孔丛子 · 第2巻
孔子適齊齊景公讓登夫子降一等景公三辭然後登既坐曰夫子降徳辱臨寡人寡人以為榮也而降階以逺自絶於寡人寡人未知所以為罪孔子荅曰君惠顧外臣君之賜也然以匹夫敵國君非所敢行也雖君私之其若義何
孔子は斉国に行き、斉景公は彼に階を登らせたが、夫子は一段を下げた。景公が再三辞譲して、それからやっと登った。坐して後に言った。「夫子は徳行を降し、寡人に辱臨して、寡人はこれを栄耀とする。ところが階を降して遠く自ら寡人を隔絶するとは、寡人は自分の過ちがどこにあるか分からない。」孔子は答えた。「あなたが外臣を恵顧なさるのは、あなたの賜です。しかし匹夫の身で国君と対等になるのは、私の敢えてすることではない。たとえあなたが私を寛容しても、義に対してどう申し開きしましょう。」
顔讎善事親子路義之後讎以非罪執於義將厄子路請以金贖焉人將許之既而二三子納金於子路以入衛或謂孔子曰受人之金以贖其私暱義乎子曰義而贖之貧取於友非義而何愛金而令不辜防闢凡人且猶不忍況二三子於由之所親乎詩云如可贖兮人百其身苟出金可以生人雖百倍古人不以為多故二三子其欲由也成其義非汝之所知也
顔讐はよく父母に事え、子路は彼を義とした。後に顔讐は罪なくして義に拘えられ、まさに難に遭おうとした。子路は金を以て彼を贖うことを請うた。相手は許そうとした。続いて同学たちは金を子路に渡して衛国に送らせた。ある人が孔子に言った。「他人の金を受けて自分の親しい人を贖うのは、義に合いますか。」孔子は言った。「義のために彼を贖い、自分が窮すれば朋友から取る——義でなくて何だろう。金を吝しんで無辜の人を刑辟に陥れるのは、常人でさえ忍びない。まして同学たちが仲由の親しむ者に対しては。『詩経』にいう——『贖う可きならば、人は百其身。』金を出して人の一命を救うことができれば、たとえ百倍でも、古人は多いとしなかった。だから同学たちは仲由の義を成全しようとしたのであって、お前の知るところではない。」
孔子讀詩及小雅喟然而嘆曰吾於周南召南見周道之所以盛也於栢舟見匹夫執志之不可易也於淇澳見學之可以為君子也於考槃見遁世之士而不悶也於木見包且之禮行也於緇衣見好賢之心至也於雞鳴見古之君子不忘其敬也於伐檀見賢者之先事後食也於蟋蟀見陶唐儉德之大也於下泉見亂世之思明君也於七月見豳公之所造周也於東山見周公之先公而後私也於狼跋見周公之逺志所以為聖也於鹿鳴見君臣之有禮也於弓見有功之必報也於羔羊見善政之有應也於節南山見忠臣之憂世也於蓼莪見孝子之思養也於四月見孝子之思祭也於裳裳者華見古之賢者世保其祿也於采菽見古之明王所以敬諸侯也
孔子は『詩』を読み『小雅』に至り、喟然として嘆息して言った。「私は『周南』『召南』から周道が興盛する所以を見、『柏舟』から匹夫が志を持して改易できないことを見、『淇奥』から学問が君子を成就できることを見、『考槃』から世を遁れる士が煩悶しないことを見、『木瓜』から報施の礼が行われることを見、『緇衣』から賢を好む心が極まることを見、『鶏鳴』から古代の君子が恭敬を忘れないことを見、『伐檀』から賢人が先に事をして後に食を受けることを見、『蟋蟀』から陶唐の倹徳の広大を見、『下泉』から乱世が明君を思慕することを見、『七月』から豳公が周の根基を造就した所以を見、『東山』から周公が先に公で後に私であることを見、『狼跋』から周公の志が高遠で聖人となったことを見、『鹿鳴』から君臣に礼があることを見、『彤弓』から功有れば必ず報いることを見、『羔羊』から善政に応験があることを見、『節南山』から忠臣が世を憂うことを見、『蓼莪』から孝子が奉養を思念することを見、『四月』から孝子が祭祀を思念することを見、『裳裳者華』から古代の賢人が世々俸禄を保つことを見、『采菽』から古代の明王が諸侯を敬重する所以を見た。」
孔子晝息於室而鼓琴焉閔子自外聞之以告曾子曰向也夫子之音清徹以和淪入至道今也更為幽沉之聲幽則利慾之所為發沉則貪得之所為施夫子何所之感若是乎吾從子入而問焉曾子曰諾二子入問夫子夫子曰然女言是也吾有之向見貓方取鼠欲其得之故為之音也女二人者孰識諸曽子對曰閔子夫子曰可與聽音矣
孔子は昼に屋で休息して琴を鼓した。閔子騫が外から聞いて、曾子に告げた。「先ほど夫子の琴音は清徹して和をなし、至道に沈んだ。今は幽沈の声に変わった。幽は利欲が引き起こすもの、沈は貪得が施すもの。夫子は何を感受して、ここまで至ったのか。私と入って問うてみよう。」曾子は言った。「よい。」二人は入って夫子に問うた。夫子は言った。「そうだ、お前たちの言う通り、私にその事がある。先ほど猫がまさに老鼠を捉えようとするのを見て、それが捉えることを望んだので、あのような声を弾いた。お前たち二人のうち誰が聴き出したのか。」曾子は答えた。「閔子です。」夫子は言った。「彼とともに音を聴くことができる。」
刑論第四
刑論第四
仲弓問古之刑教與今之刑教孔子曰古之刑省今之刑繁其為教古有禮然後有刑是以刑省今無禮以教而齊之以刑刑是以繁書曰伯夷降典折民維刑謂下禮以教之然後維以刑折之也夫無禮則民無恥而正之以刑故民苟免
仲弓は古代の刑教と今日の刑教を問うた。孔子は言った。「古代は刑罰が少なく、今日は刑罰が多い。教化について言えば——古代は先に礼があり、それから刑がある。だから刑が少ない。今日は礼を以て教えず、刑を以て整える。だから刑が多い。『尚書』に『伯夷降典、折民惟刑』というのは、先に礼を降して教化し、それから刑を以て折服するのを言う。礼がなければ、百姓は羞恥を知らないのに、刑で正そうとする。だから百姓はただ苟めに免れようとするだけだ。」
孔子適衛衛將軍文子問曰吾聞魯公父氏不能聽獄信乎孔子荅曰不知其不能也夫公父氏之聽獄有罪者懼無罪者恥文子曰有罪者懼是聴之察刑之當也無罪者恥何乎孔子曰齊之以禮則民恥矣刑以止刑則民懼矣文子曰今齊之以刑刑猶弗勝何禮之齊孔子曰以禮齊民譬之於御則轡也以刑齊民譬之於御則鞭也執轡於此而動於彼御之良也無轡而用防則馬失道矣文子曰以御言之左手執轡右手運防不亦速乎若徒轡無防馬何懼哉孔子曰吾聞古之善御者執轡如組兩驂如舞非防之助也是以先王盛於禮而薄於刑故民從命今也廢禮而尚刑故民彌暴文子曰呉越之俗無禮而亦治何也孔子曰夫呉越之俗男女無別同厠而浴民輕相犯故其刑重而不勝由無禮也中國之教為外內以別男女異器服以殊等類故其民篤而法其刑輕而勝由有禮也
孔子は衛国に到り、衛将軍の文子が問うた。「私は聞く——魯国の公父氏は獄訟を審理することができないと。本当ですか。」孔子は答えた。「彼ができないとは知らない。公父氏が獄訟を審理すれば、罪ある人は懼れ、罪なき人は羞恥を感じる。」文子は言った。「罪ある人が懼れるのは、訟を聴くことが明察で刑を用いることが得当だから。罪なき人が羞恥を感じるのは、なぜですか。」孔子は言った。「礼を以て整えれば、百姓は恥を知る。刑を以て刑を止めれば、百姓は懼れる。」文子は言った。「今や刑を以て整えても刑が足りないのに、どうして礼を以て整えられましょう。」孔子は言った。「礼で百姓を整えるのは、駕御に比べれば轡だ。刑で百姓を整えるのは、駕御に比べれば鞭だ。こちらで轡を執れば、馬はあちらで動く——これがよい駕御だ。轡がなくて鞭だけを用いれば、馬は道路を迷う。」文子は言った。「駕御で言えば、左手に轡を執り右手に鞭を運ぶのは、もっと速いのではないか。もし轡だけで鞭がなければ、馬は何を懼れるのか。」孔子は言った。「私は聞く——古代のよく駕御する人は、轡を執ること組帯を編むがごとく、両旁の驂馬は舞うがごとくで、鞭の助けに頼らなかった。だから先王は礼に盛んで刑に薄く、百姓はこそ命令に聴従した。今は礼を廃して刑を崇ぶので、百姓はかえってますます暴戻になる。」文子は言った。「呉・越の風俗には礼がないのに、治めることができるのはなぜですか。」孔子は言った。「呉・越の風俗は、男女に分別がなく、同じ所で沐浴し、百姓は易く互いに侵犯する。だから刑罰は重いのにまだ足りない——礼がないからだ。中原の教化は外内を分けて男女を別し、異なる器物・服飾で等類を区別する。だから百姓は篤厚で法を守り、刑罰は軽いのに足りる——礼があるからだ。」
孔子曰民之所以生者衣服也上不教民民匱其生飢寒切於身而不為非者寡矣故古之於盜惡之而不殺也今不先其教而一殺之是以罰行而善不反刑張而罪不省夫赤子知慕其父母由審故也況為政興其賢者而廢其不賢以化民乎知審此二者則上盜息【上盜猶大盜也】
孔子は言った。「百姓が生きていけるのは、衣食だ。上にいる者が百姓を教化せず、百姓の生計が匱乏して、飢寒が身に迫っても悪事をしない者は、少ない。だから古代は盗賊に対して、悪むが殺さなかった。今は先に教化せず、一斉に殺す。だから刑罰を施行しても善は帰らず、刑網を張っても罪は減らない。嬰児が父母に恋慕するのを知るのは、審察して熟慱するからだ。まして為政において賢人を挙用し不賢を廃して百姓を教化する場合においてをや。この二事を審察できるのは、上の大盗は止息するだろう。【『上盗』は猶お大盗のごとし。】」
