Libo

化书 · 第2巻

南唐 · 谭峭 · 第2巻 / 4

虛無

虚無

鬼之神可以御,龍之變可以役,蛇虺可以不能螫,戈矛可以不能擊。唯無心者火不能燒,水不能溺,兵刃不能加,天命不能死。其何故?志於樂者猶忘飢,志於憂者猶忘痛,志於虛無者可以忘生死。

鬼の神は駕御でき、龍の変は役使でき、蛇虺は螫せないようにでき、戈矛は撃たせないようにできる。ただ無心の人は、火も焼くことができず、水も淹れることができず、兵刃も加えることができず、天命も彼を死なせることができない。なぜか。志が楽にある者はなお飢を忘れ、志が憂にある者はなお痛を忘れる。志が虚無にある者は生死を忘れることができる。

虛實

虚実

方咫之木置於地之上,使人蹈之而有餘。方尺之木置於竿之端,使人踞之而不足。非物有小大,蓋心有虛實。是故冒大暑而撓者愈熱,受灸灼而懼者愈痛。人無常心,物無常性。小人由是知水可使不溼,火可使不燥。

方円咫尺ばかりの木を地上に置けば、人に踏ませても有余と感じる。方円一尺の木を竿の頭に置けば、人に蹲らせても不足と感じる。物に小大があるのではなく、心に虚実があるのだ。だから大暑を冒しても烦躁する者はますます熱く、灸灼を受けても恐懼する者はますます痛い。人に常心はなく、物に常性はない。小人はここから水を湿らせずでき、火を燥がせずできると知る。

狐狸

狐狸

狐狸之怪,雀鼠之魅,不能幻明鏡之鑑者,明鏡無心之故也。是以虛空無心而無所不知,昊天無心無萬象自馳,行師無狀而敵不敢欺,大人無慮而元精自歸,能師於無者,無所不之。

狐狸の怪、雀鼠の魅は、明鏡の鑑照を変幻できない。明鏡に心がないからだ。だから虚空は心なきも知らないものがなく、昊天は心なきも万象が自ら奔馳し(底本「無万象」、一説に「無」は「而」に作るべき)、行軍に形狀なきも敵は敢えて欺かず、大人に思慮なきも元精が自ら帰る。無に師法できる者は、到らない所がない。

轉舟

転舟

轉萬斛之舟者,由一尋之木;發千鈞之弩者,由一寸之機。一目可以觀大天,一人可以君兆民。太虛茫茫而有涯,太上浩浩而有象。得天地之綱,知陰陽之房,見精神之藏,則數可以奪,命可以活,天地可以反覆。

万斛の大船を転じるのは、一尋の舵木による。千鈞の大弩を発するのは、一寸の機括による。一つの目で大天を観ることができ、一人で兆民に君臨できる。太虚は茫茫としても辺際があり、太上は浩浩としても形象がある。天地の綱を得て、陰陽の房を知り、精神の蔵を見れば、気数を奪うことができ、性命を救活でき、天地を反覆できる。

心變

心変

至淫者化為婦人,至暴者化為猛虎,心之所變,不得不變。是故樂者其形和,喜者其形逸,怒者其形剛,憂者其形戚。斯亦變化之道也。小人由是知顧六尺之軀,可以為龍蛇,可以為金石,可以為艹木。大哉斯言!

極めて淫の者は婦人に化し、極めて暴の者は猛虎に化する。心の変ずる所は、変ぜざるを得ない。だから楽の者は形が和らぎ、喜の者は形が安逸し、怒の者は形が剛になり、憂の者は形が戚となる。これも変化の道だ。小人はここからこの六尺の躯を看顧すれば、龍蛇に変じることができ、金石に変じることができ、草木に変じることができると知る(底本「艹木」)。この言葉はなんと大きいことか。

