少陽 第十七
少陰 第十八
老陽 第十九
老陰 第二十
七八九六合数 第二十一
且夫七、八、九、六之數,以四位合而數之,故老陽四九則三十六也,少陽四七則二十八也,老陰四六則二十四也,少陰四八則三十二也。
七・八・九・六という四つの数は、四位一組として合わせて計算する:老陽は四つの九で、三十六を得る。少陽は四つの七で、二十八を得る。老陰は四つの六で、二十四を得る。少陰は四つの八で、三十二を得る。前の少陽・少陰・老陽・老陰の四幅の図は、それぞれ七・八・九・六各々の点数を画き出した。この一幅は四者を一処に併列し、それらが各々四を乗じて得た策数を顕示する。
乾画三位 第二十二
坤画三位 第二十三
乾畫,奇也。坤畫,偶也。且乾、坤之位分,則奇偶之位列,則陰陽之位序矣。
乾の爻画は一条の整画で、奇に属す。坤の爻画は中断の両段で、偶に属す。この二幅の図は各々三位を画く:乾は三条の奇画を下より上へと三位に排し、坤は三条の偶画を三位に排する。乾・坤の位次がいったん分かれれば、奇と偶の位次が排列し出し、陰と陽の位次もまた先后の次序を有する。
陽中の陰 第二十四
陰中の陽 第二十五
乾独陽 第二十六
坤独陰 第二十七
《經》日一陰一陽之謂道。韓氏《注》云:道者,元之稱,元不通也,元不由也。況之日道,寂然元體,不可為象,必有之用極,而元之功顯,故至於神元方,而《易》元體,而道可見矣。故窮變以盡神,因神而明道,陰陽雖殊,元一以待之。在陰為元陰,陰以之生,在陽為元陽,陽以之成,故日一陰一陽也。
《繋辞》にいう:「一陰一陽を道と謂う。」韓康伯の注にいう:いわゆる道は「無」の名称である。それは通じぬ所なく、由らぬ所なく、姑く比況してこれを道と呼ぶ。それは寂然として形体なく、取って象と為し得ず。必ず「有」の作用が極処に推されるを待ち、「無」の功用が初めて顕現する。ゆえに「神に方なく《易》に体なし」の境地に至って、道は初めて見られうる。それゆえ変化を窮究して神の妙を尽くし、さらに神に凭って道を明らかにする。陰と陽とは同じからざれども、みなこの「無」をもってそれを承当する――陰の一面においては無陰で、陰はそれに凭って生じ、陽の一面においては無陽で、陽はそれに凭って成る。ゆえに「一陰一陽」という。(原文はおよそ「元」の字はすべて「無」の字の誤り。)
又孔氏云一謂元陰元陽,乃謂之道也。觀其註疏之家,祖述元以為義,不釋其道之妙用也。且道元形,亦必陳乎宗旨。《易》稱一陰一陽之謂道,必垂一陰一陽之義耳。
孔頴達もまたいう:この「一」とは無陰無陽を指し、それが初めて道と呼ばれる。これらの注を作り疏を作る者を見るに、一味「無」の一字を祖述して論を立て、道の妙用がいったいどこにあるかを解説しようとしない。道はたとい形体なくとも、総じてその宗旨を陳説し清楚にせねばならぬ。《易》がすでに「一陰一陽を道と謂う」という以上、それは必ず「一陰一陽」という四字そのものの意義を垂示せんとするのである。
略試論之:且夫一陰一陽者,獨陰、獨陽之謂也。獨陰、獨陽且不能生物,必俟一陰一陽合,然後運其妙用,而成變化;四象因之而有,萬物由之而生,故日元不由之謂道也。
私に略して論説させたい:いわゆる「一陰一陽」とは、単独の一個の陰と単独の一個の陽を講ずるのである。単独の陰・単独の陽はいずれも万物を生じ得ず、必ず一陰と一阳とが会合するを待ち、然る後に初めてその妙用を運出して変化を成就する。四象はこれによって有り、万物はこれによりて生ず。ゆえに「由らぬ所なきあのものを、道と呼ぶ」というのである。
若夫獨陰、獨陽者,天地所稟。天獨陽,地獨陰。至於五行之物,則各含一陰一陽之黑而生也。所以天一與地六合而生水,地二與天七合而生火,天三與地八合而生木,地四與天九合而生金,天五與地十合而生土,此則五行之質,各稟一陰一陽之黑耳。
単独の陰・単独の陽に至っては、あれは天と地とが各々禀受する所である:天は純として陽、地は純として陰。五行という具体の物に至っては、各々一陰一陽の二種の気を含んで生成する。ゆえに天一と地六と相合して水を生じ、地二と天七と相合して火を生じ、天三と地八と相合して木を生じ、地四と天九と相合して金を生じ、天五と地十と相合して土を生ず。五行の形質は、みな各々一陰一陽の気を禀して来る。前の「陽中の陰」「陰中の陽」の二図は、まさに陽中に陰を含み陰中に陽を含むさまを画き、「乾独陽」「坤独陰」の二図は、天地各々の純一の体を画く。
