巻第七
考功名第二十一
考功名第二十一
考績之法,考其所積也。天道積聚眾精以為光;聖人積聚眾善以為功;故日月之明,非一精之光也;聖人致太平,非一善之功也。明所從生,不可為源,善所從出,不可為端,量勢立權,因事制義。故聖人之為天下興利也,其猶春氣之生草也,各因其生小大,而量其多少;其為天下除害也,若川瀆之寫於海也,各順其勢傾側,而制於南北;故異孔而同歸,殊施而鈞德,其趣於興利除害,一也。是以興利之要,在於致之,不在於多少;除害之要,在於去之,不在於南北。考績絀陟,計事除廢,有益者謂之公,無益者謂之煩,?名責實,不得虛言,有功者賞,有罪者罰,功盛者賞顯,罪多者罰重,不能致功,雖有賢名,不予之賞,官職不廢,雖有愚名,不加之罰,賞罰用於實,不用於名,賢愚在於質,不在於文,故是非不能混,喜怒不能傾,奸軌不能弄,萬物各得其冥,則百官勸職,爭進其功。
考績の法は、其の積聚する所を考うるなり。天道は衆精を積聚して以て光と為し、聖人は衆善を積聚して以て功と為す。故に日月の明は、一精の光に非ず。聖人の太平に達致するは、一善の功に非ず。明は何れの処より生ずるや、以て源頭と為すべからず。善は何れの処より出づるや、以て端緒と為すべからず。情勢を度量し權衡を建立して、事に因りて以て義を制定す。故に聖人は天下の為に利を興すこと、猶お春氣の草を生ずるが如く、各々其の生ずる所の小大に因りて、其の多少を量る。天下の為に害を除くこと、川瀆の大海中に瀉入るるが如く、各々地勢の傾側に順いて、南北に於て制約さる。故に孔穴同じからずして歸を同じくし、施与同じからずして德均し。利を興し害を除くに趨向するは一なり。故に利を興すの要約は利を送り到るに在りて、多少に在らず。害を除くの要約は去り到るに在りて、南北に在らず。考績黜陟は、事功を計算して以て廢事を除く。益有るを公と謂い、益無きを煩と謂う。名に循いて實際を責求して、空話を以て搪塞するを得ざらしむ。功有るは賞し、罪有るは罰す。功盛なるは賞顯れ、罪多きは罰重し。功勞を招致する能わざれば、賢名有ると雖も、亦賞を與えず。官職廢弛無ければ、愚名有ると雖も、亦罰を加えず。賞罰は實際に用いて、名に用いず。賢愚は質に在りて、文に在らず。故に是非は混淆する能わず、喜怒は傾側する能わず、奸軌は玩弄する能わず、万物各々其の所を得れば、則ち百官勉力して供職し、爭いて功勞を進獻す。
考試之法:大者緩,小者急;貴者舒,而賤者促。諸侯月試其國,州伯時試其部,四試而一考,天子歲試天下,三試而一考,前後三考而絀陟,命之曰計。
考試の法は、大なるは緩に、小なるは急に、貴なるは舒緩に、賤なるは急促なり。諸侯は每月其の國を考試し、州伯は每季其の部屬を考試し、四たび考試して一たびの考績と算す。天子は每年天下を考試し、三たび考試して一たびの考績と算す。前後三たび考績して然る後に黜陟し、命名して「計」と曰う。
考試之法,合其爵祿,並其秩,積其日,陳其實,計功量罪,以多除少,以名定實,先內弟之,其先比二三分,以為上中下,以考進退,然後外集,通名曰進退,增減多少,有率為弟,九分三三列之,亦有上中下,以一為最,五為中,九為殿,有餘歸之於中,中而上者有得,中而下者有負,得少者,以一益之,至於四,負多者,以四減之,至於一,皆逆行,三四十二,而成於計,得滿計者絀陟之,次次每計,各逐其弟,以通來數,初次再計,次次四計,各不失故弟,而亦滿計絀陟之。
考試の法は、爵祿を會合し、秩次を合并し、時日を積累し、實際を陳列し、功勞を計算し罪過を衡量して、多きを以て少なきを除き、名を以て實を確定す。先に内裏に等第を排し、先に比較して二三分に分けて、上・中・下と為し、以て進退を考う。然る後に外に於て汇总して、進退と通名す。増減多少して、比率有りて等第を為し、九分に分けて三三排列すれば、亦上・中・下有り。一を以て最と為し、五を以て中と為し、九を以て殿と為す。余有るは中に歸す。中以上は得有り、中以下は負有り。得少なきは、一を以て増益し、四に至る。負多きは、四を以て減じ、一に至る。皆等第に逆りて行く。三に四を乘じて十二を得て、「計」に成就す。得數「計」に滿つれば則ち黜陟す。一度毎に計に、各々等第に随いて、以て後來の數目を貫通す。初次の再計は、次に四計に、各々舊等第を失わず、亦「計」に滿つる時に黜陟す。
初次再計,謂上弟二也,次次四計,謂上弟三也,九年為一弟,二得九,幷去其六,為置三弟,六六得等,為置二,幷中者得三,盡去之,並三三計,得六,幷得一計,得六,此為四計也。絀者亦然。
初次再計とは、上等第の二を謂うなり。次の四計とは、上等第の三を謂うなり。九年を以て一等第と算す。二次九を得て、一併して六を去りて、三等第を設置す。六六等を得て、二を設置す。中の合併して三を得るを、全部去る。三三計を合併して六を得、得一計を合併して六を得。此れ即ち四計なり。黜退するも亦此くの如し。
通國身第二十二
通國身第二十二
氣之清者為精,人之清者為賢,治身者以積精為寶,治國者以積賢為道。身以心為本,國以君為主;精積於其本,則血氣相承受;賢積於其主,則上下相制使;血氣相承受,則形體無所苦;上下相制使,則百官各得其所;形體無所苦,然後身可得而安也;百官各得其所,然後國可得而守也。夫欲致精者,必虛靜其形;欲致賢者,必卑謙其身,形靜志虛者,精氣之所趣也;謙尊自卑者,仁賢之所事也。故治身者,務執虛靜以致精;治國者,務盡卑謙以致賢;能致精,則合明而壽;能致賢,則德澤洽而國太平。
氣の清きは精、人の清きは賢なり。身を治むるは精を積むを以て寶と為し、國を治むるは賢を積むを以て道と為す。身は心を以て本と為し、國は君を以て主と為す。精は本に積めば、則ち血氣相い承受す。賢は主に積めば、則ち上下相い制使す。血氣相い承受すれば、則ち形體に苦痛無し。上下相い制使すれば、則ち百官各々其の所を得。形體に苦痛無くして、然る後に身は得て安んずべし。百官各々其の所を得て、然る後に國は得て守るべし。精を致さんと要するは、必ず形を虚靜ならしむ。賢を致さんと要するは、必ず自身を謙卑ならしむ。形靜にして志向虚は、精氣の趨向する所なり。尊きを謙じて自ら卑に處るは、仁賢の事奉する所なり。故に身を治むる人は、務めて虚靜を執持して以て精を致さんと求む。國を治むる人は、務めて其の謙卑を盡くして以て賢を致さんと求む。能く精を致せば、則ち明と相合して長壽す。能く賢を致せば、則ち德澤洽合して國太平なり。
三代改制質文第二十三
三代改制質文第二十三
春秋曰:“王正月。”傳曰:“王者庸謂?謂文王也。曷為先言王而後言正月?王正月也。何以謂之王正月?曰:王者必受命而後王,王者必改正朔,易服色,制禮樂,一統於天下,所以明易姓非繼人,通以己受之於天也。王者受命而王,制此月以應變,故作科以奉天地,故謂之王正月也。王者改制作科奈何?曰:當十二色,歷各法而正色,逆數三而復,絀三之前,曰五帝,帝迭首一色,順數五而相復,禮樂各以其法象其宜,順數四而相復,鹹作國號,頡宮邑,易官名,制禮作樂。故湯受命而王,應天變夏,作殷號,時正白統,親夏、故虞,絀唐,謂之帝堯,以神農為赤帝,作宮邑於下洛之陽,名相官曰尹,作濩樂、制質禮以奉天。文王受命而王,應天變殷,作周號,時正赤統,親殷、故夏,絀虞,謂之帝舜,以軒轅為黃帝,推神農以為九皇,作宮邑於豐,名相官曰宰,作武樂、制文禮以奉天。武王受命,作宮邑於鄗,制爵五等,作象樂,繼文以奉天。周公輔成王受命,作宮邑於洛陽,成文武之制,作汋樂以奉天。殷湯之後稱邑,示天之變反命,故天子命無常,唯命是德慶。故春秋應天作新王之事,時正黑統,王魯,尚黑,絀夏、親周、故宋,樂宜親招武,故以虞錄親,樂制宜商,合伯子男為一等。然則其略說奈何?曰:三正以黑統初,正日月朔於營室,鬥建寅,天統氣始通化物,物見萌達,其色黑,故朝正服黑,首服藻黑,正路輿質黑,馬黑,大節綬幘尚黑,旗黑,大寶玉黑,郊牲黑,犧牲角卵,冠於阼,昏禮逆於庭,喪禮殯於東階之上,祭牲黑牡,薦尚肝,樂器黑質,法不刑有懷任新產,是月不殺,聽朔廢刑發德,具存二王之後也,親赤統,故日分平明,平明朝正。正白統奈何?
