正易心法注 宋・麻衣道者撰 陳摶注
正易心法注 宋・麻衣道者撰 陳摶注
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
巻首 陳希夷小伝
陳希夷傳:陳摶,字圖南,號“扶搖子”,毫州真源人。初生之時不能言,至四五歲戲渦水,水濱有一青衣老嫗引置懷中而乳之,其後即能言,敏悟過人。及長,經史一覽無遺。先生曰:“所學只足記姓名而已,吾將之遊泰山,與安期、黃石輩論出世之法,安豈能與世脂韋汩沒,出入生死、輪迴人間哉。”乃盡散其家業,惟攜一石鐺而去。
以下は陳希夷の伝記である。陳摶は字を図南、自ら「扶揺子」と号し、亳州真源県の人である(源文は「毫州」と作るが、「亳州」の写し誤りであろう)。生まれたばかりの頃は物が言えず、四五歳の年に渦水のほとりで遊んでいると、水辺に青衣の老婦人がやって来て彼を懐に抱き乳を与え、それ以来口が利けるようになり、しかも聡敏さは人を超えていた。成長してからは、経書も史書も一遍読めばもう漏らすことがなかった。彼自身が言うには、「私の読んだこれらの書は、せいぜい人の名前をいくつか覚えるに足るだけだ。私は泰山に遊び、安期生や黄石公といった俗外の人物と出世の法門を論じたい――安期生は秦漢の間の伝説の海上の仙人、黄石公は圯橋の上で張良に兵書を授けた隠者である――どうして世俗と一緒に円滑に苟且し、埋没して、生死輪廻の中を出たり入ったりしていられようか」と。そこで家財をすべて散じ、ただ石の鍋一つだけを携えて去って行った。
梁唐士大夫挹其清風,得識其面,如睹景星慶雲,然先生皆莫與交。明宗親為手詔召之。先生至,長揖而不拜。明宗待之愈謹,以宮女三人賜先生。先生賦詩,賦曰:“云為肌體玉為腮,多謝唐王送得來。處士不興巫峽夢,空煩雲雨下陽臺。”遂遁去。隱武當山石巖,服氣辟穀,凡二十餘年。復移居華山,時年已七十歲矣。常閉門臥數月不起。
後梁・後唐の士大夫は皆彼の清高な風致を慕い、ひと目会えただけでも景星や慶雲のような祥瑞を見たに等しかったが、陳摶は誰とも深く交わろうとはしなかった。後唐明宗は自ら詔書を書いて彼を朝に召した。彼は殿上に至って拱手し長揖するだけで、拝しなかった。明宗はかえってますます恭敬し、宮女三名を彼に賜った。彼は詩を作って謝意を表した。「云為肌體玉為腮、多謝唐王送得來。處士不興巫峽夢、空煩雲雨下陽臺。」――これは、自分は山野の処士であって楚王が巫山の神女に夢で遇ったような思いはなく、ただこの佳人たちに徒労させただけだという意味である。書き終えるとそっと立ち去った。彼は武当山の石巖に隠れ、服気の法を行い五穀を断ち、前後二十余年、後にまた華山に移り住み、その時すでに七十歳だった。しばしば門を閉ざして数か月も臥したまま起きなかった。
周世宗顯德中,有樵于山麓見遺骸生塵,迫而視之,乃先生也。良久起曰:“睡酣奚為擾我。”後世宗召見,賜號“白雲先生”。一曰乘驢遊華陰,聞宋太祖登極,拍掌大笑,曰:“天下自此定矣!”太祖召不至,再詔,辭曰:“九重仙詔,休教丹鳳銜來;一片野心,已被白雲留住。”太宗初年,始赴召,惟求一靜室,乃賜居於建隆觀為戶,熟睡月餘方起。辭出,賜號“希夷先生”。
後周世宗の顕徳年間、樵をする者が山の麓で灰塵の積もった遺骸を見かけ、近づいてよく見ると、なんと陳摶だった。しばらくして彼は自ら起き上がり、「熟睡していたのに、なぜ私をかき乱すのか」と言った。後に世宗が彼を召見し、「白雲先生」の号を賜った。ある日、彼は驢に乗って華陰の道を行き、宋太祖趙匡胤が即位したと聞くと、手を拍って大笑し、「天下はこれより定まる!」と言った。太祖が召しても行かず、再び詔が下ると、「九重仙詔、休教丹鳳銜來、一片野心、已被白雲留住」と辞退した――朝廷の詔命は使者に届けさせるには及ばない、私の山林の心はすでに白雲に留められている、という意味である。宋太宗の初年になってようやく召しに応じて入京し、静かな屋敷一間だけを請うたので、建隆観に住まわせることになり、門を閉ざして一月余り熟睡してから起きた。辞して京を出る際、太宗は「希夷先生」の号を賜った。
一曰,遣門人鑿石,處於張超谷。既成,先生往造而曰:“吾其死於此乎?”遂以左手支頤而終。數曰容色不變,肢體尚溫,有五色雲封谷口,彌月不散。年一百一十八歲。初兵紛亂太祖之時,挑太祖太宗於籃以避亂。先生遇之即吟曰:“莫道當今無天子,卻將天子上擔挑。”又遇太祖太宗與趙普,遊長安市,入酒肆晉坐,太祖太宗左右。先生曰:“汝紫微垣一小星爾,軋處上次,可乎?”
