因りて、人をして彼が過咎あらんを疑心せしむ。李光地按す:鄭汝諧の言う凡そ「位不當」を講ずるは含義は各々相同じからずと、この話は是なり。不過還須明白すべし、あれは「爻位」の當と不當とを借りて、以てこの一爻の徳と処する所の時位との當と不當とを発明するなり。

萃有位,志未光也。本義 “未光”,謂匪孚。程傳 《象》舉爻上句,王者之志,必欲誠信著於天下,有感必通,含生之類,莫不懷歸,若尚有“匪孚”,是其志之“未光”大也。

《象伝》にいう:「萃有位」は、彼の志向のなお光大すること足らざるを言う。朱熹《本義》にいう:いわゆる「未光」は、指す所は則ち爻辞の裏の「匪孚」のあの一層なり。程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》はただ爻辞の上一句を挙げたり。王者を為すの志向は、必ず誠信をして天下に昭著ならしめんと要し、一たび感召あれば相通ぜざるなし、凡そ生命あるは彼に心悦・誠服して歸向せざるなし。もしなお「匪孚」を留るれば――人ありて肯んじて信服せざる、則ちあれは彼の志向のなお光大すること足らざるなり。

集說 龔氏煥曰:五有其位者也,徒有其位,故人或“匪孚”,此志之所以“未光也”。胡氏炳文曰:四必“大吉”而後“無咎”,位不當也。五有位矣,而“匪孚”,志猶“未光也”。然則欲當天下之萃者,不可無其位,有其位,又不可無其德。

集説に引く龔煥の説:九四はあの位置ある人なり。然而ただ位置あるのみにして、ゆえに還人ありて「匪孚」して肯んじて信服せず、これ則ち彼の志向の「未光也」なり。胡炳文に言う、九四は必ず「大吉」あって然る後にこそ「无咎」なるは、「位不當」に因る。九五はすでに位置あるに、却って還人ありて「匪孚」すれば、志向は仍旧「未光也」なり。このごとく看れば、天下の歸聚を擔當せんと欲せば、能くあの位置なかるべからず。あの位置あれば、また能く相配するの徳なかるべからず。

程傳 小人所處,常失其宜。既貪而從欲,不能自擇安地,至於困窮,則顛沛不知所為,六之“涕洟”,蓋不安於處上也。君子慎其所處,非義不居,不幸而有危困,則泰然自安,不以累其心。小人居不擇安,常履非據,及其窮迫,則隕穫躁撓,甚至“涕洟”,為可羞也。“未”者,非遽之辭,猶俗云未便也,未便能安於上也,陰而居亡,孤處無與,既非其據,豈能安乎。集說 趙氏光大曰:言危懼而不敢自安於上,操心危,慮患深,安得晏然而已乎。案 “上”,猶外也。

以下は上六の《象伝》「齎咨涕洟、未安上也」を解す、この句の伝文は底本未だ収めず。程頤《伊川易伝》にいう:小人の処する所の位置は、常常に合宜せず。すでに貪心にしてまた欲望を放縱して、能く自己の為に一塊の安穩の地方を挑ぶること会せず、困窮に陷入するを待ちては、便ち手を措き足を措く所なく如何とも為すべきを知らず。上六の「涕洟」して流泪する所以は、まさに上位に待つこと安穩ならざるに因る。君子は己の処する所の地を甚だ謹慎にして、道義に合せざるの位置は往きて待たず。万一不幸にして危難・困窮に遭遇するも、亦た泰然・自安して、それをして己の心を攪乱せしめず。小人は居処は安穩を挑ばずして、常常に占むべからざるの位置を占めて、窮迫の時候に到れば、則ち沮喪・失落して煩躁・不安にして、甚至涕泪・交流して、實に可羞なり。「未」の字は「立刻」の意思に非ず、俗話の言う「未便」のごとく、彼がなお能く上位に安処すること能わざるを言うなり。陰柔の質を以て高く極上に居りて、孤零零として伴侶なく、またもとより占むべからざるの位置を占めて、怎んぞ能く安穩ならんや。集説に引く趙光大の説:これは上六の危懼・不安にして、敢えて上位に自処して安逸せざるを言う。彼は心を存して時時に警惕して、憂慮・禍患すること甚だ深し、怎んぞ能く安然・自若せんや。李光地按す:ここの「上」は、則ち「外」に等し。

雖在外而不敢自安,如舜之耕歷山,周公之處東國,必號泣嘵嘵,求萃於君父而後已也。

この一句は上文の《萃》卦上六の「齎咨涕洟」に對するの解説に承接す。人は雖も身に朝廷の外に在りと雖も、却って敢えて自ら安逸を求めずして、虞舜の歴山に於て耕種し周公が東方の國土に居処したるのあのごとく、必ず哀号・哭泣して苦苦に心の声を叫び出だして、君父と重新に会聚するを求得するに到るまで肯んじて罷休せざるなり。

升卦・大象与爻象

地中生木,升。君子以順德,積小以高大。本義 王肅本“順”作“慎”,今案他書引此,亦多作“慎”,意尤明白,蓋古字通用也,說見上篇《蒙》卦。程傳 木生地中,長而上升,為《升》之象。君子觀《升》之象,以順修其德,積累微小以至高大也,順則可進,逆乃退也。萬物之進,皆以順道也,“善不積不足以成名”,學業之充實,道德之崇高,皆由積累而至,積小所以成高大,升之義也。集說 胡氏炳文曰:木之生也,一日不長則枯,德之進也,一息不慎則退,必念念謹審,事事謹審,其德積小高大,當如木之升矣。

《大象伝》にいう:地中に樹木を生長す、これ則ち《升》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに自然の理に順いて徳行を修養して、細小なるを積累し起きて以て高大を成就すべし。朱熹《本義》にいう:王肅の伝うる所の本子は「順」を「慎」と寫作す。如今他の書のこの一句を引用するを考察すれば、亦た大多「慎」と作りて、意思は更に明白なり、大概は古はこの両個の字は通用せしならん、説解は上篇の《蒙》卦を見よ。程頤《伊川易伝》にいう:樹木は地中に生じて、一天天に高く長じて上に向かう、これ則ち《升》卦の物象なり。君子は《升》卦の象を観て、順の工夫を用いて己の徳行を修治して、一点一点に微小の善を積累して、高大に到るまで――順に走れば則ち能く前進し、逆に走れば則ち後退せんと要す。万物の生長・前進は、皆な順の道理に循うなり。《系辞下伝》に言う「善不積不足以成名」と、學業の充実、道徳の崇高は、皆な積累に由りて來る、小を積むはまさに以て高大を成就するなり、これ便ち「升」の意義なり。集説に引く胡炳文の説:樹木の生長は、一日長長ぜざれば就ち枯萎せんと要す。徳行の進修は、一刻謹慎せざれば就ち退步せんと要す。ゆえに必ず念々に謹慎・審察し事事に謹慎・審察して、徳行をして細小より高大に積成せしめ、まさにまさに樹木のごとく一路上升すべし。

允升大吉,上合志也。程傳 與在上者合志同升也。“上”,謂九二,從二而升,乃與二同志也,能信從剛中之賢,所以“大吉”。集說 呂氏大臨曰:初六以柔居下,當升之時,柔進而上,雖處至下,志與三陰同升,眾之所允,無所不利,故曰“允升大吉”。案 呂氏以上為上體三明者是。

《小象伝》が初六を解して言う:衆人に信従せられて上昇す、大いに吉利、是れそれが上の位に在る一方と心志の相合するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:これは上位に居する人と心志の相合して一同に上昇するなり。いわゆる「上」は、九二を指す。九二に跟いて上昇するは、則ち九二と心を同じくするなり。初六は能く剛健・中を守るの賢者を信服して追随す、ゆえに「大吉」を得。集説に引く呂大臨の説:初六は柔爻を以て全卦の最下に居りて、まさに上昇の時に當たりて、柔順に上に向かいて前進す。雖も身に最下に処ると雖も、心志は却って上體の三個の陰爻と一同に上昇して、衆人に信許せられて、利あらざるなし。ゆえに「允升大吉」と言う。李光地按す:呂大臨が「上」を上體の三個の陰爻と作して解するは、この講法は是なり(底本「三明」はまさに「三陰」の訛なるべし)。

九二之孚,有喜也。程傳 二能以孚誠事上,則不唯為臣之道無咎而已,可以行剛中之道,澤及天下,是“有喜也”。凡《象》言有慶者,如是則有福慶及於物也,言有喜者,事既善而又有可喜也,如《大畜》“童牛之梏元吉”,《象》云“有喜”,蓋“梏”於“童”則易,又免強制之難,是有可喜也。

《小象伝》が九二を解して言う:九二の誠信は、是れ可喜の事あり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は能く誠信を以て上に在る君主に侍奉すれば、則ちただ臣道を盡くして災禍あらざるのみならず、還剛健・中を守るの道理を推行して、恩沢は天下に普及す、これ則ち「有喜也」なり。凡そ《象伝》の「有慶」を講ずるは、このごとく做せば便ち福慶の外物に施及するあるを言う。「有喜」を講ずるは、事情はすでに辦し得て妥善せるに、その中にまた別に欣喜に値するの処あるを言う。譬えば《大畜》六四に言う「童牛之梏、元吉」に、《象伝》は便ち「有喜」と言う――牛のなお小なるに趁りてそれに木製の角枷を加うれば、做し起こすこと容易く、また日后に強行に制服するの困難を免去す、これ則ち別に可喜の地方あるなり。

升虛邑,無所疑也。程傳 入無人之邑,其進無疑阻也。集說 蘇氏軾曰:九二以陽用陽,其升也果矣,故曰“升虛邑,無所疑也”。不言吉者,其為禍福未可知也,存乎其人而已。案 《乾》四日“或之者疑之也,故無咎”。果於進而無所疑,可乎!蘇氏之說善 王用亨于岐山,順事也。

《小象伝》が九三を解して言う:空虚・無人の城邑に升入るは、前進するに疑難・阻碍なきを言う。程頤《伊川易伝》にいう:人なきの城邑に走り入るは、前進するに疑虑なく、亦た阻挡なし。集説に引く蘇軾の説:九三(底本は「九二」と作る)は陽爻を以て陽位に居りて、それの上昇は是れ果決なり。ゆえに「升虚邑、无所疑也」と言う。爻辞の吉を言わざるは、このごとく果決に前進するは究竟は禍か福か還預知し難く、全て行事する人の自己が如何に把握するを看るに因る。李光地按す:《乾》卦九四の《文言》に言う「或之者、疑之也、故无咎」、まさに心に遲疑・審度を存するに因りて、こそ過錯なし。如今果決に前進して毫も疑虑なし、行なりや!蘇軾の説法は説くこと好し(底本ここに脱文あり)。以下は六四の《小象伝》:「王用亨于岐山、順事也。」

本義 以順而升,登祭于山之象。程傳 四居近君之位而當升時,得“吉”而“無咎”者,以其有順德也,以柔居坤,順之至也,文王之亨於歧山,亦以順時而已,上順於上,下順乎下,已順處其義,故云“順事也”。案 用賢以享於神明,是順神明之心而事之者也。

朱熹《本義》にいう:順に靠りて以て上昇す、これは山に登りて祭祀を舉行するの物象なり。程頤《伊川易伝》にいう:六四は君位に接近するの地方に処りて、またまさに上昇の時に當たりて、「吉」を得て災禍あらざること能きは、それが順の徳性を具備するに因る。柔爻を以て坤體の中に居りて、順すること極点に到れり。周文王が岐山に於て祭享を舉行するも、亦不過時勢に順応するのみ。上に對しては君主に順從し、下に對しては臣民に順應し、自己又た順當に本分の内に安処す。ゆえに《象伝》は「順事也」と言う。李光地按す:賢才を任用して神明を祭享するは、これも亦た神明の心意に順いて以てそれを侍奉するなり。

貞吉升階,大得志也。程傳 倚任賢才而能貞固,如是而升,可以致天下之大治,其志可大得也,君道之升,患無賢才之助爾,有助,則猶自階而升也。集說 何氏楷曰:即《彖》所謂“有慶”、“志行”者也。案 自初而升,至此而升極矣,故初曰“上合志”,此曰“大得志”。

《小象伝》が六五を解して言う:正を守りて吉を得て階に循りて升す、是れ心志の大いに得る所有るなり。程頤《伊川易伝》にいう:賢才を倚重・任用してまた能く正固を堅守すれば、このごとくに上昇して、以て天下の大治を造成すべく、君主の心志は便ち以て大いに実現すべし。君道の上昇は、憂慮する所はただ賢才の輔助なきに在る。一たび輔助あれば、則ち髣髴として台階に順いて一級一級に登り上去するがごとく穏當なり。集説に引く何楷の説:これまさに《彖伝》の言う所の「有慶」「志行」なり。李光地按す:初六より一路に往きて升るに、六五に到れば則ち升ること極処に到れり。ゆえに初六の《象伝》は「上合志」と言い、ここに「大得志」と言う。

冥升在上,消不富也。程傳 昏冥於升極,上而不知已,唯有消亡,豈復有加益也,“不富”,無復增益也,升既極,則有退而無進也。集說 胡氏瑗曰:上六既不達存亡之幾,以至於上位,固當消虛自損,不為尊大,以自至於富盛也。案 胡氏之說善矣,然不曰“不息之貞”,“消不富也”,而曰“冥升在上”者,以在上明其位勢之滿盛,故當以自消損為貞也。

《小象伝》が上六を解して言う:昏昧に最高処に升到するは、ただ消減して更に増益せざるのみ。程頤《伊川易伝》にいう:上昇の極点に昏昧して、一味に上に向かいて而して停止するを知らざれば、剰る所はただ消亡あるのみ、何処にか還增添あらんや。「不富」は、則ち更に増益なからん。上昇はすでに頂に到れば、便ちただ退ありて進なし。集説に引く胡瑗の説:上六はすでに存亡の幾微の徵兆を明白せずして、一直に最上の位置に升到す、もとよりまさに己を消減・虚空にして自ら減損を求めて、尊大の架勢を擺出せずして、己をして反って豊盛に走向せしむるべし。李光地按す:胡瑗の説法は甚だ好し、不過《象伝》は爻辞に接いで「不息之貞、消不富也」と言わずして、却って「冥升在上、消不富也」と言うは、以て「在上」を以てそれの位勢のすでに満盈なるを点明せんと要するなり、ゆえにまさに自我・消減を以て正を守るの道と爲すべし。

困卦・大象与爻象

澤無水,困。君子以致命遂志。本義 水下漏,則澤上枯,故日“澤無水”,“致命”,猶言授命,言持以與人而不之有也,能如是則雖困而亨矣。程傳 “澤無水”,困乏之象也,君子當困窮之時,既盡其防慮之道而不得免,則命也,當推致其命以遂其志,知命之當然也。則窮塞禍患,不以動其心,行吾義而已。苟不知命,則恐懼於險難,隕孰於窮厄,所守亡矣,安能遂其為善之志乎。

《大象伝》にいう:沼沢の裏に水なし、これ則ち《困》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに性命を交付し出去して以て己の心志を成全すべし。朱熹《本義》にいう:水は下面より漏走して、沢面上は就ち乾枯す、ゆえに「沢无水」と言う。「致命」は、「授命」と言うに等し、己の性命をまさに交るべきの地方に交して而して更に己に據為有と爲さざるなり。能くこのごとくせば、則ち雖も困境に在りと雖も終に亨通す。程頤《伊川易伝》にいう:「沢无水」は困乏・窘迫の物象なり。君子は困窮の時に処りて、防范・籌劃の办法は皆な用い盡くして仍お躲け開かざれば、則ちあれは命なり。この時まさに性命を推付し出去して以て己の志向を成全すべし、因るに命はもとよりこのごとくを知るが故なり。このごとくにして、窮塞と禍患とは能く彼の心を動揺すること能わず、彼はただ己の以てまさに做すべきと爲す所の事を做すのみ。假如命を懂得せざらば、則ち険難の面前に於て恐懼して、窮厄の中に於て沮喪・隕落して、連同もとより堅守したる東西をも丢光せん、還怎んぞ能く己の善に向かうの心志を成全せんや。

集說 王氏弼曰:澤無水,則水在澤下,水在澤下,《困》之象也。處困而屈其志者小人也,君子固窮,道可志乎。鄭氏汝諧曰:知其不可求而聽其自至焉,“致命”也,在命者不可求,在志者則可遂,所謂從吾所好也。馮氏當可曰:君子之處困也,命在天而致之,志在我則遂之,困而安於困者,命之致也。困而有不困者,志之遂也,若小人處之,則凡可以求倖免者,無不為也,而卒不得免焉,則亦徒喪其所守而已矣!體坎險以“致命”,體兌說而“遂志”。

集説に引く王弼の説:沢中に水なきは、水の沢底の下に漏到したるに因る。水は沢下に在るは、まさに《困》卦の物象なり。身に困境に処りて己の心志を屈抑するは、あれは小人なり。君子は窮困の中に於て反って立つこと更に穩しく、この分の道は豈に是れ随便に動揺すべきならんや。集説に引く鄭汝諧の説:明知して強求するを得ずして而してそれの自己の到來するに聽憑す、これ則ち「致命」なり。命に属するの部分は求め來ること能わず、志に属するの部分は却って以て成全すべし、亦た則ち孔子の言う我が好む所に順從するなり。集説に引く馮當可の説:君子は困に処りて、命は上天に在れば、則ちそれを交付し出去し。志は己に在れば、則ちそれを成全し起こす。身に困境に在りて能く困境に安んずるは、「命」の交付なり。身に困境に在りて而して心の中に別に困らざるの処あるは、「志」の成全なり。小人に換えて同様の境地に処れば、凡そ以て僥倖に身を脱すべきの手段は做さざるなし、最後に仍お身を脱すること能わずして、白白に己の元來の操守を丢掉するのみ!卦體より看れば、下卦の坎は険と爲して、「致命」に對應す。上卦の兌は悦と爲して、「遂志」に對應す。

何氏楷曰:“致”,猶委也。人不信其命,則死生禍福,營為百端。居貞之志,何以 入于幽谷,幽不明也。程傳 “幽不明也”,謂益入昏暗,自陷於深困也,明則不至於陷矣。

集説に引く何楷の説:「致」は則ち委棄・交付に等し。人はもし己の命を相信せざらば、則ち生死・禍福の間に於て千方百計に鑚営・算計せんと要す。至って正道に安処するの心志は、また何を靠りて以て成全せん――底本ここに脱文あり。以下は初六の《小象伝》:「入于幽谷、幽不明也。」程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「幽不明也」は、愈々として昏暗の裏に走り入りて、己が己を深困の中に陷むるを言う。心の裏はもし明白ならば、則ち陷落するに至らず。

困于酒食,中有慶也。程傳 雖困於所欲,未能施惠於人,然守其剛中之德,必能致亨而有福慶也。雖使時未亨通,守其中德,亦君子之道亨,乃“有慶也”。案 二有中德,故能以酒食享祀而有福慶。

《小象伝》が九二を解して言う:酒食の間に困るは、中を守りて終に福慶あるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九二は雖も己の做さんと欲する所の事に困住せられると雖も、還能く恩惠を别人に施與すること能わざると雖も、但彼は剛健・中を得るの徳性を守住せば、最終に一定に亨通に走向して福慶を獲得せん。縱使時勢は一時に通ぜずと雖も、ただこの分の中徳を守住せば、君子の自身の道は亦たすでに通ぜり、これ則ち「有慶也」なり。李光地按す:九二は中に居るの徳性を具備す、ゆえに能く酒食を以て神明を祭享して福慶を獲得す。

據于蒺藜,乘剛也。入于其宮,不見其妻,不祥也。程傳 “據于蒺藜”,謂乘九二之剛,不安,猶藉刺也。“不祥”者,不善之徵,失其所安者,不善之效,故云“不見其妻,不祥也。”集說 鄭氏汝諧曰:進阨於四,故“困于石”。退乘二之剛,故“據于蒺藜”。上其宮也,其宮可入,而以柔遇柔,非其配也,以此處困,“不祥”莫甚焉。案 爻有眾喻,而《傳》偏舉一者,舉其重者也,《易》“乘剛”之義最重,故《睽》三“見輿曳”,此爻“據于蒺藜”,皆以其“乘剛”言之。

《小象伝》が六三を解して言う:蒺藜の上に靠るは、それが「乗剛」するに因る。自家の屋裏に走り入りて却って妻子を見ざるは、これは不吉の兆頭なり。程頤《伊川易伝》にいう:「据于蒺藜」は、六三が九二の剛爻の上に騎壓するを指す、坐りて安穩ならずして、荆棘を墊けるがごとし。いわゆる「不祥」は、不善の徵兆なり。己の身を安ずるの処を失うは、まさに不善の效驗なり。ゆえに「不見其妻、不祥也」と言う。集説に引く鄭汝諧の説:前に往きて九四に困阻せられば、ゆえに爻辞は「困于石」と言う。後に往りてまた九二の剛爻を騎壓すれば、ゆえに「据于蒺藜」と言う。上六は則ちそれの「宮」にして、あの間の屋子は進み入るを得べくと雖も、可是柔爻を以て柔爻に遇上するは、并びにそれの配偶に非ず。このごときの処境を帶びて以て困厄に應付すれば、不吉は更にこれより甚だしきなし。李光地按す:一條の爻の裏に往々にして好幾重の比喻を含むに、而して《象伝》は偏にただその中の一項を挙ぐ、あれは分量の最も重きの一項を挙出するなり。《周易》の裏の「乗剛」の意義は最も重し、ゆえに《睽》卦六三の「見輿曳」とこの一爻の「据于蒺藜」とは、皆なそれの剛爻を騎壓するに就きて以て説を立つ。

來徐徐,志在下也,雖不當位,有與也。程傳 四應於初而隔於二,志在下求,故徐徐而來,雖居不當位為未善,然其正應相與,故有終也。集說 蘇氏濬曰:四與五同為上六所掩,進而見掩,豈君子直遂之時耶,唯沈潛以養其晦,從容以俟其幾,故五曰“乃徐”,四曰“徐徐”,志在下矣,四位雖上而心則下也。然四、五合德,天下之事,終以舒徐濟之,故曰“有與”,又曰“有終”。何氏楷曰:五為近比,則四之所與者。

《小象伝》が九四を解して言う:緩緩として前來す、是れ心志を下面に放く。雖も居する所の位は相當せざると雖も、却って還相應和するの伙伴あり。程頤《伊川易伝》にいう:九四と初六と相應すれど、中間は却って九二に隔てられて、心志は下に向かいて尋求す、ゆえに來ること慢慢・騰騰す。それの居する所の位は當らずして、もとより好しと算上すべからず、但初六とは正應にして彼此・相与せば、ゆえに終に能く好き結果を得。集説に引く蘇濬の説:九四と九五とは同じく上六に遮掩せられて、一たび往きて前進すれば則ち遮住せらる、これ豈に是れ君子の以て一直に挺進すべきの時ならんや。ただ沉潛し下りて以て己の晦暗を涵養し、從容・不迫して時機の苗頭を等待するのみ。ゆえに九五は「乃徐」と言い、九四は「徐徐」と言う、心志は皆な下面に放けり。九四の位置は雖も上に在ると雖も、心は却って下に向かうなり。然而九四と九五とは徳性の相合して、天下の事情は終に從容・舒緩に靠りてこそ辦成すること能し、ゆえに「有与」と言い、また「有終」と言う。集説に引く何楷の説:九五と九四とは緊鄰に相與して、まさに九四の相与する所の一方なり。

劓刖,志未得也。乃徐有說,以中直也。利用祭祀,受福也。程傳 始為陰掩。無上下之與,方困未得志之時也。徐而有說,以中直之道,得在下之賢,共濟於閒也,不曰中正與二合者,云“直”乃宜也,“直”比正意差緩,盡其減意,如“祭祀”然。以求天下之賢,則能亨天下之困,而亨受其福慶也。集說 陸氏希聲曰:困窮而通,德辨而明,中正道行,志則大遂,故“乃徐有說”也。

《小象伝》が九五を解して言う:鼻を割き足を斷るがごときの傷害を受くるは、心志のいまだ実現せざるなり。慢慢としてこそ喜悦ありて、是れ中を守りて正直するを靠る。祭祀を舉行するに利ありは、能く福沢を承受するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九五は起初は陰爻に遮掩せられて、上下に相与する人なし、まさに困厄の中心に於て心志の未だ施展すること能わざるの時なり。慢慢としてこそ喜悦あるは、中を守り正直するの態度を憑りて、下面の賢者を得到して、一同に艱難を渡過す。《象伝》は「中正」を言わずして九二と相合せるは、「直」の字を用うるが更に合適するに因る。「直」は「正」に比して語意は稍や緩しく、虚己・相待して誠意を用い盡くすの意思を含みて、「祭祀」を舉行するがごとく恭敬・虔誠なり。このごときの態度を以て往きて天下の賢者を訪求すれば、則ち能く天下の困厄を疏通して、従りてそれの帶來する所の福慶を享受す。集説に引く陸希声の説:困窮すること極処に到りて然る後に通達し、徳性は分辨を經て然る後に明白にして、中正の道は推行するを得て、心志は則ち大いに実現せり、ゆえに「乃徐有説」と言う。

困于葛藟,未當也。動悔有悔吉,行也。程傳 為困所纏而不能變,未得其道也,是處之未當也。知動則得悔,遂有悔而去之,可出於困,是其行而吉也。集說 陸氏希聲曰:行而獲吉,故曰變乃通也。

《小象伝》が上六を解して言う:葛藤に纏住せられて受困す、是れ處置すること恰當を得ざるなり。一たび動けば則ち悔恨を招致するを知りて、於是悔改の心を生出して吉を得るは、肯んじて行動するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:困厄に纏繞せられて却って改変すること能わざるは、困を脱するの門路を找着せざるなり、亦た則ち處置すること恰當を得ざるなり。明白して一たび動けば則ち悔あるを知るを待ちて、於是悔改の意を生出して原地を離去すれば、則ち以て困境を走出すべし、これ則ち肯んじて行動して因りて吉を得るなり。集説に引く陸希声の説:肯んじて行動してこそ吉利を獲得す、ゆえに窮極すれば則ち変を思い、変じてこそ能く通ずと言う。

井卦・大象与爻象

木上有水,井。君於以勞民勸相。本義 木上有水,津潤上行,《井》之象也。“勞民”者以君養民,“勸相”者使民相養,皆取井養之義。程傳 木承水而上之,乃器汲水而出井之象,君子觀《井》之象,法《井》之德,以勞徠其民,而勸勉以相助之道也,勞徠其民,法《井》之用也,勸民使相助,法《井》之施也。

《大象伝》にいう:樹木の上に水あり、これ則ち《井》卦なり。君子(底本「君子」は「君于」と訛作す)はこれに由りて領悟す、まさに百姓を慰勞して而且彼らを勧勉して互相帮助せしむべし。朱熹《本義》にいう:樹木の上に水あるは、津液の滋潤して上に向かいて運行するなり、これまさに《井》卦の物象なり。「労民」は君主に由りて百姓を養育するに來り、「勧相」は百姓をして彼此養育せしむるに來り、両者は皆な井水の人を養うの意義より取る。程頤《伊川易伝》にいう:木器は水を承えてそれを提上ぐるは、まさに器具を用いて井より水を汲み出だすの物象なり。君子は《井》卦の象を観て、井の徳性に效法して、以て己の百姓を慰勞・招徠し、而且彼らを勉励して互相帮助の路を走らしむ。百姓を慰勞・招徠するは、效法する所は井の功用なり。百姓を勧導して互相帮助せしむるは、效法する所は井の施與なり。

集說 張子曰:養而不窮,莫若勞民而勸相也。楊氏繪曰;水性潤下,能上潤於物者,井之用也。《朱於語類》云:木上有水,井,說者以為木是汲器,則後面卻有瓶,瓶自是瓦器,只是說水之津潤上行,至那木之杪,這便是井水上行之象。

集説に引く張載の説:養育の功をして窮盡なからしめんと要せば、百姓を慰勞して彼らを勧めて互助せしむるより更に好き办法なし。集説に引く楊繪の説:水の本性は下に向かいて潤沢するにして、能く反って上に向かいて万物を潤沢するは、まさに井の功用なり。《朱子語類》に記載す:「木上有水、井」は、経を解する人は以て「木」は水を汲むの器具と爲す。可是爻辞の後面にまた「瓶」を出現せしめば、瓶はもとより是れ陶器なり。ここはただ水の津液の上に向かいて運行して、一直にあの樹木の梢頭に送り到るを言うのみにして、これ便ち井水の上行するの物象なり。

又云,草木之生,津潤皆卜行,直至樹末,便是木上有水之義,如菖蒲葉,每晨葉尾皆有水如珠顆,雖藏之密室亦然,非露水也,問如此則井之義與木上有水何預?曰:木上有水,便如水本在井底,卻能汲上來給人之食,故取象如此。李氏心傳曰:“勸相”,即相友相助相扶持之意。

《朱子語類》にまた記載す:草木は生長するに、津液は皆な上に向かいて運行して(底本「上行」は「卜行」と訛作す)、一直に樹梢に送り到る、これ則ち「木上有水」の意思なり。譬えば菖蒲の葉子の、毎日清晨に葉尖の上に皆な顆粒のごときの水珠を凝著するは、就算密闭の屋子の裏に蔵めても亦た照様このごとくして、あれは并びに露水に非ず。ある人が問う、このごとく言えば、井の意義は「木上有水」とまた何の相干あらんや。朱熹が答えて曰く、「木上有水」は、則ち水のもとより井底に在りて、却って能く汲み上げられて以て人の飲用に供せらるるがごとく、ゆえに取象はここに取り到るなり。集説に引く李心傳の説:いわゆる「勧相」は、則ち彼此・為友、彼此・幇助、彼此・扶持するの意思なり。

案 《大象》“木上有水”,須以朱子之說為長,《彖傳》“巽乎水而上水”,則鄭氏桔槔之說,不妨並存也。“勞民”者,如巽風之布號令;“勸相”者,如坎水之相灌輸。

李光地按す:《大象伝》の講ずる「木上有水」は、還朱熹の説法を以て講じること最も通ず。至って《彖伝》の講ずる「巽乎水而上水」は、則ち鄭玄が桔槔の水を汲むを以て解釋するの説法は、妨げず朱説と并存すべし。いわゆる「労民」は、下卦の巽風が号令を布散し出去するがごとし。いわゆる「勧相」は、上卦の坎水が彼此・灌注・輸送するがごとし。

井泥不食,下也。舊井無禽,時舍也。本義 言為時所棄。程傳 以陰而居井之下,泥之象也,無水而泥,人所不食也,人不食,則水不上,無以及禽鳥,禽鳥亦不至矣。見其不能濟物,為時所舍置不用也,若能及離鳥,是亦有所濟也。“舍”,上聲,與《乾》之“時舍”音不同。集說 孔氏穎達曰:“下也”者,以其最在井下,故為“井泥”也。“時舍”也者,人既不食,禽亦不向,是一時共棄舍也。

《小象伝》が初六を解して言う:井底の淤泥は飲用すること能わず、それが最下面に在るに因る。廢棄の旧井は禽鳥をも來らしめず、是れ時人に舍弃せらるなり。朱熹《本義》にいう:これはそれが當時の人に抛弃せられたるを講ず。程頤《伊川易伝》にいう:陰爻を以て井の最下層に処るは、まさに淤泥の物象なり。水なくしてただ泥あるのみ、人は自ずから肯んじて飲用せず。人は來りて汲まざれば、水は上がり上去すること能わずして、亦た禽鳥に供給するの由なく、禽鳥は便ち亦た更に飛來せず。これによりそれは能く外物を救済せずして、因りて時人に搁置して用いられず。假使還能く禽鳥に惠及せば、あれは亦た救済する所有ると算せん。ここの「舍」は上声に読みて、舍弃と作して講じ、《乾》卦《文言》の「時舍也」の読音と不同じ。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「下也」は、それが井の最底下に処するに因りて、ゆえに「井泥」と成れり。いわゆる「時舍也」は、人はすでに來りて飲用せずして、禽鳥も亦たこの辺に朝せざるを言う、これは一時の間に大家は共同にそれを丢開したるなり。

井谷射鮒,無與也。程傳 井以上出為功,二陽剛之才,本可濟用,以在下而上無應援,是以下比而“射鮒”,若上有與之者,則當汲引而上,成井之功矣。集說 谷氏家傑曰:謂有泉而“無與”,與無泉而時棄者,自不可同也。

《小象伝》が九二を解して言う:井壁の縫隙の裏に小魚を射取す、是れ上面に相應和する人なきに因る。程頤《伊川易伝》にいう:井は水を上に送り到るを以て功效と爲す。九二は陽剛の才具ありて、もとより以て世を済し用を致すべく、ただ身に下位を居して上面に呼応・援引する人なきに因りて、於是ただ下に向かいて初六に親比して、あの「射鮒」の小事を做すのみ。假如上面にそれと相應する人あらば、則ちそれを汲引し上去して、井の功用を成就せしめん。集説に引く谷家傑の説:これは九二が泉水ありて人の相与するなきを言う、あの種のもとより泉なくして時人に抛弃せらるるの旧井と、もとより則ち能く相提・并論すべからざるなり。

井渫不食,行惻也。求王明,受福也。本義 “行惻”者,行道之人,皆以為惻。程傳 “井渫”,治而不見食,乃人有才知而不見用,以不得行為憂惻也。既以不 集說 趙氏汝楳曰:井不以不食為憂,賢者不以不遇而惻。“心惻”者,行人也,行汲之人,為之求王者之明也,求王之明,豈朋比以乾祿,為其見知於上,則福被生民,猶井汲而出,然後利及於人也。王氏申子曰:“井渫”而不為人所食,縱不自惻,行道之人,亦為之惻然矣。縱不求人之我用,人亦為之求之,以並受其福矣。

《小象伝》が九三を解して言う:井はすでに淘洗して干浄にしたるに人の來りて飲用するなく、是れ路過の人の皆なそれに替りて難過するなり。君王に明察を祈求するは、以て福沢の能く降下するを得せんが為なり。朱熹《本義》にいう:いわゆる「行惻」は、路上を走る人の皆なそれに替りて惻然・不忍を感到するなり。程頤《伊川易伝》にいう:「井渫」は井はすでに淘治して干浄にして却って人に飲用せられざるは、まさに一個人が才能と見識ありて却って任用せられざるがごとく、抱負の行い出去すること能わざるに因りて憂傷・惻然す。すでに不に因りて――底本ここに脱文あり。集説に引く趙汝楳の説:井は并びに人の飲用するなきに因りて發愁せず、賢者も亦た明主に遇わざるに因りて傷感せず。真正に「心惻」するは過路人なり。あれらの水を打ちに來るの行人は、この口の井に替りて君王の明察を祈求す。君王の明察を求むるは、豈に是れ党を結び私を営みて以て俸禄を謀取せんと欲するならんや。ただ一たび上の位に在る者に賞識せられば、福沢は則ち能く百姓を覆蓋す、井水の汲み上げられて以て後にこそ、好処はこそ人に輪到するに因る。集説に引く王申子の説:井はすでに淘浄せるに人に飲用せられざるは、縱使它が自己は并びに傷感せざると雖も、路上を走る人は亦たそれに替りて惻然せんと要す。縱使賢者は并びに自ら人に己を任用せんを求めざると雖も、别人は亦た彼に替りて往きて爭取して、大家をして一同にこの分の福沢を承受せしめんと欲す。

井甃無咎,修井也。程傳 甃者,修治於井也,雖不能大其濟物之功,亦能修治不廢也,故“無咎”,僅能免咎而已,若在剛陽,自不至如是,如是則可咎矣。集說 虞氏翻曰:“修”,治也。以瓦甓壘井稱“甃”。蘇氏軾曰:“修”,潔也,陽為動為實,陰為靜為虛,泉者所以為井也,動也實也,井者泉之所寄也,靜也虛也。初六最下,故曰“泥”。上六最上,墳曰“收”。六四居其間而不失正,故曰“甃’。“甃”之於井,所以御惡而潔井也,井待是而潔,故“無咎”。

《小象伝》が六四を解して言う:磚石を以て井壁を砌るに災禍あらざらんは、それがこの口の井を修治するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「甃」は則ち井に對して修治を加うるなり。六四は雖も能く外物を済助するの功效を大に做すこと能わざると雖も、却って亦た能く修整・維護してそれを荒廃せしめず、ゆえに「過錯なし」――不過ただ勉强に過錯を免るるのみ。假如剛健の陽爻に換えてこの位に居らば、自ずからただこの一歩を致すのみに至らず。ただこの一歩を致すのみならば、則ち責備を受くべし。集説に引く虞翻の説:「修」は則ち修治なり。磚瓦を用いて井壁を壘砌するを「甃」と謂う。集説に引く蘇軾の説:「修」は潔浄の意思なり。陽は動に属し實に属し、陰は靜に属し虚に属す。泉水は井の井と成る所以の物にして、動に属し實に属す。井は則ち泉水の寄存する地方にして、靜に属し虚に属す。初六は最下に在れば、ゆえに「泥」と言う。上六は最上に在れば、ゆえに「收」と言う(底本「故」は「墳」と訛作す)。六四は中間に夾まれて而してその正位を失わず、ゆえに「甃」と言う。磚石を用いて井を砌るは、以て汚穢を擋住して井の潔浄を保持する為なり。井はこの道の工序に靠りてこそ干浄たり、ゆえに「過錯なし」。

寒泉之食,中正也。程傳 “寒泉”而可食,井道之至善者也,九五中正之德,為至善之義。案 《詩》云:“泉之竭矣,不云自中。”蓋不中則源不常裕而不寒也。又云:“冽彼下泉,浸彼苞蕭”,蓋不正則流不逮下而不食也。元吉在上,大成也。程傳 以大善之吉在卦之上,井道之大成也,井以上為成功。

《小象伝》が九五を解して言う:清涼の泉水は以て飲用すべし、是れ九五がすでに中を得てまた正を得るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:泉水は清冽にしてまた能く飲用す、これは井道の最も完善の境地なり。九五は中正の徳性を具備して、まさにこの最も完善の意に對應す。李光地按す:《詩経・大雅・召旻》に言う「泉之竭矣、不云自中」と、泉水は枯竭す、豈に源頭の中間より先に乾き起こすに非ずや――これにより「中」を得ざれば、源頭は則ち能く常に充裕を保たず、水も亦た能く清涼ならざらん。《詩経・曹風・下泉》にまた言う「冽彼下泉、浸彼苞蕭」と、あの寒凉の下流の泉はただ一叢の蒿草を泡著するのみ――これにより「正」を得ざれば、水流は則ち下面に到らずして、亦た人の飲用するなし。以下は上六の《小象伝》:「元吉在上、大成也。」程頤《伊川易伝》にいう:最大の善吉は全卦の最上の一爻に出現す、これは井道の大功・告成なり。井は水を上面に送り到るを以て成功と爲す。

革卦・大象与爻象

澤中有火,革,君子以治曆明時。本義 四時之變,革之大者。程傳 水火相息為革。“革”,變也。君子觀變革之象,推日月星辰之遷易,以治曆數,明四時之序也。夫變易之道,事之至大,理之至明,跡之至著,莫如四時。觀四時而順變革,則“與天地合其序”矣。集說 虞氏翻曰:曆象,謂日月星辰也。“天地革而四時成”,故“君子以治曆明時”也。《朱子語類》云:“治曆明時”,非謂歷當改革,蓋四時變革中,便有個治曆明時的道理。

《大象伝》にいう:沼沢の中に火を含む、これ則ち《革》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに暦法を修治して以て四時を明確にすべし。朱熹《本義》にいう:四季の推移・変換は、変革の当中の最大の一種なり。程頤《伊川易伝》にいう:水と火とが互相に消長・止息して、則ち「革」と成れり。「革」は則ち変なり。君子は変革の象を観て、日月・星辰の遷移・改易を推算して、以て暦法・度数を修治し、四季の次序を明確にす。変易の道理は、事情は最大、理路は最も明らか、痕迹は最も顕著なるは、四時に過ぐるなし。四時を観て而して変革に順応すれば、亦た《乾・文言》の言う所の「与天地合其序」を致し到れり。集説に引く虞翻の説:いわゆる暦象とは、日月・星辰を指す。《彖伝》に言う「天地革而四時成」と、ゆえに《大象伝》に「君子以治暦明時」と言う。《朱子語類》に記載す:いわゆる「治暦明時」は、并びに暦法はまさに改革すべきを言うに非ず、而して四時の変革の中に於て、もとより則ち暦法を修治し時令を明確にするの道理を含むを言う。

鞏用黃牛,不可以有為也。程傳 以初九時位才皆不可以有為,故當以中順自固也。集說 胡氏璦曰:凡革之道,必須巳日,然後可以革之也,民固即日而未孚。可遽革之乎,故但可固守中順,未可大有所為。

《小象伝》が初九を解して言う:黄牛の皮を以て牢牢に捆住す、是れこの時なお以て作為あるべからざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:初九は時機・位置・才具の三方面に於て皆な手を動かすの条件を具備せず、ゆえにまさに中に居りて順なるの態度を以て己を穩住すべし。集説に引く胡瑗の説:凡そ変革の道は、必ず「巳日」を待ちて、然る後にこそ以て手を動かして改むべし。百姓は事情の剛に発生したるの当日に於てもとよりいまだ信服せず、怎んぞ能く倉卒に往きて変革せんや。ゆえにこの時はただ以て中に居り柔順なるの立場を牢牢に守住すべく、以て大いに作為あるべからず。

巳日革之,行有嘉也。程傳 巳日而革之,征則吉而無咎者,行則有嘉慶也,謂可以革天下之弊,新天下之事,處而不行,是無救弊濟世之心,失時而有咎也。集說 俞氏琰曰:未當革而遽往,適以滋弊耳,何嘉之有?必往於巳日當革之時,則其行有嘉美之功。“行”釋“徵”字,“嘉”釋“吉無咎”。

《小象伝》が六二を解して言う:「巳日」に到りてこそ手を動かして変革す、是れこのごとく行動すれば則ち美好の結果あるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:「巳日」を待ちて再び変革すれば、前往すれば則ち吉利にして災禍あらざらん、一たび行動すれば則ち嘉美の福慶を帶來するに因る――これは以て天下の積弊を革除して天下の事務を更新すべきを言う。もし安坐して肯んじて行動せざらば、則ちあれは弊を救い世を済うの心なくして、時機を錯過して反って過失あるなり。集説に引く俞琰の説:還まさに変革すべきの時に到らずして冒然として前往すれば、恰好にただ弊端を滋生するのみ、何処にか嘉美を談じ上げんや。必ず「巳日」のこの変革すべきの時機に於て前往して、行動はこそ嘉美の功效あらん。《象伝》は「行」の字を用いて爻辞の「征」の字を解釋し、「嘉」の字を用いて爻辞の「吉无咎」を解釋す。

革言三就,又何之矣。本義 言巳審。程傳 稽之眾論,至於“三就”:事至當也,又何之矣,乃俗語更何往也!如是而行,乃順理時行,非己之私意所欲為也,必得其宜矣。集說 徐氏幾曰:初未可革,二乃革之,三則變革之事成矣。凡事詳審,至再至,三則止矣,又何往焉。

《小象伝》が九三を解して言う:変革の議論はすでに三次に審度して停當せり、還更に何の処にか往かんや。朱熹《本義》にいう:これは考慮のすでに周詳せるを講ず。程頤《伊川易伝》にいう:衆人の議論を皆な考察し過ぎて、「三就」に到れば、事情は則ち處置すること極めて妥當なり。「又何之矣」は、當時の俗話を以て言えば則ち還更に何処に往かんと要するや!このごとくに做すは、道理に順い時勢に合して以て行うにして、并びに己の一己の私意に出づるに非ず、必ずその宜しきを得ん。集説に引く徐幾の説:初九は還以て変革すべからざるに、六二はこそ手を動かして変革して、九三に到れば変革の事は則ち完成せり。凡そ事は反覆・詳審して、第二次・第三次に到れば亦た則ちまさに停まり下りるべく、還更に何処に往かんと要するや。

改命之吉,信志也。程傳 改命而吉,以上下信其志也。誠既至,則上下信矣,革之道,以上下之信為本,不當不孚則不信,當而不信,猶不可行也,況不當乎。集說 龔氏煥曰:“信志”,即“有孚”之謂。革以“有孚”為本,信足以孚乎人心,則可以“改命”而得吉矣。

《小象伝》が九四を解して言う:成命を更改して吉を得るは、上下が皆な彼の心志を相信するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:成命を更改して能く吉を得るは、上下に皆な彼の心志を信任するを靠る。誠意はすでに家に到れば、上下は自ずから信服す。変革の道は上下の信任を以て根本と爲す。措置は當らず誠意は足らざれば、人家は則ち能く信ぜず。縱使措置は當を得ると雖も而して能く人に取信せられざらば、事情は尚且推行すること能わず、何況や措置は本身に還當らざるや。集説に引く龔煥の説:いわゆる「信志」は、則ち爻辞の講ずる「有孚」なり。変革は「有孚」を以て根本と爲して、誠信は以て人心を感通するに足れば、則ち以て「改命」して吉利を得到すべし。

大人虎變,其文炳也。程傳 事理明著,若虎文之炳煥明盛也,天下有不孚乎。集說 俞氏琰曰:虎之斑文大而疏朗,革道已成,事理簡明,如虎文之炳然也。

《小象伝》が九五を解して言う:大人は猛虎の毛を換ゆるがごとく焕然として一変す、是れ彼の文采の光亮・顕赫なるなり。程頤《伊川易伝》にいう:事理は清楚・彰顯して、虎皮の斑紋のあのごとく光華・燦爛にして鮮明・盛大なれば、天下に還信服せざる人あらんや。集説に引く俞琰の説:老虎の身上の斑紋は大にして疏朗なり。変革の道はすでに完成して、事理は簡明・扼要して、まさに虎紋のあのごとく光亮・奪目なり。

君子豹變,其文蔚也。小人革面,順以從君也。程傳 君子從化遷善,成文彬蔚,章見於外也,中人以上,莫不變革,雖不移之小人,則亦不敢肆其惡。革易其外,以順從君上之教令,是革面也,至此革道成矣。小人勉而假善,君子所容也,更往而治之,則凶矣。

《小象伝》が上六を解して言う:君子は豹子の毛を換ゆるがごとく一変す、是れ彼の文采の細密・華美なるなり。小人は面目を改換するは、君上に順從するなり。程頤《伊川易伝》にいう:君子は教化に隨いて善道に遷りて、彬彬・郁郁の文采を養成して、光華は外に顯現す。中等の資質以上の人は、変革に跟うに從わざるなし。縱使是れあの種の秉性・難移の小人と雖も、この時に於ても亦た敢えて更に放肆して悪を為さずして、ただ外表を改め一変して、以て君上の教令に順從す、これ則ち「革面」なり。この一歩に到れば、変革の道は則ち完成したると算す。小人は勉强に一個の善の様子を装い出だすも、亦た君子の能く容納する所なり。もし還要して追究を繼續して更に一歩に彼らを整治せば、則ち凶を招來せんと要す。

集說 張子曰:以柔為德,不及九五剛中炳明,故但文章蔚縟,能使小人改觀而從也。呂氏大臨曰:上六與九五,皆革道已成之時。虎之文修大而有理,豹之文密茂而成斑,其文炳然,如火之照而易辨也,其文蔚然,如草之暢茂而叢聚也。俞氏琰曰:小人居革之終,幡然向道,以順從君,無不心悅而誠服,或者乃謂而革而心不革,非也。

集説に引く張載の説:上六は柔順を以て徳性と爲して、九五のあのごとく剛健・中を得て光明・顕赫するに比ぶべからず、ゆえにただ能く文采を細密・繁盛に致すのみ、以て小人をして観感を改換して跟從せしむるに足る。集説に引く呂大臨の説:上六と九五とは、皆な変革の道のすでに完成せるの時に処る。虎の花紋は修長・闊大にして条理あり、豹の花紋は細密・茂盛にして斑点と成る。「其文炳」と言うは、火光の照耀するがごとく辨認し易きを言う。「其文蔚」と言うは、野草の暢茂に長じて叢聚の一片と成るがごとし。集説に引く俞琰の説:小人は変革の最後の階段に処りて、翻然として心を回りて道に向かい、以て君上に順從して、心悦・誠服せざるなし。ある人は却って彼らをただ面子上は変われり而して心裏は変わらずと言うは、この説法は不對なり。

鼎卦・大象与爻象

木上有火,鼎。君子以正位凝命。程傳 “木上有火”,以木巽火也,烹任之象,故為鼎,君子觀《鼎》之象,以“正位凝命”。鼎者,法象之器,其形端正,其體安重,取其端正之象,則以正其位,謂正其所居之位,君子所處必正,其小至於席不正不坐,毋跛毋倚,取其安重之象,則凝其命令,安重其命令也。“凝”,聚止之義謂安重也,今世俗有凝然之語,以命令而言耳,凡動為皆當安重也。

《大象伝》にいう:木の上に火を燃す、これ則ち《鼎》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに己の位置を端正して、受くる所の使命を凝定すべし。程頤《伊川易伝》にいう:「木上有火」は、木を火の裏に送進するを言う、まさに烹煮の物象にして、ゆえに取りて鼎と爲す。君子は《鼎》卦の象を観て、以て「正位凝命」す。鼎は天地の象に取法して造れるの礼器なり。形状は端正、體態は安穩・厚重なり。それが端正の象を取れば、則ち以て己の位を端正す、亦た則ち己の居する所の位置を端正す。君子の挙止は必ずまさに端正して、細やかに席子の擺する不正なれば則ち坐せず、站ちて一條の腿を歪めず、東西に斜倚せず。それが安重の象を取れば、則ち以て己の命令を凝定して、号令をして安穩・厚重ならしむ。「凝」は聚合・止定の意思にして、亦た則ち安重なり。如今の俗話の裏に「凝然」のこの説法ありて、まさに号令に就きて言うなり。凡そ行動・作為は、皆なまさに安穩・厚重すべし。

集說 房氏喬曰:鼎者神器,至大至重,正位凝命,法其重大,不可遷移也。李氏元量曰:“木上有火”,非鼎也,鼎之用也,猶之木上有水,非井也,井之功也。鄭氏汝諧曰:革以改命,鼎以定命,知革而不知鼎,則天下之亂滋矣。項氏安世曰:存神息氣,人所以凝壽命,中心無為,以守至正,君所以凝天命。

集説に引く房喬の説:鼎は神聖の礼器にして、極めて大にして極めて重し。「正位凝命」は、則ちそれが重大に效法して、重るること挪動すべからざるに到れり。集説に引く李元量の説:「木上有火」は并びに鼎の本身に非ずして、而して鼎の用処なり。まさに「木上有水」の并びに井の本身に非ずして而して井の功效なるがごとし。集説に引く鄭汝諧の説:《革》卦は天命を更改するを講じ、《鼎》卦は天命を安定するを講ず。ただ革を懂得して而して鼎を懂得せざれば、天下の禍乱は則ち滋長せんと要す。集説に引く項安世の説:精神を存養して氣息を調勻するは、常人の以て己の寿命を凝聚するの办法なり。内心は妄に作為せずして以て極正の道を守住するは、君主の以て天命を凝定するの办法なり。

王氏申子曰:鼎,形端而正,體鎮而重,君子取其端正之象,以正其所居之位,使之愈久而愈安,取其鎮重之象,以凝其所受之命,使之愈久而愈固。胡氏炳文曰:鼎之器正,然後可凝其所受之實,君之位正,然後可凝其所受之命。

集説に引く王申子の説:鼎の形状は端方にして正しく、體質は鎮定にして重し。君子はそれが端正の象を取りて、以て己の居する所の位置を端正して、この位置をして愈々久しく愈々安穩ならしむ。それが鎮重の象を取りて、以て己の承受する所の使命を凝定して、この分の使命をして愈々久しく愈々牢固ならしむ。集説に引く胡炳文の説:鼎のこの件の器物は擺すること正しくて、然る後にこそ盛り入れたる東西を装い住むること能し。君主の位置は站つること正しくて、然る後にこそ己の承受する所の天命を凝定し住むること能し。

鼎顛趾,未悖也。利出否,以從貴也。本義 鼎而“顛趾”,悖道也。而因可“出否以從貴”,則未為悖也,“從貴”,謂應四,亦為取新之意。程傳 鼎,覆而趾顛,悖道也。然非必為悖者,蓋有傾出否惡之時也。去故而納新,瀉惡而受美,從貴之義也,應於四,上從於貴者也。

《小象伝》が初六を解して言う:鼎の足は翻し過ぎ來れるに、還常理に違逆するを算せず。汚穢の物を倒出するに利あるは、以て尊貴の一方に跟從する為なり。朱熹《本義》にいう:鼎にして「顛趾」は、もとより是れ常理に違逆するの事なり。但しまさにこれに因りて以て「出否以従貴」すべきに、あれは則ち違逆と算上すべからず。いわゆる「従貴」は、初六と九四と相應するを指して、同時にまた旧を除きて新を取るの意思を含有す。程頤《伊川易伝》にいう:鼎は翻轉せられて過ぎ來りて足は上に朝せるは、これは常理に違逆するの做法なり。然而未だ必ずしも則ち違逆ならざれば、因るに総に汚穢の物を倒出するを須要するの時候あるが故なり。陳旧なるを除去して而して新鮮なるを納入し、悪濁なるを瀉掉して而して美好なるを承接するは、これ則ち「従貴」の意義なり。初六と九四と相應するは、まさに上に向かいて尊貴の一方に跟從するなり。

集說 陸氏希聲曰:趾當承鼎,顛而覆之,悖也,於是出其惡,放雖覆未悖,猶妾至賤不當貴,以其子故得貴焉,春秋之義,母以子貴是也。鄭氏汝諧曰:初居下,乃鼎之趾,必顛趾者乃出否也,猶之妾也,其可從上,以子也。子貴則母貴也,凡取新之義,必舍惡面取善,舍賤而取貴,期合於義,初之應乎四,顛趾也,從貴也,柔而應於上,必有此義乃可。案 《傳》於“得妾”之辭不釋,但以“從貴”之意包之,聖言之簡而盡如此。

集説に引く陸希声の説:鼎の足はもとよりまさに鼎の身を托住すべきに、如今は翻して來りて倒扣せり、是れ違逆なり。可是このごとくにして正好に裏面の汚穢を倒出し出去せり、ゆえに雖も倒扣すと雖も却って違逆と算上せず。これは則ち妾の身份の極めて低賤にしてもとより尊貴すべからざるに、却って兒子を生み出したるに因りて尊貴を得到するがごとく、《春秋》の義例のいわゆる「母以子貴」はまさにこのごとくなり。集説に引く鄭汝諧の説:初六は最下に居りて、則ち鼎の足なり。必ず鼎の足を翻轉して、こそ能く汚穢を倒出すべし。それは好く妾たるがごとくして、能く上面に跟從する所以は、兒子あるに因る。兒子は尊貴なれば、母親は亦た就ち尊貴に跟う。凡そ旧を除きて新を取るの道理は、必ず是れ悪なるを舍弃して善なるを取り、賤なるを舍弃して貴なるを取りて、務めて義に合せんを求む。初六と九四と相應するは、則ち「顛趾」にして、亦た則ち「従貴」なり。柔爻を以て上に剛爻に應ずるは、必ずこの一層の意義を具備してこそ説き通ずべし。李光地按す:《象伝》は爻辞の「得妾」の一語に對して并びに別に解釋を作さずして、ただ「従貴」の意思を用いて以てそれを包含し進め入れり、聖人の措辞の簡約にして周盡するは、則ちこの様子なり。

鼎有實,慎所之也。我仇有疾,終無尤也。本義 有實而不謹其所往,則為仇所即而陷於惡矣。程傳 鼎之有實,乃人之有才業也。當慎所趨向,不慎所往,則亦陷於非義,二能不暱於初,而上從六五之正應,乃是慎所之也。“我仇有疾”,舉上文也,“我仇”對己者,謂初也,初比己而非正,是“有疾”也。既自守以正,則彼不能即我,所以終無過尤也。集說 張子曰:以陽居中故“有實”,實而與物競,則所喪多矣,故“所之”不可不“慎”也。

《小象伝》が九二を解して言う:鼎の中に実物を装む、まさに己の去向を謹慎すべし。我と敵する一方に毛病あり、終に怨咎あらざらん。朱熹《本義》にいう:鼎の裏に東西を装めて却って己の去向を謹慎せざれば、則ち敵對する一方に靠り上がられて而して邪悪に陷入せんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:鼎中に実物あるは、一個人が才干と事業あるを比喻す、まさに己の趨向する所の方向を謹慎すべし。去向を謹慎せざれば、同様に不義に陷入せん。「我仇有疾」は上面の爻辞を提起して復述するなり。「我仇」は己と相對する一方を指し、亦た則ち初六なり。初六は己と緊鄰するに却って正應に非ず、これ則ち「有疾」なり。九二はすでに正を守りて自ら持てば、對方は便ち以て己に貼近するの法なく、ゆえに終に過失と怨咎となし。集説に引く張載の説:陽爻を以て中位に居れば、ゆえに「有実」と言う。装み満つるに却って外物と相争わんと要せば、あの損失は則ち大ならん、ゆえに己の去向に對して謹慎せざること能わず。

案 “尤”者,己之過尤也,人之怨尤也,能慎其所行,則雖“我仇有疾”害之心, 鼎而革,失其義也。程傳 始與鼎耳革異者,失其相求之義也,與五非應,失求合之道也。不中,非同志之象也,呈以其行塞而不通,然上明而下才,終必和合,故“方雨”而“吉”也。案 《象傳》凡言“義”者,謂卦義也,此失其義,非謂己之所行失義,蓋謂爻象無相應之義爾。

李光地按す:いわゆる「尤」は、一面には己の過失を指し、一面には别人の怨恨を指す。能く己の行事を謹慎せば、則ち縱使「我仇有疾」にして對方は加害の心を存すと雖も――底本ここに脱文あり。以下は九三の《小象伝》:「鼎耳革、失其義也。」(底本「耳」は「而」と訛作す。)程頤《伊川易伝》にいう:九三は起初は鼎耳と彼此・乖離して、是れ互相に合を求むるの意義を失掉したるなり。それと六五とは正應に非ずして、亦た則ち契合を求取するの門路を失掉せり。九三は中位に居らずして、同心・同志の象なくして、因此それの行動は堵住せられて而して通暢せず。然而上面の六五は明智にして下面の九三は才あり、最後に一定に能く和合せん、ゆえに爻辞は「方雨」と言いて而して「吉」を得。李光地按す:《象伝》の凡そ「義」を講ずるは、皆な卦爻の本身の義理を指す。ここに「失其義」と言うは、并びに九三の己が行為の道義に合せざるを言うに非ずして、而して爻象の上より看れば彼此に相應するの義理なきを言うのみ。

覆公餗,信如何也。本義 言失信也。程傳 大臣當天下之任,必能成天下之治安,則不誤君上之所倚。下民之所望,與己毀身任道之志,不失所期,乃所謂信也,不然,則失其職,誤上之委任,得為信乎,故曰“信如何也”。集說 楊氏簡曰:居大臣之位,是許國以大臣之事業也,而實則不稱,折足覆餗,失許國之信矣。

《小象伝》が九四を解して言う:王公の美食を地に傾覆せば、この分の信用はまた怎んぞ説き過ぐること得んや。朱熹《本義》にいう:これは彼の信用を失掉したるを講ず。程頤《伊川易伝》にいう:大臣は天下の重任を擔當して、必ず能く天下の安治を成就して、こそ君上の倚重に辜負せず百姓の期望に辜負せず、亦た己の當初の身を捐して道を擔うの志愿に辜負せず。期する所を失わざれば、こそ信あると謂作る。否則ば則ち職守を失掉して君上の委任を耽誤したるにして、還以て信あると算せしめ得んや。ゆえに《象伝》は「信如何也」と言う。集説に引く楊簡の説:大臣の位置に坐上すれば、等しく是れ大臣のまさに做すべきの事業を拿りて以て國家に向かいて承諾を許したるなり。而して実際の才具は却ってこの位置に配得上せずして、鼎の足は折斷し美食は傾覆するに弄到するは、則ち當初の國に許したるの信用を失掉したるなり。

鼎黃耳,中以為實也。程傳 六五以得中為善,足以中為實德也,五之所以聰明應剛,為鼎之主,得鼎之道,皆由得中也。集說 陸氏績曰:得中承陽,故曰“中以為實”。郭氏雍曰:“中以為實”者,六五明虛,以黃中之德為實也。猶《坤》之六五“美在其中”之道也。

《小象伝》が六五を解して言う:鼎に黄色の耳を配するは、中を把守するを以て充実の内容と爲す。程頤《伊川易伝》にいう:六五は能く中を守るを以て善と爲して、まさに「中」を以て己の充実の徳性と作す。六五の聡明にして能く剛爻に應合し一鼎の主と成りて鼎の道理を把握する所以は、全てそれの中を得るに由る。集説に引く陸績の説:六五は中位を得て上に陽爻を承えば、ゆえに「中以為実」と言う。集説に引く郭雍の説:いわゆる「中以為実」は、六五は本身に明達にして己を虚うして、便ち中に居りて黄を守るの徳性を以てそれの實在の内容と當てる、これは《坤》卦六五の「美在其中」と是れ同一位の道理なり。

玉鉉在上,剛柔節也。程傳 剛而溫,乃有節也。上居成功緻用之地,而剛柔中節,所以“大吉無不利”也。《井》、《鼎》皆以上出為成功,而《鼎》不云“元吉”何也?曰《井》之功用皆在上出,又有博施有常之德,是以“元吉”。《鼎》以烹飪為功,居上為成,德與井異,以“剛柔節”,故得“大吉”也。集說 熊氏良輔曰:上以剛居柔,故曰“剛柔節”,而比德於玉也。

《小象伝》が上九を解して言う:玉製の鼎扛は最上に横たう、是れ剛と柔との調節の恰かに到処を得るなり。程頤《伊川易伝》にいう:剛強にしてまた温潤して、こそ節度あると謂作る。上九は功業のすでに成りて以て用を致すべきの地位に処りて、剛柔はまた配合して中節を得、ゆえに爻辞は「大吉无不利」と言う。ある人が問う、《井》《鼎》の両卦は皆な東西を上面に送り到るを以て成功と爲すに、為にか《鼎》卦の上爻は「元吉」を言わざるや。回答は、《井》卦の功用は全て水を上に送り來るに在りて、また広施・恒常の徳性ありて、ゆえに「元吉」と称す。《鼎》卦は烹煮を以て功と爲して、上位に居るは完成と算して、徳性は井と同じからずして、靠る所は「剛柔節」なり、ゆえにただ「大吉」と言うのみ。集説に引く熊良輔の説:上九は剛爻を以て柔位に居れば、ゆえに「剛柔節」と言い、并且それの徳性を玉に比作す。

震卦・大象与爻象

洊雷震,君子以恐懼修省。程傳 “洊”,重襲也,上下皆震,故為“洊雷”,雷重仍則威益盛,君子觀洊雷威震之象,以恐懼自修飭循省也。君子畏天之威,則修正其身,思省其過咎而改之,不唯雷震,凡遇驚懼之事,皆當如是。集說 項氏安世曰:恐懼修省,所謂“洊”也,人能恐懼,則既震矣,又修省焉,“洊”在其中矣。胡氏炳文曰:恐懼作於心,修省見於事。“修”,克治之功。“省”,審察之力。

《大象伝》にいう:雷の声は接続して相疊する、これ則ち《震》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに心に恐懼を存して身を修め己を省すべし。程頤《伊川易伝》にいう:「洊」は重疊・相襲の意思なり。上下の両體は皆な震にして、ゆえに「洊雷」と謂う。雷は一再に重復して、威勢は則ち更に盛大なり。君子は雷の声の重疊して威は四方に震うの象を観て、因りて心に恐懼を懷きて、自ら整飭・検点して反覆・省察す。君子は上天の威厳を敬畏して、則ち己の身心を端正して、己の過錯を反省して而して之に改正を加う。ただ雷震に遇上するのみこのごとくに非ず、凡そ人をして驚懼せしむるの事に碰到するには、皆なまさにこのごとくすべし。集説に引く項安世の説:恐懼を加えて修省すれば、本身に則ちいわゆる「洊」なり。人は能く恐懼すれば、すでに是れ一度震動せられたるなり。接いでまた往きて修省すれば、「洊」の意思は則ち裏頭に在り。集説に引く胡炳文の説:恐懼は心の裏に発生し、修省は事の上に表現す。「修」は克制・整治の工夫にして、「省」は審察・検点の力量なり。

震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。程傳 震來而能恐懼周顧,則無患矣,是能因恐懼而反致福也。因恐懼而自修省,不敢違於法度,是由震而後有法則,故能保其安吉,而“笑言啞啞”也。集說 范氏仲淹曰:君子之懼於心也,思慮必慎其始,則百志弗違於道懼於身也。進退不履於危,則百行弗罹於禍,故初九震來而致福,慎於始也。

《小象伝》が初九を解して言う:雷震の到來するに戒懼・不安す、まさにこの分の恐懼に因りてこそ福気を招來す。後來には談笑・自如す、是れ此後に行事に法度あるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:雷震は到來して能く恐懼・警覺して四面に照顧・周全なれば、則ち禍患あらざらん、これ則ち恐懼に因りて反って福気を招致するなり。恐懼に由りて自我・修省して、敢えて法度に違背せず、これ則ち震動を經て然る後にこそ準則あるなり、ゆえに能く己の安寧・吉利を保住して、而して「笑言啞啞」。集説に引く范仲淹の説:君子は心上に警懼すれば、思慮は一定に開頭に於て謹慎にして、則ち各種の心志は皆な正道に背離せざらん。身上に警懼すれば、一挙・一動も皆な危険に踏み入らずして、則ち各種の行事は皆な禍患に遭遇せざらん。ゆえに初九は雷震の到來するに於て反って福気を招來す、関関鍵は則ち開頭に於て謹慎するに在り。

震來厲,乘剛也。程傳 當震而乘剛,是以彼厲而己危,震剛之來,其可御乎。集說 胡氏炳文曰:《屯》六二,《豫》六五,《噬嗑》六二,《困》六三,《震》六二,皆言“乘剛”,唯《困》六三乘坎之中爻,其餘皆乘震之初也。

《小象伝》が六二を解して言う:雷震の到來して危険あるは、それが剛爻の上に騎壓するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:まさに震動の時に當たりてまた剛爻を騎壓す、ゆえに對方の來勢は凶猛にして己の処境は危険なり。震動の剛爻は直に上に衝り來るに、豈に抵擋し住むること得んや。集説に引く胡炳文の説:《屯》卦六二、《豫》卦六五、《噬嗑》卦六二、《困》卦六三、《震》卦六二は、皆な「乗剛」を講ず。その中にただ《困》卦六三の騎壓するは坎體の中爻にして、其余の各爻の騎壓するは皆な震體の初爻なり。

震蘇蘇,位不當也。程傳 其恐懼自失“蘇蘇”然,由其所處不當故也,不中不正,其能安乎。案 震當“虩虩”,不當“蘇蘇”。六三當重震之間,正奮厲以有為之時也,而以陰不中正處之,至於蘇蘇緩散,故曰“位不當”。

《小象伝》が六三を解して言う:雷震の下に神情は惶惑・涣散す、是れそれの居する所の位置の相當せざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:それが恐懼して常態を失い「蘇蘇」の様子を顕出するは、処する所の位置の當らざるに由る。すでに中に居らず、また「當位」せざれば、怎んぞ安まり下るること得んや。李光地按す:雷震に遇上せば、まさに「虩虩」のあのごとく戒慎・警覺すべく、「蘇蘇」のあのごとく惶惑・松散すべからず。六三はまさに上下の両個の震體の間に夾まれて、もとより是れ振奮・努力して大いに作為するの時にして、それは却って陰柔にしてまた不中・不正の姿態を以て往きて應付して、神思をして涣散・松懈にして主なくして弄成せり、ゆえに《象伝》は「位不當」と言う。

震遂泥,未光也。程傳 陽者剛物,震者動義,以剛處動,本有光亨之道,乃失其剛正而陷於重陰,以致“遂泥”,豈能光也!云“未光”,見陽剛本能震也,以失德故“泥”耳。案 四有剛德,非失德者,此言“未光”,蓋志氣未能自遂,行拂亂其所為耳!與《噬嗑》九四之“未光”同,皆謂所處者未能遂其所志,非《兌》上“未光”之比。

《小象伝》が九四を解して言う:雷震の下に終に泥の裏に陷り入る、是れそれがいまだ光大すること能わざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:陽は剛健の物にして、震は動作の義を取る。剛健の質を以て動の時位に処れば、もとより光明・亨通の路の走るべきあり。九四は却って己の剛正を丢掉して上下の両組の陰爻の間に陷落して、以て「遂泥」に致る、何処にか還能く光大せんや。《象伝》の「未光」と言うにより、これにより陽剛はもとより能く震動するにして、ただ徳性を失掉したるに因りてこそ泥の裏に陷り入れるを見るべし。李光地按す:九四は剛健の徳性を具備して、并びに徳を失うの人に非ず。ここに「未光」と言うは、それが志氣は一時に自ら伸展すること能わずして、行事は処処に攪擾・牽絆せらるるを指すのみ。これは《噬嗑》九四の言う所の「未光」と相同じ、皆な処する所の境地が彼をしてその心志を実現すること能わざらしむるを講ず、《兌》卦上六のあの種の「未光」とは是れ一回事に非ず。

震往來厲,危行也。其事在中,大無喪也。程傳 往來皆厲,行則有危也。動皆有危,唯在無喪其事而已,“其事”,謂中也,能不失其中,則可自守也。“大無喪”,以無喪為大也。集說 張子曰:無喪有事,猶云不失其所有也。以其乘剛故“危”,以其在中故“無喪”,禍至與不至皆懼,則無喪有事。郭氏雍曰:二以“來歷”而“喪貝”,則五之“往來”皆“厲”,宜其大有喪也,六五位雖不正而用中焉,其事既不失中道,雖涉危行,可以“大無喪”矣。

《小象伝》が六五を解して言う:雷震の下に往くも來るも皆な危険あるは、行動の本身に危険を帶ぶるなり。それの守る所の事は中に居るに在り、ゆえに大体に於て喪失なし。程頤《伊川易伝》にいう:往くも危うく來るも危うし、一たび動けば則ち危険あり。すでに動けば輙ち危あれば、関鍵はただ己のまさに守るべきの東西を喪失せざるに在るのみ。いわゆる「其事」は、「中」を指す。能くこの中を失掉せざれば、則ち以て自守すべし。「大无喪」と言うは、喪失なきを以て最大の収穫と看做す。集説に引く張載の説:喪失なくして守る所有るは、等しく己の元有する所の東西を失掉せざるを言うなり。剛爻を騎壓するに因りて、ゆえに「危」。身に中位を居するに因りて、ゆえに「无喪」。禍患は來るも來らざるも同じく警懼すれば、則ち喪失する所なくして持守する所有るを致すこと能し。集説に引く郭雍の説:六二は尚且雷震の襲來するに因りて「喪貝」せり、則ち六五は往來皆な「厲」に遇えば、理に照らしてまさに更に大なる喪失あるべし。然而六五は雖も位置正ならずと雖も却って能く中を用いて、守る所の事情はすでに中道を離れざれば、縱使一路に危険の裏を踏むと雖も、亦た以て「大无喪」すべし。

震索索,中未得也。雖凶無咎,畏鄰戒也。本義 “中”,謂中心。程傳 所以恐懼自失如此,以未得於中道也。謂過中也使之得中,則不至於“索索”矣,極而復征則凶也,若能見鄰戒而知懼,變於未極之前,則“無咎”也,上六動之極,震極則有變義也。龔氏煥曰:“中未得”者,處震之極,志氣消索,中無所主也。

《小象伝》が上六を解して言う:雷震の下に驚懼して瑟縮・主なく、是れ心の中に未だ得着せざるなり。雖も凶險あれども却って災禍あらざらんは、鄰近者の震を受くるを見て而して戒懼を知るに因る。朱熹《本義》にいう:ここの「中」は、内心を指す。程頤《伊川易伝》にいう:それが恐懼して常態を失いこの様子と成れるは、中道を得着せざるに因る――亦た則ち中を過ぐるなり。假使能く中を守住せば、則ち「索索」して發抖するに至らず。すでに極点に到りて還前に向かいて走らんと要すれば、則ちあれは凶なり。もし能く鄰近者の震を受くるの警戒を見て而して害怕を知りて、事情のいまだ極点に到らざるの前に先に行い改変せば、則ち災禍あらざらん。上六は動の極点に処りて、震は極処に到れば便ち変の意を含有す。集説に引く龔煥の説:いわゆる「中未得」は、雷震の極点に処りて、志氣は消磨して盡く、心の裏に主宰なし。

艮卦・大象与爻象

兼山艮,君子以思不出其位。程傳 上下皆山,故為“兼山”。此而並彼為兼,謂重複也,重艮之象也。君子觀艮止之象,而思安所止,“不出其位”也。“位”者,所處之分也,萬事各有其所,得其所,則止而安,若當行而止,當速而久,或過或不及,皆出其位也,況逾分非據乎。

《大象伝》にいう:両座の山は重疊して一緒に在る、これ則ち《艮》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、思慮は己の位分を越え出でざるべし。程頤《伊川易伝》にいう:上下の両體は皆な山にして、ゆえに「兼山」と謂う。この一座はあの一座に連なるを則ち「兼」と謂い、亦た則ち重複なり、これは艮卦の重疊する物象なり。君子は艮止の象を観て、因りて己のまさに安止すべき何処に思量して、「不出其位」を致す。いわゆる「位」は、則ち己の処する所の本分なり。万事は皆な各々その應処する所あれば、其の所を得れば則ち止住して安穩す。假如まさに走るべきに却って停まり下り、まさに快すべきに却って拖長し、或いは頭を過ぐるほど做し、或いは足らざるほど做すれば、皆な己の位を越え出でたると算す。何況や是れ本分を超越して占むべからざるの地方を占据するをや。

集說 董氏曰:兩雷兩風兩火兩水兩澤,皆有相往來之理,唯兩山並立,不相往來,此止之象也。邱氏富國曰:凡人所為、所以易至於出位者,以其不能思也,思則心有所悟,知其所當止而得所止矣。

集説に引く董氏の説:両雷の相重、両風の相重、両火の相重、両水の相重、両沢の相重は、皆な還彼此・往來・流通の道理あり。独り両座の山は并排して立つるに、各々相往來せず、これまさに「止」の物象なり。集説に引く邱富國の説:一般人の作為する所の本位を越え出ること易き所以は、肯んじて心を用いて思量せざるに因る。肯んじて思量せば、心の裏に則ち領悟する所有りて、己のまさに何処に停まるべきを知り、亦た能くまさに停まるべきの地方に安処すること能し。

案 思不出位,諸家皆作思欲不出其位,“思”字不甚重,今觀《咸》卦云:“貞吉悔亡,憧憧往來,朋從爾思”。而夫子以“何思何慮”明之,則此“思”字蓋不可略,雜擾之思,動於欲者也,通微之思,浚於理者也。《大學》云“安而後能慮”,蓋“思不出位”之說也。

李光地按す:「思不出位」の一句は、各家は皆な「思量してまさに己の位分を越え出でざるを要す」と講じ成して、「思」の字を看ること甚だ要緊ならず。如今《咸》卦九四の爻辞に言う「貞吉悔亡、憧憧往來、朋従爾思」に、而して孔子は《系辞下伝》の裏に於て「何思何慮」を用いて以てそれを点明せり、これによりこの「思」の字は能く軽輕に放過すべからざるを見るべし。雑乱・紛擾の思は、欲望に牽動して出だされるなり。通達・精微の思は、義理の裏より疏浚して出だされるなり。《大学》に言う「安而后能慮」、講ずる所はまさに「思不出位」のこの意思なり。

艮其趾,未失正也。程傳 當止而行,非正也,止之於初,故未至失正,事止於始則易,而未至於失也。集說 虞氏翻曰:動而得正,故“未失正也”。郭氏雍曰:“趾”,初象也,動莫先於趾。止於動之先則易,而止於既動之後則難,《傳》言“未失正”者,止於動之先,未有失正之事也。

《小象伝》が初六を解して言う:脚趾を止住す、是れ還正道を失わざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:まさに停まり下るべきに仍お前に往かば、則ち正に合せず。如今は最初の一歩の上に於て就ち停まり住めり、ゆえに還正を失するに至らず。事情は剛開頭の時に打住するは比較に容易く、亦た過失を鑄成するに至らず。集説に引く虞翻の説:一たび動けば則ち正に合す、ゆえに「未失正也」と言う。集説に引く郭雍の説:「趾」は初爻の象にして、人身は一たび動けば、脚趾より更に先に動くなし。動作の前に於て止住するは比較に容易く、すでに動き起こしたるの後に於て止住すれば則ち難し。《象伝》の「未失正」と言うは、動作の前に於て止住して、いまだ正を失うの事を発生せざるに因る。

不拯其隨,未退聽也。本義 ,三止乎上,亦不肯退而聽乎二也。程傳 所以不拯之而唯隨者,在上者未能下從也,“退聽”,下從也。

《小象伝》が六二を解して言う:能く己の跟隨する所の人を救助せず、是れ對方の肯んじて退き下りて聽從せざるに因る。朱熹《本義》にいう:九三は上面に於て自ら顧りて止住して、亦た肯んじて退き下りて六二に聽從せず。程頤《伊川易伝》にいう:六二の能く九三を救助せずしてただそれに跟いて走るの得ざる所以は、上位に在る九三の能く屈就して下に從うこと能わざるに因る。いわゆる「退聴」は、則ち退き下りて下面の意見に聽從するなり。

艮其限,危薰心也。程傳 謂其固止不能進退,危懼之慮,常薰爍其中心也。集說 鄭氏汝諧曰:三雖止而不與物交,而其危則實“薰心也”。何氏楷曰:以強制,故“危薰心”,艮限者,強制之謂也。

《小象伝》が九三を解して言う:腰身を止住するの際に、危懼は煙火のごとく内心を熏灼す。程頤《伊川易伝》にいう:これはそれが硬生生にあそこに止めて、進むも能わず退くも能わず、危懼の念頭は時時にその心を熏烤・炙灼するを言うなり。集説に引く鄭汝諧の説:九三は雖も止住して外物と交接せずと雖も、可是あの分の危険は却って實實在在に「薰心」せり。集説に引く何楷の説:因るに是れ強行の壓制なるが故に、ゆえに「危薰心」なり。いわゆる「艮限」は、言う所は則ち強行の壓制なり。

艮其身,止諸躬也。程傳 不能為天下之止,能止於其身而已,豈足稱大臣之位也。集說 孔氏穎達曰:“止諸躬”也者,“躬”,猶身也,明能靜止其身,不為躁動也。王氏應麟曰:艮六四“艮其身”,《象》以“躬”解之,傴背為“躬” ’,見背而不見面,朱文公《詩》云:“反躬艮其背。”案 “止諸躬”,便是“艮其身”,但易其字為“諸”字爾,蓋易其字為“諸”字, 艮其輔,以中正也。

《小象伝》が六四を解して言う:自身を止住す、是れ止の工夫を己の身上に用うるなり。程頤《伊川易伝》にいう:六四は能く天下をして各々その止に安んぜしむるを致すこと能わずして、ただ能く己の一身を止住するのみ、このごとくは何処にか大臣の位置に配上せんや。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「止諸躬」は、「躬」は則ち身に等しく、它能く己を靜止し下りて躁動せざらしむるを説明す。集説に引く王應麟の説:《艮》卦六四の講ずる「艮其身」、《象伝》は「躬」の字を用いて以てそれを解釋す。背を彎げるを「躬」と謂い、ただ背を見て而して臉を見ざるなり。朱熹に詩句ありて言う「反躬艮其背」。李光地按す:「止諸躬」は亦た則ち「艮其身」なり、不過あの字を「諸」の字に換えたるのみ。大概「諸」の字に換えたるは――底本ここに脱文あり。以下は六五の《小象伝》:「艮其輔、以中正也。」

本義 “正”字羨文,叶韻可見。程傳 五之所善者,中也。“艮其輔”,謂止於中也,言以得中為正,止之於輔,使不失中,乃得正也。集說 餘氏本曰:言不妄發,發必當理,唯有中德者能之。

朱熹《本義》にいう:ここの「正」の字は多餘に出で來れるの衍文なり、押韻の上より就ち看出すべし。程頤《伊川易伝》にいう:六五の取るべきの地方は中に居るに在り。「艮其輔」は、止すること恰かに中節を得るを言う。亦た則ち中を得るを以て正と當てて、止の工夫を牙床・口舌の上に用いて、言語をしてその中を失わざらしむ、これこそ正を得ると算す。集説に引く余本の説:説話は軽率に乱發せずして、一たび口を開けば則ち事理に合す、ただ中徳を具備するの人のみこそ做し到ること能し。

敦艮之吉,以厚終也。程傳 天下之事,唯終守之為難,能敦於止有終者也,上之吉,以其能厚於終也。集說 王氏申子曰:德愈厚而止愈安,是止之善終者也,其吉可知。案 艮者,“萬物之所成終而所成始”,故於上言“厚終”,凡人之心,唯患其養之不厚,不患其發之不光。水蓄則彌盛,火宿則彌壯,厚其終,則萬事皆由此始。

《小象伝》が上九を解して言う:篤實・敦厚に止住して吉を得るは、それが能く結尾を做ること厚重なるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:天下の事情は、唯だ守りて最後に到ること最も難し。能く「止」の上に於て篤厚を致せば、是れ始あり終ありの人なり。上九の吉なる所以は、まさにそれが能く結尾を做ること厚重なるに因る。集説に引く王申子の説:徳性は愈々厚ければ、止するは愈々安穩す、これは尾を收むるに善きの止にして、それの吉利は想知すべし。李光地按す:艮は《説卦伝》の裏に於て是れ「万物之所成終而所成始」の方位にして、ゆえに上爻に於て「厚終」を講ず。人心の怕れる所はただ涵養すること厚さ足らざるのみ、發し出で來るに光彩足らざるを擔心するを要せず。水は蓄積すれば則ち愈々盛大にして、火は焐め住めれば則ち愈々壯旺す。結尾を做ること厚實なれば、万事は皆なここより重新に開頭す。

漸卦・大象与爻象

山上有木,漸。君子以居賢德善俗。本義 二者皆當以漸而進,疑“賢”字衍,或“善”下有脫字。程傳 “山上有木”,其高有因,漸之義也,君子觀《漸》之象以居賢善之德,化美於風俗,人之進於賢德,必有其漸,習而後能安,非可陵節而遽至也。在己且然,教化之於人,不以漸,其能入乎,移風移俗,非一朝一夕所能成,故善俗必以漸也。

《大象伝》にいう:山上に樹木を長ず、これ則ち《漸》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに賢善の徳性を蓄養して風俗を改善すべし。朱熹《本義》にいう:徳を蓄えると俗を善くするのこの両件の事は皆なまさに循序・漸進すべし。「賢」の字は多餘に出で來れるの衍文なるを疑心す、或いは「善」の字の下面に別に脱漏の字あるならん。程頤《伊川易伝》にいう:「山上有木」は、それの長じて高きは憑依する所有るにして、これ則ち「漸」の意義なり。君子は《漸》卦の象を観て、因りて賢善の徳性を蓄養して、風俗を教化して美好ならしむ。人は賢徳に進むに、一定に一個の漸進の過程あれば、習慣してこそ能く安穩す、以て越級・躐等して一下子に達到すべきに非ず。自己に對して尚且このごとく、教化を用いて以て别人に影響するに、漸進に循わざれば、還能く入り進むこと得んや。風を移し俗を易るは一朝一夕に能く辦成するに非ず、ゆえに風俗を改善するは必ず漸進に靠るを要す。

集說 楊氏曰:地中生木,以時而升,山上有木,其進以漸。馮氏當可曰:“居”,積也。德以漸而積,俗以漸而善,內卦艮止,居德者止諸內也。外卦巽入,善俗者入於外也,體艮以居德,體巽以善俗、案 地中生木,始生之木也,山上有木,高大之木也,凡木始生,枝條驟長,旦異而夕不同,及既高大,則自拱把而合抱,自捩手而乾霄,必須逾年積歲,此開與漸之義所以異也,居德善俗,皆須以漸,以居賢德然後可以善俗,亦漸之意也。

集説に引く楊氏の説:地中に樹木を生出すは、時令に隨いて上に向かいて長ずるにして、あれは《升》なり。山上に樹木を長ずるは、それの前進は一步一步に來るにして、あれは《漸》なり。集説に引く馮當可の説:「居」は則ち積なり。徳は漸進に靠りて積累し、俗は漸進に靠りて好く変わる。内卦は艮にして止を主とし、徳を蓄えるは則ち工夫を内に止定するなり。外卦は巽にして入を主とし、俗を善くするは則ち教化を外に滲入するなり。艮の意思を體會して以て徳を蓄え、巽の意思を體會して以て俗を善くす。李光地按す:地中に木を生ずるは、剛に萌生したるの樹なり。山上に木あるは、すでに高大したるの樹なり。凡そ樹木の剛に生ずるの時は、枝條は猛長して、早朝は一個の樣にして晚上はまた一個の樣なり。すでに高大するを待ちて、一把の粗さより両手の合抱に長じ、手を伸ばして及ぶべきより高聳・雲に入るに長ずるに、必ず年復一年の積累を須す。これまさに《升》と《漸》の両卦の取義の同じからざるの地方なり。徳を蓄えると俗を善くするとは皆な必ず一歩一歩に來るを要して、而且先に賢善の徳性を蓄養して然る後にこそ風俗の改善を談じ上ぐべし、これも亦た漸進の意思なり。

小子之厲,義無咎也。程傳 雖”小子”以為危厲,在義理實“無咎也”。飲食衎衎,不素飽也。本義 “素飽”,如《詩》言“素餐”,得之以道,是不為徒飽而處之安矣。程傳 爻辭以其進之安平,故取飲食和樂為言,夫子恐後人之未喻,又釋之雲中正君子,遇中正之主,漸進於上,將行其道以及天下,所謂“飲食衎衎”,謂其得志和樂,不謂空飽飲食而已。“素”,空也。集說 龔氏煥曰:二以中正應五而得祿,非尸位素餐者比,故食之衎衎而樂也。

《小象伝》が初六を解して言う:小孩子は危険を感じるも、道理の上より講ずれば并びに過錯あらざらん。程頤《伊川易伝》にいう:雖もあれらの「小子」は初六の処境を看ること甚だ危険と雖も、義理を以て衡量すれば却って實在に「過錯あらざらん」。以下は六二を解して言う:飲食は安樂・和洽して、并びに白白に飽き食らうに非ず。朱熹《本義》にいう:「素飽」は《詩経》の言う所の「素餐」のごとし。六二の俸禄は正道に循りて得來したるにして、ゆえに白吃・白喝と算せず、因りて心安・理得す。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞は六二の前進する平穩・安順なるに因りて、ゆえに飲食の和樂を借りて以て言を立つ。孔子は後人の明白せざるを怕れて、また解釋を加えて曰く、中正の君子は中正の君主に遇上して、一歩一歩に上に向かいて進みて、まさに己の道を推行して以て天下に惠及せんと要す。いわゆる「飲食衎衎」は、彼の心志の得遂して和樂するを言うにして、并びにただ白白に肚子を飽き食らわすを指すに非ず。「素」は則ち空なり。集説に引く龔煥の説:六二は中正の徳を憑りて九五と相應して俸禄を得到す、あの種の尸位・素餐の人と能く同日に論ずべからず、ゆえに吃して來ること和樂・愉快なり。

案 六爻以“鴻”取進象,自水涯以至山上,自遠而近,自下而高也。“乾”為最遠,是士之將進而不苟進者,故在《詩》曰:“置之河之幹兮,彼君子兮,不素餐兮。”夫征不復,離群醜也。婦孕不育,失其道也。利用禦寇,順相保也。

李光地按す:《漸》卦の六爻は「鴻雁」を用いて以て前進の物象を取りて、水辺より一路に山上に到りて、遠より而して近、低より而して高と爲る。「干」は水岸にして、距離は最も遠く、士人のまさに出仕せんとするに苟合に進を求めるを肯んぜざるを比喻す、ゆえに《詩経・魏風・伐檀》に言う「置之河之干兮、彼君子兮、不素餐兮」、砍し下したるの檀木を河岸の上に放置せり、あの君子や、并びに飯を白く餐せざるなり。以下は九三の《小象伝》:「夫征不復、離群醜也。婦孕不育、失其道也。利用御寇、順相保也。」

程傳 “夫征不復”,則失漸之正,從欲而失正,離判其群類,為可醜也。卦之諸爻,皆無不善,若獨失正,是離其群類,“婦孕”不山其道,所以“不育”也。所利在“禦寇”,謂以順道相保。君子之與小人比也,自守以正,豈唯君子自完其己而已乎,亦使小人得不陷於非義,是以順道相保,御止其惡,故曰“禦寇”。

程頤《伊川易伝》にいう:「夫征不復」は、則ち漸進の正道を失掉せり。欲望を放縱して而して正を丢掉すれば、等しく己が同類を脱離したるにして、是れ可恥なり(底本「群醜」の「醜」は《象伝》の裏に於てもとより同類を指し、程頤は兼ねて可恥の義を取る)。《漸》卦の各爻はもとより皆な不善と算さざるに、独り九三は正を失せり、あれは則ち己の同類を離開したるなり。「婦孕」は正路に循りて來れるに非ず(底本はこの字を「山」と訛作す、まさに「由」と作るべし)、ゆえに「不育」。それの利あるの地方は「御寇」に在り、亦た則ち順道を用いて彼此・保全するなり。君子と小人とは相鄰・相処して、己は正道を守住す、これは単に君子が己を成全するのみならず、同時にまた小人をして不義に陷入せざらしむるに至らしむ、これ則ち順道を用いて彼此・保全してあの分の悪を擋住・制止するなり、ゆえに「御寇」と言う。

集說 楊氏簡曰:“夫征不復”,上九不應,“離群醜也”,“婦孕不育”,九三失其所以為婦也,三不中,有失道之象,故“凶”,非正者足以害我,故曰“寇”,慮三之失道,或親於寇而不能御也,故教之“禦寇”,則我不失於正順,而夫婦可以相保矣。熊氏良輔曰:“順相保”,順慎通用,只是謹慎以相保守也。

集説に引く楊簡の説:「夫征不復」は、上九と九三と相應せざるに因る。「離群醜也」、「婦孕不育」は、九三の妻子たるの本分を失掉したるなり。九三は中位に居らずして、道を失うの象を帶びて、ゆえに「凶」。凡そ正道に合せざるの一方は皆な以て我を害するに足る、ゆえに之を「寇」と称す。九三が道を失するの後に於て或いは寇に親附して而して能く抵御せざらんことを擔心して、因此それに「御寇」を教う。このごとくにして、己は則ちその正を失わずその順を失わずして、夫妻の間は亦た就ち能く彼此・保全すること能し。集説に引く熊良輔の説:「順相保」の「順」は、「慎」の字と通用して、無非れ謹慎に互相に保守するを言うのみ。

案 楊氏之說,爻義文意,兩得之矣。君子之仕也,上雖不交,而己必盡其道,故周公曰:恩斯勤斯,育子之閔斯,不可以不遇而遂棄其殷勤也。王仲淹曰:“美哉公旦之為周也,必使我君臣相安,而禍亂不作。”其順相保之謂乎。

李光地按す:楊簡の説法は、爻の義理と文句の語意との両方面に於て皆な講じ通ぜり。君子は出で來りて事を做すに、上面は雖も己と交接せずと雖も、己は却って一定にまさに盡くすべきの道理を盡くし到るを要す。ゆえに周公は《詩経・豳風・鴟鴞》の裏に言う「恩斯勤斯、育子之閔斯」(今本《詩経》は「鬻子之閔斯」と作る)、一片の恩愛・勤勞して幼子を養育するの辛苦は、以て賞識せられざるに因りてこの分の殷勤を丢開すべからず。王通が言う、「周公旦が周朝に替りて做したるの事は真に美なり、必ず我らの君臣をして彼此・相安にして禍乱を発生せしめざらしむを要す」と。彼の講ずるは大概則ち「順相保」ならん。

或得其桷,順以巽也。程傳 “桷”者平安之處,求安之道,唯順與巽,若其義順正,其處卑巽,何處而不安。如四之順正而巽,乃得“桷”也。終莫之勝吉,得所願也。程傳 君臣以中正相交,其道當行,雖有間其間者,終豈能勝哉?徐必得其所願,乃漸之吉也。

《小象伝》が六四を解して言う:或いは能く平直の椽木を找着せん、是れ柔順にして謙遜するを靠る。程頤《伊川易伝》にいう:「桷」は平穩・安適の落脚する処なり。安穩を求得するの办法は、ただ柔順と謙遜との両條あるのみ。假如行う所の道理は順當・端正にして、処する所の姿態は卑下・謙遜なれば、則ち何処に走り到るも皆な能く安穩せん。六四のごときのすでに順正にしてまた謙遜するは、こそあの根の「桷」を得到せり。《小象伝》にまた九五を解して言う:終に誰の能くそれに勝ちて吉を得るなく、是れ願いのごとく償うを得るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:君と臣とは中正の徳を憑りて彼此・交往して、彼らの道理はもとよりまさに推行すべし。縱然中間に人のその中より離間するあれども、最後にまた何処にか勝ち過ぐるを得んや。慢慢として必定に己の願望を実現すべし、これ則ち漸進の帶來する所の吉利なり。

其羽可用為儀吉,不可亂也。本義 漸進愈高,而不為無用,其志卓然,豈可得而亂哉。程傳 君子之進,自下而上,由微而著,跬步造次,莫不有序,不失其序,則無所不得其吉,故九雖窮高而不失其吉,可用為儀法者,以其有序而不可亂也。

《小象伝》が上九を解して言う:それの羽毛は以て礼儀の装飾と作し用うべくして吉を得るは、是れこの分の秩序の攪乱すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:鴻雁は一歩一歩に漸進して、愈々飛びて愈々高く、而して并びに無用の物と變成せざるなり。それの心志は卓然として獨立して、何処にか是れ攪乱せらるるべきならんや。程頤《伊川易伝》にいう:君子の上進は、自ずから下より上、細微より顯著に由りて、一歩一趨、一言一動、次序に合せざるなし。その次序を失わざれば、則ち一処もその吉を得ざるなし。ゆえに上九は雖も極高の処に升到すと雖も却ってその吉を失わず、以て礼儀・法式と作し爲すべき所以は、まさにそれに次序ありて而して攪乱すべからざるに因る。

集說 胡氏炳文曰:二居有用之位,有益於人之國家,而非素飽者,上在無用之地,亦足為人之儀表,而非無用者,二志不在溫飽,上志卓然不可亂,士大夫之出處,於此當有取焉。張氏振淵曰:志慮高潔,而功名富貴不足以累其心,故其志可則。使志可得而亂,又安可用為儀哉!

集説に引く胡炳文の説:六二は以て作為すべきの位置の上に処りて、別人の國家に益処ありて、并びに俸禄を白吃するの人に非ず。上九は位なくして用うべきの地方に処りて、亦た以て衆人の儀範を做すに足りて、并びに無用の人に非ず。六二の心志は己の飽き食らい温く穿るに在らずして、上九の心志は卓然として獨立して而して攪乱すべからず――士大夫の出仕と退隱との間の取舍は、まさにここより啓發を得到すべし。集説に引く張振淵の説:心志・念慮は高尚・潔浄にして、功名・富貴は以て彼の心を拖累するに足らず、ゆえに彼の志向は以て準則を作すに拿來すべし。假使この分の心志は随便に則ち攪乱せらるるを得ば、また怎んぞ以て礼儀の表率と作し用うるに配せんや!

帰妹卦・大象与爻象

澤上有雷,歸妹。君子以永終知敞。本義 雷動澤隨,《歸妹》之象。君子觀其合之不正,知其終之有敝也,推之事物,莫不皆然。程傳 雷震於上,澤隨而動,陽動於上,陰說而從,女從男之象也,故為歸妹。君 集說 崔氏憬曰:歸妹人之始終也,始則’征凶”,終則“無攸利”。故“君子以永終知敝”為戒者也。

《大象伝》にいう:沢の上に雷が響く、これ則ち《帰妹》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに長久の結局に着眼して其中の弊病を預知すべし(底本「知敝」の「敝」は「敞」と寫し作り、下文の引文は仍お「敝」と作る)。朱熹《本義》にいう:雷は一たび動けば、沢水は就ち動蕩に跟う、これは《帰妹》の物象なり。君子はそれが結合すること正ならざるを見て、則ちこの段の関係は最後に到れば必ず弊病あるを知る。別の事物に推廣すれば、皆なこのごとくあらざるなし。程頤《伊川易伝》にいう:雷は上面に於て震動して、沢水は之に隨いて波動す。陽は上面に於て發動して、陰は喜悦して而して跟從す、これは女子の男子に隨從するの物象にして、ゆえに帰妹と謂作る。君――底本ここに脱文あり。集説に引く崔憬の説:女を嫁がするのこの件の事は人の一生の始と終とに関係す。開頭に則ち「征凶」と言い、末了にまた「无攸利」と言う、ゆえに「君子以永終知敝」を拿りて以て告誡と爲す。

吳氏曰慎曰:“永終知敝”,言遠慮其終而知有敝也,氓之詩,不思其反,所以終見棄於人與。案 澤上有雷,不當以澤從雷取象,當以澤感雷取象,蓋取於陰氣先動,為歸妹之義。

集説に引く呉曰愼の説:いわゆる「永終知敝」は、長遠に結局を考慮して、従りて弊病あるを預め知るを言うなり。《詩経・衛風・氓》の裏のあの位の女子は當初に日后の反覆を想到せず、ゆえに最終に人に抛弃せらるるならん。李光地按す:「沢上有雷」はまさに沢水の雷の声に跟從するに按りて以て象を取るべからずして、而して沢水の雷の声を感應するに按りて以て象を取るべし――取る所は陰氣の先に動くのこの一層にして、まさに《帰妹》の女子が先に動きて而して配を求むるの意義に合す。

歸妹以娣,以恆也。跛能履吉,相承也。本義 恆,謂有常久之德。程傳 歸妹之義,以說而動,非夫婦能常之道,九乃剛陽,有賢貞之德,雖娣之微,乃能以常者也,雖在下不能有所為,如跛者之能履,然征而吉者,以其能相承助也,能助其君,娣之吉也。

《小象伝》が初九を解して言う:女を嫁がして而して側室の身份を以て相隨するは、恒常の徳を靠る。瘸腿をも亦た能く路を走るに吉を得るは、能く輔助・承接するに因る。朱熹《本義》にいう:ここの「恒」は、長久に變わらざるの徳性を具備するを指す。程頤《伊川易伝》にいう:《帰妹》の意義は喜悦に因りて動くに在りて、これはもとより夫妻の間の以て長久に相處すべきの路子に非ず。初九は剛健の陽爻にして、賢良・正を守るの徳性を具備す。雖もただ陪嫁の側室のこのごとき微賤の身份と雖も、却って能く恒常を守住す。それは身に下位に処りて能く大きの作為あること能わずして、瘸腿の人のただ能く勉强に行走するがごとし。然而前往するは仍お吉を得るは、それが能く旁に於て輔助・承接するに因る。能く己の正室の主母を輔助するは、これ則ち側室の吉利の在る所なり。

集說 鄭氏汝諧曰:初少女,且微而在下,以娣媵而歸,乃其常也。娣媵不能成內助之功,雖有其德,如跛者之履耳,跛者之履,雖不足以有行,然亦可以行者,以其佐小君。能相承助也。如是而征,則為安分,故吉。俞氏琰曰:“相承”者,佐其嫡以相與奉承其夫也。案 言以恆者,女而自歸非常,唯娣則從嫡而歸,乃其常也。

集説に引く鄭汝諧の説:初九は年少の女子を象徴して、身份はまた微賤にして下位に居りて、陪嫁の側室の名分を以て出嫁す、これまさに彼女の常分なり。側室は能く内政を主持するの功勞を建立すること能わずして、雖も徳性あれども、亦不過瘸腿の人の走路するがごときのみ。瘸腿の人の走路するは、雖も以て遠行するに足らずと雖も、却って畢竟還能く走るは、彼女が國君の夫人を輔佐して能く旁に於て承接・幇襯するに因る。このごときの身份を以て前往すれば、則ち本分に安んずるにして、ゆえに吉利なり。集説に引く俞琰の説:いわゆる「相承」は、正室を輔佐して彼女と一同に丈夫を奉事するなり。李光地按す:《象伝》の「以恒」と言うは、女子の自己が主動に出嫁するは并びに常規に合せざるに因る。唯だ側室と作して正室に跟いて一同に出嫁して、こそ彼女の常分と算すべし。

利幽人之貞,未變常也。程傳 守其幽貞,來失夫婦常正之道也。世人以媒狎為常,故以貞靜為變常,不知乃常久之道也。集說 俞氏琰曰:《屯》六二曰“反常”,謂“字”乃女子之常,“不字”則非常,至“十年”之後而“乃字”,則返其常也。此曰“未變常”,謂嫁著女子之常,九二不願嫁,似乎變常,然能以幽靜自守,是亦女德之常,未為變常也。來氏知德曰:一與之齊,終身不改,此婦道之常也。守幽人之貞,則未變其常矣。

《小象伝》が九二を解して言う:幽居の人のごとく正を守るに利あるは、并びに常道を改變せざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:幽靜・貞潔の操守を守住して、并びに夫妻の間の常に有るの正道を失掉せざるなり(底本「未」は「來」と訛作す)。世人は親昵・狎近を以て常態と看做して、於是反って貞靜を以て變異と看做す、殊に貞靜こそ能く長久するの道理なるを知らざるなり。集説に引く俞琰の説:《屯》卦六二の「反常」と言うは、嫁を許して生育するはもとより女子の常道にして、嫁を許さざれば則ち常道に合せず、「十年」に到りて然る後に嫁を許すは、あれは常道に回帰したるなり。ここに「未變常」と言うは、出嫁するはもとより女子の常道にして、九二は出嫁するを願わずして、看似として常道を改變したると雖も、然而彼女は能く幽靜を以て自守するは、これは同様に女子の徳性の常道にして、變常と算上すべからず。集説に引く來知徳の説:一たび丈夫と一体を結び成せば

歸妹以須,未當也。程傳 “未當”者,其處其德其求歸之道,皆不當,故無取之者,所以“須”也。集說 朱氏震曰:六三居不當位,德不正也,柔而上剛,行不顧也。為說之主,以說而歸,動非禮也,上無應,無受之者也,如是而賤矣,故曰“末當也”。“未當”,故無取之者,“反歸以娣”也。

《小象伝》が六三を解して言う:女を嫁がして而してただ能く等待するのみあるは、處境の相當せざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「未當」は、彼女の処する所の位置、具する所の徳性、走る所の嫁を求むの門路を言う、樣樣に皆な相當せず、ゆえに彼女を娶りに來る人なくして、因此ただ「須」――待つることを好とす。集説に引く朱震の説:六三の居する所の位置は當らずして、徳性は正ならず。柔爻を以て剛爻の上に凌駕して、行事は一切を顧みず。それはまた下卦の兌體の喜悦の主爻にして、一時の喜悦を憑りて則ち出嫁せんと想い、挙動は礼法に合せず。上面にまた相應するの爻なくして、彼女を接納する人なし。このごとくに一來せば身份は則ち低賤と成れり、ゆえに《象伝》は「未當也」と言う(底本「未」は「末」と訛作す)。まさに「未當」に因りて、こそ娶りに來る人なくして、ただ「反歸以娣」して退き回りて陪嫁の側室を做るを好とす。

程傳 所以“愆期”者,由己而不由彼,賢女人所願取,所以“愆期”。乃其志欲有所待,待得佳配而後行也。集說 孔氏穎達曰:嫁宜及時,今乃過期而遲歸者,此嫁者之志,欲有所待而後乃行也。俞氏琰曰:爻辭言“愆期”,而爻《專》直達其志,以見愆期在我,而不苟從人。蓋“有待而行”,非為人聽棄也。“行”,謂出嫁,《詩泉水》云“女子有行”是也。

ここに底本は九四の《小象伝》の原文「愆期之志、有待而行也」を脱去して、径に注文を接ぐ。程頤《伊川易伝》にいう:「愆期」して婚期を耽誤したる所以は、原因は己に在りて而して對方に在らず。賢徳の女子は是れ人皆な娶るを願うなり。彼女の婚期を拖き過ぐる所以は、心の裏に一等して、好き配偶を待ちて然る後に嫁がんと想要するに因る。集説に引く孔穎達の説:出嫁はまさに時に及ぶべきに、如今は却って期限を過ぎて而して遲遲として嫁がず、これは出嫁する者の自己の心意にして、一等して而して然る後にこそ走らんと想うなり。集説に引く俞琰の説:爻辞は「愆期」と言い、而して《小象伝》(底本「伝」は「專」と訛作す)は径に彼女の心志を点出して、以て婚期を拖き過ぐるは我が自己の選擇にして、并びに随随便便に人に跟いて走るに非ざるを説明す。いわゆる「有待而行」は、并びに人家に嫌棄せらるるに非ず(底本「所」は「聽」と訛作す)。ここの「行」は出嫁を指し、《詩経・邶風・泉水》に言う「女子有行」、用うる所はまさにこの意思なり。

帝乙歸妹,不知其娣之袂良也。其位在中,以貴行也。本義 以其有中德之貴而行,故不尚飾。程傳 以“帝乙歸妹”之道言,“其袂不如其娣之袂良”,尚禮而不尚飾也。五以柔中在尊高之位,以尊貴而行中道也。柔順降屈,尚禮而不尚飾,乃中道也。集說 王氏申子曰:上二句舉爻辭,下二句釋之也,言五居尊位而用中,故能以至貴而行其勤儉謙遜之道也。

《小象伝》が六五を解して言う:帝乙が妹を嫁がすに、正室の衣袖は陪嫁の側室の衣袖の華美に比べず。彼女の位置は中に居して、是れ尊貴の身份を憑りて而して行事するなり。朱熹《本義》にいう:因るに彼女は中に居るの徳のあの分の尊貴を具備して而して行うが故に、外表の装飾を崇尚せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:「帝乙帰妹」のこの件の事の道理に就きて講ずれば、「其袂不如其娣之袂良」は、礼数を崇尚して而して装飾を崇尚せざるなり。六五は柔順・中を守るの姿態を以て尊高の位置の上に処りて、是れ尊貴の身を以て而して中道を行うなり。柔順・謙抑して己を屈して人に下り、礼数を崇尚して而して装飾を崇尚せず、これまさに中道なり。集説に引く王申子の説:《象伝》の上の両句は爻辞を提起するにして、下の両句は之に解釋を加うるなり。意思是れ六五が身に尊位を居して而して能く中を用うるを言い、ゆえに能く極めて尊貴の身份を以て往きて勤倹・謙遜の道理を實行すること能し。

上六無實,承虛筐也。程傳 “筐無實”,是空筐也。空筐可以祭乎,言不可以奉祭祀也,女不可以承祭祀,則離絕而已,是女歸之無終者也。集說 王氏宗傳曰:專取虛筐無實為盲者,上六女子也。

《小象伝》が上六を解して言う:上六の筐の裏に東西なく、捧ぐる所は是れ一隻の空筐なり。程頤《伊川易伝》にいう:「筐无実」は則ち空の筐子なり。空の筐子は能く拿りて往きて祭祀すらんや。これは彼女の能く祭祀の礼を奉行せざるを言うなり。女子は能く祭祀を擔當せざれば、則ちただ離異・斷絶の一途あるのみ、これは女を嫁がして而して好き結局なきの一類なり。集説に引く王宗傳の説:《象伝》は單に空筐の物なきを拈出して以て説を立つるは、上六の講ずるは女子のこの一面なるが故に因る。

豐卦・大象与爻象

雷電皆至,豐,君子以折獄致刑。本義 取其威照並行之象。程傳 雷電皆至,明震並行也,二體相合,故云“皆至”。明動相資,成《豐》之象。離,明也,照察之象。震,動也,威斷之象。“折獄”者必照其情實,唯明克允,致刑者以威於奸惡,唯斷乃成。故君子觀雷電明動之象,以“折獄致刑”也。

《大象伝》にいう:雷と電とは一同に到來す、これ則ち《豐》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに案件を審斷して刑罰を施行すべし。朱熹《本義》にいう:取る所は威勢と照察との并行する物象なり。程頤《伊川易伝》にいう:雷電は一同に到來するは、光明と震動との同時に進行するなり。上下の両體は相合す、ゆえに「皆至」と言う。光明と行動とは互相に憑藉して、《豐》卦の物象を構成す。離は明にして、照察の象なり。震は動にして、威厳・決斷の象なり。「折獄」は必ず案情の真実を照見するを須して、唯だ明察してこそ能く判じること允當ならん。「致刑」は威勢を用いて以て奸悪に對付す、唯だ決斷してこそ能く辦成せん。ゆえに君子は雷電のこの明と動との象を観て、以て「折獄致刑」す。

《噬嗑》言先王“飭法”,《豐》言君子“折獄”,以明在上而麗於威震,王者之事,故為制刑立法,以明在下而麗於威震,君子之用,故為“折獄致刑”,《旅》明在上而云君子者,《旅》取慎用刑與不留獄,君子皆當然也。

程頤が接いで言う:《噬嗑》卦は先王の「飭法」を講じ、《豐》卦は君子の「折獄」を講ず。《噬嗑》は光明は上に在りて而して威震の下に附麗す、あれは帝王の事にして、ゆえに刑律を制訂して法度を建立すると言う。《豐》卦は光明は下に在りて而して威震に附麗す、あれは君子の職分にして、ゆえに「折獄致刑」と言う。至って《旅》卦は、光明も亦た上面に在るに、却って仍お「君子」と言う、あれは因るに《旅》卦の取る所は刑罰を謹慎して訟獄を拖延せざるのこの一層の意思なるが故に、凡そ君子は皆なまさにこのごとくすべし。

集說 孔氏穎達曰:斷決獄訟,須得虛實之情,致用刑罰,必得輕重之中。若動而不明,則淫濫斯及,故君子象於此卦而“折獄致刑。”蘇氏軾曰:《傳》曰:為刑罰威獄,以類天之震曜,故《易》至於雷電相遇,則必及刑獄,取其明以動也。至於離與艮相遇,曰“無折獄”,無留獄,取其明以止也。

集説に引く孔穎達の説:訟獄を判決するに、必ず真偽・虚実の実情を査明するを須す。刑罰を動用するに、一定に軽重の適中に拿捏するを要す。假如行動し起こして而して心の裏に明白ならざれば、濫刑は則ち之に隨いて而して來らん、ゆえに君子はこの一卦に取法して而して「折獄致刑」す。集説に引く蘇軾の説:古書の上に講ずる、刑罰と獄訟の威とを設立するは、以て上天の雷震・電耀に比擬せんと要す、ゆえに《周易》は凡そ雷電の相遇する卦に碰上すれば、必定に刑獄を説き到る、取る所は明察を加えて行動す。至って離と艮と相遇するの《旅》卦は、則ち「无折獄」・訟獄を拖延せざるを言う、取る所は明察を加えて止息す。

朱氏震曰:電明照也,所以“折獄”,雷威怒也,所以“致刑”。《朱子語類》:問:雷電《噬嗑》與雷電《豐》亦同。曰:《噬嗑》明在上,是明得事理,先立這法在此,未有犯威人,留待異時之用,故云“明罰飭法”;《豐》威在上,明在下,是用這法時,須是明見下情曲折方得,不然,威動於上,必有過錯也,故云“折 雖旬無咎,過旬災也。

集説に引く朱震の説:電は明亮の照耀にして、ゆえに以て「折獄」に用う。雷は威厳の震怒にして、ゆえに以て「致刑」に用う。《朱子語類》に記載す:ある人が問う、《噬嗑》の雷電と《豐》卦の雷電とは是れ一樣なるか否かと。朱熹が答えて曰く、《噬嗑》は明は上面に在りて、是れ先に事理を弄明白にして、預め法條をここに立てて、此時は還法禁に觸犯する人なくして、日后に備えて用いるに留む、ゆえに「明罰飭法」と言う。《豐》卦は威は上面に在り明は下面に在りて、是れまさにこの套の法を動用するの時にして、必ず下面の情由・曲折を看ること明明白白にしてこそ行ふべく、不然ば威勢は上頭より壓し下り來れば、必定要して差錯を出さん、ゆえに「折――底本ここに脱文あり。以下は初九の《小象伝》:「雖旬无咎、過旬災也。」

本義 戒占者不可求勝其配,亦爻辭外意。程傳 聖人因時而處宜,隨事而順理,夫勢均則不相下者,常理也,然有雖敵而相資者,則相求也。初四是也,所以雖旬而無咎也。與人同而力均者,在乎降己以相求,協力以從事,若懷先己之私,有加上之意,則患當至矣,故曰“過旬災也”。均而先己,是過旬也,一求勝則不能同矣。

朱熹《本義》にいう:これは占問する人に告誡して以て一心に己の對等する者を壓し過ぐるを想うべからざるなり、亦た爻辞の字面の外の一層の意思なり。程頤《伊川易伝》にいう:聖人は時勢に依りて合宜の做法を安排して、事情に隨いて事理に順応す。勢力の相當するの双方は互いに相譲らざるは、もとより常情なり。然而亦た雖も彼此・對等すと雖も能く互相に憑藉する有りて、あれは則ち彼此に合を求めん、初九と九四とはまさにこのごとくして、ゆえに「雖旬而无咎」。人と同處して而して力量の相當するは、関鍵は己を放低して以て合を求め斉心・協力して事を辦するに在り。假如人に搶じて前に在るの私心を懷きて、人を壓えて一頭を存せば、禍患は則ち要して來らん、ゆえに「過旬災也」と言う。勢均・力敵して却って先を搶せんと要するは、則ち「過旬」なり。一心に勝を求むれば、則ち再び同じく一塊児に到ること能わざらん。

集說 劉氏牧曰:“旬”,數之極也,猶日之中也,言“無咎”者,謂初未至中,猶可進也,若進而過中,則災,故象稱“過旬災也”,爻辭不言豐者,謂初未至豐也。胡氏瑗曰:言雖居豐盈之時,可以“無咎”,若過於盈滿,則必有傾覆之災也。俞氏琰曰:爻辭云“雖旬無咎”,爻《傳》云“過旬災”,則戒其不可過也,蓋與《彖傳》天地日月說同。

集説に引く劉牧の説:「旬」は數目の極点にして、好比として太陽の正中に走到するがごとし。「无咎」と言うは、初九が還正中に到らずして、尚お以て前進すべく。もし正中を進み過ぐれば、則ち災あり。ゆえに《象伝》は「過旬災也」と称す。爻辞は「豐」の字を提げざるは、初九が還豊盛の地步に達到せざるに因る。集説に引く胡瑗の説:これは雖も身に豊盈の時に処すると雖も、以て災禍あらざること能し。但しもし盈満に過分なれば、則ち一定に傾覆の災を招來せん。集説に引く俞琰の説:爻辞の講ずる「雖旬无咎」、《小象伝》の講ずる「過旬災」は、則ち以て過頭すべからざるを告誡するなり、これは《彖伝》の裏の天地・日月の盈虚・消長の説法と是れ同一路なり。

案 “過旬災”,即“日中則昃,月盈則食”之意也,經意謂同德相濟,雖當盈滿之時,可以無咎,況初居於之始,未及日中乎!《傳》意則謂正宜及今而圖之耳,稍過於中,便將有災矣,其義相備也。

李光地按す:いわゆる「過旬災」は、則ち《彖伝》の「日中則昃、月盈則食」の意思なり。経文の用意は言う、徳性の相同じきの双方は互相に救助して、縱使まさに盈満の時に當るも亦た以て災禍あらざること能し、何況や初九は全卦の開頭に処りて、還日中に走り到らざるをや。《象伝》の用意は則ち言う、まさに如今に趁りて就ち着手して謀劃すべく、稍や正中を過ぐれば、則ち災あらんと要す。両層の意思は互相に補足す。

有孚發若,信以發志也。程傳 “有孚發若”,謂以己之孚信,感發上之心志也,苟能發,則其吉可知,雖柔暗有可發之道也。集說 趙氏汝楳曰:疾得於境之疑,孚發於志之信。王氏申子曰:二虛中故“有孚”,五亦虛中故“可發”,言以誠相感也。

《小象伝》が六二を解して言う:誠信を懷きて往きて對方を啓發す、是れ誠信を用いて以て上に在る者の心志を激發するなり。程頤《伊川易伝》にいう:「有孚發若」は、己の誠信を拿りて往きて上に在る者の心志を感動・啓發するを言う。ただ啓發して動くことを得ば、それの吉利は則ち想知すべし。六五は雖も柔弱・昏暗すと雖も、亦た仍お以て啓發せらるべきの門路あり。集説に引く趙汝楳の説:あの分の「疾」は處境の生ずる所の猜疑より來り、あの分の「孚」は心志の存する所の誠信より發す。集説に引く王申子の説:六二は中に虚うすれば、ゆえに「有孚」と言う。六五も亦た中に虚うすれば、ゆえに「可發」と言う――講ずる所は双方の誠意を以て相感通するなり。

豐其沛,不可大事也。折其右肱,終不可用也。程傳 三應於上,上應而無位,陰柔無勢力而處既終,其可共濟大事乎!既無所賴,如右肱之折,終不可用矣。集說 潘氏士藻曰:六二雖當“豐蔀”之時,然五得位得中,猶可以大事,故六二發若之孚可施也。九三所應上六,無可發之明矣。不可用而不用,保身之哲也。

《小象伝》が九三を解して言う:遮蔽するあのごとく深厚して、以て大事を辦すべからず。右臂を折斷して、終に用場に派せらるること能わざらん。程頤《伊川易伝》にいう:九三と上六と相應すれど、上六は雖も相應すと雖も却って実位なくして、本身は陰柔にして而して勢力なく、また全卦の終了に処りて、豈に還能くそれと一同に往きて大事を成就せんや。すでに依靠する所なければ、則ち右臂の折斷したるがごとくして、終に用い上ぐること能わざらん。集説に引く潘士藻の説:六二は雖もまさに「豐蔀」に遮蔽せらるるの時に當ると雖も、但し六五はすでに位を得てまた中を得れば、還以て作為あるべくして、ゆえに六二のあの分の人を啓發するの誠信は施展して出去すること能し。九三の應ずる所は上六にして、則ち以て啓発すべきの明智なし。用い上ぐること能わざれば則ち乾脆に用いず、これは自身を保全するの明智なり。

豐其蔀,位不當也。日中見斗,幽不明也。遇其夷主吉,行也。程傳 “位不當”,謂以不中正居高位,所以暗而不能致豐,“日中見斗,幽不明也”,謂幽暗不能光明,君陰柔而臣不中正故也,“遇其夷主吉,行也”。陽剛相遇,吉之行也,下就於初,故云行,下求則為吉也。集說 項氏安世曰:六二指六五為“蔀”為“斗”,故往則入於暗而得疑,九四之“蔀”與“斗”,皆自指也,故行則遇明而得吉。吳氏橙曰:“豐蔀”“見斗”,六二爻辭已備,《象傳》不釋,而獨九四致其詳者,蓋二象由九四而成,四為“蔀”,故二“見斗”,二爻之象同,而所重在四也。

《小象伝》が九四を解して言う:遮蔽物はまた厚くまた大なるは、位置の相當せざるに因る。正午の時分に北斗を見るは、幽暗にして光明ならざるなり。己と對等する主人に遇上して吉を得るは、肯んじて行動するに在り。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「位不當」は、九四が不中・不正の身を以て高位に居するを指し、因此昏暗にして能く豊盛を造成せざるなり。「日中見斗、幽不明也」は、幽暗にして能く光明ならざるを言う、原因は君主の陰柔にして臣子の中正ならざるに在り。「遇其夷主吉、行也」は、両個の陽剛の彼此に相遇するを言う、これは吉利の行動なり。九四は下に向かいて初九に就近せば、ゆえに「行」と言い、肯んじて下に向かいて合を求むれば則ち吉を得。集説に引く項安世の説:六二の爻辞の裏の「蔀」と「斗」とは、六五を指して、ゆえにそれは一たび往きて上去すれば則ち昏暗に進入して猜疑を招來す。九四の爻辞の裏の「蔀」と「斗」とは、皆なそれの自己を指して、ゆえにそれは一たび行動すれば便ち光明に遇上して吉を得。集説に引く呉澄の説:「豐蔀」「見斗」の両句は、六二の爻辞の裏にすでに言い全けり、《象伝》は却って解釋を加えずして、偏偏として九四のここに於て講じること詳細なるは、因るにこの両個の象はもとより九四に由りて造成せられたるが故なり。九四は是れあの塊の「蔀」にして、ゆえに六二はこそ「見斗」す。両爻の象は雖も相同じと雖も、分量は却って九四の身上に落る。

程傳 其所謂吉者,可以有慶福及於天下也,人君雖柔暗,若能用賢才,則可以為天下之福,唯患不能耳。集說 何氏楷曰:人君以天下常豐為慶,慶以天下故吉,言慶則譽在其中矣。

ここに底本は六五の《小象伝》の原文「六五之吉、有慶也」を脱去して、径に注文を接ぐ。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる吉は、この分の福慶は以て天下に施及すべきを言う。君主たる者は縱使柔弱・昏暗すと雖も、ただ能く賢才を任用せば、則ち以て天下の福気と成るべく、怕る所はただ彼が做し到ること能わざるのみ。集説に引く何楷の説:君主は天下を常に豊盛を保たしむるを以て福慶と看做して、福慶はすでに天下の身上に落れば、ゆえに吉と称す。「慶」を説き到れば、「譽」は亦た就ち裏頭に包含せられたり。

豐其屋,天際翔也。窺其戶,闃其無人,自藏也。本義 “藏”,謂障蔽。程傳 六處豐大之極,在上而自高,若飛翔於天際,謂其高大之甚,窺其戶而無人者,雖居豐大之極,而實無位之地,人以其昏暗自高大,故皆棄絕之,自藏避而弗與親也。

《小象伝》が上六を解して言う:房屋を造りてあのごとく高大にして、天の辺に飛翔するがごとし。門の縫より張望すれば、靜悄悄として人なく、是れ彼が自己が己を遮藏したるなり。朱熹《本義》にいう:ここの「蔵」は、自我の遮蔽・阻隔するを指す。程頤《伊川易伝》にいう:上六は豊盛・盛大の極点に処りて、最上に居りて而して高位に自居して、髣髴として天の辺に飛翔するがごとくして、それが高大なること極処に到れるを形容す。門の縫より看り入れば却って一個人もなく、是れ因るにそれが雖も豊大の頂端に居ると雖も、實際の上は却って職位なきの地方なるが故なり。人々はそれの昏昧・糊塗にして却って自高・自大なるを看て、因此皆なそれを離棄・斷絶して、それは便ち自我に遮藏・躲避して、誰も來りて親近せず。

集說 石氏介曰:始顯大,終自藏,皆聖人戒其過盛。子云曰:炎炎者滅,隆隆者絕,觀雷觀火,為盈為實,天收其聲,地藏其熱,高明之家,鬼瞰其室,正合此義。張子曰:豐屋、蔀、家,自蔽之甚,窮大而失居者也,處上之極,不交於下,而居動之末,故曰“天際翔也”。《朱子語類》云:“豐其屋,天際翔也”,似說如翬斯飛樣,言其屋高大到於天際,卻只是自蔽障得闊。

集説に引く石介の説:起初は顕赫・盛大にして、最後は自我に遮藏す、皆な是れ聖人の人に告誡して過分に盛満する勿からしむるなり。揚雄が言う、火焰の騰騰たるは終に熄滅し、声勢の隆隆たるは終に斷絶す。あの雷と火とを看よ、まさに盈満・充実の時に當たりて、上天は却って雷の声を收去して、大地は却って火の熱を蔵め起こせり。門第の高顯の人家は、鬼神は暗の中に於て彼の屋子を窺伺す。この番の話はまさに《豐》卦上六の意思に合す。集説に引く張載の説:高大の屋子、厚重の遮蔽、深藏の宅院は、皆な是れ自我の遮蔽すること極点に到れり、規模を撑げること太大にして反って身を安ずるの処を失掉せり。上六は全卦の最上の極点に処りて、下面と交接せずして、また震動の末梢に居れば、ゆえに「天際翔也」と言う。《朱子語類》に記載す:「豐其屋、天際翔也」は、髣髴として《詩経》の裏の「如翬斯飛」のあの種の檐角の飛展する様子を言うがごとく、彼の房子の高大なること直に天の辺に抵るを講ずるに、可是結果は不過己を遮蔽すること更に寬闊ならしむるのみ。

旅卦・大象与爻象

山上有火,旅。君子以明,嗔用刑而不留獄。本義 慎刑如山,不留如火。程傳 火之在高,明無不照,君子觀明照之象,則“以明慎用刑”。明不可恃,故戒於慎,明而止,亦慎象。觀火行不處之象,則“不留獄”,獄者不得已而設,民有罪而入,豈可留滯淹久也。

《大象伝》にいう:山上に火を燒く、これ則ち《旅》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに明察にして謹慎に刑罰を動用して、而且訟獄を拖延せざるべし(底本「愼」は「嗔」と訛作す)。朱熹《本義》にいう:刑を用いるの謹慎はまさに山のごとく穩定すべく、拖延せざるはまさに火のごとく迅疾すべし。程頤《伊川易伝》にいう:火は高処に燒きて、光明は照らさざる所なし。君子はこの明照の象を観て、則ち「以明愼用刑」す。光明は以て恃仗すべからず、ゆえにまた「愼」の字を用いて以て告誡を加う。明察にして能く止まるは、亦たまさに謹慎の象なり。火の停留せずして一路に燒き過ぐるの象を観て、則ち「不留獄」を懂得す。牢獄は不得已にしてこそ設立するにして、百姓は罪ありて進み入れば、怎んぞ能く彼らをして長久に裏面に滞留せしめんや。

集說 孔氏穎達曰:火在山上,逐草而行,勢不久留,故為《旅》象,又上下二體,艮止離明,故君子象此以明察審慎用刑,而不稽留獄訟。項氏安世曰:山非火之所留也,野燒延緣,過之而已,故名之曰《旅》,而象之以“不留獄”。

集説に引く孔穎達の説:火は山上に在りて、野草に沿いて一路に燒き過ぐるに、勢頭の上に於て久留せず、ゆえに取りて《旅》卦の象と爲す。上下の両體を加えて、艮は止を主とし離は明を主とす、ゆえに君子は此に取法して、明察・審愼に刑罰を動用して、而して訟獄を拖きて辦せず。集説に引く項安世の説:山は并びに火の以て久留すべきの地方に非ず、野火は蔓延・攀緣して、不過路過の一趟あるのみ、ゆえにそれに名を取りて《旅》と謂い、并且「不留獄」を以て象を取る。

趙氏汝楳曰:火煬則宅於灶,冶則宅於爐,在山則野,燒之暫,猶旅寓耳,故為《旅》之象。離虛為“明”,艮止為“謹”,君子體之,明謹於“用刑而不留獄”,蓋獄者人之所旅也,“不留獄”,不使久處其中也,用刑固貴於明,然明者未必謹,謹者或留獄,明矣謹矣,而淹延不決,雖明猶暗也,雖謹反害也。張氏清子曰:“明”則無循情,“慎”則無濫罰,“明慎”既盡,斷決隨之。聖人取象於旅,正恐其“留獄”也。

集説に引く趙汝楳の説:火は飯を燒くに用いれば則ち灶の裏に家を安んじ、冶煉に用いれば則ち爐の裏に家を安んず。山上に到れば則ち野火と成りて、一たび燒きて而して過ぐ、旅客の暫住するがごとく、ゆえに取りて《旅》卦の象と爲す。離體は中に虚うして、義を「明」に取る。艮體は止を主として、義を「謹」に取る。君子はこの層の意思を體會して、明察にして謹慎に「用刑而不留獄」す。牢獄はもとより人の暫時に寄住するの地方にして、「不留獄」は則ち人をして長久に裏頭に待たしめざるなり。刑を用いるは固然として明察を貴ぶと雖も、然而明察の人は未だ必ずしも謹慎せず、謹慎の人はまた能く案子を拖きて置かん。縱使また明察にしてまた謹慎なれども、却って拖延して判決せざれば、則ち雖も明なりと雖もも暗に等しく、雖も謹なりと雖も反って害と成らん。集説に引く張清子の説:「明」なれば則ち私情に徇らず、「愼」なれば則ち刑罰を濫施せず。明と愼と皆な做し到れば、判決は之に隨いて而して下る。聖人は旅行より象を取るは、まさに案を辦する人の「留獄」するを怕れるなり。

旅瑣瑣,志窮災也。程傳 志意窮迫,益自取災也,災眚對言則有分,獨言則謂災患耳。集說 谷氏家傑曰:爻賤其行,象鄙其志。得童僕貞,終無尤也。程傳 羈旅之人,所賴者童僕也,既得童僕之忠貞,終無尤悔矣。集說 王氏弼曰:既得童僕,然後即次懷資,皆無所失,故“終無尤”。

《小象伝》が初六を解して言う:旅途中に猥瑣・計較す、是れ心志の困窘にして自ら災禍を招來するなり。程頤《伊川易伝》にいう:心志は窘迫して、則ち愈々として自己より災禍を招來す。「災」と「眚」と對擧するの時は各々分別あり、單に一個の「災」の字を言えば、指す所は則ち災患なり。集説に引く谷家傑の説:爻辞は它の行為を看不起し、《象伝》は它の心志を鄙薄す。《小象伝》にまた六二を解して言う:童僕の忠貞を得到して、終に怨咎あらざらん。程頤《伊川易伝》にいう:外に客居する人は、依靠する所は則ち童僕なり。すでに童僕の忠誠・守正を得到せば、終に怨恨・悔吝あらざらん。集説に引く王弼の説:先に童僕を得到して、然る後にこそ能く旅舍に住み進みて盤纏を揣えて、樣樣に皆な失落せず、ゆえに「終无尤」と言う。

旅焚其次,亦以傷矣。以旅與下,其義喪也。本義 以旅之時,而與下之道如此,義當喪也。程傳 旅焚失其次舍,亦以困傷矣,以旅之時,而與下之道如此,義當喪也。在旅而以過剛自高待下,必喪其忠貞,謂失其心也,在旅而失其童僕之心,為可危也。

《小象伝》が九三を解して言う:旅途中に己の住処を燒掉す、實に以て受傷に足るなり。旅客の態度を以て下人に對待す、理に按ずれば則ち彼らを失掉すべし。朱熹《本義》にいう:身に旅居の時に処りて、下人に對待するの方式は却ってこの樣なれば、理に按ずれば當然に彼らを失掉せんと要す。程頤《伊川易伝》にいう:旅途中に火を失して投宿するの地方を燒掉すは、すでに是れ困頓・受傷せり。身に旅居の時に処りて、下人に對待するは却ってこの樣子なれば、理に按ずれば當然に彼らを失掉せんと要す。外に客居して還過分に剛強・自高・自大の姿態を用いて以て下人に對待すれば、必定に彼らの忠貞を喪失せん、亦た則ち彼らの心を失掉するなり。外に客居して而して童僕の心を失掉するは、これは甚だ危険なり。

集說 郭氏雍曰:九三剛而不中,故不能安。旅失其所安,亦可傷矣,以剛暴之才,而以旅道居童僕,:自其失眾心而喪也。夫旅豈與人之道哉,君子自厚而已,故終無以旅與下之事。王氏宗傳曰:既已有焚其次之傷矣,而又喪其童僕焉,此暴厲之過也。夫旅親寡之時也,朝夕之所與者,童僕而已爾,豈可以旅視之也,九三以旅視乎下,則彼童僕也,亦必以旅視乎上矣,其能久留乎,故曰“其義喪也”。

集説に引く郭雍の説:九三は剛強にして却って中に居らず、ゆえに安頓し下るること能わざらん。旅居して而して身を安ずるの所を失うは、すでに人をして傷感せしむるに足れり。また剛暴の性子を拿りて、過路人に對待するの態度を用いて以て童僕を安置せば、あれは自然に先に衆人の心を失掉して而して後に彼らを失掉せん。旅客のあの一套は何処にか是れ人と相處するの正道ならんや。君子はただ人を厚待するを求むるのみ、ゆえに始終に「以旅與下」のこの種の事を做し出ださず。集説に引く王宗傳の説:すでに住処の燒かるるの傷痛あれば、また己の童僕を丢掉せり、これは暴戾の太過なるの結果なり。旅居はもとより親近する人の最も少なきの時にして、早晚に相處するは不過童僕あるのみ、怎んぞ能く過客を看待するの眼光を拿りて以て彼らを看せんや。九三は旅客の眼光を用いて下人を看れば、則ち下人は反って來りて亦た必定に旅客の眼光を用いて上頭を看ん、彼らは還肯んじて久留せんや。ゆえに「其義喪也」と言う。

黃氏淳耀曰:“下”,即童僕,“以旅與下”者,謂視童僕如旅人也,焚次而失其身所依庇,亦已傷而不安矣,況又喪其童僕乎!然非童僕之無良也,當旅時而與下之道,刻薄寡思,直若旅人然,宜不得其心力,義當喪也,將誰咎哉。

集説に引く黄淳耀の説:いわゆる「下」は、則ち童僕なり。「以旅與下」は、童僕を路人と當てて以て看待するを言う。住処は燒かれて、己の庇護に賴るの地方を失うは、すでに受傷して而して安寧を得ず、何況やまた童僕を丢掉するをや。然而これは并びに童僕の不好なるに非ずして、而して彼が旅居の時に於て下人に對待するの方式の刻薄・寡恩にして、簡直は陌生の過客に對待するがごとくして、自然に彼らの真心と出力とを得ず。理に按ずれば則ち彼らを失掉すべく、還誰を怪まんや。

旅于處,未得位也。得其資斧,心未快也。程傳 四以近君為當位,在旅五不取君義,故四為“未得位也”,曰:然則以九居四不正為有咎矣。曰:以剛居柔,旅之宜也。九以剛明之才,欲得時而行其志,故雖得“資斧”,於旅為善,其心志未快也。集說 黃氏淳耀曰:“資斧”防患之物,“得其資斧”,不過有以自防,故曰“心未快也”。

《小象伝》が九四を解して言う:旅途中に一個の安身处あり、是れ還應有の位置を得ざるなり。盤纏と利斧とを得到して、心の裏に仍お痛快せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:九四は君位に靠近して、もとよりまさに當位と算すべくと雖も、可是《旅》卦の裏に於ては、六五は并びに君主の意義を取らず、ゆえに九四は「未得位也」と算す。ある人が問う、則ち陽爻を以て四のこの陰位に居るは、正ならずして、豈に過失あらざらんや。回答は、剛爻を以て柔位に居るは、まさに旅居の時のまさに有るべきの分寸なり。九四は剛健・明察の才具ありて、一心に時機に趕上して以て抱負を実現せんと想い、ゆえに雖も「資斧」を得到して旅居の中に於てすでに不錯と算すと雖も、心志は却って仍お痛快せず。集説に引く黄淳耀の説:「資斧」は患難に防備するの東西なり。「得其資斧」は、不過自我・防護の憑藉あるのみ、ゆえに「心未快也」と言う。

終以譽命,上逮也。本義 “上逮”,言其譽命聞於上也。程傳 有文明柔順之德,則上下與之。“逮”,與也,能順承於上而上與之,為上所逮也。在上而得乎下,為下所上逮也,在旅而上下與之,所以致“譽命”也。“旅”者,困而未得所安之時也,“終以譽命”,終當致譽命也,已“譽命”則非旅也,困而親寡則為旅,不必在外也。

《小象伝》が六五を解して言う:終に美譽と爵命とを獲得す、是れ上に向かいて及ぶること能きに因る。朱熹《本義》にいう:いわゆる「上逮」は、彼の美譽と爵命とが上に在る者に上達するを言う。程頤《伊川易伝》にいう:文明・柔順の徳性を具備すれば、上下は則ち皆な肯んじて彼と相与す。「逮」は則ち相与なり。能く上に在る者に順承して而して上に在る者も亦た肯んじて彼と相与するは、これは上面に及ばるるなり。身に上位に在りて而して能く下面の擁戴を得到するは、これは下面に上に向かいて及ばるるなり。旅居の中に於て上下は皆な肯んじて彼と相与せば、因此「譽命」を招來せり。いわゆる「旅」は、困頓して而して未だ身を安ずるの処を找着せざるの時なり。「終以譽命」と言うは、最終に美譽と爵命とを招來するを言う。一たび譽命あれば、則ち更に旅に非ず。困頓して而して親近する人少なきを則ち旅と謂作るにして、并びに一定に身に外地に在るを須とせず。

集說 胡氏瑗曰:六五所謂柔得中乎外而順乎剛者也,柔順中正之德,為上九所信,尊顯之命及之也。案 六五有位而上九無位,不必以六五為上九所尊顯也。蓋居高位便是上逮爾,此爻雖不以君位言,而亦主於大夫土之載贄而荻乎名位者,故曰“上逮”,言其地望已高 以旅在上,其義焚也。喪牛于易,終莫之聞也。

集説に引く胡瑗の説:六五は則ち《彖伝》の言う所の柔爻が外卦に於て中を得て而して剛爻に順從するのあの一位なり。それが柔順・中正の徳性は上九に信服せられて、尊崇・顕達の爵命は亦た就ちそれの身上に落る。李光地按す:六五は位ありて上九は位なし、必ずしも六五の上九に尊顯せらるると解成するを要せず。高位に居るは本身に則ち「上逮」なり。この一爻は雖も君位に按りて講じざると雖も、却って亦た是れ大夫・士人の見面の礼を捧げて往きて仕を求めて名位を獲得するのあの一類に着眼す(底本「士」は「土」と訛作し「獲」は「荻」と訛作す)、ゆえに「上逮」と言う、是れ彼の地位・声望のすでに甚だ高きを講ず――底本ここに脱文あり。以下は上九の《小象伝》:「以旅在上、其義焚也。喪牛于易、終莫之聞也。」

程傳 以旅在上,而以尊高自處,豈能保其居。其義當有焚巢之事,方以極剛自高為得志而笑,不知喪其順德於躁易,是終莫之聞,謂終不自聞知也,使自覺知,則不至於極而“號咷”矣,陽剛不中而處極,固有高亢躁動之象,而火復炎上,則又甚焉。

程頤《伊川易伝》にいう:旅客の身份を以て最上に居りて、還尊貴・高顯を以て己に居せば、怎んぞ己の居所を保住すること得んや。理に按ずれば則ちまさに巢の燒き掉せらるるの事あるべし。それはまさに剛強なること極点に到りて高位に自居して而して洋洋として得意に發笑するに因りて、却って己がすでに浮躁・軽率の中に於て柔順の徳性を丢掉したるを知らず、これ則ち「終莫之聞」――是れ彼が最後に到るも亦た能く己に察覺せざるを言う。假使能く己に察覺せば、則ち極処に走り到りて放聲に「号咷」するに至らざらん。陽剛にして而して中に居らずしてまた極位に処れば、もとより則ち高亢・躁動の象を帶びて、何況や火性はまた向上に炎燒するをや、則ち更に厲害なり。

集說 張子曰:以陽極上,旅而驕肆者也,失柔順之正,故曰“喪牛于易”,怒而忤物,雖有凶危,其誰告之,故曰“終莫之聞也”。案 九三以旅與下,郭氏、王氏、黃氏之說美矣,唯以旅在上則未有說,蓋以旅之道在上,則視所居之位,如寄寓然,其無敬慎之心可知,故曰“其義焚也”。

集説に引く張載の説:陽爻を以て最上に升到するは、是れ旅居して而して驕橫・放肆の人なり。それは柔順・正を守るの徳性を失掉せり、ゆえに「喪牛于易」と言う。怒を發して而して処処に人を得罪すれば、縱然凶險の明らかに擺するも、また誰の肯んじて彼に告げんや。ゆえに「終莫之聞也」と言う。李光地按す:九三の「以旅與下」に関しては、郭雍・王宗傳・黄淳耀の幾家の説法は皆な甚だ好し。ただ「以旅在上」のこの一句は還人の講じ透るなく。大概是れ言う、旅客の心態を用いて上位に処れば、則ち己の居する所の位置を以て暫時に借住するの地方と看成す、あの分の敬慎を缺乏するの心思は亦た就ち想知すべくして、ゆえに「其義焚也」と言う。

巽卦・大象与爻象

隨風巽,君子以申命行事。本義 “隨”,相繼之義。程傳 兩風相重,隨風也,“隨”,相繼之義,君子觀重巽相繼以順之象,而以中命令,行政事。隨與重,上下皆順也,上順下而出之,下順上而從之,上下皆順,重巽之義也。命令政事,順理則合民心,而民順從矣。

《大象伝》にいう:風は一陣に接いで一陣す、これ則ち《巽》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに反覆して命令を申明して政事を推行すべし。朱熹《本義》にいう:「隨」は前後に相繼するの意思なり。程頤《伊川易伝》にいう:両股の風は重疊して一緒に在るは、則ち「隨風」なり。「隨」は相繼するの意思なり。君子は巽體の重疊して前後に相繼して而してまた処処に順應するの象を観て、因りて反覆して号令を申明して(底本「申命令」は「中命令」と訛作す)、政事を推行す。相隨と相重とは、言う所は皆な上下の皆な順なるなり。上面は下面の情形に順いて命令を發し出だし、下面は上面の意思に順いて往きて遵行す、上下は皆な順なれば、これ則ち重巽の意義なり。命令と政事とはただ道理に順えば、則ち民心に合して、百姓は自ずから順從す。

集說 荀氏爽曰:巽為號令,兩巽相隨,故“申命”也,法教百瑞,令行為上,故曰“行事”也。胡氏璦曰:巽之體,上下皆巽,如風之入物,無所不至,無所不順,故曰“隨風巽”。君子法此巽風之象,以申其命行其事於天下,無有不至,而無有不順者也。

集説に引く荀爽の説:巽は号令を象徴して、両個の巽體は前後に相隨す、ゆえに「申命」と称す。法度・教化の種種の事項は、皆な号令の能く推行するを以て上と爲して、ゆえに「行事」と言う。集説に引く胡瑗の説:巽の卦體は上下に皆な巽にして、髣髴として風の万物に滲入するがごとくして、到らざるの地方なくして、亦た順應せざるの地方なし、ゆえに「隨風巽」と言う。君子はこの巽風の象に取法して、己の号令を申明し出去して己のまさに辦すべきの事を天下に推行して、処として到らざるなく処として順わざるなからしむるを致す。

郭氏雍曰:君子之德風也,有風之德而下無不從,然後具重巽之義。《易》於巽主教命,猶《詩》之言風也,故《觀》則“省方觀民設教”,《姤》則“施命誥四方”,皆主巽而言也。,邱氏富國曰:“申命”者,所以致其戒於行事之先,“行事”者,所以踐其言於申命之後。

集説に引く郭雍の説:君子の徳性は好比として風のごとくして、風のあのごときの徳性を具備して而して下面に跟從せざるなければ、然る後にこそ重巽の意義を具備したると算す。《周易》は巽卦の上に於て教化と政令とを主講じて、まさに《詩経》の「風」を講ずるがごとし。ゆえに《觀》卦は「省方觀民設教」と言い、《姤》卦は「施命誥四方」と言う、皆な巽體に就きて説を立つ。集説に引く邱富國の説:いわゆる「申命」は、事を辦するの前に於て告誡を説き到るなり。いわゆる「行事」は、命を申するの後に於て説きたるの話を兌現するなり。

俞氏琰曰:既告戒之,又丁寧之,使人聽信其說,然後見之“行事”,則民之從之也。亦如風之迅速也。大抵命令之出,務在必行,不行則徒為虛文耳。

集説に引く俞琰の説:先に話を前に告誡して、また反覆・叮嚀して、人々をして聴き進み信じ過ぐること得しめて、然る後にこそ「行事」の上に落実せば、則ち百姓の跟從し起こるも、亦た則ち風のごとく迅速ならん。大体に言えば、命令は一たび發出すれば、務めて能く貫徹するを要す。貫徹すること能わざれば、則ちただ一紙の空文あるのみ。

進退,志疑也。利武人之貞,志治也。程傳 進退不知所安者,其志疑懼也,利用武人之剛貞以立其志,則其“志治也”。“治”,謂修立也。集說 趙氏汝楳曰:“治”與“疑”對,“志疑”而不決,故進退靡定,“志治”而不亂,故決於行。黃氏淳耀曰:兩可不決之謂“疑”,一定不亂之謂“治”。

《小象伝》が初六を解して言う:一會児進み一會児退く、是れ心志の疑惑するなり。武人のあのごときの正を守るを用うるに利あるは、まさに心志を整治し起こすを要するなり。程頤《伊川易伝》にいう:また進まんと想いまた退かんと想いて身を安んずる所を知らざるの人は、彼の心志は是れ疑惑・畏懼するなり。まさに武人のあの種の剛強・正を守るの勁頭を借りて以て己の心志を立定すべく、このごとくにして心志は則ち「治」れり。「治」は則ち整治・確立するの意思なり。集説に引く趙汝楳の説:「治」と「疑」とは正好に相對す。心志は疑惑すれば則ち主意を拿り定めず、ゆえに進退は定まらず。心志は整治して而して散乱せざれば、ゆえに能く決然として行動す。集説に引く黄淳耀の説:両頭に皆な可とし意を拿り定めざるを「疑」と謂い、一定に移らず方寸を乱さざるを「治」と謂う。

紛若之吉,得中也。程傳 二以居柔在下,為過巽之象,而能使通其誠意者眾多紛然,由得中也。陽居 頻巽之吝,志窮也。

《小象伝》が九二を解して言う:紛紛然として衆多にして吉を得るは、九二が中に居るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九二は陽爻を以て柔位に居りてまた下體に処するは、もとより卑巽に過分なるの象なり。而してそれは却って能く己に替りて誠意を通達する人をして紛紛然として多からしむるは、靠る所はまさに中に居るなり。陽爻は――底本ここに脱文あり。以下は九三の《小象伝》:「頻巽之吝、志窮也。」

程傳 三之才質,本非能巽,而上臨之以巽,承重剛而履剛,勢不得行其志,故頻失而頻巽,是其志窮困,可“吝”之甚也。

程頤《伊川易伝》にいう:九三の才性はもとより則ち能く卑順するの一類に非ずと雖も、可是上面はまた巽の姿態を用いて以てそれを壓え著す。それは上に重疊の剛爻を承えて下に剛爻を踏みて、形勢の上に於て己の心志を施展するの法なくして、因此屡屡として態を失いまた屡屡として勉强に恭順の様子を作出す。これはそれの心志のすでに窮困したるを説明して、是れ惋惜・羞吝すること極点に到るに値す。

集說 蘇氏濬曰:九三之“頻巽”,非勉為之而失,習為之而過也。“巽”而“頻”焉,則振作之氣不足,其志亦窮而無所復之矣。張氏振淵曰;志疑者,可以治救之,“志窮”則有“吝”而已。

集説に引く蘇濬の説:九三の「頻巽」は、并びに勉强に做し往きて而して分寸を做し失うに非ずして、倒れて是れ做し慣れて以て頭を做し過ぎたるなり。恭順にして而して一次又一次に重來するに至れば、これにより振作の氣力の足らざるを見るべく、それの心志は亦た就ち窮盡して、更に以て挽回すべきの余地なし。集説に引く張振淵の説:心志の疑惑するは、還以て整治・補救すべく。心志は一たび窮盡すれば、則ちただ羞吝に剰るのみ。

田獲三品,有功也。程傳 巽於上下,如田之獲三品而遍及上下,成巽之功也。集說 孔氏穎達曰:“有功”者,田獵有獲,以喻行命有功也。

《小象伝》が六四を解して言う:田獵は三類の獵物を獲得す、是れ功勞あり。程頤《伊川易伝》にいう:六四は上に對し下に對して皆な能く恭順して、田獵の三等の獵物を獲得するがごとくして、恩沢は上下に遍及して、従りて巽の功效を成就せり。集説に引く孔穎達の説:いわゆる「有功」は、田獵に収獲あるを言い、以て政令の推行に成效あるを比喻す。

九五之吉,位正中也。程傳 九五之吉,以處正中也,得正中之道則吉,而其悔亡也。“正中”,謂不過無不及,正得其中也,處柔巽與出命令,唯得中為善,失中則悔也。集說 邱氏富國曰:以九居五,位乎中正,此所以“貞吉”,而為申命之主也。

《小象伝》が九五を解して言う:九五の吉利は、それの位置の端正にして中に居るに在り。程頤《伊川易伝》にいう:九五の吉なる所以は、それが正中に処するに因る。正中の道理を得着すれば則ち吉にして、悔恨も亦た之に隨いて消失す。いわゆる「正中」は、すでに過頭せずして亦た及ばざるなくして、恰かにその中を得るなり。無論は自ら処して柔順・謙遜するか、還は命令を發布するか、皆な中を得るを以て好しと爲す。中を失えば則ち悔を生ぜんと要す。集説に引く邱富國の説:陽爻を以て五の位に居るは、位置はすでに中にして且つ正なり、これ則ち爻辞の「貞吉」と言うの緣故にして、それも亦た因此命令を申明するの主爻と成れり。

巽在床下,上窮也。喪其資斧,正乎凶也。本義 正乎凶,言必凶。程傳 “巽在床下”,過於巽也,處卦之上,巽至於窮極也。居上而過極於巽,至於自失,得為正乎,乃凶道也,巽本善行,故疑之曰得為正乎,復斷之曰乃凶也。

《小象伝》が上九を解して言う:卑伏して床の下に在るは、恭順すること盡頭に到れるなり。己の盤纏と利斧とを丢掉す、このごとくにして還正と算するか、實に是れ凶險なり。朱熹《本義》にいう:「正乎凶」は、必定に凶を招來するを言う。程頤《伊川易伝》にいう:「巽在床下」は、恭順すること分を過ぐるを言う。全卦の最上に処りて、恭順はすでに窮極に到れり。身に上位に居りて而して恭順すること極点を過ぎて、以て己をも丢掉するに致るは、これは還正と算上すること得んや。これは乃ち凶を取るの道なり。恭順はもとより是れ好き徳行にして、ゆえに先に疑問の口氣を用いて「得為正乎」と言いて、隨後に再び斷然として「乃凶也」と言う。

集說 楊氏啟新曰:巽在床下,居巽之極也。天下事唯斷乃成,今焉“喪其資斧”,是失所以斷矣,天斷則改,可必其凶也。

集説に引く楊啓新の説:卑伏して床の下に在るは、恭順の極点に処するなり。天下の事はただ決斷に靠りてこそ辦成すること能しに、如今は却って「喪其資斧」して、等しく以て決斷するの憑藉を丢掉したるなり。決斷なくして一味に改め來り改め往けば(底本「无斷」は「天斷」と訛作す)、以てそれの必定に凶を招來するを斷定すべし。

兌卦・大象与爻象

麗澤兌,君子以朋友講習。本義 兩澤相麗,互相滋益,“朋友講習”,其象如此。程傳 “麗澤”,二澤相附麗也,兩澤相麗,交相浸潤,互有滋益之象,故君子觀其象,而“以朋友講習”。“朋友講習”,互相益也,先儒謂天下之可說,莫若朋友講習。“朋友講習”,固可說之大者,然當明相益之象。

《大象伝》にいう:両片の沼沢は相連・相附する、これ則ち《兌》卦なり。君子はこれに由りて領悟す、まさに朋友と一同に講論・切磋して学ぶ所を温習すべし。朱熹《本義》にいう:両片の沢水は彼此に相連して、互相に滋潤・増益して、朋友の間の講論・温習は、象を取る所はまさにこのごとくなり。程頤《伊川易伝》にいう:「麗沢」は両片の沢水の彼此に附著するなり。両沢は相連して、交相に浸潤して、互相に滋養・増益するの象あり、ゆえに君子はこの象を観て、因りて「以朋友講習」す。朋友は講論・温習するは、まさに互相に増益す。前輩の儒者が言う、天下の喜悦に値するの事は、朋友の講習に比ぶるなしと。朋友の講習は固然として喜ぶべきの事の中の大者と雖も、不過更にまさに彼此・増益のこの一層の象を看明白にすべし。

集說 虞氏翻曰:“學以聚之,問以辨之”,兌兩口對,故“朋友講習”也。孔氏穎達曰:同門曰朋,同志曰友,朋友聚居,講習道義,相說之盛,莫過於此也。

集説に引く虞翻の説:《乾・文言》は「學以聚之、問以辨之」を講ず。兌卦の象は両張の口の相對するにして、ゆえに「朋友講習」の義を取る。集説に引く孔穎達の説:同一の老師の門下に在るを朋と謂い、志趣の相同じきを友と謂う。朋友は一処に聚居して、道義を講論・温習して、彼此の喜悦の盛況は、このを過ぐるなし。

程子曰:天下之說不可極,唯“朋友講習”,雖過說無害,兌澤有相滋益處。蘇氏軾曰:取其樂而不流者也。朱氏震曰:“講”其所知,“習”其所行。

集説に引く程頤の説:天下の喜悦は皆な以て極端に走り到るべからず、独り朋友の間の講論・温・温習は、縱使喜悦すること頭を過ぐるも亦た妨害なく、因るに兌沢の間はもとより互相に滋潤・増益するの地方あるが故なり。集説に引く蘇軾の説:取る所は快樂にして而して放蕩・度を失するに至らざるのこの一層なり。集説に引く朱震の説:「講」する所は己の知る所の道理にして、「習」する所は己の踐行する所の事情なり。

俞氏琰曰:“講”者講其所未明,講多則義理明矣,“習”者習其所未熟,“習”久則踐履熟矣。此“朋友講習”,所以為有滋益,而如兩澤之相麗也,若獨學無友,則孤陋而寡聞,故《論語》以學之不講為憂,以“學而時習”為說,以“有朋自遠方來”為樂。

集説に引く俞琰の説:いわゆる「講」は、己のいまだ弄明白せざるの地方を講ずるにして、講ずること多ければ義理は自ずから明白す。いわゆる「習」は、己のいまだ熟せざるの地方を練ずるにして、練ずること久しければ踐行は自ずから純熟す。これ則ち朋友の講習の能く彼此に滋養・増益する所以にして、髣髴として両片の沢水の相連・相附するがごとし。假如一個人が門を閉ぢて書を讀みて而して朋友なければ、則ち見識は浅陋・聽聞は寡少せん、ゆえに《論語》は「學之不講」を以て憂慮に列して、「學而時習之」を以て喜悦と當て、「有朋自遠方來」を以て快樂と當つ。

和兌之吉,行未疑也。本義 居卦之初,其說也正,未有所疑也。程傳 有求面和,則涉於邪諂,初隨時順處,心無所繫,無所為也,以和而已,是以吉也。象又以其處說在下而非中正,故云“行末疑也”。其行未有可疑,謂未見其有失也。若得中正,則無是言也,說以中正為本,爻直陳其義,《象》則推而盡之。

《小象伝》が初九を解して言う:平和に喜悦して吉を得るは、それの行為のいまだ疑うべきの処なきなり。朱熹《本義》にいう:初九は全卦の開頭に処りて、それの喜悦は是れ純正にして、いまだ猜疑すべきなし。程頤《伊川易伝》にいう:もし企求する所有ってこそ往きて人と和洽せば(底本「而」は「面」と訛作す)、則ちあれは邪僻・諂媚を沾上せり。初九は時勢に隨いて順當に自処して、心の裏に牽挂なくして、亦た刻意に作為を有せずして、ただ和洽を以て相待するのみ、ゆえに吉利なり。《象伝》にまたそれが喜悦の體の下位に処りて而して并びに中正に非ざるに因りて、ゆえに「行未疑也」と言う――ただそれの行為のいまだ疑うべきの地方なきにして、亦た則ち還看出することそれに何の過失あるを得ざるなり。假如それは中を得て正を得ば、則ち必ずしもこのごとく措辞するを要せず。喜悦は中正を以て根本と爲して、爻辞はただ径にこの層の意思を陳述し、《象伝》は則ちそれを推究して盡処に到る。

集說 蔡氏淵曰:初未牽於陰,聽行未有疑惑,若四比三,有“商兌”之疑矣。徐氏幾曰:“疑”,謂繫於陰也。卦四陽唯初與陰無繫,故“未疑”。鄭氏維嶽曰:以陽剛居兌初,又不與陰比,故信心信理而出,行之於外者,未與心疑,使有繫應,便不能自決矣。

集説に引く蔡淵の説:初九は陰爻に牽い住められざれば、ゆえに挙止は本心に聽從して而して疑惑なし。九四に換えて六三に緊鄰すれば、則ち「商兌」のあの種の反覆・掂量の疑虑あり。集説に引く徐幾の説:いわゆる「疑」は、陰爻に牽系せらるるを指す。全卦の四個の陽爻に、ただ初九のみ陰爻と牽系なくして、ゆえに「未疑」と言う。集説に引く鄭維岳の説:陽剛の質を以て兌卦の開頭に処りて、また陰爻と相鄰せざれば、ゆえに一挙・一動も皆な本心に信從して道理に信從す。外面に表現するの行為は、心の裏の想う所と并びに衝突・可疑なし。假使牽系・相應するの對象あれば、則ち能く自ら主を作し決斷すること能わざらん。

孚兌之吉,信志也。程傳 心之所存為“志”,二剛實居中,孚信存於中也,志存誠信,豈至說小人而自失乎,是以“吉”也。集說 何氏楷曰:初去三遠,不特志可信,而行亦未涉於可疑,二去三近,行雖不免於可疑,而志則可信。

《小象伝》が九二を解して言う:誠信を懷きて而して喜悦して、因りて吉を得るは、それの心志の真誠・可信なるなり。程頤《伊川易伝》にいう:心の裏に存する所の東西を「志」と謂作る。九二は剛健・篤實にして中位に居りて、誠信は心の中に存養せらる。心志はすでに誠信を守るに、何処にか往きて小人を討好して而して己を失掉せんや、ゆえに「吉」。集説に引く何楷の説:初九は六三より離るること遠くして、ただ心志の可信なるのみならず、行為の上にもいまだ疑うべきの処を沾到せざるなり。九二は六三より離るること近くして、行為の上は雖も人の猜疑を招くを免れずと雖も、心志は却って是れ可信なり。

來兌之凶,位不當也。程傳 自處不中正,無與而妄求說,所以凶也。集說 熊氏良輔曰:六三位不當,居上下二兌之間,下兌方終,上兌又來,說而又說,不得其正者也。上六日“引兌”,蓋與六三相表裡。

《小象伝》が六三を解して言う:主動に喜悦を招來して凶なるは、位置の相當せざるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六三は自ら処してすでに中ならずして亦た正ならずして、もとより相与するの對象なくして、却って胡乱に往きて人の歓喜を求めば、ゆえに凶。集説に引く熊良輔の説:六三は位置は當らずして、上下の両個の兌體の間に夾まれり。下面の兌は剛に結束せんと要するに、上面の兌はまた接し上がり來て、一味地喜悦して又た喜悦す、是れ正道を得ざるの一類なり。上六の「引兌」と言うは、大概六三と互いに表裏と爲るならん。

九四之喜,有慶也。程傳 所謂“喜”者,若守正而君說之,則得行其陽剛之道,而福慶及物也。集說 郭氏雍曰:當兌之時,處上下之際,不妄從說,知所擇者也,介然自守,故能全兌說之喜。喜非獨一身而已,終亦有及物之慶也。

《小象伝》が九四を解して言う:九四の喜悦は、福慶あるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「喜」は、彼がもし能く正道を守住して而して君主もまた彼を喜ばば、則ち以て己の陽剛の主張を推行して、福慶を外物に施及するを得るを言う。集説に引く郭雍の説:まさに喜悦の時に當たりて、九四は上下の間に処りて、肯んじて胡乱に别人の歓心を迎合せず、是れ取舍を懂得するの人なり。彼は耿介に自守して、ゆえに能く兌悦の喜を保全す。この分の喜は単に彼の一身の事に非ずして、最終に還外物に惠及するの福慶あらん。

孚于剝,位正當也。本義 與《履》九五同。程傳 戒“孚于剝”者,以五所處之位,正當戒也,密比陰柔,有相說之道,故戒在信之也。集說 王氏申子曰:謂正當尊位,若孚上之柔說,則消剝於陽必矣。

《小象伝》が九五を解して言う:陽剛を消剥する一方を軽易に信任するは、彼の処する所の位置がまさにその位に當たるに因る。朱熹《本義》にいう:この句の語例は《履》卦九五の《象伝》と相同じ。程頤《伊川易伝》にいう:《象伝》の以て「孚于剥」を拿りて告誡と爲す所以は、九五の処する所の位置がまさにこのごときの告誡を受くべきなるに因る。それは陰柔の上六に緊鄰して、両者の間はもとより彼此に取悦するの路子ありて、ゆえに告誡の重点は輕信すべからざるの上に落る。集説に引く王申子の説:これは九五がまさに尊位に當たるを言う。もし往きて上六のあの種の柔媚の取悦を信任せば、陽剛の消蝕・剥落せらるるは則ち必然なり。

程傳 說既極矣,義引而長之,雖說之之心不已,而事理已過,實無所說,事之盛則有光輝,既極而強引之長,其無意味甚矣,豈有光也。“未”,非必之辭,象中多用,非必能有光輝,謂不能光也。

ここに底本は上六の《小象伝》の原文「引兌、未光也」を脱去して、径に注文を接ぐ。程頤《伊川易伝》にいう:喜悦はすでに盡頭に到れるに、義理に按ずれば却って還それを拖長せんと要す。縱然人の歓喜を討せんと想うの心思は止息せざるも、事情の道理はすでに頭を過ぎたるにして、實際の上は更に喜悦すべきなし。事情はまさに盛んなるの時にこそ光輝あれば、すでに極点に到りて還硬に拖著して延長せんと要すれば、あの種の索然・無味なるも亦た太甚なり、何処にか還光の言うべきあらんや。「未」は「未必」の口氣にして、《象伝》の裏に常用す。未必に能く光輝あるを言うは、亦た則ちそれの能く光大せざるを言うなり。

集說 楊氏啟新曰:“來兌”“引兌”,皆小人也,在君子則當來而勿受,引而勿去也。君子以道德相引,其道為光明,引而為說,則心術曖昧,行事邪僻甚矣,豈得為“光”乎。

集説に引く楊啓新の説:「來兌」の六三と「引兌」の上六とは、皆な小人の一路に属す。君子に對して言えば、彼らは湊り上がり來れば則ち接納せざるを要し、彼らは來りて拉せんと要せば則ち跟いて走る勿かれ。君子の間は道德を用いて互相に引導して、あの條の路は是れ光明なり。もし人を拉扯するはただ歓喜を討せんが為ならば、あの心術は則ち曖昧にして、行事も亦た邪僻なること甚だし、怎んぞ「光」を談じ上げんや。

渙卦・大象

風行水上,渙。先王以享于帝立廟。本義 皆所以合其散。程傳 “風行水上”,有渙散之象。先王觀是象,救天下之渙散,至於享帝立廟也,收合人心,無如宗廟,祭祀之報,出於其心,故享帝立廟,人心之所歸也。

《大象伝》にいう:風は水面上に吹行す、これ則ち《渙》卦なり。先王はこれに由りて領悟す、まさに上帝を祭享して宗廟を建立すべし。朱熹《本義》にいう:この両件の事は皆な以て渙散したるの人心を重新に聚合するに用うるなり。程頤《伊川易伝》にいう:「風行水上」は、渙散の象を帶ぶ。先王はこの象を観て、以て天下の渙散を挽救して、以て上帝を祭享して宗廟を建立するに至れり。まさに人心を收攏・聚合するは、宗廟に比ぶる更に效驗あるなし。祭祀の表達する所の本に報ゆるの情は、人心の裏より自然に生出するにして、ゆえに上帝を祭享して宗廟を建立するは、まさに人心の歸向するの在る所なり。

渙卦・大象与爻象

繫人心合離散之道,無大於此。集說 程子曰:《萃》、《渙》皆“享于帝立廟”,因其精神之聚而形於此,為其渙散,故立此以收之。呂氏大臨曰:“風行水上”,波瀾必作,振盪離散不寧之時,王者求以合其散,莫若反其本,享帝立廟,所以明天人之本也。

この一句は上文を承けて《渙》卦の《大象》の「先王以享于帝立廟」を解す:人心を維係して離散を彌合するの办法は、これより更に重大なるなし。集説に引く程頤の説:《萃》卦と《渙》卦とは皆な「享于帝立廟」を講ず――上帝を祭祀して宗廟を建立す。《萃》は人心・精神のまさに聚攏するの時に趁りて、それをこの両件の大礼の上に顯現す。《渙》は則ち人心のすでに渙散したるに因りて、ゆえに天を祭ると廟を立つるのこの両件の事を立て起こして、散掉したるの人心を收攏し回來す。呂大臨が言う、「風行水上」は、波瀾は必定に興起す。まさに動蕩・離散して人心の寧ならざるの時に當たりて、王者は渙散したるの人心を合攏せんと想えば、根本に返回するより更に好き办法なし。上帝を祭祀して宗廟を建立するは、まさに以て天と人とのこの両個の根本の在る所を彰明するなり。

初六之吉,順也。程傳 初之所以“吉”者,以其能順從剛中之才也,始渙而用拯,能順乎時也。集說 郭氏雍曰:初六難之始也,方難之始而拯之,無不濟矣,天下之事,辨之於早,則順而易舉,故《傳》曰:“初六之吉,順也。”

《象伝》にいう:初六の吉なる所以は、一個の「順」の字に在り。程頤《伊川易伝》にいう:初六の「吉」なる所以は、それが能く九二のあの種の陽剛にして中に居るの才具に順從するに因る。渙散は剛に開頭せば則ち手を動かして拯救す、これ則ち能く時機に順應するなり。集説に引く郭雍の説:初六は禍難の開頭に処りて、まさに禍難の剛に起こるに往きてそれを拯救せば、救い成らざるなし。天下の事情は、辨明すること早ければ、做し起こすこと則ち順當にして容易し、ゆえに《象伝》は言う「初六之吉、順也」と。

渙奔其機,得願也。程傳 渙散之時,以合為安,二居險中,急就於初,求安也,賴之如機而亡其悔,乃得所願也。集說 王氏宗傳曰:當渙之時,以陽剛來居二,二安靜之位也,故有奔其機之象。夫唯安靜,能後能一天下之動,五奠王居於上,而二“奔其機”於下,各得所安,此所以能合天下之渙也。

《象伝》にいう:「渙奔其机」は、是れ心願を遂ぐるを得るなり。程頤《伊川易伝》にいう:渙散の時は、能く聚合してこそ安穩と算す。九二は身に坎険の中に陷りて、急いで就近して往きて初六を依靠す、為むる所は一個の安穩を求むるなり。初六を以て凭几のごとく當てて倚靠して、因りて悔恨は消失す、これ則ち心願を遂ぐるを得るなり。集説に引く王宗傳の説:まさに渙散の時に當たりて、陽剛の爻は來りて第二位に居りて、第二位は是れ安静の位置にして、ゆえに凭几に奔向するの象あり。唯だ己が先に安静し下りて、然る後にこそ能く天下の動蕩を統一す。九五は上に於て王者の居処を安定し、九二は下に於て「奔其机」して安んずる所を得れば、上下は各々安頓を得て、これ則ち能く天下の渙散を彌合するの緣由なり。

渙其躬,志在外也。程傳 志應於上,在外也。與上相應,故其身得免於渙而無悔,“悔亡”者,本有而得亡,“無悔”者,本無也。集說 黃氏淳耀曰:“外”,指天下言,唯躬之渙,聽以能濟天下之渙,唯志在天下之渙,所以有躬之渙也。

《象伝》にいう:「渙其躬」は、心志の外に在るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六三の心志は上に於て上九に應ずれば、ゆえに外に在ると言う。上九と相「應与」するに因りて、ゆえに彼の自身は能く渙散を免れて而して悔恨なし。「悔亡」はもとより悔ありて而して後來に消掉したるにして、「无悔」はもとより則ち悔あること曾てなし。集説に引く黄淳耀の説:この「外」の字は天下に就きて言う。唯だ肯んじて己の一身を渙散し出去してこそ(底本「所以」は「聽以」と訛作す)、能く天下の渙散を救済す。唯だ心志を天下の渙散の上に系すれば、こそ自身の渙散あらん。

渙其群元吉,光大也。集說 來氏知德曰:凡樹私黨者,皆心之闇昧狹小者也。唯無一豪之私,則光明正大,自能“渙其群”矣,故曰“,光大也”。

《象伝》にいう:「渙其群、元吉」は、心地の光明・正大なるに因る。集説に引く來知徳の説:凡そ私党を結成する人は、皆な是れ心地の昏暗・狹小の人なり。ただ一絲・一毫の私心なければ、心地は自ずから光明・正大にして、亦た自ずから能く私党を渙散し開かしむ、ゆえに《象伝》は「光大也」と言う。

王居無咎,正位也。程傳 “王居”,謂正位,人君之尊位也。能如五之為,則居尊位為稱而“無咎”也。集說 熊氏良輔曰:天下渙散之時,須人君發號施令,正位乎上。使人心知所歸向而天下一矣,故曰“王居無咎”。而《象》曰“正位也”。此與“萃有位”之義同。《本義》以“渙王居”為“渙其居”積,然當渙散之時,必有為渙之主者,所當從《小象》“正位”之說。

《象伝》にいう:「王居无咎」は、君位を端正したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:「王居」は則ち正位にして、君主の尊位を指す。能く九五のあのごとく作為せば、則ち尊位の上に坐するは相称して、因りて「无咎」。集説に引く熊良輔の説:天下の渙散するの時は、必ず君主に由りて号令を發號・施令して、端正に上位に居して、人心をして歸向する所を知らしめて、天下は亦た就ち統一せり、ゆえに爻辞は「王居无咎」と言い、而して《小象》は「正位也」と解作す。これは《萃》卦九五の「萃有位」と意思相同じ。朱熹《本義》は「渙王居」を以て「渙其居」と講じ成す(底本はこの下に一の「積」の字を衍す)。然而まさに渙散の時に當たりて、必定に一個の渙散の局を主持する人あるを須す、ゆえにまさに《小象》の「正位」の説法に依從すべし。

渙其血,遠害也。程傳 若如《象》文為“渙其血”,乃與“屯其膏”同也,義則不然:蓋“血”字下脫“去”字。“血去惕出”,謂能遠害則“無咎”也。集說 項氏安世曰:上九爻辭,“血”與“出”韻葉,皆三字成句,不以“血”連“去”字也。《小畜》之“血去惕出”,與此不同,此血已散,不假更去,義“惕”與“逖”文義自殊,據《小象》言。“遠害也”,則“逖”義甚明,不容作“惕”矣,卦中唯上九一爻,去險最遠,故其辭如此。

《象伝》にいう:「渙其血」は、まさに禍害を遠離するを要するなり。程頤《伊川易伝》にいう:もし《象伝》の文字に照らして「渙其血」と讀み作れば、句式は則ち《屯》卦九五の「屯其膏」と相同じならん、可是意思は并びにこのごとくに非ず。應に是れ「血」の字の下面に一個の「去」の字を脱漏したるならん。「血去惕出」は、能く禍害を遠離すれば則ち「无咎」を言う。集説に引く項安世の説:上九の爻辞の裏に「血」と「出」とは押韻して、皆な是れ三字の一句にして、まさに「血」を「去」の字に連ねて讀むべからず。《小畜》卦の「血去惕出」はここと同じからず。ここの血はすでに散掉せり、必ずしも更に一個の「去」の字を言うを要せず。而且「惕」と「逖」との両字の文義はもとより則ち一樣ならず。《小象》の言う所の「遠害也」に根據すれば、則ち「逖」――遠離――の意思は十分に清楚にして、「惕」と寫成することを容許せず。全卦にただ上九のこの一爻のみ坎険より離るること最も遠し、ゆえに爻辞はこそこのごとく寫れり。

又曰:散其汗以去滯鬱,散其血以遠傷害。陳氏友文曰:坎為血卦。“逖”,遠也,《小象》“遠害”,正是以“遠”釋“逖”字,上雖與三應,然超處渙上,故渙散其血,舍之遠去。去坎險之害而得“無咎”也。

項安世がまた言う:身上の汗を散去するは、以て郁滞を去掉する為なり。身上の血を散去するは、以て傷害を遠離する為なり。集説に引く陳友文の説:《説卦》は坎を血卦と講ず。「逖」は則ち遠にして、《小象》の「遠害」と言うは、まさに「遠」の字を拿りて以て「逖」の字を訓釋す。上九は雖も六三と相「應与」すと雖も、可是それは超然として渙散の上に高踞して、ゆえに己の血を渙散し掉して、六三を撇き下りて遠く離去す。坎険の禍害を離開して、因りて「无咎」を得到せり。

節卦・大象与爻象

澤上有水,節。君子以制數度,議德行。程傳 澤之容水有限,過則盈溢,是有節,故為《節》也。君子觀《節》之象,以制立“數度”,凡物之大小輕重高下文質,皆有“數度”,所以為節也。“數”,多寡;“度”,法制。“議德行”者,存諸中為德,發於外為行,人之德行,當“議”則中節。“議”,謂商度求中節也。

《大象伝》にいう:沢の上に水あり、これ則ち《節》なり。君子はこれに由りて領悟す、名物・度数を制定して徳行を品評す。程頤《伊川易伝》にいう:沢の能く容納する所の水は是れ有限にして、超過すれば則ちまさに満溢せん、これ則ち節制あるなり、ゆえに《節》と謂う。君子は《節》卦の象を観て、因りて「數度」を制立す。凡そ事物の大小・軽重・高下・文質は、皆なそれの「數度」ありて、これまさに節制の办法なり。「數」は多少を指し、「度」は法度・規制を指す。いわゆる「議徳行」は、心の裏に存在するを徳と謂い、外面に表現するを行と謂うを言う。人の徳行は、一番の斟酌・品評を經れば則ち能く節度に合せん。「議」は、則ち反覆・商量・斟酌して、務めて恰かに節度に合せんを求むるなり。

集說 侯氏行果曰:澤上有水,以提防為節。張氏浚曰:“數度”之制因乎人,“德行”之議自於己,記曰:君子議道自己,而置法以民,蓋己之所不能行,與其所不可行,而強於人,誰其從之!一言盡節之道,中而已。中必自身始也。朱氏震曰:澤之容水,固有限量,虛則納之,滿則洩之,水以澤為節也。

集説に引く侯行果の説:沢の上に水あるは、堤防を拿りて以て節制と爲すなり。張浚が言う、「數度」の制定は衆人を對象としたるものにして、「徳行」の品評は却って己より做し始めんを要す。《礼記・表記》にいう:君子は道理を議論するに己の身上より則を取りて、而して法度を設立すれば則ち民衆の能く到るの程度を照顧す。凡そ己も亦た到ること能わず己も亦た肯んじて做さざるの事を、却って硬に别人に做さしめんと要せば、誰の肯んじて服從せんや。一句の話に節制の道を言い盡くすは、不過一個の「中」の字にして、而して「中」は必ず自身より開始するを須す。朱震が言う、沢は水を容納するにもとより一定の限量ありて、空うすれば則ち納れ進めて、満ちれば則ち洩し出去す、水は是れ沢に靠りて以て節制せらるるなり。

郭氏雍曰:澤無水則為不足。澤上有水則為有餘,不足則為《困》,有餘則當《節》,理之常也。在人之節,則“制數度”所以節於外,“議德行”所以節於內也。為國為家至於一身,其內外制節皆一也。案 “議德行”,諸儒皆謂一身之德行,獨孔氏謂在人之德行,於“議”字尤切,且得愛爵祿,慎名器之意。

集説に引く郭雍の説:沢の裏に水なければ則ち不足にして、沢の上に水あれば則ち有余なり。不足なれば則ち《困》卦と成りて、有余なれば則ちまさに《節》卦たるべし、これは常理なり。人の身上に落り来れるの節制は、「制數度」は外面より節制して、「議徳行」は裏面より節制す。國を治め家を治めて身を修るに一直に到るまで、内外の両面の節制は皆な是れ一個の道理なり。李光地按す:「議徳行」は、諸家の儒者は皆な己の一身の徳行を品評すると言うに、独り孔穎達は別人の徳行を品評すると言う。このごとく解釋すれば則ち「議」の字に對して尤其に贴切にして、而且爵禄を珍惜し名器を愼重するの用意に合す。

不出戶庭,知通塞也。程傳 爻辭於《節》之初,戒之謹守,故云“不出戶庭”則“無咎”也,《象》恐人之泥於言也,故復明之云,雖當謹守“不出戶庭”,又必知時之通塞也。通則行,塞則止。義當出則出矣,尾生之信,水至不去,不知通塞也,故君子貞而不諒。《繫辭》所解獨以“言”者,在人所節唯“言”與“行”,節於“言”則“行”可知,“言”當在先也。

《象伝》にいう:「不出戸庭」は、まさに時勢の通と塞とを懂得するを要するなり。程頤《伊川易伝》にいう:爻辞は《節》卦の初爻に於て彼に告誡して謹慎に自守せしめば、ゆえに「不出戸庭」と言いて則ち「无咎」。《象伝》は人の字面に拘泥するを怕れて、ゆえにまた一句を補いて説明す。雖もまさに謹慎に自守して門庭を出でざるべしと雖も、却って亦た必ず時勢の通塞を懂得するを須す。通なれば則ち走り出去し、塞なれば則ち停まり下る。道義の上のまさに出去すべきの時には還まさに出去すべし。尾生は信を守りて、橋の柱を抱き著して人を待ちて、大水は來りても亦た肯んじて離開せず、これ則ち通塞を懂得せざるなり、ゆえに孔子は君子の正を守りて而して小信に拘執せざるを言う。《系辞》はこの一爻を解釋するの時に單に一個の「言」の字を言うは、人のまさに節制すべきはただ「言」と「行」との両樣あるのみなるが故なり。能く言語の上に於て節制すれば、行事の上の如何は亦た就ち以て推知すべく、而して言語はまさに前頭に擺すべし。

集說 王氏申子曰:時有通塞,通則行,塞則止,當止即止,其知通塞之君子乎!《繫辭》專以慎密言語說之,兌體故也。吳氏曰慎曰《節》兼“通塞”言,猶《艮》之兼“行止”言也。初九“不出戶庭知塞也”,而兼言知“通”者,見其非一於止者也。二失時極,則但知“塞”而不知“通”矣。

集説に引く王申子の説:時勢に通あり塞ありて、通なれば則ち走り、塞なれば則ち停まり、まさに停まり下るべければ則ち停まり下る――これは大概則ち通塞を懂得するの君子ならん。《系辞》は專に愼重・厳密に説話するを拿りて以てこの一爻を解釋するは、《節》卦の上體の兌と爲して兌は口舌を主とするの緣故なり。呉曰愼が言う、《節》卦は兼ねて「通」「塞」を言うは、好比として《艮》卦の兼ねて「行」「止」を言うがごとし。初九はもとより是れ「不出戸庭」にして、ただ一個の「塞」の字を見るのみに、《象伝》は却って「通」の字を一幷に説き出だすは、以て彼の并びに一味地に停まり住みて動かざるに非ざるを顕明するなり。九二の時を失うこと極点に到るに到れば、あれは則ちただ「塞」を知りて而して「通」を知らざるなり。

不出門庭凶,失時極也。程傳 不能上從九五剛中正之道,成節之功,乃繫於私暱之陰柔,是“失時”之至極,所以凶也,“失時”,失其所宜也。集說 蘇氏軾曰:水之始至,澤當塞而不當通,既至當通而不當塞,故初九以“不出戶庭”為“無咎”,言當“塞”也,九二以“不出門庭”為凶,言當“通”也,至是而不通,則“失時”而至於極。

《象伝》にいう:「不出門庭凶」は、時機を錯失すること極点に到れるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九二は能く上に向かいて九五の剛健・中正の道に追随して、往きて節制の功業を成就せずして、反って私に相親昵するの陰柔の爻の上に牽系せり、これは時機を錯失すること極点に到れり、ゆえに凶。「失時」は、則ち合宜の時候を失掉したるなり。集説に引く蘇軾の説:水は剛にまさに來らんとするの時には、沢はまさに堵住して而して放通すべからざるなり。水はすでに來れば、則ちまさに放通して而して堵住すべからず。ゆえに初九は「不出戸庭」を以て「无咎」と當てるは、講ずる所はまさに堵ぐべきの時なり。九二は「不出門庭」を以て凶と當てるは、講ずる所はまさに通ずべきの時なり。まさに通ずべきの時に到りて還通通ぜざれば、あれは則ち時機を錯失して而して極点に到れるなり。

郭氏雍曰:切為不當有事之地,而二以剛中居有為之位,其道不可同也。故初以“不出產庭”為知“塞”,而二以“不出門庭”為不知“通”,知“塞”故“無咎”,不知“通”則有“失時”之凶矣。

集説に引く郭雍の説:初九はまさに作為あるべからざるの地位に処し(底本「初」は「切」と訛作す)、而して九二は陽剛を以て中に居りて、まさに作為あるべきの位置の上に処す、両爻の道理は能く等同に論ずべからず。ゆえに初九は「不出戸庭」を用いて(底本「戸」は「產」と訛作す)以て能くまさに「塞」すべきを懂得するを表示し、九二は「不出門庭」を用いて以てまさに「通」すべきを懂得せざるを表示す。能く塞すべきを懂得すれば、ゆえに「无咎」。能く通すべきを懂得せざれば、則ち時機を錯失するの凶險あるなり。

不節之嗟,又誰咎也。本義 此無咎與諸爻異,言無所歸咎也。程傳 節則可以免過,而不能自節以致可嗟,將誰咎乎。集說 沈氏一貫曰:王介甫程沙隨謂能嗟怨自治亦無咎,“嗟”與“戚嗟若”之“嗟”同,“又誰咎”與“出門同人”之象同。何氏楷曰:諸卦爻辭言,“無咎”者九十有九,多補過之辭,《解》三爻《傳》“又誰咎”,語雖與此同,然爻辭未嘗有“無咎”字。

《象伝》にいう:「不節之嗟」は、また誰を怪むること得んや。朱熹《本義》にいう:この一処の「无咎」は其他の各爻と同じからずして、是れ咎を帰するの処なくして別人を怪むべからざるを言う。程頤《伊川易伝》にいう:能く節制すれば則ち以て過失を免るるべく、己は能く節制せずして以て嗟嘆すべきの地步に落到するに致るに、還誰を怪むること得んや。集説に引く沈一貫の説:王安石と程迥とは以て、能く嗟嘆・怨悔して而して自己より己を整治せば、則ち亦た過錯なしと爲す。この「嗟」は《離》卦九三の「戚嗟若」の「嗟」と相同じにして、「又誰咎」は《同人》初九の「出門同人」の取象と相同じ。何楷が言う、各卦の爻辞の裏の「无咎」を講ずるは共有九十九処にして、多半は是れ過失を補救するの話なり。《解》卦六三の《象伝》も亦た「又誰咎」を講ずるに、語句は雖もここと相同じと雖も、可是あの條の爻辞の裏には并びに「无咎」の両個の字なし。

妄節之亨,承上道也。程傳 四能安節之義非一,《象》獨舉其重者,上承九五剛中正之道以為節,足以 集說 錢氏一本曰:中正之通在五,四以近承,不以徒止為功,更以通行為道,故曰“承上道也”。案 節曰亨,為九五中正以通也,而亨於四言之者,五者水之源也,四者水之流也,水之通在流,承上之源而布之者也。

《象伝》にいう:「安節之亨」(底本「安」は「妄」と訛作す)は、上面の道を承接したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:六四は能く節制に安んずるの緣由は一端に止まらず、《象伝》はただその中の最も要緊の一條を挙出す。上に向かいて九五の剛健・中正の道を承接して以て節制を行えば、以て――ここに底本は脱文あり。集説に引く銭一本の説:中正にして能く通ずるは九五にして、六四は切近の位置を以てそれを承接す。六四は一味地に停まり住むを以て功勞と當てずして、而して通行・阻なきなしを以て正道と當つ、ゆえに「承上道也」と言う。李光地按す:《節》卦の「亨」を講ずるは、もとより因るに九五の中正にして能く通ずるが故なり。可是「亨」の字は却って六四の身上に安んじて言うは、あれは因るに九五は水の源頭にして、六四は水の流るるの処なるが故なり。水の通暢は流に在りて、六四はまさに上面の源頭を承接して而して水を布散し出去するのあの一段なり。

甘節之吉,居位中也。程傳既居尊位,又得中道,所以吉而有功。節以中為貴,得中則正矣,正不能盡中也。集說 俞氏琰曰:節貴乎中,當節而不節,則六三有“不節”之“嗟”。過於節,則上六有“苦節”之凶,唯九五“甘節”而吉者,蓋居位之中,當位以節,無過無不及也。

《象伝》にいう:「甘節之吉」は、位に居りて中を得るに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九五はすでに尊位の上に坐して、また中道を得れば、ゆえに吉にして功あり。節制は「中」を以て可貴と爲して、中を得れば則ち自ずから正にして、ただ正は却って未だ必ずしも能く中を窮盡せず。集説に引く俞琰の説:節制は中を得るを貴ぶ。まさに節制すべきに而して節制せざれば、則ち六三の「不節」の嗟嘆あるがごとし。節制すること頭を過ぐれば、則ち上六の「苦節」の凶險あるがごとし。独り九五の「甘節」にして吉なるは、彼が位に居りて中を得て、恰當の位置を以て來りて節制を行えば、過ぐるも亦た及ばざるなし。

苦節貞凶,其道窮也。程傳 節既苦而貞固守之,則凶。蓋節之道至於窮極矣。集說 吳氏曰慎曰:爻言“苦節貞凶”。《彖》言“苦節不可貞”,唯其“貞凶”,是以“不可貞”也,故《彖》、《象》傳,皆以“其道窮也”釋之。

《象伝》にいう:「苦節貞凶」は、それの路のすでに盡頭に走り到れるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:節制はすでに苦しみて忍受するに堪えざるに、還固執して守りて放さざれば、則ちあれは凶にして、これは節制の道の窮極に走り到れるなり。集説に引く呉曰愼の説:爻辞の講ずる「苦節貞凶」、《彖伝》の講ずる「苦節不可貞」。まさに守り固くして下去せばまさに凶なるに因りて、ゆえに「不可貞」と言い、因此《彖伝》と《象伝》とは皆な「其道窮也」を拿りて以てそれを解釋す。

中孚卦・大象与爻象

澤上有風,中孚。君子以議獄緩死。本義 風感水受,《中孚》之象,“議獄緩死”,中孚之意。程傳 “澤上有風”,感於澤中,水體虛故風能入之,人心虛,故物能感之。風之動乎澤,猶物之感於中,故為《中孚》之象。君子觀其象以“議獄”與“緩死”,君子之於“議獄”,盡其忠而已,於決死,極於惻而已,故誠意常求於緩。“緩”,寬也,於天下之事,無所不盡其忠,而“議獄緩死”,最其大者也。

《大象伝》にいう:沢の上に風あり、これ則ち《中孚》なり。君子はこれに由りて領悟す、訟案を審議して死刑を寛緩すべし。朱熹《本義》にいう:風は往きて感動して、水は來りて承受す、これは《中孚》の物象なり。「議獄緩死」は、則ち是れ《中孚》の用意なり。程頤《伊川易伝》にいう:「沢上有風」は、風は沢中の水を感動す。水の形體は是れ虚にして、ゆえに風は能く吹き進む。人の心は是れ虚にして、ゆえに外物は能くそれを感動す。風は沢の上に於て吹動するは、好比として外物の人の内心を感動するがごとく、ゆえに《中孚》の象と成れり。君子はこの象を観て、因りて訟案を審議して死刑を寛緩す。君子は訟案を審議するに對しては、ただ己の忠心を盡くすのみ。死刑を判處するに對しては、ただ惻隱の心を極処に用い盡くすのみ、ゆえに一片の誠意は総に一個の寛緩を求む。「緩」は則ち寛なり。天下の事情は、君子は一件も忠を盡くさざるなく、而して訟案を審議して死刑を寛緩するは、是れその中の最大の一件なり。

集說 楊氏萬里曰:風無形而能鼓幽潛,誠無象而能感人物。《中孚》之感,莫大於好生不殺,“議獄”者,求其入中之出,“緩死”者,求其死中之生也。項氏安世曰:獄之將決則議之,其既決則又緩之,然後盡於人心,王聽之,司寇聽之,三公聽之,“議獄”也。旬而職聽,二旬而職聽,三月而上之,“緩死”也,故獄成而孚,輸而孚,在我者盡,故在人者無憾也。

集説に引く楊萬里の説:風は形體なくして、却って能く幽深・潜蔵の東西を鼓動す。誠は形象なくして、却って能く人と万物とを感動す。《中孚》の講ずる所の感通は、生命を愛惜して軽易に人を殺さざるに比ぶる更に大なるなし。「議獄」は、すでに罪を定めたるの案子の裏に於て彼に替りて罪を脱するの余地を尋出するなり。「緩死」は、必死の判決の裏に於て彼に替りて一線の生機を尋出するなり。項安世が言う、案子はまさに判決せんとするの時に先に審議を加えて、判決の後にまた暫緩して執行するは、このごとくにしてこそ人心を盡くしたると算す。《周礼》の載する所の君王は親聽し、司寇は審聽し、三公は參聴するは、これ則ち「議獄」なり。一旬の内は本職の官吏に由りて聴審して、二旬に再び聴して、三個月の後にこそ上報す、これ則ち「緩死」なり。ゆえに案子は定まり下るの時に人人は信服して、上に移送するの時に人人は信服す。我がこの辺のまさに做すべきは皆な做し盡ければ、ゆえに對方のあの辺に於ても亦た遺憾なし。

徐氏幾曰:《象》言“刑獄”五卦:《噬嗑》、《豐》以其有離之明,震之威也。《賁》次《噬嗑》,《旅》次《豐》,離明不易,震皆反為良矣,蓋明貴無時不然。威則有時當止,至於《中孚》,則全體似離,互體有震艮,而又兌以議之,巽以緩之,聖人即象垂教,其忠厚惻怛之意,見於謹刑如此。

集説に引く徐幾の説:《大象伝》の刑獄に講じ到るは一共に五卦あり。《噬嗑》と《豐》とは、それが離の明察・震の威厳あるを取るに因る。《賁》は《噬嗑》に緊接し、《旅》は《豐》に緊接して、その中の離の明察は變わるなく、震は却って皆な艮に換えたり(底本「艮」は「良」と訛作す)――因るに明察は時に明ならざるなきを貴ぶに、威厳は却って時にまさに停まり下るべきときあるが故なり。至って《中孚》は、全卦の形體は一個の離のごとくにして、互體はまた震と艮とを含みて、再び兌は口舌を主として以て「議」すべく、巽は性は柔順にして以て「緩」すべしを加う。聖人は卦象に就きて教訓を垂示して、あの分の忠厚・惻隱の用心は、刑罰を愼用するのこの件の事の上に於てこのごとく分明に表現せらる。

案 風之人物也,不獨平地草木,為之披拂,巖谷竅穴,為之吹籲,即積水重陰之下,亦因之而凍解冰釋焉!此所以為至誠無所不入之象也。民之有獄,猶地之有重陰也,王者體察天下之情隱,至於“議獄緩死”,然後其至誠無所不入矣。

李光地按す:風は万物に吹き入るに(底本「入」は「人」と訛作す)、ただ平地上の草木のそれに吹かれて披拂・搖動するのみならず、山岩・溝谷の孔竅はそれに吹かれて嗚嗚として響き作るも、連同積水の深処・重重の陰翳の下に於ても、亦たそれに因りて氷凍は消解す。これまさに至誠の入らざるの処なきの物象なり。百姓の官司を打つは、好比として大地のあの層層の陰翳あるがごとし。王者は天下の隱微・難明の実情を體察して、一直に訟案を審議して死刑を寛緩するに到り做して、然る後に彼の至誠はこそ入らざるの処なからんと算す。

程傳 當信之始,志未有所存,而虞度所信,則得其正,是以吉也。蓋其志未有變動,志有所從,則是變動,虞之不得其正矣,在初言求所信之道也。案 “志未變”,言其實心不失也,志變則有它矣。

以下は初九の《象伝》の「初九虞吉、志未變也」を解す、この句の伝文は底本は未だ收めず。程頤《伊川易伝》にいう:まさに誠信の剛に開始するの時に當たりて、心志はいまだ誰れに専門に系著せずして、先にまさに誰れを信ずべきを揣度し清楚すれば、則ち能くその正を得、ゆえに吉。因るにこの時は心志はいまだ變動せざるが故なり。一たび心志はすでに追随する所有れば、則ちあれは變動して、再び往きて揣度するも亦たあの正を得ざらん。初爻に於ては、講ずる所はまさにまさに信任すべきの人を尋求するの办法なり。李光地按す:いわゆる「志未變」は、彼のあの一片の実心の丢掉せざるを言う。心志は一たび變ずれば、則ち別に別の牽挂あるなり。

