中論 巻第一
餘入餘煩惱,皆亦復如是。」
その余の入、その余の煩悩も、皆このようである。」
如見、可見、見者無合故,染、可染、染者亦應無合。如說見、可見、見者三法,則說聞、可聞、聞者餘入等。如說染、可染、染者,則說瞋、可瞋、瞋者餘煩惱等。復次:
見・可見・見者に合なきが如く、染・可染・染者もまた合なかるべきである。見・可見・見者の三法を説けば、すなわち聞・可聞・聞者およびその余の入を説いたことになる。染・可染・染者を説けば、すなわち瞋・可瞋・瞋者およびその余の煩悩を説いたことになる。さらにいえば、
「異法當有合,見等無有異,
「相異なる法にこそ合有るべきである。見等は並びて相異なし。
異相不成故,見等云何合?」
相異の相が成立せざれば、見等はどうして合せんか。」
凡物皆以異故有合,而見等異相不可得,是故無合。復次:
およそ物は皆相異なるがゆえに合有る。しかるに見等の相異の相は求めて得られない。ゆえに合なし。さらにいえば、
「非但見等法,異相不可得;
「ただ見等のこれらの法のみならず、相異の相は求めて得られず。
所有一切法,皆亦無異相。」
すべての一切法も、相異の相なし。」
非但見、可見、見者等三事異相不可得,一切法皆無異相。
ただ見・可見・見者等の三事のみ相異の相は求めて得られざるにあらず、一切法も皆相異の相なし。
問曰:何故無有異相?
問う者曰く、なぜ相異の相なきか。
答曰:
答える者曰く、
「異因異有異,異離異無異;
「異は異によりてこそ異有り、異を離れて異なし。
若法從因出,是法不異因。」
もし法が因から出れば、この法は因に異ならず。」
汝所謂異,是異因異法故名為異。離異法不名為異。何以故?若法從眾緣生,是法不異因,因壞果亦壞故。如因梁椽等有舍,舍不異梁椽,梁椽等壞舍亦壞故。
あなたの謂う所の異とは、この異は相異の法有るがゆえに異と名づく。相異の法を離れて異と名づけない。なぜか。もし法が衆縁に随って生ずれば、この法は因に異ならない。因壊すれば果も壊するがゆえである。梁椽等に依ってこそ房舎有り、房舎は梁椽に異ならず。梁椽等が壊せば、房舎も壊するが如し。
問曰:若有定異法,有何咎?
問う者曰く、もし確定の相異の法有れば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「若離從異異,應餘異有異;
「もし「異に随りて来る異」を離れれば、その余の異の上に別に異有るべきである。
離從異無異,是故無有異。」
「異に随りて来る」を離れて異なきがゆえに、実に異なし。」
若離從異有異法者,則應離餘異有異法。而實離從異無有異法,是故無餘異。如離五指異,有拳異者,拳異應於瓶等異物有異。今離五指異,拳異不可得,是故拳異於瓶等無有異法。
もし「異に随りて来る」を離れてなお相異の法有れば、その余の異を離れてなお相異の法有るべきである。しかるに実際には「異に随りて来る」を離れて相異の法なし。ゆえにその余の異なし。五指の異を離れて拳の異有るが如く、拳の異は瓶等の相異の物に対してもまた異有るべきである。いま五指の異を離れて拳の異は求めて得られない。ゆえに拳の異は瓶等に対して相異の法なし。
問曰:我經說,異相不從眾緣生,分別總相故有異相,因異相故有異法。
問う者曰く、我が経の上に説く。相異の相は衆縁に随って生ぜず、総相を分別するがゆえに相異の相有り、相異の相によってこそ相異の法有ると。
答曰:
答える者曰く、
「異中無異相,不異中亦無;
「異の中に異相なく、不異の中にもまたなし。
無有異相故,則無此彼異。」
異相なきがゆえに、此と彼の異なし。」