書曰茲殷罰有倫子張問曰何謂也孔子曰不失其理之謂也今諸侯不同徳國君異法折獄無倫以意為限是故知法之難也子張曰古之知法者與今之知法者異乎孔子曰古之知法者能逺【能逺者止其源而以禮義先之】今之知法者不失有罪不失有罪其於怨寡矣能逺則於獄其防深矣寡怨近乎濫防深治乎本書曰惟敬五刑以成三徳言敬刑所以為德也
『尚書』にいう——『茲に殷罰は倫有り。』子張は問うた。「これは何の意味ですか。」孔子は言った。「条理を失わないこと——これがその意味だ。今、諸侯の徳行は異なり、国君の法制も異なり、獄を断ずるに倫次なく、私意で界限を画する。だから法を執ることが難しいと知る。」子張は言った。「古代の法を知る人と今日の法を知る人は、違いますか。」孔子は言った。「古代の法を知る人は禍源を推遠できる【推遠できるとは、源頭を塞ぎ、先に礼義で引導すること】。今日の法を知る人はただ罪ある人を逃さないことを求める。罪ある人を逃さなければ、怨恨は少し減る。禍源を推遠できれば、獄訟への防範は深い。怨を少なくするのは濫刑に近いが、防範が深ければこそ治本に近い。『尚書』に『惟れ五刑を敬し、以て三徳を成す』というのは、刑を敬慎して用いることが、まさに徳を成就するのを言う。」
書曰非從惟從孔子曰君子之於人也有不語也無不聽也況聽訟乎必盡其辭矣夫聽訟者或從其情或從其辭辭不可從心斷以情書曰人有小罪非乃惟終自作不典式爾有厥罪小乃不可不殺乃有大罪非終乃惟災適爾既道極厥辜時乃不可殺
『尚書』にいう——『従うに非ざる惟れ従う。』孔子は言った。「君子は人に対して、言わないことはあっても、聴かないことはない。まして訟を聴くにおいてをや。必ず彼に言を尽くさせなければならない。訟を聴く人は、あるいは実情に依り、あるいは言辞に依る。言辞が依るべきでなければ、実情に従って心で裁断する。『尚書』にいう——『人に小罪有り、過失に非ず、而して終始自ら法度に合わざる事を為す。此のごときは、罪は小と雖も殺さざるべからず。若し大罪有り、終始此のごとくに非ず、而して過失災禍偶然此のごとし、已に罪過を言い尽くせば、此の時は則ち殺す可からず。』」
曾子問聽獄之術孔子曰其大法有三焉治必以寛寛之之術歸於察察之之術歸於義是故聽而不寛是亂也寛而不察是慢也察而不中義是私也私則民怨故善聽者雖不越辭辭不越情情不越義書曰上下比罪無僭亂辭
曾子は獄を聴く方法を問うた。孔子は言った。「大法は三条ある——治理は必ず寛であるべき、寛の方法は明察に帰結する、明察の方法は義に帰結する。だから訟を聴いて寛でなければ乱であり、寛であっても明察でなければ怠慢であり、明察であっても義に合わなければ私である。私なれば百姓は怨む。だから善く訟を聴く者は、言辞を超えずとも、言辞は実情を超えず、実情は義を超えない。『尚書』にいう——『上下罪を比し、僭乱の辞無からん。』」
書曰哀矜折獄仲弓問曰何謂也孔子曰古之聽訟者察貧窮哀孤獨及鰥寡老弱不肖而無告者雖得其情必哀矜之死者不可生斷者不可屬若老而刑之謂之悖弱而刑之謂之尅不赦過謂之逆率過以小罪謂之枳【一作疻猶傷也夫過則冝宥若率以為小罪亦傷乎義】故宥過赦小罪老弱不受刑先王之道也書曰大辟疑赦又曰與其殺不辜寧失不經
『尚書』にいう——『哀矜して獄を折る。』仲弓は問うた。「これは何の意味ですか。」孔子は言った。「古代の訟を聴く人は、貧窮を察し、孤独および鰥寡・老弱・不肖にして告げる所なき者を哀れみ怜れた。たとえ実情を問い得ても、必ず彼らを哀矜した。死んだ者は復た生きず、断たれた者は再び接がない。もし老人に刑を用いれば、悖と呼ぶ。弱者に刑を用いれば、尅と呼ぶ。過失を赦さなければ、逆と呼ぶ。過失を小罪として扱えば、枳と呼ぶ【一作は『疻』、猶お傷害のごとし。過失は本より寛宥すべきに、一概に小罪として扱えば、義をも傷る】。だから過失を寛宥し、小罪を赦免し、老弱は刑を受けない——これは先王の道だ。『尚書』に『大辟は疑はしければ赦す』といい、また『辜なきを殺すよりは、寧ろ経を失え』という。」
書曰若保赤子子張問曰聽訟可以若此乎孔子曰可哉古之聽訟者惡其意不惡其人求所以生之不得其所以生乃刑之君必與眾共焉今之聽訟者不惡其意而惡其人求所以殺是反古之道也
『尚書』にいう——『赤子を保するが若し。』子張は問うた。「訟を聴くこともこのようによいですか。」孔子は言った。「よい。古代の訟を聴く人は、悪むのはその心意であり、その人ではない。彼を生かす理由を求める。彼を生かす理由が見つからなければ、ようやく刑を用いる。国君は必ず衆とともに決する。今の訟を聴く人は、その心意を悪まず、その人を悪み、彼を殺す理由を求める——これは古代の道に反している。」
孟氏之臣叛武伯問孔子曰如之何荅曰臣人而叛天下所不容也其狀自反子姑待之三旬果自歸孟氏武伯將執之訪於夫子夫子曰無也子之於臣禮意不至是以去子今其自反罪以反除又何執焉子修禮以待之則臣去子將安徃武伯乃止
孟氏の家臣が叛変した。孟武伯は孔子に問うた。「どうすべきか。」孔子は答えた。「人臣でありながら叛変するのは、天下が容れない。様子を見れば彼自身は帰ってくる。あなたはしばらく待て。」三十日後に果して自ら帰って来た。孟氏の武伯は彼を拘えようとして、夫子に教えを請うた。夫子は言った。「要らない。あなたが臣下を待つに、礼意が及ばなかったので彼はあなたを離れた。今、彼自ら帰って来たのだから、罪はすでに返ったことで消えた。どうしてまた拘えようか。あなたが礼を修めて彼らを待てば、臣下はあなたを離れて、またどこへ行こう。」武伯はここに於いて止めた。
記問第五
記問第五
夫子閒居喟然而嘆子思再拜請曰意子孫不修將忝祖乎羨堯舜之道恨不及乎夫子曰爾孺子安知吾志子思對曰伋於進瞻亟聞夫子之教其父析薪其子弗克負荷是謂不肖伋毎思之所以大恐而不觧也夫子忻然笑曰然乎吾無憂矣世不廢業其克昌乎
夫子は閑居して、喟然として嘆息した。子思が再拝して教えを請うた。「子孫が修養せず先祖を辱めることを憂えるのか。それとも堯舜の道を羨んで、自分が追いつかないのを恨むのか。」夫子は言った。「お前のような子供がどうして私の志を知ろう。」子思は答えた。「伋は進んで前を瞻望し、しばしば夫子の教誨を聞いた——父が柴を劈き終えて、子がそれを扛げなければ、これを不肖という。伋は常にここに想到して、だから甚だ恐懼して、敢えて懈怠しない。」夫子は欣然として笑い言った。「そうか。私には憂慮がない。世々この事業を廃さなければ、おそらく昌盛できるだろう。」
子思問於夫子曰為人君者莫不知任賢之逸也而不能用賢何故子曰非不欲也所以官人任能者由於不明也其君以譽為賞以毀為罰賢者不居焉
子思は夫子に問うた。「君主を為る者は、賢人を任用すれば安逸であることを知らない者はないのに、賢を用いることができないのはなぜですか。」孔子は言った。「思わないのではない。官人・任能がやはりできないのは、自分が明らかでないからだ。その国君が称賛を賞とし、毀謗を罰とすれば、賢人は肯んじて留まらない。」
子思問於夫子曰伋聞夫子之詔正俗化民之政莫善於禮樂也管子任法以治齊而天下稱仁焉是法與禮樂異用而同功也何必但禮樂哉子曰堯舜之化百世不輟仁義之風逺也管仲任法身死則法息嚴而寡恩也若管仲之知足以定法材非管仲而專任法終必亂成矣
子思は夫子に問うた。「伋は夫子が教えたのを聞いた——風俗を端正し百姓を教化する政治に、礼楽より良いものはない。管子は法を以て斉国を治めたのに、天下は彼を仁と称した。ここから見れば、法と礼楽は用が違っても功效は同じではないか。なぜ礼楽だけを用いるのですか。」孔子は言った。「堯舜の教化は、百世も中断しない——仁義の風が遠く伝わるからだ。管仲が法を用いたのは、人が死ねば法が止息する——厳苛で恩が少ないからだ。もし管仲のような智が以て法を定めるに足りればよいが、才具が管仲に及ばずして専ら法を用いれば、終に必ず乱れる。」
子思問於夫子曰物有形類事有真偽必審之奚由子曰由乎心心之精神是謂聖推數究理不以疑【心誠神通則數不能遁】周其所察聖人難諸
子思は夫子に問うた。「物には形類があり、事には真偽がある。必ず審察すべきだが、どこから入手すればよいか。」孔子は言った。「心から。心の精神を聖という。数理を推求し事理を窮究して疑惑せず【心が真誠で神に通ずれば、数理は逃れられない】、察すべき所をすべて察し尽くすのは、聖人でも難しいと感じる。」
