上巻
《乾鑿度》にいう:天地の気と象がまだ分判されない時を「太易」といい(万物が「玄牝」という幽深の本源に始まることを指す)、元気が萌動し始めたの…
大六壬典籍
まず起課と三伝を発する機械的な流れを確実にしてから、課体と神煞に入る。起課を飛ばして断語だけ読んでも、書中の例を自分で再現できない。
釈天第一
《乾鑿度》曰:氣象未分,謂之太易(謂始生於玄牝)。元氣始萌,謂之太初(陰陽初生)。氣象之端,謂之太始(始有清濁之形)。形變有質,謂之太素(清濁己分)。形質已具,謂之太極(二儀初立)。
《乾鑿度》にいう:天地の気と象がまだ分判されない時を「太易」といい(万物が「玄牝」という幽深の本源に始まることを指す)、元気が萌動し始めたのを「太初」といい(陰陽がここに初生する)、気と象が端緒を顕したのを「太始」といい(清濁を分ける形が始めて有った)、形が変化して質地を具えたのを「太素」といい(清と濁がすでに分かれた)、形と質がすべて完備したのを「太極」という(天地両儀がここに立つ)。本書がこの宇宙生成論を冒頭に置くのは、六壬に根基を立てるためである:太易より太極に至るは、無形より有形へ、混沌より清濁の分立への五つの次第であり、六壬式盤の上に円く動く「天盤」と方く静かな「地盤」とは、まさに「二儀初立」という一層の象を取ったものである。
《釋名》曰:天,坦也,坦然而高遠也。《物理論》曰:水土之氣,升而為天。《桓譚新論》曰:天以為蓋左旋,日月星辰,隨而東西。虞喜曰:天確乎在上,有常安之形,故天行健而不息也。《尚書考靈曜》曰:觀二儀之旋,昏明之時。《禮記》曰:天之道,高也,明也,悠也,久也。《易》曰:天垂象,見吉凶。故後世聖人造式,以楓子為天,圓其質,法天而動,以取其義也。
《釋名》にいう:「天」とは「坦」で、坦蕩として高く遠い。《物理論》にいう:水土の気が昇り、凝り集まって天となる。《桓譚新論》にいう:天は車蓋のごとく左に回転し、日月星辰はそれに随って東より西へ移行する。虞喜にいう:天は確乎として上方に居り、恒常安定の形体があるゆえ、天の運行は剛健にして息まず。《尚書考霊曜》にいう:天地両儀の旋回を観れば、昏・明の時刻を定めることができる。《礼記》にいう:天の道は、高きこと、明きこと、悠遠なりこと、久しきことである。《周易・繋辞》にいう:天は物象を垂示し、その中に吉凶を現す。歴代の天への認識がかくのごとしゆえに、後世の聖人が六壬式盤を制作する時、「楓子」という木料を以て「天盤」とし、その形体を円く作り、天に法って動かすことができるようにした——占課の時に手で回転させるのがこの一片の円盤で、「円にして動」の取義はまさにここにある。
釈地第二
昔大禹觀於洛河而受錄,於寰瀛之內,可得而言也。地有四表四瀆,八紘之外,名為八極,地不足東南。其廣東西二億三萬二千里,其南北三億三萬一千三百里。南北為經,東西為緯。乃曰地有十二辰,王侯之所國也。昔黃帝旁行天下,方制萬里,得百里之國萬區。則《周易》所謂首出庶物,萬國咸寧者也。故後世聖人造式。以棗心為地,方其體。法地而靜,其義在茲爾。
昔、大禹が洛水・黄河の一帯で天象・地形を観察して天賜の図籙を受け、これより海内寰宇の規模に言うべき依拠があった。大地には「四表」(四方の極みの地)・「四瀆」(江・河・淮・済の独立して海に注ぐ四つの大川)があり、八方の辺際以外を「八極」という。大地は東南方に欠缺があるゆえ「地は東南に足らず」という。それは東西の広さ二億三万二千里、南北の長さ三億三万一千三百里で、南北の走向を「経」、東西の走向を「緯」という。ここに大地上に十二辰を分つという、これは王侯が封建され国を受ける処である。昔黄帝は天下を遍く行き、万里の疆域を划定し、方圆百里の封国一万区を得た。これが《周易・乾卦》彖辞のいう「首出庶物、万国咸寧」である。ゆえに後世の聖人が式盤を制作する時、「棗心」の木を以て「地盤」とし、その形体を方く作り、地に法って静止を保つ——占課の時に固定して動かぬがこの一片の方盤である。天は円にして動、地は方にして静、一転一定あって、はじめて神将の加臨が言うべきあり、その取義はまさにここにある。
釈四時第三
《淮南子》曰:天地之道,襲精為陰陽,專精為四時。四時者,春夏秋冬也。
《淮南子》にいう:天地運行の法則は、精気を重ね合わせて陰・陽に分かち、精気を専一に凝聚して四時に分かつ。所谓「四時」とは、春・夏・秋・冬である。四時は陰陽の消長が一年の中の四つの段落であり、六壬が一つの神将の有力・無力を判断するには、それがどの季に落ちるかに拠り、これにより「旺・相・休・囚・死」の五つの気の強弱を定める。ゆえに四時を論ずるは課を断ずる前提である。
春:班固曰:春為少陽也,主東方。東,動也,陽氣動物,於時為春。春,蠢也,萬物之生,蠢然而運動。夏:班固曰:夏為太陽也,主南方。南,任也。陽氣任養萬物,於時為夏。夏,假也,萬物假火乃宣平。
春:班固はいう、春は「少陽」に属し、東方を主管する。「東」とは「動」で、陽気が万物を推動し、時序に落ちれば即ち春である。「春」とは「蠢」で、万物が萌生し、蠢蠢然として動き出す。夏:班固はいう、夏は「太陽」に属し、南方を主管する。「南」とは「任」、即ち担負で、陽気が万物を養い育てる責を担い、時序に落ちれば即ち夏である。「夏」とは「仮」、即ち借助で、万物は火気に藉りてこそ舒展し平和となる。読音相近い字を以て互いに訓釈するは、漢代に時序と干支を解説する通例である。ここに定めた「東方は木に属し動を主る、南方は火に属し養を主る」は、まさに後文が五行を推し月将を取る時に繰り返し用いる底子である。
