Libo

关尹子 · 第1巻

周 · 关尹喜(旧题) · 第1巻 / 3

関尹子

道家典籍

まず老子と荘子内篇を読み、列子・文子・淮南子へ進む。道教が「道」をどう修持として書いたかを見るには、陰符経・黄庭・参同契・悟真篇と抱朴子を読む。

關尹子

関尹子

一宇宇者道也

一宇:宇とは、すなわち道(老子はこの字を万物の本原と運行のあり方を指すのに借りたもので、それ自体は名状しがたい)である。

關尹子曰:非有道不可言。不可言即道。非有道不可思。不可思即道。天物怒流。人事錯錯然。若若乎回也。戛戛乎鬥也。勿勿乎似而非也。而爭之。而介之。而○之。而嘖之。而去之。而要之。言之如吹影。思之如鏤塵。聖智造迷。鬼神不識。惟不可為。不可致。不可測。不可分。故曰天。曰命。曰神。曰元。合曰道。

関尹子は言う。別に言い表せない道があるのではない。言い表せないもの、それが道である。別に思い浮かべられない道があるのではない。思い浮かべられないもの、それが道である。天地万物は滔々として流動し、人事は錯綜して交織り、回旋して往復し、衝撃して争闘し、匆々として是のようで非である。人々はそれを争い、それを隔て、(底本はこの字が残阙)、それを責め問い、それを抛き、それを求め取る。言語をもってそれを言うは、影を吹くがごとく、心思をもってそれを想うは、塵土の上に鏤刻するがごとし。聖智もかえって迷惑を造り出し、鬼神もまた認められない。ただそれが作為すべからず、招致すべからず、測度すべからず、分割すべからざるがゆえに、天と名づけ、命と名づけ、神と名づけ、元と名づけ、合わせて道と名づけるのである。

曰:無一物非天。無一物非命。無一物非神。無一物非元。物既如此。人豈不然。人皆可曰天。人皆可曰神。人皆可致命通元。不可彼天此非天。彼神此非神。彼命此非命。彼元此非元。是以善吾道者。即一物中。知天盡神。致命造元。學之。徇異名。析同實。得之。契同實。忘異名。

曰く、一物として天ならざるなく、一物として命ならざるなく、一物として神ならざるなく、一物として元ならざるなし。物すでにこのごとし、人はどうしてこのようであらざらんや。人々みな天と呼ぶべく、人々みな神と呼ぶべく、人々みな命に致達し元に通達すべし。あれは天でこれは天でないとは言えず、あれは神でこれは神でないとは言えず、あれは命でこれは命でないとは言えず、あれは元でこれは元でないとは言えない。だから我が道に善い者は、一物のうちにあって、天を知り神を尽くし、命を致して元に造達することができる。学ぶときは、異なる名称に順って、同じ一つの実事を分析し開き、得るときは、その同じ一つの実事に契合して、異なる名称を忘れる。

曰:觀道者如觀水。以觀沼為未足。則之河之江之海。曰水至也。殊不知我之津液涎淚皆水。

曰く、道を観る者は水を観るに譬えるべし。池沼を見るだけでは足りないと思い、黄河に至り、長江に至り、大海に至り、水はここに尽きたという。知らざるなり、わが津液・涎沫・涙はみな水であることを。

曰:道無人。聖人不見甲是道乙非道。道無我。聖人不見己進道己退道。以不有道。故不無道。以不得道。故不失道曰:不知道妄意卜者。如射覆盂。高之。存金存玉。中之。存角存羽。卑之。存瓦存石。是乎。非是乎。惟置物者知之。

曰く、道に人我の分別なし。聖人は甲は道で乙は道でないとは見ない。道に自我なし。聖人は己が道に進み己が道に退くとは見ない。まさに道を据有するものとしないがゆえに、道なしともならず、まさに道を得ることができないがゆえに、道を失うこともない。また曰く、知らずして臆測を凭みて問卜する者は、射覆に譬えるべし——盂を蓋いてその中の何物かを猜する。高く猜すれば中に金玉ありといい、中くらいに猜すれば角羽ありといい、低く猜すれば瓦石ありという。当たるかどうかは、物を入れた者のみが知る。

