六壬论命秘要 · 第1巻
本書は六壬の課式をもって一生の運命を推すもので、一事を占問するものではない。およそ人の富貴・貧賤と寿命の長短を断ずるには、「本命」と「行年」…
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
六壬論命秘要
総論・身命
凡論人富貴貧賤壽夭,只看身命,更以干支用神,相生相合則命吉,如克害則命凶也。如身命旺相遇酃神良將生扶合助而不來刑剋害者,必主其人有富貴福壽。若休囚無氣,更遇凶神惡將剋制,必主其人非夭即貧,無造化之人也。
本書は六壬の課式をもって一生の運命を推すもので、一事を占問するものではない。およそ人の富貴・貧賤と寿命の長短を断ずるには、「本命」と「行年」の二ヶ所だけを見る。本命とは生年の地支のある宮位、行年とは年々推移して至る宮位で、この二つを合わせて身命という。さらに日干・日支の上の「用神」を取って参看する。身命と干支の用神とが相生相合すれば命は吉、互いに刑克傷害すれば凶である。もし身命が旺相の地にあって、さらに吉神・良将(原文の「酃神」は「吉神」の誤り)が生扶合助に来て、刑冲克害がなければ、その人は必ず富貴・福寿を兼ね備える。逆に、身命が休囚に落ちて気がなく、さらに凶神悪将に克制されれば、その人は夭折するか貧窮するかで、造化のない人である。
大忌身命空亡及入墓,蓋空亡只主一身作事無成,多謀少遂,難立家計;入墓則主一世昏晦不明,行藏動靜必不亨快;又嫌身命瘦弱無助,蓋無氣遇扶必因人並立;如更遇刑沖剋害則官府欺凌,小人謗毀。若有氣無助必獨立撐持,如更遇生扶合助則貴人提攜。
身命を推すに最も忌むべきは二つ。一は身命が「旬空」に落ちること、一は身命が「入墓」することである。空亡に落ちる人は一生仕事が成らず、謀ること多く成ること少なく、家計を立て難い。入墓の人は一生昏昧で明らかでなく、進退・動静のいずれも痛快でない。次に恐れるのは身命が薄弱で助けのないこと。もとより気がなくて幸い生扶があれば、他人に依って立つほかない。気がない上に刑冲克害に遭えば、官府に欺凌され、小人に謗毁される。もとより気はあるが扶助する者がなければ、その人は独力で門戸を支えることができる。気があり、さらに生扶合助を得れば、貴人の提携がある。
又要財福旺相得地,如財無氣又臨死墓絕空而日干又被凶神惡將沖剋,無吉神將救助,此乃至下之命。如子無氣,又臨死墓絕空而日干又被凶神惡將剋制,無吉神將救助,亦為至下之命。蓋子妻空不為黃冠緇衣之僧道,則為乞丐之貧人,又安求其增益也。
さらに「妻財」と「子孫」の二爻が旺相で地を得ているかを見る。もし財爻に気がなく、また死・墓・絶の地に落ちるか空亡に落ちて、日干がさらに凶神悪将に冲克され、吉神良将の救いが全くなければ、これは最下等の命である。同様に、子孫爻に気がなく、また死・墓・絶・空に落ち、日干が凶神悪将に克制されて救いがなければ、やはり最下等の命である。妻財と子孫の両方が空であれば、その人は黄冠の道士か緇衣の僧侶になるか、さもなければ乞食の貧人に落ちるのであって、何の増益を望むことができようか。
大抵課命旺不如爻像旺,得課像旺可許其根基壯實;更得爻乘吉臨得力之地扶助身命,乃為十全造化。蓋人之根基繫於課,人之際遇繫於爻,故課命無氣,根基淺薄;爻像得地,際遇興隆。細看三傳吉凶,其榮枯實決於此。
大体において、四課と本命が当旺であることは、六親の爻象が当旺であるほどには重要ではない。課象が旺であれば、根基が壮実であると許すだけである。必ずさらに爻が吉将を乗せ、得力の地に落ちて身命を扶助してこそ、十全の造化という。人の根基は四課に係り、一生の際遇は爻象に係るからである。課と命に気がなければ根基は浅薄、爻象が地を得れば際遇は興隆する。さらに「三伝」の吉凶を細かく見れば、一生の栄枯は実にここに決する。
夫初傳為始,若財旺乘龍臨吉地,早年身必富貴,子旺興隆同傳初年子定軒昂,六合太常臨財為作經商買賣興家,太陰天后見妻財婚姻早娶,白虎乘鬼發用初歲多災,驛馬同虎鬼入傳必定傷災有患,金被火制筋骨癆病,火遭水克眼目昏蒙,土來克水蠱疾多殃,初得吉神臨於生旺,初景清高富貴。若遇凶怒惡煞,初年積害多災疾,疫多興。初年多困,兄弟勞動,早歲貧寒。
三伝は一生の三段を分けて主り、「初伝」は少年を主る。もし財爻が当旺で「青竜」を乗せ、吉地に落ちれば、早年に身家は必ず富貴となる。子孫爻が旺で初伝と同行すれば、少年のうちに児女も必ず立派である。「六合」「太常」が財爻を乗れば、商売を営んで家を興す。「太陰」「天后」で妻財が見えれば、早年に婚姻する。「白虎」が官鬼を乗せて「発用」となれば、幼年に災い多し。「駅馬」が白虎・官鬼とともに伝に入れば、必ず傷病の災患がある。金爻が火に制されれば、筋骨の労损の疾を主る。火爻が水に克されれば、眼目が昏花する。土が来て水を克すれば、蠱胀の類の病殃を主る。初伝が吉神を得て生旺の地に臨めば、早年の景况は清高で富貴。凶神悪煞に逢えば、少年のうちに病を积み災い多く、時疫が頻りに起こり、至るところ困顿し、さらに兄弟のために労苦して奔走し、早歳は貧寒である。
