Libo

中論 巻第一

姚秦 · 龙树造,鸠摩罗什译 · 第6巻 / 28

「若染及染者,先各成異相,

「もし染および染者が、先前に各々異相を成就せば、

既已成異相,云何而言合?」

すでに異相を成就したれば、どうしてなお合を説くことができようか。」

若染、染者先各成別相,汝今何以強說合相?復次:

もし染と染者が先前に各々別別の相を成就せば、あなたは今何によって強いて合の相を説くのか。さらにいえば、

「異相無有成,是故汝欲合;

「異相は成就せざるがゆえに、あなたは合を思い、

合相竟無成,而復說異相。」

合の相は終に成就せず、それなのにまた異相を説く。」

汝已染、染者異相不成故,復說合相。合相中有過,染、染者不成。汝為成合相故,復說異相。汝自已為定,而所說不定。何以故?

あなたは染・染者の異相が成立しないがゆえに、また改めて合の相を説く。合の相の中に過失が有り、染・染者はなお成立しない。あなたは合の相を成就せんがため、また異相を説く。あなた自身はすでに確定と為したつもりでも、説く所はなお確定していない。なぜか。

「異相不成故,合相則不成;

「異相が成立せざれば、合の相は成立せず。

於何異相中,而欲說合相?」

どの種の異相の中にあって、なお合の相を説かんと欲するか。」

以此中染、染者異相不成故,合相亦不成。汝於何異相中而欲說合相?復次:

ここに染・染者の異相が成立せず、合の相も成立しないがゆえに、あなたはどの種の異相の中にあってなお合の相を説かんと欲するのか。さらにいえば、

「如是染染者,非合不合成;

「このようだから、染と染者は、合でもなく、不合でも成就できない。

諸法亦如是,非合不合成。」

諸法もまたこのようで、合でもなく、不合でも成就できない。」

如染,恚痴亦如是。如三毒,一切煩惱、一切法亦如是。非先非後、非合非散等,因緣所成。

染がこのようであるが如く、恚と癡もまたこのようである。三毒がこのようであるが如く、一切の煩悩・一切法もまたこのようである。先ではなく、後でもなく、合でもなく、散でもなく、等々、皆因縁の所成である。

中論巻第一

中論巻第二

龍樹菩薩造梵志青目釋

龍樹菩薩が頌を造り、梵志青目が釈を作す。

姚秦三藏鳩摩羅什譯

後秦・姚秦時代の三蔵法師鳩摩羅什が翻訳。

觀三相品第七(三十五偈)

観三相品第七(三十五首の偈)

問曰:經說有為法有三相:生、住、滅。萬物以生法生、以住法住、以滅法滅,是故有諸法。

問う者曰く、経の上に有為の法に三相有りと説く。生・住・滅である。万物は生の法を用いて生じ、住の法を用いて住し、滅の法を用いて滅する。ゆえに諸法有り。

答曰:不爾。何以故?三相無決定故。是三相為是有為能作有為相?為是無為能作有為相?二俱不然。何以故?

答える者曰く、そうではない。なぜか。三相に決定性がない。この三相は、有為だからこそ有為の相を作し得るのか、無為だからこそ有為の相を作し得るのか。二種とも当らない。なぜか。

「若生是有為,則應有三相;

「もし生が有為ならば、別に三相传るべきである。

若生是無為,何名有為相?」

もし生が無為ならば、どうして有為の相と名づけようか。」

若生是有為,應有三相生住滅。是事不然。何以故?共相違故。相違者,生相應生法、住相應住法、滅相應滅法。若法生時,不應有住、滅相違法。一時則不然,如明闇不俱。以是故,生不應是有為法;住、滅相亦應如是。

もし生が有為ならば、三相有るべきである。生・住・滅である。この事は当らない。なぜか。彼此相い違する。いわゆる相違とは、生相は法を生ぜしめるべきであり、住相は法を住せしめるべきであり、滅相は法を滅せしめるべきである。もし法がまさに生ずる時、同時に住・滅という相違の法が有るべきではない。同一時刻に行われざるは、明と暗が並存し得ざるが如し。これによりて、生は有為法であるべきではない。住・滅の相もまたこのように観るべきである。

問曰:若生非有為,若是無為,有何咎?

