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《天元五歌》陽宅篇注解

明 · 蒋大鸿 · 第4巻 / 5

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

洛書九位圖象陽剛九數。周圍三角分三重,中一重九次,內一重三九二十七,外一重五九四十五,若自上而下亦如之。凡八十一,易之步九宮,自一起亦八十一步,是以陽起一終九,故一六、二七、三八、四九、五十居中,此玄空之奧,秘中秘。

この一條は《洛書》九位圖のいう明にして、圖象は陽剛の數九を取る。圖の周圍は三角を作して三層に分かる。あた中一層は九、往內一層は三九二十七、最外一層は五九四十五にして、もし上より下に數すもも是れ然り。合計八十一にして、正に《易》中の九宮を步る法に合し、一より起步するもも是八十一步である。ゆえに陽數は一に起りて九に終る。因而一與六・二與七・三與八・四與九兩兩相配して、五與十は中央に居る。このすなわち玄空一派の奧義、秘中の秘である。

河圖象地陰六數圖。中含六角亦分三層,中一重六次,內一重二六,一十二;外一重三六,一十八,除中心凡三十六。若自下而上作三重亦如之。若一物一太極,為五十有五。如是陰起四終六,故一六居以,亦河圖之陰中有陽。

この一條は《河圖》の圖のいう明にして、象を地に取り、陰數六を用る。圖中六角を含み、も三層に分かる。あた中一層は六、往內一層は二六一十二、最外一層は三六一十八、中心を除去して、合計三十六。もし下より上に向かて三層を作して數すもも是一樣である。もし「一物一太極」によりて計算すれば、すなわち《河圖》五十有五の數に合す。この樣陰數は四に起りて六に終る。ゆえに一與六同じ一ところに居る(底本「居以」の二字に訛あり、今照錄して改めず)。この也正に《河圖》陰中陽を含むの意思である。

天元五歌。原著無著大士禪師。清朝國師錄出,世所少見,於道咸間始傳出。若不識玄空秘旨,用零正以分其向背,鮮能取驗。蔣大鴻錄。本歌專用於陽宅。易齋補。蔣大鴻為無極子弟子,無極子乃無著大士,後稱禪師。

この是本篇注解の題記である。《天元五歌》は原本無著大士禪師に出で、淸朝國師の錄かによりて傳出し、世間少見にして、道光・みな豐年間に至りてすなわち流傳開來した。もし玄空の秘旨を識らず、不慬「零神」「正神」を用いて山水の向與背を分別すること得なければ、很少應驗を取ることできる。この本は蔣大鴻の錄出する所にして、所注のこの一篇は專ら陽宅を講じ、注文は易齋の補作す。蔣大鴻は無極子の弟子にして、無極子なお是無著大士、後人彼を稱して禪師とする。

原文:人生最中是陽基,卻與墳塋福力齊,宅氣不寧招禍咎,骨埋真穴貴難期,建國定都關治亂,築城置鎮繁安危,試看田間豐盈者,半是陽基偶合宜。

以下先ず歌訣原文を錄し、再び逐節作解す。この一節の歌訣はいうく。人生最も要緊なるは陽宅基址にして、そのの福力は墳塋と相等しいい。宅氣不安寧なればすなわち禍咎を招き、その時縱い眞穴骨を葬るあるも貴顯を望み難し。國を建て都を定むるは一朝治亂に關係し、城を築き鎭を設くるは一方安危に關係す。試みに看よ、田間豐足の人家は、一半は陽宅の偶然生旺の氣に合するである(この錄本は前篇歌訣文字と略異同あり、「最中」はあたに「最重」と作るべき、「繁安危」はあたに「系安危」と作るべき)。

解:陽宅陰基其興替之原理,同用零正,而取用之技術各有少異。陰基繫血統,其子孫雖居千里以外,其翼蔭則一,為永久興衰所關;陽居則不然,不論氏族,男女同居期,或同屋分房,感應雖同,而每一房隨流行則各異,其興替隨流行之氣,其一物一極,以各房建極。

注家解いうす。陽宅與陰宅の興替の原理は相同にして、みな「零神」「正神」を用いて衰旺を定む。ただ是取用の手法略差異あり。陰宅は血統に係りて、子孫すなわち千里之外に住すとも、受くる所の蔭庇は一樣にして、家族長久の興衰に關係す。陽宅は却って然らず。それ氏族を論ぜず、凡そ男女同じく一ところに住し、或いは同一屋內分房して居るは、感應といえども同一宅中に在るも、而も毎一房各々流行の氣に隨て、應ずる所すなわち各不相同である。陽宅の興替はただあた時流行の氣に隨て轉ず。所謂「一物一太極」、各房みな各自一個の太極を立てて推算するがよい。

建國立都,其衰旺關乎一國之隆替,而文化經濟亦受影響。一城市之氣運亦然,每一縣城之形不美,顯能點朝林者。試看田家之豐盈,多因田社茅棚,適逢流行之氣到,合得生旺。

國を建て都を立つるは、そのの衰旺一國の興隆與衰替に關係し、連文化經濟も一併に影響を受く。一座城市の氣運も同樣如このである。毎一座の縣城もし形勢不美なれば、すなわち顯達の士を出し難し(底本「显能点朝林者」の一句に脱訛ありて、語意不完であり、今照錄して補せず)。再び看よ、農家の豐足する所以は、多半田頭の社屋茅棚の恰好流行の氣の到る所に造りて、生旺に合上したるが故に。

