Libo

李虚中命書 卷下

周 · 鬼谷子 · 第4巻 / 5

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衰旺取時

論一方之氣,不可過角。進角為孤,退角為寡。一方之氣,則四象各主於一時之偶也,如寅卯辰則巳孤丑寡。既旺不過一方之氣,卻言衰者成功也。木水亥衰於辰,是木出東方春位而衰,此本末衰旺,功成身退,子結花落也。

某一方位の氣を論ずるに、その邊角を越出すべからず。前の角を越ゆればすなわち「孤」、後の角に退けばすなわち「寡」なり。いわゆる一方の氣とは、四象が各々一季を主管するの成對支位を說く。たとえば春方を寅卯辰と爲せば、則ちその前の巳はすなわち孤、後の丑はすなわち寡なり。旺氣は一方の範圍を出ざればこそ、則ち「衰」を講ずるは、其實まさに功成の意なり。木の長生は亥に在りて衰は辰に在るとは、すなわち木が東方春位より生出し、辰に到れば便ち轉衰するを說く。これは本末の間の衰旺相繼にして、功成身退・結子して花謝するに譬ゆ。見るべし、本書の衰を講ずるは、並に一味に壞事と作さず。

華過衰而實成,是窮則變通之象。始生於沐浴,為風水陶化之因;冠帶則材器可任,臨官則鬼害之難。物主臨官則氣血堅壯,可受制敵,不畏其鬼。旺則剛介自處,衰則去華立實,病者孤也。病者形勢孤弱,如木病巳,則寅辰之孤也。

花謝してのち果實こそ結成す。これまさに《易》のいわゆる「窮すれば則ち變じ變ずれば則ち通ず」の氣象なり。十二長生を以て論ずれば:初生の後「沐浴」に進入するは、風と水とが陶冶化育するの原因なり。「冠帶」に到れば、材質器局は便ち任事を擔當しうる。「臨官」に到れば、こそ鬼煞の侵害に經得起す。事物が臨官の位に處れば、氣血堅實強壯にして、克制せらるるに禁得住して敵と相抗する能く、ゆえにその鬼を怕れず。「帝旺」に到れば、すなわち剛強耿介にして自らその位を守る。「衰」に到れば、便ち浮華を褪ぎて實處に落つ。「病」に到れば、すなわち孤單に變成す。いわゆる病とは、形勢孤弱なるを言う。たとえば木の病地は巳に在り。それはまさに寅・辰のこの春方の外の孤位なり。

死兮無物,墓藏為造化之終;絕煞有鼎新之氣,氣盡後成胞胎,凝結始分形狀。此長生之氣,言五行至絕受氣而成形,十二支位之經,乃代謝自然。夫物出自然,端倪莫測,直須仔細探賾,消息龜數。五行之造化,萬物之盈虧,以盡蓍龜之數。

「死」に到れば便ち一無所有なり。「墓」は收藏にして、造化の終點と為る。「絶」は看るに煞氣に似たるも、その中に卻って革故鼎新の機を含む——氣數盡きたるのち胞胎を結成し、漸漸凝聚してこそ形狀を分かち出づ。これすなわち長生の氣の來歷なり。五行が絶地に走り至りてかえって氣を受け形を成し、十二支位のこの套の經緯は、說く所まさに自然の新陳代謝なり。萬物は自然より出づるも、頭緒端倪は測度し難し。ただ能く幽深の理を仔細に探索し、消長を體察するに揲蓍灼龜のごとくするのみ。五行の造化・萬物の盈虧は、すなわち須らく蓍龜の推知しうる所の數を窮盡すべし。

衰病之所,有鬼則止,無鬼則停。止則窮己,停則流滯。如丙至壬戌壬申則絕,至庚申乙亥則流滯而不通。水性本寒,火體本熱,極寒則丑寅以為期,大暑則未申而自定。極也反也,五行之常體;生也殞也,萬物之自然。五行各有正性,在人所稟有吉凶,發覺未萌,須在期程之所極可定。賦云:「三冬暑少九陽多。」亦以正氣為憑也。五行之運,陰陽相推,亦有不應和者,亦極相反,是謂死兮生之本、生兮死之源。

衰地病地に處りて、もし「鬼」の來りて克するあれば便ちこれに於て止まり、鬼なければ則ちただ停滯するのみ。止まるはすなわち本身が盡頭に走り至れるなり。停滯は則ち壅積不通なり。たとえば丙火が壬戌・壬申に行き至れば便ち絶に入り、庚申・乙亥に行き至ればすなわち流滯して通暢せず。水性は本來寒冷、火體は本來炎熱なり。最も寒き時は丑・寅を以て期と為し、最も熱き時は未・申に到りて自然定住す。極處に走り至ればすなわち反轉するを要す。これは五行の常態なり。生あればすなわち殞滅あり。これは萬物の自然なり。五行各々本正の性あり。人は稟受し下りて便ち吉あり凶あり。事情いまだ萌芽せざるの時に察覺せんとするは、すなわち氣數の極める所の期程の上に判定するを要す。賦文に「三冬は暑少なく九陽は多し」と說くも、また本正の氣を以て憑據と為すなり。五行運轉・陰陽相推すれども、また並に彼此應和せざるあり。極端に走り至りてかえって相反する。これを死は生の根本・生は死の源頭と叫ぶ。

歲隱其神,神成而歲死。歲木也,神火也,火盛則木死,勢不兩立,因恩而生害。智從義出,智盛則主藏。智,水也;義,金也。金生水,水盛金藏,未嘗不失於義也。信從四事,物物皆歸,鍾於土是也。辰為木之土,戌為金之土,未為火之土,丑為水之土。

歲星が神明を潛藏せしめ、神明一旦成就せば、歲星はすなわち死す。歲は木を指し、神は火を指す。火太盛なれば則ち木は燒死せらる。兩者勢い兩立せず、本より相生の恩なるに、かえって禍害を生出す。智慧は義氣の中より生出す。智慧太盛なれば、義はかえって潛藏す。智は水、義は金なり。金は能く水を生ずれども、水一たび旺盛なれば金は便ち隱沒し、また義に失するを免れず。信は則ち四方の事を統攝し、萬物は最終に皆それに歸す。信は土の上に鍾聚するがゆえに。四季の土は各々屬する所有り。辰は木の土、戌は金の土、未は火の土、丑は水の土なり。この四條は五常と五行との相生相害を講透す。まさに前面の性情を論ずるの理論根據なり。

鬼財相會,則凶中得吉。如庚申得癸卯,是庚申月乙卯,有合會德之財,癸卯為木之鬼。觀刑逢妻,生旺不取。生月為父,胎月為母,身克為妻,妻生為子,時生是妻子之數,成敗自然。以火克金為父,則以生月定之,然後看日時承受、胎月有無刑害。身克為妻,以日論之;妻生為子,以時推之:乃看生旺刑制五行之定數也。

