山を葬る諸大忌
囑君受穴緊中黏,莫嫌湊殺出球簷。得龍脫脈真元散,受水受風禍不淺。我有真人枕中記,說盡葬山諸大忌。一一分明告世人,廣度群迷長生意。
汝に囑咐す。穴を受くるに要緊に脈氣の正中に貼黏して、そのの太逼近なるを嫌い「凑殺」を犯すを怕れて穴を球檐の外に移出すこと莫れ。龍を得て脈を脫開すれば、眞元の氣はすなわち散じ、穴中水を受け風を受けて、為禍淺からざらん。我に眞人枕中のかくする秘記ありて、山を葬るの種種の大忌をいう盡した。如今一一分明に世人に告知して、廣く迷途の輩を度し、彼らの生氣を長養する心願を成全しよう。
第一切忌下空窩,空窩積水寒氣多。葬下淤沮骨腐爛,子孫絕滅可奈何!凡有水淋生大咎,左淋長子先不宥。右淋少子少安寧,當背淋來皆莫救。
第一件切忌は、空窩に葬るべきでないである。空窩は積水し易く、寒氣很重にして、葬下せば泥水淤積し骸骨腐爛し、子孫絶滅して奈なんすべきでない。凡そ穴中水淋侵あるはみな大禍を生ず。水の左邊より淋來するは、先ず長房を害し、右邊より淋來するは、少房安寧を得ない、正に背後より淋下するは、各房みな救うことを得ない。
穴無貼肉若坐空,定有淋漓向穴沖。水流割腳猶堪忍,水若淋頭立見凶。第二切忌下平坦,穴居平坦真情散。坐後全無貼體星,平坡漭蕩生憂患。
穴後に貼肉の托星なくして坐向空落せば、すなわち必定水淋漓して穴に向かて冲來す。水の穴下に橫流して脚を割るは、還お勉强忍ぶべきである。水もし頭頂より淋下せば、立刻に凶を見ん。第二件切忌は、一味平坦のところに葬るべきでないである。穴が平坦に居れば、眞情はすなわち涣散し、坐後完全に貼身の星體依托なく、一片平坡漭蕩にして收なければ、憂患このより生ず。
第三莫下天風劫,高山頂上空無穴。高而有穴不為空,無穴天空真劫煞。八面風搖骨作塵,此是風輪不可說。第四莫下龍脅背,龍自他行氣不聚。縱然穴後不空虛,牆頭壁下無根蒂。
第三件切忌は、「天風劫」のところに葬るべきでないである。すなわち高山頂上の空曠無穴の地方である。高ところもし確かに眞穴あれば、すなわち空と算せず。無穴にして一味に天にあたり空曠すれば、そのすなわち眞正の劫煞である。八面の風來りて搖撼して、骸骨終究塵土と化す。これを「風輪」と叫び、そのの害はいうもいう盡すできない。第四件切忌は、龍の脇肋背脊の上に葬るべきでないである。龍は自ら別ところに往行して、氣は並にここに聚結せず。縱い穴後看て空虛ならざるも、不過牆頭壁下のように、全く根蒂ない。
總之真穴少人知,只言怪穴不易窺。正穴正情原不怪,須將福德合天機。恨殺堪輿萬卷經,當年曾有滅蠻名。假託曾揚為正訣,不誤蠻夷誤後生。
總じて眞穴は人の認得する少く、世人はただ怪穴は窺い難しというく。その實正穴は自ら正情ありて、本來並に怪異ならず。要緊なるは主家の福德が天機と相合するがよいるに在り。恨むべき、堪輿の書は汗牛充棟にして、あた年すなわち所謂「滅蠻經」の惡名ありて、曾文辿・楊筠松の名を假托して正訣に冒充す。あた初未だ必ずしも蠻夷を誤り得ざりしも、如今却って後生を害して苦しめり。
陰陽兩淨卦中來,陽龍節節是陽胎。陰龍剝換亦如此,只取清純向首排。若是嫩龍終是嫩,乾坤辰戌皆英俊。若是老龍終是老,巽辛亥艮未為寶。浪說貴陰而賤陽,天下奇龍阡葬少。
所謂「淨陰淨陽」は、本是卦爻の上よりいう來したるである。陽龍一節一節結ぶ所はみな陽胎にして、陰龍層層剥換もも是同じ一個の道理である。ただ來脈の淸純を取りて、再び向首の上に到りて挨星を排布す。龍氣もし嫩なるは、終歸是嫩である。縱い乾・坤・辰・戌の世俗の陽と指す方位に坐すとも、一樣に英俊である。龍氣もし老なるは、終歸是老である。縱い巽・辛・亥・艮の世俗の陰と指す方位を占すとも、未必寶ならず。世人は妄りに陰を貴び陽を賤しむといういて、以致天下の奇龍は人の用いて安葬するに肯ずる少きである。
