Libo

中論 巻第一

姚秦 · 龙树造,鸠摩罗什译 · 第22巻 / 28

若不因不淨,先無有淨,因何而說淨?是故無有淨。復次:

もし不浄に因らざれば、先前に並びに浄なし。何を以てか浄を説かんか。ゆえに浄なし。さらにいえば、

「若無有淨者,何由而有貪?

「もし浄なければ、何を以てかなお貪有らんか。

若無有不淨,何由而有恚?」

もし不浄なければ、何を以てかなお恚有らんか。」

無淨不淨故,則不生貪恚。

浄・不浄なければ、すなわち貪・恚を生ぜず。

問曰:經說常等四顛倒。若無常中見常,是名顛倒;若無常中見無常,此非顛倒。餘三顛倒亦如是。有顛倒故,顛倒者亦應有,何故言都無?

問う者曰く、経の上に常等の四顛倒を説く。もし無常の中に於いて常を見れば、これを顛倒と名づく。もし無常の中に於いて無常を見れば、これを顛倒と名づけない。その余の三顛倒もまたこのようである。顛倒有るがゆえに、顛倒する人もまた有るべきである。なぜ皆なしと言うか。

答曰:

答える者曰く、

「於無常著常,是則名顛倒;

「無常に於いて常を執れば、これをこそ顛倒と名づく。

空中無有常,何處有常倒?」

空の中に常なきに、どうしてなお常の顛倒があらんか。」

若於無常中著常,名為顛倒。諸法性空中無有常,是中何處有常顛倒?餘三亦如是。復次:

もし無常の中に於いて常を執すれば、顛倒と名づく。諸法の性空の中に常なし。この中にどうしてなお常の顛倒があらんか。その余の三種もまたこのようである。さらにいえば、

「若於無常中,著無常非倒;

「もし無常の中に於いて無常を執すれば、顛倒にあらず。

空中無無常,何有非顛倒?」

空の中に無常なきに、どうしてなお非顛倒があらんか。」

若著無常言是無常,不名為顛倒者,諸法性空中無無常,無常無故,誰為非顛倒?餘三亦如是。復次:

もし無常を執してこれは無常と言うは、顛倒と名づけない。諸法の性空の中に無常なし。無常なきに、誰が非顛倒ならんか。その余の三種もまたこのようである。さらにいえば、

「可著著者著,及所用著法,

「可着・著者・着、および所用の着法は、

是皆寂滅相,云何而有著?」

これらは皆寂滅の相にして、どうしてなお着があらんか。」

可著名物,著者名作者,著名業,所用法名所用事,是皆性空寂滅相。如〈如來品〉中所說,是故無有著。復次:

可着とは物と名づけ、著者とは作者と名づけ、着とは業と名づけ、所用の法とは所用の事と名づく。これらは皆性空・寂滅の相である。〈如来品〉の中の説く所の如し。ゆえに着なし。さらにいえば、

「若無有著法,言邪是顛倒,

「もし着の法なければ、邪を説いて顛倒と為し、

言正不顛倒,誰有如是事?」

正を説いて不顛倒と為すは、誰がかかる事有らんか。」

著名憶想分別此彼有無等。若無此著者,誰為邪顛倒?誰為正不顛倒?復次:

着とは、憶想分別の此彼有無等を名づく。もしこの着なければ、誰が邪の顛倒ならん、誰が正の不顛倒ならんか。さらにいえば、

「有倒不生倒,無倒不生倒,

「すでに倒有るは倒を生ぜず、倒なきは倒を生ぜず。

倒者不生倒,不倒亦不生。

倒する者は倒を生ぜず、倒せざる者もまた生ぜず。

若於顛倒時,亦不生顛倒,

もしまさに顛倒する時にも、また顛倒を生ぜず。

汝可自觀察,誰生於顛倒?」

あなたは自ら観察してみよ、誰が顛倒を生出すか。」

已顛倒者,則更不生顛倒,已顛倒故。不顛倒者亦不顛倒,無有顛倒故。顛倒時亦不顛倒,有二過故。汝今除憍慢心,善自觀察,誰為顛倒者?復次:

すでに顛倒したる人は、さらに顛倒を生ぜず。すでに顛倒したればがゆえである。顛倒せざる人もまた顛倒せず。顛倒なきがゆえである。まさに顛倒する時にもまた顛倒せず。両重の過失有るがゆえである。あなたはいま憍慢の心を去りて、善く自ら観察せよ。誰が顛倒する者か。さらにいえば、

「諸顛倒不生,云何有此義?