問う者曰く、もし生が有為でなく無為ならば、何の過失が有るか。

答曰:若生是無為,云何能為有為法作相。何以故?無為法無性故。因滅有為名無為,是故說不生不滅名無為相,更無自相。是故無法,不能為法作相,如兔角龜毛等不能為法作相。是故生非無為;住、滅亦如是。復次:

答える者曰く、もし生が無為ならば、どうして有為法のために相を作し得ようか。なぜか。無為法には自性がない。有為を滅したるをはじめて無為と名づくがゆえに、不生不滅を無為の相と説く。さらに自らの相がない。ゆえにそれに法がなく、法のために相を作すことができない。兎角・亀毛等が法のために相を作し得ざるが如し。ゆえに生は無為ではない。住・滅もまたこのようである。さらにいえば、

「三相若聚散,不能有所相;

「三相は聚めても散らしても、相すべきところがない。

云何於一處,一時有三相?」

どうして同一の処・同一の時刻に三相有ることができようか。」

是生、住、滅相,若一一能為有為法作相?若和合能與有為法作相?二俱不然。何以故?若謂一一者,於一處中或有有相、或有無相,生時無住、滅,住時無生、滅,滅時無生、住。若和合者,共相違法,云何一時俱?若謂三相更有三相者,是亦不然。何以故?

この生・住・滅の相は、一つ一つにして有為法のために相を作し得るのか、和合して有為法のために相を作し得るのか。二種とも当らない。なぜか。もし一つ一つと言えば、同一の処において、あるものは相有り、あるものは相無しとなる。生の時には住・滅なく、住の時には生・滅なく、滅の時には生・住ない。もし和合と言えば、彼此相い違する法がどうして同一時刻に皆在ることができようか。もし三相に別にまた三相传ると言えば、これも当らない。なぜか。

「若謂生住滅,更有有為相,

「もし生・住・滅に別にまた有為の相传ると言えば、

是即為無窮,無即非有為。」

すなわち無窮无尽となる。もしなければ、有為ではない。」

若謂生、住、滅更有有為相,生更有生、有住、有滅。如是三相,復應更有相,若爾則無窮。若更無相,是三相則不名有為法,亦不能為有為法作相。

もし生・住・滅に別にまた有為の相传ると言えば、生はさらに生有り・住有り・滅有るべきである。これによれば三相はまた別に相传るべきであり、それはすなわち無窮である。もしさらに相がなければ、この三相は有為法と名づけず、有為法のために相を作すこともできない。

問曰:汝說三相為無窮。是事不然。生、住、滅雖是有為,而非無窮。何以故?

問う者曰く、あなたは三相が無窮になると言う。この事は当らない。生・住・滅は有為といえども、無窮ではない。なぜか。

「生生之所生,生於彼本生,

「生生の生ずる所は、あの本生を生ず。

本生之所生,還生於生生。」

本生の生ずる所は、またかえってあの生生を生ず。」

法生時通自體七法共生:一法、二生、三住、四滅、五生生、六住住、七滅滅。是七法中,本生除自體,能生六法。生生能生本生,本生能生生生,是故三相雖是有為,而非無窮。

法が生ずる時、自体を連ねて都合七法がともに生ずる。一は法、二は生、三は住、四は滅、五は生生、六は住住、七は滅滅である。この七法の中、本生は自体を除いて、その余の六法を生ずることができる。生生は本生を生じることができ、本生は生生を生ずることができる。ゆえに三相は有為といえども無窮ではない。

答曰:

答える者曰く、

「若謂是生生,能生於本生;

「もしこの生生があの本生を生ずると言うならば、

生生從本生,何能生本生?」

生生は本生から来たるのに、どうして本生を生ずることができようか。」

若是生生能生本生者,是生生則不名從本生生。何以故?是生生從本生生,云何能生本生。復次:

もしこの生生が本生を生ずることができるならば、この生生は本生から生じたと名づけるべきではない。なぜか。この生生は本生から生じ出たるのに、どうして本生を生ずることができようか。さらにいえば、

「若謂是本生,能生於生生;