中傳財馬中年立業興家,子乘青龍並立,金玉滿堂餘慶;雀蛇乘旺臨鬼,中年多遭非禍;勾空帶 詞訟有傷;年命日辰有二德皇書恩赦救 解。末見吉神一路春風,若遇凶煞無制老來孤困極窮。又如初傳德合末傳克害,即幼年發福,末年貧寒 ;或初傳刑傷,末傳生比,即主幼年貧困,老境亨通也。
「中伝」は中年を主る。中伝に財爻と駅馬が見えれば、中年に業を立て家を興す。子孫爻が「青竜」を乗せて並び立てば、金玉堂に満ち、福沢に余りあり。「朱雀」「騰蛇」が旺を乗せて官鬼に臨めば、中年に横禍を多く遭う。「勾陳」「天空」が煞を帯びれば(ここは底本に脱字あり)、詞訟に纏われて傷損を受ける。幸いにも行年・本命と日辰の上に天徳・月徳の二徳、皇書、恩赦などの吉神があれば、救い解くことができる(ここにも底本に脱字あり)。「末伝」は晚年を主る。末伝に吉神が見えれば、晚境は一路春風のごとし。凶煞に逢って制伏するものがなければ、老いて孤苦・困窮となる。また交錯の見方もある。初伝が徳合を得て末伝が克害に遭えば、幼年に福を発し晚年は貧寒。初伝が刑傷を受けて末伝が生比を得れば、幼年は貧困で老境は亨通を主る。
又看十二宮生扶合助日干本命,即主其宮諸事順利發達,如嘧祿宮得二馬,或儀奇皇恩等吉及龍富貴朱將與本命日干相不人即主得美官;如見以上諸吉,倘若囚死之地則主得微官。尤要日上與命上俱吉,方許得名位。如以上諸吉只見生合,但許游泮而已。如生得旺稍得幫補,或貢監不能大貴也。
さらに十二宮を見る。およそある宮が日干と本命を生扶合助することができれば、その宮の主る事は順調に発達する。たとえば官禄宮(原文の「嘧禄宮」は「官禄宮」の誤り)が天馬・駅馬の二馬を得、あるいは儀・奇・皇恩などの吉神、および「青竜」「朱雀」のような貴将が本命・日干と相合相扶すれば、美しい官職を得ることを主る。同じようにこれらの吉神を見ても、囚死の地に落ちていれば、卑微な小官しか得られない。とりわけ日干の上と本命の上がともに吉であることが要で、はじめて名位を成すことを許す。これらの吉神がただこれと生合するだけなら、せいぜい進学して泮に入ることを許すにすぎない。旺気を得てわずかに幇補があれば、貢生・監生の類にとどまり、大いに貴くなることはできない。
又如財帛宮得吉神良將與命宮無刑沖破害等,與干相生合,即主財帛厚產業興隆。如兄弟宮得吉神良將與命干無刑沖破害等,即主兄弟富貴和睦。如田宅宮得良神吉將與命宮無刑沖剋害等,則田宅增盛利益也。其奴僕男女妻子等宮。皆依此推之。
また財帛宮が吉神良将を得て、命宮との間に刑・冲・破・害がなく、また日干と相生相合すれば、財帛が厚く產業が興隆することを主る。兄弟宮が吉神良将を得て、本命・日干との間に刑冲破害がなければ、兄弟が富貴でかつ和睦することを主る。田宅宮が良神吉将を得て、命宮と刑冲克害がなければ、田宅が日に増し利益が日に厚いことを主る。そのほか奴僕宮・男女宮・妻妾宮なども、すべてこの法に依って類推する。十二宮の見方にはただ一条の準則があることがわかる。その宮の乗ずる神将が吉か否か、命宮・日干との間に刑冲破害があるか否か、互いに生合か相克か、この三項を合わせて見ればよいのである。
若看大運流年月令高低,看某運某年某月令與日干生旺比和德合,更有吉神良將即主某運某年某月內有進益之喜,凡事吉利通達。如見刑沖破害等凶神惡煞便知何年月 內不利也。大抵持年稍重些,當與八字參詳看之。
大運・流年と月令の高低を見るには、次のようにする。ある運・ある年・ある月の月令と日干とが生旺・比和・徳合するかを見る。もしさらに吉神良将がともに臨めば、その運・その年・その月のうちに進益の喜びがあり、万事が吉利で通達する。刑・冲・破・害などの凶神悪煞が見えれば、その年・その月のうちは不利と知る。大体において流年の値する分量はやや重く見るべきであり、かつ八字と合わせて参ずべきである。
蓋推人之命關乎大造,非可輕斷,必須潛究根原,審察衰旺,生合刑害,年曆家把作得定,方可與人決斷吉凶,剖分得夫。若不細心推究而妄行決斷,富貴窮通成敗利鈍而無差誤者,未有之也。
