化书 · 第3巻
夫酒醴者,迫之飲愈不飲,恕之飲愈欲飲。是故抑人者人抑之,容人者人容之;貸其死者樂其死,貸其輸者樂其輸。所以民盜君之德,君盜民之力。能知反覆之道者,可以居兆民之職。
酒醴という物は、逼って飲ませるほど飲まず、寛くして飲ませるほど飲みたがる。だから人を抑壓する者は人に抑壓され、人を寛容する者は人に寛容される。彼を死に寛貸する者は樂んで死に、彼を輸に寛貸する者は樂んで輸にする。だから民は君の德を盜み、君は民の力を盜む。反覆の道を知る者は、兆民を治める職分を擔當できる。
恩賞
恩賞
侯者人所貴,金者人所重,眾人封公而得侯者不美,眾人分玉而得金者不樂。是故賞不可妄行,恩不可妄施。其當也由為爭奪之漸,其不當也即為亂亡之基。故我自卑則賞不能大,我自儉則恩不得奇。歷觀亂亡之史皆驕侈,恩賞之所以為也。
侯は人の貴ぶところ、金は人の重んずるところ。衆人が公に封じられて侯のみ得れば美しからず、衆人が玉を分かちて金のみ得れば樂しまず。だから賞は妄りに行えず、恩は妄りに施せない。當を得てもなお爭奪の開端で、當を得なければ乱亡の根基である。だから我自ら謙卑すれば、賞は大きくできない。我自ら節儉すれば、恩は奇しくできない。亂亡の史書を歴觀すれば、みな驕侈で、まさに恩賞の致すところだ。
養民
養民
民不怨火而怨使之禁火,民不怨盜而怨使之防盜。是故濟民不如不濟,愛民不如不愛。天有雨露,所以招其怨;神受禱祝,所以招其謗。夫禁民火不如禁心火,防人盜不如防我盜,其養民也如是。
民は火を怨まず、彼らに火を禁じさせた者を怨む。民は盜を怨まず、彼らに盜を防がせた者を怨む。だから民を救濟するは救濟しないに如かず、民を愛するは愛しないに如かず。天に雨露があれば、怨を招く。神が禱祝を受ければ、謗を招く。民の火を禁ずるは心火を禁ずるに如かず、人の盜を防ぐは我盜を防ぐに如かず。民を養うはこのようだ。
卷四仁化
巻四 仁化
得一
得一
曠然無為之謂道,道能自守之謂德,德生萬物之謂仁,仁救安危之謂義,義有去就之謂禮,禮有變通之謂智,智有誠實之謂信,通而用之之謂聖。道,虛無也,無以自守,故授之以德。德,清靜也,無以自用,故授之以仁。仁用而萬物生,萬物生必有安危,故授之以義。義濟安拔危,必有臧否,故授之以禮。禮秉規持範,必有疑滯,故授之以智。智通則多變,故授之以信,信者,成萬物之道也。
曠然無為(主觀の意志で強く干渉せず、事物にその本性のままに運行させる。何もしないことではない)を道と言い、道が自ら守れるを德と言い、德が萬物を生ずるを仁と言い、仁が安危を救うを義と言い、義に去あるを禮と言い、禮に變通あるを智と言い、智に誠實あるを信と言い、貫通して運用するを聖と言う。道は虚無で、自ら守る法がない。だから德を授ける。德は清静で、自ら用いる法がない。だから仁を授ける。仁を用いれば萬物が生じ、萬物生じれば必ず安危がある。だから義を授ける。義は安を濟い危を拔くが、必ず臧否がある。だから禮を授ける。禮は規矩を秉持するが、必ず疑滯がある。だから智を授ける。智は通じれば多變する。だから信を授ける。信は、萬物を成就する道である。
五行
五行
道德者,天地也。五常者,五行也。仁,發生之謂也,故君於木。義,救難之謂也,故君於金。禮,明白之謂也,故君於火。智,變通之謂也,故君於水。信,愨然之謂也,故君於土。仁不足則義濟之,金伐木也。義不足則禮濟之,火伐金也。禮不足則智濟之,水伐火也。智不足則信濟之,土伐水也。始則五常相濟之業,終則五常相伐之道,斯大化之往也。
