周易鄭康成注 宋 王應麟
『周易鄭康成注』は全部で一巻、南宋の王應麟が編纂したものです。王應麟は字を伯厚といい、慶元府(現在の浙江省寧波)の人で、署名の際にはしばしば…
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
提要
《周易鄭康成注》一卷,宋王應麟編。應麟字伯厚,慶元人,自署浚儀,葢其祖籍也。淳佑元年進士,寶佑四年復中博學鴻詞科,官至禮部尚書,兼給事中。事蹟具宋史、儒林傳。
『周易鄭康成注』は全部で一巻、南宋の王應麟が編纂したものです。王應麟は字を伯厚といい、慶元府(現在の浙江省寧波)の人で、署名の際にはしばしば「浚儀」と自称しましたが、それは彼の家の祖籍(現在の河南省開封)に由来します。理宗の淳祐元年に進士に及第し、宝祐四年にはまた「博学鴻詞科」に合格し、官は礼部尚書に至り、給事中を兼務しました。彼の一生の事跡は『宋史·儒林伝』に詳しく記されています。
案,隋志載鄭元周易注九卷,又稱鄭元王弼二注,梁陳列於國學。齊代,惟傳鄭義。至隋,王注盛行,鄭學寖微。然新唐書著録十卷,是唐時其書猶在,故李鼎祚集解多引之。
按:『隋書·経籍志』は鄭玄の『周易注』九巻を著録し、また鄭玄・王弼の両家の注本を挙げています。南朝の梁・陳の二代ではこの二家をともに国学に置き、南斉の代には学官は鄭玄一家の易義だけを伝授しました。隋になると王弼注が大いに流行し、鄭玄の学は次第に衰微しました。ただし『新唐書·藝文志』にはなお十巻が著録されており、唐代にはこの書がまだ存続していたことがわかります。だからこそ李鼎祚の『周易集解』はそれを多く引用できたのです。(この書の清刻本は康熙帝玄燁の諱を避けて「鄭玄」を「鄭元」と書いており、全書この例に倣っています。)
宋崇文總目惟載一卷(案:中興書目今不傳,此據馮椅易學所引),所存者僅文言、序卦、說卦、雜卦四篇,餘皆散佚。至中興,書目始不著録,則亡於南北宋之間。故晁說之、朱震尚能見其遺文,而淳熙以後,諸儒即罕所稱引也。
北宋の『崇文総目』は一巻だけを著録しています(按:『中興書目』は今日すでに失伝しており、ここでは馮椅の『厚斎易学』の引用に基づいて転述する)、保存されていたのは『文言』『序卦』『説卦』『雑卦』の四篇の注文だけで、残りはすべて散佚しました。南宋の中興以降、官修の書目はもはや著録しなくなり、この書は北宋末・南宋初の動乱の間に亡佚したことがわかります。ですから晁説之・朱震はまだその残存遺文を見ることができましたが、孝宗の淳熙以降の学者がこれを引用することはほとんどありませんでした。
應麟始旁摭諸書,裒為此帙,經文異字亦皆並存。其無經文可綴者,則總録末簡。又以元注多言互體,並取左傳、禮記、周禮正義中論互體者八條,以類附焉。
王應麟はここに至って初めて広く諸書を渉猟し、散らばって各所に見える鄭注をこの一冊に編集し、経文の異体字・異文までも併せて保存しました。対応する経文を見つけて係属させることのできない条項は、すべてまとめて全書の末尾に写しました。また鄭玄の『易』注がしばしば「互体」を論じるため、『左伝』『礼記』『周礼』の三書の正義の中から互体を論じた八条を摘み出し、類別して書の後ろに附しました。
考元初從第五元先受京氏易,又從馬融受費氏易,故其學出入於兩家。然要其大旨,費義居多,實為傳易之正脈。齊陸澄與王儉書曰:「王弼注易,元學之所宗,今若崇儒,鄭注不可廢。」其論最篤。唐初詔修正義,仍黜鄭崇王,非逹識也。
