重阳立教十五论 · 第2巻
離此三界,神居仙聖之鄉,性有玉清之境矣。
此の三界を脱離せば、神は則ち仙聖の鄉土に安居し、性は則ち玉清の境界に安處す。
第十四論養身之法
第十四 論養身之法
法身者,無形之象也。
所謂法身とは、一種形跡なき象なり。
不空不有,無後無前,不下不高,非短非長。用則無所不通,藏之則昏默無跡。若得此道,正可養之。
它は空にも非ず有にも非ず、前後の分なく、高下の別なく、短とも算せず長とも算せず。之を用ゆれば通ぜざる所なく、之を藏すれば則ち昏默にして跡なし。若し此の道理を得るを能くせば、乃ち正好に涵養を加ふべし。
養之多則功多,養之少則功少。
涵養すること多ければ功夫深く、涵養すること少なければ功夫淺し。
不可願歸,不可戀世,去住自然矣。
一心に歸去を盼ずべからず、又人世を貪戀すべからず。去るか留まるかは皆其自然に聽せば、便ち是なり。
第十五論離凡世
第十五 論離凡世
離凡世者,非身離也,言心地也。
所謂凡世を離るるは、身体の離るるに非ず、説く所は心地なり。
身如藕根,心似蓮花,根在泥而花在虛空矣。
身は藕根に比し、心は蓮花に比す。根は污泥の裡に扎り、花は卻って虚空の中に開く。
得道之人,身在凡而心在聖境矣。
已に道を得たる人は、身子雖も凡塵の中に在るも、心は已に聖境の裡に安處せり。
今之人,欲求不死而離凡世者,大愚,不達道理也。
如今の人は、不死を求めんと欲して「離凡世」を以て肉身の人間を離るると當てるは、實に太だ愚昧なるのみ。是れ道理に通達せざるなり。
言十五論者,警門中有志之人,深可詳察知之。
我此の十五論を説くは、門中の志向有る人を警醒せんと欲するにして、深く詳察領會し得るを望む。
