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宅法挙隅

清 · 锡山 朱耀(旭轮)手辑 · 第1巻 / 4

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

本書は清代の錫山(今の江蘇無錫)の人・朱耀(字は旭輪)が自ら輯録し編定したものである。書名の「挙隅」は《論語・述而》の「一隅を挙げて三隅を以…

風水堪輿典籍

まず読む書が形勢か理気かを見極めてから条文に入るのがよい。派を跨いだ術語の混用が、この門で最もありがちな誤読の源である。

清,錫山朱耀旭輪手輯。

本書は清代の錫山(今の江蘇無錫)の人・朱耀(字は旭輪)が自ら輯録し編定したものである。書名の「挙隅」は《論語・述而》の「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則ち復たせず」に出て、作者が自ら謙遜して陽宅相法のいくつかの肝要な端緒を挙げたにすぎず、残りの義理は読者の類推と自家の推演に俟つとしたものである。

序

地理之學,由來舊矣。《詩》言公劉遷豳,重之以「觀其流泉,度其隰原」;《書》言周公營洛,先之以卜澗水東、卜瀍水西。可知三代聖賢建都作邑,皆必辨山川之勢,審陰陽之會,求得天地之形氣所融結,以為千百年永固之基。秦漢以降,具有專書,若《青囊》《赤霆》諸經,合陰陽二宅並論,自是管、郭諸公,均能深通其義。

堪輿地理というこの学問は、由来すでに久遠である。《詩經・大雅・公劉》に公劉が部族を率いて豳の地に遷ったことを記し、特に「其の流泉を觀、其の隰原を度す」を重んじた。すなわち泉水の流れを察看し、低濕地と高平原を丈量したのである。《尚書・洛誥》に周公が洛邑を營建するにあたり、まず澗水の東、瀍水の西の二處の地基の吉凶を占卜したことを記す。これにより夏、商、周三代の聖賢が都城を建て城邑を闢くには、必ずまず山川の走勢を辨明し、陰陽二氣の交會する所を審察し、天地間の「形」と「氣」の融結凝聚する處を求めて、それを以て千百年永く固く動かざる根基と為したことが知られる。秦漢以降、この学問には專門の著作ができ、《青囊經》《赤霆經》の類はいずれも陰宅(墳塋)と陽宅(住居)とを合わせて討論した。自此以下、三國の管輅、晉代の郭璞など諸先生は、皆その中の義理に深く通じた。

唐末楊公筠松得內府秘籍,盡究其奧,著《天玉》等經,發明兩大清淑之氣,因形而蓄形之所在,二氣實往來流轉於其中,求福者務趨生旺而避衰死。曾氏文辿親授其傳,至宋邵、程、周、朱,莫不知之。積日既久,真傳散失,遂各誤會妄解,立說不同,非但陰宅山平作法,百無一存,即陽宅方位氣運,亦茫然無辨。

唐朝の末、楊筠松先生は皇家の內府に藏する堪輿の祕籍を得て、その奧義を窮究し盡くし、《天玉經》等の書を著わして、天地間の兩股の清純淑美の氣を闡發した。氣は形體に依附して蓄積し、凡そ形有る處には、陰陽二氣が實際にその中に在って往來流轉する。故に福を求める者は務めて「生氣」「旺氣」に趨き、「衰氣」「死氣」を避けねばならぬ。曽文辿は親しくその傳授を受けた。宋代に至り、邵雍、程頤、周敦頤、朱熹などの大儒は、一人としてこの道理に明らかでない者はいなかった。日が久しくなるに從い、真の口訣の傳承は次第に散失し、各家はここに誤會妄解し、各々門戸を立てて、說が互いに同じからず。陰宅の山地と平洋の兩種の地形上の作法が百に一つも存せざるのみならず、陽宅の方位氣運に至っても、一片茫然として分辨する所がなかった。

我朝華亭蔣公平階得陽曾之真旨,參合邵子元會運世之說,遂以三元九氣抉發《天玉》《青囊》之奧,辨明元空五行是陰陽大卦之五行,而非如世俗之盲猜瞎度,作《地理辨正》及《天元五歌》《歸厚錄》等書,詔示後學,用以斷驗吉凶,應如桴鼓,人人慕而習之。餘於從公之暇留意地學,遍訪蔣公刊佈之書,熟讀深思,時有所得,但其書甚精,其旨甚秘,未能一時洞澈。

本朝の華亭(今の上海松江)の人・蒋平階先生は、楊筠松、曽文辿の一脈の真旨を得、又邵雍の「元、會、運、世」の推演の說に參合し、ここに「三元九氣」を以て《天玉經》《青囊經》の奧祕を發掘し、「元空五行」がすなわち陰陽大卦の用いる五行であることを辨明し、世俗の術士のごとく瞎猜亂套せざるを明らかにした。彼は《地理辨正》および《天元五歌》《歸厚錄》等の書を寫して、後學に昭示し、以て吉凶を判斷驗證するに、靈驗なること鼓槌の鼓を撃つが如く應手して響き、人々仰慕して學んだ。私は公務の暇に留心して學び、蒋公の刊行する書を遍く尋ね、熟讀深思して、時々領會する所有った。ただ彼の書は極めて精深にして、宗旨極めて隱祕にして、一時に徹底して看透すこと能わざりき。

無錫明經朱旭輪先生,少以營先人之兆,延師擇地,暇輒翻閱堪輿家言,陰宅之外,並究陽宅,一宗蔣公三元之法,熟玩邵子《周易》先後天卦圖,以窺河洛之蘊,故於形勢理氣,分而為兩,合之則一。晚年攜硯所至,相視修作,俱有成驗。惜予匏繫大梁,聞其名而不獲親其教。今歲夏由楚來汴,因予世交孫菊如得相晤,敘久之往還日密,意合情投。

