巻四 太極生化と人物の象
人為萬物之靈,寄類於走走陰也。故百二十。有一日之物,有一月之物,有一時之物,有一歲之物,有十歲之物,至於百千萬皆有之,天地亦物也,亦有數焉。
人は万物の中の最も霊性ある者で、もし物類に帰属せば、ただ「走」のこの一類に寄るのみ——しかも走は陰に属するので、人の定数は一百二十である。物は各々その久暫あり:ただ一日を活くるあり、ただ一月を活くるあり、ただ一時を活くるあり、一年を活くるあり、十年を活くるあり、乃至百年・千年・万年のも皆あり。天地自体もまた物なので、天地もまた同じくその定数あり。
卦之反對皆六陽六陰也,在易則六陽六陰者,十有二對也。去四正則八陽四陰,八陰四陽者,各六對也。十陽二陰,十陰二陽者,各三對也。
一個の卦とそれを倒転した「反対」の卦とを合わせて見れば、陰陽の総数は必ず六陽六陰である。《易》の六十四卦の中に、このように六陽六陰が自ら相配对するは共に十二対あり。乾・坤・坎・離の四個の正卦を除いて算えず——八陽四陰の一組・八陰四陽の一組は、各々六対あり。十陽二陰の一組・十陰二陽の一組は、各々三対あり。
圓者星也,曆紀之數其肇於此乎?方者土也,畫州並土之法其仿於此乎?蓋圓者,河圖之數。方者,洛書之文。故羲文因之而造易,禹箕敘之而作範也。
円なるは天上の星で、暦法紀年の数はおそらくここに発端するであろう?方なるは地上の土で、州域を划分し田土を丈量する弁法はおそらくこれに仿効するであろう?大抵円は《河図》の数に属し、方は《洛書》の文に属す。だから伏羲・文王はそれに依って《易》を推演出し、大禹・箕子はそれに依って《洪範》を叙述し成した。
太極既分,兩儀立矣。陽下交於陰,陰上交於陽,四象生矣。陽交於陰,陰交於陽,而生天之四象。剛交於柔,柔交於剛,而生地之四象,於是八卦成矣。八卦相錯然後萬物生焉。是故一分為二,二分為四,四分為八,八分為十六,十六分為三十二,三十二分為六十四。故曰。分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章也。十分為百,百分為千,千分為萬,猶根之有乾,乾之有枝,枝之有葉,愈大則愈少,愈細則愈繁,合之斯為一,衍之斯為萬,是故乾以分之,坤以翕之,震以長之,巽以消之,長則分,分則消,消則翕也。
太極は一たび剖分されれば、両儀はすなわち立ち起る。陽は下に向かって陰に交入し、陰は上に向かって陽に交入して、四象はすなわち生出す。陽が陰に交じ陰が陽に交じて、天に属する四象を生出す。剛が柔に交じ柔が剛に交じて、地に属する四象を生出し、よって八卦は成立す。八卦が彼此交錯して、そうして後に万物ははじめて生出す。だから一は分かれて二と為り、二は分かれて四と為り、四は分かれて八と為り、八は分かれて十六と為り、十六は分かれて三十二と為り、三十二は分かれて六十四と為る。ここを以て《説卦》に言う:陰を分かちまた陽を分かち、輪りて柔と剛を用う——だから《易》に六位ありて文章を成す。さらに下に推せば、十は分かれて百と為り、百は分かれて千と為り、千は分かれて万と為る——ちょうど根の上に幹を生じ幹の上に枝を生じ枝の上に葉を生ずるがごとし:愈々大なるは愈々少なく、愈々細なるは愈々繁し。攏め合わせればただ一で、铺展して開けばすなわち万。だから乾は剖分を主り、坤は收合を主り、震は生長を主り、巽は消退を主る。長じて尽処に至ればすなわち分かつを要し、分かちて尽処に至ればすなわち消すを要し、消して尽処に至ればすなわち收合するを要す。
乾坤定位也,震巽一交也,兌離坎艮再交也,故震陽少而陰尚多也,巽陰少而陽尚多也,兌離陽浸多也,坎艮陰浸多也,是以辰與火不見也。一氣分而陰陽判,得陽之多者為天,得陰之多者為地,是故陰陽半而形質具焉,陰陽偏而性情分焉,形質又分,則多陽者為剛也,多陰者為柔也,性情又分,則多陽者陽之極也,多陰者陰之極也。
乾と坤とは各々定位に居り、震と巽とは陰陽が初次に相交じて成した。兌・離・坎・艮は再次に相交じて成した。だから震の陽はなお少なくして陰はなお多く、巽の陰はなお少なくして陽はなお多く、兌と離の陽は漸々増多し、坎と艮の陰は漸々増多す。まさにこのがゆえに、天上の辰と地中の火は皆隠れて見えない。混然たる一気が剖分して開けば、陰と陽とははじめて判然として別あり:陽を多く得たは天と為り、陰を多く得たは地と為る。だから陰陽の均平なる処には、形と質とはすなわち具備す。陰陽の偏勝する処には、性と情とはすなわち分明す。形質は更に下に分かれて、陽多きは剛と為り、陰多きは柔と為る。性情は更に下に分かれて、陽多きは陽の極、陰多きは陰の極である。
