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青囊序・旧題は唐の楊筠松(実はその弟子曾文辿の撰)

唐 · 杨筠松

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

青囊序・旧題は唐の楊筠松(実はその弟子曾文辿の撰)

風水堪輿典籍

まず読む書が形勢か理気かを見極めてから条文に入るのがよい。派を跨いだ術語の混用が、この門で最もありがちな誤読の源である。

総綱・雌雄、金龍と血脈

楊公養老看雌雄,天下諸書對不同,先看金龍動不動,次察血脈認來龍。龍分兩片陰陽取,水對三叉細認蹤,江南龍來江北望,江西龍去望江東。是以聖人卜河洛,瀍澗二水交華嵩,相其陰陽觀流泉,卜年卜世宅都宮。

楊筠松先生が老後のよりどころとした本领は、ただ「雌雄」の二字を見ることにあった。山は一方、水はもう一方であり、二者が相対して生ずるというこの一層は、天下の多くの堪輿書の説くところと全く異なる。取りかかる第一歩は、まず「金龍」が動くかどうかを見ることだ。金龍とは当元に旺気を乗せた動く気のことで、山水に曲折・起伏・交会・激荡があれば「動」であり、ひたすら平板で変わらなければ「不動」である。第二歩はさらに「血脈」を察すること、すなわち水の来去の脈絡を見て来龍の真偽を定める。龍脈は陰陽の二片に分かれ、必ず二片を対にして取り用いる。水は三叉の交会する所で最も消息が現れるので、そこで細かく蹤跡を認める。「江南の龍は来たりて江北を望み、江西の龍は去りて江東を望む」とは、まさに山と水が互いに対待となることをいう。龍は此岸にあっても、気は対岸に行って見なければならない。本当に江を渡れというのではなく、山は一卦に属し、水はその対宮の一卦に属するので、必ず位を隔てて相求するのである。だから古の聖人が洛邑を営んだときも、まず河・洛の地を卜した。瀍水・澗水の二水が交流し、外に華山・嵩山が拱峙するのを見て、その陰陽向背を観察し、泉流の来去を審視したうえで、国祚の年数を卜定して都城宮室をそこに置いたのである。

河洛の証・玄空の出どころ

晉世景純傳此術,演經立意出玄空,朱雀發原生旺氣,一一講說開愚蒙。一生二兮二生三,三生萬物是玄關,山管山兮水管水,此是陰陽不待言。識得陰陽玄妙理,知其衰旺生與死,不問坐山與來水,但逢死氣皆無取。

晋代の郭璞(字は景純)がこの法術を伝えた。彼が《葬経》の趣旨を推演して説いたのは「玄空」の一路である。「朱雀発源」とは、穴前の水がどこから発し、生気をもたらすか旺気をもたらすかをいう。郭璞はこれらを一つずつ説き明かして、愚昧な人々を導こうとした。《老子》に「一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」とある。この化生の理こそ玄空の玄関であり、一は太極、二は陰陽、三は三般卦で、万象はここから出る。地理に当てはめれば、山上に龍を排するのは山のみを司り、水中に龍を排するのは水のみを司り、両盤はそれぞれの職を守る。これはもともと陰陽の分際であり、多言を要しない。真に陰陽の玄妙を識れば、どの卦が衰でどの卦が旺か、どこが生でどこが死かが分かる。その時には坐山や来水を問うまでもなく、死気に遇えば一切取らない。

羅経二十四山と順逆四十八局

先天羅經十二支,後天再用干與維,八干四維輔支位,子母公孫同此推。二十四山分順逆,共成四十有八局,五行即在此中分,祖宗卻從陰陽出。陽從左邊團團轉,陰從右路轉相遇,有人識得陰陽者,何愁大地不相逢。

羅経はもともと十二地支だけだった。これが先天の骨架である。後に八つの天干と四維を加えて二十四山を成した。甲・乙・丙・丁・庚・辛・壬・癸の八干と乾・坤・艮・巽の四維は、いずれも十二支を輔佐するもので、各支の両側に一字ずつ挟まって一組の三山を成す。どれが母・子・孫かもこの次序で推排する。二十四山の各山には順飛と逆飛の二つの排法があり、合わせて四十八局となる。五行の属性はここで分かれるが、その根源は依然として陰陽二気に出る。陽の一路は左から順転し、陰の一路は右から逆転して来て、両路がある所で相遇交会する。それが気交の所だ。真にこの陰陽の一層を識る者があれば、大地に遇えないことを憂えることがあろうか。

净陰净陽の謬を破る

陽山陽向水流陽,執定此說甚荒唐,陰山陰向水流陰,笑殺拘疑都一般。若能勘破箇中理,妙用本來同一體,陰陽相見兩為難,一山一水何足言。二十四山雙雙起,少有時師通此義,五行分佈二十四,時師此訣何曾記。

