中論 巻第一
問曰:六種各有定相,有定相故則有六種。
問う者曰く、六種は各々確定の相有り。確定の相有るがゆえに、六種有り。
答曰:
答える者曰く、
「空相未有時,則無虛空法;
「空の相がまだない時には、虚空という法はない。
若先有虛空,即為是無相。」
もし先前にすでに虚空有れば、それは無相である。」
若未有虛空相先有虛空法者,虛空則無相。何以故?無色處名虛空相。色是作法無常,若色未生,未生則無滅,爾時無虛空相。因色故有無色處,無色處名虛空相。
もし虚空の相がまだなくて、先に虚空という法有れば、虚空は無相である。なぜか。色なきの処所を虚空の相と名づける。色は所作の法で、無常である。もし色がまだ生ぜなければ、未生には滅がなく、その時にもまた虚空の相がない。色有るがゆえに、はじめて無色の処所有り。無色の処所をはじめて虚空の相と名づける。
問曰:若無相有虛空,有何咎?
問う者曰く、もし相なきのに虚空有れば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「是無相之法,一切處無有;
「この種の無相の法は、一切の処に皆ない。
於無相法中,相則無所相。」
無相の法の中には、相の往きて相する対象がない。」
若於常無常法中,求無相法不可得。如論者言,是有是無,云何知各有相?故生住滅是有為相,無生住滅是無為相。虛空若無相,則無虛空。若謂先無相、後相來相者,是亦不然。若先無相,則無法可相。何以故?
常の法の中であれ無常の法の中であれ、無相の法を求めて皆得られない。論議の人が「これは有、これは無」と言うのは、何によって各々の相が有ると知るのか。ゆえに生・住・滅は有為の相であり、無生・無住・無滅は無為の相である。虚空がもし無相ならば、虚空はない。もし先前に無相で、後に相が来たりてこれを相すると言うならば、これも当らない。もし先前に無相ならば、相すべき法がない。なぜか。
「有相無相中,相則無所住;
「有相の中にも、無相の中にも、相は住する処なし。
離有相無相,餘處亦不住。」
有相と無相を離れて、その余の処にも住すること能わず。」
如有峰有角、尾端有毛、頸下垂𩑶,是名牛相。若離是相則無牛。若無牛,是諸相無所住。是故說於無相法中相則無所相。有相中相亦不住,先有相故。如水相中火相不住,先有自相故。復次若無相中相住者,則為無因,無因名為無法而有相。相、可相、常相,因待故。離有相無相法,更無第三處可相。是故偈中說「離有相無相,餘處亦不住。」復次:
たとえば峰有り、角有り、尾端に毛有り、頸の下に垂れているあの肉有り、これを牛の相と名づける。もしこれらの相を離れれば、牛がない。もし牛がなければ、これらの相にも住する処がない。ゆえに説く。無相の法の中には、相の往きて相する対象がないと。有相の中にも相は住すること能わず。先前にすでに相有るからである。水の相の中に、火の相は住し入らないが如し。先前にすでに自らの相有るからである。さらにいえば、もし無相の中に相が住すれば、それは無因である。いわゆる無因とは、法なきのに相有ることである。相と可相は、常に互いに相因待する。有相・無相の法を離れて、さらに第三の相すべき処はない。ゆえに偈に言う。「有相と無相を離れて、その余の処にも住すること能わず」と。さらにいえば、
「相法無有故,可相法亦無;
「相の法なければ、可相の法もまたない。
可相法無故,相法亦復無。」
可相の法なければ、相の法もまたない。」
相無所住故,則無可相法;可相法無故,相法亦無。何以故?因相有可相,因可相有相,共相因待故。
相に住する処がなければ、可相の法がない。可相の法がなければ、相の法もまたない。なぜか。相によってこそ可相が有り、可相によってこそ相が有る。彼此互いに相因待する。
「是故今無相,亦無有可相;
「ゆえに今、相もなく、可相もない。
離相可相已,更亦無有物。」
相と可相を離れての後、さらに別の物はない。」
於因緣中本末推求,相、可相決定不可得。是二不可得故,一切法皆無。一切法皆攝在相、可相二法中,或相為可相、或可相為相。如火以煙為相,煙亦復以火為相。
因縁の中に本より末に推し求めれば、相と可相は決定して皆得られない。この二つが得られなければ、一切法は皆ない。一切法は皆相・可相の二法の中に収まる。あるいは相を以て可相と為し、あるいは可相を以て相と為す。火が烟を以て相と為し、烟がまた火を以て相と為すが如し。
問曰:若無有有,應當有無。
問う者曰く、もし「有」がなければ、「無」が有るべきである。
答曰:
答える者曰く、
「若使無有有,云何當有無?