兌離巽,得陽之多者也。艮坎震,得陰之多者也,是以為天地用也。乾陽極,坤陰極,是以不用也。乾四分取一以與坤,坤四分取一以奉干,乾坤合而生六子,三男皆陽也,三女皆陰也。兌分一陽以與艮,坎分一陰以奉離,震巽以二相易,合而言之,陰陽各半,是以水火相生而相剋,然後既成萬物也。
兌・離・巽は陽を較多く得た者で、艮・坎・震は陰を較多く得た者なので、それらは能く天地に取られて用と為る。乾は陽が極処に至り、坤は陰が極処に至りて、太く純にして太く満ち——かえって用いられない。乾は自己の四分の裏より一分を取出して坤に交し、坤もまた自己の四分の裏より一分を取出して乾に奉還し、乾坤が交合して六子を生出す:三個の男卦は皆陽に属し、三個の女卦は皆陰に属す。兌は一陽を分出して艮に給し、坎は一陰を分出して離に奉し、震と巽とは則ち両爻を拿って互相に交換す。総じて見れば、陰と陽とはちょうど各々一半を得るので、水と火とがすでに相生しまた相克して、そうして後に万物ははじめて最終に生成す。
乾坤之名位不可易也,坎離名可易而位不可易也,震巽位可易而名不可易也,兌艮名與位皆可易也。離肖乾,坎肖坤,中孚肖乾,頤肖離,小過肖坤,大過肖坎,是以乾坤坎離中孚頤大小過皆不可易者也。
乾坤の卦名と卦位は皆移易すべからず。坎離の名は互換すべきも位は移すべからず。震巽の位は互換すべきも名は改むべからず。兌艮は則ち名も位も皆互換すべし。離の卦形は乾に近似し、坎の卦形は坤に近似し、中孚は乾に近似し、頤は離に近似し、小過は坤に近似し、大過は坎に近似す。だから乾・坤・坎・離・中孚・頤・大過・小過のこの八卦は、倒転しても皆形象を改変しない。
離在天而當夜,故陽中有陰也。坎在地而當晝,故陰中有陽也。震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生,兌陽長也,艮陰長也。震兌在天之陰也,巽艮在地之陽也,故震兌上陰而下陽,巽艮上陽而下陰。天以始生言之,故陰上而陽下,交泰之義也。地以既成言之,故陽上而陰下,尊卑之位也。
離は天上に在るもしかし夜を主るので、陽の中に陰を含む。坎は地下に在るもしかし昼を主るので、陰の中に陽を含む。震は陽が初次に陰に交入して陽がはじめて生じ、巽は陽が開始して消退して陰がはじめて生ず。兌は陽が滋長し、艮は陰が滋長す。震と兌とは天の裏辺の陰に属し、巽と艮とは地の裏辺の陽に属するので、震兌は皆上爻を陰と為し下爻を陽と為し、巽艮は皆上爻を陽と為し下爻を陰と為す。天は万物の初生に就いて言うので、陰は上に在りて陽は下に在り——天地交泰の意を取る。地は万物のすでに成れるに就いて言うので、陽は上に在りて陰は下に在り——尊卑定位の意を取る。
乾坤定上下之位,離坎列左右之門,天地之所闔闢,日月之所出入,是以春夏秋冬,晦朔弦望,晝夜長短,行度盈縮,莫不由乎此矣。由下而上謂之升,自上而下謂之降。升者生也,降者消也,故陽生於下,陰生於上,是以萬物皆反生。陰生陽,陽生陰,陰復生陽,陽復生陰,是以循環而無窮也。
乾坤は上と下の方位を定下し、離坎は左と右の門戶に排成す。天地はここより開合し、日月はここより出入す。だから春夏秋冬の推移・晦朔弦望の円缺・昼夜の長短・日月行度の盈縮は、一つとしてこれに由らざるなし。下より上に向かうを「升」と呼び、上より下に向かうを「降」と呼ぶ。升は生長で、降は消退である。陽は下面より生起し、陰は上面より生起するので、万物は皆倒して生ず。陰は陽を生出し、陽は陰を生出し、陰はまた再び陽を生じ、陽はまた再び陰を生じて、因りて循環往復して窮尽なし。
陰陽生而分二儀,二儀交而生四象,四象交而生八卦,八卦交而生萬物,故二儀生天地之類,四象定天地之體。四象生日月之類,八卦定日月之體。八卦生萬物之類,重卦定萬物之體。類者生之序也,體者象之交也。推類者必本乎生,觀體者必由乎象。生則未來而逆推,像則既成而順觀。是故日月一類也,同出而異處也,異處而同象也。推此以往,物焉逃哉。
陰陽は一たび生じればすなわち分かれて両儀と為り、両儀が相交じて四象を生じ、四象が相交じて八卦を生じ、八卦が相交じて万物を生ず。だから両儀は天地のこの一類を生出し、四象は天地の形体を定下す。四象は日月のこの一類を生出し、八卦は日月の形体を定下す。八卦は万物のこの一類を生出し、重卦は万物の形体を定下す。「類」の講ずる所は生成の次序で、「体」の講ずる所は形象の交合である。物類を推求するは必ず生成の上より入手せねばならず、形体を観察するは必ず形象の上より入手せねばならぬ。生成を講ずるは、まだ到来せざるに就いて逆して推す。形象を講ずるは、すでに形を成したに就いて順に看る。だから日と月とは同じく一類に属し、同じく一源より出でて処る所は同じからず、処る所は異なるも形象は相同じ。この弁法に照らして推衍して下れば、天下の物はどれ一つとして逃げ出しえよう?