要するに、人の命を推し断ずることは造化の大端に関わるので、軽率に断を下してはならない。必ず沈潜して根源を窮め、衰旺を審察し、生合・刑害を辨明し、年暦の干支を一つずつ排定してから、はじめて人のために吉凶を決断し得失を剖析することができる。もし細心に推究せず妄りに断語を下して、なお人の富貴・窮通、成敗・利鈍を寸分違わず言い当てようとするなら、そんなことはかつてあったためしがない。
女命を論ず
推婦人之命與男命不同,惟取其柔順情正為吉,凡宮中寧夫之於弱不可失之於強,婦命以支上神為最要,支上神吉,其女良;支上神惡,其女悍。以用傳觀其益夫旺子之由,以各宮看其六親完缺之因。
女子の命を推すのは男命を推すのと異なる。女命はただ柔順で情性の端正なことをもって吉とし、およそ各宮の気勢は、むしろ偏弱に失しても強すぎるに失してはならない(原文の「寧夫」は「寧失」の誤り)。女命は日支上神が最も緊要である。支上神が吉ならその女は必ず賢良、支上神が凶悪ならその女は必ず悍戻である。さらに「発用」と三伝によって夫を益し子を旺かせることができるかを見、十二宮によってその六親の揃い具合あるいは残欠を見る。
女命喜坐克宮,主慎重而有禮;坐小宮恐太過而嬌恣;最不宜沖宮動搖,更有陰合乘之恐別宮無制,則抱琵琶而過別船,不然亦有媒妮之流。坐害宮主不睦而嫉妒,坐刑害多刑傷暴戾;而坐德祿宮作命婦推之。而歷重有福,入空鄉無救作寡婦斷之而孀居無依,坐丁馬更帶神再乘勾京陰合者鞏棄禮義而忻私奔。若坐丁馬乘貴常等吉將,他宮遙制,又當以貴論也。
女命は克を受ける宮に坐することを喜び、人となり慎重で礼あることを主る。気の小さい宮に坐すれば、柔弱が過ぎて嬌縦に流れることを恐れる。最も宜しからざるは相冲の宮に坐して揺動し定まらぬことであり、もしさらに「六合」「太陰」のような陰合の将がこれに乗り、別宮に制伏するものがなければ、改嫁の事があり、いわゆる琵琶を抱いて別船に渡る類である。そうでなくとも媒妁を業とする類となる。相害の宮に坐すれば、家中が不睦となり嫉妬を生ずることを主る。刑害の地に坐すれば、刑傷多く性情は暴戻である。もし徳神・禄神の宮に坐すれば、誥命夫人と推し断ずることができ、福沢は深厚である。もし空亡に落ちて救いがなければ、寡婦と断じ、孀居して寄るべなし。もし丁神・駅馬に坐し、また煞を帯びて「勾陳」「太陰」「六合」を乗ずれば、礼義を抛棄して欣然と私奔する事がある。ただし同じく丁馬に坐しても「貴人」「太常」などの吉将を乗せ、別宮がまた遥かにこれを制伏することができれば、それはまた貴命として論ずべきである。
至於男命德與學堂並則為官清正,祿與長生並則為人富厚,遇被害為學堂則為術三推之。若婦人值破害為學堂,又決為青樓人矣。值德祿為學堂,又斷為賢德之母也。如是值類而旁通之,其壬書推命之理始可得也。
男命について言えば、徳神と「学堂」が同宮にあれば、官をして清正たらしめることを主る。禄神と「長生」が同宮にあれば、人となり富厚であることを主る。もし学堂の位がかえって刑害されれば、術士の類として推すべきである(この句は底本に訛字あり)。同じ学堂でも、婦人の命の上で破に遭い害に遭えば、青楼の中人と断ずる。徳・禄と同処すれば、賢徳の母と断ずる。このように値する神に依って触類傍通してこそ、六壬の書の推命の理が真に手に入ったというべきである。
身命を推す総決
身命之法即自有五,一根基二妻子三財官四限運五壽數,身命為本體,以財官為用神,推吉旺則福多,究凶衰則禍少,但依此決斷,無紊亂之意。第一節先看日上為主,若見貴人青龍等吉神生旺者,身命有氣為可貴可富之人。若日上見墓絕,身命無氣,雖遇龍堂吉神亦足小可規模,主虛花不實之像。君日干無氣,又臨凶煞,乃下等疾困之輩,若日上有氣,卻臨凶煞,乃修偉榮顯而帶殘疾之人;若凶煞有制,反主假煞為權矣。故以日干為身,以日上神為所作之事而論。
身命を推す法門は全部で五節ある。一に根基を見、二に妻子を見、三に財官を見、四に限運を見、五に寿数を見る。身命は本体であり、財爻・官爻をもって用神とする。吉を推して当旺なれば福は多く、凶を究めて衰敗なれば禍は少ない。ただこの五節に依って断ずれば、条理は紊れない。第一節は、まず日干上神を主とする。もし「貴人」「青竜」などの吉神を見て生旺に処し、身命に気があれば、この人は貴くもなり富みもする。もし日干の上に墓を見、絶を見て、身命に気がなければ、たとえ青竜の類の吉神に遇うても、小小の格局、虚華にして実なき象にすぎない。もし日干自体に気がなく、また凶煞に臨めば、下等の困病の人である。日干に気があって凶煞に臨めば、形貌魁偉・地位栄顕にして残疾を帯びた人である。凶煞に別途制伏があれば、かえって煞を借りて権とする。ゆえにこの節は日干をもってその人の身を代表し、日干上神をもってその人の為す事を代表して論ずる。この一層こそ全書推命の根基であって、後の四節はみなここから生発する。
