Libo

維摩詰所説経 巻中

姚秦 · 鸠摩罗什译 · 第4巻 / 9

答曰:「菩薩所作功德,皆與一切眾生共之。」

答えて言う——「菩薩の作す所の功徳は、皆一切衆生と共にす。」

「何謂為喜?」

(文殊師利また問う——)「何をか喜と謂う?」

答曰:「有所饒益,歡喜無悔。」

答えて言う——「饒益する所有れば、歓喜して悔いなし。」

「何謂為捨?」

(文殊師利また問う——)「何をか捨と謂う?」

答曰:「所作福祐,無所悕望。」

答えて言う——「作す所の福祐、希望する所なし。」

文殊師利又問:「生死有畏,菩薩當何所依?」

文殊師利また問う——「生死に畏あらば、菩薩はまさに何に依怙すべき?」

維摩詰言:「菩薩於生死畏中,當依如來功德之力。」

維摩詰言う——「菩薩は生死の畏の中に於て、まさに如来の功徳の力に依怙すべし。」

文殊師利又問:「菩薩欲依如來功德之力,當於何住?」

文殊師利また問う——「菩薩如来の功徳の力に依怙せんと欲せば、まさに何処に住すべき?」

答曰:「菩薩欲依如來功德力者,當住度脫一切眾生。」

答えて言う——「菩薩如来の功徳力に依怙せんと欲する者は、まさに一切衆生を度脱するに住すべし。」

又問:「欲度眾生,當何所除?」

また問う——「衆生を度せんと欲せば、まさに何を除くべき?」

答曰:「欲度眾生,除其煩惱。」

答えて言う——「衆生を度せんと欲せば、彼らの煩悩を除くべし。」

又問:「欲除煩惱,當何所行?」

また問う——「煩悩を除かんと欲せば、まさに何を行ずべき?」

答曰:「當行正念。」

答えて言う——「まさに正念を行ずべし。」

又問:「云何行於正念?」

また問う——「いかにして正念を行ず?」

答曰:「當行不生不滅。」

答えて言う——「まさに不生不滅を行ずべし。」

又問:「何法不生?何法不滅?」

また問う——「何の法が生ぜず?何の法が滅せず?」

答曰:「不善不生,善法不滅。」

答えて言う——「不善は生ぜず、善法は滅せず。」

又問:「善、不善孰為本?」

また問う——「善・不善は何を以て本と為す?」

答曰:「身為本。」

答えて言う——「身を以て本と為す。」

又問:「身孰為本?」

また問う——「身は何を以て本と為す?」

答曰:「欲貪為本。」

答えて言う——「欲貪を以て本と為す。」

又問:「欲貪孰為本?」

また問う——「欲貪は何を以て本と為す?」

答曰:「虛妄分別為本。」

答えて言う——「虚妄分別を以て本と為す。」

又問:「虛妄分別孰為本?」

また問う——「虚妄分別は何を以て本と為す?」

答曰:「顛倒想為本。」

答えて言う——「顛倒想を以て本と為す。」

又問:「顛倒想孰為本?」

また問う——「顛倒想は何を以て本と為す?」

答曰:「無住為本。」

答えて言う——「無住を以て本と為す。」

又問:「無住孰為本?」

また問う——「無住は何を以て本と為す?」

答曰:「無住則無本。文殊師利!從無住本,立一切法。」

答えて言う——「無住は則ち本なし。文殊師利!無住の本より、一切法を建立す。」

時維摩詰室有一天女,見諸大人聞所說法,便現其身,即以天華散諸菩薩、大弟子上。華至諸菩薩,即皆墮落,至大弟子,便著不墮。一切弟子神力去華,不能令去。爾時天女問舍利弗:「何故去華?」

時に維摩詰の室に一の天女あって、諸の大人の説かるる法を聴くを見て、便ちその身を現し、即ち天華を以て諸の菩薩・大弟子の上に散じたり。華は諸の菩薩に至れば、即ち皆堕落し;大弟子に至れば、便ち身に著いて堕せず。一切の弟子は神力を以て華を去らしめんとするも、能く去らしむることならず。その時天女は舎利弗に問う——「なんの故に華を去らんとする?」

答曰:「此華不如法,是以去之。」

答えて言う——「この華は法に如かず、故に之を去らんとす。」

天曰:「勿謂此華為不如法。所以者何?是華無所分別,仁者自生分別想耳!若於佛法出家,有所分別,為不如法;若無所分別,是則如法。觀諸菩薩華不著者,已斷一切分別想故。譬如人畏時,非人得其便;如是弟子畏生死故,色、聲、香、味、觸得其便也。已離畏者,一切五欲無能為也;結習未盡,華著身耳!結習盡者,華不著也。」