珠玉

珠玉

悲則雨淚,辛則雨涕;憤則結癭,怒則結疽。心之所欲,氣之所屬,無所不育。邪苟為此,正必為彼。是以大人節悲辛,誡憤怒;得灝氣之門,所以收其根;知元神之囊,所以韜其光;若蚌內守,若石內藏,所以為珠玉之房。

悲しめば涙が落ち、辛ければ涕が落ちる。憤れば癭が結び、怒れば疽が結ぶ。心の欲する所、気の帰属する所は、生育しないものがない。邪がもしこれを為せば、正がかならずあれを為す。だから大人は悲辛を節制し、憤怒を警戒する。灝気の門を得て、その根を収斂し、元神の嚢を知って、その光を韜蔵する。蚌が内に守るように、石が内に蔵するようにして、珠玉の房となる。

蠮螉

蠮螉

夫蠮螉之蟲,孕螟蛉之子,傳其情,交其精,混其氣,和其神。隨物大小,俱得其真。蠢動無定情,萬物無定形。小人由是知馬可使之飛,魚可使之馳,土木偶可使之有知,嬰兒似乳母,斯道不遠矣。

蠮螉という虫は、螟蛉の子を我が子として、その情を伝え、その精を交え、その気を混ぜ、その神を和する。物の大小に随って、みなその真を得る。蠢動の物に一定の情はなく、万物に一定の形はない。小人はここから馬を飛ばすことができ、魚を走らせることができ、土木の偶に知を持たせることができると知る。嬰児が乳母に似るのは、この道が遠くないからだ。

胡夫

胡夫

胡夫而越婦,其子髯面而矬足;蠻夫而羌婦,其子抝鼻而昂首。梨接桃而本強者其實毛,梅接杏而本強者其實甘。以陰孕陽,以柔孕剛,以曲孕直,以短孕長,以大孕小,以圓孕方,以水孕火,以丹孕黃。小人由是知可以為金石,可以為珠玉,可以為異類,可以為怪狀,造化之道也。

胡の夫が越の婦に配すれば、子は顔に鬚があり脚は矮短になる。蛮の夫が羌の婦に配すれば、子は鼻が歪み頭が高く仰ぐ。梨を桃に接いで本が強ければ、果実に毛がある。梅を杏に接いで本が強ければ、果実が甘い。陰をもって陽を孕み、柔をもって剛を孕み、曲をもって直を孕み、短をもって長を孕み、大をもって小を孕み、円をもって方を孕み、水をもって火を孕み、丹をもって黄を孕む。小人はここから金石を成すことができ、珠玉を成すことができ、異類を成すことができ、怪状を成すことができると知る。これが造化の道だ。

陰陽

陰陽

陰陽相搏,不根而生芝菌;燥溼相育,不母而生蝤蠐。是故世人體陰陽而根之,斆燥溼而母之,無不濟者。小人由是知陶煉五行,火之道也;流行無窮,水之道也;八卦環轉,天地之道也;神物乃生,變化之道也。是以君子體物而知身,體身而知道。夫大人之道幽且微,則不知其孰是孰非。

陰陽が相搏てば、根なきも芝菌を生じ、燥湿が相育てば、母なきも蛴螬を生ず。だから世人は陰陽を察してその根となし、燥湿を法ってその母となせば、済らないことはない。小人はここから陶錬五行は火の道、流行無窮は水の道、八卦環転は天地の道、神物ここに生ずるは変化の道と知る。だから君子は物を察して身を知り、身を察して道を知る。大人の道は幽深微細にして、どれが是でどれが非か知られない。

海魚

海魚

海魚有以蝦為目者,人皆笑之。殊不知古人以囊螢為燈者,又不知晝非日之光則不能馳,夜非燭之明則有所欺。觀傀儡之假而不自疑,嗟明友之逝而不自悲,賢興愚莫知,唯抱純白、養太玄者,不入其機。