ある一派は陽山に陽向を配して陽水を収めることを鉄律としているが、実に荒唐である。同様に陰山に陰向を配して陰水を収めると説く拘泥した人も同じく笑うべきだ。これが「净陰净陽」の説で、二十四山を硬く净陰・净陽の二組に分け、同組同士だけを配させる。その道理を見抜けば、陰と陽は妙用すればもともと一体から出るもので、互いに無関係ではないと分かる。真に難しいのは陰と陽を「相見」させること、すなわち一山一水がちょうど互いに対待する両卦に落ちることだ。相見できれば一山一水に着落があり、できなければ山を説こうと水を説こうと取るに足りない。二十四山は双々対になって起排し、一山を取れば必ずそれと対待する一山を連れてくる。この義理に通じる時師は少ない。五行はこの二十四山に分布してそれぞれ卦気に随って変わるが、この口訣を時下の術士が覚えていたことがあろうか。

山水龍神の分用・量山歩水

山上龍神不下水,水裡龍神不上山,用此量山與步水,百里江山一響間。更有淨陰淨陽法,前後八尺不宜雜,斜正受來陰陽取,氣乘生旺方無煞。來山起頂須要知,三節四節不須拘,只要龍神得生旺,陰陽卻與穴中殊。

山上に排する龍神は山の高低起伏だけを司り、水を司るのに用いてはならない。水中に排する龍神は水の来去曲折だけを司り、山を司るのに用いてはならない。この法則で山を量り水を歩けば、百里の江山も瞬く間に分別できる。このほかにもう一層、真の净陰净陽の法があり、前に駁した死板な分组とは違う。それは入首前後この八尺の内では卦気の夾雑を許さないというものだ。来脈が斜受か正受かは、いずれも実際に属する陰陽に照らして取る。乗ずる気は必ず当元の生気旺気でなければならず、そうすれば煞はない。来龍が起頂する一節は必ず明らかにしなければならないが、その前に三節を経たか四節を経たかは拘泥しなくてよい。龍神が生旺の気を得さえすればよい。龍身の陰陽と穴中に立てる陰陽はもともと同じでなくてよく、一路に一致を強いなくてよいからだ。

水法・城門交会と財禄

天上星辰似織羅,水交三八要相過,水發城門須要會,劫如湖裡雁交鵝。富貴貧賤在水神,水是山家血脈精,山靜水動晝夜定,水主財祿山人丁。乾坤艮巽號御街,四大神尊在內排,生克須憑五行布,要識天機玄妙處。

天上の星辰は縦横に交錯して織られた羅紋のようであり、地下の水路も同じだ。三と八のような先天対待の数に属する二つの水路が互いに交じり合ってこそ、気は結じて留まる。水は「城門」――すなわち衆水が会合する出口――から発し、真に会聚しなければならず、各々勝手に流れてはならない。交じりても聚まらない形勢は、湖の中の雁と鵞が擦れ違うようで、出会うようでいて実は情がない。一家の富貴貧賤はすべて水神に係わり、水は山家の血脈の精華である。山は静、水は動で、一静一動は昼夜の交替のように各々定分がある。水は財禄を主り、山は人丁を主る。乾・坤・艮・巽の四維は「御街」と号し、四位の大神はこの中に排せられる。それらの間の生克は、五行の元運に随う分布に凭って推さねばならない。これこそ天機の玄妙を識るべき所である。

御街四神と流弊の辨

乾坤艮巽水長流,吉神先入家豪富,請驗一家舊日墳,十墳埋下九墳貧。惟有一家能發福,去水來山盡合情,宗妙本是陰陽玄,得四失六南為全。三才六建雖是妙,得三失五盡為偏,實因一行擾外國,遂把五行顛倒編。以訛傳訛竟不明,所以禍福為胡編。

乾・坤・艮・巽の四維の上に水が長く流れて吉神が先に門に入れば、その家は豪富となる。だがこれを死格としてはならない。人の家の累代の旧墳を検めてみよ。十の墳のうち九つは葬後も相変わらず貧しい。福を発するのはただ一家で、その家は去水と来山が至る所で情に合している。合するのは卦気の情であって方位の名目ではない。宗旨の妙はもともと陰陽の玄機にあり、その四を得て六を失えば、強いて全と数えてもすでに欠けている(底本の「南」はおそらく「難」の訛)。三才六建の類の説は聞こえは精妙でも、三を得て五を失えば結局は偏である。これらの錯謬の根は、実は唐代の僧一行が外邦を撹乱するためにわざと五行を顛倒させて編んだ偽法にある。彼は命を奉じて《銅函経》の類を造って四夷を誤らせたと伝えられるが、不図それが中土に流入して本国を害した。後人は誤りを誤りのまま伝えて真相を明らかにせず、だから禍福を説くに及んで、すべてでたらめな捏造となったのである。

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