趙簡子使聘夫子夫子將至焉及河聞鳴犢與竇犨之見殺也廻輿而旋之衛息鄹遂為操曰周道衰微禮樂陵遲文武既墜吾將焉歸周遊天下靡邦可依鳳鳥不識珎寶梟鴟眷然顧之然心悲巾車命駕將適唐都黃河洋洋攸攸之魚臨津不濟還轅息鄹傷予道窮哀彼無辜翺翔於衛復我舊廬從吾所好其樂只且哀公使以幣如衛迎夫子而卒不能賞用也故夫子作丘陵之歌曰登彼丘陵峛崺其阪【丘陵謂王室也阪指諸侯】仁道在邇求之若逺遂迷不復自嬰屯蹇喟然廻慮題彼泰山【題顧也泰山謂魯也】欝確其髙梁甫廻連枳棘充路陟之無縁將伐無柯患茲蔓延惟以永嘆涕霣潺湲【梁甫泰山之下小山指三桓也】楚王使使奉金幣聘夫子宰予冉有曰夫子之道至是行矣遂請見問夫子曰太公勤身苦志八十而遇文王孰與許由之賢夫子曰許由獨善其身者也太公兼利天下者也然今世無文王之君也雖有太公孰能識之乃歌曰大道隠兮禮為基賢人竄兮將待時天下如一欲何之
趙簡子は人を遣わして夫子を招聘した。夫子はまさにそこへ行こうとした。黄河の辺に至り、鳴犢と竇犨が殺されたと聞いて、車を転じて衛国に帰り、鄹の地に歇まった。ここに於いて琴曲を作りて唱え曰く——「周道は衰微し、礼楽は陵遅す。文王・武王の事業はすでに墜ち、我は何れに帰せん。天下を遍く行くも、依托すべき邦国無し。鳳凰は識られず、珍宝は却って梟鴟と為る。眷然として回望し、心は惻然として悲しむ。巾車に駕を備えんと命じ、将に唐都に往かんとす。黄河は洋洋として、魚は悠悠たり。渡口に至るも渡らず、車轅を転じて鄹の地に歇む。我が道の窮まるを傷痛み、彼の無辜の人を哀怜す。衛国に翱翔し、我が旧廬に帰る。我が好む所に依従し、其の楽しみも亦た可なり。」哀公は人を遣わして幣帛を持って衛国に夫子を迎えたが、終に真に任用できなかった。だから夫子は『丘陵之歌』を作った——「彼の丘陵に登る、坡阪は曲折して綿延す【丘陵は王室を指し、阪は諸侯を指す】。仁道は就くに近き処に在り、之を求むれば却って遠きがごとし。是に於いて路を迷い回來らず、自ら屯蹇に纏わる。喟然として頭を回らして思慮し、彼の泰山を望む【『題』は顧望なり。泰山は魯国を指す】。其れ郁確として高く聳え、梁甫は回環して連綿す。枳棘は道路に塞満し、登らんと欲するも縁無し。砍伐せんと欲するも斧柯無し、此の蔓延を憂う。只だ長嘆するのみ、涕泪は潺湲たり【梁甫は泰山の下の小山、三桓を指す】。」楚王は使者を遣わして金幣で夫子を招聘した。宰予・冉有は言った。「夫子の道はこの時に至りて行う可し。」ここに於いて見えを請い、夫子に問うた。「太公は身心を勤労し心志を苦しめ、八十歳にしてやっと文王に遇った。許由の賢と比べてどうか。」夫子は言った。「許由は独善其身の人、太公は兼ねて天下を利する人だ。しかし今、世に文王のような君主無し。たとえ太公ありとも、誰が彼を識ることができよう。」ここに於いて唱え曰く——「大道は隱沒せり、礼は根基なり。賢人は逃匿せり、将に時運を待たん。天下は一片のごとし、又た何れの処に往かん。」
叔孫氏之車子曰鉏商樵於野而獲獸焉眾莫之識以為不祥棄之五父之衢冉有告夫子曰麕身而肉角豈天之妖乎夫子曰今何在吾將觀焉遂徃謂其御髙柴曰若求之言其必麟乎到視之果信言偃問曰飛者宗鳳走者宗麟為其難致也敢問今見其誰應之子曰天子布徳將致太平則麟鳳龜龍先為之祥今宗周將滅天下無主孰為來哉遂泣曰予之於人猶麟之於獸也麟出而死吾道窮矣乃歌曰唐虞世兮麟鳳遊今非其時吾何求麟兮麟兮我心憂
叔孫氏の車夫に鉏商という者がいた。野で柴を打ち獣を捕えた。衆は皆識らず、不祥と為して、五父の衢に丟てた。冉有は夫子に告げた。「麕の身なのに肉角を生じた。まさか天上の妖物ではないか。」夫子は言った。「今どこにある。私が見に行こう。」ここに於いて往き、駕する高柴に対して言った。「もし冉求の言うごときなら、必ず麒麟だろう。」そこに到って見れば、果してそうだった。言偃は問うた。「飛ぶものは鳳を宗とし、走るものは麟を宗とする——其れ難得だからだ。請う——今出現したのは、誰に応じたのか。」孔子は言った。「天子が徳を布いて太平を致さんとすれば、麟・鳳・亀・竜は先だって祥を呈す。今、宗周は将に滅び、天下に共主無し。彼は誰のために来たのか。」ここに於いて哭泣して曰く——「我は人に於いて、猶お麟が獣に於けるがごとし。麟は出でて死せり。我が道は窮まった。」ここに於いて唱え曰く——「唐虞の世かな、麟鳳は游走せり。今は其の時に非ず、我は何を求む。麟や麟や、我心は憂愁す。」
雜訓第六
雑訓第六
子上雜所習請於子思【孔白字子上子思之子也雜者諸子百家】子思曰先人有訓焉學必由聖所以致其材也厲必由砥所以致其刄也故夫子之教必始於詩書而終於禮樂雜説不與焉又何請子思謂子上曰白乎吾嘗深有思而莫之得也於學則寤焉吾嘗企有望而莫之見也登髙則覩焉是故雖有本性而加之以學則無惑矣
子上は雑学の内容を持って子思に教えを請うた。【孔白は字を子上、子思の子。「雑」は諸子百家を指す。】子思は言った。「先人に訓誡あり——学習は必ず聖人から入手しなければならない。こうしてこそ才具を成就できる。磨礪は必ず砥石を用いなければならない。こうしてこそ鋒刃を成就できる。だから夫子の教は、必ず『詩』『書』より始め、礼楽で終わる。雑説は其の中に参与しない。更に何を請うか。」子思は子上に言った。「白よ、私はかつて深思しても得られなかったが、一学習すれば醒悟した。私はかつて踵を上げて遠望しても見えなかったが、一たび高きに登れば見えた。だから本性あっても、学習を加えれば、迷惑しない。」
縣子問子思曰【縣子名魯人】吾聞同聲者相好子之先君見子產時則兄事之而世謂子產仁愛稱夫子聖人是謂聖道事仁愛乎吾未諭其人之孰先後也故質於子子思曰然子之問也昔季孫問子游亦若子之言也子游荅曰以子產之仁愛譬夫子其猶浸水之與膏雨乎康子曰子產死鄭人丈夫舍玦佩婦女舍珠瑱巷災三月竽瑟不作夫子之死也吾未聞魯人之若是也奚故哉子游曰夫浸水之所及也則生其所不及則死故民皆知焉膏雨之所生也廣莫大焉民之受賜也普矣莫識其由來者上徳不徳是以無徳季孫曰善縣子曰其然孟子車尚幼請見子思子思見之甚悅其志命子上侍坐焉禮敬子車甚崇子上不願也客退子上請曰白聞士無介不見女無媒不嫁孟孺子無介而見大人悅而敬之白也未諭敢問子思曰然吾昔從夫子於郯遇程子於塗傾蓋而語終日而別命子路將束帛贈焉以其道同於君子也今孟子車孺子也言稱堯舜性樂仁義世所希有也事之猶可況加敬乎非爾所及也
県子は子思に問うた。【県子は名を瑣、魯人。】「私は聞く——同声相応する人は互いに喜好する。あなたの先君は子産に見えるとき、彼を兄として事えた。しかし世人は子産を仁愛といい、夫子を聖人と称す。これは聖人の道で仁愛に事えるということか。私はまだこの二人の先後を明らかにせず、だからあなたに求证する。」子思は言った。「そうだ、あなたの問いはよい。昔、季孫は子游に問うて、あなたのように言った。子游は答えた——『子産の仁愛を以て夫子と比べれば、おそらく浸水が膏雨に比するがごとし。』季康子は言った——『子産が死せば、鄭国の男子は玦佩を放下し、婦女は珠瑱を放下し、里巷に災荒三月、竽瑟も奏せず。夫子が死せば、私は魯人がこのようだと聞かない。なぜか。』子游は言った——『浸水の到る所は活き、到らざる所は死す。だから百姓は皆之を知る。膏雨の生成する所は、広大にして之より大ききは無し。百姓は賜を受けて普遍なれど、其れ何より来るかを認る人無し。上徳は自ら徳と為さず。だから徳無きがごとく顕れる。』季孫は言った——『善し。』」県子は言った。「元来このようか。」孟軻はまだ年幼く、子思に見えんことを請うた。子思は彼に見え、其の志を甚だ喜び、子上を陪坐させ、孟軻に対して礼敬は甚だ重かった。子上は心のうちに願わず。客人が退くや、子上は教えを請うた。「白は聞く——士は紹介人无くば見えず、女子は媒人无くば嫁がず。孟孺子は紹介人无くして大人に見えて來たのに、大人は之を喜び敬す。白は明らかにせず。敢えて問う。」子思は言った。「そうだ。昔、私は夫子に従いて郯に在り、路で程子に遇い、車を停めて交談し、談ること一日にして別れた。子路に命じて束帛を取りて彼に贈らせし——其の道が君子と同じだったからだ。今、孟子車はまだ孺子なれど、言は堯舜を称述し、生性は仁義を楽しむ。世上に少有なり。彼に事うるは尚お行う可きも、況んや礼敬を加うるをや。これはお前の及ぶ所に非ず。」
子思在魯使以書如衛問子上子上北面再拜受書伏讀然後與使者晏遂為復書返中庭北面再拜以授使者既受書然後退使者還魯問子思曰吾子堂上南面立授臣書事畢送臣子上中庭拜授臣書而不送何也子思曰拜而不送敬也使而送之賔也
子思は魯国に在り、人を遣わして衛国に書を送り子上を問候させた。子上は北に面して再拝して書を受け、伏して読み終え、それから使者と宴飲し、ここに於いて回信を書き、中庭に帰り、北に面して再拝して使者に交した。使者が書を受けて後に彼は退いた。使者は魯国に帰り、子思に問うた。「あなたは堂上に南面して立ちて書を臣に交し、事畢わって尚お臣を送った。子上は中庭で臣に書を拜授して送らなかった。なぜか。」子思は言った。「拜して送らざるは、敬なり。人を遣わして而も相送るは、彼を賓客と為すなり。」