鬼と財とが一處に會すれば、かえって凶中に吉を得。たとえば庚申が癸卯に遇上すれば、もし庚申月にして乙卯を見れば、便ち合會して徳を成すの財あり。しかして癸卯の納音金はまさに木の鬼なり。刑を見てまた妻位に逢うは、すなわち生旺を取らず。本書の六親を論ずるの規矩は:生月を父と爲し、胎月を母と爲し、我が克する所を妻と爲し、妻の生ずる所を子と爲し、生時は則ち妻と子との分數の在る處なり。成敗は自然に見えたり。たとえば火を以て金を克し父を取れば、先ず生月に由りて定め、然るのち日・時の承受しうるや否やを看、再び胎と月との間に刑害あるや否やを看る。我が克する者は妻なり。日柱上より論ず。妻の生ずる者は子なり。時柱上より推す。總じて皆生旺と刑制とのこの套の五行の定數を看るを要す。

胎氣同往,當有異母;月干相逢,須依二父。受胎正在受氣之地,而與日時支干同者,當食二母之乳;月於與年干相連,而同在父母生地,當相交或立身於二事而成也。

胎氣と別位とが一同に前往すれば、兩個の母親あるを主る。月干と年干とが相逢えば、則ち兩個の父親に依るを要す。細かに說けば:受胎が恰恰として受氣の地に落ち、しかして胎の干支また日・時の干支と相同じければ、この人は當に兩位の母親の乳を喫すべし——あるいは繼母・乳母あり。月干と年干と相連なりて、しかして兩者また同じく父母の生地に處れば、則ちあるいは父母に再婚交錯の事あり、あるいは本人が兩種の事業上に立身してこそ成就しうる。この類の斷法は皆三元と四柱との干支重合關係の上より取象す。

子息則先明生氣,或用克以推之。如丁巳土以木為子孫,建至亥上得辛,若四柱見丁在無氣,更有刑害者,必少子孫也。自生自旺,更看運元胎月。如生納音在月旺處,更不論刑害子孫之地;如胎月在有氣處於生時之上,亦不絕子也。

子息を論ずるに先ず生氣を弄清するを要し、あるいは「克」の關係を用いて推す。たとえば丁巳の納音沙中土は、土はその克する所の木を以て子孫と爲す。月建より亥上に數えて辛を得。もし四柱中に見る所の丁すでに氣なく、また刑害あれば、それ必ず子孫稀少なり。もし本身自ら生じ自ら旺なれば、還はさらに行運の元と胎・月の兩位とを看るを要す。たとえば本命納音が月建の旺處に落つれば、すなわちさらに子孫位上の刑害を計較するを要せず。またたとえば胎と月と皆氣ある地に處り、しかして生時の上に加えば、同じく絶嗣せず。

祿馬不閒,子孫未必絕滅。若人生時見祿馬往來朝命,不犯孤寡,亦有子孫。陰陽和會,交友結心,同氣連枝,同名定數。五行須和順者,四海之人亦心於交友相結,況同胞兄弟豈不得力;但五行中以此為兄弟而無災位也。

禄と馬と皆空閒ならざる人は、子孫必ずしも斷絶せず。假使生時に禄馬の往來して本命を朝拱するを見、また孤辰寡宿を犯さざれば、同じく子孫あること得べし。陰陽能く和合會聚する人は、朋友を交わりて心裡に交わり入るを得。同氣連枝の兄弟は、さらに同名にして一份の定數を共にす。五行ただ和順ならば、四海の人もまた能く誠心結交す。まして同胞兄弟をや、豈に得力せざらんや。兄弟を論ずる時はすなわち五行の中の和順なるあの一位を以て兄弟宮と爲し、ただそれが災位の上に落ちざれば好し。

或有偶然同產一母,以生須分深淺之時,復看五音向背。凡一時有八刻二十分,故有淺深前後吉凶不同,其有以生須分深淺;異姓則論五音向背。本音生旺,須至福勝於休囚;時日初終,更看先後之凶吉。異姓同時,音得旺相者福祿深厚;言同時則看先後吉凶。

ある時は偶然同一の母親の生ずる所(雙生子)なれば、すなわち必ず出生時刻の先後深淺に按じて分かち、還はさらに五音の向背を看るを要す。一個の時辰に八刻二十分あり。ゆえに同一時辰の内にもまた前後深淺の別あり。吉凶は因りて同じからず——これすなわち「生を以て深淺を分かつを須とす」なり。もし同胞に非ずしてただ同時に出生せる異姓人なれば、すなわち五音の向背を論ず。本身納音が生旺に處るは、福氣必ず休囚に處るに勝る。同一時辰の内は、還はさらに時と日との初段末段を看て、先後の吉凶を分辨す。異姓にして同時に出生し、納音が旺相を得るは福禄深厚なり——いわゆる同時とは、すなわち須らく先後の上に吉凶を分かち出づべし。

歲月各計於氣交,胎月定推於干數。有年未交而氣先交者,氣己交而月未建者,須以交氣為定人之生也。稟五行四時之氣為性命,且年歲乃辰煞而己,其餘建月不足月,俱以十月為胎,以同天干之數。

年と月とは皆節氣の交接に按じて計算するを要し、胎元は則ち天干の數に按じて推定す。あるは年まだ交わらずして節氣先に交わるあり、あるは節氣すでに交わるも月建まだ換わり來らざるあり。この時必ず交氣を以て準と為して人の出生を斷定するを要す。人の稟受する所は五行四時の氣にして以て性命を成すがゆえに、年歲に至っては不過辰位と神煞とのみ。その餘は月建の足月するや否やを論ぜず、一律に十個月を以て胎期と爲し、それが天干の數と相同ずるを取る(天干十位、まさに十月懷胎に合す)。生月の上より一位を逆推し再び一位を進めれば、すなわち胎元を得。

是以天奇地偶,有萬不同;陰煞陽生,無形自運。察衰旺於氣數之中,則萬物變論之必應。天地生物不同,如人質未嘗相肖,蓋使有造化之別爾。陽主生,陰主煞,乃運於無形之中,而萬物先後自然應備。五行衰旺以四時輪轉,則萬物從而化育,至如鷹入水化為鳩、蚯蚓結之類是也。

ゆえに天數は奇を取り、地數は偶を取りて、千差萬別あり。陰は肅殺を主り、陽は生發を主りて、皆無形の中に自ら運轉す。ただ氣數の中に衰旺を考察せば、則ち萬物の變化は推論するに必ず應驗す。天地が萬物を生育するに各々相同じからず、人の資質に全く相像する未だかつてあらざるがごとし。これは造化本身に分別あるがゆえの故なり。陽は生を主り陰は殺を主りて、皆無形の中に運行し、しかして萬物の先後次序は自ずから齊備す。五行の衰旺は四時に隨いて輪轉し、萬物は便ちそれに跟って化育す。たとえば《月令》の記する所の鷹の水に入りて鳩と化し、蚯蚓の結ぶの類の物候變化は、皆この道理なり。