道徳は天地であり、五常は五行である。仁は發生の義だから木に屬する。義は救難の義だから金に屬する。禮は明白の義だから火に屬する。智は變通の義だから水に屬する。信は誠懇の義だから土に屬する。仁足らなければ義が濟しに來る。金が木を伐つ。義足らなければ禮が濟しに來る。火が金を伐つ。禮足らなければ智が濟しに來る。水が火を伐つ。智足らなければ信が濟しに來る。土が水を伐つ。始めは五常が相濟する事業、終わりは五常が相伐する道理。これが大化の往復である。
畋漁
畋漁
夫禽獸之於人也何異?有巢穴之居,有夫婦之配,有父子之性,有死生之情。烏反哺,仁也;隼憫胎,義也;蜂有君,禮也;羊跪乳,智也;雉不再接,信也。孰究其道?萬物之中,五常百行無所不有也,而教之為綱罟,使之務畋漁。且夫焚其巢穴,非仁也;奪其親愛,非義也;以斯為享,非禮也;教民殘暴,非智也;使萬物懷疑,非信也。夫羶臭之慾不止,殺害之機不已。羽毛雖無言,必狀我為貪狼之與封豕;鱗介雖無知,必名我為長鯨之與巨虺也。胡為自安,焉得不恥?籲!直疑自古無君子。
禽獣は人と何が違うか。巣穴の居処があり、夫婦の匹配があり、父子の天性があり、死生の情がある。烏が反哺するのは仁、隼が胎を憐れむのは義、蜂に君あるのは礼、羊が跪いて乳を飲むのは智、雉が再び交尾しないのは信である。誰がこの道を追究したことがあろう。万物の中に、五常百行は有らないものがないのに、人を教えて網罟を作らせ、畋猟漁撈に従事させる。その巣穴を焼くは仁ではなく、その親愛を奪うは義ではなく、これをもって享祭するは礼ではなく、民を教えて残虐にするは智ではなく、万物を疑わせるは信ではない。羶臭の欲は停まらず、殺害の機心は已まない。羽毛のものは言無くとも、必ず我を貪狼封豕と見、鱗甲のものは知無くとも、必ず我を長鯨巨虺と呼ぶ。何で自安できるか、どうして羞恥しないか。嗚呼、古来君子がいなかったのではと疑うほどだ。
犧牲
犧牲
犧牲之享,羔雁之薦,古之禮也。且古之君子,非不知情之憂喜、聲之哀樂能動天地、能感鬼神。刀杌前列,則憂喜之情可知矣;鷹犬齊至,則哀樂之聲可知矣。以是祭天地,以是禱神明,天地必不享,苟享之必有咎;神明必不歆,苟歆之必有悔。所以知神龍見,喪風雲之象也;鳳凰來,失尊戴之象也;麒麟出,亡國土之象也。觀我之義,禽必不義也;以彼為祥,禽必不祥也。
犧牲の享祭、羔雁の進獻は、古の禮である。古の君子は、情の憂喜、聲の哀樂が天地を感動し鬼神を感通することを知らなかったのではない。刀俎が前に陳列すれば、憂喜の情は知れる。鷹犬が一齊に至れば、哀樂の聲は知れる。これをもって天地を祭り、これをもって神明を禱れば、天地は必ず享けず、享ければ必ず咎害があり、神明は必ず歆享せず、歆享すれば必ず悔恨がある。だから神龍の出現は、風雲を失う象、鳳凰の到來は、尊戴を失う象、麒麟の出るは、國土を亡す象と知る。我らの義を見れば、禽は必ず不義と思い、彼らを祥瑞とすれば、禽は必ず不祥と思う。
太和
太和
非兔狡,獵狡也;非民詐,吏詐也。慎勿怨盜賊,盜賊惟我召;慎勿怨叛亂,叛亂稟我教。不有和睦,焉得仇讎;不有賞勸,焉得鬥爭。是以大人無親無疏,無愛無惡,是謂太和。
