巻一
《孔子家語》は王粛が輯したものである。
儒家典籍
初学は四書から入るのがよい。大学が綱を立て、論語が言を記し、孟子が展開し、中庸が収束する。続いて詩経・尚書・礼記と春秋三伝へ。荀子・春秋繁露・近思録・伝習録は、経学の外で儒学がどう語られてきたかを見る几道である。
孔子家語王肅
《孔子家語》は王粛が輯したものである。
相魯第一
相魯第一
孔子初仕為中都宰,中都魯邑製為養生送死之節,長幼異食、如禮年五十異食也強弱異任、任謂力作之事各從所任不用弱也男女別塗、路無拾遺、器不雕偽,無文飾雕畫不詐偽為四寸之棺,五寸之槨,以木為槨因丘陵為墳,不封、不聚土以起墳者也不樹,不樹松柏行之一年,而西方之諸侯則焉.魯國在東故西方諸侯皆法則定公謂孔子曰:“學子此法,以治魯國何如?”孔子對曰:“雖天下可乎,何但魯國而已哉.於是二年,定公以為司空.乃別五土之性,五土之性一曰山林二曰川澤三曰丘陵四曰墳衍五曰原隰而物各得其所生之宜,所生之物各得其宜鹹得厥所.先時季氏葬昭公於墓道之南,季平子逐昭公死於幹侯平子別而葬之貶之不令近先公也孔子溝而合諸墓焉.謂季桓子曰:“貶君以彰己罪,非禮也,桓子平子之子今合之,所以揜夫子之不臣.”由司空為魯大司寇.設法而不用,無奸民.
孔子ははじめ官につき中都宰となった。【中都は魯の邑である。】養生・送死の節度を定めた。すなわち長幼は食事を異にし【礼のごとく、五十歳になると飲食に区別がある】、強弱は仕事を異にし【仕事とは力仕事のことで、それぞれ能力に応じさせ、弱い者は使わない】、男女は道を分け、道には落とし物を拾う者がなく、器物は彫飾や偽造をしなかった【文飾・彫画がなく、欺き偽ることもない】。四寸の棺、五寸の椁を作り【木で椁を作る】、丘陵に沿って墳とし、土を盛らず【土を集めて墳を作らない】、樹を植えなかった【松柏を植えない】。これを一年行うと、西方の諸侯がこれに倣った。【魯は東にあるので、西方の諸侯がみな法とした。】定公が孔子に言った。「あなたのこの法を学んで、魯国を治めるのはどうか。」孔子は答えた。「天下でもできます。ただの魯国だけの話ではありません。」そこで二年、定公は彼を司空に用いた。そこで五土の性を分け【五土とは、一に山林、二に川沢、三に丘陵、四に墳衍、五に原隰】、物はそれぞれ生ずるに適した所を得【生ずる物は各々その宜を得る】、みなその所を得た。先年、季氏が昭公を墓道の南に葬った【季平子が昭公を逐い、昭公は乾侯で死んだ。平子は別に葬って彼を貶め、先公に近づけなかった】が、孔子は溝を掘って墓を一つに合わせた。季桓子に言った。「君を貶めて自分の罪を表すのは礼ではない。今それを合わせるのは、夫子の不臣を覆い隠すためです。」【桓子は平子の子である。】司空から魯の大司寇となった。法を設けたが用いることがなく、奸民がいなかった。
定公與齊侯會於夾谷,孔子攝相事,曰:“臣聞有文事者,必有武備.有武事者,必有文備,古者諸侯並出疆,必具官以從,請具左右司馬.”定公從之.至會所,為壇位土階三等,以遇禮相見,會遇之禮禮之簡略者也揖讓而登,獻酢既畢,齊使萊人以兵鼓●劫定公.萊人齊人東夷雷鼓曰●孔子歷階而進,以公退曰:“士以兵之,吾兩君為好,裔夷之俘,敢以兵亂之,裔邊裔夷夷狄俘軍所獲虜也言此三者何敢以兵亂兩君之好也非齊君所以命諸侯也,裔不謀夏、夷不亂華、華夏中國之名俘不幹盟、兵不偪好、於神為不祥、於德為愆義、於人為失禮,君必不然.”齊侯心怍,麾而避之.有頃,齊奏宮中之樂,俳優侏儒戲於前.孔子趨進歷階而上,不盡一等,曰:“匹夫熒侮諸侯者,罪應誅,請右司馬速刑焉.”於是斬侏儒,手足異處.齊侯懼,有慚色.將盟,齊人加載書曰:“齊師出境,而不以兵車三百乘從我者,有如此盟.”孔子使茲無還對曰:“魯大夫也而不返我汶陽之田,吾以供命者,亦如之.”齊侯將設享禮,孔子謂梁丘據曰:“齊魯之故,吾子何不聞焉?”梁丘據舊聞齊魯之故事事既成矣,而又享之,是勤執事,且犧象不出門,作犧牛及象於其背為●嘉樂不野合,享而既具是棄禮,若其不具,是用秕粺,秕穀之不成者粺草之似谷者用秕粺君辱,棄禮名惡,子盍圖之.夫享,所以昭德也,不昭,不如其已.”乃不果享.齊侯歸,責其群臣曰:“魯以君子道輔其君,而子獨以夷狄道教寡人,使得罪.”於是乃歸所侵魯之四邑,及汶陽之田.四邑鄆讙龜陰也洙有汶陽之田本魯界
定公と斉侯が夾谷で会見したとき、孔子は相の役を代行して言った。「臣が聞くには、文事ある者は必ず武備があり、武事ある者は必ず文備があります。古は諸侯がともに疆を出るとき、必ず官を具えて従えました。左右の司馬を具えてください。」定公は従った。会場に至ると、壇を築き位を設け、土の階は三等で、遇礼をもって相見え【会遇の礼は礼の略式である】、揖譲して壇に登り、献酢が済むと、斉は莱人に兵を鼓撃させて定公を劫そうとした。【莱人は斉の東夷である。】孔子は階を越えて進み、公を退かせて言った。「士よ、兵をもって彼らに当たれ。我が両君が好を結ぶのに、辺裔の夷狄の虜が、あえて兵で乱すとは。これは斉君が諸侯に命ずるゆえんではない。裔は夏を図らず、夷は華を乱さず【華夏は中国の名】、虜は盟に干らず、兵は和好を逼めない。神にとっては不祥、徳にとっては義に悖り、人にとっては礼を失するものです。君は必ずこのようではありません。」斉侯は心に恥じ、避けさせた。しばらくして、斉は宮中の楽を奏し、俳優や侏儒が前で戯れた。孔子は小走りで進み階を越えて上がり、あと一等というところで言った。「匹夫が諸侯を惑わし辱める者は、罪は誅に当たります。右司馬が速やかに刑を行ってください。」そこで侏儒を斬り、手足は分かれて処せられた。斉侯は恐れて慙愧の色があった。まさに盟しようとすると、斉人は載書に加えて言った。「斉の軍が境を出るとき、兵車三百乗をもって我に従わない者は、この盟のようになれ。」孔子は茲無還に答えさせて言った。「汶陽の田を返さず、我が供命に用いるのも、またこのようであれ。」斉侯が饗礼を設けようとしたとき、孔子は梁丘據に言った。「斉・魯の旧事を、吾子はなぜ聞いていないのか。事はすでに成っているのに、また饗を設けるのは執事を労させることです。おまけに犧象は門を出ず【背に犧牛と象を作った器】、嘉楽は野で会しない。饗してすでに具わっていれば礼を棄てたことになり、具わっていなければ粃稗を用いることになる【粃は実らない穀、稗は穀に似た草】。粃稗を用いれば君を辱め、礼を棄てれば名が悪い。あなたはなぜ図らないのか。饗は徳を昭明するためのものです。昭明しないなら、止めるに如きません。」そこでついに饗は設けなかった。斉侯は帰って群臣を責めて言った。「魯は君子の道で君を輔けているのに、汝らだけが夷狄の道で寡人を教え、罪を得させた。」そこで侵奪した魯の四邑、および汶陽の田を返した。【四邑は鄆・讙・亀陰、洙には汶陽の田で、もと魯の境であった。】
孔子言於定公曰:“家不藏甲,卿大夫稱家甲鎧也邑無百雉之城,高丈長丈曰堵三堵曰雉古之制也.今三家過制,請皆損之.”乃使季氏宰仲由隳三都.叔孫不得意於季氏,因費宰公山弗擾率費人以襲魯.孔子以公與季孫叔孫孟孫,入於費氏之宮,登武子之臺;費人攻之,及臺側,孔子命申句須樂頎勒士眾下伐之,費人北,遂隳三都之城.強公室,弱私家,尊君卑臣,政化大行.