無錫の貢生・朱旭輪先生は、若年の時先人の墓穴を營建するがため、師を延請して地を擇ばせ、閑暇には即ち堪輿家の著述を繙閱した。陰宅の外に、併せて陽宅を研究し、全く蒋公の三元の法を遵奉し、又反復して邵雍の傳えし《周易》先天、後天卦圖を玩味し、以て河圖洛書の藴奧を窺探した。故に彼の見る所、「形勢」と「理氣」とは分かちて言えば兩回事なり、合わせて言えば卻って一回事なり。晚年、彼は筆硯を帶びて四方に遊歷し、凡そ彼の相看修造に經た宅第は、皆實效驗るべきもの有り。惜しむらくは私は匏瓜の如く大梁(今の河南開封)の任に繫がれ、ただ彼の名聲を聞くのみで、面を當てて領教する緣無し。今年の夏、彼は湖北より汴梁に來り、我が世交の孫菊如の引薦により會面を得、暢談の後、往來日ごとに密切にして、意氣相投じた。

爰將所有蔣法三元說,懇為指示。先生謂此蔣法之大略,而非實用之真訣也,遂具言其精微秘妙用法顛倒,原原本本不漏餘義。翌日出《宅法舉隅》兩冊贈予曰:「此數年來手輯定本,精粗畢備,觀年運、分向、作用數條,則蔣公三元之秘盡是矣。」授而讀之初,猶未窺其妙,尋繹數過時以疑竇,詳細問辨,乃覺向之茫然於中者,至此乃瞭如指掌。

私は即ち手頭に所有する蒋氏三元に關する說を取出して、懇に彼の指點を請うた。先生は曰く、これらはただ蒋法の大概にして、並びに實用し得べき真の口訣に非ずと。ここに詳しくその中の精微祕妙、用法顛倒の處を講說し、原原本本、毫も保留無し。翌日、彼は《宅法挙隅》兩冊を取出して我に贈りて曰く、「これは我が數年來親手に輯成せし定本にして、精深と粗淺の道理皆齊備せり。ただその中の『行運』『分向』『作用』の數條を看れば、蒋公三元の祕要は皆その裏に在り」と。彼は書を我に交はし、初め讀む時は還た其の妙處を看ずる能わず、反復研尋すること數遍して、凡そ疑竇に遇えば便ちに詳細に追問辨析して、始めて從前心中一片茫然たりし處、此の時に到りて已に掌を指すが如くなりしを覺えたり。

遂商付諸剞劂,以公同好。先生始恐洩漏真機,繼以覺世濟人為念,慨然許諾。夫陰宅為死者所歸,陽宅為生者所處,二者相較,似陽宅為猶重。是書簡而明,精而當實,相宅之圭臬,而即造福趨避之宗也,用為詳述,以志本末雲峕。

ここに我は彼と商量して書を梓に付し刊刻し、以て同好に公にせんとした。先生は初め真機を漏洩するを怕れたるも、後に世の人を覺悟し衆生を救濟するを念として、慨然として應允した。陰宅は死者の歸宿にして、陽宅は活ける人の居所にして、兩者相較すれば、陽宅は似て還た更に緊要なる有り。此の書は簡明にして精當切實にして、實に宅を相するの準繩にして、卽ち福を造り禍を避くるの宗旨の在る所なり。因りて我は詳しく此の本末緣由を敘述し、ここに記す。

道光丁酉孟冬,績溪程廷鏡蓉屏氏序於大梁之薇垣庫署。

道光十七年(丁酉)初冬、績溪の人・程廷鏡(號は蓉屏)、大梁(今の河南開封)の薇垣庫署に序を作す。「薇垣」は本來唐代中書省の別稱にして、後世は借りて布政使司の類の官署を指す。

自序

相宅之法,日久失真,本末倒施,輕重莫辨,坊刻傳佈,簧鼓紛如,自誤誤人,其害不少。予自幼喜讀堪輿家書,博覽之餘,幾於汛濫而莫知歸束。嘉慶癸亥,得杜杜陵蔣大鴻《地理辨正》及《天元五歌》《歸厚錄》,知楊曾以來,真傳具在,不過明天地陰陽之理,寓於氣,呈於形,其間動靜往來,吉凶消長,絲毫不爽。

陽宅を相看する方法は、年代一たび久しくなれば便ちに本真を失い、本末倒置して、輕重分かたず。坊間に刻印流傳する書籍は、衆口喧嚷として說法紛雜し、己を誤り又人を誤り、爲害少なからず。我は幼にして堪輿家の書を讀むを好み、博覽の餘、幾ほど泛濫して歸する所無く、要領を抓むこと能わざりき。嘉慶八年(癸亥)、我は杜陵蒋大鴻の《地理辨正》および《天元五歌》《歸厚錄》を得て、始めて楊筠松、曽文辿以來の真傳が實に皆なお在るを知る。無非是れ天地陰陽の理を闡明せんと欲するなり。この理は「氣」の中に寄寓し、又「形」の上に顯現し、その間の動と靜、來と往、吉と凶、消と長、絲毫差わらず。

故陽宅與陰地並重,而陽基亦如陰基之取龍脈砂水,但比陰基宜局勢闊大粗雄,方有結作。其宗要蓋有五幾:一曰地,二曰門,三曰衢,四曰嶠,五曰隅空。凡風氣、沖氣、通氣,無不詳細指陳,而其作用,則以三元九星為主,他如游年卦例諸法,概行闢除。私心折服者,惟有歷年,後凡設帳所至,遇有親友營造,輒以蔣子之法默參之,無不驗者,因是識益定,而延視者日益眾。

