維摩詰所説経 巻中
曰:「是長者維摩詰從眾香國取佛餘飯,於舍食者,一切毛孔皆香若此。」
(舎利弗つづけて言う——)「是れ長者維摩詰が衆香国より仏の余の飯を取り来たりて、房舎の中に於て之を食したる人は、一切の毛孔皆香りて此のごとくなれり。」
阿難問維摩詰:「是香氣住當久如?」
阿難は維摩詰に問う——「この香気は能く幾久しきに住する?」
維摩詰言:「至此飯消。」
維摩詰言う——「此の飯の消化するに至るまで。」
曰:「此飯久如當消?」
(阿難)言う——「この飯は幾久しきにして乃ち消す?」
曰:「此飯勢力至於七日,然後乃消。又,阿難!若聲聞人未入正位,食此飯者,得入正位,然後乃消;已入正位,食此飯者,得心解脫,然後乃消;若未發大乘意,食此飯者,至發意乃消;已發意,食此飯者,得無生忍,然後乃消;已得無生忍,食此飯者,至一生補處,然後乃消。譬如有藥,名曰上味,其有服者,身諸毒滅,然後乃消;此飯如是,滅除一切諸煩惱毒,然後乃消。」
(維摩詰つづけて言う——)「此の飯の勢力は第七日に至りて、然る後に乃ち消ゆ。また、阿難!もし声聞人未だ正位に入らざるに、此の飯を食するは、正位に入ることを得て、然る後に乃ち消ゆ;已に正位に入りて、此の飯を食するは、心の解脱を得て、然る後に乃ち消ゆ;もし未だ大乗の意を発さざるに、此の飯を食するは、意を発するに到りて乃ち消ゆ;已に意を発して、此の飯を食するは、無生忍を得て、然る後に乃ち消ゆ;已に無生忍を得て、此の飯を食するは、一生補処に到りて、然る後に乃ち消ゆ。たとえば薬あり名を上味と曰い、服する者有れば、身上の諸の毒滅尽して、然る後に乃ち消ゆるがごとし;此の飯もまたこのごとく、一切の諸の煩悩の毒を滅除して、然る後に乃ち消ゆ。」
阿難白佛言:「未曾有也!世尊!如此香飯能作佛事。」
阿難は仏に謂いて言う——「未曾有なり!世尊!かくのごとき香飯は能く仏事を作す。」
佛言:「如是,如是!阿難!或有佛土以佛光明而作佛事,有以諸菩薩而作佛事,有以佛所化人而作佛事,有以菩提樹而作佛事,有以佛衣服、臥具而作佛事,有以飯食而作佛事,有以園林臺觀而作佛事,有以三十二相、八十隨形好而作佛事,有以佛身而作佛事,有以虛空而作佛事;眾生應以此緣得入律行。有以夢、幻、影、響、鏡中像、水中月、熱時炎如是等喻,而作佛事;有以音聲、語言、文字而作佛事;或有清淨佛土,寂寞無言、無說、無示、無識、無作、無為,而作佛事。如是,阿難!諸佛威儀進止,諸所施為,無非佛事。
仏言う——「然り、然り!阿難!或る仏土は仏の光明を以て仏事を作し、或るは諸の菩薩を以て仏事を作し、或るは仏の化したる人を以て仏事を作し、或るは菩提樹を以て仏事を作し、或るは仏の衣服・臥具を以て仏事を作し、或るは飯食を以て仏事を作し、或るは園林台観を以て仏事を作し、或るは三十二相・八十随好を以て仏事を作し、或るは仏身を以て仏事を作し、或るは虚空を以て仏事を作す;衆生は此の因縁を以て律行に入るを得るなり。或るは夢・幻・影・響・鏡中の像・水中の月・熱時の焔、このごとき等の譬喩を以て仏事を作し;或るは音声・語言・文字を以て仏事を作し;或るは清浄の仏土にして、寂寞として言なく説なく示なく識なく作なく為なくして、仏事を作す。このごとく、阿難!諸仏の威儀進止、諸の施為は、非ざる仏事なし。
「阿難!有此四魔、八萬四千諸煩惱門,而諸眾生為之疲勞,諸佛即以此法而作佛事,是名入一切諸佛法門。菩薩入此門者,若見一切淨好佛土,不以為喜,不貪不高;若見一切不淨佛土,不以為憂,不礙不沒;但於諸佛生清淨心,歡喜恭敬,未曾有也!諸佛如來功德平等,為化眾生故,而現佛土不同。阿難!汝見諸佛國土,地有若干,而虛空無若干也;如是見諸佛色身有若干耳,其無礙慧無若干也。
(仏つづけて言う——)「阿難!此の四魔・八万四千の諸の煩悩門有りて、しかして諸の衆生は之がために疲労す、諸仏は即ち此の法を以て仏事を作す、これを名づけて一切の諸仏法門に入ると曰う。菩薩此の門に入る者は、もし一切の浄好の仏土を見ても、以て喜と為さず、貪らず高まらず;もし一切の不浄の仏土を見ても、以て憂と為さず、礙せず没せず;ただ諸仏に於て清浄の心を生じ、歓喜恭敬す、未曾有なり!諸仏如来の功徳は平等にして、衆生を教化するが故に、仏土の不同を現ず。阿難!汝諸仏の国土を見るに、地は若干の差別有れども、しかして虚空には若干なし;同じく、諸仏の色身を見るに若干の差別あるのみ、その無礙慧には若干なし。
「阿難!諸佛色身、威相、種性,戒、定、智慧、解脫、解脫知見,力、無所畏、不共之法,大慈、大悲,威儀所行及其壽命,說法教化,成就眾生,淨佛國土,具諸佛法,悉皆同等,是故名為三藐三佛陀,名為多陀阿伽度,名為佛陀。阿難!若我廣說此三句義,汝以劫壽不能盡受;正使三千大千世界滿中眾生,皆如阿難多聞第一,得念總持,此諸人等以劫之壽亦不能受。如是,阿難!諸佛阿耨多羅三藐三菩提無有限量,智慧辯才不可思議。」