其子和之,中心願也。程傳 “中心願”,謂誠意所願也,故通而相應。集說 朱氏震曰:荀子所謂“同焉者合,類焉者應”也。程氏敬承曰:鶴之鳴,由中而發,子之和,亦根心而應,故曰“中心願”,願出於中,乃孚之至也。

《象伝》にいう:「其子和之」は、内心より發するの願望なり。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「中心願」は、誠意に出づるの願望を言い、ゆえに彼此に相通して而して呼應す。集説に引く朱震の説:これ則ち《荀子》の講ずる所の「同焉者合、類焉者應」――同類するは則ち相合し、同氣するは則ち相應す。程敬承が言う、老鶴の鳴叫は、心の裏より發し出で來れるにして、小鶴の應和も亦た心の裏より生出するにして、ゆえに「中心願」と言う。願望は内心より出で来るは、これこそ誠信の極致なり。

或鼓或罷,位不當也。程傳 居不當位,故無所主,唯所信是從,所處得正,則所信有方矣。集說 俞氏琰曰:六三居不當位,心無所主,故“或鼓或罷”而不定,若初九則不如是也。

《象伝》にいう:「或鼓或罷」は、「位不當」に因る。程頤《伊川易伝》にいう:六三の居する所の爻位は當らず、ゆえに心の裏に主宰なくして、ただ己の信ずる所の人に跟いて走るを知るのみ。もし処する所は正を得ば、則ち信ずる所の人は亦た一定の方向あるなり。集説に引く俞琰の説:六三の居する所の位置は當らずして、心の裏に主宰なくして、ゆえに一會児は鼓を撃ち一會児は罷休して、搖擺・不定なり。初九に換作れば則ちこの樣子に非ず。

馬匹亡,絕類上也。程傳絕其類而上從五也。“類”,謂應也。集說 胡氏炳文曰:《坤》以“喪朋”為“有慶”,《中孚》之四,以“絕類”為“無咎”。趙氏玉泉曰:“馬匹亡”者,四有柔正之德,故能絕初之黨類,而上以信於五也。

《象伝》にいう:「馬匹亡」は、同類を斷絶して而して上に向かいて追随するなり。程頤《伊川易伝》にいう:己の同類を斷絶して而して上に向かいて九五に追随す。ここの「類」は、相「應与」するのあの一爻を指す。集説に引く胡炳文の説:《坤》卦は「喪朋」――朋類を失掉する――を以て「有慶」と當て、《中孚》の六四は同類を斷絶するを以て「无咎」と當つ。趙玉泉が言う、いわゆる「馬匹亡」は、六四が柔順・正を守るの徳を具備するを言い、ゆえに能く初九との党類の関係を斷絶して、而して上に向かいて誠信を九五に交すなり。

案 三與四,皆卦所謂中虛者也。其居內以成中虛之象同,其得應而有匹敵者亦同。然三心繫於敵,而四志絕乎匹者,三不正而四正也,又六四承九五者多吉,六三應上九者多凶,《易》例如此。

李光地按す:六三と六四とは、皆な是れ《中孚》卦の言う所の「中虚」のあの両爻なり。彼らは同じく卦の中間に処して、中間の空虚なるの象を構成し、同じく各々相「應与」するの爻ありて以て對手と作す。然而六三の心は對手の身上に牽系して、六四の志は却って己の配偶を斷絶す、緣故は六三の不當位にして六四の當位なるに在り。再び言う、六四の上に九五を承うるは多半は吉にして、六三の上に上九に應ずるは多半は凶にして、《周易》の通例は則ちこのごとくなり。

有孚攣如,位正當也。程傳 五居君位之尊,由中正之道,能使天下信之,如拘攣之固,乃稱其位。人君之道,當如是也。集說 孔氏穎達曰:以其正當尊位,故戒以繫信,乃得“無咎”。

《象伝》にいう:「有孚攣如」は、居する所の位の恰かに相當するに因る。程頤《伊川易伝》にいう:九五は君主の尊位の上に坐して、中正の道に依循して、能く天下人をして彼を信服せしむること牢固なること拴き緊めたるがごとくして、これこそ彼の位置に配得上す。君主たるの道理は、まさにこのごとくすべし。集説に引く孔穎達の説:まさに彼が端端正正に尊位を占著するに因りて、ゆえに彼に告誡してまさに天下人の信任を牢牢に系住するを要して、このごとくにしてこそ能く過錯なからん。

翰音登于天,何可長也。程傳 守孚至於窮極而不知變,豈可長久也,固守而不通,如是則凶也。集說 孔氏穎達曰:虛聲無實,何可久長。侯氏行果曰:窮上失位,信不由中,有聲無實,虛華外揚,是翰音登天也,虛音登天,何可久也。胡氏瑗曰:上九徒以虛聲外飾,無純誠篤實之行,以此而往,愈久愈凶。故聖人戒之曰:“何可長”如此,蓋欲人改過反誠,以信實為本也。

《象伝》にいう:「翰音登于天」は、怎んぞ能く長久せんや。程頤《伊川易伝》にいう:誠信を守りて一直に窮極に守り到るに還變通を知らざれば、何処にか能く長久せんや。死守して而して通達せざれば、このごとくにして則ち凶。集説に引く孔穎達の説:空に声名ありて而して實質なければ、怎んぞ能く長久せんや。侯行果が言う、上九は全卦の窮極の地に処して而してまた位に當らずして、講ずる所の信は心の裏より出で來るに非ずして、声音ありて而して實質なくして、虚浮の華彩は外に向かいて張揚す、これ則ち「翰音登天」――鶏の叫ぶの声の天に飛び上がるなり。虚声は天に飛び上がれば、怎んぞ能く長久せんや。胡瑗が言う、上九はただ虚名を拿りて外面に於て装點して、純厚・篤實の行為なくして、この樣に照らして走り下去せば、愈々久しく愈々凶ならん。ゆえに聖人は告誡して「何可長」と言うは、人をして過ちを改めて而して誠に回帰して、信實を以て根本と當てしめんと想うなり。

小過卦・大象与爻象

山上有雷,小過。君子以行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉。本義 “山上有雷”,其聲小過,三者之過,皆小者之過,可過於小而不可過於大。可以小過而不可甚過,《彖》所謂“可小事而宜下”者也。程傳 雷震於山上,其聲過常,故為《小過》。天下之事,有時當過,而不可過甚,故為《小過》,君子觀《小過》之象,事之宜過者則勉之,“行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉”,是也,當過而過,乃其宜也,不當討而過則過矣。

《大象伝》にいう:山上に雷あり、これ則ち《小過》なり。君子はこれに由りて領悟す、行事の上に於て恭敬すること一點に過ぎ、居喪の上に於て悲哀すること一點に過ぎ、用度の上に於て倹省すること一點に過ぐべし。朱熹《本義》にいう:「山上有雷」は、あの声は略微に頭を過ぐる一些にして、恭・哀・倹のこの三樣の過は、皆な是れ小処の過にして、以て小処に於て一點過ぐべくして、以て大処に於て過ぐべからず。以て稍稍に一點過ぐべくして、以て過ぐること厲害なるべからず、これ則ち《彖伝》の言う所の「可小事而宜下」なり。程頤《伊川易伝》にいう:雷は山上に於て震響して、声は平常を超過す、ゆえに《小過》と謂う。天下の事情は、時にまさに做し過ぐる一點に做すべきときありて、但し以て過ぐること太厲害なるべからず、ゆえに《小過》と謂う。君子は《小過》の象を観て、まさに一點過ぐべきの事に遇上すれば則ち勉力に往きて做し、「行過乎恭、喪過乎哀、用過乎倹」はまさにこのごとくなり。まさに過ぐべきに而して過ぐれば、まさにその宜に合す。まさに過ぐべからざるに而して過ぐれば(底本「當過」の「過」は「討」と訛作す)、あれは則ち真に過失と成れり。

集說 孔氏穎達曰:小人過差失在慢易奢侈,故君子矯之以“行過乎恭,喪過乎哀,用過乎儉”也。張子曰:過恭哀儉,皆宜下之義。晁氏說之曰:時有舉趾,高之莫敖,故正考父矯之以循牆,時有短喪之宰子,故高柴矯之以泣血,時有三歸反玷之管仲,故晏子矯之以敝裘,雖非中行,亦足以矯時厲俗。

集説に引く孔穎達の説:小人の過失・差錯は、輕慢・簡忽・奢侈・無度に出づるにして、ゆえに君子は「行過乎恭、喪過乎哀、用過乎倹」を拿りて以てそれを矯正す。張載が言う、恭敬・悲哀・倹省のこの三樣の一點に過ぐるは、皆な「宜下」に合す――卑下に自守するに宜しきの意思なり。晁説之が言う、當時に走るに脚を抬げること甚だ高く氣焰・囂張たるの楚國の莫敖ありて、ゆえに正考父は牆根に沿いて走るを拿りて以てそれを矯正せり。當時に三年の喪を縮短せんを主張するの宰我ありて、ゆえに高柴は三年に泣血して喪を守るを拿りて以てそれを矯正せり。當時に三処の豪宅・反坫の礼を僭するの管仲ありて、ゆえに晏嬰は一件の破皮襖を穿きて到底とするを拿りて以てそれを矯正せり。これらは雖も中道を以て行うに非ずと雖も、亦た以て時弊を矯正して風俗を砥礪するに足る。

趙氏彥肅曰:“恭”“哀”“儉”多不及,過之而後中。楊氏啟新曰:過“恭”過“哀”過“儉”,此豈不為高世絕俗之行而過乎人,但其所過者。以收斂卑下為過,故但可言小過,而不可言大過也。案 雷出地,則聲方發達而大,及至山上,則聲漸收斂而微,故有平地風雷大作,而高山之上不覺者,此《小過》之義也。

集説に引く趙彦粛の説:恭敬・悲哀・倹省のこの三樣は、人は多半に做すこと足らざれば、稍稍に一點過ぐるは反って恰好に中に合す。楊啓新が言う、恭敬の頭を過ぐる・悲哀の頭を過ぐる・倹省の頭を過ぐるは、これは豈に流俗に高出して世人を超絶するの行為に非ず、常人に比ぶるに一頭を過ぎたるか。ただ彼の過ぎたるのあの一頭は、收斂・卑下の方向に向かいて過ぐるにして、ゆえにただ小過と謂うべくして、大過と謂うこと能わず。李光地按す:雷は地下より發出するの時は、声はまさに發揚して洪大なり。山の頂上に升到するを待てば、声は則ち漸々に收斂して微弱なれり。ゆえに平地の上に風雷は大いに作すも高山の上は却って察覺し到らざるの情形ありて、これ則ち《小過》の意思なり。

飛鳥以凶,不可如何也。程傳 其過之疾,如飛鳥之迅,豈容救止也,凶其宜矣,“不可如何”,無所用其力也。集說 何氏楷曰:以凶者自納於凶也,孽由己作,可如何哉。

《象伝》にいう:「飛鳥以凶」は、誰も亦た办法なし。程頤《伊川易伝》にいう:初六は頭を過ぐることあのごとく急速にして、飛鳥のごとく迅疾にして、何処にか人に容れて往きてそれを救阻せんや、凶は是れ應然なり。「不可如何」は、力を使い上ぐるの地方なきを言う。集説に引く何楷の説:いわゆる「以凶」は、己より己を凶險の裏に送り進めるを言う。禍端は自己に由りて造成せられれば、還それを拿りて怎樣にか辦せんや。

不及其君,臣不可過也。本義 所以不及君而還遇臣者,以“臣不可過”故也。程傳 過之時,事無不過其常,故於上進,則戒及其君,臣不可過,臣之分也。集說 胡氏炳文曰:小者有時而可過,臣之於君,不可過也。

《象伝》にいう:「不及其君」は、臣子たるは以て君主を越過すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:六二の能く君主に及ばざるに而して回り返り頭を來りて臣に遇う所以は、まさに「臣不可過」に因る。程頤《伊川易伝》にいう:まさに過越の時に當たりて、事事は皆な常度を超出すれば、ゆえに上に向かいて進取するのこの件の事の上に於て特意に彼に告誡して君主を越過する勿からしむ――臣子たるは以て過越すべからず、これは臣子の本分なり。集説に引く胡炳文の説:小処は時に以て一點過ぐべきも、可是臣子は君主に對しては、是れ過越すべからざるなり。

從或戕之,凶如何也。程傳 陰過之時,必害於陽,小人道盛,必害君子,當過為之防,防之不至,則為其所戕矣,故曰“凶如何也”,言其甚也。

《象伝》にいう:「從或戕之」は、あの凶險のまさに如何ばかり厲害なるべき。程頤《伊川易伝》にいう:陰氣は盛んに過ぐるの時には、必ず陽を傷害せんと要す。小人の勢頭は一たび盛んなれば、必ず君子を傷害せんと要す。この時はまさに格外に意を加えて防備すべく、防備は位に到らざれば、則ちまさに彼らに殺傷せられん、ゆえに「凶如何也」と言う、是れそれの厲害なること極点に到れるを形容す。

弗過遇之,位不當也。往厲必戒,終不可長也。本義 爻義未明,此亦當闕。程傳 “位不當”,謂處柔,九四當過之時,不過剛而反居柔,乃得其宜,故曰“遇 集說 錢氏一本曰:“三”“四”皆失位,故特明其“位不當”。三“防”“四“遇”,亦皆宜下,三“從或戕”,四“往必戒”,亦皆不宜上。案 “位不當”,即所謂剛失位而不中者,唯剛失位而不中,故戒以當過遇之,不然則有危矣,豈可長執此而不知變乎。

《象伝》にいう:「弗過遇之」は、「位不當」に因る。「往厲必戒」は、終に以て長久すべからざるに因る。朱熹《本義》にいう:この一爻の義理はいまだ弄明白せざれば、ここに於て亦たまさに暫時に空き置くべし。程頤《伊川易伝》にいう:いわゆる「位不當」は、九四の柔位の上に処するを指す。九四はまさに過越の時に當たりて、剛を用いて頭を過ぐることなく、反って柔位に居れば、これこそその宜を得たるにして、ゆえに「遇」と言う――ここに底本は脱文あり。集説に引く銭一本の説:九三と九四とは皆な位に當らず、ゆえに《象伝》は特意に彼らの「位不當」を點明す。九三は「防」を講じ、九四は「遇」を講ず、皆な是れ卑下に自処するに宜し。九三は「從或戕之」を講じ、九四は「往厲必戒」を講ず、皆な是れ上に向かいて進取するに宜しからず。李光地按す:いわゆる「位不當」は、則ち《彖伝》の講ずる剛爻の位を失いて而して中に居らざるなり。まさに陽剛は位を失いまた中に居らざるに因りて、ゆえに彼に告誡してまさに過越すべきの時には「遇」の办法を用いるを要して、然らざれば則ち危險あり。また豈に能く長久にこのに執著して而して變通を知らざるべけんや。

密雲不雨,已上也。本義 “已上”,太高也。程傳 陽降陰升,合則和而成雨,陰已在上,雲雖密豈能成雨乎,陰過不能成大之義也。集說 龔氏煥曰:密雲不雨,《小畜》謂其“尚往”者,陰不足以畜陽而陽尚往也,《小過》謂其“已上”者,陰過乎陽,而陰已上也,一為陽之過,一為陰之過,皆陰陽不和之象,所以不能為雨也。

《象伝》にいう:「密雲不雨」は、陰氣のすでに上面に跑り去りたるに因る。朱熹《本義》にいう:「已上」は則ち高く太り。程頤《伊川易伝》にいう:陽氣は下降して陰氣は上升して、両下に交合・調和してこそ能く雨を成る。如今は陰氣はすでに上面に在りて、雲は雖も濃密なれど、何処にか還能く雨を成さんや。これは陰氣の頭を過ぎて而して能く大事を成就せざるの意思なり。集説に引く龔煥の説:同じく「密雲不雨」にして、《小畜》はそれを「尚往」と言うは、陰の以て陽を畜住するに足らずして而して陽は還前に往き走るに因る。《小過》はそれを「已上」と言うは、陰の陽を超過して而して陰はすでに上面に跑り去りたるに因る。一個は陽の過にして、一個は陰の過にして、皆な是れ陰陽の調和せざるの象にして、ゆえに雨は下り成らず。

案 兩卦“密雲不雨”,龔氏謂皆陰陽不和之象是已,然《小畜》所謂“尚往”者,亦是陰氣上行,與此爻“已上”同,非兩義也。但《小畜》卦義喻在下者,則尚往者當積厚而自雨,此爻之義,喻在上者,則“已上”者,當下交而乃雨,意義不同爾。

李光地按す:両卦は皆な「密雲不雨」を講ず、龔煥は皆な陰陽の調和せざるの象と言い、この話は不錯なり。不過《小畜》の言う所の「尚往」は、亦た是れ陰氣の上に向かいて走るを指して、ここの一爻の「已上」と相同じて、并びに両個の意思に非ず。ただ是れ《小畜》の一卦の取義は下位に処するの人を比喻するにして、則ち還上に向かいて走る者は、まさに深厚に蓄積して而して自ずから雨を成すべく。この一爻の取義は上位に処するの人を比喻するにして、則ちすでに上面に跑り去りたる者は、まさに下に向かいて人と交わりて然る後にこそ能く雨を成すべし。両処の用意は同じからざるのみ。

弗遇過之,已亢也。程傳 居過之終,弗遇於理而過之,過已亢極,其凶宜也。集說 孔氏穎達曰:釋所以“弗遇過之”,以其已在亢極之地故也。趙氏汝楳曰:“已上”未為極,“已亢”則極矣。俞氏琰曰:六五曰“已上”,謂其已過也。上六又過甚,故曰“已亢”。

《象伝》にいう:「弗遇過之」は、すでに亢極したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:上六は過越の卦の終点に処りて、肯んじて事理と相遇合せずして一味地に過越して、過ぐること亢極の地步に到れり、凶は是れ應然なり。集説に引く孔穎達の説:これは彼が何故に「弗遇過之」するを解釋する――彼がすでに亢極の位置の上に站り立てるに因る。趙汝楳が言う、「已上」は還極と算すに足らずして、「已亢」は則ち極なり。俞琰が言う、六五の言う「已上」は、それがすでに頭を過ぎたるを言う。上六はまた過ぐること更に厲害にして、ゆえに「已亢」と言う。

既済卦・大象与爻象

水在火上,既濟。君子以思患而豫防之。程傳 水火既交,各得其用為《既濟》,時當《既濟》,唯慮患害之生,故思而豫防,使不至於患也,自古天下既濟,而致禍亂者,蓋不能“思患而豫防”也。集說 王氏申子曰:《既濟》雖非有患之時,患每生於既濟之後,君子思此而豫防之,則可以保其“初吉”,而無“終亂”之憂矣。龔氏煥曰;水上火下,雖相為用,然水決則火滅,火炎則水涸,相交之中,相害之機伏焉,故“君子思患而豫防之”,能防在乎豫,能豫在乎思。

《大象伝》にいう:水は火の上に在り、これ則ち《既済》なり。君子はこれに由りて領悟す、禍患を預想して而して事先に防備すべし。程頤《伊川易伝》にいう:水火はすでに交會して、各々その作用を發揮せり、これ則ち《既済》なり。身に《既済》の時に処りて、唯一のまさに顧慮すべきは則ち禍患の滋生にして、ゆえに預めそれを想い到りて事先に防備して、それをして真に禍患と成るに至らしめず。古來より天下はすでに太平なるに、却ってまた禍乱を招來するは、皆な因るに能く「思患而豫防」せざるが故なり。集説に引く王申子の説:《既済》は雖も禍患あるの時に非ずと雖も、可是禍患は往往にして則ち既済の後に生ず。君子はこの一層を想い到りて而して預め防備せば、則ち以て卦辞の言う所の「初吉」を保住して、而して「終乱」の憂慮なし。龔煥が言う、水は上に在り火は下に在りて、両者は雖も互相に爲し用いると雖も、可是水は一たび口を決かば則ち火を澆き滅し、火は一たび熾烈なれば則ち水を熬き乾す。まさに相交わるの當中に於て、相害するの機括は則ち裏面に潜伏す、ゆえに「君子思患而豫防之」と言う。能く防備するは事先に在りて、能く事先なるは肯んじて想うに在り。

曳其輪,義無咎也。程傳 《既濟》之初,而能止其進,則不至於極,其義自“無咎”也。集說 徐氏在漢曰:初當方濟之始,而曳其濟險之輪,控制在我,則義無不濟,此所以“濡其尾”而無咎,《象》故歸重於“曳其輪”’也。

《象伝》にいう:「曳其輪」は、道義の上より言えば過錯なし。程頤《伊川易伝》にいう:《既済》の開頭に処りて、能く己の前に衝るを止住せば、則ち極端に走り到るに至らず、道義に就きて言えば自ずから「无咎」。集説に引く徐在漢の説:初九はまさに剛に河を渡らんとするの開頭に當たりて、却って険を渡るの車輪を拖き住むは、掌控の権は己の手の裏に在れば、則ち道理に按ずれば渡り過ぐること能わざるなし。これが則ち雖も「濡其尾」――尾巴を沾濕すと雖も、仍お過錯なき所以にして、ゆえに《象伝》は分量を「曳其輪」の三個の字の上に落せり。

程傳 中正之道,雖不為時所用,然無終不行之理,故“喪茀”七日當復得,謂自守其中,異時必行也,不失其中則正矣。集說 何氏楷曰:二居下卦之中,以中感中,得其正應,故終必相孚也。

以下は六二の《象伝》の「七日得、以中道也」を解す、この句の伝文は底本は未だ收めず。程頤《伊川易伝》にいう:中正の道は雖も一時に時君に採用せられずと雖も、却って始終に行き通らざるの道理なく、ゆえに爻辞は丢掉したるの車簾の「七日」の後にまさに重新に得るべしと言い、意思は己がこの中を守住すれば、日を改めて必定に能く行き通るなり。この中を失掉せざれば、亦た就ち正なり。集説に引く何楷の説:六二は下卦の中位に処りて、己の中を拿りて以て九五の中を感動して、両下にまさに相「應与」して、ゆえに最終に必定に彼此に信合せん。

三年克之,憊也。程傳 言“憊”以見其事之至難,在高宗為之則可,無高宗之心,則貪忿以殃民也。案 言“憊”以見成功之非易,如人之疾病,而以毒藥攻去之者,其元氣亦耗傷矣。苟無休養之方以復元氣,則有大病之根也。終日戒,有所疑也。程傳 終日戒懼,常疑患之將至也,處《既濟》之時,當畏慎如是也。集說 李氏簡曰:“終日戒”,謂備患之心,無時可忘也。

《象伝》にいう:「三年克之」は、疲憊・不堪したるに因る。程頤《伊川易伝》にいう:一個の「憊」の字を言うは、以てこの件の事の極其に艱難なるを顕出するなり。この事は殷の高宗に換作して往きて做せば還行けり、高宗のあのごときの存心なければ、則ち功を貪りて憤を泄して而して百姓を禍害すると成れり。李光地按す:一個の「憊」の字を言うは、以て成功の來たること容易ならざるを顕出するなり。好比として人が病を生じて、猛薬を用いて病を攻め掉せば、彼の元氣は亦たすでに耗損せり。假使休養・生息の办法なくして元氣を補い回來さざれば、則ち大病の根子を埋下せり。《象伝》にまた言う、「終日戒」は、心の裏に疑虑する所有るなり。程頤《伊川易伝》にいう:整天に警戒・恐懼するは、常に禍患のまさに到來せんとするを疑心す。身に《既済》の時に処りて、まさにこのごとく敬畏・謹愼すべし。集説に引く李簡の説:いわゆる「終日戒」は、禍患を防備するの心思は一刻も亦た忘掉すること能わざるを言う。

東鄰殺牛,不如西鄰之時也:實受其福,吉大來也。程傳 五之才德非不善,不如二之時也,二在下有進之時,故中正而孚,則其“吉大來”,所謂受福也。“吉大來”者,在《既濟》之時為大來也,亨小初吉是也。集說 朱氏震曰:盛不如薄者,時也,五《既濟》無所進,盈則當虛,故曰“不如西鄰之禴祭”,理無極而不反者,《既濟》極矣!五以中正守之,能未至於反而已。

《象伝》にいう:「東鄰殺牛」は、西鄰の好き時候に趕上したるに比ぶるに及ばず。「實受其福」は、吉慶の大いに到來するなり。程頤《伊川易伝》にいう:九五の才と徳とは并びに不好に非ざるに、ただ六二の趕上したるの時候に比ぶるに及ばず。六二は下卦に在りて、還以て上進すべきの余地ありて、ゆえに中正にして誠信にして、於是「吉大來」、亦た則ちいわゆる福を受くるなり。いわゆる「吉大來」は、《既済》の時に就きて言えば大來と算して、卦辞の言う「亨小」「初吉」はまさにこの意思なり。集説に引く朱震の説:豊盛の微溥に及ばざるは、差別は時機に在り。九五は《既済》のすでに進むべきの処なきの地步に処りて、満ちれば則ちまさに虚に轉ずべし、ゆえに西鄰のあの場の簡溥の禴祭に及ばずと言う。天下に極点に到りて而して反轉せざるの道理なく、《既済》はすでに極点に到れり。九五は中正に靠りてそれを守住して、亦た不過能くあの反轉をして還到來せざらしむるのみ。

王氏申子曰:言人君處《既濟》如《未濟》,而後有受福之實。不然,雖極其豐盛,而濟道衰矣。張氏清子曰:《既濟》之後,唯恐過盛,以“祭”言之,於斯時也,豐不如約,故東鄰不如西鄰,牛不如禴,蓋祭而得其時,雖禴之薄,實足以“受其福”,而言之大來可知矣。

集説に引く王申子の説:これは君主の身に《既済》に処りて而して身に《未済》に処するがごとく戒愼するを講ず、然る後にこそ福を受くるの実効あらん。然らざれば、縱使排場を極豊盛に做し到るも、世を濟るの道はすでに衰え下りたれり。張清子が言う、《既済》の後は、最も怕るるは則ち豊盛に過分なるなり。祭祀を拿りて言わば、この時に於ては、豊厚は反って簡約に如かず、ゆえに東鄰は西鄰に及ばず、殺牛は禴祭に及ばず。祭祀して而して好き時候に趕上せば、縱便禴祭のあのごとく簡溥なるも、亦た實實在在に以て「受其福」するに足れば、則ち爻辞の講ずる吉慶の大いに到來するも亦た以て想知すべし。

濡其首厲,何可久也。程傳 《既濟》之窮,危至於濡首,其能長久乎。集說 胡氏瑗曰:《既濟》之終,反於《未擠》,至於濡沒其首,故當翻然而警,惕然而改,何可久如此乎!案 “厲”未至於凶,特可危爾 知其危而反之,則不至於濡首矣,凡《易》言“何可長”、“何可久”者,自《屯》上至此爻,皆“惕”以改悟而不可迷溺之意。

《象伝》にいう:「濡其首厲」は、怎んぞ能く長久せんや。程頤《伊川易伝》にいう:《既済》は窮盡に走り到りて、危険なること頭を連れて浸濕するに到るに、これは還能く長久なるや。集説に引く胡瑗の説:《既済》の末尾は、まさに反轉して《未済》と成る(底本「済」は「擠」と訛作す)に、一直に頭を連れて浸沒するに到る。ゆえにまさに猛然に醒覺して警惕・自省して而して弦を改めて更張すべし。このごとくにして下去して怎んぞ能く長久せんや。李光地按す:「厲」は還凶の地步に到らずして、ただ危險あるのみ。危險を知りて而して掉轉して回來れば、則ち腦袋を浸濕するに至らず。凡そ《周易》の裏の「何可長」「何可久」を講ずるの地方は、《屯》卦上六より一直にこの一爻に到るまで、皆な是れ警惕を拿りて以て人を促して改悔・醒悟せしめて沉迷・陷溺すべからざるの意思なり。

未済卦・大象与爻象

火在水上,未濟。君子以慎辨物居方。本義 水火異物,各居其所,故君子觀象而審辨之。程傳 水火不交,不相濟為用,故為《未濟》。火在水上,非其處也,君子觀其處不當之象,以慎處於事物,辨其所當,各居其方,謂止於其所也。集說 朱氏震曰:火上水下,各居其所,《未濟》也。君子觀此慎辨萬物,有辨然 濡其尾,亦不知極也。

《大象伝》にいう:火は水の上に在り、これ則ち《未済》なり。君子はこれに由りて領悟す、愼重に事物を辨別して、それらをして各々その位に居らしめん。朱熹《本義》にいう:水と火とは是れ同じからざるの東西にして、各々己の地方に待ち居れば、ゆえに君子はこの象を観て而して仔細に彼らを分辨す。程頤《伊川易伝》にいう:水火は相交わらずして、能く互相に爲し用いること能わず、ゆえに《未済》と謂う。火は水の上に在るは、それのまさに待ち居るべきの地方に非ず。君子はこの処所の當らざるの象を観て、因りて愼重に事物に對待して、彼らの各々のまさに當たるべきの位置を辨明して、それらをして各々その方に居らしめん、亦た則ち各々己のまさに在るべきの地方に止まらしむるなり。集説に引く朱震の説:火は上に在り水は下に在りて、各々己の地方に待ち居るは、これ則ち《未済》なり。君子はこの象を看見して、愼重に万物を辨別して、分辨あるて而して後に――ここに底本は脱文あり。以下は初六の《象伝》:「濡其尾」は、亦た是れ深浅を知らざること極点に到れるなり。

本義 “極”字未洋,考上下韻亦不葉,或恐是“敬”字,今且闕之。程傳 不度其才力而進,至於濡尾,是不知之極也。集說 張氏振淵曰:事必敬始,而後可善其用於終,初所以致尾之濡,不是時不可為,心不知“敬慎”故耳。

朱熹《本義》にいう:「極」の字の含義は還明白ならず(底本「未詳」は「未洋」と訛作す)、上下文の用韻を考察するも亦た押せずして、恐怕らくはもとは一個の「敬」の字ならん、如今は姑く空き置きて疑を存す。程頤《伊川易伝》にいう:己の才力を掂量せずして則ち前に闖り往きて、闖りて尾巴を浸濕するに到るは、これは無知なること極点に到れり。集説に引く張振淵の説:事を做すは必ず開頭に於て則ち一個の敬の字を存して、然る後にこそ能く結尾をも辦し好し。初六の尾巴の浸濕せらるるを招致する所以は、并びに時勢の爲すべからざるに非ずして、而して心の裏に「敬愼」の両個の字を懂得せざるのみ。

九二貞吉,中以行正也。本義 九居二。本非正,以中故得正也。程傳 九二得正而吉者,以“曳輪”而得中道乃正也。案 程子言正未必中,中無不正,故凡九二六五皆非正也,而多言“貞吉”者,以其中也,唯此《象傳》釋義最明。

《象伝》にいう:「九二貞吉」は、中に居るに靠りて以てその正を行い得るなり。朱熹《本義》にいう:陽爻は第二位に居るは、もとより當位と算すに足らざるに、それが中に居るに因りて、ゆえに反って正を得れり。程頤《伊川易伝》にいう:九二は能く正を得て吉なるは、車輪を拖き住みて而して中道を得たるに因りて、於是則ち正なり。李光地按す:程頤は言う曾てあり、正は未だ必ずしも則ち中ならずして、中は却って正ならざるなし。ゆえに凡そ九二・六五のこの類の陽は陰位に居り陰は陽位に居るの爻は、もとより皆な當位と算せずと雖も、却って多半に「貞吉」を講ずるは、まさに彼らの中に居るに因る。唯だ《未済》のこの條の《象伝》のみ、この層の義理を解釋すること最も明白なり。

未濟征凶,位不當也。程傳 三征則凶者,以“位不當也”,謂陰柔不中正,無濟險之才也,若能涉險以從應則利矣。集說 吳氏澄曰:《未濟》諸爻,皆位不當,而獨於六三言之,以《未濟》由六三故也。俞氏琰曰:六爻皆位不當,而獨於六三日“位不當”,以六三才弱,而處下體之上也。

《象伝》にいう:「未済征凶」は、「位不當」に因る。程頤《伊川易伝》にいう:六三は出征すれば則ち凶なるの原因は「位不當」にして、それが陰柔にして而してまた中ならず正ならずにして、険難を渡越するの才具なきを指す。もし能く険難を渉り過ぎて往きてそれと相「應与」するの上九に追随せば、則ちあれは利あり。集説に引く呉澄の説:《未済》の各爻は皆な位に當らずして、《象伝》は却って單に六三のここに於て點き出だすは、《未済》の未済なる所以は、癥結はまさに六三に在るに因る。俞琰が言う、六爻は皆な位に當らずして、却って單に六三に於て「位不當」を言うは、六三の才力の薄弱にして、また下卦の最も上頭に処するに因る。

貞吉悔亡,志行也。程傳 如四之才與時合,而加以貞固,則能行其志,吉而悔亡,鬼方之伐,貞之至也。集說 俞氏琰曰:爻以六三為未濟,則九四其濟矣,是以其志行也。君子之光,其暉吉也。本義 “暉”者,光之散也。程傳 光盛則有暉。“暉”,光之散也。君子積充而光盛,至於有暉,善之至也,故重云“吉”。集說 張氏振淵曰:光而言暉,昭其盛也,“貞吉”之吉,吉在五,“暉吉”之吉,吉在天下。

《象伝》にいう:「貞吉悔亡」は、心志の施行を得るなり。程頤《伊川易伝》にいう:九四のこのごときは、才具は時勢と相合して、再び正を守りて堅定するを加えれば、則ち能く己の心志を施行して、因りて吉にして悔恨は消失す。爻辞の言う所の鬼方を討伐するは、まさに正を守ること極処に守り到るなり。集説に引く俞琰の説:この一卦はすでに六三を以て未済と看なせば、則ち九四に到れば則ち濟と算して、ゆえに彼の心志の施行を得るを言う。《象伝》にまた言う、「君子之光」は、彼の光輝の四照して吉なるなり。朱熹《本義》にいう:「暉」は、光の四散するなり。程頤《伊川易伝》にいう:光は盛んなれば則ち暉あり。「暉」は光の四散するなり。君子は積累・充実して而して光明・盛大にして、四散するの光暉あるに到るは、これは善の極致にして、ゆえに《象伝》は再び一個の「吉」の字を言う。集説に引く張振淵の説:光を講じてまた暉を講ずるは、以てそれの盛大なるを顕明す。「貞吉」のあの吉は、六五の自身に吉あり。「暉吉」のあの吉は、天下に吉あり。

飲酒濡首,亦不知節也。程傳 “飲酒”至於“濡首”,“不知節”之甚也,所以至如是,不能安義命也,能 集說 孔氏穎達曰:釋“飲酒”所以致“濡首”之難,以其不知止節故也。案 《既濟》之上,《彖》所謂“終亂”,《未濟》之上,則《彖》所謂“汔濟”者也,緣“尾”之象在初,故此不用“濡尾”之義,但戒以不可“濡首”而失其節,則猶之不續終之意也。

《象伝》にいう:「飲酒濡首」は、亦た是れ節制を懂得せざるなり。程頤《伊川易伝》にいう:酒を飲みて頭を連れて浸濕するに到るは、これは節制を懂得せざること極点に到れり。ここの地步に落到するの所以は、道義と天命とに安んずること能わざるに因る、能く――ここに底本は脱文あり。集説に引く孔穎達の説:これは飲酒の何故而に「濡首」の禍患を招來するを解釋する――彼が停まり下りて節制することを懂得せざるに因る。李光地按す:《既済》の上爻は、則ち卦辞の言う所の「終乱」なり。《未済》の上爻は、則ち卦辞の言う所の「汔済」――まさに渡り過ぐらんとするなり。「尾」の象は初爻に安んずるに由りて、ゆえにここに於て更に「濡尾」の取義を用いずして、ただ彼に告誡して以て「濡首」して而して節制を失掉すべからずとせば、あれは亦た則ち《既済》の言う能く結尾を接續して到底とすること能わざるの意思に等しきなり。

系辞上伝(上)

本義 “繫辭”,本謂文王周公所作之辭,繫於卦爻之下者,即今經文,此篇乃孔子所述《繫辭》之傳也,以其通論一經之大體凡例,故無經可附,而自分上下雲。集說 孔氏穎達曰:夫子本作“十翼”,申說上下二篇經文,《繫辭》條貫義理,別自為卷,總曰《繫辭》,分為上下二篇。

朱熹《本義》にいう:「系辞」はもとより文王・周公の作する所の卦辞・爻辞を指して、卦画・爻画の下面に系挂したるのあれらの話にして、亦た則ち今天の見る所の経文なり。ここの一篇は則ち孔子の述したる《系辞》を解説するの伝なり。それが全経を通論するの大体と通例と爲すに因りて、附著すべきの経文の段なくして、ゆえに自ら上下の両篇に分かれたり。集説に引く孔穎達の説:孔夫子はもとより「十翼」を作して、《周易》上下の両篇の経文を申説しき。《系辞》は義理を貫串・条理して、別に自ら一卷と成して、總名を《系辞》と謂い、上下の両篇に分かる。

《朱子語類》云:熟讀六十四卦,則覺得《繫辭》之語,甚為精密,是《易》之括例。又云,《繫辭》或言造化以及《易》,或言《易》以及造化,不出此理。胡氏一桂曰:其有稱“大傳”者,因太史公引“天下同歸而殊途,一致而百慮”為《《易》大傳》,蓋太史公受《易》楊何,何之屬自著《《易》傳》行世,故稱孔子者曰《大傳》以別之耳。

《朱子語類》にいう:六十四卦を讀み熟せば、則ち《系辞》の話の極めて精密なるを覺えて、是れ《周易》一書の總綱と通例なり。又た言う、《系辞》は時に造化より《周易》に講じ到り、時に《周易》より造化に講じ到りて、來回に説き去るも、皆なこの道理を跳出せず。集説に引く胡一桂の説:《系辞》は別に「大伝」と称する者有り、緣は太史公の司馬遷が《史記》の裏に「天下同歸而殊途、一致而百慮」を引くの時に、それを《易大伝》と称せり。司馬遷の《易》學は楊何より受けて、楊何の一派は自ら亦た《易伝》を著して世に流行せり、ゆえに孔子の作する所を以て《大伝》と称して、以て彼らと相區別するのみ。

繋辞上伝 第一章 天尊地卑

天尊地卑,乾坤定矣;卑高以陳,貴賤位矣;動靜有常,剛柔斷矣;方以類聚,物以群分,吉凶生矣;在天成象,在地成形,變化見矣。

《繋辞上伝》第一章はいう。天は上にあって尊く、地は下にあって卑しい。《乾》《坤》二卦の名分がここに定まり、低きものと高きものが順序をもって並び、卦爻の貴賤の位がここに確立する。動と静はそれぞれ常をもち、剛爻・柔爻がここに判然と分かれる。物事は類によって集まり、万物は群によって分かれ、吉と凶がここに生じる。天においては日月星辰の象となり、地においては山川動植の形となり、変と化がここに現れるのである。

本義 “天地”者,陰陽形氣之實體,“乾坤”者,《易》中純陰純陽之卦名也;“卑高”者,天地萬物上下之位,“貴賤”者,《易》中卦爻上下之位也;“動”者,陽之常,“靜”者,陰之常,“剛柔”者,《易》中卦爻陰陽之稱也;“方”,謂事情所向,言事物善惡,各以“類”分,而“吉凶”者,《易》中卦爻占決之辭也;“象”者,日月星辰之屬,“形”者,山川動植之屑,“變化”者,《易》中蓍策卦爻,陰變為陽,陽化為陰者也。此言聖人作《易》,因陰陽之實體,為卦爻之法象,莊周所謂《易》以道陰陽,此之謂也。

朱熹《本義》はいう:「天地」は陰陽の形と気の実体であり、「乾坤」は《周易》における純陰・純陽の二卦の名である。一つは実有の天地、一つは書上の卦名である。「卑高」は天地万物の上下の位であり、「貴賤」は《周易》における卦爻の上下の位である。「動」は陽の常、「静」は陰の常であり、「剛柔」は《周易》における卦爻の陰陽の称である。「方」は物事の赴くところをいい、物事の善悪がそれぞれ類によって分かれることをいう。そして「吉凶」は《周易》における卦爻の占断の語、すなわち吉凶を断ずる字句である。「象」は日月星辰の類を指し、「形」は山川動植の類を指し(底本は「属」を「屑」と誤る)、「変化」は《周易》における蓍草・策数・卦爻のうち、陰が変じて陽となり、陽が化して陰となる転換を指す。この一節は、聖人が《周易》を作るにあたり、陰陽の実体によって卦爻の法象を立てたことをいう。《荘子・天下》篇のいう「易は陰陽を道う」とは、まさにこのことである。

集說 韓氏伯曰:方有類,物有群,則有同有異,有聚有分,順其所同則吉,乖其所趣則凶,故“吉凶生矣”,象況日月星辰,形況山川草木也,縣象運轉以成昏明,“山澤通氣”而“雲行雨施”,故“變化見矣”。

集説に韓康伯の言を引く:物事には類があり、万物には群がある。ゆえに同じものと異なるもの、集まるものと分かれるものが生じる。その同じところに順えば吉となり、その赴くところに背けば凶となる。ゆえに「吉凶生矣」という。「象」は日月星辰にたとえ、「形」は山川草木にたとえる。高く懸かった天象が運転して昼夜の明暗を成し、「山沢通気」してのち雲が行き雨が施す。ゆえに「変化見矣」という。

蘇氏軾曰:天地一物也,陰陽一氣也,或為象,或為形,所在之不同,故在雲者,明其一也。象者,形之精華發於上者也,形者,象之體質留於下者也。人見其上下,直以為兩矣,豈知其未嘗不一耶。由是觀之,世之所謂變化者,未嘗不出於一,而兩於所在也,自兩以往,有不可勝計者矣,故“在天成象,在地成形”,變化之始也。

集説に蘇軾の言を引く:天と地は同一の物であり、陰と陽は同一の気である。あるいは象となり、あるいは形となるのは、在るところが異なるだけである。ゆえに経文は「在」の一字を用いて、それらが本は一体であることを明らかにする。象とは、形の精華が上に発揚したものであり、形とは、象の体質が下に留まったものである。人はその上下を見て、そのまま二物とするが、かつて一つでなかったことがあろうか。ここから見れば、世のいう変化は、一より出でないことはなく、ただ在るところが異なって二となるのである。二より下に推し衍べれば、数え尽くせないものとなる。ゆえに「在天成象、在地成形」というのは、変化の始まりである。

《朱子語類》:問:第一章第一節,蓋言聖人因造化之自然以作《易》,曰:論其初,則聖人是因天理之自然而著之於書,此是後來人說話,又是見天地之實體,而知《易》之書如此。蔡氏清曰:此一節,是夫子從有《易》之後,而追論夫未有《易》之前,以見畫前之有《易》也,夫《易》有乾坤,有剛柔,有吉凶,有變化,然此等名物,要皆非聖人鑿空所為,不過皆據六合中所自有者而模寫出耳。

《朱子語類》に記す:ある人が問うた。第一章の初めの一節は、おそらく聖人が造化の自然に依って《周易》を作ったことをいうのであろう、と。朱熹は答えた。その初めを論ずれば、聖人は天理の自然に依ってそれを書に著したのである。今われわれがこういうのは後人の言い方で、先に天地の実体を見て、のちに《周易》の書がこのようであることを知ったのである。集説に蔡清の言を引く:この一節は、孔子が《周易》がすでにあったあとに立って、あえて《周易》がまだなかった以前に論を遡らせ、卦画の前にすでに一部の《易》があったことを明らかにするものである。《周易》には乾坤があり、剛柔があり、吉凶があり、変化がある。しかしこれらの名目物事は、すべて聖人が空を穿って為したものではなく、ただ六合のうちに本来あるものに拠って模写したにすぎない。

又曰:“定”者,有尊卑各安其分之意,“位”者,有卑高以序而列之意,“斷”者,有判然不相混淆之意。又曰:以天地言之,天尊地卑,其卑高固昭然不《易》也。以萬物言之,如山川陵穀之類,其卑高亦昭然可睹也。

蔡清はまたいう:「定」の字には尊卑がそれぞれ本分に安んずる意味があり、「位」の字には低きものと高きものが次序をもって並ぶ意味があり、「断」の字には判然として分かれて互いに混ざらない意味がある。三字はそれぞれ分寸をもつ。またいう:天地について言えば、天尊地卑で、その高と下の別はもともと昭然として移し替えることができない。万物について言えば、山川・丘陵・溝谷のたぐいは、その高下も同じく昭然として見え、あらためて推し求めるまでもない。

案 此節,是說作《易》源頭。總涵乾坤六子在內,蓋“天尊地卑”,是“天地定位”也,“卑高以陳”,則兼山澤等皆是。天動地靜,山靜水動,固有常矣。然雖至於有精氣而無形質之物,其聚散作息亦有時,其流止晦明亦有度,則又兼雷風水火等皆是。“類聚”“群分”,總上通言之。在“天”有“方”焉,春秋冬夏,應乎南北東西者是也。

李光地の按:この一節は《周易》制作の源頭を論じ、乾坤と震・巽・坎・離・艮・兌の六子卦をすべてその中に包んでいる。「天尊地卑」は《説卦》のいう「天地定位」であり、「卑高以陳」は山沢などもすべて包み込んでいる。天は動き地は静まり、山は静まり水は動く。もともとそれぞれ常がある。しかし精気だけがあって形質のないものでさえ、その聚散・作息には一定の時があり、その流動・停止・晦暗・明瞭にも一定の法度がある。すなわち雷・風・水・火などもすべて包み込まれているのである。「類聚」「群分」の二句は、以上の言葉を総じて通して言ったものである。天において「方」があり、春夏秋冬が東西南北に対応するのがこれである。

其生殺之氣,則以“類聚”,在地有物焉,高下燥溼,別為浮沈升降者是也,其清濁之品,則以“群分”。以上皆言造化之體,至於“天”之“象”,“地”之“形”,其陰陽互根,則交《易》者也,其陰陽迭運則變《易》者也,此三句,又因體及用,以起下文之意。

李光地は続けていう:天上の生长と粛殺の気は、「類」によって一処に集まる。地において物があり、高きもの低きもの、乾きもの湿りたものが、浮沈・升降のさまざまに分かれるのがこれである。清濁の異なる品類は、「群」によって分かれる。以上はすべて造化の本体を言う。さらに天上の「象」・地上の「形」に至って、そのうち陰陽が互いに根柢となるものは「交易」に属し、陰陽が更替して運行するものは「変易」に属する。「在天成象、在地成形、変化見矣」の三句は、また本体から功用に及び、下文の意を引き起こすものである。

是故剛柔相摩,八卦相蕩。本義 此言《易》卦之變化也:六十四卦之初,剛柔兩畫而已,兩相摩而為四,四相摩而為八,八相蕩而為六十四。集說 韓氏伯曰:相切摩,言陰陽之交感,相推蕩,言運化之推移。《朱子語類》云:“摩”是那兩個物事相摩戛,“蕩”則是圜轉推蕩將出來,“摩”是八卦以前事,“蕩”是八卦以後為六十四卦底事,蕩是有那八卦了,團旋推蕩那六十四卦出來。

《繋辞》はいう:それゆえ剛柔の二画は互いに摩蕩し、八つの経卦は互いに推蕩する。朱熹《本義》はいう:これは《周易》の卦画の変化を言う。六十四卦はもともと剛・柔の二画にすぎない。二画が相摩して四象を生じ、四象が相摩して八卦を生じ、八卦が相蕩して六十四卦を推し出す。集説に韓康伯の言を引く:「相切摩」は陰陽の交互感応を言い、「相推蕩」は運行化育の推移を言う。《朱子語類》はいう:「摩」はあの二つのものが互いに摩擦することであり、「蕩」は環を描いて推し転がし出すことである。「摩」は八卦が成形する以前のことであり、「蕩」は八卦が成形したのちに六十四卦を推し出すことである。蕩とは、すでにその八卦があって、さらに回旋推蕩して六十四卦を推し出すのである。

吳氏澄曰:畫卦之初,以一剛一柔,與第二畫之剛柔相摩而為四象,又以二剛二柔,與第三畫之剛柔相摩而為八卦,八卦既成,則又各以八悔卦蕩於一貞卦之上,而一卦為八卦,八卦為六十四卦也。

集説に呉澄の言を引く:画卦の初めにおいて、一剛一柔を取りて第二画の剛柔と互いに摩蕩させて四象となる。さらに二剛二柔を取りて第三画の剛柔と互いに摩蕩させて八卦となる。八卦がすでに画成れば、またそれぞれ八つの「悔卦」——すなわち上卦——を取りて、一つの「貞卦」——すなわち下卦——の上に推蕩し、ここに一卦が八卦となり、八卦が六十四卦となるのである。

案 此節雖切畫卦言之,然是大地間自有此理。蓋“相摩”者,以一交一,如天與地交,水與火交,山與澤交,雷與風交是也。“相蕩”者,以一交八,如天與地交矣,而與水火山澤雷風無不交。地與天交矣,而亦與水火山澤雷風無不交之類是也,唯天地之理如此,故聖人畫卦以體象之。

李光地の按:この一節は画卦に密着して言っているが、しかし天地の間にはもともとこの理がある(底本は「天」を「大」と誤る)。いわゆる「相摩」は一と一とが相交わることで、たとえば天と地とが相交わり、水と火とが相交わり、山と沢とが相交わり、雷と風とが相交わるようなものである。いわゆる「相蕩」は一と八とが相交わることで、たとえば天がすでに地と相交わったのなら、なお水火・山沢・雷風と交わらないものなく、地がすでに天と相交わったのなら、同じく水火・山沢・雷風と交わらないものがない。このたぐいである。まさに天地の理がこのようであるゆえに、聖人は卦を画いてこれを體現し模擬したのである。

鼓之以雷霆,潤之以風雨,日月運行,一寒一暑。本義 此變化之成象者。張氏浚曰:“鼓以雷霆”而有氣者作,“潤以風雨”而有形者生。邱氏富國曰:前以“乾坤”“貴賤”“剛柔”“吉凶”“變化”言,是對待之陰陽,交《易》之體也。此以“摩”“蕩”“鼓”“潤”“運行”言,是流行之陰陽,變《易》之用也。至下文則言乾坤之德行,而繼以人體乾坤者終之。

《繋辞》はいう:雷霆をもってこれを鼓し、風雨をもってこれを潤し、日月は運行して一寒一暑が交替する。朱熹《本義》はいう:これは変化のうち「成象」の面を言う。張浚はいう:「鼓以雷霆」は、およそ気あるものはみな鼓動され起こされる。「潤以風雨」は、およそ形あるものはみな滋生され出される。邱富国はいう:前に「乾坤」「貴賤」「剛柔」「吉凶」「変化」をもって言ったのは、互いに対待する陰陽で、「交易」の本体である。ここに「摩」「蕩」「鼓」「潤」「運行」をもって言うのは、流動運行する陰陽で、「変易」の功用である。下文に至っては乾坤の徳行を言い、最後に人が乾坤を効法する一層を接いで結ぶのである。

吳氏澄曰:章首但言“乾坤”,蓋舉父母以包六子,此先言六子,而後總之以乾坤也。震為雷,離為也,霆即電也。《春秋穀梁傳》曰:震者何?雷也,電者何?霆也。巽為風,坎為雨,羲皇卦圖左起震而次以離,“鼓之以雷霆”也。右起巽而次以坎,“潤之以風雨”也,風而雨,故通言“潤”。離為日,坎為月,艮山在西北嚴凝之方為“寒”,兌澤在東南溫熱之方為“暑”,左離次以兌者,日之運行而為“暑”也,右坎次以艮者,月之運行而為“寒”也。邵子曰:日為暑,月為寒。《書》曰,日月之行,有冬有夏。

集説に呉澄の言を引く:本章の冒頭はただ「乾坤」を言う。これは父母を挙げて六子卦をその中に包んだのである。ここではまず六子を言い、のちに乾坤をもってそれらを総じて収める。震は雷であり、離は電である(底本は「離為」の下に一字を脱す)。霆とはすなわち電である。《春秋穀梁伝》はいう:震とは何か。雷である。電とは何か。霆である。巽は風、坎は雨である。伏羲卦図の左は震より起り、ついで離、すなわち「鼓之以雷霆」である。右は巽より起り、ついで坎、すなわち「潤之以風雨」である。風があってまた雨があるので、合わせてただ一つの「潤」の字を言う。離は日であり、坎は月である。艮は山で、西北の厳寒凝冱の方位にあるので「寒」に属す。兌は沢で、東南の温暖炎熱の方位にあるので「暑」に属す。左は離ののちに兌を接ぐ。これは太陽が運行して暑となるもの。右は坎ののちに艮を接ぐ。これは月が運行して寒となるもの。邵雍はいう:日は暑を主り、月は寒を主る。《尚書・洪範》はいう:日月の運行には冬があり夏がある。

乾道成男,坤道成女。本義 此變化之“成形”者,此兩節,又明《易》之見於實體者,與上文相發明也。集說 《朱子語類》云:天地父母,分明是一理,乾道成男,坤道成女,則凡天下之男皆乾之氣,天下之女皆坤之氣,從這裡便徹上徹下,即是一個氣都透了。又云:“乾道成男,坤道成女”,通人物言之,在動物如牝牡之類,在植物亦有男女,如麻有牡麻,及竹有雌雄之類,皆離陰陽剛柔不得。

《繋辞》はいう:乾の道は男を成し、坤の道は女を成す。朱熹《本義》はいう:これは変化のうち「成形」の面を言う。上下この二節は、また《周易》が実体に表れる面を阐明し、上文と互いに発明するのである。集説に《朱子語類》の言を引く:天地と父母とは、分明に同一の理である。乾道が男を成し、坤道が女を成すのなら、天下のすべての男子は乾の気を禀受し、天下のすべての女子は坤の気を禀受する。ここより上下を貫き、全体が一気として底まで通ずるのである。またいう:「乾道成男、坤道成女」は、人にも物にも連ねて言うのである。動物においては雌雄牝牡のたぐいであり、植物においても男女があり、たとえば麻に牡麻があり、竹に雌竹・雄竹がある。みな陰陽剛柔を離れることができない。

吳氏澄曰:乾成男者,父道也,坤成女者,母道也,左起震,歷離歷兌而終於乾,右起巽,歷坎歷艮以終於坤,故以乾道成男坤道成女二句,總之於後也。何氏楷曰:自“天尊地卑”至“變化見矣”,是因乾坤而推極於變化,自“剛柔相摩”至“坤道成女”,是又因變化而溯源於乾坤。

集説に呉澄の言を引く:乾が男を成すのは父の道であり、坤が女を成すのは母の道である。伏羲卦図の左は震より起り、離を経て兌を経て乾に終わる。右は巽より起り、坎を経て艮を経て坤に終わる。両辺ともに乾坤をもって収尾するので、「乾道成男」「坤道成女」の二句を後に置いて総じて収めるのである。何楷はいう:「天尊地卑」より「変化見矣」に至るまでは、乾坤より変化の極りまで推し進めたものである。「剛柔相摩」より「坤道成女」に至るまでは、また変化より乾坤という源頭に遡ったものである。一往一返、首尾相い顧みるのである。

乾知大始,坤作成物。本義 “知”,猶主也,乾主始物,而坤作成之,承上文男女而言乾坤之理。蓋凡物之屬乎陰陽者,莫不如此。大抵陽先陰後,陽施陰受,陽之輕清未形,而陰之重濁有跡也。集說 胡氏瑗曰:乾言“知”、坤言“作”者,蓋乾之生物,起於無形,未有營作。坤能承於天氣,已成之物,事可營為,故乾言“知”而坤言“作”也。

《繋辞》はいう:乾は万物の始めを主管し、坤は造作して万物を成就する。朱熹《本義》はいう:「知」は主管に等しい。乾は万物の開端を主管し、坤はこれを造作して完成する。これは上文の男女を承けて乾坤の理を言うのである。およそ陰陽の属性あるもの、これによらないものはない。大要は陽が先にあり、陰が後にあり、陽は施与し、陰は承受する。陽は軽清にしていまだ形を成さず、陰は重濁にしてすでに痕跡をもつ。集説に胡瑗の言を引く:乾に「知」といい坤に「作」というのは、乾が万物を生養するのは無形の際に起こり、まだ経営造作を言うには至らないからである。坤は天の気を承けて、ときに物はすでに雛形をもち、事は着手して経営できるので、乾に「知」といい坤に「作」というのである。

《朱子語類》云:“知”訓“管”字,不當解作“知見”之“知”,大始未有形,知之而已,“成物”乃流行之時,故有為。柴氏中行曰:一氣之動,則自有知覺,而生意所始,乾實為之。一氣既感,則妙合而凝,其形乃著,有作成之意,坤實為之。吳氏澄曰:上言“八卦”而總之以“乾坤”,此又接“成男”“成女”二句,而專言 案 自“鼓之以雷霆”至此二句,當總為一段,六子分生成之職,乾坤專生成之功也,下文則就功化而推原於易簡,自為一段。

《朱子語類》はいう:「知」の字は「管」の字に訓ずべきで、知見の知と解すべきではない。大始はまだ形体がなく、これを管するだけである。「成物」はすでに流行発用のときなので、ここに作為がある。集説に柴中行の言を引く:一股の気が一たび動けば、自ずから知覚があり、生意はここより発端する。実に乾が主としているのである。一股の気がすでに感通すれば、妙に合い凝り聚まり、形体はここに顕著となる。ここに造作完成の意があり、実に坤が主としているのである。呉澄はいう:上文は「八卦」を言って「乾坤」をもって総じて収め、ここではまた「成男」「成女」の二句を継いで、専ら——ここに底本に脱文がある。李光地の按:「鼓之以雷霆」よりこの二句に至るまでは、総じて一大段とすべきである。六子卦は生成の職事を分かち担い、乾坤は独り生成の功業を任ずる。下文はこの功業化育に就いて「易簡」に遡り、別に一段を成すのである。

乾以易知,坤以簡能。本義 乾健而動,即其所知,便能始物而無所難。故為以易而知“大始”,坤順而靜,凡其所能,皆從乎陽而不自作,故為以簡而能“成物”。集說 虞氏翻曰:乾“縣象著明”,坤陰陽動闢,“不習無不利,地道光也”。韓氏伯曰:天地之道,不為而善始,不勞而善成,故曰“易簡”。

《繋辞》はいう:乾は平易をもって始めを主管し、坤は簡約をもって万物を成就する。朱熹《本義》はいう:乾は剛健にして動を好み、その主管する分内において、すなわち万物を開創するに何らの難もない。ゆえに平易をもって「大始」を主管するという。坤は柔順にして静を好み、およそその能くするところは、みな陽に従って自ら主張しない。ゆえに簡約をもって万物を成就するという。集説に虞翻の言を引く:乾は《繋辞》のいう「県象著明」——高く天象を懸けて昭明——であり、坤は陰陽の一動一開であり、《坤》卦の六二のいう「不習无不利、地道光也」である。韓康伯はいう:天地の理は、意を着けて作為せずして善く開端し、力を費やさずして善く成全する。ゆえに「易簡」というのである。

楊氏萬里曰:此贊乾坤之功,雖至溥而無際,而乾坤之德,實至要而不繁也。《朱子語類》:問:如何是“易簡”。曰:它行健所以“易”,“易”是知阻難之謂。人有私意便難。“簡”只是順從而已,若外更生出一分,如何得“簡”,今人都是私意,所以不能簡易”。問“乾以易知,坤以簡能”,若以學者分上言之,則廓然大公者,“易”也;物來順應者,“簡”也。不知是否?曰:然。乾之“易”,知之事也,坤之“簡”,行之事也。

集説に楊万里の言を引く:これは乾坤の功用を讃嘆するもので、広大にして際涯がないが、しかし乾坤の徳性は、実に極めて扼要にして繁瑣でない。《朱子語類》に記す:ある人が問うた。どのようにすれば「易簡」となるのか。朱熹は答えた。乾は運行剛健なので「易」である。「易」とは阻難を覚えない意である。人が私意をもてば難しくなる。「簡」はただ順って往くだけである。もし本分の外に一分の心を別に生ぜば、どうして簡であり得よう。今の人は私意に満ちているので、簡易ができないのである。また問う:「乾以易知、坤以簡能」を学問する人の身に就いて言えば、心地が廓然大公なのが「易」、事物が来れば順って応じるのが「簡」ということになるが、正しいか。朱熹は答えた。そのとおりである。乾の「易」は知の面に属し、坤の「簡」は行の面に属する。

吳氏澄曰:“易簡”者,以乾坤之理言。始物者,乾之所知,然乾之性健,其知也,宰物而不勞心,故易而不難。“成物”者,坤之所作,然坤之性順,其作也,從陽而不造事,故簡而不繁,此乾坤皆指天地,而易之乾坤二卦象之者也。

集説に呉澄の言を引く:いわゆる「易簡」は、乾坤の理に就いて言うのである。万物を開創するのは乾の主管するところである。しかし乾の性は剛健で、その主管するときは、万物を主宰して心思を労費しない。ゆえに平易にして艱難でない。「成物」は坤の造作するところである。しかし坤の性は柔順で、その造作するときは、陽に従って別に事端を生じない。ゆえに簡約にして繁雑でない。ここに乾坤はいずれも天地を指し、《周易》における乾坤二卦は、まさに天地を模擬して立てたものである。

張氏振淵曰:“乾知大始”,似乎甚難矣!“坤作成物”,似乎甚煩矣。乃乾坤則以“易知”以“簡能”耳,所謂天地無心而成化也。吳氏曰慎曰:乾健體而動用,故易;坤順體而靜用,故簡。動靜以陰陽之分言,然“乾知大始”而事付於坤,則始動而終靜,坤從乎陽而作“成物”,則始靜而終動。又乾知坤能,皆用之動也,乾易坤簡,皆體之靜也。又四德坤承乎乾,元亨皆動,利貞皆靜,不可專以動屬乾,以靜屬坤也。

集説に張振淵の言を引く:「乾知大始」は見れば極めて難い事のようであり、「坤作成物」は見れば極めて煩わしい事のようである。しかし乾坤はただ平易をもって主管し、簡約をもって成就するにすぎない。これがいわゆる天地は心無くして化育自ら成ることである。呉曰慎はいう:乾は剛健をもって体とし動をもって用とするので平易であり、坤は柔順をもって体とし静をもって用とするので簡約である。動と静は陰陽の分別に就いて言うのである。ただ「乾知大始」にして事を坤に付すのは、始めは動きて末は静であり、坤が陽に従って「成物」を造作するのは、始めは静にして末は動である。また言えば、乾の「知」と坤の「能」はみな用の面に属して動であり、乾の「易」と坤の「簡」はみな体の面に属して静である。また元亨利貞の四徳は、坤は乾に承けるもので、元と亨はみな動に属し、利と貞はみな静に属する。動を一概に乾に帰し、静を一概に坤に帰してはならない。

易則易知,簡則易從。易知則有親,易從則有功。有親則可久,有功則可大。可久則賢人之德,可大則賢人之業。

《繋辞》はいう:平易ならば人はこれを知り易く、簡約ならば人はこれに従い易い。知り易ければ親しむ者があり、従い易ければ功業を立てることができる。親しむ者あれば長久を得、功業を立てれば広大を得る。長久を得るは賢人の徳であり、広大を得るは賢人の事業である。

本義 人之所為,如乾之易,則其心明白而人易知,如坤之簡,則其事要約而人易從。“易知”,則與之同心者多,故“有親”,“易從”,則與之協力者眾,故“有功”。有親則一於內,故“可久”,有功則兼於外,故“可大”。“德”,謂得於己者。“業”,謂成於事者。上占乾坤之德不同,此言人法乾坤之道至此,則可以為賢矣。

朱熹《本義》はいう:人の所作所為が、もし乾のように平易ならば心地は明白になり、人がこれを知り易い。もし坤のように簡約ならば事は扼要になり、人がこれに従い易い。「易知」ならば、これと心を同じくする者が多いので「有親」である。「易従」ならば、これと力を合わせる者が衆多なので「有功」である。親しむ者あるは内に専一なので「可久」であり、功業を建つるは外に兼済するので「可大」である。「徳」は己に得たものを指し、「業」は事に成就したものを指す。上文は乾坤両者の徳性の異なることを言い(底本は「上文」を「上占」と誤る)、ここには人が乾坤の道を効法することを言う。この地步に至れば、賢人と称することができる。

集說 范氏長生曰:以其“易知”,故物親而附之,以其“易從”,故物法而有功也。孔氏穎達曰:初始無形,未有營作,故但云“知”也,已成之物,事可營為,故云“作”也。“易”謂易略,無所造為,以此為知,故曰‘乾以易知”。“簡”謂簡省,不須繁勞,以此為能,故曰“坤以簡能”。若於物艱難,則不可以知,若於事繁勞,則不 蘇氏軾曰:簡易者,一之謂也,一故有信,信故物知之也,易而從之也不難。

集説に范長生の言を引く:彼が「易知」であるゆえに衆人は親しみ依附し、彼が「易従」であるゆえに衆人は効法して功業を成す。孔穎達はいう:最初はまだ形体がなく、経営造作を言うに至らないので、ただ一つの「知」の字を言う。すでに成形した物は、事は着手して経営できるので、一つの「作」の字を言う。「易」は簡略で、何の造作もない。これをもって主管するので「乾以易知」という。「簡」は簡省で、繁難労費を要しない。これをもって事を成すので「坤以簡能」という。もし物に対するに艱難ならば、もって主管とすることができない。もし事を為すに繁難労費すれば、——ここに底本に脱文がある。蘇軾はいう:いわゆる簡易とは一である。一であるゆえに信があり、信あるゆえに人はこれを知り、平易と覚え、従うもまた難からないのである。

《朱子語類》云:“乾以易知坤以簡能”以上,是言乾坤之德,“易則易知”以下是就人而言,言人兼體乾坤之德也。“乾以易知”者,乾健不息,唯主於生物,都無許多艱難險阻,故能以易而知“大始”。坤順承天,唯以成物,都無許多繁擾作為,故能以簡而作“成物”。

《朱子語類》はいう:「乾以易知、坤以簡能」以上は、乾坤自身の徳を言う。「易則易知」以下は、人の身に転じて言い、人が乾坤のこの二つの徳を兼ね備えて體現することを言う。いわゆる「乾以易知」は、乾が剛健不息にして、心はただ万物を生養することに在り、あの多くの艱難険阻をまったくもたないので、平易をもって「大始」を主管し得るのである。坤は柔順に天に承けて、心はただ万物を成就することに在り、あの多くの繁擾造作をまったくもたないので、簡約をもって「成物」を造作し得るのである。

大抵陽施陰受,乾之生物,如瓶施水,其道至易,坤唯承天以成物別無作為,故其理至簡,其在人則無艱阻而自直,故人“易知”;順理而不繁擾,故人“易從”。“易知”則人皆同心親之,“易從”則人皆協力而有功矣!有親可久,則為賢人之德,是就存主處言,有功可大,則為賢人之業,是就作事處言。蓋自乾以“易知”,便是指存主處。坤以“簡能”,便是指作事處。

《朱子語類》は続けていう:大要は陽が施与し、陰が承受する。乾が万物を生養するは、瓶が水を外に傾けるが如く、その理は極めて平易である。坤はただ天を承けて万物を成就し、別に何の作為もないので、その理は極めて簡約である。人の身に落とせば、艱難阻隔なくして自然に直遂するので、人はこれを知り易い。道理に順って繁擾を生じないので、人はこれに従い易い。「易知」ならば、人々はみな心を同じくして彼に親しむ。「易従」ならば、人々はみな力を合わせて功業を建てる。親しむ者あって長久を得れば、賢人の徳となる。これは存心主宰の処に就いて言う。功業あって広大を得れば、賢人の事業となる。これは做事の処に就いて言う。ゆえに乾の「易知」より言うは、すなわち存心主宰の処を指し、坤の「簡能」より言うは、すなわち做事の処を指すのである。

林氏希元曰:“易簡”只是因此理而立心處事爾,固非於此理之外有所加,亦非於此理之內有所減也。但以其無險阻而謂之“易”,無煩擾而謂之“簡”。孟子曰:禹之行水也,行其所無事也。如智者亦行其所無事,則智亦大矣。此“易簡”之說也。趙氏光大曰:“易從則有功”,有功不是人來助我作事,是我能使人如此,便是我之功。

集説に林希元の言を引く:いわゆる「易簡」は、ただこの理に依って心を立て事に処するにすぎない。もともとこの理の外に何かを添えたのでも、この理の内に何かを減らしたのでもない。ただそれに険阻がないゆえに「易」と呼び、煩擾がないゆえに「簡」と呼ぶのである。《孟子・離婁下》はいう:大禹が洪水を疏導したのは、水性に順って事を余計に生じなかったからである。もし聡明な人もまた事を余計に生じることを肯んずるならば、その聡明もまた大いなるものとなる。これが「易簡」の理である。趙光大はいう:「易従則有功」の功は、他人が来て我が事を助けるのではなく、我が人をしてかく為さしめ得ること、すなわち我が功である。

易簡而天下之理得矣,天下之理得,而成位乎其中矣。本義 “成位”,謂成人之位,“其中”,謂天地之中。至此則體道之極功,聖人之能事,可以與天地參矣。此第一章,以造化之實,明作經之理,又言乾坤之理,分見於天地,而人兼體之也。

《繋辞》はいう:易簡を為し得れば、天下の理はみな掌握する。天下の理を掌握すれば、人は天地の中において自己の位を成就する。朱熹《本義》はいう:「成位」は人の位を成就することであり、「其中」は天地の間を指す。この歩に至れば、大道を體認する極致の功夫、聖人の能く為し得る極りであり、天地と並び立って三となることができる。以上は第一章で、造化の実体をもって経書制作の理を阐明し、また乾坤の理が天と地にそれぞれ體現され、人が両者を兼ね備えて體現することを言ったのである。

集說 孔氏穎達曰:聖人能行天地“易簡”之化,則天下萬事之理,並得其宜矣。《朱子語類》云:“易簡”理得,是淨淨潔潔,無許多勞擾委曲。鄭氏維嶽曰:“易簡”原是一理,依易之理而作之,則為“簡”。

集説に孔穎達の言を引く:聖人が天地のあの「易簡」の化育を推行し得れば、天下万事の理はみなそれぞれその宜を得る。《朱子語類》はいう:「易簡」の理を一たび得れば、すなわち乾乾浄々で、あの多くの労擾曲折がない。鄭維嶽はいう:「易」と「簡」はもともと一つの理である。乾の「易」の理に依って造作成就すれば、それがすなわち坤の「簡」である。

何氏楷曰:乾坤一陰陽也,陰陽一太極也,“易簡”者,乾坤之所以知始而作成者也。人之所知,知乾之易,則所知皆性分所固有,無一豪人慾之艱深,豈不“易知”,人之所能,如坤之簡,則所能皆職分之當為,無一豪人慾之紛擾,豈不“易從”。“易知”,則不遠人以為道故“有親”,“易從”,則夫婦皆可與能故“有功”,“有親”則有人傳繼其心,千百世上下,心同理同也,故“可久”,“有功”則有人擴充其事,人能弘道,非道弘人也,故“可大”。

集説に何楷の言を引く:乾坤はすなわち一つの陰陽であり、陰陽はすなわち一つの太極である。いわゆる「易簡」は、まさに乾坤が始めを主管し造作成就するあの本领である。人の知るところが、もし乾のように平易ならば、知るところはみな自己の本性のうちに本来あるもので、人欲のもたらす艱深は一絲一毫もない。豈に「易知」ならずや。人の能くするところが、もし坤のように簡約ならば、能くするところはみな自己の職分の上に為すべきもので、人欲のもたらす紛擾は一絲一毫もない。豈に「易従」ならずや。「易知」ならば、道を人情に遠ざけることがないので「有親」である。「易従」ならば、尋常の男女さえ参与して為し得るので「有功」である。「有親」ならば、彼の心を承け伝え続ける者があり、千百世の上下、心は同じく理も同じなので「可久」である。「有功」ならば、彼の事を拡充推広する者があり、人は道を弘大にし得て、道が人を弘大にするのではないので「可大」である。

“可久則賢人之德”,與天同其悠久矣,“可大則賢人之業”,與地同其廣大矣!所以然者,則以我之易簡與乾坤之易簡同原故也!夫“易簡而天下之理得矣”,天之所以為天,地之所以為地,人之所以為人,一易簡之理焉盡之所謂天下之公理也,得天下之公理,以成久大之德業,則是天有是易,吾亦有是易;地有是簡,吾亦有是簡,與天地參而為三矣。

何楷は続けていう:「可久則賢人之徳」は、天と同じく悠久である。「可大則賢人之業」は、地と同じく広大である。その能くこのようである所以は、我が身の易簡と乾坤の易簡とが同一の源より出るからである。いわゆる「易簡而天下之理得矣」:天の天たる所以、地の地たる所以、人の人たる所以は、一つの易簡の理をもってこれを言い尽くす。これがいわゆる天下の公理である。天下の公理を得て、もって長久広大の徳と業を成就すれば、それは天にこの「易」あり、我にもこの「易」あり、地にこの「簡」あり、我にもこの「簡」ありで、ここに天地と並び立って三才となるのである。

張氏振淵曰:易道盡於乾坤,乾坤盡於“易簡”,“易簡”即在人身,學者求易於天地,又求天地之易於吾身,則易在是矣。通章之意,總是論易書之作,無非發明乾坤之理,要人為聖賢以與天地參耳。何氏楷曰:此一章,乃孔子首明易始乾坤之理,至第二章“設卦觀象”方言易。

集説に張振淵の言を引く:《易》の道は全て乾坤二卦に在り、乾坤は全て「易簡」の二字に在り、そして「易簡」は人の自身の上に在る。《易》を学ぶ者が天地のところに往って《易》を尋ね、また自己の身上に往って天地の《易》を尋ねるならば、《易》はここに在る。全章の用意は、常に《周易》という書の制作を論じ、乾坤の理を発明するにほかならず、人をして聖賢となり、天地と並び立って三と為るを得しめんとするのである。何楷はいう:この一章は孔子がまず《易》が乾坤より起る理を阐明したもので、第二章の「設卦観象」に至って、はじめて《周易》という書を言うのである。

案 天地卑高動靜方物象形,造化之實體也。乾坤貴賤剛柔吉凶變化,易卦之定名也。因造化之實體,起易卦之定名,故自造化之體立,而卦之理具矣,體立則用必行焉,是故剛柔則一自一相摩,八卦則一與八相蕩,造化之情,所以交而不離也,畫卦之序,蓋象此也。“雷霆’’者震離,“風雨”者巽坎,“暑”以說物者兌,“寒”以止物者良,成男而職“大始”者乾,成女而職“成物”者坤,造化之機,所以變而無窮也。建圖之位,蓋象此也。

李光地の按:天地・卑高・動静・方物・象形は、これらは造化の実体である。乾坤・貴賤・剛柔・吉凶・変化は、これらは《易》卦の定名である。造化の実体に依って、《易》卦の定名を立てる。ゆえに造化の本体が一たび確立すれば、卦の理もまた備わる。本体が確立すれば、功用は必ずこれに随いて行われる。それゆえ剛柔は一と一とが互いに摩蕩し(底本は「一与一」を「一自一」と誤る)、八卦は一と八とが互いに推蕩する。造化の情状はこれにより交通して相離れず、画卦の次序はまさにこれを模擬するのである。「雷霆」は震と離であり、「風雨」は巽と坎であり、「暑」をもって万物を欣悦せしめるは兌であり、「寒」をもって万物を止息せしめるは艮であり(底本は「艮」を「良」と誤る)、男を成して「大始」を職掌するは乾であり、女を成して「成物」を職掌するは坤である。造化の機括はこれにより変動窮まることなく、卦図の方位を建立するはまさにこれを模擬するのである。

然而造化之理,則一以“易簡”為歸,心一而不貳,故易也。事順而無為故簡也,天地之盛德大業,“易簡”而已矣,賢人之進德修業,聖人之崇德廣業,亦唯“易簡”而已矣。設卦繫辭所以順性命之理者此也。諸儒言易有四義:不易也,交易也,變易也,易簡也。故“天尊地卑”一節,言不易者也。“剛柔相摩”二句,言交易者也。“鼓以雷霆”至“坤作成物”,言變易者也,“乾以易知”以下,言易簡者也,易道之本原盡乎此,故為《繫傳》之首章焉。

李光地は続けていう:しかし造化の理は、終には一概に「易簡」に帰する。心は専一にして分岔しないので平易であり、事は理に順って妄作しないので簡約である。天地の盛徳大業は、「易簡」の二字に過ぎない。賢人の進徳修業、聖人の崇徳広業もまた、「易簡」の二字にすぎない。卦画を設立し文辞を繋いで、もって性命の理に順応せしめるは、まさにここに在る。諸家の儒者は《易》に四層の含義ありという。不易・交易・変易・易簡である。「不易」は尊卑の定分が移易すべからざること、「交易」は彼此相通じて両両対を成すこと、「変易」は往来推移して流行已まざること、「易簡」は一概に平易簡約に帰結することである。ゆえに「天尊地卑」の一節は「不易」を言い、「剛柔相摩」の二句は「交易」を言い、「鼓之以雷霆」より「坤作成物」に至るまでは「変易」を言い、「乾以易知」以下は「易簡」を言う。《易》道の本原は全てここに在る。ゆえにこれを《繋辞伝》の第一章に列するのである。

繋辞上伝 第二章 聖人設卦観象

聖人設卦觀象,繫辭焉而明吉凶。本義 象者,物之似也,此言聖人作《易》,觀卦爻之象,而繫以辭也。集說 孔氏穎達曰:設之卦象,則有吉有凶,故下文云“吉凶者失得之象,悔吝者憂虞之象,變化者進退之象,剛柔者晝夜之象”。是施設其卦,有此諸象也。此“設卦觀象”,總為下而言,卦象爻象,有吉有凶,若不繫辭,其理未顯,故繫屬吉凶之文辭於卦爻之下,而顯明此卦爻吉凶也。案吉凶之外,猶有悔吝憂虞,舉吉凶則包之。

《繋辞》はいう:聖人は卦画を設立し物象を観察し、その下に文辞を繋いで吉凶を阐明する。朱熹《本義》はいう:象とは、事物への相似たる模擬である。これは聖人が《周易》を作るにあたり、卦爻の象を観察して、のちに文辞を繋いだことを言う。集説に孔穎達の言を引く:卦象を設立すれば、吉あり凶がある。ゆえに下文は「吉凶者失得之象、悔吝者憂虞之象、変化者進退之象、剛柔者昼夜之象」という。これはあの卦を施設すれば、すなわちこの多くの象があることを言う。ここの「設卦観象」は、下文を総じて領して言うのである。卦には卦の象があり、爻には爻の象があり、吉あり凶がある。もし文辞を繋がなければ、その理は顕れ出ない。ゆえに吉凶を断ずる文辞を卦爻の下に繋ぎ屬して、この一卦一爻の吉凶を顕示明白にするのである。孔穎達はまた按ずる:吉凶の外にさらに悔と吝・憂と虞があり、吉凶を挙げればそれらをすべて包むのである。

朱氏震曰:聖人設卦,本以觀象,自伏羲至於文王一也,聖人憂患後世,懼觀者智不足以知此,於是繫之卦辭,又繫之爻辭,以吉凶明告之。《朱子語類》云:《易》當初只是為卜筮而作,《文言》、《彖》、《象》,卻是推說作義理上去,觀乾坤二卦便可見。孔子曰:“聖人設卦觀象繫辭焉而明吉凶”,不是卜筮,如何明吉凶。

集説に朱震の言を引く:聖人が卦画を設立したのは、もともと物象を観察するためで、伏羲より文王に至るまで同一である。聖人は後世を憂え、卦を見る者の智力が足らずこれらの象を看取できないことを恐れ、ここに卦辞を繋ぎ、また爻辞を繋いで、吉凶を明白に人に告げたのである。《朱子語類》はいう:《周易》は当初ただ占卜のために作られた。《文言》《彖伝》《象伝》こそがこれを義理に推衍したもので、乾坤二卦の伝文を見れば明白である。孔子は「聖人設卦観象、繋辞焉而明吉凶」といった。もし占卜のためでなければ、何をもって吉凶を阐明し得ようか。

王氏申子曰:《易》之初也,有象而未有卦,及八卦既設而象寓焉,及八重而六十 剛柔相推而生變化。本義 言卦爻陰陽迭相推蕩,而陰或變陽,陽或化陰,聖人所以觀象而繫辭,眾人所以因蓍而求卦者也。集說 張氏振淵曰:“剛柔相推”之中或當位,或失位,而吉凶悔吝之源正起於此。聖人之所觀,觀此也,聖人之所明,明此也,蓋吉凶悔吝雖繫於辭,而其原實起於變。

集説に王申子の言を引く:《周易》の最初は、象があってまだ卦がなかった。八卦が設立されるに及んで、象は卦のうちに寄託された。八卦が相重して六十——ここに底本に脱文がある。以下は《繋辞》の原文である:剛柔は互いに推移して変化を生ずる。朱熹《本義》はいう:これは卦爻の陰陽が交替推蕩し、陰は時に変じて陽となり、陽は時に化して陰となることを言う。聖人はまさにこれに拠って物象を観察し文辞を繋ぎ、衆人もまたまさにこれに拠って蓍草を借りて卦象を求めるのである。集説に張振淵の言を引く:「剛柔相推」のうち、あるいは位に当たり、あるいは位を失い、そして吉凶悔吝の源頭はまさにここより生ずる。聖人の観察するはこのことであり、阐明せんとするもまたこのことである。吉凶悔吝は文辞に繋がれているが、その根源は実に「変」より起るのである。

是故吉凶者,失得之象也。悔吝者,憂虞之象也。本義 “吉凶”“悔吝”者,《易》之辭也;“失得”“憂虞”者,事之變也。得則吉,失則凶,憂虞雖未至凶,然已足以致悔而取羞矣。蓋“吉凶”相對,而“悔吝”居其中間,“悔”自凶而趨吉,“吝”自吉而向凶也,故聖人觀卦爻之中,或有此象,則繫之以此辭也。

《繋辞》はいう:それゆえ吉と凶は、失と得の象であり、悔と吝は、憂と虞の象である。朱熹《本義》はいう:「吉凶」「悔吝」は《周易》の断語であり、「失得」「憂虞」は人事の変化である。得れば吉であり、失えば凶である。憂と虞はまだ凶の地步に至らないが、すでに悔恨を招き羞辱を被るに足る。大要は吉と凶は両頭相い対し、悔と吝はその中間に挟まる。「悔」は凶のあちらより吉のこちらに向かい、「吝」は吉のこちらより凶のあちらに向かう。ゆえに聖人は卦爻のうちを観察して、もしこのような象があれば、このような断語を繋ぐのである。

集說 虞氏翻曰:“吉”則象“得”,“凶”則象“失”,“悔”則象“憂”,“吝”則象“虞”也。干氏寶曰:“憂虞”未至於“失得”,“悔吝”不入於“吉凶”,事有小大,故辭有緩急,各象其意也。

集説に虞翻の言を引く:「吉」は得を象徴し、「凶」は失を象徴し、「悔」は憂を象徴し、「吝」は虞を象徴する。四つの断語と四種の人事は一々相い配する。干宝はいう:憂と虞の分量は、まだ失と得のあの地步に重き至っていない。悔と吝の分量も、まだ吉と凶のあの等級に及んでいない。事はもともと小あり大あるので、断語もまた緩あり急があり、それぞれその応ずる軽重を模擬するのである。

《朱子語類》云:吉凶悔吝,四者循環,周而復始,悔了便吉,吉了便吝,吝了便凶,凶了又悔,正如生於憂患死於安樂相似,蓋憂苦患難中必悔,悔便是吉之漸,及至吉了,少間便安意肆志,必至作出不好可羞吝底事出來,吝便是凶之漸矣。及至凶矣,又卻悔,只管循環不已,正如剛柔變化,剛了化,化便是柔,柔了變,變便是剛,亦循環不已。

《朱子語類》はいう:吉・凶・悔・吝の四様は循環往復し、周してまた始まる。悔が過ぎればすなわち吉となり、吉が過ぎればすなわち吝となり、吝が過ぎればすなわち凶となり、凶が過ぎればまた悔となる。まさに《孟子》のいう憂患に生まれ安楽に死するが如しである。人は憂苦患難のうちにおいて必ず悔を生じ、悔はすなわち吉に走向する開端である。真に吉となるに及び、久しからずして心安らかになり志が肆になると、必ずまた好ましからぬ羞ずべき吝るべき事を為す。吝はすなわち凶に走向する開端である。真に凶となるに及んで、また悔を生ずる。このように循環して止まず、まさに剛柔の変と化の如しである。剛となれば化し、化すればすなわち柔となる。柔となれば変じ、変ずればすなわち剛となる。これも循環して止まず、永遠にこの圈子の外に転じ出られないのである。

又云:“悔”屬陽,“吝”屬陰,“悔”是逞快作出事來有錯失處,這便生悔,所以屬陽,“吝”是那隈隈衰衰,不分明底,所以屬陰,亦猶驕是氣盈,吝是氣歉。又云:“吉凶者失得之象,悔吝者憂虞之象,變化者進退之象,剛柔者晝夜之象”,四句皆互換往來,吉凶與悔吝相貫,悔自凶而趨吉,吝自言而趨凶,進退與晝夜相貫,進自柔而趨乎剛,退自剛而趨乎柔。

《朱子語類》はまたいう:「悔」は陽に属し、「吝」は陰に属する。「悔」は一時に痛快に事を為して、差錯が出れば、これに悔を生ずる。ゆえに陽に属する。「吝」はあの畏縮して明白ならざる様子である。ゆえに陰に属する。これもまたたとえば驕は気の太り過ぎ、吝は気の足らざるが如しである。またいう:「吉凶者失得之象、悔吝者憂虞之象、変化者進退之象、剛柔者昼夜之象」、この四句はみな彼此交換往来するものである。吉凶と悔吝は相い貫通する。悔は凶のあちらより吉に趨向し、吝は吉のこちらより凶に趨向する(底本は「吉」を「言」と誤る)。進退と昼夜は相い貫通する。進は柔より剛に趨向し、退は剛より柔に趨向する。四句は彼此相い照応し、まさに人事上の吉凶悔吝と天道上の進退昼夜とが、もとは同一の来回复の理であることを見るのである。

趙氏玉泉曰:吉即順理而得之象也,凶即逆理而失之象也,悔即既失之後,困於心,衡於慮,而為憂之象也,吝即未失之先,狃於安,溺於樂,而為虞之象也。何氏楷曰:吉凶悔吝,以卦辭言,失得憂虞,以人事言,上文所謂觀象繫辭以明吉凶者此也。

集説に趙玉泉の言を引く:吉とは、道理に順って得るところあるの象である。凶とは、道理に逆らって失うところあるの象である。悔とは、すでに失ったのちに、心が困頓し思慮が阻まれて憂を生ずるの象である。吝とは、まだ失わない先に、安逸に慣れ享楽に溺れて虞を生ずるの象である。何楷はいう:吉凶悔吝は、卦爻の断語に就いて言う。失得憂虞は、人事に就いて言う。上文のいう観象繋辞して吉凶を阐明するは、まさにこの一層を指すのである。

變化者,進退之象也。剛柔者,晝夜之象也。六爻之動,三極之道也。本義 柔變而趨於剛者,退極而進也,剛化而趨於柔者,進極而退也。既變而剛,則晝而陽矣,既化而柔,則夜而陰矣,六爻初二為地,三四為人,五上為天,“動”,即 則“吉凶”之類,“晝夜”亦“變化”之道。

《繋辞》はいう:変と化は、進と退の象である。剛と柔は、昼と夜の象である。六爻の変動は、天地人三極の道である。朱熹《本義》はいう:柔が変じて剛に趨向するは、退が極りに至ってまた進に転ずる。剛が化して柔に趨向するは、進が極りに至ってまた退に転ずる。すでに変じて剛となれば、白昼にして陽に属す。すでに化して柔となれば、夜晚にして陰に属す。六爻のうち、初爻・二爻は地、三爻・四爻は人、五爻・上爻は天である。「動」とはすなわち——ここに底本に脱文があり、下に残句を接ぐ:すなわち「吉凶」の類に属し、「昼夜」もまた「変化」の理である。

孔氏穎達曰:六爻遞相推動,而生變化,是天地人三才至極之道。蔡氏淵曰:“動”,變易也。“極”者,太極也,以其變易無常,乃太極之道也。“三極”,謂三才各具一太極也,變至六爻,則一卦之體具,而三才之道備矣。

集説に孔穎達の言を引く:六爻は次いで相い推動し、因って変化を生ずる。これがすなわち天・地・人の三才の至極の理である。蔡淵はいう:「動」とはすなわち変易であり、「極」とはすなわち太極である。まさにそれが変易して常なく、一定の形跡がないゆえに、まさに太極の道である。いわゆる「三極」は、天地人の三才がそれぞれ一つの太極を具えることを言う。六爻が備わって変じれば、一卦の形体が完成し、三才の道もまた斉うのである。

吳氏澄曰:“吉凶”“悔吝”,象人事之“失得”“憂虞”,“變化”“剛柔”,象天地陰陽之“晝夜””進退”,是六爻兼有天、地、人之道也。胡氏炳文曰:此曰“三極”,是卦爻已動之後,各具一太極,後曰“易有太極”者,則卦爻未生之先,統體一太極也。俞氏琰曰:“三極之道”,言道之體,“三才之道”,言道之用。何氏楷曰:“變化”“剛柔”,以卦畫言;“進退”“晝夜”,以造化言。“六爻之動”二句,推言變化之故,上文所謂“剛柔相推而生變化”者此也。

集説に呉澄の言を引く:「吉凶」「悔吝」が模擬するは人事上の失得と憂虞であり、「変化」「剛柔」が模擬するは天地陰陽の昼夜と進退である。一頭は人事に繋がり、一頭は天道に繋がる。よく六爻が天・地・人の三方面の理を兼ねることが見える。胡炳文はいう:ここに「三極」を言うは、卦爻がすでに変動したのち、天地人がそれぞれ一つの「太極」を具えることである。後の《繋辞》に「易有太極」と言うは、卦爻がまだ生じない以前、通体統摂してただ一つの太極であることである。一つは分けて見、一つは合わせて見るのである。兪琰はいう:「三極之道」が言うは道の本体であり、「三才之道」が言うは道の功用である。「極」と称するは至極の準則に就いて言い、「才」と称するは物を成す実能に就いて言う。何楷はいう:「変化」「剛柔」は卦画に就いて言い、「進退」「昼夜」は造化に就いて言う。「六爻之動、三極之道也」の二句は、変化の縁由を推し究めたもので、すなわち上文のいう「剛柔相推而生変化」である。

是故君子所居而安者,易之序也。所樂而玩者,爻之辭也。本義 “易之序”,謂卦爻所著事理當然之次第;“玩”者,觀之詳。集說 孔氏穎達曰:若居在《乾》之初九,而安在“勿用”;若居在《乾》之九三,而安在“乾乾”。是以所居而安者,由觀《易》位之次序也。

《繋辞》はいう:それゆえ君子の身を安んじ命を立てて心の安らかなるは、《周易》の顕示する次序であり、心の愛して反復玩味するは、各爻の文辞である。朱熹《本義》はいう:「易之序」とは、卦爻の顕示する事理当然の先後次第を指す。「玩」とは、すなわち細かく見ることである。集説に孔穎達の言を引く:たとえば身《乾》卦の初九の地位に処れば、爻辞のいう「勿用」に安んじ、身《乾》卦の九三の地位に処れば、爻辞のいう「乾乾」に安んず。居るところにして心の安んずる能くするは、《周易》の爻位の次序を看清したによることを見る。

王氏宗傳曰:所謂“易之序”者,消息盈虛之有其時是也。居之而安,則盛行不加,窮居不損,而與易為一矣。所謂“爻之辭”者,是非當否之有所命是也,樂之而玩,則“默而成之,不言而信”而與爻為一矣。

集説に王宗伝の言を引く:いわゆる「易之序」とは、消長盈虚がそれぞれその時あることである。安んじてその中に処りて心安んずれば、それはすなわち《孟子》のいう、志を得て顕達のときもこれによりて増さず、窮困独处のときもこれによりて損なわず、人はすなわち《易》と合して一体となる。いわゆる「爻之辞」とは、是非当否がそれぞれその断定あることである。これを愛して反復玩味すれば、すなわち「黙而成之、不言而信」を為し得て、人はすなわち爻と合して一体となる。

《朱子語類》:問:“所居而安者易之序”也,與“居則觀其象”之“居”不同,上“居”字是總就身之所處而言,下“居”字則靜對動而言。曰:然。問“所居而安者易之序也”。曰:“序”是次序,謂卦爻之初終,如“潛”“見”“飛”“躍”,循其序則安。又問“所樂而玩者爻之辭”。曰:橫渠謂每讀每有益,所以可樂,蓋有契於心,則自然樂。

《朱子語類》に記す:ある人が問うた。「所居而安者易之序也」の「居」と、「居則観其象」の「居」とは同じでない。上の「居」の字は総じて身の処する地位に就いて言い、下の「居」の字は動に対していう静である。朱熹は答えた。そのとおりである。またある人が「所居而安者易之序也」を問うた。朱熹は答えた。「序」とはすなわち次序で、卦爻の初より終に至る先後を指す。たとえば《乾》卦の「潜」「見」「飛」「躍」は、この次序に順って往けば安んずる。また「所楽而玩者爻之辞」を問うた。朱熹は答えた。張載は一遍読むごとに一遍の収益があるので楽しみ得るといった。大凡一処が自己の心と契合すれば、自然に楽しむのである。

俞氏琰曰:“居”以位言,“安”,謂安其分也,“樂”以心言,“玩”謂繹之而不厭也,君子觀易之序而循是理故“安”,觀爻之辭而達是理故“樂”。是故君子居則觀其象而玩其辭,動則觀其變而玩其占,是以自天祐之,吉無不利。本義 象辭變已見上,凡單言“變”者,化在其中。“占”,謂其所值吉凶之決也。此第二章,言聖人作《易》,君子學《易》之事。

集説に兪琰の言を引く:「居」は地位に就いて言い、「安」は自己の本分に安んずることである。「楽」は心に就いて言い、「玩」は反復抽繹して厭かないことである。君子は《周易》の次序を看清してこの理に依循するゆえに安であり、爻の文辞を看清してこの理に通達するゆえに楽である。《繋辞》はいう:それゆえ君子は平居すればすなわち卦爻の象を観てその文辞を玩味し、行動すればすなわち爻の変動を観てその占断を玩味する。それによりて天これを保祐し、吉利にして宜しからざるなし。朱熹《本義》はいう:象・辞・変の三様は上文ですでに言った。およそ単に一つの「変」の字を言うは、「化」がその内に包まれている。「占」とは、遇うところのあの吉凶の断語を指す。以上は第二章で、聖人の《周易》を制作し君子の《周易》を学習するという二つの事を言ったのである。

集說 虞氏翻曰:“以動者尚其變”,占事知來,故“玩其占”也。《朱子語類》:問:“居則觀其象玩其辭,動則觀其變玩其占”,如何?曰:若是理 蔡氏淵曰:觀象玩辭,學《易》也;觀變玩占,用《易》也。學《易》則無所不盡其理,用《易》則唯盡乎一爻之時,居既盡乎天之理,動必合乎天之道,故曰“自天枯之,吉無不利也”。

集説に虞翻の言を引く:《繋辞》に「以動者尚其変」と言うは、事を占問して未来を予知するゆえに「玩其占」というのである。《朱子語類》に記す:ある人が問うた。「居則観其象玩其辞、動則観其変玩其占」とはどう言うか。朱熹は答えた。もし理——ここに底本に脱文がある。蔡淵はいう:観象玩辞は、《易》を学ぶことである。観変玩占は、《易》を用いることである。《易》を学ぶには道理を処処に窮め、《易》を用いるにはただ当下この一爻の時機を窮める。平居のときすでに天理を窮め尽くせば、行動のとき必ず天道に合う。ゆえに「自天祐之、吉无不利」という(底本は「祐」を「枯」と誤る)。

王氏申子曰:平居無事,觀卦爻之象而玩其辭,則可以察吉凶悔吝之故,及動而應事,觀卦之變而玩其占,則可以決吉凶悔吝之幾,故有不動,動無不吉也。胡氏炳文曰:天地間剛柔變化,無一時間,人在大化中,吉凶悔吝,無一息停,吉一而已,凶悔吝三焉,上文示人以吉凶悔吝者,作《易》之事,此獨吉而無凶悔吝者,學《易》之功也。

集説に王申子の言を引く:平常閑居して事なく、卦爻の象を観てその文辞を玩味すれば、すなわち吉凶悔吝の縁由を察知し得る。行動あるに及んで事に応じ、卦の変動を観てその占断を玩味すれば、すなわち吉凶悔吝の苗头を決断し得る。ゆえに君子はあるいは動かず、一たび動けば吉ならざるなし。胡炳文はいう:天地の間の剛柔変化は、一刻の間断もない。人はこの大化流行の中において、吉凶悔吝もまた一息の停歇もない。四様のうち吉はただ一様を占め、凶・悔・吝は三様を占める。上文は吉凶悔吝を人に指示した。あれは《周易》制作の事である。ここにはただ吉があって凶悔吝がない。あれは《周易》学習の功效である。

俞氏琰曰:觀象玩辭,如蔡墨雲在《乾》之《姤》,如莊子云在《師》之《臨》,謂之在者是也,觀變玩占,如陳侯遇《觀》之《否》,晉侯遇《大有》之《睽》,謂之遇者是也。

集説に兪琰の言を引く:観象玩辞は、たとえば《左伝》に蔡墨のいう「在《乾》之《姤》」、荘子のいう「在《師》之《臨》」の如く、およそ一つの「在」の字を用いるはみなこの類に属す。観変玩占は、たとえば陳侯が占して《観》之《否》を得、晋侯が占して《大有》之《睽》を得た如く、およそ一つの「遇」の字を用いるはみなあの類に属す。

總論 孔氏穎達曰:前章言天地“成象”“成形”“簡易”之德,明乾坤之大旨,此章明“聖人設卦觀象”,爻辭占凶悔吝之細別。程子曰:聖人既設卦、觀卦之象而繫以辭,明其吉凶之理;以剛柔相推,而知變化之道。吉凶之生,由失得也;悔吝者,可憂虞也,進退消長,所以成變化也;剛柔相易而成晝夜,觀晝夜則知剛柔之道矣,“三極”,上中下也。極,中也,皆其時中也。“三才”以物言也,“三極”以位言也,六爻之動,以位為義,乃其序也,得其序則安矣,辭以明義,玩其辭義,則知其可樂也,觀象玩辭而通其意,觀變玩占而順其時,動不違於天矣。

総論。孔穎達はいう:前の一章は天地の「成象」「成形」および「簡易」の徳性を言い、乾坤の大旨を阐明した。この一章は「聖人設卦観象」および爻辞のうちの吉凶悔吝の細緻なる分別を阐明する。程頤はいう:聖人はすでに卦を設立し、卦の象を観て文辞を繋ぎ、その中の吉凶の理を阐明する。剛柔の互いの推移によりて、変化の理を知る。吉凶の生ずるは、失あり得あるに由る。悔と吝は、憂え戒惧するに値するものである。進退消長は、まさに変化の形成し得る縁由である。剛柔は互いに交替して昼夜を形成し、昼夜を看清せばすなわち剛柔の理を明白にする。「三極」とはすなわち上・中・下である。極とはすなわち中で、みなそれぞれあの時の中である。「三才」は物に就いて言い、「三極」は位に就いて言う。六爻の変動は、爻位をもって義を取る。それがすなわちその次序である。この次序を得れば、心は安んずる。文辞は義理を阐明するに用い、その辞義を玩味すれば、その中に楽しむべきところあるを知る。観象玩辞してその用意に通暁し、観変玩占してその時機に順応すれば、一挙一動みな天に背かないのである。

何氏楷曰:上章言造化自然之易,為作《易》之本,此章乃言作《易》之旨。案 上章雖言作《易》之源本,然實以明在造化者,無非自然之《易》書,故先儒以為畫前之《易》者此也。此章乃備言作《易》學《易》之事,蓋承上章言之,而為後諸章之綱也。“設卦觀象”,先天之聖人也;“繫辭”而“明吉凶”,後天之聖人也;“剛柔相推而生變化”,申言設卦觀象之事。

何楷はいう:上の一章は造化の自ら然而る《易》を言い、あれは《周易》制作の根本である。この一章はやっと《周易》制作の宗旨を言う。李光地の按:上の一章は《周易》制作の源頭根本を言ったが、その実は造化の中に存するは、一部の自ら然而る《易》書にほかならないことを阐明せんと欲したのである。ゆえに先儒は「画前之易」ありというが、このことを指す。この一章は詳備に《周易》制作と《周易》学習の二つの事を言い、上の一章を承けて言い下し、後の各章の綱領と為すのである。「設卦観象」は、先天の聖人を言う。「繋辞」して「明吉凶」は、後天の聖人を言う。「剛柔相推而生変化」は、設卦観象のこの事を重ねて申すのである。

所象者或為人事之“失得”“憂虞”,或為天道之“進退”“晝夜”,極而至於天地人之至理,莫不包涵統具於其中,此辭所由繫而占所由生也;“居而安”者,以身驗之;“樂而玩”者,以心體之,在平時則為觀象玩辭之功,在臨事則為觀變玩占之用,此所謂奉明命以周旋,述天理而時措者也。“自天祐之,吉無不利”,學《易》之效,至於如此。

李光地は続けていう:その模擬する対象は、あるいは人事上の失得と憂虞、あるいは天道上の進退と昼夜である。極処に推せば、天・地・人の三者の至理で、包摂統摂されないものは一つもない。これが文辞の繋がるべき所以、占断の生ずる所以の縁故である。「居而安」は、自身をもってそれを印証することであり、「楽而玩」は、心をもってそれを體會することである。平常のときにおいては観象玩辞の功夫であり、事に臨むときにおいては観変玩占の運用である。これがいわゆる上天の明命を奉じて周旋応対し、天理を遵循して時に随って安排するのである。「自天祐之、吉无不利」、《易》を学ぶ功效は、ついにこの地步に至ったのである。

繋辞上伝 第三章 彖者言乎象

彖者,言乎象者也。爻者,言乎變者也。本義 “彖”,謂卦辭,文王所作者。“爻”,謂爻辭,周公所作者。“象”,指全體而言,“變”,指一節而言。集說 虞氏翻曰:“八卦以象告”,故言乎象也,爻有六畫,九六變化,故言乎變者也。項氏安世曰:彖辭所言之象,即下文所謂“卦”也,爻辭所言之變,即下文所謂“位” 吉凶者,言乎其失得也。悔吝者,言乎其小疵也。無咎者,善補過也。

《繋辞》はいう:彖辞は卦象を言い、爻辞は変動を言う。朱熹《本義》はいう:「彖」は卦辞を指し、文王の作である。「爻」は爻辞を指し、周公の作である。「象」は一卦の全体に就いて言い、「変」はその中の一節に就いて言う。集説に虞翻の言を引く:《繋辞》に「八卦以象告」というゆえに、彖辞は象を言うという。爻に六画あり、用九用六はそれぞれ変化あるゆえに、爻辞は変を言うという。項安世はいう:彖辞の言う象は、すなわち下文のいう「卦」である。爻辞の言う変は、すなわち下文のいう「位」である——ここに底本に脱文がある。以下は《繋辞》の原文である:吉と凶は、事の失と得を言う。悔と吝は、事の小疵を言う。无咎は、善く過を補うを言う。

本義 此卦爻辭之通例。集說 崔氏憬曰:《繫辭》著悔吝之言,則異凶咎,若疾病之與小疵。楊氏萬里曰:言動之間,盡善之謂得,不盡善之謂失,小不善之謂疵,不明乎善而誤入乎不善之謂過,覺其小不善,非不欲改,而已無及,於是乎有悔,不覺其小不善,猶及於改,而不能改,或不肯改,於是乎有吝,吾身之過,猶吾衣之破也,衣有破,補之斯全,身有過,補之斯還,還者何,復之於善也,補不善而復之於善,何咎之有。

朱熹《本義》はいう:これは卦辞爻辞の通例である。集説に崔憬の言を引く:《繋辞》が悔と吝の二字を書き下したは、凶と咎とは異なる。たとえば重病と小毛病の分別の如しである。楊万里はいう:言語行動の間において、十分に完善を成し遂げるを得と呼び、完善を成し得ぬを失と呼び、稍やかに不善あるを疵と呼び、何が善なるかを弄清せずして誤って不善に入るを過と呼ぶ。自己のあの不善を察覚し、改めんと欲しないにあらざれども、すでに及ばず、ここに悔がある。あの不善を察覚せず、もともと改めるに及ぶべくもあれど、改め得ず、あるいは改めるを肯ぜず、ここに吝がある。我が身の過失は、たとえば我が衣裳の破洞の如しである。衣裳が破れれば、補えばすなわち完整となる。身に過あれば、補えばすなわち戻る。何れのところに戻るか。善の上に戻るのである。不善を補い止めて善の上に戻れば、なお何の過咎あらん。

蔡氏淵曰:“吉凶”“悔吝”“無咎”,即卦與爻之斷辭也。“失得”者,事之已成著者也。“小疵”者,事之得失未分,而能致得失者也。“善補過者”,先本有咎,修之則可免咎也。胡氏炳文曰:前章言卦爻中“吉凶”“悔吝”之辭,未嘗及無咎之辭,此章方及之,大抵不貴無過而貴改過,“無咎者,善補過也”,聖人許人自新之意切矣。張氏振淵曰:“失得”指時有消息,位有當否說,“小疵”兼兩意,向於得而未得,尚有“小疵”則悔,向於失而未失,已有“小疵”則吝。

集説に蔡淵の言を引く:「吉凶」「悔吝」「无咎」は、みな卦と爻の断語である。「失得」とは、事がすでに成形顕露したるを指す。「小疵」とは、事の得失がまだ分暁せざるも、得失を招き致すに足るあの一点の苗头を指す。「善補過」とは、もとより本より咎ありて、修治を加えれば過咎を免れ得ることである。胡炳文はいう:前の一章は卦爻の中の吉凶悔吝の断語を言い、「无咎」のこの断語に言及せず。この一章に至ってやっとそれを言う。大体、過失なきをもって貴しとせずして、能く過を改むるをもって貴しとする。「无咎者、善補過也」、聖人の人に自新を許す用心は、何と懇切なることか。張振淵はいう:「失得」は、時機に消あり長あり、爻位に当あり不当あることに就いて言う。「小疵」は両層の意思を兼ねる。得に偏向していまだ得ざるにして、なお一点の小毛病を存するは、すなわち悔である。失に偏向していまだ失わざるにして、すでに一点の小毛病を有するは、すなわち吝である。

是故列貴賤者存乎位,齊小大者存乎卦,辨吉凶者存乎辭。本義 “位”,謂六爻之位。“齊”,猶定也。“小”謂陰,“大”謂陽。集說 王氏肅曰:“齊”,猶正也。陽卦大,陰卦小,卦列則“小大”分,故曰“齊小大者,存乎卦”也。張氏浚曰:卦之所設,本乎陰陽,陰小陽大,體固不同,而各以所遇之時為正,陽得位則陽用事,陰得位則陰用事,“小大”之理,至卦而齊。

《繋辞》はいう:それゆえ貴賤を排列するは爻位に在り、小大を判定するは卦に在り、吉凶を分辨するは文辞に在る。朱熹《本義》はいう:「位」は六爻の位次を指す。「斉」は定に等しい。「小」は陰を指し、「大」は陽を指す。集説に王粛の言を引く:「斉」は正に等しい。陽卦を大と為し、陰卦を小と為す。卦が一たび排列し出されれば、孰が小なるか孰が大なるかが分清する。ゆえに「斉小大者存乎卦」という。張浚はいう:卦の設立は、根本を陰陽とする。陰小陽大にして、両者の体質はもともと同じからざるも、各々その遇うところの時機をもって正と為す。陽が位を得れば陽によりて事に当たり、陰が位を得れば陰によりて事に当たる。小と大の理は、一たび卦に至れば判定斉整し、必ずしも更にその本身の大小を問わざるなり。

《朱子語類》:問:上下貴賤之位何也。曰:二四則四貴而二賤,五三則五貴而三賤,上初則上貴而初賤,上雖無位,然本是貴重,所謂“貴而無位,高而無民”,在人君則為天子父,為天子師,在他人則清高而在物外不與事者,此。所以為貴也。

《朱子語類》に記す:ある人が問うた。上下貴賤の位次はどのように分かれるか。朱熹は答えた。二と四とを比すれば、四は貴にして二は賤である。五と三とを比すれば、五は貴にして三は賤である。上と初とを比すれば、上は貴にして初は賤である。上爻は職位なきも、その本身は貴重なり。すなわち《乾》卦《文言》のいう「貴而无位、高而无民」である。このような人は、君主の家においては天子の父・天子の師であり、他人においては清高自守して事外に身を置き世事に干与せざる人である。ゆえに貴と算作するのである。

王氏申子曰:“列”,分也。陽貴陰賤,上貴下賤,亦有貴而無位,有位而在下者,故曰“列貴賤者,存乎位。 ”“位”者,六爻之位也。“齊”,均也。陽大陰小,陽卦多陰,則陽為之主,陰卦多陽,則陰為之主,雖“小大”不齊,而得時為主則均也,故曰“齊小大者存乎卦”。“卦”者,全卦之體也。“辨”,明也。辨一卦一爻之吉凶者,“辭”也,故曰“辨吉凶者存乎辭”。

集説に王申子の言を引く:「列」とはすなわち分である。陽貴陰賤、上貴下賤である。身分は貴重にして職位なき者あり、職位ありても下に処る者あり。ゆえに「列貴賤者存乎位」という——「位」とはすなわち六爻の位次である。「斉」とはすなわち均である。陽大陰小である。陽卦のうちに陰爻多きは、震・坎・艮の如くみな一陽二陰にして、すなわちあの一陽によりて主を為す。陰卦のうちに陽爻多きは、巽・離・兌の如くみな一陰二陽にして、すなわちあの一陰によりて主を為す。小と大は参差不斉なれども、ただ時機を得て主を為せば、すなわち同じなり。ゆえに「斉小大者存乎卦」という——「卦」とは、全卦の形体である。「辨」とはすなわち明である。一卦一爻の吉凶を辨明するは、文辞に頼る。ゆえに「辨吉凶者存乎辞」という。

憂悔吝者存乎介,震無咎者存乎悔。本義 “介”,謂辨別之端,蓋善惡已動而未形之時也,於此憂之,則不至於“悔吝”矣。震,動也,知悔,則有以動其補過之心,而可以無咎矣。韓氏伯曰:“介”,纖介也。王弼曰:“憂悔吝”之時,其介不可慢也,即“悔吝者,言乎小疵也”。

《繋辞》はいう:悔と吝を憂えるは、あの一点の極細微の端倪に着落する。震動して无咎を求むるは、一つの悔の字に着落する。朱熹《本義》はいう:「介」とは、善悪を分辨するあの開端を指し、すなわち善悪がすでに萌動していまだ成形せざるときである。このときにおいて先んじてそれを憂えれば、悔と吝に落るに至らない。「震」は動である。悔を知れば、すなわち自己の過を補う心を鼓動起こし得て、因って无咎たり得る。集説に韓康伯の言を引く:「介」は纎細微小である。王弼はいう:まさに悔吝を憂うべきとき、あの一点の細微の苗头は軽忽すべからず。すなわち「悔吝者、言乎小疵也」の意である。

程子曰:以悔吝為防,則存意於微小,震懼而得無咎者以此。《朱子語類》:問:“憂悔吝者存乎介”,悔吝未至於吉凶,是乃初萌動,可以向吉凶之微處,介又是悔吝之微處,“介”字如界至界限之界,是善惡初分界處,於此憂之,則不至於悔吝矣。曰:然。

集説に程頤の言を引く:悔と吝をもって防ぐべきものと為せば、心思を極微小の処に用いる。震懼警惕によりて无咎を得るは、まさにこれに憑る。《朱子語類》に記す:ある人が問うた。「憂悔吝者存乎介」——悔と吝はまだ吉凶の地步に至らず、ただ剛に萌動するのみで、吉に走向することも可なれば凶に走向することも可なるあの微処である。そして「介」はまた悔と吝の更に微細なるあの一点である。「介」の字は界至・界限の界の如く、善悪の剛に分かれたるあの一道の界線である。ここにおいて先んじてそれを憂えれば、悔と吝に落るに至らない。朱熹は答えた。そのとおりである。

邱氏富國曰:此章就吉凶悔吝上,添入“無咎”說,既欲人於悔吝上著力,尤欲人於介上用功,蓋人知悔,則以善補過而“無咎”,雖未至吉,亦不至凶也。若又於悔吝之介憂之,則但有吉而已,所謂“幾者動之微,而吉之先見者也”,並悔吝亦皆無矣。

集説に邱富国の言を引く:この一章は吉凶悔吝の外に、また「无咎」の一層を添えて言う。人をして悔吝の上に着力せしめんと欲し、更に人をしてあの一点の端倪の上に用功せしめんと欲す。人はただ悔を知れば、すなわち善をもって過を補いて「无咎」たり得、まだ吉に至らざるも、凶に落るに至らざるなり。もしまた悔吝の剛に起るあの一点の端倪の上に先んじて憂え得れば、すなわち吉のみ残るなり。これがすなわち《繋辞下伝》のいう「幾者動之微、吉之先見者也」で、悔と吝をも一倂せずして無くなるのである。

吳氏澄曰:“列貴賤者存乎位”,覆說“爻者言乎變”。“齊小大者存乎卦”,覆說“彖者言乎象”。分辨吉凶,存乎彖爻之辭,覆說“言乎其失得也”。悔吝介乎吉凶之間,憂其介,則趨於吉不趨於凶矣。覆說言乎其小疵也。震者,動心戒懼之謂,有咎而能戒懼,則能改悔所為,而可以無咎,覆說“善補過也”。

集説に呉澄の言を引く:「列貴賤者存乎位」は、回頭して「爻者言乎変」を申説する。「斉小大者存乎卦」は、回頭して「彖者言乎象」を申説する。吉凶を分辨して彖辞爻辞に落着するは、回頭して「言乎其失得也」を申説する。悔と吝は吉と凶の中間に挟まり、能くあの一点の端倪の上に先んじて憂えれば、吉に趨向して凶に趨向せず。これは回頭して「言乎其小疵也」を申説する。「震」は心の震動して戒慎恐懼の意である。過咎ありて能く戒慎恐懼すれば、すなわち自己の作為を改悔し得て、因って无咎たり得る。これは回頭して「善補過也」を申説する。

繋辞上伝 第三章(続)

趙氏玉泉曰:“介”在事前,“悔”在事後。汪氏砥之曰:《易》凡言“悔”“吝”,即寓“介”之意,言“無咎”,即寓“悔”之意,“憂”“盱”“豫”之悔,存乎遲速之“介”也,憂“即鹿”之“吝”,存乎“往舍”之介也,震“甘臨”之“無咎”,存乎“憂”而“悔”也,震“頻復”之“無咎”,存乎“厲”而“悔”也。

「集説」に趙玉泉の言を引く:「介」は事の発生する前に用い、幾微を辨明して分寸を守るものである。「悔」は事の做し誤りたる後に用い、回頭して追改するものである。「集説」にまた汪砥之の言を引く:《周易》およそ「悔」「吝」を言う処は、内に「介」の意を寄寓する。およそ「无咎」を言う処は、内に「悔」の意を寄寓する。《豫》卦の六三「盱豫」の生ずる悔は、関鍵を動作の遅速の間のあの一点の「介」に在り——分辨の早きはすなわち事なく、張望遅疑すればすなわち悔を生ず。《屯》卦の六三「即鹿无虞」の「吝」を憂えるは、関鍵もまた「往」と「舎」との間のあの一点の「介」に在り。《臨》卦の六三「甘臨」が心存震懼によりて「无咎」を得るは、先んじて「憂」えて後に「悔」いるに頼る。《復》卦の六三「頻復」が心存震懼によりて「无咎」を得るは、自ら処境の危「厲」を知りて「悔」を生ずるに頼る。

是故卦有小大,辭有險易,辭也者,各指其所之。本義 “小”險“大”易,各隨所向。此第三章,釋卦爻辭之通例。集說 《朱子語類》云:“卦有小大”,看來只是好底卦便是大,不好底卦便是小。如《復》如《泰》,如《大有》如《夬》之類,盡是好底卦;如《睽》如《困》如《小過》之類,盡是不好底。所以謂“卦有小大,辭有險易”,大卦辭易,小卦辭險,即此可見。

《繋辞》はいう:それゆえ卦に小卦大卦の分別あり、辞に険辞易辞の分別あり。いわゆる「辞」は、各々この一卦一爻の趨向する去処を指示する。朱熹《本義》はいう:「小」の一辺は辞多く険にして、「大」の一辺は辞多く易なり。各々その趨向する方向に随いて定まる。これは第三章で、卦辞爻辞の通例を解釈する。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:いわゆる「卦有小大」は、見ればただ好き卦をもって「大」と算し、好ましからざる卦をもって「小」と算するのみ。《復》《泰》《大有》《夬》の類は、みな好き卦である。《睽》《困》《小過》の類は、みな好ましからざる卦である。ゆえに「卦有小大、辞有険易」という——大卦の辞は平易にして、小卦の辞は険峻なり。ここより看取し得る。

項氏安世曰:貴賤以位言,小大以材言,卦各有主,主各有材,聖人隨其材之大小,時之難易,而命之辭,使人之知所適從也。潘氏夢旂曰:卦有小有大,隨其消長而分,辭有險有易,因其安危而別。辭者各指其所向,凶則指其可避之方,吉則指其可趨之所,以示乎人也。

「集説」に項安世の言を引く:前文に「貴賤」を言うは、爻位の高下に就いて言う。ここに「小大」を言うは、卦体の材質に就いて言う。毎一卦にみな主を為す爻あり、毎一の卦主にまた各々その材質あり。聖人は材質の大小・時勢の難易に依ってそれに辞を繋ぎ、人をして何れのところに往くべきかを知らしむ。「集説」に潘夢旂の言を引く:卦を小卦大卦に分かつは、陰陽の消退生長に随いて画分する。辞を険辞易辞に分かつは、処境の安危に按じて区別する。いわゆる「辞」は、各々その趨向する方向を指出する。凶に遇えばすなわち避くべき路を指明し、吉に遇えばすなわち赴くべき地を指明し、これをもって世人に昭示する。

吳氏澄曰:上文有“貴賤”“小大”,此獨再提“卦有小大”,蓋卦彖為諸辭之總也。蔡氏清曰:據本章通例看,此條卦字辭字,皆兼爻說。

「集説」に呉澄の言を引く:上文にすでに「貴賤」「小大」を提げたるに、ここに却って単々再び一句「卦有小大」を提ぐるは、それは一卦の「彖辞」が全卦の各条の辞の総綱たるによる。ゆえに専門に標挙するを要す。「集説」に蔡清の言を引く:本章に通例を言う口気に按ずれば、この一条のうちの「卦」の字と「辞」の字は、みな爻に連ねて一倂に言うもので、ならずして専ら卦を指すにあらず。

案 此章申第二章“吉凶者失得之象也”一節之義,首言彖爻者,吉凶悔吝之辭,彖爻皆有之也,吉凶則已著,故直言其失得而已,悔吝則猶微,故必推言其“小疵”也,

李光地の按:この一章は第二章の「吉凶者失得之象也」のあの一節の意を申説する。冒頭に「彖」と「爻」を言うは、吉・凶・悔・吝のこの幾種の断語が、「彖辞」と「爻辞」のうちにみなあるを言う。吉凶の両項はすでに顕露成形せるゆえに、ただ直截にそれらを「失」なるか「得」なるかを言い出す。悔吝の両項はなお細微の階段に処るゆえに、必ず深処に推して言い、それらがただ「小疵」——小さな毛病に過ぎざるを点出するを要す。ここに底本に脱文あり、按語は説き終えず。

繋辞上伝 第四章

《易》與天地準,故能彌綸天地之道。本義 《易》書卦爻,具有天地之道,與之齊準。“彌”,如彌縫之彌,有終竟聯合之意。“綸”,有選擇條理之意。集說 韓氏伯曰:作《易》以準天地。孔氏穎達曰:言聖人作《易》,與天地相準,謂準擬天地,則乾健以法天,坤順以法地之類是也。

《繋辞》はいう:《周易》は天地と相斉ぎ相い准ずるゆえに、能く「弥綸」天地の道を為す。朱熹《本義》はいう:《周易》のこの書の卦爻は、天地の道を完整に具備し、天地と斉平に相准ずる。「弥」は「弥縫」の弥の如く、頭より尾に至るまで聯結縫合して缺口を留めざるの意あり。「綸」は条分縷析して頭緒を揀択出だすの意あり。「集説」に韓康伯の言を引く:《周易》を作るは、まさにこれをもって天地と相准ぜんとするなり。「集説」に孔穎達の言を引く:これは聖人の《周易》を作るに、天地と互いに斉准するを言う。すなわち天地に比擬する——たとえば「乾」は剛健を取りて天を効法し、「坤」は柔順を取りて地を効法する如く、みなこの類に属す。

蘇氏軾曰:“準”,符合也。“彌”,周浹也。“綸”,經緯也。所以與“天地準”者,以能“知幽明之故”,”死生之說”,“鬼神之情狀”也。王氏宗傳曰:天地之道,即下文所謂“一陰一陽”是也。是道也,其在天地,則為“幽明”,寓於始終,則為“生死”,見於物變,則為“鬼神”。

「集説」に蘇軾の言を引く:「准」は符合であり、「弥」は周遍浸潤であり、「綸」は織布するが如くに経緯交織するなり。《周易》の能く天地と相准ずる所以は、すなわち能く「知幽明之故」・「死生之説」・「鬼神之情状」を知るに在り。「集説」に王宗伝の言を引く:いわゆる天地の道とは、すなわち下文のいう「一陰一陽」である。この道は、天地に顕現して「幽」と「明」と成り、事物の開端と終結に寄託して「生」と「死」と成り、万物の変化に表れて「鬼」と「神」と成る。

《朱子語類》云:凡天地間之物,無非天地之道,故《易》能“彌綸天地之道”。“彌”如卦彌之彌,糊合使無縫罅。“綸”如綸絲之綸,自有條理,言雖是彌得外面無縫罅,而中則事事物物,各有條理,“彌”而非“綸”,而空疏無物,“綸”而非“彌”,則判然不相干。此二字,見得聖人下字甚密也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:およそ天地の間の物は、天地の道ならざるものは一様もない。ゆえに《周易》は能く「弥綸天地之道」を為す。「弥」はたとえば裱糊のときの弥補の如く、縫隙を糊合して、外面に一絲の裂口をもなからしむ。「綸」はたとえば理糸のときの抽繹の如く、自然にその条理あるなり。これは言う:弥をもって外面に縫隙なからしめども、内面の毎一の事・毎一の物はまた各々その条理あるなり。ただ「弥」にして「綸」なからば、空空蕩蕩にして内に内容なからん。ただ「綸」にして「弥」なからば、一條一條彼此隔絶して互相干せざらん。この二字の上より、聖人の字を下すや何と厳密なるかを看取し得る。

胡氏炳文曰:此“易”字,指《易》書而言,書之中具有天地之道,本自與天地相等,故於天地之道,“彌”之則是合萬為一,渾然無欠,“綸”之則一實萬分,粲然有倫。

「集説」に胡炳文の言を引く:ここの「易」の字は《周易》のこの書を指す。書のうちに天地の道を完整に具備して、もともと天地と相等し。ゆえに天地の道に対して、「弥」に之を為せば、すなわち千頭万緒を合成して一個の整体と為し、渾然一片にして欠缺なし。「綸」に之を為せば、すなわち一個の実理を分成して千万の條目と為し、條條分明にして各々次序あるなり。

案 此下三節,朱子分為“窮理”“盡性”“至命”者極確,然須知非有《易》以後,聖人方用《易》以窮之盡之至之,《易》是聖人窮理盡性至命之書,聖人全體易理,故言易窮理盡性至命,即是言聖人也。 “《易》與天地準”,“與天地相似”,“範圍天地之化而不過”,此三句當為三節冠首,第二第三節不言《易》者,蒙第一節文義。

李光地の按:底下のこの三節は、朱熹はそれぞれ「窮理」「尽性」「至于命」に配分し、分ること極めて准確なり。ただ知るべきは、《周易》のこの書を先に有せしにあらずして、聖人やっとこれをもって窮理・尽性・至命に往かしめたのにあらず。《周易》はもともと聖人の窮理尽性至命の産物にして、聖人の整个の身心はすなわち易理の體現なり。ゆえに《易》の能く窮理尽性至命するを言うは、すなわち聖人その身を言うに等しい。「《易》与天地准」「与天地相似」「範囲天地之化而不過」の三句は、当に分かれて三節の冒頭と為すべし。第二节・第三节に再び「易」の字を出さざるは、第一节の文義を承けて省略したるなり。

仰以觀於天文,俯以察於地理,是故知幽明之故。原始反終,故知死生之說。精氣為物,游魂為變,是故知鬼神之情狀。本義 此窮理之事。“以”者,聖人以《易》之書也。“易”者,陰陽而已,“幽明”“死生”“鬼神”,皆陰陽之變,天地之道也。“天文”則有晝夜上下,“地理”則有南北高深,“原”者,推之於前。“反”者,要之於後,陰精陽氣,聚而成物,“神”之伸也,魂遊魄降,散而為變,“鬼”之歸也。

《繋辞》はいう:頭を擡げて天上の文象を観察し、頭を低れて地上の文理を審視し、因って幽と明の緣故を知る。万物の開端を推し究め、回頭してその終結に収束し、因って死と生の道理を知る。精と気と聚合して物と成り、魂は体を離れ游散して変化を生じ、因って鬼神の情状を知る。朱熹《本義》はいう:この一節は「窮理」の事を言う。「以」の字は、聖人が《周易》のこの書を用いて観・察に往くを言う。いわゆる「易」は、陰陽の二字に過ぎず。「幽明」「死生」「鬼神」は、みな陰陽の変化にして、すなわち天地の道なり。「天文」のうちには昼夜の更替・上下の高低あり、「地理」のうちには南北の方位・高深の形勢あり。「原」は往前してその起点を推求し、「反」は回頭してその終点に収束するなり。陰の精と陽の気と聚合して一物と成るは、「神」の伸展なり。魂は飛散して魄は下降し、散開して変化を生ずるは、「鬼」の帰返なり。

集說 韓氏伯曰:“幽明”者,有形無形之象,“死生”者,始終之數也。蘇氏軾曰:“鬼”常與體魄俱,故謂之“物”,“神”無適而不可,故謂之“變”,精氣為魄,魄為鬼,志氣為魂,魂為神。

「集説」に韓康伯の言を引く:いわゆる「幽明」とは、すなわち无形と有形のこの二種の象なり。いわゆる「死生」とは、すなわち開端と終結のこの両頭の定数なり。「集説」に蘇軾の言を引く:「鬼」は総じて形体魂魄と倶に在るゆえに、これを「物」と称す。「神」は往かずして到らざるなきゆえに、これを「変」と称す。精と気と結成して魄と為り、魄はすなわち鬼なり。志と気と結成して魂と為り、魂はすなわち神なり。

《朱子語類》:問:“原始反終故知死生之說”。曰:人未死,如何知得死之說,只是原其始之理,將後面折轉來看,便見得,以此之有,知彼之無。又云:魄為鬼,魂為神,《禮記》有孔子答宰我問,正說此理甚詳。宰我曰:吾聞鬼神之名,不知其所謂。子曰:氣也者,神之盛也。魄也者,鬼之盛也。合鬼與神,教之至也,注,氣,謂噓吸出入者也,耳目之聰明為魄。《雜書》云:魂,人陽神也。魄,人陰神也。亦可取。

「集説」に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「原始反終故知死生之説」はどう言うか。朱熹は答えた。人はまだ死なざるに、どうして死はどんな様子かを知らん。ただ「生」の起点はどんな道理かを推し究め、再把びこの道理を倒転して後面を見れば、すなわち明白——この一頭の「有」より、あの一頭の「無」を推知する。朱熹はまたいう:魄は鬼にして、魂は神なり。《礼記・祭義》に孔子の宰我に答えたる一段、この道理を言うこと最も詳細なり。宰我はいう:我は鬼神のこの名目を聞きたれども、それが何を指すかを解せず。孔子はいう:気とは、神の旺盛の状態なり。魄とは、鬼の旺盛の状態なり。鬼と神とを合わせて言うは、教化の極致なり。鄭玄の注はいう:気とは呼吸出入のあの一口の気を指し、耳聡目明のあの種の知覚はすなわち魄なり。《雑書》にいう:魂は人の身上の陽神にして、魄は人の身上の陰神なり。この説法もまた採用すべし。

陳氏淳曰:人生天地間,得天地之氣以為體,得天地之理以為性。原其始而知所以生,則要其終而知所以死,古人謂得正而斃,謂“朝聞道夕死可矣”,只緣受得許多道理,須知得盡得便自無愧,到死時亦只是這二五之氣,聽其自消化而已,所謂安死順生,與天地同其變化,這個便是與造化為徒。

「集説」に陳淳の言を引く:人は天地の間に生まれ、天地の気を禀受して形体と成り、天地の理を禀受して本性と成る。開端を推し究めて、自己はどのように生まれたるかを明白にすれば、また終結に収束して、自己はどのように死すべきかを明白にし得るなり。古人は《礼記》に曾子の「得正而斃」を言い、《論語》に孔子の「朝聞道夕死可矣」を言う。まさに人がこの許多の道理を身に受けたるによりて、必ず透るまで知り尽くるまで為して、やっと心に愧なく問い得るなり。死のときに至れば、もって陰陽二気と五行の気の散開するに過ぎず、それに聴任して自然に消融するのみなり。これがいわゆる安然として死に対待し、理に順って生に対待し、天地と倶に変化するは、すなわち造化と同伴と結ぶなり。

又曰:陰陽二氣會在吾身之中為鬼神,以寤寐言,則寤屬陽,寐屬陰,以語默言,則語屬陽,默屬陰,及動靜進退行止等,分屬皆有陰陽,凡屬陽者皆為魂為神,凡屬陰者皆為魄為鬼。真氏德秀曰:人之生,精與氣合,精屬陰,氣屬陽,精則魄也,目之所以明,耳之所之聰。氣亢乎體,凡人心之能思慮知識,身之能舉動勇決,此之謂魂,神指魂而言,鬼指魄而言。

「集説」にまた陳淳の言を引く:陰陽二気は人の身の中に会聚するは、すなわち鬼神なり。醒と睡に就いて言えば、醒は陽に属し、睡は陰に属す。説話と沈黙に就いて言えば、説話は陽に属し、沈黙は陰に属す。動と静・進と退・行と止などに至りて、分けて配するも、また各々陰陽あるなり。およそ陽に属する一辺はみな魂と算し神と算し、およそ陰に属する一辺はみな魄と算し鬼と算す。「集説」に真徳秀の言を引く:人の出生は、精と気の結合にして、精は陰に属し、気は陽に属す。精はすなわち魄にして、眼の能く明らかに見、耳の能く聡く聴くは、それに頼るなり。気は形体の中に充満し、およそ心の能く思慮辨識し身の能く挙動果決するは、これを魂と呼ぶ。いわゆる「神」は、魂に就いて言う。いわゆる「鬼」は、魄に就いて言う。

胡氏炳文曰:《易》不曰陽陰而曰陰陽,此所謂“幽明”“死生”“鬼神”,即陰陽之謂也,即天地而“知幽明之故”,即始終而“知死生之說”,即散聚而“知鬼神之情狀”,皆“窮理”之事也。林氏希元曰:“幽明之故”,“死生之說”,“鬼神之情狀”,其理皆在於《易》。故聖人用《易》以窮之也,然亦要見得為聖人窮理盡性之書爾,非聖人真個即《易》而後“窮理盡性”也。鄭氏維嶽曰:原人之所以始,全而生之,即反其所以終,全而歸之。

「集説」に胡炳文の言を引く:《周易》は「陽陰」と言わずして「陰陽」と言う。ここに言う「幽明」「死生」「鬼神」は、言うところはまさに陰陽なり。天地に就いて「知幽明之故」、始終に就いて「知死生之説」、聚散に就いて「知鬼神之情状」、これらはみな「窮理」の工夫に属す。「集説」に林希元の言を引く:「幽明之故」「死生之説」「鬼神之情状」、それらの道理はみな《周易》のうちに在るゆえに、聖人は《周易》を用いてそれらを窮究したると言う。ただしまた看清すべきは、これはただ《周易》が聖人の窮理尽性の書なるを言うのみで、聖人が真に先ず一部の《周易》を擺上して、のちにやっと「窮理尽性」し得るにあらず。「集説」に鄭維嶽の言を引く:人の開始ある所以を推し究めれば、すなわち完完整整にこの条の命を生じ来らせる。すなわち回頭して人の終結ある所以を見れば、すなわち完完整整にそれを交還し去るなり。

與天地相似,故不違。知周乎萬物而道濟天下,故不過。旁行而不流,樂天知命,故不憂。安土敦乎仁,故能愛。本義 此聖人盡性之事也,天地之道,知仁而已,知周萬物者,天也。道濟天下者,地也。“知”且“仁”,則知而不過矣。“旁行”者,行權之知也。“不流”者,守正之仁也。既樂天理,而又知天命,故能無憂而其知益深,隨處皆安而無一息之不仁,故能不忘其濟物之心,而仁益篤。蓋仁者愛之理,愛者仁之用,故其相為表裡如此。

《繋辞》はいう:天地と相似るゆえに天地に違わず。智慧は万物に周遍して道は天下を救済するに足るゆえに、過失あることなし。旁通四達にして苟且に流れず、天理を楽しみてまた天命に通暁するゆえに、憂懼なし。処るところの境地に安んじて仁に篤厚なるゆえに、人を愛し物を愛する能くす。朱熹《本義》はいう:この一節は聖人の「尽性」の事を言う。天地の道は、「知」と「仁」の二字に過ぎず。智慧が万物に周遍するは、あれは天の一面なり。道が天下を救済し得るは、あれは地の一面なり。すでに「知」ありてまた「仁」あれば、すなわち知るところは偏差なからん。「旁行」は権変を懂る智慧にして、「不流」は正道を守定する仁なり。すでに天理を楽しみて、また天命に通暁するゆえに、能く憂懼なからしめて、智慧はいよいよ深透なり。随所にてみな安頓して一刻も仁のうちに在らざるなきゆえに、万物を救済する心を忘掉せずして、仁はいよいよ篤実なり。仁は愛の道理にして、愛は仁の発用なり。ゆえに両者は互いに表裏と為すことこの地步なり。

集說 韓氏伯曰:德合天地,故曰相似。《朱子語類》云:“與天地相似故不違”,下數句是說與“天地相似”之事。胡氏炳文曰:上文言“易與天地準”,此言“與天地相似”。“似”即”準”也,知似天,仁似地,有周物之知,而實諸濟物之仁,則其知不過,有行權之知,而本諸守正之仁,則其知不流,至於“樂天知命”,而知之跡已泯,安土敦仁,而仁之心益著。此其知仁所以“與天地相似而不違”,盡性之事也。

「集説」に韓康伯の言を引く:徳行が天地に合すゆえに、これを「相似」と呼ぶ。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「与天地相似故不違」は総冒の一句にして、下面の幾句はみな「天地相似」の具体内容を言う。「集説」に胡炳文の言を引く:上文に「易与天地准」と言い、ここに「与天地相似」と言う。「似」とはすなわち「准」なり。智慧は天に象り、仁徳は地に象る。万物に周遍する智慧ありて、また万物を救済する仁を用いてそれを実処に落着せしめれば、すなわちこの智慧は過差なからん。権変を懂る智慧ありて、また正を守る仁をもって根本と為せば、すなわちこの智慧は流蕩なからん。「楽天知命」の地步に至れば、智を用うる痕跡はすでに消融したり。「安土敦仁」の地步に至れば、仁を行う心はいよいよ顕明なり。これがすなわち聖人の知と仁の能く「与天地相似而不違」たる所以、まさに「尽性」の工夫なり。

俞氏琰曰:與天地相似者,《易》似天地,天地似《易》,彼此相似也。案 知周萬物,義之精也,然所知者皆濟天下之道而不過,義合於仁也。旁行泛應,仁之熟也,然所行者皆合中正之則而不流,仁合於義也,樂玩天理,故所知者益深。達乎命而不憂,安於所處,故所行者益篤。根於性而能愛,所謂樂天之志,憂世之誠,並行不悖者,乃仁義合德之至也,若以旁行為知亦可,但恐於行字稍礙:

「集説」に兪琰の言を引く:いわゆる「与天地相似」とは、《周易》が天地に象り、天地もまた《周易》に象り、彼此互いに肖似するなり。李光地の按:智慧が万物に周遍するは、「義」の精細なること家に到ったなり。しかし知るところはまたみな天下を救済する道理にして過ぎず、これはすなわち義と仁と相合なり。旁通四達して広く応接するは、「仁」の純熟なること家に到ったなり。しかし行うところはまたみな中正の法則に合して流蕩せず、これはすなわち仁と義と相合なり。天理を楽しく玩味するゆえに、知るところはいよいよ深く。天命に通達して憂懼せず、自己の処する地位に安んずるゆえに、行うところはいよいよ篤実なり。本性に根植する因りて能く人を愛し物を愛するなり。いわゆる楽天の志向と憂世の誠心と並行して相い衝突せずは、まさに仁義徳に合する極致なり。もし「旁行」をも智の一面と算すれば、言い通るも、ただ「行」の字の上に稍やかに窒礙あるを恐る。ここに底本の按語は下文の経文と相連なり、語気は収束に及ばず。

範圍天地之化而不過,曲成萬物而不遺,通乎晝夜之道而知,故神無方而易無體。本義 此聖人至命之事也。“範”,如鑄金之有模範。“圍”,匡郭也。天地之化無窮,而聖人為之“範圍”,不使過於中道,所謂“裁成”者也。“通”,猶兼也。“晝夜”,即幽明死生鬼神之謂,如此然後可見至神之妙,無有方所,《易》之變化,無有形體也。此第四章,言《易》道之大,聖人用之如此。

《繋辞》はいう:天地の造化を範囲して中道を逾越せしめず、曲折周到に万物を成就して一様も遺漏せず、昼夜交替の理を通暁して知らざるなきゆえに、「神」に固定の方所なく、「易」に固定の形体なし。朱熹《本義》はいう:この一節は聖人の「至于命」の事を言う。「範」はたとえば金器を鋳造するに模子を要するが如く、「囲」は外の框廓なり。天地の造化は無窮無尽にして、聖人はそれに一つの範囲を立て、中道を超出せしめず。すなわち《泰》卦の「彖辞」のいう「裁成」なり。「通」は兼に等しく、「昼夜」とはすなわち前面の幽明・死生・鬼神の総称なり。この一歩を為すに至りて、やっと至神の微妙に一定の処所なく、《周易》の変化に一定の形体なきを看見し得るなり。これは第四章で、《周易》の道の広大、および聖人のかくのごとくそれを運用するを言う。

集說 韓氏伯曰:“方”“體”者,皆繫於形器者也,神則“陰陽不測”,易則“惟變所適”,不可以一方一體明。孔氏穎達曰;“範”,謂模範。“圍”,謂周圍。言聖人所為所作,模範周圍天地之化。義曰:凡無方無體,各有二義,一者神則不見其處所云為,是“無方”也;二則周遊運動,不常在一處,亦是“無方”也。“無體”者,一是自然而變,而不知變之所由,是無形體也;二則隨變而往,無定在一體,亦是“無體”也。

「集説」に韓康伯の言を引く:「方」と「体」はみな有形の器物に拴り付けられたものである。「神」は陰陽変化の測度すべからざるものであり、「易」はただ変化の適うところに随所に往けるもので、いずれもある一つの方位・ある一つの形体をもってそれを説明することはできない。「集説」に孔穎達の言を引く:「範」は模子、「囲」は外囲であり、聖人の所作所為が天地の造化に模子を立て境界を囲うことを言う。孔穎達は《周易正義》にまたいう:およそ「無方」「無体」を言うは、各々二層の意あり。「無方」の第一層は、神にその処所と作為を見ることなし。第二層は、それが周流運行して常に一処に停まらざるなり。「無体」の第一層は、それが自ら然而りて変ずるも、変は何れより来るかを看取し得ず、ゆえに形体なし。第二層は、それが変化に随って往き、ある一つの形体に固定せず、これもまた「無体」なり。

邵子曰:“神”者,《易》之主也,所以“無方”。“易”者,神之用也,所以“無體”。《朱子語類》云:“通乎晝夜之道而知”,“通”字,只是兼乎晝夜之道而知其所以然。又云:“神無方而《易》無體”,“神”便是在陰底又忽然在陽,在陽底又忽然在陰,“易”便是或為陽,或為陰,交錯代換,而不可以形體拘也。

「集説」に邵雍の言を引く:「神」は《易》の主宰なるゆえに「無方」であり、「易」は神の発用なるゆえに「無体」なり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「通乎昼夜之道而知」のこの「通」の字は、ただ昼夜の両辺の道理を兼摂して、それが然る所以を明白にするのみ。朱熹はまたいう:いわゆる「神無方而《易》無体」——「神」は剛に陰の一辺に在りて、忽然としてまた陽の一辺に到り、剛に陽の一辺に在りて、忽然としてまた陰の一辺に到る。「易」は時に陽と成り、時に陰と成り、交錯替換して、一つの形体をもってそれを框ることができない。

蔡氏清曰:“神無方,易無體”,獨繫之至命一條,至命從窮理盡性上來,乃窮理盡性之極致,非窮理盡性之外,它有所謂至命也,故獨繫之至命,而自足以該乎“窮理盡性”。林氏希元曰:“通乎晝夜之道而知”,只是通知晝夜之道,蓋幽朋死生鬼神,其理相為循環,晝夜之道也,聖人通知晝夜,亦只是上文知“幽明之故”,“知死生之說”,“知 又曰:天地之化,萬物之生,晝夜之循環,皆有個神易,“易”則模寫乎此理者也,故在易亦有神易。

「集説」に蔡清の言を引く:「神無方、易無体」のこの二句は、単々「至于命」のこの一条の下に挂かる。「至命」は窮理尽性より上り来たるもので、窮理尽性の極致であって、窮理尽性の外に別にいわゆる「至命」あるにあらず。ゆえに単々「至命」の下に挂かれば、自然に「窮理尽性」をすべて包み込むなり。「集説」に林希元の言を引く:「通乎昼夜之道而知」は、ただ昼夜の道理を通暁するのみなり。幽明・死生・鬼神は、それらの道理が互いに循環するは、すなわち昼夜の道なり。聖人は昼夜に通暁するも、ただ上文のいう「幽明之故」を知り、「死生之説」を知り、——ここに底本に脱文あり、林希元のこの段は説き終えず。彼はまたいう:天地の造化・万物の生長・昼夜の循環のうちには、みな一つの神・一つの易あるなり。《周易》のこの書はすなわちこの道理を模写し下したるものなり。ゆえに《易》の書のうちにも同じく神あり易あるなり。

姜氏寶曰:“晝夜之道”,乃幽明死生鬼神之所以然,聖人通知之而有以深徹乎其蘊,又不但知有其故,知有其說,知有其情狀而已也。江氏盈科曰:上說道濟天下敦仁能愛,此則萬物盡屬其曲成,一上說知幽明死生鬼神,此則晝夜盡屬其通知。

「集説」に姜宝の言を引く:いわゆる「昼夜之道」とは、すなわち幽明・死生・鬼神の然る所以の根由なり。聖人はそれに通暁して、かつその中の藴蔵を深透に看穿して、ただかの緣故あり・かの説法あり・かの情状あるを知るのみならず。「集説」に江盈科の言を引く:上文に「道済天下」「敦乎仁」「能愛」を言い、ここにすなわち万物はみな聖人の「曲成」の内に在るを言う。上文に幽明を知り・死生を知り・鬼神を知るを言い、ここにすなわち昼夜はみな聖人の「通知」の内に在るを言う。

案 準是準則之,相似是與之合德,“範圍”則造化在其規模之內,蓋一節深一節也,“萬物”者天地之化之跡也。“曲成”者,能盡其性,而物我聯為一體也;“晝夜”者,天地之化之機也;“通”“知”者,洞見原本,而隱顯貫為一條也。“易”者化之運用,“神”者化之主宰。天地之化,其主宰不可以方所求,其運用不可以形體拘,易之道能“範圍”之,則所謂窮神知化者也,而神化在易矣。

李光地の按:「准」は天地を準則と為して比照するに取るなり、「相似」は天地と徳性に相合するなり、「範囲」はすなわち造化がみな《易》の規模の内に落るなり。一層より一層深し。「万物」は天地造化の留めたる形跡にして、「曲成」は能く万物の本性をみな成全するゆえに、物と我と連成して一体と為るなり。「昼夜」は天地造化運転の枢機にして、「通」と「知」は根本に洞察するゆえに、隠と顕と貫串して一条と為るなり。「易」は造化の運用にして、「神」は造化の主宰なり。天地の造化は、その主宰はある方位に按じて尋ね得ず、その運用はある形体をもって拘限し得ず。《易》の道は能くそれを「範囲」す。これがすなわち《説卦伝》のいう神妙を窮究し造化に通暁するにして、ここに神と化とみな《易》のうちに在るなり。

繋辞上伝 第五章

一陰一陽之謂道。本義 陰陽迭運者,氣也,其理則所謂道。集說 邵子曰:道無聲無形,不可得而見者也,故假道路之道而為名。人之有行,必由乎道。一陰一陽,天地之道也。物由是而生,由是而成者也。

《繋辞》はいう:一陰一陽は交替して運行す。これを「道」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:陰陽は輪流して運転するあのものは「気」であり、気の背後の理こそいわゆる「道」なり。「集説」に邵雍の言を引く:道に声音なく形状なく、看見し得べからざるゆえに、道路の「道」の字を借用してそれに命名す——人の路を行くに、必ず道より行くを要す。一陰一陽は、すなわち天地の道なり。万物はそれによりて生じ、またそれによりて成るなり。

程子曰:離了陰陽,便無道,所以陰陽者,是道也。陰陽氣也,氣是形而下者,道是形而上者。《朱子語類》云:理則一而已,其形者則謂之器,其不形者則謂之道。然而道非器不形,器非道不立,蓋陰陽亦器也。而所以陰陽者道也,是以一陰一陽,往來不息,而聖人指是以明道之全體也。

「集説」に程頤の言を引く:陰陽を離れれば、すなわち道なし。陰陽をして陰陽と成らしむる所以のあの根拠こそ、道なり。陰陽は気にして、気は「形而下」に属し、道は「形而上」に属す。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:理はただ一つにして、有形の一辺に落るを「器」と呼び、形跡に落ちざるを「道」と呼ぶ。しかし道は器を離れれば顕形するに由なく、器は道を離れれば成立するに由なし——陰陽もまた器にして、それをして陰陽と成らしむる所以のものこそ道なり。それによりて一陰一陽は往来して停まらず、聖人はすなわちこのを指して道の全体を阐明するなり。

案 一陰一陽,兼對立與迭運二義,對立者,天地日月之類是也,即前章所謂“剛柔”也,迭運者,寒暑往來之類是也,即前章所謂“變化”也。

李光地の按:「一陰一陽」は兼ねて両層の意を含む。一層は対立併存にして、天と地・日と月の類の如し。すなわち前の一章のいう「剛柔」なり。一層は交替運行にして、寒往暑来・暑往寒来の類の如し。すなわち前の一章のいう「変化」なり。両層を合わせて見て、やっと一陰一陽の道の全貌なり。

繼之者善也,成之者性也。本義 道具於陰而行乎陽。“繼”,言其發也。“善”,謂化育之功,陽之事也。“成”,言其具也。“性”,謂物之所受,言物生則有性,而各具是道也,陰之事也。周子程子之書,言之備矣。

《繋辞》はいう:この道を承接してそれを発用出だせしむるは、「善」なり。この道を凝成してそれを各々属せしむるは、「性」なり。朱熹《本義》はいう:道は陰の一辺に藴蔵して、陽の一辺に運行す。「継」はそれの発動を言い、「善」は万物を化育する功效を指し、陽の事に属す。「成」はそれの具足を言い、「性」は物の領受するあの一份を指し、物は一たび生まれてすなわち性ありて、各々この道を具備することを言い、陰の事に属す。この一層の道理は、周敦頤・程頤の書のうちにすでに言うこと極めて完備せり。

集說 周子曰:“大哉乾元,萬物資始”,誠之源也;“乾道變化,務正性命”,誠斯立焉。純粹至善者也,故曰“一陰一陽之謂道。繼之者善也。成之者性也”。大哉《易》也,性命之源乎。楊氏時曰:“繼之者善”,無間也,“成之者性”,無虧也。

「集説」に周敦頤《通書》の言を引く:《乾》卦の「彖辞」に「大哉乾元、万物资始」と言うは、あれは「誠」の源頭なり。「乾道変化」と言いてい万物をして各々性命を端正せしむるは、「誠」はここに確立す。それは純粋至善にして、ゆえに《繋辞》は「一陰一陽之謂道、継之者善也、成之者性也」という。偉大なるかな《周易》、それはまさに性と命の源頭なり。「集説」に楊時の言を引く:「継之者善」は、この一脉を承接し来たりて間断なきを言う。「成之者性」は、物の身上に凝成して亏欠なきを言う。

《朱子語類》云:造化所以發育萬物者,為“繼之者善”,各正其性命者,為“成之者性”。又云:“繼”是接續不息之意,“成”是凝成有主之意。又云:這個理在天地間時,只是善。無有不善者,生物得來,方始名曰性,只是這個理,在天則曰命,在人則曰性,性便是善。問“成之者性”。曰:性如寶珠,氣質如水。水有清有汙,故珠或全見,或半見,或不見。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:造化のもって万物を発育するあの一段は、すなわち「継之者善」なり。万物の各々性命を端正するあの一段は、すなわち「成之者性」なり。朱熹はまたいう:「継」は接続して停まらざるの意にして、「成」は凝聚成形して各々帰属あるの意なり。またいう:この理は天地の間に在るときは、ただ善にして不善なし。物を生成してこの一物に領受せられてに及んで、やっと「性」と呼ばる。その実はただこの一個の理なり。天においては「命」と呼び、人においては「性」と呼び、性はすなわち善なり。ある人が「成之者性」を問うた。朱熹は答えた:性はたとえば一顆の宝珠の如く、気質はたとえば一盆の水の如し。水に清あり濁あるゆえに、珠子は時に全く見え、時に半分見え、時に全く見えざるなり。

項氏安世曰:道之所生,無不善者,元也,萬物之所同出也,善之所成,各一其性者,貞也,萬物之所各正也,“成之者性”,猶孟子言人之性犬之性牛之性。熊氏良輔曰:天道流行,發育萬物。善之繼也,“元者善之長”,善即元也。人物得所稟受者,性之成也,率性之謂道,則性即道也。

「集説」に項安世の言を引く:道の生じ出だすものに不善なきは、これは四徳の中の「元」に属し、万物の共同の出処なり。善の凝成するものは各々一物の性と成るは、これは四徳の中の「貞」に属し、万物の各々端正の所在なり。「成之者性」のこの句は、《孟子・告子》に人の性・狗の性・牛の性を言うが如く、各々一物の性なり。「集説」に熊良輔の言を引く:天道は流行し、万物を発育す。これは「善」の承継なり。《乾・文言》に「元者善之長」という。善はすなわち元なり。人と物とは領受して自己のあの一份を得るは、これは「性」の凝成なり。《中庸》に「率性之謂道」という。されば性はすなわち道なり。

潘氏士藻曰:善者性之原,性者善之實,善性皆天理,中間雖有剛柔善惡巾偏之不同,而天命之本然無不同。案 聖人用“繼”字極精確,不可忽過此“繼”字,猶人子所謂繼體,所謂繼志。

「集説」に潘士藻の言を引く:善は性の源頭にして、性は善の落実なり。善と性とみな天理なり。中間に剛と柔・善と悪・中と偏との種種の不同ありといえども、天の賦与する本然には両様なし。李光地の按:聖人のこの「継」の字を用うるや極めて精确にして、軽軽に放過すべからず。この「継」の字は、たとえば子を為す者のいわゆる父祖の身体家業を継承し、いわゆる父祖の志向を継承するが如し。

蓋人者,天地之子也。天地之理,全付於人而人受之,猶《孝經》所謂身體髮膚,受之父母者是也,但謂之付,則主於天地而言,謂之受則主於人而言,唯謂之繼,則見得天人承接之意,而付與受兩義皆在其中矣。天付於人而人受之,其理既無不善,則人之所以為性者,亦豈有不善哉,故孟子之道性善者本此也。

李光地の按語は続けていう:人は天地の子なり。天地の理は整个して人に交付し、人はこれを領受し下す。たとえば《孝経》のいう身体髪膚は父母に受くるが如し。ただ「付」と言うは、天地の一辺に立って言うなり。「受」と言うは、人の一辺に立って言うなり。ただ「継」と言うに於て、やっと天と人の前後相承接の意を見るに足りて、「付」と「受」の両層の含義はみなそのうちに包まる。天は理を人に交付し、人はそれを領受し来たる。この理はすでに不善なきに、されば人の性と為る所以のこのものは、また何ぞ不善あらんや。ゆえに孟子の性善を言う、根拠はすなわちここに在るなり。

然是理既具於人物之身,則其根原雖無不善,而其末流區以別矣,如下文所云仁知百姓者,皆局於所受之偏而不能完其所付之全,故程朱之言氣質者,亦本此也。夫子之言性與天道,不可得而聞也,唯《繫傳》此語,為言性與天道之至,後之論性者,折中子夫子,則可以息諸子之棼棼矣。

しかしこの理はすでに人と物の身上に具備せるに、根源は不善なきといえども、末流には差別を分出だせり。下文のいう「仁者」「知者」「百姓」の如く、みな自己の領受するあの一偏に局限せられて、天の交付するあの完整たるを保全し得ざるなり。ゆえに程頤・朱熹の気質の性を言う、根拠もまたここに在るなり。《論語》に子貢はいう:孔子は性と天道を言うも、学生は聴くに由なし。ただ《繋辞伝》のこの両句は、やっと性と天道を言うこと最も精到の処なり。後世に人性を議論する者は、もし孔子のこの句をもって折中取正せば、すなわち諸子の紛紛擾擾の争弁を平息すべし。

仁者見之謂之仁,知者見之謂之知,百姓日用而不知,故君子之道鮮矣。本義 “仁”陽“知”陰,各得是道之一隅,故隨其所見而目為全體也。“日用不知”,則莫不飲食,鮮能知味者,又其每下者也。然亦莫不有是道焉。或曰:上章以知屬乎天,仁屬乎地,與此不同,何也?曰:彼以清濁言,此以動靜言。

《繋辞》はいう:仁者は自己のこの一面より道を見て、すなわち道を「仁」と称す。智者は自己のこの一面より道を見て、すなわち道を「知」と称す。百姓は日日にそれを用いてい自覚せず。ゆえに君子の道を懂る者は稀少なり。朱熹《本義》はいう:「仁」は陽に属し、「知」は陰に属す。各人はただこの道の一個の角落を得て、ここにおいて自己の看見するところに按じてそれをもって全体と為す。「日用不知」に至れば、あれはすなわち《中庸》のいう、人は飲食せざるなく、滋味を嘗み得る者少なきが如し。前の二種より更に等を下る。ただ彼らの身上には同じくこの道あるなり。ある人が問う:上の一章は「知」を天に配し、「仁」を地に配して、ここと同じからざるは何ぞや。答えて曰く:あれは清と濁とに就いて分かつ、ここは動と静とに就いて分かつなり。

集說 韓氏伯曰:君子體道以為用,仁知則滯於所見,百姓則“日用而不知”,體斯道者,不亦鮮矣乎。程子曰:道者,一陰一陽也,動靜無端,陰陽無始,非知道者孰能識之,動靜相因而成變化,順繼此道則為善也。成之在人,則謂之性也,在眾人則不能識,隨其所知,故仁者謂之仁,知者謂之知,百姓則由之而不知,故君子之道,人鮮克知也。

「集説」に韓康伯の言を引く:君子は道を整个に體現して之を運用し、仁者智者は各々自己の看見する一辺に停滞し、百姓は更に日日に用いてい自覚せず。能くこの道を體現する者、少なきに過ぎずや。「集説」に程頤の言を引く:道はすなわち一陰一陽なり。動と静に起点なく、陰と陽に開端なし。真に道を懂る者にあらざれば、誰かそれを認得せん。動静は互いに因由と為りて変化を成就し、この道に順って承継し下ればすなわち「善」なり。人の身上に凝成すればすなわち「性」と呼ぶ。一般人においてはそれを認得し得ず、ただ各々自己の知るところに按じて見るのみ。ゆえに仁者はそれを「仁」と称し、智者はそれを「知」と称し、百姓はそれに沿って往きて自覚せず。それによりて君子の道は、能く懂る者少なし。

王氏宗傳曰:仁者知者,鮮克全之,百姓之愚,鮮克知之,此豈在我之善有所不足,在我之性有所不同與!非也,蓋在限量使然爾。君子之道,烏得而不鮮與,“君子”者,具仁知之成名,得道之大全也。

「集説」に王宗伝の言を引く:仁者と智者は、道を保全し得ること少なし。百姓は愚昧にして、道を察覚し得ること少なし。これ豈にわれわれ自身の具える善に欠缺あり、自身の具える性に差別あらんや。否、ただ各人の器量の局限してそれを然らしむるのみ。然らば君子の道は、何ぞ稀少に顕れざらんや。いわゆる「君子」とは、仁と知を兼具する完満の称号にして、道を整个に得たる人なり。

《朱子語類》云:萬物各具是性,但氣稟不同。各以其性之所近者窺之,故仁者只 胡氏炳文曰:在造物者,方發而賦於物,其理無有不善,在人物者,各具是理以有生,則謂之性。其發者,是天命之性,其具者,天命之性已不能不麗於氣質矣。“仁者”“知者”“百姓”,指氣質而言也,上章說聖人之知仁,知與仁合而為一,此說知者仁者,仁與知分而為二。保氏八曰:仁者見其有安土敦仁之理,則止謂之為仁,知者見其有知周天下之理,則止謂之為知,是局於一偏矣。百姓終日由之而不知,故君子之道,知者鮮也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:万物は各々この性を具備す、ただ気禀同じからず、各人は自己の性情のうち相近き一辺をもってそれを窺探す。ゆえに仁者はただ——ここに底本に脱文あり、朱熹のこの段は説き終えず。「集説」に胡炳文の言を引く:造物のあの一頭において、剛に発動して万物に賦与するとき、この理に不善なし。人と物のこの一頭において、各々この理を具備して生命を有するを、「性」と呼ぶ。発動し出だせるは、天命の性なり。物上に具備せるは、あの天命の性はすでに気質上に附着せざるを得ざるなり。「仁者」「知者」「百姓」は、みな気質に就いて言う。上の一章は聖人の知と仁を言うは、知と仁と合成して一個と為る。ここに知者・仁者を言うは、仁と知と裂けて二個と為る。「集説」に保八の言を引く:仁者はただ道のうちに安土敦仁の道理あるを見て、ただそれを「仁」と称す。智者はただ道のうちに智慧の天下に周遍する道理あるを見て、ただそれを「知」と称す。これはすなわち一偏に局限せるなり。百姓は終日それに沿って往きて自覚せず。ゆえに君子の道は、能く懂る者稀少なり。

顯諸仁,藏諸用,鼓萬物而不與聖人同憂,盛德大業至矣哉。本義 “顯”,自內而外也。“仁”,謂造化之功,德之發也。“藏”,自外而內也。“用”,謂機緘之妙,業之本也。程子曰:天地無心而成化,聖人有心而無為。

《繋辞》はいう:仁を外に顕露し、用を内に潜蔵し、万物を鼓動して生長せしめて、聖人の如く憂患を懐かず。このように盛大の徳・宏大の業、真に極処に到れり。朱熹《本義》はいう:「顕」は内より外に向かい、「仁」は造化の生養する功效を指し、徳の発露なり。「蔵」は外より内に向かい、「用」は造化の機関開闔の微妙を指し、業の根本なり。《本義》はまた程頤の言を引く:天地は心なくして自然に化育を成就し、聖人は心ありて能く刻意作為せずして事を成す。

集說 孔氏穎達曰:“顯諸仁”者,顯見仁功,衣被萬物。“藏諸用”者,潛藏功用。不使物知。王氏凱沖曰:萬物皆成,仁功著也,不見所為,藏諸用也。程子曰:運行之跡,生育之功,“顯諸仁”也;神妙無方,變化無跡,“藏諸用”也。天地不與聖人同憂,天地不宰,聖人有心也,天地無心而成化,聖人有心而無為。

「集説」に孔穎達の言を引く:いわゆる「顕諸仁」は、生養の仁の功效を顕現出だして、万物を覆被するなり。いわゆる「蔵諸用」は、功用を潜蔵して、万物に察覚せしめず。「集説」に王凱冲の言を引く:万物はみな成就を得る、あれは仁の功效彰顕なり。しかしそれが何を為したるかを見ず、あれがすなわち「蔵諸用」なり。「集説」に程頤の言を引く:運行の蹤跡・生育の功效は、「顕諸仁」なり。神妙に定所なく変化に痕迹を留めざるは、「蔵諸用」なり。天地の聖人と同じく憂患を懐かざる所以は、天地はなにをも主宰せず、聖人は心あるによる。天地は心なくして自然に化育を成就し、聖人は心ありて能く刻意作為せずして事を成す。

《朱子語類》云:“顯渚仁”,德之所以盛,“藏諸用”,業之所山成。譬如一樹一根,生許多枝葉花實,此是“顯諸仁”處,及至結實,一核成一個種子,此是“藏諸用”處,生生不已,所謂日新也,萬物無不具此理,所謂富有也。又云:惻隱羞惡辭遜是非,只是這個惻隱,隨事發見,及至成那事時,一事各成一仁,此便是“藏諸用”。其發見時,在這道理中發去,及至成這事時,又只是這個道理,一事既各成一道理,此便是業,業是事之已成處,事未成時不得謂之業。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「顕諸仁」は徳の盛大なる所以にして、「蔵諸用」は業の成就する所以なり。たとえば一樹に一条の根ありて、許多の枝葉花果を生ずるは、これは「顕諸仁」の処なり。果を結ぶに及んで、一枚の果核はすなわち一粒の種子と成るは、これは「蔵諸用」の処なり。生じてまた生じて停歇せざるは、すなわちいわゆる「日新」なり。万物にこの理を具備せざるものなきは、すなわちいわゆる「富有」なり。朱熹はまたいう:惻隠・羞悪・辞譲・是非は、その実はただあの一点の惻隠の心が事に随って発露出だすのみなり。あの事を為し成すに及んで、一件事は各々一個の仁を成就す。これがすなわち「蔵諸用」なり。それの発露するときは、この道理の中より発し出だすなり。この事を為し成すに及んで、またなおただこの道理なり。一件事は各々一個の道理を成就す。これがすなわち「業」なり。「業」は事のすでに成就せる処にして、事の成らざるときはまだ業と呼ぶべからず。

吳氏澄曰:“仁”者,生物之元,由春生而為夏長之亨,此仁顯見而發達於外,長物之所顯者,生物之仁也,故曰“顯諸仁”。“用”者,收物之利,由秋收而為冬藏之貞,此用藏伏而歸復於內,團物之所藏者,收物之用也,故曰“藏諸用”。二氣運行於四時之間,鼓動萬物而生長收閉之,天地無心而造化自然,非如聖人之於民,有所憂而治之教之也。仁之顯而生長者,為德之盛,用之藏而收閉者,為業之大,其顯者流行不息,其藏者充塞無間,此所謂易簡之善,極其至者,故贊之曰“至矣哉”。

「集説」に呉澄の言を引く:いわゆる「仁」とは、万物を生育する「元」なり。春の生発より夏の長養に到り、すなわち四徳のうちの「亨」なり。このとき仁は顕露して外に向かい発達し、万物を長養するに顕示するは、まさに万物を生育する仁なり。ゆえに「顕諸仁」という。いわゆる「用」とは、万物を収斂する「利」なり。秋の収成より冬の閉蔵に到り、すなわち四徳のうちの「貞」なり。このとき用は潜伏して内に向かい帰復し、万物を閉蔵するに収蔵するは、まさに万物を収斂する用なり。ゆえに「蔵諸用」という。陰陽二気は四時の間に運行して、万物を鼓動して、それらをして生・長・収・蔵せしむ。天地は心なくして造化は自然にかくのごとし。聖人の百姓に対するが如く、心に憂慮を存して治理・教化に往くにあらず。仁は顕露して万物を生長し、徳の盛大を成就す。用は潜蔵して万物を収閉し、業の宏大を成就す。顕露のあの一面は流行して停まらず、潜蔵のあの一面は充塞して間なし。これがすなわちいわゆる「易簡」の善の極点に達したるなり。ゆえに一句「至矣哉」を讃嘆す。

胡氏炳文曰:在聖人者則曰仁與知,在造化者則曰仁與用。俞氏琰曰:仁本藏於內者也,“顯諸仁”,則自內而外,如春夏之發生,所以顯秋冬所藏之仁也。“用”本顯於外者也,“藏諸用”,則自外而內,如秋冬之收成,所以藏春夏所顯之用也。

「集説」に胡炳文の言を引く:聖人の身上に落れば、すなわち仁と知を言う。造化の身上に落れば、すなわち仁と用を言う。一辺は人の徳性を言い、一辺は天の功用を言う。「集説」に兪琰の言を引く:仁はもともと裏面に蔵るものにして、「顕諸仁」と言うは、内より外に向かう。たとえば春夏の発生の如く、まさに秋冬に収蔵したるあの一点の生意を顕露出だすなり。用はもともと外面に顕るものにして、「蔵諸用」と言うは、外より内に向かう。たとえば秋冬の収成の如く、まさに春夏に顕発したるあの一点の功用を収蔵し返すなり。

富有之謂大業,日新之謂盛德。本義 張子曰:富有者,大而無外;日新者,久而無窮。生生之謂易。本義 陰生陽,陽生陰,其變無窮,理與書皆然也。成象之謂乾,效法之謂坤。本義 “效”,呈也。“法”,謂造化之詳密而可見者。集說 蔡氏淵曰:乾主氣,故曰“成象”,坤主形,故曰“效法”。

《繋辞》はいう:有らざるなきを「大業」と呼び、日日に更新するを「盛徳」と呼ぶ。朱熹《本義》に張載の言を引く:いわゆる富有とは、大きくして外面に更に辺際なし。いわゆる日新とは、久しくして後面に窮尽なし。《繋辞》はいう:生じてまた生じ、連綿として絶えず。これを「易」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:陰は陽を生出し、陽は陰を生出す。その変化に窮尽なし。易理と《易》書とを問わず、みなかくのごとし。《繋辞》はいう:象を成就出だすを「乾」と呼び、法を呈現するを「坤」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「效」は呈現にして、「法」は造化のうちの細密にして看見し得るあの一層を指す。「集説」に蔡淵の言を引く:乾は気を主管するゆえに「成象」といい、坤は形を主管するゆえに「效法」という。

極數知來之謂占,通變之謂事。本義 “占”,筮也。事之未定者,屬乎陽也。“事”,行事也。占之已決者,屬乎陰也,“極數知來”,所以通事之變,張忠定公言公事有陰陽,意蓋如此。

《繋辞》はいう:蓍策の数を推し尽くして因って未来を預知す。これを「占」と呼ぶ。変化を貫通して実際に付之に行う。これを「事」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「占」とはすなわち揲蓍占筮にして、事のまだ定まらざるときは陽に属す。「事」とはすなわち実際に為すに往き、占問すでに決断したる後は陰に属す。「極数知来」は、まさに事の変化を貫通するに用うるなり。宋人張詠の諡号は忠定なり。彼は公事を弁するにも陰陽の分あるを言う。その用意は大概かくのごとし。

集說 愈氏琰曰:或言通變,或言變通,同與。曰:“窮則變,變則通”,《易》也。“通其變,使民不倦”,聖人之用《易》也。張氏振淵曰:“成象”二條,本“生生之謂易”來,舉乾坤,見天地間無物,而非陰陽之生生;舉占事,見日用間無事,而非陰陽之生生。

「集説」に兪琰の言を引く:ある処に「通変」を言い、ある処に「変通」を言う。両者は一回事なるか。答えて曰く:《繋辞下伝》に「窮則変、変則通」という。あれは《易》理その身を言う。「通其変、使民不倦」という。あれは聖人の《周易》を運用するを言う。「集説」に張振淵の言を引く:「成象之謂乾」以下の両条は、もともと「生生之謂易」より推し下したるなり。乾坤を挙出するは、天地の間に陰陽の生生ならざるものなきを見んと欲す。占と事を挙出するは、日常の間に陰陽の生生ならざる事なきを見んと欲す。

谷氏家傑曰:生生謂易,論其理也。有理即有數,陰陽消息,易數也。推極之可以知來,占之義也,通數之變,亦《易》變也。變“不與時偕極”,通之“即成天下之事”。徐氏在漢曰:一陰一陽,無時而不生生,是之謂《易》。成此一陰一陽生生之象,是之謂“乾”,效此一陰一陽生生之法,是之謂“坤”,極一陰一陽生生之數而知來,是“之謂占”,通一陰一陽生生之變,是“之謂事”。

「集説」に谷家傑の言を引く:「生生之謂易」は、理を言う。理あればすなわち数あり。陰陽の消退と生長は、すなわち《易》の数なり。それを推し尽くせばすなわち能く未来を預知す。これがすなわち「占」の含義なり。数の変化を貫通すれば、すなわち《易》の変化なり。変化はもし時勢と倶に極処に走到せずんば、それを貫通開けば、すなわち天下の事を成就し得。「集説」に徐在漢の言を引く:一陰一陽は、一刻も生生せざるなし。これを《易》と呼ぶ。この一陰一陽生生の象を成就するを、「乾」と呼ぶ。この一陰一陽生生の法を呈現するを、「坤」と呼ぶ。この一陰一陽生生の数を推し尽くして因って未来を預知するを、「占」と呼ぶ。この一陰一陽生生の変を貫通するを、「事」と呼ぶ。

陰陽不測之謂神。本義 張子曰:兩在故“不測”。此第五章,言道之體用不外乎陰陽,而其所以然者,則未嘗倚於陰陽也。集說 《朱子語類》:問:“陰陽不測之謂神”,便是妙用處。曰:便是包括許多道理,橫渠說得極好,一故神,橫渠親注云,“兩在故不測”,只是這一物,卻周行事物之間,如所謂陰陽屈信,往來上下,以至行乎什百千萬之中,無非這一個物事,所謂“兩在故不測”。

《繋辞》はいう:陰陽変化は測度すべからず。これを「神」と呼ぶ。朱熹《本義》に張載の言を引く:それは同時に陰陽の両辺に在るゆえに「不測」なり。これは第五章で、道の体と用とはみな陰陽の外に出でず、それをして然らしむる所以のあの根拠は、却って陰陽のいずれの一辺にも偏靠せざるを言う。「集説」に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「陰陽不測之謂神」は、言うところは神妙の作用の処であろう。朱熹は答えた。この句は許多の道理を包む。張載は言うこと極めて好し。彼は「一故神」と言い、また自ら注を作りて「両在故不測」という——ただこの一個のものにして、万物万事の間に周流し、いわゆる陰陽の屈と伸・往と来・上と下の如く、十百千万件事物の中に運行するに至るまで、なんぞやはりこの一個のものなり。これがすなわち「両在故不測」なり。

邱氏富國曰:上章言“易無體”,此言“生生之謂易”,唯其“生生”,所以“無體”。上章言“神無方”,此言“陰陽不測之謂神”,唯其“不測”,所以“無方”。言《易》而以乾坤繼之,“乾坤毀,則無以見易也”。

「集説」に邱富国の言を引く:上の一章は「易無体」を言い、この一章は「生生之謂易」を言う——まさにそれが生じてまた生ずるゆえに、固定の形体なし。上の一章は「神無方」を言い、この一章は「陰陽不測之謂神」を言う——まさにそれが測度すべからざるゆえに、固定の方所なし。《易》を言い終えてすなわち乾坤を継ぐは、《繋辞》の後文に「乾坤毀、則無以見易」と言えるによりて、乾坤を離れれば《易》を見るに由なし。

粱氏寅曰:陰陽非神也,陰陽之不測者神也,一陰一陽,變化不窮,果孰使之然哉, 蔡氏清曰:合一不測為神,不合不謂之一,不一不為兩在,不兩在不為不測,合者,兩者之合也,神化非二物也,故曰“一物兩體也”。

「集説」に梁寅の言を引く:陰陽その身は神にあらず、陰陽の中のあの測度すべからざるものこそ神なり。一陰一陽変化に窮尽なし。究竟誰がそれをして然らしむるか——ここに底本に脱文あり、梁寅の言は説き終えず。「集説」に蔡清の言を引く:合して一と為りてまた測度すべからず。これをやっと神と呼ぶ。不合せばすなわち「一」を言うに足らず、不一せばすなわち「両在」を言うに足らず、不両在せばすなわち「不測」を言うに足らず。いわゆる「合」とは、陰陽両者の合なり。神と化とはならずして二個のものなり。ゆえに張載はそれを「一物両体」という。

總論 程氏敬承曰:此章承上章說來,上言“彌綸天地之道”,此則直指“一陰一陽之謂道”,上言神無方、易無體,此則直指陰陽之生生謂易,陰陽不測謂神。

「総論」に程敬承の言を引く:この一章は上の一章を承けて言い下したるなり。上の一章は「弥綸天地之道」を言い、この一章はすなわち直截に「一陰一陽之謂道」を点明す。上の一章は神に方所なく易に形体なきを言い、この一章はすなわち直截に陰陽の生生を易と呼び陰陽の不測を神と呼ぶを点明す。

案 程氏以此為申說上章極是,然只舉其首尾天地之道,及神易兩端而已,須知繼善成性,見仁見知,即是申說“與天地相似”一節意。顯仁藏用,盛德大業,即是申說“範圍天地之化”一節意。見仁見知之偏,所以見知仁合德者之全也,顯為晝藏為夜,鼓萬物而無憂,所以見通知晝夜曲成萬物以作《易》者之有憂患也。

李光地の按:程敬承はこの一章をもって上の一章を申説するものと看作し、言うこと極めて正し。ただ彼はただ首尾の両頭——天地の道、および神と易のこの両端を挙げたるのみなり。知るべきは「継之者善、成之者性」と「仁者見之謂之仁、知者見之謂之知」とは、まさに「与天地相似」のあの一節の意を申説するなり。「顕諸仁、蔵諸用」と「盛徳大業」とは、まさに「範囲天地之化」のあの一節の意を申説するなり。仁者智者の各々一偏を見るを写し出だすは、ちょうど知と仁と徳に合する人の見るところの全を反襯出だすなり。顕は白昼にして蔵は黒夜にして、天地は万物を鼓動して憂患なきは、ちょうど昼夜に通暁し万物を曲成して《周易》を作る聖人は憂患を懐くを反襯出だすなり。

繋辞上伝 第六章

夫《易》,廣矣大矣,以言乎遠則不御,以言乎近則靜而正,以言乎天地之間則備矣。本義 “不御”,言無盡,“靜而正”,言即物而理存。“備”,言無所不有。案 遠近是橫說,天地之間是直說。理極於無外,故曰遠。性具於一身,故曰近。命者,自天而人,徹上徹下,故曰天地之間不御者,所謂彌綸也。靜正者,所謂相似也,備者,所謂範圍也。

《繋辞》はいう:《周易》は真に広く大なり。遠に就いて言えば、それに尽頭なし。近に就いて言えば、それは安静にして端正なり。天地の間に就いて言えば、それに備わらざるなし。朱熹《本義》はいう:「不御」は窮尽なきを言い、「静而正」は眼前の事物に就いて理はすなわちその中に在るを言い、「備」は包含せざるものなきを言う。李光地の按:遠と近は横に言い、天地の間は竪に言うなり。理は極処に推せば外辺なきゆえに「遠」と呼び、性は一身の内に完整地に具備するゆえに「近」と呼び、命は天より下って人に貫き、上下通徹するゆえに「天地之間」と呼ぶ。「不御」はすなわち前のいう「弥綸」にして、「静正」はすなわち前のいう「相似」にして、「備」はすなわち前のいう「範囲」なり。

夫乾,其靜也專,其動也直,是以大生焉。夫坤,其靜也翕,其動也闢,是以廣生焉。本義 乾坤各有動靜,於其四德見之,靜體而動用,靜別而動交也。乾一而實,故以質言而曰“大”,坤二而虛,故以量言而曰“廣”,蓋天之形雖包於地之外,而其氣常行乎地之中也,《易》之所以廣大者以此。

《繋辞》はいう:乾のこの一面は、静のとき専一にして、動のとき直遂なり。それによりてその生成は「大」なり。坤のこの一面は、静のとき収合にして、動のとき開闢なり。それによりてその生成は「広」なり。朱熹《本義》はいう:乾坤は各々動あり静ありて、元亨利貞の四徳の上より見るべし。静は体にして動は用なり。静のとき彼此分立し、動のとき彼此交合す。乾の画は一根の整線にして、一にして充実す。ゆえに質地上より言えば、それを「大」と称す。坤の画は断开の両段にして、二にして中虚す。ゆえに容量上より言えば、それを「広」と称す。天の形体は地の外に包むといえども、天の気は常に地の当中に運行す。《周易》の広大なる所以の道理は、すなわちここに在るなり。

集說 孔氏穎達曰:若氣不發動,則靜而專一,故云“其靜也專”,若其運轉,則四時不忒,寒暑無差,剛而得正,故云“其動也直”。以其動靜如此,故能“大生焉”。閉藏翕斂,故“其靜也翕”,動則開生萬物,故“其動也闢”。以其如此,故能“廣生”於物焉。

「集説」に孔穎達の言を引く:気はもし発動せざれば、すなわち静止して専一なり。ゆえに「其静也専」という。一旦運転し起れば、四季に差錯なく寒暑に偏差なく、剛健にしてその正を得るなり。ゆえに「其動也直」という。それの動静がこの様子なるによりて、能く「大生」たり得るなり。坤に至れば、閉蔵収斂す。ゆえに「其静也翕」という。一動すればすなわち開啓して万物を生出す。ゆえに「其動也闢」という。それがこの様子なるによりて、能く万物に「広生」たり得るなり。

程子曰:乾陽也,不動則不剛。“其靜也專,其動也直”不專一則不能直遂。坤陰也,不靜則不柔,“其靜也翕,其動也闢”,不翕聚,則不能發散。《朱子語類》云:天是一個渾淪底物,雖包乎地之外,而氣則進出乎地之中。地雖一塊物在天之中,其中實虛,容得天之氣迸上來。“大生”,是渾淪無所不包,“廣生”,是廣闊,能容受得那天之氣,“專”“直”則只是一物直去,“翕”“辭”則是兩個,翕則翕,闢則闢,此奇偶之形也。

「集説」に程頤の言を引く:乾は陽に属し、動かざれば剛を顕出し得ず。ゆえに「其静也専、其動也直」という——専一ならざれば、直遂に伸展出だす能わず。坤は陰に属し、静ならざれば柔を顕出し得ず。ゆえに「其静也翕、其動也闢」という——収攏聚合せざれば、発散開け能わず。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:天は一個の渾然一体のものにして、地の外に包むといえども、気は地の当中に貫穿進出す。地はただ一塊のものにして天の中間に懸るといえども、その裏面は実に空虚にして、天の気の冲上来るを容下し得るなり。いわゆる「大生」とは、渾然一体にして包まざるなきなり。いわゆる「広生」とは、広闊開張にして、天の気を容受し得るなり。「専」と「直」とは、ただ一個のものが一直に伸び出るのみ。「翕」と「闢」とは、すなわち二個にして、収すればすなわち攏攏し、開けばすなわち張開す——これがまさに陽奇陰偶の両種の画形なり。

又云;乾靜專動直而“大生”,坤靜翕動闢而“廣生”,這說陰陽體性如此,卦畫也髣髴似恁地,乾畫奇,便見得“其靜也專”,“其動也直”,坤畫偶,便見得“其靜也翕”,“其動也闢”。胡氏炳文曰:乾唯健,故一以施;坤唯順,故兩而承;“靜”“專”,一者之存;“動”“直”,一者之達;“靜”“翕”,兩者之合;“動”“闢”,兩者之分;一之達,所以行乎坤之兩。故以質言而曰“大”,兩之分,所以承乎乾之一,故以量言而曰“廣”。

朱熹はまたいう:乾は静に専一にして動に直遂にして「大生」し、坤は静に収合にして動に開闢にして「広生」す。これは陰陽の体性がもともとかくのごときを言い、卦画をしてもまた髣髴としてこの様子なり。乾画は一根の整線にして、すなわち「其静也専、其動也直」を見る。坤画は断开の両段にして、すなわち「其静也翕、其動也闢」を見る。「集説」に胡炳文の言を引く:乾はただ剛健にして、ゆえに「一」をもって施与す。坤はただ柔順にして、ゆえに「両」をもって承受す。「静」にして「専」は、あの「一」の裏面に収るなり。「動」にして「直」は、あの「一」の通達出だすなり。「静」にして「翕」は、あの「両」の合攏するなり。「動」にして「闢」は、あの「両」の分張するなり。「一」の通達出だすは、まさに坤の「両」の当中に運行するなり。ゆえに質地上より言えばそれを「大」と称す。「両」の分張するは、まさに乾の「一」を承接するなり。ゆえに容量上より言えばそれを「広」と称す。

林氏希元曰:此推《易》之所以廣大也。乾坤,萬物之父母也,乾坤各有性氣,皆有動靜,乾之性氣,其靜也專一而不它,唯其專一而不它,則其動也直遂而無屈撓。唯直遂而無屈撓,則其性氣之發,四方八表,無一不到,而規模極其大矣,故曰“大生焉”。

「集説」に林希元の言を引く:この一節は《周易》の広大なる所以の縁由を推し究むるなり。乾坤は万物の父母にして、乾坤は各々その性情気質ありて、またみな動あり静あり。乾の性情気質は、静のとき専一にして旁鶩せず。まさに専一にして旁鶩せざるゆえに、動のときすなわち直遂伸展して屈折阻撓なし。まさに直遂伸展して屈折阻撓なきゆえに、その性情気質の一たび発動すれば、四面八方・極遠の辺際に、到らざる処なし。規模は極めて宏大なり。ゆえに「大生焉」という。

坤之性氣,其靜也翕合而不洩,唯其翕合而不洩,則其動也開闢而無閉拒,唯其開闢而無閉拒,則乾氣到處,坤皆有以承受之,而度量極其廣矣,故曰“廣生焉”。乾坤即天地也,“大生”“廣生”,皆就乾坤說。《易》書之廣大,則模寫乎此,不可以本文廣大作《易》書。

林希元は続けていう:坤の性情気質は、静のとき収合にして泄漏せず。まさに収合にして泄漏せざるゆえに、動のときすなわち開闢張開して閉塞抗拒なし。まさに開闢張開して閉塞抗拒なきゆえに、乾気は何れのところに到るとも、坤はみな承受し下し得る。度量は極めて広寛なり。ゆえに「広生焉」という。乾坤はすなわち天地にして、「大生」「広生」はみな乾坤に就いて言うなり。《周易》のこの書の広大は、このを模写し下したるものにして、この節の言う広大を以て直截に《易》書の広大と為すべからず。

案 此節是承上節“廣矣大矣”,而推言天地之所以廣大者。一由於易簡,故下節遂言《易》書“廣大配天地”,而結歸於易簡也。靜專動直,是豪無私曲,形容易字最盡,靜翕動闢,是豪無作為,形容簡字最盡,易在直處見,坦白而無艱險之謂也,其本則從專中來,簡在闢處見,開通而無阻塞之謂也,其本則從翕中來。

李光地の按:この一節は上の一節の「広矣大矣」を承けて、進みて天地の広大なる所以の縁由を推説す——みな「易簡」の二字より出ず。ゆえに下の一節は《易》書の「広大配天地」を継ぎ言い、最後に易簡上に帰結す。静のとき専一・動のとき直遂は、絲毫の私心曲折なし。もって一個の「易」の字を形容するに最も透徹なり。静のとき収合・動のとき開闢は、絲毫の造作安排なし。もって一個の「簡」の字を形容するに最も透徹なり。「易」は「直」の字の上に見るべし。すなわち坦坦白白にして艱難険阻なし。その根子は却って「専」のうちより来るなり。「簡」は「闢」の字の上に見るべし。すなわち開通畅達にして阻隔堵塞なし。その根子は却って「翕」のうちより来るなり。

廣大配天地,變通配四時,陰陽之義配日月,易簡之善配至德。本義 易之廣大變通,與其所言陰陽之說,易簡之德,配之天道人事則如此。此第六章。集說 孔氏穎達曰:初章,《易》為“賢人之德”,簡為“賢人之業”,今總云“至德”者,對則德業別,散則業由德而來,俱為德也。

《繋辞》はいう:《周易》の広大は天地と相配し、その変通は四時と相配し、その陰陽の義理を言うは日月と相配し、その易簡の善は最高の徳と相配す。朱熹《本義》はいう:《周易》の広大と変通、およびその言う陰陽の説・易簡の徳は、もって天道人事に配するや、このように対応す。これは第六章なり。「集説」に孔穎達の言を引く:第一章のうちに、「易」は「賢人之徳」と言われ、「簡」は「賢人之業」と言われたるに、ここには総じて「至徳」と称す。それは対挙して言えば徳と業と分別あるによりて、分散して言えば業はもともと徳より生ずれば、みな徳と算作すべきなり。

吳氏澄曰:《易》書廣大之中有變通焉,有陰陽之義焉,亦猶天地之有四時日月也,四時日月即天地,猶易之六子即乾坤也,易之廣大變通陰陽,皆易簡之善,為之主宰。而天地之至德,亦此易簡之善而已,是易書易簡之善,配乎天地之至德也。

「集説」に呉澄の言を引く:《周易》のこの書の広大の中には変通を含有し、陰陽の義理を含有す。まさに天地の中に四時あり・日月あるが如し。四時日月はすなわち天地にして、たとえば《易》の震・坎・艮・巽・離・兌の六子卦はすなわち乾坤の生ずるが如し。《易》の広大・変通・陰陽は、みな「易簡」の善によりてそれらの主宰と為る。そして天地の最高の徳も、もってこの易簡の善に過ぎず。ゆえに《易》書の易簡の善は、天地の至徳に配うるに足るなり。

案 此上三章,申“變化者,進退之象”一節之義,首言《易》“能彌綸天地之道”,而所謂幽明死生神鬼之理,即進退晝夜之機也,次言《易》與天地相似,而所謂仁義之性,即三極之道也。又言《易》“能範圍天地之化”,蓋以其贊天地之化育,而又知天地之化育,則三極之道,進退晝夜之機,一以貫之矣,“窮理盡性以至於命”,則神化之事備,此《易》之蘊也,既乃一一申明之。

李光地の按:以上の三章は、第二章の「変化者、進退之象」のあの一節の意を申説したるものなり。まず《周易》の「能く天地の道を彌綸す」を講じ、いわゆる幽明・死生・鬼神の道理は、すなわち進と退・昼と夜の枢機なり。其次に《周易》の天地と相似たるを講じ、いわゆる仁と義の本性は、すなわち天・地・人の三極の道なり。再び次に《周易》の「能く天地の化を範囲す」を講じ——それはすでに天地の化育を賛助して、また天地の化育を知る能くすれば、三極の道と進退昼夜の枢機とは、一条の線にて貫串せられたるなり。《説卦伝》に「窮理尽性以至于命」という。この一步に到れば、神と化の事は便ち完備せり。これが正に《周易》の藴蔵の所在にして、下の几章は便ち一条ずつそれを申説明白にするなり。

所謂天地之道者,一陰一陽之謂也;所謂天地之性者,一仁一智之謂也;所謂天地之化者,一顯一藏以鼓萬物之謂也;所謂《易》“無體”者,生生之謂也,著於乾坤,形乎占事者皆是;而所謂“神無方”者,則陰陽不測之謂也,終乃總而極贊之,謂《易》之窮理也。遠不御,其盡性也,靜而正,其至命也,於天地之間備矣。

按語は続けていう:いわゆる天地の道とは、指すところは一陰一陽なり。いわゆる天地の性とは、指すところは一仁一智なり。いわゆる天地の化とは、指すところは一顕一蔵にして万物を鼓動するなり。いわゆる《易》の「無体」とは、指すところは生生不已にして、それの乾坤の上に落ち・占と事の上に顕れるは、みなこの一層に属す。いわゆる「神無方」とは、指すところは陰陽の測度すべからざるなり。最後に更に総べて極力讃嘆す:《周易》の窮理は「以て遠きに言えば則ち御なし」、その尽性は「以て近きに言えば則ち静にして正し」、その至命は「以て天地の間に言えば則ち備わる」なり。

又推原其根於易簡之理,“靜專”“動直”,易也;“靜翕”“動闢”,簡也。易簡之理,具於三極之道,而行乎進退晝夜之間。故《易》者,統而言之,“廣大配天地”也。析而言之,“變化者,進退之象”,“變通配四時”也,“剛柔者,晝夜之象”,“陰陽之義配日月”也,“六爻之動,三極之道”,“易簡之善配至德也”。

按語は最後にまたその根子の易簡の理に落つるを推原す:乾の「静専」「動直」は、一個の「易」の字を講ず。坤の「静翕」「動闢」は、一個の「簡」の字を講ず。易簡の理は天地人三極の道の中に具備して、進と退・昼と夜の間に運行す。ゆえに《周易》を講ずるに、合して言えば、すなわちこの一節の「広大配天地」なり。折りて言えば、第二章の「変化者、進退之象」は、ここの「変通配四時」に対応し、第二章の「剛柔者、昼夜之象」は、ここの「陰陽之義配日月」に対応し、第二章の「六爻之動、三極之道」は、ここの「易簡之善配至徳」に対応す。前後の両章は正に一々相応するなり。

繋辞上伝(下) 第七章

子曰:《易》其至矣乎!夫《易》,聖人所以崇德而廣業也。知崇禮卑,崇效天,卑法地。本義 “十翼”皆夫子所作,不應自著“子曰”字,疑皆後人所加也,窮理則知崇如天而德崇,循理則禮卑如地而業廣,此其取類,又以清濁言也。

《繋辞》はいう:孔子は講じ、《周易》は大概最高のものであろう。《周易》は聖人のもって徳を崇高にし・業を広大にする所以のものなり。智慧は崇高く、礼節は卑下なり。崇高なるは天に效うなり。卑下なるは地に法るなり。朱熹《本義》はいう:《易伝》の「十翼」はみな孔子の所作にして、自ら「子曰」の两字を写るべからず。これらの「子曰」はみな後人の添加したるを疑う。事理を窮究すれば、智慧は天の如く崇高くなり、徳行もまたこれに随いて崇高なり。事理に依循すれば、礼節は地の如く卑下になり、功業もまたこれに随いて広大なり。ここに象を取り類を比するは、また清と濁の分別の上より言えるなり。

集說 韓氏伯曰:極知之崇,象天高而統物,備禮之用。象地廣而載物也。孔氏穎達曰:言《易》道至極,聖人用之以增崇其德,廣大其業。《朱子語類》云:知識貴乎高明,踐履貴乎著實,知既高明,須放低著實作去。

「集説」に韓康伯の言を引く:智慧を極高に推すは、天の高遠にして能く万物を統摂するに象を取るなり。礼の功用を備至するは、地の広寛にして能く万物を承載するに象を取るなり。「集説」に孔穎達の言を引く:これは《易》道の極処に達するを講じ、聖人はそれを運用して自己の徳行を增高し・自己の功業を拡大するなり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:見識は高明なるを貴び、実行は切实なるを貴ぶ。見識すでに高明なる以上、便ち低く放し下げて切切实実に做し往くを要す。

又云:“知祟”者,德之所以祟;“禮卑”者,業之所以廣,蓋禮才有些不到處,便有所欠闕,業便不廣矣,唯極卑無所欠闕,所以廣。又云:“禮卑”是卑順之意,卑便廣,地卑便廣,高則狹了,人若只揀取高底作便狹,兩腳踏地作方得。

朱熹はまたいう:「知崇」は徳の崇高なる所以の縁由にして、「礼卑」は業の広大なる所以の縁由なり。礼はただ一点の為し到らざる処あれば、便ち欠缺ありて、功業は広からず。唯だ低く極処に到り・一処も欠缺なければ、功業やっと広し。朱熹はまたいう:「礼卑」は卑下柔順の意なり。低く下れば便ち広し。地は低下するゆえに広く、高く起れば却って狭窄となるなり。人はもしあの高き処の事のみを挑んで為さば、路子は便ち窄し。両の脚を地上に踏んで為して、やっと行き通り得るなり。

吳氏澄曰:“崇德”者,立心之易,而所得日進日新也。“廣業”者,行事之簡,而所就日充日富也。德之進而新,由所知之崇,高明如天業之充而富,由所履之卑,平實如地。張氏振淵曰:“知”,即德之虛明炯於中者。“禮”,即業之矩矱成於外者。天運於萬物之上,而聖心之知,亦獨超於萬象之表,故曰“崇效天”。地包細微,不遺一物,而聖人之禮,亦不忽於纖悉細微之際,故曰“卑法地”。

