品貌根源第五
欲知女貌之妍媸,須視后乘為稟受;欲識邇來之色相,憑年上為轉移。故凡后乘無戰,氣正當時,而又下履生旺之地,上乘生旺之天者,則其本來面目,當秀麗端正,無煩辭說矣。
女子の相貌が美か醜かを知るには、天后の乗る神を看るべし、それは彼女の天生の禀赋である。彼女の近来の気色・形容を知るには、行年の上神に凭る、それは後天の変化を管する。およそ天后の乗る神が剋戦を受けず、気がまたまさに時令に当たり、下に踏むは長生・帝旺の地、上に乗るはまた生旺の天であれば、彼女の本来の面目は必ず秀麗で端正である。これは多く言うに及ばない。
惟是天命靡常,韶光日逝,年神既遂氣化而不齊,色相自隨年運而遷變,故年上將神,堪占顏色。而天官神煞,可驗吉凶。若果年神旺相不空,而無內外戰刑,則水清金白,綽有可憑;土重火紅,皆堪指責;木主清癯而柔善;魁罡急燥而粗頑;月厭咸池,難言貴重;天空元武淫賤無疑;蛇虎爭戰而帶病符,傷殘是慮;勾朱刑害而兼謾語,唇舌滋多。此其定象也。
ただ天命は常なく、青春は日に日に流れ去る。行年の神がすでに気化に随って年年同じからざれば、人の容色もまた自ずから年運に随って移り変わる。ゆえに行年の上の神と将は以て容貌を占うべく、天将・神煞は以て吉凶を験すべし。もし行年の神が旺相で落ちず、また内戦・外戦と刑剋となければ、すなわち、水に属するは皮膚が清潤、金に属するは肤色が白皙、皆取るべし。土に属するは厚重に顕れ、火に属するは面色が偏りて紅、皆なお挑剔するべきあり。木に属するは清痩で性は柔和・善。魁・罡(戌・辰)を見るは性が急躁で相貌は粗蠢。月厭・咸池を帯びるは、貴重と言うべからず。天空・玄武を見るは、淫賤なること疑いなし。螣蛇・白虎が相争戦しまた病符を帯びるを見るは、身上に傷残あるを擔心すべし。勾陳・朱雀の刑害でまた謾語煞を兼ねるを見るは、口舌・是非が特に多し。これがすなわちそれの固定の取象である。
若以五行相配言之,則年上下,未可或遺,而生克旺休,亦當兼視。蓋水木有相生之雅,火金有克戰之嫌,木土見而脾胃欠安,金火逢而肺腸兼患。木金慮損,土水經愆,吉凶須視天后,克應詳夫神煞。害逢丑午,眸子應災;若逢卯辰,患歸手足;朱乘亥子,定麻其面;雀生寅申,須知髮稀;乘四土為雀斑,臨巳午主能文。
もし五行の相配に拠って講ずれば、行年の上神と下神は皆看漏すべからず、それらの間の生剋と旺衰もまた一倂に考慮すべきである。水と木とは相生の和美あり、火と金とは剋戦の嫌隙あり。木土の相犯を見れば、脾胃は安からず。金火の相戦に逢えば、肺と腸とは皆病を生ず。木が金に傷られれば、肢体の損傷を慮るべし。土水が相犯れば、月経はすなわち失調する。要するに吉凶は天后を看るべく、剋応の細節は神煞を詳査すべし。相害して丑と午とに逢えば、眼睛の上に災に応ず。もし卯と辰とに逢えば、毛病は手足に落つ。朱雀が亥・子を乗れば、臉上に定めて麻点あり。朱雀が寅・申に落ちて生を受ければ、この人の頭髪が稀少なるを知るべし。朱雀が辰戌丑未の四土を乗れば、臉上に雀斑あり。朱雀が巳・午に臨めば、すなわち文を能くし写を善くするを主す。
命年関係第六
男年女命,雖各視其乘臨,以言休咎,而彼此相求,具可詳其成敗,以決疑違。若為用度交加而無戰刑,則赤繩之繫,業經前定,雖遐必成。即見異方遙合,而當旺相,則有青鳥之傳,自必易孚,既成且速。若女年克其男命,而後且剋日、克官、克龍,則反居鬼空無氣之鄉者,女必傷夫。若男命克其女年,而龍更克辰、克財、克后,則復陷廢休傷害之地者,行將損婦。
男方の行年と女方の本命は、各々その乗る所・臨む所を看て吉凶を断ずるといえども、両者を一つに放ち互いに推求すれば、すなわちこの親事の成敗を詳しく知ることができ、以て疑難を決断するに足る。もし発用と行年・本命が交相に加臨して戦剋・刑傷なければ、それは月老の紅縄がすでに繋ぎ定められたのであり、両家が隔たること再び遠くとも必ず成る。たとい隔方に遥かに作合するも、ただ旺相に当たるさえすれば、それもまた青鳥の書を伝えるの応あり、自ずから信を取り易く、成り得るのみならず、しかも成ること速い。もし女方の行年が男方の本命を剋し、しかも天后がまた日干を剋し・官星を剋し・青竜を剋し、かつかえって官鬼・空亡のこれら無気の郷に落ちれば、この女子は必ず夫を傷剋す。もし男方の本命が女方の行年を剋し、しかも青竜がまた日支を剋し・財爻を剋し・天后を剋し、かつ廃・休・傷・害の地に陥れば、この男子は後日に妻室を損傷せん。
成改遅速始終瑣象第七
成不成,莫相刑。以二后之與日上較言也。凡日上神與后所乘神相刑則不成,否則宜成。兩言決之耳。蓋不惟日辰之上下,彼此不宜相刑,即後之所乘亦不宜與日上相刑,刑其日上之神,猶之乎刑日也。刑日則已不利於男,何可成也?
