維摩詰所説経 巻中
現見菩薩曰:「盡、不盡為二。法若究竟盡、若不盡,皆是無盡相;無盡相即是空,空則無有盡、不盡相。如是入者,是為入不二法門。」
現見菩薩言う——「尽と不尽とは是れ二なり。法は若し究竟に尽き、若し尽きざるとも、皆无尽相なり;无尽相はすなわち是れ空、空なれば則ち尽と不尽の相なし。かくのごとく入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」
普守菩薩曰:「我、無我為二。我尚不可得,非我何可得?見我實性者,不復起二,是為入不二法門。」
普守菩薩言う——「我と無我とは是れ二なり。我は尚お得るべからず、非我はまたなんぞ得るべけん?我の実性を見る者は、復た二を起こさず、これすなわち不二法門に入るなり。」
電天菩薩曰:「明、無明為二。無明實性即是明,明亦不可取,離一切數,於其中平等無二者,是為入不二法門。」
電天菩薩言う——「明と無明とは是れ二なり。無明の実性はすなわち是れ明、明もまた取るべからず、一切の数量を離れ、その中に於て平等にして二なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」
喜見菩薩曰:「色、色空為二。色即是空,非色滅空,色性自空;如是,受、想、行、識、識空為二,識即是空,非識滅空,識性自空,於其中而通達者,是為入不二法門。」
喜見菩薩言う——「色と色空とは是れ二なり。色はすなわち是れ空、色滅して乃ち空なりにあらず、色性自ら空なり;同じく、受・想・行・識と識空とは是れ二なり、識はすなわち是れ空、識滅して乃ち空なりにあらず、識性自ら空なり、その中に於て通達するは、これすなわち不二法門に入るなり。」
明相菩薩曰:「四種異、空種異為二。四種性即是空種性,如前際、後際空故,中際亦空。若能如是知諸種性者,是為入不二法門。」
明相菩薩言う——「四大種の各異と空種の各異とは是れ二なり。四大種の性はすなわち是れ空種の性、前際・後際空なれば、中際もまた空なるが故に。もし能くかくのごとく諸の種性を知れば、これすなわち不二法門に入るなり。」
妙意菩薩曰:「眼、色為二。若知眼性,於色不貪、不恚、不痴,是名寂滅;如是,耳、聲,鼻、香,舌、味,身、觸,意、法為二,若知意性,於法不貪、不恚、不痴,是名寂滅,安住其中,是為入不二法門。」
妙意菩薩言う——「眼と色とは是れ二なり。もし眼性を知れば、色に於て貪らず恚らず痴れず、これを名づけて寂滅と曰う;同じく、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法とは是れ二なり、もし意性を知れば、法に於て貪らず恚らず痴れず、これを名づけて寂滅と曰う、その中に安住するは、これすなわち不二法門に入るなり。」
無盡意菩薩曰:「佈施、迴向一切智為二。佈施性即是迴向一切智性,如是,持戒、忍辱、精進、禪定、智慧、迴向一切智為二,智慧性即是迴向一切智性,於其中入一相者,是為入不二法門。」
無尽意菩薩言う——「布施と一切智への回向とは是れ二なり。布施の性はすなわち是れ一切智への回向の性;同じく、持戒・忍辱・精進・禅定・智慧と一切智への回向とは是れ二なり、智慧の性はすなわち是れ一切智への回向の性、その中に於て一相に入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」
