易緯通卦験(漢・鄭康成注)
冬至に八神の表を立て・晷度占驗
易経易学典籍
術数への応用を目指すなら、まず六十四卦の卦爻辞と《説卦伝》の取象に親しむ。義理を目指すなら《繋辞伝》から入るのがよい。
巻上
孔子曰:太皇之先,與耀合元。精五帝,期以序七神。皇,君也。先猶本也。耀者,耀魄寳,北辰帝名也。此言太之帝本與北辰之帝同元。元,天之始也。其精有五,謂蒼帝靈威仰之屬也。其佈列用事各有期,期各七十二日。主敘十神,二十八舍、北斗也。
孔子の曰く、太皇の本は「耀魄宝」と一元を同じくし、天の精気は化して五方の帝と為り、各々期次に按じて諸神を序列す。鄭玄注す、「皇」は君主なり。「先」は猶ほ根本のごとし。「耀」は「耀魄宝」なり、北辰の帝の名号なり。これは太皇の帝が本來北辰の帝と一つの本元より出づるを説く。「元」は天の始めなり。天の精気は五種あり、即ち蒼帝霊威仰の類いの五方の天帝なり。それら分布排列し・輪番に当直して各々期限あり、毎期各々七十二日を占む。所謂「主に十神を叙す」は、天上の二十八宿と北斗とを指す。
天地成位,君臣道生。君五期,輔三名,以建徳通萬靈。成猶定也。言天地尊卑已定,乃後有君臣也。君之用事,五行代王亦有期,如太之君。輔臣三名,公卿大夫主炁者。人君亦以此主其徳於天下,通於萬物之靈,因之致其符長為瑞應。
天地各々其の位に就き、君臣の道これに由りて生ず。君主は五行代王の五種の期次あり、輔臣は三等の名位ありて、以て徳政を樹て・万物の霊に通ず。鄭玄注す、「成」は猶ほ確定のごとし。これは天尊地卑の位次已に定まり、此の後に乃ち人間の君臣ありと説く。君主の執政は、五行の相代わりに按じて王と稱し、亦各々期限あり、上文の説く太皇の君の如し。輔臣の三名は、公卿・大夫これらの節気政令を分掌する者を指す。君主も亦此れに依りて天下に其の徳教を推行し、上は万物の神霊に通じ、因りて符命と祥瑞の応験とを招来す。
遂皇始出,握機矩,表計宜,其刻白,蒼牙通靈,昌之成,孔演命,明道經。矩,法也。遂皇謂燧人,在盧羲前始王天下,但持斗機運之法,指天以施敎令,作其圖緯之計演。時無書,刻白。蒼精牙肩之人,能通神靈之意,謂伏羲將作《易》也。昌,文王名也,又將成之,謂觀象而繫辭也。
燧皇は最も先に世に出で、斗機の法と規矩とを掌握し、表を立てて時宜を推算し、推算の結果を白版に刻めり。此の後蒼牙の人神霊に通達し、姫昌其の事を成し、孔子天命を推演して大道の常経を闡明せり。鄭玄注す、「矩」は則ち法則なり。「遂皇」は燧人氏を指し、彼は伏羲の先に最も早く天下に王と稱し、ただ北斗運転の法を執掌し、天象を指して教令を頒布し、圖緯の類いの推算演繹を作出せり。あの時未だ文字典籍なく、故に結果を白版に刻めり。「蒼精牙肩」の人は能く神霊の意旨に通達すとは、伏羲の將に《易》を創作せんとするを説く。「昌」は周文王の名にして、彼が又將に此の事を成就せんとするを説く、即ち物象を觀察して卦爻辞を繫ぐるを指す。
○案:馬驌《繹史》引作「燧皇始出,握機矩,表計寘圖,其刻曰蒼牙通靈」,孫古書引作「其刻曰蒼渠通靈」,皆與此文異。
輯校者按す:馬驌《繹史》の此の段を引用するに「燧皇始めて出づ、機矩を握り、表計して圖を寘き、其の刻に曰く蒼牙通霊」と作り、孫氏の輯する古書は則ち「其の刻に曰く蒼渠通霊」と引く。此の両処の引文は本書の现存の文字と皆同じからず、此の段の流傳中に已に異文あるを見るべし。
燧人之皇沒,虙戲生,本尚芒芒,開矩聽八,蒼靈唯精,不慎明之害類逺振。聽猶慎也。虙戲作八,本尚芒芒然,闓燧皇握機矩所作計演之圖,思其所言作八卦之象。倉渠即已也,當通靈唯,之言專也。觀象於天地,取鳥獸萬物之具,專精於此而作八卦。卦既成,令以行,惡類逺去,唯善者存也。
燧人の皇去世し、伏羲出生す、あの時世道は尚お一片の蒙昧なり。彼は規矩を開啓し・審慎に推演して八卦を成し、蒼精の霊は專一に貴ぶ、若し謹慎明察せざれば、為害の類いは遠々と震盪して開く。鄭玄注す、「聴」は猶ほ謹慎のごとし。伏羲の八卦を創作する時、世道は本來尚お混沌未開の様子なり、彼は燧皇の執掌する斗機規矩の作れる推算圖を開き、圖中の示す所を思索して八卦の象を作成せり。「倉渠」は即ち前文の説く「蒼牙」なり。「通霊唯」の「唯」に至っては、專一の義なり。彼は仰ぎ觀て俯ね察めて天地の象を見、鳥獣萬物の形體に取法し、專心精思して此れに於いて八卦を作れり。八卦既に成り、教令は推行するを得、凶悪の類いは遠く退き、ただ善類のみ存留するを得たり。
撢度出表挺,後名知命,陳效睹,三萬一千一終,一名虙方牙蒼精作《易》,無書以盡序,驗曰矩衡神五鈐,興象出亡徵應。矩,法也。鈐猶要也。虙戲時質道樸,作《易》以為政令而不書,但以畫見其事之形象而已矣。
深く法度を探りて表を立てて推測す、後世は之を天命を知ると稱す。其の効験を陳列せば歴歴として睹るべし、三萬一千年を歴て一個の大周期は終結す。伏羲方牙と名づくる蒼精の帝ありて《易》を創作し、當時文字なくて其次第を盡述すべからず、其の験辭に曰く「矩衡神五鈐」、卦象を興起して存亡の徵兆と感應とを顯示す。鄭玄注す、「矩」は法則なり。「鈐」は猶ほ綱要のごとし。伏羲の時、民は質にして道は朴なり、彼は《易》を作して以て政令と為すも文字に著さず、ただ卦を畫いて以て事物の形象を顯示するのみ。