『春秋』に曰く、「王正月。」傳曰く、「王とは誰を指すや。文王を指す。何の故に先に王を說き後に正月を說くや。王の正月なればなり。何の故に王正月と謂うや。曰く、王者は必ず先に天命を承受して然る後に乃ち王と為る。王者は必ず正朔を改正し、衣服の顏色を改換し、禮樂を制定して、天下をして一統せしめ、以て姓氏の改換は前の一人を繼承するに非ずして、自ら天より承受して來れるを表明せんとす。王者は命を受けて王と為り、此の月を制定して以て變化に應ず。故に科條を制定して以て天地に奉事す。故に王正月と謂うなり。王者の制度を改め科條を作るは如何。曰く、十二色に對して、各代の歷法各々法を取りて以て正色を確定し、數に逆りて三にして一循環す。三代以前を黜退するを五帝と謂い、五帝更迭して、各々一色を以て首と為し、數に順いて五にして又循環す。禮樂各々其の法を以て象を取りて宜しき處にして、數に順いて四にして又循環す。皆國號を制定し、宮邑を遷徙し、官名を改易し、禮を制し樂を作せよ。故に湯命を受けて王と為り、天に應じて夏を改變し、殷此の國號を作り、時に白統を以て正と為し、夏を親しみ虞を以て故と為し、唐を黜退して、之を帝堯と稱し、神農を以て赤帝と為し、下洛の陽に宮邑を建造し、宰相の官を尹と曰い、『濩』樂を作り質禮を制定して以て天に奉たり。文王命を受けて王と為り、天に應じて殷を改變し、周此の國號を作り、時に赤統を以て正と為し、殷を親しみ夏を以て故と為し、虞を黜退して、之を帝舜と稱し、軒轅を以て黃帝と為し、神農を推して九皇と為し、豐に宮邑を建造し、宰相の官を宰と曰い、『武』樂を作り文禮を制定して以て天に奉たり。武王命を受け、鄗に宮邑を建造し、爵を制定して五等と為し、『象』樂を作り、文王を繼承して以て天に奉たり。周公は成王を輔佐して命を受け、洛陽に宮邑を建造し、文王・武王の制度を成就し、『汋』樂を作りて以て天に奉たり。殷湯の後嗣は邑と稱して、天の改變・天命の反復を表示す。故に天子の命に常規無く、唯だ命を德有りて慶すべきに與える而已。故に『春秋』は天に應じて以て新王の事を做す。時に黑統を以て正と為し、魯を以て王と為し、黑を崇尚し、夏を黜退し、周を親しみ、宋を以て故と為す。樂は『韶』『武』を親しむに宜しく、故に虞を以て錄して親と為す。樂制は商聲を用うに宜しく、伯・子・男を合わせて一等と為す。然らば其の大略は如何。曰く、三正は黑統より始まり、日月の合朔を營室に定め、斗柄は寅に建てり。天統の氣始めて流通して萬物を化生し、物は萌芽を顯して發達す。其の顏色黑なり。故に朝正するに衣服黑を用い、頭上の冠飾藻は黑を用い、正路の車質は黑を用い、馬は黑を用い、大節の綬と帻は黑を崇尚し、旗は黑を用い、大寶玉は黑を用い、郊祭の牲は黑を用い、犧牲の角は卵の如く小なり。冠禮は阼階に於て舉行し、婚禮は庭中に於て迎接し、喪禮は東階の上に殯を停め、祭牲は黑牡を用い、進獻は肝を以て尚と為し、樂器の質は黑を用い。法は身孕む及び新たに產する有るに刑を施さず。此の月は殺さず、朔を聽くに刑罰を廢止して德を發揚し、二王の後嗣を完备に存留す。赤統を親しむに因りて、日の分界は平明に在りて、平明に朝正を舉行す。正白統は又如何。
曰:正白統者,歷正日月朔於虛,鬥建醜,天統氣始蛻化物,物初芽,其色白,故朝正服白,首服藻白,正路輿質白,馬白,大節綬幘尚白,旗白,大寶玉白,郊牲白,犧牲角繭,冠於堂,昏禮逆於堂,喪事殯於楹柱之間,祭牲白牡,薦尚肺,樂器白質,法不刑有身懷任,是月不殺,聽朔廢刑發德,具存二王之後也,親黑統,故日分鳴晨,鳴晨朝正。正赤統奈何?曰:正赤統者,歷正日月朔於牽牛,鬥建子,天統氣始施化物,物始動,其色赤,故朝正服赤,首服藻赤,正路輿質赤,馬赤,大節綬幘尚赤,旗赤,大寶玉赤,郊牲騂,犧牲角栗,冠於房,昏禮逆於戶,喪禮殯於西階之上,祭牲騂牡,薦尚心,樂器赤質,法不刑有身,重懷藏以養微,是月不殺,聽朔廢刑發德,具存二王之後也,親白統,故日分夜半,夜半朝正。改正之義,奉元而起,古之王者受命而王,改制稱號正月,服色定,然後郊告天地及群神,遠追祖禰,然後布天下,諸侯廟受,以告社稷宗廟山川,然後感應一其司,三統之變,近夷遐方無有生煞者,獨中國,然而三代改正,必以三統天下,曰:三統五端,化四方之本也,天始廢始施,地必待中,是故三代必居中國,法天奉本,執端要以統天下,朝諸侯也。是以朝正之義,天子純統色衣,諸侯統衣纏緣紐,大夫士以冠參,近夷以綏,遐方各衣其服而朝,所以明乎天統之義也。其謂統三正者,曰:正者、正也,統致其氣,萬物皆應而正,統正,其餘皆正,凡歲之要,在正月也,法正之道,正本而末應,正內而外應,動作舉錯,靡不變化隨從,可謂法正也,故君子曰:“武王其似正月矣。”春秋曰:“杞伯來朝。”王者之後稱公,杞何以稱伯?春秋上絀夏,下存周,以春秋當新王。春秋當新王者奈何?曰:王者之法必正號,絀王謂之帝,封其後以小國,使奉祀之;
曰く、正白統は、歷法は日月の合朔を虚宿に定め、斗柄は丑に建てり。天統の氣始めて蛻變して萬物を化生し、物は剛く發芽す。其の顏色白なり。故に朝正するに衣服白を用い、頭上の冠飾藻は白を用い、正路の車質は白を用い、馬は白を用い、大節の綬と帻は白を崇尚し、旗は白を用い、大寶玉は白を用い、郊祭の牲は白を用い、犧牲の角は繭の如くなり。冠禮は堂上に於て舉行し、婚禮は堂上に於て迎接し、喪事は楹柱の間に殯を停め、祭牲は白牡を用い、進獻は肺を以て尚と為し、樂器の質は白を用い。法は身孕む有るに刑を施さず。此の月は殺さず、朔を聽くに刑罰を廢止して德を發揚し、二王の後嗣を完备に存留す。黑統を親しむに因りて、日の分界は鷄鳴に在りて、鷄鳴に朝正を舉行す。正赤統は又如何。曰く、正赤統は、歷法は日月の合朔を牽牛に定め、斗柄は子に建てり。天統の氣始めて施布して萬物を化生し、物始めて動く。其の顏色赤なり。故に朝正するに衣服赤を用い、頭上の冠飾藻は赤を用い、正路の車質は赤を用い、馬は赤を用い、大節の綬と帻は赤を崇尚し、旗は赤を用い、大寶玉は赤を用い、郊祭の牲は騂を用い、犧牲の角は栗子の如くなり。冠禮は房中に於て舉行し、婚婚禮は戶に於て迎接し、喪禮は西階の上に殯を停め、祭牲は騂牡を用い、進獻は心を以て尚と為し、樂器の質は赤を用い。法は身有る人に刑を施さず。懷藏を重くして以て微細の生命を養護す。此の月は殺さず、朔を聽くに刑罰を廢止して德を發揚し、二王の後嗣を完备に存留す。白統を親しむに因りて、日の分界は夜半に在りて、夜半に朝正を舉行す。正を改むるの義は、元を奉て以て興る。古の王者は命を受けて王と為り、制度を改め稱號を改め正月を改正し、服色確定して、然る後に郊祭して天地及び群神に稟告し、遠く祖禰を追念して、然る後に天下に頒布す。諸侯は廟中に於て接受し、以て社稷・宗廟・山川に稟告して、然る後に感應し、其の職司を統一す。三統の變化は、近處の夷と遠方と生殺を靠らずして治理する無きは、唯だ中國此くの如し。然るに三代の正を改むるは、必ず三統を以て天下を統す。曰く、三統・五端は、四方を教化するの根本なり。天は始めて廢し始めて施し、地は必ず中に居るを待つ。故に三代は必ず中國に居して、天に取法し本を奉持し、端要を執持して以て天下を統し諸侯に朝見せしむ。故に朝正の義は、天子は純に統色を以て衣服を做り、諸侯は統色の衣に纏繞の緣と紐とを加え、大夫・士は冠を以て參配し、近處の夷は綏を用い、遠方は各々自らの衣服を著て朝し、以て天統の義を彰明す。所謂三正を統ぶとは、曰く、正は即ち端正なり。統其の氣を送り到らしむれば、萬物皆響應して正なり。統正しければ、其の余皆正し。一年の要約は正月に在り。正の道に取法するは、本正しければ末響應し、內正しければ外響應し、動作擧措跟從して變化せざる無し。以て法正と謂うべし。故に君子曰く、「武王は猶お正月のごとしかな。」『春秋』に曰く、「杞伯來朝。」王者の後嗣は公と稱す。杞何の故に伯と稱するや。『春秋』は上は夏を黜退し、下は周を存留し、『春秋』を以て新王と為す。『春秋』を以て新王と為すは如何。曰く、王者の法は必ず名號を端正し、前代の王を黜退して帝と稱し、其の後嗣に小國を封じて、祭祀を奉せしむ。
下存二王之後以大國,使服其服,行其禮樂,稱客而朝;故同時稱帝者五,稱王者三,所以昭五端,通三統也。是故周人之王,尚推神農為九皇,而改號軒轅,謂之黃帝,因存帝顓頊、帝嚳、帝堯之帝號,絀虞,而號舜曰帝舜,錄五帝以小國;下存禹之後於杞,存湯之後於宋,以方百里,爵號公,皆使服其服,行其禮樂,稱先王客而朝。春秋作新王之事,變周之制,當正黑統,而殷周為王者之後,絀夏,改號禹謂之帝,錄其後以小國,故曰:絀夏、存周,以春秋當新王。不以杞侯,弗同王者之後也;稱子又稱伯何?見殊之小國也。黃帝之先諡,四帝之後諡何也?曰:帝號必存五,帝代首天之色,號至五而反,周人之王,軒轅直首天黃號,故曰黃帝雲;帝號尊而諡卑,故四帝后諡也。帝,尊號也,錄以小何?曰:遠者號尊而地小,近者號卑而地大,親疏之義也。故王者有不易者、有再而復者、有三而復者、有四而復者、有五而復者、有九而復者,明此通天地、陰陽、四時、日月、星辰、山川、人倫,德侔天地者,稱皇帝,天佑而子之,號稱天子。故聖王生則稱天子,崩頡則存為三王,絀滅則為五帝,下至附庸,絀為九皇,下極其為民,有一謂之三代,故雖絕地,廟位祝牲,猶列於郊號,宗於代宗,故曰:聲名魂魄施於虛,極壽無疆。何謂再而復,四而復?春秋鄭忽何以名?春秋曰:“伯子男一也,辭無所貶。”何以為一?曰:周爵五等,春秋三等。春秋何三等?曰:王者以制,一商一夏,一質一文,商質者主天,夏文者主地,春秋者主人,故三等也。主天法商而王,其道佚陽,親親而多仁樸;故立嗣予子,篤母弟,妾以子貴;昏冠之禮,字子以父,別眇夫婦,對坐而食;喪禮別葬;祭禮先臊,夫妻昭穆別位;制爵三等,祿士二品;制郊宮,明堂員,其屋高嚴侈員;
