二十四氣候應・大寒
大寒,雪降,草木多生心,鵲始巢。三者,群物應炁至之候。陰盛也,多生心,陽炁起也。晷長丈一尺八分。黑陽雲出心,南黑北黃。大寒於坎直六三,六三得亥炁水也,為南黒;季冬土也,為北黃。
大寒の此の日、雪を降し、草木多く新たなの芽心を生出し、喜鵲始めて巣を築く。鄭玄注す、此の三種の現象は、衆物の節氣に應じて至るの物候なり。此の時陰氣極盛にして、而して草木多く芽心を生ずれば、陽氣已に萌動するを説明す。圭表の日影の長は一丈一尺八分なり。黑色の陽雲心宿に出で、南邊は黑色を呈し・北邊は黄色を呈す。鄭玄注す、大寒は坎卦に在りて六三爻に當り、六三は亥位の水氣を得、故に南邊黑色なり。季冬は土に屬し、故に北邊黄色なり。
當至不至,則旱後水,麥不成,人足少陰脈虛,多病蹶逆惕善驚。小寒炁不至為小旱小水,大寒不至有加勢也。稼合養於炁,炁失即傷矣。坎六三陰爻也,屬足,不至故令人脈虛,虛則足煩炁逆,本舌為病。此三平在震中,震為驚恐也。足少陰脈起於足上繫。未當至而至,則人足少陰脈盛,人多病上炁嗌腫。嗌者,水榖所由通。今初未當來而來,上炁嗌,嗌腫受其病,以少陰盛也。應在大暑,災期在周。
大寒の候到るべきに到らざれば、則ち先ず旱後に水して、麥子成熟せず、人の足少陰脉虛弱にして、多く厥逆・驚惕して易く恐るるの病を患う。鄭玄注す、小寒の氣至らざるは只だ小旱小水のみにして、大寒の氣至らざるは則ち程度更に重し。莊稼は節氣の氣に靠りて養育するを要し、氣一たび序を失はば則ち損傷を受く。坎の六三は陰爻にして足に屬し、氣至らざれば故に人の脉をして虛ならしむ。脉虛なれば則ち足部煩擾して氣機上逆し、病根は舌に在り。此の六三は平居震の位次の中に在り、震は驚恐を主る。足少陰脉は足部に起りて向上に聯繫す。大寒の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足少陰脉則ち偏盛にして、人多く氣逆上衝・咽喉腫痛の病を患う。鄭玄注す、「嗌」は水穀の通行する處なり。如今節候來るべからざるに提前して來れば、氣咽に上衝して、咽喉腫痛は即ち受くる所の病にして、これは少陰偏盛の緣故なり。應期は大暑に在り、災禍の分野は周地に應ず。
二十四氣候應・立春
立春,雨水降,條風至,雉雊,雞乳,冰觧,楊栁椲。降,下也。雊,鳴相呼也。栁青,楊色也。椲讀如柘楊梯,狀如女桑秀然也。晷長丈一尺二分。青陽雲出房,如積水。立春於坎直六四,六四巽爻,得木炁之雲如積水似誤。
立春の此の日、雨水降下し、東北の條風吹來し、野鷄鳴叫し、母鷄雛を孵し、氷始めて融解し、楊柳柔條を抽出す。鄭玄注す、「降」は即ち下落なり。「雊」は鳴叫相呼なり。「柳青」は楊の顏色なり。「椲」は柘楊梯の如く讀み、形狀は女桑の條を抽くる樣子に象る。圭表の日影の長は一丈一尺二分なり。青色の陽雲房宿に出で、形狀は堆積の水の如し。鄭玄注す、立春は坎卦に在りて六四爻に當り、六四は巽爻にして木氣を得、此の雲の積水に形如りと説くは誤りある似たり。
○案:《後漢書·律歴志》注作晷長一丈一寸六分。當至不至,則兵起,來年麥不成,人足少陽脈虛,多病疫瘧。立春木始王,炁不至兵起者,金沴之也。大旱似多雷麥,立春麥也。春不至者,陽炁出當小雨以釋之,炁失故麥不成。來年,羨字。坎六四陰爻也,屬足也,炁不足故令足脈虛。立春不至者,寒得其節也。疫瘧寒赤病,此當與火同為足少陰脈,言陽非。
輯校者按す、《後漢書・律曆志》注は「晷長一丈一寸六分」と作る。立春の候到るべきに到らざれば、則ち兵事興起し、來年麥子成熟せず、人の足少陽脉虛弱にして、多く時疫瘧疾を患う。鄭玄注す、立春は木氣始めて王に當り、氣至らずして兵事興起するは、金氣の之を侵害するなり。「大旱」は似たり「多雷」と作るべきか、此處の麥は立春の麥を指す。春氣至らざれば、本來應應當に陽氣外出して小雨を降して以て之を化解す、氣一たび序を失すれば故に麥子成らず。「來年」の「年」は衍字なり。坎の六四は陰爻にして足に屬し、氣足らざれば故に足の脉をして虛弱ならしむ。立春の氣至らざるは、寒氣仍お其の節令を據るなり。疫瘧は寒熱赤熱の病に屬し、此處は應當に火と足少陰脉に同屬するに、「少陽」と説くは對ならず。
○案:《後漢書》注作「兵起麥不成,民瘦瘵」,與此文異。未當至而至,則人足少陽脈盛,人多病粟疾疫。粟,痤腫也。春炁早成,麥盛而結生此病焉。王炁早陰則傷之,人疾疫者受其害也。脈亦當為足少陰矣。應在立秋,災期在道。○案:軒轅十二次,自張十八度至軫十一度曰鶉尾之次,立秋節斗建在申,今楚分野。《禮記·月令》注髙氏誘曰:孟秋之月日在翼,翼南方宿,楚之分野。則此處宜作楚,道字乃傳寫之訛也。