○案:馬驌《繹史》引作「伏羲方牙精作《易》,無書以畫事」,與此文異。後執期仲之歲,有人侯牙渠倉軀,演步有鳥衡雌始感,龍鳯興昌,光提亡,鳥龜排。相推移也。鳥,南方之象;龜,北方之象也。今赤將亡,故鳥與龜相推移,水沴火也。坎氣逆乎陽,衡晦象昧,見斗旬鬥雞,誰謀者?水宰之臣,冰妖效。七九摘亡,名合行之孫。其謀爭也。
輯校者按す:馬驌《繹史》の此の句を引くに「伏羲方牙精《易》を作る、書なく以て事を畫く」と作り、本書の文字と同じからず。此の後期運を執掌する仲の年に至り、人ありて侯牙・渠倉の類いの骨相を生就し、步算を推演して鳥衡の雌ありて始めて感應し、龍鳳興起昌盛し、光提の運告げ終り、鳥と龜と更相に推排す。鄭玄注す、「鳥龜排」は即ち二者の互相に推移替代するなり。鳥は南方の象徵、龜は北方の象徵なり。如今赤德將に亡びんとす、故に鳥と龜と互相に推移す、これは水氣の火德を侵害するなり。坎水の氣は陽氣に逆犯し、衡星昏晦にして天象暗昧、北斗の連日相鬥して鷄の相爭うが如き怪象出現す、これは誰か事を謀るや。鄭玄注す、これは水を主る臣なり、氷雪の妖は即ち其の應なり。七九の數を以て存亡を推算し、其の名と行事とは某人の孫の身上に應ず。鄭玄注す、これは彼らの謀劃が爭奪に出づるを説く。
代者東北,名有水。此謀者土精之人也。東北艮卦也,艮屬土,又萬物之所終始成也,故黃精起。鳥名有水者,騰火離氣亂禍,蜚石黃神盛,類黒而聖。法曰:艮四季之勢,紐斗機,孤南角奎而觀之,其行明,其表知,興雷氣感上鉤鈐躍。
之に代わる勢力は東北に起り、名號の中に水を帶ぶ。鄭玄注す、此の事を謀る人は土德の精の生まれる所なり。東北は艮卦の方位、艮は土に屬し、又是れ萬物の終りて復た始まり・一切を成就する處、故に黄德の精興起す。所謂「鳥名水有り」は、騰騰たる火氣と離卦の氣とが錯亂して禍と成り、飛石の異出現して黄神旺盛なり、其の氣類は色黑くして聖德有りと説く。占法に曰く、艮は四季の末の形勢を主り、北斗の樞機を聯結し、獨り南方の角宿・奎宿の位に當りて之を觀測し、其の運行顯明にして、其の表候知るべく、雷氣を興起して上は鉤鈐の星に感じて躍動已まず。
季炁逆於奎,群入庶桀爭,狼斗牛連,龍怪見,大臣反,陽搖不靜。代者起西北,以木為姓。木勝土也。上之名行合四卦。四卦,四季乾艮巽坤炁亂也。提白者強,聖殺倉乃見,謀正也。其世式視此。謀者金精之性斷割,故謀必正也。法曰:兌其握規矩,化土候授興星感紀,土五殘無旗,枉矢見震氣於昴。
季末の氣は奎宿に逆行し、羣小並び進み・衆桀爭强し、狼星と牛宿と相鬥い相連なり、龍形の怪異出現し、大臣反叛し、陽氣搖動して安靜せず。之に代わる者は西北に興起し、木を以て姓と為す。鄭玄注す、これは木の能く土を克するを以てなり。上文の説く名號行事は、四維の卦に合す。所謂四卦は、即ち四季の末を主る乾・艮・巽・坤の四卦の氣の錯亂するなり。白德を提擧する人强盛なり、聖人蒼德を誅殺して後に乃ち顯現し、其の謀劃端正なり。當世の格局は則ち此の條に照らして看る。鄭玄注す、事を謀る者は金精の性を秉受し、果斷に裁割す、故に謀劃必定端正なり。占法に曰く、兌卦は規矩を執掌し、土德の候を化育して興起の星を授與し・綱紀に感應す、土數五にして殘缺して旗なく、枉矢の星出現し、震氣昴宿に顯る。
震繫蒼精,洩鳥祥之妖,入效不義也。亂起勢多亡,行之名合胡誰。胡猶何也。秦赤金精也,及築長城以扞故羗義,名字胡亥也。案註文疑有脫誤。代者起東南,若房其謀。何謀也。執明之臣反,炁亂假殺,赤乃至。
震卦は蒼精に系屬し、鳥形祥瑞の中の妖異を泄露し、進んで不義の事と應驗す。禍亂一たび起れば、形勢多くは敗亡を主り、行事の名號は「胡」の字に合す。鄭玄注す、「胡」は猶ほ「何」と説くがごとし。秦は赤色の金精にして、長城を修築して舊日の羌人を抵禦するに到るに及び、此の名字は正に胡亥の身上に應ず。輯校者按す、此の段の注文は脱漏訛誤あるを疑う。之に代わる者は東南に興起し、其の謀劃は房宿の象の如く有り。鄭玄注す、これは謀る所は何なるかを問うなり。明德を執掌する大臣反叛して、氣機錯亂して假手誅殺し、赤德是の上に到來す。
法曰:坎其表執紀,其精信,其行道權合寳。坎失命,亂在土地之長。坎體互有震艮,震者動,山艮為山,動髙如山,土地之長之象也。此坎炁亂,亦黒衰之時也。興月感。坎為月,黒帝將興,其母感於丁月而生之。亡則地裂山淪,鬼夜哭,將顧。執期者,五期三名也。有人候牙眉,牙肩之表必為侯者也,是謂文王演易而步之行也。時有赤鳥銜月書受之。