魯人有同姓死而弗吊者人曰在禮當免不免當吊不弔有司罰之如之何子之無吊也荅曰吾以其疎逺也子思聞之曰無恩之甚也昔者季孫【康子】問於夫子曰百世之宗有絶道乎子曰繼之以姓義無絶也故同姓為宗合族為屬雖國子之尊不廢其親所以崇愛也是以綴之以食序列昭穆萬世婚姻不通忠篤之道然也魯穆公訪於子思曰寡人不得嗣先君之業三年矣未知所以為令名者且欲掩先君之惡以先君之善使談者有述焉為之若何願先生教之也子思荅曰以伋所聞舜禹之於其父非勿欲也以為私情之細不如公義之大故弗敢私之雲耳責以虛飾之教又非伋所得言公曰思之可以利民者子思曰頋有恵百姓之心則莫如一切除非法之事也毀不居之室以賜窮民奪嬖寵之祿以賑困匱無令人有悲怨而後世有聞見抑亦可公曰諾
魯人に同姓が死んだのに弔いに行かない者があった。ある人が言った。「礼に拠れば、免服を着るべきなのに着ず、弔うべきなのに弔わざれば、有司は罰する。あなたはどうして弔わないのか。」彼は答えた。「彼が疏遠だからだ。」子思はこれを聞いて言った。「これは恩情が極まって薄い。昔、季孫【季康子】が夫子に問うた——『百世の宗に、断絶する道理有りや。』夫子は言った——『姓を以て継げば、義に断絶無し。だから同姓は宗と為り、合族は属と為る。たとえ国子のごとき尊貴でも、親情を廃せず。愛を尚ぶがためだ。故に食礼を以て連綴し、昭穆を序列し、万世婚姻通ぜず——皆忠篤の道の然らしむる所。』」魯穆公は子思に教えを請うた。「寡人は先君の事業を継承すること能わざること已に三年。未だ以て好名を求むるを知らず。且つ先君の悪を掩い、先君の善を彰明して、談論の人に称述する所有らんと欲す。どうすべきか。先生の教えを願う。」子思は答えた。「伋の聞く所に拠れば、舜・禹は彼らの父に対して、そうしたくないのではない。ただ私情は細小で、公義には如かないと覚えたので、敢えて私にそうしなかっただけだ。虚飾の教を以て私を責めれば、又た伋の言う能う所に非ず。」穆公は言った。「百姓に利あるべき事を思え。」子思は言った。「もし真に百姓を惠愛する心有らば、一概に法度に合わざる事を除去するに如かず——住まざる房屋を拆して窮民に賜い、嬖寵の俸禄を奪いて困乏を賑済し、人に悲怨有りて而も後世に尚お聞え見ゆるを致さしめざれば、も亦た可なり。」穆公は言った。「善し。」
縣子問子思曰顔回問為邦夫子曰行夏之時若是殷周異正為非乎子思曰夏數得天堯舜之所同也殷周之王征伐革命以應乎天因改正朔若雲天時之改耳故不相因也夫受禪於人者則襲其統受命於天者則革之所以神其事如天道之變然也三統之義夏得其正是以夫子云
県子は子思に問うた。「顔回が邦国を治むるを問うたとき、夫子は『夏の時を行え』と言った。こう言えば、殷・周が正朔を改換したのは錯誤か。」子思は言った。「夏の暦数は天時の正を得た。堯舜も亦た同じ。殷・周が王を称するは、征伐革命して天に應じたからで、因りて正朔を改めた——不過是れ天時が改まったと言うのであって、前代に沿わなかったのだ。人に禅を受くるは統紀に沿袭し、天に命を受くるは変革する——其の事を神明に顕さしめる為で、天道の変化のごとくす。三統の義理は、夏は其の正を得た。だから夫子はあのように言った。」
穆公問於子思曰立太子有常乎荅曰有之在周公之典公曰昔文王舎適而立其次防子舎孫而立其弟是何法也子思曰殷人質而尊其尊故立弟周人文而親其親故立子亦各其禮也文質不同其禮則異文王舍適立次權也公曰苟得行權豈唯聖人唯賢與愛立也子思曰聖人不以權教故立制垂法順之為貴若必欲犯何有於異公曰舍賢立聖舍愚立賢何如子思曰唯聖立聖其文王乎不及文王者則各賢其所愛不殊於適何以限之必不能審賢愚之分請父兄群臣卜於祖廟亦權之可也
穆公は子思に問うた。「太子を立つるに常規有りや。」子思は答えた。「有り、周公の典制の中に在り。」穆公は言った。「昔、文王は嫡子を舎てて其の次を立て、微子は孫子を舎てて其の弟を立てた。これは何の法に依るか。」子思は言った。「殷人は質朴にして其所当に尊ぶを尊び、だから弟を立つ。周人は文華にして其所当に親しむを親しみ、だから子を立つ。亦た各々其の礼有り。文質は同じからず、礼も亦た同じからず。文王が嫡を舎て次を立てしは、権変なり。」穆公は言った。「もし権を行う可きならば、豈に止む聖人のみならんや、賢と愛と有れば則ち立つ可きか。」子思は言った。「聖人は権変を以て教を施さず。だから制度を立て法則を垂れ、之に順うが乃ち貴し。もし必ず之を犯さんと欲せば、又何ぞ差異有らんを要せん。」穆公は言った。「賢人を舎てて聖人を立て、愚人を舎てて賢人を立つるは、如何。」子思は言った。「只だ聖人は聖人を立つ——蓋し文王のごときか。文王に及ばざる者は、則ち各々其の愛する所を以て賢と為す。立嫡と分別無く、何を以て限定せん。もし実に賢愚を分つ能わざれば、父兄群臣に祖廟に於いて卜を問わしめんを請う——亦た行う可き権宜なり。」
孟軻問牧民何先子思曰先利之曰君子之所以教民亦仁義固所以利之乎子思曰上不仁則下不得其所上不義則樂為亂也此為不利大矣故易曰利者義之和也又曰利用安身以崇徳也此皆利之大者也
孟軻は問うた。「百姓を牧養するに、何を先にするか。」子思は言った。「彼らを利することを先にす。」孟軻は言った。「君子が百姓を教化する所以は、亦た仁義。仁義は本より是れ以て彼らを利するに用いるではないか。」子思は言った。「上に在る者が仁ならざれば、下は安頓を得ず。上に在る者が義ならざれば、下は乱を作すを楽しむ。これ乃ち最大の不利なり。だから『周易』に曰く——『利なる者は義の和なり』。又た曰く——『身を安んじるに利を用い、以て徳を崇くすなり』。此の等は皆是れ利の中の最大なり。」
居衛第七
居衛第七
子思居衛言苟變於衛君曰其材可將五百乗君任軍旅率得此人則無敵於天下矣衛君曰吾知其材可將然變也嘗為吏賦於民而食人二雞子以故弗用也子思曰夫聖人之官人猶大匠之用木也取其所長棄其所短故杞梓連抱而有數尺之朽良工不棄何也知其所妨者細也卒成不訾之器今君處戰國之世選爪牙之士而以二卵棄干城之將此不可使聞於鄰國者也衛君再拜曰謹受教矣
子思は衛国に居り、衛君に苟変を称えて曰く——「彼の才具は以て五百乘を統領す可し。あなたが若し軍旅を任用せば、此の人を得て、則ち以て天下に敵無からしむ可し。」衛君は言った。「私は彼の才具が以て兵を統る可きを知る。然る而も苟変は嘗て吏を為りて百姓に向い賦を収め、人の二箇の鶏卵を食らった。此に因りて用いず。」子思は言った。「聖人の人を用うるは、猶お大匠の木を用うるがごとし——其の長ずる所を取り、其の短かる所を棄つ。だから合抱の杞梓と雖も幾尺の腐朽有りとも、良工は之を棄てず。何の故ぞ。其の妨害する所は只だ細処にして、終に以て量る可からざる器物を成就す可きを知ればなり。今、あなたは戦国の世に処り、爪牙の士を選抜す。而も二箇の鶏卵の為に敵を御ぐる干城の将を丟つ。此の話は隣国に聞かせる可からず。」衛君は再拝して曰く——「謹んで教えを受けん。」
子思適齊齊君之嬖臣美鬚眉立乎側齊君指之而笑且言曰假貌可相易寡人不惜此之鬚眉於先生也子思曰非所願也所願者惟君修禮義富百姓而伋得寄帑於君之境內從襁負之列其榮多矣若無此須鬣非伋所病也昔堯身修十尺眉乃八彩實聖舜身修八尺有竒面頷無毛亦聖禹湯文武及周公勤思勞體或折臂望視或禿骭背僂亦聖不以鬚眉美鬣為稱也人之賢聖在徳豈在貌乎且吾性無須眉而天下王侯不以此損其敬由是言之伋徒患徳之不邵美也不病毛鬂之不茂也
子思は斉国に到り、斉君の嬖臣は須眉甚だ美しく、旁に立つ。斉君は彼を指して笑い曰く——「もし容貌は交換し得べしと假せば、寡人は此の副の須眉を以て先生に与えんを吝しめざらん。」子思は言った。「これは我の願う所に非ず。願う所は只だあなたが礼義を修め、百姓を富め、而も伋が家小を以てあなたの境内に寄せ、子を負う者の行列に従わん。則ち栄耀は就き多し。もし此の副の須鬣無ければ、伋の嫌病する所に非ず。昔、堯は身長十尺、眉毛は八彩有り、実に聖なり。舜は身長八尺有余、下頦は鬚鬢無し、亦た聖なり。禹・湯・文王・武王および周公は、思を勤め体を労し、或いは臂を折り目を斜視し、或いは小腿は毛無く背は駝る。亦た聖なり。而も須眉美鬣を以て称となさず。人の賢聖は徳に在りて、豈に容貌に在らんや。況んや我は生性須眉無し。天下の王侯は此に因りて我に対する敬重を減ぜず。此に由りて言えば、伋は只だ徳の高美ならざるを怕れ、毛鬢の茂盛ならざるを愁えず。」