故に陽宅と陰地(墳地)とは同じく緊要にして、陽宅の地基も亦た陰宅の如く龍脈、砂手、水法を講ずるを要す。ただ陰宅に比ぶれば、格局氣勢は應當更に開闊粗雄たるべくして、こそ結作有らん。その要領は大致五端有り。一は曰く「地」、基址本身の形勢を指す。二は曰く「門」、全宅の氣を納るる氣口を指す。三は曰く「衢」、通行の街道を指す。四は曰く「嶠」、周圍の高聳して壓り來る屋宇山峰を指す。五は曰く「隅空」、宅角の空缺の處を指す。凡そ風氣、衝氣、通氣は、蒋氏の書に詳しく指明せざる無し。運用の法に至っては、則ち三元九星を主と為し、其の他「遊年卦例」の類は、一概に摒除して用ゐず。我は私心に佩服し、歷年改めず。此の後凡そ各處に館を設け徒を授くるに、親友の房屋を營造するに遇えば、總じて蒋子の法を用いて暗中に參驗し、應驗せざる有らず。因りて見識愈々堅定し、我に宅を看るを請う者も亦た日に日に多し。

歲乙酉為道光五年,夏入都。時門韓大司寇桂舲先生在寶華峪督理吉地工事,予過其邸寓,周視吉凶,許於秋日應召還都,仍授部職,並獲在年內再遷。屆八月,果得奉旨回京,入秋部;十二月復升司寇,聞者咸異之。

乙酉の年即ち道光五年、この夏、我は京に入る。當時韓桂舲大司寇(刑部尚書)は正に寶華峪に於て陵寢吉地の工程を督辦しつゝあり、我は彼の府邸寓所に到りて、四周の吉凶を察看一遍して、彼が秋に應召して京に回り、仍ほ部の職務を授けられ、且つ年内に還た再び一級升るであらんと斷定した。八月に至り、彼は果して旨を奉じて京に回り、秋部(卽ち刑部、古は刑官を以て秋官と為す)に入り、十二月に又司寇(刑部尚書)に升任し、聞く者皆驚異せり。

明年值禮部試,在京之得與同考者,邀視寓居,言多驗旋。於是夏,同楊司馬伯吹回南,韓司寇亦以病足,故請回籍。丁亥春,屢致簡招予至蘇,相造新宅,迄秋工未竣,值王巨川自粵西遺書招之切,遂赴粵,在宣化邑署者,兩載有餘月,凡文廟、學廨、考棚暨道府,咸有修築。

第二年正に禮部の會試に逢い、京中に於て同考官に充任することを得たる者は、紛紛として我を邀へて彼らの寓所を看に來らしめ、我の言う所多半應驗せり。この夏、我は楊伯吹司馬と一道に南歸し、韓司寇も亦た脚病のため、假を請うて原籍に回れり。丁亥の年の春、彼は屢書を寫して我を蘇州に招き、彼のため相看し新宅を營造せしめ、秋に至るまで工程未だ完せず、恰も王巨川が廣西より寄信して、招邀甚だ懇切なるに逢い、我は便ちに粵に赴き、宣化縣衙署に住すること兩年餘。凡そ文廟、學官の官廨、考棚および道台府署は、皆修建有り。

庚寅秋,偕巨川晉省,適左江道呈紱堂先生調入省垣,握鹽道篆,與桂林郡守穆畊珊先生,前後鼓盆,囑為擇吉寄厝,由是當道皆知之。冬十月二十七日,藩署失火,時大梁周稚圭先生為藩司,邀予至,商復舊簷,以歲不利南北,俟臘月擇日並工為之。大堂上樑時,正值巡撫蘇雲畊先生奉調楚南,旨以稚圭先生護理院事,眾知所選之必為吉兆也。

庚寅の年の秋、我は巨川と省城に到り、恰も左江道の呈紱堂先生が省城に調入して、鹽道の印信を掌管するに逢う。彼は桂林知府の穆畊珊先生と前後して妻を喪い(「鼓盆」の典は《莊子・至樂》の莊子妻死して鼓盆して歌うに出づ、後に妻を喪うを指す)、皆我に吉の日を擇びて暫く靈柩を厝めんことを託し、此れより當權の官員は皆我を知る。この年冬十月二十七日、布政使衙門に失火し、當時大梁の人・周稚圭先生が布政使に任じ、我を請うて前に至り、舊有の屋宇を回復せんことを商議す。あの年は南北の方向に動土するに利あらざれば、便ちに臘月に至りて日を擇び一倂に施工す。大堂の上梁の日、正に巡撫・蘇雲畊先生が命を奉じて湖南に調往せんとするに趕う。皇帝の旨を下して稚圭先生に巡撫院務を護理せしめ、衆人皆我の擇びし日が必ず吉兆なるを知れり。

先是十一月,蘇雲畊中丞以蒞任久不動,邀予相署,乃遍視城內外,修改獨峰山頂房舍,至是心喜甚。辛卯夏,予欲賦旋,稚圭先生力止之,延入幕,囑課兩孫,暇時散步觀前後風水。歷任久無升擢,先生言:「有吉凶失宜處,可為改易。」爰為增加前面照牆,高二尺餘,廣二丈餘;牆內開闊方池一,深尺六寸;衙後周圍牆垣,添補方正,加高二尺餘。

此れより前の十一月、蘇雲畊中丞(巡撫)は到任既に久しきも遲遲として升調を見ざるを以て、我を請うて衙署を相看せしめ、我便ちに城內城外を皆察看一遍して、獨峰山頂上の房舍を改修し、此の時に至りて彼心中非常に歡喜せり。辛卯の年の夏、我は辭歸せんと打算し、稚圭先生極力挽留し、我を請うて幕に入り、彼の兩個の孫に書を讀むを敎ふるを囑託し、閑暇の時便ちに衙署の前後に散步察看せり。歷任の布政使皆久しく升遷無く、先生曰く、「若し吉凶安排の當を失せる處有らば、我のため改易し得べし」と。我はここに彼のため衙前の照壁を加築し、高さ二尺餘、寬さ二丈餘とす。照壁の內に一個の方形の水池を開き、深さ一尺六寸。衙署後面の四周の墻垣は、補砌方正して、亦た二尺餘を加高す。