占法に曰く、坎の表候は綱紀を執掌するに在り、其の精氣は誠信を主り、其の行事は正道と權變とを以て寶命に合す。坎一たび天命を失はば、禍亂は則ち土地を掌管するの長官の身上に出づ。鄭玄注す、坎卦の互體の中に震と艮とを含み、震は動を主り、艮は山と為り、動して山の如く高峻なるは、正に土地の長を掌るの象なり。此の時坎氣錯亂す、即ち黑德衰敗の時なり。黑帝の興起は、月に感じて生まるるなり。鄭玄注す、坎は月と為り、黑帝將に興起せんとして、其の母は丁月に感應して彼を生めり。若し當に亡ぶべきの時ならば、則ち大地開裂し・山陵陷落し・鬼夜に號哭して、將に其の運を回顧せん。鄭玄注す、所謂「執期」は、指す所は五期三名なり。「人ありて牙眉を候す」は、牙肩の相を生有する人は必定侯位を封ぜらるるを説き、文王の《易》を推演して其の運行を步算するを説く。當時赤鳥ありて月書を銜えて前に來り、文王は之を接受せり。
○案:此注應在「後執期仲之歳」下,錯簡在此。一角期偶,水精得括考備,據誰授赤,戴勝。一角謂麟也。文王得赤烏書而演《易》,孔子獲麟而作彖象及繫辭以下十篇,故謂麟應期而來偶赤烏也。水精者,孔子也。得獲括考備者,易道也。赤為漢也,漢火精,髙帝之表戴勝。自虙戲方宋記此,皆斗圖言之也。得或將。
輯校者按す、此の一條の鄭注は應當に「後に執期仲の歲」の句の下に排すべし、如今錯簡して此處に排せり。一角の獸期に應じて赤烏と相配し、水精の人は《括》《考》《備》の諸篇を得、何を憑りて赤德に授命するや。憑る所は戴勝の相なり。鄭玄注す、「一角」は麒麟を指す。文王は赤烏の銜える天書を得て《易》を推演し、孔子は麟を獲て《彖》《象》及び《繫辭》以下の十篇を作れり、故に麒麟の期に應じて來り・赤烏と相配すと曰う。「水精」は孔子を指す。「括考備を得獲す」は、易道を説く。「赤」は漢朝を指し、漢は火德の精にして、漢高帝の相貌は戴勝の表あり。伏羲より一直に宋人の此の事を記錄するに至るまで、憑據する所は皆斗圖の説なり。「得」字は一に「將」と作る。
○案:註文疑有脫字。法曰:乾其表握合元斗執機運,元為靈根,其德挺文,其理持義,招神布節建君,君道應,因秉命權巽布震。乾為君,君不親執事,臣言之則應,臣行之則因。震與巽為乾,是後秉權也。震為長子,布殺於震,使代已也。易故君道德慶,荷皇瑞出,龍見岱宗,名輔主。
輯校者按す、此の段の注文は脱字あるを疑う。占法に曰く、乾の表候は合元の斗を把握し・天機の運轉を執掌するに在り、元氣を以て靈根と為し、其の德は文明を挺立し、其の理は道義を秉持し、神靈を招引し・節候を布列して君位を確立し、君道此れに由りて感應を得、因りて天命の權を秉承し、巽に布施して震に運化す。鄭玄注す、乾は君と為り、君主は親自ら事務を操辦せず、臣下進言すれば君主則ち應諾し、臣下行事すれば君主則ち依從す。震と巽と皆乾に統屬す、これは其の後臣下に由りて權柄を秉持するを説く。震は長子と為り、肅殺の政を震位に布置するは、長子をして自己に代わりて行事せしむるなり。故に《易》の講ずる君道は德澤慶賞ありて、皇天の祥瑞を承受して出で、黄龍岱宗に出現すとは、賢名あるの臣の君主を輔佐する有るを説く。
岱,東嶽也。名,乾徳純,或傳賢不與子。黃龍見岱宗,震人將興也。人有俊才曰名。河出龍圖,授帝戒曰:帝跡術感其與侯房精謀。震為足,故蒼帝之興多以跡戲,后稷之生則然。其起委曲為諸侯,金木及火據上也。其徵又五星聚房,亡茀㓨心斗日之宿。巽,巽炁逆風於乾,大臣文宰謀事成日虹,皆金妖之變親。
鄭玄注す、「岱」は東岳泰山なり。所謂「名」は、乾德純粹にして、或は位を賢者に傳えて子に傳えざるを説く。黄龍岱宗に出現するは、震方の人將に興起せんとするなり。人に傑出の才幹あれば則ち「名」と稱す。黄河龍圖を出現して、帝王に授ける誡辭に曰く、帝王の行迹と術數とは、諸侯房宿の精謀に感應す。鄭玄注す、震は人身に於いて足と為り、故に蒼帝の興起は多く足迹と關係あり、后稷の降生は即ち此の如し。彼らは起初曲折に諸侯を做し過ぎ、金・木及び火德其の上に據れり。其の徵兆は又五星の房宿に聚まり・彗孛の氣心宿・北斗與太陽の在る所の星宿を侵犯す。巽に至っては、巽氣風に逆い沖犯して乾位に及び、大臣與文職の宰輔事を謀りて白虹日を貫く出現す、これらは皆金妖の變の親驗なり。
七九摘亡,名合晚侹。代者赤兌姓。兌姓有金,其人謀謫明機。七傑仁出,黃佐命,蒼輔術。此赤兌者,謂漢髙帝也。代周蒼,故為赤,赤火色也。黃者火之子,故佐命,張良是也。蒼,火之母,故輔術也。震氣亂,石隕山亡,長人出。震體互有艮,艮為山小石。庶聖東南,巽氣殺,自金帝詳而發。乾道失,君上之變,一而五德異節。
七九之數を以て存亡を推算し、其の名は「晚侹」に合す。之に代わる者は赤德の兌姓なり。鄭玄注す、兌姓は金に屬し、此の人は事を謀るに能く謫察して機要を明察す。七位の仁德豪傑世に出で、黄德の人天命を佐助し、蒼德の人其の術を輔成す。鄭玄注す、此處の「赤兌」は、漢高帝を説く。彼は周朝の蒼德に代わり、故に赤德に屬し、赤は火の顏色なり。黄は火の生ずる子なれば、故に來りて命を佐く、張良は即ち此の様の人なり。蒼は火の母なれば、故に其の術を輔成す。震氣錯亂せば、則ち隕石墜落し・山陵崩毀し・長人出現す。鄭玄注す、震卦の互體の中に艮を含み、艮は山と為り・小石と為る。衆多の聖者東南に出で、巽氣肅殺を主り、金德の帝に從りて詳審發動す。乾道失有れば、即ち君上の變にして、天下は一に歸すといえども五德の節次は各々相同ならず。