曰:一陶能作萬器。終無有一器能作陶者能害陶者。一道能作萬物。終無有一物能作道者能害道者。

曰く、一人の陶工は万件の器物を作ることができるが、終に一件の器物も陶工を造り出し陶工を傷つけることはできない。一の道は万物を生ずることができるが、終に一物も道を造り出し道を傷つけることはできない。

曰:道茫茫而無知乎。心儻儻而無羈乎。物迭迭而無非乎。電之逸乎。沙之飛乎。聖人以知心一物一道一。三者又合為一。不以一格不一,不以不一害一。

曰く、道は茫茫として知なきがごとくか、心は坦蕩として羈絆なきがごとくか、物は更迭流転して是ならざるなきがごとくか、電の奔逸するがごとくか、沙の飛揚するがごとくか。聖人は心は一、物は一、道は一と知り、三者はまた合わせて一と為る。この一をもってあの不一を框めず、またあの不一をもってこの一を傷つけない。

曰:以盆為沼。以石為島。魚環遊之。不知其幾千萬裡而不窮也。夫何故。水無源無歸。聖人之道。本無首。末無尾。所以應物不窮。

曰く、盆をもって池沼と為し、石をもって島と為せば、魚は繞って遊び、幾千万里遊んでも窮まらないことを知らない。なぜか。水に源頭もなく帰宿もないからである。聖人の道は、本に開頭なく、末に結尾なし。ゆえに万物に応接して窮まらない。

曰:無愛道。愛者水也。無觀道。觀者火也。無逐道。逐者木也。無言道。言者金也。無思道。思者土也。惟聖人不離本情而登大道。心既未萌。道亦假之。

曰く、道を愛するなかれ、愛は水に属す。道を観るなかれ、観は火に属す。道を追逐するなかれ、追逐は木に属す。道を言説するなかれ、言説は金に属す。道を思索するなかれ、思索は土に属す。ただ聖人のみ本来の性情を離れずして大道に登る。心いまだ萌発せざれば、道もまたそれに借りて在る。

曰:重雲蔽天。江湖黯然。游魚茫然。忽望波明食動。幸賜於天。即而就之。漁釣斃焉。不知我無我而逐道者亦然。

曰く、濃雲が天空を遮蔽し、江湖は黯淡とし、遊魚は茫然とす。忽然として波光の裡に食餌の動くを望見し、天の賜と慶幸して、便ち凑り寄り、漁釣に害せられて死す。己が本より无我なるを知らずして道を追逐する者も、またこのごとし。

曰:方術之在天下多矣。或尚晦。或尚明。或尚強。或尚弱。執之皆事。不執之皆道。

曰く、天下の方術は多し。あるいは晦暗を崇め、あるいは顕明を崇め、あるいは剛強を崇め、あるいは柔弱を崇む。それらを執着すれば、みな事に過ぎず、それらを執着しなければ、みな道である。

曰:道終不可得。彼可得者。名德不名道。道終不可行。彼可行者。名行不名道。聖人以可得可行者。所以善吾生。以不可得不可行者。所以善吾死。

曰く、道は終に得るべからず。それ得るべき者は、名を徳(道が具体的事物の上に落ち着いて顕れる性能であって、倫理の意義の品德ではない)と曰い、道と名づけず。道は終に行うべからず。それ行うべき者は、名を行と曰い、道と名づけず。聖人はそれ得べく行うべき者を用いて、もって己の生を善く待ち、それ得べからず行うべからざる者を用いて、もって己の死を善く待つ。

曰:聞道之後。有所為有所執者。所以之人。無所為無所執者。所以之天。為者必敗。執者必失。故聞道於朝。可死於夕。

曰く、道を聞いた後、なお作為あり執着ある者は、人に走向するなり。作為なく執着なき者は、天に走向するなり。作為ある者は必ず敗れ、執着ある者は必ず失う。だから朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。

曰:一情冥為聖人。一情善為賢人。一情惡為小人。一情冥者。自有之無。不可得而示。一情善惡者。自無起有。不可得而秘。一情善惡為有知。惟動物有之。一情冥者為無知。溥天之下。道無不在。

曰く、一情が冥合するは聖人、一情が善に向かうは賢人、一情が悪に向かうは小人。一情が冥合する者は、有より無に至り、取り出して人に示す法なし。一情が善悪に向かう者は、無より有を生じ、隠藏する法なし。一情の善悪は有知に属し、動物のみこれ有り。一情が冥合するは無知に属す。普天の下、道は在らざる所なし。