下は大國を以て二王の後嗣を存留して、自らの服を服し自らの禮樂を行わしめ、客と稱して朝し來らしむ。故に同時に帝と稱する者五位有り、王と稱する者三位有り、以て五端を昭明にし三統を貫通す。故に周人得て王と為るを以て、上は神農を推して九皇と為し、而して軒轅の名號を改めて、黃帝と稱す。因りて帝顓頊・帝嚳・帝堯の帝號を保存し、虞を黜退して、而して舜を帝舜と稱し、小國を以て五帝を錄存す。下は禹の後嗣を杞に存め、湯の後嗣を宋に存め、地方百里、爵號公と為して、皆自らの服を服し自らの禮樂を行わしめ、先王の客と稱して朝し來らしむ。『春秋』の新王の事を做すは、周の制度を改變して、當に黑統を以て正と為すべく、而して殷・周を王者の後嗣と為し、夏を黜退し、禹の名號を改めて帝と稱し、小國を以て其の後嗣を錄存す。故に曰く、夏を黜退し周を存留し、『春秋』を以て新王と為す、と。杞を侯と為さずは、之を王者の後嗣に等しくせざるなり。子と稱し又伯と稱するは、何の故ぞや。是れ之を區別對待せらるる小國たるを顯出せんと欲すればなり。黃帝の諡は名の前に在り、四帝の諡は名の後に在るは、何の故ぞや。曰く、帝號は必ず五位を存留し、帝は更迭して天の色を以て首と為し、號は五に至りて返回す。周人得て王と為るを以て、軒轅正に天の黃色の首の號に當れり。故に黃帝と稱す。帝號は尊くして諡は卑し。故に四帝は諡を後に置く。帝は尊號なれども、小國を以て錄存するは、何の故ぞや。曰く、遠きは號尊くして地小さく、近きは號卑くして地大なり。此れ親疎の義なり。故に王者に改易すべからざる有り、二次一循環有り、三次一循環有り、四次一循環有り、五次一循環有り、九次一循環有り。此れを明白にすれば天地・陰陽・四時・日月・星辰・山川・人倫を貫通す。德天地と相配するは、皇帝と稱し、天之を保祐して子と為し、號して天子と曰う。故に聖王生きて天子と稱し、崩逝して後に存留して三王と為り、再び黜滅すれば則ち五帝と為り、再び下りて附庸と為り、黜して九皇と為り、再び下りて極盡すれば則ち民と為る。一輩有りて三代と稱す。故に土地斷絶すと雖も、廟位・祝辭・祭牲は、仍お郊の名號の中に列り、岱宗に宗す。故に曰く、聲名魂魄は虚空に施し、壽命に盡頭無し、と。何をか二次一循環・四次一循環と謂う。『春秋』の中鄭忽は何の故に名と稱するや。『春秋』に曰く、「伯・子・男は一等、文辭に貶抑無し。」何の故に一等と算するや。曰く、周の爵は五等、『春秋』は三等なり。『春秋』何の故に三等なるや。曰く、王者の以て制度と為す所は、一は商・一は夏、一は質・一は文なり。商の質は天を主とし、夏の文は地を主とし、『春秋』は人を主とす。故に三等なり。天を主として商に取法して王と為るは、其の道は陽に偏し、親を親しみて仁樸多し。故に後嗣を立てて子に與え、同母弟を厚く待し、妾は子に凭りて貴し。婚禮・冠禮は、子に字を取るに父に依從し、夫婦を分別し、對坐して食す。喪禮は分かちて埋葬す。祭禮は先に腥氣有るの祭品を用い、夫妻は昭穆位を分別す。爵を制定して三等と為し、祿士は二品と為し、郊宮を制定し、明堂は圓形を用い、房屋は高峻侈大にして圓なり。
惟祭器員,玉厚九分,白藻五絲,衣制大上,首服嚴員;鸞輿尊,蓋法天列象,垂四鸞,樂載鼓,用錫舞,舞溢員;先毛血而後用聲;正刑多隱,親戚多諱;封禪於尚位。主地法夏而王,其道進陰,尊尊而多義節,故立嗣與孫,篤世子,妾不以子稱貴號;昏冠之禮,字子以母,別眇夫婦,同坐而食;喪禮合葬;祭禮先亨,婦從夫為昭穆;制爵五等,祿士三品;制郊宮,明堂方,其屋卑汙方,祭器方,玉厚八分,白藻四絲,衣制大下,首服卑退;鸞輿卑,法地周象載,垂二鸞,樂設鼓,用纖施舞,舞溢方;先亨而後用聲;正刑天法;封壇於下位。主天法質而王,其道佚陽,親親而多質愛,故立嗣予子,篤母弟,妾以子貴;昏冠之禮,字子以父,別眇夫婦,對坐而食;喪禮別葬,祭禮先嘉疏,夫婦昭穆別位;制爵三等,祿士二品;制郊宮,明堂內員外橢,其屋如倚靡員橢,祭器橢,玉厚七分,白藻三絲;衣長前衽,首服員轉;鸞輿尊,蓋備天列象,垂四鸞,樂桯鼓,用羽鑰舞,舞溢橢,先用玉聲而後烹;正刑多隱,親戚多赦;封壇於左位。主地法文而王,其道進陰,尊尊而多禮文,故立嗣予孫,篤世子,妾不以子稱貴號;昏冠之禮,字子以母,別眇夫妻,同坐而食;喪禮合葬,祭禮先秬鬯,婦從夫為昭穆;制爵五等,祿士三品;制郊宮,明堂內方外衡,其屋習而衡,祭器衡同,作秩機,玉厚六分,白藻三絲;衣長後衽,首服習而垂流,鸞輿卑,備地周象載,垂二鸞,樂縣鼓,用萬舞,舞溢衡;先烹而後用樂,正刑天法,封壇於左位。
唯だ祭器のみ圓なり、玉厚九分、白藻は五絲を用い、衣服の形制は上寛大にして、頭上の冠服は嚴整にして圓なり。鸞車尊く高く、車蓋は天に取法して星象を羅列し、四の鸞鈴を垂らし、樂は載鼓を用い、錫舞を用い、佾の行列は圓なり。先に毛血を獻じて然る後に樂聲を用う。正刑は隱れて顯われざる多く、親戚に對しては忌避する多し。封禪は上位に在り。地を主として夏に取法して王と為るは、其の道は陰に進み、尊を尊んで義節多し。故に後嗣を立てて孫に與え、世子を厚く待し、妾は子に凭りて貴號を稱せず。婚禮・冠禮は、子に字を取るに母に依從し、夫婦を分別し、同坐して食す。喪禮は合葬す。祭禮は先に烹熟して、婦は夫に從いて昭穆を定む。爵を制定して五等と為し、祿士は三品と為し、郊宮を制定し、明堂は方形を用い、房屋は卑下污濕にして方なり。祭器は方、玉厚八分、白藻は四絲を用い、衣服の形制は下寛大にして、頭上の冠服は卑退なり。鸞車は卑下にして、地に取法し周圍に載に取象し、二の鸞鈴を垂らし、樂は鼓を陳設し、纖施舞を用い、佾の行列は方なり。先に烹熟して然る後に樂聲を用う。正刑は天に取法す。封壇は下位に在り。天を主として質に取法して王と為るは、其の道は陽に偏し、親を親しみて質愛多し。故に後嗣を立てて子に與え、同母弟を厚く待し、妾は子に凭りて貴し。婚禮・冠禮は、子に字を取るに父に依從し、夫婦を分別し、對坐して食す。喪禮は分かちて埋葬し、祭禮は先に嘉疏を用い、夫婦昭穆位を分別す。爵を制定して三等と為し、祿士は二品と為し、郊宮を制定し、明堂は内圓外楕、房屋は倚靡の如く圓にして楕、祭器は楕、玉厚七分、白藻は三絲を用い。衣服の前の襟長く、頭上の冠服は圓轉なり。鸞車尊く高く、車蓋は完备に天に取法し星象を羅列し、四の鸞鈴を垂らし、樂は桯鼓を用い、羽籥舞を用い、佾の行列は楕なり。先に玉聲を用いて然る後に烹熟す。正刑は隱れて顯われざる多く、親戚に對しては赦免する多し。封壇は左位に在り。地を主として文に取法して王と為るは、其の道は陰に進み、尊を尊んで禮文多し。故に後嗣を立てて孫に與え、世子を厚く待し、妾は子に凭りて貴號を稱せず。婚禮・冠禮は、子に字を取るに母に依從し、夫妻を分別し、同坐して食す。喪禮は合葬し、祭禮は先に秬鬯を用い、婦は夫に從いて昭穆を定む。爵を制定して五等と為し、祿士は三品と為し、郊宮を制定し、明堂は内方外衡、房屋は重疊にして衡、祭器も衡なり。秩機を制作し、玉厚六分、白藻は三絲を用い。衣服の後の襟長く、頭上の冠服は重疊にして流苏を垂らす。鸞車は卑下にして、完备に地に取法し周圍に載に取象し、二の鸞鈴を垂らし、樂は懸鼓を用い、萬舞を用い、佾の行列は衡なり。先に烹熟して然る後に樂を用い、正刑は天に取法し、封壇は左位に在り。
四法修於所故,祖於先帝,故四法如四時然,終而復始,窮則反本,四法之天,施符授聖人王法,則性命形乎先祖,大昭乎王君。故天將授舜,主天法商而王,祖錫姓為姚氏,至舜形體,大上而員首,而明有二童子,性長於天文,純乎孝慈。天將授禹,主地法夏而王,祖錫姓為姒氏,至禹生髮於背,形體長,長足肵,疾行先左,隨以右,勞左佚右也,性長於行,習地明水。天將授湯,主天法質而王,祖錫姓為子氏,謂契母吞玄鳥卵生契,契先發於,性長於人倫,至湯體長專小,足左扁而右便,勞右佚左也,性長於天光,質易純仁。天將授文王,主地法文而王,祖錫姓姬氏,謂后稷母姜原,履天之跡,而生后稷,后稷長於邰土,播田五穀,至文王形體博長,有四乳而大足,性長於地文勢。故帝使禹皋論姓,知殷之德,陽德也,故以子為姓;知周之德,陰德也,故以姬為姓;故殷王改文,以男書子,周王以女書姬。故天道各以其類動,非聖人庸能明之!
四法は從來する所の故に於て修習し、先帝を祖述す。故に四法は四時の如く、終わりて復た始まり、窮盡すれば即ち本に返る。四法は天より出づ。天は符を聖人に授けて以て王の法と為す。是に於て性命は先祖に成形し、大大に王君に昭顯さる。故に天將に命を舜に授けんとすれば、之をして天を主とし商に取法して王と為さしめ、祖上に姓を姚氏と賜う。舜に至りては、形體は上寛大にして頭圓く、眼裏に瞳人二つ有り、性は天文に長じ、純粹に孝慈なり。天將に命を禹に授けんとすれば、之をして地を主とし夏に取法して王と為さしめ、祖上に姓を姒氏と賜う。禹に至りては、背部より生出して、形體長く、足の小腿長く、快走すれば先ず左足を邁ぎ、再び右足に随い、左を勞し右を逸す。性は行走に長じ、地を熟習して水に明るし。天將に命を湯に授けんとすれば、之をして天を主とし質に取法して王と為さしめ、祖上に姓を子氏と賜う。曰く契の母は玄鳥の卵を呑みて契を生み、契は先に出現す。性は人倫に長ず。湯に至りては、身體長くして專小、左足扁にして右足便利、右を勞し左を逸す。性は天光に長じ、質地平易にして純粹に仁なり。天將に命を文王に授けんとすれば、之をして地を主とし文に取法して王と為さしめ、祖上に姓を姬氏と賜う。曰く后稷の母姜原、天の足迹を踩みて、后稷を生む。后稷は邰土に於て成長し、田裏に五穀を播種す。文王に至りては、形體寬博にして長く、乳四つ有り足大なり。性は地の文勢に長ず。故に帝は禹・皋陶をして姓を論定せしめ、殷の德は陽德なるを知りて、「子」を以て姓と為し、周の德は陰德なるを知りて、「姬」を以て姓と為す。故に殷王は文字を改め、男旁を用いて「子」を寫し、周王は女旁を用いて「姬」を寫す。故に天道各々其の類に按じて動く。聖人に非ざれば、誰か能く此れを明白にせん。
官制象天第二十四
官制象天第二十四
王者制官:三公、九卿、二十七大夫、八十一元士,凡百二十人,而列臣備矣。吾聞聖王所取,儀金天之大經,三起而成,四轉而終,官制亦然者,此其儀與!三人而為一選,儀於三月而為一時也;四選而止,儀於四時而終也。三公者、王之所以自持也,天以三成之,王以三自持,立成數以為植,而四重之,其可以無失矣,備天數以參事,治謹於道之意也,此百二十臣者,皆先王之所與直道而行也。是故天子自參以三公,三公自參以九卿,九卿自參以三大夫,三大夫自參以三士,三人為選者四重,自三之道以治天下,若天之四重,自三之時以終始歲也,一陽而三春,非自三之時與!而天四重之,其數同矣。天有四時,時三月;王有四選,選三臣;是故有孟、有仲、有季,一時之情也;有上、有下、有中,一選之情也;三臣而為一選,四選而止,人情盡矣。人之材固有四選,如天之時固有四變也;聖人為一選,君子為一選,善人為一選,正人為一選,由此而下者,不足選也;四選之中,各有節也;是故天選四堤,十二而人變盡矣;盡人之變,合之天,唯聖人者能之,所以立王事也。何謂天之大經?三起而成日,三日而成規,三旬而成月,三月而成時,三時而成功;寒暑與和,三而成物;日月與星,三而成光;天地與人,三而成德;由此觀之,三而一成,天之大經也。以此為天制,是故禮三讓而成一節,官三人而成一選,三公為一選,三卿為一選,三大夫為一選,三士為一選,凡四選三臣,應天之制,凡四時之三月也。是故其以三為選。取諸天之經;其以四為制,取諸天之時;其以十二臣為一條,取諸歲之度;其至十條而止,取之天端。何謂天之端?
