中論 巻第一
「燈若未及闇,而能破闇者,
「もし燈がなお暗に及ばないのに暗を破ることができるならば、
燈在於此間,則破一切闇。」
燈はここに在りて、一切の処の暗を破るべきである。」
若燈有力,不到闇而能破者。此處燃燈,應破一切處闇,俱不及故。復次燈不應自照、照彼。何以故?
もし燈に力有りて、暗に到らないのに破ることができるならば、ここに燈を点すれば、一切の処の暗を破るべきである。同じく皆及ばないからである。さらにいえば、燈は自照すべきでもなく、かの所を照らすべきでもない。なぜか。
「若燈能自照,亦能照於彼;
「もし燈が自らを照らすこともでき、かの所を照らすこともできるならば、
闇亦應自闇,亦能闇於彼。」
暗もまた自ら暗く、かの所を暗くすることができるべきである。」
若燈與闇相違故,能自照亦照於彼。闇與燈相違故,亦應自蔽蔽彼。若闇與燈相違,不能自蔽蔽彼。燈與闇相違,亦不應自照亦照彼。是故燈喻非也。破生因緣未盡故,今當更說。
もし燈が暗と相い違するがゆえに、自照しまたかの所を照らすことができるならば、暗もまた燈と相い違するがゆえに、自ら遮蔽し、またかの所を遮蔽すべきである。もし暗が燈と相い違するのに自ら遮蔽することができず、かの所を遮蔽することもできなければ、燈もまた暗と相い違するのに自照しまたかの所を照らすべきではない。ゆえに燈の比喩は当らない。生を破る因縁はなお説き尽くしていない。いまさらに説かんとする。
「此生若未生,云何能自生?
「この生がもしなお生ぜなければ、どうして自ら生ずることができようか。
若生已自生,生已何用生?」
もしすでに生じてさらに自ら生ずれば、すでに生じたのに生じて何をせん。」
是生自生時,為生已生?為未生生?若未生生,則是無法,無法何能自生?若謂生已生,則為已成,不須復生,如已作不應更作。若已生、若未生,是二俱不生,故無生。汝先說生如燈,能自生亦生彼,是事不然;住、滅亦如是。復次:
この生が自ら生ずる時、すでに生じてさらに生ずるのか、なお生ぜずして生ずるのか。もしなお生ぜずして生ずれば、それはない法である。ない法がどうして自ら生ずることができようか。もしすでに生じてさらに生ずると言えば、それはすでに成就したるで、さらに生ずるを要しない。すでに作り了えた者はさらに作すべきではないが如し。すでに生じたるもなお生ぜざるも、この二種とも生ずることができない。ゆえに無生である。あなたは先前に生は燈の如く、自ら生じることもでき、かの所をも生ずると説いたが、この事は当らない。住・滅もまたこのようである。さらにいえば、
「生非生已生,亦非未生生,
「生はすでに生じてさらに生ずるのでもなく、なお生ぜずして生ずるのでもない。
生時亦不生,去來中已答。」
まさに生ずる時にも生ぜず、〈去来品〉の中ですでに答えた。」
生名眾緣和合有生,已生中無作故無生,未生中無作故無生。生時亦不然,離生法生時不可得、離生時生法亦不可得、云何生時生?是事〈去來〉中已答。已生法不可生。何以故?生已復生,如是展轉則為無窮,如作已復作。復次若生已更生者,以何生法生?是生相未生。而言生已生者,則自違所說。何以故?生相未生而汝謂生。若未生謂生者,法或可生已而生、或可未生而生。汝先說生已生,是則不定。復次如燒已不應復燒、去已不應復去,如是等因緣故,生已不應生。未生法亦不生。何以故?法若未生則不應與生緣和合,若不與生緣和合則無法生。若法未與生緣和合而生者,應無作法而作、無去法而去、無染法而染、無恚法而恚、無痴法而痴。如是則皆破世間法,是故未生法不生。復次若未生法生者,世間未生法皆應生,一切凡夫未生菩提今應生菩提,不壞法阿羅漢無有煩惱今應生煩惱,兔等無角今皆應生。但是事不然,是故未生法亦不生。