兎が狡いのではなく、猟する人が狡いのだ。民が詐欺なのではなく、吏が詐欺なのだ。盗贼を怨むことなかれ。盗贼は我が召したものだ。叛乱を怨むことなかれ。叛乱は我の教導を禀承したものだ。和睦なければ、何の仇敵があろう。賞勸なければ、何の鬥爭があろう。だから大人は親なく疏なく、愛なく惡なし。これを太和と言う。
墨魚
墨魚
海魚有吐墨水上庇其身而遊者,人因墨而漁之。夫智者多屈,辯者多辱,明者多蔽,勇者多死。扃鐍固,賊盜喜;忌諱嚴,敵國幸。禁可以越者,號也;兵可以奪者,符也。蜀敗於山,晉敗於馬。夫大人之機,道德仁義而已矣。
海の魚に、墨を吐いて身を遮りて游ぶものがある。人はその墨によってそれを捕える。智の者多く屈し、辯の者多く辱し、明の者多く蔽れ、勇の者多く死す。門は鎖すれば鎖するほど固く、盗贼は喜び、忌諱は嚴にすればするほど敵國は慶幸する。禁令で越えられるは名號、兵權で奪われるは符節。蜀は山で敗れ、晉は馬で敗れた。大人の機は、ただ道徳仁義だけだ。
神弓
神弓
譽人者人譽之,謗人者人謗之,是以君子能罪己,斯罪人也;不報怨,斯報怨也。所謂神弓鬼矢,不張而發,不注而中。天得之以假人,人得之以假天下。
人を稱譽する者は人に稱譽され、人を毀謗する者は人に毀謗される。だから君子は自らに罪を歸することができる。これが人に罪を歸するだ。怨に報いない、これが怨に報いるだ。いわゆる神弓鬼箭は、張らずして發し、瞞らずして中る。天がそれを得て人に假し、人がそれを得て天下に假す。
救物
救物
救物而稱義者,人不義之;行惠而求報者,人不報之。民之情也,讓之則多,爭之則少,就之則去,避之則來;與之則輕,惜之則奪。是故大義無狀,大恩無象。大義成,不知者荷之;大恩就,不識者報之。
物を救って自ら義と稱する者は、人は彼を義としない。惠を行って報を求める者は、人は彼に報いない。民の情は、讓れば多く、爭えば少なく、湊れば離れ、避ければ來る。與えれば輕んじ、吝惜すれば奪われる。だから大義に形狀なく、大恩に迹象なし。大義が成れば、知らない者がそれを承け、大恩が濟れば、識らない者がそれに報いる。
書道
書道
心不疑乎手,手不疑乎筆,忘手筆,然後知書之道。和暢,非巧也;淳古,非樸也;柔弱,非美也;強梁,非勇也。神之所浴,氣之所沐。是故點策蓄血氣,顧盼含情性。無筆黑之跡,無機智之狀;無剛柔之容,無馳騁之象。若皇帝之道熙熙然,君子之風穆穆然。是故觀之者,其心樂,其神和,其氣融,其政太平,其道無朕。夫何故?見山思靜,見水思動,見雲思變,見石思貞,人之常也。
心が手を疑わず、手が筆を疑わず、手と筆を忘れて、然後に書の道を知る。和暢は巧ではなく、淳古は樸(加工されていない原木で、人為に雕琢されていない本真の狀態の喻)ではなく、柔弱は美ではなく、強梁は勇ではない。神の沐浴する所、氣の浸潤する所。だから點畫に血氣が蓄わり、顧眄に情性が含まれる。筆墨の痕迹なく、機智の形狀なく、剛柔の容貌なく、馳騁の迹象なし。皇帝の道は熙熙然、君子の風は穆穆然。だから觀る者は、心樂し、神和し、氣融け、政事太平で、道に朕兆なし。なぜか。山を見れば靜を思い、水を見れば動を思い、雲を見れば變を思い、石を見れば貞固を思う。これが人の常情だ。
鳳鴟
鳳鴟