法曰:離其表握衡合提翼,太理天題,赤兌宣體,坎候野十刃之魚四射。七九摘亡,名合討吾。代者起西南,以火為姓。西南坤卦也,坤為土,土消水,以火姓似誤,北方之宜為土。氣逆火變,放殺黃而起,天下靜。
占法に曰く、離の表候は玉衡を執掌し・提翼の星に合するに在り、大理天題の象を為し、赤德兌姓其の形體を宣布し、坎は原野に候して十刃の魚ありて四面迸射す。七九之數を以て存亡を推算し、其の名は「討吾」に合す。之に代わる者は西南に興起し、火を以て姓と為す。鄭玄注す、西南は坤卦の方位にして、坤は土と為り、土は能く水を消す。此處に「火を以て姓と為す」と説くは誤りある似たり、北方の宜しき所は應當に土德なり。氣機逆行して火德變異し、黄德の君を放逐誅殺して興起し、天下乃ち安靜するを得たり。
法曰:坤文演曰「牝馬之貞」,信神形。神形者,謂坤也。坤為地,其形信矣。文王又因信之者,牝馬地類,行地無疆,是以孔子亦因而信之,將有取於事此時,故先云然。黑白繫名,搖命子,據其題由乾成,黃赤蒼道之貞。貞猶信。黃赤蒼謂木火土之君者,信遵不繫於一。其王天下也,其當録運即得與子孫,不當即禪位。此又東方喪朋之事,彖曰「東北喪朋,乃終有慶」,亦握慶七九九還復受賞之意也。尚書中黃倉七禪自黒不。
占法に曰く、坤卦は、文王の演辭は之を「牝馬の貞」と稱し、神形に信を取る。鄭玄注す、所謂神形は、説く所は坤なり。坤は地と為り、其の形體は信ずべきなり。文王は又此の一點に順って信從す、是れ牝馬地類に屬し、大地を行走して邊際なきを以てなり。故に孔子も亦因りて信從し、將に當時の事に取用せんとし、故に先ず此の様に説く。黑與白は名號に系屬し、天命を搖動して子嗣に授予し、其の題號に依據して乾德に由りて成就し、黄・赤・蒼の三德の道は皆貞信に歸す。鄭玄注す、「貞」は猶ほ信のごとし。黄・赤・蒼は木・火・土の三德の君主を説き、彼らは信守遵行して某一家一姓に系せず。彼ら天下に王と稱す、若し應當に運數を承受せば、則ち子孫に傳うる能く、承受すべからざれば、便ち禪讓を行う。これ又東方喪朋の一類の事に屬し、《坤卦・彖辭》に「東北朋を喪う、乃ち終りに慶有り」と説く、即ち慶を握りて七九・九は還復して賞賜を受くるの義なり。《尚書中黄》に蒼德七世にして禪讓を行うと説き、黑德以下に自りては則ち此の様にあらず、此の句以下の文字は已に脱落あり。
○案:此注末句疑有脫文。黒南,故曰狼相為聽。聽猶治也。《說卦》曰「聖人南面而聽」。堯禪位,則後人録運當矣。臣禹之録,子孫桀為無道,天滅其紀,陽之起也。此又卜安貞之事。知命卜符於名人。此符謂天子之命祿也。以堯舜遭之以位相禪,夏滅絶而授湯,則知天命卜符以有所與者,要於號名人耳,謂賢聖也。
輯校者按す:此の條の注の末句は脱文あるを疑う。黑德は南に居り、故に狼相を以て聽と為す。鄭玄注す、「聽」は猶ほ治理のごとし。《説卦》に曰く「聖人南面して天下を聽く」。堯は君位を禪讓す、然らば後の人の運數を承受するは應當なり。臣子禹は運數を承受し、其の子孫夏桀は無道にして、上天は其の綱紀を滅絕せり、これ即ち陽德の興起なり。これ又卜問安貞の事に屬す。天命を知るは、則ち符命を有名の人に卜屬す。鄭玄注す、此處の「符」は、天子の受くる命祿を指す。堯舜相遇して君位を以て相禪し、夏朝滅絕して商湯に授命するこれらの事より觀れば、天命符運の授與ある所以は、關鍵は只だ名號の其の人に著するに在りを知るべし、説く所は賢人と…
震離艮兌而五行備矣。蓍六法則以乾為始、坤為終者,四十二君,純徳有七,其三法天,其四法地。凡下用事作軌名,過軌之大數三萬一千九百二十歲而一終。其未終也,得自知其軌各七百六十。天數終而君不備,則天地各一純德禪位,不然世所謂遭七純徳禪位。不然世所謂遭七純德當禪者也。當七者,或獨乾,或及坤,故此六法以乾坤為終始。
再び震・離・艮・兌を加えれば、五行の德は則ち齊備す。蓍策の六種の法則は、乾を以て開端と為し・坤を以て終結と為し、共に四十二位の君主を歴て、其中の純德の君は七位あり、三位は天に取法し、四位は地に取法す。凡そ下位に在りて執政して軌則名號を建立する者は、軌則を超出する大數は三萬一千九百二十年にして一個の大周期終結す。尚お未だ終結せざるの時、各々自ら其の軌數を推知すべく、各々七百六十と為す。天數已に終りて君德尚お完備せざれば、天地各々一位の純德の君を出して禪讓を行はしむ。鄭玄注す、然らざれば、即ち世人の説く七純德に遭逢するなり。所謂遭逢七純德は、即ち世人の説く應當禪讓する那七位なり。此の七數に當るは、或は只だ乾のみ、或は兼ねて坤に及ぶ、故に此の六種の法則は乾坤を以て始終と為す。
極厚王命之氣。孔子表《洛書摘亡闢》曰:亡秦者胡也。丘以推,秦白精也,其先星感河出圖挺白,以胡誰亡胡之名行之。名行之萌,秦為赤軀,非命王,故帝表有七五命七以永慶王,以火代黒,黒畏黃精之起,因威萌。
