第七章 木星行度
相與營室晨出東方 秦始皇帝元 三 五 七 九 〔二〕與東闢(壁) 晨出東方 二 四 六 〔八〕 〔十〕 〔三〕與婁晨 出東方 三 五 七 〔九〕 〔一〕 〔四〕與畢晨 出東方 四 六 八 〔<廿廿>〕 〔二〕 〔五〕與東井晨
以下は歳星の行度表で、もと帛書上の一幅の表格であり、ここに原有の行列布局を保持す。表の読法は――毎一行の開頭に歳星が晨出東方する時に伴う星宿を写し、その後の一列々の数字は紀年で、秦始皇帝元年より、順に後に向かって排す。行末の方括弧の数字と星宿は、次の行の接続である。第一行――歳星が営室宿とともに晨に東方に出で、その年は秦始皇帝元年・三年・五年・七年・九年。次に東壁宿と相伴うに輪る。第二行――晨に東方に出で、その年は二年・四年・六年・八年・十年。次に婁宿と相伴う。第三行――東方に出で、その年は三年・五年・七年・九年・一年。次に畢宿と相伴う。第四行――東方に出で、その年は四年・六年・八年・廿廿(即ち二十)年・二年。次に東井宿と相伴う。表中の「相」は歳星の別名で、「東辟」に「東壁」を括注するは通仮である。「<廿廿>」は帛書上の二つの「廿」が相畳する合文で、原釈文のまま録入す。表格はもと纵横に対齊する格眼で、行内の空格はすなわち格線の在る所である。ここは一律に原様に依りて保留し、合併を加えず。読む時は空格に按って欄を分かてば可なり。凡そ紀年は末の一字のみを写す(「三」「五」「七」のごとし)は、上に承けて文を省くもので、某某三年・五年・七年に補足せねばならぬ。
出東方 五 七 九 漢元 孝惠〔元〕 〔六〕與柳晨 出東方 六 八 卅 二 二 〔七〕與張晨 出東方 七 九 一 〔三〕 〔三〕 〔八〕與軫晨 出東方 八 廿 二 〔四〕 四 〔元〕與亢晨
表格続く――第五行、東方に出で、その年は五年・七年・九年・漢元年・孝恵元年。次に柳宿と相伴う。第六行、東方に出で、その年は六年・八年・卅(三十)年・二年・二年。次に張宿と相伴う。第七行、東方に出で、その年は七年・九年・一年・三年・三年。次に軫宿と相伴う。第八行、東方に出で、その年は八年・廿(二十)年・二年・四年・四年。次に亢宿と相伴う。表中の紀年はここに朝代を換えた――秦紀年の後に漢高祖元年に接し、再び孝恵帝元年に接す。見るべし、此表の記す所は秦漢の際に貫穿する、一份の連続なる実測行度記録である。
出東方 九 一 三 五 五 二與心晨 出東方 十 二 四 六 六 三與斗晨出東方 一 三 五 七 七 與婺女晨 出東方 二 四 六 八 •代皇
表格末の四行――東方に出で、その年は九年・一年・三年・五年・五年。次に心宿と相伴う。東方に出で、その年は十年・二年・四年・六年・六年。次に斗宿と相伴う。再び東方に出で、その年は一年・三年・五年・七年・七年。次に婺女宿と相伴う。東方に出で、その年は二年・四年・六年・八年。末欄に「代皇」を標し、前に円点を加う。帛書は凡そ朝代あるいは帝号の更替する処に皆一つの円点を以て標出す――「•代皇」「•張楚」「•孝恵元」「•高皇后元」のごとし。ここに一併に原釈文のまま録入す。「代皇」はまさに代王が入りて立ちて帝と為るを指すべく、すなわち漢文帝である。本表の紀は即ち文帝の初に止まる。
秦始皇帝元年正月,歲星日行廿分,十二日而行一度,終〔歲行卅〕度百五分,見三〔百六十五日而夕入西方,伏〕卅日,三百九十五日而復出東方。〔十二〕歲一周天,廿四歲一與大〔白〕合營室。