貴賤所成,刑聚敗極:甲申得丁巳己卯己巳之類。四柱不收:甲子得丙寅丁巳辛亥壬申之類。五行未備:甲子得庚子己卯癸巳之類。

以下に幾種の敗格を舉出して、貴賤のいかに定まるかを說明す。その一は「刑聚敗極」と叫ぶ。すなわち刑と敗と一處に聚まりて極點に到るなり。たとえば甲申年が丁巳・己卯・己巳のこの一類を得るがごとし。その二は「四柱不收」と叫ぶ。すなわち四柱が各々散漫にして收束して本命を住すること得ざるなり。たとえば甲子年が丙寅・丁巳・辛亥・壬申のこの一類を得るがごとし。その三は「五行未備」と叫ぶ。すなわち五行殘缺不全なり。たとえば甲子年が庚子・己卯・癸巳のこの一類を得るがごとし。これらの命例は皆年柱を以て本命と爲し、再びその餘の各柱の收攝相應するや否やを看る。

數無取用:如不合干不沖支,而上下相異其氣。一方前後:如木命人己丑之類。數無取用:如不合干不沖支,而上下相異其氣。一方前後:如木命人己丑之類。

その四は「數無取用」と叫ぶ。すなわち天干と相合せず、また地支と相冲せず、上下の間の氣類は彼此相異にして、取用するに由なし。その五は「一方前後」と叫ぶ。すなわち本命の氣が一方の前角あるいは後角の上に落つるなり。たとえば木命の人が己丑の類を見るがごとし(丑は寅卯辰春方の後に在り、まさに寡位なり)。この兩條の底本は連ねて重複して一遍抄寫し、文字完全に相同じ。顯に傳寫の重出に係る。今底本の原樣に照りて收錄し、删竝を作さず。

柱多隔角:辛丑得辛卯,甲子得甲戌。真者失時:如丙辛合在二月六月,丁壬合在秋月。假者殃克:五行納音本輕,卻多逢剋制。

その六は「柱多隔角」と叫ぶ。すなわち柱と柱との間に一位を相隔てて相接せざるなり。たとえば辛丑が辛卯を得る(丑と卯との間に一寅を隔つ)、甲子が甲戌を得る(子と戌との間に一亥を隔つ)がごとし。その七は「眞者失時」と叫ぶ。すなわち眞合の氣が生まれて時に逢わざるなり。たとえば丙辛合して水と化すも卻って二月あるいは六月に生まれ、丁壬合して木と化すも卻って秋月に生まるるがごとし。合は眞なるも時は助けず。その八は「假者殃克」と叫ぶ。すなわち五行納音の本氣は元來輕薄なるに、偏にまた屢々克制に遇上して、ここに於て災と成る。

主本倒亂:火年水日,列先逢生旺,繼逢死絕。父子乖違:日克年,時克月。貧賤之人皆從此出。人生元命犯以上之格,皆主貧賤害身;如此而元命有氣,卻得富貴者,必不久而多凶也。

その九は「主本倒亂」と叫ぶ。すなわち主と本との次序顛倒錯亂す。たとえば火年にして水日なれば、排り下れば先ず生旺に逢い、接きてすなわち死絶に逢うがごとし。その十は「父子乖違」と叫ぶ。すなわち日柱が年柱を克し、時柱が月柱を克し、下を以て上に犯すなり。貧賤の人は皆これらの格局の裡より出づるなり。人の元命もし以上の各格を犯せば、皆貧賤を主りかつ自身を損害す。倘若これらの格を犯すも元命なお氣ありて、居然としてまた富貴なるに至れば、それもまた必ず長久する能わず、しかも多く凶險あり。

祿期本地,身命旺相;祿承馬在,貴合兩同。如甲人生女卯未地,或寅卯辰中,即生旺氣也;如壬辰得辛亥丙寅己亥,甲寅得乙未丙子己亥也。真冀體守位,如丁人得壬而在寅卯辰亥之中,或見丙辛各在旺地,而別旺無丁壬也。

禄が期のごとく本地に落ち、身と命と皆旺相に處る。禄に承接あり馬また位に在り、貴と合と兩下相同じ——これは好格なり。たとえば甲年の人が亥卯未の木局の地に生まれ、あるいは寅卯辰の春方に生まるれば、それすなわち生旺の氣を得たるなり。またたとえば壬辰の命が辛亥・丙寅・己亥を得、甲寅の命が乙未・丙子・己亥を得るは、皆この類に屬す。いわゆる「眞氣守位」とは、たとえば丁年の人が壬を得て(丁壬相合)、しかもまた寅・卯・辰・亥の中に落ち(合化の木が地を得)、あるいは丙と辛と各々旺地に處るを見、しかして別處旺なると雖も再び丁と壬とを重見せず——重複せずしてこそ純正を見るなり。

假音得時,如上人生夏季,或居申子辰中,連四季皆是。寶義制伐四事顯明:尊生早曰寶,早生尊曰義,上克下曰制,下賤上曰伐。以此四者,胎月日時上下相生相剋是也。

いわゆる「假音得時」とは、納音は眞氣に非ずと雖も恰も時令に逢うを說く。たとえば土命の人が夏季に生まれ(火は土を生ず)、あるいは申子辰の中に落ちてまた四季の月に連及するは、皆この類に屬す。「寶・義・制・伐」の四事は說くこと甚だ明白なり。尊長の一方が卑幼の一方を生助するを「寶」と叫び、卑幼の一方が反って尊長の一方を生助するを「義」と叫び、上に在るの下に在るを克するを「制」と叫び、下に在るの上に在るを欺凌するを「伐」と叫ぶ。この四個の名目を用いて、胎・月・日・時の上下の間の相生相克を看れば、すなわち格局の順逆を定め出づることを得。この四字訣は本書が四柱の尊卑關係を判斷するの核心の口訣なり。

五行不雜,九命相養。謂三元各處一方,帶本近祿而和,及三元各居生旺庫,而納音支干相生育也。木官不重,木須要金,而木通用甲重而無金者,須得支有。金鬼無偏,金須要火,而金相當,或須重而合會於丙。

五行純粹にして駁雜せず、九命の間彼此涵養す——これは三元が各々一方を占め、本氣を帶びてまた禄位に靠近し彼此調和し、かつ三元が各別に長生・帝旺・墓庫の三地に居り、納音と干支との間相生相育するを說く。木の官星は過重を宜とせず。木は必ず金ありて砍削するを要すれども、もし甲木通體過重にしてまた全く金なければ、すなわち須らく地支裡に別に金氣あるを要す。金の鬼煞は偏重すべからず。金は必ず火ありて鍛煉するを要し、しかして火と金と要するに勢力相當すべし。もし金氣特に重ければ、すなわち須らく丙火に會合してこそ用に足る。

用刑者有時,如寅刑巳而生在春,制克有用。守刑者不亂,如癸巳刑戊申而無丁干者是。明官德合,如丁亥得壬辰壬戊壬寅,又己卯得甲戌甲寅。暗逢支祿,甲人得丑未亥之類。

刑を用うるは時令を看るを要す。たとえば寅が巳を刑すれば、もし春天に生まれれば、木旺にして能く制克す。この刑は便ち用あり。刑を守るは亂れざるを要す。たとえば癸巳が戊申を刑して、しかして天干上に並に丁の來りて攪局するなければ、すなわち刑を守りて亂れずと叫ぶ。「明官徳合」とは、官星明現してまた徳合を成すを言う。たとえば丁亥が壬辰・壬戌(底本は「壬戊」と作る)・壬寅を得(丁壬相合)、またたとえば己卯が甲戌・甲寅を得る(甲己相合)がごとし。「暗逢支禄」とは、禄は明見せずして地支の中に暗藏するを言う。たとえば甲年の人が丑・未・亥のこの一類を得るがごとし(その中に乙・己・壬などの干の禄氣を暗藏す)。