これは極めて深厚なる王命の氣なり。孔子は《洛書摘亡辟》を標擧して曰く、秦朝を滅亡せしむるは胡なりと。鄭玄注す、孔丘は此れに據りて推算す、秦は白色の金精にして、其の先祖は星に感じて生まれ、黄河は圖を出して白德を挺立せしむ、故に「胡」の名號を以て「誰か亡ぶ」の問に應驗せしむ。名號行事の萌兆は:秦は本來赤色の軀にして、併に真正の受命の王に非ず、故に帝王の表候に七と五とあり、受命の數は七を以て、用いて長久に慶賞して王と為す。火德を以て黑德に代わり、黑德は黄精の興起を畏懼し、於是勢に乘じて威權を萌發す。
虙羲作易,仲仲命徳維紀衡。仲謂四仲之卦,震、兌、坎、離也。命徳者,震也則命之曰木徳;兌也則命之曰金徳;坎也則命之曰水德;離也則命之曰火徳。維者,四角之卦,艮、巽、坤、乾也。紀猶數也,衡猶當也,維卦起數之所當,謂若艮於四時之數當上春。
伏羲は《易》を創作し、四仲の卦を以て五德を命定し、四維の卦を以て其の數の當たる所を紀定す。鄭玄注す、「仲」は四仲の卦を指し、即ち震・兌・坎・離なり。所謂「命德」:震卦に屬する者は、則ち木德と命名し、兌卦に屬する者は、則ち金德と命名し、坎卦に屬する者は、則ち水德と命名し、離卦に屬する者は、則ち火德と命名す。所謂「維」は、四隅の卦を指し、即ち艮・巽・坤・乾なり。「紀」は猶ほ數目のごとし、「衡」は猶ほ相當のごとし、四維の卦の起算する數の當たる位置は、譬へば艮卦は四時の數の中に於いて孟春に當るが如し。
○案:《說郛》本作「虙羲作易,仲命徳紀衡」,與此文異。周文増通八八之節,轉序三百八十四爻,以繫王命之瑞,謀三十五君,常其一也,興亡殊方,各有其祥。八八之節,六十四卦於節氣各有王也。以繫王命之瑞,此《乾鑿度》跡妭所生,每卦六爻,爻曰一曰之術也。
輯校者按す:《説郛》本は「虙羲易を作り、仲德を命じ衡を紀す」と作り、本書の文字と同じからず。周文王は六十四卦の節候を增廣貫通し、轉じて三百八十四爻を排定し、以て王命の祥瑞を繫連し、三十五位の君主を推謀す、常法は一種のみにして、興と亡と各々不同の方位に據り、各々各々其の徵祥あり。鄭玄注す、所謂「八八の節」は、六十四卦が各個の節氣の中に各々當王の時あるを説く。所謂「以て王命の瑞を繫ぐ」は、即ち《乾鑿度》の説く帝王の行迹感生の義にして、每卦六爻、一爻は一日を主るの推算の術なり。
封於太山,禪於梁陰,易姓之起,刻石明號。封壇皆謂祭之時築土為其神位。《孝經鉤命決》曰:封太山,考續燔燎於梁父,刻石紀號。此亦王者易姓而興之一方,故承上言而雲然。梁陰,梁父也,山名字誤。
泰山に壇を築きて天を祭り、梁陰に場を闢きて地を祭るは、これ改朝易姓の君の興起の標志にして、石を刻みて以て名號を彰明せんと要す。鄭玄注す、所謂封・壇は、皆祭祀の時に土を堆して以て神位と為すを説く。《孝經鈎命決》に曰く、泰山に封祭し、功績を考核して接續し、梁父山に燔柴して祭告し、石を刻みて以て名號を記す。これも亦帝王の姓を改めて興起する時の一種の做法にして、故に上文を承接して此の様に説く。「梁陰」は即ち梁父なり、山名の字の寫錯なり。
丘表大命,謀天皇,巽奎坤艮,出亡興之街,仲者帝命所保,行文出加政撥臣,陽候七,陰候八,皆行子午視卯酉,相違逺期沖六千三百變,非摘亡據興,盡在文昌所増卦爻,可以先知珍瑞之類,妭之將審其繫象通神明。此言文王推演卦爻之象,而嘉瑞應變怪諸物備字於其中焉。明者類視七若九,撰撥八卦,以推七九之録圖準命,畧為世題萌表試。
孔丘は天の大命を標擧し、天皇の運を推謀し、巽・奎・坤・艮の四位を以て、興亡の由る途徑を指出す。四仲の卦は帝命の保守する所にして、據りて文教を推行し・政令を頒布して臣屬を任用す。陽候は七を取り、陰候は八を取り、皆子午の線に循りて運行して卯酉の位を參看し、彼此相違するの遠期は相沖を以て計えて六千三百變と為す。これらは併に「摘亡」「據興」の那一套に止まらず、全く文昌の增益する卦爻の中に在りて、憑りて珍奇祥瑞の類いの事を預知すべく、愼審に繫ぐる象を考察して神明に通ず。鄭玄注す、これは文王の卦爻の象を推演するを説き、而して嘉美の祥瑞・應驗の變異・怪奇の諸物は、皆完備に其中に記載せり。明達の人は類に依りて觀察し、或は七を取り・或は九を取り、撰次分判して八卦を為し、用いて七九の圖錄を推求し・天命を校準し、大略世運の題號・萌兆と驗試の表候と作為す。
故十二月十二日政,八風二十四氣,其相應之驗猶影響之應人動作言語也。十二月者,正夏有小正,則王君明堂禮也。氣或為節也。故正其本而萬物理,失之毫釐,差以千里。釐,馬尾也。○案:朱彛尊《經義考》馮椅曰:館閣本作「正其本而萬物理,失之毫釐,差以千里」;漢儒引之作「君子正其始,萬物理,差以毫釐,謬以千里」。此文與館閣本合。
故に一年十二月・十二日の政令は、八方の風・二十四節氣と、其れら相應する驗證は影の形に隨い・響の聲に應ずるが如く、人の動作言語に應和す。鄭玄注す、「十二月」を説くは、夏代に《夏小正》有りて、あれは帝王明堂の禮なり。「氣」は或る本は「節」と作る。故に其の根本を端正すれば、萬物は則ち各々其の理を得、毫釐を差失せば、則ち千里を以て謬る。鄭玄注す、「釐」は馬尾の細毫なり。輯校者按す:朱彝尊《經義考》は馮椅を引きて曰く、館閣本は「其の本を正して萬物理、之を失うこと毫釐、差うること千里を以てす」と作り、漢儒の徵引は則ち「君子其の始を正すれば萬物理、毫釐を以て差し、千里を以て謬る」と作る、本書の此の句は館閣本と相合す。