輯校者按す、《後漢書》注は「兵起り麥成らず、民瘦瘵す」と作り、本書の文字と同じからず。立春の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足少陽脉則ち偏盛にして、人多く粟疹と時疫とを患う。鄭玄注す、「粟」は即ち痤瘡腫塊なり。春氣早く成熟せば、麥子盛長して結實し、是の上に此の種の病を生出す。王に當るの氣早く來て陰氣反って之を傷れば、人時疫に染まるは、即ち其の害を受けたるなり。此處の脉も亦應當に足少陰と作るべし。應期は立秋に在り、災禍の分野は道に應ず。輯校者按す、軒轅十二次に依れば、張宿十八度より軫宿十一度に至るを鶉尾の次と叫做し、立秋の一節斗柄は申位に建ち、正に今天楚地の分野なり。《禮記・月令》注は高誘を引きて「孟秋の月日は翼に在り、翼は南方の宿にして、楚の分野と為る」と曰う。然らば此處は應當に「楚」と作るべく、「道」字は傳」字は傳寫の訛誤なり。
二十四氣候應・雨水
雨水,凍冰釋,猛風至,獺祭魚,鶬鷃鳴,蝙蝠出。猛風,動搖樹木有聲。倉庚鳴,伏地。蝙蝠,服翼。○案:馬氏《繹史》引作「獺祭魚,倉庚鳴」。晷長九尺一寸六分。黃陽雲出亢,南黃北黑。雨水於坎直九五,九五辰在申,得坤炁為南黃;猶坎也,故北黑。
雨水の此の日、凍氷消釋し、猛風吹來し、水獺魚を陳して祭り、鶬鶊鳴叫し、蝙蝠洞穴を出づ。鄭玄注す、所謂猛風は、樹木を搖動して聲響あるの風なり。倉庚鳴叫し、地に伏す。蝙蝠は又服翼と叫做す。輯校者按す、馬驌《繹史》の引くに「獺魚を祭る、倉庚鳴く」と作る。圭表の日影の長は九尺一寸六分なり。黄色の陽雲亢宿に出で、南邊は黄色を呈し・北邊は黑色を呈す。鄭玄注す、雨水は坎卦に在りて九五爻に當り、九五の辰位は申に在りて坤氣を得、故に南邊黄色なり。仍お坎に屬し、故に北邊黑色なり。
○案:晷長九尺一寸六分三句原本誤入注中,今改正。當至不至,則旱,麥不為,人手少陽脈虛,人多病心痛。雨水炁不至則轉為旱,旱故禁種春。坎九五陽爻,於脈宜為手太陽,雲少陽似誤。心痛,坎也。手太陽脈起為手小指端,上頥下目內皆。雨水以後為陽脈者。未當至而至,則人手少陽脈盛,人多病目。雨水木炁也,其盛為肝,肝在目,木炁於目則勞,勞故病。言脈亦當為於太陽也。應在處暑,災期在魏。
輯校者按す、「晷長九尺一寸六分」等の三句は原本誤りて注中に排入せり、現に改正如り。雨水の候到るべきに到らざれば、則ち旱ありて、麥子結實せず、人の手少陽脉虛弱にして、人多く心痛を患う。鄭玄注す、雨水の氣至らざれば則ち轉じて旱と為り、旱に因りて故に春種を禁止す。坎の九五は陽爻にして、經脉上に於いて應當に手太陽と作るべく、「少陽」と説くは誤りある似たり。心痛は、坎の應驗なり。手太陽脉は手の小指の末端に起り、上行して頤に至り・下は目內眦に至る。雨水以後の配する所は皆陽脉に屬す。雨水の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手少陽脉則ち偏盛にして、人多く眼病を患う。鄭玄注す、雨水は木氣に屬し、木氣偏盛すれば肝に應じ、肝は目に竅を開き、木氣目に聚まれば則ち勞損し、勞損すれば故に病を生ず。説く所の脉も亦應當に手太陽と作るべし。應期は處暑に在り、災禍の分野は魏地に應ず。
二十四氣候應・驚蟄
驚蟄,雷候應北。雷者,電之光,雷有光而未發聲。○案:古書作「驚蟄,大壯初九,桃始華不華,倉庫多火」,與此文異。晷長八尺二寸。赤陽雲出翼,南赤北白。驚蟄於坎直上六,上六得已炁,已火也,為南赤;又得巽炁,故北白也。
驚蟄の此の日、雷の物候は北方に應ず。鄭玄注す、所謂雷は、即ち閃電の光にして、此の時雷は光のみありて尚お聲響を發せず。輯校者按す、孫氏古書は「驚蟄、大壯初九、桃始めて華ならんとして華ならず、倉庫多火」と作り、本書の文字と同じからず。圭表の日影の長は八尺二寸なり。赤色の陽雲翼宿に出で、南邊は赤色を呈し・北色を呈し・北邊は白色を呈す。鄭玄注す、驚蟄は坎卦に在りて上六爻に當り、上六は巳位の氣を得、巳は火に屬し、故に南邊赤色なり。又兼ねて巽氣を得、故に北邊白色なり。
當至不至,則霧,稚禾不為,人足太陽脈虛,人多疫病瘧。驚蟄炁不至,是餘寒乘之也。後則推晷炁命稚禾之熟在八月,其時蟄蟲則有害,故禁種之爾。坎上六陰爻屬足,炁不至故命之脈虛。寒炁乗病瘧,寒也。上六得巽之炁為白,又為寡髮而自是老人也。太陽脈起足小指端至前兩板齒。
驚蟄の候到るべきに到らざれば、則ち霧を起し、晚種の禾苗結實せず、人の足太陽脉虛弱にして、人多く時疫瘧疾を患う。鄭玄注す、驚蟄の氣至らざるは、殘餘の寒氣勢に乘じて之を壓住したるなり。此の後則ち日影の氣を推算し、晚禾八月に成熟すと判定す、あの時蟄蟲還た害を為すを得れば、故に種植を禁止す。坎の上六は陰爻にして足に屬し、氣至らざれば故に其の脉虛弱と判定す。寒氣乘凌して瘧疾を生ずれば、あれは寒病なり。上六は巽氣を得て故に白と為り、巽は又頭髪稀少を主り、あれは自然に老人の象なり。足太陽脉は足の小指の末端に起り、一直に上行して前面の兩顆の門齒に到る。
○案:《後漢書》注作「稚禾不成,老人多病噎」。未當至而至,則人足太陰脈盛,多病癰疽脛腫。雷炁蚤至,動人肌膚,病癰疽者,肌膚不堪也,氣結生病也。足太陽脈起於下,其炁盛合脛腫。應在白露,災期在災。○案:病癰疽者四句原本誤入正文,應在白露句原本誤作小注,今改正。又災期在災,災字誤。考軒轅十二次,自軫十二度至氐四度謂之壽星之次,白露節斗建在酉,今韓鄭分野。《禮記·月令》注髙氏誘曰:仲秋之月日在角,角東方宿,鄭之分野。則此處疑當作鄭。