秋:班固曰:秋,為少陰也,主酉方。西,零也。陰氣零落,於時為秋。秋也(顏師古曰:□,子由切)。萬物收斂乃成熟。冬:班固曰:冬,為太陰也,主北方。北,伏也。陽氣伏於下,於時為冬。冬,終也。萬物終藏,乃不可稱。四季:班固曰:中央者,陰陽之內,四方之中。經緯通達,乃能端直。於四時為四季。土主稼穡蕃息也。
秋:班固はいう、秋は「少陰」に属し、酉の方即ち西方を主管する。「西」とは「零」で、陰気が零落し飄散し、時序に落ちれば即ち秋である。「秋」の字が訓ずる字に至っては、顔師古は反切「子由切」を残すのみ——底本はここに訓せらるる字を脱し、ただ一つの缺文符号のみ存し、別本に拠りて臆補せず。万物はここに至り収斂し聚攏し、ここに成熟する。冬:班固はいう、冬は「太陰」に属し、北方を主管する。「北」とは「伏」で、陽気が下に潜伏し、時序に落ちれば即ち冬である。「冬」とは「終」で、万物が終結して收藏され、すでに形跡あって称説すべからず。四季:班固はいう、中央は陰陽の内・四方の中に処り、経と緯がここに通達してこそ端正にして偏らず。四時に配せば即ち「四季」といい、辰・戌・丑・未の四箇月の土旺の時を指し、土は稼穡と蕃衍生息を主管する。四立の前は各々十八日が土に帰し、この四段の土旺の期は六壬において辰戌丑未四課の取気の依拠であると同時に、「土は四季に寄旺す」という一説の来処でもある。
釈日第四
黃帝遣大撓造甲子,大撓以日之功能生萬物,故隨四時、因萬物而為名,故成陰陽之施化,萬物之始終,十干之象具焉。
黄帝は大撓に命じて「甲子」を創制せしめた、即ち干支の紀法である。大撓は「日」の功用は万物を生育するに在りと考え、ゆえに四時の次序に順い、万物の各段階における形態に拠って十干に命名した。名目が一旦定まれば、陰陽の施行化育、万物の開端と終結はすべてその中に囊括され、十天干の取象もまた斉う。以下、逐字に十干の名を得たる義を解説するが、一律に「万物がこの一步において如何なる状態か」より立論する。読者はこれを字源の考拠と見るべからず、十干各自の性情の説明と当作るべし——占課の時に某干が何事を主るか、何の性格かを判断するに、用いるはまさにこの一層の取象である。
甲:《春秋元命包》曰:甲者,狎也,春即開,冬即合。鄭司農曰:甲者,拆也,萬物甲拆而後出。班固曰:萬物出於甲也。乙:《春秋元命包》曰:乙者,屈也,盤屈芒而欲伸。鄭司農曰:乙,軋也,萬物自軋而出。班固曰:萬物奮軋於乙。丙:《春秋元命包》曰:丙者,明也,言太陽明盛。鄭司農曰:丙,炳也,萬物盛茂,炳然而明。班固曰:萬物明炳於丙。
甲:《春秋元命包》にいう、「甲」とは「狎」、即ち開合の意で、春に張り冬に閉ぢる。鄭司農(後漢の鄭衆)はいう、「甲」とは「拆」、即ち裂くることで、万物の外殻が裂けて、然る後に鑽り出ず。班固はいう、万物は甲この一步より生出す。乙:《春秋元命包》にいう、「乙」とは「屈」で、草芽が盤曲して伸びんと欲す。鄭司農はいう、「乙」とは「軋」、即ち擠壓で、万物は自ら相い擠軋して地面を頂出す。班固はいう、万物は乙この一步に奮力して擠軋し出づ。丙:《春秋元命包》にいう、「丙」とは「明」で、太陽の明亮盛大を指す。鄭司農はいう、「丙」とは「炳」で、万物は繁盛茂密し、光彩顯耀す。班固はいう、万物は丙この一步に明亮顯炳す。三家の訓は用字こそ異なれど指向は一致する:甲は殻を破る、乙は屈して伸ぶ、丙は顯明、一步ごとに外に向かい発揚す。
丁:《春秋元命包》曰:丁者,強也,言萬物此時強盛。鄭司農曰:萬物長養,於此剛強。班固曰:萬物強盛於丁。戊:《春秋元命包》曰:戊者,勉也,土勉勵萬物所生。鄭司農曰:戊、茂也,言萬物於此盛茂。班固曰:萬物豐茂於戊。己:《春秋元命包》曰:己者,甘也,言萬物既生,人皆甘之。鄭司農曰:己者,紀也,言萬物皆有條貫成紀。□□□□□。班固曰:萬物出於甲,終於己也。
丁:《春秋元命包》にいう、「丁」とは「強」で、万物がこの一步に至り強健旺盛を指す。鄭司農はいう、万物の生長養育はここに至りて剛強となる。班固はいう、万物は丁この一步に強盛なり。戊:《春秋元命包》にいう、「戊」とは「勉」で、土が勉力して万物の生長を促成す。鄭司農はいう、「戊」とは「茂」で、万物がここに至りて繁盛茂密を指す。班固はいう、万物は戊この一步に豊茂なり。己:《春秋元命包》にいう、「己」とは「甘」で、万物すでに長成し、人皆その甘美を覚ゆるを指す。鄭司農はいう、「己」とは「紀」、即ち綱紀で、万物が各々条理を有し頭緒を結ぶを指す。此の下、底本は五字を脱し、原文は已に考うべからず、ただ缺文の形を存し、補綴を加えず。班固はいう、万物は甲より生じ、己に至り一段落す。甲より己に至るは恰も十干の前半で、班固が己を以て「終」と為すは、生長のこの一程がここに収束することを指し、下の庚辛壬癸は収斂・閉蔵に轉入す。