曰:勿以聖人力行不怠。則曰道以勤成。勿以聖人堅守不易。則曰道以執得。聖人力行。猶之發矢。因彼而行。我不自行。聖人堅守。猶之握矢。因彼而守。我不自守。

曰く、聖人が力行して懈怠せざるを以て、道は勤勉に依って成就すと言うなかれ。聖人が堅守して改変せざるを以て、道は執着に依って得ると言うなかれ。聖人の力行は、射箭に譬えるべし。その矢に順って走る、我が自ら走るにあらず。聖人の堅守は、握箭に譬えるべし。その矢に順って守る、我が自ら守るにあらず。

曰:若以言行學識求道。互相展轉。無有得時。知言如泉鳴。知行如禽飛。知學如擷影。知識如計夢。一息不存。道將來契。

曰く、もし言語・行為・学問・見識を以て道を求めれば、彼此展転して、得るときなし。知るべし、言語は泉水の鳴響のごとく、行為は禽鳥の飛過のごとく、学問は影を摘みに往くがごとく、見識は夢を結算するがごとし。一口の気存留せざれば、道は便ち来たりて契合す。

曰:以事建物則難。以道棄物則易。天下之物。無不成之難而壞之易。

曰く、事を以て物を建立すれば難く、道を以て物を捨棄すれば易し。天下の物、成すは難く毀るは易からざるなし。

曰:一灼之火能燒萬物。物亡而火何存。一息之道能冥萬物。物亡而道何在。

曰く、一点の火は万物を焼き尽くす能く、物亡びて火は何れに在らん。一口の気の道は万物を冥合する能く、物亡びて道は何れに在らん。

曰:人生在世。有生一日死者。有生十年死者。有生百年死者。一日死者。如一息得道。十年百年死者。如歷久得道。彼未死者。雖動作昭智。止名為生。不名為死。彼未契道者。雖動作昭智。止名為事。不名為道。

曰く、人は世に生きて、一日生きて死する者有り、十年生きて乃ち死する者有り、百年生きて乃ち死する者有り。一日にして死するは、一口の気にして道を得るに譬え、十年百年にして乃ち死するは、久しきを経歴して乃ち道を得るに譬う。それいまだ死せざる人は、動作顕明・智巧昭著たるも、ただ生と謂うのみ、死と謂わず。それいまだ道に契合せざる人は、動作顕明・智巧昭著たるも、ただ事と謂うのみ、道と謂わず。

曰:不知吾道無言無行。而即有言有行者求道。忽遇異物。橫執為道。殊不知舍源求流,無時得源。捨本就末。無時得本。

曰く、我が道の無言無行なるを知らずして、有言有行に就いて道を求め、忽然として怪異の物に碰到すれば、便ち硬く執着して道と為す。知らざるなり、源頭を捨てて水流を求むれば、永く源を得ず、根本を捨てて末節に就けば、永く本を得ず。

曰:習射習御習琴習奕。終無一事可以一息得者。惟道無形無方。故可得之於一息。

曰く、射を学び、駕を学び、琴を学び、棋を学ぶに、終に一口の気にして学び会す可きの事なし。ただ道は形なく方位なし、ゆえに一口の気の裡に得る可し。

曰:兩人射相遇。則巧拙見。兩人奕相遇。則勝負見。兩人道相遇。則無可示。無可示者。無巧無拙。無勝無負。

曰く、二人射を比べれば、巧拙は顕現し、二人棋を下せば、勝負は顕現し、二人道を以て相遇えば、取り出して人に示す可きなし。取り出す可きなければ、巧拙なく、勝負なし。

曰:吾道如海。有億萬金。投之不見。有億萬石。投之不見。有億萬汙穢。投之不見。能運小蝦小魚。能運大鯤大鯨。合眾水而受之。不為有餘。散眾水而分之。不為不足。

曰く、我が道は海のごとし。億万の金を投げ入れても見えず、億万の石を投げ入れても見えず、億万の汚穢を投げ入れても見えず。小蝦小魚を運載する能く、また大鯤大鯨を運載する能くし。衆水を会合して受くれども、有餘と算せず、衆水を分散して分け出せども、不足と算せず。