汝言分別總相故有異相,因異相故有異法。若爾者,異相從眾緣生,如是即說眾緣法,是異相離異法不可得故。異相因異法而有,不能獨成。今異法中無異相。何以故?先有異法故,何用異相?不異法中亦無異相。何以故?若異相在不異法中,不名不異法。若二處俱無,即無異相,異相無故此彼法亦無。復次,異法無故亦無合。
あなたは総相を分別するがゆえに異相有り、異相によってこそ異法有ると説く。もしこのようであれば、異相は衆縁に随って生ず。これにようてはすなわち衆縁の法を説くに在り。この異相は異法を離れて求めて得られざるがゆえである。異相は異法によってこそ有り、独りで成就すること能わず。いま異法の中に異相なし。なぜか。先前にすでに異法有れば、さらに異相を用いて何をせんか。不異の法の中にも異相なし。なぜか。もし異相が不異の法の中にあれば、不異の法と名づけない。もし両処ともになければ、すなわち異相なし。異相なければ、此法と彼法もまたなし。さらにいえば、異法なければ、すなわち合なし。
「是法不自合,異法亦不合,
「この法は自ら合せず、相異なる法もまた合せず。
合者及合時,合法亦皆無。」
合する人および合する時、合する法も皆なし。」
是法自體不合,以一故,如一指不自合。異法亦不合,以異故,異事已成不須合故。如是思惟,合法不可得。是故說合者、合時、合法皆不可得。
この法の自体は合せず。一なればがゆえである。一つの指頭が自らに合せざるが如し。相異なる法もまた合せず。異なればがゆえに、相異の事はすでに成就して、さらに合するを要せず。このように思惟すれば、合の法は求めて得られない。ゆえに合する人・合する時・合する法は皆求めて得られないと説く。
中論巻第二
中論巻第三
龍樹菩薩造梵志青目釋
龍樹菩薩が頌を造り、梵志青目が釈を作す。
姚秦三藏鳩摩羅什譯
後秦・姚秦時代の三蔵法師鳩摩羅什が翻訳。
觀有無品第十五(十一偈)
観有無品第十五(十一首の偈)
問曰:諸法各有性,以有力用故,如瓶有瓶性、布有布性,是性眾緣合時則出。
問う者曰く、諸法は各々性有る。力用有るがゆえである。瓶に瓶性有り、布に布性有るが如く、この性は衆縁和合の時に出る。
答曰:
答える者曰く、
「眾緣中有性,是事則不然;
「衆縁の中に性有りとは、この事は当らない。
性從眾緣出,即名為作法。」
性がもし衆縁から出れば、すなわち所作の法と名づく。」
若諸法有性,不應從眾緣出。何以故?若從眾緣出,即是作法,無有定性。
もし諸法に性有れば、衆縁から出るべきではない。なぜか。もし衆縁から出れば、すなわち所作の法であって、決定の性はない。
問曰:若諸法性從眾緣作,有何咎?
問う者曰く、もし諸法の性が衆縁から作り成せば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「性若是作者,云何有此義?
「性がもし所作ならば、この言はどうして成立できようか。
性名為無作,不待異法成。」
性は無作と名づけ、相異の法を待たずして成就す。」
如金雜銅則非真金,如是若有性,則不須眾緣,若從眾緣出,當知無真性。又性若決定,不應待他出,非如長短、彼此,無定性故待他而有。問曰:諸法若無自性,應有他性。
金に銅を混ぜれば真の金でなくなるが如く、このように性有れば、衆縁を須いない。もし衆縁から出れば、真性なきと知るべきである。しかも性がもし決定ならば、他を待たずして出るべきである。長短・彼此の如くではない。定性なきがゆえに他を待ちて有る。問う者曰く、諸法にもし自性なければ、他性有るべきである。
答曰:
答える者曰く、
「法若無自性,云何有他性?