天心最平等,自天子以至庶人,無分貴□皆一也。以中國建都於北平,總以渤海向東入海,黃河新口天津市無定河,皆歸渤海,以下元氣運,乾為下元之首。

天心最是平等にして、上は天子より下は庶民に至るまで、貴賤を分たず、用うるはみな同じ一個の法則である(底本ここに一字漫漶して辨ずべきでない、今缺文と作してところ理し、臆補せず)。すなわち中國の北平に建都するを拿ていうけば、衆水總て東に向かて渤海に流入す。黃河の新入海口・天津の海河與無定河は、みな渤海に歸入す。三元氣運をもって論ずれば、この局應ずるは下元の氣運にして、而も乾卦正に下元の頭一位である。

原文:陽居擇地水龍同,不厭前篇議論重,但比陰基宜闊大,不爭秀氣喜粗雄,大江大河宜氣厚,涓涓滴水也關風,若得亂流如織錦,不分元運也亨通。

再び歌訣を錄す。陽宅の擇地は前篇の水龍の法と相同にして、ゆえに議論重複を嫌わず。ただ是陰宅に比べて宜しく開闊廣大にして、秀氣を爭わずして粗雄を喜ぶ。大江大河の收する氣すなわち厚く、涓涓滴水もも風の進出に關係す。もし衆水亂流交織して錦のようなを得ば、どの一元運を分たずみな亨通す(この錄本「不争秀气」「大江大河宜气厚」「涓涓滴水也关风」の幾句は、前篇歌訣文字と小異なり)。

解:歷據各國大都會名城,皆擇平洋闊大之區,語云陽宅一片,陰宅一線。一片言其廣大粗雄,深厚源遠流長,形識緊密,自然收得大江大河之氣入岫,自然氣運悠遠。

注家解いうす。歷觀各ところの大都會與名城は、無不平洋開闊廣大の地區に選ぶ。俗語にいうく「陽宅一片、陰宅一線」。所謂「一片」は、そのの廣大粗雄・深厚にして源遠流長をいうくにして、形勢また緊密を識得して、自然に大江大河の氣を局中に收進することでき、氣運自然悠遠である。

陰宅一線,故云一席地亦能結構,以成我國平津滬漢奧,亦大聚大結之地。亂流織錦者,如蘇蕪錫、浙之南潯、湖之洞庭、奧之南番、中順皆港又分岐,亂流織錦,故每產俊秀人物,所謂衰旺多憑水,永保其禎乃亂流,此衰彼旺其重如此。

所謂「陰宅一線」は、ただ要一席の地もも穴局を結成することできるをいうく。我國北平・天津・上海・武漢與廣東のこの些の地方は、みな大聚大結の區である(底本「奥」はあたに「粵」と作るべき、今照錄して改めず)。「亂流織錦」に至りては、例如江蘇の蘇州・蕪湖・無錫、浙江の南潯、湖南の洞庭一帶、廣東の南海・番禺與中山・順德は、ところところ港汊ありて而も分岔し、衆水亂流交織して錦ののようである。ゆえに每每俊秀人物を產出す。このなお所謂「衰旺多憑水」にして、能く永く楨祥を保するは正にこの種の亂流の局である。このところ衰して彼ところ旺して、運に隨てみな取るべきあり。そのの分量便あるがように重し。

原文:宅龍動地水龍裁,尤重三門八卦排,只取三元生旺氣,引他入室是胞胎,一門乘旺二門囚,少有嘉祥不可留,兩門交慶一門休,大事歡欣少事愁。

この一節の歌訣はいうく。陽宅の龍は「動地」になおきて水とあた作して裁度し、尤その正門・後門・房門のこの三門を看重して八卦に按排して方位を排定す。ただ三元あた運の生旺の氣を取りて、それを引きて屋裏に進めば、すなわち一宅の胞胎である。一門旺に乘りて兩門囚に入れば、吉慶很少にして、かかる宅子は久留すべきでない。兩門交相慶吉して一門休廢せば、すなわち大事歡欣・小事發愁である(この錄本「二門囚」「少事愁」等ところは前篇歌訣文字と小異なり)。

解:動地之動字指空曠及街巷,此為動氣之處。動地之動氣,皆當水論,故古人有黃白二氣之論據。有水光之盪漾,名曰白氣;空曠草坡、田隴街巷,名曰黃氣。黃白其動則一也。

注家解いうす。「動地」の「動」の字は、空曠のところ與街巷を指すにして、その裏正に氣機流動の所在である。動地の動氣は、一概に水とあた作して論ず。ゆえに古人に「黃白二氣」のいうあり。水光蕩漾あるは「白氣」と叫び、空曠の草坡・田壟・街巷は「黃氣」と叫ぶ。黃氣與白氣はといえども一虛一實なるも、そのの同じく動氣たるになおきて言えば、用法完全一樣である。

三門者,前後門、內門。前後二門要注意外來黃白二氣。凡宅外街道溝渠在前門者,在前門立極,將所來之氣收歸局內,如為生旺則吉,如為衰死便凶。如十字街口,口口口口,一方坐南向北,一方坐北南向。如南向之居屋二間,自收到東南氣或西南氣;北向者,為西北氣,或東北氣。必要細觀之,看其氣是否能收到入宅。