第二節須看辰上神,為妻室子孫,推福德日辰相生相合,夫妻和翕,偕老百年;相剋相沖,夫妻反目,即朝夕不睦。辰上吉神臨之主好妻;若凶神惡煞臨之,其妻必惡;課無妻財主無妻室;或妻爻重見,辰上值空,主妻刑傷。兄弟爻見防有剋制。課中有子必有子孫,若無子爻後無子息,子孫空亡多養少成。
第二節は日支上神を見る。それは妻室と子孫を代表し、これによって福徳を推断する。日と辰とが相生相合すれば、夫妻は和睦して白首ともに老ゆることができる。日と辰とが相克相冲すれば、夫妻は反目して朝夕和せず。日支の上に吉神が臨めば、良き妻を娶ることを主る。凶神悪煞が臨めば、その妻は必ず凶悍である。四課の中に妻財爻が見えなければ、妻室がないことを主る。妻爻が重複して現れ、日支の上がまた空亡に落ちれば、妻に刑傷あることを主る。課中に兄弟爻が見えれば、それが妻財を克制することを防ぐべし。課中に子孫爻があれば、必ず児女あり。全く子爻がなければ、後日に子息なし。子孫爻が空亡に落ちれば、生養は多くて成活は少ない。
第三節看財官,若日月有氣,官祿貴馬龍常印綬諸吉生合日干者,乃官貴之命。若子孫妻財青龍常諸吉神臨日合日者,乃富貴之之命也。凡子爻制則有官,如子爻見而無制則官,兄爻見無制則財薄。
第三節は財爻と官爻を見る。もし日干・月建ともに気があり、官禄・貴人・駅馬、「青竜」「太常」、印綬これらの吉神が来て日干を生合すれば、官貴の命である。子孫爻・妻財爻と青竜・太常などの吉神が日干に加臨するか日干と相合すれば、富貴の命である。およそ子孫爻が制伏を受け、官星が傷られなければ、官を得ることができる。子孫爻が現れて制伏がなければ、官星が克されて官運は損なわれる。兄弟爻が現れて制伏がなければ、財は必ず单薄である。
第四節論運限,凡日上旺相遇財官發福增產,遇鬼煞須防媽險,遇兄弟必主破財,若日衰遇官鬼則變官為鬼賊,遇父母則變為艱辛,遇財福稍可發,遇兄弟則必遭禍患,看在何爻便斷何年發作。
第四節は運限を論ずる。およそ日干上神が旺相に処して、行運が財爻・官爻に遇えば、福を発し產を増す。官鬼・凶煞に遇えば、危険を防がねばならない(原文の「媽険」は「危険」の誤り)。兄弟爻に遇えば、必ず財を破る。もし日干自体が衰弱で、行運が官鬼に遇えば、官星は変じて鬼賊となり人を害する。父母爻に遇えば、労苦・艰辛となる。財爻・子孫爻に遇えば、なおいくらか発達し得る。兄弟爻に遇えば、必ず禍患に遭う。凶吉がどの爻に落ちるかを見て、その爻に相応するどの年に発作するかを断ずるのである。
第五節論壽數。壽數不可一概而論,若日上無氣,遇官鬼大煞白虎喪門弔客在邪爻作黨者,即知在何運中,遇之即死。日旺勝煞者不過災病,一路平順,一年一位細推詳,夭壽貴賤從此決。
第五節は寿数を論ずる。寿数は一概に論じられない。もし日干上神に気がなく、また官鬼・大煞・「白虎」および喪門・吊客などの凶神が同一爻の上に聚まって結党すれば、どの歩の運の中に応ずるかを見出すことができ、一遇えば性命の憂いがある。逆に、日干が旺で凶煞に勝ることができれば、ただ一场の災病にすぎず、此後は一路平順である。推し方は一年に一位を占い、位を逐うて細かく推詳し、寿夭・貴賤はみなこれによって決まる。
十二宮論
命到財官一徨優,身更入吉又何求?旺相為善休囚惡,德為喜悅刑沖憂。十二宮中仔細看,何宮為劣何宮優。劣則為忌優則吉,妻財子祿辨其由。
この節は歌訣をもって十二宮を分説する。本命が財宮・官宮に行き至れば、至るところ優裕である。身宮がさらに吉神の上に落ちれば、なお何を求めることがあろう。およそ宮が旺相の気を得れば善し、休囚に落ちれば悪し。徳神が来て会すれば喜ぶべく、刑冲に遭えば憂うべし。十二宮を一つずつ仔細に見て、どの宮が劣でどの宮が優かを分かたねばならない。劣なるはすなわち忌むところ、優なるはすなわち吉なるところ。妻・財・子・禄の各項の由来は、みなここから辨明される。
財帛宮見天中煞,更有比運轉在其家,將來依理推了去,不是寒士即浮誇。兄弟之宮刑煞遇,更有天刑獄而加。凶喪死氣或沖害,若非隻身是仇家。
財帛宮に天中煞が見え、また比劫の運に逢って他の家に転じれば、この理に照らして推せば、その人は清寒の士か、さもなければ虚浮夸誕の輩である。兄弟宮が刑煞に遇い、さらに天刑・獄神、あるいは凶喪・死気の神を加え、あるいは冲に遭い害に遭えば、兄弟の間は孤身無靠か、さもなければ仇敵のごとくなる。
田宅宮中是虛抵,天鬼天賊怕相交。旺相吉神日增盛,凶神凶將漸蕭條。男女宮中見吉神,長生為用生氣臨,良將並見多兒女,反此子息無處尋。