(仏つづけて言う——)「阿難!諸仏の色身・威相・種性、戒・定・智慧・解脱・解脱知見、力・無所畏・不共の法、大慈・大悲、威儀所行およびその寿命、説法教化、衆生を成就し、仏国土を浄め、諸の仏法を具えること、全部同等なり、故に名づけて三藐三佛陀(さんみゃくさんぶだ、正等正覚)と曰い、名づけて多陀阿伽度(ただあがど、如来)と曰い、名づけて佛陀と曰う。阿難!もし我広く此の三句の義を説かば、汝は一劫の寿命を以ても尽く受ける能わず;たとえ三千大千世界に満つる衆生皆阿難のごとく多聞第一にして、念の総持を得たりとするも、この人らは一劫の寿命を以ても受ける能わず。このごとく、阿難!諸仏の無上正等正覚に限量なく、智慧弁才は不可思議なり。」
阿難白佛言:「我從今已往,不敢自謂以為多聞。」
阿難は仏に謂いて言う——「我今より後、敢えて自ら多聞と称するを以てせず。」
佛告阿難:「勿起退意!所以者何?我說汝於聲聞中為最多聞,非謂菩薩。且止,阿難!其有智者不應限度諸菩薩也;一切海淵尚可測量,菩薩禪定、智慧、總持、辯才一切功德不可量也。阿難!汝等捨置菩薩所行,是維摩詰一時所現神通之力,一切聲聞、辟支佛於百千劫,盡力變化所不能作。」
仏は阿難に告げたまう——「退意を起こすなかれ!なぜなら、我は汝を声聞の中に於て最も多聞と説く、菩薩を説くにあらず。且く止まれ、阿難!智慧ある者はまさに限量を以て諸の菩薩を測度すべからず;一切の海淵は尚お測量すべし、菩薩の禅定・智慧・総持・弁才の一切功徳は量るべからず。阿難!汝らは菩薩の行を放ち置きて談ぜず、ただ維摩詰の一時に現じたる神通の力のみも、一切の声聞・辟支仏が百千劫の中に於て力を尽くして変化するも能く作るあらず。」
爾時眾香世界菩薩來者,合掌白佛言:「世尊!我等初見此土生下劣想,今自悔責,捨離是心。所以者何?諸佛方便不可思議,為度眾生故,隨其所應,現佛國異。唯然世尊!願賜少法,還於彼土當念如來。」
その時衆香世界より来たりし菩薩は合掌して仏に謂いて言う——「世尊!我らは初め此の土を見て下劣の想を生ぜり、いま自ら悔い責めて此の心を捨離す。なぜなら、諸仏の方便は不可思議にして、衆生を度せんがための故に、其の応ずる所に随ひて、仏国の不同を現ずればなり。然り、世尊!願わくは少許の法を賜りて、彼の土に帰りて当に如来を念ぜん。」
佛告諸菩薩:「有盡無盡解脫法門,汝等當學。何謂為盡?謂有為法。何謂無盡?謂無為法。如菩薩者,不盡有為,不住無為。
仏は諸の菩薩に告げたまう——「尽・無尽の解脱法門有り、汝らまさに学ぶべし。何をか尽と謂う?是れ有為の法を説く。何をか無尽と謂う?是れ無為の法を説く。菩薩と作る者は、有為を窮尽せず、また無為に住せず。
「何謂不盡有為?謂不離大慈,不捨大悲;深發一切智心,而不忽忘;教化眾生,終不厭倦,於四攝法,常念順行;護持正法,不惜軀命,種諸善根,無有疲厭;志常安住,方便迴向,求法不懈,說法無悋;勤供諸佛;故入生死而無所畏,於諸榮辱,心無憂喜;不輕未學,敬學如佛,墮煩惱者,令發正念,於遠離樂,不以為貴,不著己樂,慶於彼樂;在諸禪定,如地獄想,於生死中,如園觀想;見來求者,為善師想,捨諸所有,具一切智想;見毀戒人,起救護想;諸波羅蜜,為父母想,道品之法,為眷屬想;發行善根,無有齊限,以諸淨國嚴飾之事,成己佛土;行無限施,具足相好,除一切惡,淨身、口、意;生死無數劫,意而有勇,聞佛無量德,志而不倦;以智慧劍,破煩惱賊,出陰、界、入,荷負眾生,永使解脫;以大精進,摧伏魔軍,常求無念實相智慧行;於世間法少欲知足,於出世間求之無厭,而不捨世間法,不壞威儀法而能隨俗;起神通慧,引導眾生,得念總持,所聞不忘;善別諸根,斷眾生疑,以樂說辯,演法無礙;淨十善道,受天、人福;修四無量,開梵天道;勸請說法,隨喜讚善,得佛音聲;身、口、意善,得佛威儀;深修善法,所行轉勝,以大乘教,成菩薩僧;心無放逸,不失眾善:行如此法,是名菩薩不盡有為。
(仏つづけて言う——)「何をか有為を窮尽せずと謂う?是れ大慈を離れず、大悲を捨てざるを謂う;深く一切智心を発して忽忘せず;衆生を教化して終に厭倦せず、四摂法に於て常に念じて順行す;正法を護持して躯命を惜しまず、諸の善根を種えて疲厭なし;志は常に安住して、方便にして回向し、法を求めて懈らず、法を説きて吝惜なし;勤めて諸仏を供養す;是の故に生死に入りて畏る所なく、諸の荣辱に於て心に憂喜なし;未だ学成らざるを軽視せず、仏のごとく敬学す;煩悩の中に堕ちたる者をして正念を発せしむ;遠離の楽に於て以て貴しと為さず、己の楽に著せず、彼の楽を慶ぶ;諸の禅定の中に於て地獄の想のごとく、生死の中に於て園観の想のごとし;来たりて求むる者を見て善師の想を作し、諸の所有を捨てて一切智を具うるの想を作す;毀戒の人を見て救護の想を起こし;諸の波羅蜜は父母の想を作し、道品の法は眷属の想を作す;善根を発行して斉限なく、諸の浄国の厳飾の事を以て己の仏土を成就す;無限の布施を行じて、相好を具足し、一切の悪を除きて、身・口・意を浄めん;生死の无数劫に、意にして勇あり;仏の無量の徳を聞きて、志にして倦まず;智慧の剣を以て煩悩の賊を破りて、陰・界・入を出离し、衆生を荷負して、永く解脱せしむ;大精進を以て魔軍を摧伏し、常に無念の実相智慧の行を求む;世間の法に於て少欲知足にして、出世間に於て求めて厭わず、しかして世間の法を捨てず、威儀の法を壊らずして能く俗に随順す;神通の慧を起こして衆生を引導し、念の総持を得て、聞く所忘れず;善く諸の根を別ち、衆生の疑を断ち、楽説の弁を以て法を演じて礙なし;十善の道を浄めて、天・人の福を受く;四無量を修して、梵天道を開く;説法を勧請し、随喜し善を讃じて、仏の音声を得;身・口・意の善にして、仏の威儀を得;深く善法を修して、行ふ所転々勝れ、大乗の教を以て菩薩僧を成就す;心放逸なくして、衆の善を失わず:かくのごときの法を行ずれば、これを名づけて菩薩の有為を窮尽せずと曰う。