至於動物、植物,又合五行之黑而生也。今欲明其義,故先布天地獨陰、獨陽之體,次列五行含二黑之象,末陳人稟五行之質也。
動物と植物に至っては、また五行の気を会合して生ずる。いまこの層の道理を講じ明らかにせんがため、まず天地各々の独陰・独陽の体を排出し、其次に五行が各々二種の気を含む象を列し、最後に人の五行の質を禀受するあの一幅を陳述する。
離は火と為る 第二十八
坎は水と為る 第二十九
震は木と為る 第三十
兌は金と為る 第三十一
天五 地十と合して土と為る 第三十二
土,元象也,分王四季。地,則積陰之黑;黑稟獨陰,不能生物也。暨天五與地十合而生土,成其形質,附地而載,是為五行之一也。故《疏》云:土者,是地中之別耳。所以地則稱乎獨陰,土則稟乎二黑也。
土はそれ自身専属の象がなく、四季の末に分れて旺する。地は陰気の積聚して成るもので、この気は純粋に独陰であり、自身は万物を生じ得ない。天五と地十と相合して土を生ずるに及んで、土は初めて自分の形質を成就し、地に附着して万物を承載し、ここにおいて五行の中の一行となる。ゆえに孔頴達の疏にいう:土は地の中の一つの別類にすぎない。これが、地はただ独陰と称し得て、土は陰陽二種の気を兼禀する所以である。前の離は火、坎は水、震は木、兌は金の四図は、各々七・六・八・九の数をもって四方に配した。この一図は五と十とを相合して中に居らせ、土位を补足する。
人 五行を禀ぐ 第三十三
《易》之為書也,廣大悉備,有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之,故六六者非他也,三才之道也。然則三才之道,上、中、下之位;三才之用舍五行,則斯須元以濟矣。
《易》という書は、広大にして備わらぬ所なし:その中に天道あり、人道あり、地道あり。天・地・人の三才を兼取して各々二画をもって表すので、一卦は六画ある。この六画はほかならず、まさに三才の道である。三才の道は上・中・下の三つの位次に分居する。しかるに三才が作用を発揮せんとするに、いったん五行を舍開すれば、片刻も事を済ます由なし。
至於人之生也,外濟五行之利,內具五行之性。五行者,木、火、土、金、水也。木性仁,火性禮,土性信,金性義,水性智,是故圓首方足,最靈於天地之問者,蘊是性也。人雖至愚,其於外也;日知由五行之用,其於丙也。或蒙其性而不循五常之教者,可不哀哉?
人の生存に至っては、外に対しては五行の利を取って自らを養い、内には五行の賦した本性を具備する。五行とはすなわち木・火・土・金・水:木の性は仁、火の性は礼、土の性は信、金の性は義、水の性は智である。ゆえに円頭方足にして天地間で最も霊なる人は、体内にまさにこの五種の性を蔵している。人はたとい極めて愚昧でも、身外の事においては、日日五行の用に頼るべきことを皆知っている。しかし内心の一面においては(原文の「丙」は「内」の字の誤り)、本性を蒙蔽して、仁・義・礼・智・信の五常の教化に遵循しようとしない者がある。これはまた悲しむべきではないか。
易数鈎隠図 巻中
乾坤 六子を生ず 第三十四
乾 下に坤に交わる 第三十五
乾,天也,故稱乎父,下濟而光明。
乾はすなわち天であるから、これを父と称する。父道は下に向かって万物を済助するがゆえに、光明たるを得る。この図に画くは、まさに乾の陽画が上より下に向かって坤体に交入するさまである。
坤 上に乾に交わる 第三十六
坤,地也,故稱乎母,卑而上行焉。
坤はすなわち地であるから、これを母と称する。母道は卑下に処りて上に向かって運行する。この図に画くは、まさに坤の陰画が下より上に向かって乾体に交入するさまである。
震は長男と為る 第三十七
震一索而得男,故謂之長男。
震卦は乾坤が第一次に交感求索して得た男卦であるから、これを長男と称する。この図に画くは、乾の初爻の陽が坤体の下位に進入して震と成ることである。
巽は長女と為る 第三十八
巽一索而得女,故謂之長女。
巽卦は乾坤が第一次に交感求索して得た女卦であるから、これを長女と称する。この図に画くは、坤の初爻の陰が乾体の下位に進入して巽と成ることである。
坎は中男と為る 第三十九
坎再索而得男,故謂之中男。
坎卦は乾坤が第二次に交感求索して得た男卦であるから、これを中男と称する。この図に画くは、乾の陽爻が坤体の中位に進入して坎と成ることである。
