Libo

中論 巻第一

姚秦 · 龙树造,鸠摩罗什译 · 第19巻 / 28

若果定有性,因為何所生?

もし果に決定の性有れば、因はなお何を生ぜんか。

若果定無性,因為何所生?

もし果に決定の性なければ、因はなお何を生ぜんか。

因不生果者,則無有因相,

因がもし果を生ぜなければ、因の相なし。

若無有因相,誰能有是果?

もし因の相なければ、誰がなおこの果を有せんか。

若從眾因緣,而有和合生,

もし衆因縁に随って和合の生有れば、

和合自不生,云何能生果?

和合は自ら生生ぜざれば、どうして果を生じ得んか。

是故果不從,緣合不合生;

ゆえに果は縁の合に随って生ぜず、また不合に随っても生ぜず。

若無有果者,何處有合法?」

もし果なければ、どうしてなお合の法があらんか。」

是眾緣和合法,不能生自體。自體無故,云何能生果?是故果不從緣合生,亦不從不合生。若無有果者,何處有合法?

この衆縁和合の法は、自らの体を生ずること能わず。自体なければ、どうして果を生じ得んか。ゆえに果は縁の合に随って生ぜず、また不合に随っても生ぜず。もし果なければ、どうしてなお合の法があらんか。

中論觀成壞品第二十一(二十偈)

《中論》観成壊品第二十一(二十首の偈)

問曰:一切世間事現是壞敗相,是故有壞。

問う者曰く、一切の世間の事は現前に皆壊敗の相なり。ゆえに壊有る。

答曰:

答える者曰く、

「離成及共成,是中無有壞;

「成を離れおよび成と俱に在るに、この中に壊なし。

離壞及共壞,是中亦無成。」

壊を離れおよび壊と俱に在るに、この中にも成なし。」

若有成、若無成,俱無壞。若有壞、若無壞,俱無成。何以故?

成有るも成無きも、壊なし。壊有るも壊無きも、成なし。なぜか。

「若離於成者,云何而有壞?

「もし成を離れて、どうしてなお壊があらんか。

如離生有死,是事則不然。

生を離れて死有るが如く、この事は当らない。

成壞共有者,云何有成壞?

成と壊とがもし俱に在れば、どうして成有り壊有らんか。

如世間生死,一時俱不然。

世間の生と死の如く、同一時に皆当らず。

若離於壞者,云何當有成?

もし壊を離れて、どうしてなお成があらんか。

無常未曾有,不在諸法時。」

無常は本より諸法の上に在らざる時なし。」

若離成,壞不可得。何以故?若離成有壞者,則不因成有壞,壞則無因,又無成法而可壞。成名眾緣合,壞名眾緣散,若離成有壞者,無成誰當壞?如無瓶,不得言瓶壞,是故離成無壞。若謂共成有壞者,是亦不然。何以故?法先別成而後有合,合法不離異。若壞離異,壞則無因,是故共成亦無壞。若離壞共壞無有成者,若離壞有成,成則為常,常是不壞相。而實不見有法常不壞相,是故離壞無成。若謂共壞有成者,是亦不然。成壞相違,云何一時有?如人有髮無髮不得一時俱,成壞亦爾,是故共壞有成是事不然。何以故?若謂分別法者,說成中常有壞。是事不然。何以故?若成中常有壞,則不應有住法;而實有住,是故若離壞共壞不應有成。復次:

もし成を離れて、壊は求めて得られない。なぜか。もし成を離れてなお壊有れば、成に依らずして壊有る。壊はすなわち無因であり、また成の法なくして壊せらるべきものなし。成とは衆縁合と名づけ、壊とは衆縁散と名づく。もし成を離れてなお壊有れば、成なきに、誰か当に壊せんか。瓶なければ、瓶の壊るるを言うこと能わざるが如し。ゆえに成を離れて壊なし。もし成と俱に在りて壊有ると言うならば、これも当らない。なぜか。法は先前に別に成就してしかる後にこそ合有る。合の法は相異を離れず。もし壊が相異を離れれば、壊はすなわち無因である。ゆえに成と俱に在りても壊なし。いわゆる壊を離れ・壊と俱に在るに皆成なしとは、もし壊を離れてなお成有れば、成はすなわち常であり、常は不壊の相である。しかるに実に法有りて常に不壊の相なるを見ず。ゆえに壊を離れて成なし。もし壊と俱に在りて成有ると言うならば、これも当らない。成と壊とは相い違す。どうして同一時に有ることができようか。人が髮有り無髮と同一時に俱り在ること能わざるが如く、成と壊もまたこのようである。ゆえに壊と俱に在りて成有るは、この事は当らない。なぜか。もし法を分別する人が成の中に常に壊有ると言うならば、この事は当らない。なぜか。もし成の中に常に壊有れば、住の法有るべきではない。しかるに実に住有る。ゆえに壊を離れても壊と俱に在るも、皆成有るべきではない。さらにいえば、