天女言う——「この華は法に如かずと思うなかれ。なぜなら、この華に分別する所なし、是れ仁者が自ら分別想を生ずるのみ!もし仏法に於て出家して分別する所有れば、是を法に如かずと為す;もし分別なければ、これすなわち法に如たり。諸の菩薩の華の身に著かざるを見るは、已に一切の分別想を断じたるが故なり。たとえば人の畏るる時、非人その便を得るがごとし;このごとく、弟子は生死を畏れるが故に、色・声・香・味・触がその便を得る。已に畏を離れたる者には、一切の五欲も彼をいかんともせず;結習未だ尽きざれば、華乃ち身に著くのみ!結習尽きたれば、華著かず。」

舍利弗言:「天止此室,其已久如?」

舎利弗言う——「天女この室に住して、已に久しきこと幾何ぞ?」

答曰:「我止此室,如耆年解脫。」

答えて言う——「我この室に住すること、耆年の解脱のごとし。」

舍利弗言:「止此久耶?」

舎利弗言う——「此に住して久しきか?」

天曰:「耆年解脫,亦何如久?」

天女言う——「耆年の解脱、またなんぞ久しきを算えん?」

舍利弗默然不答。天曰:「如何耆舊大智而默?」

舎利弗黙然として答えず。天女言う——「なんの故に耆旧大智にして黙する?」

答曰:「解脫者無所言說,故吾於是不知所云。」

答えて言う——「解脱の者は言説する所なし、故に我此に於て何をか言うべきを知らず。」

天曰:「言說文字,皆解脫相。所以者何?解脫者,不內不外,不在兩間;文字亦不內不外,不在兩間。是故,舍利弗!無離文字說解脫也。所以者何?一切諸法是解脫相。」

天女言う——「言说文字は、皆解脱相なり。なぜなら、解脱は内にあらず外にあらず、両間に在らず;文字もまた内にあらず外にあらず、両間に在らず。この故に、舎利弗!文字を離れて解脱を説くなかれ。なぜなら、一切の諸法はすなわち解脱相なればなり。」

舍利弗言:「不復以離婬、怒、痴為解脫乎?」

舎利弗言う——「復た淫・怒・痴を離るるを以て解脱と為さざるか?」

天曰:「佛為增上慢人說離婬、怒、痴為解脫耳;若無增上慢者,佛說婬、怒、痴性,即是解脫。」

天女言う——「仏は増上慢の人のために淫・怒・痴を離るるを解脱と説きたまうのみ;もし増上慢なき者には、仏は淫・怒・痴の性すなわち解脱と説きたまう。」

舍利弗言:「善哉,善哉!天女!汝何所得?以何為證?辯乃如是!」

舎利弗言う——「善きかな、善きかな!天女!汝は何を得たる?何を以て証と為す?弁才乃ちこのごとしとは!」

天曰:「我無得無證,故辯如是。所以者何?若有得有證者,即於佛法為增上慢。」

天女言う——「我は得なく証なし、この故に弁才このごとし。なぜなら、もし得あり証あらば、即ち仏法に於て増上慢と為らん。」

舍利弗問天:「汝於三乘為何志求?」

舎利弗天女に問う——「汝は三乗に於ていずれを志求する?」

天曰:「以聲聞法化眾生故,我為聲聞;以因緣法化眾生故,我為辟支佛;以大悲法化眾生故,我為大乘。舍利弗!如人入瞻蔔林,唯嗅瞻蔔,不嗅餘香。如是,若入此室,但聞佛功德之香,不樂聞聲聞、辟支佛功德香也。舍利弗!其有釋、梵、四天王,諸天、龍、鬼神等,入此室者,聞斯上人講說正法,皆樂佛功德之香,發心而出。舍利弗!吾止此室十有二年,初不聞說聲聞、辟支佛法,但聞菩薩大慈大悲、不可思議諸佛之法。舍利弗!此室常現八未曾有難得之法。何等為八?此室常以金色光照,晝夜無異,不以日月所照為明,是為一未曾有難得之法;此室入者,不為諸垢之所惱也,是為二未曾有難得之法;此室常有釋、梵、四天王、他方菩薩來會不絕,是為三未曾有難得之法;此室常說六波羅蜜不退轉法,是為四未曾有難得之法;此室常作天人第一之樂,絃出無量法化之聲,是為五未曾有難得之法;此室有四大藏,眾寶積滿,賙窮濟乏,求得無盡,是為六未曾有難得之法;此室釋迦牟尼佛、阿彌陀佛、阿閦佛、寶德、寶炎、寶月、寶嚴、難勝、師子響一切利成,如是等十方無量諸佛,是上人念時即皆為來,廣說諸佛秘要法藏,說已還去,是為七未曾有難得之法;此室一切諸天嚴飾宮殿、諸佛淨土,皆於中現,是為八未曾有難得之法。舍利弗!此室常現八未曾有難得之法,誰有見斯不思議事,而復樂於聲聞法乎?」