深慧菩薩曰:「是空、是無相、是無作為二。空即無相,無相即無作;若空、無相、無作,則無心、意、識,於一解脫門即是三解脫門者,是為入不二法門。」
深慧菩薩言う——「こちの空・こちの無相・こちの無作は是れ二なり。空はすなわち是れ無相、無相はすなわち是れ無作;若し空・無相・無作なれば、則ち心・意・識なく、一門解脱するはすなわち是れ三解脱門なり、これすなわち不二法門に入るなり。」
寂根菩薩曰:「佛、法、眾為二。佛即是法,法即是眾,是三寶皆無為相,與虛空等,一切法亦爾。能隨此行者,是為入不二法門。」
寂根菩薩言う——「仏・法・衆は是れ二なり。仏はすなわち是れ法、法はすなわち是れ衆、この三宝は皆無為相にして、虚空と相等しく、一切法もまたこのごとし。能く此に随順して行ずるは、これすなわち不二法門に入るなり。」
心無礙菩薩曰:「身、身滅為二。身即是身滅。所以者何?見身實相者,不起見身及見滅身,身與滅身無二無分別,於其中不驚、不懼者,是為入不二法門。」
心無碍菩薩言う——「身と身滅とは是れ二なり。身はすなわち是れ身滅。なぜなら、身の実相を見る者は、身を見るおよび滅身を見るを起こさず、身と滅身とに二なく分別なし、その中に於て驚かず懼れずは、これすなわち不二法門に入るなり。」
上善菩薩曰:「身、口、意業為二。是三業皆無作相,身無作相,即口無作相;口無作相,即意無作相;是三業無作相,即一切法無作相。能如是隨無作慧者,是為入不二法門。」
上善菩薩言う——「身・口・意の業は是れ二なり。この三業は皆無作相にして、身の無作相はすなわち是れ口の無作相;口の無作相はすなわち是れ意の無作相;この三業の無作相はすなわち是れ一切法の無作相なり。能くかくのごとく無作慧に随順するは、これすなわち不二法門に入るなり。」
福田菩薩曰:「福行、罪行、不動行為二。三行實性即是空,空則無福行、無罪行、無不動行。於此三行而不起者,是為入不二法門。」
福田菩薩言う——「福行・罪行・不動行は是れ二なり。三行の実性はすなわち是れ空、空なれば則ち福行なく罪行なく不動行なし。此の三行に於て起こさざるは、これすなわち不二法門に入るなり。」
華嚴菩薩曰:「從我起二為二。見我實相者,不起二法;若不住二法,則無有識;無所識者,是為入不二法門。」
華厳菩薩言う——「我より二を起こすは是れ二なり。我の実相を見る者は、二法を起こさず;もし二法に住せざれば、則ち識なし;識する所なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」
德藏菩薩曰:「有所得相為二。若無所得,則無取捨;無取捨者,是為入不二法門。」
徳蔵菩薩言う——「所得有るの相は是れ二なり。もし所得なければ、則ち取捨なし;取捨なきは、これすなわち不二法門に入るなり。」
月上菩薩曰:「闇與明為二。無闇、無明,則無有二。所以者何?如入滅受想定,無闇、無明,一切法相亦復如是,於其中平等入者,是為入不二法門。」
月上菩薩言う——「闇と明とは是れ二なり。闇なく明なければ、則ち二なし。なぜなら、たとえば滅受想定に入るに、闇なく明なきがごとく、一切法相もまたこのごとし、その中に於て平等に入るは、これすなわち不二法門に入るなり。」
寶印手菩薩曰:「樂涅槃、不樂世間為二。若不樂涅槃、不厭世間,則無有二。所以者何?若有縛,則有解;若本無縛,其誰求解?無縛無解,則無樂、厭,是為入不二法門。」