所謂「三門」は、前門・後門與內門を指す。前後兩門は外來の黃白二氣を留意するがよい。凡そ宅外の街道溝渠の正たい前門するは、すなわち前門ににおいて極を立てて、來氣を收歸して局內にせよ。來るはもし生旺の氣なればすなわち吉、もし衰死の氣なればすなわち凶。譬如十字街口四面開敞(原書ここに四個の方框を畫きて、街口四面の屋宇を示意す)、一邊坐南朝北、一邊坐北朝南。朝南の兩間屋は、自然東南或いは西南より來る氣を收到し、朝北のその一邊は、收するはすなわち西北或いは東北の氣である。必ず細細觀察して、この股の氣究竟宅內に收進することできるるや否やを看るをべき。

此不能拘拘於某運,生旺則吉,衰死則凶。如一運以乾兌艮離為生旺,四運以巽震坤坎為生旺,七運以震坎巽坤為生旺,仍以零正取生旺,故陽宅論氣,不論其向。

ここに某一運の成いうを死守するできない。總て來氣生旺なればすなわち吉、衰死なればすなわち凶をもって斷とする。譬如一運は乾・兌・艮・離をもって生旺とし、四運は巽・震・坤・坎をもって生旺とし、七運は震・坎・巽・坤をもって生旺とする。依然として「零神」「正神」の法則によりて生旺を取る。ゆえに陽宅の論ずる所は氣にして、並不專らそのの坐向を論ぜず。

蓋陽宅以人為極,中廳取中,睡室以睡房門取極,辦公室亦以其門取極,案檯必收得其門生氣旺氣,若倉庫無人地帶,則歸無極。

この是因陽宅は人をもって太極とするが故に。中廳すなわち廳の正中を取りて極とし、臥室は睡房門をもって極とし、辦公の所ももそのの門をもって極として、か字臺は必ずこの道門の生氣旺氣を收得するをべき。倉庫一類の人居止ない地帶に至りては、すでに人なければ、も極を立つべきなくして、推するを要せず。

如一門乘旺,二門衰襲,為衰多旺少,鮮有嘉祥。若二門乘旺,一門衰亦必獲咎,必重重生入。如近代之樓,其主房及大門必取生旺,若有衰死之氣,則不住人空之,如正門不吉鮮能獲吉。

もし一門旺に乘りて兩門衰氣に侵襲せられれば、すなわち衰多旺少にして、很少吉慶の言うべきあり。たとえ兩門旺に乘りて一門衰敗するも、一樣に咎を招くして、總て生旺の氣重重生入するしてすなわちよい。近世の樓房のようなは、主房與大門は必ず生旺のまさに取るがよい。もし某ところ衰死の氣あれば、その間房はすなわち空きて人を住せず。倘もし正門本身不吉なれば、全宅很難吉をる。

原文:三門先把正門量,後門房門一樣裝。

この一節の歌訣はいうく。三門の中先ず正門を量る。それ是全宅の總氣口なるが故に。後門與房門もも同一法則によりて安裝す。

解:本節重申陽宅之得失在門,不在形之向何方。假如屋式向東而行門在南或行北,不論城市鄉或高樓大夏,皆在入屋第一門先立極,然後察其極外之動氣,及其街道走廊、溝渠,及街閘來氣。

注家解いうす。この一節は重申す。陽宅の得失は門に在りて、屋形のどの一まさに朝着するに在らず。もし屋式朝東にして、而も所行の門却って南邊或いは北邊に開くれば、その不論城市鄕村、も不論平房還是高樓大廈、みな進屋の第一道門をもって極を立てて、然後極外の動氣、および街道・走廊・溝渠與街閘の送來する氣を察看す。

如七運向北門,入門後由西轉入廳,而房門又向南出,此一門生二門衰,顯不獲咎。若正門衰死,而分租又各自在其房取極,其生旺者禎祥,其衰死者獲咎,所謂物物一極,不能執著於一也。其它之游年天醫,及門光尺、八宅,皆不及玄空也。

譬如七運北向の門を開きて、進門後西邊より轉入して廳堂に至り、而も房門また朝南に開出すれば、このなお一門生を得・二門衰にあたるにして、顯然咎を招くを免れ難し。もし正門本すでに衰死にして、而も屋子分租出して、各家また自己房內ににおいて另行取極せば、その生旺を取得するは依舊楨祥にして、衰死を取著するはすなわち咎を獲しよう。この正所謂「物物一太極」にして、一個の極を死執して放さざるべきでない。その他游年・天醫のいう、および門光尺・八宅の法に至りては、みな玄空に比ぶに及ばず。

原文:別有旁門及側戶,一通外氣即分張,設若便門無好位,一門獨出始為奇。

この一節の歌訣はいうく。別に旁門與側戶ありて、一通外氣すれば、宅內の氣すなわち分張走泄せられん。假使便門好方位を找得しなければ、索性ただ一門を留めて出入して、すなわち奇妙と算す。

解:每宅必自正門總氣定頭門之生旺,以總論其宅興旺。如正門乘旺,旁門側戶皆無生旺之氣,惟正門乘旺,只有閉其通外衰死之門,以留生旺之門,以迎外來生旺之氣。若便門當旺,正門當衰,只留旺封衰。陽宅之把握天機全在行門,語云:有旺門無衰屋。

