Libo

無為の態度を以て作為し、事を生ぜざるの態度を以て做事し、恬淡無味の態度を以て品味す。

春秋 · 老聃(旧题) · 第9巻 / 20

為無為,事無事,味無味。

小を以て大と看為し、少を以て多と看為し、德を以て怨恨に回報す。

大小多少,報怨以德。

難事を解決するはそれの還易しきときより下手し、大事を成就するはそれの還細微のときより著手す。天下の難事は必ず容易處より起始し、天下の大事は必ず細微處より起始す。ゆえに聖人は始終あの自ら以て大と為す事を做さずして、却ってその大を成就する能くす。輕易に許諾するは必ず守信少なし、事情を太に容易と看るは必ず多くの困難に遇わん。ゆえに聖人は却って事情を艱難と看る、

圖難於其易,為大於其細;天下難事必作於易,天下大事必作於細。是以聖人終不為大,故能成其大。夫輕諾必寡信,多易必多難。是以聖人猶難之,

此に因りて終竟難事なし。

故終無難矣

六十四章

局面安定のときは維持し易く、事變未だ征兆なきときは圖謀し易し。

其安易持,其未兆易謀。

物は脆弱のときは分解し易く、事物は細微のときは散失し易し。

其脆易泮,其微易散。

事情の未だ發生せざるときに於て著手すべく、

為之於未有,

禍亂の未だ興起せざるときに於て治理すべし。

治之於未亂。

合抱の粗き大樹は、細小の萌芽より長起こり、九層高の樓臺は、一筐の土より累積し起こり、千里の遠行は、脚下の第一步より開始す。強行作為するは必ず敗れ、執意把持するは必ず失う。

合抱之木,生於毫末;九層之臺,起於累土;千里之行,始於足下。為者敗之,執者失之。

ゆえに聖人は無為にして、因りて失敗せず、執持する所なく、因りて失去せず。人々の做事は、常常將に成功せんとするの時に失敗す。

是以聖人無為故無敗,無執故無失。民之從事,常於幾成而敗之。

もし最後に到るもなお開始の時の如く謹慎ならば、失敗の事有らざらん。ゆえに聖人の欲求する所は別人の欲求せざる所、難得の財貨を看重せず、

慎終如始,則無敗事。是以聖人慾不欲,不貴難得之貨;

學習する所は別人の學習せざる所、衆人の過錯を取り來りて以て借鑑と為す。

學不學,復眾人之所過。

彼がこの如く為すは万物本來の樣子を輔助せんが為にして、敢えて強行作為せず。

以輔萬物之自然,而不敢為。

六十五章

古時に道を行うに善き者は、道を以て百姓をして機巧に變得せしめずして、彼らをして淳樸を保持せしむるを要とす。

古之善為道者,非以明民,將以愚之。

百姓の治理し難き所以は、正に彼らの智巧の太多なるがゆえなり。

民之難治,以其智多。

ゆえに智巧を以て國を治むるは、國家の禍害にして、

故以智治國,國之賊,

智巧を以て國を治めざるは、乃ち國家の福氣なり。這兩條を懂得すれば、亦即ち治國の法則を懂得す。常にこの法則を懂得すれば、便ち玄德と謂う。玄德は深きや、遠きや、

不以智治國,國之福。知此兩者亦稽式。常知稽式,是謂玄德。玄德深矣,遠矣,

それは具体事物の取向と相反するなり、

與物反矣,

然れどもそれに順って走下去れば、最終に乃ち最大の通順に達す可し。

然後乃至大順。

六十六章

江海の能く百川千谷の王と為る所以は、それが低下の地方に處るに善きを以て、ゆえに能く百川千谷の王と為る。此に因りて百姓の上に居らんと欲すれば、必ず言辭の上に彼らに對して謙下せねばならず、百姓の前に走らんと欲すれば、必ず自身を彼らの後面に置かねばならず。ゆえに聖人は上位に處して百姓は沉重を覺えず、前面に處して百姓は受害を覺えず。此に因りて天下人は彼を推戴するを樂しみて彼を厭棄せず。正に彼が人と争わざるがゆえに、天下に彼と争う能くする誰もなし。

