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史伝・方志の載する所の六壬に善なる者

清 · 程树勋 · 第4巻 / 4

作盤ガイド: 大六壬起課, 金口訣起課

予所見各書之言善六壬者,《吳越春秋》則載子胥、少伯、文種、公孫聖,《晉書》則載戴洋,《龍城錄》則載馮存澄,《五代史》則載梁太祖,《夷堅志》則載蔣堅,《稗史》則允升、堯山堂,《外紀》亦載朱允升,《徽州府志》則載程九圭,《松江府志》則載陳雨化,《蘇州府志》則載徐大衍、皇甫焯,《元史》則載劉文成,然古今書籍之言善六壬者,當不止此數人,奈予未之見耳。

我の見る所の各書の中に六壬に擅長する人を記載する有り。《呉越春秋》は伍子胥・范蠡(字は少伯)・文種・公孫聖を載せ、《晋書》は戴洋を載せ、《龍城録》は馮存澄を載せ、《五代史》は梁の太祖を載せ、《夷堅志》は蔣堅を載せ、《稗史》は朱允升と堯山堂とを載せ、《外紀》もまた朱允升を載せ、《徽州府志》は程九圭を載せ、《松江府志》は陳雨化を載せ、《蘇州府志》は徐大衍・皇甫焯を載せ、《元史》は劉文成(即ち劉基、諡は文成)を載す。これらの人の身份は各々相同じず。春秋・戦国の謀臣有り、晋代の占候の官有り、五代の開国の君有り、宋・元・明の名臣有り、また一郷・一邑に術数を以て知名するの処士有り、以て見るべし六壬の学は歴代に絶えず、かつ方技の流に限らざるなり。不過は古今の書籍の裏に六壬に擅長する人を提到するは当然にこれらに止まらず、ただ我は未だ能く一一に見得ざるのみ。

《文献通考》の六壬を論ずるに引く所の二書

馬端臨《文獻通考》之《論六壬》云:“近世寧黽消息,而此術甚行。”又云:“《五代史》、《金鑾密記》皆極言其驗。”夫所云《五代史》者,尚指《賀環傳》而言,而《金蠻密記》予所見者皆摘本,未知全部中所載云何。

馬端臨の《文献通考》の中の《六壬を論ず》は言う。「近世は趨避・消息の事を講究し、これに因りてこの門の術数は甚だ流行す。」また言う。「《五代史》と《金鑾密記》とは皆極力にその応験を称道す。」彼の言う所の《五代史》は、仍旧に《賀瑰伝》のあの一段を指して言うなり。《金鑾密記》に至っては、我の見る所は皆節録本、全書の裏に一体に何を記載せるやを知らず。

《畢法》の載する祈祷・禳解の四則

《畢法》以丁神帶月厭、天目、飛廉、大煞、墓庫、螣蛇而為本命者,宜祈禱上天星辰,庶免其凶。天網自裹宜祈禱本命星辰。鬼臨三四宜去邪作福,墓虎臨支宜召法官行遣,蓋本邵彥和為伊知縣占課而觸類旁通者也。

《畢法》は規定す。丁神が月厭・天目・飛廉・大煞・墓庫・螣蛇を帯びてしかも恰好に本命の上に落つるは、上天の星辰に祈祷するに宜しく、庶幾くばその凶を免るべし。『天網自裹』のは、本命の星辰に祈祷するに宜し。官鬼が第三・第四課の上に落つるは、邪を駆りて福を祈るに宜し。墓と白虎と日支の上に臨むは、法官を召請して法を作して遣送するに宜し。この几条は其の実は皆邵彦和が伊知県に代わりて占せしあの一課より触類・旁通して推衍し出でしなり。

癸亥日の伊知県の課:露天に謝罪する七日の故

其課繫癸亥日未將亥時,干上酉,三傳未卯亥、常貴勾,龍戌加寅命,陰巳加行年,邵公命其露天謝罪七日,壽可少延,而未言其故。予以管窺度之,蓋巳為日德生氣,宜修德也,乘太陰為禱祝;太常乘未發用亦為禱祝,加亥上,亥為天德,宜露天謝罪也;中傳貴為乘神祗乘太沖而制鬼,故可少延也。