曰:吾道如處暗。夫處明者不見暗中一物。而處暗者能見明中區事。

曰く、我が道は暗処に処るがごとし。明処に処る者は暗中の一物を見る能わず、暗処に処る者は却って明処の種種の事を見る能くす。

曰:小人之權歸於惡。君子之權歸於善。聖人之權歸於無所得。惟無所得。所以為道。

曰く、小人の権衡は悪に帰向し、君子の権衡は善に帰向し、聖人の権衡は所得なきに帰向す。まさに所得なきがゆえに、これ道なり。

曰:吾道如劍。以刃割物即利。以手握刃即傷。

曰く、我が道は剣のごとし。刃を以て物を割れば便ち鋒利にして、手を以て刃を握れば便ち受傷す。

曰:籩不問豆。豆不答籩。瓦不問石。石不答瓦。道亦不失。問歟答歟。一氣往來。道何在。

曰く、籩は豆に問わず、豆は籩に答えず、瓦は石に問わず、石は瓦に答えず。道もまた失うことなし。問うや答うや、ただ一気(万物を構成し貫通する流動するもの)の往来のみ、道は何れに在らん。

曰:仰道者跂。如道者駸。皆知道之事。不知道之道。是以聖人不望道而歉。不恃道而豐。不借道於聖。不賈道於愚。

曰く、道を仰望する者は脚を蹱起し、道を仿效する者は急々として趕る、皆ただ道の事蹟を知るのみ、道の道たる所以を知らず。故に聖人は道を盼望するに因りて欠缺を覚えず、道に仗恃するに因りて豊足を覚えず、聖人の所に向かって道を借りず、愚人の所に向かって道を売らず。

二柱柱者建天地也

二柱:柱とは、すなわち天地を建立することである。

關尹子曰:若碗若盂。若瓶若壺。若甕若盎。皆能建天地。兆龜數蓍。破瓦文石。皆能告吉凶。是知天地萬物成理。一物包焉。物物皆包之。各不相借。以我之精。合彼之精。兩精相搏。而神應之。一雌一雄。卵生。一牡一牝。胎生。形者。彼之精。理者。彼之神。愛者。我之精。觀者。我之神。愛為水。觀為火。愛執而觀因之為木。觀存而愛攝之為金。先想乎一元之氣具乎一物執。愛之以合彼之形。冥觀之以合彼之理。則象存焉。一運之象。周乎太空。自中而升為天。自中而降為地。無有升而不降。無有降而不升。升者為火。降者為水。欲升而不能升者為木。欲降而不能降者為金。木之為物。鑽之得火。絞之得水。金之為物。擊之得火。鎔之得水。金木者。水火之交也。水為精為天。火為神為地。木為魂為人。金為魄為物。運而不已者為時。包而有在者為方。惟土終始之。有解之者。有示之者。

関尹子は言う。碗や盂や、瓶や壺や、瓮や盎やは、みなその中に天地を建立することができる。亀甲を以て兆を占い、蓍草を以て数を計り、破瓦の上の紋、石の上の文理は、みな吉凶を告知する能くす。これに由りて天地万物の成理を知れば、一物の裡に即ち包含す。物物みな包含して、彼此相借用せず。我が精を以てあの物の精に合せば、両精相搏して神は便ち応和す。一雌一雄は卵生、一牡一牝は胎生。形とは、あの物の精、理とは、あの物の神。愛とは、我が精、観とは、我が神。愛は水と為り観は火と為る。愛が執着して観が因順してそれに随えば、便ち木と成り、観が存留して愛がそれを收摂すれば、便ち金と成る。先にあの一元の気が一物の上に具備するを想いて執着し、愛を以てあの物の形に合し、冥観を以てあの物の理に合せば、形象は便ち存住す。この一運の象は、太空に周遍し、中より升るを天と為し、中より降るを地と為す。升りて降らざるなく、降りて升らざるなし。升るは火と為り、降るは水と為る。升らんと欲して升る能わざるは木と為り、降らんと欲して降る能わざるは金と為る。木という物は、これを鑽れば火を得、これを絞れば水を得、金という物は、これを撃てば火を得、これを熔かせば水を得。金と木は、水火の交會なり。水は精と為り天と為り、火は神と為り地と為り、木は魂と為り人と為り、金は魄と為り物と為る。運転停まらざるは時、包みて在所あるは方。ただ土のみその終始を貫穿す。これを解開する能くする者有り、これを指示する能くする者有り。