鳳不知美,鴟不知惡,陶唐氏不知聖,有苗氏不知暴。使陶唐氏恃其聖,非聖也;有苗氏知其暴,不暴也。眾人皆能寫人之形,而不能寫己之形;皆能求人之惡,而不能求己之惡;皆能知人之禍,而不能知己之禍。是以大人聽我聲,察我色,候我形,伺我氣,然後知人之情偽。
鳳凰は自ら美を知らず、鴟は自ら惡を知らず、陶唐氏は自ら聖を知らず、有苗氏は自ら暴を知らない。もし陶唐氏がその聖を仗恃すれば、聖ではない。有苗氏がその暴を知れば、暴ではない。衆人はみな他人の形を描畫できるが、自らの形を描畫できない。みな他人の惡を求められるが、自らの惡を求められない。みな他人の禍を知れるが、自らの禍を知れない。だから大人は我の聲を聽き、我の色を察し、我の形を候い、我の氣を伺って、然後に人情の真僞を知る。
知人
知人
觀其文章,則知其人之貴賤焉;觀其書篆,則知其人之情性焉;聞其琴瑟,則知其人之道德焉;聞其教令,則知其人之吉凶焉。小人由是知唐堯之容淳淳然,虞舜之容熙熙然,伯禹之容蕩蕩然,殷湯之容堂堂然,文王之容巍巍然,武王之容諤諤然,仲尼之容皇皇然。則天下之人,可以自知其愚與賢。
その文章を見れば、その人の貴賤を知る。その書篆を見れば、その人の情性を知る。その琴瑟を聽けば、その人の道徳を知る。その教令を聽けば、その人の吉凶を知る。小人はここから、唐堯の容は淳淳然、虞舜の容は熙熙然、伯禹の容は蕩蕩然、殷湯の容は堂堂然、文王の容は巍巍然、武王の容は諤諤然、仲尼の容は皇皇然と知る。然らば天下の人は、自ら己が愚か賢かを知ることができる。
螻蟻
螻蟻
螻蟻之有君也,一拳之宮,與眾處之;一塊之臺,與眾臨之;一粒之食,與眾蓄之,一蟲之肉,與眾咂之;一罪之疑,與眾戮之。故得心相通而後神相通。神相通而後氣相通,氣相通而後形相通。故我病則眾病,我痛則眾痛,怨何由起,叛何由始?斯太古之化也。
螻蟻にも君がある:一拳大の宮は、衆と同じく處し、一塊大の臺は、衆と同じく臨み、一粒の食は、衆と同じく蓄え、一、一條の蟲の肉は、衆と同じく咂し、一樁の疑いある罪は、衆と同じく戮す。だから心が通じて然後に神が通じ、神が通じて然後に氣が通じ、氣が通じて然後に形が通ず。だから我病めば衆病み、我痛めば衆痛む。怨はどこから起り、叛はどこから始まるか。これが太古の化だ。
歌舞
歌舞
能歌者,不能者聽之;能舞者,不能者觀之;巧者,不巧者辨之;賢者,不賢者任之。夫養木者必將伐之,待士者必將死之。綱之以冠冕,釣之以爵祿。若馬駕車輅,貴不我得;彘食糟糠,肥不我有。是以大人道不虛貴,德不虛守;貧有所倚,進有所恃。退者非樂寒賤,而甘委棄。
歌える者は、歌えない者が聽く。舞える者は、舞えない者が觀る。巧なるは、不巧なるが來り辨認する。賢なるは、不賢なるが來り任用する。木を養う者は必ずそれを伐採し、士に對する者は必ず彼を死なせる。冠冕をもって網羅し、爵祿をもって釣取る。馬が車輅を挽くように、貴は我に輪らず。豬が糟糠を食むように、肥も我のものではない。だから大人の道は空しく貴ばず、德は空しく守らず、貧に倚靠あり、進に仗恃あり。退く者は寒賤を樂しみ委棄に甘んずるのではない。
躑躅
躑躅
躑躅之酒,烏啄之脯,莨菪(宀為廠)之膏,冶葛之乳。初啖之若芥,再啖之若黍,復啖之若丸,又啖之若脯。小人由是知強弩可以漸引,巨鼎可以漸舉,水火可以漸習,虎兕可以漸侶。逆者我所化,辱者我所與,不應者我所命,不臣者我所取。所以信柔馬不可馭,漸賊不可御。得之以為萬化之母。