「成壞共無成,離亦無有成,

「成と壊と俱に在りて成なく、離れてもまた成なし。

是二俱不可,云何當有成?」

この二種とも行えざれば、どうしてなお成があらんか。」

若成壞共亦無成、離亦無成。若共成則二法相違,云何一時?若離則無因。二門俱不成,云何當有成?若有應說。

もし成と壊と俱に在りても成なく、離れてもまた成なし。もし俱に在りて成就せば、二法は相い違す。どうして同一時ならんか。もし離れればすなわち無因である。両門ともに成立せず。どうしてなお成があらんか。もし有れば、説き出すべきである。

問曰:現有盡滅相法。是盡滅相法,亦說盡亦說不盡,如是則應有成壞。

問う者曰く、現前に尽滅相の法有る。この尽滅相の法は、また尽と説き、また不尽と説く。これによりて成有り壊有るべきである。

答曰:

答える者曰く、

「盡則無有成,不盡亦無成;

「尽きればすなわち成なく、尽きざれば成なし。

盡則無有壞,不盡亦不壞。」

尽きればすなわち壊なく、尽きざれば壊せず。」

諸法日夜中念念常滅盡,過去如水流不住,是則名盡。是事不可取、不可說,如野馬無決定性可得。如是盡無決定性可得,云何可得分別說有成?是故言盡亦不成。成無故,亦不應有壞,是故說盡亦無有壞。又念念生滅常相續不斷故名不盡,如是法決定常住不斷。云何可得分別說言今是成時?是故說無盡亦無成。成無故無壞,是故說不盡亦無壞。如是推求,實事不可得,故無成無壞。

諸法は日夜に念々常に滅尽して、過去は水流の住せざるが如し。これを尽と名づく。この事は取るべからず、説くべからず。陽焔に決定の性の得べきなきが如し。このように尽に決定の性の得べきなし。どうして得て成有ると分別説くことができようか。ゆえに尽きても成せずと説く。成なければ、また壊有るべきではない。ゆえに尽きても壊なしと説く。また念々生滅して常に相続断ぜざるを、不尽と名づく。このような法は決定して常住して断ぜざる。どうして得ていま是れ成の時と分別説くことができようか。ゆえに無尽にも成なしと説く。成なければすなわち壊なし。ゆえに不尽にも壊なしと説く。このように推し求めて、実事は求めて得られない。ゆえに成なく壊なし。

問曰:且置成壞。但令有法,有何咎?

問う者曰く、成壊はしばらく置かん。ただ法有せしめれば、何の過失が有るか。

答曰:

答える者曰く、

「若離於成壞,是亦無有法;

「もし成壊を離れて、この中にも法なし。

若當離於法,亦無有成壞。」

もし法を離れても、成壊なし。」

離成壞無法者,若法無成無壞,是法應或無或常。而世間無有常法,汝說離成壞有法,是事不然。

いわゆる成壊を離れて法なしとは、もし法に成なく壊なければ、この法はすなわちあるいは無、あるいは常であるべきである。しかるに世間に常法なし。あなたが成壊を離れて法有ると説くは、この事は当らない。

問曰:若離法但有成壞,有何咎?

問う者曰く、もし法を離れてただ成壊有れば、何の過失が有るか。

答曰:離法有成壞,是亦不然。何以故?若離法,誰成誰壞。是故離法有成壞,是事不然。復次:

答える者曰く、法を離れて成壊有るは、これも当らない。なぜか。もし法を離れれば、誰が成り誰が壊るるか。ゆえに法を離れて成壊有るは、この事は当らない。さらにいえば、

「若法性空者,誰當有成壞?

「もし法の性が空なれば、誰がなお成壊があらんか。

若性不空者,亦無有成壞。」

もし性が空ならざれば、また成壊なし。」

若諸法性空,空何有成壞?若諸法性不空,不空則決定有,亦不應有成壞。復次:

もし諸法の性が空なれば、空にどうして成壊があらんか。もし諸法の性が空ならざれば、空ならざればすなわち決定有り。また成壊有るべきではない。さらにいえば、

「成壞若一者,是事則不然;

「成と壊とがもし一なれば、この事は当らない。

成壞若異者,是事亦不然。」

成と壊とがもし異なれば、この事もまた当らない。」

推求成壞一則不可得。何以故?異相故、種種分別故。又成壞異亦不可得。何以故?無有別故、亦無因故。復次:

成と壊とが一を推し求めて、得られない。なぜか。相異なるがゆえ、種種に分別するがゆえである。また成と壊とが異なるも求めて得られない。なぜか。分別なきがゆえ、また因なきがゆえである。さらにいえば、