ある日、彼は門人を張超谷に遣わして石室を鑿たせた。鑿ち終わると自ら見に行き、「私はおそらくここで死ぬのであろうか」と言い、やがて左手で頬を支えて坐化した。その後数日間、顔色は変わらず四肢もなお温かく、谷の口には五色の雲が封じて、満一月散じなかった。享年百十八歳。当初五代の兵乱のさなか、太祖がまだ発迹していなかった頃、ある者が担い籠で太祖・太宗兄弟を挑んで難を避けていた。陳摶はこれに遇うとすぐ吟じた。「莫道當今無天子、卻將天子上擔挑。」またある時、太祖・太宗と趙普の三人が共に長安の街市を遊び、酒店に入ると趙普はなんと太祖・太宗と並んで坐り、太祖・太宗は左右に分かれた。陳摶は趙普に言った。「汝は紫微垣の一小星にすぎないのに、強いて上位に座るとは、筋が通るか?」――紫微垣は帝座のある星区であり、この言葉は趙普がただの輔臣であって真命の天子と肩を並べるべきではないという意味である。
种放初從先生,先生曰:“汝當逢明主,馳名海內,但惜天地間無完名。子名將起,必有物敗之,可戒也。”放晚年競喪清節,皆如其言。有郭沆者,少居華陰,嘗宿觀下,中夜先生呼令速歸,且與之俱往,一二里許,有人號呼報其母卒。先生遺以藥,使急去可救。既至,灌其藥,遂蘇。華陰令王睦謂先生曰:“先生居溪巖,寢於何室?”先生且笑吟曰:“華山高處是吾宮,出即凌空跨曉風。臺榭不將金鎖閉,來時自有白雲封。”
种放が初め陳摶に従って道を学んだ時、陳摶は彼に言った。「お前は将来賢明な君主に遇い、名声は天下に遍くなるが、惜しいことに天地の間に十全十美の名声はない。お前の名声が一旦起これば、必ず何かが来てそれを敗壊する。警惕せよ。」种放は晩年に果たして隠者の清節を失い、すべてこの言葉に応じた。郭沆という者がいて、若い頃華陰に住み、道観に宿ったことがあったが、夜半に陳摶が彼を呼んで急いで家に帰れと言い、しかも共に路に就いた。一二里行くと、人が哭して報せに来て、彼の母が死んだと言う。陳摶は彼に一服の薬を与え、急いで帰ればまだ生き返らせられると言った。家に帰って薬を灌ませると、母は果たして蘇生した。華陰県令の王睦が陳摶に尋ねた。「先生は谿谷巖壑の間に住んでいますが、いったいどんな屋に寝ているのですか?」陳摶は笑って吟じた。「華山高處是吾宮、出即凌空跨曉風。臺榭不將金鎖閉、來時自有白雲封。」――彼は華山の頂が自分の宮室で、門戸に金鎖は要らず、白雲が自ら門を閉じてくれると言ったのである。
一曰,有一客過訪先生,適值其睡,見旁有一異人,聽其息聲,以黑毫記之莫辨。客怪而問之,其人曰:“此先生華胥調混沌也。”先生嘗遇山女,山女贈之詩,詩曰:“藥而不滿笥,又更上危巔,回指歸去路,將相入翠煙。”太宗聞先生善相人,遣詣南山,見真宗及還。問其故。曰:“廝役皆將相也,何必見王乎?”於是建儲之議遂定。先生以易數授穆伯長,穆授李挺之,李授邵康節。以象數學授种放,放授盧江、許堅,堅授范諤。
ある日、一人の客人が陳摶を訪ね、ちょうど彼が眠っているところに遇い、傍らに異様な人がいて彼の呼吸の音を聴き、黒い筆で記録しているが、記しているのは識別できない符号だった。客は奇怪に思って尋ねると、その人は言った。「これは先生が華胥の夢境で混沌の元気を調理しているのです。」陳摶はかつて山中の女子に遇い、女子は彼に詩一首を贈った。「藥而不滿笥、又更上危巔、回指歸去路、將相入翠煙。」――採った薬はまだ薬箱に満たないのに、またより高い山の巔に向かう。帰路を指し回れば、たちまち翠青の雲煙に没してしまう。太宗は陳摶が人相見に巧みだと聞き、彼を南山に遣わして真宗に会わせた。彼は会ってすぐ帰って来た。太宗がその故を尋ねると、彼は言った。「随従の僕役が皆すでに将相の相を備えているのに、どうして改めて王本人に会う必要がありましょうか。」立储の議はこれによって定まった。陳摶は易数を穆伯長(穆修)に伝え、穆は李挺之(李之才)に伝え、李は邵康節(邵雍)に伝えた。また象数の学を种放に伝授し、种放は廬江の許堅に伝え、許堅は范諤(范諤昌)に伝えた。
第一章 易道は象を包み、落ちる処を知るべし
羲皇《易》道,包括萬象。須知落處,方可實用。一章
伏羲が創った《易》の道は、天地間の一切の現象をその内に収摂している。《易》を学ぶ者はまずこの一組の卦画がいったいどんな実事に落ち、天地間のどの具体的な事物に対応するのかを弄清楚せねばならず、それから初めて真にそれを用いることが言える。本章が反対するのは、まさに伝注に照らして文句を暗誦するだけで、卦画の指すものが何かを言えない読み方である。そのような《易》は、紙面上の学問にすぎない。(第一章)