海の魚に、蝦を目にするものがある。人はみなそれを笑う。古人は袋に螢火を入れて灯としたことを知らず、また昼は日の光なくては奔れず、夜は燭の明なくては欺瞞されることを知らない。傀儡の假を見ても自らを疑わず、朋友の逝くを歎きても自らを悲しまず、賢か愚か誰も知らない。ただ純白を抱き、太玄(幽深難測)を養う者だけが、あの機に落ちない。

磵松

磵松

磵松所以能凌霜者,藏正氣也;美玉所以能犯火者,蓄至精也。是以大人晝運靈旗,夜錄神芝(宋本、元本作:晝運生靈,夜錄神鬼),覺所不覺,思所不思,可以冬御風而不寒,夏御火而不熱。故君子藏正氣者,可以遠鬼神、伏奸佞;蓄至精者,可以福生靈、保富壽。夫何為?多少之故也。

磵辺の松が霜を凌げるのは、正気を蔵しているからだ。美玉が火を犯せるのは、至精を蓄えているからだ。だから大人は昼に靈旗を運転し、夜に神芝を登録し(宋本・元本は「昼運生霊、夜録神鬼」)、彼の覚えざるを覚え、彼の思わざるを思えば、冬に風を駕しても寒からず、夏に火を御しても熱からない。だから君子で正気を蔵する者は、鬼神を遠ざけ奸佞を降伏できる。至精を蓄える者は、生霊を福佑し富寿を保全できる。何によるか。多少の故だけだ。

動靜

動靜

動靜相磨,所以化火也;燥溼相蒸,所以化水也;水火相勃,所以化雲也;湯盎投井,所以化雹也;飲水雨日,所以化虹霓也。小人,由是知陰陽可以召,五行可以役,天地可以別構,日月可以我作。有聞是言者,必將以為誕。夫民之形也,頭圓而足方,上動而下靜,五行運於內,二曜明於外。斯亦別構之道也。

動靜が相磨ぐから火に化し、燥湿が相蒸すから水に化し、水火が相激するから雲に化する。熱湯の盆を井に投げれば雹に化し、飲んだ水が雨と日に対すれば虹蜺に化する。小人はここから陰陽を召すことができ、五行を役使でき、天地を別に構造でき、日月を我が作り出せると知る。この言を聞く者は、必ず荒誕と思うだろう。しかし人の形は、頭が円く脚が方く、上が動き下が靜かで、五行が内に運転し、日月が外に照明する。これも別に構造する理だ。

聲氣

聲氣

操琴瑟之音,則翛然而閒;奏鄧衛之音,則樂然而逸;碎瓴甓之音,則背膂凜森;撾鼓鼙之音,則鴻毛躑躅,其感激之道也如是。以其和也,召陽氣,化融風,生萬物也。其不和也,作陰氣,化厲風,辱萬物也。氣由聲也,聲由氣也,氣動則聲發,聲發則氣振,氣振則風行而萬物變化也。是以風雲可以命,霜雹可以致,鳳凰可以歌,熊羆可以舞,神明可以友,用樂之術也甚大。

琴瑟の音を奏でれば翛然として閑適になり、鄭衛の音を演じれば樂然として安逸になる(底本「鄧衛」の「鄧」は「鄭」に作るべき)。瓴甓を打ち碎く音を聴けば脊背が凜森となり、鼓鼙を擂る音を聴けば鴻毛のように躑躅する。感応激盪の理はこのようだ。和なるがゆえに陽氣を召して融風に化し、萬物を生育する。不和なるがゆえに陰氣を興して厲風に化し、萬物を挫辱する。氣は聲由り、聲は氣由り、氣動けば聲發し、聲發すれば氣振い、氣振えば風行して萬物變化する。だから風雲を命令でき、霜雹を招致でき、鳳凰に歌わせ、熊羆に舞わせ、神明と交友できる。樂を用いる法術は非常に大きい。

大同

大同

虛含虛,神含神,氣含氣,明含明,物含物。達此理者,情可以通,形可以同。同於火者化為火,同於水者化為水,同於日月者化為日月,同於金石者化為金石。唯大人無所不同,無所不化,足可以與虛皇並駕。