「集説」に呉澄の言を引く:いわゆる「崇徳」とは、心を立つること平易にして、因って所得るところ一天に長進し・一天に更新す。いわゆる「広業」とは、事を為すこと簡約にして、因って成就するところ一天に充実し・一天に富足す。徳行の長進して更新するは、所知の崇高より来る。天の如く高明なり。功業の充実して富足するは、所行の卑下より来る。地の如く平実なり。「集説」に張振淵の言を引く:「知」はすなわち徳の心中に虚明照徹するあの一面にして、「礼」はすなわち業の外面に規矩法度を成就するあの一面なり。天は万物の上に運行して、聖人の心中の知もまた独り万象の外に超出す。ゆえに「崇は天に效う」という。地は細小微末を包容して、一件の物も遺漏せず、聖人の礼もまたあの瑣細微小の処を軽忽せず。ゆえに「卑は地に法る」という。

天地設位,而《易》行乎其中矣。成性存存,道義之門。本義 天地設位而變化行,猶知禮存性而道義出也。成性,本成之性也。存存,謂存而又存,不已之意也。此第七章集說 《朱子語類》云:識見高於上,所行實於下,中間便生生而不窮,故說《易》行乎其中,“成性存存,道義之門”。

《繋辞》はいう:天地は上下の位置を設定して、《易》は便ちその中間に運行す。本来成就の性は存養してまた存養す。これがすなわち道義の出入する門戸なり。朱熹《本義》はいう:天地は位置を設定して変化流行す。たとえば人に知あり礼ありて、本性を存養して道義これに随って生出するが如し。「成性」は本来成就の性にして、「存存」は存養して再び存養して停歇せざるの意なり。これは第七章なり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:見識は高く上に懸り、実行は実に下に落ち、中間は便ち生生して窮まらず。ゆえに《易》はその中に運行すという。すなわち「成性存存、道義之門」なり。

俞氏琰曰:人之性,渾然天成,蓋無有不善者,更加以涵養功夫,存之又存,則無所往而非道,無所往而非義矣。林氏希元曰:此承上文“知崇禮卑,崇效天,卑法地”而言,意謂“天地設位”,則陰陽變化,“而《易》行乎其中矣”,聖人知禮至於效天法地,則本成之性,存存不已,而道義從此出,故曰“道義之門。”蓋道義之得於心者,日新月盛,則德於是乎祟矣,道義之見於事者,日積月累,則業於是乎廣矣,此《易》所以為聖人之崇德廣業,而《易》書所以為至也。

「集説」に兪琰の言を引く:人の本性は渾然天成にして、本来不善なるものなし。さらに涵養の工夫を加え、存養してまた存養せば、すなわち何れの処に走到するも道にして、何れの処に走到するも義なり。「集説」に林希元の言を引く:これは上文の「知崇礼卑、崇は天に效う、卑は地に法る」を承けて説き下したるなり。彼は解釈していう:天地は一旦上下の位置を設定すれば、陰陽は便ち変化流行して、《易》は便ちこの中間に運行す。聖人の知と礼とが天に效い・地に法ることを為し到れば、すなわち本来成就の性は便ち存養して已まず、道義はここより出ず。ゆえに「道義之門」という。道義の心の裏に得るところは、日新月盛にして、徳行ここに崇高なり。道義の事の上に表れるところは、日積月累にして、功業ここに広大なり。これがすなわち《周易》の能く聖人をして徳を崇め業を広めしむる所以にして、《易》書の「至」と称するに足る所以の縁由なり。

吳氏曰慎曰:道義之出不窮,猶《易》之生生不已也,然未有不存存而能生生者。案 “門”字不可專以出說,須知兼出入兩意,“知崇”於內,則萬里由此生,是道所從出之門也,“禮卑”於外,則萬行由此成,是義所從入之門也。若以四德配,則知屬冬,禮屬夏,道即仁也,屬春,義屬秋,仁主出而發用,然非一心虛明,萬理畢照,則無以為發用之源,義主入而收斂,然非百行萬善,具足完滿,亦無以為收斂之地矣,此造化動靜互根,顯諸仁藏諸用之妙,其在人則性之德也,合內外之道也。

「集説」に呉曰慎の言を引く:道義は源源として湧出して窮尽せず。たとえば《周易》の生生不已の如し。然るに何れの人か存養を肯ぜずして能く生生不已たらんや。李光地の按:「門」の字はただ出づるを当てて講ずべからず。それが兼ねて出と入の両層の意あるを知るを要す。「知崇」は内に在りて、万種の道理ここより生出す。これは道の出づる所以の門なり。「礼卑」は外に在りて、万種の行為ここより成就す。これは義の入る所以の門なり。もし元亨利貞の四徳をもって配せば、知は冬に属し、礼は夏に属す。道はすなわち仁にして、春に属す。義は秋に属す。仁は出を主りて、発露作用なり。然るに一心虚明にして万理を照徹せざれば、便ち発用の源頭なし。義は入を主りて、収斂帰蔵なり。然るに百行万善様様具足円満せざれば、また収斂する処なし。これが正に造化の中の動と静と互いに根柢と為り・「顕諸仁」と「蔵諸用」の微妙の処にして、人の身上に落れば、すなわち本性の中の徳にして、内外を貫通する道理なり。

總論 項氏安世曰:此章言聖人體《易》於身也,知窮萬理之原,則乾之始萬物也,禮循萬理之則,則坤之成萬物也,道者義之體,智之所知也,義者道之用,禮之所行也。

「総論」に項安世の言を引く:この一章の講ずるところは、聖人の《周易》を自己の身上に體現するなり。智慧は万理の本原を窮究す。あれはすなわち乾の万物を開始する一面なり。礼は万理の法則に依循す。あれはすなわち坤の万物を成就する一面なり。道は義の本体にして、智の認識する対象なり。義は道の発用にして、礼の実行する内容なり。

繋辞上伝 第八章

聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。本義 賾,雜亂也。象,卦之象,如說卦所列者。巢說《朱子語類》云:賾,雜亂也,古無此字,只是“嘖”字,今從臣,亦是口之義,與《左傳》嘖有繁言之嘖同,是口裡說話多雜亂底意思,所以下文說不可惡,先儒多以“賾”為至妙之意,若如此說,何從謂之不可惡,“賾”只是一個雜亂冗鬧底意思。

《繋辞》はいう:聖人は天下万象の紛雑を見るに本事ありて、便ちそれらの形態容貌を比擬し、それらの各々相宜の様子を摹画す。ゆえに「象」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「賾」は雑乱にして、「象」は卦の象なり。《説卦伝》の裏に排列するあの類の如し。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「賾」は雑乱の意なり。古はこの字なかりき。本来ただ「嘖」の字のみ。今は「臣」に従う賾と作るも、また仍お口の意を帯びて、《左伝》の「嘖有煩言」の「嘖」と相同じく、口の裏に話を説くこと又多く又乱るるの意なり。ゆえに下文にやっとそれを「悪むべからず」という。前代の儒者は多く「賾」を極めて精妙と講ずるも、もしあの様に講ぜば、何をもってそれを「悪むべからず」と言わんや。「賾」はただ一個の雑乱嘈雑の意なり。

吳氏澄曰:不以“彖”對爻言,而以“象”對爻言者,文王未繫彖辭之先,重卦之名謂之“象”,“象”先於“彖”,言“象”則“彖”在其中。胡氏炳文曰:擬者象之未成,象者擬之已定,姑以乾坤二卦言之,未畫則擬陰陽之形容,於是為奇偶之畫,畫則象也,已畫又取象天地、首腹、牛馬以至於為金、為玉、為釜、為布之類,皆象也。

「集説」に呉澄の言を引く:ここに「彖」と爻と相対して言わずして、「象」と爻と相対して言うは、文王のまだ「彖辞」を繫がざる以前に、重卦の名目は便ち「象」と呼ばれたればなり。「象」は「彖」の前に在りて、「象」を講ずれば、「彖」もまたその裏に包まる。「集説」に胡炳文の言を引く:「擬」は象のまだ成形せざるときにして、「象」は擬のすでに定まり下したるときなり。姑く乾坤の両卦をもって言わば:まだ卦を画かざるに、まず陰陽の形態容貌を比擬して、ここに奇画と偶画ありて、画き出せば便ち象なり。画き好しの後、また象を天と地・頭と腹・馬と牛と為すに取り、象を金と為し・玉と為し・釜と為し・布と為すのこの類に到るまで、またみな象なり。

鄭氏維嶽曰:擬之在心,象之在畫。張氏振淵曰:擬諸形容者,擬之陰陽也,在未畫卦之先。“象其物宜”,正畫卦之事,“擬”是擬其所象,“象”是象其所擬,物而曰“宜”,不獨肖其形,兼欲盡其理。

「集説」に鄭維岳の言を引く:「擬」は心の裏に比量するにして、「象」は卦画の上に摹写するなり。「集説」に張振淵の言を引く:「諸を形容に擬す」は、比擬するは陰陽にして、まだ卦を画かざるの前に在り。「其の物宜に象る」は、正に卦を画くこの事なり。「擬」は将に摹画せんとする対象を比量するにして、「象」はすでに比量し好したるものを摹画するなり。物に対して一個の「宜」の字を説くは、単にその形状に肖似するを要せずして、またその道理を一併に表達し尽すを言うなり。

聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮,繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。本義 會,謂理之所聚而不可遺處,通,謂理之可行而無所礙處,如庖丁解牛,會則其族,而通則其虛也。

《繋辞》はいう:聖人は天下万事の変動を見るに本事ありて、便ちその中の会合と通達の所在を観察し、これに拠って典章礼法を推行し、再び文辞を繫げて吉凶を判断す。ゆえに「爻」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:「会」は衆理の聚集して一点も遺漏し得ざる処にして、「通」は道理の行き過ぐるに障碍なき処なり。《荘子》の裏の庖丁の牛を解くが如く、「会」は筋骨の盤結する族聚の処に相当し、「通」は骨節の間の空隙の処に相当す。

集說 《朱子語類》云:“會”以物之所聚而言,“通”以事之所宜而言。“會”是眾理聚處,雖覺得有許多難易窒礙,必於其中卻得個通底道理,乃可行爾,且如事理間,若不於會處理會,卻只見得一偏,便如何行得通,須是於會處都理會,其間卻自有個通處,這“禮”字又說得闊,凡事物之常理皆是。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「会」は事物の聚集する一面に就いて言い、「通」は事情の宜しき一面に就いて言う。「会」は衆多の道理の聚まり合わせたる処にして、裏面に許多の難処・易処・堵塞処あるを覚ゆといえども、必ずこの中に一条の走り通り得る道理を尋ね出ださば、やっと以て行い得べし。たとえば事理の間において、もし会聚の処に理会せざれば、ただ一偏を見るのみ。あれは何ぞ行き通らんや。必ず会聚の処に於て通遍に理会し一遍せば、あの裏面に自然に一個の通達の処あらん。ここの「礼」の字は講くこと極めて寛く、およそ事物の常理はみなその内に算入す。

又云:會而不通,便窒塞而不可行,通而不會,便不知許多曲直錯雜處。吳氏澄曰:會通,謂大中至正之理,非一偏一曲有所拘礙者也,聖人見天下不一之動,而觀其極善之理以行其事,見理精審,則行事允當也,以處事之法為辭,繫於各爻之下,使筮而遇此爻者,如此處事則吉,不如此處事則凶也。

朱熹はまたいう:ただ会聚して通達せざれば、便ち堵塞して行き通らず。ただ通達して会聚せざれば、便ちその中のあの許多の曲折錯雑の処を知らず。「集説」に呉澄の言を引く:いわゆる「会通」とは、大中至正の道理を指して、一角に偏り・拘泥して化せざるものにあらず。聖人は天下の変動紛紜として一ならざるを見て、便ちその中の最善の道理を観察して自己の事を推行す。理を看ること精細審慎なれば、行事は自然に妥当なり。彼は処事の法則を写して文辞と為し、每の一爻の下に繫げて、占筮してこの一爻に遇う人をして知らしむ:この様に処事すれば則ち吉にして、この様に処事せざれば則ち凶なり。

言天下之至賾而不可惡也,言天下之至動而不可亂也。本義 惡,猶厭也。集說 《朱子語類》云:雜亂處人易得厭惡,然都是道理中合有底事,自合理會,故“不可惡”。動亦是合有底,上面各自有道理故自“不可亂”。

《繋辞》はいう:《周易》は天下の最も紛雑なる事物を講じて人をして厭悪せしめず、天下の最も紛紜なる変動を講じて混乱に至らず。朱熹《本義》はいう:「悪」はすなわち厭棄なり。「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:雑乱の処は、人は厭悪を生じ易し。然るにこれらはみな道理の裏に本来あるべき事にして、本来便ち理会し往くべし。ゆえに「悪むべからず」という。変動もまた本来あるべきものにして、每の一件の上に各々その道理あり。ゆえに自然に「乱るべからず」なり。

吳氏澄曰:六十四卦之義,所以章顯天下至幽之義而名言宜稱,人所易知,則自不至厭惡其賾矣,三百八十四爻之辭,所以該載天下至多之事,而處決精當,人所易從,則自不至棼亂其動矣。潘氏士藻曰:有至一者存,所以“不可惡”,有至常者存,所以“不可亂”。

「集説」に呉澄の言を引く:六十四卦の卦義は、もって天下の最も幽深なる道理を彰顕して、卦名と文辞とは取得恰当にして、人は明白し易し。すなわち自然にその紛雑を厭悪するに至らず。三百八十四爻の爻辞は、もって天下の最も繁多なる事情を包載して、処置決断は精确妥当にして、人は依従し易し。すなわち自然にあの変動に攪乱せらるるに至らず。「集説」に潘士藻の言を引く:裏面に一個の至純一なる理在るがゆえに「悪むべからず」。一個の至恒常なる則在るがゆえに「乱るべからず」。

擬之而後言,議之而後動,擬議以成其變化。本義 觀象玩辭,觀變玩占,而法行之,此下七爻,則其例也。集說 王氏宗傳曰:“擬之而後言”,“擬”是象而言也,“擬”是而言,則言有物矣。“議之而後動”,“議”是爻而動也,“議”是而動,則動唯厥時矣。

《繋辞》はいう:比擬しての後やっと口を開いて説き、商議しての後やっと手を動かして為す。かの比擬と商議とに靠りて、自己の変化を成就す。朱熹《本義》はいう:卦象を観察し・卦辞を玩味し、爻変を観察し・占断を玩味して、然る後に照らして做し往く。下に挙ぐるところの七条の爻例は、すなわちこの様の示範なり。「集説」に王宗伝の言を引く:いわゆる「之を擬して後に言う」は、この「象」を比擬しての後に口を開くなり。比擬准えての後に説けば、説き出だす話は便ち実在の内容あらん。いわゆる「之を議して後に動く」は、この「爻」を商議しての後に行動す。商議定まりての後に動けば、行動は便ち総じてその時機に合し得るなり。

《朱子語類》云:“擬議”只是裁度,自家言動,使合此理,變易以從道之意。胡氏炳文曰:聖人之於象,擬之而後成,學《易》者如之何不擬之而後言,聖人之於爻,必觀會通以行典禮,學《易》者如之何不議之而後動,前言變化,《易》之變化也,此言成其變化,學《易》者之變化也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:いわゆる「擬議」は、ただ自己の言語行動を裁量斟酌して、それらをしてこの道理に合せしむるなり。すなわち自己を改変して道に順従するの意なり。「集説」に胡炳文の言を引く:聖人の象に対するや、比擬しての後やっと画き成す。学《易》の人は何ぞ比擬しての後にやっと口を開かざるを得んや。聖人の爻に対するや、必ず会通を観察してやっと典礼を推行す。学《易》の人は何ぞ商議しての後にやっと行動せざるを得んや。前に講じたる変化は、《周易》その身の変化なり。ここに「其の変化を成す」を講ずるは、学《易》の人自身の変化なり。

嗚鶴在陰,其子和之,我有好爵,吾與爾靡之。子曰:君子居其室,出其言善,則千里之外應之,況其邇者乎?居其室,出其言不善,則千里之外違之,況其邇者平?言出乎身,加乎民,行發乎邇,見乎遠。言行君子之樞機。樞機之發,榮辱之主也。言行,君子之所以動天地也,可不慎乎?本義 釋《中孚》,九二爻義。

《繋辞》に《中孚》の九二の爻辞を引く:鶴は幽陰の処に鳴いて、その小鶴は声に応じて相和す。我に一杯の好酒あり。願わくは汝と共に享けん。孔子はいう:君子は自己の屋裏に居りて、説き出だす話が善に合せば、千里の外も皆彼に响应す。何に況や近処の人をや。自己の屋裏に居りて、説き出だす話が善に合せざれば、千里の外も皆彼に背離す。何に況や近処の人をや。話は自身より出だすも、影響は却って百姓の身上に加わる。行為は近処より発動するも、效験は却って遠方に顕現す。言と行は君子の門軸と弩牙にして、門軸弩牙は一旦発動すれば、すなわち栄と辱の関鍵の所在なり。言と行は君子のもって天地を感動するものにして、何ぞ慎重ならざるを得んや。朱熹《本義》はいう:この一段は《中孚》卦の九二爻の義理を解釈するなり。

集說 韓氏伯曰:鶴鳴於陰,氣同則和,出言戶庭,千里或應,出言猶然,況其大 蔡氏淵曰:居其室,即在陰之義。出其言,即鳴之義。千里之外應之,即和之之義。感應者心也,言者心之聲,行者心之跡,言行乃感應之樞機也。

「集説」に韓康伯の言を引く:鶴は幽陰の処に鳴けば、気類相同のものは便ち来りて応和す。話は自家の門庭の内より出だすも、千里の外もまた人の响应あらん。一句の話尚且かくの如し。何に況やあの更に大なるをや——ここに底本に脱文あり、韓康伯の言は説き終えず。「集説」に蔡淵の言を引く:「其の室に居る」は、すなわち爻辞の「陰に在る」の意なり。「其の言を出だす」は、すなわち「鳴く」の意なり。「千里の外之に応ず」は、すなわち「其の子和す」の意なり。感と応とは心に靠る。言語は心の発し出だす声にして、行為は心の留め下す痕迹なり。ゆえに言と行は正に感应の枢機なり。

保氏八曰:“言出乎身加乎民,行發乎邇見乎遠。”樞動而戶開,機動而矢發,小則招榮辱,大則動天地,皆此唱而彼和,感應之最捷也。汪氏砥之曰:居室照在陰看《中孚》者,誠積於中,在陰居室,正當慎獨以修言行而進於誠也。

「集説」に保八の言を引く:「言は身に出乎、民に加わる。行は邇に発し、遠に見る」——門軸一旦動けば、門は便ち開く。弩牙一旦動けば、箭は便ち射出だす。小なれば栄辱を招来し、大なれば天地を感動す。みなこちらに一唱し・かちらに和するにして、感应の中の最も迅捷なるなり。「集説」に汪砥之の言を引く:「其の室に居る」は爻辞の「陰に在る」に対照して看るを要す。《中孚》の一卦の講ずるところは、誠の心中に積むなり。正当幽陰の地に処り・独居一室のときに当たれば、便ち自己の独処する時の念頭を謹慎し、言行を修治して「誠」の上に進むべし。

同人先號咷而後笑。子曰:君子之道,或出或處,或默或語。二人同心,其利斷金。同心之言,其臭如蘭。本義 釋《同人》九五爻義。言君子之道,初若不同,而後實無間,斷金如蘭,言物莫能問,而其言有味也。

《繋辞》に《同人》の九五の爻辞を引く:先には声を放ちて痛哭し、後には却って歓笑し起る。孔子はいう:君子の立身の道は、時に出仕し、時に退処し、時に沈黙し、時に進言す。両人の心意相同なれば、あの份の鋭利は以て金属を断断するに足る。心意相同なる話語は、あの気味は蘭の如く芬芳なり。朱熹《本義》はいう:この一段は《同人》卦の九五爻の義理を解釈するなり。これは君子の道を説き、起初は看去て各々相同ならざるが如く、後来に到れば其の実は毫も隔閡なし。「断金」「如蘭」は、物の彼らを離間し得るものなきを説きて、彼らの話語は甚だ滋味あるなり。

集說 韓氏伯曰:君子出處默語,不違其中,其跡雖異,道同則應。耿氏南仲曰:“或出或處,或默或語”者,物或間之,而其跡異也,跡雖異而心同,故物不得而終間焉。“其利斷金”,則其間除矣,間除則合,故又曰“同心之言,其臭如蘭”,其相好之無斁也。

「集説」に韓康伯の言を引く:君子は出仕と退処・沈黙と進言の間において、みなあの「中」に違背せず。彼らの行跡は相同ならざるといえども、ただ道相同なれば便ち彼此感应す。「集説」に耿南仲の言を引く:いわゆる「或は出で或は処り、或は黙し或は語る」は、外物の時に彼らを隔開するゆえに行跡同じからず。行跡は相同ならざるも心は相同なるがゆえに、外物は終に彼らを隔断し得ず。「其の利は金を断つ」は、あの層の間隔の斬除せられたるを説くなり。間隔除去せられれば便ち一つに合到す。ゆえに接続して「同心之言、其の臭は蘭の如し」といい、彼らの彼此相好して厭倦を生ぜざるを形容す。

《朱子語類》云:同心之利,雖金石之堅,亦被他斷決將去,斷是斷作兩段。俞氏琰曰:出處語默,即“先號咷後笑”之義。“二人同心”,斷金臭蘭,即相遇之義。錢氏志立曰:斷金,言其心志之堅,物不得間也。如蘭,言其氣味之一,物不能雜也。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:同心のあの份の鋭利は、たとえ金石の如く堅硬なるも、またそれに斬断せられん。「断」はすなわち両截に断つなり。「集説」に兪琰の言を引く:出仕と退処・進言と沈黙は、すなわち爻辞の「先に号咷して後に笑う」の意なり。「二人同心」にして能く金を断ち・気味蘭の如くは、すなわち後に彼此相遇会合するの意なり。「集説」に銭志立の言を引く:「断金」は、彼らの心志の堅定にして外物の挿入し得ざるを形容す。「如蘭」は、彼らの気味の純一にして外物の攙入し得ざるを形容す。

初六,藉用白茅無咎。子曰:苟錯諸地而可矣,藉之用茅,何咎之有?慎之至也,夫茅之為物薄而用可重也。慎斯術也以往,其無所失矣。本義 釋《大過》初六爻義。集說 程氏敬承曰:天下事成於慎而敗於忽,況當《大過》時,時事艱難,慎心不到,便有所失,故有取於慎之至,言寧過於畏慎也。

《繋辞》に《大過》の初六の爻辞を引く:洁白の茅草をもって襯墊と為せば、過錯あらじ。孔子はいう:随りに地上に放るは本来また可なり。なお茅草をもって下に墊かん。何ぞ過錯あらんや。これは謹慎の極処に到れるなり。茅草のこの物は本身甚だ軽薄なれども、用処は以て重たるべし。この様の謹慎の弁法を一路に推行し下せば、便ち何の閃失もあらじ。朱熹《本義》はいう:この一段は《大過》卦の初六爻の義理を解釈するなり。「集説」に程敬承の言を引く:天下の事は謹慎に成り・疏忽に敗る。何に況や正当《大過》のとき、時局艱難にして、謹慎の心稍々到らざれば、便ち岔子を出ださん。ゆえに「慎之至」に取りて義を立つるなり。意は寧ろ敬畏謹慎の上に一点頭を過ぐるを言うなり。

案 茅之為物薄而用可重,此句須對卦義看,卦取“棟”為義者,任重者也。茅之視棟,為物薄矣,然棟雖任重而猶有橈之患,故當大事者,每憂其傾墜也。若藉茅於地,則雖重物而不憂於傾墜也。豈非物薄而用可重乎,自古圖大事必以小心為基,故《大過》之時義雖用剛,而以初爻之柔為基者此也。

李光地の按:「茅の物と為るや薄くして用は重たるべし」のこの一句は、《大過》の卦義に対して看るを要す。この一卦は「棟」に取りて義を立つ。棟は重量を承担するものなり。茅草は棟梁に比べば、実に軽薄の物と算作すべし。然るに棟梁は重量を担い得るといえども、なお圧弯せらるるの隠患あり。ゆえに大事を担当する人は常にその傾倒墜落を担心す。もし茅草を地上に墊かば、すなわち物は再び重たるも傾倒墜落を担心するを要せず。これ豈に正に物は軽薄にして用処は以て重たるべきにあらずや。古来より大事を図謀するは、必ず小心謹慎をもって根基と為す。ゆえに《大過》の一卦の時と義とは剛を用うるを要するといえども、却って最も下のあの一柔爻をもって根基と当作す。道理はすなわちここに在るなり。

勞謙,君子有終,吉。子曰:勞而不伐,有功而不德,厚之至也。語以其功,下人者也。德言盛,禮言恭。謙也者,致恭以存其位者也。本義 釋《謙》九三爻義。:“德言盛,禮言恭。”言德欲其盛,禮欲其恭也。

《繋辞》に《謙》の九三の爻辞を引く:功労ありて能く謙遜なれば、君子は以て最後まで保持し得。吉なり。孔子はいう:力を出だして誇耀せず、功労ありてその徳を自居せず。これは敦厚の極処に到れるなり。彼の功労を説くに到れば、彼は却って人の下に甘居する人なり。徳行に就いてはそれを盛大なるを要し、礼節に就いてはそれを恭敬なるを要す。いわゆる「謙」とは、すなわち恭敬を極処に為して、因って自己の位置を保住するなり。朱熹《本義》はいう:この一段は《謙》卦の九三爻の義理を解釈するなり。「徳は盛を言い、礼は恭を言う」は、徳行はそれを盛大なるを要し、礼節はそれを恭敬なるを要することを説くなり。

亢龍有悔。子曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。本義 釋《乾》上九爻義,當屬《文言》,此蓋重出。集說 孔氏穎達曰:上既以謙德保位,此明無謙則有悔,故引《乾》之上九,“亢龍有悔。”證驕亢不謙也。

《繋辞》に《乾》の上九の爻辞を引く:竜は過高く飛べば、悔恨あらん。孔子はいう:地位は尊貴なれども実際の爵位なし。高く站るも百姓の管すべきなし。賢人はみな下位に在りて来りて彼を輔佐する者なし。ゆえに一たび動けば便ち悔あり。朱熹《本義》はいう:この一段は《乾》卦の上九爻の義理を解釈するにして、本来《文言伝》の裏に帰すべし。ここは大概重複して出現するなり。「集説」に孔穎達の言を引く:上文すでに謙徳をもって地位を保住するを講じたる以上、ここに便ち謙ならざれば便ち悔あるを説明す。ゆえに《乾》卦の上九の「亢竜有悔」を引きて、もって驕矜高亢・謙下を肯ぜざるの害処を証明す。

王氏宗傳曰:知聖人深予乎《謙》之九三,則知聖人深戒乎《乾》之上九,何也,亢者謙之反也,九三致恭存位,上九則“貴而無位”,九三“萬民服”,上九則“高而無民”,九三“能以功下人”,上九則“賢人在下位而無輔”,此九三所以謙而有終,上九所以亢而有悔也。

「集説」に王宗伝の言を引く:聖人の何がし《謙》卦の九三を深く賛許するかを懂れば、便ち聖人の何がし《乾》卦の上九を深く告誡するかをも懂る。何をもっての故にや。「亢」は正に「謙」の反面なり。九三は恭敬を極処に為して因って地位を保住す。上九は却って「貴にして位なし」。九三は能く万民をして帰服せしむ。上九は却って「高にして民なし」。九三は能く功労に憑りて人の下に甘居す。上九は却って「賢人下位に在りて輔なし」。これがすなわち九三の能く謙にして終あり・上九の亢にして悔を生ずる所以の縁故なり。

不出戶庭,無咎。子曰:亂之所生也,則言語以為階,君不密則失臣,臣不密則失身,凡事不密則害成,是以君子慎密而不出也。本義 釋《節》初九爻義。集說 蔡氏淵曰:不言則是非不形,人之招禍,唯言為甚,故言所當節也,密於言語,即“不出戶庭”之義。吳氏澄曰:此爻辭所象慎動之節,而夫子以發言之辭釋之。程子曰:在人所節,唯言與行,節於言則行可知,言當在先也。

《繋辞》に《節》の初九の爻辞を引く:自家の門庭より走出せざれば、過錯なし。孔子はいう:禍乱の発生する所以は、往往言語をもって階梯と当作す。君主は慎密せざれば便ち臣子を失い、臣子は慎密せざれば便ち性命を丟失し、凡事は慎密せざれば便ち禍害を醸成す。ゆえに君子は謹慎に守密して軽易に吐露せず。朱熹《本義》はいう:この一段は《節》卦の初九爻の義理を解釈するなり。「集説」に蔡淵の言を引く:話を説かざれば、是非は便ち成形するに由なし。人の禍患を招惹するは、言語をもって最烈と為す。ゆえに言語は応当に節制すべきなり。言語の上に守密するは、すなわち「戸庭を出でず」の意なり。「集説」に呉澄の言を引く:この条の爻辞の取るところの象は、行動の上に節制あるを要するにして、孔子は話を説くこの事を拿来してそれを解釈す。「集説」にまた程頤の言を引く:人の節制すべきところは、ただ言と行のみ。能く言語の上に節制せば、行為の如何なるもまた以て知るべし。ゆえに言語は応に前面に摆きて説くべし。

子曰:作《易》者其知盜乎!《易》曰:“負且乘,致寇至。”負也者,小人之事也;乘也者,君子之器也。小人而乘君子之器,盜思奪之矣。上慢下暴,盜思伐之矣。慢藏誨盜,冶容誨淫。《易》曰:“負且乘致寇至。”盜之招也。本義 釋《解》六三爻艾。此第八章,言卦爻之用。

《繋辞》はいう:孔子は講じ、《周易》を作る人は大概盗賊の何をもって来るかを懂れるであろう。《周易》《解》卦の六三はいう「物を背負いながら車に坐るは、強盗を招来せり」。物を背負うは、小人の幹る事なり。車子は、君子の使用する器物なり。小人は却って君子の車に坐上せば、盗賊は便ち奪取の念頭を動かす。上に対して傲慢にして、下に対して暴虐なれば、盗賊は便ち討伐の念頭を動かす。財物は収蔵すること随便なれば、人を教えて来りて盗ましむるに等し。容貌は打扮すること妖冶なれば、人を教えて来りて淫せしむるに等し。《周易》の「負にして且つ乗るは、寇を致す」と言うは、正に自己の盗賊を招来するなり。朱熹《本義》はいう:この一段は《解》卦の六三爻の義理を解釈するなり。これは第八章にして、卦爻の功用を講ず。

集說 孔氏穎達曰:此結上不密失身之事,事若不密,人則乘此機危而害之,猶若財之不密,盜則乘此機危而竊之。胡氏瑗曰:小人居君子之位,不唯盜之所奪,抑亦為盜之侵伐矣。蓋在上之人,不能選賢任能,遂使小人乘時得勢而至於高位,非小人之然也。

「集説」に孔穎達の言を引く:この一段は上文の「密せざれば則ち身を失う」のあの事を収束するなり。事情はもし慎密せざれば、别人は便ちこの乗ずべき隙に趁着して来りて加害す。正に財物の収蔵すること厳密ならざれば、盗賊は便ちこの乗ずべき隙に趁着して来りて偸窃するが如し。「集説」に胡瑗の言を引く:小人は君子の位置を占拠すれば、ただ盗賊に奪取せらるるを要するのみならず、しかも盗賊の攻伐を遭うを要す。これは元来上位に在る人の能く賢者を選抜し・能者を任用せざるによりて、やっと小人をして時勢に趁着して得志して高位に爬上せしめたるにして、小人の自己の能くかくのごときなりにはあらず。

陳氏琛曰:小人而乘君子之器,則處非其據,而“盜思奪之矣”,且小人在位,則慢上暴下,人所不堪,而“盜思伐之矣”。趙氏光大曰:強取曰“奪”,執辭曰“伐”。案 “慢”、“暴”如陳氏說亦通,然以“慢”字對下文慢藏觀之,則當為上褻慢其 總論 谷氏家傑曰:此章重擬議成變化句,前章以存存用《易》,尊德性也,此章以擬議用《易》,道問學也。

「集説」に陳琛の言を引く:小人は却って君子の車に乘坐するは、あれは占むべからざる位置を占めたれば、ゆえに「盗は之を奪わんと思う」。況んや小人は位に在れば、便ち上に対して傲慢・下に対して暴虐にして、人々は受け堪えず。ゆえに「盗は之を伐たんと思う」。「集説」に趙光大の言を引く:硬く奪い過ぐるを「奪」と呼び、話柄を抓みて師を興して罪を問うを「伐」と呼ぶ。李光地の按:「慢」「暴」は陳琛のあの様に講ずるもまた説き通り得べし。ただ「慢」の字を拿りて下文の「慢蔵」に対して看れば、便ち上位に在る人の軽慢亵渎するあの——ここに底本に脱文あり、按語は説き終えず。「総論」に谷家傑の言を引く:この一章の重心は「擬議して以て其の変化を成す」の一句に在り。前の一章は「成性存存」の工夫を用いて《周易》を運用するを講じ、あれは《中庸》の説くところの「尊徳性」なり。この一章は「擬議」の工夫を用いて《周易》を運用するを講じ、あれは《中庸》の説くところの「道問学」なり。

案 此上二章中“君子所居而安者”一節之義,得《易》理於心之謂德,成《易》理於事之謂業,聖人猶然,況學者乎,是故不可以至賾而惡也,不可以至動而亂也,擬之於至賾之中,得聖人所謂“擬諸形容”者,則沛然無疑而可以言矣,議之於至動之際,得聖人所謂觀其會通者,則確然不《易》而可以動矣,知禮成性,不待擬議而變化出焉者,聖人之事也,精義利用,擬議以成其變化者,學者之功也,《中孚》以下七爻舉例言之。

李光地の按:以上の両章は、第二章の「君子の居りて安んずる所以」のあの一節の意を申説したるなり。《易》理を心の裏に領会するを「徳」と呼び、《易》理を事の上に成就するを「業」と呼ぶ。聖人尚且かくの如し。何に況や学《易》の人をや。ゆえに事物の極めて紛雑なるに因りてそれを厭悪すべからず、変動の極めて紛紜なるに因りてそれに攪乱せらるべからず。極めて紛雑の中に於て比擬し往きて、聖人のいわゆる「諸を形容に擬す」のあの門径を得れば、便ち沛然として疑惑なく、口を開いて説くべし。極めて紛紜の際に於て商議し往きて、聖人のいわゆる「其の会通を観る」のあの門径を得れば、便ち確然として移易すべからず、手を動かして為すべし。知と礼とに憑りて本性を成就し、比擬商議を待たずして変化は自然に生出するは、あれは聖人の事なり。義理を精研し・実用を便利にして、比擬商議に靠りて自己の変化を成就するは、あれは学者の工夫なり。《中孚》以下に挙げたる七条の爻例は、すなわち拿来して示範と為せるものなり。

繋辞上伝 第九章

天一,地二;天三,地四;天五,地六;天七,地八;天九,地十。本義 此簡本在第十章之首。程子曰:宜在此,今從之,此言天地之數,陽奇陰偶,即所謂河圖者也,其位一六居下,二七居上,三八居左,四九居右,五十居中。就此章而言之,則中五為衍母,次十為衍子,次一二三四為四象之位,次六七八九為四象之數,二老位於西北,二少位於東南,其數則各以其類交錯於外也。

《繋辞》はいう:天数は一、地数は二。天数は三、地数は四。天数は五、地数は六。天数は七、地数は八。天数は九、地数は十。朱熹《本義》はいう:この一簡は原本第十章の開頭に排せられたるを、程頤は応にここに移すべしと認め、今は彼に依る。ここに講ずるところは天地の数にして、陽は奇数・陰は偶数なり。すなわちいわゆる「河図」なり。その方位は:一と六とは下方に居り、二と七とは上方に居り、三と八とは左方に居り、四と九とは右方に居り、五と十とは中央に居る。本章に就いて言えば、中間の五は「大衍」の数の母にして、其次の十はその子なり。再び次に、一・二・三・四は「四象」の位にして、六・七・八・九は「四象」の数なり。老陽老陰のこの両個の「老」は西方と北方に処り、少陽少陰のこの両個の「少」は東方と南方に処りて、それらの数は則ち各々同類に按じて交錯して外囲に排布す。

集說 郭氏雍曰:天數五,地數五者,此也,《漢志》言天以一生水,地以二生火,天以三生木,地以四生金,天以五生土,故或謂天一至五為五行生數,地六至地十為五行成數,雖有此五行之說,而於易無所見,故五行之說,出於曆數之學,非《易》之道也。

「集説」に郭雍の言を引く:下文のいわゆる「天数五、地数五」とは、指すところはこの十个の数なり。《漢書・律暦志》はいう、天は一をもって水を生じ、地は二をもって火を生じ、天は三をもって木を生じ、地は四をもって金を生じ、天は五をもって土を生ず。ゆえに人ありて天一より五に至るを五行の「生数」と呼び、地六より地十に至るを五行の「成数」と呼ぶ。この一套の五行の講法あるといえども、《周易》の裏には根拠を尋ね得ず。見るべし、五行の説は暦法算数の学より出でて、《易》其の身の道理にあらざるなり。

《朱子語類》云:自“大衍之數五十”,至“再扐而後掛”,便接“乾之策二百一十有六”,至“可與祐神矣”為一節,是論大衍之數,自“天一至地十”,卻連“天數五至而行鬼神也”為一節,是論河圖五十五之數,今其文間斷差錯,不相連接,舛誤甚明。

「集説」に《朱子語類》に記す朱熹の言を引く:「大衍之数五十」より「再扐而後挂」に到るまで、応に直截に「乾之策二百一十有六」に接続して、「可に神を祐するに与る」と至るまで、一節に合成して、講ずるところは大衍の数なり。「天一」より「地十」に到るまでは、則ち応に「天数五」に連ねて「而行鬼神也」に至るまで、一節に合成して、講ずるところは河図五十五の数なり。今やこの両段の文字は打断錯置せられて、前後接続せず、錯乱すること十分に明顯なり。

項氏安世曰:姚大老云,天一地二至天九地十,班固《律曆志》及衛元嵩《元包運蓍篇》,皆在天數五地數五之上。吳氏澄曰:案《漢書律曆志》,引此章“天一地二至行鬼神也”,六十四字相連,則是班固時此簡猶未錯也。

「集説」に項安世の言を引く:姚大老は講じたり、「天一地二」より「天九地十」に到るまでのこの一段は、班固《漢書・律暦志》および衛元嵩《元包運蓍篇》の裏に、みな「天数五、地数五」の前面に排せり。「集説」に呉澄の言を引く:《漢書・律暦志》の引くところの本章を査すれば、「天一地二」より「行鬼神也」に到るまで共に六十四個の字は連ねて一つに在り。見るべし、班固のあの時候には、この一簡はなお錯乱せざりしなり。

天數五,地數五。五位相得而各有合,天數二十有五,地數三十,凡天地之數,五十有五,此所以成變化而行鬼神也。本義 此簡本在大衍之後,今按宜在此,天數五者,一三五七九皆奇也,地數五者,二四六八十皆偶也。相得,謂一與二,三與四,五與六,七與八,九與十,各以奇偶為類而自相得。有合,謂一與六,二與七,三與八,四與九,五與十,皆兩相合。

《繋辞》はいう:天数は五個あり、地数は五個あり。この五組の位次は両々相次いでまた各々会合あり。天数は合計二十五、地数は合計三十、天地の数は総じて五十五なり。これがすなわち変化を成就し・鬼神を運行する根拠なり。朱熹《本義》はいう:この一簡は原本「大衍之数」の後に排せられたるを、今按ずるに応にここに移すべし。いわゆる天数五個とは、一・三・五・七・九はみな奇数なり。地数五個とは、二・四・六・八・十はみな偶数なり。いわゆる「相得」とは、一と二・三と四・五と六・七と八・九と十とは、各々奇偶に按じて分類して彼此相次ぐなり。いわゆる「有合」とは、一と六・二と七・三と八・四と九・五と十とは、みな両々相合するなり。

二十有五者,五奇之積也。三十者,五偶之積也。變化,謂一變生水,而六化成之,二化生火,而七變成之,三變生木,而八化成之,四化生金,而九變成之,五變生土,而十化成之。

《本義》は続けていう:二十五は、五個の奇数を相加したる総和にして、三十は、五個の偶数を相加したる総和なり。いわゆる「変化」とは、一が「変」じて水を生じ、六が「化」してそれを成就し、二が「化」して火を生じ、七が「変」じてそれを成就し、三が「変」じて木を生じ、八が「化」してそれを成就し、四が「化」して金を生じ、九が「変」じてそれを成就し、五が「変」じて土を生じ、十が「化」してそれを成就することを指す。生数と成数とは一変一化して、五行に配成す。

集說 孔氏穎達曰:言此陽奇陰偶之數,成就其變化,而宣行鬼神之用。程子曰:數只是氣,變化鬼神亦只是氣,天地之數五十有五,變化鬼神,皆不越於其間。龔氏煥曰:“五位相得”之說,當從孔氏,蓋既謂之“五位相得”,則是指一六居北,二七居南,三八居東,四九居西,五十居中而言,且一二三四之相得不見其用,不若孔之的也。

「集説」に孔穎達の言を引く:これは陽奇陰偶のこれらの数の、天地の変化を成就し、しかも鬼神の作用を宣発運行するを講ずるなり。「集説」に程頤の言を引く:数は過ぎず気なり、変化と鬼神ともまた過ぎず気なり。天地の数は五十五にして、変化と鬼神とはみなこの範囲を跳出せず。「集説」に龔煥の言を引く:「五位相得」の講法は、応に孔穎達に依従すべし。すでに「五位相得」と呼ぶ以上、あれはすなわち一と六とが北に居り・二と七とが南に居り・三と八とが東に居り・四と九とが西に居り・五と十とが中に居るに就いて言うなり。況んや一と二・三と四のあの様の相得は、それに何の用処あるかを看出だし得ず。孔穎達の説法の来たること确切なるに如かず。

案 龔氏之意,謂“相得”者,言四方相次,如一三七九,二四六八是也。“有合”昔,言四方相交,如一六二七,三八四九是也,此說極合圖意。蓋“相得”者,是二氣之迭運,四時之順播,所以成變化者此也。“有合”者,是動靜之互根,陰陽之互藏,所以行鬼神者此也,然成變化行鬼神,不直言於相得有合之後,必重敘天地之數五十有五者,蓋非重敘細數,則無以見相得者之自少而多,自微而盛,有合者之多少相間,微盛相錯,而往來積漸之跡,屈伸交互之機,有所未明者矣。

李光地の按:龔煥の意思は、いわゆる「相得」は、四方の依次に相接するを講じ、たとえば一・三・七・九の一路に排し下り、二・四・六・八の一路に排し下るがごときなり。いわゆる「有合」は、四方の彼此交会するを講じ、たとえば一と六・二と七・三と八・四と九と相配するがごときなり。この講法は極めて河図の本意に合す。「相得」は陰陽二気の輪流運転・四季の依次流布にして、変化を成就する根拠はすなわちここに在り。「有合」は動と静と互いに根柢と為り・陰と陽と互相包蔵するにして、鬼神を運行する根拠はすなわちここに在るなり。按語は続けていう:然るに「変化を成し」「鬼神を行う」のこの両句は、直截に「相得」「有合」の後面に接続して説き出ださずして、必ず天地の数五十五を重新して叙述し一遍するは、あれはこれらの細数を重新して点出せざれば、「相得」の一路の由少より多へ・由微より盛へなると、「有合」の一路の多と少と相間じ・微と盛と交錯するとを看出だし得ざればなり。あの様に一来すれば、往来して積累漸進する蹤跡・屈伸交互する枢機は、便ち講じ明白ならざる処あらんなり。

大衍之數五十,其用四十有九,分而為二以象兩,掛一以象三,揲之以四,以象四時,歸奇於扐以象閏。五歲再閏,故再扐而後掛。本義 “大衍之數五十”,蓋以河圖中宮,天五乘地十而得之。至用以筮,則又止用四十有九,蓋皆出於理勢之自然,而非人之知力所能損益也。兩,謂天地也。掛,懸其一於左手小指之間也。三,三才也。揲,間而數之也。奇,所揲四數之餘也。扐,勒於左手中三指之兩間也。

《繋辞》はいう:「大衍」の数は五十にして、実際の使用は四十九根なり。それを分かちて両份と為すは、もって天地両儀を象徴す。その中より一根を取りて挂け置くは、もって天地人の三才を象徴す。四根ずつ四根ずつ数え過ぐるは、もって四季を象徴す。数え剩る零頭を指縫の間に挟むは、もって閏月を象徴す。五年の中に両個の閏あるゆえに、両次挟みての後に再び重新して挂一す。朱熹《本義》はいう:「大衍之数五十」は、大概河図の中央宮位の天五を拿りて地十に乗じて得来たるなり。実際に占筮に用うるに及んで、却又だただ四十九根のみを用う。これはみな理と勢の自然より出でて、人の智力の能く増減し得るところにあらず。「両」は天地を指し、「挂」はその中の一根を左手の小指の間に懸くるを言い、「三」は三才を指し、「揲」は隔開して一組ずつ一組ずつ数えるを言い、「奇」は四根ずつ数え過ぎたる後に剩る零頭にして、「扐」は零頭を左手の中間の三個の指頭の縫隙の裏に勒夹するを言うなり。

閏,積月之餘日而成月者也。五歲之間,再積日而再成月,故五歲之中,凡有再閏,然後別起積分,如一掛之後,左右各一揲而一扐,故五者之中,凡有再扐,然後別起一掛也。

《本義》は続けていう:いわゆる「閏」とは、每月の剩余の日子を累積して凑りて一個月と成すなり。五年の間、両次に余日を累積し・両次に閏月を凑成す。ゆえに五年の当中に共に両個の閏ありて、然る後にやっと重新して零分を累積し始む。揲蓍もまた一様なり:挂一の後、左右両辺は各々一次数え・各々一次零頭を挟む。ゆえにこの一套の五個の步驟の当中に共に両次の「扐」ありて、然る後にやっと重新して下一次の「挂一」を開始す。

集說 韓氏伯曰:王弼曰:演天地之數者,五十也,其用四十有九,則其一不用也,不用而用以之通,非數而數以之成,斯易之太極也。孔氏穎達曰:分而為二以象兩者,五十之內去其一,餘有四十九,合同未分。今以四十九分而為二,以象兩儀也。掛一以象三者,就兩儀之間,於天數之中,分掛其一以象三才也。

「集説」に韓康伯の王弼の言を転述するを引く:天地の数を推演するは、五十なり。実際の使用は四十九なれば、すなわちその中の一根は用いざるなり。この一根は運用に参与せざるも、全部の運用は却ってそれに靠りてやっと通行す。それは本身は数と算作せざるも、所有の数は却ってそれに靠りてやっと成立す——これがすなわち《易》の「太極」なり。「集説」に孔穎達の言を引く:いわゆる「分かちて二と為し以て両に象る」は、五十根の裏より一根を去掉して、余下四十九根は、本来一処に合して未だ分かれず。今やこの四十九根を分かちて両份と為すは、もって「両儀」を象徴す。いわゆる「一を挂けて以て三に象る」は、両儀の間に於て、天数のあの一份の裏より一根を分出して挂け置くは、もって「三才」を象徴す。

揲之以四以象四時者,分揲其蓍,皆以四四為數,以象四時。歸奇於扐以象閏者,謂四揲之餘,歸此殘奇於扐而成數,以象天道歸殘聚餘分而成閏也。五歲再閏者,凡前閏後閏,相去大略三十二月,在五歲之中,故五歲再閏。

孔穎達は続けていう:いわゆる「之を揲するに四をもってし以て四時に象る」は、蓍草を分数するとき、みな四根をもって一組と為して計数するは、もって四季を象徴す。いわゆる「奇を扐に帰して以て閏に象る」は、四根ずつ四根ずつ数え下りて剩余する零頭を説きて、これらの残余を指縫の中に帰夹して凑りて一個の数と成すは、もって天道の零碎の余分を聚攏して閏月と為るを象徴す。いわゆる「五歳再閏」は、前の一個の閏月と後の一個の閏月と相隔ること大約三十二個月にして、五年の内に落るを説く。ゆえに五年に両個の閏ありという。

張氏浚曰:“歸奇於扐以象閏”,何也?大衍用四十有九,老陽餘數十有三,老陰餘數二十有五,合之為三十有八,少陽餘數二十有一,少陰餘數十有七,合之亦為三十有八,乘以六爻之位,則二百二十有八也,凡術於筭者,率以二百二十八為求閏之法,蓋自然之紀如此。

「集説」に張浚の言を引く:何がして「奇を扐に帰して以て閏に象る」というや。大衍は四十九根を用い、ここの余数は三変の当中に挂扐し得る策数を指す。老陽の三変はみな少の一辺に落ちて、合計十三。老陰の三変はみな多の一辺に落ちて、合計二十五。両者相加すれば三十八なり。少陽は合計二十一、少陰は合計十七、両者相加すればまた三十八なり。再び六爻の位数を拿りて乗ずれば、便ち二百二十八なり。およそ算術に精なる者は、大都二百二十八を拿りて閏余を推求する算法と為す。見るべし、自然の法度は本来便ちこの様にして、蓍策の余数と暦法の閏余とは暗暗に相通ずるなり。

朱子《蓍卦考誤》曰;五十之內去其一,但用四十九策,合同未分,是象太一也。以四十九策分置左右兩手,左手象天,右手象地,是象兩儀也。掛,猶懸也,於右手之中,取其一策,懸於左手小指之間,所以象人而配天地,是象三才。揲,數之也。謂先

「集説」に朱熹《蓍卦考誤》の言を引く:五十根の裏より一根を去掉して、ただ四十九策のみを用い、一処に合してなお分かれず。これは「太一」を象徴す。四十九策を分かちて左右両手に放つは、左手は天を象り、右手は地を象る。これは「両儀」を象徴す。「挂」はすなわち懸挂にして、右手のあの一份の裏より一策を取り出だし、左手の小指の間に懸くるは、もって人の天地と相配するを象徴す。これは「三才」を象徴す。「揲」はすなわち数にして、まず——ここに底本に脱文あり、この一段は説き終えず。

又答郭雍曰:過揲之數,雖先得之,然其數眾而繁,歸奇之數,雖後得之,然其數寡而約,紀數之法,以約御繁,不以眾制寡,故先儒舊說,專以多少決陰陽之老少,而過揲之數,亦冥會焉,初非有異說也。然七八九六所以為陰陽之老少者,其說又本於圖書。定於四象,其歸奇之數,亦因揲而得之耳。大抵河圖洛書者,七八九六之祖也。四象之形體次第者,其父也。歸奇之奇偶方園者,其子也。過揲而以四乘之者,其孫也。今自歸奇以上,皆棄不錄,而獨以過揲四乘之數為說,恐或未究象數之本原也。

朱熹はまた郭雍に答える信の裏にいう:数え過ぎたるあの策は、すなわち「過揲」の数にして、先に得たるといえども、数目は衆多にして繁瑣なり。指の間に挟まる零頭は、すなわち「帰奇」の数にして、後に得たるといえども、数目は少なくして簡約なり。数を記する弁法は、簡約を拿りて繁多を駕馭するにして、繁多を拿りて少数を管束するにあらず。ゆえに前代儒者の旧説は、専ら零頭の多少を用いて陰陽の老少を判定して、過揲の数もまた暗暗にそれと相合す。本来並びて両套の説法あらざるなり。七・八・九・六の陰陽の老少と為る所以に至っては、この道理はまた河図洛書に本づき、四象に於て定形して、帰奇の数もまた過ぎず揲蓍に随って得来したるのみなり。大体に言えば、河図洛書は七八九六の祖にして、四象の形体次第はそれらの父にして、帰奇の得るところの奇偶方円はそれらの子にして、過揲の数の四をもって乗ずるはそれらの孫なり。今や帰奇以上のをことごとく丟開して録せず、単に過揲の四をもって乗じ得る数を拿りて説を立つるは、恐怕らくは象と数の本原に推究し到らざるなり。

吳氏澄曰:衍毋之一,數之所起,故大衍五十之數,虛其一而不用,所用者四十有九,其數七七,蓋以一一為體,七七為用也。胡氏炳文曰:曆法再閏之後,又從積分而起,則筮法再扐之後,又必從掛一而起也。

「集説」に呉澄の言を引く:衍母と為るあの「一」は、数の起点なり。ゆえに大衍五十の数は一根を空け出だして用いず、実際の使用は四十九にして、恰好七乘七の数なり。これは「一乘一」を拿りて体と為し、「七乘七」を拿りて用と為すなり。「集説」に胡炳文の言を引く:暦法の上は両個の閏月の後、また頭より零分を累積して算え起すを要す。すなわち筮法の上の両次の「扐」の後も、また必ず重新して「挂一」より開始するを要す。

附錄 虞氏翻曰:奇此掛一策,扐所揲之餘,不一則二,不三則四也。取奇以歸扐,以閏月定四時成歲,故“歸奇於扐以象閏也”。張子曰:奇,所掛之一也。劫,左右手四揲之餘也。再扐後掛者,每成一爻而後掛也。謂第二第三揲不掛也。閏嘗不及三歲而再至,故曰五歲再閏,此歸奇必俟於再扐者,象閏之中間再歲也。

「附録」に虞翻の言を引く:「奇」はすなわちこの挂けたる一策にして、「扐」は数え過ぎたる後に剩る零頭——一ならざればすなわち二、三ならざればすなわち四なり。あの一策を取り来りて零頭の裏に帰するは、たとえば閏月を拿りて四時を定め・一年を凑成するが如し。ゆえに「奇を扐に帰して以て閏に象る」という。「附録」に張載の言を引く:「奇」は挂けたるあの一根にして、「扐」は左右両手の四四に数え過ぎたる後の零頭なり。いわゆる「再扐而後挂」は、一爻を成就する毎にやっと重新して挂一するを説きて、すなわち第二変・第三変は挂せざるを言うなり。閏月は往往三年に到らずして再び一回来る。ゆえに「五歳再閏」という。ここの「帰奇」は必ず両次の「扐」の後を待つを要す。正に両個の閏の間に両年を隔つるを象徴す。

郭氏忠孝曰:奇者,所掛之一也。扐者,左右兩揲之餘也。得左右兩揲之餘寘於前,以奇歸之也。歸奇,象閏也。五歲再閏,非以再扐象再閏也,蓋閏之後有再歲,故歸奇之後亦有再扐也。再扐而後復掛,掛而復歸,則五歲再閏之義矣。自唐初以來,以奇為扐,故揲法多誤,至橫渠先生而後奇扐復分。

「附録」に郭忠孝の言を引く:「奇」は挂けたるあの一根にして、「扐」は左右両次に揲数したる後の零頭なり。左右両次の揲余を面前に摆き、再び挂けたるあの一根を帰併し入る。これがすなわち「帰奇」にして、もって閏月を象徴す。いわゆる「五歳再閏」は、並びて両次の「扐」を拿りて両個の閏を象るにあらず。閏月の後になお両年あるによりて、ゆえに「帰奇」の後にもまた両次の「扐」に随うなり。両次の「扐」の後に重新して挂一し、挂一の後に再び帰奇す。これがすなわち「五歳再閏」の含義なり。唐朝初年より来りて、人々は「奇」をもって「扐」と当作せり。ゆえに揲蓍の法は多く錯誤あり。張載先生の手裏に到って、「奇」と「扐」とはやっと重新して分清せられたり。

又曰:扐者數之餘也,如《禮》言祭用數之仂是也,或謂指間為扐者非,《繫辭》言“歸奇於扐”,則奇與扐為二事也。又言“再扐而後掛”,則扐與奇亦二事也,由是知《正義》誤以奇為扐,又誤以左右手揲為再扐,如曰最末之餘,歸之合於扐掛之一處,其說自相抵捂,莫知所從,唯當從橫渠先生之說為正。

郭忠孝はまたいう:「扐」は数目の余数なり。たとえば《礼記・王制》の祭祀の取用する「数之仂」——十分の一の余数——を講ずるがあの様なり。ある人は指頭の縫を便ち「扐」と呼ぶというも、あれは対ならず。《繋辞》は「奇を扐に帰す」と講ず。見るべし、「奇」と「扐」とは両件の事なり。又「再扐而後挂」と講ず。見るべし、「扐」と「奇」ともまた両件の事なり。これによりて孔穎達《周易正義》の錯りて「奇」をもって「扐」と当作し、又錯りて左右両手の各々一次揲するを算作して両次の「扐」と為せるを知る。その最末に剩る余数を扐と挂のあの一処に帰併するを説くが如くは、この講法は自ら相抵触して、人をして適従する処なからしむ。ただ応に張載先生の説法をもって正と為すべし。

又曰:《繫辭》以兩扐一掛為三變而成一爻,是有三歲一閏之象,《正義》以每一揲左右兩手之餘即為再扐,是一變之中,再扐一掛皆具,則一歲一閏之象也。凡揲蓍第一變必掛一者,謂不掛一則無變,所餘皆得五也,唯掛一則所餘非五則九,故能變,第二第三揲雖不掛,亦有四八之變,蓋不必掛也,故聖人必再扐後掛者以此。

郭忠孝はまたいう:《繋辞》は両次の「扐」・一次の「挂」を拿りて三変に合成して一爻を成す。ここの裏面には三年に一閏の象を含む。《周易正義》は却って毎一次揲蓍するときの左右両手の余数を便ち算作して両次の「扐」と為す。すなわち一変の中に「再扐」「一挂」は全て斉備して、一年に一閏の象と成れり。およそ揲蓍は、第一変は必ず「挂一」を要す。挂一せざれば便ち変化なく——余るところはみな五と為らんからなり。唯だ挂一して、余るところは五ならざればすなわち九にして、やっと変化を生出し得。第二変・第三変は挂せざるといえども、また仍お四と八の分別あり。見るべし、再び挂くるを要せず。聖人の必ず両次の「扐」の後にやっと重新して挂くる所以は、道理はすなわちここに在るなり。

案 郭雍本其先人郭忠孝之說,以為蓍說,引張子之言為據,朱子與之往復辨論,今附錄於後以備參考,大約孔《疏》、《本義》,則以左右揲餘為奇,而即以再扐象再閏,張子郭氏則以先掛一者為奇,而歸之於扐以象閏,其說謂唯初變掛一而後二變不掛,故

李光地の按:郭雍はその父郭忠孝の説法に依据して蓍を論ずる作を写成し、張載の言を引きて根拠と為し、朱熹は彼と往復して辯論せり。今やこれらを附録して後面に在りて参考に備ゆ。大致に言えば、孔穎達《周易正義》と朱熹《本義》とは、左右両手の揲剩の零頭を拿りて「奇」と当作し、しかも便ち両次の「扐」を用いて両個の閏に象る。張載と郭氏父子とは、則ち先に挂けたるあの一根を拿りて「奇」と当作し、それを「扐」の裏に帰して閏に象る。彼らの説法はただ第一変のみ挂一し・後面の両変は挂せざるを主張す。ゆえに——ここに底本に脱文あり、按語は説き終えず。

乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四,凡三百有六十,當期之日。

《繋辞》はいう:乾の一卦の策数は二百一十六にして、坤の一卦の策数は一百四十四なり。両者合計すれば三百六十にして、正に一整年の日数に相当す。これは老陽の一爻は三変を経過して、過揲の策は三十六にして、乾卦の六爻は全て老陽なれば、六に三十六を乗ずれば便ち二百一十六なり。老陰の一爻の過揲の策は二十四にして、坤卦の六爻は全て老陰なれば、六に二十四を乗ずれば便ち一百四十四なり。両数相加すれば三百六十を得て、恰も古暦の一年三百六十日の常数と相当す。ゆえに「期の日に当たる」という。

繋辞上伝 第九章(続)

本義 凡此策數,生於四象,蓋河圖四面。太陽居一而連九,少陰居二而連八,少陽居三而連七,太陰居四而連六,揲蓍之法,則通計三變之餘,去其初掛之一,凡四為奇,凡八為偶,奇圓圍三,偶方圍四,三用其全,四用其半,積而數之,則為六七八九,而第三變揲數策數,亦皆符會,蓋餘三奇則九,而其揲亦九,策亦四九三十六,是為居一之太陽。餘二奇一偶則八,而其揲亦八,策亦四八三十二,是為居二之少陰。

朱熹《本義》はいう:以上の乾坤両卦の策数は、みな「四象」より生出したるにして、その根柢は《河図》の四面の方位に在り——太陽は一位を占めて九と相連なり、少陰は二位を占めて八と相連なり、少陽は三位を占めて七と相連なり、太陰は四位を占めて六と相連なる。揲蓍して卦を求むる弁法は、三変の剩るところの蓍草を通盤に合計して、まず第一変のときに指の間に挂けたるあの一根を扣掉し、この後は每に四根剩ればすなわち一個の「奇」と算し、每に八根剩ればすなわち一個の「偶」と算す。「奇」は円に属し、円の周長は直径の三倍にして、その全数を取る。ゆえに一個の奇は三と記作す。「偶」は方に属し、方の周長は直径の四倍にして、ただ一半を取る。ゆえに一個の偶は二と記作す。三変の得るところを依次に累加し起せば、恰好便ち六・七・八・九の四個の数にして、第三変の揲余の蓍数と最後に算い出だす策数とも、またみなこの四個の数と一々符合す。三変の余るところもし全て奇ならば、累加すれば三三にして九を得、揲する数も同じく九にして、策数は則ち四九三十六なり。これは便ち《河図》の一位に居る太陽なり。もし両奇一偶ならば、累加すれば三加三加二にして八を得、揲する数も同じく八にして、策数は則ち四八三十二なり。これは便ち二位に居る少陰なり。

二偶一奇則七,而其揲亦七,策亦四七二十八,是為居三之少陽。三偶則六,而其揲亦六,策亦四六二十四,是為居四之老陰,是其變化往來進退離合之妙,皆出自然,非人之所能為也,少陰退而未極乎虛,少陽進而末極乎盈,故此獨以老陽老陰計乾坤六爻之策數,餘可推而知也。期,周一歲也。凡三百六十五日四分日之一,此特舉成數而概言之耳。

《本義》は続けていう:両偶一奇は累加して七を得、揲する数も同じく七にして、策数は則ち四七二十八なり。これは便ち三位に居る少陽なり。三次全て偶は累加して六を得、揲する数も同じく六にして、策数は則ち四六二十四なり。これは便ち四位に居る老陰なり。この一套の変化往来・進退離合の奥妙は、全て自然にして然るより生出したるにして、人力の能く安排し得るところにあらず。少陰は盛より退くも、なお極虚に退き到らず。少陽は微より進むも、また極盈に進み到らず。唯だ老陽老陰は変化の尽頭に走り到る。ゆえに《繋辞》のここは単に老陽老陰を取りて乾坤六爻の策数を計算して、其余の少陽少陰の策数は、読者はこれに依りて類推すれば便ち知るべし。「期」はすなわち一週年なり。一年は実に三百六十五日又四分の一日あり。ここに三百六十日と説くは、ただ整を挙げて笼统に言うのみなり。

集說 孔氏穎達曰:乾之少陽。一爻有二十八策,六爻則有一百六十八策,此經據老陽之策也。若坤之少陰,一爻有三十二,六爻則有一百九十二,此經據坤之老陰,故百四十有四也。《朱子語類》云:大凡易數皆六十,三十六對二十四,三十二對二十八,皆六十也,十甲十二辰,亦湊到六十也,鐘律五聲十二律,亦積為六十也,以此知天地之數,皆至六十為節。

集説に孔穎達の言を引く:乾卦はもし少陽に按じて計せば、一爻は二十八策にして、六爻は便ち一百六十八策なり。而るに《繋辞》の説くところの乾の策二百一十六は、老陽の每爻三十六策に依って算えたるなり。坤卦はもし少陰に按じて計せば、一爻は三十二策にして、六爻は便ち一百九十二策なり。而るに《繋辞》の説くところの坤の策は、老陰の每爻二十四策に依って算えたるなり。ゆえに得数は一百四十四なり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:《易》の裏の数は大抵みな六十をもって一個の節度と為す——老陽三十六と老陰二十四と相配するは六十にして、少陰三十二と少陽二十八と相配するもまた六十なり。十天干と十二地支と相配するは、六十に到ってやっと回環一周す。楽律の上は五声と十二律と相乗して、積数も同じく六十なり。これによりて天地の数はみな六十をもって一個の段落と為すを知るべし。

又答程大昌曰:《大傳》專以六爻乘二老而言,故曰:乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四。凡三百有六十,其實六爻之為陰陽者,老少錯餘,其積而為乾者,未必皆老陽,其積而為坤者,未必皆老陰,其為六子諸卦者,或陽或陰,亦互有老少焉。胡氏炳文曰:前則掛扐象月之閏,此則過揲之數象歲之周,蓋揲之以四,已合四時之象,故總過揲之數,又合四時成歲之象也。案 《大傳》不言乾之掛扐若干,坤之掛扐若干,而但言乾之策坤之策,則以策數定七八九六者似是。

集説にまた朱熹の程大昌に答える書信を引いていう:《繋辞大伝》のここはただ六爻を取りて分別に老陽・老陰の両個の数に乗じて論を立つ。ゆえに乾の策二百一十六・坤の策一百四十四と説きて、合し起れば三百六十なり。其の実は実際に占筮するとき、六爻の陰陽は老少交錯して、凑りて一個の乾卦と成る六爻は必ずしも全て老陽ならず、凑りて一個の坤卦と成る六爻もまた必ずしも全て老陰ならず。震坎艮巽離兌のこの六子および其余の諸卦に至っては、各爻は或いは陽或いは陰にして、その中に同じく互いに老少の分別あり。集説に胡炳文の言を引く:前文は挂扐の帰するところの零数を講じて、一年の中の閏月に象を取る。ここは過揲の得るところの策数を講じて、一年の周期に象を取る。すでに每揲四をもってし、本已に四時の象に合せば、すなわち過揲の数を総べ起せば、又だ四時の積みて一歳と成る象に合す。李光地の按:《繋辞大伝》は並びて乾の挂扐は多少・坤の挂扐は多少と説かずして、ただ乾の策・坤の策のみを説く。見るべし、過揲の策数を用いて七・八・九・六を判定するは、似乎やっと正解なり。

二篇之策,萬有一千五百二十,當萬物之數也。本義 二篇,謂上下經。凡陽爻百九十二,得六千九百一十二策,陰爻百九十二,得四千六百八策,合之得此數。

《繋辞》はいう:上下両篇の策数は合計して一万千五百二十にして、正に万物の数目に相当す。朱熹《本義》はいう:いわゆる「二篇」は、《周易》の上経と下経を指す。六十四卦は共に三百八十四爻にして、その中の陽爻は一百九十二、每爻は老陽三十六策をもって計して、六千九百一十二策を得。陰爻もまた一百九十二、每爻は老陰二十四策をもって計して、四千六百八策を得。両項相加すれば、正好一万千五百二十のこの数なり。

是故四營而成易,十有八變而成卦。集說 陸氏績曰:分而為二以象兩,一營也。掛一以象三,二營也,揲之以四以象四時,三營也。歸奇於扐以象閏,四營也。孔氏穎達曰:營,謂經營,謂四度經營蓍策,乃成易之一變也,每一爻有三變,初一揲不五則九,是一變也;第二揲不四則八,是二變也;第三揲亦不四則八,是三變也。

《繋辞》はいう:ゆえに四道の経営を経てやっと一次の変易を成し、十八次の変を経てやっと一卦を成す。集説に陸績の言を引く:四十九根の蓍草を信手に分かちて両把と作すは以て天地両儀に象る。これは第一営なり。その中より一根を取出して小指の間に挂くるは以て三才に象る。これは第二営なり。両手の蓍草は各々四根を一組と為して数え過ぐるは以て四時に象る。これは第三営なり。両手の数え剩る零頭を指縫の間に挟むは以て閏月に象る。これは第四営なり。集説に孔穎達の言を引く:「営」はすなわち経営にして、蓍策を四度経営して、やっと《易》の一変を成す。每の一爻は三変を経過するを要す。第一次に揲蓍して、挂扐し得るところは五ならざればすなわち九にして、これは一変なり。第二次に揲蓍して、得るところは四ならざればすなわち八にして、これは二変なり。第三次に揲蓍して、得るところは同じく四ならざればすなわち八にして、これは三変なり。

若三者俱多為老陰,謂初得九,第二第三俱得八也。若三者俱少為老陽,謂初得五,第二第三俱得四也。若兩少一多為少陰,謂初與二三之間,或有四有五而有八,或有二四面有一九也,其兩多一少為少陽,謂三揲之間,或有一九一八而有一四,或為二八而有一五也。三變既畢,乃定一爻,六爻則十有八變乃始成卦也。《朱子語類》云:這處未下得卦字,亦未下得爻字,只下得易字。

孔穎達は続けていう:三変の得るところ、もし三次みな多数ならば、すなわち老陰にして、すなわち第一変は九を得、第二第三変はみな八を得るなり。もし三次みな少数ならば、すなわち老陽にして、すなわち第一変は五を得、第二第三変はみな四を得るなり。もし両次少なく一次多ければ、すなわち少陰にして、すなわち三変の中に或いは一個の四・一個の五・再加一個の八、或いは両個の四・再加一個の九なり。もし両次多く一次少なければ、すなわち少陽にして、すなわち三変の中に或いは一個の九・一個の八・再加一個の四、或いは両個の八・再加一個の五なり。三変走り畢って、やっと一爻を定め下す。六爻は便ち十八変を得て、やっと一卦を成すと算す。集説に《朱子語類》を引いていう:この個の地方に講じ到っては、なお「卦」の字を用い得ず、またなお「爻」の字を用い得ず、ただ一個の「易」の字を用いてそれを称呼するのみ能し。

八卦而小成。本義 謂九變而成三畫,得內卦也+。集說 孔氏穎達曰:八卦而小成者,象天地雷風日月山澤,於大象略盡,是易道“小成”。引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣。本義 謂已成六爻,而視其爻之變與不變,以為動靜,則一卦可變而為六十四卦,以定吉凶,凡四千九十六卦也。

《繋辞》はいう:八卦に到れば便ち小成と算す。朱熹《本義》はいう:これは九変を経て三画を成し、内卦を得るを指す。集説に孔穎達の言を引く:いわゆる「八卦にして小成」とは、八卦は已に能く天・地・雷・風・日・月・山・沢に象を取りて、大なる物象は已に収羅して差不多なりを説く。ゆえに《易》道の「小成」という。《繋辞》は続けていう:それを引申して開け、類に触れて推衍してそれを滋長せしめば、天下の能く為すところの事は便ちみなその裏頭に包羅せられたり。朱熹《本義》はいう:これは六爻すでに画き成りたる後、再び每の一爻の変ずるや変ぜざるやを看て、これに拠って動爻と静爻を判定すれば、すなわち一卦は以て六十四卦を変出して、もって吉凶を断定するを指す。六十四卦は各々六十四を変じて、合計すれば共に四千九十六卦なり。

案 六十四卦變為四千九十六卦之法,即如八卦變為六十四卦之法,畫上加畫,至於四千九十六卦,則六畫者積十二畫矣。如引寸以為尺,引尺以為丈,故曰“引而伸之”。聖人設六十四卦,又係以辭,則事類大略已盡,今又就其變之所適而加一卦焉,彼此相觸,或相因以相生,或相反以相成,其變無窮,則義類亦無窮,故曰“觸類而長之”。如此則足以該事變而周民用,故曰“天下之能事畢。”

李光地の按:六十四卦の変じて四千九十六卦と成る弁法は、八卦の重ねて六十四卦と成る弁法と一様にして、みな原有の卦画の上に再び卦画を加うるなり。四千九十六卦に推し到るとき、本来六画の卦は便ち積みて十二画と成れり。これはたとえば一寸を引長して一尺と為し・一尺を引長して一丈と為すが如し。ゆえに《繋辞》は「引きて之を伸ぶ」という。聖人は六十四卦を設立して、また每卦每爻に文辞を繫げ与えたり。人事の種類は大体已に説き尽せり。今や再びそれの変動の到るところのあの一卦に就きて別に一卦を加え、本卦と之卦とは彼此相触して、或いは相い因り相い承けて互いに生発し、或いは相い反し相い対して互いに成就し、変化は窮なきにして、含むところの義理の種類もまた窮なし。ゆえに「類に触れて之を長ず」という。この様に一来すれば、便ち以て天下の一切の事変を涵盖し・百姓の一切の日用に周遍するに足る。ゆえに「天下の能事畢わる」という。

顯道神德行,是故可與酬酢,可與祐神矣。本義 道因辭顯,行以數神。酬酢,謂應對。祐神,謂助神化之功。集說 韓氏伯曰:可以應對萬物之求,助成神化之功也。酬酢,猶應對。張子曰:示人吉凶,其道顯,陰陽不測,其德神,顯故可與酬酢,神故可與祐神。

《繋辞》はいう:《易》は能く道理を顕露出だして、また能く徳行をして神妙変らしむ。ゆえに以て事物に酬酢すべく、以て神明の化育を祐助すべし。朱熹《本義》はいう:道理は卦爻の辞あるに因りてやっと顕明を得、徳行は蓍策の数あるに因りてやっと神妙を得。「酬酢」はすなわち応対往来にして、「祐神」はすなわち神明の化育の功を助くるなり。集説に韓伯の言を引く:《易》は以て万物の求問に応対し、以て神明の化育の功業を助成すべし。「酬酢」は便ち応対に相当す。集説に張載の言を引く:《易》は吉凶を人に昭示す。その道は便ち顕なり。陰陽変化は測度すべからず。その徳は便ち神なり。顕なるに因りて、ゆえに以て事物に応対すべく、神なるに因りて、ゆえに以て神明を輔助すべし。

又曰:顯道者,危使平,易使傾,懼以終始,其要無咎之道也。神德行者,寂然不動,冥會於萬化之感,而莫知為之者也。受命如響,故可與酬酢。曲盡鬼謀,故可與祐神,顯道神德行,此言蓍龜之德也。項氏安世曰:天道雖幽,可闡之以示乎人,人事雖顯,可推之以合乎天,明可以酬酢事物之官,幽可以贊出鬼神之命。

集説にまた張載の言を引く:いわゆる「道を顕す」は、《易》の能く危惧に処る人をして平安を得せしめ、掉以轻心の人をして傾覆に陥らしめ、人をして自始至終戒惧の心を存せしむるを説く。その要旨はすなわち一条の過錯を出でざる路なり。いわゆる「徳行を神ならしむ」は、《易》の本体は寂然として動かざるも、却って能く暗暗に万物万化の感应に契合して、人は誰がそれをしてかくのごとくせしめるかを知らず。それの問命に応答するや回声の如く快し。ゆえに以て事物に応対すべし。それは幽冥の中の謀算を曲曲折折に窮尽し出だす。ゆえに以て神明を輔助すべし。「道を顕し徳行を神ならしむ」のこの一句は、講ずるところは正に蓍と亀の徳性なり。集説に項安世の言を引く:天道は幽隱なるといえども、それを闡発し出だして人に昭示すべし。人事は顕明なるといえども、それを推究し上って天と相合すべし。明の処に就いて言えば、《易》は以て事物の職分に応対すべく、幽の処に就いて言えば、《易》は以て鬼神の発する命令を賛助すべし。

子曰:知變化之道者,其知神之所為乎。而今不可考耳,其可推者,《啟蒙》備言之。集說 韓氏伯曰:變化之道,不為而自然,故知變化之道者,則知神之所為。張子曰:唯神為能變化,以其一天下之動也,人能知變化之道,其必知神之所為也。

《繋辞》はいう:孔子は曰く、変化の道を懂る者は、大概便ち神の作為を懂るであろう。《本義》のこの条は底本に脱文ありて、ただ末尾の数語のみ剩る:……今や已に考訂するに由なし。その中のなお推求すべき部分は、朱熹は《易学啓蒙》の裏に説くこと極めて詳備なり。集説に韓伯の言を引く:変化の道は人為を待たずして自然にかくのごとし。ゆえに能く変化の道を懂る者は、便ち神の作為をも懂る。集説に張載の言を引く:ただ神のみ能く変化を造成す。それは天下の一切の動作を統べて一に帰すればなり。人はもし能く変化の道を懂れば、便ち必定に神の作為を懂る。

蘇氏軾曰:神之所為不可知,現變化而知之矣,變化之間,神無不在。董氏銖曰:陽化為陰,陰變為陽者,變化也。所以變化者,道也。道者本然之妙,變化者所乘之機,故陰變陽化,而道無不在,兩在故不測,故曰“知變化之道者,其知神之所為乎”。

集説に蘇軾の言を引く:神の作為は本身は知るに由なく、ただそれの顕現する変化に就いてそれを知るのみ能し。変化の中に於て、神は在らざる処なし。集説に董銖の言を引く:陽は消して陰に化し・陰は長じて陽に変ず。これを「変化」と呼ぶ。それをして能く変化せしむるは、すなわち「道」なり。道は本然かくのごときの妙理にして、変化は道の乗載する機括なり。ゆえに陰の変じ陽の化する際、道は在らざる処なし。道は同時に陰に在りてまた同時に陽に在り。ゆえに測度すべからず。それによりて《繋辞》は「変化の道を知る者は、其れ神の為すところを知らんか」という。

龔氏煥曰:此所謂“知變化之道者,其知神之所為”,即承上文所謂“成變化而行鬼神”為言也,蓋河圖之數體也,故曰“所以成變化而行鬼神。”大衍之數用也,故曰“知變化之遭,其知神之所為”,成變化所以行鬼神,故知變化之道,則知神之所為。變化者神之所為,而神不離於變化,知道者必能知之。

集説に龔煥の言を引く:ここの説くところの「変化の道を知る者は、其れ神の為すところを知らんか」は、正に上文の「変化を成して鬼神を行う」の一句を承けて来れるなり。《河図》の数の講ずるところは体なり。ゆえにかの処は「変化を成し鬼神を行う所以」という。大衍の数の講ずるところは用なり。ゆえにここは「変化の道を知れば、其れ神の為すところを知らんか」という。能く変化を成就して、やっと鬼神を運行するを談じ得べし。ゆえに変化の道を懂れば、便ち神の作為をも懂る。変化は神の做し出だしたるにして、神は又だ並びて変化を離れて別に所在あるにあらず。真に道を懂る者は必ず能くこの一層を体会す。

陸氏振奇曰:神妙變化而為言,故知鬼神之行,即在成變化處。谷氏家傑曰:神之所為,是因圖數之神,以贊衍法之神,見其亦如天地之成變化而行鬼神也,指蓍法之變化為神,非總承數法而並贊其神也。

集説に陸振奇の言を引く:ここは神の能く変化を妙運するに就いて説を立つるなり。ゆえに鬼神の運行を知らんと要せば、便ち変化を造成する処に到りて看るべし。集説に谷家傑の言を引く:いわゆる「神の為すところ」は、《河図》の数の神を借りて、来りて大衍揲蓍の法の神を讃嘆し、揲蓍の法もまた天地の如く能く変化を成就し・鬼神を運行するを見出だすなり。これは単に蓍法の変化を指して神と為して、並びて河図の数と大衍の法とを総括して一併にそれらの神を讃嘆するにあらず。

案 此節是承蓍卦而贊之,龔氏谷氏之論為得,蓋菁卦之法,乃所以寫變化之機,而陰陽合一不測之妙,行乎其間也,下文象變辭占,即是變化之道,至精至變以極於至神,即是神之所為。

李光地の按:この一節は蓍法と成卦を承けて讃嘆したるにして、龔煥・谷家傑の両人の説法は最も得体なり。揲蓍して卦を成す方法は、正に変化の機を摹写するに用うるにして、陰陽合一・測度すべからざる奥妙は便ちその中に運行す。下文の講ずるところの象・変・辞・占は、すなわちいわゆる「変化の道」なり。至精・至変にして極処に至る至神は、すなわちいわゆる「神の為すところ」なり。

繋辞上伝 第十章

《易》有聖人之道四焉,以言者尚其辭,以動者尚其變,以制器者尚其象,以卜筮者尚其占。本義 四者皆變化之道,神之所為者也。集說 虞氏翻曰:以言者尚其辭,聖人之情見於辭,繫辭焉,以盡言也,動則玩其占,故尚其占者也。

《繋辞》はいう:《易》の裏には聖人の道の四条を含む:言を発し論を立てんとする者はその卦爻の辞を看重し、行動あらんとする者はその変動を看重し、器物を制作せんとする者はその物象を看重し、卜筮して事を問わんとする者はその占断を看重す。朱熹《本義》はいう:この四条はみな変化の道に属して、みな神の作為なり。集説に虞翻の言を引く:いわゆる「以て言う者は其の辞を尚ぶ」は、聖人の心意はみな卦爻辞の裏に表現して、文辞を繫げたるは正に説かんとする話を説き尽さんと欲するによりてなり。行動あるときは便ちその占断を玩味す。ゆえに「其の占を尚ぶ」という。

孔氏穎達曰:策是筮之所用,並言卜者,卜雖龜之見兆,亦有陰陽五行變動之狀。程子曰:言所以述理,以言者尚其辭,謂以言求理者,則存意於辭也;以動者尚其變,動則變也;順變而動,乃合道也;制器作事,當體乎象,卜筮吉凶,當考乎占。

集説に孔穎達の言を引く:蓍策は筮法の用うるものにして、ここは却って「卜」をも連ねて一併に説く。卜は亀甲の上に現る兆紋を看るといえども、その中に同じく陰陽五行変動の形状あればなり。集説に程頤の言を引く:言語はもって道理を陳述するに用う。いわゆる「以て言う者は其の辞を尚ぶ」は、言語に憑りて道理を求むる者は、心思を卦爻の辞の上に放くを説くなり。いわゆる「以て動く者は其の変を尚ぶ」は、一たび動けば便ち変ありて、変に順って行動せば、やっと道に合するによりてなり。器物を制作し・事業を興弁するは、応に卦象に取法すべく、卜筮して吉凶を問うは、応に占断に於て考求すべし。

《朱子語類》:問:以“卜筮者尚其占”,卜用龜亦使易占否?曰:不用,則是文勢如此。胡氏炳文曰:辭以明變象之理,占以斷變象之應,故四者之目,以辭與占始終焉。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「以て卜筮する者は其の占を尚ぶ」と説けば、すなわち亀甲を用いて卜するときもまた《易》を用いて占うを要するか。朱子は答えた:用いず、ただ行文の語勢かくのごとくのみ。集説に胡炳文の言を引く:卦爻の辞はもって変と象の道理を闡明するに用い、占断はもって変と象の応験する結果を判定するに用う。ゆえにこの四条の次第は、「辞」をもって開頭と為し・「占」をもって収尾と為すなり。

蔡氏清曰:尚辭與尚占有別。後章云:“繫辭焉所以告也”,定之以吉凶所以斷也,於此可見尚辭尚占之別矣。又曰:言動制器卜筮,不必俱以筮易言,“君子居則觀其象而玩其辭”,亦可用易也;“動則觀其變而玩其占”,亦可用易也。

集説に蔡清の言を引く:「辞を尚ぶ」と「占を尚ぶ」とは分別あるなり。後面の一章に「辞を繫ぐるは告ぐる所以なり」と説き、又「之を定むるに吉凶をもってするは断ずる所以なり」と説く。「告」と「断」の分別より、便ち辞を尚ぶと占を尚ぶの分別を看出だし得。蔡清はまたいう:言語・行動・制器・卜筮のこの四項は、必ずしもみな筮《易》を拿りて講ずるを要せず。いわゆる「君子は居れば則ち其の象を観て其の辞を玩ぶ」も、また《易》を用うるに在り。いわゆる「動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ」も、同じく《易》を用うるに在り。

是以君子將有為也,將有行也,問焉而以言,其受命也如響,無有遠近幽深,遂知來物。非天下之至精,其孰能與於此?本義 此尚辭尚占之事,言人以蓍問《易》,求其卦爻之辭,而以之發言處事,則易受人之命而有以告之,如響之應聲,以決其來來之吉凶也。以言,與“以言者尚其辭”之以言義同。命,則將筮而告蓍之語,《冠禮》筮日宰自右贊命是也。

《繋辞》はいう:ゆえに君子は将に作為あらんとし・将に行動あらんとするときは、便ち《易》に向かい発問して言辞をもって相告ぐ。《易》は問命を接受するや回声の応答するが如く、事情の遠近幽深を問わず、みな能くこれに因りて未来の事を知る。天下の最も精微なるものにあらざれば、誰か能くこの一歩を為し到らんや。朱熹《本義》はいう:この一段の講ずるところは辞を尚び・占を尚ぶの事にして、人の蓍草をもって《易》に向かい発問し、その卦爻の辞を求得して、拠って発言し・拠って処事すれば、すなわち《易》は便ち人の問命を接受して以て相告ぐることあり、回声の声音に応答するが如く、彼の為に未来の吉凶を決断するを説く。ここの「以て言う」は、前文の「以て言う者は其の辞を尚ぶ」の「以て言う」と意思相同なり。「命」は将に占筮せんとするとき蓍草に告ぐるあの番の話にして、《儀礼・士冠礼》の記すところの筮日のとき宰は右辺より主人の命を発するを贊助するは、すなわちこの種の命辞なり。

集說 《朱子語類》云:問焉而以言,以上下文推之,以言卻是命筮之詞,古人亦大段重這命筮之詞。吳氏澄曰:有為,謂作內事。有行,謂作外事。蔡氏清曰:行之於身是有為,措之事業是有行。案 此節是釋“動則觀其變而玩其占”之意,又起下章所謂“蓍之德”也。蓍以知來,故曰“遂知來物”。至精者,虛明鑑照,如水鏡之無纖翳也。

集説に《朱子語類》を引いていう:「問わんして以て言う」の「以て言う」は、上下文に按じて推求すれば、指すところは正に命筮の辞語なり。古人もまた十分にこの套の命筮の辞を看重せり。集説に呉澄の言を引く:「有為」は家内の事を弁ずるを指し、「有行」は対外の事を弁ずるを指す。集説に蔡清の言を引く:自身の上に施行するは「有為」にして、事業の上に措置するは「有行」なり。李光地の按:この一節は第二章の「動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ」の意を解釈して、また下一章の説くところの「蓍之徳」を引出す。蓍の功用は未来を預知するに在り。ゆえに「遂に来物を知る」という。いわゆる「至精」は、虚霊明澈にして物を照らして遺なし、水面明鏡の如く一絲の翳障すらなきなり。

參伍以變,錯綜其數。通其變,遂成天地之文,極其數,遂定天下之象。非天下之至變,其孰能與於此。本義 此尚象之事。變則象之未定者也,參者三數之也,伍者五數之也,既參以變,又伍以變一先一後,更相考核,以審其多寡之實也。錯者,交而互之一左一右之謂也。

《繋辞》はいう:三をもって数え・五をもって数えてその変を求め、交錯綜合してその数目を理る。その変化を貫通せば、便ち天地の文理を成就す。その数目を窮尽せば、便ち天下の物象を判定す。天下の最も能く変通するものにあらざれば、誰か能くこの一歩を為し到らんや。朱熹《本義》はいう:この一段の講ずるところは「象を尚ぶ」の事なり。いわゆる「変」とは、物象のまだ定まり下らざるときを指す。「参」は三をもって一組と為してそれを数え、「伍」は五をもって一組と為してそれを数えるなり。まず三を用いて変化を数え出だし、再び五を用いて変化を数え出だし、一先一後に互いに考核して、もって数目多寡の実情を審定す。「錯」は交叉して互いに為用するにして、一左一右に対して看るなり。

綜者,總而挈之,一低一昂之謂也,此亦皆謂揲蓍求卦之事,蓋通三揲兩手之策,以成陰陽老少之畫,究七八九六之數,以定卦爻動靜之象也。參伍錯綜皆古語,而參伍尤難曉,按《荀子》云:窺敵制變,欲伍以參。韓非曰:省同異之言,以知朋黨之分,偶參伍之驗,以責陳言之實。又曰:參之以比物,伍之以合參。《史記》曰:必參而伍之。又曰:參伍不失。《漢書》曰:參伍其賈,以類相準,此足以相發明矣。

《本義》は続けていう:「綜」は総攬してそれを提住するにして、一低一昂に対照して看るなり。これらもまたみな揲蓍して卦を求むる事に就いて説く——三次の揲蓍の両手の得るところの策数を通盤に合計して、もって陰陽老少の爻画を定出し、七・八・九・六のこの几個の数を推究して、もって卦爻動静の物象を判定す。「参伍」「錯綜」はみな古語にして、その中の「参伍」は尤も懂り難し。《荀子》に按ずるにいう:敵情を窺探し・変化を制馭するは、交互に参験するを要す。韓非はいう:言論の同異を審察して、以て朋党の分野を辨明し、参伍互証の弁法を用いて、以て陳する言の属実なるや否やを責求す。韓非はまたいう:事物を類比して以て「参」と為し、衆験を会合して以て「伍」と為す。《史記》はいう:必ず参伍互験するを要す。又いう:参伍推校して失わず。《漢書》はいう:参伍してその価格を比較し、類別に按じて互いに准を取る。これらの例子は以て互いに「参伍」の意思を発明するに足るなり。

集說 虞氏翻曰:觀變陰陽始立卦,故“成天地之文”,“物相雜故曰文也”。數,六畫之數,六爻之動,三極之道,故定天下吉凶之象也。《朱子語類》云:紀數之法以三數之,則遇五而齊,以五數之,則遇三而會,所謂“參伍以變”者,前後多寡,更相反覆,以不齊而要其齊。又云:參伍所以通之,其治之也簡而疏,錯綜所以極之,其治之也繁而密。

集説に虞翻の言を引く:陰陽の変化を観察してやっと卦を立つるを始む。ゆえに「天地の文を成す」という。《繋辞》はまた「物相雑りて故に文と曰う」という。いわゆる「数」は、六画の数を指す。六爻の変動は天地人の三極の道を體現す。ゆえに能く天下吉凶の物象を判定す。集説に《朱子語類》を引いていう:数を記する方法は、三を用いて数ゆれば、五個目の三(十五)に数え到ってやっと五と斉整し、五を用いて数ゆれば、三個目の五(十五)に数え到ってやっと三と会合す。いわゆる「参伍して以て変ず」とは、すなわち前後の多と寡を反復に推排して、参差せず斉らざるの中より斉整を求得するなり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:「参伍」はもってそれを貫通するに用い、処理し起れば簡略にして疏濶なり。「錯綜」はもってそれを窮尽するに用い、処理し起れば繁細にして周密なり。

案 此節是釋“居則觀其象而玩其辭”之意,又起下章所謂“卦之德六爻之義”也,卦爻以藏往,故曰“遂成天地之文”、“遂定天下之象”。成文,謂八卦也,雷風水火山澤之象具,而天地之文成矣。定象,謂六爻也,內外上下貴賤之位立,而天下之象定矣,參伍錯綜,亦是互文,總以見卦爻陰陽互相參錯爾,至變者,變動周流,如雲物之無定質也。

李光地の按:この一節は第二章の「居れば則ち其の象を観て其の辞を玩ぶ」の意を解釈して、また下一章の説くところの「卦之徳」「六爻之義」を引出す。卦と爻の功用は已往を収蔵するに在り。ゆえに「遂に天地の文を成し」「遂に天下の象を定む」という。いわゆる「文を成す」とは、指すところは八卦にして、雷・風・水・火・山・沢の象は斉備すれば、天地の文理は便ち成るなり。いわゆる「象を定む」とは、指すところは六爻にして、内外・上下・貴賤の位次は立ち起れば、天下の物象は便ち定まるなり。「参伍」と「錯綜」もまた互文して義を見るにして、総べて言えばただ卦爻の陰陽の互いに参差交錯するを見出ださんとするのみなり。いわゆる「至変」とは、それの変動周流して、雲気物色の如く固定の形質なきを説くなり。

易無思也,無為也。寂然不動,感而遂通天下之故。非天下之至神,其孰能與於此?程子曰:老子曰“無為”,又曰“無為而無不為”。聖人作《易》未嘗言無為,唯曰無思也,無為也,此戒夫作為也。然下即曰“寂然不動,感而遂通天下之故”,是動靜之理,未嘗為一偏之說矣。

《繋辞》はいう:《易》は思慮なく、作為なく、寂然として動かず、一たび感应あれば便ち天下の一切の事故に貫通す。天下の最も神妙なるものにあらざれば、誰か能くこの一歩を為し到らんや。集説に程頤の言を引く:老子は「無為」を講じ、また「無為にして為さざるなし」を講ず。聖人は《易》を作るも、曽て単に一個の「無為」のみを説かずして、ただ「思なし、為なし」とのみ説く。これは人に私意造作せざるを告誡するなり。然るに緊接して便ち「寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ず」と説く。見るべし、動と静の道理は兼ね備えて、従来曽て一辺に偏執して説を立てざるなり。

胡氏居仁曰:天下之理。雖萬殊而實一本,皆具於心,故感而遂通,若原不曾具得此理,如何通得。林氏希元曰:“感而遂通天下之故”,即是上文“遂成天地之文”,“遂定天下之象”,“受命如響,遂知來物”之意,蓋即上文而再謄說以歸於至神也。張氏振淵曰:十數“遂”字,已含有“神”字意,非精變之外別有神。

集説に胡居仁の言を引く:天下の道理は千差万別するといえども、其の実は同じく一本より出でて、みな人心の中に具備す。ゆえに一たび感ずれば便ち能く通ず。仮使心の裏に原本曽てこの理を具備せざれば、また何ぞ通じ得べきや。集説に林希元の言を引く:「感じて遂に天下の故に通ず」は、すなわち上文の「遂に天地の文を成し」「遂に天下の象を定め」「命を受くること響の如くして、遂に来物を知る」の意思にして、過ぎず上文を再び謄述し一遍して、「至神」の上に帰結するなり。集説に張振淵の言を引く:この一大段の裏の十来个の「遂」の字は、本身已に一個の「神」の字の意味を含む。見るべし、並びて「至精」「至変」の外に別に一個の神あるにあらざるなり。

案 此節是總蓍卦爻之德而贊之。“遂通天下之故”,即上文“遂知來物”,“遂成天地之文”。而此謂之至神者,以其皆感通於寂然不動之中,其知來物非出于思,其成文定象非出於為也,神不在精變之外,其即精變之自然而然者與。

李光地の按:この一節は蓍・卦・爻の三者の徳性を総べて讃嘆を加うるなり。いわゆる「遂に天下の故に通ず」は、すなわち上文の「遂に来物を知る」と「遂に天地の文を成す」なり。而るにここのそれを「至神」と称する所以は、これら一切がみな寂然不動の中に於て感じて遂に通ずるによりてなり。それの未来の事を知るは思慮より出でず、それの文理を成就し物象を判定するもまた造作より出でず。神は並びて「至精」「至変」の外に別に一格を立てず、それは大概精と変の自然而然の処であろう。

夫《易》,聖人之所以極深而研幾也。本義 研,猶審也。幾,微也。所以極深者,至精也,所以研幾者,至變也。集說 韓氏伯曰:極未形之理則曰“深”,適動微之會則曰“幾”。孔氏穎達曰:言《易》道弘大,故聖人用之,所以窮極幽深而研覆幾微也,“無有遠近幽深”,是“極深”也。“參伍以變,錯綜其數”,是“研幾”也。

《繋辞》はいう:《易》は聖人のもって幽深を窮極し・几微を研審する所以のものなり。朱熹《本義》はいう:「研」はすなわち審察にして、「几」はすなわち細微なり。もって幽深を窮極するは、「至精」なり。もって几微を研審するは、「至変」なり。集説に韓伯の言を引く:まだ成形せざる理を窮究するを、「深」と呼ぶ。正好動念初萌の関頭に趕上するを、「几」と呼ぶ。集説に孔穎達の言を引く:《易》道は弘大なり。ゆえに聖人はそれを用いて幽深を窮極し・反復に几微を研審す。上文の「遠近幽深なきなし」の一句の説くところは、すなわち「深を極む」なり。「参伍して以て変じ、その数を錯綜す」の一句の説くところは、すなわち「几を研ぐ」なり。

俞氏琰曰:深,蘊奧而難見也。幾,細微而未著也。極深,謂以易之至梢,窮天下之至精。研幾,謂以易之至變,察天下之至變。唯深也,故能通天下之志;唯幾也,故能成天下之務;唯神也,故不疾而速,不行而至。本義 所以通志而成務者,神之所為也。

集説に兪琰の言を引く:「深」は奥密を藴蔵して窺見し難く、「几」は細小微茫にして未だ顕著ならず。いわゆる「深を極む」は、《易》の至精を用いて天下の至精を窮究するなり。いわゆる「几を研ぐ」は、《易》の至変を用いて天下の至変を察知するなり。《繋辞》はいう:唯だその能く深きによりて、ゆえに能く天下人の心志を通達す。唯だその能く几なるによりて、ゆえに能く天下の事務を成就す。唯だその能く神なるによりて、ゆえに急促せずして自然に迅速にして、行走せずして自然に到達す。朱熹《本義》はいう:能く志を通し務を成すは、みな神の作為なり。

集說 虞氏翻曰:深謂“幽贊神明”。“無有遠近幽深,遂知來物”,“故通天下之志”,謂蓍也。務,事也。謂《易》研幾,故成天下之務,謂卦也。“寂然不動,感而遂通”,故“不行而至”者也。孔氏穎達曰:“唯深也,故能通天下之志”者,聖人用易道以極深,故聖人德深也,能通天下之志意,即是“受命如響,遂知來物”。“唯幾也,故能成天下之務”者,聖人用易道以研幾,故能知事之幾微,通其變遂成天地之文是也。

集説に虞翻の言を引く:「深」の指すところは《説卦伝》のいわゆる「神明に幽賛す」なり。「遠近幽深なく、遂に来物を知る」。ゆえに能く「天下の志に通ず」。これは蓍に就いて説くなり。「務」はすなわち事にして、《易》の能く几微を研審して、ゆえに能く天下の事務を成就するを説く。これは卦に就いて説くなり。「寂然として動かず、感じて遂に通ず」。ゆえに能く「行かずして至る」。集説に孔穎達の言を引く:いわゆる「唯だ深きによりて、故に能く天下の志に通ず」とは、聖人の《易》道を用いて幽深を窮極して、ゆえに聖人の徳もまた深く、能く天下人の心意を通達するを説く。これがすなわち前文の「命を受くること響の如く、遂に来物を知る」なり。いわゆる「唯だ几なるによりて、故に能く天下の務を成す」とは、聖人の《易》道を用いて几微を研審して、ゆえに能く事情の細微の苗头を知るを説く。前文の「其の変に通じて遂に天地の文を成す」の講ずるところはすなわちこの個なり。

張子曰:一故神,譬之人身四體皆一物,故能觸之而無不覺,不待心使至此而後覺 張氏浚曰:“精之能燭,來物遂知,天下之志,於此而可通,變之所該,萬象以定,天下之務,於此而可成。

集説に張載の言を引く:渾然として一と為るに因りて、ゆえに能く神なり。たとえば人の身体の、四肢百骸は同じく一物に属するが如く、ゆえに一たびそれに碰到すれば便ち覚察せざるなく、必ずしも心の指使し・伝達し到るを待たずしてやっと覚察するにあらず。集説に張浚の言を引く:至精は能く幽微を照徹して、未来の事はここに以て預知すべく、天下人の心志は、すなわちここに於て通達を得。変化の包羅する所は、万象をして各々その定を得せしめ、天下の事務は、すなわちここに於て成就を得るなり。

《朱子語類》云:通天下之志,猶言開物,開通其閉塞也,故其下對“成務”。又《易精變神說》曰:變化之道,莫非神之所為也,故知變化之道,則知神之所為矣。《易》有聖人之道四焉,所謂變化之道也。觀變玩占,可以見其精之至矣;玩辭觀象,可以見其變之至矣,然非有寂然感通之神,則亦何以為精為變而成變化之道哉,此變化之所以為神之所為也。

集説に《朱子語類》を引いていう:「天下の志に通ず」はたとえば「物を開く」と説くが如く、人の心裏の閉塞を開通す。ゆえに下文は正好「務を成す」をもってそれと相対す。集説にまた朱熹《易精変神説》を引いていう:変化の道は一つとして神の作為ならざるなし。ゆえに変化の道を懂れば、便ち神の作為を懂る。《易》の裏に聖人の道の四条を含むは、講ずるところは正に変化の道なり。変動を観察し・占断を玩味すれば、以てそれの精の極処に到るを見るべし。文辞を玩味し・物象を観察すれば、以てそれの変の極処に到るを見るべし。然るにもしあの寂然不動・感じて遂に通ずる神なかれば、また何を憑りて以てそれの精と為り・変と為りて変化の道に合成するを成さんや。これがすなわち変化の神の作為たる所以なり。

案 《本義》以至精為尚辭尚占之事,至變為尚象尚變之事,而《易說》以至精為變占,至變為象辭,蓋本第二章居則觀象玩辭,動則觀變玩占而來,此與下章“蓍之德”,“卦之德”既相應,而第二章“觀”、“玩”之義,亦因以明,當從此說。

李光地の按:《本義》は「至精」を看作して辞を尚び・占を尚ぶの事と為し、「至変」を看作して象を尚び・変を尚ぶの事と為す。而るに朱熹《易精変神説》は却って「至精」を変と占に帰し、「至変」を象と辞に帰す。後の一种の分法は第二章の「居れば則ち其の象を観て其の辞を玩び、動けば則ち其の変を観て其の占を玩ぶ」に依って来れるにして、それはすでに下一章の「蓍之徳」「卦之徳」を講ずると彼此相対応し、第二章の「観」「玩」の两字の意思もまたこれに因りて説明を得。ゆえに応に《易説》のこの一种に依従すべし。

子曰:易有聖人之道四焉者,此之謂也。本義 此第十章,承上章之意,言《易》之用有此四者。集說 蔡氏清曰:上章“四營而成易”,至“顯道神德行”,則辭變象占四者俱有,但末及枚舉而明言之耳,故此章詳之。

《繋辞》はいう:孔子は曰く、《易》の裏に聖人の道の四条を含むは、講ずるところはすなわちこの個なり。朱熹《本義》はいう:以上は第十章にして、上一章の意思を承け、《易》の功用にこの四方面あるを説明す。集説に蔡清の言を引く:上一章は「四営にして易を成す」より一直に「道を顕し徳行を神ならしむ」に講じ到りて、辞・変・象・占の四者は其の実はみな已に具備するも、ただまだ逐条に列挙し・明白に点出せざるのみ。ゆえにこの一章は詳細にそれを講ず。

繋辞上伝 第十一章

子曰:夫《易》何為者也?夫《易》開物成務,冒天下之道,如斯而已者也。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑。本義 開物成務,謂使人卜筮,以知吉凶而成事業。冒天下之道,謂卦爻既設,而天下之道皆在其中。

《繋辞》はいう:孔子は曰く、《易》は何をするものか。《易》は民智を開通し・事業を成就し、天下の一切の道理を籠罩する、かくの如く而已。ゆえに聖人はそれを用いて天下人の心志を通達し、それを用いて天下の事業を奠定し、それを用いて天下の疑難を判断す。朱熹《本義》はいう:「物を開き務を成す」は、人をして卜筮の弁法を用いて吉凶を知り、従って事業を成就せしむるを説く。「天下の道を冒す」は、卦爻すでに設立せられれば、天下の道理は便ちみなその中に包羅せらるるを説く。

集說 《朱子語類》云:古時民淳俗樸,風氣未開,於天下事全未知識,故聖人立龜與之卜,作《易》與之筮,使人趨吉避害以成天下之事,故曰“開物成務”,物是人物,務是事務,冒是罩得天下許多道理在裡。又云:讀《繫辭》者,須要就卦中一一見得許多道理,然後可讀繫辭也。蓋《易》之為書,大抵皆是因卜筮以教,逐爻開示吉凶,將天下許多道理,包藏在其中,故“冒天下之道”。

集説に《朱子語類》を引いていう:上古の民風は淳厚朴素にして、風気は未だ開けず、天下の事に対して全く知識なし。ゆえに聖人は亀甲を立てて人をしてそれを用いて卜せしめ、《易》を作りて人をしてそれを用いて筮せしめ、人をして吉に趨り害を避けて以て天下の事を成就せしむ。ゆえに「物を開き務を成す」という。「物」の指すところは人にして、「務」の指すところは事にして、「冒」は天下の許多の道理をみなその裏頭に罩るなり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:《繋辞》を読む人は、必ずまず六十四卦の裏に一条ずつ許多の道理を見得て、然る後にやっと以て《繋辞》を読むべし。《易》のこの書は、大体の上はみな卜筮を借りて施教を来し、逐爻に吉凶を開示して、天下の許多の道理をその中に包蔵す。ゆえにそれを「天下の道を冒す」という。

龔氏煥曰:通志以“開物”言,定業以“成務”言,斷疑以“冒天下之道”言,唯其能“冒天下之道”,所以能“斷天下之疑”,苟其道有不備,又何足以斷天下之疑也哉。案 此“通志”,即是上章“通志”,定業斷疑,則是上章“成務”,言通志成務,則斷疑在其中矣,又多此一句者,以起下文蓍卦爻二事。

集説に龔煥の言を引く:「天下の志に通ず」は「物を開く」に就いて説き、「天下の業を定む」は「務を成す」に就いて説き、「天下の疑を断ず」は「天下の道を冒す」に就いて説くなり。正に《易》の能く天下の一切の道理を籠罩するによりて、ゆえにやっと能く天下の疑難を判断す。仮使それの具える道理に欠缺あるをさば、また何を憑りて以て天下の疑難を判断せんや。李光地の按:ここの「志に通ず」は、すなわち上一章の「天下の志に通ず」なり。「業を定め」「疑を断ず」は、すなわち上一章の「天下の務を成す」なり。通志成務を説きて、断疑は本来已にその裏面に包含せられたり。ここの多く「天下の疑を断ず」の一句を出だす所以は、下文の蓍と卦爻のこの両桩の事を引出さんが為なり。

是故蓍之德圓而神,卦之德方以知,六爻之義易以貢,聖人以此洗心,退藏於密,吉凶與民同患。神以知來,知以藏往,其孰能與於此哉。古之聰明睿知,神武而不殺者夫。本義 圓神,謂變化無方。方知,謂享有定理。易以貢,謂變易以告人。聖人體具 所謂無卜筮而知吉凶也,神武不殺,得其理而不假其物之謂。

《繋辞》はいう:ゆえに蓍の徳性は円通にして神妙にして、卦の徳性は方正にして定知あり、六爻の意義は変易して以て吉凶を人に告ぐ。聖人はこの三者を用いて自己の心を洗滌し、心を幽密の処に退蔵して、吉に遇うも凶に遇うもみな百姓とその憂患を同じくす。神妙の一面をもって未来を預知し、定知の一面をもって已往を収蔵す。なお誰か能くこの一歩を為し到らんや。これは大概古のあの聡明睿智・神武の徳ありて刑殺を動用するを要せざる聖人であろう。朱熹《本義》はいう:「円にして神」は変化に一定の方所なきを説き、「方にして知」は一定の道理の守るべきあるを説き、「易にして貢ぐ」はそれの変易して以て吉凶を人に告ぐるを説く。「聖人体具」以下は底本に脱文あり……すなわちいわゆる卜筮せずして能く吉凶を知るなり。「神武にして殺さず」は、この理を得て蓍亀の物を借助するを要せざるを説く。

集說 虞氏翻曰:吉凶與民同患,謂作《易》者其有憂患也。韓氏伯曰:“圓”者運而不窮,“方”者止而有分,唯變所適,無數不周,故曰“圓”。卦列爻分,各有其體,故曰“方”。又曰:表吉凶之象,以同民所憂患之事,故曰“吉凶與民同患”也。孔氏穎達曰:易道深遠,故古之聰明睿知神武之君,用此易道,不用刑殺而威服之也。

集説に虞翻の言を引く:「吉凶は民と患を同じくす」は、《易》を作る人の心中に憂患を懐くを説くなり。集説に韓伯の言を引く:いわゆる「円」は、運転して窮尽なきなり。いわゆる「方」は、停住して各々分限あるなり。蓍法は唯だ変化の之くところにして、何の数なるも能く周遍す。ゆえに「円」と呼ぶ。卦は排列あり・爻は分位ありて、各々一定の形体あり。ゆえに「方」と呼ぶ。韓伯はまたいう:《易》は吉凶の象を標出して、来りて百姓と共同に憂患する所の事を担当す。ゆえに「吉凶は民と患を同じくす」という。集説に孔穎達の言を引く:《易》道は幽深高遠なり。ゆえに古の聡明睿智・神武の徳ある君主は、この《易》道を用いて、刑殺を動用せずして能く天下を威服す。

崔氏憬曰:蓍之數,七七四十九,象陽園,其為用變通不定,因之以知來物,是“蓍之德園而神”也。卦之數八八六十四,象陰方,其為用也爻位有分,因之以藏往知事,是“卦之德方以知”也。張子曰:圓神故能通天下之志,方知故能定天下之業,易貢故能斷天下之疑。

集説に崔憬の言を引く:蓍の数は七七四十九にして、陽の円に象を取る。その用は変通して定まらず、それに憑りて以て未来の事を預知すべし。これがすなわち「蓍之徳円にして神」なり。卦の数は八八六十四にして、陰の方に象を取る。その用は爻位に各々分限ありて、それに憑りて以て已往を収蔵し・事理を知るべし。これがすなわち「卦之徳方にして知」なり。集説に張載の言を引く:円にして神なるに因りて、ゆえに能く天下人の心志を通達す。方にして定知あるに因りて、ゆえに能く天下の事業を奠定す。変易して以て吉凶を相告ぐるに因りて、ゆえに能く天下の疑難を判断す。

程子曰:安有識得《易》後,不知“退藏於密”,密是用之源,聖人之妙處。龔氏原曰:圓者其體動而不窮,神者其用虛而善應,卦者象也,象則示之以定體,爻者變也,變則其義不可為典要,以此“洗心”者,所以“無思”也,以此“退藏於密”者,所以“無為”也,以此“吉凶與民同患”者,“感而遂通天下之故”也。

集説に程頤の言を引く:何の処に《易》を認識したる後、却って「密に退蔵す」の道理を懂らざる者あらんや。この「密」は一切の作用の源頭にして、正に聖人の精妙の処なり。集説に龔原の言を引く:いわゆる「円」は、その体の運動して窮なきなり。いわゆる「神」は、その用の虚霊にして感应に善なるなり。卦はすなわち象にして、象は一定の形体を拿りて人に昭示す。爻はすなわち変にして、一たび変ずれば則ちその意義は固守して死板の定則と為る能わず。この三者を用いて以て「心を洗う」は、正にいわゆる「思なし」なり。この三者を用いて以て「密に退蔵す」は、正にいわゆる「為なし」なり。この三者を用いて以て「吉凶は民と患を同じくす」は、正にいわゆる「感じて遂に天下の故に通ず」なり。

王氏宗傳曰:聖人以此蓍卦六爻,洗去夫心之累,則是心也,廓然而大公,用能退藏於密,而不窮之用,默存於我焉,此即《易》之所謂寂然不動也,無妙用之源,默存於聖人之心,則發而為用也,酬酢萬物而不窮,樂以天下,憂以天下,故曰“吉凶與民同患”,此即“感而遂通天下之故”也。

集説に王宗伝の言を引く:聖人は蓍・卦・六爻のこの三者を用いて心上の牽累を洗い去れば、この心は便ち廓然大公にして、毫も一己の私意なく、因って能く幽密の処に退蔵して、窮尽なき妙用は默默として自己の心中に存す。これがすなわち《易》の説くところの「寂然不動」なり(底本の「妙用之源なき」の一句は訛脱あり)。この妙用の源頭はすでに聖人の心に黙存するに、一旦発して用と為れば、便ち能く万物に応対して窮竭せず。《孟子》の説くところの如く天下の楽をもって楽と為し・天下の憂をもって憂と為すが如し。ゆえに《繋辞》は「吉凶は民と患を同じくす」という。これがすなわちいわゆる「感じて遂に天下の故に通ず」なり。

《朱子語類》云;此言聖人所以作《易》之本也,蓍動卦靜,而爻之變易無窮,未畫之前,此理已具於聖人之心矣,然物主未感,則寂然個動,而無聯兆之可名,及其出而應物,則憂以天下,而圓神方知者,各見於功用之實。“聰明睿知神武而不殺者”,言其體用之妙也,“洗心”、“退藏”言體,知來藏往言用,然亦只言體用具矣,而未及使出來處,到下文是“興神物以前民用”,方發揮許多道理以盡,見於用也。

集説に《朱子語類》を引いていう:この一段の講ずるところは聖人の《易》を作る根本なり。蓍は動に属し、卦は静に属して、爻の変易は窮尽なし。卦画の未だ成らざる以前に、この理は已に聖人の心裏に具備せり。然るに外物のまだ来りて感ぜざれば、心は便ち寂然として動かず、一点の朕兆も以て指名すべきなし。それの出でて外物に応接するに及んで、便ち天下の憂をもって憂と為して、「円にして神」「方にして知」のこの両種の徳性は、各々実際の功用の上に顕現し出だす。いわゆる「聡明睿知神武にして殺さず」は、説くところはそれの体と用の精妙なり。「心を洗い」「退蔵す」は体に就いて説き、「来を知り」「往を蔵す」は用に就いて説く。ただここもまたただ体用完備に説き到るのみにして、なお発用し出だす処に説き到らず。下文の「神物を興して以て民の用に先たつ」に到って、やっと許多の道理を発揮して遺なく、実用に於て之を見るなり。

項氏安世曰:蓍用七,其德圓,卦用八,其德方,爻用九六,其義易貢。胡氏居仁曰:“退藏於密”,只是其心湛然無事,而眾理具在也。何氏楷曰;德統而義析,故爻以義言。又曰:吉凶之幾,兆端已發,將至而未至者曰來,吉凶之理,見在於此,一定而可知者曰往。

集説に項安世の言を引く:蓍の数は七を用い、七七四十九なり。ゆえにその徳は円なり。卦の数は八を用い、八八六十四なり。ゆえにその徳は方なり。爻の数は九と六を用い。ゆえにその義は変易して人に告ぐるなり。集説に胡居仁の言を引く:いわゆる「密に退蔵す」は、ただあの顆の心の湛然清明・事事無きながら、万般の道理はみなその裏面に具備するのみなり。集説に何楷の言を引く:「徳」は統べて言うにして、「義」は分かちて析る。ゆえに爻に対してはただ義のみを説きて徳を説かず。何楷はまたいう:吉凶の苗头の、端倪すでに萌発して、将に来らんとして未だ来らざるを、「来」と呼ぶ。吉凶の道理の、現成にここに摆かれて、已に一定して知るべきを、「往」と呼ぶ。

是以明於天之道,而察於民之故,是興神物以前民用。聖人以此齋戒,以神明其德夫。本義 神物,謂蓍龜。湛然純一之謂齊,肅然警惕之謂戒,明天道,故知神物之可興,察民故,故知其用之不可不有以開其先,是以作為卜筮以教人,而於此焉齋戒以考其占,使其心神明不測,如鬼神之能知來也。

《繋辞》はいう:正に聖人の天の道理を通暁して、また百姓の事情を体察するによりて、ここに蓍亀のこの類の神物を興起して、百姓の日用の為に先だって引導を為す。聖人はまたこれを用いて以て斎戒して、自己の徳をして神明変らしむ。朱熹《本義》はいう:「神物」の指すところは蓍と亀なり。湛然として純一なるを「斎」と呼び、肃然として警惕するを「戒」と呼ぶ。天道を通暁す。ゆえに神物の興起すべきを知る。民情を体察す。ゆえにその用処の能わず百姓の為に預先に頭を開かざるべからざるを知る。これに因りて卜筮の法を制作して人に教え、しかも占問の際に斎戒して以てその占断を考求し、自己の心をして神明にして測度すべからず、鬼神の如く能く未来を預知せしむ。

《朱子語類》云:此言作《易》之事也,聖人以此齋戒以神明其德夫,言用《易》之事也,齋戒敬也,聖人無一時一事而不敬,此特因卜筮而尤見其精誠之至,如孔子所慎齋戰疾之意也。又云“聖人既具此理,又將此理就蓍龜上發明出來,使民亦得前知而用之也。德,即聖人之德,聖人自有此理,又用蓍龜之理以神明之。

集説に《朱子語類》を引いていう:上半句の講ずるところは《易》を作る事なり。「聖人はこれをもって斎戒し、以て其の徳を神明ならしむるか」の一句の講ずるところは《易》を用うる事なり。斎戒はすなわち敬にして、聖人は一时一事として敬ならざるなし。ここに特に卜筮に就いて説くは、卜筮の上に於て尤もその精誠の極処に到るを見出だすによりてなり。正に《論語》の孔子の謹慎する所は斎・戦・疾の三件の事を記すあの意思の如し。集説にまた《朱子語類》を引いていう:聖人は自己すでにこの理を具備して、またこの理を蓍亀に就いて発明し出だし、百姓をしてまた能く未来を預知して以て運用を加えしむ。ここの「徳」はすなわち聖人の徳なり。聖人は本来自己にこの理ありて、また蓍亀の理を借りてそれを一層神明ならしむ。

邱氏富國曰:心即神明之舍,人能洗之而無一點之累,則此心靜與神明一,於揲蓍求卦之時,能以齋戒存之,則此心動與神明通,心在則神在矣。案 “以此洗心”者,聖人體易之事也,在學者則居而觀象玩辭,亦必如聖人之洗心,然後可以得其理,以此齋戒者,聖人用《易》之事也,在學者則動而觀變玩占,亦必如聖人之齋戒,然後可以見其幾,言聖人,以為君子之楷則也。

集説に邱富国の言を引く:心はすなわち神明の住む房舎なり。人はもし能くそれを洗滌して一点の牽累なからしめば、すなわちこの心の静なるときは便ち神明と合して一と為る。揲蓍して卦を求むるときに到って、また能く斎戒を用いてそれを守れば、すなわちこの心の動くときは便ち神明と相通ず——心あれば、神もまた在るなり。李光地の按:いわゆる「これをもって心を洗う」は、聖人の《易》理を体認する事なり。学《易》の人に在っては、平居のとき象を観て辞を玩ぶも、必ず聖人の如く心を洗いて、然る後にやっとその中の道理を得るべし。いわゆる「これをもって斎戒す」は、聖人の《易》を運用する事なり。学《易》の人に在っては、行動あるとき変を観て占を玩ぶも、必ず聖人の如く斎戒して、然る後にやっと事情の苗头を看出だす能し。ここに聖人を説くは、聖人を立てて君子の取法する榜样と為すなり。

是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通。見乃謂之象,形乃謂之器,制而用之謂之法。利用出入,民戒用之謂之神。本義 闔闢,動靜之機也。先言坤者,由靜而動也。乾坤變通者,化育之功也。見象形器者,生物之序也。法者,聖人修道之所為。而神者,百姓自然之日用也。

《繋辞》はいう:門を関くるを坤と呼び、門を開くるを乾と呼び、一関一開を変と呼び、往来して窮まらざるを通と呼ぶ。顕現し出だすを象と呼び、形質に凝成するを器と呼び、制作し出だして以て使用を加うるを法と呼ぶ。それを利用して出たり入ったりして、百姓は人人それを用いながらその所以然を知らず。これをすなわち神と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:一闔一闢は、動静の機括なり。まず坤を説きて後に乾を説くは、静によりて後に動くに因るなり。乾坤の変と通は、化育の功を講ず。象と顕れ器と凝成するは、生物の次序を講ず。「法」は聖人の大道を修明する所作の事にして、「神」は百姓の自然而然の日用なり。

集說 荀氏爽曰:見乃謂之象,謂日月星辰,光見在天而成象也,“形乃謂之器”,萬物生長,在地成形,可以為器用者也。觀象於天,觀形於地,制而用之,可以為法。虞氏翻曰:闔,閉翕也,坤象夜,故以閉戶也。闢,開也,乾象晝,故以開戶也。陽變闔陰,陰變闢陽,剛柔相推而生變化也。

集説に荀爽の言を引く:いわゆる「見るは乃ち之を象と謂う」は、日月星辰の光輝の天上に顕現して象と為るを指す。いわゆる「形るは乃ち之を器と謂う」は、万物の生長して、地上に形質を凝成して、以て器物の用と為すを拿り得べきを指す。天上に於てその象を観察し、地上に於てその形を観察し、制作し出だして以て使用を加えれば、便ち以て法度と為るべし。集説に虞翻の言を引く:「闔」は閉合収斂にして、坤は黒夜を象徴す。ゆえに門を関くるをもってそれに比す。「闢」は開啓にして、乾は白昼を象徴す。ゆえに門を開くるをもってそれに比す。陽は変じて陰を収合し、陰は変じて陽を開啓して、剛柔は互いに推移して便ち変化を生出す。

陸氏績曰:聖人制器以周民用,用之不遺,故曰“利用出入”也,民皆用之而不知所由來,故“謂之神”也。朱氏震曰:知闔闢變通者,“明於天之道”,知“利用出人民咸用之”者,“察於民之故。”《朱子語類》云:闔闢乾坤,理與事皆如此,書亦如此,這個只說理底意思多。

集説に陸績の言を引く:聖人は器物を制作して以て百姓の日用を周済して、用うるに遺漏なし。ゆえに「利用出入」という。百姓は人人それを用いながらそれの何の処より来るかを知らず。ゆえに「之を神と謂う」という。集説に朱震の言を引く:一闔一闢・変あり通あるを懂るは、「天の道に明き」なり。器物の利用出入・百姓の人人それを用うるを懂るは、「民の故を察する」なり。集説に《朱子語類》を引いていう:一闔一闢はすなわち乾坤にして、理に就いて言うも事に就いて言うもみなかくの如く、《尚書》の裏もまたかくの如し。ただここは理を説く意思の多きに居るなり。

問:闔戶謂之坤一段,只是這一個物,以其闔謂之坤,以其闢謂之乾,以其闔闢謂之變,以其不窮謂之通,以其發見而未成形謂之象,以其成形則謂之器,聖人修明以立教則謂之法,百姓日用則謂之神。曰:是如此,又曰:利用出入者,便是人生日用,都離他不得。案 此節是說天道民故如此,“易有太極”一節,是說聖人作《易》以模寫之。

集説にまた《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「戸を闔て之を坤と謂う」のこの一段は、説きて説きてただこの一個の東西に過ぎず:それの関合する処に就いては坤と呼び、それの開啓する処に就いては乾と呼び、それの一関一開する処に就いては変と呼び、それの往来して窮まらざる処に就いては通と呼び、それの已に顕現して未だ成形せざる処に就いては象と呼び、それの已に成形せる処に就いては器と呼び、聖人はそれを修明して以て教を立てるに用いれば便ち法と呼び、百姓は天天それを用いれば便ち神と呼ぶと。朱子は答えた:正にかくの如し。又いう:いわゆる「利用出入」は、すなわち人生の日用にして、誰もそれを離るる能わず。李光地の按:この一節は天道と民情の本来かくのごときを説くにして、下面の「易に太極あり」の一節は、やっと聖人の《易》を作りて以てそれを摹写するを説くなり。

是故易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。本義 一每生二,自然之理也。易者,陰陽之變。太極者,其理也,兩儀者,始為一畫以分陰陽。四象者,次為二畫以分太少。八卦者,次為三畫而三才之象始備,此數言者實聖人作易自然之次第,有不假絲毫智力而成者,畫卦揲蓍,其序皆然,詳見序例《啟蒙》。

《繋辞》はいう:ゆえに《易》に太極ありて、太極は両儀を生出し、両儀は四象を生出し、四象は八卦を生出す。朱熹《本義》はいう:一は每に二を生出す。これは自然の道理なり。「易」はすなわち陰陽の変化にして、「太極」はすなわちこの変化の背後の理なり。「両儀」は最初に一画を画き出だして、もって陰を分かち陽を分かつなり。「四象」は接続して第二画を画き出だして、もって太と少を分かつなり。「八卦」は再び接続して第三画を画き出だして、ここに天地人三才の象は始めて斉備す。この几の句の話は、実に聖人の《易》を作る自然而然の次第にして、絲毫も人の智力安排を假借せず。卦を画くもかくの如く、蓍を揲するもまたかくの如し。詳細の説明は《易学啓蒙》の序例に見る。

《朱子語類》云:太極十全是具一個善,若三百八十四爻中,有善有惡,皆陰陽變化後方有。又云,若說其生則俱生,太極依舊在陰陽裡,但言其次序,須有這實理,方始有陰陽也,自一見在事物而觀之,則陰陽函太極,推其本,則太極生陰陽。

集説に《朱子語類》を引いていう:太極は全然ただ一個の「善」を具えているのみ。三百八十四爻の裏に善あり悪あるに至っては、あれはみな陰陽変化の後にやっと有りしものなり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:もし生成を論ぜば、則ち一斉にみな生ずるにして、太極は依旧として便ち陰陽の裏頭に在り。ただもし次第を論ぜば、則ち必ずまずこの実理あって、然る後にやっと陰陽あらん。眼前の現成の事物の上より見れば、陰陽の太極を包含着するなり。それの根本を推究すれば、則ち太極の陰陽を生出するなり。

又云:“易有太極”,便是下面兩儀四象八卦,自三百八十四爻總為六十四,自六十四總為八卦,自八卦總為四象,自四象總為兩儀,自兩儀總為太極,以物論之,易之太極,如木之有根,浮圖之有頂,但木之根,浮圖之頂,是有形之極,太極卻不是一物,無方所頓放,是無形之極,故周子曰:無極而太極,是它說得有功處,然太極之所以為太極,卻不離乎兩儀四象八卦,如一陰一陽之謂道,指一陰一陽為道則不可,然道不離乎陰陽也。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:いわゆる「易に太極あり」は、便ち下面の両儀・四象・八卦を包む:三百八十四爻より総帰して六十四卦と為り、六十四卦より総帰して八卦と為り、八卦より総帰して四象と為り、四象より総帰して両儀と為り、両儀より総帰して太極と為る。有形の物を拿りて比喩を打てば、《易》の太極は樹木の根あり・佛塔の頂あるが如し。ただ樹の根・塔の頂は有形の極にして、太極は却って一件の東西にあらず、一個の方所の以て安放すべきなく、無形の極なり。ゆえに周敦頤は「無極にして太極」という。これが正に彼の説くこと後学に功ある処なり。然るに太極の太極たる所以は、又だ並びて両儀四象八卦を離れず。正に「一陰一陽之謂道」と説くが如く、もし一陰一陽其の身を指して便ち道と為さば、あれは可ならざるなれども、道もまた並びて陰陽を離れざるなり。

陳氏淳曰:太極只是渾淪極至之理,非可以形氣言。《傳》曰:“易有太極”。“易”只是陰陽變化,其所以為陰陽變化之理,則“太極”也。又曰:三極之道,三極雲者,只是三才極至之理,其謂之三極者,以見三才之中,各具一太極,而太極之妙,無不流行於三才之中也,外此百家諸子,都說屬氣形去,如《漢志》謂太極函三為一,乃是指天地人,氣形已具而渾淪未判,老子說“有物混成,先天地生”,正指此也。

集説に陳淳の言を引く:太極はただあの渾然一体・至極にして復た加うる無き理にして、以て形と気をもってそれを説く能わず。《繋辞伝》は「易に太極あり」と説く——「易」はただ陰陽変化にして、陰陽をして能く変化せしむるあの理は、すなわち「太極」なり。《繋辞》はまた「三極之道」と説く。いわゆる「三極」は、ただ天地人三才の各々至極の理なり。それを三極と称する所以は、三才の中に各々一個の太極を具えて、太極の妙用は三才の中に流行せざるなきを見出ださんと要するなり。これ以外は、諸子百家の太極を講ずるはみな気と形の上に落ちたり:《漢書・律暦志》の「太極は三を函して一と為す」と説くが如く、あれは天地人の気と形の已に具備して未だ分判せざる渾淪の状態を指す。老子の「物あり混成して、天地より先に生ず」と説くは、正にこの個を指す。

莊子謂“道在太極之先”,所謂太極,亦是指此渾淪未判者。而道又別懸空在太極之先,則道與太極分為二矣,不知道即是太極,道是以理之通行者而言,太極是以理之極至者而言,唯理之極至,所以古今人物通行,唯古今人物通行,所以為理之極至,更無二理也。

陳淳は続けていう:荘子は「道は太極の先に在り」と講ず。彼の説くところの太極も、またこの渾淪未分の一団を指す。而るに道は又だ別に懸空して太極の前に摆かる。これは便ち道と太極を分かちて両個と為せり。彼は道がすなわち太極なるを知らず——「道」は理の通行する処に就いて説き、「太極」は理の極至する処に就いて説くなり。正に理の極至なるがゆえに、ゆえに能く古今人物に通行す。正に能く古今人物に通行するがゆえに、ゆえにやっと理の極至と為り成る。並びて両個の理あるなきなり。

胡氏居仁曰:太極,理也。道理最大,無以復加,故曰“太極”,凡事到理上,便是極了,再改移不得,“太”是尊大之義,“極”是至當無以加也。鄭氏維嶽曰:《繫辭傳》中,乾坤多指奇偶二畫言,三畫六畫,皆此二畫之所生,而坤又乾之所生,乾者一而已,一者太極也。

集説に胡居仁の言を引く:太極はすなわち理なり。道理は最大にして、能く再上に加うるものなし。ゆえに「太極」と呼ぶ。およそ事は理の上に到れば、便ち極処に到りたりと算して、再び移動し得ず。「太」は尊大の意思にして、「極」は恰当にして復た加うる無きなり。集説に鄭維岳の言を引く:《繋辞伝》の裏の説くところの乾坤は、多半は奇画と偶画のこの両画に就いて言うなり。三画の八卦・六画の六十四卦は、みなこの両画の生出したる所にして、偶画の坤は又だ奇画の乾の生ずる所なり。乾はただ一而已。この「一」はすなわち太極なり。

徐氏在漢曰:同一乾坤也,以其一神則謂之太極,以其兩化則謂之兩儀,奇參偶中,乾體而有坎象,偶參奇中,坤體而有離象,故謂之四象,乾體而有坎象,則震艮之形成矣,坤體而有離象,則巽兌之形成矣,故謂之八卦。八卦定吉凶,吉凶生大業。本義 有吉有凶。是生大業。集說 俞氏琰曰:八卦具而定吉凶,則足“以斷天下之疑”矣,吉凶定而生大業,則有“以成天下之務”矣。

集説に徐在漢の言を引く:同じく一個の乾坤にして、それの渾然一と為る神妙の処に就いて言えば便ち太極と呼び、それの分かれて両端と為る変化に就いて言えば便ち両儀と呼ぶ。奇画は偶画の中に摻入するは、乾体にして坎象を帯び。偶画は奇画の中に摻入するは、坤体にして離象を帯ぶ。ゆえに四象と呼ぶ。乾体すでに坎象あれば、震と艮の形体は便ち成る。坤体すでに離象あれば、巽と兌の形体は便ち成る。ゆえに八卦と呼ぶ。《繋辞》はいう:八卦は吉凶を判定し、吉凶は大業を生出す。朱熹《本義》はいう:吉あり凶ありて、ここに大業を生出す。集説に兪琰の言を引く:八卦は斉備して能く吉凶を判定すれば、便ち以て「天下の疑を断ず」に足る。吉凶すでに定まりて大業を生出せば、便ち以て「天下の務を成す」有るなり。

案 聖人作《易》,準天之道,故陰陽互變而定為八卦之象形,效民之故,故制為 是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時,縣象著明,莫大乎日月,崇高莫大乎富貴,備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人,探賾索隱,鉤深致遠,以定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫大乎蓍龜。

李光地の按:聖人は《易》を作るに、天の道理に准を取る。ゆえに陰陽をして互変して以て八卦の象と形を定出せしむ。又だ百姓の事情に法を取る。ゆえに制して……この按語は底本ここに至りて中断し、下に脱文あり。《繋辞》はいう:ゆえに效法し象を取るに天地より大なるはなく、変化通達するに四時より大なるはなく、空中に懸りて光明昭著なるに日月より大なるはなく、崇高なるに天下を富有し・天子と為るに貴ぶより大なるはなく、物用を備弁し・器具を創制して以て天下を利するに聖人より大なるはなし。幽雑を探索し・隠僻を捜求し、深奥を鉤取し・遠大を招致して、以て天下の吉凶を判定し・天下人の勉勉不倦の事を成就するは、蓍と亀より大なるはなし。

本義 富貴,謂有天下履帝位,“立”下疑有闕文。亹亹,猶勉勉也,疑則怠,決故勉。集說 侯氏行果曰;亹,勉也。夫幽隱深遠之情,吉凶未兆之事物,皆勉勉然願知之,然不能也,及蓍成卦,龜成兆也,雖神道之幽密,未來之吉凶,坐可觀也,是蓍龜成天下之勉勉也。

朱熹《本義》はいう:「富貴」の指すところは天下を擁有し・帝位に登るなり。「成器を立つる」の「立」の字の下面は、脱文あるを疑う。「亹亹」はすなわち勉勉不倦にして、心に疑惑あれば便ち懈怠し、疑惑一たび決せば便ち振作す。集説に侯行果の言を引く:「亹」はすなわち勉なり。幽隠深遠の実情・吉凶のまだ徴兆あらざる事物は、人人はみな勉力してそれを知らんと欲すも、却又だ弁じ到らず。蓍草の排して卦と成り・亀甲の兆を現すに及んで、たとえ神道の幽密・未来の吉凶なるも、また能く坐して看清楚なり。これがすなわち蓍亀の天下人のあの份の勉勉不倦の心を成就したるなり。

《朱於語類》:問:“以定天下之吉凶,成天下之亹亹”。曰:人到疑而不能決處,便放倒了,不肯向前動有疑阻,既知其吉凶,自然勉勉住不得,則其所以亹亹者,卜筮成之也。俞氏琰曰:頤,謂雜亂。探者抽而出之也。隱謂隱僻。索者,尋而得之也。深,謂不可測。鉤者,曲而取之也。遠謂難至。致者,推而極之也。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「以て天下の吉凶を定め、天下の亹亹を成す」は応に何を講ずべきか。朱子は答えた:人は疑惑して決断し能わざる処に到れば、便ち撂倒して幹らず、向前せんと肯ぜず、一たび動けば便ち阻碍あるを覚ゆ。一旦吉凶を知れば、自然に勉勉不倦にして、停まらんと欲するも停まらず。見るべし、人をして亹亹不倦たらしむるは、卜筮の彼を成全したるなり。集説に兪琰の言を引く:「賾」は雑乱にして、「探」は抽取し出だすなり。「隠」は隠僻にして、「索」は尋找して得るなり。「深」は測度すべからざるにして、「鉤」は弯め過ぎて取り出だすなり。「遠」は到達し難きにして、「致」は推究して極処に到るなり。

趙氏玉泉曰:八卦定吉凶而生大業,蓍龜定吉凶而成亹亹,可見卦畫者蓍龜之體,蓍龜者卦畫之用。吳氏曰慎曰:上文“易有太極”四句,言作《易》之序,定吉凶生大業,言《易》之用,此節贊蓍龜之大用而先之以五者,又與闔戶八句相應。

集説に趙玉泉の言を引く:八卦は吉凶を判定して大業を生出し、蓍亀は吉凶を判定して人の勉勉不倦を成就す。見るべし、卦画は蓍亀の体にして、蓍亀は卦画の用なり。集説に呉曰慎の言を引く:上文の「易に太極あり」以下の四句の講ずるところは、《易》を作る次第なり。「吉凶を定め」「大業を生ず」の講ずるところは、《易》の功用なり。この一節は蓍亀の大用を讃嘆して、先に天地・四時・日月・富貴・聖人のこの五項を列えたるは、また前面の「戸を闔て之を坤と謂う」以下の八句と彼此相呼応す。

案 此節是合上文造化易書而通贊之,天地即乾坤,四時即變通,日月即見象,不言形器者,下文有“立成器”之文,蓋在天者,示人以象而已,在地者,則民生器用之資,故上文“制而用之”,亦偏承形器而言也,此“備物致用立成器”之聖人,非富貴則不能,故中間又著此一句,明前文“制而用之”者,是治世之聖人也,至畫卦生蓍,乃是作《易》之聖人,總而敘之,則見作《易》之功,與造物者同符,與治世者相配也。

李光地の按:この一節は上文の説くところの造化と《易》書とを合わせて通盤に讃嘆す。天地はすなわち前文の乾坤にして、四時はすなわち前文の変通にして、日月はすなわち前文の「見るは乃ち之を象と謂う」なり。ここに「形」と「器」を提げざるは、下文に「成器を立つる」の一句あるによりてなり。大抵天に在るはただ象を把して人に昭示するにして、地に在るはやっと百姓の器用の憑資なり。これに因りて上文の「制して之を用うるを法と謂う」の一句も、また偏りて形と器に就いて説くなり。この「物を備え用を致し、成器を立てて以て天下の利と為す」の聖人は、富貴の位に居らざれば便ち弁じ到らず。ゆえに中間にまた特に「崇高は富貴より大なるはなし」の一句を挿入して、前文の「制して之を用うる」は治世の聖人なるを表明す。画卦・生蓍に至っては、あれは《易》を作る聖人なり。総べて叙述すれば、便ち《易》を作る功は造物者と同一符契にして、治世者と彼此相配するを見出だすなり。

是故天生神物,聖人則之,天地變化,聖人效之,天垂象,見吉凶,聖人象之,河出圖,洛出書,聖人則之。本義 此四者,聖人作《易》之所由也,河圖洛書,詳見《啟蒙》。集說 孔氏穎達曰:河出圖,洛出書,如鄭康成之義,則《春秋緯》云,河以通乾出天苞,洛以流坤吐地符,河龍圖發,洛龜書感,《河圖》有九篇,《洛書》有六篇,孔安國以為河圖則八卦是也,洛書則九疇是也,輔嗣之義,未知何從。

《繋辞》はいう:ゆえに上天は蓍亀のこの類の神物を生出して、聖人はそれに取法す。天地に変化あれば、聖人はそれに效仿す。上天は物象を垂示して吉凶を顕現せば、聖人はそれに象を取る。黄河は《河図》を出現し、洛水は《洛書》を出現せば、聖人はそれらに取法す。朱熹《本義》はいう:この四項は、聖人の《易》を作る由来なり。河図洛書の詳細は《易学啓蒙》に見る。集説に孔穎達の言を引く:河の図を出し・洛の書を出すを説くに到れば、もし鄭玄の講法に照らせば、《春秋緯》は黄河は乾に通じて天苞を吐出し、洛水は坤に流れて地符を吐出し、黄河は竜によりて図を負いて発し、洛水は亀によりて書を負いて感ずるにして、《河図》は九篇あり、《洛書》は六篇ありと説く。孔安国は則ち河図はすなわち八卦にして、洛書はすなわち《洪範》の九疇と認めり。王弼の看法は究竟何れの一家に依従するやに至っては、便ち知るを得ざるなり。

劉氏子翬曰:河圖昧乎太極,則八卦分而無統,洛書昧乎皇極,則九疇滯而不通。朱氏震曰:天生神物,謂蓍龜也。天地變化,四時也。天垂象,見吉凶,日月也。河圖洛書,象數也。則者彼有物而此則之也。

集説に劉子翬の言を引く:《河図》を講ずるにもし太極の道理を明白せざれば、八卦はただ分開の八様の東西にして統属なし。《洛書》を講ずるにもし皇極の道理を明白せざれば、九疇は便ち滞塞して貫通し能わず。集説に朱震の言を引く:「天は神物を生ず」の指すところは蓍と亀にして、「天地変化」の指すところは四時にして、「天は象を垂れ吉凶を見ゆ」の指すところは日月にして、「河図洛書」の指すところは象と数なり。いわゆる「則」とは、かちらにこの様の一件の東西あれば、こちらは便ちそれに照らして取法するなり。

郭氏雍曰:河出圖而後畫八卦,洛出書而定九疇,故河圖非卦也;包犧畫而為卦,洛書非字也,大禹書而為字,亦猶箕子因九疇而陳《洪範》,文王因八卦而演《周易》, 胡氏炳文曰:四者言聖人作《易》之由,而《易》之所以作,由於卜筮,故以天生神物始焉。

集説に郭雍の言を引く:黄河は図を出だして、然る後にやっと八卦を画き成し。洛水は書を出だして、然る後にやっと九疇を定出せり。ゆえに《河図》の本身は並びて卦にあらず。伏羲のそれを画きて卦と成せるなり。《洛書》の本身は並びて文字にあらず。大禹のそれを写して文字と成せるなり。これはたとえば箕子の九疇に依って《洪範》を陳述し・文王の八卦に依って《周易》を推演するが如し——この条の底本はここに至りて中断す。集説に胡炳文の言を引く:この四項の講ずるところは聖人の《易》を作る由来にして、《易》の作るを要する所以は、起因は卜筮に在り。ゆえにまず「天は神物を生ず」より説き起す。

易有四象,所以示也。繫辭焉,所以告也。定之以吉凶,所以斷也。本義 四象,謂陰陽老少。示,謂示人以所值之卦爻。此第十一章,專言卜筮。集說 游氏讓溪曰:四象,謂陰陽老少。示,謂示人以變化之道,即上文“以通天下之志”者也。“繫辭焉以盡其言”,故曰“告”’即上文以“定天下之業”者也。定之以吉凶,則趨避之機決矣,故曰“斷”,即上文“以斷天下之疑”者也,此結上數節之意。

《繋辞》はいう:《易》に四象あるは、もって昭示するなり。文辞を繫げたるは、もって告知するなり。再び吉凶をもってそれを定め下せるは、もって判断するなり。朱熹《本義》はいう:「四象」は陰陽老少の四種の爻象を指し、「示」は占者の遇う所の卦爻を彼に昭示して看せしむるなり。以上は第十一章にして、専ら卜筮を講ず。集説に游譲谿の言を引く:「四象」は陰陽老少を指す。「示」は変化の道を人に昭示するにして、すなわち上文の説くところの「以て天下の志に通ず」なり。「辞を繫ぐるは以て其の言を尽す」。ゆえに「告」と呼ぶ。すなわち上文の説くところの「以て天下の業を定む」なり。吉凶を用いてそれを定め下せば、吉に趨り凶を避くる機断は便ち着落あり。ゆえに「断」と呼ぶ。すなわち上文の説くところの「以て天下の疑を断ず」なり。この几の句は上面の几節の意思を収束するなり。

案 此上三章,申“君子居則觀其象”一節之義,首之以河圖,次之以蓍策,遡《易》之所因起,是象變之本,辭占之源也。中間遂備列四者,為聖人之道,其又以辭為之先者,明學易從辭入也。辭生於變,變出於象,象歸於占,故其序如此。

李光地の按:以上の三章は、第二章の「君子は居れば則ち其の象を観て其の辞を玩ぶ」のあの一節の意を申説したるなり。まず《河図》を講じ、次に蓍策を講ずるは、《易》の興起する所以の由来を追溯せんと要するなり——これは象と変の根本・辞と占の源頭なり。中間にまた辞・変・象・占の四項を備列して、聖人の道と為す。而るにその中にまず「辞」を説くは、学《易》は須らく卦爻の辞より入手すべきを表明せんと欲するなり。辞は変によりて生じ、変は象より出で、象は最後に占に帰結す。ゆえに次序はこの様に排せられたるなり。

辭變象占四者,以其包含來物,故謂之至精。以其錯綜萬象,故謂之至變。以其無思無為而感通萬故,故謂之至神。其所以為聖為之道者,以其皆出於聖人之心也,蓍德圓神,至精也,即聖心之所以知來。卦德方知,爻義易貢,至變也,即聖心之所以藏往。蓍卦之寂然感通,至神也,即聖心之所以“退藏於密,吉凶與民同患”也。

辞・変・象・占のこの四項は、能く未来の事を包含するに因りて、ゆえにそれを「至精」と称し、能く万般の物象を錯綜するに因りて、ゆえにそれを「至変」と称し、思なく為なくして能く天下の一切の事故に感通するに因りて、ゆえにそれを「至神」と称す。それらの能く聖人の道と為り得る所以は、みな聖人の心より出ずればなり。蓍の徳は円にして神なるは、至精に属して、正に聖人の心のもって未来を預知するなり。卦の徳は方にして定知あり・爻の義は変易して人に告ぐるは、至変に属して、正に聖人の心のもって已往を収蔵するなり。蓍と卦とは寂然として動かずして天下に感通するは、至神に属して、正に聖人の心のもって「密に退蔵し、吉凶は民と患を同じくす」るなり。

以此洗心,則為聖人之德,以此立教,斯為聖人之道,故其易之所以作也,明於天道,則變化象形之類是也。察於民故,則制法利用之類是也。因而寫之於《易》,其兩儀四象八卦之交錯,則變化象形具矣。吉凶定,事業起,則制法利用寓矣,於是託之蓍龜以前民用,蓋與天地四時日月,及崇高有位備物成器之聖人,其道上下同流,而未之有異也,言易之道,於此盡矣,故復總言以結之。

これらを用いて己心を洗滌すれば、便ち聖人の徳と為り、これらを用いて教化を設立すれば、便ち聖人の道と為る。ゆえに《易》の作る所以を説くに到れば:天道を通暁するは、指すところは闔闢変通・顕象成形のこの類なり。民情を体察するは、指すところは法度を制作し・利用出入のこの類なり。これらを《易》の裏に写し入れば、両儀・四象・八卦は互いに交錯して、変化と象形とは便ちみな具備せり。吉凶すでに定まり・事業興起すれば、制法と利用とは便ちみなその中に寓せられたり。ここにまたそれを蓍亀の上に寄託して、百姓の日用の為に先だって引導を為す。これは天地・四時・日月、およびあの崇高の位に居り・物を備え器を成す聖人と、その道は上下に貫通して並びて二致なきなり。《易》の道を講ずるは、ここに到って已に講じ尽せり。ゆえに再び総説し一番して以て収束す。

“天生神物”,結大衍之數也,天地變化垂象,結闔闢變通見象形器之類也。“河出圖,洛出書”,結河圖數也,《易》以蓍策而興,以仰觀俯察而作,而其發獨智者,則莫大於龍馬之祥,故其序又如此,四象兼象變,繫辭辭也,定吉凶占也,復說四者以起《大有》上爻之意,而終“自天祐之占無不利”之指也。

「天は神物を生ず」の一句は、大衍の数を収束す。「天地変化」「天は象を垂る」の両句は、闔闢変通・顕象成形し成器するあの類を収束す。「河は図を出し、洛は書を出す」の一句は、《河図》の数を収束す。《易》は蓍策に因りて興起し、仰いで天文を観・俯して地理を察するに因りて写成せられて、而るに最も能く聖人の独得の智を啓発するは、竜馬の図を負くあの様の祥瑞に如くはなし。ゆえに次序はまたこの様に排せられたり。末尾は「四象」と説くは兼ねて象と変を指し、「辞を繫ぐ」と説くはすなわち辞にして、「之を定むるに吉凶をもってす」と説くはすなわち占なり。再び一度この四項を提起するは、下文の《大有》の上九爻の意思を引出さんが為にして、最終に「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」のこの旨趣に帰結するなり。

繋辞上伝 第十二章

《易》曰:“自天祐之,吉無不利。”子曰:祐者,助也,天之所助者順也,人之所助者信也。履信思乎順,又以尚賢也,是以“自天祐之,吉無不利”也。本義 釋《大有》上九爻義,然在此無所屬,或恐是錯簡,宜在第八章之末。

《繋辞》はいう:《易》の裏に「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」と講ず。孔子は曰く:「祐」はすなわち助けなり。上天の助くるところは天理に順う人にして、衆人の助くるところは信義を守る人なり。《大有》の上九は能く誠信を践履して心の裏に天に順うを想い、また能く賢人を崇尚す。ゆえに「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」という。朱熹《本義》はいう:これは《大有》の上九爻の意義を解釈するなれども、ここに放りて上下文と帰属なく、恐怕らくは錯簡にして、応に第八章の末尾に放つべし。

集說 侯氏行果曰:此引《大有》上九辭以證之也,《大有》上九履信思順,“自天祐之”,古人能依四象所示,繫辭所告,則天及人皆共祐之,吉無不利者也。朱氏震曰:“天之所助者順也,人之所助者信也”,六五履信而思乎順,又自下以尚賢,是以“自天祐之吉無不利”,言此明獲天人之理,然後“吉無不利”,聖人明於天之道,而察於民之故,合天人者也。

集説に侯行果の言を引く:ここは《大有》の上九の爻辞を引きて以て印証を作るなり。《大有》の上九は能く誠信を践履し・天理に順うを思えば、ゆえに「天より之を祐く」。古人はもし能く四象の昭示する所・繋辞の告知する所に依って做し往けば、すなわち天と人とはみな共同に彼を助け、自然に吉にして利あらざる所なし。集説に朱震の言を引く:「上天の助くる所は天理に順う人にして、衆人の助くる所は信義を守る人なり」。《大有》の六五は誠信を践履して心に天に順うを存し、また能く人の下に屈居して以て賢人を崇尚す。ゆえに「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」。これはまず天助・人助を獲る道理を明白せば、然る後にやっと能く吉にして利なからざるを要するを説く。聖人は天の道理を通暁して、また百姓の事情を体察す。正に天と人を合わせたる人なり。

何氏楷曰:取《大有》上九爻辭以結上文,居則觀象而玩辭,動則觀變而玩占。則孜孜尚賢之意也,是以“自天祐之吉無不利”也,與第二章“自天祐之”語遙應,非錯簡也。案 何氏說是,然即是申釋第二章結語之意,非遙應也。

集説に何楷の言を引く:ここは《大有》の上九の爻辞を取りて上文を収束す——平居すれば則ち象を観て辞を玩び、行動すれば則ち変を観て占を玩ぶ。これが正に孜孜不倦として賢者を崇尚する意思なり。ゆえに「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」という。それは第二章の「天より之を祐く」の一語と遥かに相呼応して、並びて錯簡にあらず。李光地の按:何楷の説法は対なり。ただこの一句はすなわち第二章の結語を申説解釈する意思にして、並びて隔ること甚だ遠き呼応にあらず。

子曰:書不盡言,言不盡意,然則聖人之意其不可見乎。子曰:聖人立象以盡意,設卦以盡情偽,繫辭焉以盡其言,變而通之以盡利,鼓之舞之以盡神。本義 言之所傳者淺,象之所示者深,觀奇偶二畫,包含變化,無有窮盡,則可見矣,變通鼓舞以事而言,兩“子曰”字宜衍其一,蓋“子曰”字皆後人所加,故有此誤,如近世《通書》,乃周子所自作,亦為後人每章加以“周子曰”字,其設問答處,正如此也。

《繋辞》はいう:孔子は曰く、文字は説かんとする話を写し尽す能わず、言語は心中の意思を説き尽す能わず。すなわち聖人の心意は便ち見るに法なきか。孔子は曰く:聖人は卦象を樹立して以て心意を窮尽し、卦名を設置して以て事情の真偽を窮尽し、文辞を繫げて以て説かんとする話を窮尽し、変じて之を通じて以てその利益を窮尽し、鼓動振作して以てその神妙を窮尽す。朱熹《本義》はいう:言語の能く伝達するは浅く、卦象の能く昭示するは深し。ただ奇偶の両画の窮尽なき変化を包含するを看れば、便ちこの一点を明白す。「変通」「鼓舞」は人事に就いて説く。前後の両個の「子曰」は応に一個を衍去すべし。「子曰」の二字はみな後人の加上したるによりて、ゆえにこの様の重複を出だせり。たとえば近世の周敦頤の自己の作る《通書》の如く、後人もまた每章の前に「周子曰」を加え、設けて問答と為す処に遇えば、情形は正にこれと相同なり。

集說 崔氏憬曰:言伏羲仰觀俯察,而立八卦之象以盡其意,設卦,謂因而重之為六十四卦,情偽盡在其中矣,作卦爻之辭以繫伏羲立卦之象,象既盡意,故辭亦盡言也。蘇氏軾曰:辭約而義廣,故能盡其言。

集説に崔憬の言を引く:これは伏羲の仰いで天象を観・俯して地理を察し、八卦の象を樹立して以て自己の心意を窮尽したるを説く。いわゆる「卦を設く」は、八卦を重畳して六十四卦と成るを指し、事情の真偽は便ちみなその中に在り。再び卦辞爻辞を作りて伏羲の立てたる卦象の下に繫ぐ。象はすでに意を以て窮尽せれば、辞もまた便ち話を以て窮尽せり。集説に蘇軾の言を引く:文辞は簡約にして含義は広寛なり。ゆえに能く説かんとする話を説き尽す。

《朱子語類》云:立象盡意,是觀奇偶兩畫,包含變化,無有窮盡,設卦以盡情偽,謂有一奇一偶,設之於卦,自是盡得天下情偽,繫辭焉便斷其吉凶,“變而通之以盡利”,此言占得此卦,陰陽老少交變,因其變便有通之之理,“鼓之舞之以盡神”,既占則無所疑,自然行得順便,如言“顯道神德行”,“成天下之亹亹”,皆是“鼓之”“舞之”意。

集説に《朱子語類》を引いていう:「象を立てて以て意を尽す」は、ただ奇偶の両画を看るのみにして、便ち窮尽なき変化を包含するを説く。「卦を設けて以て情偽を尽す」は、一奇一偶ありて、それを卦の上に安置すれば、自然に便ち天下の真情假意をみな収め尽すを説く。文辞を繫げて、便ちその吉凶を断定す。「変じて之を通じて以て利を尽す」は、この一卦を占得して、陰陽老少は互いに交変して、その変に順えば便ち通達の道理あるを説く。「之を鼓し之を舞して以て神を尽す」は、すでに占問せれば、心裏に疑惑なく、行事は自然に順当便利なるを説く。前文の「道を顕し徳行を神ならしむ」と説き・「天下の亹亹を成す」と説くが如く、みな「之を鼓し」「之を舞す」の意思なり。

又云:歐公說《繫辭》不是孔子作,所謂“書不盡言言不盡意”者非,蓋他不曾看立象以盡意一句,唯其言不盡意,故立象以盡之,學者於言上會得者淺,於象上會得者深。問“鼓之舞之以盡神”,又言“鼓天下之動者存乎辭”,“鼓”、“舞”恐只是振揚發明底意思否?曰:然,蓋提撕警覺,使人各為其所當為也。

集説にまた《朱子語類》を引いていう:欧陽脩は《繋辞》は孔子の所作にあらずと説きて、「書は言を尽さず、言は意を尽さず」のこの話は講じ通らずと認む。あれは彼の曽て「象を立てて以て意を尽す」のこの一句を看ざるによりてなり。正に言語の心意を説き尽す能わざるがゆえに、ゆえにやっと卦象を樹立して以てそれを説き尽す。学《易》の人は言語の上に体会し得るは浅く、卦象の上に体会し得るは深し。またある人が問うた:「之を鼓し之を舞して以て神を尽す」。下文はまた「天下の動を鼓する者は辞に存す」と説く。この「鼓」「舞」の二字は恐怕らくはただ振揚発明の意思であろう。朱子は答えた:正に是なり。無非は提撕警覚して、人をして各々その応当に為す所の事を為し往かしむるなり。

吳氏澄曰:立象,謂羲皇之卦畫,所以示者也。盡意,謂雖無言,而與民同患之意,悉具於其中。設卦,謂文王設立重卦之名。盡情偽,謂六十四名,足以盡天下事物之情。辭,謂文王周公之彖爻,所以告者也。羲皇之卦畫,足以盡意矣,文王又因卦之象,設卦之名以盡情偽,然卦雖有名,而未有辭也,又係彖辭爻辭,則足以盡其言矣,設卦一句,在立象之後,繫辭之前,蓋竟盡意之緒,啟盡言之端也。

集説に呉澄の言を引く:いわゆる「象を立つ」は、伏羲の画きたる卦を指して、もって人に昭示するなり。いわゆる「意を尽す」は、一句の話もなきといえども、聖人の百姓とその憂患を同じくする心意は、全てその裏面に具備するを説く。いわゆる「卦を設く」は、文王の重卦に一々に卦名を立てたるを指す。いわゆる「情偽を尽す」は、この六十四個の卦名は以て天下事物の実情を窮尽するに足るを説く。いわゆる「辞」は、文王の彖辞と周公の爻辞を指して、もって人に告知するなり。伏羲の卦画は已に以て意を尽すに足る。文王はまた卦象に依って卦名を設立して以て情偽を尽す。然るに卦は名あるといえども、なお辞なし。ここにまた彖辞・爻辞を繫げて、やっと以て話を説き尽すに足る。「卦を設く」のこの一句は「象を立つ」の後・「辞を繫ぐ」の前に挟まりて、正に意を尽すの余緒を承接し・言を尽すの端緒を開啓す。

梁氏寅曰:意非言可盡,則立象以盡意矣,言非書可盡,而又謂繫辭盡其言何也?曰:言止於是而已矣,而意之無窮,聖人故貴於象也,故特首之曰“立象以盡意。”錢氏志立曰:聖人之意,不能以言盡,而盡於立象,此聖人以象為言也,因而繫辭,凡聖人所欲言者,又未嘗不盡於此。又案 象足以盡意,故因象繫辭,足以盡言,但添一“焉”字而意自明,聖筆之妙也。

集説に梁寅の言を引く:心意は言語の能く窮尽する所にあらず。ゆえに象を立てて以て意を尽すを要す。すなわち言語はすでに文字の能く窮尽する所にあらざれば、何がしてまた繋辞は以て話を説き尽すと説くや。答えて曰く:話はあの歩に説き到れば便ち頭に到るにして、心意は却って窮なし。ゆえに聖人はやっと卦象を看重す。これに因りて特に「象を立てて以て意を尽す」を最も前頭に放つ。集説に銭志立の言を引く:聖人の心意は以て言語に靠りて説き尽す能わざるも、却って卦象を樹立する上に説き尽せり。これは聖人の象を拿りて言語と当作するなり。再び象に依って文辞を繫げれば、およそ聖人の説かんと欲する所の話も、またここに於て説き尽さざるなし。李光地はまた按ず:象は以て意を尽すに足る。ゆえに象に依って文辞を繫げれば便ち以て言を尽すに足る。《繋辞》はただ一個の「焉」の字を添えたるに、ここの層の意思は便ち自然に明白なり。これが正に聖人の筆を下す精妙の処なり。

乾坤其易之縕邪,乾坤成列,而易立乎其中矣,乾坤毀則無以見易。易不可見,則乾坤或幾乎息矣。本義 組,所包蓄者,猶衣之著也,《易》之所有,陰陽而已。凡陽皆乾,凡陰皆坤,畫卦定位,則二者成列,而《易》之體立矣,乾坤毀,謂卦畫不立,乾坤息,謂變化不行。

《繋辞》はいう:乾坤は大概《易》の内藴であろう。乾坤は行列を排して、《易》は便ちその中に立てられたり。乾坤はもし毀壊せられれば、便ち《易》を見るに由なし。《易》すでに見るべからざれば、すなわち乾坤もまたほぼ止息せんと欲す。朱熹《本義》はいう:「緼」は包蓄する所のものにして、たとえば衣服の裏に絮くる絲綿の如し。《易》の所有する内容は過ぎず陰陽の二字のみ。およそ陽はみな乾に属し、およそ陰はみな坤に属す。卦を画き出だし・爻位を定め下せば、この両者は便ち行列と成りて、《易》の本体もまた便ち立ち起れたり。「乾坤毀す」は卦画の立ち起る能わざるを説き、「乾坤息す」は変化の行い下る能わざるを説く。

集說 胡氏瑗曰:此言大易之道,本始於天地,天地設立,陰陽之端,萬物之理,萬事之情,以至寒暑往來,日月運行,皆由乾坤之所生,故乾坤成而易道變化建立乎其中矣。若乾坤毀棄,則無以見易之用,易既毀,則無以見乾坤之用,如是,“乾坤或幾乎息矣”。

集説に胡瑗の言を引く:この一節は《易》のこの大書の道理の、本来天地に発端するを説く。天地はすでに設立せられれば、ここに陰陽は端緒あり・万物は各々の理あり・万事は各々の情あり。寒来暑往・日月運行に至るまで、一つとして乾坤の生ずる所に由らざるなし。ゆえに乾坤は一旦成立せば、《易》道の変化もまた便ちその中に建立せられたり。倘若乾坤毀棄せられれば、便ち《易》の功用を見るに由なし。《易》の功用すでに毀れれば、も便ち乾坤の功用を見るに由なし。この様に一来れば、乾坤は自身も便ちほぼ止息せんと欲す。見るべし、《易》と乾坤とは彼此依存して・互いにその用を見るなり。

張子曰:乾坤,天地也,易,造化也。蘇氏軾曰:乾坤之於《易》,猶日之於歲也,除日而求歲,豈可得哉,故乾坤毀則易不可見矣,易不可見則乾為獨陽,坤為獨陰,生生之功息矣。葉氏良佩曰:乾位乎上,坤位乎下,乾坤成列,而易已立乎其中矣,四德之循環,萬物之出入,易與天地相為無窮,必乾坤毀則無以見耳,若“易不可見,則乾坤或幾乎息矣”。

集説に張載の言を引く:乾坤はすなわち天地にして、《易》はすなわち造化なり。集説に蘇軾の言を引く:乾坤の《易》に対するや、たとえば一天の一年に対するが如し。每の一天を去掉して一年を求めれば、何の処に求め得べきや。ゆえに乾坤は一たび毀れれば、《易》は便ち見るべからず。《易》見るべからざれば、すなわち乾は便ち孤陽と成り・坤は便ち孤陰と成りて、生生不已の功用もまた便ち停まる。集説に葉良佩の言を引く:乾は上位に居り、坤は下位に居りて、乾坤は行列を排せば、《易》は已に便ちその中に立てられたり。元亨利貞の四徳の循環・万物の出でて復た入るは、《易》と天地とは一同に窮尽なし。乾坤の毀壊するを得てやっとそれを見るに由なからん。而るに《易》は一旦見るべからざれば、乾坤もまた便ちほぼ止息せんと欲す。

案 此節及“形而上者”一節,皆是就造化人事說,以見聖人立象設卦之所從來,未是說卦畫蓍變,夫象以下,方是說聖人立象設卦繫辭之事。是故形而上者謂之道,形而下者謂之器,化而裁之謂之變,推而行之謂之通,舉而錯之天下之民謂之事業。本義 卦爻陰陽皆“形而下者”,其理則道也,因其自然之化而裁制之,變之義也,“變”、“通”二字,上章以天言,此章以人言。

李光地の按:この一節および下面の「形而上者」の一節は、みな造化と人事に就いて説くにして、以て聖人の立象設卦の来歴を見出だす。なお卦画と蓍変を説くにあらず。「夫れ象」以下に到って、やっと聖人の象を立て・卦を設け・辞を繫ぐる事を説くなり。《繋辞》はいう:ゆえに形より上のを道と呼び、形より下のを器と呼ぶ。造化に順って以て裁制を加うるを変と呼び、推衍し出だして施行に見るを通と呼び、それを拿りて天下の百姓に加うるを事業と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:卦爻の陰陽はみな「形而下」に属して、それらの背後の理こそやっと道なり。自然の造化に順って以て裁制を加うるは、すなわち「変」の意思なり。「変」「通」の両個の字は、上一章は天に就いて説き、この一章は人に就いて説くなり。

集說 孔氏穎達曰:陰陽之化,自然相裁,聖人亦法此而裁節也。程子曰:“形而上者”為道,“形而下者”為器,須著如此說,器亦道,道亦器也。又曰:《繫辭》曰“形而上者謂之道,形而下者謂之器”,又曰“立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義”。又曰“一陰一陽之謂道”。陰陽亦形而下者也,而曰道者,唯此語截得上下最分明,元來只此是道,要在人默而識之也。

集説に孔穎達の言を引く:陰陽の造化は自然而然に互いに裁節して、聖人もまたこの一点を效法して以て裁節を加う。集説に程颢の言を引く:「形而上」なるは道にして、「形而下」なるは器なり。必ずこの様に説くを要す。然るに器もまたすなわち道にして、道もまたすなわち器なり。程颢はまたいう:《繋辞》は「形而上者は之を道と謂い、形而下者は之を器と謂う」と説き、また「天の道を立てるに陰と陽と曰い、地の道を立てるに柔と剛と曰い、人の道を立てるに仁と義と曰う」と説き、また「一陰一陽之謂道」と説く。陰陽其の身もまた形而下に属するに、却ってそれを道と称す。ただ「形而上」「形而下」のこの一句のみが上下を截りて最も分明なり。元来すなわちこの陰陽の中に於て便ち道なり。関鍵は人の自己の黙々として体会するに在り。

張氏浚曰:道形而上,神則妙之,器形而下,體則著之,道之與器,本不相離,散而在天地萬物之間者,其理莫不皆然。《朱子語類》云:“形而上者謂之道,形而下者謂之器”。道是道理,事事物物皆有個道理,器是形跡,事事物物亦皆有個形跡,有道須有器,有器須有道,物必有則。

集説に張浚の言を引く:道は形而上に属して、形跡の指すべきなく、神の妙運に靠ってやっとそれを見出だす。器は形而下に属して、形跡の拠るべきありて、具体の形体に靠ってやっとそれを顕著し出だす。道と器とは本来相い分離せずして、天地万物の間に散布する一切は、その理はかくのごとからざるなし。集説に《朱子語類》を引いていう:「形而上者は之を道と謂い、形而下者は之を器と謂う」——道は道理にして、事事物物にみな一個の道理あり。器は形跡にして、事事物物にまたみな一個の形跡あり。道あれば便ち必ず器あり、器あれば便ち必ず道あり。一件の東西は必定にその法則あるを要す。これもまたすなわち《詩経・大雅・烝民》の説く所の「物あれば則あり」なり。

問:形而上下如何以形言?曰:此言最的當,設若以有形無形言之,便是物與理相間斷了,所以謂截得分明者,只是上下之間,分別得一個界止分明,器亦道,道亦器,有分別而不相離也。問:只是這一個道理,但即形器之本體而離乎形器則謂之道,就形器而言則謂之器,聖人因其自然,“化而裁之則謂之變,推而行之則謂之通,舉而措之則謂之事業。”裁也,行也,措也,都只是裁行措這個道。曰:是。

集説にまた《朱子語類》を引く:ある人が問うた。形而上・形而下は何がして一個の「形」の字を用いて説くや。朱子は答えた:この話は最も的当なり。仮使「有形」「無形」を用いて説かば、便ち物と理を両截に割りてしまう。いわゆる截りて分明とは、ただ上下の間に一条の清楚の界線を分出するなり。器もまたすなわち道にして、道もまたすなわち器にして、分別ありて並びて相い離れず。またある人が問うた:説きて説きてただこの一個の道理なり。形器の本体に就いて形器を超乎えて看れば便ち道と呼ばれ、形器其の身に就いて看れば便ち器と呼ばる。聖人はその自然に順い、「化して之を裁するを変と謂い、推して之を行うを通と謂い、挙げて之を措くを事業と謂う」——裁するも・行うも・措くも、みなただ裁・行・措のこの道のみ。朱子は答えた:正に是なり。

方氏應祥曰:此節正好體認立象盡意處,乾坤象也,而曰“《易》之縕”,曰“《易》立乎其中”,則意盡矣,正以象之所在即道也,“是故”字,承上乾坤來,形而上形而下,所以俱言形者,見得本此一物,若舍此一字,專言上者下者,便分兩截矣。

集説に方応祥の言を引く:この一節は正好以て「象を立てて以て意を尽す」の道理を体認す。乾坤は本来象なるに、却ってそれを「《易》之緼」と説き・「《易》はその中に立つ」と説けば、すなわち意もまた便ち尽きたり。正に象の所在する処はすなわち道なればなり。「是故」の二字は、上文の乾坤を承けて来れるなり。形而上・形而下のみな一個の「形」の字を帯ぶる所以は、二者は本来同じ一件の東西なるを見出ださんと要するなり。もしこの「形」の字を舎掉して、単に何ぞの「上者」「下者」を説かば、便ち両截に分かれてしまう。

是故夫象,聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮,繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。本義 重出以起下文。集說 陸氏績曰:此明說立象盡意設卦盡情偽之意也。孔氏穎達曰:下文“極天下之賾存乎卦,鼓天下之動存乎辭”,為此故史引其文也。

《繋辞》はいう:ゆえに象を説くに到れば、聖人は天下事物の幽深繁雑あるを見て、ここにそれらの形状容貌を比擬し、各物の宜しき所に象を取る。これに因りて「象」と呼ぶ。聖人は天下事物の変動あるを見て、ここにその中の会合貫通の処を観察して、もって典章礼制を推行し、また文辞を繫げて以て吉凶を判断す。これに因りて「爻」と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:この両句は前文の重出にして、もって下文を引起す。集説に陸績の言を引く:ここは明白に「象を立てて以て意を尽し」「卦を設けて以て情偽を尽す」の意思を申説す。集説に孔穎達の言を引く:下文に「天下の賾を極むる者は卦に存し、天下の動を鼓する者は辞に存す」の両句あり。正にこの縁故の為に、やっと前の文字を再び一遍引くなり。

極天下之賾者存乎卦,鼓天下之動者存乎辭。本義 卦即象也,辭即爻也。集說 《朱子語類》云:“極天下之賾者存乎卦”,謂卦體之中,備陰陽變易之形容,“鼓天下之動者存乎辭”,是說出這天下之動,如“鼓之”“舞之”相似。俞氏琰曰:賾以象著,卦有象,則窮天下之至雜至亂,無有遺者,故曰極,動以辭決,使天下樂於趨事赴功者,手舞足蹈而不能自己,故曰鼓。

《繋辞》はいう:能く天下の幽深繁雑の事を窮極するは、卦に在り。能く天下の一切の行動を鼓動するは、辞に在り。朱熹《本義》はいう:ここの「卦」はすなわち上文の象にして、「辞」はすなわち上文の爻なり。集説に《朱子語類》を引いていう:「天下の賾を極むる者は卦に存す」は、卦体の中に陰陽変易の形容を備えるを説く。「天下の動を鼓する者は辞に存す」は、天下の動をみな説き出だせるを説きて、たとえば「之を鼓し」「之を舞す」が一般なり。集説に兪琰の言を引く:幽雑の情は象に靠ってやっと顕著す。卦はすでに象あれば、便ち天下の至雑至乱の事をみな窮究して遺なし。ゆえに「極」という。行動は辞に靠ってやっと決断す。能く天下人をして事に赴き功を立つるに楽しましめ、手舞足蹈して停まらしめ得ず。ゆえに「鼓」という。

案 極天下之賾,結“立象以盡意設卦以盡情偽”兩句,鼓天下之動,結“繫辭焉以盡其言”一句。化而裁之存乎變,推而行之存乎通,神而明之存乎其人,默而成之,不言而信,存乎德行。本義 卦爻所以變通者在人,人之所以能神而明之者在德。

李光地の按:「天下の賾を極む」の一句は、「象を立てて以て意を尽し、卦を設けて以て情偽を尽す」のあの両句を収束す。「天下の動を鼓す」の一句は、「辞を繫ぐるは以て其の言を尽す」のあの一句を収束す。《繋辞》はいう:造化に順い裁制を加うるは「変」に在り、推衍し出だして施行に見るは「通」に在り、能くそれを神妙にして明白ならしむるは其人に在り、黙々としてそれを成就して言語を待たずして人自ら信服するは徳行に在り。朱熹《本義》はいう:卦爻の能く変じ能く通ずる所以は、関鍵は人に在り。人の能くそれを神妙にして明白ならしむる所以は、関鍵は徳に在り。

集說 程子曰:《易》因爻象論變化,因變化論神,因神論人,四人論德行、大體通論《易》道,而終於“默而成之,不言而信,存乎德行。”程氏敬承曰:上繫末章歸重德行,下繫末章亦首揭出德行,此之德行,即所謂乾坤易簡者乎。張氏振淵曰:謂之變,謂之通,變通,因化裁推行而有也,“存乎變”,“存乎通”,化裁推行,因變通而施也。

集説に程頤の言を引く:《易》はまず爻と象に就いて変化を論じ、再び変化に就いて神を論じ、再び神に就いて人を論じ、再び人に就いて徳行を論ず。大体の上は《易》道を通論して、最後に「黙して之を成し、言わずして信ずるは、徳行に存す」に帰結す。集説に程敬承の言を引く:《繋辞上伝》の末章は分量を徳行の上に落とし、《繋辞下伝》の末章の開頭もまた徳行を揭出す。ここの説く所の徳行は、大概いわゆる乾坤易簡の道理であろう。集説に張振淵の言を引く:上文は「之を変と謂う」「之を通と謂う」と説く。あれは変と通とは裁制推行に因りて有るなり。ここは「変に存す」「通に存す」と説く。あれは裁制推行は変通に依って施行せらるるなり。

案 “化而裁之推而行之”,結“變而通之以盡利”一句,“神而明之”以下,結“鼓之舞之以盡神”一句,上文化裁推行,是泛說天地間道理,故曰“謂之變”“謂之通”。此化裁推行,是說《易》書中所具,故曰“存乎變”“存乎通”,言就《易》道之變處,見得聖人化裁之妙,就《易》道之通處,見得聖人推行之善也,“神而明”之“神”字,即根鼓舞盡神來,辭之鼓舞乎人者,固足以盡神,然必以人心之神,契合乎《易》之神,然後鼓舞而不自知,此所謂神而明之也,默而成之不言而信,是其所以能神明處。

李光地の按:「化して之を裁し」「推して之を行う」の両句は、「変じて之を通じて以て利を尽す」の一句を収束す。「神にして之を明らかにす」以下は、「之を鼓し之を舞して以て神を尽す」の一句を収束す。上文の説く所の化裁推行は、泛く天地間の道理を説く。ゆえに「之を変と謂う」「之を通と謂う」を用う。ここの説く所の化裁推行は、《易》のこの書の裏に具備する所を説く。ゆえに「変に存す」「通に存す」を用う——意思は《易》道の変ずる処に就いて、聖人の裁制の精妙を見出だし、《易》道の通ずる処に就いて、聖人の推行の完善を見出だすなり。「神にして之を明らかにす」の「神」の字は、正に「之を鼓し之を舞して以て神を尽す」の一句より生じ根づいて来れるなり。卦爻の辞は能く人を鼓舞す。本已に以て神を尽すに足る。然るに必ず人心の神を用いて《易》の神に契合して、然る後にその鼓舞を受けて自己もまた覚えずして、これがやっと「神にして之を明らかにす」と呼ばる。至于「黙して之を成し、言わずして信ず」に至っては、正にそれの能く神にして之を明らかにする所以の処なり。

總論 胡氏炳文曰:上繫凡十二章,末乃曰“書不盡言言不盡意”,蓋欲學者自得於書言之外也,自立象盡意至鼓天下之動者存乎辭,反覆《易》之書言可謂盡矣,末乃曰“默而成之不言而信存乎德行”,然則《易》果書言之所能盡哉,得於心為德,履於身為行,《易》之存乎人者,蓋有存乎心身,而不徒存乎書言者矣。

総論に胡炳文の言を引く:《繋辞上伝》は一共に十二章にして、末章に到ってやっと「書は言を尽さず、言は意を尽さず」と説く。大概は学《易》の人をして文字言語の外に於て自己で体会せんと要するなり。「象を立てて以て意を尽す」より一直に「天下の動を鼓する者は辞に存す」に講じ到るまで、反復に《易》の文字言語を申説して、以て講くこと極めて尽くしたりと言うべし。而るに末尾にまた「黙して之を成し、言わずして信ずるは、徳行に存す」と説く。すなわち《易》は豈に真に文字言語の能く窮尽する所ならんや。心に得るを徳と呼び、身に践むを行と呼ぶ。《易》の人の身上に存在する部分は、元来人の心と身に存在して、ただ文字言語の裏に存在するのみならざるなり。

案 此章蓋總上十一章之意而通論之,“言不盡意”,故“立象以盡意”,謂伏羲也。“書不盡言”,故因象而“繫辭焉以盡其言”,謂文周也。象之足以盡意者,言之指陳有限,而象之該括無窮也。因象繫辭之足以盡言者,象為虛傲之象,而該括無窮,則辭亦為假託之辭,而包涵無盡也。變通盡利者,象所自具之理,而所以定吉凶。鼓舞盡神者,辭所發揮之妙,而所以成亹亹也,其言乾坤者,推象之所自來也。

李光地の按:この一章は大概上面の十一章の意思を総べて通論するなり。「言は意を尽さざる」に因りて、ゆえに「象を立てて以て意を尽す」を要す。これは伏羲を説く。「書は言を尽さざる」に因りて、ゆえに象に依って「辞を繫げて以て其の言を尽す」。これは文王と周公を説く。象の以て意を尽すに足る所以は、言語の能く指陳する所は有限にして、象の能く該括する所は窮なればなり。象に依り辞を繫ぐる以て言を尽すに足る所以は、象は本来虚設の象にして該括窮なければ、すなわち辞もまたすなわち假託の辞にして包涵尽きざるなり。「変じて之を通じて以て利を尽す」は、象の本身の具える所の理を講じて、もって吉凶を判定す。「之を鼓し之を舞して以て神を尽す」は、辞の発揮する所の妙用を講じて、もって人の勉勉不倦を成就す。文中は乾坤に説き及ぶは、象の来歴を推究せんと要するなり。

有天地故有變化,滯於形以觀之,亦器焉而已;超乎形以觀之,則道之宗也。因天地之變化而裁之,則人事所由變也;因其可通之理而推行之,則人事所由通也。自古聖人所以定天下之業者,此而已矣,是以作《易》之聖,觀乾坤之器而立象,推其變通之用而設辭,使天下後世,欲裁化而推行者,於是乎在,其動可謂盛矣。

天地ありて、ゆえに変化あり。形跡に滞留してそれを看れば、過ぎず器而已。形跡を超越してそれを看れば、あれはすなわち道の宗主なり。天地の変化に順って以て裁制を加えれば、人事は便ちこれに由りて変ず。その中の貫通すべき理に順って推衍施行せば、人事は便ちこれに由りて通ず。古より聖人のもって天下の事業を奠定したるは、もすなわちこの個而已。ゆえに《易》を作る聖人は、乾坤のこの有形の器を観察して卦象を樹立し、その変通の功用を推究して文辞を設立して、天下後世のおよそ造化を裁制し・推衍施行せんと欲する者をして、みな能くここに於て依憑あるを得せしむ——この一番の作為は以て盛大と説くべし。

雖然,象足以盡意,而有畫前之《易》,故貴乎默而成之也,辭足以盡言,而有言外之意,故貴乎不言而信也,此則所謂神而明之。蓋學之不以觀玩之文,而明之不以口耳之粗者也,德行,謂有得於易簡之理。

話はこの様なるといえども、象は固より以て意を尽すに足るといえども、卦画の前に別に一個の《易》ありて在る。ゆえに黙々としてそれを心に成就するを貴ぶ。辞は固より以て言を尽すに足るといえども、言語の外に別に一層の意思あり。ゆえに言語を待たずして人自ら信服するを貴ぶ。これがすなわちいわゆる「神にして之を明らかにす」——それを学ぶは観賞玩味の文字の上に停留せず、それを明らかにするは口耳伝習の粗迹の上に停留せざるなり。「徳行」に至っては、乾坤易簡の道理の上に真に得るところあるを説くなり。

繋辞下伝 第一章

八卦成列,象在其中矣;因而重之,爻在其中矣。本義 成列,謂乾一兌二,離三震四,巽五坎六,艮七坤八之類。象,謂卦之形體也,因而重之,凋各田一卦而以八卦次第加之為六十四也。爻,六爻也,既重而後卦有六爻也。

《繋辞下伝》はいう:八卦は行列を排せば、物象は便ちその中に在り。再びそれらを両々に相重ねれば、爻は便ちその中に在り。朱熹《本義》はいう:「成列」は、乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八のこの様の次序を指す。「象」は、卦の形体を指す。「因りて之を重ねる」は、各々一卦に就いて下体と為し、八卦を依次にその上に加えて、六十四卦と為るを説く(底本のこの句は「因」の字を「凋」と訛り・「因」の字を「田」と訛る)。「爻」はすなわち六爻なり。卦を重ねたる後、一卦はやっと六爻あり。

集說 韓氏伯曰:夫八卦備天下之理而未極其變,故“因而重之”,以象其動用,則爻卦之義,所存各異,故“爻在其中矣”。《朱子語類》云;八卦所以成列,乃是從太極兩儀四象漸次生出,以至於此,畫成之後,方見其有三才之象,非聖人因見三才,遂以己意思維而連畫三爻以象之也,“因而重之”,亦是因八卦之已成,各就上面節次生出,若施生逐爻,則更加三變,方成六十四卦,若並生全卦,則只用一變,便成六十四卦,雖有遲速之不同,然皆自漸次生出,各有行列次第,畫成之後,然後見其可盡天下之變。

集説に韓伯の言を引く:八卦は已に天下の道理を具備するも、なお変化を極処に推し到らず。ゆえに「因りて之を重ねる」を要して、もって事物の動作と功用を象徴す。この様に一来れば、爻と卦との各々主る所の意義は便ち同じからず。ゆえに「爻その中に在り」という。集説に《朱子語類》を引いていう:八卦の能く行列を排する所以は、乃ち太極より両儀を生じ・両儀より四象を生じて一步步に漸次に生出して、一直にここに生じ到れるなり。画き成りての後、やっとそれの三才の象あるを見る。並びて聖人の先に三才を看見して、ここに自己の心思に憑りて連ねて三爻を画きてそれを象徴したるにあらず。「因りて之を重ねる」もまたすでに画き成りたる八卦に就いて、各々その上に於て次序に按じて生出するなり。もし一爻ずつ一爻ずつ推生せば、便ち再び三変を加えてやっと六十四卦と成るを要す。もし整卦を一斉に生出せば、則ちただ一変を用いて便ち六十四卦と成る。快慢の不同あるといえども、然るにみな自然に漸次に生出して、各々行列次第あり。画き成りての後、やっとそれの以て天下の変化を窮尽するに足るを見るなり。

柴氏中行曰:“八卦列成”,則凡天下之象,舉在其中,不止八物,如《說卦》中所列皆是。鄭氏曰:卦始於三畫,未有爻也,“因而重之”,其體有上下,其位有內外,其時有初終,其序有先後,而“爻在其中矣。”

集説に柴中行の言を引く:八卦は一旦排列して成れば、およそ天下の物象はみなその裏頭に収まりて、ただ天地雷風水火山沢のこの八様の東西に止まらず。《説卦伝》の裏に列挙する所のあの許多の取象はみな是なり。集説に鄭氏の言を引く:卦は起初ただ三画のみにして、なおいわゆる爻なし。「因りて之を重ねる」以後、それの形体は上下の分あり、それの爻位は内外の別あり、それの時は初あり終あり、それの次序は先あり後ありて、ここに「爻その中に在り」。

剛柔相椎,變在其中矣,繫辭焉而命之,動在其中矣。本義 “剛柔相推”,而卦爻之變,往來交錯,無不可見,聖人因其如此而皆繫之辭以命其吉凶,則占者所值當動之爻象,亦不出乎此矣。

《繋辞下伝》はいう:剛と柔とは互いに推移して、変化は便ちその中に在り。文辞を繫げて人に告命せば、動は便ちその中に在り(底本の「相推」の「推」の字は「椎」と訛る)。朱熹《本義》はいう:剛柔は互いに推移して、卦爻の変化は往来交錯して、看見し得べからざるなし。聖人はそれのこの様子に依って、一々に文辞を繫げて以てその吉凶を告命すれば、すなわち占者の遇う所の当に動くべき爻象も、またこの範囲を出でざるなり。

集說 虞氏翻曰:“剛柔相推而生變化”,故“變在其中矣”,繫彖象九六之辭,故“動在其中”,“鼓天下之動者,存乎辭”者也。孔氏穎達曰:上繫第二章云,“剛柔相推而生變化”,是變化之道,在剛柔相推之中。

集説に虞翻の言を引く:「剛柔相推し変化を生ず」に因りて、ゆえに《繋辞》は「変その中に在り」という。聖人はまた卦爻に彖辞・象辞および九六の爻辞を繫げ与えたり。ゆえに「動その中に在り」という。これもまたすなわち前の説く所の「天下の動を鼓する者は辞に存す」なり。集説に孔穎達の言を引く:《繋辞上伝》の第二章は已に「剛柔相推し変化を生ず」と説きたり。見るべし、変化の道は便ち剛と柔の互いに推移する中に在り。ここの処は過ぎずあの層の意思を再び一遍申明するのみ。

蔡氏清曰:天文地理,人事物類,一剛一柔盡之矣,二者之外,再無餘物也,故凡剛者皆柔之所推也,凡柔者皆剛之所推也,而《易》卦中亦只是剛柔二者而已,非剛則柔,非柔則剛,在剛皆柔之所推,在柔皆剛之所推。蘇氏濬曰:動在其中,虞翻謂“鼓天下之動者存乎辭”。此說極是,此“動”字,與下文“生乎動”,“天下之動”,三“動”字俱同,《易》之辭,原是聖人見天下之動而繫之者,故曰“鼓天下之動存乎辭”,此即動在其中之說,非當動卦爻之謂也。

集説に蔡清の言を引く:天文・地理・人事・物類は、一剛一柔に便ち説き尽せり。この両者の外に再び別の東西なし。ゆえにおよそ剛なるは、みな柔の推し出だしたる所にして、およそ柔なるは、みな剛の推し出だしたる所なり。《易》卦の中もまたただ剛柔の両様のみありて、剛ならざればすなわち柔にして、柔ならざればすなわち剛なり。剛に処るはみな柔の推移して成れる所にして、柔に処るはみな剛の推移して成れる所なり。集説に蘇濬の言を引く:「動その中に在り」を講ずるに、虞翻は「天下の動を鼓する者は辞に存す」を用いてそれを解釈す。この話は極めて是なり。この「動」の字は、下文の「動に生ず」「天下之動」の両個の「動」の字と同一個の意思にして、《易》の文辞は、本来すなわち聖人の天下の変動を見て繫げ上げたる所なり。ゆえに「天下の動を鼓するは辞に存す」という。これがすなわち「動その中に在り」の意思にして、並びて占筮のときの当に動くべきあの一卦一爻を指すにあらず。

吉凶悔吝者,生乎動者也。集說 龔氏原曰:象者一卦之成體也,故天下之賾存焉;爻者六位之變動也,故天下之動存焉,剛柔相推所以成爻也。面“爻者言乎變”,則“變在其中矣”,“繫辭焉而命之”,所以明爻也,而辭者以鼓天下之動,則“動在其中矣”,卦則兆於成列而備於重,爻則兆於變而備於動,故吉凶悔吝生焉。

《繋辞下伝》はいう:吉・凶・悔・吝のこの四様は、みな「動」より生出したる所なり。集説に龔原の言を引く:象は一卦の已に成れる形体なり。ゆえに天下の幽雑の情はみなその中に存在す。爻は六個の爻位の変動なり。ゆえに天下の動はみなその中に存在す。剛柔の互いに推移するは正にもって爻を成すにして、《繋辞》は「爻者は変を言う」と説く。見るべし「変その中に在り」。文辞を繫げて人に告命するは正にもって爻を闡明するにして、文辞はもって天下の動を鼓動するに用う。見るべし「動その中に在り」。卦は八卦の列を成すとき已に端倪ありて、重卦に到って完備す。爻は変化の中に已に端倪ありて、動に到って完備す。ゆえに吉凶悔吝は便ちここより生出し来れるなり。

蘇氏濬曰:《傳》曰“寂然不動”,又曰“動之微吉之先見”,當其不動也,尚無所謂吉,又何有於凶,唯動而微也,吉斯見焉,動而紛紜雜亂也,凶與悔吝,始生於其間矣。案 此是復說“繫辭焉而命、動在其中”之意。凡天下之吉凶悔吝,皆生於人事之動,故《易》中有吉凶悔吝之辭,而動在其中。

集説に蘇濬の言を引く:《繋辞伝》は「寂然として動かず」と説き、また「几者は動の微にして、吉の先見する者」と説く。それの動かざるときに当たっては、いわゆる吉さえもなお談じ及ばず、また何の処に凶あらんや。ただ動きてなお細微の処に在るに、吉はやっと顕現し出だす。動くこと紛紜雑乱するに及んで、凶と悔・吝とは便ちその間に生出し来る。李光地の按:これは「辞を繫げて之に命ずるは、動その中に在り」の意思を重説す。およそ天下の吉凶悔吝は、みな人事の動より生出す。ゆえに《易》の裏に吉凶悔吝のこれらの文辞ありて、動は便ちその中に在るなり。

剛柔者,立本者也。變通者,趣時者也。本義 一剛一柔,各有定位,自此而彼,變以從時。集說 朱氏震曰:爻有剛柔,不有兩則一不立,所以“立本”也,剛柔相變,通其變以盡利者趣時也,“趣時者”時中也。

《繋辞下伝》はいう:剛と柔とは、もって根本を確立するに用い、変と通とは、もって時宜に趨合するに用う。朱熹《本義》はいう:一剛一柔は各々一定の位次あり。この位よりあの位に移るは、すなわち時勢に随って変ずるなり。集説に朱震の言を引く:爻は剛柔に分かれて、対立の両端なからば、あの「一」は便ち立ち起る能わず。これが正にいわゆる「本を立つる」なり。剛柔は互いに変換して、その変化を貫通して以てその利を窮尽するは、すなわち「時に趣く」なり。いわゆる時に趣くとは、もすなわち時に随いて中を得るなり。

張氏浚曰:剛柔相推,往來進退,為變無常,而莫不因乎自然之時,故曰“趣時”。《朱子語類》云:此兩句相對說,剛柔者陰陽之質,是移易不得之定體,故謂之本,若剛變為柔,柔變為剛,便是變通之用。又云:剛柔者晝夜之象,所謂“立本”,變化者進退之象,所謂“趣時”,剛柔兩個是本,變通便只是其往來者。

集説に張浚の言を引く:剛柔は互いに推移して往来進退して、変化は常規なきといえども、みな自然の時勢に順わざるなし。ゆえに「時に趣く」と呼ぶ。集説に《朱子語類》を引いていう:この両句は対して説くなり。剛柔は陰陽の体質にして、移易し得べからざる定体なり。ゆえに「本」と呼ぶ。剛の変じて柔と為り・柔の変じて剛と為るに至っては、あれはすなわち変通の作用なり。集説にまた《朱子語類》を引いていう:剛柔は昼夜の象にして、すなわちいわゆる「本を立つる」なり。変化は進退の象にして、すなわちいわゆる「時に趣く」なり。剛柔のこの両様は根本にして、変通はただそれらの往来交替するのみなり。

胡氏炳文曰:卦有卦之時,爻有爻之時,立本者天地之常經,“趣時者”古今之通義。梁氏寅曰:剛柔者立本,乃不易之體,即所謂“闔戶”、“闢戶”也,變通者趣時,乃變易之用,即所謂往來不窮也。蔡氏清曰:剛柔立本,所謂變易而對待者,變通趣時,所謂變易而流行者。案 此是復說剛柔相推,而生變化之意,凡天地間之理,兩者對待,斯不偏而可以立本,兩者迭用,斯不窮而可以趣時,故《易》中剛柔相推,而變在其中。

集説に胡炳文の言を引く:一卦は一卦の処する時あり、一爻は一爻の処する時あり。「本を立つる」の講ずる所は天地の変易せざる常経にして、「時に趣く」の講ずる所は古今の通行する義理なり。集説に梁寅の言を引く:剛柔の本を立つるは、変易せざる体にして、もすなわち《繋辞上伝》のいわゆる「戸を闔て之を坤と謂い、戸を闢きて之を乾と謂う」のあの一層なり。変通の時に趣くは、変易の用にして、もすなわちかの処のいわゆる「往来して窮まらざるを通と謂う」なり。集説に蔡清の言を引く:剛柔の本を立つるは、変易の中の彼此対待の一面に就いて説き、変通の時に趣くは、変易の中の往复流行の一面に就いて説くなり。李光地の按:これは「剛柔相推し変化を生ず」の意思を重説す。およそ天地間の道理は、両者対待せば、やっと偏らずして以て本を立つべく、両者交替して用を為せば、やっと窮まらずして以て時に趣くべし。ゆえに《易》の中は剛柔は互いに推移して、変化は便ちその中に在るなり。

吉凶者,貞勝者也。本義 貞,正也,常也。物以其所正為常者也,天下之事,非吉則凶,非凶則吉,常相勝而不已也。天地之道,貞觀者也。日月之道,貞明者也,天下之動,貞夫一者也。本義 觀,示也,天下之動,其變無窮,然順理則吉,逆理則凶,則其所正而常者,亦一理而已矣。

《繋辞下伝》はいう:吉と凶とは、正常なる者をもって勝るなり。朱熹《本義》はいう:「貞」はすなわち正にしてすなわち常にして、事物はその正なる一面をもって常と為す。天下の事は吉ならざればすなわち凶にして、凶ならざればすなわち吉にして、両者は常常に互いに勝過して止息なし。《繋辞下伝》はまたいう:天地の道は、正常をもって人に昭示し、日月の道は、正常をもって世を照明し、天下の一切の変動は、一個の正常の理に帰するなり。朱熹《本義》はいう:「観」はすなわち昭示なり。天下の変動は、その変化は窮尽なきといえども、然るに理に順えば便ち吉にして理に逆えば便ち凶なれば、すなわちそれの正にして恒常なる所は、過ぎず同じ一個の理而已。