曰:天下之人蓋不可以億兆計。人人之夢各異。夜夜之夢各異。有天有地。有人有物。皆思成之。蓋不可以塵計。安知今之天地非有思者乎。

曰く、天下の人は簡直に億兆を以て計算する能わず。各人の夢は各々相同じからず、夜夜の夢は各々相同じからず。夢の裡に天有り地有り、人有り物有り、みな心思の成就する所、簡直に塵埃を以て計算する能わず。また何を以て今日の天地が、心思有る人の成就する所にあらざるを知らんや。

曰:心應棗。肝應榆。我通天地。將陰夢水。將晴夢火。天地通我。我與天地似契似離。純純各歸。

曰く、心は棗に応じ、肝は楡に応じ、我は天地に貫通す。将に陰雨ならんとすれば水を夢見、将に晴れんとすれば火を夢見るは、天地が我を貫通するなり。我と天地はまた契合するがごとくまた分離するがごとく、各々純純として己の所に帰す。

曰:天地雖大。有色有形。有數有方。吾有非色非形非數非方。而天天地地者存。

曰く、天地は大なりと雖も、色有り形有り、数有り方位有り。我は却ってあの非色非形・非数非方位にして、天をして天と成らしめ地をして地と成らしむるものを有して存在す。

曰:死胎中者。死卵中者。亦人亦物。天地雖大。彼固不知計。天地者。皆我區識。譬如手不觸刃。刃不傷人。

曰く、胎裡に死する者、卵裡に死する者も、亦た人なり亦た物なり。天地は大なりと雖も、彼らは本より計量することを知らず。所謂天地は、皆我が区画し出せる識なり。手が刃を碰らざるに譬えば、刃は便ち人を傷つけざるがごとし。

曰:夢中鑑中水中。皆有天地存焉。欲去夢天地者寢不寐。欲去鑑天地者形不照。欲去水天地者盎不汲。彼之有無。在此不在彼。是以聖人不去天地去識。

曰く、夢裡・鏡裡・水裡に、皆天地の存在する有り。夢裡の天地を去らんと欲すれば、睡りて寐ざるに非ざればならず、鏡裡の天地を去らんと欲すれば、形が照らさざるに非ざればならず、水裡の天地を去らんと欲すれば、盆が汲まざるに非ざればならず。あの天地の有と無は、此に在りて彼に在らず。故に聖人は天地を去らずして、識を去る。

曰:天非自天。有為天者。地非自地。有為地者。譬如屋宇舟車。待人而成。彼不自成。知彼有待。知此無待。上不見天。下不見地。內不見我。外不見人。

曰く、天は自ら天を成すに非ず、これをして天を成さしむる有り、地は自ら地を成すに非ず、これをして地を成さしむる有り。屋宇舟車に譬えば、人を待ちて乃ち成就する能く、それらは自ら成就する能わざるがごとし。それら有所対待を知り、これ無所対待を知れば、上は天を見ず、下は地を見ず、内は我を見ず、外は人を見ず。

曰:有時者氣。彼非氣者。未嘗有晝夜。有方者形。彼非形者。未嘗有南北。何謂非氣。氣之所自生者如搖箑得風。彼未搖時。非風之氣。彼已搖時。即名為氣。何謂非形。形之所自生者。如鑽木得火。彼未鑽時。非火之形。彼已鑽時。即名為形。

曰く、時有るは気なり、あの気ならざるは、未曾だ昼夜有らず。方位有るは形なり、あの形ならざるは、未曾だ南北有らず。何をか気ならざると謂う。気の生じ出づる所従は、扇を搖いて風を得るに譬えば、いまだ搖かざるときは、風の気に非ず、すでに搖けば、乃ち気と謂うがごとし。何をか形ならざると謂う。形の生じ出づる所従は、木を鑽りて火を得るに譬えば、いまだ鑽らざるときは、火の形に非ず、すでに鑽れば、乃ち形と謂うがごとし。