壬辰三月初四日,奉命升江西妄撫,偕至章門。署地前闊後狹,春間甫經前任吳霽峰先生修作,調河督,不便言更改,惟門路旁室,略為辨吉凶,決趨避而已。

壬辰の年三月初四日、稚圭先生は命を奉じて江西巡撫に升任し(原文は「妄撫」に作る、「妄」は「巡」の誤り)、我は陪同して彼と章門(今の江西南昌)に到る。巡撫衙署の地形は前寬後窄にして、春に剛に前任の吳霽峰先生に修造せられたり。吳公は隨卽河道總督に調任し、因りて更に改動を言ふに便ならず、ただ大門、道路和び兩旁の房間に就いて略微吉凶を辨明し、何處を趨くべきか何處を避くべきかを決定するのみ。

同署浙東橙庵徐君,知予熟是術,持海寧王荀裡新刻《室法》示予,敘云:「刪定《陽宅集成》,去其冗雜,參之他書,法取三元九宮,凡年運干支、納音、禽星穿宮,以及山運屋運之分,游年起門卦例、貫並翻層等法,概斥為謬勿錄。」都與鄙見相合。

同じく衙署に辦事する浙東の人・徐橙庵は、我が此の術數に熟なるを知りて、海寧王荀里の新刻の《室法》を取りて我に看せしむ。該書の序の中に曰く、「本書は《陽宅集成》を删定し、其の中の冗雜を去り、別家の著述を參考し、方法はただ三元九宮を取る。凡そ年運干支、納音、禽星穿宮、および山運と屋運の分別、遊年起門の卦例、貫併翻層の類の算法は、一概に斥けて謬誤と為し、收錄せず」と。此れらの主張は皆我が看法と相合す。

惟以水定局,以局定宅,層間言層數而未及間數,言間星吉凶起於層,而不起於方;至三元九星按山飛布,而不知一卦三山,分陰陽以定山向,與門路收氣之法,又各不同:是明陽宅之有體用,而凡蔣子所為,因時以制宜者,猶未盡得其奧妙也。

ただそれは水を以て局を定め、局を以て宅を定め、層と間を講ずる時はただ層數を講じて間數に涉及せず。「間星」の吉凶を講ずるにただ樓層より起算して、方位より起算せず。三元九星に至っては、それはただ坐山に按じて飛布するを知るのみで、一卦が三山を統管し、須く陰陽を分かちて山向を確定すべきを知らず、而も門路の氣を收るの算法は又それと各々相同じからず。見るべし、此の書は陽宅に「體」有り「用」有るを明らかにすると雖も、蒋子のあの因時制宜の手法に對しては、還た未だ完全に其の中の奧妙を得ざるなり。

今以三元運、五子運論其生旺衰死,道若循環,何以同一坎宅,丙向利而丁向不利,丁向利而丙向又不利?均此一運,均此一卦,而吉凶迥相懸絕。《天元歌》云:「九星八卦貴乘時,上下三元各有宜。」又云:「四吉四凶分順逆,父母二卦顛倒輪。」即楊筠松《天玉經》所謂「九星雙起雌雄異,元關真妙處」是也。

如今三元運、五子運を用ゐて生、旺、衰、死を論ずれば、道理は髣髴として循環不斷たり。然らば何を以て同じく坐坎の宅にして、丙向は利有りて丁向は利無く、丁向は利有る時丙向は又反って利無きや。同じく一個の運の裏に在り、同じく一個の卦に属して、吉凶乃ち相差し此の如く懸殊なり。《天元歌》に曰く、「九星八卦は時に乘るを貴しとし、上下三元各々宜しき有り」と。又曰く、「四吉四凶は順逆を分かち、父母二卦は顛倒輪す」と。これも亦た楊筠松《天玉經》の言う所の「九星雙起して雌雄異なり、元關真妙の處」なり。見るべし、同一卦の中の三山各々陰陽を分かち、飛星に順飛有り逆飛有りて、吉凶因りて判然として同じからざるを。

九宮飛白,實為陰陽二宅乘時秉令之用。相宅者既奉為圭臬,又不可不知其因時變化,有一卦兩用之妙法。緣取行篋中所攜《相宅要編》《三元奧旨》,編匯而錄之,以質諸同人,名曰《宅法舉隅》,惟俟善反者之有以得其詳也。

九宮飛星(卽ち「飛白」)の法は、實に陰陽二宅の時に乘り令を得るの關鍵たる用法なり。宅を相する者既にそれを奉じて準繩と為す以上は、それが時運に随いて變化し、同一卦に兩種の用法有りの妙處を知らざるべからず。ここに我は行篋中隨身に帶びたる《相宅要編》《三元奧旨》を取出し、彙編抄錄して書と成し、就て同道に正し、名を取りて《宅法挙隅》と曰し、ただ善く一隅を挙げて三を反する讀者が其の中より詳備の道理を推求し出さんを俟つのみ。

道光壬辰秋八月既望,無錫朱耀旭輪氏識。

道光十二年(壬辰)秋八月既望(農曆十六日)、無錫朱耀、字は旭輪、記す。

上冊

氣を相す

陽宅地基,亦如陰宅之必得龍脈砂水界氣,但須來勢粗雄闊大,到作宅之地,寬平端正,前面有關攔,左右有擁衛,陽氣氤氳,團聚。在城巿,則鄰舍裡廛,雲連霧列;在鄉村,則比戶接廬,樹木濃茂;在山谷,則山環水抱,收局開陽:皆為吉地。縱局宅之得運失運,前後不同,苟內外六事,有得無失,居之總可平康,丁財常有。