集說 《朱子語類》云:吉凶常相勝,不是吉勝凶,便是凶勝吉,二者常相勝,占曰“貞勝”。天地之道則常示,日月之道則常明,“天下之動貞夫一者也”、天下之動雖 高氏萃曰:天常示人以易,地常示人以簡,雖陰不能以不愆,陽不能以不伏,而貞觀之理常自若也,日明乎晝,月明乎夜,雖中不能以不昃,盈不能以不食,而貞明之理常自若也,天下之動,進退存亡,不可以一例測,然而順理則裕,從欲唯危同一揆也,惠迪之吉,從逆之凶,無二致也,是則造化人事之正常,即吉凶之貞勝,豈可以二而求之哉。

集説に《朱子語類》を引いていう:吉と凶とは常常に互いに勝過して、吉の凶に勝るならざれば、すなわち凶の吉に勝るなり。両者は常に相い勝る。ゆえに「貞勝」という。天地の道はすなわち恒常に昭示するにして、日月の道はすなわち恒常に照明するなり。「天下之動は一に貞るなり」。天下の変動は……此の条の底本はここに至りて中断す。集説に高萃の言を引く:天は恒常に「易」をもって人に昭示し、地は恒常に「簡」をもって人に昭示す。陰は能わず過差あらざるなく、陽は能わず潜伏あらざるなきといえども、「貞観」の理は始終かくの如し。日は白昼に照明し、月は夜裏に照明す。日中は能わず西斜あらざるなく、月盈は能わず亏食あらざるなきといえども、「貞明」の理は始終かくの如し。天下の変動は、進退存亡して、能く一個の成例を拿りて測度すべからず。然るに理に順えば則ち寛裕にして、欲を縦せば則ち危殆なるは、同じ一個の道理にして、道に順えば吉を得・道に逆えば凶を得るも、また両様なし。この様に看れば、造化と人事の正常は、すなわち吉凶の「貞勝」なり。何ぞ以てそれらを両回事と当作して求めんことを得んや。

案 自“吉凶”“貞勝”至此為一節,又承“吉凶悔吝生乎動”之意,而明其理之一也,“貞勝”之義,張子以為以正為勝,朱子以為二者常相勝,今玩文義當為以常為勝,蓋天下容有善而遇凶,惡而獲古者,然非其常也,惠迪吉,從逆凶,乃理之常,故當以常者為勝,如天地則以常者觀示,日月則以常者照臨,偶有變異,不足言也,天下之動,豈不常歸於一理乎。

李光地の按:「吉凶者は、貞勝者なり」よりここに到るまで一節にして、また「吉凶悔吝は動に生ず」の意思を承けて、その理の一に帰するを闡明す。「貞勝」の意思は、張載は以て正をもって勝ると為し、朱熹は以て吉凶の両者は常に相い勝ると認む。今や文義を玩味すれば、応に解して以て常をもって勝ると為すべし。天下は容または善を行うも凶に遇い・悪を作るも反って吉を得る事あれども、あれは常態にあらず。道に順えば則ち吉・道に逆えば則ち凶なるは、やっと理の常なり。ゆえに応に恒常なる者をもって勝ると為すべし。たとえば天地は便ち恒常なる者を用いて人に昭示し、日月は便ち恒常なる者を用いて下土を照臨す。偶爾に些かの変異あるも、計較するに足らず。天下の一切の変動は、豈に恒常に一個の理に帰せざらんや。

夫乾確然示人易矣。夫坤隤然示人簡矣。

《繋辞下伝》はいう:乾は剛健确然として、毫も迂曲なく、ゆえに「易」——平易——を人に昭示す。坤は柔順隤然として、毫も労費なく、ゆえに「簡」——簡約——を人に昭示す。この両句は上文の天は常に易をもって人に示し・地は常に簡をもって人に示すを承けて来りて、乾坤は各々その本然の徳性をもって人に示し、人はそれに循って做し往けば、便ち労せずして功あるを得るを説くなり。

繋辞下伝 第一章(続)

本義 確然,健貌。隤然,順貌,所謂貞觀者也。 集說 韓氏伯曰:確,剛貌也。隤,柔貌也。乾坤皆恆一其德,故簡易也。

上文の「夫れ乾は确然として人に易を示し、夫れ坤は隤然として人に簡を示す」を承くるなり。朱熹《本義》は解釈す:「确然」は剛健堅定の様子にして、「隤然」は柔順委下の様子なり。これがすなわち前文の説く所の「貞観」——天地は恒常不変の姿態をもって自己を人に摆きて看せしむるなり。集説に韓康伯の言を引く:「确」は剛を形容し、「隤」は柔を形容す。乾と坤とは各々恒久専一に自己の徳性を守住して、乾はただ一味に健にして、坤はただ一味に順にして、半点の迂曲繁難なし。ゆえに《繋辞》はそれらを「易簡」と称す。

案 此節又承剛柔立本,變通趣時之意,而明其理之一也。乾坤者,剛柔之宗也,乾坤定位,而變化不窮矣,然其所以立本者,一歸於易簡之理,所謂天有顯道,厥類維彰,萬古不易者也。

李光地の按:この一節は仍旧前文の「剛柔は本を立て」「変通は時に趣く」の話頭に接して下に講じて、用意はその中の道理の帰根到底はただ一個なるを説明するに在り。乾と坤とは一切の剛爻柔爻の総源頭にして、乾上坤下の位置は一経確定せば、六十四卦の変化は便ち窮尽なし。然るにそれらの拠って以て「本を立つる」所のものは、却って統々「易簡」の理に収帰す——乾は平易をもって万物の始を主宰し、坤は簡約をもって万物の終を成就す。《尚書・泰誓》は「天に顕道あり、厥の類は維れ彰なり」と説く。天道は明明白白にあの処に摆かれて、善悪の各類は各々彰顕あって、万古も更改せざらん。講ずる所は正にこの恒常不易の「本」なり。

爻也者,效此者也。象也者,像此者也。 本義 此,謂上文乾坤所示之理,爻之奇偶卦之消息,所以效而像之。 案 “爻也者效此”,是結“吉凶悔吝生乎動”而“貞夫一”之意,“象也者像此”,是結剛柔變通而歸於易簡之意。

《繋辞下伝》の本文はいう:いわゆる「爻」とは、すなわちこの道理を仿效するものにして、いわゆる「象」とは、すなわちこの道理に象を取るものなり。朱熹《本義》は解釈す:句の中の「此」は、上文の乾坤の顕示したる易簡の理を指す。爻は奇偶に分かれ、卦は消長あって、みなもってこの道理を仿效し・象を取るに用うなり。李光地の按:「爻とは者此を效う」の一句は、前面の「吉凶悔吝は動に生ず」を収束して最終に「一に貞る」の意思と為る——一切の変動の仿效する所は、仍おあの恒常の理なり。「象とは者此を像る」の一句は、剛柔変通を収束して最終に易簡に帰結する意思なり。

爻象動乎內,吉凶見乎外,功業見乎變,聖人之情見乎辭。 本義 內,謂蓍卦之中。外,謂蓍卦之外。變,即動乎內之變。辭,即見乎外之辭。 集說 韓氏伯曰:功業由變以興,故“見乎變”也。辭也者各指其所之,故曰“情”也。

《繋辞下伝》の本文はいう:爻と象とは内裏に発動して、吉凶は外面に顕現す。功業は変化の中に顕現し、聖人の心意は卦爻辞の中に顕現す。朱熹《本義》は解釈す:「内」は蓍草の卦を成す過程の内を指し、「外」は卦を成したる後の応験する所の人事の外を指す。「変」はすなわち内に発動するあの変にして、「辞」はすなわち外に顕現するあの些の断語なり。集説に韓康伯の言を引く:功業は変通に靠ってやっと興起す。ゆえに「変に見る」という。卦爻辞は各々一爻一卦の去向を指点し出だして、聖人の用心を和盤に托出す。ゆえにそれを「情」と称す。

張子曰:因爻象之既動明吉凶於未形,故曰“爻象動乎內,吉凶見乎外”。隨爻象之變以通其利,故功業見也,聖人之情,存乎教人而已。 吳氏澄曰:聖人與民同患之情,皆於《易》而著見,聖人之道而獨歸重於辭,蓋此篇為《繫辭》之傳故也。 案 爻象者,動而無形,故曰“內”。吉凶者,顯而有跡,故曰“外”,非專以蓍筮言也。

集説に張載の言を引く:聖人は爻象の已に発動したる端倪に憑りて、吉凶のまだ成形せざる以前にそれを点明す。ゆえに「爻象は内に動き、吉凶は外に見る」という。また爻象の変化に順ってそれの行くべき路子を打通せば、功業はここに顕現し出だす。聖人の心意に至っては、無非は世人を教導するこの一件事に存在する而已。集説に呉澄の言を引く:聖人の百姓と憂患を同じくするあの份の心腸は、みな《周易》の裏に明白に顕露し出だせり。而るに聖人の道はここに独り卦爻辞を看重するは、本篇は本来すなわち「繋辞」を解説する伝文なるによりてなり。李光地の按:爻と象とは已に発動してなお形跡を看見し得ざるものなり。ゆえに「内」と呼ぶ。吉凶は已に顕露して踪迹の尋ね得べきあるなり。ゆえに「外」と呼ぶ。これは並びて専ら蓍草占筮の一件事に就いて説くにあらず。

天地之大德曰生,聖人之大寶曰位。何以守位曰仁,何以聚人曰財,理財正辭禁民為非曰義。 此第一章,言卦爻吉凶,造化功業。 集說 陸氏績曰:人非財不聚,故聖人觀象制器,備物盡利,以業萬民而聚之也,蓋取聚人之本矣。

《繋辞下伝》の本文はいう:天地の最大の徳は、万物を生養するなり。聖人の最大の宝は、あの上に居りて人を治むる位なり。何を靠りてこの位を守住するか。仁に靠る。何を靠りて百姓を聚攏するか。財に靠る。財貨を管好し・名分言辞を端正し・百姓の為非作歹を禁止す。これをすなわち義と呼ぶ。原書はここに注明す:以上は第一章にして、卦爻の吉凶と天地造化・聖人功業を講ず。集説に三国呉人の陸績の言を引く:人は財貨なければ便ち聚まり起る能わず。ゆえに聖人は卦象を観察し・器物を制作して、用具を備え斉え・利益を極処に開発して、万民をして各々生業ありて一つに聚集せしむ。これがすなわち人を聚むる根本を抓住したるなり。

崔氏憬曰:言聖人行易之道,當須法天地之大德,寶萬乘之大位,謂以道濟天下為寶,是其大寶也。夫財貨人所貪愛,不以義理之,則必有敗也,言辭人之樞要,不以義正之,則必有辱也。百姓有非,不以義禁之,則必不改也,此三者皆資於義,以此行之,得其宜也,故知仁義,聖人寶位之所要也。

集説に唐代の崔憬の言を引く:これは聖人の《周易》の道を推行するに、必ず天地の万物を生養する大徳を效法して、万乘の君の大位を宝貝と看作するを講ずるなり。いわゆる宝貝とは、この位子に憑りて自己の道をもって天下を救済して、これがやっと「大宝」と称するに足るを指す。財貨は人人の貪愛するものにして、義を用いてそれを調理せざれば、便ち必定に乱子を出ださん。言辞は人事の関鍵枢紐にして、義を用いてそれを端正せざれば、便ち必定に羞辱を招来せん。百姓に為非作歹する者あれば、義を用いて彼を禁止せざれば、便ち必定に悔改を肯ぜざらん。この三件の事はみな義に倚靠するを要して、義に照らして做し往けば、やっと各々その宜を得。これによりて仁と義とは、正に聖人の宝位を守住する緊要の処なるを知るべし。

張子曰:將陳理財養物於下,故先敘天地生物。 朱氏震曰:“天地之大德曰生”者仁也,聖人成位乎兩間者仁而已,不仁不足以參大地,義所以為仁,非二本也,故曰“立人之道曰仁與義。”

集説に張載の言を引く:下文は将に財を理し民を養うの事を鋪陳せんとす。ゆえにここにまず天地の万物を生養するを叙して、根子を交代し清楚す。集説に朱震の言を引く:「天地の大徳は生と曰う」のこの「生」は、すなわち仁なり。聖人の能く天地の間に自己の位置を站住するは、靠る所もまたただ一個の仁のみ。仁ならざれば便ち天地と並列して三才と為るに配せず(底本の「大地に参ずるに足らず」の「大」は応に「天」と当作す)。義はもって仁を成全するに用い、両者は並びて両個の根にあらず。ゆえに《説卦伝》は「人の道を立つるに仁と義と曰う」という。

王氏宗傳曰:聖人所以配天地而王天下者,亦有仁義而已矣。仁,德之用也。義,所以輔仁也。“理財”,如所謂作網罟以佃漁,作耒耜以耕耨,致民聚貨以變易之類是也。 “正辭”,如所謂易結繩以書契,百官以治萬民以察是也。“禁民為非”,如所謂重門擊柝以待暴客,剡矢弦弧以威天下是也。

集説に王宗伝の言を引く:聖人の能く天地と相配して天下を統治する所以は、靠る所もまたただ仁と義而已。仁は徳の発用にして、義はもって仁を輔助するに用う。いわゆる「財を理す」とは、すなわち下一章の説く所の縄を編み網を結びて以て猟を打ち魚を捕り・木を砍りて耒耜を做りて以て地を耕し草を除き・百姓を招来して貨物を聚集して互いに交易するこの類の事なり。いわゆる「辞を正す」とは、すなわち下一章の説く所の結縄記事を書写契券に改成し・百官はそれに憑りて事を治め・万民はそれに憑りて稽察するこの類の事なり。いわゆる「民の為非を禁ず」とは、すなわち下一章の説く所の重々の門戸を設け・梆子を敲きて夜を巡りて以て強盗を防備し、箭を削り弦を安んじて弓矢を造出して以て天下を威慴するこの類の事なり。

《朱子語類》云:“正辭”便只是分別是非。又曰:教化便在正辭裡面。 項氏安世曰:聖人之仁,即天地之生,“大寶曰位”,即“崇高莫大乎富貴”也,自此以下,以包犧氏神農氏黃帝堯舜氏實之,皆聖人之富貴者也。財者,百物之總名,皆民之所利也。理財,謂水火金木土穀推修,所以利之也。

集説に《朱子語類》を引いていう:「辞を正す」は過ぎず是非を分辨し清楚する而已。又いう:教化は便ち「辞を正す」のこの件事の裏頭に落つ。集説に項安世の言を引く:聖人の仁は、すなわち天地の生なり。「大宝は位と曰う」の位は、すなわち《上繋》の説く所の「崇高は富貴より大なるはなし」のあの富貴なり。ここより往下に、伏羲氏・神農氏・黄帝尭舜氏を用いてそれを充実す。この几位はみな聖人の当中の富貴の位を拠有する者なり。「財」は各種の物産の総名にして、みな百姓の頼りて以て利を得る所のものなり。いわゆる「財を理す」とは、すなわち《尚書・大禹謨》の講ずる水・火・金・木・土・穀の六府の一々に整治して当を得る(底本の「推修」は応に「惟修」と当作す)にして、それらを用いて以て百姓の為に利を謀るなり。

正辭,謂殊貴賤使有度,明取予使有義,辨名實使有信,利之所在,不可不導之使知義也。禁民為非,謂憲禁令,致刑罰,以齊其不可導者也。蓋養之教之而後齊之,聖人之政,盡於此三者矣,其德意之所發,主於仁民,義者,仁之見於條理者也。

項安世は続けていう:いわゆる「辞を正す」とは、貴賤を分別して等級に法度あらしめ、取予を講明して進退に道理あらしめ、名実を辨清して人と人の間に信用あらしむ。利益の所在する処は、能わず百姓を引導して義を懂らしめざるべからず。いわゆる「民の為非を禁ず」とは、禁令を公布し・刑罰を施加して、もってあの引導し来る能わざる人を斉整するに用う。まず彼らを養い、再び彼らを教化し、最後にやっと刑罰を用いて彼らを斉整す——聖人の政事は、全てこの三項の裏頭に在り。而るにこの三項の発出する所の徳意は、主旨はみな百姓を愛護するに在り。義は、過ぎず仁の具体の条理に表現するときの様子而已。

真氏德秀曰:案《易》之並言仁義者,此章及《說卦》“立天之道”章而已,在天地則曰生,在聖人則曰仁,仁之義蓋可識矣。 李氏心傳曰:蔡邕云,以仁守位,以財聚人,則漢以前已用此“仁”字矣。 總論 孔氏穎達曰:此第一章,復釋上繫第二章象爻剛柔吉凶悔吝之事,更具而詳之。

集説に真徳秀の言を引く:《周易》の中に仁と義を併挙する処を査すれば、ただ本章と《説卦伝》の「天の道を立つる」のあの一章而已。同じ一個の道理を、天地の上に摆けば便ち「生」と呼ばれ、聖人の身上に摆けば便ち「仁」と呼ばる。仁の字の含義はこれに由りて看りて清楚なるべし。集説に李心伝の言を引く:東漢の蔡邕はこの両句を引いて「仁をもって位を守り、財をもって人を聚む」と作る。見るべし、漢代以前の本子は已にこの「仁」の字を用いていたり——旧説にそれを読みて「人をもって位を守る」と為す者あるも、拠と為すに足らず。総論に唐代の孔穎達の言を引く:これは第一章にして、《上繋》の第二章の象・爻・剛柔・吉凶悔吝を講ずるあの些の事を重新して解釈して、《上繫》の説くより更に完備にして更に詳細なり。

案 此章與《上傳》第二章相應,故《上傳》第三章以後,皆申說第二章之意,《下傳》則自第二章之後,皆申說此章之意也。“八卦成列,因而重之”,即所謂設卦觀象也。 因爻象中剛柔相推之變,面繫之吉凶悔吝之辭,即所謂“繫辭焉而明吉凶”也,此四句,由象以及於辭者,作《易》之序也。下文又由辭之吉凶悔吝而推本於剛柔之象,蓋《傳》本為繫辭而作,而《下傳》尤詳焉,故其立言如此。

李光地の按:本章は《上伝》の第二章と互いに呼応す。ゆえに《上伝》は第三章より往きて後は、みな第二章の意思を申説するに在り。《下伝》は則ち第二章より往きて後は、みな本章の意思を申説するに在り。本章の開頭の「八卦は列を成し、因りて之を重ねる」は、すなわち《上伝》の説く所の「卦を設け象を観る」なり。接続して爻象の裏の剛柔の互いに推移する変化に順って、それに吉凶悔吝の断語を繫げ与うる(底本の「面系之」の「面」は応に「而」と当作す)は、すなわち《上伝》の説く所の「辞を繫げて以て吉凶を明らかにす」なり。この四句は卦象によりて卦辞に講じ到って、正に聖人の《周易》を作る先後の次第なり。下文は却又だ反って、卦辞の吉凶悔吝より剛柔の象の本源に推溯す。これは《繋辞伝》が本来すなわち「繋辞」を解説する為に作られたるにして、《下伝》の講くこと尤も詳細なるによりて、ゆえに行文はやっとこの様の格局なり。

吉凶悔吝,由動而生者,蓋以剛柔迭運,變面從時故也,吉凶之遇,參差不齊,然以常理為勝,而天下之動可一者,以剛柔變化,不離乾坤,乾易坤簡,而天下之理得故也。“爻象動乎內”四句,又總而結言之,“天地大德”一節,《本義》原屬此章,然諸儒多言宜為下章之首,蓋下章所取十三卦,無非“理財”、“正辭”、“禁非”之事,其說可從也。

李光地は続けていう:吉凶悔吝の「動」に由りて生ずる所以は、剛柔の輪流運行して時勢に随って変ずるによりてなり(底本の「変面従時」の「面」は応に「而」と当作す)。人世間の遇う所の吉凶は参差斉らずして、並びて斉整画一せず。然るに終究は常理の上風を占むるなり。天下の変動の能く一個に帰結する所以は、剛柔の種種の変化はみな乾坤を離れず、乾は平易をもってし・坤は簡約をもってすれば、天下の道理は便ちみな把握せられたるによりてなり。「爻象は内に動き」以下の四句は、また上文を総べて収束の一笔なり。「天地の大徳は生と曰う」のこの一節に至っては、朱熹《本義》は原本それを第一章の末尾に帰するも、可も後来の諸儒は大多それを応に下一章の開頭と作すべしと主張す。下一章の取る所の十三卦は、無非は「財を理し」「辞を正し」「民の為非を禁ず」のこの三件の事なるによりて、この説法は以て采信すべし。

繋辞下伝 第二章

本義 王昭素曰:與地之間,諸本多有“天”字,俯仰遠近所取不一,然不過以驗陰陽消息兩端而已,神明之德,如健順動止之性,萬物之情,如雷風山澤之象。

ここに底本は第二章の開頭の経文を脱去せり(「古者の包犠氏の天下に王たるや、仰げば則ち象を天に観、俯せば則ち法を地に観、鳥獣の文と地の宜とを観、近くは諸を身に取り、遠くは諸を物に取り、ここに始めて八卦を作り、以て神明の徳に通じ、以て万物の情を類す」)、径ちに朱熹の注に接続す。朱熹《本義》は宋初の王昭素の言を引く:「地との間」のこの一句は、各本は大多一個の「天」の字ありて、「鳥獣の文と天地の宜とを観る」と作る。頭を擡げて天を看・頭を低れて地を看・遠くは物に取り・近くは身に取る。取る所の対象は一様ならざるといえども、然るに過ぎずもって陰陽消長のこの両端を験証する而已。いわゆる「神明の徳」は、健・順・動・止のこの類の性情を指す。いわゆる「万物の情」は、雷・風・山・沢のこの類の形象を指す。

集說 朱氏震曰:自此以下,明備物致用立成器以為天下利者,無非有取於《易》,皆仁也。曰:王天下者,明守位也。 王氏申子曰:伏羲氏繼天立極,畫八卦以前民用,後之聖人,相繼而作,制為相生相養之具,皆所以廣天地生生之德,自網罟至書契是也。 蔡氏清曰:“以通神明之德以類萬物之情”二句,一是精,一是粗,一是性情,一是形體,其下十三卦所尚之象,一皆出此。

集説に朱震の言を引く:ここより往下は、「物を備え用を致し、成器を立てて以て天下の利と為す」の種種の作為を説明せんと要して、一つとして《周易》に取法せざるなく、また一つとして仁の表現ならざるなし。彼はまたいう:経文は特に「天下に王たる」を講ずるは、正に上一章の「聖人の大宝は位と曰う」を照应して、説く所はこの位を守住するなり。集説に王申子の言を引く:伏羲氏は天道を承接して人極を樹立し、八卦を画き出だして以て百姓の日用を開導す。後代の聖人は接続して興起して、各種の相生相養の器具を制作出だせり。みな天地の生生不息の徳を拡充せんが為なり。縄を結びて網罟を作るより一直に書契を造るに到るまで、講ずる所は便ちこの件の事なり。集説に蔡清の言を引く:「以て神明の徳に通じ」「以て万物の情を類す」のこの両句は、一句は精を説き・一句は粗を説き、一句は性情を説き・一句は形体を説く。底下の十三卦の崇尚する所の卦象は、全てこの両句の裏より出づるなり。

作結繩而為網罟,以佃以漁,蓋取諸《離》。 本義 兩目相承而物麗焉。 集說 孔氏穎達曰:案諸儒象卦制器,皆取卦之爻象之體,韓氏之意,直取卦名因以制器,案《上繫》云,以“制器者尚其象”,則取象不取名也,韓氏乃取名不取象,於義未善。

《繋辞下伝》の本文はいう:繩索を編結して羅網魚網を做成して、もって猟を打ち・もって魚を捕る。これは大概《離》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《離》卦は上下の両個の離体にして、両重の網眼の上下に相承くるが如く、獲物は便ちその上頭に附着す——「離」は本来附麗の義あり。集説に孔穎達の言を引く:諸家の「象を観て器を制す」を講ずるを考察すれば、みな卦の中の爻画の組成する形体を取る。而るに韓康伯の意思は、却って直截に卦名を拿りて器物に対応す。《上繋》の「以て器を制する者は其の象を尚ぶ」と説くを査すれば、見るべし、応に象を取りて名を取るべからず。韓康伯は名を取りて象を取らず、道理の上に講じて円満ならず。

胡氏瑗曰:蓋者疑之辭也,言聖人創立其事,不必觀此卦而成之,蓋聖人作事立器,自然符合於此之卦象也,非準擬此卦而後成之,故曰“蓋取”。 案 孔氏所議韓氏是也,且六十四卦名,是文王所命,包犧之時,但有八卦名象而已,黃農堯舜,不應便取卦名,經文蓋取之云,雖曰假託,不必拘泥,然亦不應大段疏脫也。

集説に胡瑗の言を引く:「蓋」は推測を表し・断定を敢えてせざる詞なり。これは聖人のこれらの事を開創するに、必ずしも先にこの一卦を看てやっと做成したるにあらずを説く。聖人の事を做り器を造るは、自然而然に便ちこの一卦の卦象と相合して、並びてこの一卦の様子に比してやっと造り出だしたるにあらず。ゆえに「蓋し取る」という。李光地の按:孔穎達の韓康伯を批評するは対なり。況んや六十四卦の卦名は周文王の定めたる所にして、伏羲の時候はただ八卦の名と象のみある而已。黄帝・神農・尭・舜もまた応に直截に後世のやっと有る卦名を搬用すべからず。経文は「蓋し諸を某卦に取る」と説くは、説くはただ借りて以て言を立つるにして、死抠するを必ずしもせざるといえども、然るにまた応に大関節の上に疏漏脱略してあの歩に到るべからざるなり。

古者網羅所致曰離。《詩》曰:“魚網之設,鴻則離之。”又曰:“有兔爰爰,雉離於羅。”二體皆離,上下網羅之象。

李光地は続けていう:古はおよそ網羅に捕獲せられたるをみな「離」と呼ぶ。《詩経・邶風・新台》は「魚網の設くる、鴻は則ち之に離る」と説く。本想は網を張りて魚を捕らんとするに、網に落ちたるは却って大雁なり。この「離」はすなわち網の裏に落ちるなり。《詩経・王風・兎爰》はまた「兎あり爰爰として、雉は羅に離る」と説く。兎子は悠然として逃脱して、野鶏は却って羅網の上に挂かる。この「離」もまた網に住まれたるなり。《離》卦は上下の両体はみな離にして、正に上下の両重の網羅の形象なり。見るべし、《離》を取りて網罟の象と為すは、依旧として卦象の上に落ちて、並びて単に一個の卦名を取るにあらず。

包犧氏沒,神農氏作,斫木為耜,揉木為耒,耒耨之利,以教天下,蓋取諸《益》。 本義 二體皆木,上入下動,天下之益,莫大於此。 集說 蔡氏淵曰:耜,耒首也,斷木之銳而為之。耒,耜柄也,揉木使曲面為之。 吳氏澄曰:《益》上巽二陽,象耒之自地上而入,下震一陽,象耜之在地下而動也。

《繋辞下伝》の本文はいう:伏羲氏は去世して、神農氏は興起して、木を砍削して耜頭を做成し、木料を揉弯して耒柄を做成して、地を耕し草を除く便利を天下人に教え与う。これは大概《益》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《益》卦は上巽下震にして、両体はみな木に属す。巽は入にして上に居り、震は動にして下に居りて、正に耒耜の土の裏に挿進して翻動する様子に合す。天下の利益は、農耕より大なるはなし。集説に蔡淵の言を引く:「耜」は耒の頭にして、木を削りて尖鋭の一端を出だして做成す。「耒」は耜の柄にして、木料を揉弯して做成す(底本の「木を揉みて曲らしめ面為之」の「面」は応に「而」と当作す)。集説に呉澄の言を引く:《益》卦の上体の巽は両個の陽爻ありて、耒柄の地面の上より挿し下るが如し。下体の震は一個の陽爻ありて、耜頭の地下に翻動するが如し。

日中為市,致天下之民,聚天下之貨,交易而退,各得其所,蓋取諸《噬嗑》。 本義 日中為市,上明而下動,又借噬為市,嗑為合也。 集說 耿氏南仲曰:有菽粟者,或不足乎禽魚,有禽魚者,或不足乎菽粟,罄者無所取,積者無所散,則利不布,養不均矣,於是“日中為市”焉。日中者,萬物相見之

《繋辞下伝》の本文はいう:正午に集市を開設して、天下の百姓を招来し、天下の貨物を汇聚して、交換し畢って各自散去して、人人はみな自己の需用する東西を得。これは大概《噬嗑》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《噬嗑》は上離下震にして、離は日にして明にして上に居り、震は動にして下に居りて、正に正午に市を開き・人衆の趨動する様子に合す。同時にまた「噬」の音を借りて「市」と為し、「嗑」の義を借りて「合」と為して、会合交易の意を取る。集説に耿南仲の言を引く:豆子穀子ある人は、或いは禽獣魚鮮に缺少す。禽獣魚鮮ある人は、或いは豆子穀子に缺少す。空乏の人は求取する処なく、囤积の人は散出する処なければ、利益は便ち流通して開けず、供養は便ち均平する能わず。ここにやっと「日中に市と為す」のこの件事あり。正午は万物の互相に照見する時なり——ここに底本に脱文あり、下面は径ちに鄭東卿の説に接続す。

鄭氏東卿曰:十三卦始《離》次《益》次《噬嗑》,所取者食貨而已。食貨者,生民之木也。 案 離為日中,震為動出,當日中而動出,市集之象。

集説に鄭東卿の言を引く:十三卦の次第は、まず《離》より始めて、其次は《益》、再次は《噬嗑》にして、取る所は過ぎず食と貨の両桩の事而已。食と貨とは、百姓を養活する根本なり(底本の「生民之木」の「木」は応に「本」と当作す)。李光地の按:《噬嗑》の上体の離は日にして、正に正午に当たる。下体の震は動にして出なり。正午の時分にして人人はみな身を動かして門を出ず。これがすなわち市集の聚散の形象なり。

神農氏沒,黃帝堯舜氏作,通其變使民不倦,神而化之,使民宜之,易窮則變,變則通,通則久,是以“自天祐之,吉無不利”。黃帝堯舜垂衣裳而天下治,蓋取諸《乾》、《坤》。

《繋辞下伝》の本文はいう:神農氏は去世して、黄帝・尭・舜は接続して興起す。彼らは旧制の窮処を打通して、百姓をして厭倦を生ぜしめず。神妙に化導を加えて、百姓をして各々その宜を得せしむ。《周易》の道理は:尽頭に走到せば便ち変ずるを得、変じてやっと通じ過ぐるを得、通じ過ぐってやっと長久を得。ゆえに《大有》の上九の爻辞は「天より之を祐け、吉にして利あらざるなし」という。黄帝・尭・舜はただ衣を垂れて拱手して天下は大治す。これは大概《乾》《坤》の両卦に象を取れるなり。

本義 乾坤變化而無為。 集說 郭氏雍曰:“垂衣裳而天下治”,無為而治也,無為而治者無也焉,法乾坤易簡而已。 王氏申子曰:神農以上,民用未滋,所急者食貨而已,此聚人之本也,及黃帝堯舜之世,民用日滋,若復守其樸略,則非變而通之之道,故“黃帝堯舜氏作,通其變”。

朱熹《本義》は解釈す:乾坤はただ自然変化を管して並びて刻意造作せず。正に衣裳を垂れて治むるの意思に合す。集説に郭雍の言を引く:「衣裳を垂れて天下治まる」は、すなわち無為にして治むるなり。無為にして治むる人は並びて別の手段なく(底本の「無為而治者無也焉」は応に「無他焉」と当作す)、過ぎず乾坤の易簡を效法する而已。集説に王申子の言を引く:神農以前は、百姓の用度はなお繁多ならず、急需するはただ喰うと用うるのみ。これは人衆を聚攏する根本なり。黄帝・尭・舜の時代に到っては、百姓の用度は一天天に增多す。もしなお従前のあの種の質朴簡陋の弁法を死守せば、便ち「変じて之を通ず」の道理に合せず。ゆえに経文は「黄帝尭舜氏作り、其の変を通ず」という。

使民由之而不倦,神其化,使民宜之而不知,凡此者非聖人喜新而惡舊也。“窮則變,變則通,通則久”,《易》之道然也。 吳氏澄曰:風氣漸開,不可如樸略之世,此窮而當變也,變之則通而不窮矣,其能使民喜樂不倦者,以其通之之道,神妙不測,變而不見其跡,便於民而民皆宜利之故爾。

王申子は続けていう:百姓をして新法に順って做し往かしめて厭倦を生ぜしめず、この番の化導を做ること極めて神妙にして、百姓をして各々その宜を得て誰の安排したるかを知らしめず。およそこの種種は、並びて聖人の新しきを喜び・旧きを悪むにあらず。「窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通じ、通ずれば則ち久し」。《周易》の道理は本来かくの如し。集説に呉澄の言を引く:風気は一天天に開通して、能く再び質朴簡陋の上古の如く日子を過ぐすべからず。これがすなわち「窮」にして応に「変」ずべし。一たび変じ来れば便ち通暢して再び窘迫せず。それの能く百姓をして歓喜して厭倦せざらしむる所以は、変通の手段は神妙測り難く、改換したれども痕迹を看出ださず、処処に百姓を便利して、百姓もまた便ちみな合宜有利と覚えるなり。

俞氏琰曰:時當變則變,不變則窮,於是乎有變而通之之道焉,變而通之所以趣時也,民之所未厭,聖人不強去,民之所末安,聖人不強行,夫唯其數窮而時將變,聖人因而通之,則民不倦。由之而莫知其所以然者,神也,以漸相忘於不言之中者,化也。

集説に兪琰の言を引く:時勢は変ずべきときは便ち変じ、変ぜざれば便ち絶路に走到せん。ここにやっと「変じて之を通ず」のこの条路あり。而るに「変じて之を通ず」は、正に「時に趣く」が為なり——時勢に順って前に往く。百姓のまだ厭棄せざる旧法は、聖人は硬くそれを廃掉せず。百姓のまだ安心し得ざる新法は、聖人は硬くそれを推行せず(底本の「民之所未安」の「末」は応に「未」と当作す)。ただ気数の窮尽し・時勢の将に変ぜんとする関口に到るを待ちて、聖人は勢に順い彼らの為に打通せば、百姓はやっと厭倦せざらん。百姓をして順って走らしむるも誰もその所以然を説き出だす能わざるは、これがすなわち「神」なり。一点一点に不言不語の中に旧習を忘掉せしむるは、これがすなわち「化」なり。

蔡氏清曰:時之當變也而通其變,然其所以變通之者,非聖人強用其智慮作為於其間也,因其自然之變,而以自然之理處之,是謂神而化之也,神而化,即其變通之妙於無為也。 蘇氏濬曰:言通變神化,而獨詳於黃帝堯舜;言黃帝堯舜,而獨取渚乾坤,乾坤諸卦之宗也。黃帝堯舜,千古人文之始,中天之運,至此而開,洪荒之俗,至此而變,此所以為善發羲皇之精蘊也。

集説に蔡清の言を引く:時勢は変ずべきときは便ちそれの為にこの変を打通す。然るに能く変通する所以は、並びて聖人の硬く自己の心思を拿りてその裏頭に造作するにあらず。ただ事物の自然に発生する変に順い、自然而然の道理を用いてそれに応付するのみ。これをすなわち「神にして之を化す」と呼ぶ。いわゆる神にして化するとは、すなわち変通を無為の妙処に做し到るなり。集説に蘇濬の言を引く:通変神化を講じて独り黄帝・尭・舜のここに説くこと詳細にして、黄帝・尭・舜を講じて独り《乾》《坤》の両卦を取る(底本の「独り渚乾坤を取る」の「渚」は応に「諸」と当作す)は、乾坤は本来衆卦の祖宗なるによりてなり。黄帝・尭・舜は千古の人文の開端にして、天運は中天に走り到りて、ここにやっと敞亮し起れり。洪荒の旧俗は、ここに到ってやっと改換し来れり。これが正に最も能く伏羲の卦を画く深意を発明する処なり。

案 守舊則倦更新則不宜,凡事之情也,變其舊使民不倦者,化也,趨於新使民咸宜者,神而化之也。

李光地の按:一味に旧きを守れば便ち人をして厭倦せしめ、一味に新しきを翻出せば又だ人をして習慣せざらしむ。これは天下万事の常情なり。旧きを改掉して百姓の厭倦を覚えざるは、これが「化」なり。人を引きて新しきに走向せしめて百姓のみな合宜と覚ゆるは、これがすなわち「神にして之を化す」なり。前の一句は潜移默運に靠り、後の一句は痕迹を見ずに靠る。両層合わせ起れば、やっと聖人の変を通ずる全副の本领なり。

刳木為舟,剡木為楫,舟揖之利,以濟不通,致遠以利天下,蓋取諸《渙》。 本義 木在水上也,致遠以利天下,疑衍。 集說 《九家易》曰:木在水上,流行若風,舟楫之象也。 何氏楷曰:近而可以濟不通,遠而可以致遠,均之為天下利矣,取諸《渙》者,其象巽木在坎水之上,故《彖》曰“利涉大川”,《彖傳》曰“乘木有功。”

《繋辞下伝》の本文はいう:木を挖空して船を做成し、木を削尖して桨を做成して、船桨の便利は以て元来通ぜざる水面を渡り、以て遠方に到達して天下に利すべし。これは大概《渙》卦に象を取れるなり(底本の「舟揖」の「揖」は応に「楫」と当作す)。朱熹《本義》は解釈す:《渙》は上巽下坎にして、木の水の上に浮ぶ形象なり。「遠を致して以て天下を利す」の一句に至っては、下文の「牛を服し馬に乗る」のあの一節より窜り入りたる衍文なるを疑う。集説に《九家易》を引いていう:木は水の上に浮びて、流れに順い漂行すること風の如し。これがすなわち舟楫の形象なり。集説に何楷の言を引く:近くは通ぜざる水面を摆渡し、遠くは遥遠の処に到達し、一様にみな天下の利益なり。《渙》に象を取るは、それの上体は巽木・下体は坎水にして、木は水上に行ればなり。ゆえに《渙》の卦辞は「大川を渉るに利し」といい、《彖伝》は「木に乗りて功あり」という。

本義 下動上說。 集說 董氏真卿曰:平地任載之大車,載物之多者,則服牛以引重,田車兵車乘車之小車,載人而輕者,則乘馬以致遠。 案 外說內動,象牛馬之奔於前而車動於後也。

ここに底本は経文「牛を服し馬に乗り、重を引き遠を致し、以て天下を利す、蓋し諸を《随》に取る」を脱去せり。ただ各家の解説のみ剩る。朱熹《本義》は解釈す:《随》卦は下震上兌にして、下体の震は動にして上体の兌は悦にして、牛馬は前に奔走し・車子は後に跟従して人人は便と称す。正にこの象に合す。集説に董真卿の言を引く:平地の上に重を負う大車は、装載する東西多ければ、便ち牛を用いて轅を駕して重物を拉す。田猟の車・兵車・人を載する小車は小車に属して、人を載せて分量軽ければ、便ち馬を用いて車を駕して遠路を跑る。李光地の按:外卦の兌は悦にして内卦の震は動にして、正に牛馬の前頭に奔馳して車子の後頭に転動するが如し。

重門擊柝,以待暴客,蓋取諸《豫》。 本義 豫,備之意。 集說 楊氏文煥曰:川途既通,則暴客至矣,又不可無御之之術,重門以御之,擊柝以警之,則暴客無自而至。 俞氏琰曰:坤為闔戶,“重門”之象也。震,動而有聲之木,“擊柝”之象也。

《繋辞下伝》の本文はいう:重々の門戸を設置し・梆子を敲きて夜を巡るは、もって強暴の来客を防備す。これは大概《豫》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:「豫」は預先に準備する意思あり。集説に楊文煥の言を引く:水路陸路は一旦暢通せば、強盗もまた便ち跟いて来る。能く彼らを抵御する弁法なかるべからず。重々の門戸を用いて彼らを挡住し、梆子を敲く声响を用いて彼らを警戒せば、強盗は便ち手を下すに由なし。集説に兪琰の言を引く:《豫》卦は下坤上震にして、坤は閉合する門戸にして、これは「重門」の形象なり。震は能く動きて声响ある木頭にして、これは「柝を撃つ」の形象なり。

斷木為杵,掘地為臼,臼杵之利,萬民以濟,蓋取諸《小過》。 本義 下止上動。 集說 邱氏富國曰:以象言之,上震為木下艮為土,震木上動,艮土下止,杵臼治米之象。

《繋辞下伝》の本文はいう:木を截断して杵を做成し、地面を挖掘して臼を做成して、杵臼の便利は万民をしてみな舂き好したる米を喰い得せしむ。これは大概《小過》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《小過》は下艮上震にして、下体は止にして上体は動にして、正に臼の下に在りて動かず・杵の上に在りて舂搗する様子に合す。集説に邱富国の言を引く:卦象に就いて講じれば、上体の震は木にして、下体の艮は土なり。震木は上頭に動きて、艮土は下頭に静止す。これがすなわち杵臼を用いて米を舂きて殻を去る形象なり。

弦木為弧,剡木為矢,弧矢之利,以威天下,蓋取諸《睽》。 本義 睽乖然後威以服之。 集說 朱氏震曰:知耒耜而不知杵臼之利,則利天下者有未盡,故教之以杵臼之利,知門柝而不知“弧矢之利”,則威天下者有末盡,故教之以“弧矢之利。”徐氏幾曰:其害之大者,以“重門”“擊柝”不足以待之,故必有弧矢以威之。 案 離,威也。兌,說也。威而以說行之,所謂說以犯難,民忘其死。

《繋辞下伝》の本文はいう:木を弯め来りて弦を安んじて弓を做成し、木を削尖して箭を做成して、弓箭の便利はもって天下を威慴す。これは大概《睽》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《睽》は乖離背違の象にして、人心すでに乖離せれば、便ち威力を用いて彼を制服するを得。集説に朱震の言を引く:ただ耒耜を知りて杵臼の便利を知らざれば、すなわち天下に福を造る事はなお做し尽さず。ゆえに再び彼らに杵臼を用うるを教う。ただ重門撃柝を知りて弓箭の威力を知らざれば、すなわち天下を威慴する事はなお做し尽さず(底本の「有末尽」の「末」は応に「未」と当作す)。ゆえに再び彼らに弓箭を用うるを教う。集説に徐几の言を引く:禍害は大きく重門撃柝を用いて已に防ぎ住まざる歩に到れば、便ち弓箭を有して以て威慄するに非ざれば可ならず。李光地の按:《睽》は下兌上離にして、離は威にして兌は悦なり。威力を用いて和悦の方式をもって推行するは、すなわち《兌・彖伝》の説く所の「説びて以て難に犯る、民は其の死を忘る」——百姓は心裏に悦服して、やっと弓箭を拿起して拚命し往くを肯ず。

上古穴居而野處,後世聖人《易》之以宮室,上棟下宇,以待風雨,蓋取諸《大壯》。 本義 壯固之意。 集說 司馬氏光曰:風雨,動物也,風雨動於上,棟宇健於下,《大壯》之象也。 蔡氏淵曰:棟,屋脊檁也。宇,椽也。棟直而上,故曰“上棟”。字兩垂而下,故曰“下宇”。

《繋辞下伝》の本文はいう:上古の人は洞穴の裏に住み・野地の上に宿りて、後代の聖人はそれを房屋に換えて、上面は棟梁を架起し・下面は屋檐を伸出して、もって風雨を抵挡す。これは大概《大壮》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:「大壮」は壮健堅固の意思あり。集説に司馬光の言を引く:風雨は流動不定のものにして、《大壮》は下乾上震にして、震は雷動風動にして上頭に在り、乾は剛健・棟宇は穩固にして下頭に在り。これが正に《大壮》の形象なり。集説に蔡淵の言を引く:「棟」は屋脊の上の正檩にして、「宇」は屋檐の椽子なり。棟は直挺挺として上頭に架る。ゆえに「上棟」という。檐は両辺より垂れ下る。ゆえに「下宇」という(底本の「字両垂而下」の「字」は応に「宇」と当作す)。

俞氏琰曰:聖人之幹物,有為之者,有易之者,古未有是而民利之也,今則為之,所以貽於後也,古有是而民厭之也,今則易之,所以革於前也。 古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野,不封不樹,喪期無數,後世聖人易之以棺槨,蓋取諸《大過》。 本義 送死大事,而過於厚。

集説に兪琰の言を引く:聖人の事物に対付するは、あるは無より有を「作」し、あるは旧に就いて新に改むる「易」なり(底本の「聖人之干物」の「干」は応に「于」と当作す)。古にこの件の東西なくして百姓はそれを需用すれば、今や便ち彼らの為に造り出だす。これは後人に留め与うるなり。古にこの件の東西ありて百姓は已にそれを厭棄せれば、今や便ち彼らの為に換掉す。これは従前を革去するなり。《繋辞下伝》の本文は続けていう:古は死人を埋葬するに、ただ柴草を用いて厚厚に裹住して、旷野の当中に葬りて、墳頭を堆さず・樹木を種えず、服喪もまた一定の期限なし。後代の聖人はそれを内棺外椁に換えたり。これは大概《大過》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:死者を送別するは人生の大事にして、礼数の上は寧ろ厚きに過ぐるに失す。これが正に「大過」の卦名に合す。

上古結繩而治,後世聖人易之以書契,百官以治,萬民以察,蓋取諸《夬》。 本義 明決之意。 此第二章,言聖人制器尚象之事。

《繋辞下伝》の本文はいう:上古は縄結を打つ弁法を用いて事を記し世を治め、後代の聖人はそれを書写の契券に換えて、百官はそれに憑りて政務を弁理し、万民はそれに憑りて稽核查験す。これは大概《夬》卦に象を取れるなり。朱熹《本義》は解釈す:《夬》は下乾上兌にして、明白決断の意思あり。書契は正に事情を写し明白にし・是非を決断し清楚する東西なり。原書はここに注明す:以上は第二章にして、聖人の器物を制作するとき卦象を崇尚するこの件事を講ず。

集說 耿氏南仲曰:已前不云“上古”,已下三事,或言“古”,與上不同者,蓋未造此器之前,更無餘物之用,故不言“上古”也,以下三事,皆是未造此物之前,別有所用,今將後用而代前用,故本之云“上古”及“古”者。 案 兌為言語可以通彼此之情,書之象也。乾為健固,可以堅彼此之信,契之象也。 總論 吳氏澄曰:十三卦之制作,自畫卦而始,至書契而終,蓋萬世文字之祖,肇於畫卦,而備於書契也。

集説に耿南仲の言を引く:前の几件事はみな「上古」を説かずして、後面のこの三件事は或いは「上古」を説き・或いは「古」を説きて、前面と一様ならず。これは:まだ網罟・耒耜のこれらの器物を造り出ださざる以前は、根本に別の東西の用うべきなく、ゆえに「上古」を説くを必ずしもせず。而るに後面の三件——宮室・棺椁・書契——は、新物を造り出だす以前に、本来別に一套の旧弁法ありて用うるに在り。今や是れ後来の弁法を拿りて従前の弁法を替換するなり。ゆえに従前に追溯して、やっと「上古」と「古」を説く。李光地の按:《夬》は下乾上兌にして、兌は口舌言語にして、以て彼此の意思を溝通すべし。これは「書」の形象なり。乾は剛健堅固にして、以て彼此の信約を釘牢すべし。これは「契」の形象なり。総論に呉澄の言を引く:十三卦の対応する所の制作は、卦を画くより開始して、書契に到って結束す。万世の文字の祖宗は、正に卦を画くに発端して書契に於て完備せり。

案 此章申第一章“變通”、“趣時”而原於易筒之意,蓋在天地,則為剛柔,在人則為仁義,仁義者立本者也,因風氣之宜而通其變,則其所以趣時者也,法始於伏羲成於堯舜,故自八卦既畫,而可以周萬事之理,凡網罟耒耜至於書契,莫非易理之所有也,觀其窮而變,變而通,則趣時之用不窮,然其神而化之,無為而民安焉,則易簡之理唯一,故其取諸諸卦者,取諸其趣時也,而其取諸乾坤者,取諸其易簡也。

李光地の按:本章は第一章の「変通」「時に趣く」を申説して「易簡」に追溯する意思なり(底本の「易筒」の「筒」は応に「簡」と当作す)。この道理は天地の上に摆けばすなわち剛と柔にして、人の身上に摆けばすなわち仁と義なり。仁義はすなわち「本を立つる」ものなり。風気の宜しき所に順ってその変を打通するは、すなわち「時に趣く」なり。この套の法度は伏羲に始創して尭舜に於て完成す。ゆえに八卦の画き成りたる以来自より、天下万事の道理は便ちみなその中に周遍し得。網罟・耒耜より一直に書契に到るまで、一つとして《易》理の裏に原本あるならざるなし。それの窮すれば便ち変じ・変ずれば便ち通ずるを看れば、見るべし、「時に趣く」の用処は窮尽なし。然るにそれの神妙に世人を化導して、作為する所なくして百姓は自ら安んず。見るべし、「易簡」の道理は始終ただ一個而已。ゆえに曰く:あの《離》《益》《噬嗑》等の卦に象を取れるは、取る所はそれらの「時に趣く」の一面なり。而るに《乾》《坤》に象を取れるは、取る所はそれらの「易簡」の一面なり。

繋辞下伝 第三章

是故易者象也,象也者像也。 本義 易卦之形,理之似也。 集說 干氏寶曰:言是故,又總結上義也。 崔氏憬曰:上明取象以制器之義,故以此重釋於象,言易者象於萬物,象者形像之象也。

《繋辞下伝》の本文はいう:ゆえに是、《周易》のこの書の講ずる所はすなわち「象」にして、いわゆる「象」とは、すなわち摹擬相似なり。朱熹《本義》は解釈す:《周易》の一卦ずつ一卦ずつの形体は、天下事理の近似の写照なり。集説に晋代の干宝の言を引く:ここは「是故」の二字を用いて開頭と為すは、上文の意思を総べて一笔収めるなり。集説に崔憬の言を引く:上文は象を取りて以て器物を制作する道理を講明せり。ゆえにここに於て「象」の字を重新して一遍解釈す:《周易》は卦を拿りて万物を摹擬す。「象」はすなわち形状の相像する意思なり。

吳氏澄曰:此章之首第一節,總敘以起下文,自包犧至書契,言制作之事,而以是故總結之,謂《易》卦皆器物之象,象者像似之義,聖人制器,皆與卦象合也。 案 凡章首不用“是故”字,曰“是故”者,承上結上之辭也,諸儒以此句為上章結語者,似是。

集説に呉澄の言を引く:本章の開頭の第一節は、総起の一笔にして以て下文を引出す。伏羲より一直に書契に講じ到るまで、説く所はみな器物を制作する事にして、然る後に「是故」を用いてそれを収攏す。意思は《周易》の卦は全て器物の形象にして、「象」はすなわち摹擬相似の意思にして、聖人の器物を制作するは、卦象と暗合せざるなし。李光地の按:およそ一章の開頭は、「是故」の二字を用いること会せず。「是故」を用うるは、みな上文を承接し・上文を収束する説法なり。諸家はこの一句を看作して上一章の結語と為す。看るに是なるべし。

彖者材也。 本義 彖,言一卦之材。 集說 韓氏伯曰:彖,言成卦之材,以統卦義也。 案 “材”者,構屋之木也,聚眾材而成室,彖亦聚卦之眾義以立辭,故《本義》謂“彖言一卦之材。”

《繋辞下伝》の本文はいう:「彖」の講ずる所は一卦の材質なり。朱熹《本義》は解釈す:「彖」は一卦の材質を説明するなり。集説に韓康伯の言を引く:「彖」はこの一卦を構成する材質を説明して、以て全卦の大義を統摂す。李光地の按:「材」は本来房子を蓋うるに用うる木料を指して、許多の木料を聚攏してやっと一間の屋子と成る。彖辞もまた一卦の各種の義理を聚攏してやっと一段の断語を立成す。ゆえに朱熹《本義》は「彖は一卦の材を言う」という。

爻也者,效天下之動者也。 本義 效,放也。 集說 胡氏瑗曰:爻有變動,位有得失,變而合於道者為得,動而乖於理者為失, 是故吉凶生而悔吝著也。 本義 “悔吝”本微,因此而“著”。 此第三章。

《繋辞下伝》の本文はいう:いわゆる「爻」とは、すなわち天下の一切の変動を仿效するものなり。朱熹《本義》は解釈す:「效」はすなわち仿照・摹擬なり。集説に胡瑗の言を引く:爻は変動あり、位は得失あり。変動して道に合するは便ち「得」と算し、変動して理に背くは便ち「失」と算す——ここに底本に脱文あり、胡瑗の言は終わらず。《繋辞下伝》の本文は続けていう:ゆえに吉凶はこれに由りて生出し、悔吝はこれに由りて顕著す。朱熹《本義》は解釈す:「悔」と「吝」は本来ただ極めて細微の苗头にして、吉凶すでに生出するに因りて、それらはやっと顕露し出だす。原書はここに注明す:以上は第三章なり。

集說 保氏八曰:彖者,言一卦之材,所以斷一卦之吉凶悔吝,爻者言一爻之動,所以斷一爻之吉凶悔吝。 何氏楷曰:吉凶在事本顯,故曰“生”。悔吝在心尚微,故曰“著”。悔有改過之意,至於吉則悔之著也,吝有文過之意,至於凶則吝之著也,原其始而言,吉凶生於悔吝,要其終而言,則悔吝著而為吉凶也。

集説に元代の保八の言を引く:彖辞の講ずる所は一卦の材質にして、もって一卦の吉凶悔吝を判断す。爻辞の講ずる所は一爻の変動にして、もって一爻の吉凶悔吝を判断す。集説に何楷の言を引く:吉凶は事情の上に落れば本来明顯なり。ゆえに「生」という。悔吝はなお心の裏に留まりて、尚且細微なり。ゆえに「著」という。「悔」は改過の意思を含有して、一直に吉に走り到れば、すなわち悔の顕著なり。「吝」は過錯を文飾する意思を含有して、一直に凶に走り到れば、すなわち吝の顕著なり。起頭の処より講じれば、吉凶は悔吝の裏より長じ出だしたるなり。収梢の処より講じれば、則ち悔吝は顕著し出だして変じて吉凶と為れたるなり。

繋辞下伝 第四章

陽卦多陰,陰卦多陽。 本義 震坎艮為陽卦,皆一陰二陰,巽離兌為陰卦,皆一陰二陽。 其故何也,陽卦奇,陰卦偶。 本義 凡陽卦皆五畫,凡陰卦皆四畫。

《繋辞下伝》の本文はいう:陽に属する卦は却って陰爻多く、陰に属する卦は却って陽爻多し。朱熹《本義》は解釈す:震・坎・艮は陽卦にして、みな一個の陽爻に両個の陰爻を配す(底本の「皆一陰二陰」の上の一個の「陰」は応に「陽」と当作す)。巽・離・兌は陰卦にして、みな一個の陰爻に両個の陽爻を配す。《繋辞下伝》の本文は続けて問う:これは何の縁故か。陽卦の画数は奇にして、陰卦の画数は偶なるによりてなり。朱熹《本義》は解釈す:陽爻は一画と算し・陰爻は両画と算す。陽卦は一陽二陰を合せ起ればみな五画にして、五は奇数なり。陰卦は一陰二陽を合せ起ればみな四画にして、四は偶数なり。

集說 韓氏伯曰:夫少者多之所宗,一者眾之所歸,陽卦二陰,故奇為之君,陰卦二陽,故偶為之主。 陳氏埴曰:二偶一奇,即奇為主,是為陽卦,二奇一偶,即偶為主,是為陰卦,故曰“陽卦多陰,陰卦多陽。”案 “陽卦奇,陰卦偶”。言陽卦主奇,陰卦主偶也,須如韓氏陳氏之說,乃與下文相應。

集説に韓康伯の言を引く:少の一方は総じて多の一方の宗仰する所にして、一は総じて衆の帰向する所なり。陽卦の裏に両個の陰爻あり。ゆえにあの単出の奇画は便ちその君と成る。陰卦の裏に両個の陽爻あり。ゆえにあの単出の偶画は便ちその主と成る。集説に陳埴の言を引く:両個の偶画に一個の奇画を配れば、奇は便ち主を作る。これは便ち陽卦なり。両個の奇画に一個の偶画を配れば、偶は便ち主を作る。これは便ち陰卦なり。ゆえに「陽卦は陰多く、陰卦は陽多し」という。李光地の按:「陽卦は奇、陰卦は偶」は、陽卦は奇をもって主と為し・陰卦は偶をもって主と為るを説く。必ず韓康伯・陳埴のこの講法に照らして、やっと下文の「一君二民」「二君一民」と相呼応し得べし。

其德行何也?陽一君而二民,君子之道也。陰二君而一民,小人之道也。 本義 君,謂陽。民,謂陰。 此第四章。 集說 朱氏震曰:陰陽二卦,其德行不同何也,陽卦一君而遍體二民,二民共事一君,一也,故為君子之道,陰卦一民共事二君,二君共爭一民,二也,故為小人之道。 吳氏曰慎曰:陽卦固主陽也,而陰卦亦主陽,可見陽有常尊也。

《繋辞下伝》の本文はいう:それらの徳性行事はまた何を講ずるか。陽卦は一個の君が両個の民を帯ぶ。これは君子の道なり。陰卦は両個の君が一個の民を分かつ。これは小人の道なり。朱熹《本義》は解釈す:「君」は陽爻を指し、「民」は陰爻を指す。原書はここに注明す:以上は第四章なり。集説に朱震の言を引く:陰陽の両類の卦は、徳性行事に何の不同あるか。陽卦は一個の君が遍く両個の民を統して、両個の民は共同に一個の君に事奉して、帰結は「一」の上に在り。ゆえに君子の道なり。陰卦は一個の民が同時に両個の君に事奉するを要して、両個の君はまたこの一個の民を争奪して、「二」の上に落つ。ゆえに小人の道なり。集説に呉曰慎の言を引く:陽卦は固より陽をもって主と為すも、陰卦も其の実はまた陽をもって主と為す。見るべし、陽は始終その恒常の尊位あり。

案 此章是釋“彖者材也”之義,而原其理於一也,自八卦始成而分陰分陽,一奇則為陽卦者,以其一君二民,是君之權出於一,君為主也,君為主,則君子之道行,故曰“君子之道。”一偶則為陰卦者,以其二君一民,是君之權出於二,反若民為主也,民為主,則小人之道行,故曰“小人之道。”

李光地の按:本章は「彖者は材なり」の含義を解釈して、その中の道理を一個の「一」の字の上に追溯す。八卦の初成して陰陽を分出したる自より、およそ一個の奇画が主を作るは便ち陽卦と為る。それは一君二民にして、君権は一処より出づれば、君こそやっと主なればなり。君は主を作れば、君子の道は便ち行き通り得。ゆえに「君子之道」という。およそ一個の偶画が主を作るは便ち陰卦と為る。それは二君一民にして、君権は両処より出でて、反って民の主を作れるが如し。民は主を作れば、小人の道は便ち行い開ける。ゆえに「小人之道」という。

古今言《易》者,曰陽為君子,陰為小人,蓋以為善惡淑慝之稱焉,豈知陰陽不可以相無,如有君不可以無民,烏有善惡淑慝之分哉,唯其君之道,一而有統,則民之眾,翕然從令,豈非君子之道乎,若君之道二而多門,則民之卑,各行其私,豈非小人之道乎,善惡淑慝,由此而生,吉凶治亂,由此而

李光地は続けていう:古往今來《周易》を講ずる人は、みな陽は君子・陰は小人と説きて、それを善悪美醜の名号と当作せり。何ぞ知らん、陰と陽とは彼此一つ欠くる可からざることを。正に君ありて便ち民なかるべからざるが如く、何の善悪美醜の分別あらんや。ただ君の路数の専一にして統属あるに因りて、衆多の百姓は便ち一斉に号令を聴従す。これ豈に君子の道にあらずや。倘若君の路数は両頭に分かれ・政は多門より出づれば、卑下の百姓は便ち各々自己の算盤を打つ。これ豈に小人の道にあらずや。善悪美醜はここより生出し、吉凶治乱もまたここより——ここに底本に脱文あり、李光地の言は終わらず。下面は径ちに第五章の経文に接続す。

繋辞下伝 第五章

《易》曰:“幢幢往來,朋從爾思。”予曰:天下何思何慮,天下同歸而殊塗,一致而百慮,天下何思何慮。 本義 引《咸》九四爻辭而釋之,言理本無二,而殊塗百慮,莫非自然,何以思慮為哉,必思而從,則所從者亦狹矣。 集說 韓氏伯曰:天下之動,必歸於一,思以求朋,未能一也,一以感物,不思而至。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易・咸》卦の九四の爻辞は「憧憧として往来し、朋は爾の思に従う」と講ず(底本は「幢幢」と作る。応に「憧憧」と当作す。「予曰」は応に「子曰」と当作す。すなわち孔子の言)。孔子は曰く:天下に何の思うべき・何の慮るべきあらんや。天下の路は各別するといえども、帰宿は却って同じ一個にして、百様の思慮あるといえども、致する所は却って同じ一個なり。天下に何の思うべき・何の慮るべきあらんや。朱熹《本義》は解釈す:これは《咸》卦の九四の爻辞を引きて以て発揮を加え、道理は本来両個なきに、路数は各別し・思慮は百端して、一つとして自然而然ならざるなし。何ぞ必ずあの份の心思を攪動せんや。もし必ず先に思量し一番してやっと人の附和し来るあらば、すなわち能く招来する所もまた窄小ならん。集説に韓康伯の言を引く:天下の一切の変動は、終究は一個の上頭に帰するを要す。心思を動かして以て同伴を求めれば、便ちなおあの「一」に到達せず。専一の誠をもって外物を感動せば、思量せずして人は自然に来る。

孔氏穎達曰:此一之為道為可尚,結成前文陽卦,以一為君,是君子之道也。 徐氏幾曰:塗雖殊而歸同,則往來自不容無,而加之憧憧則私矣,慮雖百而致一,則思亦人心所當有,而局於朋從則狹矣。

集説に孔穎達の言を引く:この「一」は道理と為して最も崇尚すべく、正好前文の講ずる所の陽卦を収束す——陽卦は一画をもって君と為す。これがすなわち君子の道なり。集説に徐几の言を引く:路数は各別するといえども帰宿は相同なれば、すなわち人事の上の往来は本来少なかるべからず。ただ再び「憧憧」のあの一層の牽挂を加えれば、便ち私心の裏に落ち入るなり。思慮は百端あるといえども致する所は一なれば、すなわち「思」もまた本来人心の応当に有るべきなり。ただ「朋従」の上頭に拘泥すれば、便ち未免窄小なり。

蔡氏清曰:天下感應之理,本同歸也,但事物則千形萬狀,而其塗各殊耳,天下感應之理,本一致也,但所接之事物不一,而所發之慮,亦因之有百耳,夫慮雖百而其致則一,塗雖殊而其歸則同,是其此感彼應之理,一出於自然而然,而不必少容心於其間者,吾之應事接物,一唯順其自然之理而已矣,“天下何思何慮。”

集説に蔡清の言を引く:天下の感应の道理は、本来同じ一個の帰宿にして、ただ事物は千形万状にして、走る所の路は各々相同ならざる而已。天下の感应の道理は、本来同じ一個の致向にして、ただ接触する所の事物は一様に止まらず、発出する所の思慮もまた便ちこれに跟いて百種ある而已。思慮は百種あるといえども致する所はただ一にして、路数は各別するといえども帰宿はただ同なり。見るべし、こちらに感じ・かちらに応ずる道理は、全て自然而然より出でて、中間に半点の私心を安放するを用いず。我らの事情に応付し・外物を接待するは、ただ須く一味にこの自然の理に順って做し往けば便ち是なり。ゆえに「天下何ぞ思い何ぞ慮らん」という。

日往則月來,月往則日來,日月相推而明生焉。寒往則暑來,暑往則寒來,寒暑相推而歲成焉。往者屈也,來者信也,屈信相感而利生焉。 本義 言“往”、“來”、“屈”、“信”,皆感應自然之常理,加憧憧焉則入於私矣,所以必思而後有從也。 集說 張子曰:屈信相感而利生,感以誠也,情偽相感而利害生,雜之偽也。

《繋辞下伝》の本文は続けていう:太陽は落ち往けば月亮は便ち昇り来り、月亮は落ち往けば太陽は便ち昇り来る。日月はこの様に互いに推移して、光明は便ち生出す。寒気は過ぎ往けば暑気は便ち来り、暑気は過ぎ往けば寒気は便ち来る。寒暑はこの様に互いに推移して、一年は便ち凑成す。過ぎ往くは収縮にして、来り到るは伸展なり。収縮と伸展とは互いに感应して、利益は便ち生出す——「信」はここに「伸」と読作す。朱熹《本義》は解釈す:ここに講ずる「往」「来」「屈」「信」は、みな感应の中の自然の常理なり。一旦「憧憧」のあの份の牽挂を加えれば、便ち私心の裏に落ち入る。ゆえにやっと必ず先に心思を動かして然る後にやっと人の附和し来る者あらんを非得ざるなり。集説に張載の言を引く:屈伸は互いに感应して利を生出するは、感ずる所は一片の誠なるによりてなり。真情と假意と互いに感应して利害を生出するは、裏頭に偽を掺入せられたるによりてなり。

《朱子語類》云:“日往則月來”一段,乃承上文“憧憧往來”而言,往來皆人之所不能無,但憧憧則不可。 案 夫子引此爻,是發明貞一之理,故亦從天地日月說來,日月有往來,而歸於生明,所謂貞明者也。寒暑有往來,而歸於成歲,所謂貞觀者也。天下之動,有屈有信,

集説に《朱子語類》を引いていう:「日往けば則ち月来る」のこの一段は、上文の「憧憧往来」を承接して講じ下せるなり。往来は人事の上の少なかるべからざるにして、ただ応に「憧憧」すべからず——応にあの様に心神不定に牽挂すべからず。李光地の按:孔子は《咸》卦の九四のこの一爻を引くは、「貞一」の道理を発明せんと要するなり。ゆえにまた天地日月より説き起す。日月は往あり来ありて、最後に光明を生出するに帰す。これがすなわち前文の説く所の「貞明」なり。寒暑は往あり来ありて、最後に一年を凑成するに帰す。これがすなわち前文の説く所の「貞観」なり。天下の変動は、屈あり伸あり——ここに底本に脱文あり、下面は径ちに経文に接続す。

尺蠖之屈,以求信也,龍蛇之蟄,以存身也,精義入神,以致用也,利用安身,以崇德也。 本義 因言屈信往來之理,而又推以言學亦有自然之機也,精研其義,至於入神,屈之至也,然乃所以為出而致用之本,利其施用,無適不安,信之極也,然乃所以為人而崇德之資,內外交相養,互相發也。

《繋辞下伝》の本文はいう:尺蠖の虫はまず身を弓め起すは、前に伸展せんと欲する為なり。竜蛇は冬天に蟄伏し起るは、性命を保全せんと欲する為なり。義理を研究して精微入神の歩に到るは、それを拿ち出だして応用せんが為なり。応用すること順手にして身心安穏なるは、自己の徳を増崇せんが為なり。朱熹《本義》は解釈す:ここは屈伸往来の道理を講ずるに因りて、また一層を推開して学問を為すにもまたそれの自然の機括あるに説き及ぶ。義理を精細に钻研して、一直に神妙に入るに到るは、これは「屈」の極処に到れるにして、却って正に後日の拿ち出だして致用する根本なり。施用を做ること順遂にして、何れの処に到るも安穏なるは、これは「伸」の極処に到れるにして、却って正に回頭して徳性を増崇する資糧なり(底本の「人と為りて崇徳の資と為る所以」の「人」は応に「入」と当作す)。内と外とは互いに培養し・互いに激発す。

集說 孔氏穎達曰:復明上往來相感,屈信相須,尺蠖之蟲,初行必屈,言信必須屈也,龍蛇初蟄,是靜也,以此存身,言動必因靜也,聖人用精粹微妙之義,入於神化,寂然不用,乃能致其所用,先靜後動,是動因靜而來也,利己之用,安靜其身,可以增祟其德,此亦先靜後動,動亦由靜而來也。

集説に孔穎達の言を引く:ここは再び一度上文の往来は互いに感应し・屈伸は互いに依頼する道理を説明す。尺蠖のこの種の虫は、歩を起すとき必ずまず身を弓め起す。これは伸展せんと要せば必ず先に収縮するを要するを説く。竜蛇の剛に蟄伏し始むるは静を取りて、これに靠りて以て身体を保全す。これは動かんと要せば必ず静に憑借するを要するを説く。聖人は精純微妙の義理を運用して神化に入る歩に到るに、看去て寂然として動かず・毫も施為なきが如く、却って正にこれに因りてやっと能くそれを用い出だす。これは先に静して後に動きて、動は静の裏より来るなり。施用を做ること便利にして、身心を安頓すること寧静なれば、便ち以て自己の徳を増崇すべし(底本の「增祟」は応に「增崇」と当作す)。これもまた先に静して後に動きて、動は同じく静の裏より来るなり。

《朱子語類》云:且如“精義入神”,如何不思,那致用的卻不必思,致用的是事功,是效驗。 俞氏琰曰:精研義理,無毫釐之差,而深造於神妙,所以致之於用也。見於用而利,施於身而安,所以為崇德之資也。“精義入神”,內也;“致用”,外也,自內而達外,猶“尺蠖之屈”以求信也。“利用安身”,外也;“崇德”,內也,即外以養內,亦猶“龍蛇之蟄以存身也”。

集説に《朱子語類》を引いていう:たとえば「精義入神」のこの一層は、何ぞ能く思を用いざらんや。「致用」のあの一層に至っては、却って再び思量を費やすを必ずしもせず。致用は事功にして效験にして、功夫は前頭に下し置けば、效験は自然に顕れ出づればなり。集説に兪琰の言を引く:義理を研究して精細にして、絲毫の差錯なくして、深く神妙の境地に進入するは、これはそれを用の上に落とさんが為なり。用い出だして処処に便利を得て、自身に施行して安穏なれば、これは便ち徳性を増崇する資糧と成れり。「精義入神」は内にして、「致用」は外なり。内より外に通ずるは、たとえば尺蠖の先に身を弓めて後に伸展を求むるが如し。「利用安身」は外にして、「崇徳」は内なり。外面に就いて裏面を養うは、またたとえば竜蛇の蟄伏し起りて以て身体を保全するが如し。

蔡氏清曰:利用如何以崇其德,蓋外邊事事都能迎刃解將去,則胸中所得益深,所造亦遠矣,精義以致知言,義者,事理之宜也,入神,只謂到那不容言之妙處,利用以行言,利用故安身,若其用有不利,則亦不能在在皆安,而泰然處之矣,蓋躬行心得,自是相關之理。

集説に蔡清の言を引く:「利用」は何ぞ便ち能く自己の徳を増崇するや。外頭の一桩桩の事情はみな迎刃而解する能くすれば、胸中の得る所は便ち一天比一天に深く、到る所の境界もまた一天比一天に遠からん。「精義」は致知の一辺に就いて説きて、「義」はすなわち事理の合宜の処なり。「入神」は過ぎずあの説き出口せざる精妙の処に説き到るを説く而已。「利用」は践行の一辺に就いて説きて、用うること便利なるがゆえに身心安穏なり。もし施用し起して処処に順わざれば、すなわち能わず何れの処に到るも安穏にして泰然として自処する能わず。見るべし、亲身の践行と心中の所得とは、本来すなわち互いに牽連する道理なり。

吳氏一源曰:人皆知信之利,而不知屈之所以利也,故以“尺蠖”、“龍蛇”明之,專言屈之利以示人,正欲人養靜以一動,無感以待感也。 過此以往,未之或知也。窮神知化,德之盛也。

集説に呉一源の言を引く:人人はみな伸展に好処あるを知るも、収縮の何がしてまた好処あるかを知らず。ゆえに特に尺蠖と竜蛇を拿りて点明して、専ら屈の好処を人に講じて看せしむ。正に人をして静定を涵養して以て自己の動を専一ならしめ、感触なき時候に於て先に感触を承接する準備を為し好せしめんと欲するなり。《繋辞下伝》の本文は続けていう:この一層を過ぎて再び上に往けば、便ち人の能く知る所にあらず。神妙を窮究し・造化を洞暁するは、あれは徳性の極盛の境地なり。

本義 下學之事,盡力於精義利用,而交養互發之機,身不能己,自是以上,則亦無所用其力矣,至於“窮神知化”,乃德盛仁熟而自致耳,然不知者往而屈也,自致者來而信也,是亦感應自然之理而已。張子曰:氣有陰陽,推行有漸為化,合一不測為神。 此上四節,皆以釋《咸》九四爻義。

朱熹《本義》は解釈す:下学の功夫は、すなわち「精義」「利用」の上に力を尽すなり。而るにこの両頭の交相に培養し・互いに激発する機括は一旦転動し起れば、自己も停まる能わず(底本の「身不能己」は応に「自不能已」と当作す)。ここより再び上に往けば、便ち何の気力の用うべきもなし。「神を窮め化を知る」に至っては、あれは徳性の充盛し・仁心の純熟したる後に自然に到達するなり。然るに「之を未だ或いは知らず」は往にして屈にして、「自ら致す」は来にして伸なり。これもまた過ぎず感应の自然の理而已。朱熹はまた張載の言を引く:気は陰陽に分かれて、推行し下れば一個の漸漸に転移する過程あり。これを「化」と呼ぶ。合して一と為りて、その端倪を測る莫し。これを「神」と呼ぶ。原書はここに注明す:以上の四節は、みな《咸》卦の九四の爻義を解釈す。

集說 孔氏穎達曰:“精義入神,以致用,利用安身以崇德。”此二者皆人理之極,過此二者以往,則微妙不可知,窮極微妙之神,曉知變化之道,乃是聖人德之盛極也。 張子曰:“精義入神”,事豫吾內,求利吾外也。“利用安身”,素豫吾外,致養吾內也。“窮神知化”,乃養盛自致,非思勉之能強,故崇德而外,君子未或致知也。

集説に孔穎達の言を引く:「精義入神して以て用を致し、利用安身して以て徳を崇う」のこの両件は、みな人事の理の極処なり。この両件を過ぎて再び上に往けば、便ち微妙にして知るべからず。あの微妙の「神」を窮究して底に到り、変化の道理を看ること透徹せば、これがやっと聖人の徳性の盛んなる極点に到る様子なり。集説に張載の言を引く:「精義入神」は、我が心の裏にまず事情を預備し停当して、好く外面の順利を求むるなり。「利用安身」は、平素に外面に預備し停当して、好く回りて来りて我が内心を涵養するなり。「神を窮め化を知る」に至っては、涵養して充盛の処に到れば自然に到達するにして、思索に靠りて勉強して挣い来る能くするにあらず。ゆえに「崇徳」のこの一条路を除きて以外は、君子は並びて別の弁法の以てあの一層に求め到るべきなし。

又曰:氣有陰陽,推行有漸為化,合一不測為神,其在人也,知義用利,則神化之 又曰:窮神,是窮盡其神也。入神,是僅能入於神也,言人如自外而入,義固有淺深。 《朱子語類》云:“窮神知化”德之盛,這“德”字只是上面“崇德”之“德”,德盛後便能“窮神知化”,便如聰明睿知皆由此出,自誠而明相似。

張載はまたいう:気は陰陽に分かれて、推行し下れば一個の漸漸に転移する過程あり。これを「化」と呼ぶ。合して一と為りて、その端倪を測る莫し。これを「神」と呼ぶ。人の身上に落れば、すなわち義を懂り・用うること順なれば、すなわち神化の——ここに底本に脱文あり。張載はまたいう:「神を窮む」はあの神を窮究して底に到るにして、「入神」はただ剛に能く神の門の裏に進入するのみ。人の功夫に就いて言えば、たとえば外面より裏面に走り往くが如く、両者は深浅の上に本来便ち分別あり。集説に《朱子語類》を引いていう:「神を窮め化を知るは、徳の盛んなり」のこの「徳」の字は、すなわち上文の「崇徳」の「徳」なり。徳は盛んなれば自然に便ち能く神を窮め化を知る。たとえば聡明睿智は全てここより発出するが如く、《中庸》の講ずる誠によりて明となると一個の様子なり。

又云;“窮神知化”,“化”是逐些子挨將去底,一日復一日,一月復一月,節節挨將去,便成一年。“神”是一個物事,或在彼,或在此,當其在陰時,全體在陰,在陽時,全體在陽,都只是這一物,兩處都在不可測,故謂“神”。橫渠言:一故神,兩故化。又注云:兩在故不測。這說得甚分曉。

《朱子語類》はまたいう:「神を窮め化を知る」を講ずるに、あの「化」は一点一点に挨りて挪り過ぐる東西なり——一天は一天に接し、一月は一月に接し、一節ずつ一節ずつ挨り過ぐれば、便ち一年を凑成す。あの「神」は却って一個の整个の東西にして、或いはかの辺に在り、或いはこの辺に在り。それの陰に在るときに当たっては、全体はみな陰に在り、陽に在るときは、全体はみな陽に在りて、始終ただこの一物にして、両頭はみな在りて測度するに由なし。ゆえに「神」と呼ぶ。張載は「一なるが故に神、両なるが故に化」と説き、また自ら注を加えて「両に在るが故に測り難し」という。この話は講くこと極めて清楚なり。

又云:“天下何思何慮”一句,便先打破那個思字,卻說“同歸殊塗,一致百慮”,又再說“天下何思何慮”,謂何用如此“憧憧往來”,“尺蠖”、“龍蛇”之屈信,皆是自然底道理,不往則不來,不屈則亦不信也。今之為學,亦只是如此。“精義入神”,用力於內,乃所以致用乎外,“利用安身”,求利乎外,乃所以崇德乎內,只是如此作將去,雖至於窮神知化地位,亦只是德盛仁熟之所致,何思何慮之有。

《朱子語類》はまたいう:孔子はまず「天下何ぞ思い何ぞ慮らん」のこの一句を説きて、一上来に便ちあの「思」の字を打破して、人をしてここに私心を安放するを許さず。接続してやっと「帰は同じくして涂は殊に、致は一にして慮は百なり」と説きて、天下の路数と思慮とは本来千頭万緒にして、帰宿は却ってただ一個あるを指出す。然る後にまた「天下何ぞ思い何ぞ慮らん」を重説し一遍して以て収と為す。意思はすでにこの然らば、何ぞ必ず《咸》卦の九四のあの様に心神不定に往来牽挂せんや。尺蠖はまず身を弓め起し、竜蛇は冬天に到りて蟄伏し起る。この一屈一伸はみな自然の道理なり——曽て去らざれば便ち回り来らず、曽て収縮せざればも便ち伸展して開けず。今や人の学問を為すも、もただこの様子なり:「精義入神」は裏頭に於て功を用うるにして、正に外頭に於て用を致さんが為なり。「利用安身」は外頭に於て便利を求むるにして、正に裏頭に於て徳性を増崇せんが為なり。ただ須くこの様に一路に做し下り往けば、たとえ「神を窮め化を知る」の地位に到るとも、も過ぎず徳盛んにして仁熟れたるが自然に到達する而已。何ぞまた何の思うべき慮るべきあらんや。

蔡氏清曰:“未之或知”者,不容於有思,不容於有為也,神以存主處言,化以運用處言,其神化者,亦豈出於精義利用之外哉,其始有待于思為,則曰精義利用,其終無待于思為,則曰“窮神知化”,所造有淺深,理則無精粗也。

集説に蔡清の言を引く:いわゆる「之を未だ或いは知らず」は、この一層に到って已に思量を容れ再び有るを得ず・作為を容れ再び有るを得ざるを説く。「神」はそれの主宰して存主する処に就いて説き、「化」はそれの運行施用する処に就いて説く。あのいわゆる神化は、豈にまた「精義」「利用」の外に跳出し得べきや。起頭に於てなお思索作為に靠るを得るときは、「精義利用」と呼ばる。末了に到って再び思索作為に靠らざるときは、便ち「神を窮め化を知る」と呼ばる。到る所の境界は深あり浅あれども、道理の本身は却って粗細の別なきなり。

張氏振淵曰:未有下學功夫不到,而頓能上達者,神化功夫,正在精義利用作起,此正實落下手處,即造到神化地位,不過精義利用,漸進漸熟耳,德盛不是就窮神知化上贊他德之盛,唯德盛方能“窮神知化。”

集説に張振淵の言を引く:従来下学の功夫のなお做し到らざるに、能く一下子に上達する者なし。神化の功夫は、正に「精義」「利用」のここより做り起すを要す。これがやっと実実在在の下手の処なり。たとえ神化の地位に到るとも、も過ぎず精義・利用は一步步に深入し・一步步に純熟する而已。経文は「徳の盛んなり」と説くは、並びて神を窮め化を知るこの件事に就いて彼の徳盛んなるを誇るにあらずして、唯だ徳盛んなってやっと能く神を窮め化を知るを説くなり。

案 “精義入神”,則所知者精深,窮理之事也。“利用安身”,則所行者純熟,盡性之事也。“窮神”則不止於入神,其心與神明相契者也,‘知化”則不止於利用,其事與造化為徒者也,至命之事也,窮理盡性,學者所當用力,至命則無所用其力矣,故曰“窮理盡性以至於命。”

李光地の按:「精義入神」は、所知の精細深透にして、「窮理」のこの一層の事に属す。「利用安身」は、所行の純熟自如にして、「尽性」のこの一層の事に属す。「神を窮む」は「入神」に比べて又だ一歩進みて、内心の神明と相契合するなり。「化を知る」は「利用」に比べて又だ一歩進みて、為す所の事の天地造化と同流するなり。これは便ち「至命」のこの一層の事に属す。窮理と尽性とは、学者の応当に力を着けて做し往くべき所なり。至命に至っては、便ち何の気力の用うべきもなし。ゆえに《説卦伝》は「理を窮め性を尽して以て命に至る」という。

又案 此章是釋“爻者效天下之動”之義,而原其理於一也,自此以下十一爻,皆是發明此意,而此爻之義,尤為親切,蓋感應者動也,不可逐物憧憧,而唯貴於貞固其心者一也,所以然者,此心此理,一致同歸,本不容以有二也,故首以此爻,而以致一恆心兩爻終焉。

李光地はまた按ず:本章は「爻者は天下の動を效う」の含義を解釈して、その中の道理を一個の「一」の字の上に追溯す。ここより往下に引く所の十一爻は、みなこの意思を発揮するに在りて、《咸》の九四のこの一爻の義理は尤も貼切なり。感应はすなわち「動」にして、外物を追いかけて心神不定たるべからず。最も要緊は自己の心を守ること堅定にして専一なるなり。かくの如くなる所以は、この心・この理は原本一致同帰にして、分かちて両個と為すを容れざればなり。ゆえに開頭はこの一爻を用いて起し、末了はまた《損》の六三の「一を致す」を講ずると《益》の上九の「心を立てて恒ならざる」を講ずるこの両爻を用いて収束す。

《易》曰:“團於石,據于蒺藜,入于其宮,不見其妻,凶。”子曰:非所困而困焉,名必辱,非所據而據焉,身必危。既辱且危,死期將至,妻其可得見邪? 本義 釋《困》六三爻義。 集說 《朱於語類》云:有著力不得處,若只管著力去作,少間去作不成,他人便道自家無能,便是辱了名。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易・困》卦の六三の爻辞は「石に困み、蒺藜に拠り、其の宮に入りて、其の妻を見ず、凶」と講ず(底本の「団于石」の「団」は応に「困」と当作す)。孔子は曰く:困を受くべからざる処に偏りて困を受ければ、名声は必定に辱を受く。拠るべからざる東西に偏りて拠れば、身家は必定に危険なり。すでに辱を受け又だ危険なれば、死期は便ち到らんと欲す。妻子は何ぞまた見るを得んや。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《困》卦の六三の爻義を解釈す。集説に《朱子語類》を引いていう:ある些の処は本来便ち勁を使い上げる能わざるに、もし一味に硬く勁を使いて做し往かば、多く久しからずして做り成らず、別人は便ち自己を無能と説く。これは便ち名声を辱没したるなり。

本義 括,結礙也。此釋《解》上六爻義。 集說 韓氏伯曰:括,結也。君子待時而動,則無結閡之患也。

ここに底本は《解》卦の上六の一整段の経文を脱去せり(「《易》は曰く:公は隼を高墉の上に射て、之を獲、利あらざるなし。子曰く:隼とは禽なり、弓矢とは器なり、之を射る者は人なり。君子は器を身に蔵し、時を待ちて動く。何の利あらざることあらんや。動きて括せず。是の故に出でて獲あり。成器して動く者を語るなり」)、ただ注解のみ剩る。朱熹《本義》は解釈す:「括」は結住し・卡住する意思なり。この一段は《解》卦の上六の爻義を解釈す。集説に韓康伯の言を引く:「括」はすなわち結を打つなり。君子は時機の成熟するを待ってやっと発動すれば、便ち結住せられ・阻塞せらるるの憂患なし。

子曰:小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,小懲而大誡,此小人之福也。《易》曰:屨校滅趾無咎,此之謂也。 本義 此釋《噬嗑》初九爻義。 集說 馮氏椅曰:不以不仁為恥,故見利而後勸於為仁,不以不義為畏,故畏威而後懲於不義。

《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、小人は不仁を以て羞耻と為さず、不義を以て可怕と為さず、好処を見ざれば便ち上勁を肯ぜず、威圧なければ便ち収斂を知らず。一点の小苦頭を喰らいて大禍患を免掉するは、正に小人の福気なり。《周易・噬嗑》の初九の爻辞は「校を屦き趾を滅す、咎なし」——脚上に刑具を戴きて脚趾を磨傷するも、災禍あるに至らず。講ずる所はすなわちこの道理なり。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《噬嗑》卦の初九の爻義を解釈す。集説に馮椅の言を引く:小人は不仁を以て羞耻と当てざれば、ゆえに実利を見るを要してやっと仁に向かい勉力するを肯ず。不義を以て可怕と当てざれば、ゆえに刑威を畏惧するを要してやっと不義の上に手を収むるを肯ず。

善不積,不足以成名,惡不積,不足以滅身,小人以小善為無益而弗為也,以小惡為無傷而弗去也,故惡積而不可掩,罪大而不可解。《易》曰,何校滅耳,凶。 本義 此釋《噬嗑》上九爻義。 集說 董氏仲舒曰:積善在身,猶長日加益而人不知也,積惡在身,猶火之銷膏而人不見也。 吳氏曰慎曰:惡,以己之所行者言,罪,以法之所麗者言。

《繋辞下伝》の本文はいう:善は積累せざれば、以て名声を成就するに足らず。悪も積累せざれば、以て自身を毀滅するに足らず。小人は小の善事を看作して好処なしとして為るを肯ぜず、小の悪事を看作して妨碍なしとして除くを肯ぜず。ゆえに悪は積み多くなれば便ち掩盖し住む能わず、罪は鬧え大きくなれば便ち解脱し得ず。《周易・噬嗑》の上九の爻辞は「校を何き耳を滅す、凶」——頸の上に大枷を扛ぎて、耳朵さえも磨掉せらる。これは凶なり。「何」はここに「荷」と読作して、扛負の意思なり。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《噬嗑》卦の上九の爻義を解釈す。集説に漢代の董仲舒の言を引く:善は身の上に積まるは、たとえば白昼の一天天に長く変ずるが如く、人は自己は察覚し得ず。悪は身の上に積まるは、たとえば燭火の一点点に膏油を焼掉するが如く、人は自己もまた看見し得ず。集説に呉曰慎の言を引く:「悪」は自己の為したる行為に就いて説き、「罪」は法律の加うる所の名目に就いて説く。

子曰:危者,安其位者也,亡者,保其存者也,亂者,有其治者也,是故君子安而不忘危,存而不忘亡,治而不忘亂。是以身安而國家可保也。 《易》曰:“其亡其亡,繫于苞桑。” 本義 此釋《否》九五爻義。

《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、危険を招来するは、あの種の自己を位を坐り穩めたりと為す人なり。滅亡を招来するは、あの種の自己を存続を保ち得たりと為す人なり。禍乱を招来するは、あの種の自己を已に治理し妥当せりと為す人なり。ゆえに君子は安穏のときに危険を忘れず、存続のときに滅亡を忘れず、太平のときに禍乱を忘れず。この様に一来れば、自身は以て安然たるべく、国家もまた以て保全すべし。《周易・否》卦の九五の爻辞は「其れ亡ばん其れ亡ばん、苞桑に繫がる」——心の裏に老いて「将に亡びん将に亡びん」を念ずれば、反って叢生の桑樹の根に繫がれるが如く牢固なり。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《否》卦の九五の爻義を解釈す。

集說 孔氏穎達曰:所以今有傾危者,由前安樂於其位,自以為安,故致今日危也。 所以今日滅亡者,由前保有其存,恆以為存,故今致滅亡也。所以今有禍亂者,由前自恃有其治理,恆以為治,故今致禍亂也。是故君子今雖獲安,心恆不志傾危之事,國雖存,心恆不忘滅亡之事,政雖治,心恆不忘禍亂之事,心恆畏懼其將滅亡,其將滅亡,乃“繫于苞桑”之固也。 谷氏家傑曰:養尊處優曰“安”,宗社鞏固曰“存”,綱舉目張曰“治”。

集説に孔穎達の言を引く:今天の傾覆危亡ある所以は、従前の位子の上に安逸享楽して、自己を安穏と為せるに由りて、やっと今日の危険を招来せり。今天の滅亡ある所以は、従前の現成の存続を守りて、老いて一直に存続し下らんと為せるに由りて、やっと今日の滅亡を招来せり。今天の禍乱ある所以は、従前の自恃して已に治理し妥当せりと為し、老いて一直に太平ならんと為せるに由りて、やっと今日の禍乱を招来せり。ゆえに君子は今天安穏を得るといえども、心の裏に始終傾覆危亡の事を忘れず(底本の「心恒不志」の「志」は応に「忘」と当作す)。国家は存続するといえども、心の裏に始終滅亡の事を忘れず。政事は清明なるといえども、心の裏に始終禍乱の事を忘れず。心の裏に老いて「将に亡びん将に亡びん」を警懼して、これにやっと「苞桑に繫がる」のあの様の牢固あり。集説に谷家傑の言を引く:尊を養い優に処るを「安」と呼び、宗廟社稷の穩固なるを「存」と呼び、綱紀の張挙し・条目の分明なるを「治」と呼ぶ。

子曰:德薄而位尊,知小而謀大,力小而任重,鮮不及矣。《易》曰:“鼎折足,覆公餗,其形渥,凶。”言不勝其任也。 本義 此釋《鼎》九四爻義。 集說 張氏浚曰:自昔居臺鼎之任,德力知三者一有闕,則弗能勝其事,而況俱不

《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、徳行は浅薄にして地位は尊貴に、智慧は短小にして大事を謀劃し、力量は微弱にして重任を担当するは、禍事を出ださざること少なし。《周易・鼎》卦の九四の爻辞は「鼎は足を折り、公の餗を覆し、其の形は渥たり、凶」——鼎の腿は折断して、公家に備えたる美食を傾翻して、一身を狼藉に弄す。これは凶にして、説く所は正にあの副の担子を担い起る能わざるなり。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《鼎》卦の九四の爻義を解釈す。集説に張浚の言を引く:古来自より三公台鼎の位に身居する人は、徳・力・智のこの三様はただ一様を缺くとも、便ちあの件事を弁じ成る能わず。何に況や三様とも——ここに底本に脱文あり。

錢氏時曰:古之人君,必量力度德而後授之官,古之人臣,亦必度力度德而後居其任,雖百工胥史,且猶不苟,況三公乎,為君不明於所擇,為臣不審於自擇,以至亡身危主,誤國亂天下,皆由不勝任之故,可不戒哉。

集説に銭時の言を引く:古時候の君主は、必ずまず一個の人の才力を掂量し・その徳行を估量して、然る後にやっと官職を彼に交え与えたり。古時候の臣子も、また必ずまず自己の才力を掂量し・自己の徳行を估量して、然る後にやっと就任し往きたり。各行の工匠・衙門の小吏さえも尚且馬虎するを肯ぜず。何に況や三公に位列するをや。君主を為すは所選の人を看ること清楚せず、臣子を為すは自己の応に任を受くべきや否やを審ること明白せずして、性命を丟掉し・君主を連累し、国事を耽誤し・天下を攪乱するに至るまで、全てあの副の担子を担い起る能わざる縁故に由る。これ豈に以て戒めと引かざるを得んや。

子曰:知幾其神乎?君子上交不諂,下交不瀆,其知幾乎。幾者,動之微,吉之先見者也。君子見幾而作,不俟終日。《易》曰:“介于石,不終日,貞吉。 ”介如石焉,寧用終日?斷可識矣!君子知微知彰,知柔知剛,萬夫之望。 本義 此釋《豫》六二爻義,《漢書》吉之之間有凶字。

《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、能く苗头を看出だすは、大概神と算すべきか。君子は上と交往して諂媚せず、下と交往して軽慢せず。これは便ち能く苗头を看出だすと算す。「几」は変動の剛に起るときのあの点の細微にして、吉の先兆なり。君子は一たび苗头を看見すれば便ち手を動かして、一天を過ごし尽るを待つを肯ぜず。《周易・豫》卦の六二の爻辞は「石に介たり、日を終えず、貞吉」。すでに堅定なること石の如ければ、何ぞなお一整天を等上するを用いんや。一たび断ずれば便ち看り明白なるべし。君子はすでに能く細微を看・また能く顕著を看、すでに柔を懂り・また剛を懂る。ゆえに万人の仰望する人と為る。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《豫》卦の六二の爻義を解釈す。《漢書》の引く所は「吉」「之」の両字の間にまた一個の「凶」の字ありて、「吉凶之先見者也」と作る。

集說 孔氏穎達曰:動,謂心動,事動,初動之時,其理未著,唯纖微而已,已著之後,則心事顯露,若未動之先,又寂然頓無,幾是離無入有,在有無之際,故云“動之微”也。直云古不云凶者,凡豫前知幾,皆向吉而背凶,違凶而就吉,無復有凶,故特云吉也,諸本或有“凶”字者,其定本則無。

集説に孔穎達の言を引く:いわゆる「動」は、心裏の動・事情の動を指す。剛に動くとき、あの道理はなお顕現せずして、ただ極細微の一点のみ。すでに顕現したる後に及んで、心事は便ち明摆きたり。もしまだ動かざる先に在れば、又だ寂然の一片にして何もなし。「几」は正に「無」の裏より出でて・「有」の裏に入り往くあの一瞬にして、有と無の交界の上に処す。ゆえに「動之微」という。経文はただ「吉」のみを説きて「凶」を説かず(底本の「直云古」の「古」は応に「吉」と当作す)は、およそ能く事先に苗头を看出だす者は、みな吉に趨向して凶に背離し・凶を避开して吉に奔向して、再び凶あること会せざればなり。ゆえに特にただ「吉」のみを説く。ある些の本子は一個の「凶」の字を多く出だすも、定本はこれなきなり。

崔氏憬曰:此爻得位於中,於豫之時,能順以動而防於豫,如石之耿介,守志不移,雖暫豫樂,以其見微而不終日,則能“貞吉”,“斷可知矣”。 張子曰:“知幾”者,為能以屈為信。 《朱子語類》云:上交貴於恭遜,恭則便近於諂,下交貴於和易,和則便近於瀆,蓋恭與諂相近,和與瀆相近,只爭些子便至於流也。

集説に崔憬の言を引く:《豫》卦の六二のこの一爻は中に居りて位を得て、逸豫の時に処して、能く理に順いて動きて、また逸豫に対して早く防備あり。堅定なること石の一般に耿介にして、心志を守住して動揺を肯ぜず。一时にも安楽あるといえども、彼の能く細微の苗头を看見して一天を過ごし尽るを待たずして身を抽くるによりて、ゆえに能く「貞吉」たり得て、一たび断ずれば便ち看ること明白なり。集説に張載の言を引く:いわゆる「几を知る」とは、すなわち能く収縮を拿りて伸展と当作するなり。集説に《朱子語類》を引いていう:上と交往するは恭敬謙遜を貴ぶといえども、恭敬は頭を過ぎれば便ち諂媚に近づく。下と交往するは和気平易を貴ぶといえども、和気は頭を過ぎれば便ち軽慢に近づく。恭と諂とは挨り近く、和と涜とは挨り近くて、ただあの一点点を差すれば便ち滑り過ぎて往くなり。

又云:“幾者動之微”,是欲動未動之間,便有善惡,便須就這處理會,若到發出處,便怎生奈何得,所以聖賢說謹獨,便都是要就幾微處理會。 項氏安世曰:諂者本以求福,而禍常基於諂,瀆者本以交歡,而怨常起於瀆,《易》言“知幾”,而孔子以不諂不瀆明之,此真所謂“知幾者”矣,欲進此道,唯存察之密,疆界素明者能之,此所以必歸之於“介如石”者與。

《朱子語類》はまたいう:「几者は動の微」は、将に動かんとして未だ動かざるの間に在り。便ちこの当口に於て善と悪とは已に岔を分かつ。ゆえに必ずここに於て功夫を下るを要す。もし已に発し出だせるに及ぶを待たば、また何の弁法の想うべきあらんや。聖賢は「独を慎む」を講ずるは、講ずる所はみなこの一点の几微の処に功夫を下るを要するなり。集説に項安世の言を引く:諂媚する人は本来福を求めんと欲するに、可も禍患は常常に便ち諂媚より起頭す。軽慢する人は本来交情歓洽を図らんと欲するに、可も怨恨は常常に便ち軽慢より生出す。《周易》は「几を知る」を講じ、孔子は却って「諂せず涜らず」を拿りてそれを説明す。これがやっと真にいわゆる「几を知る」の人なり。この条路の上に進歩せんと想えば、ただ存養省察の極めて細密・心中の界限の素来分明なる人のみ做り到るを得。これは大概最後に必ず「石の如く介たり」に帰結する所以の縁故であろう。

何氏楷曰;“知微知彰”,微而能彰,“介于石”也。“知柔知剛”。柔而能剛,“不終日”也。 子曰:顏氏之子,其殆庶幾乎?有不善,未嘗不知,知之,未嘗復行也。《易》曰:“不遠復,無祗悔,元吉。” 本義 殆,危也。庶幾,近意,言近道也,此釋《復》初九爻義。

集説に何楷の言を引く:「微を知り彰を知る」は、細微の処に於て便ち後日の顕著を看出だし得るにして、これがすなわち「石に介たり」なり。「柔を知り剛を知る」は、本来柔順にして能く剛断するにして、これがすなわち「日を終えず」なり。《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、顔家のあの弟子は、大概差不多に道に接近したるであろう。不善あるに、自己察覚せざるなし。一たび察覚すれば、便ち再び重犯せず。《周易・復》卦の初九の爻辞は「遠からずして復り、悔に祗らず、元吉」——走ること遠からずして便ち回頭して、悔恨を生出するに至らず、大吉なり。朱熹《本義》は解釈す:「殆」の字は本来危に訓するも、ここに用うるは「几乎」の口気なり。「庶几」は接近の意思にして、合せ起れば顔子の已に道に接近したるを説く。この一段は《復》卦の初九の爻義を解釈す。

集說 虞氏翻曰:“復以自知”,“自知”者明,謂顏子不遷怒,不貳過,克己復禮,天下歸仁也。 侯氏行果曰:失在未形,故有不善,知則速改,故無大過。 《朱子語類》云:或以幾為因上文“幾”字而言,但《左傳》與《孟子》“庶幾”兩字,都只作“近”字說。

集説に三国呉人の虞翻の言を引く:《復》卦の《大象伝》は「復りて以て自ら知る」と講ず。能く自ら知る人こそやっと「明」と称するに足る。これは正に顔子の怒気を別人の身上に遷さず・同様の過錯は第二次を犯さず、私己を克制して礼の上に回りて、ここに天下はみな仁に帰するを説くなり。集説に唐代の侯行果の言を引く:過失はなお成形せざるときに在る。ゆえに「不善あり」という。一たび察覚すれば便ち赶緊に改掉す。ゆえに大過を醸成する会せず。集説に《朱子語類》を引いていう:ある人はここの「几」を看作して上文の「几を知る」のあの「几」の字を承接して講ずるに用う。ただ《左伝》と《孟子》の裏の「庶几」の両個の字は、みなただ「接近」と当てて講ずるのみ。

項氏安世曰:於微而知其彰,於柔而知其剛,蓋由用心之精,燭理之明,是以至此。 欲進此者,當自顏子始,毫釐絲忽之過,一萌於方寸之間,可謂“微”矣。而吾固已瞭然而見之,可謂“柔”矣。而吾已斬然而絕之,此章內十一爻,雖各為一段,而意皆相貫,此爻尤與上爻文意相關。

集説に項安世の言を引く:細微の処に於て便ちそれの将来の顕著を知り、柔順の処に於て便ちそれの内裏の剛決を知る。これは全て用心の精細・理を照らすこと明徹なるに由りて、やっとこの一歩に到り得。この条路の上に往きて進まんと想う人は、応当に顔子より学び起すべし。一絲一毫の過失は、剛に方寸の間に萌動するは、細微に足ると算すべし。而るに我は早已にそれを看ること清清楚楚なり。あの点の苗头はなお軟弱なること甚だしきは、柔に足ると算すべし。而るに我は已に斬釘截鉄にそれを断絶せり。本章の裏の引く所の十一爻は、各々一段を自成するといえども、意思は却って彼此貫串す。而るに《復》の初九のこの一爻は、上一爻の《豫》の六二の文意と尤も相関す。

陸氏振奇曰:誠則明者,“知幾”之神,由介石來也,明則誠者,不遠之復,由真知得也,在《豫》貴守之固,故日“貞吉”,在《復》貴覺之早,故曰“元吉”。 天地絪縕,萬物化醇。男女構精,萬物化生。《易》曰:“三人行則損一人,一人行則得其友。”言致一也。 本義 絪縕,交密之狀。醇,謂厚而凝也。言氣化者也,化生,形化者也,此釋《損》六三爻義。

集説に陸振奇の言を引く:誠によりて明となるは、「几を知る」のあの份の神妙にして、「石の如く介たり」の堅定の中より来る。明によりて誠となるは、「遠からずして復る」のあの份の自反にして、真知の中より得来す。《豫》卦に於ては守ること牢固なるを貴ぶ。ゆえに「貞吉」という。《復》卦に於ては覚悟すること早きを貴ぶ。ゆえに「元吉」という。《繋辞下伝》の本文はいう:天地の二気は交密纏綿して、万物はこれに由りて化育醇厚す。男女の両性は精気を交合して、万物はこれに由りて化生繁衍す。《周易・損》卦の六三の爻辞は「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ち其の友を得」と説く。講ずる所は正に専一に帰するなり。朱熹《本義》は解釈す:「絪緼」は二気の交密纏繞する様子にして、「醇」は厚実凝聚の意思なり。前の講ずる所は気化にして、後の「化生」の講ずる所は形化なり。この一段は《損》卦の六三の爻義を解釈す。

集說 侯氏行果曰:此明物情相感,當上法“姻縕”“化醇”致一之道。 子曰:君子安其身而後動,易其心而後語,定其交而後求,君子修此三者故全也。危以動,則民不與也,懼以語,則民不應也。無交而求,則民不與也。莫之與,則傷之者至矣。《易》曰:“莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。” 本義 此釋《益》上九爻義。

集説に侯行果の言を引く:これは物と物の間は情意相感して、応当に上に向かい「絪緼」「化醇」のあの種の専一に帰する道理を效法すべきを説明す(底本の「姻緼」は応に「絪緼」と当作す)。《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、君子はまず自身を安頓し穏当にして然る後にやっと行動し、まず心気を放ち平にして然る後にやっと説話し、まず交情を定め牢にして然る後にやっと請求あり。君子はこの三様を修好す。ゆえに能く自己を保全す。処境は危殆にしてなお行動すれば、百姓は便ち彼を幇襯するを肯ぜず。心裏は惶恐にしてなお口を開けば、百姓は便ち彼に响应するを肯ぜず。交情なくして便ち人に求めれば、百姓は便ち彼に与えるを肯ぜず。彼に与える人なければ、すなわち彼を傷害する人は来る。《周易・益》卦の上九の爻辞は「之を益する莫く、或いは之を撃つ、心を立てて恒ならざれば、凶」。朱熹《本義》は解釈す:この一段は《益》卦の上九の爻義を解釈す。

此第五章。 集說 項氏安世曰:“危以動則民不與”,黨與之與,“無交而求則民不與”,取與之與也。 又曰:以“《易》”對“懼”,其義可見,直者其語“《易》”,曲者其浯“懼”,乾之所以“《易》”者;以其直也。 郭氏鵬海曰:事不順理,從欲唯危,為“危以動。”心知非理,自覺惶恐,為“懼以語”,恩非素結,信非素孚,為“無交而求”。

原書はここに注明す:以上は第五章なり。集説に項安世の言を引く:「危きをもって動けば則ち民与えず」の「与」は、党与・幇襯の「与」なり。「交なくして求めれば則ち民与えず」の「与」は、給与の「与」なり。彼はまたいう:「易」と「惧」とを対して看れば、意思は便ち清楚なり——心地の正直の人は話を説き起れば平易にして、心思の弯曲の人は話を説き起れば惶惧す(底本の「其浯懼」の「浯」は応に「語」と当作す)。乾の「易」と称する所以は、正にそれの直なるによりてなり。集説に郭鵬海の言を引く:事を做るに道理に順わず・一味に欲望を縦するは、あれは危険なり。これがすなわち「危きをもって動く」なり。心裏に明らかに合理ならざるを知りて、自己もまた惶恐を覚ゆるは、これがすなわち「惧りて以て語る」なり。恩情は平素の結び下したるにあらず、信用は平素の人に孚したるにあらず。これがすなわち「交なくして求む」なり。

總論 葉氏良佩曰:下十爻,皆承《咸》九四而言。 吳氏一源曰:《咸》後十爻,皆發明理之貞一而不憧憧耳,往來屈信無二致也。天地,所以成造化,聖人所以臻造化,推之事事物物,莫不皆然,故知動靜之一致,則能藏器而時動,知小大之一致,則能謹小以無咎,知安危之一致,則能危以保其安,各顯微之一致,則能見幾而作,不遠而復,知損益之一致,則能損而得友,彼非所困而困非所任而任,忽小而惡積,求益而或擊,皆昧於屈信之義以取凶耳。

総論に葉良佩の言を引く:底下のこの十爻は、みな《咸》卦の九四を承接して講じ下せるなり。総論に呉一源の言を引く:《咸》の九四以後の十爻は、みな「理の貞一」を発明するに在り——道理は専一に帰して憧憧の牽挂を必ずしもせず、往と来・屈と伸とは並びて両個の致向なきなり。天地はこれに靠りて造化を成就し、聖人はこれに靠りて造化に企及して、事事物物の上に推せば、かくのごとからざるなし。ゆえに:動と静の本来一致なるを懂れば、便ち能く《解》の上六の如く器具を身に蔵して時を待ちてやっと動き、小と大の本来一致なるを懂れば、便ち能く《噬嗑》の初九の如く小処に謹慎して災禍を醸成するに至らず、安と危の本来一致なるを懂れば、便ち能く《否》の九五の如く常に危惧を存して平安を保住し、顕と微の本来一致なるを懂れば(底本の「各顕微之一致」の「各」は応に「知」と当作す)、便ち能く《豫》の六二の如く几を見て作し・《復》の初九の如く走ること遠からずして便ち回頭し、損と益の本来一致なるを懂れば、便ち能く《損》の六三の如く减損して却って同伴を得るなり。あの困を受くべからざるに偏りて困を受け・任ずべからざるに偏りて任じ・小悪を軽忽して以て悪の積みて山の如くなり・一味に益を求めて反って撃たるるを遭う者に至っては、みな屈伸の道理を明白せざるによりてやっと凶険を自招せるなり。

案 此上三章,申吉凶效動而歸於貞一之理。第三章,統論彖爻也。第四章,舉彖所以取材之例。第五章,舉爻所以效動之例也。蓋卦有小大辭有險易,故凡卦之以陽為主,而陽道勝者,皆大卦也,以陰為主,而陰道勝者,皆小卦也,其原起於八卦之分陰

李光地の按:以上の三章は、吉凶の変動を仿效して最終に「貞一」に帰する道理を申説したるなり。第三章は彖辞と爻辞を総論し、第四章は彖辞の拠って以て材を取る通例を挙出し、第五章は爻辞の拠って以て変動を仿效する通例を挙出す。卦は小あり大あり、辞は険あり易あり。およそ陽をもって主と為して陽道の上風を占むるは、みな大卦なり。陰をもって主と為して陰道の上風を占むるは、みな小卦なり。その根源は八卦の陰を分かつに起り——ここに底本に脱文あり、李光地の言は終わらず。下面は径ちに第六章の経文に接続す。

繋辞下伝 第六章

子曰:乾坤其《易》之門邪?乾,陽物也。坤,陰物也。陰陽合德而剛柔有體,以體天地之撰,以通神明之德。 本義 諸卦剛柔之體,皆以乾坤合德而成,故曰“乾坤《易》之門”。撰,猶事也。 集說 荀氏爽曰:陰陽相易,出於乾坤,故曰“門”。

《繋辞下伝》の本文はいう:孔子は曰く、乾坤は大概《周易》の門戸であろう。乾は陽に属する東西にして、坤は陰に属する東西なり。陰と陽とはそれらの徳を合せ起せば、ここに剛爻柔爻は各々形体ありて、もって天地の種種の作為を體現し、もって神明の徳性を貫通す。朱熹《本義》は解釈す:各卦の剛柔の形体は、みな乾坤の合徳によりて成れるに由る。ゆえに「乾坤は《易》の門戸」という。「撰」はすなわち「事」の意思なり。集説に東漢の荀爽の言を引く:陰と陽とは互いに交易して、全て乾坤の裏より出で来る。ゆえにそれを「門」と称す。

葉氏良佩曰:此章論文王繫辭之義,故首節先本伏羲卦畫而言之。 何氏楷曰:有形可擬,故曰“體”,有理可推,故曰“通”。“體天地之凌’’承“剛柔有體”言,兩“體”字相應,“通神明之德”,承“陰陽合德”言,兩“德”字相應。

集説に葉良佩の言を引く:本章は周文王の卦爻辞を繫げたる用意を討論す。ゆえに第一節はまず伏羲の卦を画くより講じ起して、根子を交代し清楚す。集説に何楷の言を引く:形体の以て摹擬すべきあれば、ゆえに「体」という。道理の以て推尋すべきあれば、ゆえに「通」という。「天地の撰を体す」のこの句は「剛柔に体あり」を承けて講じて、前後の両個の「体」の字は互いに呼応す(底本の「体天地之凌」の「凌」は応に「撰」と当作す)。「神明の徳に通ず」のこの句は「陰陽合徳」を承けて講じて、前後の両個の「徳」の字は互いに呼応す。

其稱名也,雜而不越,於稽其類,其衰世之意邪。 本義 萬物雖多,無不出於陰陽之變,故卦爻之義,雖雜出而不差繆,然非上古淳質之時思慮所及也,故以為衰世之意,蓋指文王與紂之時也。 集說 《九家易》曰:名,謂卦名。陰陽雖錯,而卦象各有次序,不相踰越。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易》の標挙する所の名目は、駁雑なるといえども界限を出でず。それの帰する所の門類を考察すれば、恐怕らくは衰乱の世のやっと有る心思であろう。朱熹《本義》は解釈す:万物は衆多なるといえども、一様として陰陽の変化より出でざるなし。ゆえに卦爻の義理は紛然として雑出するといえども錯乱する会せず。然るにこれは已に上古の淳厚質朴の時代の想い及ぶ能くする所にあらず。ゆえに衰世の心思という。大概の指す所は周文王と商紂王のあの時候なり。集説に《九家易》を引いていう:ここの「名」の指す所は卦名なり。陰陽は錯雑交互するといえども、可も卦象は各々各々の次序ありて、彼此は本分を越出する会せず。

侯氏行果曰:《易》象考其事類,但以吉凶得失為主,則非淳古之時也,故云衰世之意耳,言“邪”,示疑不欲切指也。 《朱子語類》:問;“其稱名也,雜而不越”,是指繫辭而言,是指卦名而言。曰:他下面兩三番說名,後又舉九卦說,看來只是謂卦名。 又云:其衰世之意邪,伏羲畫卦時,這般事都已有了,只是未曾經歷,到文王時,世變不好,古來未曾有底事都有了,他一一經歷這崎嶇萬變過來,所以說出那卦辭。

集説に侯行果の言を引く:《周易》の卦象は各類の事情を考察するに、ただ吉凶得失をもって主と為す。見るべし、已に淳厚の上古時代にあらず。ゆえに衰世の心思という。経文は一個の「邪」の字を用うるは、存疑の口気を表して、話を死に説き定むるを肯ぜざるなり。集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「其の名を称するや、雑にして越えず」とは、繋辞に就いて言うか、それとも卦名に就いて言うか。朱子は答えた:彼は下面に両三次「名」に説き及び、後にまた九卦を挙げて説く。看るにただ卦名を指すのみ。朱子はまたいう:「其れ衰世の意か」を講ずるに、伏羲の卦を画くとき、これらの事理は其の実はみな已に具備するも、ただまだ亲身に経歴し過ぐさざるのみ。文王の時候に到って、世道は変壊して、古来出だしたることなき事はみな出だし、彼は一桩桩にこれらの崎岖万变を経歴し来りて、やっとあの様の卦辞を説き出だし得たるなり。

夫《易》,彰往而察來,而微顯闡幽。開而當名辨物,正言,斷辭,則備矣。 本義 “而微顯”,恐當作“微顯而”,“開而”之“而”,亦疑有誤。 集說 郭氏雍曰:當名,卦也。辨物,象也。正言,彖辭也。斷辭,繫之以吉凶者也。 《朱子語類》云:“微顯闡幽”,‘幽”者不可見,便就這顯處說出來,“顯”者便就上面尋其不可見底,教人知得。又曰:如“顯道神德行”相似。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易》のこの書は、已往を彰明して未来を察知し、顕露なるを収めて幽微と為し、幽隠なるを敞き開いて講明す。展開し之て後、卦名は恰当・事物は辨明・話は説くこと端正・断語は下すこと分明にして、これは便ち完備せり。朱熹《本義》は解釈す:「而微顕」の一句は、恐怕らくは応に「微顕而」と作すべし。「開而」のあの「而」の字も、また錯訛あるを疑う。集説に郭雍の言を引く:「名に当たる」の説く所は卦にして、「物を辨ず」の説く所は象にして、「言を正す」の説く所は彖辞にして、「辞を断ず」の説く所は吉凶の断語を繫げたるなり。集説に《朱子語類》を引いていう:いわゆる「微顕闡幽」は、幽隠の東西は本来看見し得ざるを、便ちこの顕露の処に於てそれを説き出だすなり。顕露の東西は、便ちそれの上頭に於てあの看見し得ざる底細を尋ね出だして、人を教えて明白さしむ。朱子はまたいう:これは《上繋》の「道を顕し徳行を神ならしむ」を講ずると一個の意思なり。

又云:“微顯闡幽”,是將道來事上看,言那個雖是粗的,然皆出於道義之蘊,“微顯”所以“闡幽”,“闡幽”所以“微顯”,只是一個物事。 吳氏澄曰:“彰往”,即“藏往”也,謂明於天之道,而彰明已往之理。“察來”,即“知來”也,謂“察於民之故”,而察知未來之事。“微顯”,即“神德行”也,謂以人事之顯,而本之於天道,所以微其顯。“闡幽”,即顯道也,謂以天道之幽,而用之於人

《朱子語類》はまたいう:いわゆる「微顕闡幽」は、「道」を拿りて具体の事情の上に到りて看るなり。あの些の事情は粗浅なるといえども、一つとして道義の深藴の裏より発し出ださざるなし。ゆえに「微顕」は正に「闡幽」が為にして、「闡幽」もまた正に「微顕」が為なり。翻りて覆りて説く所はただ同じ一件の事にして、並びて両截の功夫にあらず。集説に呉澄の言を引く:「往を彰く」はすなわち《上繫》の説く所の「往を蔵す」にして、天道を通暁して已往の道理を彰明するを指す。「来を察す」はすなわち《上繫》の説く所の「来を知る」にして、民情世故を考察して未来の事を察知するを指す。「微顕」はすなわち《上繫》の説く所の「徳行を神ならしむ」にして、人事の顕露の一面を天道の上に推本して、ゆえに能く顕露なるを幽微に収帰するを指す。「闡幽」はすなわち《上繫》の説く所の「道を顕す」にして、天道の幽隠の一面を拿来して人事の上に施用するを指す——ここに底本に脱文あり、呉澄の言は終わらず。下面は径ちに蔡清の説に接続す。

蔡氏清曰:人事粗跡也,《易》書有以微之,蓋於至著之中,寓至微之理也,天道至幽也,《易》書有以闡之,蓋以至微之理,寓於至著之象也。 案 “彰往察來”,“微顯闡幽”,承首節伏羲卦畫言。“當名辨物,正言斷辭”,承次節文王卦名言,而因及乎辭也。“彰往察來”,即所謂“體天地之撰。”“微顯闡幽”,即所謂“通神明之德”。“當名”者,即所謂“稱名雜而不越”也。命名之後,又復辯卦中所具之物,以繫之辭而斷其占,則所謂彖也,文王因卦畫而為之名辭,故曰“開而”,有畫無文易道未開也。

集説に蔡清の言を引く:人事は粗浅の痕迹にして、《周易》は却ってそれを収めて幽微と為す本事あり。あれは極顕著の事情の当中に極精微の道理を寄寓するなり。天道は極幽隠にして、《周易》は却ってそれを敞き開きて講明する本事あり。あれは極精微の道理を極顕著の卦象の裏に寄寓するなり。李光地の按:「往を彰かにして来を察し」「微顕闡幽」の両句は、第一節の伏羲の卦を画くを講ずるを承けて説く。「名に当たり物を辨じ、言を正しくし辞を断ず」の両句は、第二節の文王の卦名を命ずるを講ずるを承けて説きて、併せてこれに由りて卦辞に牽連し到る。「往を彰かにして来を察す」はすなわち前文の説く所の「天地の撰を体す」にして、「微顕闡幽」はすなわち前文の説く所の「神明の徳に通ず」なり。「名に当たる」はすなわち前文の説く所の「名を称すること雑にして越えず」なり。卦に命名したる後、また進みて卦の中の具える物象を辨清して、拠って文辞を繫げてその占断を断定す。これがすなわちいわゆる「彖」なり。文王は卦画に依ってそれの為に名と辞を立て下す。ゆえに「開而」という——ただ卦画ありて文字なければ、《易》道は便ちなお打開せられざるなり。

其稱名也小,其取類也大。其旨遠,其辭文,其言曲而中,其事肆而隱。因貳以濟民行,以明失得之報。 本義 肆,陳也。貳,疑也。 此第六章,多闕文疑字,不可盡通,後皆放此。,集說 程氏敬承曰:理貞夫一而民貳之,有失得故“貳”也,“明失得之報”,則天下曉然歸於理之一,而民行濟矣,“濟”者,出之陷溺之危,而措之安吉之地,此其所以為衰世之意邪。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易》の標挙する所の名目は小さいといえども、帰する所の門類は却って大なり。その意旨は深遠にして、その文辞は条理あり。その話は曲折なるも切中し、その説く所の事は鋪陳して開けるも又だ含蓄あり。それは人心の疑惑に順って以て百姓の行事を幇助して、人をして失と得の報応を看り清らかならしむ。朱熹《本義》は解釈す:「肆」は鋪陳の意思にして、「貳」は疑惑の意思なり。原書はここに注明す:以上は第六章にして、この一章は缺文と可疑の字多くして、能く完全に講じ通す能わず。後面に同類の情形に遇えばみなこれに照らして弁理す。集説に程敬承の言を引く:道理は本来一に定まるに、百姓は却ってそれを両個と看作す。失あり得あるに因りて、ゆえに「貳」——あの份の疑惑を生出す。一旦失と得の報応を講じ明白せば、天下人は便ち豁然として明白してあの「一」の道理に帰して、百姓の行事もまた便ち着落あり。いわゆる「済」は、人を陥溺の危境の裏より救い出だして、平安吉利の歩に安放するなり。これは大概それの「衰世の意」と称する所以の縁故であろう。

案 “稱名小取類大”,以卦名言;“旨遠辭文”,以蒙辭言;“其言曲而中”,又申旨遠辭文之意,旨遠則多隱約,故“曲”也。辭文則有條理,故中也。其事“肆而隱”,又申名小類大之意,小名則事物畢具,故“肆”也。類大則義理包涵,故“隱”也。

李光地の按:「名を称するや小、類を取るや大」は卦名に就いて講ず。「旨遠く辞文なり」は彖辞に就いて講ず(底本の「蒙辞」は応に「彖辞」と当作す)。「其の言は曲にして中つ」の一句は、また「旨遠く辞文なり」の意思を申説す:意旨は深遠なれば、話を説くは便ち隠約含蓄多し。ゆえに「曲」という。文辞は条理あれば、ゆえに能く切中す。「中」を説く。「其の事は肆にして隠なり」の一句は、また「名小にして類大なり」の意思を申説す:名目は小さいといえども事物は件件斉備す。ゆえに「肆」という——鋪排して開け得るなり。門類はすでに大にして義理は包まざるなければ、ゆえに「隠」という——蔵め住むを得るなり。

總論 項氏安世曰:此章專論《易》之彖辭,《易》不過乾坤二畫,乾坤即陰陽剛柔也,凡《易》之辭,其稱名取類,千匯萬狀,大要不越於二者,而其所以繫辭之意,則為世衰道微,與民同患,不得已而盡言之耳,此斷辭之所以作也。斷辭,即彖辭也。

総論に項安世の言を引く:本章は専ら《周易》の彖辞を討論す。《周易》は説き到底は過ぎず乾坤の両種の画にして、乾坤もすなわち陰陽剛柔なり。およそ《周易》の文辞の、標挙する所の名目・帰する所の門類は、千頭万緒・形形色色にして、大体の上はこの両様を跳出せず。而るに聖人のこれらの文辞を繫げる所以は、則ち世道の衰敗し・大道の隠微して、彼は百姓と憂患を同じくして、已むを得ずしてやっと話を講じ尽せるによりてなり。これがすなわち「辞を断ず」の作り出だすを要する所以の縁故なり。いわゆる断辞とは、すなわち彖辞なり。

繋辞下伝 第七章

《易》之興也,其於中古乎?作《易》者,其有憂患乎? 本義 夏商之末,《易》道中微,文王拘於羨里而繫彖辭,《易》道復興。 集說 孔氏穎達曰:《易》之爻卦之象,則在上古伏羲之時,但其時理尚質素,直觀其象,足以垂教,中古之時,事漸澆浮,非象可以為教,故爻卦之辭,起於中古,此之所論,謂《周易》也,身既憂患,須垂法以示於後,以防憂患之事。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易》の興起は、大概中古に在るであろう。《周易》を作る人は、大概心裏に憂患あるであろう。朱熹《本義》は解釈す:夏・商の末年に、《易》道は中途に衰微せり。周文王は羑里に囚われて彖辞を繫げて、《易》道はやっと重新して興起せり(底本の「羡里」は応に「羑里」と当作す)。集説に孔穎達の言を引く:《周易》の爻と卦の形象は、上古伏羲の時候に產生せり。過ぎずあの時は人情は尚且質朴にして、ただ消らず直截にあの象を看れば、便ち以て教化を垂示するに足れり。中古に到って、世事は漸漸に澆薄浮華して、光に象に靠るは已に人を教化し得ず。ゆえに爻辞卦辞は中古に興起す——ここに論ずる所は、説く所は《周易》なり。作者は自身すでに憂患に身処すれば、便ち法度を留めて後人に昭示して、好く後人をして憂患の事を防備せしむるを得。

吳氏澄曰:羲皇之《易》,有畫而已,三畫之卦雖有名,而六畫之卦未有名,文王始名六畫之卦,而繫之以辭,易道幾微,至此而復興也,卦名及辭,皆前此所未有,故不云述而云作,作《易》在羨里時,故云其有憂患乎,蓋於名卦而知其有憂患也,下文舉九卦之名,以見其憂患之意。

集説に呉澄の言を引く:伏羲の《易》は、ただ卦画のみある而已。三画の八卦はすでに名あるといえども、六画の六十四卦は却ってなお名なし。文王はやっと始めて六画の卦に命名を与えて、しかもそれに文辞を繫げ与えたり。《易》道は原已に衰微してほぼ断絶せんとして、ここの時に到ってやっと重新して興起せり。卦名と卦辞とはみな従前の有らざる所なり。ゆえに経文は「述」を説かずして「作」を説く。彼の《周易》を作るは羑里に囚わるる時候に在り。ゆえに「其れ憂患あらんか」という——正に彼の卦に命名する取意の上より、彼の心裏に憂患あるを看出だす。下文は九個の卦の名字を挙出するは、便ちこの份の憂患の用心を顕出せんと要するなり。

谷氏家傑曰:“憂患”二字,以憂患天下言,乃吉凶同患意,民志未通,務未成,聖人切切然為天下憂患之,於是作《易》,故《易》皆處憂患之道。 何氏楷曰:聖人之“憂患”者,“憂慮”天下之迷復也,乃其處困又何“憂患”焉,是故《易》者,所以“憂患”天下之“憂患”也。

集説に谷家傑の言を引く:「憂患」の両個の字は、天下の為に担憂するに就いて説きて、正に《上繫》の「吉凶は民と患を同じくす」の意思に合す。百姓の心志はなお打通せられず、天下の事業はなお成就せられず。聖人は懇切に天下の為にこの份の憂を担いて、ここに《周易》を作れり。ゆえに《周易》は通篇の講ずる所はみな憂患に身処する時の応付の道なり。集説に何楷の言を引く:聖人の憂患する所は、天下人の路を迷いて回頭を知らざるを憂慮するなり。彼の自己は困厄に身陷るに至っては、また何の憂患すべきあらんや。ゆえに曰く、《周易》は正にもって天下人の憂患を憂患する一部の書なり。

本義 履,禮也。上天下澤,定分不易,必謹乎此,然後其德有以為基而立也。謙者,自卑而尊人,又為禮者之所當執持而不可失者也。九卦皆反身修德以處憂患之事也,而有序焉。基所以立,“柄”所以持,復者心不外而善端存,恆者守不變而常且久,懲忿窒慾以修身,遷善改過以長善,困以自驗其力,井以不變其所,然後能巽順於理以制事變也。

ここに底本は経文を脱去せり(「是の故に《履》は徳の基なり、《謙》は徳の柄なり、《復》は徳の本なり、《恒》は徳の固なり、《損》は徳の修なり、《益》は徳の裕なり、《困》は徳の辨なり、《井》は徳の地なり、《巽》は徳の制なり」)、ただ注解のみ剩る。朱熹《本義》は解釈す:《履》はすなわち礼にして、上は乾天・下は兌沢にして、尊卑の名分は定まり死して移易すべからず。人は必ずここに於て謹慎して、然る後にその徳はやっと個の根基の立て住むべきあり。《謙》は自己を放低して別人を抬挙して、又だ礼を行う人の応当に把住して失掉すべからざる所なり。この九卦の講ずる所はみな身を反して徳を修めて以て憂患に応付する事にして、しかも先後に次第あり:「基」はもって立つるに用い、「柄」はもって握るに用う。《復》はこの心の外に向かい馳せずして善の苗头の留め住むを得るなり。《恒》は守り定めて変わらずして恒久持続するなり。《損》は忿怒を懲戒し・嗜欲を堵住して以て自身を修治するなり。《益》は善処に遷り・過失を改掉して以て善端を長養するなり。《困》は困厄を拿りて自己の力量を検験するなり。《井》は動かざるといえども始終あの位置を守住するなり。これらを做し到って、然る後にやっと能く理に柔順して種種の事変を裁断す。

集說 鄭氏康成曰:辨,別也,遭閒之時,君子固窮小人則濫,德於是別也。 干氏寶曰:柄所以持物,謙所以持禮者也。 《朱子語類》:問:“巽”何以為“德之制”?曰:巽為資斧,“巽”多作斷制之象,蓋“巽”字之義,非順所能盡,乃順而能入之義,是入細直徹到底,不只是到皮子上,如此方能斷得殺,若不見得盡,如何可以行權。

集説に漢代の鄭玄の言を引く:「辨」は分別の意思なり。困厄に遭逢するとき、君子は能く窮困に安守して、小人は便ち放肆して胡来す。徳行は便ちここに於て分辨し出だす。集説に干宝の言を引く:柄はもって東西を握住するに用い、《謙》は正にもって「礼」を握住するに用うなり。集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。《巽》は何がして「徳の制」と算するか。朱子は答えた:《巽》卦の九四に「其の資斧を得」の爻辞あり。《巽》は多く斧斤断制の象を取る。「巽」の字の意思は、光に一個の「順」の字を用いて講じ尽さず。それは順にして能く深入する意思なり——細細に鑽り入りて、一直に底に透き到りて、ただ表皮の上に停まるのみならず。かくの如くしてやっと断ずること干脆たり得。もし看ること透徹せざれば、また何ぞ能く権変を行わんや。

陸氏九淵曰:上天下澤,尊卑之義,禮之本也,經禮三百,曲禮三千,皆本諸此。 “履德之基”,謂以行為德之基也。基,始也。德,自行而進也。不行則德何由而積,有而不居為謙,謙者不盈也,盈則其德喪矣,常執不盈之心,則德乃日積,故曰“德之柄”。既能謙,然後能復,復者陽復,為復善之義,人性本善,其不善者遷於物也,知物之為害而能自反,則知善者乃吾性之固有,循吾固有而進德,則沛然無它適矣,故曰“復德之本也”。

集説に陸九淵の言を引く:上頭は天・下頭は沢なり。これがすなわち尊卑の名分にして、また礼の根本なり。《礼記》のいわゆる経礼三百条・曲礼三千条は、全てここより生出す。「徳の基を履く」は、践行を拿りて徳の根基と当作するを説く。「基」は開端にして、徳は践行に靠ってやっと長進す。践行し往かざれば、徳は何の処より積累し起さんや。徳ありて自己に居らざれば、これがすなわち謙なり。謙はすなわち自ら満たずにして、自ら満てば徳は便ち丟掉せられたり。常常に一顆の自ら満たざる心を持して、徳はやっと一天天に積累す。ゆえに《謙》は「徳の柄」という。能く謙なりて以後にやっと能く復す。「復」は陽気の回り来るにして、善に回帰する意思を取る。人性は本来善なるにして、不善ある所以は、外物に牽きて走らせられたるなり。外物の害あるを知りて能く己に反求せば、便ち善は原本我が本性の裏の固有の東西なるを明白す。自己の固有の東西に順って徳を進めば、便ち一瀉千里にして、再び別の処に跑り往く会せず。ゆえに《復》は「徳の本」という。

知復則內外合矣,然而不常則其德不固,所謂雖得之必失之,故曰“恆德之固也”。君子之修德,必去其害德者,則德日進矣,故曰“損德之修也”。善日積則寬裕,故日“益德之裕也”。不臨患難難處之地,未足以見其德,故曰“困德之辨也。”井以養人利物為事,君子之德亦猶是也,故曰“井德之地也”。夫然可以有為,有為者常順時制宜,不順時制宜者,一方一曲之士,非盛德之事也,順時制宜,非隨俗合汙,如禹稷顏子是已,故曰“巽德之制也”。

陸九淵は続けていう:「復」を懂れば、内と外とは便ち合して一片と成る。然るに能く持久せざれば、徳は便ち牢固ならず。正に《孟子》の説く所の得るといえども必ず失うなり。ゆえに《恒》は「徳の固」という。君子は徳を修むるに、必ずまずあの些の徳を妨害する東西を除掉して、徳はやっと一天天に進歩す。ゆえに《損》は「徳の修」という。善は一天天に積累すれば、胸襟は便ち寛綽有余なり。ゆえに《益》は「徳の裕」という。亲身に患難難処の境地に站り到らざれば、なお彼の徳の究竟如何なるを看出だし得ず。ゆえに《困》は「徳の辨」という。井は人を養活し・万物を利益するを本分と為す。君子の徳もまた正にこの様なり。ゆえに《井》は「徳の地」という。この一歩を做し到ってやっと以て作為あるべし。作為ある人は常常に時勢に順って合宜の弁法を斟酌す。能く時に順い宜に制する能わざるは、ただ一隅を守り・ただ一曲を執る人にして、盛徳の事と算するに足らず。いわゆる時に順い宜に制するとは、並びて波に随い流れに逐い・流れに同じく污れに合するにあらず。大禹・后稷と顔回のあの様なるこそやっと是なり。ゆえに《巽》は「徳の制」という。

陳氏琛曰:“德之基”,就積行上說;“德之本”,就心裡說,要當有辨,“德之固”,是得寸守寸,得尺守尺,“德之地”,則全體不窮矣,亦要有辨。 盧氏曰:基與地有別,基小而地大,基是初起腳跟,積累可由此而上,地是凝成全體,施用之妙,皆由此而出也。

集説に陳琛の言を引く:《履》の「徳の基」と為るは、践行の積累の上に就いて説き、《復》の「徳の本」と為るは、心地の上に就いて説く。両者は応当に分辨し清楚すべし。《恒》の「徳の固」と為るは、一寸を得れば便ち一寸を守住し・一尺を得れば便ち一尺を守住す。《井》の「徳の地」と為るは、則ち全副の本体は已に完足して用いて竭きざるなり。この両者もまた応当に分辨し清楚すべし。集説に盧氏の言を引く:「基」と「地」とは分別あるにして、基は小にして地は大なり。基は剛に站り穩めたるあの点の脚跟にして、往後の積累はみなここより往上に塁ぐ。地は已に凝聚して成形せる全体にして、一切の施用の妙処は、みなここより生発し出だす。

履和而至,謙尊而光,復小而辨於物,恆雜而不厭。損先難而後易,益長裕而不設,困窮而通,井居其所而遷,巽稱而隱。 本義 此如書之九德,禮非強世,然事皆至極,“謙以自卑”,而尊且光,復陽微而不亂於群陰,恆處雜而常德不厭,損欲先難,習熟則《易》,益但充長,而不造作,困身困而道亨,井不動而及物,巽稱物之宜而潛隱不露。

《繋辞下伝》の本文はいう:《履》は和順にして能く極処に到り、《謙》は自ら卑くして反って尊貴光明を顕し、《復》は微小の処より便ち外物を辨清し、《恒》は紛雑の裏に処して厭倦を生ぜず。《損》は起先は艱難にして後来は容易に、《益》はただ長養寛裕を管して刻意造作せず、《困》は窮厄に身処して道理は却って通達し、《井》は原処に守りて動かずして恩沢は能く遠処に到り、《巽》は称量すること恰当にして自己は潜隠して露せず。朱熹《本義》は解釈す:これはたとえば《尚書・皋陶謨》の裏に講ずる九徳の如し。礼は並びて世人を強迫せざるも、然るに每一件はみな極処に做し到れり。《謙》は自我卑下に靠って、反って又だ尊貴にして又だ光顕なり。《復》は一陽の初生して極めて微弱なるも、衆陰に攪乱せられず。《恒》は紛雑の事務の中に処して恒常の徳は厭倦を生ぜず。《損》は欲望を克制せんと要す。起頭は難く、習慣熟れれば便ち容易なり。《益》はただ充実長養して、並びて空に憑りて造作せず。《困》は身体は困頓して道理は反って亨通す。《井》は自己は動かずして恩沢は万物に及ぶ。《巽》は能く事物の宜しき所を称量して、自己は却って潜蔵して痕迹を露さず。

集說 韓氏伯曰:“和而不至”,從物者也,和而能至,故可履也,微而辨之,不遠 程子曰:“益長裕而不設”,謂固有此理而就上充長也,“設”是撰造也,撰造則為偽也。 《朱子語類》云:“稱而隱”,是巽順恰好底道理,有隱而不能稱量者,有能稱量而不能隱伏不露形跡者,皆非巽之道也,“巽德之制也”,“巽以行權”,都是此意。

集説に韓康伯の言を引く:一味に和順して極処に到らざるは、あれは人に随い転ずるなり。和順にしてまた能く極処に到る。ゆえにやっと以て践行すべし。極微の処に於て便ち分辨し清楚して、走ること遠からず——ここに底本に脱文あり。集説に程頤の言を引く:「益は裕を長じて設けず」は、この道理は本来便ち有るにして、ただ原有の基礎の上に充実長養するのみを説く。「設」は空に憑りて撰造して、空に憑りて撰造すれば便ち虚偽と成る。集説に《朱子語類》を引いていう:「称して隠なり」は、巽順の恰も好処に到る道理なり。ある人は能く隠蔵するも称量軽重する会せず、ある人は称量軽重する会するも蔵め住む能わず・痕迹を露す。これはみな《巽》の道理に合せず。いわゆる「巽の徳の制」、いわゆる「巽をもって権を行う」は、講ずる所はみなこの個の意思なり。

陸氏九淵曰:“履和而至”,兌以柔悅承乾之剛健,故“和”。天在上,澤處下,理之至極不可易,故“至”。君子所行,體履之義,故“和而至”。“謙尊而光”,不謙則必自尊自耀,自尊則人必賤之,自耀則德喪,能謙則自卑自晦,自卑則人尊之,自晦則德益光顯,“復小而辨於物”,復貴不遠,言動之微,念慮之隱,必察其為物所誘與否,不辨於小,則將致悔咎矣。

集説に陸九淵の言を引く:「履は和にして至る」を講ずるに、《履》卦は下兌上乾にして、兌は柔和喜悅をもって乾の剛健を承接す。ゆえに「和」と称す。天は上頭に在り・沢は下頭に在り。これは道理の極処にして、移易すべからず。ゆえに「至」と称す。君子の所作所為は、みな《履》のこの層の義理を體現す。ゆえに「和にして至る」という。「謙は尊にして光なり」を講ずるに、謙ならざる人は必定に自ら身价を抬げ・自ら炫耀す。自ら身价を抬げれば、別人は偏りて彼を看軽せんと欲し、自ら炫耀すれば、徳は便ち丟掉せられたり。能く謙なる人は自ら卑下に甘んじ・自ら鋒芒を斂す。自ら卑下に甘んぜば、別人は反って彼を尊敬し、自ら鋒芒を斂すれば、徳は反って一層光顕なり。「復は小にして物に辨ず」を講ずるに、「復」は走ること遠からずして回頭するを貴ぶ。言語挙動の上の一点の細微・念頭思慮の裏の一点の隠微は、必ず須くそれの外物に勾引せられたるや否やを察看すべし。細小の処に於て分辨を加えざれば、将来は便ち悔恨と咎害を招致せん。

“恆雜而不厭”,人之生,動用酬酢,事變非一,人情於此多至厭倦,是不恆其德者也。能恆者雖雜而不厭,“損先難而後《易》”,人情逆之則難,順之則《易》,凡抑損其過必逆乎情,故“先難。”既損抑以歸於善,則順乎本心,故“後《易》”。“益長裕而不設”,益者遷善以益己之德,故其德長進而寬裕。設者,侈張也。

陸九淵は続けていう:「恒は雑にして厭わず」を講ずるに、人は一世を活きて、行動応用・迎来送往して、事情は千変万化す。人の常情はここに到れば大多は厭倦を生ぜんと要す。あれはすなわち《恒》卦の九三の説く所の「其の徳を恒にせざる」の人なり。能く恒を守る人は、事情は紛雑なるといえども厭倦を生ぜず。「損は先難にして後易なり」を講ずるに、人の常情は、それに逆えば便ち難く、それに順えば便ち容易なり。およそ自己の過失を抑制减損するは、必ず性情に逆って来るを要す。ゆえに「先難」という。すでに减損克制して善の上に帰すれば、便ち本心に順う。ゆえに「後易」という。「益は裕を長じて設けず」を講ずるに、いわゆる「益」とは、善処に遷りて以て自己の徳を增益するなり。ゆえに徳は日漸に長進して寛綽有余なり。「設」は虚勢を張り・鋪排誇大の意思なり。

有侈大不誠實之意,如是則非所以為益也。“困窮而通”,不修德者,遇窮困則隕穫喪亡而已,君子遇窮困則德益進,道益通。井居其所而遷,如君子不以道徇人,故曰“居其所”。而情施濟眾,無有不及,故曰遷巽。“稱而隱”,巽順於理,故動稱宜,其所以稱宜者,非有形跡可見,故“隱”。 案 “復小而辨於物”,陸氏蓋用韓氏之說,與朱子異,然朱子之義為精。

陸九淵は続けていう:「設」は鋪排誇大・不誠実の意味を帯ぶ。この様に為せば便ち「益」と為り成らず。「困は窮にして通ず」を講ずるに、徳を修めざる人は窮困に碰上すれば、ただ垂頭単気・一敗涂地に落得するのみ。君子は窮困に碰上すれば、徳は反って更に一層進み・道は反って更に一歩通ず。「井は其の所に居りて遷る」を講ずるに、たとえば君子は肯じて自己の道を拿りて別人に遷就せざるが如し。ゆえに「其の所に居る」という。而るに恩徳は施出して衆を済わすに、到らざる処なし。ゆえに「遷る」という(底本の「而情施済衆」の「情」は応に「徳」と当作し、「故曰遷巽」の「巽」の字は応に下句に属す)。「巽は称して隠なり」を講ずるに、理に柔順なれば、ゆえに一挙一動はみな宜しき所に称合す。而るにそれの能く宜しき所に称合する所以は、また形跡の以て看見すべきなし。ゆえに「隠」という。李光地の按:「復は小にして物に辨ず」の一句は、陸九淵は大概韓康伯の講法を沿用して、朱熹と一様ならず。過ぎず朱熹の解釈は更に精当なり。

履以和行,謙以制禮,復以自知,恆以一德,損以遠害,益以興利,困以寡怨,井以辨義,巽以行權。 本義 寡怨,謂少所怨尤。辨義,謂安而能慮。 此第七章,三陳九卦,以明處憂患之道。 集說 虞氏翻曰:禮和為貴,故“以和行”也,有不善朱嘗不知,故“自知”也,恆立不《易》方,故“一德”也。

《繋辞下伝》の本文はいう:《履》はもって行事を和順ならしめ、《謙》はもって礼数を節制し、《復》はもって己の過を自ら知り、《恒》はもって其の徳を専一にし、《損》はもって禍害を遠ざけ、《益》はもって利益を興起し、《困》はもって怨尤を减少し、《井》はもって義理を辨明し、《巽》はもって権変を施行す。朱熹《本義》は解釈す:「怨を寡くす」は怨恨責怪の少なきを説き、「義を辨ず」は安穏に身処して能く長遠を思慮するを説く。原書はここに注明す:以上は第七章にして、三次にこの九個の卦を列挙して、もって憂患に身処する時の応付の道を説明す。集説に虞翻の言を引く:《論語》は「礼の用は和を貴ぶと為す」と講ず。ゆえに「以て行を和にす」という。《復》卦は顔子の不善あれば未だ嘗て自ら知らざるなしを講ず(底本の「朱嘗」は応に「未嘗」と当作す)。ゆえに「以て自ら知る」という。《恒》卦の《大象伝》は「立てて方を易えず」と講ず。ゆえに「以て徳を一にす」という。

歐陽氏修曰:君子者天下繫焉,一身之損益,天下之利害也,君子之自損,忿欲耳,自益,遷善而改過耳,然而到其忿欲者,豈止一身之損哉,天下有被其害矣,遷善而改過,豈止一身之益哉,天下有蒙其利矣。

集説に欧陽脩の言を引く:君子は天下の安危の繋がる所の人にして、彼の一身の損と益とは、すなわち天下の利と害なり。君子の自己の减損せんと欲する所は、過ぎず忿怒と嗜欲而已。自己の增益せんと欲する所は、過ぎず善処に遷り・過失を改掉する而已。然るに一旦あの份の忿怒嗜欲を放縦せば、何ぞただ彼の一身の損失のみならんや。天下はみなその害を受けん。而るに善に遷り過を改むるも、また何ぞただ彼の一身の収益のみならんや。天下はみなその利を蒙受せん。

《朱子語類》:問:“巽以行權”,“權”是逶迤曲折以順理否?曰:然。“巽”有人之義,巽為風,如風之人物,只為巽便能人,義理之中,無細不入,又問“巽稱而隱”,隱亦是人物否。曰:“隱”便是不見處。 又云:見得道理精熟後,於物之精微委曲處,無處不入,所以說“巽以行權”。 又云:“兌見而巽伏”,“權”是隱然作底事物,若顯然地作,卻不成行權。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「巽をもって権を行う」の「権」は、委婉曲折に道理に順応し往くを是とするか。朱子は答えた:是なり。「巽」は「入」の意思あり(底本のこの段の几処の「人」の字はみな応に「入」と当作す)。巽は風と為す。たとえば風の万物の裏に吹き入るが如し。正に巽なるがゆえに、ゆえに能く鑽り入り得て、義理の当中の再び細なる処もまた入り得。「巽は称して隠なり」の「隠」も、また物の裏に鑽り入るかと問う。朱子は答えた:「隠」はすなわち看見し得ざる処なり。朱子はまたいう:道理を看ること精熟したる後、事物のあの些の精微曲折の処に、入り得ざる一処なし。ゆえに「巽をもって権を行う」という。又いう:《説卦》は「兌は見え巽は伏す」と講ず。「権」は暗中に做る事なり。もし明摆きて做し往かば、便ち権を行うと算するに足らず。

陸氏九淵曰:“履以和行”,行有不和,以不由禮故也,能由禮,則和矣。“謙以制禮”,自尊大則不能由禮,卑以自牧,乃能自節制以禮。“復以自知”,自克乃能復善, 王氏應麟曰:“復以自知”,必自知然後見天地之心,“有不善未嘗不知”,自知之明也。

集説に陸九淵の言を引く:「履は以て行を和にす」を講ずるに、行事に和順ならざる処あるは、礼に依って走らざるによりてなり。能く礼に依って走れば、自然に便ち和順なり。「謙は以て礼を制す」を講ずるに、自高自大の人は便ち礼に依って行う能わず。ただ身段を放低し・卑下をもって自ら養うのみ、やっと能く礼を拿りて自己を節制し得。「復は以て自ら知る」を講ずるに、能く自己を克制してやっと能く善の上に回る——ここに底本に脱文あり、陸九淵の言は終わらず。集説に王応麟の言を引く:「復は以て自ら知る」を講ずるに、必ずまず自ら知りて然る後にやっと能く天地生生の心を看見す。《繋辞》は顔子の「不善あれば未だ嘗て知らざるなし」を説く。あれは正に自ら知るの明徹なり。

何氏揩曰:以,用也。履者,禮也。用禮以約之,而制作始和,此履所以為“德之基”也,所貴乎禮者以其為德之品節也,然唯讓為禮之實,不讓不為禮,故用“謙以制之”,此謙所以為“德之柄”也。 總論 項氏安世曰:此章亦論彖辭,凡彖辭之體,皆先釋卦名,次言兩卦之體,末推卦用,故此章之序亦然,以為觀彖者之法也。

集説に何楷の言を引く(底本の「何氏揩」は応に「何氏楷」と当作す):ここの「以」はすなわち「用」なり。《履》はすなわち礼にして、礼を用いて自己を約束せば、定める所の種種の規矩はやっと始めて和順なり。これがすなわち《履》の「徳の基」と称する所以の縁故なり。礼の可貴は、それは徳の等級節度なるに在り。然るに唯だ謙譲のみがやっと礼の実質にして、謙譲せざれば便ち礼と算するに足らず。ゆえに《謙》を用いてそれを節制するを要す。これがすなわち《謙》の「徳の柄」と称する所以の縁故なり。総論に項安世の言を引く:本章もまた彖辞を討論す。およそ彖辞の体例は、みなまず卦名を解釈し、其次に上下両体の卦徳を説き、最後にこの一卦の用処を推出す。ゆえに本章の三次に九卦を列挙する次序もまたかくの如くして、もって彖辞を看る人の為に個の法式を立つるなり。

胡氏炳文曰;上經自《乾》至《履》九卦,下經自《恆》至《損》、《益》亦九卦,上經《履》至《謙》五卦,下經《益》至《困》、《井》亦五卦。 上經《謙》至《復》又九卦,下經《井》至《巽》又九卦,上經自《復》,而後八卦而為下經之《恆》,下經自《巽》而《未濟》,亦八卦《復》為上經之《乾》,上下經對待,非偶然者。 葉氏良佩曰:此章二陳九卦,專言卦也,《易》道屢遷一章,專言爻也。

集説に胡炳文の言を引く:上経は《乾》より往下に九卦を数えて正に《履》に到り、下経は《恒》より往下に九卦を数えて正に《損》に到り、《損》の後は緊接して便ち《益》なり。上経は《履》より往下に五卦を数えて正に《謙》に到り、下経は《益》より往下に五卦を数えて正に《困》に到り、《困》の後は緊接して便ち《井》なり。上経は《謙》より往下に九卦を数えて又だ《復》に到り、下経は《井》より往下に九卦を数えて又だ《巽》に到る。上経は《復》より往後に八卦を数えて、正に下経の《恒》なり。下経は《巽》より《未済》に数え到りて、再び接して上経の《乾》に回るも、また正に八卦の一転なり。上下の両経はこの様に彼此相対応し・両々相当す。決して偶然に凑合し出だせるにあらず。集説に葉良佩の言を引く:本章は両番にこの九個の卦を陳説して、専ら講ずる所は卦なり(本章の末尾は原「三陳九卦」と作る。葉氏のここは「二陳」と作る。応に伝写の異ならん)。下一章は「《易》道は屢遷す」を講じて、専ら講ずる所は爻なり。

案 此上二章,申象之動乎內,而吉凶見乎外也。六十四卦之象,皆以乾坤交錯而成,中涵天地變化之道,鬼神微妙之德,是所謂“動乎內者”也,及聖人命之以名,繫之以辭,於是吉凶之義昭然見矣。

李光地の按:以上の両章は、第一章の「爻象は内に動き、吉凶は外に見る」のあの両句を申説したるなり。六十四卦の卦象は、みな乾坤の両卦の交錯して成れるに由りて、裏頭に天地変化の道理・鬼神微妙の徳性を涵えたり。これがすなわちいわゆる「内に動く」の東西なり。聖人のそれに名を命じ・辞を繫げ与えるに及んで、ここに吉と凶の義理はやっと明明白白に顕現し出だす。これがすなわちいわゆる「外に見る」なり。

六十四卦之名,或曰伏羲所命,或曰文王所命,蓋自夫子之時而已疑也,但以其所取事類觀之,知其非上古淳質時所有,則為文王命名,可以理推,“名當”,則卦爻之物可辨,因“正言”其是非,而吉凶之辭可斷,向之“體天地之撰”,而有以“彰往察來”,“通神明之德”,而有以“微顯闡幽”者,至是而大備矣,“名雜而不越”,故所稱者小而義則大,彖所以發其蘊也,故寓意深遠而辭則文,指遠辭文,故言雖“曲而中”,名小類大,故事雖“肆而隱”,蓋由於世衰民疑,而將以濟其行,故非探賾索隱,無以盡其變也,非周事體物,無以恬其心也,夫吉凶者失得之報而已矣,故下九卦遂言聖人之所處,以示觀彖之例。

李光地は続けていう:六十四卦の卦名は、ある人は伏羲の定めたる所と説き、ある人は文王の定めたる所と説く。孔子のあの時より起って已に存疑せられたり。ただそれらの取る所の事類に就いて看れば、あれは上古の淳厚質朴の時代の能く有る所にあらざるを知る。すなわち文王の命名と断ずるは、以て理に拠りて推し出だすべきなり。卦名は恰当なれば、卦爻の中に含む物象は便ち辨え清め得。これに拠って是非を説き端正せば、吉凶の断語もまた便ち下し出だし得。従前のいわゆる「天地の撰を体す」にして能く「往を彰かにし来を察す」、いわゆる「神明の徳に通ず」にして能く「微顕闡幽」は、ここに到って便ち大いに完備せり。名目は雑なるといえども界限を出でざれば、ゆえに標挙する所は小にして含義は却って大なり。彖辞はもってその中の藴蔵する所を発揮するに用う。ゆえに意を寄せること深遠にして文辞は条理あり。意旨は深遠にして文辞は講究あれば、ゆえに話は曲折なるも切中す。名目は小にして門類は大なれば、ゆえに事は鋪陳して開けるも又だ含蓄あり。これら一切はみな世道の衰乱・民心の疑惑に由りて、聖人はそれを用いて百姓の行事を幇助せんと要す。ゆえに幽深を探究せず・隠微を捜求せざれば、便ちその変化を窮尽し得ず。事情に周遍せず・万物を体察せざれば、便ち人心を安んずるに由なし(底本の「以て其心を恬る無し」の「恬」は応に「惬」と当作す)。吉凶は過ぎず失と得の報応而已。ゆえに下文の九卦は接続して聖人の憂患に身処する時の自処の法を講じて、もって彖辞を看る通例を昭示す。

繋辞下伝 第八章

《易》之為書也,不可遠。為道也屢遷,變動不居,周流六虛。上下無常,剛柔相易,不可為典要,唯變所適。 本義 遠,猶忘也。周流六虛:謂陰陽流行於卦之六位。

《繋辞下伝》の本文はいう:《周易》のこの書は、一刻も離るるを得ざるなり。それの講ずる所の道理は屢々に遷移して、変動して一処に停留せず、周遍流転して六個の空位に於てす。上下は一定なく、剛柔は互いに交換して、能くそれを拿りて固定の成法条例と当作すべからず。ただ変化に随いて何れの処に走到するも算する而已。朱熹《本義》は解釈す:「遠」はすなわち忘の意思にして、《周易》は須臾も忘懐すべからざるを説く。「六虚を周流す」は、陰陽は一卦の六個の爻位の上に流転して定まらざるを説く。

百五十四贊當晝,三百五十四贊當夜,晝底吉,夜底凶,吉之中又自分輕重,凶之中又自分輕重,《易》卻不然,有陽居陽爻而吉底,又有凶底,有陰居陰爻而吉底,又有凶底,有有應而吉底,有有應而凶底,是“不可為典要”之書也,是有那許多變,所以如此。

ここに底本はこの条の出処と開頭を脱去せり(応に《朱子語類》の揚雄《太玄》を拿りて《周易》と対比する一段の話なるべし。引く所の賛数もまた訛脱あり。《太玄》は原七百二十九賛にして、三百六十四賛半は白昼に配し・三百六十四賛半は夜晚に配す)。あの段の話はいう:《太玄》は若干の賛を白昼に配し・若干の賛を夜晚に配して、白昼に配するは便ち吉にして、夜晚に配するは便ち凶にして、吉の裏頭にまた軽重を分かち、凶の裏頭にまた軽重を分かつ。一切はみな死死死に排せられたり。《周易》は却ってこの様にあらず。陽爻の陽位に居りて吉なるあり、陽爻の陽位に居りて凶なるもあり。陰爻の陰位に居りて吉なるあり、陰爻の陰位に居りて凶なるもあり。上下の相応じて吉なるあり、上下の相応じて凶なるもあり。ゆえにそれは一部の「典要と為すべからず」の書なり——正に裏頭にあの許多の変化あるによりて、やっとかくの如し。

蔡氏淵曰:屢遷,謂為道變通而不滯乎物,自“《易》之為書”至“屢遷”,此總言為書為道,以起下文之意也。自“變動不居”至“唯變所適”,言《易》道之屢遷也。 不居,猶不止也。六虛,六位也。位未有爻曰“虛”,卦雖六位,而剛柔爻畫往來如寄,故以“虛”言。或自上而降,或由下而升,上下無常也,柔來文剛,分剛上而文柔,剛柔相《易》也。典,常也。要,約也。其屢變無常不可為典要,唯變所適而已。

集説に蔡淵の言を引く:いわゆる「屢遷」は、それは道理と為して能く変通して某一件の事物の上に粘滞せざるを説く。「《易》の書と為る」より「屢遷」に到るまで、総じてこの書・この道を説いて、もって下文を引出す。「変動して居らず」より「唯だ変の適く所」に到るまで、講ずる所は便ち《易》道の屢々遷移するなり。「居らず」はすなわち停留せざるなり。「六虚」はすなわち六個の爻位——位の上にまだ爻画を落し下らざるときは「虚」と称し、一卦は六個の位あるといえども、而るに剛柔の爻画はその裏頭に来たり往たりして、借住するが如し。ゆえに「虚」の字を用いてそれを説く。あるは上頭より降り下り、あるは下頭より昇り上る。これがすなわち「上下常なし」なり。《賁》卦の説く所の柔は来りて剛を文飾し・剛を分かちて上って柔を文飾するが如く、これがすなわち「剛柔相易」なり。「典」は常法にして、「要」は綱約なり。それは屢々変動して定准なければ、能く固定の成法条例と当作すべからず。ただ変化に随いて何れの処に走到するも算する而已。

吳氏曰慎曰:“不可為典要”,變無方也,既有典常,理有定也,故曰《易》者變:《易》也,不《易》也。 其出入以度,外內使知懼。 本義 此句未詳,疑有脫誤。 集說 韓氏伯曰:明出入之度,使物知外內之戒也。

集説に呉曰慎の言を引く:「典要と為すべからず」と説くは、それの変化に一定の方所なきを講ず。下文はまた「すでに典常あり」と説くは、それの道理は自ら一定あるを講ず。ゆえに「易」のこの字は兼ねて両義を含むと説く:すでに変易にして、又だ不易なり。《繋辞下伝》の本文は続けていう:それの出と入とはみな法度ありて、外と内とはみな人をして敬畏を知らしむ。朱熹《本義》は解釈す:この一句は意思明白ならず、脱漏錯訛あるを疑う。集説に韓康伯の言を引く:出入の法度を講明して、人をして外に対し内に対し各々各々の戒惧あるを知らしむ。

潘氏夢旂曰:《易》雖“不可為典要”,而其出入往來,皆有法度,而非妄動也,故卦之外內,皆足以使人知懼。 蔡氏清曰:卦爻所說者,皆利用出入之事,其出入也,皆必以其法。法者,事理當然之則也,使人人而在內,出而在外,皆知有法而不敢妄為,是使知懼也,知懼必以度。

集説に潘夢旂の言を引く:《周易》は「典要と為すべからず」といえども、然るにそれの出たり入ったり・来たり往たりはみな法度ありて、並びて胡乱に変動するにあらず。ゆえに一卦の外体内体は、みな以て人の心に敬畏を生ぜしむるに足る。集説に蔡清の言を引く:卦辞爻辞の講ずる所は、みな施用に利し・出あり入ありの事にして、而るにそれの出入は必定にみな法に依る。いわゆる法とは、すなわち事理の上の当然の準則なり。人をして入るときは内に在り・出るときは外に在りて、みな法の循ぶべきあるを知りて乱来を敢えてせざらしむ。これがすなわち「惧を知らしむ」なり。而るに能く惧を知る所以は、正に凡事にみな法度の依るべきあればなり。

又明於憂患與故,無有師保,如臨父母。 本義 雖無師保,而常若父母臨之,戒懼之至。 集說 虞氏翻曰:“神以知來”,故明憂患,“知以藏往”,故知事故。 蘇氏軾曰:憂患之來,苟不明其故,則人有苟免之志而怠,故易明憂患,又明其所以致之之故。

《繋辞下伝》の本文は続けていう:それはまた憂患および憂患を招来する縁故を講くこと明白にして、それを読む人は身辺に師傅保傅なきといえども、却って父母の眼前に在るが如し。朱熹《本義》は解釈す:師保の管束なきといえども、却って常常に父母の親臨するが如し。これは戒惧の極処に到れるなり。集説に虞翻の言を引く:《上繫》は「神をもって来を知る」を講ず。ゆえに能く将来の憂患を講くこと明白なり。「知をもって往を蔵す」を講ず。ゆえに能く過往の事故縁由を知る。集説に蘇軾の言を引く:憂患は来れば、もしその縁故を弄清せざれば、人は便ち僥倖に躲過せんの心思を存して懈怠し下らん。ゆえに《周易》はすでに憂患を講明して、また憂患を招致する縁故を講明す。

朱氏震曰:又明於己之所當憂患,與所以致憂患之故,無有師保教訓而嚴憚之,有如父母親臨而愛敬之,見聖人之情也。 趙氏振芳曰:不特使人知懼,又明於憂患,與所以致憂患之故,諄諄然與民同患,與民同憂,不止如師保之提命,且直如父母之儼臨行,故不虛行也。

集説に朱震の言を引く:それはまた自己の応当に憂患すべき事および憂患を招致する縁故を、みな講くこと明明白白なり。師傅保傅の旁に在りて教訓して人をして畏憚せしめるなきといえども、却って父母の身辺に親臨して人をしてまた愛しまた敬わしむるが如し——ここより聖人の一片の心腸を看出だし得。集説に趙振芳の言を引く:それはただ人をして敬畏を知らしむるのみならず、また憂患および憂患を招致する縁故を講くこと明白にして、諄諄懇懇として百姓と憂患を同じく担い・憂愁を同じく分かつ。これは便ちただ師保の旁に在りて耳提面命するに如くのみならず、直ちに父母の庄然として親臨するに同じからん。ここに底本に脱文ありて、経文「初め其の辞に率い而して其の方を揆すれば、すでに典常あり、苟も其の人にあらざれば、道は虚しく行われず」を脱去して、ただ「故に虚しく行われざるなり」の几個の字のみ留む。

孔氏穎達曰:雖千變萬化,“不可為典要”,然循其辭,度其義,原尋其初,要結其終,皆“唯變所適!”是其常典也。 邵子曰:既有典常,常也,不可為典要,變也。

集説に孔穎達の言を引く:《周易》は千変万化して「典要と為すべからず」といえども、然るにその辞に順い・その義を揣度して、その開頭を追溯し・その収梢を総結すれば、みな「唯だ変の適く所」のこの一句より外ならず——この一句は本身すなわちそれの恒常不変の法典なり。集説に邵雍の言を引く:経文は「すでに典常あり」と説くは、「常」を講ず。「典要と為すべからず」と説くは、「変」を講ず。一部の《周易》は、常と変の両面はみなその裏頭に在るなり。

總論 項氏安世曰:此章專論《易》之爻辭, “《易》之為書也,不可遠,為道也屢遷”二句,一章大指,自“變動不居’至“唯變所適”,言“屢遷”也,愛之無所不至,慮之無所不周,故訓之無所不切也。

総論に項安世の言を引く:本章は専ら《周易》の爻辞を討論す。「《易》の書と為るや、遠ざるべからず。道と為るや屢遷す」のこの両句は、一章の総綱なり。「変動して居らず」より「唯だ変の適く所」に到るまで、講ずる所は「屢遷」なり——ここに底本に脱文あり。項安世は最後にいう:聖人の後人を愛護するに至らざる処なく、後人の為に思慮するに周全ならざる処なし。ゆえにその訓誡もまた一句として貼切ならざるなし。

案 “無有師保,如臨父母”,朱氏趙氏之說甚善,蓋上文言“出入以度”,則人知畏懼,嚴憚之如師保,及觀其示人憂患之故,懇切周盡,使聞之者,不知嚴憚而但感其慈愛,此聖人之情,所以為至也。

李光地の按:「師保なしとも、父母に臨むが如し」のこの両句は、朱震と趙振芳の解釈は極めて好し。上文は「出入は度をもってす」を講じて、人はこれに由りて畏惧を知り、敬畏すること身辺に師傅保傅あるが如きを説く。《周易》の憂患の縁由を人に指点するを看見するに及んで、あの様に懇切・あの様に周詳なれば、聴く人は便ち再びただ敬畏を覚ゆるのみならずして、ただあの份の慈愛を感受するのみ。聖人の一片の心腸の以て極致と称するに足る所以は、正にここに在るなり。

繋辞下伝 第八章(続)

無有者,非無師保也,人之意中,“無有師保”也。

集説のこの条は上文に接続して「師保なし」の四字を解釈す:いわゆる「なし」は、並びて天下に当に「師保」(天子を輔導し・人君を匡正する師傅と太保。ここは外在の督責管束を借指す)なきを説くにあらずして、説く所は《易》を読む人は已に《周易》の告誡を父母の如く親切の叮嚀と当成して、主観の感受の上は髣髴として「師保の旁辺に在りて盯着するなし」にして、其の実は心裏の敬畏は一刻も曽て松懈せざるなり。

初率其辭,而揆其方,既有典常,苟非其人,道不虛行。

《繋辞下伝》はいう:起初は卦爻辞の字面に順いて循求し、再びこれに拠ってそれの指向する所の義理の方向を揣度せば、便ち《周易》は変動して居らざるといえども、却って自ら一套の恒久の「典常」(常規常法)ありて在るを発見す。然るにもしこの道を体会し得るあの人なかれば、道理は終究は空に憑りて自ら世に流布する会せざるなり。

本義 方,道也。始由辭以度其理,則見其有典常矣,然神而明之,則存乎其人也。此第八章。

朱熹《本義》はいう:「方」はすなわち道理なり。一开始は卦爻辞に由りてその中の義理を揣度せば、便ち《周易》の自ら「典常」あるを看出だし得。「神にして之を明らかにす」に至っては——これらの死したる条文を融会以て貫通し・千変万化の事情の上に灵活运用する——あれは便ち全く《易》を用うるは何人なるかを看る而已。以上は《繋辞下伝》の第八章なり。

集說 虞氏翻曰:“其出入有度”,故“有典常”,“神而明之,存乎其人”,“不言而信”,謂之德自“出入以度”至“道不虛行”,言“不可遠”也,唯其屢遷,故虛而無常,“不可為典要”,唯其不可遠,故有度有方有典有常,而不可虛,方其率之也,則謂之辭,及其行之也,則謂之道,辭之所指,即道之所遷也,人能循其不可遠之理,則屢遷之道得矣。

集説に三国呉人の虞翻の言を引く:正に《周易》の講ずる所の出入進退にみな法度あるによりて、ゆえにやっと「典常あり」。而るに「神にして之を明らかにするは、其人に存す」は、能く言説を待たずして人自ら信服するを做し到れば、これを便ち徳と呼ぶ。「出入は度をもってす」より一直に「道は虚しく行われず」に到るまで、講ずる所はみな《易》道の「遠ざるべからず」(片刻も離るるを得ず)のこの層の意思なり。唯だその卦爻の義の「屢遷」(一再に遷移変換する)なるによりて、ゆえに空霊にして定准なきを顕す。これがすなわち「典要と為すべからず」(能く一成不変の固定条例と当成して死守すべからず)なり。また唯だその片刻も離るるを得ざるによりて、ゆえにまた法度あり・方向あり・典章あり・常規ありて、並びて真に一片の虚空にあらず。人はそれに循って推求するときに当たっては、「辞」と呼ばる。それに照らして実行するときに及んでは、便ち「道」と呼ばる。卦爻辞の指向する所は、正に道の遷移し到る所なり。人は能くこの片刻も離るるを得ざる道理に順って做し往かば、すなわち屢々遷移する《易》道もまた便ち手裏に掌握し到れり。

繋辞下伝 第九章

《易》之為書也,原始要終,以為質也。六爻相雜,唯其時物也。

《繋辞下伝》はいう:《周易》のこの書は、一卦の開端を推原し・一卦の結局を総括して、この首尾貫通の整体を用いて以て卦の本体を構成す。一卦の当中の六爻の錯雑相間するに至っては、すなわちただ各爻の値する所の時機・象る所の事物を看て定まる而已。

本義 質謂卦體,卦必舉其始終而後成體,爻則唯其時物而已。

朱熹《本義》はいう:「質」の指す所は一卦の本体なり。一卦は必ずその開端と結局とをみな包挙し入れて、然る後にやっと一個の完整の卦体と為り成る。爻に至っては、則ち過ぎず各自の値する所の時機・象る所の事物に随って義を立つる而已。

集說 韓氏伯曰:質,體也。卦兼始終之義也。孔氏穎達曰:物,事也。一卦之中,六爻交相雜錯,唯各會其時,各主其事。

集説に晋人の韓康伯の言を引く:「質」はすなわち本体にして、一卦は兼ねて開端と終結の両頭の意義を含む。又引く唐人の孔穎達の言に:「物」はすなわち事情なり。一卦の中に六爻は彼此交錯混雑して、各自はただ自己の値するあの時機に契合し往き、各自はただ自己の当たる所のあの件の事情を主管す。

吳氏澄曰:質謂卦之體質,文王原卦義之始,要卦義之終,以為卦之體質,各名其卦而繫彖辭也,爻之為言交也,周公觀六位之交錯,唯其六爻之時,各因其義而繫爻辭也,此章言六爻,而六爻統於彖,故先言彖,乃說六爻也。谷氏家傑曰:此章雖兼卦爻,實以卦引起爻,專重在爻上。

集説に元人の呉澄の言を引く:「質」は一卦の体質を指す。文王は一卦の卦義の開端を推原し・一卦の卦義の結局を総括して、もってこの一卦の体質を構成して、ここに分別に各卦に命名して彖辞を繫げ与う。「爻」のこの字の意思はすなわち交にして、周公は六個の爻位の彼此交錯する情形を観察して、ただ六爻の各自の値する所の時機に就きて、各自の義理に依って爻辞を繫ぐ。本章は本来六爻を講ずるなれども、六爻は彖辞に統摂せらる。ゆえにまず彖を説きて、再び六爻を説く。又引く明人の谷家傑の言に:本章は卦と爻を兼説するといえども、其の実は卦を借りて爻を引出すにして、分量は専ら爻の上に落つ。

何氏楷曰:此章統論爻畫,而歸重於彖辭,說《易》之法,莫備於此,《易》之為書綱紀在卦,卦必合爻之全而後成卦,一畫不似,便成他局,聖人之繫卦為之推原其始,要約其終,彌綸全卦之理,如物之有體質,至於繫爻,則唯相其六位之時而導之宜,因其陰陽之物而立之像,然其大指,要不過推演彖辭之意。

集説に明人の何楷の言を引く:本章は爻画を総論して、而るに分量を彖辞の上に帰す。《周易》を講解する方法は、ここより完備なるはなし。《周易》の一書の綱紀は卦に在りて、卦は必ず六爻の全を合せてやっと卦を成す。その中の一画合せざれば、便ち別の一個の局面と変ず。聖人は卦に辞を繫ぐるは、それの為に開端を推原し・結局を総括して、全卦の道理を弥縫統貫して、たとえば一件の東西にその体質あるが如し。爻に辞を繫ぐるに至っては、すなわちただ六個の爻位の各自の値する所の時機を審視してそれの宜しき所に導いて、それの陰陽の性質に依ってそれの為に象を立つる而已。然るに爻辞の大旨は、帰根到底は過ぎず彖辞の意思を推演するに在り。

其初難知,其上易知,本末也。初辭擬之,卒成之終。本義 此言初上二爻。

《繋辞下伝》はいう:一卦の初爻は看り清らかにし難く、上爻は看り清らかにし易し。一は根本にして一は末梢なるによりてなり。初爻の爻辞はただ事情の開端を揣擬するのみにして、上爻に到っては、事情はやっと最終に完成して結局を有す。朱熹《本義》はいう:この両句の講ずる所は初・上の両爻なり。

集說 干氏寶曰:初擬議之故難知,卒終成之,故易知,本來勢然也。孔氏穎達曰:“初辭擬之”者,復釋“其韌難知”也,以初時擬議其始,故“難知”也,“卒成之終”者,復釋“其上易知”也,言“上”是事之卒了,而成就終競,故“易 吳氏澄曰:“初”與“終”為對,“擬之”與“卒成之”為對,兩句文法,顛倒相互。

集説に晋人の干宝の言を引く:初爻はただ揣擬商議するのみ。ゆえに知り難し。上爻は最終に完成す。ゆえに知り易し。事情の本来の勢いは便ちかくの如し。又引く孔穎達の言に:「初め辞を拟す」の一句は、「其の初は知り難し」を再び解釈す。初のときはただ事情の開端を揣擬商議するのみなるがゆえに、「知り難し」なり。「卒して之を終る」の一句は、「其の上は知り易し」を再び解釈す。「上」は事情の弁じ畢りて・終局の已に成就せるなり。ゆえに「易」——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に呉澄の言に接続す。呉澄はいう:「初」と「終」とは相対し、「之を拟す」と「之を卒成す」とは相対して、この両句の話の文法は顛倒交互して説くなり。

案 講家以難知易知屬學《易》者,“擬之”“卒成”屬作《易》者,然聖人作易六爻之條理,揮成於心,豈有難易哉,故“初辭擬之”“卒成之終”兩句,是申上兩句,皆當屬學《易》者說。

李光地の按:《易》を講ずる人は「知り難し」「知り易し」を学《易》の人の身上に帰し、「之を拟す」「卒成」を《易》を作る聖人の身上に帰す。然るに聖人の《易》を作るとき、六爻の条理は早已に胸中に揮灑して成れるに、何ぞなお難と易の分別あらんや。ゆえに「初め辞を拟す」「卒して之を終る」のこの両句は、上面の両句を承接して以て申説を加えて、みな応当に学《易》の人の一辺に帰して講ずべし。

若夾雜物撰德,辯是與非,則非其中爻不備。本義 此謂卦中四爻。

《繋辞下伝》はいう:各爻の象る所の事物を錯綜参合し・各爻の具える徳性を体察して、従ってその中の是と非を分辨せんと要せば、すなわち中間の几爻に靠らざれば完備し得ず。朱熹《本義》はいう:ここの論ずる所は、一卦の当中の二・三・四・五のこの四爻なり。

案 “雜”字“撰”字“辨”字,亦當屬學《易》者。說“雜”者,參錯其貴賤上下之位也。撰者,體察其則柔健顆之德也,德位分而是非判矣。辨者,剖別之於象,以考驗之於辭也。

李光地の按:「雑」の字・「撰」の字・「辨」の字も、またみな応当に学《易》の人の一辺に帰して講ずべし。いわゆる「雑」は、各爻の貴賤上下の位次を交錯して参看するなり。いわゆる「撰」は、各爻の剛柔健順の徳性を体察するなり(底本のここは「則柔健顆」と作る。字に訛誤あり)。徳性と爻位とは一分辨し清楚せば、是非もまた便ち判然として見るべし。いわゆる「辨」は、まず卦象の上に剖分辨別して、再び卦爻辞を拿来して以て印証考核を加うるなり。

噫!亦要存亡吉凶,則居可知矣。知者觀其彖辭,則思過半矣:本義 彖統論一卦六爻之體。

《繋辞下伝》はいう:噫。一卦の存亡吉凶の大要を総括せんと欲せば、すなわち家中に安坐してもまた以て推知すべし。見識ある人はただ一卦の彖辞を看れば、全卦の義理に対して便ち已に一多半を領会せり。朱熹《本義》はいう:彖辞は一卦の六爻の整体を総論するなり。

集說 蘇氏軾曰:彖者,常論其用事之爻,故觀其彖,則其餘皆彖爻之所用者也。吳氏澄曰:章首第一句言彖,第二句總言六爻,此一節又總言六爻而歸重於彖,蓋為結語與章首起語相始終。

集説に宋人の蘇軾の言を引く:彖辞は通常是れ一卦の中に当権用事するあの一爻に就いて論を立つ。ゆえに彖辞を看れば、其余の各爻はみな過ぎずこの当権の爻の役使する対象而已。又引く呉澄の言に:本章の開頭の第一句は彖を講じ、第二句は六爻を総講す。この一節は又だ六爻を総講して分量を彖の上に帰す。正に結語をして開頭の起語と首尾相呼応せしめんと要するなり。

案 彖辭之繫,文王蓋統觀六爻以立義者,如《屯》則以初為侯,《蒙》則以二為師,《師》則以二為將,《比》則以五為君,其義皆先定於彖,爻辭不過因之而隨爻細別耳,其爻之合於卦義者吉,不合於卦義者凶,故彖辭為綱領,而爻其目也,彖辭為權衡,而爻其物也,總之於綱,則目之先後可知,審之於權衡,則物之輕重可見,夫子彖傳,既參錯六爻之義以釋辭,示人卦爻之不相離矣,於此又特指其要而切言之,讀《易》之法,莫先於此。

李光地の按:彖辞の繋属は、文王の六爻を通観したる後にやっとその義を立定せるなり。たとえば《屯》卦は初九をもって諸侯と為し、《蒙》卦は九二をもって師長と為し、《師》卦は九二をもって主将と為し、《比》卦は九五をもって君主と為すが如く、これらの義例はみな先に彖辞の裏に定まり下りて、爻辞は過ぎずこの定義を因襲して再び各爻に随って細く分別を加うる而已。およそ爻義の卦義に合するは便ち吉にして、卦義に合せざるは便ち凶なり。ゆえに彖辞は綱領にして、各爻はその条目なり。彖辞は権衡秤具にして、各爻は称量せらるる物件なり。大綱に総提すれば、条目の先後は便ち清楚なり。秤衡に於て之を審れば、物件の軽重は便ち顕現す。孔子は《彖伝》を作るに、已に六爻の義を参合錯綜して以て彖辞を解釈して、卦と爻とは分離すべからざるを人に昭示せり。ここにまた特にその中の要領を拈出して懇切に説き出だす。《易》を読む方法は、この一条より最も前頭に摆くべきはなし。

二與四,同功而異位,其善不同。二多譽,四多懼,近也。柔之為道,不利遠者。其要無咎,其用柔中也。本義 此以下論中爻,同功,謂皆陰位。異位,謂遠近不同,四近君,故“多懼”,柔不利遠,而“二多譽”者,以其“柔中”也。

《繋辞下伝》はいう:第二爻と第四爻とは功用相同にして爻位不同なり。因ってそれらの好処もまた一様ならず。二爻は多く称誉を得、四爻は多く戒惧あり。四爻の君位に逼近する縁故なり。柔順の道は、本来尊位より離るること遠きに利せず。二爻は却って能く差錯を出ださざるに帰す。それは柔を用いるも中を得る道なるによりてなり。朱熹《本義》はいう:ここより以下はみな中間の几爻を論ず。「同功」は二・四の同じく陰位に属するを指し、「異位」は二の遠・四の近の別あるを指す。四爻は君位に貼近す。ゆえに「惧多し」。柔は本来遠に居るに利せざるに、而るに二爻は反って「誉多し」。正にそれは「柔中」なるによりてなり。

集說 崔氏憬曰:此重釋中四爻功位所宜也,二四皆陰位,陰之為道,近比承陽,故“不利遠”矣,二遠陽雖則不利,其要或有無咎者,以柔居中,異於四也。蘇氏軾曰:近於五也,有善之名,而近於君則懼矣,故二之善宜著,四之善宜隱。

集説に唐人の崔憬の言を引く:この一段は中間の四爻の各々その功用と位次の宜しきに就いて言うを再び解釈す。二・四はみな陰位にして、陰の常道は近くに就きて陽爻に比附承奉するなり。ゆえに「遠きに利せず」という。二爻は陽爻より遠離するは説くは利せざるといえども、然るにそれの帰宿は却って或いは能く差錯を出ださず。それは柔をもって中に居りて、四爻と同じからざればなり。又引く蘇軾の言に:四爻は九五に貼近して、本来善を為すの名ありて、可も君位に靠近せば便ち戒惧を免れず。ゆえに二爻の善は顕露するに宜しく、四爻の善は隠蔵するに宜し。

程氏迥曰:《易》以六居五,以九居二,為卦十有六,雖為時不同,其十有五皆吉,謂人君柔中虛己,而任剛德之臣,其臣亦以剛中應之也。

集説に宋人の程迥の言を引く:《周易》の裏に六をもって五に居り・九をもって二に居る卦は、一共に十六個あり。この十六卦の処する時勢は各々相同ならざるといえども、その中の十五個はみな吉なり。これは人君の柔中の徳をもって虚懐にて下に待して、剛徳の臣を任用して、而るにこの臣子もまた剛中の徳をもって彼に回応するを説明す。

吳氏澄曰:二與四同是陰位,若皆以柔居之,則六二六四,同是以柔居陰,故曰“同功”。然其位則有遠近之異,五者一卦之尊位,故遠近皆自五而言,二與五應為遠,四與五比為近,以位之遠近有異,而其善亦不同,遠者意氣舒展而多譽,近者勢分逼迫而多懼,多者,謂不盡然而若此者眾爾,“近也”二字,釋“四多懼”,謂四之所以懼,不 何氏楷曰:月遠日則光滿,近則光微,此“多譽”、“多懼”之說也。

集説に呉澄の言を引く:二と四とは同じく陰位にして、もしみな陰柔を用いて居れば、便ち六二と六四と成る。同じく柔をもって陰に居る。ゆえに「同功」と呼ぶ。ただそれらの位次は却って遠近の別あり。五は一卦の尊位なり。ゆえに遠近はみな五のここより算え起す。二は五と相応じて遠と算し、四は五と相比して近と算す。位次に遠近の異あるに因りて、得る所の好処もまた便ち同じからず。離るること遠きは意気舒展なり。ゆえに多く称誉を得。離るること近きは形勢逼迫なり。ゆえに多く戒惧あり。いわゆる「多」とは、並びて全てかくの如しを説くにあらずして、ただこの様の多きに居るのみ。「近なり」の両字は「四は惧多し」を解釈して、四爻の戒惧する所以を説く——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に何楷の言に接続す。何楷はいう:月亮は太陽より離るること遠きときは光華円満にして、離るること近きときは光は反って微弱なり。これがすなわち「誉多し」「惧多し」の道理なり。

案 吳氏說亦詳密,但以二之譽,四之懼,專為以柔居柔者,三之凶,五之功,專為以剛居剛者,則於經意猶偏,蓋聖人之言舉其一隅,則可以三隅反,“多譽”“多懼”,以二四之位言,不論剛柔居之,皆“多譽”“多懼”也,多凶多功,以三五之位言,亦不論剛柔居之,皆多凶多功也。

李光地の按:呉澄の説法もまた詳密と算すべきといえども、ただ彼は二爻の称誉・四爻の戒惧を専属して柔をもって柔に居る情形と為し、三爻の凶多し・五爻の功多しを専属して剛をもって剛に居る情形と為せば、経文の本意に対して便ちなお偏あり。聖人は話を説くに往往ただ一個の角を挙出するのみ。読者は応当にこれに由りて其余の三個の角を推知すべし。「誉多し」「惧多し」は二・四のこの両個の位次に就いて説きて、其の位に居るは剛なるか柔なるかを論ぜずして、みな一様に「誉多し」「惧多し」なり。「凶多し」「功多し」は三・五のこの両個の位次に就いて説きて、も其の位に居るは剛なるか柔なるかを論ぜずして、みな一様に凶多し功多しなり。

下文言“柔之為道不利遠者”,則可見二雖多譽,而九二尤善於六二,四既多懼,而九四尤甚於六四也,又言“其柔危其剛勝邪”,則可見三雖多凶,而九三猶善於六三,五雖多功,而六五猶讓於九五也,柔之為道,不利遠者,為六二言,而九二在其中,並六四、九四皆在其中,其柔危,為六三言,而九三在其中,並六五、九五亦在其中,此聖言之所以妙。

下文は「柔の道と為るや、遠きに利せざる者」と説き及ぶに到れば、見るべし、二爻は誉多きといえども、而るに九二は六二に比べて更に好し。四爻はすでに惧多ければ、而るに九四は又だ六四に比べて更に甚し。下文はまた「其の柔は危く、其の剛は勝たんか」と説けば、見るべし、三爻は凶多きといえども、而るに九三は六三に比べてなお算して好し。五爻は功多きといえども、而るに六五は九五に比べてなお一歩を譲るを得。「柔の道と為るや、遠きに利せざる者」は本来六二の為に発したるに、九二もまたその中に含まれ、六四・九四もまたみなその中に含まれり。「其の柔は危く」は本来六三の為に発したるに、九三もまたその中に含まれ、六五・九五もまたみなその中に含まれり。聖人の言語の精妙なる所以は、正にここに在るなり。

三與五,同功而異位。三多凶,五多功,貴賤之等也。其柔危,其剛勝邪。本義 三五同陽位,而貴賤不同,然以柔居之則危,唯剛則能勝之。此第九章。

《繋辞下伝》はいう:第三爻と第五爻とは功用相同にして爻位不同なり。三爻は多く凶険あり、五爻は多く功業あり。これは尊卑貴賤の等級の造成する所なり。もし陰柔を用いて居れば便ち危殆にして、大概ただ陽剛のみ能く担当し起り得べきか。朱熹《本義》はいう:三・五は同じく陽位に属するも、可も貴賤同じからず。陰柔を用いて居れば便ち危殆にして、ただ陽剛のみ能くその事を勝任す。以上は《繋辞下伝》の第九章なり。

集說 侯氏行果曰:三五陽位,陰柔處之,則多凶危,則正居之,則勝其任,言“邪”者不定之辭也,或有柔居而吉者,得其時也。崔氏憬曰:三處下卦之極,居上卦之下,而上承天子,若無含章之美,則必致凶,五既居中不偏,貴乘天位,以道濟物,廣被寰中,故“多功”也。

集説に唐人の侯行果の言を引く:三・五はみな陽位にして、陰柔を用いて処れば、便ち多く凶険あり。剛正を用いて居れば、便ち能くその職を勝任す。経文は一個の「邪」の字を用うるは、断語を下さざる語気にして、柔をもって之に居りて吉を得るもまた有ればなり。あれは恰好に合適の時機に趕上せるなり。又引く崔憬の言に:三爻は下卦の頂端に処して、また上卦の下面に居りて、上に向かい天子に承奉す。もし文采を含蔵し・鋒芒を露さざるの美徳なからば、必然に凶険を招致せん。五爻はすでに中に居りて偏らずして、また尊貴に天位に乗拠して、正道を用いて万物を済助して、恩沢は寰宇の内に広被す。ゆえに「功多し」。

吳氏澄曰:三與五同是陽位,若皆以剛居之,則九三九五,同是以剛後陽,故曰“同功”,然其位則有貴賤之異,賤者,剛居剛為太過而多凶;貴者,剛居剛為適宜而多功。

集説に呉澄の言を引く:三と五とは同じく陽位にして、もしみな陽剛を用いて居れば、便ち九三と九五と成る。同じく剛をもって陽に居る。ゆえに「同功」と呼ぶ。ただそれらの位次は却って貴賤の別あり。位の卑なる一方は、剛をもって剛に居れば便ち太過と成りて、因って凶多し。位の尊なる一方は、剛をもって剛に居れば正にその宜に合して、因って功多し。

“二多譽”“四多懼”之上,有“其善不同”一句,而“三多凶五多功”之上無之者,譽懼雖不同,而皆可謂之善,凶則不可謂善矣,故不言也。“貴賤之等也”五字,釋“三多凶”,謂三之所以凶,不能如五之功者,蓋貴賤有等,賤者不與貴者同故也。“其柔危”以下,釋“五多功”,五為尊位,以柔居之,則不勝其任而危,惟剛居之,則能勝其任而有功也。

呉澄は続けていう:「二は誉多し」「四は惧多し」の上面に「其の善同じからず」の一句ありて、「三は凶多し、五は功多し」の上面に却ってこの一句なし。称誉と戒惧とは同じからざるといえども、却ってみななお善と称すべきなるによりてなり。凶は便ち善と呼ぶ能わず。ゆえに再びこの字を提げず。「貴賤の等なり」の五個の字は「三は凶多し」を解釈して、三爻の凶なる所以・五爻の如く功ある能わざる所以は、貴賤は本来等級ありて、位の卑なるは位の尊なると同じくする能わざるを説く。「其の柔は危く」以下は「五は功多し」を解釈す:五は尊位にして、陰柔を用いて居れば便ちこの副の担子を担い起る能わずして危殆にして、ただ陽剛の来りて居るのみやっと担い起り得て功業を建立す。

胡氏炳文曰:其柔危,其剛勝,專為三言也。蔡氏清曰:或遠或近,或貴或賤,此所謂“爻有等,故曰物者”,是為雜物,或柔中,或不中,或多譽,或多懼,或多凶,或多功,又或柔危而剛勝,此所謂撰德也。而“辨是與非”,舉具其中矣。

集説に元人の胡炳文の言を引く:「其の柔は危く、其の剛は勝つ」の両句は、専ら三爻の為に説くなり。又引く明人の蔡清の言に:或いは遠・或いは近・或いは貴・或いは賤なり。これがすなわち前文のいわゆる「爻に等あり、故に物と曰う」にして、もすなわち「物を雑にす」なり。或いは柔にして中を得・或いは中を得ず・或いは誉多し・或いは惧多し・或いは凶多し・或いは功多し、又だ或いは柔なれば則ち危く剛なれば能く勝任す。これがすなわちいわゆる「徳を撰す」なり。「是と非を辨ず」に至っては、も全てこの裏面に包挿せられたり。

案 柔危剛勝,吳氏以為指五,胡氏以為指三,侯氏兼之,須分別融會,乃得經意。

李光地の按:「其の柔は危く、其の剛は勝つ」のこの一句は、呉澄は五爻を指すと認め、胡炳文は三爻を指すと認め、侯行果は則ち三・五を兼指す。読者は須くこの几家の説法を分別して開きて再び融会以て貫通して、やっと経文の本意を得るべし。

總論 何氏楷曰:章末復舉中爻,所以略初上不言者,蓋初上非用事之地,故所重在時位,中四爻用事之地,故唯重在德行也。若夫卦主在初上者,則不可以此例論,此章為《易》之凡例,求卦爻之義者,執此以求之而已,然僅曰要曰多曰過半,則雖聖人

総論に何楷の言を引く:本章の末尾は重新して中間の几爻を挙出して、初・上の両爻を略去して談ぜざる所以は、初・上は当権用事の地位にあらざれば、ゆえにかの処に於て看重する所は時と位なり。中間の四爻は当権用事の地位なれば、ゆえにここに於て看重する所はただ徳行而已。卦主の恰好に初爻或いは上爻に落つる卦に至っては、便ちこの通例に按じて論ずる能わず。この一章は《周易》の凡例にして、およそ卦義爻義を探求せんと欲する人は、この一章を執定して推求し往けばも足れり。過ぎず経文はただ「要」のみを説き・ただ「多」のみを説き・ただ「過半」のみを説く。見るべし、たとえ聖人なるも——此の下に底本に脱文あり。

案 此上二章,中爻之動乎內,而吉凶見乎外也,道屢遷者,於“周流六虛”見之,無常相易,所謂“周流”者也,“唯變所適”,所謂“屢遷”者也,此則爻之動乎內者,及繫辭而吉凶見,則使人於日用出入之間,各循乎法度而知懼,蓋凜乎師保之嚴矣,再觀其開示人以憂患,與其所以至憂患之故,不啻父母之謀其子孫者,又使人無有師保之嚴,但如臨父母之親而已,夫是以由其辭而揆之,則不可為典要者,未嘗不有典常,而欲體其道而行之,則所謂不可遠者,又存乎其人之不遠於道也,

李光地の按:以上のこの両章の講ずる所は、爻の内裏に発動して吉凶は外に顕現するなり。いわゆる「道は屢遷す」は、「六虚を周流す」より看出だし得べし:変化は常なく・彼此は更替す。すなわち「周流」なり。「唯だ変の適く所」は、すなわち「屢遷」なり——義理は変化の到る所に随って転移す。これらはみな爻の内裏に於て発動するなり。卦爻辞を繫げて吉凶の顕現し出だすに及んで、便ち人をして日常の出入行止の間に於て、各各に法度を遵循して心に畏惧を存して、凛然として「師保」(天子を教導し・人君を匡正する師傅と太保)の旁辺に在りて厳かに督責するが一般ならしむ。再び《周易》の人に向かい憂患および憂患を招致する縁由を揭示するを看れば、あの種の懇切は直ちに父母の子孫の為に謀劃するに亜ならず。ここに又だ人をして「師保」のあの種の厳厲を感を感ぜざらしめて、ただ父母の親愛に面するが如からしむ。正にこの然るによりて、卦爻辞に順いて揣度すれば、あの「典要と為すべからず」の《易》道は、未だ嘗て自らその「典常」あらざらず。而るにこの道を体会して以てそれを実行せんと欲せば、則ちいわゆる「遠ざるべからず」の道理は、又だ全くあの人の自己の肯じて道より遠ざからざるや否やを看るなり。

下文遂以辭之典常言之,大約初上雖無位,而為事之始終,自二至五,則居中而正,為用事之位,玩辭者,擬其初,竟其終,參合其物理,以辨其是非而求其備,此學《易》之法也,然彖者括始終以立體,而爻則其趨時之物而已,故知者觀彖辭而爻義已大半得,此又學《易》之要也,又舉中四爻而申之,以見凡當位用事,則有譽有懼,有凶有功,非初上無位而或在功過之外者比也,聖人所謂明憂患與故者,於此尤諄諄焉。