宝印手菩薩言う——「涅槃を楽い、世間を楽わざるは是れ二なり。もし涅槃を楽わず世間を厭わざれば、則ち二なし。なぜなら、もし縛あらば、則ち解あり;もし本より縛なければ、誰か復た解を求めん?縛なく解なければ、則ち楽なく厭なし、これすなわち不二法門に入るなり。」
珠頂王菩薩曰:「正道、邪道為二。住正道者,則不分別是邪是正,離此二者,是為入不二法門。」
珠頂王菩薩言う——「正道と邪道とは是れ二なり。正道に住する者は、則ち是れ邪是れ正と分別せず、この二者を離るれば、これすなわち不二法門に入るなり。」
樂實菩薩曰:「實、不實為二。實見者尚不見實,何況非實?所以者何?非肉眼所見,慧眼乃能見,而此慧眼,無見無不見,是為入不二法門。」
楽実菩薩言う——「実と不実とは是れ二なり。実を見る人は尚お実を見ず、況んや非実をや?なぜなら、是れ肉眼の見る所にあらずして、慧眼にして乃ち見る能く、しかしてこの慧眼は、見なく見えざるなく、これすなわち不二法門に入るなり。」
如是諸菩薩各各說已,問文殊師利:「何等是菩薩入不二法門?」
諸の菩薩は各々説き畢わりて、文殊師利に問う——「何をか菩薩の不二法門に入ると為す?」
文殊師利曰:「如我意者,於一切法無言無說,無示無識,離諸問答,是為入不二法門。」
文殊師利言う——「我が意のごとくは、一切法に於て言なく説なく、示なく識なく、諸の問答を離るれば、これすなわち不二法門に入るなり。」
於是文殊師利問維摩詰:「我等各自說已,仁者當說何等是菩薩入不二法門?」
ここに文殊師利は維摩詰に問う——「我らは各々説き畢われり、仁者まさに何をか菩薩の不二法門に入ると説くべき?」
時維摩詰默然無言。
時に維摩詰は黙然として言無し。
文殊師利歎曰:「善哉,善哉!乃至無有文字、語言,是真入不二法門。」
文殊師利は讃歎して言う——「善きかな、善きかな!乃至文字・語言なきに、これ真に不二法門に入るなり。」
說是入不二法門品時,於此眾中五千菩薩,皆入不二法門,得無生法忍。
此の不二法門に入る品を説く時、此の衆の中に五千の菩薩は皆不二法門に入りて、無生法忍を得たり。
維摩詰所説経 巻下
姚秦三藏鳩摩羅什譯
後秦(姚秦)の三藏法師鳩摩羅什の訳。
香積佛品第十
香積仏品第十
於是舍利弗心念:「日時欲至,此諸菩薩當於何食?」
ここに舎利弗は心の中に思う——「時は近からんとす、これらの菩薩はまさに何処に於て食すべき?」
時維摩詰知其意而語言:「佛說八解脫,仁者受行,豈雜欲食而聞法乎?若欲食者,且待須臾,當令汝得未曾有食。」
時に維摩詰はその意を知りて、彼に謂いて言う——「仏は八解脱を説きたまう、仁者は受けて修行す、豈に食欲を雑えて法を聴くや?もし食せんと欲せば、且くしばらく待て、まさに汝をして未曾有の食を得せしめん。」
時維摩詰即入三昧,以神通力示諸大眾上方界分,過四十二恆河沙佛土,有國名眾香,佛號香積,今現在。其國香氣,比於十方諸佛世界人、天之香,最為第一。彼土無有聲聞、辟支佛名,唯有清淨大菩薩眾,佛為說法。其界一切皆以香作樓閣,經行香地,苑園皆香。其食香氣,周流十方無量世界。時彼佛與諸菩薩方共坐食,有諸天子皆號香嚴,悉發阿耨多羅三藐三菩提心,供養彼佛及諸菩薩,此諸大眾莫不目見。