王者の官職を制定するや、三公・九卿・二十七大夫・八十一元士、合わせて一百二十人、列臣即ち完备なり。我聞く、聖王の取法する所は、儀法は天の大經なり。三たび興して成就し、四たび周轉して終結す。官制も亦此くの如し。此れ即ち其の儀法ならん。三人以て一選を成すは、三ヶ月以て一時を成すに儀法す。四選して止まるは、四時以て終結するに儀法す。三公は、王の自ら持守するに用うるなり。天は三を以て成就し、王は三を以て自ら持守す。成數を立てて植幹と為し、再び四重に重疊すれば、以て過失無からん。天數を完备して以て事を參驗するは、治理の道に謹慎するの意なり。此の一百二十臣は、皆先王の之と直道を行う者なり。故に天子は三公を以て自らを參佐し、三公は九卿を以て自らを參佐し、九卿は三大夫を以て自らを參佐し、三大夫は三士を以て自らを參佐す。三人選を成すの四重に重疊するは、「三」の道に從りて天下を治む。猶お天の四重に重疊して「三」の時に從りて一年を終始するがごとし。一陽にして三春有るは、「三」の時に從るに非ずや。而して天の四重に重疊するは、數目相同じ。天に四時有り、每時三ヶ月。王に四選有り、每選三臣。故に孟有り仲有り季有るは、一時の情實なり。上有り下有り中有るは、一選の情實なり。三臣以て一選を成し、四選して止まれば、人情則ち盡きる。人の材は本より四選有り。猶お天の時本より四變有るがごとし。聖人は一選と為し、君子は一選と為し、善人は一選と為し、正人は一選と為す。此れより以下は、選に入るに足らず。四選の中は、各々節度有り。故に天は四堤を選取して、十二に至りて人の變化盡きる。人の變化を盡くして、之を天に合せば、唯だ聖人のみ能く到る。故に以て王事を建立す。何をか天の大經と謂う。三たび興して以て一日を成し、三日以て一規を成し、三旬以て一月を成し、三月以て一時を成し、三時以て功を成す。寒・暑と和との三者以て物を成し、日・月と星との三者以て光を成し、天・地と人との三者以て德を成す。此れより観れば、三にして一を成就するは、天の大經なり。此れを以て天の制度と為す。故に禮は三たび謙讓して以て一節を成し、官は三人以て一選を成す。三公は一選と為し、三卿は一選と為し、三大夫は一選と為し、三士は一選と為す。合わせて四選、每選三臣、天の制度に應じて、正に四時の三ヶ月なり。故に三を以て選と為すは、之を天の經より取るなり。四を以て制と為すは、之を天の時より取るなり。十二臣を以て一條と為すは、之を歲の度より取るなり。十條に至りて止まるは、之を天の端より取るなり。何をか天の端と謂う。
曰:天有十端,十端而止已,天為一端,地為一端,陰為一端,陽為一端,火為一端,金為一端,木為一端,水為一端,土為一端,人為一端,凡十端而畢,天之數也。天數畢於十,王者受十端於天,而一條之率,每條一端以十二時,如天之每終一歲以十二月也,十者,天之數也,十二者,歲之度也,用歲之度,條天之數,十二而天數畢,是故終十歲而用百二十月,條十端亦用百二十臣,以率被之,皆合於天,其率三臣而成一慎,故八十一元士為二十七慎,以持二十七大夫,二十七大夫為九慎,以持九卿,九卿為三慎,以持三公,三公為一慎,以持天子,天子積四十慎,以為四選,選一慎三臣,皆天數也。是故以四選率之,則選三十人,三四十二,百二十人,亦天數也;以十端四選,十端積四十慎,慎三臣,三四十二,百二十人,亦天數也;以三公之勞率之,則公四十人,三四十二,百二十人,亦天數也。故散而名之,為百二十臣,選而賓之,為十二長,所以名之雖多,莫若謂之四選十二長,然而分別率之,皆有所合,無不中天數者也。求天數之微,莫若於人,人之身有四肢,每肢有三節,三四十二,十二節相持,而形體立矣;天有四時,每一時有三月,三四十二,十二月相受,而歲數終矣;官有四選,每一選有三人,三四十二,十二臣相參,而事治行矣;以此見天之數,人之形,官之制,相參相得也,人之與天多此類者,而皆微忽,不可不察也。天地之理,分一歲之變,以為四時,四時亦天之四選已,是故春者,少陽之選也,夏者,太陽之選也,秋者,少陰之選也,冬者,太陰之選也,四選之中,各有孟仲季,是選之中有選,故一歲之中有四時,一時之中有三長,天之節也。
曰く、天に十端有り、十端して止まる。天は一端と為し、地は一端と為し、陰は一端と為し、陽は一端と為し、火は一端と為し、金は一端と為し、木は一端と為し、水は一端と為し、土は一端と為し、人は一端と為す。合わせて十端して畢わる。是れ天の數なり。天數は十に畢わる。王者は天より十端を接受して、一條の比率に按ず。每條一端は十二時を配す。猶お天の每たび一歲を過るに十二ヶ月を用うるがごとし。十は天の數、十二は歲の度なり。歲の度を以て天の數を條理して、十二に至りて天數畢わる。故に十歲を過るに一百二十ヶ月を用い、十端を條理するも一百二十臣を用う。此の比率を以て覆うれば、皆天に合す。其の比率は三臣以て一慎を成す。故に八十一元士は二十七慎を成して、以て二十七大夫を持守す。二十七大夫は九慎を成して、以て九卿を持守す。九卿は三慎を成して、以て三公を持守す。三公は一慎を成して、以て天子を持守す。天子は四十慎を積聚して、以て四選と為す。每一選は一慎三臣、皆天數なり。故に四選に按じて計算すれば、則ち每選三十人、三に四を乘じて十二を得、一百二十人、亦天數なり。十端四選に按ずれば、十端積成して四十慎、每慎三臣、三に四を乘じて十二を得、一百二十人、亦天數なり。三公の勞績に按じて計算すれば、則ち公此の一級は四十人、三に四を乘じて十二を得、一百二十人、亦天數なり。故に分散して命名すれば、一百二十臣なり。選拔して賓禮すれば、十二長なり。以て命名するは多しと雖も、四選十二長と稱するに如かず。然るに分かちて計算すれば、合する所有り、中天數せざる無し。天數の微細を求むるは、人の身上より求むるより好きは莫し。人の身に四肢有り、每肢に三節有り、三に四を乘じて十二を得、十二節相い持守して、形體則ち立つ。天に四時有り、每一時に三月有り、三に四を乘じて十二を得、十二月相い授受して、歲の數則ち終わる。官に四選有り、每一選に三人有り、三に四を乘じて十二を得、十二臣相い參佐して、事の治理則ち施行さる。此れに由りて天の數・人の形・官の制の相い參驗し相い得宜するを見る。人と天とは此の類の相合する多し。然るに皆微細恍惚にして、審察せざるべからず。天地の理は、一、一歲の變化を分かちて、以て四時と為す。四時は即ち天の四選なり。故に春は少陽の選、夏は太陽の選、秋は少陰の選、冬は太陰の選なり。四選の中は、各々孟・仲・季有り。此れ選の中に又選有り。故に一歲の中に四時有り、一時の中に三長有り。是れ天の節なり。
人生於天,而體天之節,故亦有大小厚薄之變,人之氣也,先王因人之氣,而分其變,以為四選,是故三公之位,聖人之選也,三卿之位,君子之選也,三大夫之位,善人之選也,三士之位,正直之選也,分人之變,以為四選,選立三臣,如天之分歲之變,以為四時,時有三節也;天以四時之選,與十二節相和而成歲,王以四位之選,與十二臣相砥礪而致極,道必極於其所至,然後能得天地之美也。
人は天に生まれて、天の節に取法す。故に亦大小厚薄の變化有り。此れ人の氣なり。先王は人の氣に因りて、其の變化を分かちて、以て四選と為す。故に三公の位は、聖人の選なり。三卿の位は、君子の選なり。三大夫の位は、善人の選なり。三士の位は、正直の選なり。人の變化を分かちて四選と為し、每選に三臣を設立す。猶お天の一歲の變化を分かちて四時と為し、每時に三節有るがごとし。天は四時の選を以て、十二節と相い和して以て一歲を成就す。王は四位の選を以て、十二臣と相い砥礪して極處に達す。道は必ず其の當に到るべき所に極盡して、然る後に能く天地の美を得。
堯舜不擅移湯武不專殺第二十五
堯舜擅り移さず湯武專ら殺さず第二十五
堯舜何緣而得擅移天下哉?孝經之語曰:“事父孝,故事天明。”事天與父同禮也。今父有以重予子,子不敢擅予他人,人心皆然;則王者亦天之子也,天以天下予堯舜,堯舜受命於天而王天下,猶子安敢擅以所重受於天者予他人也,天有不予堯舜漸奪之故,明為子道,則堯舜之不私傳天下而擅移位也,無所疑也。儒者以湯武為至聖大賢也,以為全道究義盡美者,故列之堯舜,謂之聖王,如法則之;今足下以湯武為不義,然則足下之所謂義者,何世之王也?曰:弗知。弗知者,以天下王為無義者耶?其有義者而足下不知耶?則答之以神農。應之曰:神農之為天子,與天地俱起乎?將有所伐乎?神農有所伐,可,湯武有所伐,獨不可,何也?且天之生民,非為王也;而天立王,以為民也。故其德足以安樂民者,天予之,其惡足以賊害民者,天奪之。詩云:“殷士膚敏,祼將於京,侯服於周,天命靡常。”言天之無常予,無常奪也。故封泰山之上,禪梁父之下,易姓而王,德如堯舜者,七十二人,王者,天之所予也,其所伐,皆天之所奪也,今唯以湯武之伐桀紂為不義,則七十二王亦有伐也,推足下之說,將以七十二王為皆不義也。故夏無道而殷伐之,殷無道而周伐之,周無道而秦伐之,秦無道而漢伐之,有道伐無道,此天理也,所從來久矣,寧能至湯武而然耶!夫非湯武之伐桀紂者,亦將非秦之伐周,漢之伐秦,非徒不知天理,又不明人禮,禮,子為父隱惡,今使伐人者,而信不義,當為國諱之,豈宜如誹謗者,此所謂一言而再過者也。君也者,掌令者也,令行而禁止也,今桀紂令天下而不行,禁天下而不止,安在其能臣天下也!果不能臣天下,何謂湯武弒?