五星只取影中形,九星變化亦非真。撰出後天生與克,豈解先天大五行。先天五行無生克,一陽變化皆太極。真木原從水裡生,真火本是水中出。語君休忌克胎龍,木金水火原非逆。
巒頭家の講ずる所の五星は、ただ影像の上になおきて一個の形似を取るのみ。九星の種種の變化もも眞訣にあらず。彼らは後天五行に憑りて相生相克を編派出す。あに「先天大五行」を懂得するのか。先天五行は本來生克の言うべきなく、一陽流行變化して、ところところみな是太極である。眞木は原より水の中より生出し、眞火もも本より水の中より透出す。ゆえに汝に告ぐ、なんぞ「胎を克す」の龍を忌諱するを要しよう。木金水火の間は本來違逆を談ずるに及ばず。
更把方隅分五行,左回右轉別陰陽。生方旺地求高峻,堪笑時師掌上尋。生龍本有生之情,死龍亦有死之形。生生死死隨龍變,豈在方隅順逆行。
更に人ありて方位に五行を分派し、なんぞ左旋右轉にして陰陽を分つと講じ、强いて所謂生方旺地の上に峰巒高聳を求む。この種手掌の上に排來排去する功夫は眞に可笑である。生龍は自ら生龍の情態あり、死龍もも自ら死龍の形狀あり。一生一死は龍身の變化に隨て定まる。あに方位の順行逆行に在らんや。
或取喝形來點穴,此是仙人留記訣。好穴難將告後人,記取真形揣摩合。混沌初分即有山,世間萬物後來添。器物衣冠時代異,那得生成太古前。
また人ありて專ら「喝形」に憑りて、山のなんに象るを見てすなわちなんによりて點穴す。喝形は本是仙人の留めし記認の法にして、好穴は言語をもって後人に傳え難く、ただ好一個の形象を記取して、人によりて揣摩相合させ。混沌初分の時すでに山あるを知るべく、世間種種の物類はみな後來すなわち添出したるである。器物衣冠は更に時代に隨て變ず。あに太古の前に生成してその種の形狀あることをるのか。喝形はただ記號とあた作すべく、定穴の憑據とあた作すべきでないを見るべきである。
子微玉髓巧分開,只為峰巒論應星。若說龍胎真有相,後人虛揣失真情。山上龍神不下水,先賢真訣分明語。時師卻把水來論,衰旺順逆紛無已。
張子微の《玉髓眞經》は種種の形象を巧妙に分門別類す。本意はただ峰巒になおきて應星を講ずるのみ。もしあた眞に以為りて龍胎生來すなわちその樣の相貌ありとすれば、後人憑空に揣摩して、反って眞情を失わん。「山上龍神不下水」。このは前賢の講明り明明白白たる眞訣である。山に山の龍神あり、水に水の龍神ありて、兩者混用すべきでない。庸師は却って水法を搬來して山龍を斷じ、衰旺を講じ順逆を論じて、聚訟了結ない。
誰知水法不關山,失水乾龍會上天。直瀉直奔皆不忌,蝦鬚蟹眼莫求全。雲陽本是先天老,眾說紛紜如電掃。血淚沾襟歌復泣,天機洩盡誰人曉。
誰か知らん、水法と山龍は原來相干せず。山龍縱い水なくとも、乾亢の龍は一樣に高結して天に上ることを得。水は直瀉直奔すとも、山龍ににおいてみな忌諱するを要せず。蝦鬚水・蟹眼水のこの一類の細巧格式は更にそのの周全を求むるを要せず。我が雲陽子の承くる本是先天一派の老法にして、衆家紛紜のいうにたいして、一掃して空しくするに閃電ののようである。ここにかきて血淚襟に沾し、かつ歌いかつ泣く。天機すでに泄盡したり。また誰人か眞正に明白することできる。
第三:平洋水龍を論ず
天下平洋大地多,平洋龍法更如何。世人盡說平洋訣,都把山龍溷揣摹。平龍原不與山同,郭璞分明說水龍。水龍一卷從來秘,不許輕傳洩化工。我代雲陽行普度,一言萬古鑑鴻蒙。神呵見責甘心受,造福生民在掌中。
天下平洋の地は最も大地多し。可是平洋の龍法は究竟該あたどのように看るか。世人みな自稱平洋口訣を懂得すとす。その實みな山龍の道理を拿て胡亂に比附す。平洋の龍は原來山龍と同じからず。郭璞《葬書》早くすでに分明に水龍を講過した。《水龍經》一卷向來秘にして宣せず、輕易に人に傳ふるを許さず、惟恐造化の功を泄漏せんことを。如今我が雲陽一派に代りて普く世人を度す。この一句話は萬古のために鴻蒙を照破するに足る。縱いこのに因りて神明を觸怒し譴責を遭受するも、我もも甘心して承受す。生民に福を造る樞機はすなわちこの一掌の中に握るが故に。