注家解いうす。毎一所の宅子みな先ず正門の總氣によりて頭門の生旺を定出して、よりて總論全宅の興旺す。もし正門旺に乘りて旁門側戶みな生旺にあたらなければ、すなわちただその些の外面に通ずる衰死の門を閉掉して、あた旺の門を留下して、もって外來の生旺の氣を迎接す。もし便門旺にあたりて正門衰にあたれば、そのなおただ旺門を留め・衰門を封掉す。陽宅天機を把握するは、全て「行門」のこの一件事に在り。所謂行門は、すなわち決定人日常どの一道門より出入するを決定し、氣すなわちその一道門によりて收進來る。俗語にいうく。旺門あればすなわち衰屋ない。

原文:門為宅骨路為經筋,筋骨交連血肉均,若是吉門行惡路,酸漿入酪不堪斟。

この一節の歌訣はいうく。門は宅の骨、路は宅の筋絡にして、筋骨交連して、血肉すなわち均勻を得。もし開くるは吉門にして却って惡路を走れば、すなわち酸漿を乳酪に倒進するがように、入口することできない。

解:門為宅骨,為全宅動氣之主,管內外六事,皆兼貫通全宅之道。門之高低大小,路之長短、曲直闊窄,其氣之交流,引到生旺或衰死,為全宅興衰所繫。

注家解いうす。門は全宅の骨骼にして、一宅動氣の主宰にして、內外六事を管して、また全宅の通道を貫通す。門の高低大小・路の長短曲直闊窄は、みな氣如なんに交流するかを決定し、引進來るは究竟生旺か還是衰死か、一宅の興衰全てこのに係る。

亦即俗云,內六事門之高低,及路之闊窄,曲引到何氣,以比例定之,不可過亦不可不及,務必使之平均,過與不及皆不宜用。在上元應取外之離兌巽之外氣,並內亦宜之;下元以收得內外之乾震艮之道路旺氣為吉。反此乃如酸漿入酪,何堪用之也。

この也なお俗話のいうく所の「內六事」である。門の高低・路の闊窄・彎曲して後引來するはどの一種の氣か、みな比例によりて斟酌して、太過すべきでないも不及すべきでない、務めてそのの均平ならしむるがよい。過與不及みな取用に宜しからず。上元はあたに外面離・兌・巽の幾方の外氣を取るべく、屋內の路もも宜しくすなわち幾まさにすべきである。下元はすなわち內外乾・震・艮の幾方道路の旺氣を收得するをもって吉とする。反して做せば、すなわち酸漿倒入乳酪のように、どう能用しよう。

原文:內路常兼外路看,宅深外路抵門闌,外路迎神並界氣,迎神界氣兩重關。

この一節の歌訣はいうく。內路常に外路に連ねて一併に看るを要し、宅子進深のは、外路一直門闌に抵る。外路一面「迎神」して生氣を引來し、一面「界氣」して衰氣を攔住す。この是兩重の關口である。

解:內路外路有連帶關係,而在市鎮為尤重。外路即門以外之大街小巷,內路門以內之走廊,猶郊外小水會大水,內必兼外。先看外路之生氣足不足,內路歸何卦,合得生旺。

注家解いうす。內路與外路彼この牽連して、市鎮の裏ににおいて尤その要緊である。外路すなわち門以外の大街小巷にして、內路すなわち門以內の走廊にして、好比郊外小水の大水に匯入するにして、內を看れば必ず外を兼ね看る。先ず外路の生氣足るや足らざるやを看て、再び內路二十四山のどの一卦の上に落つるか・あた運の生旺と合するや合しないやを看る。外路是氣の源頭、內路是氣の通道にして、源頭不足なれば、通道再好なるも取給する從來ない。

若市鎮之樓宇其生氣在街頭而住在街尾,此內氣接不到街口之生旺,街受衰死之侵襲,只徒得屋內之生旺。總要以生旺重重生入,否則流行之氣轉眼已星移斗轉,物換星移矣。只接本宅之生旺雖可召吉,亦如上言流行之氣不能留,遷避為宜,故云兩重關也。

もし市鎮の樓宇、生氣街頭に在りて人却って街尾に住せば、その屋內の氣は街口の生旺に接せず、先ず街上衰死の氣の侵襲を受けて、白白にただ屋裏一點の生旺を得るのみ。總て生旺の氣重重生入させてすなわちよい。不然なれば、流行の氣轉眼すなわち星移斗轉・物換星移しよう。單に本宅の一點の生旺を接住するはといえどもも能く吉を招くも、ただ如上文のいうく所、流行の氣終究留不住にして、一交運すればすなわち衰死と成る。還是及早遷避するを宜しとする。ゆえにいうく。外路與內路は「兩重關」にして、外一關は氣の來源を管し、內一關は氣の到達を管し、兩關みな通ずれば、宅氣すなわち眞正生旺を得たりと算す。

原文:更有風門通八氣,牆空屋闕勢難避,若遇祥風福頓增,若遇煞風殃立至。

この一節の歌訣はいうく。還お「風門」ありて八方の氣に通じ、牆空缺あり屋殘闕あれば、そのの勢躲避し難し。祥風に遇上せば、福澤頓增し、煞風に遇上せば、灾殃立至す。

解:風門者言其形也。在鄉村乃外便之凹風形,乃兩山中夾凹,或遠山與近山兩山,遠近合之亦有如一ㄚ,亦謂之凹,名之風門。在市鎮裡,則橫街小巷或陰巷,或斜或浸背,或正面來,皆曰風門,以其有風自此吹來。