虚は虚を含み、神は神を含み、氣は氣を含み、明は明を含み、物は物を含む。この理に達する者は、情が通じ、形が同じくできる。火に同じければ火に化し、水に同じければ水に化し、日月に同じければ日月に化し、金石に同じければ金石に化する。ただ大人のみ同じからないものなく、化しないものなく、虚皇と竝駕するに足る。

帝師

帝師

鏡非求鑑於物,而物自投之;橐非求飽於氣,而氣自實之。是故鼻以虛受臭,耳以虛受聲,目以虛受色,舌以虛受味。所以心同幽冥,則物無不受;神同虛無,則事無不知。是以大人奪其機,藏其微,羽符至怪,陰液甚奇,可以守國,可以救時,可以坐為帝王之師。

鏡は物を照らしに求めないのに、物は自ら投じ上がる。風箱は氣を充滿させに求めないのに、氣は自らそれを充実する。だから鼻は虚をもって氣味を受け、耳は虚をもって聲を受け、目は虚をもって色を受け、舌は虚をもって味を受ける。だから心が幽冥と同じければ、受けられない物はなく、神が虚無と同じければ、知らない事はない。だから大人はその機を奪い、その微を蔵する。羽符は極めて怪しく、陰液は極めて奇で、國を守ることができ、時を救うことができ、坐して帝王の師となることができる。

琥珀

琥珀

琥珀不能呼腐芥,丹砂不能入焦金,磁石不能取憊鐵,元氣不能發陶爐。所以大人善用五行之精,善奪萬物之靈,食天人之祿,駕風馬之榮。其道也在忘其形而求其情。

琥珀は腐れた芥を召せず、丹砂は焦げた金に入らず、磁石は疲れた鐵を吸わず、元氣は陶爐を動かせない。だから大人は五行の精を善く用い、萬物の靈を善く奪い、天人の祿を食み、風馬の榮を駕する。この道は、形を忘れてその情を求めることにある。

卷三德化

巻三 德化

五常

五常

儒有講五常之道者,分之為五事,屬之為五行,散之為五色,化之為五聲,俯之為五嶽,仰之為五星,物之為五金,族之為五靈,配之為五味,感之為五情。所以聽之者若酰雞之遊太虛,如井蛙之浮滄溟,莫見其鴻蒙之涯,莫測其浩渺之程。日暮途遠,無不倒行。殊不知五常之道一也,忘其名則得其理,忘其理則得其情。然後牧之以清靜,棲之以杳冥,使混我神氣,符我心靈。若水投水,不分其清;若火投火,不間其明。是謂奪五行之英,盜五常之精,聚之則一芥可包,散之則萬機齊亨。其用事也如酌醴以投器,其應物也如懸鏡以鑑形。於是乎變之為萬象,化之為萬生,通之為陰陽,虛之為神明。所以運帝王之籌策,代天地之權衡,則仲尼其人也。

儒者に五常の道を講ずる者があって、それを分けて五事とし、五行に歸屬し、散じて五色となり、化して五聲となり、俯して五嶽を成し、仰いで五星を成し、物化して五金となり、族類して五靈となり、配して五味となり、感じて五情となる。聽く者は蠛蠓が太虚を遊ぶよう、井蛙が滄溟に浮かぶようで、鴻濛の辺際を見ず、浩渺の路程を測らない。日暮れて途遠く、倒行しない者がない。殊に知らないのは、五常の道は一だということ。名稱を忘れれば理を得、理を忘れれば情を得る。然して後に清静をもって牧養し、杳冥をもって安棲させ、我が神氣に混同させ、我が心靈に符契させる。水を水に投げるように、清濁を分かたず、火を火に投げるように、光明を間隔しない。これを五行の英華を奪い、五常の精を盗むと言う。聚めれば一粒の芥も包み、散じれば萬機が一齊に亨通する。その事を用いるは醴酒を器皿に酌むように、その物に應ずるは鏡を懸けて形を鑑るように。ここに變じて萬象となり、化して萬生となり、通じて陰陽となり、虚して神明となる。だから帝王の籌策を運し、天地の權衡を代わることができる。あれは仲尼という人だ。

飛蛾

飛蛾

天下賢愚,營營然若飛蛾之投夜燭,蒼蠅之觸曉窗。知往而不知返,知進而不知退。而但知避害而就利,不知聚利而就害。夫賢於人而不賢於身,何賢之謂也?博於物而不博於己,何博之謂也?是以大人利害俱忘,何往不臧?

