期会良法第十三
凡有相期會合,而欲占其得會與否,及已去未去者,若占他人,則視天罡,罡臨日辰,定然得會,罡在日前則為已去,罡在日後,則尚未來。然又當以所加孟仲季參而定之。凡罡加孟則尚未至,加季則為已去,惟加仲則可會也。若占同伴則視勝光。凡勝光見於貴前,則為在前;見於貴後,則猶在後;若恰臨日辰,便可相會。視勝光者,午於卦為?,?遇也,故視之。
およそ人と約して面を碰げることを約し、遇い得るか否か・相手方がすでに走り去ったかそれともいまだ到らざるかを占わんとするは、もし占うが外人なれば、天罡を看る。天罡が日干あるいは日支の上に臨めば、一定に遇い得。天罡が日干の前に在れば、人はすでに走り去った。天罡が日干の後に在れば、人はいまだ来らず。ただしなおあたうべくそれが孟・仲・季のどの一位に加わるかを参照して定むべし。天罡が四孟に加われば、人はいまだ到らず。四季に加われば、人はすでに走り去った。ただ四仲に加わるのみ、こそ碰え得。もし占うが同行の伙伴なれば、勝光(午)を看る。勝光が貴人の前に現れば、人は前に在り。貴人の後に現れば、人はなお後頭に落つ。もし恰好に日干あるいは日支の上に臨めば、馬上に会面し得。なぜ勝光を看るか。午は卦の上で「姤」に属し、「姤」はすなわち相遇の意、ゆえにそれを看る。
家内吉凶占法第十四
凡身處客中,而欲占其家內吉凶何若者,則以日辰為主,而視其所乘天官言之,支為我之家也。故凡支上之神下生其支,而氣旺將吉,則必無事而安常。若支上神下脫其支,而上氣休囚,則多耗費;上神下克其支,而氣休將凶,則必多悔而駁雜。若支克其上,而上神旺相,則可庶幾。
およそ人が客中に在り、家裏の吉凶の如何を占わんと想うは、日干・日支を以て主と為し、それらの乗る所の天将を看て講ず――日支はすなわち我が家なり。およそ日支の上神が下に向かって日支を生じ、気がまた旺で将がまた吉なれば、家裏は必ず平安にして事なく、一切は常のごとし。もし日支の上神がかえって日支に生ぜられてその気を脱せられ、上神が自己でまた休囚に落ちれば、家裏は多く耗費あり。もし上神が下に向かって日支を剋し、気がまた休で将がまた凶なれば、家裏は必ず多く悔恨ありて事は杂乱なり。もし是れ日支が去りてその頭上の神を剋し、しかして上神がなお旧と旺相なれば、それはなお差不多に放心し得。
蓋吉凶所主,雖在上神,而事類所關,在於天將。即如鬼乘天乙,雖云鬼祟神祗,而晝夜陰陽豈無分辨?鬼作?蛇,雖主驚憂火盜,而旺衰虛實,能不周詳?大抵貴合龍常,吉事居多,而為凶亦淺。元勾朱虎,凶災常大,而為吉偏輕。天官各有所司,占者貴於類推,苟能達變,自可通窮。妻子父兄,式內豈無其象?刑沖德合,類端各有其神,周覽旁搜,情表自見,仰觀俯察,象類分明。
吉凶は固より上神の主管する所、しかし事がどの類に属するかはしかし天将の上に在り。たとえば官鬼が天乙を乗るは、鬼祟・神霊を主すと言うといえども、白天・黑夜、陽に属し陰に属し、どうして分辦すべからざるべけん。官鬼が螣蛇と作るは、驚憂・火災・盗賊を主すと言うといえども、それが旺か衰か・虚か実か、能く周詳に推究せざるべけんや。大体に言えば、貴人・六合・青竜・太常のこの数位は、吉事多く居り、たとい凶を為すとも浅し。玄武・勾陳・朱雀・白虎のこの数位は、凶災往往にして大、たとい吉を為すとも軽し。十二天将は各々その職司あり、占う者は類推するを貴しとす。ただ能く変化に通達すれば、自ずから至る処に講じ通ぜん。妻子・児女・父親・兄長、課式の中にどうしてそれらの象なからん。刑・冲・徳・合、毎一類は皆各々対応の神あり。四面に周覧し多方に搜尋すれば、内情・表象は自ずから顕現す。仰ぎ天神を観、俯き地盤を察すれば、象と類と便ち清清楚楚なり。