「成るか成らざるかは、相刑あるか否かを看る」――これは天后の乗る神と日干の上神とを比較して言うのである。およそ日干の上神と天后の乗る神とが相刑すれば、この親事は成らない。相刑せなければ成るべきである。二言で断ずる。日干・日支の上下の彼此が相刑に宜しくないのみならず、天后の乗る神すらまた日干の上神と相刑に宜しくない。日干の上神を刑すれば、日干の本身を刑するに等しい。すでに日干に刑及ぶれば、すでに男方に利ならず、どうしてなお成ることができようか。
得不得,制其物。以干上神能制支上神,否則異方三合之神得之,上能制支辰也。凡日上神能制支上神,或異方三合之神加支,而制其支,則易得,否則難得。亦兩言決之耳。物雲者,支為物也。如甲子日戌加子之類。按此二法,只因支干上下無交生互合之象,特變通而次第求之,以占成與得之可否耳。然成得兩字者,則有所指不可漫然忽過。蓋成則坦懷而無慮,故但視刑。得則著意而有為,故須求制。至於天罡之加,則又不得已而視之,以決疑耳。非真有關於男女之休咎也。
「得るか得ざるかは、あの物を制し得るか否かを看る」――すなわち日干の上神が日支の上神を制し得るか否かを看る。もし能くせなければ、隔方の三合の神が日支に加わり、それによって上より下に日支を制するがあるか否かを看る。およそ日干の上神が日支の上神を制し得るか、あるいは隔方の三合の神が日支に加臨して日支を制すれば、得ること易し。さもなくば得ること難し。これもまた二言で断定す。いわゆる「物」とは、日支が物を代表するがゆえである、たとえば甲子日に戌が子の上に加わるの類。この両条の办法は、ただ日干・日支の上下の間に交生・互合の象なきがゆえに、特に変通して、順次に推求し、以てこの親事の成るか成らざるか・女方の得るか得ざるかを占うのである。ただし「成」と「得」のこの二字は各々指す所有り、含糊に放過すべからず。成とは、心に坦然として顧慮する所なき、ゆえにただ刑あるか否かを看る。得とは、意を着けて一番為すを要す、ゆえに必ず制し得るか否かを求む。天罡の加臨する位を以て看るに至っては、それはさらに已むを得ずして用いるもの、ただ疑いを決するがためのみ、真に男女の吉凶と何の関係もあるにあらず。
蓋孟為事始,虛則未實,故難言成。仲介事中,騎牆莫決,故亦難必。季則實為事之終,故可得而成也。遲速之機,則觀休旺,旺相則宜速就,休囚惟利遲成。始終之義,則視三傳,初吉末凶,則有始無終;初凶末吉,則先難後易。中凶多變,中吉無虧。三傳俱吉,而遞生日辰者,百年可與其齊眉。龍后休囚,而傳遞克之者,二姓恐難於偕老。
天罡が寅・申・巳・亥のこの四孟位に加わるは、事は剛に頭を開き、虚にして未だ実ならず、ゆえに成ると言い難し。子・午・卯・酉のこの四仲位に加わるは、事はまさに中途に在り、騎牆して決せず、ゆえにまた断じ難し。辰・戌・丑・未のこの四季位に加わるは、こそ事の落實・收尾なり、ゆえに得るべく成るべし。快慢の機関は則ち休旺を看る。旺相なれば急いで弁ずべきであり、休囚はただ慢く成るに利あり。始終の道理は則ち三伝を看る。初伝が吉で末伝が凶なれば、始めあって終わりなし。初伝が凶で末伝が吉なれば、先に難く後に易し。中伝が凶なれば中途に変多く、中伝が吉なれば中途に虧なし。三伝が全吉で層々に日干・日支を生ずるは、夫妻は百年に案を挙げ眉に斉し得る。青竜・天后が休囚に落ち、しかも三伝がまた層々にそれらを剋するは、両姓はおそらく白頭に偕老し難し。
古今占験第八
婚姻為人倫之首,即關風化,更切宗祧,而百年休咎,全在於此,誠非細務也。乃古今占驗,獨不多存,其故為秘惜而不輕示人耶?抑理數元微,成法未可盡拘,正不必多存也?然而引伸觸類,取用方可不窮;而刻舟求劍,識見反多窒隘,雖多亦奚以為?
婚姻は人倫の首であり、風俗・教化に関わるのみならず、さらに宗族・香火の延続に渉り、しかも一生の禍福は全てこの上に係る。実に小事ではない。しかるに古往今来の占験の記録は、偏に留まること多からず。前人がそれを秘密に珍蔵して、軽々しく人に示すを肯んぜざりしがためか。それとも理と数とが玄妙・精微にして、成法は拘泥して照搬すべからず、もともと多く留めるに及ばざるがためか。しかし言うを戻せば、挙一反三・触類傍通し得てこそ、取用はこそ無窮に尽きざる。もし舟を刻みて剣を求めるがごとく照抄すれば、見識はかえって処処に堵塞する。それならば例を留めること多くとも何の用かあらん。
占験一
己酉年三月己卯日戌將辰時,男戊辰生四十二歲,女己丑年生二十一歲,申酉空,寅卯落空。未午;蛇貴后陰;亥子丑寅,元六青後,官己卯元,女:丑命子年;朱、戌、卯玄,卯酉未丑,子乙酉後,戌、丑;六、酉、辰常,酉卯丑己,官己卯元,男:辰命未年;勾、申未午巳虎;龍空。
己酉年三月己卯日、戌将を用いて辰時に加えて課を起す。男方は戊辰年生、四十二歳、本命は辰、行年は未。女方は己丑年生、二十一歳、本命は丑、行年は子。己卯日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に在り、しかして天盤の寅・卯は恰好に地盤の申・酉の上に落つ。ゆえに寅卯が空に落つと言う。戌将が辰に加われば、天盤と地盤とは処処に相冲す、これは「返吟課」である。天将は天盤の子上の貴人より逆に布く。子は貴人、亥は螣蛇、戌は朱雀、酉は六合、申は勾陳、未は青竜、午は天空、巳は白虎、辰は太常、卯は玄武、寅は太陰、丑は天后。四課は、日干の己は宮を未に寄せ、未の上に丑を得、丑の上に未を得。日支の卯の上に酉を得、酉の上に卯を得。三伝は卯・酉・卯と為る。初伝の卯は日干の官鬼、遁干は己を得、玄武を乗る。中伝の酉は子孫、遁干は乙を得、天后を乗る。末伝の卯はなお官鬼、遁干は己、玄武を乗る。
斷:占云,此課求親不必用媒,私情業已相通矣,事在必成。但非真女耳。蓋凡占婚,以日為夫宮,辰為女位,龍則象夫,後則象女。年命相加為必成,神煞無良則淫賤。