陽宅の地基も亦た陰宅の如く、必ず龍脈、砂手、水流有りて氣脈を界定すを要す。ただ來龍の氣勢は粗壯雄闊なるを要し、宅を建てんとする此の塊の地に到れば、則ち寬平端正たるを須とす。前面に「關攔」有り、卽ち案山、照壁、屋宇の類の氣の去路を擋ぐもの。左右に擁抱護衛有り。陽氣氤氳蒸騰して、聚まりて散ぜず。城市に在りては、鄰舍店鋪の連綿として、雲の連なり霧の列なるが如くを現す。鄉村に在りては、家家屋を接し、樹木濃密茂盛を現す。山谷に在りては、山環水抱して、局面收束して陽に向かい開敞たるを現す。此れら皆吉地なり。縱使「局」と「宅」と或いは當運或いは失運して、前後並び一致せずとも、ただ「內外六事」——宅內の門戸、房、床、竈、井の類、宅外の橋、塔、亭、台の類——の安排が得あって失なくば、住み入るは總じて平安康泰を得、人丁財祿常に在らん。

局を相す

陽宅憑水立局:水在南為坎局,水在北為離局,水在東為兌局,水在西為震局,水在東南隅為幹局,水在西南隅為艮局,水在西北隅為巽局,水在東北隅為坤局。四面有水,遠近相等,為中宮局。

陽宅は水に憑りて「局」を立つるを要す。局名に取る所は水と相對するあの一卦にして、卽ち宅の背靠する方位なり。水は南方(離位)に在れば、宅便ちに北を背に南に面し、「坎局」と呼ぶ。水は北方に在れば「離局」と呼ぶ。水は東方に在れば「兌局」と呼ぶ。水は西方に在れば「震局」と呼ぶ。水は東南角に在れば「干局」と呼ぶ。水は西南角に在れば「艮局」と呼ぶ。水は西北角に在れば「巽局」と呼ぶ。水は東北角に在れば「坤局」と呼ぶ。若し四面皆水有りて、而且遠近相當にして偏主する所無ければ、便ちに「中宮局」と呼ぶ。

又有水勢旋折,兩面皆水,如由東經南,向西轉北,則近南而遠於西者為坎局,近西而遠於南者為震局;在西南隅而南與西之水,相距適均,即為艮局。如雨水相交,以合襟處而論亦然。更或前後相兼,則為兼局,如坎、離二方俱有水界是也。

還た水勢回旋曲折して、兩面皆水たる情形有り。譬如水は東方より南方を經て、再び折れて西方に向かい轉じて北方に往く。宅址は南邊の水に靠近して西邊の水より離るる較遠なるは、仍ほ「坎局」と作す。西邊の水に靠近して南邊の水より離るる較遠なるは、則ち「震局」と作す。若し宅は西南角の上に在り、南邊與西邊の水の距離恰好相等しければ、那れは「艮局」なり。若是れ兩股の水交り匯はれば、便ちに兩水交合の「合襟」の處に按じて局を定む。道理相同じ。再び或いは前後兩面兼ねて水氣を收れば、便ちに「兼局」と呼ぶ。比如坎、離兩方皆水有りて來り氣を界すれば是れなり。

立宅或向水背水,左右倚水,總以專用一水,而局真氣純。若在隩隅掛角立宅,止中宮收氣不雜;若前進之左、後進之右,收氣有變矣。一宅分房,衰旺有別,此皆就得水之地言之也。

宅を立つる時、水に朝し水に背き、或いは左右に水に靠るを論ぜず、總じて專ら一條の水を取りて主と為すを要す。此の如く立出する局こそ真にして、收する所の氣こそ純ならん。若し水灣の角落裏に於て斜掛して宅を立てば、那れはただ中宮一處のみ氣を收めて雜ならず。至りて前一進の左邊、後一進の右邊は、收する所の氣便ちに變化有り。同一座の宅子を分かちて各房に居せしめば、各房の衰旺も亦た別有り。以上皆水取るべき有る地方に就いて言うなり。

若山居,則認落脈;陸地,則憑行路;巿中,則察街衢。《陽宅得一錄》云:「每逢空缺即為來,一遇遮攔便作止。」辨明來、止二氣,方識嚧吸真機,此局之不可不詳審也。局定而宅之吉凶以分,視運之衰旺為興廢。但宅與水路,相去在二十步內,則重局而輕宅;倘在二十步外,則重宅而輕局,又不可以不知。

若是れ山裏に住めば、便ちに山脈の落脈の處を辨認す。陸地平原に在れば、道路の走向に憑りて定む。城市の中に在れば、街道を察看す。《陽宅得一錄》に曰く、「凡そ空缺に逢えば即ち來と為し、一たび遮攔に遇えば便ちに止と作す」と。空缺の處は氣の進み入る路にして、遮攔の處は氣の停まる處なり。「來氣」與「止氣」の此の兩者を辨明して、こそ宅屋の呼吸吐納の真機を懂得す。此れ正に「局」の仔細に審察せざるべからざる所以の緣故なり。局一たび定まれば、宅の吉凶便ちに之に随いて分明し、再び時運の衰旺を看て以て興廢を判斷す。但し還た知るべし、宅は水、路と相距ること二十步以內に在れば、便ちに局を以て重と為し宅を以て輕と為す。若し二十步以外に在れば、便ちに宅を以て重と為し局を以て輕と為す。

形を相す

宅址宜取高厚,最忌低溼。周圍體勢,宜方正圓滿,最忌斜缺破碎;稍有不整,宜削去角腳,勿湊作房屋。宅前宜平坦無礙,忌蔽逼沖射。宅內宜前低後高,忌前高後低,又忌前後皆低、中間獨高,前後皆高、中間獨低。左右兩旁,宜高低勻稱,輕重均平,忌一邊高、一邊低,亦忌一邊有廂房、一邊無廂房。