曰:寒暑溫涼之變。如瓦石之類。置之火即熱。置之水即寒。呵之即溫。吸之即涼。特因外物有去有來。而彼瓦石實無去來。譬如水中之影。有去有來。所謂水者。實無去來。

曰く、寒暑温涼の変化は、瓦石の類のごとく、火の裡に放てば便ち熱し、水の裡に放てば便ち寒く、これを呵すれば便ち温み、これを吸えば便ち涼し。ただ外物に去来有るがゆえのみ、あの瓦石自体は実在去来なし。水中の影に譬えば、去来有り、所謂水は、実在去来なきがごとし。

曰:衣搖空得風。氣呵物得水。水注水即鳴。石擊石即光。知此說者。風雨雷電皆可為之。蓋風雨雷電皆緣氣而生。而氣緣心生。猶如內想大火。久之覺熱。內想大水。久之覺寒。知此說者。天地之德皆可同之。

曰く、衣服を空中に搖けば便ち風を得、気を物の上に呵せば便ち水を得、水を水に注げば便ち響き、石を石に撃てば便ち光を発す。この説を懂得する者は、風雨雷電は皆成し為す可し。風雨雷電は皆気に縁りて生じ、気は心に縁りて生ずればなり。心の裡に大火を想うに譬えば、久しければ便ち熱を覚え、心の裡に大水を想うに譬えば、久しければ便ち寒を覚ゆるがごとし。この説を懂得する者は、天地の徳は皆これと同じくする可し。

曰:五雲之變。可以卜當年之豐歉。八風之朝。可以卜當時之吉凶。是知休咎災祥。一氣之運耳。渾人我。同天地。而彼私智認而己之。

曰く、五色雲の変化は、当年の豊歉を問卜する可く、八方風の来向は、当時の吉凶を問卜する可し。これに由りて吉凶災祥を知れば、不過一気の運行のみ。人我を渾同し、天地を同じくするに、あの私智は却って己のものと認作す。

曰:天地寓。萬物寓。我寓。道寓。苟離於寓。道亦不立。

曰く、天地は寓居なり、万物は寓居なり、我は寓居なり、道は寓居なり。もし寓居を離れば、道もまた成立する能わず。

三極極者尊聖人也

三極:極とは、すなわち聖人を尊崇することである。

關尹子曰:聖人之治天下。不我賢愚。故因人之賢而賢之。因人之愚而愚之。不我是非。故因事之是而是之。因事之非而非之。知古今之大同。故或先古。或先今。知內外之大同。故或先內或先外。天下之物。無得以累之。故本之以謙。天下之物。無得以外之。故含之以虛。天下之物。無得以難之。故行之以易。天下之物。無得以窒之。變之以權。以此中天下。以制禮。此和天下。可以作樂。以此公天下。可以理財。以此周天下。可以禦侮。以此因天下。可以立法。以此觀天下。可以制器。聖人不以一己治天下。而以天下治天下。天下歸功於聖人。聖人任功於天下。所以堯舜禹湯之治天下。天下皆曰自然。

関尹子は言う。聖人は天下を治理するに、己の標準を以て賢愚を分かたず、ゆえに人の賢に順ってこれを賢とし、人の愚に順ってこれを愚とす。己の標準を以て是非を分かたず、ゆえに事の是に順ってこれを是とし、事の非に順ってこれを非とす。古今は大同なるを知る、ゆえにあるいは古を先とし、あるいは今を先とす。内外は大同なるを知る、ゆえにあるいは内を先とし、あるいは外を先とす。天下の物に彼を拖累する能くするなく、ゆえに謙を以て根本と為し、天下の物に彼を排斥して外におく能くするなく、ゆえに虚を以て含容と為し、天下の物に彼を難住する能くするなく、ゆえに容易を以て実行と為し、天下の物に彼を窒塞する能くするなく、ゆえに権変を以て変化と為す。これを以て天下を正すれば、礼を制する可く、これを以て天下を和すれば、楽を作る可く、これを以て天下を公にすれば、財を理する可く、これを以て天下に周遍すれば、侵侮を抵御する可く、これを以て天下に因順すれば、法を立つる可く、これを以て天下を観察すれば、器を制する可し。聖人は一己を以て天下を治めずして、天下を以て天下を治む。天下は功労を聖人に帰し、聖人は功労を天下に交す。故に尭舜禹湯の天下を治むるに、天下は皆自然(自ずから然り、本来そのようであることであって、「大自然」ではない)と曰うなり。