庚:《春秋元命包》曰:庚者,更也,言萬物至秋秀實。鄭司農曰:庚,更也,萬物至秋更空也。班固曰:萬物欲斂更於庚也。辛:《春秋元命包》曰:辛者,新也,言萬物更前體而新。鄭司農曰:萬物秀而新。班固曰:萬物悉新於辛也。壬:《春秋元命包》曰:壬者,任也,萬物於此時而懷妊。鄭司農曰:言冬時閉藏,萬物懷妊於下。班固曰:萬物懷孕於壬。癸:《春秋元命包》曰:癸者,揆也,言萬物成熟,揆而藏之。鄭司農曰:物懷任,於此時揆然萌芽。班固曰:萬物陳揆於癸。
庚:《春秋元命包》にいう、「庚」とは「更」、即ち更替で、万物が秋に至り穂を抽べ實を結ぶを指す。鄭司農はいう、「庚」とは「更」で、万物が秋に至り旧貌を換えて空疎を顯す。班固はいう、万物は將に收斂せんとし、庚この一步に形態を更换す。辛:《春秋元命包》にいう、「辛」とは「新」で、万物が先前の形体を換えて一新することを指す。鄭司農はいう、万物は秀實して更新す。班固はいう、万物は辛に至り悉く更新す。壬:《春秋元命包》にいう、「壬」とは「任」、即ち懐任で、万物がこの時に胎を懐け孕育す。鄭司農はいう、これは冬季の閉蔵を講し、万物は地下に懐妊す。班固はいう、万物は壬この一步に懐孕す。癸:《春秋元命包》にいう、「癸」とは「揆」、即ち度量で、万物が成熟の後、量度してこれを收藏するを指す。鄭司農はいう、万物はすでに懐妊し、即ちこの時に度量して新芽を萌發す。班固はいう、万物は癸この一步に陳列し度量す。十干の義はここに至りて一週を繞る:甲が殻を破るを始とし、癸が度蔵するを終とし、正に一年の生・長・収・蔵の全程に合す。占課の時に日干が何の干に属するかを見るは、それがこの一週天裏に處する位置と性情を取るのである。
釈辰第五
《易》曰:分陰分陽,為用柔剛。謂甲、丙、戊、庚、壬五干為陽日,為剛日。子、寅、辰、午、戌六支為陽辰,為剛辰。謂乙、丁、己、辛、癸五干為陰日,為柔日。丑、卯、已、未、酉、亥六支為陰辰,為柔辰。
《周易・説卦》にいう:陰を分かち陽を分かち、柔と剛を交替に用う。ここに拠りて法を立つ:甲・丙・戊・庚・壬の五つの天干を陽日とし、また「剛日」ともいう。子・寅・辰・午・戌などの六つの地支を陽辰とし、また「剛辰」ともいう。乙・丁・己・辛・癸の五つの天干を陰日とし、また「柔日」ともいう。丑・卯・巳・未・酉・亥の六つの地支を陰辰とし、また「柔辰」ともいう。按ずるに:陽辰は本應子・寅・辰・午・申・戌の六支とすべきが、底本はここに五支のみを列して「申」の字を脱す、仍ほ照録して補わず。下文の陰辰の「巳」は、底本は形近の「已」と作す、亦た併せてその旧を存す。剛日・柔日の分別は六壬において極めて緊要を関す:用神を取るに「剛日は日上の神を用い、柔日は辰上の神を用い」、三伝を排すに「剛日は先に辰を伝え後に日を伝え、柔日は先に日を伝え後に辰を伝え」、悉く此によりて分かつ。
子:班固曰:萬物孳生萌於子。《樂志》曰:子者,孳也。謂陽氣至子,更孳生也。丑:班固曰:萬物紐芽於丑。《樂志》曰:丑者,紐也。言終始之際,故以紐結為名也。寅:班固曰:萬物引達於寅。《樂志》曰:寅者,津也。謂生萬物之津途也。卯:班固曰:萬物冒茆於卯。《樂志》曰:卯者,茆也。言陽氣生而孳茂。
子:班固はいう、万物は子に孳生し萌動す。《楽志》にいう、「子」とは「孳」で、陽気が子の位に至り、重新たに孳生するを指す。丑:班固はいう、万物は丑に結紐し萌芽す。《楽志》にいう、「丑」とは「紐」で、丑が一年の終・始の交接の際に處するを以て、故に「紐結」を以て命名す。寅:班固はいう、万物は寅に引伸し通達す。《楽志》にいう、「寅」とは「津」で、それが万物を生發する津渡と通路たるを指す。卯:班固はいう、万物は卯に土を破り頭を冒す。《楽志》にいう、「卯」とは「茆」、即ち茂で、陽気が生發して孳長繁茂するを指す。十二支の取義は十干と同一の路数で、皆一年の生長の節律を十二箇の位次に安んずる。六壬はこの十二支を地盤上に鋪き定めて動かさず、天盤の十二神が再び位を逐うてその上に加臨す。ゆえにまず每一支本身の性情を認清せねばならぬ。
辰:班固曰:萬物振美於辰。《樂志》曰:辰者,震也。謂萬物震動而長也。巳:班固曰:萬物巳盛於巳。《樂志》曰:巳者,起也。萬物已盛,此時畢盡而起也。午:班固曰:萬物萼而佈於午。《樂志》曰:午者,長也,大也。言萬物皆長大也。未:班固曰:萬物昧蔓於未(蔓者,散也)。《樂志》曰:未者,味也。言萬物生成有滋味也。
辰:班固はいう、万物は辰に振發し壮美す。《楽志》にいう、「辰」とは「震」で、万物が震動して生長するを指す。巳:班固はいう、万物は巳に至りて已に繁盛す。《楽志》にいう、「巳」とは「起」で、万物は已に盛極、前の一段はここに窮尽し、新の一段はそれに随いて興起す。午:班固はいう、万物は萼を結び花を開き、午に布散す。《楽志》にいう、「午」とは「長」、即ち「大」で、万物が皆長大したを指す。未:班固はいう、万物は未に昧暗に蔓延す(「蔓」とは散開すること)。《楽志》にいう、「未」とは「味」で、万物が生成の後に滋味あるを指す。この四支は正に春末より夏末にあたり、陽気が振發より極盛に轉じ、再び漸衰に轉ずる一段である。六壬において辰・未は四季の土に属し、午は火の正位、巳は火の長生で、各自の旺衰は皆ここより定まる。