時に維摩詰は即ち三昧に入りて、神通力を以て諸の大衆に上方の界分を見せしむ、四十二恒河沙ばかりの仏土を過ぎて、国あり名を衆香と曰い、仏の号は香積にして、いま正在す。その国の香気は、十方の諸仏世界の人・天の香に比べて、最も第一なり。彼の土に声聞・辟支仏の名号なく、ただ清浄の大菩薩衆ありて、仏は彼らのために法を説きたまう。あの世界は一切香を以て楼閣を作し、経行の地は香なり、苑園皆香なり。あの食物の香気は、十方の無量世界に周流す。時に彼の仏は諸の菩薩と倶に坐して食せんとす、諸の天子ありて皆号して香厳と曰い、皆無上正等正覚心を発して、彼の仏および諸の菩薩を供養す、此の諸の大衆は親しく見ないものなかりき。
時維摩詰問眾菩薩言:「諸仁者!誰能致彼佛飯?」以文殊師利威神力故,鹹皆默然。維摩詰言:「仁此大眾,無乃可恥?」
時に維摩詰は衆の菩薩に問うて言う——「諸の仁者!誰か能く彼の仏の飯を取り来たらん?」文殊師利の威神力の故を以て、皆黙然せり。維摩詰言う——「仁者、こちの一大衆は、未だ免れざるべからず恥ずべきか?」
文殊師利曰:「如佛所言,勿輕未學。」
文殊師利言う——「仏の説きたまうがごとく、未だ学成らざるを軽視するなかれ。」
於是維摩詰不起於座,居眾會前化作菩薩——相好光明,威德殊勝,蔽於眾會——而告之曰:「汝往上方界分,度如四十二恆河沙佛土,有國名眾香,佛號香積,與諸菩薩方共坐食。汝往到彼,如我辭曰:『維摩詰稽首世尊足下!致敬無量,問訊起居,少病少惱,氣力安不?願得世尊所食之餘,當於娑婆世界施作佛事,令此樂小法者得弘大道,亦使如來名聲普聞。』」
ここに維摩詰は座より起たずして、衆会の前に一の菩薩を化作す——相好光明、威徳殊勝にして、衆会に蓋過せり——而して彼に告げて言う——「汝上方の界分に往き、四十二恒河沙ばかりの仏土を度り過ぎて、国あり名を衆香と曰い、仏の号は香積にして、諸の菩薩と倶に坐して食せんとす。汝彼処に至りて、我が言のごとくに曰え——『維摩詰世尊の足下に稽首す!致敬無量にして、起居を問訊す、病少なく悩少なく、気力安やかならんや?願わくは世尊の食する所の余を得て、娑婆世界に於て仏事を施作して、これらの小法を楽う人をして大道を弘め得せしめ、また如来の名声をして普く聞えしめんと欲す。』」
時化菩薩即於會前,昇於上方。舉眾皆見其去,到眾香界,禮彼佛足,又聞其言:「維摩詰稽首世尊足下!致敬無量,問訊起居,少病少惱,氣力安不?願得世尊所食之餘,欲於娑婆世界施作佛事,使此樂小法者得弘大道,亦使如來名聲普聞。」
時に化菩薩は即ち会の前に於て上方に升れり。衆を挙げて皆その往くを見て、衆香界に到り、彼の仏の足を礼して、また彼の言うを聞けり——「維摩詰世尊の足下に稽首す!致敬無量にして、起居を問訊す、病少なく悩少なく、気力安やかならんや?願わくは世尊の食する所の余を得て、娑婆世界に於て仏事を施作せんことを思い、これらの小法を楽う人をして大道を弘め得せしめ、また如来の名声をして普く聞えしめん。」
彼諸大士見化菩薩,歎未曾有:「今此上人從何所來?娑婆世界為在何許?云何名為樂小法者?」即以問佛。佛告之曰:「下方度如四十二恆河沙佛土,有世界名娑婆,佛號釋迦牟尼,今現在。於五濁惡世,為樂小法眾生敷演道教。彼有菩薩名維摩詰,住不可思議解脫,為諸菩薩說法,故遣化來,稱揚我名,並讚此土,令彼菩薩增益功德。」
彼の土の諸の大士は化菩薩を見て、未曾有と歎じて言う——「いまこちの上人は何処より来たる?娑婆世界は何の処に在る?何をか小法を楽う人と謂う?」即ち持ちて仏に問う。仏彼らに告げて言う——「下方に四十二恒河沙ばかりの仏土を度り過ぎて、世界あり名を娑婆と曰い、仏の号は釈迦牟尼にして、いま正在す。五濁悪世に於て、小法を楽う衆生のために道教を敷演す。彼処に菩薩あり名を維摩詰と曰い、不可思議解脱に住して、諸の菩薩のために法を説く、故に化身を遣わして来たらしめ、我が名号を称揚して、併せて此の土を讃歎し、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ。」