天下の賢愚は、營營として飛蛾が夜燭に投ずるよう、蠅が曉窓に撞くようだ。往くを知って返るを知らず、進むを知って退くを知らない。ただ害を避け利に就くことを知って、利を聚めればすなわち害に就くことを知らない。人に賢であって自らに賢でなければ、何を賢と言うか。物に博であって自らに博でなければ、何を博と言うか。だから大人は利害を皆忘れる。どこに至って善くないことがあろうか。

異心

異心

虎踞於林,蛇遊於澤,非鴟鳶之讎;鴟鳶從而號之,以其蓄異心之故也。牛牧于田,豕眠於圃,非烏鵲之馭;烏鵲從而乘之,以其無異心之故也。是故麟有利角,眾獸不伏;鳳有利觜,眾鳥不賓;君有奇智,天下不臣。善馳者終於蹶,善鬥者終於敗。有數則終,有智則窮。巧者為不巧者所使,詐者為不詐者所理。

虎が林に蹲り、蛇が沢に游ぶのは、鴟鳶の仇敵ではない。ところが鴟鳶はついてきて号叫する。異心を蓄えているからだ。牛が田で草を食み、豚が圃で寝るのは、烏鵲の乗騎ではない。ところが烏鵲はついてきて乗る。異心がないからだ。だから麒麟に利角があっても、衆獣は降伏しない。鳳凰に利嘴があっても、衆鳥は賓服しない。君主に奇智があっても、天下は臣と称しない。善く走る者は終に蹶き、善く闘う者は終に敗れる。術数あれば終わり、智巧あれば窮まる。巧なる者は不巧なる者に使われ、詐なる者は不詐なる者に治められる。

弓矢

弓矢

天子作弓矢以威天下,天下盜弓矢以侮天子。君子作禮樂以防小人,小人盜禮樂以僭君子。有國者好聚斂,蓄粟帛、具甲兵以御賊盜,賊盜擅甲兵、踞粟帛以奪其國,或曰:“安危德也。”又曰:“興亡數也。”苟德可以恃,何必廣粟帛乎?苟數可以憑,何必廣甲兵乎?

天子が弓矢を作って天下を威しても、天下は弓矢を盗んで天子を侮慢する。君子が礼楽を作って小人を防いでも、小人は礼楽を盗んで君子を僭越する。国を有する者が聚斂を好み、粟帛を蓄積し甲兵を備えて賊盗を禦いでも、賊盗は甲兵を擅用し粟帛を占拠してその国を奪う。ある人は言う、「安危は徳にあり」と。また言う、「興亡は数にあり」と。もし徳が仗恃できるなら、何で粟帛を広く積む必要があろう。もし数が憑依できるなら、何で甲兵を広く備える必要があろう。

聰明

聡明

無所不能者,有大不能;無所不知者,有大不知,夫忘弓矢然後知射之道,忘策轡然後知馭之道,忘弦匏然後知樂之道,忘智慮然後知大人之道。是以天下之主,道德出於人;理國之主,仁義出於人;亡國之主,聰明出於人。

能くないものない者には大いなる不能があり、知らないものない者には大いなる不知がある。弓矢を忘れて然後に射の道を知り、鞭轡を忘れて然後に御の道を知り、弦匏を忘れて然後に楽の道を知り、智慮を忘れて然後に大人の道を知る。だから天下の主は、道徳が人に出る。治国の主は、仁義が人に出る。亡国の主は、聡明が人に出る。