子思謂子上曰有可以為公之尊而冨貴人眾不與焉者非唯志乎成其志者非唯無慾乎夫錦繢紛華所服不過溫體三牲太牢所食不過充腹知以身取節者則知足矣苟知足則不累其志矣
子思は子上に言った。「以て公爵のごとき尊貴に至る可く、而も富貴人衆は皆其の中に参与せざる者有り——志ではないか。其の志を成就するは、無欲ではないか。錦繍紛華、穿く所は不過是れ身を暖むる。三牲太牢、食らう所は不過是れ腹を填むる。自身を以て節度を取るを知れば、則ち知足を知る。もし知足せば、則ち自らの志を拖累せず。」
曾子謂子思曰昔者吾從夫子廵守於諸侯夫子未嘗失人臣之禮而猶聖道不行今吾觀子有傲世主之心無乃不容乎子思曰時移世異人有冝也當吾先君周制雖毀君臣固位上下相持若一體然夫欲行其道不執禮以求之則不能入也今天下諸侯方欲力爭競招英雄以自輔翼此乃得士則昌失士則亡之秋也伋於此時不自髙人將下吾不自貴人將賤吾舜禹揖讓湯武用師非故相詭乃各時也
曾子は子思に言った。「昔、私は夫子に従いて諸侯を巡守し、夫子は未だ嘗て人臣の礼を失わず。聖道は尚お行わるる能わず。今、私はあなたを視るに世主を傲視する心有り。恐らく容れられざらんか。」子思は言った。「時は移り世は異なり、人は各々其の宜しき所有り。先君の時に当たりては、周の制度は毀坏すと雖も、君臣の位は尚お穏固にして、上下は相扶持して一体のごとし。自らの道を行わんと欲せば、礼を執守して求めざれば、入る能わず。今、天下の諸侯は方に武力を以て相争い、競い英雄を招致して以て自らを輔翼せんとす。これ乃ち士を得れば則ち昌え、士を失えば則ち亡ぶの時なり。伋は此の時に於いて自ら抬高せざれば、人は我を低視せん。自ら看重せざれば、人は我を賤視せん。舜禹は揖譲し、湯武は兵を用う——故意に相反するに非ず、各々其の時に因ればなり。」
子思在齊尹文子生子不類怒而杖之告子思曰此非吾子也吾妻殆不婦吾將黜之子思曰若子之言則堯舜之妃復可疑也此二帝聖者之英而丹朱商均不及匹夫以是推之豈可類乎然舉其多者有此父斯有此子道之常也若夫賢父之有愚子此由天道自然非子之妻之罪也尹文子曰先生止之願無言文留妻矣孟軻問子思曰堯舜文武之道可力而致乎子思曰彼人也我人也稱其言履其行夜思之晝行之滋滋焉汲汲焉如農之赴時商之趨利惡有不至者乎
子思は斉国に在り。尹文子は生みし子は己に似ず、怒りて杖を以て打ち、子思に告げて曰く——「これは我が子に非ず。我が妻は恐らく婦道を守らず。我は彼を休せんと欲す。」子思は言った。「あなたの此の話に拠れば、堯・舜の妃も亦た疑う可し。此の二帝は聖者の中の英傑にして、而も丹朱・商均は尚お普通の匹夫に比する能わず。此に由りて推論せば、何れが必ず相似る。不過多数より言えば、斯の父有れば斯の子有るは、道の常態なり。賢父有りて而も愚子有るに至るは、此れ天道自然に由る。あなたの妻の罪に非ず。」尹文子は言った。「先生は止まれ。更に言う勿れ。文は妻を留下せん。」孟軻は子思に問うた。「堯・舜・文王・武王の道は、気力を以て達し得べしと倚る可きか。」子思は言った。「彼は人なり、我も亦た人なり。彼らの話を称述し、彼らの行を履行し、夜は想い、昼は為す。滋滋汲汲として、農夫の時節を趕くがごとく、商人の利に趨くがごとし。何れが達せざる有らん。」
子思謂孟軻曰自大而不修其所以大不大矣自異而不修其所以異不異矣故君子髙其行則人莫能階也逺其志則人莫能及也禮接於人人不敢慢辭交於人人不敢侮其唯髙逺乎
子思は孟軻に言った。「自ら以て大なりと為すも、所以に大なるの一層を修養せざれば、則ち大ならず。自ら以て異なりと為すも、所以に異なるの一層を修養せざれば、則ち異ならず。だから君子は己の行を抬高すれば、人は一級級に爬上る能わず。己の志を推遠すれば、人は趕上る能わず。礼を以て人を接待すれば、人は敢て怠慢せず。辞を以て人と交往すれば、人は敢て欺侮せず。蓋し高遠なるが為のみ。」
申詳問曰【子張之子】殷人自契至湯而王周人自棄至武王而王同嚳之後也周人追王太王王季文王而殷人獨否何也子思曰文質之異也周人之所追太王王跡起焉又曰文王受命斷虞芮之訟伐崇邦退犬戎追王太王王季何也子思曰狄人攻太王太王召耆老而問焉曰狄人何來耆老曰欲得菽粟財貨太王曰與之與之至無而狄人不止太王又問耆老曰狄人何欲耆老曰欲土地太王曰與之耆老曰君不為社稷乎太王曰社稷所以為民也不可以所為民者亡民也耆老曰君縱不為社稷不為宗廟乎太王曰宗廟者私也不可以吾私害民遂杖防而去過梁山止乎岐下豳民之束脩奔而從之者三千乘一止而成三千乘之邑此王道之端也成王於是追而王之王季其子也承其業廣其基焉雖同追王不亦可乎
申詳は問うた。【申詳は子張の子。】「殷人は契自り湯に至りて而も王を称し、周人は棄自り武王に至りて而も王を称す。同じく帝嚳の後代。周人は太王・王季・文王を追尊して王と為す。殷人は独り此のごとくせず。何の故ぞ。」子思は言った。「是れ文質の差異なり。周人の追尊する太王は、王業の蹤跡は彼より興る。」又た問うた。「文王は命を受け、虞・芮の争訟を判断し、崇邦を討伐し、犬戎を打退し、太王・王季を追尊して王と為す。何の故ぞ。」子思は言った。「狄人は太王を攻打す。太王は耆老を召集して問う——『狄人は何為に來たる。』耆老は曰く——『菽粟・財貨を欲す。』太王は曰く——『彼らに与えよ。』与えて無くなるに及ぶも、狄人は尚お止まず。太王は又た耆老に問う——『狄人は何を欲する。』耆老は曰く——『土地を欲す。』太王は曰く——『彼らに与えよ。』耆老は曰く——『君は社稷の為に着想せずや。』太王は曰く——『社稷は民の為に設ける所。以て民の為に設ける所に因りて百姓を滅亡せしむべからず。』耆老は曰く——『君はたとえ社稷の為にせずとも、宗廟の為にもせずや。』太王は曰く——『宗廟は私なり。我が私を以て民を害すべからず。』ここに於いて杖を拄いて離去し、梁山を経過し、岐下に停止す。豳地の百姓は乾糧を帯びて趕き従う者三千乗有り。一停止すれば則ち三千乗の城邑を成就す。これは王道の開端なり。成王は此に因りて彼を追尊して王と為す。王季は彼の子なり。事業を継承し根基を拡大す。たとえ同じく追尊して王と為すとも、亦た可ならずや。」
羊客問子思曰古之帝王中分天下使二公治之謂之二伯周自後稷封為王者後子孫據國至太王王季文王此固世為諸侯矣焉得為西伯乎子思曰吾聞諸子夏殷王帝乙之時王季以功九命作伯受珪瓉鬯之賜故文王因之得專征伐此以諸侯為伯猶周召之君為伯也
羊客は子思に問うた。「古代の帝王は天下を中より分け、二公をして治理せしめ、之を二伯と呼ぶ。周は后稷が封を受けて王者の後と為り、子孫は国土を拠有す。太王・王季・文王に至るまで、本より世々皆是れ諸侯。何を以て西伯を為し得ん。」子思は言った。「私は子夏が言いしを聞く——殷王帝乙の時、王季は功に因りて九命に伯と為され、珪瓚秬鬯の賞賜を受けた。だから文王は此に沿袭して、以て専ら征伐を事とするを得たり。これは諸侯を以て伯と為すにして、猶お周公・召公が君を為して伯と為るがごとし。」
子思年十六適宋宋大夫樂朔與之言學焉朔曰尚書虞夏數四篇善也下此以訖於秦費効堯舜之言耳殊不如也子思荅曰事變有極正自當耳假令周公堯舜不更時異防其書同矣樂朔曰凡書之作欲以喻民也簡易為上而乃故作難知之辭不亦繁乎子思曰書之意兼復深奧訓誥成義古人所以為典雅也曰昔魯委巷亦有似君之言者伋荅之曰道為知者傳苟非其人道不傳矣今君何似之甚也樂朔不悅而退曰孺子辱吾其徒曰魯雖以宋為舊然世有讐焉請攻之遂圍子思宋君聞之不待駕而救子思子思既免曰文王困於羑里作周易祖君屈於陳蔡作春秋吾困於宋可無作乎於是撰中庸之書四十九篇
子思は十六歳にして宋国に至る。宋の大夫楽朔は彼と学問を談ず。楽朔は曰く——「『尚書』の虞・夏の那幾篇は好し。其以下自り秦・費に至るは、只だ堯舜の話に仿効するのみ。遠く彼らに及ばず。」子思は答えた。「事の変化は極限有り。其の時に当たりて自然に当に然るべし。假に周公・堯舜をして時勢を変更せしめざれば、彼らの書も亦た相同じからん。」楽朔は曰く——「およそ書の写作は、百姓をして明白ならしめんと欲す。簡易を上と為す。而も故意に難懂の辞を写し出す。亦た繁に過ぎざらんや。」子思は言った。「『書』の意は兼復深奥にして、訓誥は義理を成就す。これ古人の以て典雅と為す所以なり。」又た曰く——「昔、魯国の陋巷にも亦たあなたのごとき話す人有り。伋は答えた——『道は智者の為に伝うる所。もし其の種の人に非ざれば、道は伝わらず。』今、あなたは何ぞ彼に像ること此のごとく甚しきを至らん。」楽朔は喜ばずして退きて曰く——「此の子は我を侮辱せり。」其の門徒は曰く——「魯は宋を以て旧国と為すと雖も、可なり世代の仇有り。請う、彼を攻打せん。」ここに於いて子思を囲む。宋君は之を聞いて、駕を及ばずして往きて子思を救う。子思は難を免れて後に曰く——「文王は羑里に困みて『周易』を作り、先祖は陳蔡に困みて『春秋』を作り、我は宋に困む。著作無かる可けんや。」ここに於いて『中庸』の書四十九篇を撰成す。