彼菩薩言:「其人何如,乃作是化?德力無畏,神足若斯!」佛言:「甚大!一切十方皆遣化往,施作佛事饒益眾生。」
彼の土の菩薩言う——「あの人はいかにして、乃ち能くかくのごときの化を作す?徳力無畏にして、神足乃ち此に至るとは!」仏言う——「甚だ大なり!一切の十方に皆化身を派遣して往かしめて、仏事を施作し衆生を饒益す。」
於是香積如來以眾香缽盛滿香飯,與化菩薩。時彼九百萬菩薩俱發聲言:「我欲詣娑婆世界供養釋迦牟尼佛,並欲見維摩詰等諸菩薩眾。」佛言:「可往。攝汝身香,無令彼諸眾生起惑著心;又當捨汝本形,勿使彼國求菩薩者,而自鄙恥;又汝於彼莫懷輕賤,而作礙想。所以者何?十方國土,皆如虛空,又諸佛為欲化諸樂小法者,不盡現其清淨土耳!」時化菩薩既受缽飯,與彼九百萬菩薩俱,承佛威神及維摩詰力,於彼世界忽然不現,須臾之間至維摩詰舍。
ここに香積如来は衆香の鉢を以て香飯を盛り満たして、化菩薩に与う。時に彼の土の九百万の菩薩は斉しく声を発して言う——「我娑婆世界に往きて釈迦牟尼仏を供養し、併せて維摩詰等の諸の菩薩衆を見んと欲す。」仏言う——「往くべし。汝らの身の香を収めて、彼の土の諸の衆生をして惑著の心を起こさしむるなかれ;またまさに汝らの本の形相を捨てて、彼の国の菩薩を求むる人をして自ら鄙恥せしむるなかれ;また汝ら彼処に於て軽賎を懐くなかれ、障碍の想を生ぜしめんがため。なぜなら、十方の国土は皆虚空のごとく、また諸仏は諸の小法を楽う人を教化せんと欲するがために、清浄の土を尽く顕現せざるのみ!」時に化菩薩は既に鉢飯を受け已りて、あの九百万の菩薩と倶に、仏の威神および維摩詰の力を承けて、彼の世界に於て忽然として現れず、片刻の間に維摩詰の房舎に到れり。
時維摩詰即化作九百萬師子之座,嚴好如前,諸菩薩皆坐其上。是化菩薩以滿缽香飯與維摩詰,飯香普燻毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門、居士等,聞是香氣,身意快然,歎未曾有!於是長者主月蓋從八萬四千人,來入維摩詰舍。見其室中菩薩甚多,諸師子座高廣嚴好,皆大歡喜,禮眾菩薩及大弟子,卻住一面。諸地神、虛空神及欲、色界諸天,聞此香氣,亦皆來入維摩詰舍。
時に維摩詰は即ち九百万の師子の座を化作し、厳好なること前のごとく、諸の菩薩皆その上に坐せり。こちの化菩薩は満鉢の香飯を維摩詰に与う、飯香は毘耶離城および三千大千世界に普く薫ず。時に毘耶離の婆羅門・居士等はこの香気を聞きて、身意暢快にして、未曾有と歎す!ここに長者主の月蓋は八万四千の人を引領して、維摩詰の房舎に入る。室中の菩薩多く、諸の師子座は高広にして厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、衆の菩薩および大弟子を礼して、退きて一面に住す。諸の地神・虚空神および欲界・色界の諸天は、この香気を聞到りて、皆維摩詰の房舎に入れり。