断語に言う。この課の親を求めるに媒人を用いず、両人の私情はすでに相通じ、事は必ず成る。ただあの女子はすでに処子にあらず。およそ婚姻を占うは、日干を以て夫の宮と為し、日支を以て女子の位と為す。青竜は取象して夫と為り、天后は取象して妻と為る。双方の行年と本命とが互いに加臨すれば、すなわち必ず成るの象である。しかして神煞がもし良善ならざれば、この女は淫賤を主す。
按此占,丑作天后,加於日上,而大吉即為女命,是則婦臨夫位,男則先有其女矣。未作青龍,加於女命之上,而小吉即是男身,女之命中,則亦素有其男矣。又何必媒妁之言、父母之命而後可也?故主必成。元合悉為不正,而乃婦位全逢,女年之上覆見本命咸池,是以知其非真女也。況門戶相加,而傳又見之,私通往復,寧止一次哉?婚雖必成,亦可恥矣。
この課を細かく按ずるに、丑の上に天后を乗せて日干の頭上に加わり、丑(大吉)はまたまさに女方の本命である。これはすなわち妻が夫の位置に臨み至ったのであり、男方はすでにこの女子を手に弄んでいた。未の上に青竜を乗せて女方の本命丑の上に加わり、未(小吉)はまたまさに男方の行年である。この女子の命中に本来すでにこの男有るを見るべし。すでにこのとおりなれば、どうしてなお媒妁の言・父母の命を待たんか。ゆえに必ず成ると断ず。玄武と六合とは皆不正の将であり、偏に悉く妻位の上に落つ。女方の行年の上にまた本命の咸池・桃花を見る。これによって彼女がすでに処子にあらざるを知る。いわんや天門・地戸の位が互いに加臨し、しかも三伝のうちにまたそれらを見る。両人の私に往来して通奸するは、どうしてただ一次のみならんや。この親事は必ず成るといえども、また実に恥ずべきなり。
占験二
己丑年四月癸酉日酉將戌時占婚姻,戌亥空,酉戌落空。貴後;蛇、辰巳午未、陰,陰武空青,官辛未陰;朱、卯、申玄,未申亥子,財庚午後;六、寅、酉常,申酉子癸,財己巳貴;勾、丑子亥戌、虎;龍空。
己丑年四月癸酉日、酉将を用いて戌時に加えて婚姻を占う。癸酉日は甲子旬に属し、旬空は戌・亥に在り、しかして天盤の酉・戌は恰好に地盤の戌・亥の上に落つ。ゆえに酉戌が空に落つと言う。天将は天盤の巳上の貴人より逆に布く。巳は貴人、辰は螣蛇、卯は朱雀、寅は六合、丑は勾陳、子は青竜、亥は天空、戌は白虎、酉は太常、申は玄武、未は太陰、午は天后。四課は、日干の癸は宮を丑に寄せ、丑の上に子を得、子の上に亥を得。日支の酉の上に申を得、申の上に未を得。四課の上神・未・申・亥・子は分別に太陰・玄武・天空・青竜を乗る。三伝は未・午・巳と為り、これは退茹である。初伝の未は日干の官鬼、遁干は辛を得、太陰を乗る。中伝の午は妻財、遁干は庚を得、天后を乗る。末伝の巳もまた妻財、遁干は己を得、貴人を乗る。
占云,婚必成,後必有訟。助夫益子,自可齊眉,財官旺相,夫妻安享者也。媒亦得力,當為女家之親。女必清白修長,出身微賤。
断語に言う。この婚事は必ず成る、ただし成りて後に必ず一場の官司あり。この女子は夫を幇扶し子嗣に益あり、夫妻は案を挙げ眉に斉くし得る。財爻・官爻は共に旺相、両人は現成の福分を安享し得る。媒人もまた甚だ得力、あたうべく女家のあの辺の親戚であろう。この女子は必ず肤色が白浄で身材が修長、ただ出身は低微なり。
蓋干支上下,金水相生,故主必成。天網之局,末助初鬼,故主有訟。干為夫,支為婦,干乘儀祿,支乘長生,故主齊眉安享。初為男,末為女,末生初,故主助夫。日上遁甲為子,而辰上遁壬生甲,故主益子。法以六合為媒,而藏則視中傳,中見勝光,與妻財同類,故為女家之親。火生初傳男未之上,故主得力。即以納音為媒而責之,則癸酉納音金,而與支辰同類,
細かく按ずるに、日干・日支の上下は皆金水の相生、ゆえに必ず成るを主す。課は「天網」の局を成し、末伝の巳火がまた去りて初伝の未土という官鬼を生助す、ゆえに訟事あるを主す。日干を夫と為し日支を婦と為す。日干の上に儀神と禄神とを乗せ、日支の上に長生を乗る、ゆえに夫妻の斉眉・現成の安享を主す。初伝は男を代表し末伝は女を代表す、末伝が初伝を生ず、ゆえに妻が夫を幇扶するを主す。日干の上神が甲木を遁し出すは子孫の爻、しかして日支の上神が壬水を遁し出してまた来て甲を生ず、ゆえに子嗣に益あるを主す。媒を占うはもともと六合を主とす、六合がもし蔵れて現れなければ中伝を看る。中伝は勝光の午火、妻財と同類、ゆえに媒人は女家の親戚と断ず。午火がまた去りて初伝――すなわち男方を代表する未土――を生ず、ゆえに媒人は得力と言う。もし改めて納音を用いて媒位を定めれば、癸酉の納音は金に属し、日支の酉と同類、
當為女家親也。金生水,亦主得力。女必清白修長者,亦以支上言之也。蓋凡女命得實,則從年上言其色相。後之所乘,觀其本來面目。則第從辰上觀之可耳。出身微賤,以后乘咸池,辰上得元陰也。官鬼兩見而相刑,斯其再醮者乎?訟端之所起,亦當在是矣。果為前夫之弟所訟。驗甚,確甚。凡以納音為媒位者,當分陰陽。癸酉為陰金,法當責酉為媒位,而其上神何如,故此占取申也。
同じく女家の親戚と断ず。金は水を生じ得、同じく媒人の得力を主す。この女子の肤色が白浄で身材が修長と言うは、また日支の上神より断じ出すである。およそ女方の本命が落ちて実なれば、行年の上より彼女の当前の気色を断ず。彼女の本来の面目を看るには、天后の乗る神を看る。この課は両者とも明ならず、ただ日支の上より看れば足る。彼女の出身が低微と言うは、天后が咸池を乗せ、しかして日支の上にまた玄武・太陰のこの両位の不正の将を得るがゆえである。官鬼が両度現れてしかも互いに刑剋するは、この女子はおそらく再嫁の身であろうか。訟事の起因もまたあたうべくここに在らん。後に果して前夫の弟に状告された――験験すること極めて准く極めて確かなり。およそ納音を用いて媒位を定めるは、陰陽を分かつべし。癸酉は陰金、法に拠ればあたうべく酉を以て媒位と為し、さらに酉の上神の如何を看る。ゆえにこの課の取るは申である。
