中論 巻第一
「火喻則不能,成於眼見法;
「火の比喩は眼が見える法を成就することはできない。
去未去去時,已總答是事。」
已去・未去・去時については、この事をすでに総答した。」
汝雖作火喻,不能成眼見法。是事〈去來品〉中已答,如已去中無去、未去中無去、去時中無去;如已燒、未燒、燒時俱無有燒,如是已見、未見、見時俱無見相。復次:
あなたは火の比喩を作ったが、眼が見える法を成就することはできない。この事は〈去来品〉の中ですでに答えた。已去の中に去なく、未去の中に去なく、去時の中に去なきが如く、同じく已焼・未焼・焼時にも皆焼なく、已見・未見・見時にも皆見の相がない。さらにいえば、
「見若未見時,則不名為見;
「見がもしなお未見の時にあれば、見と名づけない。
而言見能見,是事則不然。」
それなのに見がよく見ると言うのは、この事は当らない。」
眼未對色則不能見,爾時不名為見,因對色名為見。是故偈中說「未見時無見」,云何以見能見?復次二處俱無見法。何以故?
眼がまだ色に対していなければ見ることができず、その時は見と名づけない。色に対するがゆえに、はじめて見と名づける。ゆえに偈に「未見の時に見なし」と言う。どうして「見」によって見ることができようか。さらにいえば、二処に皆見の法がない。なぜか。
「見不能有見,非見亦不見;
「見はよく見有りとせず、非見もまた見ることができない。
若已破於見,則為破見者。」
もしすでに見を破れば、すなわち能見の者をも破る。」
見不能見,先已說過故。非見亦不見,無見相故。若無見相,云何能見?見法無故,見者亦無。何以故?若離見有見者,無眼者亦應以餘情見。若以見見,則見中有見相。見者無見相,是故偈中說「若已破於見,則為破見者。」復次:
見はよく見ることができないことは、前にすでに説いた。非見もまた見ることができない。見の相がないからである。もし見の相がなければ、どうして見ることができようか。見の法がなければ、能見の者もない。なぜか。もし見を離れてなお能見の者があれば、眼なき者もまたその余の情を用いて見ることができるはずである。もし見によって見るならば、見の中に見の相が有るべきである。能見の者には見の相がない。ゆえに偈に言う。「もしすでに見を破れば、すなわち能見の者をも破る」と。さらにいえば、
「離見不離見,見者不可得;
「見を離れても離れなくても、能見の者は得られない。
以無見者故,何有見可見?」
能見の者がないがゆえに、どうして見と可見があろうか。」
若有見,見者則不成;若無見,見者亦不成。見者無故,云何有見可見?若無見者,誰能用見法分別外色?是故偈中說「以無見者故,何有見可見?」復次:
もし見が有れば、能見の者は成立しない。もし見がなければ、能見の者も成立しない。能見の者がないのに、どうして見と可見があろうか。もし能見の者がなければ、誰が見の法を用いて外色を分別しよう。ゆえに偈に言う。「能見の者がないがゆえに、どうして見と可見があろうか」と。さらにいえば、
「見可見無故,識等四法無;
「見と可見がなければ、識等の四法もまたない。
四取等諸緣,云何當得有?」
四取等の種々の縁は、なおどうして有ることができようか。」
見、可見法無故,識、觸、受、愛四法皆無。以無愛等故,四取等十二因緣分亦無。復次:
見・可見の法がなければ、識・触・受・愛の四法も皆ない。愛等がないがゆえに、四取等の十二因縁の支分もない。さらにいえば、
「耳鼻舌身意,聲及聞者等,
「耳・鼻・舌・身・意、声および能聞の者等、
當知如是義,皆同於上說。」
これらの義理は、皆前に説いたと同じであると知るべきである。」
如見、可見法空,屬眾緣故無決定。餘耳等五情聲等五塵,當知亦同見可見法,義同故不別說。
見・可見の法が空であるが如く、衆縁に属するがゆえに決定がない。その余の耳等の五情・声等の五塵は、皆見・可見の法と同じであると知るべきである。義理が同じなので、別に説かない。
中論觀五陰品第四(九偈)
《中論》観五陰品第四(九首の偈)
問曰:經說有五陰。是事云何?