巻之七 三才門
三才易簡例約第一
六壬,象學也。運式以占,象亦夥矣。一日十二時,課亦十二而止。十二課內,象則萬千,若但以課體求之,則萬千之象,無從出現,而五行之用,反為所拘矣。是故三才易簡之法,不可不急講也。蓋日辰之象,為兩儀,貴賤尊卑,由此而定。四課之體為四象,剛柔內外,從此而分。三傳之象,為三才,初中末伏,從茲而備。然兩儀之成四象也,實乃三才之具體;三傳之三才也,實即兩儀之化身;是則所謂課體,而萬類各有三才之用矣。
六壬は一門の象を講ずるの学問なり。課式を転動して占えば、象は多きこと甚だし。一天に十二箇の時辰、課式もまた十二種に過ぎず。しかしこの十二課の裏に含む所の象はしかし千万万あり。もしただ課体の上より求めれば、あの千万種の象は出で来らず、五行の用はかえって課体に框れて死せらる。ゆえに「三才易簡」のこの一套の办法は、急いで講明せざるを得ざるなり。日干と日支との象は両儀、貴賤・尊卑はこれに由りて定まる。四課の格局は四象、剛柔・内外はこれに由りて分かる。三伝の象は三才、初・中・末と伏蔵とはこれに由りて斉備す。然るに両儀の四象と為る所以は、実際にはすなわち三才の具体の展開なり。三伝の成す所の三才は、実際にはすなわち両儀の化身なり。これが便ち所謂る課体。しかして万事・万類もまた、各々自らそれら自身の一套の三才あって用いるべし。
如占婦女,則責天后為類,天后婦女之象也。即令式中無天后,亦當視天后之所乘臨。乘即天后所乘之神也。臨即乘神所臨之宮也。后所乘神,即為初傳,初之陰神即為中傳,中再傳之神,即為末傳,是即所謂類神之三傳。始終情形,皆在於此。按此而求,盡堪取象,所以不必全拘課體而斷吉凶。蓋凡末有所主,而概占大象,則吉凶情形,專在課體。若既有所主而占,則事各有類,類各有象,即類以定三傳,即三傳以言休咎,情形自露,不必徒求課體,即所謂易簡也。
たとえば婦女を占うは、天后を責問して類神と作す、天后は正に婦女の象なるがゆえに。たとい課式の三伝の裏に天后なしとも、またあたうべく天后の乗る所の神と臨む所の宮とを去りて看るべし。「乗」はすなわち天后の乗るあの位の地支の神、「臨」はすなわちこの位の神の落つるあの箇の地盤の宮。天后の乗る所の神を便ち初伝と作して当て、この初伝の陰神はすなわち中伝、中伝がさらに上へ一層往けばすなわち末伝、これが便ち所謂る「類神の三伝」。事の始末の情形は、全くこの裏頭に在り。この办法に照らして去りて求めれば、尽く象を取るに足る、ゆえに必ずしも完全に課体を拘泥して吉凶を断ぜず。およそ心の裏にいまだ一定の問う所なく、ただ笼统に一箇の大象を占うは、それならば吉凶の情形は専ら課体の上に看る。もしすでに明確の問う所有れば、則ち事は各々類あり、類は各々象あり、類神に就いて三伝を定め出し、さらにこの三伝に就いて吉凶を講ずれば、情形は自ずから顕露す、必ずしも力を白費して課体を抠うに及ばず――これがすなわち所謂る「易簡」である。
凡占貴人,則視天乙之三傳,而謁貴干求者,亦同責焉。占夢寐、怪異、憂疑、驚恐則視騰蛇之三傳,而爐灶之具,亦俱責矣。占文字、口舌,則視朱雀之三傳,而飛禽、書信、詞訟之屬,亦並責焉。占子孫、交易、婚姻、媒保則視六合之三傳,而小兒、竹木器具、舟車、門戶、床榻、盒桶等物,亦並責焉。占勾連、鬥訟則視勾陳之三傳,而軍旅、墓田、捕役、差人之類,亦皆責焉。占賢良、財帛、及書吏則視青龍之三傳,而擇婿、求文職功名,亦同責焉。