下文は便ち卦爻辞の含む所の「典常」に就いて説く。大致に言えば、初爻と上爻とは職位なきといえども、却って一件事の開頭と結尾なり。二爻より五爻に到るまでは、中に居りて位に当たりて、当権用事の位次なり。卦爻辞を玩味する人は、その開端を揣擬し・その結局を窮究し・各爻の象る所の事理を参合して、従ってその中の是非を分辨してその完備を求む。これがすなわち《易》を学ぶ方法なり。然るに彖辞は始終を概括して以て卦体を確立するにして、各爻は過ぎず時に随い変に趨く具体の事物而已。ゆえに見識ある人はただ彖辞を看れば、爻義は便ち已に一大半を領会せり。これは又だ《易》を学ぶ要領なり。文中はまた中間の四爻を挙出して以て申説し、以て見出ださんとす:およそ位に当たり事を用うるは、便ち称誉あり戒惧あり・凶険あり功業ありて、初・上の両爻の職位なきに如かず、時にはなお功過の外に置身し得べし。聖人の説く所の憂患および憂患を招致する縁由を昭明するは、ここに於て叮嚀すること尤も懇切なり。

繋辞下伝 第十章

《易》之為書也,廣大悉備。有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之,故六,六者非它也,三才之道也。本義 三畫已具三才,重之故六,而以上二爻為天,中二爻為人,下二爻為地。

《繋辞下伝》はいう:《周易》のこの書は、広大にして備わらざるなし:裏面に天の道理あり・人の道理あり・また地の道理あり。それは天・地・人の「三才」を兼取して各々両爻をもって相配す。ゆえに一卦は六画なり。この六画は別のものにあらず。正に三才の道なり。朱熹《本義》はいう:三画の経卦は已に三才を具備して、それを重畳し起せばゆえに六画と成る。六画の中に、上面の両爻は天と為り、中間の両爻は人と為り、下面の両爻は地と為る。

集說 項氏安世曰:言聖人所以兼三才而兩之者,非以私意傅會三才之道,自各有兩,不得而不六也。

集説に宋人の項安世の言を引く:この几の句は聖人の兼ねて三才を取りて各々両爻を配する所以は、並びて私意に憑りて牽強附会するにあらずを説く。三才の道の本身は各自にみな両端を含む。これに因りて六画と成らざる能わざるなり。

道有變動,故曰爻。爻有等,故曰物。物相雜,故曰文。文不當,故吉凶生焉。本義 道有變動,謂卦之一體。等,謂遠近貴賤之差。相雜,謂剛柔之位相間,不當,謂爻不當位。此第十章。

《繋辞下伝》はいう:道は変化移動あるがゆえに、これを「爻」と呼ぶ。爻は等級次第あるがゆえに、これを「物」と呼ぶ。物は彼此錯雑するがゆえに、これを「文」と呼ぶ。文は相当ならざる処あるによりて、ここに吉凶は便ち生出す。朱熹《本義》はいう:「道は変動あり」は、一卦の整体を説く。「等」は遠近貴賤の差別を指し、「相雑」は剛爻柔爻の位次の彼此交錯するを指し、「不当」は爻と位と相称せざるを指す。以上は《繋辞下伝》の第十章なり。

集說 陸氏績曰:天道有晝夜日月之變,地道有剛柔燥溼之變,人道有行止動靜吉凶善惡之變,聖人設爻以效三才之變動,故謂之爻者也。

集説に三国呉人の陸績の言を引く:天道は昼夜日月の変化あり、地道は剛柔燥湿の変化あり、人道は行止動静・吉凶善悪の変化あり。聖人は爻画を設立して三才の変動を仿效す。ゆえにそれを爻と呼ぶ。

孔氏穎達曰:三才之道,既有變化移動,故重畫以象之,而曰爻也。物者,物類也。爻有陰陽貴賤等級,以象萬物之類,故謂之物也。若相與聚居,間雜成文,不相妨害,則吉凶不生,由文之不當相與聚居,不當於理,故吉凶生也。

集説に孔穎達の言を引く:三才の道はすでに変化移動あれば、ゆえに三画を重畳して以て象を取りて、それを爻と称す。「物」はすなわち物の種類なり。爻は陰陽貴賤の等級ありて、もって万物の種類を象徴す。ゆえに物と呼ぶ。仮使各爻は一処に聚居して交錯して文と成りて彼此相妨害せざれば、吉凶は便ち生出せざらん。正に文采の交錯聚居に相当ならざる処ありて理に合せざれば、ゆえに吉凶は便ち生出せり。

張子曰:故曰爻,爻者交雜之義。項氏安世曰:“爻有等”者,初二三四五上也。‘物相雜”者,初三五與二四上,陰陽相同也。“文不當”者,九居陰位,六居陽位也。

集説に宋人の張載の言を引く:経文は「故に爻と曰う」と説く。「爻」はすなわち交錯混雑の意思なり。又引く項安世の言に:「爻に等あり」は、初・二・三・四・五・上のこの六個の等次を指す。「物相雑」は、初・三・五の諸位と二・四・上の諸位との陰陽の彼此相間ずるを指す。「文不当」は、九のこの陽爻の陰位に居る・六のこの陰爻の陽位に居るを指す。

李氏筒曰:一則無變無動,兼而兩之,故三才之道,皆有變動,以其道有變動,故名其畫口爻。爻者,效也,言六畫能效天下之動也。爻有貴賤上下之等,故曰物。物有九六雜居剛柔之位,則成文,交錯之際,有當不當,吉凶由是生焉。

集説に宋人の李簡の言を引く(底本の「筒」は応に「簡」と当作す):ただ一画のみあれば便ち変動を謂うなし。兼ねて配して両画と成れば、ゆえに三才の道はみな変動あり。道は変動あるに因りて、ゆえにこれらの画を爻と呼ぶ(底本の「口」は応に「曰」と当作す)。「爻」はすなわち仿效にして、六画は能く天下万事の動を仿效するを説く。爻は貴賤上下の等次あれば、ゆえに物と呼ぶ。物の中に九と六とが錯雑に剛位柔位を占拠して、便ち文と成る。交錯の際に相当なるあり・相当ならざるありて、吉凶は便ちこれに由りて生出す。

汪氏咸池曰:文既相雜,豈能皆當,故有以剛居柔,以柔居剛,而位不當者,亦有 何氏楷曰:不當者非專指陽居陰位,陰居陽位也,卦情若淑,或以不當為吉,卦情若慝,反以當位為凶,要在隨時變易得其當而已。吳氏曰慎曰:以時義之得為當,時義之失為不當,不以位論。

集説に明人の汪咸池の言を引く:文采はすでに彼此錯雑すれば、何ぞ能く様様にみな相当ならんや。ゆえに剛爻をもって柔位に居り・柔爻をもって剛位に居りて爻位の当たらざるあり、また——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に何楷の言に接続す。何楷はいう:いわゆる「不当」は、並びて専ら陽爻の陰位に居る・陰爻の陽位に居るを指すにあらず。一卦の情勢はもし善ならば、時には反って位に当たらざるをもって吉と為し、一卦の情勢はもし悪ならば、反って位に当たるをもって凶と為す。要緊はただ時勢に随って変易して各々その宜を得るに在る而已。又引く清人の呉曰慎の言に:時義に合乎るをもって「当」と為し、時義に失乎るをもって「不当」と為して、単に爻位の上より論ぜず。

繋辞下伝 第十一章

《易》之興也,其當殷之末世,周之盛德邪?當文王與紂之事邪?是故其辭危,危者使平,易者使傾。其道甚大,百物不廢。懼以終始,其要無咎,此之謂易之道也。本義 危懼故得平安,慢易則州頃覆,易之道也。此第十一章。

《繋辞下伝》はいう:《周易》の興起は、大概正当に殷商の末世・周朝の徳業の方が盛んなる時候に在るであろう。大概正当に文王と商紂のあの一段の事情の時候に在るであろう。ゆえにその言辞は危惧の意に充満す。心に危惧を存するは、《易》は彼をして平安を得せしむ。軽慢怠忽するは、《易》は彼をして傾覆に帰せしむ。その道理は極めて宏大にして、万事万物は一として遺漏せらるるなし。始より終に至るまでみな戒惧を保持して、差錯を出ださざるに帰結す。これをすなわち《易》の道と呼ぶ。朱熹《本義》はいう:危惧あるによりて平安を得、軽慢怠忽あるによりて傾覆す(底本の「州頃覆」は訛字あり)。これがすなわち《易》の道理なり。以上は《繋辞下伝》の第十一章なり。

集說 張氏拭曰:既懼其始,使人防微杜漸,又懼其終,使人持盈守成,要之以無咎而補過,乃易之道也。高氏攀龍曰:一部《易》原始要終,只是敬懼無咎而已,故曰“懼以終始”。“無咎者,善補過也”,《易》中凡說有喜有慶吉元吉,都是及於物處,若本等只到了無咎便好。

集説に宋人の張栻の言を引く(底本の「拭」は応に「栻」と当作す):すでに開頭に於て人をして戒惧せしめて、人をして微を防ぎ漸を杜じしめ、また結尾に於て人をして戒惧せしめて、人をして盈を持し成を守らしむ。差錯を出ださず・過失を善く補うに帰結す。これがすなわち《易》の道理なり。又引く明人の高攀龍の言に:整部の《周易》は開端を推原し・結局を総括して、説きて説きて過ぎず敬慎戒惧・差錯を出ださざるを以て帰と為す而已。ゆえに「惧りて以て終始す」という。《繋辞》はまた「咎なき者は、善く過を補うなり」と説く。《周易》の裏におよそ喜あり・慶あり・吉・元吉と講じ到るは、みな恩沢の外物に施及する処なり。もし本分に就いて言えば、ただ過錯なきを做し到ればも足りて好し。

趙氏光大曰:“危者使平”二句,即是辭危處,使之不可作《易》使之,言由危而平者,危使之也,言其理之必然,若有以使之也,《易》之道,與“其道甚大”“道”字正相應。何氏楷曰:使者,天理之自然,若或使之也,所謂殖有禮,覆昏暴,天之道也。

集説に明人の趙光大の言を引く:「危き者は平を使す」のこの両句は、正に言辞の危惧なる処なり。この「使」の字は《周易》の彼を役使し往くと解すべからずして、説く所は危惧より平安に転ずるは、乃ち危惧の本身の促成する所なり。講ずる所は道理の上の必然にして、髣髴として冥冥の中に何かの推動するあるが如し。末句の「《易》の道」の「道」の字は、前面の「其の道甚だ大なり」の「道」の字と正に相呼応す。又引く何楷の言に:いわゆる「使」とは、天理の自然かくの如くにして、髣髴として誰かの推動するあるが如し。すなわち《左伝》の説く所の礼を守るを扶植し・昏暴なるを傾覆するなり。あれは正に上天の道理なり。

案 此上二章,申功業見乎變,聖人之情見乎辭也。所謂變者,生於三才之道,以兩而行,交合相濟,迭用不窮也,寫之於易,則以其兩相交也,而名為爻。所處之位不同也。而名為物,所以處是位者,又相錯也。而名為文,相錯則有當有否,而吉凶於此生,大業於此起矣,故曰“功,業見乎變”。

李光地の按:以上のこの両章は、前文の「功業は変に見る、聖人の情は辞に見る」の両句を申説したるなり。いわゆる「変」は、三才の道に産生す:三才は各々両端をもって運行し、交合相済して、更迭に用と為りて窮尽なし。それを《周易》の裏に写し入れば、両々相交るに因りて名を取りて「爻」と為し、処する所の位次の各々相同ならざるに因りて名を取りて「物」と為し、而るにこれらの位次の上に処する東西は彼此又だ交錯して、ここに名を取りて「文」と為す。一たび交錯せば便ち相当なるあり・相当ならざるありて、吉凶はここより生出し、大業もまたここより興起す。ゆえに「功業は変に見る」という。

雖然,上古之聖,以是濟民用焉,而辭未備也,文王當殷商之衰,忘己之憂,而唯世之患,是故其因事設戒者,無非欲人戰戰兢兢,免於咎而趨於平也,是所謂以身立教,反覆一編之中,千載之上心如見焉,故曰“聖人之情見乎辭”。

話はこの然りといえども、上古の聖人は《易》を用いて百姓の日用を済助するに、卦爻辞は却ってなお斉備せざりき。文王は殷商の衰亡の際に身処して、自己の一身の憂患を忘掉して、ただ天下の禍患を挂念す。ゆえに彼は一桩桩の事情に就いて告誡を設立して、無非は人をして戦戦兢兢として、過錯を免れて平安に走向せんと欲する而已。これが正にいわゆる自身をもって教を立てて、反反覆覆として一部の書の中に見る。千年の後にそれを読めば、あの一片の苦心はなお宛然として見るべし。ゆえに「聖人の情は辞に見る」という。

繋辞下伝 第十二章

夫乾,天下之至健也,德行恆易以知險,夫坤,天下之至順也,德行恆簡以知阻。本義 至健則所行無難,故易。至順則所行不繁,故簡。然其於事,皆有以知其難,而不敢易以處之,是以其有憂患,則健者如自高臨下,而知其險,順者如自下趨上,而知其阻,蓋雖易而能知險,則不陷不險矣,既簡而又知阻,則不困於阻矣,所以能危能懼,而無易昔之傾也。

《繋辞下伝》はいう:乾は、天下の最も剛健なるにして、その徳行は永遠に平易にして、因って能く険処を識る。坤は、天下の最も柔順なるにして、その徳行は永遠に簡約にして、因って能く阻処を識る。朱熹《本義》はいう:至健なれば則ち行う所に難処なし。ゆえに平易なり。至順なれば則ち行う所は煩ならず乱れず。ゆえに簡約なり。然るにそれらの事情に対しては、みなその中の艱難を看出だし得て、軽慢の態度を用いて以て之に対待すること敢えてせず。ゆえに彼らの憂患に身処するときに当たっては、剛健の一方は高処より下面を俯視するが如くして、険を看り清らかにし、柔順の一方は低処より上面に趨向するが如くして、阻を看り清らかにす。平易なるといえども能く険を識れば、便ち険の裏に陥落する会せず。すでに簡約にして又だ能く阻を識れば、便ち阻に困まれる会せず。正にこれに因りて、やっと能く危を知り惧を知りて、軽慢怠忽の招来する傾覆なきなり(底本の「易昔」の二字は訛誤あり)。

集說 孔氏穎達曰:乾之德行恆易略,不有艱難以此之故,能知險之所興,若不易則為險,故行易以知險也,坤之德行恆為簡靜,不有繁亂以此之故,知阻之所興,若不簡則為阻難,故行簡以知阻也。蘇氏軾曰:已險而能知險,已阻而能知阻者,天下未嘗有也,是故處下以傾高,則 上,為上所阻,故不敢進。

集説に孔穎達の言を引く:乾の徳行は永遠に平易簡略にして、艱難なし。正にこの様なるによりて、やっと能く険の何の処より生出するを知る。もし平易ならざれば、本身は便ち険と成る。ゆえに行事を平易にしてやっと険を識るを要す。坤の徳行は永遠に簡約安静にして、繁雑紛乱なし。正にこの様なるによりて、やっと能く阻の何の処より生出するを知る。もし簡約ならざれば、本身は便ち阻難と成る。ゆえに行事を簡約にしてやっと阻を識るを要す。又引く蘇軾の言に:自己は已に険の中に陥りてなお能く険を識り、自己は已に阻の中に陥りてなお能く阻を識る人は、天下は従来曽て有らざりき。ゆえに下位に処して高位を傾覆せんと想う——ここに底本に脱文あり——上に在る一方は上頭に阻まれるによりて、ゆえに貿然として前進すること敢えてせず。

項氏安世曰:“易”與“險”相反,唯中心易直者能照天下險巇之情,簡與阻相反,唯行事簡靜者,能察天下繁壅之機。李氏簡曰:兩險相疑,兩阻相持,則險不能知險,知天下之至險者,至易者也,阻不能知阻,知天下之至阻者,至簡者也。

集説に項安世の言を引く:「易」と「険」とは相反して、ただ心地の平易正直の人のみ、やっと天下の険悪崎岖の実情を照見し得。「簡」と「阻」とは相反して、ただ行事の簡約安静の人のみ、やっと天下の繁雑壅塞の機窍を察し出だし得。又引く李簡の言に:両個の険は互いに猜疑して、両個の阻は互いに僵持すれば、すなわち険は便ち険を識る能わざらん。能く天下の極険を識るは、正に極平易の人なり。阻もまた阻を識る能わず。能く天下の極阻を識るは、正に極簡約の人なり。

胡氏炳文曰:前言乾坤之易簡,此言乾坤之所以為易簡,蓋乾之德行,所以恆易者,何也?乾,天下之至健也,坤之德行,所以恆簡者。何也?坤,天下之至順也。蔡氏清曰:天下之至健,天下之至順,猶《中庸》云“天下至誠”、“天下至聖”相似,皆以人言,君子行此四德者,故曰“乾元亨利貞”,此天下之至健者也,安貞之吉,“應地無疆”,此天下之至順者也。

集説に胡炳文の言を引く:前面の講ずる所は乾坤の易と簡にして、ここの講ずる所は乾坤の能く易に能く簡たる所以なり。乾の徳行は何がして永遠に平易なるか。乾は天下の最も剛健なるによりてなり。坤の徳行は何がして永遠に簡約なるか。坤は天下の最も柔順なるによりてなり。又引く蔡清の言に:「天下の至健」「天下の至順」は、《中庸》の講ずる「天下至誠」「天下至聖」と相仿して、みな人に就いて説くなり。君子は元亨利貞のこの四種の徳を実行す。ゆえに《乾》の卦辞は「乾は元亨利貞」と説く。これがすなわち天下の至健の人なり。《坤》卦は貞正の吉に安んじ・「地に応じて疆なし」を講ず。これがすなわち天下の至順の人なり。

能說諸心,能研諸侯之慮,定天下之吉凶,成天下之亹亹者。本義 “侯之”二字衍,“說諸心”者,心與理會,乾之事也。“研諸慮”者,理因慮審,坤之事也。“說諸心”,故有以定吉凶;“研諸慮”,故有以成亹亹。

《繋辞下伝》はいう:能く人の心中を悦怿せしめ、能く人の思慮を精審せしめて、従って天下の吉凶を断定し、天下のあの勤勉不倦の事業を成就す。朱熹《本義》はいう:「侯之」の両字は衍文にして、すなわち伝抄するとき多く出だしたる字なり。「諸を心に説く」は、心と理と相契合して、乾のこの一辺の事に属す。「諸を慮に研く」は、道理は思慮に因りて精審なりて、坤のこの一辺の事に属す。「諸を心に説く」に因りて、ゆえに能く吉凶を断定す。「諸を慮に研く」に因りて、ゆえに能くあの勤勉不倦の事業を成就す。

集說 張子曰:易簡故能說諸心,知險阻故能研諸慮。朱氏震曰:簡易者我心之所固有,反而得之,能無說乎,以我所有,慮其不然,能無研乎。

集説に張載の言を引く:平易簡約なるに因りて、ゆえに能く心中を悦怿せしむ。険阻を識るに因りて、ゆえに能く思慮を精審せしむ。又引く宋人の朱震の言に:簡易は本来我が心中の固有のものにして、自身に反求してそれを得れば、何ぞ欣悦せざらんや。我が自己の固有するこの份の道理を拿りて、あの些のこれに合せざる情形を思量せば、何ぞ精審ならざらんや。

《朱子語類》云:能說諸心,能研諸慮,方始能定天下之吉凶,成天下之亹亹。凡事見得通透了,自然歡說,既說諸心,是理會得了,於事上更審一審,便是研諸慮,研是吏去研磨,定天下之吉凶,是剖判得這事,成天下之亹亹,是作得這事業。

集説に《朱子語類》を引いていう:能く心中を悦怿せしめ、能く思慮を精審せしめて、これがやっと天下の吉凶を断定し・天下の勤勉不倦の事業を成就するに談じ及ぶに足る。凡事は看ること透徹せれば、自然に歓喜す。すでに心中悦怿たれば、すなわち道理は已に理会し明白せり。再び具体の事情の上に到りて又だ一遍審察すれば、あれはすなわち「諸を慮に研く」——「研」はすなわち反覆して研磨するなり(底本の「吏」は応に「更」と当作す)。「天下の吉凶を定む」は、この件の事を剖判し清楚するなり。「天下の亹亹を成す」は、この番の事業を真正に做し成るなり。

張氏拭曰:心之說也,不忤子理,慮之研也,不昧於事,則得者為吉,失者為凶,吉凶既定,則凡勉於事功者,莫不弘之不息以成其功矣。谷氏家傑曰;能說諸心,能研諸慮,二能字應下成能之能,見此理人人具有,唯聖人能說能研耳。

集説に張栻の言を引く:心裏欣悦なれば、便ち理に違逆する会せず(底本の「子」は応に「于」と当作す)。思慮は精審なれば、便ち事情に昧る会せず。この様なれば、得るは便ち吉にして、失うは便ち凶なり。吉凶はすでに断定せられば、すなわちおよそ事功に勉力する人は、推広拡充して止息を肯ぜざらざるなく、従ってその功業を成就す。又引く谷家傑の言に:「能く諸を心に説く」「能く諸を慮に研く」のこの両個の「能」の字は、下文の「聖人は能を成す」の「能」の字と相呼応す。見るべし、この道理は人人は本来具有して、ただ唯だ聖人のみやっと真に能く悦び・真に能く研ぐ而已。

是故變化云為,吉事有祥,象事知器,占事知來。本義 “變化云為”,故象事可以知器,“吉事有祥”,故占事可以知來。

《繋辞下伝》はいう:ゆえに天地間の変化と人の言語作為とは、およそ吉に属する事は事先にみな征兆あり。事に象を取れば便ち器物の制を懂るを得、事に占問すれば便ち未来を予知するを得。朱熹《本義》はいう:「変化云為」あるに因りて、ゆえに事に象を取れば以て器物を知るべし。「吉事に祥あり」に因りて、ゆえに事に占問すれば以て未来を予知すべし。

集說 蘇氏軾曰:言易簡者無不知也。《朱子語類》:問:有許多“變化云為”,又吉事皆有休祥之應,所以象事者於此而知器,占事者於此而知來。曰:是。何氏楷曰:凡人事之與吉逢者,其先必有祥兆,天人相感,志一之動氣也,聖人作《易》,正以迪人于吉,故獨以吉事言之,與吉之先見同義。

集説に蘇軾の言を引く:この一句は易簡の道を体得する人は知らざることなきを説くなり。又引く《朱子語類》:ある人が問うた。天地間にあの許多の変化と人の言語作為ありて、加うるに吉事はみな美好の征応あり。ゆえに事に象を取る人はこれに由りて器を知り、事に占問する人はこれに由りて来を知る。朱子は答えて曰く:正にかくの如し。又引く何楷の言に:およそ人事の上に吉慶に碰上するは、事先に必ず吉祥の兆頭あり。これは天と人と互相に感应して、心志は専一なれば便ち能く気機を帯動する縁故なり。聖人の《周易》を作るは、正に人を引導して吉に趨向せしめんと要す。ゆえに単に吉事を挙げて説く。これは「吉事は先に征兆の顕現あり」と一個の意思なり。

天地設位,聖人成能。人謀鬼謀,百姓與能。集說 《朱子語類》云:“天地設位”四句,說天人合處,“天地設位”,使聖人成其功能,“人謀鬼謀”,則雖百姓亦可與其能,成能與與能,雖大小不同,然亦是小小底造化之功用。胡氏炳文曰:聖人成天地所不能成之能,百姓得以與聖人所已成之能也。

《繋辞下伝》はいう:天地は上下の位次を設定して、聖人はその中に於て功能を成就す。それを人に謀り、またそれを鬼神に謀れば、百姓さえもこの份の功能に参与し得。集説に《朱子語類》を引いていう:「天地は位を設く」のこの四句は、天と人の相合する処を講ずるなり。天地は位次を設定して、聖人をしてその功能を成就せしむ。それを人に謀りまた鬼神に謀れば、すなわち百姓もまた以てこの份の功能に参与すべし。「能を成す」と「能に与る」とは大小の別あるといえども、ただもみな算して小小の造化功用なり。又引く胡炳文の言に:聖人は天地の能く成就せざる所の功能を成就して、百姓は則ち聖人の已に成就したる功能に参与するを得。

蔡氏清曰:凡卜筮問《易》者,先須謀諸人,然後乃可問《易》,雖聖人亦然,故《洪範》曰:“謀及卿士,謀及庶人,然後曰謀及卜筮。”又曰:“聯志先定,詢謀僉同,然後鬼神其依,龜筮協從是也。”

集説に蔡清の言を引く:およそ卜筮を用いて《周易》に向かい請問せんと要する人は、まず人と商量することを得て、然る後にやっと以て《易》を問うべし。たとえ聖人なるもまたこの様なり。ゆえに《尚書・洪範》は曰く:それを卿士に謀り、それを庶人に謀りて、然る後にやっとそれを卜筮に謀ると説く。《尚書・大禹謨》はまた曰く:我が心意は先に已に定まりて、咨詢謀議は大家の意見相同なりて、然る後に鬼神は便ち依従し来り、亀卜蓍筮もまた一致に附和す(底本の「聯志」は応に「朕志」と当作す)。

八卦以象告,爻彖以情言。剛柔雜居,而吉凶可見矣。本義 象,謂卦畫。爻彖,謂卦爻辭。

《繋辞下伝》はいう:八卦は卦象を用いて以て人に告示し、爻辞と彖辞とは情実を用いて説明す。剛爻柔爻は錯雑に各位に居れば、吉凶は便ち以て看出だすべし。朱熹《本義》はいう:「象」は卦画を指し、「爻彖」は爻辞と彖辞を指す。

集說 崔氏憬曰:伏羲始畫八卦,因而重之,以備萬物而告於人也。爻,謂爻下辭。象,謂卦下辭。皆是聖人之情,見乎繫辭,而假爻象以言,墳曰“爻彖以情言”,六爻剛柔相推,而物雜居,得理則吉,失理剛凶,故“吉凶可見”也。蔡氏清曰:八卦以象告,則剛柔雜居矣,爻彖以情言,則吉凶可見矣。

集説に崔憬の言を引く:伏羲は最初に八卦を画き出だして、接続してそれらを両々相重して六十四卦と為して、もって万物を備載して人に告示す。「爻」は爻の下の繫げたる辞を指し、「象」は卦の下の繫げたる辞を指す。これらはみな聖人の心意の繫げたる辞の裏に寄托して、爻と象に借りて言を発す。ゆえに「爻彖は情をもって言う」という(底本の「墳」は応に「故」と当作す)。六爻の剛柔は互いに推移して、各物は錯雑して并居して、理に合すれば便ち吉にして、理に失せば便ち凶なり(底本の「剛凶」は応に「則凶」と当作す)。ゆえに「吉凶は見るべし」という。又引く蔡清の言に:八卦は卦象を用いて人に告示すれば、剛柔もまた便ち錯雑して并居せり。爻辞彖辞は情実を用いて説けば、吉凶もまた便ち看出だし得れり。

變動以利言,吉凶以情遷。是故愛惡相攻而吉凶生,遠近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。凡易之情,近而不相得,則凶。或害之,悔且吝。本義 不相得,謂相惡也,凶害悔吝,皆由此生。

《繋辞下伝》はいう:卦爻の変動は利と不利とに就いて説きて、吉凶は則ち人情の向背に随いて遷移す。ゆえに愛と悪とは互いに攻撃して便ち吉凶を生出し、遠と近とは互いに取求して便ち悔吝を生出し、真情と虚偽とは互いに感应して便ち利害を生出す。大凡《周易》の顕示する所の人情:彼此は靠れ近きて心意相投ぜざれば、すなわち凶なり。或いは損害あるか、或いは悔恨あるか、或いは羞吝あるか。朱熹《本義》はいう:「相得ず」はすなわち彼此の相悪むなり。凶・害・悔・吝はみなこれに由りて生ず。

集說 崔氏憬曰:遠,謂應與不應。近,謂比與不比,或取遠應而舍近比,或取近比而舍遠應,由此遠近相取,所以生悔吝於繫辭矣。

集説に崔憬の言を引く:いわゆる「遠」は、爻と爻との相応ずるか相応ぜざるかを指す。いわゆる「近」は、爻と爻との相比するか相比せざるかを指す。或るときはあの遠処の相応ずるを取りて近処の相比するを舎掉し、或るときはあの近処の相比するを取りて遠処の相応ずるを舎掉す。この種の遠近の間の取舎に由りて、繫げたる辞の裏に便ち悔と吝を生出し来れり。

項氏安世曰:“愛惡相攻”以下,皆言“吉凶以情遷”之事,而以六爻之情與辭明之,吉凶悔吝利害之三辭,分出於相攻相取相感之三悄,而總屬於相近之一情,此四者,爻之情也。命辭之法,必各象其爻之情,故觀其辭可以知其情。利害者,商略其事有利有不利也,悔吝則有跡矣,吉凶則其成也,故總而名之曰吉凶。“相感”者情之始交,故以利害言之。“相取”則有事矣,故以悔吝言之。“相攻”則其事極矣,故以吉凶言之。

集説に項安世の言を引く:「愛悪相攻」以下は、講ずる所はみな「吉凶は情をもって遷る」のこの回事にして、而るに六爻の情と辞を拿りてそれを説明す。吉凶・悔吝・利害のこの三類の辞は、分別に相攻・相取・相感のこの三種の情より出でて(底本の「三悄」は応に「三情」と当作す)、而るに総じて彼此の相近のこの一種の情に帰属す。この四様はみな爻の情なり。繫辞の法則は、必定に各各に当該の爻の情に象を取る。ゆえにその辞を看れば便ちその情を知るべし。いわゆる利害とは、この件の事の利あるか不利あるかを估量するなり。悔吝に到れば、便ち已に痕迹あり。吉凶に到れば、すなわち事情の定局なり。ゆえに総括して之を吉凶と称す。「相感」は情の剛に交接するときなり。ゆえに利害を用いて説く。「相取」は便ち已に行動あり。ゆえに悔吝を用いて説く。「相攻」はすなわち事態は極処に到る。ゆえに吉凶を用いて説く。

愛惡遠近情偽,姑就淺深分之,若錯面綜之,則相攻相取相感之人,其居皆有遠近,其行皆有情偽,其情皆有愛惡也,故總以相近一條明之。“近而不相得”,則以惡相攻而凶生矣,以偽相感而害生矣,不以近相取而悔吝生矣,是則一近之中,備此三條也。凡爻有比爻,有應爻,有一卦之主爻,皆情之當相得者也,今稱近者,正據比爻言之,反以三隅,則遠而為應為主者,亦必備此三條矣,但居之近者,其吉凶尤多,故聖人概以近者明之。

項安世は続けていう:愛悪・遠近・情偽のこの三組は、姑らく浅深に按じてまず分かち開いて講ず。もし交錯総合して看れば、すなわち相攻・相取・相感の双方は、彼らの処する所の地位にみな遠近の別あり、彼らの行為にみな真情虚偽の別あり、彼らの心意にみな愛悪の別あり。ゆえに総じて「彼此相近」のこの一条を用いて説明す。「近にして相得ず」は、便ち悪をもって互いに攻撃して凶を生出し、虚偽をもって互いに感应して害を生出し、肯じて親近をもって互いに取求せずして悔吝を生出す——見るべし、一個の「近」の字の裏面に、この三条はみな斉備せり。およそ爻は相比する爻あり・相応ずる爻あり・一卦の主爻ありて、これらは情理の上はみな応当に彼此相投ずべきなり。今や単に「近」を称するは、正に相比する爻に就いて説くなり。これに由りて其余の三個の角を推出せば、すなわち遠処の相応ずる爻と主爻もまた、必定に同じくこの三条を斉備す。過ぎず居処の相近なるは、吉凶は格外に多し。ゆえに聖人は一概に相近を拿りて説明す。

吳氏澄曰:害者利之反,凡占曰不利無攸利者害也,近而不相得,則凶害悔吝,其相得,則吉利悔亡無悔無咎從可知也。

集説に呉澄の言を引く:「害」は「利」の反面にして、およそ占辞の裏に「利せず」「攸利なし」と説くは、みな害に属す。彼此は靠れ近きて心意相投ぜざれば、便ち凶・害・悔・吝あり。反ってもし彼此相投ぜば、すなわち吉・利・悔亡・无悔および差錯を出ださざるも、また以てこれに由りて推知すべし。

胡氏一桂曰:“凡《易》之情”以下,獨舉近者總言之,近而相取,其情乃不相得, 蔡氏清曰:“愛惡相攻”三句平等說,下文卻合言之曰:大抵凡《易》之情,近而相得者為貴,不相得而遠者亦無害,唯是近而不相得者則凶,又有害而悔且吝矣。又曰:“吉凶悔吝利害”六字,大抵吉凶重於利害,利害重於悔吝,故末句先凶次害,又次悔吝,而凡曰吉凶見乎外,吉凶以情遷則皆該利害與悔吝矣。

集説に元人の胡一桂の言を引く:「およそ《易》の情」以下は、単に相近の情形を挙げて総べて講ず。靠れ近きて互いに取求するも、心意は却って相投ぜず——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に蔡清の言に接続す。蔡清はいう:「愛悪相攻」等の三句は平列して説くに、下文は却って合して講ず:大抵《周易》の顕示する所の人情は、靠れ近きて心意相投ずるは最も可貴なり。心意相投ぜずして離るること遠きも、またなお妨害なし。独り靠れ近きて心意相投ぜざるのみやっと凶にして、しかもまた損害および悔と吝あり。蔡清はまたいう:吉・凶・悔・吝・利・害のこの六個の字は、大抵吉凶は利害より重く、利害は悔吝より重し。ゆえに末句はまず凶を説き、其次に害を説き、再び其次に悔吝を説く。およそ「吉凶は外に見る」「吉凶は情をもって遷る」と説くは、その中は已に利害と悔吝とをみな包挙し入れたり。

林氏希元曰:“近而不相得”,是解“遠近相取而悔吝生”一句,並“愛惡相攻”兩句亦解。蓋遠近相取而悔吝生,這裡分情相得不相得。情相得者,遠相取而悔吝。情不相得者,近相取而悔吝,但此意未明,故於此發之,只曰近不曰遠者,舉近則遠者可以三隅反也,夫近而不相得則凶,可見惡相攻而凶生者,以其近也,偽相感而害生者,亦以其近也,故曰是並解“愛惡相攻”兩句。

集説に明人の林希元の言を引く:「近にして相得ず」の一句は、「遠近相取りて悔吝生ず」を解釈するにして、同時にまた連帯して「愛悪相攻」等の両句を解釈せり。原来「遠近相取りて悔吝生ず」のここの裏頭は心意の相投ずると相投ぜざるとを分かつを要す:心意相投ずるは、遠処より取求して悔吝を生ず。心意相投ぜざるは、近処より取求して悔吝を生ず。ただこの層の意思は前文は点明せざりき。ゆえにここに於て発揮し出だす。文中はただ「近」のみを説きて「遠」を説かざるは、近を挙出せば、遠は便ち以てこれに由りて其余の三個の角を推知するを得ればなり。彼此は靠れ近きて心意相投ぜざれば便ち凶なり。見るべし、悪をもって互いに攻撃して凶を生出するは、正に近なるに因りてなり。虚偽をもって互いに感应して害を生出するも、また正に近なるに因りてなり。ゆえにこの一句は「愛悪相攻」の両句をもまた一併に解釈せりという。

案 此條諸說相參,極詳密矣,然尚有須補備者,諸說皆以近為相比之爻,於《易》例未盡,應爻雖遠,然既謂之應,地雖遠而情則近也。先儒蓋因上章“四多懼近也、柔之為道不利遠者”,故必以相比為近,然彼就二四而言之,則有遠近之別,此就六爻而統論之,則比與應皆近也,觀《蒙》之六四曰“獨遠實也”,以其比應皆陰也,如雖無比面有應,亦不得謂之遠實矣,故《易》於應爻,有曰婚媾者,有曰宗者,有曰主者,有曰類者,皆親近之稱也。“遠近相取”,須分無比應者為遠,有比應者為近,乃為完備。

李光地の按:この一条は各家の説法は互相に参照して、已に極めて詳密なるも、然るになお補足を要する処あり。各家はみな「近」を看作して彼此相比する爻と為すは、《周易》の義例の上に於てなお周全ならず。相応ずる爻は位置は遠きといえども、可もすでにそれを「応」と称すれば、地位は遠きも情意は却って近し。先儒は大概上一章に「四は惧多し、近なり」「柔の道と為るや、遠きに利せざる者」の話あるに因りて、ゆえに必ず相比を看作して近と為せんと欲す。然るにかの処は二・四の両爻に就いて来りて、やっと遠近の別あり。ここは六爻に就いて通盤に論を立つれば、すなわち相比と相応とはみな近と算す。《蒙》卦の六四の「独り実より遠し」と説くを看れば、正にそれの相比し・相応ずるはみな陰爻なるに因る。仮使相比する爻なきといえども相応ずる爻あらば、もまた能く陽実より遠離すと呼ぶべからず。ゆえに《周易》は相応ずる爻に対して、「婚媾」と呼ぶあり・「宗」と呼ぶあり・「主」と呼ぶあり・「類」と呼ぶありて、みな親近を表す称呼なり。「遠近相取る」の一句は、必ず比・応の関係なきを算して遠と為し、比・応の関係あるを算して近と為して、やっと完備と算すべし。

《易》之情,其有遠近者,固從爻位而生,若愛惡情偽,則從何處生來,須知《易》爻吉凶,皆在“時”、“位”、“德”三字上取,時隨卦義而變,時變,則有愛惡矣,如《泰》之時則交,《否》之時則隔,《比》之時則和,《訟》之時則爭,是“愛惡相攻”者,由於時也。

李光地は続けていう:《周易》の顕示する所の人情の、その中の遠と近とは、固より爻位の上より生出したるなり。愛悪・情偽に至っては、また何の処より生出するか。須く知るべし、《周易》の爻辞の吉凶は、みな「時」「位」「徳」のこの三個の字の上より取る。「時」は卦義に随って変じて、時は一たび変じれば便ち愛と悪あり:たとえば《泰》卦の時は上下交通し、《否》卦の時は上下隔絶し、《比》卦の時は彼此和睦し、《訟》卦の時は彼此争闘す。見るべし、「愛悪相攻」は「時」に由りて決定せらるるなり。

位逐六爻而異,位異則有遠近矣,如《比》之內比外比,《觀》之觀光者,近也;《蒙》之困蒙,《復》之迷復者,遠也,是遠近相取者,由於位也。德由剛柔當否而別,德別則有情偽矣,如《同人》五之號咷,《豫》二之介石,以中正也,《同人》三之伏戎,《豫》三之盱豫,以不中正也,是情偽相感者,由於德也。

「位」は六爻に随って不同にして、位は一たび同じからざれば便ち遠と近あり:たとえば《比》卦は内比・外比を講じ、《観》卦は国家の光輝を観仰するを講ずるは、みな近に属す。《蒙》卦の「困蒙」・《復》卦の「迷復」は、みな遠に属す。見るべし、「遠近相取」は「位」に由りて決定せらるるなり。「徳」は剛柔の位に当たるや否やに由りて分別して、徳は一たび分別すれば便ち真情と虚偽あり:たとえば《同人》の九五の号啕痛哭・《豫》卦の六二の堅介石の如くなるは、みな中に居りて正を得るに因る。《同人》の九三の兵甲を埋伏する・《豫》卦の六三の媚眼を上視して歓悦を求むるは、みな中ならず正ならざるに因る。見るべし、「情偽相感」は「徳」に由りて決定せらるるなり。

時有消息盈虛之變,位有貴賤上下之異,德有剛柔善惡之別,此三者皆吉凶悔吝之根,然其發動,皆因彼己之交而起。所謂彼己之交者,比也,應也,非因比應,則無所謂相攻也,無所謂相取也,無所謂相感也。

「時」は消長盈虚の変化あり、「位」は貴賤上下の差異あり、「徳」は剛柔善悪の分別あり。この三様はみな吉凶悔吝の根源なり。然るにそれらの発動し起るは、みな人我双方の交接に憑借するを要す。いわゆる人我双方の交接とは、すなわち「比」と「応」なり。比と応とを通じてにあらざれば、便ち何の互いに攻撃するを談ずるにも足らず、何の互いに取求するを談ずるにも足らず、も何の互いに感应するを談ずるにも足らず。

所謂相攻相取相感者,皆以比應言之,放下獨舉近而不相得以見例,近而相得,相愛者也,相取者也,以情相感者也,善之善者也,不相得者而遠,則雖惡而不能相攻也,不近而不得相取也,雖偽而不與相感也,善之次也,宜相得者而遠,則雖愛而不得相親也,不近而不能相取也,雖有惰而無以相感也,又其次也,唯近而不相得,則以惡相攻,以近相取,以偽相感,人事之險阻備矣,大者則凶,極其惡之情者也,《同人》三之敵剛是也,次者則害,防其偽之端者也,《兌》之介疾孚剝是也,輕者猶不免於悔吝,如《豫》、《萃》之三,雖以近而從四,然以非同類而曰悔曰吝者此也,《易》者教人知險知阻,故特舉此條以見例,餘者可以三隅反也,故觀《易》者,須先知時、位、德、比、應五字,又須知時、位、德之當否,皆於比應上發動,其義莫備於此章矣。

いわゆる相攻・相取・相感は、みな比と応とに就いて説くなり。ゆえに下文は単に「近にして相得ず」の一項を挙げて以て体例を示范す(底本の「放下」は応に「故下」と当作す)。彼此は靠れ近きて心意相投ぜば、あれはすなわち互いに愛悦し・互いに取求し・真情をもって相感应す。これは好の上に好を加うる一等なり。心意は本来相投ぜずして彼此又だ離るること遠ければ、すなわちたとえ悪あるも攻撃し着かず、近からざるに因りて取求は成らず、たとえ虚偽あるも感应し上がらず。これは次一等の好なり。本来心意相投ずべきに彼此離るること遠ければ、すなわちたとえ相愛するも親近するに由なく、近からざるに因りて取求は成らず、たとえ真情あるも感应するに由なし(底本の「惰」は応に「情」と当作す)。これは又だ再び次の一等なり。唯だ靠れ近きて心意相投ぜざるのみ、やっと悪をもって互いに攻撃し・親近をもって互いに取求し・虚偽をもって互いに感应して、人事の上の種種の険阻は便ちみな斉備せり。重きは凶を成す。あれは悪の情の極端に走り到れるなり。《同人》の九三の剛強の者と敵と為るは便ちこの様なり。次一等は害を成す。あれは虚偽の苗头を提防せんと要するなり。《兌》卦の説く所の「疾に介たり」「剥に孚あり」は便ちこの様なり。軽きもまたなお悔と吝を免れず。たとえば《豫》卦・《萃》卦の第三爻は、相近に因りて九四を追随するといえども、同類ならざるに因りて「悔」を説き「吝」を説くは、便ちこの種の情形なり。《周易》は本来人を教えて険を識り阻を識らしむるなり。ゆえに特にこの一条を挙出して以て体例を示范して、其余は以てこれに由りて其余の三個の角を推知すべし。これに因りて《易》を読む人は、必ずまず時・位・徳・比・応のこの五個の字を懂るを要して、なお須く時・位・徳の合宜するや否やは、みな比と応の上に於て発動するを懂るべし。この層の義理は、本章より講くこと更に完備なるはなし。

將叛者其辭慚,中心疑者其辭枝,吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之 本義 卦爻之辭,亦猶是也。此第十二章集說 王氏申子曰:歉於中者必愧於外,故“將叛者其辭慚”,疑於中者必泛其說,故“中心疑者其辭枝。 ”吉德之人見理直,故其“辭寡。 ”躁競之人急於售,故其“辭多”。

《繋辞下伝》はいう:将に背叛せんとする人は、言辞の裏に慙色を帯ぶ。心裏猶疑する人は、言辞は枝蔓にして専ならず。徳ある吉人は言辞は簡省にして、躁動する人は言辞は繁多なり。誣りて好人を陷るる——ここに底本に脱文ありて、原文は応に「善を誣る人は其の辞は游び、其の守を失う者は其の辞は屈す」と当作す。朱熹《本義》はいう:卦爻辞の情形もまたかくの如し。以上は《繋辞下伝》の第十二章なり。集説に元人の王申子の言を引く:内心に愧欠ある人は、外表は必然に慙色を顕出す。ゆえに「将に叛かんとする者は其の辞慙り」という。内心に疑惑を存する人は、話を説くに必然に浮泛不定なり。ゆえに「中心疑う者は其の辞枝なり」という。徳性の吉善の人は理を見ること明白直截なれば、ゆえにその「辞は寡し」。躁進争競の人は急ぎて自己を推銷し出ださんと欲すれば、ゆえにその「辞は多し」。

誣善類者,必深匿其跡而陰寓其忮,故其“辭遊”。“失其守”者,必見義不明而內無所主,故“其辭屈”。

王申子は続けていう:誣りて好人を陷るるの一類は、必定に痕迹を深深に蔵めて暗裏に彼の忌害の心思を寄寓す。ゆえにその言辞は游移閃爍す。「其の守を失う」の人に至っては、必定に理を見ること明白ならずして心中に主宰なし。ゆえにその言辞は屈曲して理亏なり。

吳氏澄曰:此篇之道,泛言辭變象占四道,而末句歸重於辭,巳以本於聖人之情,至於卒章凡二節,其中亦言四道,而首末皆言彖爻之辭,末又本於《易》之情,以終繫辭之傳,蓋唯聖人之情,能知《易》之情而繫易之辭也,是為一篇始終之脈絡雲。張氏振淵曰:此節即人之辭以情遷者,驗《易》之辭以情遷也。

集説に呉澄の言を引く:《繋辞》のこの一篇の宗旨は、泛く辞・変・象・占の四条の道理を論じて、而るに末句は分量を「辞」の上に帰して、それは聖人の心意に本ずるを説く。最後の一章の共に両節に到っては、その中もまたこの四条の道理を講じて、而るに首尾はみな彖辞爻辞を講じて、末了は又だ《周易》の顕示する所の情実に帰結して、以て《繋辞伝》を結束す。唯だ聖人の心意のみ、やっと能く《周易》の情実を洞悉してそれの為に卦爻辞を繫ぐるを得。これがすなわち全篇の首尾貫通の脈絡なり。又引く明人の張振淵の言に:この一節は人の言辞の情に随いて変ずるを拿りて、《周易》の言辞の情に随いて変ずるに印証するなり。

案 此章亦總上卜一章之意而通論之,易簡即上下傳首章所謂乾坤之理,而聖人體之以立極者,故此即以乾坤為聖人之名稱,見《易》道之本,聖心所自具也,《易》與險反,故“知險”,簡與阻反,故“知阻”,以是說諸心,即以是研渚慮,凡天下所謂吉凶亹亹者,固已豫定取成於聖人之心矣,於是仰觀變化俯察云為,“知以藏往”而通其象,“神以知來”而裕其占,此所以作《易》而天地之功以成,百姓之行以濟也,“爻象動乎內”者以象告,“吉凶見乎外”者以情言,“功業見乎變者”以利言,“聖人之情見乎辭”者以情遷,時有順逆而愛惡生焉,位有離合而遠近判焉,德有淑慝而情偽起焉,此三者《易》之情也,吉利凶害悔吝之辭。所由興也,在《易》則為《易》之惰,聖人從而發揮之,則吉凶之途明,而利害之幾審,此即聖人之情也,故言凡人之情著於辭而不可掩者六,反切上章所謂有憂患者辭危也。

李光地の按:この一章もまた上面の十一章の意思を総括して通盤に論を立つるなり(底本の「上卜一章」は応に「上十一章」と当作す)。いわゆる易簡とは、すなわち《繋辞》の上下伝の首章の説く所の乾坤の道理にして、而るに聖人はそれを体会して以て人間の準則を確立す。ゆえにここに便ち乾坤を用いて以て聖人の名号と作る。見るべし、《易》道の根本は、正に聖人の心中の本来具備する所なり。「易」は「険」と相反す。ゆえに能く「険を知る」。「簡」は「阻」と相反す。ゆえに能く「阻を知る」。この道理を用いて心中を悦怿せしめ、もこの道理を用いて思慮を精審せしむ。およそ天下のいわゆる吉凶・いわゆる勤勉不倦の事業は、本来早已に聖人の心裏に予め定奪成就せられたり。ここに頭を仰いで天地の変化を観察し、頭を低れて人の言語作為を審察して、智慧をもって過往を収蔵してその象を貫通し、神明をもって未来を予知してその占を充実す。これがすなわち聖人の《易》を作り之後、天地の功用の完成を得・百姓の行事の済助を得る所以の縁故なり。前文は「爻象は内に動く」と説くは、正にここの八卦の象をもって告ぐるに対応し、「吉凶は外に見る」と説くは、正に爻彖の情をもって言うに対応し、「功業は変に見る」と説くは、正に変動の利をもって言うに対応し、「聖人の情は辞に見る」と説くは、正に吉凶の情をもって遷るに対応す。時勢は順あり逆ありて、ここに愛と悪を生出し、爻位は離あり合ありて、ここに遠と近を分出し、徳性は善あり悪ありて、ここに真情と虚偽を起す。この三様はすなわち《周易》の顕示する所の情実にして、吉・利・凶・害・悔・吝の一類の辞句は便ちこれに由りて興る(底本の「《易》之惰」は応に「《易》之情」と当作す)。《周易》の裏に於ては《易》の情と呼ばれて、聖人はそれに順って以て発揮を加えて、ここに吉凶の路径は明白にして、利害の几微は審察し清楚せり。これがすなわち聖人の心意なり。ゆえに文中の列挙する凡人之情の言辞の上に顕露して掩蔵し得ざるは共に六種ありて、正に回頭して上一章の説く所の憂患に身処する人の言辞の危惧なるあの層の意思に切合す。

文言伝 乾卦

文言傳本義 此篇申《彖傳》、《象傳》之意,以盡乾坤二卦之蘊,而餘卦之說,因可以例推雲。

以下は《文言伝》なり。朱熹《本義》はいう:この一篇は《彖伝》《象伝》の意思を申説して、もって《乾》《坤》の両卦の蘊含する所の道理を窮尽す。其余の各卦の解説も、また以てこの体例に照らして類推すべし。

元者,善之長也;亨者,嘉之會也;利者,義之和也;貞者,事之幹也。

《文言伝》はいう:「元」は衆善の中の首領にして、「亨」は衆多の美好の会聚にして、「利」は義の達成する所の諧和にして、「貞」は万事の主干なり。

本義 “元”者,生物之始,天地之德,莫先於此,故於時為春,於人則為仁,而眾善之長也。“亨”者,生物之通,物至於此,莫不嘉美,故於時為夏,於人則為禮,而眾美之會也。“利”者,生物之遂,物各得宜,不相妨害,故於時為秋,於人則為義,而得其分之和。“貞”者,生物之成,實理具備,隨在各足,故於時為冬,於人則為智,而為眾事之幹,於,木之身,而枝葉所依以立者也。

朱熹《本義》はいう:「元」は万物の生発する開端にして、天地の徳はそれより更に先に在るはなし。ゆえに四時に配すれば春天にして、人の身上に配すれば仁にして、因って衆善の首領と為る。「亨」は万物の生長の通暢にして、事物はこの段階に到れば美好ならざるなし。ゆえに四時に配すれば夏天にして、人の身上に配すれば礼にして、因って衆美の会聚と為る。「利」は万物の各々成遂を得るにして、各様の東西はみなその合宜の処を得て彼此相妨害せず。ゆえに四時に配すれば秋天にして、人の身上に配すれば義にして、因って本分の内の諧和を得。「貞」は万物の完成にして、実理は具足して、処に随い皆自足して缺なし。ゆえに四時に配すれば冬天にして、人の身上に配すれば智にして、因って衆事の主干と為る。いわゆる「干」とは、すなわち樹木の躯幹にして、枝葉はみなそれに靠ってやっと立て起るを得。

程傳 它卦,《彖》、《象》而已,獨乾坤更設《文言》以發明其義,推乾之道施於人事,“元亨利貞”,乾之四德,在人則“元”者,眾善之首也;“亨”者,嘉美之會也;“利”者,和合於義也,“貞”者,幹事之用也。

程頤《伊川易伝》はいう:別の卦はただ《彖伝》《象伝》のみある而已。独り《乾》《坤》の両卦は別に《文言》を設けて以てそれらの義理を発明して、乾の道理を人事の上に推衍す。「元亨利貞」は乾の四種の徳にして、人の身上に落れば、「元」は衆善の首領にして、「亨」は嘉美の会聚にして、「利」は義と相和合するにして、「貞」は主幹事務の功用なり。

集說 《朱子語類》:問:“元者善之長。”曰:“元亨利貞”皆善也,而“元”乃為四者之長,是善端初發見處也。問“亨者嘉之會”。曰:且以草木言之,發生到夏時,好處都來湊會。嘉,只是好處。會,是期會也 。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が「元とは善の長なり」の一句を問うた。朱熹はいう:「元亨利貞」の四様はみな善にして、而るに「元」はこの四様の首領なり。それは善の苗头の剛に顕露出だす処なるによりてなり。またある人が「亨とは嘉の会なり」を問うた。朱熹はいう:姑らく草木を拿りて説けば、生発して夏天の時候に到れば、一切の好処はみな一塊に凑り来れり。「嘉」はすなわち好処にして、「会」はすなわち相約聚合なり。

又云:“利者義之和”,“義”。疑於不和矣,然處之而各得其所,則和,“義之和”處便是利。問程子曰:義安處便為利,只是當然便安否。曰:是。正好去解利者義之和句,義截然而不可犯,似不和,分別後萬物各止其所,卻是和,不和生於不義,義則無不和,和則無不利矣。

朱熹はまたいう:「利とは義の和なり」を講ずるに、単に一個の「義」の字を看れば、似て和ならざるが如し。然るに処置して当を得て各様の東西はみな応有の位置を得れば、あれはすなわち和なり。「義之和」の処は正にすなわち利なり。またある人が程頤の「義の安頓し得る処は便ち利なり」と説くは、ただ当然の則に合すれば便ち安穏するを是とするかを問うた。朱熹は答えた:是なり。この話は正好以て「利とは義の和なり」の一句を解釈するに用うべし。義は斬截にして侵犯すべからずを顕して、極めて和ならざるが如し。分別して停当するに及んで、万物は各々その位に安んじて、反って和なり。和ならざるは不義より生出したるにして、ただ義に合せば便ち和ならざるなく、和せば便ち利ならざるなし。

義云:“貞者事之幹”,知是那默運事變底一件物事,所以為“事之幹”。又云:正字不能盡貞之義,須用連正固說,其義方全,正如孟子所謂“知斯二者弗去”是也,“知斯”是正意,“弗去”是固意。乾問又有所謂不可貞者是如何。曰:也是這意思,只是不可以為正而固守之。

朱熹はまたいう(底本の「義云」は応に「又云」と当作す):「貞とは事の幹なり」を講ずるに、「智」はすなわちあの暗中に於て事変を運転する一件の東西なり。ゆえに能く事情の主干を作る。彼はまたいう:単に一個の「正」の字は「貞」の意思を説き尽さず。必ず「正固」の両字を連ねて講じて、意思はやっと完整す。正に《孟子》の説く所の「この二者を知りて去らざる」——「このを知る」は「正」の意思にして、「去らざる」は「固」の意思なり。門人の干氏は問うた:《周易》の裏にまたいわゆる「貞すべからず」の説法あり。あれは如何に講ずるか。朱熹はいう:もなおこの個の意思にして、ただあの件事は以て正道と当作して固守すべからざるを説く而已。

項氏安世曰:善也嘉也義也,皆善之異名也,在事之初為善,善之眾盛為嘉,眾得其宜為義,義所成立為事,此一理而四名也,故分而為四,則曰“元者善之長也,亨者嘉之會也,利者義之和也,貞者事之幹也”。比而為二,則曰“乾元者始而亨者也,利貞者性情也”,混而為一,則曰“乾始能以美利利天下,不言所利大矣哉。 ”義之和,和,

集説に項安世の言を引く:善・嘉・義は、みな「善」の不同の名称にして:事情の開端に在りては善と呼ばれ、善の衆盛に到りては嘉と呼ばれ、衆物の各々その宜を得るは義と呼ばれ、義の成立し起さる所は便ち事と呼ばる。これは本来一個の道理にして四個の名目あり。ゆえに分かち開いて説いて四様と成すは、すなわち「元とは善の長なり、亨とは嘉の会なり、利とは義の和なり、貞とは事の幹なり」。合併して両様と成すは、すなわち「乾元とは始にして亨するなり、利貞とは性情なり」。渾然として説いて一様と成すは、すなわち「乾は始めて能く美利をもって天下を利して、其の利を言わざるは大矣なり」。「義之和」のこの「和」の字に至っては——ここに底本に脱文あり。

君子體仁足以長人,嘉會足以合禮,利物足以和義,貞固足以幹事。本義 以仁為體,則無一物不在所愛之中,故“足以長人”,嘉其所會,則無不合禮,使物各得其所利,則義無不和,貞固者,知正之所在而固守之,所謂知而弗去者也,故足以為事之幹。

《文言伝》はいう:君子は仁を以て本体と為せば、便ち以て衆人の首長と為るに足る。会聚する所をしてみな美好ならしめれば、便ち以て礼に合するに足る。万物をして各々その利を得せしめれば、便ち以て義を調和するに足る。正を守りて堅固なれば、便ち以て事務を主幹するに足る。朱熹《本義》はいう:仁を拿りて自己の本体と作れば、すなわち一件の東西として彼の愛護の中に在らざるなし。ゆえに「以て人に長たるに足る」。自己の会聚する所をしてみな美好と称するに足らしめれば、すなわち礼に合せざるなし。各様の東西をしてみなその応有の利益を得せしめれば、すなわち義は和ならざるなし。いわゆる貞固とは、正道の所在を知りて堅定にそれを守住するにして、もすなわち《孟子》の説く所の「知りて去らざる」なり。ゆえに以て事情の主干を充当するに足る。

程傳 體法於乾之仁,乃為君長之道,足以長人也。體仁,體元也,比而效之謂之體,得會通之嘉,乃合於禮也,不合禮則非理,豈得為嘉,非理安有亨乎,和於義乃能利物,豈有不得其宜而能利物者乎,貞固所以能幹事也。

程頤《伊川易伝》はいう:乾の仁徳を效法して、やっと君長の道と為り成りて、以て衆人の首長と為るに足る。「仁を体す」はすなわち「元」を体察併せて效法するなり。比照して仿效し往くを、便ち「体」と呼ぶ。会通の際のあの份の美好を得て、やっと礼に合す。礼に合せざれば便ち理に合せず。何ぞ嘉美と称するに足らんや。理に合せずしてまた何ぞ能く亨通せんや。義と相和してやっと能く万物を利益す。何ぞ事物のその合宜の処を得ずしてなお利益せらるるを得んや。正を守り堅固なれば、ゆえに能く事務を主幹す。

集說 李氏鼎祚曰:天運四時以生成萬物,君法五常以教化於人,元為善長,故能體仁,仁主春生,東方木也。通為嘉會,足以合禮,禮主夏養,南方火也。利為物宜,足以和義,義主秋成,西方金也。貞為事乾,以配於智,智主冬藏,北方水也。不言信者,信主土,土居中宮,分王四季,水火金木,非土不載。

集説に唐人の李鼎祚の言を引く:上天は四時を運転して以て万物を生成し、君主は五常を效法して以て百姓を教化す。「元」は衆善の長なり。ゆえに能く仁を体す。仁は春天の生発を主管して、方位に於ては東方の木に属す。「亨」は嘉美の会聚にして、以て礼に合するに足る。礼は夏天の長養を主管して、方位に於ては南方の火に属す。「利」は万物の各々その宜を得るにして、以て義に和するに足る。義は秋天の成熟を主管して、方位に於ては西方の金に属す。「貞」は事情の主干にして、五常に配すれば智なり。智は冬天の収蔵を主管して、方位に於ては北方の水に属す。「信」を提げざる所以は、信は土を主管して、土は中央に居りて、四季に分王すればなり。水火金木はもし土の来りて承载するなければ便ち立ち住む能わず。

《朱子語類》云:體仁,不是將仁來為我之體,我之體便都是仁也。又曰:《本義》云,以仁為體者,猶言自家一個身體,元來都是仁。又云:嘉,美也。會,是集齊底意思,許多嘉美,一時斗湊到此,故謂之嘉會,嘉其所會,便動容周旋無不中禮。

集説に《朱子語類》を引いていう:いわゆる「仁を体す」は、仁を拿りて我が本体を充当するにあらずして、我がこの本体は整个児にすなわち仁なり。又いう:《本義》は「仁を以て体と為す」を講ずるは、たとえば自家の一副の身体は、原本通體みな仁なるが如し。又いう:「嘉」は美にして、「会」は聚斉の意思なり。許多の美好は一時にここに凑合す。ゆえに「嘉会」と呼ぶ。自己の会聚する所をしてみな美好ならしめれば、すなわち挙手投足・応対進退は合せざるなし。

又云:看來義之為義,只是一個宜,其初則甚嚴,如男正位乎外,女正位乎內,直是有內外之辨,君尊於上,臣恭於下,尊卑大小,截然不可犯,似若不和之甚,然能使之各得其宜,則其和也,孰大於是。

朱熹はまたいう:看るに義の義と為る所以は、ただ一個の「宜」の字のみ。それは起初に於ては極めて厳峻を顕して、たとえば男子は正に外に位し・女子は正に内に位して、内外は分かつこと清清楚楚にして、君主は上に在りて尊奉を受け・臣子は下に在りて恭敬を守りて、尊卑大小は截然として侵犯すべからずして、極めて和諧ならざるが如し。然るにそれは能く毎一方をしてみな応有の位置を得せしむ。あの份の和諧はまたこれより大なるあらんや。

又云:乾如木之幹,事如木之枝葉,貞固者,正而固守之,貞固在事,是與立個骨子,所以為事之幹,欲為事而非此之貞固,便植立不起,自然倒了。問“貞固”二字與體仁嘉會利物似不同。曰:屬北方者,便著用兩字,方能盡之。

朱熹はまたいう:「幹」はたとえば樹木の主干の如く、「事」はたとえば樹の上の枝葉の如し。いわゆる貞固とは、正を守りてしかも堅定不抜なり。貞固は事情の上に落実せば、等しくそれの為に一副の骨架を立て起す。ゆえに事情の主干と為る。事を弁まんと要してこの份の貞固なければ、便ち豎立し起る能わず、自然に倒るを要す。ある人が問うた:「貞固」の両個の字は体仁・嘉会・利物の三項と好もしく一様ならざるが如し。朱熹はいう:およそ北方に属するは、便ち両個の字を用いて、意思はやっと説き尽し得るなり。

問《文言》四德一段。曰:“元者善之長”以下四句,說天德之自然,“君子體仁足以長人”以下四句,說人事之當然,元是善之長,萬物生理,皆始於此,眾善百行,皆統於此,故於時為春,於人為仁,亨是嘉之會。嘉,美也。會,猶齊也。蓋春方生育,至此乃無一物不暢茂,其在人則禮儀三百,威儀三千,事事物物,一齊到恰好處。所謂動容周旋皆中禮,故於時為夏,於人為禮。

ある人が《文言伝》の四徳を講ずるこの一段を問うた。朱熹はいう:「元とは善の長なり」以下の四句は、天徳の自然かくの如くなるを講ず。「君子は仁を体して以て人に長たるに足る」以下の四句は、人事の応当かくあるべきを講ず。元は衆善の首領にして、万物の生長する道理はみなここより発端して、衆善百行はみなここに統属す。ゆえに四時に配すれば春天にして、人の身上に配すれば仁なり。亨は嘉美の会聚なり:「嘉」は美にして、「会」は斉に相当す。春天は剛に生育して、この時に到れば便ち一物として暢茂せざるなし。人の身上に落れば、すなわち礼儀三百条・威儀三千項にして、事事物物は一斉に恰好の処に做し到る。いわゆる挙手投足に合礼せざるなし。ゆえに四時に配すれば夏天にして、人の身上に配すれば礼なり。

“利者義之和”,萬物至此各遂其性,事理至此無不得宜,故於時為秋,於人為義。“貞者事之於”,萬物至此收斂成實,事理至此無不的正,故於時為冬,於人為智。此天德之自然,其在君子所當從事於此者,體者,以仁為體,仁為我之骨,我以之為體,仁皆從我發出,故無物不在所愛,所以能長人,欲其所會之美,當美其所會,蓋其厚薄親疏尊卑小大相接之體,各有節文,無不中節,即所會皆美,所以能合於禮也,能使事物各得其宜,不相妨害,自無乖戾而各得其分之和,知其正之所在,固守而不云,故足以為事之幹。乾,如版築之有楨乾。

「利とは義の和なり」は、万物はこの時に到りて各自にその本性を遂げ、事理はこの時に到りて合宜せざるなし。ゆえに四時に配すれば秋天にして、人の身上に配すれば義なり。「貞とは事の幹なり」は、万物はこの時に到りて収斂して果実を結び、事理はこの時に到りて端正確定せざるなし。ゆえに四時に配すれば冬天にして、人の身上に配すれば智なり。これらの講ずる所は天徳の自然かくの如くなるなり。君子の応当に従事すべき所に至っては:いわゆる「体」とは、仁を拿りて本体と作して、仁は我が骨骼と成りて、我はそれを用いて自己の本体に当てれば、一切はみな仁の裏より発し出だす。ゆえに一物として彼の愛護の中に在らざるなし。これに因りて能く衆人の首長と為る。自己の会聚する所の美好ならんを欲せば、応に会聚する所をして美と為り成らしむべし。厚薄親疎・尊卑大小の彼此相接する種種の情形は、各々各々の礼節儀文あるに因りて、もし節度に合せざるなければ、すなわち会聚する所は便ちみな美好なり。これに因りて能く礼に合す。能く事事物物をして各々その宜を得・彼此相妨害せざらしめれば、自然に乖戾なく、各自は本分の内の和諧を得。正道の所在を知りて、堅定に守住して離去せず(底本の「不云」は応に「弗去」と当作す)。ゆえに以て事情の主干を充当するに足る。この「幹」は、たとえば墻を築くとき両頭に立つる木柱の如し。

胡氏炳文曰:體仁有以存諸中。嘉會則美見乎外,利物有以方乎外,而貞固有以守於中,禮者仁之著,智者義之藏,體仁長人,貞固幹事,山理以及用,嘉會合禮,利物 董氏真卿曰:朱子謂屬北方者便著用兩字,方能盡之,幼時聞先君子之言曰:北方天氣之終始,有分別之義,故北字篆文,兩人相背,至於四端五臟四獸,屬北方者皆兩,東西南三方者各一,四時為冬,亦與春為交接,四德:勾貞,亦貞下起元,十二辰為亥子,六十四卦為《坤》、《復》。

集説に胡炳文の言を引く:体仁は内に存養する所有りにして、嘉会は則ち外に顕現する美好なり。利物は外に端方する所有りにして、而るに貞固は内に持守する所有りなり。礼は仁の顕著の処にして、智は義の収蔵の処なり。体仁して能く人に長たり・貞固して能く事を幹すは、道理より説きて功用に到る(底本の「山理」は応に「由理」と当作す)。嘉会して礼に合し・利物——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に董真卿の言に接続す。董真卿はいう:朱子はおよそ北方に属するは便ち両個の字を用いて意思はやっと説き尽し得ると講ず。我は幼年のとき先父の説くを聴き得たり:北方は天気の終点にしてまた起点にして、分別の意味を含有す。ゆえに「北」の字の篆文は両個の人の相背いて立つなり。四端・五臓・四方の獣に至っては、およそ北方に属するはみな成双にして、東・西・南の三方のは各々ただ一様のみあり。四時は冬に属して、冬もまた春と相交接す。四徳は貞に属して(底本の「勾貞」は応に「曰貞」と当作す)、貞は終わりて又だ元を生じ起す。十二辰は亥と子に属し、六十四卦は則ち《坤》と《復》と為る。

林氏希元曰:君子克己復禮,使亡:充乎中而見乎外,中之所有,無一念之非仁,外之所行,無一事之非仁,則君子之身,渾是一個仁,非體其體而體夫仁也,體仁,仁之至也,故無一物不在所愛之中,而足以長人,安土敦廠故能愛,正是如此。

集説に林希元の言を引く:君子は自己を克制して礼に復帰して、私欲を消亡せしめれば(底本の此の句は訛脱あり)、仁は便ち内に充満して外に顕現す:内心の存する所は一個の念頭として仁ならざるなく、外面の行う所は一件の事として仁ならざるなし。すなわち君子のこの人は整个児にすなわち一団の仁にして、並びて仁を当作して身外の物として体認し往くにあらず。この様の体仁は、仁の極処に到れるなり。ゆえに一物として彼の愛護の中に在らざるなし。因って以て衆人の首長と為るに足る。《繋辞》は「土に安んじ仁を敦くす、故に能く愛す」と説く(底本の「厂」の字は脱訛あり)。正にこの個の道理なり。

又曰:“利者義之和”之“利”,乃在人天然之利,“利物足以和義”之“利”,乃人所以求乎天然之利也,義之和之和,乃在人天然之和,足以和義之和,乃人所以求乎天然之和也。

林希元はまたいう:「利とは義の和なり」のこの「利」は、人の身上の天然本有の利なり。「物を利して以て義に和するに足る」のこの「利」は、人のもってあの天然の利を求取する功夫なり。「義之和」のこの「和」は、人の身上の天然本有の和なり。「以て義に和するに足る」のこの「和」は、人のもってあの天然の和を求取する功夫なり。

君子行此四德者,故曰乾元亨利貞。本義 非君子之至健,無以行此,故曰“乾元亨利貞”。此第一節,申《彖傳》之意,與《春秋傳》所載穆姜之言不異,疑古者已有此語,穆姜稱之,而夫子亦有取焉,故下文別以子曰:表孔子之辭,蓋傳者欲以明此章之為古語也。程傳 行此四德乃合於乾也。

《文言伝》はいう:君子はこの四種の徳を実行す。ゆえに《乾》の卦辞は「乾は元亨利貞」と説く。朱熹《本義》はいう:君子のあの様に極めて剛健なるにあらざれば、便ちこの四徳を実行する法なし。ゆえに「乾は元亨利貞」という。以上は第一節にして、《彖伝》の意思を申説す。この一節は《左伝》の記する所の魯国の穆姜の話と両様なし。古は早已にこれらの話有りしを疑う。穆姜はそれを称引し過ぎ、孔子もまた採取する所有り。ゆえに下文は別に「子曰」を用いて以て孔子の話なるを標明す。大概《易》を伝うる人はこれに借りてこの一章は原本古語なるを説明せんと想うなり。程頤《伊川易伝》はいう:この四種の徳を実行して、やっと乾に合す。

集說 《朱子語類》:問:“乾元亨利貞”,猶言性仁義禮智。曰:此語甚穩當。又曰:“乾元亨利貞”,它把“乾”字當君子。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が問うた。「乾は元亨利貞」と説くは、便ち「性は仁義礼智」と説くが如し。朱熹はいう:この話は講くこと極めて穏妥なり。彼はまたいう:「乾は元亨利貞」のこの一句は、《文言》は「乾」の字を当作して君子と為して用うるなり。

蔡氏清曰:“元亨利貞”四字,在文王只為占辭,至孔子《彖傳》,乃有四德之說,然其所謂四德者,又有不同,天之四德,自其生成萬物者言也,聖人之四德,自其統治一世者言也,至此所謂四德,又只就君子一身所行而言也,一身所行者其體也,統治一世者其用也,四德無乎不在也,又見乾字所該者廣也。

集説に蔡清の言を引く:「元亨利貞」のこの四個の字は、文王のあの処に於てはただ占筮の断語のみ。孔子の《彖伝》を作るに到って、やっと四徳の講法あり。然るに説く所の四徳は、前後に又だ不同あり:天の四徳は、それの万物を生成するに就いて説き、聖人の四徳は、彼の一世を統治するに就いて説き、ここに到りて説く所の四徳は、又だただ君子の一身の行事に就いて説く。一身の行事はそれの体にして、一世を統治するはそれの用なり。四徳は在る処なし。これに由りてもまた「乾」の字の包括する所の範囲の広きを見るべし。

文言伝 乾卦 初九

初九曰:潛龍勿用,何謂也?子曰:龍德而隱者也,不易乎世,不成乎名,遯世無悶,不見是而無悶,樂則行之,憂則違之,確乎其不可拔,潛龍也。本義 龍德,聖人之德也,在下故隱,易,謂變其所守,大抵乾卦六爻,《文言》皆以聖人明之,有隱顯而無淺深也。

《文言伝》はいう:初九の爻辞は「潜竜は用うる勿れ」と講ず。これは何の意思か。孔子は曰く:これは竜徳を具有して隠居する人なり。彼は世俗に因りて操守を改変せず、刻意して名声を成就し往かず。世を避けて隠居するも煩悶せず、人に認可せられざるも煩悶せず。心願に合するは便ち做し往き、心願に合せざるは便ち避開す。意志は堅定にして動揺する法なし。これがすなわち潜竜なり。朱熹《本義》はいう:いわゆる竜徳とは、すなわち聖人の徳なり。下位に処するに因りてゆえに隠居す。「易」は、自己の堅守する所の東西を改変するなり。大抵《乾》卦の六爻は、《文言》はみな聖人を拿りて説明して、その間はただ隠と顕の不同あるのみにして、造詣深浅の差別なし。

程傳 自此以下言乾之用,用九之道也,初九陽之微,“龍德”之潛隱,乃聖賢之在側陋也,守其道,不隨世而變,晦其行,不求知於時,自信自樂,見可而動,知難而避,其守堅不可奪潛龍之德也。

程頤《伊川易伝》はいう:ここより以下は乾の功用を講じて、もすなわち「九を用う」の道理なり。初九は陽気の微弱の時にして、竜徳は潜蔵隠伏して、正に聖賢の卑微下位に処する様子なり。彼は自己の道を固守して、世俗に随いて改変せず。自己の行跡を隠晦して、当世に知らるるを求めず。自信自楽して、行うべきを看准してやっと動き、艱難を知れば便ち躲開す。操守は堅定にして奪い去るべからず。これがすなわち潜竜の徳なり。

集說 孔氏穎達曰:心以為樂,己則行之,心以為憂,己則違之,身雖逐物推移,心志守道,確乎堅實其不可拔。游氏酢曰:“龍德而隱”,故“不易乎世”,“不易乎世”者,用舍在我,故“遯世無 吳氏澄曰:“樂則行之”,釋上文“無悶”二句。“憂則違之”,釋上文“不易”“不成”二句。樂者,謂無悶也。行之,謂為之也。憂者,謂非其所樂也。違之,謂不為也。

集説に孔穎達の言を引く:心裏に可楽と認むるは、自己は便ち做し往き、心裏に可憂と認むるは、自己は便ち避開す。身子は外物に随いて推移するといえども、心志は却ってその道を守定して、堅実にして動揺すべからず。又引く宋人の游酢の言に:竜徳ありて隠居する人なるに因りて、ゆえに「世に易えず」。能く「世に易えず」の人は、進退用舎は全て自己に在り。ゆえに「世を遯して悶な——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に呉澄の言に接続す。呉澄はいう:「楽しければ則ち之を行う」は、上文の「悶なし」の両句を解釈す。「憂えば則ち之に違う」は、上文の「易えず」「成らず」の両句を解釈す。「楽」はすなわち悶なきにして、「之を行う」はすなわち做し往くなり。「憂」は並びて自己の楽しむ所にあらざるを指して、「之に違う」はすなわち做らざるなり。

不求見於世,不求知於人者,此其所樂也,則為之,易乎世成乎名者,此非其所樂也,則不為。

呉澄は続けていう:世に於て顕露するを求めず・人に知らるるを求めざるは、これは彼の楽意とする所なり。あれは便ち做し往く。世俗に随いて操守を改変し・刻意して名声を成就するは、これは彼の楽意とする所にあらず。あれは便ち做らず。

蔣氏悌生曰:行道而濟時者,聖人之本心,故曰“樂則行之”,不用而隱遯者,非聖人所願欲也,故曰“憂則違之”。雖然其進其退莫不求至理之所在,未嘗枉道以徇人也,故曰“確乎其不可拔。”蔡氏清曰:“遯世無悶”二句,尤重於“不易乎世”二句,“樂則行之”三句,更重於“遯世無悶”二句,此三句明其無意必也,論龍德之隱,必至是而後盡。

集説に元人の蒋悌生の言を引く:大道を推行して以て時世を済助するは、本来聖人の初心なり。ゆえに「楽しければ則ち之を行う」という。任用せられずして隠遁避世するは、並びて聖人の願意する所にあらず。ゆえに「憂えば則ち之に違う」という。話はこの然りといえども、彼の進むも好し・退くも好し、無非はあの至理の所在を求むるにして、従来曽て正道を委屈して別人に遷就せざりき。ゆえに「确乎として其の拔くべからず」という。又引く蔡清の言に:「世を遯して悶なし」の両句は、分量は「世に易えず」の両句より更に重し。「楽しければ則ち之を行う」の三句は、分量は又だ「世を遯して悶なし」の両句より更に重し。この三句は彼の心裏に必ず如何ならんの成見なきを表明す。竜徳の隠居を論ずるは、必ずこの一層に講じ到ってやっと説き尽したりと算すべし。

案 吳氏蔣氏兩說不同,而皆可通。

李光地の按:呉澄と蒋悌生のこの両家の講法は同じからざるといえども、然るにみな講じ通り得。

文言伝 乾卦 九二

九二曰:見龍在田,利見大人。何謂也?子曰:龍德而正中者也。庸言之言,庸行之謹,閒邪存其誠,善世而不伐,德博而化。《易》曰:“見龍在田,利見大人。”君德也。本義 正中,不潛而未躍之時也,常言亦信,常行亦謹,盛德之至也,閒邪存其誠,無斁亦保之意,言君德也者,釋“大人”之為九二也。

《文言伝》はいう:九二の爻辞は「竜を田に見る、大人を見るに利し」と講ず。これは何の意思か。孔子は曰く:これは竜徳を具有して正に居り中を得る人なり。平常の話もまた信実を講じ(底本の「庸言之言」は応に「庸言之信」と当作す)、平常の行為もまた謹慎を講ず。邪念を防閑して自己の誠を存養して、世に善を為して自ら功労を誇らず、徳性は広博にして因って能く他人を感化す。《周易》は「竜を田に見る、大人を見るに利し」と説く。講ずる所は正に君主の徳なり。朱熹《本義》はいう:「正中」は、已に再び潜蔵せざるも又だまだ騰躍せざる時候なり。平常に話を説くも信実にして、平常に事を行うも謹慎なり。これは盛徳の極致なり。「邪を閑して其の誠を存す」は、すなわち《詩経》の説く所の「斁なしとも亦た保つ」——人の厭棄するなきといえども、も仍旧として持守す——の意思なり。「君徳なり」と説くは、「大人」の指す所はすなわち九二なるを解釈す。

程傳 以龍德而處正中者也,在卦之正中,為得正中之義,庸信庸謹,造次必於是也,既處無過之地,則唯在閒邪,邪既閒,則誠存矣,“善世而不伐”,不有其善也,“德博而化”,正已而物正也,皆大人之事,雖非君位,君之德也。

程頤《伊川易伝》はいう:これは竜徳を以て正中の位に処する人なり。九二は下卦の正中に在り。ゆえに「正中」の意思あり。平常に話を説くは信実・平常に事を行うは謹慎にして、倉卒の間もまた必定にこの一条を守住す。すでに過失なき地位に処すれば、剰る功夫は便ちただ邪念を防閑するに在るのみ。邪念は一たび防ぎ住まれば、誠もまた便ち存し住まれたり。「世を善くして伐らず」は、善ありて自らその善に居らざるなり。「徳博くして化す」は、自己を端正して万物はこれに随いて端正するなり。これらはみな大人の事なり。九二は君位に在らざるといえども、已に君主の徳を具備せり。

集說 孔氏穎達曰:庸,常也,常言之信實,常行之謹慎,防閒邪惡,自存誠實,為善於世,而不自伐其功,德能廣博,而變化於世俗,初爻則全隱遯避世,二爻則漸見德行以化於俗也。

集説に孔穎達の言を引く:「庸」はすなわち平常なり。平常に話を説くは信実を講究し、平常に事を行うは謹慎を講究す。邪悪を防閑して、自己は誠実を存養す。世間に善事を為して自ら功労を誇耀せず。徳能は広博にして、因って世俗風気を変化せり。初爻は完全に隠遁避世して、二爻は則ち漸漸に徳行を顕露して以て流俗を感化す。

《朱子語類》云:“庸言”“庸行”,盛德之至,到這裡猶自閒邪存誠,便是無射亦保,雖無厭致,亦當保也,保者持守之意。又云;“‘利見大人’,君德也”,兩處說“君德”,卻是要發明“大人”即是九二。

集説に《朱子語類》を引いていう:「庸言」「庸行」は已に盛徳の極致にして、この歩に到ってなお邪念を防閑し・誠実を存養するを要す。すなわち《詩経》のいわゆる「射なしとも亦た保つ」:人に厭棄を招くなきといえども、も仍旧として応当に持守すべし。「保」はすなわち持守の意思なり。又いう:「大人を見るに利し」の下面に一句を接して「君徳なり」。《文言》は両処にみな「君徳」を説く。正にこの「大人」はすなわち九二なるを点明せんと要するなり。

陸氏九淵曰:言行之信謹,二之所以成己者也,“善世而不伐”,二之所以成物者也,彼其所謂信謹者,乃其所以不伐者也,“閒邪存其誠地”,存諸己者也,“德博而化”,德之及乎物者也,彼其所以閒而存者,乃其所以博而化者也。

集説に宋人の陸九淵の言を引く:言語行為の信実謹慎は、九二のもって自己を成就するなり。「世を善くして伐らず」は、九二のもって外物を成就するなり。而るに彼の能く自ら誇らざる所以は、正にこの份の信実謹慎に由る。「邪を閑して其の誠を存す」は、自身に於て存養するなり。「徳博くして化す」は、外物に於て徳沢を施及するなり。而るに彼の能く広博感化する所以は、正にこの份の防閑存誠に由る。

李氏舜臣曰:乾畫一,實則誠,坤畫一,虛則生敬,故《乾》九二言誠,《坤》六二言敬,誠敬二字始於包犧心畫,而實天地自然之理也。

集説に宋人の李舜臣の言を引く:乾の一画は実にして、実はすなわち誠なり。坤の一画は虚にして、虚は便ち敬を生出す。ゆえに《乾》卦の九二は誠を講じ、《坤》卦の六二は敬を講ず。「誠」「敬」のこの両個の字は、伏羲の心中の画きたるあの一画に起源して、其の実は正に天地自然の道理なり。

項氏安世曰:稱“中正”者,二事也,二五為中,陰陽當位為正,稱“正中”者,一事也,但取其正得中位,非以當位言也。又曰:以在下卦,又非陽位,故不為中位而為中德,《文言》兩稱“君德”,明非君位也,此又稱“龍德”之中,明非龍位之中也。

集説に項安世の言を引く:「中正」と称するは、両件の事を包含す:二・五は中と為り、陰陽は各々其の位に当たるを正と為す。「正中」と称するは、ただ一件の事のみ:ただそれの恰好に中位に居るを取りて、並びて位に当たるや否やに就いて説くにあらず。項安世はまたいう:九二は下卦に在るに因りて、処する所もまた陽位にあらず。ゆえに《文言》はそれを中位と説かずしてそれに中徳ありと説く。《文言》は両次に「君徳」を称すは、それは並びて君位に在らざるを説明す。ここにまた「竜徳」の中を称すは、並びて竜位の中にあらざるを説明す。

馮氏椅曰:《易》者理學之宗,而乾坤二卦,又《易》學之宗也,子思、孟子言誠 何氏楷曰:道止於中,中寓於庸,庸者常也,平無奇之名,言必有物,無苟高也,唯其信無擇言矣,行必有則,無苟難也,唯其謹無擇行矣,信謹,誠也,天德也,一實焉而已。

集説に宋人の馮椅の言を引く:《周易》は義理の学の宗主にして、而るに《乾》《坤》の両卦は又だ《易》学の宗主なり。子思・孟子は誠を講ず——ここに底本に脱文ありて、下面は直截に何楷の言に接続す。何楷はいう:道は中に止まりて、中は又だ庸常の内に寄寓す。「庸」はすなわち平常にして、平実无奇の名目なり。話を説くは必定に実在の内容ありて、苟且に高妙を求めず。唯だその信実なるに、便ち挑揀を要する言語なし。事を行うは必定に法則ありて、苟且に艱難を求めず。唯だその謹慎なるに、便ち挑揀を要する行為なし。信と謹とはすなわち誠にして、すなわち天徳なり。帰根到底はただ一個の「実」の字而已。

文言伝 乾卦 九三

九三曰:君子終日乾乾,夕惕若厲,無咎。何謂也?子曰:君子進德修業。忠信,所以進德也。修辭立其誠,所以居業也。知至至之,可與幾也。知終終之,可與存義也。是故居上位而不驕,在下位而不憂。故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。

《文言伝》はいう:九三の爻辞は「君子は終日乾乾として、夕に惕り若く、厲しくして、咎なし」と講ず。これは何の意思か。孔子は曰く:君子は徳性を増進し・功業を修治するに在り。忠誠信実は、もって徳性を増進するに用い、言辞を修治し・自己の誠を確立するは、もって功業に安居するに用う。到達すべき境地を知りて努力してそれに到達するは、この様の人は以て彼と事情の几微を探討すべし。終止すべき所在を知りて終止するを做し到るは、この様の人は以て彼と事理の合宜を持守すべし。これに因りて上位に居りて驕慢せず、下位に処して憂惧せず。ゆえに彼は剛健息まずして、処する所の時勢に順って警惕を保持して、たとえ危地に身在るも、過錯ある会せざらん。

本義 “忠信”,主於心者,無一念之不誠也。“修辭”,見於事者無一言之不實也,雖有忠信之心,然非修辭立誠,則無以居之。“知至至之”,進德之事:“知終終之”,居業之事,所以“終日乾乾”而夕猶惕若者,以此故也,可上可下,不驕不憂,所謂無咎也。

朱熹《本義》はいう:「忠信」は心裏に主宰するにして、一個の念頭として誠ならざるなし。「修辞」は事情の上に顕現するにして、一句の話として実ならざるなし。忠信の心あるといえども、もし言辞を修治し・その誠を確立せざれば、も便ちこの份の功業に安居するに由なし。「至を知り之に至る」は進徳の事に属し、「終を知り之を終る」は居業の事に属す。整天に剛健息まず・晚上に到ってなお戒惧安らならざる所以は、便ちこの縁故の為なり。上るべく下るべく・驕らず憂えず。これがすなわち説く所の過錯なきなり。

程傳 三居下之上,而君德已著,將何為哉,唯進德修業而已,內積忠信,所以進德也:擇言篤志,所以居業也;“知至至之”,致知也。求知所至而後至之,加之在先,故可與幾。所謂始條理者,知之事也。知終終之,力行也,既知所終,則力進而終之,守之在後,故可與存義。所謂終條理者,聖之事也。此學之始終也,君子之學如是,故知處上下之道而無驕憂,不懈而知懼,雖在危地而無咎也。

程頤《伊川易伝》はいう:九三は下卦の頂端に居りて、君徳は已に顕著せり。なお何を為すを得んや。ただ徳性を増進し・功業を修治する而已。内心は忠信を積蓄するは、もって徳性を増進するに用い。言辞を斟酌し・志向を篤定するは、もって功業に安居するに用う。「至を知り之に至る」はすなわち知を致すにして、まず到達すべき処を知るを求めて然る後にそれに到達して、力を用うるは先に在り。ゆえに「与に几すべし」——《孟子》のいわゆる「条理を始める者」は、智の事に属す。「終を知り之を終る」はすなわち力を行うにして、すでに終止すべき所在を知れば、便ち努力して前進して終にそれを成して、持守するは後に在り。ゆえに「与に義を存すべし」——《孟子》のいわゆる「条理を終える者」は、聖の事に属す。これがすなわち学を為すの開頭と結尾なり。君子は学問を為すことこの様の如し。ゆえに上に処し下に処する道理を懂りて驕慢と憂惧なし。懈怠せずして戒惧を知りて、危地に処するも過錯ある会せざらん。

集說 孔氏穎達曰:九三所以“終日乾乾”者,欲進益道德,修營功業,故終日乾乾匪懈也,進德則知至,將進也,修業則知終,存義也。程子曰:“修辭立其誠”,不可不予細理會,言能修省言辭,便是要立誠,若只是修飾言辭為心,只是為偽也,修其言辭,正為立己之誠意。

集説に孔穎達の言を引く:九三の「終日乾乾」たる所以は、道徳を增益し・功業を修営せんと想うなり。ゆえに整天に剛健息まず・毫も懈怠せず。徳を進むるはすなわち「至を知る」にして、将に前進せんとするを指す。業を修むるはすなわち「終を知る」にして、事理の合宜を持守するを指す。又引く程頤の言に:「辞を修め其の誠を立つ」のこの一句は、仔細に理会せざるべからず(底本の「不可不予細理会」は応に「不可不仔細理会」と当作す)。いわゆる能く言辞を修省するは、正に誠を確立せんが為なり。もしただ言辞を修飾するを心上に置けば、すなわち作偽と成る。自己の言辞を修治するは、正に自己の誠実の心意を確立せんが為なり。

呂氏大臨曰:“忠信”“進德”,如有諸己又知所以充實之也,“修辭立其誠”,正名是事,行其實以稱之也,所立卓爾而欲從之,“知至至之也”,於德有先見之明也,人不堪其憂,而不改其樂,“知終終之”也,於分有當安之義也。

集説に宋人の呂大臨の言を引く:「忠信」にして「徳を進む」は、たとえば已に自身に具備して、またどうやってそれを充実するを懂るが如し。「辞を修め其の誠を立つ」は、たとえばまず名分のこの件事を端正して、再び実際の行為を拿りてそれと相称せしむるが如し。道理は卓然として眼前に立ちて跟い上がらんと欲するは、これがすなわち「至を知り之に至る」にして、徳性の上に先見の明あり。別人のあの份の清苦を受けずに堪えざるを自己はその楽を改めざるは、これがすなわち「終を知り之を終る」にして、本分の上に応当に安処すべき義理あり。

《朱子語類》云:“德”是就心上就,“業”是就事上說,“忠信”是自家心中誠實,“修辭立其誠”,是說處有真實底道理。

集説に《朱子語類》を引いていう:「徳」は心上に就いて講ず(底本の「就心上就」は応に「就心上説」と当作す)。「業」は事上に就いて講ず。「忠信」は自家の心裏の誠実にして、「辞を修め其の誠を立つ」は説き出だしたる話の裏頭に真実の道理あるを説く。

又云:“忠信”只是實,若無實,如何會進,如播種相似,須是實有種子下在泥中,方會日見發生,若把個空殼下在裡面,如何會發生,道理須是實見得,若徒將耳聽過將口說過,濟甚事,忠信所以為實者,且如孝須實是孝,方始那孝之德日進一日,如弟須實是弟,方始那弟之德日進一日,若不實,卻自無根了,如何會進,“立其誠”,誠依舊便是上面忠信,“修辭”是言語照管得到那裡面亦須照管得到,“進德”是自覺得意,思日強似一日,日振作似一日,不是外面事,只是自見得意思不同。

朱熹はまたいう:「忠信」はただ一個の「実」の字のみ。もし実なければ、何ぞ能く長進あらんや。たとえば播種の如くして、須く是真に種子の泥の裏に下有るを要して、やっと一天天に発芽生長するを看る。もし個の空殻をその裏面に埋めれば、何ぞ能く発し出だし得んや。道理は必ず真実に体認し到るを要してやっと行うべし。もしただ耳朵を拿りて聴き過ぎ・嘴巴を拿りて説き過ぐるのみなれば、何事を済わせんや。忠信の実と称する所以は、たとえば孝を講ずれば、須く真実に孝を為すを要して、あの份の孝の徳はやっと一天天に長進す。悌を講ずれば、須く真実に悌を為すを要して、あの份の悌の徳はやっと一天天に長進す。もし真実ならざれば、自己は便ち根なし。何ぞ能く長進あらんや。朱熹は続けていう:「其の誠を立つ」のこの誠は、依旧としてすなわち上文の説く所の忠信なり。「辞を修む」は言語の上に照管すること周到なれば、すなわち心裏面もまた須く照管すること周到なるべし。「徳を進む」は自己の心思の一天比一天に強健・一天比一天に振作するを覚ゆるにして、並びて外面の事にあらず。ただ自己のあの份の意思の従前と同じからざるを感覚する而已。

問“立誠”不就制行上說,而特指“修辭”何也。曰:人不誠處多在言語上。又曰:人多將言語作沒緊要,容易說出來,若一一要實,這工夫自是大,“忠信”、“進德”,便是見得“修辭”、“立城”底許多道理,“修辭”“立誠”,便要立得這忠信,若口不擇言, 又云:伊川解“修辭”“立城”作擇言篤志,說得來寬,不如明道說云:修其言辭,正為立己之誠意。

ある人が問うた:「誠を立つ」を講ずるに何がして行為を制約する上より説かずして、偏りて単に「辞を修む」を指すか。朱熹はいう:人の誠実ならざる処は、多半は言語の上に在り。彼はまたいう:人々は大多は言語を看ること打緊ならずとして、口に随いて便ち説き出だす。もし句句に落実せんと要せば、この份の功夫は自然に極めて大なり。「忠信」にして「徳を進む」は、すなわち「辞を修め誠を立つ」の裏頭の許多の道理を体認し到るなり。「辞を修め誠を立つ」は、すなわちこの份の忠信を確立し起さんと要するなり。仮使口を開けば言を擇ばず——ここに底本に脱文ありて、下面は別に一条を起す。朱熹はまたいう:伊川の程頤は「辞を修め其の誠を立つ」を解して言辞を斟酌し・志向を篤定すると作すは、説くこと太だ宽泛にして、明道の程颢の講くるに如かず:自己の言辞を修治するは、正に自己の誠実の心意を確立せんが為なり。

又云:“忠信”“修辭”,且大綱說所以“進德修業”之道,“知至”“知終”,則又詳其始終工夫之序如此。“忠信”,心也。“修業”,事也。然蘊於心者所以見於事,修於事者所以養其心,此聖人之學,所以為內外兩進,而非判然二事也。“知至”,則知其道之所止。“至之”,乃行矣而驗其所知也。知終則見其道之極致。“終之”,乃力行而期至於所歸宿之地也。知而行,行而知,二者交相警發,而其道日益光明,終日乾乾,又安有一息之間哉。

朱熹はまたいう:「忠信」「辞を修む」はただ大綱に「進徳修業」の門路を説き出だすにして、「至を知る」「終を知る」は則ちまたこの套の功夫の始終の次第を講くこと詳細なり。「忠信」は心上の事にして、「業を修む」は事上の事なり。然るに心裏に藴蓄する所は、正に事上に顕現せんが為にして、而るに事上に於て修治する所は、又だ正にもってその心を涵養するに用うるなり。聖人の学問の内外並進して判然の両回事ならざる所以は、道理は便ちここに在るなり。「至を知る」は、あの道理の帰止の処を知るなり。「之に至る」は、真に行きてあの処に到りて自己の所知を験証するなり。「終を知る」は、あの道理の極致を看見するなり。「之を終る」は、努力して実行して最後の帰宿に達することを期す。知りて再び行い、行いて再び知りて、両者は交相に警醒激発して、あの道理は便ち一天比一天に光明なり。整天に剛健息まず。何ぞなお一刻の間断を容れ得んや。

又云,知至至之者,言此心所知者,心真個到那所知田地,雖行未到而心已到,故其精微幾密,一齊在此,故曰可與幾。“知終終之”者,既知到極處,便力行到極處,此真實見於行事,故天下義理都無走失,故曰“可與存義。”又云,“進”字貼著那“幾”字,“至”字又貼著那“進”字,“居”字貼著那“存”字,“終”字又貼著那“居”字,“幾”是心上說,“義”是那業上底道理。

朱熹はまたいう:いわゆる「至を知り之に至る」とは、この顆の心の知る所は、心は真個にあの所知の地界に到るを説く。行動はなお到らざるといえども、心は已に到れり。ゆえにあの精微几密の処は全てここに聚まる。これに因りて「与に几すべし」と説く。いわゆる「終を知り之を終る」とは、すでに極処に知り到れば、便ち努力して実行して極処に到る。これは行事の上に真実に體現す。ゆえに天下の義理は走失せざらず。これに因りて「与に義を存すべし」と説く。彼はまたいう:「進」の字はあの「几」の字に緊貼し、「至」の字は又だあの「進」の字に緊貼す。「居」の字はあの「存」の字に緊貼し、「終」の字は又だあの「居」の字に緊貼す。「几」は心上より説きて、「義」はあの功業の上の道理なり。

又云:“忠信”“進德”與“知至至之可與幾也”,這幾句都是去底字,“修辭”“立誠”與“知終終之可與存義”,都是住底字,“進德”是日日新,“居業”是日日如此。問,修業居業之別?曰:二者只是一意,居,守也,逐日修作是修,常常如此是守。

朱熹はまたいう:「忠信」「徳を進む」は「至を知り之に至る・与に几すべきなり」と同じく、この几句はみな前に往き去る字なり。「辞を修む」「誠を立つ」は「終を知り之を終る・与に義を存すべし」と同じく、みな停まり住む字なり。「徳を進む」は一天天に更新して、「業に居る」は一天天にかくの如く保持す。ある人が「業を修む」と「業に居る」の分別を問うた。朱熹はいう:この両個はただ一個の意思のみ。「居」はすなわち守なり。逐日に修作し往くを修と呼び、長久にかくの如く保持するを守と呼ぶ。

又云;“忠信”“進德”“修辭”“立誠”,與“敬以直內義以方外”分屬乾坤,蓋取健順二體,忠信立誠,自有剛健主立之體,敬義便有靜順之體,進修便是個篤實:敬義便是千虛靜,故曰:陽實陰虛。

朱熹はまたいう:「忠信」「徳を進む」「辞を修む」「誠を立つ」は、《坤・文言》の「敬をもって内を直くし、義をもって外を方にす」と分別に乾と坤とに帰属す。取る所は健と順のこの両種の体性なるによりてなり。忠信立誠は、自ら一種の剛健主動にして確立する体性あり。敬と義とは則ち一種の安静柔順の体性あり。徳を進み業を修むるはすなわち一個の篤実にして、敬義はすなわち一個の虚静なり(底本の「千虚静」は応に「個虚静」と当作す)。ゆえに陽実陰虚という。

俞氏琰曰:“德”與“忠信”,皆主於心者也,業與辭,皆見於事者也,事已成謂之業,“修業”者,業未成則修而成之也。居業,業已成則居而守之也。辭,言辭也。修,謂修省,非修飾也。誠,即忠信也。“立其誠”,謂立其誠意,而不為私意所汨撓也,若但以修飾言辭為心則偽矣,君子閒邪存其誠,則無一念之不正也,“修辭立其誠”,則無一言之不實也。

集説に宋人の兪琰の言を引く:「徳」と「忠信」は、みな心裏に主宰するなり。「業」と「辞」は、みな事上に顕現するなり。事情の已に做し成れるを「業」と呼ぶ。いわゆる「業を修む」は、業はなお成らざるに、便ちそれを修治してそれを成らしむ。いわゆる「業に居る」は、業は已に成りて、便ち安居してそれを守住す。「辞」はすなわち言辞にして、「修」は修省にして、修飾にあらず。「誠」はすなわち忠信なり。「其の誠を立つ」は、自己の誠実の心意を確立して私意に攪擾せられざらしむるなり。もしただ言辞を修飾するを心上に置けば便ち偽と成る。君子は邪念を防閑してその誠を存養せば、便ち一個の念頭として正ならざるなし。言辞を修治してその誠を確立せば、便ち一句の話として実ならざるなし。

蔣氏悌生曰:“乾乾因其時而惕”,“時”字正解爻辭終日之義,見聖人省察之心,無少間斷也。蔡氏清曰:“忠信”所以“進德”也,每應一件事,俱著一個心為之主,唯心之所主者一於誠,則德之在內者進矣,而其於事也,又處置恰好,如其所言,則是誠有所歸宿安頓處,是之謂“立誠”,而業之見於外者修矣。

集説に蒋悌生の言を引く:「乾乾として其の時に因りて惕る」のこの「時」の字は、正好爻辞の「終日」の両字の意思を解釈す。見るべし、聖人の省察する心思は一点の間断なきなり。又引く蔡清の言に:「忠信」はもって「徳を進むる」に用うるなり。一件事に応付する毎に、みな一個の心のその主宰と為るを得。ただ心の主とする所の誠に専一なれば、すなわち内に在る徳は便ち長進せり。而るに彼の事情を処置するはまた恰好の処に到りて、正に彼の説く所の如く。これがすなわち誠の帰宿安頓する処あるを得て、「誠を立つ」と呼ばる。ここに外に顕現する業もまた便ち修治し好れたり。

又曰:誠,即“忠信”也。“忠信”,就初間存主上說,“修辭”“立誠”,就後來事到就緒上說,二者總是“敬以直內義以方外。“忠信”,直內之事;“修辭”,方外之事。又曰:閒邪之外,再無存誠工夫,故承之曰“存其誠”,“修辭”之外,再無立誠工夫,故承之曰“立其誠”,誠即“忠信”,向也誠存於心,而今則見於事,而誠有立矣。

蔡清はまたいう:「誠」はすなわち「忠信」なり。「忠信」は最初の存主の上に就いて説き、「辞を修む」「誠を立つ」は後来の事情の弁じて就緒に到る上に就いて説く。両者は合せ起れば総じて帰するは「敬をもって内を直くし、義をもって外を方にす」——「忠信」は内を直くする事に属し、「辞を修む」は外を方にする事に属す。彼はまたいう:邪念を防閑する以外は、再び別の誠を存する功夫なし。ゆえに下面に緊接の一句「其の誠を存す」。言辞を修治する以外は、再び別の誠を立つる功夫なし。ゆえに下面に緊接の一句「其の誠を立つ」。誠はすなわち忠信なり。従前は誠は心裏に存在して、今やは則ち事上に顕現して、誠もまた便ち確立し起れたり。

又曰:《中庸章句》云:反諸身不誠,謂反求諸身,而其所存所發有未實也,所存之實,即主忠信也,所發之實,即修辭立其誠也,合進德修業,總是《中庸》之誠身, 又曰:九三居下之上,是亦有位其上者,則九三為在下位矣,亦有位在下者,則九三又為居上位矣,若於初二,必不兼言居上位,若於九五,必不兼言在下位,此亦當知。

蔡清はまたいう:《中庸章句》は「諸を身に反するに誠ならず」と講ず。これは反って自身に求めて、而るに存する所発する所にまだ真実ならざる処あるを説く。存する所の真実は、すなわち「忠信を主とす」なり。発する所の真実は、すなわち「辞を修め其の誠を立つ」なり。進徳と修業とを合して説けば、総じて帰するは《中庸》の講ずる所の「身を誠にす」——ここに底本に脱文ありて、下面は別に一条を起す。蔡清はまたいう:九三は下卦の頂端に処して、上頭はすでに位次の更に高きあれば、すなわち九三は「下位に在り」と算し、下頭もまた位次の更に低きあれば、すなわち九三は又だ「上位に居る」と算す。もし初爻・二爻に換作れば、便ち必定に「上位に居る」を兼説せざらん。もし九五に換作れば、便ち必定に「下位に在り」を兼説せざらん。この一層もまた応に知るべし。

林氏希元曰:“忠信”,是此心真實,如孝則真實是孝,弟則真實是弟,實心為善,則善心日以充長,善念日以彰著,此之謂“進德”。實心為善乃誠也,若辭不修,語孝弟俱是空言無實事,則此誠終於消散,不聚集矣,何由立,又何績業可居,故工夫又在修治言辭上,先行其言而後從之,言必有物,凡吐口言語皆是實事,無一句虛妄,乃“修辭”也。“修辭”則行成,孝成個孝,弟成個弟,吾心之誠,集聚而不消散,故曰“立其誠”,誠立則業修而可居,非立誠之外,又有居業工夫也,。

集説に林希元の言を引く:いわゆる「忠信」とは、この顆の心の真実妄なきにして、孝を講ずれば便ち真実に是れ孝にして、悌を講ずれば便ち真実に是れ悌なり。真実の心を用いて善を為せば、すなわち善心は一天天に充長し・善念は一天天に彰顕す。これをすなわち「徳を進む」と呼ぶ。真実の心を用いて善を為せば便ち誠なり。可ももし言辞は修治を加えずして、孝を講じ悌を講ずるもみな空話と成りて実事なからば、すなわちこの份の誠は終究は消散して聚まり攏らざらん。何に靠りて確立せんや。又だ何の功業の以て安居すべきあらんや。ゆえに功夫はなお言辞を修治する上に下るを得。まず話を做到して然る後に説きて、話を説くは必定に実在の内容ありて、およそ口より出口する言語はみな実事にして、一句として虚妄なし。これがやっと「辞を修む」と呼ぶ。言辞は修治し好れば、行為もまた便ち成就す:孝は孝と為り成り、悌は悌と為り成りて、我が心裏の誠は聚集し起りて消散せず。ゆえに「其の誠を立つ」という。誠は一たび確立せば、業は便ち修まり成りて以て安居すべし。並びて誠を立つる以外に別に一套の業に居る功夫あるにあらず。

又曰:“忠信”所以“進德”,是“忠信”所以至之也,何也?凡有所進,將必有所至,“忠信”以至之,則善心日長,神智日開,道之壺奧,理之玄妙,為吾所當至者,一時雖未能遽至,固已先得之矣,故“可與幾”。“修辭立其誠所以居業”,是修辭立誠,所以終之也,何也?居是居止,終是終身居止而不移,居之所以終之也,修辭立減以終之,則踐履篤實,持守堅固,事理之宜,吾所當守者,可與存之而不失矣,義者,事理之宜,吾所當守者也。

林希元はまたいう:「忠信は以て徳を進むる所以」は、すなわち忠信に靠りて「之に至る」なり。何を為すか。およそ前進する所有れば、将来は必定に到達する所有り。忠信を用いてそれに到達せば、すなわち善心は一天天に生長し、神智は一天天に開朗す。道の深奥の処・理の玄妙の処は、およそ我の応当に到達すべきは、一時はまだ能く上々に到達するを得ざるといえども、其の実は早已に予め得着せれたり。ゆえに「与に几すべし」という。「辞を修め其の誠を立つは以て業に居る所以」は、すなわち辞を修め誠を立つるに靠りて「之を終る」なり。何を為すか。「居」は居止にして、「終」は終身に居止して遷移せざるにして、能く居止するは正に能く終にそれを成する所以なり。辞を修め誠を立つるを用いて終にそれを成せば(底本の「立減」は応に「立誠」と当作す)、すなわち践履は篤実・持守は堅固にして、事理の上の応当かくあるべき・我の応当に守住すべきは、便ち以てそれと長存して失わざるべし。いわゆる「義」とは、すなわち事理の上の合宜にして、也正に我の応当に守住すべき所なり。

鄭氏維嶽曰:不曰所以修業,而曰“所以居業”,蓋修辭立誠,即是修矣,既修則有可居矣,猶之屋然,修者方在營構,既成則可居也。楊氏啟新曰:心之存諸中者,純乎忠信而不妄,則心無外弛,而得於己者,日進而不已,言之見於事者,致其修省而有實,則事皆實理,而體諸身者,安安而不遷。

集説に明人の鄭維岳の言を引く:経文は「以て業を修める所以」と説かずして「以て業に居る所以」と説くは、辞を修め誠を立つるの本身は已にすなわち「修」なればなり。すでに修まり好れば、便ち以て安居すべき東西あり。たとえば屋を造るが如くして、正に営造するときは修と呼び、造り成り之後は便ち以て住み入るべし。又引く明人の楊啓新の言に:心中の存養する所は、純に是れ忠信にして虚妄なければ、すなわち心は外に向かい馳散せずして、自己の身上の得る所は便ち一天天に長進して停止せず。言語の事上に顕現するは、力を尽して修省して真実の内容あれば、すなわち事事はみな実理にして、自身に體現するは便ち安穏自在にして遷移せず。

文言伝 乾卦 九四

九四曰:或躍在淵,無咎,何謂也?子曰:上下無常,非為邪也。進退無恆,非離群也。君子進德修業,欲及時也。故無咎。本義 內卦以“德”學言,外卦以“時”位言,“進德修業”,九三備矣,此則欲其及時而進也。

《文言伝》はいう:九四の爻辞は「或いは淵に躍る、咎なし」と講ず。これは何の意思か。孔子は曰く:上々下々は一定なくして、並びて邪僻の事を為さんと要するにあらず。進進退退は常規なくして、並びて同類を脱離せんと要するにあらず。君子は徳性を増進し・功業を修治するは、時機に趕上せんと想うなり。ゆえに過錯ある会せざらん。朱熹《本義》はいう:内卦は「徳」と学問とに就いて説きて、外卦は「時」と位次とに就いて説く。進徳修業の道理は、九三は已に講くこと完備せり。ここは則ち彼をして時機に趕上して上進せしめんと要するなり。

程傳 或躍或處,“上下無常”,或進或退,去就從宜,非為邪枉,非離群類,“進德修業”,欲及時耳,時行時心,不可恆也,故云或。深淵者,龍之所安也。“在淵”,謂躍就所安,淵在深而言躍,但取進就所安之義。或,疑辭。隨時而未可必也,君子之順時,猶影之隨形,可離非道也。

程頤《伊川易伝》はいう:或いは騰躍し、或いは静処す。これがすなわち「上下常なし」なり。或いは前進し、或いは後退して、去と留とはみな如何にして合宜なるかを看るにして、並びて邪曲の事を為すにあらず、も同類を脱離するにあらず。徳性を増進し・功業を修治するは、ただ時機に趕上せんと想う而已。行うべければ則ち行い、止まるべければ則ち止まりて、成規に拘執すべからず(底本の「時行時心」は応に「時行時止」と当作す)。ゆえに一個の「或」の字を説く。深淵は竜の安身する所の処なり。「淵に在る」は、騰躍してそれの安身の処に到るを説く。淵は本来深処に在るに却って騰躍と説くは、ただ「安んずる所の地に進む」のこの層の意思を取る。「或」は疑にして未だ定まらざる詞にして、時に随いて変化して以て予め断定すべからず。君子は時勢に順応して、たとえば影子の形体に跟うが如し。片刻に離るるべくは便ち道にあらず。

集說 項氏安世曰:進退上下,不敢自必,相時而動,所謂“自試也”,大抵上下之交,皆危疑之地。故三厲而四猶疑之。俞氏琰曰:上與進釋“躍”寧,下與退,釋在淵之義,無常無恆,釋或之義,非為邪,非離群,欲及時,以申進無咎之義。林氏希元曰:可上而不上,疑於以隱為高,可進而不進,疑於遯世離群,及時之時,上進之時也,欲及時,是應非為邪離群句,無咎,得時也。

集説に項安世の言を引く:進退上下はみな自ら主張を作すこと敢えてせず、時機を観察してやっと行動す。これがすなわち《象伝》の説く所の「自ら試む」なり。大抵上下の卦の交接する処はみな危疑の地なり。ゆえに九三は「厲」と説き、九四はなお遅疑して在り。又引く兪琰の言に:「上」と「進」は「躍」の字を解釈し、「下」と「退」は「淵に在る」の意思を解釈す。「常なし」「恒なし」はあの「或」の字を解釈す。「邪を為すにあらず」「群を離るるにあらず」「時に及ばんと欲す」は、前進して差錯を出ださざる道理を申説す。又引く林希元の言に:上進すべくして上進せざれば、人をして彼の隠居を当作して高尚と為すを疑心せしめ、前進すべくして前進せざれば、人をして彼の世を避け群を離るるを疑心せしむ。「時に及ぶ」の「時」は、上進の時機を指す。「時に及ばんと欲す」は正に「邪を為すにあらず」「群を離るるにあらず」の両句に回応して、而るに「咎なし」の所以は、時機に趕上せるに因る。

文言伝 乾卦 九五

九五曰:飛龍在天,利見大人,何謂也?子曰:同聲相應,同氣相求。本義 作,起也。物,猶人也。睹,釋利見之意也。“本乎天”者,謂動物。“本乎地”者,謂植物,物“各從其類”。聖人,人類之首也,故興起於上,則人皆見之。

《文言伝》はいう:九五の爻辞は「飛竜は天に在り、大人を見るに利し」と講ず。これは何の意思か。孔子は曰く:同類の声音は互いに応和し、同類の気息は互いに尋求す——此の下に底本は「水は湿に流れ、火は燥に就く」以至「則ち各々其の類に従う」の一段を脱去せり。朱熹《本義》はいう:「作」はすなわち興起にして、「物」は人を説くに等しく、「睹」は「見るに利し」の意思を解釈す。「天に本ずる」のは動物を指し、「地に本ずる」のは植物を指して、万物は各々自己の種類に随う。聖人は人類の首領なり。ゆえに彼の上位に於て興起するは、人人はみな彼を看見し得。

程傳 人之與聖人,類也,五以龍德升尊位,人之類莫不歸仰,況同德乎,上應於下,下從於上,“同聲相應,同氣相求”也,流溼就燥,從龍從虎,皆以氣類,故聖人作而萬物皆睹,上既見下,下亦見上。物,人也。古語云人物物論,謂人也。《易》中“利見大人”其言則同,義則有異,如《訟》之利見大人,謂宜見大德中正之人,則其辨明,言在見前。《乾》之二五,則聖人既出,上下相見,共成其事,所利者見大人也,言在見後,“本乎天”者,如日月星辰,“本乎地”者,如蟲獸草木,陰陽各從其類,人物莫不然也。

程頤《伊川易伝》はいう:常人と聖人とは本来同類なり。九五は竜徳をもって尊位に登れば、同類の人は帰心仰望せざるなし。何に況や彼と徳を同じくする人をや。上面は下面を応接し、下面は上面に順従す。これがすなわち「声を同じくして応じ、気を同じくして求む」なり。水は潮湿の処に流向し・火は干燥の処に趨向し、雲は竜に跟随し・風は虎に跟随するは、みな気類をもって相従す。ゆえに聖人は興起して万物はみな来りて瞻仰す。上面はすでに下面を看見して、下面もまた上面を看見せり。「物」はすなわち人にして、古語は「人物」「物論」と説くは、指す所はみな人なり。《周易》の裏の「大人を見るに利し」のこの句は字面は相同にして意義は別あり:たとえば《訟》卦の「大人を見るに利し」は、大徳中正の人を見るに宜しきを説けば、すなわち是非は便ち辨明す。話は相見の前に説くなり。《乾》卦の二・五の両爻は、則ち聖人は已に出で来りて、上下は相見して、共同に事業を成就す。利する所は便ちこの相見の本身に在りて、話は相見の後に説くなり。「天に本ずる」は、たとえば日月星辰。「地に本ずる」は、たとえば虫獣草木。陰陽は各々その類に随いて、人と物とはかくの如からざるなし。

集說 孔氏穎達曰:因大人與眾物感應,故廣陳眾物相感應,以明聖人之作而萬物瞻睹,以結之也。又曰:《周禮大宗伯》“有天產地產”。《大司徒》云“動物植物,本受氣於天者”是動物,天體運動,含靈之物亦運動,是親附於上也,本受氣於地者,是植物,地體凝滯,植物亦不移動,是親附於下也。

集説に孔穎達の言を引く:大人と衆物との互相に感应するに因りて、ゆえに広く各種の事物の互相に感应するを陳説して、もって聖人の興起して万物の瞻仰するを説明して、これを以て結と為す。孔穎達はまたいう:《周礼・大宗伯》に「天産」「地産」の説法あり、《大司徒》は「動物」「植物」を講ず。本来天の気を禀受するは動物なり:天体は運行して息まず、霊性を含有する動物もまた運動して止まず。これは上に親附するなり。本来地の気を禀受するは植物なり:地体は凝定して動かず、植物もまた移動せず。これは下に親附するなり。

《朱於語類》云:天下所患無君,不患無臣,有如是君,必有如是臣,雖使而今無,少間也,必有出來,“雲從龍,風從虎”,只怕不是真個龍虎,若是真個龍虎,必生風致雲也。

集説に《朱子語類》を引いていう(底本の「朱于」は応に「朱子」と当作す):天下の憂慮する所は好君主なきにして、好臣子なきを憂慮せず。この様の君主あれば、必定にこの様の臣子あり。たとえ眼下にこれなきも、多く久しからずして必定に人の出で来るあらん。いわゆる「雲は竜に従い、風は虎に従う」は、ただあれは真の竜虎ならざるを怕るのみ。もし真に竜虎なれば、必定に風を生出し・雲気を招来せん。

文言伝 乾

又云:“本乎天者親上”,凡動物首向上,是親乎上,人類是也。“本乎地者親下”,凡植物本向下,是親乎下,草木是也,禽獸首多橫生,所以無智,此本康節說。項氏安世曰:聖人先得我心之同然者,故為“同聲”、“同氣”之義,聖人之於人亦類也,故為“各從其類”之義。

集説の引く所の説はまた講ず:《文言》は「天に本ずる者は上に親し」と説くは、およそ動物は、頭はみな上に向かい長ず。これがすなわち上に親近するにして、人類は便ちこの様なり。「地に本ずる者は下に親し」と説くは、およそ植物は、根本はみな下に向かい扎る。これがすなわち下に親近するにして、草木は便ちこの様なり。禽獣の頭は大多是れ横に向かい長ずるによりて、ゆえに智慧なし。この一段は邵雍「康節」の説法に本ず。集説に項安世の言を引く:聖人は先に我らの人心の共同に認可するあの道理を領得したる人なり。ゆえに《文言》にやっと「声を同じくして応じ、気を同じくして求む」のこの一層の意思あり。聖人は普通人に対してもまた同一類に属す。ゆえにまた「各々其の類に従う」のこの一層の意思あり。

上九曰:亢龍有悔。何謂也?予曰:貴而無位,高而無民,賢人在下位而無輔,是以動而有悔也。本義 “賢人在下位”,謂九五以下,“無輔”,以上九過高志滿,不來輔助之也。此第二節申《象傳》之意。

《文言》はいう:上九の爻辞は「亢竜は悔あり」と講ず。これは何の意思か。孔子は答えて曰く:身分は尊貴にして実職の位なく、地位は高峻にして統領すべき百姓なく、賢人はみな彼の下面の爻位の上に在りて一人として来りて彼を輔佐するなし。ゆえに一たび挙動あれば便ち悔恨を生出す(底本は「子曰」を訛して「予曰」と作す)。朱熹《本義》はいう:いわゆる「賢人は下位に在り」の指す所は、九五以下の各爻なり。いわゆる「輔なし」は、上九は站ること太だ高く・心気は已に満ちて、あの些の賢人は肯じて来りて彼を輔助せざればなり。これは《文言》の第二節にして、以て《象伝》の意思を申説す。

程傳 九居上而不當尊位,是以無民無輔,動則有悔也。集說 谷氏家傑曰:以有位謂之貴,以有民謂之高,以有輔謂之賢人在下位,其貴而又五位,高而又無民,“賢人在下位”而又無輔者何,俱以亢失之也,故“動而有悔”。

程頤《伊川易伝》はいう:上九は陽剛をもって全卦の最上に居りて、却ってあの尊貴の君位に当たらず。ゆえにすでに百姓なく、も輔佐なくて、一たび動けば便ち悔あらん。集説に谷家傑の言を引く:職位あるこそやっと貴と呼ばれ、百姓あるこそやっと高と呼ばれ、輔佐する人あるこそやっと「賢人は下位に在り」に談じ及ぶに足る。今や上九は明明に尊貴なるにあの五に居る君位なく、明明に高峻なるに百姓なく、賢人は明明に下位に在りて又だ来りて輔佐せず——これは何の為すか(底本の此の数句は訛字あり)。全て一個の「亢」の字に因りてそれらを丟失せり。ゆえに「動きて悔あり」という。

潛龍勿用,下也。程傳 此以“下”言乾之時,勿用,以在下未可用也。見龍在田,時舍也。終日乾乾,行事也。程傳 “進德修業”也。集說 林氏希元曰:事,所當為之事也。前章之“進德修業”是也,“終日乾乾”,日行其當為之事而不止息也。

《文言》の第三節はいう:「潜竜は用うる勿れ」は、それの最下の位置に処するによりてなり。程頤《伊川易伝》はいう:これは一個の「下」の字より《乾》卦の初九の処する所の時位を講ずるなり。「用うる勿れ」と説くは、下位に身在りて、まだ以て施用すべき時候に到らざればなり。「竜を田に見る」は、時勢はそれをして暫くここに止息せしむるなり。「終日乾乾」は、為すべき事を為すに在り。程頤《伊川易伝》はいう:もすなわち前面の講ずる「進徳修業」なり。集説に林希元の言を引く:ここの「事」の指す所は、分内の応当に為すべき事にして、もすなわち前一章の説く所の「進徳修業」なり。「終日乾乾」は、一整天みなあの件の応当に為すべき事を為して停歇を肯ぜざるなり。

或躍在淵,自試也。本義 未遽有為,姑試其可。程傳 隨時自用也。集說 趙氏汝楳曰:凡飛者必先躍,所以作其飛沖之勢,今鳥雛習飛,必跳躍於巢,以自試其羽翰,四之躍亦猶是也,此以試釋“躍”。

《文言》はいう:「或いは淵に躍る」は、自己は一たび試むるなり。朱熹《本義》はいう:並びて上々に作為あるにあらずして、ただ姑らく行うべく行うべからざるを試むる而已。程頤《伊川易伝》はいう:時勢の変化に随いて自己は施用し往く。集説に趙汝楳の言を引く:およそ飛ばんと要するは、必定に先に跳躍して、もって飛び冲る気勢を鼓起す。今や雛鳥は飛ぶを学ぶに、一定に先に巣の裏に跳躍して、以て自己の翅膀を一たび試むる。九四の「躍」もまた正にこの様なり。これは「試」の字を用いて「躍」の字を解釈するなり。

俞氏琰曰:試釋“躍”字,與《中庸》日省月試之試同,君子謹失時之戒,而自試其所學,蓋欲自知其淺深也。谷氏家傑曰:人見者淺,自見者真,必自家試之而後可決也。

集説に兪琰の言を引く:「試」を用いて「躍」の字を解釈するは、この「試」は《中庸》の説く所の「日に省み月に試む」の「試」と同じ一個の意思なり。君子は時機を錯失する勿れの告誡を謹守して、因って自己は学んだる所の東西を一たび試むるは、自己の究竟に深浅如何なるを知らんと欲するなり。谷家傑はいう:旁人の看る所は浅にして、自己の看る所はやっと真切なり。必ず自己の亲身に試み過ぎて、然る後にやっと能く決断す。

飛龍在天,上治也。本義 居上以治下。程傳 得位而行,上之治也。集說 蘇氏濬曰:上治,猶言盛治,五帝三王,皆治之上者也。

《文言》はいう:「飛竜は天に在り」は、上位に在りて治理を施行するなり。朱熹《本義》はいう:上位に居りて以て下面を治理す。程頤《伊川易伝》はいう:あの君位を得て自己の主張を推行す。これがすなわち上位に居る者の治理なり。集説に蘇濬の言を引く:いわゆる「上治」は、盛世の治を説くに同じく、五帝三王は、みな治世の裏の最も上等に属す。

亢龍有悔,窮之災也。程傳 窮極而災至也。乾元用九,天下治也。本義 言“乾元用九”,見與它卦不同,君道剛而能柔,天下無不治矣。此第三節,再申前意。

《文言》はいう:「亢竜は悔あり」は、窮極の帯来する災禍なり。程頤《伊川易伝》はいう:窮極の歩に走り到れば、災禍は便ち来れり。《文言》はいう:「乾元は九を用う」に、天下は便ち治理を得。朱熹《本義》はいう:ここは「乾元は九を用う」と講ず。見るべし、《乾》卦は別の卦と不同なり。君と為る道は能く剛にして又だ能く柔なれば、天下は治理し好るるならざるなし。これは《文言》の第三節にして、再び一度前面の意思を申説す。

程傳 用九之道,天與聖人同,得其用則天下治也。集說 《朱子語類》:問:“乾元用九,天下治也”。曰:“九”是天德,健中便自有順,用之則天下治,如下文“乃見天則”。則,便是天德。

程頤《伊川易伝》はいう:「九を用う」のこの道理は、上天と聖人とは一様なり。能くその用法を得着せば、天下は便ち治理し好れたり。集説に《朱子語類》を引く:ある人が「乾元は九を用う、天下治まるなり」は如何に講ずべきを問うた。朱熹は答えた:「九」は天の徳性にして、剛健の中に自然に柔順を含着す。それを用い出だせば、天下は便ち治理し好るる。たとえば下文の説く「乃ち天則を見る」の如し。この「則」は、すなわち天徳なり。

潛龍勿用,陽氣潛藏。程傳 此以下言乾之義,方陽微潛藏之時,君子亦當晦隱,未可用也。集說 陸氏銓曰:微陽潛藏,愈養則愈厚,輕用則發濁無餘矣。

《文言》の第四節はいう:「潜竜は用うる勿れ」は、陽気はなお潜伏隠蔵するなり。程頤《伊川易伝》はいう:ここより以下は《乾》卦の義理を講ず。正当に陽気の微弱・潜伏隠蔵する時候にして、君子もまた応当に自己を収斂し起して、まだ以て施用すべき時候に到らず。集説に陸銓の言を引く:微弱の陽気は潜蔵し起れば、愈々涵養すれば愈々深厚なり。もし軽易に動用せば、一たび発泄すれば便ち渾濁して剰る所几無からん。

見龍在田,天下文明。本義 雖不在上位,然天下已被其化。集說 蘇氏軾曰:以言行化物,故曰“文明”。

《文言》はいう:「竜を田に見る」に、天下は便ち文采光明あり。朱熹《本義》はいう:九二は上位に在らざるといえども、可も天下は已に彼の教化を受到せり。集説に蘇軾の言を引く:自己の言語行為を用いて外物を感化す。ゆえに「文明」と呼ぶ。

終日乾乾,與時偕行。本義 時當然也。程傳 隨時而進也。案 與時偕行,即卜“乾乾因其時”之義,言終日之間,無時不乾乾。

《文言》はいう:「終日乾乾」は、時勢と一同に前行するなり。朱熹《本義》はいう:時勢は本来応にかくあるべし。程頤《伊川易伝》はいう:時勢に随いて前に進み往く。李光地の按:「時と偕に行く」は、すなわち下文の「乾乾として其の時に因る」の意思なり(底本は「下」を訛して「卜」と作す)。一整天の内に、一刻として戒惧勤勉せざるなきを説くなり。

或躍在淵,乾道乃革。本義 離下而上,變革之時。程傳 離下位而升上位,上下革矣。集說 趙氏汝楳曰:三為下,至四革而為上,卦革則道亦革,此專釋上下卦之交。

《文言》はいう:「或いは淵に躍る」は、乾道は変革の関口に到れるなり。朱熹《本義》はいう:下卦を脱離して上昇す。正に変革の時候なり。程頤《伊川易伝》はいう:下面の位置を離れて上面の位置に昇れば、上下は便ち変換せり。集説に趙汝楳の言を引く:九三は下卦に属して、九四に到れば便ち変じて上卦に属す。卦体は変じれば、道もまたこれに随いて変ず。この一句は専ら上下両卦の交接する処を解釈す。

俞氏琰曰:革者變也,下乾以終,上乾方始,猶天道更端之時也。林氏希元曰:此“道”字輕看,猶云陽道陰道,九四離下體而人上體,是“乾道”改革之時也,故“或躍”而未果,爻下本義改革之際,正是取此,人都不察,妄為之說。

集説に兪琰の言を引く:「革」はすなわち変なり。下面のあの乾はここに到りて結束して、上面のあの乾は剛に開始す。たとえば天道の頭を換えて別に起る時候の如し。林希元はいう:この「道」の字は軽く看るを要して、陽道・阴道を説くに同じ。九四は下体を脱離して上体に進入す(底本は「入」を訛して「人」と作す)。正に「乾道」の改換する時候なり。ゆえにやっと「或躍」して果断の決定なし。爻辞の下面の《本義》の講ずる「改革の際」は、取る所は正にこの個の意思にして、人々はみな細察し往かずして、胡乱に別に解釈を作す。

飛龍在天,乃位乎天德。本義 天德,即天位也,蓋唯有是德,乃宜居是位,故以名之。程傳 正位乎上,“位當天德”矣。集說 張氏振淵曰:雖有其位,苟無其德,可謂之位乎,天位而已,“飛龍在天,乃位乎天德。”

《文言》はいう:「飛竜は天に在り」は、これは天徳に合乎る君位に居るなり。朱熹《本義》はいう:天徳はすなわち天位にして、唯だこの様の徳を具備するに因りて、やっとこの様の位に居るに配す。ゆえに便ち「天徳」を拿りてあの位を称呼す。程頤《伊川易伝》はいう:端端正正に上位に居りて、居る所の位は天徳と相当す。集説に張振淵の言を引く:あの位置を占着するといえども、仮使あの份の徳なからば、なお「位」と称するに足らんや。過ぎず個の空占の天位而已。ゆえに《文言》は「飛竜は天に在り、乃ち天徳に位するなり」と説く。

亢龍有悔,與時偕極。程傳 時既極。則處時者亦極矣。集說 朱氏震曰:消息盈虛,“與時偕行”,則無悔,偕極則窮,故“有悔”也。

《文言》はいう:「亢竜は悔あり」は、時勢と一同に尽頭に走り到れるなり。程頤《伊川易伝》はいう:時勢はすでに極処に到れば、ここにこの時勢の中に処する人もまた便ち極処に到れり。集説に朱震の言を引く:消長盈虚の間に、もし能く「時と偕に行く」なれば、便ち悔なからん。一同に極処に走り到れば便ち窮尽なり。ゆえに「悔あり」。

林氏栗曰:此節上下卦相應,初四為始,初“潛藏”,四乃“革”矣,革潛為“躍”也,二五為中,二“文明”,五乃“天德”矣,言德,稱其位也,三上為終,三“與時偕行”,上偕極矣。

集説に林栗の言を引く:この一節の裏に上下両卦は彼此相対応す。初九と九四とは開頭なり:初九の「陽気潜蔵」は、九四に到れば便ち「乾道は乃ち革まる」。これは潜蔵を跳躍に変革するなり。九二と九五とは中に居るなり:九二の「天下文明」は、九五に到れば便ち「乃ち天徳に位す」。ここは徳を講じて、彼の徳は彼の位に配するに足るを説く。九三と上九とは終結なり:九三の「時と偕に行く」は、上九に到れば便ち「時と偕に極まる」。

乾元用九,乃見天則。本義 剛而能柔,天之法也。此第四節,又申前意。程傳 用九之道,天之則也,夫之法則,謂天道也,或問乾之六爻,皆聖人之事乎,曰:盡其道者聖人也,得失則吉凶存焉,豈特乾哉,諸卦皆然也。

《文言》はいう:「乾元は九を用う」に、ここに天の法則を顕出せり。朱熹《本義》はいう:剛強にして又だ能く柔順なるは、これは天の法度なり。これは《文言》の第四節にして、又だ一度前面の意思を申説す。程頤《伊川易伝》はいう:「九を用う」の道理は、すなわち天の法則なり。天の法則の指す所は天道なり(底本は「天」を訛して「夫」と作す)。ある人が問うた:《乾》卦の六爻の講ずる所はみな聖人の事か。答えて曰く:能くこの道理を極処に尽すこそやっと聖人なり。做り到るを得るや得ざるやに至っては、吉凶は便ちその裏頭に在り。これ何ぞただ《乾》卦のみかくの如くならんや。各卦はみなこの様なり。

集說 蘇氏軾曰:天以無首為則。吳氏澄曰:剛柔適中,天之則也,則者理之有限節,而無過無不及者也。

集説に蘇軾の言を引く:天は「首なし」——先を争い頭と為さず——を拿りて自己の法則と為す。呉澄はいう:剛と柔と恰好の処に到るは、これがすなわち天の法則なり。いわゆる「則」とは、この道理に一定の限度節度ありて、すでに頭を過ぎず・も欠缺せざるを説く。

張氏振淵曰:不曰乾爻用九,而曰“乾元用九”,統六爻而歸之元也,亢而用變, 谷氏家傑曰:“則”者,有準而不過之意,“用九”者,有變而無常之意,天道不是變換,焉能使春夏秋冬,各有其限,聖人不是變換,焉能使仁義禮智,各有其節,“用九”,正天之準則不過處,故曰“乃見”。

集説に張振淵の言を引く:《文言》は「乾爻は九を用う」と説かずして、「乾元は九を用う」と説くは、六爻を統べてあの「元」の上に帰するなり。亢極に到れば便ち変を用う——ここに底本に脱文あり。谷家傑はいう:「則」の字は準繩ありて越過せざるの意思を含着し、「九を用う」は能く変通して常に拘らざるの意思を含着す。天道はもし変換する会せざれば、何ぞ能く春夏秋冬をして各々各々の界限あらしめんや。聖人はもし変換する会せざれば、何ぞ能く仁義礼智をして各々各々の節度あらしめんや。「九を用う」は、正に天の準繩にして越過せざる処なり。ゆえに「乃ち天則を見る」という。

乾元者,始而亨者也。本義 始則必亨,理勢然也。程傳 又反覆詳說,以盡其義,既始則必亨,不亨則息矣。

《文言》の第五節はいう:いわゆる「乾元」とは、始めてしかも亨通するなり。朱熹《本義》はいう:すでに頭を開ければ、便ち必定に亨通す。これは理と勢の必然なり。程頤《伊川易伝》はいう:ここは又だ反覆詳細に申説して、その義理を講じ尽す。すでに頭を開けば便ち必定に亨通して、亨通せざれば便ち断絶止息せん。

利貞者,性情也。本義 收斂歸藏,乃見性情之實。程傳 乾之性情也,既始而亨,非利貞其能不息乎。

《文言》はいう:いわゆる「利貞」とは、性情を講ずるなり。朱熹《本義》はいう:収斂し回り・蔵め帰して、やっと性情の真実面目を見出だし得。程頤《伊川易伝》はいう:これは《乾》の性情なり。すでに始めてしかも亨通せるに、もし「利貞」なからば、それは何ぞ能く生生して息まざらんや。

集說 《朱子語類》:問:“利貞者性情”也,曰:此“性情”如言本體,“元享”是發用處,“利貞”是收斂歸本體處,如春時發生,到夏長茂條達,至秋結子,有個收斂攝聚底意思,但未堅實,至冬方成,在秋雖是已實,漸欲脫去其本之時,然受氣未足,便種不生,故須到冬方成,人只到秋冬,疑若不見生意,不知都已收斂在內。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が「利貞とは性情なり」は如何に講ずべきを問うた。朱熹は答えた:ここの「性情」は本体を説くに同じく、「元亨」は発動施用する処にして、「利貞」は収斂して本体に回帰する処なり。たとえば春天は発生して、夏天に到りて長ずること茂盛通暢にして、秋天に到りて子を結べば、便ち一層の収斂聚攏する意思ありて、過ぎずなお堅実ならずして、冬天に到るを要してやっと成就と算す。秋天に於てはすでに結実するといえども、正に漸漸に本株を脱離せんと要する時候にして、然るに受けたる気はなお足らずして、拿りて種を下すも長じ出ださず。ゆえに必ず冬天に到るを得てやっと成る。人はただ秋冬を看見して、好もしく生意を看見し得ざるが如く疑うも、生意は全てその裏面に収斂するを暁らず。

胡氏炳文曰:“性情”只是一“健”字,健者乾之性,而情其著見者也,且性情並言昉於此,釋《彖》曰“性命”,此則曰“性情”,言性而不言命,非知性之本,言性而不言情,非知性之用也。

集説に胡炳文の言を引く:いわゆる「性情」は、ただ一個の「健」の字のみ。健は《乾》の性にして、情は則ちこの性の顕露出だしたる様子なり。しかも性と情とを合して講ずるは、ここより開いたる頭なり。《彖辞》を解するときの説く所は「性命」にして、ここの説く所は「性情」なり。ただ性を講じて命を講ぜざれば、便ち性の根本を懂ると算せず。ただ性を講じて情を講ぜざれば、便ち性の功用を懂ると算せず。

俞氏琰曰:性言其靜也,情言其動也,物之動極而至於收斂而歸藏,則復其本體之象,又將為來春動而發用之地,故曰“利貞者性情也”。元起於貞,“貞”下蓋有“元”繼焉,動生於靜,靜中蓋有動存焉,“貞”而“元”,靜而動,終而復始,則生生之道不窮,若但言性而不言情,則止乎貞純平靜而已矣,不見貞下起元靜中有動之意,而非生生不窮之道也。

集説に兪琰の言を引く:性はそれの静の一面に就いて説き、情はそれの動の一面に就いて説く。万物は動きて極処に到りて収斂帰蔵すれば、便ち本体に回復する様子にして、同時にまた来年の春天の再び動き・再び発用する根基と成る。ゆえに「利貞とは性情なり」という。「元」は「貞」の裏より起り来るにして、「貞」の下面は接続して便ち「元」あり。動は静の裏より生出したるにして、静の裏面は本来便ち動を存す。「貞」より「元」に転じ、静より動に転じて、終わりて又だ重新して開始すれば、生生の道理は便ち窮尽なし。もしただ性を講じて情を講ぜざれば、すなわち貞純平静の上に停まる而已。見出だし得ず、「貞の下に元を起す」「静の中に動あり」のこの一層の意思を。すなわち生生して窮まらざる道にあらず。

乾始能以美利利天下,不言所利,大矣哉。本義 始者,元而亨也,利天下者,利也,不言所利者,貞也。或曰:“坤利牝馬”,則言所利矣。

《文言》はいう:《乾》は一开始に便ち能く美好の利益を拿りて天下を利益して、而るに利する所は何たるを指明せず。真に偉大なり。朱熹《本義》はいう:「始」の指す所は元と亨にして、「天下を利す」の指す所は利にして、「其の利を言わず」の指す所は貞なり。ある人が説く:《坤》の卦辞は「牝馬の貞に利し」と講ず。あれは便ち利する所の東西を指明し出だしたるなり。

程傳 乾始之道,能使庶類生成,天下蒙其美利,而“不言所利”者,蓋無所不利,非可指名也,故贊其利之大曰“大矣哉”。

程頤《伊川易伝》はいう:《乾》は万物の道理を開創して、各類の生霊をして生成せしめ得て、天下はみなその美好の利益を蒙受す。而るに《文言》は却って「其の利を言わず」は、それは利せざる所なきに因りて、能く一々に指名して説き出だす能わず。ゆえにその利の大なるを讃嘆して、一句を説いて「大矣なり」。

集說 程子曰:亭毒化育,皆利也。不有其功,常久而不已者,貞也,《詩》曰:“維人之命。”於穆不已者,貞也。《朱子語類》云:明道說得好,不有其功,言化育之無跡處為“貞”。

集説に程颢の言を引く:養育化成する万物は、みな「利」に属す。功労を自己に拠有せずして、長久に停まらずに做し下り往くは、これがすなわち「貞」なり。《詩経・周頌》に一篇の《維天之命》あり(底本は「天」を訛して「人」と作す)。あの種の深遠にして停息せざる様子は、すなわち「貞」なり。《朱子語類》はいう:程颢のこの話は説くこと好し。いわゆる「其の功を有せず」は、化育して一点の痕迹を留めざる処は便ち「貞」なるを説く。

項氏安世曰:物既始則必亨,亨則必利,利之極必復於元,“貞”者“元”之復也,故四德總以一言曰“乾元”,又曰“乾始”,而四德在其中矣。以八卦言之,震其元也,故為出。巽則既出而將相見也,故為齊,離則其亨也,故為相見。坤則既相見而將利之 俞氏琰曰:“乾始”,即“乾元”也,元乃生物之始也,美即“亨”也,“亨”乃眾美之會也。

集説に項安世の言を引く:万物はすでに頭を開けば便ち必定に亨通し、亨通せば便ち必定に利を得て、利は極処に到れば又だ必定に「元」に回る。「貞」はすなわち「元」の回復なり。ゆえに四徳は総べ起ればただ一句の話を用いて「乾元」と呼び、又だ「乾始」と呼んで、而るに四徳は已にその裏頭に在り。八卦を拿りて説けば、震はそれの元なり。ゆえに《説卦》は「帝は震に出づ」と講ず。巽はすでに出生して将に相見せんとす。ゆえに「巽に斉う」と講ず。離はそれの亨なり。ゆえに「離に相見る」と講ず。坤はすでに相見りて将に万物を利益せんとす——ここに底本に脱文あり。兪琰はいう:「乾始」はすなわち「乾元」にして、元は万物を生養する開端なり。「美」はすなわち「亨」にして、亨は衆多の美好の一処に会合するなり。

林氏希元曰:上既即物之生長收藏以釋四德,此則歸其功於乾始而贊其大,即《彖傳》“統天”之說也,謂乾雖四德之流行,要一元之所統,何也?乾既始物,由是而亨,就能以美利遍利乎天下,又收斂於內,不言其所利,是皆乾始之所為也,不其大與,蓋萬物歸根復命之時,造化生物之功,不復可見。韓琦詩云:“須臾慰滿三農望,斂卻神功寂若無”,亦是此意。

集説に林希元の言を引く:上文はすでに万物の生長収蔵に就いて以て四徳を解釈せり。ここは便ち功労を「乾始」の上に帰して其の偉大を讃嘆す。もすなわち《彖伝》の「天を統す」の説法にして、《乾》は四徳の流行なるといえども、関鍵は却って一個の「元」のそれを統摂するに在るを説く。何がしてかく講ずるか。《乾》はすでに万物を開創して、これに由りて亨通せば、便ち能く美好の利益を拿りて普遍に天下を利益す。随い後にまたそれを其の裏面に収斂して、利する所は何たるを指明せず——これらは全て「乾始」の做り出だしたるにして、豈に偉大ならずや。万物の根に帰り命に復る時候に当たって、造化の万物を生養する功労は便ち再び看見し得ざるがゆえなり。宋人の韓琦に詩ありて「須臾に三農の望を慰め満たし、神功を斂却して寂として若き無し」という。も正にこの個の意思なり。

大哉乾乎,剛健中正,純粹精也。本義 “剛”,以體言,“健”,兼用言。“中”者,其行無過不及。“正”者,其立不偏,四者乾之德也。“純”者,不雜於陰柔。“粹”者,不雜於邪惡,蓋剛健中正之至極,而精者又純粹之至極也,或疑乾剛無柔,不得言中正者,不然也,天地之間,本一氣之流行而有動靜爾,以其流行之統體而言,則但謂之乾而無所不包矣,以其動靜分之,然後有陰陽剛柔之別也。

《文言》はいう:偉大なるかな《乾》、剛・健・中・正、純・粹にして精なり。朱熹《本義》はいう:「剛」は本体に就いて説きて、「健」は則ち功用を併せて説く。「中」は、それの行事に頭を過ぐるなく欠缺なきを説く。「正」は、それの身を立てるに偏斜なきを説く——この四様は《乾》の徳なり。「純」は、陰柔を攙雑せざるなり。「粹」は、邪悪を攙雑せざるなり。剛健中正の極処に到るは便ち純粹にして、而るに「精」は又だ純粹の極処に到れるなり。ある人は《乾》はただ剛ありて柔なきを疑い、それを「中正」と説くべからずと為す。其の実は然らず。天地の間は、本来ただ一気の流行にして動あり静あり。それの流行の整体に就いて言えば、便ちただ乾と呼ばれて、包まざるなし。動静に按じて分かちて言うに、然る後にやっと陰陽剛柔の分別あり。

集說 喬氏中和曰:“剛”者元也,“健”者亨也,“中”者利也,“正”者貞也,“元亨利貞”,實以體之,“剛健中正”也,一爻之情,六爻之情也。

集説に喬中和の言を引く:「剛」はすなわち四徳の裏の元にして、「健」はすなわち亨にして、「中」はすなわち利にして、「正」はすなわち貞なり。「元亨利貞」のこの四徳は、卦の形体の上に落実せば、便ち「剛健中正」の四個の字と成る。一爻の裏の含む所のこの層の情状は、もすなわち六爻の共有する情状なり。

六爻發揮,旁通情也。本義 旁通,猶言曲盡。集說 胡氏炳文曰:曲盡其義者在六爻,而備全其德者在九五一爻,時乘六龍以下,則為九五而言也。蔡氏清曰:六爻發揮,只是起下文時乘六龍之意,蓋上文每條俱是乾字發端,一則曰“乾元”,二則曰“乾始”,三則曰“大哉乾乎”。至此則更端曰“六爻發揮”,可見只是為“時乘六龍”設矣,即《彖傳》“六位時成”也。

《文言》はいう:六爻の発揮は、《乾》の情状を曲曲折折に説き尽せり。朱熹《本義》はいう:「旁通」は、曲尽無遺を説くに等し。集説に胡炳文の言を引く:義理を説くこと曲尽無遺なるは六爻にして、而るに徳性を完備無缺に體現し出だせるは九五のこの一爻なり。「時に六竜を乗ず」以下は、みな九五に対して説くなり。蔡清はいう:「六爻発揮」は、ただ下文の「時に六竜を乗ず」のこの層の意思を引起せんが為のみ。上面の每一条はみな「乾」の字を用いて開頭と為して、一つに則ち「乾元」と説き、二つに則ち「乾始」と説き、三つに則ち「大なるかな乾乎」と説く。ここに到りて頭を換えて「六爻発揮」と説く。見るべし、ただ「時に六竜を乗ず」が為に設けるのみにして、もすなわち《彖伝》の説く所の「六位時成」なり。

時乘六龍,以御天也,雲行雨施,天下平也。本義 言聖人“時乘六龍以御天”,則如天之“雲行雨施,而天下平也”。此第五節,復申首章之意。程傳 大哉,贊乾道之大也。以“剛健中正”“純粹”六者,形容乾道。精,謂六者之精極,以六爻發揮,旁通盡其情義,乘六爻之時,以當天運,則天之功用著矣,故見“雲行雨施”,陰陽溥暢,天下和平之道也。

《文言》はいう:時に按じて六条の竜に駕して、以て上天を駕御す。雲気は飄行し・雨水は降下して、天下は便ち太平なり。朱熹《本義》はいう:これは聖人の「時に六竜を乗じて以て天を御す」を説きて、上天の「雲行き雨施す」にして天下太平するに同じからん。これは《文言》の第五節にして、再び一度首章の意思を申説す。程頤《伊川易伝》はいう:「大なるかな」は、乾道の偉大を讃嘆す。「剛健中正」に「純粹」のこの六個の字を加えて以て乾道を形容す。「精」は、この六様のみな最精の歩に到れるを説く。六爻の発揮に憑りて、曲折周遍に乾の情状義理を説き尽し、六爻の各自の時位に乗じて以て天の運行を承当せば、天の功用は便ち顕現し出だす。ゆえに「雲行き雨施す」を見得て、陰陽は普遍に暢達す。これが正に天下和平の道理なり。

集說 張氏清子曰:《彖》言“雲行雨施”,而以“品物流形”繼之,則雲雨為乾之雲雨,此言“雲行雨施”,而以“天下平”繼之,則聖人之功即乾,而雲雨乃聖人之德 案 貞元為體,亨利為用,然即體即用,不相離也,即用即體,未嘗二也,故復釋之曰:“乾元者始也”,然即始而亨之理已具,不待亨而後知其亨也,利貞者成也,事之成者,得其性情之正而已,而豈在外哉,蓋一心之發,散為萬用之施,而萬理之宜歸於一性之德,故其始而必亨也,是乾始能“以美利利天下”也,及其終也,利及天下,而所性無加焉,又何利之可言,此“乾元”所以“統天”,而其德所以為大也。

集説に張清子の言を引く:《彖伝》は「雲行き雨施す」を講じて、接ぎ下りて「品物は形を流る」と講ず。すなわち雲雨は《乾》の雲雨なり。ここは「雲行き雨施す」を講じて、接ぎ下りて「天下平なり」と講ず。すなわち聖人の功業は《乾》に等しくて、而るに雲雨は便ち聖人の徳沢なり——ここに底本に脱文あり。李光地の按:貞と元とは体にして、亨と利とは用なり。然るに即ち体は便ち用にして、両者は分かち開くべからず。即ち用は便ち体にして、従来両様の東西にあらず。ゆえに《文言》はまた解釈して「乾元とは、始めにして亨するなり」——剛に一たび開始せば、亨通の道理は已に具備して、必ずしも亨通するを待ちてやっとそれの亨通せんを知るにあらず。「利貞」の講ずる所は成就なり:事情の成就は、過ぎずその性情の中正を得着する而已。何ぞ心の外に在らんや。一心は発動し出でて、千万種の施用と散作して、千万条の道理は各々その宜を得て、又だ一個の性の徳に帰す。ゆえにそれは一开始就必定に亨通す。これが便ち《乾》の一开始に能く「美利をもって天下を利す」なり。最後に及んで、利益は天下に遍及して、而るにそれの本有の性は並びて何かを增添せず。なお何の「其の利」として説くべきあらんや。これがすなわち「乾元」の能く「天を統す」所以にして、その徳の大と称するに足る所以なり。

由此觀之,乾之德,於其“元亨”也,見其動直而剛焉,不息而健焉,於其利貞也,見其裁制而中焉,確守而正焉,於其一元之妙,心普萬物而無心也,見其不累於功利之雜駁而純粹,不滯於聲奧之粗而至精焉。天道如此,王道亦然,王者之道,其發之也剛,其行之也健,其裁之也中,其處之也正,要以體天地生生之心,能使仁覆天下而莫知為之者,如精金美玉而無疵,如太虛浮雲而無亦,非如霸者小補之功,驩虞之效也,卦唯九五全備斯德,故六爻發揮,固所以旁通乎乾之情矣,而唯九五則兼統眾爻之德以處崇高之位,其象為“飛龍在天”者,蓋如乘六龍以御天也,龍而在天,有不興雲致雨,而使下土平康者乎,夫當其膏澤溥施,即乾之“美利利天下”也,及乎蕩蕩平平,大化無跡,又非乾之不言所利者與,夫子之發明天德王道,於是為至。

李光地の按語は続けていう:これに由りて観れば、《乾》の徳は、それの「元亨」のときに、それの発動する正直にして剛・停息せずして健なるを見出だし得、それの「利貞」のときに、それの裁断する度ありて中・堅守して移らずして正なるを見出だし得。それの一元の神妙の処——心は万物に遍及して又だ一己の心を存せず——に於て、それの功利の駁雑に牽累せられざるを見出だし得。ゆえに純粹なり。声色形跡の粗浅の上に滞留せず。ゆえに至精なり。天道はかくの如くして、王道もまたかくの如し。王者の道は、発動する時は剛にして、推行する時は健にして、裁断する時は中にして、自処する時は正にして、総じて帰するは天地生生の心を体貼して、能く仁徳をして天下に覆蓋して百姓は却って誰の為したるを知らざらしむ。たとえば精金美玉の毫も瑕疵なきが如く、たとえば太虚の裏の浮雲の了も痕迹なきが如し(底本は「迹」を訛して「亦」と作す)。霸者の如くただ小修小補の功・ただ一時に人を討ち歓ばせる效験を求むるに如かず。全卦はただ九五のみ完全にこの様の徳を具備す。ゆえに六爻の発揮は固より周遍に《乾》の情状を説き尽さんが為なるも、而るに唯だ九五は能く衆爻の徳を兼統して、崇高の位に居る。それの象は「飛竜は天に在り」。たとえば六竜に乗じて上天を駕御するが如し。竜は已に天の上に在れば、何何ぞ雲を興し雨を致して、下界をして安寧太平ならしめざるの道理あらんや。それの恩沢の普遍に施布する時に当たっては、あれはすなわち《乾》の「美利をもって天下を利す」なり。天下の荡荡平平・大化の痕迹を留めざるに及んで、あれは不又だ正に《乾》の「其の利を言わず」ならんや。孔子は天徳と王道とを闡発して、ここに到りて講くこと極処に到れたりと算す。

君子以成德為行,曰可見之行也。潛之為言也,隱而未見,行而未成,是以君子弗用也。本義 成德,已成之德也,初九固成德,但其行未可見爾。程傳 德之成,其事可見者行也,德成而後可施於用,初方潛隱未見,其行未成,未成,未著也,是以君子弗用也。

《文言》の第六節はいう:君子は已に成就したる徳を以て行に表現す。あれは天天に看見すべき行なり(底本は「日」を訛して「曰」と作す)。「潜」のこの字は、隠伏してまだ顕現せざるにして、徳はすでに成るも行はまだ做り出ださざるなり。ゆえに君子は暫く施用せず。朱熹《本義》はいう:「成徳」は、已に成就したる徳にして、初九は本来便ち成徳の人にして、ただ彼の行はなお看見し得ざる而已。程頤《伊川易伝》はいう:徳は已に成就して、而るに事情の做り出だして看見すべくは、すなわち行なり。徳は成就して然る後にやっと能く施用す。初九は正に潜伏隠蔵・顕現せざる時にして、彼の行はまだ做り出ださざるなり。いわゆる「未だ成らず」は、まだ顕著ならず。ゆえに君子は暫く施用せず。

集說 《朱子語類》云:德者行之本,君子以成德為行,言德則行在其中矣,德者得之於心,行出來方見,這便是行。問行而未成如何?曰:只是事業未就。吳氏澄曰:隱而未見者潛之象,行而末成,是以欲其弗用也。

集説に《朱子語類》を引いていう:徳は行の根本なり。君子は已成の徳を当作して行と為せば、一たび徳に講じ及べば、行は便ちその中に在り。徳は心裏の得る所にして、做り出だしてやっと看見し得べし。あれはすなわち行なり。ある人が「行きて未だ成らず」は如何に講ずるを問うた。朱熹は答えた:ただ事業はまだ做り成らざる而已。呉澄はいう:隠伏してまだ顕現せざるは、これは「潜」の象なり。行はまだ做り成らず(底本は「未」を訛して「末」と作す)。ゆえに彼をして暫く用いざらしめんと要す。

蔡氏清曰:言君子之所以為行者,以成德為行也,夫既以成德為行,初九德已成矣,則日可以見之行也,夫既可以見之行矣,麗又何以曰“勿用”,蓋初九時乎“潛”也,“潛”之為言也,隱而未見,隱而未見,則行猶未成,是以君子亦當如之而勿用也。

集説に蔡清の言を引く:これは君子の行と称する所以は、已成の徳を拿りて行と当作するを説く。すでに成徳を以て行と為せば、初九の徳は已に成就せり。あれはすなわち天天に見るべき行なり。すでに見るべき行なれば、すなわち又だ何がして「用うる勿れ」と説くか(底本は「而」を訛して「麗」と作す)。初九は正当に「潜」の時に在ればなり。「潜」のこの字は、隠伏してまだ顕現せざるなり。隠伏して顕現せざれば、行もまた便ちまだ做り成らず。ゆえに君子もまた応当にこの時位に依って暫く用いざるべし。

君子學以聚之,問以辨之,寬以居之,仁以行之。《易》曰:“見龍在田,利見大人。”君德也。本義 蓋由四者以成大人之德,再言君德,以深明九二之為大人也。程傳 聖人在下,雖已顯而未得位,則“進德修業”而已,學聚問辨,“進德”也;寬居仁行,“修業”也。君德已著,利見大人,而進以行之耳,進居其位者,舜禹也,進行其道者,伊傅也。

《文言》はいう:君子は学習に靠りて学問を积聚し、請教に靠りて是非を分辨し、寛厚を用いて安処し、仁愛を用いて践行す。《周易》は「竜を田に見る、大人を見るに利し」と説く。講ずる所は君主の徳なり。朱熹《本義》はいう:正にこの四様に靠りて以て大人の徳を成就す。ここに再び一句「君徳」を提げるは、九二はすなわちあの位の大人なるを深切に説明せんと要するなり。程頤《伊川易伝》はいう:聖人は下位に身居して、徳は已に顕露するといえどもなおあの位置を得ず。すなわちただ「進徳修業」を管する而已。学びて以て之を聚め・問いて以て之を辨ずは、「進徳」に属す。寛くして以て之に居り・仁にして以て之を行うは、「修業」に属す。君徳は已に顕著して、「大人を見るに利し」は、応にそれを前に向かい推行すべし。前に向かいあの位置の上に居り到るは、舜と禹なり。前に向かいあの道を推行するは、伊尹と傅説なり。

集說 《朱子語類》云:“學以聚之,問以辨之”,既探討得當,且放頓寬大田地,待觸類自然有會合處,故曰“寬以居之”。又曰:學聚之,以知其理,仁行之,以行其事,問辨之,以審別所當行於學聚之後,寬居之,以存貯所已知於仁行之先,寬之所居,即學之所聚者,仁之所行,即問之所辨者。

集説に《朱子語類》を引いていう:「学びて以て之を聚め、問いて以て之を辨ず」は、すでに探討して当を得れば、姑らくそれを一片の寛大の地面の上に安放して、類に触れて旁通するを待ちて、自然に互いに契合する処あらん。ゆえに「寛くして以て之に居る」という。又いう:学びて以て之を聚むるは、あの道理を懂らんが為なり。仁にして以て之を行うは、あの件事を做り出ださんが為なり。問いて以て之を辨ずるは、「学びて聚む」の後に於て応当に為すべきを審別するなり。寛くして以て之に居るは、「仁にして行う」の前に於て已に懂りたるを存貯し起すなり。寛厚の安放する所は、正に学の积聚する所なり。仁の践行する所は、正に問の分辨する所なり。

林氏希元曰:學聚問辨,是知工夫,寬居,是把義理放在胸中,詳玩深味,使透徹貫串,乃居安資深時也,故亦屬之行。

集説に林希元の言を引く:学びて以て之を聚め・問いて以て之を辨ずは、知を求むる功夫なり。寛くして以て之に居るは、義理を胸中の裏に放りて、仔細に玩味し・深入に体会して、それをして透徹貫通せしむるなり。正に《孟子》の説く所の「之に居ること安ければ、則ち之に資ること深し」の時候なり。ゆえにも行の一辺に帰す。

九三重剛而不中,上不在天,下天在田。故乾乾因其時而惕,雖危無咎矣。本義 重剛,謂陽爻陽位。程傳 三“重剛”,剛之盛也,過中而居下之上,上未至於天,而下已離於田,危懼之地也,因時順處,乾乾兢惕以防危,故雖危而不至於咎,君子順時兢惕,所以能泰也。

《文言》はいう:九三は重畳の陽剛にして又だ中位に居らず、往きて上に天に及ばず、往きて下に田を離れり(底本は「下不在田」を訛して「下天在田」と作す)。ゆえにそれの処する所の時勢に順って戒惧勤勉して、危険なるといえども過錯ある会せざらん。朱熹《本義》はいう:いわゆる「重剛」は、陽爻は又だ陽位の上に居るを指す。程頤《伊川易伝》はいう:九三の「重剛」は、陽剛の極盛なり。それは下卦の中を過ぎて下卦の最上に居りて、往きて上にはまだ天に到らず、往きて下には已に田を離れたり。個の危惧の地なり。時勢に順って妥当に自処して、戒惧勤勉して以て危険を防備す。ゆえに危険なるといえども過咎あるに至らず。君子は時勢に順って戒惧す。正にこの様なるによりてやっと能く安泰なり。

集說 虞氏翻曰:以乾接乾,故“重剛”,位非二五,故“不中”也。孔氏疑達曰:“上不在天”,謂非五位,“下不在田”,謂非二位也,居危之地,以乾乾夕惕戒懼不息,得無咎也。吳氏澄曰:九三居下乾之終,接上乾之始,九四居上乾之始,接下乾之終,當重乾上下之際,故皆曰“重剛”。

集説に虞翻の言を引く:乾をもって乾に接ぐ。ゆえに「重剛」と呼ぶ。居る所の位はすでに二にあらず五にあらず。ゆえに「中ならず」という。孔穎達はいう(底本は「穎」を訛して「疑」と作す):「上に天に在らず」は、それの五位に在らざるを説く。「下に田に在らず」は、それの二位に在らざるを説く。危険の地に身処して、白天に勤勉・夜裏に戒惧・片刻も松懈を肯ぜざるに靠りて、やっと過錯なきを得。呉澄はいう:九三は下卦の乾の末尾に処して、上卦の乾の開頭に接ぎ、九四は上卦の乾の開頭に処して、下卦の乾の末尾に接ぐ——みな正当に両個の乾の上下交接する処なり。ゆえにみな「重剛」と説く。

九四重剛而不中,上不在天,下不在田,中不在人,故或之。或之者,疑之也,故無咎。本義 九四非重剛,“重”字疑衍,在人謂三,或者,隨時而未定也。程傳 四不在天不在田而出入之上矣,危地也。疑者,未決之辭。處非可必也,或進或退,唯所安耳,所以無咎也。

《文言》はいう:九四は重畳の陽剛にして又だ中位に居らず、往きて上に天に及ばず、往きて下に田を離れ、中間に又だ人の位置の上に在らず。ゆえに「或」と説く。いわゆる「或」は、すなわち遅疑不定にして、これに因りて過錯なし。朱熹《本義》はいう:九四は並びて「重剛」にあらず。この「重」の字は多く出だしたる衍文なるを疑う。「人に在る」の指す所は九三なり。「或」は、時勢に随いてまだ確定せざるなり。程頤《伊川易伝》はいう:九四はすでに天に在らず田に在らずして、而るに出没するは人位の上にして、個の危険の処なり。「疑」は、まだ決断せざるの説法にして、処する所の境地は能く一定ならず。或いは前進し、或いは後退して、ただ何れの様が安穏なるを看る而已。ゆえに過錯なし。

集說 孔氏穎達曰:三之與四,俱為人道,人下近於地,上遠於天,九三近二,正是人道,九四則上近於天,下遠於地,非人所處,故特雲中不在人。或之者疑之也,此夫子釋經“或”字,經稱“或”,是疑惑之辭,欲進欲退,猶豫不定,故“疑”之也。九三位卑近下,向上為難,危惕憂深,九四則陽德漸勝,去五彌近,前進稍易,故但疑惑,憂則淺也。

集説に孔穎達の言を引く:三と四とはみな人道に属す。人は下に在りて地に靠近し、上に在りて天に遠離す。九三は二位に挨着して、正に人道の所在なり。九四は則ち往きて上に天に靠近し、往きて下に地に遠離して、人の居処する所の処にあらず。ゆえに特に一句「中に人に在らず」を説く。「之を或る者は之を疑うなり」は、これは孔子の経文の裏の「或」の字を解釈す。経文は「或」を称するは、疑惑の措辞なり:進まんと想いまた退かんと想いて、猶豫不定す。ゆえに「疑」と呼ぶ。九三は位置は低くて下に靠れて、上に走り往くこと極めて難し。ゆえに危惧戒慎・憂慮極めて深し。九四は則ち陽徳は漸漸に上風を占めて、九五に離るること愈々近くて、前に走り往くこと稍稍容易些あり。ゆえにただ疑惑而已にして、憂慮は便ち浅し。

李氏鼎祚曰:三居下卦之上,四居上卦之下,俱非得中,故曰“重剛而不中”也。張氏振淵曰:“或之者”據其跡,“疑之者”指其心,疑非狐疑之疑,只是詳審耳。

集説に李鼎祚の言を引く:九三は下卦の最上に処し、九四は上卦の最下に処して、両個はみな曽て中を得ず。ゆえに「重剛にして中ならず」という。張振淵はいう:「之を或る」はそれの表現し出だしたる跡象に就いて説き、「之を疑う」はそれの心裏の状態を指す。この「疑」は狐疑不決の疑にあらずして、ただ仔細に審度する而已。

本義 大人,即釋爻辭所“利見之大人”也,有是德而當其位,乃可當之,人與天地鬼神,本無二理,特蔽於有我之私,是以牿於形體,而不能相通,大人無私,以道為體,曾何彼此先後之可言哉。先天不違,謂意之所為,默與道契。後天奉天,謂知理如是,奉而行之,回紇謂郭子儀曰:卜者言此行當見一大人而還,其占蓋與此合,若子儀者,雖未及乎夫子之所論,然其至公無我,亦可謂當時之大人矣。

以下は《文言》の「夫れ大人とは、天地と其の徳を合し、日月と其の明を合し、四時と其の序を合し、鬼神と其の吉凶を合し、天に先んじて天違わず、天に後れて天時を奉ず」の一節を解す。この一段の伝文は底本脱漏せり。朱熹《本義》はいう:ここの「大人」は、すなわち爻辞の裏の「大人を見るに利し」のあの位の大人を解釈す。この様の徳ありて又だこの様の位に正当して、やっと当たるに足る。人と天地鬼神とは、本来両個の道理なくして、ただ「我有り」の私心に遮蔽せられて、因って形体に拘われて、能く彼此相通ぜず。大人は私心なく、道を拿りて自己の本体と為れば、何ぞなお何の彼此・何の先後を談ずるに足らんや。「天に先んじて天違わず」は、心意の為さんと欲する所は、暗暗の裏に便ち道と相契合するを説く。「天に後れて天時を奉ず」は、道理の本来応にかくあるべきを明白して、便ち奉行し下るを説く。回紇の人は曽て郭子儀に対して説く:占いの人はこの趟の出行は一位の大人を見て然る後に回るを講ずと。あの一卦の占辞は大概ここと相合するなり。郭子儀のこの様の人は、なお孔子の論ずる所の境界に及ばざるといえども、然るに彼は至公無私にして、も以て当時の大人と算すべし。

程傳 大人與天地日月四時鬼神合者,合乎道也,“天地”者,道也,“鬼神”者、造化之跡也,聖人先於天而天同之,後於天而能順天者,合於道而已,合於道,則人與鬼神豈能違也。

程頤《伊川易伝》はいう:大人の能く天地・日月・四時・鬼神と相合するは、彼の道に合するによりてなり。「天地」はすなわち道にして、「鬼神」は造化の留め下したる痕迹なり。聖人は天の前面に走りて天は彼と相同じ、天の後面に走りて能く天に順応す。靠る所はただ道に合する而已。すでに道に合せば、すなわち人と鬼神とは何ぞなお能く彼に違背せんや。

集說 孔氏穎達曰:“與天地合其德”,謂覆載也,“與日月合共明”,謂照臨也,“與四時合其序”者,若賞以春夏,刑以秋冬之類也,“與鬼神合其占凶”者,若福善禍淫也,若在天時之先行事,天乃在後不違,是天合大人也,若在天時之後行事,能奉順上天,是大人合天也,尊而遠者尚不違,況小而近者可違乎。

集説に孔穎達の言を引く:「天地と其の徳を合す」の指す所は、天の覆い地の載するが如き徳なり。「日月と其の明を合す」の指す所は、日月の如く天下を照臨するなり(底本は「其」を訛して「共」と作す)。「四時と其の序を合す」は、たとえば賞賜は春夏を用い・刑罰は秋冬を用うるこの類なり。「鬼神と其の吉凶を合す」は、たとえば善人に福を降し・淫悪に禍を降すなり(底本は「吉」を訛して「占」と作す)。仮使天時の前に於て先に事を行えば、天は後面に於て並びて彼に違逆せず。これは天と大人と相合するなり。仮使天時の後に於て事を行い、能く上天に奉順すれば、これは大人と天と相合するなり。尊貴にして遥遠の天は尚且彼に違背せず。何に況やあの些の微小にして切近の東西をや。豈にまた能く彼に違背せんや。

程子曰:若不一本,則安能“先天而天弗違,後天而奉天時。”又曰:天且不違,況於鬼神乎,鬼神言其功用,天言其主宰。王氏宗傳曰:“先天而天弗違”,時之未至,我則先乎天而為之,而天自不能違乎我。“後人而奉天時”,時之既至,我則後乎天而奉之,而我亦不能違乎人,蓋“大人”即天也,天即“大人”也。

集説に程頤の言を引く:仮使天と人とは同じ一個の根本にあらざれば、何ぞ能く「天に先んじて天違わず、天に後れて天時を奉ず」を做し到らんや。又いう:天は尚且彼に違背せず。何に況や鬼神をや。鬼神を講ずるは、それの功用に就いて説き、天を講ずるは、それの主宰に就いて説く。王宗伝はいう:いわゆる「天に先んじて天違わず」は、時機はまだ到らざるに、我は天の前頭を搶いて做し往きて、而るに天は自然に我に違逆せざるなり。いわゆる「天に後れて天時を奉ず」は、時機は已に到れり、我は天の後頭に跟いてそれを奉行して、而るに我もまた能く天に違逆せざるなり(底本の此の両処の「天」は併せて訛して「人」と作す)。「大人」はすなわち天にして、天はすなわち「大人」なるに因るなり。

亢之為言也,知進而不知退,知存而不知亡,知得而不知喪。本義 所以動而有悔也。集說 孔氏穎達曰:言上九所以亢極有悔者,正由有此三事,若能三事備知,雖居上位,不至於亢也。

《文言》はいう:「亢」のこの字は、ただ前進を知りて後退を知らず、ただ保存を知りて消亡を知らず、ただ獲得を知りて喪失を知らざるなり。朱熹《本義》はいう:正にこの様なるに因りて、ゆえに一たび動けば便ち悔あり。集説に孔穎達の言を引く:これは上九の亢きて極処に到りて悔ある所以は、正にこの三件の事を犯せるに由るを説く。もし能くこの三件の事をみな暁くれば、たとえ上位に身居するも、亢に至るに至らざらん。

其唯聖人乎?知進退存亡而不失其正者,其唯聖人乎?本義 知其理勢如是,而處之以道,則不至於有悔矣,固非計私以避害者也,再言其唯聖人乎,始若沒問,而卒自應之也。此第六節,復申第二節三節四節之意。程傳 極之甚為“亢”,至於“亢”者,不知進退存亡得喪之理也,聖人則知而處之,皆不失其正,故不至於亢也。

《文言》はいう:能くこの一歩を做し到るは、大概ただ聖人のみであろう。進退存亡を懂りて而るに其の正を失わざるは、大概ただ聖人のみであろう。朱熹《本義》はいう:事理と時勢の本来かくの如くなるを明白して、又だ道を用いてそれを処置せば、便ち悔あるに至らず。これは固より自己の為に打算して・禍害を躲避せんが為にあらず。両次に「其れ唯だ聖人か」を説くは、起初は問いを発するが如くして答案なく、末了は自己は自己に回答せり(底本は「設問」を訛して「沒問」と作す)。これは《文言》の第六節にして、再び一度第二節・第三節・第四節の意思を申説す。程頤《伊川易伝》はいう:極まりて極処に到れば便ち「亢」なり。「亢」の歩に到るは、進退存亡得喪の道理を懂らざるなり。聖人は則ちこの道理を懂りて妥当に自処して、様様に其の正を失わず。ゆえに亢に至らず。

集說 李氏鼎祚曰:再稱聖人者,嘆美用九能知進退存亡而不失其正。朱氏震曰:“亢”者處極而不知反也,萬物之理,進必有退,存必有亡,得必有喪,“亢”知一而不知二,故道窮而致災,人固有知進退存亡者矣,其道詭於聖人,則未必得其正,不得其正,則與天地不相似,“知進退存亡而不失其正者,其唯聖人乎”,故兩 胡氏炳文曰:陽極則剝,《乾》上則“亢”,中不可過也,知其時將過乎中,而處之不失其正,“其唯聖人乎”,“貞者正也”,乾元之用所歸宿也,乾之四德始於元,至此又論聖人之體乾而歸於正,其意深矣。

集説に李鼎祚の言を引く:両次に聖人を称説するは、「九を用う」の能く進退存亡を懂りて其の正を失わざるを讃嘆す。朱震はいう:「亢」は極処に処して回頭を知らざるなり。万物の道理は、進あれば便ち必ず退あり、存あれば便ち必ず亡あり、得あれば便ち必ず喪あり。「亢」はただ其の一を知りて其の二を知らず。ゆえに道路は窮尽して災禍を招来す。人は固より進退存亡を懂るあれども、可も彼の走る所の路子は聖人と相違せば、便ち未だ必ずしも其の正を得ざらん。其の正を得ざれば、便ち天地と相像せず。ゆえに「進退存亡を知りて其の正を失わざる者は、其れ唯だ聖人か」と説いて、これに因りて両次に称説す——ここに底本に脱文あり。胡炳文はいう:陽は極処に到れば便ち剥落せんと要す。《乾》は上爻に到れば便ち「亢」と成る。見るべし、「中」は越過すべからざるなり。時勢の将にあの「中」を越過せんとするを知りて、自ら処ること其の正を失わず。これがすなわち「其れ唯だ聖人か」なり。「貞とは正なり」は、乾元の用の最後の帰宿なり。《乾》の四徳は「元」より開始して、ここに到りて又だ聖人の乾道を体察して一個の「正」の字に帰結するを論ず。用意は極めて深し。

陳氏琛曰:進極必退,存極必亡,乃理勢之自然也,知其如是,則隨時變通,而處以是道之當然,有收斂而無施張,有舍棄而無繫吝,如此則不至於有悔矣,然此唯聖人能之,蓋聖人樂天知命,達理而能權也,常人則明不足以見幾,心不免於物累,故不能也。

集説に陳琛の言を引く:進みて極処に到れば必定に退き、存して極処に到れば必定に亡びる。これは理と勢の自然なり。事情のかくの如くなるを暁けば、便ち時勢に随って変通して、この道理の応有の様子を用いて以て自処す:ただ収斂して再び張揚せず、ただ舎棄して再び牽挂恋恋せず。この様なれば便ち悔あるに至らず。然るにこれはただ聖人のみ做り到るを得。聖人は天に楽しみ命を知りて、事理を通達して又だ能く軽重を権衡すればなり。常人は則ち見識は以て苗头を察覚するに足らず、心裏は免れず外物に牽累せられて、ゆえに做り到る能わず。

總論 朱子答萬正淳曰:大抵《易》卦之辭,本只是各著本卦本爻之象,明占凶之占當如此耳,非是就聖賢地位說道理也,故《乾》六爻,自天子以至於庶人,自聖人以至於愚不肖,筮或得之,義皆有取,但純陽之德,剛健之至,若以義類推之,則為聖人之象,而其六位之高下,又有似聖人之進退,故文言因潛見曜飛自然之文,而以聖人之跡各明其義。

総論に朱熹の万正淳に答うる書信の言を引く:大体《周易》の卦爻辞は、本来ただ各々本卦本爻の象を標明して、吉凶の占断は応に如何なるを説明する而已にして(底本は「吉」を訛して「占」と作す)、並びて聖賢の身分地位に就いて道理を講ずるにあらず。ゆえに《乾》卦の六爻は、上は天子より下は平民に至り、上は聖人より下は愚昧不肖の人に至るまで、占筮するときもし碰上せば、含義はみな各々取るべきあり。過ぎず純陽の徳は剛健の極処に到れるにして、もし義理に按じて類推せば、便ち聖人の象と成りて、而るに六個の爻位の高低は、またたとえば聖人の進退の如し。ゆえに《文言》は便ち「潜」「見」「躍」「飛」のこれらの自然の文辞に順って(底本は「躍」を訛して「曜」と作す)、聖人の行跡を用いて分別に各爻の義理を闡明す。

文言伝・坤

坤至柔而動也剛,至靜而德方。本義 剛方,釋“牝馬之貞”也。“方”,謂生物有常。集說 《朱子語類》云:“坤至柔而動也剛”,“坤”只是承天,如一氣之施,坤則盡能發生承載,非剛安能如此。問《程傳》云:坤道“至柔而動則剛”,坤體至靜而德則方,柔與剛相反,靜與方疑相似。曰:靜無形,方有體,靜言其體,則不可得見,方言其德,則是其著也。

《坤・文言》にいう。坤は極めて柔順であるが、ひとたび動けば剛となる。極めて安静であるが、その徳は方正である。朱熹《本義》にいう:「剛」「方」の二字は、卦辞「牝馬之貞」を解釈したものである。「方」とは、万物を生養するにあたって一定の常規があることをいう。集説に《朱子語類》を引いていう:「坤至柔而動也剛」――坤はただ天を承けているだけである。天の一気が施せば、坤はすべて発生し承載することができる。剛でなければ、どうしてこのようにできようか。ある人が問うた:《伊川易伝》は坤の道を「至柔而動則剛」、坤の体を至静にして徳は方であるという。柔と剛はちょうど相反し、静と方は似通っているのではないかと疑われる。朱熹は答えた:静には形がなく、方には形体がある。「静」をいうのはその本体についてであって、見ることができない。「方」をいうのはその徳についてであって、それは顕著に現れるのである。

吳氏澄曰:坤體中含乾陽,如,人肺藏之藏氣,故曰“至柔”。然其氣機一動而闢之時,乾陽之氣,直上而出,莫能御之,故曰“剛”。剛即六二爻辭所謂直也,乾運轉不已,而坤體巋然不動,故曰“至靜”。然其生物之德普遍四周,無處欠缺,故曰“方”。方即六二爻辭所謂“方”也,乾之九五,不徒剛健而能中正,故為乾元之大,坤之六二,不徒柔靜而能剛方,故為坤元之至。

集説に呉澄の言を引く:坤の形体のうちには乾の陽気が含まれており、たとえば人の肺蔵のうちに気が蔵しているようなものだから、「至柔」という。しかし気機がひとたび動いて開闢するとき、乾陽の気はまっすぐ上に出て、誰もこれを防ぐことができない。ゆえに「剛」という――この「剛」は六二爻辞のいう「直」である。乾は運転してやまないが、坤体は巍然として動かない。ゆえに「至静」という。しかし万物を生ずるその徳は四方に遍く及んで欠けるところがない。ゆえに「方」という――この「方」は六二爻辞のいう「方」である。《乾》の九五はただ剛健なだけでなく中正をも得るから、乾元の大を成し、《坤》の六二はただ柔静なだけでなく剛方をも得るから、坤元の至を成すのである。

何氏楷曰:乾剛坤柔,定體也,坤固至柔矣,然乾之施一至,坤即能翕受而發生之,氣機一動,不可止遏屈撓,此又柔中之剛矣,乾動坤靜,定體也,坤固至靜矣,及其承乾之施,陶冶萬類,各有定形,不可移易,此又靜中之方矣,承靜者體也,剛方者用也。

集説に何楷の言を引く:乾剛・坤柔は定まった分際である。坤はなるほど極めて柔であるが、乾の施与がひとたび至れば、坤はすぐにこれを翕受して発生させる。気機がひとたび動けば、誰も止め塞ぐことも屈撓させることもできない。これが柔のうちの剛である。乾動・坤静もまた定まった分際である。坤はなるほど極めて静であるが、乾の施与を承けて万類を陶冶化育すれば、おのおの定まった形があって動かし変えることができない。これが静のうちの方である。承順と安静はその体であり、剛と方はその用である。

後得主而有常。本義 《程傳》曰:“主”下當有“利”字。集說 趙氏汝楳曰:坤無乾以為始,孰開其端,“先迷”也,天先施而地後生,“後得主”也,先陽後陰,乃天地生生之常理。餘氏芑舒曰:程子以“主利”為一句,朱子因之,故以《文言》後得主力闕文,然《彖傳》後順得常,與“後得主而有常”,意正一律,似非闕文也。

《坤・文言》にいう:後に従って主を得て、常道を有する。朱熹《本義》にいう:《伊川易伝》は「主」の字の下に「利」の字があるべきだとする。集説に趙汝楳の言を引く:坤に乾があって始めを開かなければ、誰がその端緒を開くのか。これが卦辞の「先迷」である。天が先に施して地が後に生ずる、これが「後得主」である。先に陽、後に陰は、天地の生生して已まない常理である。余芑舒がいう:程頤は「主利」を一句として読み、朱熹はその説に因った。ゆえに《文言》の「後得主」には脱字があるとしたのである(底本は「為」を「力」と誤る)。しかし《彖伝》の「後順得常」と、ここの「後得主而有常」は、意味がまったく一筋であって、どうやら脱文ではないらしい。

俞氏琰曰:坤道之常,蓋當處後,不可撓先也,撓先則失坤之常矣,唯處乾之後, 含萬物而化光。本義 復明“亨”義。集說 王氏宗傳曰:唯其動剛,故能德應乎乾,而成萬物化育之功,唯其德方,故能不拂乎正,而順萬物性命之理,此坤之德所以能配天也,後得主而有常,則申後順得常之義,含萬物而化光,則申含弘光大品物咸亨之義。

集説に俞琰の言を引く:坤道の常は、後に処るべきであって、先を撓げてはならない。先を撓げれば坤の常を失う。ただ乾の後に処るのみ――ここで底本に脱文がある。以下は《文言》「含万物而化光」の一句である。朱熹《本義》にいう:これはあらためて卦辞「亨」の字の意を明らかにしたものである。集説に王宗伝の言を引く:まさにその動きが剛であるがゆえに、その徳は乾に応じて、万物を化育する功を成し得る。まさにその徳が方であるがゆえに、正に背かず、万物の性命の理に順うことができる。これが坤の徳の天に配る所以である。「后得主而有常」は《彖伝》の「後順得常」の義を敷衍したものであり、「含万物而化光」は《彖伝》の「含弘光大、品物咸亨」の義を敷衍したものである。

坤道其順乎,承天而時行。本義 復明順承天之意。此以上申《彖傳》之意程傳 坤道至柔,而其動則剛,坤體至靜,而其德則方,動剛故應乾不違,德方故生物有常,陰之道,不唱而和,故居後為得,而主利成萬物,坤之常也,含容萬類,其功化光大也,“主”字下脫“利”字,“坤道其順乎承天而時行”,承天之施,行不違時,贊坤道之順也。

《坤・文言》にいう:坤道とはおよそ「順」の一字であろうか、天を承けて時に行う。朱熹《本義》にいう:これはあらためて《彖伝》「乃順承天」の意を明らかにしたものである。以上はみな《彖伝》の意を敷衍したものである。程頤《伊川易伝》にいう:坤道は極めて柔であるが、その動きは剛であり、坤体は極めて静であるが、その徳は方である。動けば剛であるゆえに乾に応じて違わず、徳が方であるゆえに生物に常がある。陰の道は唱えずして和するゆえに、後に居るのが得であって、利を主として万物を成すのが坤の常である。万類を包容し、その功化は光り輝いて大きい。「主」の字の下に「利」の字が脱けている。「坤道其順乎承天而時行」とは、天の施しを承けて、行いが時に違わないことをいい、坤道の順を讃えたものである。

集說 俞氏琰曰:“至柔而動也剛”,申“德合無疆”之義。“至靜而德方”,釋“貞”義。“後得主而有常”,後順得常之謂。含萬物而化光,即含弘光大品物咸亨之謂。“坤道其順乎承天而時行”,即“乃順承天”之謂。

集説に俞琰の言を引く:「至柔而動也剛」は《彖伝》「徳合无疆」の義を敷衍したもの、「至静而徳方」は卦辞「貞」の字を釋したもの、「后得主而有常」は《彖伝》の「後順得常」をいうもの、「含万物而化光」は「含弘光大、品物咸亨」をいうもの、「坤道其順乎承天而時行」は「乃順承天」をいうものである。

案 動剛,釋“元亨”也,氣之發動而物生也。德方,釋“利貞”也,形之完就而物成也。柔靜者坤之本體,其剛其方,乃是乾為之主。而坤順之以行止者,故繼之曰“後得主而有常”,釋“先迷後得主”也。含物化光,謂亨利之間,致養萬物,其功盛大,釋“西南得朋”也。承天時行,謂順承於元,至貞不息,陰道終始於陽,釋“東北喪朋”也。蓋孔子既以《坤》之“元亨利貞”,配乾為四德,則所謂西南東北者,即四時也,故用《彖傳》所謂含弘光大者,以切西南,又用所謂乃順承天“行地無疆”者,以切東北,欲人知四方四德,初非兩義,此意《彖傳》未及,故於《文言》發之。

李光地が按ずる:「動也剛」は「元亨」を釋したもので、気がひとたび発動して物が生ずることをいう。「徳方」は「利貞」を釋したもので、形が完成して物が成ることをいう。柔と静は坤の本体であり、その剛、その方は乾がこれに主となるもので、坤は乾に順って行止を決める。ゆえに続けて「后得主而有常」といい、卦辞「先迷後得主」を釋したものである。「含物化光」は、亨と利とのあいだで万物を致養してその功が盛大であることをいい、「西南得朋」を釋したものである。「承天時行」は、あの「元」に順承して、「貞」に至るまで息まず、陰道が終始陽に帰することをいい、「東北喪朋」を釋したものである。孔子がすでに《坤》の「元亨利貞」を乾に配して四徳とした以上、いわゆる西南・東北とはすなわち四時である。ゆえに《彖伝》のいわゆる「含弘光大」をもって西南に切に当て、またいわゆる「乃順承天」「行地无疆」をもって東北に切に当て、四方と四徳とがもとより二義でないことを人に知らしめようとしたのである。この意は《彖伝》に及んでいないゆえに、《文言》においてこれを発したのである。

又案《乾》爻唯九五“剛健小正”,得乾道之純,故《彖傳》言“乘尼”“御天”,“首出庶物”,即九五“飛龍在天利見大人”之義也,《坤》爻唯六二柔順中止,得坤道之純,故《文言》言動剛德方,含物承天,即六二“直方大”之義也,《象傳》於乾五曰“位乎天德”,於坤二曰“地道光”也,明乎乾坤之主,在此二爻矣。

李光地がまた按ずる:《乾》卦の諸爻のうち九五だけが「剛健中正」(底本は「中」を「小」と誤る)で、乾道の純粋を得ている。ゆえに《彖伝》は「時乘六龍」「御天」(底本は「六龍」を「尼」と誤る)、「首出庶物」といい、すなわち九五「飛龍在天、利見大人」の義である。《坤》卦の諸爻のうち六二だけが柔順中正(底本は「正」を「止」と誤る)で、坤道の純粋を得ている。ゆえに《文言》は動剛・徳方、含物・承天といい、すなわち六二「直方大」の義である。《象伝》は乾の九五において「位乎天徳」といい、坤の六二において「地道光也」という。乾坤両卦の主爻がこの二爻にあることが明らかである。

積善之家,必有餘慶;積不善之家,必有餘殃。臣弒其君,子弒其父,非一朝一夕之故,其所由來者漸矣,由辨之不早辨也。《易》曰:“履霜,堅冰至”,蓋言順也。本義 古字“順”、“慎”通用,案此當作“慎”,言當辨之於微也。

《坤・文言》にいう:善を積む家には必ず余りある慶があり、不善を積む家には必ず余りある殃がある。臣がその君を弑し、子がその父を弑するのは、一朝一夕の故ではなく、その由来は漸く積もってできたもので、弁ずべきときに早く弁じなかったためである。《易》に「履霜、堅氷至」というのは、およそ「順」の一字をいうものである。朱熹《本義》にいう:古い字では「順」と「慎」とが通用する。これによればここは「慎」と作るべきで、兆しの微細なうちにこれを弁ずべきことをいうのである。

程傳 天下之事,未有不由積而成,家之所積者善,則福慶及於子孫,所積不善,則災殃流於後世,其大至於弒逆之禍,皆因積累而至,非朝夕所能成也,明者則知漸不 集說 呂氏祖謙曰:“蓋言順也”,此一句尤可警,非心邪念,不可順養將去,若順將去,何所不至,懲治遏絕,正要人著力。

程頤《伊川易伝》にいう:天下の事で積んで成らないものはない。一家の積むところが善であれば福慶は子孫に及び、積むところが不善であれば災殃は後世に流れる。その大なるは弑逆の禍に至るまで、みな積累して至るもので、朝夕に成し得るものではない。明らかな人は漸から――ここで底本に脱文がある。集説に呂祖謙の言を引く:「蓋言順也」の一句はとりわけ警むべきである。正しからぬ心、邪僻の念は、順って養っていってはならない。もし順っていけば、至らないところがなくなる。懲治して遏絶するのは、まさに人に力を尽くさせるところである。

張氏振淵曰:天道有剛必有陰,原相為用,然陰之為道,利於從陽。而不利於抗陽。坤道可謂至順矣,而順之變反為逆,故至人深著其順之利,明臣子之大分,究極其逆之禍,立君父之大防也。

集説に張振淵の言を引く:天道に陽があれば必ず陰があり(底本は「陽」を「剛」と誤る)、もとより互いに用をなす。しかし陰の道は、陽に従うのを利として、陽に抗するのを利としない。坤道は至順と言うべきであるが、順が一変すればかえって逆となる。ゆえに至人は深く順の利を著して臣子の大分を明らかにし、逆の禍を究極まで突き詰めて、君父の大防を立てるのである。

直其正也,方其義也。君子敬以直內,義以方外,敬義立而德不孤,直方大不習無不利,則不疑其所行也。本義 此以學言之也。止,謂本體,義,謂裁制,敬則本體之守也,“直內”“方外”,《程傳》備矣,不孤,言大也,疑故習而後利,不疑則何假於習。

《坤・文言》にいう:「直」はその正をいい、「方」はその義をいう。君子は敬をもって内を直し、義をもって外を方くする。敬と義とが立てば徳は孤ならず。「直方大、不習無不利」とは、その行うところを疑わないことをいう。朱熹《本義》にいう:この一節は学問工夫について述べたものである。「正」は本体を指し(底本は「正」を「止」と誤る)、「義」は裁制を指す。敬とは本体の守である。「直内」「方外」の二層は《伊川易伝》にすでに詳しい。「不孤」とは爻辞のいう「大」のことである。疑いがあるから習ってのちに利なのだが、疑いなければ何ぞ習いを仮らん。

程傳 “直”言“其正也”,“方”言“其義也”,君子主敬以直其內,守義以方其外,敬立而內直,義形而外方,義形於外,非在外也,敬義既立,其德盛矣,不期大而大矣,“德不孤”也,無所用而不周,無所施而不利,孰為疑乎。

程頤《伊川易伝》にいう:「直」はその正をいい、「方」はその義をいう。君子は敬を主として内を直くし、義を守って行事を方くする。敬が立てば内は直くなり、義が現れれば外は方くなる――義は外に現れるが、外から来たものではない。敬と義とがともに立てば、その徳は盛んとなり、大を期さなくても自ずから大となる。これが「徳不孤」である。用いるところはすべて周く、施すところはすべて利なのだから、疑うべきことがあろうか。

集說 孔氏穎達曰:君子用“敬以直內”,內謂心也,用此恭敬以直內心,“義以方外”者,用此義事以方正外物,言君子法地正直而生萬物,皆得所宜。程子曰:“敬以直內,義以方外”,合內外之道也,釋氏內外之道不備者也,敬義夾持,直上達天德自此。

集説に孔穎達の言を引く:君子の「敬以直内」において「内」とは心を指し、この恭敬をもって内心を端正にする。「義以方外」は合宜なることをもって外物を方くすることである。これは君子が大地の正直に傚って万物を生養し、万物にそれぞれ宜しきを得させることをいう。程頤がいう:「敬以直内、義以方外」は内外を打ち通す理である。仏家は内外両頭の工夫が完備していない。敬と義とが両側から挟んで支え、まっすぐ上って天徳に達するのは、ここから始まるのである。

問必有事焉當用敬否?曰:“敬”只是涵養一事。必有事焉,須當集義,又問,義莫是中理杏?曰:中理在事,義在心。問敬義何別?曰:敬只是持己之道,義便知有是有非,順理而行是為義也,若只守一個敬,不知集義,卻是都無事也。又問“義”只在事上如何?曰:內外一理,豈特事上求合義也。

集説に続いて程頤の答問を引く:ある人が問うた、《孟子》のいう「必有事焉」は敬を用いるべきではないか。程頤は答えた:「敬」はただ涵養という一事である。「必有事焉」をいうには、さらに「集義」の工夫をなさねばならない。また問う:「義」とは道理に合うことではないか(底本は「否」を「杏」と誤る)。答えて曰く:道理に合うは事の上でいい、義は心のうちでいう。また敬と義の区別を問う。答えて曰く:敬はただ己を把捉する工夫、義は是非があることを知って道理に順って行うのがすなわち義である。もし敬の一つばかりを守って集義を知らなければ、何もしていないに等しい。また問う:「義」はただ事に求めるだけでよいか。答えて曰く:内と外は同一の理であって、どうしてただ事の上に義の合を求めるだけでよかろうか。

謝氏良佐曰:釋氏所以不如吾儒,無“義以方外”一節,“義以方外”,便是窮理,釋氏卻以理為障礙,然不可謂釋氏無見處,但見了不肯就理。

集説に謝良佐の言を引く:仏家のわが儒家に及ばないのは、「義以方外」の一層を欠いているからである。「義以方外」とは事理を窮究することだが、仏家は「理」を障碍と見る。ただ仏家がまったく見るところがないともいえず、彼らは見たうえで理に落とそうとしないだけである。

《朱子語類》云:“敬以直內”,是持守功夫;“義以方外”,是講學功夫,“直”是直上直下,胸中無纖豪委曲,“方”是割截方正之意,是處此事皆合宜,截然不可得而移易之意。

集説に《朱子語類》を引いていう:「敬以直内」は持守存養の工夫に属し、「義以方外」は講習窮理の工夫に属する。「直」とは真っ直ぐに上下して一貫して底に通じ、胸中に一糸一毫の屈曲もないこと。「方」は截り断って方正な意を取り、眼前の諸事を処置して一つとして宜しからぬものがなく、界限が斬截として分明で、誰もこれを動かし変えることができないことをいう。

又云:“敬義”夾持,直上達天德自此,最是下得“夾持”兩字好,教主乎中,義防於外,二者夾持,要放下霎時也不得,只得直上去,故便達天德自此,表裹夾持更無東西走作去處,上面只更有個天德。