秦始皇帝元年正月を起算の始と為す――歳星は每日二十分を行き、十二日に一度を行き、全年に三十度又一百五分を行く。天空に現れて三百六十五日して而る後に傍晚に西方に没し、潜伏三十日して、共に三百九十五日にして再び東方に出づ。十二年に天を一周し、二十四年に太白と営室宿に於て一次会合す。この段の文字は上表の算法説明で――一歳に三十度余を行き、十二歳にちょうど周天三百六十五度余となり、今測の木星恒星周期約十一点八六年と十分に接近す。これは先秦両漢の天文実測水平の重要な証拠である。
第八章 土星行度
〔相〕與營室晨出東方 元•秦始皇 一 二與營室晨出東方 二 二 三與東壁晨出東方 三 三 四 與畦(奎)晨〔出〕東方 四 四 五與婁晨出東方 五 五 六與胃晨出東方 六 六 七 與茅(昴)晨出東方 七 七 八與畢晨出東方 八 八•張楚 •元與觜角晨出東方 九 九 二
以下は填星(土星)の行度表で、同じく原有の行列布局を保持す。読法は前表と同じ――毎条まず填星が晨出東方する時の在る星宿を記し、その下の数字は紀年と為す。首行――填星が営室宿と晨に東方に出で、その年は秦始皇帝元年・一年。次年は仍お営室宿と晨に東方に出で、その年は二年・二年。再び次に東壁宿と晨に東方に出で、その年は三年・三年・四年。次行――奎宿と晨に東方に出で、四年・四年・五年。婁宿と晨に東方に出で、五年・五年・六年。胃宿と晨に東方に出で、六年・六年・七年。第三行――昴宿と晨に東方に出で、七年・七年・八年。畢宿と晨に東方に出で、八年・八年、ここに「•張楚」を標す、即ち陳勝の建てた張楚政権の年である。觜・角の二宿と晨に東方に出で、元年・九年・九年・二年。「畦」に「奎」を、「茅」に「昴」を括注するは皆通仮字で、一律に原釈文のまま録入す。填星は毎年ちょうど一宿を行くがゆえに、此表の星宿は宿を逐い相次ぐもので、歳星表のごとき跳躍に似ず。
與伐晨出東方 十 卌 三與東井晨出東方 一 漢元 〔與東〕井晨出東方 二 二 與鬼晨出東方 三 三 與柳晨出東方 四 四 與七星晨出東方 五 五 與張晨出東方 六 六 與翼晨出東方 七 七 與軫晨出東方 八 八
表続く――伐星と晨に東方に出で、十年・卌(四十)年・三年。東井宿と晨に東方に出で、一年、ここに「漢元」を標す、即ち漢高祖元年。再び東井宿と晨に東方に出で、二年・二年。鬼宿と晨に東方に出で、三年・三年。柳宿と晨に東方に出で、四年・四年。七星と晨に東方に出で、五年・五年。張宿と晨に東方に出で、六年・六年。翼宿と晨に東方に出で、七年・七年。軫宿と晨に東方に出で、八年・八年。「卌」は四十の合文、「卅」は三十の合文で、帛書の数字は多く合文を用う。原釈文のまま録入す。此表の紀年も同じく秦・張楚・漢の三つの政権に跨り、前表と互いに証すべし。
與角晨出東方 九 九 與亢晨出東方 廿 十 與氐晨出東方 一 一 與房晨出東方 二 二 〔與〕心晨出東方 三 •孝惠元 〔與〕尾晨出東方 四 二 與箕晨出東方 五 三 與斗晨出東方 六 四 與牽牛晨出東方 七 五
表続く――角宿と晨に東方に出で、九年・九年。亢宿と晨に東方に出で、廿(二十)年・十年。氐宿と晨に東方に出で、一年・一年。房宿と晨に東方に出で、二年・二年。心宿と晨に東方に出で、三年、ここに「•孝恵元」を標す、即ち漢恵帝元年。尾宿と晨に東方に出で、四年・二年。箕宿と晨に東方に出で、五年・三年。斗宿と晨に東方に出で、六年・四年。牽牛宿と晨に東方に出で、七年・五年。ここに至りて填星はすでに順に東方蒼竜七宿と北方玄武の頭の两宿を行過し、ちょうどそれが毎年一宿を填むの行度に合す。
與婺女晨出東方 八 六 與虛晨出東方 九 七 與危晨出東方 卅 •高皇后元
表末の两行――婺女宿と晨に東方に出で、八年・六年。虚宿と晨に東方に出で、九年・七年。危宿と晨に東方に出で、卅(三十)年、ここに「•高皇后元」を標す、即ち呂后元年。此表は秦始皇元年より起り、呂后元年に至りて止む。前後約三十年、まさに填星が天を一周するの数なれば、表もまたここに至りて止む。