輯校者按す、《後漢書》注は「稚禾成らず、老人多く噎に病む」と作る。驚蟄の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足太陰脉則ち偏盛にして、多く癰疽と小腿浮腫とを患う。鄭玄注す、雷氣早く到來して、人の肌膚を擾動す。癰疽を患うは、肌膚の經受し堪えず、氣機鬱結して病を生ずるなり。足太陽脉は下部に起りて、其の氣偏盛すれば則ち小腿の腫に應ず。應期は白露に在り、災禍の分野は災に應ず。輯校者按す、「癰疽を病む者」以下の四句は原本誤りて正文に排入し、「白露に應ず」の一句は原本誤りて小注と作り、現に改正如り。又「災期災に在り」の下の一個の「災」字は誤あり。軒轅十二次を考れば、軫宿十二度より氐宿四度に至るを壽星の次と叫做し、白露の一節斗柄は酉位に建ち、是れ今天韓・鄭の分野なり。《禮記・月令》注は高誘を引きて「仲秋の月日は角に在り、角は東方の宿にして、鄭の分野と為る」と曰う。然らば此處は疑いて「鄭」と作るべきか。
二十四氣候應・春分
春分,明庶風至,雷雨行,桃始花,日月同道。明庶,照逹庶物之風。雷雨,所以觧釋孚甲。日月一分則同道也。○案:《藝文類聚》引作「雷雨行,桃李華」,《太平御覽》引作「春分明庶風至,正封疆,修田疇」,與此文異。晷長七尺二寸四分。正陽雲出張,如積鵠。春分於震直初九,初九辰在子,震爻也,如積鵠之象。
春分の此の日、東方の明庶風吹來し、雷雨流行し、桃花始めて綻放し、日月同行して一道なり。鄭玄注す、明庶風は、萬物を照臨通達するの風なり。雷雨は、以て種子の外殼を消解するなり。春分に到りて晝夜均分し、日と月と便ち同行して一道なり。輯校者按す、《藝文類聚》の引くに「雷雨行われ、桃李華す」と作り、《太平御覽》の引くに「春分明庶風至り、封疆を正し、田疇を修む」と作り、皆本書の文字と同じからず。圭表の日影の長は七尺二寸四分なり。純正の陽雲張宿に出で、形狀は成群の白鵠の如し。鄭玄注す、春分は震卦に在りて初九爻に當り、初九の辰位は子に在り、是れ震爻なり、故に羣鵠堆聚の象あり。
○案:杜公瞻《編珠》引作「春分雲如白鵠」,古書引作「正陽雲出如積白鵠」,此本疑脫白字。當至不至,先旱後水,歲惡,重來不為,人手太陽脈虛,人多病痺痛。未當至而至,人手太陽脈盛,人多病癘疥身癢。應在秋分,災期周秦。○案:《後漢書》注作「先旱後水,歲惡,米不成,多病耳癢」,重來二字恐誤。
輯校者按す、杜公瞻《編珠》の引くに「春分雲白鵠の如し」と作り、孫氏古書の引くに「正陽雲積白鵠の如く出づ」と作り、本書は疑いて一個の「白」字を脱す。春分の候到るべきに到らざれば、則ち先ず旱後に水し、年成險惡にして、重新補種するも亦結實能わず、人の手太陽脉虛弱にして、人多く痹痛を患う。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手太陽脉則ち偏盛にして、人多く癘疥・周身發癢を患う。應期は秋分に在り、災禍の分野は周・秦に應ず。輯校者按す、《後漢書》注は「先ず旱後に水し、歲惡し、米成らず、多く耳癢に病む」と作り、本書の「重來」の二字は恐らく誤あり。
二十四氣候應・清明
清明,雷鳴雨下,清明風至,元鳥來。清明,萬物雜新觧孚甲,合之鮮觧。清明,明清潔之風也。元鳥隨炁和乃至。○案:註文疑有訛誤。晷長六尺二寸八分。白陽雲出,南白北黃。清明震直六二,六二震在酉,得兌炁為南白,互體有艮,故北黃也。當至不至,菽豆不為,人足陽明脈虛,人多病疥虛振寒洞洩。震於稼為反生豆菽之類。
清明の此の日、雷鳴雨降し、清明風吹來し、燕子歸來す。鄭玄注す、清明の時、萬物紛紜更新して外殼を解き、合して看れば即ち鮮嫩に綻開す。所謂清明は、清潔明淨の風なり。燕子は和氣の到來を待ちて乃ち飛回す。輯校者按す、此の段の注文は訛誤あるを疑う。圭表の日影の長は六尺二寸八分なり。白色の陽雲昇起し、南邊は白色を呈し・北邊は黄色を呈す。鄭玄注す、清明は震卦に在りて六二爻に當り、六二は震に在りて酉に值して兌氣を得、故に南邊白色なり。互體の中に艮あり、故に北邊黄色なり。清明の候到るべきに到らざれば、豆類則ち結實せず、人の足陽明脉虛弱にして、人多く疥瘡・體虛・寒戰・水瀉を患う。鄭玄注す、震は莊稼上に於いて豆菽此の類いの子葉土に反出するの作物に應ず。
○案:《後漢書》注作「多病嚏振寒洞洩」。未當至而至,人足陽明脈盛,人多病溫暴死。應在寒露,災在宋也。○案:前後節炁此句宜應在寒露,白露恐誤,今改正。
輯校者按す、《後漢書》注は「多く嚏振寒洞泄に病む」と作る。清明の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足陽明脉則ち偏盛にして、人多く温病を患い而して猝死す。應期は寒露に在り、災禍の分野は宋地に應ず。輯校者按す、前後の各節の節氣次序に對照せば、此の句は應當に「寒露に應ず」と作るべく、原作の「白露」は恐らく誤あり、現に改正如り。
二十四氣候應・穀雨