孔子は定公に言った。「家には甲を蔵せず【卿大夫を家という。甲は鎧である】、邑には百雉の城がない【高さ一丈・長さ一丈を堵といい、三堵を雉という】のが古の制です。今、三家は制を超えています。すべて減損してください。」そこで季氏の宰・仲由に三都を毀させた。叔孫は季氏に意を得ず、費宰の公山弗擾が費人を率いて魯を襲った。孔子は公と季孫・叔孫・孟孫を従え、費氏の宮に入り武子の台に登った。費人が攻めて台の側まで来たとき、孔子は申句須・楽頎に士衆を率いさせ下りて討たせ、費人は敗走した。そこで三都の城を毀った。公室を強くし私家を弱くし、君を尊び臣を卑くして、政化が大いに行われた。
初,魯之販羊有沈猶氏者,常朝飲其羊以詐.市人有公慎氏者,妻淫不制.有慎潰氏,奢侈踰法.魯之鬻六畜者,飾之以儲價.及孔子之為政也,則沈猶氏不敢朝飲其羊.公慎氏出其妻.慎潰氏越境而徙.三月,則鬻牛馬者不儲價,賣羊豚者不加飾.男女行者,別其塗,道不拾遺.男尚忠信,女尚貞順.四方客至於邑,不求有司,有司常供其職客不求而有司存焉皆如歸焉.言如歸家無所之也
はじめ、魯で羊を売る沈猶氏は、いつも朝に羊に水を飲ませて人を欺いていた。市人に公慎氏がいて、妻が淫乱で止められなかった。慎潰氏がいて、奢侈で法を越えていた。魯で六畜を売る者は、飾って置いて値を釣り上げていた。孔子が政をなすに及び、沈猶氏は朝に羊へ水を飲ませることをやめた。公慎氏は妻を出した。慎潰氏は境を越えて移り去った。三箇月して、牛馬を売る者は値を釣り上げず、羊豚を売る者は飾りを加えなかった。男女が歩くときは道を分け、道に物を拾わなかった。男は忠信を尚び、女は貞順を尚んだ。四方の客が邑に至ると、有司に求めず【有司は常に職に供じ、客が求めずとも有司が在る】、みな家に帰るようであった。【家に帰って他に行く所がないようである、ということ。】
始誅第二
始誅第二
孔子為魯司寇,攝行相事,有喜色.仲由問曰:“由聞君子禍至不懼,福至不喜,今夫子得位而喜,何也?”孔子曰:“然,有是言也.不曰樂以貴下人乎?”於是朝政,七日而誅亂政大夫少正卯,戮之於兩觀之下,兩觀闕名屍於朝.三日,子貢進曰:“夫少正卯,魯之聞人也,今夫子為政,而始誅之,或者為失乎?”孔子曰:“居,吾語汝以其故.天下有大惡者五,而竊盜不與焉.一曰心逆而險,二曰行僻而堅,三曰言偽而辯,四曰記醜而博,醜謂非義五曰順非而澤,此五者有一於人,則不免君子之誅,而少正卯皆兼有之.其居處足以撮徒成黨,撮聚其談說足以飾褒榮眾,其強御足以反是獨立,此乃人之奸雄者也,不可以不除.夫殷湯誅尹諧、文王誅潘正、周公誅管蔡、太公誅華士、士之為人虛偽亦聚黨也而韓非謂華士耕而後食鑿井而飲信其如此而太公誅之豈所以謂太公者哉管仲誅付乙、子產誅史何,是此七子,皆異世而同誅者,以七子異世而同惡,故不可赦也.詩云:‘憂心悄悄,慍於群小,小人成群,斯足憂矣.’”
孔子は魯の司寇となり相事を代行したが、喜びの色があった。仲由が問うた。「由は聞きました。君子は禍が至っても懼れず、福が至っても喜ばないと。今、夫子は位を得て喜ばれるのは、なぜですか。」孔子は言った。「そうだ。その言葉がある。『貴きをもって下に謙るを楽しむ』とは言わないか。」そこで朝政を治めること七日にして、政を乱す大夫・少正卯を誅し、両観の下で戮死させ【両観は闕の名】、尸を朝に陳した。三日して、子貢が進み出て言った。「少正卯は魯の聞人です。今、夫子が政をなして、まず誅すとは、あるいは過ちではないですか。」孔子は言った。「坐れ。ゆえを語ろう。天下に大悪が五つある。窃盗はその中にない。一は心が逆で険、二は行いが邪僻で固い、三は言が虚偽で弁が立つ、四は醜きを記し広し【醜は義ならぬこと】、五は非に順って沢を施す。この五つ、一つでも人にあれば、君子の誅を免れないが、少正卯はすべて兼ねていた。その居処は徒衆を聚め党を成すに足り【撮は聚めること】、談説は衆を粉飾し褒め栄えさせるに足り、強禦は是非に反し独立するに足る。これは人の中の奸雄で、除かざるべからず。殷の湯は尹諧を誅し、文王は潘正を誅し、周公は管・蔡を誅し、太公は華士を誅し【華士は人として虚偽で、また党を聚めた。韓非は、華士は耕して後に食い、井を鑿って飲んだという。まことにそうなら太公が彼を誅したのは、太公を称するゆえんではない】、管仲は付乙を誅し、子産は史何を誅した。この七人は、世を異にして同じく誅せられた。七人は世が異なっても悪が同じゆえに、赦すべからざるなり。《詩》にいう。『心を憂えること悄悄として、群小に慍られる。』小人が群を成す、これだけでも憂うるに足る。」
孔子為魯大司寇,有父子訟者,夫子同狴執之,狴獄牢也三月不別,其父請止.夫子赦之焉.季孫聞之,不悅曰:“司寇欺餘,曩告餘曰,國家必先以孝,餘今戮一不孝以教民孝,不亦可乎?而又赦,何哉?”冉有以告孔子,子喟然嘆曰:“嗚呼!上失其道,而殺其下,非理也.不教以孝,而聽其獄,是殺不辜.三軍大敗,不可斬也.獄犴不治,不可刑也.何者?上教之不行,罪不在民故也.夫慢令謹誅,賊也.征斂無時,暴也.不試責成,虐也.政無此三者,然後刑可即也.書云:‘義刑義殺勿庸,以即汝心,惟曰未有慎事,言必教而後刑也.’庸用也即就也刑教皆當以義勿用以就汝心之所安當謹之自謂未有順事且陳道德以服之以無刑殺而後為順是先教而後刑也既陳道德以先服之,而猶不可,尚賢以勸之,又不可,即廢之,又不可,而後以威憚之,若是三年,而百姓正矣.其有邪民不從化者,然後待之以刑,則民鹹知罪矣.詩云:‘天子是毗,俾民不迷.’毗輔也俾使也言師尹當毗輔天子使民不迷是以威厲而不試,刑錯而不用.今世則不然,亂其教,繁其刑,使民迷惑而陷焉,又從而制之,故刑彌繁,而盜不勝也.夫三尺之限,空車不能登者,何哉?峻故也.百仞之山,重載陟焉,何哉?陵遲故也.陵遲猶陂池也今世俗之陵遲久矣,雖有刑法,民能勿踰乎?”
孔子が魯の大司寇であったとき、父子が争い訴える者があった。夫子は二人をともに獄に繋ぎ【狴は獄牢】、三箇月分けず、父が止めるを請うた。夫子はこれを赦した。季孫は聞いて喜ばず言った。「司寇は我を欺いた。先に我に告げて、国家は必ず孝を先にせよと言ったではないか。私が今、不孝な者を戮して民に孝を教えるのも、よいではないか。なのにまた赦すとは、なぜか。」冉有が孔子に告げると、孔子は慨然として嘆息して言った。「ああ!上に在る者が道を失して下を殺すは、理にあらず。孝を教えずして彼らの獄を聴くは、無辜を殺すことだ。三軍が大敗しても、斬るべからず。獄犴が治まらぬときは、刑を用いるべからず。何となれば、上の教えが行われず、罪は民にあらざればなり。法令を慢じて誅殺を慎むは、賊なり。徴斂に時なくば、暴なり。試さずして責成するは、虐なり。政にこの三つなきとき、然る後に刑は就くべし。《尚書》にいう。『義の刑・義の殺を用いるなかれ、おのが心に遷らんがため。ただ慎める事未だなきを言うなり。』これは必ず教えて然る後に刑を用いよ、ということだ。【庸は用、即は就くこと。刑も教もみな義をもって用い、おのが心の安んずる所に遷すなかれ。慎むべく、自らまだ事に順わざるを言え。】おまけに道徳を陳べて人を服せしめ、刑殺なきを用いて然る後に順とす、これは先に教えて後に刑するなり。すでに道徳を陳べて先に人を服せしめてもなお可ならざれば、賢を尚びて勧む。それでも可ならざれば廃す。それでも可ならざれば、然る後に威をもって懼れさせる。このごとく三年すれば、百姓はすなわち正し。その中に教に従わざる邪民あれば、然る後に刑をもって対せば、民はみな罪を知る。《詩》にいう。『天子の毗にして、民をして迷わしめざらん。』【毗は輔、俾は使。師尹は天子を輔けて民を迷わしめざるべし、ということ。】このゆえに威を厳にして試さず、刑を措いて用いず。今の世はそうではない。教を乱し刑を繁くして、民をして迷い陥ちさせ、また従って制裁す。ゆえに刑はますます繁くして、盗は勝つべからず。三尺の門限は、空車でも登れない。なぜか。険峻なるゆえなり。百仞の山は、重載でも登る。なぜか。陂陁のゆえなり。【陵遅はなお陂池のごとし。】今、世俗の陵夷なること久し。刑法あれども、民は能く越えざらんや。」
王言解第三
王言解第三
孔子閒居,曾參侍.孔子曰:“參乎,今之君子,唯士與大夫之言可聞也.至於君子之言者,希也.於乎,吾以王言之,其不出戶牖而化天下.”曾子起,下席而對曰:“敢問何謂王之言?”孔子不應,曾子曰:“侍夫子之閒也,難對,是以敢問.”孔子又不應.曾子肅然而懼,摳衣而退,負席而立.有頃,孔子嘆息,顧謂曾子曰:“參,汝可語明王之道與?”曾子曰:“非敢以為足也,請因所聞而學焉.”子曰:“居,吾語汝.夫道者,所以明德也.德者,所以尊道也.是以非德道不尊,非道德不明.雖有國之良馬,不以其道服乘之,不可以道里.雖有博地眾民,不以其道治之,不可以致霸王.是故昔者明王內修七教,外行三至,七教修然後可以守,三至行然後可以徵.明王之道,其守也則必折沖千里之外,其徵則必還師衽席之上.故曰內修七教,而上不勞;外行三至,而財不費.此之謂明王之道也.”曾子曰:“不勞不費之謂明王,可得聞乎?”孔子曰:“昔者帝舜左禹而右皋陶,不下席而天下治,夫如此,何上之勞乎.政之不平,君之患也,令之不行,臣之罪也.若乃十一而稅,用民之力,歲不過三日,入山澤以其時,而無徵,關譏市●,皆不收賦,譏呵也譏異服識異言及市?皆不賦稅古之法也此則生財之路,而明王節之,何財之費乎?”曾子曰:“敢問何謂七教?