注家解いうす。「風門」是なお形勢になおきて言う。鄕村に在りては、外面凹進去の風口の形を指す。或是兩山の間夾出して一個の凹を成し、或是遠山與近山兩重相合して一個の丫形の缺口を成し、も凹と叫びて、みな名づけて風門とする。市鎮の裏に在りては、すなわち橫街小巷或いは陰暗の巷道、或いは斜にして來り、或いは背後より浸來し、或いは正面より直來するも、みな風門と叫ぶ。因有風この些の地方より吹進來るが故に。

若市鎮隔一街界氣,亦可召吉。予歷見此等風門其力極大:若上元運,為下元衰氣浸入,其家之衰退尤速;如下元運為上元卦氣之門戶衰氣浸入,亦然。如上元能接上元之生旺氣,下元運能收得下元將生之生旺氣,名曰祥風,皆以玄空取舍。上元離坤兌巽,下元以乾艮震坎,分配於玄空二十四山中也。

もし市鎮の中一條の街を隔てて界氣するも、一樣に吉を招くことできる。我歷來見る所、この一類の風門の力量極大である。正あた上元の運にして下元の衰氣に浸入せられれば、その一家衰退すること特別に快く、正あた下元の運にして上元卦氣の門の送來する衰氣に浸入せられれば、も是如このである。反して、上元上元の生旺の氣を接することでき、下元下元將生の生旺の氣を收得することできるれば、すなわち「祥風」と叫びて、一概に玄空の法を用いて取舍す。上元は離・坤・兌・巽を取り、下元は乾・艮・震・坎を取りて、再びそれ們を玄空二十四山の中に分配して推排す。

原文:矗矗高立為嶠星,樓臺殿宇一同評,或在身邊或遠應,能迴八風到家庭,嶠壓旺方能受蔭,嶠壓凶方鬼氣浸。

この一節の歌訣はいうく。高高矗立の建築は「嶠星」と叫びて、樓臺殿宇一律このによりて評斷す。或在身邊、或在遠ところ遙應して、みな八方の風を回旋反照して家庭の裏に來たらしむることを得。嶠星旺まさに壓すれば、一家そのの蔭庇を受け、凶まさに壓すれば、鬼氣すなわち侵進來る。

解:上節言空,本節則言實。凡獨聳之高樓文閣、臺塔教堂,或殿宇巍樓,均作山龍論;或近身或遙應,均作正神論。若上元之在乾艮震坎,下元之坤離巽兌,其催官尤驗。

注家解いうす。上一節の講ずるは「空」にして、この一節の講ずるは「實」である。凡そ獨自聳起の高樓・文閣・臺塔・教堂、或是巍峨の殿宇樓閣は、一概に山龍とあた作して論ず。不論近く身邊に在るか還是遙遙相應するか、みな「正神」と看待す。ゆえに上元の時それ乾・艮・震・坎に立ち、下元の時それ坤・離・巽・兌に立てば、官を催する最も靈驗である。嶠星すでに山と作して論ずれば、取るは正に正神のまさにして、前面門風零神動氣を取ると恰好相反す。

反之,則生鬼氣。即其壓在正神,自召吉禎;如反之壓在零神方,則鬼氣浸。欲隨此威脅在零方用門以消除,或用窗亦可引生旺以入宅,自可消除之,但仍要審其輕重。

反して安排せば、すなわち鬼氣を生出しよう。嶠星正神のまさに壓すれば、自然吉祥を招來し、もし零神のまさに壓すれば、鬼氣すなわち侵入す。この種威壓を化解せんには、零神まさに一道の門を開きてもってそれを泄去するか、或いは窗を開きて生旺の氣を引進して宅內にせば、自然消除することできる。ただ是なおそのの輕重緩急を斟酌するをべき。

原文:沖橋沖路莫輕猜,須與元龍一例排,沖起樂宮無價寶,沖起囚宮化作灰。

この一節の歌訣はいうく。橋梁の冲射・道路の冲射みな輕易に臆斷すべきでない。必ずあた元の龍と一併に排定卦位して看るをべき。あた運の「樂宮」を冲起すれば、すなわち無價の寶である。すでに囚に入りたる宮位を冲起すれば、一家すなわち灰燼と化作しよう。

解:橋與路動氣之最動者,而又最勁,每人來往之孔道。曰沖者,由正面或右或左,正左右而來者皆曰沖。城市鄉村莊之廈宅,沖有太過中和之分,凡此沖與風門大同少異。

注家解いうす。橋與路是動氣の中最も動き、而且力量最も勁し。その是人人往來の孔道なるが故に。所謂「冲」は、正面より來るを指し、或いは右邊・左邊より來り、凡そ正たいするおよび左右直射して來るみな冲と叫ぶ。城市與鄕村の屋宅の受くる所の冲は、太過與中和の分別あり。大體上この種の冲は前面のいうく所の風門と大同小異である。

身若路衝,其間合得元運,玄空有五鬼運財來;至失運時,亦有運去。樂宮速發,一遇囚空化作灰。所謂元龍者,乃當元之龍,故云一例。

自身もし路冲せられて、その間もし正にあた元の運に合せば、玄空の裏すなわち「五鬼運財」のその樣の橫財到來あり。等到失運の時は、也なお多少の財之に隨て去る。樂宮冲せられれば、發ること極めて快し。一旦囚に入り落空せば、立刻灰燼と化作す。所謂「元龍」は、すなわちあた元の龍にして、ゆえにいうく。橋冲路冲はそれと同じ一個の例によりて排するがよいと。