榖雨,田鼠化為鴽。鴽,麋母也。晷長五尺三寸二分。太陽雲出張,上如車蓋不如薄。榖雨於震直六三,六三辰在辰,得乾炁形似車蓋,震為萑葦,故不如薄也。○案:《後漢書》注引作「榖雨晷長五尺三寸六分」,杜公瞻《編珠》作「穀雨雲如連蓋」,與此文異。
穀雨の此の日、田鼠化して鴽鳥と為る。鄭玄注す、鴽は、即ち所謂「麋母」にして、鵪鶉の一類の小鳥に屬す。圭表の日影の長は五尺三寸二分なり。太陽の雲張宿に出で、上部は車蓋に象りて帘箔に象らず。鄭玄注す、穀雨は震卦に在りて六三爻に當り、六三の辰位は辰に在りて乾氣を得、故に形狀は車蓋に象る。震は蘆葦と為り、故に又帘箔に象らずと説く。輯校者按す、《後漢書》注の引くに「穀雨晷長五尺三寸六分」と作り、杜公瞻《編珠》は「穀雨雲連蓋の如し」と作り、皆本書の文字と同じからず。
當至不至,水物稻等不為,人足陽明脈虛,人多病癰疽瘧振寒霍亂。六三兊爻也,互體坎,炁不至故水澤之物不為。癰疽瘧振寒霍亂,亦姤兊之病。未當至而至,人足陽明脈盛,人多病溫黒腫。凡陽以養少,陰以養老。應在霜降,災期在宋。
穀雨の候到るべきに到らざれば、水生作物の稻の類いは則ち結實せず、人の足陽明脉虛弱にして、人多く癰疽・瘧疾・寒戰・霍亂を患う。鄭玄注す、六三は兌爻にして互體は坎と為り、氣至らざれば故に水澤の中の作物結實能わず。癰疽・瘧疾・寒戰・霍亂は、亦皆《姤》と兌との主る所の病なり。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足陽明脉則ち偏盛にして、人多く温病と黑腫とを患う。鄭玄注す、大凡陽氣は用いて幼小を養育し、陰氣は用いて年老を養育す。應期は霜降に在り、災禍の分野は宋地に應ず。
二十四氣候應・立夏
立夏,清明風至而暑,鵠聲蜚,電見早出,龍昇天。清明風,景清潔之風。鵠鳴聲蜚,皆鳥獸應時候。龍,心星也,《詩》云「綢繆東薪,三星在天」,亦謂此時也。○案:徐堅《初學記》引作「立夏清風至而暑,鵲鳴聲,博榖飛,電見,龍昇天」,《太平御覽》引作「立夏清明風至,出幣帛,禮諸侯」,與此文異。晷長四尺三寸六分。當陽雲出觜,紫赤如珠。立春於震九四,九四辰在午也,午為火,互體坎炁相亂也,故紫赤色皆如珠也。
立夏の此の日、清明風吹來して天氣暑に轉じ、天鵝鳴叫飛翔し、閃電早早出現し、蒼龍の星中天に升上す。鄭玄注す、清明風は、景象清潔の風なり。鵠の鳴叫と飛翔とは、皆鳥獸の時令に順應するの物候なり。「龍」は心宿を指し、《詩經》に「綢繆薪を束ね、三星天に在り」と説く、講ずる所も亦正に此の時節なり。輯校者按す、徐堅《初學記》の引くに「立夏清風至りて暑、鵲鳴聲、博穀飛び、電見え、龍天に升る」と作り、《太平御覽》の引くに「立夏清明風至り、幣帛を出し、諸侯を禮す」と作り、皆本書の文字と同じからず。圭表の日影の長は四尺三寸六分なり。當令の陽雲觜宿に出で、色は紫紅にして珠の如し。鄭玄注す、立夏は震卦に在りて九四爻に當る(本文は誤りて「立春」と寫作す)、九四の辰位は午に在り、午は火に屬し、互體の坎氣之と相亂し、故に雲色紫赤にして形狀皆珠子の如し。
當至不至,則旱,五榖大傷,牛畜病,人手陽明脈虛,多病寒熱齒齲。盛陽之炁不至,則後為旱,陽氣乗之,故五榖大傷也。四互體艮,艮在丑,故牛畜病也。陽炁不至,其沖更溫,故人病寒熱也。齒齲者,陽生齲於時為害也。未當至而至,人手陽明脈盛,多病頭腫嗌喉痺。應在立冬,災期在燕。
立夏の候到るべきに到らざれば、則ち旱ありて、五穀大いに損傷を受け、牛畜病を生じ、人の手陽明脉虛弱にして、多く寒熱と齲齒とを患う。鄭玄注す、盛陽の氣至らざれば、此の後則ち旱と成り、陽氣勢に乘じて乘凌す、故に五穀大傷す。九四の互體は艮にして、艮は丑位に在り、故に牛畜病を生ず。陽氣至らざれば、之と相沖の位反って更に温なり、故に人寒熱を患う。所謂齒齲は、陽氣の此の時に蛀を生じて害を為すなり。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手陽明脉則ち偏盛にして、多く頭部浮腫・咽喉痹塞を患う。應期は立冬に在り、災禍の分野は燕地に應ず。
二十四氣候應・小滿
小滿,雀子蜚,螻蛄鳴。於此更言雀子蜚者,鳴鳥類也,有先大人之。○案:此注疑有脫文。晷長三尺四寸。上陽霍七星,赤而饒。小滿於震直六五,六五辰在邜,與震木同位,震木可曲可直,五六離爻,亦有互體坎之為輪也。饒,言其刑行四也。
小滿の此の日、雛雀飛ぶ能く、螻蛄鳴叫す。鄭玄注す、此處に再び雛雀の飛ぶ能きを説くは、其の鳴禽の一類に屬して、成鳥に先んじて飛ぶの現象あるを以てなり。輯校者按す、此の條の注は脱文あるを疑う。圭表の日影の長は三尺四寸なり。上位の陽雲霍然として七星宿に出で、色赤くして回旋す。鄭玄注す、小滿は震卦に在りて六五爻に當り、六五の辰位は卯に在りて震木と同位す。震木は曲ぐべく直きべし、五・六の兩位は離爻に屬し、又互體の坎有りて車輪の象と成る。「饒」は、其の形狀の運行して圓周を成すを説く。
○案:古書小滿上陽雲出七星,霍字疑誤,註文末句亦誤。當至不至,多凶言,有大喪,先水後旱,人足太陽脈虛,人多病滿筋急痺痛。小滿太陽用事,其炁不至,故多凶言大喪也。陰炁不退乘陽炁,故先水也;精陽發則旱也。人病筋急,寒暴暑炁轉相加。