孔子が閑居していたとき、曽参が侍していた。孔子は言った。「参よ、今の君子は、士・大夫の言は聞かれるのみ。君子の言に至っては、少ない。ああ、わたしが王の言を語るなら、およそ戸牖を出ずして天下を化するであろう。」曽子が起ち、席を下りて答えた。「請います。どうして王の言というのですか。」孔子は応えなかった。曽子は言った。「夫子の閑に侍り、対え難いゆえに、あえて問うのです。」孔子はまた応えなかった。曽子は粛然として懼れ、襟を提げて退き、席を背にして立った。しばらくして、孔子は嘆息し、曽子を顧みて言った。「参、汝は明王の道を談ずることができるか。」曽子は言った。「足るをもっては敢えてせず。聞いた所に順って学ばせてください。」孔子は言った。「坐れ。汝に語ろう。道は、徳を明らかにするために用いるもの。徳は、道を尊ぶために用いるもの。ゆえに徳なければ道は尊ばれず、道なければ徳は明らかにならず。国の良馬あれども、その道をもって服乗せしめざれば、道里を計るべからず。広地・衆民あれども、その道をもって治めざれば、覇王に至るべからず。ゆえに昔の明王は、内に七教を修め、外に三至を行った。七教を修めて然る後に守るべく、三至を行いて然る後に征すべし。明王の道は、守れば必ず千里の外に折衝し、征すれば必ず衽席の上にて師を還す。ゆえに曰く、内に七教を修めて上は労せず、外に三至を行いて財は費えず。これを明王の道という。」曽子は言った。「労せず費えずを明王という、その故を聞いてよいですか。」孔子は言った。「昔、帝舜は左に禹、右に皋陶を置き、席を下らずして天下は治まった。このごとく、上に何の労があろう。政が平和ならずは君の患、令が行われずは臣の罪。什一に税して民の力を用いるに、一年三日を過ぎず、山沢に入るはその時に即って、賦せず、関は稽し譏すれども市には賦せず【譏は呵問すること。異服・異言を識別し、および市に賦せざるは、古の法】、これが財を生ずるの道なり。そして明王は節制する。財に何の費えがあろう。」曽子は言った。「請います。七教とは何ですか。」
”孔子曰:“上敬老則下益孝,上尊齒則下益悌,上樂施則下益寬,上親賢則下擇友,上好德則下不隱,上惡貪則下恥爭,上廉讓則下恥節,此之謂七教.七教者,治民之本也.政教定,則本正也.凡上者,民之表也,表正則何物不正.是故人君先立仁於己,然後大夫忠而士信,民敦俗璞,璞愨願貌男愨而女貞,六者,教之致也.布諸天下四方而不怨,納諸尋常之室而不塞,等之以禮,立之以義,行之以順,則民之棄惡,如湯之灌雪焉.”曾子曰:“道則至矣,弟子不足以明之.”孔子曰:“參以為姑止乎?又有焉.昔者明王之治民也,法必裂地以封之,分屬以理之,然後賢民無所隱,暴民無所伏.使有司日省而時考之,進用賢良,退貶不肖,然則賢者悅而不肖者懼.哀鰥寡、養孤獨、恤貧窮、誘孝悌、選才能.此七者修,則四海之內,無刑民矣.上之親下也,如手足之於腹心.下之親上也,如幼子之於慈母矣.上下相親如此,故令則從,施則行,民懷其德,近者悅服,遠者來附,政之致也.夫布指知寸,布手知尺,舒肘知尋,斯不遠之則也.周制,三百步為裡,千步為井,三井而埒,埒三而矩,此說裡數不可以言井井自方里之名疑此誤五十里而都封,百里而有國,乃為福積資求焉,恤行者有亡.是以蠻夷諸夏,雖衣冠不同,言語不合,莫不來賓.故曰無市而民不乏,無刑而民不亂.田獵罩弋,罩掩網弋繳射非以盈宮室也.征斂百姓,非以盈府庫也.慘怛以補不足,禮節以損有餘,多信而寡貌.其禮可守,其言可覆,其跡可履.如飢而食,如渴而飲.民之信之,如寒暑之必驗.故視遠若邇,非道邇也,見明德也.是故兵革不動而威,用利不施而親,萬民懷其惠,此之謂明王之守,折沖千里之外者也.”曾子曰:“敢問何謂三至?
孔子は言った。「上が老を尊べば、下はますます孝になります。上が年齢を崇べば、下はますます悌になります。上が施しを楽しめば、下はますます寛くなります。上が賢に親しめば、下は友を選びます。上が徳を好めば、下は隠さなくなります。上が貪を悪めば、下は争うことを恥とします。上が廉譲であれば、下は節なきを恥とします。これを七教といいます。七教は、民を治める根本です。政教が定まれば根本が正しくなります。およそ上に在る者は民の表で、表が正しければどんな物も正しくならないことがありましょうか。ゆえに人君はまず己の身に仁を樹え、然る後に大夫は忠で士は信、民は敦厚で俗は朴実【璞は慤願の様】、男は朴で女は貞。この六つは教が致すものです。天下四方に散らしても怨まれず、尋常の室に納めても塞がらず、礼をもって均しくし、義をもって立て、順をもって行えば、民は悪を捨てること、熱湯の雪に注ぐがごとしです。」曽子は言った。「道は極に至りました。弟子は明らかにするに足りません。」孔子は言った。「参は、ここで止めると思うか。まだある。昔の明王は民を治めるに、法は必ず地を裂いて封じ、所属を分けて治め、然る後に賢民は隠す所なく、暴民は伏す所なし。有司に日々省察させ時々考校し、賢良を進用し不肖を黜退させれば、賢者は悦び不肖は懼れる。鰥寡を哀れみ、孤独を奉養し、貧窮を恤え、孝悌を誘導し、才能を選ぶ。この七つを修めれば、四海の内に刑を受ける民なし。上は下に親しむこと、手足が腹心に対するがごとく。下は上に親しむこと、幼子が慈母に対するがごとく。上下が親しむことこのようであれば、ゆえに令せば従い、施せば行われ、民はその徳を懐き、近きは悦服し、遠きは来り附く。これが政の極至である。指を伸ばして寸を知り、手を開いて尺を知り、肘を張って尋を知る、これは近きを遠からざる法則である。周の制は、三百歩を里とし、千歩を井とし、三井を埒とし、埒三を矩とし【これは里の数を井をもって言うべからず、井はもと方里の名、ここ誤りか】、五十里にして都を封じ、百里にして国を有り、そこで福のために資財を蓄え、行者の有無を恤う。ゆえに蛮夷も諸夏も、衣冠が同じならず、言語が合わなくとも、賓して来ない者なし。ゆえに曰く、市なくとも民は乏しからず、刑なくとも民は乱れず。田猟の罩弋【罩は掩網、弋は繳射】は、宮室を満たすためのものではない。百姓を徴斂するは、府庫を満たすためではない。惨怛をもって不足を補い、礼節をもって有余を損じ、信を多くして表を少なくす。その礼は守るべく、その言は覆して験すべく、その跡は履むべし。飢えて食らうがごとく、渇して飲むがごとし。民が信ずること、寒暑の必ず応ずるがごとし。ゆえに遠を視ること近きがごとしは、道が近いのではなく、明德を見ればなり。ゆえに兵革を動かさずして威あり、用利を施さずして親しまれ、万民はその恵を懐く。これを明王の守といい、千里之外に折衝す、というのである。」曽子は言った。「請います。三至とは何ですか。」
”孔子曰:“至禮不讓而天下治,至賞不費而天下士悅,至樂無聲而天下民和.明王篤行三至,故天下之君,可得而知,天下之士,可得而臣,天下之民,可得而用.”曾子曰:“敢問此義何謂?”孔子曰:“古者明王,必盡知天下良士之名,既知其名,又知其實,又知其數,及其所在焉.然後因天下之爵以尊之,此之謂至禮不讓而天下治.因天下之祿以富天下之士,此之謂至賞不費而天下之士悅.如此,則天下之民,名譽興焉,此之謂至樂無聲而天下之民和.故曰:‘所謂天下之至仁者,能合天下之至親也.所謂天下之至明者,能舉天下之至賢者也.’此三者咸通,然後可以徵.是故仁者莫大乎愛人,智者莫大乎知賢,賢政者莫大乎官能.有土之君,修此三者,則四海之內,供命而已矣.夫明王之所徵,必道之所廢者也,是故誅其君而改其政,吊其民而不奪其財.故明王之政,猶時雨之降,降至則民悅矣.是故行施彌博,得親彌眾此之謂還師衽席之上.”言安安而無憂
孔子は言った。「至至極の礼は譲らずして天下治まり、至極の賞は費えずして天下の士悦び、至極の楽は声なくして天下の民和す。明王は切に三至を行う。ゆえに天下の君は知るべく、天下の士は臣とすべく、天下の民は用いるべし。」曽子は言った。「請います。この義はどういうことですか。」孔子は言った。「古の明王は、必ず天下の良士の名を尽く知る。すでに名を知り、また実を知り、また数を知り、および在所を知る。然る後に天下の爵を借りてこれを崇ぶ。これを至礼は譲らずして天下治まる、という。天下の禄を借りて天下の士を富ませる。これを至賞は費えずして天下の士悦ぶ、という。このごとくなれば、天下の民は名誉興る。これを至楽は声なくして天下の民和す、という。ゆえに曰く、『いわゆる天下の至仁は、天下の至親を會す。いわゆる天下の至明は、天下の至賢を挙ぐ。』この三つ、みな通ず、然る後に征すべし。ゆえに仁者は人を愛するより大なるはなく、智者は賢を知るより大なるはなく、賢政は能を官せしむるより大なるはなし。土を有する君、この三つを修めれば、四海の内、供命のみ。明王の征する所は、必ず道の棄てる所なり。ゆえにその君を誅してその政を改め、その民を弔いてその財を奪わず。ゆえに明王の政は、時雨の降るがごとし。降れば民悦ぶ。ゆえに施すこといよいよ博ければ、親しむを得ることいよいよ多し。これを衽席の上に師を還す、という。」【これは安らかにして憂いなきを言う。】
大婚解第四
大婚解第四
孔子侍坐於哀公.公問曰:“敢問人道孰為大?”孔子愀然作色而對曰:“君及此言也,百姓之惠也,固臣敢無辭而對.人道,政為大.夫政者,正也.君為正,則百姓從而正矣.君之所為,百姓之所從.君不為正,百姓何所從乎!”公曰:“敢問為政如之何?”孔子對曰:“夫婦別、男女親、君臣信,三者正,則庶物從之.”公曰:“寡人雖無能也,願知所以行三者之道,可得聞乎?”孔子對曰:“古之政愛人為大,所以治.愛人禮為大,所以治.禮,敬為大.敬之至矣,大婚為大.大婚至矣,冕而親迎,親迎者,敬之也.是故君子興敬為親,舍敬則是遺親也.弗親弗敬,弗尊也.愛與敬,其政之本與.”公曰:“寡人願有言也.然冕而親迎,不已重乎?”孔子愀然作色而對曰:“合二姓之好,以繼先聖之後,以為天下宗廟社稷之主,君何謂已重焉”?魯周公之後得郊天故言以為天下之主也公曰:“寡人實固,鄙陋不固安得聞此言乎!寡人慾問,不能為辭,請少進.”孔子曰:“天地不合,萬物不生,大婚,萬世之嗣也,君何謂已重焉?