「何謂菩薩不住無為?謂修學空,不以空為證;修學無相、無作,不以無相、無作為證;修學無起,不以無起為證;觀於無常,而不厭善本;觀世間苦,而不惡生死;觀於無我,而誨人不倦;觀於寂滅,而不永滅;觀於遠離,而身心修善;觀無所歸,而歸趣善法;觀於無生,而以生法荷負一切;觀於無漏,而不斷諸漏;觀無所行,而以行法教化眾生;觀於空無,而不捨大悲;觀正法位,而不隨小乘;觀諸法虛妄,無牢無人、無主無相,本願未滿,而不虛福德、禪定、智慧:修如此法,是名菩薩不住無為。
(仏つづけて言う——)「何をか菩薩の無為に住せざると謂う?是れ空を修学するも、空を以て証と為さず;無相・無作を修学するも、無相・無為を以て証と為さず;無起を修学するも、無起を以て証と為さず;無常を観ずるも、善本を厭わず;世間の苦を観ずるも、生死を厭悪せず;無我を観ずるも、人を誨えて倦まず;寂滅を観ずるも、永滅せず;遠離を観ずるも、身心に善を修す;帰する所なきを観ずるも、善法に帰趣す;無生を観ずるも、生の法を以て一切を荷負す;無漏を観ずるも、諸の漏を断たず;行ふ所なきを観ずるも、行の法を以て衆生を教化す;空無を観ずるも、大悲を捨てず;正法の位を観ずるも、小乗に随わず;諸法の虚妄にして牢なく人なく主なく相なきを観じ、本願未だ満たざるに、しかして福徳・禅定・智慧を空虚ならしめず:かくのごときの法を修すれば、これを名づけて菩薩の無為に住せざると曰う。
「又具福德故,不住無為;具智慧故,不盡有為。大慈悲故,不住無為;滿本願故,不盡有為。集法藥故,不住無為;隨授藥故,不盡有為。知眾生病故,不住無為;滅眾生病故,不盡有為。諸正士菩薩以修此法,不盡有為、不住無為,是名盡無盡解脫法門,汝等當學。」
(仏つづけて言う——)「また福徳を具うるが故を以て無為に住せず;智慧を具うるが故を以て有為を窮尽せず。大慈悲の故を以て無為に住せず;本願を満たすが故を以て有為を窮尽せず。法薬を集むるが故を以て無為に住せず;随ひて薬を授くるが故を以て有為を窮尽せず。衆生の病を知るが故を以て無為に住せず;衆生の病を滅するが故を以て有為を窮尽せず。諸の正士・菩薩は此の法を修するを以て、有為を窮尽せず無為に住せず、これを名づけて尽・無尽の解脱法門と曰う、汝らまさに学ぶべし。」
爾時彼諸菩薩聞說是法,皆大歡喜,以眾妙華、若干種色、若干種香,散遍三千大千世界,供養於佛及此經法並諸菩薩已,稽首佛足,歎未曾有,言:「釋迦牟尼佛乃能於此善行方便。」言已,忽然不現,還到彼國。
その時彼の諸の菩薩はこの法を説くを聞きて、皆大いに歓喜し、衆の妙華・若干種の色・若干種の香を以て、三千大千世界に散遍して、仏および此の経法ならびに諸の菩薩に供養し畢わりて、仏足に稽首し、未曾有と歎じて言う——「釋迦牟尼仏は乃ち能く此に於て善く方便を行ず。」説き已りて、忽然として現れず、彼の国に還る。
維摩詰所說經見阿閦佛品第十二
維摩詰所説経 阿閦仏品第十二
爾時世尊問維摩詰:「汝欲見如來,為以何等觀如來乎?」
その時世尊は維摩詰に問うたまう——「汝如来を見んと欲すは、いかなるを以て如来を観ずるや?」
維摩詰言:「如自觀身實相,觀佛亦然。我觀如來前際不來,後際不去,今則不住;不觀色,不觀色如,不觀色性,不觀受、想、行、識,不觀識如,不觀識性,非四大起,同於虛空;六入無積,眼、耳、鼻、舌、身、心已過;不在三界,三垢已離,順三脫門,具足三明,與無明等;不一相、不異相,不自相、不他相,非無相、非取相;不此岸,不彼岸,不中流而化眾生;觀於寂滅,亦不永滅;不此不彼,不以此,不以彼;不可以智知,不可以識識;無晦無明,無名無相,無強無弱,非淨非穢;不在方,不離方,非有為,非無為,無示無說;不施不慳,不戒不犯,不忍不恚,不進不怠,不定不亂,不智不愚,不誠不欺,不來不去,不出不入,一切言語道斷;非福田,非不福田,非應供養,非不應供養;非取非捨,非有相,非無相;同真際,等法性,不可稱,不可量,過諸稱量;非大非小,非見非聞,非覺非知,離眾結縛;等諸智,同眾生,於諸法無分別;一切無失,無濁無惱,無作無起,無生無滅;無畏無憂,無喜無厭無著;無已有,無當有,無今有;不可以一切言說分別顯示:世尊!如來身為若此,作如是觀,以斯觀者,名為正觀;若他觀者,名為邪觀。」