天變時而地應物,時則陰變而陽應,物則陽變而陰應,故時可逆知,物必順成,是以陽盈而陰隨,陰逆而陽順。語其體則天分而為地,地分而為萬物,而道不可分也。其終則萬物歸地,地歸天,天歸道,是以君子貴道也。
天の変ずる所は時令で、地の応ずる所は万物である。時令に就いて言えば、陰が先に変じて陽が来たりて相応ず。万物に就いて言えば、陽が先に変じて陰が来たりて相応ず。だから時令は逆して推算して預め知りうるも、万物は必ず順に生長してはじめて成就しうる。因りて陽は一たび盈満すれば陰はすなわち随い、陰は逆行するも陽はなお順行す。もし形体の層次に就いて言えば、天は地を分出し、地は万物を分出し、ただ独り「道」は分割すべからず。終了の処に至れば、万物は地に帰還し、地は天に帰還し、天は道に帰還す——だから君子の最も看重するは道である。
有變則必有應也,故變於內者應於外,變於外者應於內,變於下者應於上,變於上者應於下也。天變而日應之,故變者從天,而應者法日也。是以日紀乎星,月會於辰,水生於土,火潛於石,飛者棲木,走者依草,心肺之相聯,肝膽之相屬無他,變應之道也。本乎天者親上,本乎地者親下,故變之與應,常反對也。
変化あれば必ず回応あり:内裏が変じれば、外面が来たりて応ず。外面が変じれば、内裏が来たりて応ず。下辺が変じれば、上辺が来たりて応ず。上辺が変じれば、下辺が来たりて応ず。天が先に変じて日が随いて回応するので、変ずる一方は天に順従し、応ずる一方は日に效法す。ここを以て日は星を以て綱紀と為し、月は辰と相会合し、水は土の中より生出し、火は石の裏に潜蔵す。能く飛ぶは樹木の上に棲息し、能く走るは草叢の間に依附す。心と肺とは相連なり、肝と胆とは相属す——別の緣故なく、皆変と応の道理である。本源が天に在るは上方に親附し、本源が地に在るは下方に親附するので、変ずる一方と応ずる一方は、常に正しく相対反する位置に処す。
陽交於陰,而生蹄角之類也。剛交於柔,而生根荄之類也。陰交於陽,而生羽翼之類也。柔交於剛,而生支干之類也。天交於地,地交於天,故有羽而走者,足而騰者,草中有木,木中有草也。各以類而推之,則生物之類不過是矣。走者便於下,飛者利於上,從其類也。陸中之物水中必具者,猶影像也,陸多走,水多飛者,交也。是故巨於陸者必細於水,巨於水者必細於陸也。
陽が陰に交じて、蹄あり角あるの一類を生出す。剛が柔に交じて、草根木荄の一類を生出す。陰が陽に交じて、羽あり翼あるの一類を生出す。柔が剛に交じて、枝條主幹の一類を生出す。天が地に交じ、地が天に交じるので、羽毛を長ずるもただ走るのみのあり、脚を生ずるも能く騰躍するのあり、草叢の裏に木を長じ、樹木の間に草を生ず。各々その類に按って推衍して開けば、生物の種類はこれらに外ならない。能く走るは下に於いて活動に便にして、能く飛ぶは上に向かって騰擧に利あり——各々各々の類に随う。陸上に有る物類は水中にも必ず有り——ちょうど影子が本形を照るがごとし。陸上に走獣多くして水裏に飛ぶがごとき游物多きは、あれは天地が交錯した結果である。だから陸上に於いて巨大に長じたは、水裏に至れば必ず細小に。水裏に於いて巨大に長じたは、陸上に至れば必ず細小である。
巻四・下 物類相禀と人身の象
虎豹之毛猶草也,鷹鸇之羽猶木也。木者星之子,是以果實像之。葉陰也,華實陽也。枝葉軟而根幹堅也。人之骨巨而體繁,木之乾巨而枝葉繁,應天地之數也。
虎豹の身上の毛は、紋理が草のごとし。鷹鸇の身上の羽は、形状が樹木の枝葉のごとし。樹木は星の産児なので、果実の形状は星に取象す。葉は陰に属し、花と果実は陽に属す。枝葉は柔軟にして根幹は堅実す。人の骨骼は粗大にして肢体は繁多に、樹木の主幹は粗大にして枝葉は繁多に——まさに天地間の「愈々大なるは愈々少なく愈々細なるは愈々繁し」の定数に相応す。
動者體橫,植者體縱,人宜橫而反縱也。飛者有翅,走者有趾,人之兩手翅也,兩足趾也。飛者食木,走者食草,人皆兼之而又食飛走也。故最貴於萬物也。
能く動く身体は横にして、能く長ずる身体は竪である。人はもともと走獣のごとく横行すべきを、かえって竪立して行う。能く飛ぶは翅膀を長じ、能く走るは脚趾を長ず。人の両隻の手はすなわち翅膀で、両隻の脚はすなわち脚趾である。能く飛ぶは樹木の果実を食い、能く走るは草を食い、人は則ち両様を皆食い、しかも飛ぶの走るのも一併に食うので、万物の中に於いて最も尊貴である。