「若謂以眼見,而有生滅者,

「もし眼に見る所に因って生滅有ると説くならば、

則為是痴妄,而見有生滅。」

それはすなわち愚癡虚妄にして、こそ生滅を見るなり。」

若謂以眼見有生滅者,云何以言說破?是事不然。何以故?眼見生滅者,則是愚痴顛倒故。見諸法性空、無決定、如幻如夢,但凡夫先世顛倒因緣得此眼,今世憶想分別因緣故,言眼見生滅。第一義中實無生滅,是事已於〈破相品〉中廣說。復次:

もし眼に見る所に因って生滅有ると説くならば、何を以て言説を用いて破せんか。この事は当らない。なぜか。眼に生滅を見るは、それは愚癡顛倒である。諸法の性空・決定なきを見るは、幻の如く夢の如し。ただ凡夫が先世の顛倒の因縁によりてこの眼を得、今世に憶想分別の因縁によりて、こそ眼に生滅を見ると説く。第一義には実に生滅なし。この事はすでに〈破相品〉の中に広く説いた。さらにいえば、

「從法不生法,亦不生非法;

「法に随って法を生ぜず、また非法を生ぜず。

從非法不生,法及於非法。」

非法に随って法を生ぜず、また非法を生ぜず。」

從法不生法者,若失若至,二俱不然。從法生法,若至若失,是則無因,無因則墮斷常。若已至從法生法,是法至已而名為生,則為是常,又生已更生,又亦無因生。是事不然。若已失從法生法者,是則失因,生者無因,是故從失亦不生法。從法不生非法者,非法名無所有、法名有,云何從有相生無相?是故從法不生非法。從非法不生法者,非法名為無,無云何生有?若從無生有者,是則無因,無因則有大過,是故不從非法生法。不從非法生非法者,非法名無所有,云何從無所有生無所有?如兔角不生龜毛,是故不從非法生非法。

いわゆる法に随って法を生ぜずとは、失するも至るも、二種とも当らない。法に随って法を生ぜば、至るも失するも、すなわち無因である。無因なればすなわち断・常に堕せん。もしすでに至りて法に随って法を生ぜば、この法は至りてこそ生と名づく。すなわち常であり、また生じてさらに生ず。また無因の生である。この事は当らない。もしすでに失して法に随って法を生ぜば、すなわち因を失し去る。生ずる人は因なし。ゆえに失に随っても法を生ぜず。いわゆる法に随って非法を生ぜずとは、非法は無所有と名づけ、法は有と名づく。どうして有の相に随って無の相を生ぜんか。ゆえに法に随って非法を生ぜず。いわゆる非法に随って法を生ぜずとは、非法は無と名づく。無はどうして有を生ぜんか。もし無に随って有を生ぜば、すなわち無因である。無因なればすなわち大きな過失有る。ゆえに非法に随って法を生ぜず。いわゆる非法に随って非法を生ぜずとは、非法は無所有と名づく。どうして無所有に随って無所有を生ぜんか。兎角が亀毛を生ぜざるが如し。ゆえに非法に随って非法を生ぜず。

問曰:法非法雖種種分別故無生,但法應生法。

問う者曰く、法・非法は種種に分別するがゆえに無生なれども、法は法を生ずべきである。

答曰:

答える者曰く、

「法不從自生,亦不從他生,

「法は自に随って生ぜず、また他に随って生ぜず。

不從自他生,云何而有生?」

自と他とに随って生ぜざれば、どうしてなお生があらんか。」

法未生時無所有故,又即自不生故,是故法不自生。若法未生則亦無他,無他故不得言從他生。又未生則無自,無自亦無他,共亦不生。若三種不生,云何從法有法生?復次:

法がまだ生ぜざる時は無所有であって、またすなわち自が生ぜざるがゆえに、法は自ら生ぜず。もし法がまだ生ぜなければ、すなわち他なし。他なければ、他に随って生ずと言うこと能わず。またまだ生ぜざればすなわち自なし。自なければすなわち他なし。共にもまた生ぜず。もし三種ともに生ぜざれば、どうして法に随って法の生有らんか。さらにいえば、

「若有所受法,即墮於斷常,

「もし執受する所の法有れば、すなわち断・常に堕せん。

當知所受法,為常為無常。」

知るべし、執受する所の法は、あるいは常、あるいは無常なりと。」

受法者,分別是善是不善、常無常等,是人必墮若常見若斷見。何以故?所受法應有二種:若常、若無常。二俱不然。何以故?若常即墮常邊,若無常即墮斷邊。

いわゆる受法とは、これは善・これは不善・常無常等を分別すれば、この人は必ず常見または断見に堕せん。なぜか。執受する所の法は二種有るべきである。あるいは常、あるいは無常。二種とも当らない。なぜか。もし常なればすなわち常辺に堕し、もし無常なればすなわち断辺に堕するがゆえである。

問曰:

問う者曰く、

「所有受法者,不墮於斷常,

「すべての法を執受する人は、並びに断・常に堕せず。

因果相續故,不斷亦不常。」

因果相続するがゆえに、断ぜずしてまた常ならず。」

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