田宅宮は最も空に落ちて実なきことを怕れ(原文の「虚抵」は「虚耗」の類とすべき)、さらに天鬼・天賊これらの凶神と交会することを怕れる。旺相の気を得て吉神と同じく臨めば、田宅は日に日に増盛する。凶神凶将が当値すれば、家業は一日として蕭条となる。男女宮の中に吉神が見え、また「長生」をもって用神とし、兼ねて生気が宮に臨み、良将ともに見えれば、児女が衆多であることを主る。これと反対ならば、子息は求めても得られない。
奴僕宮中何以論?受克為順生不遜。若遇虎勾並厭煞,將來惹禍累主人。妻妾之宮怕刑沖,無刑無劫便為佳。有善逢吉為良德,益夫益子善持家。
奴僕宮はどう見るべきか。この宮は克を受けてかえって奴僕の恭順を主り、生を得てかえって奴僕の不遜を主る。別宮の生を喜び克を忌むのとちょうど正反対である。「白虎」「勾陳」に遇って月厭の凶煞を並び帯びれば、将来奴僕が必ず禍を惹き起こして主人を累わす。妻妾宮は最も刑冲を怕れ、刑がなく劫煞もなくてはじめてよい。この宮に善神があって吉将に逢えば、賢良有德の妻で、夫を益し子を益し、家を持つに善い。
疾厄之宮卻喜空,支忌丘墓莫相逢。若遇德神為有救,如遭惡將定主凶。遷移宮內逢二空,空空如也復空空。若遷到處人欽敬,則德祿馬在對宮。
疾厄宮はかえって空に落ちることを喜び、空に落ちれば一生病が少ない。ただ日支の忌むところの丘・墓などの神と相逢することを忌む。この宮が徳神に遇えば、たとえ病あっても救いあり。悪将に遭えば、必ず凶を主る。遷移宮がもし両重の空亡に逢えば、それは真に空如也で、一たび遷り再び遷しても一つの得るところもない。どこに遷っても人の欽敬を受けようとするには、徳神・禄神と駅馬がその対宮に落ちて照応しなければならない。
官祿之鄉所繫重,天驛二馬動人應。若也無馬官不顯,或再無祿官缺俸。學堂龍 德祿官星後作空。若非官職有黜革,便為庸庸世上翁。
官禄宮は関係が最も重い。天馬・駅馬の二馬が発動してこそ、人事上の応えがある。全く駅馬がなければ、官職は顕達しない。さらに禄神がなければ、官はあっても実俸がない。もし学堂・「青竜」・徳神・禄神と官星の後がことごとく空に落ちるならば(ここは底本に脱字あり)、官職が罷黜革除されるか、さもなければ世上で碌々として為すところのない老翁となるだけである。
福德之宮照得寬,遇吉為榮凶則寒。此處逢空遇劫煞,一生坎坷無足言。如有吉神良將會,便得優遊子孫綿。十二相貌看時辰,不正相不真。若帶勾玄並蛇虎,五官有破何須論。貴常龍合旺相吉,相貌魁偉人敬親。以上所說若入空,遇吉不吉凶不凶。此進不可泥而執,大道原來要變通。
福徳宮の照らす範囲は最も広い。吉神に遇えば一生栄顕、凶神に遇えば一生寒薄である。この宮が空亡に落ちてまた劫煞に遇えば、一生は坎坷で言うに足らない。吉神良将が来て会すれば、優游自在にして子孫は綿延する。第十二宮は相貌を見るが、生時の上から取るべきである。時辰の取り方が正しくなければ、断ずる相貌も真でない。「勾陳」「玄武」および「騰蛇」「白虎」を帯びれば、五官に必ず破損があり、多く言うまでもない。「貴人」「太常」「青竜」「六合」を得てまた旺相ならば、相貌は魁偉端正で、人に敬愛され親しまれる。以上に言った種々のことも、いったん空亡に落ちれば、吉に遇いてもその吉が見えず、凶に遇いてもその凶も見えなくなる。ここの門径は死守して化しないべきではなく、大道はもとより変通を貴ぶのである。
貴賤を占う
靈轄經曰:欲知貴賤者,子午丑未寅申生人以天罡加本命,卯酉辰辰戌巳亥生人以天魁加本命,視其生月上,見功曹傳送神后勝光大吉小吉,此六神皆主大富貴也。若見天罡或天魁,主貧窮無神。
《霊轄経》にいう。人の貴賤を知らんとするには、一つの専門の加臨法を用いる。およそ子・午・丑・未・寅・申の年生まれの人は、辰の「天罡」を本命の地支の上に加える。卯・酉・辰・戌・巳・亥の年生まれの人は、戌の「天魁」を本命の地支の上に加える(原文の「卯酉辰辰戌巳亥」は「辰」の字が重出し、底本の誤りである)。加え定めた後、さらに生月のある位の上にどの神が落ちるかを見る。もし寅の「功曹」、申の「伝送」、子の「神后」、午の「勝光」、丑の「大吉」、未の「小吉」この六神の一つに落ちれば、いずれも大富大貴を主る。もし辰の「天罡」か戌の「天魁」に落ちれば、貧窮にして依るべなしを主る。
一曰大吉封侯二千石,見功曹傳送刺史之職,小吉或醫巫之學,大吉登明六百石,勝光神后四百石。又曰,天罡加本命,生月上見登明大貴,大小吉次貴,勝光神后功曹傳送亦貴。見天罡須窮無位,此其大略也。