冬至五日の禮と八能の士
正此之道,以日冬至日始,人主不出宮,商賈人眾不行者五日,兵革伏匿不起。冬至時陽氣事欲靜,以得其著定也。必五日者,五土數也,土靜故以其數焉。革,甲也。人主與群臣左右從樂五日,天下人眾亦在家從樂五日,以迎日至之大禮。
此の根本を端正するの辦法は、冬至の此の日より始めん:君主は宮門を出でず、商賈百姓は出行を停止すること五日、兵器甲胄は收藏隱匿して動用せず。鄭玄注す、冬至の時、陽氣初生す、行事は宜しく靜にして、才ただ之を穩固確定せしむべし。必ず五日に滿たんは、五は土の數にして、土は安靜を主るを以て、故に其の數を取る。「革」は即ち甲胄なり。君主は群臣左右と一同に作樂すること五日、天下百姓も亦家中に作樂すること五日、以て冬至此の日の大禮を迎接す。
人主致八能之士,或調黃鍾,或調六律,或調五聲,或調五行,或調律歴,或調陰陽,政徳所行,八能以備。人主乃縱八能之士,擊黃鍾之鍾,人敬稱善言以相之。八能以備,巽之人數足也。八能之士各欲誠其事,人君於是聽之,為之擊黃鍾之鍾,則樂事作矣,所謂金奏也。相,助差若言助之明心扣。
君主は八能の士を延請す:或は黄鍾を調校し、或は六律を調校し、或は五聲を調校し、或は五行を調校し、或は律曆を調校し、或は陰陽を調校し、凡そ政教德化の推行せんと要する所は、此の八種の技能皆齊備するを須とす。君主是の上に放手して八能の士をして黄鍾の鍾を敲擊せしめ、衆人は恭敬に善言を稱說して其の事を襄助す。鄭玄注す、「八能以て備ふ」と説くは、巽位の人の數目已に足るを説く。八能の士は各々心を盡して自己の那一項を辦好せんと想い、君主是の上に彼らを聽取し、彼らの為に黄鍾の鍾を敲響し、是の上に樂事興作す、これ即ち所謂「金奏」なり。「相」は襄助なり、「助差」は猶ほ彼が心を明らかにして叩擊するを幇すがごとし。
○案:《禮記·月令》孔頴逹疏作「夏至,人主從八能之士,或調黃鍾,或調六律,或調五音,或調五聲,或調五行,或調律歴,或調陰陽,或調政徳所行」,與此文異,註文亦有脫誤。乃權水輕重,釋黃鍾之公稱黃鍾之重,然擊黃鍾之磬,公卿大夫列士。乃使八能之士擊黃鍾之鼓,鼔用革焉,鼔員徑八尺一寸。鼓黃鍾之琴,瑟用槐木,瑟長八尺。吹黃鍾之律,間音以竽。補,竽長四尺二寸者,火數七,於冬至之時吹之。冬至水用事,水數六,六七四十二,竽之長蓋取之。
輯校者按す:《禮記・月令》孔穎達疏の引くに「夏至、人主八能の士に從う、或は黄鍾を調し、或は六律を調し、或は五音を調し、或は五聲を調し、或は五行を調し、或は律曆を調し、或は陰陽を調し、或は政德の行う所を調す」と作り、本書の文字と同じからず、注文も亦脱漏訛誤あり。是の上に水の輕重を稱量し、據りて黄鍾標準器の分量を定出し、黄鍾の重を稱出し、然る後に黄鍾の磬を敲擊し、公卿・大夫・列士皆在場す。接續して八能の士をして黄鍾の鼓を敲擊せしむ、鼓面は皮革を以て蒙ぎ、鼓身の圓徑は八尺一寸なり。黄鍾の琴を彈奏し、瑟は槐木を用いて制成し、瑟身の長は八尺なり。黄鍾の律を吹奏し、竽を用いて間隔配音す。鄭玄注す、補して一句説く、竽の長は四尺二寸、是れ火數が七なるを以てなり。冬至の時に之を吹奏す、冬至は水の當令にして、水數は六、六乘じて七は四十二を得、竽の長度は大概此の數より取れり。
○案:孫古書「權水輕重」下無「釋黃鍾之公」句,「公卿大夫列士」下有「以徳賀於人主」句,「鼓用革焉」作「鼓用馬革」,「鼓黃鍾之琴」作「黃鍾之瑟」,「間音以竽」作「閒音以笙」,無「補竽」二字,「長四尺二寸」作「長四尺一寸一分」。
輯校者按す:孫氏の輯する古書は、「水の輕重を權す」の下に「黄鍾の公を釋す」の句なく、「公卿大夫列士」の下に却って「德を以て人主に賀す」の一句を多出し、又「鼓革を用うる焉」を「鼓馬革を用う」と寫作し、「黄鍾の琴を鼓す」を「黄鍾の瑟」と寫作し、「竽を以て音を間す」を「笙を以て音を閑す」と寫作し、併せて「竽を補す」の二字なく、「長四尺二寸」は則ち「長四尺一寸一分」と作る。此の段の異文頗ろ多しと見るべし。
天地以扣應,黃鍾之音得,賓之律應,則公卿大夫列士以德賀於人主,因諸政所請行,五官之府各受其當。聲調者諸氣和,則人主以禮賜公卿大夫列士。扣謂聲也,磬也,鼓也,瑟也,竽也,四者之調而時炁和,群臣之功也,故當以禮差賜也。
天地は叩擊に隨りて感應し、黄鍾の音其の正を得、蕤賓の律之に隨りて應和し、是の上に公卿・大夫・列士は德行を以て君主に稱賀し、各項の政事の請求推行する所に依照して、五官の府は各々自己と相當する職任を領受す。聲律調諧して諸氣和順なれば、君主便ち禮制に按じて公卿・大夫・列士を賞賜す。鄭玄注す、「扣」は發聲の器を指し、即ち磬・鼓・瑟・竽なり。此の四者調諧して時氣和順なるは、群臣の功勞なり、故に應當等級に按じて禮に依り賞賜すべし。