支純干一,有貴來朝。本命四柱支干純一,或四柱干目純帶貴神來朝本命,或四柱並在一支上見貴神。主旺本成,會於一方。庚子土得庚辰日、癸未時、丙戌月、丁丑胎之類,雖沖破卻會在本氣之方,更有祿馬尤吉。

地支純一・天干一致にして、また貴人ありて前に來りて朝拱するは、上格なり。いわゆる支純干一とは、本命四柱の干支が純粹一色なるを指す。あるいは四柱の天干が名目純淨にして皆貴神を帶びて來りて本命を朝す。あるいは四柱が一齊に同一の地支上に落ちて貴神を見る。「主旺本成」とは、各柱が同一方位の上に會聚するを說く。たとえば庚子(壁上土)年にして庚辰日・癸未時・丙戌月・丁丑胎を得れば、四柱の辰戌丑未俱全なり。彼此冲破すと雖も、卻って皆土の本氣の方に會す。もしさらに禄と馬とあれば、さらに吉なり。

金逢五事順得三奇。金木水火土、金而三元有旺氣,得生克相順尤嘉也。辛酉生人得甲午月、戊寅日、庚申時者,是三奇之順得也。富貴之人皆能應此。人生元命支干四柱應以上諸格者主富貴,縱無氣亦主聞名挺特出群。

金が五行俱備にして次序順暢なるに遇上し、また三奇を得るは、好格なり。いわゆる五事とは、すなわち金・木・水・火・土の五行齊全なり。金命にして三元また旺氣あり、生と克と彼此順承せば、則ちさらに好し。たとえば辛酉年生の人が、甲午月・戊寅日・庚申時を得れば、その中の甲・戊・庚はまさに「三奇」にして、しかも排列するに順を得。これを順に三奇を得ると叫ぶ。富貴の人は皆能くこれらの格と相應す。およそ人の元命干支四柱もし以上の各種の格局に合上せば、すなわち富貴を主る。縱い本氣無力なるとも、また聲名遠播・挺拔出衆を主る。

五行各有奇儀,須分逆順。若三奇各帶合,須前後五辰合為上,更分順逆之用。甲戊庚金奇喜辰戌丑未或金方,乙丙丁火奇喜寅午戌或酉方,丙辛癸水奇喜亥子丑申辰方,丁壬甲木奇喜寅卯辰亥方,甲己丙土奇喜四季及寅亥午申方。歲胎月日時者順,時日月胎歲者逆。三奇亦要合而貴,五位得逆順三奇皆吉,惟嫌不連順。

五行各々自己の奇儀あり。必ず逆行と順行とを分清するを要す。もし三奇各々合を帶ぶれば、須らく前後五個の辰位皆相合するを以て上格と爲し、還はさらに順用と逆用とを分かつを要す。各組の三奇の喜忌は:甲戊庚は金奇にして、辰戌丑未あるいは金方に落つるを喜ぶ。乙丙丁は火奇にして、寅午戌火局あるいは酉方に落つるを喜ぶ。丙辛癸は水奇にして、亥子丑と申・辰の方とに落つるを喜ぶ。丁壬甲は木奇にして、寅卯辰と亥の方とに落つるを喜ぶ。甲己丙は土奇にして、四季の月および寅・亥・午・申の方に落つるを喜ぶ。排列の上は、歲・胎・月・日・時の次序に按ずるは順にして、時・日・月・胎・歲の次序に按ずるは逆なり。三奇もまた合を成してこそ貴と算す。五個の位次上に順に得るも逆に得るも論わず三奇を得れば皆吉と算す。ただそれの排ること連貫順ならざるを嫌うのみ。

胎本立於歲前,因歲得之胎月,故立胎在歲後月前。空刑敗害、日時倒亂,卻得順奇,不為倒也。三刑八敗六害、空亡相生相絕倒亂者,卻得三奇順在本方,亦主富貴。

胎元は本應歲位の前に立つべし。ただ胎月は年歲より推得するがゆえに、ゆえに實際排位する時は胎を歲の後・月の前に放つ。命中たとい空亡・刑・敗・害あり、日と時との次序また顛倒錯亂すとも、ただ順排の三奇を得れば、すなわち顛倒と算せず。すなわち言う:三刑・八敗・六害を犯し、あるいは空亡・相生相絶にして次序倒亂するも、ただ三奇が本命の喜ぶ所の方に順排すれば、同じく富貴を主る。この條は破格の命に一條の轉圜の路を與う。

日時無方,東里多迪;根鮮枝榮,西門寡祿;根固時雄,花實無忒。日時之力不輔三元,或耗或克,主災多。行年根苗花實,乃胎月日時相順為貴;若五行更到旺方,即為長遠。

日と時とがもし方位を失えば、東邊巷裡に住む人もまた多く坎坷あり。根須稀薄にして枝葉茂盛なれば、西門に住む人もまた俸禄少なし。根の扎ること牢にして生時また雄壯なれば、則ち花を開き果を結ぶも皆差錯あらず。これは說く:日柱時柱の力量もし三元を輔助する能わざれば、かえって耗泄あるいは克伐して、すなわち災殃多きを主る。流年を推する時は胎・月・日・時を比して根・苗・花・實と作し、四者相順相承してこそ貴と算す。もし五行さらに旺方に走り至れば、福氣は便ち長遠なり。

應得位者,支干各有所刑官或無氣也,上下須依乎父母。入前格而貴者,支干中須有沖刑之官;如無官,須以德運為清也。當死絕處須要逢父母,故子晉云:「賴五行之救助。」

いわゆる「應得位」とは、干支に各々刑する所の官星あり、あるいは官星本身氣なきを指し、この時上下は必ず父母(我を生ずる神)に依靠するを須とす。およそ前面のあの格局に合して顯貴するは、干支の中に必ず冲を帶び刑を帶びたる官星あるを須とす。もし官星なければ、すなわち徳神と行運とに靠りて清を取るを要す。死地絶地に走り至る時、ことに須らく父母に遇上して來りて生扶するを要す。ゆえに子晋は「全く五行の救助に仗る」と曰う。これまた點出す、本書の吉凶を論ずる時、救助の神は神煞名目よりもさらに要緊なるを。