離は中女と為る 第四十
離再索而得女,故謂之中女。
離卦は乾坤が第二次に交感求索して得た女卦であるから、これを中女と称する。この図に画くは、坤の陰爻が乾体の中位に進入して離と成ることである。
艮は少男と為る 第四十一
艮三索而得男,故謂之少男。
艮卦は乾坤が第三次に交感求索して得た男卦であるから、これを少男と称する。この図に画くは、乾の陽爻が坤体の上位に進入して艮と成ることである。
兌は少女と為る 第四十二
兌三索而得女,故謂之少女。已上更布自然之象者,蓋欲明上下自然交易相生之理,成八卦變化之義也。
兌卦は乾坤が第三次に交感求索して得た女卦であるから、これを少女と称する。図中に画くは坤の陰爻が乾体の上位に進入することである。以上の各図がこれらの自然の象を逐一排布する所以は、上下両体が自然に交換し彼此相生する道理を顕明し、もって八卦変化の意義を成就せんと欲するにある。
坎 復卦を生ず 第四十三
離 姤卦を生ず 第四十四
夫《易》有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。八卦成列,象在其中矣;因而重之,爻在其中矣。則知太極乃兩儀之始,八卦則重卦之始也。重卦之首以《復》卦,何謂也?陽黑之始也。
《繋辞》にいう:「《易》に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。」またいう:「八卦成りて列なば、象その中にあり。因りてこれを重ねれば、爻その中にあり。」これにより知るべし:太極は両儀の開端であり、八卦は重卦の開端である。然れば重卦はなぜ《復》卦をもって頭とするか。《復》はまさに陽気の萌生する起点だからである。
略試論之:且夫四正之卦,所以分四時十二月之位,兼乾、坤、艮、震者,所以通其變化;因而重之,所以效其變化之用也。觀其變化之道,義有所宗,故其《復》卦生於坎中,動於震上,交於坤,變二震、二兌、二乾而終。自《復》至《乾》之六月,斯則陽爻上生之義也。
私に略して論説させたい:坎・離・震・兌という四つの正位に居る卦は、四時十二月の方位を分配するために用いる。さらに乾・坤・艮・巽を兼ね加えて(原文は「震」と作るが、当に「巽」の誤りなるべし)、それらの変化を貫通するために用いる。八卦を二二相重ねるは、まさにこの変化の功用に效法せんとするためである。この変化の路数を細かく見るに、各々本とする所あり:《復》卦は坎の中爻より生じ、震の上方において発動し、坤と相交わる。これより後、陽爻は位を逐うて上に長し、震・兌・乾を歴ること各々二変して終わる。《復》より《乾》に至るまでちょうど六ヶ月を歴る。これがすなわち陽爻が下より上に向かって月を逐うて生長する意である。
《娠》卦生於離中,消於巽下,交於乾,變二巽、二艮、二坤而終。自《娠》至於《坤》之六月,斯則陰爻下生之義也。自《復》至《坤》,凡十二卦,主十二月。卦主十二月,中分二十四黑二,爻分七十二候,以周其日月之數。是故離、坎分天地,子午以束為陽,子午以西為陰。若夫更錯以他卦之象,則總三百八十四爻,所以極三才之道。
《姤》卦(原文は「娠」と作るが「姤」の誤り)は離の中爻より生じ、巽の下位より消退し始め、乾と相交わる。これより後、陰爻は位を逐うて下に長し、巽・艮・坤を歴ること各々二変して終わる。《姤》より《坤》に至るまでちょうど六ヶ月を歴る。これがすなわち陰爻が上より下に向かって生長する意である。《復》より《坤》に至るまであわせて十二卦、分けて十二ヶ月を主る。十二月の中にさらに二十四節気を分け、各爻はまた七十二候に分かれて、もって一年の日月運行の数に周遍する。ゆえに離・坎は天地の位に分居する:子・午の一線を界として、東に偏る一半は陽に属し、西に偏る一半は陰に属す(原文の「束」は「東」の誤り)。さらに其余の各卦の象を錯雑せば、合計三百八十四爻、もって天・地・人の三才の道を窮尽する。
或問曰:合數圖以正之,卦之與爻分四時十二月之位,又兼乾、坤、艮、巽之卦通其變。且《復》卦生坎中,動於震,交於坤。《易》日:地中有雷,復。正協其義也。若《娠》卦則生於離之中,消於巽,交於乾。《易》日:天下有風,娠。且巽非四正之卦也,則與《復》卦不同其義。今卦體則是巽承於乾,而變易其位從兌者,何謂也?