いわゆる生とは、衆縁和合してこそ生有る。すでに生じたの中に「作」がなく、ゆえに無生。なお生ぜざるの中に「作」がなく、ゆえに無生。まさに生ずる時にも当らない。生の法を離れて生時は得られず、生時を離れて生の法も得られない。どうして生時に生ずると言えようか。この事は〈去来品〉の中ですでに答えた。すでに生じた法はさらに生ずることができない。なぜか。生じてさらに生ずれば、これより展転してすなわち無窮となる。作ってまた作るが如し。さらにいえば、もしすでに生じてさらに生ずれば、どの生の法を用いて生ずるのか。この生の相はなお生じていない。それなのにすでに生じてさらに生ずると言えば、自ら説く所に背く。なぜか。生の相はなお生じていないのに、あなたはそれを生ずると言う。もしなお生ぜずして生ずると言うならば、法はあるいはすでに生じてさらに生ずることができ、あるいはなお生ぜずして生ずることができるはずである。あなたが先前にすでに生じてさらに生ずると説いたのは、これすなわち不確定である。さらにいえば、焼き了わった者はさらに焼くべきではなく、去り了わった者はさらに去るべきではないが如く、この類の因縁によりて、すでに生じた者はさらに生ずべきではない。なお生ぜざる法もまた生ぜず。なぜか。法がもしなお生ぜなければ、生の縁と和合すべきではない。もし生の縁と和合せなければ、生ずる法がない。もし法がなお生の縁と和合せずして生ずれば、作の法なきに作有り、去の法なきに去有り、染の法なきに染有り、恚の法なきに恚有り、癡の法なきに癡有りというべきである。これにようては皆世間法を破ることになる。ゆえになお生ぜざる法は生ぜず。さらにいえば、もしなお生ぜざる法が生じ得れば、世間のなお生ぜざる法は皆生ずべきである。一切の凡夫はなお菩提を生ぜざれば、いま菩提を生ずべきである。法を壊せざる阿羅漢には煩悩がなければ、いま煩悩を生ずべきである。兎等には角がなければ、いま皆角を生ずべきである。しかるにこの事はそうではない。ゆえになお生ぜざる法もまた生ぜず。
問曰:未生法不生者,以未有緣、無作、無作者、無時、無方等故不生。若有緣、有作、有作者、有時、有方等和合故,未生法生。是故若說一切未生法皆不生,是事不爾。
問う者曰く、なお生ぜざる法が生法が生ぜざるは、なお縁なく・作なく・作者なく・時なく・方等がないがゆえに生に生ぜざる。もし縁有り・作有り・作者有り・時有り・方等有りて和合せば、なお生ぜざる法は生ず。ゆえにもし一切のなお生ぜざる法は皆生ぜずと言えば、この事は当らない。
答曰:若法有緣、有時、有方等和合則生者,先有亦不生、先無亦不生、有無亦不生。三種先已破,是故生已不生。未生亦不生、生時亦不生。何以故?已生分不生,未生分亦不生,如先答。復次若離生有生時者,應生時生。但離生無生時,是故生時亦不生。復次若言生時生者,則有二生過:一以生故名生時;二以生時中生。二皆不然。無有二法,云何有二生?是故生時亦不生。復次生法未發則無生時,生時無故生何所依?是故不得言生時生。如是推求,生已無生、未生無生、生時無生,無生故生不成,生不成故住、滅亦不成。生、住、滅不成,故有為法不成。是故偈中說去未去去時中已答。