堯・舜何に凭りて能く擅りに天下を人に移交さんや。『孝經』の言に曰く、「父に事えて孝なれば、故に天に事えて明なり。」天に事うると父に事うるとは同じきの禮なり。今父は看重する所を子に與え、子は敢えて擅りに人に與えず。人心皆此くの如し。然らば王者も亦天の子なり。天は天下を堯・舜に與え、堯・舜は天より命を受けて天下に王たり。猶お子の何ぞ敢えて天より承受する所の看重するを擅りに人に與えんがごとし。天は堯・舜に與えざる・漸く奪うの故有り。子たるの道を明白にすれば、則ち堯・舜の私に天下を傳授して擅りに位を移さざるは、疑うべき無し。儒者は湯・武を以て至聖大賢と為し、以て道義完备・美極まれる人と為す。故に之を堯・舜と並列して、聖王と稱し、法則の如く效法す。今足下は湯・武を以て不義と為す。然らば足下の言う所の義は、何れの代の王ぞや。曰く、知らず。知らずの意は、以て天下の王皆義無しと為すか。抑も義有るにして足下知らざるか。是に於て神農を以て回答す。之に應對して曰く、神農の天子と為るは、天地と一同に興起するか。抑も征伐する所有るか。神農征伐する所有れば可なり。湯・武征伐する所有れば獨り不可なるは、何の故ぞや。況んや天の民を生ずるは、王の為に非ず。而して天の王を立つるは、民の為なり。故に其の德の足りて民を安樂せしむるは、天之を與え、其の惡の足りて民を賊害するは、天之を奪う。『詩經・大雅・文王』に曰く、「殷の士人は美しき敏捷にして、祼祭を舉行し周京に助祭し、周の諸侯と為りて服事す。天命は常規無し。」是れ固定して誰に與え固定して誰より奪う無しを謂うなり。故に泰山の上に封し梁父の下に禪し、姓氏を改換して王と為り德堯舜の如き者、七十二人有り。王は、天の與える所なり。其の征伐する所は、皆天の奪う所なり。今唯だ湯・武の桀・紂を征伐するを以て不義と為せば、然らば七十二王も亦征伐有り。足下の言を推し開けば、將に七十二王を皆不義と為さんとす。故に夏無道にして殷之を征伐し、殷無道にして周之を征伐し、周無道にして秦之を征伐し、秦無道にして漢之を征伐す。道有るは道無きを征伐す。此れ天理なり。由來已に久し。豈に能く湯・武に至りて乃ち此くの如くならんや。湯・武の桀・紂を征伐するを非議する者は、亦將に秦の周を征伐し漢の秦を征伐するを非議せん。唯だ天理を知らざるのみならず、又人の禮を明白にせず。禮は、子は父の為に惡を隱藏す。今征伐する人をして不義に坐實せしめば、國の為に忌避すべし。怎能に誹謗する者の如く言わんや。此れ即ち所謂一句の言に二層の過錯を犯すなり。君は、號令を掌管する者なり。令行われて禁ず。今桀・紂は天下に下令して通行せず、天下に禁を設けて止住せず。何ぞ能く天下を臣服せん。果たして天下を臣服する能わざれば、何を以て湯・武は君を弑すと言わんや。
服制第二十六
服制第二十六
率得十六萬國,三分之,則各度爵而制服,量祿而用財,飲食有量,衣服有制,宮室有度,畜產人徒有數,舟車甲器有禁;生有軒冕之服位貴祿田宅之分,死有棺槨絞衾壙襲之度。雖有賢才美體,無其爵,不敢服其服;雖有富家多貲,無其祿,不敢用其財。天子服有文章,不得以燕公以朝,將軍大夫不得以燕將軍大夫以朝官吏,命士止於帶緣,散民不敢服雜採,百工商賈不敢服狐貉,刑餘戮民不敢服絲玄纁乘馬,謂之服制。
大约十六万国を得て、三份に分かてば、則ち各々爵を度量して服を制定し、祿を衡量して財を使用す。飲食に量有り、衣服に制有り、宮室に度有り、畜産と随從とに數有り、舟車甲器に禁令有り。生きては軒冕の服位・貴祿・田宅の分限有り、死しては棺槨・絞衾・壙襲の制度有り。賢才美貌有ると雖も、相應の爵無くんば、其の服を服するを敢えてせず。富家資財多きと雖も、相應の祿無くんば、其の財を用うるを敢えてせず。天子の服は花紋文飾有りて、以て燕居するを得ず。公は以て朝見に用う。將軍・大夫は以て燕居するを得ず。將軍・大夫は以て官吏に朝見するに用う。命士は帶と緣とに限るのみ。散民は雜色の彩衣を服するを敢えてせず。百工・商賈は狐貉を服するを敢えてせず。刑を受け戮辱せられたる民は絲・玄纁を服するを敢えてせず、馬に乘るを敢えてせず。此れを服制と謂う。
巻第八
度制第二十七
度制第二十七
孔子曰:“不患貧而患不均。”故有所積重,則有所空虛矣。大富則驕,大貧則憂,憂則為盜,驕則為暴,此眾人之情也。聖者則於眾人之情,見亂之所從生,故其制人道而差上下也,使富者足以示貴而不至於驕,貧者足以養生而不至於憂,以此為度而調均之,是以財不匱而上下相安,故易治也。今世棄其度制,而各從其欲,欲無所窮,而俗得自恣,其勢無極,大人病不足於上,而小民羸瘠於下,則富者愈貪利而不肯為義,貧者日犯禁而不可得止,是世之所以難治也。
孔子曰く、「貧しきを憂えずして、均ならざるを憂う。」故に積聚過重なる所有れば、空虚なる所有り。太だ富めば驕り、太だ貧しければ憂う。憂えば則ち盗を做し、驕れば則ち暴を做す。此れ衆人の情なり。聖人は衆人の情に就きて、乱の何れより生ずるを見る。故に人道を制定して上下を等差し、富む者をして足りて貴を顯出して驕るに至らざらしめ、貧しき者をして足りて生命を養活して憂うるに至らざらしめ、此れを以て度と為して調均す。故に財匱乏せずして上下相い安んず。故に治理し易し。今世は其の度制を拋棄して、各々欲望に順う。欲望窮盡無く、習俗は自ら放縱するを得て、其の勢い極限無し。大人は上に於て不足に苦しみ、小民は下に於て瘦弱枯瘠す。則ち富む者は愈々利を貪りて義を行うを肯んぜず、貧しき者は日々禁令を觸犯して制止すべからず。此れ世の治め難き所以なり。
孔子曰:“君子不盡利以遺民。”詩云:“彼其遺秉,此有不歛穧,伊寡婦之利。”故君子仕則不稼,田則不漁,食時不力珍,大夫不坐羊,士不坐犬。詩曰:“採葑採菲,無以下體,德音莫違,及爾同死。”以此防民,民猶忘義而爭利,以亡其身。天不重與,有角不得有上齒,故已有大者,不得有小者,天數也。夫已有大者,又兼小者,天不能足之,況人乎!故明聖者象天所為為制度,使諸有大奉祿,亦皆不得兼小利、與民爭利業,乃天理也。
孔子曰く、「君子は利を占盡せずして、百姓に留めんと欲す。」『詩經・小雅・大田』に曰く、「彼に掉下せる禾把有り、此に收拾せざる禾穗有り。是れ寡婦の利なり。」故に君子は官を做れば耕稼せず、田を種れば魚を打たず、飯を食うに珍味を力求めず、大夫は坐して羊を殺さず、士は坐して狗を殺さず。『詩經・邶風・谷風』に曰く、「葑を采り菲を采る、根部を要れず。美しき言莫れ違らん、爾と一同に死するまで。」此れを以て民を防范すれども、民猶お義を忘れて利を爭い、亡身に至る。天は重複して與えず。角有るは上の牙齒を再び有るを得ず。故に已に大有るは、小有るを再び得ず。此れ天數なり。已に大有りて、又小を兼有れば、天も能く之を滿足せしめず。況んや人をや。故に明聖の人は天の作為に取象して以て制度を制定し、大俸祿有る者をして、亦小利を兼占し民と產業の利を爭うを得ざらしむ。此れ乃ち天理なり。
凡百亂之源,皆出嫌疑纖微,以漸寖稍長,至於大。聖人章其疑者,別其微者,絕其纖者,不得嫌,以蚤防之。聖人之道,眾堤防之類也,謂之度制,謂之禮節,故貴賤有等,衣服有制,朝廷有位,鄉黨有序,則民有所讓而不敢爭,所以一之也。書曰:“轝服有庸,誰敢弗讓,敢不敬應?”此之謂也。
凡そ百種の乱の根源は、皆嫌疑・纖微より出で、漸く浸漬して稍々長大し、大に至る。聖人は其の疑うべきを表彰し、其の微細なるを分別し、其の纖細なるを杜絶して、嫌疑をして成立せしめず、以て早く防范す。聖人の道は、衆多の堤防の類の如き物なり。之を度制と謂い、之を禮節と謂う。故に貴賤に等第有り、衣服に制度有り、朝廷に位次有り、鄕黨に次序有れば、則ち民謙讓する所有りて爭うを敢えてせず、以て之を統一す。『尚書』に曰く、「車服に常規有り、誰か敢えて讓らざらん、誰か敢えて敬應せざらん。」此れを謂うなり。
凡衣裳之生也,為蓋形暖身也,然而染五采、飾文章者,非以為益冗膚血氣之情也,將以貴貴尊賢,而明別上下之倫,使教前行,使化易成,為治為之也。若去其度制,使人人從其欲,快其意,以逐無窮,是大亂人倫而靡斯財用也,失文采所遂生之意矣。上下之倫不別,其勢不能相治,故苦亂也;嗜慾之物無限,其勢不能相足,故苦貧也。今欲以亂為治,以貧為富,非反之制度不可。古者天子衣文,諸侯不以燕,大夫衣綧,士不以燕,庶人衣縵,此其大略也。
凡そ衣裳の生ずるは、形體を遮蓋し身體を溫暖せんが為なり。然るに五采に染め花紋を裝飾するは、肌膚血氣の情に益有るに因らず。之を用いて貴きを貴び賢人を尊敬せんと欲し、而して上下の倫序を明白に分別し、教化をして前に走らしめ、風化をして成就易からしめんと欲すればなり。是れ治理の為に做すなり。若し其の度制を去りて、人人をして欲望に順い、自らの心意を痛快し、無窮を追逐せしめば、此れ人倫を大乱して且つ此の財用を耗盡し、文采の生ずる所以の本意を失うなり。上下の倫序分別せざれば、其の情勢は相い治理する能わず。故に乱に苦しむ。嗜欲の物に限度無ければ、其の情情勢は相い滿足する能わず。故に貧に苦しむ。今乱を以て治と變え貧を以て富と變えんと欲せば、制度を反せざれば可ならず。古時天子は文飾有るの衣を服し、諸侯は以て燕居せず。大夫は𬘯を服し、士は以て燕居せず。庶人は文飾無きの縵を服す。此れ其の大略なり。
爵國第二十八
爵國第二十八
春秋曰:“會宰周公。”又曰:“公會齊侯、宋公、鄭伯、許男、滕子。”又曰:“初獻六羽。”傳曰:“天子三公稱公,王者之後稱公,其餘大國稱侯,小國稱伯、子、男。”凡五等,故周爵五等,士三品,文多而實少;春秋三等,合伯、子、男為一爵,士二品,文少而實多。春秋曰:“荊。”傳曰:“氏不若人,人不若名,名不若字。”凡四等,命曰附庸,三代共之。然則其地列奈何?曰:天子邦圻千里,公、侯百里,伯七十里,子、男五十里,附庸:字者方三十里,名者方二十里,人氏者方十五里。春秋曰:“宰周公。”傳曰:“天子三公。”“祭伯來。”傳曰:“天子大夫。”“宰渠伯糾。”傳曰:“下大夫。”“石尚。”傳曰:“天子之士也。”“王人。”傳曰:“微者,謂下士也。”凡五等。春秋曰:“作三軍。”傳曰:“何以書?譏,何譏爾?古者、上卿、下卿,上士、下士。”凡四等,小國之大夫與次國下卿同,次國大夫與大國下卿同,大國下大夫與天子下士同,二十四等,祿八差,有大功德者受大爵土,功德小者受小爵土,大材者執大官位,小材者受小官位,如其能宣,治之至也。故萬人者曰英,千人者曰俊,百人者曰傑,十人者曰豪,豪傑俊英不相陵,故治天下如視諸掌上。其數何法以然?曰:天子分左右五等,三百六十三人,法天一歲之數,五時色之象也;通佐十上卿與下卿,而二百二十人,天庭之象也;倍諸侯之數也。諸侯之外佐四等,百二十人,法四時六甲之數也;通佐五與下,而六十人,法日辰之數也。佐之必三三而相復何?曰:時三月而成,大辰三而成象。諸侯之爵或五何?法天地之數也,五官亦然。然則立置有司分指數奈何?曰:諸侯,大國四軍,古之制也,其一軍以奉公家也。凡口軍三者何?曰:大國十六萬口,而立口軍三。何以言之?