鄭玄の師承を考察すると、彼は早年に第五元先に就いて京房一系の『易』を学び、後に馬融に就いて費直一系の『易』を学んだので、彼の易学はこの二家の間を出入りしています。しかし大旨から言えば費氏の成分が多く、それこそが『易』学に伝わる正脈でした。南斉の陸澄が王倹に宛てた手紙に言います:王弼の『易』注は玄学の一派が尊奉するものであり、今儒学を崇尚しようというからには、鄭注は廃棄してはならない。この議論は最も的確です。唐初に詔を下して『五経正義』を修めた際、依然として鄭注を廃して王弼だけを尊んだのは、実に通達な見識とは言えません。
應麟能於散佚之餘,蒐羅放失,以存漢易之一線,可謂篤志遺經、研心古義者矣。近時恵棟別有考訂之本,體例較密,然經營剏始,實自應麟。其捃拾之勞亦不可冺,今並著於録,所以兩存其功也。
王應麟はこの書の大半が散佚した後、零落して各所に散らばった条文を一つ一つ捜し集め、漢代易学に一筋の血脈を保ちました。まことに先儒の遺経に志を篤くし、古人の旧義に心を潜めた人と言うべきです。近世の恵棟にもう一つの考訂本があり、体例はこの本よりも周密ですが、草創を切り開いた功は実に王應麟に出ています。彼が一条一条拾い集めて輯録した労苦も埋没させるべきではないので、『四庫全書』は二つの本を併せて著録しました。その趣意は二人の功績をともに残すことにあります。
周易鄭康成注
乾(けん)
九二,見龍在田。二於三才為地道,地上即田,故稱田也。九二利見九五之大人。九三,君子終日乾乾。三於三才為人道,有乾徳而在人道,君子之象。
『乾』の九二の爻辞に「見龍在田」。鄭玄は「三才」の分位で六爻を解きます。初・二の両爻は「地道」に属し、三・四の両爻は「人道」に属し、五・上の両爻は「天道」に属します。九二はまさに地道にあたり、地面の上がすなわち田なので、爻辞は「田」と言います。九二は天位に居るあの「大人」たる九五に往見すべきです。九三の爻辞「君子終日乾乾」:三爻は三才の中で人道に属し、乾健の徳を備えながら人の位置に身を置く、これがまさに「君子」の取象です。
九五,飛龍在天。五於三才為天道,天者清明無形而龍在焉,飛之象也。上九,亢龍有悔。堯之末年,四凶在朝,是以有悔,未大凶也。
九五の爻辞「飛龍在天」:五爻は三才の中で天道に属し、天は清朗明澈で形も質もないのに、龍がその中に現れる、これが「飛」の取象です。上九の爻辞「亢龍有悔」:鄭玄は盈満すれば損を招くといった抽象的な義理を語らず、直接史事に配します——唐堯の晩年、共工・驩兜・三苗・鯀という「四凶」がなお朝廷に蟠踞していたので、「有悔」と言うだけで、大凶の境地には至っていません。
用九,見群龍無首,吉。六爻皆體龍(一作乾),群龍之象也。舜既受道,禹與稷、契、咎繇之屬,並在於朝。萬物資始乃統天。資,取也。統,本也。大人造也。造,為也。不成乎名,當隱之時以從世俗,不自殊異,無所成名也。確乎其不可拔。拔,移也。聖人作。作,起也。利貞者情性也。
「用九、見羣龍無首、吉」:六爻の爻体はすべて龍(一説に「乾」と作る)で、合わせれば群龍が並び出る取象です。鄭玄は依然として史事に配します——虞舜がすでに禅譲を受けて位に就き、大禹と后稷・契・皋陶という一団の賢臣が同時に朝にあって、人人皆が龍でありながら一人も独り尊んで首と為る者がない、だから吉となります。『彖伝』の「万物资始、乃統天」:「资」は取るという意味、「統」は本原の意味です。『文言』の「大人造也」:「造」は作為です。「不成乎名」は、隠れるべき時にあって世俗に随順し、わざと自分が人と違うことを標榜しないため、何の名声も成し遂げないと言うのです。「確乎其不可抜」:「抜」は移動です。「聖人作」:「作」は興起です。「利貞者情性也」は、貞正はまさに乾道に本有の情性だと言うのです。