申:班固曰:萬物申堅於申。《樂志》曰:申者,身也。言此時物身體皆成就也。酉:班固曰:萬物皆熟於酉。《樂志》曰:酉者,猶也。謂此時萬物皆猶縮也。戌:班固曰:萬物畢入行戌。《樂志》曰:戌者,滅也。謂此時萬物衰滅也。亥:班固曰:萬物該閡於亥。《樂志》曰:亥者,刻也。言此時陰陽刻殺萬物也。
申:班固はいう、万物は申に伸展し堅實す。《楽志》にいう、「申」とは「身」で、この時万物の形体は已に長成したを指す。酉:班固はいう、万物は皆酉に成熟す。《楽志》にいう、「酉」とは「猶」、即ち收縮で、この時万物は皆收縮し始むるを指す。戌:班固はいう、万物は全部戌に帰入す。《楽志》にいう、「戌」とは「滅」で、この時万物は衰敗消亡するを指す。亥:班固はいう、万物は亥に閉蔵し阻隔さる。《楽志》にいう、「亥」とは「刻」で、この時陰陽が刻剥し肅殺して万物するを指す。申より亥に至るは秋より冬にあたり、收斂・成熟・衰滅・閉蔵の一程で、前の子より卯への孳生萌發と首尾相い接し、十二支はここに断絶なき円環を轉成す。
釈陰陽第六
董鍾舒曰:王者欲有所為,宜求其端於天。天道大者在於陰陽,陽為德,陰為刑,刑主殺,德主生。陽常居大夏,以生育長養為事。使陰常居大冬,而積於空虛不用之處。此以見天之任德不任刑也。陽出佈施於上,而主歲功。陰入伏藏於下,而時出佐陽,陽不得陰之助,亦不能獨成歲功。王者承天意以後事,故務德教而省刑罰。刑罰不可任以治也,猶陰之不可任成歲也。
董仲舒はいう(底本の「仲」は「钟」と作す、傳抄の訛なり、仍ほ原字を照録す):君王として為さんと欲するあらば、天のところに往きて頭緒を求むべし。天道の中の最大の一項は陰陽に在り:陽は「徳」、陰は「刑」。刑は肅殺を主管し、徳は生養を主管す。陽は常に盛夏に居り、生育・長養を以てその本職とし、而して陰を常に隆冬に居らせ、空虚不に用いる角落に積聚せしむ。この安排より見出す可きは、天は徳を任用して刑を任用せざるなり。陽は顯現して上に布施し、一年の功業を主管し、陰は潜入して下に伏蔵し、ただ時々出でて陽を輔佐す。然るに陽はもし陰の助けを得ざれば、亦た独自に一年の功業を成就すること能わず。君王は天意を秉承して政事を處置す、故に徳教に致力して刑罰を減省す——刑罰は以て単独に国を治むべからず、正に陰が以て単独に一年を成就すべからざるがごとし。この一節は表面は王政を講ずるも、実は六壬のために吉凶を断ずる總綱を定めたり:陰陽は互いに根にして徳は刑に先んず、故に課伝中に生扶は吉と為し克伐は凶と為し、而も凶中に救あれば災を成すに至らず。
釈五行第七
《白虎通》曰:五行者,謂水、火、木、金、土也。言五行相生,為天行氣之義也。地承天,猶妻之事夫,臣之事君也。
《白虎通》にいう:所谓「五行」とは、水・火・木・金・土である。五行の相生を説くは、天がその気を運行する道理を講ず。地は天を承奉す、妻子が夫に仕え臣子が君主に仕えるがごとし。五行は六壬の全部の推斷の骨架である:十干・十二支・十二天将は各々五行の帰属あり、四課の上下の相加はそれらの生克の如何を見る。ゆえに本篇はまず五行各自の方位・生数と本性を交代し明らかにす。
水:天以一生水於北方。北方者,陰氣,在黃泉之下。任養萬物。水之為言準也。許慎曰:水準也,平也。火:天以二生火於南方。南方者,陽,在上,萬物垂枝。火之為言委隨也。化也。陽用事,萬物變化也。許鎮曰:火,熾也,炎而上也。木:天以三生木於東方。東方者,陽之氣始動,萬物始生。木之為言觸也,陽氣觸物而生也。許填曰:木冒也,冒地而生也。
水:天は「一」この生数を以て北方に水を生ず。北方は陰気の在る所で、黄泉の下に處り、万物を養い育てる責を担負す。「水」の意は「准」なり。許慎はいう:水とは、准であり、平である(水面は自ずから平ゆえ、以て準則と為す)。火:天は「二」を以て南方に火を生ず。南方は陽気の上に居る処で、万物はここに枝を垂る。「火」の意は委順して物に随うこと、亦た変化なり——陽気が令にあたれば、万物は則ちそれに随いて変化す。許慎はいう:火とは、熾で、火焰は炎炎として上に向かう(底本ここ「慎」を「鎮」と訛る、照録)。木:天は「三」を以て東方に木を生ず。東方は陽気の發動し始め、万物の生發し始める処である。「木」の意は「触」で、陽気が万物に触動して之を生長せしむ。許慎はいう:木とは、冒で、地面に頂いて冒し出づ(底本ここ「慎」を「填」と訛る、照録)。天一は水を生じ地二は火を生じ天三は木を生ずは、《周易・繋辞》の五行生成の数の次第で、下文の「釈数」はまたこれを用う。
金:天以四生金於西方。西方者,陰始起,萬物禁止。金之為言禁止也。許慎曰:金,禁也。為進退之禁也。土:天以五生土於中央。中央者,主吐含萬物。土之為言吐也。土者最大,包含萬物。將生者出,將死者歸,不嫌清濁。
金:天は「四」を以て西方に金を生ず。西方は陰気の興起し始め、万物の生長を停止する処である。「金」の意は即ち禁止なり。許慎はいう:金とは、禁で、進と退に対する一種の約束なり。土:天は「五」を以て中央に土を生ず。中央は吐出と含容の万物を主管す。「土」の意は「吐」なり。土は五行中の最大の一つで、万物を包容す:將に生ぜんとするはここより出で、將に死せんとするはここに往き帰り、清も濁も一概に嫌棄せず。五行は各々生数の一至五あり、各々方位と性情あり、六壬が人の性情を占い、疾病の所在を占い、物色・気味を占うは、皆この一套の本性より推し出づ。