體必交而後生,故陽與剛交而生心肺,陽與柔交而生肝膽,柔與陰交而生腎與膀胱,剛與陰交而生脾胃,心生目,膽生耳,脾生鼻,腎生口,肺生骨,肝生肉,胃生髓,膀胱生血,故乾為心,兌為脾,離為膽,震為腎,坤為血,艮為肉,坎為髓,巽為骨,泰為目,中孚為鼻,既濟為耳,頤為口,大過為肺,未濟為胃,小過為肝,否為膀胱。
形体は必ず交合してそうして後に生成しうるので、陽と剛とが相交じて心と肺を生出し、陽と柔とが相交じて肝と胆を生出し、柔と陰とが相交じて腎と膀胱を生出し、剛と陰とが相交じて脾と胃を生出す。臓腑より再び五官形質を生出す:心は眼を生じ、胆は耳を生じ、脾は鼻を生じ、腎は口を生じ、肺は骨を生じ、肝は肉を生じ、胃は髄を生じ、膀胱は血を生ず。卦を以て配せば、則ち乾を心と為し、兌を脾と為し、離を胆と為し、震を腎と為し、坤を血と為し、艮を肉と為し、坎を髄と為し、巽を骨と為し、泰を眼と為し、中孚を鼻と為し、既済を耳と為し、頤を口と為し、大過を肺と為し、未済を胃と為し、小過を肝と為し、否を膀胱と為す。
天地有八象,人有十六象,何也?合天地而生人,合父母而生子,故有十六象也。心居肺,膽居肝,何也?言性者必歸之天,言體者必歸之地。地中有天,石中有火,是以心膽象之也。心膽之倒垂何也?草木者,地之體也。人與草木皆反生,是以倒垂也。
天地はただ八象あるのみで、人はしかし十六象ある——これは何のためか?天と地とを合してはじめて人を生じ、父と母とを合してはじめて子を生ずるを要するがゆえに。両下に相乗ずるので、人に十六象あり。心は肺の裏に蔵れ胆は肝の上に附するは、また何のためか?「性」を講ずるは総じて天に帰するを要し、「体」を講ずるは総じて地に帰するを要す。地の中に天を含み、石の中に火を含む——心と胆とはまさにこの象を取る。心と胆とはなぜ倒垂するか?草木は地の形体で、人と草木とは一様に皆倒して生ずるので、心胆もまた倒垂す。
口目橫而鼻耳縱,何也?體必交也。故動者宜縱而反橫,植者宜橫而反縱,皆交也。天有四時,地有四方,人有四支,是以指節可以觀天,掌文可以察地,天地之理具指掌矣,可不貴之哉!
口と眼とは横にして、鼻と耳とは縦である——これは何のためか?形体は必ず交錯して生ずるを要するがゆえに。だから能く動くはもともと縦長すべきをかえって横生し、能く長ずるはもともと横生すべきをかえって縦長す——皆交錯の緣故である。天に四時あり、地に四方あり、人に四肢あり。だから手指の骨節を見て以て天時を観察し、手掌の紋理を見て以て地理を体察しうる——天地の道理は皆この一双の手掌の中に具備す。どうして珍重を加えざらんや!
神統於心,氣統於腎,形統於首,形氣交而神主乎其中,三才之道也。人之四肢各有脈也,一脈三部,一部三候,以應天數也。心藏神,腎藏精,脾藏魂,膽藏魄。胃受物而化之,傳氣於肺,傳血於肝,而傳水穀於脬腸矣。
神は心に統摂し、気は腎に統摂し、形は頭に統摂す。形と気とが交會して、神はその中に主宰す——これがまさに天・地・人の三才の道理である。人の四肢は各々脈息あり、一条の脈は寸・関・尺の三部に分かれ、一部にまた浮・中・沈の三候あり——用いて天の数に対応す。心は神を蔵し、腎は精を蔵し、脾は魂を蔵し、胆は魄を蔵す。胃は飲食を承受して消化を加え、気を肺に輸し、血を肝に輸し、再び水穀の糟粕を膀胱と腸の中に伝す。
巻五 天地日月の運
天圓而地方,天南高而北下。是以望之如倚蓋,然地東南下,西北高。是以東南多水,西北多山也。天覆地,地載天,天地相函。故天上有地,地上有天。
天は円にして地は方で、天は南辺に高く北辺に低いので、望み上げれば一頂の斜めに倚る車蓋のごとし。地は則ち東南が低く西北が高いので、東南に水沢多く西北に山岳多し。天は地を覆蓋し、地はまた天を承載し、天と地とは彼此相包含するので、天の上に地あり、地の上にもまた天あり。
天渾。渾於上而不可測也。故觀斗數以占天也。斗之所建,天之所行也。魁建子,杓建寅,星以寅為晝也。斗有七星,是以晝不過乎七分也。天行所以為晝夜,日行所以為寒暑,夏淺冬深,天地之交也。左旋右行,天日之交也。