輯校者按す、孫氏古書は「小滿、上陽雲七星に出づ」と作り、本書の「霍」字は疑いて誤字か、注文の末句も亦誤あり。小滿の候到るべきに到らざれば、則ち多く凶險の傳言ありて、大喪發生し、先ず水後に旱し、人の足太陽脉虛弱にして、人多く脹滿・筋脉拘急・痹痛を患う。鄭玄注す、小滿は太陽に由りて當令し、其の氣至らざれば、故に多く凶言與大喪あり。陰氣退かずして陽氣に乘凌せば、故に先ず大水を發し、純陽の精發泄せば、則ち轉じて旱と成る。人の筋脉拘急を患うるは、寒氣と暴暑の氣と交替加臨するに致る所致なり。
○案:《後漢書》注作「多病筋急庳痛」,滿字疑誤。未當至而至,人足太陽脈盛,人多病沖炁腫。太陽炁早至,過度為病也。○案:此處疑脫應在小雪句,注亦脫災期在燕句。
輯校者按す、《後漢書》注は「多く筋急庳痛に病む」と作り、本書の「滿」字は疑いて誤字か。小滿の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足太陽脉則ち偏盛にして、人多く氣機上衝して浮腫するを患う。鄭玄注す、太陽の氣早く到來して、限度を超過すれば則ち病と成る。輯校者按す、此處は疑いて「小雪に應ず」の一句を脱し、注文も亦「災期燕に在り」の一句を脱す。
二十四氣候應・芒種
芒種,蚯蚓出。舊說蚯蚓淫邪。晷長二尺四分。長陽雲集,赤如曼曼。芒種於震直上六,上六辰在已,又得巽炁,故集赤不純,巽又長,故曼之也。○案:《後漢書》注作晷長二尺四寸四分,此本缺四寸二字。
芒種の此の日、蚯蚓地面を鑽出す。鄭玄注す、舊説は蚯蚓を陰邪淫濕の物に屬すと認む。圭表の日影の長は二尺四分なり。長長たる陽雲聚集し、色赤くして綿延絕えず。鄭玄注す、芒種は震卦に在りて上六爻に當り、上六の辰位は巳に在り、又兼ねて巽氣を得、故に聚集の雲は赤といえども純ならず。巽は又長を主り、故に雲形綿長なり。輯校者按す、《後漢書》注は「晷長二尺四寸四分」と作り、本書は「四寸」の兩個字を脱す。
當至不至,多凶言,國有狂令,人足太陽脈虛,多病血痺。太陽用事而巽不至,故多凶言國有狂令也。痺者,炁不逹為病。未當至而至,人足太陽脈盛,多蹶眩頭痛痺。應在大雪。太陽之炁也過盛病也。○案:《後漢書》注頭痛下無庳字,疑衍文。災期在齊。○案:軒轅十二次,自斗十一度至湏女七度日星紀之次,大雪節斗建在子,今吳越分野,齊字恐悞。
芒種の候到るべきに到らざれば、則ち多く凶險の傳言ありて、國家狂悖の政令出現し、人の足太陽脉虛弱にして、多く血痹を患う。鄭玄注す、太陽當令して巽氣至らざれば、故に多く凶言あり・國に狂令あり。所謂痹は、氣の通達せざるに因りて病と成るなり。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足太陽脉則ち偏盛にして、多く厥逆・眩暈・頭痛・痹症を患う。應期は大雪に在り。鄭玄注す、これは太陽の氣の過盛に因りて病と成るなり。輯校者按す、《後漢書》注は「頭痛」の下に「庳」字なし、疑いて衍文か。災禍の分野は齊地に應ず。輯校者按す、軒轅十二次に依れば、斗宿十一度より須女七度に至るを星紀の次と叫做し、大雪の一節斗柄は子位に建ち、是れ今天呉越の分野にして、「齊」字は恐らく誤あり。
二十四氣候應・夏至
夏至,景風至,暑且溼,蟬鳴,螳螂生,鹿觧角,木莖榮。景風,長大萬物之風也。蟬,蜩。木莖,栁櫬榮華。○案:《太平御覽》引作「夏至景風至,拜大將,封有功」,與此文異,註文亦有訛字。晷長四寸八分。少陰雲出,如水波崇崇。夏至離用事,位直初九,辰子也,故水波崇崇輪轉出也。
夏至の此の日、南方の景風吹來し、天氣暑熱にして潮濕し、蟬始めて鳴叫し、螳螂出生し、鹿角を脱し、草木莖幹繁榮す。鄭玄注す、景風は、萬物をして長大ならしむるの風なり。「蟬」は即ち蜩なり。所謂木莖は、柳樹の一類の枝幹開花繁茂するを指す。輯校者按す、《太平御覽》の引くに「夏至景風至り、大將を拜し、功有るを封ず」と作り、本書の文字と同じからず、注文も亦訛字あり。圭表の日影の長は四寸八分なり。少陰の雲昇起し、形狀は重疊の水波の如同なり。鄭玄注す、夏至は離卦に由りて當令し、位は初九爻に當り、辰位は子に在り、故に雲は水波の層疊して回旋湧出するに象る。
○案:《後漢書》注夏至晷長一尺四寸八分,此文缺一尺二字。當至不至,邦有大殃,陰陽並傷,口乾嗌痛。陽炁洩極而陰不至,陽功不成,故國有大殃臣廢。陰陽並傷,日月俱食。夏至炁不至則沖炁乗之,故多大寒,令草木夏落也。口乾嗌痛,皆燥病,陰不潤陽謂之燥也。
輯校者按す、《後漢書》注は「夏至晷長一尺四寸八分」と作り、本書は「一尺」の兩個字を脱す。夏至の候到るべきに到らざれば、國家則ち大災殃ありて、陰陽一同に損傷を受け、人口干咽痛す。鄭玄注す、陽氣宣泄極點に到りて陰氣來りて接續せざれば、陽の功用成就能わず、故に國に大殃あり・大臣廢せらる。所謂陰陽一同に損傷するは、日月皆食を發生するなり。夏至の氣至らざれば、相沖の氣則ち之に乘凌す、故に多大寒して、草木をして夏天に凋落せしむ。口干咽痛は、皆燥病に屬す。陰氣陽氣を滋潤能わざれば、則ち之を燥と叫做す。