孔子は哀公のもとに侍坐していた。公が問うた。「請います。人道はどれがもっとも大ですか。」孔子は愀然として色を変えて答えた。「君がこの言に及ぶは、百姓の恵です。固より臣は敢えて辞せずして対えます。人道は政が大です。政とは正なり。君が正しければ、百姓は従って正し。君の為す所は、百姓の従う所です。君が正しからざれば、百姓は何に従いましょう。」公は言った。「請います。為政はいかがすべきですか。」孔子は答えた。「夫婦に別あり、男女に親あり、君臣に信あり。この三つが正しければ、庶物は従います。」公は言った。「寡人は不肖なれども、この三つを行うゆえんを知らんことを願う。聞いてよいか。」孔子は答えた。「古の政は人を愛するを大とす。ゆえに治まる。人を愛するは礼を大とす。ゆえに治まる。礼は敬を大とす。敬の至りは、大婚を大とす。大婚至れば、冕を戴きて親迎す。親迎するは敬なり。ゆえに君子は敬を興して親しむ。敬を舎てれば親を遺棄す。親しまず敬せざれば、尊ばれず。愛と敬とは、およそ政の本ではないか。」公は言った。「寡人は願う、言う所あり。しかし冕を戴きて親迎するは、重きに過ぎないか。」孔子は愀然として色を変えて答えた。「二姓の好を合わせて、先聖の後を継ぎ、天下の宗廟社稷の主と為る。君はなぜすでに重いと言うのか。」【魯は周公の後にして、郊天を得たり。ゆえに天下の主と為るという。】公は言った。「寡人は実に鄙陋なり。【鄙陋にして固ならず、あにこの言を聞くことを得んや。】寡人は問うことを欲すれども、辞を措くこと能わず。請う、少し復た語らんことを。」孔子は言った。「天地合わざれば、万物生ぜず。大婚は万世の嗣なり。君はなぜすでに重いと言うのか。」
”孔子遂言曰:“內以治宗廟之禮,足以配天地之神,言宗廟天地神之次出以治直言之禮,以立上下之敬,夫婦正則始可以治正言禮矣身正然可以正人者也物恥、則足以振之,恥事不知禮足以振救之國恥、足以興之,恥國不知足以興起者也故為政先乎禮,禮其政之本與.”孔子遂言曰:“昔三代明王,必敬妻子也,蓋有道焉.妻也者,親之主也,子也者,親之後也,敢不敬與.是故君子無不敬,敬也者,敬身為大.身也者,親之支也,敢不敬與.不敬其身,是傷其親.傷其親,是傷本也.傷其本,則支從之而亡.三者,百姓之象也.言百姓之所法而行身以及身,子以及子,妃以及妃,君以修此三者,則大化愾乎天下矣.氣滿昔太王之道也,太王出亦姜女入亦姜女國無鰥民愛其身以及人之身愛其子以及人之子故曰太王之道如此國家順矣.”公曰:“敢問何謂敬身?”孔子對曰:“君子過言則民作辭,過行則民作則,言不過辭,動不過則,百姓恭敬以從命,若是,則可謂能敬其身,則能成其親矣.”公曰:“何謂成其親?”孔子對曰:“君子者也,人之成名也,百姓與名,謂之君子,則是成其親,為君而為其子也.”孔子遂言曰:“愛政而不能愛人,則不能成其身.不能成其身,則不能安其土.不能安其土,則不能樂天.”天道也公曰:“敢問何能成身?”孔子對曰:“夫其行已不過乎物,謂之成身,不過乎,合天道也.”公曰:“君子何貴乎天道也?
孔子は続けて言った。「内はもって宗廟の礼を治めるに、天地の神に配るに足る【これは宗廟は天地の神の次序なりと言う】、出でてはもって直言の礼を治めて、上下の敬を樹つ【夫婦正しくして然る後に正言の礼を治むべく、身正しくして然る後に人を正すべし】。事に耻づれば、振救するに足る【事に耻づけば礼を知る、振救するに足る】。国に耻づけば、興るに足る【国に耻づけば興るに足る】。ゆえに為政は礼に先んず。礼はおよそ政の本なり。」孔子は続けて言った。「昔、三代の明王は、必ず妻子を敬した。おそらく道あり。妻は親の主なり。子は親の後なり。あえて敬せざらんや。ゆえに君子は敬なきことなし。敬は身を敬するを大とす。身は親の支なり。あえて敬せざらんや。身を敬せざるは親を傷つく。親を傷つくは本を傷つく。本を傷つけば、支は従って亡ぶ。この三つは百姓の象なり【これは百姓の取法して行う所なり】。身より身に推し、子より子に推し、妃より妃に推す。君この三つを修めば、大化は天下に充つ。【気満つ。昔、太王の道は、出でても姜女、入りても姜女なり。国に鰥民なし。自身を愛して人の身に推し、児子を愛して人の児子に推す。ゆえに太王の道という。】このごとくなれば、国は順う。」公は言った。「請います。身を敬するとは何ですか。」孔子は答えた。「君子は言に過失あれば民は辞と為し、行に過失あれば民は法則と為す。言は辞を過ぎず、動は法則を過ぎず、百姓は恭敬して命に従う。このごとくなれば、能く身を敬すと称すべく、親を成すを得たり。」公は言った。「親を成すとは何ですか。」孔子は答えた。「君子とは、人の成すの名なり。百姓が名を与えて君子という。すなわち親を成し、君を為てその子と為るなり。」孔子は続けて言った。「政を愛するも人を愛すること能わざれば、身を成すこと能わず。身を成すこと能わざれば、土を安んずること能わず。土を安んずること能わざれば、天を楽しむこと能わず。」【天道なり。】公は言った。「請います。何をもって身を成すを得ますか。」孔子は答えた。「己の行い、物を過ぎざるを身を成すという。過ぎざるは、天道に合すなり。」公は言った。「君子はなぜ天道を重んじるのですか。」
”孔子曰:“貴其不已也.如日月東西相從而不已也,是天道也.不閉而能久,不閉常通而能久言無極是天道也.無為而物成,是天道也.已成而明之,是天道也.”公曰:“寡人且愚●,言惷愚●暗也幸煩子之於心.”欲煩孔子議識其心所能行也孔子蹴然避席而對曰:“仁人不過乎物,孝子不過乎親.是故仁人之事親也如事天,事天如事親,此謂孝子成身.”公曰:“寡人既聞如此言,無如後罪何?”孔子對曰:“君子及此言,是臣之福也.”
