目次
此以青龍為主,將為賓,主既得氣,而賓亦無傷,所乘之財方能類應。如以文書之財而言,青龍不拘藏現,得氣無傷,而朱雀恰為發用,即非發用而居有氣之鄉,不傷日年,是能為吉於人也。朱雀之陰,不傷朱雀,是陰陽和合,文書有氣也。陰神不傷日干,是身與類和,文書之財可取,終無他患也。若三傳遞生朱神,而朱神恰為日年之財,則眾力相扶,財必豐厚。
これがすなわち青竜を主とし、あの分類の天将を賓とするのである。主がすでに気を得、賓がまた傷を受けなければ、乗る所の財は初めて類に応じ得る。文書の財を以て言えば、青竜は閑位に蔵れると課伝に現れるとを論せず、ただ気を得て傷を受けなければよい。そして朱雀がちょうど発用となれば、たとえ発用を為さなくても、それが気ある郷に居り、また日干と行年を傷つけなければ、人に吉利を齎し得る。朱雀の陰神が朱雀を傷つけなければ、これは陰陽の和合であり、文書は気がある。この陰神がまた日干を傷つけなければ、我が身と類神とが相和したのであり、この文書の財は取ることができ、ついに別の禍患はない。もし三伝が層々に相生して一路朱雀に生じ、朱雀がちょうどまた日干・行年の財であれば、それは衆力の相扶であり、財は必ず豊かである。
若朱神雖能生旺日年,雖能為日年財神,而其陰神反傷日年者,其財必不可輕取之,必有他殃。欲知殃於何事,視其天官;欲知取與,分視日辰,辰傷則其人必有所忌,而不敢與;日傷則吾身必有所畏而不敢取。凡類皆當作如是觀,不獨文書之財為然也。畏忌見前,茲不重出。
もし朱雀が日干と行年を生旺し得、また確かに日干・行年の財神であるとしても、その陰神がかえって日干・行年を傷つければ、この財は決して軽々しく取ることができない。取れば必ず別の災殃がある。災殃がどの事に出るかを知りたければ、あの陰神の乗る天将を見る。相手が与えるか否か、我が取るか否かを知りたければ、日干と日支とを分けて見る。日支が傷を受ければ、あの人は必ず顧忌があって敢えて与えない。日干が傷を受ければ、我が身は必ず畏懼があって敢えて取らない。およそ各類の事物は皆このように看るべきであり、ただ文書の財のみならず。畏と忌の道理は前にすでに講じた、ここに重ねて言わない。
約而言之,首責青龍為財將,次責明暗財神,又次責所求物類。若財將所乘之神恰作日年明暗之財,而氣旺無傷,自強無患者,求之必得,取之無患。取與之機,視四課克應之訣,決於三傳,氣旺則財大而速,囚死則財少而遲。財現則易,財藏則難。財落空亡,不惟難求,且防失耗。孟仲季關新舊,數目當問先天,易簡之道,盡乎此矣。理氣象類,寧有他哉?至於財神乘馬帶丁,最利遠動之類,皆以煞言矣。煞歷俱在,無庸贅及矣。
総括して言えば、第一に青竜という財将を看、第二に明財・暗財のこの二重の財神を看、第三に求める物事の分類の神を看る。もし財将の乗る神がちょうど日干・行年の明財または暗財であって、気がまた旺相で傷を受けず、自身が強健で患えなければ、求めれば必ず得、取って患えなし。与と取の機関は、四課の剋応の口訣を看るべきである。応験の遅早は三伝に拠る。気が旺ならば財は多くして速く、気が囚死にあれば財は少なくして遅い。財が課伝に現れれば易しく、財が暗処に蔵れれば難しい。財が空亡に落ちれば、求め難いばかりか、丢失・耗散をも防がねばならない。孟・仲・季の三類の地支は財の新旧を管し、数目は先天の数に問う――「易簡」の道理はここに尽きる。理・気・象・類の四字は、はたして別に他のものがあろうか。財神が駅馬を乗せ丁神を帯びるに至っては、遠くへ走り動く類に最も利あり、それは皆神煞に帰して講ずる。煞の例は暦書に具わっている、再び哂う必要はない。
占例二:瑣占約云
求財視龍,旺相相逢。日辰年用,此外難同。財神雖現,財陰須善。龍財旺方,往來誠便。凡占求財,首視青龍者,龍為旺財之官也。龍乘旺相氣,見於日辰年用,方為入式,旺龍入式,求必遂意。故曰相逢。現於中末,應則差緩,見於閒處,遲而且難,故曰難同。相逢即是類見。日辰年用,即是類見之方。難同,即類陰神見之難同,蓋言不可同日語也。
口訣に言う、「求財は青竜を看る、旺相に相逢するを要す。日・支・行年・発用に見ゆる、これ以外は数に算えない。財神は現るといえども、財の陰神もまた良善ならんことを要す。青竜と財の旺する方位こそ、往来し求め索めるに真に便利な処である」と。およそ求財を占うにまず青竜を見るのは、青竜がまさに財の旺を主管するあの天将だからである。青竜が旺相の気を乗せ、また日干・日支・行年・発用のこの数処に現れてこそ、「入式」と数える。旺相の青竜が一たび入式すれば、求める所は必ず心に称う。ゆえに「相逢」と言う。もし青竜がただ中伝・末伝に現れれば、応験はやや慢くなる。もしただ閑位の上に落ちれば、また遅くまた難しい。ゆえに「これ以外は同ぜ難し」と言う。「相逢」とは類神が現れることである。「日辰年用」とは類神が現れる幾つかの正位である。「難同」とは類神の陰神の現れる処が各々同じでないを言い、一概に論じ得ない。
若龍不入式,而其所乘神與日生合,則亦謂之有路,有路而氣旺,所臨之地又不空傷,龍之陰且復有益於日,無損於龍,求之可得也。然須財透露旺相不空,方可必得。而惟財之陰神益日者,方堪進取,否則皆為妄求,妄以求之,反生他患。若青龍更作財神者,求之尤易。日克青龍為財,年克青龍為尤利,故青龍若作財神者,求之尤易也。日年顧可分視乎?