ある人が問う:数図に合わせて核对するに、卦と爻は四時十二月の方位を分配し、また乾・坤・艮・巽の四卦を兼取して変化を貫通する。《復》卦は坎の中爻に生じ、震において動き、坤において交わる。《大象伝》に「地中に雷あり、復」というは、まさにこの説に合する。《姤》卦に至っては、離の中爻に生じ、巽において消し、乾において交わる。《大象伝》に「天下に風あり、姤」という。しかし巽は四正の卦に属さない。これでは《復》卦の情形と同じからず。いま《姤》の卦体は明らかに巽が下に在りて上の乾を承接するのに、あなたはその位次を兌に改め从わせる。これはなぜか。
答曰:斯則取《歸妹》之象。《易》曰:歸妹,天地之大義也。天地不交,則萬物不興。歸妹者,人之終始也。所以資長男交少女之義,交少女而長女主其卦者,明其妹繫於姊嫁,而妹非正也,所謂侄娣之義也。
答えていう:これは《帰妹》卦の象を取るのである。《帰妹・彖伝》にいう:帰妹は天地の大義で、天地が交感しなければ万物は興起し得ない。帰妹ということは、人倫の終結と開始に関係する。ゆえに長男(震)と少女(兌)とが相交わる意を借用する。すでにこれと相交わるは少女であるのに、長女(巽)をしてこの一卦を主らしめるは、表明せんとするにある:妹は姉に随ってともに嫁ぐのであって、妹は正室ではない。すなわち古代の媵嫁制度における「侄娣」の陪嫁の道理である。
若以長男交長女,雖曰夫婦常久之道,然未盡廣延之理也;則知能終其始者,必歸妹也,故《易》稱天地之大義。是以卦之變易,必從《歸妹》,妹非正室,必以姊主其卦也。是以其體則取兌合震,其名則以巽承乾也。變易之義,其在茲乎?
もし長男と長女とを相配するだけならば、夫妻の長久の道に合するとはいえ、まだ広く後嗣を続く道理を講じ尽くさぬ。見るべし、善くその始を終え得るは、必ず帰妹の象である。ゆえに《易》はこれを天地の大義と称す。それゆえ卦の変易は必ず《帰妹》に依って定める:妹がすでに正室に非ざれば、必ず姉によってこの一卦を主らせねばならぬ。ゆえに卦体についていえば、兌と震との相合を取る(《帰妹》はまさに兌下震上)。卦名についていえば、巽をもって乾に承接して《姤》と称す。変易の道理は、おおむねここにある。
三才 第四十五
原缺前賢釋三才之義,皆以設剛柔兩畫,以布二黑,布以三位,而象三才。謂聖人率意以畫之矣。斯亦不詳《繫辭》之義也。夫卦者,天垂自然之象也。聖人始得之於河圖、洛書,遂觀天地奇偶之歟,從而畫之,是成八卦,則非率意以畫其數也。
(ここに底本はもとより欠文あり。)前代の学者が「三才」の義を解するに、みな剛・柔二種の爻画を設立して陰陽二気を分布し、さらにそれらを三つの位次に排して三才に象徴するという。聖人が随意に画き出したに等しい。これもまた《繋辞》の本意を分かり明らめていない。卦とは、上天が垂示する自然の象である。聖人は最初に河図・洛書の中よりそれを得、ここにおいて天地の奇偶の数を観察し(原文の「歟」は「数」の字の誤り)、これらの数に依ってそれを画き下し、因りて八卦と成す。一時の興致を凭りてこれらの数を画き出したのではない。
略試論之:夫三畫所以成卦者,取天地自然奇偶之數也。乾之三畫而分三位者,為天之奇數三,故畫三位也。地之偶數三,亦畫三位也。餘六卦者,皆乾、坤之子,其體則一,故亦三位之設耳。
私に略して論説させたい:三画が一卦を成し得る所以は、天地自然の奇偶の数から取る。乾が三画を画いて三位に分かれるは、天の奇数が「三」を取るがゆえに、三位に画き成す。地の偶数もまた照様に三位に排する。其余の六卦はみな乾・坤の生じた子女で、卦体の構造は同じく一源に出る。ゆえに一様に三位と設ける。
且夫天獨陽也,地獨陰也。在獨陽、獨陰,則不能生物。暨天地之黑、五行之數定,始能生乎動植,故《經》日:有天地然後萬物生焉。豈一黑之中,有蘊三才之道邪?