集説に《朱子語類》をまた引いていう:程頤の「敬義夾持、直上達天徳自此」というのは、「夾持」の二字を下したのが最もよい。敬はうちにあって主となり、義は外にあって防ぎ、両側から挟んで、一瞬も放すことができず、ただひたすら上に向かうのみ。ゆえに「便達天徳自此」という。表裏を両側から挟めば、もはや東に奔り西に走る余地がなく、上にはただ天徳の一つが残るのみである。

問義形而外方,曰:“義”是心頭斷事底,心斷於內,而外便方正,萬物各得其宜。又云:《文言》將“敬”字解“直”字,“義”字解“方”字,“敬義立而德不孤”,即解“大”字,敬而無義,則作事出來必錯了,只義而無礅則無奉,何以為義,皆是孤也,須是敬義立方不孤,施之事君則忠於君,事親則悅於親,交朋友則信於朋友,皆不待習而無一之不利也。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が「義形而外方」の謂いを問うた。朱熹は答えた:「義」とは心頭において事を断ずるものである。心がうちで断じ得れば、外は方正となり、万物はそれぞれ宜しきを得る。またいう:《文言》は「敬」の字をもって「直」の字を解し、「義」の字をもって「方」の字を解し、「敬義立而徳不孤」をもって爻辞の「大」の字を解する。敬があって義がなければ、事を為して必ず誤る。義があって敬がなければ、拠るべき根本がなく(底本は「敬」を「礅」と、「本」を「奉」と誤る)、また何をもって義と足るとしよう。これらはみな孤である。必ず敬義がともに立ってはじめて孤ならず、これを君に仕えるに用いれば君に忠となり、親に仕えるに用いれば親を悦ばせ、朋友と交わるに用いれば朋友に信を取り、いずれも習うまでもなく利あらざるなしとなる。

王氏應麟曰:《丹書》“敬義”之訓,夫子於《坤》六二《文言》發之,孟子以集義為本,程子以居敬為先,張宣公謂功夫並進,相須而相成也。胡氏炳文曰:《乾》九三,明誠並進也,《坤》六二,敬義偕立也,主敬是為學之要,集義乃講學之功。薛氏瑄曰:“敬以直內”,涵養未發之中。“義以方外”,省察中節之和。

集説に王応麟の言を引く:《大戴礼記》に載る《丹書》の「敬」と「義」の訓を、孔子は《坤》卦六二の《文言》において敷衍した。孟子は「集義」を根本とし、程頤は「居敬」を先務とし、張栻は両面の工夫をともに進め、互いに頼り互いに成すべしとした。胡炳文がいう:《乾》の九三は明と誠とがともに進み、《坤》の六二は敬と義とがともに立つ。主敬は為学の領要であり、集義は講学の工夫である。薛瑄がいう:「敬以直内」は《中庸》のいう喜怒哀楽未発の「中」を涵養すること、「義以方外」は発して中節する「和」を省察することである。

又曰:“敬以直內”,戒慎恐懼之事。“義以方外”,知言集義之事。內外夾持,用力之要,莫切於此:蔡氏清曰:“正”是無少邪曲,“義”是無少差謬。又曰:此“正”“義”二字,皆以見成之德言,然直不自直,必由於敬,方不自方,必由於義,直即主忠信,方即徙義,直即心無私,方即事當理,故直內以動者言為當。

集説に薛瑄の言をまた引く:「敬以直内」は《中庸》の戒慎恐懼の一路の事であり、「義以方外」は《孟子》の知言・集義の一路の事である。内外両面から挟むのは、力を尽くす要訣としてこれより切実なものはない。蔡清がいう:「正」とは一點の邪曲もないこと、「義」とは一點の差錯もないこと。またいう:ここの「正」「義」の二字は、いずれも現成の徳について述べたものである。しかし直は自ら直なることなく、必ず敬を頼り、方は自ら方なることなく、必ず義を頼る。「直」とは《論語》のいう「主忠信」であり、「方」とは「徙義」である。「直」とは心に私念がないこと、「方」とは事が道理に合することである。ゆえに「直内」は動くところについていってはじめて穏当である。

陰雖有美含之,以從王事,弗敢成也。地道也,妻道也,臣道也,地道無成而代有終也。程傳 為下之道,不居其功,含晦其章美以從上事,代上以終其事,而不敢有其成功也,猶地道代天終物,而成功則主於天也,妻道亦然。

《坤・文言》にいう:陰は美しきものを有するといえども、これを含み蔵して、王事に従うに用い、成を敢えて己れに帰しない。これは地の道、妻の道、臣の道である。地の道は成を有せず、天に代わって事を終わらせる。程頤《伊川易伝》にいう:下位に処る道は、己の功を占めないことである。己の文采美質を含み蔵して収斂し、上の事に従い、上に代わって事を終わらせて、その成功を敢えて有しない。これは地道が天に代わって万物を成しながら、成功が天に帰するがごとく、妻の道もまたこのようである。

集說 宋氏衷曰:臣子雖有才美,含藏以從其上,不敢有所成名也,地終天功,臣終君事,婦終夫業,故曰“而代有終”也。程子曰:天地日月一般,月之光,乃日之光也,地中生物者,皆大氣也,唯“無成而代有終”者,地之道也。

集説に宋衷の言を引く:臣は才華美質を有するといえども、これを含蔵して上に従い、自ら名声を成さないことを敢えてしない。地は天に代わって功業を成し、臣は君に代わって事を成し、妻は夫に代わって業を成す。ゆえに「而代有終」という。程頤がいう:天と地、日と月とは一つの道理である――月の光は実は太陽の光であり、地に万物が生ずるのはみな天の大気に頼る。ただ「无成而代有終」のみが地の道である。

王氏申子曰:三非有美而不發,特不敢暴其美,唯知代上以終其事,而不居其成功,猶地代天生物,而功則主於天也。俞氏琰曰:既曰“地道無成”,而又曰“代有終”,何也?乾能始物,不能終物,坤繼其終而終之,則坤之所以為有終者,終乾之所未終也。

集説に王申子の言を引く:六三は美質がありながら発しないのではなく、ただ己の美を張揚することを敢えてせず、一心にただ上に代わって事を終わらせることを知り、その成功を占めない。地が天に代わって万物を生養しながら功が天に帰するがごとし。俞琰がいう:すでに「地道无成」といい、また「代有終」というのは何故か。乾は万物に始めを開くことはできるが、万物に終わりを収めることはできない。坤がその末尾を継いでこれを終わらせれば、坤の「有終」と呼ばれる所以は、乾の成し遂げなかったものを成し遂げることである。

蔡氏清曰:以從王事,以含章之道而從王事,“弗敢成也”,即是含章之道,用於從王事者也。谷氏家傑曰:爻言“有終”,此言“代有終”,則並其終亦非坤之所敢有也。何氏楷曰:乾能始萬物而已,必賴坤以作成之,故曰“代有終”,正對乾之始而言。

集説に蔡清の言を引く:いわゆる「以従王事」とは、文采を含蔵する道をもって王事に従うことであり、いわゆる「弗敢成也」とは、含蔵の道が王事に従ううえに用いられた姿である。谷家傑がいう:爻辞はただ「有終」というのみだが、ここでは「代有終」という。然ればこの「終」すら坤が敢えて己のものとするものではない。何楷がいう:乾は万物に始めを開くことしかできず、必ず坤がこれを成し遂げるのを待つ。ゆえに「代有終」といい、まさに乾の「始」に対して言うのである。

天地變化,草木蕃,天地閉,賢人隱。《易》曰:“括囊無咎無譽。”蓋言謹也。程傳 四居上近君,而無相得之義,故為隔絕之象,天地交感則變化萬物,草木蕃盛,君臣相際而道亨,天地閉隔,則萬物不遂,君臣道絕,賢者隱遯,四於閉隔之時, 集說 張氏浚曰:括囊蓋內亢其德,待時而有為者也,漢儒乃以“括囊”為譏、豈不陋哉,陽舒陰閉,故孔子發天地閉之訓,夫閉於前而舒於後,生化之功,自是出也,“括囊”之慎,庸有害乎。

《坤・文言》にいう:天地が交感して変化すれば草木は繁茂し、天地が閉塞して通ぜざれば賢人は隠退する。《周易》に「括嚢、无咎无誉」というのは、「謹」の一字をいうものである。程頤《伊川易伝》にいう:六四は上位に居りながら君主に近いが、彼此投合する情分がないゆえに隔絶の象となる。天地が交感すれば変化して万物を生養し草木が繁盛し、君臣が彼此際会すれば道は亨る。天地が閉塞隔絶すれば万物は成長せず、君臣の道が絶えれば賢人は隠退する。六四はまさに閉塞隔絶のときに当たる――ここで底本に脱文がある。集説に張浚の言を引く:「括嚢」とは己の徳をうちに収蔵し、時機を待って有所為とすることである。漢代の儒者はあえて「括嚢」を譏刺の辞と見たが、なんと浅陋なことか。陽は舒展を主とし、陰は閉合を主とする。ゆえに孔子は「天地閉」の訓を発したのである。先に閉じて後に舒べば、生養化育の功用はおのずとここから出る。「括嚢」の謹愼に何の害があろうか。

君子黃中通理。本義 黃中,言中德在內,釋“黃”字之義也。集說 蔡氏消曰:通理,即是“黃中”處通而理也,蓋“黃中”非通,則無以應乎外,通而非理,則所以應乎外者,不能皆得其當,此所以言“黃中”,而必並以通理言之,通理亦在內也。正位居體。本義 雖在尊位,而居下體,釋“裳”字之義也。案 孟子曰:“立天下之正位。”正位,即禮也,此言“正位居體”者,猶言以禮居身爾,禮以物躬,則自卑而尊人,故為釋“裳”字之義。

《坤・文言》にいう:君子は黄色が中に居るがごとき徳を有し、条理に通達する。朱熹《本義》にいう:「黄中」とは居中の徳がうちに蔵していることをいい、爻辞の「黄」の字を釋したものである。集説に蔡清の言を引く(底本は「清」を「消」と誤る):いわゆる「通理」とは、「黄中」のところにおいて通达でありかつ条理あることである。「黄中」が通達しなければ外に応接することができず、通達して条理がなければ外に応接するに一々当を得ない。これが「黄中」を言うては必ず「通理」を連ねていう所以である――「通理」もまた内にあるものである。《文言》はまたいう:位が正しくして下体に居る。朱熹《本義》にいう:身は尊位にありながら下卦の体に居る。これは爻辞の「裳」の字を釋したものである。李光地が按ずる:《孟子》は「立天下之正位」といい、「正位」とはすなわち礼である。ここに「正位居体」というは、礼をもって身を安んずると言うに等しい。礼をもって身を束ねれば、自ずから自ら謙して人を尊ぶ。ゆえに「裳」の字を釋したのである。

美在其中,而暢於四支,發於事業,美之至也。本義 “美在其中”,復釋“黃中”,“暢於四支”,復釋“居體”。程傳 黃中,“文在中”也,君子文中而達於理,居正位而不失為下之體,五尊位,在坤則唯取中正之義,美積於中,而通暢於四體,發見於事業,德美之至盛也。

《坤・文言》にいう:美はそのうちに積み、四支に暢び、事業に発する。これは美の至極である。朱熹《本義》にいう:「美在其中」はあらためて「黄中」を釋し、「暢于四支」はあらためて「居体」を釋したものである。程頤《伊川易伝》にいう:「黄中」とは《象伝》のいう「文在中也」である。君子は文采が内にあって理に通達し、端正の位に居って下体としての本分を失わない。第五爻はもとより尊位であるが、《坤》卦においてはただ中正の一層の意を取る。美が心のうちに積み、四支に暢びて、事業に発する――これが徳美の最も盛んな姿である。

集說 《朱子語類》云:二在下,方是就功夫上說,如不疑其所行是也,五得尊位,則是就它成就處說,所以云“美在其中,而暢於四支,發於事業,美之至也。”蔡氏淵曰:“黃中通理”,釋“黃”義,“正位居體”,釋“裳義”。“黃中”,正德在內。“通理”,文無不通,言柔順之德蘊於內也。“正位”,居在中之位,“居體”,居下體而不僭,言柔順之德形於外也。“美在其中”,“黃中通理”也,“暢於四支,發於事業”,“正位居體”也,二五皆中,二居內卦之中,其發見於外者,不疑其所行而已,五外卦之中,其施於外,有事業之可觀,坤道之美,至此極矣。

集説に《朱子語類》を引いていう:六二は下位にあって、なお用功の工夫の上でいうのみで、《文言》のいう「不疑其所行」がそれである。六五は尊位を得て、すなわちすでに成就したところについて言うのだから、「美在其中、而暢于四支、発于事業、美之至也」という。蔡淵がいう:「黄中通理」は爻辞の「黄」の字を釈し、「正位居体」は「裳」の字を釋したものである。「黄中」とは中正の徳がうちに蔵すること、「通理」とは文理が通ぜざるなきことをいい、いずれも柔順の徳が内に蘊含することを述べる。「正位」とは居中のその位に居ること、「居体」とは下卦の体に居りて敢えて僭越しないことをいい、いずれも柔順の徳が外に現れることを述べる。ゆえに「美在其中」の一句はまさに「黄中通理」に対し、「暢于四支、発于事業」の二句はまさに「正位居体」に対する。六二と六五はともに一卦の中に居る。六二は内卦の中に居り、その外に現れるのは「不疑其所行」に過ぎない。六五は外卦の中に居り、その外に施すは観るべき事業がある。坤道の美はここに至って頂点に達した。

蔡氏清曰:“黃裳”二字,分而言之,則‘黃”為中,“裳”為順,合而言之,則唯中故順,存於中為中,形於外為順,理一而已,天下無有形於外而不本乎中者,唯有黃中之德,故能以下體自居。林氏希元曰:《文言》既分釋“黃裳”了,又恐人認為二物,不知歸重處,故發“美在其中”一條,見得其所謂順,乃本於中,與《象傳》“文在中也”,及“六二之動直以方也”,意思一般。

集説に蔡清の言を引く:「黄裳」の二字を分かっていえば、「黄」は中であり、「裳」は順である。合わせていえば、ただ中あってこそ順たり得る。心に存するを中と呼び、外に現れるを順と呼ぶが、道理はただ一つである。天下に外に現れて内心を根本としないものはない。まさに「黄中」の徳あるがゆえに、下体の身分をもって自処できるのである。林希元がいう:《文言》はすでに「黄」「裳」を分かちて釋したが、また人がこれを二様のものと認めて帰結の重点を知らぬことを恐れ、ゆえに「美在其中」の一条を発して、いわゆる「順」は「中」を根本とすることを人に見せしめた。これは《象伝》のいう「文在中也」および「六二之動、直以方也」と、意が一筋である。

附錄 胡氏炳文曰:蓋直內方外之君子,即“黃中通理”之君子也。“敬以直內”,則胸中洞然表裡如一,是即所以為“黃中”。“義以方外”,則凡事之來,義以處之,無不合理,是即所以為通理,五之“黃中通理”,本於直內方外,故其“正位”也,雖居乎五之尊,而其“居體”也,則不失乎二之常,二之直內方外,是內外夾持,兩致其力, 案 《乾》爻之言學者二,於九二,則曰,言信行謹,閒邪存誠也;於九三,則曰忠信以進德,修辭立誠以居業世。《坤》爻之言學者二,於六二,則曰“敬以直內”,“義以方外”也;於六五,則曰“黃中通理,正位居體”也。分而言之則有四,合而言之,則《乾》二之存誠,即乾三之忠信,皆以心之實者言也,乾二之信謹,即乾三之修辭立誠,皆以言行之實者言也。在二為大人,則以成德言之,由其言行以窺其心,見其純亦不已如此也,在三為君子,則以進學言之,根於心而達於言行,見其交修不懈如此也。

附録に胡炳文の言を引く:「直内方外」し得る君子とは、すなわち「黄中通理」の君子である。「敬以直内」すれば胸中は通透明白で表裏如一、これがまさに「黄中」となる所以である。「義以方外」すれば事あるごとに義をもって処置し、一つとして理に合わざるなし、これがまさに「通理」となる所以である。六五の「黄中通理」は、その根っこが直内方外にある。ゆえに「正位」をいうとき第五爻の尊位に居りながら、「居体」をいうときはなお六二のごとき常度を失わない。六二の直内方外は、内外両側から挟んで両頭に力を尽くす――ここで底本に脱文がある。李光地が按ずる:《乾》卦が学問工夫を言うところは二か所ある。九二においては「庸言之信、庸行之謹、閑邪存其誠」といい、九三においては「忠信所以進徳、修辞立其誠所以居業」という。《坤》卦が学問工夫を言うところも二か所ある。六二においては「敬以直内、義以方外」といい、六五においては「黄中通理、正位居体」という。分かっていえば四条あり、合わせて見れば、乾九二の「存誠」は乾九三の「忠信」に同じく、いずれも心の真実なるところについて言い、乾九二の「言信行謹」は乾九三の「修辞立誠」に同じく、いずれも言行の真実なるところについて言う。九二において彼を大人と称するのは、すでに成就した徳について言い、その言行からその心を窺い、《中庸》のいう「純亦不已」のごとくこの地步に至ったと見る。九三において彼を君子と称するのは、まさに学を進めつつあることについて言い、根源が心に根ざして言行に通達し、内外交々に修治して一毫も懈らぬこの地步に至ったと見る。

《坤》二之“直內”,即《坤》五之“黃中”,皆以心之中直者言也,《坤》二之“方外”,即《坤》五之“正位”,皆以行之方正者言也,二言“直”而五言“中”,“直”則未有不中者,“中”乃“直”之至也。二言“方”而五言“正”,“方”則未有不正者,“正”乃方之極也,二居下位,不疑所行而已,五居尊,又有發於事業之美,此則兩爻所以異也。在《乾》之兩爻,誠之意多,實心以體物,是乾之德也。《坤》之兩爻,敬之意多,虛心以順理,是坤之德也。而要之未有誠而不敬,未有敬而不誠者,乾坤一德也,誠敬一心也,聖人所以分言之者。蓋乾陽主實,坤陰主虛,人心之德,必兼體焉,非實則不能虛,天理為主,然後人慾退聽也,非虛則不能實,人慾屏息,然後天理流行也,自其實者言之則曰誠,自其虛者言之則口“敬”,是皆一心之德,而非兩人之事,但在聖人則純乎誠矣,其敬也,自然之敬也,其次則主敬以至於誠。故程子曰:誠則無不敬,未能誠,則必敬而後誠,而以乾坤分為聖賢之學者此也。

李光地の按語は続けていう:《坤》六二の「直内」はすなわち《坤》六五の「黄中」であり、いずれも心の中正端直について言う。《坤》六二の「方外」はすなわち《坤》六五の「正位」であり、いずれも行事の方正について言う。六二は「直」をいい六五は「中」をいう――直なれば中ならざるなく、中とは直の極致である。六二は「方」をいい六五は「正」をいう――方なれば正ならざるなく、正とは方の極致である。六二は下位に身を置き、工夫は「不疑其所行」に至るに過ぎない。六五は尊位に身を置き、別に事業に現れる美の一份がある。これが両爻の互いに異なるところである。《乾》のあの二爻においては「誠」の意が多く、実心をもって万物を体察する――これは乾の徳である。《坤》のあの二爻においては「敬」の意が多く、虚心をもって事理に順応する――これは坤の徳である。しかし帰するところ、誠にして敬ならざるはなく、敬にして誠ならざるもない。乾と坤はもともと同一の徳であり、誠と敬はもともと同一の心である。聖人が分かちて言う所以は、乾陽が実を主とし坤陰が虚を主とし、そして人心の徳は必ず両頭を兼ねなければならないからである。実でなければ虚たり得ない――天理が主となってのちに人欲が退いて聴く。虚でなければ実たり得ない――人欲が屏息してのちに天理が流行する。その実の面からいえば誠と呼び、その虚の面からいえば敬と呼ぶ(底本は「曰」を「口」と誤る)。これらはみな一つの心の徳であって、二人の事ではない。ただ聖人においてはすでに純乎として誠であり、その敬は自然而然の敬である。次の一等の人は、まず敬を主としてのちに誠に至る。ゆえに程頤はいう:誠なれば敬ならざるなし。いまだ誠たり得なければ、必ず先に敬してのちに誠たり得る。前人が乾坤両卦を分かちて聖人の学と賢人の学とに配した道理は、ここにある。

陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉,猶未離其類也,故稱血焉。夫玄黃者,天地之雜也,天玄而地黃。本義 “疑”,謂鈞敵而無小大之差也,坤雖無陽,然陽未嘗無也。“血”,陰屬,蓋氣剛而血陰也,“玄黃”,天地之正色,言陰陽皆傷也。此以上申《象傳》之意。

《坤・文言》にいう:陰と陽とが勢均力敵すれば必ず交戦する。人がここに陽がないと誤り疑うことを恐れるゆえに「龍」と称し、またそれがついに陰の類を離れないゆえに「血」と称す。いわゆる「玄黄」とは、天地の色が混雑することであり、天は玄色、地は黄色である。朱熹《本義》にいう:「疑」とは双方の分量が相当して大小の差がないことをいう。《坤》卦には陽爻がないけれども、陽気はいまだかつて本当にないのではない。「血」は陰に属する。気が剛に属し血が陰に属するからである。「玄黄」は天と地の正色であり、ここでは陰陽の両方が傷を受けたことをいう。以上はみな《象伝》の意を敷衍したものである。

程傳 陽大陰小,陰必從陽,陰既盛極,與陽偕矣,是疑於陽也,不相從則必戰,卦雖純陰,恐疑無傷,故稱龍見其與陽戰也,於野,進不已而至於外也,盛極而進不已,則戰矣,雖盛極不離陰類也,而與陽爭,其傷可知,故稱“血”,陰既盛極,至與陽爭,雖陽不能無傷,故“其血玄黃”。“玄黃”,天地之色,謂皆傷也。

程頤《伊川易伝》にいう:陽は大であり陰は小であり、陰はもとより陽に従うべきである。陰がすでに盛んな極みに至れば、陽と並び立ち駆けることになる。これが「疑于陽」である。従うことを肯んじなければ必ず戦う。卦体は純乎として陰爻であるが、人がそのうちに陽がないと疑心することを恐れ(底本は「陽」を「傷」と誤る)、ゆえに「龍」と称して、それが陽と交戦していることを顕す。爻辞に「于野」というのは、前に進んで已まず外に出たことをいう。盛んな極みに至ってなお前に進んで已まなければ、戦いとなる。盛んな極みに至るといえども、ついに陰の類を離れず、しかも陽と争うのだから、その損傷は知るべきである。ゆえに「血」と称す。陰がすでに盛極して陽と争うならば、陽もまた毫髪の傷なきを得ない。ゆえに「其血玄黄」という。「玄黄」とは天と地の色であり、両方が傷を受けたことをいう。

集說 干氏寶曰:陰在上六,十月之時也,卦成於乾,乾體純剛,不堪陰盛,故曰“龍戰”。戌亥,乾之都也,故“稱龍”焉,“未離陰類”,故曰“血”。陰陽色雜,故曰“玄黃”。陰陽離則異氣,合剛同功,君臣夫妻,其義一也。蔡氏淵曰:十月為純坤之月,六爻皆陰,然生生之理,無頃刻而息,聖人為其純陰而或嫌於尤陽也,故“稱龍”心明之,古人謂十月為陽月者,蓋出於此。

集説に干宝の言を引く:陰が上六に至るのは、まさに十月の時令である。このとき卦気は乾に成り、乾体は純乎として陽剛で、陰気のこのように盛んなに堪えない。ゆえに「龍戦」という。戌・亥の二支は乾の居る方位であるゆえに「龍」と称し、それが陰の類を離れないゆえに「血」という。陰陽二色が相い雑じるゆえに「玄黄」という。陰陽が分離すれば二気となり、合わされば同じく一番の功業を建てる。君臣と夫婦とは、道理は一つである。蔡淵がいう:十月は純《坤》の月で、六爻はみな陰であるが、生生の道理は一刻も停息しない。聖人は人がこのとき陽がないと嫌疑することを恐れ(底本は「无」を「尤」と誤る)、ゆえに「龍」の一句を称してこれを点明した(底本は「以」を「心」と誤る)。古人が十月を陽月と呼んだのは、おそらくここから来ている。

俞氏瑣曰:“玄”者天之色,“黃”者地之色,“血”言“么黃”,則天地雜類,而陰剛無別矣,故曰“夫玄黃者天地之雜也”。陰陽相戰,雖至於天地之雜亂,然而天地定位於上下,其大分終不可易,故其終又分而言之曰:“天玄而地黃”。

集説に俞琰の言を引く(底本は「琰」を「瑣」と誤る):「玄」は天の色、「黄」は地の色である。「血」に及んで「玄黄」といえば(底本は「玄」を「幺」と誤る)、天地の両類が混雑し、陰と陽とが分別を弁ずることなきに至る。ゆえに「夫玄黄者、天地之雑也」という。陰陽が交戦して天地混雑の地步に至るとはいえ、天地の上下の位は定まりきって、その大分際はついに更改できない。ゆえに《文言》は最後にまた分かちて「天玄而地黄」と言い添えたのである。

説卦伝

集說 孔氏穎達曰:孔子以伏羲畫八卦後重為六十四卦,《繫辭》中略明八卦小成,引而伸之。又曰“八卦成列,象在其中矣,因而重之,爻在其中矣。”又曰:“觀象於天,觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,始作八卦,以通神明之德,以類萬物主情”,然引而伸之,重三成六之意,猶自末明,仰觀俯察,近身遠物之象,亦為未見,故於此更備說重卦之由,及八卦所為之象,謂之說卦焉。

集説に孔穎達の言を引く:孔子は伏羲が八卦を画いてのち、これらを重ねて六十四卦としたと考えた。《繋辞伝》において略々「八卦而小成、引而伸之」と言い、また「八卦成列、象在其中矣、因而重之、爻在其中矣」と言い、また「仰則観象于天、俯則観法于地、観鳥獣之文与地之宜、近取諸身、遠取諸物、于是始作八卦、以通神明之徳、以類万物之情」(底本は「之」を「主」と誤る)と言う。しかし「引而伸之」して三画を重ねて六画とする用意は、なお明らかにされていない(底本は「未」を「末」と誤る)。仰観俯察・近くは己身に取り遠くは外物に取るという象も、なお一々列挙されていない。ゆえにこの一篇において、さらに重卦の由来および八卦の代表する物象を完備に述べて、これを《説卦》と名づけたのである。

昔者聖人之作易也,幽贊於神明而生蓍。本義 幽贊神明,猶言贊化育。《龜莢傳》曰:天下和平,王道得,而蓍莖長丈,其叢生滿百莖。集說 孔氏穎達曰:以此聖知,深知神明之道,而生用蓍求卦之法,故曰“幽贊於神明而生蓍”。

《説卦伝》第一章にいう:昔、聖人が《周易》を作るにあたり、幽かに神明の用を賛助して蓍占の法を生じた。朱熹《本義》にいう:「幽賛神明」とは、天地の化育を賛助すると言うに同じ。《史記・亀策列伝》にいう:天下が太平で王道が行われるとき、蓍草の茎は一丈の長さに達し、一叢に百茎を生じ満たす(底本は「策」を「荚」と誤る)。集説に孔穎達の言を引く:聖人はこのような智慧を憑り、神明の道を深く知って、蓍草をもって卦を求める方法を生じた。ゆえに「幽賛于神明而生蓍」という。

程子曰:“幽贊於神明而生蓍”,用蓍以求卦,非謂有蓍而後畫卦。蘇氏軾曰:介紹以傳命謂之贊天地鬼神不能與人接也,故以蓍龜為之介紹。項氏安世曰:“生蓍”,謂創立用蓍之法,神不能占,以蓍言之,所以贊神出命,故謂之幽贊神明,即大衍所謂佑神也。

集説に程頤の言を引く:「幽賛于神明而生蓍」とは、蓍草をもって卦を求めることをいうのであって、先に蓍草があってのち卦を画いたというのではない。蘇軾がいう:あいだに居って引き薦めて命令を伝えるを「賛」という。天地鬼神は直接人と交わることができないゆえに、蓍草と亀甲をもってそれらに代わってあいだに居り引き薦める。項安世がいう:「生蓍」とは蓍草を用いる法を創立したことをいう。神は自ら占うことができず、蓍草を借りて言葉を出さなければならない。これは神明を賛助して命令を発するもので、ゆえに「幽賛神明」といい、すなわち《繋辞》の大衍之数の章にいう「可与佑神」である。

龔氏煥曰:項氏生蓍之說與本義不同,然以下文倚數立卦生爻觀之,似當以項氏之說為正。蘇氏濬曰:“生蓍”,當以生爻之例推之。

集説に龔煥の言を引く:項安世の「生蓍」に対する解釈は朱熹《本義》と異なるが、下文の「倚数」「立卦」「生爻」の諸句をもって見れば、どうやら項氏の説を正とすべきである。蘇濬がいう:「生蓍」の二字は「生爻」の例に照らして推求すべきである。

參天兩地而倚數。本義 天圓地方,圓者一而圍三,三各一奇,故參天而為三,方者一而圍四,四合二偶,故兩地而為二,數皆倚此而起,故揲蓍三變之末,其餘三奇,則三三而九,二偶,則三二而六,兩二一三則為七,兩二一二則為八。

《説卦伝》にいう:天数の三、地数の二を取って、筮数をこれに倚托する。朱熹《本義》にいう:天は円にして地は方である。円形は径を一とし周を三とし、この三は各々一つの奇数を含むゆえに「参天」して三を得る。方形は辺を一とし周を四とし、この四は二つの偶数を合するゆえに「両地」して二を得る。諸々の筮数はみなこの二数に倚托して生ずる。ゆえに揲蓍の三変が終わるとき、余る三回がすべて奇ならば三つの三を相加えて九となり、三回がすべて偶ならば三つの二を相加えて六となり、二つの二に一つの三を加えれば七となり、二つの三に一つの二を加えれば八となる(底本は「両三一二」を「両二一二」と誤る)。

集說 孔氏穎達曰:七九為奇,天數也;六八為偶,地數也。故取奇於天,取偶於地,而立七八六之數也。何以參兩為目奇偶,蓋占之奇偶,亦以“參兩”言之一,且以兩是偶數之始,三是奇數之初故也,不以一目奇者。張氏云,以“三”中含兩,有一以包“兩”之義,明天有包地之德,陽有包陰之道。

集説に孔穎達の言を引く:七と九は奇数で天数に属し、六と八は偶数で地数に属する。ゆえに天からは奇を取り、地からは偶を取って、九・七・八・六の諸数を立てる(底本は「七八六」で「九」の一字を脱く)。なぜ奇偶を「参」「両」と呼ぶのか。占筮における奇偶もまた「参両」をもって言うからであり、しかも「両」は偶数の始め、「三」は奇数の端首だからである。「一」をもって奇と称さない所以は、張氏がいうには、「三」のうちに「両」が含まれており、一をもって二を包む意があり、天が地を包容する徳、陽が陰を包容する理を表すからである。

陸氏振奇曰:倚,依也,,倚數在生菁之後,立卦之前,蓋用蓍得數,而後布以為卦,故以七八九六當之。

集説に陸振奇の言を引く:「倚」とは依托である。「倚数」の段は「生蓍」の後、「立卦」の前にある(底本は「蓍」を「菁」と誤る)――まず蓍草をもって推演して数を得て、のちに数を排布して卦を成す。ゆえに七・八・九・六の四数をもってこれに当てる。

案 “參天兩地”,以方圓徑田定之,亦其大致爾,實則徑一者不止圍三,非密率也。以理言之,則張氏所謂以一包兩者是,蓋:大能兼地,故一併二以成三也,以算言 二二三為八也。以算言之,奇數起於一三,成於九七,偶數起於二四,成於八六,故以其成數紀陰陽,陽之進者為老,退者為少,陰之退者為老,進者為少也,以象言之,凡圓者以六而包一,虛其中則六也,實其中則七也,凡方者以八而包一,實其中則九也,虛其中則八也,陽圓陰方,陽實陰虛,故唯七圓而實,為盛陽,唯八方而虛,為壯陰,九雖實而積方,則陽將變而為陰矣,故為老陽,六雖虛而積圓,則陰將變而為陽矣,故為老陰也,其數皆自參兩中來,故曰“倚數”。

李光地が按ずる:「参天両地」を方円の直径と周囲で断ずるのは(底本は「囲」を「田」と誤る)、ただ大畧に過ぎない。実際には径一の円は周が三に止まらず、精密な比率ではない。理の上からいえば、やはり張氏の「以一包両」という解釈が正しい。天は地を兼ね包むゆえに、一をもって二を併せて三を成す。算法をもっていえば――ここで底本に脱文があり、かつ「二二三為八也」の数字が羼入している。算法をもっていえば、奇数は一と三に起こり、九と七に成る。偶数は二と四に起こり、八と六に成る。ゆえにその成数をもって陰陽を標する。陽は進んで往くが老陽、退いて来るが少陽。陰は退いて来るが老陰、進んで往くが少陰。象の上からいえば、およそ円は六をもって一を囲み、中が空なれば六、中が実なれば七。およそ方は八をもって一を囲み、中が実なれば九、中が空なれば八。陽は円に属し陰は方に属し、陽は実に属し陰は虚に属す。ゆえに七のみが円にして実、盛陽であり、八のみが方にして虚、壮陰である。九は実といえども方形の積み上げであって、陽のまさに陰に変ぜんとするものゆえに老陽。六は虚といえども円形の積み上げであって、陰のまさに陽に変ぜんとするものゆえに老陰。これらの数はみな「参両」のうちから来る。ゆえに「倚数」という。

觀變於陰陽而立卦,發揮於剛柔而生爻,和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命。本義 和順從容,無所乖逆,統言之也,理,謂隨事得其條理,析言之也,窮天下之理,盡人物之性,而合於天道,此聖人作《易》之極功也。此第一章。

《説卦伝》にいう:陰陽の変を観て卦を立て、剛柔を発揮して爻を生じ、道徳に和順して義に理し、事理を窮め性を尽くして、天命に至るまで達する。朱熹《本義》にいう:「和順」とは从容自在にしてどこにも戾れがないこと、これは総べていう。「理」とは事に随ってそれぞれ条理を得ること、これは分かちていう。天下の理を窮め、人と物の性を尽くして天道と合する――これが聖人の《周易》を作った最も極致の功業である。以上は第一章。

集說 韓氏伯曰:卦,象也。蓍,數也。卦則“雷風相薄,山澤通氣”,擬象陰陽變化之體,蓍則錯綜天地參兩之數,蓍極數以定象,卦備象以盡數,故蓍曰“參天兩地而倚數”,卦曰“觀變於陰陽”。

集説に韓康伯の言を引く:卦の方は象に属し、蓍の方は数に属する。卦は《説卦》のいう「雷風相薄、山沢通気」のように、陰陽変化の形体を摹擬したものであり、蓍は天三地二の「参両」の数を錯綜して反復推演するものである。蓍は数を極めて象を定め、卦は象を備え尽くして数を窮める。両者は互いに表裏である。ゆえに蓍を言えば「参天両地而倚数」といい、卦を言えば「観変于陰陽而立卦」という。

孔氏穎達曰:《繫辭》言伏羲作《易》之初,故直言仰觀俯察,此則論其既重之後,端策布爻,故先言生蓍,後言立卦,非是聖人幽贊在觀變之前也。邵子曰:天使我有是之謂命,命之在我之謂性,性之在物之謂理。

集説に孔穎達の言を引く:《繋辞伝》が言うのは伏羲の《易》を作る起こりだから、直ちに仰観俯察を言う。ここに言うのはすでに卦を重ねたのちに蓍策を布き爻画を排する事だから、まず「生蓍」を言い、後に「立卦」を言う。聖人の「幽賛」の段が「観変」の前にあるというのではない。邵雍がいう:天が我にこれを与えるを「命」と呼び、この命が我に落ちるを「性」と呼び、この性が物に落ちるを「理」と呼ぶ。

《朱子語類》:問:“觀變於陰陽而立卦”,是就蓍數上觀否?曰:恐只是就陰陽上觀,未用說到蓍數處。問既有卦則有爻矣,先言卦而後言爻何也?曰:方其立卦,只見是卦,及細別之,則有六爻。又問陰陽剛柔一也,而別言之何也?曰:“觀變於陰陽”,近於造化而言,“發揮剛柔”,近於人事而言,且如《泰》卦,以卦言之,只見得“小往大來”陰陽消長之意,爻裡面使有包荒之類。

集説に《朱子語類》を引く:ある人が「観変于陰陽而立卦」は蓍草の数に就いて観察するのかと問うた。朱熹は答えた:おそらくただ陰陽の上に就いて観察するだけで、蓍数の一層にまで言及するには及ばない。また問う:卦があればすでに爻があるのに、なぜ先に卦を言って後に爻を言うのか。答えて曰く:剛に卦を立てたときは、ただ一つの卦と見えるのみ。仔細に分別するに及んで、はじめて六爻がある。また問う:陰陽と剛柔は一事なのに、なぜ分かちていうのか。答えて曰く:「観変于陰陽」は造化の側に倚る。「発揮于剛柔」は人事の側に倚る。たとえば《泰》卦は、卦体に就いていえば「小往大来」の陰陽消長の意のみが見えるが、爻のうちに至れば「包荒」の類いの事がある。

又云:和順於道德,是默契本原處,理於義,是應變合宜處,物物皆有理,須一一推窮,性則是理之極處,故云“盡”,命則性之所自來處,故云“至”。問“窮理盡性至於命”。曰:此本是就《易》上說,《易》上盡具許多道理,直是窮得物理,盡得人性,到得那天命,所以《通書》說《易》者性命之原。

集説に《朱子語類》をまた引いていう:「和順于道徳」とは、黙々として本原に契合するところである。「理于義」とは、変化に応じて処置が合宜となるところである。物物にはその理があり、必ず一々推究し尽くさなければならない。性は理の尽頭であるゆえに「尽」といい、命は性の由って来るところであるゆえに「至」という。またある人が「窮理尽性以至于命」を問うた。朱熹は答えた:これはもとより《周易》に就いて言ったものである。《周易》のうちには多くの道理が備え尽くされており、まことに物の理を窮め人の性を尽くせば、かの天命に到達する。ゆえに周敦頤《通書》は《易》を性命の本原という。

項氏安世曰:道即命,德即性,義既理,“和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命”,反覆互言也。《易》之奇偶,在天之命,則為陰陽之道,在人之性,則為仁義之德,在地之宜,則為剛柔之理,“和順於道德而理於義”,自幽而言以至於顯,此所謂顯遒也, 陳氏淳曰:理與性對說,理乃是在物之理,性乃是在我之理,在物底,便是天地人物公共底道理,在我底,乃是此理已具得為我所有者。

集説に項安世の言を引く:ここの「道」とは命であり、「徳」とは性であり、「義」とは理である(底本は「即」を「既」と誤る)。ゆえに「和順于道徳而理于義、窮理尽性以至于命」の二句は、実は同一の意を反覆して交互に言ったものである。《周易》の奇偶の二画は、天の命に落ちれば陰陽の道となり、人の性に落ちれば仁義の徳となり、地の宜に落ちれば剛柔の理となる。「和順于道徳而理于義」の一句は、幽隠のところから顕明のところまで一路に言う――ここで底本に脱文がある。陳淳がいう:理と性を対していえば、理は物に在る理、性は我に在る理である。物に在るものは天地人物がともに有する公共の道理であり、我に在るものは、はじめてこの理が備わり下って我の有とする部分である。

徐氏幾曰:如乾為天道,面《彖》之“元亨利貞”則其德,爻之“潛”、“見”“躍”、“飛”則其義,以一卦面統言之,所謂和順也,就六爻而言之,所謂理也,善觀《易》者,推爻義以窮天下之理,明卦德以盡一已之性,窮理盡性,則進退存亡得喪之大道可以知,而天命在我矣。

集説に徐幾の言を引く:たとえば《乾》は天道を表し、《彖辞》の「元亨利貞」はその徳であり(底本は「而」を「面」と誤る)、爻辞の「潜」「見」「躍」「飛」はその義である。一卦全体を総べていえば「和順」と呼ぶものであり、六爻を分かちていえば「理」と呼ぶものである。《周易》を善く読む人は、爻義を推求して天下の理を窮め、卦徳を闡明して己一身の性を尽くす。理が窮まり性が尽きれば、進退存亡得失の大道理はみな知り得て、天命もまた我に在る。

龔氏煥曰:上句是自源而流,於句是自末而本,蓋必“和順於道德”,而後能“理於義”,必“窮理盡性”,而後能“至於命”也。盧氏曰:立卦生爻,在聖人作《易》上看,若作蓍數之變說,卻是用《易》了,朱於謂未用說到蓍數處是也,聖人觀察天地變化之道,而立乾坤等卦,故曰“觀變於陰陽而立卦”。既觀象立卦,又就卦中剛柔兩畫,或上或下,微細闡發出來,而生變動之爻,故曰“發揮於剛柔而生爻”。

集説に龔煥の言を引く:上の句は源頭から順流而下り、下の句は末梢から根本に遡るものである(底本は「下」を「于」と誤る)。必ず先に「和順于道徳」してのちに「理于義」し得、必ず先に「窮理尽性」してのちに「至于命」し得る。盧氏がいう:「立卦」「生爻」は、聖人が《周易》を作った一事に据えて見るべきである。もし蓍数の変化として講じれば、それは《易》を用いるのであって《易》を作るのではなくなる。朱熹が蓍数の一層に言及するに及ばないと言ったのは正しい。聖人は天地変化の理を観察し、したがって乾坤などの卦を立てた。ゆえに「観変于陰陽而立卦」という。すでに象を観て卦を立て、また卦中の剛柔二画が上に在り下に在りするを細かに闡発し、したがって変動の爻を生じた。ゆえに「発揮于剛柔而生爻」という。

何氏楷曰:數既形矣,卦斯立焉,卦既立矣,爻斯生焉,“和順於道德而理於義”,從合而分,“窮理盡性以至於命”,從分而合,理義非二也。程子謂在物為理處物為義是也,性命與道德非二也,于思謂天命之謂性率性之謂道是也。窮盡至,皆造極之意,性者理之原,理窮則逢其原,故窮理所以盡性,命者性之原,性盡則逢其原,故盡性所以至命,只是一事。

集説に何楷の言を引く:数がすでに形を成せば卦が立ち、卦がすでに立てば爻が生ずる。「和順于道徳而理于義」は合より分に至り、「窮理尽性以至于命」は分より合に至る。理と義は二つのものではなく、程頤のいう「在物為理、処物為義」がまさにこの意である。性命と道徳もまた二つのものではなく、子思のいう「天命之謂性、率性之謂道」がまさにこの意である(底本は「子」を「于」と誤る)。「窮」「尽」「至」の三字は、みな極処に抵る意である。性は理の本原であり、理を窮め尽くせばその本原に触れる。ゆえに窮理はまさに性を尽くす用である。命は性の本原であり、性を尽くし窮めればその本原に触れる。ゆえに尽性はまさに命に至る用である。帰するところただ一事である。

總論 孔氏穎達曰:“昔者聖人”至“以至於命”,此一節將明聖人引伸因重之意,故先敘聖人本制蓍數卦爻,備明天道人事妙極之理。何氏楷曰:此章統論蓍卦及爻辭。聖人,謂羲文周公,《乾鑿度》曰:垂皇策者羲,則自伏羲時已用蓍矣。卦爻辭至文王周公始繫,此以知其總言之也。

総論に孔穎達の言を引く:「昔者聖人」から「以至于命」に至るこの一節は、聖人の「引而伸之」「因而重之」の用意を説明するものである。ゆえにまず聖人が当初蓍数と卦爻を制定し、天道人事の精妙極まる道理を完備に闡明したことを叙述する。何楷がいう:この章は蓍・卦および爻辞を総論する。いわゆる聖人とは伏羲・文王・周公を指す。《易緯乾鑿度》に「垂皇策者羲」というが、これにより伏羲の時にすでに蓍を用いたことが見える。卦辞・爻辞は文王・周公に至ってはじめて繋がれた。これによりこの章が彼らを総べて言ったものと知るべきである。

案 此章次第最明,《易》為卜筮之書,而又為五經之原者,於此章可見矣,生蓍者,立蓍筮之法也。倚數者,起蓍筮之數也,立卦生爻,則指畫卦繫辭言之,是二者,蓍筮之體而言於後,明《易》為卜筮而作也,“和順於道德而理於義”,言卦畫既立,則有以契合乎天之道,性之德,而下周乎事物之宜也,“窮理盡性以至於命”,言爻辭既設,則有以窮盡乎事之理,人之性,而上達乎天命之本也,夫《易》以卜筮為教,而道德性命之奧存焉,然則以礻幾祥之末言《易》者,迷道之原者也,以事物之跡言《易》者,失教之意者也。

李光地が按ずる:この章の次第は最も分明である。《周易》が卜筮の書でありかつ五経の本原であることは、この章より見ることができる。「生蓍」とは蓍筮の法を立てること、「倚数」とは蓍筮の数目を起こすこと、「立卦」「生爻」とは卦を画き辞を繋ぐことを指す。この前の二つは蓍筮の本体であるのに、かえって後に置いて言うのは、《周易》がもとより卜筮のために作られたことを明らかにするものである。「和順于道徳而理于義」とは、卦画がすでに立てば、上は天の道・性の徳に契合し、下は事物の所宜に周遍することをいう。「窮理尽性以至于命」とは、爻辞がすでに設けられれば、事の理・人の性を尽くし、上は天命の根本に通達することをいう。《周易》は卜筮をもって教を施し、道徳性命の奥深き道理がそのうちに存する。こう見れば、ただ祈禳求福・吉凶の兆候といった末節をもって《易》を講ずる者は、道の本原に迷っている。ただ事物の形跡をもって《易》を講ずる者は、聖人の教を設けた用意を失っている。両頭ともに偏して、いずれも《易》を知るに足らない。

昔者聖人之作《易》也,將以順性命之理,是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三才而兩之,故《易》六畫而成卦。分陰分陽,迭用柔剛,故《易》六位而成章。本義 “兼三才而兩之”,總言六畫,又細分之,則陰陽之位,間雜而成文章也。此第二章。

《説卦伝》第二章にいう:昔、聖人が《周易》を作ったのは、性命の理に順わんとしたからである。ゆえに天の道を立てて陰と陽と曰い、地の道を立てて柔と剛と曰い、人の道を立てて仁と義と曰う。三才を兼ね収めて各々二画に分かつゆえに、《周易》は六画をもって一卦を成す。陰位と陽位を分かち、柔爻と剛爻を迭べ用いるゆえに、《周易》は六つの爻位をもって文采を成す。朱熹《本義》にいう:「兼三才而両之」とは、あの六画を総べて言ったものである。さらに細かく分かてば、陰位・陽位が交錯間雑して文章を成す。以上は第二章。

集說 崔氏憬曰:此明一卦六爻,有三才二體之義,故明天道既立陰陽,地道又立 朱氏震曰:“易有太極”,陰陽者;太虛聚而有氣,柔剛者,氣聚而有體,仁義根於太虛,見於氣體,動於知覺者也,自萬物一源觀之謂之性,自稟賦觀之謂之命,自天地人觀之謂之理,三者一也,聖人“將以順性命之理”,曰陰陽,曰柔剛,曰仁義,以立天地人之道,蓋互見也,易“兼三才而兩之”,六畫成卦,則三才合而為一,然道有變動,故“分陰分陽,迭用柔剛”。

集説に崔憬の言を引く:これは一卦六爻に三才両体の意が含まれることを明らかにするもので、ゆえに天道はすでに陰陽を立て、地道はまた柔剛を立てると指し示す――ここで底本に脱文がある。朱震がいう:《繋辞》に「易有太極」という。いわゆる陰陽とは、太虚が聚まって気を有するもの。いわゆる柔剛とは、気が聚まって形体を有するもの。仁義は太虚に根源し、気と形体に顕現し、知覚に発動する。万物が同一の源より出るところから見て性と呼び、それぞれの禀受から見て命と呼び、天・地・人の三者から見て理と呼ぶ――この三つは実は一事である。聖人の「将以順性命之理」は、陰陽を言い、柔剛を言い、仁義を言って、天地人の道を立てたもので、実は互いに見通し合っている。《周易》の「兼三才而両之」において、六画が一卦を成せば、三才は一つの全体に合成される。しかし道は変動あるものゆえに、また「分陰分陽、迭用柔剛」する。

郭氏雍曰:“分陰分陽”,非謂立天之道陰陽也,言三才二道,皆一為陰一為陽,見於六位也。“迭用柔剛”,非謂立地之道柔剛也,言三才陰陽,分為六畫,迭以九六柔剛居之也,故三才二道,不兼九六言之,則曰“六畫”,兼明九六柔剛,而後謂之六位。

集説に郭雍の言を引く:「分陰分陽」とは、前の「立天之道曰陰与陽」の陰陽を指すのではなく、三才が各々二道を有し、いずれも一つは陰に属し一つは陽に属して、六つの爻位に表れることをいう。「迭用柔剛」もまた「立地之道曰柔与剛」の柔剛を指すのではなく、三才の陰陽が六画に分かれ、交替して九と六、剛爻と柔爻とをもってそれらを占めることをいう。ゆえに三才が各々二道であって、九六を連ねて言わなければただ「六画」と呼ぶに過ぎず、九六柔剛を連ねて明らかにしてはじめて「六位」と呼ぶ。

《朱子語類》云:陰陽剛柔仁義,看來當曰義與仁,當以仁對陽,仁若不是陽剛,如何作得許多造化,義雖剛,卻主於收斂,仁卻主發舒,這也是陽中之陰,陰中之陽,互藏其根之意,且如今人用賞罰,到賜與人自足無疑,便作將去,若是刑殺時,便遲疑不肯果決,這見得陽舒陰斂,仁屬陽,義屬陰處。

集説に《朱子語類》を引いていう:陰陽・剛柔・仁義の三対について見れば、「仁与義」は「義与仁」と言うべきで、仁をもって陽に配すべきである。仁が陽剛でなければ、あのように多くの造化をどうして成し得ようか。義は剛ではあるが収斂を主とし、仁は発舒を主とする。これもまた陽中に陰があり、陰中に陽があって、彼此に相手の根っこを蔵する意である。たとえば今人が賞罰を行うに、人に賞賜するときは、心が踏みこたえて疑いなく痛快にやり遂げるが、刑殺しようとするときは、遅疑して果断でない。これにより陽は舒展を主とし陰は収斂を主とし、仁は陽に属し義は陰に属することが見える。

邱氏富國曰:上言“窮理盡性至命”,此言“順性命”,則《易》中所言之理,皆“性命”也,然所謂性命之理,即陰陽柔剛仁義是也,兼三才而兩之,言重卦也,方卦之小成,三畫已具三才之道,至重而六,則天地人之道各兩,所謂六畫成卦也。“分陰分陽”,以位言,凡卦初三五位為陽,二四上位為陰,自初至上,陰陽各半,故曰“分”。“迭用柔剛”以爻言,柔謂六,剛謂九也,位之陽者,剛居之,柔亦居之,位之陰者,柔居之,剛亦居之,或柔或剛更相為用,故曰“迭。”分之以示其經,迭用以為之緯,經緯錯綜,粲然有文,所謂“六位”“成章”也。

集説に邱富国の言を引く:前の章は「窮理尽性以至于命」を言い、この章は「順性命之理」を言う。これにより《周易》に講ずる理は、すべて性命の理であることが見える。いわゆる性命の理とは、すなわち陰陽・柔剛・仁義の三対である。「兼三才而両之」とは、卦を重ねる一事を言う。卦が剛に小成して三画のみのとき、すでに三才の道は具備している。重ねて六画と成るに及んで、天・地・人の道が各々二画を占める――これがいわゆる「六画而成卦」である。「分陰分陽」は爻位に就いていう。およそ卦の初位・三位・五位は陽に属し、二位・四位・上位は陰に属し、初爻より上爻まで数えれば、陰位・陽位が各々半分を占める。ゆえに「分」の一字をいう。「迭用柔剛」は爻画に就いていう。柔は六を指し、剛は九を指す。陽に属する位は剛爻が占めることも柔爻が占めることもでき、陰に属する位は柔爻が占めることも剛爻が占めることもできる。あるいは柔あるいは剛が更番交替して作用する。ゆえに「迭」の一字をいう。陰陽を分かつのはその経線を立てることであり、剛柔を交わすのはその緯線を織ることである。経緯が互いに錯綜して、燦然として文を成す――これがいわゆる「六位而成章」である。

吳氏澄曰:性之理,謂人之道也,命之理,謂天地之道也,天之氣有陰陽,地之質有柔剛,人之德有仁義,道則主宰其氣質而為是德者也。

集説に呉澄の言を引く:性の理とは、人の側の道を指し、命の理とは、天地の側の道を指す。天の気には陰と陽とがあり、地の質には柔と剛とがあり、人の徳には仁と義とがある。いわゆる「道」とは、それらの気と質とを主宰し、これらの徳とならしめるものである。

又曰:上文以“陰陽”為天之道,下“陰陽”二字,則總言六位也,六位之中,分初三五為陽位,二四上為陰位也,上文以柔剛為地之道,下“柔剛”二字,則總言六畫也,六畫之中,奇畫皆謂之剛,偶畫皆謂之柔也,位無質,故以“陰陽”名之,畫有質,故以“柔剛”名之,位之陰陽相間則分佈一定,畫之柔剛不同,則迭用以居,《繫辭傳》所謂“物相雜曰文”,即此成章之謂也。

集説に呉澄の言をまた引く:上文は「陰陽」をもって天の道としたが、以下「分陰分陽」の「陰陽」の二字は、あの六つの爻位を総べて言う。六位のうち、初・三・五を分かちて陽位とし、二・四・上を分かちて陰位とする。上文は「柔剛」をもって地の道としたが、以下「迭用柔剛」の「柔剛」の二字は、あの六画を総べて言う。六画のうち、奇画はみな剛と呼び、偶画はみな柔と呼ぶ。位には質地がないゆえに「陰陽」をもって名づけ、画には質地があるゆえに「柔剛」をもって名づける。位の陰陽は彼此相い間いして分布は一定であり、画の柔剛は各々同じからず、交替してそれらの位を占める。《繋辞伝》のいう「物相雑故曰文」とは、ここの「成章」の意である。

胡氏炳文曰:上章“和順於道德”,統言之也;“理於義”,析言之也,此章“六畫而成卦”,統言之也;“分陰分陽”,“迭用柔剛”,“六位而成章”,又析言之也。蔡氏清曰:“立天之道”,非有以立之也,謂天道之立以陰陽也,其曰“分陰分陽”者,陰陽之自分也,其曰“迭用柔剛”者,剛柔之自迭用也,非有分之用之者也。

集説に胡炳文の言を引く:前の章の「和順于道徳」は渾然として合わせて言い、「理于義」は打ち開いて分条に言った。この章もまた同じ層次である――「六画而成卦」は渾然として合わせて言い、「分陰分陽」「迭用柔剛」「六位而成章」の諸句はまた打ち開いて分条に言う。両章の措辞は前後まさに相い呼応している。蔡清がいう:いわゆる「立天之道」とは、別に誰かが手を動かしてこれを立てたのではなく、天道がもとより陰陽に憑って立つことをいう。同様に、いわゆる「分陰分陽」とは陰陽が自ら分かれたのであり、いわゆる「迭用柔剛」とは剛柔が自ら交替して起用されたのであって、別に誰かがそこでこれを分かちこれを用いたのではない。この数カ所の字は、みな自然而然と見るべきであって、人為の造作と見てはならない。

何氏楷曰:此章言卦畫“順性命之理”,即上章所謂“和順於道德而理於義,窮理盡性以至於命”者,以一言蔽之也,性者人之理,命者天地之理,陰陽剛柔仁義,正所謂“性命之理”也,分陰陽,用柔剛,以斷吉凶而成亹亹,則仁義之道,固在其中矣。

集説に何楷の言を引く:この章は卦画が「順性命之理」し得ることを言うのであって、すなわち前の章にいう「和順于道徳而理于義、窮理尽性以至于命」の諸句を、一言をもって総括したものである。性は人の側の理であり、命は天地の側の理である。陰陽・柔剛・仁義は、まさにいわゆる「性命之理」である。陰位と陽位を分かち、柔爻と剛爻を用い、これに憑って吉凶を断じ人々の勤勉して倦まぬ事業を成せば、仁と義の道理はもとよりそのうちにある。

案 上章總論易道,此章以下,專明卦也,上章云“觀變於陰陽而立卦,和順於道 又案 “兼三才而兩之”,及“分陰分陽迭用柔剛”三句,先儒皆就《易》上說,細玩文義,當且就造化上說,“兼”字“分”字“用”字,皆不是著力字,言合三才之道而皆兩,此易所以六畫成卦也,三才之道,既以相對而分,又以更迭而用,此易所以六位成章也,如此方於故易兩字語氣相合,蔡氏說極貼。

李光地が按ずる:前の章は《易》道を総論し、この章以下はもっぱら卦を講ずる。前の章は「観変于陰陽而立卦、和順于道徳……」――ここで底本に脱文がある。李光地がまた按ずる:「兼三才而両之」および「分陰分陽、迭用柔剛」の三句は、先輩の儒者はみな《周易》の書上に置いて講じた。細かく文義を玩味すれば、先に造化の上に置くべきである。「兼」の字、「分」の字、「用」の字はいずれも力を用いて為す字眼ではなく、三才の道が合わさって各々両を成すことをいう。これが《易》の六画をもって卦を成す所以である。三才の道がすでに彼此相対して分かれ、また更番交替して用いられる。これが《易》の六位をもって章を成す所以である。このように言ってはじめて、伝文の「故易」の二字の語気に合う。蔡清の説が最も貼切である。

天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。本義 邵子曰:此伏羲八卦之位,乾南坤北,離東坎西,兌居東南,震居東北,巽居西南,艮居西北,於是八卦相交而咸六十四卦,所謂先天之學也。

《説卦伝》第三章にいう:天と地は上下の位を定め、山と沢は気息が通じ、雷と風は互いに激盪し、水と火は互いに厭い合わず、八卦はこうして互いに交錯する。朱熹《本義》に邵雍の言を引いていう:これは伏羲八卦の方位である――乾は南にあり、坤は北にあり、離は東にあり、坎は西にあり、兌は東南に居り、震は東北に居り、巽は西南に居り、艮は西北に居る。八卦はこれにより互いに交合して六十四卦を成す(底本は「成」を「咸」と誤る)。これがいわゆる「先天之学」であり、文王の「後天卦位」と相対するものである。

集說 孔氏穎達曰:此一節就卦象明重卦之意,若使天地不交,水火異處,則庶類無生成之用,品物無變化之理,故云“天地定位”而合德,山澤異體而通氣,雷風各動而相薄,水火不相入而相資,八卦之用,變化如此,故聖人重卦,令八卦相錯,乾坤震巽,坎離艮兌,莫不交互,以象天地雷風,水火山澤,莫不交錯,則《易》之爻卦與天地等,性命之理,吉凶之數,既往之事,將來之幾,備在爻卦之中矣。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は卦象に就いて重卦の用意を明らかにするものである。もし天地が相い交わらず水火が各々一処にあれば、万類には生成の功用がなく、衆物には変化の道理がない。ゆえに天地は上下の位を定めて徳が相い合い、山沢は形体が異なって気が相い通じ、雷風は各々発動して相い激盪し、水火は彼此相い入らずして相い憑借する。八卦の功用、変化はこのようである。ゆえに聖人は卦を重ねて、八卦をして互いに交錯せしめた。乾と坤、震と巽、坎と離、艮と兌は、互いに交わらざるなし。天地・雷風・水火・山沢が交錯せざるなきを象徴するためである。このようにして《周易》の爻と卦は天地と相等しく、性命の道理、吉凶の数、已往の事、将来の兆しは、みな爻卦のうちに斉く備わった。

説卦伝・第三章 天地定位と「数往者順、知来者逆」

項氏安世曰:八卦雖八,實則“陰陽”二字而已,是故位雖定而氣則通,勢雖相薄而情不厭,明本一物也。龔氏煥曰:“定位”以體言,“通氣”“相薄”不“相射”以用言。天地,乾坤之定體,水火,乾坤之大用,山澤之氣,即水之氣,雷風之氣,即火之氣,而水火之氣,又天地之氣也。

集説に項安世の言を引く:八卦は八つに分かれているが、結局のところ「陰陽」の二字に過ぎない。まさにこのゆえに、「天地定位」は方位がすでに固定したことを言い、「山沢通気」は気息がなお相い通ずることを言い、「雷風相薄」は両勢力が互いに逼迫するといえども情性は彼此厭い合わないことを言い、八卦が本来同一のものから分化したことを明らかにする。集説にまた龔煥の言を引く:「定位」は形体に就いて言い、「通気」「相薄」「不相射」は功用に就いて言う。天と地は乾坤の固定して動かぬ形体であり、水と火は乾坤の発動して出る大用である。山沢の気は実は水の気であり、雷風の気は実は火の気であり、水火の気は帰するところまた天地の気である。

數往者順,知來者逆,是故《易》逆數也。本義 起震而歷離兌,以至於乾,數已生之卦也,自巽而歷坎艮,以至於神,推未生之卦也,《易》之生卦,則以乾兌離震巽坎艮坤為次,故皆“逆數”也。此第三章。

《説卦伝》の正文にいう:すでに過ぎ去ったを点算するは、順って次序を数えるものであり、いまだ来らざるを予知するは、逆らって次序を推すものである。ゆえに《周易》は「逆数」の路数を行く。朱熹《本義》にいう:先天の円図において、震卦より起こり、離・兌を経て乾まで数えるは、すでに生成した半分の卦を数えるものであり、巽卦より起こり、坎・艮を経て坤まで推すは(底本はここで「坤」を「神」と誤る)、いまだ生成せざる半分の卦を推すものである。而して《周易》の卦を生ずる先後は、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の次第であって、ちょうど卦気の流行する方向と相反する。ゆえに全篇ともに「逆数」という。以上は第三章。

集說 《朱子語類》云:先天圖曲折,細詳圖意,若自乾一橫排至坤八,此則全是自然,故說卦云“《易》逆數”也,若如圓圖,則須如此方見陰陽消長次第,雖似稍涉安排,然亦莫非自然之理,自冬至至夏至為順,蓋與前逆數若相反,自夏至至冬至為逆,蓋與前逆數者同,其左右與今天文家說左右不同,蓋從中而分,其初若有左右之勢爾。

集説に《朱子語類》を引いていう:先天図には曲折する所があり、図意を細かく体会しなければならない。もし横図に照らして乾一より一路に横排して坤八に至れば、それは全く自然に生じた次第である。ゆえに《説卦伝》は「易逆数也」という。円図に至っては、必ずあのように八卦を囲んで一圏としなければ、陰陽消長の先後層次を見ることができない。このように布置すれば幾分か人為の布置を帯びるように見えるが、実は同じく一か所も自然の理に合せざるなし。図上は冬至より夏至に至るを順行とし、方向はちょうど前に言う「逆数」と相反する。夏至より冬至に回るを逆行とし、方向がはじめて前に言う「逆数」と一致する。図中に言う左右は、今の天文家の言う左右とも異なり、中間より剖き分かちて分かつのであって、初めはただ隠然として偏左偏右の走势があるのみである。

陳氏埴曰:《易》本“逆數”也,有一便有二,有二便有四,有四便有十六,以至於六十四,皆由此可以知彼,由今可以知來,故自乾一以至於坤八,皆循序而生,一如橫圖之次,今欲以圓圖象渾天之形,若一依此序,則乾坤相併,寒暑不分,故伏羲以乾坤定上下之位,坎離列左右之門,艮兌震巽,皆相對而立,悉以陰陽相配,自一陽始生,起冬至節歷離震之間為春分,以至於乾為純陽,是進而得其已生之卦,如今日複數昨日, 胡氏炳文曰;諸儒訓釋,皆謂已往而易見為順,未來而前知為逆,《易》主於前民用,故曰“《易》逆數也”。唯《本義》依邵子,以數往者順一段為指圓圖,而言卦氣之所以行,“易逆數”一段為指橫圖,而言卦畫之所以生,非《本義》發邵子之蘊,則學者孰知此所謂先天之學哉。

集説に陳埴の言を引く:《周易》はもとより「逆数」である。一があれば二があり、二があれば四があり、四があれば八・十六があり、推し進めて六十四に至るまで、みなこの一歩よりあの一歩を知り、眼前より将来を推知することができる。ゆえに乾一より坤八まで排すれば、すべて次序に循って生じたもので、横図の排法と全く同じである。今、円図をもって渾天の形状を象徴させようとするに、もしひたすら横図の次序どおりに圏を囲めば、乾と坤は隣り合い、寒暑冷熱が分かたれなくなる。そこで伏羲は乾坤をもって上下両極の方位を定め、坎離をもって左右両扇の門戸を排し、艮・兌・震・巽はすべて両々相対して立ち、すべて陰陽に拠って一双を配した。一陽の初生する冬至の節より起算して、離と震のあいだを経るが春分、数えて乾に至るが純陽。これは向前に推進してすでに生成した卦を点算するもので、今日振り返って昨日を数えるがごとし。(底本はここに脱文があり、陳埴の説は未完である。)集説にまた胡炳文の言を引く:歴代諸儒の解釈は、みなすでに過ぎ去り見易きを順といい、いまだ来らず預め知るを要するを逆という。《周易》の宗旨は百姓のために先機を開導するに在る。ゆえに「易逆数也」という。ただ朱熹《本義》のみが邵雍の講法に依り、「数往者順」の段を円図を指すと見て卦気の如何に運行するかを言い、「易逆数也」の段を横図を指すと見て卦画の如何に生ずるかを言った。もし《本義》が邵雍の深意を発掘しなければ、《易》を学ぶ者の誰がこれを先天之学と知り得たであろうか。

案 此節順逆之義,朱子之意如此,然與邵子本意,各成一說,蓋邵子本意,以三陰三陽,追數至一陰一陽處為順,自一陰一陽,漸推至三陰三陽處為逆,朱子則謂左方四卦數已生者為順,右方四卦推未生者為逆,兩說可並存。

李光地が按ずる:この一節の順と逆の含義は、朱熹の見方は上に述べたとおりであるが、それは邵雍の原意と各々一家の言を成す。邵雍の本意は、三陰三陽の一端より逆さに数えて一陰一陽の一端に回るを順とし、一陰一陽の一端より逐次推して三陰三陽の一端に至るを逆とする。朱熹は、円図の左の四卦はすでに生成したを点算するゆえに順といい、右の四卦はいまだ生成せざるを推求するゆえに逆という。二つの講法は併存し得て、必ずしもその一を偏廃するを要しない。

而邵子之說,於此兩章文義,尤為貫串,“天地定位”一節,自乾坤說到震巽,是“數往”也。雷以動之一節,自震巽說到乾坤,是“知來”也,此三句,是承上節以起下節,言圖象數往則順,知來則逆,如上節所列是順數,順數者尊乾坤次六子也,若建圖之意,則欲見陰陽之運行,功用之先後,所重在逆數,如下節所推也,諸說之詳,備《啟蒙》中。

ただ邵雍の講法は、この両章の文義を貫くにことのほか順暢である。「天地定位」の一節は乾坤より震巽まで言い、「数往」に属する。「雷以動之」の一節は震巽より乾坤に回りて言い、「知来」に属する。あいだに挟まる「数往者順、知来者逆、是故易逆数也」の三句は、まさに上の一節を承けて下の一節を引き出す過渡であって、図象に就いていえば、已往を数えるは順であり、未来を知るは逆であるという。上の一節に列ねたのは順数であり、順数の排法はまず乾坤を尊び、次いで順に震・巽・坎・離・艮・兌の「六子」に及ぶ。当初図を立てた用意は、陰陽の如何に運行し功用に如何なる先後あるかを顕すにあり、重心は逆数に落ちる。すなわち下の一節の推す次序である。各家の説の詳細はみな朱熹《易学啓蒙》に載せられている。

説卦伝・第四章 雷以動之

雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅亙之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。本義 此卦位相對,與上章同。此第四章。集說 孔氏穎達曰:上四舉象,下四舉卦者,王肅云,互相備也。

《説卦伝》の正文にいう:雷は万物を鼓動するに用い、風は万物を吹き散らすに用い、雨は万物を滋潤するに用い、日は万物を暖かく照すに用い(底本は「晅」の字の下に「亘」の一字を衍す)、艮は万物を止めるに用い、兌は万物を欣悦せしめるに用い、乾は万物に君臨するに用い、坤は万物を収蔵するに用いる。朱熹《本義》にいう:この章の八卦の方位は両々相対し、前の章の「天地定位」の排法と同じである。以上は第四章。集説に孔穎達の言を引く:前の四句は雷・風・雨・日の物象を挙げ、後の四句は艮・兌・乾・坤の卦名を挙げる。王粛の解釈によれば、これは前後互いに補足し合い、象を挙げるところにも卦を含み、卦を挙げるところにも象を含む。

張子曰:陰性凝聚,陽性發散,陰聚之,陽必散之,其勢均散,陽為陰累,則相持為雨而降,陰為陽得,則飄揚為雲而升,故云物班布太虛者,陰為風驅,斂聚而未散者也,凡陰氣凝聚,陽在內者不得出,則奮擊而為雷霆,陽在外者不得入,則周旋不舍而為風,其聚有遠近虛實,故雷風有大小暴緩,和而散,則為霜雪雨露,不和而散,則為戾氣曀霾,陰常散緩,受交於陽,則風雨調,寒暑正。

集説に張載の言を引く:陰の性は凝聚であり、陽の性は発散である。陰が気を聚め合わせれば、陽は必ずこれを散らす。両者が勢均力敵に相い散ずるとき、陽が陰に牽累されて拖まれば、相持して凝りて雨となり落ちる。陰が陽に摂取されれば、飄揚して上升して雲と化す。ゆえに雲気が片を成して太空中に鋪布するは、陰が風に駆られ、収斂聚攏していまだ散ぜざる姿である。およそ陰気が凝聚して陽気がそのうちに困って出られなければ、力を奮い衝撞して雷霆となる。陽気が外に擋がれて入れなければ、繞って回旋して罢めず風となる。陰気の聚結には遠近・虚実があるゆえに、雷に大小の別があり、風に暴緩の分がある。陰陽が調和して散ずれば、霜・雪・雨・露と化す。調和せず散ずれば、戻りの気と陰霾となる。陰気は平常は緩緩と散ずるもので、陽気の交合に堪え得れば、風雨は調い匀かに、寒暑は端正となる。

朱氏震曰:前說乾坤以至“六子”,此說“六子”而歸乾坤,終始循環,不見首尾,《易》之道也。《朱子語類》云:“雷以動之”以下四句,取象義多,故以象言,“艮以止之”以下四句,取卦義多,故以卦言。

集説に朱震の言を引く:前の章は乾坤より講じて、震・巽・坎・離・艮・兌の「六子」にまで言い及んだ。この章は「六子」より講じて、終わりに乾坤に帰結する。首尾が接して一つの循環を成し、どこが頭でどこが尾かを見ることができない。これがまさに《周易》の道理である。集説にまた《朱子語類》を引いていう:「雷以動之」以下の四句は物象の意を取ることが多く、ゆえに直ちに雷・風・雨・日の物象をもって言う。「艮以止之」以下の四句は卦徳の意を取ることが多く、ゆえに改めて艮・兌・乾・坤の卦名をもって言う。

項氏安世曰:自“天地定位”至“八卦相錯”,言先天之順象也,自“雷以動之”至“坤以藏之”,言先天之逆象也。胡氏炳文曰:此章卦位相對與上章同,特上章先之以乾坤,此章則終之以乾坤也。

集説に項安世の言を引く:「天地定位」より「八卦相錯」まで言うのは、先天卦位の順行する象である。「雷以動之」より「坤以蔵之」まで言うのは、先天卦位の逆行する象である。集説にまた胡炳文の言を引く:この章の八卦の両々相対する方位は前の章と同じであるが、ただ前の章は乾坤を頭に据え、この章は乾坤を結尾に据えたに過ぎない。

金氏賁亨曰:上章以天地居首,序尊卑也,此章以乾坤居後,總成功也,上以體言,此以功用言也。吳氏曰慎曰:前章始乾坤終坎離,此章始震巽終乾坤,首乾者其重在乾,首震者其重在震,二章雖皆明先天卦序,而後天始震之義,亦具其中矣。

集説に金賁亨の言を引く:前の章は天地を最前に置いたのは尊卑の次序を排定するためであり、この章は乾坤を最後に置いたのは全部の成就の功を総攬するためである。前の章は形体に就いて言い、この章は功用に就いて言う。集説にまた呉曰慎の言を引く:前の章は乾坤をもって頭とし坎離をもって尾とし、この章は震巽をもって頭とし乾坤をもって尾とする。乾をもって頭とするは重点が乾に落ち、震をもって頭とするは重点が震に落ちる。両章はともに先天卦序を講ずるが、後天卦位が震より起首する意もまたそのうちに含まれている。

又案 艮兌不言山澤,則是指氣言也,暑氣溫熱發生,故曰“兌以說之”。寒氣嚴凝收斂,故曰“艮以止之”,上傳於雷霆風雨之下,亦曰“一寒一暑”,而不言山澤也,若雷以動積寒之氣,而“日以晅之”,風以散積暑之氣,而“雨以潤之”,則於卦象皆切,乾君坤藏,亦主大夏大冬而言,大夏如下章所云“萬物皆相見”,“嚮明而治”,是君之也,大冬如下章所云“萬物之所歸”,是藏之也。

李光地がまた按ずる:この章は艮・兌に及んでも山・沢を提げない。これにより気に就いて言うと見るべきである。暑気は温熱にして生長を催発し得るゆえに「兌以説之」といい、寒気は厳凝にして収斂閉蔵し得るゆえに「艮以止之」という。《繋辞上伝》も雷霆風雨を講じたのち、ただ「一寒一暑」といい、同じく山沢を提げない。雷が積圧して久しき寒気を鼓動し、続いて「日以晅之」がこれを晒し開く。風が積圧して久しき暑気を吹き散らし、続いて「雨以潤之」がこれを潤し下す。この諸説は卦象に対照していずれも貼切である。「乾以君之」「坤以蔵之」もまた主として盛夏と隆冬に就いて言う。盛夏は次の章にいう「万物皆相見」「向明而治」のごとく、あれは乾の万物に君臨するものである。隆冬は次の章にいう「万物之所帰」のごとく、あれは坤の万物を収蔵するものである。

説卦伝・第五章 帝出乎震(文王後天卦位)

帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。本義 帝者天之主宰。邵子曰:此卦位乃文王所定,所謂後天之學也。

《説卦伝》の正文にいう:万物を主宰する天帝は、震の方位に出て、巽の方位において万物を斉しくし、離の方位において万物と相見え、坤の方位において万物を役使して養い、兌の方位において万物を喜悦せしめ、乾の方位において陰気と交戦し、坎の方位において万物を労倦せしめて息に帰し、艮の方位において万物の終結と開端を成就する。朱熹《本義》にいう:いわゆる「帝」とは、上天の主宰である。また邵雍の言を引いていう:この卦位の系は周文王の定めたもので、通常いう「後天之学」である。それは伏羲の定めた「先天八卦方位」と異なる。先天は乾南・坤北・離東・坎西をもって位を定め、後天は震東・離南・兌西・坎北をもって排列する。

集說 程子曰:《易》八卦之位,元不曾有人說,先儒以為乾位西北,坤位西南,乾坤任六子而自處於於為之地,此大故無義理,雷風山澤之類,便是天地之用,如人身之有耳目手足,便是人之用也,豈可謂手足耳目皆用,而身無為乎。

集説に程頤の言を引く:《周易》八卦の方位は、もとよりこれを明らかに講じた人がなかった。先儒は乾が西北に居り坤が西南に居るを、乾坤が事を「六子」に交付してやらせ、自らは無為のところに退居する(底本は「无為」を「于于為」と誤る)としたが、この説はまったく義理がない。雷・風・山・沢の類いは、まさに天地の発揮して出る功用であり、たとえば人の身に耳目手足が生えるがごとく、それは人自身の功用である。どうして手足耳目がみな作用しているのに身体自身は何もしていないと言えようか。

何氏楷曰:三男震坎艮,以次綱紀於始終,三女巽離兌,以次而處綱紀之內,自東南至西皆陰,自西北至東皆陽,亦最齊整,故坤蹇彖辭,有西南東北之語。

集説に何楷の言を引く:震・坎・艮の三つの男卦は、次序に依って首尾両端にあって綱紀を総攬する。巽・離・兌の三つの女卦は、次序に依って綱紀のうちに安置される。東南より一路に正西まで数えてすべて陰であり、西北より一路に正東まで数えてすべて陽である。排布もまた最も斉整である。まさにこのゆえに《坤卦》と《蹇卦》の彖辞に「西南」「東北」という方位の話頭があるのである。

萬物出乎震。震,東方也。齊乎巽,巽,東南也。齊也者,言萬物之潔齊也。離也者,明也,萬物皆相見,南方之卦也。聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此也。坤也者,地也,萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。

《説卦伝》の正文にいう:万物は震の方位より生じ出る。震は東方の卦である。巽の方位に至れば斉しくなる。巽は東南の卦である。いわゆる「斉」とは、万物が潔く斉しく長ずることをいう。離とはすなわち光明である。万物はここに至って皆な相い顕れ相い見え、それは南方の卦である。聖人は南に面して天下を治め、光明に向かって政教を施行するが、おそらくこれに取法したのであろう。坤とはすなわち大地である。万物はここに至って皆な養いを得る。ゆえに「致役乎坤」という。

兌,正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌。戰乎乾,乾,西北之卦也,言陰陽相薄也。坎者,水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮,東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。本義 上言帝,此言萬物之隨帝以出入也。此第五章,所推卦位之說,多未詳者。

《説卦伝》の正文は続けていう:兌はまさに秋に当たり、万物の欣悦して成熟するときである。ゆえに「説言乎兌」という。「戦乎乾」とは、乾は西北の卦であり、陰気と陽気とがここにおいて互いに逼迫して交戦することを言う。坎とはすなわち水であり、正北方の卦であり、また労倦の卦である。万物はここに至って皆な帰蔵して休息する。ゆえに「労乎坎」という。艮は東北の卦であり、万物はここにおいて既に前の輪の終結を成し、また次の輪の開端を開く。ゆえに「成言乎艮」という。朱熹《本義》にいう:上の一段は天帝を言い、この段は万物が天帝に随ってともに出入して運行することを言う。以上は第五章。その推排する卦位には、来歴がなお言い明かし得ないところが少なからずある。

集說 鄭氏康成曰:“萬物出乎”震雷發聲以生之也,“齊乎巽”,風搖動以齊之也。潔,猶新也。“萬物皆相見”,日照之使光大,萬物皆致養,地氣含養,使秀實也,萬物 程子曰:艮,止也,生也。止則便生,不止則不生,此艮終始萬物。

集説に鄭玄の言を引く:「万物出乎震」とは、雷が声を発して万物を催し生じ出すことである。「斉乎巽」とは、風が万物を揺動して吹き斉しくすることである。ここの「潔」は「新」の意に近い。「万物皆相見」とは、太陽がそれらを照らして光顕盛大ならしめることである。「万物皆致養」とは、地気がそれらを含み裹めて養い、穂を抽き実を結ばしめることである。(底本はこの下に脱文があり、鄭玄の説は未完である。)集説にまた程頤の言を引く:艮は止であるとともに生でもある。止まってはじめて生発し得、止まらなければ生発し得ない。これが艮が万物を終結しまた開始し得る所以の縁故である。

又曰:冬至一陽生,每遇至後則倍寒何也,陰陽消長之際,無截然斷絕之理,故相攙掩過,如天將曉,復至陰黑,亦是理也,大抵終始萬物盛乎艮,此盡神妙,須研窮此理。

程頤がまたいう:冬至の日に一陽が初生するのに、なぜ冬至以降はかえって倍して寒くなるのか。これは陰陽消長が交替するとき、一刀両断に截然として分かれる道理がなく、両者は必ず互いに挟み雑じって掩蓋していくからである。たとえば天が明けようとするとき、かえってもう一陣暗黒になるのも同じ道理である。大体いえば、万物を終結しまた開始する力は艮において最も盛んで、そのうちに極めて神妙なところがある。必ず工夫を下してこの理を研究し尽くさなければならない。

鄭氏樵曰:乾居西北,父道也,父道尊嚴,嚴凝之氣,盛於西北。西北者,萬物成就之方也。坤居西南,母道也,母道在養育萬物,萬物之生,盛於西南。西南者,萬物長養之方也。坎艮震方位次於乾者,乾統三男也,巽離兌方位夾乎坤者,坤統三女也。西北盛陰用事,而陰氣盛矣,非至健莫能與爭,故陰陽相薄,曰“戰乎乾”,而乾位焉,戰勝則陽氣起矣。

集説に鄭樵の言を引く:乾が西北に居るのは父の道を行くものである。父道は尊厳を主とし、あの厳厲凝粛の気はまさに西北に盛んであり、西北は万物が成就して収束する方位である。坤が西南に居るのは母の道を行くものである。母道は万物を養育するに在り、万物の生長は最も西南に盛んで、西南は万物が長養する方位である。坎・艮・震の三卦の方位が乾に緊接するのは、乾が三つの男卦を統領するからである。巽・離・兌の三卦の方位が坤の両旁に挟まるのは、坤が三つの女卦を統領するからである。西北は極盛の陰気が権を執り用をなすところで、陰気が一盛すれば、極めて剛健の力でなければそれと争うことができない。ゆえに陰陽はここにおいて互いに逼迫し、「戦乎乾」と呼ばれ、乾はここに位を定める。ひとたび戦いて勝を得れば、陽気は再び興起する。

楊氏萬里曰:於帝言“致役”者。蓋坤,臣也。帝,君也。君之於臣,役之而已,於萬物言致養者。蓋坤,母也,萬物,子也,母之於子,養之而已,至於它卦不言戰而乾言戰。乾,西北之卦,陰盛陽微之時,陰疑子陽也,不然,則《坤》之上六,何以言“龍戰于野”。

集説に楊万里の言を引く:天帝に対して「致役」というのは、坤は臣にして帝は君であるゆえに、君が臣に対してはただこれを役使して事を弁じさせるに過ぎない。万物に対して「致養」というのは、坤は母にして万物は子であるゆえに、母が子に対してはただこれを養育するに過ぎない。その余の各卦はいずれも交戦を言わず、ただ乾のみが交戦を言う。乾は西北の卦で、あそこはまさに陰気が極盛、陽気が衰微の時節である。陰気が盛んにして陽気と比擬・抗衡し得るほどである(「疑」は「擬」に通じ、底本は「子」と誤る)。そうでなければ、《坤卦》上六の爻辞がなぜ「龍戦于野」と言う必要があろうか。

項氏安世曰:後天之序,據太極既分之後,播五行於四時也,震巽二木主春,故震在東方,巽東南次之,離火主夏,故為南方之卦,兌乾二金主秋,故兌為正秋,乾西北次之,坎水主冬,故為北方之卦,土王四季,故坤土在夏秋之交,為西南方之卦,艮土在冬春之交,為東北方之卦,木金土各二者,以形王也,水火各一者,以氣王也,坤陰土,故在陰地,艮陽土,故在陽地,震陽木,故正東,巽陰木,故近南而接乎陰,兌陰金,故正西,乾陽金,故近北而接乎陽,其序甚明。

集説に項安世の言を引く:後天卦序は、太極がすでに分化したのちに五行を四時に分布して排定したものである。震・巽はともに木に属して春を主管するゆえに、震は正東に在り、巽は緊挨して東南に排せられる。離は火に属して夏を主管するゆえに南方の卦である。兌・乾はともに金に属して秋を主管するゆえに、兌はまさに秋に当たり、乾は緊挨して西北に排せられる。坎は水に属して冬を主管するゆえに北方の卦である。土は四季の末に旺するゆえに、坤土は夏秋の交接する処に排して西南の卦となり、艮土は冬春の交接する処に排して東北の卦となる。木・金・土が各々二卦を占めるのは、有形の質に憑って旺するからである。水・火が各々一卦を占めるのは、無形の気に憑って旺するからである。坤は陰土ゆえに陰の方位に安んじ、艮は陽土ゆえに陽の方位に安んず。震は陽木ゆえに正東に居り、巽は陰木ゆえに南に偏して陰方に接続する。兌は陰金ゆえに正西に居り、乾は陽金ゆえに北に偏して陽方に接続する。この次序は極めて分明に言えている。

徐氏幾曰:坎離,天地之大用也,得乾坤之中氣,故離火居南,坎水居北也。震,動也,物生之初也,故居東。兌,說也,物成之後也,故居西。此四者各居正位也,震屬木,巽亦屬木,震陽木也,巽陰木也,故巽居東南,巳之位也。兌屬金,乾亦屬金,兌陰金也,乾陽金也,故乾居西北,亥之方也。坤艮皆土也,坤陰土,艮陽土,坤居西南,艮居東北者,所以均王乎四時也。

集説に徐幾の言を引く:坎と離は天地の最大の功用であって、それぞれ乾坤の中爻の気を得る。ゆえに離火は南方に安んじ、坎水は北方に安んず。震は動であって万物の初生の段階を代表するゆえに東に居り、兌は悦であって万物のすでに成熟したのちを代表するゆえに西に居る。この四卦は各々東南西北の四つの正位を占める。震は木に属し巽もまた木に属す。震は陽木、巽は陰木である。ゆえに巽は東南に排せられ、まさに地支の巳の位に当たる。兌は金に属し乾もまた金に属す。兌は陰金、乾は陽金である。ゆえに乾は西北に排せられ、まさに地支の亥の方位に当たる。坤と艮はともに土に属す。坤は陰土、艮は陽土である。坤が西南に安んじ艮が東北に安んずるのは、土気をして均しく四時に旺せしめんがためである。

此四者分居四隅也,後天八卦以震巽離坤兌乾坎艮為次者,震巽屬木,木生火,故離次之,離火生土,故坤次之,坤土生金,故兌乾次之,金生水,故坎次之,水非土亦不能以生木,故艮次之,水土又生木,木又生火,八卦之用,五行之生,循環無窮,此所以為造化流行之序也。

巽・乾・坤・艮の四卦は、それぞれ東南・西北・西南・東北の四つの隅を占める。後天八卦が震・巽・離・坤・兌・乾・坎・艮の次序に排列するのは、震巽が木に属し、木が火を生じ得るゆえに離がその後に接続する。離火は土を生じ得るゆえに坤が離の後に接続する。坤土は金を生じ得るゆえに兌・乾が坤の後に接続する。金は水を生じ得るゆえに坎が乾の後に接続する。水は土なければ木を生じ得ないゆえに艮がまた坎の後に接続する。水と土がまた木を生じ、木がまた火を生ず。八卦の功用と五行の相生とはこのように循環して尽きない。これが造化流行の次序である。

龔氏煥曰:土之於物,無時而不養,今獨言致役乎坤何也?曰:土之養物,雖無時不然,然於西南夏秋之交,物將成就之時,土氣正旺,致養之功,莫盛於此,故曰“致役乎坤”,非它時不養,而獨養乎此也,故又曰“成言乎艮”。艮亦土也,養者成之漸,成者養之終,成而終者又將於此而始,此土無不在,其於養物之功,成始而成終者也,水火一而木金土二者,水火陰陽之正,木金土陰陽之交,正者一而交者二也。

集説に龔煥の言を引く:土は万物に対していずれの時も養育しないことはないのに、今なぜ単に「致役乎坤」と言うのか。答えていう:土が万物を養育するは固より時としていならざるなし。しかし西南の方、夏秋の交接して万物のまさに成熟せんとする時節は、土気がまさに旺盛に当たり、養育の功はこの時に比ぶるなきほど盛んである。ゆえに「致役乎坤」という。別の時節に養わずこの時にのみ養うというのではない。これにより後にまた「成言乎艮」という。艮もまた土に属する。養育は成就の漸進の過程であり、成就は養育の最終の結果である。そして成就して終結したのちまたここにおいてあらたに開端する。これにより土は在らざるところなく、それの万物を養育する功労は、開端を成就しまた終結を成就することが見える。水火が各々一卦を占め木・金・土が各々二卦を占めるのは、水火が陰陽の純正の体で、木金土が陰陽の交合して成るものだからである。純正のものはただ一つ、交合したものは便ち二つある。

胡氏炳文曰:離明以德言,八卦之德可推,坤地坎水以象言,八卦之象可推,兌秋 俞氏琰曰:艮,止也,不言止而言成,蓋止則生意絕矣,成終而復成始,則生意周流,故曰“成言乎艮”。

集説に胡炳文の言を引く:「離也者明也」は卦徳に就いて言い、これにより八卦それぞれの徳性を類推できる。「坤也者地也」「坎者水也」は卦象に就いて言い、これにより八卦それぞれの物象を類推できる。「兌正秋也」以下は時令に就いて言う。(底本はここに脱文があり、胡炳文の説は未完である。)集説にまた俞琰の言を引く:艮の意は止であるが、伝文は止と言わず成と言う。ひとたび止まれば生機が断絶するからである。ただ終結を成就して続けて開端を成就すれば、生機ははじめて周流して息まない。ゆえに「成言乎艮」という。

陳氏琛曰:火氣極熱,物無由而成,水氣極寒,物無由而生,唯土氣最為中和,故火金之交有坤土,水木之交有艮土,而為萬物之所由出入者也,養身養民治天下,皆要中和。

集説に陳琛の言を引く:火気が極まって熱すれば万物は成熟し得ず、水気が極まって寒すれば万物は生長し得ない。ただ土気のみが最も中正平和である。ゆえに火と金の交接する処に坤土を安んじ、水と木の交接する処に艮土を安んずれば、それらは万物の出入する門戸となる。推し広めれば、身体を調養し、百姓を養育し、天下を治理するにも、みな中正平和を要としなければならない。

張氏振淵曰:成始只在成終內,無兩截事。吳氏曰慎曰:氣不翕聚,則不能發散,物未堅實,則不能複種而生,未有不能成終而能成始者也,此貞下起元之理,主靜立本之道,蓋必體立而後用有以行,天地人物,其理一也。

集説に張振淵の言を引く:開端を成就することは終結を成就するうちに在り、前後二截の二つの事ではない。集説にまた呉曰慎の言を引く:気は先に収斂聚攏しなければ発散し開くことができず、果実は先に堅実に長らなければ再び種子を作って新苗を生ずることができない。いまだかつて終結を成就し得ずして開端を成就し得たことはない。これが「貞」尽きて「元」また起こる道理であり、また静を主として根本を確立する工夫である。必ず本体が先に立ってのち、功用ははじめて施行し得る。天・地・人・物、この一点において道理はみな同じである。

案 此章明文王卦位也,震動而發散者,生機之始,雷厲而風行者,造化之初,是故陽氣奮而物無不出,陰氣順而物無不齊,陽氣盛,而於陰則明極矣,陰精厚,順於陽則養至矣,陽之和足於內,陰之滋足於外,則說乎物而物成矣,雖然,天之道資陰而用之而功乃就,克陰而化之而命斯行,自始至終,莫非天也,而終始之際,見其健而不已焉者,天之所以為天也,由是役者於此休,故坎以習熟之義而司勞焉,動者於此止,故艮以動靜不窮之義而司成焉,夫文之位變乎羲矣,而其體用交錯之妙,動靜互根之機,則必合而觀之,然後造化之理盡。

李光地が按ずる:この章が講明するのは文王の卦位である。震卦が動いて発散するは生機の開端であり、雷厲風行は造化の起始である。ゆえに陽気がひとたび奮発すれば万物に出生せざるなく、陰気がひとたび順承すれば万物に斉しくならざるなし。陽気が極盛すれば、陰に映照して明るさ極まる。陰精が深厚なれば、陽に順従して養い極処に至る。陽の和気が内に充足し、陰の滋潤が外に充足すれば、万物は欣悦して成熟する。しかるに天の運行の道は、陰に憑ってこれを用いて功業がはじめて成就し、陰を克してこれを化して天命がはじめて推行する。初めより終わりまで、主宰せざるは天なく、終と始と交接する関口において、あの剛健不息の力が見える――まさに天が天たる所以である。これにより役使されるものはここに至って休息を得る。ゆえに坎は熟習歴練の義をもって「労」を主管する。活動するものはここに至って停止し得る。ゆえに艮は動静循環して窮まらざる義をもって「成」を主管する。文王の卦位は固より伏羲の旧図を改動したが、そのうちの体と用と交錯する精妙、動と静と互いに根柢とする機括は、必ず両図を合わせて見てはじめて造化の道理を言い尽くし得る。

孔子所以釋文王之意者,如此而已,諸儒或以五行言之,說亦詳密,故備載以相參考,然諸儒所言坤艮之理,亦有未盡者,蓋呂令以土獨王未月而為中央,則土位唯一也。京房以土分王辰戍丑未而直四季,則土位有四也,今文王之卦,唯坤艮二土,位於丑未,視月令則多其一,視京房則少其二,何也?

孔子が文王の本意を釋するに用いたのも、またこれらに過ぎない。諸儒あるいは改めて五行をもって講じ、言うところも甚だ詳密であるゆえに、一倂に録して参照に供する。ただ諸儒の講ずる坤・艮両卦の道理には、なお言い透かし尽くさざるところがある。《呂氏春秋》十二紀の月令に拠れば、土は単独に未月に旺して中央に居れば、土位はただ一つである。京房の説に拠れば、土は辰・戌・丑・未に分旺して四季の末を値守すれば、土位は四つある。今、文王の卦位のうちには、坤・艮の二つの土のみがあって丑・未の二つの方位に安んじ、月令に比して一つ多く、京房に比してまた二つ少ない。これはなぜか。

蓋木之生火,金之生水,無所藉於土,若火非土,必不能成金,水非土,必不能生木,則土之功於是為著,又一歲之間,陰陽二氣,皆互相勝,陽勝陰,則為木之溫,火之熱,自卯至未,陽多之卦是也,陰勝陽,則為金之涼,水之寒,自酉至丑,陰多之卦是也,唯丑接於寅,未接於申,為三明三陽之卦,則二氣適均,而為中和之會,此所以獨為土德之居也,其精義亦非諸術所及,尚有先天後天列象交變之妙,見《啟蒙》附論中。

縁故はここにある:木が火を生じ、金が水を生ずるは、みな土を借りるを要しない。しかし火は土なければ必ず金を錬成し得ず、水は土なければ必ず木を生じ得ない。土の功労はまさにこの二か所において最も顕著である。さらに一年のうち、陰陽二気はつねに此消彼長して互いに勝る。陽が陰に勝れば、木の温和・火の炎熱に現れ、卯月より未月に至るまでの陽多き卦がそれである。陰が陽に勝れば、金の清涼・水の寒冷に現れ、酉月より丑月に至るまでの陰多き卦がそれである。ただ丑と寅と相接し、未と申と相接する処において、卦中は三陰三陽(底本は「陰」を「明」と誤る)、二気が恰好均平にして中和交会の処を成す。これがまさに単に土徳のみがこの二つの方位を占める所以の縁故である。そのうちの精微なる義理は、また各家の術数の企及する所でもない。さらに先天・後天の両図が列象し交互変化する奥妙は、《易学啓蒙》の附論のうちに見える。

説卦伝・第六章 神也者、妙万物而為言

神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,橈萬物者莫痰乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化,既成萬物也。本義 此去乾坤而專言“六子”,以見神之所為,然其位序亦用上章之說,未詳其義。

《説卦伝》の正文にいう:いわゆる「神」とは、造化万物の妙を形容して用いるものである。万物を鼓動するに雷より迅疾なるはなく、万物を吹撓するに風より快速なるはなく(底本は「疾」を「痰」と誤る)、万物を烘干するに火より熾烈なるはなく、万物を取悦するに沢より人を欣悦せしめるはなく、万物を滋潤するに水より潤沢なるはなく、万物を終結しまた開始するに艮より盛大なるはない。ゆえに水火は互いに接済し、雷風は互いに違逆せず、山沢は気息が通じ、これよりのち変化流行して万物を一々造成することができる。朱熹《本義》にいう:この章は乾坤を措いてもっぱら震・巽・坎・離・艮・兌の「六子」を講じ、もって「神」の作為を顕す。ただその排列する方位の次序はなお前の章の後天卦位の説に沿い、そのうちの用意はなお言い明かし得ない。

集說 韓氏伯曰:於此言“神”者,明八卦運動,變化推移,莫有使之然者,神無物,妙萬物而為言,則雷疾風行,火炎水潤,莫不自然相與為變化,故能萬物既成也。

集説に韓康伯の言を引く:ここに「神」の一字を点出するのは、八卦の運転・変化・推移に、背後でこれらを駆使する者がいないことを明らかにするためである。「神」自体には指すべき形体がなく、ただそれが万物を造化する妙に就いて名を立てるに過ぎない。ここにおいて雷は迅疾、風は流行、火は炎上、水は潤下し、一つとして自然に相い配合し彼此変化せざるなく、ゆえに万物を一々造就し成すことができる。

崔氏憬曰:此言六卦之用,而不及乾坤者,以天地無為而無不為,故能成雷風等有為之神妙也,艮不言山,獨舉卦名者,以動橈燥潤,功是雷風水火,至於終始萬物,于山義則不然,故言卦,而餘皆稱物,各取便而論也,。

集説に崔憬の言を引く:ここで六卦の功用を講じて乾坤を提げないのは、天地は見たところ無為のようであって、実は為さないところがないゆえに、雷風などの有所為の神妙を成就し得るからである。艮卦は「山」と言わず単に卦名を挙げるのは、鼓動・吹撓・烘干・滋潤の功労がそれぞれ雷・風・火・水に属し、万物を終結しまた開始することに至っては「山」をもって言えば貼切でないから、ここではただ卦名を挙げ、その余の各処はみな物象を称し、各々称説の便宜を取ったに過ぎない。

朱氏震曰:張子云,一則神,兩則化。妙萬物者,一則神也,且動橈燥說潤終始萬物者,孰若六子,然不能以獨化,故必相逮也,不相悖也,通氣也,然後能變化既成萬物,合則化,化則神。

集説に朱震の言を引く:張載が講じたように、浑然として一となるが神であり、分かれて二となるが化である。万物を造化する妙たり得るは、まさにあの浑然として一なる神である。さらにいえば、鼓動・吹撓・烘干・取悦・滋潤・終始万物のこれらの事に、誰が「六子」に及ぼうか。しかしそれらが各自単独で為せば化育を成さない。ゆえに必ず水火が互いに接済し、雷風が互いに違逆せず、山沢が気息を通じて、しかるのちに変化流行して万物を一々造成することができる。二者が相合すれば化があり、化あればすなわち神が見える。

項氏安世曰;動橈燥說潤盛,皆據後天分治之序,而相逮不相悖,通氣變化,復據先天相合之位者,明五氣順布,四季分王之時,無極之真,二五之精,所以妙合而凝者,未始有戾於先天之事也。

集説に項安世の言を引く:鼓動・吹撓・烘干・取悦・滋潤・盛大のこれらの字眼は、いずれも後天卦位に依って各々職守を分かつ次序に就いて言う。そして水火相逮・雷風不相悖・山沢通気のこれらの言は、また回頭して先天卦位の両々相合する方位に依って言う。これは明らかにするものである:五行の気が順次布散して四季が各々当旺するとき、あの無極の真体と陰陽五行の精華とが奇妙に凝合し得る所以は、いまだかつて先天卦位の顕示する道理に違わないことである。

又曰:澤不為潤而為“說”者,“潤”者,氣之溼而在內者也;“說”者,色之光而在外者也。澤氣上浮而光溢於外,故說而可愛,若潤物之功,淫液而深長,則唯水足以當之。

項安世がまたいう:沢は「潤」の字を用いず「説」の字を用いるのは、「潤」は湿気がうちに含むを指し、「説」は光色が外に顕れるを指すからである。沢の水気は上に浮び、光沢が外に満ち溢れるゆえに、欣悦愛でたきと顕れる。滋潤万物の浸漬滲透・綿長深入の功に至っては、ただ水のみがこれに当たる。

吳氏澄曰:此承上章文王卦位之後,而言六卦之用,不言乾坤者,乾坤主宰萬物之帝,行乎六子之中,所謂“神也者,妙萬物而為言者也”,萬物有跡可見,而神在其中,無跡可見,然神不離乎物也,即萬物之中而妙不可測者,神也,故曰“妙萬物”。

集説に呉澄の言を引く:この章は前の章の文王卦位を承けて、六卦の功用を講ずる。乾坤を提げないのは、乾坤はすなわち万物を主宰するあの「帝」であって、それは「六子」のうちに運行するもの、すなわちいわゆる「神也者、妙万物而為言者也」である。万物には見るべき形跡があるが、神は万物のうちに在りて見るべき形跡がない。しかし神は万物を離れず、万物のうちに在って奇妙にして測度し得ざるものが、すなわち神である。ゆえに「妙万物」という。

雷之所以動,風之所以橈,火之所以燥,澤之所以說,水之所以潤,艮之所以終始,皆乾坤之神也,動者發萌啟蟄震之出也,橈者吹拂長養,巽之齊也,燥者炎赫暴炙,離之相見也,說者欣懌充實,兌之說也,潤者滋液歸根,坎之勞也,終始者貞下起元,艮之成也。

雷が鼓動し得る所以、風が吹撓し得る所以、火が烘干し得る所以、沢が取悦し得る所以、水が滋潤し得る所以、艮が終わりて復た始め得る所以は、すべて乾坤の神が作用するものである。いわゆる動とは、萌芽が土を破り蟄虫が驚き起つこと、すなわち「帝出乎震」の出である。いわゆる撓とは、風が吹拂して養育すること、すなわち「斉乎巽」の斉である。いわゆる燥とは、烈日が炎炎と曝晒すること、すなわち「相見乎離」の相見である。いわゆる説とは、欣喜して充実すること、すなわち「説言乎兌」の悦である。いわゆる潤とは、津液が根本に帰ること、すなわち「労乎坎」の労である。いわゆる終始とは、「貞」尽きて「元」また起こること、すなわち「成言乎艮」の成である。

胡氏炳文曰:以上第三章第四章,言先天,第五章言後天,此第六章,則由後天而推先天者也,去乾坤而專言六子,以見神之所為,言神則乾坤在其中矣,雷之所以動,風之所以橈,以至艮之所以終所以始,後天之所以變化者,實由先天而來,先天水火相逮,以次陰陽之交合,後天雷動風橈,以次五行之變化,唯其交合之妙如此,然後變化之妙亦如此。

集説に胡炳文の言を引く:以上第三章・第四章が講ずるは先天卦位であり、第五章が講ずるは後天卦位である。この第六章は、後天より回推して先天に至るものである。乾坤を措いてもっぱら「六子」を講ずるは、神の作為を顕さんがためである。ひとたび神を提げれば、乾坤は自ずからそのうちに含まれる。雷が動き得る所以、風が撓げ得る所以、さらに艮が終わり得始め得る所以に至るまで、後天に種々の変化ある所以は、実はみな先天より来る。先天は水火相逮を言い、陰陽の如何に交合するかを排し、後天は雷動風撓を言い、五行の如何に変化するかを排す。まさに交合の妙がかくのごときゆえに、後の変化の妙もまたかくのごときである。

俞氏琰曰:物之方萌,“雷以動之”,萌而未舒,風以橈之,舒而尚柔,火以燥之,及其長也,澤以說其外,水以潤其內,既說且潤矣,於是“艮以止之”,止則終,終則復始,此“六子”各一其用,而其所以成萬物者如是也,乃若能變能化,畢成萬物,則又在乎兩相為用,“然後能變化既成萬物也”。

集説に俞琰の言を引く:万物がまさに萌発せんとするときは「雷以動之」であり、萌発していまだ舒展せざれば、風をもってこれを吹撓する。舒展していまだ柔弱なれば、火をもってこれを烘暖する。長成するに及んで、沢をもってその外を潤沢にして喜ばしめ、水をもってその内に滋潤を得せしめる。すでに欣悦しまた潤沢なれば、ここにおいて「艮以止之」。一たび止めばすなわち終結し、終結ののちまた重ねて開始する。これが「六子」が各々一つの功用を有し、それらが万物を成就する方式である。能く変じ能く化して万物を徹底的に造成するに至っては、また両々互いに用を為すに在る。ゆえに伝文は「然後能変化既成万物也」という。

粱氏寅曰:神,即帝也,帝吝神之體,神者帝之用,故主宰萬物者,帝也,所以“妙萬物”者,“帝”之神也。蔡氏清曰:如雷青於動,風青於橈,則滯於一隅,不得謂之妙,天地則役使六子,以造化乎萬物,而六子之伸縮變化,皆天地之為也,所以謂神當乾坤也,於此蓋可以驗合一不測之義,無在無不在之意,蓋神如君后,“六子”則六官之分職也,六官所施行皆帝后所主宰,然後六職交舉而治功成矣。

集説に梁寅の言を引く:神はすなわち帝である。帝は神の本体であり、神は帝の功用である(底本は「者」を「吝」と誤る)。ゆえに万物を主宰するを帝と呼び、「妙万物」し得るはすなわち帝の神である。集説にまた蔡清の言を引く:もし雷が鼓動のみを専らにし、風が吹撓のみを専らにすれば(底本は「専」を「青」と誤る)、それは一隅に滞留して妙と称するに足らない。天地は「六子」を役使して万物を造化せしめ、「六子」の伸縮変化はすべて天地が為している。ゆえに神は乾坤に帰すべきという。ここよりまさに「浑然合一而不可測度」の意、および神は在らざるところなきの意を印証し得る。神はたとえば君王のごとく、「六子」は六官が分掌する職務のごとし。六官の施行する一切はみな君王が主宰して、しかるのち六種の職務が交々に挙行され、治理の功がはじめて成就する。

案 此章合羲文卦位而總贊之,蓋變易之序,後天為著,而變易之理,先天為明,變易者化也,“動萬物”、“橈萬物”、“燥萬物”,“說萬物”、“潤萬物”、“終始萬物”者也,變易者神也,所以變變化化,道並行而不相悖,使物並育而不相害者也,化者造物之跡也,統乎地者也,故以其可見之功而謂之成,神者生物之心也,統乎天者也,故以其不測之機而謂之妙。

李光地が按ずる:この章は伏羲・文王の両套の卦位を合わせて総賛するものである。変易の次序は後天卦位において最も明らかに顕れ、変易の道理は先天卦位において最も明らかに講ぜられる。変易の一面を「化」と呼び、すなわち「動万物」「橈万物」「燥万物」「説万物」「潤万物」「終始万物」のこれらの事である。変易の他の一面を「神」と呼び、すなわち一切を変じ化させ、異なる道を併行して相い背かせず、万物を同時に生長して相い害せざらしめる力である。「化」は造物の残した痕跡であって地に帰属し、ゆえにその見るべき功效に就いて「成」と称す。「神」は物を生ずるあの心であって天に帰属し、ゆえにその測度し得ざる機括に就いて「妙」と称す。

説卦伝・第七章 八卦の性情

乾,健也;坤,順也;震,動也;巽,入也;坎,陷也;離,麗也;艮,止也;兌,說也。本義 此言八卦之性情。此第七章。集說 孔氏穎達曰:此一節說八卦名訓。乾象天,天體運轉不息,故為健;坤象地,地順承於天,故為順;震象雷,雷奮動萬物,故為動;巽象風,風行無所不入,故為入;坎象水,水處險陷,故為陷;離象火,火必著於物,故為麗;艮象山,山體靜止,故為止;兌象澤,澤潤萬物,故為說。

《説卦伝》の正文にいう:乾は剛健、坤は柔順、震は振動、巽は鑽入、坎は陥落、離は附麗、艮は静止、兌は欣悦である。朱熹《本義》にいう:ここに講ずるは八卦の性情である。以上は第七章。集説に孔穎達の言を引く:この一節は八卦名称の取義を釋する。乾は天を象り、天体は運転して已まないゆえに健を義に取る。坤は地を象り、地は天に順承するゆえに順を義に取る。震は雷を象り、雷は奮起して万物を振動するゆえに動を義に取る。巽は風を象り、風は至るところ入らざる孔なしゆえに入を義に取る。坎は水を象り、水はつねに険陷の地に処るゆえに陥を義に取る。離は火を象り、火は必ず他の物に附着するゆえに麗を義に取る。艮は山を象り、山の形体は安静にして動かざるゆえに止を義に取る。兌は沢を象り、沢は万物を潤沢し得るゆえに説を義に取る。

邵子曰:乾,奇也,陽也,健也,故天下之健莫如天;坤,偶也,陰也,順也,故天下之順莫如地,所以順天也;震,起也,一陽起也,起,動也,故天下之動莫如雷;“坎,陷也”,一陽陷於二陰,陷,下也,故天下之下莫如水:“艮,止也”,一陽於是而止也,故天下之止莫如山;“巽,入也”,一陰入二陽之下,故天下之入莫如風;“離,麗也”,一陽麗於二陽,其卦錯然成文而華麗也,天下之麗莫如火,故又為附麗之麗;“兌,說也”,一陰出於外而說於物,故天下之說莫如澤。

集説に邵雍の言を引く:乾は奇数で陽に属し、性質は剛健である。ゆえに天下の最も剛健なるは天に過ぎない。坤は偶数で陰に属し、性質は柔順である。ゆえに天下の最も柔順なるは地に過ぎない。地はまさに天に順従するものである。震は起である。一つの陽爻が初めて起こり、起とはすなわち動である。ゆえに天下の最も能く動くは雷に過ぎない。「坎陥也」とは、一つの陽爻が二つの陰爻のあいだに陥落し、陥とはすなわち下ることである。ゆえに天下の最も低下なるは水に過ぎない。「艮止也」とは、一つの陽爻がここに至って止まる。ゆえに天下の最も能く止まるは山に過ぎない。「巽入也」とは、一つの陰爻が二つの陽爻の下に鑽入する。ゆえに天下の最も能く入るは風に過ぎない。「離麗也」とは、一つの陰爻が二つの陽爻のあいだに附麗し(底本は「一陰」を「一陽」と誤る)、卦画が交錯して紋を成して華麗に顕れる。天下の最も華麗なるは火に過ぎない。ゆえにまた附麗の麗に引申する。「兌説也」とは、一つの陰爻が外に露れて万物の喜びを討つ。ゆえに天下の最も人を欣悦せしめるは沢に過ぎない。

張子曰:陽陷於陰為水,附於陰為火。又曰:一陷溺而不得出為坎,一附麗而不能去為離。《朱子語類》云:以通神明之德,以類萬物之情,盡於八卦,而震巽坎離艮兌,又總於乾坤,曰“動”曰“陷”曰“止”,皆健底意思,曰“入”曰“麗”曰“說”,皆順底意思,聖人下此八字,極狀得八卦性情盡。

集説に張載の言を引く:陽が陰のうちに陥れば水となり、陽が陰の上に附すれば火となる。張載がまたいう:一つの陽爻がそのうちに陥溺して出られなければすなわち坎、一つの陽爻がその上に附麗して離れなければすなわち離。集説にまた《朱子語類》を引いていう:神明の徳性を貫通し万物の情状を比擬するに用いるは、みな八卦のうちに尽きている。そして震・巽・坎・離・艮・兌の六卦は、また総べて乾坤両卦に帰する。「動」といい「陥」といい「止」というは、みな健の意を帯びる。「入」といい「麗」といい「説」というは、みな順の意を帯びる。聖人がこの八字を下して、八卦の性情を形容して淋漓尽致である。

項氏安世曰:健者始於動而終於止,順者始於入而終於說,陽之動,志於得所止,陰之入,志於得所說。蔡氏清曰:自震而艮者,剛之由動而靜也,自巽而兌者,陰之由靜而動也,坎離在中間,坎則自動而向於靜也,離則自靜而向於動也。

集説に項安世の言を引く:健に属する一系は、震の動より始まり艮の止に終わる。順に属する一系は、巽の入より始まり兌の悦に終わる。陽の動は、その志は安止すべきところを得るに在る。陰の入は、その志は欣悦すべきところを得るに在る。集説にまた蔡清の言を引く:震より艮に至るは、剛が動より静に轉ずるである。巽より兌に至るは、陰が静より動に轉ずるである。坎離はあいだに挟まり、坎は動より静に走り、離は静より動に走る。

案 八卦以卦畫定名義在先,取象於雷風山澤等在後,孔氏之說,固不如邵子之說矣,然邵子說三陽卦,則既得之,其說三陰卦,以巽為陰入於陽,離為陰附於陽,則似未合經義蓋陰在內。陽必入而散之,陰在中,陽必附而散之,入與麗皆陽也,特以先有 乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兌為羊。

李光地が按ずる:八卦はまず卦画により名義を定めてのち、はじめて雷・風・山・沢などの物象を取りてこれに配する。ゆえに孔穎達の講法は確かに邵雍の講法に及ばない。ただ邵雍が三つの陽卦を解説するはすでに正しく講じたが、三つの陰卦を解説するに、巽を陰の陽に入ると見、離を陰の陽に附すると見るは、どうやら経義に合わない。陰が内にあれば、陽は必ず入ってこれを散らさなければならず、陰が中にあれば、陽は必ず附してこれを散らさなければならないからである。これにより「入」と「麗」はいずれも陽の作為を言うものであり、ただ先に……(底本はここに脱文があり、按語は未完、以下は第八章の伝文に接続する。)《説卦伝》の正文にいう:乾は象を馬に取り、坤は象を牛に取り、震は象を龍に取り、巽は象を鶏に取り、坎は象を豚に取り、離は象を雉に取り、艮は象を狗に取り、兌は象を羊に取る。

説卦伝・第八章 遠取諸物

本義 遠取諸物如此。此第八章。集說 孔氏穎達曰:此一節略明遠取諸物也,乾象天,天行健,故為馬;坤象地,任重而順,故為牛;震動象,龍動物故為龍;巽主號令,雞能知時,故為雞;坎主水瀆,豕處汙溼,故為豕;離為文明,雉有文章,故為雉;艮為靜止,狗能善守,禁止外人,故為狗;兌說也。王廙云,羊者順之畜,故為羊也。

朱熹《本義》にいう:遠く万物の身より象を取るとは、このようである。以上は第八章。集説に孔穎達の言を引く:この一節は大畧、遠く万物より象を取るを講ずる。乾は天を象り、天の運行は剛健息まざるゆえに馬を取る。坤は地を象り、負重して柔順なり得るゆえに牛を取る。震には振動の象があり、龍は善く動く動物ゆえに龍を取る。巽は号令を主管し、鶏は能く時を報ずるゆえに鶏を取る。坎は水溝河渠を主管し、豚はつねに汚湿の地に処るゆえに豚を取る。離は文彩光明を取り、雉の身に花紋あるゆえに雉を取る。艮は安静停止を取り、狗は善く看守して外人を攔阻するゆえに狗を取る。兌は欣悦であり、王廙がいう、羊は性情柔順の牲畜ゆえに羊を取る。

項氏安世曰:健者為馬,順者為牛,善動者為龍,善伏者為雞,質躁而外汙者為豕,質野而外明者為雉,前剛而止物者為狗,內很而外說者為羊。又曰:造化權輿云,乾陽物也,馬故蹄園,坤陰物也,牛故蹄折,陽病則陰,故馬疾則臥,陰病則陽,故牛疾則立,馬陽物,故起無前足,臥先後足,牛陰物,故起先後足,臥先前足。

集説に項安世の言を引く:剛健なるは馬を取り、柔順なるは牛を取り、善く走動するは龍を取り、善く伏窩するは鶏を取り、性が躁にして外表が臓汚なるは豚を取り、本性が野にして羽毛鮮明なるは雉を取り、前身剛強にして物を攔住し得るは狗を取り、内裏は執拗にして外表和悦なるは羊を取る。項安世がまたいう:《造化権輿》に講じるに、乾は陽物ゆえに馬蹄は円く、坤は陰物ゆえに牛蹄は二瓣に分かれる。陽は病あればすなわち陰に轉ずるゆえに、馬は病すれば便ち卧倒し、陰は病あればすなわち陽に轉ずるゆえに、牛は病すればかえって立つ。馬は陽に属するゆえに、身を起こすとき先に前足を用いず、卧するとき先に後足を屈す。牛は陰に属するゆえに、身を起こすとき先に後足を用い、卧するとき先に前足を屈す。

説卦伝・第九章 近取諸身

乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。本義 近取諸身如此。此第九章。集說 孔氏穎達曰:此一節略明近取諸身也,乾尊而在上,故為“首”。坤能包藏含容,故為“腹”。足能動用,故“震為足”也。股隨於足,則巽顧之謂,故“巽為股”也。坎北方之卦主聽,故“為耳”也。離南方之卦主視,故“為目”也。艮既為止,手亦能止持其物,故“為手”也。兌主言語,故“為口”也。

《説卦伝》の正文にいう:乾は象を首に取り、坤は象を腹に取り、震は象を足に取り、巽は象を股に取り、坎は象を耳に取り、離は象を目に取り、艮は象を手に取り、兌は象を口に取る。朱熹《本義》にいう:近く人の身より象を取るとは、このようである。以上は第九章。集説に孔穎達の言を引く:この一節は大畧、近く人身より象を取るを講ずる。乾は尊貴にして上に居るゆえに「首」を取る。坤は能く包裹含容するゆえに「腹」を取る。足は能く活動使用するゆえに「震為足」。大腿は足に随って走り、まさに巽の順随の意に合すゆえに「巽為股」。坎は北方の卦で聴覚を主管するゆえに「耳」を取る。離は南方の卦で視覚を主管するゆえに「目」を取る。艮はすでに止を義に取り、手もまた物を止め握定し得るゆえに「手」を取る。兌は言語を主管するゆえに「口」を取る。

龔氏原曰:其外園,諸陽之所聚者,首也,其中寬,眾陰之所藏者,腹也,足則在下而善動,股則從上而善隨,耳則內陽而聰,目則外陰而明,在上而止者乎也,在外而說者口也。餘氏芑舒曰:首以君之,腹以藏之,足履於下為動,手持於上為止,股下歧而伏,口上竅而見,耳外虛,目內虛,各以反對也。案 諸儒說股義,唯餘氏得之,蓋股者陰所伏也。

集説に龔原の言を引く:外形が円渾にして衆陽の聚まるは首、中間が寛大にして衆陰の蔵するは腹、足は下に在りて善く走動し、大腿は上に随い善く順従し、耳のうちは陽にしてゆえに聴くこと聡く、目の外は陰にしてゆえに視ること明らかに、上に在って物を止め得るは手(底本は「手」を「乎」と誤る)、外に在って和悦を顕すは口である。集説にまた余芑舒の言を引く:首は一身に君臨するに用い、腹は一身を蔵納するに用いる。足は下に踏むゆえに動に属し、手は上に持つゆえに止に属する。大腿は下に分岔して隠伏し、口は上に孔を開いて顕露する。耳は外虚、目は内虚にして、みな両々相反して相対す。李光地が按ずる:諸儒が「巽為股」の道理を釋するに、ただ余芑舒のみが正しく講じた。大腿はまさに陰の隠伏する所だからである。

説卦伝・第十章 乾は父と称し、坤は母と称す

乾,天也,故稱乎父。坤,地也,故稱乎母。震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女。坎再索而得男,故謂之加中男;離再索而得女,故謂之中女。艮三索而得男,故謂之少男。兌三索而得女,故謂之少女。者,以其畫之次序言也。

《説卦伝》の正文にいう:乾はすなわち天である。ゆえにこれを父と称す。坤はすなわち地である。ゆえにこれを母と称す。震は一度索めて男を得る。ゆえに長男と呼ぶ。巽は一度索めて女を得る。ゆえに長女と呼ぶ。坎は二度索めて男を得る。ゆえに中男と呼ぶ(底本は「中男」の上に「加」の一字を衍す)。離は二度索めて女を得る。ゆえに中女と呼ぶ。艮は三度索めて男を得る。ゆえに少男と呼ぶ。兌は三度索めて女を得る。ゆえに少女と呼ぶ。……これは卦画の下より上への次序に就いて言ったものである。(底本はこの句の上截が脱けて下半のみが残る。)

又云:一索再索之說,初間畫卦時也不恁地,只是畫成八卦後,便見有此象耳。項氏安世曰:乾坤“六子”,初為氣,末為形,中為精,雷風氣也,山澤形也,水火精也。

《朱子語類》にまたいう:いわゆる一索・再索・三索の講法は、当初卦を画くとき、実はあのように一步步に求取したのではなく、ただ八卦が画成したのちに、はじめてこの一層の象があることを見出したに過ぎない。集説に項安世の言を引く:乾坤の生ずる「六子」において、初爻は気を主とし、上爻は形を主とし、中爻は精を主とする。雷と風は気に属し、山と沢は形に属し、水と火は精に属する。

吳氏澄曰:萬物資始於天,猶子之氣始於父也,資生於地,猶子之形生於母也,故“乾稱父,坤稱母”。索,求而取之也。坤交於乾,求取乾之初畫中畫上畫,而得長中少三男,乾交於坤,求取坤之初畫中畫上畫,而得長中少三女。“一索”,謂交初。“再索”,謂交中。“三索”,謂交上。以索之先後,為長中少之次也。

集説に呉澄の言を引く:万物は天に憑って始まり、児女の気禀が父に始まるがごとく、地に憑って生成し、児女の形体が母に生ずるがごとし。ゆえに「乾称父、坤称母」という。「索」とは求取の意である。坤が往きて乾と交合し、乾の初爻・中爻・上爻を求取すれば、長男・中男・少男を得る。乾が往きて坤と交合し、坤の初爻・中爻・上爻を求取すれば、長女・中女・少女を得る。「一索」は初爻に交わること、「再索」は中爻に交わること、「三索」は上爻に交わることである。求索の先後に按って、長・中・少の次第を定める。

胡氏炳文曰:此章本義,乃朱子未改正之筆,當以語錄說為正,若專言揲蓍求卦,則無復此卦序矣。俞氏琰曰:“一索”、“再索”、“三索”,蓋以三畫自下而上之次序言。稱者,尊之之辭。謂者,卑之之辭。

集説に胡炳文の言を引く:この章の《本義》は、朱熹がいまだ改定せざる筆墨であり、まさに《朱子語類》に記された説をもって準とすべきである。もし専ら「索」を揲蓍求卦と講じれば、もはやこのような卦序を排することができない。集説にまた俞琰の言を引く:「一索」「再索」「三索」とは、大抵三画の下より上への次序に就いて言う。乾坤に対して「称」の字を用いるは尊崇の口気であり、六子に対して「謂」の字を用いるは卑降の口気である。

案 以上四章,皆言八卦之德之象,而健順動入陷麗止說諸德,則名卦之義,易理之根也,不言雷風山澤諸象者,為前圖位中已具。乾求坤坤求乾之說,當從吳氏,《朱子語類》記錄偶誤。

李光地が按ずる:以上の四章が講ずるはすべて八卦の徳性と物象であり、健・順・動・入・陥・麗・止・説のこれらの徳性は、まさに卦を命名する拠据であり、また《易》理の根柢である。ここに再び雷・風・山・沢の物象を列挙しないのは、前に卦位を講じた両図のうちにすでに備えられているからである。乾が坤に求め坤が乾に求めるという説に至っては、呉澄に依るべきであり、《朱子語類》に記されたこの一条は偶々誤っている。

説卦伝・第十一章 広八卦之象

乾為天,為環,為君,為父,為玉,為金,為寒,為冰,為大赤,為良馬,為老馬,為瘠馬,為駁馬,為木果。本義 《荀九家》此下有為龍,為直,為衣,為言。

《説卦伝》の正文にいう:乾は象を天に取り、圜に取り(底本は「圜」を「環」と誤る)、君に取り、父に取り、玉に取り、金に取り、寒に取り、氷に取り、大赤色に取り、良馬に取り、老馬に取り、瘠馬に取り、駮馬に取り、木の果実に取る。朱熹《本義》にいう:荀爽の輯した《九家易》はこの一串の下にさらに「為龍、為直、為衣、為言」の四項がある。

集說 孔氏穎達曰:此一節廣明乾象。乾既為人,大動運轉,故為“環”,“為君為父”,取其尊道而為萬物之始也;“為玉為金”,取其剛之清明也;“為寒為冰”,取其西北寒冰之地也;“為大赤”,取其盛陽之色也;“為良馬”取其行健之善也;“老馬”,取其行健之久也;“瘠馬”,取具行健之其;瘠馬,骨多也;“駁馬”有牙如鋸,能食虎豹,取其至健也;“為木果”,取其果實著木,有似星之著天也。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は乾の取象を推し広げたものである。乾はすでに天を象り(底本は「天」を「人」と誤る)、天体は広大にして運転息まずゆえに「圜」を取る。「為君為父」はその地位の尊貴にしてまた万物の開端なるを取る。「為玉為金」はその剛硬にして清明なるを取る。「為寒為氷」はその西北の寒冷にして氷結する所に居るを取る。「為大赤」は陽気の極盛なるときの色を取る。「為良馬」はその運行剛健にして善く走るを取る。「老馬」はその運行剛健にして持久するを取る。「瘠馬」はその運行剛健の甚だしきを取り(底本はこの句に訛字あり)、瘠馬はまさに骨の突出した馬である。「駮馬」は歯が鋸のごとくにして虎豹を食らい得る。これは剛健の極に至るを取る。「為木果」は果実が木に結び、星辰が天に綴るがごときを取る。

邵子曰:木結實而種之,又成是木而結是實,木非舊木也,此木之神不二也,此實生生之理也。郭氏雍曰:“果”者“木”之始也,“木”以“果”為始,猶物以乾為始也。程氏迥曰:“為環”,天之體也;“為君”居上而覆下也;“為玉”,德粹也;“為金”,堅剛也;“為寒”,位西北也;“為冰”,寒之凝也;“為木果”,以實承實也。《朱子語類》云;卦象指文王卦言,所以乾言為寒為冰。

集説に邵雍の言を引く:樹木が果実を結び、果実を種えればまた同じ樹に長じて同じ果を結ぶ。この樹はすでにもとの一棵ではないが、この樹の神理は終始如一である。これがまさに果実の生生して已まざる道理である。集説にまた郭雍の言を引く:「果」は「木」の起点であり、樹が果実をもって開端とするは、万物が乾をもって開端とするに同じ。集説にまた程迥の言を引く:「為圜」は天体の渾円を取る。「為君」はその上に居って下面を覆うを取る。「為玉」はその徳性の純粋を取る。「為金」はその堅硬剛強を取る。「為寒」はその方位が西北にあるを取る。「為氷」は寒気の凝結を取る。「為木果」は果実が一代一代と承続するを取る。集説にまた《朱子語類》を引いていう:これらの卦象は文王の後天卦位に就いて言うもので、ゆえに乾に「為寒」「為氷」の取象があるのである。

坤為地,為母,為布,為釜,為吝嗇,為均,為子母牛,為大輿,為文,為眾,為柄,其於地也為黑。集說 孔氏穎達曰:此一節,廣明坤象。坤既為地,地受任生育,故“為毋也”;“為布”,取其廣載也;“為釜”,取其化生成熟也:“為吝牆”,取其生物不轉移也;“為均”,地道平均也;“為子母牛”,取其多蕃育而順之也;“為大輿”,取其載萬物也;“為文”,取其萬物之色雜也;“為眾”,取其載物非一也;“為柄”,取其生物之本也;“為黑”,取其極陰之色也。

《説卦伝》の正文にいう:坤は象を地に取り、母に取り、布に取り、釜に取り、吝嗇に取り、均平に取り、子牛を帯びる母牛に取り、大車に取り、文彩に取り、衆多に取り、器物の把柄に取り、土地に就いては黒色に取る。集説に孔穎達の言を引く:この一節は坤の取象を推し広げたものである。坤はすでに地を象り、大地は生養の職責を担うゆえに「母」を取る。「為布」はその広博に一切を承載するを取る。「為釜」はその万物を化生して成熟せしめ得るを取る。「為吝嗇」はその万物を生養して本位を安守して遷移せざるを取る。「為均」は地道の平正均一を取る。「為子母牛」はその繁育衆多にしてまた柔順なるを取る。「為大輿」はその万物を載運し得るを取る。「為文」は万物の顔色が錯雑して紋を成すを取る。「為衆」はその載する物が一種に止まらざるを取る。「為柄」はそれが万物を生養する根本なるを取る。「為黒」は陰気の極に至る色を取る。

崔氏憬曰:遍佈萬物於致養,故“坤為布”,地生萬物,不擇美惡,故“為均”也,萬物依之為本,故“為柄”。項氏安世曰:“吝嗇”其靜之翕,均其動之闢也,乾質故坤文,乾一故坤眾。

集説に崔憬の言を引く:大地は万物を遍布して養育するゆえに「坤為布」。大地は万物を生養して美きも醜きも揀択せざるゆえに「為均」。万物はみなそれを憑って根本となすゆえに「為柄」。集説にまた項安世の言を引く:「吝嗇」は坤の静時の収斂閉合であり、「均」は坤の動時の舒張開闢である。乾は質朴無華ゆえに坤ははじめて文彩を顕し、乾は浑然として一ゆえに坤ははじめて衆多を顕す。

震為雷,為龍,為玄黃,為旉,為大塗,為長子,為決躁,為蒼筤竹,為萑葦,其於馬也,為善鳴,為馵足,為作足,為的顙,其於稼也,為反生,其究為健,為蕃鮮。本義 《荀九家》有為玉、為鵠、為鼓。集說 虞氏翻曰:“天玄地黃”,震天地之雜,故為“玄黃”。

《説卦伝》の正文にいう:震は象を雷に取り、龍に取り、青黄相雑の色に取り、花朵の初放に取り、大路に取り、長子に取り、決断急躁に取り、青嫩の竹に取り、荻と蘆葦に取る。馬に就いては、善く嘶鳴する馬、後足に白毛ある馬、四足を併せ挙げて奔走する馬、額に白点ある馬に象を取る。庄稼に就いては、殻を頂いて倒生する芽に象を取る。それを推極めればすなわち剛健となり、また草木の繁盛鮮明に象を取る。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為玉、為鵠、為鼓」の三項がある。集説に虞翻の言を引く:《坤・文言》に「天玄而地黄」という。震は天地の気が交雑して成るゆえに「玄黄」に象を取る。

孔氏穎達曰:此一節廣明震象。“為玄黃”,取其相雜而成蒼色也;“為敷”,取其春時氣至;草木皆吐,敷布而生也;“為大塗”,取其萬物之所生也;“為長子”,震為長子也;“為決躁”,取其剛動也;“為蒼筤竹”,竹初生色蒼也;“為萑葦”,竹之類也;“其於馬也”,為善明,取雷聲之遠聞也;“為馵足”,馬後足自為馵,取其動而見也;“為作足”,取其動而行健也;“為的顙”,白額為的顙,亦取動而見也;“其於稼也,為反生”,取其始生戴甲而出也。“其究為健”,極於震動則為健也;“為蕃鮮”,取其春時草木蕃育而鮮明。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は震の取象を推し広げたものである。「為玄黄」は天玄地黄の両色が相雑じて青色を成すを取る。「為敷」は春の節気が一至れば草木がみな芽を吐き、鋪展して生長するを取る。「為大塗」はそれが万物の生発して出る通路なるを取る。「為長子」は震はもとより長男である。「為決躁」はその剛強にして動を好むを取る。「為蒼筤竹」は竹の初生のとき色が青いを取る。「為萑葦」は蘆荻が竹と同類である。「其于馬也為善鳴」(底本は「鳴」を「明」と誤る)は雷の声が遥かに伝わるを取る。「為馵足」は馬の後足に白色あるを馵と呼び、一動すれば顕眼なるを取る。「為作足」は足を挙げて行くこと剛健有力なるを取る。「為的顙」は額に白点あるを的顙と呼び、これもまた一動すれば顕眼なるを取る。「其于稼也為反生」は種子が剛に生ずるとき殻を頂いて鑽り出るを取る。「其究為健」は震動が極処に至れば剛健に轉ずるをいう。「為蕃鮮」は春に草木が繁茂して生長し鮮亮なるを取る。

俞氏琰曰:陽長而不已,則其窮為乾之健,三爻俱變則為巽,故“為蕃鮮”。蔡氏清曰:凡嫁之始生,皆為“反生”,蓋以其初間生意實從種子中出,而下著地以為根,然後種中萌芽乃自舉。

集説に俞琰の言を引く:陽気が増長して止まらず、推し尽くせばすなわち乾の剛健となる。震卦の三爻が全変すればすなわち巽となる。ゆえにまた「蕃鮮」に象を取る。集説にまた蔡清の言を引く:およそ庄稼が剛に萌生するときはみな「反生」と呼ぶ(底本は「稼」を「嫁」と誤る)。最初のあの生意は実は種子のうちより冒し出て、まず下に泥に扎り込んで根を作り、しかるのち種子中の芽が自ら頂き起こるからである。

巽為木,為風,為長女,為繩直,為工,為白,為長,為高,為進退,為不果,為臭,其於人也,為寡髮,為廣顙,為多白眼,為近利市三倍,其究為躁卦。本義 《荀九家》有為楊為鸛。集說 翟氏玄曰:“為繩直”,上二陽其正一陰,使不得邪僻,如繩之直也。

《説卦伝》の正文にいう:巽は象を木に取り、風に取り、長女に取り、墨縄の直に取り、工匠に取り、白色に取り、長に取り、高に取り、進退不定に取り、猶豫不決に取り、気味に取る。人に就いては、頭髪稀少、額頭寛闊、眼白偏多に象を取る。または商売を為して三倍の利を得る。それを推極めればすなわち躁動の卦となる。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為楊、為鸛」の二項がある。集説に翟玄の言を引く:「為縄直」とは、上の二つの陽爻が下のあの陰爻を端正して偏らせず、墨縄のごとく筆直である。

孔氏穎達曰:此一節廣明巽象。巽為木,木可以輮曲直,巽順之謂也;“為繩直”,取其號令齊物也;“為工”,亦取繩直之類;“為白”,取其潔也:“為長”,取其風行之遠也;“為高”,取其木生而上也;“為進退”,取其風性前卻;“為不果”,亦進遲之義也;“為臭”,取其風所發也;“為寡髮”,風落樹之華葉,則在樹者稀疏,如人之少發;“為廣顙”,額闊發寡少之義;“為多白眼”,取躁人之眼,其色多白也;“為近利”,取躁人 其風之勢極於躁急也。項氏安世曰:繩直其齊,白其潔也。案 “寡髮”、“廣顙”、“多白眼”,皆取潔義,今人之額闊少寒毛而眸子清明者,皆潔者也。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は巽の取象を推し広げたものである。巽は木を為す。木頭は揉み曲げることも引き直すこともでき、まさに巽の順従の意に合する。「為縄直」はその号令を発して万物を斉整し得るを取る。「為工」もまた墨縄より直を取るの類いより引申したものである。「為白」はその潔浄を取る。「為長」は風の吹き行くこと遠きを取る。「為高」は樹木の向上して生長するを取る。「為進退」は風の性の忽ち進み忽ち退くを取る。「為不果」もまた前進が遅疑する意である。「為臭」は気味が風により散発するを取る。「為寡髪」は風が樹上の花葉を吹き落とせば樹上に留まるが稀疎となり、人の頭髪の少なきに譬える。「為広顙」はすなわち額が寛くして頭髪少なきの意である。「為多白眼」は性の躁急なる人の眼中に白多きを取る。「為近利」は性の躁急なる人が財利を貪求するを取る。(底本はこの下に脱文あり。)「其究為躁卦」は風勢が極処に至ればすなわち躁急となるをいう。集説にまた項安世の言を引く:縄直はその斉整を取り、白はその潔浄を取る。李光地が按ずる:「寡髪」「広顙」「多白眼」は、取るところみな潔浄の義である。今、額頭が寛闊にして汗毛稀少にして眼珠清明なる人を見れば、みな潔浄の類いに属する。

坎為水,為溝瀆,為隱伏,為矯輮,為弓輪,其於人也為加憂,為心病,為耳痛,為血卦,為赤,其於馬也為美脊,為亟心,為下首,為薄蹄,為曳,其於輿也為多眚,為通,為月,為盜,其於木也,為堅多心。本義 《荀九家》有為宮,為律,為可,為棟,為叢棘,為狐,為蒺藜,為桎梏。

《説卦伝》の正文にいう:坎は象を水に取り、溝渠に取り、隠藏潜伏に取り、矯直と揉曲に取り、弓と車輪に取る。人に就いては、憂慮加重、心病、耳痛、出血の卦、紅色に象を取る。馬に就いては、脊背の美しき馬、性の急なる馬、頭を垂れたる馬、蹄の薄き馬、腿を拖いて走る馬に象を取る。車に就いては、つねに毛病を出す、通行、月、盗賊に象を取る。樹木に就いては、質地堅硬にして髄心多きに象を取る。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為宮、為律、為可、為棟、為叢棘、為狐、為蒺藜、為桎梏」の八項がある。

集說 宋氏衷曰:曲者更直為矯,直者更曲為輮,水流有曲直,故為“矯輮”,“為美脊”,陽在中央,馬脊之象也。孔氏穎達曰:此一節廣明坎象。“坎為水”,取其北方之行也;“為溝瀆”,取其水行無所不通也;“為隱伏”,取其水藏地中也;“為輮矯,使曲者直為矯,使直者曲為輮,水流曲直,故為“矯輮”也;“為弓輪”,弓者激矢如水激射也,輪者運行如水行也;“為加憂”,取其憂險難也;“為心病”,憂險難故心病也;“為耳痛”,坎為勞卦,聽勞則耳痛也;“為血卦”,人之有血,猶地有水也;“為赤”,亦取血之色;

集説に宋衷の言を引く:曲がったを直くするを矯と呼び、直きを曲げるを揉と呼ぶ。水流は曲あり直ありゆえに「矯輮」に象を取る。「為美脊」とは、陽爻が中に居り、馬背の脊梁の形象のごとし。集説にまた孔穎達の言を引く:この一節は坎の取象を推し広げたものである。「坎為水」は水が北方の五行に属するを取る。「為溝瀆」は水流に通ぜざる所なきを取る。「為隠伏」は水が地下に潜蔵するを取る。「為矯輮」は曲がったを直くするを矯と呼び、直きを曲げるを揉と呼び、水流に曲直あるゆえに「矯輮」を取る。「為弓輪」は弓は能く箭を激射して水の激射のごとく、車輪は轉動運行して水の流行のごとし。「為加憂」はその憂慮険難を取る。「為心病」は憂慮険難により心病を生ず。「為耳痛」は坎は労倦の卦で、聴きて労累すれば耳便ち疼く。「為血卦」は人の身に血あるは大地に水あるがごとし。「為赤」もまた血の色を取る。

“其於馬也,為美脊”,取其陽在中也;“為亟心”,亟,急也,取其中堅內動也;“為下首”,取其水流向下也;“為薄蹄”,取水流迫地而行也;“為曳”,取水磨地而行也;“其於輿也,為多眚”,取其表裡有陰,力弱不能重載也;“為通”,取行有孔穴也;“為月”,月是水之精也;“為盜”,取水行潛竊也;“其於木也,為堅多心”,取剛在內也。

「其于馬也為美脊」は陽爻が中に居りて脊骨のごときを取る。「為亟心」は亟はすなわち急であり、その中爻の剛実にして内裏躁動するを取る。「為下首」は水がつねに下に向かって流るるを取る。「為薄蹄」は水が地面に貼りて奔流するを取る。「為曳」は水が地面を擦りて拖行するを取る。「其于輿也為多眚」は車の表裏がみな陰爻で、力弱くして重物を載せ得ず、ゆえに常に毛病を出すを取る。「為通」は水流に必ず孔穴あって通ずるを取る。「為月」は月は水の精華である。「為盗」は水が暗に潜行して偷窃のごときを取る。「其于木也為堅多心」は陽剛が内に在り、ゆえに木質が堅硬にして髄心多きを取る。

鄭氏正夫曰:血在形,如水在天地間,故為“血卦。”蔡氏清曰:日火外影也,金水內影也,月是金水之精,何獨外影,曰,月體亦內影,坎象也,得日之光以為光,故兼外影耳,凡金與水得日之光,亦光輝外射也。

集説に鄭正夫の言を引く:血は人の形体のうちに在り、水が天地のあいだに在るがごとし。ゆえに坎は「為血卦」。集説にまた蔡清の言を引く:太陽と火は外に向かって光を発し、金と水は内に向かって光を含む。月は金水の精華で、なぜ偏に外に向かって光を発するのか。答えていう:月の本体もまた内に向かって光を含むに属し、これがまさに坎の象である。それが日光を借りてはじめて光あるゆえに、兼ねて外に向かって光を発するに過ぎない。およそ金と水は日光の照射を受ければ、同じく光輝四射する。

案 坎以習險取“勞”義,故“加憂”、“心病”、“耳痛”者,人之勞也。“亟心”、“下首”、“薄蹄”、“曳”者,馬之勞也。多眚者,車之勞也。凡馬勞極,則心亟而屢下其首,蹄薄而足曳,皆歷險之甚所致也。

李光地が按ずる:坎は反復して険難を経歴するにより「労」の意を取る。ゆえに「加憂」「心病」「耳痛」は人の労倦を言い、「亟心」「下首」「薄蹄」「曳」は馬の労倦を言い、「多眚」は車の労損を言う。およそ馬が疲労して極まれば、心は急に跳ねて頭を垂れて已まず、蹄は磨薄して両腿を拖いて走る。これらはみな険を歴ること過度なるが為すところである。

離為火,為日,為電,為中女,為甲冑,為戈兵,其於人也,為大腹,為乾卦,為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為龜,其於木也,為科上搞。本義 《荀九家》有:為牝牛。

《説卦伝》の正文にいう:離は象を火に取り、太陽に取り、閃電に取り、中女に取り、鎧甲頭盔に取り、戈矛兵器に取る。人に就いては、大きな腹に象を取る。また乾燥の卦と為り、鼈、蟹、螺、蚌、亀に象を取る。樹木に就いては、中間が空にして上端が枯槁するに象を取る(底本は「槁」を「搞」と誤る)。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為牝牛」の一項がある。

集說 孔氏穎達曰:此一節廣明離象。“離為火”,取南方之行也;“為日”,日是火精也;“為電”,火之類也;“為中女”,離為中女:“為甲冑”,取其剛在外也:“為戈兵”,取其以剛自捍也;“其於人也,為大腹”,取其懷陰氣也; ”為乾卦”,取其日所烜也;“為鱉,為蟹,為蠃,為蚌,為龜”皆取剛在外也;“其於木也,為科上槁”。科,空也。陰在內為空,木既空中,上必枯槁也。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は離の取象を推し広げたものである。「離為火」は火が南方の五行に属するを取る。「為日」は太陽が火の精華である。「為電」は閃電が火と同類である。「為中女」は離はもとより中女である。「為甲胄」は陽剛が外に包むを取る。「為戈兵」は剛硬の兵器を用いて己を保衛するを取る。「其于人也為大腹」はその中爻が陰にして、腹中に陰気を懐いて鼓起するがごときを取る。「為乾卦」は太陽に晒されて乾燥するを取る。「為鼈、為蟹、為蠃、為蚌、為亀」は、みな甲殻の剛硬にして外に包むを取る。「其于木也為科上槁」――科とはすなわち空であり、陰爻が中間に在ればすなわち空、樹木がすでに中間空なれば上端は必ず枯槁する。

艮為山,為徑路,為小石,為門闕,為果藤,為閽寺,為指,為狗,為鼠,為黔喙之屬,其於木也,為堅多節。本義 《荀九家》有為鼻,為虎,為狐。集說 宋氏衷曰:閽人主門,寺人主巷,艮為止,此職皆掌禁止者也。虞氏翻曰:“為山”,故為徑路也。艮手,故“為指”。陽剛在上,故“堅多節”。

《説卦伝》の正文にいう:艮は象を山に取り、小路に取り、小石に取り、門闕に取り、草木の果実に取り(底本は「蓏」を「藤」と誤る)、門を守る閽人と内廷の寺人に取り、手指に取り、狗に取り、鼠に取り、喙嘴の黒き禽獣の類いに取る。樹木に就いては、質地堅硬にして節疤多きに象を取る。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為鼻、為虎、為狐」の三項がある。集説に宋衷の言を引く:閽人は宮門を掌管し、寺人は内巷を掌管す。艮の意は止であり、この二種の職務はみな出入の禁止を執掌する。集説にまた虞翻の言を引く:艮はすでに「為山」ゆえにまた山中の小路を取る。艮は手を象るゆえに手指を取る。陽剛が上位に居るゆえに「堅多節」を取る。

孔氏穎達曰:此一節廣明艮象。“艮為山”,取陰在下為止,陽在上為高,故艮象山也;“為徑路”,取其山路有澗道也;“為小石”,取其艮為山,義為陽卦之小者也;“為門闕”,取其崇高也;“為果蓏”,木實為果,草實為蓏,取其出於山谷之中也,“為閽寺”,取其禁止人也;“為指”,取其執止物也;“為狗”,“為鼠”,取其皆止人家也;“為黔喙之屬”,取其山居之獸也;“其於木也,為堅多節”,取其堅凝故多節也。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は艮の取象を推し広げたものである。「艮為山」は二つの陰爻が下に在りて静止を表し、一つの陽爻が上に在りて高聳を表すを取る。ゆえに艮は山を象る。「為径路」は山中の小路に澗谷の通道多きを取る。「為小石」は艮はすでに山を為し、陽卦のうちにまた最小の一つに属するを取る。「為門闕」は門闕の高大を取る。「為果蓏」は樹上に結ぶを果と呼び、草上に結ぶを蓏と呼び、それらが山谷のうちに生ずるを取る。「為閽寺」は閽人・寺人が人の出入の禁止を司るを取る。「為指」は手指が物を握住して動かざらしめ得るを取る。「為狗」「為鼠」はそれらがみな人の家に止息するを取る。「為黔喙之属」は山裏に住む走獣を取る。「其于木也為堅多節」は木質が堅硬凝結するゆえに節疤多きを取る。

項氏安世曰:“震為敷為蕃鮮”,草木之始也,“艮為果蓏”、草木之終也,果蓏能終而又能始,故於艮之象為切。俞氏瑣曰:《周官閽人》掌王宮中門之禁,止物之不應入者。寺人掌王之內人,及女官之戒令,止物之不得出者,坎之剛在內,故為木之“堅多心”,艮之剛在外,故為木之“堅多節”。

集説に項安世の言を引く:「震為敷、為蕃鮮」は草木の開端を講じ、「艮為果蓏」は草木の終結を講ずる。果実は一輪を結束しまた一輪を開啓し得るゆえに、取りて艮の象に配するが最も貼切である。集説にまた俞琰の言を引く:《周礼》に記するに、閽人は王宮中門の禁令を掌管し、入るべからざるを攔住し、寺人は王の内宮の人員および女官の戒令を掌管し、出るべからざるを攔住す。坎の陽剛は内に在るゆえに樹木の「堅多心」を取り、艮の陽剛は外に在るゆえに樹木の「堅多節」を取る。

兌為澤,為少女,為巫,為口舌,為毀折,為附決。其於地也,為剛滷,為妾,為羊。本義 《荀九家》有為常,為輔頰。此第十一章。廣八卦之象,其間多不可曉者,求之於經,亦不盡合也。

《説卦伝》の正文にいう:兌は象を沢に取り、少女に取り、巫祝に取り、口舌に取り、毀壊折断に取り、附着してのち剥落に取る。土地に就いては、堅硬の鹽鹹地に象を取る。また妾に取り、羊に取る。朱熹《本義》にいう:《九家易》に別に「為常、為輔頬」の二項がある。以上は第十一章。この章は八卦の取象を推し広げ、そのうち講じ明かし得ざる条が少なからずあり、経文のうちに持ちて印証しても一々相合すること能わず。

集說 孔氏穎達曰:此一節廣明兌象。“兌為澤”,取其陰卦之小,地類卑也:”為少女”,兌為少女也;“為巫”,取其口舌之官也;“為門舌”,取西方於五事而言也;“為毀折”,“為附決”,兌西方之卦,取秋物成熟,稿稈之屬,則“毀折”也;果砧之屬,則“附決”也;“其於地也,為剛滷”,取水澤所停,剛咸鹵也;“為妾”,取少女從姊為娣也。

集説に孔穎達の言を引く:この一節は兌の取象を推し広げたものである。「兌為沢」はそれが陰卦のうちに最小にして、沢は地類に属して地位卑下なるを取る。「為少女」は兌はもとより少女である。「為巫」は巫祝が口舌を憑って供職するを取る。「為口舌」(底本は「口」を「門」と誤る)は西方が五事のうちの「言」に対応するに就いて言う。「為毀折」「為附決」は、兌は西方の卦で、秋に万物成熟し、稲麦禾稈の類いは割断せられんことを要す。すなわち「毀折」である。瓜果の類いは熟透して枝より脱落す。すなわち「附決」である。「其于地也為剛鹵」は水沢の積存する処、地土が堅硬にして鹹鹵を帯ぶを取る。「為妾」は少女が姉に随って嫁ぎ陪嫁の媵妾となるを取る。

總論 項氏安世曰:此章推廣象類,使之明備,以資占者之決也。胡氏炳文曰:此章廣八卦之象,幾百十有二,其中有相對取象者,如乾為天坤為地之類是也,上文“乾為馬”;此則“為良馬”、“老馬”、“瘠馬”、“駁馬”,上文“坤為牛”,此則“為子母牛”,“乾為木果”,結於上而園,“坤為大輿”,載於下而方,“震為決躁”,“巽為進退為不果”,剛柔之性也,震巽獨以其究言,剛柔之始也,坎內陽外陰,水與月剛內明外暗,離內陰外陽,火與日則內暗外明,坎中實,故於人“為加憂”“為心病”“為耳痛”。

総論に項安世の言を引く:この章は八卦の象徴する物類を推し広げ、これを明白詳備にして、占う人に判断の憑借を作る。総論にまた胡炳文の言を引く:この章の八卦の取象を推し広げたるは、ほぼ百十二条に近い。そのうち両々相対して取象するものあり、たとえば乾為天・坤為地の類い。上文に「乾為馬」といえば、ここに分かれて「為良馬」「老馬」「瘠馬」「駮馬」となり、上文に「坤為牛」といえば、ここに「為子母牛」となる。「乾為木果」は上頭に結びて形状渾円、「坤為大輿」は下に載せて形状方正。「震為決躁」と「巽為進退、為不果」は、剛と柔と各々の性情を講じ、而して震巽の両卦は独り「其究」に言及する。これは剛柔の開端を講ずる。坎は内陽外陰で、水と月はいずれも内裏明亮にして外表昏暗。離は内陰外陽で、火と太陽はいずれも内裏昏暗にして外表明亮。坎の中爻は実なるゆえに、人身において「為加憂」「為心病」「為耳痛」を取る。

離中虛,故於人為“大腹”,艮為“閽寺”“為指”,艮之止也,“兌為巫”“為口舌”,陰之說也;有相反取象者,“震為大塗”,反而艮則“為徑路”,“巽為長為高”,反而兌則“為毀折”;有相因取象者,“乾為馬”,震得乾初之陽,故於馬“為善鳴”、“馵 案 此章雖廣八卦之象,然有前文所取,而此反不備者,則非廣也,意前為歷代相傳,而此則《周易》義例與。

離の中爻は虚なるゆえに、人身において「為大腹」を取る。艮が「為閽寺」「為指」を取るは、あれは艮の止である。兌が「為巫」「為口舌」を取るは、あれは陰爻が外に在る悦である。さらに両々相反して取象するものあり:「震為大塗」は反して艮はすなわち「為径路」、「巽為長、為高」は反して兌はすなわち「為毀折」。さらに前後相承して取象するものあり:「乾為馬」、震は乾の初爻の陽を得て、ゆえに馬において「為善鳴」「為馵足」を取る……(底本はここに脱文があり、胡炳文の説は未完である。)李光地が按ずる:この章は八卦の取象を推し広げるというけれども、前文にすでに取られてここにかえって列し尽くされざるもある。それならば「広」と称し得ない。思うに前のそれらは歴代相伝の旧説であり、ここに載せるは《周易》自身の義例であろう。

序卦伝

集說 孔氏穎達曰:韓康伯云,《序卦》之所明,非《易》之蘊也,蓋因卦之次,托象以明義,今驗六十四卦,二二相偶,非覆即變。覆者,表裡視之,遂成兩卦,《屯》、《蒙》、《需》、《訟》、《師》、《比》之類是也。變者反覆惟成一卦,則變以對之,《乾》、《坤》、《坎》、《離》、《大過》、《頤》、《中孚》、《小過》之類是也,且聖人本定先後,若元用孔子序卦之意,則不應非覆即變,然則康伯所云,因卦之次,托象以明義,蓋不虛矣。

集説に孔穎達の言を引く:韓康伯が講じるに、《序卦伝》の闡明する所は、《周易》の最も深き底蕴ではなく、それはただ卦の先後次序に順い、卦象を借りて義理を説明するに過ぎない。今、六十四卦を験看すれば、みな両々配されて一対を成し、「覆」ならざれば「変」である。いわゆる「覆」とは、一つの卦を正反両頭より見れば、すなわち二つの卦となる。《屯》と《蒙》、《需》と《訟》、《師》と《比》の類いがそれである。いわゆる「変」とは、一つの卦が翻りてなお元のようのままであるゆえに、ただ六爻が全変するあの卦を取りて対頭に配する。《乾》と《坤》、《坎》と《離》、《大過》と《頤》、《中孚》と《小過》の類いがそれである。しかも聖人はもとより先後を排定した。もし当初まことに孔子の《序卦伝》の講ずる義理に照らして排したならば、斉整にして覆ならざれば変なるに至るべからざる。こう見れば、韓康伯のいう「卦の次序に順い、卦象を借りて義理を説明する」は、確かに空言ではない。

張子曰:《序卦》相受,聖人作《易》,須有次序。《朱子語類》:問:《序卦》或以為非聖人之書,信乎?曰:此沙隨程氏之說也,先儒以為非聖人之蘊,某以為非聖人之精則可,謂非《易》之蘊則不可,周子分“精”與“蘊”字甚分明,《序卦》卻正足《易》之蘊,事事夾雜,都有在裡面。問如何謂《易》之精?曰:如“《易》有太極,足生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦”,這是《易》之精。

集説に張載の言を引く:《序卦伝》は一卦一卦の相承を講じ、聖人が《周易》を制作するに、もとより一つの次序あるべきである。集説にまた《朱子語類》を引く:ある人が問うた、《序卦伝》は聖人の作に非ずとする人があるが、信ずべきか。朱熹は答えた:これは沙隨程迥の講法である。先儒はそれを聖人の底蕴に非ずとしたが、我が見るに、それを聖人の精微に非ずというは可なり、それを《周易》の底蕴に非ずといえば不可である。周敦頤は「精」と「蘊」の二字を分かつこと甚だ明らかにし、《序卦伝》はちょうど《周易》の底蕴を補足し、各様の事情が交雑してすべてそのうちに含まれる。また問う:なんぞを《周易》の精微とするか。答えて曰く:「易有太極、是生両儀、両儀生四象、四象生八卦」(底本は「是」を「足」と誤る)のごとき、これが《周易》の精微である。

問如《序卦》中亦見消長進退之義,喚作不是精不得。曰:此正是事事夾雜有在裡面,正是蘊,須是自一個生出來以至於無窮,便是精。、問《易》上經三十卦,下經三十四卦,多寡不均,何也?曰:卦有正對,有反對,《乾》、《坤》、《坎》、《離》、《頤》、《大過》、《中孚》、《小過》八卦,正對也,正對不變,故反覆觀之,止成八卦,其餘五十六卦,反對也,反對者皆變,故反覆觀之,共二十八卦,以正對卦合反對卦觀之,總而為三十六卦,其在上經,不變卦凡六,《乾》、《坤》、《坎》、《離》、《頤》、《大過》是也,自《屯》、《蒙》而下二十四卦,反之則為卜二,以十二而加六,則十八也。

また問う:《序卦伝》のうちにも消長進退の道理が見出し得る。それを精微に非ずとは到底言い得ない。答えて曰く:これはまさに各様の事情がそのうちに交雑するが、まさに「蘊」に属する。必ず一つの根源より生出して、推衍して無窮に至る、それをはじめて「精」と呼ぶ。また問う:《周易》の上経は三十卦、下経は三十四卦で、多少均しからず、これはなぜか。答えて曰く:卦には「正対」あり、「反対」あり。《乾》《坤》《坎》《離》《頤》《大過》《中孚》《小過》の八卦は正対に属す。正対の卦は翻しても形を変えず、ゆえに反覆して見ればなお八卦を成すのみ。其余の五十六卦は反対に属す。反対の卦は翻せばみな形を変ずるゆえに、反覆して見ればただ二十八卦を合成する。正対の八卦と反対の二十八卦とを合わせて見れば、総計三十六卦である。上経に就いて論ずれば、翻して変わらざる卦は全部で六つあり、すなわち《乾》《坤》《坎》《離》《頤》《大過》。《屯》《蒙》以下の二十四卦は、翻せば十二卦を合成し(底本は「十」を「卜」と誤る)、十二に六を加えて、まさに十八である。

其在下經,不變卦凡二,《中孚》、《小過》是也, 緘》、《恆》而下三十二卦,反之則為十六,以十六加二,亦十八也,其多寡之數,則未嘗不均也。問《序卦》中有一,二不可曉處,如六十四卦,獨不占《咸》卦,何也?曰:夫婦之道即咸也。問恐亦如上經不言乾坤,但言天地則乾坤可見否。曰:然。項氏安世曰:《易》之稱上下經者,未有考也,以《序卦》觀之,二篇之分,斷可知矣。

下経に就いて論ずれば、翻して変わらざる卦はただ二つあり、すなわち《中孚》と《小過》。《咸》《恒》以下の三十二卦は(底本は「咸」を「緘」と残誤す)、翻せば十六卦を合成し、十六に二を加えて、これもまた十八である。見るべし、上下経の卦数の多寡は、実はかつて不均ではなかったのである。また問う:《序卦伝》のうちに一、二か所講じ明かし得ざる所あり、たとえば六十四卦のうちに、偏に《咸》卦を挙げないのはなぜか。答えて曰く:そこに講ずる「夫婦之道」がすなわち《咸》である。また問う:これはおそらく上経が乾坤を直に言わず、ただ天地を言い、而して乾坤自ずからそのうちに在るがごときであろうか。答えて曰く:まさにそのとおりである。集説に項安世の言を引く:《周易》が上経・下経と分かれて称されるのは、来歴すでに査考する術なし。されど《序卦伝》より見れば、全書が两篇に分かるは断じて知り得る。

案 卦之所以序者,必自有故,而孔予以義次之,就其所次,亦足以見天道之盈虛消長,人事之得失存亡,國家之興衰理亂,如孔氏朱子之言皆是也,然須知若別為之序,則其理亦未嘗不相貫,如蓍筮之法,一卦可變為六十四卦,隨其所遇而其貞與悔皆可以相生,然後有以周義理而極事變,故曰天下之能事畢也,孔子蓋因《序卦》之次以明例,所謂舉其一隅焉爾,神而明之,則知《易》道之周流而趨時無定,且知筮法之變通而觸類可長,此義蓋《易》之旁通至極處也。

李光地が按ずる:六十四卦がこの次序に排せられた所以は、必ず別に縁故があり、孔子は義理を按じてこれらを連綴したのである。彼の連綴したる次序に就いて見れば、また足りて天道の盈虚消長、人事の得失存亡、国家の興衰治乱を見出し得る。孔穎達と朱熹の言はみなこの意である。ただしさらに知るべし、たとい別の排法に換えても、そのうちの道理は同じく貫通して碍なきを。ちょうど蓍草が卦を起こす法のごとく、一つの卦が六十四卦を変出し得て、遇うところの変爻に随い、内卦の「貞」と外卦の「悔」とが彼此相生し得る。このようになればこそ義理を講じ周くし、事変を窮究し尽くし得る。ゆえに《繋辞伝》に「天下之能事畢矣」という。孔子はただ《序卦》の次序を借りて体例を示範したに過ぎず、すなわちいわゆる一角を挙げて人に其余を自ら推知せしめるにすぎない。心領神会し得れば、すなわち《易》道が周流して居らず、時に随って変じて定準なきを解し、また筮法が通変無窮にして、類に触れて引申し得るを解す。この一層の意はおそらく《周易》が旁通して極処に至る所であろう。

集說 項氏安世曰:“屯”不訓盈也,當屯之時,剛柔始交,天地絪縕,雷雨動盪,見其氣之充塞也,是以謂之盈爾,故謂之盈者其氣也,謂之物之始生者其時也,謂之難者其事也,若屯之訓,紛紜盤錯之義云爾。

集説に項安世の言を引く:「屯」の字はもとより「盈」と訓するではない。屯のときに当たり、剛柔が剛に交合し、天地の気が絪縕交融し、雷雨が鼓蕩震動して、あの気が天地に充塞するが見出される。ここにおいてかそれを「盈」という。ゆえにそれを「盈」というは気を指し、それを「物之始生」というは時を指し、それを「難」というは事を指す。「屯」の字それ自体の訓釈に至っては、紛紜として盤結し、糾纏して解き難きの意に過ぎない。

屯者,物之始生也。物生必蒙,故受之以《蒙》。蒙者,蒙也,物之稚也。物稚不可不養也,故受之以《需》。需者,飲食之道也。飲食必有訟,故受之以《訟》。集說 孔氏穎達曰:上言“屯者盈也”,釋《屯》次乾坤,其言已畢,更言“屯者物之始生者”,開說下“物生必蒙”,直取始生之意,非重釋《屯》之名也。

《序卦伝》の正文にいう:屯は、万物が剛に萌生するときである。万物の初生は必ず蒙昧ゆえに、後に受くるは《蒙》卦。蒙はすなわち蒙昧、万物の幼稚を指す。幼稚なれば養育を加えざるを得ず、ゆえに後に受くるは《需》卦。需は飲食の道を講ずる。飲食あれば必ず争訟を生ず。ゆえに後に受くるは《訟》卦。(底本の《序卦伝》開篇は「有天地、然后万物生焉」より「屯者、盈也」の一段まで脱して録せず。)集説に孔穎達の言を引く:上文に「屯者盈也」というは、《屯》がなぜ乾坤の後に排せられたかを解釈し、あの句はすでに言い終えた。ここにさらに「屯者、物之始生也」というは、下面の「物生必蒙」を引き出さんが為であり、ただ初生のこの一層の意を取るのであって、《屯》のこの卦名を改めて解釈するのではない。

朱氏震曰:蒙,冥昧也,物生者必始於冥昧,勾萌胎卵是也,故次之以《蒙》。蒙,童蒙也,物如此稚也。又曰:“飲食必有訟”,乾餱以愆,豕酒生禍,有血氣者,必有爭心,故次之以《訟》。

集説に朱震の言を引く:蒙はすなわち昏暗不明である。万物が生まれ出づれば必ず昏昧より始まる。草木の芽苞、鳥獣の胎卵がすなわちこのようである。ゆえに《蒙》は《屯》の後に接ぐ。蒙はまた童子の蒙昧を指し、万物がまさに幼稚の段階に当たるをいう。朱震がまたいう:「飲食必有訟」、《詩経》は乾粮の分かち均しからざれば怨咎を招くを講じ、古人もまた猪肉美酒が禍端を惹き出すと言う。およそ血気あるものは、必ず争奪の心あり。ゆえに《訟》は《需》の後に接ぐ。

訟必有眾起,故受之以《師》。師者,眾也。眾必有所比,故受之以《比》。比者,比也。集說 韓氏伯曰:眾起而不比,則爭無由息,必相親比,而後得寧。項氏安世曰:《師》、《比》二卦相反,師取伍兩卒旅師軍之名,比取比閭族黨州鄉之名,師以眾正為義,比以相親為主。

《序卦伝》の正文にいう:争訟が一たび起これば、必ず衆人が聚集して武を動かす。ゆえに後に受くるは《師》卦。師はすなわち衆多である。衆人が聚まれば必ず親附する所有る。ゆえに後に受くるは《比》卦。比はすなわち親近依附である。集説に韓康伯の言を引く:衆人が起きて親附を肯ぜざれば、争闘は平息すること能わず。必ず彼此親近依附して、しかるのちに安寧を得る。集説にまた項安世の言を引く:《師》《比》の両卦はまさに相反す。師が取るは伍・両・卒・旅・師・軍のごとき軍制の名目、比が取るは比・閭・族・党・州・郷のごとき郷里編制の名目。師は衆を率いて正を守るを義とし、比は彼此相親むを主とす。

比必有所畜,故受之以《小畜》。物畜然後有禮,故受之以《履》。履而泰,然後安,故受之以《泰》。本義 晁氏云,鄭無“而泰”二字。集說 姚氏信曰:安上治民,莫善於禮,有禮然後泰,泰然後安也。

《序卦伝》の正文にいう:彼此親附すれば必ず積聚する所有る。ゆえに後に受くるは《小畜》卦。事物に積聚あって、しかるのちに礼节を談ずるに足る。ゆえに後に受くるは《履》卦。礼に循って行い、通泰して阻まず、しかるのちに安定し得る。ゆえに後に受くるは《泰》卦。朱熹《本義》にいう:晁説之が講じるに、鄭玄本に「而泰」の二字なし。集説に姚信の言を引く:君上を安んじ百姓を治めるに、礼より良きはなし。礼あってしかるのちに通泰し、通泰してしかるのちに安定す。

項氏安世曰:“履”不訓禮,人所履,未有外於禮者,外於禮,則非所當履,故以履為有禮也,上天下澤,亦有禮之名分焉。胡氏一桂曰:《乾》、《坤》至《履》十變,陰陽之氣一周矣。

集説に項安世の言を引く:「履」の字はもとより「礼」と訓するではない。ただ人の践行する所は、礼の外に出づる能うものなし。一旦礼の範囲を出づれば、すなわち践行すべきに非ず。ゆえに「履」を講じて礼ありとす。さらに《履》卦は上天下沢で、また礼の講ずる名分等級を含む。集説にまた胡一桂の言を引く:《乾》《坤》より数えて《履》に至り、全部で十次の変換を経て、陰陽の二気はちょうど一つの周期を走り終えた。

泰者,通也。物不可以終通,故受之以《否》。物不可以終否,故受之以《同人》。與人同者物必歸焉,故受之以《大有》。有大者不可以盈,故受之以《謙》。有大而能謙必豫,故受之以《豫》。本義 郭氏雍曰;以謙有大,則絕盈滿之累,故優遊不迫而暇豫也。

《序卦伝》の正文にいう:泰はすなわち通達である。事物はつねに通達し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《否》卦。またつねに閉塞し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《同人》卦。人と心を同じくし得る者には、万物必ず彼に帰附す。ゆえに後に受くるは《大有》卦。衆多を擁する人は自満すべからず。ゆえに後に受くるは《謙》卦。富みてまた能く謙退すれば、必ず安楽す。ゆえに後に受くるは《豫》卦。朱熹《本義》に郭雍の言を引く:謙退の態度をもって富有を守れば、すなわち盈満招損の牽累を断絶す。ゆえに能く従容不迫にして閑適安楽たり得る。

豫必有隨,故受之以《隨》。以喜隨人者必有事,故受之以《蠱》。蠱者,事也。有事而後可大,故受之以《臨》。臨者,大也。事者,其肯隨乎。項氏安世曰:“蠱”不訓事,物壞則萬事生矣,事因壞而起,故以蠱為事之先。又曰:“臨”不訓大,大者以上臨下,以大臨小。凡稱“臨”者,皆大者之事,故以“大”釋之,若豐者大也,則真訓大矣。吳氏澄曰:因蠱之有事,而後有臨之盛大也。

《序卦伝》の正文にいう:安楽すれば必ず来りて跟随する人有り。ゆえに後に受くるは《随》卦。喜悅を以て人に跟随するは、必ず事端を生出す。ゆえに後に受くるは《蠱》卦。蠱はすなわち事である。事情あってしかるのちに做大を為し得る。ゆえに後に受くるは《臨》卦。臨はすなわち大である。……もし為すべき事あらざれば、誰か肯えて来りて跟随せんや。(底本はここに脱文あり、ただ下半句のみ余る。)集説に項安世の言を引く:「蠱」の字はもとより「事」と訓するではない。事物が敗壊すれば、万般の事情が生まれ出づ。事情は敗壊により興起す。ゆえに蠱を以て事情の前一歩と視る。項安世がまたいう:「臨」の字はもとより「大」と訓するではない。いわゆる大とは、上を以て下に臨み、大を以て小に臨む。およそ「臨」と称するはみな大位に居る者の事である。ゆえに「大」を用いてそれを解釈す。《豊卦》に「豊者大也」というに至っては、あれははじめて真に大と訓する。集説にまた呉澄の言を引く:まさに《蠱》に為すべき事ありて、しかるのちに《臨》の盛大あるなり。

物大然後可觀,故受之以《觀》。可觀而後有所合,故受之以《噬嗑》。嗑者,合也。物不可以苟合而已,故受之以《賁》。賁者,飾也。致飾然後亨則盡矣,故受之以《剝》。剝者,剝也。集說 崔氏憬曰:言德業大者,可以觀於人也。

《序卦伝》の正文にいう:事物が盛大なるのち、はじめて瞻仰に値す。ゆえに後に受くるは《観》卦。瞻仰すべきあって、しかるのちに来りて会合する人有り。ゆえに後に受くるは《噬嗑》卦。嗑はすなわち合である。事物は苟且に凑合して了事とすべからず。ゆえに後に受くるは《賁》卦。賁はすなわち文飾である。文飾が極処に至れば、亨通の路もまた尽頭に走り至る。ゆえに後に受くるは《剥》卦。剥はすなわち剥落である。集説に崔憬の言を引く:これは徳行事業が盛大なる人をいい、はじめて別人に瞻仰せしめ得る。

蘇氏軾曰:君臣父子夫婦朋友之際,所謂合也,直情而行謂之苟,禮以飾情謂之賁,苟則易合,易則相瀆,相瀆則易以離,賁則難合,難合則相敬,相敬則能久,飾極則文勝而實衰,故《剝》。張氏栻曰:賁飾則貴於文,文之太過,則又滅其質而有所不通,故致飾則亨有所盡。

集説に蘇軾の言を引く:君臣、父子、夫婦、朋友のあいだの往来は、すなわちいわゆる「合」である。性情に任せて直来直去するを苟且と呼び、礼节を用いて情感を修飾するを文飾と呼ぶ。苟且なれば合拢し易く、合拢し易ければ互相に軽慢し、互相に軽慢すれば分離し易し。文飾あれば合拢し難く、合拢し難ければ彼此敬重し、彼此敬重してはじめて長久たり得る。しかるに文飾が極処に至れば、虚文が実質に圧過し、実質便ち衰敗す。ゆえに接ぐは《剥》。集説にまた張栻の言を引く:賁は文飾で、重んずるは文采である。文采が太も過ぎれば、かえって本質を埋没して窒碍して通ぜざる所有り。ゆえに文飾が極処に至れば、亨通もまた頭に到るなり。

物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以《復》。復則不妄矣,故受之以《無妄》。有無妄然後可畜,故受之以《大畜》。集說 崔氏憬曰:物復其本,則為誠實,故言《復》則《無妄》矣。周子曰:不善之動,妄也。妄復則無妄矣,無妄則誠矣,故《無妄》次《復》。

《序卦伝》の正文にいう:事物は剥落して尽頭に至るまで続く能わず。剥が上に至って走投無路となれば、返回して下に至りて重新開始す。ゆえに後に受くるは《復》卦。本性に回復すれば虚妄ならず。ゆえに後に受くるは《无妄》卦。无妄あってしかるのちに蓄養し得る。ゆえに後に受くるは《大畜》卦。集説に崔憬の言を引く:万物がその本根に回復するは、すなわち真実にして偽なし。ゆえに一たび《復》に言及すれば、《无妄》便ち随って至る。集説にまた周敦頤の言を引く:不善の念が一たび動けば、すなわち妄である。妄念が回頭すれば、すなわち无妄である。无妄はすなわち誠である。ゆえに《无妄》は《復》の後に緊接す。

郭氏忠孝曰:健為天德,大畜止健,畜天德也,故曰“剛健篤實輝光,日新其德”,不能畜天德,則見於有為者,不能無妄,故天德止於大畜,而動於無妄也。閻氏彥升曰:“無妄然後可畜”,所畜者在德,故曰大。

集説に郭忠孝の言を引く:剛健は天の徳性で、《大畜》卦は艮を用いて乾健を止める。蓄うる所はまさにこの天徳である。ゆえに《大畜・彖伝》に「剛健篤実輝光、日新其徳」という。天徳を蓄え得ざれば、行事に表れて虚妄を免れざる。ゆえに天徳は《大畜》のうちにて止められ蓄養せられ、《无妄》のうちにて発動して出づる。集説にまた閻彦升の言を引く:「有无妄然后可畜」とは、蓄養する所は徳なり。ゆえにそれを「大」と称す。

餘氏芑舒曰:自有事而大。大而可觀,可觀而合,合而飾,所謂忠信之薄而偽之始也,故一變而為剝,《剝》而《復》,則真實獨存而不妄矣。何氏楷曰:不妄與無妄當辨,由不以妄然後能無妄也。

集説に余芑舒の言を引く:為すべき事ありて盛大となり、盛大にして瞻仰に値し、瞻仰に値して来りて会合する人有り、会合してまた文飾を加う――これがまさに《老子》のいう忠信が澆薄にして虚偽の開端となる処である。ゆえに一変してすなわち《剥》となる。《剥》よりして《復》、虚飾剥落して浄尽し、ただ真実のみ存留して、便ち虚妄ならず。集説にまた何楷の言を引く:「不妄」と「无妄」とは分辨すべし。まず為さざる妄を致して、しかるのちに无妄の境地に到達し得る。

物畜然後可養,故受之以《頤》。頤者,養也。不養則不可動,故受之以《大過》。物不可以終過,故受之以《坎》。坎者,陷也。陷必有所麗,故受之以《離》。離者,麗也。集說 蘇氏軾曰:養而不用,其極必動,動而不已,其極必過。

《序卦伝》の正文にいう:万物に蓄積あってしかるのちに養育し得る。ゆえに後に受くるは《頤》卦。頤はすなわち養である。先に養い足らざれば行動する所有る能わず。ゆえに後に受くるは《大過》卦。事物はつねに過分し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《坎》卦。坎はすなわち陥落である。陥落すれば必ず依附する所有る。ゆえに後に受くるは《離》卦。離はすなわち附麗である。集説に蘇軾の言を引く:養いて用いざれば、養い極処に至りて必ず動く。動きて停まらざれば、動き極処に至りて必ず過分す。

閻氏彥升曰:養者君子所以成已,動者君子所以應物,然君子處則中立,動則中立,豈求勝物哉,及其應變,則有時或過,故受之以《大過》。林氏希元曰:不專一則不能直遂,不翕聚則不能發散,故必有養然後能動,不養則不可以動。孟子曰:人有不為也,而後可以有為,即此理也,或受之以《大過》,大過 姜氏寶曰:無所養則其體不立,不可舉動以應大事,惟養充而動,動必有大過人者矣。

集説に閻彦升の言を引く:養育は君子が自己を成就するに用い、行動は君子が外物に応接するに用いる。しかれども君子は静処のとき中を守りて立ち、行動のときもまた中を守りて立つ。なんぞ他人を圧倒せんと欲するあらんや。ただ変故に応付するのときに至れば、難なく過分の処あるを免れず。ゆえに後に受くるは《大過》卦。集説にまた林希元の言を引く:心志が専一ならざれば直往して貫徹すること能わず、気が先に収斂聚攏せざれば発散し出ずること能わず。ゆえに必ず先に養育あってしかるのちに行動し得る。養わざれば動くべからず。孟子が「人有所不為、然后可以有為」というは、まさにこの道理である。(底本はここに脱文あり。)集説にまた姜宝の言を引く:蓄養なくんば、本体は立つこと能わず、また大事に応付するに挙動すること能わず。ただ養い足りてはじめて動き、一動すれば必ず遥かに人を過ぐる処あり。

有天地,然後有萬物。有萬物,然後有男女。有男女,然後有夫婦。有夫婦,然後有父子。有父子,然後有君臣。有君臣,然後有上下。有上下,然後禮義有所錯。夫婦之道,不可以不久也,故受之以《恆》。恆者,久也。

《序卦伝》の正文にいう:先に天地ありて、しかるのちに万物あり。万物ありて、しかるのちに男女あり。男女ありて、しかるのちに夫妻あり。夫妻ありて、しかるのちに父子あり。父子ありて、しかるのちに君臣あり。君臣ありて、しかるのちに上下の等級あり。上下の等級ありて、しかるのちに礼義に安放施行する処あり。夫妻の道は長久ならざるべからず。ゆえに後に受くるは《恒》卦。恒はすなわち長久である。

集說 干氏寶曰:此詳言人道三綱六紀有自來也,人有男女陰陽之性,則自然有夫婦配合之道,陰陽化生,血體相傳,則自然有父子之親,以父立君,以子資臣,則必有君臣之位,有君臣之位,故有上下之序,有上下之位,則必禮以定其體,義以制其宜,明先王制作,蓋取之於情者也。

集説に干宝の言を引く:この一段は詳細に人倫中の三綱六紀の来歴を講じ明かす。人に男女陰陽の天性あれば、自然に夫妻配合の道理あり。陰陽が交感して化生し、血脈形体が一代代相伝すれば、自然に父子の親情あり。父の地位を推衍して君主と為し、子の身份を推衍して臣属と為せば、必ず君臣の名位あり。君臣の名位あれば、上下の次序あり。上下の名位あれば、必ず礼を用いてその体統を定め、義を用いてその分寸を裁断すべし。これは先王が礼を制し楽を作したるが、もとより人情に就いて取法したを説明す。

上經始於《乾》、《坤》,有生之本也;下經始於《咸》、《恆》,人道之首也。《易》之興也,當殷之末世,有妲己之禍,當周之盛德,有三母之功,以言天不地不生,夫不婦不成,相須之至,王教之端,故《詩》以關睢為國風之始,而《易》於《咸》、《恆》,備論禮義所由生也。《朱子語類》:問:“禮義有所錯”,“錯”字陸氏兩音,如何?曰:只是作“措”字,謂禮義有所設施耳。

上経は《乾》《坤》より始まり、あれは万物生成の根本である。下経は《咸》《恒》より始まり、あれは人倫の道の開端である。《周易》が興起したとき、まさに殷商の末世に当たり、妲己の招来した禍乱あり。まさに周朝の徳業隆盛に当たり、太姜・太任・太姒の三位の賢母の功労あり。これはすなわち、天は地なくんば万物を生出し得ず、丈夫は妻なくんば家室を成し得ず、両者が相互に依待して極処に至るをいい、これもまた王者教化の起点である。ゆえに《詩経》は《関雎》を《国風》の首に置き、《周易》は《咸》《恒》の両卦のうちにて礼義がなんにより生ずるかを詳論す。集説にまた《朱子語類》を引く:ある人が問うた、「礼義有所錯」の「錯」の字に、陸徳明は二つの読音を注したが、どう読むべきか。朱熹は答えた:ただ「措」の字として用いよ。礼義に安放施行する処あるをいうのみ。

吳氏澄曰:此言《咸》所以為下經之首也,夫婦謂《咸》卦,先言天地萬物男女者,有夫婦之所由也,後言父子君臣上下者,有夫婦之所致也,有夫婦,則其所生為父子,由家而國,雖非父子也,而君尊臣卑之分,如父子也,由國而天下,雖非君臣,而上貴下賤之分,如君臣也,禮義所以分別尊卑貴賤之等。錯,猶置也。《乾》、《坤》、《咸》不出卦名者,以其為上下經之首卦,特別言之。

集説に呉澄の言を引く:この一段は《咸》卦がなぜ下経の首に排せられたかを講ずる。いわゆる「夫婦」とは、《咸》卦を指す。先に天地、万物、男女を言うは、夫婦がなんより来たるかを交代し、後に父子、君臣、上下を言うは、夫婦あってまたなにを引き出すかを交代す。夫婦あれば、彼らの生む所はすなわち父子。一家より一国に推せば、君臣は父子に非ざるといえども、君尊臣卑の名分は父子のごとし。一国より天下に推せば、君臣に非ざるといえども、上貴下賤の名分は君臣のごとし。礼義はまさに尊卑貴賤の等級を分別するに用いる。「錯」の字は、「安置」の置と意近し。《乾》《坤》《咸》の三卦が卦名を標出せざるは、それらが上下経の首卦なるがゆえに、ことさら説法を換えて講ずる。

物不可以久居其所,故受之以《遯》。遯者,退也。物不可以終遯,故受之以《大壯》。物不可以終壯,故受之以《晉》。晉者,進也。進必有所傷,故受之以《明夷》。夷者,傷也。傷於外者必反其家,故受之以《家人》。集說 郭氏忠孝曰:“傷乎外者必反其家”,蓋行有不得於人,則反求諸己。

《序卦伝》の正文にいう:事物は長久に一つの地方に停まる能わず。ゆえに後に受くるは《遯》卦。遯はすなわち退避である。事物はつねに退避し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《大壮》卦。事物はつねに強壮し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《晋》卦。晋はすなわち前進である。前進すれば必ず損傷を受く。ゆえに後に受くるは《明夷》卦。夷はすなわち損傷である。外にて傷を受けたるは必ず自己家に帰る。ゆえに後に受くるは《家人》卦。集説に郭忠孝の言を引く:いわゆる「傷乎外者必反其家」とは、行事が他人の処にて回応を得ざれば、反りて自己身上にて縁由を尋ねるをいう。

閻氏彥升曰:知進而已,不知消息盈虛,與時偕行,則傷之者至矣,故受之以《明夷》,以利合者,迫窮禍患害相棄也,以天屬者,迫窮禍患害相收也,《明夷》之傷,豈得不反於家人乎。何氏楷曰:《晉》與《漸》皆進,進必有歸者,先以艮,進必有傷者,先以壯也。

集説に閻彦升の言を引く:ただ一味の前進を知りて、消長盈虚が時勢に随って行うを解せざれば、損傷が来る。ゆえに後に受くるは《明夷》卦。利害を憑って結合する人は、一たび困窮禍患に遇えば互相に拋棄す。天性骨肉を憑って相連なる人は、一たび困窮禍患に遇えばかえって互相に収容す。《明夷》の受くる損傷は、なんぞ家人の身辺に帰らざるを得んや。集説にまた何楷の言を引く:《晋》と《漸》とはみな前進を講ず。なぜ《漸》は進めば必ず帰する所有りといい、《晋》は進めば必ず傷する所有りというか。《漸》の前が艮の止なるがゆえに、《晋》の前は《大壮》の強壮なればなり。

家道窮必乖,故受之以《睽》。睽者,乖也。乖必有難,故受之以《蹇》。蹇者,難也。物不可以終難,故受之以《解》。解者,緩也。集說 周子曰:家人離必起於婦人,故《睽》次《家人》,以二女同居而志不同行也。

《序卦伝》の正文にいう:家道が尽頭に走り至れば必ず乖離す。ゆえに後に受くるは《睽》卦。睽はすなわち乖違である。乖違すれば必ず患難を生出す。ゆえに後に受くるは《蹇》卦。蹇はすなわち艱難である。事物はつねに艱難し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《解》卦。解はすなわち舒緩である。集説に周敦頤の言を引く:一家人の離散は、必ず婦人の身上より起因す。ゆえに《睽》は《家人》の後に緊接す。《睽》卦はまさに二個の女子が一屋に同住して心志が各々一方に奔る。

項氏安世曰:凡言《屯》者,皆以為難,而《蹇》又稱難者,卦皆有《坎》也,然《屯》“動乎險中”,行乎患難者也,《蹇》見險而止,但為所阻難,而不得前耳,非患難之難也,故居《屯》者,必以經綸濟之,遇《蹇》者,待其解緩而後前。

集説に項安世の言を引く:およそ《屯》に講ずるに至りては、みなそれを難と当作す。而して《蹇》もまた難と称す。これは両卦がみな《坎》を含むがゆえに。ただし《屯》は「動乎険中」で、人はまさに患難の裏面を走る。《蹇》は険阻を見て停下す。ただ挡住せられて過ぎ得ざるのみで、患難のあの難ではない。ゆえに《屯》に身を処する人は、必ず経営籌画を憑って渡過せねばならず。《蹇》に碰上する人は、険阻の緩解するを待って再び前に往くを要す。

緩必有所失,故受之以《損》。損而不已必益,故受之以《益》。益而不已必決,故受之以《夬》。夬者,決也。決必有所遇,故受之以《姤》。姤者,遇也。集說 朱氏震曰:益久必盈,盈則必決,堤防是已,故次之以《夬》。胡氏一桂曰:《咸》、《恆》十變為《損》、《益》,亦猶《乾》、《坤》十變為《否》、《泰》也。

《序卦伝》の正文にいう:松緩し下れば必ず損失する所有る。ゆえに後に受くるは《損》卦。減損が停まらざれば必ず轉じて增益と為る。ゆえに後に受くるは《益》卦。增益が停まらざれば必ず潰決せんと要す。ゆえに後に受くるは《夬》卦。夬はすなわち決断潰決である。潰決の後は必ず遭遇する所有る。ゆえに後に受くるは《姤》卦。姤はすなわち不期而遇である。集説に朱震の言を引く:增益久しければ必ず満溢し、満溢すれば必ず潰決す。堤壩はまさにこのようである。ゆえに《夬》は《益》の後に接ぐ。集説にまた胡一桂の言を引く:《咸》《恒》が十次の変換を経て《損》《益》と為るは、《乾》《坤》が十次の変換を経て《否》《泰》と為るに譬えるがごとし。

俞氏琰曰:損益盛衰,若循環然,損而不已,天道復還,故必益,益而不已,則所積滿盈,故必決,此乃理之常也。《損》之後繼以《益》,深谷為陵之意也,《益》之後繼以《夬》,高岸為谷之意也。

集説に俞琰の言を引く:減損と增益、興盛と衰敗は、圏を轉ずるがごとし。減損が停まらざれば、天道は自ら回還す。ゆえに必ず轉じて增益と為る。增益が停まらざれば、積む所は満溢す。ゆえに必ず潰決す。これはもとより常理である。《損》の後に《益》を接ぐは、《詩経》のいう深谷が変じて丘陵と為るの意を取る。《益》の後に《夬》を接ぐは、高岸が塌陷して深谷と為るの意を取る。

物相遇而後聚,故受之以《萃》。萃者,聚也。聚而上者謂之升,故受之以《升》,升而不已必困,故受之以《困》。困乎上者必反下,故受之以《井》。集說 崔氏憬曰:冥升在上則窮,故言“升而不已必困”也。張氏栻曰:天下之物,散之則小,合而聚之,則積小以成其高大,故“聚而上者”為“升”也。

《序卦伝》の正文にいう:事物が彼此相遇してしかるのちに聚集す。ゆえに後に受くるは《萃》卦。萃はすなわち聚集である。聚攏してまた上に往くを升と呼ぶ。ゆえに後に受くるは《升》卦。上昇が停まらざれば必ず困頓す。ゆえに後に受くるは《困》卦。上にて困頓に陥るは必ず退回して下に至る。ゆえに後に受くるは《井》卦。集説に崔憬の言を引く:《升》卦の上六に「冥升」という。昏昏として頂点に升れば走投無路となる。ゆえに「升而不已必困」という。集説にまた張栻の言を引く:天下の事物は、散じて開けば小を顕す。合攏聚集すれば、少を積みて多を成して高大と為り得る。ゆえに「聚而上者」を便ち「升」と呼ぶ。

項氏安世曰:物相遇而聚者,彼此之情交相會也,以眾言之也,比而有所畜者,繫而止之也,自我言之也,畜有止而聚之義,聚者不必止也。井道不可不革,故受之以《革》。集說 朱氏震曰:井在下者也,井久則穢濁不食,治井之道,革去其古井者而已。

集説に項安世の言を引く:事物が相遇して一処に聚まるは、彼此の情意が交わりて会合する、これは衆人の一面に就いて講ず。親附して蓄積する所有るは、それを系住して留める、これは自己の一面に就いて講ず。「畜」は止めて併せて聚めるの意を含み、「聚」は必ずしも止むを要せず。《序卦伝》の正文にいう:井の道理は変革を加えざるべからず。ゆえに後に受くるは《革》卦。集説に朱震の言を引く:井は下に処するもので、用いること久しければ污濁して再び飲む能わず。井を整治するの法は、あの旧井を革除して翻新するに過ぎず。

革物者莫若鼎,故受之以《鼎》。主器者莫若長子,故受之以《震》。震者,動也。物不可以終動,止之,敵受之以《艮》。艮者,止也。物不可以終止,故受之以《漸》。漸者,進也。進必有所歸,故受之以《歸妹》。得其所歸者必大,故受之以《豐》。豐者,大也。集說 閻氏彥升曰:晉者進也,進必有所傷,漸者進也,進必有歸,何也?曰:晉所謂進者,有進而已,此進必有傷也,漸之所謂進者,漸進而已,烏有不得所歸者乎。

《序卦伝》の正文にいう:物の質性を変革し得るに鼎より甚だしきはなし。ゆえに後に受くるは《鼎》卦。宗廟の祭器を主持するに長子より合適なるはなし。ゆえに後に受くるは《震》卦。震はすなわち動である。事物はつねに動き続ける能わず、総じてそれを止むを要す。ゆえに後に受くるは《艮》卦(底本は「故」を「敵」と誤る)。艮はすなわち止である。事物はつねに止まり続ける能わず。ゆえに後に受くるは《漸》卦。漸はすなわち漸進である。前進すれば必ず帰宿する所有る。ゆえに後に受くるは《帰妹》卦。帰宿を得るは必ず盛大す。ゆえに後に受くるは《豊》卦。豊はすなわち大である。集説に閻彦升の言を引く:《晋》は進と訓すれども、進めば必ず傷する所有りという。《漸》もまた進と訓すれども、進めば必ず帰する所有りという。これはなぜか。回答は:《晋》のいう進は、ただ一味に前に衝くのみ。このようの進は難なく傷を受くるを免れず。《漸》のいう進は、次序に循いて慢慢と前進す。なんぞ帰宿を得ざるあらんや。

朱氏震曰:前曰“與人同者物必歸焉,故受之以《大有》 ”,此曰“得其所歸者必大”,《大有》次《同人》者,處大之道也,《豐》次《歸妹》者,致大之道也。窮大者必失其居,故受之以《旅》。旅而無所容,故受之以《巽》。巽者,入也。

集説に朱震の言を引く:前に「與人同者物必歸焉、故受之以大有」といい、ここに「得其所歸者必大」という。《大有》が《同人》の後に排せられるは、盛大の時に身を処してどう自処すべきかを講じ、《豊》が《帰妹》の後に排せられるは、いかに事業を盛大に推し至るかを講ずる。《序卦伝》の正文にいう:盛大を窮極に推すは必ずその安身の処を失う。ゆえに後に受くるは《旅》卦。羇旅して外に在りて容身する処なし。ゆえに後に受くるは《巽》卦。巽はすなわち入である。

集說 郭氏雍曰:動極而止,止極復進,進極必傷,進以漸則有歸,歸得其所則大,窮其大則必失,蓋非有大以謙故也。張氏械曰:旅者“親寡”之時,“無所容”也,唯巽然後得所入,故受之以《巽》,而巽者入也。俞氏琰曰;大而能謙則豫,大而至於窮極,則必失其所安,故《豐》後繼以《旅》。

集説に郭雍の言を引く:動き極処に至れば止み、止み極処に至ればまた前進する。一味猛進して極処に至れば必ず傷を受く。もし循序漸進すれば帰宿あり、帰りてその所を得れば盛大となる。盛大を窮極に推せば便ち必ず失う。これはみな富みてまた謙退することを致さざるがゆえに。集説にまた張栻の言を引く:《旅》はまさに「親寡」のときで、どこに行っても容身する処なし。ただ柔順謙遜にして、しかるのちに進むべき処あり。ゆえに後に受くるは《巽》、而して巽はすなわち入である。集説にまた俞琰の言を引く:盛大にして能く謙退すれば安楽し、盛大が窮極に至れば、必ず安身の所を失う。ゆえに《豊》の後に接ぐは《旅》。

入而後說之,故受之以《兌》。兌者,說也。說而後散之,故受之以《渙》。渙者,離也。集說 張氏栻曰:入於道故有見而說,故巽,而受之以《兌》。唯說於道,故推而及人,說而後散,故受之以《渙》。項氏安世曰:人之情,相拒則怒,相人則說,故人而後說之。

《序卦伝》の正文にいう:入り得てしかるのちに喜悅す。ゆえに後に受くるは《兌》卦。兌はすなわち喜悅である。喜悅の後はそれを散布し出さんとす。ゆえに後に受くるは《渙》卦。渙はすなわち離散である。集説に張栻の言を引く:道に入り入ったゆえに領会する所有りて喜悅す。これにより《巽》の後に《兌》を接ぐ。まさに道において喜悅する所有るゆえに、推し広げて傍人に及ぼす。喜悅の後に随いて散布す。ゆえに後に受くるは《渙》。集説にまた項安世の言を引く:人の性情は、彼此抵触すれば発怒し、彼此接納すれば喜悅す。ゆえに「入而后説之」という。

物不可以終離,故受之以《節》。節而信之,故受之以《中孚》。有其信者必行之,故受之以《小過》。集說 韓氏伯曰:孚,信也。既已有節,則宜信以守之,守其信者,則失貞而不諒之道,而以信為過,故曰《小過》也。