坤(こん)
履霜。履讀為禮。六二,直也,方也,地之性。此爻得中氣而在地上,自然之性,廣生萬物,故主動直而且方。龍戰于野,聖人喻龍,君子喻蛇(儀禮注:蛇龍,君子之類)。必有餘殃。殃,禍惡也。
『坤』の初六「履霜」:鄭玄は「履」を「礼」に読み、礼法を践履する義を取り、踏み躙るとは解しません。六二の爻辞が「直」と言い「方」と言うのは、大地の本性です。この爻は下卦の中に居り、中和の気を禀受してまた位が地上にあり、自然而然的な本性で、広大に万物を生育することができるので、動に主どりながら能く直く能く方です。上六「龍戦于野」:鄭玄は龍で聖人を喩え、蛇で君子を喩えます(『儀礼』の鄭注も蛇・龍は同じく君子の類に属すると言います)。「必有余殃」:「殃」は禍患灾悪です。
慊於無陽。慊讀如群公溓之溓,古書篆作立,心與水相近,讀者失之,故作溓。溓,雜也。陰謂此上六也,陽謂今消息用事乾也。上六為蛇,得乾氣,雜似龍(釋文云鄭作謙)。
『文言』が上六について「陰疑于陽必戦、為其嫌于無陽也」と講ずるのに対し、鄭本はこの字を「慊」と作ります。鄭玄はこの「慊」を『春秋』の「羣公溓」の「溓」に照らして読むべきだと言います。古書の篆体はもともと「立」旁に書き、「心」旁と「水」旁の字形が近かったため、書写する人が見誤って水に従う「溓」と書いたのです。「溓」は混雑するという意味です。ここで言う「陰」は本爻、すなわち上六を指し、言う「陽」は、当時十二消息卦の順序で令を行い事を司っている乾陽を指します。上六は本来蛇でしたが、乾の陽気が入り混じったため、混雑した後は龍に近似しました——これこそ「龍戦于野」の由来です。(『経典釈文』は鄭本のこの字を「謙」と作ると言います。)
屯(ちゅん)
而不寧。讀而曰能。能,猶安也。六二,乗馬般如。馬牝牡曰乗。冓,猶會也。六三,機不如舎。弩牙也。
『屯』卦の『彖伝』「宜建侯而不寧」:鄭玄は「而」を「能」と読み、「能」はここで「安」に等しく、全文は諸侯を封建して後に初めて安定すると言うのです。六二の爻辞「乗馬般如」:一牝一牡が対を成して初めて「乗」と言うので、「乗馬」は二頭の馬です。「冓」は「会」に等しく、交合・遇合の意味です。六三の爻辞は通行本が「幾不如舍」と作るのに対し、鄭本は「机」と作り、弩機の上の扳牙を指します。
蒙(もう)
蒙,幼小之貌,齊人謂萌為蒙也。蒙亨,匪我求童蒙。蒙者,濛濛,物初生形,是其未開著之名也。人幼稚曰童,未冠之稱。亨者,陽也。互體震而得中,嘉會禮通,陽自動其中,徳施地道之上,萬物應之而萌芽生。
「蒙」は幼小のさまで、斉の地方の方言は草木の初生の「萌」を「蒙」と呼びます。『蒙』の卦辞「蒙亨、匪我求童蒙」:蒙とは、蒙昧として、万物が形体を生じたばかりでまだ顕露分明でない時の名称です。人が幼稚の段階にあるのを「童」と言い、それはまだ冠礼を行っていない呼称です。「亨」は陽を指します。この卦は二から四の爻が「互体」して震を成し、震は動に主どり、九二はまた下卦の中に居り、まさに『文言』の「嘉会足以合礼」の義に合います。陽気が卦の中で自ら発動し、徳沢が地道の上に施され、万物は感応して萌芽・萌生します。
教授之師取象焉。修道藝於其室,而童蒙者求為之弟子,非已乎求之也。弟子初問,則告之以事義,不思其三隅相況以反,解而筮者,此勤師而功寡,學者之災也。瀆筮則不復告,欲令思而得之,亦所以利義而幹事是也。