また一説に、貴賤を分けて品級を出す。生月の上に丑の「大吉」が見えれば、侯に封ぜられ秩は二千石。寅の「功曹」・申の「伝送」が見えれば、刺史一級の職任である。未の「小吉」が見えれば、医に従い巫を為す類である。大吉がまた亥の「登明」とともに見えれば、六百石の官である。午の「勝光」・子の「神后」が見えれば、四百石の官である。別の一説は辰の「天罡」をもって本命に加える。生月の上に亥の「登明」が見えれば、大貴を主る。丑の「大吉」・未の「小吉」が見えれば、次いで貴し。午の「勝光」・子の「神后」・寅の「功曹」・申の「伝送」が見えても、また貴を主る。ただ辰の「天罡」を見るに限り、終身困窮して官位がない。これが貴賤を占う大略である。
流年の禍福を占う
欲知流年吉凶,以太歲加本命視其持年,上見功曹傳送者其利加增官祿,倍獲財利。若見天魁天罡者,其年災害疾病。欲知災事子加本命,魁罡下為厄事也。
ある年の吉凶を知らんとするには、その年の「太歳」を本命の地支の上に加え、さらに「行年」の値する位を見る。行年の上に寅の「功曹」・申の「伝送」が見えれば、その年に増官加禄の利があり、財利は倍する。戌の「天魁」・辰の「天罡」が見えれば、その年に災害・疾病がある。もし専ら災禍の事を知らんとするなら、子を本命の上に加えて推排し、魁・罡の下に落ちるところが、すなわち厄難あるところである。
又曰陽命以大吉,陰命以小吉加本命,視其行年上見寅卯午巳者,其歲有慶賀之事,非加官則添進人口也。又曰男以功曹,女以傳送加本命,看行年有太歲支德並者,其年福利也,或添進人口田產,增益盛事。若以年上見魁罡者不利。
また一説に、陽年生まれの人は丑の「大吉」を用い、陰年生まれの人は未の「小吉」を用いて、本命の地支の上に加え、さらに行年の位を見る。行年の上が寅・卯・巳・午に落ちれば、その年に慶賀の事があり、加官でなければ添丁進口である。さらに一説に、男子は寅の「功曹」を用い、女子は申の「伝送」を用いて、本命の地支の上に加え、行年の位に太歳・支徳がともに会集するかを見る。もしあれば、その年に福利があり、あるいは人口・田産を添え、あるいは諸事が興盛増益する。もし行年の位の上に戌の「天魁」・辰の「天罡」を見れば、すなわち不利である。
月令の吉凶を占う
欲知月令高低,以小吉加生月,若魁罡臨人年命者此月大凶,或官災病疾喪服也。又曰男以功曹,女以傳送加生月,若行年上見天罡天魁,其年有喪服官災事也。
ある月の高低・順逆を知らんとするには、未の「小吉」を生月の上に加えて排定する。もし戌の「天魁」・辰の「天罡」がちょうどその人の行年か本命の位の上を圧していれば、この月は大凶で、あるいは官司・災病・喪服の事がある。また一説に、男子は寅の「功曹」、女子は申の「伝送」を用いて生月の上に加える。もし行年の位の上に天罡・天魁を見れば、その年に喪服と官災がある。
寿夭を占う
欲知壽夭,專看本命上神,如生旺德合則主延年,如克害刑沖反此。大端長生壽,冠還臨官帝旺俱壯健,可望壽。沐浴好色多病,備氣不足;死墓絕胎養俱主夭。若見生氣者亦上壽也。又四孟作三傳遞生日干本命,主長壽。若從干遞生去者,名根斷源消,必主夭死。若死神帶虎克日,再見空亡者,為黃泉鬼也。
寿命の長短を知らんとするには、専ら本命上神を見る。本命上神が生旺の地に処し、また徳神・合神があれば、延年を主る。克害・刑冲に遭えば、結果はまさに反対である。大略に言えば、「長生」に坐すれば寿を主る。冠帯・臨官・帝旺に坐すれば、いずれも身体壮健で長寿を望むべし。沐浴に坐すれば、好色にして多病、元気足らずを主る。死・墓・絶・胎・養に坐すれば、いずれも夭折を主る。本命の上に別に「生気」が見えれば、これも上寿の相である。このほか、寅・申・巳・亥の四孟の神をもって三伝とし、しかも三伝が層を逐うて遞々に日干と本命を生ずるものは、長寿を主る。逆にもし日干から順々に次生じて出るものは、根断源消と呼んで、必ず夭亡を主る。死神が「白虎」を帯びて来て日干を克し、また空亡が見えれば、それは九泉の下の鬼である。
又曰,日上神生日主壽,辰上神生辰必主壯健,難以長壽言之。四仲作傳不夭不壽數之;四季作三傳則命無壽也。又曰先看四課,次論三傳,若四課中見凶神惡煞來克本命,三傳內若乘白虎有氣,行年上重逢喪吊克本命,此年矣。看命上得何神,便知何年命終。如功曹臨之即壽盡於寅年,太沖臨之即數盡於卯年也。菲日上見吉神良將來救者,立見災危,命不損傷也。當變通以求之也。
また一説に、日干上神が日干を生ずれば長寿を主り、日支上神が日支を生ずればただ身体壮健を主るのみで、まだ長寿とは言えない。子・午・卯・酉の四仲の神をもって三伝とすれば、寿数は夭せずしかも長からず。辰・戌・丑・未の四季の神をもって三伝とすれば、寿命は永くない。さらに一説に、まず四課を見、次いで三伝を論ず。四課の中に凶神悪煞が来て本命を克し、三伝の内にまた「白虎」が旺を乗じ、行年の上に再び喪門・吊客が重なって逢い本命を克すれば、性命はこの年に応ずる。いずれの年に終わるかは、本命の上にどの神を得るかを見る。たとえば寅の「功曹」が臨めば、寿は寅年に尽きる。卯の「太沖」が臨めば、数は卯年に尽きる。もし日干の上に別途吉神良将が来て救えば(原文の「菲」は「若」の誤り)、すなわち危難はあっても性命は損傷に至らない。この中はやはり変通をもって求めねばならない。