○案:《後漢書》注「當至不至,國有大殃,旱,陰陽並傷,草木夏落,有大寒」,今據鄭注合之,此文脫誤多矣,又疑脫人手陽脈虛句。未當至而至,人手陽脈盛,多病肩痛。應在冬至。陰炁過多以為病也。災期在齊。
輯校者按す、《後漢書》注は「當に至るべきに至らざれば、國に大殃あり、旱、陰陽幷傷、草木夏に落つ、大寒あり」と作る。如今鄭玄注を拿て印證すれば、本書此の段は脱漏訛誤甚だ多く、又疑いて「人手陽脉虛」の一句を脱す。夏至の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手陽脉則ち偏盛にして、多く肩痛を患う。應期は冬至に在り。鄭玄注す、これは陰氣の過多に因りて病と成るなり。災禍の分野は齊地に應ず。
二十四氣候應・小暑
小暑,雲五色出,伯勞鳴,蝦蟇無聲。雲五色出,蓋眾雉。伯勞,咀也。蝦蟇無聲,早出者不復鳴。○案:《禮記·月令》孔頴達疏引此文作「博勞鳴,蝦蟇無聲」,歐陽詢《藝文類聚》引此文又有「博勞性好單按其飛(羽+夋),其聲嗅嗅,夏至應陰而鳴,冬至而止」五句,疑為註文,《藝文類聚》誤連,而今本亦有脫誤也。晷長二尺四寸四分。黑陰雲出,南黃北黒。小暑於離直六二,六二離爻也,為南黃,互體巽,巽為,故北黒也。
小暑の此の日、五色の雲氣出現し、伯勞鳥鳴叫し、蛤蟆復た聲を出さず。鄭玄注す、五色の雲出現す、大概衆多の野鷄の羽色に象る。伯勞は、即ち咀なり。蛤蟆聲なきは、早く出でたる那の一批は復た鳴叫せざるなり。輯校者按す、《禮記・月令》孔穎達疏の此の文を引くに「博勞鳴き、虾蟇聲なし」と作り、歐陽詢《藝文類聚》の此の文を引くに另有り「博勞性は單按を好び其の飛ぶ(羽+夋)、其の聲嗅嗅、夏至陰に應じて鳴き、冬至にして止む」の五句、疑いて本來注文にして、《藝文類聚》誤りて正文と相連なり、而今本も亦脱誤あり。圭表の日影の長は二尺四寸四分なり。黑色の陰雲昇起し、南邊は黄色を呈し・北邊は黑色を呈す。鄭玄注す、小暑は離卦に在りて六二爻に當り、六二は離爻なれば、故に南邊黄色なり。互體は巽と為り、巽は其の色を主る、故に北邊黑色なり。
○案:此注巽為下有脫字。當至不至,前小水後小旱,有兵,人足陽明脈虛,多病洩注腹痛。離炁不至,故小水後小旱,有少兵,兵無少者。洩注腹痛,皆離炁不至之病也。未當至而至,人足陽明脈盛,多病臚腫。離炁早至,則後多傷性也。應在小寒,災期在齊。○案:此處宜應在小寒,小雪誤,今改正。
輯校者按す、此の條の注は「巽は」の下に脱字あり。小暑の候到るべきに到らざれば、則ち先ず小水あり・後に小旱ありて、幷せて兵事あり、人の足陽明脉虛弱にして、多く泄瀉注の如くと腹痛とを患う。鄭玄注す、離氣至らざれば、故に先ず小水後に小旱して、小規模の兵事あり、兵事は真正小と算するなし。泄瀉腹痛は、皆離氣至らざるの生ずる所の病なり。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足陽明脉則ち偏盛にして、多く腹部脹腫を患う。鄭玄注す、離氣早く到來すれば、此の後則ち多く生性を損傷す。應期は小寒に在り、災禍の分野は齊地に應ず。輯校者按す、此處は應當に「小寒に應ず」と作るべく、原作の「小雪」は誤あり、現に改正如り。
二十四氣候應・大暑
大暑,雨溼,半夏生。半夏,草名。晷長三尺四寸。陰雲出,南赤北倉。大暑於離直九三,九三辰在辰,得巽炁,離為火故南赤,巽木故北倉。○案:杜公瞻《編珠》引作「大暑雲出南黃北倉」。
大暑の此の日、多雨潮濕にして、半夏生長す。鄭玄注す、半夏は一種の草藥の名稱なり。圭表の日影の長は三尺四寸なり。陰雲昇起し、南邊は赤色を呈し・北邊は蒼色を呈す。鄭玄注す、大暑は離卦に在りて九三爻に當り、九三の辰位は辰に在りて巽氣を得、離は火に屬し、故に南邊赤色なり。巽は木に屬し、故に北邊蒼色なり。輯校者按す、杜公瞻《編珠》の引くに「大暑雲出でて南黄北倉」と作る。
當至不至,外兵作,來年飢,人手少陽脈虛,多病筋痺胸痛。大暑之炁不至,後亦寒暴害。九三互體兊,上直畢,畢為,故外兵作也。兊又為剛滷,當國不生物,大暑應在大寒,容地之萌,故來年飢。筋痺,暑溼之疾,盛暑溼而炁不至於人,主筋痺之病也。
大暑の候到るべきに到らざれば、外患兵事則ち興起し、來年饑饉して、人の手少陽脉虛弱にして、多く筋痹と胸痛とを患う。鄭玄注す、大暑の氣至らざれば、此の後も亦寒氣暴發して害を為すあり。九三の互體は兌にして、上面正に畢宿に當り、畢宿は兵を主る、故に外患兵起る。兌は又剛鹵の地と為り、此れに當るの國は作物を生長せず。大暑の應期は大寒に在り、大地萌生の機を涵容す、故に來年饑饉す。筋痹は暑濕の疾にして、盛暑潮濕にして氣人身に通達能わざれば、則ち筋痹の病を主る。
○案:注畢為下有脫字,容地句亦疑誤。未當至而至,人手少陽脈盛,多病脛痛惡炁。陰炁早至亦為此病。應在大寒,災期在燕。
輯校者按す、注中の「畢は」の下に脱字あり、「容地」の一句も亦誤あるを疑う。大暑の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手少陽脉則ち偏盛にして、多く小腿疼痛と惡氣の病とを患う。鄭玄注す、陰氣早く到來すれば、も亦此の種の病を造成せん。應期は大寒に在り、災禍の分野は燕地に應ず。