維摩詰言う——「己の身の実相を観ずるがごとく、仏を観ずるもまたこのごとし。我如来を観ずるに、前際は来らず、後際は去らず、今は則ち住せず;色を観ぜず、色の如を観ぜず、色の性を観ぜず;受・想・行・識を観ぜず、識の如を観ぜず、識の性を観ぜず;四大の起こす所にあらず、虚空と同じ;六入に積聚なく、眼・耳・鼻・舌・身・心は已に超越せり;三界に在らず、三垢已に離れ、三解脱門に随順し、三明を具足して、無明と相等し;一相にあらず異相にあらず、自相にあらず他相にあらず、无相にあらず取相にあらず;此岸に在らず、彼岸に在らず、中流に在らずして衆生を教化す;寂滅を観ずるも、また永滅せず;此ならず彼ならず、此を以てせず、彼を以てせず;智を以て知るべからず、識を以て識るべからず;晦なく明なく、名なく相なく、強なく弱なく、浄に非ず穢に非ず;方に在らず、方を離れず、有為に非ず、無為に非ず、示なく説なし;施さず慳まず、戒めず犯さず、忍せず恚らず、進まず怠らず、定まらず乱れず、智せず愚れず、誠なく欺かず、来らず去らず、出でず入らず、一切の言語の道断ぜり;福田に非ず、不福田に非ず、応に供養せず、応に供養せざらずに非ず;取に非ず捨に非ず、有相に非ず、无相に非ず;真際に同じく、法性に等しく、称ふべからず、量るべからず、諸の称量を超過す;大に非ず小に非ず、見に非ず聞に非ず、覚に非ず知に非ず、衆の結縛を離れ;諸の智に等しく、衆生に同じく、諸法に於て分別なし;一切失なく、濁なく悩なく、作なく起なく、生なく滅なし;畏なく憂なく、喜なく厭なく著なし;已有なく、当有なく、今有なし;一切の言説を以て分別顕示すべからず:世尊!如来の身は是れこのごとし、このごとく観を作し、かくのごとく観ずるを以てのは、名づけて正観と曰う;もし他の観を作さば、名づけて邪観と曰う。」
爾時舍利弗問維摩詰:「汝於何沒而來生此?」
その時舎利弗は維摩詰に問う——「汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?」
維摩詰言:「汝所得法有沒生乎?」
維摩詰言う——「汝の得たる所の法に没と生有りや?」
舍利弗言:「無沒生也。」
舎利弗言う——「没と生なし。」
「若諸法無沒生相,云何問言:『汝於何沒而來生此?』於意云何?譬如幻師,幻作男女,寧沒生耶?」
(維摩詰つづけて言う——)「もし諸法に没生の相なければ、なんぞ問うて言く——『汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?』汝はいかに思う?たとえば幻師の幻作する男女に、豈に没と生有らんや?」
舍利弗言:「無沒生也。」
舎利弗言う——「没と生なし。」
「汝豈不聞佛說諸法如幻相乎?」
(維摩詰つづけて言う——)「汝豈に仏の諸法は幻相のごとしと説くを聞かざりしや?」
答曰:「如是!」
答えて言う——「是のごとし!」
「若一切法如幻相者,云何問言:『汝於何沒而來生此?』舍利弗!沒者為虛誑法,敗壞之相;生者為虛誑法,相續之相。菩薩雖沒,不盡善本;雖生,不長諸惡。」
(維摩詰つづけて言う——)「もし一切法は幻相のごとくあらば、なんぞ問うて言く——『汝は何処より没して来たりて此に生ぜし?』舎利弗!没は是れ虚誑の法、敗壊の相なり;生は是れ虚誑の法、相続の相なり。菩薩は没すと雖も、善本を窮尽せず;生ずと雖も、諸の悪を増長せず。」
是時佛告舍利弗:「有國名妙喜,佛號無動。是維摩詰於彼國沒,而來生此。」
この時仏は舎利弗に告げたまう——「国あり名を妙喜と曰い、仏の号は無動なり。こちの維摩詰は彼の国に没して、来たりて此に生ぜし。」
舍利弗言:「未曾有也!世尊!是人乃能捨清淨土,而來樂此多怒害處。」
舎利弗言う——「未曾有なり!世尊!この人は乃ち能く清浄の土を捨てて、来たりてこの多怒害の処を楽う。」
維摩詰語舍利弗:「於意云何?日光出時與冥合乎?」
維摩詰は舎利弗に謂いて言う——「汝はいかに思う?日光の出づる時、冥暗と相合するや?」
答曰:「不也!日光出時,即無眾冥。」
答えて言う——「否!日光出づる時は、則ち衆の冥なし。」
維摩詰言:「夫日何故行閻浮提?」
維摩詰言う——「あの日はなんの故に閻浮提を行く?」
答曰:「欲以明照,為之除冥。」
答えて言う——「光明を以て照曜して、之がために冥暗を除かんと欲す。」
維摩詰言:「菩薩如是!雖生不淨佛土,為化眾生故,不與愚闇而共合也,但滅眾生煩惱闇耳!」
維摩詰言う——「菩薩もまたこのごとし!不浄の仏土に生ずと雖も、衆生を教化するが故に、愚暗と相合せず、ただ衆生の煩惱の暗を滅するのみ!」
是時大眾渴仰,欲見妙喜世界無動如來,及其菩薩、聲聞之眾。佛知一切眾會所念,告維摩詰言:「善男子!為此眾會,現妙喜國無動如來,及諸菩薩、聲聞之眾,眾皆欲見。」
この時大衆は渇仰して、妙喜世界・無動如来およびその菩薩・声聞の衆を見んと欲す。仏は一切の衆会の念じたる所を知りて、維摩詰に告げて言う——「善男子!此の衆会のために、妙喜国の無動如来および諸の菩薩・声聞の衆を顕現せよ、衆人皆見んと欲す。」
於是維摩詰心念:「吾當不起於座,接妙喜國鐵圍山川、溪谷江河、大海泉源、須彌諸山及日月星宿、天龍鬼神、梵天等宮,並諸菩薩、聲聞之眾,城邑聚落、男女大小乃至無動如來,及菩提樹、諸妙蓮華,能於十方作佛事者——三道寶階從閻浮提至忉利天,以此寶階諸天來下,悉為禮敬無動如來,聽受經法;閻浮提人亦登其階,上昇忉利,見彼諸天:妙喜世界成就如是無量功德——上至阿迦膩吒天,下至水際,以右手斷取,如陶家輪,入此世界,猶持華鬘,示一切眾。」作是念已,入於三昧現神通力,以其右手斷取妙喜世界,置於此土。