五日儀定,地之氣和,人主公卿大夫列士之意得,則陰陽之晷如度數。君臣相與,冬至將祭天於圓丘而肄此樂及其禮,積五日而後定,定則可用矣,臣之意皆和而自得。冬至夏至日晷長短期數也。
五日の内禮儀演定し、地氣和順にして、君主は公卿・大夫・列士の心意皆各々其の所を得れば、然らば陰陽の應ずる日影は法定の度數に合す。鄭玄注す、君臣共同に演習し、冬至將に圓丘に於いて天を祭らんとす、先ず此の套の樂舞及び其の禮節を演練し、五日を積滿して後に定型し、定型して後乃ち正式に施用すべし、臣下の心意皆和洽にして自得す。所謂「陰陽の晷」は、即ち冬至・夏至の日影長短の定數なり。
夏日至之禮如冬日至之禮,舞八樂,皆以肅敬為戒。如者,如其從樂五日,致八能之士,鼓黃鍾,然後擊黃鍾之磬。舞八樂者,雲門、五英、六莖、大卷、大韶、大夏、大濩、大武也。乃舞八樂,備至徳,黃鍾之音調,諸炁和,人主之意慎,則蕤賓之律應。人主之音慎,炁字似誤,是近意之戔。
夏至の日の禮儀は冬至の日の禮儀と同じく、八種の樂舞を舞い、一概に肅穆恭敬を以て戒めと為す。鄭玄注す、所謂「如」は、即ち同樣に作樂すること五日、八能の士を延請し、先ず黄鍾の鼓を擂き、然る後に黄鍾の磬を敲く。所謂八樂を舞うは、《雲門》《五英》《六莖》《大卷》《大韶》《大夏》《大濩》《大武》此の八套の樂舞を指す。是の上に此の八套の樂を舞い、至高の德を具備し、黄鍾の音調諧し、諸氣和順にして、君主心意謹愼なれば、蕤賓の律則ち應和せん。鄭玄注す、「人主の音愼」の一句、其中の「炁」字は訛誤ある似たり、是れ「意」字と讀音相近なるに因りて混ぜり。
○案:意字據註文當作炁,似後人據注而改之。注中音字亦當作意。是近意五字有脫誤,大意謂意字炁字以音近而訛也。磬聲和,則公卿大夫列士誠信,林鍾之律應。上言聲而已,此言者但言磬以合鼓瑟及竽也,若三者不能然,磬則可知矣。
輯校者按す:正文の「意」字は、注文に據りて看れば應當に「炁」と作るべし、似たり後人の注文に依りて改動せるに、注中の「音」字も亦應當に「意」と作るべし。「是れ近意」此の五個字は脱漏訛誤ありて、大意は「意」字と「炁」字と讀音相近なるに因りて寫錯せりと説く。磬の聲音和諧なれば、公卿・大夫・列士は則ち皆誠信にして、林鍾の律之に隨りて應和す。鄭玄注す、上文は只だ「聲」に説き到るのみ、此處の説く所は只だ磬を擧げて以て鼓・瑟及び竽に配合す、若し那三樣此の如く能わざれば、然らば磬の情形も亦想い知るべし。
此謂冬日至成天文,夏日至成地理。天文者謂三光也,地理者謂五土也。三光行照天下,冬至而數訖;五土以生萬物養人,夏至而功定。於是時祭而成之,所以報之也。行有參差,生有先後,大時不齊,但人以此為正焉。
これは冬至の日に天文を成就し、夏至の日に地理を成就するを説く。鄭玄注す、天文は日・月・星の三光を指し、地理は五種の土壤を指す。三光は運行して天下を照臨し、冬至に到りて周數完畢し、五土は萬物を生長して以て人を養い、夏至に到りて功用定成す。故に此の兩個の時節に於いて祭祀を舉行して以てそれらを成全し、用いて其の功に報答す。三光の運行は參差あり、萬物の生長は先後ありて、大の時序は併に齊一劃一ならず、只だ人が冬至・夏至を取りて標準と作為すのみ。
○案:以上數叚與《續漢書·律歴志》劉昭補註及孫古書所載俱有異同,蓋注家引用不免刪節其文,而孫所集亦從類書中摭拾成文,不盡可據也。
輯校者按す:以上の幾段の文字は、《續漢書・律曆志》劉昭補注及び孫氏の輯する古書の記載と皆出入あり。大概は注を作る人の徵引するに難く原文を刪節することを免れず、而して孫氏の輯錄するも亦是れ類書より摘取拼合して成れるにして、皆完全に定本と據すべからず。
鼓用黃牛皮,鼓圓徑五尺七寸;瑟用桑木,瑟長五尺七寸;間音以簫,長尺四寸。鼓必以牛皮者,夏至離氣,離為黃牛。徑五尺七寸者,取於十乗蕤賓之律也,此律必以九與十者,天地數終焉。瑟用桑木者,栁槐條取其垂象炁下也。簫亦以管形似鳥翼,鳥為火禽,火數七也。於此與夏至之時改之,火用事數又有二七四,簫之長由此。○案:孫古書引鄭注「簫管形象鳥翼,鳥為火,火成數七,生數二,二七一十四,簫之長由此」,此本末句脫「之」字,「此」字不成句讀,今改正。
夏至の用いる樂器:鼓は黄牛皮を蒙ぎ、鼓身の圓徑は五尺七寸、瑟は桑木を用いて制成し、瑟身の長は五尺七寸、簫を用いて間隔配音し、簫の長は一尺四寸。鄭玄注す、鼓は必ず牛皮を用うるは、夏至は離氣に屬し、離は物象に於いて黄牛と為るを以てなり。圓徑に五尺七寸を取るは、十乘じて蕤賓の律の數を取るを以てなり。此の律は必ず九と十とを用うるは、天數地數此れに至りて終るを以てなり。瑟に桑木を用うるは、柳・槐の一類の枝條下垂の象を取りて、氣機の下に趨るを表示す。簫も亦竹管を用い、形狀は鳥の翅膀に象り、鳥は火に屬するの禽にして、火數は七なり。夏至の時に到りて此の幾樣を改用す、火の當令の數は又二・七・四の説あり、簫の長度は即ち此れに由りて來れり。輯校者按す:孫氏の輯する古書は鄭注を引きて「簫管形象鳥翼、鳥は火と為り、火成數七、生數二、二七一十四、簫の長は此れに由る」と作る。本書の末句は一個の「之」字を脱して、「此」字をして句讀を成さざらしむ、現に改正如り。