もし青竜が入式しなくても、その乗る神が日干と生合すれば、これも「有路」と算える。路あって気がまた旺、臨む地盤が落ちず傷を受けず、青竜の陰神がまた日干に益ありて青竜を損傷しなければ、この財は求めて得ることができる。ただしなお財の爻が透露して旺相で落ちなくてこそ、敢えて必ず得と言える。しかもただ財の陰神が日干に益ある時のみ、進取に値する。さもなければ皆胡乱の求索に属し、胡乱に求めればかえって別の禍患を惹き出す。もし青竜そのものがまたまさに財神であれば、求めることいっそう易い。日干が青竜を剋するは財と算え、行年が青竜を剋するはさらに利ある。ゆえに青竜がまさに財神と為れば、これを求めるは尤も易い――日干と行年のこの両者は、どうして分かれて見ることができようか。
兵法云日年制武利用兵者,亦此,然其間亦有遠近鉅細之不齊,蓋年遠而巨,日近而少也。亦須視其所求者果屬何類,類若凶傷,總非吉象。如欲謁貴求財,而天乙處非其地,求之何益?即令得地得時,而於我卻不相投,亦無益也。若或無財現,而遁得財干,財干所乘之神,與我作合,而子孫得地,無傷則易,可以往求。龍財旺相之方,即其宜往之地,故曰求財須向龍行處,龍若休傷枉費心。
兵書に「日干と行年が玄武を制し得れば用兵に利あり」と言うのも、同じこの理である。ただその中にさらに遠近・大小の分別がある。行年は遠くして大を管し、日干は近くして小を管する。また求める所が一体どの類に属するかを看るべきであり、類神が凶を受け傷を受ければ、結局吉象ではない。たとえば貴人に謁見して財を求めようとして、天乙貴人の処る所がその在るべき地でなければ、求めて何の益があろうか。縦いそれが地を得時を得ても、我と相投しなければ、同じく益なし。もし課の上に明らかな財の現れはないが、遁干のうちに財を遁し出し、この財干の乗る神がまた我と相合し、加うるに子孫の爻が地を得て損傷を受けなければ、それは易しい、前に行って求め取ることができる。青竜と財の旺相する方位は、まさに前往するに宜しい処である。ゆえに言う、「求財は必ず青竜の行く方位に往け、青竜が休囚して傷を受ければ、往いても徒らに心機を費やすのみ」と。
入手之期,即視財氣。凡財乘四時旺氣,則以財神墓絕之日取期,財乘四時四時休氣,則以財神生旺之日取期。財有生旺墓之不同,不可不察,蓋旺即財神,無煩說矣,惟生墓兩神,人嘗忽過,生為財源,墓乃財庫,源宜流,庫存宜沖,兩言而盡矣。蓋源中財,疏之則流;庫中財,沖斯動矣。財神有五,而年上不與焉,五財者,時用日辰命也。
財の手に到る日は、財の気を看ればよい。およそ財が四時の旺気を乗れば、財神の墓に入り絶に入るあの日を取って応期とする。財が四時の休気を乗れば、財神の長生・帝旺するあの日を取って応期とする。財に長生・帝旺・墓庫の三様の異なりあり、細察せざるを得ない。旺はすなわち財神そのもの、多く言うに及ばない。ただ長生と墓庫のこの二位は、人は往々にして軽く見過ごす。長生は財の源頭であり、墓庫は財の倉庫である。源頭は疏通して流れせしめるに宜しく、倉庫は冲開して啓封せしめるに宜しい、二言で言い尽くせる。源頭のうちの財は、疏通すれば流れ出て来る。庫のうちの財は、一たび冲せば動く。財神は共に五処あり、行年はその中に算えない。この五財とは、占時の上の財、発用の上の財、日干の上の財、日支の上の財、本命の上の財である。
時為日財,為時下近小之財。用為日財,為開手便見之財;乘吉旺相,則取期從速,為數必多;乘吉化衰,則取期緩,為數亦少。日上見財,為就身之外財,亦為己財;辰上見財,為現成之內財,亦為彼財。內財見於日上,宜出財經商;外財見於辰上,宜入財坐賈。命上見財,為命中固有之財,取之不窮。日上神制命上為財,乃謀運生發之財,圖之最易。故曰,求財切緊視三財,日辰命上細推排。又曰,財臨辰命最可喜,二德生逢兼與比,此去求財財必多,上神與日皆堪擬。
占時は日干の財、眼前・手辺の小財に属す。発用は日干の財、一たび手を動かせば見える財に属す。それが吉将を乗せて旺相ならば、応期は速く、数目もまた必ず多い。吉将を乗せてすでに衰に転じれば、応期は慢く、数目もまた少ない。日干の頭上に財が見えるは、身に近い外来の財であり、また自己の財と算える。日支の頭上に財が見えるは、現成の内財であり、また相手方の財と算える。内財が日干の上に見えれば、銭を帯びて出でて商売するに宜しい。外財が日支の上に見えれば、銭を収め入れて坐して店を開き鋪を舖くに宜しい。本命の上に財が見えるは、命中にもともと有る財であり、取っても尽きない。日干の上神が去って本命の上神を剋して財を成すは、経営・運作に凭って生発した財であり、図り謀ること最も易い。ゆえに言う、「求財で最も緊要なのは三処の財を看ること、日干・日支・本命の上を細かく推排せよ」と。また言う、「財が日支と本命の上に臨むは最も喜ばしく、さらに干徳・支徳の相生また相比に逢えば、この一たびの求財は財必ず多し。上神と日干とは皆推擬に用い得る」と。
歲月建為日財,其財必大。二馬六丁為日財,其財必遠。財作空亡,近小雖出旬可冀,求難滿望,遠大則財空可慮,到底無形也。財在歲月建上發用者,即以歲月取期,旬候日時類推可也。財上天官,主財之類,財陰神將,休咎之根。辰上天官,與財之人,辰陰神將,喜忌之本。
太歳・月建が日干の財となれば、この財は必ず大きい。駅馬・天馬のこの二馬と六丁の神が日干の財となれば、この財は必ず遠方から来る。財がもし空亡に落ちれば、近くて小さい財は旬を出てからなお指すことができるが、求めて手に入れるも願いを満たし難い。遠くて大きい財は一たび空に落ちれば憂いあり、結局は一場の空となる。財が太歳・月建の上で発用すれば、年に拠り月に拠って応期を取る。旬に拠り・候に拠り・日に拠り・時に拠るものは、皆これに照らして類推できる。財の頭上の乗る天将は、これがどの類の財かを指し明す。財の陰神とその乗る将は、吉凶・禍福の根子である。日支の頭上の天将は、何の人が財を汝に与えるかを指し明す。日支の陰神とその乗る将は、あの人の喜悪・顧忌の根本である。