『春秋』に曰く、「宰周公に会す。」又曰く、「公は齊侯・宋公・鄭伯・許男・滕子に会す。」又曰く、「初めて六羽を獻ず。」傳曰く、「天子の三公は公と稱し、王者の後嗣は公と稱し、其の余の大國は侯と稱し、小國は伯・子・男と稱す。」合わせて五等。故に周の爵は五等、士は三品、文多くして實少なし。『春秋』は三等、伯・子・男を合わせて一爵と為し、士は二品、文少なくして實多し。『春秋』に曰く、「荊。」傳曰く、「氏と稱するは人と稱するに如かず、人と稱するは名と稱するに如かず、名と稱するは字と稱するに如かず。」合わせて四等、命名して附庸と曰う。三代共同して此くの如し。然らば其の土地の序列は如何。曰く、天子の邦畿は千里、公・侯は百里、伯は七十里、子・男は五十里。附庸は、字と稱するは地方三十里、名と稱するは地方二十里、人・氏と稱するは地方十五里。『春秋』に曰く、「宰周公。」傳曰く、「天子の三公。」「祭伯來。」傳曰く、「天子の大夫。」「宰渠伯糾。」傳曰く、「下大夫。」「石尚。」傳曰く、「天子の士。」「王人。」傳曰く、「微者、下士を指す。」合わせて五等。『春秋』に曰く、「三軍を作る。」傳曰く、「何の故に書すや。是れ譏刺なり。何を譏刺するや。古時上卿・下卿有り、上士・下士有り。」合わせて四等。小國の大夫は次國の下卿と相同じ、次國の大夫は大國の下卿と相同じ、大國の下大夫は天子の下士と相同じ。合わせて二十四等。祿に八等の差別有り。大功德有るは大爵大土を受け、功德小なるは小爵小土を受け、大材は大官位を執掌し、小材は小官位を受く。其の能力の宣達すべき所に如す。此れ治理の極致なり。故に能く萬人に勝るを英と曰い、千人に勝るを俊と曰い、百人に勝るを傑と曰い、十人に勝るを豪と曰う。豪・傑・俊・英は相い陵越せず。故に天下を治むること、自らの手掌の上の物を看るが如し。此の數目は何に取法して此くの如くなるや。曰く、天子は左右を分かちて五等、三百六十三人、天一歲の數目に取法す。是れ五時の色の取象なり。通佐は十上卿と下卿と、合わせて二百二十人、是れ天庭の取象なり。諸侯の數目に比べて加倍す。諸侯の外佐は四等、一百二十人、四時・六甲の數目に取法す。通佐は五と下と、合わせて六十人、日辰の數目に取法す。佐は一定して三三にして循環するは、何の故ぞや。曰く、一時は三ヶ月にして成就し、大辰は三にして象を成す。諸侯の爵或いは五なるは、何の故ぞや。天地の數目に取法す。五官も亦此くの如し。然らば有司を設立し名額を分配するは如何。曰く、諸侯は大國四軍。是れ古時の制度なり。其の中一軍は以て公家に奉事す。凡そ人口に按じて軍を立てて三と為すは、何の故ぞや。曰く、大國十六萬口にして、口軍三を設立す。何に凭りて此く言うや。
曰:以井田準數之,方里而一井,一井而九百畝而立口,方里八家,一家百畝,以食五口,上農夫耕百畝,食九口,次八人,次七人,次六人,次五人,多寡相補,率百畝而三口,方里而二十四口,方里者十,得二百四十口,方十里為方里者百,得二千四百口,方百里為方里者萬,得二十四萬口,法三分而除其一,城池、郭邑、屋室、閭巷、街路市、官府、園囿、萎●、臺沼、椽採,得良田方十里者六十六,與方里六十六,定率得十六萬口,三分之,則各五萬三千三百三十三口,為大國口軍三,此公侯也。天子地方千里,為方百里者百,亦三分除其一,定得田方百里者六十六,與方十里者六十六,定率得千六百萬口,九分之,各得百七十七萬七千七百七十七口,為京口軍九,三京口軍以奉王家。故天子立一後,一世夫人。中左右夫人、四姬、三良人,立一世子、三公、九卿、二十七大夫、八十一元士、二百四十三下士,有七上卿、二十一下卿、六十三元士、百二十九下士。王后置一大傅大母、三伯、三丞、世夫人、四姬、三良人、各有師傅。世子一人太傅三傅、三率三少。士入仕宿衛天子者,比下士,下士者如上士之下數。王后御衛者,上下御各五人,世夫人、中左右夫人、四姬、上下御各五人,三良人各五人,世子妃姬及士衛者,如公侯之制。王后傅、上下史五人,三伯、上下史各五人,少伯、史各五人。世子太傅、上下史各五人,少傅、亦各五人,三率三下率亦各五人。三公、上下史各五人;卿、上下史各五人;大夫、上下史各五人;元士、上下史各五人;上下卿、上下士之史、上下亦各五人;卿、大夫、元士、臣各三人。故公侯方百里,三分除其一,定得田方十里者六十六,與方里六十六,定率得十六萬口,三分之,為大國口軍三,而立大國。
曰く、井田を以て數目を準算す。一方里は一井、一井は九百畝にして戶口を設立す。一方里八家、一家百畝、以て五口を養活す。上等の農夫は百畝を耕して九口を養活し、次等は八人、再次は七人、再次は六人、再次は五人。多少相い補充して、大约百畝は三口を養活し、一方里は二十四口。十の方里は二百四十口を得。十里見方は一百の方里にして、二千四百口を得。百里見方は一萬の方里にして、二十四萬口を得。取法して三分を用いて一分を去る。城池・郭邑・屋室・閭巷・街路市・官府・園囿・萎・台沼・椽采は、良田の十里見方の六十六を得、一方里の六十六を加えて、定率十六萬口を得。三份に分かてば、則ち各々五萬三千三百三十三口。以て大國の口軍三と為す。此れ公侯なり。天子の地方千里は、一百の百里見方なり。亦三分を用いて一分を去り、田の百里見方の六十六を定めて得、十里見方の六十六を加えて、定率一千六百萬口を得。九份に分かち、各々一百七十七萬七千七百七十七口を得。以て京口軍九と為し、三京口軍を用いて王家に奉事す。故に天子は一后・一世夫人・中左右夫人・四姬・三良人を立て、一世子・三公・九卿・二十七大夫・八十一元士・二百四十三下士を立つ。七上卿・二十一下卿・六十三元士・一百二十九下士有り。王后は一大傅大母・三伯・三丞を設置す。世夫人・四姬・三良人は、各々師傅有り。世子一人、太傅・三傅、三率・三少。士の入仕して天子を宿衛するは、下士に比照す。下士は上面の上士以下の數目に如す。王后の御衛は、上下御各々五人。世夫人・中左右夫人・四姬は、上下御各々五人。三良人は各々五人。世子の妃姬及び士衛は、公侯の制度に如す。王后の傅は、上下史五人。三伯は、上下史各々五人。少伯・史は各々五人。世子の太傅は、上下史各々五人。少傅も亦各々五人。三率・三下率も亦各々五人。三公は、上下史各々五人。卿は、上下史各々五人。大夫は、上下史各々五人。元士は、上下史各々五人。上下卿・上下士の史は、上下も亦各々五人。卿・大夫・元士は、臣各々三人。故に公侯の地方百里は、三分を用いて一分を去り、田の十里見方の六十六を定めて得、一方里の六十六を加えて、定率十六萬口を得。三份に分かちて、以て大國口軍三と為して、大國を設立す。
一夫人、一世婦、左右婦、三姬、二良人,立一世子、三卿、九大夫、二十七上士、八十一下士、亦有五通大夫、立上下士。上卿位比天子之元士,今八百石,下卿六百石,上士四百石,下士三百石。夫人一傅母、三伯、三丞、世婦、左右婦、三姬、二良人、各有師保。世子、一上傅丞。士宿衛公者,比公者,比上卿者,有三人,下卿六人,比上下士者,如上下之數。夫人衛御者、上下御各五人,世婦、左右婦、上下御各五人,二卿、御各五人。世子上傅、上下史各五人,丞、史各五人,三卿、九大夫、上士、史各五人,下士、史各五人,通大夫、士、上下史各五人,卿、臣二人,此公侯之制也。公侯賢者為州方伯,錫斧鉞,置虎賁百人,故伯七十里,七十四十九,三分除其一,定得田方十里者二十八,與方十里者六十六,定率得十萬九千二百一十二口,為次國口軍三,而立次國。一夫人、世婦、左右婦、三良人、二孺子;立一世子、三卿、九大夫、二十七上士、八十一下士,與五通大夫、五上士、十五下士;其上卿位比大國之下卿,今六百石,下卿四百石,上士三百石,下士二百石。夫人一傅母、三伯、三丞、世婦、左右婦、三良人、二御人、各有師保。世子、一上下傅,士宿衛公者,比上卿者三人,下卿六人,比上下士,如上下之數。夫人御衛者、上下御各五人,世婦、左右婦、上下御各五人,二御、各五人。世子上傅、上下史各五人,丞、史各五人,三卿、九大夫、上下史各五人,下士、史各五人,通大夫、上下史各五人,卿、臣二人。故子男方五十里,五五二十五,為方十里者六十六,定率得四萬口,為小國口軍三,而立小國。
一夫人・一世婦・左右婦・三姬・二良人。一世子・三卿・九大夫・二十七上士・八十一下士を立て、亦五通大夫有り、上下士を設立す。上卿の位は天子の元士に比照し、今八百石。下卿は六百石、上士は四百石、下士は三百石。夫人は一位の傅母・三伯・三丞。世婦・左右婦・三姬・二良人は、各々師保有り。世子は一位の上傅丞。士の公を宿衛するは、上卿に比照する三人有り、下卿六人、上下士に比照するは、上下の數目に如す。夫人の衛御は、上下御各々五人。世婦・左右婦は、上下御各々五人。二卿は、御各々五人。世子の上傅は、上下史各々五人。丞・史は各々五人。三卿・九大夫・上士は、史各々五人。下士は、史各々五人。通大夫・士は、上下史各々五人。卿は、臣二人。此れ公侯の制度なり。公侯の裏の賢能は州方伯を做し、斧鉞を賜与して、虎賁一百人を設置す。故に伯七十里は、七に七を乘じて四十九を得、三分を用いて一分を去り、田の十里見方の二十八を定めて得、十里見方の六十六を加えて、定率十萬九千二百一十二口を得。以て次國口軍三と為して、次國を設立す。一夫人・世婦・左右婦・三良人・二孺子。一世子・三卿・九大夫・二十七上士・八十一下士を立て、五通大夫・五上士・十五下士と。其の上卿の位は大國の下卿に比照し、今六百石。下卿は四百石、上士は三百石、下士は二百石。夫人は一位の傅母・三伯・三丞。世婦・左右婦・三良人・二御人は、各々師保有り。世子は一位の上下傅。士の公を宿衛するは、上卿に比照する三人、下卿六人、上下士に比照するは、上下の數目に如す。夫人の御衛は、上下御各々五人。世婦・左右婦は、上下御各々五人。二御は各々五人。世子の上傅は、上下史各々五人。丞・史は各々五人。三卿・九大夫は、上下史各々五人。下士は、史各々五人。通大夫は、上下史各々五人。卿は、臣二人。故に子・男の地方五十里は、五に五を乘じて二十五を得、十里見方の六十六を成して、定率四萬口を得。以て小國口軍三と為して、小國を設立す。