「もし「有」すらなければ、どうして「無」があろうか。
有無既已無,知有無者誰?」
有と無がすでに皆なければ、有無を知る者は誰か。」
凡物若自壞、若為他壞,名為無。無不自有,從有而有。是故言「若使無有有,云何當有無?」眼見耳聞尚不可得,何況無物。
およそ事物は、あるいは自ら壊れ、あるいは他に壊されて、無と名づく。無は自ら有するのでなく、有から有る。ゆえに説く。「もし「有」すらなければ、どうして「無」があろうか」と。眼見耳聞すら得られないのに、いわんや無い物をや。
問曰:以無有有故無亦無,應當有知有無者。
問う者曰く、「有」なきがゆえに「無」もなければ、有無を知る者が有るべきである。
答曰:若有知者,應在有中、應在無中?有無既破,知者亦同破。
答える者曰く、もし知る者が有れば、彼は有の中に堕するか、無の中に堕するか。有と無がすでに破られたれば、知る者もまた同じく破られる。
「是故知虛空,非有亦非無,
「ゆえに虚空は、有でもなく無でもないと知るべし。
非相非可相,餘五同虛空。」
相でもなく可相でもない。その余の五種も虚空と同じである。」
如虛空種種求相不可得,餘五種亦如是。
虚空がこのように種々に相を求めて得られないが如く、その余の五種もまたこのようである。
問曰
問う者曰く、
虛空不在初、不在後。何以先破?
虚空は最も先に在るのでもなく、最も後に在るのでもない。なぜ先にそれを破るのか。
答曰:地、水、火、風眾緣和合,故易破。識以苦樂因故知無常變異,故易破。虛空無如是相,但凡夫悕望為有,是故先破。復次虛空能持四大,四大因緣有識,是故先破根本,餘者自破。
答える者曰く、地・水・火・風は衆縁の和合であり、ゆえに破り易い。識は苦楽の因であるがゆえに、その無常変異を知ることができ、ゆえに破り易い。虚空にはこの類の相がなく、ただ凡夫がそれを有と望むのみ。ゆえに先に破る。さらにいえば、虚空はよく四大を持し、四大の因縁によってこそ識有り。ゆえに先に根本を破れば、その余は自ずから破れる。
問曰:世間人盡見諸法是有是無,汝何以獨與世間相違,言無所見?
問う者曰く、世間の人は皆諸法が是有・是無であると見るのに、あなたはなぜ独り世間と相違して、何も見えないと言うのか。
答曰:
答える者曰く、
「淺智見諸法,若有若無相,
「浅薄の智は諸法を見て、あるいは有相に堕し、あるいは無相に堕す。
是則不能見,滅見安隱法。」
このようでは、あの諸見を滅尽し安穏なる法を見ることができない。」
若人未得道,不見諸法實相,愛見因緣故種種戲論。見法生時謂之為有,取相言有;見法滅時謂之為斷,取相言無。智者見諸法生即滅無見,見諸法滅即滅有見,是故於一切法雖有所見,皆如幻如夢,乃至無漏道見尚滅,何況餘見。是故若不見滅、見安隱法者,則見有見無。
人がもしまだ道を得なければ、諸法の実相を見ることができず、愛見の因縁によって種々の戯論を生ずる。法の生ずるを見ては、それを有と言い、相を取りて有と言う。法の滅するを見ては、それを断と言い、相を取りて無と言う。智者は諸法の生ずるを見て、当下に「無」の見を滅し、諸法の滅するを見て、当下に「有」の見を滅する。ゆえに一切法について見る所有るも、皆幻の如く夢の如し。無漏道の見すらなお滅すべきに、いわんやその余の見をや。ゆえにもしあの諸見を滅尽し安穏なる法を見なければ、有を見、無を見することになる。
中論觀染染者品第六(十偈)
《中論》観染染者品第六(十首の偈)
問曰:經說貪欲、瞋恚、愚痴是世間根本。貪欲有種種名,初名愛、次名著、次名染、次名婬欲、次名貪欲,有如是等名字。此是結使,依止眾生眾生名染者,貪欲名染法。有染法、染者故,則有貪欲。餘二亦如是,有瞋則有瞋者、有痴則有痴者。以此三毒因緣起三業,三業因緣起三界,是故有一切法。
問う者曰く、経の上に貪欲・瞋恚・愚癡は世間の根本であると説く。貪欲には種々の名字が有る。初めは愛と名づけ、次には着と名づけ、次には染と名づけ、次には婬欲と名づけ、次には貪欲と名づく。この類の名字が有る。これは結使であり、衆生の身に依止する。衆生を染者と名づけ、貪欲を染法と名づける。染法有り染者有るがゆえに、貪欲有り。その余の二種もまたこのようである。瞋有れば瞋者有り、癡有れば癡者有り。この三毒の因縁によって身口意の三業を起こし、三業の因縁によって三界を起こす。ゆえに一切法有り。
答曰:經雖說有三毒名字,求實不可得。何以故?