冬至に八神の表を立て・晷度占驗
故曰:冬至之日,立八神,樹八尺之表,日中其晷之如度者,則歲美,人民和順;晷不如度者,則其歲惡,人民為訛言,政令為之不平。晷進則水,晷退則旱,進尺二寸則月食,退尺則日食。月食糴貴,臣下不忠;日食則害王命,道傾側。故月食則正臣下之行,日食則正人主之道。
故に曰く:冬至の此の日、八神の位を立て、八尺高の圭表を樹起し、正午の時其の日影を測量す。日影法定の長度に合するは、此の年豐美にして、百姓和順す。日影法定の長度に合せざるは、此の年險惡にして、百姓は謠言を造作し、政令因りて不公平なり。日影定數を超過すれば水災を主り、日影定數に及ばざれば旱災を主る。尺二寸超出すれば則ち月食あり、一尺不足せば則ち日食あり。月食は糧價の騰貴・臣下の不忠を主り、日食は則ち王者の天命を損害して、治道をして傾側せしむ。故に月食に遇えば則ち臣下の行為を整肅するを要し、日食に遇えば則ち君主の治道を端正するを要す。
晷不如度數,則陰陽不和,舉錯不得,發號出令,置官立吏,使民不得其時,則晷為之進退,風雨寒暑為之不時。此言人君之政令不可不慎也,不慎則變異如此,天之應人象其事也。
日影法定の度數に合せざるは、即ち陰陽不調・舉措失當の表現なり。號令を發し・官吏を設置し・百姓を役使するに若し農時に合せざれば、日影は則ち因りて或は長く或は短かく、風雨寒暑も亦因りて時を失う。鄭玄注す、これは君主の政令は愼まざるべからずを説く。愼まざれば、變異は則ち此の様に出現す、上天の人に感應するは、正に人の為す所の事に取象するなり。
○案:《太平御覽》引作「日中視其晷,晷如度者則歳美,人民和順;晷不如度者則歲惡,人民多訛言,政令不平」。又「進尺二寸則月食,退尺則日食」二句,馬驌《繹史》引作「進二寸則月食,進尺則日食」,俱與此文異。晷進為贏,晷退為縮,稽為扶。贏者賞無功,富民重有餘;縮者罰無罪,貧民重不足。扶亦作此字。
輯校者按す:《太平御覽》の引く此の段は「日中其の晷を視る、晷度の如くなれば則ち歲美し、人民和順す。晷度の如からざれば則ち歲惡しく、人民多く訛言し、政令平ならず」と作る。又「尺二寸進めば則ち月食、尺退けば則ち日食」の兩句は、馬驌《繹史》の引くに「二寸進めば則ち月食、尺進めば則ち日食」と作り、皆本書の文字と同じからず。日影偏長のを「贏」と叫做し、日影偏短のを「縮」と叫做し、停滯して移らざるを「扶」と叫做す。贏の應驗は、功勞なき人を賞賜し、富家をして更に有餘ならしむ。縮の應驗は、罪過なき人を懲罰し、貧民をして更に不足ならしむ。鄭玄注す、「扶」も亦就ち此の字に寫作す。
○案:此注應在「稽為扶」句下。扶者,諛臣進忠臣退,扶聲相近字因然。世雲諛之言裕也,臣為裕君,使政不行。是故邪炁數至,度數不得,日月薄食,列星失其次,而水旱代昌,諛日進,忠臣日亡,萬物不成,諸神不享,終不變之則殃禍日章,是故歳惡,人民多不和之徵。
輯校者按す:此の條の注は應當に「稽を扶と為す」の句の下に排すべし。所謂「扶」は、諂諛の臣進用して忠直の臣退避するを指す。「扶」は「諛」と聲音相近く、字は因りて通用す。鄭玄注す、世人は「諛」を説いて則ち「裕」の義なりと為す、臣下一味に君主を寬縱して、政令をして推行能わざらしむ。故に邪氣屢屢到來し、日影度數失準し、日月相掩して食し、衆星應有の位次を失い、水災旱災交替して盛行し、諂諛の人一天一天進用し、忠直の臣一天一天消亡し、萬物成熟能わず、衆神來りて祭を享けず。若し始終改悔するを肯んぜざれば、災殃禍患は則ち一天一天顯著にして、故に年成險惡にして、百姓多く不和の徵兆あり。
謹候日冬至之日,見雲送迎,從下鄉來,歲美,人民和,不疾疫;無雲送迎,徳薄,歲惡。故其云青者飢,赤者旱,黒者水,白者為兵,黃者有土功。諸從日炁送迎,此其征也。歲惡之後難之,故又以此驗之爾。○案:謹候日冬至之日一節原本誤入小注,今改正。是故人主動而得天地之道,則萬物之精盡矣。諸精難知者於是盡矣,言皆如此。
愼重に冬至此の日を守候するを要す:若し雲の太陽を迎送し、低處鄉野の方向より昇起するを見れば、此の年豐美にして、百姓和睦し、疾疫なし。若し雲の太陽を迎送するなければ、即ち君德淺薄にして、年成險惡なり。故に那の雲若し青色を呈すれば饑饉を主り、赤色は旱を主り、黑色は水を主り、白色は兵事を主り、黄色は土木の役を興すを主る。鄭玄注す、凡そ日氣に隨りて來り・太陽を迎送する雲は、皆これらの徵兆なり。年成險惡の後は判斷し難し、故に又雲色を用いて之を驗證す。輯校者按す:「愼み日の冬至の日を候す」の此の節は原本誤りて小注に排入せり、現に改正如り。故に君主の一擧一動皆天地の道に合せば、萬物の精微は則ち皆其中に盡く。鄭玄注す、それら知り難きの精微の理は、此れに到れば則ち窮盡し、説く所は皆上面の此の類いの事なり。