夫人、世婦、左右婦、三良人、二孺子,立一世子、三卿、九大夫、二十七上士、八十一下士、與五通大夫、五上士、十五下士,其上卿比次國之下卿,今四百石,下卿三百石,上士二百石,下士百石。夫人一傅母、三伯、三丞、世婦、左右婦、三良人、一御人、各有師保。世子、一上下傅,士宿衛公者、比上卿者三人,下卿六人。夫人御衛者、上下御各五人,世婦、左右婦、上下御各五人,二御人、各五人。世子上傅、上下史各五人,三卿、九大夫、上下史各五人,士、各五人,通大夫、上下史亦各五人,卿、臣二人,此周制也。春秋、合伯子男為一等,故附庸字者、地方三十里,三三而九,三分而除其一,定得田方十里者六,定率得一萬四千四百口,為口師三。而立一宗婦、二妾,一世子、宰丕、丞一、士一、秩士五人。宰視子男下卿,今三百石。宗婦有師保,御者三人,妾各二人。世子一傅,士宿衛君者比上卿,下卿一人,上下各如其數。世子傅、上下史各五人,下良五。稱名善者、地方半字君之地,九半,三分除其一,定得田方十里者三,定率得七千二百口。一世子宰,今二百石,下四半三半二十五。三分除其一,定得田方十里者一,與方里者五,定率得三千六百口,一世子宰,今百石,史五人,宗婦、仕衛、世子臣。
夫人・世婦・左右婦・三良人・二孺子。一世子・三卿・九大夫・二十七上士・八十一下士を立て、五通大夫・五上士・十五下士と。其の上卿は次國の下卿に比照し、今四百石。下卿は三百石、上士は二百石、下士は百石。夫人は一位の傅母・三伯・三丞。世婦・左右婦・三良人・一御人は、各々師保有り。世子は一位の上下傅。士の公を宿衛するは、上卿に比照する三人、下卿六人。夫人の御衛は、上下御各々五人。世婦・左右婦は、上下御各々五人。二御人は各々五人。世子の上傅は、上下史各々五人。三卿・九大夫は、上下史各々五人。士は各々五人。通大夫は、上下史も亦各々五人。卿は、臣二人。此れ周の制度なり。『春秋』は伯・子・男を合わせて一等と為す。故に附庸の字と稱するは、地方三十里、三に三を乘じて九を得、三分を用いて一分を去り、田の十里見方の六を定めて得、定率一萬四千四百口を得。以て口師三と為す。而して一宗婦・二妾、一世子、宰・丕丞一、士一、秩士五人を立つ。宰は子男の下卿に比照し、今三百石。宗婦は師保有り、御者三人、妾各々二人。世子は一位の傅。士の君を宿衛するは上卿に比照し、下卿一人、上下各々其の數に如す。世子の傅は、上下史各々五人、下良五。名と稱して善なるは、地方は字と稱する君の半分、九の半分、三分を用いて一分を去り、田の十里見方の三を定めて得、定率七千二百口を得。一世子・宰は、今二百石。再び下りて、四の半分・三の半分は二十五を得、三分を用いて一分を去り、田の十里見方の一を定めて得、五方里を加えて、定率三千六百口を得。一世子・宰は、今百石、史五人、及び宗婦・仕衛・世子の臣。
仁義法第二十九
仁義法第二十九
春秋之所治,人與我也;所以治人與我者,仁與義也;以仁安人,以義正我;故仁之為言人也,義之為言我也,言名以別矣。仁之於人,義之於我者,不可不察也,眾人不察,乃反以仁自裕,而以義設人,詭其處而逆其理,鮮不亂矣。是故人莫欲亂,而大抵常亂,凡以闇於人我之分,而不省仁義之所在也。是故春秋為仁義法,仁之法在愛人,不在愛我;義之法在正我,不在正人;我不自正,雖能正人,弗予為義;人不被其愛,雖厚自愛,不予為仁。昔者,晉靈公殺膳宰以淑飲食,彈大夫以娛其意,非不厚自愛也,然而不得為淑人者,不愛人也。質於愛民以下,至於鳥獸昆蟲莫不愛,不愛,奚足謂仁!仁者,愛人之名也,嶲傳無大之之辭,自為追,則善其所恤遠也;兵已加焉,乃往救之,則弗美;未至,豫備之,則美之,善其救害之先也。夫救蚤而先之,則害無由起,而天下無害矣。然則觀物之動,而先覺其萌,絕亂塞害於將然而未形之時,春秋之志也,其明至矣,非堯舜之智,知禮之本,庸能當此;故救害而先,知之明也,公之所恤遠,而春秋美之,詳其美恤遠之意,則天地之間,然後快其仁矣,非三王之德,選賢之精,庸能如此。是以知明先,以仁厚遠,遠而愈賢,近而愈不肖者,愛也,故王者愛及四夷,霸者愛及諸侯,安者愛及封內,危者愛及旁側,亡者愛及獨身,獨身者,雖立天子諸侯之位,一夫之人耳,無臣民之用矣,如此者,莫之亡而自亡也。春秋不言伐梁者,而言梁亡,蓋愛獨及其身者也,故曰:仁者愛人,不在愛我,此其法也。義雲者,非謂正人,謂正我,雖有亂世枉上,莫不欲正人,奚謂義!昔者,楚靈王討陳蔡之賊,齊桓公執袁濤塗之罪,非不能正人也,然而春秋弗予,不得為義者,我不正也;闔廬能正楚蔡之難矣,而春秋奪之義辭,以其身不正也;
『春秋』の治理する所は、人と我なり。以て人と我を治むるは、仁と義なり。仁を以て人を安んじ、義を以て我を正しくす。故に仁此の字は人を說き、義此の字は我を說く。名號此れに因りて分別開れるなり。仁の人に對し義の我に對するは、審察せざるべからず。衆人は審察を知らず、反りて仁を以て自らを寬裕にし、義を以て人を要求し、位置を放錯し理を弄反して、乱れざるは鮮し。故に人の乱れんと想う無きも、大抵常に乱るるは、皆人我の分別に暗くして、仁義の在る所を省察せざるに因るなり。故に『春秋』は仁義の法なり。仁の法は人を愛するに在りて、我を愛するに在らず。義の法は我を正しくするに在りて、人を正しくするに在らず。我自ら正しからざれば、能く人を正しくすと雖も、之に「義」の名義を與えず。人は之に愛せられざれば、自ら己を厚愛すと雖も、之に「仁」の名義を與えず。昔、晋霊公は膳宰を殺して以て飲食を改善し、彈弓を以て大夫を打ちて以て心意を娛樂す。己を厚愛せざるに非ざれども、善人と稱するを得ざるは、其の人を愛せざるに因るなり。民を愛する以下より、鳥獸昆虫愛せざる無きに至る。愛せざれば、何ぞ以て仁と謂うに足らん。仁は、人を愛するの名なり。僖公の兵を出すに誇大の文辭無く、自ら往きて追えば、則ち其の恤う所の遠きを善と稱す。兵已に人の身に加えられて、往きて救えば、則ち美と稱せず。未だ至らざるに、豫め防备すれば、則ち之を美と稱す。是れ其の害を救うに先んずるを善と稱するなり。救う早くして做す前頭にあれば、則ち害生ずるに從う無く、天下害無し。然らば事物の發動を觀察して、其の萌芽を豫め覺察し、將に發生せんとして未だ形を成さざるの時に乱を杜絶し害を堵住するは、『春秋』の志向なり。其の光明は極處に至れり。堯舜の智・禮の本を知るに非ざれば、誰か能く此れを擔當せん。故に害を救いて做す前頭に在るは、知之明なり。僖公の恤う所の遠きは、『春秋』之を美と稱す。詳察して其の恤遠を美と稱するの意を觀れば、則ち天地の間、然る後に能く其の仁を痛快す。三王の德・賢人を選拔するの精に非ざれば、誰か能く此くの如くならん。故に智は明に於て先んじ、仁を以て遠きを厚待す。愈々遠ければ愈々賢に、愈々近ければ愈々不肖なり。此れ即ち愛なり。故に王者の愛は四夷に及び、覇者の愛は諸侯に及び、安穩の人の愛は封疆の內に及び、危殆の人の愛は身旁に及び、亡國の人の愛は自己一身に及ぶ。唯だ自己一身を愛するは、天子・諸侯の位に立つと雖も、不過一匹夫にして、臣民用うべき無し。此くの如きの人は、人之を滅亡する無くして自ら滅亡す。『春秋』は梁を伐つと言わずして、梁亡ぶと言う。蓋し愛は自己一身に及ぶのみなり。故に曰く、仁は人を愛するに在りて、我を愛するに在らず。此れ即ち其の法なり。所謂義とは、人を正しくすると謂うに非ず、我を正しくすると謂うなり。乱世・枉曲の君上有ると雖も、人を正しくせんと想わざる無し。然らば何を以て義と謂わん。昔、楚霊王は陳・蔡の賊を討伐し、齊桓公は袁濤涂の罪を執治す。人を正しくする能わざるに非ざれども、『春秋』は之に名義を與えずして、義と稱するを得ざるは、我の自ら正しからざるに因るなり。闔廬は能く楚・蔡の難を平定すれども、『春秋』は其の「義」の文辭を剝奪す。其の自身正しからざるに因るなり。
潞子之於諸侯,無所能正,春秋予之有義,其身正也;趨而利也,故曰:義在正我,不在正人,此其法也。夫我無之而求諸人,我有之而誹諸人,人之所不能受也,其理逆矣,何可謂義!義者,謂宜在我者,宜在我者,而後可以稱義,故言義者,合我與宜以為一言,以此操之,義之為言我也,故曰:有為而得義者,謂之自得,有為而失義者,謂之自失;人好義者,謂之自好,人不好義者,謂之不自好;以此參之,義我也明矣。是義與仁殊,仁謂往,義謂來;仁大遠,義大近;愛在人,謂之仁,義在我,謂之義;仁主人,義主我也;故曰:仁者,人也,義者,我也,此之謂也。君子求仁義之別,以紀人我之間,然後辨乎內外之分,而著於順逆之處也,是故內治反理以正身,據禮以勸福,外治推恩以廣施,寬制以容眾。孔子謂冉子曰:治民者,先富之而後加教。語樊遲曰:治身者,先難後獲。以此之謂治身之與治民所先後者不同焉矣。詩曰:“飲之食之,教之誨之。”先飲食而後教誨,謂治人也;又曰:“坎坎伐輻,彼君子兮,不素餐兮!”先其事,後其食,謂治身也。春秋刺上之過,而矜下之苦;小惡在外弗舉,在我書而誹之;凡此六者,以仁治人,義治我;躬自厚而薄責於外,此之謂也。且論已見之,而人不察,曰:君子攻其惡,不攻人之惡。不攻人之惡,非仁之寬與!自攻其惡,非義之全與!此之謂仁造人,義造我,何以異乎!故自稱其惡,謂之情,稱人之惡,謂之賊;求諸己,謂之厚,求諸人,謂之薄;自責以備,謂之明,責人以備,謂之惑;是故以自治之節治人,是居上不寬也,以治人之度自治,是為禮不敬也;為禮不敬則傷行,而民弗尊,居上不寬則傷厚,而民弗親;弗親則弗信,弗尊則弗敬;二端之政詭於上而僻行之,則誹於下;仁義之處,可無論乎!夫目不視,弗見;心弗論,不得;