占験三
五月甲戌日未將卯時,婦人三十五歲占。申酉空,子丑落空。六朱;勾、酉戌亥子、蛇;龍、申、丑貴,白後六白,比丙寅后後;空、未、寅後,午寅戌午,子壬午白寅;虎、午巳辰卯、陰,寅戌午甲,財甲戌六,女:命年戌;常玄。
五月甲戌日、未将を用いて卯時に加えて課を起す。三十五歳の婦人が来て占う。甲戌日は甲戌旬に属し、旬空は申・酉に在り、しかして天盤の子・丑は恰も地盤の申・酉の上に落つ。ゆえに子丑が空に落つと言う。天将は天盤の丑上の夜貴より逆に布く。丑は貴人、子は螣蛇、亥は朱雀、戌は六合、酉は勾陳、申は青竜、未は天空、午は白虎、巳は太常、辰は玄武、卯は太陰、寅は天后。四課は、日干の甲は宮を寅に寄せ、寅の上に午を得、午の上に戌を得。日支の戌の上に寅を得、寅の上に午を得。四課の上神・午・寅・戌・午は分別に白虎・天后・六合・白虎を乗る。三伝は寅・午・戌と為り、恰も火局の炎上課を成す。初伝の寅は比肩、遁干は丙を得、天后を乗る。中伝の午は子孫、遁干は壬を得、白虎を乗る。末伝の戌は妻財、遁干は甲を得、六合を乗る。この婦人の本命と行年とは共に戌に在り。
占云,汝有二夫,正夫不告而去,偏夫已入賊中,音信不通,今求改適,鄰僕作媒,必有新喜,請成之。
断語に言う。汝は二箇の丈夫あり、正夫は告げずして別れ、偏夫はすでに盗賊の群のうちに落ち、音信は通ぜず。如今汝は改嫁せんと欲し、隣家の僕人を以て媒と為す、必ず一桩の新たなる喜事あり、この親事は成り得る。
蓋陰不備者,必是二陽而一陰,故主不貞而有二夫。法以青龍為夫,乘申遙克其日而空,龍又乘馬,見於天關之上,象為逃亡,故主不告而去。青龍之陰為偏夫,乃蛇乘子則有陰私蔽匿,盜賊纏繞之象,再傳而子上得辰,辰上乘元武賊盜之將,自旺投墓,故曰入黨。課變炎上,在夏當旺為新,三傳合歡則為喜,故曰新喜。
細かく按ずるに、課は「陰不備」を成す、必ず両陽が一陰に配する、ゆえにこの婦が貞ならずして二箇の丈夫有るを主す。夫を占うは青竜を主とす、青竜は申金を乗り、遥かに去りて日干の甲木を剋し、しかして申はまた正に空亡に落つ。青竜はなお駅馬を乗せ、天関の位に現る、象は逃亡なり、ゆえに正夫は告げずして別れると断ず。青竜の陰神は偏夫を代表す、あそこは螣蛇が子水を乗り、陰私・隠匿・盗賊に纏繞されるの象あり。さらに下に伝じて、子の上神は辰を得、辰の上に玄武という盗賊を主る天将を乗せ、旺地より墓庫に投入す、ゆえに彼は賊党に入ったと言う。全課は炎上の火局に変じ、夏天に正に旺相に当たる、これは「新」なり。三伝は三合の歡会、これは「喜」なり。ゆえに必ず新喜ありと言う。
法以六合為媒,乘戌,故主奴僕。即以納音為媒言之,甲戌納音屬火,當取午為媒位,午上河魁亦恰為奴僕。支干同在傳,為鄰近,故云鄰僕。其婦三十五歲,行年戌上功曹,為天后,以休氣而轉旺氣,故當再嫁。天后在支發用,則再嫁之念,出諸本身,非他人求之而然也。後生日上,故曰必成。
媒を占うは六合を主とす、六合は戌土を乗る、ゆえに媒人は奴僕の一流と断ず。もし改めて納音を用いて媒位を定めれば、甲戌の納音は火に属し、あたうべく午を取って媒位と為すべし、しかして午の上は河魁の戌土、また恰も奴僕に対応す。日干と日支とは同じく三伝の中に在り、彼此の隣近の象なり、ゆえに「隣家の僕人」と言う。この婦人は三十五歳、行年は戌に在り、戌の上は功曹の寅木、天后を乗せ、休気より転じて旺気と為る、ゆえに彼女は再嫁すべきと断ず。天后はまた日支の上に発用す、再嫁の念頭は彼女自身より起こり、他人の来て彼女を求むるがためにしかるにあらざるを見るべし。天后はまた去りて日干の上神を生ず、ゆえに必ず成ると言う。
占験四
七月癸巳日巳將寅時,男五十二歲,午未空,酉戌落空。空虎;龍、申酉戌亥、常,常龍勾蛇,父甲申龍,龍;勾、未、子玄,亥申未辰,比丁亥常,申;六、午、丑陰,申巳辰癸,子庚寅後,命巳年;朱、巳辰卯寅、後;蛇貴。
七月癸巳日、巳将を用いて寅時に加えて課を起す。男方は五十二歳。癸巳日は甲申旬に属し、旬空は午・未に在り、しかして天盤の酉・戌は恰も地盤の午・未の上に落つ。ゆえに酉戌が空に落つと言う。天将は天盤の卯上の夜貴より逆に布く。卯は貴人、寅は天后、丑は太陰、子は玄武、亥は太常、戌は白虎、酉は天空、申は青竜、未は勾陳、午は六合、巳は朱雀、辰は螣蛇。四課は、日干の癸は宮を丑に寄せ、丑の上に辰を得、辰の上に未を得。日支の巳の上に申を得、申の上に亥を得。四課の上神・亥・申・未・辰は分別に太常・青竜・勾陳・螣蛇を乗る。三伝は申・亥・寅と為り、一路に逓生す。初伝の申は父母、遁干は甲を得、青竜を乗る。中伝の亥は比肩、遁干は丁を得、太常を乗る。末伝の寅は子孫、遁干は庚を得、天后を乗る。男方の本命は巳に在り。
占云,五十二歲,又作新郎,今日方出墓尋生,姻事必就。所議者年富、清白、修操,力能助夫。又能生子,女中丈夫也。獨是過門不久,尊堂服動,必有內艱之丁矣。其女必善書算,持家有方,可享遐福,二子送終。成親之後,便當生喜。
断語に言う。五十二歳の人がまた新郎を作る、今日はまさに墓庫を出でて長生を尋ねに往く、この親事は必ず成る。議する所のこの女子は年紀正に富めり、清白にして自ら守り、品行は端正、夫を幇扶する力量あり、また子を生む能く、女中の丈夫なり。ただ門に過ぎて久しからず、家中の長輩は喪服の事あるべく、必ず母の丁憂せん。この女子は必ず書写・算賬を善くし、家を持つに方あり、長遠の福気を享くべし、将来に二箇の児子あって終を送らん。親を成して後、便ち身孕の喜あるべし。