命数を論ず
數於年月日辰上見吉神良將者,旺相氣用傳始終旺相為積世富貴,;如始衰終旺則遲得名位;若所謂神,雖有旺相氣並用傳皆不與天乙相生者 必失也。
一生の命数を論ず。もし太歳・月建・日干・日支これらの処にいずれも吉神良将が見え、しかも旺相の気が「発用」と三伝を貫き、始めより終わりまで衰えなければ、それは累世富貴の家である。初め衰えて終わりに旺なれば、一歩遅れて名位を得る。いわゆる吉神について言えば、たとえ旺相の気があり、かつ発用と三伝が俱にあっても、皆「天乙貴人」と相生することができなければ、これらの吉神はついに用なく、必ず失落に至る(ここは底本に脱字あり)。
土源賦
河圖呈像,先後陳爻;二氣生於無窮。一 乃 達於地戶,氣必貫乎天門;蘊鬼戶之女 之妙用。夫人生於世者,有內造外造,理著於 生之克之,或空或通,或夭或左;生剋制化,究至理於無窮;旺相休囚,施妙用於不盡;沖宮識禍福之先後,合鄉呈吉凶之緩急;
《土源賦》にいう。河図はその象を呈し、先天・後天が順に爻位を排し、陰陽二気は生々して已まない。その気は一路「地戸」の巳位に通達し、また必ず「天門」の亥位に貫通し、鬼戸一路の妙用を蕩含している(本段は底本に脱字多く、空格をもってその闕を存し、あえて臆補しない)。人生に在世して、命に内造と外造の別があり、その道理は彼此の相生相克の上に顕現する。あるいは落空し、あるいは亨通し、あるいは夭折し、あるいは乖違する。生克制化、その至理は推究し尽くせず、旺相休囚、その妙用は施展し窮まらない。相冲の宮からは禍福の先後を見ることができ、相合の郷からは吉凶の緩急を見ることができる。
某運凶,某運吉,具爻於沖;此時窮,彼時通,呈像於合;問三合識其要略, 曉其統宗;各宮之神煞,復以生克為用,一生之 還以制化為先,合官吉而終吉,沖宮凶終凶; 運聊知禍福之表裡,依小限極詳吉凶之精粗;
どの歩の運が凶でどの歩の運が吉かは、皆冲爻の上に分晓を見る。この時に窮し彼の時に通ずることは、皆合象の上に形迹を現す。三合の局を問えばその大要を知ることができ、全盤の勢に通じてはじめてその統宗を暁る。各宮の帯びる神煞は、なお生克をもって用とし、一生の成敗は、なお制化をもって先とする。相合の宮は本より吉、その終わりも吉。相冲の宮は本より凶、その終わりも凶。大運によって祸福の表裏を略知し、再び小限に依って吉凶の精粗を詳推する。
大限小限感要生身生命,本宮對宮俱喜多情多義;沖宮動搖,知無寧日;身坐祿馬,顯耀知有定期;命在沖身在合;看神煞而以資判斷,或命在合身在沖,得生克而知獲全功;干支之神囚為緊要, 之 肱關情。其中之妙理,務在變通,若執一途。
大限も小限も身を生命を生ずることができてよく、本宮と対宮は多情多義に照応することを喜ぶ。もし相冲の宮に落ちて揺動定まらなければ、一生に安寧の日なしと知る。身宮が禄に坐し馬に坐すれば、顕達・栄耀にはおのずから定期がある。本命が冲にあり身宮が合にあれば、神煞を参看して判断を助けねばならない。本命が合にあり身宮が冲にあれば、生克の上からその功を成すことができるかを見なければならない。干支の上に乗ずる神は、囚に落ちるか否かを緊要とする(この下は底本に脱字あり)。その中の妙理は全て変通にあり、もし一条の路数を死守するならば(本篇はここに至って底本の文字が未完)。
造機賦
夫無聲無臭者造化體虛之妙,成物成人者陰陽發運之功。欲推身命,先察格局;人有妙局奇格,理宜觸類旁通。勿以有格有局而頓以貴許,無格無局而驟以貧稱;蓋有格有局亦有窮寒士,無格無局亦有富貴賢人;
《造機賦》にいう。声なく臭ないものは、造化本体の虚霊なる妙である。物を成し人を成すことができるものは、陰陽運行の発動の功である。人の身命を推すには、まずその格局を考察せねばならない。人の命にはそれぞれ奇妙な格と局があり、道理の上では触類傍通すべきである。格あれば局ありと見るや即座に富貴を許してはならず、格なく局なしと見るやすぐさま貧賤を断じてもならない。格あり局ありの中にも窮寒の士がおり、格なし局なしの中にも富貴の賢人がいる。
有格局者宜觀其為成為破,不入格局者宜詳其有情無情;遇破者雖有格而不貴,有情者雖奎無局而不貧。要詳於生旺比合,更究其破害刑剋。雖跨虎騎龍,遇刑剋反斷為尋常之輩;而一氣有刑害豈推作出奇之人。