廵狩第八
廵狩第八
子思遊齊陳莊伯與登泰山而觀見古天子廵狩之銘焉陳子曰我生獨不及帝王封禪之世子思曰子不欲爾今周室卑防諸侯無霸假以齊之眾連鄰國以輔文武子孫之有徳者則齊桓晉文之事不足言也陳子曰非不悅斯道力不堪也子聖人之後吾願有聞焉敢問昔聖帝明王廵狩之禮可得聞乎子思曰凡求聞者為求行之也今子自計必不能行欲聞何為陳子曰吾雖不敏亦樂先王之道於子何病而不我告也子思乃告之曰古者天子將廵狩必先告於祖禰命史告群廟及社稷圻內名山大川告者七日而徧親告用牲史告用幣申命冢宰而後清道而出或以遷廟之主行載於齊車毎舍奠焉及所經五嶽四瀆皆有牲幣歳二月東廵狩至於岱宗柴於上帝望秩于山川所過諸侯各待於境天子先問百年者所在而親問之然後覲方岳之諸侯有功徳者則發爵賜服以順陽義無功者則削黜貶退以順隂義命史採民詩謡以觀其風命市納價察民之所好惡以知其志命典禮正制度均量衡考衣服之等協時月日辰入其疆遺老失賢掊克在位則君免山川社稷有不親舉土荒民遊為無教無教者則君退民僭上為無法無法者則君罪入其疆土地墾闢養老尊賢俊傑在位則君有慶遂南廵五月至於南嶽又西廵八月至於西嶽又北廵十有一月至於北嶽其禮皆如岱宗歸反舍於外次三日齋親告於祖禰用特命有司告群廟社稷及圻內名山大川而後入聽朝此古者明王廵狩之禮也陳子曰諸侯朝於天子盟防霸主則亦告宗廟山川乎子思曰告哉陳子曰王者廵狩不及四嶽諸侯盟防不越鄰國則其禮同乎異乎子思曰天子封圻千里公侯百里伯七十里子男五十里虞夏殷周之常制也其或出此封者則其禮與廵狩朝防無變其不越封境雖行如國陳子曰古之義也吾今而後知不學者淺之為人也
子思は斉に游び、陳荘伯とともに泰山に登りて観覧し、古代の天子の巡狩の銘文を見た。陳子は曰く——「我が此の生は独り帝王封禅の世代に趕上らず。」子思は曰く——「是れあなたが自ら思わざるのみ。今、周室は卑微にして、諸侯に霸主無し。假に斉国の民衆を以て隣国を連結し、文王・武王の子孫の中の徳有る者を輔佐せば、則ち斉桓・晋文の事は言うに足らず。」陳子は曰く——「此の道を好まざるに非ず、力量足らざるなり。あなたは聖人の後なり。我は聴聞する所有らんを願う。敢えて問う——昔の聖帝明王の巡狩の礼は、聴き得べきか。」子思は曰く——「およそ聴聞を求むるは、実行を求むるが為なり。今、あなたは自ら估めて必ず行う能わずとし、尚お聴かんと欲して何を為さん。」陳子は曰く——「我は不敏と雖も、亦た先王の道を楽しむ。あなたは何ぞ必ず難しくして而も我に告げざらん。」子思は乃ち彼に告げて曰く——「古代の天子は将に巡狩せんとすれば、必ず先ず祖禰に告げ、史官に命じて群廟および社稷・畿内の名山大川に告げしむ。告ぐる人は七日にして告遍す。親告は牲を用い、史官の告は幣を用い。冢宰に申命して後に清道して出発す。或いは遷廟の神主を斎車に載せて随行し、一処に停留する毎に奠を設く。経過する所の五岳四瀆は皆牲幣有り。毎年二月に東巡狩し、岱宗に到り、燔柴して上帝を祭り、望祭して山川は其の差等に按ず。過ぐる所の諸侯は各々辺境に於いて等候す。天子は先ず百年の老人の在る処を問い、親しく往きて問い、然る後に方岳の諸侯を接見す。功徳有る者は爵を発し服を賜う——以て陽義に順う。功無き者は削黜して貶退す——以て陰義に順う。史官に命じて民間の歌謡を採集して以て風俗を観察し、市官に命じて物価を呈上し・百姓の好悪を察看して以て彼らの心志を了解し、典礼に命じて制度を校正し・度量衡を均平し・衣服の等次を考核し・時月日辰を協調せしむ。其の疆域に入れば、もし老人を遺落し・賢人を失去し・聚斂する者が位に在れば、則ち国君を免職す。山川社稷に親祭すべきに親祭せざる有り・土地は荒廃し・百姓は游荡せば、是れ教化無し。教化無ければ則ち国君を斥退す。百姓は僭越して上に在れば、是れ法無し。法無ければ則ち国君を治罪す。其の疆域に入れば、土地は開墾し・老を養い賢を尊び・俊傑は位に在れば、国君は則ち慶賞有り。ここに於いて南巡し、五月に南岳に到る。又た西巡し、八月に西岳に到る。又た北巡し、十一月に北岳に到る。礼仪は皆岱宗と同じ。帰り来たりて後、外に住すること三日にして斎戒し、親しく特牲を以て祖禰に告げ、有司に命じて群廟・社稷および畿内の名山大川に告げしめ、然る後に朝に入りて政を聴く。これ古代の明王の巡狩の礼なり。」陳子は曰く——「諸侯が天子に朝見し・霸主の所に於いて会盟するも、亦た宗廟山川に告ぐるか。」子思は曰く——「告ぐるを要す。」陳子は曰く——「王者の巡狩は四岳に到らず、諸侯の会盟は隣国を超過せず。礼仪は相同じく或いは同じからざるか。」子思は曰く——「天子の封畿は千里、公侯は百里、伯は七十里、子男は五十里——是れ虞・夏・殷・周の常制なり。もし此の封境を走出せば、礼仪は巡狩・朝会と変化無し。もし封境を越出せざれば、出行すと雖も亦た国中に在るがごとし。」陳子は曰く——「これ古代の義なり。我は今より後にして乃ち学習せざる人の見識の如何に浅きかを知らん。」
公儀第九
公儀第九
魯人有公儀僣者【數本皆作潛】砥節礪行樂道好古恬於榮利不事諸侯子思與之友穆公因子思欲以為相謂子思曰公儀子必輔寡人叄分魯國而與之一子其言之子思對曰如君之言則公儀子愈所以不至也君若飢渴待賢納用其謀雖蔬食水飲伋亦願在下風今徒以髙官厚祿釣餌君子無信用之意公儀子之智若魚鳥可也不然則彼將終身不躡乎君之庭矣且臣不佞又不任為君操竿下釣以蕩守節之士也
魯人に公儀潜と呼ぶ者有り【幾箇かの本は皆『潜』と作る】。節行を磨礪し、道を楽しみ古を好み、栄利に恬淡して、往きて諸侯に事えず。子思は彼と朋友を交わす。穆公は子思に因りて彼を相と為さんと欲し、子思に対して曰く——「公儀子は必ず寡人を輔佐せよ。我は魯国を三份に分けて其の一份を彼に与えん。あなたは往きて説かんを請う。」子思は答えた。「あなたの此の話に拠れば、公儀子は更に來たらざらん。あなたが若し飢渇のごとく賢人を待ち、彼の謀画を採納・実行せば、たとえ蔬食・飲水なりとも、伋も亦た下風に於いて聴命せんを願わん。今、只だ高官厚禄を以て釣餌と為し、往きて君子を釣らんとす。彼を信用するの意思無し。公儀子の智がもし魚鳥のごとくならば、尚可なり。然らざれば、彼は終身あなたの庭院を踏むことを為さざらん。況んや臣は不才にして、又たあなたの為に竿を操り釣を下し、往きて節を守る士を動摇せしむるに勝任せず。」
閭丘溫見田氏將必危齊欲以其邑叛而適魯穆公聞之謂子思曰子能懷之則寡人割邑如其邑以常宗子思曰伋雖能之義所不為也公曰何子思對曰彼為人臣君將敗弗能扶而叛之逆臣制國弗能以其身死而逃之此罪誅之人也伋縱不能討而又要利以召姦非忍行也
閭丘温は田氏が必将斉国を危害せんを見て、己の城邑を帯びて斉を叛き魯に投ぜんと欲す。穆公は之を聞いて、子思に対して曰く——「あなたが能く彼を招撫せば、寡人は則ち一塊を割きて彼の原來と同じ大なる城邑をあなたに与えて常禄と為さん。」子思は曰く——「伋はたとえ能く致すとも、義に按じて為さず。」穆公は曰く——「何の故ぞ。」子思は答えた。「彼は人臣を為りて、国君は将に敗れんとするも扶持する能わずして、反りて叛変す。逆臣は国家を控制するも、以て身を殉じて死せずして逃走す。これは誅を受くべき人なり。伋は縱い討伐する能わざるとも、再び利を要して姦人を招引するは、我の忍びて為す所に非ず。」
穆公問子思曰吾觀龍攔氏子不孝其行何如對曰臣聞明君之為政尊賢以崇德舉善以勸民則四方之內孰敢不化若夫過行是細人所識不治其本而問其過臣不知所以也公曰善
穆公は子思に問うた。「我は竜攔氏の子が不孝なるを視る。彼の行為は如何。」子思は答えた。「臣は聞く——明君の政を為るは、賢を尊びて以て徳を崇び、善を挙げて以て百姓を勧勉す。則ち四方の内、誰か敢て化せざらん。過悪の行為に至っては、是れ小人の識る所なり。根本を治理せずして而も過失を問う——臣は以て言うべきを知らず。」穆公は曰く——「善し。」
穆公謂子思曰子之書所記夫子之言或者以謂子之辭子思曰臣所記臣祖之言或親聞之者有聞之於人者雖非正其辭然猶不失其意焉且君之所疑者何公曰於事無非子思曰無非所以得臣祖之意也就如君言以為臣之辭臣之辭無非則亦所宜貴矣事既不然又何疑焉
穆公は子思に対して曰く——「あなたの書の記す所の夫子の話は、或る人は以てあなた自身の辞と為す。」子思は曰く——「臣の記する所の祖父の話は、親耳に聴きし有り、他人より聴きし有り。彼の原來の原辞に非ずと雖も、而も尚お彼の意思を失わず。況んやあなたの懐疑する所は何ぞ。」穆公は曰く——「事に於いて対せざる無し。」子思は曰く——「対せざる無きは、正しく以て臣の祖父の意思を得る所以なり。あなたの話に就きて言えば、以て臣の辞と為せば、臣の辞は対せざる無し。亦た正しく看重すべき所なり。事は既に其のごとくに非ざれば、又た何を懐疑せん。」