天は純陽、地は純陰である。純陽・純陰の状態に停まっていては、いずれも万物を生じ得ない。天地の気と五行の数とが皆確定するに及んで、初めて動物・植物を生じ得る。ゆえに《序卦伝》にいう:「天地有りて然る後に万物生ず。」まさか一画一気の中に、すでに三才の道が蕴含していたというのか。
所謂兼三才而兩之,蓋聖人重卦之義也,非八純卦之謂也。三才,則天、地、人之謂也;兩之,則重之謂也。上二畫為天,中二畫為人,下二畫為地;以人合天地之黑生,故分天地之黑而居中也。所以九二稱在田,明地道也;九五稱飛龍在天,明天道也。斯則其理坦然而明白矣。
《説卦》のいう「三才を兼ねてこれを両にす」とは、聖人が八卦を相重ねて六十四卦とする道理を講ずるのであって、八つの三画の純卦を指すのではない。三才とはすなわち天・地・人、「これを両にす」とは、一々の才を加倍して二画とすることである。ゆえに一卦は六画:上の二画は天に属し、中間の二画は人に属し、下の二画は地に属する。人は天地の気を会合して生ずるので、天地の気の中より一段を分けて中間に居らせる。まさにこのがゆえに、乾卦の九二は「龍を田に見る」といい、顕明するは地道。九五は「飛龍天に在り」といい、顕明するは天道。このように見れば、道理は平実明白である。
如日不然,敢質之於《繫辭》,日:六爻之動,三極之道也。又曰:有天道焉,有人道焉,有地道焉,兼三才而兩之,故六。六者,非他也,三才之道也。又日:昔者聖人之作《易》,將以順性命之理,是以立天之道日陰與陽,立地之道日柔與剛,立人之道日仁與義,兼三才而兩之,故《易》六畫而成卦。
もしこの通りでないと認めるなら、どうか私に経文をもって質証させたい。《繋辞上》にいう:一卦六爻の変動は、まさに天・地・人の三極の道を体現する。《繋辞下》にまたいう:卦の中に天道あり、人道あり、地道あり、三才を兼取して各々二画をもって表すので、六画となる。この六画はほかならず、まさに三才の道である。《説卦》もまたいう:昔聖人の《易》を作りしは、性命の理に順応せんと欲し、ここにおいて天の道を陰と陽とに立て、地の道を柔と剛とに立て、人の道を仁と義とに立て、三才を兼取して各々二画を用いる。ゆえに《易》は六画をもって一卦を成す。
斯則皆云六畫包三才之義,則無三畫報三才之說,不其然乎?若夫六爻皆有人事者,為人倫則天法地之象,故初上皆包人事之義耳。
この数ヶ所が講ずるは皆、六画が三才を包含する意であって、見るべし、根本に「三画が三才を象る」という説法はない。そうではないか。六爻の中で処処人事を説くに至っては、人倫がもとより天に取法し地に效法する象であるがゆえに、初爻・上爻に至るまで人事の意義を含むのである。
七日にして来復す 第四十六(論およそ三篇)
七日にして来復す・論上
《正義》曰:陽黑始《剝》盡,謂陽黑始於《剝》盡之後,至陽黑來《復》時,凡七日也。其釋注分明。如褚氏、莊氏並云:五月一陰生,至十一月一陽生,凡七月。而云七日不云月者,欲見陽長須速,故變月而言日也。
孔頴達《周易正義》にいう:いわゆる「陽気始めて剥尽す」とは、《剥》卦の陽気が剥尽した後より算えて、陽気が重ねて来て《復》卦を成すまで、あわせて七日である。彼がこのように王弼の注を解釈するは清楚明白である。褚氏・荘氏に至っては、ともにいう:五月に一陰が始めて生じ、十一月に一陽が始めて生ずるまで、前後あわせて七ヶ月。経文が「七日」といい「七月」と言わぬ所以は、陽気の生長が必ず迅速なるべきを顕出せんがため、ゆえに「月」を改めて「日」と言う。
一今瀚嗣云:《剝》盡。至來《復》,是從《剝》盡至來《復》時經七月也。若從五月言之恤何得雲始盡也?又《臨》卦亦是陽長言八月,今《復》卦亦是陽長,何獨變月而稱日?觀《注》之意,必為不然,亦甩《易緯》六日七分之義,同鄭康成之說,但於文省略,不復具言。
いま王弼(原文の「瀚嗣」は「輔嗣」の誤り)の言うは「《剥》尽きて至りて《復》来る」で、その意は《剥》卦の陽気が剥尽してより陽気の来復するまで、中間に七ヶ月を歴る。もし褚・荘の両家のように五月より算えるなら、またどうして「剥尽」の後と言いえようか。さらに《臨》卦は同じく陽気の生長を講ずるのに、「八月に至りて凶あらん」という。いま《復》卦もまた陽気の生長であるのに、なぜあえて「月」を改めて「日」とするか。王弼の注の意を見るに、必ず褚・荘のごとく講ずるに非ず。彼はおおよそまた《易緯》の「六日七分」の意を採用し、鄭玄の説と同じく、ただ行文が簡省して言を尽くさざるのみ。
按《易緯稽覽圖》云:卦黑起於艮、巽、離、坎、震、兌,各主一方;其六十卦,卦有三百六十爻,日凡主三百六十日,餘有五日四分日之一,每日分為八十分,五日分為四百分;四分日之一,又為二十分,是四百二十分。六十卦分之,六七四十二,各得七分是每卦得六日七分也。