如四運遇巽坤震坎四樂樂宮,其中尤以巽坤為正。四運屬上元,轉眼星移斗轉,一交六運,此四宮入囚,其中亦以巽坤其去勢之速如雷,非人事可以挽回。因巽四終乃上元之氣終,至七運震坎乃正樂宮,巽坤乃輔之而已。

譬如四運巽・坤・震・坎のこの四個の樂宮に遇上すれば、その中尤以巽・坤の兩宮をもって正とする。四運は上元に屬し、轉眼星移斗轉して、一交六運すれば、この四宮すなわち囚に入る。その中も以巽・坤の兩宮去勢最も速く、雷霆のように快にして、人力にあらず、の挽回しうる所である。因巽は四數に居り、四運一終れば、上元の氣也なお告終するが故に。到了七運、震・坎の兩宮すなわち正樂宮にして、巽・坤は不過旁より輔助するのみ。

吾新會有二村,被對村之人用橋沖,幾年後遇囚,此二村卒至滅他遷,亦所謂其來也速,其去也速,觀於潮汐則自了然矣。

我家鄕廣東新會に兩個の村子ありて、たい面村中人に一座の橋を用いて冲射せられ、幾年後恰逢囚に入りて、この兩個の村子終に敗落して、村人他鄕に遷往した。この也なお所謂來ること快く去ることも快しにして、ただ潮水の漲落を看看すれば、道理自然明白である。

原文:宅前逼近有奇峰,不分衰旺皆成空,抬頭咫尺巍峨起,泰山壓倒有何功。

この一節の歌訣はいうく。宅前緊逼して一座の奇峰あれば、衰旺を分たずみな空局と成す。擡頭咫尺の間巍峨壁立して、泰山の頂を壓するに好比す。再好的形勢もまたはなはだ麼の用有らん。

解:奇者懷石嶙嶙,此言形勢之凶惡。若太近屋前或左右,雖有元運當旺,因其太近,不能迴旋八方之旺氣入宅,故曰終成空局。若太逼近,雖秀亦無用。如上節之樂囚,苟遇囚何堪設想。

注家解いうす。所謂「奇」は、怪石嶙峋の狀を指すにして、この裏いうく的是形勢の凶惡である。この樣の東西もし屋前或いは左右に太靠近せば、縱い元運あた旺するも、因それ太近にして八方の旺氣を回旋して宅に入らしむることできない、ゆえにいうく終究空局と成れたりと。逼ること太近ければ、縱い形狀秀麗なるもも用ない。再び上一節の講ずる所の樂宮與入囚を合上して看れば、この樣の逼壓もしまた入囚に碰上せば、後果更に堪えて設想せず。

原文:村居曠蕩無關鎖,地水兼門一同取,城巷稠居地水稀,路衢門嶠並司權。

この一節の歌訣はいうく。村居空曠にして、四圍關鎖なければ、すなわち地形・水勢連同門路一同取用す。城中巷陌稠密にして地水稀少なれば、そのなお道路・門戶・嶠星一併にあた權させ。

解:鄉村之氣曠蕩不收,曰無關鎖者,非水口之關鎖與否,地廣水多,關氣因之散漫,不若市鎮之街稠密,故曰地之作法,無論村莊市鎮,全以遠近虛實為主宰。

注家解いうす。鄕村の氣曠蕩にして收斂せず。所謂「無關鎖」は、並不單指水口關攔あるやないやにして、而是地面旣廣・水また多き、關住しうる氣因この散漫して、不像市鎮街巷稠密その樣聚氣し易し。ゆえにいうく。地を論ずる作法は、無論村莊還是市鎮、全以遠與近・虛與實をもって主宰とする。

地水兼門一同取者,此須細看其氣入岫不入岫,猶陰宅之水入懷不入懷,地上之氣亦當水論,故曰兼門。嶠星之形市區多,村莊少;若市區之街道,仍作黃白論,嶠星則分生旺,自不待言。

所謂「地水兼門一同取」は、細看この股の氣究竟局中に進み入ることを得るや否やするして、好比陰宅要水の懷を抱するや抱しないやを看る。地面上の氣もも一概水とあた作して論ず。ゆえにいうく、門に連ねて一緒に取るがよいと。嶠星この一類の形勢は、市區多く村莊少し。市區の街道に至りては、依然として黃白二氣によりて論じ、嶠星はすなわち別に生旺を分つ。その是更多くいうくを待たず。

原文:一到分房宅氣移,一門恆作兩門推,有時內路作外路,入房私門是握機,當辦親疏並遠近,抽爻換象出神奇。

この一節の歌訣はいうく。一到分房別住すれば、宅氣なお之に隨て移轉し、一道門常に兩道門とあた作して推するがよい。有時內路反って外路と成り、進房の私門すなわち氣機を掌握するところである。應あた各房與氣口の親疏遠近を分辨して、「抽爻換象」の法を用いて、そのの應驗最も神奇である。

解:分房氣,宅氣移句,乃玄空作法與他家不同,此為玄空做法之最上乘法。如北方之院,一家分數屋,同一總門出入,而每一房之宅氣各建其極;如今市區一樓入門後,分居而住,自是各有其極也。

注家解いうす。「分房宅氣移」のこの一句は、正に玄空作法與別家不同の地まさにして、も是玄空法門の裏最上乘の一著である。譬如北方の院落は、一家分住幾間屋にして、共用一個の總門出入して、而も毎一房の宅氣各自別立一個の太極を立つ。如今市區の裏一座樓房は、進門之後分戶して居るは、自然也是各家各有各的太極である。