蓋日上逢墓,從前自必昏滯,長生發用,故言出墓尋生。婚姻之占法,以支辰為妻位,上見長生當旺,又是儀神,故年富貌美而有丈夫之氣概也。生干,故助夫。遞生二子,故有子。必成,亦以相生乘旺也。長生又為父母,而中傳亥水,乘丁暗害,見於辰陰,故丁內艱。長生又為學堂之神,故善書算。申金又 臨長生之上,故持家有方,可享遐福也。子爻兩現,故主二子。末見,故能送終,子在丁上,故成親之後便當坐喜。
細かく按ずるに、日干の上神はまさに癸水の墓、従前は自ずから昏昧・滞塞せり。如今長生の申金が発用す、ゆえに「墓を出でて生を尋ぬ」と言う。婚を占うは日支を以て妻位と為す、日支の上に申金の長生を見てまた旺に当たり、なお儀神なり、ゆえにこの女子は年紀正に富み、容貌は美好で大丈夫の気概あると断ず。申金は日干の癸水を生ず、ゆえに夫を助くる能くと言う。三伝は一路に逓生し、最後に子孫の爻に到る、ゆえに子を生む能くと言う。必ず成ると断ずるは、また課中の一路相生してまた旺を乗ずるがゆえなり。申金はすでに長生、同時にまた癸水の父母の爻、しかして中伝の亥水は丁神を乗せて暗中に相害す、この一層はまた日支の陰神の上に現る、ゆえに彼は母の丁憂せんと断ず。長生の位はまた学堂の神、ゆえに彼女は書を善くし算を善くすと言う。申金はまた長生の上に臨む、ゆえに彼女は家を持つに方あり、長遠の福を享くべしと言う。子孫の爻は両度現る、ゆえに二箇の児子を主す。子孫はまた末伝に見る、ゆえに彼に終を送る能し。子孫の爻は丁神の上に坐す、ゆえに親を成して後便ち喜あるべし。
占験五
辛亥日,寅卯空,戌亥落空。勾六;龍、丑寅卯辰、朱;空、子、巳蛇,六后勾貴,父丁未後;虎、亥、午貴,卯未寅午,財乙卯六;常、戌酉申未、後,未亥午辛,子辛亥虎;玄陰。
辛亥日に占す。辛亥日は甲辰旬に属し、旬空は寅・卯に在り、しかして天盤の戌・亥は恰も地盤の寅・卯の上に落つ。ゆえに戌亥が空に落つと言う。全課は午将を用いて戌時に加えて起こす、天盤の神は皆その臨む地盤より四位を退後す。天将は天盤の午上の昼貴より逆に布く。午は貴人、巳は螣蛇、辰は朱雀、卯は六合、寅は勾陳、丑は青竜、子は天空、亥は白虎、戌は太常、酉は玄武、申は太陰、未は天后。四課は、日干の辛は宮を戌に寄せ、戌の上に午を得、午の上に卯を得。日支の亥の上に未を得、未の上に寅を得。四課の上神・卯・未・寅・午は分別に六合・天后・勾陳・貴人を乗る。三伝は未・卯・亥と為り、恰も木局を成す。初伝の未は父母、遁干は丁を得、天后を乗る。中伝の卯は妻財、遁干は乙を得、六合を乗る。末伝の亥は子孫、遁干は辛を得、白虎を乗る。
占云,姻事必成,但嫌不旺夫家,偏旺母家,八年之後,妻必改嫁,非吉象也。
断語に言う。この親事は必ず成る、ただそれが夫家を旺さずして偏に娘家を旺するを嫌む。八年の後、妻は必ず改嫁す、吉象にあらず。
蓋干支之上,午未作合,故主必成。凡天后發用,而三傳自合成局者,謂三陰自旺,得天后臨支,支繫母家,故主偏旺母家。後之所乘,明生暗鬼,而三傳木局,又生起干上之鬼以克干,故不旺夫家。未數八,八年之後,丁動而中空橋斷,卯即辛之妻星,其象若此,尚可成乎?婚姻之占,關係甚大,其可忽乎?
細かく按ずるに、日干の上の午と日支の上の未と相合す、ゆえに必ず成るを主す。およそ天后が発用して三伝が自ら合して一局を成すを、「三陰自旺」と言う。この課は天后がまた日支の上に臨む、日支は娘家に属す、ゆえに偏に娘家を旺するを主す。天后の乗る未土は、明処は辛金の日干を生じ、暗中に遁し出す丁火はしかし日干の官鬼なり。しかして三伝は木局を合成し、また生じ起こして日干の頭上の火鬼を以て来て日干を剋す、ゆえに夫家を旺さずと言う。未の数は八、ゆえに八年の後と断ず。その時に丁神が一たび動き、しかして中伝の卯木がまた空亡に落つるは、まさに「断橋」の象なり。卯木は恰好にすなわち辛金の妻星なり、象が成ることこのごとくなれば、この婚はなお長久し得ようか。婚姻を占うは関係極めて大なり、どうして軽忽すべきか。
巻之五 農事門
農桑例約第一
日用常行,所需於占者,蓋亦夥矣。何遂以農桑冠之?蓋民為邦本,而其所以安民者,衣與食也。是故天子有籍田之耕,夫人有蠶桑之役,黎民不飢不寒,而後可以言教,是則瑣占之所以首農桑也。
日常生活のうちに占問を要する事は多くある、なぜ偏に農桑を頭の一位に置くか。百姓は国家の根本であり、百姓を安定せしめるは、穿つと喰うとの両様に外ならざるがゆえである。ゆえに天子は籍田に親耕し、王后は蚕桑の役を主持する。ただ百姓をして飢えず凍えずせしめ、然る後にこそ教化を談ずべし。これがすなわち瑣碎の日用の占のうちに、農桑を最も前に列する所以である。
農桑定象第二
同農圃之占,以日為農人,農人者,身其小天,剛健不息,故以干類之。以辰為田圃者,承天載物,柔順無疆,故以支類之。而其所以吉凶於農人田圃者,天也。故即視其上神休旺生死、刑害空破,以言吉凶也。蓋日干不受上神傷,則農人清吉;日支不受上神傷,則田圃茂盛。日辰之上,互相生合而不破害刑空,則收穫豐盈,惠施實受。
およそ農田・菜圃を占うは、皆日干を以て農人を代表させる。農人の自身はすなわち一箇の小天であり、剛健にして息まず、ゆえに陽に属する日干を用いて彼を比類する。日支を以て田地・園圃を代表させる、田地は天時を承け万物を承載し、柔順にして辺際なきがゆえに、陰に属する日支を用いてそれを比類する。しかして農人と田地とに吉凶を齎し得るは、天である。ゆえにそれらの頭上の神が休か旺か、生か死か、刑・害・空・破あるか否かを看て、これに拠って吉凶を断ず。日干がその上神に傷られざれば、農人は清吉・平安である。日支がその上神に傷られざれば、田地は庄稼茂盛する。日干・日支の頭上の神が彼此相生・相合し、また破・害・刑・空なければ、収穫は豊足し、実実に天地の恩恵を受ける。