曰:天無不覆。有生有殺。而天無愛惡。日無不照。有妍有醜。而日無厚薄。

曰く、天は覆わざるなく、生有り殺有りて、天に愛悪なし。日は照らさざるなく、美有り醜有りて、日に厚薄なし。

曰:聖人之道天命。非聖人能自道。聖人之德時符。非聖人能自德。聖人之事人為。非聖人能自事。是以聖人不有道。不有德。不有事。

曰く、聖人の道は天命なり、聖人自ら能くその道を成すに非ず。聖人の徳は時と相合す、聖人自ら能くその徳を成すに非ず。聖人の事は人為なり、聖人自ら能くその事を成すに非ず。故に聖人は道を据有せず、徳を据有せず、事を据有せず。

曰:聖人知我無我。故同之以仁。知事無我。故權之以義。知心無我。故戒之以禮。知識無我。故照之以智。知言無我。故守之以信。

曰く、聖人は我が本より无我なるを知る、故に仁を以て會同す。事が本より无我なるを知る、故に義を以て権衡す。心が本より无我なるを知る、故に礼を以て警戒す。識が本より无我なるを知る、故に智を以て照見す。言が本より无我なるを知る、故に信を以て守り住す。

曰:聖人之道。或以仁為仁。或以義為仁。或以禮以以信為仁。仁義禮智信。各兼五者。聖人一之不膠。天下名之不得。

曰く、聖人の道は、あるいは仁を以て仁と為し、あるいは義を以て仁と為し、あるいは礼・信を以て仁と為す(底本「以以」は一字衍と疑わる、一説に此処「智」を脱すと)。仁義礼智信は、各々兼ねてこの五者有り。聖人はそれらを合一して膠着せず、天下はこれに命名する法なし。

曰:勿以行觀聖人。道無跡。勿以言觀聖人。道無言。勿以能觀聖人。道無為。勿以貌觀聖人。道無形。

曰く、行為を以て聖人を看るなかれ、道に痕蹟なし。言語を以て聖人を看るなかれ、道に言語なし。才能を以て聖人を看るなかれ、道は無為(主観意志を凭りて強行に干渉せず、事物をその本性に随って運行せしめることであって、何もしないことではない)なり。形貌を以て聖人を看るなかれ、道に形なし。

曰:行雖至卓。不離高下。言雖至公。不離是非。能雖至神。不離巧拙。貌雖至殊。不離妍醜。聖人假此。以示天下。天下冥此。乃見聖人。

曰く、行為は極めて卓異たりと雖も、高下を離れず。言語は極めて公正たりと雖も、是非を離れず。才能は極めて神妙たりと雖も、巧拙を離れず。形貌は極めて殊異たりと雖も、美醜を離れず。聖人はこれらを借りて天下を指示し、天下はこれらに冥合して、乃ち聖人を見る。

曰:聖人師蜂立君臣。師蜘蛛立網罟。師拱鼠制禮。師戰蟻置兵。眾人師賢人。賢人師聖人。聖人師萬物。惟聖人同物。所以無我。

曰く、聖人は蜜蜂を師法して君臣を建立し、蜘蛛を師法して網罟を設立し、拱手の老鼠を師法して礼を制定し、争戦の螞蟻を師法して兵を設置す。衆人は賢人を師法し、賢人は聖人を師法し、聖人は万物を師法す。ただ聖人は物と相同じ、ゆえに自我なし。

曰:聖人曰道。觀天地人物皆吾道。倡和之。始終之。青黃之。卵翼之。不愛道不棄物。不尊君子。不賤小人。賢人曰物。物物不同。旦旦去之。旦旦與之。短之長之。直之方之。是為物易也。殊不知聖人鄙雜廁別分居。所以為人。不以此為己。

曰く、聖人が道を説くには、天地人物を見るに皆我が道なり、これを倡和し、これを始終し、これを青黄し、これを卵翼し、道を偏愛せず物を抛棄せず、君子を尊崇せず小人を賤視せず。賢人が物を説くには、物と物と同じからず、日々いくらかを去り、日々いくらかを与え、これを截短し、これを拉長し、これを弄直し、これを弄方す、これは物を改むるなり。知らざるなり、聖人は混雑と分別とを分けて安置するは、人を為すが為なり、決してこれを以て自己と為すにあらず。