天体は浑然として一整で、高渾として上にあって測度するに由なし——だからただ北斗の度数を観察して以て天象を推占するのみ。北斗の斗柄の指す所の方位は、すなわち天の運行の到る所の処である。斗魁は子位を指し、斗杓は寅位を指すので、星暦は寅を以て一日の始と為して昼と算う。北斗は共に七星あるので、昼の分数は七分を超過しない。天体の運転は昼夜を造成し、太陽の行度は寒暑を造成す。夏は日行浅く冬は日行深きは、あれは天と地とが相交ずる表現である。天は左に旋り日は右に行くは、あれは天と日とが相交ずる表現である。
日朝在東,夕在西,隨天之行也。夏在北,冬在南,隨天之交也。天一周而超一星,應日之行也。春酉正,夏午正,秋卯正,冬子正,應日之交也。
太陽は早上に東にあり傍晚に西にあるは、あれは天体の運行に随う。夏は北に偏し冬は南に偏するは、あれは天地の交會に随う。天は転じて一周を満たしてなお一星の位次を多く走り過ぐるは、これは太陽の行度に相応ず。春は正しく酉位に当たり、夏は正しく午位に当たり、秋は正しく卯位に当たり、冬は正しく子位に当たるは、これは太陽の交會に相応ず。
日以遲為進,月以疾為退,日月一會而加半日減半日,是以為閏餘也。日一大運而進六日,月一大運而退六日,是以為閏差也。日行陽度則盈,行陰度則縮,賓主之道也。月去日則明生而遲,近日則魄生而疾,君臣之義也。
太陽は行くこと慢きを以て前進と算え、月亮は行くこと速きを以て退後と算う。日月は毎に交會一次すれば、一辺に半日を加え一辺に半日を減じ——これがすなわち「閏余」と成る。太陽は一個の大運に六日を推進し、月亮は一個の大運に六日を退後す——これがすなわち「閏差」と成る。太陽は陽に属する度数の上に行けばすなわち盈し、陰に属する度数の上に行けばすなわち縮す——これは賓と主とが相待する道理である。月亮は太陽を離れて遠ければすなわち光明を生出して行くこと慢く、太陽に靠近すればすなわち黒魄を生出して行くこと速し——これは君と臣とが相従する義理である。
陽消則生陰,故日下而月西出也。陰盛則敵陽,故月望而東出也。天為父,日為子,故天左旋,日右行。日為夫,月為婦,故日東出,月西生也。日月之相食,數之交也。日望月則月食,月掩日則日食,猶水火之相剋也。是以君子用智,小人用力。
陽は一たび消退すればすなわち陰を生出すので、太陽が西下する時に月亮は西辺より現出す。陰は一たび盛満すればすなわち以て陽と相抗するに足るので、月は望日に至ればすなわち東辺より升起す。天は父・日は子なので、天は左に旋りて日は右に行く。日は夫・月は婦なので、日は東方より升起して月は西方より明を生ず。日月が互相に虧食するは、行度が交會した結果である:太陽と月亮とが正しく相望めば則ち月は食され、月亮が太陽を遮掩すれば則ち日は食さる——ちょうど水と火とが互相に克制するがごとし。だから君子は行事に智を用い、小人は行事に力を用う。
日隨天而轉,月隨日而行,星隨月而見,故星法月,月法日,日法天。天半明半晦,日半贏半縮,月半盈半虧,星半動半靜,陰陽之義也。天晝夜常見,日見於晝,月見於夜而半不見,星半見於夜,貴賤之等也。月晝可見也,故為陽中之陰,星夜可見也,故為陰中之陽。
太陽は天に跟いて運転し、月亮は太陽に跟いて行し、星辰は月亮に跟いて顕現す。だから星は月に取法し、月は日に取法し、日は天に取法す。天は一半明にして一半晦、日は一半盈にして一半縮、月は一半満にして一半虧、星は一半動にして一半静——これらは皆陰陽相半の義理である。天は昼夜を分かたず常に見え、日はただ白昼に見え、月は夜裏に見えて一半の時に見えず、星は夜裏にもまたただ一半を見る——これは尊卑貴賤の等次である。月亮は白天にも見え得るので、陽中の陰である。星辰はただ夜裏に見え得るので、陰中の陽である。
天奇而地耦,是以占天文者,觀星而已,察地理者,觀山水而已,觀星而天體見矣,觀山水而地體見矣。天體容物,地體負物,是故體幾於到也。極南大暑,極北大寒,故南融而北結,萬物之死地也。夏則日隨斗而北,冬則日隨斗而南,故天地交而寒暑和,寒暑和而物乃生焉。