若發用之神更能生旺其類,則所望之類必有收成,而太歲行年上神復見生扶者,類收必倍。類貴入傳,氣宜生旺。又須得地,不可空傷。類陰傷類,樹藝徒勞。陰傷日年,類及殃咎。凡用生其類,而遂傷干者,亦非農圃之所攸利也。至夫早晚之占,則在三傳,凡發用乘吉,而生旺其類,或類現於用,而與辰上無傷,則利於早。中則利中,末則利末也。水陸之占,則在日辰,日吉宜陸,從陽也;辰吉宜水,從陰也。是皆農占圃占之在略也。
もし発用の神がなお種する作物の類神を生旺し得れば、指し望むこの類の庄稼は必ず收成あり。さらに加えて太歳と行年の上神もまた来て生扶すれば、收成は必ず加倍す。類神は最も三伝に入るを好み、気は生旺に宜しく、また地を得るを要し、空に落ち傷を受くべからず。類神の陰神がかえって類神を傷れば、種植は労力を空費す。陰神が日干と行年に傷れば、人の身に連累して災咎あらん。およそ発用は類神を生旺したといえども、続いて日干を傷つけるは、田を種え園を種える人にとっても好事にあらず。收成の早晚の占に至っては、則ち三伝に在り。およそ発用が吉将を乗せて類神を生旺するか、あるいは類神が本身就ち発用の上に現れ、また日支の上神と相い傷らなければ、早く種え早く収むるに利あり。類神が中伝に現れれば中に利あり、末伝に現れれば晩に利あり。水田を種るか旱地を種るかに至っては、則ち日干・日支を看る。日干のこの一端が吉なれば旱地に宜し、日干は陽に従うがゆえに。日支のこの一端が吉なれば水田に宜し、日支は陰に従うがゆえに。以上は皆農田を占い菜園を占うの大略である。
類神定象第三
凡以登明神后為稻者,水穀也。稻非水無以生成,故以水類之。故凡水神乘吉量相,與辰上神生合,不與日干太歲上神往來相傷者,宜稻也。登明宜粳,神后宜糯者,糯大而陽,粳陰而小,各從其類也。俗呼糯為大米,粳為小米者,義蓋本此。寅卯者,草木之類神也。草其本而木其性者,五穀之屬也。故以功曹太沖類之,故凡用見木神,乘吉旺相,與辰上神生合,不與日年太歲上神往來相傷者,五穀之屬皆所宜也。蓋惟草而似木者,功曹主之;草而終草者,太沖主之;木陽而草陰,性使然也。
およそ登明(亥)・神后(子)を以て稲の類神と作すは、稲が水谷に属するがゆえである。稲子は水を離れれば長り成らず、ゆえに水を用いてそれを比類する。およそ水神が吉将を乗せて気が旺相を得、また日支の上神と生合し、日干・太歳の上神と往来して相い傷らなければ、稲を種るに宜し。登明は粳稲に対応し、神后は糯稲に対応す。糯の粒は大きくして陽に属し、粳の粒は小さくして陰に属す、各々その類に従うがゆえに。民間は糯を大米と叫び粳を小米と叫ぶ、意思はおそらくここより来る。寅・卯は草木の類神である。本体が草で性質が木に近きは、すなわち五穀のこの類、ゆえに功曹(寅)・太衝(卯)を用いて比類す。およそ発用に木神を見、吉将を乗せて旺相、日支の上神と生合し、行年・太歳の上神と往来して相い傷らなければ、五穀の類は皆相宜。その中で草に似て木に近きは、功曹の管に帰す。始終草なるは、太衝の管に帰す――木は陽に属し草は陰に属す、本性の使然である。
巳午者,火之類神也。其性上炎,其象為陸,黍與豆宜於高原,而不宜於淤下者,故以太乙勝光類之,故凡用神見火神,乘吉旺相,與辰上神生合,不與日年太歲上神往來相傷者,黍豆之屬,皆所宜也。然而顏色高下,各有其宜,惡可無辨?蓋黍之高出者,曰粱,其色多赤,勝光純火而赤,應以主之。黍之低者,曰粟,其色多黃,太乙火土而黃,應以惟豆亦有黃赤之不同,其所應主者,可以思矣。觸類而長,寧惟黍云乎哉?
巳・午は火の類神である。火性は向上に炎焼し、取象は高地と為る。黍と豆とは高原に種るに宜しく、低窪に水を積む処に種るに宜しからず、ゆえに太乙(巳)・勝光(午)を用いて比類す。およそ用神に火神を見、吉将を乗せて旺相、日支の上神と生合し、行年・太歳の上神と往来して相い傷らなければ、黍と豆とのこの類は皆相宜。ただ庄稼の色と高矮とは各々その宜しき所有り、どうして分辦を加えざるべけん。黍の中で長ずること高きを粱と言い、色は多く赤に偏す。勝光は純火にして色は赤、あたうべくそれの主管すべし。黍の中で長ずること矮きを粟と言い、色は多く黄に偏す。太乙は火土を兼ねて色は黄、あたうべくそれの主管すべし。豆にもまた黄豆・赤豆の異なりあり、各々あたうべくどの一位に主管せらるべきか、これに照らして一たび想えば明らかなり。これにより触類して推衍すれば、どうしてただ黍のこの一様のみならんや。
申酉者,金之類神也。其性從革,故序為秋,二麥者,生於秋而成於夏者也。秋收也,收四時之金氣,利金石之磋磨,故以傳送從魁類之。故凡用見金神,乘吉旺相,與辰上神生合,不與日年上神往來相傷者,二麥之所宜也。大麥小麥,陽大而陰小也。辰戌丑未,土之神類也。萬物資生,而承天柔順,故曰稼穡,稼穡之所賅者,不一而足,故百穀之屬,咸以土神類之,故凡用見土神,乘吉旺相,與辰上神生合,不與日年太歲上神往來相傷者,百穀皆所宜也。然四土之中,惟大吉更吉,故又名之曰田。即以大吉為田郎者,丑有田象,從其類也。是皆農占圃占之種類也。
申・酉は金の類神である。金性は「従革」、ゆえに四季のうちに秋天に配属す。大麦・小麦は秋天下に種して夏天に成熟する作物である。秋は収を主り、収むるはまさに四時の金気、また金石のごとき磨礪に宜し、ゆえに伝送(申)・従魁(酉)を用いて比類す。およそ発用に金神を見、吉将を乗せて旺相、日支の上神と生合し、行年の上神と往来して相い傷らなければ、両種の麦は皆相宜。大麦・小麦の分は、すなわち申は陽に属するがゆえに大と為り、酉は陰に属するがゆえに小と為る。辰・戌・丑・未は土の類神である。万物は土に依って生じ、土は天時を承受して柔順にして違わず、ゆえに「稼穡」と言う。稼穡の包括する所は一様に止まらず、ゆえに百穀の類は皆土神を用いて比類す。およそ発用に土神を見、吉将を乗せて旺相、日支の上神と生合し、行年・太歳の上神と往来して相い傷らなければ、百穀は皆相宜。四位の土神の中で、ただ大吉(丑)のみ最も吉、ゆえにまたそれに起こして名を「田」と言う。大吉を田郎と称するは、まさに丑に田地の象あるがゆえに、それの類に順って命名したのである。以上は皆農田を占い菜園を占うに用いる作物の種類である。