落處,謂知卦畫實義所在,不盲誦古人語也。如震得乾初爻,故雷自天下而發;坎得中爻,故月自天之中而運;艮得上爻,故山自天上而墜也,巽、離、兌得坤三爻亦然,又六爻相應,如一陽生於子月,應在卯月;二陽丑,應在三月;三陽寅,應在四月是也。人事亦然。《易》道見於天地萬物曰用之間,能以此消息,皆得實用,方知羲皇畫卦,不作紙上功夫也。
いわゆる「落ちる処」とは、一つ一つの卦画の指す実事がいったいどこにあるかを知ることであって、古人の言葉を盲目に暗誦することではない。例を挙げよう。震卦は一陽が最下に画かれ二陰が上にある。この一陽は乾卦の初爻から分け得たものだから、雷は天の最下層から発する。坎卦の陽画は中間にあり、乾の第二爻を分け得たものだから、月は天の正中を運行する。艮卦の陽画は最上にあり、乾の上爻を分け得たものだから、山は天から墜落して来たものである。巽・離・兌の三卦はそれぞれ下位・中位・上位で坤卦の一陰を分け得ており、道理は同じである。さらに六爻相互の相応の関係を見る。一陽が子月(十一月、卦は復)に初めて生じると、卯月(二月)に至って初めて感応がある。二陽が丑月(十二月、卦は臨)に生じれば、三月に応ずる。三陽が寅月(正月、卦は泰)に生じれば、四月に応ずる。人事の消長もこのリズムに依る。《易》の道は天地万物の日常の運用の間に顕現しており(源文「曰用」は即ち「日用」、全書この字に訛りが多い、以下同じ)、この一組の消長盈虚に照らして体察すれば、至る処実に落ちる。こうして初めて伏羲の卦を画いたのが紙上の功夫ではなかったことが分かる。
第二章 六画は曲意より出ず
六畫之設,非是曲意。陰陽運動,血氣流行。二章
一卦の六道の爻画の配置は、聖人が主観的な曲意で作り出した趣向ではない。それは上は天地間の陰陽二気の往来消長に応じ、下は人身の血気の循環流注に応じて、実有の理に照らして描き出されたものである。本章は卦画を人為的に約定された符号と見なすことを退け、卦画そのものが気機運行の写しであると主張する。(第二章)
陰陽運動,若一陽為復,至六陽為乾,一陰為姤,至六陰為坤是也,血氣流行,若一六為腎,二為肺,三為脾,四為肝,五為心,始生屯。屯而為蒙,養蒙為需之類是也。卦畫凡以此順此理而已。
いわゆる「陰陽運動」とは、下から上へ一陽が初めて生じれば復卦となり、累積して六画全陽となれば乾卦となる。一陰が初めて生じれば姤卦となり、累積して六画全陰となれば坤卦となる。これが十二消息の気の卦画上の運行である。いわゆる「血気流行」とは、《河図》の生成数を人身の臓腑に配するもので、一と六は水に属し腎と為し、二は火、三は木、四は金、五は土に属し、それぞれ肺・脾・肝・心に配する(源文の列する臓腑は、いわゆる二七は火で心、三八は木で肝、四九は金で肺、五十は土で脾という説とやや錯位しており、伝写の誤りであろう)。この一気は初生して屯卦と為る――屯は万物の始生である。始生すれば蒙昧だから、蒙卦を続ける。蒙昧は哺養を待たねばならないから、需卦を続ける。このように一路推演して行く。卦画の為すことは、この実有の理に順って描画するに過ぎない。
第三章 卦象は人に示す、不言の教え
卦象視人,本無文字,使人消息,吉凶嘿會。三章
伏羲が卦象を以て人に示した時、本来一字の説明もなかった。彼は人に自ら卦画中の陰陽の消長進退を揣摩させ、吉凶は自ずと黙然のうちに体得させようとした。本章が立てるのは「不言の教え」である。卦画そのものがすでに完全な表現であって、文字はかえって後から加えられた已むを得ざる補助にすぎない。(第三章)
羲皇始畫八卦,重為64,不立文字,使天下之人嘿觀其象而已。能如象焉,則吉凶應;違其象,則吉凶反。此羲皇氏作不言之教也。鄭康成略知此說。
伏羲は最初に八卦を画き、さらに二つ二つを重ねて六十四卦としたが、終始文字を配したことはなく、ただ天下の人に黙々とこれらの卦象を観させただけである。人の行事が卦象の示す時勢と合えば、吉凶は象に照らして応験し、卦象の示すものに背けば吉凶は反転する。これが伏羲氏の立てた「不言の教え」である。東漢の鄭玄(字は康成)はこの説に多少領会があった。
第四章 周孔孤行し、易道再び晦む
《易》道不傳,乃有周、孔。周、孔孤行,《易》道復晦。四章
卦画の学が失伝して後、始めて周文王・周公の卦爻辞と孔子の《十翼》が出て補救した。しかし後人は周・孔の文辞を単独に抬げ出して流行させ、辞だけを読んで画を見なかったため、《易》の道はかえって再び遮蔽された。本章の矛先は周・孔そのものに向くのではなく、「辞を以て画に代える」読み方に向く――文辞はもと弊を救う手段であって、《易》の全部と見なされた時、新たな障蔽となったのである。(第四章)
上古卦畫明,《易》道行。後世卦畫不明,《易》道不傳。聖人於是不得已而有辭。學者淺識,一著其辭,便謂《易》止於是,而周、孔遂自孤行。更不知有卦畫微旨,只作八字說。此謂之買櫝還珠,由漢以來皆然,《易》道胡為而不晦也?