学生を教授する老師は、取象がまさにここにあります。老師は自分の屋中で道芸を修習し、蒙昧な孩童が来て彼の弟子となることを求めるのであって、老師が学生を求めるのではありません。弟子が初めて発問すると、老師は事の義理を彼に告げます。もし彼が一隅を挙げて残りの三隅を以て相印証し反復推求することを肯んじず、ただまた占問に来て出来合いの答えを求めようとするなら、それは老師が辛苦して収穫が少なく、学び求める人が自ら招いた災いです。だから卦辞は再三にわたり涜すように占問すればもはや告げないと言い、彼自身が思索して得るところを期するのです——これもまた『乾』の四徳のうちの「利物足以和義」「貞固足以干事」の道理です。
初六,用說桎梏。木在足曰桎,在手曰梏。九二,包蒙。包當作彪,彪,文也。六五,順以巽也。巽當作遜。
初六の爻辞「用説桎梏」:木製の刑具で足に加えるのを「桎」と言い、手に加えるのを「梏」と言い、「説」は脱ぐことです。九二の爻辞「包蒙」:鄭玄は「包」は「彪」と作るべきだと考え、「彪」は文采の義で、九二が文徳を以て衆蒙を涵育することを指します。六五の『象伝』「順以巽也」:「巽」は「遜」と作るべきで、謙遜柔顺の意味で、巽卦の象を取るのではありません。
需(じゅ)
需讀為秀。陽氣秀而不直前者,畏上坎也。位乎天位。位,音蒞。宴,享宴也。九二,需於沚。九三,致戎至。
『需』卦の卦名「需」を、鄭玄は「秀」と読みます。乾陽の気はすでに秀出しましたが、一直線に前へ推進しないのは、上卦の坎の陥険を畏れるからです。『彖伝』「位乎天位」の頭の「位」の字は、読みが「莅」と同じで、臨御の意味です。卦辞「君子以飲食宴楽」の「宴」は、宴享の礼を指します。九二の爻辞は通行本が「需于沙」と作るのに対し、鄭本は「需于沚」と作り、「沚」は水の中の小洲です。九三の爻辞は通行本が「致寇至」と作るのに対し、鄭本は「致戎至」と作ります。
訟(しょう)
辯才曰訟。有孚咥。咥,覺悔貌。九二,歸而逋其邑人三百戸,無眚。小國之下大夫,采地方一成,其定稅三百家,故三百戸也。
弁舌に長けているからこそ争訟が興るので、「訟」の字は言に従います。卦辞は通行本が「有孚窒惕」と作るのに対し、鄭本は「有孚咥」と作ります。「咥」は心の中で覚悟悔恨するさまです。九二の爻辞「帰而逋其邑人三百戸、無眚」:鄭玄は周代の封建の制で計算します——これは小国の下大夫で、采邑は縦横それぞれ一「成」(方十里)、規定により賦税を出すのは三百家に過ぎないので、爻辞は「三百戸」と言うのです。
不易之田,歲種之。一易之田,休一歲乃種。再易之田,休二歲乃種。言至薄也。茍自藏隱,不敢與五相敵,則無災眚。眚,過也。患至惙也。惙,憂也。九四,渝然也。上九,鞶帶。佩鞶之帶。三拕之拕,徒可反。
鄭玄は続けて『周礼』の田制でこの三百戸がどれほど单薄かを説明します。地力が良く連年耕作できるのを「不易之田」と言い、年年種を蒔きます。「一易之田」は一年休耕してから蒔き、「再易之田」は二年休耕してから蒔きます——この采邑が貧薄の極みにあることがわかります。九二がもし自らを藏匿し退避し、あえて九五と抗衡しなければ、灾殃はありません。「眚」は過失です。「患至惙也」の「惙」は憂愁です。九四の爻辞「渝安貞」の「渝」は、変改するさまです。上九の爻辞「或錫之鞶帯」:「鞶帯」は鞶囊を佩繋する大帯です。「終朝三褫之」の「褫」は、鄭本は「拕」と作り、反切注音は「徒可反」です。
師(し)
軍二千五百人為師。多以軍為名,次以師為名,少以旅為名。師者,舉中之言。
周代の軍制では、二千五百人を編成して一「師」とします。兵員の最も多い一級の建制は「軍」の名を用い、その次の一級は「師」の名を用い、最も少ない一級は「旅」の名を用います。卦名が「師」を取るのは、中間の一級を挙げて全部の軍旅の事を概括したのです。