雖然,理有經常,占須通變,執而求之,反滋謬誤,是故凡欲占其歲宜何類為植者,則以發用所現之類而言,吉則從之,凶則違之,不惟旱澇而耕者,良農也。若果為凶將,廢耕乎?故凡用凶於類,而不傷辰,或即傷辰,而中末有救,及日年太歲上神,或有救制,而能扶生辰日上者,但當逐類求之,現與不現,非所論也。
話はこのとおりとはいえ、道理にはその常規あり、占断は通変を知るを要す。条文を死に抱いて求めれば、かえって錯誤を滋生す。およそこの年にどの類の作物を種るに宜しいかを占わんとすれば、発用の上に現るるがどの類かを看ればよい。吉なればそれに順って種り、凶なればそれを避ける。しかし旱でも澇でも照り旧に耕作する、こそ好き農民なり。どうして発用が凶将を乗せたがゆえに、便ち地を種らざらんか。ゆえにおよそ発用が類神に対して利ならざるといえども、日支を傷らざるか。あるいは日支を傷ったといえども、中伝・末伝に救いあるか。あるいはまた行年・太歳の上神が能く救い能く制し、なお日支と日干の上神とを扶生し得るか――この数種の情形に遇えば、便ち只管に一類一類に推求して好し、類神が課上に現るるか否かは、かえって計較するに及ばず。
若農圃之念,業有所主,而欲占其所主之類,宜與不宜也,亦第取類而俯仰視之可也。凡類既得地,旺相不空,類上神將,又不與類刑戰而與辰上神生合,不與日年太歲上神往來相傷者,用之可也。至必入傳者,若仍以類為嫌,則反謬矣。類上神將即是類之陰神。
もし田を種え園を種える人が心のうちにすでに主意あり、ただ自己の認め定めたこの類の作物が合適か否かを占問せんとするならば、それもまたただこの類神を取出し、それに対して一番の俯察・仰観を作せば足る。およそ類神がすでに地を得、また旺相で空に落ちず、類神の頭上の神と将もまた類神と刑戦せず、かえって日支の上神と生合し得、かつ行年・太歳の上神と往来して相い傷らなければ、それを用いるべし。人あるいは必ず類神が三伝に入りてこそ肯んじて用い、かえって類神が伝に入らざるを嫌むは、則ち間違いである。類神の頭上の神と将とは、すなわち類神の陰神である。
象類約略第四
約而言之,日為農人,辰為畎畝,辰上神將為所樹藝之物,日上神將為所仰望之天。發用者,求類之端也;行年者,干求之柄;太歲者,萬物之主客也:故皆視其上神而較言之。惟用既以所乘為類,而亦視其上神也,用之陰神與有責焉。
総括して言えば、日干は農人を代表し、日支は田畝を代表し、日支の上の神と将は種植する作物を代表し、日干の上の神と将は農人の仰望する天時を代表す。発用は類神を推求する頭緒であり、行年は事を成さんと謀る把柄であり、太歳は則ち万物の主と客である。ゆえにこの数項は皆それらの上神を看て、彼此比較して講ずべし。発用はすでにその乗る神を以て類神と為す、則ち同じく発用の上神をも看るべきであり、すなわち発用の陰神もまた推求の列に在り。
故凡日上乘吉生干,則農人清吉,而旺相生合者更吉,乘凶克干則農人災否,而休囚凶克者更凶。辰上吉旺生支,則田園茂盛,休囚相剋則地土荒蕪。日生辰上則發繁而工倍,辰生日則費少而功多。日上凶死而克辰上,則栽培灌溉未必及時,辰上吉生而剋日上,則時屆收成終歸虛花。類貴入傳,莫教休死,又宜得地,不可落空。若為取類之占,則不必拘其藏現,而惟旺相不空者必佳。若果原無所主,則方以用神為類,而惟用生支神者可與。
およそ日干の上に吉将を乗せまた日干を生ずれば、農人は清吉・平安、気がさらに旺相・生合すればいっそう吉。上に凶将を乗せまた日干を剋すれば、農人は災あり難あり、気がさらに休囚で凶剋すればいっそう凶。日支の上に吉将を乗せ、気が旺でまた日支を生ずれば、田園は庄稼茂盛す。休囚に落ちてしかも相剋すれば、土地は荒蕪す。日干が去りて日支の上神を生ずれば、庄稼は長じて繁茂するといえども、人は一倍の工夫を多く費やす。日支が来たりて日干を生ずれば、則ち花費は少なくして功を収むること多し。日干の上神が凶を乗せ死に落ちてしかも日支の上神を剋すれば、栽培・灌漑は未だ必ずしも時候に及ばず。日支の上神が吉を乗せ生を得てかえって日干の上神を剋すれば、收成の時節に到りて終に一場の空喜びなり。類神は最も三伝に入るを好み、それを休・死に落とさしむるなかれ、また地を得るに宜しく、空に落つべからず。もし占うるが「どの類を選びて種るべきか」ならば、則ちそれの蔵るるか現るるかを拘泥するに及ばず、ただ旺相で空に落ちざれば好し。もしもともと心のうちに主意なければ、こそ用神の本身を拿て類神と為し、しかもただ用神が日支の上神を生じ得るのみ取るべし。
水陸決於干支,早晚視夫初末。三傳乘吉遞生,而生日辰及生日辰上神者,農牧而無他患。三傳乘凶遞克,而剋日辰及剋日辰上神者,歉獲而有後殃。類與用神雖逢生旺,而陰神生克干支者,即收穫無虞,當防災疫。用神與類雖覺平常,而陰神吉生支干者,即栽培勞費,實利堪收。式觀大象,年屬占人,所以日年用類,最忌刑傷;吉凶由神,克應由煞,凡神煞天官,利於和好。農桑雖微,畢竟有關民命,象占非易,必須恃用周詳,擴而充之,無不皆然。倘有三反,不為無益者也。
