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鹖冠子 · 第3巻

战国 · 鹖冠子 · 第3巻 / 7

學問第十五

學問第十五

世賢第十六

世賢第十六

天權第十七

天權第十七

能天第十八

能天第十八

武靈王第十九

武靈王第十九

【臣】等謹案鶡冠子書漢書藝文志列於道家注曰楚人居深山以鶡為冠劉勰文心雕龍稱鶡冠緜緜亟發深言韓愈集有讀鶡冠子一首稱其博選篇四稽五至之說學問篇一壺千金之語且謂其施於國家功德豈少栁宗元集有鶡冠子辨一首乃詆其言為鄙淺謂其世兵篇多同鵩賦據司馬遷所引賈生二語以決其偽然古人著書徃徃偶用舊文古人引證亦徃徃偶隨所見如谷神不死四語今見老子中而列子乃稱為黃帝書克己復禮一語今在論語中左傳乃謂仲尼稱志有之元者善之長也八句今在文言傳中左傳乃記為穆姜語司馬遷惟稱賈生蓋亦此類未可以單文孤證遽斷其偽惟其書漢志稱一篇隋志始為三卷或漢以來有所附益則未可知耳至其說雖雜刑名而大防本原於道德其文亦博辯宏肆自六朝至唐劉勰最號知文而韓愈最號知道二子稱之宗元乃以為鄙淺過矣此本為宋陸佃注凡十九篇其序謂愈但稱十六篇未睹其全佃北宋人其時古本韓文初出當得其真今本韓文乃亦作十九篇殆後來反據此書以改韓集猶劉禹錫河東集序稱編為三十二通而今本栁集亦反據穆修本改為四十五通也佃注惟陳振孫稍及之通考不著録晁公武讀書志亦但稱有八卷一本前三卷全同墨子後兩卷多引漢以後事公武削去前後五卷得十九篇則似亦未見佃注者殆宋時已罕傳矣乾隆四十二年五月恭校上

【臣】等謹案:《鶡冠子》の書は、《漢書·藝文志》に道家に列し、注に曰く:楚人、深山に居り、鶡鳥の羽をもって冠とす。劉勰《文心雕龍》は鶡冠の綿綿たるを稱し、每每深言を發す。韓愈の集に《鶡冠子を讀む》一首あり、その《博選》篇の四稽五至の說、《學問》篇の「一壺千金」の言を稱許し、かつこれを國家に施行せば功德豈に少なからんやと言う。柳宗元の集に《鶡冠子辨》一首あり、卻ってその言の鄙淺を毀り、《世兵》篇は多く賈誼《鵩賦》に同じと言い、また司馬遷の引く賈生の兩句に據って、それを僞書と判定した。しかし古人の著書は、往々にして偶舊文を沿用し、古人の引證も、往々にして偶自ら見る所に就く。たとえば「谷神不死」の四句は、今《老子》に見えるが、《列子》は黄帝書と稱し、「克己復禮」の一句は今《論語》にあるが、《左傳》は仲尼が「志に之あり」と稱すと言い、「元者善之長也」の八句は今《文言傳》にあるが、《左傳》は穆姜の言と記す。司馬遷がただ賈生を稱すのも、蓋しこの類で、單文孤證をもって僞書と斷ずるべからず。ただこの書《漢志》は一篇と稱し、《隋志》に至って三卷と作る。或いは漢以來附益する所有るか、知るべからず。その學說は刑名を雜えても、大旨は道徳に本原す(底本は「大防本原」、四庫本は「大旨」)。文章も博辨宏肆である。六朝から唐に至り、劉勰は最も文を知ると號し、韓愈は最も道を知ると號す。兩人ともそれを稱許したのに、宗元は鄙淺と為す。過分である。この本は宋の陸佃の注で、合計十九篇。陸佃の序に韓愈は十六篇を稱すのみで全本を見ずと言う。陸佃は北宋人で、當時古本の韓文が剛し出で、眞貌を得るべきである。今の韓文も十九篇と作る。蓋し後人がかえってこの書に據って韓集を改めたのであろう。たとえば劉禹錫の《河東集》序が三十二通に編すと稱するも、今本の柳集はかえって穆修本に據って四十五通に改められた如し。陸佃の注は陳振孫が稍々言及したのみで、《通考》に著録せず。晁公武《讀書志》もただ一種の八卷本ありと言い、前三卷は全く《墨子》に同じく、後兩卷は多く漢以後の事を引き、公武は前後五卷を削って十九篇を得たという。則ち陸佃の注をも見なかったようで、蓋し宋時に既に流傳少なかったのであろう。乾隆四十二年五月恭校上。

總纂官【臣】紀昀【臣】陸錫熊【臣】孫士毅

總纂官【臣】紀昀【臣】陸錫熊【臣】孫士毅

總校官【臣】陸費墀

總校官【臣】陸費墀

欽定四庫全書

欽定四庫全書

鶡冠子捲上

鶡冠子卷上

宋陸佃解

宋 陸佃 解

博選第一

博選第一

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