答える者曰く、経の上に三毒の名字有りと説くも、その実を求めれば得られない。なぜか。
「若離於染法,先自有染者,
「もし染法を離れて、先前にすでに染者有れば、
因是染欲者,應生於染法;
この染欲有る人によって、染法を生ずべきである。
若無有染者,云何當有染?
もし染者なければ、どうしてなお染があろうか。
若有若無染,染者亦如是。」
染有りても染無きも、染者もまたこのようである。」
若先定有染者,則不更須染,染者先已染故。若先定無染者,亦復不應起染,要當先有染者然後起染。若先無染者,則無受染者。染法亦如是,若先離人定有染法,此則無因,云何得起?似如無薪火。若先定無染法則無有染者,是故偈中說「若有若無染,染者亦如是。」
もし先前に決定して染者有れば、さらに染を要せず。染者は先前にすでに染せりからである。もし先前に決定して染者無ければ、また染を生起すべきではない。総じて先に染者有りて、しかる後に染を起こすべきである。もし先前に染者無ければ、染を受ける人がない。染法もまたこのようである。もし先前に人を離れて決定して染法有れば、これに因がない。どうして生起できようか。柴なきの火の如し。もし先前に決定して染法無ければ、染者もない。ゆえに偈に言う。「染有りても染無きも、染者もまたこのようである」と。
問曰:若染法、染者先後相待生,是事不可得者。若一時生,有何咎?答曰:
問う者曰く、もし染法・染者が先後相待して生ずるならば、この事は得られない。もし同時に生ずれば、何の過失が有るか。答える者曰く、
「染者及染法,俱成則不然;
「染者と染法が同時に成就するのは、当らない。
染者染法俱,則無有相待。」
染者と染法がもし同時ならば、互いに因待することなし。」
若染法、染者一時成,則不相待,不因染者有染法。不因染法有染者,是二應常,已無因成故。若常則多過,無有解脫法。復次今當以一異法破染法、染者。何以故?
もし染法・染者が同時に成就すれば、相待しない。染者によって染法有るのでなく、染法によって染者有るのでもなく、この二つは常であるべきである。すでに因なきに成就すればからである。もし常ならば、過失は多く、解脱の法もない。さらにいえば、いま一と異をもって染法・染者を破らんとする。なぜか。
「染者染法一,一法雲何合?
「染者と染法がもし一ならば、一つの法はどうして合せん。
染者染法異,異法雲何合?」
染者と染法がもし異ならば、相異なる法はどうして合せん。」
染法、染者,若以一法合、若以異法合。若一則無合。何以故?一法雲何自合?如指端不能自觸。若以異法合,是亦不可。何以故?以異成故。若各成竟,不須復合,雖合猶異。復次一異俱不可。何以故?
染法・染者は、あるいは「是一」をもって合し、あるいは「是異」をもって合する。もし一ならば、合はない。なぜか。一つの法はどうして自らに合できようか。指尖が自らに触ること能わざるが如し。もし相異をもって合すれば、これも行えない。なぜか。各々すでに成就したれば、さらに合するを要せず。たとい合すとも、なお異である。さらにいえば、一と異ともに行えない。なぜか。
「若一有合者,離伴應有合;
「もし一にして合有れば、同伴を離れても合有るべし。
若異有合者,離伴亦應合。」
もし異にして合有れば、同伴を離れても合有るべし。」
若染、染者一,強名為合者,應離餘因緣而有染、染者。復次若一,亦不應有染、染者二名,染是法、染者是人。若人法為一,是則大亂。若染、染者各異而言合者,則不須餘因緣而有合。若異而合者,雖遠亦應合。
もし染と染者が一にして、強いて合と名づくれば、すなわちその余の因縁を離れて染と染者有るべきである。さらにいえば、もし一ならば、また染・染者の二つの名字が有るべきではない。染は法であり、染者は人である。もし人と法が一ならば、それは大いに乱るるである。もし染と染者が各々異なのに合と言えば、すなわちその余の因縁を要せずして合有るべきである。もし相異にして合すれば、隔たることいかに遠くとも合すべきである。
問曰:一不合,可爾;眼見異法共合。
問う者曰く、一では合能わざることはなお可とする。眼に相異なる法の共に合するを見る。
答曰:
答える者曰く、
「若異而有合,染染者何事?
「もし相異にして合有れば、染と染者はなお何事を成さん。
是二相先異,然後說合相。」
この二相は先前にすでに異なりて、しかる後に合の相を説く。」
若染、染者先有決定異相而後合者,是則不合。何以故?是二相先已異,而後強說合。復次:
もし染と染者が先前にすでに決定の異相有りて、しかる後に合すれば、これは合ではない。なぜか。この二相は先前にすでに異なりて、しかる後に強いて合と説くからである。さらにいえば、