あの一課は癸亥日・未将・亥時。日干の上は酉、三伝は未・卯・亥、分別に太常・貴人・勾陳を乗る。青竜は戌を乗りて本命の寅の上に加わり、太陰は巳を乗りて行年の上に加わる。邵公は彼に吩咐して露天に謝罪する七日、寿数は以て稍稍に延長すべしと言う、しかし縁故を講明せず。我は浅陋を揣らず、試みに推測するに如く。巳はすでに日徳にしてまた生気、正に徳を修するに宜しく、しかしてそれは太陰を乗る、太陰は祷祝を主る。太常は未を乗りて発用す、また祷祝の象、未はまた亥の上に加わり、亥は天徳、ゆえに露天に謝罪するに宜し。中伝の貴人はもとより神祇の象有り、また太衝を乗りて能く官鬼を制伏す、ゆえに寿数は以て略延すべし。

応貢元・応秀才の二課は皆象の中より看出せり

其餘見《斷案》中,邵公為應貢元占前程,知其陰德洪泰,貴壽兩全。為應秀才占前程,知其孝義有虧,壽元不久,此實課中觀此象,非附會之言也。

其余の例子は《断案》の中に見ゆ。邵公は応貢元に代わりて前程を占し、彼の陰徳の深厚・広寛を看出し、富貴と寿数とは两全せり。応秀才に代わりて前程を占し、彼の孝義の虧損有るを看出し、寿元は長からざるなり。これらは皆実実在在に課象の中より看出せる所、並べて事後に牽強・附会するの話にあらず。

屏山の大兄が程雲友に寿を占す:太陰が干を生ずは黙佑を得ん

予屏山大兄往年亦習六壬,己未歲在金華時,曾為家雲友先生占壽並終身,得干上亥水作太陰生壬,斷其得冥冥中之默佑。雲友因云:“十六歲時,夢至一處,遍堆書籍,隨手抽閱,恰見己名上下注程起隆,字雲友,國學生,妻祝氏,三子一女,壽六十一。”寤後告人,疑信相半,迨後一一不爽。然則壽止六十有一矣。

我が大哥の屏山は早年にも六壬を学べり。己未年に彼は金華に在る時、かつて本家の程雲友先生に寿数と兼ねて終身とを占し代わり、日干の上の亥水が太陰を乗りて来て壬水の日干を生ずるを得、彼の能く冥冥の中の默默たる庇佑を得んと断定す。雲友はこれに因りて説き起こす。「我は十六歳のあの年、夢にて一箇の地方に見到り、満屋に書籍を堆み、随手に一本を抽出して翻閲すれば、恰好に自己の名字を看見す、上下に注して曰く『程起隆、字は雲友、国学生、妻は祝氏、三子・一女、寿は六十一』。」醒めて傍人に告ぐれば、大家は半信・半疑せり、後に一桩桩として皆丝毫に差らず。この様に照らして説けば、彼の寿数はただ六十一歳有るのみ。

延年一季の験:果報は爽らず

果至六十一歲患痢甚危,自以為必死,堅不服藥,一日請其堂弟寄巢先生至床前,曰:“適見一人,手執片紙,上書程起隆有施藥施棺施陰騭文之小善,準延年一季,然則今可不死矣?夫一季為三個月,今雲延年一季者,意豈其三年乎?”次日其痢漸止,服藥乃痊。果延三年而壽終,可見果報之不爽,而太陰生干得冥冥中之默助,信而有征也。

果して六十一歳のあの年に到り、彼は痢疾を害して病は甚だ重く、自ら以て必ず死せんと為し、堅決に服薬を肯んぜず。ある日に彼は堂弟の寄巣先生を床前に請いて言う。「さきほど一人の人を看見し、手裏に一張の紙を拿り、上面に写して曰く『程起隆に薬を施し棺を施し陰騭文を印送するのこれらの小善有り、寿を延ばすこと一季を准予す』。この様に説けば、今日は以て死なざるべきか。一季は三箇月、如今は寿を延ばすこと一季と説く、意思は莫非れや三年か。」第二天に彼の痢疾は漸々に止住し、服薬すれば便ち痊愈せり、果してまた三年を活きてこそ寿終せり。以て見るべし因果・報応は丝毫に爽らず。しかして当年に断ぜし所の「太陰が日干を生ずれば、冥冥の中の黙助を得べし」も、また確かに信に足りて征験有るなり。

歙県の叔侄の悪を為す:甲寅の返吟はその久しからざるを断ず

歙有叔侄二人,交相為惡,唆訟詐財,欺孤滅寡,不可勝數。其侄尤多淫惡,里人畏之如虎。戊午年夏月有常遭其凌虐者,占此二人為何結局,得甲寅日返吟,干叔支侄,此定位也。各受申克,既為死神,又兼暗鬼,德喪祿絕,蛇虎紛紛,豈能久乎?