潞子は諸侯に對して、誰を正しくする能う無きも、『春秋』は却りて之に義有りと與う。其の自身正しきに因るなり。趨向して利を求む。故に曰く、義は我を正しくするに在りて、人を正しくするに在らず。此れ即ち其の法なり。我自ら無くして、却りて人に向かいて求め、我自ら有りて、却りて人の有るを誹謗するは、人の接受する能わざる所なり。其の理は反る。何を以て義と謂わん。義は、宜しきは我ここに在ると謂うなり。宜しきは我ここに在りて、然る後に以て義と稱すべし。故に義と曰うは、「我」と「宜」とを合わせて一個の字と為すなり。此れを以て檢驗すれば、義此の字は我を說く。故に曰く、作為有りて義を得るを、自得と謂い、作為有りて義を失うを、自失と謂い、人の義を喜好するを、自好と謂い、人の義を喜好せざるを、不自好と謂う。此れを以て參驗すれば、義は我なりと明らかなり。此くの如く義と仁と不同なり。仁は往を說き、義は來を說く。仁の大は遠に在り、義の大は近に在り。愛は人に在れば、之を仁と謂い、義は我に在れば、之を義と謂う。仁は人に主と為り、義は我に主と為す。故に曰く、仁は人、義は我。此れを謂うなり。君子は仁義の分別を求めて、以て人我の間を綱紀し、然る後に內外の分際を辨明し、順逆の處所に顯明す。故に內裏の治理は、理に返回して自身を正しくし、禮に依據して勸めて福を求む。外面の治理は、恩を推廣して廣く施し、制度を放寬して衆人を容納す。孔子は冉子に對して曰く、民を治理する人は、先ず之を富ましめて、然る後に教化を施加す、と。樊遲に對して曰く、自身を治理する人は、先ず難を經歷して、然る後に收獲有り、と。此れを以て明らかにすれば、身を治むると民を治むるとの先む所後む所は同じからず。『詩經・小雅・綿蠻』に曰く、「之に飲ましめ之に食わしめ、之を教え之を誨ゆ。」先に飲食して然る後に教誨するは、人を治むるを謂う。又曰く、「坎坎として輻條を砍る、彼の君子や、白きを食するに非ず。」先に事を做し、後に飯を食うは、身を治むるを謂う。『春秋』は上に在る者の過錯を譏刺して、下に在る者の苦を憐憫す。小惡の外面に在るは擧發せず、我ここに在るは書寫して批評す。凡そ此の六項は、仁を以て人を治め、義を以て我を治め、自らに對して厚く外面に對して薄く責る。此れを謂うなり。況んや道理已に顯現して、而して人審察を知らざるをや。曰く、君子は自らの惡を進攻し、人の惡を進攻せず。人の惡を進攻せずは、仁の寬に非ずや。自ら己の惡を進攻するは、義の全に非ずや。此れ即ち所謂仁は人を成就し義は我を成就す。何の同じからざる有らん。故に自らの惡を稱するを、情實と謂い、人の惡を稱するを、賊害と謂い、之を己に求むるを、厚と謂い、之を人に求むるを、薄と謂い、完備を以て自らを責るを、明と謂い、完備を以て人を責るを、惑と謂う。故に自治の節度を以て人を治むるは、上に居りて寬ならず。人を治むるの法度を以て自治するは、禮を行いて敬ならず。禮を行いて敬ならざれば品行を損傷して、民尊敬せず。上に居りて寬ならざれば厚を損傷して、民親近せず。親近せざれば則ち信せず、尊敬せざれば則ち敬せず。此の二端の政は、上に於て乖違して行為偏邪すれば、下に於て批評さるるに會わん。仁義の處所は、論ずべからざらんや。眼に看ずれば見えず、心に論ぜざれば得られず。
雖有天下之至味,弗嚼,弗知其旨也;雖有聖人之至道,弗論,不知其義也。
天下の最も好きの滋味有ると雖も、咀嚼せざれば、其の美を知らず。聖人の最も好きの道有ると雖も、論究せざれば、其の義を知らず。
必仁且智第三十
必仁且智第三十
莫近於仁,莫急於智。不仁而有勇力材能,則狂而操利兵也;不智而辯慧獧給,則迷而乘良馬也。故不仁不智而有材能,將以其材能,以輔其邪狂之心,而贊其僻違之行,適足以大其非,而甚其惡耳。其強足以覆過,其御足以犯軸,其慧足以惑愚,其辨足以飾非,其堅足以斷闢,其嚴足以拒諫,此非無材能也,其施之不當,而處之不義也。有否心者,不可借便埶,其質愚者,不與利器,論之所謂不知人也者,恐不知別此等也。仁而不智,則愛而不別也;智而不仁,則知而不為也。故仁者所愛人類也,智者所以除其害也。
仁より切近なるは莫く、智より急迫なるは莫し。不仁にして勇力材能有るは、發狂して利兵を持つが如し。不智にして辯慧敏捷なるは、路に迷いて良馬に騎るが如し。故に不仁不智にして材能有れば、將に其の材能を用いて邪狂の心を輔助し、偏邪違理の行為を贊助し、恰好其の錯を擴大し其の惡を加重するに足る而已。其の強は過錯を掩蓋するに足り、其の駕馭は車軸に衝犯するに足り、其の慧は愚人を迷惑するに足り、其の辯は過錯を文飾するに足り、其の堅は法律を專斷するに足り、其の嚴は勸諫を拒絶するに足る。此れ材能無きに非ず。施用の得當ならずして、不義に處ればなり。不善の心有る人は、之に便利の勢を借與すべからず。質性愚なるは、之に利器を與えず。論裏の所謂人を知らずは、恐らく此の類を分別することを知らざるを怕るなり。仁にして智ならざれば、愛して分別せず。智にして仁ならざれば、知りて做さず。故に仁者の愛する所は人類、智者の做す所は其の害を除くなり。
何謂仁?仁者,憯怛愛人,謹翕不爭,好惡敦倫,無傷惡之心,無隱忌之志,無嫉妒之氣,無感愁之慾,無險詖之事,無辟違之行,故其心舒,其志平,其氣和,其欲節,其事易,其行道,故能平易和理而無爭也,如此者,謂之仁。
何をか仁と謂う。仁は、人を愛する痛切にして、和合を謹慎して爭わず、好惡敦厚にして倫に合し、傷害厭惡の心無く、隱忌の志無く、嫉妬の氣無く、感愁の欲無く、險詖の事無く、偏邪違理の行無し。故に其の心は舒展し、其の志は平靜に、其の氣は和に、其の欲は節有り、其の事は簡易に、其の行は道に合す。故に能く平易にして和理にして爭無し。此くの如きを、仁と謂う。
何謂智?先言而後當。凡人慾舍行為,皆以其智,先規而後為之,其規是者,其所為得其所事,當其行,遂其名,榮其身,故利而無患,福及子孫,德加萬民,湯武是也。其規非者,其所為不得其所事,不當其行,不遂其名,辱害及其身,絕世無復,殘類滅宗亡國是也。故曰:莫急於智。智者見禍福遠,其知利害蚤,物動而知其化,事興而知其歸,見始而知其終,言之而無敢譁,立之而不可廢,取之而不可舍,前後不相悖,終始有類,思之而有復,及之而不可厭,其言寡而足,約而喻,簡而達,省而具,少而不可益,多而不可損,其動中倫,其言當務,如是者,謂之智。
何をか智と謂う。先に言い出して後に得當す。凡そ人の捨棄或いは實行するは、皆其の智に凭りて、先に規劃して然る後に做す。規劃對えば、其の做す所は其の事を得其の行に當り、其の名を成就し、榮其の身に及ぶ。故に利有りて患無く、福は子孫に延び、德は萬民に加わる。湯・武は即ち此くの如し。規劃錯れば、其の做す所は其の事を得其の行に當らず、其の名を成就する能わず、辱害は自身に延び、世代を斷絶して再び續く能わず、族類を殘害し宗族と國家とを滅亡す。此くの如し。故に曰く、智より急迫なるは莫し、と。智の人は禍福を見る遠く、利害を知る早く、物一たび動けば其の變化を知り、事一たび興れば其の歸宿を知り、開始を見て即ち終結を知る。言い出して人敢えて喧嘩する無く、立てて廢棄すべからず、取用して捨棄すべからず。前後相い悖乱せず、終始類有り。想了し再び想し、達了して厭棄すべからず。其の言は少なくして充足し、簡約にして能く曉喩し、簡易にして通達し、省減にして具備す。少なければ再び増すべからず、多ければ再び減すべからず。其の擧動は倫に中り、其の言は事務に當る。此くの如きを、智と謂う。
其大略之類,天地之物,有不常之變者,謂之異,小者謂之災,災常先至,而異乃隨之,災者,天之譴也,異者,天之威也,譴之而不知,乃畏之以威,詩云:“畏天之威。”殆此謂也。凡災異之本,盡生於國家之失,國家之失乃始萌芽,而天出災害以譴告之;譴告之,而不知變,乃見怪異以驚駭之;驚駭之,尚不知畏恐,其殃咎乃至。以此見天意之仁,而不欲陷人也。謹案:災異以見天意,天意有欲也、有不欲也,所欲、所不欲者,人內以自省,宜有懲於心,外以觀其事,宜有驗於國,故見天意者之於災異也,畏之而不惡也,以為天欲振吾過,救吾失,故以此報我也。春秋之法,上變古易常,應是而有天災者,謂幸國。孔子曰:“天之所幸有為不善,而屢極。”楚莊王以天不見災,地不見孽,則禱之於山川曰:“天其將亡予邪!不說吾過,極吾罪也。”以此觀之,天災之應過而至也,異之顯明可畏也,此乃天之所欲救也,春秋之所獨幸也,莊王所以禱而請也,聖主賢君尚樂受忠臣之諫,而況受天譴也。
其の大略此の類なり。天地の間の物は、平常ならざるの變有るを異と謂い、小なるを災と謂う。災は常に先に至りて、而して異乃ち跟いて來る。災は天の譴責、異は天の威なり。譴責して猶お知らざれば、乃ち威を以て畏れしむ。『詩經・周頌・我將』に曰く、「天の威を畏懼す。」蓋し此れを謂うなり。凡そ災異の根本は、皆國家の過失に生ず。國家の過失始めて萌芽すれば、天災害を發出して以て譴誡す。譴誡して猶お改變を知らざれば、乃ち怪異を顯現して以て驚駭せしむ。驚駭して猶お畏懼恐慌を知らざれば、其の殃咎乃ち至る。此れに由りて天意の仁なるを見て、人を陷害せんと欲せざるなり。謹んで按ずるに、災異を以て天意を顯現す。天意に欲する所有り、欲せざる所有り。欲する所・欲せざる所は、人は內裏に於て以て自ら省察して、當に心裏に於て懲戒有るべく、外に於て以て事を觀察して、當に國事に於て應驗有るべし。故に天意を見る者の災異に對するや、之を畏れて之を厭惡せず。以て天は我が過錯を振作し我が過失を挽救せんと欲し、故に此れを用いて我に回報すと為すなり。『春秋』の法は、上に在る者古法を改變し常規を改易して、此れに應じて天災有るを、僥倖の國と謂う。孔子曰く、「天の僥倖する所は、人の不善を做して、屢々極點に至る有り。」楚莊王は天災を顯現せず地孽を顯現せざるに因りて、山川に向かいて禱告して曰く、「天將に我を滅亡せんとするか。我が過錯を告げずして、我が罪を極點に至らしむ。」此れより觀れば、天災は過錯に應じて來るなり。異の顯明は畏るべし。此れ乃ち天の救わんと欲する所、『春秋』の獨り以て僥倖と為す所、亦莊王の禱告請求する所以なり。明主賢君は尚お忠臣の勸諫を接受するを樂とす。況んや天の譴責を受くるをや。