「諸の顛倒は生ぜず。この言はどうして成立できようか。

無有顛倒故,何有顛倒者?」

顛倒なきがゆえに、どうしてなお顛倒する人があらんか。」

顛倒種種因緣破故,墮在不生。彼貪著不生,謂不生是顛倒實相。是故偈說,云何名不生為顛倒?乃至無漏法尚不名為不生相,何況顛倒是不生相。顛倒無故,何有顛倒者?因顛倒有顛倒者。復次:

顛倒は種種の因縁を用いて破られて不生に堕す。かの辺は不生に貪着して、不生を説いて顛倒の実相と為す。ゆえに偈に言う。どうして不生を以て顛倒と言うことができようか。乃至無漏法すらなお不生の相と名づけざるに、いわんや顛倒が不生の相ならんや。顛倒なければ、どうしてなお顛倒する人があらんか。顛倒有るがゆえにこそ顛倒する人有る。さらにいえば、

「若常我樂淨,而是實有者,

「もし常・我・楽・浄のこれらが実有なれば、

是常我樂淨,則非是顛倒。」

これらの常・我・楽・浄はすなわち顛倒にあらず。」

若常我樂淨是四實有性者,是常我樂淨則非顛倒。何以故?定有實事故。云何言顛倒?若謂常我樂淨倒是四無者,無常苦無我不淨是四應實有,不名顛倒。顛倒相違故名不顛倒。是事不然。何以故?

もし常・我・楽・浄の四様が実に性有れば、これらの常・我・楽・浄はすなわち顛倒ではない。なぜか。決定の実事有るがゆえに、どうして顛倒と言うことができようか。もし常・我・楽・浄を倒してこの四様なしと言うならば、無常・苦・無我・不浄の四様は実有るべきで、顛倒と名づけない。顛倒と相い違するに因ってこそ不顛倒と名づく。この事は当らない。なぜか。

「若常我樂淨,而實無有者;

「もし常・我・楽・浄が実に並びになければ、

無常苦不淨,是則亦應無。」

無常・苦・不浄のこれらもまたなかるべきである。」

若常我樂淨是四實無,無故無常等四事亦不應有。何以故?無相因待故。復次:

もし常・我・楽・浄の四様が実になければ、なきがゆえに無常等の四事もまた有るべきではない。なぜか。相対待の相なきがゆえである。さらにいえば、

「如是顛倒滅,無明則亦滅,

「このように顛倒滅せば、無明もまた滅す。

以無明滅故,諸行等亦滅。」

無明滅するに因って、諸行等もまた滅す。」

如是者,如其義。滅諸顛倒故,十二因緣根本無明亦滅,無明滅故三種行業乃至老死等皆滅。復次:

いわゆるこのようとは、すなわちその義理に照る。諸の顛倒を滅せば、十二因縁の根本の無明もまた滅す。無明滅せば、三種の行業乃至老死等も皆滅す。さらにいえば、

「若煩惱性實,而有所屬者,

「もし煩悩の性が実にして、並びに帰属する所有れば、

云何當可斷?誰能斷其性?」

どうしてなお断ずることができようか。誰がその性を断ぜんか。」

若諸煩惱即是顛倒而實有性者,云何可斷?誰能斷其性?若謂諸煩惱皆虛妄無性而可斷者,是亦不然。何以故?