如之大屋,中一大廳,東西分主,各屋分居,其間之氣各殊,而所收生旺各異。假如在市區東向之房,旺於四七運;西出之房旺於三六運。故分房各有各主,亦各人建極不同,又如樓六七層亦然,或用廳形以就氣口。

また如一萬大屋は、あた中一個大廳にして、東西兩邊各有その主、各屋分居して、屋與屋の間の氣各不相同にして、收する所の生旺也なお各異である。もし在市區は、朝東の房は四運與七運に旺し、朝西開出の房は三運與六運に旺す。ゆえに分房之後各有各的主にして、各人の立つる太極也不相同である。六七層の樓房也是この樣にして、有時還お廳堂の形狀になおきて氣口に遷なおするがよい。

此抽爻換象,法極之斗標,極重要,斗一動,八方之氣,其旋轉由乎中央,即算術之二元數法,一動皆動也。

このなお「抽爻換象」の法にして、等おいて立極の時の斗柄標杆、極めて要緊である。斗柄一動すれば、八方の氣の旋轉みな中央より起り、正如算學の裏二進の算法一樣にして、一ところ變動すれば、ところところ之に隨てみな動す。

原文:論屋神祠理最嚴,古人營屋廟為先。

この一節の歌訣はいうく。屋宇を論ずるに、神祠の規矩をもって最も嚴とし、古人屋舍を營造するに、總是先ず廟宇を立つ。

解:古人建都立城或村莊,如建都以天壇之立,都市以城以隍廟,以定一方之主宰;村莊以社壇或廟,皆該方之主。先觀形勢後研理氣,凡威靈顯赫之廟宇,香火鼎盛綿綿,幽冥清淨;若古廟冷寺,必肅散不收。此為形家必論之理可知,形體不動為主,理氣流行之氣為用。

注家解いうす。古人都を建て・城を立て或いは村を立つるに、如建都なればすなわち先ず天壇を立て、都市なればすなわち城隍廟を立てて、用いてもって一方の主宰を確定す。村莊なればすなわち社壇或いは神廟を立てて、もみな是その一方の主である。看る次第は先觀形勢・後研理氣である。凡そ威靈顯赫の廟宇は、香火鼎盛綿延して、幽冥の地もも淸淨である。もし是古廟冷寺なれば、氣必蕭散にして收せず。このより形家の論ずる道理を知るべきである。形體固定不動は、是れ體として主位に居り、理氣運に隨て流行は、是れ用とする。神祠所以規矩最嚴なるは、正にそれ是一方公共の立極のところにして、一旦位置失あたせば、全城全村みな牽累を受くるが故に。

廟為萬象香火,宗祠則又為其子姓獨有。吾眼新會一村,當時全村皆窮,適有陰陽家遇,而該村有一耆老,在村口榕樹下休息,而該陰陽家亦在休息,而老者奉茶獻煙,陰陽家感其誠,即曰在某處立社壇,在某處建祠,他雲二十年後能財貴並美。果然該村出一名醫,當清光緒皇奉召到京賜進仕,而村人自此多往美國,此坐甲向庚,而甲峰特聳於後。

廟宇是萬家共奉の香火にして、宗祠すなわち本姓子孫の獨有である。我親眼新會の一個村子を見たり。あた時全村みな很窮にして、恰好一位陰陽家路過して、村裏有位老者村口榕樹下歇息して、その陰陽家也在その裏歇脚して、老者茶煙を奉上して款待すれば、陰陽家そのの誠意を感念して、すなわち彼を指點して某ところに社壇を立て・某ところに宗祠を建てよとし、二十年後財貴雙美すべきというく。後來該村果然一位の名醫を出して、淸光緒年間京城に召されて、進士出身を賜う。村人自この多く美國に往きて謀生す。この一局是坐甲向庚にして、すなわち坐東偏北にして朝西偏南にして、而も甲方の峰特別聳拔して身後にして、正神山を得たり。ゆえに貴を出すことできた。

原文:夫婦內房尤特重,陰陽配合宅根源。

この一節の歌訣はいうく。夫婦の內房尤その特別要緊にして、陰陽このところに配合して、正是一宅氣運の根源である。

解:玄空六法至此已極盡玄妙。以夫婦為人倫之始,五倫亦以夫婦為先。生育後,則父子兄弟而子孫,孫子繼綿不絕,此夫婦為全宅奧區,亦作主星論。

注家解いうす。玄空六法ここに講じ到りて、すでに玄妙のところをいう盡した。夫婦是人倫の開端にして、五倫も夫婦をもって先とする。生育之後、すなわち父子兄弟以至子孫ありて、世代綿延不絶である。ゆえに夫婦の內房是全宅最深奧の所在にして、もそれをあた作主星と作して論斷するがよい。

凡房之門路,外氣必要收得生旺之氣;房門及床位,亦必收得房門之旺,故以床為極,以陰陽相生雌雄相見。床頭在正神方,走廊收得生旺,門口為大金龍,必能產俊秀之兒郎。如七運,得震坎最佳,而坤巽乃上元之氣,雖旺亦不用;又如八運以乾艮之房亦佳。