水田を種るか旱地を種るかは、日干と日支とに拠り決す。收成の早と晩とは、初伝と末伝とを看るべし。三伝が吉将を乗せて層々に相生し、最後にまた日干・日支およびそれらの上神を生ずれば、農を務め牧をし畜するも別の禍患なし。三伝が凶将を乗せて層々に相剋し、最後にまた日干・日支およびそれらの上神を剋すれば、收成は歉薄にしてしかも日後にまた災殃あり。類神と用神とは生に逢い旺に逢うといえども、それらの陰神と日干・日支とに生あり剋あるは、収穫は憂いなきといえども、人畜の災病・瘟疫を防ぐべし。用神と類神とは平平たるといえども、陰神が吉を乗せまた日干・日支を生じ得るは、栽培は辛苦・費力するといえども、実実の利益はなお収め得らる。課式を看るは先に大象を看るべし。行年は占卜の人に属す、ゆえに日干・行年・用神・類神のこの数処は最も刑傷を忌む。吉凶は神によって決し、剋応は煞によって決す。およそ神煞と天将とは、皆彼此の和好を以て利と為す。農桑は小事といえども、畢竟に百姓の性命に関わる。取象・占断は容易ならず、必ず全課に依拠して周詳に推求すべし。この一套の办法を拡充し去れば、別の事もことごとくしかり。読者もし挙一反三し得れば、また白く講じたと算えず。
蚕桑象類第五
凡以午為蠶命,午為木之子孫,夏之旺神也。午於神為勝光,故其字從先,兩其先者,歲必兩收,蟲其象也。其又以蠶取義者,午卦為離,為先天乾位,從天從先,象雖不同,義則一也。是故時維清明,蠶即露種而有生焉。至於穀雨,則普天之下皆其初眠時也。時維夏至,則皆眠竟而恣食焉。至於小滿,則普天之下,皆其結繭時也。是則午之所謂蠶命而為夏之王神,木之子孫也。
およそ午を以て蚕の本命と為すは、午が木の子孫の爻であり、また夏天の旺神なるがゆえである。午は十二神の中で「勝光」と言う、「勝」の字は「先」に従う。二箇の「先」が並べば、正に一年に必ず两季の蚕を収め、しかして蚕はまた虫の象なり。さらに蚕の字より義を取って言えば、午は後天の卦位に離に属し、しかして離の在る所の位置はまさに先天の乾位なり、一つは「天」に従い一つは「先」に従う、取象は同じからざれども、意思は一つなり。ゆえに清明に到れば、蚕種は便ち露を見て孵化して出生し、穀雨に到れば、普天下の蚕は皆頭眠に入り、夏至に到れば、皆眠り罷めて肚子を放き大いに喰い、小満に到れば、普天下の蚕は皆繭を結ぶ。これがすなわち午の蚕命と叫ばるる所以、しかしてそれがまた夏天の旺神・木の子孫たる所以である。
凡以未為桑者,午與未合,木之庫也。惟庫則子孫取之為寄,惟合則子孫食之無傷,未旺於夏,而木火之功,相與告成,是則未之所以為桑也。蓋蠶為繭也,雖曰成功而告老,實即脫化而營胎,是則寅之所以類繭也。凡以卯為絲者,卯木本於午為沐浴。沐浴者,絲之象也。浴蠶於湯,而後絲出焉,是則卯之所以為繭也。
およそ未を以て桑と為すは、午と未とが相合し、しかして未はまた木の庫なるがゆえである。すでに庫なれば、子孫の爻はそのうちに寄托し得。すでに相合すれば、子孫の爻はそれを喰うとも傷を受けず。未は夏天に旺に当たり、木と火との功用はここに至りて一斉に告成す、これがすなわち未の桑を代表する所以の道理なり。蚕が繭を結ぶは、功が成り身老いたりと言うといえども、実際にはまさに胎を脱し変化して新生を孕育する、ゆえに寅は以て蚕繭を比類し得。およそ卯を以て糸と為すは、卯木が午に対して正に沐浴の位に処るがゆえである。沐浴はすなわち「浸洗」、まさに繰糸の象なり――蚕繭を熱湯のうちに放ちて浴せしめ、然る後に糸はこそ抽き出すことを得。これがすなわち卯の糸を代表する所以の道理なり。
凡以辰為薄者,辰於午為冠帶。冠帶者,成人之具也。辰於春為季,中本墓,墓閉藏之所也,蠶必藏焉,而後登之於薄,登薄而繭,成長之象也。辰於象類,則又為山,故俗呼為薄為山,是辰之所以類薄也。凡以巳為筐者,巳之於午,為臨官,而比旺,比輔也,下順從也,下比其類,以藏火為能,蠶之為性,以要寒為急,故巳火可以筐蠶。是則巳之所以類筐也。
およそ辰を以て蚕薄(蚕を放る蓆箔)と為すは、辰が午に対して正に冠帯の位に処るがゆえである。冠帯は成人の衣冠、長成を象徴す。辰はまた春天の最後の一箇月、本身はなお水の墓庫なり、墓は閉蔵の所、蚕は必ず先に蔵れ、然る後にこそ蚕薄の上に上る。薄に上れば繭を結ぶ、まさに長成の象なり。辰は取象の上でまた山を代表す、ゆえに民間は蚕薄を「蚕山」と叫ぶ、これがすなわち辰の蚕薄を比類する所以の道理なり。およそ巳を以て蚕筐と為すは、巳が午に対して正に臨官の位に処り、午と比肩して旺なるがゆえである。「比」はすなわち輔助、下に在るは上に在るに順従す。それは下において同類と比し、本领は火を蔵し得るに在り。しかして蚕の天性は最も寒を受くるを怕る、ゆえに巳火は以て蚕を盛る筐を作るべし。これがすなわち巳の蚕筐を比類する所以の道理なり。
凡以申為綿者,申於午為病,於寅為破,蓋繭之為利於人也,絲與綿耳,繅而得絲,破之則僅可得綿,蠶所病也,所破也,病於繭而破於繭,是則申之所以類綿也。凡以酉為僵者,午死於酉,而金有剛強之義,故曰其生也柔弱,其死也剛強。戌為黃者,午墓於戌,黃其色也。亥為厄絕者,午火絕於亥也。子為鼠耗者,即沖且克,午火受傷,鼠其象也。丑為眠化者,丑午脫害,脫所以當眠而身有變動之嫌也,化也者,變之謂也。
およそ申を以て糸綿と為すは、申が午に対して正に病の位に処り、寅(繭)に対してまた破なるがゆえである。繭の人に対する用は糸と綿との両様に過ぎず。繰り出すは糸、繭を弄び破るはただ綿を得るのみ。これはすなわち蚕の「病」であり、また繭の「破」なり――病は繭の上に在り、破は繭の上に在り、これがすなわち申の糸綿を比類する所以の道理なり。およそ酉を以て僵蚕と為すは、午が酉に死し、しかして金に剛強の義あるがゆえに、ゆえに蚕は生きる時は身体は柔軟、死してかえって僵硬すると言う。戌は黄蚕を代表す、午が戌に墓するがゆえに、戌の顔色は黄なり。亥は厄難と絶命とを代表す、午火が亥に絶するがゆえに。子は鼠耗を代表す、子がすでに午を冲しまた午を剋すれば、午火は傷を受け、まさに老鼠に咬食せらるるの象なるがゆえに。丑は眠と蛻化とを代表す、丑と午とが相脱・相害するがゆえに。「脱」は正に蚕が眠るべき・身が将に変動せんとする時に対応し、「化」はすなわち変の義なり。