江海所以能為百谷王者,以其善下之,故能為百谷王。是以欲上民,必以言下之。欲先民,必以身後之。是以聖人處上而民不重,處前而民不害。是以天下樂推而不厭,以其不爭,故天下莫能與之爭。

六十七章

天下人は皆我が道の大なりと説く、大なりて一個の具体的な何物かに像らざるが如し。正にそれが大なるがゆえに、像らざるなり。もしある具体物に像れば、それは早就渺小甚だし。

天下皆謂我道大,似不肖。夫唯大,故似不肖。若肖,久矣其細也夫!

我に三件の法寶有り、一直に持守し護惜す。第一を慈愛と謂い、第二を儉嗇と謂い、第三を敢えて天下人の前頭に搶せざると謂う。

我有三寶,持而保之。一曰慈,二曰儉,三曰不敢為天下先。

慈愛有るがゆえに、能く勇敢たり。

慈故能勇,

儉嗇有るがゆえに、能く寬廣たり。

儉故能廣,

敢えて天下人の前頭に搶せざるがゆえに、能く衆器の長と為る。

不敢為天下先,故能成器長。

如今の人は慈愛を舍棄して一味に勇を逞し、

今舍慈且勇,

儉嗇を舍棄して一味に廣を求め、退後を舍棄して一味に先を争う——是れ死路一條なり。

舍儉且廣,舍後且先,死矣!

慈愛を憑りて作戰すれば便ち取勝する能く、

夫慈以戰則勝,

慈愛を憑りて防守すれば便ち牢固する能くす。上天が誰かを救助せんとするに、便ち慈愛を以て彼を護衛す。

以守則固。天將救之,以慈衛之。

六十八章

將帥を作るに善き者は勇武を逞せず、

善為士者不武,

作戰に善き者は輕易に發怒せず、

善戰者不怒,

敵に勝つに善き者は敵人と正面に争鋒せず、

善勝敵者不與,

人を用うるに善き者は人に對して謙下す。これを不争の德と謂い、これを他人の力量を善用すと謂い、

善用人者為之下,是謂不爭之德,是謂用人之力,

これを天道に合し古より以來の極則に合すと謂う。

是謂配天古之極。

六十九章

兵を用うる者にこの如き話有り、「我は敢えて主動に戰端を挑起せずして寧ろ守勢を采取し、敢えて一寸前進せずして寧ろ一尺後退す」と。これを行列有るも行列の擺す可きなきが如く、

用兵有言﹕「吾不敢為主而為客,不敢進寸而退尺。」是謂行無行,

臂を奮わんとすとも臂膀の擧ぐ可きなきが如く、敵を迎えんとすとも敵人の對す可きなきが如く、

攘無臂,扔無敵,

兵を執らんとすとも兵器の持つ可きなきが如しと謂う。

執無兵。

禍患は敵を輕んずるより大なるなく、敵を輕んずれば幾乎將に我が三件の法寶を喪失せんとす。

禍莫大於輕敵,輕敵幾喪吾寶。

ゆえに兩軍實力相當して對壘するのとき、哀痛の心を抱く一方は獲勝せん。

故抗兵相加,哀者勝矣。

七十章

我が話は甚だ懂り易く、甚だ實行し易し。然れども天下は竟に懂る能くする人なく、行う能くする人なし。

吾言甚易知,甚易行。天下莫能知,莫能行。

言論はその宗旨有り、行事はその根據有り。

言有宗,事有君。

正に人々が這一點を了解せざるがゆえに、我を了解せざるなり。

夫唯無知,是以不我知。

我を了解する人愈少なければ、我を效法する人は愈貴重と顯れる。

知我者希,則我者貴。

ゆえに聖人は身上に粗布衣裳を披着して、懷裡に却って美玉を揣む。

是以聖人被褐懷玉。

七十一章

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