時維摩詰語舍利弗等諸大聲聞:「仁者可食。如來甘露味飯,大悲所燻,無以限意食之,使不消也。」有異聲聞念:「是飯少,而此大眾人人當食。」化菩薩曰:「勿以聲聞小德小智稱量如來無量福慧!四海有竭,此飯無盡!使一切人食,揣若須彌,乃至一劫,猶不能盡。所以者何?無盡戒、定、智慧、解脫、解脫知見功德具足者所食之餘,終不可盡。」於是缽飯悉飽眾會,猶故不𣩠。其諸菩薩、聲聞、天、人,食此飯者,身安快樂,譬如一切樂莊嚴國諸菩薩也;又諸毛孔皆出妙香,亦如眾香國土諸樹之香。
時に維摩詰は舎利弗等の諸の大声聞に謂いて言う——「仁者食すべし。如来の甘露味の飯は、大悲に薫ぜらるる所なり、有限の心意を以て食して、消化し能わざるに至るなかれ。」別の声聞ありて心想う——「この飯は少なくして、しかして此の大衆は人人皆食すべし。」化菩薩言う——「声聞の小徳小智を以て如来の無量の福慧を称量するなかれ!四海に乾竭の時有るとも、此の飯に窮尽なし!たとえ一切の人来たりて食し、摶ねて須弥のごとき大と為すとも、乃至一劫に、猶お食し尽くす能わず。なぜなら、無尽の戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳具足せる者の食する所の余は、終に尽くすべからざればなり。」ここに鉢中の飯は衆会をして皆飽き足らしめて、猶お食し尽くさず——底本この字は生僻字にして、まさに「尽」と読むべし。諸の菩薩・声聞・天・人この飯を食する者は、身安楽にして、たとえば一切楽荘厳国の諸の菩薩のごとし;また諸の毛孔は皆妙香を出すこと、また衆香国土の諸樹の香のごとし。
爾時維摩詰問眾香菩薩:「香積如來以何說法?」
その時維摩詰は衆香の菩薩に問う——「香積如来は何を以て法を説く?」
彼菩薩曰:「我土如來無文字說,但以眾香令諸天、人得入律行。菩薩各各坐香樹下,聞斯妙香,即獲一切德藏三昧。得是三昧者,菩薩所有功德皆悉具足。」
彼の菩薩言う——「我が土の如来は文字の説なく、ただ衆香を以て諸の天・人をして律行に入らしむ。菩薩は各々香樹の下に坐して、この妙香を聞けば、即ち一切徳蔵三昧を獲る。この三昧を得る者は、菩薩の所有の功徳は皆全部具足す。」
彼諸菩薩問維摩詰:「今世尊釋迦牟尼以何說法?」
彼の諸の菩薩は維摩詰に問う——「いま世尊釈迦牟尼は何を以て法を説く?」
維摩詰言:「此土眾生剛強難化,故佛為說剛強之語以調伏之。言是地獄、是畜生、是餓鬼,是諸難處,是愚人生處;是身邪行,是身邪行報;是口邪行,是口邪行報;是意邪行,是意邪行報;是殺生,是殺生報;是不與取,是不與取報;是邪婬,是邪婬報;是妄語,是妄語報;是兩舌,是兩舌報;是惡口,是惡口報;是無義語,是無義語報;是貪嫉,是貪嫉報;是瞋惱,是瞋惱報;是邪見,是邪見報;是慳悋,是慳悋報;是毀戒,是毀戒報;是瞋恚,是瞋恚報;是懈怠,是懈怠報;是亂意,是亂意報;是愚痴,是愚痴報;是結戒,是持戒,是犯戒;是應作,是不應作;是障礙,是不障礙;是得罪,是離罪;是淨,是垢;是有漏,是無漏;是邪道,是正道;是有為,是無為;是世間,是涅槃。以難化之人心如猨猴,故以若干種法制御其心,乃可調伏,譬如象馬,𢤱悷不調,加諸楚毒乃至徹骨,然後調伏。如是剛強難化眾生,故以一切苦切之言,乃可入律。」