上古の時は誰もが卦画を読み解け、《易》の道は自ずと通行した。後世になって卦画が分からなくなり、《易》の道は失伝した。聖人は已むを得ず、ここに卦爻に文辞を繋いだ。しかし学者は見識が浅く、これらの文辞にひとたび触れると、《易》の全部の内容がこれに尽きると思い込み、ここに周・孔の伝辞が単独で流行し、卦画の中に精微な旨意があることを二度と知らず、ただ八卦を「健・順・動・入・陷・麗・止・説」の八字で解説するだけとなった。これがいわゆる買櫝還珠――珠を入れた匣を買い取って、珠の方は返してしまうということである。漢代以来ずっとこの通りで、《易》の道がどうして晦まずにいられようか。
第五章 妙義は尽く画中に在り
64卦,無窮妙義,盡在畫中,合為自然。五章
六十四卦の無窮無尽の精微な義理は、すべて卦画そのものの中にあり、しかも卦と卦の承接の次序は自然の理に合っていて、誰かが私意で並べたものではない。本章が明らかにしようとするのは、卦画の外に別に義理を求める必要はなく、卦画自体が完全な義理系統だということである。(第五章)
無窮妙義,若蒙必取次於艮,師必取次於坤,是大有旨意也。不止於貞丈人吉,童蒙求我之義。合為自然,謂次艮、次坤,非是私意,乃陰陽運動,血氣流行,其所施為,皆自然之理也。
いわゆる無窮の妙義とは、たとえば蒙卦は必ず艮を上体として承接し、師卦は必ず坤を上体として承接するが、この中には大いに講究がある。蒙卦の下体は坎(水・険)、上体は艮(山・止)で、険陷の上に止があるから童蒙が啓を待つ象となる。師卦の下体は同じく坎(険)だが、上体は坤(地・衆)で、険陷の上に衆があるから師を興し衆を聚める象となる。この一層の意味は、決して師卦辞の「貞、丈人吉」や蒙卦辞の「匪我求童蒙、童蒙求我」という数句で言い尽くせるものではない。いわゆる「合して自然」というのは、蒙が艮を次とし師が坤を次とするのは、卦序を安排した者の私意から出たのではなく、陰陽の往来運動・血気の循環流注、その生成する一切が、本来自然の理だということである。
第六章 辞外に意を見る
消息卦畫,無止於辭。辭外見意,方審《易》道。六章
卦画中の陰陽の消長を体察するのに、卦爻辞に止まってはならない。文辞の外に卦画自身の透かし出す意味を見出してこそ、初めて真に《易》の道を見清めたと言える。本章が反対するのは「辞は卦義を尽くす」という成見である。文辞は吉凶の大概を標出するだけで、卦画の含む内容はそれよりはるかに多い。(第六章)
繫辭,特繫以吉凶大略之辭而已,非謂六畫之義盡於是也。如大有繫以元亨,大壯繫以利貞。此數字,果足以盡二卦之義乎?要須辭外見意可也。辭外之意。如乾九二“見龍在田”上九“亢龍有悔”闢師之上不動如地,內趨變如水,無窮好意,如此類不可概舉,皆是辭之所不能該也。
卦爻に文辞を繋いだのは、吉凶の大概を標注したに過ぎず、六道の爻画の含意がすべてこの数字の中にあるというのではない。たとえば大有卦には「元亨」の二字しか繋がれず、大壮卦には「利貞」の二字しか繋がれていない。この寥寥たる数字で、はたして本当にこの二卦の意味を窮尽できるだろうか。だから必ず文辞の外に意味を見出さねばならない。辞外の意とは何か。たとえば乾卦九二爻辞の「見龍在田」、上九爻辞の「亢龍有悔」は、いずれも同じ一龍が異なる爻位での处境を講じている。又如師卦で言えば、その上体は坤、坤は地で安定不動、下体は坎、坎は水で趨赴変動する――上は動かず下は趨変して、まさに主帥が坐鎮し兵衆が流転する象である。この種の無窮の好い意味は、挙げても挙げ尽くせず、すべて文辞の包羅し得ないものである。
第七章 卦脈を観て物理を明らかにす
天地萬物,理有未明。觀於卦脈,理則昭然。七章
天地万物の中には、いつも人のまだ弄清楚せぬ道理がある。卦画の中のあの一条の気機運行の脈絡を見れば、道理は清清楚楚に顕れ出る。本章は卦画を天地を観測し得る一具の儀器と見なし、卦画を以て自然を解釈すべきであって、旧注を以て卦画を解釈すべきではないと主張する。(第七章)
卦脈,為運動流行自然之理也。卦脈審,則天地萬物之理得矣。如觀坎畫,則知月為地之氣;觀離畫,則知雨從地出。觀疊交,則知曰為天之氣;觀艮畫,則知山自天來;觀兌畫,則知雨從地出。關疊交,則知閏餘之數;觀交體,則知造化之原。凡此卦畫,皆所以寫天地萬物之理於目前,亦若渾儀之器也。