孔子は言った。「その止まらざるを貴ぶなり。日月の東西に相従いて止まらざるがごとき、これ天道なり。塞がらずして能く久しき【塞がらず常に通じて能く久し。極なきを言う】、これ天道なり。無為にして物成る、これ天道なり。すでに成りて顯明なる、これ天道なり。」公は言った。「寡人は愚暗なり【蠢愚暗昧なりと言う】。幸いに君に心につきて煩わさんと欲す。」【孔子に煩わして、心の能く行う所を論識せしめんと欲す。】孔子は蹴然として席を離れて答えた。「仁人は物を過ぎず、孝子は親を過ぎず。ゆえに仁人の親に事えること、天に事えるがごとく。天に事えること、親に事えるがごとし。これを孝子の身を成すという。」公は言った。「寡人はすでにこの言を聞いたり。しかるに後の罪はいかん。」孔子は答えた。「君子がこの言に及ぶは、臣の福なり。」
儒行解第五
儒行解第五
孔子在衛,冉求言於季孫曰:“國有聖人而不能用,欲以求治,是猶卻步而欲求及前人,不可得已.今孔子在衛,衛將用之.己有才而以資鄰國,難以言智也,請以重幣迎之.季孫以告哀公,公從之.孔子既至,舍哀公館焉.就孔子舍公自阼階,孔子賓階升堂立侍.公曰:“夫子之服,其儒服與?”孔子對曰:“丘少居魯,衣逢掖之衣.深衣之褒大也長居宋,冠章甫之冠.丘聞之,君子之學也,博其服以鄉,隨其鄉也丘未知其為儒服也.”公曰:“敢問儒行?”孔子曰:“略言之則不能終其物,悉數之則留僕未可以對.”留久也僕太僕君燕朝則正位掌儐相更衣之為久將倦使之相代者也哀公命席,孔子侍坐曰:“儒有席上之珍以待聘,席上之珍能敷陳先王之道以為政治夙夜強學以待問,懷忠信以待舉,力行以待取,力行仁義道德以待人取其自立有如此者.儒有衣冠,中動作順,其大讓如慢,慢簡略也小讓如偽,大則如威,小則如媿,難進而易退,粥粥若無能也,其容貌有如此者.儒有居處齊難,齊莊可畏難也其起坐恭敬,言必誠信,行必忠正,道塗不爭險易之利,冬夏不爭陰陽之和;愛其死以有待也,養其身以有為也,其備預有如此者.儒有不寶金玉,而忠信以為寶,不祈土地,而仁義以為土地;不求多積多文以為富;難得而易祿也,易祿而難畜也;非時不見,不亦難得乎?非義不合,不亦難畜乎?先勞而後祿,不亦易祿乎?其近人情,有如此者.儒有委之以財貨而不貪,淹之以樂好而不淫,劫之以眾而不懼,阻之以兵而不懾;阻難也以兵為之難見利不虧其義,見死不更其守;●者不悔,來者不豫;過言不再,不再過言流言不極;流言相毀不窮極也不斷其威,常嚴莊也不習其謀;不豫習其謀慮其特立有如此者.儒有可親而不可劫,可近而不可迫,可殺而不可辱;其居處不過,其飲食不溽;
孔子は衛に在り。冉求は季孫に言った。「国に聖人ありて用いること能わざれば、治を求むること、歩を退げて前の人に及ばんと欲するがごとし。得べからざるなり。今、孔子は衛に在り、衛まさに用いんとす。己に才ありて隣国を資るは、智と称し難し。請う、重幣をもって迎えんことを。」季孫は哀公に告げ、公は従った。孔子すでに至り、哀公の館に舍る。【孔子の舍に近く、公は阼階より、孔子は賓階より堂に升り、立ちて侍る。】公は言った。「夫子の衣服は儒服か。」孔子は答えた。「丘は年少くして魯に居り、逢掖の衣を衣【深衣の褒大なる】、長く宋に居りて章甫の冠を冠る。丘の聞く所、君子の学は博く、衣服は郷に従う【その郷に従う】。丘はそれを儒服と知らず。」公は言った。「請う、儒行はいかに。」孔子は言った。「遽に数うれば終わること能わず、その物を尽くせば太仆留りて久しく、まだ対えがたし。」【留は久し。仆は太仆。君の燕朝は位を正しく傧相更衣を掌る。久しくして倦まんことを以て、相代えしむ。】哀公は命じて席を設け、孔子は侍坐して言った。「儒には席上の珍を有ちて聘を待ち【席上の珍は能く先王の道を敷陳して政を為さん】、夙夜学を強いて問を待ち、忠信を懐きて挙を待ち、力行して取を待つ【力行して仁義道徳を行人の取用を待つ】。その自立するやこのあり。儒には衣冠中にして動作順なり。大譲は慢するがごとく【慢は簡略】、小譲は偽するがごとく、大は威あるがごとく、小は愧ずるがごとく、進み難く退き易く、粥粥として能なきがごとし。その容貌するやこのあり。儒には居処は斉荘にして畏るべく、起坐は恭敬なり。言は必ず信、行は必ず忠正。道途は険易の利を争わず、冬夏は陰陽の和を争わず。死を愛して待つ所有り、身を養いて為す所有り。その備えするやこのあり。儒には金玉を宝と為さず、忠信を宝と為す。地を祈らず、仁義を地と為す。多積を求めず、多文を富と為す。得難くして禄易く、禄易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、得難きに非ずや。義に非ざれば合わず、畜い難きに非ずや。先に労して後に禄す、易きに非ずや。その人の情に近きやこのあり。儒には財貨を委ぬるに貪せず、楽好に淹浸するに淫せず、衆をもって劫すに懼れず、兵をもって阻難するに慴れず【阻は難なり。兵をもって難を為さん】、利を見て義を亏めず、死を見て操を改めず、往きたるは悔いず、来るは豫せず、過言は再びせず【過言を再びせず】、流言は極まず【流言相毁は極まず】、威を断たず【常に厳荘】、謀を習わず【その謀慮を豫ね習わず】。その特立するやこのあり。儒は親しむべくして劫すべからず、近づくべくして迫るべからず、殺すべくして辱むべからず。居処は過過ぎず、飲食は厚えず。
其過失可徵辯,而不可面數也;其剛毅有如此者.儒有忠信以為甲冑,禮義以為幹櫓;幹楯也櫓大戟戴仁而行,抱德而處;雖有暴政,不更其所;其自立有如此者.儒有一畝之宮,環堵之室,方丈曰堵一堵言其小者也蓽門圭窬,蓽門荊竹織門也圭窬穿牆為之如圭也蓬戶甕牖,以編蓬為戶破甕為牖也易衣而出,更相易衣而後可以出幷日而食;幷一日之糧以為一食也上答之,不敢以疑,君用之不敢疑貳事君也上不答之,不敢以諂;其為士有如此者.儒有今人以居,古人以●,稽同今世行之,後世以為楷,法也若不逢世,上所不受,下所不推;詭諂之民,有比黨而危之,身可危也,其志,不可奪也;雖危起居,猶竟信其志,乃不忘百姓之病也;起居猶動靜也竟終也言身雖危動靜猶終身不忘百姓其憂思有如此者.儒有博學而不窮,篤行而不倦,幽居而不淫,上通而不困;禮必以和,優遊以法;慕賢而容眾,毀方而瓦合;去己之大圭角下與眾人小合其寬裕有如此者.儒有內稱不避親,外舉不避怨;程功積事,不求厚祿,程猶效也言功效而已不求厚祿也推賢達能,不望其報;君得其志,民賴其德,苟利國家,不求富貴;其舉賢援能,有如此者.儒有澡身浴德,常自潔淨其身沐浴於德行也陳言而伏;陳言於君不望其報靜言而正之,而上下不知也;默而翹之,又不急為也;言事君清靜因事而止之則君不知默而翹發之不急為所以為不為不臨深而為高,不加少而為多;言不因勢位自矜莊世治不輕,世亂不沮;不自輕不自沮同己不與,異己不非;其特立獨行,有如此者.儒有上不臣天子,下不事諸侯,慎靜尚寬,底厲廉隅,強毅以與人,博學以知服;雖以分國,視之如錙銖,視之輕如錙銖八兩為錙弗肯臣仕;其規為有如此者.儒有合志同方,營道同術,並立則樂,相下不厭;
過失は徴験して弁論すべく、当面数えるべからず。その剛毅するやこのあり。儒は忠信を以て甲冑と為し、礼義を以て干櫓と為す【干は楯、櫓は大戟】。仁を戴いて行い、徳を懐きて処る。暴政あれども、在所を改めず。その自立するやこのあり。儒には一畝の宮、環堵の室【方丈を堵という。一堵は小なりと言う】、篳門圭窬【篳門は荆竹を織って門と為し、圭窬は墻を穿ちて圭に似せて為す】、蓬戸瓮牖【蓬を編んで戸と為し、破瓮を牖と為す】、衣を更えて乃ち出で【衣を更相えて然る後に出るべし】、日を并せて食う【両日の糧を并せて一食と為す】。上に応じては敢えて疑わず【君に用いられて疑贰せず事君す】、上に応ぜざれば敢えて諂わず。その士たるやこのあり。儒には今人を以て居り、古人を以て稽考す【稽は同】。今世に行い、後世に楷法と為さん。もし時に逢わず、上に受けられず、下に挙げられざるも、詭谄の民、比して危害あれども、身は危うくとも志は奪うべからず。起居に危うきに及ぶも、なお終に志を伸ばし、遂に百姓の病を忘れず【起居はなお動靜、竟は終。身たとい危うくとも、動靜なお終身百姓を忘れざるを言う】。その憂思するやこのあり。儒は博学にして窮まらず、篤行して倦まず、幽居して淫せず、上達して困まず。礼は必ず和を以てし、優游して法を以てす。賢を慕いて衆を容れ、方を毀りて瓦合す【己の大圭角を去りて、下に衆人と小さく合す】。その寛裕なるやこのあり。儒は内には称して親を避けず、外には挙げて怨を避けず。功を程し事を積み、厚禄を求めず【程は效。功效のみにして厚禄を求めざるを言う】。賢を推し能を達し、報を望まず。君は志を得、民ははは徳に頼り、もし国家に利あらば、富貴を求めず。その賢を挙げ能を援くるやこのあり。儒は身を澡い徳を浴し【常に自ら身を潔くして徳行に沐浴す】、言を陳べて伏す【君に言を陳べて報を望まず】。静かに言いて正すれども、上下知らず。黙して翘るも、また急いで為さず【事君清静にして、事によりて止まれば君は知らず、黙して翘発し、急いで為さざるを言う。故に為さざるを為す】、深きに臨んで高きを為さず、少を以て多に加えず【勢位によりて自ら矜荘せざるを言う】。世の治まれば軽しめず、世の乱るれば沮まず【自ら軽せず、自ら沮まず】。己と同じきは交わらず、己と異なるは議せず。その特立独行するやこのあり。儒は上は天子に臣せず、下は諸侯に事えず、慎静にして寛を尚び、廉隅を砥礪し、強毅を以て人と交わり、博学を以て服を知る。国を分封するも、錙銖のごとく視て【錙銖のごとく軽く視る。八両を錙とす】、肯んじて臣仕せず。その規為するやこのあり。儒には志同じく方同じく、道術を営むこと同じきあり。并び立てば則ち楽しみ、相い謙下して厭かず。
久別則聞,流言不信,義同而進,不同而退,其交有如此者.夫溫良者,仁之本也;慎敬者,仁之地也;寬裕者,仁之作也;動作遜接者,仁之能也;禮節者,仁之貌也;言談者,仁之文也;歌樂者,仁之和也;分散者,仁之施也;儒皆兼此而有之,猶且不敢言仁也;其尊讓有如此者.儒有不隕穫於貧賤,隕穫憂悶不安之貌不充詘於富貴;充詘踴躍參擾之貌不溷君王,不累長上,不閔有司,故曰儒.溷辱閔疾言不為君長所辱病儒者中和之名今人之名儒也,忘常以儒相詬疾.”詬辱哀公既得聞此言也,言加信,行加敬.曰:“終歿吾世,弗敢復以儒為戲矣.”