もし諸の煩悩がすなわち顛倒にして実に性有れば、どうして断ずることができようか。誰がその性を断ぜんか。もし諸の煩悩は皆虚妄にして性なく断ずべきと言うならば、これも当らない。なぜか。

「若煩惱虛妄,無性無屬者,

「もし煩悩が虚妄にして性なく、帰属する所なければ、

云何當可斷?誰能斷無性?」

どうしてなお断ずることができようか。誰が性なきを断ぜんか。」

若諸煩惱虛妄無性,則無所屬,云何可斷?誰能斷無性法?

もし諸の煩悩が虚妄にして性なければ、すなわち帰属する所なし。どうして断ずることができようか。誰が性なきの法を断ぜんか。

中論觀四諦品第二十四(四十偈)

《中論》観四諦品第二十四(四十首の偈)

問曰:破四顛倒,通達四諦,得四沙門果。

問う者曰く、四顛倒を破り、四諦に通達して、四沙門果を得る。

「若一切皆空,無生亦無滅,

「もし一切が空にして、生なくまた滅なければ、

如是則無有,四聖諦之法。

このようではすなわち四聖諦という法なし。

以無四諦故,見苦與斷集,

四諦なきに因って、苦を見集を断じ、

證滅及修道,如是事皆無。

滅を証しおよび道を修する、かかる事も皆なし。

以是事無故,則無四道果;

これらの事なきに因って、すなわち四道果なし。

無有四果故,得曏者亦無。

四果なければ、果を得・果に向かう人もまたなし。

若無八賢聖,則無有僧寶;

もし八賢聖なければ、すなわち僧宝なし。

以無四諦故,亦無有法寶;

四諦なきに因って、また法宝なし。

以無法僧寶,亦無有佛寶。

法宝・僧宝なきに因って、また仏宝なし。

如是說空者,是則破三寶。」

このように空を説く者は、これはすなわち三宝を破る。」

若一切世間皆空無所有者,即應無生無滅。以無生無滅故,則無四聖諦。何以故?從集諦生苦諦,集諦是因、苦諦是果。滅苦集諦名為滅諦,能至滅諦名為道諦。道諦是因、滅諦是果。如是四諦有因有果,若無生無滅則無四諦。四諦無故,則無見苦、斷集、證滅、修道。見苦斷集證滅修道無故,則無四沙門果。四沙門果無故,則無四向四得者。若無此八賢聖,則無僧寶。又四聖諦無故,法寶亦無。若無法寶、僧寶者,云何有佛?得法名為佛,無法何有佛?汝說諸法皆空,則壞三寶。復次:

もし一切の世間が皆空にして無所有なれば、生なく滅なかるべきである。生滅なきに因って、すなわち四聖諦なし。なぜか。集諦に随って苦諦を生じ、集諦は因・苦諦は果。苦・集諦を滅するを滅諦と名づけ、能く滅諦に至るを道諦と名づく。道諦は因・滅諦は果。このように四諦に因有り果有る。もし生滅なければ、すなわち四諦なし。四諦なければ、すなわち苦を見・集を断・滅を証・道を修するなし。苦を見・集を断・滅を証・道を修するなければ、すなわち四沙門果なし。四沙門果なければ、すなわち四向・四得の人なし。もしこの八賢聖なければ、すなわち僧宝なし。また四聖諦なければ、法宝もまたなし。もし法宝・僧宝なければ、どうしてなお仏があらんか。法を得てこそ仏と名づく。法なければどうして仏があらんか。あなたが諸法は皆空と説くは、すなわち三宝を毀壊す。さらにいえば、

「空法壞因果,亦壞於罪福,

「空法は因果を毀壊し、また罪福をも毀壊し、

亦復悉毀壞,一切世俗法。」

しかもまた総べて一切の世俗法を毀壊す。」

若受空法者,則破罪福及罪福果報,亦破世俗法。有如是等諸過故,諸法不應空。

もし空法を受ければ、すなわち罪福および罪福の果報を破り、また世俗法をも破る。かくのごとき種種の過失有り。ゆえに諸法は空であるべきではない。

答曰:

答える者曰く、

「汝今實不能,知空空因緣,

「あなたは今実に空・空の因縁、

及知於空義,是故自生惱。」

および空の義理を知ること能わざれば、自ら惱乱を生ず。」

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