山形來落有根原,大地平鋪一片毯。首尾去來無定所,分枝過峽不須言。莫把高低尋起伏,休猜度水復穿田。
山龍の來落は根あり原ありて、一節一節按尋すべきである。平洋の地は却って一片の毯子の平鋪開來するがのようである。そのの首尾去來は一定のところ所なく、なんぞ分枝・過峽の類の講法は更に談ずる從來ない。ゆえに平洋ににおいては高低起伏を找ること莫く、もそれ渡水穿田の脈迹を猜度すること莫れ(底本「度水」と作るは、あたに「渡水」であり、今照錄して改めず)。
山是真陽神在骨,地是純陰精在血。山常葬骨不離由,地惟葬肉不離血。人言生氣地中求,豈知地氣水邊流。流到水邊逢水界,平原灝氣盡兜收。
山は眞陽に屬し、そのの神は骨に在り。すなわち石與脈である。平地は純陰に屬し、そのの精は血に在り。すなわち水である。ゆえに山を葬るは骨を葬るにして、脈の來由を離るべきでない。平地を葬るは肉を葬るにして、水を離るべきでない。人人みな生氣は地中に到りて求むべきというく。あに平洋の地氣は水邊に沿て流行するを知らんや。氣流れて水邊に到り水に遇て界をし、なおこの止住して、一片平原の浩然の氣はすなわち全てここに兜收される。
平洋穴以水為龍,與山龍來脈迥□。水龍原不異山龍,將水作山以類從。水龍即是山龍樣,支干分行事事同。
平洋の穴は水をもって龍とあた作し、山龍の來脈と迥然として別あり(底本ここに一字缺き、「迥」の下脱文と作す。今そのの缺を存して臆補せず)。理路になおきて言えば、水龍は原來山龍に異ならず。ただ水をもって山とあた作して、類に依て比附すれば是である。水龍の格局もも山龍と一樣にして、干と支を分出し、各自分行して事事相同である。
大江大河幹龍形,小溪小澗支龍情。乾水洗盪少真穴,猶如高山無正結。支水屈曲情相得,譬若成胎有落脈。
大江大河は干龍の形體にして、小溪小澗は支龍の情性である。干水浩蕩沖刷して、眞穴を結出すること少く、正に高大の山身の上に難得正結あるがのようである。支水屈曲回環して、穴情と彼この相得するは、好ま比べばすでに結胎して落脈あるがのようである。
言水龍行度與山龍支干落脈格法一體。
この一句は原書の夾注にして、上文の意を點破す。水龍の行度は、山龍の分干分支・起脈落脈のその一套の格法と完全是同じ一個の法則にして、ただ不過山を水に換えたるのみ。
山性本火主炎上,水性純水主潤下。炎一高起是真龍,潤下低蓄是朝宗。山穴後高丁祿盛,水穴後高絕無蹤。
山の性情は本來火に屬し、火の性質は向上炎燒である。水の性情は純に水に屬し、水の性質は向下潤澤である。ゆえに山は高高頂を起すをもって眞龍とし、水は低窪停蓄をもって朝宗とする(底本「炎一」はあたに「炎上」と作るべき、今照錄して改めず)。このより推開すれば、山穴は坐後高きして、人丁與祿位すなわち兩盛である。水穴は坐後もしも高起せば、反って絶たいに發福の蹤影ない。平洋の要するは坐後水あるにして、坐後山あるにあらず。
水龍山龍取用高低之辯。
この一句は原書の夾注にして、上文を點明す。水龍與山龍は高低取用の上に恰好相反す。この正に兩家分辨の關鍵の在る所である。
自上而下山之止,自外之內水之止。山來多止止求真,水來多止止貴神。若是止形皆可穴,頑山頑水盡黃金。
山の止息は自上而下にして、高ところより落下來りてこのに止まる。水の止息は自外而內にして、遠ところより流進來りてこのに止まる。山龍行來ところところ止ありて、要して止ところにそのの眞を求む。水龍流來ところところ止ありて、要して止ところにそのの神を貴ぶ。ただ確實に眞正の止形たりさえすれば、ところところみな穴と作すことを得。即なお看て頑鈍の山・頑鈍の水なるも、も盡是黃金である。