久しく別れれば伝聞し、流言は信ぜず。義同じければ則ち進み、同じからざれば則ち退く。その交游するやこのあり。温良は仁の本、慎敬は仁の地、寛裕は仁の作、動作遜接は仁の能、礼節は仁の貌、言談は仁の文、歌楽は仁の和、分散は仁の施なり。儒はこれらを兼ね備えても、なお敢えて仁と称せず。その尊譲するやこのあり。儒は貧賤を以て隕獲せず【隕獲は憂悶不安の様】、富貴を以て充詘せず【充詘は踊躍参擾の様】。君王に溷辱せず、長上に累せず、有司を疾めず、ゆえに儒という。【溷は辱、閔は疾。君長に辱められ病められざるを言う。儒は中和の名なり。】今の人の儒を称するは、常を忘れて以て儒をもって相い詬病す。【詬は辱なり。】哀公はすでにこの言を聞き、言いよいよ信を加え、行いよいよ敬を加えた。言う。「終に我が生、敢えて再び儒を以て戯弄せじ。」
問禮第六
問礼第六
哀公問於孔子曰:“大禮何如?子之言禮,何其尊也.”孔子對曰:“丘也鄙人,不足以知大禮也.”公曰:“吾子言焉.”孔子曰:“丘聞之民之所以生者,禮為大.非禮則無以節事天地之神焉;非禮則無以辯君臣上下長幼之位焉;非禮則無以別男女父子兄弟婚姻親族疏數之交焉;是故君子此之為尊敬,然後以其所能教順百姓,不廢其會節.所能謂禮也會謂男女之會節謂親疏之節也既有成事,而後治其文章黼黻,以別尊卑上下之等.其順之也,而後言其喪祭之紀,宗廟之序,品其犧牲,設其豕臘,修其歲時,以敬其祭祀,別其親疏,序其昭穆,而後宗族會燕,即安其居,以綴恩義.卑其宮室,節其服御,車不雕璣,器不彤鏤,食不二味,心不淫志,以與萬民同利,古之明王行禮也如此.”公曰:“今之君子,胡莫之行也.”孔子對曰:“今之君子,好利無厭,淫行不倦,荒怠慢遊,固民是盡,以遂其心,以怨其政,忤其眾以伐有道.求得當欲不以其所,言苟求得當其情慾而已虐殺刑誅,不以其治.夫昔之用民者由前,用上所言今之用民者由後,用下所言是即今之君子,莫能為禮也.”言偃問曰:“夫子之極言禮也,可得而聞乎?”孔子言:“我欲觀夏,是故之杞,夏後封於杞也而不足徵也,徵成吾得夏時焉;於四時之正正夏數得天心中我欲觀殷道,是故之宋,殷後封宋而不足徵也,吾得乾坤焉;
哀公は孔子に問うた。「大礼はいかなるものか。吾子が礼を談ずるに、なぜあのように尊崇するのか。」孔子は答えた。「丘は鄙人にして、大礼を知るに足らず。」公は言った。「吾子はなお言え。」孔子は言った。「丘の聞く所、民の生ずるゆえんは、礼を大とす。礼なくんば、天地の神に事えるを節するゆえんなし。礼なくんば、君臣上下長幼の位を辨ずるゆえんなし。礼なくんば、男女父子兄弟婚姻親族疏戚の交わりを別つゆえんなし。ゆえに君子はこれを以て敬と為し、然る後にその能くする所を以て教え順に百姓を導き、その会節を廃せず。【所能は礼を指し、会は男女の会を指し、節は親疏の節を指す。】すでに成事あれば、然る後に文章黼黻を治めて、尊卑上下の等を別つ。その順なるや、然る後に喪祭の紀、宗廟の序を言い、犠牲を品第し、豕腊を設け、歳時を修治して、以て祭祀を敬い、親疏を別ち、昭穆を序し、然る後に宗族会燕して、居処に安んじ、以て恩義を連綴す。宮室を卑くし、服御を節し、車は雕璣せず、器は彤鏤せず、食は二味せず、心は志に淫せず、以て万民と利を同じくす。古の明王の礼を行うやこのごとし。」公は言った。「今の君子は、なぜ行う者なきか。」孔子は答えた。「今の君子は、利を好みて足ることなく、淫行して倦まず、荒怠して慢游し、民を尽く用い尽くして、以て心を足らしめ、以て政を怨ましめ、衆に忤いて有道を伐つ。求めて欲に合し宜に由らず【苟も求めて情欲に合するのみと言う】、虐殺刑誅して治に由らず。昔の民を用うるは前に由り【上の言う所を用う】、今の民を用うるは後に由る【下の言う所を用う】。これが今の君子、礼を能くする者なきゆえんなり。」言偃が問うた。「夫子は礼を極めて談ず。聞くべきや。」孔子は言った。「我は夏を観んと欲し、故に杞に至る【夏后は杞に封ぜらる】、徴験するに足らず【徴は成】。我は夏時を得たり【四時の正に対して、夏数は天心中を得】、我は殷道を観んと欲し、故に宋に至る【殷后は宋に封ぜらる】、徴験するに足らず、我は乾坤を得たり。
幹天坤地得天地陰陽之書也乾坤之義,夏時之等,吾以此觀之.夫禮,初也始於飲食,太古之時,燔黍擘豚,古未有釜甑釋米擗肉加於燒石之上而食之汙●杯飲,蕢桴土鼓,鑿地為●以手飲之也猶可以致敬鬼神,神饗德不求備物也及其死也,升屋而號告曰,高某復然後飲腥苴熟,始死含以珠貝將葬苞苴以遣奠以送之形體則降,魂氣則上,是謂天望而地藏也.魂氣升而在天形體藏而在地故生者南向,死者北首,皆從其初也.昔之王者,未有宮室,冬則居營窟,夏則居櫓巢;掘地而居謂之營窟有柴謂櫓在樹曰巢未有火化,食草木之實,鳥獸之肉,飲其血,茹其毛,未有絲麻,衣其羽皮.後聖有作,然後修火之利,範金冶金為器用刑範也合土,合和以作瓦物以為宮室戶牖;以炮以燔,毛曰炮加火曰燔也以烹以炙,煮之曰烹炮之曰炙以為醴酪;醴醴酒酪漿酢治其絲麻,以為布帛,以養生送死,以事鬼神.故玄酒在室,玄酒水也言尚古在略近醴醆在戶,醴●齊也五齊二曰醴齊三曰●齊粢醍在堂,深醍澄齊澄酒在下,澄清漏其酒也陳其犧牲,備其鼎俎,列其琴瑟,管磬鐘鼓,以降上神,上神天神與其先祖,以正君臣,以篤父子,以睦兄弟,以齊上下,夫婦有所,是謂承天之佑.作其祝號,犧牲玉帛祝辭皆異為之號也玄酒以祭,薦其血毛,腥其俎,熟其殽,言雖有所熟猶有所腥腥本不忘古也越席以坐.翦蒲席也布以羃,羃覆酒巾也質故用疏也衣其浣帛,練染以為祭服醴醆以獻,薦其燔炙,君與夫人,交獻以嘉魂魄,嘉善樂也然後退而合烹,合其烹熟之禮無復醒也體其犬豕牛羊,體解其牲體而薦之實其簠簋,受黍稷之器也籩豆鉶羹,竹曰籩木曰豆鉶所以盛羹也祝以孝告,祝通孝子語於先祖嘏以慈告,嘏傳先祖語於孝子是為大祥,祥善此禮之大成也.”