蓋凡財神發用,而欲知其為何如之財,則視財上所乘之天官,財之陰神生合,則吉無不利。若財陰傷財,當防分奪。財陰剋日,後必有災。欲知災於何事,則視財陰所乘之天官。辰為他人類位,故視辰上所乘之天官,未必皆吉神。辰上天官,即其與財之人也,辰上陰神又其人之喜忌所關。若辰上神為辰陰所傷,則有所懼而不敢與。欲知懼於何事,則視辰陰所乘之天官也。
およそ財神が発用すれば、これがどのような財かを知りたい時は、財の頭上の乗る天将を見る。財の陰神がそれと生合すれば、吉利で宜しからざるはない。もし財の陰神がかえって来て財を傷つければ、人に瓜分・奪取されるを防がねばならない。財の陰神がもし日干を剋すれば、事の後に必ず災がある。災がどの事に出るかを知りたければ、財の陰神の乗る天将を見る。日支は他人の居る位であるから、日支の頭上の乗る天将を看るべきであり、それは必ずしも皆吉神ではない。日支の上の天将は、すなわち財を汝に与えるあの人であり、日支の陰神は、またあの人の喜好と顧忌に関わる。もし日支の上神が日支の陰神に傷つけられれば、あの人は畏懼があって敢えて与えない。彼の畏れるが何であるかを知りたければ、日支の陰神の乗る天将を見る。
約而言之,首視青龍,次視財神,又次視類神。以及發用、日辰、年命、課體,皆所當求者也。龍神喜其生旺,忌見刑戰;日辰喜其生合,忌見刑沖;用神喜其吉旺,忌其凶衰;年命課體,喜其扶救,忌其傷殘。至於龍財用類之陰,則皆互有關節,不可忽也。
総括して言えば、第一に青竜を看、第二に財神を看、第三に具体の物事の類神を看る。このほか発用・日干・日支・行年・本命および全体の課体も、皆推求すべきものである。青竜は生を得旺を得るを喜び、刑に逢い戦に逢うを忌む。日干・日支は彼此の生合を喜び、相刑・相冲を忌む。用神は吉を乗せ旺なるを喜び、凶を乗せ衰たるを忌む。行年・本命と課体は扶助・救応あるを喜び、傷を受け損を受けるを忌む。青竜・財神・用神・類神の各々の陰神に至っては、彼此の間に皆また関節相連なりあり、同じく忽せにし得ない。
占例三:扣門占
凡以日干為扣門之人,而視其上神,以觀其之善惡。蓋日干主動,動者為客;日上神將有善有惡。客固不能自掩而欺人者也,故以責之。凡以行年上神為我,而與日上之神較論休咎。行年者,吾身之年運也。日上既屬扣門之人,則年固屬我,為休為咎,相關最切。故須較論。不責辰而責年者,辰泛而行年則專也。
およそ門を敲きに来るが何の人かを占うには、日干を以て門を敲く人に代表させ、その頭上の神を見て、もってこの人の善悪を観察する。日干は動を主り、動く方はすなわち客である。日干の頭上の神と将には善あり悪あり、客人はもともと自己を蔵し得ず人を瞞し得ない。ゆえに日干を以て彼を責問する。さらに行年の上神を以て我自己に代表させ、それを日干の上神と比較して、吉凶を論断する。行年はすなわち我のこの一年の運である。日干がすでに門を敲く客に帰した以上、行年は自ずから我に帰す。福か禍かは、我と関わること最も切である。ゆえに必ず両者を相い比較せねばならない。日支を用いず行年を用いるのは、日支の指す所が宽泛であり、行年こそ専ら我が一人を指すからである。
蓋凡日上吉旺,則為善人,而又生合年神,則必有益而無損。日上凶衰,則為凶人,而又刑剋年神,則必無補而有傷。若更究其所乘之天官,所遁之天干,則喜惡之故,與夫衣飾行狀皆可悉也。然須考諸用傳,方無遺漏。
およそ日干の上神が吉を乗せて旺相ならば、来るは善人である。それがさらに行年の上神と生合すれば、我に対して必ず益あって損なし。日干の上神が凶を乗せて衰弱ならば、来るは悪人である。それがさらに行年の上神を刑剋すれば、我に対して必ず助けなくかえってその傷を受ける。もし進んでその乗る天将・遁し出す天干を追究すれば、この人の喜ばしく悪ましい縁由、およびその衣着・打扮・挙止の情状は、悉く弄清楚することができる。ただしなお発用と三伝とを核対せねばならず、そうしてこそ遺漏なからん。
巻之三 謀望門
干貴求財第一
謀望之占,種種不一。占情物類,各有其宜。循類察情,無煩說矣。然惟勢利兩字,誠世道之所獨先,謀望之所最急者也。故又於干貴求財,首出而致詳焉。苟能握其關鍵,悉其肯綮,則一綱舉而萬目張,諸占自無棘手處矣。引伸觸類,其在人乎?
事を謀り成を求める占問は、情形は種々一様でない。占う人情と物類は各々その合宜の法があり、類神に順って情理を体察するは、もともと多く言うに及ばない。しかるに「勢」と「利」のこの二字は、実に世道上の人々が最も先に看重し、謀望のうちで最も急切なるものである。ゆえに本篇はまた特に「権貴に謁見する」と「銭財を求取する」のこの二件を最も前に提げて詳しく講述する。ただそのうちの関鍵を捉え、その筋節の在処を摸り清め得れば、綱一たび挙がれば万目自ずから張り、その余の各種の占問は自ずから棘手の処なし。挙一反三・触類傍通に至っては、それは各々人の自己に在り。
夫以干言,干亦有人,非徒干也;以求言,求亦有人,非漫求也。人我錯陳,則對待有象,吉凶可否,當從成象間首求之矣。成象之端,先於日辰,而用傳年命則又扶救始終之通象也。以貴言,貴有其類;以財言,財亦有類,而無氣有氣,則又克應之所必需者也。
「干謁」について言えば、干謁されるあの一端もまた人であり、単に一箇の我がそこで干謁するのではない。「求取」について言えば、求められるあの一端もまた人であり、漫に対象なく空しく求めるのではない。人と我の両方が交錯して並陳されれば、彼此対待の象があり、事の吉凶・成否は、まずこの「成象」のうちから求めるべきである。成象の頭緒は、まず日干と日支を看る。そして発用・三伝・行年・本命は、全局を貫通し、扶助・救応と始末・結果とを管する「通象」である。貴人について言えば、貴人にはその類神があり、銭財について言えば、銭財にもその類神がある。そして類神に気あるか気なきかは、また剋応を判断するに必須である。