《易緯・稽覧図》にいうを按ずるに:卦気は艮・巽・離・坎・震・兌に起こり、各々一方を主る。これらの数卦を除くほか、其余の六十卦はあわせて三百六十爻を有し、ちょうど三百六十日を主るに合当する。一年はなお五及び四分の一日余る:一日を八十分に分ければ、五日は四百分。その四分の一日はまた二十分に折合し、合計四百二十分。六十卦をもってこの四百二十分を分かてば、六に七を乗じて四十二を得、一卦ごとに各々七分を得る。ゆえに一卦ごとに合わせて六日七分を得る。
《剝》卦陽黑之盡,在九月之末,十月當純《坤》用事,《坤》卦在六日七分之前,從《剝》盡至腸黑來《復》、隔《坤》之一卦六日七分。舉成數言之,故輔嗣言:凡七日也。
《剥》卦の陽気が剥尽するは九月の末尾であり、十月は純陰の《坤》卦が当令する。《坤》卦はまさに六日七分の位置を占める。《剥》卦の陽気が尽きてより陽気の来復するまで、中間にちょうど《坤》という一卦の六日七分を隔てる。その整数を挙げていえば、ゆえに王弼は「あわせて七日」というのである。
且今七日來《復》之義,詳夫孔氏之《疏》,雖得之於前,而又失之於後也。何哉?且《易》云七日來《復》,輔嗣之《注》又言七日,雖則引《經》、《注》破褚氏、莊氏之誤,於義為得。末又引《易緯》一鄭氏六日七分,則其理文背《經》、《注》之義。且《易緯》、鄭氏言每卦得六日七分,財未詳六日七分能終一卦之義。
いまさらに「七日にして来復す」の義を見るに:孔頴達の疏文を細かく審するに、前半は言う所は悪くないが、後半に差錯が出る。なぜか。経文は「七日にして来復す」といい、王弼の注もまた七日という。孔疏は経文と王注とを援引して、褚氏・荘氏の錯誤を駁倒する。この一層は正しい。しかし末尾に至ってまた《易緯》と鄭玄の「六日七分」の説を引くに至り、この道理はかえって経文・王注の本意と相背する。しかも《易緯》と鄭玄はただ一卦ごとに六日七分を得ると言うのみで、終始六日七分がどうすれば一卦を終了し得るかを講じ明らかにしていない。
略試論之:且坎、離、震、兌四正之卦也,存四位,生乾、坤、艮、巽之卦,每位統一時,每爻主一月,此則四純之卦也。又若重卦自《復》至《乾》六爻,而經六月也;自《娠》至《坤》亦六爻,而經六月也,則一爻而主一月也照昭矣。而云六日七分為義,則作《疏》者不思之甚也。
私に略して論説させたい:坎・離・震・兌は四正の卦で、四つの正位を拠守し、それらより乾・坤・艮・巽を生ず。一々の正位は一つの時季を統轄し、一々の爻は一ヶ月を主る。これが四つの純卦の分法である。さらに重卦を見るに:《復》より《乾》に至るまで、陽爻は一より六に増え、あわせて六爻、六ヶ月を歴る。《姤》より《坤》に至るまで、陰爻もまた一より六に増え、同じく六ヶ月を歴る。見るべし、一爻が一ヶ月を主るは明明白白である。それなのにあえて六日七分をもって義を立てる。見るべし、疏を作る者は実にあまりに思索を加えない。
且夫七日來《復》者,十月之末,坤卦既終,陰已退,陽黑復生也。為天有十日,陽上生也。至七為少陽,陰陽交易而生,當陽復來之時,為老陰。待經陰之數盡,至七日少陽。七日來復,則合《經》、《注》之義也。
いわゆる「七日にして来復す」に至っては:十月の末尾、《坤》卦はすでに走り終わり、陰気は退尽し、陽気は重ねて萌生する。天に十日あり(十干の数)、陽は下より上に向かって生長し、第七位に数え至ればすなわち少陽である。陰陽は交替して生ず:陽気が重ねて来るに当たり、それ以前に歴ったのは老陰である。陰の数目が走り尽くるを待って、第七日に至って転じて少陽と成る。このようにして「七日にして来復す」を講ずれば、初めて経文と王弼の注の本意に合する。(この段は底本に数ヶ所の欠文あり、四庫本もまた同じ。)
七日にして来復す・論中
《繫辭》曰天一、地二,天三、地四,天五、地六,天七、地八,天九、地十,此乃五行生成之數也。天一生水,地二生火,天三生木,地四生金,天五生土,此其生數也。如此,則陽無匹,陰無偶,故地六成水,天七成火,地八成木,天九成金,地十成土。於是陰陽各有匹偶,而物得成矣。故謂之成數也。又曰:天數五,地數五,五位相得,而各有合,此所以成變化而行鬼神謂此也。
《繋辞》にいう:「天一、地二。天三、地四。天五、地六。天七、地八。天九、地十。」この十個の数はすなわち五行の生数と成数である。天一は水を生じ、地二は火を生じ、天三は木を生じ、地四は金を生じ、天五は土を生ず。この五つは生数である。しかし生数のみあれば、陽数は対に配せられず、陰数もまた偶を成さず。ゆえにさらに地六をもって水を成就し、天七をもって火を成就し、地八をもって木を成就し、天九をもって金を成就し、地十をもって土を成就する。このようになれば、陰陽は各々匹配を有し、物は初めて形を成すを得る。ゆえに後の五つを成数と呼ぶ。経文にまたいう:「天数五、地数五、五位相得して各々合する所あり。」いわゆる「変化を成就して鬼神を行る」は、まさにこの事を講ずるのである。