ここに維摩詰は心の中に念う——「我まさに座より起たずして、妙喜国の鉄囲山川・溪谷江河・大海泉源・須弥の諸山および日月星宿・天龍鬼神・梵天等の宮、ならびに諸の菩薩・声聞の衆、城邑聚落・男女の大小乃至無動如来、および菩提樹・諸の妙蓮華、十方に於て仏事を作す能く者——三道の宝階を閻浮提より忉利天に至りて、諸天は此の宝階に由りて下りて、皆無動如来を礼敬して経法を聴受し;閻浮提の人もまた此の階に登りて、忉利に升りて彼の諸天を見る:妙喜世界はかくのごとき無量の功徳を成就せり——上は阿迦膩咤天より、下は水際に至るまで、右手を以て断取して、陶家の輪のごとく、此の世界に放ち入れて、花鬘を持するがごとく、一切の衆に見せしむべし。」此の念を作し已りて、三昧に入りて神通力を現じて、右手を以て妙喜世界を断取して、此の土に置けり。
彼得神通菩薩及聲聞眾,並餘天、人俱發聲言:「唯然,世尊!誰取我去,願見救護。」無動佛言:「非我所為,是維摩詰神力所作。」其餘未得神通者,不覺不知己之所往。妙喜世界,雖入此土而不增減,於是世界亦不迫隘,如本無異。
彼方の神通を得たる菩薩および声聞の衆、ならびに余の天・人は斉しく声を発して言う——「唯、世尊!誰か我らを取り去りし、願わくは救護を見ん。」無動仏言う——「我が為す所にあらず、是れ維摩詰の神力の作す所なり。」其余の未だ神通を得ざる者は、覚らず知らず自ら何処に往きしやを。妙喜世界は此の土に入ると雖も増せず減ぜず、此の世界に於ても迫隘ならず、本より差異なきがごとし。
爾時釋迦牟尼佛告諸大眾:「汝等且觀妙喜世界無動如來,其國嚴飾,菩薩行淨,弟子清白。」
その時釈迦牟尼仏は諸の大衆に告げたまう——「汝ら且く妙喜世界・無動如来を見よ、その国の厳飾、菩薩の行浄、弟子の清白を。」
皆曰:「唯然已見。」
皆言う——「唯、已に見たり。」
佛言:「若菩薩欲得如是清淨佛土,當學無動如來所行之道。」
仏言う——「もし菩薩かくのごとき清浄の仏土を得んと欲せば、まさに無動如来の行ずる所の道を学ぶべし。」
現此妙喜國時,娑婆世界十四那由他人,發阿耨多羅三藐三菩提心,皆願生於妙喜佛土。釋迦牟尼佛即記之曰:「當生彼國。」時妙喜世界於此國土所應饒益其事訖已,還復本處,舉眾皆見。
此の妙喜国を顕現する時、娑婆世界に十四那由他の人は無上正等正覚心を発して、皆妙喜仏土に生ぜんことを願う。釈迦牟尼仏は即ち授記して言う——「まさに彼の国に生ぜん。」時に妙喜世界は此の国土に於て饒益すべき所の事を畢わりて、還りて本処に復す、衆を挙げて皆見たり。
佛告舍利弗:「汝見此妙喜世界及無動佛不?」
仏は舎利弗に告げたまう——「汝は此の妙喜世界および無動仏を見たりや?」
「唯然已見,世尊!願使一切眾生得清淨土,如無動佛;獲神通力,如維摩詰。世尊!我等快得善利,得見是人,親近供養。其諸眾生,若今現在,若佛滅後,聞此經者,亦得善利;況復聞已信解、受持、讀誦、解說,如法修行?若有手得是經典者,便為已得法寶之藏;若有讀誦解釋其義,如說修行,即為諸佛之所護念;其有供養如是人者,當知即為供養於佛;其有書持此經卷者,當知其室即有如來;若聞是經能隨喜者,斯人即為取一切智;若能信解此經,乃至一四句偈,為他說者,當知此人即是受阿耨多羅三藐三菩提記。」
(舎利弗言う——)「唯、已に見たり、世尊!願はくは一切の衆生をして清浄の土を得せしめ、無動仏のごとくならしめん;神通力を獲て、維摩詰のごとくならしめん。世尊!我らは痛快に善利を得たり、此の人を見て親近供養することを得たればなり。諸の衆生、もし今現在の如く、もし仏滅後に、此の経を聞く者は、また善利を得ん;況んや聞き畢わりて信解・受持・読誦・解説し、法のごとく修行するをや?もし手に此の経典を得る者あらば、便ち是れ已に法宝の蔵を得たり;もし読誦してその義を解釈し、説のごとく修行せば、即ち諸仏の護念せらるる所と為る;もしかくのごときの人を供養する者有らば、まさに知るべし即ち是れ仏を供養するなり;もし書写して此の経巻を受持する者有らば、まさにその室は即ち如来有ると知るべし;もし此の経を聞きて能く随喜するは、此の人は即ち一切智を取ると為す;もし能く此の経を信解して、乃至一四句偈を他の人のために説かば、まさに知るべし此の人は即ち無上正等正覚の記を受くると。」
維摩詰所說經法供養品第十三
維摩詰所説経 法供養品第十三
爾時釋提桓因於大眾中白佛言:「世尊!我雖從佛及文殊師利聞百千經,未曾聞此不可思議、自在神通、決定實相經典。如我解佛所說義趣,若有眾生聞是經法,信解、受持、讀誦之者,必得是法不疑,何況如說修行?斯人即為閉眾惡趣開諸善門,常為諸佛之所護念;降伏外學,摧滅魔怨;修治菩提,安處道場;履踐如來所行之跡。世尊!若有受持讀誦、如說修行者,我當與諸眷屬供養給事;所在聚落城邑、山林曠野有是經處,我亦與諸眷屬聽受法故,共到其所;其未信者,當令生信,其已信者,當為作護。」