成象第二
日動為我,辰靜為人;辰上神以之觀人,日上神爰以觀我。我往干人,動象也,故為干,生合則吉,而將吉氣吉者更吉。戰克則凶,而將凶氣休者更凶。相刑則不投,相沖則難合,害則有阻,破則無成。乘臨固所當詳,陰神亦須兼視(旺休以五氣言,即神將言)。蓋辰傷則彼身正當偃蹇,安能舍己從人,若更囚死空亡,而或脫傷互見,往無益也。日傷則我事方切乖張,何暇潔身他往?若更凶空無氣,而或刑害交陳,徒自憊也。
日干は動に属し、我を代表する。日支は静に属し、相手方を代表する。日支の上神を看るはすなわち相手方を観察し、日干の上神を看るはすなわち我自己を観察する。我が前に行って人に干謁するは動の象、ゆえに「干」と言う。両辺が生合すれば吉、しかも乗る天将が吉で気がまた吉なるはいっそう吉。両辺が戦剋すれば凶、しかも乗る天将が凶で気がまた休囚なるはいっそう凶。彼此が相刑すれば情意が投じず、相冲すれば合攏し難く、相害すれば中間に阻碍あり、相破すれば弁り成らない。乗る将・臨む地は固より細看すべき、陰神もまた一倂に看るべし。(旺・休は四時の五気について言う、すなわち神と将について言う。)日支がもし傷を受ければ、相手方は自身まさに困頓に当たり、どうして自己の事を舍て下げて我に順従することができようか。もしさらに囚死・空亡に落ち、あるいは脱気と傷剋とが交替して現れれば、往いても益なし。日干がもし傷を受ければ、我自己の事はまさに七零八落に鬧り、どうして工夫を抽け身して別の処に行くことができようか。もしさらに凶を乗せ空に落ち、気がまた力なく、あるいは刑と害とが交錯して並陳されれば、それはただ徒らに自己を累い壊すのみである。
若辰上神生合日干,而陰制之,則其人雖有相為之心,返我畏忌而不果,未可恃也。辰陰所乘之天官,即其所畏之人,所忌之事。如陰乘太常則有父母尊長之畏,乘天后則有婦女之畏,乘太陰則有兄弟之畏,乘勾陳忌爭鬥之事,乘朱雀忌口舌之事之類是也。若辰陰生比辰陽,而與日干作合,則彼中必有相為之人暗中撮合,可之恃也。撮合之人,亦即視之所乘之天官。
もし日支の上神が日干を生合するのに、その陰神がそれを制してしまえば、相手方は我を助ける心があるといえども、回頭して畏懼・顧忌あるがゆえに弁り成らず、恃むに足らない。日支の陰神の乗る天将は、すなわち彼の畏れる人・忌む事である。たとえば陰神が太常を乗れば、父母・尊長を怕るである。天后を乗れば、婦女を怕るである。太陰を乗れば、兄弟を怕るである。勾陳を乗れば、争闘の事を忌むである。朱雀を乗れば、口舌・是非の事を忌むである。皆この類に属す。もし日支の陰神が日支の陽神を生扶しあるいは比助し、また日干と相合すれば、相手方のあの辺に必ず一箇の肯んで助ける人が暗のうちに撮合するあり、これは恃むに足る。この撮合する人が誰かは、同じくあの陰神の乗る天将を看る。
此識對待大體,理所當然,而勢所必致者也。故為成象。凡事關人我,而有對待之象者,皆當從此求之,寧惟謀望哉?蓋大體之吉凶既定,然後可求通象,以言扶救,以決始終,故用傳命年繼夫成象而遂及之也。
以上は人我の対待の大局を認め清めることであり、道理の上で本よりしかあるべく、情勢の上で必ずしかある。ゆえに「成象」と称す。およそ人我の両方に関わり、対待の象を帯びる事は、皆ここから推求すべきである。どうしてただ謀望の一門のみに用い得ようか。大局の吉凶がすでに定まって、然る後にこそ進んで「通象」を求め得る。それを以て扶助・救応を講じ、事の始末を判定する。ゆえに発用・三伝・本命・行年のこの数項は、成象に緊接して下に講ずる。
通象第三
休咎之幾,關於發用;轉移之妙,乃屬中傳;末為底止之鄉,式中所繫;傳有出入之異,生咎攸兮。扶救雖在用傳,緊關則由年命。凡占皆當詳,所以謂之通象。蓋發用之神乘吉氣旺,而又別無傷損,則以吉應。其所應者,當以速言,氣旺故也。囚死乘凶,而乃遂遭戰克,則以凶應,其年應者,當以遲言,氣休故也。吉則從之,凶則達之,空則靡象,吉凶無成,非所論矣。氣之衰旺,亦是五氣;用之戰克,亦是神將。
吉凶の先兆は、関鍵は発用に在り。中途の転機の妙は、中伝に属す。末伝は事の最終に歇脚する処であり、全課の成敗は皆ここに係る。三伝に内から伝し出ると外から伝し入るとの分別あり、福と咎はこの由に分かれる。扶助・救応は発用と三伝の上に落つるといえども、最も緊要なるはなお行年と本命である。この数項は何を占うとも細看すべきもの、ゆえに「通象」と言う。発用の神が吉将を乗せ気がまた旺であり、かつ別の処に傷損なければ、吉に拠って応ずる。その応験の時間は速いに拠って言う、気が旺なればなり。発用が囚死の気に落ちまた凶将を乗せ、続いてまた戦剋に遭えば、凶に拠って応ずる。その応験の時間は慢いに拠って言う、気がすでに休衰なればなり。吉ならばそれに順い、凶ならばそれを疏導する。空亡に落ちれば言うべき象なく、吉凶ともに成らず、再び論ずるに及ばない。ここに言う気の衰旺は、すなわち四時の五気である。言う用神の戦剋は、すなわち神と将との間の剋戦である。
生合日支而刑傷日干,則利在彼,害在我身。合日干而刑傷日支,則利在我,而害在彼。害在彼者,不利有攸往;害在我者,不往何災也。所謂休咎之機,關於發用也。用雖為吉於日,而陰遂傷用,則用神之力較微,用雖吉,未可恃也。惟用凶於日者,則反利其陰之制,卻能反吉而靡凶。用雖為吉於日,而陰遂墓空,則有中杜難行之象,事宜速圖,不可緩也,所謂轉移之方,屬中傳也。
発用が日支を生合して日干を刑傷するは、好処は相手方にあり損害は我が身にあり。発用が日干を合して日支を刑傷するは、好処は我にあり損害は相手方にあり。損害が相手方にあるものは、往く所あるに宜しくない。損害が我にあるものは、往かなければまた災なし。これがすなわちいわゆる「吉凶の先兆・関鍵は発用に在り」である。用神が日干に対して利あるといえども、その陰神が緊接して用神を傷つければ、用神の力は単薄と現れ、吉なりといえども恃むに足らない。ただ用神がもともと日干に対して害あるもののみ、かえってその陰神の来てそれを制するを巴望するに足る。かくのごとくすれば吉に転じて凶なし。用神が日干に対して利あるといえども、その陰神が墓庫または空亡のうちに落ちれば、中途に堵塞して推行し難き象あり。事は急いで弁ずべき、拖延し得ない。これがすなわちいわゆる「中途の転機の門路は、中伝に属す」である。