曰:人之於眾人。飲食衣服同也。屋宇舟車同也。富貴貧賤同也。眾人每同聖人。聖人每同眾人。彼仰其高侈其大者。其然乎。其不然乎。

曰く、人の衆人に対するは、飲食衣服はこれ一様、屋宇舟車はこれ一様、富貴貧賤はこれ一様なり。衆人は毎々聖人に同じく、聖人は毎々衆人に同じ。それ彼を仰望して高しとし、彼を夸大して大なりとする者は、これ然るか、それとも然らざるか。

曰:魚欲異群魚。舍水躍岸即死。虎欲異群虎。舍山入市即擒。聖人不異眾人。特物不能拘爾。

曰く、魚が群魚に同じからざらんと欲して、水を離れ岸に跳ね上がれば便ち死し、虎が群虎に同じからざらんと欲して、山を離れ街市に入れば便ち擒せらる。聖人は衆人に同じからざるを求めず、ただ物が彼を拘束する能わざるのみ。

曰:道無作。以道應世者。是事非道。道無方。以道寓物者。是物非道。聖人竟不能出道以示人。

曰く、道に造作なし。道を以て人世に応対するは、これ事にして道にあらず。道に方位なし。道を物の上に寄寓するは、これ物にして道にあらず。聖人は終に道を取り出して人に示す能わず。

曰:如鍾鍾然。如鐘鼓然。聖人之言則然。如車車然。如車舟然。聖人之行則然。惟莫能名。所以退天下之言。惟莫能知。所以奪天下之智。

曰く、鐘は鐘たるが如く、鐘にしてまた鼓たるが如く、聖人の言語は即ちこの如し。車は車たるが如く、車にしてまた船たるが如く、聖人の行為は即ちこの如し。ただそれが命名する能わざるがゆえに、天下の言語をして退去せしめ、ただそれが知る能わざるがゆえに、天下の智巧を奪去す。

曰:蝍蛆食蛇。蛇食蛙。蛙食蝍蛆。互相食也。聖人之言亦然。言有無之弊。又言非有非無之弊。又言去非有非無之弊。言之如引鋸然。惟善聖者不留一言。

曰く、蜈蚣は蛇を喫し、蛇は蛙を喫し、蛙は蜈蚣を喫す、互いに喫う。聖人の話もまたこの如し、有无の弊病を説き、また非有非无の弊病を説き、また非有非无を去るの弊病を説く。話を為すこと拉鋸の如し。ただ聖人を為すに善い者、一句の話も留めず。

曰:若龍若蛟。若蛇若龜。若魚若蛤。龍皆能之。蛟。蛟而已。不能為龍。亦不能為蛇為龜為魚為蛤。聖人龍之。賢人蛟之。

曰く、龍や蛟や、蛇や亀や、魚や蛤や、龍は皆變成する能くす。蛟は、ただ蛟なるのみ、龍と成る能わず、また蛇・亀・魚・蛤と成る能わず。聖人は龍の如く、賢人は蛟の如し。

曰:在己無居。形物自著。其動若水。其靜若鏡。其應若響。芒乎若亡。寂乎若清。同焉者和。得焉者失。未嘗先人。而嘗隨人。

曰く、己の所に停留なく、有形の物は自然顕著す。彼の動は水の如く、彼の静は鏡の如く、彼の応は回響の如し。茫茫として無きが如く、寂寂として清澈の如し。それに同ずれば便ち和し、それを得れば便ち失う。未曾だ人に先んじて搶せずして、常に人に後れて跟る。

曰:渾乎洋乎遊太初乎。時金己。時玉己。時糞己。時土己。時翔物。時逐物。時山物。時淵物。端乎權乎狂乎愚乎。

曰く、渾茫浩蕩として太初に遊ぶなり。あるときは金、あるときは玉、あるときは糞、あるときは土。あるときは物に翱翔し、あるときは物に追逐し、あるときは山中之物、あるときは深淵之物。端正なり、権変なり、狂放なり、愚拙なり。

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