四柱主本,祿馬往來,須分建破;天乙扶持,將得侍衛,更辨尊卑。謂當用處有建不可破,已破卻不可建,吉神在四柱中,各在四時用干為貴。真合為緊,子巳卯中之合為真。

四柱と主本との間に、禄と馬と往來交錯し、必ず何處が「建」(成立)で何處が「破」(破壞)かを分清するを須とす。天乙貴人の來りて扶持するは、譬すれば大將の侍衞を得るがごとし。還はさらに尊卑次序を辨明するを要す。意思是:當に取用する處もしすでに建を成せば、すなわち再び破せらるべからず。すでに破せられたるも、また再び建と算する能わず。吉神が四柱の中に落つるは、各々四時に合する天干の上に出現してこそ貴と算す。眞合は最も緊要なり。子・巳・卯の中に藏する所の干支が相合するを、こそ眞合と叫ぶ。

德合不清:甲子己丑、丙戌辛卯連順而貴,尚不如壬予癸丑。連珠未顯:連珠支干前後顛倒,皆不為顯。空合何榮:四柱相合,不扶六馬本命,即為不貴。

「徳合不清」とは說く:たとえば甲子が己丑に配し、丙戌が辛卯に配するのごとき連貫順暢にして貴を成すも、依然として壬子が癸丑に配するの來れる純正に如かず(底本「壬予」は當に「壬子」と作るべし)。「連珠未顯」とは說く:連珠格も若干支の前後次序顛倒せば、すなわち皆顯達する能わず。「空合何榮」とは說く:四柱は彼此相合すと雖も、卻って能く六馬と本命とを扶助せざれば、それもまた貴と算上せず。この三條は皆「看れば格を成すに似たるも實は成さず」の辨僞の例なり。

支連干會,連珠真同鳳凰藪;刑全貴全,天赦祿食麒麟窟。甲子乙丑丙寅連順而貴,尚不如壬子癸丑甲寅乙卯為鳳凰藪,其貴清異。人生二刑更晝夜貴神全,皆主文章清秀之貴。

地支相連・天干會合して、眞正の連珠格は便ち鳳凰の聚居する藪澤のごとし。三刑齊全・貴神齊全にして、さらに天赦・禄と食神とを加えれば、便ち麒麟の棲止する洞窟のごとし。たとえば甲子・乙丑・丙寅の連排して貴と成るも、なお壬子・癸丑・甲寅・乙卯の四柱連貫に如かず。それこそ「鳳凰藪」と叫ぶべく、その貴は清雅出衆なり。人もし命中に兩重の刑を帶びて、しかして晝貴神と夜貴神とまた皆齊全なれば、皆文章清秀の貴を主る。

卯酉自分承不承,魁罡言之會不會。乙酉得辛卯,辛酉得癸卯,而有辰戌,言支干相承用。魁罡辰戌也,辰戌相沖,須有寅亥申支乃為相會,不相會為凶。罡中旺乙,魁裡伏辛,貴神得癸,小吉隱丁。辰中是乙,戌中是辛,乙丑為貴神,丑中有癸,未中是丁。

卯と酉との間は須らく自己に承接し上ぐるや上げざるやを分清し、辰と戌との間は會し攏むるや攏めざるやを看るを要す。たとえば乙酉が辛卯に遇い、辛酉が癸卯に遇い、その間また辰と戌とあれば、これすなわち干支彼此承接して用いうるなり。魁罡は辰と戌とを指す。辰戌は本より相冲す。必ず別に寅・亥・申などの支ありて通關してこそ相會と算す。相會する能わざればすなわち凶と成る。さらに地支藏干を說く:天罡辰中は乙木當旺し、天魁戌中は辛金潛伏し、貴神丑中は癸水を得、小吉未中は丁火を隱す。すなわち辰中は乙を藏し、戌中は辛を藏し、乙丑は貴神にして丑中に癸あり、未中は則ち丁なり——これらの幾個の藏干は魁罡の會するや否やを判斷するの關鍵なり。

有陰而無陽,乃四方之貢土。言癸乙丁辛皆陰干,四位中貫成其物之土。陽守正於魁罡,陰有用於丑未。金在火鄉,貴而遷;逐財則孤勞。戊同辰戌,己同丑未。金命在火鄉,貴人多黜;貴財人則孤勞。

ただ陰干ありて陽干なければ、それすなわち四方より進貢し來れる土なり。これは癸・乙・丁・辛は皆陰干にして、辰戌丑未の四個の位次の中に分藏し、貫串し起れば土のこの物を成就することを說く。陽干は正位を守りて辰戌魁罡の上に在り、陰干は則ち丑未の上に作用を發揮す。戊土は辰戌と同氣、己土は丑未と同氣なり。金命の人が火郷に行き至れば、貴なりと雖もまた遷調を要す。もしただ財利を追逐するを顧みれば、便ち孤單勞碌に落得す。總じて金が火郷に落つれば、たとい貴人なるとも多く貶黜を遭い、しかして財を以て貴と爲す人は便ちさらに孤苦操勞す。

體重為從革日新,本輕則災殃短折。金以火為官,若體重者為火位中生,亦可成器;若金本輕而生於火鄉,更遇之多,必短夭刑折。須詳生克之愛憎,舉一隅而辨眾。如金在火鄉,各以其義辨生克愛憎而言吉凶;如水木火土,各以金之義而推之,故一隅足以辨眾。

本體厚重なるは、「從革」の象にして能く日新月異す。本氣輕薄なるは、便ち災殃夭折あり。金は火を以て官星と爲すがゆえに。本體厚重の金もし火位の中に生ずれば、同じく能く鍛煉して器を成す。もし金の本氣元來輕薄にして、また火郷に生まれ、さらに屢々火に遇上せば、それ必ず短命夭折しあるいは刑傷を遭う。ゆえに必ず生と克との間の愛と憎とを詳細に分辨し、一隅を舉げて能くその餘を推知するを要す。たとえば金が火郷に落つれば、すなわち各々の義理に按じて生克愛憎を辨じて吉凶を斷ず。水・木・火・土の諸行も、皆金のこの例に照らして推せよ——ゆえに一隅を舉ぐれば便ち衆多の情形を辨明するに足る。

支干論配合之情,力氣取四時之義。五行生在三合中,各以生克物化人倫之義以辨吉凶;更看四時中所得力氣,及支干配合真假,以定吉凶。仍分尊卑上下、筋脈交連、神煞吉凶,以分高下。此重言者,欲人不忽於消息。言更看上下先后尊卑、見不見抽不抽之筋脈情理,乃神煞吉凶而定榮謝也。

干支の間は須らく配合の情意を論じ、力量氣勢は則ち四時の義理を取るべし。五行が三合局の中に生ずるは、各々生克・物化と人倫との義理に按じて吉凶を辨じ、還はさらにそれが四時の中に多少の力氣を得るか、および干支配合の眞なるや假なるやを看て、これに據りて吉凶を斷定す。これに加えてなお尊卑上下・筋脈のいかに交接貫連するか・神煞の吉なるや凶なるやを分辨して、以て高下を判定するを用う。ここに重複して叮嚀する所以は、人に消息盈虚の細微の處を忽略すべからざらしめんとするなり。須らく上下先後の尊卑を看、あの顯現する與顯現せざる・抽出する與未抽出の筋脈情理を看て、然るのち神煞吉凶に配合してこそ、一生の榮と謝とを斷定しうる。