【乾は天、坤は地。天地陰陽の書を得たり。】乾坤の義、夏時の等、我はこれを以て観る。礼は初め飲食より始まる。太古の時は、黍を燔き豚を擘き【古は釜甑なし。米と肉を焼石に加えて食う】、污尊して杯飲す【地を鑿ちて尊と為し手を以て飲む】、蕢桴土鼓なれども、なお鬼神に敬を致すべし【神は徳を饗して備物を求めず】。死に及べば、屋に登り号して曰く『皋某復』、然る後に腥を飲し苴を熟す【始め死ぬや珠貝を含み、葬らんとするや苞苴を以て遣奠送行す】。形体は降り、魂気は升る。これを天望して地蔵すという【魂気は天に升り、形体は地に蔵さる】。故に生けるは南面し、死せるは首を北にす。みな初めに従うなり。昔の王者は宮室なく、冬は営窟に居り、夏は橹巢に居る【地を掘りて居るを営窟という。柴ありを橹といい、樹に在るを巢という】。火化なく、草木の実、鳥獣の肉を食い、血を飲み、毛を茹でる。糸麻なく、羽皮を衣る。後の聖興る所有りて、然る後に火の利を修め、金を範し【金を冶して器用を為すは刑範を用う】土を合し【和して以て瓦物を為す】、以て宮室戸牖を為る。以て炮し以て燔き【毛を帯びるを炮といい、火に加うるを燔という】、以て烹り以て炙り【煮るを烹といい、烤るを炙という】、以て醴酪を為る【醴は醴酒、酪は浆酢】。糸麻を治めて以て布帛を為り、以て生を養い死を送り、以て鬼神に事う。故に玄酒は室に在り【玄酒は水。古を尚ぶは近くに在るを言う】、醴醆は戸に在り【醴は醴斉、五斉の二は醴斉、三は醆斉】、粢醍は堂に在り【深醍は澄斉】、澄酒は下に在り【澄は澄清の漉酒】。犠牲を陳べ、鼎俎を具え、琴瑟を列ね、管磬鐘鼓を以て上神を降し【上神は天神】先祖を和し、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦じ、以て上下を斉え、夫婦に所有らしむ。これを天の祜を承くという。祝号を作り【犠牲玉帛祝辞みな別に号を作る】、玄酒を以て祭り、血毛を進め、腥の俎、熟の殽【熟する所あるもなお腥する所あり、腥は本、古を忘れざるを言う】、越席を以て坐し【蒲席を翦る】、布を以て覆う【羃は覆酒巾。質朴ゆえに疏を用う】、浣帛を服し【練染して祭服を為す】、醴醆を以て献じ、燔炙を進め、君と夫人と交相献じて以て魂魄を嘉善し【嘉は善楽】、然る後に退きて合烹す【その烹熟の礼を合し、復た腥せず】、犬豕牛羊を体解し【牲体を体解して進む】、簠簋【黍稷を受くる器】・籩豆鉶羹を充実し【竹を籩といい、木を豆という。鉶は羹を盛るに用う】、祝は孝を以て告げ【祝は孝子の言を先祖に達す】、嘏は慈を以て告ぐ【嘏は先祖の言を孝子に伝う】。これを大祥という【祥は善】。これ礼の大成なり。」
五儀解第七
五儀解第七
哀公問於孔子曰:“寡人慾論魯國之士,與之為治,敢問如何取之?”孔子對曰:“生今之世,志古之道,居今之俗,服古之服,舍此而為非者,不亦鮮乎?”曰:“然則章甫絇履,章甫冠也絇履履頭有鉤飾也紳帶縉笏者,皆賢人也.”紳大帶縉捶也笏所以執書思對命孔子曰:“不必然也.丘之所言,非此之謂也.夫端衣玄裳,冕而乘軒者,則志不在於食焄;端衣玄裳齋服也軒軒車焄辛菜也斬衰管菲,杖而歠粥者,則志不在於酒肉.生今之世,志古之道,居今之俗,服古之服,謂此類也.”公曰:“善哉!盡此而已乎?”孔子曰:“人有五儀,有庸人、有士人、有君子、有賢人、有聖人,審此五者,則治道畢矣.”公曰:“敢問何如斯可謂之庸人?”孔子曰:“所謂庸人者,心不存慎終之規,口不吐訓格之言,格法不擇賢以托其身,不力行以自定;見小闇大,而不知所務,從物如流,不知其所執;此則庸人也.”公曰:“何謂士人?”孔子曰:“所謂士人者,心有所定,計有所守,雖不能盡道術之本,必有率也;率猶行也雖不能備百善之美,必有處也.是故知不務多,必審其所知;言不務多,必審其所謂;所務者謂言之要也行不務多,必審其所由.智既知之,言既道之,得其要也行既由之,則若性命之形骸之不可易也.富貴不足以益,貧賤不足以損.此則士人也.”公曰:“何謂君子?”孔子曰:“所謂君子者,言必忠信而心不怨,怨咎仁義在身而色無伐,無伐善之色也思慮通明而辭不專;篤行信道,自強不息,油然若將可越而終不可及者.此則君子也.”油然不進之貌也越過也公曰:“何謂賢人?”孔子曰:“所謂賢人者,德不踰閒,閒法行中規繩,言足以法於天下,而不傷於身,言滿天下無口過也道足以化於百姓,而不傷於本;
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は魯国の士を論じて、ともに治めんと欲す。請う、いかに取るべきか。」孔子は答えた。「今の世に生まれて古の道に志し、今の俗に処りて古の衣を衣る。これを能くしてなお悪を為す者は、少なきにあらずや。」哀公は言った。「然らば章甫のごとき冠を冠り、鉤ある履を履き、大帯を束ね笏を挿す者は、みな賢人か。」【章甫は冠。紳は大帯、縉は挿、笏は以て書事を執り対答を思う。】孔子は言った。「必ずしも然らず。丘の言う所は、この謂いにあらず。端衣玄裳を服し冕を戴き軒車に乗る者は、志は葷腥に在らず【端衣玄裳は斎服。軒は軒車。葷は辛菜】。斬衰を著け菅の屨を履き杖を拄き粥を飲む者は、志は酒肉に在らず。今の世に生まれて古の道に志し、今の俗に処りて古の衣を衣るとは、この類を言う。」哀公は言った。「善し。これにて止むか。」孔子は言った。「人には五儀あり。庸人あり、士人あり、君子あり、賢人あり、聖人あり。この五つを審らかにすれば、治道備わる。」哀公は言った。「請う、いかにして庸人と称すべきか。」孔子は言った。「いわゆる庸人は、心に慎終の矩なく、口に合法の言を吐かず【格は法なり】、賢を択んで身を託せず、行いを力めて己を安んぜず。小を見て大に昏く、為すべきを知らず、物に従うこと流水のごとく、自ら把握する所を知らず。これが庸人なり。」哀公は言った。「士人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる士人は、心に定まる所有り、計謀に守る所有り。道術の本を窮むること能わざるも、必ず率る所有り【率は行なり】。百善の美を具えること能わざるも、必ず安んずる所有り。ゆえに知は多きを求めず、必ずその知る所を審らかにす。言は多きを求めず、必ずその言う所の要を審らかにす【所務は言の要】。行は多きを求めず、必ずその由る所の路を審らかにす。智すでに知り、言すでに要を言い、行すでに正路に由れば、性命の形骸に於けるがごとく改易すべからず。富貴も以て彼を益するに足らず、貧賤も以て彼を損ずるに足らず。これが士人なり。」哀公は言った。「君子とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる君子は、言は必ず忠信にして心に怨咎なく【怨は咎なり】、仁義は身に在りて色に自誇なし【伐善の色なし】、思慮は通達明らかにして措詞は専断せず。篤行して正道を信守し、自强不息し、従容として人の己に及ぶを得るがごとくなれども、終に及ぶ能わず。これが君子なり。」【油然は進み急がざるの様。越は超過。】哀公は言った。「賢人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる賢人は、徳は法度を踰えず【閑は法なり】、行は規矩準縄に合い、言は天下の法則と為るに足れども身を傷めず【言天下に満つれども口過なし】、道は百姓を化するに足れども本を傷めず。
本亦身富則天下無宛財,宛積也古字亦或作此故或誤不著草矣施則天下不病貧.此則賢者也.”公曰:“何謂聖人?”孔子曰:“所謂聖者,德合於天地,變通無方,窮萬事之終始,協庶品之自然,敷其大道而遂成情性;明並日月,化行若神,下民不知其德,睹者不識其鄰.此謂聖人也.”鄰以喻界畔也公曰:“善哉!非子之賢,則寡人不得聞此言也.雖然,寡人生於深宮之內,長於婦人之手,未嘗知哀,未嘗知憂,未嘗知勞,未嘗知懼,未嘗知危,恐不足以行五儀之教若何?”孔子對曰:“如君之言已知之矣,則丘亦無所聞焉.”君如此言已為知之故無所復言謙以誘進哀公矣公曰:“非吾子,寡人無以啟其心,吾子言也.”孔子曰:“君子入廟,如右,登自阼階,仰視榱桷,俯察機筵,其器皆存,而不睹其人,君以此思哀,則哀可知矣.昧爽夙興,正其衣冠,爽明也昧明始明也夙早興起平旦視朝,慮其危難,一物失理,亂亡之端,君以此思憂,則憂可知矣.日出聽政,至於中●,中日中●映中諸侯子孫,?來為賓,行禮揖讓,慎其威儀,君以此思勞,則勞亦可知矣.緬然長思,出於四門,周章遠望,睹亡國之墟,必將有數焉,言亡國故墟非但一君以此思懼,則懼可知矣.夫君者,舟也;庶人者,水也;水所以載舟,亦所以覆舟,君以此思危,則危可知矣.君既明此五者,又少留意於五儀之事,則於政治,何有失矣.”