丈人能以法度長於人。丈之言長,能御眾有正人之徳,以法度為人之長,吉而無咎,謂天子諸侯主軍者。初六,否藏凶。否,方有反。九二,王三錫命。寵,光耀也。
卦辞「丈人吉、無咎」:丈人は法度を以て衆人の長となることのできる人です。「丈」の意味はすなわち長で、大衆を統御し、他人を端正する徳行を備え、法度を凭じて衆人の首長に充当するので、吉利であり過ちがありません——指すのはまさに天子・諸侯という自ら軍旅を主宰する人です。初六の爻辞は通行本が「師出以律、否臧凶」と作り、鄭本は「臧」を「藏」と作ります。「否」の反切注音は「方有反」です。九二の爻辞「王三錫命」は、『象伝』が「懐万邦也」と言い、「寵」は光耀顕揚です。
比(ひ)
初六,有孚盈缶。爻辰在未上,值東井。井之水,人所汲用。缶,缶汲器也。
『比』の初六の爻辞「有孚盈缶」。鄭玄はここで「爻辰」の法を用います。六爻はそれぞれ十二支に配し、陰爻が初位に居れば「未」に配し、未の上はまさに二十八宿の「東井」、すなわち井宿に正対します。井の水は人が汲み取って用いるもので、「缶」はまさに水を汲む瓦器です——だから爻辞は誠信が満ち溢れて缶に水を盛るがごとしと言うのです。この解法は完全に天象分野から出ており、爻位に就いて比附親輔を講ずる路数とは異なります。
九五,王用三驅,失前禽。王因天下顯,習兵於搜狩焉。驅禽而射之,三則已發,軍禮也。失前禽者,謂禽在前來者,不逆而射之,傍去又不射,唯背走者,順而射之,不中亦已。是皆所以失之,用兵之法亦如之。降者不殺,奔者不禁,皆敵不殺,以仁恩養威之道。
九五の爻辞「王用三駆、失前禽」。天子は天下がすでに顕明太平であるため、四時の田猟を借りて武事を演習します。禽獣を駆り立ててこれを射、三度目に射て便ち矢を発するのを止める、これは軍中の礼です。いわゆる「失前禽」は、迎面して自分に向かって奔って来るものは、迎頭に射ず、傍から逃げ去るものも射ず、ただ自分に背を向けて逃げるものだけを順勢に射、射当たらなくてもやめるということです。これらのやり方はみな意図的にそれを逃がすのです。用兵の法則もまたこのようです。投降する者は殺さず、奔逃する者は遮らず、もはや敵と為らない者はすべて殺さない——これはまさに仁恩を以て威勢を涵養する道理です。
小畜(しょうちく)
畜養也。九三,輿說輻。謂輿下縛木,與軸相連,鉤心之木是也。輻,伏莬。
「畜」は畜養の意味です。九三の爻辞「輿説輻」:鄭玄はこれを車箱の下に縛り付けてあるあの木だと言い、それは車軸と連なり、すなわち車制のいわゆる「鈎心」の木です。鄭本の「輻」の字は、「伏兎」という部品を指し、車輪の上の輻条ではありません——だから「説輻」は伏兎が脱落し、車箱と軸が脱開して前へ進めないのです。
泰(たい)
泰,通也。后以財成,天地之道,財節也。輔相左右,助也。以者取其順陰陽之節,為出內之政。春崇寛仁,夏以長養,秋教收斂,冬勅蓋藏,皆可以成物助民也。
「泰」は通達です。『象伝』「后以財成天地之道」:「財」はすなわち「裁」、節制の意味です。「輔相左右民」の「左右」は、すなわち助けです。句中の「以」の字は、陰陽の節候に順応するを取り、発布と収納の政令を施行します。春は寛仁を尚び、夏はその生長養育を助け、秋は民に収斂を教え、冬は覆い蔵するを督令します——これらはみな万物を成就し百姓を輔助できます。