歙県に叔侄の両人有り、互相に勾結して悪を作し、訴訟を教唆し、銭財を詐取し、孤児・寡婦を欺凌す、数えても数え尽くすべからず。あの侄児は尤も淫悪にして、郷里の人は彼を怕るること虎を怕るが如し。戊午年の夏天、ある常に彼らに欺凌せらるる人有りて来りてこの両人は最後に何の下場なるかを占す、甲寅日の返吟課を得。日干は叔父を代表し、日支は侄児を代表す、これは定め好きの位次なり。両処は皆申金に剋せられる所、申はすでに死神を充当し、また兼ねて暗鬼を作す。日徳は喪失し禄神は断絶し、螣蛇・白虎は紛紛として出現す――この様の人はなお長久を得んや。

その侄は病中に衆鬼が身に凭りて卒す

後二年其侄患病,眾鬼憑之,而言內有一女鬼尤厲。蓋此女遭其淫後,被乃夫知之,推滋於河中死也。又其亡兄亦來索命,蓋乾隆五十七年汪裡太為人回家葬祖,其兄分辦酒席,兼有資財,乃唆其兄與人爭訟,藉此捲入己囊,致其兄抱恨而卒,後凌虐兄之子,是以其兄不甘也。患病月餘,藉草臥地,木盤盛食,伏而啜之,哼哼作豕聲而卒。

两年を過ぐるに、あの侄児は病倒し、衆の鬼は彼の身の上に附して話を説く、その中は一箇の女鬼が最も厲害なり。原来この女子は彼に奸污せられたる後、事情は彼女の丈夫に察覚せられ、便ち河の裏に推し進められて淹死せり。此の外に彼の已故の哥哥もまた来りて命を索む。乾隆五十七年に汪里太は人を請いて郷に回り祖先を安葬せしむ、彼の哥哥は分派して酒席を操辦し、手裏にまた一笔の銭財を経れり、彼は便ち哥哥を慫恿して人と官司を打たしめ、機を借りて銭を自己の腰包の中に巻き進め、哥哥を害して恨を抱きて死せしめり。後にまた哥哥の児子を欺凌す、ゆえに彼の哥哥は肯んじて甘休せざるなり。この侄児は一箇月余を病み、草を鋪きて地の上に躺り、木盤を以て飯を盛り、趴き下りて啜食し、哼哼として猪の叫ぶ如きの声音を発して死せり。

その叔は進香の途中に暴斃し、背に鞭痕を現ず

其叔見乃侄如此 ,次年往九華山進香,殆將懺悔,至羊叉,忽顧謂同伴之萬官曰:“人人說我是黑心,不能進香,今我何為?”語畢仆地而僵,天大雷電,以風尸即潰腐,其家既得凶信,扛梓往迎,而路途相左,仍以尸舁於背現青紫痕一道,人以為靈官鞭此擊雲。

彼の叔父は侄児のこの下場に落ちるを見、第二年に便ち九華山に到りて進香す、大概に忏悔を打算するなり。羊叉のこの地方に走り到り、忽然と頭を回し反りて同行の万官に対して言う。「人は皆我を黒心腸・不配の進香と説く、如今我は該当にどうしようか。」話音は剛に落ちざるに便ち地に倒れて僵死せり。当時に雷電は大作し、尸体は風に一吹せられて立刻に潰爛す。彼の家裏は凶信を接到し、棺材を抬きて前に往きて喪を迎う、路上はしかし尸を送る人と走り岔り。後に仍旧に尸首を抬りて回り、背上に一道の青紫色の痕迹を現出す、人々は皆説くあれは霊官の鞭子を用いて抽打して留めしなりと。