又數之所起,起於陰陽;陰陽往來,在於日道。十一月冬至,以及夏至,當為陽來。正月為春,木位也,日南極,陽來而陰往。冬,水位也,當以一陽生為水數。五月夏至,日北極,陰進而陽退。夏,火位也,當以一陰生為火數。但陰不名奇數,必六月二陰生為火數也。
別に一派の説あり:数の起源は陰陽にあり、陰陽の往来は太陽の運行の軌道に決まる。十一月の冬至以後、夏至に至るまで、みな陽気の来臨と算える。正月は春で、木位に属し、この時太陽は南極に行き至り、陽来りて陰往く。冬は水位に属するので、一陽初生の「一」をもって水の数と為すべきである。五月は夏至、太陽は北極に行き至り、陰進みて陽退く。夏は火位に属し、もとより一陰初生をもって火の数と為すべきであるが、陰は奇数をもって称呼し得ないので、必ず六月二陰生の「二」を取って火の数と為す。
是故《易》稱《乾》貞於十一月,《坤》貞於六月,來而皆左行。由此冬至以及夏至,當為陽來也。正月為春,木位也,三陽已生,故三為木數。夏至以及於冬至為陰進。八月為秋,金位也;四陰以生,故四為金數。三月春之季,土位五陰以生,故五為土數。此其口口口也。
ゆえにこの一派は称していう:《乾》卦の正位は十一月にあり、《坤》卦の正位は六月にあり、二者の往来はいずれも左旋に循って行く。ここにより冬至より夏至に至るまで、みな陽気の来臨と算える:正月は春で木位に属し、この時三陽はすでに生じているので、三を取って木の数と為す。夏至より冬至に至るまでは、陰気の漸進である:八月は秋で金位に属し、この時四陰はすでに生じているので、四を取って金の数と為す。三月は春季の末月で土位に属し、この時五陰はすでに生じているので、五を取って土の数と為す。これがすなわち彼らの(底本ここに三字を欠く)説法である。
又萬物之本有生於元,著生於微。萬物成形,必以微、著為漸;五行先後,亦以微、著為次。五行之體,水最微,為一;火漸著,為二;木形實,為三;金體固,為四;土質大,為五,亦是次序之宜矣。劉氏與顧氏皆以為水、火、木、金得土數而成,故水數成六,火數成七,木數成八,金數成九,土數成十,義亦然也。
また一説あり:万物の本原は「無」の中より「有」を生じ、細微の処より顕著を生ず。万物が形を成すは、必ず微より著へと逐步演進する。五行の先后もまた微・著に照らして次序を排す。五行の形体についていえば:水は最も細微、ゆえに一と為す。火は漸々顕著、ゆえに二と為す。木はすでに実形あり、ゆえに三と為す。金は体質が堅固、ゆえに四と為す。土は質地が博大、ゆえに五と為す。このように排すのもまた合宜と算えられる。劉氏と顧氏はいずれも考えていうに、水・火・木・金は各々土数五を得て初めて成就し得るので、水の成数は六、火の成数は七、木の成数は八、金の成数は九、土の成数は十。道理もまたこのごとし。
今詳眾賢之論,以天一至天五為五行之生數,則不釋所以能生之之義也;以地六至地十為五行之成數,則不釋所以能成之之義也,故學者莫洞其旨。蓋由象與形,不析有元之義也;道與器,未分上下之理也。
いま諸先贤の議論を細かく見るに:彼らは天一より天五までを五行の生数とするが、この数個の数が何を凭りて「生」じ得るかを解釈せず、地六より地十までを五行の成数とするが、この数個の数が何を凭りて「成」し得るかを解釈しない。ゆえに学者は終始その中の宗旨を見透し得ない。病根はまさにここにある:「象」と「形」を講ずるに、「有」と「無」の区別を剖析せず、「道」と「器」を講ずるに、形而上と形而下の界限を分かち清めなかったのである。
略試論之:《易》曰:形而上者謂之道,形而下者謂之器。則地六而上謂之道,地六而下謂之器也。謂天一、地一不天三、地四,止有四象,未著乎形體,故日形而上者謂之道也。
私に略して論説させたい。《繋辞》にいう:「形而上の者を道と謂い、形而下の者を器と謂う。」これに照らして推せば、地六以上の一至五という生数は道に属し、地六以下の六至十という成数は器に属する。これが言う所は:天一・地二・天三・地四はただ四象を成すのみで、まだ形体に落ち着いていない。ゆえに「形而上の者を道と謂う」というのである。
天五運乎變化,上駕天一,下生地六,水之數也;下駕地二,上生天七,火之數也;右駕天三,左生地八,木之數也;左駕地四,右生天九,金之數也;地十應五而居中,土之數也。此則已著乎形數,故日形而下者之謂器。
天五はその中において変化を運転する:上に向かって天一を駕御し、下に地六を生ず。これは水の成数。下に向かって地二を駕御し、上に天七を生ず。これは火の成数。右に向かって天三を駕御し、左に地八を生ず。これは木の成数。左に向かって地四を駕御し、右に天九を生ず。これは金の成数。地十は天五と相応じて正中に居る。これは土の成数。この歩に至って、数はすでに形体に落実した。ゆえに「形而下の者を器と謂う」というのである。