有國

有国

有國之禮,享郊廟,敬鬼神也;亹龜策占吉凶也。敬鬼神,信禍福之職也;占吉凶,信興亡之數也。柰何有大不信,窮民之力以為城郭,奪民之食以為儲蓄?是福可以力取,是禍可以力敵;是疑貳於鬼神,是欺惑於龜策,是不信於天下之人;斯道也,賞不足勸,罰不足懼,國不足守。

有国の礼は、郊廟を享祭するのが鬼神を敬うことで、亀策を陳列して吉凶を問卜する。鬼神を敬うのは、禍福の職分を信じること。吉凶を問卜するのは、興亡の気数を信じること。奈何にも大いなる不信がある:民力を窮めて城郭を築き、民食を奪って儲蓄を為すとは。これは福は力をもって取れる、禍は力をもって敵できると思うことだ。これは鬼神に疑貳し、亀策に欺惑し、天下の人に信じないことだ。この道は、賞しても勧むに足らず、罰しても懼れに足らず、国は守るに足らない。

黃雀

黄雀

黃雀之為物也,日遊於庭,日親於人而常畏人,而人常撓之。玄鳥之為物也,時遊於戶,時親於人而不畏人,而人不撓之,彼行促促,此行佯佯;彼鳴啾啾,此鳴鏘鏘;彼視矍矍,此視汪汪;彼心慼慼,此心堂堂。是故疑人者為人所疑,防人者為人所防。君子之道,仁與義、中與正,何憂何害!

黄雀という物は、日々庭院に游び、日々人に親しみながら常に人を怕れる。人もまた常にそれを擾す。燕という物は、時には門戸に游び、時には人に親しんで人を怕れない。人もまたそれを擾さない。あれは行くに促促、このは行くに佯佯。あれは鳴くに啾啾、このは鳴くに鏘鏘。あれは見るに矍矍、このは見るに汪汪。あれは心に戚戚、このは心に堂堂。だから人を疑う者は人に疑われ、人を防ぐ者は人に防がれる。君子の道は、仁と義、中と正。何の憂があろう、何の害があろう。

籠猿

籠猿

籠中之猿,踴躍萬變不能出於籠;匣中之虎,狂怒萬變不能出於匣;小人之機,智慮萬變不能出於大人之道。夫大人之道,如地之負,如天之垂。無日不怨,無人不欺,怨不我怒,欺不我夷,然後萬物知其所歸。

籠中の猿は、踊躍して万変しても籠を出られない。匣中の虎は、狂怒して万変しても匣を出られない。小人の機巧は、智慮して万変しても大人の道を出られない。大人の道は、地のように承載し、天のように垂覆する。一日として怨まない日はなく、一人として欺かない人はないが、怨まれても我を怒らせず、欺かれても我を傷つけない。然後に万物は帰宿を知る。

常道

常道

仁義者常行之道,行之不得其術,以至於亡國。忠信者常用之道,用之不得其術,以至於獲罪。廉潔者常守之道,守之不得其術,以至於暴民。財辯者常御之道,御之不得其術,以至於罹禍。蓋拙在用於人,巧在用於身。使民親稼則怨,誡民輕食則怒。夫餌者魚之嗜,羶者蟻之慕,以餌投魚魚必以懼,以羶投蟻蟻必去,由不得化之道。

仁義は常行の道だが、行がその術を得なければ、亡国に至る。忠信は常用の道だが、用がその術を得なければ、罪を獲るに至る。廉潔は常守の道だが、守がその術を得なければ、百姓を暴虐するに至る。財弁は常御の道だが、御がその術を得なければ、禍に遭うに至る。拙は人を用うるに在り、巧は身を用うるに在り。民を稼穡に親しませれば民は怨み、食を軽んじよと誡めれば民は怒る。餌は魚の嗜むところ、羶は蟻の慕うところだが、餌を魚に投げれば魚は必ず恐懼し、羶を蟻に投げれば蟻は必ず離れる。化の道を得ていないからだ。