釈五色第八
傳曰:章為五色。蔡邕曰:通於眼者為五色。《釋例》曰:五方正色有五,間色亦有五也。
古傳にいう:外に彰顯するは五色なり。蔡邕はいう:眼に通ずる能くするは五色なり。《釋例》にいう:五方は各々一種の正色あり、共に五種。両色の相い雑じて成る「間色」もまた五種あり。占課の時に用神が何の五行に属するかを見れば、即ち占う物の顏色を推出しうる。これは失物・尋人・色相を辨ずるの類の占問において直接に用いうる。
青:東方之正色也,象木葉青也。《釋例》曰:甲木畏庚金,故以乙妹嫁與庚為妻。春木旺,甲往召乙,乙懷金氣以應甲,故東方有間色綠也(甲青、乙碧)。赤:南方之正色也,象火光赤色也。《釋例》曰:丙火畏壬水,故以丁妹嫁與壬為妻。夏火旺,丙往召丁,丁懷水氣以應丙,故南方有間色紅也(丙赤、丁紫)。
青:これは東方の正色で、樹葉の青色に象を取る。《釋例》にいう:甲木は庚金を畏懼す、故に同じく木に属する乙(甲の妹)を庚に嫁し妻と為す。春に木旺する時に至り、甲は往きて乙を召喚して帰らしめ、乙の身上は已に夫家の金気を帯びて甲に應ず。青の中に金気を掺し、ここに東方に間色「緑」を生ず(甲は青、乙は碧)。赤:これは南方の正色で、火光の赤色に象を取る。《釋例》にいう:丙火は壬水を畏懼す、故に同じく火に属する丁(丙の妹)を壬に嫁し妻と為す。夏に火旺する時に至り、丙は往きて丁を召喚し、丁は夫家の水気を帯びて丙に應ず。ここに南方に間色「紅」を生ず(丙は赤、丁は紫)。この套の「陰干は畏する所の干に嫁ぐ」の説は、実は十干の陰陽配合と合化を解説している:陽干はその官殺を畏れ、便ち同類の陰干を以てこれと相合し、五合の説と間色の説は同一の理より出づ。
白:西方之正色也,象霜露白也。《釋例》曰:庚金畏丙火,故以辛嫁與丙為妻。秋金旺,庚往召辛,辛懷火氣以應庚,故西方有間色縹也(庚白、辛栗)。黑:北方之正色也,象水黑色也。《釋例》曰:壬水畏戊土,故以癸妹嫁與戊為妻。冬水旺,壬往召癸,癸懷土氣以應壬,故北方有間色紫也(壬黑、癸綠)。黃:中央之正色也,象土黃中通理也。《釋例》曰:戊土畏甲木,故以己妹嫁與甲為妻。季夏土旺,戊往召己,己懷木氣以應戊,故中央有間色紺也(戊黃、己絳)。
白:これは西方の正色で、霜露の白色に象を取る。《釋例》にいう:庚金は丙火を畏懼す、故に辛を丙に嫁し妻と為す。秋に金旺する時に至り、庚は往きて辛を召喚し、辛は夫家の火気を帯びて庚に應ず。ここに西方に間色「縹」を生ず、即ち淡青にして白を發する色(庚は白、辛は栗色)。黑:これは北方の正色で、水の黒色に象を取る。《釋例》にいう:壬水は戊土を畏懼す、故に癸(壬の妹)を戊に嫁し妻と為す。冬に水旺する時に至り、壬は往きて癸を召喚し、癸は夫家の土気を帯びて壬に應ず。ここに北方に間色「紫」を生ず(壬は黑、癸は緑)。黄:これは中央の正色で、土の黃色に象を取りて内裏の紋理は通達す。《釋例》にいう:戊土は甲木を畏懼す、故に己(戊の妹)を甲に嫁し妻と為す。季夏の土旺する時に至り、戊は往きて己を召喚し、己は夫家の木気を帯びて戊に應ず。ここに中央に間色「紺」を生ず、即ち青の中に赤を帯ぶ色(戊は黄、己は絳)。五正色は五方・五行に配し、五間色は則ち陰干の懐ける夫家の気より出づ。実占の時、陽干は正色を取り陰干は間色を取るは、即ちこれに拠りて分派する。
釈五音第九
傳曰:發為五音。蔡邕曰:通於耳者為五音,乃宮、商、角、徵、羽也。
古傳にいう:声に發するは五音なり。蔡邕はいう:耳に通ずる能くするは五音、即ち宮・商・角・徵・羽なり。五音は五行に配し君臣・民・事・物に配するは、漢代の律暦の学の成説である。六壬がこれを収め入るるは、声・名分・職位の類の事を占問するに取象の依るべきあらしめんがため——譬えば用神が土に属すれば便ち宮声を取り君上を主り、金に属すれば便ち商声を取り臣佐を主るがごとし。
宮:班固曰:宮,中也。居中央,暢四方。唱始生,為四聲綱也。《律曆志》曰:宮屬土者,以其最濁,君之象也。季夏之氣和,則宮聲調,宮亂則荒,其君驕。《樂志》曰:宮為君,宮之為言躬也。中和之道,無往不理焉。
宮:班固はいう、「宮」とは「中」なり。それは中央に居りて四方に暢達し、唱を起す初めに便ちそれより生ず、是の余の四声の綱領なり。《漢書・律暦志》にいう:宮の土に属する所以は、その声音が最も濁重にして、君主の象徴たるが故なり。季夏の土旺の気が調和すれば、宮声は即ち諧調す。宮声乱るれば政事は荒廢し、その君は驕縦す。《楽志》にいう:宮は君を代表し、「宮」の意は即ち「躬」で、身を以て力で行うこと。中和の道を持守すれば、何処に至るも皆理順し得。
商:班固曰:商,章度也(度火名切)。《律曆志》曰:商屬金者,以其濁次宮,臣之象也。秋氣和,則商聲調,商亂則誠,其宮壞。《樂志》曰:商之為言強也,謂金性堅強也。角:班固曰:角,觸也,立也。為宮物觸也,而生載芒也。《律曆志》曰:角屬木者,以其清濁中次商,民之象也。春氣和,則角聲調,角亂則尤,其人哀。《樂志》曰:角為民,之為言觸也,謂象諸陽氣觸物而生也。