維摩詰言う——「此の土の衆生は剛強にして化し難し、故に仏は彼らのために剛強の言を説きて以て調伏す。之を是れ地獄・是れ畜生・是れ餓鬼と曰い、是れ諸の難処、是れ愚人の生る処なり;是れ身の邪行、是れ身の邪行の報なり;是れ口の邪行、是れ口の邪行の報なり;是れ意の邪行、是れ意の邪行の報なり;是れ殺生、是れ殺生の報なり;是れ不與取、是れ不與取の報なり;是れ邪淫、是れ邪淫の報なり;是れ妄語、是れ妄語の報なり;是れ両舌、是れ両舌の報なり;是れ悪口、是れ悪口の報なり;是れ無義語、是れ無義語の報なり;是れ貪嫉、是れ貪嫉の報なり;是れ瞋悩、是れ瞋悩の報なり;是れ邪見、是れ邪見の報なり;是れ慳吝、是れ慳吝の報なり;是れ毀戒、是れ毀戒の報なり;是れ瞋恚、是れ瞋恚の報なり;是れ懈怠、是れ懈怠の報なり;是れ乱意、是れ乱意の報なり;是れ愚痴、是れ愚痴の報なり;是れ結戒、是れ持戒、是れ犯戒なり;是れ応作、是れ不応作なり;是れ障碍、是れ不障碍なり;是れ得罪、是れ離罪なり;是れ浄、是れ垢なり;是れ有漏、是れ無漏なり;是れ邪道、是れ正道なり;是れ有為、是れ無為なり;是れ世間、是れ涅槃なり。化し難き人は心猿猴のごときが故に、若干の種の法を以てその心を制御して、乃ち調伏すべし、たとえば象馬の倔強にして馴え難き——底本「𢤱悷」は生僻字にして、まさに倔強にして馴え難しと読むべし——諸種の楚毒乃至徹骨を加えて、然る後に乃ち調伏すべきがごとし。このごとき剛強にして化し難き衆生は、故に一切の苦切の言を以てして、乃ち律に入るべし。」
彼諸菩薩聞說是已,皆曰:「未曾有也!如世尊釋迦牟尼佛,隱其無量自在之力,乃以貧所樂法度脫眾生;斯諸菩薩亦能勞謙,以無量大悲生是佛土。」
彼の諸の菩薩はこれらの話を聞きて、皆言う——「未曾有なり!世尊釋迦牟尼のごとくは、その無量自在の力を隠し起こして、乃ち貧者の楽む所の法を以て衆生を度脱し;これらの菩薩もまた能く労謙して、無量の大悲を以て此の仏土に生ず。」
維摩詰言:「此土菩薩於諸眾生大悲堅固,誠如所言。然其一世饒益眾生,多於彼國百千劫行。所以者何?此娑婆世界有十事善法,諸餘淨土之所無有。何等為十?以佈施攝貧窮,以淨戒攝毀禁,以忍辱攝瞋恚,以精進攝懈怠,以禪定攝亂意,以智慧攝愚痴,說除難法度八難者,以大乘法度樂小乘者,以諸善根濟無德者,常以四攝成就眾生,是為十。」
維摩詰言う——「此の土の菩薩は諸の衆生に於て大悲堅固なること、誠に言うがごとし。しかして彼らは一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の修行に多し。なぜなら、此の娑婆世界に十事の善法あり、余の諸の浄土の無き所なり。いずれの十事ぞ。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚痴を摂し、難を除く法を説きて八難の人を度し、大乗法を以て小乗を楽う人を度し、諸の善根を以て徳なき人を救済し、常に四摂を以て衆生を成就す、是を十と為す。」
彼菩薩曰:「菩薩成就幾法?於此世界行無瘡疣,生於淨土。」
彼の菩薩言う——「菩薩は幾つの法を成就して、乃ち能く此の世界に於て事を行じて瘡疣なく、浄土に生ぜん?」
維摩詰言:「菩薩成就八法,於此世界行無瘡疣,生於淨土。何等為八?饒益眾生,而不望報;代一切眾生受諸苦惱,所作功德盡以施之;等心眾生,謙下無礙;於諸菩薩視之如佛;所未聞經,聞之不疑;不與聲聞而相違背;不嫉彼供,不高己利,而於其中調伏其心;常省己過,不訟彼短,恆以一心求諸功德,是為八法。」