凡そ臥房の門與路は、外來の氣必ず生旺を收得しなければならない、房門與床もも必ず房門の旺氣を收得するをべき。ゆえに床をもって太極として、陰陽相生・雌雄相見の義を取る。床頭正神のまさに安んじ、走廊生旺を收得して、門口「大金龍」と成る——すなわち全房納氣の總關口——必ず俊秀の兒郞を生出することできる。譬如七運は、震・坎の兩方を得る最も佳し。坤・巽は上元の氣に屬し、看去といえども似旺相なるも不取用す。また如八運は、乾・艮の兩方の房を用るもも很好である。見るべき、夫婦內房は連走廊・房門・床位の三重を一緒に立極して推するがよい。

原文:八宅因門坐向空,三原衰旺定真蹤,運遇遷移宅氣改,人家興廢巧相逢。

この一節の歌訣はいうく。八宅の法ただ憑門與坐向にして、坐向もし空亡に落つればすなわち依る所ない。要三元の衰旺を用いて眞正の蹤迹を定め、運一推移・人一遷居すれば、宅氣すなわち改まり、一家の興廢往々なおこの巧巧の遇合の中に在り(この錄本「三原」はあたに「三元」と作るべき)。

解:坐向空者,俗云空亡線之謂。八宅乃地盤二十四山,周天三佰六拾五度,每宮十五度,上七度半,下七度半。如子山午向,前不兼壬,後不兼癸,名曰向空,此所謂單線者,宜於神壇社廟空門之線,世俗人家不宜用此線。

注家解いうす。所謂「坐向空」は、すなわち俗稱の「空亡線」である。八宅指的是地盤二十四山にして、周天三百六十五度、毎宮十五度、上七度半・下七度半である。譬如子山午向は、前壬を兼ねず・後癸を兼ねず、恰恰正中の單線の上に落つれば、すなわち「向空」と叫ぶ。この種單線の坐向は、ただ神壇社廟一類の空門の地に適宜して、尋常人家使用に宜しからず。因線位恰在兩卦交界にして、氣歸する所なく、挨星也なお起算する從來ない。

青囊經雖有雙山雙向之旨,而陰陽二宅,總以避為宜。如形局因砂水,門繫一度二度,亦要兼,因地球界氣,其軸心繫在辰戌分界。

《青囊經》といえども有「雙山雙向」のいう法あるも、ただし陰宅陽宅總以空亡を避開するを宜しとする。もし因形局砂水に牽制せられて、門ただ一度兩度を偏出するは、その也要兼向と作して取る。因地球界氣の軸心正係辰・戌の兩宮の分界の上にして、ゆえに線位の上分毫の差もみな計較するがよい。

其不取空亡者,三元之氣雖發,但其向空,運遇遷移斗杓一轉,如坐子午乾巽,於上下元交運時,其敗最慘。一過運忽遇當旺行運之人入住,亦大發,故云巧相逢,此乃前為鬼屋不吉,後至者大吉。

之所以空亡を取らないのは、因三元の氣といえどもも能く一時を發するも、ただ向旣空に落ちれば、一遇運の推移・斗柄一轉して、譬如坐子午・坐乾巽のこの幾種の線位は、上下元交運の時敗るること最も慘である。可是一過この個運すれば、忽然正行旺運の人搬進來住に遇上して、同樣也會大發す。ゆえに歌訣いう「巧相逢」。先前是不吉の鬼屋にして、後來住進去の人反たい大吉である。

原文:此是周公真八宅,無著大士流傳的,天醫福德莫安排,只好游年定時日,逢興鬼絕更昌隆,遇替生延皆困迫。

この一節の歌訣はいうく。このすなわち周公の眞正の八宅の法にして、無著大士の傳流下來する所である。天醫・福德の一類の名目は拿來排布するを要せず、游年至多ただ能用來定個時日のみ。偏偏五鬼・絶命の方位に遇えば反たい更加昌隆し、生氣・延年の方位に遇えば反たいところところ困迫す。

解:無著大士後稱禪師乃清國師蔣大鴻之師,無著又名無極子。八宅始於周公劉遷幽,蔣氏得無著大士衣砵真傳,始明玄空秘奧。坊間陰陽家地理書,汗牛沖棟,甚少見用玄空者。

注家解いうす。無著大士後來禪師と稱せられて、是清代國師蔣大鴻の老師にして、また名無極子である。八宅の法起おいて周代公劉遷居豳地(底本「幽」はあたに「豳」と作るべき、今照錄して改めず)。蔣氏は無著大士の衣鉢眞傳を得て、すなわち玄空の秘奧を明白した。坊間陰陽家の地理書汗牛充棟にして、却極少眞に玄空を用るを見る。

此周公八宅之秘訣,乃易之為道,換言之,皆本玄空三般大卦,演變六法。世人之周公天醫、福德、游年卦例,而論八宅,皆江湖術士騙食法,皆以挨星為言。因時代之沿革,屋宇之形式,代有更改,而易以不變應萬變,其取極則一也。

この周公八宅の秘訣は、本來なお《易》の道理である。換句話いう、みな本于玄空の「三般大卦」にして、再演變出六法す。世人拿周公天醫・福德・游年のこの些卦例來論八宅は、全是江湖術士の飯を騙吃する手段である。眞正該講的是ただ是「挨星」である。屋宇の形式隨時代沿革・代代更改するも、而《易》以不變應萬變にして、取極立極の道理始終ただ有一個である。不問古屋今樓、總是なお人所居止のところ立太極して、再按あた元卦運挨排す。

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