およそ貴人を占うは、天乙の三伝を看ればよい。貴人に謁見し、人に向かって干求するも、同じくそれを責問す。夢境・怪異・憂疑・驚恐を占うは、螣蛇の三伝を看ればよい。炉竈の一類の器具もまた、皆それを責問す。文字・口舌を占うは、朱雀の三伝を看ればよい。飛禽・書信・詞訟の類もまた、一倂にそれを責問す。子孫・交易・婚姻・媒人・保人を占うは、六合の三伝を看ればよい。小孩・竹木の器具・舟車・門戸・床榻・盒桶などの物もまた、一倂にそれを責問す。勾連・牽扯・闘殴・訟事を占うは、勾陳の三伝を看ればよい。軍隊・墳田・捕快・差役の類もまた、皆それを責問す。賢良の士・銭財および書吏を占うは、青竜の三伝を看ればよい。女婿を挑ぶ・文職の功名を求めるも、同じくそれを責問す。
占小人、奴僕、僧道則視天空之三傳,而上書、通啟、虛誕、詐偽之屬,亦俱責焉。占疾病、道路則視白虎之三傳,而出師、征討、死喪之事,亦並責焉。占尊長、財帛則視太常之三傳,而米麥、布帛、衣裳、絲絮、藥食、武途功名,亦並責焉。占盜賊、逃亡、走失、乞丐則視元武之三傳,而行兵、行人、水利、溝渠等事,亦以責焉。占外戚、私慝、婢妾、婆媽、老婦、尼姑則視太陰之三傳,而陰私、囑託、金銀錢、石磁器等,亦同責焉。
小人・奴僕・僧道を占うは、天空の三伝を看ればよい。上書・通報の書啓・虚誕・詐偽の一類もまた、皆それを責問す。疾病・道路を占うは、白虎の三伝を看ればよい。出兵・征討・死喪の事もまた、一倂にそれを責問す。尊長・銭財を占うは、太常の三伝を看ればよい。米麦・布帛・衣裳・糸綿・薬物・飲食・武職の功名もまた、一倂にそれを責問す。盗賊・逃亡・走失・乞丐を占うは、玄武の三伝を看ればよい。行軍・門を出でて外に在る人・水利・溝渠などの事もまた、一倂にそれを責問す。外戚・私下の不正の事・婢妾・老妈子・老婦・尼姑を占うは、太陰の三伝を看ればよい。陰私・請託・金銀の銭幣・石器・瓷器なども、同じくそれを責問す。
占婦女,則視天后之三傳,而擇婦、望恩澤、封誥、赦書者,並皆責焉。蓋類神所乘之神,雖各有三傳可責,然須與日辰行年與制類者,尚可從吉言也。若日年落空,百事無成。惟類自作空,不以空論。
婦女を占うは、天后の三伝を看ればよい。媳妇を挑ぶ・恩沢を盼望する・封贈の誥命を求める・赦書を等候する人もまた、皆それを責問す。類神の乗る所の神は各々皆一套の三才あって責問すべきといえども、なおならねば日干・日支・行年と相配合し、かつ能くそれらの類神を剋害するの物を制伏して、こそ以て吉に拠って講ずべし。もし日干と行年とが空亡に落ちれば、則ち百事は成るなし。ただ類神が自己で空に落つるのみ、空亡に拠って論ぜず。
然神與將又有變通之法,將即神,神即將。如占貴人尊長,本當專視責天乙,若或課傳無天局,而大吉出現,則視大吉之三傳以斷吉凶。不必更求天乙矣。如占財帛本應專責青龍,如或無青龍,而功曹出現,則視功曹之乘臨,以及三傳,不必更求青龍矣。或式中無青龍,而太常出現,則視太常之三傳以定休咎,不必更求青龍功曹矣。是即所謂變通也。
ただし神と将との間にはなお一套の変通の办法あり。将は以て神と作して看るべく、神もまた以て将と作して看るべし。たとえば貴人・尊長を占うは、本に応に専ら天乙を看るべし。もし課伝の裏に天乙のあの一路を見ず、しかして大吉(丑)が現れれば、大吉の三伝を看て吉凶を断ず、必ずしもさらに去りて天乙を找るに及ばず。さらにたとえば銭財を占うは本に応に専ら青竜を責むべし、もし青竜なくして功曹(寅)が現れれば、功曹の乗る所・臨む所およびその三伝を看る、必ずしもさらに去りて青竜を找るに及ばず。あるいは課式の裏に青竜なく、しかして太常が現れば、太常の三伝を看て吉凶を定む、必ずしもさらに去りて青竜・功曹を找るに及ばず。これがすなわち所謂る変通である。