躑躅で作った酒、烏喙で作った脯、莨菪(底本注:宀を厂に作る)の膏、冶葛の乳。初めて食えば芥のよう、再び食えば黍のよう、また食えば丸のよう、また食えば脯のよう。小人はここから強弩は漸く引ける、巨鼎は漸く擧げられる、水火は漸く習熟できる、虎兕は漸く伴にできると知る。逆うは我の化する所、辱めるは我の與える所、應えざるは我の命令する所、臣たらざるは我の取る所。だから柔馬は駕馭できず、漸く養い成した賊は抵禦できないと確かに知る。これを得て、萬化の母と為す。
止鬥
止鬥
止人之鬥者使其鬥,抑人之忿者使其忿;善救鬥者預其鬥,善解忿者濟其忿。是故心不可伏,而伏之愈亂;民不可理,而理之愈怨。水易動而自清,民易變而自平。其道也在不逆萬物之情。
人の鬪爭を止めるは、かえって彼を鬪わせる。人の忿怒を抑壓するは、かえって彼を忿らせる。鬪を善く救う者は豫めその鬪に入り、忿を善く解く者はその忿を成全する。だから心は壓伏できず、壓伏すればますます亂れる。民は強理できず、強理すればますます怨む。水は動き易きも自ら清く、民は變り易きも自ら平らぐ。この道は、萬物の情に違わないことにある。
象符
象符
術有降萬物之蘊毒者,則交臂鉤指,象之為符。是故若夭矯之勢者鱗之符,若飛騰之勢者羽之符,若偃蹇之勢者毛之符,若拳局之勢者介之符,所以知拱折者人之符。夫拱手者,人必拱之;折腰者,人必折之,禮之本也。而疏之為萬象,別之為萬態。教之蹈舞,非蹈舞也;使之禱祝,非禱祝也,我既寡實,彼亦多虛。而責人之無情,固無情也;而罪禮之無驗,固無驗也。
一種の方術に、萬物の蕴藏する毒を降伏できるものがあって、臂を交差し指を鈎らせて、符の形象を作る。だから夭矯の勢に似るは鱗の符、飛騰の勢に似るは羽の符、偃蹇の勢に似るは毛の符、拳局の勢に似るは介の符。ここから拱手折腰は人の符と知る。拱手する者は、人は必ず彼に拱手する。折腰する者は、人は必ず彼に折腰する。これが禮の根本だ。これを疏散して萬象となし、分別して萬態と為す。人を教えて蹈舞させるは、真の蹈舞ではない。人をして禱祝させるは、真の禱祝ではない。我が旣に實を缺けば、彼もまた虛を多くす。人に無情を責めれば、本來無情。禮に應驗なしを怪せば、本來應驗なし。
善惡
善惡
為惡者畏人識,必有識者;為善者欲人知,必有不知者。是故人不識者,謂之大惡;人不知者,謂之至善。好行惠者恩不廣,務奇特者功不大,善博奕者智不遠,文綺麗者名不久。是以君子惟道是貴,惟德自守,所以能萬世不朽。
惡を為す者は人に認められるを怕れ、必ず認められる者がある。善を為す者は人に知られるを要し、必ず知られない者がある。だから人が認めないを大惡と言い、人が知らないを至善と言う。惠を好んで行う者は恩が廣からず、奇特を務め求める者は功が大ならず、博弈を善くする者は智が遠からず、文辭の綺麗なる者は名が久しからず。だから君子はただ道を以て貴とし、ただ德を以て自ら守る。だから萬世不朽できる。
卷五食化
巻五 食化
七奪
七奪
一日不食則憊,二日不食則病,三日不食則死。民事之急,無甚於食,而王者奪其一,卿士奪其一,兵吏奪其一,戰伐奪其一,工藝奪其一,商賈奪其一,道釋之族奪其一,稔亦奪其一,儉亦奪其一。所以蠶告終而繰葛苧之衣,稼雲畢而飯橡櫟之實。王者之刑理不平,斯不平之甚也;大人之道救不義,斯不義之甚也。而行切切之仁,用慼慼之禮,其何以謝之哉!