穆公謂子思曰縣子言子之為善不欲人譽已信乎子思對曰非臣之情也臣之修善欲人知之知之而譽臣是臣之為善有勸也此所願而不可得者也若臣之修善而人莫知莫知則必毀臣是臣之為善而受毀也此臣所不願而不可避者也若夫雞鳴為善滋滋以至夜半而曰不欲人之知恐人之譽已臣以謂斯人也者非虛則愚也
穆公は子思に対して曰く——「県子はあなたが善事を為りて人に己を称賛せしめんことを思わずと言う。本当か。」子思は答えた。「これは臣の実情に非ず。臣が善を修養するは、人に知らしめんと欲するを思う。人は知りて而も臣を称賛するは、是れ臣が善を為すに勧勉有り。これは願うにして而も得られざる所なり。もし臣が善を修養して而も人知らざれば、知らざれば則ち必ず臣を毀謗す。是れ臣が善を為りて反りて毀を受く。これは臣の願わざるにして而も避けられざる所なり。鶏の叫ぶに始めて善を為り、孜孜として夜半に至るまで、而も人に知らしめんことを思わず・人の己を称賛するを怕ると説くに至っては——臣は以て此の種の人は、虚偽に非ざれば則ち愚蠢なりと為す。」
胡母豹【魯人】謂子思曰子好大世莫能容子也盍亦隨時乎子思曰大非所病所病不大也凡所以求容於世為行道也毀道以求容容何行焉大不見容命也毀大而求容罪也吾弗改矣
胡母豹【魯人】は子思に対して曰く——「あなたは宏大を喜好す。世上はあなたを容納する能わず。何ぞ亦た時俗に随わざる。」子思は曰く——「大なるは并ならず毛病なり。毛病は大ならざるに在り。およそ世に容れらるるを求むるは、道を行わんが為なり。道を毀して容れらるるを求めば、容れられて又た何を行わん。大にして而も容れられざるは、命なり。大を毀して容れらるるを求むるは、罪なり。我は改めざらん。」
子思居貧其友有饋之粟者受二車焉或獻樽酒束脩子思弗為當也或曰子取人粟而辭吾酒脯是辭少而取多也於義則無名於分則不全而子行之何也子思曰然伋不幸而貧於財至乃睏乏將恐絶先人之祀夫以受粟為周之也酒脯則所以飲宴也方乏於食而乃飲宴非義也吾豈以為分哉度義而行也或者擔其酒脯以歸
子思は貧困の日を過ごし、朋友の彼に粟を送る者有れば、彼は両車を受けた。ある人は一樽の酒と一束の干肉を献上したが、子思は受けず。ある人は曰く——「あなたは人の粟を取りて我が酒脯を推辞す。是れ少を辞して而も多を取るなり。義に於いて名目無く、名分に於いても亦た周全ならず。あなたは而も此のごとく為す。何の故ぞ。」子思は曰く——「そうだ。伋は不幸にして財用貧乏し、困窘に至る。将に先人の祭祀を断たんを怕る。粟を受くるは、以て周済するに用いる。酒脯は則ち以て飲宴するに用いる。正しく食を缺きて、而も往きて飲宴すれば、義に合わず。我は何ぞ名分の為ならん。是れ義を度量して乃ち此のごとく為す。」其の人は只だ酒脯を担いで帰るのみ。
穆公問子思曰吾國可興乎子思曰可公曰為之奈何對曰苟君與大夫慕周公伯禽之治行其政化開公家之恵杜私門之利結恩百姓修禮鄰國其興也勃矣子思曰吾之富貴甚易而由不能夫不取於人謂之富不辱於人謂之貴不取不辱其於富貴庶矣哉
穆公は子思に問うた。「我が国は興盛し得べきか。」子思は曰く——「可なり。」穆公は曰く——「どうすべきか。」子思は答えた。「もしあなたと大夫とが周公・伯禽の治理を仰慕し、彼らの政化を推行し、公家の恩惠を敞開し、私門の利益を堵塞し、百姓に恩を結び、隣国に礼を修めば、興起は甚だ迅速ならん。」子思は曰く——「我は富貴を要するは甚だ易し。而も尚お致す能わず。人に索取せざるを富と謂い、人に侮辱を受けざるを貴と謂う。取らず・辱められずは、富貴に於いて亦た差不多なり。」
抗志第十
抗志第十
曾申【參之子】謂子思曰屈己以伸道乎抗志以貧賤乎子思曰道伸吾所願也今天下王侯其孰能哉與屈己以富貴不若抗志以貧賤屈己則制於人抗志則不愧於道
曾申【曾参の子】は子思に対して曰く——「是れ己を委屈して以て道を伸張するか。抑も志を坚持して而も貧賤に安んずるか。」子思は曰く——「道は伸張し得るは我の願う所なり。今、天下の王侯、誰か能く之を致さん。己を委屈して富貴を求むるよりは、志を坚持して貧賤に安んずるに如かず。己を委屈すれば則ち人に制約せられ、志を坚持すれば則ち道に愧ずる無し。」
子思居衛衛人釣於河得鰥魚焉其大盈車子思曰鰥魚魚之難得者也子果何得之對曰吾始下釣垂一魴之餌鰥過而弗視也更以豚之半體則吞之矣子思喟然曰鰥雖難得貪以死餌士雖懷道貪以死祿矣子思居衛魯穆公卒縣子使乎衛聞喪而服謂子思曰子雖未臣魯父母之國也先君宗廟在焉奈何不服子思曰吾豈愛乎禮不得也縣子曰請聞之荅曰臣而去國君不掃其宗廟則為之服寄公寓乎是國而為國服吾既無列於魯而祭在衛吾何服哉是寄臣而服所寄之君則舊君無服明不二君之義也縣子曰善哉我未之思也
子思は衛国に居り。衛人は河の中で魚を釣り、一条の鰥魚を釣り得た。大きさ一車を満たす。子思は曰く——「鰥魚は難得の魚なり。あなたは到底如何にして之を得たる。」其の人は答えた。「我は初め釣を下すに、一条の魴魚を垂れて餌と為す。鰥魚は経過するも看ることもせず。改めて半扇の猪肉を用いれば、則ち呑んだり。」子思は喟然として曰く——「鰥は難得と雖も、而も餌を貪るに因りて死す。士は道を懐くと雖も、而も禄を貪るに因りて死す。」子思は衛国に居り、魯穆公は死す。県子は衛国に出使して、喪訊を聞きて則ち喪服を穿き、子思に対して曰く——「あなたは魯に於いて臣を為さずと雖も、彼れは父母の国。先君の宗廟は彼に在り。何ぞ喪服を穿かざる。」子思は曰く——「我は何ぞ是れ吝惜ならん。是れ礼の許さざるなり。」県子は曰く——「請う、講聞せよ。」子思は答えた。「臣を為りて而も本国を離るれば、国君は其の宗廟を掃せば、則ち彼の為に喪を服す。此の国に寄居せば、則ち此の国の為に喪を服す。我は魯に於いて已に爵位無く、祭祀は而も衛に在り。我は何の喪を服せん。寄居の臣は所寄の国の君の為に喪を服せば、則ち旧君に対しては喪服無し。是れ二君に事えざるの義を表明す。」県子は曰く——「好しや、我は此の一層を想到せず。」
衛君言計是非而群臣和者如出一口子思曰以吾觀所為君不君臣不臣者也公丘懿子曰何乃若是子思曰人主自臧則眾謀不進事是而臧之猶卻眾謀況和非以長乎夫不察事之是非而悅人之讃已闇莫甚焉不度理之所在而阿諛求容謟莫甚焉君闇臣謟以居百姓之上民弗與也若此不已國無類矣
衛君は計謀の是非を談論す。群臣は附和すること一张の嘴より出づるがごとし。子思は曰く——「我が観る所に按じて、為す所は君は君に似ず、臣は臣に似ず。」公丘懿子は曰く——「何ぞ此のごとくに至らん。」子思は曰く——「人主は自ら以て善と為せば、衆の謀画は入る能わず。事は対にして而も自ら以て善と為すは、尚お衆の謀画を攔阻す。況んや錯誤に附和して以て之を助長するをや。事の是非を察せずして而も人の己を賛美するを好む——此より暗きは無し。理の在る所を度量せずして而も阿諛して容を求む——此より諂なるは無し。君は暗く臣は諂にして、而も百姓の上頭に坐すれば、百姓は親附せざらん。此のごとくして止まざれば、国家は剩類無からん。」
子思謂衛君曰君之國事將日非矣君曰何故對曰有由然焉君出言皆自以為是而卿大夫莫敢矯其非卿大夫出言亦皆自以為是而士庶莫敢矯其非君臣既自賢矣而群下同聲賢之賢之則順而有福矯之則逆而有禍故使如此如此則善安從生詩曰具曰予聖誰知烏之雌雄抑亦似衛之君臣乎
子思は衛君に対して曰く——「あなたの国事は将に一日比べて而も糟に至らん。」衛君は曰く——「何の故ぞ。」子思は答えた。「縁故有り。あなたの出言は皆自ら以て是と為し、卿大夫は敢て其の中の錯を矯正せず。卿大夫の出言も亦た皆自ら以て是と為し、士庶は敢て其の中の錯を矯正せず。君臣は已に皆自ら以て賢と為し、底下は又た同声に賢を称す。賢を称すれば則ち順にして而も福有り、矯正すれば則ち逆にして而も禍有り。だから此のごとくに弄成す。此のごとくにして、善は何れより生出せん。『詩経』に曰く——『具に曰く予は聖なりと、誰か烏の雌雄を知らん。』恐らく亦た衛国の君臣のごときか。」
衛君問子思曰寡人之政何如荅曰無非君曰寡人不知其不肖亦望其如此也子思曰希防容媚則君親之中正弼非則君疏之夫能使人富貴貧賤者君也在朝之士孰肯舍所以見親而取其所以見疏者乎是故競求射君之心而莫敢有非君之非者此臣所謂無非也公曰然乎寡人之過也今知改矣荅曰君弗能焉口順而心不懌者臨其事必疣君雖有命臣未敢受也司徒文子改塟其叔父問服於子思子思曰禮父母改塟緦既塟而除不忍無服送至親也非父母無服無服則吊而加麻文子曰喪服既除然後乃塟則其服何服荅曰三年之喪未塟服不變除何有焉期大功之喪服其所除之服以塟既塟而除之其虞也吉服以行事也公叔木謂申詳曰【衛公叔文子之子定公十四年奔魯木或作朱春秋作成】吾於子思親而敬之子思未吾察也申詳以告曰人求親敬於子子何辱焉子思荅曰義也申詳曰請聞之荅曰公叔氏之子愛人之同已慢而不知賢夫其親敬非心見吾所可親敬也以人口而親敬吾則亦以人口而疏慢吾矣申詳曰其不知賢奈何荅曰有龍穆者徒好飾弄辭説觀於坐席相人眉睫以為之意天下之淺人也而公叔子交之橋子良修實而不修名為善不為人之知己不撞不發如大鐘然天下之深人也而公叔子與之同邑而弗能知此其所以為愛同已而不知賢也