類神三伝変通法引証第二
八月丁巳日辰將酉時占婦女事。子丑寅卯;常蛇陰六,財酉陰;亥、辰,未子酉寅,子辰龍;戌、巳,子巳寅丁,官亥貴;酉申未午。
八月丁巳日、辰将を用いて酉時に加えて課を起す、婦女の事を占う。地盤は常に照らして子・丑・寅・卯より排して亥に至り、辰・戌・巳・酉・申・未・午。辰将は酉に加わり、天盤の神は皆その臨む所の地盤より五位を退後す。四課は、日干の丁は宮を未に寄せ、未の上に寅を得、寅の上に酉を得。日支の巳の上に子を得、子の上に未を得。四課の上神・未・子・酉・寅は分別に太常・螣蛇・太陰・六合を乗る。三伝は酉・辰・亥と為る。初伝の酉は妻財、太陰を乗る。中伝の辰は子孫、青竜を乗る。末伝の亥は官鬼、貴人を乗る。貴人は天盤の亥上に在り、天将は順行す。
斷曰:占婦女事,則視天后之三傳,三傳戌巳子,將後空蛇,以初傳言之,后乘天鬼,加卯臨門,內戰不安,則其所主者,不得自安之事也。戌與卯合,是有求和之意。八月卯為月破,甲寅旬卯為盜神,天魁之將為下賤。后乘下賤之神,下臨無氣之地,其為下賤婦女可知。下為盜神月破,合而克之,其所不安者必憂失盜亡財帛之事矣。
断語に言う。婦女の事を占うは、天后の三伝を看ればよい。天后は戌を乗り、戌の陰神を取りて巳を得、巳の陰神は子を得、ゆえに類神の三伝は戌・巳・子、乗る所の天将は依次に天后・天空・螣蛇なり。まず初伝を言う。天后は天鬼の神たる戌を乗り、卯の上に加わりて地戸の門に臨み、上下は内戦して安寧を得ず、彼女の主る所は一件の自ら安生を得ざるの事なるを見るべし。戌と卯とは相合す、求め和ぐるの意あるなり。八月の裏に卯は正に月破、甲寅旬の中に卯はまた盗神、しかして天魁の戌のこの位の神は本身が便ち下賤を主る。天后がこの位の下賤の神を乗り、下に臨むは気なきの地、以て知るべしこれは一箇の下賤の婦人なり。彼女の脚下は正に盗神にして月破を兼ね、彼女と相合すれどもまた彼女を剋す、彼女の安ならざる所は、必ず失盗・財物の丢失を憂慮するの類なるを見るべし。
以中傳言之,太乙為天空,空為欺詐不實之象,八月巳為天鼠煞,情必涉鼠,陽現其象,情歸於陰。中即後之陰,以末傳言之,神后為蛇,子又為鼠,蛇為怪異,家有鼠為怪。天鼠即是小耗,正月起子逆行十二支,所主欺詐耗財,鼠耗之名,蓋本於此,其所憂盜失亡財也。
さらに中伝を言う。太乙の巳火は天空を乗る、天空は欺詐・不実の象。八月の裏に巳は正に天鼠の煞、事が必ず「鼠」と関有るを見るべし。陽位の上に顕出するは外在の象、真情はしかし陰神に帰す。中伝は正に天后の陰神、ゆえに内情はそれに由りて顕出す。さらに末伝を言う。神后の子水は螣蛇を乗る、子は本身がまた鼠、螣蛇は怪異を主る、家裏に老鼠あって祟を作すは正に一種の怪異なり。天鼠はすなわち小耗の煞、正月より子に起こり十二支を逆行す、主る所は欺詐と財を耗やすと。「鼠耗」のこの名目は、大概すなわちここより来る。ゆえに彼女の憂うる所は正に失盗・亡財と断ず。
此課如占貴人,則視天乙之三傳,三傳亥午丑,將得貴虎朱,以初傳言之,貴人履獄,處非其地,必有憂患,若非病厄,則有過失。蓋陰得勝光,為白虎,為疾病之神,內戰憂重,故主病厄,末見大吉乘朱,下臨六害,八月開刑在午,死氣在丑,當因死刑文字而責罰黜退之憂。