感喜

感喜

感父之慈,非孝也;喜君之寵,非忠也。感始於不感,喜始於不喜。多感必多怨,多喜必多怒。感喜在心,由物之有毒,由蓬之藏火,不可不慮。是以君子之業,爵之不貴,禮之不大,親之不知,疏之不疑,辱之不得,何感喜之有。

父の慈に感激するのは孝ではなく、君主の寵を喜ぶのは忠ではない。感は感ない所から始まり、喜は喜ばない所から始まる。感多ければ必ず怨多く、喜多ければ必ず怒多い。感喜は心の中にあって、物の中に毒があるよう、蓬草の中に火を蔵するようだ。慮らざるべからず。だから君子の事業は、爵位を与えられても貴ばず、礼遇を与えられても大とせず、親しまれても知らず、疎まれても疑わず、侮辱されても得ない。何の感喜があろうか。

太醫

太医

太醫之道,脈和而實者為君子,生之道也;撓而浮者為小人,死之道也。太卜之道,策平而慢者為君子,吉之道也;曲而利者為小人,兇之道也。以是論之,天下之理一也,是故觀其國,則知其臣;觀其臣,則知其君;觀其君,則知其興亡。臣可以擇君而仕,君可以擇臣而任。夫揖讓可作而躁靜不可作,衣冠可詐而形器不可詐,言語可文而聲音不可文。

太医の道は、脈が和で実なるは君子、生の道。撓れて浮なるは小人、死の道。太卜の道は、策が平らかで慢なるは君子、吉の道。曲がりて利なるは小人、凶の道。これをもって論ずれば、天下の理は一だ。だからその国を見ればその臣を知り、その臣を見ればその君を知り、その君を見れば興亡を知る。臣は君を択んで出仕することができ、君は臣を択んで任用することができる。揖譲は做作できるが、躁靜は做作できない。衣冠は詐れるが、形器は詐れない。言語は文飾できるが、聲音は文飾できない。

讒語

讒語

藏於人者謂之機,奇於人者謂之謀。殊不知道德之機,眾人所知;仁義之謀,眾人所無。是故有賞罰之教則邪道進,有親疏之分則小人入。夫棄金於市,盜不敢取;詢政於朝,讒不敢語,天下之至公也。

人に蔵するを機と言い、人に奇特なを謀と言う。殊に知らないのは、道徳の機は衆人が皆知っているが、仁義の謀は衆人にないことだ。だから賞罰の教があれば邪道が入り、親疎の分別があれば小人が入る。金子を集市に棄てれば、盗も敢えて取らない。朝廷上で政事を問えば、讒人も敢えて言わない。これが天下の至公だ。

刻畫

刻畫

畫者不敢易於圖象,苟易之,必有咎。刻者不敢侮於本偶,苟侮之,必貽禍。始製作於我,又要敬於我,又置禍於我。是故張機者用於機,設險者死於險,建功者辱於功,立法者罹於法。動一竅則百竅相會,舉一事則萬事有害,所以機貴乎明,險貴乎平,功貴乎無狀,法貴乎無象。能出刻畫者,可以名之為大象。

畫を畫く者は圖像を改易するを敢えてしない。改易すれば、必ず咎害がある。刻る者は木偶(底本「本偶」の「本」は「木」に作るべき)を侮慢するを敢えてしない。侮慢すれば、必ず禍を留める。始めは我が作ったのに、また我に敬わせ、また禍を我の身に加える。だから機關を張設する者は機關に死し、險を設ける者は險に死し、功を建てる者は功に辱められ、法を立てる者は法に罹る。一竅を動かせば百竅が相會し、一事を擧げれば萬事が害ある。だから機は明に貴し、險は平に貴し、功は形狀なきに貴し、法は跡象なきに貴し。刻畫を超出できる者は、これを大像と稱できる。

酒醴

酒醴

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.