「もしこの本生があの生生を生ずると言うならば、

本生從彼生,何能生生生?」

本生はあの生から来たるのに、どうして生生を生ずることができようか。」

若謂本生能生生生者,是本生不名從生生生。何以故?是本生從生生生,云何能生生生?生生法應生本生。而今生生不能生本生,生生未有自體,何能生本生?是故本生不能生生生。

もし本生が生生を生ずることができると言うならば、この本生は生生から生じたと名づけるべきではない。なぜか。この本生は生生から生じ出たるのに、どうして生生を生ずることができようか。生生という法は本生を生ずべきである。しかるにいま生生は本生を生ずることができない。生生はなお自体がないのに、どうして本生を生ずることができようか。ゆえに本生もまた生生を生ずることができない。

問曰:是生生生時,非先非後能生本生,但生生生時能生本生。

問う者曰く、この生生は生ずる時、先でもなく後でもなく本生を生ずる。ただ生生がまさに生ずる時に本生を生じることができる。

答曰:不然。何以故?

答える者曰く、そうではない。なぜか。

「若生生生時,能生於本生;

「もし生生がまさに生ずる時に本生を生じることができるならば、

生生尚未有,何能生本生?」

生生はなおないのに、どうして本生を生ずることができようか。」

若謂生生生時能生本生可爾,而實未有,是故生生生時不能生本生。復次:

もし生生がまさに生ずる時に本生を生じることができると言うならば、この言は似たことはあるが、実際にはなおない。ゆえに生生がまさに生ずる時には本生を生ずることができない。さらにいえば、

「若本生生時,能生於生生;

「もし本生がまさに生ずる時に生生を生じることができるならば、

本生尚未有,何能生生生?」

本生はなおないのに、どうして生生を生ずることができようか。」

若謂是本生生時能生生生可爾,而實未有,是故本生生時不能生生生。

もし本生がまさに生ずる時に生生を生じることができると言うならば、この言は似たことはあるが、実際にはなおない。ゆえに本生がまさに生ずる時には生生を生ずることができない。

問曰:

問う者曰く、

「如燈能自照,亦能照於彼;

「燈が自らを照らすこともでき、かの所を照らすこともできるが如く、

生法亦如是,自生亦生彼。」

生の法もまたこのようで、自ら生じ、かの所をも生ず。」

如燈入於闇室,照了諸物亦能自照。生亦如是,能生於彼亦能自生。

燈が暗室に入りて、種々の物を照らして、また自らをも照らし得るが如く、生もまたこのようで、かの所を生ずることもでき、自ら生ずることもできる。

答曰:不然。何以故?

答える者曰く、そうではない。なぜか。

「燈中自無闇,住處亦無闇,

「燈の中に自ら暗なく、その在る所にも暗なく、

破闇乃名照,無闇則無照。」

暗を破るをこそ照と名づける。暗なければ照なし。」

燈體自無闇,明所及處亦無闇,明闇相違故。破闇故名照,無闇則無照,何得言燈自照亦照彼?

燈の本体には自ら暗がなく、光明の至る所にも暗がない。明と暗と相い違するがゆえである。暗を破るをこそ照と名づける。暗なければ照なし。どうして燈が自照しまたかの所を照らすと言えようか。

問曰:是燈非未生有照,亦非生已有照,但燈生時能自照亦照彼。

問う者曰く、この燈はまだ生ぜなければ照あるのでもなく、生じ了わってから照あるのでもない。ただ燈がまさに生ずる時に自照しまたかの所を照らすことができる。

答曰:

答える者曰く、

「云何燈生時,而能破於闇?

「燈がまさに生ずる時、どうして暗を破ることができようか。

此燈初生時,不能及於闇。」

この燈は生じ始めたばかりで、なお暗に及ばない。」

燈生時名半生半未生,燈體未成就,云何能破闇?又燈不能及闇,如人得賊乃名為破。若謂燈雖不到闇而能破闇者,是亦不然。何以故?

燈がまさに生ずる時は、半生半未生と名づけ、燈の本体はなお成就していない。どうして暗を破ることができようか。しかも燈は暗に及ばない。人が賊を捕らえてはじめて破と名づけるが如し。もし燈は暗に到らないが暗を破ることができると言うならば、これも当らない。なぜか。

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