自墓傳生而末逢吉旺,則到底能成;自生傳墓,而末遇凶休,終當止息。吉於辰者,彼當其利,吉於日者,我獲其功。凡初遞克末,而末剋日干者,用雖生干,不可恃也。然為患於日也頗遲,見之宜速,以就用神之生。末遞克初,初剋日干者,生雖末見,不可恃也。然其為患於日也必速,見之宜早,以避用神之克。
墓庫から長生に伝じ、末伝がまた吉を乗せて旺相なるは、事は底まで成り得る。長生から墓庫に伝じ、末伝がまた凶に遇い休衰なるは、ついに歇止する。発用が日支に対して利あるは、好処は相手方に帰す。日干に対して利あるは、功労は我に帰す。およそ初伝が層々に剋して末伝に至り、末伝がまた来て日干を剋するは、用神が日干を生ずるといえども、恃むに足らない。ただしそれが日干に害を為すはなお比較的慢い。ゆえにこの種の課を見れば急いで行動し、用神がなお我を生ずる時に趁って事を弁ずるべきである。反対に末伝が層々に剋して初伝に至り、初伝がまた日干を剋するは、あの生気が末伝に現れるといえども、恃むに足らない。しかもそれが日干に害を為すは必ず速い。ゆえにこの種の課を見ればいっそう早く手を動かし、用神の剋を躲くべきである。
凡日生初傳,而初傳遞生末傳,終非所利。蓋不惟源消根斷,而且鬼在末也。凡末遞生初,而初生日干者,凡事有成。蓋不惟從力相扶,而且財在末也。凡自支上發用,傳出干上,而能生合日干者,人有就我之心,干之可也。自干上發用,傳入支上,而又與之生合者,我有就彼之象,進無咎也。所謂出入之異,去就攸分也。
およそ日干が去って初伝を生じ、初伝がまた層々に生じて末伝に至るは、ついに利なし。源頭が耗尽し根本が切断されるばかりでなく、しかも末伝の上に官鬼が坐しているからである。およそ末伝が層々に生じて初伝に至り、初伝がまた来て日干を生ずるは、諸事成り可し。一路に皆力相扶あるばかりでなく、しかも末伝の上はまさに妻財である。およそ日支の上から発用して、一路伝じ出て日干の上に至り、また日干を生合し得るは、他人に我に就く心有り、我が往って彼に干謁するに問題なし。日干の上から発用して、一路伝じ入て日支の上に至り、また日支と生合するは、我に彼に就く象有り、往き進んでも過ちなし。これがすなわちいわゆる三伝に伝出・伝入の分別あり、去と就とは便ちこの由に分かれる、である。
命主生平,年關氣運,雖其久暫不同,實為占人所獨,蓋本課傳而分視,各有專司,合命年而較求,方為切己,是故日用不可傷殘,命年最宜和好。日年交制,自啟乖違。命被辰傷,卻非我利,惟命制類,亦可言財。類制命年,當同鬼論。所謂扶救雖有三傳,緊關則由年命也。
本命は一生の定分を主管し、行年は当前一年の気運を管する。両者の管する時段に長短の別あれども、皆占問する本人の独り有する所である。四課・三伝に就いて分かれて看れば、本命と行年は各々その職司がある。本命と行年を合わせて課伝と比対して推求してこそ、初めて本人に切合する。ゆえに日干と用神は傷を受け損を受けるべからず、本命と行年は最も彼此の和好を宜とす。日干と行年が互いに牽制すれば、自ずから乖違を生ずる。本命が日支に傷つけられれば、我に利なし。ただし本命がもし類神を制し得れば、それもまた財として論じ得る。反対に類神が本命・行年を制すれば、官鬼として論ずべきである。これがすなわちいわゆる「扶助・救応は三伝に在るといえども、最も緊要なるはなお行年・本命に在り」である。
推類第四
事涉干求,可否雖操於象內;情關得失,吉凶更出於類中。象吉類凶,象難全恃。類吉象凶,類亦難憑。相需並用,占法斯全。有吉無凶,主堪進取,吉凶可否,豈易言哉。所干者既為貴人,則所類者,天乙也。上乘吉旺,則為乘時,又履吉旺,則為得地。既乘天時,又乘地利,而與日干生合,則貴正當權,勢誠在我。其心實能相制,其力足以從心。若貴陰兩建,又見生扶,則更全吉,反此則不宜妄求。
およそ事が干謁・求取に渉るものは、弁り成るか成らざるかは固より成象のうちに握られている。しかし人情上の得失は、吉凶は多く類神の中に出る。成象が吉で類神が凶なれば、成象は完全に依り頼めない。類神が吉で成象が凶なれば、類神も同じく恃むに足らない。両者が互いに配合し、併用して看てこそ、占法は始めて完備である。要は一片に吉で凶なければこそ、進取し可しと主る。吉凶・成否は、どうして容易く講じ得ようか。干謁する所がすでに貴人であれば、対応する類神はすなわち天乙である。天乙の上に吉将を乗せて気が旺なれば、「乗時」と言う。下に吉地に臨んでまた旺相なれば、「得地」と言う。すでに天時を得また地利を得、さらに日干と生合すれば、それは貴人がまさに権に当たり、勢いは実に我に向いている。その心意は確かに我に打ち動かされ得、その力量もまた我の心に称うに足る。もし貴人の陰神とその遁する天干のこの二重が共に好く、さらに生扶あるを見れば、なおよい全吉である。反対なれば、胡乱に求めに行くに宜しくない。
所求者既為財帛,則所類者青龍也。日克之神也。財神財將,既不深藏,又不內外刑戰,上下空休,而財陰兩建,又與干生合,所望雖奢,求之可得,無他患也。反此則不宜妄求。
求める所がすでに銭財であれば、対応する類神はすなわち青竜、すなわち日干の剋するあの神である。財としての神と財としての将が、閑位に深蔵せず、また内戦・外戦と刑剋とがなく、上下もまた空に落ちず休衰せず、加うるに財の陰神とその遁する天干のこの二重が共に好く、また日干と生合すれば、指し望む所はたとい多少なりとも、求めれば得ることができ、別の禍患はない。反対なれば、胡乱に求めに行くに宜しくない。
引伸第五