いわゆる「卦脈」とは、気機運動流行の自然の理である。卦脈を見准えば、天地万物の道理も手に入る。たとえば、坎卦の画を見れば、二陰が一陽を挟み、坤体の中間に乾の中爻が嵌まり込んでいるから、月がもと地気の上昇して成ったものだと分かる。離卦の画を見れば、二陽が一陰を挟み、乾体の中間に坤の中爻が嵌まり込んでいるから、太陽がもと天気の下降して成ったものだと分かる。艮卦の画を見れば、一陽が二陰の上に圧しているから、山が天から墜落して来たものだと分かる。兌卦の画を見れば、一陰が二陽の上に浮いているから、雨が地気の中から出たものだと分かる。重卦中の爻画の叠合を見れば、閏余の数の来歴が分かる。両体交錯の体を見れば、造化生成の本原が分かる。(この段は源本の伝写が錯乱し、「観離画」の下に「則知雨從地出」を誤って重出させ、また「叠交」は「叠爻」に、「關」は「觀」に作るべきところを、今上下文に依って校正した。)およそこの種の卦画は、みな天地万物の理を人の眼前に書き示したもので、渾天儀のような天象を照見し得る器具のようである。
第八章 縦横に施設し、理は在らぬ所なし
經卦重卦,或離或合。縱橫施設,理無不在。八章
三画の経卦と六画の重卦は、拆き開いて見ることも合わせて見ることもできる。どのように縦横に排布し変換布置しても、その中には道理がある。本章は卦画が固定的な読み方一つの死んだ符号ではなく、あらゆる角度の推排に耐えうることを明らかにする。これこそ《易》の道が広大たる所以である。(第八章。源本はこの句の上に網頁版式の乱碼の一段を残しているが、古籍の正文ではないので今删去する。)
縱橫,謂若為諸圖,或有二氣老少之漸,或者三代祖孫之別,或有對待之理,或者有真假之義,或有胎甲之象,或者錯綜之占。唯其施設,皆具妙理,無所往而不可。此所謂包括萬象,而《易》道所以大也。
いわゆる「縦横」とは、卦画を種々の図式に排することである。ある図は陰陽二気が少陽少陰から漸進して老陽老陰となる次第を顕し、ある図は乾坤を祖とし六子を子孫とするような三代の輩分を顕し、ある図は両卦の相対相待の関係を顕し、ある図は真体と假合の分別を顕し、ある図は万物が胎胚初萌の時の形象を顕し、ある図は人に錯卦・綜卦の占断を供する。こうして布置推排しさえすれば、どの排し方も自ずと妙理を具え、通じない処は一つもない。これが前に言った「万象を包括」であって、まさに《易》の道が広大たる所以の縁である。
第九章 六子は乾坤の破体
乾坤錯雜,乃生六子。六子則是,乾坤破體。九章
乾と坤の二つの純卦が互いに掺杂して、始めて震・巽・坎・離・艮・兌の六つの子卦が生じる。いわゆる六子とは、実は乾坤の純体が打破された後の姿である。本章は人に卦画上から直接六子の来歴を見出させる。彼らは別に本源があるのではなく、純陽・純陰がそれぞれ相手に一画を掺入された結果なのである。(第九章)
乾三畫奇,純陽也,一陰雜於下,是為巽,雜於中,是為離。雜於上,是為兌。巽、離兌皆破乾之純陽也,坤畫偶,純陰也。一陽雜於下,是為震。雜於中,是為坎。雜於上,是為艮。震、坎、艮、皆破坤之純體也。若更以人身求之,理自昭然。
乾卦の三画は皆奇画で、純陽である。もし一陰が最下の一画に掺り込めば巽となり、中間の一画に掺り込めば離となり、最上の一画に掺り込めば兌となる。巽・離・兌の三卦は、いずれも乾の純陽を打破したものである。坤卦の三画は皆偶画で、純陰である。もし一陽が最下の一画に掺り込めば震となり、中間の一画に掺り込めば坎となり、最上の一画に掺り込めば艮となる。震・坎・艮の三卦は、いずれも坤の純体を打破したものである。さらに人の身体に対照させれば――首を乾、腹を坤とし、耳目口鼻手足は各々六子に配する――この道理は自ずと一目了然である。
第十章 乾坤は純和の気
粵乾輿坤,即是陰陽。圓融合粹,平和之中。十章
乾と坤について言えば、彼らは陰と陽そのものである(源文「粤」は句首の発語詞、「舆」は「与」に作るべき)。この二卦の代表する気は圓満通融・精純で雑なく、最も平和な状態に処している。本章は乾坤を陰陽の純態と定位し、次章に六子の偏態を講ずるための布石とする。(第十章)
凡陰陽之氣,純而不駁,是為乾坤。《老子》曰:“天得一以清,地得一以寧。”正謂此也。因知能盡乾之道,是為聖人;能盡坤之道,是為賢人。
およそ陰陽の気が純粋で夾雑しないものが、乾と坤である。《老子》第三十九章に言う。「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧らかなり。」――天があの純一の気を守るがゆえに清明であり、地があの純一の気を守るがゆえに安寧である、まさにこの意味を講じている。これより知るべし。乾の剛健の道を尽くし行える者が聖人であり、坤の柔順の道を尽くし行える者が賢人である。
第十一章 六子は不平の気
至於六子,即是陰陽。偏陂反側,不平之名。十一章
震・巽・坎・離・艮・兌の六つの子卦については、同じく陰陽の気ではあるが、ただ気が偏斜傾側して平衡を失った時の名目である。本章は上章に続いて講ずる。乾坤は陰陽の平和態、六子は陰陽の失衡態であり、この点は卦画の上から一見して分かる。(第十一章)