その時釋提桓因は大衆の中に於て仏に謂いて言う——「世尊!我は仏および文殊師利より百千の経を聞くと雖も、未だ此の不可思議・自在神通・決定実相の経典を聞かざりき。我が仏の説きたまう所の義趣を解するがごとくは、もし衆生ありて此の経法を聞きて、信解・受持・読誦せば、必ず此の法を得て疑わず、況んや説のごとく修行するをや?此の人は即ち衆の悪趣を閉じて、諸の善門を開きて、常に諸仏の護念せらるる所と為り;外学を降伏し、魔怨を摧滅し;菩提を修治して、道場に安処し;如来の行じたる所の足迹を履践す。世尊!もし受持・読誦して説のごとく修行する者有らば、我まさに諸の眷属と供養給事せん;所在の聚落城邑・山林曠野に此の経有るの処には、我もまた諸の眷属と法を聴受するが故を以て、倶にその所に到らん;未だ信ぜざる者は、まさに信を生ぜしめ、已に信ずる者は、まさに護を為さん。」
佛言:「善哉,善哉!天帝!如汝所說,吾助爾喜。此經廣說過去、未來、現在諸佛不可思議阿耨多羅三藐三菩提。是故,天帝!若善男子、善女人受持、讀誦、供養是經者,即為供養去、來、今佛。天帝!正使三千大千世界如來滿中,譬如甘蔗、竹𥯤、稻麻、叢林;若有善男子、善女人,或一劫、或減一劫,恭敬尊重,讚歎供養,奉諸所安,至諸佛滅後,以一一全身舍利起七寶塔——縱廣一四天下,高至梵天,表剎莊嚴——以一切華香、瓔珞、幢幡、伎樂微妙第一,若一劫、若減一劫,而供養之,於天帝意云何,其人植福寧為多不?」
仏言う——「善きかな、善きかな!天帝!汝の説くがごとく、我は汝を助けて歓喜す。此の経は広く過去・未来・現在の諸仏の不可思議の無上正等正覚を説く。この故に、天帝!もし善男子・善女人あって受持・読誦・供養して此の経をば、即ち過去・未来・現在の仏を供養するを為す。天帝!たとえ三千大千世界に如来満つること、たとえば甘蔗・竹葦・稲麻・丛林のごとし——底本「竹𥯤」は生僻字にして、まさに竹葦と読むべし;もし善男子・善女人ありて、或いは一劫、或いは一劫を減じて、恭敬尊重し、讃歎供養し、諸の安き所を奉りて、諸仏の滅後に到りて、一々の全身舎利を以て七宝塔を起こす——縦広一の四天下、高は梵天に至り、表刹荘厳にして——一切の華香・瓔珞・幢幡・伎楽の微妙第一を以て、もし一劫、もし一劫を減じて之を供養す、天帝の見る所に於ていかん、あの人の植福は豈に多からざるや?」
釋提桓因言:「多矣!世尊!彼之福德,若以百千億劫說不能盡。」
釋提桓因言う——「多し!世尊!彼の福徳は、もし百千億劫を以て説くとも能く尽くさじ。」
佛告天帝:「當知是善男子、善女人聞是不可思議解脫經典,信解受持,讀誦修行,福多於彼。所以者何?諸佛菩提皆從是生;菩提之相不可限量,以是因緣福不可量。」
仏は天帝に告げたまう——「まさに知るべし此の善男子・善女人此の不可思議解脱の経典を聞きて、信解受持して、読誦修行せば、福彼より多し。なぜなら、諸仏の菩提は皆此より生ずれば;菩提の相は限量すべからず、此の因縁を以て福は量るべからず。」
佛告天帝:「過去無量阿僧祇劫,時世有佛,號曰藥王如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。世界名大莊嚴,劫曰莊嚴,佛壽二十小劫。其聲聞僧三十六億那由他,菩薩僧有十二億。天帝!是時有轉輪聖王,名曰寶蓋,七寶具足,主四天下。王有千子,端正勇健,能伏怨敵。
仏は天帝に告げたまう——「過去の無量阿僧祇劫に、当時世に仏有りて、号して薬王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰う。世界は名を大荘厳と曰い、劫は名を荘厳と曰い、仏の寿は二十小劫なり。その声聞僧は三十六億那由他、菩薩僧は十二億有り。天帝!この時転輪聖王有りて、名を宝蓋と曰い、七宝具足して、四天下を主る。王に千の子有りて、端正勇健にして、能く怨敵を伏す。
「爾時寶蓋與其眷屬,供養藥王如來,施諸所安,至滿五劫。過五劫已,告其千子:『汝等亦當如我,以深心供養於佛。』於是千子受父王命,供養藥王如來,復滿五劫,一切施安。其王一子,名曰月蓋,獨坐思惟:『寧有供養殊過此者?』以佛神力,空中有天曰:『善男子!法之供養勝諸供養。』即問:『何謂法之供養?』天曰:『汝可往問藥王如來,當廣為汝說法之供養。』
(仏つづけて言う——)「その時宝蓋はその眷属と薬王如来を供養して、諸の安き所を施して、五劫に満つ。五劫を過ぎ已りて、その千子に告げて言く——『汝らもまたまさに我のごとく、深心を以て仏を供養すべし。』ここに千子は父王の命を受けて、薬王如来を供養して、また五劫に満ちて、一切施安せり。あの王に一子あり名を月蓋と曰い、独り坐して思惟す——『豈に供養ありて此を過ぎる者有らんや?』仏の神力を以て、空中に天ありて説いて言く——『善男子!法の供養は諸の供養に勝れたり。』即ち問う——『何をか法の供養と謂う?』天言う——『汝往きて薬王如来に問うべし、まさに広く汝のために法の供養を説かん。』