天の数は奇に属し、地の数は偶に属す。だから天文を推占するは、星象を看れば足り。地理を考察するは、山水を看れば足り。星象を看ればすなわち天の形体は顕現し、山水を看ればすなわち地の形体は顕現す。天の形体は能く万物を容納し、地の形体は能く万物を負載するので、単に形体に就いて論じても、また幾ばくか「道」に近し。南方の極処は酷暑にして、北方の極処は厳寒にして、南辺は熔融し北辺は凝結す——皆万物の死地である。夏は太陽が北斗に随いて北に偏し、冬は太陽が北斗に随いて南に偏するので、天地は交會して寒暑は調和し、寒暑調和して万物ははじめて生長し起る。
巻五・中 水火土石の性
天以剛為德,故柔者不見,地以柔為體,故剛者不生,是以震,天之陰也。巽,地之陽也。有陽而陰效之,故至陰者辰也,至陽者日也,皆在乎天,而地則水火而已,是以地上皆有質之物。陰伏陽而形質生,陽伏陰而性情生,是以陽生陰,陰生陽,陽克陰,陰克陽。陽之不可伏者,不見於地。陰之不可克者,不見於天。伏陽之少者,其體必柔,是以畏陽而為陽所用。伏陽之多者,其體必剛,是以御陽而為陰所用,故水火動而隨陽,土石靜而隨陰也。
天は剛健を以て徳と為すので、柔の一面は天上に見えない。地は柔順を以て体と為すので、剛の一面は地上に生発しない。ここを以て震は天の裏辺の陰で、巽は地の裏辺の陽である。常に先ず陽ありて、陰ははじめて随いて效法するので、陰の極処に至るは辰で、陽の極処に至るは日で、両者は皆天上に在る。地に至っては、ただ水と火とあるのみで、因りて地面上には尽く有形質の物あり。陰が陽を伏蔵すれば、形と質とはすなわち生出す。陽が陰を伏蔵すれば、性と情とはすなわち生出す。だから陽は陰を生じ陰は陽を生じ、陽は陰を克し陰もまた陽を克す。あの陽の伏蔵すべからざるは、則ち地上に出現しない。あの陰の克制すべからざるは、則ち天上に出現しない。伏する所の陽の少なきは、その体は必ず柔で、因りて陽を畏懼して陽に使用される。伏する所の陽の多きは、その体は必ず剛で、因りて能く陽を抵禦して陰に使用される。だから水と火とは動を好みて陽に随従し、土と石とは安静にして陰に随従す。
陽生陰,故水先成。陰生陽,故火後成。陰陽相生也,體性相須也。是以陽去則陰竭,陰盡則陽滅。金火相守則流,火木相得則然,從其類也。水遇寒則結,遇火則竭,從其所勝也。
陽は陰を生出するので、水は先に形を成す。陰は陽を生出するので、火は後に形を成す。陰と陽とは互相に生発し、体と性とは互相に依待するので、陽は一たび離去すれば陰はすなわち枯竭し、陰は一たび窮尽すれば陽はすなわち熄滅す。金と火とが相守ればすなわち熔流し、火と木とが相遇すればすなわち燃焼す——各々各々の類に随う。水は寒気に遇えばすなわち凝結し、火に遇えばすなわち乾竭す——皆能くそれに勝つ一方に順従す。
陽得陰而為雨,陰得陽而為風,剛得柔而為雲,柔得剛而為雷,無陰則不能為雨,無陽則不能為雷。雨柔也,而屬陰,陰不能獨立,故待陽而後興。雷剛也,而屬體,體不能自用,必待陽而後發也。
陽は陰を得着すればすなわち雨と成り、陰は陽を得着すればすなわち風と成り、剛は柔を得着すればすなわち雲と成り、柔は剛を得着すればすなわち雷と成る。陰なくばすなわち雨は下り成らず、陽なくばすなわち雷は打ち成らず。雨の性は柔にして、陰に帰属す。陰は独自に成立できないので、陽の来るを待ってはじめて興起す。雷の性は剛にして、体に帰属す。体は自ら発用できないので、必ず陽の来るを待ってはじめて発動す。
巻五・下 文王の易と卦位
至哉文王之作易也,其得天地之用乎?故乾坤交而為泰,坎離交而為既濟也。乾生於子,坤生於午,坎終於寅,離終於申,以應天之時也。置乾於西北,退坤於西南,長子用事而長女代母,坎離得位,震兌為耦,以應地之方也,王者之法其盡於是矣!
文王の《易》を作したは真に了不起なり——おそらく天地の「用」を深く得たのであろう!だから乾坤が相交じて泰卦と成り、坎離が相交じて既済卦と成る。乾は子位に生じ、坤は午位に生じ、坎は寅位に終り、離は申位に終る——用いて天の時序に対応す。また乾を西北に安置し、坤を西南に退到せしめ、長子の震をして当権用事せしめ長女の巽をして母に代わりて位を主らしめ、坎離は各々正位を得、震兌は両両に偶を成す——用いて地の方位に対応す。王者の為る天下を治むる法度は、尽くここに在る!