乾健坤順,陰陽之純氣也。一失健順,則不平之氣作。而六子生,觀畫象可知。《莊子》曰:“陰陽錯行,天地大駭,有雷有庭,水中有火,乃焚乃塊。”正謂此耳。由是六子非聖賢比,特眾人興萬物而已。然由破體煉之,純體乃成。
乾は剛健、坤は柔順、これは陰陽の純粋の気である。ひとたびこの健と順を失えば、不平の気が発作し、六子がこれに随って生じる。これは卦画の上から見れば分かる――どの子卦も三画の中に一画が他の二画と異なっている。《荘子・外物》に言う。「陰陽錯行し、天地大いに駭き、是に於いて雷有り霆有り、水中に火有りて、乃ち大槐を焚く。」(源文「有雷有庭」は「有雷有霆」に、「乃焚乃塊」は「乃焚大槐」に作るべき。)陰陽が錯乱して運行すれば、天地はこれがために震駭し、ここに雷霆があり、水の中から火が冒出して、大槐の木まで焼いてしまう――まさにこの道理を言っている。これより知るべし。六子は聖賢と比べることはできず、彼らの対応するものは芸芸たる衆人と万物に過ぎない。ただし破体にも出路がないわけではない。破体の上に修煉の工夫を下せば、純体は依然として重新に煉成できるのである。
第十二章 八德は当に画象に求むべし
健順動入,陷麗止說。非特乾坤,六子訓釋。十二章
「健・順・動・入・陷・麗・止・説」の八字は、ただ乾坤と六つの子卦のための字面的な訓詁に過ぎない。彼らは各々一種の確定した爻画格局に対応しており、画象の上に認めねばならず、ただ八つの抽象名詞として暗記してはならない。(第十二章)
非特訓釋,蓋謂不可專於八字上取也,當求之於畫象。健謂三畫奇也,順謂三畫純偶是也,動謂一陽在二陰下是,入謂一陰在二陽下是,陷謂一陽在二陰中是,麗為一陰在二陽中是,止則一陽在二陰之上是,說則一陰在二陽上是。凡是所順,多見於畫象。如闔戶謂之坤,則姤之初爻是。關戶謂之乾,則復之初爻是。
「ただの訓釈ではない」と言う意味は、専らこの八字の上に義を取ってはならず、卦画の象の上に求めるべきだということである。「健」とは、三画すべて奇画、即ち乾を指す。「順」とは、三画すべて偶画、即ち坤を指す。「動」とは、一陽画が両陰画の下にある、即ち震を指す。「入」とは、一陰画が両陽画の下にある、即ち巽を指す。「陷」とは、一陽画が両陰画の中間に挟まる、即ち坎を指す。「麗」とは、一陰画が両陽画の中間に挟まる、即ち離を指す。「止」とは、一陽画が両陰画の上に圧する、即ち艮を指す。「説」とは、一陰画が両陽画の上に浮く、即ち兌を指す。およそこの種の卦徳に順って言う話は、多くは画象の上に根拠を見出せる。たとえば《繫辭》に「闔戸謂之坤」と言う。門を閉じれば即ち陰気の収斂で、まさに姤卦初六のあの一陰が剛生した爻である。「辟戸謂之乾」と言う。門を開けば即ち陽気の舒展で、まさに復卦初九のあの一陽が剛生した爻である(源文「關戸」は「辟戸」に作るべき)。
第十三章 坎兌二水の別
坎兌二水,明須識破。坎潤兌說,理自不同。十三章
坎と兌はともに水だが、必ず両者の分別を看破しなければならない。坎の作用は「潤」、兌の作用は「説(悦)」で、両者の道理は根本から異なる。坎は天上の乾金の生ずる気水で、物体内部に潜行する。兌は地上の坤土の成す形水で、万物の表面に鋪洒する。本章はおよそ水なら何でも籠統に一類に帰する読み方を退ける。(第十三章)
坎乾水也,氣也,若井是也。兌,坤水也,形也,今雨是也。一陽中陷為二陰為坎,坎以氣潛行於萬物之中,為受命之根本,故曰:潤萬物者莫潤乎水。蓋潤,液也,氣之液也。一陰上徹於二陽為兌,兌以形普施於萬物之上,為發生之利澤,故曰:說萬物者莫說乎澤。蓋說,散也,形之散也。坎、兌二水,其理昭昭如此。學者依文解義,不知落處,其能得實用乎?自漢諸儒不得其說,故真人發其端。
坎は乾の家の水で、気に属し、井泉がこの種の水である。兌は坤の家の水で、形に属し、いま降る雨がこの種の水である。一陽が両陰の当中に陷すれば坎となり、坎は気の形態で万物の体内に潜行し、万物が命を受ける根本だから、《説卦傳》に「万物を潤す者は水より潤すは莫し」と講じる。ここの「潤」とは即ち液で、気の凝じて成った液である。一陰が両陽の上に透けば兌となり、兌は形の姿態で万物の表面に普遍に施布し、生長発育の得る利澤だから、《説卦傳》にまた「万物を説ばしめる者は澤より説ばしむるは莫し」と講じる。ここの「説」とは即ち散で、形が鋪散するのである。坎・兌二種の水の道理が清清楚楚にここにある。学者はただ文字に照らして義理を講じ、それがどこに落実するかを知らないのでは、どうして真に用いることができようか。漢代以来の諸儒は皆この層の意味を講じ出せなかったから、麻衣真人がここで彼らに代わって端緒を開いたのである。
