Libo

各種の器具をして十倍百倍の效能有るも用上に致らざらしめ、

春秋 · 老聃(旧题) · 第11巻 / 20

小國寡民,

百姓をして死亡を看重して遠處に遷徙せざらしむ。

使有什伯之器而不用,

船隻車輛有ると雖も、乘坐する必要なく、鎧甲兵器有ると雖も、陳列する機會なし。

使民重死而不遠徙。

百姓をして重ねて結繩記事の淳樸に回到せしめ、自己の飯食の甘美・衣服の漂亮・居所の安適・習俗の快樂を覺えしむ。鄰近の國家は彼此望見る可く、雞鳴狗吠の聲音は彼此聽到る可く、然れども百姓は老死に到るまで、皆相往來せず。

雖有舟輿,無所乘之;雖有甲兵,無所陳之。

八十一章

使人復結繩而用之,甘其食,美其服,安其居,樂其俗。鄰國相望,雞犬之聲相聞,民至老死,不相往來。

真實の話は漂亮ならず、

漂亮の話は真實ならず。

信言不美,

善良の人は巧辯せず、巧辯の人は善良ならず。

美言不信。

真に見識有る人は博雜を炫耀せず、

善者不辯,辯者不善。

博雜の人は真見識有らず。

知者不博,

聖人は自己の為に積存せず、

博者不知。

彼は愈盡力して別人を幫助すれば、自己は却って愈充足し、

聖人不積,

愈盡力して別人に給與すれば、自己は却って愈豐富なり。

既以為人己愈有,

天道は万物を利益して損害を加えず、

既以與人己愈多。

聖人の道は作為有りて人と相争わず。

天之道,利而不害;

跋

聖人之道,為而不爭。

晁說之跋

王弼の注せる《老子道德經》二卷は、真に老子の學を得たりと算す可きか、大概嚴君平の《道德指歸》の一路に属せん。彼は説くに仁義と禮とは皆自ら作用を發揮する能わず、必ず道に靠りて乃ち發揮し出づる能く、天地万物は各々「一」より得る所有り——這豈にただ老子に對して功有るのみならんや。およそ學問を做す者は、皆這一層を知らざる可からず。我は此に因りて王弼の根柢は老子に深く在るを知り、彼の《周易》を講ずるは却って末流なり。彼の《易》を解するは、多半老子の意旨を借用す。然れども老子を解するの時は、却って《易》を借助するを須要せず。彼の兩方面の有餘と不足は、一看便ち知る。唉、學問を做すは真に難きなり。王弼は「佳兵者不祥之器」以下「戰勝以喪禮處之」に直到る這一段は老子の話に非ざるを知れども、「常善救人、故無棄人、常善救物、故無棄物」の這幾句はただ河上公本に見えて、古本は並び有らざるを知らず——幸に傅奕有りて這一點を辨明する能くす。不過王弼が這書に題名して《道德經》と為し、「道」「德」を割裂して上下兩篇に分かたざるは、這却って還に古本に接近せんか。ただそれの文字は訛誤多くして、幾乎讀み通さざる地方有り、人をして惋惜せしむ。我は曾て説き曾てたり、王弼の老子に對する、張湛の列子に對する、郭象の莊子に對する、杜預の《左傳》に對する、范甯の《穀梁》に對する、毛萇の《詩》に對する、郭璞の《爾雅》に對するは、皆完完整整として自ら一家の學を成す。後世縱令著述する人有ると雖も、また增益する所有るは容易ならず。我すでに王弼の書を謄寫一遍し了り、便ち一并にこれらの話を記下す。

政和乙未年十月丁丑日、嵩山晁說之鄜畤に記す。

王弼老子道德經二卷,真得老子之學歟,蓋嚴君平指歸之流也。其言仁義與禮,不能自用,必待道以用之,天地萬物各得於一,豈特有功於老子哉。凡百學者,蓋不可不知乎此也。予於是知弼本深於老子,而易則末矣。其於易,多假諸老子之旨,而老子無資於易者,其有餘不足之跡,斷可見也。嗚呼,學其難哉!弼知佳兵者不祥之器,至於戰勝,以喪禮處之,非老子之言,乃不知常善救人,故無棄人;常善救物,故無棄物。獨得諸河上公,而古本無有也。賴傅弈能辯之爾。然弼題是書曰道德經,不析乎道德,而上下之,猶近於古歟!其文字則多謬誤,殆有不可讀者,令人惜之。嘗謂,弼之於老子,張湛之於列子,郭象之於莊子,杜預之於左氏,範甯之於穀梁,毛萇之於詩,郭璞之於爾雅,完然成一家之學,後世雖有作者,未易加也。予既繕寫弼書,並以記之。