乾坤天地之本,坎離天地之用,是以易始於乾坤,中於坎離,終於既未濟。而否泰為上經之中,咸恆當下經之首,皆言乎其用也。坤統三女於西南,乾統三男於東北,上經起於三,下經終於四,皆交泰之義也。故易者用也。乾用九,坤用六,大衍用四十九,而潛龍勿用也。大哉用乎!吾於此見聖人之心矣。
乾坤は天地の根本で、坎離は天地の功用である。だから《易》は乾坤を以て篇を開き、坎離を以て中に居り、既済・未済を以て尾を收む。そして否泰は上経の中に居り、咸恒は下経の首に列す——講ずる所は皆一個の「用」の字である。坤は三個の女卦を統率して西南に居り、乾は三個の男卦を統率して東北に居る。上経は頭を「三」に起こし、下経は尾を「四」に收む——もまた皆天地交泰の意思を含む。だから《易》の講ずる所はすなわち「用」である:乾は九を用い、坤は六を用い、大衍は四十九を用い——しかるに初九は偏えに「潜龍勿用」と言う。「用」の意義は真に大なり!我はここより聖人の用心を見た。
乾坤交而為泰,變而為雜卦也。乾坤坎離為上篇之用,兌艮震巽為下篇之用也。頤中孚大小過為二篇之正也。易者,一陰一陽之謂也。震兌始交者也,故當朝夕之位。離坎交之極者也,故當子午之位。巽艮雖不交而陰陽猶雜也。故當用中之偏位。乾坤純陰陽也,故當不用之位。
乾坤が相交じて泰と成り、再び変じて下ればすなわち《雑卦》の列する種種の卦と成る。乾・坤・坎・離は上篇の功用で、兌・艮・震・巽は下篇の功用で、頤・中孚・大過・小過は則ち上下両篇の共同の正卦である。いわゆる《易》とは、言う所は一陰一陽の道理である。震と兌とは陰陽が初めて交じる卦なので、早晚東西の方位を占拠す。離と坎とは陰陽が交じて極処に至る卦なので、子午南北の方位を占拠す。巽と艮とは相交じざるとはいえ、陰陽はしかしなお混雑するので、用うべくして略ば偏する方位を占拠す。乾と坤とは純陽純陰なので、存して用いられざる方位を占拠す。
乾坤縱而六子橫,易之本也。震兌橫而六卦縱,易之用也。天之陽在南而陰在北,地之陰在南而陽在北,人之陽在上而陰在下,既交則陽下而陰上。辰數十二,日月交會謂之辰。辰,天之體也,天之體,無物之氣也。
乾坤は縦列して六子は横陳す——これは《易》の本体である。震兌は横陳してその余の六卦は縦列す——これは《易》の功用である。天は陽が南に在りて陰が北に在り、地は陰が南に在りて陽が北に在り、人は陽が上に在りて陰が下に在る。一旦交合すれば、すなわち陽は降りて下面に至り、陰は升りて上面に至る。辰の数は十二で、日と月とが交會する所在をすなわち辰と呼ぶ。辰は天の形体で、しかも天の形体は、原本ただ一団の实物なき気である。
天之陽在南,故日處之。地之剛在北,故山處之,所以地高西北,天高東南也,天之神棲乎日,人之神發乎目,人之神寤則棲心,寐則棲腎,所以象天,此晝夜之道也。雲行雨施,電發雷震,亦各從其類也。吹噴吁呵呼,風雨雲霧雷,言相類也。萬物各有太極兩儀四象八卦之次,亦有古今之象。雲有水火土石之異,他類亦然。
天の陽は南方に在るので、太陽はあそこに処す。地の剛は北方に在るので、山岳はあそこに処す。ここを以て地勢は西北を以て高と為し、天勢は東南を以て高と為す。天の神は太陽の上に栖息し、人の神は眼睛の上に顕発す。人の神は醒める時は心に栖り、睡る時は腎に栖る——まさに天に取象す。これがすなわち昼夜の道理である。雲は飄行し雨は降落し、電は閃発し雷は震動す——もまた各々各々の類に随う。吹・噴・吁・呵・呼のこの五種の気息は、風・雨・雲・霧・雷と正しく相類似す。万物は各自に皆太極・両儀・四象・八卦の層次あり、もまた各自に皆古と今の形象あり。雲に水に属し・火に属し・土に属し・石に属するの分別あるは、別の物類もまたこのごとし。
二至相去東西之度凡一百八十,南北之度凡六十。冬至之月,所行如夏至之日。夏至之月,所行如冬至之日。四正者,乾坤坎離也。觀其象無反覆之變,所以為正也。陽在陰中陽逆行,陰在陽中陰逆行,陽在陽中,陰在陰中,則皆順行。此真至之理,按圖可見之矣。草類之細入於坤。五行之木,萬物之類也。五行之金,出乎石也。故水火土石不及金木,金木生其間也。
冬至と夏至の両点の相距るは、東西方向に共に一百八十度、南北方向に共に六十度。冬至のあの月は、月亮の行う所の路線はまさに夏至の太陽のごとし。夏至のあの月は、月亮の行う所の路線はまさに冬至の太陽のごとし。いわゆる「四正」とは、乾・坤・坎・離を指す。それらの卦象を見れば、倒転しても並びに変化なきがゆえに、正と称す。陽が陰の中に処れば陽は逆して行し、陰が陽の中に処れば陰は逆して行す。陽が陽の中に処り陰が陰の中に処れば、皆順に行す。これは極めて真切の道理で、先天図に照らして一見すればすなわち明白す。草類の中の最も細小なるは坤に帰す。五行の裏の木は、万物の一類に属す。五行の裏の金は、石の中より出たる。だから水・火・土・石の四者は金木を牽連するを要せず、金と木とはただこの四者の間より生出したに過ぎない。