又論,且以井卦觀之,本來泰卦初爻易五,是為井,則知一陽升而為坎水也。故《月令》云:“仲冬,誰泉動,仲冬一陽生。”至仲秋,乃云:“煞氣侵盛,陽氣曰衰,水始涸。”信乎坎之為乾水也!道家有煉丹井。海外女國無男。窺井即生。《醫經》:“無子婦,男服口循井即生。”其為乾陽,皆可明驗。若曰:天降時雨。山川出云,又曰:地氣上為雲,天氣下為雨,此兌之所以為坤水也。
さらに一層補充する。井卦を取って見れば、井卦はもと泰卦の初爻と第五爻を互換して成ったものである――泰卦は下乾上坤で、初九のこの一陽を五位に換え、六五のこの一陰を初位に換えれば、下体の乾は巽に変わり、上体の坤は坎に変わり、合わせてまさに井卦(巽下坎上)となる。あの一陽が上昇して初めて坎水となったことが見える。だから《禮記・月令》に仲冬は「水泉動」と言い、仲冬はまさに一陽初生の時節である(源文「誰泉動」は「水泉動」に作るべき)。仲秋に至っては「殺気浸盛にして陽気日に衰え、水始めて涸る」と言う。これを以て坎が乾家の水であることを確信するに足る。道家には煉丹に用いる井があり、海外の女国は男子なく井戸水を望んで即ち受孕でき、《醫經》にも生育せぬ婦人が法に依って井に臨めば即ち子を得られると載せる――これらは皆井水が乾陽に属することを検証できる。「天降の時雨」「山川の出雲」と言うことについては、《素問》にまた「地気上りて雲と為り、天気下りて雨と為る」と言う。これが兌の所以に坤家の水である縁である。
第十四章 天地の坎離は即ち日月
鑽木鑿井,人之坎離。天地坎離,識取自然。十四章
木に鑽りて火を取り、地を鑿ちて水を取るのは、ただ人力の造り出した坎離であって、小さく後起のものである。天地間の真正の坎離は月亮と太陽であって、自然そのものから認取せねばならない。本章は《説卦》の「水火」をただ生活器用の上に落実するだけの読み方を退け、まず天上の日月を看清めてこそ坎離の体だと主張する。(第十四章)
乾,天也。一陰升於乾之中為離。離為目,則曰本天之氣也,坤,地也。一陽下降於坤之中為坎。坎為月,則曰本地之氣也。曰為天氣,自西而下以交於地。月為地氣,自東而上以交於天。曰月交錯,一晝一夜,循環三百六十度,而擾擾萬緒起矣,是為三百六十爻,而諸卦生焉。坎離曰月,天地之中氣也。仲尼特言水火,而不言曰月者,曰月其體也,水火其用也。言其用而不言其體,蓋欲其設施之廣而礙也。學者不悟,但求之於鑽木鑿井之間,所失益甚矣。
乾は天である。一陰が乾の中位に昇れば離卦となり、離は即ち太陽で、太陽がもと天の気であることが見える(源文「離為目」は「離為日」に作るべき、「曰」は皆「日」に作るべき)。坤は地である。一陽が坤の中位に降れば坎卦となり、坎は即ち月亮で、月亮がもと地の気であることが見える。太陽は天気で、西の辺から落ちて地と相交する。月亮は地気で、東の辺から昇って天と相交する。日月が往来交錯し、一昼一夜に三百六十度を循行し、紛紛たる万事がこれより興起する。これが三百六十爻に対応し、六十四卦もこれより生ずる。坎離は即ち日月で、天地の間の中和の気である。孔子が《説卦》に水火のみを言って日月を言わないのは、日月が彼らの本体で水火が彼らの功用だからであり、功用だけを講じて本体を講じないのは、この取象を施用するのをより寛泛にして拘礙を受けさせないためである(源文「廣而礙」は「廣而無礙」に作るべき)。学者はこの層の用意を明白せず、ただ木に鑽りて火を取り井を鑿ちて水を取るといった人事の上に坎離を求めるから、誤りがますます遠くなるのである。
又論,月上於天,曰入於地,男女構精之象。一來一往,卦畫有中通之象。此所謂觀於卦脈,理則昭然也。有謂理莢謊然,若山者自天之墜也。《傳》曰:“自有宇宙,便有此山。”又曰:“星隕為石”。推此意,則山自天墜無疑。而世曰:“山者,地之物。”以所見者言之耳。
さらに一層補充する。月亮が天空に昇り、太陽が地下に沈むのは、男女が交合して精を構える象である。一來一往の間に、卦画上には中爻が貫通する形象がある――坎の一陽は上に通じ、離の一陰は下に通ずる。これがまさに第七章に言う「卦脈に観て、理則ち昭然」である。さらに道理が離奇に見えて実は明白なものがある。たとえば山が天から墜落して来たということである(源文「理荚謊然」は文字に訛りがあり、「理昭然」などに作るべき)。《傳》に「宇宙有るより、便ち此の山有り」と言い、また「星隕りて石と為る」と言う――星が墜落すれば石頭となる。この意に照らして推せば、山が天から墜落したことに疑いはない。しかし世人はひいきに「山は地上のものだ」と言うが、それは肉眼の見る所に就いて講じているに過ぎない。
至月風雷雨,皆自地出也。而世曰:“月風雷雨,天之物。”亦以所見者言之耳。世以所見如此!苟徇其所見,則是天地萬物,皆所不曉。審知《易》者,所以窮理盡性也。學者不可不留意邪!