答える者曰く、もし法が縁有り・時有り・方等有りて和合して生ずれば、先前に有るも生ぜず、先前に無くも生ぜず、また有りまた無くも生ぜない。この三種は前にすでに破った。ゆえにすでに生じたるは生ぜず、なお生ぜざるも生ぜず、まさに生ずるも生ぜない。なぜか。すでに生じたるの那分は生ぜず、なお生ぜざるの那分も生ぜざるは、先前に答えたが如し。さらにいえば、もし生を離れてなお生時有れば、こそ生時に生ずると言うべきである。しかるに生を離れれば生時がない。ゆえに生時にも生ぜず。さらにいえば、もし生時に生ずると言えば、二種の生の過失が有る。一つは生によりてこそ生時と名づく、二つは生時の中にまた生ず。この二種とも当らない。二つの法なければ、どうして二種の生があろうか。ゆえに生時にも生ぜず。さらにいえば、生の法はなお発動せざれば、生時がない。生時なければ、生はなお何に依止するか。ゆえに生時に生ずるとは言えない。このように推し求めれば、すでに生じたるは無生、なお生ぜざるは無生、生時は無生。無生なるがゆえに生は成就せず。生が成就せざれば、住・滅も成就せず。生・住・滅が成就せざれば、有為法は成就せず。ゆえに偈に言う。已去・未去・去時の中ですでに答えた、と。
問曰:我不定言生已生、未生生、生時生,但眾緣和合故有生。
問う者曰く、私はすでに生じてさらに生ずる・なお生ぜずして生ずる・生時に生ずると確定して説くのではなく、ただ衆縁和合するがゆえに生有ると言う。
答曰:汝雖有是說,此則不然。何以故?
答える者曰く、あなたはこの言有りといえども、これなお当らない。なぜか。
「若謂生時生,是事已不成;
「もし生時に生ずると言うならば、この事はすでに不成立である。
云何眾緣合,爾時而得生?」
どうして衆縁和合すれば、その時に生ずることができようか。」
生時生已種種因緣破,汝今何以更說眾緣和合故有生?若眾緣具足、不具足,皆與生同破。復次:
生時に生ずることは、すでに種々の因縁をもって破られた。あなたは今何によってさらに衆縁和合するがゆえに生有ると説くのか。衆縁具足するも具足せざるも、皆生とともに破られた。さらにいえば、
「若法眾緣生,即是寂滅性;
「もし法が衆縁から生ずれば、それは寂滅の性である。
是故生生時,是二俱寂滅。」
ゆえに生と生時は、この二つとも寂滅である。」
眾緣所生法,無自性故寂滅,寂滅名為無此無彼無相,斷言語道、滅諸戲論。眾緣名,如因縷有布、因蒲有席。若縷自有定相,不應從麻出。若布自有定相,不應從縷出。而實從縷有布、從麻有縷,是故縷亦無定性、布亦無定性。如燃、可燃因緣和合成,無有自性,可燃無故燃亦無、燃無故可燃亦無。一切法亦如是,是故從眾緣生法無自性,無自性故空,如野馬無實。是故偈中說生與生時二俱寂滅,不應說生時生。汝雖種種因緣欲成生相,皆是戲論,非寂滅相。
衆縁の生ずる所の法は、自性がないがゆえに寂滅である。いわゆる寂滅とは、此なく・彼なく・相なく、言語の路を截断し、種種の戯論を熄滅することである。いわゆる衆縁とは、縷によってこそ布有り、蒲によってこそ蓆有るが如し。もし縷が自ら確定の相有れば、麻から出るべきではない。もし布が自ら確定の相有れば、縷から出るべきではない。しかるに実際には縷から布有り、麻から縷有る。ゆえに縷にも定性なく、布にも定性がない。燃と可燃が因縁和合して成るが如く、自性がない。可燃なければ燃もなく、燃なければ可燃もない。一切法もまたこのようである。ゆえに衆縁から生ずる法は自性がなく、自性なきがゆえに空である。陽焔に実体なきが如し。ゆえに偈に生と生時の二つとも寂滅であると言い、生時に生ずると言うべきではない。あなたは種種の因縁をもって生の相を成就せんと思うも、皆戯論であって、寂滅の相ではない。
問曰:定有三世別異。未來世法得生,因緣即生。何故言無生?答曰:
問う者曰く、決定して三世の差別が有る。未来世の法は生の因縁を得れば生ず。なぜ無生と言うのか。答える者曰く、
「若有未生法,說言有生者,
「もしなお生ぜざる法有りて、それに生有りと言うならば、
此法先已有,更復何用生?」