類陰得吉,宜往干矣。干之必有所求,求必有類。凡向貴人而有文書之權者,雖既視貴人,又當分視朱雀。有情分之求者,分視太陰;有衣帛穀粟之求者,分視太常;有恩澤婦女之求者,分視天后;所謂類將也。有珠玉之求者,視從魁,有弓矢劍戟之求者,視傳送;有圖書傘蓋之求者,視登明;有書籍之求者,視功曹;有雁羊酒食之求者,視小吉;有墓田之求者,視大吉;有魚鹽之求者,視天罡;有犬馬之求者,視天魁勝光;所謂類神也。
類神の陰神もまた吉であれば、前に行って干謁すべきである。干謁には必ず求める所有り、求める所には必ず各々類神有り。およそ貴人に見えて求める所が文書を掌る権の事であれば、すでに貴人を看たとはいえ、なお分けて朱雀を看るべきである。求める所が人情・面子であれば、分けて太陰を看る。求める所が衣料・布帛・穀米・糧食であれば、分けて太常を看る。求める所が恩沢あるいは婦女方面の事であれば、分けて天后を看る――これらを「類将」と言う。珠玉を求めるは従魁(酉)を看る。弓箭・刀剣・戈戟を求めるは伝送(申)を看る。図籍・傘蓋を求めるは登明(亥)を看る。書籍を求めるは功曹(寅)を看る。雁・羊と酒食を求めるは小吉(未)を看る。墳地・田産を求めるは大吉(丑)を看る。魚塩を求めるは天罡(辰)を看る。犬馬を求めるは天魁(戌)と勝光(午)を看る――これらを「類神」と言う。
視類將者,吉凶在所乘神。若神克其將,將則無權,力斯減矣。神傷日干,將亦從而傷之,類神凶矣,非徒無益,而且有損,求之何為?視類神精神雖在天官,力量卻由氣地。天官即非凶惡,而氣與地,卻值凶休者,類神雖現,無足取也。
類将を看るに、吉凶はその乗るあの地支の神に拠って決まる。もし神がかえってその載せる将を剋すれば、将は権柄なく、力量はそれに随って減弱する。もしこの神が日干を傷つければ、天将もまたそれに従い共に日干を傷つける。それは類神が凶に変じたのである。益なきばかりでなく、かえって損害あり、なおそれを求めて何を為さんか。類神を看るに知るべきは、その精神は乗る天将によって決まるといえども、力量はその気と臨む地とによって決まる。天将がたとい凶ならず悪ならずとも、気と地盤がまさに凶と休衰の処に落ちれば、類神は縦い課上に現れるとも、取り用いるに値しない。
凡干君王者,當視太歲之上下;干省府者,當視月建之上下;干尊長者,當視日德之上下。若即乘時得地,而又生合日干,則信任必專,而恩施自厚,往干可也。反此則有求榮得辱之患,干之何益?至夫吉凶諸煞,雖為克應之所必需,實因眾象而各有相能之用,未可膠視之者也。煞歷具在,無煩贅及矣。
およそ君王に干謁するに往くは、太歳の上神と下神を看るべきである。省府の大員に干謁するは、月建の上神と下神を看る。尊長に干謁するは、日干の徳神の上神と下神を看る。もしそれがすでに乗時でまた得地で、さらに日干と生合すれば、相手方の我に対する信任は必ず専一であり、恩沢もまた自ずから優厚である。前に行って干謁してよい。反対なれば栄を求めてかえって辱めを受ける危険あり、往いて何の益があろうか。各種の吉煞・凶煞に至っては、剋応を判断するに必須とはいえ、実際には衆多の象に配合して各々その用を顕すべきであり、死に板に看ることはできない。煞の例は暦書に具わっている、再び一々哂う必要はない。
約而言之,則不過四課定人我之情,三傳決始終之要;類神類將,指事而專求;本命行年,相參而比較;諸神煞關乎克應;精誠自可通靈,籲盡之矣。至於明吉而遁凶,是必防其暗損;明凶而遁吉,尚有與其默益。陰神休咎,所繫非輕;氣地興衰,相關最切;生剋制化之妙,易地而殊形;輕重虛實之微,騎牆而幻影:此皆占情之所易忽,而此事之所當詳者也。故於歸約之末,遂表而出焉。
総括すれば、ただこれのみ、四課を以て人我双方の情態を定め、三伝を以て事の始末・要害を決する。類神・類将は、具体の事に針して専ら求める。本命・行年は、両相参照して比較する。各種の神煞は剋応の遅早に関わる。占者が一片に精誠なれば自ずから通霊し得るに至っては――ああ、ここに尽きる。このほかにまた幾層かある。明処は吉で遁し出す天干が凶なれば、必ず暗のうちに損を受けるを防がねばならない。明処は凶で遁し出す天干が吉なれば、暗のうちになお一份の黙々たる益あり。陰神の吉凶は、関係は軽からず。気と地盤の兴衰は、関連は最も切なり。生剋・制化の妙は、一箇の地盤の形態を換えれば大いに同じからず。軽重・虚実の細微の処は、往々にして騎牆に両可し影影綽綽たり。これらは皆占断の時に最も忽略し易く、しかも恰も最も細究すべき処である。ゆえに本巻の帰納の末尾に、それらを特に標挙して出す。
巻之四 婚姻門
例約第一
欲卜婚姻,須分男女;既詳四課,亦視三傳。以天官察其類神,從五氣辨夫休旺。明神暗煞,皆所當求;破害刑沖,盡非吉體。品貌之分詳,根源有自;命年之互用,關係非輕。成與不成,兩言可決;得與不得,中有微機。孟仲罡加,亦關可否;始終遲速,尤貴得實;而古今占驗,則有前賢已試之成法,即心法也。
婚姻を占卜するには、まず男方と女方を分け清めねばならない。すでに四課を詳審する、また三伝を看る。十二天将を以て類神を考察し、四時の五気を以てそれが休か旺かを分辦する。明処の神と暗藏の煞は、皆一々推求すべきである。破・害・刑・冲のこの数様は、一つとして吉の格局はない。人品・相貌の詳細な分別は、各々その来歴・根源あり。本命と行年を交互に取用するは、関係もまた軽からず。婚事が成るか成らざるかは、二言で断じ得る。女方が娶り得るか否かは、そのうちに別に細微の機関あり。天罡が孟位・仲位に加わるも、また成否に関わる。事の始終と遅速は、推すこと切実なるを殊に貴ぶ。古今の占験の実例に至っては、それは前輩がすでに験證した成法、すなわち歴代の相伝の心法である。
干支正象第二
日干之象,為陽為天,夫星是主;日支之象,為陰為地,婦位攸關。喜其互合交生,惡其明刑暗克。若其旺相生合,而所乘者,又為貴合龍常,則姻緣之吉慶可知,投求亦易。若果休囚刑剋,而所乘者又見空元蛇虎,則彼此之乖違可慮,勉強非宜。且陰陽之氣,不宜偏勝;而陽勝其陰者,尚有可為。至上下之乘,不可刑戰,而內戰其外者,尤無可取。中多阻撓,必陰神之制傷。有口無心,必明生而暗鬼。