至若貴神當位,諸煞伏藏,三元旺相,豈專神煞。言天乙貴人論於干,看五行四時之氣及晝夜之干而定;若有氣,天乙當位,則煞自藏矣。五行三元為本,若在旺相之地,不背克生氣,不論神煞也。

貴神のまさにその位に當たるに至っては、各種の凶煞は自然に潛伏隱藏し、三元また皆旺相に處れば、何ぞなお專ら神煞に靠りて命を斷ずるを用いんや。これは說く:天乙貴人は須らく天干上より論じ、五行四時の氣および晝干夜干を看て以て確定す。ただ本氣有力にして天乙また位に當たれば、凶煞は自然に藏れ去る。五行と三元とこそ根本なり。もし旺相の地に處りて、また我を克し我を生ずるの氣に違背せざれば、則ち必ずしもさらに神煞を計較するを要せず。この句は全書の神煞に對する最終の定論と看做しうる。神煞は末なり、五行三元は本なり。

或遇七元,刑劫敗害、元亡沖破,在上無可救者,為頭目之疾。七元干鬼者,對命是也。三刑劫煞、八敗六害、元亡沖破者,犯真祿之位,見干鬼及三兩位並犯胎命之建,更地位無救,主頭目疾。在下無可救者,為手足之厄。只犯納音支者,乃手足股肱之病。

もし「七元」に遇上し、また三刑・劫煞・八敗・六害・元辰・亡神・冲・破などを加え、しかして上位(天干)に救助すべきなければ、すなわち頭部と眼目との疾病を主る。いわゆる七元の干鬼とは、すなわち本命と相對して命を克するあの天干なり。具體に言えば:三刑・劫煞・八敗・六害・元亡冲破のこれらは、もし眞禄の位を冲犯し、また天干の鬼を見、かつ兩三個の位次ありて一齊に胎元と本命の月建とを冲犯し、さらに地支方位上に救助なければ、すなわち頭目の疾を主る。もし下位(地支)に在りて救助すべきなければ、それすなわち手足の災厄なり。ただ納音と地支とを冲犯するは、手足四肢の一類の病なり。これは本書の命理より疾病を推するの條例にして、取象は上下に人身上の上下に對應す。

父母之孫奚能免害?生時既用,行運亦然。如此之人亦須妨害六親,以三元尊卑而言也。又言己土七煞之凶,不惟生時用於上下之災,行運太歲亦當與日時通論。

父母と子孫とまたどうして牽累を免れんや。生時既にかくのごとく取用するを要せば、行運もまた同じ道理なり。この種の人は必ずさらに六親を妨害す。これは三元の尊卑關係に就いて言うなり。さらに說く所の己土七煞の凶險は、單に生時上に於て上下の災患を造成するのみならず、行運と太歲と同じく當に日柱・時柱と合せて通盤に論斷すべし——ただ本命の一處を看る能わず。

木火則奔速,土金水乃容之。所遇上件破害,當向坐時運中,更分五行遲速之性:火木漸上主速,土金水沉下主遲緩也。噫!造化廖廓,禍福杳微。或積善而有災殃,或積惡而多喜慶,蓋禍福定於生時,善惡由人;然而天道福善禍淫,故君子修身以俟命。

木と火とは性急にして、來ること速し。土・金・水は性緩にして、能く遲延を容受す。およそ上面の說く所のあの破害に遇上せば、當に坐する所の時運に結合して看、再び五行遲速の性情を分辨すべし。火と木とは漸次上昇して、應驗迅速を主る。土・金・水は沈降して下に在り、來ること遲緩を主る。ああ!造化はかくのごとく空闊無邊、禍福はかくのごとく幽深難測なり。善を行う人あれど災殃を遭い、惡を作す人あれどかえって喜慶多し——これは禍福は出生の時辰によりて定下し、しかして善惡は卻って人の自己に由りて決定するがゆえの故なり。然れども天道は終究善人に福を降し淫惡の人に禍を降る。ゆえに君子はただ自身を修養し、靜かに天命を候ぐのみ。この句は修身を以て結と作す。まさに「衰旺取時」の一篇の歸宿なり。

三元九限

三元者,大小氣運也;九限者,三運之榮謝也。自生得節日為初,陽男陰女順而理,陰男陽女逆而推。曏者數之未來,背者用之已往。十干分之為月,三日成之一年。向背之數須得其實,未來無日,謂當日得節也,當虛作歲,背之同推。行遊四柱,吉凶自然;小運同途,盛衰理異。運至四柱中伏反生克,吉凶自然;同年小運,四柱所生有別也。

いわゆる「三元」とは、ここに大運・小運と氣運とを指す。いわゆる「九限」とは、三種の運が各々榮と謝とを分かちて成るの九種の限なり。運を起こすは出生のあの日より交節の日に算起す。陽年生の男・陰年生の女は順行推算し、陰年生の男・陽年生の女は逆行推算す。前に向かって數うるは未來の日子、後に向かって數うるは已過の日子なり。十天干を以て分配して月と爲し、每三日を折りて一年と合す。向と背との日數は必ず覈實するを要す。もし未來に餘日なければ、すなわち當日まさに節氣を交えるを說く。それすなわち當に虚歲一歲と作して算し、逆推するもまたこれに照らして辦理す。運が四柱の各位を行經せば、吉凶は自然に顯現す。小運は大運と同行一路なりと雖も、盛衰の道理は卻って一樣ならず。運が四柱の中に行至りて伏吟・反吟と生克とに遇えば、吉凶は自然にそれに隨う。同一年の小運は、四柱の生ずる所の氣の同じからざるに因りて、結果もまた各々分別あり。

伏反之狀災福,仍分本主之基,以辨吉凶之變。伏,守也,逢合則動;反,動也,逢合則靜。先分君子小人之主本,次看運中吉凶變通。小運天左地右,陽備於寅,陰備於申,故男一歲起於寅,女一歲起於申。寅為三陽化主,申為三陰肅煞,故男小運起於寅,女小運起於申。假如甲子年,男起丙寅,女起壬申之類是也。

伏吟と反吟との帶來する所の災と福とは、なお須らく本命と主位との根基を分清して、こそ吉凶の變化を辨明しうる。「伏」は靜守にして、合に遇えばすなわち動き起る。「反」は躁動にして、合に遇えばかえって靜かに下る。推斷する時は先ず君子一路なるや小人一路なるやの主本を分清し、再び運中の吉凶のいかに變通するかを看る。小運の排法は天道は左に向かい地道は右に向かうなり。陽氣は寅に完備し、陰氣は申に完備す。ゆえに男子一歲の小運は寅より起り、女子一歲の小運は申より起る。寅は三陽の化する所の主、申は三陰肅殺の地なり。これに因りて男は寅に起り女は申に起る。例を舉げて說けば、甲子年生の人は、男の小運は丙寅より起り(甲年は寅を遁じて丙を得)、女は壬申より起る。その餘はこれに照らして類推せよ。