商:班固はいう、「商」は法度を彰明する意なり(括弧内の「度火名切」は「度」の字に加えたる反切の注音)。《律暦志》にいう:商の金に属する所以は、その濁重が宮に次ぐを以て、臣子の象徴なり。秋気が調和すれば商声は即ち諧調す。商声乱るれば官守はそれに随いて敗壊す(底本の「誠」「宮」の二字は疑らく「詖」「官」の訛、姑くその旧を存す)。《楽志》にいう:「商」の意は即ち「強」で、金の性質の堅硬剛強を指す。角:班固はいう、「角」は「触」であり「立」で、宮位の物に触動されて、ここに芒角を生ず。《律暦志》にいう:角の木に属する所以は、その清濁が中に居りて商に次ぐを以て、百姓の象徴なり。春気が調和すれば角声は即ち諧調す。角声乱るれば過失を出し、その民は哀苦す。《楽志》にいう:角は民を代表し、その意は即ち「触」で、陽気が万物に触動して之を萌生せしむるに象を取る。
徵:班固曰:徵,扯也,物盛大繁祉也。《律曆志》曰:徵屬火者,徵事之象。夏氣和則徵聲調。徵亂則哀,其事傷。《樂志》曰:徵為事也,徵之為言止也,言萬物盛則止也。羽:班固曰:羽,宇也,萬物聚藏宇覆也。《律曆志》曰:羽屬水者,以其最清,物之象也。冬氣和,則羽聲調,羽亂則危,其財匱。《樂志》曰:羽為物,羽之為言舒也,言陽復萬物,孳育而舒生也。
徵:班固はいう、「徵」は牽引發動の義あり(底本は「扯」と作す、疑らく本は「祉」あるいは「止」か、照録して改めず)、万物は盛大にして福慶繁多なり。《律暦志》にいう:徵は火に属し、「事」の象徴なり。夏気が調和すれば徵声は即ち諧調す。徵声乱るれば哀傷あり、その事は必ず損を受く。《楽志》にいう:徵は「事」を代表し、「徵」の意は「止」で、万物は盛極まれば即ち停まるべきを指す。羽:班固はいう、「羽」とは「宇」で、万物は聚集し收藏し、屋宇に覆われ居る。《律暦志》にいう:羽の水に属する所以は、その声音が最も清にして、「物」の象徴たるが故なり。冬気が調和すれば羽声は即ち諧調す。羽声乱るれば危難あり、その財物は匱乏す。《楽志》にいう:羽は「物」を代表し、「羽」の意は「舒」で、陽気が回復し万物が孳育して舒展し生長するを指す。五音は各々一季に配し、季気和なれば則ち声和し、声乱るれば則ち主る所の人事は敗壊す、これ正に「声を以て政を候す」の旧法なり。
夫音聲者,中於宮,觸於角,神於徵,章於商,宇於羽。故四聲為宮紀。協之五行,則角為木,五常為仁,五事為貌。商為金,五常為義,五事為青。徵為火,五常為禮,五事為視。羽為水,五常為智,五事為聽。宮為土,五常為信,五事為思,以君臣民事物言之,宮為君,商為臣,角為民,徵為事,羽為物。
大凡音声:中正の義は宮に見え、觸發の義は角に見え、神妙の義は徵に見え、彰明の義は商に見え、覆蓋の義は羽に見ゆ。故にその余の四声は皆宮を以て綱紀と為す。五音を五行に配するに:角は木に属し、五常に在りては仁、五事に在りては「貌」。商は金に属し、五常に在りては義、五事に在りては「言」(底本の「言」は「青」と訛る、照録)。徵は火に属し、五常に在りては礼、五事に在りては「視」。羽は水に属し、五常に在りては智、五事に在りては「聴」。宮は土に属し、五常に在りては信、五事に在りては「思」。若し君・臣・民・事・物を以て分派せば、則ち宮は君、商は臣、角は民、徵は事、羽は物。所谓「五事」は《尚書・洪範》に出で、貌・言・視・聴・思の五項の人身の用を指す。占課の時に某一の五行を得て用と為せば、便ちこの線索に順いて一路に人の品性・身份と主る所の事に推し至ること能す。
五音唱和有相焉,故宮為君,君乃臣民事物之體也。是以聞宮聲,使人溫良而寬大。聞商聲,使大方廉而好義。聞角聲,使人惻隱而仁愛。聞徵聲,使人樂養而好施與。聞羽聲,使人恭謹而好禮節。
五音は彼此に唱和して相互に輔成す、故に宮は君位に居る。君は正に臣・民・事・物この四者の本体なり。これに因りて、宮声を聞けば、人をして温和善良にして寛宏大度ならしめ、商声を聞けば、人をして方正廉潔にして道義を崇尚せしめ(底本の「使大方廉」の「大」は当に「人」と作るべし、照録原字)、角声を聞けば、人の心に惻隱を生じ仁厚慈愛ならしめ、徵声を聞けば、人をして養育を樂しみ施捨を好ませしめ、羽声を聞けば、人をして恭敬謹慎にして礼節を講ずるをせしむ。この一段が講ずるは五声の人心への感化で、占課に取象する時は反推しうる:占う人がもし温良・寛大の態を顯せば、その用神は多く土に在り、方廉・好義の態を顯せば、その用神は多く金に在る。
釈五性第十
傳曰:五性者,五常之性也,謂仁、義、禮、智、信也。
古傳にいう:所谓「五性」とは、五常の性、即ち仁・義・礼・智・信なり。五性は五行に配し五臓に配するは、六壬が人の品性を占い疾病の所在を占う直接の依拠である:用神が木に属すれば便ちこの人は仁を主る、その病は肝に在りといい、火に属すれば便ちこの人は礼を主る、その病は心に在りといい、余は類推しうる。
仁:《詩緯》曰:木神主仁。言其葉可蔭,其子可啖,所以為仁。《黃帝》曰:木主於肝。《素問》曰:肝者,魂之所居也。義:《詩緯》曰:金神主義。言劍刀剛斷,所以為義。《黃帝》曰:金主於肺。《素問》曰:肺者,魄之所居也。禮:《詩緯》曰:火神主禮。言燭頭不亂,所以為禮。《黃帝》曰:火主於心。《素向》曰:心者,神之所居也。