水龍與山龍各有真止。
この句夾注はいうく。水龍與山龍は各各有そのの「眞止」ありて、止を認む方向は一個は自上而下、一個は自外而內にして、混同して一談とするべきでない。
我有水龍真要訣,水行有轉是真結。直龍直去龍之種,有活有動龍之活。一轉名為抱穴龍,抱穴富貴在其中。二轉三轉貴不歇,四轉卿相不須說。
我に一段の水龍の眞要訣あり。水の流行の中に轉折の地方あるは、すなわち眞結である。一味直來直去のは、不過龍の種類のみ。活動あり屈曲あるは、すなわち龍の生機を見る。水轉ずること一轉は、「抱穴龍」と叫びて、富貴すなわちこの一抱の中に在り。轉じて兩轉三轉に到れば、貴氣接連して歇まず。轉じて四轉に到れば、卿相を出すはすなわち更にいうくを要せず。
轉處不分名息道,轉入分流各息道。惟有息道是真龍,易道角轉總成空。轉水不漏皆堪穴,不必止處求盡結。盡結原來是龍頭,轉處腰腹亦兼收。龍頭偏側俱精妙,腰腹完全力始悠。
轉折のところ水の分流しないは、「息道」と叫ぶ。轉入して去りて後また支流を分出するは、各自も一條の息道を成す。ただ有息道はすなわち眞龍である。もしただ是角上より斜轉過去するは、終歸空を成す。凡そ水轉じて漏泄しない地方はみな穴と作すに堪え、必ずしも水の止盡のところに到りて結を求むるを要せず。盡頭の結穴は原來「龍頭」と叫びて、轉折ところの腰腹の間もも兼收すべきである。龍頭すなわち偏側するもみな精妙にして、腰腹完整不缺のは、力量すなわち悠久である。
水龍轉結真機。
この句夾注は上文の關鍵を點明す。水龍の眞機は全て一個の「轉」の字の上に在りて、轉じて漏泄しなければ、氣すなわち結住す。
求全不在水來多,一道單傳養太和。更番龍從外護,愈多愈美酒添酥。雖取群龍來輔佐,還從一道作龍巢。
穴の周全を求むるは來水の多きに在らず。ただ一道の水の單傳下來するさえあれば、すなわちこの一團の太和の氣を養住す。別の水龍の輪番にて外圍に遞相護衛するに至りては、その是愈多愈美にして、美酒の裏に再び酥酪を添上するがのようである。といえどもも衆水を取りて輔佐とするとといえどもも、究竟は還お貼身のその一道の水になおきて龍の巢穴と作すがよい。
水龍結穴以內水一道為全。
この句夾注は上文の歸結をいう明す。水龍の結穴は、貼身のその一道の內水をもって完全とし、外面の衆水はただ是幫襯のみ。
別有雌雄兩道交,交時卻似馬同槽。此是水龍奇妙格,相吞相戀福難消。
別に一種の格局あり。是れ雌雄兩道の水彼この交會して、交會の樣子は兩匹の馬の同じく一槽の裏に在りて食するがのようである。このは水龍中の奇妙格局にして、兩水相吞相戀して、發する所の福澤は消受し盡すできない。
言水龍交氣之穴。
この句夾注は上文の講ずる所を指明す。是れ水龍兩氣交媾して結成する穴である。
水中亦有穴龍星,五曜時時現正形。五曜只求金水土,木身有轉土之情。直木夾火皆最忌,水形吞吐露金精。若應三臺並列宿,官楷職品最分明。但取穴星親切看,不離金土蘊真靈。
水面の中にも穴龍の星體ありて、金木水火土の五曜時時そのの正形を顯出す。五曜の中ただ金・水・土の三種を取る。木形の身もし回轉あれば、も土の情性を帶上す。筆直木のように火形を夾帶するは最も忌諱とする。水形吞吐屈曲のところは、常常金の精氣を透露す。水形もし三台星與列宿の象に應合せば、出す所の官階品級は最も分明である。總じてただ穴星貼身親切のところになおきて細看するを須として、金體與土體を離れなければ、その中すなわち眞靈を蘊かくす。
水龍星體。
この句夾注は上文の題目を標出す。以上の講ずる所は水龍の星體形象である。
五星論定穴應栽,三法千秋慧眼開。坐水騎龍為上格,抉龍倚水亦佳哉。向水攀龍非不美,後山育水始無衰。掛角併兼三法穴,莫親漏道損龍胎。