秦始皇帝元年正月,填星在營室,日行八分,卅日而行一度,終〔歲〕行〔十二度卌二分。見三百四十五〕日,伏卅二日,凡見三百七七日而復出東方。卅歲一周於天,廿歲與歲星合為大陰之紀。
秦始皇帝元年正月を起算の始と為す――填星は営室宿に在り、每日八分を行き、三十日に一度を行き、全年に十二度又四十二分を行く。天空に現れて三百四十五日し、潜伏三十二日して、合計三百七十七日にして再び東方に出づ。三十年に天を一周し、二十年に歳星と一次会合して、太陰紀年の准拠と為す。今測の土星恒星周期は約二十九点五年、会合周期は約三百七十八日で、帛書の記す所とほぼ相合す。足りて見るべし、この記録は長期の実測に出でて推衍に非ざるを。
第九章 金星行度
正月與營室晨出東方二百廿四日,以八月與角晨入東方。〔秦元〕 〔九〕 〔七〕 五 三•漢元 九 五 六浸行百二十日,以十二月與虛夕出西方,取廿一於下。 與虛夕出西方二百廿四日,以八月與翼夕入西方。 〔二〕 〔十〕 〔八〕 六 四 二 十 六 七伏十六日九十六分,與軫晨出東方。
以下は太白(金星)の行度表で、行文と数字と相間い、ここに原有の行列布局を保持す。読法は――まず一次の出沒の月份・伴う所の星宿と日数を記し、その後の一串の数字は歴年の紀年で、再び次の一段の行度に接す。第一条――正月に営室宿と晨に東方に出で、二百二十四日を歴て、八月に至り角宿とともに清晨に東方に没す。係る所の年份は秦始皇元年・九年・七年・五年・三年、および漢元年・九年・五年・六年。此の後潜行一百二十日して、十二月に至り虚宿と傍晚に西方に出現し、二十一の数を取りて下に置く。第二条――虚宿と夕に西方に出で、二百二十四日を歴て、八月に至り翼宿と傍晚に西方に没す。第三条の係る所の年份は二年・十年・八年・六年・四年・二年・十年・六年・七年。此の後潜伏十六日九十六分して、軫宿とともに晨に東方に出づ。表中の「•漢元」の前の円点は、仍お帛書が改元の処を標示するものである。
以八月與軫晨出東方二百廿四日以三月與茅晨入東方,餘七十八。浸行百廿日,以九月與〔翼夕〕出西方。三 〔一〕 九 七 五 三 一 七 八 以八月與翼夕出西方,二百廿四日,以二月與婁夕入西方,餘五十七。伏十六日九十六分,以三月與茅晨出東方。 四 〔二〕 廿 八 六 四 二 〔高〕皇后•元以三月與茅晨出東方二百廿四日,以十一月與箕晨〔入東〕方。浸行百廿日,以三月與婁夕出西方,餘五十二。
表続く――八月に軫宿と晨に東方に出で、二百二十四日を歴て、三月に至り昴宿と清晨に東方に没し、余数七十八。潜行一百二十日して、九月に至り翼宿と傍晚に西方に出現す。係る所の年份は三年・一年・九年・七年・五年・三年・一年・七年・八年。八月に翼宿と夕に西方に出で、二百二十四日を歴て、二月に至り婁宿と傍晚に西方に没し、余数五十七。潜伏十六日九十六分して、三月に至り昴宿と晨に東方に出づ。係る所の年份は四年・二年・廿(二十)年・八年・六年・四年・二年。末に「〔高〕皇后•元」を標す、即ち呂后元年。三月に昴宿と晨に東方に出で、二百二十四日を歴て、十一月に至り箕宿と清晨に東方に没す。潜行一百二十日して、三月に至り婁宿と傍晚に西方に出現し、余数五十二。いわゆる「余」とは、日数の外の零余分数を指し、推歩の時必ず帯びねばならぬ尾数である。