丙辰年に悪を怙る者の収成を占す:申酉が火庫に入る

丙辰年五月丁巳日,予卜丙寅命人怙惡不悛,收成若何。得干上申,三傳申酉戌,合朱蛇,從申酉金而入火庫,命上又見敗神,知其必敗,兼帶火鬼、火煞、死神、死氣,命上卯為血忌,以為不出七年,當患火痰血光而亡。誰知是持刀將手足劃破,向一汪姓者訛作,至經官理論,大耗其財,而劃破之處,血流不止,精神逐日消乏,懨懨而亡。

丙辰年五月・丁巳日、我は人に代わりて一箇の丙寅年生・悪を作して肯んじて頭を回さざる人の最終に何の結局有るかを占す。日干の上は申を得、三伝は申・酉・戌、分別に六合・朱雀・螣蛇を乗る。申・酉の金より一路に火庫の戌に走り進み、本命の上にまた敗神を見、以て知るべし彼は必ず敗すること疑いなし。いわんやまた火鬼・火煞・死神・死気を帯び、本命の上の卯はまた血忌を充当す。我はこれに因りて七年を出でざるに、彼は痰火を害し血光を見て死せんと断定す。誰か知らん実情は竟に、彼は刀を拿りて自己の手脚を划破し、一箇の姓汪の人に訛詐し、鬧いで官に経て理論するに到り、大大に一笔の財を破り。しかして划破せし地方は血は流れて止まらず、精神は一天天に消耗し、この様に病恹恹として死せり。

課象は逐一に印証す:刀・血・手足と自戕と

予始悟申金發用,刀也;酉為小刀,亦為血也;酉戌相害,酉卯相沖,戌為足,卯為手,手足受傷也。初傳從干上發出,引出許多不美,自戕也。六合而變蛇雀也。申為官符殺,故具訟也。更異者,未沒之前數月好蹲於地,仰首視人,如犬之狀。每一外出,群犬嘗吠而齧之。此非戌為末傳墓干之故歟?因備記之,即作果報觀可也。

我はこれにてこそ逐一に課象の対応を悟出す。申金が発用すれば、これは刀なり。酉は小刀にしてまた血を主る。酉と戌とは相害し酉と卯とは相冲し、戌は脚を代表し卯は手を代表す、正に手脚の受傷に応ず。初伝は日干の上より発出し、許多の好からざる事を牽引し出づ、正にこれは自己が自己を傷るに応ず。六合は螣蛇・朱雀に転変す、これは和合より纏訟に変ずるなり。申はまた官符煞、ゆえに官司有り。さらに怪しきは、彼の未だ死なざるの前の数箇月に地の上に蹲るを好み、頭を仰ぎ起こして人を看、様子は狗に似たり。毎に門を出づれば、群を成すの狗は皆追いて彼を咬む――これは正に戌がすでに末伝にしてまた日干の墓なるが故の縁にあらずや。我はこれに因りてそれを詳細に記し下り、便ち一段の因果報応と看作して看るもまた未だ嘗て不可ならず。

鄭体功が邵公の断案を疏し、兼ねて《心鏡》を讐す

予友鄭體功先生長於考據之學,嘗取邵公斷案一一疏明其所以然,所疏應貢元一課尤為詳細,發人神智不淺,又讎《心鏡》全部遺予,揚州盧繼塘先生見之,欽佩不已。

我が朋友の鄭体功先生は考拠の学に擅長し、かつて邵彦和の断案を逐条に疏解し、一一にその然る所以を説明す、その中に疏せし「応貢元」のあの一課は尤も詳尽、甚だ能く人の神智を啓発す。彼はまた《心鏡》の全書を校勘し一遍して我に送れり、揚州の盧継塘先生は見て欽佩して已まざりき。

張継秀は三式に精し、阮元に両広総督を許す

張繼秀先生名維楨,戊申副貢,又塘其外號也。作文敏捷,頃刻而成一篇。專於天文,兼精三式之法,阮蕓薹先生為諸生時,向先生問終身,先生曾許為兩廣總督,今已如其言矣。而先生謙謙自下,以為當時未有此言。