仁:《詩緯》にいう、木神は「仁」を主管す——その葉は以て人に蔭を遮り、其の果實は以て人の飢えを充たす可し、故にこれを仁と為す。《黄帝》にいう、木は人身において肝を主管す。《素問》にいう、肝は「魂」の寄居する処なり。義:《詩緯》にいう、金神は「義」を主管す——刀剣は剛硬にして斬断する能し、その決斷して苟ならざるを取る、故にこれを義と為す。《黄帝》にいう、金は人身において肺を主管す。《素問》にいう、肺は「魄」の寄居する処なり。礼:《詩緯》にいう、火神は「礼」を主管す——燭火は上に向かいて散乱せず、その序ありて逾えざるを取る、故にこれを礼と為す。《黄帝》にいう、火は人身において心を主管す。《素問》にいう、心は「神」の寄居する処なり(ここの書名は底本《素向》と作す、《素問》の訛なり、照録)。
智:《詩緯》曰:水神主智。言方園隨器,所以為智。《黃帝》曰:水主於腎。《素同》曰:腎者,精之所居也。信:《詩緯》曰:土神主信。言能生育萬物,所以為信。《黃帝》曰:土主於脾。《素問》曰:脾者,意之所居也。
智:《詩緯》にいう、水神は「智」を主管す——それは盛器の方円に随いて形を変え、その應変して礙なきを取る、故にこれを智と為す(底本の「圓」は「園」と作す、照録)。《黄帝》にいう、水は人身において腎を主管す。《素問》にいう、腎は「精」の寄居する処なり(ここの書名は底本《素同》と作す、亦《素問》の訛、照録)。信:《詩緯》にいう、土神は「信」を主管す——それは能く万物を生育して時を失わず、故にこれを信と為す。《黄帝》にいう、土は人身において脾を主管す。《素問》にいう、脾は「意」の寄居する処なり。五行・五常・五臓・五神の四者は對應斉備し、病を占う時、ただ用神の五行を定めれば、病位と傷る所の神とは併せて知るべし。
五行各正其性而相近也。孔子曰:性相近也。水性滿無不鑑,浸無不通,方圓應變。此信而近智也。火性至明而不亂,犯之者焚。此禮而近義也。木性主仁,秋落春榮,被雪而茂。此仁而近信也。金性誅怨反正,此義而近禮也。土性主厚而味甘,物無不載。此智而近仁也。
五行は各自その本性を端正し、同時にまた彼此相近し相通ず。孔子の言わく「性は相近し」、正にこの意に合す。水の性子は:盈満すれば照らさざるなし、浸潤すれば通ぜざるなし、方に随い円に就きて應変自如——これは信を守りてしかも智に近し。火の性子は:極めて明亮にして散乱せず、これに冒犯するは則ち燒灼せらる——これは礼を守りてしかも義に近し。木の性子は仁を主る:秋に落葉し春に復た榮え、雪を覆うの後にかえって更に茂なり——これは仁にしてしかも信に近し。金の性子は怨悪を誅除し、人をして正道に歸らしむ——これは義にしてしかも礼に近し。土の性子は敦厚にして味は甘、載せざるものなし——これは智にしてしかも仁に近し。故に人の性を論ずるは一行に死執すべからず、須らくその偏近する辺を看るべし。
凡用其神,皆主其事。假令正月甲子日寅時占事,用起勝光火神加酉一,上克下為用。若占人性,則執禮而不亂。若占人疾,其病在心。他皆準此例也。
凡そどの神を取用するや、それと相應する類の事を主管す。照做しうる例を挙ぐ:正月甲子日寅時に事を占う。正月の月将は徵明(亥)、亥を占時の寅上に加えて天盤を轉じ、日干甲の地支の寄宮は寅に在り、寅上に得るは便ち「勝光」(午)の火神で、而も午火は酉金の上に落ち、火は金を剋す、是れ「上剋下」で、即ちそれを取りて発用と作す。すでに発用は火神なれば、則ち人の性情を占うに、この人は礼法を執守して散乱せざると斷じ、人の疾病を占うに、病は心に在ると斷ず(火は心を主る)。その余の各種の問題は皆この例に照らして推す。(底本「加酉」の下に「一」の一字を衍す、照録して刪らず。)
釈六情第十一
《禮》曰:六情者,好、惡、喜、怒、哀、樂之謂也。
《礼記》にいう:所谓「六情」とは、好・惡・喜・怒・哀・楽の六種の情緒である。下文に用いるは西漢の翼奉の「情性」の学で:六情を十二地支に分派し、两支が一情を主る。占課の時に用神が何の一対の支に落ちるかを見れば、即ち占う人の懐けるはどの情緒か、辦するはどの一路の事かを斷ず。
好:翼奉傳曰:北方之情好也。好行貪狼,申子主之。孟康曰:北方水,水生於申,盛於子。性觸地而行,觸物而潤,多所好。故好則貪而無厭,故為貪狼之號。
好:《漢書・翼奉傳》にいう、北方の主る情は「好」、即ち貪求し喜愛す。好のこの情が表現するは「貪狼」で、申・子の两支が主管す。孟康の注解にいう:北方は水に属し、水は申に長生し子に旺盛す。水の性子は地に碰れば流れ物に碰れば浸潤し、貪求する物は極めて多し。故に「好」は一旦頭を過ぐれば便ち貪得無厭となり、これに因りて「貪狼」の名号を安んず。占課の時に用神が申または子に落ちれば、貪求・欲念・放下せざるの一路に往きて斷ず。
惡:翼奉傳曰:南方之情惡也。惡行廉正,寅午主之。孟康曰:南方火,火生於寅,盛於午。性炎猛無所容受,故為惡。其氣精專嚴整,故為廉貞也。
惡:《翼奉傳》にいう、南方の主る情は「惡」、即ち憎惡し排斥す。惡のこの情が表現するは却って「廉正」で、寅・午の两支が主管す。孟康の注解にいう:南方は火に属し、火は寅に長生し午に旺盛す。火の性子は炎烈猛厲にして、何物も容納し得ず、故に「惡」と曰う。然れどもその気は精純專一にして嚴整、故にまた「廉貞」の名を得たり。見るべし、同じ一つの「惡」、用いるに善からざれば苛刻にして人を容れず、用いるに善ければ便ち剛正にして阿らず——占課に寅・午を得て用と為すは、正にこの両面より権衡すべし。