所謂象之與形者,《易》云:見乃謂之象,河圖所以示其象也。形乃謂之器,洛書所以陳其形也。本乎天者親上,本乎地者親下,故日:河以通乾出天,洛以流坤吐地。《易》者,報道與器,所以聖人兼之而作《易》。《經》云:河出圖,洛出書,聖人則之。斯之謂矣。
いわゆる「象」と「形」の区別:《繋辞》に「見るは乃ちこれを象と謂う」といい、河図はまさにこの象を顕示するために用いられる。「形は乃ちこれを器と謂う」といい、洛書はまさにこの形を陈列するために用いられる。天に本づくは上に親附し、地に本づくは下に親附する。ゆえに《春秋緯》にいう:黄河は上に乾に通じて天苞を吐き、洛水は下に坤に流れて地符を吐く。《易》は道と器の両面を兼包するので(原文の「報」は「包」の字の誤り)、聖人は河図・洛書を合わせ取って《易》を作った。《繋辞》に「河図を出し、洛書を出し、聖人これに則る」というは、まさにこの意を講ずるのである。
且夫河圖之數,惟四十有五,蓋不顯土數也。不顯土數者,以河圖陳八卦之象,若其土數,則入乎形數矣。是兼其用而不顯其成數也。洛書則五十五數,所以成變化而著形器者也。故河圖陳四象而不言五行,洛書演五行而不述四象,然則四象亦金、木、水、火之成數也。
河図の総数はただ四十五のみ。それは土の成数を顕出しないからである。土数を顕出しない所以は、河図の陈列する所は八卦の象であるから。いったん土数を摆し入れれば、有形の数に落ちてしまう。ゆえにそれはただ土の功用を兼取するのみで、土の成数を顕示しない。洛書は五十五の数であって、変化を成就し形と器を顕著にするために用いられる。それゆえ河図は四象を陈列して五行を談ぜず、洛書は五行を推演して四象を叙せず。このように言えば、四象は実はすなわち金・木・水・火の成数である。
在河圖,則老陽、老陰、少陽、少陰之數是也;在洛書,則金、木、水、火之數也。所以異者,由四象附土數而成質,故四象異於五行矣。然而皆從天五而變化也。
同じく九・六・七・八という数個の数であるが:河図の中に摆けば、すなわち老陽・老陰・少陽・少陰の数。洛書の中に摆けば、すなわち金・木・水・火の数。両者が別ある所以は、四象は土数を附上して初めて形質を凝成するがゆえに、四象と五行とが二層に分かれたのである。ただしそれらはみな天五に推動されて変化して出たものである。
至於天數五,地數五,五位相得而各有合焉者,此備陳五行相生之數耳。且五行雖有成數,未各相合,則亦未有所從而生矣。故天一與地六合而生水,地二與天七合而生火,天三與地八合而生木,地四與天九合而生金,天五與地十合而生土。伏犧而下,但乘其數,至黃帝始名,原缺乙丙丁也。
「天数五、地数五、五位相得して各々合する所あり」のこの句に至っては、五行相生の数を完整に陳述し出す。五行はたとい各々成数を有しても、もし彼此が相配合しなければ、なお実物を生ずる由なし。ゆえに天一と地六と相合して水を生じ、地二と天七と相合して火を生じ、天三と地八と相合して木を生じ、地四と天九と相合して金を生じ、天五と地十と相合して土を生ず。伏羲以下、ただこれらの数を沿用するのみ。黄帝の時に至って初めてそれらに名目を起し(ここに底本欠文あり)、すなわち甲・乙・丙・丁の類の十干の名である。
今眾賢以一陽生為水數,二陰生為火數,三陽生為木數,四陰生為金數,五陽生為土數,原缺說強配之也,則非天地自然之數也。至於以微、著為漸者,亦非通論,何哉?且以堅固言之,則土不當後於金也;以廣大言之,則火不當後於水也;蓋五行之質,各稟自然,偶合而生,相因於數;微、著之論,實非《經》旨矣。
いま諸先贤は一陽生をもって水数とし、二陰生をもって火数とし、三陽生をもって木数とし、四陰生をもって金数とし、五陽生をもって土数とするが(ここに底本欠文あり)、いずれも強いて凑配し出した説であって、天地自然の数ではない。「微より著に至る」をもって先后を排するに至っては、また通達の論と算え難い。なぜか。堅固を論ずれば、土は金の後に排すべからず。広大を論ずれば、火もまた水の後に排すべからず。五行の形質は各々自然を禀受し、偶然会合して生じ、彼此数に依って相因する。あの微・著を序と為す議論は、実に経文の本旨ではない。
又若十一月一陽生為奇數者,謂天一動乎坎之中也;五月一陰生為偶數者,謂地二動乎離之中也;以六月二陰生為偶數,則未知所出之宗也。
さらにいうに、十一月一陽初生を奇数と算えるは、天の一が坎卦の中爻の上において発動するを指す。五月一陰初生を偶数と算えるは、地の二が離卦の中爻の上において発動するを指す。六月二陰生を偶数と言うに至っては、その根拠がどこより来るかを知らぬのである。