一日食えなければ疲れ、二日食えなければ病み、三日食えなければ死ぬ。民事の急は、食に過ぎるものはない。しかるに王者が一份を奪い、卿士が一份を奪い、兵吏が一份を奪い、戦伐が一份を奪い、工藝が一份を奪い、商賈が一份を奪い、道釋の族が一份を奪い、豐年も一份を奪い、歉年も一份を奪う。だから蠶事が畢ってもなお葛苧の衣を繅り、稼事が畢ってもなお橡櫟の實を食う。王者の刑理が公平ならざるは、最も不公平なり。大人の道が不義を救濟するは、最も不義なり。それでいて切切たる仁を行い、戚戚たる禮を用いるとは、何をもって罪を謝するか。
巫像
巫像
為巫者鬼必附之,設像者神必主之,蓋樂所饗也。戎羯之禮,事母而不事父;禽獸之情,隨母而不隨父;凡人之痛,呼母而不呼父,蓋乳哺之教也。虎狼不過於嗜肉,蛟龍不過於嗜血,而人無所不嗜。所以不足則鬥,不與則判,鼓天下之怨,激烈士之忿。食之道非細也。
巫を為す者に鬼は必ず附着し、神像を設立する者に神は必ず來りて主となる。饗祭を樂しむからだ。戎羯の禮は、母を事えて父を事えない。禽獸の情は、母に隨いて父に隨わない。凡人が痛むとき、母を呼んで父を呼ばない。乳哺に敎えられたからだ。虎狼はただ肉を嗜み、蛟龍はただ血を嗜むに過ぎないが、人は嗜まないものがない。だから足らなければ爭鬥し、與えなければ叛離し、天下の怨を鼓動し、烈士の忿を激起する。食の道理は細事ではない。
養馬
養馬
養馬者主,而牧之者親;養子者母,而乳之者親。君臣非所比,而比之者祿也;子母非所愛,而愛之者哺也。駑馬本無知,嬰兒本無機,而知由此始,機由此起。所以有愛惡,所以有彼此,所以稔鬥爭而蓄奸詭。
馬を養うは主人だが、放牧する人の方がより親しい。子を養うは母親だが、哺乳する人の方がより親しい。君臣は本來比すべきものではないが、彼らを比せしめるは祿。子母は本來愛ゆえに親しむのではないが、彼らを相愛せしめるは哺。駑馬は本來知なく、嬰兒は本來機ないが、知はここから始まり、機はここから興る。だから愛惡があり、彼此があり、鬪爭を釀成して奸詭を蓄積する。
絲綸
絲綸
王取其絲,吏取其綸;王取其綸,吏取其綍。取之不已,至於欺罔;欺罔不已,至於鞭撻;鞭撻不已,至於盜竊;盜竊不已,至於殺害;殺害不已,至於刑戮。欺罔非民愛而裒斂者教之,殺害非民原而鞭撻者訓之。且夫火將逼而投於水,知必不免,且貴其緩;虎將噬而投於谷,知必不可,或覬其生。以斯為類,悲哉!
王が絲を取れば吏は綸を取り、王が綸を取れば吏は綍を取る。取ること已まず、欺罔に至る。欺罔已まず、鞭撻に至る。鞭撻已まず、盗窃に至る。盗窃已まず、殺害に至る。殺害已まず、刑戮に至る。欺罔は民の愛する所ではない、聚斂する者の教えだ。殺害は民の本願ではない、鞭撻する者の訓だ。火が將に逼らんとして水に投げ入るは、免れられないと知りつつ、ただ緩めるを求む。虎が將に咬まんとして山谷に投げ入るは、活きられないと知りつつ、或いは生きるを望む。これをもって比類すれば、悲しいかな。
奢僭
奢僭
夫君子不肯告人以飢,恥之甚也。又不肯矜人以飽,愧之甚也。既起人之恥愧,必激人之怨咎,食之害也如是。而金籩玉豆,食之飾也;鼓鍾戛石,食之遊也;張組設繡,食之惑也;窮禽竭獸,食之暴也;滋味厚薄,食之忿也;貴賤精粗,食之爭也。欲之愈不止,求之愈不已,貧食愈不足,富食愈不美。所以奢僭由茲而起,戰伐由茲而始。能均其食者,天下可以治。
君子は人に自ら飢えたと告げるを肯んじない。羞恥の甚しきだ。また人に自ら飽いたと誇るを肯んじない。慚愧の甚しきだ。旣に人の恥愧を引き起こせば、必ず人の怨咎を激する。食の害はこのようだ。金籩玉豆は食の文飾、鼓鍾擊石は食の游樂、組繡を張設するは食の迷惑、禽獸を窮めるは食の暴虐、滋味の厚薄は食の忿爭、貴賤の精粗は食の爭奪。欲望はますます止まず、求取はますます已まず、貧はますます食え足らず、富はますます食え美ならず。だから奢僭はここから起り、戰伐はここから始まる。食を均平できる者は、天下を治めることができる。
燔骨
燔骨
嚼燔骨者,焦唇爛舌不以為痛;飲醇酎者,噦腸嘔胃不以為苦。饞嗜者由忘於痛苦,飢窘者必輕於性命。痛苦可忘,無所不欺;性命可輕,無所不為。是以主者以我欲求人之慾,以我飢求人之飢。我怒民必怒,我怨民必怨。能知其道者,天下胡為乎叛?