問う者曰く、経の上に五陰有りと説く。この事はどうか。
答曰:
答える者曰く、
「若離於色因,色則不可得;
「もし色の因を離れれば、色は得られない。
若當離於色,色因不可得。」
もし色を離れれば、色の因も得られない。」
色因者,如布因縷,除縷則無布,除布則無縷。布如色,縷如因。
いわゆる色の因とは、たとえば布の因は縷であるが如く、縷を除けば布がなく、布を除けば縷もない。布は色に譬え、縷は因に譬える。
問曰:若離色因有色,有何過?
問う者曰く、もし色の因を離れて色があれば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「離色因有色,是色則無因;
「色の因を離れて色があれば、この色は無因である。
無因而有法,是事則不然。」
因なきのに法有りとは、この事は当らない。」
如離縷有布,布則無因。無因而有法,世間所無有。
縷を離れて布があれば、布は無因であるが如し。因なきのに法有りとは、世間にこの事はない。
問曰:佛法、外道法、世間法中皆有無因法。佛法有三無為,無為常故無因。外道法中虛空、時、方、神、微塵、涅槃等。世間法虛空、時、方等。是三法無處不有故名為常,常故無因。汝何以說無因法世間所無?
問う者曰く、仏法・外道法・世間法の中に皆無因の法が有る。仏法には三種の無為があり、無為は常であり、ゆえに無因である。外道法の中には虚空・時・方・神・微塵・涅槃などがある。世間法の中には虚空・時・方等がある。この三法は処に在ることがなく、ゆえに常と名づける。常であるがゆえに無因である。あなたはなぜ無因の法は世間にないと言うのか。
答曰:此無因法但有言說,思惟分別則皆無。若法從因緣有,不應言無因。若無因緣,則如我說。
答える者曰く、これらの無因の法はただ言説があるのみで、一たび思惟分別を加えれば皆ない。もし法が因縁に随って有れば、無因と説くべきではない。もし因縁がなければ、それはまさに私の説くところである。
問曰:有二種因:一者作因、二者言說因。是無因法無作因,但有言說因,令人知故。
問う者曰く、二種の因が有る。一つは作因、一つは言説因である。これらの無因の法には作因がなく、ただ言説因が有るのみで、人に知らしめるためである。
答曰:雖有言說因,是事不然。虛空如六種中破,餘事後當破。復次現事尚皆可破,何況微塵等不可見法?是故說無因法世間所無。
答える者曰く、言説因が有るとはいえ、この事はなお当らない。虚空の相は六種の中で破ったが如く、その余の事は後においてなお破る。さらにいえば、眼前の事すらなお皆破ることができるのに、いわんや微塵等の見えない法をや。ゆえに無因の法は世間にないと説く。
問曰:若離色有色因,有何過?
問う者曰く、もし色を離れて色の因があれば、何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「若離色有因,則是無果因;
「もし色を離れて因があれば、それは果なきの因である。
若言無果因,則無有是處。」
もし果なきの因有りと言えば、それはこの道理がない。」
若除色果但有色因者,即是無果因。
もし色という果を除いて、ただ色の因を残せば、それは果なきの因である。
問曰:若無果有因,有何咎?
問う者曰く、もし果なきのに因有れば、何の過失が有るか。
答曰:無果有因,世間所無。何以故?以果故名為因。若無果,云何名因?復次若因中無果者,物何以不從非因生?是事如〈破因緣品〉中說。是故無有無果因。復次:
答える者曰く、果なきのに因有るとは、世間にこの事はない。なぜか。果有るがゆえに因と名づける。もし果がなければ、どうして因と名づけようか。さらにいえば、もし因の中に果がなければ、事物はなぜ非因から生じ出ないのか。この事は〈破因縁品〉の中に説いたが如し。ゆえに「果なきの因」はない。さらにいえば、
「若已有色者,則不用色因;
「もしすでに色有れば、色の因を用いるに足らず。
若無有色者,亦不用色因。」
もし色無ければ、また色の因を用いるに足らず。」
二處有色因,是則不然。若先因中有色,不名為色因;若先因中無色,亦不名為色因。
二処に皆色の因有りとは、これは当らない。もし先前に因の中にすでに色有れば、色の因と名づけない。もし先前に因の中に色無ければ、また色の因と名づけない。
問曰:若二處俱不然,但有無因色,有何咎?