維摩詰言う——「菩薩は八法を成就して、此の世界に於て事を行じて瘡疣なく、浄土に生ず。いずれの八法ぞ。衆生を饒益して報を望まず;一切衆生に代わりて諸の苦悩を受け、作す所の功徳を尽く以て彼らに施す;等心を以て衆生に対して、謙下して碍なし;諸の菩薩に於て之を視ること仏のごとし;未だ聞かざるの経は、聞きて疑わず;声聞と相違背せず;他の得る所の供養を嫉妬せず、己の利を抬高せずして、その中に於て自らの心を調伏す;常に己の過を省察して、他の短を訟説せず、恒に一心を以て諸の功徳を求む、是を八法と為す。」
維摩詰、文殊師利於大眾中說是法時,百千天、人皆發阿耨多羅三藐三菩提心,十千菩薩得無生法忍。
維摩詰・文殊師利は大衆の中に於てこの法を説く時、百千の天・人は皆無上正等正覚心を発し、十千の菩薩は無生法忍を得たり。
維摩詰所說經菩薩行品第十一
維摩詰所説経 菩薩行品第十一
是時佛說法於菴羅樹園,其地忽然廣博嚴事,一切眾會皆作金色。阿難白佛言:「世尊!以何因緣,有此瑞應?是處忽然廣博嚴事,一切眾會皆作金色。」
この時仏は菴羅樹園に於て法を説きたまうに、あの地は忽然として広博厳飾して、一切の衆会は皆金色と変じたり。阿難は仏に謂いて言う——「世尊!何の因縁を以てか此の瑞応ある?此處忽然として広博厳飾して、一切の衆会皆金色と変ぜり。」
佛告阿難:「是維摩詰、文殊師利,與諸大眾恭敬圍繞,發意欲來,故先為此瑞應。」
仏は阿難に告げたまう——「是れ維摩詰・文殊師利、諸の大衆と恭敬して囲繞し、意を発して来らんとすれば、故に先ずこの瑞応を現ず。」
於是維摩詰語文殊師利:「可共見佛,與諸菩薩禮事供養。」
ここに維摩詰は文殊師利に謂いて言う——「倶に仏に見ゆべし、諸の菩薩と礼事供養せん。」
文殊師利言:「善哉!行矣!今正是時。」
文殊師利言う——「善きかな!往かん!いま正にその時なり。」
維摩詰即以神力持諸大眾並師子座,置於右掌,往詣佛所。到已著地,稽首佛足,右遶七匝,一心合掌,在一面立;其諸菩薩即皆避座,稽首佛足,亦繞七匝,於一面立;諸大弟子、釋、梵、四天王等,亦皆避座,稽首佛足,在一面立。
維摩詰は即ち神力を以て諸の大衆および師子座を連ねて右掌の上に置きて、仏の所に詣る。到りて地に置きて、仏足に稽首し、右繞七匝して、一心に合掌して一面に立つ;諸の菩薩は皆座を離れ、仏足に稽首し、亦七匝を繞りて一面に立つ;諸の大弟子・帝釈・梵王・四天王等も皆座を離れて、仏足に稽首し、一面に立つ。
於是世尊如法慰問諸菩薩已,各令復坐,即皆受教。眾坐已定,佛語舍利弗:「汝見菩薩大士自在神力之所為乎?」
ここに世尊は法のごとく諸の菩薩を慰問し畢わりて、各々復た坐せしめ、皆教を受く。衆の坐已に定まりて、仏は舎利弗に謂いて言う——「汝は菩薩大士の自在神力の為す所を見たりや?」
「唯然,已見!」
(舎利弗言う——)「唯、已に見たり!」
「於汝意云何?」「世尊!我覩其為不可思議,非意所圖,非度所測。」
(仏問う——)「汝はいかに思う?」(舎利弗言う——)「世尊!我が見るに彼の為す所は不可思議にして、心意の図謀する能く所にあらず、度量の測知する能く所にあらず。」
爾時阿難白佛言:「世尊!今所聞香,自昔未有,是為何香?」
その時阿難は仏に謂いて言う——「世尊!いま聞く所の香は、従来有らざりしなり、是れ何の香ぞ?」
佛告阿難:「是彼菩薩毛孔之香。」
仏は阿難に告げたまう——「是れあの菩薩の毛孔の香なり。」
於是舍利弗語阿難言:「我等毛孔亦出是香。」
ここに舎利弗は阿難に謂いて言う——「我らの毛孔もまた此の香を出す。」
阿難言:「此所從來?」
阿難言う——「この香は何処より来たる?」