喜:翼奉傳曰:西方之情喜也。喜行寬大,巳酉主之。孟康曰:西方曰金,金生於巳,盛於酉,金性喜以利刃加行萬物,故為喜。利刃所加,無不寬大,故曰寬大。怒:翼奉傳曰:東方之情怒也。怒行陰賊,亥卯主之。孟康曰:東方木,木生於亥,盛於卯。木性受水氣而生,貫地而出,故為怒。以陰賊害土,故為陰賊也。
喜:《翼奉傳》にいう、西方の主る情は「喜」。喜のこの情が表現するは「寛大」で、巳・酉の两支が主管す。孟康の注解にいう:西方は金と称し、金は巳に長生し酉に旺盛す。金の性子は鋒刃を万物に加うるを樂しむ、故に「喜」と曰う。鋒刃の至る所は爽利開豁せざるなし、故に「寛大」と曰う。怒:《翼奉傳》にいう、東方の主る情は「怒」。怒のこの情が表現するは「陰賊」で、亥・卯の两支が主管す。孟康の注解にいう:東方は木に属し、木は亥に長生し卯に旺盛す。木は水気を承受して生じ、硬く地面を穿ちて頂出す、その衝勁が即ち「怒」なり。而もそれは暗に土気を耗損す、故に「陰賊」と曰う。六情は各々長生の支と帝旺の支を以て主と為す、これ正に三合局の「生・旺」の两位の用法なり。
哀:翼奉傳曰:下方之情哀也。哀行公正,戌丑主之。孟康曰:下方謂南方與北方也,陰陽互對,故為下方。戌竊火,丑竊金。《風角》曰:金剛火強,各歸其鄉。故火刑于午,金刑于酉。金火之盛時而受刑,至窮無所歸,故曰哀也,火強無所私,金性方風,故曰公正也。
哀:《翼奉傳》にいう、「下方」の主る情は「哀」。哀のこの情が表現するは「公正」で、戌・丑の两支が主管す。孟康の注解にいう:所谓「下方」とは、南方と北方を指し、両者の陰陽は恰好相い對す、故に合して下方と称す。戌の裏に暗に蔵するは火(火は戌に墓す)、丑の裏に暗に蔵するは金(金は丑に墓す)。《風角》にいう:金は剛硬・火は強猛、各々本郷に歸る、故に火は午に刑を受け金は酉に刑を受く。金と火は正に極盛の時にあたりて却って刑を受け、尽頭に走りて歸る処なし、これに因りて「哀」と曰う。火は強と雖も偏私せず、金の性子は方正(底本の「方風」は当に「方正」と作るべし、照録原字)、これに因りて「公正」と曰う。
樂:翼奉傳曰:上方之情樂也。樂行奸邪,辰未主之。孟康曰:上方謂東方與西方也,陽氣所萌生,故為上。辰窮水,未窮木。《風角》曰:木落歸本,水流趨末,故木刑于亥,水刑于辰。盛衰各得其所,故樂也。水窮則無隙不入,木本上出,窮則傍行其枝,故為奸邪也。
楽:《翼奉傳》にいう、「上方」の主る情は「楽」。楽のこの情が表現するは「奸邪」で、辰・未の两支が主管す。孟康の注解にいう:所谓「上方」とは、東方と西方を指し、陽気の萌生する処なり、故に上と称す。辰は水が尽頭に走る地(水は辰に墓す)、未は木が尽頭に走る地(木は未に墓す)。《風角》にいう:木は凋落すれば則ち本根に歸り、水は流動すれば則ち末梢に趨る、故に木は亥に刑を受け水は辰に刑を受く。盛と衰は各々落つべき所に落ち着いた、これに因りて「楽」と曰う。然るに水は尽頭に至れば便ち縫なきに鑽り入らずはなく、木は本應上に向かい長ずべきが、尽頭に至れば便ち旁に枝杈を生ず、これに因りてまた「奸邪」と曰う。戌丑は哀を主りて公正、辰未は楽を主りて奸邪、四墓庫の支の性情は两岐し、占課にこれに遇えば最も細辨を須いる。
翼奉傳曰:夫占事皆以五行之情而斷之。假令用起火神則無私,用起木神無險詖,用起神后則貪淫慾。
《翼奉傳》にいう:凡そ事を占うは、皆五行の情性を以て判斷す。例を挙げて言わく:用神が火神(寅・午)より起れば、即ちこの人この事は偏私する所なしと斷ず。用神が木神(亥・卯)より起れば、即ちその人は険詐・偏邪の心を生ぜざると斷ず(「険詖」は即ち陰険・偏邪)。用神が「神后」即ち子水より起れば、即ちその人は貪求にして淫欲多しと斷ず。これ即ち上文の六情の説を直接に占斷に落とす用法なり。
論曰:假令用起木神,寅為雜木而文明。寅生火,故曰雜木而明。卯為純木而為賊,根荄有榮瘁,故稱亥卯為陰賊。木性惠狎歡喜,人思息其下,烏思棲其上,惠狎也。王者德之,則連理生,歡喜也。信而受諫,秋落冬瘁,信也。曲直任物,鋸繩從諫也。占遇木者,以木性而解之。木主賊,凌上而虐下。生而必仰,凌上也。深林無草,虐下也。
論説に曰く:譬如用神が木神より起れば、同じく木なりと雖も分別して看るべし——寅は「雑木」にして文明を主る、寅の中に火を蔵し寅は火を生ずる能すを以て、故にそれを雑木にして光明を帯ぶと説く。卯は「純木」なれども賊害を主る、草木の根鬚に榮あり枯あり、榮枯は定まらざるを以て、故に亥・卯を「陰賊」と称す。木の性情は本來慈惠親和にして人をして歡喜せしむ:人はその下に歇脚することを願い、鳥はその上に棲息することを願う、これ即ち「惠狎」なり。君王は徳を以て物に待し、木は便ち連理の枝を長出して祥瑞と為す、これ即ち「歡喜」なり。それは信を守りて規勸に聴き肯んじ、秋に落葉し冬に枯瘁し、曾て時を失わず、これ即ち「信」なり。それは曲ぐる能く直なる能く、物に随いて形を成し、木匠の鋸と墨繩のごとく人に矯正せらる、これ即ち「從諫」なり。占卜に木に遇えば、便ち木のこれらの性情を拿りて解釋す。但し木はまた賊害を主る、上に在る者を欺凌し下に在る者を虐待す:樹木は一たび生長すれば必ず上に向かい仰衝す、これは「凌上」なり。深林の下は寸草も生えず、これは「虐下」なり。