この一課もし占うが貴人なれば、天乙の三伝を看ればよい。天乙は亥を乗り、亥の陰神は午を得、午の陰神は丑を得、ゆえに三伝は亥・午・丑、乗る所の天将は依次に貴人・白虎・朱雀なり。まず初伝を言う。貴人は天獄の位を踏み、処る所はそれの在るべき所にあらず、必ず憂患あり、疾病の厄にあらざれば、則ち過失あり。その陰神は勝光の午火を得て白虎を乗る、白虎は疾病の神、また内戦に逢う、憂はいっそう重し、ゆえに病厄と断ず。末伝に大吉の丑土が朱雀を乗るを見、下に臨むは六害。八月の開刑は午に在り死気は丑に在り、ゆえにあたうべく死刑の文書に因りて責罰・黜退を遭うの憂患あるべし。
如占父母,則視太常之所乘臨,而以三傳言之,三傳未寅酉,將得常合陰,以乘臨言之,常乘小吉臨子,子未六害,而又空亡,則所主者,孤寒也。占父則無母,占母則必無父,否則定當遠出。凡類臨空亡,十有九死,在外者不得還家,是則所謂類神之初傳,主其事者也。
もし占うが父母なれば、太常の乗る所・臨む所を看て、かつその三伝に拠って講ず。太常は未を乗り、未の陰神は寅を得、寅の陰神は酉を得、ゆえに三伝は未・寅・酉、乗る所の天将は依次に太常・六合・太陰なり。まず乗る所・臨む所を言う。太常は小吉の未土を乗りて子の上に臨む、子と未とは六害、また空亡に落つ、ゆえにその主る所は孤苦・寒微――父を占えば便ち母なく、母を占えば則ち必ず父なし。然らざれば、また一定に一位の遠く出でて外に在るあり。およそ類神が空亡に臨むは、十中八九は死了せるなり。外に在る人もまた家に回る能わず。これがすなわち所謂る類神の初伝、この件の事の当の本人を主管す。
以中傳言之,功曹乘六合,乘木克未為鬼,八月寅為死符又為枯骨合乘死木為棺,皆作吉象,以末傳言之,從魁乘太陰,重金乘旺,遞克類陰,所謂鬼來催鬼,鬼催人死者是也。寅為死門而太陰夜神之酉,臨夜位之鬼門,是為冥道也。末為歸計,而入冥道?豈父母之利哉?從魁見於日陰,業已在外,而又傳出他處,則有異鄉之角,是則死於他鄉之兆也。
さらに中伝を言う。功曹の寅木は六合を乗る、木を以て未土を剋す、類神に対して言えばすなわち官鬼なり。八月の裏に寅は死符、また枯骨と言う、六合がこの株の死木を乗る、取象を棺材と為す――これらは皆好象にあらず。さらに末伝を言う。従魁の酉金は太陰を乗る、金気は重々にしてまた旺に当たり、層々に去りて類神の陰神を剋す、これがすなわち所謂る「鬼が来て鬼を催し、鬼が人を催して死せしむ」。寅は死門、しかして太陰は夜神に属し、その乗る所の酉はまた夜位の鬼門の上に臨む、これが便ち冥途に通ずるの路なり。末伝は事の帰結、帰結はしかし冥途に走り入る、これはどうして父母の福ならんや。従魁はまた日干の陰神の上に現る、人はすでに外に在るを説明す。如今また別の処に伝じ去れば、便ち異郷に客居するの意味あり、これは正に他郷に死するの兆頭なり。
蓋式中內外之內,惟前後為主,視類者便從類前類後言之。類後為內,類前為外耳。六合之中,前後凡七,七在對沖,而前後均得其六,凡在二三則為近,在五六則為遠。按此占,小吉為類臨子,恰當前六,故言遠;下臨空害,故言死亡,類陰凶克,而末酉傳出他處,為冥道,故言死在他鄉。
課式の裏に内外を分かつは、主として前後を以て準と為す。類神を看れば、類神の前・類神の後より講ず――類神の後は内と算え、類神の前は外と算う。十二支は繞りて一圈と成り、前後は各々七位を数え、第七位は正に对冲の地、ゆえに前後は各々実に六位を得。第二・第三位に落つるは近しと算え、第五・第六位に落つるは遠しと算う。この一課に就いて言えば、小吉の未土は類神と作して子の上に臨む、恰好にそれの前面の第六位、ゆえに遠しと断ず。脚下はまた空亡に落ちまた六害に逢う、ゆえに死亡と断ず。類神の陰神は凶にして相剋し、末伝の酉金はまた別の処に伝じ去りて冥途と成る、ゆえに彼は異郷に死すと断ず。