以建元而論勝負,助歲運而依吉凶。小運各以年遁月建五行而分生克勝負,小運助大運,太歲相依輔而為吉凶也。反破刑孤,凶中有吉;寅申二命,小運不專。返吟沖、伏吟害及孤病之類,雖是凶運,其中亦有吉者;二運生而小運伏吟反吟,故不以小運專仕太歲乏上也。

月建の元を以て勝負を論じ、それを用いて歲運を輔助して以て吉凶を定む。小運は各々本年の遁出する月建の五行に按じて生克勝負を分かつ。小運は大運を幫助し、太歲はそれと互相依輔して、共に吉凶を構成す。反吟・破・刑・孤のこれらは、凶中にもまた吉あり。寅・申の兩位に生るるの命は、小運は單獨に以て準と作すべからず。返吟相冲・伏吟爲害および孤辰病地の類は、凶運に屬すと雖も、その中にも轉吉するあり。まして大運小運の二者相生する時、小運偏偏また伏吟反吟に逢うをや。ゆえにただ小運に憑りて太歲を一邊に撇く能わず。

一歲一移,周而復始。若一年各有一建而循環也,不可以氣運取。男三干而女二干,陽自戊子、陰自庚子,男得丁巳、女得辛巳,男順十月至丙寅、女逆十月至壬寅也。氣者時也,未有時而氣未定,既有時而氣以完。用之納音者,緣有身而得之氣也。言氣運取生時五行納音之休旺。

小運は一年に一位を移動し、周にして復た始まる。既に一年各々一個の月建循環あれば、すなわちそれを拿りて當に氣運と作して取用する能わず。男女の起法は同じからず。男は三干を進め、女は二干を退く。陽干は戊子より起り、陰干は庚子より起る。男は丁巳を得、女は辛巳を得。男は順行して十個月に丙寅に到り、女は逆行して十個月に壬寅に到る。いわゆる「氣」とは、指すは時辰なり。まだ時辰なければ、氣はすなわち未だ定まらず。時辰あれば、氣はこそ完備と算す。納音を用ゆる所以は、「身」(納音)ありてこそ氣を得るに談足ればなり。これはすなわち說く、氣運は須らく生時の五行納音の休と旺とを取りて推すべしと。

身者三元之本也,氣者身之本也。運既順而氣逆,運若逆而氣順,自生時為始轉行不已,推遷逐歲一宮,以大小運分吉凶休祥,非命之也。甲己土運,乙庚金運,乃天道起魁罡之運,主國家運祚之休祥,非雲命之氣運也。

「身」(納音)は三元の根本、「氣」はまた身の根本なり。大運順行する時は氣はすなわち逆行し、大運逆行する時は氣はすなわち順行す。皆生時より起算し、輾轉推移して停まず、每一年一宮を推進し、大運小運を用いて吉凶禍福を分かつ——これは本命本身に非ずして、行運なり。甲己合して土運と化し、乙庚合して金運と化すのこの一套に至っては、それは天道が魁罡より起算するの大運にして、一國國運の興衰祥否を主るなり。並に個人命造の氣運を說くに非ず。兩者は混同して一談と爲すべからず。

氣運並絕則厄。太歲為君王,大運為元帥,氣運如曹使,小運若使臣。帥凶則曹使不能吉。氣運二真運祿馬之氣並絕則死。太歲為百神之主,人運氣運欲轉輪不絕,則主本優遊;大運主生煞之柄,故曹使不能違理。

氣と運とが一同に斷絶すれば、便ち災厄あり。四者の分量は譬すれば一套の官制のごとし。太歲は君王、大運は元帥、氣運は各曹の屬吏に似、小運は命を奉ずる使臣に似たり。元帥一たび凶なれば、屬吏は便ち吉ならざることを得。倘若氣運と兩重の眞運(禄と馬)の氣とが一齊に斷絶せば、それすなわち死なり。太歲は百神の主なり。人の行運と氣運とただ能く循環流轉して斷絶せざれば、主本は便ち安閒自在なり。大運は生と殺との權柄を掌握す。ゆえに屬吏(氣運・小運)は能くその道理に違背する能わず。

會吉會凶,作用定矣。在三元生旺庫及祿馬旺處為會吉;居三元沐浴衰病死絕處,逢祿馬為鬼,無和順者,為會凶。其象大者至於死絕,小者期於災撓。身須逐運,運須逐身。柱助運而凶反吉,柱敗運而吉復凶。時運逢馬,吉凶馬上。一吉呼而百吉會,一凶馳而眾凶符。太歲起大運及主本尊者,則大危或死亡矣;小者有用,雖自有福,若傷慢處亦主災撓。身運二者須左右有符合資助為吉。柱為主,運為客,客為主害,無不凶也。三二運到馬上,即看馬上之吉凶。馬主動,必須細取三月元四柱論,不可以馬吉而不言馬上有凶也。

「會吉」なるや「會凶」なるやは、取用一定すれば便ち分明なり。三元の生・旺・庫および禄馬旺處に落つるは、會吉なり。三元の沐浴・衰・病・死・絶の處に落ちて、また禄馬に逢うもかえって鬼煞と成りて毫も和順ならざるは、會凶なり。應驗の程度は:重きは死絶に到り、輕きは不過災擾のみ。身は須らく運に隨いて走り、運もまた須らく身に隨いて走るべし。四柱が行運を幫助しうるは、凶もまた吉に轉ず。四柱が行運を敗壞するは、吉はまた凶に轉ず。時運が驛馬に逢上せば、吉凶はすなわち馬上に應ず。一個の吉神一呼せば、百吉皆來りて會合す。一個の凶煞一動せば、衆凶皆來りて應和す。もし太歲が大運および主本の中の最尊の一位を觸動せば、すなわち大いに危險にして乃至死亡す。分量輕きはなお用あり・自ずからその福あれども、しかし一旦輕慢の處に傷つけば、また災擾を主る。身と運との兩者は、必ず左右に符合の神ありて來りて資助してこそ吉なり。四柱は主、行運は客なり。客が反って主に加害すれば、凶ならざるなし。大運小運が驛馬の上に走り至れば、すなわち須らく馬上の吉凶を看るべし。馬は動を主る。必ず三元と四柱とを仔細に結合して論ずるを須とし、馬の吉なるがゆえを以て馬上にもまた凶を帶ぶを得るを提せざるべからず。

吉若勝凶,凶藏吉內;凶若勝吉,吉隱凶中。其言吉凶有相反,如季主云:「使盡吉合則殃也。」

吉もし凶を壓過せば、凶はすなわち吉の裡面に藏る。凶もし吉を壓過せば、吉はすなわち凶の裡面に隱る。これは說く、吉と凶と常常として相互包含し彼此反轉す。まさに司馬季主の說く所のごとし:假使一味に全を求め、吉と合とを皆占め盡せば、かえって災殃を生ぜんとす。この話は前文の「盛衰太過を忌と爲す」と一貫す。命理は最も十全を怕る。一分の餘地を留めてこそ長久の道なり。

運限之道,有天官限者,三元到中庸之地,見貴逢合,或只有貴卻無合,或有合而無貴,四柱相生,運歲相輔;凡得此限,君子將榮,庶人獲安,事事皆吉。有得勢限,三元俱到旺相地,四柱相貴承。有龜藏限,如祿金入土干下者是也;命金入土支下,身金入上,納音下者,則暮春之優遊,不利君子、利平小人,蓋子弱母勝也。