宅基は應當高爽厚實の地方を選ぶべく、最も忌むは低窪潮濕なり。四周の形體格局は、應當方正圓滿たるべく、最も忌むは歪斜、缺角、破碎なり。稍々不整齊の處有らば、寧ろ角脚を削去すとも、勉強凑合して房屋を蓋成するを要せず。宅前は應當平坦無礙たるべく、忌むは遮蔽逼迫せられ、尖角直路の衝射せらるるなり。宅內の地勢は應當前低後高たるべく、忌むは前高後低、亦た忌むは前後皆低にして中間獨り高く、前後皆高にして中間獨り低きなり。左右兩側は應當高低勻稱、輕重均衡たるべく、忌むは一邊高一邊低、亦た忌むは一邊廂房有りて另一邊廂房無きなり。

宜前後略長,忌橫闊如一字,或狹長而太深。宜前後之闊狹相同,忌前闊後狹;如前狹後闊者,則不甚忌。宜中間之闊狹,與前後相同,忌前後皆闊而中間獨狹;如前後皆狹而中間獨闊者,亦在所忌。宜前後一向,忌分金兼左兼右之各殊。宜內外相對,忌樑柱偏左作右之交射。宜零屋之大小長短,位置整齊,忌參差缺陷。

宅形は應當前後略長たるべく、忌むは橫寬して「一」の字の如き、亦た忌むは狹長にして進深過大なるなり。前後の寬窄は應當一致すべく、忌むは前寬後窄。至りて前窄後寬のは、倒れて算だ大きく忌諱せず。中段の寬窄も亦た應當前後と一致すべく、忌むは前後皆寬にして中間獨り窄き。前後皆窄にして中間獨り寬きも、同じく忌諱の列に在り。各進の屋宇は應當同一個の方向に朝すべく、忌むは「分金」——羅盤上細分の坐向度數——の或いは左に偏り或いは右に偏り、彼此一ならざるなり。裏外は應當彼此相對すべく、忌むは梁柱の左偏右偏、交錯衝射するなり。零星附屬の小屋は、大小長短應當位置整齊なるべく、忌むは參差不齊、殘缺不全なり。

尤忌正屋完後,接一長坡在側,而坡之盡頭搭一小屋,如踢腳式;又正屋數間,簷下半邊,另接造坡屋一間,及牆上搭椽,有棟無脊;或宅外屋外,添一小屋過路,孤立伶仃。甚或後無止屋,而背有兩旁廂房,名曰「推車」;前後兩旁有廂,均無正屋攔住,名曰「扛轎」;後路狹尖,旁坡斜側,名曰「火星拖尾」;宅內深長,半邊直坡,名曰「木星垂」;廂房在後,高過正堂,名曰「金星卷翅」:種種凶式,皆所當避。

尤も忌諱するは正屋蓋成の後、又た旁邊に接し出て一道の長坡を爲し、坡の盡頭に再び一間の小屋を搭ふる、形如人の脚を抬げて蹴らんと欲す。亦た忌むは正屋幾間、ただ半邊の檐下に另に一間の坡屋を接ぎ、以及墙上に椽を搭え、棟梁有りて屋脊無き。或いは宅外、屋外に沿路して一間の小屋を添ふる、孤零零として立つ。更に嚴重なるは、後面に一進の屋子無くて氣を收めず、背後に卻って兩旁廂房有るを「推車」と呼ぶ。前後兩旁皆廂房有りて、卻って正屋無くて攔まざるを「扛轎」と呼ぶ。後路狹窄尖削して、旁邊の坡屋歪斜なるを「火星拖尾」と呼ぶ。宅內の進深甚だ長くして、ただ半邊是れ直坡なるを「木星垂」と呼ぶ。廂房在後にして高きこと正堂に過ぐるを「金星卷翅」と呼ぶ。此れら皆五星形體に按じて象を取りて定めし凶格にして、種種の凶式、皆應當回避すべし。

若正屋外,又傍附從屋,亦宜形勢團密,高低相稱,主輔分明,勿得渙散欺壓。除去諸凶,宅皆合吉,如遇局運又得,自見隆隆日起矣。

若し正屋の外に又た旁附從屬の房屋有らば、亦た應當形勢團聚緊密にして、高低彼此相稱し、主屋與輔屋分明にして、散漫無歸たる可からず、更に從屋をして反って正屋を欺壓せしむる可からず。上述の種種の凶格を皆除去せば、宅形便ちに吉に合せざる無し。若し再び「局」與「運」に趕上して亦た皆得宜ならば、自然家道の蒸蒸日上を見るべし。

方位

二十四山,分隸八卦,每一卦統管三山:壬子癸為坎,屬水;丑艮寅為艮,屬土;甲卯乙為震,辰巽巳為巽,均屬木;丑艮寅為艮,屬土;甲卯乙為震,辰巽巳為巽,均屬木;丙午丁為離,屬火;未坤申為坤,屬未;庚酉辛為兌,屬金;戌乾亥為幹,屬金。

羅盤周天は分かちて二十四山と爲し、分別して八卦に隸屬し、每一卦は三山を統管す。壬、子、癸の三山は坎卦に属し、五行は水なり。丑、艮、寅は艮卦に属し、五行は土なり。甲、卯、乙は震卦に属し、辰、巽、巳は巽卦に属し、皆木に属す。(「丑艮寅を艮と爲す」より「均く木に属す」に至る一段は、原刻重出すること一次、是れ刊刻の時の衍文なり。)丙、午、丁は離卦に属し、五行は火なり。未、坤、申は坤卦に属し、原文の「未に属す」は當に「土に属す」と作るべし。庚、酉、辛は兌卦に属し、五行は金なり。戌、干(乾)、亥は干卦に属し、五行も亦た金なり。

凡立宅,用洛書九宮,以本山主星入中,輪布八方,辨飛星所到之位,生死比旺克洩。坎一白水,坤二黑土,震三碧木,巽四綠木,中五黃土,乾六白金,兌七赤金,艮八白土,離九紫火,此九星五行也。