如占子孫事,則視六合乘臨,今合乘功曹,下臨丁火,在外耗脫,而功曹於八月為死木,又煞為死符枯骨,皆非吉象。以丁言之,死木不能生囚火,子孫徒自脫耗,而無益於父母也。以未言之,則未為木墓,子孫投墓亦非吉象,是則類神之乘臨所主,亦即所謂初傳為主事之人也。
もし占うが子孫の事なれば、六合の乗る所・臨む所を看ればよい。この一課は六合が功曹の寅木を乗り、下に臨むは丁火の位、これは外に在りて耗散・脱気す。しかして寅木は八月の裏に死木、帯びる所の煞はまた死符・枯骨、皆吉象にあらず。丁火のこの一頭に就いて言えば、死木は囚気の火を生じ動かざる、子孫は白白に自己を脱耗し、父母に対して毫も益なし。未土のこの一頭に就いて言えば、未は木の墓庫、子孫が墓の裏に投げ入るもまた吉象にあらず。これがすなわち類神の乗る所・臨む所が何を主るか、すなわち所謂る「初伝は当事の人を代表す」。
以中傳之類陰而言,則從魁為月建,月建為官長,從而克之,則當有官長仇難之災。以死木逢旺金,凶何如之?爺見其仇,俯臨其丘,非子孫之利也。以末傳歸計而言,則辰雖乘龍,為子孫之財,奈財反助鬼為官,丙辛辰酉合助莫解,而所帶之煞,又為白衣,死別凶可知矣。
中伝のこの類神の陰神に就いて言えば、従魁の酉金は正に八月の月建、月建は官長を代表す。それがかえって類神を剋すれば、則ちあたうべく官長の為難・仇怨を結ぶの災禍あるべし。いわんや死木が旺金に碰上するをや、凶はどの地步に到るか。父親は自己の仇家を見、また頭を低し俯きて墳丘に臨む、これは子孫に対して好事にあらず。末伝のこの帰結に就いて言えば、辰は青龙を乗り、また子孫の財なるといえども、無奈にこの財はかえって去りて官鬼を幇助し化して官星と作る。丙辛は相合し辰酉は相合し、両重の合力が糾結して解けず、帯びる所の煞はまた白衣の煞、生死に永別するの凶は想い知るべし。
蓋凡占問子孫,不宜見者有六,一不宜落空,二不宜投墓,三不宜傳見官鬼,四不宜煞帶二死,五不宜蛇虎魁罡加臨年命,六不宜氣乘囚死。若全見者,必有死亡之事,惟加臨旺相而傳得其吉者,則有喜慶。若既見游煞、斬關、丁馬,而傳又逢凶,年上又見元空者,主有逃亡劫耗之患。此其大略也。若神而明之,則又存乎其人,難以言傳矣。
およそ子孫を占問するに、六様あって見るべからざるもの。一は空亡に落つるに宜しからず。二は墓庫に投入するに宜しからず。三は三伝の中に官鬼を見るに宜しからず。四は帯びる所の煞が死符・死気のこの「二死」なるに宜しからず。五は螣蛇・白虎・河魁・天罡が行年・本命の上に加臨するに宜しからず。六は気が囚・死に落つるに宜しからず。もしこの六様を全く見れば、必ず死亡の事あり。ただ旺相の地に加臨して三伝がまた吉を得るのみ、こそ喜慶あらん。もしすでに游煞・斬関・丁神・駅馬を見、三伝がまた凶に逢い、行年の上にさらに玄武・天空を見れば、則ち逃亡と劫を被り耗散するの患あるを主す。これはただ一箇の大略。神明の変通に至っては、則ち各々の人の自己に在り、言語を以て伝授し難し。
凡辰為宅舍,而子孫之占,亦當責及辰為子孫之類位也。若辰戌丑未乘蛇虎臨辰,而辰為亥子則是子孫為土所制,法憂少小。蓋亥子皆是少小之象,支神乃是卑幼之位,故當責也。
日支は宅舍を代表す、しかして子孫を占う時もまたあたうべく一倂に日支を責問すべし、日支は同時にまた子孫の居る所の位なるがゆえに。もし辰・戌・丑・未のこの数位の土神が螣蛇・白虎を乗せて日支の上に臨み、しかして日支が正に亥あるいは子なれば、それはすなわち子孫が土に制せらるる、法に拠って年幼の孩子を担憂すべし。亥と子とは皆幼小の象、日支の神はもともとまた卑幼の位、ゆえに必ずそれを責問せねばならない。