〔以三月〕與婁夕出西方二百廿四日,以十月與心夕入西方。五 〔三〕 〔一〕 九 七 五 •惠元 二 二〔伏〕十六日九十六分,以十一月與箕晨出東方,取七十三下。 以十一月與箕晨出東方二百廿四日,以六月與柳晨入東方。六 〔四〕 〔二〕 〔卅〕 〔八〕 六 二 三 三浸行百廿日,以九月與心夕出西方,取才十四下。 以九月與心夕出西方二百廿四日,以五月與東井夕入西方。七 〔五〕 〔三〕 〔一〕 〔九〕 〔七〕 三 四伏十六日九十六分,以九月與輿鬼晨出東方。
表続く――三月に婁宿と夕に西方に出で、二百二十四日を歴て、十月に至り心宿と傍晚に西方に没す。係る所の年份は五年・三年・一年・九年・七年・五年。次に「•恵元」を標す、即ち漢恵帝元年。再び二年・二年。潜伏十六日九十六分して、十一月に至り箕宿と晨に東方に出で、七十三の数を取りて下に置く。十一月に箕宿と晨に東方に出で、二百二十四日を歴て、六月に至り柳宿と清晨に東方に没す。係る所の年份は六年・四年・二年・卅(三十)年・八年・六年・二年・三年・三年。潜行一百二十日して、九月に至り心宿と傍晚に西方に出現し、十四の数を取りて下に置く。九月に心宿と夕に西方に出で、二百二十四日を歴て、五月に至り東井宿と傍晚に西方に没す。係る所の年份は七年・五年・三年・一年・九年・七年・三年・四年。潜伏十六日九十六分して、九月に至り輿鬼宿と晨に東方に出づ。
以六月與輿鬼晨出東方二百廿四日,以正月與西壁晨入東方。餘五。浸行百廿日,以五月與東井夕出西方。八 〔六〕 〔四〕 〔二〕 〔廿廿〕 〔八〕 四 五 以五月與東井夕出西方二百廿四日,以十二月與虛夕入西方。〔伏十〕六日九十六分,以正月與東壁晨出東方。
表末の两条――六月に輿鬼宿と晨に東方に出で、二百二十四日を歴て、正月に至り西壁宿と清晨に東方に没し、余数五。潜行一百二十日して、五月に至り東井宿と傍晚に西方に出現す。係る所の年份は八年・六年・四年・二年・廿廿(二十)年・八年・四年・五年。五月に東井宿と夕に西方に出で、二百二十四日を歴て、十二月に至り虚宿と傍晚に西方に没す。潜伏十六日九十六分して、正月に至り東壁宿と晨に東方に出づ。ここに至りてまた正月に晨に東方に出でるに帰り、一つの八年五復の大循環はここに閉合す。本書第二章の記す「五出して日を為すこと八歳」と正に相印証す。
秦始皇帝元年正月,太白出東方,〔日〕行百廿分,百日上極〔而反,日行一度,天〕十日行有〔益〕疾,日行一度百八十七分以從日,六十四日而復遝(逮)日,晨入東方,凡二百廿四日。浸行百廿日,夕出西方。〔太白出西方始日行一度百八十七分,百日〕行益徐,日行一度,以待之六十日;行有益徐,日行<廿廿>分,六十四日而西入西方,凡二百廿四日。伏十六日九十六分。〔太白一復〕為日五〔百八十四日九十六分日。凡出入東西各五,復〕與營室晨出東方,為八歲。
秦始皇帝元年正月を起算の始と為す――太白が東方に出現し、每日一百二十分を行き、一百日に極処に達して而る後返り、改めて日行一度と為す。又十日に行速漸々増し、日行一度一百八十七分して以て太陽に追随し、六十四日にして重新たに太陽に趕上し、清晨に東方に没す。前後共に二百二十四日。潜行一百二十日して、傍晚に西方に出現す。太白が西方に出づる時、初めは日行一度一百八十七分し、一百日の後行速漸々緩み、改めて日行一度と為し、かくのごとく六十日を等待す。再び漸々緩み、日行二十分し、六十四日にして西に向かいて西方に没入す。もまた二百二十四日。然る後潜伏十六日九十六分す。太白の一つの完整なる会合周期は五百八十四日又九十六分日である。東西各々出入五次して、また営室宿と晨に東方に出でるに帰り、合して八年と為す。今測の金星会合周期は五百八十三点九二日で、帛書の記す五百八十四日又九十六分(約合五百八十四点四日)とこれに極めて接近す。これは全書最も著名なる一項のデータで、また本篇をして現存最も早く最も精なる行星観測記録の一つたらしむ。