天女言う——「声聞法を以て衆生を教化するが故に、我は声聞と為り;因縁法を以て衆生を教化するが故に、我は辟支仏と為り;大悲法を以て衆生を教化するが故に、我は大乗と為る。舎利弗!たとえば人の瞻卜林(栴檀林)に入れば、ただ瞻卜を嗅ぐのみ、余の香を嗅がざるがごとし。このごとく、もしこの室に入らば、ただ仏の功徳の香を聞き、声聞・辟支仏の功徳の香を聞くを楽わず。舎利弗!もし帝釈・梵王・四天王、諸天・龍・鬼神等この室に入る者あらば、こちの上人の正法を講説するを聞きて、皆仏の功徳の香を楽いて、心を発して出づ。舎利弗!我この室に住すること十有二年、初めより声聞・辟支仏の法を説くを聞かず、ただ菩薩の大慈大悲・不可思議なる諸仏の法を聞くのみ。舎利弗!この室は常に八種の未曾有難得の法を現ず。いずれの八種ぞ。この室は常に金色の光を以て照し、昼夜異なりなく、日月の照るを以て明と為さず、これ第一の未曾有難得の法なり;この室に入る者、諸の垢に悩わされず、これ第二なり;この室は常に帝釈・梵王・四天王・他方の菩薩の来会絶えず、これ第三なり;この室は常に六波羅蜜の不退転法を説く、これ第四なり;この室は常に天人第一の楽を作し、絃は無量の法化の声を出す、これ第五なり;この室に四大蔵ありて、衆宝積み満ち、窮乏を周済して求めて尽きず、これ第六なり;この室に釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・阿閦仏・宝徳・宝炎・宝月・宝厳・難勝・師子響・一切利成、このごとき等の十方無量の諸仏は、こちの上人が憶念する時即ち皆来たりて、広く諸仏の秘要法蔵を説きて、説き已りて帰る、これ第七なり;この室に一切諸天の厳飾せる宮殿・諸仏の浄土、皆その中に顕現す、これ第八なり。舎利弗!この室は常に八種の未曾有難得の法を現ず、誰かかくのごとき不可思議の事を見て、復た声聞法を楽わん?」

舍利弗言:「汝何以不轉女身?」

舎利弗言う——「汝なんの故に女身を転ぜざる?」

天曰:「我從十二年來,求女人相了不可得,當何所轉?譬如幻師化作幻女,若有人問:『何以不轉女身?』是人為正問不?」

天女言う——「我十二年以来、女人の相を求めて了に得ず、まさに何を転ぜん?たとえば幻師の化作する幻女に、もし人問わん——『なんの故に女身を転ぜざる?』——この人の問いは正しきか?」

舍利弗言:「不也!幻無定相,當何所轉?」

舎利弗言う——「然らず!幻は定相なし、まさに何を転ぜん?」

天曰:「一切諸法亦復如是,無有定相,云何乃問不轉女身?」

天女言う——「一切の諸法もまたこのごとく、定相あらず、なんぞ復た女身を転ぜずと問う?」

即時天女以神通力,變舍利弗令如天女,天自化身如舍利弗,而問言:「何以不轉女身?」

即時天女は神通力を以て、舎利弗を変じて天女のごとくせしめ、天女は自ら身を化して舎利弗のごとくして、問うて言う——「なんの故に女身を転ぜざる?」

舍利弗以天女像而答言:「我今不知何轉而變為女身?」

舎利弗天女の像を以て答えて言う——「我いま何を以て転じて女身と変ぜられしを知らず?」

天曰:「舍利弗!若能轉此女身,則一切女人亦當能轉。如舍利弗非女而現女身,一切女人亦復如是,雖現女身,而非女也。是故佛說一切諸法非男、非女。」

天女言う——「舎利弗!もし能くこの女身を転ずれば、則ち一切の女人もまたまさに能く転ずべし。舎利弗の女にあらずして女身を現ずるがごとく、一切の女人もまたこのごとく、女身を現ずと雖も、是れ女にあらず。この故に仏は一切の諸法は男に非ず女に非ずと説きたまう。」

即時天女還攝神力,舍利弗身還復如故。天問舍利弗:「女身色相今何所在?」

即時天女は還りて神力を摂して、舎利弗の身は還りて故のごとく復す。天女舎利弗に問う——「女身の色相はいま何処に在る?」

舍利弗言:「女身色相,無在無不在。」

舎利弗言う——「女身の色相は、在なく不在なし。」

天曰:「一切諸法,亦復如是,無在無不在。夫無在無不在者,佛所說也。」

天女言う——「一切の諸法もまたこのごとく、在なく不在なし。いわゆる在なく不在なしは、是れ仏の説かるる所なり。」

舍利弗問天:「汝於此沒,當生何所?」

舎利弗天女に問う——「汝此に没して、まさに何処に生ぜん?」

天曰:「佛化所生,吾如彼生。」

天女言う——「仏の化して生ずる所、我彼の生のごとし。」

曰:「佛化所生,非沒生也。」

(舎利弗)言う——「仏の化して生ずる所は、没して生ずるにあらず。」

天曰:「眾生猶然,無沒生也。」

天女言う——「衆生もまたこのごとく、没して生ずることなし。」

舍利弗問天:「汝久如當得阿耨多羅三藐三菩提?」

舎利弗天女に問う——「汝幾久しきに当に無上正等正覚を得べき?」

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