行運の限に若干種あり。第一種は「天官限」と叫ぶ。三元が中和の地に走り至り、貴人を見てまた合に逢い、あるいはただ貴人有りて合なし、あるいは合ありて貴人なし、加うるに四柱相生・大運と太歲と互相扶助せば。およそこの限を得れば、官を做るは榮升有らんとし、百姓もまた安寧を得て、事事皆吉なり。第二種は「得勢限」と叫ぶ。三元皆旺相の地に走り至り、四柱また彼此貴を以て相承す。第三種は「龜藏限」と叫ぶ。たとえば金に屬する禄が土干の下に落つれば、すなわちこの一限なり。本命の金が土支の下に落ち、身の金が上に在りて納音が下に在れば、それすなわち暮春時節のごとく閑適なり——君子に對しては不利にして、かえって平民小人に對して利あり。これは子弱くして母強しの格局なるがゆえに。

有波浪限,金人運到亥子歲,乃小運上是也,木人大危,餘人意思不調,飄泛如舟也。有風雨限,運到三元衰絕處,氣運小運又為祿鬼,如此則吉凶相繼,來去迅速,勢若風雨暴遇而無所繫也。有布素限,行運到身旺相、支干死絕是也;若太歲小運扶助,本命雖入災運,於十載之間亦有五年之吉,不至於凶甚,以此消息,故名布素。限分前後:五年不吉,後運則助五年無凶;後運若凶,則凶咎。

第四種は「波浪限」と叫ぶ。金命の人が亥・子の年に行運すれば、ことに小運上に應ず。木命の人は則ち大いに危險にして、その餘の各命もまた心意順ならず、小船のごとく漂泊定まらず。第五種は「風雨限」と叫ぶ。三元の衰絶の處に行運至り、氣運と小運とまた皆禄上の鬼と成れば、かくのごとく吉凶接き續いて來り去來迅速にして、形勢は便ち驟然に風雨に遇上して依傍する所なきがごとし。第六種は「布素限」と叫ぶ。身が旺相に處るも干支は卻って死絶に在るに行運至れば、すなわちこの限なり。もし太歲と小運とありて來りて扶助せば、本命たとい災運に進入すとも、十年の間なお五年は吉なるあり、太凶に至らず——その中にかくのごとき消長あるがゆえに、ゆえに「布素」(粗布素衣、平淡に日を度る)と叫ぶ。この限は前後兩段を分かつ。前五年は不吉にして、後運は能く救助して後五年をして凶なからしむ。もし後運本身また凶なれば、則ち眞に凶咎と成る。

有失所限,三元俱值鬼,二運見三刑並沖,柱主本與行年不相承,作黃泉失所之命也。有破碎限,此非死限,只是金破碎,去如流水而不返,諸運氣沐浴更逢真鬼,謂甲衰而有庚之類。有災位限,運至伏吟,上逢喪吊,見白衣、飛廉、孤寡、歲刑剋身者,是主災位之事;凡得此限,則親戚不利,主有喪服。

第七種は「失所限」と叫ぶ。三元皆鬼に遇上し、大運小運また三刑並冲を見、四柱主本と流年と互不承接せば、これすなわち魂の黃泉に歸し安身する處なきの命と成る。第八種は「破碎限」と叫ぶ。これは並に死限に非ず。ただ金器の破碎するがごとく、去ればすなわち流水のごとく再び回來せず。各運の氣が沐浴の地に落ちてまた眞鬼に逢う。たとえば甲木すでに衰えて命中有庚金の類あるがごとし。第九種は「災位限」と叫ぶ。行運が伏吟に走り至り、上面また喪門・弔客に逢い、再び白衣・飛廉・孤辰寡宿および歲刑の來りて身を克するを見れば、すなわち災位上の事を主る。およそこの限を得れば、親戚不利にして、喪服の事あるを主る。以上すなわち三元と相配するの「九限」なり。

夫二元九限者,乃人之利也;四柱三才者,乃人之本也。本輕則大者小利,小則主本貧,而更無運路,亦惶惶無所依矣。本大者得之小,猶勝小者得之大;本小者得之大,未及大看得之小。本重則利重,本輕則利輕。本重得小者遐邇無凶,得大者官清祿崇;本輕則小者且福且利,得大者吉極防凶。有小者如物待時,得時則萬物滋長。

大運小運と九限とは、人の「利」なり。四柱と三才とは、こそ人の「本」なり。根本輕薄の人は、たとい大運に行き至るも小利あるのみ。もし小利すらなければ、則ち本身貧寒にして、また運路の走るべきなく、ただ惶惶然として依靠する所なきのみ。根本厚大にして小運に行至るは、なお根本單薄にして大運に行至るに勝る。根本單薄にして大運に行至るは、かえって根本厚大にして小運に行至るに如かず。本重ければ則ち得る所の利もまた重し。本輕ければ則ち得る所の利もまた輕し。本重き人は小運を行けば、遠近皆凶險なく、大運を行けば則ち官職清要・俸禄崇高なり。本輕き人は小運を行けば還は福あり利ありと算す。大運を行けばかえって吉の極處に到りて轉凶を提防するを要す。根本なお小なるに至っては、便ち萬物の時令を待つがごとく、一旦時を得れば便ち滋長し起る。

本無者,如折木懸空氣,過則花實並敗。是故木生於震,臨離兌以多殃;火產東南,赴天門而寡祿;金降自乾東而震北,遇坤鄉而敗祿;衰官水長,逢火木崇,方復乾宮而潛身退跡。五土忌於真敗,隨氣運以詳之。又土無正位,隨真運而敗:甲己土敗在酉,乙庚金敗在午,丙辛水敗在酉,丁壬木敗在子,戊癸火敗在卯,各以十干所配消息而取用也。

根本全く無き人に至っては、便ち折斷の樹枝の空中に懸るがごとく、氣一たび過ぎ去れば、花と果と一齊に敗落す。ゆえに說く:木は震(東方)に生じ、離(南)・兌(西)に行き至れば多く災殃あり。火は東南に産し、天門(西北乾位)に奔向すれば俸禄少なし。金は乾位西北より下降し、東方震位を經てさらに北に往き、坤鄕(西南)に遇上せば便ち禄を敗す。官氣すでに衰えて水勢まさに長ずるは、火と木とに逢えばかえって崇盛なり。乾宮に回り到るを待てばすなわち當に潛身退迹すべし。五方の土は最も眞正の敗地を忌む。須らく氣運に隨いて詳細に分辨すべし。土は本來自己の正位なく、ただ合化の眞運に隨いて以て敗地を定むるのみ。甲己合して土と化し、敗は酉に在り。乙庚合して金と化し、敗は午に在り。丙辛合して水と化し、敗は酉に在り。丁壬合して木と化し、敗は子に在り。戊癸合して火と化し、敗は卯に在り。各々十干の配する所の化氣に按じて消長を斟酌して取用せよ。

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