根本はすなわちその身なり。富裕なれば、天下に囤積する財貨なし【宛は積。古字もまたこのように写す。ゆえにある誤本は草冠を着けず】。施せば、天下は貧窮に苦しまず。これが賢者なり。」哀公は言った。「聖人とは何ぞ。」孔子は言った。「いわゆる聖は、徳は天地に合し、変通は方所を定めず、万事の終始を窮め、衆物の自然を協わせ、大道を敷陳して情性を成さしむ。光明は日月と列し、教化の流行は神のごとし。下の民はその徳を知らず、見る者はその際を辨えず。これを聖人という。」【鄰は界畔を喩うに用う】哀公は言った。「善いかな。吾子のごとき賢にあらざれば、寡人はこの言を聞くことを得ざりき。然りと雖も、寡人は深宮の内に生れ、婦人の手に長じ、哀を知らず、憂を知らず、労を知らず、懼を知らず、危を知らず。おそらく五儀の教を行うに足らざらん。いかんせん。」孔子は答えた。「君の言う所に由りて、すでに知れり。然れば丘もまた言うべきなし。」【君がこの歩に言及すればすでに知れると算す。ゆえに復た多言せず。謙虚を以て哀公を導くなり】哀公は言った。「吾子に非ざれば、寡人は心意を啓くゆえんなし。請う、吾子言わんことを。」孔子は言った。「君子は宗廟に入るや、右よりして東階より登り、仰いで椽桷を視、俯して几席を視る。器物みな在れども、その人を見ず。君これを以て哀を思えば、哀は知るべし。昧爽に夙興し【爽は明、昧爽は天まだ明るめ初まる時、夙は早、興は起】、衣冠を整え、平旦に朝に視て、危難を思慮す。一事條理を失えば、則ち乱亡の端なり。君これを以て憂を思えば、憂は知るべし。日出でて政を聴き、日中の昃に至るまで【中は日中】、諸侯の子孫賓と為りて来り、礼を行い揖譲して、威儀を慎む。君これを以て労を思えば、労もまた知るべし。緬然として長く思い、四門を出でて周遍に望めば、亡国の墟を見ること、必ず数か所あり【亡国の故墟は一処のみにあらずと言う】。君これを以て懼を思えば、懼は知るべし。君は船に似たり、庶人は水に似たり。水は以て船を載すれども、また船を覆さん。君これを以て危を思えば、危は知るべし。君すでにこの五つを明らかにし、また少しく五儀の事に留意せば、政治に於て、あに復た過失あらんや。」
哀公問於孔子曰:“請問取人之法.”孔子對曰:“事任於官,言各當以其所能之事任於官無取捷捷,無取鉗鉗,鉗鉗妄對不謹誠無取啍啍,啍啍多言捷捷貪也,捷捷而不已食所以為貪也鉗鉗亂也,啍啍誕也.誕欺詐也故弓調而後求勁焉,馬服而後求良焉,士必愨而後求智能者焉,不愨而多能,譬之豺狼不可邇.”言人無智者雖性愨信不能為大惡不愨信而有智然後乃可畏也
魯哀公は孔子に問うた。「請う、人材を取るの法を聞かん。」孔子は答えた。「各々その能くする事に任じて官職に就かしむ【各々能くする事に由りて職に任ずるを言う】。急ぎ求むる者を取るなかれ。妄対して誠実ならざる者を取るなかれ【鉗鉗は妄対・謹慎誠実ならざるなり】。言多く虚誕なる者を取るなかれ【啍啍は言多きなり】。急ぎ求むるは貪なり【止まず求むる、ゆえに貪】、妄対は乱なり、言多きは誕妄なり【誕は欺詐】。ゆえに弓は調順して然る後に勁強を求め、馬は馴服して然る後に良駿を求め、士は必ず朴実にして然る後に智能を求む。朴実ならずして多能なるは、豺狼のごとく、近づくべからず。」【人もし智なければ、性情たとい朴実誠信なりとも、大悪を成すこと能わず。誠信ならずして智あれば、然る後に畏るべしと言う。】
哀公問於孔子曰:“寡人慾吾國小而能守,大則攻,其道如何?”孔子對曰:“使君朝廷有禮,上下相親,天下百姓皆君之民,將誰攻之?苟為此道,民畔如歸,皆君之讎也,將與誰守?”公曰:“善哉!於是廢山澤之禁,弛關市之稅,以惠百姓.”
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は我国を小なりとも守るを得、大なりとも攻むるを得んと欲す。その道はいかに行くべきか。」孔子は答えた。「君の朝廷を礼あらしめ、上下相亲ましめば、天下の百姓はみな君の民なり。まだ將た誰を攻めん。もしこの道に反して行かば、民の叛くや家に帰るがごとく、みな君の仇と為らん。まだ將た誰とともに守らん。」哀公は言った。「善いかな。」そこで山沢の禁を廃し、関市の税を寛めて、以て百姓に恵を施した。
哀公問於孔子曰:“吾聞君子不博,有之乎?”孔子曰:“有之.”公曰:“何為?”對曰:“為其二乘.”公曰:“有二乘,則何為不博?”子曰:“為其兼行惡道也.”此具博三十六道也哀公懼焉,有間,復問曰:“若是乎君之惡惡道至甚也?”孔子曰:“君子之惡惡道不甚,則好善道亦不甚;好善道不甚,則百姓之親上亦不甚.詩云:‘未見君子,憂心惙惙,亦既見止,亦既覯止,我心則悅.’詩之好善道甚也如此.”公曰:“美哉!夫君子成人之善,不成人之惡,微吾子言焉,吾弗之聞也.”
魯哀公は孔子に問うた。「寡人は聞く、君子は碁を下さずと。これ有りや。」孔子は言った。「有り。」哀公は言った。「何の故ぞ。」孔子は答えた。「それに二路あるを以てなり。」哀公は言った。「二路あれば、何の故に碁を下さざるか。」孔子は言った。「悪道を兼行するを以てなり。」【これは博戯に三十六道あるを言う】哀公は懼れて、しばらくしてまた問うた。「君子の悪道を悪むこと、かくのごとく深きに至るか。」孔子は言った。「君子の悪道を悪むこと深からざれば、善道を好むこともまた深からず。善道を好むこと深からざれば、百姓の上に親しむこともまた深からず。《詩》に曰く。『君子を見ず、心憂えて惙惙たり。すでに見たり、すでに遘えり、我が心則ち悦ぶ。』詩の善道を好むこと、深きことこのごとし。」哀公は言った。「美なるかな。君子は人の善を成し、人の悪を成さず。吾子のこの言なくば、我はこれを聞くを得ざらん。」
哀公問於孔子曰:“夫國家之存亡禍福,信有天命,非唯人也.”孔子對曰:“存亡禍福,皆己而已,天災地妖,不能加也.”公曰:“善!吾子之言,豈有其事乎?”孔子曰:“昔者殷王帝辛之世,帝紂有雀生大鳥於城隅焉,占之曰:‘凡以小生大,則國家必王而名必昌.’於是帝辛介雀之德,介助也以雀之德為助也不修國政,亢暴無極,朝臣莫救,外寇乃至殷國以亡,此即以己逆天時,詭福反為禍者也.又其先世殷王太戊之時,道缺法圮,以致夭櫱、桑榖於朝,七日大拱,占之者曰:‘桑榖野木而不合生朝,意者國亡乎!’太戊恐駭,側身修行,思先王之政,明養民之道,三年之後,遠方慕義重譯至者,十有六國,此即以己逆天時,得禍為福者也.故天災地妖,所以儆人主者也;寤夢徵?,所以儆人臣者也;儆戒災妖不勝善政,寤夢不勝善行,能知此者,至治之極也,唯明王達此.”公曰:“寡人不鄙固此,亦不得聞君子之教也.”
魯哀公は孔子に問うた。「国家の存亡禍福は、確かに天命あり、人事のみならざるか。」孔子は答えた。「存亡禍福は、己に在るのみ。天災地妖は加うる能わず。」哀公は言った。「善し。吾子のこの言、あに実事あらざらんや。」孔子は言った。「昔、殷王帝辛の代【帝紂】、雀あり城隅に大鳥を生む。卜を問う者曰く。『およそ小より生じて大なるは、国必ず王と称し、名必ず昌盛せん。』そこで帝辛は雀の徳に倚り【介は助。雀の徳を以て助力と為す】、国政を修めず、暴虐極まり、朝臣救う能わず。外敵至りて、殷国これを以て亡ぶ。これは自ら天時に逆い、福を詭めて禍と為すなり。さらに前に、殷王太戊の時、道闕え法壊れて、夭孽・桑榖朝堂に生じ、七日にして拱把のごとし。卜を問う者曰く。『桑榖は野木なり。時に非ざれども朝に生ず。国まさに亡びんとすか。』太戊は恐懼し、側身して行を修め、先王の政を思い、民を養うの道を顯明す。三年の後、義を慕い重訳して来る者、十六国あり。これは自ら天時に逆いて、禍を転じて福と為すなり。ゆえに天災地妖は、以て人主を警めるなり。寤後の夢兆は、以て人臣を警めるなり。災妖は善政に勝たず、夢兆は善行に勝たず。能くこれを知れば、則ち至治の極なり。ただ明王のみこれに通ず。」哀公は言った。「寡人もしこのごとく鄙陋固陋ならざれば、また君子の教を聞くを得ざらん。」
哀公問於孔子曰:“智者壽乎?仁者壽乎?”孔子對曰:“然,人有三死,而非其命也,行己自取也.夫寢處不時,飲食不節,逸勞過度者,疾共殺之;居下位而上幹其君,嗜慾無厭而求不止者,刑共殺之;以少犯眾,以弱侮強,忿怒不類,動不量力者,兵共殺之.此三者死非命也,人自取之.若夫智士仁人,將身有節,將行動靜以義,喜怒以時,無害其性,雖得壽焉,不亦可乎?”
魯哀公は孔子に問うた。「智者は寿なるか。仁者は寿なるか。」孔子は答えた。「然り。人に三死あり。命数に非ず、己の行いの招く所なり。起居時ならず、飲食節なく、逸楽労苦度を過ぐる者は、疾病ともに起りて之を殺す。下位に処りて君上に犯し、嗜欲足らずして求取止まざる者は、刑罰ともに起りて之を殺す。少を以て衆に犯し、弱を以て強を侮り、忿怒類を分たず、挙動力を量らざる者は、兵戈ともに起りて之を殺す。この三死は命に非ず、人の自ら取る所なり。智士仁人に至りては、身を持するに節あり、動止は義を以て度と為し、喜怒は時に合し、性を傷めず。寿を得ると雖も、また可ならずや。」