問う者曰く、もし二処とも当らなければ、ただ無因の色を残すのみ。何の過失が有るか。
答曰:
答える者曰く、
「無因而有色,是事終不然。
「因なきのに色有りとは、この事は終に当らない。
是故有智者,不應分別色。」
ゆえに智慧有る者は、色を分別すべきではない。」
若因中有果、因中無果,此事尚不可得,何況無因有色。是故言「無因而有色,是事終不然。是故有智者,不應分別色。」分別名凡夫,以無明愛染貪著色,然後以邪見生分別戲論,說因中有果、無果等。今此中求色不可得,是故智者不應分別。復次:
因の中に果有り・因の中に果無しは、なお求めて得られないのに、いわんや因なきのに色有るをや。ゆえに説く。「因なきのに色有りとは、この事は終に当らない。ゆえに智慧有る者は、色を分別すべきではない」と。いわゆる分別とは凡夫を指す。無明・愛染のために色に貪着し、それから邪見をもって分別戯論を生じ、因の中に果有り・無し等と説く。今ここに色を求めて得られない。ゆえに智者は分別すべきではない。さらにいえば、
「若果似於因,是事則不然;
「もし果が因に相似すれば、この事は当らない。
果若不似因,是事亦不然。」
もし果が因に相似せざれば、この事もまた当らない。」
若果與因相似,是事不然,因細果麁故。因果色力等各異,如布似縷則不名布,縷多布一故。不得言因果相似。若因果不相似,是亦不然。如麻縷不成絹,麁縷無出細布,是故不得言因果不相似。二義不然,故無色、無色因。
もし果が因に相似すれば、この事は当らない。因は細く果は粗いからである。因と果は色・力などの方面において各々同じからない。もし布が縷に相似せば、布と名づけない。縷は多く布は一だからである。因果相似とは言えない。もし因果が相似せざれば、これも当らない。たとえば麻縷は絹を織り成さず、粗縷は細布を織り出さないが如し。ゆえに因果不相似とは言えない。二種の義理とも当らない。ゆえに色もなく、色の因もない。
「受陰及想陰、行陰識陰等,
「受陰および想陰・行陰・識陰等、
其餘一切法,皆同於色陰。」
その余の一切法も、皆色陰と同じである。」
四陰及一切法,亦應如是思惟破。又今造論者欲讚美空義故而說偈:
その余の四陰および一切法も、このように思惟して破るべきである。さらにいえば、いま造論の人は空の義理を讃美せんがため、また偈を説いて曰く、
「若人有問者,離空而欲答,
「もし人が来たりて問わば、空を離れて答えんと欲すれば、
是則不成答,俱同於彼疑。
これは回答を成せず、双方とも同一の疑に堕す。
若人有難問,離空說其過,
もし人が来たりて問難し、空を離れて彼の過失を説けば、
是不成難問,俱同於彼疑。」
これは問難を成せず、双方とも同一の疑に堕す。」
若人論議時各有所執,離於空義而有問答者,皆不成問答,俱亦同疑。如人言:「瓶是無常。」問者言:「何以故無常?」答言:「從無常因生故。」此不名答。何以故?因緣中亦疑,不知為常、為無常?是為同彼所疑。問者若欲說其過,不依於空而說諸法無常,則不名問難。何以故?汝因無常破我常,我亦因常破汝無常。若實無常則無業報,眼耳等諸法念念滅,亦無有分別。有如是等過,皆不成問難,同彼所疑。若依空破常者,則無有過。何以故?此人不取空相故。是故若欲問答,尚應依於空法,何況欲求離苦寂滅相者。
人が論議する時それぞれ執する所が有る。もし空の義理を離れて問有り答有れば、皆問答を成せず、双方もまた同一の疑に堕す。たとえばある人が言う。「瓶は無常である。」問う者曰く、「なぜ無常か。」答える者曰く、「無常の因から生じたからである。」これを答とは名づけない。なぜか。因縁の中にも同じく疑いが有り、それが常か無常かを知らない。これがすなわち彼の疑う所と同じである。問う者がもし彼の過失を説かんと欲して、空に依らずして諸法無常と説けば、また問難と名づけない。なぜか。あなたは無常をもって我が常を破るが、我もまた常をもってあなたの無常を破る。もし真に無常ならば、業報がなく、眼耳等の法は念々に滅し、分別もない。この類の過失が有り、皆問難を成せず、彼の疑う所と同じである。もし空に依って常を破れば、過失がない。なぜか。この人は空の相を取らないからである。ゆえに若し問答せんと欲せば、なお空法に依るべきである。いわんや苦を離れ寂滅の相を得んと欲する者をや。
中論觀六種品第五(八偈)
《中論》観六種品第五(八首の偈)