凡そ宅を立つるは、皆洛書九宮の法を用ゐ。本宅坐山の所属するあの「主星」を中宮に放入し、再び依次に八方に輪布し、飛星の到る方位と該宮本氣との間是れ相生、相死、比和、當旺、相克還た是れ相泄なるを辨別す。九星與宮位、五行の配属は是れ。坎宮一白は水に属し、坤宮二黑は土に属し、震宮三碧は木に属し、巽宮四綠は木に属し、中宮五黃は土に属し、干宮六白は金に属し、兌宮七赤は金に属し、艮宮八白は土に属し、離宮九紫は火に属す。此れ即ち九星の五行なり。

如坎山,則以一白主星入中順飛:二黑到幹,克山,為煞氣方;三碧到兌,四綠到艮,皆受山之生,為洩氣方;五黃到離,為關煞方;六白到坐山坎,為生氣方;七赤到坤,亦為生氣方;八白到震,克山,為煞氣方;九紫到巽,受山之克,為死氣方。

例えば坐坎の宅は、便ちに一白主星を中宮に放入して順飛す。二黑(土)は干宮に飛到し、土來りて坎山の水を剋し、此の一方は「煞氣方」なり。三碧(木)は兌宮に飛到し、四綠(木)は艮宮に飛到し、木は皆坎水の生ずる所を受け、本山の氣を泄し、此の兩方は「泄氣方」なり。五黃は離宮に飛到し、是れ「關煞方」なり。六白(金)は坐山坎宮に飛到し、金は能く水を生ず、是れ「生氣方」なり。七赤(金)は坤宮に飛到し、同じく水を生じ、亦た是れ「生氣方」なり。八白(土)は震宮に飛到し、土は水を剋し、是れ「煞氣方」なり。九紫(火)は巽宮に飛到し、火は反って坎水に剋せられ、是れ「死氣方」なり。

再就飛星所坐宮卦,看其生死比和割洩,有無救化受制,審定吉凶。如坎宅,坤方見七赤,化生;艮方見四綠,制煞;二黑到幹,洩煞,減凶;八白到震,煞受剋制,減凶:諸如此類,皆宜細究。凡生氣黑碧綠赤,皆以吉論。五黃,非他生可比,不論生克,皆凶。紫白遇死氣為魁星,退氣為善曜,均作財論。

接着還た飛星の落るあの一宮本卦に就き、星與宮との間是れ相生、相死、比和、還た是れ相割、相泄にして、別の星有りて來り救助化解し或いは加以克制するや否やを看、此に據りて吉凶を審定す。仍ほ坎宅を以て例と爲す。坤宮は土に属し、七赤金を見れば、土は金を生じ金再び水を生じ、是れ輾轉化生なり。艮宮は土に属し、四綠木を見れば、木は能く土を剋し、是れ木を以て煞土を制住す。二黑煞土は干宮属金に飛到し、土は金を生じ、煞氣泄せられ、凶意減輕す。八白煞土は震宮属木に飛到し、煞土は木に克制せられ、凶意も亦た減輕す。此の類に諸ず、皆應當仔細に推究すべし。凡そ生氣を構成する二黑、三碧、四綠、七赤は、皆吉に按じて論ず。惟だ獨り五黃は別の星と一樣に看待する能わず、我を生ずると我を剋するとを論ぜず、一概に是れ凶なり。九紫與一白、六白、八白此の幾顆の「紫白」吉星は、死氣の位に落ちれば「魁星」と作して看、退氣の位に落ちれば「善曜」と作して看、皆進財に作して論ず。

層數

凡宅應建層數,及各層吉凶,用河圖五行與坐山論生旺克洩死。一六水數,二七火數,三八木數,四九金數,五十土數,配合一生一成,此河圖先天之數也。一層屬水,二層屬火,三層屬木,四層屬金,五層屬土,六層至十層,照五層按次而數,再多亦如之。其層之五行,宜與坐山五行,相生比和,不宜克洩衰死。

一座の宅子該當幾層を蓋ふべき、以及各層の吉凶は、皆河圖五行に坐山を配合して以て生、旺、剋、泄、死を論ず。河圖の數、一與六は水に属し、二與七は火に属し、三與八は木に属し、四與九は金に属し、五與十は土に属し、一は生數にして六は成數にして、此の如く一生一成兩兩相配す、此れ河圖先天の數なり。因りて第一層は水に属し、第二層は火に属し、第三層は木に属し、第四層は金に属し、第五層は土に属す。第六層より第十層に至るは、第一層至第五層の次序を照らして再び一輪を數ふ。層數再び多きも亦た此に依りて類推す。每一層の五行は、應當坐山の五行と相生し或いは比和すべく、剋、泄、衰、死の關係を出現せしむる宜ならず。

如坎宅宜三層六層,忌五層;離宅,宜五層七層,忌六層;震巽宅,宜三層七層,忌九層五層;乾兌宅,宜五層六層,忌三層七層;艮坤宅,宜四層五層,忌三層。

例を挙げて言はば。坐坎水に属すの宅は、宜しく三層(木、水の生を得て、氣脈相通ず)、六層(水、坐山と比和)とし、忌む五層(土來りて水を剋す)。坐離火に属すの宅は、宜しく五層、七層(七は火、坐山と比和)とし、忌む六層(水は火を剋す)。坐震、坐巽木に属すの宅は、宜しく三層(木、比和)、七層とし、忌む九層(金は木を剋す)與五層。坐干、坐兌金に属すの宅は、宜しく五層(土は金を生ず)、六層とし、忌む三層與七層(火は金を剋す)。坐艮、坐坤土に属すの宅は、宜しく四層、五層(土、比和)とし、忌む三層(木は土を剋す)。

又如坎宅,第一層屬水,比和吉,第二層屬火,受宅之克,大凶,第三層受宅之生,最吉,第四層屬金,生宅雖吉洩氣,第五層屬土,克宅凶,六層以上,悉依此斷,各宅可以類推。至各層各有吉間,但就其中,辨而擇之,與年運主命相合,亦可節取,不必概棄。