五星既に論定せられ、穴はすなわちそれによりて栽種すべきである。穴を栽するに共に三法ありて、千百年來ただ慧眼人の開悟することできるるのみ。坐後水ありてそのの龍を騎すは、上格である。龍身を挾みて水に倚るも、も很好である。水に向かて去りて龍を攀るは美しくないわけではなくなりとといえどもも、必ず坐後にも水ありて養育されるるを須として、すなわち衰敗に至らざるを得。この外別に「掛角」一法ありて、前三法と兼用すべきである。最も要緊なるは「漏道」に親近すべきでないに在り。一近漏道せば、龍胎すなわち損壞す。
此言直水龍栽穴之法,歸本以坐後有水而最忌漏道。
この句夾注はいう明す。以上の講ずるは直水一類の水龍の如なんに穴を栽するかにして、歸結して坐後必ず水あるを須とし、最も忌諱するは漏道走泄に犯著するである。
龍胎雖固稱人心,遠水安墳死氣侵。沾著水痕扦貼肉,陰陽交度自生春。
龍胎といえども堅固にして正に人心意に稱すとといえどもも、もし墳を安ずるに水を離るること太遠ければ、死氣は還お侵襲進來しよう。必ず水痕に緊沾著して貼肉に扦を下し、陰陽兩氣を彼この交度させば、穴中自然に一片の春意を生出す。
下穴貼水之要。
この句夾注は上文の要旨を點出す。平洋の下穴、緊要のところはすなわち一個の「貼水」に在り。
平原春到好栽花,挹注盈虛氣脈賒。真水短時結氣短,真水長時實可□。長龍定主源源貴,短龍只許富豪家。平氣不如環氣足,尤逢轉動發萌芽。更有一端分別處,淺深闊狹辨龍車。
平原の上春氣一到すれば、正好花を栽し穴を下す。水の挹注に盈虛ありて、氣脈もも之に隨て厚薄あり。眞水短ければ、結ぶ所の氣すなわち短く、眞水長ければ、結ぶ所の氣すなわち實在可靠である(底本ここに一字缺く、今そのの缺を存して臆補せず)。長龍は一定源源不絶の貴氣を主り、短龍はただ富豪の家と作るを許すのみ。平直の氣は環抱の氣の充足するに如かず。尤その水の轉動のところは、生機最先萌發す。この外更に一層の分別あり。すなわち水の淺深闊狹にして、このによりて「龍車」の大小厚薄を分辨す。
穴氣盈虛福力有厚薄久暫。
この句夾注は上文を總束す。穴中の氣は盈虛あれば、發する所の福力もも厚薄あり久暫あり。
水若乘車號秀龍,空車湖蕩是痴龍。得運痴龍能富貴,外情內氣要相從。帶秀痴龍尤顯赫,痴從後蔭福無窮。
水もし氣を載せて行くことを得れば、「乘車」と叫びて、秀龍である。一片湖蕩空闊にして水氣を載しなければ、「空車」と叫びて、痴龍である。痴龍はただあた運たりさえすれば、一樣に富貴を發すことを得。ただし外面の水情與裏面の氣は必ず彼この相從するをべき。痴龍にして秀氣を兼帶するは、尤その顯赫である。この種痴龍は後面より蔭護上來して、福澤無窮である。
專言湖蕩水龍格法。
この句夾注は上文の題目を標出す。以上專ら湖蕩一類の水龍の格法を講ず。
從來水路後天成,不同山骨先天生。山骨培補終不應,水脈□□引真情。當年無著修龍法,修著之時旦夕靈。莫道人士遜天造,江河淮泗禹功平。
水道は向來後天人力の造成するを得る所にして、山の骨骼の先天の生なおに出づると同じからず。ゆえに山骨一經損壞せば、人力を用いて培補するも終究應せず。水脈は却って疏浚開引することを得て、眞情を引きて穴前に到らしむ(底本ここに二字缺く、今そのの缺を存して補せず)。あた年無著大士の傳下せし「修龍」の法は、凡そ法に依て修治するは、早晚の間すなわち靈驗を見る。人力總て天造に比及せずというくこと莫れ。江・河・淮・泗の四瀆は、あに正に大禹の功夫の治平したるにあらずや。
水龍修補之妙。已上言巒頭體格,下論理氣作法。
この句夾注は一面水龍の人工修補すべき妙用を讚歎し、一面全篇の段落を標明す。以上の講ずるは水龍の巒頭體格にして、以下轉入して理氣作法に入る。