《序卦伝》の正文にいう:事物はつねに離散し続ける能わず。ゆえに後に受くるは《節》卦。節制あって誠信を以てそれを守る。ゆえに後に受くるは《中孚》卦。己の誠信を抱定すれば必ずそれを実行に付す。ゆえに後に受くるは《小過》卦。集説に韓康伯の言を引く:孚はすなわち信である。すでに節度あれば、誠信を以てそれを守るべし。しかるに一味に信約を死守すれば、便ち「貞而不諒」のあの通達の道理を失い、守信を弄して頭を過ぐ。ゆえに《小過》と呼ぶ。

項氏安世曰:有其信,猶《書》所謂有其善,言以此自負而居有之也,自恃其信者,其行必果而過於中。吳氏澄曰:過者行動而踰越之也,故《大過》云動,《小過》云行,凡行動未至其所為未及,既至其所為至,既至而又動又行,則為踰越其所至之地而過也。

集説に項安世の言を引く:「有其信」のこの説法は、《尚書》の講ずる「有其善」のごとく、これ一点を以て自負し、それを自己の私有と當成するをいう。信あるを自恃する人は、行事必ず果決にして中道を超出す。集説にまた呉澄の言を引く:いわゆる過とは、行動して界限を越過する。ゆえに《大過》は「動」といい、《小過》は「行」という。およそ行動してまだあの地方に走到せざるを「未及」と呼び、すでに走到したを「至」と呼ぶ。すでに走到してなお再び動き再び走るは、すなわち該到の処を越出して「過」と為る。

蔡氏清曰:節而信之,必立為節制於此,上之人當信而守之,下之人當信而行之,故受之以《中孚》。有其信者必行之,若果於自信,則於事不加詳審,而在所必行矣,能免於過乎。有過物者必濟,故受之以《既濟》。物不可窮也,故受之以《未濟》。終焉。集說 韓氏伯曰:行過乎恭,用過乎儉,可以矯世勵俗,有所濟也。

集説に蔡清の言を引く:いわゆる「節而信之」とは、すでにここに節制を立下したれば、上位に在る人は誠信を以てそれを守り、下位に在る人は誠信を以て照辦すべし。ゆえに後に受くるは《中孚》。いわゆる「有其信者必行之」とは、もし一味果決に自信すれば、事を辧るに再び詳しく審察せず、およそ想到する所はなさざるべからずとす。これにてなんぞ頭を過ぐるを免れんや。《序卦伝》の正文にいう:行事に常人を超過する処あるは必ず事を成し得る。ゆえに後に受くるは《既済》卦。事物は窮尽して頭に至る能わず。ゆえに最後に《未済》卦を接ぎ、全伝はここにて終わる。集説に韓康伯の言を引く:居喪して行事に恭敬をやや過し、用度に節儉をやや過すは、世風を矯正し風俗を激励し得て、亦た成済する所有りと算う。

項氏安世曰:《大過》則踰越常理,故必至於陷。《小過》或可濟事,故有濟而無陷也。坎離之交,謂之《既濟》,此生生不窮之所從出也,而聖人猶以為有窮也,又分之以為《未濟》,此即咸感之後,繼之以恆久之義也。蓋情之交者,不可以久而無弊,故 總論 王氏通中說贊《易》至《序卦》曰:大哉時之相生也,達者可與幾矣,至《雜卦》曰:旁行而不流,守者可與存義矣。

集説に項安世の言を引く:《大過》は常理を越過するゆえに、必ず陥溺に落ち至る。《小過》はなおいくばくかの事を辧成し得るゆえに、ただ成済ありて陥溺なし。坎と離と相交わるを《既済》と呼ぶ。これは生生して窮まらざるの源頭である。しかれども聖人はなおそれに窮尽の一天あると認め、また坎離を分けて《未済》と立つ。これはちょうど《咸》が交感を講じた後に接いで《恒》を用いて長久を講ずる道理のごとし。情意を憑って交感結合するは、日子一たび久しければ弊病なかるべからず。ゆえに……(底本はここに脱文あり。)総論に王通の《中説》を引き、《周易》を讃えて《序卦伝》に講ずるときに曰く:時勢が相生相续するは、真に偉大なり。通達の人は彼と幾微を談論し得る。《雑卦伝》に講ずるときに曰く:変化して旁通して放蕩失守せず。能く持守する人は彼と存養義理を談論し得る。

邵子曰:《乾》、《坤》天地之本,《坎》、《離》天地之用,是以《易》始於《乾》、《坤》,中於《坎》、《離》,終於既《未濟》,而《泰》、《否》為上經之中,《咸》、《恆》為下經之首,皆言乎其用也。又曰:《乾》、《坤》、《坎》、《離》為上篇之用,《兌》、《艮》、《震》、《巽》為下篇之用也,《頤》、《中孚》、《大過》、《小過》為二篇之正也。

総論にまた邵雍の言を引く:《乾》《坤》は天地の本体で、《坎》《離》は天地の功用である。ゆえに《周易》は《乾》《坤》を以て開頭とし、《坎》《離》を以て居中とし、《既済》《未済》を以て収尾とす。而して《泰》《否》は上経の中段に位居し、《咸》《恒》は下経の開頭に位居し、講ずるはみな天地の功用である。邵雍がまたいう:《乾》《坤》《坎》《離》は上篇の功用の在所で、《兌》《艮》《震》《巽》は下篇の功用の在所で、《頤》《中孚》《大過》《小過》はすなわち両篇のうちの翻轉して変わらざる正対の卦である。

又曰:自《乾》、《坤》至《坎》、《離》,以天道也,自《咸》、《恆》至《既濟》、《未濟》,以人事也。程子上下篇又曰:《乾》、《坤》天地之道,陰陽之本,故為上篇之首。《坎》、《離》陰陽之成質,故為上篇之終。《咸》、《恆》夫婦之道,生育之本,故為下篇之首。

邵雍がまたいう:《乾》《坤》より《坎》《離》に至るは、天道を講ず。《咸》《恒》より《既済》《未済》に至るは、人事を講ず。総論にまた程頤の上下篇を論ずるを引く:《乾》《坤》は天地の大道、陰陽の根本ゆえに上篇の開頭に列す。《坎》《離》は陰陽交合して成る形質ゆえに上篇の収尾に列す。《咸》《恒》は夫妻の道、生育の根本ゆえに下篇の開頭に列す。

《未濟》坎離之合,《既濟》坎離之交,合而交則生物,陰陽之成功也,故為下篇之終。二篇之卦既分,而後推其義以為之次,《序卦》是也。卦之分則以陰陽,陽盛去居上,陰盛者居下。所謂盛者,或以卦,或以爻,卦與爻取義有不同,如《剝》以卦言,則陰長陽剝也。以爻言,則陽極於上,又一陽為眾陰主也。如《大壯》以卦言,則陽長而壯,以爻言則陰盛於上,用各於其所,不相害也。

これは程頤の《上下篇義》が上下経の分篇を論ずる一段である。《未済》は坎離両卦の会合で、《既済》は坎離両卦の交通である。すでに会合しまた交通すれば、万物便ちここにより生成す。これがまさに陰陽功用の完成である。ゆえにこの両卦を下篇の最末に排す。上下両篇の卦がすでに分定して、しかるのちに再びそのうちの義理を推求して先後次第を安排す。これがすなわち《序卦伝》の為す所の事である。分篇の標準は陰陽に在り。陽気の旺盛なる卦は上篇に帰入し、陰気の旺盛なる卦は下篇に帰入す。いうところの「盛」とは、あるときは整卦の卦体に就いて看、あるときは某一爻に就いて看、卦と爻の両種の取義は並びて相同じからず。たとえば《剥》卦、卦体より言えば、陰気が増長して陽気を剥落す。爻位より言えば、すなわちあの一画の陽爻が最上に高踞し、また五陰が共に奉ずる一陽の主である。またたとえば《大壮》卦、卦体より言えば、陽気が増長して強壮す。爻位より言えば、すなわち陰爻が上位にて旺盛である。両種の取義は各々その適合する所に用い、彼此並びて妨げず。

乾父也,莫亢焉,坤母也,非乾無與為敵也,故卦有《乾》者居上篇,有《坤》者居下篇。而《復》陽生,《臨》陽長,《觀》陽盛,《剝》陽極,則雖有《坤》而居上,《姤》陰生,《遯》陰長,《大壯》陰盛,《遯》陰極,則雖有《乾》而居下,其餘有乾者皆在上篇,《泰》、《否》、《需》、《訟》、《小畜》、《履》、《同人》、《大有》、《無妄》、《大畜》也。

乾は父で、それより高亢なるはなし。坤は母で、乾を除いてそれと相匹敵し得るはなし。ゆえにおよそ卦体のうちに乾を含むは上篇に編入し、坤を含むは下篇に編入す。ただし《復》は一陽の初生、《臨》は陽気の漸長、《観》は陽気の已盛、《剥》は陽気の窮極。この四卦は坤体を帯ぶるといえども、なお上篇に列す。《姤》は一陰の初生、《遯》は陰気の漸長、《大壮》は陰気の上位に盛ん、《夬》は陰気の窮極(底本はここに誤って《遯》の字を重出す)。この四卦は乾体を帯ぶるといえども、なお下篇に列す。これらを除くのほか、およそ乾体を帯ぶるはみな上篇に在り。すなわち《泰》《否》《需》《訟》《小畜》《履》《同人》《大有》《无妄》《大畜》のこの十卦である。

有坤而在上篇,皆一陽之卦也,卦五陰而一陽,則一陽為之主,故一陽之卦皆在上篇,《師》、《謙》、《豫》、《比》、《復》、《剝》也,其餘有坤者,皆在下篇,《晉》、《明夷》、《萃》、《升》也。卦一陰五陽者,皆有乾也,又陽眾而盛也,雖眾陽說於一陰,說之而已,非如一陽為眾陰主也。王弼云,一陰為之主,非也,故一陰之卦,皆在上篇,《小畜》、《履》、《同人》、《大有》也。

坤体を帯びてなお上篇に列するは、みな「一陽之卦」である。一卦のうち五爻が陰にしてただ一爻が陽なるとき、あの一画の陽爻は便ち全卦の主宰と為る。ゆえに一陽の卦はみな上篇に編む。すなわち《師》《謙》《豫》《比》《復》《剥》の六卦。其余の坤体を帯ぶるはみな下篇に編む。すなわち《晋》《明夷》《萃》《升》の四卦。一陰五陽の卦に至っては、みな乾体を帯び、しかも陽爻衆多にして気勢旺盛である。衆陽がみなあの一画の陰爻を喜悅すというも、ただそれを喜悅するに過ぎず、一陽の卦のごとく一陽によりて衆陰の主宰を為すには似ず。王弼はこの類の卦は「一陰為之主」という。この講法は正しからず。ゆえに一陰の卦もまたみな上篇に編む。すなわち《小畜》《履》《同人》《大有》の四卦。

卦二陽者,有坤則居下篇,《小過》雖無坤,陰過之卦也,亦在下篇,其餘二陽之卦,皆一陽生於下而達於上,又二體皆陽,陽之盛也,皆在上篇,《屯》、《蒙》、《頤》、《習坎》也。

卦のうちにただ両画の陽爻あるは、もし坤体を帯ぶれば下篇に帰入す。《小過》は坤体を含まざるといえども、陰気過盛の卦で、また下篇に帰入す。其余の二陽の卦は、みなあの一画の陽爻が下体に生じて能く上体に通達し、しかも上下の両三画卦がみな陽卦に属す。これは陽気の旺盛である。ゆえにみな上篇に編む。すなわち《屯》《蒙》《頤》《習坎》の四卦。

陽生於下,謂震坎在下,震生於下也,坎始於中也,達於上,謂一陽至上,或得正位,生於下而上達,陽暢之盛也,陽生於下而不達於上,又陰眾而陽寡復失正位,陽之弱也,《震》也《解》也,上有陽而下無陽,無本也,《艮》也,《蹇》也,《震》、《坎》、《艮》以卦言,則陽也,以爻言,則皆始變微也,而震之上艮之下無陽,坎則陽陷,皆非盛也,唯習坎則陽上達矣,故為盛。

いわゆる「陽生于下」とは、震卦・坎卦が下体に居るを指す。震の一陽は最下の一画に生じ、坎の一陽は中間の一画より起こる。いわゆる「達于上」とは、あの一画の陽爻が上体に上行し得る、あるいは当位の正位を取得するを指す。下体に生じて能く上に通達するは、これは陽気の暢達の盛象である。これに反して、陽気が下体に生じて上体に通ぜず、また陰爻衆多、陽爻稀少にしてしかも正位を失うに碰上すれば、それは陽気の衰弱である。《震》卦、《解》卦はまさにこのようである。上体に陽ありて下体に陽なきは、根本なきに等し。《艮》卦、《蹇》卦はまさにこのようである。震・坎・艮の三卦は卦体に就いて言えばみな陽に属すれども、爻位に就いて言えばみな剛に起変して勢頭微弱である。而して震卦の上体、艮卦の下体はいずれも陽爻なく、坎卦の陽爻はまた両陰のあいだに陥る。みな旺盛と算し得ず。ただ《習坎》の一卦のみ陽気が上達し得るゆえに、はじめて盛と算す。

卦二陰者,有乾則陽盛可知,《需》、《訟》、《大畜》、《無妄》也,無乾而為盛者,《大過》也,《離》也,《大過》陽盛於中,上下之陰弱矣。陽居上下,則綱紀於陰,《頤》是也。

卦のうちにただ両画の陰爻あるは、もし乾体を帯ぶれば、陽気の盛んなる自ずから知り得べし。すなわち《需》《訟》《大畜》《无妄》の四卦。乾体を帯びずしてなお旺盛と算するは、《大過》と《離》である。《大過》は四陽が中間に聚集して、上下の両画の陰爻は便ち衰弱を顕す。陽爻が上下両端に分居すれば、便ち綱紀のごとく中間の陰爻を統束し得る。《頤》卦はまさにこのようである。

陰居上下,不能主制於陽而反弱也,必上下各二陰,中唯兩陽,然後為勝,《小過》是也,《大過》、《小過》之名可見也,離則二體上下皆陽,陰實麗焉,陽之盛也,其餘二陽之卦,二體俱陰,陰盛也,皆在下篇,《家人》、《睽》、

これに反して、陰爻が上下両端に分居すれども、中間の陽爻を主宰制約すること能わず、かえって自身の軟弱を顕出す。必ず上下各々両画の陰爻ありて、中間にただ両画の陽爻を余せば、陰はじめて勝ち取るを算す。《小過》卦はまさにこのようである。《大過》の「大」、《小過》の「小」のこの両卦名も、すなわち強弱の別を顕示し出づる。《離》卦は上下両体の首末がみな陽爻で、陰爻は実実にそのうちに附麗し、なお陽気の盛に属す。其余の二陰の卦は(底本は「二陽」と誤る)、上下両体みな陰卦で、あれは陰気旺盛なり。ゆえにみな下篇に編む。すなわち《家人》《睽》……底本はここに脱文あり、列する卦名は挙げ尽くさず、下面に直ちに項安世の言を接ぐ。

項氏安世曰:上經言天地生萬物,以氣而流形,故始於《乾》、《坤》,終於《坎》、《離》,言氣化之本也,下經言萬物之相生,以形而傳氣,故始於《咸》、《恆》,終於《既濟》、《未濟》,言夫婦之道也。蔡氏清曰:《序卦》之義,有相反者,有相因者,相反者,極而變者也,相因者,其未至於極者也,總不出此二例。

項安世がいう:上経は天地が万物を化生するを講じ、気によりて流布して形体を成す。ゆえに《乾》《坤》より開頭し、《坎》《離》に至って収尾す。講ずるは気化の根本である。下経は万物が彼此相生するを講じ、形体によりて気機を伝遞す。ゆえに《咸》《恒》より開頭し、《既済》《未済》に至って収尾す。講ずるは夫婦の一倫の道である。蔡清がいう:《序卦伝》の卦を排する義例は、一は相反相成、一は相因相续。相反するは、事勢が極点に走り至りて便ち反転を発生す。相因するは、まだ極点に走り至らずして勢いに順い推衍し下る。全篇の次第は、総じてこの両種の体例を跳び出さず。

雑卦伝

集說 孔氏穎達曰:《序卦》依文王上下而次序之,此《雜卦》,孔子更以意錯雜而對,辨其次第,不與《序卦》同。《朱子語類》云:卦有反有對,《乾》、《坤》、《坎》、《離》是反,《艮》、《兌》、《震》、《巽》是對,《乾》、《坤》、《坎》、《離》,倒轉也只是四卦,《艮》、《兌》、《震》、《巽》倒轉則為《中孚》、《頤》、《小過》、《大過》,其餘皆是對卦。

集説:孔穎達がいう、《序卦伝》は文王の定めたる上下経の次序に依りて排列する。こちらの一篇《雑卦伝》はすなわち孔子が別に自己の用意を按じ、六十四卦を錯雑して両々対挙し、そのあいだの条理を辨明す。《序卦》の排法とは並びて相同じからず。《朱子語類》にいう:卦に「反」あり「対」あり。《乾》《坤》《坎》《離》は「反」に属す。《艮》《兌》《震》《巽》は「対」に属す。《乾》《坤》《坎》《離》は上下を倒轉すれば、なおただこの四つの卦形である。《艮》《兌》《震》《巽》は両々倒轉して相重なれば、便ち《中孚》《頤》《小過》《大過》のこの類いの倒して形体変わらざる卦を成す。この幾つかを除くのほか、六十四卦はみな両々相対して偶を成す。

又云:八卦便只是六卦,《乾》、《坤》、《坎》、《離》是四正卦,《兌》便是翻轉底《巽》,《震》便是翻轉的《艮》,六十四卦,只八卦是正卦,餘便只二十四卦,翻轉為五十六卦,《中孚》是個雙夾底離,《小過》是個雙夾的《坎》,《大過》是個厚畫底《坎》,《頤》是個厚畫底《離》。

《朱子語類》がまたいう:八つの三画卦は実はただ六つの卦形に等しい。《乾》《坤》《坎》《離》は四つの正卦で、倒してもなおそれ自身である。《兌》はすなわち《巽》の翻轉した様子、《震》はすなわち《艮》の翻轉した様子。六十四卦のうちただ八つが倒轉して変わらざる正卦で、其余は実際ただ二十八个の卦形(底本は「二十四」と作る、當に伝写の誤りなるべし)、一々に翻轉し開けばすなわち五十六卦。《中孚》は離卦の中間のあの一画の虚爻を両辺より夾み起こした様子、《小過》は坎卦の中間のあの一画の実爻を両辺より夾み起こした様子、《大過》は坎卦の陽画を加厚した様子、《頤》は離卦の陰画を加厚した様子。

又云:三畫之卦,只是六卦,即六畫之卦,以正卦八,加反卦二十有八,為三十有六,六六三十六也,邵子謂之暗卦,小成之卦八,即大成之卦六十四,八八六十四也,三十六與六十四同。

《朱子語類》がまたいう:三画の小成卦はただ六つの異なる形体あり、六画の大成卦もまた同じ道理である。倒轉して変わらざる正卦の八つを以て、両々倒轉して一形に合する反卦の二十八个を加え、合わせて共に三十六。まさに六乗じて三十六を得る。邵雍はこの三十六个を「暗卦」と称す。小成の卦は八つで、重ねて拡充して大成の卦と為ればすなわち六十四个。まさに八乗じて六十四を得る。三十六と六十四とは数目同じからざるといえども、包むところの卦体は実は同一の批である。

乾剛坤柔,比樂師憂。集說 蘇氏軾曰:有親剛樂,動眾則憂。朱氏震曰:此得位而眾從之,故樂,師犯難而眾比之,故憂,憂樂以天下也。臨觀之義,或與或求。本義 以我臨物曰“與”,物來觀我曰“求”,或曰:二卦耳有與求之義。集說 郭氏雍曰:《臨》與所臨,《觀》與所觀,二卦皆有與求之義,或有與無求,或有求無與,皆非《臨》、《觀》之道。

《雑卦伝》にいう:「乾剛坤柔、比楽師憂。」集説:蘇軾がいう、親附あれば便ち和楽し、大衆を興動すれば便ち憂労す。朱震がいう、《比》卦の九五は尊位を得て衆人が彼に帰附す。ゆえに和楽す。《師》卦の九二は危難を冒して衆人が彼に依附す。ゆえに憂労す――この憂と楽とはみな天下を念と為すの憂楽である。《雑卦伝》がまたいう:「臨観之義、或與或求。」本義:我より往きて外物に臨撫するを「與」と呼ぶ。すなわち施予である。外物が前に来りて我に仰観するを「求」と呼ぶ。すなわち求取である。別の一つの講法は、この両卦が各々「與」と「求」との両重の意を兼ねる。集説:郭雍がいう、《臨》卦に能く臨む一方と臨まれる一方あり、《観》卦に能く観る一方と観られる一方あり。両卦とも「與」「求」の二義を兼含す。もし施予あるのみにして求む所なし、あるいは求取あるのみにして施す所なければ、みな《臨》《観》の正道に合せず。

屯見而不失其居,蒙雜而著。本義 《屯》震遇坎,震動故“見”,坎險不行也,《蒙》坎遇艮,坎幽昧,艮光明也。或曰,《屯》以初言,《蒙》以二言。集說 蘇氏軾曰:“君子以經綸”,故曰“見”。“盤桓利居貞”,故曰“不失其居”。蒙以養正,蒙正未分,故曰“雜”。童明,故曰“著”。龔氏原曰:不見則不足以濟眾,不居則不足以為主。柴氏中行曰:在蒙昧之中,雖未有識別,而善理昭著。

《雑卦伝》にいう:「屯見而不失其居、蒙雑而著。」本義:《屯》卦は震が下に在りて坎が上に遇う。震は動を主る。ゆえに「見」という。すなわち顕現である。坎は険陥を為す。ゆえに軽率に前行せず。まさに「不失其居」である。《蒙》卦は坎が下に在りて艮が上に遇う。坎は幽暗で、艮は光明である。ゆえにすでに「雑」にしてまた「著」。別の一つの講法は、《屯》は初九の一爻に就いて義を取り、《蒙》は九二の一爻に就いて義を取る。集説:蘇軾がいう、《屯》卦の《大象》は「君子以経綸」を講ず。ゆえに「見」という。初九の爻辞は「盤桓、利居貞」を講ず。ゆえに「不失其居」という。《蒙》卦の《彖伝》は「蒙以養正」を講ず。蒙昧のうち正と不正とがいまだ分判せず。ゆえに「雑」という。一旦童蒙が開明すれば、是非自ずから見ゆ。ゆえに「著」という。龔原がいう、顕現せざれば衆人を救済するに足らず、安居して正を守ること能わざれば衆人の主を為すに足らず。柴中行がいう、人が蒙昧のうちに処るに、まだ明確の識別能力なきといえども、善の道理はすでに昭然として見ゆ。

震,起也。艮,止也。損益,盛衰之始也。集說 虞氏翻曰:《震》陽動行,故起。《艮》陽終止,故止。朱氏震曰:陽起於《坤》而出《震》,則靜者動,陽止於《艮》而入《坤》,則動者靜。郭氏雍曰:損已必盛,故為盛之始,益已必衰,故為衰之始,消長相循,在道常如是也。俞氏琰曰:《損》、《益》蓋未至於盛衰,而盛衰自此始也。

《雑卦伝》にいう:「震、起也。艮、止也。損益、盛衰之始也。」集説:虞翻がいう、《震》は陽気が発動して運行す。ゆえに「起」と呼ぶ。《艮》は陽気が頭に到りて停住す。ゆえに「止」と呼ぶ。朱震がいう、陽気は坤中より萌発して震に出づ。静なるは便ち轉じて動と為る。陽気は艮に到りて止住し、復た坤に帰す。動なるは便ち轉じて静と為る。郭雍がいう、減損が尽頭に至れば必然として轉盛す。ゆえに《損》は轉盛の開端である。增益が尽頭に至れば必然として轉衰す。ゆえに《益》は轉衰の開端である。消と長とは互相に循環す。天道は向來このようである。俞琰がいう、《損》《益》の両卦は自身まだ盛あるいは衰の地步に走り至らず、ただ盛衰の勢頭がここより起始するのみ。

錢氏志立曰《損》、《益》、《否》、《泰》,為盛衰反覆之介,《易》所最重者也,《雜卦》於它卦分舉,而《損》、《益》、《否》、《泰》則合舉之,以明盛衰之無常,反覆之甚速也。《周易》自《乾》、《坤》至《否》、《泰》十二卦,自《咸》、《恆》至《損》、《益》十二卦,此除《乾》、《坤》外,自《比》、《師》至《損》、《益》十卦,自《成》、《恆》至《泰》、《否》十卦。

銭志立がいう:《損》《益》《否》《泰》の四卦は盛衰反復の関節の在所で、また《周易》の最も看重する所である。《雑卦伝》は別の卦に対してはみな一卦一卦分かれて挙出すれども、ただ《損》《益》《否》《泰》に対しては合併して挙出す。まさに盛衰に常態なく、反復轉換の極めて迅速なるを表明せんと欲す。《周易》経文の次序に就いて見れば、上経は《乾》《坤》より数えて《否》《泰》に至り共に十二卦、下経は《咸》《恒》より数えて《損》《益》に至りまた共に十二卦。而してこちらの一篇《雑卦伝》は《乾》《坤》を除いて計せず、《比》《師》より数えて《損》《益》に至り共に十卦、《咸》《恒》より数えて(底本は《成》と誤る)《泰》《否》に至りまた共に十卦。前後ちょうど相當す。

大畜,時也。無妄,災也。本義 止健者,時有適然,無妄而災自外至。集說 郭氏雍曰:“君子藏器於身,待時而動”,然則“多識前言往行以畜其德”,亦以待時也,《無妄》之謂災,其餘自作孽而已,故《無妄》“匪正有眚”。

《雑卦伝》にいう:「大畜、時也。无妄、災也。」本義:剛健の力量を止住し得るは、時勢がちょうどこのようである。《无妄》はすなわち本身に虚妄なきも、禍患が外面より降臨す。集説:郭雍がいう、《繋辞伝》に「君子蔵器于身、待時而動」を講ず。それならば《大畜・大象》の「多識前言往行、以畜其徳」も、同じく時機を待つが為である。《无妄》の遇う所こそ真に「災」と称するに配す。其余の禍患はただ自己の造孽して招来するに過ぎず。ゆえに《无妄》の卦辞に「其匪正有眚」という――正道に循わざりて生ずる過失は、ただ「眚」と呼ぶ可く、「災」と呼ぶ能わず。

萃聚而升不來也,謙輕而豫怠也。集說 郭氏雍曰:謙輕己,豫怠己也,以樂豫,故心怠,是以君子貴知幾。《朱子語類》云:“輕”是不自尊重,卑少之義,“豫”是悅之極,便放倒了,如上六“冥豫”是也。項氏安世曰:自以為少,故“謙”。自以為多,故“豫”,小故“輕”,多故“怠”。柴氏中行曰:謙者視己若甚輕,豫則有滿盈之志而怠矣。張氏振淵曰:《萃》有聚而尚往之義,《升》有莊而不反之義。

《雑卦伝》にいう:「萃聚而升不來也、謙輕而豫怠也。」集説:郭雍がいう、《謙》は自己を軽く看、《豫》は自己を怠惰ならしむ。歓楽安逸に耽るにより、心志便ち松懈し下る。ゆえに君子は「知幾」を看重し、苗頭が初めて現るるに便ち警覚する所有り。《朱子語類》にいう:「軽」は自ら重く看ず、自ら処りて卑微なるの意である。「豫」は喜悅が極処に到りて、人便ち松垮し放倒す。《豫》卦の上六の「冥豫」のごときがすなわちこのようである。項安世がいう、自己に不足を覚ゆゆえに能く《謙》し、自己に有余を覚ゆゆえに《豫》に流る。自己を小と看ゆゆえに「軽」という。自ら以て多しと為すゆえに「怠」という。柴中行がいう、謙虚の人は自己を看るに極めて軽微なるがごとく、安豫の人はすなわち満盈の志を懐いて怠惰を生ず。張振淵がいう、《萃》に聚合してなお前に趨往するの意あり、《升》に一味上行して再び回返せざるの意あり。

噬嗑,食也。賁,無色也。本義 白受采。集說 郭氏雍曰:《賁》以白賁無咎,故無色則質全,有天下之至賁存焉。項氏安世曰:物消曰“食”,噬者合,則強物消矣。案 此二語之義,即所謂“食”取其充腹,衣取其蔽體者也,若飫於膏梁,則噬之不能合,而失飲食之正,若競於華美,則目迷五色,而非自然之文。

《雑卦伝》にいう:「噬嗑、食也。賁、无色也。」本義:白色の底子はじめて彩飾を承受し得る。集説:郭雍がいう、《賁》卦の上九は「白賁」を講じて過咎あらず。見るべし、雑色を施さざれば本質完全なり。天下最高の文飾はちょうどここに在り。項安世がいう、物が消去せらるるを「食」と呼ぶ。「噬」は上下が咬合す。一たび咬合し上れば、再び堅硬なるものも消掉せらる。案ずるに:この両句話の意は、すなわち常にいう飲食はその肚腹を填飽するを取り、衣服はその身体を遮蔽するを取る。假如一味に肥甘厚味を飽食せば、それは咬んでも合わず呑んでも下らず、飲食の正道を失う。假如一味に華美を競逐せば、それは五色が人眼を迷乱し、また自然本有の文采と算し得ず。

兌見而巽伏也。本義 《兌》陰外見,《巽》陰內伏。集說 何氏楷曰:《巽》本以陰在下為能巽也,《彖傳》乃為“剛異乎中正而志行,柔皆順乎剛”。《兌》本以陰在上為能說也。《彖傳》乃謂“剛中而柔外,說以利貞”,蓋終主陽也云爾。

《雑卦伝》にいう:「兌見而巽伏也。」本義:《兌》のあの一画の陰爻は外に顕露し、《巽》のあの一画の陰爻は下に潜伏す。集説:何楷がいう、《巽》はもとより陰爻を以て下位に居り、能く陽に俯就す。はじめて「巽」と呼ばれ、順入の義を取る。しかるに《巽・彖伝》はかえって「剛巽乎中正而志行、柔皆順乎剛」という(底本は「巽」の字を「異」と誤る)。《兌》はもとより陰爻を以て上位に居り、能く和悦を外露す。はじめて「兌」と呼ばれ、喜悅の義を取る。しかるに《兌・彖伝》はかえって「剛中而柔外、説以利貞」という。見るべし、《彖伝》の説を立つるは、根底に帰して結局はなお陽剛を主と為す。

隨,無故也。蠱,則飭也。本義 《隨》前無故,《蠱》後當飭。集說 俞氏琰曰:故,謂故舊,與革去故之故同,隨人則忘舊,《蠱》則飭而新也。案 無故,猶莊子言去故,人心有舊見,則不能隨人,故堯舜舍己從人者無故也。

《雑卦伝》にいう:「随、无故也。蠱、則飭也。」本義:《随》は前に往きて随順して旧事の牽绊なし。《蠱》は事がすでに後に敗壊して整整治すべし。集説:俞琰がいう、「故」は旧有の一套を指し、《革》卦の「革去故」の「故」と同義。人に随从すればすなわち自己の旧見を忘掉せねばならず、《蠱》卦はすなわち整飭を加えてそれを更新せしむるを要す。案ずるに:「无故」の説法は、《荘子》の講ずる「去故」のごとし。人心のうちに成見を存すれば、他人に随顺すること能わず。ゆえに堯・舜は能く自己の成見を舎棄して別人に聴従す。まさに「无故」の様子である。

剝,爛也。復,反也。集說 項氏安世曰:剝,爛盡。復,反生也。凡果爛而仁生,物爛而蠱生,木葉爛而根生,糞壤爛而苗生,皆《剝》、《復》之理也。徐氏幾曰:剝爛則陽窮於上,復反則陽生於下,猶果之爛墜於下,則可種而生矣。

《雑卦伝》にいう:「剥、爛也。復、反也。」集説:項安世がいう、「剥」は爛れて尽頭に至り、「復」は爛れ尽きた後に重新生発す。およそ果実が爛れて果仁が萌生し得、物体が腐爛して蠹虫が滋生し得、樹葉が爛れて根株が長養し得、糞土が腐熟して禾苗が生発し得るは、みな《剥》《復》が相续する道理である。徐幾がいう、剥落腐爛すれば、陽気は便ち上に窮尽す。復帰返生すれば、陽気は便ち重新して下に生ず。ちょうど果実が爛熟して墜落して地に至り、かえって以て下種して重新長出し得るがごとし。

晉,晝也。明夷,誅也。本義 誅,傷也。井通而困相遇也。本義 剛柔相遇而剛見掩也。集說 張子曰:澤無水,理勢適然,故曰“相遇。”朱氏震曰:往來不窮,故曰“井通”,遇陰則見掩而困,唯其時也。郭氏雍曰:“往來井井”,則其道通,田遇剛掩,所以為《困》。項氏安世曰:自《乾》、《坤》至此三十卦,正與上經之數相當,而下經亦以《咸》、《恆》為始,以此見卦雖以雜名,而《乾》、《坤》、《咸》、《恆》上下經之首,則未嘗雜也。

《雑卦伝》にいう:「晋、昼也。明夷、誅也。」本義:「誅」はすなわち損傷である。またいう:「井通而困相遇也。」本義:陽剛と陰柔とが相遇い、而して陽剛がかえって陰柔に掩蔽せらる。集説:張載がいう、《困》卦の《大象》は「沢无水」を講ず。水が沢の下に漏るるは、事理情勢もとよりこのようである。ゆえに「相遇」という。朱震がいう、井水は往来して汲取するも窮竭せず。ゆえに「井通」という。陽剛は一たび陰柔に遇えば便ち掩蔽せられて困頓す。これはただ処する時位がこのようであるのみ。郭雍がいう、《井》の卦辞は「往来井井」を講ず。見るべし、その路は通ず。《困》はすなわち陰柔が陽剛を掩蔽するに遇上るにより(底本は「因」を「田」と誤る)、ゆえに《困》を成す。項安世がいう、《雑卦》は《乾》《坤》より数えてここに至ってちょうど三十卦で、上経の卦数と相當す。而して後半はまたなお《咸》《恒》を以て頭を起こす。これにより見るべし、この一篇は「雑」を以て名とするといえども、《乾》《坤》と《咸》《恒》とが上下経の首に分居する位置は、從來かつて打乱せられたことなし。

咸,速也。恆,久也。本義 咸速,恆久。集說 蔡氏淵曰:有感則應故速,常故能久。蔡氏清曰:“咸”非訓速也,天下之事,無速於感通者,故曰“咸速”。渙,離也。節,止也。解,緩也。蹇,難也。睽,外也。家人,內也。否泰,反其類也。集說 虞氏翻曰:渙散故“離”,節制度數故“止”。

《雑卦伝》にいう:「咸、速也。恒、久也。」本義:《咸》は迅速の義を取り、《恒》は長久の義を取る。集説:蔡淵がいう、感ずる所有れば応ずる所有り。ゆえに迅速。能く常を守りて改めず。ゆえに能く長久。蔡清がいう、「咸」の字は本身「速」と訓するではない。ただ天下の事に感応相通ずるより速きはなきがゆえに「咸速」という。《雑卦伝》がまたいう:「渙、離也。節、止也。解、緩也。蹇、難也。睽、外也。家人、内也。否泰、反其類也。」集説:虞翻がいう、《渙》は水風が渙散す。ゆえに「離」と呼ぶ。《節》は節制度数してこれに限あらしむ。ゆえに「止」と呼ぶ。

張子曰:天下之難既解,故安於佚樂,每失於緩。《蹇》者“見險而止”,故為“難”。項氏安世曰;《渙》、《節》正與《井》、《困》相反,《井》以木出水,故居塞而能通,《渙》則以水浮木,故通之極而至於散也。《節》以澤上之水,故居通而能塞,《困》為澤下之水,故塞之極而至於困也。徐氏幾曰:《睽》者疏而外也,《家人》者親而內也。俞氏琰曰:《渙》、《節》皆有坎水,風以散之則離,澤以瀦之則止。徐氏在漢曰:外,猶言外之也,非內外之外,以情之親疏為內外也。

張載がいう:天下の患難がすでに解除せられれば、人は逸楽に安んじ、往々にして松弛怠緩に失す。ゆえに《解》は「緩」と訓す。《蹇》卦の《彖伝》は「見険而能止」を講ず。ゆえに《蹇》は「難」と訓す。項安世がいう:《渙》《節》の両卦はまさに《井》《困》の両卦と相反す。《井》は巽木が下、坎水が上で、木桶を用いて水を提げ出す。ゆえに閉塞の地に身を処して能く流通す。《渙》は坎水が下、巽木が上で、水を以て木を浮載す。ゆえに通ずること極処に至りてかえって流散す。《節》は兌沢が下、坎水が上で、水が沢の上面に蓄えらる。ゆえにもとより流通の地に処りて能く節制阻塞す。《困》は坎水が下、兌沢が上で、水が沢の下面に漏る。ゆえに塞がること極処に至りて便ち困窮と為る。徐幾がいう:《睽》は情意が疏远して彼此見外し、《家人》は情意が親密にして彼此相内す。俞琰がいう:《渙》《節》の両卦はみな坎水を含む。風に吹き散ぜられれば便ち「離」、沢に蓄え住せられれば便ち「止」。徐在漢がいう:この「外」の字は相手を外人と看るに等しくいうので、内卦外卦のあの「外」ではなく、情意の親疏を以て内外を分かつ。

大壯則止,遯則退也。本義 止,謂不進。集說郭氏雍曰:壯不知止,小人之壯也。君子之壯,則有止。《遯》之退,《大壯》之止,則克己之道。趙氏玉泉曰:《大壯》以“壯趾”為“凶”,“用壯”為“厲”,欲陽之知所止也,《遯》以“嘉遯”為“吉”,“肥遯”為“利”,欲陽之知所處也。何氏楷曰:壯不可用,宜止不宜躁,遯與時行,應退不應進,止者難進,退者,易退也。

《雑卦伝》にいう:「大壮則止、遯則退也。」本義:「止」は再び前に進まざるをいう。集説:郭雍がいう、強壮にして収止を知らざるは、あれは小人の強壮である。君子の強壮は、必ず止まる所有るを解す。《遯》卦の退避と《大壮》卦の収止とは、同じく自己を克制するの功夫である。趙玉泉がいう、《大壮》の初九は「壮于趾」を以て「凶」と為し、九三は「小人用壮」を以て「厲」と為す。まさに陽剛にどこに止まるべきかを知らしめんと欲す。《遯》卦の九五は「嘉遯」を以て「吉」と為し、上九は「肥遯」を以て「无不利」と為す。まさに陽剛にどこに処るべきかを知らしめんと欲す。何楷がいう、強壮は仗恃すべからず。止まるべきときは躁進すべからず。退避は時に随いて行うを要す。退くべきときは前進すべからず。能く止まる人はもとより軽進を肯ぜず、能く退く人は自然に抽身し易し。

本義 既明且動,其故多矣。集說 朱氏震曰:《大有》六五,柔得尊位而有其眾,有其眾則眾亦歸之,故曰大有眾也。《同人》六二,得中得位而同乎人,同乎人則人亦親之,故曰“同人親也”。潘氏夢旂曰:物盛則多故,旅寓則少親。

底本はここに《雑卦伝》の「大有、衆也。同人、親也。……豊、多故也、親寡旅也」の一節の本文を脱し、ただ下面の解説のみ余る。本義:《豊》卦は離明が下、震動が上で、すでに明察にしてまた行動すれば、遇上る変故は自然に多し。集説:朱震がいう、《大有》の六五は柔爻を以て尊位に居りて衆陽を擁す。能く衆人を擁すれば、衆人もまた彼に帰附す。ゆえに「大有、衆也」という。《同人》の六二はすでに中道を得また正位に當たりて人と和同し得る。能く人と和同すれば、別人もまた彼を親しむ。ゆえに「同人、親也」という。潘夢旂がいう、事物は一たび興盛に到れば変故多し。人は一たび羇旅して外に在れば、親しむべき人少なし。

離上而坎下也。本義 火炎上,水潤下。小畜,寡也。履,不處也。本義 不處行進之義。集說 龔氏原曰:柔為君,故《大有》則眾,柔為臣,故《小畜》則寡。案 寡者,一陰雖得位而畜眾陽,其力寡也,不處者,一陰不得位而行乎眾陽之中,不敢寧處也。

《雑卦伝》にいう:「離上而坎下也。」本義:火性は上に向かって燃焼し、水性は下に向かって浸潤す。またいう:「小畜、寡也。履、不処也。」本義:「不処」は停留を肯ぜず、ただ前行を管するの意である。集説:龔原がいう、同じく一陰五陽なるに、あの一画の陰爻が第五爻の君位に居るゆえに《大有》は「衆」といい、第四爻の臣位に居るゆえに《小畜》は「寡」という。案ずるに:いわゆる「寡」とは、《小畜》の六四のこの一陰は位に當たるといえども、衆陽を畜止せんと要して力量単薄なるをいう。いわゆる「不処」とは、《履》卦の六三のこの一陰は正位を得ず、なお衆陽のあいだを行走して、安然として停留すること敢えせざるをいう。

需,不進也。訟,不親也。集說 李氏舜臣曰:乾上離下為《同人》,火性炎上而趨乾,故曰“同人親也”。乾上坎下為《訟》,水性就下,與乾違行,故“不親也”。大過,顛也。姤,遇也,柔遇剛也。漸,女歸待男行也。頤,養正也。既濟,定也。歸妹,女之終也。未濟,男之窮也。夬,決也。剛決柔也。君子道長,小人道憂也。本義 自《大過》以下,卦不反對,或疑其錯簡,今以韻協之,又似非誤,未詳何義。

《雑卦伝》にいう:「需、不進也。訟、不親也。」集説:李舜臣がいう、乾が上、離が下なるは《同人》で、火性は上に向かって燃えて乾に趨就す。ゆえに「同人、親也」という。乾が上、坎が下なるは《訟》で、水性は下に向かって流れ、乾の上行と背道して馳す。ゆえに「不親也」という。《雑卦伝》の末の一節にいう:「大過、顛也。姤、遇也、柔遇剛也。漸、女帰待男行也。頤、養正也。既済、定也。帰妹、女之終也。未済、男之窮也。夬、決也、剛決柔也。君子道長、小人道憂也。」本義:《大過》以下のこの幾卦は、再び前のごとく両々倒轉相対せず。ある人は竹簡の次序が錯乱したと疑う。ただし韻脚を以て核対すれば、また錯簡には似ず。一体なんの用意を含むか、いまだ弄明白せず。

集說 韓氏伯曰:剛柔失位,其道未濟,故曰”窮也”。《朱子語類》云:女待男而行,所以為漸。又云:《雜卦》以《乾》為首,不終之以它卦,而必終之以夬者,蓋《夬》以五陽決一陰,決去一陰,則《復》為純《乾》矣。

集説:韓康伯がいう、《未済》の一卦は陽剛陰柔ともに位に當たらず、事情の路はいまだ走り通ぜず。ゆえに「男之窮也」という。《朱子語類》にいう、女子の出嫁は男方が前に来りて迎娶するを待ってはじめて動身す。ゆえに《漸》に「女帰待男行」の漸進の義あり。またいう、《雑卦伝》は《乾》を以て開頭とし、末尾に別の卦を以て収束せず、必ず《夬》を以て収束と為すは、《夬》が五陽を以てあの一画の陰爻を共決し、この一陰を決し去れば、卦体は便ち純陽の《乾》に回復するがゆえに。

項氏安世曰:《大過》之象,本未俱弱,而在雜卦之終,聖人作《易》,示天下以無終窮之理,教人以撥亂反正之法,是故原其亂之始生於《姤》,而極其勢之上窮於《夬》,以示微之當防,盛之不足畏。自《夬》而《乾》,有終而《復》始之義也。

項安世がいう:《大過》の卦象は四陽が中間に聚り、首尾の両画の陰爻はみな軟弱で、本も末も牢靠せず。それを《雑卦伝》の最後の一節に安排せり。聖人が《易》を作るは、天下に終結窮尽なきの道理を昭示し、人に乱を撥いて正に反るの办法を教えんと欲するに在り。ゆえに禍乱の萌生を推原すれば《姤》に在り――一陰が初めて下に生ず。またその形勢を推極すれば《夬》に上窮す――一陰が孤懸して上に在りて衆陽に決し去らる。これはすなわち人に告ぐるなり:細微のときこそまさに預防すべく、気焔盛大なるはかえって畏憚するに足らず。《夬》よりさらに一歩進めばすなわち純陽の《乾》で、終わりて復た始まり、循環して絶えざるの意を含む。

又曰:自《大過》以下,特皆以“男女”為言,至《夬》而明言之曰:“君子”“小人”,然則聖人之意,斷可識矣。胡氏炳文曰:本義謂自《大過》以下,或疑其錯簡,以韻協之,又似非誤。愚竊以為“雜物撰德,非其中爻不備”,此蓋指中四爻互體而言也。先天圖之左,互《復》、《頤》、

項安世がまたいう:《大過》以下のこの一段は、ことさら一律に「男」「女」を用いて措辞し、《夬》卦に到りてはじめて明白に「君子」「小人」を点出す。それならば聖人の用意は、完全に見て取って清楚たり得る。胡炳文がいう:《本義》に《大過》以下はある人が錯簡を疑うと講ずるが、韻脚を以て核対すれば、また誤りあるに似ず。私くしに以為すらく、《繋辞伝》の「雑物撰徳、辨是与非、則非其中爻不備」は、指す所はまさに二至五のこの四爻が互体して卦を成すの現象である。先天図の左半辺は、互体して得る所は《復》《頤》……底本はここに脱文あり、胡氏の挙げたる互卦の名目は列せ尽くさず、下面に直ちに朱熹《易学啓蒙》の自序を接ぐ。

易学啓蒙

聖人現象以畫卦,揲蓍以命爻,使天下後世之人,皆有以決嫌疑,定猶豫,而為迷於吉凶悔吝之途,其功可謂盛矣。然其為卦也,自本而乾,自乾而枝,其勢若有所迫而自不能已;其為蓍也,分合進退,從橫逆順,亦無往而不相值焉,是豈聖人心思智慮之所得為也哉。特氣數之自然,形於法象,見於圖書者,有以啟於其心而假手焉爾。

朱熹《易学啓蒙》の自序:聖人は物象を観察して卦体を画き、蓍草を分揲して爻位を断定し、天下後世の人をしてみなこれを借りて嫌疑を決断し猶豫を平定せしめ、吉凶悔吝の途路において迷失するに至らざらしむ(底本は「不迷」を「而為迷」と誤る)。この功労は極めて大と称し得る。しかるに卦の生成は、根本より主干を長じ、主干より枝條を長ず。その勢いはなにかに背後より逼られているがごとく、自ら停め得ず。蓍草の運算は、分かれてまた合攏し、前進してまた退回し、縦にも横にも、順推にも逆推にも、一処として恰も相值せざるなし。これはなんぞ聖人が心思智慮を憑って安排し出せるものであらんや。ただ気と数との自然の理が法象と顕現し、《河図》《洛書》の上に呈露して、聖人の心を啓発したに過ぎず。聖人はただ手を借りてそれを画き出したのみである。

近世學者,類喜談《易》而不察乎此,其專於文義者,既支離散漫,而無所根著,其涉於象數者,又皆牽合傅會,而或以為出於聖人心思智慮之所為也,若是者予竊病焉,因與同志,頗輯舊文,為書四篇,以示初學,使毋疑於其說雲。淳熙丙午暮春既望魏氏了翁曰:朱文公《易》,得於邵子為多。蓋不讀邵《易》,則茫不知《啟蒙》、《本義》之所以作。

近來の学者は大いに《易》を談ずるを好むも、かつてこの一層に留意せず。専ら文辞義理を講ずるは、説くこと支離散漫にして、附着すべき根柢なし。象数に渉るは、またすべて牽強附会で、甚だしきはこれらが聖人の心思智慮の造作に出づと以為するに至る。この種の情形に対して私くしに深く安んぜず。これにより志を同じくする朋友と一道に、前人の旧説を輯録を加えて、四篇に編成し、初学の人に拿し看せしめ、彼らをしてこれらの説法に再び疑惑せざらしむ。淳熙丙午年暮春十六日に写す。集説:魏了翁がいう、朱文公の《易》を講ずるは、邵雍より得る所最多し。もし邵雍の《易》学を読まざれば、《易学啓蒙》と《周易本義》とがなぜあのように写したかを茫然として知らざるなり。

啓蒙上・本図書第一

《易大傳》曰:“河出圖,洛出書,聖人則之。”孔安國云:“河圖者,伏羲氏王天下,龍馬出河遂則其文,以畫八卦。洛書者,禹治水時,神龜負文而列於背,有數至九,禹遂因而第之,以成九類。

《易大伝》、すなわち《繋辞上伝》にいう:「河出図、洛出書、聖人則之。」孔安国がいう:いわゆる《河図》は、伏羲氏が天下を統治したとき、竜馬が黄河の裏より出づ。伏羲は便ちその身上の纹路を取法して、因りて八卦を画成す。いわゆる《洛書》は、大禹が水を治めたとき、神亀が文理を背負いて亀背の上に排列す。数目は一直に九まで排す。大禹はここにおいてそれに依りて次第を編定し、写し成して《洪範》の九類の大法と為す。

集說 朱子答袁樞曰:以《河圖》、《洛書》為不足信,自歐陽公以來,已有此說,然終無奈《顧命》、《繫辭》、《論語》皆有是言,而諸儒所傳二圖之數,雖有交互而無乖戾,順數逆推,縱橫曲直皆有明法,不可得而破除也。至如《河圖》與《易》之天一至 劉歆云:伏羲氏繼天而王,受《河圖》而畫之,八卦是也。禹治洪水,錫《洛書》法而陳之,九疇是也。《河圖》、《洛書》相為經緯、八卦九章相為表裡。

集説:朱熹が袁枢に答えた信の裏にいう、《河図》《洛書》を以て憑信するに足らずと看作すは、欧陽修以来この主張あり。しかるに奈何せん、《尚書・顧命》《繋辞伝》《論語》の裏にみなこのような話あり。而して諸儒の伝うる両図の数目は、彼此交錯するといえども、並びて互相に抵触せず。順に数え逆に推し、縦向横向および斜向に至るまでみな明白の法則あり。実に一笔で抹掉する術なし。《河図》と《易》の天一より……に至っては底本はここに脱文あり、朱子の言は説き終えず、下面に直ちに劉歆の言を接ぐ。劉歆がいう:伏羲氏は天命を承継して王と為り、《河図》を接受して之に摹画を加う。それはすなわち八卦である。大禹は洪水を治平し、上天が《洛書》を賜い、彼はそれに依りて法を鋪陳す。それはすなわち《洪範》の九疇である。《河図》と《洛書》とは互いに経緯を為し、八卦と九章とは互いに表裏を為す。

關子明云:《河圖》之文,七前六後,八左九右,《洛書》之文,九前一後,三左七右,四前左,二前右,八後左,六後右。集說 朱子書《河圖》、《洛書》曰:讀《大戴禮》書,又得一證甚明。其《明堂》篇有“二九四七五三六一八”之語,而鄭氏注云:“法龜文也”,然則漢人固以九數者為《洛書》也。

関朗がいう:《河図》の紋数は、七を前、六を後、八を左、九を右とす。《洛書》の紋数は、九を前、一を後、三を左、七を右、四を前左角、二を前右角、八を後左角、六を後右角とす。ここにいう「前」は南方を指し、「後」は北方を指し、「左」は東方を指し、「右」は西方を指す。集説:朱熹は《書河囖洛書後》の一文の裏にいう、《大戴礼記》を読みて、また一条の極めて明白なる証拠を得たり。書中の《明堂》篇に「二九四、七五三、六一八」のこのような話あり。鄭玄の注に「これは亀背の紋理を取法す」という。見るべし、漢朝の人はもとより九個の数位のあの一幅を以て《洛書》と当作せり。

又偶讀《漫記》曰:子華子論《河圖》之二與四抱九而上躋,六與八蹈一而下沈,五居其中,據三持七,巧亦甚矣,唯其甚巧,所以知其非古書也。案 鄭注《大戴禮》是確證,至子華子,則位置雖明,但錯以《洛書》為《河圖》,故朱子疑其非古書。

朱熹がまた一則の読書随記の裏にいう:《子華子》の《河図》を論ずるは、二と四とが九を抱えて向上に躋升し、六と八とが一を踏んで向下に沈降し、五は正中に居り、左は三に拠り右は七を持つと講ず――説くこともまた巧みなること極点に到ると算し得る。まさに太も巧みなるがゆえに、それを先秦の古書に非ずと断定す。案ずるに:鄭玄が《大戴礼記》を注するあの一条は確鑿の証拠である。《子華子》に至っては、それの講ずる方位は清楚なるといえども、ただ《洛書》を錯って《河図》と當成したり。ゆえに朱子はそれが古書に非ずと疑心す。

邵子曰:圓者星也,曆紀之數,其肇於此乎。曆法合二始以定剛柔,二中以定律曆,二終以紀閏餘,足所謂曆紀也。方者土也,畫州井地之法,其仿於此乎。州有九,井九百畝,是所謂畫州井地也。蓋圓者《河圖》之數,方者《洛書》之文,故羲文因之而造《易》,禹箕敘之而作《範》也。

邵雍がいう:円なるは星象で、歴法紀年の数目を推排するは、大概ここに発端せり。歴法は両箇の起始の数を相合して剛日柔日を定め、両箇の居中の数を相合して律吕歴数を定め、両箇の終末の数を相合して閏余を記す。これがすなわちいわゆる「歴紀」である。方なるは土地で、州域を劃分し井田を経営するの办法は、大概ここに仿效せり。州は九箇あり、一井は九百畝である。これがすなわちいわゆる「画州井地」である。大体に言えば、円は《河図》の数に属し、方は《洛書》の文に属す。ゆえに伏羲・文王はそれに依りて《周易》を造り出し、大禹・箕子はそれに依りて《洪範》を排出す。

蔡元定曰:古今傳記,自孔安國劉向父子、班固皆以為《河圖》授羲,《洛書》錫禹。關子明、邵康節,皆以十為《河圖》,九為《洛書》。蓋《大傳》既陳“天地五十有五”之數,《洪範》又明言“天乃錫禹洪範九疇”,而九宮之數,戴九履一,左三右七,二四為肩,六八為足,正龜背之象也。唯劉牧臆見,以九為《河圖》,十為《洛書》,託言出於希夷,既與諸儒舊說不合,又引《大傳》以為二者皆出於伏羲之世,其《易》置圖書,並無明驗,但謂伏羲兼取圖書,則《易》、《範》之數誠相表裡,為可疑耳。

蔡元定がいう:古今の伝記は、孔安国、劉向劉歆父子より班固に至るまで、みな《河図》は伏羲に授け、《洛書》は大禹に賜うと認む。関朗と邵雍もまた十位のあの一幅を以て《河図》と為し、九位のあの一幅を以て《洛書》と為す。《繋辞伝》がすでに「天地之数五十有五」を陳述し、《洪範》がまた明らかに「天乃錫禹洪範九疇」というがゆえに。而して九宮の数目は頭に九を頂き足に一を踏み、左辺に三、右辺に七、二と四とが両肩を為し、六と八とが両足を為す。まさに亀背の形象である。ただ劉牧のみ主観臆断を憑って説を立て、九位を《河図》に當て十位を《洛書》に當て、なお辞に托して陳摶に源出すという。このようはすでに前代諸儒の旧説に合せず、彼はまた《繋辞伝》を引き、両図とも伏羲の時代に出づと主張す――彼が両図の名目を対調したるは、もとより確証なし。ただ伏羲が同時に図と書とを取用したといえば、《周易》と《洪範》の数は確かに互いに表裏を為す。この一層はなお斟酌に値す。

其實天地之理,一而已矣,雖時有古今先後之不同,而其理則不容於有二也。故伏羲但據《河圖》以作《易》,則不必豫見《洛書》,而已逆與之合矣。大禹但據《洛書》以作《範》,則亦不必追考《河圖》,而已暗與之符矣。其所以然者何戰?誠以此理之外,無復它理故也。

実に天地間の道理はただ一つである。時代に古今先後の分别あるといえども、道理は両套あるを容れず。ゆえに伏羲はただ《河図》を憑って《易》を作り、預め《洛書》を見るを用いずして、《易》はすでに先行して《洛書》と相合す。大禹はただ《洛書》を憑って《洪範》を作り、また回頭して《河図》を考究するを用いずして、《洪範》はすでに暗に《河図》と相符す。なんぞや(底本は「何哉」を「何戦」と誤る)。実にこの道理のほか、再び別の道理なきがゆえに。

然不特此爾,律呂有五聲十二律,而其相乘之數,究於六十,日名有十干十二支,而其相乘之數,亦究於六十,二者皆出於《易》之後,其起數又各不同,然與《易》之陰陽策數多少自相配合,皆為六十者無不合若符契也。下至運氣參同太乙之屬雖不足道,然亦無不相通,蓋自然之理也。

しかもただこの一件に止まらず。律吕に五声十二律ありて、両者相乗の数は六十に終止す。日名に十天干十二地支ありて、両者相乗の数もまた六十に終止す。この両套はみな《周易》の後に出現し、数を起こすの办法もまた各々相同じからざるに、《周易》の陰陽策数の多寡と互相に配搭して、およそ六十を得る所は、吻合して符节の対合するがごとくならざるなし。下って再び運気の学、《周易参同契》、太乙数の一類に説き至れば、推重するに値せざるといえども、またそれと相通ぜざる一样なし――これはみな自然而然の道理である。

假令今世復有圖書者出,其數亦必相符,可謂伏羲有取於今日而作《易》乎?《大傳》所謂“河出圖,洛出書,聖人則之”者,亦汛言聖人作《易》作《範》,其原皆出於天之意,如言“以卜筮者尚其占”,與“莫大乎蓍龜”之類,《易》之書豈有龜與卜之法子?亦言其理無二而已爾。

假使当今の世に再びこの類の図書が出現せんにも、その数も必ずそれと相符す。なんぞ伏羲が今天の図書に取材してはじめて《易》を作ったと言い得んや。《繋辞伝》のいう「河出図、洛出書、聖人則之」も、またただ泛泛と聖人が《易》を作り《洪範》を作るを講じ、その本原はみな天より出づるに過ぎず。それが「以卜筮者尚其占」といい、および「莫大乎蓍亀」の一類の話のごとし。《周易》のこの部書のうちに、なんぞ真に亀を灼き卜を行うの法式あらんや(底本は「乎」を「子」と誤る)。またただ卜と筮との道理は並びて両様ならざるを説くに過ぎず。

此一節,夫子所以發明《河圖》之數也。天地之間,一氣而已,分而為二,則為陰陽,而五行造化,萬物始終,無不管於是焉。故《河圖》之位,一與六共宗而居乎北,二與七為朋而居乎南,三與八同道而居乎東,四與九為友而居乎西,五與十相守而居乎中。蓋其所以為數者,不過一陰一陽,以兩其五行而已。

《啓蒙》の本文にいう:《繋辞》が「天一地二」より「此所以成変化而行鬼神也」のこの一節に至るは、孔子が《河図》の数を闡発するに用いるものである。天地のあいだはただ一気のみ。一を二に分かてばすなわち陰陽で、而して五行の造化、万物の始終は、これにより統攝せられざるなし。ゆえに《河図》の方位は、一と六とが同宗して北方に居り、二と七とが結伴して南方に居り、三と八とが同道して東方に居り、四と九とが友を為して西方に居り、五と十とが相守して中央に居る。そのこのような数と為る所以は、ただ一陰一陽にして、五行を各々両重に配成するに過ぎず。

所謂天者,陽之輕清而位乎上者也。所謂地者,陰之重濁而位乎下者也,陽數奇,故一三五七九皆屬乎天,所謂“天數五”也。陰數偶,故二四六八十皆屬乎地,所謂“地數五”也,天數地數,各以類而相求,所謂“五位之相得”者然也。

いうところの「天」とは、陽気のうち軽清にして上位に居るあの一面である。いうところの「地」とは、陰気のうち重濁にして下位に居るあの一面である。陽数は奇数である。ゆえに一・三・五・七・九はみな天に帰属す。これがすなわち《繋辞》のいわゆる「天数五」。陰数は偶数である。ゆえに二・四・六・八・十はみな地に帰属す。これがすなわちいわゆる「地数五」。天数と地数とは各々同類を按じて互相に配対を尋求す。これがすなわちいわゆる「五位相得」の意である。

天以一生水,而地以六成之,地以二生火,而天以七成之,天以三生木,而地以八成之,地以四生金,而天以九成之,天以五生土,而地以十成之,此又其所謂“各有合”焉者也。積五奇而為二十五,積五偶而為三十,合是二者而為五十有五,此《河圖》之全數,皆夫子之意,而諾儒之說也。至於《洛書》,則雖夫子之所未言,然其象其說,已具於前,有以通之,則劉歆所謂經緯,表裡者可見矣。

天は一を以て水を生出し、地は六を以てそれに成形せしむ。地は二を以て火を生出し、天は七を以てそれに成形せしむ。天は三を以て木を生出し、地は八を以てそれに成形せしむ。地は四を以て金を生出し、天は九を以てそれに成形せしむ。天は五を以て土を生出し、地は十を以てそれに成形せしむ――これはまた《繋辞》のいわゆる「各有合」の意である。五つの奇数を累積すれば二十五、五つの偶数を累積すれば三十、両項を合計すれば五十五。これがすなわち《河図》の全数である。そのうち天地之数を講ずるは孔子の本意で、五行生成を講ずるはすなわち漢以来諸儒の説法である(底本は「諸儒」を「諾儒」と誤る)。《洛書》に至っては、孔子はかつて説き及ばざるといえども、その図象と相関の説法は前面にすでに具備す。ただ両辺を貫通して看れば、劉歆のいうところの互いに経緯を為し互いに表裏を為すは、また見出し得るなり。

案 中間述《大傳》處,是夫子之意,天一生水之類,則是諸儒之說,蓋諸儒舊說,皆以五行說圖書,故朱子於《啟蒙》、《本義》,因而仍之,它日又曰:《河圖》、《洛書》於八卦九章不相著,未知如何也。然則朱子之意,蓋疑圖書之精蘊,不盡於諸儒之所云者爾。

案ずるに:上面のあの一段のうち、中間に《繋辞伝》を引述する所は孔子の本意である。「天以一生水」の一類は、すなわち漢以来諸儒の説法である。諸儒の旧説はみな五行を以て《河図》《洛書》を解釈す。ゆえに朱子は《易学啓蒙》と《周易本義》の裏にてもすなわちそれを沿用して下り来たり。しかるに彼はその後また言いていう:「《河図》《洛書》と八卦・九章とのあいだは並びて密合せず、一体どう講ずべきかを知らず。」このよう見れば、朱子の意は、図書の裏のあれらの精微の蘊含が、並びて諸儒の説法に講じ尽くされざるを疑心するなり。

或曰:《河圖》、《洛書》之位與數其所以不同何也?曰《河圖》以五生數統五成數而同處其方,蓋揭其全以示人而道其常,數之體也。《洛書》以五奇數統四偶數而各居其所,蓋主於陽以統陰而肇其變,數之用也。

ある人が問う:《河図》と《洛書》の方位と数目とは、なぜ彼此同じからざるか。答えて曰く:《河図》は五つの生数を用いて五つの成数を統領し、生数成数は同一の方位の上に同処す。これは全体を和盤に托出して人に見せ、常道を講ずるなり。「数之体」に属す。《洛書》は五つの奇数を用いて四つの偶数を統領し、奇数偶数は各々自己の位置の上に安居す。これは陽を主と為して陰を統領し、ここにより変化を開啓するなり。「数之用」に属す。

集說 趙氏汝楳曰:一對二,三對四,而五居中,六七合一二,八九合三四,而十合五,奇偶數對,陰陽有合,而數之體以立。聖人所謂“陰陽合德而剛柔有體”者,此其類也。

集説:趙汝楳がいう、一と二と相対し、三と四と相対し、而して五は正中に居る。六七は一二に相配し、八九は三四に相配し、十は五に相配す。奇数偶数は両々対を成し、陰陽は彼此合あり。「数之体」はこのようにして確立し起こる。《繋辞伝》のいう「陰陽合徳而剛柔有体」は、講ずる所まさにこの類の道理である。

體立矣不變則數不行,故陽以三左行,陰以二右行,三其一為三,而居東,三其三為九,而居南,三其九為二十七,而七居西,三其二十七為八十一,而一復居北,等而上之,至於億兆,其餘數之位皆然。二其二為四而居東南,二其四為八而居東北,二其八為十六,而六居西北,二其十六為三十二,而二復居西南,上而億兆亦然。八位既列,五仍居中,而數之用以通,聖人所謂“參伍以變,錯綜其數”者,此其類也。

体はすでに立ったれども、もし変動を発生せざれば、数は運行し起こらず。ゆえに陽は三を倍率として左に推行し、陰は二を倍率として右に推行す。一の三倍は三、三は便ち東方に居る。三の三倍は九、九は便ち南方に居る。九の三倍は二十七、余る七を取りて西方に居る。二十七の三倍は八十一、余る一を取りてまた北方に帰る。このようのごとく一層一層と遞推し上りて、億兆の数に至るまで、余る数の落ちる方位もまたこのようである。陰数の一辺:二の二倍は四、四は東南に居る。四の二倍は八、八は東北に居る。八の二倍は十六、余る六を取りて西北に居る。十六の二倍は三十二、余る二を取りてまた西南に帰る。上に推して億兆に至るもまたこの様子である。八つの方位すでに排定し、五はなお中央に居る。「数之用」はここにおいて貫通す。《繋辞伝》のいう「参伍以変、錯綜其数」は、講ずる所まさにこの類の道理である。

鮑氏云龍曰:以《洛書》變數推之,陽以三左行,天圓徑一圍三。三,天數也。一在北:一而三之,三在東;三其三為九,而居南;九而三之,三九二十七而居西;三其二十七為八十一,而一復居於北。北而東,東而由,南而西,西而復北,循環不窮,有以符;天道左旋之義。

鮑雲龍がいう:《洛書》の変数を以て推算すれば、陽は三を倍率として左に推行す。これは天体が円なるにより、直径が一のとき周長は三、三はすなわち天数である。一は北方に在り:一に三を乗じて三を得、三は便ち東方に在る。三に三を乗じて九を得、九は便ち南方に在る。九に三を乗じて二十七を得、余る七を取りて便ち西方に在る。二十七に三を乗じて八十一を得、余る一を取りてまた北方に帰る。北より東、東より南(底本は「東而南」を「東而由」と誤る)、南より西、西よりまた北に帰り、循環して已まず。まさに天道の自左に旋るの意に合す。

地方徑一圍四,兩其二也,蓋以地上之數起於二,而陰資以為始,位在西南而右行,二而二之為四,而居東南,二而四之為八,而居東北:二其八為十六,而居西北,二其十六為三十二,而二復居西南本位。西南而東南,東南而東北,東北而

地体は方で、直径が一のとき周長は四、四はまさに二の两倍である。地上の数が二に起こるにより、陰気はそれを憑って開端と為す。ゆえに二の本位は西南に在り、しかも右に推行す。二の二倍は四、四は東南に居る。四の二倍は八、八は東北に居る。八の二倍は十六、余る六を取りて西北に居る。十六の二倍は三十二、余る二を取りてまた西南の本位に帰る。西南より東南、東南より東北、東北より再び下に……底本はここに脱文あり、鮑氏のこの段話は説き終えず、下面に直ちに李光地の按語を接ぐ。

案 朱子此條,己盡圖書之大義。蓋以生數統成數而同處其方者,自五以前為方生之數,自五以後為既成之數。陰生則陽成,陽生則陰成,陰陽二氣,相為終始,而未嘗相離也。以奇數統偶數而各居其所者,四正之位,奇數居之;四維之位,偶數居之。陰統於陽,地統於天,天地同流,而定分不易也。揭其至以示人,而道其常者數至十而始全,缺一則不全矣。故曰數之體主於陽以統陰,而肇其變者,始於一,終於九,所以起因乘歸除之法,故曰數之用。然生成之理則明矣,而正維之位所自定者,唯趙氏鮑氏之說,為能推明其義,諸家皆不及也。

案ずるに:朱子のこの一条は、すでに《河図》《洛書》の大義を説き尽くせり。いわゆる「以生数統成数而同処其方」とは、五以前の一二三四はまさに生じつつある数、五以後の六七八九十はすでに成った数をいう。陰が生出せばすなわち陽によりてそれを成就し、陽が生出せばすなわち陰によりてそれを成就し、陰陽二気は互いに終始を為して、從來かつて相離れず。いわゆる「以奇数統偶数而各居其所」とは、東南西北の四正の位置は奇数が占拠し、東南・西南・東北・西北の四隅の位置は偶数が占拠するをいう。陰は陽に統を受け、地は天に統を受く。天地は一気のうちに同流するといえども、尊卑の定分は移易せず。「掲其全以示人而道其常」は、数が十に至ってはじめて完備と算し、一を欠けば不完備なるがゆえに「数之体」と呼ぶ。「主于陽以統陰而肇其変」は、一に始まり九に終わり、ここにより因・乗・帰・除の算法を起し出し得るがゆえに「数之用」と呼ぶ。生成の道理は固より講じ明かしたれども、四正四隅の方位がいかに定め下されたかに至っては、ただ趙汝楳・鮑雲龍の両家の説法のみがその義理を推闡し得、其余の各家はみな及ばず。

曰:其皆以五居中者何也?曰:凡數之始,一陰一陽而已矣。陽之象圓,圓者徑一而圍三,陰之象方,方者徑一而圍四,圍三者以一為一,故參其一陽而為三。圍四者以二為一,故兩其一陰而為二,是所謂“參天兩地”者也。二二之合,則為五矣,此《河圖》、《洛書》之數,所以皆以五為中也。案 三二之合,五也,一四之合,亦五也,一一二二之積,又五也,三二四四之積,又五之積也,此五所以為數之會而位之中與。

問う:両図はなぜいずれも五を以て中に居るか。答えて曰く:およそ数の開端は、ただ一陰一陽のみ。陽の象は円で、円形は直径が一のとき周長は三。陰の象は方で、方形は直径が一のとき周長は四。周長が三なるは、一を一個の単位と為す。ゆえにあの一陽を三を以て参じて三を成す。周長が四なるは、二を一個の単位と為す。ゆえにあの一陰を二にして二を成す――これがすなわち《説卦伝》のいわゆる「参天両地」。三と二と相合すればすなわち五(底本は「三二」を「二二」と誤る)。これがまさに《河図》《洛書》がともに五を以て中に居るの縁故である。案ずるに:三と二と相合は五、一と四と相合もまた五。一・一・二・二のこの幾つの数を積むもなお五を出でず、三・二・四・四のこの幾つの数を積むも、ただ五の倍積に過ぎず。五が衆数の会帰・方位の中心と為る所以は、道理はここに在り。

然《河圖》以生數為主,故其中之所以為五者,亦具五生數之象焉。其下一點,天一之象也,其卜一點,地二之象也,其左一點,天三之象也,其右一點,地四之象也,其中一點,天五之象也。

ただし《河図》は生数を主と為す。ゆえにその中央のあの五つの点は、本身もまた五つの生数の形象を具備す。下面の一点は、天一の象。上面の一点は(底本は「上」を「卜」と誤る)、地二の象。左辺の一点は、天三の象。右辺の一点は、地四の象。居中の一点は、天五の象。

《洛書》以奇數為主,故其中之所以為五者,亦具五奇數之象焉。其下一點,亦天一之象也,其左一點,亦天三之象也,其中一點,亦天五之象也,其右一點,則天七之象也,其上一點,則天九之象也,其數與位,皆三同而二異,蓋陽不可易,而陰可易,成數雖陽,固亦生之陰也。

《洛書》は奇数を主と為す。ゆえにその中央のあの五つの点は、本身もまた五つの奇数の形象を具備す。下面の一点は、同じく天一の象。左辺の一点は、同じく天三の象。居中の一点は、同じく天五の象。右辺の一点は、すなわち天七の象。上面の一点は、すなわち天九の象。両図の中央五点の数と位とは、三処相同じく、両処相異なる。これは陽に属するは改易すべからず、陰に属するは改易し得るがゆえに。七・九は陽の成数に属するといえども、生数の一・三に対して言えば、それらはなお後成の一辺に処る。

曰:中央之五,既為五數之象矣,然其為數也,奈何?曰:以數言之通乎一圖,由內及外,固各有積實可紀之數矣,然《河圖》之一二三四各居其五象本方之外,而六七八九十者,又各因五而得數,以附於其生數之外。《洛書》之一三七九,亦各居其五象本方之外,而二四六八者,又各因其類以附於奇數之側,蓋中者為主,而外者為客,正者為君,而側者為臣,亦各有條而不紊也。

問う:中央の五はすでに五つの数の形象なれば、それ自身を数として就いて言えば、またどう講ずべきか。答えて曰く:ただ数目に就いて言えば、整幅の図を通看し、裏より外に向かい、もとより各々実在に計点し得べき数目あり。ただし《河図》の一二三四は、各々中央の五象の対する本方の外面に居り、而して六七八九十はまた各々中央の五に因りて数を加出し、各自の生数の外側に附す。《洛書》の一三七九もまた、各々中央の五象の対する本方の外面に居り、而して二四六八はまた各々同類に依りて奇数の傍に附す。総じて中に居るは主、外に在るは客、正位に居るは君、側位に居るは臣で、各々条理ありて紊乱せず。

集說 翁氏泳曰:《河圖》東北陽方,則主之以奇,而與合者偶,西南陰方,則主之以偶,而與合者奇。吳氏曰慎曰:陽始北而終西,一三陽尚微,故居內。七九陽盛而著於外也,必實其中而後能著乎外,故五居中。陰始南而終東,二四陰尚微,故居內。六八陰盛而凝於外也,必堅乎外而後能實其內,故十居中。自中而外,陽之生長,自外而中,陰之收藏,觀於草木之枝葉果實,亦可見矣。

集説:翁泳がいう、《河図》の東方北方は陽に属す。すなわち奇数を主と為し、それと相配合するは偶数である。西方南方は陰に属す。すなわち偶数を主と為し、それと相配合するは奇数である。呉曰慎がいう、陽は北方より起こり、西方に至って終わる。一と三とは陽気まだ微弱ゆえに裏層に居る。七と九とは陽気盛大にして外層に顕露す。必ず先に内裏を充実せしめて、しかるのちに外に顕発し得る。ゆえに五は中央に居る。陰は南方より起こり、東方に至って終わる。二と四とは陰気まだ微弱ゆえに裏層に居る。六と八とは陰気盛大にして外層に凝聚す。必ず先に外囲を堅固にして、しかるのちに内裏を充実し得る。ゆえに十は中央に居る。中央より外に向かうは陽気の生長、外より中央に向かうは陰気の収蔵。草木が先に枝葉を発して後に果実を結ぶの過程を見れば、すなわち明白にし得るなり。

五,生數之終,十,成數之終,而藏於中,此“太和”之所以“保合”深固,而生機之所以充實於內也。案 此段即與上生數統成數奇數,統偶數一段相發明。以生數統成數者,生數常居內而為主,成數常居外而為客。如一歲之寒暑往來,一月之陰魄死生,一日之晝夜進退,

呉曰慎がまたいう:五は生数の末位、十は成数の末位で、両者とも中央に収蔵す。これがまさに《乾・彖伝》のいう「保合太和」の深厚牢固なる所以、生機の内に充実する所以の縁故である。案ずるに:この一段はちょうど上面の「以生数統成数、以奇数統偶数」のあの一段と互相に発明す。いわゆる以生数統成数とは、生数はつねに内に居りて主を為し、成数はつねに外に居りて客を為すをいう。一年のうちの寒暑の往来、一月のうちの月魄の生死、一日のうちの昼夜の進退のごとし……底本はここに脱文あり、按語は説き終えず、下面に直ちに《啓蒙》本文の問答を接ぐ。

曰:其多寡之不同何也?曰:《河圖》主全,故極於十,而奇偶之位均,論其積實,然後見其偶贏而奇乏也。洛書主變,故極於九,而具位與實,皆奇贏而偶乏也。必皆虛其中也,然後陰陽之數,均於二十而無偏耳。案 此段亦與上段數之體、數之用相發明。

問う:両図の数目の多と少とはなぜ同じからざるか。答えて曰く:《河図》は完備を主と為す。ゆえに数は十に至って止まり、奇位偶位各々五つを占め、两下均等である。各位の実数を累加するに及んで、はじめて偶数三十、奇数二十五を見出し、偶多くして奇少なし。《洛書》は変化を主と為す。ゆえに数は九に至って止まり、位次を論ずるも実数を論ずるも、みな奇数が五位を占めて共に二十五、偶数が四位を占めて共に二十、奇多くして偶少なし。必ず両図の中央の数を一併に虚去して計せざるを要し、しかるのちに陰陽両辺の数はじめて各々二十を得て、均平にして偏重なし。案ずるに:この一段もまた上の一段の「数之体」「数之用」を講ずると互相に発明す。

曰:其序之不同何也?曰《河圖》以生出之次言之,則始下次上次左次右以復於中,而又始下也。以運行之次言之,則始東次南次中次西次北,左旋一周而又始於東也。其生數之在內者,則陽居下左而陰居上右也,共成數之在外者,則陰居下左,而陽居上右也。《洛書》之次,其陽數,則首北次東次中次西次南,其陰數,則首西南次東南次西北次東北也。合而言之,則首北次西南次東次東南次中次西北次西次東北而究於南也。

問う:両図の次序の不同はまたどう講ずるか。答えて曰く:《河図》はもし生出の先後を按じて言えば、先に下面北方の一、次に上面南方の二、次に左辺東方の三、次に右辺西方の四、中央の五に回り、しかるのちにまた下面北方の六より重新開始す。もし五行運行の先後を按じて言えば、先に東方の木、次に南方の火、次に中央の土、次に西方の金、次に北方の水、左に旋りて一周し、また東方より頭を起こす。そのうち内に居る生数は、陽数は下方と左方に在り、陰数は上方と右方に在る。外に居る成数は、すなわち陰数は下方と左方に在り、陽数は上方と右方に在る。《洛書》の次序は、陽数に就いて言えば、先に北方の一、次に東方の三、次に中央の五、次に西方の七、次に南方の九。陰数に就いて言えば、先に西南の二、次に東南の四、次に西北の六、次に東北の八。合わせて通じて言えば、すなわち先に北、次に西南、次に東、次に東南、次に中、次に西北、次に西、次に東北、而して南方に終結す。

其運行,則水克火,火克金,金克木,木克土,右旋一周,而土復克水也,是亦各有說矣。曰:其七八九六之數不同何也?曰《河圖》六七八九,既附於生數之外矣,此陰陽老少進退饒乏之正也,其九者,生數一三五之積也,故自北而東,自東而西,以成於四之外。其六者,生數二四之積也,故自南而西,自西而北,以成於一之外。七則九之自西而南者也,八則六之自北而東者也,此又陰陽老少、互藏其宅之變也。

《洛書》の運行に至っては、水が火に剋ち、火が金に剋ち、金が木に剋ち、木が土に剋ち、右に旋りて一周し、而して土はまた轉じ回りて水に剋つ。これもまた各々その説法あり。問う:七・八・九・六のこの四つの数は両図の裏にてなぜ同じからざるか。答えて曰く:《河図》の六七八九はすでに生数の外囲に附す。これは陰陽老少進退多寡の正例である。そのうちの九は、生数の一・三・五を累加した和である。ゆえに北より東、東より西に至り、四の外面に成形す。そのうちの六は、生数の二・四を累加した和である。ゆえに南より西、西より北に至り、一の外面に成形す。七は九が西方より南方に移りしもの、八は六が北方より東方に移りしもの――これはまた陰陽老少が互いに対方の居所の裏に蔵するの変例である。

《洛書》之縱橫十五而七八九六,迭為消長,虛五分十,而一含九,二含八,三含七,四含六,則參伍錯綜,無適而不遇其合焉,此變化無窮之所以為妙也。曰:然則聖人之則之也,奈何?曰:則《河圖》者虛其中,則《洛書》者總其實也。《河圖》之虛五與十者,太極也,奇數二十偶數二十者,兩儀也。以一二三四為六七八九者,四象也,析四方之合,以為乾坤離坎,補四隅之空,以為兌震巽艮者,八卦也。

《洛書》は縦にも横にも相加すればみな十五で、而して七・八・九・六はそのあいだにて輪番に消長す。中央の五を虚去し、再び十を分派し開かば、ここにおいて一と九と相含み、二と八と相含み、三と七と相含み、四と六と相含み、三三五五錯綜配搭して、一処として恰も十に凑成せざるなし。これがすなわちそれの変化無窮の奇妙の処である。問う:それならば聖人の両図に取法するは、一体どう取ったか。答えて曰く:《河図》に取法するは、その中央を虚去す。《洛書》に取法するは、その実数を総括す。《河図》が五と十とを虚去すれば、余るはすなわち太極。奇数二十、偶数二十はすなわち両儀。一二三四を配成して六七八九と為せばすなわち四象。四正方位の上の生成両数の合処を剖き開き、乾・坤・離・坎に配し、再び四隅の空缺を補して兌・震・巽・艮に配せば、すなわち八卦である。

《洛書》之實,其一為五行,其二為五事,其三為八政,其四為五紀,其五為皇極,其六為三德,其七為稽疑,其八為庶徽,其九為福極,其位與數尤曉然矣。

《洛書》の総括する実数は、一は《洪範》の「五行」に対応し、二は「五事」に対応し、三は「八政」に対応し、四は「五紀」に対応し、五は「皇極」に対応し、六は「三徳」に対応し、七は「稽疑」に対応し、八は「庶征」に対応し(底本は「征」を「徽」と誤る)、九は「五福六極」に対応す。方位と数目との対応は、ここにてとくに一目了然である。

集說 《朱於語類》云:《洛書》本文,只四十五點。班固云:六十五字,皆《洛書》本文,古字畫少,恐或有模樣,但今無所考。漢儒此說未是,恐只是以義起之,不是數如此,蓋皆以天道人事參互言之:五行最急,故第一;五事又參之,故第二;身既修,可推之於政,故八政次之;政既成,又驗之於天道,故五紀次之;

集説:《朱子語類》(底本は「子」を「于」と誤る)にいう、《洛書》の本文はただ四十五個の点のみ。班固は《洪範》の裏のあの六十五個の字はみな《洛書》の本文という。古時の字体は笔画簡省ゆえに、あるいは真にあのような写法ありしか。ただ今天考証する術なし。漢儒のこの説法は必ずしも対ならず。九疇の次第はおそらくただ義理を按じて排出したのみで、《洛書》の数が本身このようとは並びて非ざる。九疇は大体天道と人事とを交錯して講ず。五行は最も切要ゆえに第一に列す。五事はまた五行を参照するを須む。ゆえに第二に列す。自身すでに修治せられれば、政事の上に推行し得る。ゆえに八政を第三に列す。政事すでに辧成せられれば、また天時を以て験証するを要す。ゆえに五紀を第四に列す。

又繼之以皇極居五,蓋能推五行,正五事,用八政,修五紀,乃可以建極也,六三德,乃是權衡此皇極者也,德既修矣,稽疑庶徵繼之者,著其驗也,又繼之以福極,則善惡之效,至是不可加矣,皇極非大中也,皇乃天子,極乃極至,言皇建此極也。

これに接ぐは皇極が第五位に居る。必ず能く五行を推明し、五事を端正し、八政を施行し、五紀を修治して、しかるのちにはじめて至極の準則を建立するを談じ得るがゆえに。第六の三徳は、この皇極を権衡し、時に随い軽重取舍するに用いる。徳すでに修成せられれば、再接ぐに稽疑と庶征とを以てし、その応験を顕示するに用いる。また再接ぐに五福六極を以てすれば、善悪の招致する効果は、ここに至りて再び添加すべきなし。いわゆる「皇極」は「大中」の意ではない。「皇」は天子を指し、「極」は至極の準則を指し、天子がこの準則を建立起こすを説く。

吳氏曰慎曰:《河圖》虛中宮以象太極,故周子曰“無極而太極”,《洛書》主中五以為皇極,故曰皇建其有極。陰陽皆自內始生,窮外而盡,觀四時之寒暑相推,萬物之榮枯生死可見。《河圖》 《洛書》上三數象天,中三數象人,下三數象地,人能參天地,贊化育,建中和,故歸重於五皇極焉。

呉曰慎がいう:《河図》は中宮を虚去して太極を象徴す。ゆえに周敦頤は「无極而太極」という。《洛書》は中央の五を以て主と為して皇極と立つ。ゆえに《洪範》は「皇建其有極」という。陰陽はみな内裏より生発し始め、一直に最外層に窮尽するまで至る。四季寒暑の遞相推移、万物の栄枯生死を看れば、すなわち明白にし得るなり。《河図》……《洛書》(底本はここに脱文あり、両書名のあいだの話はすでに缺く)上面の三つの数は天を象徴し、中間の三つの数は人を象徴し、下面の三つの数は地を象徴す。人は能く天地と並立して三を為し、天地の化育を輔助し、中和の徳を建立す。ゆえに九疇は重きを第五の皇極に帰す。

案 吳氏三條,於圖書卦疇,深有發明。所謂無極有極雲者,則《易》、《範》之第一義也,其以先天圖合《河圖》,語尤真切。聖人所謂則之者,為其理之符契耳,豈必規規於點畫方位而求密合哉!

案ずるに:呉曰慎のこの三条は、《河図》《洛書》と八卦九疇との関係に対して、甚だ発明あり。彼のいう「无極」「有極」は、まさに《周易》と《洪範》の第一義である。彼が先天図を以て《河図》に比合するは、話はとくに貼切を説き得たり。聖人のいわゆる「則之」は、ただその道理の上の相符相合を取るに過ぎず。なんぞ必ず点数画位を死に摳り、処処にその密合を求めざるべからざらんや。

《洛書》以四正之參數象天,四隅之兩數象地,中宮之合數象人,吳氏分三重者,似亦本於《大戴禮》子華子之說,然今以《洪範》考之,蓋始於一二三,中於四五六,終於七八九,而各以相天道,建主極,協民居,為之先後次第,自日用飲食修己治人之近,層累增高,至於上下同流而後已焉,皆所謂得其理而不規規於點畫方位以求密合者。大抵《易》卦以八為節,其根起於兩儀也,《範疇》以九為節,其根起於三才也,知《易》、《範》所起之根,則知“圖書”所蘊之妙矣。

《洛書》は四正位の上の奇数を以て天を象徴し、四隅位の上の偶数を以て地を象徴し、中宮の合成する数を以て人を象徴す。呉氏はそれを三層に分かちて看る。もしかするとまた《大戴礼記》と《子華子》の説法に本づく。ただし今天《洪範》を以て核対すれば、九疇は大体一・二・三に始まり、四・五・六に中り、七・八・九に終わり、各々天道を輔相し、君極を建立し、民居を協和するを以て先後の次第と為す。日用飲食、修己治人のこれら切近の処より歩を起こし、一層一層と上に加高し、天地上下と同流するに至って罷む。これらはみなその義理の相通ずるを取りて、点数方位を死に摳りて密合を求めざるの做法に属す。大体に言えば、《易》の卦は八を以て一個の節段と為し、根子は両儀に起こる。《洪範》の疇は九を以て一個の節段と為し、根子は三才に起こる。《易》と《范》とが数を起こすの根子を解れば、すなわち《河図》《洛書》の蘊含する奥妙をも解す。

曰:《洛書》而虛其中,則亦太極也,奇偶各居二十,則亦兩儀也,一二三四而含九八七六,縱橫十五而互為七八九六,則亦四象也,四方之正,以為乾坤離坎,四隅之偏,以為兌震巽艮,則亦八卦也。《河圖》之一六為水,二七為火,三八為木,四九為金,五十為土,則固《洪範》之五行,而五十有五者,又九疇之子目也,是則《洛書》固可以為《易》,而《河圖》亦可以為《範》矣。且又安知“圖”之不為書,“書”之不為“圖”也邪!

問う:《洛書》はもし中央を虚去せば、あれもすなわち太極である。奇数偶数各々二十を占めれば、あれもすなわち両儀である。一二三四が各々九八七六を含み、縦横相加してみな十五にして七八九六が互相に配換すれば、あれもすなわち四象である。四方の正位を乾・坤・離・坎に配し、四隅の偏位を兌・震・巽・艮に配せば、あれもすなわち八卦である。《河図》に至っては、一と六とを水と為し、二と七とを火と為し、三と八とを木と為し、四と九とを金と為し、五と十とを土と為すは、もとより《洪範》の五行である。而して五十五のこの総数は、またまさに九疇の下の各条細目の数目である。このよう見れば、《洛書》は固より《周易》を推出し得べく、《河図》もまた同じく《洪範》を推出し得べし。それならばまたなんぞ図がすなわち書にあらず、書がすなわち図にあらざるを知らんや。

曰:是其時雖有先後,數雖有多寡,然其為理則一而已。但《易》乃伏羲之所先得乎“圖”,而初無所待於“書”,《範》則大禹之所獨得乎“書”,而未必追考於“圖”耳。且以《河圖》而虛十,則《洛書》四十有五之數也,虛五則大衍五十之數也,積五與十,則《洛書》縱橫十五之數也,以五乘十,以十乘五,則又皆大衍之數也。

答えて曰く:両図の出現の時代は先後あるといえども、数目は多少あるといえども、そのうちの道理はただ一つである。ただ《周易》は伏羲が先に《河図》より得たるで、当初かつて《洛書》を借助せず。《洪範》は大禹が単に《洛書》より得たるで、また必ずしも回頭して《河図》を考究せず。何況や《河図》の十を虚去すれば、余るはまさに《洛書》四十五の数。五を虚去すれば、余るはまさに大衍五十の数。五と十と相加えば十五を得、まさに《洛書》の縦横相加の十五の数。五に十を乗じ、十に五を乗じてみな五十を得、またみな大衍の数である。

《洛書》之五,又自含五而得十,而通為大衍之數矣,積五與十,則得十五,而通為《河圖》之數矣,苟明乎此,則橫斜曲直,無所不通,而《河圖》、《洛書》,又豈有先後彼此之間哉!

《洛書》の中央の五は、本身に再び一つの五を含めばすなわち十を成し、四十と合わせて便ち通じて大衍五十の数と為る。五と十と相加えば十五を得、八方相加え合わせて便ち通じて《河図》の数と為る。もしこの一層を看明白にせば、それならば横に算え、斜に算え、曲に算え、直に算え、一路として通ぜざるなし。《河図》と《洛書》とのあいだには、またなんぞ先後彼此の界限を分かち出さんや。

啓蒙上・原卦画第二

朱子答袁樞曰:伏羲之《易》,初無文字,只有一圖以寓其象數,而天地萬物之理,陰陽始終之變具焉。文王之《易》,即今之《周易》,而孔子所為作《傳》者是也。孔子既因文王之《易》以作《傳》,則其所論,固當專以文王之《易》為主,然不推本伏羲作《易》畫卦之所由,則學者只從中半說起,不識向上根原矣,故“十翼”之中,如“八卦成列”“因而重之”,太極兩儀四象八卦,而天地山澤雷風水火之類,皆本伏羲畫卦之意。今新書原卦畫一篇,亦分兩義,伏羲在前,文王在後。

朱熹が袁枢に答えた信の裏にいう:伏羲の《易》は起初文字なく、ただ一幅の図を以てその象と数とを寄托し、而して天地万物の道理、陰陽始終の変化は、みなその裏頭に包含せり。文王の《易》は、すなわち今天の《周易》経文で、すなわち孔子がそれに《伝》を作りたるあの一部である。孔子はすでに文王の《易》に就いて《伝》を作るなれば、それの論述する所は自然まさに文王の《易》を専ら主とすべし。しかるにもし伏羲の《易》を作り卦を画くの由来を追溯せざれば、学者はただ中間の一半より講じ起こし、さらに上一層の根源を認め得ざる。ゆえに「十翼」のうち、《繋辞》の「八卦成列」「因而重之」のごとき、および太極・両儀・四象・八卦、また天・地・山・沢・雷・風・水・火のこの一類の説法は、みな伏羲が卦を画くの用意に本づく。如今新しく編むこの部書の裏の《原卦画》の一篇も、また両層の意思に分かつ。伏羲のを前にし、文王のを後にす。

古者包羲氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。《大傳》又言包羲畫卦所取如此,則《易》非獨以《河圖》而作也,蓋盈天地之間,莫非太極陰陽之妙,聖人於此,仰觀俯察,遠求近取,固有以超然而默契於其心矣。

《繋辞下伝》にいう:古時に包羲氏が天下を統治したとき、頭を擡げれば天上の物象を観察し、頭を低れば地上の法則を観察し、鳥獣の紋理と土地の所宜とを観察し、近処は自身に象を取り、遠処は万物に象を取り、ここにおいてはじめて八卦を画出し、以て神明の徳性を会通し、以て万物の情状を分類せんとす。《啓蒙》本文にいう:《繋辞伝》がまた包羲の卦を画くに取材した対象がこのようであるを講ずれば、見るべし、《易》は並びて単に《河図》を憑って作り出したに非ず。天地之間に充満する一切は、ただ太極陰陽の妙用ならざるなし。聖人はこの上頭において仰観俯察し、遠求近取して、もとより形迹の外に超然として、心に黙然契合するの領会あり。

故自兩儀之末分也,渾然太極,而兩儀四象六十四卦之理,已粲然於其中。自太極而分兩儀,則太極固太極也,兩儀固兩儀也,自兩儀而分四象,則兩儀又為太極,而四象又為兩儀矣,自是而推之,由四而八,由八而十六,由十六而三十二,由三十二而六十四,以至於百千萬億之無窮。

ゆえに両儀がまだ分かれざるときに當たりて(底本は「未分」を「末分」と誤る)、浑然としてただ一つの太極あり。而して両儀・四象より六十四卦に至るまでの道理は、すでに燦然としてそのうちに完備す。太極より両儀を分出せば、それならば太極は自ずから太極、両儀は自ずから両儀である。再び両儀より四象を分出せば、それならば両儀はまた轉じて太極を做し、四象はまた轉じて両儀を做す。このようのごとく推衍し下れば、四より八、八より十六、十六より三十二、三十二より六十四に至り、一直に百千万億に推し至るも窮尽なし。

雖其見於摹畫者,若有先後而出於人為,然其已定之形,已成之勢,則固已具於渾然之中,而不容毫髮思慮作為於其間也。程子所謂加一倍法者,可謂一言以蔽之,而邵子所謂畫前有《易》者,又可見其真不妄矣,世儒於此,或不之察,往往以為聖人作《易》,蓋極其心思探索之巧而得之,甚者至謂凡卦之畫,必由蓍而後得,其誤益以甚矣。

これらの卦画が紙面の上に呈現するとき、看るに先後ありて人力の安排に出ずるがごとし。実はあのすでに確定した形状、すでに形成した趨勢は、もとより完完全に浑然一体の太極の裏に具備して、人をして中間に一絲一毫の思慮造作を加え入るるを容れず。程顥のいうところの「加一倍法」は、一句話を以てそれを概括し尽くしたと言い得べし。邵雍のいうところの「画前有易」もまた、ここより見出して確かに虚妄の談に非ず。世上の学者はこの一層に対してあるいは体察を加えず、往々にして聖人の《易》を作るは心思を費尽し探索して巧を得てはじめて得たと以為す。さらに甚だしきは、およそ卦画は必ず先に蓍を揲してしかるのちに得る能うと競って言うに至りては、それは錯ることさらに甚だし。

集說 謝氏良佐曰:堯夫《易》數甚精,明道聞說甚熟,一日因監試無事,以其說推算之皆合,出謂堯夫曰:堯夫之數,只是加一倍法,以此知《太玄》都不濟事。朱子答虞大中曰:太極兩儀四象八卦,此乃《易》學綱領,開卷第一義,孔子發明伏羲畫卦自然之形體,孔子而後;千載不傳,唯康節明道二先生知之,蓋康節始傳先天之學而得其說,且以此為伏羲之《易》也。《說卦》天地定位一章,“先天圖”乾一至坤八之序皆本於此,然康節猶不肯大段說破《易》之心髓全在此處。不敢容易輕說,其意非偶然也。明道以為加一倍法,其發明孔子之言,又可謂最切要矣。

集説:謝良佐がいう、邵堯夫の《易》数を講ずるは極めて精密で、程明道は彼の講ずるを熟く聴けり。ある日明道は科挙を監考し、閑きに事なきに就き、邵氏の説法に照らして一遍推算したれば、結果はみな吻合せり。出でて堯夫に対していう:「あなたのこの套の数は、ただ加一倍の办法に過ぎず。」これにより揚雄の《太玄》は全く頂用せざるを知るべし。朱熹が虞大中に答えた信の裏にいう:太極・両儀・四象・八卦、これは《易》学の綱領、開巻の第一層の要義で、孔子が伏羲の卦を画くときの自然生成の形体を闡発するに用いたものである。孔子以後千余年かつて伝え下らず、ただ邵康節・程明道の两位先生のみ解せり。康節は最も先に先天の学を伝え得てその説法を掌握し、しかもこれがすなわち伏羲の《易》と認定せり。《説卦伝》の「天地定位」のあの一章は、先天図が乾一より坤八に排する次序はみなこれに本づく。ただし康節はなお痛快に点破することを肯ぜず――《易》の心髄は全くこの箇所に在り、彼は軽易に出口すること敢えせず。この用心は偶然に非ず。明道はそれを「加一倍法」と概括し、以て孔子の言を闡発す。これもまた最も切要と言い得べし。

《易》有太極太極者,象數未形,而其理已具之稱,形器已具,而其理無聯之目,在《河圖》、《洛書》,皆虛中之象也。周子曰:“無極而太極。”邵子曰:“道為太極。”又曰:“心為太極。”此之謂也。

《繋辞》に「易有太極」という。《啓蒙》の解釈に曰く:いわゆる太極とは、象数がまだ成形せざるにしてその道理はすでに完備なるに就いて立つる名称で、また形体器物がすでに具備してその道理が迹を尋ね得ざるに就いて立つる名目である(底本は「无朕」を「无聨」と誤る)。《河図》《洛書》の上において、それはみな中央に虚去して用いざるあの象と表現す。周敦頤の「无極而太極」、邵雍の「道為太極」、また「心為太極」は、講ずるはみなこの意である。

案 太極之在《易》書者雖無形,然乾即太極也,偏言之,則可以與坤對,亦可以與“六子”並列,專言之,則地一天也,“六子”亦一天也。故程子曰:夫天,專言之則道也,以形體言謂之天,以主宰言謂之帝,以妙用言謂之神,以性情言謂之乾,其言可謂至矣。雖然畫卦之初亦未有乾之名,其始於一畫者即是也,摹作圓形者,始自周子,朱子蓋借之以發《易》理之宗,學者不可誤謂伏羲畫卦,真有是象也。

案ずるに:太極は《周易》のこの部書の裏に形体なきといえども、しかるに乾はすなわち太極である。分かちて言えば、乾は坤と相対し得、また震・坎・艮・巽・離・兌の「六子」と並列し得る。合わせて言えば、それならば坤もまたただこの一つの天、六子もまたただこの一つの天である(底本は「乾一天也」を「地一天也」と誤る)。ゆえに程頤がいう:「天に就いて論ずれば、合わせて言えばすなわち道。形体より言えば天と呼び、主宰より言えば帝と呼び、妙用より言えば神と呼び、性情より言えば乾と呼ぶ。」この話は極処に講じ至ったと言い得べし。このようであるといえども、卦を画くの初めには実はまだ「乾」のこの名称なく、あの最初の一画がすなわち太極である。太極を摹画して一個の圏圏と為すは、周敦頤より始まる。朱子はただそれを借りて《易》理の宗本を点明したに過ぎず。学者は伏羲が卦を画くとき真にこのような一個の円形の象ありと誤認すべからず。

太極之判,始生一奇一偶,而為一畫者二,是為兩儀,其數則陽一而陰二,在《河圖》、《洛書》則奇偶是也。周子所謂“太極動而生陽,動極而靜,靜而生陰,靜極復動,一動一靜,互為其根,分陰分陽,兩儀立焉”,邵子所謂“一分為二”者,皆謂此也。

太極は一たび分判を経れば、最初に一奇一偶を生出し、ただ一画のみの両個の符号を成す。これがすなわち両儀である。数目に就いて言えば、陽は一、陰は二。《河図》《洛書》の上においては、すなわちあれらの奇数と偶数である。周敦頤の《太極図説》が「太極動而生陽、動極而静、静而生陰、静極復動、一動一静、互為其根、分陰分陽、両儀立焉」を講じ、邵雍の講ずる「一分為二」は、説くはみなこの一層である。

集說 朱子答袁樞曰:如所論兩儀,有曰乾之畫奇,坤之畫偶,只此乾坤字便未穩當,蓋儀,匹也,如俗語所謂一雙一對云耳,自此再變至第三畫,八卦已成,方有乾坤之名。當其為一畫之時,方有一奇一偶,只可謂之陰陽,未得謂之乾坤也。

集説:朱熹が袁枢に答えていう:あなたの両儀を論ずるがごとき、「乾の画は奇、坤の画は偶」と講ずるは、単にこの「乾」「坤」の二个字がすでに妥当ならず。「儀」は匹配の意で、俗にいう一双一対のごとし。ここより再び変じて第三画に至りて、八卦はじめて完成を告げ、あのときはじめて乾・坤のこれらの名称あり。それがまだただ一画のときは、ただ一奇一偶に過ぎず、ただ陰陽と呼ぶ可く、まだ乾坤と呼ぶ能わず。

兩儀生四象“兩儀”之上,各生一奇一偶,而為二畫者四,是謂“四象”,其位則太陽一;少陰二;少陽三;太陰四。其數則太陽九;少陰八;少陽七;太陰六。以《河圖》言之,則六者一而得於五者也,七者二而得於五者也,八者三而得於五者也,九者四而得於五者也。以《洛書》言之,則九者十分一之餘也,八者十分二之餘也,七者十分三之餘也,六者十分四之餘也。周子所謂“水火木金”,邵子所謂“二分為四”者,皆謂此也。

《繋辞》に「両儀生四象」という。《啓蒙》の解釈に曰く:両儀の上において、各々再び一奇一偶を生じ、両画の四個の符号を成す。これを「四象」と呼ぶ。位次に就いて言えば、太陽第一、少陰第二、少陽第三、太陰第四。数目に就いて言えば、太陽は九、少陰は八、少陽は七、太陰は六。《河図》を以て講ずれば、六は一に中央の五を加えて得、七は二に五を加えて得、八は三に五を加えて得、九は四に五を加えて得る。《洛書》を以て講ずれば、九は十が一を減じて余り、八は十が二を減じて余り、七は十が三を減じて余り、六は十が四を減じて余る。周敦頤の《太極図説》の講ずる「水火木金」の四者、邵雍の講ずる「二分為四」は、説くはみなこの一層である。

集說 朱子答程迥曰:所謂“兩儀”為乾坤初爻,“四象”為乾坤初二,相錯而成,則恐立言有未瑩者,蓋方其為“兩儀”,則未有“四象”也,方其為“四象”,則未有八卦也,安得先有乾坤之名,初二之辨哉?“兩儀”只可謂之陰陽,“四象”方有太少之別,其序以太陽少陰少陽太陰為次,此序既定,遞升而倍之,適得乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八之序也。

集説:朱熹が程迥に答えていう:あなたの講ずる「両儀」は乾坤の初爻、「四象」は乾坤の初爻二爻が互相に交錯して成るは、この説法はおそらくまだ明白に足らず。それがまだ「両儀」のときは、「四象」あらず。それがまだ「四象」のときは、八卦あらず。なんぞ先に乾坤の名目、初爻二爻の分别あらんや。「両儀」はただ陰陽と呼ぶ可く、「四象」に到りてはじめて太・少の区別あり。次序は太陽、少陰、少陽、太陰。この次序すでに定まり、一級級上に加倍して、恰も乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八のこの一串の次序を得出す。

又答袁樞曰:“四象”之名,所包甚廣,大抵須以兩畫相重四位成列者為正,而一二三四者其位之次也,七八九六者,其數之實也。其以陰陽剛柔分之者,合天地而言也,其以陰陽太少分之者,專以天道而言也,若專以地道言之,則剛柔又自有太少矣,推而廣之,縱橫錯綜,凡是一物,無不各有四者之象,不但此數者而已矣。《語類》云:《易》中七八九六之數,向來只從揲蓍處推起,雖亦吻合,然終覺曲折太多,疑非所以得數之原。因看“四象”次第,偶得其說,極為捷徑,蓋因一二三四,

朱熹がまた袁枢に答えていう:「四象」のこの名目の包む範囲は甚だ広し。大体上まさに両画が相重なり、四個の位次が一列に排するあの一種を以て正解と為すべし。一・二・三・四はそれらの位次の先後で、七・八・九・六はそれらの数目の実値である。陰・陽・剛・柔を用いて劃分するは、天地の両辺を合わせて説くを以てす。陰陽の太・少を用いて劃分するは、専ら天道の一辺に就いて説くを以てす。もし専ら地道に就いて言えば、剛と柔とにもまた各々太・少の別あり。推し広めれば、縦横錯綜して、およそ一件の事物は、みな各々この四者の象あり。ただ上面の挙げたこの幾種に止まらず。《朱子語類》にいう:《易》の裏の七・八・九・六のこの幾つの数は、從前ただ揲蓍の歩驟の上より推し起こせり。吻合するといえども、総じて轉折多しと覚え、あれは数を得るの本原に非ずと疑心せり。その後「四象」の次第を看るにより、偶然に一個の説法を想い通じ、極めて直截なり。すなわち一・二・三・四に依りて……底本はここに脱文あり、この段話は説き終えず、下面に直ちに《啓蒙》本文の「四象生八卦」の一節を接ぐ。

四象生八卦“四象”之上,各生一奇一偶,而為三畫者八,於是三才略具,而有八卦之名矣,其位則乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八。在《河圖》,則乾坤離坎分居四實,兌震巽艮分居四虛。在《洛書》,則乾坤離坎分居四方,兌震巽艮分居四隅。《周禮》所謂三《易》“經卦皆八”,《大傳》所謂“八卦成列”,邵子所謂“四分為八”者,皆指此而言也。

《繋辞》に「四象生八卦」という。《啓蒙》の解釈に曰く:四象の上において各々再び一奇一偶を生じ、三画の八個の符号を成す。ここにおいて天・地・人の三才の位次は大略斉備し、八卦の名目もまた就きて有り。それらの位次は乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。《河図》の上において、乾・坤・離・坎は分かちて生成の数の相合する四個の実位に居り、兌・震・巽・艮は分かちて数なき四個の虚位に居る。《洛書》の上において、乾・坤・離・坎は分かちて東南西北の四正に居り、兌・震・巽・艮は分かちて四隅に居る。《周礼》の《連山》《帰蔵》《周易》の三種の《易》を「経卦皆八」と講じ、《繋辞伝》の「八卦成列」を講じ、邵雍の「四分為八」を講ずるは、指すはみなこれである。

八卦之上,各生一奇一偶,而為四畫者十六,於經無見,邵子所謂“八分為十六者”是也,又為‘兩儀”之上,各加八卦,又為八卦之上,各加“兩儀”也。案 四畫十六者,為八卦之上,各加“兩儀”,又為“四象”之上,各加四象也。

八卦の上において各々再び一奇一偶を生じ、四画の十六個の符号を成す。これは経文の裏に明文なし。すなわち邵雍のいう「八分為十六」である。角度を換えて看れば、また両儀の上において各々一個の八卦を加うと言い得、あるいは八卦の上において各々一個の両儀を加うと言い得。案ずるに:四画の十六個の符号は、すでに八卦の上に各々両儀を加うと看作し得、また四象の上に各々四象を加うと看作し得。

於經雖無見,然及六十四卦既成之後,以其自二至五,四爻互之,或自初至四,或自三至上,或自四而又至初,或自五而又至二,或自上而又至三,錯綜顛倒互之,皆得《乾》、《坤》、《既濟》、《末濟》、《剝》、《復》、《垢》、《夬》。《漸》,《歸妹》、《大過》、《頤》、《解》、《蹇》、《睽》、《家人》諸卦適合十六之數,孔子於雜卦發其端矣。漢儒互卦之說,蓋本諸此也。邵子詩云:四象相交,成十六事。即以此四畫者,為四象相交者爾,學者誤以上文天地否泰十六卦當之,失其指矣。

四画の卦は経文の裏に明文なきといえども、六十四卦が画成するを待ってのち、第二爻より第五爻に至るこの四爻を取りて互体し、あるいは初爻より第四爻に至るを取り、あるいは第三爻より上爻に至るを取り、あるいは第四爻より再び初爻に折り回り、あるいは第五爻より再び第二爻に折り回り、あるいは上爻より再び第三爻に折り回る。このよう錯綜顛倒して互いに取れば、得る所はみな《乾》《坤》《既済》《未済》《剥》《復》《姤》《夬》《漸》《帰妹》《大過》《頤》《解》《蹇》《睽》《家人》のこれらの卦を出でず、ちょうど十六の数に合す(底本は「未済」を「末済」と誤り、「姤」を「垢」と誤る)。孔子は《雑卦伝》の裏にすでにこの頭を開けり。漢儒の互卦を講ずる説法は、大概ここに本づく。邵雍の詩に「四象相交、成十六事」というは、まさにこの四画の十六個の符号を以て四象相交と當成す。学者は誤って上文のいう天地否泰のあの十六卦を以てそれに當て、すなわち彼の本意を岔れて説いたり。

四畫之上,各生一奇一偶,而為五畫者三十二,邵子所謂“十六分為三十二者”是也,又為“四象”之上,各加八卦,又為八卦之上,各加四象也。案 五畫三十二者,自初至三,可互一卦,自三至五,又可互一卦,六十四卦既成之後,依此法錯綜,顛倒互之,則得《復》、《垢》、《頤》、《大過》、《屯》、《鼎》、《恆》、《益》、《豐》、《渙》、《坎》、《離》、《蒙》、《革》、《同人》、《師》、引臨》,《遯》、《成》、《損》、《節》、《旅》、《中孚》、《小過》、《大壯》、《觀》、(大有》、《比》、《夾》、《剝》、(乾》、《坤》諸卦亦適合三十二之數,先儒亦有以是說互卦者,如《損》、《益》皆互《頤》,《頤》象離為龜,故《損》、《益》二五言“十朋之龜”之類。

四画の上において各々再び一奇一偶を生じ、五画の三十二個の符号を成す。すなわち邵雍のいう「十六分為三十二」である。角度を換えて看れば、また四象の上に各々一個の八卦を加うと言い得、あるいは八卦の上に各々一個の四象を加うと言い得。案ずるに:五画の三十二個の符号は、初爻より第三爻に至って一卦を互い出し得、第三爻より第五爻に至ってまた一卦を互い出し得。六十四卦画成の後、この办法に依りて錯綜顛倒して互いに取れば、得る所は《復》《姤》《頤》《大過》《屯》《鼎》《恒》《益》《豊》《渙》《坎》《離》《蒙》《革》《同人》《師》《臨》《遯》《咸》《損》《節》《旅》《中孚》《小過》《大壮》《観》《大有》《比》《夬》《剥》《乾》《坤》のこれらの卦で、またちょうど三十二の数に合す(底本の卦名は頗る訛字あり、「垢」は當に「姤」と作るべく、「成」は當に「咸」と作るべく、「夾」は當に「夬」と作るべし)。前代の学者もまたこれを以て互卦を講ずるあり。たとえば《損》《益》の両卦はみな《頤》を互い出し、《頤》の卦象は離を取りて亀と為す。ゆえに《損》の六五、《益》の六二の両爻はみな「十朋之亀」を講ず。すなわちこの一類に属す。

五畫之上,各生一奇一偶,而為六畫者六十四,則“兼三才而兩之”,而八卦之乘八卦亦周,於是六十四卦之名立而《易》道大成矣。《周禮》所謂三《易》之別,皆六十有四,《大傳》所謂“因而重之,爻在其中矣”,邵子所謂“三十二分為六十四者”是也。

五画の上において各々再び一奇一偶を生じ、六画の六十四卦を成す。これがすなわち《繋辞》のいうところの「兼三才而両之」である。八卦と八卦と相乗じるもまたここに至って周遍す。ここにおいて六十四卦の名目は確立し、《易》道は大功告成す。《周礼》に三種の《易》の別卦はみな六十四と講じ、《繋辞伝》に「因而重之、爻在其中矣」と講じ、邵雍に「三十二分為六十四」と講ずるは、説くはみなこの一層である。

若於其上各卦,又各生一奇一偶,則為七畫者百二十八矣;七畫之上又各生一奇一偶,則為八畫者二百五十六矣;八畫之上,又各生一奇一偶,則為九畫者五百十二矣;九畫之上,又各生一奇一偶,則為十畫者乾二十四矣;十畫之上,又各生一奇一偶,則為十一畫者二乾四十八矣;十一畫之上,又各生一奇一偶,則為十二畫者四千九十六矣。

もしこの上において毎一卦に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち七画の一百二十八を成す。七画の上に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち八画の二百五十六を成す。八画の上に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち九画の五百一十二を成す。九画の上に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち十画の一千二十四を成す(底本は「千」を「干」と誤る)。十画の上に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち十一画の二千四十八を成す。十一画の上に再び各々一奇一偶を生ぜば、すなわち十二画の四千九十六を成す。一画を添える毎に、数目は便ち上一倍に翻る。これがまさに「加一倍法」を六画の以外に推し至るの情形である。

此焦贛《易林》變卦之數,蓋亦六十四乘六十四也,今不復為圖於此,而略見第四篇中。若自十二畫上,又各生一奇一偶,累至二十四畫,則成千六百七十七萬七千二百一十六變,以四千九十六自相乘,其數亦與此合,引而伸之,蓋未知其所終極也,雖未見其用處,然亦足以見《易》道之無窮矣。

これがまさに焦贛の《易林》の変卦の数目で、すなわち六十四乗じて六十四である。ここに再び別に図を画かず、第四篇のうちに略しく交代あり。假如十二画の上より再び各々一奇一偶を生じ、一直に累加して二十四画に至れば、すなわち一千六百七十七万七千二百一十六種の変化を成す。四千九十六を以て自乗すれば、得数もまさにこれと相合す。このようのごとく引申推衍し下れば、誰もその終極がどこに在るかを知らず。これらは実際の用处を見出し得ざるといえども、また足りて《易》道の無窮無尽を見るに足る。

案 《易林》之數,蓋古占筮之法,《洪範》占法,“曰貞曰悔”,夫以八卦變為六十四言之,則八卦貞也,重卦悔也,《春秋傳》“貞風悔山”是也。以六十四卦變為四千九十六言之,則六十四卦貞也,變卦悔也,《春秋傳》“貞屯悔豫”是也,因卦畫之生生無盡,故占筮之變化無窮,焦贛能知其法,而至各綴之以辭則鑿矣,邵朱二子,所為傳心之要者在此。

案ずるに:《易林》の数目は、もとは古代占筮の法式である。《洪範》に占法を「曰貞曰悔」と講ず。八卦が六十四卦に変ずるに就いて言えば、下面の八卦は「貞」で、重畳し上るあの一体は「悔」である。《左伝》の記する「貞風悔山」はすなわちこのようである。六十四卦が四千九十六卦に変ずるに就いて言えば、本卦は「貞」、変卦は「悔」である。《左伝》の記する「貞屯悔豫」はすなわちこのようである。まさに卦画が生生して已まず窮尽なきがゆえに、占筮の変化もまた無窮無尽である。焦贛は能くこの套の法式を解すれども、毎一卦にみな一段の繇辞を綴るは、未免穿凿なり。邵雍・朱熹の両先生が看重し、伝心の要と認作する所以は、まさに卦画生生のこの一層の上に在り。

集說 朱子答林栗曰:太極兩儀四象八卦,生出次第,位置行列,不待安排,而粲然有序,以至於第四分而為十六,第五分而為三十二,第六分而為六十四,則其因而重之,亦不待用意推捧,而與前之三分焉者,未嘗不吻合也。比之並累三陽以為乾,連疊三陰以為坤,然後以意交錯而成“六子”,又先畫八卦於內,復畫八卦於外+以旋相加而

集説:朱熹が林栗に答えていう:太極・両儀・四象・八卦の生出の先後次第、およびそれらの排列する位置行列は、人の安排を用いず、自然に燦然として有序あり。一直に第四次に分かれて十六と為し、第五次に分かれて三十二と為し、第六次に分かれて六十四と為るに至るまで、あの「因而重之」の過程もまた刻意に推排するを用いず(底本は「推排」を「推捧」と誤る)、而して前面三次の分出した結果と一処として吻合せざるなし。あの先に三画の陽爻を併累して乾を做し、連畳して三画の陰爻を併累して坤を做し、しかるのちに人意を憑って交錯して震・坎・艮・巽・離・兌の「六子」を配出し、また先に内卦に八卦を画き、再び外卦に八卦を画き、依次に相加えて……に比ぶれば、底本はここに脱文あり、この段話は説き終えず、下面に直ちに朱子が袁枢に答えるの別の一段を接ぐ。

又答袁樞曰:若要見得聖人作《易》根原直截分明,不如且看卷首橫圖,自始初只有兩畫時,漸次看起,以至生滿六畫之後,其先後多寡既有次第,而位置分明不費辭說,於此看得,方見六十四卦全是天理自然挨排出來,聖人只是見得分明,便只依本畫出,元不曾用一豪智力添助。蓋本不繁智力之助,亦不容智力得以助於其間也。

朱熹がまた袁枢に答えていう:もし聖人の《易》を作るの根源を直截分明に看るを要せば、先に巻首のあの横図を看るに如かず。最初ただ両画のときより起こり、一層層順次に看り下りて、生満して六画に至るまで。それの先後の次第、多寡の分数はもとより有条不紊にして、位置もまた清清楚楚なり。口舌を費して解説するを用いず。ここより看明白にして、はじめて六十四卦が全く天理より自然に排布し出づるを見る。聖人はただ分明に看て、便ち本来の様子に照らして画出し、もとよりかつて一絲一毫の智力を添え入れて幇助せず。もとより智力を煩して幇助せしむるを須みず(底本は「不煩」を「不繁」と誤る)、また智力が中間に插手するを容れざるがゆえに。

及至卦成之後,逆顧縱橫,都成義理,千般萬種,其妙無窮,卻在人看得如何,而各因所見為說,雖若各不相資,而實未嘗相悖也。蓋自初未有畫時,說到六畫滿處者,邵子所謂“後天之學”也,卦成之後,各因一義推說,邵子所謂“先天之學”也。先天後天既各自為一義,而後天說中,取義又多不同,彼此自不相妨,不可執一而廢百也。

卦すでに画成した後に及んで、回頭して縦に看、横に看、処処みな義理を成し、千般万種、妙用無窮。全く人がどう看るかを看て、各人は自己の見る所に依りて説を立つ。これらの説法は看るに彼此相帮襯せざるがごとし、実は並びて互相に違背せず。大抵最初まだ画かざるときより講じて六画満画に至るまでのあの一路は、邵雍のいう「先天之学」である。卦成の後に各々一義に就いて推衍して説を立つるあの一路は、邵雍のいう「後天之学」である(底本はここに先天・後天の両個の名目を互いに倒す)。先天と後天とはすでに各々一套の義理を成し、而して後天の一路の説法の裏に取義はまた多く同じからず。彼此もとより互いに妨げず。死に一説を執して其余の百説を廃掉すべからず。

《浯類》問自一陰一陽,見一陰一陽又各生一陰一陽之象,以圖言之,兩儀生四象,四象生八卦,節節推去,固容《易》見,就天地間著實處,如何駿得?曰:一物上又自各有陰陽,如人之男女陰陽也,逐人身上,又各有這血氣,血陰而氣陽也,如晝夜之間,晝陽而夜陰也,而晝陽自午後又屬陰,夜陰自子後又屬陽,便是陰陽各生陰陽之象。

《朱子語類》に記す:ある人が問うた、一陰一陽の裏よりまた一陰一陽が各々一陰一陽を生ずるの象を看り出すに、図の上に就いて講ずれば、両儀が四象を生じ、四象が八卦を生じ、一節一節推し下るは、固より明白し易し。しかるに天地間の実在の事物の上に就いて講ずれば、どう験証し出せるか(底本は「容易」を「容易」と誤り、「験得」を「駿得」と誤る)。朱子は答えていう:一件の事物の上頭にまた各々陰陽あり。たとえば人が男女に分かるるは、すなわち陰陽である。毎個の人の身上にまた各々血と気とあり、血は陰に属し気は陽に属す。またたとえば一昼一夜は、白天は陽に属し夜裏は陰に属す。しかるに白天の陽は午後より起こりてまた陰に轉属し、夜裏の陰は子時の後よりまた陽に轉属す――これがすなわち陰陽が各々再び陰陽を生ずるの象である。

又云:先天圖直是精微,不起子康節,希夷以前元有,只是秘而不傳,次第是方士輩所相傳授,《參同契》中,亦有些意思相似,揚雄《太玄》,全模仿《易》,他底用三數,《易》卻用四數,他本是模《易》,故就他模底句上看《易》,也可略見得《易》意思。

《朱子語類》がまたいう:先天図は実に精微で、それは並びて邵康節よりはじめて有るに非ず(底本は「不起于」を「不起子」と誤る)。陳希夷以前にもとよりすでにあり。ただ秘蔵して外伝することを肯ぜず、大概は方術の士の一輩が輾転伝授して下り来たり。《周易参同契》の裏にもまたいくばくかの意思がそれと相似たるあり。揚雄の《太玄》は全く《易》を摹倣して做したで、彼のあの一套は三進の数を用い、《易》はしかし四進の数を用いる。彼はすでにもとは《易》を摹倣するなれば、すなわち彼の摹倣する句子に就いて《易》を看るは、かえってまた約略《易》の一点の意思を看り出し得るなり。

又云:自有《易》以來,只有邵子說得此圖如此齊整,如揚雄(太玄》,便零星補湊得可笑。若不補,又卻欠四分之一,補得來,又卻多四分之三,如《潛虛》之數用五,只似如今算位一般,其直一畫則五也,下橫一畫則為六,模二畫則為七,蓋亦補湊之書也。

《朱子語類》がまたいう:《易》ありて以来、ただ邵雍のみこの幅の図をこのよう斉整に説き得たり。揚雄の《太玄》のごときは、すなわち補凑して零零碎碎、甚だ可笑し。補わざれば、なお四分之一を欠く。補い起これば、また四分之三を多出す。司馬光の《潜虚》の用いる数は五を以て基准と為し、ただ如今の算筹を摆するがごとし。竪に一画を立てばすなわち五、下面に横に一画を添えればすなわち六を成し、再び一画を添えればすなわち七を成す――あれもまた一部の補凑を憑って書を成すのものである。

黃氏瑞節曰:先天圖與太極圖同時而出,周邵二子不相聞,則二圖亦不相通,此勿論也。陳瑩中云:司馬文正與康節同時友善,而未嘗有一言及先天之學,邵伯溫云,伊川在康節時,於先天之學非不問,不語之也。即二先生之論,則先天圖在當時,豈猶未甚著邪,陳瑩中云,先天之學,以心為本,其在《經世書》者,康節之餘事耳。又曰:闡先聖之幽,微先天之顯,不在康節之書乎,然則朱子以前表章尊敬此圖者,了翁為有見也。

黄瑞節がいう:先天図と太極図とは同時に世に問われ、周敦頤と邵雍とは彼此相聞問せず。それならば両幅の図もまた互相に沟通するを談ずるに及ばず。この一層は姑くそれを論ぜず。陳瓘はかつて言いていう、司馬光と邵康節とは同時にしてしかも相好なるに、かつて一句話も先天の学に談じ及ばず。邵伯温はかつて言いていう、程伊川は康節の生前において、先天の学に対し並びて問わざるに非ざるは、康節が彼に告げるを肯ぜざるなり。この两位先生の議論に就いて看れば、先天図は当時においてなんぞまだ甚だ顕揚せざりしかにあらずや。陳瓘がまたいう、先天の学は心を以て根本と為す。《皇極経世書》の上に落つるあれらは、ただ康節の余事に過ぎず。彼はまたいう、前聖の幽隠を闡発し、先天の顕義を抉出するは、康節の書の裏に在らずや。このよう看れば、朱子以前にこの幅の図を表彰尊崇する人は、陳了翁を数えて最も見地ありと為すべし。

天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯,數往者順,知來者逆,是故《易》,逆數也。雷以動之,風以散之,雨以潤之,日以晅之,艮以止之,兌以說之,乾以君之,坤以藏之。

《説卦伝》にいう:天と地とは各々その位を定め、山と沢とは気息相通じ、雷と風とは互相に激蕩し、水と火とは相厭棄せず、八卦はこのよう両々交錯す。数えて已に過去したるは順推し、知りてまさに到来せんとするは逆推す。ゆえに《易》は一門の逆推して未来を知るの学問である。またいう:雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散し、雨は以て万物を滋潤し、日は以て万物を曝晒し、艮は以て万物を止住し、兌は以て万物を悦懌し、乾は以て万物に君臨し、坤は以て万物を収蔵す。

邵子曰:此一節,明伏羲八卦也。八卦相錯者,明交相錯而成六十四也,“數往者順,若順天而行,是左旋也,皆已生之卦也,故云“數往”也。“知來者謹”,若逆天而 自震之初為冬至,離兌之中為春分,以至於乾之末而交夏至焉,皆進而得其已生之卦,猶自今日而追數昨日也,故曰“數往者順”。其右方,自巽之初為夏至,坎艮之中為秋分,以至於坤之末而交冬至焉,皆進而得其未生之卦,猶自今日面逆計來日也,故曰“知來者逆”,然本《易》之所以成,則其先後始終,如橫圖及圓圖右方之序而已,故曰“《易》逆數也。”

邵雍がいう:《説卦》のこの一節は伏羲の八卦を講ずる。いわゆる「八卦相錯」とは、八卦が交互錯雑して六十四卦を成すをいう。「数往者順」とは、天の運行方向に順う、すなわち左に旋り向かう。数え到る所はみなすでに生成した卦ゆえに「数往」と呼ぶ。「知来者逆」とは、天に逆りて行く……底本はここに脱文あり(「謹」もまた「逆」の字の誤り)、下面に接いで円図の左半辺を講ず。震卦の起頭の処より冬至を為し、離・兌の中間を経て春分を為し、一直に乾卦の末尾に至りて夏至に接ぐ。この一路に推し去りて得る所はみなすでに生成した卦で、今天より昨天を回数するに譬えるがごとし。ゆえに「数往者順」という。円図の右半辺は、巽卦の起頭の処より夏至を為し、坎・艮の中間を経て秋分を為し、一直に坤卦の末尾に至りて冬至に接ぐ。この一路に推し去りて得る所はみなまだ生成せざる卦で、今天より逆りて明天を推算するに譬えるがごとし(底本は「而」を「面」と誤る)。ゆえに「知来者逆」という。ただし《易》の書を成す所以を推究すれば、その先後始終は、まさに横図および円図右半の次序のごとし。ゆえに「易逆数也」という。

集說 《朱子語類》云:若自乾一橫排至坤八,此則全是自然,故《說卦》云: “《易》逆數也。”皆自己生以得末生之卦,若如圓圖,則須如此,方見陰陽消長次第,震一陽,離兌二陽,乾三陽,巽一陰,坎艮二陰,坤三陰,雖似稍涉安排,然亦莫非自然之理。

集説:《朱子語類》にいう、もし乾一を横に排して坤八に至らば、これは全く自然生成の次序である。ゆえに《説卦》に「易逆数也」と講ずるは、あれはみなすでに生成した卦より推してまだ生成せざる卦を得るなり。もし円図に照らして排せば、すなわちこのようの安排せざるべからず、はじめて陰陽消長の次第を見出し得る。震は一陽、離・兌は二陽、乾は三陽。巽は一陰、坎・艮は二陰、坤は三陰。このよう看れば略しく一点の人為の排布を帯ぶるといえども、また自然の理ならざるなし。

附錄 項氏安世曰:“數往者順”,以指上文,“知來者逆”,以指下文,“是故《易》逆數也”,此一句以起下文八句也。上文據八卦已成之後,對面數之,其序順而理明,故曰“數往者順”。下文據八卦始畫之初,左右對畫,而上下逆生,故曰“知來者逆”。非聖人於順之外別為逆象也,此之逆象,即上文之順象。

附録:項安世がいう、「数往者順」は上文の「天地定位」のあの幾句を指し、「知来者逆」は下文の「雷以動之」のあの幾句を指す。而して「是故易逆数也」の一句は、下文の八句を引起するに用いる。上文は八卦がすでに画成した後に就いて、面と向かい合わせて数うるを就けて言う。次序は順にして道理は明白なり。ゆえに「数往者順」という。下文は八卦が初めて画くときに就いて、左右対着して筆を下して自下より上に逆りて生出すを就けて言う。ゆえに「知来者逆」という。並びて聖人が順象のほかに別に一個の逆象を造るに非ず。ここにいう逆象は、すなわち上文のあの順象である。

章氏潢曰:自乾純陽,歷兌離以至一陽之震,自坤純陰,歷艮坎以至一陰之巽,非數往之順乎?自震一陽,歷離兌以至乾之純陽,自巽一陰,歷坎艮以至坤之純陰,非知來之逆乎?左旋則總為“知來”,有旋則總為“數往”,但《易》以“知來”為主,生生不窮,是以逆而數之。

章潢がいう:純陽の乾より起こり、兌・離を経て一陽の震に至る。純陰の坤より起こり、艮・坎を経て一陰の巽に至る――これはなんぞ「数往」の順にあらざらんや。一陽の震より起こり、離・兌を経て純陽の乾に至る。一陰の巽より起こり、坎・艮を経て純陰の坤に至る――これはなんぞ「知来」の逆にあらざらんや。左に旋り向かうは、総じて算えて「知来」。右に旋り向かうは(底本は「右」を「有」と誤る)、総じて算えて「数往」。ただ《易》は「知来」を主と為し、その生生して窮まらざるを取る。ゆえに逆りて数え往くを要す。

案 邵子所謂左旋者,猶言向左而旋耳。所謂右行者,猶言向右而行耳,與歷家所謂左旋右轉,義正相反,各為一說也。其所謂“已生一未生”,正指陰陽生生而言,如章氏之說,而項氏說尤得前後聯貫語氣。蓋其順數者,既如上文所列矣,而圖之作,主於逆數,故其終始生成,又如下文之所敘也。朱子之解似又自為一說,學者分別觀之。

案ずるに:邵雍のいう「左旋」とは、ただ左辺に向かって旋轉するを説く。いうところの「右行」とは、ただ右辺に向かって行進するを説く。歴法家の講ずる左旋右転と含義ちょうど相反し、各々一套の説法である。彼のいう「已生」「未生」は、まさに陰陽が生生して已まざるに就いて言う。章潢の講法と相合す。而して項安世の講法はとくに前後連貫の語気に贴合す。大抵順数の一路は、すでに上文の列するがごとし。而して図を作るの用意は逆数を主とす。ゆえにそれの終始生成の次第は、また下文の叙述するがごときがそうである。朱子の解釈はまた自ずから一説を成すに似たり。学者はまさに分かち開きて看るべし。

又曰:太極既分,兩儀立矣,陽上交於陰,陰下交於陽,而四象生矣。陽交於陰,陰交於陽,而生天之四象。剛交於柔,柔交於剛,而生地之四象。八卦相錯,而後萬物生焉,是故一分為二,二分為四,四分為八,八分為十六,十六分為三十二,三十二分為六十四。猶根之有乾,乾之有枝,愈大則愈小,愈細則愈繁。

邵雍がまたいう:太極すでに分判せられれば、両儀は便ち立ち起こる。陽は上に向かって陰に交わり、陰は下に向かって陽に交わり、四象は便ち生まれ出づ。陽が陰に交わり、陰が陽に交われば、天に属する四象を生出す。剛が柔に交わり、柔が剛に交われば、地に属する四象を生出す。八卦が交互錯雑して、しかるのちに万物生成す。ゆえに一は二に分かれ、二は四に分かれ、四は八に分かれ、八は十六に分かれ、十六は三十二に分かれ、三十二は六十四に分かる。これはちょうど樹根の上に主干を生じ、主干の上に枝條を生ずるに譬えるがごとし。整体は長ずるほど大となり、分出した枝節は分かるるほど小となす。分かるるほど細かければ、条数もまた繁となる。

集說 《朱子語類》:問:程《易》乾辭下解云,聖人始畫八卦,三才之道備矣,因而重之,以盡天下之變,故六畫而成卦。或疑此說卻是聖人始畫八卦,每卦便是三畫,聖人因而重之為六畫,似與邵子一分為二,而至六十四為六畫,其說不同。曰:程子之意,只雲三畫上疊成六畫,八卦上疊成六十四耳,與耶子說誠異,蓋康節此意,不曾說與程子,程於亦不曾問之,故一向只隨他所見去。但程子說聖人始畫八卦,不知聖人畫八卦時,先畫甚卦,此處便曉不得。

集説:《朱子語類》に記す、ある人が問うた:程頤の《易伝》は乾卦の卦辞の下において「聖人がはじめて八卦を画けば、三才の道は便ち完備し、ここにおいて重畳して以て天下の変化を窮尽し、ゆえに六画にして一卦を成す」と解釈す。ある人はこの説法が聖人は手を起こすとともに八卦を画き、毎卦は便ち三画で、再び重畳して六画を成すを講ずと疑心し、邵雍の一より二に分かれて一路に六十四に分かれて六画と為るの講法と同じからざるに似たりとす。朱子は答えていう:程子の意思は、ただ三画の上に畳ねて六画を成し、八卦の上に畳ねて六十四卦を成すを説くに過ぎず。邵雍(底本は「邵」を「耶」と誤る)の説法とは確かに同じからず。康節のこの層の意思はかつて程子に講じたことなく、程子(底本は「子」を「于」と誤る)もまたかつて彼に問い往かず。ゆえに一直にただ自己の見る所に順いて講じ下れり。ただし程子は聖人がはじめて八卦を画くというも、聖人が八卦を画くとき先に画くはどの一卦かを知らず――この箇所はすなわち説き通ぜず。

是故乾以分之,坤以翕之,震以長之,巽以消之。長則分,分則消,消則翕也,乾坤定位也,震巽一交也,兌離坎艮再交也,故震陽少而陰尚多也,巽陰少而陽尚多也,兌離陽浸多也,坎艮陰浸多也。

邵雍が接いでいう:ゆえに乾は以て分張し、坤は以て収斂し、震は以て滋長し、巽は以て消退す。滋長すれば便ち分張し、分張すれば便ち消退し、消退すれば便ち収斂す。乾と坤とは上下の位を定住し、震と巽とは陰陽の第一次の交、兌・離・坎・艮は第二次の交である。ゆえに震卦は陽爻少なくして陰爻なお多く、巽卦は陰爻少なくして陽爻なお多し。兌・離の両卦は陽爻漸漸増多し、坎・艮の両卦は陰爻漸漸増多す。

又曰:無極之前,陰含陽也,有象之後,陽分陰也。陰為陽之母,陽為陰之父,故母孕長男而為《復》,父生長女而為《姤》,是以陽起於《復》,陰起於《垢》也。案 周子所謂“無極而太極”者,以陰陽之奉體言之,《中庸》所謂“天命之性”也。邵子所謂“無極”者,以動靜之樞紐言之,<中庸》所謂“未發之中”也。天命之性,固周流而無不在,然人生而靜,天之性也,則沖漠無暇之時,乃本體之真之所以具,故周子亦言主靜,程子言其本也,真而靜,三子之說,實相發明而不相悖也。

邵雍がまたいう:無極より前は、陰のうちに陽を含む。象ありての後は、陽のうちに陰を分出す。陰は陽の母、陽は陰の父である。ゆえに母が長男を孕育して《復》卦を成し、父が長女を生出して《姤》卦を成す。これにより陽気は《復》に起こり、陰気は《姤》に起こる(底本は「姤」を「垢」と誤る)。案ずるに:周敦頤のいう「無極而太極」は、陰陽の本体に就いて言う。すなわち《中庸》の講ずる「天命之謂性」である。邵雍のいう「無極」は、動と静との樞紐に就いて言う。すなわち《中庸》の講ずる「未發之中」である。天命の性は固より周流して貫注し、在らざる所なし。しかるに《礼記・楽記》に「人生而静、天之性也」と講ずれば、あの冲漠無朕のとき(底本は「無朕」を「無暇」と誤る)は、まさに本体の真が完具する所以の在所である。ゆえに周子もまた「主静」を主張し、程子もまた「其本也真而静」という。三位先生の説法は、実は互相に発明して並びて抵触せず。

又曰:震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生。兌,陽長也,艮,陰長也,震兌,在天之陰也,巽艮,在地之陽也,故震兌上陰而下陽,巽艮上陽而下陰。天以始生言之,故陰上而陽下,交泰之義也。地以既成言之,故陽上而陰下,尊卑之位也。乾坤定上下之位,坎離列左右之門,天地之所闔闢,日月之所出入,春夏秋冬,晦朔弦望,晝夜長短,行度盈縮,莫不由乎此矣。震始交陰而陽生,是說圓圖震與坤掛而一陽生也,巽始消陽而陰生,是說圓圖巽與乾接而二陰生也。

邵雍がまたいう:震は剛に陰に交わり始めて陽気が生出し、巽は剛に陽を消去し始めて陰気が生出す。兌は陽気が増長し、艮は陰気が増長す。震・兌は天の一辺に属して陰を為し、巽・艮は地の一辺に属して陽を為す。ゆえに震・兌の両卦は陰爻が上にして陽爻が下、巽・艮の両卦は陽爻が上にして陰爻が下である。天は万物が初生するに就いて言う。ゆえに陰が上、陽が下で、天地交泰の意を取る。地は万物がすでに成るに就いて言う。ゆえに陽が上、陰が下で、尊卑すでに定まるの位次を取る。乾・坤は上下の位を定住し、坎・離は左右の門に排成す。天地の開合、日月の出入、春夏秋冬の四時、晦朔弦望の月相、昼夜の長短、行度の盈縮、これより出づらざるなし。いわゆる「震始交陰而陽生」とは、円図の上に震と坤と相接して一陽が生出するをいう。いわゆる「巽始消陽而陰生」とは、円図の上に巽と乾と相接して一陰が生出するをいう(底本は「一陰」を「二陰」と誤る)。

集說 邵子曰:陽爻,晝數也;陰爻,夜數也。天地相銜,陰陽相交,故晝夜相離,剛柔相錯。春夏,陽也,故晝數多,夜數少。秋冬,陰也,故晝數少,夜數多。胡氏方平曰:此一節先論震巽艮兌四維之卦,而後及於乾坤坎離四正之位。震始交陰而陽生,以震接坤言也,至兌二陽,則為陽之長。巽始消陽而陰生,以巽接乾言也,至艮二陰則為陰之長。震兌在天之陰者,邵子以震為天之少陰,兌為天之太陰,唯其為陰,故陰爻皆在上,而陽爻皆在下。天以生物為主,始生之初,非交泰不能,故陰上陽下,而取交泰之義。

集説:邵雍がいう、陽爻は白昼の数、陰爻は黒夜の数である。天地は互相に銜接し、陰陽は互相に交感す。ゆえに昼と夜とは分かれ、剛と柔とは錯雑す。春夏は陽に属す。ゆえに白昼の数は多く夜裏の数は少なし。秋冬は陰に属す。ゆえに白昼の数は少なく夜裏の数は多し。胡方平がいう:この一節は先ず震・巽・艮・兌の四個の四隅に居る卦を論じ、しかるのちに乾・坤・坎・離の四個の四正の位置に居る卦を説き至る。「震始交陰而陽生」は、震と坤と相接するに就いて言い、兌に至って二陽を成すはすなわち陽の増長である。「巽始消陽而陰生」は、巽と乾と相接するに就いて言い、艮に至って二陰を成すはすなわち陰の増長である。震・兌を「在天之陰」というは、邵雍が震を以て天の少陰、兌を以て天の太陰と為すがゆえに。まさに陰に属するがゆえに、陰爻はみな上に在りて陽爻はみな下に在る。天は物を生ずるを主と為し、万物初生の際は交泰ならざるべからず。ゆえに陰上陽下で、交泰の義を取る。

巽艮在地之陽者,邵子以巽為地之少剛,艮為地之太剛,唯其為剛,故陽爻皆在上,而陰爻皆在下。地以成物為主,既成之後,則尊卑定,故陰下陽上,而取尊卑之位。乾坤定上下之位,天地之所闔闢也,坎離列左右之門,日月之所出入也。歲而春夏秋冬,月而晦朔弦望,日而晝夜行度,莫不胥此焉出,豈拘拘爻畫陰陽之間哉。

巽・艮を「在地之陽」というは、邵雍が巽を以て地の少剛、艮を以て地の太剛と為すがゆえに。まさに剛に属するがゆえに、陽爻はみな上に在りて陰爻はみな下に在る。地は物を成すを主と為し、万物すでに成った後は尊卑便ち定まる。ゆえに陰下陽上で、尊卑の位次を取る。乾・坤が上下の位を定住するは、あれは天地開合の在所である。坎・離が左右の門に排成するは、あれは日月出入の在所である。一年のうちの春夏秋冬、一月のうちの晦朔弦望、一日のうちの昼夜行度は、みなここより生出せざるなし。なんぞ拘拘として爻画陰陽の形迹のあいだに死守せんや。

又曰:乾四十八而四分之,一分為陰所克也,坤四十八而四分之,一分為所克之陽也,故乾得三十六,而坤得十二也。兌離以下更思之。今按,兌離二十八陽二十陰,震二十陽二十八陰,艮坎二十八陰二十陽,巽二十陰二十八。

邵雍がまたいう:乾の数は四十八で、それを四等分すれば、そのうちの一分は陰に剋され去る。ゆえに乾は実に三十六を得る。坤の数もまた四十八で、それを四等分すれば、そのうちの一分は剋され去る陽である。ゆえに坤は実に十二を得る。兌・離以下の卦は、なおさらに仔細に推想するを要す。今按ずるに:兌・離の両卦は二十八分の陽、二十分の陰。震卦は二十分の陽、二十八分の陰。艮・坎の両卦は二十八分の陰、二十分の陽。巽卦は二十分の陰、二十八分の陽――底本の末句は「陽」の字を脱す。

又曰:乾坤縱而六子橫,《易》之本也。又曰:陽在陰中,陽逆行,陰在陽中,陰逆行,陽在陽中,陰在陰中,則皆順行,此真至之理,按圖可見之矣。又曰:《復》至《乾》凡百一十有二陽,《垢》至《坤》凡八十陽,《垢》至《坤》凡百一十有二陰,《復》至《乾》凡八十陰。

邵雍がまたいう:乾坤は竪に排し、六子は横に排す。これは《易》の根本である。またいう:陽が陰の當中に処るときは、陽は逆りて走る。陰が陽の當中に処るときは、陰は逆りて走る。陽が陽の當中に処り、陰が陰の當中に処れば、すなわちみな順いて走る。これは真実不易の道理で、図に対して看れば便ち明白なり。またいう:《復》卦より数えて《乾》卦に至るは、共に一百一十二画の陽爻。《姤》卦より数えて《坤》卦に至るは、共に八十画の陽爻。《姤》卦より数えて《坤》卦に至るは、共に一百一十二画の陰爻。《復》卦より数えて《乾》卦に至るは、共に八十画の陰爻(底本は「姤」の両処とも「垢」と誤る)。

先天図説・邵子語録と李光地按語

又曰:坎離者,陰陽之限也,故離當寅,坎當申,而數常逾之者,陰陽之溢也。然用數不過乎中也。此更宜思。離當卯,坎當酉,但以坤為子半可見矣。

邵雍がまたいう:「坎」と「離」の両卦は、陰と陽とが各々界限の在所である。ゆえに十二辰に配するれば、「離」は「寅」に配当すべく、「坎」は「申」に配当すべし。しかるに実際推算するとき得る数はつねにこの界限を越過す。あれは陰陽の気が有余にして外溢するの縁故である。しかるに真に取用する数は、終じて中道を超出せず。この一層はなおさらに細細と体会するを須む。もし別の一種の配法に換えれば、「離」は「卯」に配当すべく、「坎」は「酉」に配当すべし。これはただ先天図の上に「坤」がまさに子時の半ば(子半)の処に當たるを看れば、便ち明白にし得べし。

又曰:先天學,心法也,故圖皆自中起,萬化萬事,生於心也。又曰:圖雖無文,吾終日言而未嘗離乎是,蓋天地萬物之理,盡在其中矣。

邵雍がまたいう:「先天之学」が講ずるは心法である。ゆえに先天の諸図はみな図の正中より算を起こす。天下の千変万化の事事物物は、みなこの一点の心上より生まれ出づ。邵雍がまたいう:先天図の上には一个字も写さざるといえども、我は終日に講説して、而して講ずる所は一句としてそれを離れ得るなし。天地万物の道理は、全くこの張の図の裏に包含せられて就くればなり。

案自孔子既沒,易道失傳,義理既巳差訛,圖象尤極茫渺,唯《大傳》“帝出乎震”一條,所載八卦方位,顯然明白,故學者有述焉。其餘如“卦氣”“月候”之屬,皆漢儒傅會,非聖人本法也,至宋康節邵子,乃有所謂“先天圖”者,其說有六十四卦生出之序,則今之橫圖,自一畫至六畫,一每分二者是已,有八卦方位,則今之小囤圖,乾南坤北離東坎西者是已,有六十四卦方位,則今之大圓圖,始《復》、《姤》、終《乾》、《坤》者是巳,大圓圖中自方圖,又所以象天地之相函也。

李光地が按ずる:孔子が去世してのち以来、《易》道の伝授は便ち中断したり。義理の一面はすでに偏差訛誤を出現し、図と象の一面はさらに渺茫として考え難し。ただ《大伝》の裏の「帝出乎震」のこの一条(《説卦伝》に見る)は、記する八卦方位が明明白白ゆえに、後世の学者はなお依拠する所有りて講じ得る。其余の「卦気」「月候」のこの一類のごときは、みな漢代の儒者が牽強附会して出だしたで、並びて聖人本有の法度に非ず。宋代の康節先生邵雍に到りて、はじめていわゆる「先天図」あり。彼のこの套の学説の裏に、六十四卦が生出する次序を講ずるは、すなわち今天見るところの「横図」で、一画より排して六画に至り、毎一画がみな一を二に分かつあの一张である。八卦方位を講ずるは、すなわち今天見るところの「小円図」で、乾が南、坤が北、離が東、坎が西のあの一张である。六十四卦方位を講ずるは、すなわち今天見るところの「大円図」で、《復》《姤》より起こり、《乾》《坤》に至って止まるあの一张である。大円図の當中にはなお一張の「方図」を套する。あれは天地が互相に包含涵攝するを象徴するに用いる。

諸圖之義,廣大高深,信非聖人不能造作,然當邵子之時,伊川程子則未之見,龜山楊氏見而未之信,唯明道程子,稍見其書,而括以加倍之一言,然則當時知邵子者,明道一人而已。南渡之後,如林栗袁樞之徒,攻邵者尤眾,雖象山陸氏,亦以為先天圖非聖人作《易》本指。獨朱子與蔡氏,闡發表章,而邵學始顯明於世,五百年來雖復有為異論者,而不能奪也。

この幾張の図の意義は広大高深で、確かに聖人に非ざれば制作し出す能わず。しかるに邵雍が世に在るとき、伊川程頤は並びてこれらの図を見たことなく、亀山楊時は見て信ずるを肯ぜず、ただ明道程顥のみ略々彼の書を看過して、「加一倍法」の一句話を以てそれを概括して住めり。このよう看れば、当時真に邵雍を解したは、ただ程顥の一个人に過ぎず。宋室が南渡して以後、林栗・袁枢のこの一班の人のごときは、邵雍を攻撃するさらに多く、象山陸九淵に連なりてもまた「先天図」は聖人の《易》を作るの本意に非ずと認めたり。ただ朱熹と蔡元定父子のみ之に闡発表彰を加えて、邵氏の学ははじめて世上に顕明となれり。五百年のあいだ仍お不断に異議を提出する人有るといえども、終じてそれを動揺する能わず。

顧朱子之意,以為孔於之後諸儒不能傳授,而使方外得之,故其流為丹灶小術,至康節然後返之於易道。今以《參同契》諸書觀之,其六卦月候,蓋即“納甲”之法,其十二闢卦主歲,蓋即“卦氣”之流,所為始於震復者,與先天偶同爾,似未足為先天傳受之據。

ただし朱熹の意思は、孔子以後の儒者はこの套の学問を伝え下ること能わず、かえって方外の士に得させ去りて、これにより炼丹焼竈の一類の小技に流れ、邵雍の手裏に至ってはじめてそれを《易》道の上に拉し回したと認む。如今《周易参同契》のこの一類の書を以て看れば、それの六卦を以て月候に配するを講ずるは、実はすなわち「納甲」の方法である。十二辟卦を以て一歳に分主するを講ずるは、実はすなわち「卦気」の一路の支流である。それが《震》《復》を以て起点と為すに至っては、ただ先天図と偶然相合するに過ぎず。まだ足りてそれを以て先天図が確かに師承授受あるの憑据と當作し難しに似たり。

唯揚雄作《太玄》,其法始於三方,重於九洲,又重於二十七部,又重於八十一家,則與先天極儀象卦加倍之法相似也。流行之序,始於中羨從,中於更晬廓,終於減沈成,則與先天始《復》終《乾》,始《姤》終《坤》之序相似也。首用九九,策閒六六,則與先天卦用八八,策用七七之數相似也。

かえって揚雄が《太玄》を作るは、その体例は先に「三方」を立て、重畳して「九州」と為し、再び重畳して「二十七部」と為し、また重畳して「八十一家」と為す。これはすなわち先天図の太極よりして両儀、而して四象、而して八卦、一を二に分かち層層加倍するの办法と相似す。それの推移流行の次序は、「中」「羡」「從」の三首に起こり、中間に「更」「晬」「廓」を歴て、「減」「沈」「成」に終わる。これはすなわち先天図の《復》に起こりて《乾》に終わり、《姤》に起こりて《坤》に終わるの次序と相似す。それの首を立てるに九九八十一の数を用い、策を用いればすなわち六六三十六のあいだに在り。これもまた先天図の卦に八八六十四を用い、策に七七四十九を用いるの数目と相似す。

意者康節讀揚雄之書而心悟作《易》之本與,然非揚雄之時,《易》傳未泯,則雄亦無自而依仿之,故康節深服《太玄》,以為見天地之心,蓋其學所啟發得力處也。然白邵書既出,則《太玄》為僭經,為汨陰陽之敘,與邵書迥乎如蒼素之不相侔矣。

このようのごとく推想すれば、あるいは康節先生が揚雄の書を読み、因りて心裏に聖人の《易》を作るの根本を悟り出したのであろう。しかるにもし揚雄のあの時代に《易》の伝授がまだ泯滅せざりしかば、揚雄もまた自ら依傍摹倣する術なからん。ゆえに邵雍は甚だ《太玄》に佩服し、それが天地の心を見たと認む。あれは大概まさに彼の学問が啓発を受け得力したの在所であろう。しかるに邵雍の書が出でて以来、《太玄》は便ち僭擬して経書と為すの作と成り、陰陽次序を攪乱するの書と成り、邵書と一比すれば、相去ることの遠きは、青と白の両色がもとより相提して並論し得ざるがごとし。

觀明道程子之意,蓋以為康節能自得師,故於希夷之傳,揚雄之書,皆有取焉,而其純一不雜,汪洋浩大,則非揚陳之所能及也,故曰堯夫之數,似玄而不同。又曰:穆李皆得之希夷者,而其言與行事,概可見矣,堯夫特因其門戶而入者爾,程子之言至當,後之學者,欲考先天之傳,不可以不知。

再び明道程顥の意思を看れば、大概は康節が能く自ら師承を尋ね得たと認め、ゆえに陳摶希夷の一脉の伝授に対し、揚雄の書に対し、みな採取する所有り。而して彼の学問の純一にして雑らず、汪洋浩大なるは、しかし揚雄・陳摶の趕得上する所に非ず。これにより程顥がいう:堯夫(邵雍の字は堯夫)の数学は、《太玄》に似て而して《太玄》に同じからず。程顥がまたいう:穆修・李之才はみな陳摶のあそこより得たるで、それらの言論行事は大略看り出し得べし。堯夫はただこの一道の門戸により走り入ったに過ぎず。程顥のこの幾句話は最も恰當なり。後来の学者が先天の学の伝授源流を考察せんと要するは、知らざるべからず。

文王八卦方位図説(《説卦伝》「帝出乎震」章)

震,東方也。齊乎巽,巽,東南也。齊也者,言萬物之潔齊也。離也者,明也,萬物皆相見,南方之卦也。聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此也。坤也者,地也,萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。兌,正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌。戰乎乾,乾,西北之卦也,言陰陽相薄也。

《説卦伝》は接いで解説していう:「震」は東方に属す。いわゆる「斉乎巽」は、「巽」は東南に在り。「斉」は万物がこのときに到りてみな長じて潔浄斉整となるをいう。「離」の意思は光明で、万物がこのときに到りて彼此みな顕現して見え、それは南方の卦である。聖人は南方に面して天下を聴治し、光明の方向に朝かって政教を施行す。大概はここに取象したのであろう。「坤」はすなわち大地で、万物はみなそれに憑りて養育せらる。ゆえに「致役乎坤」といい、万物は坤のここにて力を效め養いを受く。「兌」はまさに秋分の時に當たり、万物が成熟して欣悦するのときである。ゆえに「説言乎兌」という。いわゆる「戦乎乾」は、「乾」は西北の卦で、陰気と陽気とがここにて相迫り相争うを説く。

坎者,水也,正北方之卦也,勞卦也,萬物之所歸也,故曰勞乎坎。艮,東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。神也者,妙萬物而為言者也。動萬物者莫疾乎雷,撓萬物者莫疾乎風,燥萬物者莫熯乎火,說萬物者莫說乎澤,潤萬物者莫潤乎水,終萬物始萬物者莫盛乎艮。故水火相逮,雷風不相悖,山澤通氣,然後能變化既成萬物也。

「坎」はすなわち水で、正北方の卦で、また「労卦」である。万物が一年を労作してここに到りてみな帰蔵休息す。ゆえに「労乎坎」という。「艮」は東北の卦で、万物はここにてすでに一歳の終結を完成し、また新一輪の生発を開啓す。ゆえに「成言乎艮」という。いわゆる「神」とは、それが能く微妙に万物を運化するに就いて立つる名である。万物を鼓動するに雷より迅疾なるはなし。万物を揺撼するに風より迅疾なるはなし。万物を烘干するに火より炙熱なるはなし。万物を取悦するに沢より能く物を欣悦せしむるはなし。万物を滋潤するに水より能く物を潤すはなし。能く万物を終結しまた万物を開啓するに「艮」より盛大なるはなし。ゆえに水と火とは相互に逮及して相滅せず、雷と風とは相互に激蕩して相違背せず、山と沢とは気息相通ず。こうしてはじめて変化運行して万物を成就し得るなり。

邵子曰:此一節明文王八卦也。又曰:至哉文王之作《易》也,其得天地之用乎。故乾坤交而為《泰》,坎離交而為《既濟》也。乾生於子,坤生於午,坎終於寅,離終於申,以應天之時也。置乾於西北,退坤於西南,長子用事,而長女代母,坎離得位,而兌艮為偶,以應地之方也。王者之法,文王也其盡於是矣。

邵雍がいう:《説卦伝》のこの一節が講ずるは文王の八卦で、すなわち後天方位である。邵雍がまたいう:偉大なり、文王の《易》を作るは、大概は天地の功用を得着したのであろう。ゆえに「乾」「坤」が相交わって《泰》卦を成し、「坎」「離」が相交わって《既済》卦を成す。「乾」は子位に生じ、「坤」は午位に生じ、「坎」は寅位に終わり、「離」は申位に終わる。これは以て上天の時序に応合す。「乾」を西北に安置し、「坤」を西南に退居せしめ、長子「震」に出でて令を當たり事を用いらしめ、長女「巽」に母に代わりて操持せしめ、「坎」「離」は各々その正位を得、「兌」「艮」の両卦は相対して偶を為す。これは以て大地の方位に応合す。王者と為って天下を治理するの法度は、文王のここに至りて窮尽して遺なしと算し得べし。

此言文王改《易》伏羲卦圖之意也。蓋自乾南坤北而交,則乾北坤南面為《泰》矣。自離東坎西而交,則離西坎東而為《既濟》矣。乾坤之交者,自其所已成,而反其所由生也。故再變則乾退乎西北,坤退乎西南也。坎離之變者,東自上而西,西自下而東也。故乾坤既退,則離得乾位,而坎得坤位也。震用事者,發生於東方,巽代母者,長養於東南也。

朱熹が解説していう:これは文王が伏羲の卦図を改動するの用意を講ず。原先の先天図は乾が南、坤が北で、両者が一たび交換すれば、すなわち乾が北、坤が南と為る。まさに《泰》卦の上坤下乾の象に合す。原先は離が東、坎が西で、両者が一たび交換すれば、すなわち離が西、坎が東と為る。まさに《既済》の上坎下離の象に合す。乾坤の交わる所以は、それらのすでに成形した位置より、それらの由りて生ずる所の本原に返回到せんと欲するに在り。ゆえに再び一たび変じて、乾は便ち西北に退り、坤は便ち西南に退る。坎離の変動は、すなわち東辺のは自上より西に行き、西辺のは自下より東に行く。乾坤すでに四隅に退居すれば、「離」は便ちもとの乾の南方の位を占め、「坎」は便ちもとの坤の北方の位を占む。「震」が出でて令を當たり事を用いるは、東方において生機を発動す。「巽」が母に代わって事を行うは、東南において万物を長養す。

案 邵子言乾坤交而為“泰”者,釋“先天”變為“後天”之指也。先天之位,乾南坤北,今變為乾北坤南,故曰“交”。然邵子盲乾生於子,坤生於午,今按圖考之,則乾在西方,乃亥而非子,坤在西南,乃未而非午,其故何也?曰:陽自靜以之動,故氣肇於子。然自亥月而已聯兆胚胎,故古人以亥為陽月,言天道於是始也。陰自動以之靜,故功著於午。然至未而後育養蕃庶,故古人以未為中央,言土德於是,王也。

李光地が按ずる:邵雍の「乾坤相交而成泰」というは、先天図が後天図に変ずるの意旨を解釈するに在り。先天の方位は乾南坤北で、如今変じて乾北坤南と為る。ゆえに「交」と呼ぶ。しかるに邵雍がまた「乾生于子、坤生于午」というに、如今後天図を以て核対すれば、乾は明明と西北に在り、配する地支は亥にして子に非ず。坤は西南に在り、配する地支は未にして午に非ず。これはなんの縁故か。回答は:陽気は静よりして動に轉向す。ゆえに気機は子に起こる。しかるに亥月より起れば、すでに暗に胚胎の苗头を結成し居り。ゆえに古人は亥を「陽月」と呼び、天道がここより開端すという。陰気は動よりして静に轉向す。ゆえに功用は午に顕著す。しかるに未月以後に至ってはじめて真に養育繁盛す。ゆえに古人は未を以て中央の位と看、土徳がここにて王に當たるという。

亥字從草為蓑,從木為核,皆聯兆胚胎之意。未從日為昧,言日於是始向昧谷,而萬物將西成也。樂律黃鐘子為天統,然自應鐘亥而陽氣已應於內,故曰應鐘。林鐘未為地統,故班固引“西南得朋”釋之,下至納甲星命淺術,亦以亥為天門,未為坤始,疑皆本於後天以為說也。若乃火雖始於東而盛於南,水雖始於西而盛子北,雷霆之氣,雖動於寅,

「亥」の字に草頭を加えて「荄」と写し、木旁を加えて「核」と写すは、みな萌兆胚胎の意を取る。「未」の字に日旁を加えて「昧」と写すは、太陽がここより西方の昧谷に轉向し始め、而して万物はまさに西方にて成熟せんとするをいう。楽律の上では黄鍾を以て子に配して「天統」と称す。しかるに応鍾を以て亥に配して起れば、陽気はすでに内裏にて感应し居り。ゆえにあの一律を「応鍾」と呼ぶ。林鍾は未に配して「地統」と称す。ゆえに班固は《坤》卦の「西南得朋」を引きてそれを解釈す。下って納甲・星命のこれら浅近の術数に至るまでも、またみな亥を以て「天門」と為し、未を以て坤の始と為す。看ればみな後天図に本づいて説を立つるなり。火は東に発端するといえども南に盛んなり、水は西に発端するといえども北に盛んなり、雷霆の気は寅に発動す――と説くに至っては、ここの処底本に脱文あり、この一段の按語は下面残缺して全からず。

又曰:《易》者,一陰一陽之謂也。震兌始交者也,故當朝夕之位,坎離交之極者也,故當子午之位,巽艮不交而陰陽猶雜也,故當用中之偏,乾坤純陽純陰也,故當不用之位也。

邵雍がまたいう:いわゆる《易》とは、すなわち一陰一陽が交互往来する。「震」「兌」は陰陽が剛に交接し始めるの卦ゆえに、朝夕相対する東西の位に安排す。「坎」「離」は陰陽が極処に交わるの卦ゆえに、子午相対する南北の位に安排す。「巽」「艮」は陰陽がかつて正交せずして両者なお相夾雑するの卦ゆえに、用中に在るといえども偏隅に居るの位置に安排す。「乾」「坤」は純陽純陰にして交接する所なし。ゆえに令を當たり事を用いざるの位置上に安排す。

又曰:兌離巽,得陽之多者也,艮坎震,得陰之多者也,是以為天地用也。乾極陽,坤極陰,是以不用也,、又曰:震兌橫而六卦縱,《易》之用也。

邵雍がまたいう:「兌」「離」「巽」の三卦の得るところは陽爻多く、「艮」「坎」「震」の三卦の得るところは陰爻多し。まさに陰陽にこのような多寡参差ありて、はじめて天地の施用の工具と為り得る。「乾」は陽が極処に到り、「坤」は陰が極処に到りて、純にして雑なし。ゆえにかえって令を當たり事を用いず。邵雍がまたいう:図の上に「震」「兌」は東西に一横に相対し、其余の六卦は縦向に相配す。これがまさに《易》道の運用する在所である。

嘗考此圖而史為之說曰:震東兌西者,陽主進,故以長為先而位子左,陰主退,故以少為貴而位乎右也。坎北者,進之中也,離滷者,退之中也,男北而女南者,互藏其宅也。四者皆當四方之止位,而為用事之卦,然震兌妨而坎離終,震兌輕而坎離重也。

朱熹はかつてこの張の図を考究し、それに解説を作りていう:「震」が東に居り「兌」が西に居るは、陽が前進を主とするがゆえに、年長なるを以て先と為して左辺に列す。陰が退譲を主とするがゆえに、年少なるを以て貴と為して右辺に列す。「坎」が北に居るは、陽が中途に進む。「離」が南に居るは、陰が中途に退る。男卦が北に在りて女卦が南に在るは、彼此互いにその宅を蔵し、陽のうちに陰あり、陰のうちに陽あり。この四卦はみな四方の正位に正當し、令を當たり事を用いるの卦である。ただし「震」「兌」はその始に在りて「坎」「離」はその終に在り、「震」「兌」は分量軽くして「坎」「離」は分量重し。

乾西北坤西南者,父母既老而遲居不用之地也,然母親順父尊,故砷猶半用頁乾全下用也。艮東北巽東南者,少男進之後而長女退之先,故亦皆不用也,然男未就傅,女將在行,故巽稍向用,而艮全未用也。四者皆居四隅不正之位,然居東者耒用而居西者不復用也。故下文歷舉“六子”而不數乾坤,至其水火雷風山澤之相偶,則又用伏羲卦云。

「乾」が西北に在り「坤」が西南に在るは、父母が年事已に老いて、事を用いざる処に退居する。ただし母親は親順を主とし、父親は尊厳を主とす。ゆえに「坤」はなお半ばその事を用い、而して「乾」はすなわち全然用いず。「艮」が東北に在り「巽」が東南に在るは、「艮」は少男で、進むの最末に排す。「巽」は長女で、退くの最先に排す。ゆえにまたみな令を當たり事を用いず。ただし少男はいまだ外に出でて師に従い学ばず、長女はしかし将に出嫁して事を行わんとす。ゆえに「巽」は稍々用に偏向し、而して「艮」はすなわち完全に用いず。この四卦はみな四角の正しからざる位に居る。しかるに東方に居るはまだ用に輪到せざるで、西方に居るはすでに用過ぎて再び用いざる。ゆえに《説卦伝》の下文は一々に「六子」を挙出して「乾」「坤」を数えず。水火・雷風・山沢が両々相偶するを講ずるに至っては、あれはまた伏羲先天卦の説法を用いる。

集說 邵子曰:乾統三男於東北,坤統三女於西南。

集説 邵雍がいう:後天図の上に、「乾」は「震」「坎」「艮」の三個の男卦を統領し、みな東北の一帯に布す。「坤」は「巽」「離」「兌」の三個の女卦を統領し、みな西南の一帯に布す。

案 邵子之言,可蔽圖之全義,《周易》、《坤》,《蹇》、《解》諸卦彖辭,皆出於此也,大抵先天則以東南為陽方,西北為陰方,故自陽儀而生之卦,皆居東南,自陰儀而生之卦,皆居西北也。後天則以北東為陽方,南西為陰方,故凡屆陽之卦,皆居東北,屬陰之卦,皆居西南也。然先天陽卦雖起於東,而其重之以敘卦氣,則所謂“復見天地心”者。仍以北方為始,後天陽卦雖起於北,而其播之以合歲序,則所謂“帝出乎震”者,仍以東方為先。蓋兩義原不可以偏廢,必也參而互之,則造化之妙,《易》理之精,可得而識矣。

李光地が按ずる:邵雍のこの両句話は、整張の図の意義をみな概括して住め得べし。《周易》の裏の《坤》卦、《蹇》卦、《解》卦の幾処の彖辞が「西南」「東北」の利と不利との話を講ずるは、みなここより出づ。大体に言えば、先天図は東南を以て陽方、西北を以て陰方と為す。ゆえにおよそ陽儀より生出した卦はみな東南に居り、およそ陰儀より生出した卦はみな西北に居る。後天図はすなわち北・東を以て陽方、南・西を以て陰方と為す。ゆえにおよそ陽に属する卦はみな東北に居り、陰に属する卦はみな西南に居る。しかるに先天図の陽卦は東方に起こるといえども、それを重畳して卦気を排列するときは、いわゆる「復卦見天地之心」は、なお北方を以て開端と為す。後天図の陽卦は北方に起こるといえども、それを鋪展して一歳の時序に合するときは、いわゆる「帝出乎震」は、なお東方を以て最先と為す。見るべし、この両層の意思はもとより偏廃すべからず。必ず彼此参照して互看せば、造化の微妙、《易》理の精深は、はじめて真に認識し到り得るなり。

歲始於東,終於北,而西南在其間,後天圖意主乎陽以統陰,故自震而坎而艮者,以陽終始歲功也,自巽而離而兌者,以陰佐陽於中也。震陽生,故直春生之令,以始為始也,乾則以終為始,而莫得其端,乃《傳》所謂“大始”者也,所謂“不可為首者”也,兌陰成,故畢西成之事,陰功之終也,坤則致役以終事,而不居其成,乃《傳》所謂“作成”者也。所謂“無成而代有終”者也,是故陽居終始,而陰在中間,乃天地萬物之至理。

一年は東方より起始して、北方に至って終結し、而して西南はちょうどそのあいだに在り。後天図の立意は、陽を以て陰を統攝するに在り。ゆえに「震」より「坎」に至り再び「艮」に至るは、陽気を用いて一歳の功用を終始す。「巽」より「離」に至り再び「兌」に至るは、陰気を用いて中間にて陽気を輔佐す。「震」は陽気の初生ゆえに、まさに春天の発生する時令に正當す。これは開始を以て開始と為す。「乾」はしかし終結を以て開始と為し、人をしてその端緒を尋ね得ざらしむ。まさに《繋辞伝》のいう「大始」で、すなわち《乾》卦の用九のいう「不可為首」である。「兌」は陰功の告成ゆえに、秋天西成の事を了結す。あれは陰功の終点である。「坤」はしかし労役を承擔して終にその事を成すも自らその功に居らず。まさに《繋辞伝》のいう「作成物」で、すなわち《坤》卦の《文言》のいう「无成而代有終」である。ゆえに陽気は首尾の両端に居りて陰気は中間に処る。これは天地万物の最も根本の道理である。

如草木之種實,陽也;華葉,陰也。人類之父子,陽也;妻妾,陰也。始於植種,終於成實,而其間華葉盛焉,始於有父,終於有子,而其間嫡媵繁焉,實生於華,子生於母,此陰佐陽之驗,然而實成、則為來歲之種矣,子生則為它日之父矣,此又所謂以終為始者,而元陽之生生不已,其首尾端倪,真不可得而窺矣。謝氏良佐論一起於震,發生也。又曰:一起於乾,探本也,其有得於後天之精意者與。

たとえば草木は、種子と果実とは陽に属し、花と葉とは陰に属す。人類のうちは、父と子とは陽に属し、妻と妾とは陰に属す。種を下すより始まり、実を結ぶに終わるまで、中間はまさに花葉の最も盛んなるときである。父あるより始まり、子あるに終わるまで、中間はまさに嫡妻媵妾の繁衍するのときである。果実は花に生じ、児子は母に生ず。これがすなわち陰が陽を輔佐するの明証である。しかるに果実が一たび成れば、また来年の種子と為る。児子が一たび生まれれば、また他日の父親と為る。これはまたいわゆる終を以て始と為す。元陽は生生して息まず、その首尾の端緒は、実に窺測する術なし。謝良佐が後天図を論じて、「一切は《震》より頭を起こす」というは、あれは発生の処に就いて講ず。また「一切は《乾》より頭を起こす」というは、あれは本を探る処に就いて講ず。彼は大概後天図の精微の用意を領会し到ったのであろう。

程子曰:凡陽在下者動之象,在中者陷之象,在上止之象,陰在下者入之象,在中者麗之象,在上說之象。

程頤がいう:およそ一陽爻が三画卦の最下の一位に居るは、「動」の象を取る。それはすなわち「震」。一陽が中位に居るは、「陥」の象を取る。それはすなわち「坎」。一陽が上位に居るは、「止」の象を取る。それはすなわち「艮」。およそ一陰爻が最下の一位に居るは、「入」の象を取る。それはすなわち「巽」。一陰が中位に居るは、「麗」すなわち附着の象を取る。それはすなわち「離」。一陰が上位に居るは、「悦」の象を取る。それはすなわち「兌」。

八卦取象・遠取諸物と近取諸身

乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兌為羊。此遠取諸物之象。

《説卦伝》にいう:「乾」は馬に象を取り、「坤」は牛に象を取り、「震」は龍に象を取り、「巽」は鶏に象を取り、「坎」は猪に象を取り、「離」は雉鶏に象を取り、「艮」は狗に象を取り、「兌」は羊に象を取る。朱熹の注:この一節は聖人が自身以外の遠処にて、鳥獣万物の身上より取り来たる卦象である。乾は健行して息まざるゆえに馬を取り、坤は柔順にして重を載するゆえに牛を取り、震は奮動して起こるゆえに龍を取る。其余の各卦もまたみな物性と卦徳との相合する処に就いて取り来たるなり。

乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。此近取者身之象。

《説卦伝》がまたいう:「乾」は頭に象を取り、「坤」は腹に象を取り、「震」は足に象を取り、「巽」は大腿に象を取り、「坎」は耳に象を取り、「離」は眼に象を取り、「艮」は手に象を取り、「兌」は口に象を取る。朱熹の注:この一節はすなわち近処に人の自己身上より取り来たる卦象である。頭は最上に居りて形円ゆえに乾に属し、腹は能く包容するゆえに坤に属し、足は動を主るゆえに震に属し、手は執持して止を主るゆえに艮に属す。其余もまたみな類推し得べし。

集說 《朱子語類》云:伏羲畫八卦,只此數畫該盡天下萬物之理,學者於言上會得者淺,於象一亡會得者深,王輔嗣伊川皆不信象,伊川說象只似譬喻樣說,郭子和云,不獨是天地雷風水火山澤謂之象,只是卦畫便是象,亦說得好。鄭東卿專取象,如以鼎為鼎,革為爐,小過為飛鳥,亦有義理,但盡欲如此牽合傅會便疏脫,學者須先理會得正當道理,然後於此等另碎處收拾以相資益,不為無補。

集説 《朱子語類》にいう:伏羲が八卦を画くに、ただこの幾画を以てすれば便ち天下万物の道理を包羅して浄尽す。学者もしただ文辞の上に領会すれば、得る所浅し。もし能く卦象の上に領会すれば、得る所深し。王弼(字は輔嗣)と程頤とはみな卦象を相信せず。程頤が象を講ずるもただ比喩を打つに當作して説くに過ぎず。郭忠孝(字は子和)がいう:単に天・地・雷・風・水・火・山・沢のこれらのみが象と呼ばれるにあらず、卦画それ自身がすなわち象である――この話もまた説き得て好し。鄭東卿は専ら取象を講ず。たとえば《鼎》卦を一只の鼎と看成し、《革》卦を一座の炉と看成し、《小過》を飛鳥と看成すは、また義理なきに非ず。ただ件件にみなこのよう牽合附会せんと要すれば、すなわち未免疎漏脱空なり。学者は必ず先に正大の道理を理会し明白にして、しかるのちにこれらの零碎の処において收拾采択し、以て相互に補益するに用いれば、かえってまた幇助なきに非ず。

乾,天也,故稱乎父。坤,地也,故稱乎母。震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女。坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女,艮三索而得男,故謂之少男;兌三索而得女,故謂之少女。

《説卦伝》にいう:「乾」は天ゆえにそれを父と称し、「坤」は地ゆえにそれを母と称す。「震」は第一次に求索して男を得、ゆえに長男と呼ばる。「巽」は第一次に求索して女を得、ゆえに長女と呼ばる。「坎」は第二次に求索して男を得、ゆえに中男と呼ばる。「離」は第二次に求索して女を得、ゆえに中女と呼ばる。「艮」は第三次に求索して男を得、ゆえに少男と呼ばる。「兌」は第三次に求索して女を得、ゆえに少女と呼ばる。

今按坤求於乾,得其初九而為震,故曰“一索而得男”,乾求於坤,得其初六而為巽,故曰“一索而得女”。坤再求而得乾之九二以為坎,故曰“再索而得男”。乾再求而得坤之六二以為離,故曰“再索而得女”。坤三求而得乾之九三以為艮,故曰“三索而得男”。乾三求而得坤之六三以為兌,故口“三索而得女”。

朱熹の按語にいう:坤が乾に向かって求索し、乾の初九の一陽を取得して自己最下の一爻に放れば、すなわち「震」と成る。ゆえに「一索而得男」という。乾が坤に向かって求索し、坤の初六の一陰を取得して自己最下の一爻に放れば、すなわち「巽」と成る。ゆえに「一索而得女」という。坤が第二次に求索し、乾の九二を取得して中爻に放れば、すなわち「坎」と成る。ゆえに「再索而得男」という。乾が第二次に求索し、坤の六二を取得して中爻に放れば、すなわち「離」と成る。ゆえに「再索而得女」という。坤が第三次に求索し、乾の九三を取得して上爻に放れば、すなわち「艮」と成る。ゆえに「三索而得男」という。乾が第三次に求索し、坤の六三を取得して上爻に放れば、すなわち「兌」と成る。ゆえに「三索而得女」という。

凡此數節,皆文王觀於已成之卦,而推其未明之象以為說,邵子所謂後天之學,人用之位者也。

以上の「乾為馬」「乾為首」「乾称乎父」のこの幾節は、みな文王がすでに画成した卦に就いて観察を加え、そのうちのいまだ闡明せざる物象を推尋して説を立つるなり。すなわち邵雍のいうところの「後天之学」で、人事施用の一路の方位に属す。

案 邵子既以“天地定位”一章為先天之《易》,因以“帝出乎震”以下為後天之《易》,先羲後文,其序既可信,而先天圖易簡渾涵,得畫卦自然之妙,後天圖精深切至,於《周易》義例合者為多,其理尤可信也:,然後天所以改置先天之意,朱子之說頗略,其見於答袁樞書者,可以得先賢慎重之盛心矣。

李光地が按ずる:邵雍はすでに《説卦伝》の「天地定位」の一章を先天の《易》と判じ、ここにおいてまた「帝出乎震」以下を後天の《易》と判ず。伏羲を先にし文王を後にす。この先後次第はもとより信ずべし。しかも先天図は平易簡約にして浑然涵括し、卦を画くときの自然生成の妙処を得着す。後天図は精深切実にして、《周易》の義例と相合する処最も多し。道理の上に就いて言えばさらに信ずべし。ただ後天図がなぜ先天図の位置を改動したかは、朱熹の講ずる所かなり簡略で、彼の袁枢に答えたあの信の裏のいうところの話は、まさに前賢が論を持して慎重にして臆断することを肯ぜざる一片の苦心を見るべし。

諸家以五行為說者,亦有條理,然今即八卦之象求之,則唯坎水離火巽木坤土,合於本象耳。金者乾之一象,而不足以盡乾也。蒼筤竹者震之一象,而不足以盡震也。艮山之為土,猶可假借,兌則絕無為金之義也,況《易》之為書,不言五行,而《說卦》解釋圖體,亦與五行生剋,邈不相涉,

各家が五行を用いて八卦方位を解説するも、また自ずから一套の条理あり。しかるに八卦それ自体の取象に就いて查考すれば、ただ「坎」の水、「離」の火、「巽」の木、「坤」の土のこの四項のみ本象に合するに過ぎず。金はただ「乾」の衆多の象のうちの一項で、並びて「乾」を概括するに足らず。青翠の竹はただ「震」の衆多の象のうちの一項で、また「震」を概括するに足らず。「艮」の山と為して土と算するは、なお勉强借用し得べし。「兌」はしかし絶えて金に配するの道理なし。何況や《易》のこの部書は通篇五行を講ぜず、《説卦伝》が卦図を解釈するの体例もまた五行生剋と全く相干らざるをや。

御纂周易折中巻第二十・啓蒙下

明蓍策第三

大衍之數五十。

《繋辞上伝》にいう:天地之数を推衍して筮法を行うに、用いる蓍策は総じて五十である。この一句は揲蓍して卦を成すの全部方法の総綱で、下文のいう虚一・分二・掛一・揲四・帰奇の諸節は、みなこの五十の数より生発して出づ。

《河圖》、《洛書》之中數皆五,衍之而各極其數以至於十,則合為“五十”矣。《河圖》積數五十五,其“五十”者,皆因五而後得,獨五為“五十”所因,而自無所因,故虛之則但為“五十”。又五十五之中,其四十者,分為陰陽老少之數,而其五與十者無所為,則又以五乘十,以十乘五,而亦皆為“五十”矣。《洛書》積數四十五,而其四十者,散佈於外,而分陰陽老少之數,唯五居中而無所為,則亦自含五數,而併為“五十”矣。

朱熹が解説していう:《河図》と《洛書》との居中の数はみな五で、この五を推衍し出せば、各々極処に推して便ち十。五と十と相乗じてまさに「五十」と合成す。《河図》の各数を相加えて共に五十五、そのうちの五十はみな先に中央の五ありてしかるのちに随いて得る。ただこの五のみが五十の依托する根本で、それ自身はしかし別に依る所なし。ゆえにそれを空け出して用いず、余る便ちただ「五十」のみ。さらに五十五のうち、四十ありては分かちて陰陽老少の数と為して用いるに作すれども、五と十の両個の数は並びてその事に参与せず。ここにおいて五を以て十を乗じ、十を以て五を乗ずれば、得数もまたみな「五十」。《洛書》の各数を相加えて共に四十五、そのうちの四十は外囲に散布し、分かちて陰陽老少の数と為す。ただ五のみ中に居りてその事に参与せず。この居中の五は本身にまた一個の五を含み、両個の五を合わせ起こせば、またまさに「五十」である。

案 《洪範》曰:“卜五占用二衍忒。”衍者,推衍也。忒者,過差也。卜筮所以推衍人事之過差,故揲蓍之法,謂之“大衍”。大音太,如太卜太筮之比,乃尊之之稱,非如先儒小衍大衍之說也。五十之數,說者不一,唯推本於圖書者得之,《河圖》之數則贏五,數之體也。《洛書》之數則虛五,數之用也。大衍者,其酌河洛之數之中,而兼體用之理之備者與。

李光地が按ずる:《尚書・洪範》に「卜五、占用二、衍忒」という。「衍」は推衍の意、「忒」は過失差錯の意。卜筮はまさに人事の過差得失を推衍するに用いる。ゆえに揲蓍の法を「大衍」と呼ぶ。「大」は「太」と読み、「太卜」「太筮」の用法と同じく、それを尊崇するの称呼で、並びて前代の儒者のごとく「小衍」「大衍」と分かち出して講ずるには似ず。五十のこの数目に至っては、解説する人各々一詞を執り、ただ《河図》《洛書》より本を推し源を求めるのみが根子の上に説き至ったと算す。《河図》の数は五十より五を多出す。あれは数の本体である。《洛書》の数は五十より五を少去す。あれは数の功用である。いわゆる「大衍」は、大概は河洛の両数のうちを斟酌して、体・用の両層の道理を兼備するのであろう。

大衍之數五十,而菁一根百莖,可當大衍之數者二,故揲菁之法,取五十莖為一握,置其一不用,以象太極,而其當用之策,凡四十有九,蓋兩儀體具而未分之象也。

朱熹が解説していう:大衍の数は五十で、而して一株の蓍草は一根が百茎を生じ得て、恰も両個の大衍の数に抵當す。ゆえに揲蓍の方法は、五十茎を取りて手中に握り、先にそのうちの一茎を抽出して一辺に搁きて用いず、以て太極を象徴す。真に取りて使用する策は共に四十九で、これがまさに両儀の体がすでに具備してまだ分かれざるの象である。

集說 崔氏憬曰:“其用四十有九”者,法長陽七七之數也,六十四卦,既法長陰八八之數,故四十九蓍,則法長陽七七之數,蓍圓而神象天,卦方而智象地,陰陽之別也,舍一不用者,以象太極虛而不用也。

集説 崔憬がいう:《繋辞伝》の「其用四十有九」を講ずるは、老陽の七七四十九の数を取法す。六十四卦はすでに老陰の八八六十四の数を取法するなれば、それならば四十九根の蓍草は便ち老陽の七七四十九の数を取法す。蓍草は円通にして神妙、天を象徴す。卦体は方正にして智あり、地を象徴す。これがすなわち陰と陽との分别である。一根を抽出して搁きて用いざるは、以て太極の虚静にして自ら作為せざるを象徴す。

邵子曰:蓍之用數,“掛一以象三”,其餘四十八,則一卦之策也。四其十二為四十八也,十二去三而用九,四三十二,所去之策也,四九三十六,所用之策也;十二去五而用七,四五二十,所去之策也,四七二十八,所用之策也;十二去六而用六,四六二十四,所去之策也,四六二十四,所用之策也;十二去四而用八,四四十六,所去之策也,四八三十二,所用之策也。是故七九為陽,六八為陰,九者陽之極數,六者陰之極數,數極則反,故為卦之變也。

邵雍がいう:蓍草の用数は、先ず「掛一以象三」にして、余り四十八策を余る。すなわち一卦を成すに用いる策である。四に十二を乗ずればちょうど四十八。十二の裏より三を去りて九を用いる:四に三を乗じて十二を得、これは去られた策。四に九を乗じて三十六を得、これは用いられる策。これは老陽。十二の裏より五を去りて七を用いる:四に五を乗じて二十を得、これは去られた策。四に七を乗じて二十八を得、これは用いられる策。これは少陽。十二の裏より六を去りて六を用いる:四に六を乗じて二十四を得、これは去られた策。四に六を乗じてなお二十四を得、これは用いられる策。これは老陰。十二の裏より四を去りて八を用いる:四に四を乗じて十六を得、これは去られた策。四に八を乗じて三十二を得、これは用いられる策。これは少陰。ゆえに七と九とは陽に属し、六と八とは陰に属す。九は陽の極数、六は陰の極数で、数は極処に到れば回頭して返轉するを要す。ゆえに老陽老陰は便ち卦爻の変動する在所と為る。

又曰:奇數極於四而五不用,策數板於九而十不用,故去五十而用四十九也。

邵雍がまたいう:揲余の奇零の数は最多四に到り、五に到れば取用せず。毎爻の策数は最多九に到る。すなわち四九三十六の裏のあの九、十に到れば取用せず。まさにこの道理のゆえに、五十の数の裏に一策を抽去し、実際ただ四十九を用いる。

分而為二以象兩,掛一以象三,揲之以四,以象四時,歸奇於扐以象閏,五歲再閏,故再扐而後掛。

《繋辞上伝》にいう:四十九策を手に随いて両份に分かち、以て天地両儀を象徴す。一策を取出して指のあいだに夾み、以て天・地・人の三才を象徴す。毎に四策を一組としてそれを数え、以て一年四時を象徴す。数え余る零数を手指の縫に夾み、以て閏月を象徴す。五年のうちに二回閏するを要す。ゆえに両回零数を夾み過ごしたのち、再び重新して策を掛げて下一変に入る。

掛者,懸於小指之間。揲者,以大指食指間而別之。奇,謂余數,扐者,抽於中三指之兩間也,蓍凡四十有九,信手中分,各置一手,“以象兩儀”;而掛右手一策於左手小指之間,以象三才,遂以四揲左手之策,“以象四時”;而歸其:餘數於左手第四指間,“以象閏”;又以四揲右手之策,而再歸其餘數於左手第三指間,“以象再閏”;五歲之象,掛一一也,揲左二也,扐左三也,揲右四也,扐右五也,是謂一變。其掛扐之數,不五即九。

朱熹が解説していう:いわゆる「掛」とは、一策を小指のあいだに懸夾するをいう。いわゆる「揲」とは、大指と食指とを用いて策を一組一組に分数し出すをいう。いわゆる「奇」とは、数え余る零数を指す。いわゆる「扐」とは、零数を中間の三指の指縫に抽夾するをいう。蓍策は共に四十九根で、信手にそのうちより両份に分かち作り、左右の手各々一份を持ち、以て「両儀を象る」に用いる。再び右手より一策を取りて左手の小指の縫間に夾み、以て三才を象るに用いる。接いで四策を一組として左手の策を数え、以て「四時を象る」に用いる。数え余る零数を左手の第四指の指縫に夾み、以て「閏を象る」に用いる。再び四策を一組として右手の策を数え、また余る零数を左手の第三指の指縫に夾み、以て「再閏を象る」に用いる。いわゆる五年の象とは、すなわち掛一を第一、揲左を第二、扐左を第三、揲右を第四、扐右を第五と為す。このよう一遍下りて「一変」と呼ぶ。一変の後、掛と扐とを合わせ起こした数目は、五ならざればすなわち九である。

案 《河圖》之中宮,太極也。《洛書》之中宮,人極也。故大衍之數,其虛一者,既以象太極之無為,其掛一者,又以象人極之參贊,虛一之後,繼以分二者,明乎分陰分陽,造化之本也。掛一之後,繼以揲四歸奇者,明平定時成歲,人事之綱也。分二掛一,則天地設位,而人立焉,而二才之體具欠。揲四歸奇,則四氣交運,五行參差,百物生焉,萬事起焉,而三才之用行矣,大衍之數,所以為酌河洛之中,而兼體用之備者如此。

李光地が按ずる:《河図》の中宮は五と十とが並居す。あれは「太極」である。《洛書》の中宮はただ一個の五のみ独居す。あれは「人極」で、すなわち《洪範》のいうところの「皇極」である。ゆえに大衍の法は、一策を虚去して用いざるは、太極の作為する所なきを象徴す。一策を掛げ起こすは、また人極が天地の化育に参賛するを象徴す。虚一の後に接いで分二するは、分陰分陽こそ造化の根本なるを顕明せんと欲す。掛一の後に接いで揲四・帰奇するは、四時を定め一歳を成すこそ人事の綱領なるを顕明せんと欲す。分二してまた掛一すれば、便ち天地が各々その位を正しくして人がそのうちに立ち、三才の形体すでに斉備す。揲四してまた帰奇すれば、便ち四時の気が交相に運行し、五行が錯落参差して、百物はここにより生じ、万事はここにより起こり、三才の功用はここにおいて施行す。大衍の数が河洛の両数のうちを斟酌して体・用を兼備すと称し得る所以は、道理はここに在り。

得五者三,所謂奇也。五除掛一即四,以四約之為一,故為奇,即兩儀之陽數也。一變之後,除前餘數,復合其見存之策,或四十,或四十四,分掛揲歸如前法,足凋再變,其掛仂者不四則八。

一変して掛扐が五を得るは、共に三種の分法あり。これをすなわち「奇」と呼ぶ。五のうちに起初に掛げた一策を除去せば便ち四を余す。四を用いてそれを約すれば一を得。ゆえに「奇」と算す。すなわち両儀の裏の陽に属する数である。一変の過後、先前に夾出した零数を撇き開いて算せず、重新して眼下になお存留する策を合攏すれば、あるいは四十、あるいは四十四。前面の办法に照らして再び分二・掛一・揲四・帰奇す。これを「再変」と呼ぶ。再変の掛払する数目は、四ならざればすなわち八である。

得四者二,所謂奇也。不去掛一,餘同前義。得八者二,所謂偶也。不去掛一,餘同前義。再變之後,除前兩次餘數,復合其見存之策,或四十,或三十六,或三十二,分掛揲歸如前法,是謂三變,其掛扐者如再變例。三變既畢,乃合三變,視其掛肋之奇偶,以分所遇陰陽之老少,是凋一爻。

再変して掛扐が四を得るは、共に両種の分法あり。これをすなわち「奇」と呼ぶ。この一変は再び掛一の策を除去するを須みず。其余の道理は前面と相同じ。再変して掛扐が八を得るは、共に両種の分法あり。これをすなわち「偶」と呼ぶ。同じく掛一の策を除去するを須みず。其余の道理は前面と相同じ。再変の過後、前後両次に夾出した零数を撇き開き、重新して眼下になお存留する策を合攏すれば、あるいは四十、あるいは三十六、あるいは三十二。前面の办法に照らして分二・掛一・揲四・帰奇す。これを「三変」と呼ぶ。三変の掛払する数目は、再変の成例と相同じ。三変を做み了れば、すなわち三変の掛扐を合わせて看、その奇なり偶なりを視、拠りて遇う所の陰なり陽なり、老なり少なりを分辨し、こうしてはじめて一爻を定め出す。

右(即左圖)三奇為老陽者凡十有二,掛扐之數十有三,除初掛之一為十有二,以四約而三分之,為一者三,一奇象圓而圍三,故三一之中各復有三。而積三三之數則為九,過揲之數三十有六,以四約之,亦得九焉。掛扐除一,四分四十有八而得其一也,一其十二而三其四也,九之母也。過揲之數四分四十八而得其三也,三其十二而九其四也,九之子也。皆徑一而圍三也,即四象太陽居一含九之數也。

上辺のこの一図の列する所、三変ともに「奇」を得て老陽を成すは、一共に十二種の分法あり。それの掛扐の数は十三で、起初に掛げた一策を除去せば便ち十二。四を用いて約し、再び三等分して、毎份を一と為し、共に三個の一。一個の「奇」は円形を象りて周長は三。ゆえにこの三個の一のうちに各々また三を含み、累積して三個の三は便ち九を得。過揲の数は三十六で、四を用いて約すれば、またまさに九を得。掛扐が掛一を除去してのち余る所の十二は、四十八を四等分してそのうちの一份を取る。すなわち一個の十二、三個の四。これは九の母数である。過揲の三十六は、四十八を四等分してそのうちの三份を取る。すなわち三個の十二、九個の四。これは九の子数である。両者とも「径一囲三」の比例に合す。すなわち四象のうち太陽が第一位に居りて九の数を含むなり。

右(即下左圖)兩奇一偶,以偶為主,為少陰者凡二十有八,掛扐之數十有七,除初掛之一為十有六,以四約而三分之,為一者二,為二者一,一奇象圓而用其全,故二一之中各復有三。二偶象方而用其半,故一二之中復有二焉。而積二三一二之數則為八,過揲之數三十有二,以四約之亦得八焉,掛扐除一,四其四也,自一其十二者而進四也,八之母也,過揲之數,八其四也,自三其十二者而退四也,八之子也,即四象少陰居二含八之數也。

下面左辺の一図の列する所、三変のうちに両個の「奇」と一個の「偶」とを得、而してあの一個の偶を以て主と為し、これにより少陰と成るは、一共に二十八種の分法あり。それの三変掛扐の総数は十七で、起初に掛げた一策を除去せば便ち十六。四を用いて約し、再び三等分を作して、両個の一、一個の二を得。一個の「奇」は円形を象りてその数を全く用いる。ゆえにあの両個の一のうちに各々また三を含む。一個の「偶」は方形を象りてただその一半を用いる。ゆえにあの一個の二のうちにまた二を含む。両個の三と一個の二とを累加し起こせば便ち八を得。それの過揲の数は三十二で、四を用いて約すれば、またまさに八を得。掛扐が掛一を除去して以後余る所の十六は、四個の四で、一個の十二に比べて四を進む。これは八の母数である。過揲の三十二は、八個の四で、三個の十二に比べて四を退る。これは八の子数である。母数子数は彼此相応ず。すなわち四象のうち少陰が第二位に居りて八の数を含むなり。

右(即前右圖)兩偶一奇,以奇為主,為少陽者凡二十,掛扐之數二十有一,除初掛之一為二十,以四約而三分之,為二者二,為一者一,二偶象方而用其半,故二二之中各復有二。一奇象圓而用其全,故一三之中,復有三焉。而積二二一三之數則為七,過揲之數二十有八,以四約之亦得七焉。掛抽除一,五其四也,自兩其十二者而退四也,七之母也,過揲之數,七其四也,自兩其十二者而進四也,七之子也,即四象少陽居三含七之數也。

前面右辺の一図の列する所、三変のうちに両個の「偶」と一個の「奇」とを得、而してあの一個の奇を以て主と為し、これにより少陽と成るは、一共に二十種の分法あり。それの三変掛扐の総数は二十一で、起初に掛げた一策を除去せば便ち二十。四を用いて約し、再び三等分を作して、両個の二、一個の一を得。両個の「偶」は方形を象りてただその一半を用いる。ゆえにあの両個の二のうちに各々また二を含む。一個の「奇」は円形を象りてその数を全く用いる。ゆえにあの一個の一のうちにまた三を含む。両個の二と一個の三とを累加し起こせば便ち七を得。それの過揲の数は二十八で、四を用いて約すれば、またまさに七を得。掛扐が掛一を除去して以後余る所の二十は、五個の四で、両個の十二に比べて四を退る。これは七の母数である。過揲の二十八は、七個の四で、両個の十二に比べて四を進む。これは七の子数である。母数子数は彼此相応ず。すなわち四象のうち少陽が第三位に居りて七の数を含むなり。

右(即左圖)三偶為老陰者四,掛扐之數二個有五,除初掛之一為二十有四,以四約而三分之,為二者三,二偶象方而用其半,故三二之中各復有二,面積三二之數則為六,過揲之數亦二十有四,有四約之亦得六焉,掛扐除一,六之母也,過揲之數,六之子也,四分四十有八而各得其二也,兩其十二而六其四也,皆圍四而用半也,即四象太陰居四含六之數也。

上辺のこの一図の列する所、三変ともに「偶」を得て老陰を成すは、ただ四種の分法のみ。それの掛扐の数は二十五で、起初に掛げた一策を除去せば便ち二十四。四を用いて約し、再び三等分して、三個の二を得。「偶」は方形を象りてただその半を用いる。ゆえにこの三個の二のうちに各々また二を含み、累加して三個の二は便ち六を得。過揲の数もまた二十四で、四を用いて約すれば、同じく六を得。掛扐が掛一を除去して以後余る所は、六の母数である。過揲の数は、六の子数である。両者とも四十八を四等分して各々そのうちの両份を取る。すなわち両個の十二、六個の四。みな「囲四用半」の比例に合す。すなわち四象のうち太陰が第四位に居りて六の数を含むなり。

集說 蔡氏元定曰:蓍之奇數,老陽十二,老陰四,少陽二十,少陰二十八,合六十有四。三十二為陽,老陽十二,少陽二十;三十二為陰,老陰四,少陰二:十八;其十六則老陽老陰也,老陽十二,老陰四;其四十八則少陽少陰也,少陽二十,少陰二十八。老陽老陰,乾坤之象也,二八也,少陽少陰,“六子”之象也,六八也。

集説 蔡元定がいう:三変の掛扐の得る奇偶の分法は、老陽に十二種あり、老陰に四種あり、少陽に二十種あり、少陰に二十八種あり、合計すればちょうど六十四種で、六十四卦の数と相當す。そのうち陽に属するは三十二種で、老陽の十二に少陽の二十を加う。陰に属するは三十二種で、老陰の四に少陰の二十八を加う。またそのうち十六種は老陽と老陰で、すなわち老陽の十二に老陰の四を加う。四十八種は少陽と少陰で、すなわち少陽の二十に少陰の二十八を加う。老陽老陰は「乾」「坤」の両卦の象で、恰も二乗じて八の一十六の数に合す。少陽少陰は「六子」の象で、恰も六乗じて八の四十八の数に合す。

凡此四者,皆以三變皆掛之法得之,蓋經曰“再抽而後掛”,又曰“四營而成易”,其指甚明,註疏雖不詳說,然劉禹鍋所記僧一行、畢中和、顧彖之說,亦已備矣。近世諸儒,乃有前一變獨掛,後二變不掛之說,考之於經,乃為六仂而後掛,不應“五歲再閏”之義,且後兩變又止三營,蓋已誤矣。

以上の老陽・少陰・少陽・老陰のこの四種は、みな「三変みな掛一を要す」の旧法に依りて推し出したるなり。経文に「再扐而后掛」といい、また「四営而成易」という。意旨十分に明白である。注疏は細講せざるといえども、しかるに劉禹錫の記載する所の僧一行・畢中和・顧彖の幾家の説法は、もまたすでに甚だ完備せり。近世にある儒者はかえって頭の一変は掛一、後の両変は掛げずと主張す。経文を以て核対すれば、それならばすなわち六次の零数を夾み過ごしてはじめて掛げると成り、「五歳再閏」の意思に合せず。しかも後の両変はただ三営のみ余る。見るべし、この説法はすでに錯えり。

且用舊法,則三變之中,又以前一變為奇,後二變為偶,奇故其餘五九,偶故其餘四八。餘五九者,五三而九一,亦圍三經一之義也。餘四八者,四八皆二,亦圍四用半之義也。三變之後,老者陽饒而陰乏,少者陽少而陰多,亦皆有自然之法象焉。蔡元定集說 蘇氏軾曰:唐一行之學,以為三變皆少,則乾之象也,乾所以為老陽,而四數其揲得九,故以九名之;三變皆多,則坤之象也,坤所以為老陰,而四數其揲得六,故以六名之;三變面少者一,則震坎艮之象也,震坎艮所以為少陽,而四數其揲得七,故以七名之;三變而多者一,則巽離兌之象也,巽離兌所以為少陰,而四數其揲得八,故以八名之。故七八九六者,因揲數以名陰陽,而陰陽之所以為老少者,不在乎是,而在乎三變之間,八卦之象也,此唐一行之學也。

況んや旧法に依れば、三変のうち前の一変を「奇」と算し、後の両変を「偶」と算す。奇を為すがゆえに、余数は五ならざればすなわち九。偶を為すがゆえに、余数は四ならざればすなわち八。余数の五と九とは、五を得るに三種の分法あり、九を得るにただ一種ありて、またまさに「囲三径一」の比例に合す。余数の四と八とは、四を得八を得各々両種の分法ありて、またまさに「囲四用半」の比例に合す。三変の後、老の一路は陽多くして陰少なく、少の一路は陽少なくして陰多し。この裏頭にもまたみな自然而然の法象あり。以上は蔡元定の説である。集説 蘇軾がいう:唐代の僧一行の学説は、三変の得る所がみな「少」なれば、すなわち「乾」の象で、乾の老陽と称する所以なり。四を用いてその過揲の策を数えて九組を得。ゆえに九を以てそれを命名す。三変の得る所がみな「多」なれば、すなわち「坤」の象で、坤の老陰と称する所以なり。四を用いてその過揲の策を数えて六組を得。ゆえに六を以てそれを命名す。三変のうちただ一変のみ「少」を得れば、すなわち「震」「坎」「艮」の象で、この三卦の少陽と称する所以なり。四を用いてその過揲の策を数えて七組を得。ゆえに七を以てそれを命名す。三変のうちただ一変のみ「多」を得れば、すなわち「巽」「離」「兌」の象で、この三卦の少陰と称する所以なり。四を用いてその過揲の策を数えて八組を得。ゆえに八を以てそれを命名す。見るべし、七・八・九・六は過揲の数に就いて陰陽の名を定めるなり。陰陽が老少に分かる所以に至っては、並びてこの幾つの数の上に在らずして、三変のあいだに顕出する八卦の象の上に在り。これがすなわち唐代の僧一行の学説である。

《朱子文集》曰:初一變得五者三,得九者一,故曰餘五九者,五三而九一。後二變得四者二,得八者二,故曰餘四八者,四八皆二。三變之後,為老陽者十有二,老陰四,故臼陽饒而陰乏,少陽二十,少陰二十八,故曰陽少而陰多。

《朱子文集》にいう:頭の一変の裏に掛扐が五を得るに三種の分法あり、九を得るにただ一種のみ。ゆえに「余数五与九、五占三、九占一」という。後の両変の裏に掛扐が四を得るは各々両種あり、八を得るもまた各々両種あり。ゆえに「余数四与八、四与八都各占両種」という。三変過ぎてのち、老陽を成すに十二種あり、老陰を成すにただ四種のみ。ゆえに「陽多而陰少」という。少陽を成すに二十種あり、少陰を成すに二十八種あり。ゆえに「陽少而陰多」という。

沈氏《筆談》云,《易》象九為老陽,七為少陽,八為少陰,六為老陰,其九七八六之數,皆有所從來,得之自然,非意之所配也,凡歸餘之數,有多有少,多為陰,如爻之偶,少為陽,如爻之奇。

沈括の《夢渓筆談》にいう:《易》象は九を以て老陽、七を以て少陽、八を以て少陰、六を以て老陰と為す。この九・七・八・六の幾つの数目はみな各々来歴ありて、揲蓍の法の裏より自然に推し出したるで、並びて人意を憑って随えに配し上げたに非ず。およそ帰余の夾む所の掛扐の数は、多きあり少なきあり。多きは陰に属し、ちょうど爻画の中間断开する偶のごとし。少なきは陽に属し、ちょうど爻画の一道に連成する奇のごとし。

三少,乾也,故曰老陽,,九揲而得之,故其數九,其策三十六;兩多一少,則一少為之主,震坎艮也,故皆謂之少陽,少在初為震,中為坎,末為艮,皆七揲而得之,故其數七,其策二十有八;三多,坤也,故曰老陰,六揲而得之,故其數六,其策二十有四;兩少一多,則一多為之主,巽離兌也,故皆謂之少陰,多在初謂之巽,中為離,未為兌,皆八揲而得之,故其數八,其策三十有二。

三変ともに「少」を得るは、「乾」である。ゆえに老陽と呼ぶ。その過揲の策は四を以て数えて九組を得。ゆえにその数は九、その策は三十六。両変が「多」を得一変が「少」を得るは、すなわちあの一個の「少」を以て主と為し、「震」「坎」「艮」を成す。ゆえにみな少陽と呼ぶ。あの「少」が頭の一変に出現すれば便ち「震」、第二変に在れば便ち「坎」、第三変に在れば便ち「艮」。みな四を以て過揲を数えて七組を得。ゆえにそれらの数は七、策は二十八。三変ともに「多」を得るは、「坤」である。ゆえに老陰と呼ぶ。四を以て過揲を数えて六組を得。ゆえにその数は六、策は二十四。両変が「少」を得一変が「多」を得るは、すなわちあの一個の「多」を以て主と為し、「巽」「離」「兌」を成す。ゆえにみな少陰と呼ぶ。あの「多」が頭の一変に出現すれば「巽」と呼び、第二変に在れば「離」、第三変に在れば「兌」。みな四を以て過揲を数えて八組を得。ゆえにそれらの数は八、策は三十二。

諸家揲蓍說,唯《筆談》簡而盡。孔穎達非不曉揲法者,但為之不熟,故其言之易差,然其子大數亦不差也。畢中和視疏義為詳,柳子厚詆劉夢得以為膚末於學者,誤矣!畢論三揲皆掛一,正合“四營”之義,唯以三揲之掛仂分措於三指間為小誤,然於其大數亦不差也。其言餘一益三之屬,乃夢得立文太簡之誤,使讀者疑其不出於自然,而出於人意耳。此與孔氏之說,不可不正,然恐亦不可不原其情也。

各家が揲蓍を講ずる説法は、ただ《夢渓筆談》のみ簡明にして周備なり。孔穎達は並びて揲法を解らざるに非ざるも、ただ做り熟せざれば、ゆえに話を説き得て差錯を出し易し。しかるに彼の挙げた大数目はかえって差えず。畢中和は《周易正義》に比べて詳細に講ず。柳宗元が劉禹錫を譏諷し、その学問ただ皮毛末梢に至るのみというは、あれは錯怪せり。畢中和が三変ともに掛一するを主張するは、まさに「四営」の意思に合す。ただ三変の掛払する策を分かちて三個の指縫のあいだに夾むは、これは小さい毛病で、しかし大数目の上においてはまた差えず。彼の「余一益三」の一類の話を講ずるは、実は劉禹錫が行文するに太り简略にして致したるの失誤で、読者をしてこれらの数目は自然生成に非ずして人意の安排に出づと疑心せしむ。この一処と孔穎達の説法とはみな訂正を加えざるべからず。しかるにまたおそらく彼らの当時の実情を体諒せざるべからず。

蔡氏所謂以四十九蓍虛一分二掛一揲四者,蓋謂虛一外,止用四十八。分掛揲之餘,為奇偶各二,老陽老陰變數各八,少陰少陽變數各二十四,合為六十四,八卦各得八焉,然此乃奇偶對待加倍而得者,體數也,著天三地二衍而為五十者,用數也,蓋體數常均,用數則陽饒面陰乏也,此正造化之妙,若陰陽同科,老少一例,是體數,非用數也。

蔡元定のいうところの「四十九根の蓍策を拿して虚一・分二・掛一・揲四す」とは、意思は一策を虚去するのほか、実際ただ四十八策を用いる。分二・掛一・揲四の後に余る所は、奇と偶と各々両種あり。老陽と老陰との変数は各々八で、少陰と少陽との変数は各々二十四で、合わせ起こせば共に六十四、八卦は毎卦各々八を得。ただしこれは奇偶が両々相対し、逐層加倍して得たる数で、「体数」に属す。「参天両地」に依りて三と二とを推衍して五十と成すに至っては、あれは「用数」である。体数は総じて均斉に平分す。用数はすなわち陽多くして陰少なし。これがまさに造化の微妙の処である。倘若陰陽を以て一様と看、老少を等量斉観せば、便ちあれは体数で、用数に非ざるなり。

若用近世之法,則三變之餘,皆為圍三徑一之義,而無復奇偶之分。三變之後,為老陽少陰者皆二十七,為少陽者九,為老陰者一,又皆參差不齊,而無復自然之法象,此足以見其說之誤矣。至於陰陽老少之所以然者,則請復得而通論之。蓋四十九策,除

もし近世のあの前の一変は掛げ、後の両変は掛げざるの办法を采用すれば、三変の余数はすなわち一律に「囲三径一」の意思と成り、再び奇偶を分かち出す能わず。三変の後、老陽を成すと少陰を成すとはみな二十七で、少陽を成すはただ九のみ、老陰を成すはただ一のみ、またみな参差斉からず、再び自然の法象の言う可きなし。これを以てすれば足りてあの説法の錯誤を見るべし。陰陽老少のこのようなる所以の縁由に至っては、請う容れて再び通盤に論じ一論せん:大概四十九策は、除く――ここの処底本に脱文あり、下面の議論は接続して下らず。

集說 歸氏有光曰:九具於揲,則三奇見於餘;六具於揲,則三偶見於餘;七具於揲,則二偶一奇見於餘;八具於揲,則二奇一偶見於餘。不必反觀其在揲之數,而已舉其要矣!