燒骨を嚼む者は、唇焦げ舌爛れても痛みと為さず。醇酒を飮む者は、腸胃嘔吐しても苦しみと為さない。饞嗜する者は因りて痛苦を忘れ、飢窘する者は必ず性命を輕んず。痛苦忘れられれば、欺かないものなし。性命輕んぜられれば、為さないことなし。だから事を主る者は、我の欲をもって人の欲を求め、我の飢をもって人の飢を求める。我怒れば民必ず怒り、我怨めば民必ず怨む。この道を知る者は、天下何で叛くことがあろうか。
食迷
食迷
民有嗜食而飽死者,有婪食而鯁死者,有感食而義死者,有辱食而憤死者,有爭食而鬥死者,人或笑之。殊不知官所以務祿,祿所以務食;賈所以務財,財所以務食。而官以矯佞饞讟而律死者,賈以波濤江海而溺死者,而不知所務之端,不知得死之由,而遷怨於輩流,歸咎於江海,食之迷也。
民に食を嗜んで撑死する者あり、食を貪って鯁死する者あり、食のために義を感じて死する者あり、食のために辱を受けて憤死する者あり、食を爭って鬥死する者あり。人は或いは彼らを笑う。殊に知らないのは、官を為すは祿のため、祿は食のため、經商するは財のため、財は食のためだということ。官を為す者は矯佞讒慝で律法に處死され、商人は波濤江海で淹死するが、求むるの開端を知らず、死を得るの原由を知らず、怨を同僚に遷し、咎を江海に歸す。これは食に迷い込んだのだ。
戰欲
戰欲
食之慾也,思鹽梅之狀,則輙有所咽而不能禁;見盤餚之盛,則若有所吞而不能遏。飢思啖牛,渴思飲海。故欲之於人也如賊,人之於欲也如戰。當戰之際,錦繡珠玉不足為富,冠冕旌旗不足為貴,金石絲竹不聞其音,宮室臺榭不見其麗。況民腹常餒,民情常迫,而諭以仁義,其可信乎?講以刑政,其可畏乎?
食の欲望:鹽梅の樣を思えば、すぐに嚥みたくて禁じられず、盤肴の豐盛を見れば、吞む所あるが如くて遏えられない。飢えれば一頭の牛を吞みたく、渴えれば大海を飮み乾したい。だから欲は人に對して賊のごとく、人は欲に對して戰のごとし。戰うときは、錦繡珠玉も富と為すに足らず、冠冕旌旗も貴と為すに足らず、金石絲竹の聲は聞こえず、宮室臺榭の華麗は見えない。況んや民の腹は常に飢え、民情は常に急迫しているのに、仁義をもって曉諭する、能く信じられようか。刑政をもって講ずる、能く怕れられようか。
膠竿
膠竿
執膠竿捕黃雀,黃雀從而噪之;捧盤飱享烏鳥,烏鳥從而告之。是知至暴者無所不異,至食者無所不同。故蛇豕可以友而群,虎兕可以狎而馴,四夷可以率而賓。異族猶若此,況復人之人。
膠竿をもって黃雀を捕えれば、黃雀は隨いて噪叫する。盤餐を捧げて烏鴉を享ければ、烏鴉は隨いて同伴に告知する。ここから至暴は異ならないものなく、至食は同じからないものないと知る。だから蛇と豬は交友して群を成し、虎兕は親しみ驯服し、四夷は率いて賓服させられる。異族ですらこのようだ。況んや人の中の人をや。
庚辛
庚辛