日干の象は陽に属し天に属し、夫のこの一端を主管する。日支の象は陰に属し地に属し、妻のこの位に関わる。それらが彼此相合し交互に相生することを喜び、それらが明に相刑し暗に相剋することを悪む。もし日干・日支が旺相でまた生合し、乗る天将がまた貴人・六合・青竜・太常のこの数位の吉将であれば、この親事の吉慶は想い知るべく、媒を提げに行くも易い。もし日干・日支が休囚に落ちまた相刑・相剋し、乗るがまた天空・玄武・螣蛇・白虎であれば、両家の乖違は顧慮に値し、勉めて凑合するは適さない。しかも陰陽の二気は一方に偏して独り盛んなるに宜しくない。もし陽のこの方が陰のこの方に勝れば、かえってなお為すべきあり。上神と下神の相乗に至っては、互いに刑戦すべからず。その中で下の神がかえって上の天将を剋する、すなわち内戦は、殊に取るべからざる。中途に多く撓阻あるは、必ず陰神の来て制伏・損傷するである。口では応諾し心では肯んぜざるは、必ず明処相生して暗に官鬼を遁し出すである。
若夫男家氣運,屬干類;女宅根基,亦歸支上。視其天官神煞,纖毫自可畢陳。審其上下乘臨,凶吉何難立辨。蓋惟旺相吉生,而帶吉煞者,必富貴慈祥,時臻吉慶。休囚凶克,而帶凶煞者,必衰微鄙吝,日見乖張。
男家の気運に至っては、日干のこの類に帰す。女家の門第・根基は、また日支の頭上に帰す。それらの乗る天将と帯びる神煞を看れば、繊細の処は自ずから皆一々顕現する。それらの上に何の将を乗せ下に何の地に臨むかを審察すれば、吉凶はどうして辧え清められないことがあろうか。およそ旺相で吉神の相生を得、また吉煞を帯びるは、あの家は必ず富貴で慈祥、時々に喜慶の事あり。およそ休囚で凶神の剋傷に遭い、また凶煞を帯びるは、あの家は必ず衰败して鄙吝、日に日に乖戻・反常と見える。
用伝変象第三
以三傳之變象而言,則初男末女,亦喜相生。而媒妁居中,最宜乘吉。天空元武,帶漫戲而不情;勾虎戰刑,必姻媒而啟競。初見凶神,末乘吉將,則必女旺而男衰;末見凶休,初逢吉旺,定屬男強而女弱。初傳克末,必男欲計圖其女,亦知男性之過剛;末克初傳,則女氏樂有其男,亦知婦懷之匪淑。
三伝の変化の象について言えば、初伝は男方を代表し、末伝は女方を代表し、両者の相生するをも喜ぶ。媒人は中伝に居り、最も吉将を乗るを宜とす。中伝が天空・玄武を乗れば、媒人は玩笑を好んで実心なし。中伝が勾陳・白虎を乗せまた戦に逢い刑に逢えば、必ずこの親事と媒人とによって争执を引起す。初伝に凶神を見て末伝が吉将を乗れば、必ず女方旺盛で男方衰弱。末伝に凶将を見て気が休衰、初伝が吉将に逢いて旺相なれば、それは必ず男強く女弱い。初伝が末伝を剋すれば、必ず男方が設法してあの女子を谋取せんとす、また男方の性情が余りに剛硬なるを見るべし。末伝が初伝を剋すれば、これは女家がこの男を得るを楽しむである、またこの婦人の心懐がならず賢淑ならざるを見るべし。
夫男欠佳,初見虎勾;婦女不良,末乘元合。因親締眷,三合旺相以為傳;以故聯新,六合初終而生日。聯茹而乘合虎?蛇,必帶子以親,否則定為懷胎之婦女;三交而見空陰太乙,必以賤而配偶,否則必係婢僕之姻緣。末見空元,何難改日移時,斯繫年庚之非實,而命頭見者同占。終逢蛇虎,是必陰殘頹廢,定多災疾之可虞,而年上見者同斷。
男方の人品が好からざるは、初伝に白虎・勾陳を見るである。女方の品行が良からざるは、末伝が玄武・六合を乗るである。旧親に凭って新眷を結ぶは、三伝が旺相の三合局を作すである。旧交によって新親を聯成するは、六合が初伝・末伝に現れまた日干を生ずるである。三伝が「聯茹」(位を連ねて相接する)を成して六合・白虎・螣蛇を乗るは、女方は必ず子を帯びて来て親を成す、さもなくば必ずすでに懐孕の婦人である。三伝が「三交」を成して天空・太陰・太乙を見るは、必ず低賤なる者と親を結ぶ、さもなくば必ず婢女・僕婦の一路の姻縁である。末伝に天空・玄武を見るは、期を改め日を挪すは常ある事である、これは報じ来る年庚の八字が真実ならざるがためである。本命の頭上にこの両将を見るは、断法は同じ。末伝に螣蛇・白虎を逢うは、あの女子は必ず陰処に残疾あるいは身が頽弱し、必ず多災・多病を擔心すべし。行年の上に見るは、断法もまた同じ。
后合初終,有後娶先奸之象;天孤地寡,有男鰥女寡之災,未可言成。故曰“空亡若值支干上,婚娶多為孤寡人,男占女卜皆非吉,縱到成時也不成”。不備八專,或經已聘;反吟別責,或屬重婚;凡日上發用青龍發支,則男家有欲娶之心,反陽緩而陰急;辰上發用,天后克干,則女家動欲嫁之念,雖欲晦而盡彰。
天后と六合が初伝・末伝に現れるは、先に私通し後に正式に迎娶する象あり。課に天孤・地寡を帯びれば、男の鰥居・女の守寡の災あり、この親事が成ると言うべからず。ゆえに言う、「空亡がもし日干・日支の上に落ちれば、嫁娶は多く孤寡の人となる。男占であれ女卜であれ皆不吉、縦い成るべき時に至るとも成り得ない」と。不備課・八専課に遇えば、あるいは女方はすでに人に許したことあらん。返吟課・別責課に遇えば、あるいは二婚・重娶に属せん。およそ日干の上に発用して、青竜が日支の上から発動するは、男家に娶らんとする心思あり、かえって明面は緊らず慢らず、暗裏には十分に着急す。日支の上に発用して天后がまた日干を剋するは、女家が嫁がんとする念を動かし、遮掩せんと欲するといえども、悉く露われ出す。
類神定象第四
以類神之定象而言,則龍亦為男,後亦為女。惟其所履之分,原俱喜合而忌沖,則其所乘之神,未可論刑而較克。但當即類而觀其刑休,則精神氣概,綽有成規。若以對待而責其乘臨,則可否從違,反無定見。蓋惟龍所乘臨,既當旺相生扶,且不內外刑戰,則伊男允為男子,而乘龍葉慶,抑又何疑?至於後得乘臨,亦不休囚空墓,且逢上下生合,則其女屬佳人,而跨鳳緣深,豈庸兩卜?