再び以て坎宅を例と爲す。第一層は水に属し、坐山と比和し、吉。第二層は火に属し、坎水に剋せられ、大凶。第三層は木に属し、本宅の水氣の生ずる所を受け、最も吉。第四層は金に属し、能く來りて本宅を生ず、雖も吉利に属するも、卻って本身の金氣外泄す。第五層は土に属し、反って本宅を克制す、凶。六層以上は、全く此の辦法を照らして判斷し、其の餘の各宅も亦た此に依りて類推すべし。至りて每一層の裏各々吉利の開間有り、ただ其の中に於て辨別選取し、若し能く流年時運與宅主本命と相合せば、亦た酌情取用し得、不必整層不吉に因りて便ちに一概廢棄せず。

其各層吉凶方位,則仍用洛書九宮起宅星入中,輪布八方,推看吉凶。旁屋,則從其位本宮(正屋)起星飛布,以定吉凶。蔣法止論層數五行,不論層星五行,簡捷明當。

至りて各層內部の吉凶方位は、仍舊洛書九宮を用ゐ、本宅の宅星を中宮に放入し、八方に輪布し、吉凶を推看す。兩旁の附屬屋は、則ちそれ自已の所在するあの一宮(卽ち正屋に相對して言う本宮)より星を起して飛布し、以て吉凶を定む。蒋公の法はただ層數の五行を論じて、另に「層星」の五行を論ぜず、簡捷にして明白妥當なり。

間數

凡間數,宜單不宜雙。書云:「三間吉,四間凶,五間定有一間空,七間定有兩間空。」此大略也。其數亦用河圖五行與坐山及各層,較量生克,辨其屋數宜用若干間。又以洛書九宮起間星,與本山本層方位論生克吉凶。其星挨層而起,先辨宅向陰陽,分陽左陰右數起,從本宅主星起第一間,以次排去。

凡そ開間の數目は、宜しく單なるべく雙なる宜ならず。書の上に曰く、「三間吉、四間凶、五間は定めて一間空有り、七間は定めて兩間空有り」と。此不過大略の言なり。開間の數目も亦た河圖五行を用ゐ、坐山および各層と較量生剋し、以て此の屋子該當多少間を用ゐべきを斷定す。此の外還た洛書九宮を用ゐて「間星」を起し、本山、本層の方位と生剋吉凶を論ず。間星は層次に挨着して起算す。先ず宅向の陰に属するや陽に属するやを辨明し、陽に属するは左邊より數へ起し、陰に属するは右邊より數へ起し、本宅主星より算じて第一間と爲し、依次に下に排す。

陽宅只成,起間星法,各種不同,幾於無可適從。蔣法間星起於方,不再起於層,正屋不拘第幾層,皆從坐山之方起,旁屋從坐宮之方起。如坐山幹坎艮震為陽,在內朝外,從左邊數至右;巽離坤兌為陰,在內朝外,從右邊數至左。

各家の陽宅書中に「間星」を起す方法五花八門にして、幾ほど人をして從う所無からしむ(原文「陽宅只成」の四字疑はしくは訛脱有り、當に陽宅諸家の成書を謂ふべし)。蒋公の法は、間星は方位より起算して、再び樓層より起算せず。正屋は第幾層を論ぜず、一律に坐山の所在する方より起す。旁屋は則ちそれ自已の坐する宮より起す。比如坐山は干、坎、艮、震の四卦は、陽に属し、人屋內に在りて外に朝かひ看て、左邊より數へて右邊に向かふ。坐山は巽、離、坤、兌の四卦は、陰に属し、人屋內に在りて外に朝かひ看て、右邊より數へて左邊に向かふ。

坎宅一白為主,則朝外左手第一間,數起一白,第二間二黑;離宅九紫為主,則朝外右手第一間,數起九紫,第二間一白。不論何層,均起於宅星,每層另數,不相連接,蓋一宅一太極,而一層又有一層之太極,無混亂牽連之理也。

坎宅は一白を以て主星と爲せば、那れは外に朝かひ看て左手第一間より數へ起し一白と爲し、第二間は二黑と爲し、依次に順推す。離宅は九紫を以て主星と爲せば、那れは外に朝かひ看て右手第一間より數へ起し九紫と爲し、第二間は一白と爲し、依次に順推す。第幾層を論ぜず、皆本宅の宅星より起算し、每層各自另に數へ、上下層と連排せず。何となれば、一座の宅に一座の宅の太極有り、一層樓又た一層樓の太極有りて、互相混亂牽連の道理無ければなり。

至於零屋,看各方位,以宅星為主,辨其入中所飛何星到方,與坐宮論生克衰旺,而其間星數法,只就其方起:坐震,則起三碧;坐兌,則起七赤,從屋不從宅,各不相借。如此,則某宅某方之主星有定,而間星之吉凶,亦有準矣。非如《陽宅集成》,幾層相連而數,或按前後各層之分屬何星而數,或正屋連及旁屋而數,皆不可從,當以蔣法為主。

至りて零星の附屬小屋は、便ちにそれ各々何の方位に在るを看、仍ほ宅星を以て主と爲し、宅星中に入りて後飛到するあの一方は哪顆の星なるを辨明し、再びそれ所坐の宮と生剋衰旺を論ず。而して其の間星の數法は、ただそれ自已の所在する方より起す。坐震方なれば便ちに三碧を起し、坐兌方なれば便ちに七赤を起し、屋に跟着いて走りて宅に跟着いて走らず、彼此假借せず。此の如く一來すれば、某宅某方の主星便ちに定準有りて、間星の吉凶も亦た準繩有らん。《陽宅集成》の如き、或いは幾層を連ねて數へ、或いは前後各層各々何の星に属するに按じて數へ、或いは正屋旁屋を連ね一倂に數ふる——此れら皆依從すべからず、應當蒋法を以て主と爲すべし。

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