巻六 物類性情雑論
得天氣者動,得地氣者靜。陽之類圓,成形則方。陰之類方,成形則圓。木之枝幹,土石之所成也,所以不易。葉花,水火之所成,故變而易也。
天気を禀受するは動を好み、地気を禀受するは静を好む。陽に属する一類は気象が円に趨き、一旦凝じて形体を成せばかえって方なる。陰に属する一類は気象が方に趨き、一旦凝じて形体を成せばかえって円なる。樹木の枝と幹とは、土石の気の凝じ成した所なので、堅定にして変換せず。葉と花とは水火の気の凝じ成した所なので、時に随いて開落変換す。
東赤,南白,西黃,北黑,此正色也。驗之於曉午暮夜之時,可見之矣。冬至之子中,陰之極。春分之卯中,陽之中。夏至之午中,陽之極。秋分之酉中,陰之中。凡三百六十,中分之則一百八十,此二至二分相去之數也。
東方は赤・南方は白・西方は黄・北方は黒——これがこそ四方の正色である。拂暁・正午・傍晚・深夜の四個の時候を拿って験看すれば、すなわち見出しうる。冬至は子の正中に在りて、陰の極点である。春分は卯の正中に在りて、陽の中点である。夏至は午の正中に在りて、陽の極点である。秋分は酉の正中に在りて、陰の中点である。周天は共に三百六十度で、当中より剖けばすなわち一百八十度——これがすなわち二至と二分とが彼此相距る数である。
陽中有陰,陰中有陽,天之道也。陽中之陽,日也,暑之道也。陽中之陰,月也,以其陽之類,故能見於晝。陰中之陽,星也,所以見於夜。陰中之陰,辰也,天壤也。辰之於天猶天地之體也,地有五行,天有五緯,地止有水火,天復有日月者,月為真水,日為真火,陰陽真精,是生五行,所以天地之數各五,陽數獨盈於七也。是故五藏之外又有心包,絡命門而七者,真心離火,命門坎水,五藏生焉,精神之主,性命之根也。
陽の中に陰を含み、陰の中に陽を含む——これは天の道理である。陽中の陽は太陽で、暑熱の道を主る。陽中の陰は月亮で、それがなお陽の一類に属するので、白天にも見えうる。陰中の陽は星なので、ただ夜裏に顕現す。陰中の陰は辰で、あれは天上の空處である。辰が天に対するは、ちょうど形体が天地に対するがごとし。地上に水火土石の五行あり、天上有五緯星あり。地はただ水と火とあるのみで、天はしかし別に日と月とあり:月は真水、日は真火で、この一陰一陽の真精が、はじめて五行を生出す。だから天と地の数は各々五で、ただ独り陽数は多く出でて七と成る。ここを以て人身の五臓の外にさらに心包と命門とありて、合わせて七数と成す:真心は離火に属し、命門は坎水に属し、五臓はこれに由りて生ず——それらは精神の主宰・性命の根柢である。
乾者乾之義,陽也。支者枝之義,陰也。乾十而支十二,是陽數中有陰,陰數中有陽也。魚者水之族也,蟲者風之族也。目口凸而耳鼻竅,竅者受聲嗅氣,物或不能閉之,凸者視色別味,物則能閉之也,四者雖象於一,而各備其四矣。水者火之地,火者水之氣。黑者白之地,寒者暑之地。
「干」は樹幹の干の意を取り、陽に属す。「支」は枝條の枝の意を取り、陰に属す。天干は十個にして地支は十二個——見れば陽数の中に陰を含み、陰数の中に陽を含む。魚は水の族類で、虫は風の族類である。眼と口とは凸出して、耳と鼻とは空竅である:空竅は用いて声音を接受し気味を嗅辨し、外物は時にそれを堵ぎとめられない。凸出は用いて顔色を観看し滋味を分別し、外物はしかしそれを閉合しうる。この四者は各々ただ一物を象るとはいえ、その中にまた各々四様の功能を具備す。水は火の居する所の地で、火は水の化する所の気である。黒は白の居する所の地で、寒は暑の居する所の地である。
草伏之獸毛如草之莖,林棲之鳥羽如林之葉,類使之然也。石之花,鹽消之類也。水之物無異乎陸之物,各有寒熱之性,大較則陸為陽中之陰,而水為陰中之陽。日月星辰共為天,水火土石共為地,耳目鼻口共為首,髓血骨肉共為身,此乃五之數也。
草の裏に伏する野獣は、毛が草の茎に似たり。林の中に棲する鳥は、羽が林の葉に似たり——皆物類がそれをこのようにせしめた。石頭の上に開く花は、まさに鹽・硝の一類の物である。水裏の物と陸上の物とは並びに両様なく、各々寒性と熱性の分別あり。大略に言えば、陸は陽中の陰に属し、水は陰中の陽に属す。日・月・星・辰が合わさって天と成り、水・火・土・石が合わさって地と成り、耳・目・鼻・口が合わさって頭と成り、髄・血・骨・肉が合わさって身と成る——これらは皆「五」のこの数の裏に統摂される。
火生於無,水生於有。辰至日為生,日至辰為用,蓋順為生而逆為用也。易有三百八十四爻,真天文也。
火は「無」の中より生出し、水は「有」の中より生出す。辰より日に推すは生成の次序で、日より辰に推すは発用の次序である。大抵順に数えればすなわち生で、逆に数えればすなわち用である。《易》に三百八十四爻あり——あれは真に天上の文章である。