この法は先前にすでに有りて、なお生じて何をせん。」
若未來世中有未生法而生,是法先已有,何用更生?有法不應更生。
もし未来世の中になお生ぜざる法有りて生ずれば、この法は先前にすでに有る。なおさらに生じて何をせん。すでに有る法はさらに生ずべきではない。
問曰:未來雖有,非如現在相,以現在相故說生。
問う者曰く、未来には有るといえども、現在の相の如くではない。現在の相を現出するがゆえに、はじめて生と説く。
答曰:現在相未來中無,若無,云何言未來生法生;若有,不名未來,應名現在,現在不應更生。二俱無生,故不生。復次汝謂生時生亦能生彼。今當更說。
答える者曰く、現在の相は未来の中にない。もしなければ、どうして未来の生法が生ずると言えようか。もし有れば、未来と名づけず、現在と名づくべきである。現在はさらに生ずべきではない。二種とも無生。ゆえに生ぜず。さらにいえば、あなたは生時に生ずると言い、またかの所を生じることができると言う。いまさらに説かんとする。
「若言生時生,是能有所生;
「もし生時に生ずると言うならば、それはよく生ずる所有る。
何得更有生,而能生是生?」
どうしてさらに別に一つの生有りて、この生を生ぜしめようか。」
若生生時能生彼,是生誰復能生?
もし生が生ずる時にかの所を生じることができるならば、この生はまた誰がそれを生じることができるか。
「若謂更有生,生生則無窮,
「もし別にまた生有ると言えば、生は無窮となる。
離生生有生,法皆能自生。」
もし生生を離れてなお生有れば、一切法は皆自ら生ずることができる。」
若生更有生,生則無窮。若是生更無生而自生者,一切法亦皆能自生,而實不爾。復次:
もし生に別にまた生有れば、生は無窮となる。もしこの生がさらに生なくして自ら生じ得れば、一切法もまた皆自ら生ずることができるべきである。しかるに実際はそうではない。さらにいえば、
「有法不應生,無亦不應生,
「有る法は生ずべきではなく、無の法もまた生ずべきではない。
有無亦不生,此義先已說。」
また有りまた無くも生ぜず。この義理は前にすでに説いた。」
凡所有生,為有法有生?為無法有生?為有無法有生?是皆不然,是事先已說。離此三事更無有生,是故無生。復次:
およそ生有りとは、有る法に生有るか、無の法に生有るか、また有りまた無の法に生有るか。これら皆当らない。この事は前にすでに説いた。この三事を離れてさらに生はない。ゆえに無生である。さらにいえば、
「若諸法滅時,是時不應生;
「もし諸法がまさに滅する時は、この時に生ずべきではない。
法若不滅者,終無有是事。」
法がもし滅せざれば、終にこの事はない。」
若法滅相,是法不應生。何以故?二相相違故。一是滅相,知法是滅。一是生相,知法是生。二相相違法,一時則不然,是故滅相法不應生。
もし法が滅の相を帯びれば、この法は生ずべきではない。なぜか。二種の相が相い違するからである。一つは滅の相で、法が滅であることを知らしめるために用いる。一つは生の相で、法が生であることを知らしめるために用いる。二種の相い違する法は、同一時刻に行われない。ゆえに滅相を帯びる法は生ずべきではない。
問曰:若滅相法不應生,不滅相法應生。
問う者曰く、もし滅相を帯びる法が生ずべきでなければ、滅相を帯びない法は生ずべきである。
答曰:一切有為法念念滅故,無不滅法。離有為,無有決定無為法。無為法但有名字,是故說不滅法,終無有是事。
答える者曰く、一切の有為法は念々滅するがゆえに、不滅の法がない。有為を離れて、決定の無為法はない。無為法はただ名字があるのみ。ゆえに不滅の法とは、終にこの事はないと説く。