初九,彚,類也。茹,牽引也。茅喻君,有絜白之徳,臣下引其類而仕之。九二,荒讀為康,虛也。六五,帝乙歸妹,以祉元吉。五爻辰在卯,春為陽中,萬物以生。生育者,嫁娶之貴。仲春之月,嫁娶男女之禮,福祿大吉。
初九の爻辞「抜茅茹、以其彙」:「彙」は同類、「茹」は牽引です。茅は君上に喩え、洁白の徳行を有し、臣下は自分の同類を牽引してともに出仕します。九二の爻辞「包荒」:「荒」は「康」と読み、空虚の意味です。六五の爻辞「帝乙帰妹、以祉元吉」:鄭玄は依然として爻辰で解きます——五爻は陰爻で、その辰は「卯」にあり、卯は仲春に当たり、陽気の正中で、万物はこれにより生じます。生育できることは、まさに嫁娶が重んずるところです。仲春の月はまさに男女嫁娶の礼を行う時節なので、福禄は大吉です。
否(ひ)
九四,疇離祉。九五,繋于苞桑。猶紂囚文王於羑里之獄,四臣獻珍異之物而終免於難,繫于苞桑之謂。
九四の爻辞「疇離祉」:「疇」は同類、「離」は附麗で、同類が相依附してともに福を得ると言います。九五の爻辞「繋于苞桑」:鄭玄は史事で講じます——これは商紂が周文王を羑里の牢獄に囚禁し、閎夭ら四人の臣子が珍奇異物を進献し、文王がついに禍難を免れたようなものです。叢生する桑根に繋がれて牢固で断たれないとは、まさにこの危から安に転じ根柢が揺るがないことを言います。
同人(どうじん)
乾為天,離為火,卦體有巽,巽為風。天在上,火炎上而從之,是其性同於天也。火得風,然後炎上益熾,是猶人君在上,施政教使天下之人和同而事之,以是為人和同者,君之所為也,故謂之同人。
『同人』は下が離で上が乾。乾は天、離は火、そして卦中の二から四の爻が互体にまた巽を有し、巽は風です。天は上方にあり、火の性は上に燃えてそれに追随する、これが火の性質が天と同じということです。火がさらに風を得れば、そしてますます燃え盛ります。これは君主が上位にあり、政令教化を施行して天下の人を和同一致させて彼に事奉させるに似ています。人を和同させることができるのは、まさに君主の作為なので、卦名を「同人」と言います。
風行無所不遍,遍則會通之徳大行,故曰同人于野,亨。六二,天子諸侯后夫人。茅,音苗。無子不出。九三,莽,叢木也。九四,乗其庸。
風の至るところは遍まないところがなく、天下に遍けば会合通達の徳が大いに流行するので、卦辞は「同人于野、亨」と言います——「野」はまさに風が行きて曠遠なる義を取ります。六二の爻の下の鄭注は、天子の后と諸侯夫人の名位の制に渉ります。「茅」の字の読みは「苗」と同じです。婦人の「無子不出」は、子がなくても七出の条には入らないと言うのです。九三の爻辞「伏戎于莽」:「莽」は叢生の樹木です。九四の爻辞は通行本が「乗其墉」と作るのに対し、鄭本は「乗其庸」と作ります。
大有(だいゆう)
明辯遰也,讀如明星晢晢。六五,體離處乾之上,猶大臣有聖明之徳,代君為政,處其位有其事,而理之也。元亨者,又能長群臣以善使,嘉會禮通,若周公攝政,朝諸侯於明堂是也。
『大有』の『象伝』「明辨遰也」、鄭玄は『詩経』の「明星晢晢」の「晢」のごとく読み、光明分明の義を取ります。六五は柔を以て尊に居り、その爻体は離に属して乾の上方に処り、大臣が聖明の徳行を備え、君主に代わって政を執り、その位に居りその事に任じて天下を治めるに似ています。いわゆる「元亨」は、彼がまた善道を以て群臣を長養し善く任使することを言い、まさに『文言』の「嘉会足以合礼」の義に合います。周公が政を摂り明堂で諸侯を朝会したようです。
謙(けん)
君子有終。艮為山,坤為地。山體髙,今在地下。其於人道,高能下下,謙之象。亨者,嘉會之禮,以謙為主。謙者,自貶損以下人,唯艮之堅固,坤之厚順,乃能終之,故君子之人有終也。捊多益寡。捊,取也。撝謙,讀為宣。初六,牧,養也。