集説 帰有光がいう:過揲の数が九を具足するは、掛扐の余数の上に便ち三個の「奇」を現出す。過揲の数が六を具足するは、余数の上に便ち三個の「偶」を現出す。過揲の数が七を具足するは、余数の上に便ち両個の「偶」一個の「奇」を現出す。過揲の数が八を具足するは、余数の上に便ち両個の「奇」一個の「偶」を現出す。このようであれば、必ずしも回頭して再び在揲の策数を数え往かずして、すでに要領をみな挙げ出したり。

其曰“乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四”“二篇之策萬有一千五百二十”,何也?掛扐雖舉其要,而七八九六之數,仍以在揲之策為正,七八九六者,自揲之以四而取也,若掛仂之策,因過揲而見者也。故曰“揲之以四以象四時”,又曰“當期之日”,而歸奇以象閏。

然らば経文はなぜまた「乾之策二百一十有六、坤之策百四十有四」といい、「二篇之策一万一千五百二十」というや。掛扐は要領を挙げ出し得るといえども、しかし七・八・九・六のこれらの数は、仍旧在揲の策数を以て正と為すを要す。七八九六は「揲之以四」の當中のうちより取り出したるなり。掛扐の策に至っては、ただ過揲あるに因りて連帯して顕現し出づるに過ぎず。ゆえに経文に「揲之以四以象四時」といい、また「当期之日」といい、而して帰奇はただ以て閏を象るに過ぎず。

何氏楷曰:案翼言“揲四以象四時,歸奇以象閏”。四時,正也,閏餘也。下文云:“乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四。凡三百有六十,當期之日,二篇之策,萬有一千五百二十,當萬物之數也。”皆以七八九六起數,明乎用正數而不用餘數矣。案 歸氏何氏之說,亦可與朱子相參酌。

何楷がいう:《易伝》の「揲之以四以象四時、帰奇于扐以象閏」を講ずるを按ずるに、四時は一歳の正数で、閏月はすなわち正数の以外に多出する余数である。下文にまた「乾之策二百一十六、坤之策一百四十四、合共三百六十、正当一周年之日数、上下二篇之策合共一万一千五百二十、正当万物之数目」という――これらはみな七・八・九・六を拿して算を起こす。すなわち過揲の策を以て主と為す。見るべし、筮法の取用するは正数にして余数に非ざるを。李光地が按ずる:帰有光と何楷のこの両家の説法は、また朱熹の説と互相に参酌し取舍し得べし。

邵子曰:五與四四,去掛一之數,則四三十二也,九與八八,去掛一之數,則四六二十四也,五與八八,九與四八,去掛一之數,則四五二十也,九與四四,五與四八,去掛一之數,則四四十六也,故去其三四五六之數,以成九八七六之策,此之謂也。一爻已成,再合四十九策,復分掛揲歸以成一變,每三變而成一爻,並如前法。

邵雍がいう:三変の掛扐が五と両個の四とを得るは、掛一の数を去れば、余るまさに四乗じて三の一十二。九と両個の八とを得るは、掛一の数を去れば、余るまさに四乗じて六の二十四。五と両個の八とを得、あるいは九と一個の四一個の八とを得るは、掛一の数を去れば、余るまさに四乗じて五の二十。九と両個の四とを得、あるいは五と一個の四一個の八とを得るは、掛一の数を去れば、余るまさに四乗じて四の一十六。ゆえに三・四・五・六のこの幾組の数を去りて、はじめて九・八・七・六の策数を成就す。説くはこの道理である。朱熹が接いでいう:一爻すでに成就せば、再び四十九策を合攏し、重新して分二・掛一・揲四・帰奇して以て一変を成し、毎三変にして一爻を成す。みな前面の办法に照らして弁ず。

乾之策,二百一十有六。坤之策,百四十有四,凡三百有六十,當期之日。二篇之策,萬有一千五百二十,當萬物之數也。

《繋辞上伝》にいう:《乾》卦の六爻の策数は共に二百一十六、《坤》卦の六爻の策数は共に一百四十四、両者を合わせて共に三百六十、ちょうど一周年の日数に當たる。上下二篇の六十四卦の策数は、共に一万一千五百二十、ちょうど万物の数目に當たる。

“二篇”者,上下經六十四卦也,其陽爻百九十二,每爻各三十六策,積之得六千九百一十二,陰爻百九十二,每爻二十四策,積之得四千六百八,又合二者,為力‘有一於五百二十也。若為少陽,則每爻二十八策,凡五千三百七十六,少陰則每爻三十二策,凡六千一百四十四,合之亦為萬一千五百二十也。

朱熹が解説していう:いわゆる「二篇」とは、すなわち《周易》の上下経の六十四卦である。六十四卦は共に三百八十四爻で、陰陽ちょうど各々半ばを占む。陽爻は一百九十二で、毎爻は老陽の三十六策を按じて計算し、累加して六千九百一十二を得。陰爻もまた一百九十二で、毎爻は老陰の二十四策を按じて計算し、累加して四千六百八を得。両項を合わせ起こせば、まさに一万一千五百二十。倘若改めて少陽・少陰を用いて算すれば、少陽は毎爻二十八策で、共に五千三百七十六。少陰は毎爻三十二策で、共に六千一百四十四。両項を合わせ起こせば、同じく一万一千五百二十で、分毫差えず。

是故四營而成易,十有八變而成卦,八卦而小成。引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣。

《繋辞上伝》にいう:ゆえに四道経営して一変を成し、十八変して一卦を成す。先に三画の八卦を成すを小成と呼ぶ。これより牽引伸展し、類に触れて旁通して推し広め去れば、天下の能くすることの事はみなこれを包括して遺なし。

“四營”者,四次經營也。“分二”者,第一營也;“掛一”者,第二營也;“揲四’’者,第三營也;“歸奇”者,第四營也,《易》變易也,謂揲之一變也,四營成變,三變成爻。一變而得兩儀之象,再變而得四象之象,二變而得八卦之象。一爻而得兩儀之畫,二爻而得四象之畫,三爻而得八卦之畫,四爻成而得其”卜六者之一,五爻成而得其三十二者之一,至於積七十二二營而成十有八變,則六爻見,而得乎六十四卦之一矣。

朱熹が解説していう:いわゆる「四営」とは、すなわち四道の経営措置の手続である。「分二」は第一営、「掛一」は第二営、「揲四」は第三営、「帰奇」は第四営。「易」はすなわち変易で、揲蓍の一変を指す。四営が合して一変を成し、三変が合して一爻を成す。一変して両儀の象を得、再変して四象の象を得、三変して八卦の象を得る。一爻画成すれば便ち両儀の画を得、両爻画成すれば便ち四象の画を得、三爻画成すれば便ち八卦の画を得、四爻画成すれば便ち十六者のうちの一個を得、五爻画成すれば便ち三十二者のうちの一個を得る。毎爻に三変を要し、毎変に四営を要す。六爻は共に十八変。累積して七十二営・十八変を做み了るを待って、六爻全く顕現すれば、便ち六十四卦のうちの一卦を得着す。

然方其三十六而九變也已得三畫,而八卦之名可見,則內卦之為貞者立矣,此所謂“八卦而小成”者也,自是而往,“引而伸之”,又三十六營九變以成三畫,而再得小成之封者也,則外卦之為悔者亦備矣。六爻成,內外卦備,六十四卦之別可見,然後視其爻之變與不變,而觸類以長焉,則天下之事,其吉凶悔吝,皆不越乎此矣。

しかるに経営して三十六営・九変に到るとき、すでに三爻を画成し、八卦の名目は便ち看見し得べし。内卦のいわゆる「貞」のあの一半は便ち立定す。これがすなわち経文のいうところの「八卦而小成」である。ここより下って「引而伸之」して、再び三十六営・九変を経て三爻を画成し、また一個の小成の卦を得れば、外卦のいわゆる「悔」のあの一半もまた就きて斉備す。「貞」は内卦を指し、「悔」は外卦を指す。もとは《尚書・洪範》の裏の旧称である。六爻画成して、内外の両卦完備すれば、六十四卦の分别は便ち清楚に看り得べし。しかるのちに再び爻の変と不変とを看て、類に触れて推し広め去れば、それならば天下の事情は、その吉・凶・悔・吝もまたみなこの範囲を出でざるなり。

顯道神德行,是故可與酬酢,可與祐神矣。道因辭顯,行以數神,“酬酢”者,言幽明之相應,如賓主之相交也。“佑神”者,言有以佑助神化之功也。

《繋辞上伝》にいう:蓍卦の徳は能く大道・神妙なる徳行を彰顕す。ゆえにそれと応答酬酢し得、それに憑りて神明を佑助し得べし。朱熹が解説していう:道理は卦爻の辞に憑りて彰顕し、徳行は蓍策の数に憑りて神妙す。いわゆる「酬酢」とは、幽隠の神明と顕明の人事とが互相に感应して、賓主が往来交接するがごときをいう。いわゆる「佑神」とは、筮法が能く神明の化育の功を幇助するをいう。

卷內蔡氏說,為奇者三,為偶者二,蓋凡初揲,左手餘一餘二餘三皆為奇,餘四為偶。至再揲三揲,則餘三者亦為偶,故曰奇二而偶二也。

本巻の引く所の蔡元定の説法が「為奇的占三、為偶的占二」を講ずるは、あれはおよそ頭一回の揲策は、左手が一を余り二を余り三を余るはみな「奇」と算し、ただ四を余るのみ「偶」と算するがゆえに。第二次・第三次の揲策に到れば、三を余るもまた「偶」に帰入す。ゆえに後面にまた「奇有両種、偶有両種」という。

考変占第四

《乾》卦用九“見群龍無首,吉”。《象》曰:“用九,天德不可為首也。 ”《坤》卦用六“利永貞”。《象》曰:“用六永貞,以大終也。”其所占者名爻,不謂六爻皆九六也。及其筮也,七八常多,而九六常少,有無九六者焉,此不可以不釋也。六十四斟皆然,特於《乾》、《坤》見之,則餘可知耳。

《乾》卦に「用九」ありて、辞に「見群龍無首、吉」といい、《象伝》に「用九、天徳不可為首」という。《坤》卦に「用六」ありて、辞に「利永貞」といい、《象伝》に「用六永貞、以大終也」という。ここに占する所は変爻で、並びて六爻が一斉にみな九、みな六とは説かざるなり。実際筮を起こすときに到りては、七を得八を得の情形はつねに多く、九を得六を得の情形はつねに少なく、甚だしきは一卦のうちに一個の九六もなきあり。この一層は解釈し清楚にせざるべからず。六十四卦はみなこのようである。ただ特に《乾》《坤》の両卦の上に標挙し出したるに過ぎず。其余はすなわちこれにより類推し得べし。

愚案此說發明先儒所未到,最為有功。其論七八多而九六少,又見當時占法,三變皆卦,如一行說。

朱熹の按語にいう:上面のこの段の議論は前代の儒者の講じ至らざる処を闡発し、最も功労あり。それが七を得八を得の情形多くして九を得六を得の情形少なきを論及するは、また当時通行の占法が三変ともに掛一するを見出し得、僧一行の説法と相合す。

凡卦六爻皆不變,則占本卦彖辭,而以內卦為貞,外卦為悔。彖辭為卦下之辭,孔成子筮立衛公子元,遇《屯》,曰“利建侯”。秦伯伐晉筮之遇《蠱》,曰貞風也,其悔山也。

およそ一卦の六爻がみな変ぜざるは、すなわち本卦の彖辞を占し、しかも内卦を以て「貞」と為し外卦を以て「悔」と為す。彖辞はすなわち卦画の下に係るあの一段の辞である。たとえば孔成子が衛国の公子元を立つるを為して筮を起こし、《屯》卦に遇い、便ち彖辞に拠りて「利建侯」と断ず。秦伯が晋国を討伐して筮を起こし、《蛊》卦に遇い、便ちその貞卦は風、悔卦は山という。まさに内外の両体を以て分説するなり。

一爻變,則以本卦變爻辭占。沙氏程氏曰,畢萬遇《屯》之《比》,初九變了也;蔡墨遇《乾》之《同人》,九二變也;晉文公遇《大有》之《睽》,九三變也;陳敬仲遇《觀》之《否》,六四變也;南蒯遇《坤》之《比》六五變也;晉獻公遇《歸妹》之《睽》,上六變也。

およそただ一爻のみ変ずるは、すなわち本卦のあの一個の変爻の爻辞を用いて占す。古書は「某卦之某卦」と写す。指すはまさに本卦より之卦に変出するあの一爻である。沙随程迥がいう:畢万が筮を起こして《屯》之《比》に遇えるは、あれは初九の変。蔡墨が《乾》之《同人》に説き至るは、あれは九二の変。晋文公が筮を起こして《大有》之《睽》に遇えるは、あれは九三の変。陳敬仲の家人が筮を起こして《観》之《否》に遇えるは、あれは六四の変。南蒯が筮を起こして《坤》之《比》に遇えるは、あれは六五の変。晋献公が女を嫁して筮を起こして《帰妹》之《睽》に遇えるは、あれは上六の変。

集說 胡氏一佳曰:《啟蒙》謂一爻變,則以本卦變爻辭占,其下引畢萬所筮,以今觀之,未嘗不取之卦,且不特論一爻,兼取貞悔卦體,似可為占者法也,觀陳宣公筮公子完之生,尤可見矣。

集説 胡一桂がいう:《易学啓蒙》に一爻変ずればすなわち本卦のあの一変爻の爻辞を用いて占すと講じ、下面に畢万の筮した所の例子を引く。今天に照らして看れば、あの一次の占断はかつて変出したる「之卦」を兼取せざるに非ず、しかも単にあの一変爻を論ぜず、なお貞悔の両体の卦象を兼取す。これは立てて占者の法則と為し得べしに似たり。再び陳宣公のとき公子完の出生した所に為すあの一筮を看れば、さらに明白に看り得べし。

二爻變,則以本卦二變爻辭占,仍以上爻為主。經傳無文,今以例推之當如此。集說 胡氏一桂曰:案陳摶為宋太祖占,亦旁及諸爻與卦體。

およそ両爻変ずるは、すなわち本卦のこの両個の変爻の爻辞を用いて占し、仍旧上に居るあの一爻を以て主と為す。この一条は経伝の上に明文なし。如今体例に依りて推論すれば、まさにこのようであるべし。集説 胡一桂がいう:陳摶が宋太祖の為に占卜するを按ずるに、また其余の各爻と整個の卦体とに旁及して、並びて一爻に死守せず。

三爻變,則占本卦及之卦之彖辭,而以本卦為貞,之卦為悔,前十卦主貞,後十卦主悔。凡三爻變者。通二十卦有圖在後。沙氏程氏曰,晉公子重耳筮得國,遇《屯》悔《豫》皆八,蓋初與四五凡三爻變也,初與五用九變,四用六變。其不變者二二上,在兩卦皆為八,故云皆八,而司空季子占之曰“皆利建侯。”集說 胡氏一桂曰:案《啟蒙》但云占本卦之卦彖辭,然以晉侯《屯》、《豫》之占,則並占卦體可見。

およそ三爻変ずるは、すなわち本卦と「之卦」との両卦の彖辞を占し、本卦を以て「貞」と為し之卦を以て「悔」と為す。図中に前十卦に列するは貞卦を以て主と為し、後十卦に列するは悔卦を以て主と為す。およそ三爻変の情形は合計二十卦で、別に図ありて後面に列す。沙随程迥がいう:晋の公子重耳が筮を起こして国を得る能否を問い、「貞屯悔豫皆八」に遇えるは、あれは初爻と四爻・五爻との共に三爻の変。初と五とは用九にして変じ、四は用六にして変ず。変ぜざるは二爻・三爻と上爻で、《屯》《豫》の両卦の裏にみな八と作す。ゆえに「皆八」といい、ここにおいて司空季子が彼に占断を為して「両卦ともに建侯に利あり」という。集説 胡一桂がいう:《啓蒙》はただ本卦と之卦との彖辞を占すと説くを按ずるに、しかるに晋侯の《屯》《豫》のこの一占より看れば、顕然として卦体を連ねて一并に占するなり。

熊氏朋來曰:七八皆不變爻,何以罕言七而專言八。曰:七七,蓍數也,八八,卦數也。

集説 熊朋来がいう:七と八とはみな不変の爻なるに、なぜ古人は七を説くこと少なくして専ら八を説くや。回答は:七七は四十九、あれは蓍策の数。八八は六十四、あれは卦画の数。すでに記する所は卦にして蓍に非ざれば、自然に卦に属する八を用いて標識と為すなり。

四爻變,則以之卦二不變爻占,仍以下爻為主。經傳亦無文,今以例推之當如此。

およそ四爻変ずるは、すなわち「之卦」の裏のあの両個の不変の爻を用いて占し、仍旧下に居るあの一爻を以て主と為す。この一条は経伝の上にもまた明文なし。如今体例に依りて推論すれば、まさにこのようであるべし。

五爻變,則以之卦不變爻占。穆姜往東宮,筮遇《艮》之八,史曰“是謂艮之隨”,蓋五爻皆變,唯二得八,故不變也,法宜以“係小子失丈夫”為占,而史妄引《隨》之彖辭以對,則非也。

およそ五爻変ずるは、すなわち「之卦」の裏のあの一個の不変の爻を用いて占す。当年穆姜が東宮に遷り往くとき筮を起こし、「艮之八」に遇えり。太史が「これを《艮》之《随》と呼ぶ」というは、あれは五爻みな変じて、ただ第二爻のみ八を得てゆえに変ぜず。法則に照らせばまさに《随》卦の六二の「係小子、失丈夫」のこの句の爻辞を拿して占すべきに、而して太史はしかし胡乱に《随》卦の彖辞を引きて応答す。すなわち対ならず。

六爻變,則《乾》、《坤》占二用,餘卦占之卦彖辭。蔡墨曰,《乾》之《坤》曰,“見群龍無首吉”是也,然“群龍無首”,即《坤》之“牝馬”“先迷”也,《坤》之“利永貞”,即《乾》之“不言所利”也。

およそ六爻全く変ずるは、もし《乾》《坤》の両卦に遇えば、すなわち「用九」「用六」のこの両条を占す。其余の各卦はすなわち「之卦」の彖辞を占す。蔡墨が「《乾》之《坤》、辞為『見群龍無首、吉』」というは、用いるはすなわちこの办法である。ただし「群龍無首」は、実はすなわち《坤》卦のいうところの「牝馬」「先迷」の意。《坤》卦の「利永貞」は、実はすなわち《乾》卦の「不言所利」の意で、両辺はもとより相通ずるなり。

於是一卦可變六十四卦,而四千九十六卦在其中矣,所謂“引而仲之,觸類而長之,大下之能事畢矣”,豈不信哉。今以六十四卦之變,列為三十二圖,最初卦者,自初而終,自一亡而下,得末卦者,自終而初,自下而卜,變在第三十二卦以前者,占本卦爻之辭,變在第三十二卦以後者,占變卦爻之辭。凡言初終上下者,據圖而言,言第幾卦前後以上三十二圖,反覆之則為六十四圖,圖以一卦為主,而各具六十四卦,凡四千九十六卦,與焦贛《易林》合,然其條理精密,則有先儒所未發者,覽者詳之。

このようであれば、一卦は六十四卦に変出し得、四千九十六卦はみなそのうちに包含せられて就く。いわゆる「引而伸之、触類而長之、天下之能事畢矣」とは、なんぞ確かにこのようならざらんや。如今六十四卦の変化を列ねて三十二張の図と作す。最初の一卦に得るは、初爻より数えて上爻に至り、自上より下にして看る。最末の一卦に得るは、上爻より数え回りて初爻に至り、自下より上にして看る。変ずる所が第三十二卦以前に落つるは、本卦の爻辞を占す。第三十二卦以後に落つるは、変卦の爻辞を占す。およそ初・終・上・下を説くは、みな図上の位置に就いて言う。第几卦の以前以後を説くも、また図の次序に就いて言う。以上の三十二図を翻転し来れば便ち六十四図と成り、毎一図が一卦を以て主と為して各々六十四卦を具足す。総じて四千九十六卦で、焦贛の《易林》の卦数とちょうど合す。しかるにそれの条理は精密で、前代の儒者のかつて発明せざる処あり。図を看る人はまさに細細と体会すべし。

集說 胡氏一桂曰;焦延壽卦變法,以一卦變為六十四卦,六十四卦通變四千九十六卦,而卦變之次,本之文王序卦,且如以《乾》為本卦,其變首《坤》,次《屯》、《蒙》,以至《未濟》,又如以末一卦《未濟》為本卦,其變亦首《乾》,次《坤》、《屯》,以至《既濟》,每一卦變六個三卦,通本卦成六十四卦,紫陽夫子以爻變多寡,順而列之,以定一卦所變之序,又以《乾》、《卦》所變之次,引而伸之,為六十四卦所變相承之序,案 朱子三十二圖,其次第最為詳密,而後學之疑義有二:一曰筮法用“九”、“六”不用“七”、“八”,今四爻五爻變者,用之卦之不變爻占,則是兼用“七”、“八”也;二曰周公未繫爻之先,則彖辭之用,有所不周也。三代筮法,既不盡傳,今唯以經傳為據而推之,則“用九”“用六”,經文甚明,而用“七”、“八”者,諸書皆無明文,唯杜預以為夏商用之,先儒已摘其非矣。

集説 胡一桂がいう:焦延夀の卦変の法は、一卦を把して六十四卦に変じ、六十四卦が通共に四千九十六卦を変出す。而して卦変の次第は、文王の序卦に依りて排する。たとえば《乾》を以て本卦と為せば、それの変ずる頭一卦は《坤》、其次は《屯》《蒙》、一直に《未済》に排し至る。またたとえば最末の一卦《未済》を以て本卦と為せば、それの変ずるもまた先に《乾》、其次《坤》《屯》、一直に《既済》に排し至る。毎一卦は各々六十三卦を変出し、本卦に連ねて合して六十四卦と為る。紫陽夫子朱熹はすなわち爻変の多少に依りて順次排列し、以て一卦の変ずる所の次序を定め出す。また《乾》卦の変ずる所の次第を牽引伸展し去りて、六十四卦の彼此相承する変卦の次序を定め出す。李光地が按ずる:朱熹の列する所の三十二図は、次第最も詳密なり。ただ後来の学者はそれに対して両点の疑問あり。第一に、筮法はただ「九」「六」を用いて「七」「八」を用いざるに、如今四爻変・五爻変のはかえって「之卦」の不変の爻を拿して占するを要す。それならばすなわち「七」「八」もまた一并に用上げる。第二に、周公がまだ爻辞を係さざる以前は、単に彖辞を頼りて占するに、用うればおそらく不周全の処あらん。三代の筮法はすでに完整に伝え下らざれば、如今ただ経伝を拿して依拠と作して推求するのみ。「用九」「用六」は、経文説き得て十分に明白なり。「七」「八」を用いるに至っては、各書ともに明文なく、ただ杜預のみ夏・商の両代の用いる所と説く。前代の儒者すでに彼の不対を指摘し過ぎたり。

考之《春秋》內外傳,蓋無論變與不變,及變之多寡,皆論卦之體象與其彖辭。即一爻變者,雖占爻辭,而亦必先以卦之體象與其彖辭為主,則知古人占法,未有爻辭之先,即彖辭而已周於用,既有爻辭之後,則但以專動考占,而初亦不離乎彖辭以為斷也,唯其一卦可變為六十四,則兩卦相參,而可以盡事物之理。故卦之有變者,意主於生卦,不主於成爻。爻之有變者,專動則有占,雜動則無占,如是則傳記之文皆合,而學者之疑可釋矣。

《春秋左伝》と《国語》とを拿して考察すれば、爻変なり不変なり、変の多きなり少なきなりを論ぜず、占断するときはみな卦の体象とそれの彖辞とを講ずるを要す。たといただ一爻変ずるのみなるも、あの一爻の爻辞を占するといえども、必ず先に卦の体象と彖辞とを以て主と為す。これにより古人の占法を知るべし。爻辞のいまだ出現せざる以前においては、単に彖辞のみですでに足りて応用し、爻辞ありての後に及んでも、またただあの専一に変動する爻を拿して考占し、而して起初は仍旧彖辞を離れずして断語を下す。まさに一卦が六十四卦に変じ得るがゆえに、本卦と之卦とが両相に参照して、便ち足りて事物の道理を窮尽す。ゆえに卦の変あるは、用意在りて新卦を生ずるに在りて、某一爻を成就するに在らず。爻の変あるは、すなわち専一にして動くのみ占ありて、紛杂乱動するは便ち占なし。このようであれば、伝記の上の記載は全く説き通じ、学者の疑惑もまた解き開き得べし。

至內外傳言得八者三:一曰《泰》之八,則不變者也;一曰貞《屯》悔《豫》皆八,則三爻變者也;一曰《艮》之八為《艮》之《隨》,則五爻變者也。諸儒以八為不動之爻,考之文意,似未符協。蓋三占者,雖變數不同,然皆無專動之爻,則其為用卦一也,卦以八成,故以八識卦,猶之爻以“九”“六”成,則以“九”“六”識爻云爾,觀朱子之圖者,更須以《左傳》、《國語》諸書互相參考。

《左伝》《国語》の裏に「得八」を講じ及ぶは共に三処あり。一処は「泰之八」といい、あれは六爻ともに変ぜざる。一処は「貞屯悔豫皆八」といい、あれは三爻の変。一処は「艮之八」すなわち《艮》之《随》といい、あれは五爻の変。各家の儒者は「八」を不動の爻と解作す。文意を拿して核対すれば、甚だ吻合せずに似たり。大概この三次の占筮は変爻の多少同じからざるといえども、しかるにみな専一にして動くあの一爻なし。ゆえに同じくみな整個の卦体を取用す。卦は八八相重ねて以て成る。ゆえに「八」を用いて卦を標識す。ちょうど爻は「九」「六」を以て成るに依りて、便ち「九」「六」を用いて爻を標識するに過ぎず。朱熹のこれらの図を看る人は、なおさらに《左伝》《国語》の各書を拿して互相に参考するを須む。

《啓蒙》附論

朱子之作《啟蒙》,蓋因以象數言《易》者,多穿穴而不根,支離而無據。然《易》之為書,實以象數而作,又不可略焉而不講也,且在當日言圖書卦畫蓍數者,皆創為異論以毀成法,師其獨智而訾先賢,故朱子述此篇以授學者,以為欲知《易》之所以作者,於此可得其門戶矣。今摭圖書卦畫蓍數之所包蘊,其錯綜變化之妙,足以發朱子未盡之意者凡數端,各為圖表而繫之以說,蓋所以見圖書為天地之文章,立卦生蓍為聖神之制作,萬理於是乎根本,萬法於是乎權輿,斷非人力私智之所能參,而世之紛紛撰擬,屑屑疑辨,皆可以熄矣。

朱熹が《易学啓蒙》を作る所以は、象数を用いて《易》を講ずる人は多く穿凿にして根柢なく、支離にして依拠なきがゆえに。しかるに《易》のこの部書はもとより象数に憑りて造作し出したるで、また略して講ぜざる能わず。何況や当時河洛図書・卦画・蓍数を講ずる人は、みな別に異論を出だして固有の成法を毀棄し、一己の私智を逞しくして前賢を詆毀す。ゆえに朱熹はこの一篇を撰述して学者に授け、もし《易》がなぜ造作し出だしたかを知らんと要せば、ここより入門の路径を尋ね得べしと認む。如今図書・卦画・蓍数の包蘊する所の錯綜変化の妙を采摭し、およそ足りて朱熹の未尽の意を闡発するには共に幾端ありて、各々図表を作り成し並びて解説を係す。これは人をして見しめんと欲す:河洛図書は天地自然の文章で、卦を立て蓍を生ずは聖人神明の制作で、万理はこれにより扎根し、万法はこれにより発端す。絶えて人の力量と私智との参与し得る所に非ず。世上のあの紛紛擾擾の撰擬、瑣瑣屑屑の疑辨も、またみな止息し得べきなり。

《大傳》言《河圖》,曰一二,曰三四,曰五六,曰七八,曰九十,則是以兩相從也。《大戴禮》言《洛書》,曰二九四,曰七五三,曰六一八,則是以三相從也。是故原《河圖》之初,則有一便有二,有三便有四,至五而居中;有六便有七,有八便有九,至十而又居中,順而布之,以成五位者也。原《洛書》之初,則有一二三,便有四五六,有四五六,便有七八九,層而列之,以成四方者也。

《繋辞大伝》に《河図》を講じて、「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」という。あれは両個両個相從するなり。《大戴礼記》に《洛書》を講じて、「二九四」「七五三」「六一八」という。あれは三個三個相從するなり。ゆえに《河図》の最初の様子を推原すれば:一あれば便ち二あり、三あれば便ち四あり、五に到りて中に居る。六あれば便ち七あり、八あれば便ち九あり、十に到りてまた中に居る。このよう順次に鋪排して、便ち中と四方と共に五個の方位と為る。《洛書》の最初の様子を推原すれば:一二三あれば便ち四五六あり、四五六あれば便ち七八九あり。このよう一層一層排列して、便ち四方の形と為る。

若以陽動陰靜而論,則數起於上,故《河圖》之一二本在上也,三四本在右也,六七本在下也,八九本在左也,《洛書》之一二三,四五六,七八九,本自上而下也,於是陽數動而變易,陰數靜而不遷,則成《河圖》、《洛書》之位矣。如以陽靜陰動而論,則數起於下,故《河圖》之一二本在下也,三四本在左也,六七本在上也,八九本在右也。《洛書》之一二三,四五六,七八九,本自下而上也,於是陽數靜而不遷,陰數動而交易,則又成《河圖》、《洛書》之位

もし陽は動を主り陰は静を主るに按じて論ずれば、数は便ち上辺より起こる。ゆえに《河図》の一二はもと上に在り、三四はもと右に在り、六七はもと下に在り、八九はもと左に在る。《洛書》の一二三、四五六、七八九は、もと自上より下に排す。ここにおいて陽数は動きて位置を変換し、陰数は静にして遷移せず。すなわち《河図》《洛書》の現今の方位と成る。もし陽は静を主り陰は動を主るに按じて論ずれば、数は便ち下辺より起こる。ゆえに《河図》の一二はもと下に在り、三四はもと左に在り、六七はもと上に在り、八九はもと右に在る。《洛書》の一二三、四五六、七八九は、もと自下より上に排す。ここにおいて陽数は静にして遷移せず、陰数は動きて位置を交換す。同じくまた《河図》《洛書》の現今の方位と成る。ここの処底本に脱文あり、図題と下句と連写して一起に在り。

自《洛書》以三三積數,為數之原,而自四以下,皆以為法焉,何則?三者天數也,故其象圓,如前圖,居四方與居四偶者,或動或靜,居中者一定不易而各成縱橫皆十五之數矣。四者地數也,故其象方,如後圖,居中居四偶與居四方者,或動或靜,亦各成縱橫皆三十四之數矣。自五五以下,皆以三三圖為根,自六六以下,皆以四四圖為根,而四四圖,又實以三三圖為根,赦《洛書》為數之原,不易之論也!今附四四圖如左(即後二圖),以相證明,其餘具數學中,不悉載。

《洛書》より三三相乗の積数を拿して以て数の本原と為すより起こり、四以下の各数はみなそれを以て法式と為す。なぜか。三は天数ゆえに、その象は円である。前面のあの図のごとし:四方に居ると四隅に居るとの格子はあるいは動きあるいは静にして、中に居るあの一格は固定して変ぜず。而して縦横の各排はみな十五の数を成す。四は地数ゆえに、その象は方である。後面のあの図のごとし:中に居り、四隅に居り、四方に居るの格子はあるいは動きあるいは静にして、また各々縦横みな三十四の数を成す。五五以下よりはみな三三図を以て根と為し、六六以下よりはみな四四図を以て根と為す。而して四四図は実はまた三三図を以て根と為す。ゆえに《洛書》は数の本原という。これは移易すべからざるの定論である。如今四四図を下面の両図に附して、以て彼此印证するに用いる。其余はみな数学の専書に載せ、ここには一々に列挙せず。

此以十六數自左而右自上而下列之第一圖,其居中與居四偶者不易,而居四方者變易,則成縱橫皆三十四之數第二圖。若居四方者不易,而居中與居四偶者變易,亦成縱橫皆三十四之數第三圖。

これは一より十六に至るこの十六個の数を左より右、上より下に順次に排列して、第一図と為る。もし中に居る四格と四角に居る四格とを固定して動かさず、而して四辺に居る八格を互換して位置せしめば、便ち縦横の各排みな三十四の数を得出す。これは第二図。反対に、もし四辺に居るを固定して動かさず、而して中に居ると四角に居るとを互換して位置せしめば、同じく縦横の各排みな三十四の数を得出す。これは第三図。

此以十六數自右而左,自下而上列之第一圖,用前法變為兩圖第二圖第三圖。並得縱橫皆三十四之數,但其不易者,即前之變易者,而其變易者,即前之不易者此第二圖同前第三圖,此第三圖同前第二圖,蓋亦陰陽互為動靜之理雲。

これは十六個の数を右より左、下より上に順次に排列して、第一図と為る。再び前面の办法を用いて両図を変出せば、すなわち第二図と第三図。得る所は同じく縦横の各排みな三十四の数である。ただこの一組の裏に固定して動かざるは、まさに前一組の裏に互換して位置せしもの。この一組の裏に互換して位置するは、まさに前一組の裏に固定して動かざるもの――本組の第二図は前組の第三図と同じく、本組の第三図は前組の第二図と同じ。これもまたまさに陰と陽とが互いに動静を為すの道理である。

一 三 九 七用中兩率,三九相乘為二十七,以一除之得二十七,以二十七除之得一。若用一與二十七相乘,以三除之得九。以九除之得三。二 四 八 六用中兩率,四八相乘為三十二,以二除之得十六,以十六除之得二。若用二與十六相乘,以四除之得八,以八除之得四。

一・三・九・七のこの一列の奇数:中間の両項を取れば、三と九と相乗じて二十七を得。一を拿してそれを除せば二十七を得、二十七を拿してそれを除せば便ち一を得。もし改めて首尾の両項を取れば、一と二十七と相乗じてなお二十七を得、三を拿して除せば九を得、九を拿して除せば三を得。二・四・八・六のこの一列の偶数:中間の両項を取れば、四と八と相乗じて三十二を得。二を拿してそれを除せば十六を得、十六を拿してそれを除せば便ち二を得。もし改めて二と十六と相乗じて用いればなお三十二を得、四を拿して除せば八を得、八を拿して除せば四を得。

《大傳》曰:“天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。”天地之數,皆自少而多,多而復還於少,此加減之原也。又曰:“參天兩地而倚數。”天數以三行,地數以二行,此乘除之原也,是故《河圖》以一二為數之體之始,《洛書》以三二為數之用之始。然《洛書》之用,始於參兩者,以叄兩為根也,實則諸數循環互為其根,莫不寓乘除之法焉,而又皆以加減之法為之本。今推得洛書加減之法四,乘除之法十六,積方之法五,勾股之法四,各為圖表以明之如左(即如下)。

《繋辞大伝》にいう:「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十。」天地の数はみな少よりして多と為り、多きは極処に到りてまた少に回復す。これがすなわち加法減法の本原である。《大伝》にまたいう:「参天両地而倚数。」天数は三を以て推行し、地数は二を以て推行す。これがすなわち乗法除法の本原である。ゆえに《河図》は一と二とを以て数の体の開端と為し、《洛書》は三と二とを以て数の用の開端と為す。しかるに《洛書》の用が参三両二に起こる所以は、三と二とを拿して根と作す。実は各数は循環往復して、彼此互いにその根を為し、一として乗除の法を内に寓含せざるなく、而してまたみな加減の法を以て根本と為す。如今《洛書》の加減法四条、乗除法十六条、積方法五条、勾股法四条を推し得て、各々図表を作りて下面に列し、以て説明を加う。

洛書加減四法

一用奇數左旋相加,得相連之偶數。一加三為四,三加九為十二。九加七為十六,七加一為八。若用奇數減左旋相連之偶數,得右旋相連之奇數。七域十六為九,一減八為七。

第一法:《洛書》の上の奇数を一・三・九・七の左旋の次序に依りて両々相加えば、得る所はまさにそれらの中間に夾むあの偶数である(十に満てばただ末の一位を取る)。一加三で四を得。三加九で十二を得、末位を取れば便ち二。九加七で十六を得、末位を取れば便ち六。七加一で八を得。反対に、もしそのうちの一個の奇数を拿して左旋に相加えて得たる偶数を減ぜば、得るは便ち右旋の方向上にそれと相連なるあの奇数である。十六減七で九を得、八減一で七を得。

一用偶數左旋相加,得相連之偶數。二加六為八,六加八為十四。八加四為 I一二,四加二為六。若用偶數減左旋相連之偶數,得右旋相連之偶數。六減八為二,八減[一四為六。四減十二為八,二減六為四。

第二法:四隅の偶数を二・六・八・四の左旋の次序に依りて両々相加えば、得る所はまさにそれらと相連なるあの偶数である(十に満てばただ末の一位を取る)。二加六で八を得。六加八で十四を得、末位を取れば便ち四。八加四で十二を得、末位を取れば便ち二。四加二で六を得。反対に、もしそのうちの一個の偶数を拿して左旋に相加えて得たる偶数を減ぜば、得るは便ち右旋の方向上に相連なるあの偶数である。八減六で二を得、十四減八で六を得、十二減四で八を得、六減二で四を得。

一用奇數右旋加偶數,得相連之奇數。一加六為七,七加二為九。九加四為十三,三加八為十一。若用奇數減相連之奇數,得相連之偶數。一減七為六,七減九為二。九減十三為四,三減十一為八。

第三法:奇数を拿して右旋の次序に依りて偶数を加え去れば、得る所はまさにそれと相連なるあの奇数である(十に満てばただ末の一位を取る)。一加六で七を得。七加二で九を得。九加四で十三を得、末位を取れば便ち三。三加八で十一を得、末位を取れば便ち一。反対に、もしもとのあの奇数を拿してこのように得たる相連の奇数を減ぜば、得る所は便ち両者のあいだに夾む偶数である。七減一で六を得、九減七で二を得、十三減九で四を得、十一減三で八を得。

一用偶數右旋加奇數,得相對之奇數。二加九為十一,四加三為七。八加一為九,六加七為十三。若用奇數減相對之奇數,得相連之偶數。九減十一為二,三減七為四。一減九為八,七減十三為六。

第四法:偶数を拿して右旋の次序に依りて奇数を加え去れば、得る所はまさにあの奇数と心を隔てて相対するもう一個の奇数である(十に満てばただ末の一位を取る)。二加九で十一を得、末位を取れば一で、一はまさに九と相対す。四加三で七を得、七はまさに三と相対す。八加一で九を得、九はまさに一と相対す。六加七で十三を得、末位を取れば三で、三はまさに七と相対す。反対に、もしもとのあの奇数を拿してこの相対の奇数を減ぜば、得る所は便ちそれらと相連なる偶数である。十一減九で二を得、七減三で四を得、九減一で八を得、十三減七で六を得。

洛書乗除十六法

一用三左旋乘奇數,得相連之奇數。三二如九,尋九二十七。三七二十一,三一如三。一用八左旋乘偶數,得相連之偶數。八八六十四,八四三一卜二。八二一十六,八六四十八。

第一法:三を用いて左旋に依りて奇数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる次の一個の奇数である(十に満てばただ末の一位を取る)。三三で九を得。三九二十七、末位は七。三七二十一、末位は一。三一で三を得。第二法:八を用いて左旋に依りて偶数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる次の一個の偶数である。八八六十四、末位は四。八四三十二、末位は二。八二一十六、末位は六。八六四十八、末位は八。

一用三左旋乘偶數,得相連之偶數。三四一十二,三二如六。三六一十八,三八二十四。一用八左旋乘奇數,得相連之偶數。八三二十四,八九七十二。八七五十六,八一如八。

第三法:三を用いて左旋に依りて偶数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる偶数である。三四一十二、末位は二。三二で六を得。三六一十八、末位は八。三八二十四、末位は四。第四法:八を用いて左旋に依りて奇数を乗ずれば、得る所はしかしそれと相連なる偶数である。八三二十四、末位は四。八九七十二、末位は二。八七五十六、末位は六。八一で八を得。

一用二右旋乘偶數,得相連之偶數。二二如四,二四如八。一用七右旋乘奇數,得相連之奇數。七七四十九,七九六十二。七三二十一,七一如七。一用二右旋乘奇數,得隔二位之偶數。二九一十八,二三如六。二一如二,二七一十四。

第五法:二を用いて右旋に依りて偶数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる偶数である。二二で四を得、二四で八を得。第六法:七を用いて右旋に依りて奇数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる奇数である。七七四十九、末位は九。七九六十三、末位は三。七三二十一、末位は一。七一で七を得。第七法:二を用いて右旋に依りて奇数を乗ずれば、得る所は両位を隔てたあの偶数である。二九一十八、末位は八。二三で六を得。二一で二を得。二七一十四、末位は四。

一用七右旋乘偶數,得相連之偶數。七二一十四,七四二十八。七八五十六,七六四十二。一用一乘奇數,得本位之奇數。一一如一,一三如三。一九如九,一七如七。一用六乘偶數,得本位之偶數。六六三十六,六八四十八。六四二十四,六二一十二。一用一乘偶數,得本位之偶數。一二如二,一四如四。一八如八,一六如六。

第八法:七を用いて右旋に依りて偶数を乗ずれば、得る所はまさにそれと相連なる偶数である。七二一十四、末位は四。七四二十八、末位は八。七八五十六、末位は六。七六四十二、末位は二。第九法:一を用いて奇数を乗ずれば、得る所は仍旧本位の上のあの奇数である。一一で一を得、一三で三を得、一九で九を得、一七で七を得。第十法:六を用いて偶数を乗ずれば、得る所は仍旧本位の上のあの偶数である。六六三十六、末位は六。六八四十八、末位は八。六四二十四、末位は四。六二一十二、末位は二。第十一法:一を用いて偶数を乗ずれば、得る所は仍旧本位の上の偶数である。一二で二を得、一四で四を得、一八で八を得、一六で六を得。

一用六乘奇數,得相連之偶數。六七四十二,六九五卜四。六三一十八,六一如六。一用四乘偶數,得相對之偶數。四四一十六,四六二十四。四二如八,四/\二寸’二。一用九乘奇數,得相對之奇數。九九八十一,九一如九。九三二十七,幾七六十三。

第十二法:六を用いて奇数を乗ずれば、得る所はそれと相連なる偶数である。六七四十二、末位は二。六九五十四、末位は四。六三一十八、末位は八。六一で六を得。第十三法:四を用いて偶数を乗ずれば、得る所はそれと心を隔てて相対する偶数である。四四一十六、末位は六。四六二十四、末位は四。四二で八を得。四八三十二、末位は二。第十四法:九を用いて奇数を乗ずれば、得る所はそれと心を隔てて相対する奇数である。九九八十一、末位は一。九一で九を得。九三二十七、末位は七。九七六十三、末位は三。

一用四乘奇數,得隔二位之偶數。四九三十六,四七二十八。四一如四,四三十二。一用九乘偶數,得相對之偶數。九二一十八,九八七十二。九四三十六,九六五十四。凡除法,除其所得之數,得其所乘之數。

第十五法:四を用いて奇数を乗ずれば、得る所は両位を隔てたあの偶数である。四九三十六、末位は六。四七二十八、末位は八。四一で四を得。四三一十二、末位は二。第十六法:九を用いて偶数を乗ずれば、得る所はそれと心を隔てて相対する偶数である。九二一十八、末位は八。九八七十二、末位は二。九四三十六、末位は六。九六五十四、末位は四。除法に至っては、ただ得たる数を拿して除せば、便ち原先相乗じたあの数を還原し出す。

《洛書》乘除十六法,可約為八法,何則?五者河洛之中數,自此以上,由五以生, 數有合數,有對數,合數生於五,對數成於十,一六二七三八四九,此合數也,皆相減而為五者也。一九二八三七四六,此對數也,皆相併而為十者也。在《河圖》,則合數同方,而對數相連。在《洛書》,則合數相連,而對數相對。相合之相從者,六從一也,七從二也,八從三也,九從四也,如前乘除十六法。相對之相從者,九從一也,八從二也,七從三也,六從四也,女垢積方五法。

《洛書》の乗除十六法は、実は帰併して八法と為し得べし。なぜか。五は河図洛書の居中の数で、五以上の各数はみなこの五より生まれ出づ。数に「合数」あり、「対数」あり。合数は五に生じ、対数は十に成る。一と六、二と七、三と八、四と九とは、これは合数で、両々相減じてみな五を得。一と九、二と八、三と七、四と六とは、これは対数で、両々相加えてみな十を得。《河図》の裏においては、合数は一方に同居して対数は彼此相連なる。《洛書》の裏においては、合数は彼此相連なりて対数は心を隔てて相対す。合数の相從するは、六が一に跟い、七が二に跟い、八が三に跟い、九が四に跟う。ちょうど前面の列する所の乗除十六法のごとし。対数の相從するは、九が一に跟い、八が二に跟い、七が三に跟い、六が四に跟う。ちょうど後面の列する所の積方五法のごとし。

凡以合數共乘一數,所得之數必同。乘偶既同數,乘奇則同報。若各自乘焉,則又必合矣,如三三得九,八八六十四。以對數共乘一數,所得之數必對,如三三得九,七三二十一。若各自乘焉,則又必同矣,如一一得一,九九亦八十一,二二得四,八八亦六十四。

およそ一対の合数を拿して分かちて同一の数を乗ずれば、得る結果は必ず相応ず。偶数を乗ずるときは両者の末位完全に相同じく、奇数を乗ずるときは両者の末位彼此相差りて五にしてちょうど合数と為る。もしこの一対の合数が各自相乗ずれば、得る所はまた必ず合を成す。たとえば三の自乗は九を得、八の自乗は六十四にして末位は四を得、九と四と相減じてちょうど五なり。一対の対数を拿して分かちて同一の数を乗ずれば、得る結果は必ず対を成す。たとえば三乗三で九を得、七乗三で二十一にして末位は一、九と一と相加えてちょうど十なり。もしこの一対の対数が各自相乗ずれば、得る所はまた必ず相同じ。たとえば一の自乗は一を得、九の自乗は八十一にして末位もまた一。二の自乗は四を得、八の自乗は六十四にして末位もまた四。

是以自乘之數,相合之相從者,此得自數,則彼亦得自數也,如一得一,六得六。此得對數則彼亦得對數也,如四得六,九得一。此得連數,則彼亦得連數也。如三得九,八亦得四,二鍀四,七亦得九。相對之相從者,此得自數,則彼得對數也。如一得一,九亦得一,六得六,四亦鍀六。此得連數,則彼亦得連數也,如三得九,七亦撂九,二得四,八亦得四。要皆會於一六四九而齊焉。故開平方之自乘數,止於一六四九而《洛書》之位。一六四九居上下以為經,二七三八、居左右以為緯者,此也。

これにより自乗の得る所の数に就いて看れば:合数相從の一組の裏においては、この一辺の得るは本数なれば、あの一辺もまた本数を得。たとえば一の自乗は一を得、六の自乗は三十六にして末位なお六を得。この一辺の得るは自己の対数なれば、あの一辺もまた対数を得。たとえば四の自乗は一十六にして末位は六を得(四と六と相加えて十を成す)、九の自乗は八十一にして末位は一を得(九と一と相加えて十を成す)。この一辺の得るは相連の数なれば、あの一辺もまた相連の数を得。たとえば三の自乗は九を得、八の自乗は末位に四を得、二の自乗は四を得、七の自乗は四十九にして末位は九を得。対数相從の一組の裏においては、この一辺が本数を得れば、あの一辺は便ち対数を得。たとえば一の自乗は一を得るに九の自乗は末位もまた一を得、六の自乗は六を得るに四の自乗は末位もまた六を得。この一辺が相連の数を得れば、あの一辺もまた相連の数を得。たとえば三の自乗は九を得るに七の自乗は末位もまた九を得、二の自乗は四を得るに八の自乗は末位もまた四を得。総帰すればみな一・六・四・九のこの四個の数の上に会聚して斉整にして一たり。ゆえに平方を開くとき自乗の得る所の数はただ一・六・四・九の上に落つる。而して《洛書》の方位もまたまさに一・六・四・九は上下に居りて経と為し、二・七・三・八は左右に居りて緯と為す。道理はここに在り。

《洛書》対位成十互乗成百図

一與九對成十,十自乘其積一百。九自乘八十一;一自乘一;一乘九、九乘一,俱為九,共十八;合之一百,與十自乘積同。二與八對成十。八自乘六十四;二自乘四;二乘八、八乘二,俱十六,共三十二;合之一百。

一と九とは心を隔てて相対して十を合成す。十の自乗の積は一百。九の自乗は八十一を得、一の自乗は一を得。一乗九、九乗一は各々九を得、両項合共に十八。八十一、一、十八の三項を加え起こせばまさに一百で、十の自乗の積と相同じ。二と八とは相対して十を合成す。八の自乗は六十四を得、二の自乗は四を得。二乗八、八乗二は各々十六を得、両項合共に三十二。三項を加え起こせば同じくまさに一百。

三與七對成十。七自乘四十九;三自乘九;三乘七、七乘三,俱二十一,共四十二;合之一百。四與六對成十。六自乘三十六;四自乘十六;四乘六、六乘四,俱二十四,共四十八;合之一百。中五含五成十。五自乘二十五;又五自乘二十五;又五互乘各二十五,共五十。合之一百。

三と七とは相対して十を合成す。七の自乗は四十九を得、三の自乗は九を得。三乗七、七乗三は各々二十一を得、両項合共に四十二。三項を加え起こせばまさに一百。四と六とは相対して十を合成す。六の自乗は三十六を得、四の自乗は十六を得。四乗六、六乗四は各々二十四を得、両項合共に四十八。三項を加え起こせばまさに一百。中央の五は自ら一個の五を含みてまた十を合成す。一個の五の自乗は二十五を得、もう一個の五の自乗もまた二十五を得。両個の五が交互相乗じてまた各々二十五を得、合共に五十。三項を加え起こせば同じくまさに一百。

勾三,股四,弦五。勾九,股十二,弦十五。勾二十七,股三十六,弦四十五。勾八十一,股一百零八,弦一百三十五。此《洛書》四隅合中方,而寓四勾股之法者,推之至於無窮法皆視此。

勾三、股四、弦五。勾九、股十二、弦十五。勾二十七、股三十六、弦四十五。勾八十一、股一百八、弦一百三十五。これは《洛書》の四隅と中央の方と相合して、而して四組の勾股の法を暗含す。後の一組はみな前の一組の三倍で、而して勾・股・弦の比例は始終三比四比五である。このように照らして推衍し下れば、無窮に至るまで、办法はみなこれと相同じ。

河洛未分未変方図

《河圖》之數,五十有五,《洛書》之數,四十有五,合為一百,此天地之全數也,以一百之全數,為斜界而中分之,則自一至十者,積數五十有五,自一至九者,積數四十有五,二者相交,而成河洛數之兩三角形矣。凡積數自少而多,必以三角,而破百數之全方,以為三角,其形不離乎此二者,下諸圖之根,實出於此。

《河図》の数は合計五十五、《洛書》の数は合計四十五で、両者を相加えれば恰も一百。これがすなわち天地之数の全数である。一百のこの全数を排して整方と成し、再び斜めに中間より界き開けば:一辺は一より累加して十に至り、積数は五十五。一辺は一より累加して九に至り、積数は四十五。両者は交錯相合して、便ち河図・洛書の両個の三角の形と成る。およそ積数が少より多と為り層層累加すれば、必ず三角形を成す。一百のこの整方を剖き開きて化して三角と為れば、得る形状は総じてこの両種を出でず。下面の各図の根柢は、実はみなここより出づ。

河洛未分未変三角図

《河圖》之數,自一至十;《洛書》之數,自一至九。象之已分者也。圖則生數居內,成數居外,書則奇數居正,偶數居偏,位之已變者也。如前圖破全方之百數,以為河洛二數,又就點數十位,中涵冪形之九層,以為河洛合一之數,則雖其象未分,其位未變,而陰陽相包之理,三極互根之道,已粲然默寓於其中矣。故為分析以明之,如後點數應《河圖)十位周圍三角,分三重,中一重九,次內一重二九一十八,外一重三九二十七,除中心,凡五十四。若自上而下作三層,亦如之。中含六角,亦分三重,中一重六,次內一重二六一十二,外一重三六一一十八,除中心,凡三十六。若自十而下作三層,亦如之。

《河図》の数は一より十に至り、《洛書》の数は一より九に至る。これはすなわち象がすでに分かれたるに就いて言う。《河図》は生数の一二三四五を以て内に居らしめ、成数の六七八九十を以て外に居らしむ。《洛書》は奇数を以て四正に居らしめ、偶数を以て四隅に居らしむ。これはすなわち位がすでに変動したるに就いて言う。前の一図のごとく整方一百の数を剖き開きて、分かちて河洛の両個の数と為し、また点数の排成する十位三角のうちに就いて、内に幂形九層の三角を含むを以て、河洛が合して一と為るの数と當作すれば:それならばその象はいまだ分かれざるといえども、その位はいまだ変ぜざるといえども、而して陰陽の互相に包含するの道理、天地人の三極が互いにその根を為すの道理は、早くすでに燦然として黙々そのうちに寓含せり。ゆえに再び分析を加えて以てそれを説明し、図を列すこと後のごとし。点数を用いて《河図》の十位に対応す:周囲に排して三角と成し、分かちて三重と為す。最中の一重は九点、次内の一重は二九一十八点、最外の一重は三九二十七点で、正中心の一点を除去して、合共に五十四点。もし改めて自上より下に分かちて三層と為して数えば、得る所もまた一様なり。當中の含む所の六角形は、同じく分かちて三重と為す。中の一重は六点、次内の一重は二六一十二点、最外の一重は三六一十八点で、中心を除去して、合共に三十六点。もし改めて自上より下に分かちて三層と為して数えば、得る所もまた一様なり。

冪形應《洛書》九位周圍三角分三重,中一重九,次內一重三九二十七,外一重五九四十五,凡八十一。若自上而下作三層,亦如之。中含六角,亦分三重,中一重六,次內一重三六一十八,外一重五六三十,凡五十

幂形を用いて《洛書》の九位に対応す:周囲に排して三角と成し、分かちて三重と為す。最中の一重は九、次内の一重は三九二十七、最外の一重は五九四十五で、合共に八十一。もし改めて自上より下に分かちて三層と為して数えば、得る所もまた一様なり。當中の含む所の六角形は、同じく分かちて三重と為す。中の一重は六、次内の一重は三六一十八、最外の一重は五六三十で、合共してまさに五十四なるべし――底本はここの処「四」の字脱落して、ただ「凡五十」と作す。

以上諸圖,本同一根,雖積數若異,而其為九六之變則一也。九六可分為內外中之三重,亦可分為上下中之三層,就每重每層論之,則九為天而包地,六為地而涵於天,心為人而主乎天地。統三重而論之,則外為天,內為地,而中為人也。統三層而論之,則上為天,下為地,面中為人也。

以上のこの幾張の図は、もとより同一根より出づ。積数は看るに各々異なるといえども、而してそれらはみな九と六との変化で、この一点はしかし一致す。九と六とは分かちて内・外・中の三重と為し得、また分かちて上・下・中の三層と為し得。毎一重毎一層に就いて看れば、九は天と為りて地を包み、六は地と為りて天のうちに涵し、中心のあの一点は人と為りて天地を主宰す。総じて三重より看れば、外の一重は天と為し、内の一重は地と為し、居中のは人と為す。総じて三層より看れば、上の一層は天と為し、下の一層は地と為し、居中のは人と為す。

又合而論之,則九六者,在天為陰陽,在地為剛柔,在人為陰陽剛柔之會,而其心則天地人之極也,以上下分者,其心有三,所謂三極之道,三才各具一太極也;以內外分者,其心惟一,所謂人者天地之心,三才經體一太極也。

再び合わせて看れば、九と六とは天上においては便ち陰と陽、地下においては便ち剛と柔、人の身上においては便ち陰陽剛柔の会合で、而してあの中心は便ち天・地・人の三者の極である。上下を按じて分かてば、中心は三個あり。すなわちいわゆる「三極之道」で、天地人の三才は各々一個の太極を具備す。内外を按じて分かてば、中心はただ一個のみ。すなわちいわゆる「人者天地之心」で、三才は共同に同一個の太極に経緯す。

此圖之中,渾具理象數之妙者如此,故分而為圖,則應乎陰陽剛柔之義,根於極而迭運不窮,“聖人則之”,“易有太極,是生兩儀”,陽九陰六,命爻衍策者此也。分而為書,則應乎三才之義,主於人而成位其中,“聖人則之”,皇極既建,彝倫攸敘,參天貳地,垂範作疇者此也。

この張の図の當中は浑然として理・象・数の三者の妙処を具備す。すなわちこのようである。分かち出して《河図》と為れば、便ち陰陽剛柔の意義に応合し、太極に根植して迭相に運行して永く窮尽なし。まさにいわゆる「聖人則之」で、まさに「易有太極、是生両儀」である。陽を九と称し陰を六と称すは、以て爻名を命定し蓍策を推衍するの道理、ここに在り。分かち出して《洛書》と為れば、便ち三才の意義に応合し、人を以て主と為して天地のうちに位を成す。同じく「聖人則之」である。皇極は一たび建立を経れば、彝倫は便ち次序ありて、天に参配し地に比擬して、法則を垂示して《洪範》の九疇を作るの道理もまたここに在り。

或曰:《河圖》、《洛書》,出於兩時,分為兩象,今以一圖括之可乎?曰:十中涵九,故數終於十,而位止於九,此天地自然之紀,而圖書所以相經緯而未嘗相離也。非有十者以為之經,則九之體無以立,非有九者以為之緯,則十之用無以行,不知圖書之本為一者,則亦不知其所以二矣。

ある人が問う:《河図》と《洛書》とは同じからざる時代に出現し、分かちて両種の物象と成るに、如今一張の図を用いてそれらを統括し起こすは、行い得るか。回答していう:十のうちに九を涵す。ゆえに数は十に終止して位はただ九に至る。これは天地自然の綱紀で、またまさに図と書とが互いに経緯を為してかつて相離れざるの縁故である。十なくして経を作らば、九の本体は便ち立ち起こる能わず。九なくして緯を作らば、十の功用は便ち行き開く能わず。図書がもとより一なるを解らざれば、またそれらがなにを以て二に分かれるかを解る能わず。

或曰:《河圖》、《洛書》,有定位矣,今以為有末變者何與?曰:《易大傳》之言《河圖》也,曰:“天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十”,順而數之,此其未變者也。又曰:“天數五,地數五,五位相得,而各有合”,分而置之,此其定位者也,如《易》卦一每生二,以至六十有四,則其未變者也,乾南坤北,離東坎西,則其定位者也,不知未變之根,則亦不足以識定位之妙矣。

またある人が問う:《河図》《洛書》は各々一定の方位あり。如今はかえってそれらに別に一個の「未変」の状態ありというは、これはなんの道理か。回答していう:《易大伝》に《河図》を講じて、「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」という。次序に順いて数え下れば、あれはそれの未変のときの様子である。また「天数五、地数五、五位相得而各有合」といい、分かちて安置するは、あれがはじめてそれの定位以後の様子である。ちょうど《易》卦が一画より毎次両画を生出して、一直に六十四卦に生じ至るがごときは、あれは未変のときの様子である。而して乾南坤北、離東坎西は、あれは定位以後の様子である。未変のときの根柢を了解せざれば、また足りて定位の精妙を認識せず。

幂形は算法の原と為す

此圖左方注者,本數也,自一至九而用數全矣。中列注者,加數也,一加二為三,二加三為五,至於八加九而為十七,皆以本數遞加,而每層之冪積如之。右方注者,乘數也,一自乘一,其冪積一,二自乘四,其冪積合一三兩層而為四,至於九自乘八十一,

この張の図の左辺の注する所は「本数」で、一より九に至りて、用い得べき数は便ち斉全す。中間の一列の注する所は「加数」で、一加二は三と為し、二加三は五と為し、八加九は十七と為るに至るまで、みな本数を拿して逐層に逓加し、而して毎一層の幂積もまたこの次第に照らして増長す。右辺の注する所は「乗数」で、一の自乗は一を得、その幂積はすなわち一。二の自乗は四を得、その幂積は第一層と第三層とを合わせて四を成す。一直に九の自乗は八十一を得――ここの処底本に脱文あり、話は説き完さず。

図形が《洛書》に合して象法の原と為す・人為天地心図

凡有數則有象,象不離乎數也,萬象起於方圓,而測方圓者以三角,此勾股所以為算之宗也。圓者天象,方者地象,三角形者人象,何則?天之道如環無端,故其象圓也。地之道奠定有常,故其象方也。人受性於天,受形於地,猶三角之形,其心則圓之心,其邊則方之邊也。今就九數而三分之?則一者圓之根也,而十數之內,唯六角八角,為有法之圓形,其自十以後,角愈多以至於無角者視此矣,此一六八所以為圓象之數也。

およそ数あれば便ち象あり、象は数を離れ得ず。万象はみな方と円とに起こり、而して方円を測量するは三角に要す。これがすなわち勾股の術が算学の宗と為る所以の縁故である。円は天の象、方は地の象、三角形は人の象である。なぜか。天道は円環に似て始なく終なし。ゆえにその象は円。地道は安定にして常法あり。ゆえにその象は方。人は性を天に受け形を地に受け、ちょうど三角の形に似る。その中心は円の中心で、その辺線は方の辺線である。如今九数に就いてそれを三等分すれば:一は円の根本である。而して十以内の数のうち、ただ六角形と八角形のみ法度に合乎する円形と算す。十以上よりは、角はますます多くしてほとんど角なきに近きに至るまで、みなこの道理に照らして看る。これがすなわち一・六・八が円象の数と為る所以の縁故である。

先後天陰陽卦図

先天之陽卦,曰震離兌乾;其陰卦,曰巽坎艮坤。後天之陽卦,曰乾震坎艮,其陰卦,曰坤巽離兌,不同何也?蓋先天分陰陽卦,自兩儀而分之,由陽儀以生者,皆陽卦也;由陰儀以生者,皆陰卦也。後天分陰陽卦,自爻畫以定之,其以陽為主者,皆陽卦也;其以陰為主者,皆陰卦也。先天則因乎畫卦之序而中分之,後天則卦之已成,觀其爻畫之多寡而命之也,其理如何?曰:陽儀上有陰卦,此所謂“立天之道曰陰與陽”也。

先天図の裏の陽卦は「震」「離」「兌」「乾」で、陰卦は「巽」「坎」「艮」「坤」。後天図の裏の陽卦はしかし「乾」「震」「坎」「艮」で、陰卦は「坤」「巽」「離」「兌」。両者はなぜ同じからざるか。もとは先天の陰陽卦を分かつは、両儀の上より分かつ。およそ陽儀より生出したるはみな陽卦と算し、およそ陰儀より生出したるはみな陰卦と算す。後天の陰陽卦を分かつは、爻画の上より定む。およそ陽爻を以て主と為すはみな陽卦と算し、およそ陰爻を以て主と為すはみな陰卦と算す。先天は卦を画くの次序に依りて中間より一を二に分かち、後天はすなわちすでに画成した卦に就いて、その爻画の多寡を看て以て命名す。この裏頭の道理はどう講ずるか。回答は:陽儀の上にもまた陰卦を生出す。これがまさに《説卦伝》のいうところの「立天之道曰陰与陽」である。

陰儀上有陽卦,此所謂“立地之道曰柔與剛”也。其法象之自然者如何?曰:火之炎熱光明,其為陽也,明矣。澤者水之積溼,為陽氣所驅,以滋潤萬物者也,是亦陽也,水之幽暗寒肅,其為陰也,明矣。山者土之隆起,與地為一體者也,是亦朋也。是放先天之卦,陰陽之象之正也,其變而後天,則火與澤從風而俱為陰,水與山從雷而俱為陽,蓋有由矣。

陰儀の上にもまた陽卦を生出す。これがまさに《説卦伝》のいうところの「立地之道曰柔与剛」である。然らば自然の法象に就いて言えばまたどう講ずべきか。回答は:火は炎熱にして光明で、それが陽に属するは明白にして過ぐるなし。沢は水が積聚し起こしたる湿気で、陽気の駆動を受けて以て万物を滋潤するに用う。ゆえにまた陽に属す。水は幽暗にして寒粛で、それが陰に属するは明白にして過ぐるなし。山は土が隆起して成るで、大地ともとより一体である。ゆえにまた陰に属す。これにより先天の卦の定むる所の陰陽は、すなわち陰陽の象の最も端正の分法である。変じて後天に至るに及んで、火と沢とはしかし風に随いて一同に陰と算せられ、水と山とはしかし雷に随いて一同に陽と算せらる。この中間に自ずからそれの縁由あり。

凡陰陽之氣,未有不合而成者也,然有感應先後之別焉,先有陽而遇陰者屬陽,先有陰而遇陽者屬陰,有陽氣在下將發而遇陰壓之,則奮而為雷矣,有陽氣在中將散而遇陰包之,則鬱而為雨矣,有陽氣直騰而上而遇陰承之,則止而為山矣,此皆主於陽而遇陰,所以皆為陽卦也。有陰在內,陽氣必入而散之,觀之陰霾盡而後風息可見也,有陰在中,陽氣必附而散之,觀之薪芻盡而後火滅可見也;有陰在外,陽氣必敷而散之,觀之溼潤盡而後澤竭可見也。

およそ陰陽の二気は、相合してのちに能く物を成さざるなし。ただそのうちに感应の先後の分别あり。先に陽ありてのちに陰に遇うは陽に帰属し、先に陰ありてのちに陽に遇うは陰に帰属す。陽気が下方に在りてまさに発動せんとするに陰気に遇えてそれを圧住すれば、便ち奮起して雷と為る。あれはすなわち「震」。陽気が中間に在りてまさに消散せんとするに陰気に遇えてそれを包住すれば、便ち鬱結して雨と為る。あれはすなわち「坎」。陽気が一直に騰越して上に向かうに陰気に遇えてそれを承住すれば、便ち停住して山と為る。あれはすなわち「艮」。この三者はみな陽を以て主と為してのちに陰に遇う。ゆえにみな陽卦と算す。反対に、陰が内裏に在れば、陽気は必ず鑽り入りてそれを吹散す。あの陰霾の散尽したのちに風がはじめて平息するを看れば便ち明白にし得べし。あれはすなわち「巽」。陰が中間に在れば、陽気は必ず附着し上りてそれを焼散す。あの柴草の焼完したのちに火がはじめて熄滅するを看れば便ち明白にし得べし。あれはすなわち「離」。陰が外面に在れば、陽気は必ず敷布し上りてそれを蒸散す。あの湿気の蒸尽したのちに沢がはじめて乾涸するを看れば便ち明白にし得べし。あれはすなわち「兌」。

此皆主於陰而遇陽,所以皆為陰卦也。總而淪之,唯乾純陽,坤純陰,不可變也。雷陽動之始,凡陰生之始,亦不可變也,火溫暖,澤發散,故以用言之則陽,然火根於陰之燥,澤根於陰之溼,故以體言之則陰;水寒涼,山凝固,故以用言之則陰,然水根於陽之噓而流,山根於陽之矗而起,故以體言之則陽。

この幾個の卦はみな陰爻を以て主と為して陽爻と相遇す。ゆえに一概に陰卦と判ず。《折中》の編者が総じていう(底本の「淪」は「論」の形訛):八卦のうちただ「乾」は純陽、「坤」は純陰で、体質単純ゆえに永く移易すべからず。「震」は雷で、陽気の発動の開端。「風」はすなわち巽(底本は「凡」と誤る)、陰気の初生の開端。この両卦は陰陽の起点を標定し、同じく移易すべからず。「離」の火性は温暖、「兌」の沢性は発散に至っては、公用に就いて言えば陽に属す。しかし火の根柢は陰の乾燥に在り、沢の根柢は陰の潤湿に在り。本体に就いて言えばまた陰に属す。「坎」の水性は寒涼、「艮」の山性は凝固にして、公用に就いて言えば陰に属す。しかし水は陽気の嘘吐に根づきて流動し、山は陽気の聳峙に根づきて隆起す。本体に就いて言えばまた陽に属す。

先天之象,著其用也,後天之象,探其根也,正如仁之發生為陽,而其柔和亦可以為陰,義之

先天八卦の方位の象は、各卦の公用を彰顕し出す。後天八卦の方位の象は、各卦の根柢を追究し出す。これはちょうど「仁」に譬えるがごとし。それの万物を生発する一面より看れば陽に属し、それの柔和涵容の一面より看ればまた陰に属し得。「義」に至っても、同じく両面より看るべし――底本はここに至りて中断し、下文一段を脱去し、接ぐは便ち下一幅の図の図題である。

後天卦は天地水火を以て体用と為す図

造化所以為造化者,天地水火而已矣,《易》卦雖有八而實唯四,何則?風即天氣之吹噓而下交於地者也,山即地形之隆起而上交於天者也,雷即火之鬱於地中而搏擊奮發者也,澤即水之聚於地上而佈散滋潤者也。道家言天地日月,釋氏言地水火風,西人言水火土氣,可見造化之不離乎四物也。

この幅の図説に講ず:天地造化の造化と為り成る所以は、根帰し底結するに過ぎず天・地・水・火の四者に過ぎず。《易》の経卦は八個ありといえども、実際ただ四個である。なぜか。「巽」の風はすなわち天気が吹拂して嘘送し、下に向かって地と交接するの形態。「艮」の山はすなわち地形が隆起して、上に向かって天と交接するの形態。「震」の雷はすなわち火気が地中に鬱積して搏撃奮発して出づるの形態。「兌」の沢はすなわち水が地面に匯聚して布散滋潤するの形態。道家は天・地・日・月を講じ、佛家は地・水・火・風を講じ、西洋人は水・火・土・気を講ず。見るべし、およそ造化を談ずるは、みなこの四様のものを離れ得ざるを。

故先天以南北為經,而天地居之體也,以東西為緯,而水火居之用也。後天則以天地為體,而居四維,以水火為用,而居四正。雷者火之方發,故動於春;及火播其氣,則王於夏矣;澤者水之未收,故散於秋;及水歸其根,則王於冬矣。水火為天地之用,故居四正以司時令也。

ゆえに先天図は南北を以て経線と為し、乾天坤地は経線の両端を占住す。あれは「体」である。東西を以て緯線と為し、離火坎水は緯線の両端を占住す。あれは「用」である。後天図はすなわち天地を「体」と當作して、四隅に安排す(西北は乾、西南は坤、東北は艮、東南は巽)。水火を「用」と當作して、四正に安排す(南は離、北は坎、東は震、西は兌)。雷は火が剛に発動せんとするの状態ゆえに、春天において震動す。火が気を布散し開くを待って、離は便ち夏天に当旺すべし。沢は水がいまだ収斂せざるの状態ゆえに、秋天において布散す。水が本根に帰帰するを待って、坎は便ち冬天に当旺すべし。水火は天地の公用ゆえに、四正の位に列して以て四時の節令を掌管す。

天氣聯兆於西北,至東南而下交於地,《易》所謂’天下有風”《娠》也。故乾巽相對而為天綱,地功緻役於西南,至東北而上交於天,《易》所謂“天在山中”《大畜》也,故坤艮相對而為地紀。天地為水火之體,故居四維以運樞軸也,天地水火,體用瓦根,以生成萬物,此先後天之妙也。

天の気脈の聯属は西北の乾位に発端し、一路に東南の巽位に走り至りて下に向かって地と交接す。これがすなわち《易》の裏のいう「天下有風」で、すなわち《姤》卦の象である(底本は「娠」を以て「姤」の形訛)。ゆえに乾と巽とは両々相対して、天の綱維を構成す。地の功能効力は西南の坤位に起こり、一路に東北の艮位に走り至りて上に向かって天と交接す。これがすなわち《易》の裏のいう「天在山中」で、すなわち《大畜》卦の象である。ゆえに坤と艮とは両々相対して、地の紀綱を構成す。天地は水火の本体ゆえに、四隅の位に居りて以て整個の樞軸を運転す。天・地・水・火の四者は体と用とが互いに根柢を為し(底本の「瓦根」は當に「互根」と作るべし)、因りて能く万物を生成す。これがまさに先天図と後天図とが相輔相成するの精妙の処である。

若以卦畫論之,則震即離也,一“陰閉之於上則為震,兌即坎也,一陽敷之於下則為兌,巽即乾也,一陰行於下則為巽,艮即坤也,一陽亙於上則為艮,是以六十四卦始《乾》、《坤》,中《坎》、《離》,而終於《既濟》、《末濟》,,則知造化之道,天地水火盡之矣。

もし卦画に換えて看れば:震はすなわち離の変形で、離卦の最上の一画を陽より陰に変じて上に閉合せば、便ち震と成る(底本はここの処に引号一個を衍す)。兌はすなわち坎の変形で、坎卦の最下の一画を陰より陽に変じて下に敷布せば、便ち兌と成る。巽はすなわち乾の変形で、乾卦の最下の一画を陰に換作せば、便ち巽と成る。艮はすなわち坤の変形で、坤卦の最上の一画を陽に換作せば、便ち艮と成る。まさにこのゆえに、六十四卦は《乾》《坤》を以て領起し、《坎》《離》を以て中に居らしめ、而して《既済》《未済》を以て收尾を収む(底本の「末済」は當に「未済」と作るべし)。これにより知るべし、造化の道理は、天・地・水・火の四者を用いれば便ち説き尽したり。

先天卦変後天卦図

此圖先天凡四變而為後火也,蓋火之體陰也,其用則陽,而天用之,故乾中畫與坤

この幅の図は先天八卦が四次の変換を経て便ち後天八卦に轉成するを表示す(底本の「后火」は當に「后天」と作るべし)。大意は説く:火の本体は陰に属し、その公用はしかし陽に属す。而して天はこの一層の公用を取用す。ゆえに乾卦の當中のあの一画は坤卦と相互に交換するを要す――底本はここより下文を脱去し、接ぐは便ち別の一幅の図の図題である。

先天卦配河図之象図

圖之左方,陽內陰外,即先天之震離兌乾,陽長而陰消也;其右方,陰內陽外,即先天之巽坎艮坤,陰長而陽消也,蓋所以象二氣之交運也。

この幅の図の左半辺は、陽数は内に在り、陰数は外に在りて、まさに先天卦位の上の震・離・兌・乾の一路に対応し、陽気が漸長し陰気が漸消するの一段である。右半辺は、陰数は内に在り、陽数は外に在りて、まさに先天卦位の上の巽・坎・艮・坤の一路に対応し、陰気が漸長し陽気が漸消するの一段である。《河図》の内外の数を拿して先天卦位に配するは、為す所は陰陽二気が交互運行して此長彼消するの節奏に取象せんがためである。

後天卦配《河図》之象図

先天卦配《洛書》之数図

直列《洛書》九數,而虛其中五以配八卦。陽上陰下,故九數為乾,一數為坤,因自九而逆數之,震八坎七艮六。乾生二陽也,又自一而順數之,巽二離三兌四,坤生三陰也,以八數與八卦相配,而先天之位合矣。

この幅の図は《洛書》の九個の数を依次に直排し、中央の五を空け出し、其余の八個の数を用いて八卦に配す。陽は上に在り陰は下に在る。ゆえに最大の九数は乾に配し、最小の一数は坤に配す。九より下に逆数して、八は震に配し、七は坎に配し、六は艮に配す。これは乾の生ずる所の三個の陽卦である(底本の「二陽」は當に「三陽」と作るべし)。再び一より上に順数して、二は巽に配し、三は離に配し、四は兌に配す。これは坤の生ずる所の三個の陰卦である。八個の数と八個の卦とが一々相配すれば、先天卦の方位はすなわち《洛書》の数と吻合す。前面のあの「後天卦配《河図》之象図」に至っては、底本はただ図題のみ余り、図形と説文とはみなすでに亡佚せり。

後天卦配《洛書》之数図

火上水下,故九數為離;一一數為坎,火生燥土,故八次九而為艮;燥土生金,故七六次八而為兌為乾;水生溼土,故二次一而為坤;溼土生木,故三四次二而為震為巽:以八數與八卦相配,而後天之位合矣。

後天の配数はすなわち火を上に水を下にするを以て准と為す。九数は離に配し、一数は坎に配す(底本は「一一数」に「一」の字一個を衍出す)。火は能く乾燥の土を生出す。ゆえに八は九に緊接して艮に配す。燥土は能く金を生ず。ゆえに七・六は八に緊接して兌に配し乾に配す。水は能く潤湿の土を生出す。ゆえに二は一に緊接して坤に配す。湿土は能く木を生ず。ゆえに三・四は二に緊接して震に配し巽に配す。八個の数と八個の卦とがこのよう相配すれば、後天卦の方位はすなわち《洛書》の数と吻合す。

《洛書》之左邊,本一二三四也;其右邊,本九八七六也。然陰陽之道,丑未之位必交,《洛書》之二與八,正東北西南之維,丑未之位,此其所以互《易》也。以此類之,則先天圖之左方,坤巽離兌;其右方,乾震坎艮,以震巽互而成先天也。後天圖之左方,坎坤震巽;具才;方。離艮兌乾,以艮坤互而成後天也。

《洛書》の左半辺は、もとは一・二・三・四。右半辺は、もとは九・八・七・六。しかるに陰陽の道理は、丑位と未位とは必ず交換するを要す。《洛書》の二と八とはまさに東北・西南の両隅に當たり、すなわち丑・未の居る所の位置である。これ便ち二と八とが互換する要するの縁故である。この道理に照らして類推すれば:先天図の左半辺はもと坤・巽・離・兌、右半辺はもと乾・震・坎・艮で、震と巽とを互換してはじめて通行の先天方位と為る。後天図の左半辺はもと坎・坤・震・巽、右半辺はもと離・艮・兌・乾で(底本はここの処に「具才;方。」と作す。「其右方」の訛脱なり)、艮と坤とを互換してはじめて通行の後天方位と為る。

據先儒說,圖書出有先後,又或謂並出於伏羲之世,然皆不必深辨,先聖後聖,其揆一也,況天地之理,雖更萬年,豈不合契哉,《洛書》晚出,而其理不妨已具於《河圖》之中,是故以《易》象推配,亦無往而不合也。

前代の儒者の説法に照らせば、《河図》と《洛書》との出現に先後の別あり。またある人は両者ともに伏羲の時代に出づという。これらは実は深く究め争弁するを須みず。先に出でた聖人と後に出でた聖人とは、それらの拠りて法を立つる所の准則はもとより一致す。何況や天地間の道理は、縦い万年を過ぎたりとも、またなんぞ彼此合せざることがあらんや。《洛書》はたとい出現すること比較的晩きとも、それの含む所の道理もまた妨げず早くすでに《河図》のうちに具備せり。まさにこのようのゆえに、《易》の卦象を拿して図書の数に推配すれば、はじめて処処みな対い合い得るなり。

先後天卦生序卦雑卦図説

先天圖者,序卦之根也。序卦之法,以兩卦相對為義,有相對面翻覆不可變者,《乾》、《坤》、《坎》、《離》、《頤》、《大過》、《中孚》、《小過》是也 c有相對而翻覆可變者,《屯》、《蒙》以後,《既濟》、《未濟》以前,五十六卦皆是也。

先天図は《序卦》の次序の根源である。《序卦》の編排の办法は、両個の卦を拿して相対して義を為す。そのうちの一類は彼此相対して、卦体を倒転し来てもなお変ぜざるで、《乾》《坤》《坎》《離》《頤》《大過》《中孚》《小過》のこの八卦がすなわちそれである(底本はここの処に「c」を夾む。影印のとき竄入したるの雑符なり)。別の一類は彼此相対して、卦体を倒転し来れば便ち別の一卦と成るで、《屯》《蒙》以下より《既済》《未済》以上に至るまで、五十六卦はみなこの一類に属す。

就五一卜六卦之中,則翻覆而二體不《易》者十二卦,《需》,,,《訟》、《師》、《比》、《泰》、《否》、《同人》、《大有》、《晉》、《朋夷》、《既濟》、《未濟》也。翻覆而二體皆易者十二卦,《隨》、《蠱》、《咸》、《恆》、《損》、《益》、《震》、《艮》、《漸》、《歸妹》、《巽》、《兌》也。其翻覆而止於一體易者三十二卦,則自《屯》、《蒙》至《渙》、《節》皆是也。

この五十六卦のうちにおいて(底本の「五一卜六」は當に「五十六」と作るべし)、倒転し来て上下の両個の経卦ともに改換せざるは十二卦あり。すなわち《需》《訟》《師》《比》《泰》《否》《同人》《大有》《晋》《明夷》《既済》《未済》(底本の「朋夷」は當に「明夷」と作るべし)。倒転し来て上下の両個の経卦ともに改換するもまた十二卦あり。すなわち《随》《蛊》《咸》《恒》《損》《益》《震》《艮》《漸》《帰妹》《巽》《兌》。倒転し来てただ一個の経卦のみ改換するは三十二卦あり。《屯》《蒙》より一直に《渙》《節》に至るまでみなこの一類に属す。ここにいう「二体」とは、一卦の上下の両個の経卦を指す。三類を相加えれば、十二・十二・三十二で、ちょうど五十六卦を分け尽す。

蓋翻覆而不可變者,法八卦之乾坤坎離也。翻覆而可變者,法八卦之震艮巽兌也。就翻覆可變之中,其二體不《易》者,又皆乾坤坎離相交者也。其一體不易者,亦皆交於乾坤坎離者也。唯震艮巽兌相交之卦,則二體皆易焉,《頤》、《中孚》、《大過》、《小過》,雖為震艮巽兌相交之卦,而翻覆不可變者,《頤》、《中孚》具離之象,《大過》、《小過》具坎之象也,故《序卦》以之附於《坎》、《離》、《既濟》、《未濟》,為其具離坎之象焉爾。

大およそ倒転し来て変じ得ざる卦は、八卦のうち乾・坤・坎・離のこの四個の本身倒転不変の経卦に取法す。倒転し来て変じ得る卦は、震・艮・巽・兌のこの四個の倒転すればすなわち変ずる経卦に取法す。倒転して変じ得るこの一批の裏において、上下の両体ともに改換せざるは、全く乾坤坎離が彼此相交して成るの卦である。ただ一体のみ改換するも、またみな乾坤坎離と相交して成るの卦である。ただ震・艮・巽・兌が彼此相交して成るの卦のみ、倒転し来れば上下の両体ともに改換するを要す。《頤》《中孚》《大過》《小過》は同じく震艮巽兌が相交して成るに由るといえども、しかし倒転して変ぜず。原因は《頤》《中孚》は外実中虚にして離の象を含み、《大過》《小過》は外虚中実にして坎の象を含むに在り。ゆえに《序卦》はこの四卦を分かちて《坎》《離》および《既済》《未済》の一帯に附す。まさにそれらが離・坎の象を具備するの縁故のゆえに。

先天圖八卦,兩兩相對,《序卦》之根也,乾與坤對,坎與離對,震與巽對,艮與兌對。相對而不相交,所以定《序卦》之體也,然既相對,則必相交,四正之卦相交,則雖翻覆而其體不易,四維之卦相交,則翻覆而其體遂易矣。

先天図の上の八個の卦は両々相対す。これがまさに《序卦》の根源である。乾と坤と相対し、坎と離と相対し、震と巽と相対し、艮と兌と相対す。八卦はただ彼此相対してまだ彼此交合せず。この一層は以て《序卦》の「体」を奠定するに用いる。しかるにすでに相対せば、便ち必ず相交するを要す。先天の四正位の上の卦(乾・坤・坎・離)が互相に交合するは、成る所の卦は縦い倒転するも上下の両体は改換せず。四隅位の上の卦(震・巽・艮・兌)が互相に交合するは、成る所の卦は一たび倒転を経れば、両体はすなわちみな改換せり。

若四正之卦、與四維之卦雜交,則易者生,不易者半,所以極《序卦》之用也,足故“天地定位,上經所以始於《乾》、《坤》,中於《否》、《泰》也,“山澤通氣,雷風相薄”,下經所以始於《咸》、《恆》,中於《損》、《益》也,“水火不相射”,上下經所以終於《坎》、《離》、《既濟》、《未濟》也。

もし四正の卦と四隅の卦とが交錯相配すれば、それならば成る所の卦は倒転して後、改換すると改換せざると各々半ばを占む(底本の「易者生」は當に「易者半」と作るべし)。この一層は以て《序卦》の「用」を窮尽するに用いる。ゆえに《説卦》に「天地定位」を講ずれば、上経は因りて《乾》《坤》を以て開端と為し、《否》《泰》を以て中に居らしむ。「山沢通気、雷風相薄」を講ずれば、下経は因りて《咸》《恒》を以て開端と為し、《損》《益》を以て中に居らしむ。「水火不相射」を講ずれば、上下の両経は因りてみな《坎》《離》および《既済》《未済》を以て収束す。引く所の三句は、みな《説卦伝》の先天方位を論ずるの一章に出づ。

後天圖者,雜卦之根也。雜卦,即互卦也,互卦之法,或上去一畫而下生一畫,或下去一畫而上生一畫,則其體遂變矣。互體所成,凡十六卦,其陽卦從陽卦,陰卦從陰卦者八,《乾》、《坤》,《頤》,《大過》、《蹇》、《解》、《家人》、《睽》也。

後天図はすなわち《雑卦》の次序の根源である。いわゆる「雑卦」とは、すなわち互卦である。互卦を取る办法は:あるいは上面に一画を減去し下面に一画を添生し、あるいは下面に一画を減去し上面に一画を添生すれば、卦体はここにおいて変ず。この办法を用いて互い出すは、一共に十六個の卦。そのうち陽卦は仍お陽卦より、陰卦は仍お陰卦より来たるは八個あり。すなわち《乾》《坤》《頤》《大過》《蹇》《解》《家人》《睽》。「互体」のこの名目は、まさにこの種の取法に由りて来たるなり。

其陽卦交陰卦,陰卦交陽卦者亦八,《剝》、《復》、《夬》、《姤》、《漸》、《歸妹》、《既濟》、《未濟》也,以交互之法求之,乾而上去一陽,下生一陽,或下去一陽,上生一陽,仍是乾矣。坤而上去一陰,下生一陰,或下去一陰,上生一陰,仍是坤矣。

陽卦と陰卦と相交わり、陰卦と陽卦と相交わりて成るもまた八個あり。すなわち《剥》《復》《夬》《姤》《漸》《帰妹》《既済》《未済》。上面のいう所の交互の法を拿して逐一に推求すれば:乾卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出し、あるいは下面に一陽を去りて上面に一陽を生出するも、結果は仍旧乾である。坤卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出し、あるいは下面に一陰を去りて上面に一陰を生出するも、結果は仍旧坤である。見るべし、乾坤の両卦はいかに互い来たり互い去るとも、総じてそれ自身を跳出せざるを。

唯震而上去一陰,下生一陰,則變為坎;下去一陽,上生一陽,則變為艮。巽而上去一陽,下生一陽,則變為離;下去一陰,上生一陰,則變為兌。坎而上去一陰,下生一陰,則變為艮;下去一陰,上生一陰,則變為震。離而上去一陽,下生一陽,則變為兌:下去一陽,上生一陽,則變為巽。艮而上去一陽,下生一陽,則變為震;下去一陰,上生一陰,則變為坎。兌而上去一陰,下生一陰,則變為後天圖八卦,陰陽上下畫互變,雜卦之根也,何則?後天之卦,有各從其類以相變者焉,有各得其對以相變者焉,乾居西北,而三陽從之,坤居西南,而三陰從之,此各從其類者也。乾與巽對,坎與離對,艮與坤對,震與兌對,此各得其對者也,

ただ其余の六個の経卦のみ変ずるあり。震卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、便ち坎に変ず。下面に一陽を去りて上面に一陽を生出せば、便ち艮に変ず。巽卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、便ち離に変ず。下面に一陰を去りて上面に一陰を生出せば、便ち兌に変ず。坎卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、便ち艮に変ず。下面に一陰を去りて上面に一陰を生出せば、便ち震に変ず。離卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、便ち兌に変ず。下面に一陽を去りて上面に一陽を生出せば、便ち巽に変ず。艮卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、便ち震に変ず。下面に一陰を去りて上面に一陰を生出せば、便ち坎に変ず。兌卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、便ち――と変ず、底本のこの句話はいまだ写し完さずして便ち中断し、下面に接ぐは別の一段の図説である。後天図の上の八個の卦は、上下の両画が陰陽互変す。これがすなわち《雑卦》の根源である。なぜこのよう講ずるか。後天卦の相変に両条の路数あり。一条は各々同類に随いて相変ず。一条は各々対面の卦と相変ず。乾は西北に居り、坎・艮・震の三個の陽卦はそれに跟從す。坤は西南に居り、巽・離・兌の三個の陰卦はそれに跟從す。これは各々その類に随う。乾と巽と相対し、坎と離と相対し、艮と坤と相対し、震と兌と相対す。これは各々その対を得るなり。

相從者除乾坤純陽純陰不變外,坎而上去一陰,下生一陰,則為艮;艮而上去一陽,下生一陽,則為震;震而上去一陰,下生一陰,則復為坎,此三陽相次之序也。巽而上去一一陽,下生一陽,則為離;離而上去一陽,下生一陽,則為兌;兌而上去一陰,下生一陰,則復為巽;此三陰相次之序也。

先ず類に随いて相変ずるの一路を説く:乾坤は純陽純陰で、互い来たり互い去るもなお自己である。論ずべからず。坎卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、すなわち艮と成る。艮卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、すなわち震と成る。震卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、また坎に回る。これは三個の陽卦が依次相承するの循環である。巽卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、すなわち離と成る(底本は「一一陽」に「一」の字一個を衍出す)。離卦は上面に一陽を去りて下面に一陽を生出せば、すなわち兌と成る。兌卦は上面に一陰を去りて下面に一陰を生出せば、また巽に回る。これは三個の陰卦が依次相承するの循環である。

相對者,乾而上去一陽,下生一陰,則為巽;坎而上去一陰,下生一陽,則為離;艮而上去一陽,丁生一陰,則為坤;震而上去一陰,下生一陽,則為兌;此四陽卦變為對位四陰卦之序也。巽而下去一陰,上生一陽,則為乾;離而下去一陽,上生一陰,則為坎;坤而下去一陰,上生一陽,則為艮;兌而下去一陽,上生一陰,則為震;此四陰卦變為對位四陽卦之序也。

再び対面の卦と相変ずるの一路を説く:乾卦は上面に一陽を去りて下面に一陰を生出せば、すなわち巽と成る。坎卦は上面に一陰を去りて下面に一陽を生出せば、すなわち離と成る。艮卦は上面に一陽を去りて下面に一陰を生出せば、すなわち坤と成る(底本の「丁生」は當に「下生」と作るべし)。震卦は上面に一陰を去りて下面に一陽を生出せば、すなわち兌と成る。これは四個の陽卦が対面の四個の陰卦に変ずるの次序である。反対に、巽卦は下面に一陰を去りて上面に一陽を生出せば、すなわち乾と成る。離卦は下面に一陽を去りて上面に一陰を生出せば、すなわち坎と成る。坤卦は下面に一陰を去りて上面に一陽を生出せば、すなわち艮と成る。兌卦は下面に一陽を去りて上面に一陰を生出せば、すなわち震と成る。これは四個の陰卦が対面の四個の陽卦に変ずるの次序である。

然尋其對位相變之根,則又自父母男女長少而來,蓋四陰卦,兌為最少,離為中,巽為長,坤為老。四陽卦,艮為最少,坎為中,震為長,乾為老。凡變者自少而老。故兌而卜去一陰,下生一陽,則變為乾矣。

再び深裏に対位相変の根柢を追究し往けば、また父母と子女との長幼の次第より来たる。四個の陰卦の裏に、兌は少女、離は中女、巽は長女、坤は母親で、最老に属す。四個の陽卦の裏に、艮は少男、坎は中男、震は長男、乾は父親で、最老に属す。およそ相変ずるは、みな少の一頭より老の一頭に変じ向かう。ゆえに兌卦は上面に一陰を去りて下面に一陽を生出せば、便ち乾に変ず(底本の「卜去」は當に「上去」と作るべし)。

離而上去一陽,下生一陰,則變為坎矣。巽而上去一陽,下生一陰,則變為艮矣。坤而上去一陰,下生一陽,則變為震矣。四陽卦之變,自陰而來,故又變而為對位之四陰也。艮而下去一陰,上生一陽,則變為巽矣。坎而下去一陰,上生一陽,則變為離矣。震而下去一陽,上生一陰,則變為坤矣。乾而丁去一陽,上生一陰,則變為兌矣。四陰卦之變,自陽而來,故又變而為對位之四陽也。

離卦は上面に一陽を去りて下面に一陰を生出せば、便ち坎に変ず。巽卦は上面に一陽を去りて下面に一陰を生出せば、便ち艮に変ず。坤卦は上面に一陰を去りて下面に一陽を生出せば、便ち震に変ず。乾・坎・艮・震のこの四個の陽卦はすでにみな陰卦より轉来するに由りて、ゆえにそれらはまた対面の四個の陰卦に変ずるあり。反対に、艮卦は下面に一陰を去りて上面に一陽を生出せば、便ち巽に変ず。坎卦は下面に一陰を去りて上面に一陽を生出せば、便ち離に変ず。震卦は下面に一陽を去りて上面に一陰を生出せば、便ち坤に変ず。乾卦は下面に一陽を去りて上面に一陰を生出せば、便ち兌に変ず(底本の「丁去」は當に「下去」と作るべし)。巽・離・坤・兌のこの四個の陰卦はすでにみな陽卦より轉来するに由りて、ゆえにそれらはまた対面の四個の陽卦に変ずるあり。

合而觀之,凡陽卦相變者,震變坎艮也,坎變震艮也,艮又變震坎也。凡陰卦相變

合わせて看れば:およそ陽卦のあいだの相変に属するは、震が坎と艮とを変出し、坎が震と艮とを変出し、艮がまた震と坎とを変出して、三卦は彼此往復してこの範囲を出でず。陰卦のあいだの相変に至っては――底本のこの句はいまだ完さずして便ち中断し、下文は脱去し、接ぐは便ち別の一篇の図説の標題である。

大衍円方の原

凡方圓可為比例,唯徑七者,方周二十八,圓周二十二,即兩積相比例之率也,用其半,故若十四與十一。合二十八與二十二,共五十,是大衍之數,函方圓同徑兩周數。

大およそ正方形と円形とが比例を取らんと要するは、ただ直径七を為すとき最も斉整なり。七を以て辺と為す正方形の周長は二十八で、直径七を為す円の周長は約二十二で、この両個の数はまさに方・円の両種の面積が相互に比較するの比率である。各々その半を取れば、便ち十四比十一。二十八と二十二とを加え起こせば共に五十を得。これがすなわち「大衍之数」である。見るべし、五十のこの数の裏は、同一直径の下の方形と円形との両条の周長の総和を包含するを。

大衍勾股の原

勾三,其積九。股四,其積十六。弦五,其積二十五。合之五十,是大衍之數,函勾股弦三面積。

直角三角形の短辺「勾」は長さ三で、自乗して面積九を得。長辺「股」は長さ四で、自乗して面積十六を得。斜辺「弦」は長さ五で、自乗して面積二十五を得。三塊の正方形の面積を加えて一起にせば恰も五十で、これもまた「大衍之数」である。見るべし、五十のこの数の裏は、また勾・股・弦の三条の辺が各々方を成すの三塊の面積を包含するを。

蓍策之數,必以七為用者,蓋方圓之形,唯以徑七為率,則能得周圍之整數。勾股之形,亦唯以三四為率,則能得斜弦之整數。徑七,固七也,勾三股四之合亦七也,是故論方圓周圍之合數則五十,論勾股弦之合積亦五十,此大衍之體也。因而開方,則不盡一數。而止於四十九,此大衍之用也。開方而不盡一數,則瞢策之虛一者是已,方面之中,函八勾股,而又不盡一數,則蓍策之掛一者是已,唯老陽老陰之數,與此密合,故作圖以明之。

蓍草揲策の数は必ず七を用いて基准と作するを要するは、方円の形はただ直径七を以て率と為して、はじめて整数の周長を得出し得るがゆえに。勾股の形もまたただ勾三股四を以て率と為して、はじめて整数の斜弦を得出し得る。直径七は固より七で、勾三加股四を合わせてもまた七である。ゆえに方円の両条の周長の合数は五十と論じ、勾股弦の三塊の面積の合数もまた五十と論ず。これは「大衍」の本体である。五十より平方を開きて尽きず、一個の数を余すを要し、ただ四十九に取るに到るのみ。これは「大衍」の公用である。方を開きて一数を余して尽き得ざるは、対応するはまさに揲蓍が先に一根を虚去して用いざる(底本の「瞢策」は當に「蓍策」と作るべし)。正方形の面の裏は八個の勾股三角形を含み、中間にまた一個の数を余して尽きず。対応するはまさに揲蓍が先に一根を掛起する。ただ老陽・老陰の策数とこの套の算法とが絲絲密合するのみあるがゆえに、特に図を作りて以て説明す。

全方四十九。中含大方六六三十六,為過揲之數。小角一一如一,一六五互乘為十二,併成十三,為掛扐之數。此與前《洛書》以自乘互乘為積方之法同,但《洛書》用對數,如一與九之類足也,大衍用合數,則一與六是也。

整個の大正方形の面積は四十九で、辺長は七。裏面に一個の六乗じて六の三十六に等しい大方を含む。あれは老陽の「過揲」の策数である。角上の小方は一乗じて一の一を得、一と六とが互乗して成る所の両条の長条は共に十二を加えて、合わせ起こせばまさに十三。あれは老陽の「掛扐」の策数である(底本の「一六五互乗」は當に一と六とが互乗する者二、共に十二と作るべし)。これは前面の《洛書》が自乗・互乗を用いて方積を拼成するの算法と相同じ。ただ《洛書》の用いるは相対の数で、たとえば一と九と相対す。「大衍」の用いるは相合の数で、すなわち一と六と相合するなり。

老陰数合勾股法

全方四十九。勾三股四,其積六,四因之得二一卜四,為過揲之數。弦五,其積二十五,為掛扐之數。弦實亦函四勾股積,而多勾股較一。

整個の大正方形の面積はなお四十九。勾三股四の夾む直角三角形は、面積は六で、四に乗じて二十四を得。あれは老陰の「過揲」の策数である(底本の「二一卜四」は當に「二十四」と作るべし)。弦の長さは五で、自乗して二十五を得。あれは老陰の「掛扐」の策数である。弦の上の正方形の裏は同じく四個の勾股三角形を含み、ただあの四塊の三角形に比べて一個の「勾股較」の小方を多出す。すなわち股四が勾三を減じて余るの一である。

十數之中,除一一不變,自二二至十十,皆可成方,然唯三三則五數居其中,七七則二十五數居其中,此二者為能得天地之中數,餘則不能也。蓋三二者《洛書》之數也,七七者菁策之數也,《洛書》之數,五居其中矣,而其四方,則又成四勾股之數,而以中萬為弦之法焉。

一より十に至るこの十個の数の裏に、一乗一を除去して変化なきのほか、二乗二より十乗十に至るまでみな正方形を拼成し得べし。しかるにただ三乗三のときのみ、五のこの数がちょうど正中に居り、七乗七のとき、二十五のこの数がちょうど正中に居る。ただこの両者のみ能く天地の中数を取得し、其余はみな能わず。三乗三はまさに《洛書》の数(底本の「三二」は當に「三三」と作るべし)、七乗七はまさに蓍策の数(底本の「菁策」は當に「蓍策」と作るべし)。《洛書》の九数のうち五は中央に居り、而してその四辺はまた四個の勾股三角形を構成し、しかも中央の五を以て弦長と為す(底本の「中万」は當に「中五」と作るべし)。

蓍策之數,二十五居其中矣,而其四方、則又具四勾股之積而即以二十五為弦之實焉,是故卦數之八,合乎《河圖》之四也,為其虛五十者同一根也。蓍數之七,合乎《洛書》之三也,為其用中五者同一根也,聖人因心之作,與天地自然之文,其相為經緯者如此。

蓍策の数の四十九の裏に、二十五は中央に居り、而してその四辺はまた四個の勾股三角形の面積を具備し、ちょうど二十五を以て弦上の正方形の実数と為す。ゆえに八卦の「八」と《河図》の「四」と相合するは、両者ともに中間の五と十とを虚去するを以て同一の根柢と為すがゆえに。蓍数の「七」と《洛書》の「三」と相合するは、両者ともに中央の五を取用するを以て同一の根柢と為すがゆえに。聖人が心中の理に本づきて制作し出したる法度と、天地が自然に呈する文理とは、すなわちこのよう彼此交織して経緯を成すなり。

大衍迎日推策法

史稱黃帝迎口椎策,所謂策者,蓋即神蓍也。推衍策數以候日月,故曰“迎日推策”。考之後代,譚卦畫者多以曆法推配,然孔子未嘗言也,唯於“大衍之數”,則曰“象四時”“象閏”,又曰“當期之日”,則蓍策之與曆法相表裡也,可見矣。

史書の上に黄帝が「迎日推策」したという(底本の「迎口椎策」は當に「迎日推策」と作るべし)。いわゆる「策」とは、大概は占筮の用いる所の神蓍であろう。策数を推演するの办法を用いて日月の運行を推候す。ゆえに「迎日推策」と呼ぶ。後世を考察すれば、卦画を講ずる人は多くは暦法を拿して比附するが、しかし孔子は並びてこのよう講ぜず。彼はただ「大衍之数」を解説するとき「象四時」「象閏」と説き過ぎ、また「当期之日」と説き過ぐ。単にこの幾句を憑れば便ち見出し得べし、蓍策の数と暦法とはもとより互いに表裏を為すを。

顧有以理言之而肖似者,有以數推之而密合者,以理言而肖似者,孔子《大傳》所陳是也。蓋四十九算,排列成方,以勾股之數求之,則零一者歸於中而為心;以開方之法求之,則零一者歸於

ただしそのうちに義理の上より説き来たりて彼此相像たるあり、また数目の上より推算して分毫密合するあり。義理の上より説き来たりて相像たるは、すなわち孔子が《繋辞大伝》の裏に陳述したあの一套である。四十九根の算筹を排列して正方形と成し、勾股の算法を用いて求め去れば、多出したあの一根は便ち中央に帰して方心と為る。開方の算法を用いて求め去れば、多出したあの一根はすなわち――に帰す、底本はここの処に下文を脱去し、接ぐは便ち別の一段の推算の文字である。

一年三百六十五日四分日之一。每日百分。凡三萬六十五百二十五分。以天數二十五除之,得一千四百六十一分,為日數。又以地數三個除日數,得四十八容七分,為月數。是為大衍用數。

一年は三百六十五また四分の一日。毎一日を折りて一百分と成し、全年は共に三万六千五百二十五分(底本の「三万六十五百二十五分」は「千」の字一個を脱す)。天数二十五を用いて除せば、一千四百六十一分を得。これは「日数」である。再び地数三十を用いてこの日数を除せば(底本の「三个」は當に「三十」と作るべし)、四十八また零七分を得。これは「月数」である(底本の「四十八容七分」は當に「四十八零七分」と作るべし)。この両個の数はすなわち大衍の用いる所の数である。

《大傳》言蓍數,而以《河圖》之數首之,故一年全數,以二十五除之得日數者。日有曉午昏夜凡四限,四分期日,為一千四百六十一也;以三十除之得月數者,月有朔望,上下弦凡四限,四分歲月,每月三十日算,為四十八零七分也,與大衍用數相應。

《繋辞大伝》に蓍策の数を講ずるに、先ず《河図》の天地之数を拿して領起す。ゆえに一年の総分数は二十五を用いて除して以て「日数」を得出すを要す。一天に早晨・正午・黄昏・夜半の四個の段落ありて、一周年の日子を四段を按じて劃分すれば、まさに一千四百六十一。三十を用いて除して以て「月数」を得出す。一個月に朔・望・上弦・下弦の四個の段落ありて、一年の月份を四段を按じて劃分し、毎月は三十日を以て計算すれば、まさに四十八また零七分。この両個の結果はみな前面のいう所の大衍の用数と相応ず。

揲策合左右共四十八,應四十八弦,每弦七日半,為期日歲月之經數,三百六十。掛策一,應氣盈之餘數,五日四分日之一。以初變為主。日法十。揲策應弦,每弦以十分為率。掛策應氣盈五日四分日之一,於日法為十分弦之七。

揲蓍するとき左右の両手の揲する所の策数は合計四十八で、一年のうちの四十八個の弦に対応す――毎月に朔・望・上弦・下弦の四限あり。毎一弦は七日半で、合わせ起こせばまさに一周年の日月運行の常経の数の三百六十。別に掛起したあの一策は、「気盈」の多出した零数に対応す。すなわち五また四分の一日。この一套の推算は第一変を以て准と為す。十分を以て一日の法と為すに:揲する所の策は各弦に対応し、毎弦は十分を以て率と為す。掛げる所の策は気盈の五また四分の一日に対応し、十分を日の法と為すを按じて折算すれば、ちょうど一弦の十分の七である。

扐策合陰陽共十二,得少則四為陽,得多則八為陰,應十二朔,每朔二十九日,九百四十分日之四百九十九,為一歲之實數,三百五十四日,九百四十分日之三百四十八。掛策一,應朔虛之餘數,十日,九百四十分日之八百二十七。亦以初變為主,月法十九。肋策應朔,每朔以十九分為率。掛策應朔虛十日九百四十分口之八百二十七,於月法為十九分朔之七。

指のあいだに夾む扐策は、陰陽合計して十二。得数の少なき四は陽と為し、得数の多き八は陰と為し、一年の十二個の朔望月に対応す。毎一朔望月は二十九日また九百四十分の四百九十九で、合し成して一年の実際の日数は、三百五十四日また九百四十分の三百四十八。掛起したあの一策は、「朔虚」の多出した零数に対応す。すなわち十日また九百四十分の八百二十七。この一套は同じく第一変を以て准と為し、十九分を以て一月の法と為すに:扐する所の策は各朔に対応し、毎朔は十九分を以て率と為す(底本の「肋策」は當に「扐策」と作るべし)。掛げる所の策は朔虚の十日また九百四十分の八百二十七に対応し(底本の「分口」は當に「分日」と作るべし)、十九分を月の法と為すを按じて折算すれば、ちょうど一朔の十九分の七である。

以初變之揲策枘策計之,揲策四十八,以應四十八弦之整數,其“掛一,’餚,以應氣盈五日四分口之一也;抽策十二,以應十二朔之實數,其,掛一者,以應朔虛十日八百二十七分也。據四分曆法,每口九百四十分,故一歲之氣盈,有五日二百三十五分。

第一変の得る所の揲策と扐策とを拿して合計すれば(底本の「枘策」は當に「扐策」と作るべし):揲策は四十八で、以て四十八弦の整数に対応するに用い、あの掛起した一策は、以て気盈の五また四分の一日に対応するに用いる。扐策は十二で(底本の「抽策」は當に「扐策」と作るべし)、以て十二個の朔望月の実数に対応するに用い、あの掛起した一策は、以て朔虚の十日また八百二十七分に対応するに用いる。四分暦の算法に依照すれば、毎日を折りて九百四十分と為す。ゆえに一年の気盈を折算すれば、五日また二百三十五分なり。

一歲之朔虛,此合氣盈總算,有十日八百二十七分,每弦七日四百七十分,如日法十分弦之七,則為五日二百三十五分矣;每朔二十九日四百九十九分,如月法十九分朔之七,則為十日八百二十七分矣。

一年の朔虚は、気盈に連ねて合わせて总算すれば、十日また八百二十七分。毎一弦は七日また四百七十分で、十分を日の法と為すを按じて一弦の十分の七を取れば、まさに五日また二百三十五分を得。毎一朔望月は二十九日また四百九十九分で、十九分を月の法と為すを按じて一朔の十九分の七を取れば、まさに十日また八百二十七分を得。両処の余る所の零分はみな「七」の上に落つる。

月每日行十二度十九分度之七,故以十,九為法,日月之法不同,而其餘分皆七。故漢儒卦氣,每卦直六口,尚餘七分,每卦直六門七分者,門以八十分為法也。

月亮は毎日十二度また十九分の七を運行す。ゆえに十九を拿して以て分母と作すを要す(底本の「十,九」は中間に逗号一個を衍す)。日と月との用いる分法は同じからざるといえども、しかしそれらの余る所の零分はみな七である。ゆえに漢代の儒者が「卦気」を講ずるに、毎一卦は六日に值して、なお七分を多出す。毎卦が六日七分に值すると説く所以は、あそこは八十分を以て一日の法と為すがゆえに(底本の両処の「口」「門」はみな「日」の字の訛り)。

蓋歲數二百六十五日四分日之一,四乘而三除之,為四百八十七,故四百八十七者,歲策也,,每卦直六日,六八四十八,得四百八個分,又餘七分,歲策之根也。積六十卦,直三百六十日,餘分之積,共四百二十分,以日法除之,為五日四分日之一。古今曆法,一章之內,有七閏月昔,法由茲起也。其在蓍數,則何以見掛一之策,為餘七之算乎?蓋亦以生菁之法而知之爾。

一年の日数は三百六十五また四分の一日で(底本の「二百六十五」は當に「三百六十五」と作るべし)、四を用いて乗じ三を用いて除せば、四百八十七を得。ゆえに四百八十七は便ち「歳策」である。毎一卦は六日に值し、六個の八十は四百八十分を得、なお七分を多出して、合わせ起こせばまさに四百八十七。これがすなわち歳策の根柢である(底本の「四百八个分」は當に「四百八十分」と作るべし)。六十卦を積満して、共に三百六十日に值し、あれらの零余の分を累積し起こせば共に四百二十分で、毎日八十分の法を用いて除せば、恰も五また四分の一日である。古今の暦法は十九年の一章の内に七個の閏月を安排するを要す。算法はすなわちここより出づ。然らば蓍数の上において、なにを憑って掛起したあの一策がすなわち余七の算を見出すか。これもまた揲蓍の生策する办法の上より推知するなり(底本の「生菁」は當に「生蓍」と作るべし)。

過揲為正策,乾策三卜六,合六爻二百一十有六。坤策二十四,合六爻百四十有四。凡三百有六個,當一期之日數。掛扐為餘策,乾策一十二,合六爻七十八,坤策二十五,合六爻百五十。凡二百二十有八,當一章之月數。正策以三十為進退之法,故其合皆六十,餘策以十九為進退之法,故其合皆三十八,三十者,日法也,十九者,朔法也。

揲し過ぎてのち手中に握るを「正策」と呼ぶ。乾の一爻は三十六策で(底本の「三卜六」は當に「三十六」と作るべし)、六爻は合して二百一十六。坤の一爻は二十四策で、六爻は合して一百四十四。両者は共に三百六十で、ちょうど一周年の日数に當たる(底本の「三百有六个」は當に「三百有六十」と作るべし)。掛起と夾扐とを「余策」と呼ぶ。乾の一爻は十三策で、六爻は合して七十八(底本の「一十二」は當に「一十三」と作るべし)。坤の一爻は二十五策で、六爻は合して一百五十。両者は共に二百二十八で、ちょうど一章の十九年のうちの月数に當たる。正策は三十を以て進退の法と為す。ゆえに乾坤の両爻の策数を相加えてみな六十。余策は十九を以て進退の法と為す。ゆえに乾坤の両爻の策数を相加えてみな三十八。三十は日法で、十九は朔法である。

“二篇之策”為全策,陽爻百九十二,得六乾九百一十二,陰爻百九十二,得四千六百零八。凡萬有一千五百二十,當閏終之總數。

《繋辞》のいうところの「二篇之策」は全部の策数である。上下経の六十四卦は共に陽爻一百九十二ありて、毎爻は三十六策で、六千九百一十二を得(底本の「六干」は當に「六千」と作るべし)。陰爻もまた一百九十二で、毎爻は二十四策で、四千六百八を得。両項を合計すれば一万一千五百二十で、ちょうど一個の閏周の終了するときの総数に當たる。

此因《大傳》之說而推備之者。歲者,正數也,太陽主之;閏者,餘數也,太陰主之。故《堯典》始而殷正四時,則曰“日中”“日永”“日短”,此以太陽為主者也,終則曰以閏月定四時成歲,此以太陰為主者也。

以上は《繋辞大伝》の説法に順いて推衍し完備したるなり。一個の「歳」は正数で、太陽に由りて主管せらる。「閏」は余数で、太陰に由りて主管せらる。ゆえに《尚書・堯典》の開頭に四時を校定して、「日中」「日永」「日短」といい、すなわち春分は昼夜均平、夏至は白昼最長、冬至は白昼最短。これは太陽を以て主と為す。末にまた閏月を用いて以て四時を定め一歳を成すという。これは太陰を以て主と為す。

蓍策之正數三百有六十,當一期之日,蓋日周大而為一期,故為太陽所主也。其餘數二百一二十有八,當一章之月,蓋氣朔分齊而為一章,故為太陰所主也,其全數萬有一千五百二十,當閏終之總數,蓋三卜二月而閏一月,其辰萬有一千五百二十;三十二年而閏一年,其日萬有一千五百二十。此則日月正餘會終,蓍卦齊同之數也。

蓍策の正数三百六十は、ちょうど一周年の日数に當たる。太陽は一周を繞行して一期と為す。ゆえに太陽に由りて主管せらる。それの余数二百二十八は、ちょうど一章の内の月数に當たる(底本の「二百一二十有八」は當に「二百二十有八」と作るべし)。節気と朔望とが重新して斉同して一章と為す。ゆえに太陰に由りて主管せらる。それの全数一万一千五百二十は、ちょうど閏周の終了するの総数に當たる。三十二個月に一閏月を置けば、そのあいだの時辰数は一万一千五百二十(底本の「三卜二月」は當に「三十二月」と作るべし)。三十二年に一閏年を置けば、そのあいだの日数もまた一万一千五百二十。これがすなわち日と月、正数と余数とが会合して頭に至り、蓍数と卦数とが彼此斉同するの処である。

歷代之歷,歲分消長不同,故有五日四分日之一而有餘者,亦有五日四分日之一而不足者,然舉其中者以演其變者,則四分為常法,故顓頊曆《周髀經》皆用之,而司馬遷曆書述焉,蓋古法也。

歴代の行う所の暦法は、一年の分数に消あり長ありて、各々相同じからず。ゆえに算し下るに或るは五また四分の一日より多く、或るは五また四分の一日より少なし。ただ一個の折中の数を取りて以て各種の変化を推演するに、なお「四分」を以て通常の法と為す。ゆえに顓頊暦と《周髀算経》とはみなそれを采用し、司馬遷が《史記・暦書》を作るもまたこの一法を照録す。これはもとより古来相伝するの算法である。

乾策坤策図

以地平線分周天之度為二,各一百八十度,日出入朦景昏旦各十八度,共二十六度, 《大傳》曰:“乾坤之策,凡三百有六十,當期之日”,故各一百八十者,寒暑晝夜並行之體數也。

この幅の図は地平線を用いて周天の度数を一を二に分かち、上下各々一百八十度。日出と日没との前後の曙暮蒙影は、早晚各々十八度を占め、両頭合計して三十六度(底本の「二十六度」は當に「三十六度」と作るべし)。《繋辞大伝》にいう:「乾坤之策、凡三百有六十、当期之日。」ゆえに上下各々一百八十度は、まさに寒暑と昼夜とが並行して運転するの体数である。

然陽生而陰殺,陽明而陰暗,故陽饒而陰乏,陽盈而陰虛。今以晝夜平分推之,其自然之數如此,若一歲寒暑之候,則若邵子之說,開物於寅末,是亦先十八日也,閉物於戌初,是亦後十八日也,以故萬物之數,萬有一千五百二十,其從陽者六千九百一十二,其從陰者四千六百八,生氣常盛,則為豐年,善類常多,則為治世,其消息盈虛之理,亦若是而已矣。

しかるに陽は生育を主り、陰は粛殺を主り、陽は明亮に属し、陰は幽暗に属す。ゆえに陽は総じて寛饒にして陰は総じて匱乏し、陽は総じて盈満にして陰は総じて空虚なり。如今昼夜平分を按じて推算すれば、天然の数はすなわちこの様子である。一年の寒暑の節候に至っては、すなわち邵雍のいうがごとし:万物は寅時の末に開啓す。すなわち十八日を提前す。万物は戌時の初に閉蔵す。すなわち十八日を延後す。まさにこのゆえに、万物の数一万一千五百二十のうち、陽に随從するは六千九百一十二あり、陰に随從するはただ四千六百八のみ。生長の気はつねに旺盛なれば、便ち豊年と為る。善良の輩はつねに多く居れば、便ち治世と為る。天地間の消長盈虚の道理も、またただこのようのみに過ぎず。

加倍変法図

此圖用加一倍法,如第二層兩一,生第三層中位之二,並左右兩一成四,是倍二為四也,第三層一二各生第四層中位之三,並左右兩一成八,是倍四為八也,下放此,出於數學中,謂之開方求廉率,其法以左一為方,右一為隅,而中間之數,則其廉法也。第三層為平方,第四層為立方,第五層六層七層,為三乘四乘五乘方,於成卦之理,亦相肖合、伺則?

この幅の図の用いるは「加一倍法」である。たとえば第二層の両個の一は、第三層の中間の二を生出し、左右の両個の一と合わせて共に四。これは二を加倍して四と成す。第三層の一と二とはまた各々第四層の中間の三を生出し、左右の両個の一と合わせて共に八。これは四を加倍して八と成す。以下はこれに依りて類推す(底本の「下放此」は當に「下仿此」と作るべし)。この套の算法は数学に出で、「廉率」を求めて方を開くと呼ぶ。左辺の一を以て「方」と為し、右辺の一を以て「隅」と為し、中間のあれらの数は便ち「廉法」である。第三層は平方に相當し、第四層は立方に相當し、第五・六・七層は三乗方・四乗方・五乗方に相當す。それと成卦の道理ともまた彼此相似契合す。これはなんを為すか(底本の「伺則」は當に「何則」と作るべし)?

陽大陰小,陽如方,陰如隅,分居兩端,陰陽合則生小問之兩象。如平:廳之方隅合而生兩廉,其長如方,其廣如隅也。又乘則生中間之六卦,如立方之方隅合而生六廉,三平廉根於方,而其厚如隅,二長廉根於隅,而其長如方也。

陽大にして陰小、陽は「方」に比べるがごとく、陰は「隅」に比べるがごとく、分かちて両端に居る。陰陽一たび相合すれば、便ち中間の両個の象を生出す(底本の「小問」は當に「中間」と作るべし)。これはちょうど平方の数の裏に方と隅と相合して両条の「廉」を生出すに似て、廉の長さは方と同じく、寛度は隅と同じ(底本の「平:庁」は當に「平方」と作るべし)。再び一たび乗ずれば、便ち中間の六個の卦を生出す。ちょうど立方の数の裏に方と隅と相合して六条の廉を生出すに似る。三条の平廉は方を以て根と為し、厚度は隅と同じ。両条の長廉は隅を以て根と為し、長度は方と同じ。

故開方之法,雖相乘至於無窮,莫不依方隅以立算,成卦之法,雖相加至於無窮,莫不根陰陽以定體。成卦之始,一陰一陽,每每相加而已,及卦成而分析觀之,則自一畫至六畫,唯純陰純陽者常不動,其餘則方其為四象也;中間一陰一陽者二,方其為八卦也;中間一陰二陽者三,一陽二陰者三,方其為四畫也;

ゆえに方を開くの算法は、縦い無窮多次に相乗するとも、依りて「方」と「隅」とを以て算を立てざるなし。卦を成すの办法も、縦い無窮多層に相加するとも、また陰陽を以て根柢と為して以てその体を定めざるなし。卦を成すの初めは、過ぎず一陰一陽が層層相加するに過ぎず。卦すでに画成するに及んで、分かち開きて看れば、一画より六画に至るまで、ただ純陰・純陽の両端のみ始終動かず。其余の中間の各項はすなわち層に随いて逓増す。それが四象と為るときは、中間の一陰一陽のは二あり。それが八卦と為るときは、中間の一陰二陽のは三あり、一陽二陰のもまた三あり。それが四画の卦と為るときは、

中間一陰三陽者四,一陽三陰者四,二陰二陽者六,方其為五畫也;中間一陰四陽者五,一陽四陰者五,二陰三陽者十,二陽三陰者十,及其六畫之既成也;中間一陰五陽者六,一陽五陰者六,二陰四陽者十五,二陽四陰者十五,三陰三陽者二十。朱子卦變之圖,以此而定也,蓋其倍法同於畫卦,而其多寡錯綜之數,則卦變用之。

中間の一陰三陽のは四あり、一陽三陰のは四あり、二陰二陽のは六あり。それが五画の卦と為るときは、中間の一陰四陽のは五あり、一陽四陰のは五あり、二陰三陽のは十あり、二陽三陰のは十あり。六画の卦の画成するに及んで、中間の一陰五陽のは六あり、一陽五陰のは六あり、二陰四陽のは十五あり、二陽四陰のは十五あり、三陰三陽のは二十あり。朱熹の作る所の卦変図は、すなわちこれらの数目に依りて定め下したるなり。それの加倍の法は卦を画くと相同じく、而して各類の卦爻の多寡錯綜の数目は、すなわちちょうど卦変の用に供す。六画の一層の各項を純陰純陽の両端に連ねて合計すれば、ちょうど六十四卦の数である。

《序卦》、《雑卦》明義

卦之序也,雜也,皆出於文王也,其所以序之雜之必有深意,亦必有略例。至夫子為之傳,乃因其次第,而發明陰陽相生相對之義,以見易道之無窮,蓋文王之立法至精,而夫子之見理至大,二者皆不可以不知也。

六十四卦の排序と《雑卦》の錯雑の排列とは、みな文王の手より出づ。彼のこのよう排序し、このよう錯雑せしむるは、必ず深意ありて、また必ず大致の条例の循る可きあり。孔子がそれらの為に伝を作るに及んで、便ち原有の次第に順い、陰陽相生相対の義理を闡発して、以て易道の無窮無尽を顕示す。文王の立法は極めて精密にして、孔子の見理は極めて宏大なり。この両方面はみな知らざるべからず。

韓孔諸儒,疑卦序若如夫子所言,則不應卦皆反對,故《程傳》於卦下既述夫子之意,又為上下篇義以繹其未盡之指,至歐陽修諸人,直斥《序卦》為非孔子之書者,妄也。若《雜卦》則乾坤之後,繼以《比》、《師》,其次敘又與《序卦》無一同者,是豈無義存焉?而諸儒皆莫之及,唯元儒胡氏於篇終微發其端,未竟其緒也,今因程胡之說而詳推二篇之所以類序錯綜者,目曰明義以附焉。

韓康伯・孔穎達らは怀疑す:卦序もし真に孔子の《序卦伝》のいう所のがごときならば、便ち毎両卦ともに彼此反対倒転するは当ならず。ゆえに程頤が《易伝》を作るに、各卦の下においてすでに孔子の意思を転述し、また別に《上下篇義》を作りて以て《序卦》の未尽の旨趣を申説す。欧陽修のあの一批の人に至っては、径直に《序卦》は孔子の書に非ずと断言す。すなわち荒謬なり。《雑卦》に至っては、乾坤の後に緊接するは《比》《師》で、それの次第は《序卦》と一処として相同じるなし。なんぞそのうちに義理の尋ね得べきなからんや。前代の諸儒はみなかつて講じ至らず。ただ元代の儒者胡氏のみ篇末において略々端倪を透露したるも、しかし線索を理し完さず。如今程氏・胡氏の説法に順い、《序卦》《雑卦》の両篇が分類排序し錯綜して文を成す所以の道理を詳細に推求し、「明義」と題して以てここに附す。

《序卦》

程子有上下篇義,今祖其意而詳推之。上篇,陽也,天道也,故凡天道之正,陽卦陽爻之盛,及陰陽長少先後有序者,皆上篇之卦也。下篇,陰也,人事也,故凡人事之交,陰卦陰爻之盛,及陰陽交感雜亂,長少先後無序者,皆下篇之卦也。故以八卦而論,乾坤,陰陽之純也,坎離,陰陽之中也,皆正中之正,放為陽。震巽,陰陽始交也,艮兌,交之極也,皆正中之交,故為陰。

程頤は《上下篇義》を作れり。如今彼の意思を承襲して詳しく推衍を加う。上経は陽に属し、講ずるは天道である。ゆえにおよそ天道の正、陽卦陽爻の盛多、および陰陽の長幼先後が井然有序たるは、みな上経に帰入す。下経は陰に属し、講ずるは人事である。ゆえにおよそ人事の交接、陰卦陰爻の盛多、および陰陽交感の雑乱、長幼先後の失序するは、みな下経に帰入す。八卦に就いて言えば:乾・坤は陰陽の純体、坎・離は陰陽の中体で、みな正中の正に属す。ゆえに陽と算す(底本の「放為陽」は當に「故為陽」と作るべし)。震・巽は陰陽が相交を始むるで、艮・兌は相交が極処に到るで、みな正中の交に属す。ゆえに陰と算す。いわゆる「正中」とは、乾・坤・坎・離が先天図の四正の位を占住するを指す。

以八卦之交而論,唯《否》、《泰》天地之交,交中之正也,故為陽,《咸》、《恆》、《損》、《益》,《既濟》、《未濟》六子之交,交中之交也,故為陰。又乾交陽卦。凡六,《需》、《訟》、《無妄》,《大畜》皆為陽盛,唯以爻畫參之,則《大壯》為陽過中,《遯》為陰浸長,故雖陽卦而居陰也。坤交陰卦凡六,《晉》、《明夷》、《萃》、《升》皆為陰盛,唯《臨》則陽浸長,《觀》則陰過中,故雖陰卦而居陽也。

八卦の相交するに就いて言えば:ただ《否》《泰》のみ天と地と相交わるで、交中の正に属す。ゆえに陽と算す。《咸》《恒》《損》《益》《既済》《未済》は六子の卦の相交わるで、交中の交に属す。ゆえに陰と算す――《咸》《損》は艮兌に由りて相配し、《恒》《益》は震巽に由りて相配し、《既済》《未済》はすなわち坎離に由りて相配す。また乾と陽卦と相交わるに共に六卦あり。そのうち《需》《訟》《无妄》《大畜》はみな陽盛と算す。ただ爻画を参照して看れば、《大壮》は陽がすでに中を過ぎ、《遯》は陰が漸漸生長す。ゆえに陽卦に属するといえども下経の陰位に編す。坤と陰卦と相交わるもまた六卦あり。そのうち《晋》《明夷》《萃》《升》はみな陰盛と算す。ただ《臨》は陽が漸漸生長し、《観》は陰がすでに中を過ぐ。ゆえに陰卦に属するといえども上経の陽位に編す。見るべし、篇を分かつは単に卦体を看るのみならず、なお爻画の消長を参合するを要するを。

又乾交陰卦凡六,《小畜》、之履》、《同人》。《大有》皆五陽而一陰,陽之盛也,唯以爻畫參之,則《夬》為陽已亢,《姤》為陰始生,故不得為陽而為陰也。坤交陽卦凡六,《師》、《比》、《謙》、《豫》、《剝》、《復》皆五陰而一陽,凡陽有主陰之義,陰雖多,不為盛而為役,陽雖少,不為衰而為主,故皆不為陰而為陽也。

また乾と陰卦と相交わるに共に六卦あり。《小畜》《履》《同人》《大有》はみな五陽一陰で、陽の盛に属す(底本の「之履》」は當に「《履》」と作るべし)。ただ爻画を参照して看れば、《夬》は五陽が一陰を決去して陽すでに亢極し、《姤》は一陰がはじめて五陽に遇いて陰剛剛生ず。まさに盛極して将に反せんとするの際に當たる。ゆえにこの両卦は陽と算せずして陰と算す。坤と陽卦と相交わるもまた六卦あり。《師》《比》《謙》《豫》《剥》《復》はみな五陰一陽である。大およそ一陽に衆陰を統主するの意義あれば、陰は多しといえども、興盛と算せずしてただ役使を受くと算す。陽は少なしといえども、衰弱と算せずしてまさに主宰たり。ゆえにこの六卦はみな陰と算せずして陽と算す。

又陽卦相交凡六,《屯》、《蒙》、《頤》長少先後以序者也,故為陽:《蹇》、《解》、《小過》失序者也,故為陰。又陰卦相交凡六,獨《大過》為《頤》之對,又得其序,故亦為陽;《家人》、《睽》、《革》、《鼎》、《中孚》皆陰也,《革》、《鼎》得序,故猶為陰中之陽也。

また陽卦が彼此相交わるに共に六卦あり。《屯》《蒙》《頤》の三卦は、長男・中男・少男の先後が各々その序を得。ゆえに陽と算す。《蹇》《解》《小過》の三卦は長幼が序を失す。ゆえに陰と算す――いわゆる失序とは、少男あるいは中男がかえって長男の前に排せられるをいう。また陰卦が彼此相交わるもまた六卦あり。ただ《大過》と《頤》とが両々相対し、またその次序を得る能わす。ゆえにまた陽と算す。《家人》《睽》《革》《鼎》《中孚》はみな陰に帰す。そのうち《革》《鼎》は長幼有序ゆえに、なお陰中の陽と算し得上るなり。

又陰陽相交之卦凡十有二,其得序者六,《隨》、《蠱》、《噬嗑》、《賁》為陽中之陰,《井》田為陰中之陽;其失序者六,《漸》、《歸妹》、《豐》、《旅》、《渙》、《節》陰小之陰也。二篇之分既定,其逐節逐卦次第先後,則以陰陽盛衰消長之義次之,如後論。

また陰陽が彼此相交わるの卦は共に十二個あり。そのうち序を得る六個は、《随》《蛊》《噬嗑》《賁》は陽中の陰に属し、《困》《井》は陰中の陽に属す(底本の「《井》田」は當に「《困》《井》」と作るべし)。失序の六個は、《漸》《帰妹》《豊》《旅》《渙》《節》で、陰中の陰に属す(底本の「陰小之陰」は當に「陰中之陰」と作るべし)。上下両篇の分法はすでに定め下せり。各節各卦の孰れが先孰れが後かは、すなわち陰陽盛衰消長の義理に依りて排列す。詳しくは下文の論列に見る。

《乾》,《坤》、《屯》、《蒙》、《需》、《訟》、《師》、《比》、《小畜》、《履》右(上)陽卦第一節。《泰》、《否》、《同人》;《大有》、《謙》、《豫》《隨》、《蠱》、《臨》、《觀》、《噬嗑》、《賁》、《剝》、《復》右(上)陽卦第三節。

上に列する《乾》《坤》《屯》《蒙》《需》《訟》《師》《比》《小畜》《履》の十卦は、上経の陽卦の第一節である。下面の《泰》《否》《同人》《大有》《謙》《豫》の六卦はもと陽卦第二節に属し、《随》《蛊》《臨》《観》《噬嗑》《賁》《剥》《復》の八卦こそ陽卦第三節なる。底本はここにおいて「陽卦第二節」の一行の標目を漏掉し、両節の卦名は連排して一処に在り、ただ「陽卦第三節」の一個の標題のみ余る。原書のこの類の標目はみな「右某卦第几節」と写し作す。竪排のとき「右」はすなわち上文の列する所の一串の卦名を指す。

《無妄》、《大畜》、《頤》、《大過》、《坎》、《離》右(上)陽卦第四節。《咸》、《恆》《遯》、《大壯》、《晉》、《明夷》、《家人》、《睽》、《蹇》、《解》右(上)陰卦第一節。

上に列する《无妄》《大畜》《頤》《大過》《坎》《離》の六卦は、上経の陽卦の第四節である。前面の三節に連ねて、上経の三十卦はここに至りて排し完る。下面の《咸》《恒》《遯》《大壮》《晋》《明夷》《家人》《睽》《蹇》《解》の十卦は、下経の陰卦の第一節である。下経は夫婦の道を以て開端と為す。ゆえに《咸》《恒》に由りて領起す。

《損》、《益》、《央》、《舶》、《萃》、《升》右(上)陰卦第二節。《困》、《井》、《革》、《鼎》、《震》、《艮》、《漸》、《歸妹》,《豐》、《旅》、《巽》、《兌》右(上)陰卦第三節。《渙》、《節》、《中孚》,《小過》、《既濟》、《未濟》右(上)陰卦第四節。

上に列する《損》《益》《夬》《姤》《萃》《升》の六卦は、陰卦の第二節である(底本の「《央》」は「《夬》」の訛り、「《舶》」は「《姤》」の訛り)。下面の《困》《井》《革》《鼎》《震》《艮》《漸》《帰妹》《豊》《旅》《巽》《兌》の十二卦は、陰卦の第三節である。再び下面の《渙》《節》《中孚》《小過》《既済》《未済》の六卦は、陰卦の第四節である。下経の三十四卦はここに至りて排し完る。全経の六十四卦は、すなわちこのよう分かちて上下両篇と為し、毎篇各々四節と為す。

陽卦第一節《乾》、《坤》者,眾卦之宗,故居篇首。先儒謂《周易》首《乾》,則此是文王所定,不可易也。《乾》、《坤》之外,三男為尊。《屯》、《蒙》者,二男之卦也,而皆長少先後不失其序,得陽道之正,故次《乾》、《坤》焉。《需》、《訟》上下皆陽卦,二五皆陽爻,陽之盛之,故次《屯》、《蒙》焉,《師》、《比》皆以一陽為眾陰主,而居二五中位,亦陽之盛也,故次《需》、《訟》焉。《小畜》、《履》五陽一陰,陽既極多,而二陰又退居三四之偏位,皆陽盛之卦也,故次《師》、《比》焉。

先ず陽卦第一節を説く。《乾》《坤》は衆卦の宗主ゆえに、全篇の首に居るを以てす。前代の儒者が《周易》は《乾》を以て開頭と為すと説くは、これは文王の定むる所で、更易すべからず。《乾》《坤》のほかに、震・坎・艮の三個の男卦を以て尊と為す。《屯》《蒙》はみな両個の男卦が相重ねて成るに由り、しかも長幼先後が次序を失わず、陽道の正を得。ゆえに《乾》《坤》の後に排す。《需》《訟》は上下の両体ともに陽卦で、二爻五爻またみな陽爻で、陽の盛に属す。ゆえに《屯》《蒙》の後に排す。《師》《比》はみな一個の陽爻を以て衆陰の主宰を做し、しかもあの一陽はまさに二・五の中位に居る。これもまた陽の盛なり。ゆえに《需》《訟》の後に排す。《小畜》《履》は五陽一陰で、陽すでに極めて多く、両卦のあの一陰はまた退きて三・四の偏位に処る――《小畜》の一陰は四に在り、《履》の一陰は三に在りて、みな中位に當たらず――ゆえに同じく陽盛の卦に属して、《師》《比》の後に排す。上経はすでに天道を以て主と為すれば、開端のこの十卦は便ち一路に陽の多寡と居る所の正偏とに依りて先後を定む。

陽卦第二節《泰》、《否》者,《乾》、《坤》之合體,義同《乾》、《坤》者也,然以其僦》、《坤》之交,故亞於《乾》、《坤》,《同人》、《大有》義反《師》。《比》。然以其剛多極盛,故同《小畜》、《履》而亞於《師》、《比》,《謙》、《豫》義反《小畜》、《履》,然陽為卦主,故同《師》、《比》而亞於《小畜》、《履》,此六者併為陽盛之次也。

再び陽卦第二節を説く。《泰》《否》は《乾》《坤》の両体に由りて合成し、取義は《乾》《坤》と相同じ。ただそれらはすでに乾坤相交の卦たれば(底本の「僦》」は「《乾》」の訛り)、ゆえに《乾》《坤》に次ぐ。《同人》《大有》の取義は《師》《比》と相反す――あそこは一陽が衆陰の主と為るで、ここは一陰が衆陰の帰する所と為る。ただ陽剛は衆多にして極めて興盛なれば、ゆえに《小畜》《履》と同類にして《師》《比》に次ぐ。《謙》《豫》の取義は《小畜》《履》と相反す。ただ卦中のあの一陽はまさに卦主たれば、ゆえに《師》《比》と同類にして《小畜》《履》に次ぐ。この六卦は並列して陽盛の第二等の次序と為す。

陽卦第三節以上二節,除《屯》、《蒙》為三男純卦,餘則皆有《乾》、《坤》為主,未嘗有男女之交也,故曰陽盛。至《隨》、《蠱》、《噬嗑》,《賁》然後有男女之交,是陰始生也,然而長少先後皆不失序,故猶為陽中之陰,《隨》、《蠱》之後,繼以《臨》、《觀》、《噬嗑》,《賁》之後,繼以《剝》、《復》,則陽又盛矣。

再び陽卦第三節を説く。以上の両節の卦は、《屯》《蒙》が三個の男卦の自相に重畳するを除いてのほか、其余はみな《乾》《坤》を以て主と為し、なおかつて男女交合の象あらず。ゆえに陽盛と称す。《随》《蛊》《噬嗑》《賁》に到りて、はじめて男女交合が出現す。これは陰気が生じ始むるなり。ただそれらは長幼先後ともに次序を失わず。ゆえに仍お陽中の陰と算す。《随》《蛊》の後に接ぐは《臨》《観》《噬嗑》で、《賁》の後に接ぐは《剥》《復》。《臨》は二陽が方に長ずるで、《観》はなお二陽が上に存すを尚し、《剥》《復》はみな一個の陽爻を以て主と為す。ゆえに陽気は便ちまた轉じて盛んなりという。

陽卦第四節《無妄》、《大畜》,《乾》與陽卦合體,義同《需》、《訟》,然二五不皆陽爻,故亞於《需》、《訟》。《頤》、《大過》男女類,分長少先後,義同《屯》、《蒙》。然二卦不皆陰卦第一節下篇主人事之交,故以夫婦之道始。男女之合,少則情專,老則誼篤,故《咸》為首,《恆》次之,《遯》、《大壯》陰長陽過,陰之盛也,故次《咸》、《恆》。《晉》、《明夷》上下皆陰卦,二五皆陰爻,義反陽之《需》、《訟》。《家人》、《睽》三陰之卦也,而又長少失序,陰道也,義反陽之《屯》、《蒙》,故四卦次《遯》、《大壯》。《蹇》、《解》本三陽之卦,而亦長少失序,義反《屯》、《蒙》,故從《家人》、《睽》焉。

再び陽卦第四節を説く。《无妄》《大畜》は乾体と陽卦の震・艮と相合するで、取義は《需》《訟》に同じ。ただ二爻・五爻は並びてみな陽爻に非ず。ゆえに《需》《訟》に次ぐ。《頤》《大過》は分かちて男女の両類に属し、各々長幼先後の別ありて、取義は《屯》《蒙》に同じ。しかるにこの両卦は並びてみな――底本のこの句はいまだ完さずして便ち中断し、接ぎ下るは便ち下経の陰卦第一節の文字である。陰卦第一節。下経は人事の交接を以て主と為す。ゆえに夫婦の道より開端す。男女結合すれば、年少のは情意専一にして、年老のは恩義篤厚なり。ゆえに《咸》(少男少女の相感)を首に居らしめ、《恒》(長男長女の偕老)を次と為す。《遯》《大壮》は陰が漸に生長して陽はすでに中を過ぐるで、陰の盛に属す。ゆえに《咸》《恒》の後に排す。《晋》《明夷》は上下の両体ともに陰卦で、二爻五爻またみな陰爻で、取義はまさに陽卦のうちの《需》《訟》と相反す。《家人》《睽》は三個の女卦が相重ねて成るに由り、しかも長幼が序を失し、まさに陰道に合す。取義は陽卦のうちの《屯》《蒙》と相反す。ゆえにこの四卦は《遯》《大壮》の後に排す。《蹇》《解》はもと三男の卦が相重ねて成るに由るが、しかし同じく長幼が序を失し、取義は《屯》《蒙》と相反す。ゆえに《家人》《睽》に跟隨す。

陰卦第二節《損》、《益》二少二長之交,義同《咸》、《恆》,《夬》、《姤》陽極陰生,義同《遯》、《大壯》,《萃》、《升》、《坤》與陰卦交,義同《晉》、《明夷》,故六卦相繼,陰盛之次也。

陰卦第二節。《損》は艮の少男と兌の少女と相交わり、《益》は震の長男と巽の長女と相交わる。みな少と少、長と長との配合に属し、取義は《咸》《恒》に同じ。《夬》《姤》は陽すでに極まりて陰また生ずるで、取義は《遯》《大壮》に同じ。《萃》《升》は坤体と兌・巽の両個の陰卦と相交わるで、取義は《晋》《明夷》に同じ。ゆえにこの六卦は一路相承して、陰盛の第二等の次序を構成す。

陰卦第三節《困》、《井》男女交而以序,義同陽之《隨》、《蠱》,《噬嗑》、《賁》,陰中之陽也,《革》、《鼎》三陰之卦,同《家人》、《睽》,然長少以序,故從《困》、《井》,猶《大過》之從《頤》也。《震》、《艮》雖下經之主,然本陽卦也,故此六卦併為陰小之陽,《漸》、《歸妹》、《豐》、《旅》男女交而失序,與《困》、《井》、《革》、《鼎》反,《巽》、《兌》陰卦,與《震》、《艮》反,此六卦則又自陽而向乎陰矣。

陰卦第三節。《困》《井》は男女相交わりて次序乱れず――《困》は坎の中男を以て下に在らしめ兌の少女を上に在らしめ、《井》は巽の長女を以て下に在らしめ坎の中男を上に在らしめて、配合ともに次第を越えず――取義は陽卦のうちの《随》《蛊》《噬嗑》《賁》に同じく、陰中の陽に属す。《革》《鼎》は三個の女卦が相重ねて成るに由り、もと《家人》《睽》に同じ。しかし長幼有序ゆえに、《困》《井》に跟從す。ちょうど《大過》が《頤》に跟從するがごとし。《震》《艮》は下経の主たりといえども、本身はしかし陽卦である。ゆえにこの六卦は並列して陰中の陽と為す。《漸》《帰妹》《豊》《旅》は男女相交わりてその次序を失し、あるいは少男を以て長女に配し、あるいは少女・中女を以て長男に配す。ちょうど《困》《井》《革》《鼎》と相反す。《巽》《兌》は陰卦で、ちょうど《震》《艮》と相反す。この後の六卦は便ち陽の一路より陰に轉向せり。

陰卦第四節《漸》、《歸妹》、《豐》、《旅》、《渙》、《節》六卦,男女交而失序,相類也。然《漸》、《歸妹》兩卦,長男長女皆在焉,《豐》、《旅》有長男在焉,《渙》、《節》唯長女在焉,則《渙》、《節》者變之窮,陰道之極也。《中孚》、《小過》與上篇《頤》、《大過》相對,《大過》雖陰卦,以得其序而從《頤》,故《小過》雖陽卦,以失其序而從《中孚》,其義與《蹇》、《解》之從《家人》、《睽》者同,併為陰復盛之卦也。《既濟》、《未濟》終篇,所重在《未濟》,蓋三陽失位,男之窮也,陰盛之極也,然物不可窮也,故受之以《未濟》終焉。

陰卦第四節。《漸》《帰妹》《豊》《旅》《渙》《節》のこの六卦は、みな男女相交わりてその次序を失し、彼此同類なり。ただ《漸》《帰妹》の両卦は長男長女ともに在り、《豊》《旅》はただ長男のみ内に在り、《渙》《節》はすなわちただ長女のみ内に在る。見るべし、《渙》《節》は変じて尽頭に到り、陰道は極処に到れるを。《中孚》《小過》は上経の《頤》《大過》と両々相対す。《大過》は陰卦たりといえども、その次序を得るに因りて《頤》に跟從す。ゆえに《小過》は陽卦たりといえども、またその次序を失するに因りて《中孚》に跟從す。この道理は《蹇》《解》が《家人》《睽》に跟從するに同じ。それらは並列して陰気重ねてまた轉盛の卦と為す。《既済》《未済》は全篇を収束し、分量の重きは《未済》に在り。《未済》の九二・九四・上九の三個の陽爻はみな偶位に処りて當位せず、男子困窮の象で、また陰盛の極点に到れるなり。しかるに事物は能く一味に窮尽すべからず。ゆえに《序卦》に「物不可窮也」といい、《未済》を用いて《既済》を承接して以て全経を終結す。この一節の六卦は、ちょうど上経の第四節と遥相に対応す。

《序卦》円図

孔子《繫辭傳》,敘上下篇九卦曰:“履,德之基也;謙,德之柄也;復,德之本也;恆,德之固也;損,德之修也;益,德之裕也;困,德之辨也;井,德之地也;巽,德之制也。”

孔子が《繋辞伝》の裏に上下両篇のうちの九個の卦を叙述していう:「《履》は徳の根基、《謙》は徳の把柄、《復》は徳の本根、《恒》は徳の堅固、《損》は徳の修治、《益》は徳の充裕、《困》は徳の辨験、《井》は徳の処所、《巽》は徳の裁制。」これがすなわち後世の称する所の「三陳九卦」である。

先儒以其卦推配上下經皆相對,蓋《乾》與《咸》、《恆》對,《履》與《損》,《益》對,《謙》與《困》、《井》對,《復》與《巽》、《兌》對,每以下篇兩卦,對上篇一卦,凡十二卦而二篇之數適齊矣,然十二卦之中,又止取九卦者,《乾》、《咸》其始也,《兌》其終也,略其終始,而取其中間之卦,以著陰陽消息盛衰之漸,故止於九。前所推上下篇各四節,陰陽消息盛衰之次,與此圖密合。

前代の儒者はこの九卦を拿して推配し去りて、上下の両経がちょうど一々相対するを発見す。《乾》と《咸》《恒》と相対し、《履》と《損》《益》と相対し、《謙》と《困》《井》と相対し、《復》と《巽》《兌》と相対す――毎々下経の両卦を用いて上経の一卦に対し、一共に十二卦で、而して上下両篇の卦数はちょうど配して斉整なるを得。しかるに十二卦のうち孔子はまたただ九卦を取るのみ。縁故は《乾》と《咸》とは一頭の開端で、《兌》は別の一頭の收尾に在り。首尾を略去して数えず、ただ中間のあれらの卦を取るのみ。以て陰陽消息盛衰の漸進の過程を顕示するに用いる。ゆえにただ九個を挙ぐ。取捨のあいだに、まさに孔子が卦を挙げて以て徳を明らかにするの用意を見る。前面の推する所の上下両篇が各々四節に分かち、陰陽消息盛衰の次第は、この幅の円図とまさに相密合す。

《雑卦》

先儒有以雜卦為互卦者,今用其說而詳推之。

前代の儒者のうち或る人は《雑卦》の依拠する所は実は互卦の法なりと主張す。ここにすなわち彼らの説法を采用して、そのうちの条理を詳細に推衍し出す。

四象相交為十六事図

此互卦之根也,唯其方成四畫時,所互有此十六卦,故六十四卦成後,以中爻互之,只此十六卦,既以六爻循環互之,亦只此十六卦。四畫互成十六卦、又以其中二畫觀之,則互《乾》、《坤》、《剝》、《復》、《大過》、《頤》、《姤》、《夬》者,皆中二爻為太陽太陰者也;互《漸》、《歸妹》、《解》、《蹇》、《睽》、《家

この幅の図は互卦の根源である。太陽・太陰・少陽・少陰の四象が両々相交わり、ちょうど十六を得。ゆえに「十六事」と称す。まさに剛に四画に画き到るの階段に在りて、互い出し得る所はただこの十六個の卦のみあるがゆえに。ゆえに六十四卦の画成するを待ってのち、中間の四爻を用いて互い去るも、またただこの十六卦を互い出すのみ。再び六爻を用いて循環して相互すも、仍おただこの十六卦のみ。四画が互い成して十六卦と為るの後に、再びそれの中間の両画を看れば:およそ《乾》《坤》《剥》《復》《大過》《頤》《姤》《夬》を互い出すは、中間の両爻ともに太陽あるいは太陰。およそ《漸》《帰妹》《解》《蹇》《睽》《家――底本はここの処に中断し、下面に接ぐは另外の両幅の図の図題である。

六十四卦中四爻互卦図

十六卦互成四卦図

互《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》之十六卦,即諸卦之所互而成者也,故十六卦又只成《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》四卦,猶十六事之歸於四象也,蓋四象即《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》之具體,故以太陽三疊之即《乾》,以太陰三疊之即《坤》,以少陰三疊之即《既濟》,以少陽三疊之即《未濟》。《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》統乎《易》之道矣,故《序卦》、之雜卦》皆以是終始焉。

上一幅の図は「十六卦互咸四卦図」と題し、「咸」は當に「成」と作るべし。《乾》《坤》《既済》《未済》を互い出し得るあの十六個の卦は、まさに各卦の互い来たり互い去りて成る所の一批である。而してこの十六卦が再び互うは、またただ《乾》《坤》《既済》《未済》の四卦を成すのみ。ちょうど十六事が最終に四象に帰結するがごとし。四象はもとより《乾》《坤》《既済》《未済》の具体の形態である。太陽を三重に畳ねればすなわち《乾》で、太陰を三重に畳ねればすなわち《坤》で、少陰を三重に畳ねればすなわち《既済》で、少陽を三重に畳ねればすなわち《未済》である。《乾》《坤》《既済》《未済》は《易》の全部の道理を統摂す。ゆえに《序卦》と《雑卦》とはみなこの四卦を拿して首尾を作す(底本の「之雑卦》」は當に「《雑卦》」と作るべし)。

《乾》、《坤》,體也;《既濟》、《未濟》,用也。故以《乾》、《坤》始之,《既濟》、《未濟》終之。中間則左方六卦,《剝》、《復》、《漸》、《歸妹》、《解》、《蹇》為陽卦,皆以《震》、《艮》為主,而統於《乾》、《坤》,右方六卦,《姤》、《夬》、《大過》、《頤》、《睽》、《家人》為陰卦,皆以《巽》、《兌》為主,而統於《既濟》、《末濟》,故圖之外一層者,六十四卦也;次內一層者,所互之十六卦也;又次內一層者,十六卦,所互之四卦也。

《乾》《坤》は「体」で、《既済》《未済》は「用」である。《乾》《坤》は陰陽の本質を定め、《既済》《未済》は水火の交と不交との功效を見る。ゆえに《乾》《坤》を拿して開頭と為し、《既済》《未済》を拿して收尾を収む。中間部分は、図の左半辺の六卦――《剥》《復》《漸》《帰妹》《解》《蹇》――はみな陽卦で、みな《震》《艮》を以て主と為し、而して《乾》《坤》に統属す。右半辺の六卦――《姤》《夬》《大過》《頤》《睽》《家人》――はみな陰卦で、みな《巽》《兌》を以て主と為し、而して《既済》《未済》に統属す(底本の「末済」は當に「未済」と作るべし)。ゆえにこの幅の図の最外の一層に排するは六十四卦で、次裏の一層に排するはそれらの互い成す所の十六卦で、再び裏の一層に排するはこの十六卦の互い成す所の四卦である。層層内に向かって収攏す。まさに見るべし、六十四卦は互い来たり互い去るとも、総じてこの四卦の範囲を跳出せざるを。

以其象限觀之,則皆互《乾》、《坤》者居前,互《既濟》、《未濟》者居後,以其左右觀之,則左方者皆統於《乾》、《坤》,右方者皆統於《既濟》、《未濟》也。

図上の象限を按じて看れば、およそ《乾》《坤》を互い出す卦はみな前面に排せられ、およそ《既済》《未済》を互い出す卦はみな後面に排せらる。左右の両半を按じて看れば、左半辺の卦はみな《乾》《坤》に統属し、右半辺の卦はみな《既済》《未済》に統属す。前後と左右との両種の看法は互相に印証す。全図の条理は便ち一目瞭然なり。

為互卦之主,不在互卦之內者,十四卦《乾》互之得《乾》,《坤》互之得《坤》,《既濟》互之得《耒濟》、《未濟》互之得《既濟》,此四卦者不可變,故不在互卦之內也。

十四個の卦は互卦の主宰たるも、本身はしかし互い出されるあの一批の裏に列せられず。《乾》は互い出すも仍お《乾》で、《坤》は互い出すも仍お《坤》で、《既済》は互い出すは《未済》で(底本の「耒済」は當に「未済」と作るべし)、《未済》は互い出すは《既済》――この四卦はあるいは根本に変ぜず、あるいはただ彼此のあいだに往復するのみ。ゆえに互卦の内に列入せず。

陽卦六,《剝》、《復》者,《震》、《艮》交於《坤》者也;《漸》、《歸妹》者,《震》、《艮》交於《巽》、《兌》者也;《解》、《蹇》者,《震》、《艮》交於《坎》者也,故《震》、《艮》為互陽卦之主。陰卦六,《垢》、《夬》者,《巽》、《兌》交於《乾》者也;《大過》、《頤》者,《巽》、《兌》關於《震》、《艮》者也;《睽》、《家人》者,《巽》、《兌》交於《離》者也,故《巽》、《兌》為互陰卦之主。

其余の十卦は分かちて陽陰の両組と為す。陽卦は六個。《剥》《復》は震・艮と坤と相交わりて成る。《漸》《帰妹》は震・艮と巽・兌と相交わりて成る。《解》《蹇》は震・艮と坎と相交わりて成る。ゆえに《震》《艮》は陽卦を互い出すの主宰である。陰卦は六個。《姤》《夬》は巽・兌と乾と相交わりて成る(底本の「垢」は當に「姤」と作るべし)。《大過》《頤》は巽・兌と震・艮と相交わりて成る(底本の「関于」は當に「交于」と作るべし)。《睽》《家人》は巽・兌と離と相交わりて成る。ゆえに《巽》《兌》は陰卦を互い出すの主宰である。この十卦は前面の《乾》《坤》《既済》《未済》に連ねて、共に十四卦で、みな別卦の互い来たり互い去るの結果の自ら出づる所で、本身は再び互わるる卦の裏に列せられず。震・艮は一陽の卦で、巽・兌は一陰の卦である。ゆえに分かちて陽・陰の両組の互卦の主脳を充当す。

以三畫言之,《艮》陽極而《震》陽生也;以六畫言之,《剝》陽極而《復》陽生也,故《剝》《復》象《艮》《震》而為陽卦之首。以三畫言之,《兌》陰極而《巽》陰生也;以六畫言之,《夬》陰極而《姤》陰生也,故《夬》、《姤》象《兌》、《巽》而為陰卦之首,《乾》、《坤》之用在《否》、《泰》,猶《坎》、《離》之用在《既濟》、《未既》也,故《否》、《泰》、《乾》、《坤》之交,而為《既濟》、《未濟》之宗,此十卦亦不在互卦之內,《雜卦》中遇此數卦,皆從本卦取義,不用互體,其餘自《比》、《師》以後,《需》、《訟》

三画の経卦に就いて言えば、《艮》は陽が極処に到り、《震》は陽が剛剛生ず。六画の別卦に就いて言えば、《剥》は陽が極処に到り、《復》は陽が剛剛生ず。ゆえに《剥》《復》は《艮》《震》に取象して、陽卦を互い出すの首領を充当す。同じく、三画の経卦に就いて言えば、《兌》は陰が極処に到り、《巽》は陰が剛剛生ず。六画の別卦に就いて言えば、《夬》は陰が極処に到り、《姤》は陰が剛剛生ず。ゆえに《夬》《姤》は《兌》《巽》に取象して、陰卦を互い出すの首領を充当す。《乾》《坤》の功用は《否》《泰》に体现す。ちょうど《坎》《離》の功用が《既済》《未済》に体现するがごとし(底本の「未既」は當に「未済」と作るべし)。ゆえに《否》《泰》はすでに乾坤相交の卦なり、また《既済》《未済》の宗主なり。前面の挙ぐる所に連ねて、この十個の卦もまたみな互卦の内に列せられず。《雑卦》の裏にこの幾個の卦に遇えば、一概に本卦に就いて義を取り、互体を用いず。其余の卦は、《比》《師》以下より、《需》《訟》――底本はここの処に中断し、接ぐは便ち下一段の図説の標題である。

互卦陰陽次第

自《乾》、《坤》至《晉》、《明夷》二十八卦,為陽卦。皆互《剝》、《復》、《漸》、《歸妹》、《解》、《蹇》,凡上經之卦十八,而雜下經十卦於其中。自《井》、、》夬、、、《困》至《需》《訟》二十八卦,為陰卦。皆互《姤、《》《大過》《頤》《睽》、《家人》,凡下經之卦十八,而雜上經十卦於其中。

《雑卦》は《乾》《坤》より起こりて《晋》《明夷》に止るまで、共に二十八卦で、陽卦の一組に属す。それらの互い出す所はみな《剥》《復》《漸》《帰妹》《解》《蹇》。この一組の裏に上経の卦は十八個を占め、別に下経の卦十個を掺入す。《井》《困》より起こりて《需》《訟》に止るまでも、また二十八卦で、陰卦の一組に属す。それらの互い出す所はみな《姤》《夬》《大過》《頤》《睽》《家人》。この一組の裏に下経の卦は十八個を占め、別に上経の卦十個を掺入す(底本はここの処に卦名と書名号とが錯乱し、「》夬、、、」「《姤、《》」はみな排印の誤り)。

自《乾》、《坤》至《噬嗑》、《賁》,為陽卦之正。首《剝》、《復》,次《漸》,《歸妹》,次《解》、《蹇》。自《兌》、《巽》至《晉》、《明夷》,為陽封之變。首《漸》、《歸妹》。次《剝》、《復》,次《解》、《蹇》。自《井》、《困》至《否》、《泰》為陰卦之變。首《睽》、《家人》,次《垢》、《央》,次《大過》、《頤》。自《大壯》、、,為陰卦之正。首《垢》《》、,《遯》至《需》《訟》、夬,次《大過》《頤》次《睽》、《家人》。

《乾》《坤》より《噬嗑》《賁》に至るは、陽卦のうちの「正」で、排列は《剥》《復》を以て領頭と為し、其次《漸》《帰妹》、再次《解》《蹇》。《兌》《巽》より《晋》《明夷》に至るは、陽卦のうちの「変」で(底本の「陽封」は當に「陽卦」と作るべし)、排列は《漸》《帰妹》を以て領頭と為し、其次《剥》《復》、再次《解》《蹇》。《井》《困》より《否》《泰》に至るは、陰卦のうちの「変」で、排列は《睽》《家人》を以て領頭と為し、其次《姤》《夬》、再次《大過》《頤》。《大壮》《遯》より《需》《訟》に至るは、陰卦のうちの「正」で、排列は《姤》《夬》を以て領頭と為し、其次《大過》《頤》、再次《睽》《家人》(末の一条は底本の卦名が竄乱して錯行し、「垢」は「姤」、「央」は「夬」の訛り)。四段は各々三対の互卦を以て綱と為し、正変は相間えて、次第井然たり。

《乾》、《坤》は諸卦の首と為す

乾剛坤柔。《周易》首《乾》、《坤》,故《序》、《雜卦》皆不《易》焉。以互卦論之,唯《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》四卦互之,仍得《乾》、《坤》、《既濟》、《未濟》,不與它卦相變。然《既擠》猶變為《未濟》,《未濟》猶變為《既濟》,唯《乾》仍得《乾》,《坤》仍得《坤》,其體一定而不可變者也。

《雑卦》の開篇に「乾剛坤柔」という。《周易》は《乾》《坤》を以て領首と為す。ゆえに《序卦》《雑卦》の両篇ともこの次第を更動せず。互卦に就いて言えば、ただ《乾》《坤》《既済》《未済》の四卦が互い来たり互い去りて、仍お《乾》《坤》《既済》《未済》を得て、別の卦と相変ぜず。ただ《既済》は互い出すもなお《未済》に変ずるあり(底本の「既擠」は當に「既済」と作るべし)、《未済》は互い出すもなお《既済》に変ずるあり。ただ《乾》は互い出すも仍お《乾》、《坤》は互い出すも仍お《坤》で、それらの体質は一定にして移易すべからず。

《易》之道主於變易變易,《序卦》者,時之相生,變易者也。《雜卦》者,事之相對,變易者也。然非有不易者以為之體,則所謂“乾坤毀無以見易”者,而變化何自生哉!是故先之以《乾》、《坤》,然後別互卦之陰陽以次之。

《易》の道理は変易を以て主と為す(底本は「変易」の二字重出す)。《序卦》の講ずるは時勢の前後相生で、変易に属す。《雑卦》の講ずるは事情の両々相対で、また変易に属す。しかるにもし一個の不変者なくしてそれらの本体を充当せざれば、すなわち《繋辞》のいう所の「乾坤毀則无以見易」と成りて、変化はまたいずこより生出せんや。ゆえに先ず《乾》《坤》を摆し出して、しかるのち分かちて互卦の陰陽を別し、依次に排列し下る。

陽正卦首《剥》、《復》

“《比》樂《師》憂;《臨》、《觀》之義,或與或求;《屯》見而不失其居,《蒙》雜而著。《震》起也;《艮》,止也,《損》、《益》,盛衰之始也。”此八卦皆互體為《剝》、《復》,而雜《震》、《艮》二卦於其中,蓋《震》、《艮》陽卦之主,而《剝》、《復》之具體也。

《雑卦》にいう:「《比》は楽しむ可し、《師》は憂う可し。《臨》《観》の意義は、一は施与に在り、一は求取に在り。《屯》は萌動顕現してその居る所を失わず、《蒙》は幼稚雑乱にして漸く昭著に趨る。《震》は発起、《艮》は止息。《損》《益》は盛衰の開端。」この八個の卦の互体はみな《剥》《復》で、而して《震》《艮》の両卦をそのうちに掺む。《震》《艮》がまさに陽卦の主宰なるがゆえに、すなわち《剥》《復》の本とする所の具体の形態――《復》は一陽が下に在りてまさに震象に合し、《剥》は一陽が上に在りてまさに艮象に合す。

自《比》、《師》、《臨》、《觀》、《屯》、《蒙》,皆上經之卦,而《損》、《益》獨為下經之卦,《震》、《艮》亦下經之卦也,故決於《損》、《益》之前,上經之卦六,比師一陽,《臨》、《觀》、《屯》、《蒙》二陽,次《漸》、《歸妹》“《大畜》,時也:《無妄》,災也。《萃》聚而《升》不來也。”此四卦,皆互體為《漸》、《歸妹》,陽卦以上經居前,下經居後,故先《大畜》、《無妄》,後《萃》、《升》。

《比》《師》《臨》《観》《屯》《蒙》はみな上経の卦で、ただ《損》《益》のみ下経に属し、《震》《艮》もまた下経に属す。ゆえに《震》《艮》を《損》《益》の前に断ち置く――上経の諸卦はすでに列し畢れば、便ち同じく下経に属する《震》《艮》を用いて領起し、再接して《損》《益》を以てこの一節を収束す。上経のこの六卦のうち、《比》《師》は各々ただ一個の陽爻、《臨》《観》《屯》《蒙》は各々両個の陽爻あり。少よりして多と為す。其次は互体が《漸》《帰妹》たるの一批。《雑卦》にいう「《大畜》は時を待ちて動く、《无妄》は端なく災に遭う。《萃》は聚合、《升》は上行して返らず。」この四卦の互体はみな《漸》《帰妹》。陽卦の一組の排法は上経を前に下経を後にするを以てす。ゆえに先ず《大畜》《无妄》を列し、後に《萃》《升》を列す。

《謙》輕而《豫》怠也。《噬嗑》,食也;《賁》,無色也。”此四卦,皆互體為《解》、《蹇》,《謙》、《豫》一陽,《噬嗑》、《賁》二陽。以上為陽卦之正。

《雑卦》は続いて接していう:「《謙》は自ら軽く自ら下る、《豫》は逸楽怠惰。《噬嗑》は進食に取象す、《賁》は素白无色に取象す。」この四卦の互体はみな《解》《蹇》。そのうち《謙》《豫》は各々ただ一個の陽爻、《噬嗑》《賁》は各々両個の陽爻あり。仍お少よりして多と為す。以上はみな陽卦のうちの「正」に属す。

陽変卦首《漸》、《帰妹》

“《兌》見而《巽》伏也”。《震》、《艮》交於《兌》、《巽》,而成《漸》、《歸妹》,下文將敘《漸》、《歸妹》,故以《兌》、《巽》先之。“《隨》,無故也;《蠱》,則飭也”。此兩卦,互體為《漸》、《歸妹》,上首《剝》、《復》者,天行也,此首《漸》、《歸妹》者,人事也。

《雑卦》にいう:「《兌》は外に顕現す、《巽》は内に潜伏す。」震・艮と兌・巽と相交わりて、はじめて《漸》《帰妹》を成す。下文はまさに互体が《漸》《帰妹》たるあの一批の卦を叙述せんとす。ゆえに先ず《兌》《巽》を前頭に摆す。またいう:「《随》は故常を循らず、《蛊》は加えて整饬す。」この両卦の互体はまさに《漸》《帰妹》。前面の陽卦の正は《剥》《復》を以て領頭と為し、取る所は天道の運行。ここの陽卦の変は《漸》《帰妹》を以て領頭と為し、取る所は人事の交接。

次《剝》、《復》“《剝》,爛也;《復》,反也。”此兩卦,不用互體,但取《剝》、《復》之義,此言《剝》以歸於《復》,篇終言《姤》以終於《夬》,皆扶陽之意。次《解》、《蹇》“《晉》,晝也;《明夷》,誅也”。此兩卦,互體為《解》、《蹇》。以上:為陽卦之變。除篇終八卦自立義例外,餘皆入陰陽正卦,其變者,唯各舉兩卦以見義而已。自《乾》、《坤》至此,為陽卦者二十八。

其次は《剥》《復》の一類。《雑卦》にいう「《剥》は剥落腐爛、《復》は返回复生。」この両卦は互体を取らず、ただ《剥》《復》の本身に就いて義を取る。ここは《剥》より説きて《復》に帰し、篇末はまた《姤》より説きて《夬》に終わる。みな陽気を扶助するの用意なり。再次は《解》《蹇》の一類。《雑卦》にいう「《晋》は白昼のごとく昭明、《明夷》は誅を受けて傷く。」この両卦の互体はまさに《解》《蹇》。以上はみな陽卦のうちの「変」に属す。篇末の八卦が別に義例を立つるを除いてのほか、其余の各卦はみな陰陽の両組の「正卦」に帰入す。「変」に属するは、過ぎず各々両卦を挙げて以てその義を見るのみ。《乾》《坤》よりここに至るまで、陽卦に属するは共に二十八個。

陰変卦首《睽》、《家人》

“《井》通而《困》相遇也”。此兩卦,互體為《睽》、《家人》,陽卦之變,首於《漸》、《歸妹》者,《震》、《艮》交於《巽》、《兌》,陽中之陰也,陰卦之變,始於《睽》、《家人》者,《巽》、《兌》交於《離》,陰中之陰也,陽主正,自天道而,人事,陰主變,自人事而天道。

《雑卦》にいう:「《井》は通達して窮まりなし、《困》は相遇いて阻まる。」この両卦の互体は《睽》《家人》。陽卦の「変」は《漸》《帰妹》を以て領頭と為す。あれは震・艮と巽・兌と相交わり、陽中の陰に属するがゆえに。陰卦の「変」は《睽》《家人》を以て開始と為す。あれは巽・兌と離と相交わり、陰中の陰に属するがゆえに。陽は「正」を以て主と為すは、天道より人事に推及するに由る。陰は「変」を以て主と為すは、人事より天道に上溯するに由る(底本の「自天道而,人事」は中間に逗号一個を衍す)。両条の路数は一順一逆にして、ちょうど相形す。

次《姤》、《夬》“《咸》,速也;《恆》,久也。”此兩卦,互體為《姤》、《夬》。次《大過》、《頤》“《渙》,離也;《節》,止也。”六十四卦中,有兩卦只互得一卦者,如《剝》、《復》只互得《坤》,《姤》、《夬》只互得《乾》,《渙》、《節》只互得《頤》,《豐》、《旅》只互得《大過》。

其次は《姤》《夬》の一類。《雑卦》にいう「《咸》は感应迅速、《恒》は持守長久。」この両卦の互体はまさに《姤》《夬》。再次は《大過》《頤》の一類。《雑卦》にいう「《渙》は離散、《節》は節止。」六十四卦のうち、あるは両卦がただ同一の卦を互い得るのみのあり。たとえば《剥》《復》はともにただ《坤》を互い得、《姤》《夬》はともにただ《乾》を互い得、《渙》《節》はともにただ《頤》を互い得、《豊》《旅》はともにただ《大過》を互い得。この幾対の卦はもとより彼此倒転して成るで、中間四爻の陰陽はちょうど相同じ。ゆえに互い出してただ一個の卦を得るのみ。

《既済》、《未済》は陰卦を統す

“《解》,緩也;《蹇》,難也。《睽》,外也;《家人》,內也。《否》、《泰》,反其類也, ”《解》、《蹇》、《睽》、《家人》,皆互體為《既濟》、《未濟》,故次於陰變卦之後。《否》、《泰》不在互卦之內,而為《既濟》、《未濟》之根者也,故次於《既濟》、《未濟》之後。

《雑卦》にいう:「《解》は舒緩、《蹇》は艱難。《睽》は外にて乖離、《家人》は内にて和睦。《否》《泰》はすなわち彼此の類別相反す。」《解》《蹇》《睽》《家人》の四卦の互体はみな《既済》《未済》。ゆえに陰卦の「変」の後面に排す。《否》《泰》はもと互卦の列に在らざるも、しかし《既済》《未済》の根柢たり。ゆえに《既済》《未済》の後に排す。このよう安排すれば、まさに見るべし、陰卦の一路はみな《既済》《未済》の上に帰結するを。

蓋凡陽卦皆統於《乾》、《坤》,而尤以正卦為主,故《比》、《師》之前,首以《乾》、《坤》也,凡陰卦皆統於《既濟》、《未濟》,而尤以變卦為主,故《渙》、《節》之後,繫以《解》、《蹇》、《睽》、《家人》、《否》、《泰》也。以上為陰卦之變。

大およそ陽卦はみな《乾》《坤》に統属し、而して尤も「正卦」を以て主と為す。ゆえに《比》《師》の前において、先ず《乾》《坤》を摆し出す。大およそ陰卦はみな《既済》《未済》に統属し、而して尤も「変卦」を以て主と為す。ゆえに《渙》《節》の後において、接ぎて《解》《蹇》《睽》《家人》および《否》《泰》を係す。一個は篇首に提げ、一個は篇末に押え、首尾はまさに相照応す。《雑卦》の全篇の間架はここに就いて定住す:《乾》《坤》を体と為し、《既済》《未済》を用と為す。仍お前面の幾幅の図の意思である。以上はみな陰卦のうちの「変」に属す。

陰正卦首《姤》、《夬》

“《大壯》則止,《遯》則遲也,:《大有》,眾也;《同人》,親也。《革》,去故也;《鼎》,取新也。”此六卦,皆百體為《姤》、《夬》,陰之《大壯》、《遯》,如陽之《臨》、《觀》,陰之《大有》、《同人》,如剛之《比》、《師》,前陽卦中先《比》、《師》,次《臨》、《觀》,此則先《大壯》,《遯》,次《大有》、《同人》者,陰卦先下經,後上經也,陰之《革》、《鼎》,如陽之《屯》、《蒙》。

《雑卦》にいう:「《大壮》は壮盛にして當に止むべし、《遯》は退避して迟疑す。《大有》は有する者衆し、《同人》は人と相親む。《革》は故旧を革去し、《鼎》は新物を取用す。」この六卦の互体はみな《姤》《夬》(底本の「百体」は當に「互体」と作るべし)。陰組のうちの《大壮》《遯》は、陽組のうちの《臨》《観》に比するがごとし。陰組のうちの《大有》《同人》は、陽組のうちの《比》《師》に比するがごとし(底本の「如剛之」は當に「如陽之」と作るべし)。前面の陽卦の一組は先ず《比》《師》を列し後に《臨》《観》を列す。ここはしかし先ず《大壮》《遯》を列し後に《大有》《同人》を列す。陰卦の一組の排法は下経を前に上経を後にするがためなり。陰組のうちの《革》《鼎》は、すなわち陽組のうちの《屯》《蒙》に比するがごとし。

次《大過》、《頤》“《小過》,過也;《中孚》,信也。《豐》,多故;親寡,《旅》也。《離》上而《坎》下也。”此六卦,皆互體為《大過》、《頤》,《小過》、《中孚》、《豐》、《旅》在下經居先,《離》、《坎》在上經居後。

其次は《大過》《頤》の一類。《雑卦》にいう「《小過》は過越する所有り、《中孚》は内に誠信を懐く。《豊》は故旧の事多く、親近する者寡なきは便ち《旅》。《離》は炎上して《坎》は潤下。」この六卦の互体はみな《大過》《頤》。そのうち《小過》《中孚》《豊》《旅》は下経に属す。ゆえに前面に排す。《離》《坎》は上経に属す。ゆえに後面に排す。これもまたまさに陰卦の一組は下経を先に居らしめ上経を後に居らしむるの通例である。

次《睽》、《家人》《小蓄》,寡也;《履》,不處也。《需》,不進也;《訟》,不親也。”此四卦皆互體為《睽》、《家人》,《小畜》、《履》一陰,《需》、《訟》二陰。以上為陰卦之正。自《井》、《困》至此為陰卦者亦二十八。

再次は《睽》《家人》の一類。《雑卦》にいう「《小畜》は畜する所寡し、《履》は履行して安処せず。《需》は等待して前進せず、《訟》は争訟して親附せず。」(底本の「小蓄」は當に「小畜」と作るべし、しかも上引号を脱去す。)この四卦の互体はみな《睽》《家人》。そのうち《小畜》《履》は各々ただ一個の陰爻、《需》《訟》は各々両個の陰爻あり。これもまた少よりして多と為す。以上はみな陰卦のうちの「正」に属す。《井》《困》よりここに至るまで、陰卦に属するもまた共に二十八個。

循環互卦図

“《大過》,顛也;《姤》,遇也;柔遇剛也。《漸》,女歸待男行也。《頤》,養正也;《既濟》,定也。《歸妹》,女之終也;《未濟》,男之窮也。《夬》,決也,剛決柔也,君子道長,小人道憂也。”

《雑卦》の篇末にいう:「《大過》は顛覆、《姤》は相遇、柔が剛に遇上る。《漸》は女子が嫁ぐ、男家の迎えに来たるを待ちてはじめて行く。《頤》は正を以てこれを養う、《既済》は各々その定を得。《帰妹》は女子の帰宿、《未済》は男子の困窮。《夬》は決断、剛が柔を決去す、君子の道は增長し、小人の道は憂懼す。」この八個の卦は再び前面のがごとく両々反対せず、而して錯綜して相次ぎ、自ら一個の例を成す。

以上五十六卦,皆以兩相對,如《序卦》之例,獨此八卦錯綜而不反對者,以見卦之有互,不獨中四爻可互,六爻循環皆可互也,卦卦皆然,獨舉大過一卦者,中四爻以陽居之,唯《大過》一卦,且自初爻起,而正卦左旋,互卦右轉,恰始於《姤》,終於《夬》而《乾》,得易道用陰而尊陽之意也。

以上の五十六卦は、みな両々相対して《序卦》の体例と相同じ。ただ篇末のこの八卦のみ錯綜して排列して両々反対せず。用意は卦に互体あるを顕示するに在りて、ただ中間四爻のみ互う可きのみならず、六爻は循環し起こりてもまた処処互う可き。この道理は卦卦みな适用す。単に《大過》の一卦を挙ぐる所以は、中間四爻が全く陽爻に由りて之に居るはただ《大過》のみなるがゆえに。しかも初爻より算を起こせば、本卦は左に旋り互卦は右に轉じ、ちょうど《姤》より開始して《夬》に至りて《乾》に帰して止まる。まさに《易》道の陰を取用して陽を尊崇するの旨意に合す。

故案圖觀之,自初至四為《姤》,自上至三為《漸》,自五至二為《頤》,自四至初為《歸妹》,自三至上為《夬》,自二至五為《乾》,然夫子傳文無《乾》者,《乾》在篇首,《夬》盡則為純《乾》,首尾相生之義也,《既濟》、《未濟》不在互卦之內,故以義附於此,自陰陽相遇之後,如《漸》之得禮,如《頤》之養正,則為《既濟》而定矣。如《歸妹》之越禮失正,則為《未濟》而窮矣,故必決陰邪以伸陽道,然後“君子道長,小人道憂也”。《既濟》、《未濟》統六十四卦之義,故《雜卦》以是終篇,與《序卦》同。

ゆえに図に対して看れば:初爻より数えて四爻に至りて互い《姤》を得、上爻より数えて三爻に至りて互い《漸》を得、五爻より数えて二爻に至りて互い《頤》を得、四爻より数えて初爻に回りて互い《帰妹》を得、三爻より数えて上爻に至りて互い《夬》を得、二爻より数えて五爻に至りて互い《乾》を得。孔子の伝文の裏に《乾》を提到せざるは、《乾》はすでに篇首に列せられたるがゆえに。《夬》は一たび決して底に至れば、陰尽きて便ち純《乾》と為る。これがまさに首尾相生の意思である。《既済》《未済》はもと互卦の列に在らず。ゆえにただ義理を按じてここに附す。陰陽すでに相遇しての後、倘若《漸》のごとく礼節に合し、《頤》のごとく正を以てこれを養わば、便ち《既済》と成りて各々安定を得。倘若《帰妹》のごとく礼を越え正を失わば、便ち《未済》と成りて困窮に陥る。ゆえに必ず陰邪を決去して、はじめて能く陽道を伸張し、しかるのちに「君子道長、小人道憂」の局面あるを得べし。《既済》《未済》は六十四卦の義理を統摂す。ゆえに《雑卦》はこの両卦を拿して全篇を収束す。《序卦》の做法と相同じ。全書はここに至りて終結す。

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