二十四氣候應・立秋
立秋,涼風至,白露下,虎嘯,腐草為嗌,蜻蚓鳴。涼風,風有寒炁。白露,露得寒炁始轉白。虎嘯始盛,秋炁有猛意。舊說腐草為鳴,今言嗌,其物異名乎。蜻蚓,蟋蟀之名也。○案:《太平御覽》引作「立秋涼風至,報土功,祀四鄰」,又《文選》李善注引作「立秋蜻蛚鳴」,蚓字應作蛚。晷長四尺三寸六分。濁陰雲出,上如赤繒列,下黃獘。立秋於離直九四,辰在午,又互體巽,故上如赤繒列,齊平也。立秋直坤黃色,故名黃獘也。
立秋の此の日、涼風吹來し、白露降下し、虎始めて長嘯し、腐草化して螢火と為る(本書は「嗌」と作る)、蟋蟀鳴叫す。鄭玄注す、涼風は、寒氣を帶ぶるの風なり。白露は、露水の寒氣を得て始めて白に轉ずるなり。虎嘯の聲盛に轉ずるは、秋氣の猛厲の意を帶ぶるなり。舊説は「腐草鳴(螢)と為る」と作り、如今「嗌」と寫作す、大概同一物の別名ならん。蜻蚓は、即ち蟋蟀の名稱なり。輯校者按す、《太平御覽》の引くに「立秋涼風至り、土功に報い、四鄰を祀る」と作り、又《文選》李善注の引くに「立秋蜻蛚鳴く」と作り、「蚓」字は應當に「蛚」と作るべし。圭表の日影の長は四尺三寸六分なり。渾濁の陰雲昇起し、上部は赤色繒帛の排列に象り、下部は黄色の帛を呈す。鄭玄注す、立秋は離卦に在りて九四爻に當り、辰位は午に在り、又互體の巽あり、故に上部は赤繒排列に象る、「列」は整齊平列の義なり。立秋は正に坤位に當りて尚黄色なれば、故に之を黄獘と叫做す。
○案:獘字疑作幣幣。當至不至,暴風為災,年歲不入,人足少陽脈虛,多病癘,少陽炁中寒白芒芒。立秋之炁不至,後亦暴風為災也。四互體巽,巽為風災也,風有散物,故年不入也。立秋應立春,孚甲將觧而更寒,故人病癘。陰乗陽,故少陽炁中寒也。白芒芒者,離以非時見也。人足者,例宜言手。未當至而至,人足少陽脈盛,多病咳嗽上炁咽喉腫。立秋則陰炁脅陽炁未服,故咳嗽咽喉腫也。應在立春,災期亦在衛也。
輯校者按す、「獘」字は疑いて應當に「幣」と作るべきか(本書の「幣」字重出す)。立秋の候到るべきに到らざれば、暴風則ち災と成り、一年收成なく、人の足少陽脉虛弱にして、多く癘疾を患い、少陽の氣內に寒意を含み、白氣茫茫一片なり。鄭玄注す、立秋の氣至らざれば、此の後も亦暴風ありて災を成さん。九四の互體は巽にして、巽は風と為り、故に風災と成る。風は能く萬物を吹散すれば、故に一年收成なし。立秋は立春と相應し、種子外殼將に開解せんとして却って轉じて寒なれば、故に人癘疾を患う。陰氣陽氣に乘凌すれば、故に少陽の氣內に寒意を含む。所謂白茫茫は、離氣時令に合せざる而して顯現するなり。文中の「人足」と説くは、體例に按じて應當に「手」と説くべし。立秋の候未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足少陽脉則ち偏盛にして、多く咳嗽・氣逆上衝・咽喉腫痛を患う。鄭玄注す、立秋の時陰氣脅迫して陽氣尚お服退せざれば、故に咳嗽咽喉腫す。應期は立春に在り、災禍の分野も亦衛地に在り。
二十四氣候應・處暑
處暑,雨水,寒蟬鳴。雨水,多雨。寒蟬,秋蟬。晷長五尺三寸二分。赤陰雲出,南黃北黑。處暑於離直六五,六五辰在夘,得震炁,震為,故南黃也。○案:《初學記》作南黃北蒼,注震為下亦有脫字。
處暑の此の日、雨水多く降下し、寒蟬鳴叫す。鄭玄注す、所謂雨水は、此の時雨多しを説く。寒蟬は、即ち秋蟬なり。圭表の日影の長は五尺三寸二分なり。赤色の陰雲昇起し、南邊は黄色を呈し・北邊は黑色を呈す。鄭玄注す、處暑は離卦に在りて六五爻に當り、六五の辰位は卯に在りて震氣を得、震は其の色を主る、故に南邊黄色なり。輯校者按す、《初學記》は「南黄北蒼」と作り、注中の「震は」の下も亦脱字あり。
當至不至,國有淫令,四方兵起,人手太陰脈虛,多病脹身熱,來年麥不為。未當至而至,人手太陰脈盛,多病脹身熱不汗出。陰炁早至即寒炁盛,故病脹身熱不汗。○案:《後漢書》注「當至不至,國多浮令,兵起,來年麥不熟」,此文疑倒置。應在雨水,災期在鄭。
處暑の候到るべきに到らざれば、國家則ち放縱無度の政令出現し、四方兵事を興起し、人の手太陰脉虛弱にして、多く腹脹身熱を患い、來年麥子結實せず。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手太陰脉則ち偏盛にして、多く腹脹身熱にして汗を出さざるを患う。鄭玄注す、陰氣早く到來すれば、即ち寒氣偏盛にして、故に病は腹脹身熱にして無汗を見る。輯校者按す、《後漢書》注は「當に至るべきに至らざれば、國多く浮令、兵起り、來年麥熟せず」と作り、本書の此の幾句は疑いて倒置あり。應期は雨水に在り、災禍の分野は鄭地に應ず。
二十四氣候應・白露
白露,雲炁五色,蜻蛚上堂,鷹祭鳥,燕子去室,鳥雌雄別。燕子去室,不復在於巢,習飛騰也。鳥雌雄別,生乳之炁上者。晷長六尺二寸八分。黃陰雲出,南黑北黃。白露於離直上九,上九艮爻也,故北黃;辰在戌,得乾炁君成,故南黑也。○案:小注君成二字疑誤。