『謙』の卦辞「君子有終」。この卦は下が艮で上が坤。艮は山、坤は地、山の形体は本来高峻なのに、今は地の下に圧されています。人事に落とし込めば、地位の高い人が人の下に屈居できる、これがまさに謙の取象です。いわゆる「亨」は、嘉美会合の礼が謙を主とすることを言います。謙とは、すなわち自分を貶損して人の下に居ることで、艮の堅固、坤の厚順があってこそ、それを終始徹底できるので、君子の人は終わりを有すると言います。『象伝』「捊多益寡」の「捊」は取ること、「撝謙」の「撝」は「宣」と読み、宣布布散の意味です。初六の「牧」は畜養です。
豫(よ)
坤順也。震動也。順其性而動者,莫不得其所,故謂之豫。豫喜,豫悅樂之貌也。震又為雷,諸侯之象。坤又為眾,師役之象,故利建侯行師。
『豫』は下が坤で上が震。坤は順、震は動です。事物の本性に順って動けば、どれ一つとしてそれぞれその所を得ないものはないので、卦名を「豫」と言います。「豫喜」「豫悦」はみな歓欣喜楽のさまです。震はまた雷で、諸侯の取象です。坤はまた衆で、師旅役衆の取象です——だから卦辞は「利建侯行師」と言い、すべて八卦の取象から推し出し、別に義理を立てるのではありません。
靁出地奮。奮,動也。靁動於地上,而萬物豫也。忒,差也。六二,砎於石,右八切,蓋謂唐砎也。六三,盱,誇也。九四,由豫。由,用也。簪,速也。上六,冥豫,冥讀為鳴。
『象伝』「雷出地奮」:「奮」は振動です。雷が地面の上で震動すれば、万物はこれにより欣悦する、これが豫です。『彖伝』「而四時不忒」の「忒」は差錯です。六二の爻辞「介于石」は、鄭本は「砎」と作り、反切注音「右八切」で、おそらく堅硬な唐砎の石を指します。六三の爻辞「盱豫」:「盱」は誇大张望です。九四の爻辞「由豫」:「由」は用です。「朋盍簪」の「簪」は迅速です。上六の爻辞「冥豫」:鄭玄は「冥」を「鳴」と読み、楽声が鳴り響いて豫が極まるを指します。
随(ずい)
震動也。兌說也。內動之以徳,外說之以言,則天下之人(一作民)咸慕其行,而隨從之,故謂之隨也。既見隨從,能長之以善,通其嘉禮,和之以義,乾之以正,則功成而有福。若無此四徳,則有凶咎焉。
『随』は下が震で上が兌。震は動、兌は悦です。内では徳行を以て人を感動させ、外では言語を以て人を悦ばせれば、天下の人(一説に「民」と作る)はみな彼の行事を仰慕して随従するので、卦名を「随」と言います。すでに人の随従がある以上、善道を以て彼らを長養し、嘉美の礼を通行し、義を以て調和し、正を以て事を幹することができ、こうして功業が成就し福慶があります。この四句はまさに元・亨・利・貞の四徳に配ります。もしこの四種の徳行がなければ、凶险と過ちを招きます。
出門交有功,震為大塗,又為日門,當春分,陰陽之所交也。是臣出君門,與四方賢人交,有成功之象也。昔舜慎徽五典,五典克從,納於百揆,百揆時序,賓於四門,四門穆穆,是其義也。
初九の『象伝』「出門交有功」:鄭玄は卦象と節気を合わせて解きます——震は大道、また日出の門で、ちょうど春分に当たり、陰陽交會の時です。これがすなわち臣子が君門を出て、四方の賢人と交接して能く成すことのある取象です。昔、虞舜は謹んで五常の教を推行し、五教はみな遵从でき、百官の事を総理すれば百事はみな井然として序立ち、四門で賓客を迎送すれば四門の賓客はみな粛穆恭敬しました——『尚書·舜典』が記すのはまさにこの道理です。
蠱(こ)
先甲三日,後甲三日。甲者,造作新令之日。先之三日而用辛也,欲取改過自新之義。後之三日而用丁也,取其丁寧之義。