類神の固定の取象について言えば、青竜もまた男方を代表し、天后もまた女方を代表する。ただこの両位は各々その踏む本分あり、もともと皆相合を喜び相冲を忌む。ゆえにそれらの乗る神に対しては、単に刑を論じてただ剋を比するに宜しくない。ただ類神本身に就いてそれが刑を受けるか休衰するかを看れば、この人の精神・気概は大略準う譜がある。もし人我の対待のあの一套を拿って、それが上に何を乗せ下に何に臨むかを責問すれば、事の可否・従違はかえって定見を失う。およそ青竜の乗る所・臨む所がすでに旺相に当たり、また生扶あり、かつ内戦・外戦と刑剋とを成さなければ、あの男は確かに好男子であり、「乗竜」の慶はすでに成り、なお何の疑いがあろうか。天后の乗る所・臨む所もまた休囚・空墓に落ちず、かつ上下が生合するに至っては、あの女子は便ち佳人に属し、「跨鳳」の縁は深く、どうして再び第二の占を用いようか。
若龍克其辰,而在女家當之,自難必其首肯。然而以順為正,固妾婦之道也,何傷乎?惟為招贅之占,則第防辰本之遭龍制,恐終紿累乎丘山。若后克其日,而在男家得之,已難輕信人言。抑且陽制於陰,豈丈夫之利哉?無益矣。倘屬於歸之筮,是更忌。日本之被後傷,恐致禍延於舅姑。六合為媒,長男成象,老成練達,撮合通神。
もし青竜が日支を剋して、この課が女家において占ったものならば、自ずから彼女が必ず首肯することは保し難い。ただし順従を正道とするは、もともと人の妻妾たるの分際であり、これはむしろ妨げなし。ただ婿を招いて入門する事を占うのみ、日支の本身が青竜に制されるを防ぐべきである。ついには女家の山のごとく重き家業に連累するを恐れる。もし天后が日干を剋して、この課が男家において占ったものならば、すでに人の言を軽く信じ得ない。いわんや陽がかえって陰に制されるは、どうして夫たる人の利処であろうか。好きことなし。もし占うが女子の出嫁であれば、さらに日干の本身が天后に傷つけられるを忌む。禍事が公公・婆婆の身に牽連するを恐れる。六合は媒人であり、取象は長男と為り、老成・練達にして、撮合すれば神通すること甚だしい。
旺相則年輕家富而多能,休囚則年邁身貧而鮮力。乘陰為女,陽則為男,合身扶龍,則為男氏之念;偏陰亦即是伊瓜葛。生支黨後,則向女家之心較甚;亦即是彼宗親。陰見謾語天空,必多虛而少實;下臨空亡敗絕,自貧薄而空微。若問妝奩,惟財是類。豐因實旺,歉則空衰。最喜遁合遁生,不宜化官化鬼。
六合が旺相なれば、媒人は若く、家道は殷実でかつ能干である。六合が休囚なれば、媒人は年老い、身は窮して力量なし。六合が陰支に落つれば女媒、陽支に落つれば男媒。それが日干と相合しまた青竜を扶助すれば、すなわち男家に向く心である。陰神のあの一位に偏り助けるは、すなわち女方のあの辺の親戚である。それが日支を生じ、天后と結党すれば、それは女家に向く心がいっそう重い。同じく、これはすなわち女方の宗親である。六合の陰神が虚言を主る天空を見れば、媒人は必ず虚多く実少ない。六合が下に空亡と敗絶の地に臨めば、媒人は自ずから貧薄で取るに足らない。もし嫁妝を問うならば、財の爻を以て類神と為す。財が実にして旺なれば、嫁妝は豊厚。財が空にして衰なれば、嫁妝は菲薄。最も喜ぶは財の爻の遁し出す天干がそれと相合・相生すること、それが官星に化し官鬼に化するは宜しくない。
三傳天后,毋刑剋休囚;天喜一神,亦忌空亡墓絕。天空元武,總屬虛花;生氣生神,定臻實重。官爻亦類夫星,六合原為子息。天后不宜制合,制則子息維艱。乘神不可傷官,傷則夫星欠利。日本生辰,乃翁姑之定類;丈人岳母,取象於生辰。天后青龍,於斯較論;休囚克害,婚皆不宜。
三伝中の天后は、刑を受け剋を受けあるいは休囚に落つるべからず。天喜というこの神も、また空亡に落ち墓絶に入るを忌む。天空・玄武を見るは、帰するところ虚花の一場である。生気・生神を見るは、事は必ず実処に落ちて分量は厚重。官爻もまた夫の類神と作り得、六合はもともと子女を代表する。天后は制せられ合せられるに宜しくない、制せられれば子女は艱難。天后の乗る神は官爻を傷るべからず、官爻を傷れば、夫のこの一端は利ならず。日干の生ずる日支は、公婆の固定の類神である。岳父・岳母に至っては、また「生ずる支」の上から取象する。ここにさらに天后と青竜を拿て比較・論断する。一たび休囚に落ち、また剋に逢い害に逢えば、婚事は皆相宜ならず。
干纏女宿,丑度牽女,天后妻星,貴神夫象,二神相會,為牛女之交歡,兩相恰逢,正夫妻之好合。惟甲戊庚日神后作天后,大吉作貴人,而格為聯茹,不拘進退,皆其象也。得之者,吉無不利。
天干の纏るはまさに女宿であり、丑の分野はまさに牽牛と織女の二星である。天后は妻星であり、貴人は夫の象である。この両神が相会すれば、すなわち牛郎・織女の相歡である。両下で恰好に相逢えば、まさに夫妻の好合の象である。たとえば甲・戊・庚の三日、神后(子)の上に天后を乗せ、大吉(丑)の上に貴人を乗せ、しかも課格がまた「聯茹」を成せば、進茹であれ退茹であれ、皆この象に属す。この種の課を占得すれば、往くところ吉ならざるなし。