「法に自性なければ、どうしてなお他性があらんか。
自性於他性,亦名為他性。」
自性は他性に対しても、また他性と名づく。」
諸法性眾緣作故,亦因待成,故無自性。若爾者,他性於他亦是自性,亦從眾緣生相待故,亦無。無故,云何言諸法從他性生?他性亦是自性故。
諸法の性は衆縁の所作なるがゆえに、また相待して成就するがゆえに、自性なし。もしこのようであれば、他性もまたかの辺においては自性であって、また衆縁に随って生じ、また相待するがゆえに、またなし。なければ、どうして諸法は他性に随って生ずと言えようか。他性もまた自性なればがゆえである。
問曰:若離自性、他性有諸法,有何咎?
問う者曰く、もし自性・他性を離れてなお諸法有れば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「離自性他性,何得更有法?
「自性と他性を離れて、どうしてなお法があらんか。
若有自他性,諸法則得成。」
自性と他性有れば、諸法はこそ成立し得る。」
汝說離自性、他性有法者,是事不然。若離自性他性,則無有法。何以故?有自性、他性法則成,如瓶體是自性、依物是他性。
あなたは自性・他性を離れてなお法有ると説く。この事は当らない。もし自性・他性を離れれば、法なし。なぜか。自性・他性有れば、法はこそ成立するがゆえである。瓶の体は自性、依る所の物は他性とするが如し。
問曰:若以自性、他性破有者,今應有無。
問う者曰く、もし自性・他性を用いて有を破れば、いま無が有るべきである。
答曰:
答える者曰く、
「有若不成者,無云何可成?
「有がもしなお成立せざれば、無はどうして成立できようか。
因有有法故,有壞名為無。」
「有」という法有るがゆえに、有が壊れてこそ無と名づく。」
若汝已受有不成者,亦應受無亦無。何以故?有法壞敗故名無,是無因有壞而有。復次:
もしあなたがすでに有は成立せざると認めたれば、また無もなきと認むべきである。なぜか。有の法が敗壊してこそ無と名づく。この無は有が壊るるによりてこそ有る。さらにいえば、
「若人見有無,見自性他性;
「もし人が有無を見、自性と他性を見れば、
如是則不見,佛法真實義。」
このようでは仏法の真実義を見ること能わず。」
若人深著諸法,必求有見。若破自性則見他性,若破他性則見有,若破有則見無,若破無則迷惑。若利根著心薄者,知滅諸見安隱故,更不生四種戲論,是人則見佛法真實義。是故說上偈。復次:
人がもし諸法に深く執著せば、必ず有見を求めんとす。もし自性を破れば他性を見、もし他性を破れば有を見、もし有を破れば無を見、もし無を破れば迷惑する。もし根器利く、執著の心薄ければ、諸見を滅尽してこそ安穏なりと知りて、さらにこの四種の戯論を生ぜず。この人はすなわち仏法の真実義を見る。ゆえに上の这首の偈を説く。さらにいえば、
「佛能滅有無,如化迦旃延,
「仏はよく有と無とを滅す。迦旃延を教化するが如く、
經中之所說,離有亦離無。」
経の中の説く所は、有を離れまた無を離れり。」
《刪陀迦旃延經》中,佛為說正見義離有離無。若諸法中少決定有者,佛不應破有,無若破有,則人謂為無。佛通達諸法相故,說二俱無。是故汝應捨有無見。復次:
《刪陀迦旃延経》の中に、仏は彼のために正見の義理を説く。有を離れ、無を離れよ、と。もし諸法の中に少しくも決定有有れば、仏は有を破るべきではない。無がもし有を破れば、人はすなわち無と為さん。仏は諸法の相に通達せり。ゆえに両辺ともになしと説く。これによりてあなたは有見・無見を捨つべきである。さらにいえば、
「若法實有性,後則不應異;
「もし法に実に性有れば、後に差異すべきではない。