「即時月蓋王子行詣藥王如來,稽首佛足,卻住一面,白佛言:『世尊!諸供養中,法供養勝。云何為法供養?』佛言:『善男子!法供養者,諸佛所說深經,一切世間難信難受,微妙難見,清淨無染,非但分別思惟之所能得,菩薩法藏所攝,陀羅尼印印之;至不退轉,成就六度,善分別義,順菩提法,眾經之上;入大慈悲,離眾魔事及諸邪見;順因緣法,無我、無人、無眾生、無壽命,空、無相、無作、無起;能令眾生坐於道場而轉法輪,諸天、龍神、乾闥婆等所共歎譽;能令眾生入佛法藏,攝諸賢聖一切智慧;說眾菩薩所行之道;依於諸法實相之義,明宣無常、苦、空、無我、寂滅之法;能救一切毀禁眾生,諸魔外道及貪著者能使怖畏,諸佛賢聖所共稱歎;背生死苦,示涅槃樂,十方三世諸佛所說;若聞如是等經,信解、受持、讀誦,以方便力為諸眾生分別解說,顯示分明,守護法故,是名法之供養。又於諸法如說修行,隨順十二因緣,離諸邪見,得無生忍;決定無我無有眾生,而於因緣果報無違無諍,離諸我所;依於義不依語,依於智不依識,依了義經不依不了義經,依於法不依人;隨順法相,無所入,無所歸;無明畢竟滅故,諸行亦畢竟滅,乃至生畢竟滅故,老死亦畢竟滅:作如是觀十二因緣,無有盡相,不復起見,是名最上法之供養。』」
(仏つづけて言う——)「即時月蓋王子は薬王如来の所に往きて、仏足に稽首し、退きて一面に住して、仏に謂いて言く——『世尊!諸の供養の中に、法供養を勝と為す。何をか法供養と謂う?』仏言う——『善男子!法供養とは、是れ諸仏の説く所の深経にして、一切の世間の信じ難く受け難く、微妙にして見え難く、清浄にして染なく、單に分別思惟の能得る所にあらず、菩薩の法蔵の摂する所と為り、陀羅尼の印を以て之を印す;不退転に至りて、六度を成就し、善く義を分別し、菩提の法に随順して、衆経の上に在り;大慈悲に入りて、衆の魔事および諸の邪見を離れ;因縁の法に随順して、我なく人なく衆生なく寿命なく、空・无相・無作・無起なり;能く衆生をして道場に坐して法輪を転ぜしむ、諸の天・龍神・乾闥婆等の共に歎誉する所なり;能く衆生をして仏の法蔵に入らしめ、諸の賢聖の一切の智慧を摂す;衆の菩薩の行ふ所の道を説き;諸法の実相の義に依りて、明らかに無常・苦・空・無我・寂滅の法を宣べ;能く一切の毀禁の衆生を救い、諸の魔・外道および貪著の人をして怖畏せしむる能く、諸仏賢聖の共に称歎する所なり;生死の苦に背きて、涅槃の楽を示す、十方三世の諸仏の説く所なり;もしかくのごとき等の経を聞きて、信解・受持・読誦して、方便の力を以て諸の衆生のために分別して解説し、顕示して分明ならしめ、法を守護するが故を為すれば、これを名づけて法の供養と曰う。また諸法に於て説のごとく修行して、十二因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)に随順して、諸の邪見を離れて、無生忍を得;決定に我なく衆生なくして、しかして因縁果報に於て違なく諍なく、諸の我所を離れ;義に依りて語に依らず、智に依りて識に依らず、了義経に依りて不了義経に依らず、法に依りて人に依らず;法相に随順して、入る所なく、帰する所なし;無明畢竟に滅するが故に、諸行もまた畢竟に滅す、乃至生畢竟に滅するが故に、老死もまた畢竟に滅す:かくのごとく十二因縁を観ずるに、尽相なく、復た見を起こさず、これを名づけて最上法の供養と曰う。』」
佛告天帝:「王子月蓋從藥王佛聞如是法,得柔順忍。即解寶衣嚴身之具,以供養佛,白佛言:『世尊!如來滅後,我當行法供養,守護正法。願以威神加哀建立,令我得降魔怨,修菩薩行。』佛知其深心所念,而記之曰:『汝於末後守護法城。』天帝!時王子月蓋,見法清淨,聞佛授記,以信出家,修集善法;精進不久,得五神通,逮菩薩道,得陀羅尼,無斷辯才。於佛滅後,以其所得神通、總持、辯才之力,滿十小劫,藥王如來所轉法輪隨而分佈。月蓋比丘以守護法,勤行精進,即於此身,化百萬億人於阿耨多羅三藐三菩提立不退轉;十四那由他人,深發聲聞、辟支佛心;無量眾生得生天上。天帝!時王寶蓋豈異人乎?今現得佛,號寶炎如來;其王千子,即賢劫中千佛是也——從迦羅鳩孫駄為始得佛,最後如來號曰樓至。月蓋比丘,即我身是。如是,天帝!當知此要:以法供養於諸供養為上為最,第一無比。是故,天帝!當以法之供養,供養於佛。」
仏は天帝に告げたまう——「王子月蓋は薬王仏よりかくのごときの法を聞きて、柔順忍を得たり。即ち宝衣・厳身の具を解きて以て仏を供養して、仏に謂いて言く——『世尊!如来の滅後、我まさに法供養を行じて正法を守護せん。願わくは威神を以て哀れに建立し加えて、我をして魔怨を降伏し菩薩の行を修するを得せしめん。』仏はその深心の念じたる所を知りて、授記して言う——『汝は末後に於て法城を守護せん。』天帝!当時王子月蓋は法の清浄なるを見、仏の授記を聞きて、信を以て出家して、善法を修集す;精進して久しからずして、五神通を得、菩薩道に逮し、陀羅尼を得て、無断の弁才を得たり。仏の滅後に於て、その得たる所の神通・総持・弁才の力を以て、十小劫に満ちて、薬王如来の転ぜし所の法輪に随ひて分布す。月蓋比丘は法を守護するを以て、勤めて精進を行じて、即ち此の身に於て、百万億の人を無上正等正覚に於て安立不退転せしめ;十四那由他の人は深く声聞・辟支仏の心を発し;無量の衆生は天上に生ずることを得たり。天帝!当時の宝蓋王は豈に別人ならんや?いま現に已に仏を得たり、号を宝炎如来と曰う;あの王の千子は、即ち賢劫の中の千仏——迦羅鳩孫駄を始めとして仏を得て、最後の如来は号して楼至と曰う。月蓋比丘は、即ち是れ我が身なり。このごとく、天帝!まさに此の要を知るべし:法の供養を以て諸の供養に於て上と為し最と為し、第一にして比ぶるなし。この故に、天帝!まさに法の供養を以て仏を供養すべし。」