白露の此の日、雲氣五色を顯現し、蟋蟀堂屋に爬上り、鷹獲る所の鳥を陳列して祭り、燕子屋舍を離れ、鳥類雌雄分居す。鄭玄注す、燕子の屋舍を離るるは、復た巢中に留まらず、是れ飛翔を練習するに在り。鳥類の雌雄分居するは、生育哺乳の氣已に上升完畢するなり。圭表の日影の長は六尺二寸八分なり。黄色の陰雲昇起し、南邊は黑色を呈し・北邊は黄色を呈す。鄭玄注す、白露は離卦に在りて上九爻に當り、上九は艮爻なれば、故に北邊黄色なり。辰位は戌に在りて乾氣を得て君象と成れば、故に南邊黑色なり。輯校者按す、小注中の「君成」の二字は疑いて誤あり。
當至不至,六畜多傷,人足太陰脈虛,人多病痤疽洩。白露應在驚蟄,陽炁大洩,萬物新出而寒傷之,故座疽也。陽炁發洩故也,故洩之。未當至而至,人足太陰脈盛,多病心脹閉痔瘕。陽炁未盡強陰脅之為病,人足於例亦為手也。應在驚蟄,災在魯也。
白露の候到るべきに到らざれば、六畜多く傷損を受け、人の足太陰脉虛弱にして、人多く痤疽と泄瀉とを患う。鄭玄注す、白露の應期は驚蟄に在り、あの時陽氣大量宣泄して、萬物新生にして寒氣の傷る所と為れば、故に痤疽を生ず。亦是れ陽氣發泄の緣故にして、故に又泄瀉を見る。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の足太陰脉則ち偏盛にして、多く心下脹滿・閉結・痔瘡與癥瘕を患う。鄭玄注す、陽氣尚お盡退せざるに强盛の陰氣之を脅迫し、因りて病と成る。文中の「人足」と説くは、體例に按じても亦應當に「手」と作るべし。應期は驚蟄に在り、災禍の分野は魯地に應ず。
二十四氣候應・秋分
秋分,風涼慘,雷始収,鷙鳥擊,元鳥歸,昌盍風至。収藏也。鷙鳥,鷹鸇之屬也。元鳥隨陽,故南歸也。昌盍,蓋藏物之風也。○案:《太平御覽》引作「秋分閶闔風至,觧懸垂,琴瑟不張」,與此文異。晷長七尺二寸四分。白雲出,南黃北白。秋分於兊直初九,初九震爻,為南黃;黃猶兊,故北白。
秋分の此の日、風涼冷凄惨と變じ、雷始めて聲を收め、猛禽獵物を搏擊し、燕子南歸し、西方の閶闔風吹來す。鄭玄注す、これは皆收藏の義なり。鷙鳥は、鷹・鸇の一類なり。燕子は陽氣を追随し、故に南に向かい歸去す。閶闔は、大概萬物を收藏するの風なり。輯校者按す、《太平御覽》の引くに「秋分閶闔風至り、懸垂を解き、琴瑟張らず」と作り、本書の文字と同じからず。圭表の日影の長は七尺二寸四分なり。白色の雲昇起し、南邊は黄色を呈し・北邊は白色を呈す。鄭玄注す、秋分は兌卦に在りて初九爻に當り、初九は震爻なれば、故に南邊黄色なり。黄は仍お兌に從屬すれば、故に北邊白色なり。
○案:古書白陽雲作白陰雲。當至不至,草木復榮,人手少陽脈虛,多病溫悲心痛。未當至而至,人手少陽脈盛,多病肛脅鬲痛。心炁盛,故肛脅鬲痛。應在春分,災期在周。
輯校者按す、孫氏古書は「白陽雲」を「白陰雲」と寫作す。秋分の候到るべきに到らざれば、草木則ち重新繁榮し、人の手少陽脉虛弱にして、多く温病・悲愁與心痛を患う。若し未だ到るべからざるに提前到來せば、人の手少陽脉則ち偏盛にして、多く肛門・脅部與膈間疼痛を患う。鄭玄注す、心氣偏盛なれば、故に肛脅膈間痛を作す。應期は春分に在り、災禍の分野は周地に應ず。
二十四氣候應・寒露
寒露,霜小下,秋草死,眾鳥去。霜小下,陰著也。秋草死,眾鳥暑來寒去。晷長八尺二寸。正陽雲出如冠纓。寒露於兊直九二,九二辰在寅,得艮炁形似冠纓者,艮象也。○案:古書作正陰雲出如冠纓,鄭注亦作冠纓,正文脫纓字,今補入。
寒露の此の日、微霜降下し、秋草枯死し、衆鳥離去す。鄭玄注す、微霜降下するは、陰氣已に物に附着したるなり。秋草枯死し・衆鳥離去するは、暑來れば則ち鳥至り・寒來れば則ち鳥去るを以てなり。圭表の日影の長は八尺二寸なり。純正の陽雲昇起し、形狀は冠纓の如し。鄭玄注す、寒露は兌卦に在りて九二爻に當り、九二の辰位は寅に在りて艮氣を得て形は冠纓に似る、あれは艮の物象なり。輯校者按す、孫氏古書は「正陰雲出でて冠纓の如し」と作り、鄭注も亦「冠纓」と作り、正文は一個の「纓」字を脱し、現に補入如り。
當至不至,來年榖不成,六畜鳥獸被殃,人足蹶陰脈虛,多病疪疼腰痛。九二坎爻也,為脊,炁不至疪疼也。人足於例宜為手也。○案:《後漢書》注作人病疝瘕腰痛。不當至而至,人足蹶陰脈盛,多病痛肛中熱。強陰脅衰,故多病肛中熱也。○案:《後漢書》注作多病痰熱中。應在清明。○災在秦也。
寒露の候到るべきに到らざれば、來年穀物成熟せず、六畜鳥獸殃に遭い、人の足厥陰脉虛弱にして、多く痹疼と腰痛とを患う。鄭玄注す、九二は坎爻にして脊背を主り、氣至らざれば則ち痹疼を發す。文中の「人足」と説くは、體例に按じて應當に「手」と作るべし。輯校者按す、《後漢書》注は「人疝瘕腰痛に病む」と作る。若し到るべからざるに提前到來せば、人の足厥陰脉則ち偏盛にして、多く疼痛と肛門內發熱とを患う。鄭玄注す、强盛の陰氣衰弱の陽氣を脅迫すれば、故に多く肛門內發熱を患う。輯校者按す、《後漢書》注は「多く痰熱中に病む」と作る。應期は清明に在り。災禍の分野は秦地に應ず。