衛君は子思に問うた。「寡人の政治は如何。」子思は答えた。「対せざる無し。」衛君は曰く——「寡人は自ら不肖を知らずと雖も、亦た此のごとく有らんを願う。」子思は曰く——「迎合奉承・容媚する者は、あなたは則ち親近す。中正輔弼・過錯を指出する者は、あなたは則ち疏遠す。能く人を富貴貧賤せしむるは君なり。朝に在る士は、誰か肯んじて親近せらるる所以を舎て、往きて疏遠せらるる所以を取らん。だから競い君の心意を揣摩・迎合し、敢て君の対せざるを言う人無し。これ乃ち臣の謂う『対せざる無し』なり。」衛君は曰く——「是れ然るか。是れ寡人の過錯なり。今は改むべきを知れり。」子思は答えた。「あなたは致す能わず。嘴裏は順従するも心裏は喜ばざる者は、事に臨みて必ず毛病を出さん。あなたはたとえ命令有りとも、臣は敢て接受せず。」司徒文子は叔父を改葬し、子思に向いて喪服を問う。子思は曰く——「礼に按じて、父母を改葬すれば緦麻を穿き、葬畢われば則ち除去す。是れ忍びず喪服無くして至親を送るを。父母に非ざれば則ち喪服無し。喪服無ければ、則ち弔唁する時に麻を加う。」文子は曰く——「喪服は已に除去し、然る後に乃ち葬る。何の服を穿くべきか。」子思は答えた。「三年の喪は、下葬せざれば喪服は変わらず。尚お何を除去せん。期年と大功の喪は、除去すべき那套の服を穿きて往きて葬を送り、葬畢わりて再び除去す。虞祭の時は吉服を以て行事す。」公叔木は申詳に対して曰く——【公叔木は衛の公叔文子の子。定公十四年に魯に奔す。『木』は或いは『朱』と作り、『春秋』は成と作る。】「我は子思に対して親近にして敬重す。子思は而も我を察看せず。」申詳は此の話を子思に告げて曰く——「人はあなたに向いて親敬を求む。あなたは何ぞ必ず彼を羞辱せん。」子思は答えた。「是れ義なり。」申詳は曰く——「請う、講聞せよ。」子思は答えた。「公叔氏の子は己と相同じき者を喜愛し、怠慢にして而も賢を識らず。彼の親敬は、并ならず心裏に我の親敬すべき処有るを看出すに非ず。他人の口に因りて我を親敬すれば、亦た将に他人の口に因りて我を疏慢せん。」申詳は曰く——「彼は賢を識らず、如何に講せん。」子思は答えた。「竜穆と呼ぶ者有り、只だ言辞を修飾し・説法を売弄するを喜び、座席上の人の眉眼を観察して以て心意を揣摩す。是れ天下の浅薄の人。公叔子は而も彼と交往す。橋子良は実際を注重して而も名声を修飾せず。善事を為りて人に己を知らしめんと為さず。撞かざれば発せず、大鐘のごとし。是れ天下の深厚の人。公叔子は彼と同邑にして而も認識する能わず。これ即ち以て己と相同じき者を愛し而も賢を識らざる所以なり。」
子思自齊反衛衛君館而問曰【衛敬公】先生魯國之士然不以衛之偏小猶歩玉趾而慰存之願有賜於寡人也子思曰臣覉旅於此而辱君之威尊亟臨蓽門其榮多矣欲報君以財幣則君之府藏已盈而伋又貧欲報君以善言恐未合君志而徒言不聽也顧未有可以報君者唯進賢爾衛君曰賢固寡人之所願也子思曰未審君之願將何以為君曰必用以治政子思曰君弗能也君曰何故荅曰衛國非無賢才之士而君未有善政是賢才不見用故也君曰雖然願聞先生所以為賢者荅曰君將以名取士耶以實取士耶君曰必以實子思曰衛之東境有李音者賢而有實者也君曰其父祖何也荅曰世農夫也衛君乃胡盧大笑曰寡人不好農農夫之子無所用之且世臣之子未悉官之子思曰臣稱李音稱其賢才也周公大聖康叔大賢今魯衛之君未必皆同其祖考李音父祖雖善農則音亦未必與之同也君言世臣之子未悉官之則臣所謂有賢才而不見用果信矣臣之問君固疑君之取士不以實也今君不問李音之所以為賢才而聞其世農夫因笑而不愛則君取士果信名而不由實者也衛君屈而無辭
子思は斉国より衛国に帰り、衛君は館舎を安排して彼に問う——【衛敬公。】「先生は魯国の士なり。而も衛国の偏小なるを以てせず、尚お肯んじて玉趾を移動し來りて慰问・存問す。寡人に対して賜教する所有らんを願う。」子思は曰く——「臣は羈旅して此に在り、あなたの威尊を辱めて屡々柴門に降臨す。栄耀は已に多し。財幣を以てあなたに報えんと欲すれど、あなたの府蔵は已に満ち、伋は又た貧窮す。善言を以てあなたに報えんと欲すれど、あなたの志向に合わざるを怕る。空話はあなたも亦た聴かず。思うに以てあなたに報ゆべき無く、只だ賢人を進荐するのみ。」衛君は曰く——「賢人は本より是れ寡人の願う所なり。」子思は曰く——「あなたの願望を以て何を為さんとするを知らず。」衛君は曰く——「必ず以て政事を治理せん。」子思は曰く——「あなたは致す能わず。」衛君は曰く——「何の故ぞ。」子思は答えた。「衛国は賢才の士無きに非ず。而もあなたは尚お善政無し。是れ賢才の任用せられざる所以なり。」衛君は曰く——「此のごとくなりと雖も、願わくは先生の以て賢と為すは誰かを聴かん。」子思は答えた。「あなたは将に名に按じて士を取らんとするか、抑も実に按じて士を取らんとするか。」衛君は曰く——「必ず実に按ず。」子思は曰く——「衛国の東境に李音と呼ぶ者有り、賢にして而も実有り。」衛君は曰く——「彼の父・祖父は何を為す。」子思は答えた。「世代は農夫なり。」衛君はここに於いて胡盧大笑す——「寡人は農事を喜ばず、農夫の子は用処無し。況んや世臣の子は尚お全く官を授けられざるをや。」子思は曰く——「臣が李音を称道するは、彼の賢才を称す。周公は大聖、康叔は大賢。今、魯・衛の国君は未だ必ずしも彼らの祖考と同じからず。李音の父祖は善く農事を為すと雖も、李音も亦た未だ必ずしも彼らと同じからず。あなたは世臣の子が尚お全く官を授けられざると言う。則ち臣の謂う賢才有りて而も用いられざるは、果して真なり。臣はあなたに問う——本よりあなたが士を取るに実に按ぜざるを懐疑せり。今、あなたは李音の以て賢才と為すの縁由を問わず、一たび世代が農夫なるを聞きて則ち笑いて愛惜せず。則ちあなたが士を取るは果して名を信じて而も実に由らず。」衛君は理屈して、話無し。
衛君曰夫道大而難明非吾所能也今欲學術何如子思曰君無然也體道者逸而不窮任術者勞而無功古之篤道君子生不足以喜之利何足以動之死不足以禁之害何足以怨之【禁或作懼怨或作忌】故明於死生之分通於利害之變雖以天下易其脛毛無所槩於志矣是以與聖人居使窮士忘其貧賤使王公簡其富貴君無然也衛君曰善
衛君は曰く——「道は広大にして而も明白に難し。我の能う所に非ず。今、術を学習せんと欲す。如何。」子思は曰く——「あなたは此のごとくする勿れ。道を体認する人は安逸にして而も窮困せず。術を任用する人は労苦にして而も功無し。古代の道を篤守する君子は、生存は以て彼を歡喜せしむるに足らず、利は又た何ぞ以て彼を打動するに足らん。死亡は以て彼を禁止するに足らず、害は又た何ぞ以て彼を怨恨せしむるに足らん【『禁』は或いは『懼』と作り、『怨』は或いは『忌』と作る】。だから死生の分際を明白にし、利害の変化を通暁せば、たとえ天下を以て彼の小腿上の一根の毛と換うとも、心裏も亦た掛礙する所無し。此に因りて聖人と相処すれば、能く窮士をして貧賤を忘れしめ、王公をして富貴を看輕せしむ。あなたは彼のごとくする勿れ。」衛君は曰く——「善し。」
齊王謂子思曰今天下擾擾諸侯無伯吾國大人眾圖帝何如子思曰不可也君不能去君貪利之心王曰何害子思曰夫水之性清而土壤汩之人之性安而嗜慾亂之故能有天下者必無以天下為者也能有名譽者必無以名譽為者也達此則其利心外矣
斉王は子思に対して曰く——「今、天下は扰扰として、諸侯に霸主無し。我が国は土大きく人衆なり。帝業を図謀せんは如何。」子思は曰く——「可ならず。あなたは能く利を貪る心を去る能わず。」斉王は曰く——「何の害処有らん。」子思は曰く——「水の本性は清なり、土壤は之を攪渾す。人の本性は安なり、嗜欲は之を擾乱す。だから能く天下を有するは、必ず是れ天下を以て一回事と為さざる人。能く名誉を有するは、必ず是れ名誉を以て一回事と為さざる人。此の一点を通達せば、利心は則ち一邊に放到せらん。」
衛將軍文子之內子死復者曰臯媚女復子思聞之曰此女氏之字非夫氏之名也婦人於夫氏以姓氏稱禮也
衛将軍文子の嫡妻は死んだ。魂を招く人は喊び曰く——「皋——媚女、歸り來れ。」子思は之を聞いて曰く——「これは女家の字なり、夫家の名に非ず。婦人は夫家に対して、姓氏を以て称呼す。これ礼なり。」