維摩詰所說經囑累品第十四
維摩詰所説経 囑累品第十四
於是佛告彌勒菩薩言:「彌勒!我今以是無量億阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法,付囑於汝。如是輩經,於佛滅後末世之中,汝等當以神力廣宣流佈於閻浮提,無令斷絕。所以者何?未來世中,當有善男子、善女人及天、龍、鬼神、乾闥婆、羅剎等,發阿耨多羅三藐三菩提心,樂於大法;若使不聞如是等經,則失善利。如此輩人聞是等經,必多信樂,發希有心,當以頂受,隨諸眾生所應得利,而為廣說。
ここに仏は弥勒菩薩に告げたまう——「弥勒!我いま此の無量億阿僧祇劫に集めたる所の無上正等正覚の法を以て、汝に付嘱す。かくのごとき一類の経典は、仏の滅後の末世の中に於て、汝らまさに神力を以て閻浮提に広く流布を宣べて、之をして断絶せしむるなかれ。なぜなら、未来世の中に、まさに善男子・善女人および天・龍・鬼神・乾闥婆・羅刹等ありて、無上正等正覚心を発して、大法を楽わん;もし彼らをしてかくのごとき等の経を聞かしめざれば、則ち善利を失わん。かくのごとき一類の人はかくのごとき等の経を聞かば、必ず多く信楽して希有の心を発さん、まさに頂受して、諸の衆生の応に得べき所の利に随ひて之のために広く説くべし。
「彌勒!當知菩薩有二相。何謂為二?一者、好於雜句文飾之事;二者、不畏深義如實能入。若好雜句文飾事者,當知是為新學菩薩;若於如是無染無著,甚深經典無有恐畏,能入其中,聞已心淨,受持讀誦,如說修行,當知是為久修道行。
(仏つづけて言う——)「弥勒!まさに知るべし菩薩に二相有り。いずれの二相ぞ。一には雑句文飾の事を好み;二には深義を畏れずして実のごとく能く入る。もし雑句文飾の事を好む者は、まさに知るべし是れ新学の菩薩なり;もしかくのごとき染なく著なきの甚深の経典に於て恐畏なくして、その中に入ること能くし、聞き畢わりて心浄にして、受持・読誦して、説のごとく修行するは、まさに知るべし是れ久しく道行を修せるなり。
「彌勒!復有二法名新學者,不能決定於甚深法。何等為二?一者、所未聞深經,聞之驚怖生疑,不能隨順,毀謗不信,而作是言:『我初不聞,從何所來?』二者、若有護持、解說如是深經者,不肯親近、供養、恭敬,或時於中說其過惡。有此二法,當知是為新學菩薩,為自毀傷,不能於深法中調伏其心。
(仏つづけて言う——)「弥勒!また二法ありて名づけて新学の者と曰う、甚深の法に於て決定すること能わず。いずれの二法ぞ。一には未だ聞かざるの深経を、聞きて驚怖し疑を生じて、随順する能わず、毀謗して信ぜずして、かくのごとく言う——『我当初聞くことあらざりき、何処よりか来たる?』二にはもし護持してかくのごとき深経を解説する者有らば、肯んじて親近・供養・恭敬せずして、或いは時にその中に於てその過悪を説く。此の二法有れば、まさに知るべし是れ新学の菩薩、自らのために毀傷して、能く深法に於てその心を調伏するあらず。
「彌勒!復有二法,菩薩雖信解深法,猶自毀傷,而不能得無生法忍。何等為二?一者、輕慢新學菩薩,而不教誨;二者、雖解深法,而取相分別。是為二法。」
(仏つづけて言う——)「弥勒!また二法ありて、菩薩は深法を信解すと雖も、還りて自ら毀傷して、しかも無生法忍を得る能わず。いずれの二法ぞ。一には新学の菩薩を軽慢して誨えず;二には深法を解すと雖も、相を取りて分別す。是れを二法と為す。」
彌勒菩薩聞說是已,白佛言:「世尊!未曾有也!如佛所說,我當遠離如斯之惡,奉持如來無數阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法。若未來世善男子、善女人求大乘者,當令手得如是等經,與其念力,使受持讀誦、為他廣說。世尊!若後末世,有能受持讀誦、為他說者,當知皆是彌勒神力之所建立。」
弥勒菩薩はこれらの話を聞きて、仏に謂いて言う——「世尊!未曾有なり!仏の説きたまうがごとく、我まさにかくのごときの悪を遠離して、如来の无数阿僧祇劫に集めたる所の無上正等正覚の法を奉持せん。もし未来世の善男子・善女人の大乗を求める有らば、まさに手にかくのごとき等の経を得せしめ、念力を与えて、受持・読誦して他のために広く説かしめん。世尊!もし後の末世に能く受持・読誦して他のために説く者有らば、まさに知るべし皆是れ弥勒の神力の建立する所なり。」
佛言:「善哉,善哉!彌勒!如汝所說,佛助爾喜。」
仏言う——「善きかな、善きかな!弥勒!汝の説くがごとく、仏は汝を助けて歓喜す。」