張継秀先生の名は維楨、戊申科の副貢、「又塘」は彼の別号なり。彼は文を作ること敏捷にして、顷刻の間に便ち篇を成す。天文に専精し、また兼ねて三式の法に通ず。阮芸台(阮元)先生はなお生員たるの時、彼に一生の命运を問う、先生はかつて彼に将来は官は両広総督に至らんと許せり、如今は果してこの一句の話に応ぜり。しかして先生は人と為りて謙退・自抑し、ただ当時は並べてこの様の話を講ぜざりしと説くのみ。

団蕉墩が郷会試を占するを論ず:一端未だ善ならざれば即ち許すべからず

先生與泰州團蕉墩先生交好,團先生亦善六壬,嘗言:“占鄉試會試,課象雖吉,倘有一端未善,即不可許。”其繼塘先生曾舉以勖予,予按其說良,然當為人占得朱雀空亡而不得地者,年命上神沖剋朱雀者,占鄉試得木局者,占會試得金局者,干支並乘敗神者,縱然簾幕青龍諸吉入課傳,無益也。

先生は泰州の団蕉墩先生と交好し、団先生もまた六壬に擅長し、かつて言う。「郷試・会試を占するに、課象はたとい吉利なりとも、ただ一箇処の不妥有らば、便ち彼に中式を許すべからず。」継塘先生はかつてこの句の話を挙げて以て我を勉励せり。我が按ず。この話は極めて是なるを説く。我はかつて人に代わりて課を占し、凡そ朱雀が空亡に落ちてしかも地を得ざるのに遇い、年命の上神が朱雀を冲剋する、郷試を占して木局を得る、会試を占して金局を得る、日干・日支が一併に敗神を乗ずるのに遇えば、たとい簾幕の貴人・青竜のこれらの吉神・吉将が皆課伝に進み入れりとも、また全く用処なし。以て見るべし科名の一事は、最も課中に一箇処の敗笔を留むるを忌む、ただ好き処を揀みて看るべからざるなり。

六壬金口訣は方伝を主と為す、射覆・試験は皆験あり

六壬金口訣以方傳為主,觀其神將遁干而占吉凶,亦頗有驗,惜其下卷歌括不甚醒,故習之者殊少。昔者屏山大兄嘗以之射覆,似較大六壬為確。又嘗考試,但得天官不受傷而克遁干者,名曰官動,必取中,屢驗。近於繼塘先生處,見《鴉池經》一冊,亦非金口訣之辭也。

六壬金口訣は「方伝」を以て主と為し、その神将と遁干とを看て以て吉凶を占す、また頗る応験有り。可惜し下巻の歌訣は写して醒豁ならずと為すを足らず、ゆえにこれを学ぶ人は甚だ少し。従前に我が大哥の屏山はかつてそれを用いて射覆せり、似乎る大六壬よりもなお准なり。彼はまたそれを用いて試験を占し、ただ天官が傷を受けずして能く遁干を剋住するを得れば、之を「官動」と叫ぶ、必ず録取せん、屢試して屢験せり。近來我は継塘先生のあそこに於て一冊の《鴉池経》を見、書名はたとい近しとも、裏面はしかしまた金口訣の辞句にあらざるなり。

屏山が馬姓の流年を占す:駅馬が干を剋して跌撲煞を帯ぶ

金華府入詠門外有馬姓者,丙申年春向屏山大兄占流年,大兄曰:“此課極惡,夏日有跌撲之災。” 蓋驛馬克干,又帶跌撲煞也。馬姓司府中房科,府堂基甚立,階有數十級。一日馬姓者失足跌下,二便出血,舁歸,即云“奇哉!”

金華府の詠門の外に一箇の姓馬の人有り、丙申年の春天に我が大哥の屏山に流年を占す、大哥は言う。「この一課は極凶、夏天の裏に跌撲の災有らん。」課中の駅馬が日干を剋し、また跌撲煞を帯ぶるを以てなり。この馬姓は府衙の裏に房科の文書を執掌し、府堂の台基は甚だ高く、石階は几十級有り。ある日に彼は足を失して上面より摔り下り、大小便は皆血を出し、抬ばれて家に回去し、随即に便ち気を断ち絶えり。(底本の末の二字は「奇哉」と作す、語意は属せず、あたうべく「即歿」の類の訛字ならん。)

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