熊克跋

政和乙未十月丁丑嵩山晁說之鄜畤記。

我は咸平年間の皇帝の話を恭敬して誦讀す、その中に説く有り、「《老子道德經》は天下を治理するの要領なり。唐明皇の注解は燦然として觀る可きと雖も、然れども王弼の作りし注は言辭簡約にして意旨深遠、真正に老子清静の宗旨を得たり」と。

我は此より極力して王弼の注本を搜求す、然れども近世は見ること少く、久しきを過ぎて乃ちこれを得たり。前些年我は建寧の學官を代理するの時、曾てこれを刊行し曾てたり。後にまた晁以道先生の題識する本子を得着す、あの本子は「道」「德」を上下兩篇に分かたず、また篇目なく、我はそれが古本に接近するを喜歡し、便ち謄寫收藏す。乾道庚寅年、我は京口に到りて教職に任じ、又重新に雕版して流傳す。書中文字の訛誤に至りては、前人なお考證する能わず、我は何を以て敢えて輕易に改動せん、姑く將來の明白人を待たんのみ。

克伏誦咸平聖語,有曰:「老子道德經治世之要,明皇解雖燦然可觀,王弼所注,言簡意深,真得老氏清淨之旨。」

三月二十四日、左從事郎充鎮江府府學教授熊克謹記。

克自此求弼所注甚力,而近世希有,蓋久而後得之,往歲攝建寧學官,嘗以刊行,既又得晁以道先生所題本,不分道德而上下之,亦無篇目,喜其近古,繕寫藏之,乾道庚寅,分教京口,復鏤板以傳,若其字之謬訛,前人已不能證,克焉敢輒易,姑俟夫知者。

經典釋文

三月二十四日左從事郎充鎮江府府學教授熊克謹記

老子道經音義

老子は、

生まれ來りて頭髮即ち白く、

老子,

周朝の柱下史を做り曾て、周室の衰微を見て、便ち西に向かって關を出で、

生而皓首,

關尹喜に為に《道德》兩篇を講説し、虛無無為を崇尚し、

為周柱下史,覩周之衰,乃西出關,

總共五千餘字。河上公はそれが為に章句四卷を作れり。

為關尹喜說道德二篇,尚虛無無為,

漢文帝は彼を徵召す、彼は肯じて來らず。文帝は自ら河邊に至りて彼を責め、河上公は便ち身を踴って空中に升る。文帝は容色を改めて彼に道歉し、是に彼は《老子章句》四篇を漢文帝に授與す、講ずるは身を治め國を治むるの要領、此以後玄を談じ道を論ずる者は、玄言を以て宗尚と為さざるなし。ただ王輔嗣(王弼)は精妙に虛無の宗旨を得たり。

凡五千餘言。河上公為章句四卷。

全部で五千余字。河上公はこれに章句四巻を作った。

文帝徵之不至,自至河上責之,河上公乃踴身空中,文帝改容謝之,於是授漢文以《老子章句》四篇,言治身治國之要,其後談論者莫不宗尚玄言。唯王輔嗣妙得虛無之旨。

漢の文帝が彼を徴召したが、彼は来ようとしなかった。文帝は自ら河辺に行き彼を責めたが、河上公は身を踊らせて空中に昇った。文帝は顔色を変えて彼に謝り、そこで彼は《老子章句》四篇を漢の文帝に授けた。それは身を治め国を治める要領を説くものであった。これ以後、玄を談じ道を論ずる者は、玄言を宗尚としない者がいなかった。ただ王輔嗣(王弼)のみが精妙に虚無の宗旨を得た。

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