問曰:若法無生,應有住。
問う者曰く、もし法に生なければ、住が有るべきである。
答曰:
答える者曰く、
「不住法不住,住法亦不住,
「住せざる法は住せず、住する法もまた住せず。
住時亦不住,無生云何住?」
まさに住する時にも住せず。生なければ、どうして住せん。」
不住法不住,無住相故。住法亦不住。何以故?已有住故。因去故有住,若住法先有,不應更住。住時亦不住,離住、不住更無住時,是故亦不住。如是一切處求住不可得故,即是無生。若無生,云何有住?復次:
住せざる法は住せず。住の相がないからである。住する法もまた住せず。なぜか。すでに住有るがゆえである。去によってこそ住有り。もし住の法が先前にすでに有れば、さらに住すべきではない。まさに住する時にも住せず。住と不住を離れて、さらに住時がないがゆえに、また住せず。このように一切の処に住を求めて皆得られない。これがすなわち無生である。もし無生ならば、どうして住有ることができようか。さらにいえば、
「若諸法滅時,是則不應住;
「もし諸法がまさに滅する時は、住すべきではない。
法若不滅者,終無有是事。」
法がもし滅せざれば、終にこの事はない。」
若法滅相,是法無有住相。何以故?一法中有二相相違故,一是滅相、二是住相。一時一處有住滅相,是事不然,是故不得言滅相法有住。
もし法が滅の相を帯びれば、この法に住の相がない。なぜか。同一の法の中に二種の相い違が有る。一つは滅の相、一つは住の相。同一時刻・同一処所に住・滅の両相有りとは、この事は当らない。ゆえに滅相を帯びる法に住有るとは言えない。
問曰:若法不滅,應有住。
問う者曰く、もし法が滅せざれば、住が有るべきである。
答曰:無有不滅法。何以故?
答える者曰く、不滅の法はない。なぜか。
「所有一切法,皆是老死相,
「すべての一切法は、皆老死の相を帯びる。
終不見有法,離老死有住。」
終に老死を離れてなお住する法を見ることなし。」
一切法生時,無常常隨逐。無常有二,名老及死。如是一切法常有老死,故無住時。復次:
一切法が生ずる時、無常は常に随い従う。無常には二種の名字が有る。老と死である。このように一切法は常に老死有り。ゆえに住の時がない。さらにいえば、
「住不自相住,亦不異相住;
「住は自らの相によって住するのでもなく、相異なる相によって住するのでもない。
如生不自生,亦不異相生。」
生が自ら生ずるのでもなく、相異なる相によって生ずるのでもないが如し。」
若有住法,為自相住?為他相住?二俱不然。若自相住,則為是常。一切有為法從眾緣生,若住法自住,則不名有為。住若自相住,法亦應自相住。如眼不能自見,住亦如是。若異相住,則住更有住,是則無窮。復次見異法生異相,不得不因異法而有異相,異相不定故。因異相而住者,是事不然。
もし住の法有れば、自らの相によって住するか、他の相によって住するか。二種とも当らない。もし自らの相によって住すれば、それは常である。一切の有為法は衆縁から生ず。もし住の法が自ら住すれば、有為と名づけない。住がもし自らの相によって住すれば、法もまた自らの相によって住すべきである。眼が自らを見ること能わざるが如く、住もまたこのようである。もし相異なる相によって住すれば、住はさらに別に住有るべきであり、それは無窮となる。さらにいえば、相異なる法が相異なる相を生ずるを見るが、相異なる法によってこそ相異なる相有るを要せざるは、相異なる相は確定していないからである。相異なる相によって住することは、この事は当らない。
問曰:若無住,應有滅。
問う者曰く、もし住なければ、滅が有るべきである。
答曰:無。何以故?
答える者曰く、ない。なぜか。