『蠱』の卦辞「先甲三日、後甲三日」。「甲」は創制し新しい法令を颁布する日です。甲の日から前へ三日を推せば、まさに「辛」の日で、「辛」と「新」が同音であることを取り、人に過ちを改め自新させる意味です。甲の日から後へ三日を推せば、まさに「丁」の日で、「丁寧」に反復叮嚀する意味を取ります。鄭玄は十干の日名を以て経文の日数に落とし込み、もっぱら卦徳の終始を講ずる解法路数とは全く異なります。
臨(りん)
臨,大也。陽氣自此浸而長大。陽浸長矣,而有四徳,齊功於乾,盛之極也。人之情盛則奢滛,奢淫將亡,故戒以凶也。
「臨」は大です。陽気はこの卦から次第に浸長して壮大になります。陽がすでに浸長し、この卦はまた元亨利貞の四種の徳行を備え、功用は乾卦と斉しくなり得て、興盛の極みです。しかし人の常情は、極盛に至れば奢侈淫佚し、奢淫を続ければ敗亡するので、卦辞は「至于八月有凶」を以てこれを誡告するのです。
臨卦,斗建丑而用事,殷之正月也。當文王之時,紂為無道,故於是卦為殷家著興衰之戒,以見周改殷正之數雲臨。自周二月用事,訖其七月,至八月而遯卦受之,此終而復始,王命然矣。
『臨』卦は北斗の斗柄が「丑」の位を指す時に事を司り、それはまさに殷商の暦法の正月です。周文王の時に当たり、紂王が無道だったので、便ちこの卦の中に殷王朝のために興衰の誡告を標出し、周朝が殷正を改易する時数を顕示するため、それで「臨」と称したのです。周暦の二月から事を行い、七月まで行い、第八の月になると『遯』卦が接続します——これは終わりてまた始まる、天命の移転はもともとこのようです。鄭玄は卦気・暦法と殷周革命の史事を一つに合わせ、「八月有凶」にここに確指が出ました。
観(かん)
坤為地,為眾。巽為木,為風。九五,天子之爻,互體有艮。艮為鬼門,又為宮闕。地上有木,而為鬼門宮闕者,天子宗廟之象也。
『観』は下が坤で上が巽。坤は地・衆、巽は木・風です。九五は天子の爻で、卦中の三から五の爻が「互体」して艮を成します——いわゆる互体は、本卦の中に別に二から四、三から五の二組の爻を取ってそれぞれ一卦を成すことです。艮はすなわち鬼門であり、また宮闕でもあります。地の上に樹木が生長し、しかもこの地方は鬼門と宮闕を兼ね備える、これがまさに天子の宗廟の取象です。
觀盥而不薦,諸侯貢士於天子,鄉大夫貢士於其君,必以禮賓之。唯主人盥而獻賓,賓盥而酢,主人設薦俎,則弟子也。初六,童觀。童,稚也。
卦辞「観盥而不薦」:諸侯が天子に士人を貢挙し、郷大夫が本国の君に士人を貢挙するときは、必ず賓客の礼を以て彼らを接待します。礼を行う時は主人だけが手を洗い酒を賓に献じ、賓は手を洗い主人に酬いる、この二節は親ら行うものです。薦羞を設え俎豆を陳列することまでは、弟子が代わって労する事です。だから「盥」は尊者が親ら行う重節であり、「薦」は必ずしも親為しなくてよい——観礼する者が見るべきなのはまさに前者です。初六の爻辞「童観」:「童」は幼稚です。
噬嗑(ぜいごう)
敕法。敕,猶理也。九四,噬乾胏。胏,簀也。上九,離為槁木,坎為耳,木在耳上,何校滅耳之象也。聰不明也,目不明,耳不聰。
『噬嗑』の『象伝』「明罰敕法」:「敕」は「理」に等しく、整治の意味です。九四の爻辞「噬乾胏」:「胏」は骨に連なる乾肉で、鄭玄はすなわち「簀」と言います。上九の爻辞「何校滅耳」:上卦の離は枯槁の木、下卦の坎は耳で、木が耳の上に架かる、これがまさに枷木を肩に負い耳を遮没する取象です。『象伝』「聡不明也」は、目が明らかに見えず、耳が清らかに聞こえないと言うのです。