およそ格に入局に入るものは、それが成格か破格かを見る。格局に入らないものは、彼此に情があるか情がないかを見る。破格に遇えば、格ありといえども貴からず。彼此に情あれば、局なしといえども貧ならず。要するに生・旺・比・合の上に詳審を加え、さらに破・害・刑・克を追究せねばならない。たとえ「跨虎」「騎竜」のような好格であっても、一たび刑克に遇えば、かえって尋常の輩と断ずるほかない。三伝一気の格が刑害を帯びるならば、またどうして出奇の人と推すことができよう。
龍化蛇,虎化狸,失勢必朱門餓莩;蛇化龍,狸化虎,得地為白屋公卿。跨龍跨虎推為常居帝里,乘龍乘御反許其必務農商。陰陽反背最畏孤虛壞格,二龍御命遄忻德祿扶宮。乘龍飛天防中途而遇害,雙騎虎背喜大道為亨。 者喜其明而惡其暗,司天門者憎乎開而管乎閉。何履虎尾人人迴避其危,立虎首個個爭逞其咸地之分嫌守欲拱,朱雀之辨惡束喜騰。鎮居中央 穩坐四維,受其有情無情。 旺而福禍立見;魁甲交貫,參喜忌而成敗立分。至於三合人格無不喜憎,隔角成局亦有公私。
「青竜」が化して「騰蛇」となり、「白虎」が化して狸となるのは、勢いを失う象で、たとえ朱門に生まれても餓死する。逆に騰蛇が化して青竜となり、狸が化して白虎となるのは、地を得る象で、寒素に身を出しても公卿に列することができる。「跨竜」「跨虎」の格を得れば、長く京城に居る人と推せる。しかし竜に乗り御する格は、かえって農を務め商を営むことを許すのみである。陰陽が顛倒し相背することは、さらに孤虚に遇って格局を壊することを最も怕れる。「二竜御命」の格は、徳神・禄神が来て宮位を扶持することを喜ぶ。「乗竜飛天」は中途で害に遇うことを防がねばならず、「双騎虎背」は大道の亨通を喜ぶ。天門一路は、その明朗を喜びその晦暗を悪む。天門を司る格は開を憎みて閉を主とする。「履虎尾」については、人々みなその危険を回避する。「立虎首」は、個々が争ってその威勢を逞しくする。このほか守と拱の嫌いと喜びを分かたねばならず、「朱雀」の一格は「束翅」を悪みて「騰輝」を喜ぶ。中央を鎮守し、辰・戌・丑・未の四維の位に稳坐するのも、それが彼此に有情か無情かを見なければならない。神煞が当旺すれば、禍福は立ちどころに見え、魁と甲とが交貫して格を成せば、喜忌を参合し、成敗もまた立ちどころに分明である。三合が格を成すことについては、いずれもそれぞれ喜び憎むところがあり、隔角が局を成すことにも、その中に公私の別がある(本段は底本に脱字多く、空格をもって闕を存す)。
蓋庚星呈瑞乃從革之號,祥光來拱是炎上之名;帶德祿位重權高,無破壞喜優財足。帝座淵穆,潤下生身多富貴;青帝施恩,曲直扶命必崢嶸。北斗司權無破,必少登科甲;南極獻圖有成,定早步青雲。
いわゆる「庚星呈瑞」とは、三合金局の従革の格の名号である。「祥光来拱」とは、三合火局の炎上の格の名目である。この類の格局が徳神・禄神を帯びれば、位重く権高しを主る。破壊がなければ、財禄は優足である。「帝座淵穆」は三合水局の潤下で、身を生ずることができれば多く富貴。「青帝施恩」は三合木局の曲直で、命を扶けることができれば必ず崢嶸として秀でる。「北斗司権」にして破に遭わなければ、必ず少年に登科する。「南極献図」にして格を成せば、必ず早く青雲を歩む。
西方專美,喜有氣而得吉助;東海探珠,惡無氣而招凶損。坎離交泰財富優足,震兌投合權位高尊。海雲雙秀,帶未為傷其秀氣;林火揚光,凶將亦損其光明。金含北極,吉集當貴還須八手;火明西嶽,凶散功名到底有成。
「西方専美」の格は、気がありかつ吉神の扶助を得ることを喜ぶ。「東海探珠」の格は、最も気なくして凶損を招くことを忌む。「坎離交泰」は財富の優足を主り、「震兌投合」は権位の尊高を主る。「海雲双秀」の格は、一たび凶煞を帯びればその秀気を傷る。「林火揚光」の格は、一たび凶将を見ればその光明を損う。「金含北極」の格は、吉神が聚集すれば自ら富貴であるべきだが、なお自ら経営することを要する(原文の「八手」に訛りあり)。「火明西岳」の格は、ただ凶神が散去すれば、功名はついに成る。
問天守躔,命局不動而不妨伏吟;任信吉扶,其身亦為亨。總之課體全吉,要詳吉中藏破;月傳枯冷,當審寒谷回春。雖造化之理有反覆之不齊,而推沿之道任後哲之變通。
「周天守躔」の格は、本命が本宮に坐守して動かないので、「伏吟課」を排しても妨げとならない。ただ吉神の扶助があれば、その身も亨通を得る。要するに、課体が全く吉であっても、なお吉の中に破損が蔵していないかを細看せねばならない。月と三伝が枯寒冷落であっても、寒谷に回春の機があるかを審察せねばならない。造化の理は反復して斉しくないが、推演の道は後の明達の士に変通を留め待つのである。