月亮・風・雷・雨については、実は皆地気の中から出たものである。しかし世人はひいきに「月・風・雷・雨は天上のものだ」と言うが、これも肉眼の見る所に就いて講じているに過ぎない。世人は眼見に凭ってこのような判斷を下す!もし一昧に眼見に順って行けば、天地万物に真に懂るものは一つもない。知るべし、《易》という学問はまさに物理を窮究し人性を尽知するために用いられるものである。学者はどうして留心せずにいられようか。
第十五章 八卦は統べぬ所なし
八卦不止,天地雷風。一身一物,便據八卦。十五章
八卦の指す所は、天・地・雷・風・水・火・山・澤の八つのものに止まらない。随意に一つの人身、一件の事物を取って見れば、その中に八卦の理が斉備している。本章は八卦を八種の自然物に鎖死させることを退け、それらが八類の性質であって如何なる事物にも落ちうると主張する。(第十五章)
八卦,文王繇辭,周公爻辭,皆未當指名其物象,以見八卦不止天、地、雷、風、水、火、山、澤,無所不統也。是故凡天下之所謂健者,皆乾也。順者,皆坤也。動者,皆震也。入者,皆巽也。陷者,皆坎也。麗者,皆離也。止者,皆艮也。說者,皆兌也。一身一物,便具此八卦之理。然宣父止以八物雲者,特舉其大者為宗本。姑以入《易》,以便學者耳。
八卦について、文王の繋いだ卦辞、周公の繋いだ爻辞は、いずれも指名してそれが必ずどの具体的な物かを言ったことがない。これより見て、八卦は天・地・雷・風・水・火・山・澤の八物に止まらず、統べぬ所のないものである。だから天下のおよそ剛健なるものは皆乾に属し、柔順なるものは皆坤に属し、奮動するものは皆震に属し、潜入するものは皆巽に属し、陷落するものは皆坎に属し、附麗するものは皆離に属し、静止するものは皆艮に属し、喜悦して発散するものは皆兌に属する。人の身一つ、事物一件を任取すれば、その中にこの八卦の理が具備している。孔子(宣父)が《説卦》にあの八つのものだけを挙げたのは、ただ最大最顯著なものを拈出して綱領とし、姑らくそれを以て人を《易》に入らしめ、初学に便せんとしたに過ぎない。
第十六章 反體と對體
卦有反對,最為關鍵。反體既深,對體尤妙。十六章
六十四卦の間には「反」と「對」の二種の関係があり、これは全書最も緊要の關鍵である。「反」とは一卦を整个に倒して見ること(今は綜卦と称し)、「對」とは六爻の陰陽を全部互換すること(今は錯卦と称する)。反體の意味はすでに深く、對體の意味はさらに奇妙である。(第十六章)
世雖知有反對之說,不能知聖人密意在是也。蓋二卦反而為二,對而為四。既列序之,又以雜卦推明義者,以為天下之吉凶禍福,貧富貴賤,其實一體也。別而言之,其代謝循環,特倒正之間耳,未始有常也。然反對則諸卦皆是,對體則乾、坤、坎、離、頤、大過、中孚、小過而已。此八卦與諸卦不同,在《易》道,乃死生壽夭造化之樞機也。其體不變,故曰:對體尤妙。
世人は反・對の説があることは知っているが、聖人の密意がここに蔵されていることを領会できない。一對の卦を倒転すれば二つの卦となり、さらに陰陽を互換すれば四つの卦となる。《序卦》はすでに次序に照らして彼らを排定し、孔子はまた《雜卦》を作ってその義を推明した。その用意は、天下の吉凶禍福・貧富貴賤が実は同一の本体だと明らかにするにある。分かれて言えば、彼らの新陳代謝・循環往復は、ただ同一卦を倒して正した間のことに過ぎず、固定不変のものは嘗てない。ただし「反」という層の関係は諸卦皆にあるが、「對體」を構成し得るのは、乾・坤・坎・離・頤・大過・中孚・小過の八卦のみである――彼らは倒しても依然自分自身で、陰陽互換に依るほか配对できない。この八卦はその余の各卦と異なり、《易》道の中でまさに生死壽夭・造化樞紐のある所である。彼らの卦體は倒しても正しても変わらないから、「對體尤も妙」と言うのである。
